♪邪馬台国 ドンと来い♪ 108

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1日本@名無史さん
 
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

     出来るだけソースを出して後はお好きに!


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     ,._,,,.,.,._.。--ー―'''''^"´,。=ー'^"´ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_,.。-ー'''^         ,.。-ー'^"´      o      o

前スレ   ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 107
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327149140/
2日本@名無史さん:2012/01/28(土) 01:02:56.62
一支1st→已百支last.↓  (PR) http://ameblo.jp/y52yd/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄├───┐  ┌───┐9.3f
支(防)┌──┐  ┏末盧┏┓└→□金印  └─┐┌
      └┐  └┐┃↓┗┫┗━─┘委奴国  ┌┘└
.  北 .   └─┐┗┛    ┗━┓.    (=筑紫) │↑
. φ  ....┌┐│放■@  ★不┗┓     斜陽 ┃海峡に疎い
 南   ┌┘││射■伊都→弥┏┛ 再掲 D  ┗┓
      │  ││式■┿┳↘ ━┛.██████.. ━━┻━━━┓
『伊都』└┐└┘┏■↓┃  奴←▉烏奴←██ 支惟← 巴利 ┗┓
飛地┌─┘遠絶┗■  ┗┳━━▋ ┫┏┓ ██ ┌躬臣┘  ┏┛
    └────┐■十  ┃其南▍ ┗┛┃┌■邪馬┏━━┛→
『奴』非親女王┌┘■日  ┃ 有 ▎E   鬼奴■┐  ┃四国認識
    非反狗奴└─■  ┏┛狗奴国 Kikuchi ■為吾┗━━━┓
      ┌──┐  ■  ┗┓      ┏━┛鬼■┘ C     ┏┛
    ┌┘┌─┘  ■  ┏┻━━━┛★┌┘■女王国以北┗┓
    │┌┘十    ■━┛      華奴蘇奴  ■戸数道里可得┛
    └┘  日┏━■一              ↑  ■略載(抄録)┗┓
      ┏━━┛  ■月    ┌蘇奴→呼邑  ■┏━━━━━┛
      ┃↓      ■↓★┌対蘇    Koyu. ■┛夷守:卑奴の
    ┏┛投馬 A ■    姐奴←不呼┐┏━■  南下監視
    ┗┓Satsuma ■ ┌弥奴─→ 好古津┓■
      ┃         ██都支..Aya..Miya┏━ ██  都支(城):宮護
    ┏┛    ┏┓  ██ └ 伊邪┏━┛ ██   伊邪那岐
┏━┛  ┏━╋┛   ████████████
┃    ┏┛┏┛    B★已百支┃  周旋五千余里
┗┓  ┃  ┃原  邪馬台  ↑┏┛
  ┗┓┃  ┃田○┏━●斯馬┃Kushima
    ┗┛┏┛    ┃  璧┏━┛次有
    ┏倭地温暖┏┛↓┗┛
    ┗━━━━┛南方に詳しい
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1105856.article.html
http://www.youtube.com/watch?v=RciEIpyYq-o
3日本@名無史さん:2012/01/28(土) 03:07:32.53
倭人伝邪馬台国の官職  イキマ=乗仁
ミマショウ=崇神
ミワカキ=御間城姫
ナカテ=ぬてしわけのみこと(乗仁の子供)

どうだろか
4日本@名無史さん:2012/01/28(土) 03:56:53.75
>>2
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃解析結果                  ┃
┣━━━━━━━┳━━━━━━━━┫
┃電波受信率    ┃099%            ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃アホ率        ┃100%            ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃馬鹿率        ┃100%            ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃妄想率        ┃100%            ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━━┛
5夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 07:08:37.99
「万二千里は具体的距離ではない」の証明を最初から。
まず前提から。
倭人伝の記述をそのまま使う、間違いのない事実だけを採用する、独自解釈を入れない。
解釈が分かれるところは一般的で最も広く認知されたものを使う。推論を入れない。
こんなとこか。

これでな、前スレで伊作とゴチャゴチャやってた奴らをまず整理する。
狗邪韓国から北九州へのルートは最も一般的な釜山〜対馬〜壱岐〜松浦とする。
前スレでもいたな、壱岐〜松浦じゃ短いから、もっと遠くが末ろ国のはずだつーのが。
これが一般的解釈を否定した独自解釈だ。
さらに馬鹿の縄文人、ジョーカーがしつこく言ってる渡海と水行は別もの。
これも独自解釈でしかない。
どこをどう船行しても、船で行く一日はすべて水行一日だ。
陳寿が書き分けてるだ?分けてねえよ。
こんな難癖馬鹿以外の普通の人間なら船で一日が水行一日で納得する。
これが一般的解釈だ。
水行複数日は単純に水行一日の、その複数倍。
これも確認すべき一般的解釈だな。
6夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 07:10:05.04
続きの本論は帰宅してから。
時間少し空くぜ。
7日本@名無史さん:2012/01/28(土) 07:24:12.39
>>5 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>船で行く一日はすべて水行一日だ。

まあ今回は見逃してやっても良い話だがw
痴呆症寸前の馬鹿は自分がほざいた事を忘れているようなのでボケ防止のボランティアで一応指摘しておこうw

>『♪邪馬台国ドンと来い♪102』
>624 名前: 夢幻如 ◆vaujymvCDcV. [sage] 投稿日: 2011/12/28(水) 19:52:31.94
>顔真っ赤名無し、頭悪いというかお前も文章読めねえな。
>俺は水行を8時間計算してんだぜ。
>ただ帆船なら目的地まで夜も進むだろうという話だ。

そう、このアホは夜間の航行も可能としている。
ならば航行を日の出から日没までに限る必要が無い。

準構造船の航海をもっぱら島影や海岸線の目視に頼ったものとするならば一日と言う事になるだろうが
夜間の航行も普通に可能なら何故一日に限定できるのか?

本来これの説明が必要。

馬鹿は行き当たりばったりで適当なことを言うから齟齬をきたす一例だなwwwwwwww
8日本@名無史さん:2012/01/28(土) 07:38:03.59
どのくらい信用していいのかはわからないが
http://inoues.net/science/war.html
9日本@名無史さん:2012/01/28(土) 08:14:26.77
>こんな難癖馬鹿以外の普通の人間なら船で一日が水行一日で納得する。
>これが一般的解釈だ。
これは完全な独自解釈だ。やめた方がいい。
10日本@名無史さん:2012/01/28(土) 08:16:35.13
>>1
乙です
11日本@名無史さん:2012/01/28(土) 08:16:42.98
千里を1日で航行したと解釈出来る記述があっても、
それをもって水行一日=千里という事にはならない。

地球は丸いが丸いのは地球だけではない。
夢幻如の理屈は丸いのは地球だけだと言ってるのと同じ。
12日本@名無史さん:2012/01/28(土) 08:26:37.57
>>2
投馬国、邪馬台国の位置はだいたいよさそうだが、狗奴国の位置がだめだな。
狗奴国は女王国よりも南だ、つまり邪馬台国よりも南だろう。
周旋五千里は末盧国から九州東南端まで巡って行った距離だ。
13日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:06:03.05
修辞だろうが実測値だろうが陳寿の地理感覚では倭地は周旋五千里、つまり九州島をイメージしていたってことだわな
南北に長いなんて認識だったらもっと大きい数字になったはず
14夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 09:16:24.88
馬鹿がゴチャゴチャと プ
先に一個だけ

>>>13
修辞の意味がわからないらレスするな、阿呆。
15夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 09:17:42.44
もう一個、伊作のレス貼っておこう。
あとあと必要になる。

・千里単位または日数単位で表記する海路距離は実際の距離とは無関係。
・実際の距離とは無関係な海路1万里を含む1万2千里は、実際の距離とは無関係。
・魏の公式尺度で1万2千里といえば直線距離でインドネシアまで届くが、
1万2千里と書いた倭人伝編纂者は、1万2千里を「会稽東冶の東」程度の距離と明言している。
16日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:31:30.96
以下プ ゲラ ワラ 禁止
17卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/28(土) 09:35:18.44
前スレ>>969 まあ君もそのうち分かる。あと十年ほどすれば。

さて今朝の毎日新聞の文化欄によると、韓国南部の金海貝塚で近江式土器が見つかったそうだ。
三韓時代後期の層から見つかったとか。倭国大乱の時期だとか。
もう一点、近江系と朝鮮系の混成品とみられる土器も見つかったとか。
ただし近江式土器は九州からも出る、とある。
18志紀:2012/01/28(土) 09:37:05.84
ごちゃごちゃとかあほも禁止してください。

一家に一学説って言われる九州説ですが、ほんとに一人一党の馬鹿もいるんですね。
己の優秀さを自慢したいがためのスレ汚しなら、必要ない。
19夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 09:37:07.91
本題。

まず、狗邪韓国から北九州までの3航海が千里とされている。
釜山〜対馬、対馬〜壱岐、壱岐〜松浦、これがすべて千里。
これを水行で見たら、誰がどう見ても各一日だ。
釜山〜対馬は時代が下るが秀吉の朝鮮出兵で小西行長が6時間で航海している。
古代船の性能はこれより当然劣るだろうが、動力を持たない木造船は変わらない。
仮に倍の時間がかかったとしても12時間で水行一日にはなるだろう。
壱岐〜松浦は確実に水行一日だ。
距離が他の2航海のほぼ半分でも同等の千里としていることから、時間表記しても同等ということになる。
ここから魏志倭人伝での水行一日は千里であると出来る。水行一日=千里だ。
これを投馬国の水行二十日に換算すれば二万里になる。
邪馬台国への水行十日は一万里になる。
行程記事の解釈の一般的なものは連続説と放射説の二つのみ。これで見る。
連続説。投馬国への水行二十日だけで二万里だから万二千里をオーバーする。
放射説。伊都国から邪馬台国へ水行十日陸行一月になるわけだが、水行だけで一万里。
郡から松浦まですでに一万里だから、この水行を加えるだけで二万里になり
やはり万二千里を軽くオーバーする。
つまりこれで万二千里は具体的な距離ではなく修辞であると証明できるわけよ。

ここで今まで出てきた反論とその否定にいく。
20日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:39:34.20
論争荒らしのテンプレコピペより

・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。
・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。
・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。
・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。
・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。
・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。


21志紀:2012/01/28(土) 09:49:18.52
距離と行程は一致しないだろ。
ぎょうから九州まで陸行一月水行十日くらいだし。
帯方郡からでも、途中経由した国=都市の里程をたせばそんなもんでしょ。

精緻な論証は意味ないんじゃね?
距離の記事は正確さを求められるが、日程は行軍速度によって全然変わるし、
馬の早駆けと輜重部隊でも全然違う。
大事なのは距離。
22夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 09:52:01.39
まず、水行二十日、水行十日陸行一月は伝聞だ。
伝聞ということは魏船ではなく倭船での水行で見た場合の時間表記になる。
これが魏船の水行と同等と見ていいのか?だな。

全然構わない。壱岐〜松浦は他の水行の約半分の距離だが同等の千里とされている。
当然時間も半分くらいしかかからない。
釜山〜対馬、対馬〜壱岐の半分しか進まなくても千里。
なら、倭船が魏船の半分しか進まなくてもやはり千里だ。

倭船が魏船の半分しか性能がないなんてことも無いんでね。
倭船も郡に渡っている。渡海能力のある船を倭も持っているわけだ。
そうなら一般で使っている船の性能もそう劣るものではないはずなのよ。
もう何回も言ったがな、日本人は縄文時代に既に青森〜新潟県糸魚川までの航海を
間違いなく成功させているんだ。
古代船の常識はどこかで間違っていると前に言ったが、倭船の性能も見くびる必要はないはずよ。
23日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:54:11.70
渡海、つまりA地点からB地点まで海を渡って移動した場合にその距離を千里という事にしたのであろう
女王国東渡海千里復有国
ここでも渡海に対して千里としている
一日航海だから千里、という事ではあるまい
24日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:01:31.89
いくら書いても唯の推論
証明にはなりません
25夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 10:04:11.59
>>21
引っ込んでろ。邪魔。

こいつの言うことに似た反論もあったな。
水行は天候やアクシデントでの休息や宿泊などで変わる。これを含むのか否か。
倭人伝では時間表記によるものも紛れも無い距離表記の方法で書かれている。
水行、陸行の時間表記は里程と同じ距離表記だ。
これが理解できれば上気の質問は意味を成さない。

水行も陸行も「当時の平均的速度で行った場合」ということだ。
天候待ち、潮待ち、アクシデントによる停滞、宿泊などは含まないと見るべき。
早駆けなら、大名豪列なら?関係ない。
水行十日と認識されるところを嵐しなどで二十日かかったら「ずいぶん難儀したんだね」になり
八日で行けたら「すべてがすごく上手くいったんだね」になるだけだ。
こういう当時の基準になる日数で書かれているはずで、そうでなければ距離表記には使えない。

もう一回言うぞ。倭人伝では時間表記も距離表記として使われている。
26夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 10:06:34.93
>>23
その千里は何一かかるか考えな。
間違いなく一日だ。これが現実。この現実が構成要素なんだよ。
間違いのいない現実を構成要素にするから証明になる。わかるかな?
27志紀:2012/01/28(土) 10:06:52.43
距離と里程は関係ないと思うが、「千里」が水行の慣用句乃至は一日の行程というのは
あり得る。

倭船を見くびってるのは畿内説のじじむさい学者達だけだ。
渡海能力も航行能力も悪くやたら沈没する遣唐使のイメージしかないんだろう。
むしろ倭の当時は魏の船より優秀だったと思うよ。
半島、南九州から南西諸島、日本海岸全域を行き来していた時代だからね。
ついでだが、筑後川流域から八代海は、大湿地帯で陸行という感じでもなかったらしいね。
吉野ヶ里が海方向に備えているのも、呉というより南九州勢力への備えだろう。
28夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 10:07:10.04
何一じゃねえ「何日」な。
29夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 10:13:26.23
事実と倭人伝に書かれている千里からのみでこの証明は成り立っているんだ。
どこにも独自解釈、勝手解釈も無ければ推論も無い。
倭船については最悪、魏船の半分性能でも成り立つ。
仮に釜山〜対馬が水行二日かかっても、これが崩れないことは前に言った。

あと、なんだっけ?あった反論は?
30日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:26:15.82
>>26
現実として間違いの無い共通の構成要素は「渡海」でしょ
明記されていない日数を構成要素とするのは論拠として弱いよ
31日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:27:30.07
32日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:34:33.38
>>25
>倭人伝では時間表記も距離表記として使われている。

これなんて勝手解釈だね
距離表記なのか実際の所要時間なのかは解釈が別れるところだろ
33日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:44:57.67
>>29
どれも同じ日数だから同じ里数表記だという理屈だから
釜山から対馬が仮に二日かかったら壱岐島〜唐津も二日かからないと同じ千里にはならないよね
でも壱岐島〜唐津は間違いなく一日だってのが君の主張でしょ
だから釜山〜対馬が二日かかったら君の理論は成立しないよ
34日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:49:01.94
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
35日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:54:59.48

>>19 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>水行二十日だけで二万里だから万二千里をオーバーする。

先ずそもそも「水行一日千里」としてそれでどう計算してもトータル万二千里をオーバーすると言うのなら
何故きちんと辻褄のあった数字を出しておかなかったか?
古代中国人、陳寿はそんな計算もできない馬鹿だったのか?
本来それに対する説明が別途必要でこのアホはそれをしていない。

トータルの数字が出ている以上その中で整合性をとろうとするなら
「不彌國から先の水行一日は千里とならない」とするしかない。

先ずその辻褄が合わない数字がどうして出てるのかの辻褄を合わせろボケ…っちゅう話だなw

もっとも如何なるストーリーを持ってこようがそれにも根拠が必要で
「オッカムの剃刀」的考えに立つなら「水行一日千里」を全体に当てはめることがナンセンス。

まあ、特急・鈍行織り交ぜた旅程があってその一部から全体を組み立てたらそりゃ全体の辻褄合わなくなる…という見方もできる。

要するにこのアホは「水行は終始同じ基準で書かれている」を前提にしていてそれはなんの根拠もない。
どころか全体から見ればそれは矛盾を生じるシロモノ。

はい ろんぱ〜 かな?w


36志紀:2012/01/28(土) 10:56:11.47
>>30
その通り。この部分だけならそう。

あとは魏志全体での他の部分の用法、陳寿の方法論〜癖、当時の史書の一般例と特殊例、
検討課題はいくらでもある。もちろん現存する資料自体希少で、その全部を自在に証明できる
わけじゃないが。

距離記載と行程とは一致しない。なのに航行能力が半分とか一日が慣用表記だとか、自己矛
盾しているし、そんなことをすれば、距離の方も翻って怪しくなってしまう。
距離は、軍事的に最重要の記載だよ。その他色んな意味でも。
37日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:57:54.29
>>25 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>もう一回言うぞ。倭人伝では時間表記も距離表記として使われている。

百回言おうが千回言おうが根拠無し。そもそも

>天候待ち、潮待ち、アクシデントによる停滞、宿泊などは含まないと見るべき。

…って馬鹿かお前?まあ馬鹿なんだがwww

一月二月あれば天候は変わる。一日のうちで潮の流れは変わる。
「停滞、宿泊は含まない」って、おいおいそりゃ「 超激安!! 0泊90日地獄の弾丸旅行プラン 」か?阿呆wwwそこは
「天候待ち、潮待ち、アクシデントによる停滞、宿泊などは当然含む平均的な日数」だろう脳味噌使えクズwwwww

でだ、これを距離に換算しうるのなら換算して「水行一日千里」で辻褄の合うようにして書いておけば良い
何故しなかったんだ?
大体これが本当に倭人による定期航路とも言えるコースを何回も往来した平均値だと言う根拠が無い。

先遣隊が伊都国で収集したその情報がたまたま邪馬台国まで行った事のある中国人(例えば銅鏡製作の工人とか)のものなら
一度っきりの数字の可能性があるし、倭人のものとしても普段の物流なら「バトンリレー式」で事足りる。
邪馬台国から2ヶ月もの日数をかけて来るのは極まれで、伊都国でその情報を提供した倭人も数回、事に拠れば一度っきりと言う可能性を排除できない。

日数が距離に換算しうる物だと断言できる根拠なんかない。
自説の可能性は主張できても他説を否定できない。
「他説を否定できる」と大風呂敷広げたこの自惚れゴミカスの自滅。


38日本@名無史さん:2012/01/28(土) 11:00:25.10
以下ぴーちくぱーちく禁止
39日本@名無史さん:2012/01/28(土) 11:08:48.59
>>29
>どこにも独自解釈、勝手解釈も無ければ推論も無い。

>>25
>倭人伝では時間表記も距離表記として使われている

これって水行十日陸行一月や水行二十日は伝聞であるっつー推論からくる独自解釈だよね
独自解釈や推論が混ざっているから証明にはなりませんな
40志紀:2012/01/28(土) 11:13:49.93
レスポンスがないね。
また罵倒の嵐で押し切ろうとするのかな。それなら来ないでほしい。
41日本@名無史さん:2012/01/28(土) 11:32:16.55
>郡から松浦まですでに一万里だから、この水行を加えるだけで二万里になり
>やはり万二千里を軽くオーバーする。
>つまりこれで万二千里は具体的な距離ではなく修辞であると証明できるわけよ。
馬鹿だなあ。君の計算が成り立たないってことが証明されてるだけだ。

42日本@名無史さん:2012/01/28(土) 12:12:32.05
>>836 :稗箕狐:2012/01/27(金) 17:40:43.05
>むげんにょは、夏は分類上は夷だったてしらんのかなあ
>http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicA4ZdicB7.htm
説文解字からの解釈ですか。
では、
説文解字で解釈すれば、水行二十日が五百里に相当するという解釈が成立することが解るだろう。
つまり、水行十日陸行一月=四十日は千里に相当するといことも。
勿論、千里は432kmである。

43卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/28(土) 12:24:07.63
海北と倭王武について。

朝鮮在列陽東 海北山南  (山海経)  
渡平海北九十五国    (倭王武上表文)

山海経の海北とは渤海の北のことである。
だから倭王武上表文の海北も渤海の北のことなのである。

上表文は中国に奉るものだから、中国人が読んで理解できなければいけない。
中国人にとって海北とあれば渤海の北という理解があるのである。

だから海北を平定したとは渤海の北を平定したことであり、倭王武とは朝鮮の倭王なのである。
44日本@名無史さん:2012/01/28(土) 12:28:30.21
>山海経の海北とは渤海の北のことである。
>だから倭王武上表文の海北も渤海の北のことなのである。
古田だったら言いそうなこじつけだ。

45卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/28(土) 12:43:09.80
>>44
では君は、倭王讃が献上したのが貂皮と人参だったという記事をどう解釈するのか。
貂皮というのはかつて高句麗が献上した品だ。人参も朝鮮の特産物だろう。

つまりどうみても倭の五王というのは朝鮮の倭の王だと思われるのだ。
白石も宣長もそう考えているのに、学界は完全に無視している。
46日本@名無史さん:2012/01/28(土) 13:03:14.93
>>29
結局、もう一度、お前の証明なるものを見ても、証明にはなっていない罠。皆
の書いているとおり。証明とは前提が有り、かつその前提が正しくなければ証
明も正しくはならない。論理学の常識だ。もう邪馬台国から降りろ。
47日本@名無史さん:2012/01/28(土) 13:08:29.64
>>42
昨夜、説文には「夏は分類上夷だ」なんて書いてないと指摘したが、
その後、何のレスもない。
48日本@名無史さん:2012/01/28(土) 13:14:38.82
>>44
>倭王讃が献上したのが貂皮と人参だったという記事をどう解釈するのか。
@ 記事は正しいか否か、まずそれが問題だ。
A 正しいとしても、それが我が国の産物であったかも知れない。
B 産物でなかったとしても、手に入れた貴重品を献上したのかも知れない。
C 我が国から持って行ったものではなく、朝鮮で都合してもらったものかも
 知れない(通交のある朝鮮の国で面倒をみてもらったことも考えられる。)

49日本@名無史さん:2012/01/28(土) 13:32:41.77
むげんにょは「証明」の意味を理解していない気がする
50唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/28(土) 13:33:00.79
>渡平海北九十五国    (倭王武上表文)
海を北に渡りて平らげること95国

>倭王讃が献上したのが貂皮と人参だったという記事をどう解釈するのか。
義煕九年[413]『是歳、高句麗、倭國、及西南夷銅頭大師、竝獻方物』(晉書安帝紀)
允恭天皇三年(甲寅四一四)正月辛酉朔。遺使求良醫於新羅。

396年から407年までの高句麗の南下と攻勢。
高句麗と倭は、413年東晋への朝貢をもって和平協定が成立した。
つまり、倭の属国であった百済と新羅及び金官伽耶の東半分が高句麗の傘下となる。
そのなかで、義煕九年[413]の朝貢がなるのであるから、倭は朝貢の土産も用意してない。
土産は高句麗が用意したものである。
51縄嘉ー:2012/01/28(土) 14:00:40.69
>>29 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 10:13:26.23
>事実と倭人伝に書かれている千里からのみでこの証明は成り立っているんだ。
>どこにも独自解釈、勝手解釈も無ければ推論も無い。
>倭船については最悪、魏船の半分性能でも成り立つ。
>仮に釜山〜対馬が水行二日かかっても、これが崩れないことは前に言った。

>あと、なんだっけ?あった反論は?

あのな。倭人伝には「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里」という水行1日がどれくらいの距離に
相当するかを考察するための絶好の材料があるからな。これで検証してみなよ。
狗邪韓国から末盧国に至るまでの3回の渡海とはまるで状況が違うのだから、水行について論じるならそうすべきだろ。

ジョーカーも言っているように水行の日数は距離に換算できるものじゃない。また肥だめに落ちた鶴が言う水行1日=千里という常識
みたいなものも無かった。換算できるものならそれまでの里数表記で通して来た書き方を変える必要はないだろ。
52縄嘉ー:2012/01/28(土) 14:23:50.47
>>22 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 09:52:01.39
>まず、水行二十日、水行十日陸行一月は伝聞だ。

独自解釈、勝手解釈がまだここにもあったな。
お〜い愚か者。先ずそれを証明しろ。
53日本@名無史さん:2012/01/28(土) 14:26:43.53
前スレ >910
> >ちがうね。倭人伝を否定すれば、どこにでも持って行けるってことだ。
> >倭人伝に従えば、行き先は一つだよ。
> すばらしい。
> きみのような人にもっと発言してもらいたい。

ワロタ。
おいおいイサク。誰に向かって返答してるか判ってるのか?

「倭人伝に従えば、行き先は一つ」
お互いそれは同意事項であるにもかかわらず、
片や都城、片や熊本、という笑い話。
54日本@名無史さん:2012/01/28(土) 14:32:24.24
>>51 名前:縄嘉
>ジョーカーも言っているように水行の日数は距離に換算できるものじゃない。

そんなことはないよ。
水行日数を距離に換算する方法は一つだけある。
陳寿もそれを根本として水行日数を距離としている。
それは、
「女王之所都」とある。
この一説が全てを解決する。
55日本@名無史さん:2012/01/28(土) 14:35:37.48
前スレ948 メさん

>其六年、詔賜倭難升米黄幢付郡假授 
>これを訳すと「付ける」ではなく、「付けて、授与する」と記載されており、
>ここから言えることは、「未処理」ではなく、「処理済み」だと言えるのであって。

確かにそこだけ読むと「假授」までが完了形と取れますね。
ただ、正始六年中に完了したのは、「詔」だけで、「賜倭難升米黄幢」「付郡假授」の部分は、その詔の概要ではないかとも思えます。
つまり、これは帯方太守あての詔。
内容説明なら、それらしく「曰く」とか加えてあるべきだとは思いますが。

未完と思う理由は、稗箕狐さんが仰ることに加えて、王キの着任記事の存在もあります。
倭人伝では、対倭人外交の窓口として三人の帯方太守が登場しています。
最初の朝貢を取り付けた劉夏、一回目の遣使を出した弓遵、そして二回目の王キ。
最後の王キについて着任記事があります。

本来、倭人伝は倭に係る事項を記述するわけですから、帯方郡の人事は対象外でしょう。
弓遵の任命などは、難升米の朝貢中の出来ごとなのにスルーされています。
つまり、倭人伝の原始資料には、そのような情報はされていない、ということ。

然るに王キだけに、着任記事が有る。
既レス済みですが、原始資料である張政の復命(もしかしたら王キによる報告)に挙げられていたため、倭人伝の文章にも残ったと言う解釈で、
これは、前任の弓遵が在任中に戦死(正始六年以降)していることから、それまでの間の太守不在を強調しているのだと思います。
太守不在じゃ、詔の執行が保留されていてもおかしくは無いでしょう。
56ひとぶた:2012/01/28(土) 14:37:27.17
>>55は私、HN入れ忘れw

前スレ983 ローガンさん

>張既伝に「乃檄告諭諸羌、爲光等所?誤者原之。能斬賊帥送首者當加封賞。於是光部黨斬送光首、其餘咸安堵如故。」とあります。
>反乱した麹光等を軍が討てば、かえって羌族等が頑なになる。麹光等は羌族を取り込みを画策しているが、羌族に麹光を討たせれば、穏便に解決する…
>という張既の進言による「領土、恩賞をあたえるので賊追討の挙兵せよ」が羌族に対する「檄告喩」。
>出兵を促す行為でしょう。

本来、「檄」とは言説の中身ではなく、その言説を記録する木簡のことですよね。
まあ、転じて文書の意にも使われるのでしょうか。
また、「告喩」の方は、口頭で申し渡すことです。
この二つが合わさった「檄告喩」なら、文書と口頭の両方で伝える、具体的には相手の前で檄の内容を読み聞かせる、それだけのことだと思います。
それが軍令としての檄であれば、「戦え」「戦うな」どちらの場合にも使え、つまり、「檄告喩」とあっても「出兵を促す行為」なのかどうかは「檄告喩」の内容の方によるでしょう。
ただし、大概は士気を鼓舞するような内容だとは思います。
難升米等への場合、倭人伝でその中身が記述されていないと言うことは、具体的な事項が書かれていない、さして特記すべき内容のもので無かったか、
又は編纂時の資料に備わっていなかったかで、恐らくは、忠勤して皇帝の武威を広げろ程度の内容だったのだと考えます。
57縄嘉ー:2012/01/28(土) 14:43:45.59
前スレ>>996 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 06:20:51.61
>>それで事が済むなど古代中国人でも思っちゃいない。
>>政治を動かす実力者達は「天子の徳」論などの思想を利用はするが、実際の行動は実利主義だ。

>これが大半の現代人の誤った感覚だ。
>呪術的、宗教的なものの大きさを理解せず、現代的な合理的思考で古代を見る。

これを見過ごしていた。
やはり夢幻如はナイーブでジュービナイルの考え方しかできないな。
古代人は現代人より呪術的、宗教的なものに影響されることが多かったことぐらい誰でも理解しているだろ。
だが、儂が言ったことは呪術的、宗教的なもののことではなく、「天子の徳」論だ。
まさかお前は天子の徳」論は呪術的、宗教的なものと思っているんじゃなかろうな?
58日本@名無史さん:2012/01/28(土) 14:48:52.97
>>54
詳しく
59縄嘉ー:2012/01/28(土) 14:52:51.90
>>54

儂へのレスですな。えらく思わせぶりですな。単刀直入に言って下され。
60夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 14:58:43.45
う〜ん、寝てしまった。まだ途中だが、まともな突っ込みは無いねえ。
眠い中、書いてたから誤変換がすげえな ワラ
一個づつ行くか。

>>30
渡海がなんだって?
日数が明記されてないのは里程というわかりやすい表現が出来るからだ。
実際に行っていればこれで表記するのが普通。
伝聞なら「何日かかる」という説明を聞いたら、そのまま表記するほうが正確。

>>31つまり>>11
>千里を1日で航行したと解釈出来る記述があっても、
 それをもって水行一日=千里という事にはならない。

倭人伝では釜山〜対馬と壱岐〜松浦のほぼ倍の距離を千里としている。
これを同じ千里表記だ。どちらも現実的に水行一日で間違いが無い。
ここから水行一日=千里として、どこに無理がある?

>>32
>距離表記なのか実際の所要時間なのかは解釈が別れるところだろ

実際の所要時間だとなぜ距離表記にならないんだ?
原文コピペするの面倒くさいから意訳で出すぞ。
「東南して奴国に至る。百里」「東行不弥国に至る。百里」
「南、投馬国に至る。水行二十日」「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行十日陸行一月」
書き方が一緒だ。百里の場所が時間表記になっている。つまり時間表記は距離を表すために出されている。
所要時間じゃ、なぜ距離をあらわすことにならないのかな?
61日本@名無史さん:2012/01/28(土) 15:08:29.10
>>58 >>59 名前:縄嘉ー :2012/01/28(土) 14:52:51.90
>>54

学習能力をつけるだけだからやめとくよ。

五百里=水行二十日に相当する
と言うことになるのだが。

何故、伊都国迄が五百里なのか?
何故、奴国迄が百里なのか?

全て、都の解釈が行き届かないとその意がわからないだろう。

ウサギも亀も頂上目指して頑張って頂戴。

では、また明日!
62日本@名無史さん:2012/01/28(土) 15:15:46.43
>>60
>渡海がなんだって?
日数が明記されてないのは里程というわかりやすい表現が出来るからだ。

全然答えになってない
「千里」は水行日数でなく「渡海」に対する距離表記だと言ってるんだよ
実際に書いてある「渡海」よりも書いてない日数を共通の構成要素にするのは論拠として弱いよ
63日本@名無史さん:2012/01/28(土) 15:15:58.03
あのさ、この時代の中国は城郭都市の時代っすよ
城門に門兵がいて城内外の通行を制限してた。
黄幢も檄も皇帝の使節ってことを証明して、
帰路の途中、魏の勢力下の都市に立ち寄れるのを保証しただけっしょ。
なぜ軍派遣とか指揮権とかって話が飛躍していったのかワカラナイっす。

64夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 15:30:13.21
>>33
>でも壱岐島〜唐津は間違いなく一日だってのが君の主張でしょ
 だから釜山〜対馬が二日かかったら君の理論は成立しないよ
釜山〜対馬が二日かかるなら壱岐〜唐津も二日だろうよ。
同じ千里ならそう見るのが普通だ。
だが釜山〜対馬は秀吉時代の実績から見て、大幅に遅らせても二日は無い。
ま、屁理屈で食い下がるつもりが無く、普通の感覚があるなら
天候がよければ目視できる距離だからな。一日に文句はあるまいよ。

>>35あ〜>>37もか。
邪魔。馬鹿の相手は出来ん。
65夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 15:30:40.55
>>36
>あとは魏志全体での他の部分の用法、陳寿の方法論〜癖、当時の史書の一般例と特殊例、
 検討課題はいくらでもある。
倭人伝の中だけで、あるいは行程記事の中だけでどう使われたか見ればいいだけだ。

>距離記載と行程とは一致しない。
はあ?意味がわからん。

>なのに航行能力が半分とか一日が慣用表記だとか、自己矛
 盾しているし、そんなことをすれば、距離の方も翻って怪しくなってしまう。
何が矛盾なんでしょ。距離ははじめから怪しいじゃないか。わからんの?
釜山出てからの距離は千、五百、百だけだ。1と5だけ。
これも後で言うが、俺は最初から「旅程における里は距離単位ではない」と言ってるんだよ。
正確な距離などどこにも出ていない。新参相手は面倒くさいな。

>>39
>これって水行十日陸行一月や水行二十日は伝聞であるっつー推論からくる独自解釈だよね
 独自解釈や推論が混ざっているから証明にはなりませんな
伝聞じゃなく使節が実際に行った場合の記録でも同じになるが、何か?
ま、実際に行ったならなぜ今までどおり里程表記にしなかったのかという当然の疑問を解決できない。
郡から松浦までの長距離も里程表記できてるんだからな。
66日本@名無史さん:2012/01/28(土) 15:38:54.62
>>60
>実際の所要時間だとなぜ距離表記にならないんだ?

「移動に十日掛かりました」
「十日分の距離です」
どちらの意味で書いたのか分からないだろ
分かるというのであれば、それは勝手解釈でしかない
67夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 15:40:34.51
>>40
ガキが何様のつもりだ?
誰がいつ、どう参加しようが勝手で自由なのが2ちゃんだ。嫌ならお前が来るな。

>>51-52
これも馬鹿相手だから邪魔。
こいつらの言うことなど、あとでまとめてで十分だわ プ

>>61
馬鹿へのレスに横することも無いんだが、なんだこれは ワラ

>五百里=水行二十日に相当する
 と言うことになるのだが。

ほう、じゃあ釜山〜対馬などは各水行40日、3航海で120日表記になるのか。
北九州と朝鮮半島の突端まで行くのは4ヶ月か。すげえな ワラ
68夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 15:47:03.34
>>62
>「千里」は水行日数でなく「渡海」に対する距離表記だと言ってるんだよ

当たり前だろ。渡海してそれは千里だと表現した。
じゃあその千里は水行表示に置き換えたらいくらになるのかを言っている。
お前も「水行」と「渡海」は別だと言いたいのかな。

>>66
>>60の一番下で十分なはずだが。
69卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/28(土) 15:51:23.28
>>48
いかにも苦しいw そこまでして朝鮮説を受け入れたくないのはなぜなのか。
>>50
>高句麗と倭は、413年東晋への朝貢をもって和平協定が成立した。
>つまり、倭の属国であった百済と新羅及び金官伽耶の東半分が高句麗の傘下となる。
唐松山氏よ、これは事実なのか、それともあなたの空想なのか。
70日本@名無史さん:2012/01/28(土) 15:57:23.43
>>68
話が噛み合わないな
日数は「千里」のパラメーターにはなってないってことだよ

A地点からB地点まで海を渡って移動した
この距離を「千里」という事にした

掛かった日数は関係無い
71唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/28(土) 16:16:01.03
>>69
事実である。

神功前紀 渡海。
神功49年 半島占拠。
これが事実であるから、倭王武の上奏文となる。

しかし、七支刀=369年では、半島占拠は否定されている。だからこの時代を疑うのが先決であり
半島占拠を否定しては、その後の歴史を語れない。
72日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:16:24.84
>>70
同意
狗邪韓国から松浦までの渡海は
あくまでも千里という表記であって、一日ではない。
現実に一日かかったかもしれないが、それには何の根拠もない。

千里を水行一日とする根拠にはならない。

ちなみに、隋書百済伝で、240キロ程度を三月とする、
文献的根拠ならある。
73日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:17:27.52
>>68
>>60の一番下で十分なはずだが。

だからそれはあなたの勝手解釈なわけ
移動距離が不明だから所要時間を記載したとも解釈出来る
ここで言いたいのはどちらの解釈が正しいかということではなく、複数の解釈が成り立つということ
前提条件に複数解釈可能なものが混ざっている以上あなたの言う所の証明にはならないだろ
74夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:19:39.31
万二千里とは何か?ただの修辞だ。
伊作が言ってるが魏の公式尺度で万二千里ならインドネシアだ ワラ
「結構遠い」と言う意味でしかない。

「旅程における里は距離の単位ではない」何回言ってきたかな。
里数なんて計れないんだよ。
伊作は航海は正確に測れないからというが、陸路だって測れない。
前に補足でどうのと言う話は散々したが、これなら直線距離は出せないが踏破距離なら出る。
だが、実際にやるとなったらこんな面倒なことはない。やるわきゃねえよ。
やっていれば里数はもっと正確に記される。ちゃんと公式な尺度でな。
長里だ、短里だ、1/6だなんてあほな話には最初からならない。
百五十など五十の二桁くらいまでだって出てくるはずなのよ。
使節は正確な測量調査もする、と言う奴は多いが、じゃあなんでこうならないのか聞くと
「そこまでの正確さは必要ない」だったな。大笑いだ。じゃあ正確に測量する意味がない。
里の公式な尺度は土木工事などに使うためのものだろう。
旅程においては測れないし、歩測で測ったところで直線距離すら出せない。
じゃあ何で里程で表されるか?書き手と読み手が共通理解できる修辞としてなら意味がある。
隣接するなら百里、というお互いがわかる符丁だと見ればいいだけよ。
だから修辞である里数を足して、トータルはいくらで、一里が何メートルだからなんて考察が愚の骨頂だ。
辻褄合わせるために伊作みたいに6倍だの6.5倍だのはさらに滑稽の極み ワラ

3航海の千里が実距離でないことは馬鹿でもわかるはずだ。
実距離で倍の開きがあるものを同じとしているんだからな。
陸路も同じ。正確に測ったものじゃないから一か五の単位の適当距離になる。二桁単位も無い。
これを実距離と見れば辻褄が合わなくなるが、書き手読み手が感覚でわかるための符丁=修辞と見れば
何の不思議も無くなる。
行程記事に出てくる距離はすべて符丁。感覚でこれくらいと読者に伝えるためのもの。
トータル万二千里も周旋五千里も当然、修辞。
測れないものを距離で出しているんだから、これしか考えようが無いだろうが。
75日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:22:36.55
1/6換算で何も問題なく行程がたどれて、
無理なく九州内に移動できるのに、

修辞だとか里数は無意味だといわれても、
何の否定論にもならない。

修辞や里数否定のほうが苦しい言い訳にすぎない。
76唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/28(土) 16:26:28.99
義煕九年[413]『是歳、高句麗、倭國、及西南夷銅頭大師、竝獻方物』(晉書安帝紀)
『晉安帝義熈九年[413]、遣長史高翼、奉表、獻赭白馬。以[王連]、爲使持節・都督營州諸軍事・征東將軍・高句驪王・樂浪公。
高祖踐[阿−可+乍]、詔曰「使持節・都督營州諸軍事・征東將軍・高句驪王・樂浪公[王連]、使持節・督百濟諸軍事・鎭東將軍・百濟王映、並執義海外、遠修貢職。惟新告始、宜荷國休。[王連]可征東大將軍、映可鎭東大將軍。持節・都督・王・公、如故。」』

413年の朝貢は、倭と高句麗であり、百済は高句麗国に含まれる。
この高句麗に含まれる百済を独立国とするのが、百済本紀である。
だから、韓国考古学は、積み石塚を近肖古王で説明すると、未知の4世紀遺構が存在してしまい。
343年ころの”百済”の説明が出来ていない。
晉書卷一百九  載記第九   慕容皝慕容翰 陽裕
句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,非如中國慕義而至,咸有思歸之心。
この記事は、342年に高句麗が大敗した後の状況である。
77夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:28:40.03
>>70>>72
だから

>A地点からB地点まで海を渡って移動した
 この距離を「千里」という事にした

これにかかった時間はどうかは事実を見ればいいだけだろうが。
時間は関係ないではない。倭人伝では上記のように距離表示として時間表記があるんだ。
修辞で表された里程と時間表記をお互いに置き換えてみることでわかることがあるだろうが。

>現実に一日かかったかもしれないが、それには何の根拠もない。

現実以上に根拠になる者があるのか?事実より机上計算や空想か?

>ちなみに、隋書百済伝で、240キロ程度を三月とする、
 文献的根拠ならある。

また、それか。何回目だ アキレ
240キロを3ヶ月という時点で「それはおかしいだろ」と普通に思えよ。
文献馬鹿になると、この普通の感覚が無くなって文献マンセーになる。アホか。
78縄嘉ー:2012/01/28(土) 16:30:19.29
>>73
誰かが言っていましたな。夢幻如には証明とはどういうものかが分かっていないと。
一方で夢幻如は自分の論は推論だと、そしてどんな論考でも推論に過ぎないとも。
自分はこう推測する、自分はこう解釈する、その論拠はかくかくしかじかだ、という姿勢を採ればいいものを、
他人の意見は聞かず、組し易いと思った書き込みだけを狙って暴言を吐く。始末におえませんな。
79日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:31:59.10
>>77
>現実以上に根拠になる者があるのか?事実より机上計算や空想か?

その現実とやらの根拠を出してみな。
一日かかったかもしれないが、2日かもしれない。
「一日かかったかもしれない」というのは、
俺の推測でしかない。そんなもん、俺自身ですら根拠にはしていない。

80縄嘉ー:2012/01/28(土) 16:41:12.11
>>67 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 15:40:34.51
>>51-52
>これも馬鹿相手だから邪魔。
>こいつらの言うことなど、あとでまとめてで十分だわ プ

がはは。手強い相手はこのようにして避けるのだな。腰抜けだの〜。
81志紀:2012/01/28(土) 16:41:39.04
>>74
新参者だがガキじゃない。お前よりは年上だよ、糞ガキw

>万二千里とは何か?ただの修辞だ。
伊作が言ってるが魏の公式尺度で万二千里ならインドネシアだ 
1里=75mで、900qだが?熊本と南京が直線距離で1000qだから、いい感じじゃないかw

>「旅程における里は距離の単位ではない」何回言ってきたかな。
何回も言ってきたのか?そうとうアレなんだなw
新参者だが、お前のような低学力ではないな。
82夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:42:59.19
>>75
>1/6換算で何も問題なく行程がたどれて、
 無理なく九州内に移動できるのに、

逆だろうが。九州に持ってくるために1/6で換算する。そりゃ無理なくなるだろうよ。
そのための換算だからな。
だかそれじゃご都合主義だから、なにか理屈はつけられないか?で見つけたのが
会稽東冶の東ってだけだ。
倭人伝「だけは」この距離だ、なんて理屈がどこにあるってんだ。
他の話になると三国志全体では似たような例は無いとか言うくせに、ここだけは特例か。
修辞距離を割っても当たり前で意味がない。
正確に測れるはずだと言うなら公式尺度でちゃんと出てくるわ。
もう一回言うぞ。海路も陸路も距離は測れない。
測れないから、それを情報として伝えるためには修辞の距離で表すか時間で表すかしかない。
この修辞距離と時間表記の換算を試みれば答えが出るんだよ。

83夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:48:00.01
>>81
俺より年上?じゃあジジイか ゲラ
2ちゃんの遊び方も知らない爺ちゃんが来るところじゃねえぜ。
84日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:48:14.33
みんな海流の影響を無視しすぎてる。
>>8は当時の船の速度は3ノット程度とし、対馬海流の平均流速は1.3ノット程度としている。
海流の向きを考えると、末盧→壱岐、壱岐→対馬、対馬→半島の
所要時間は同程度と考えても良さそう。
逆は海流に逆らうことも多く不合理で、帰路は対馬→沖ノ島→大島の宗像3女神ルートと考えるのが自然。
従って、魏志倭人伝の行程は往路を帯方で聞き取り調査して、
それを逆に並べて帯方からのルートとして記載したものだろう。
倭人は里程を知らなかった訳だから、倭人が語ったのは所要時間で、
その所要時間から魏の基準で里程に変換したのだろう。
そこには船の違い、河川・内海と外海航海の難易度・速度差は考慮されていない。
伊都国と壱岐・対馬の記述だけが詳しいのも、そこで暮らしていた人が帯方で語ったものだから。
85日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:52:13.24
>>82
測れないと言われても、まあ、誤差はあるだろうが
まあ、無理のない数値で成立してるからな。
荒っぽい目測かもしれんが、情報として成立している。

薄い根拠ではあるが一応文献の数値と一致する
1/6換算に対して、一日千里は何も根拠が無い。

ついでにいうと、倭人伝の記録は、修辞でもなければ、
無意味な数値記録でもない。
86夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:53:21.18
>>79
>「一日かかったかもしれない」というのは、
 俺の推測でしかない。そんなもん、俺自身ですら根拠にはしていない。

「普通の感覚」を否定して屁理屈でごねる気ならいくらでも出来る。
釜山〜対馬を「普通の感覚」で見て一日と納得できない奴のほうが珍しいぜ。
おれはここに「特殊な感覚」を持ってきてるわけではない。
事実と、極々普通の無理の無い「普通の感覚」を基準にして話しているんだ。
わかるかな?
「特殊な感覚」を持ち込んだら独自解釈の持込と同じだからな。

87卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/28(土) 16:57:00.63
>>71
神功渡海は私も事実だろうと思っているのだが、しかし実際に三韓を併合したというような形跡はないわけで、
実際は伽耶諸国を大和朝廷の支配下に入れた、という程度のものだろうと思う。
88日本@名無史さん:2012/01/28(土) 16:57:00.58
>>86

それを脳内根拠という。または一般的に仮説とよぶ。
他人に納得させるためには、その仮説を補強する別の根拠が必要。

これをいつまでも根拠と言い張るから、だれも賛同者はいないのだよ。
89夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 16:58:42.32
>>85
>1/6換算に対して、一日千里は何も根拠が無い。

コジツケは根拠になるが、事実は根拠にならないってか?おめでたいやっちゃな。

>ついでにいうと、倭人伝の記録は、修辞でもなければ、
 無意味な数値記録でもない。

じゃあなぜ1/6なんだ。公式な数値で出せるのを、なぜわざわざ倭人伝だけは
1/6にしなければならんのだ?
百や五百だけで二桁も無いのはなぜだ。答えられまい。

90日本@名無史さん:2012/01/28(土) 17:00:57.91
>>89

まあ、自分自身根拠が薄いことは認める。
しかし、曲がりなりにも、文献からこじつけは出来るのだ。

一日千里は脳内根拠以外に、こじつけも出来んだろう?
91夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 17:04:51.20
>>88
対馬〜釜山の一日は脳内根拠か ワラ
事実の前にはすべてが無意味だと知りな。

>その仮説を補強する別の根拠が必要。

一応小西行長出してるがね。その倍まで許容するという大幅な条件緩和付でな。

別に誰の賛同者もいらねえよ。俺は伊作みたいに他人に認められたいわけじゃない。
九州説、畿内説にこだわる目くらどもを叩きに来てるんだからな。
理屈には理屈、論には論でねじ伏せるだけよ。
92夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 17:07:38.99
また空くぜ
93日本@名無史さん:2012/01/28(土) 17:08:28.11
>>91
>事実の前にはすべてが無意味だと知りな。

で、その事実って何だ?
その事実ってのが、また脳内の妄想でなければいいがね?
94縄嘉ー:2012/01/28(土) 17:22:09.99
>>82 :夢幻如
>もう一回言うぞ。海路も陸路も距離は測れない。

アホか。何回言っても馬鹿にされるだけだ。
倭人伝に書かれている里数は魏の公式尺度でのものではないことは自明だか、距離を表していることは誰にも
否定できるものではない。

海路でも陸路でも大凡の距離を知ることは出来る。
海路は目測という手がある。観測者の水面からの高さが分かっていれば水平線上に(高さの分かっている)目標物が頭を出せば
距離は40kmだとか45kmだとか計算できる。
陸路は歩測という手がある。ただし、これは道なりの距離が得られるものだから、直線距離に直すには曲がった方角と距離を克明に
記録して、図に表すなりして求めることになる。
もちろん誤差は生じる。だから細かい数字まで書いても意味がない。
こんなことは大抵の者が知っているだろう。知らないのは夢幻如くらいのものか。げらげら。
95志紀:2012/01/28(土) 17:25:29.25
修辞距離とかやめてくれよwww

どんどん馬鹿が露出していくなw
罵倒する言葉も、お前には解禁だわ (*゚д゚) 、ペッ 

九州に持ってくるために6分の1換算って、意味がわからん。
96日本@名無史さん:2012/01/28(土) 17:57:16.33
なかなか話が先に進まないねw  
97日本@名無史さん:2012/01/28(土) 18:01:39.01
今は利口ぶっている夢幻如を皆でからかっているところだからね。
98日本@名無史さん:2012/01/28(土) 18:15:36.15
>>94
距離を測る原理の話ですね。3世紀当時の人はそれを経験的に知っていたのでしょうかね。
なんでもピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の長さの2乗=他の2辺の長さの2乗の和)についても
中国人はかなり古い時代に知っていたという話を聞いたことがありますから、測量のできる人が養成さ
れて役所や軍に配置されていたかもしれませんね。
99日本@名無史さん:2012/01/28(土) 18:17:38.64
>>95
修辞じゃなきゃなんでしょ?
実距離じゃないのは壱岐から唐津までを千里にしてることでわかります
こういう歴然とわかるものがありながら、修辞でもなく実距離でもないなら千里はなんですか?
100志紀:2012/01/28(土) 18:19:26.86
進めたくても、自家撞着と悪口ばっか、その癖まともに批判にこたえずに
連投の嵐w

これじゃどうしようもない。アク禁にしてほしいくらい。

>>94
貴方がジョーカーなの?はじめまして。
実際、畑の計測から領土の見当、隣国との距離まで役人が実際に紙に書いて
やってたわけですよね。正方形なのか直線なのかどうしたのかしらないけど。
無限如は分からない事は基本不可知論(ほどたいしたもんじゃないけどw)なんで、
議論にならない。
101日本@名無史さん:2012/01/28(土) 18:39:00.74
皆さん、3世紀の中国ではどうやって距離を測ったの?。知っている人、無限
尿に教えてやって。
102日本@名無史さん:2012/01/28(土) 18:41:03.91
>>60 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>書き方が一緒だ。百里の場所が時間表記になっている。つまり時間表記は距離を表すために出されている。
>所要時間じゃ、なぜ距離をあらわすことにならないのかな?

”北部九州で「方角+距離」になっているんだから、その後の「方角+時間」も同じ「方角+距離」になる”…と言う理屈かw

「距離」は要するに「長さ」だ。
「長さ(L)・質量(M)・時間(T)」をゴッチャにしたら物理法則が成り立たんぞ阿呆w もう「ゆとり」とかいう問題じゃないw ここまでアホなのかこいつはwww

その時間が距離に換算しうる物で、北部九州で「方角+距離」としているのなら尚の事そこは距離に換算して書いておけよ、となる。

何故しなかったのか?あるいはできなかったのか?
時間から距離を算出しようとするなら純粋に移動に費やした時間が分からなければならない。
それが分からなければ距離に換算しようが無い。
だったら記録された時間をそのまま書いておこうとなる。

そしてこの「時間」が果たして十分な回数の往来の平均値なのか?一度きりのものなのかは分からない。
様々なロス、不確定要素をコミコミでも十分な回数の平均値なら目安になるが
距離を算出どころか所要時間の目安になるかどうかも本来分からない。

そもそも水行はまだしも「陸行一月」なんてパフォーマンスしながらのそれこそ大名行列か、余程”手前”で船を降りるか、険峻な山中に分け入るでもしなければ
比定地を何処にしようと消化できる物じゃないだろう。
これを平均的な所要日数と見るにさえ難がある、いわんや距離に換算しうるなんて…という話だなwwwww

10399:2012/01/28(土) 18:59:45.25
>>100
夢さんはちゃんと答えていますよ
あなたは私の質問は無視ですか?
104日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:06:19.09
>>91 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>別に誰の賛同者もいらねえよ。俺は伊作みたいに他人に認められたいわけじゃない。
>九州説、畿内説にこだわる目くらどもを叩きに来てるんだからな。
>理屈には理屈、論には論でねじ伏せるだけよ。

このゴミクズのスタンスが如実に出てるなw

こいつ自身「邪馬台国東北説」なんて信じていないんだろう
兎に角畿内説や九州説を否定するためのお題目(ゲラ
まさに「比定ではなくて否定」wwwwww

やろうとしているのは如何に他説を否定して自説を「ゴリ押し」できるか?w
だから文献だろうと考古だろうと何か知識を得ようなんて姿勢は最初から微塵もない。

そんな労力を払ったら、その「お楽しみ」で「足が出てしまう」wwwww

こいつにとって古代史邪馬台国なんてそんなもの。
いや「歴史」と言うジャンルそのものがそうなのかもしれない。

信長や太平洋戦争に興味があるとか言ってたが
「信長の人間像は○○だ!」「太平洋戦争の敗北の原因は××だ」とひたすら自説をゴリ押しするだけの姿が容易に思い浮かぶwwwwww
105夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:11:30.81
>>94
ゴミ、馬鹿はレスすんじゃねえよ。
経験ある船乗りが実距離が倍も違うものを同じ距離と勘違いするのか。
ちゃんと測れるなら、なぜ釜山〜対馬と壱岐〜松浦が同じ千里なんだ。
答えてみろ。
陸路をそうやって手間隙かけて測るのは正確に距離を出すため。
だが誤差があるから細かく正確でなくてもいい。爆笑ものの矛盾だな。
たった百里足らずの近隣なら、それでかなり正確に出るぜ。一桁も可能だ。
なぜそれが百里と五百里しかないんだろうねえ。
前に出てた馬鹿はたまたまぴったり百里とか言ってたがな ワラ
なぜお前の言うやり方で近隣さえ正確に表示出来ないんだ。
答えてみろ、ゴミ頭。
106夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:25:24.73
釜山〜対馬などの水行一日は動かしようがない事実なわけだ。
そして壱岐〜松浦という距離が半分なものも千里とされている。
ここから千里は距離ではなく目安か何かと普通はわかる。
これを現実にかかる日数一日に置き換えただけのどこが脳内根拠なんだ?
この現実や表記の事実から水行一日=千里はなんら無理なく導き出せる。
これを投馬国、邪馬台国の水行に当てはめ、連続説、放射説で見る。
邪馬台国までの総距離は万二千里には絶対にならない。

これを否定しようと思えば勝手解釈や屁理屈やゴネしかなくなる。
だから証明なのよ。
107:2012/01/28(土) 19:30:13.99
「松本清張説」
大月氏国・・・長安を去る万一千六百里
女王国 ・・・万二千里
 「万二千里」とは、中国の直接支配をうけていない国の王都が
はるか絶遠の彼方にあることを表す「観念的な里数」である。

「岡田英弘説」
過大な里数や戸数は、親魏倭王の称号を贈ったときの建て前であり
副産物として邪馬台国という幻影が生まれた。

 支持しています。
10899:2012/01/28(土) 19:32:53.63
>>100
>修辞距離とかやめてくれよwww
>どんどん馬鹿が露出していくなw

こう貴方は夢さんに言ったんですよ
馬鹿じゃない貴方は答えられないんですか?
千里が実距離じゃないのは確かです
修辞でもないならなんですか?答えなさい
109日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:36:23.66
三国時代には、距離を実測する機器があって、
諸葛孔明がそれを改良したってのは、有名な話
110夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:37:06.56
>>107
いいね、それ。

>>108
夢さんって…(苦笑)
あまり俺の側に立たない方がいいと思うよ、マジで。
111夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:40:20.31
>>109
それでビタリ百里、ジャスト五百里なわけだ。
実距離が倍も違ってもドンピシャ千里か、なるほどな ゲラ
112日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:43:05.40
>>106 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>これを現実にかかる日数一日に置き換えただけのどこが脳内根拠なんだ?

そろそろ「泣き」が入ってきたな(ゲラゲラ

それは半島から九州までの渡海で言えることであって沿岸にそっての水行の場面に当て嵌める根拠が無いという話だ。
いい加減学習しろ阿呆w

途中寄る場所もない海峡横断と沿岸沿いの航行では条件が違う。
元々条件が違う物を同一に当て嵌めることに無理がある。

海峡横断では他に選択肢はない。
朝一に出て「腕も折れよ」とばかりに必死に漕いだかもしれないが
沿岸沿いの航行でそんな無理をする必要はない。
潮の流れがベストな時間に航行すればよい。

何か非常識なことを言ってるか?wwwww
113:2012/01/28(土) 19:45:45.12
>>110 :夢幻如氏
説には賛同しませんが、争点は良いと思います。
堂々と論戦すべきです。
114日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:51:25.62
結局「証明だぁ!!」って言い張ってるだけだな
115夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:51:30.33
仕事だ。落ちる。

今日はあまり寝てないから夜勤はきついかな。仕事を哲学するのも大変だわ ワラ
しかし、マジで週6勤務の夜勤専門はやりすぎだ。
2月でケリつくからリタイアじゃなく、セミリタイアにするかな。

じゃあなあ
11699:2012/01/28(土) 19:54:54.55
>>110
「夢さん」はお気に召しませんか?w
117日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:55:59.11
>>115 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

休憩時間にファビョって必死に2ちゃんに携帯からレスするのも「仕事を哲学する」なのか?
中々に難しいのう「てつがく」わ(ゲラ


118日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:56:58.13
>>107
>>110
>長安を去る万一千六百里
>女王国 ・・・万二千里

都からの距離と辺境の郡からの距離を同列に扱うことに疑問を感じないのですか?
119日本@名無史さん:2012/01/28(土) 19:58:58.65
夢さん って言ったら夢太郎みたいだよなw
120日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:00:27.94
>>105
松浦を魏使の上陸地点と認識した時点で論理失敗。松浦上陸を前提とする邪馬
台国論はすべて失敗。壱岐・末蘆間が千里前後にはならない。
121日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:01:38.05
>>117
完全無視されて悔しいんですか?
122日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:02:12.77
ジョーカーは二人いる
123日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:02:34.51
124日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:04:29.27
まあ 自惚れ屋の双璧 一方のクズ 森村伊作の自分語りはまだギリで古代史邪馬台国に関連しているが
この 無限尿 と言うカスはそれすらないからなw

※オレサマ(の妄想)ストーリーを聞かされるのが森村伊作、オレサマ(自身の)ストーリーを聞かされるのが無限尿
125日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:05:41.26
>>105
やはり貴様はアホじゃ!
水行が必ずしも海とは限らん
九州に上陸から海渡るが書かれていない事実を説明せよ。
このバカチンが!
126日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:06:48.63
>>122
そもそもジョーカーなんてコテハンはいない。
127日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:08:29.91
夢さん、夜警ご苦労様でっす!
128日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:09:00.69
自宅のセキュリティは完璧だね!
129日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:11:36.90
てすてす
13099:2012/01/28(土) 20:13:50.93
>>125
うわっ、すごい開き直りw
質問に答えられず逆質問ですか
131日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:15:51.85
ジョーカーは二人以上存在する
132:2012/01/28(土) 20:23:04.76
>>118
>都からの距離と辺境の郡からの距離を同列に扱うことに疑問を感じないのですか?

 大月氏国は、アフガニスタン付近ですよ。
 倭国とは、十倍以上でしょう。
 都と郡は、微差でしょう。
133日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:23:37.27
無限尿説まとめ

・俺様の故郷=新潟の村おこしに邪馬台国を利用したい
・鯨統一郎の推理小説からヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用しよう
・あとは罵詈雑言を喚き散らして、自説を押し通そう
134日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:24:52.83
帯方郡のスタート位置にも諸説あるから正確な距離は算出しにくいが、
狗邪韓国が釜山として、短里換算で約9000里
これを倭人伝では7000里としている。
これくらいの誤差は許容すべきだろう。

そして、航路によって違うだろうが、
釜山−対馬間がおおよそ短里換算で、1350里
対馬−壱岐間で961里、
壱岐−唐津間で584里、である。

ちなみに、合計は2895里となる。

で、自分は誤差を含むものの、荒っぽく千里と記録したと主張する。
これには異論があるだろうが、少なくとも、ケタが違うほど大きい誤差ではない。
135日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:26:58.74
>>132
それを理解した上での
> 支持しています。
という発言。

なおさらあなたの発言の主旨が理解できなくなった。
136日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:27:39.26
んーこりゃあ公平に見て無限優勢だな。
鍋奉行はどうよ?
137日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:30:15.34
無限如フルボッコに見えるが…
138日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:30:36.17
>>134
さすがにそれは無理ムリ感が・・・
139日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:30:42.07
>松浦上陸を前提とする邪馬台国論はすべて失敗。壱岐・末蘆間が千里前後にはならない。
そんなことはないだろう。一支国の港をどこに想定するか?息からノンストップか 馬渡島、
呼子などに寄港して唐津に入るか? いろいろコースは考えられる。
コースによって、距離はかなり異なる。

140日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:37:30.25
>>115 夢幻如さん
>2月でケリつくからリタイアじゃなく、セミリタイアにするかな。

2月で契約が切れるんですか。
今の御時世次の仕事見つけるのも大変だと思いますが頑張ってくださいね。
141日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:39:05.86
数値合わせ距離合わせをするなら、
伊万里湾の最奥まで移動したと考えれば、いい具合の距離にはなる。
しかし、その先の道が歩きにくいので、
伊万里ルートは自分は消極的である。

唐津のほうがよほど歩きやすいのに、
伊万里に行く理由があまりないから。
142日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:48:34.57
だろうな。末盧国=唐津で問題はない。そこから東南五百里、有明海沿岸しか
ないと思うね。
14399:2012/01/28(土) 20:50:23.71
>>137
魏志倭人伝に出てくる距離は実距離ではない
夢さんが言うように旅程の里は距離単位ではないのでしょう
修辞として感覚をつかむものとすれば単位とは言えるでしょうが
水行一日が千里も十分納得できますし反論は跳ね返されていますね
○さんのお話からも万二千里は具体的距離ではないと思います
144日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:08:58.28
>>143
>水行一日が千里も十分納得できますし反論は跳ね返されていますね

だったら何故その換算をして里数で統一して書かなかったのか?

水行一日千里だとすれば万二千里という数字が辻褄合わなくなる。
陳寿はそんな計算すらできなかったのか?

お前が無限尿に代わって「跳ね返して」みたらどうかな?w

145日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:16:45.85
一所懸命書いたのに>>84が無視され続けられてる
146日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:21:19.37
いや、無視してはいない うんってだけ
147日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:23:07.78
サイレント・マジョリティーってやつか
148日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:23:13.68
周里算経や九章算術という古代中国の
数学書を見るかぎり、当時の人間の数学力を
あなどってはならない。

もっとも、陳寿がそれを勉強したかどうかはわからないが。
149日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:24:00.57
邪馬台国は九州内で決まりなんだよ。
150日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:27:42.70
>>147
いや、仮説はどーにでもたてられる
151ローガン:2012/01/28(土) 21:34:13.98
>>56:ひとぶた
集兵作戦に使われた檄告喩の例を挙げたまでです。当然、該当箇所の記述に基づいた解釈は必要ですね。
二カ所に出てくる黄幢は同じもの、というのは貴方と私の共通認識。
では、六年の詔、つまり相攻撃状云々の事情説明を受ける以前に出た黄幢下賜。
その詔に至る経緯を、どの記述にみますか?
又、後程。
152日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:39:41.66
当時の中華圏の国は城郭都市
城門で門番が出入者を見張ってる
黄幢と檄は巍の皇帝の使節であることを示して城郭都市への出入りを可能にするもの
153:2012/01/28(土) 21:51:58.60
>>145
>>84
>逆は海流に逆らうことも多く不合理で、帰路は対馬→沖ノ島→大島の宗像3女神ルートと考えるのが自然。

 昆支の来倭の時代も呼子コースと考えられる。
 武寧王は、呼子の北加部島で生まれたと推定されている。
 
 沖の島の祭祀は、四世紀初頭に近畿勢力が九州勢を圧倒する。
 同時に韓南部に近畿土器が出ている。
 宗像ルートは、近畿勢力で半世紀後と考えたい。
154日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:09:39.14
>>153
http://www.okinoshima-heritage.jp/introductions/taguma
http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/18731df0e7e45ca16db6a2e1caae6483
沖ノ島:>縄文時代前期から末期・晩期に至る土器が出土しているし、弥生時代・古墳時代を経て歴史時代に至るまでの遺跡が存在している
その他の多数省略

半島→対馬→沖ノ島→大島→宗像ルートはそれ以前から確立されてたと思われる
155縄嘉ー:2012/01/28(土) 22:10:32.74
>>105 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:11:30.81
>経験ある船乗りが実距離が倍も違うものを同じ距離と勘違いするのか。
>ちゃんと測れるなら、なぜ釜山〜対馬と壱岐〜松浦が同じ千里なんだ。

あのな。狗邪韓国を釜山に比定している者も居るだろうが、巨済島と比定している者も居るのだぞ。
その巨済島の南端から対馬の浅茅湾までは直線距離で約69kmだ。
そして対馬の浅茅湾から壱岐の郷ノ浦までが約65kmだ。
壱岐の郷ノ浦から唐津市の松浦川を11kmほど遡った相知町久保まで直線距離で約54kmだが、この海域では
途中にある島や浅瀬や岩礁を避けて大きく玄界灘の方へ回り込む航路となるので航路長としては60kmほどに
なるだろう。

これからすれば3回の渡海の距離はさほど変わらない。一様に千里としてもいいだろが。

なお、弥生時代には海水面は現在より約3mほど高かったから松浦川を11kmほど遡った相知町久保辺りでも川の
水深は十分であった。
魏の使者は夏に来倭したと考えられるから、係留中の船が台風などの嵐で流されないようにしなければならない。
そこで、海岸ではなく内陸部に入りこんだ入り江状の川岸に魏の船は停泊、係留されたと考えられるのだ。
156日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:12:49.63
沖ノ島からは8万点にも及ぶ祭祀遺物が出土していて、海の正倉院とも言われる。
島全体が御神体となっているし、いまだに神聖視されている。
単に、航海の無事を祈るためだけの島だったのか?
なんか、興味のあるところだな。
157日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:28:20.34
半島→宗像3女神ルートは比較的容易
日本→半島は船の性能を要求する

なぜなら海流が存在してるから
http://www21.ocn.ne.jp/~access-z/beach/info/map.gif
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN7/sokuho/kairyu/cur-new/c2008_13.gif
http://pic.prcm.jp/gazo/cXH/2Ti46e.jpeg
158縄嘉ー:2012/01/28(土) 22:31:08.95
>>105 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/28(土) 19:11:30.81
>陸路をそうやって手間隙かけて測るのは正確に距離を出すため。
>だが誤差があるから細かく正確でなくてもいい。爆笑ものの矛盾だな

アホか?アホだな。
距離を測った担当者は正確と思える距離を報告していただろうよ。
だが陳寿がその報告の一字一句をそのとおりに書く必要はないだろ。80里や120里とあったものを
百里と書いたところで誰も文句は言わんだろ。逆にスッキリと丸めたなとみられるだけだ。

それにな、行程記の距離は伊都国の官舎の玄関口から奴国の集落の中にある官の家の玄関口までと
いうようなランドマーク間の距離を示したものではないだろ。一桁や二桁目の詳しい数字を書いて
なんになると言うのだ?お前はジュービナイル専用のお伽噺でも読んでろ。それがお似合いだ。げらげら  
159日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:46:42.64
>>155
玄界灘渡ってきた船で相知まで行けるか?
何かそれらしき遺物でも出てるのか?
160日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:48:26.78
測量にきてるんじゃないぜ。行程の説明だ。理解できる程度に書いて
あればいいんだよ。
161日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:54:15.70
ジュービナイルとは :ユダヤ人はナイル川に という意味の標語
162縄嘉ー:2012/01/28(土) 23:07:49.69
>>159
現在のあの辺りの土地は松浦川が運んで来た土砂によって弥生時代より高くなっていると考えられので、
当時の海面が現在より3mほど高かったとすれば、特に満潮時では、魏の大型船でも川を航行できただろう。
実際には人が縄で岸から引いて行ったと考えられるが。

古代の船の板材などが出土したような話は聞かないが、
近くには久里双水古墳もあり、古代においてかなり重要な地域であったようだ。
163日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:14:03.19
>>162
久里双水古墳はいいんだけど、ちょっとあそこまで溯るのはイメージできんなー
妄想だけじゃなくて何か推測できるような遺物か文献でもあれば別だが
164日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:31:42.47
一つの可能性として考えればいいんじゃないかな。
末盧国に来た魏の船は、使者が上陸した後、再び戻ってくるまで数ヶ月唐津港
付近に係留されていたってことだろう。それに適した場所があるっていうこと
は末盧国=唐津と考えやすくなる。
165日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:37:36.25
>>164
それは唐津港付近に停泊させたんだろ?
縄嘉ーは相知に停泊させたといってるんだから、可能性も何も違う話だろw
166日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:42:48.27
似たようなもんだ。港の形状や防風林等、また管理する役人どもがどこに
いたか、いろいろな条件によって停泊させる場所が選ばれるだろう。
167縄嘉ー:2012/01/28(土) 23:45:08.82
>>163
まあ、弥生時代の地形のイメージがない人にはイメージできないとは思うが。
こんな例もある。
有明海の入り江は福岡県小郡市の津古辺りまで伸びていたとみられる。
この近くには四三島だとか干潟という地名がある。
また、福岡県大野城市水城辺りまで博多湾から水路が伸びていたらしい。

このような例と比べても唐津市の内陸部の弥生時代には入り江が深く伸びていたとしても不思議じゃない。

だから必ずしも妄想ではないのだ。倭人伝の記述に一大国から末盧国まで千里とあればそれに相応しい港
が有り得ると言うことなのだ。
168日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:48:21.36
>>162
>当時の海面が現在より3mほど高かったとすれば
こんなかんじになるな
http://flood.firetree.net/?ll=33.3942,130.1804&z=7&m=3&t=3
169日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:48:25.50
>>166
似たようなもんだはないだろうw あのへんはもう多久との中間くらいのとこで
山が切り込んだ谷だろw
壱岐の郷ノ浦からの距離を話してるんだから唐津港付近といっしょじゃまずいんじゃないのか?
170日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:52:11.32
>>168
田んぼつくるとこなくなるなw
だいじょぶか、末盧国の食糧は 壱岐の人にも売ってやらないといけないのにさ
171日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:55:01.30
当時は魏からも大国と呼ばれるぐらいの領土=大陸があったけど地震で沈んじゃったんじゃね
172日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:55:10.33
>郷ノ浦からの距離を話してるんだから唐津港付近といっしょじゃまずいんじゃないのか?
一支国が郷ノ浦かどうかすら分からんじゃないか。また、海の距離だ。2、30キロはどう
とでも考えられる。距離が近すぎるとかどうとか言うのは馬鹿な話だ。
173日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:57:28.26
>>167
>大野城市水城辺りまで博多湾から水路が伸びていた

のであれば表玄関の博多港の方から連れてきたほうがいいんじゃないのか?
174日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:59:24.90
博多が表だというのは最近の話だろ。
175日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:00:02.96
>>172
それ>>155の縄嘉ーにつっこめよw
176日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:03:33.56
>>174
奴国も佐賀平野か?w
177縄嘉ー:2012/01/29(日) 00:04:00.58
>>172
いやな〜に、夢幻如が「狗邪韓国から末盧国までの3つの渡海距離が倍も違うのに一様に千里としている」
と必死になって叫んでいるので、「そんなことはない航路もあるよ」という例を示しただけなんだがね。
178志紀:2012/01/29(日) 00:04:50.88
その海抜地図サイト面白いねえw

我が八尾が昔一大拠点だった事が良くわかる
179稗箕狐:2012/01/29(日) 00:10:16.60
180稗箕狐:2012/01/29(日) 00:16:55.26
>>176
おれのの比定によると

佐賀平野のは王様のいる狗奴國だな
181日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:17:27.44
182日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:19:29.83
>>176
奴国は筑後平野だろう。福岡平野も奴国かも知れんが玄界灘沿岸は、敵に襲われる
おそれがある所だ。庶民の住居や工場、それに墓場だ。
183日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:20:30.27
>>181
9mになってるよw
184稗箕狐:2012/01/29(日) 00:22:07.83
もっとあげた方が良いよ
185日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:25:03.48
4mでもかなり沈むな
186稗箕狐:2012/01/29(日) 00:27:14.01
こkらは軍港としては使い勝手が悪いよ

満ちてこないと出港とかできんしね
187稗箕狐:2012/01/29(日) 00:30:00.37
軍港として供用する場合においては、守りのほうからするとえろ強力ですけどね
188稗箕狐:2012/01/29(日) 00:32:56.02
>>179
キーホールタイプの塚の発祥の地ですね

焼ノ峠古墳の南側には飛ぶ鳥が見えますよ。
189日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:33:06.21
きっと四国にある
190稗箕狐:2012/01/29(日) 00:35:58.54
ニワトリの津古生掛古墳
方格規矩鳥文鏡

おれののおきにいりのこっこちゃん
http://www.kodaitaiken-ogori.jp/virtual/vr05.htm
191ひとぶた:2012/01/29(日) 01:01:39.88
>>151 ローガンさん

>その詔に至る経緯を、どの記述にみますか?

って、どこにも書いてないと思ってます。

鮮卑伝にありますが、その王族泄帰泥が明帝に降り、帰義王に封じられたときに軍鼓や吹と併せて幢も貰ってますね。
これも黄幢でしょう。

 帝遣驍騎將軍秦朗征之歸泥叛比能將其部?降、拜歸義王賜幢麾曲蓋鼓吹居并州如故。

王号拜仮は蜀と通じていた鮮卑の有力者への懐柔策ですが、その時に魏軍に属するものの当然の装備品として黄幢も贈られたのでしょう。

難升米の場合、受任と時を異にしてはいますが、中郎将は太守や将軍とほぼ同格なのですから、
特段の軍命を伴わなくても、黄幢を授けられる地位にあったのではないでしょうか。
受任後年月も経ったことだし、一定期間経過後の督励、しっかり仕事に励めくらいに軽く考えておきましょうよ。
192稗箕狐:2012/01/29(日) 01:08:27.15
正始四年(243)掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬

ですから

正始六年(245) 詔賜倭難升米黄幢 付郡假授
正始八年(247) 遣塞曹掾史張政等因齎詔書 黄幢 拜假難升米爲檄告喩之

この時点での難升米が率善中郎將であることはふつうにへんですよ
193ひとぶた:2012/01/29(日) 01:29:13.01
>>192 稗箕狐

> この時点での難升米が率善中郎將であることはふつうにへんですよ

それって、一拝中郎将に換わって、無役に為ったってことですかね?
194唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/29(日) 01:43:49.43
>この時点での難升米が率善中郎將であることはふつうにへんですよ この時点での難升米が率善中郎將であることはふつうにへんですよ この時点での難升米が率善中郎將であることはふつうにへんですよ
倭女王=難升米率善中郎將 倭奴國王位継承
倭王=掖邪狗率善中郎將 邪馬臺國王に倭王位授与
壹與=掖邪狗率善中郎將←倭王と関係がある。

正始元年倭王位授与。その後も女王は登場する。
であるから2王体制でなくては齟齬を生じる。
195稗箕狐:2012/01/29(日) 02:24:01.75
司馬仲達のラインと接触した当初から

難升米氏は実質的には倭王だとおもいますが

何故なら暴力装置を掌握しているのは彼(たぶん男)だからです。

実質的な倭王が現地に直接出向いているのですから

司馬仲達のラインとの蜜月度は相当のものかな?

女王が君臨するというのはある種の共同幻想の演出でしょ

女王境界の内側の諸國には当然のこと酋長さんとかいますでしょな

そおゆう酋長さんたちを纏め上げたり

大多数の征服されたちょっとちがうDNAもったひとたちを懐柔したりするのには

卑弥呼・壹與タイプの女酋長のが有効かと思われます。

二王体制とゆうのは卑弥呼が登場したもともとからのが二王体制でしょ
196ひとぶた:2012/01/29(日) 03:02:06.30
>>195 稗箕狐さん

文体が変わりましたが、その方が読みやすいですw

「二王」ですか?
唐松さんとは、全然違う二王論ですね。
「実質的な倭王」だと中郎将なんかじゃ役不足なので「無役」というか「無位無官」でも構わないと言うことでしょうか?
それだと、かなり違和感がありますね。

私のイメージする難升米は松浦辺りの水軍の長です。
倭人社会の中でどのくらいの序列にあるのか微妙ですが、伊都国王よりは下位に置きたいですね。
そう思っているだけで、特に何の根拠もありませんけど。
197稗箕狐:2012/01/29(日) 03:05:05.08
卑彌呼以死 のの時期は 正始四年(243)以前のことだと理解しています

正始四年(243) 冬十二月 倭國女王俾彌呼遣使奉獻 の記述が少帝紀のにありますが

死せる女王の名前で死亡報告とかしてもあやしからずかな とはおもふよ

だいたいにおいて 

2年前にお客さん来て用済ませて帰えしたばかりなのに、ふつうだと行く意味とかないかなっておもふぞ

さらに 伝世で率善中郎將と率善中郎將の印鑑受け渡しでもかまわないはずなのに

だぶって印鑑せしめていちゃったりしているでしょ

体制が大きくチェンジしたりするときにまま遣使のイベントとか発生しがちなんですよね

ここで正規認証うけたのでの倭王難升米さんの登場だとおもうぞ

掖邪狗氏はたぶんご子息かな 率善中郎將で隠れ倭王なんでしょ

そこで世の中みちゃくちゃでもめちゃったりするんだよね

でっ 狗奴國男王卑彌弓呼の魏志の中でのハンドリングがまたへんてこりんなのさね

勝手に王のを名乗っているとゆう扱いではないのね でも女王境界の外にあるのね

魏側からすると敵対勢力とゆう扱いではないのね

そしたら結論は単純でよろしいかもって考えると 

壹與タンあなたもすかして佐賀の大和のご出身でしょ つうことになるんかなあ
198ひとぶた:2012/01/29(日) 03:20:09.91
>>197 稗箕狐さん

>正始四年(243)掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬

これ、私は8人同時に中郎将拝命と読んでます。
なので、貴方とは相当違う結論になりますね。
では、おやすみなさいませ。
199稗箕狐:2012/01/29(日) 03:28:27.03
うほっ ひとぶた氏 それっておもろいなあ
200夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/29(日) 06:46:37.60
無視、放置してたら他の人に絡んでいく。まったくどうしようもない野郎だぜ。

>>144
>だったら何故その換算をして里数で統一して書かなかったのか?

何回言えばわかるのかね。水行、陸行表記は伝聞だ。
実際行った所はおおよその距離を修辞で表し、伝聞はそのまま表す。
読み手にこれが一番正確に伝わるからに決まってる。
倭人が魏の里や修辞を知るはずもないから聞いたままになる。
それで正確に読み手に距離の感覚が十分伝わるのに、なぜ換算する必要がある。

>水行一日千里だとすれば万二千里という数字が辻褄合わなくなる。
陳寿はそんな計算すらできなかったのか?

これだけ説明して、この馬鹿質問 アキレ
この馬鹿さに辟易だから無視放置してんだがな。
個別の里程は実距離ではない。距離の感覚を読み手に伝える修辞だ。
それを合計してどうすんだよ、アホが。
何回「旅程の里は距離の単位じゃない」と言えば理解出来るんだ?
個別の里程を実距離だと思うから、その合算と万二千里が合わないのがおかしく見える。
合わないから万二千里は具体的距離じゃないと証明出来ると言ってるんだ。
いいか、個別の里程は修辞だが、万二千里も独立した修辞なんだよ。
陳寿が計算出来ないんじゃない。
計算すべきではないものを計算するお前が馬鹿なだけだ。
201志紀:2012/01/29(日) 06:53:48.09
掖邪狗等 か。なるほど。

面白いですね。魏とすれば、雑職中郎将とはいえやたら乱発するのは、
やはりそれなりに本気モードの介入と言う事でしょう。
皇帝の旗も、戦闘の初心者?の蛮国に旗だけ預けて踏み苦茶にされる
って非常にイメージ良くないことないかな?
最後いい結果にならなかったので、軍の派遣を隠ぺいして黄幡との表記
になったのではないでしょうか。
私は魏軍の派遣はあった、説に立ちます。

>>194
逆に考えると、共立女王という存在自体が、対外的な親魏派(というより親
公孫派?)、親呉派のそれぞれの代表と言う意味かも。魏も呉も「子分にし
て援助してやるから、他の国をまとめて代表も出せ」と。
日本の情勢が魏に影響したんじゃなくて、三国情勢の方が辺境国を大騒ぎ
にしちゃった、と。あり得ますね。
202夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/29(日) 07:06:49.91
もう一人の馬鹿、やっぱどっちもジョーカーじゃないのかね?馬鹿さが同じだぜ。

>>155
俺がこの話を出す時にわざわざ言った意味がわかっていない。
一般的解釈で行くと言ったんだが、その意味がわからんだろ。
こんな話はいくらでも条件を変えられる。それじゃ証明など出来ない。
そこで勝手解釈、推論なしで他も一般的解釈が通るものとした。
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、これが一番多くの者が認めるルートの一般的解釈だろうが。
一般的解釈つうのはな、300年以上論争してきた九州説、畿内説の双方の多数も認めるものだ。
認めるからには認めるだけの根拠があるからで、そこに一般的解釈を採用する意味がある。
他にも出てるが、千里に都合悪いから唐津じゃない所にしようという奴もいる。
これが勝手解釈だ。こんなのまで付き合ったらきりがなくなる。
まあ、3航海ともほぼ同距離でも水行一日=千里は変わらんがよ。
203夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/29(日) 07:10:38.59
>>158の馬鹿レスは本当に酷い。
あとでたっぷり説明してやるわ。
204日本@名無史さん:2012/01/29(日) 08:02:12.73
>実際行った所はおおよその距離を修辞で表し、伝聞はそのまま表す。
使者は倭国に来ていないと考えてるのか?
205日本@名無史さん:2012/01/29(日) 08:27:01.13
>>200 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

馬鹿は自分が馬鹿を言っている事を自覚できない。だから他人に伝わらない。
自分では完璧な理論を説明した気分になっても理解されないからファビョるwwww

不彌國までで10700里で残りの1300里は元々根拠はない
全体が「独立した修辞」ならば当然残り1300里も根拠はない実際には0〜∞里だw
北部九州でも良いし東北でも良い。

日数は「それだけの時間がかかった」と言うことしか分からない。
修辞としてのおおよその距離としても考慮されていないのだから
結局「かかった時間」しか分かっていない。

「万二千里」この距離を北部九州に納める人間に「水行一日千里」をもって九州に納まらないといったところで
そもそもトータル「万二千里」に根拠が無ければ基準にもならない。

一方で「距離の単位じゃない」「計算すべきではないもの」と言い
一方で「九州内に納まらない」と言う矛盾。

距離でもない計算もできない物でどうやって比較できるんだ?°┣¨阿呆wwwww


206日本@名無史さん:2012/01/29(日) 08:40:13.21
84氏が言うように壱岐から対馬海流に乗り、さらに偏西風を受ければ自然に
宗像の辺りに、さほど労力も無く到着する。無理に唐津へ船を着けようとする
よりもずーっと簡単に九州上陸ができるのだ。従来の歴史学者たちは文科系ら
しく、この地学的確認をせずに、ただ単に壱岐から唐津が一番近いからと、ぼ
んやり考えていたに過ぎない。あんたたちも何の確認もせずぼんやり考えるなよ。
207日本@名無史さん:2012/01/29(日) 09:08:54.81
>自然に宗像の辺りに、さほど労力も無く到着する。無理に唐津へ船を着けようとする
>よりもずーっと簡単に九州上陸ができるのだ。
そうだな。逆に考えれば、唐津につけたってことは、博多方面に行く気はないって
ことだ。有明海へ出るためなんだよ。
208夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/29(日) 09:10:27.07
>>158
>80里や120里とあったものを百里と書いたところで誰も文句は言わんだろ。
 逆にスッキリと丸めたなとみられるだけだ。

それで伝わるなら最初から詳細な測量なんぞせんでいいわ ワラ
ちゃんと読み手に伝わる修辞で書けばそれで済む。
>>160が言うことももっとも。
極めつけはこっち。

>それにな、行程記の距離は伊都国の官舎の玄関口から奴国の集落の中にある官の家の玄関口までと
 いうようなランドマーク間の距離を示したものではないだろ。一桁や二桁目の詳しい数字を書いて
 なんになると言うのだ?

まさにそれなんだ。自分で言ってる意味がわかってるのか?
どこをどう、お前が言うような歩測とそれを記したメモで直線距離を出すんだよ?
そして出して何の意味がある?
隣接する国なら、どうやって距離で表すんだろうねえ。
ある程度の面積がある面と面の距離を測るには双方に基点がいる。
今なら県庁所在地などで正確に測ることも出来るが、古代の話だ。
おおよその距離感をおおよそで示されれば十分なわけで歩測なんて必要ないんだよ。
基点がないんだから実距離など測れないし測っていない。測っても意味がない。
だから面と面の距離を、おおよその感覚で捉え、それを修辞で表しているに過ぎない。
だから「旅程の里は距離単位ではない」のだよ。
209日本@名無史さん:2012/01/29(日) 09:16:47.30
九州だ畿内だ東北だとくだらん争いはもううんざりだ。
改めて日本書紀の崇神記をよく読んでみたら魏志倭人伝の世界観とほぼ重なるのでやはり卑弥呼は倭途途日百襲媛でしょう。

狗奴国の男王卑弥弓呼(彦皇子)との争い
→武埴安彦の反乱

その直後卑弥呼死亡、大いに塚を作る
→倭途途日百襲媛死亡、箸墓に葬られる

そして男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺しあった。
→崇神天皇の四道将軍派遣

また卑弥呼の宗女の台与なるもの、年十三をたてて王とした。国中はついに定まった。
→豊鍬入姫の天照祭祀

卑弥呼、崇神、台与の年齢もほぼ一致するし記紀もこのへんはほぼ事実を伝えてるとみた。ただ卑弥呼と台与が女王として描かれてないのは、万世一系の天皇家の統治理論に抵触するので、皇女として描いたということでしょうね。
210日本@名無史さん:2012/01/29(日) 09:17:48.95
>隣接する国なら、どうやって距離で表すんだろうねえ。
それが末盧国と伊都国、伊都国と奴国だよ。
211日本@名無史さん:2012/01/29(日) 09:49:15.61
>>206
>84氏が言うように壱岐から対馬海流に乗り、

それ程話は単純じゃない。

http://le-web.riam.kyushu-u.ac.jp/radar/current-map/

対馬海流の観測データだが適当な月日を放り込んで(倭人伝の記述からすれば夏場がいいのかな?)1日の時間経過を見れば分かるが
壱岐水道と玄界灘の流れは一様じゃない。

逆向きだったり向きが揃っても流れが弱かったり。
まあベストな状態があったとしてもそれも時間経過と共に直ぐに変わる。

無論、壱岐から宗像までが不可能なんていう気は無いが
最短距離を目指す場合よりそちらが楽(「ずーっと簡単に」)と言うのは早計に過ぎる。
212観客その2:2012/01/29(日) 09:50:32.64
>>209
ハナ垂れ名古屋 乙
213唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/29(日) 10:00:56.40
>>209
>改めて日本書紀の崇神記をよく読んでみたら魏志倭人伝の世界観とほぼ重なるの

纏向遺跡を教えてくれ。
214観客その2:2012/01/29(日) 10:07:24.87
>>209 名無しのハナ垂れ名古屋の自演
プロ固定がバレてしまい名古屋を語る事ができずに名無しで自演か・・・
金稼ぎも大変だな
215日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:25:09.59
てへ
216日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:33:07.92
観客その2=伊作

ころころHN変えて、言動も不一致のじじい。
217日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:34:55.41
あるいはド民?
218日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:53:10.64
武埴安彦が狗奴国王と言っている馬鹿がいる。武埴安彦は京都府南山城地方の人です。
219観客その2:2012/01/29(日) 10:53:44.96
私はバレバレ自演ハナ垂れ名古屋がキライな2番目の一般観客なの
220日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:12:55.02
狗奴国男王の卑弥弓呼は武埴安彦皇子 の彦皇子 のことだよ。
221日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:19:23.69
武埴安彦が狗奴国王と言っているアホは居籠祭に行け。2月にあるから。
222日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:26:45.71
張政って何のためにわざわざやってきたんだったかな。
223日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:30:42.53
物部守屋ってのがいるだろう?物部氏は中臣氏と対立して丁未の乱で敗れてその後は中央で活躍することはなくなった。
物部氏の領地と奴隷は両分され、半分は馬子のものになった。
馬子の妻が守屋の妹であるので物部氏の相続権があると主張したためである。
また、半分は四天王寺へ寄進され、廐戸皇子は摂津国に四天王寺を建立した。
卑弥呼は物部氏の女王であり、天王寺公園の茶臼山古墳こそ卑弥呼の墓だったとすれば、すべて説明できる。
224日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:35:02.69
狗奴国は濃尾平野の勢力でしょう。
前方後方墳が東国に広がるので、前方後円墳の
畿内勢力とは違うので。
225日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:36:24.11
>>106
だからな、それは証明ではなく推論・仮説なんだよ
「こういう解釈も出来る」というだけの話だ
226日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:56:37.14
天照大神とスサノオノミコト

イザナギは、黄泉の国から帰り、阿波岐原でみそぎ払いをした。
そこで生まれたのが、天照大神、スサノオノミコト、月読尊のいわゆる三貴子(神)。
イザナギは大いに喜び、天照大神には高天原を治めよ、スサノオノミコトには
海原を治めよ、月読尊には夜之食国を治めよと命じた。

しかし、スサノオノミコトは命令を聞かず、泣き叫んでばかりいる。青山が枯れ、
海や川は大荒れ、全ての災いがことごとく起こった。そこでイザナギが泣き叫ぶ
理由を聞くと、母のイザナミのところに行きたいという。
イザナギは怒って、お前はこの国に住んではならないと言って追放する。

追放されたスサノオノミコトは、高天原の天照大神に会って事情を説明しようとする。
しかし、スサノオノミコトが高天原に上ろうとすると、山や川はことごとく轟き、
国土は全て揺れ動いた。天照大神はスサノオノミコトが高天原を奪いに来たと思い、
戦いの準備をする。

スサノオノミコトは、そんな気はありませんと言って、天安河で誓約を行う。
この誓約で生まれたのが、宗像の三女神(スサノオノミコトの子)、天忍穂耳命など
五男神(天照大神の子)。

スサノオノミコトは勝った勝ったと大騒ぎをして、高天原で暴れまくる。
天照大神の機織小屋に皮をはいだ馬を投げ込むに及んで、ついに、天照大神は怒り、
天岩戸に隠れてしまう。

天照大神が岩戸に隠れると、高天原は真っ暗になる。葦原中国も闇になり、常夜が
続いた。神の声が満ち溢れ、災いがことごとく起こった。
227日本@名無史さん:2012/01/29(日) 11:58:47.96
>>223同意。邪馬台国は、藤原不比等の手によって隠されたのだ。
228箸墓に眠る女王:2012/01/29(日) 12:03:53.04
邪馬台国が隠されたのは間違いないけど、
卑弥呼の墓は箸墓だよ。それを今度著書で証明する。
AMS放射性炭素14測定の精度の正確ささえ立証できれば
必ず証明できる。
229デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:09:05.48
藤原不比等によって隠されたのは何も邪馬台国だけじゃないだろう。
邪馬台国が隠されたのも、魏志倭人伝で卑弥呼共立の記事があるため。
万世一系の天皇家の統治理論に抵触するからそりゃ隠すわ。
天照大神も持統天皇の影響で女神に変えられてしまったし。
そのへんも今度著書にちゃんと書くよ。
230日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:14:10.07
>>229
どこかで聞いたような話ばかりで面白くない。
231日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:16:43.73
藤原不比等とて、最初から強大な権力を手に入れたわけではない。
径百歩の巨大古墳を隠す、つまり破壊するには、その土地を手に入れなければ無理だろう。
邪馬台国は不比等が手に入れた領地のどこかと考えるべきなのではないのか?
府人は、邪馬台国と卑弥呼を仏教の力で封じ込めるために、この地に四天王寺を建立したのだ!
232デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:20:23.81
面白い面白くないで本を書けば関裕二のような
自分の世界を構築した妄想ばかりのでたらめな本になる。
そういうのは自分は好まない。考古学データを基軸にした本にする。
233日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:23:28.35
伊勢神宮と伊弉諾神宮が飛鳥京を中心に東西等距離に一直線に並んでいる件もよろしく。
これらからは飛鳥時代の都城計画に合わせて遷座造営された筈ですから。

それ以前の三輪山近傍も同じ要件(東の伊勢に天照大神(朝日宮)。西の淡路島に伊弉諾尊(夕日宮))で宮居が造営された模様。
234日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:24:38.69
奴国の領域内の伊都国がる。
伊都国の中心から半径500里(216km)の範囲が奴国である。
つまり、
伊都国は奴国の国都にあたる。

と、
魏志にはある。
235日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:25:07.27
>>229を見る限りはまんま関裕二w
236日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:25:39.88
>>232
ふーんじゃあ、庄内3と布留0の違い、纏向2の前期、後期の違いを言える?
237訂正!:2012/01/29(日) 12:25:41.03
奴国の領域内に伊都国がる。
伊都国の中心から半径500里(216km)の範囲が奴国である。
つまり、
伊都国は奴国の国都にあたる。

と、
魏志にはある。

238縄嘉ー:2012/01/29(日) 12:26:59.51
>>202 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/29(日) 07:06:49.91
>一般的解釈つうのはな、300年以上論争してきた九州説、畿内説の双方の多数も認めるものだ。
>認めるからには認めるだけの根拠があるからで、そこに一般的解釈を採用する意味がある。

がはは。これだからお前は底が浅いと言われるのだ。
学問の世界では「多数が認めれば正しい 」などという理屈は通らないのだが、おまえには理解出来ないようだな。
おまえは中学生レベルだ。自分に相応しい場所で遊んでろ。


239デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:30:12.69
おいおい関裕二と一緒にしないでくれw
独自性を出すために箸墓築造にはどれくらいの歳月がかかるか
建設会社等に取材し見積もり、箸墓築造にどれだけ動員できたかも
見積もり、築造までのプロセスを明らかにする。
260年頃までは戦乱が続き箸墓築造は中止してるとみてる。
240日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:31:56.55
>232
やっぱり自分独自と言えるものがないと、人の考えの寄せ集めでは意味がない。
もう少しいろいろ考えてからでも遅くないんじゃないか?
241日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:34:53.33
>>239
www 築造に必要な延べ人数の試算はもうある しかし一日の動員数は推定にしかならない
それらの人夫は主にどこの出身なのか、奴隷労働なのかそうでないのか
それらの人の衣食住は 古墳の築造は課題山積なんだがな
242デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:35:25.95
布留0式に関しては最新の研究では3段階に別れ、
年輪年代やC14との照合で240年まで最古式は遡る。
ただこれ以上はどうやっても遡らない。
なので240〜290年頃まで布留0式の時代とみていい。
布留1式は300年くらいから。鐙が出た地層も布留1式の
4世紀初頭のもの。庄内式は前半が長くて後半は短い。
三角縁神獣鏡の古墳への埋葬とこのへんはリンクしてる。
まあ今度著書ですべて書くよ。一冊出しておきたい。自己満足だけどね。
243日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:38:23.85
>>239

箸墓に膣入・・・じゃない、突入して掘れ!
独自発掘の成果を採用するんだよ。
当然、器物損壊くらいの罪に問われ、最悪、塀の中に入れられるかもしれんが、
その場合は獄中出版だ。
このくらいの話題性を伴わないと、邪馬台国本で独自性を出すのは難しい。
244日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:39:47.34
>>243
ナントカ教唆、ツーホーしますた。。。
245日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:41:41.36
古墳の築造を明らかにすることは当時の政治体制を明らかにすることだ
人夫が各地から拠出されたものの集合であれば、ゆるやかな連合の根拠となるだろう
奴隷労働なのか人民の奉仕といった形で築かれたのかは、当時の社会体制にかかわる
246デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:42:27.76
>>241
知ってるよ。仁徳天皇陵の見積もりだろ。
たしか最大2000人毎日導入して15年だったか。
ただ自分は箸墓築造に2000人も投入できるだけの力はないとみてる。
当時の人口から、生産部分担当する人数もそれほど多くないだろうし。
それに箸墓は丘陵の尾根を使用しておらず、平地に土を盛った形態なので、
労力はかなりかかったはず。短期での築造ではないよ。
なので定説の280年〜290年の築造なら、それより20年は
前から築造開始した計算になるので、266年に台与が晋に
朝貢してるので台与の墓ではないわけ。
247デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 12:50:19.25
独自性つっても後は倭国大乱が気候変動とリンクしてることと、
卑弥呼の鬼道は、祖霊神信仰であり、当時の太陽神であった二ギハヤヒの
末裔が卑弥呼であったこと、三角縁神獣鏡は、呉から公孫氏の燕に
連れてこられた鏡職人が楽浪帯方二郡で作ったものが初期形態のものであること。
あとは箸墓が戦乱による中断期間を交えて長期で作られてることくらいか。
今のところそれくらいしか思いつかんし、別に独自性をそこまで出す必要もない。
考古学上の詳細なデータをまとめて載せるだけでもよしとする。
248日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:53:57.61
どっかの試算で680万人日だったっけ。
年に直すと、2万人年くらい。
千人で20年
二千人で10年

それくらいの人口が古墳建設に従事し、
そのぶんの食料を他の人間が余分に
生産してやらなければならない。
多分、税として。
249日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:55:10.06
>>247
でも正直それじゃ全く売れんよw
どれ程労力を費やしてもプロのセンセイには敵わないんだから・・・

やっぱ面白おかしく「尖った部分」が無いとw

まあそう言うのは九州説の専売特許だがwww
250日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:56:17.47
それじゃ独自性なんて出ない、似たような話はよく見るし。
251日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:56:40.30
大林組は大ざっぱであるが箸墓の試算もやっている(NHK特集「巨大古墳の謎」)
箸墓の造営には延べ170万人の人夫(一日千人で六年間)が必要
252日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:56:44.81
古墳の造営は、渡来人が渡ってきた時期と一致する。
つまり、大和朝廷は、土地を持たぬ帰化人を食わせるために古墳の造営を各地の豪族に奨励したのだ。
帰化人たちは、東へ西へと古墳造営工事のある場所に渡っていった。
古墳の付帯物として、埴輪などの装飾品や剣や勾玉などの飾り、町が出来れば飯炊き女や遊女も集まるし、
古墳は公共事業の性格が色濃かった。
253日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:57:28.23
他人と比べて、どういう部分が自信を持って強いかだなあ。
そういう価値がないとなかなか本を書くのは難しい。
254卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 13:02:48.03
ピラミッドは紀元前800〜3000年頃に造られたわけで、
日本でもその頃に巨大古墳が造られていても不思議ではない。
箸墓にしても100年くらいかけて造られたのかもしれない。

いずれにしても箸墓は紀元前の築造。
255日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:06:03.11
幅広い文献知識が豊富な人もいれば、
考古学的データに強い人もいる。
鉄のデータには絶対的に強いと言う人もいる。

何を武器にして本を書くかだね。

空想的物語が強い人もいるが、
このへんはかなり競争が激しくて
同じようなものが多くて難しい。
256日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:24:44.86
>>245
箸墓で重要なのは、墓の築造について記述されてる点だな。
神と人とが協力して作業している点。
それと材料の石が大坂山から用いられてる点と。
257日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:32:46.22
古墳築造の延べ人数は一人が時間当たりに動かすことができる土砂の量を元に
試算されたものだが、これは1日の労働が6時間なのか12時間なのかでは工期が
倍違ってしまう ハードな奴隷労働を強要できる社会かどうかなどのことが重要になる

箸墓の墳丘裾から見つかっている石材は大阪府柏原市の芝山の石で、大坂山(二上山)
の石ではない ただし当時芝山を大坂山としていた可能性はある
258日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:34:23.84
農繁期にはみんなで農業、
農閑期にはみんなで農地拡大、残土で古墳造成
これでいいやん
259日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:41:32.56
弥生末でも米の全食料に占める割合は半分以下だろう 米を交易品と考えればなおさら
雑穀を合わせてもそれだけでまかなうのは厳しい 当時の食料備蓄がどうなっていたかも
わからない 冬場は案外狩猟・採集シーズンなのかもしれない
当時の社会状況を少しずつ発掘で明らかにしていくしかない
260日本@名無史さん:2012/01/29(日) 13:59:45.90
各地に貝塚が残っているだろう?
大阪にも貝塚市とかあるじゃないか。
それと河川が山間部から平野に出るところに開けた谷口集落。
山方と里方との物資の交易地として栄えたんだよ。
流通は河川交通で、川舟を引く船曳人夫の集落、河岸も栄えた。
261日本@名無史さん:2012/01/29(日) 14:16:45.21
>>254
>いずれにしても箸墓は紀元前の築造。

そうなの!?
262日本@名無史さん:2012/01/29(日) 14:25:08.31
>>257
大坂山=二上山ではないよ。二上山はむしろ葛木山の一部。
大坂山は二上山より北部、穴虫や関屋周辺だな。
よって芝山は大坂山と言っていいエリア。
263訂正!:2012/01/29(日) 14:57:25.83
「千餘里」


>>237 :訂正!
>伊都国は奴国の国都にあたる。
伊都国の否定地は、現出雲大社である。
出雲大社を中心とする半径五百里(216km)がその領域である。
又、
邪馬臺國の中心は、現諏訪神社。
諏訪神社を中心とする半径五百里(216km)がその領域である。
その二国の干渉地が畿内で所謂共立邪馬壹國である。

邪馬臺國は太白の後で伊都国は季歴の後。
264卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 15:42:44.76
>>261
そうですよ。記紀を素直に信じれば、モモソ姫の死は崇神天皇10年のことで、前88年。
築造に100年かかったとしても完成はAD12年。
他人が何と言おうと、崇神天皇は3世紀の人などという愚説を信じちゃいけないよ。

さて古田武彦「邪馬壹国の論理」を読んだ。ミネルヴァ書房版で末尾に付録が付いていて、その中で短里論が述べられている。
説得力がありそうなのは次の論だけ。

江東、小なりと雖も、地方千里(史記)
江東に割拠す、地方数千里  (三国志)

古田は、陳寿は史記を読んでいるはずだから、方千里を方数千里と書くはずはない、という。
しかし読んでいても、そんな一節を記憶しているとは限らない。
また、陳寿という文人が、中国の地理、その里数や面積について、正確に把握していたとは断言できない。

要するに、短里というものが存在した決定的な証拠はない。
大体、たかだか75mを1里と呼ぶはずはない。
265日本@名無史さん:2012/01/29(日) 15:43:00.63
大阪四大緑地はすべて大王の古墳で近世まで禁足地だった。
しかも荒陵となって破壊が進んでいる。これが大和朝廷に歯向かって滅ぼされた豪族の墓と見ることが出来る。
このうち、大泉緑地は、大仙山古墳をしのぐ史上最大の古墳、つまり卑弥呼の墓ではないだろうか?

久宝寺緑地(八尾市)
http://blog-imgs-37.fc2.com/s/p/a/sparkingrunner/WS000044.jpg

服部緑地(豊中市)
https://lh4.googleusercontent.com/-Jf4N5jBb2fY/TjrslO4VuoI/AAAAAAAAQbA/2rGEETJp3mc/s640/WS000000.JPG

大泉緑地(堺市)
http://pds.exblog.jp/pds/1/201101/26/74/a0066174_072586.jpg
266日本@名無史さん:2012/01/29(日) 15:44:20.18
>>263
>伊都国の否定地は、現出雲大社である。

異議無し。
267日本@名無史さん:2012/01/29(日) 15:56:31.59
>>264
帯方郡に雇われた地方官吏は半島の地元民だったろう。彼ら地元民は魏の尺度を使用せず独自の尺度を持っていたのではないか。
例えば百歩で一里、それも1歩は大人の歩幅(約70cm)としたのではないか。
268日本@名無史さん:2012/01/29(日) 16:33:32.94
否定地?何それ?
269卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 16:51:45.33
>>267
なるほど面白い説で、つまり陳寿は半島の地元民から聞いた里数をそのまま書いたというわけか。
それなら倭人伝の里数問題はすべてうまく説明が付く。
しかし韓人が里という中国の呼称を距離の呼称に用いていたかどうかは検証の余地があるだろう。

話は変わるが

太祖元嘉二年、讃、また司馬曹達を遣わして表を奉り、方物を献ず

司馬曹達。これなどいかにも中国人ぽい名前であって、讃が日本の王だなどとはとても思えないのである。
どう考えても朝鮮の倭の王だろう。
270日本@名無史さん:2012/01/29(日) 17:04:44.74
>卑弥呼は朝鮮にいた

意味がよくわからないんだけど。@朝鮮から九州に来た、もしくはA畿内に来た。
271卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 17:35:26.55
>>270
君の質問の意味がよく分らないのだが、司馬曹達のことか?
司馬曹達が九州の王の部下になっていたということは、ありえないことではないが、
大和朝廷の天皇の臣下になっていたということは考えにくい。
天皇の遣使として中国に行くほどの人物なら、記紀とか新撰姓氏録に名が記載されているはず。
まして司馬仲達の子孫を思わせるような人物なのだから。

卑弥呼のことなら、私は倭国大乱も卑弥呼共立も朝鮮半島内のことだと思っているのであって、
卑弥呼が朝鮮から九州に来たとか大和に来たと言っているわけではない。
272日本@名無史さん:2012/01/29(日) 17:36:45.52
卑弥呼は朝鮮にはいないよ。どの資料や文献でも有り得ない。
273日本@名無史さん:2012/01/29(日) 17:47:17.25
>>271
>卑弥呼が朝鮮から九州に来たとか大和に来たと言っているわけではない。

て事は、邪馬台国は朝鮮だと言うわけ?
274日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:01:11.53
>>191 
>その時に魏軍に属するものの当然の装備品として黄幢も贈られたのでしょう。

要するに「黄幢」は「追討の為の御旗」ではなくて、ある地位や役職に付随して与えられる物
一種(勲章のような)顕彰の為のアイテムと言うことなのか?
だとしたら、正直その発想はなかったなwwww
まあ中郎将と言う職はその形骸化から考えて複数与えられていて問題ないと思うが…

でも分からないのは狗奴国にすれば卑弥呼が倭王に叙せられた時点で
バックに魏が付いたことは分かっていた筈でそれでも尚全面戦争のような対立を続けていたのなら
幟を持った中国人がやって来て説教しただけで果たして矛を収めたのかと…
かといって魏から軍がやってきたと言うのも根拠が無いし

むしろ狗奴国にしても魏の介入は想定外だったんじゃないかと思う。
そう言う目算が立てられる程度の対立で小競り合いはあっても全面戦争のような物ではなかったんじゃないかと
275志紀:2012/01/29(日) 18:08:04.04
朝鮮半島ならみんなが中国名とは限らないけど?

同じ朝鮮半島にある国からの朝貢をわざわざ特筆するかなあ。
なんかそういう捏造がお好きなんですよね、韓国の人って。
276卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 18:19:09.62
>>273
いや、そうじゃないよ。私の説を理解していないところを見ると、君は新参者だなw 

私は邪馬台国は大和、邪馬台国に都す女王とは神功皇后のことだろうと解釈している。
277日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:21:57.56
>>276
新参者じゃないよ。
最近思う事は卑弥呼は朝鮮半島でも有名だった巫女だと考えている
278日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:23:18.65
>>276 チョーセン
ゴメン。
少なくともお前さんよりは古いけどお前さんの説は理解していませんw
279卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 18:40:01.31
われわれは家の中にいて、机上で地図を見ているので、どうしても観念的、空想的に考察してしまうのである。
一歩外へ出て、周囲を見渡してみればよい。中国なんて全然見えない。
見える所なら行こうという気にもなるだろうが、見えもしない所に行こうと思うはずがない。

たとえば奈良の人が、名古屋から攻められたとして、中国に助けを求めに行こうと思うだろうか。
久留米の人が、熊本から攻められたとして、中国に助けを求めに行こうと思うだろうか。

車も飛行機も定期航行の船便もない時代に、そんなことを思うだろうか。
そういうことを考えれば、畿内説も九州説も、空想だと思わずにいられないのである。
280日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:45:02.58
>>279
実際に倭人伝に書かれている道を実践した人がいるよね。それに同意出来ない貴方は何なの?
281日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:45:09.76
>>279
>見えもしない所に行こうと思うはずがない

もっと前の時代からの人、物の動きを調べるといい
282日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:56:45.36
>>279
>われわれは家の中にいて、机上で地図を見ているので、どうしても観念的、空想的に考察してしまうのである。

なら、実践したまぼろしの邪馬台国。島原説を押すわ。
283日本@名無史さん :2012/01/29(日) 19:09:24.44
19歳無職の青年が名前を変えたのかな
284デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 19:15:08.72
本は売れる必要はない。一冊著書がほしいだけだ。
ただそれなりに内容の高度なものに仕上げないといかん。
箸墓は黒塚古墳と同じ築造形態なので同時代の古墳で間違いない。
黒塚古墳から出た鏡は椿井大塚山よりやや前の形式のものなので、
椿井大塚山の築造が定説通り3世紀末ならば箸墓と黒塚はそれよりやや前だ。
285日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:23:44.93
デビュー作ときたもんだ プ ゲラ
トンデモ本も質が落ちたねえ。
おかしくもないトンデモ本買うやつもいないだろうにな。
286(鍋奉行)仕切りたがり屋Max:2012/01/29(日) 19:24:57.33
>新参者だが、

新加入者はお古に噛みつけw
お古のくせに〜こいつの古代史レベルは大したことないぜ〜
て思う奴見かけたらガンガン行きましょうw 遠慮はなっしんぐwww

大体、3年以上とか、5年以上やってる人は、
唐松山、縄嘉ー、ジョーカー、ローガン、ひとぶた、あと俺で・・・、
古株連中は、弱ちゃいと思われないようにせいぜい頑張って下さいw 
ていうか、一番弱いと思われてるのは誰だろうねw おれかな?w
287日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:26:17.37
>>286
うん。
288(鍋奉行):2012/01/29(日) 19:27:05.61
>>136
>んーこりゃあ公平に見て無限優勢だな。
>鍋奉行はどうよ?

あんたが、そう思うなら、そうじゃない?
289デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 19:28:33.15
起居注から266年台与の晋への朝貢がわかるが、
その後の男王が梁書では中国から爵位を受けたと
わずかに書かれてるが、晋の武帝記にも起居注にも
そのようなことは書かれていない。
300年頃から八王の乱〜西晋滅亡で五胡十六国時代に突入するので、
3世紀末に台与は死んで男王に替ったとみるべきなのか。
290日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:28:52.91
しーとっと メ は腐れ
291日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:33:42.59
プゲラの夢さんに続いてデビュー作
古株がんばれ、どうやら追い抜かれたようだぞ
292(鍋奉行):2012/01/29(日) 19:34:20.60
さいきん、新参者て言葉が流行してるみたいでw
293日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:47:21.56
プゲラの夢さん ワロタ
294デビュー作「箸墓に眠る女王」:2012/01/29(日) 19:48:17.70
面白みを持たせるだぁ?
じゃあ何か卑弥呼は九州の宇佐にいて死んで比売大神になった。
卑弥呼の墓は亀山で、その後台与は巻向に遷都して箸墓に葬られた。
つまり二つの邪馬台国がある。とでもすればいいわけか?w
そういう馬鹿馬鹿しいオタクじみた妄想話書くくらいなら
なんもしないほうがまだましだ。
295日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:50:15.82
こいつ真性だぜ ギャハハ
296日本@名無史さん:2012/01/29(日) 19:53:59.97
馬鹿馬鹿しくないオタクじみていない妄想書でないデビュー作に乞う御期待!
297稗箕狐:2012/01/29(日) 19:58:54.04
きっと仲達さんのお子様のかたとかのが土着して馬韓ができたんだろ
298ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:12:03.06
●揺らぎ矯正

>>11 :名無史
>千里を1日で航行したと解釈出来る記述があっても、
>それをもって水行一日=千里という事にはならない。
歴代の歴史書が、海路航行距離は日・月・年数表記か、千里・万里単位で書いている。
1日航海千里、1航海千里だ。
仮に、潮待ち風待ちで正午に出港して夕刻に入港しても千里、1日だ。距離は関係ない。

>>13 :名無史
>修辞だろうが実測値だろうが陳寿の地理感覚では倭地は周旋五千里、
>つまり九州島をイメージしていたってことだわな
倭地の周囲が五千里てか。これを方で表記すれば「方1250里」だ。
朝鮮半島南部の三韓は方4000里だが、それと九州島と現実に比較になるか?
「周旋五千里とは、倭地を豊門町さして回った距離のことだ。

>>51
>水行の日数は距離に換算できるものじゃない。
そういい続けてむきたのは俺だが。

>また肥だめに落ちた鶴が言う水行1日=千里という常識 みたいなものも無かった。
歴代の歴史書が、海路航行距離は日・月・年数表記か、千里・万里単位で書いている。
1日航海千里、1航海千里だ。
仮に、潮待ち風待ちで正午に出港して夕刻に入港しても千里、1日だ。距離は関係ない。

>>53
>「倭人伝に従えば、行き先は一つ」
小細工解釈・勝手解釈・姑息解釈をしなければ、行き着く所に大差はない。
299ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:12:33.69
●揺らぎ矯正

>>55
>正始六年中に完了したのは、「詔」だけで、
>「賜倭難升米黄幢」「付郡假授」の部分は、その詔の概要ではないかとも思えます。
軍隊兵士は皇帝の許可もしくは命令なしには発動できない。
だから賜して「兵士を伴う黄幢」を帯方郡を介して倭の難升米に黄幢を假授したのだ。

>>56 :ひとぶた  勝手解釈を吹くな。
中国正史は、同時代の支配層や知識層を読者対象として書かれている。
現代の感性や常識ではなく、古代の制度・しきたり・常識・知識で見つめる必要がある。
黄幢・檄・告諭というば、どういうものであったかは、古代中国人には理解できる。
俺たちも可能な限り古代中国の制度・しきたり・常識・知識でもって解釈しなければならない。
素人空間にこれを持ち込んだ伊作の努力は決して無駄ではないぞ。

>>70 :名無史
>日数は「千里」のパラメーターにはなってないってことだよ
「1航海を千里、1日航海を千里」と表記している。厳然とした事実だ。
海路千里とあれば1日航海、1航海を意味する。
計測できない海路距離を、どう書いてもウソになる。それしか表記方法があるまい。

>>72
狗邪韓国から松浦までの渡海は あくまでも千里という表記であって、一日ではない。
現実に一日かかったかもしれないが、それには何の根拠もない。千里を水行一日とする根拠にはならない。
1航海を千里、1日航海を千里」と表記している。厳然とした事実だ。
海路千里とあれば1日航海、1航海を意味する。
計測できない海路距離を、どう書いてもウソになる。それしか表記方法があるまい。
300ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:13:37.53
●揺らぎ矯正

>>74 :夢幻如
>1/6だなんてあほな話には最初からならない。
現実に6〜6.5で書かれている。
魏の公式尺度で記録した『三国志』魏書の記録と照合した揺るぎない事実だ。
>>82 :夢幻如
>九州に持ってくるために1/6で換算する。
ただの否定文言だけではなく、きちっとした否定論拠を添えていうことだな。
>>89 :夢幻如
>じゃあなぜ1/6なんだ。
>なぜわざわざ倭人伝だけは 1/6にしなければならんのだ?
現場を見たわけじゃない。書いた本人しか分かるまい。
これが、幾重にもあっただろう校閲を通っているし、
細かい注釈をつけた「松之も何の注文もつけていない。

>>85
>1/6換算に対して、一日千里は何も根拠が無い。
一日千里は海路のの表記法、1/6換算は陸路の表記尺度。
俺の発言をきちんと分別して理解しろ。ボケナス

>>90
>一日千里は脳内根拠以外に、こじつけも出来んだろう?
すでに明確な論拠とともに何度か提示したことだが。反論の余地などないぞ。
301ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:14:17.66
●揺らぎ矯正

>>99
>修辞でもなく実距離でもないなら千里はなんですか?
>>108
>千里が実距離じゃないのは確かです。修辞でもないならなんですか?答えなさい
修辞ではない。海路距離について歴史家たち記録者たちが用いた記録法だ。
お前たちは、島影の見える沿岸航行や島伝いを総体してるのだろうが、
水平線しか見えない大海原を航海するにおいて、いったいどうやって距離を測定するか。
日数か、アバウトで千里と書くしかあるまい。千里といえば現実は途方もない距離だが、
それがそもそもアバウト表記だと、暗黙の了解ができていた証拠だ。

>>143
>○さんのお話からも万二千里は具体的距離ではないと思います
それを論理で最初に叫んできたのはこの天才だ。

>>144
>だったら何故その換算をして里数で統一して書かなかったのか?
海路距離は測定が不可能だから。水平線しか見えない航海でどうやって距離を出すか?
海路航行といえば、島伝いや沿岸航行だけじゃないんだぜ。
>水行一日千里だとすれば万二千里という数字が辻褄合わなくなる。
だから。その万二千里のうち、万は千里単位で表記した海路距離を含んでいる。
実際の距離とは無縁で、「会稽東冶の東」だといってるだろが。
302ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:14:51.49
●揺らぎ矯正

>>155 :縄嘉ー
>係留中の船が台風などの嵐で流されないようにしなければならない。
>そこで、海岸ではなく内陸部に入りこんだ入り江状の川岸に魏の船は停泊、係留されたと考えられるのだ。
古代の船舶の渓流は河口か入り江だというのが常識。

>>191:ひとぶた
>帰義王に封じられたときに軍鼓や吹と併せて幢も貰ってますね。
「幢麾」位階に応じた指揮旗で。
いわゆる軍隊が所持する旌旗(せいき)類とは異なる「のぼり」の類い。麾幢ともいう。
「鼓吹」いわば鼓笛隊。将軍たちにも与えられたが、入塞出塞、行軍にも鼓吹が先導したらしい。

>>198 :ひとぶた
>正始四年掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
>これ、私は8人同時に中郎将拝命と読んでます。
うん。「掖邪狗等に率善中郎將印綬を壹拜す(おしなべて与える)」だな。

>>201 :志紀
>私は魏軍の派遣はあった、説に立ちます。
よおーし。一人だけ賛同者が現れたな。
303ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:16:21.88
>>298 ていせい

「周旋五千里とは、倭地を豊門町さして回った距離のことだ。
↓↓↓
「周旋五千里」とは、倭地を訪問調査して回った距離のことだ。
304日本@名無史さん:2012/01/29(日) 20:20:03.25
ああ 豊門町に 雪が降る
305稗箕狐:2012/01/29(日) 20:27:46.03
金印紫綬とか銀印青綬とか黄色いフラッグとか駆使してからに

ちゅうこくの大酋長の親衛隊ごっこにすぎないかとはおもふが
306(鍋奉行):2012/01/29(日) 20:31:17.39

伊作の知識すごいな・・・ wΣ(・ω・ノ)ノ!w
307稗箕狐:2012/01/29(日) 20:33:41.49
卑弥呼さんも難升米さんも腋邪狗さんもみんな

ばあちゃるで光禄勲に編入されただけだろ
308日本@名無史さん:2012/01/29(日) 20:47:28.83
海路の里と、陸路の里が違うという考えは、俺は取らないな。
里が里である以上、同じ距離を指すとする。

ただ単に海路は正確に計測できないので
誤差が多いだけの話だろう。

初めから諦めて、えいやっと千里にしとるだけかもしれんが。

で、少なくとも文献では、一日千里と換算している例はない。
なんとなく地図を見て、このへんは一日くらいだろーな、
という直感にすぎない。
309稗箕狐:2012/01/29(日) 20:48:45.49
なあんかね

倭王のは光禄大夫待遇で特例で発生したので金印紫綬もらえる金紫光禄大夫

中郎将ちゅうのはちゅうこくの大酋長の親衛隊の基本ユニットのボスでここのは特設のですねえ

ちゅうこくの大酋長の親衛隊の基本ユニット8個新設とかいだしたら あれだね

八大卒になっちゃうけど まあ ひていとかはしないけどねえ
310稗箕狐:2012/01/29(日) 21:01:44.08
ちゅうこくの大酋長の親衛隊の基本ユニット1個新設で8件の中郎将を配置  とかっていってみるテスト
311志紀:2012/01/29(日) 21:09:23.69
むしろ当然かと。
旗だけ授けるなんて情けない事を中華の大帝国がするでしょうか。
旗やその他魏のしるしだけでおさまる蛮夷でない事は、魏ならずとも
中国の皇帝から民百姓まで熟知していたのは間違いない。
近くは、曹操は烏桓族との戦いで後継者とすら重用した郭嘉を失った。
また、漢に長らく寇盗を繰り返した匈奴は、五胡十六国時代にまで生き延び、
自ら漢と号して中華風の国家を樹立するにいたった。
異民族との戦いは即ち中華の拡大と合わせ鏡と言える。

では、その部隊の実は、魏人単独の部隊かと言うと、それも違うと思います。
魏軍の駐屯部隊を中核にした、服属する地域の現地軍ではないかな。そこに、
倭(韓半島南端も含む)の部隊もいたと思います。
帯方郡経営自体軍事行動が希少な書き方ですが、これについても隠蔽している
のではないでしょうか。重要な東方・半島経営で、軍の駐屯は前提ではないでしょ
うか。しかしながら、制圧までは克明に輝かしく描くが、弓遵の敗死に象徴される
帯方郡経営の崩壊の過程は、最終的な瓦解に至る西晋朝の三国志成立時期には
生々しすぎて、機密上も書き得なかった事案ではないだろうか。
312卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 21:17:10.25
>>280
何のことかな。木製の舟での実験航海のことかな。
航海が可能かどうか、ということを問うているのではない。
わざわざ海を越えて中国まで助けを求めに行くと思うか、ということを問うているのだよ。

>>281
日中の交流があったか無かったかを問うているのではない。
中国まで助けを求めに行くと思うか、と問うているのだよ。
313日本@名無史さん:2012/01/29(日) 21:24:53.45
>現場を見たわけじゃない。書いた本人しか分かるまい。

本人にしかわからないものを書いたってしょうがない
同時代の支配層や知識層にとって倭国の位置や規模はどうでもいいものだったてことになる
1/6という尺度が当時使用されていたなら、後続の書が必ず注釈をつけるだろう
ちなみに破賊文書は、「一を以って十と為す」という習慣は国淵伝に見られる
314志紀:2012/01/29(日) 21:25:23.96
>>312
そこは一貫して畿内信者が逃げるところですよね。
必然性がない。言ってるのは「庄内式が出てるから物も人も動いてた」とか
そんなんばっかりw

庄内式=畿内

畿内の物が他地域に動く=畿内勢力の侵攻・進出

古墳でも△鏡でもなんでもこの論法。幼稚な事この上ない。
魏の韓半島経営に倭国が密接にかかわっている事は隠しようのない事実であり、
じゃあ3世紀に畿内中心とする、半島にもコミットする余裕のある統合大国が生まれ
ていたのかという話です。中学生でもわかる罠w
315稗箕狐:2012/01/29(日) 21:28:24.75
のこりもののの韓のとこの

月支國にいらっしゃる

辰王のところの官のが実は

辰王のの隠れパトロンで

強力に魏の半島郡治化を促進したぽいよ

こりゃどおみても倭王のところと連携プレイだな
316日本@名無史さん:2012/01/29(日) 21:36:54.46
>>314
何から人や物の動きを推測するの?
317日本@名無史さん:2012/01/29(日) 21:54:36.77
恨み節
318日本@名無史さん:2012/01/29(日) 21:56:55.41
某所で拾ったんだが、
>女王卑弥呼の墓には奴婢百余名が殉葬されているが、殉葬は日本にはない風習で、伽耶および北方大陸で発見されるものである

これって本当?
319日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:00:38.18
320日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:03:00.40
321日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:06:13.39
>>312
魏に援軍を要請したかどうかは別として、人が行き来しているのに
遠い場所だから助けを求めに行こうと考えないというのはちょっとズレてる
322日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:08:50.98
援軍を要請したわけではないんだよなぁ
目的はべつにあった
当時の情勢を考えてみればわかることなんだが
323日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:11:44.20
>>314
>そこは一貫して畿内信者が逃げるところですよね。
必然性がない。言ってるのは「庄内式が出てるから物も人も動いてた」とか
そんなんばっかりw

じゃ、誰が何の目的で物や人を動かしてるんだよw

324日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:14:18.19
金属器
325稗箕狐:2012/01/29(日) 22:22:05.70
進駐軍の方としては

実働隊ので直接的に関与とかされると

がっつり分け前とか分捕られたりするしさ

迷惑ておもふかな?

親方の方にも格好悪くみえちゃったりするから

意地でも来てほしくはない罠

半島内の協力者を確保するのに

根回ししてもらうのの方が効率的で分け前とかもちょびっとでよいかも
326ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 22:24:34.60
●持衰を載せた船。

江戸時代まで日本海ルートの海運を担った「北前船」というのがあった。
これが「持斎」を載せていた。
北前船の風待ち港として栄えた青森県の深浦港の西部に、
船人たちの信仰を集めた円覚寺という寺 がある。
ここに、北前船の船主が奉納した絵馬がある。
絵馬とはいっても絵が入った額縁のような大きさだ。
その奉納絵馬の一枚に、持斎を載せた船の絵がある。
荒れ狂う海を行く船の舳先の柱に持斎が縛り付けられている。壮絶な絵だ。

東北説や近江説をとる与太者が喜んで「活用」するかも知れないが、
こっちは余裕でフェアに紹介している。

瀚海(後漢代に使われるようになったゴビ砂漠の代名詞)、
大率、大倭、持衰などは、倭人がつくった漢字言語と思われる。
倭人もそこそこに漢字が理解できていたという証拠だな。

対馬とか都斯麻は倭人の発音に中国人が当てた文字だが、(倭国には馬などいなかった)
倭人は、同じような形と大きさの島が向かい合っていることから、
「対島」という漢字名称で呼んでいたのかも知れんぞ。

おなじ妄想でも面白い妄想だろろろろろろろろー。
327日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:25:56.64
帯方郡にいるのが進駐軍
進駐軍が倭に援軍を派遣したりする余裕あるのかな?
328ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 22:39:04.74
●卜骨占い。
今でも、中国東北部の狩猟民族(少数民族)は、
狩猟の成果を占うのに鹿の肩甲骨を焼いて卜骨占いをやる。

日本の皇室では祭祀に使う米を天皇自ら植えて刈り取る「籍田の儀」をやる。
これは、中国では天子だけが行なう祭祀儀礼の一つである。
日本では、皇室が祭祀に用いる米が籍田の米だけでは不足なので、
全国の一般の田でつくることになる。
この田を選定するとき、公正を期するために占いで決める。
このとき用いる占いは卜骨占いではなく、中国と同じ亀甲占いである。

天才が何をいわんとしているかを理解できた者は・えらい!!。
329稗箕狐:2012/01/29(日) 22:40:15.93
倭人の多様性とかにおもいをいたせないやつは基本的にまぬけだよな

漂着してからに居ついたお客さんとかのは

基本的に漢字の先祖のやつとかいぢれるひととか多々でもふつうだろ

とゆうことは

稗とか箕とか蓑とか持ち込んだお客さんは

甲骨文字とかもご持参にきまってるっしょね
330日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:40:45.18
>>327
帯方郡の太守だった弓遵は、韓の反乱で戦死している。
けっこう危ないところだな。
331日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:42:35.98
>>326
>>8にインスパイアされたのか?w
ちなみに近江説は今、東海説への転向を考慮中
霊仙を挟んで西から東へ移動させるだけの話しなわけだが
332卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 22:43:20.47
>>321
>人が行き来しているのに

その証拠はありますか?
たとえば九州や大和と中国との間に頻繁に人や物の交流があったという証拠が。
333ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 22:43:43.37
>>327
>>帯方郡にいるのが進駐軍
帯方郡は魏の郡県の一つだ。 進駐軍の意味を分かって使っているのか。
こういう愚かな手合いがいっちょ前ツラして、
赤っ恥ものの0点投稿をするんだから2ちゃんは・凄い!!
334日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:44:40.91
亀のがよく当たるってことかな
335日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:49:00.14
>>333
公孫氏を滅ぼして跡地に出来たのが帯方郡なわけだが・・・
ほんとアホなのね
336日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:49:22.23
>>332

ん?

>日中の交流があったか無かったかを問うているのではない。
中国まで助けを求めに行くと思うか、と問うているのだよ。

こう書いてるから交流があったと認識してるのかと思ったんだけど?
337稗箕狐:2012/01/29(日) 22:51:02.02
ここのは

「韓地における魏の郡邑制支配体制の成立過程」のおはなしですから

進駐軍で良いのですよ

>>335 は 再調査してくるようにね
338日本@名無史さん:2012/01/29(日) 22:55:03.59
339日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:00:38.63
>>332
貨泉は瀬戸内海、畿内からも出てるでしょ。
鍵・唐古の楼閣とか河内の久宝寺遺跡辺りにも交流の様子はある。
340稗箕狐:2012/01/29(日) 23:05:27.04
× 公孫氏を滅ぼして跡地に出来たのが帯方郡

○  素性の知れない成り上がりものの
   公孫氏がでっちあげて出来た帯方郡を
   海からまわってこっそりとりあげてからに
   それからサンドイッチで公孫氏を滅ぼした
341志紀:2012/01/29(日) 23:11:17.06
おおう、八尾の話かw(*^ω^*)

どの埋蔵物の話でしょうか。

まあ、人も物も交流があったのは間違いない。ただ、国家紛争規模のものか
どうかということ。
統一大倭国があったなら、九州や弥生の弥生都市国家群どころか楽浪帯方
ですら落とすのは容易だっただろう。百済滅亡時の唐との戦闘とは違う。
342日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:11:58.61
>>340
例えそれでも帯方郡にいる魏人が進駐軍であることに変りないだろ?
343稗箕狐:2012/01/29(日) 23:19:43.16
>>342
いさくもどきのこと叱ってくれてるのみおとしていますた。
344縄嘉ー:2012/01/29(日) 23:23:27.29
>>301 :ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 20:14:17.66
>>だったら何故その換算をして里数で統一して書かなかったのか?
>海路距離は測定が不可能だから。水平線しか見えない航海でどうやって距離を出すか?
>海路航行といえば、島伝いや沿岸航行だけじゃないんだぜ。

郡から狗邪韓國までは海岸に沿っての航行だから陸地の方の距離が分かっていれば大凡の航行距離が出せる。
また、目測で一日航行の大凡の距離も出せるだろう。
狗邪韓國から對海国は晴れた日には小高い場所からなら島影を見ることもできるだろうし、中間地点に来れば
狗邪韓國も對海国も同時に見ることが出来る。慣れた者なら距離を見積もることは出来る。
對海国ー一大国間、一大国ー末盧国間でも同じことである。
少なくとも郡から末盧国までの距離は出せた筈だ。これが1万餘里。
この1万餘里は水行1日=千里として出したものではないだろう。

半島西岸の海域では北へ向かう海流が底流としてあり、その流れが弱くなったりあるいは南向きになるのは1日に
6時間づつの2回あるが、夜間の航行は座礁等の危険があるから昼間の6時間を利用しての航行になる。
北風が吹けば帆を使えるが、夏期には西風が多くなるので基本的には人力で航行する。
海岸近くには浅瀬や岩礁が多いので船は港からこれらの障害物を避けながら一旦水深の深い沖合の航路に出て、
それから南へ針路をとり、潮流が変わる前に再び港に入って停泊する。1日の実質の南行は約5時間である。

平均時速4kmとして1日20kmである。インチョン辺りから半島南端まで南下するには約20日かかる。
郡から狗邪韓国まで「循海岸水行歴韓國」七千餘里を7日の航行で行えたとは考え難いのである。
345卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/29(日) 23:29:42.36
貨泉は出ているのだろうが、それにしては陳寿は日本の地理をろくに把握していない。

それにそもそも景初二年の朝貢の目的が何なのかがさっぱり分らない。
分らないが、しかし公孫氏が討たれたから朝貢したと考えるのが普通だ。

そうだとすれば、それまで一度も朝貢したことのない九州内陸部や大和の王が、
なんで公孫氏が討たれたからといって朝貢しなければいけないのかが分らない。
九州内陸部や大和は公孫氏とは何の関係もないのだから。

ところが韓半島の倭はそうはいかない。下手をすれば自分たちが魏に征服される。
中国とは親善関係を保っておく必要がある。だから韓半島で動乱が起きる度に朝貢している。

常識的に考えると、だから、朝貢したのは朝鮮の倭なのである。
346日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:31:27.84
貨泉よりも五銖銭を重視してほしいな
347日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:36:44.71
>>301
帯方郡から狗邪韓国までは沿岸水行だから朝鮮半島を見ながら大体の移動距離が把握出来るし、
狗邪韓国〜対馬〜壱岐島〜末盧国はそれぞれ肉眼で島影が見える
なのでこれ等の里数表記はあんたの言う一航海千里、一日航海千里という方程式(?)によるものじゃなく、目測によるおおよその値と言えるだろ
348日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:38:09.09
>>345
え、漢委奴国王印も半島の倭人国家のものなの?
349あらため だよん:2012/01/29(日) 23:39:00.09
>>326
>●持衰を載せた船。
>江戸時代まで日本海ルートの海運を担った「北前船」というのがあった。
>これが「持斎」を載せていた。

コレは初めて聞く。
今ググったら絵馬に描かれてるらしいが〜あんたホント物知りだよね。
350日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:41:38.58
http://inoues.net/science/funeitibu.jpg
こういうのもあるよ
351ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 23:45:03.69
>>344 :縄嘉ー
広義のかいろ航行があって、1航海千里、1日航海千里とする慣例ができた。
水平線しかない海路航行は距離測定が不可能だろ。
この慣例は、沿岸航行や島伝い航行を基本としてできたのではない。
沿岸航行や島伝い航行は海路航行の一つのありようだ。わかるか?

↓↓なーんだこれは?
>郡から狗邪韓國までは海岸に沿っての航行だから陸地の方の距離が分かっていれば大凡の航行距離が出せる。
また、目測で一日航行の大凡の距離も出せるだろう。
狗邪韓國から對海国は晴れた日には小高い場所からなら島影を見ることもできるだろうし、中間地点に来れば
狗邪韓國も對海国も同時に見ることが出来る。慣れた者なら距離を見積もることは出来る。
對海国ー一大国間、一大国ー末盧国間でも同じことである。
少なくとも郡から末盧国までの距離は出せた筈だ。

俺は動かぬ実例を提示した。反論は、これに勝る
「そうではなかった」という実例を提示すれば済むことだが。
うだうだ「現代人の結果論」めいた泣きごとをいうな。
352ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 23:46:53.19
>>342
見苦しい。
353あらため だよん:2012/01/29(日) 23:49:02.60
>>350
ああ、土器に描かれてるのは以前誰かがいってたね。
あと日本書紀の方にも神功皇后条だったか、なんか載ってましたよね。
354ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 23:51:46.15
>>347
広義の海路航行があって、1航海千里、1日航海千里とする慣例ができた。
水平線しかない海路航行は距離測定が不可能だろ。

この慣例は、沿岸航行や島伝い航行を基本としてできたのではない。
沿岸航行や島伝い航行は海路航行の一つのありようだ。わかるか?

大海をいく「海路航行」を基本にできた慣例を、
沿岸航行や島伝い航行でもって否定しようとしているが、
「結果論的事例」をもって大原則を否定しにかかる図だ。
355日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:51:59.87
>>352
>見苦しい。
とうとうマトモな反論が出来なくなったか、見苦しい。
356ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 23:56:03.80
>>349
>あんたホント物知りだよね。
検察官でも、直接証拠がなければ状況証拠の積み重ねで証明する。
推論に頼らざるを得ない場合には、可能な限り判断材料は多いほうがよい。
引き出しを幾つもっているか、
引き出しにどれだけの材料を入れてあるかが勝負だ。
357あらため だよん:2012/01/29(日) 23:57:48.65
あと土器だか銅鐸だか・・・船の上で(じさい)らしき人物が描かれてる絵とか
あれは、どこの本だったかな・・・ちと調べてみないと今すぐには出て来ねえw
358あらため だよん:2012/01/30(月) 00:00:47.40
>>356

そかw
359日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:04:47.84
>>354
帯方郡から末盧国は「水平線しかない海路航行」ではないだろ
大体あんたの言う「大原則」とやらもあくまであんたの仮説だろ
一個人の仮説を「大原則」と言われても、「ああそうですか」としか言いようがないわい
この辺の図々しさは無限某と同じだね
360ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:05:08.89
>>355
>とうとうマトモな反論が出来なくなったか、見苦しい。
「帯方郡にいる魏人が進駐軍」だの
「公孫氏を滅ぼして跡地に出来たのが帯方郡」だの。

間違いだらけの赤点野郎。
間違いを間違いと認める勇気もない外道。2ちゃんの恥だ
ゴミための恥なんだからそうとうなもんだぜ。
361日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:08:50.20
郡から10日で北九州に来れるなら日本のどこに行くにもそこで魏船を乗り捨てたりはせんな
後全て陸行でない限りは
362日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:13:24.62
>>360
江戸時代い以来の読み方を踏襲してるのかな?
そうしないと学校で点数を貰えなかったんだろうね
俺は自分が納得できる読み方で読んでる
363ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:13:56.71
>>359
馬鹿にも分かるように言い方を変えような。
中国人が1航海千里、1日航海千里とした慣例は、
帯方郡から末盧国はまでの沿岸航海と島伝い航海を基準にできたのか?。

島影のない大海を航海することは頭になしか?
あらゆる航海を体験した上でできただろう慣例を、
航海の一つのありようでしかない沿岸航海と島伝い航海を持ち出して、
あらゆる航海を体験した上でできただろう慣例を否定しようというのは、
図々しいというよりも脳細胞がスカスカの間抜けの論理だ。
364日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:16:57.13
やっぱり慣例重視かw
365日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:26:21.28
>363
>中国人が1航海千里、1日航海千里とした慣例は、

まず、慣例かどうかを示していただきたい。
366ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:26:56.76
>>361
>日本のどこに行くにもそこで魏船を乗り捨てたりはせんな
自国の先進性と威信と誇りとを満載した最新鋭の楼船を降りたところが、
目的地への最寄りの港だよ。これが通常。
最寄りの港から陸行で1ヵ月も要するような所に王都はつくらない。

この異常さを指摘したのも日本では俺が初めてだ。
これは「臨時の上陸」だ。王都への通常の最寄りの港へは行けなかった。
ここから「難儀な臨時の陸行」をしているのだ。

>後全て陸行でない限りは
自国の船を降りたら、あとは陸行だよ。2000里。
王都は最寄りの港から海産物が腐らないうちに届けられる所にある。
その通常の最寄りの港を使えなかったということだ。なぜだ。

狗奴国の存在があった。これが歴史の真相だ。
これをいうとまたぞろウンカと銀蝿と雲助がたかるだろうが。
367ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:28:34.10
●「名無しは恥のかき捨て」。
これが、2ちゃんのレベルを落してる主因の一つなんだろう。
368日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:32:37.49
コテが恥を撒き散らすケースも多いぞw
369日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:32:56.91
>>363
「水平線しかない海路航海」ではない帯方郡から末盧国の距離表記にその「慣例」とやらを当て嵌める必要は無いだろう
計測可能ならばその計測距離で表記するだろ普通
それとも古代中国人はどんな航海でも機械的に「一航海千里一日航海千里」を当てはめるような能無しなのか?
370日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:33:08.83
持論が破綻したら名無しに戻れ!
見苦しい。
371あらため だよん:2012/01/30(月) 00:33:19.97
>>55 人豚さん

なるほど、なるほど、この問題、非常〜に悩みますね。
もう少し考えされて下さいw
372日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:36:07.08
夢幻如が一日水行千里問題を蒸し返したお陰で
伊作も災難だったな。
373日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:38:36.86
>>363
つーかそもそも一個人の仮説を「大原則」とか「慣例」とかコンセンサスを得た物のように言うなよ
374日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:39:18.16
王都は最寄りの港の制海権権を奪われているようだったらもう物資もまともに輸送できんし
滅亡寸前だな 狗奴国に金印授けたほうがいいな
375あらため だよん:2012/01/30(月) 00:43:27.55
>>151のローガン氏の記事
>二カ所に出てくる黄幢は同じもの、というのは貴方と私の共通認識。
>では、六年の詔、つまり相攻撃状云々の事情説明を受ける以前に出た黄幢下賜。

お二人の考えだと、六年の詔は相攻撃の報告より「前」に出たことになり
「相攻撃の報告」→「黄幢」ではなく、「黄幢の詔」→「相攻撃の報告」→「黄幢」となってしまい
つじつまが合いませんよね。
ここら辺をどうのように考えてるのか?人豚氏、ローガン氏に説明してほしい。
376ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:44:36.10
●「幢」と「旗」の違いを調べた奴はいるか?
ちょっと調べりゃ図解してあるだろう。
●幢が旗とは格違いだということが分かったか?
●この幢を所持し、これに付随する兵士を指揮する資格があるのは、
倭人伝に登場する人物では誰だと思うか?

天才が「率善中郎将しかいない」といったのが分かったか?
率善中郎将・難升米は魏の皇帝の親衛隊を務めたわけでもなければ、
魏から2000石の報禄をもらったわけでもない。
だが、「いざ」という時にこの「名誉肩書き」がモノをいうのだ。
377日本@名無史さん:2012/01/30(月) 00:47:03.96
中国の史書で一航海千里なんて話はまったくないね。
西域伝でも読んでみろよ。河を渡るのに1日を要したとか、海を渡るのに順風ならば
2か月、微風ならば6か月、無風ならば3年なんてことが書いてあるよ。
倭の舟は風を利用することはなかったろう。かなり遅いとみなければいかん。
378ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 00:52:36.51
>>365
>慣例かどうかを示していただきたい。
何度いえば分かるんだ?
過去に事例を山ほど提示したが。てめ無礼だぞこの野郎。

>>369
>「水平線しかない海路航海」ではない帯方郡から末盧国の距離表記にその「慣例」とやらを当て嵌める必要は無いだろう
こいつ、ほんまもんの馬鹿だな。
再掲。
中国人が1航海千里、1日航海千里とした慣例は、
帯方郡から末盧国はまでの沿岸航海と島伝い航海を基準にできたのか?。

あらゆる航海を体験した上でできただろう慣例を、
航海の一つのありようでしかない沿岸航海と島伝い航海を持ち出して、
あらゆる航海を体験した上でできただろう慣例を否定しようというのは、
図々しいというよりも脳細胞がスカスカの間抜けの論理だ。

>>372
>夢幻如が一日水行千里問題を蒸し返したお陰で伊作も災難だったな。
俺独自に以前から主張していることだ。関係ないな。

>>373
>一個人の仮説
過去に事例を山ほど提示して説明したことだ。無礼だぜ。
そまことを知っているのなら、その論拠を否定すればいいことだ。
379あらため だよん:2012/01/30(月) 00:55:48.34
>>191 人豚さん
>難升米の場合、受任と時を異にしてはいますが、中郎将は太守や将軍とほぼ同格なのですから、

これはそうですね。

>特段の軍命を伴わなくても、黄幢を授けられる地位にあったのではないでしょうか。
>受任後年月も経ったことだし、一定期間経過後の督励、しっかり仕事に励めくらいに軽く考えておきましょうよ。

黄幢というのは、以前、私が言ったように戊辰戦争でいう、錦の御旗(にしきのみはた)と同じで、
これは天皇軍、すなわち官軍の旗であり、この錦の御旗によってこの戦いは終焉へとむかったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%A6%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%97%97

どうしても、この例をとりだすと、どうもお二人の言ってることはオカシイ。
つじつまが合わない。
やはり、二カ所に出てくる黄幢は同じものではなく、
別々なものなんじゃなかろうか?という疑問が芽生えてくるのは私だけだろうか。
380日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:00:53.85
錦の御旗を二回もあげる方がへんだべさ
381ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:01:39.28
>>374
>最寄りの港の制海権権を奪われているようだったらもう物資もまともに輸送できんし滅亡寸前だな 
少しはそういう傾向にあっただろうな。
倭国の使者が帯方郡に飛び込んだタイミングが、逼迫した状況を雄弁に物語っている。
魏と女王国との関係は狗奴国に対しては重要機密だ。
人と物の出入りが激しい博多湾に上陸すれば、間者などを通じてすぐに狗奴国側に漏れる。
官もいない末廬の漁村に上陸したのはそういう理由があったのかも知れない。

>狗奴国に金印授けたほうがいいな
朝献したのは狗奴国ではない。
その頑強そうな狗奴国が、魏の飾り黄幢を見せただけでどうにかなると思うか?

いよいよドラマチックになってきたぞ。
382日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:04:05.34
>>381
>いよいよドラマチックになってきたぞ。

お前の脳内大河ストーリーはいいから ('A`)

383日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:04:57.25
必死だな
384あらため だよん:2012/01/30(月) 01:07:16.27
>>380

倭人は使い方を知らなったのかもしれませんW
385ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:07:18.92
>>377
>中国の史書で一航海千里なんて話はまったくないね。
名無しは恥のき捨て。こいつも相当なタコだな。

>西域伝でも読んでみろよ。河を渡るのに1日を要したとか、
>海を渡るのに順風ならば 2か月、微風ならば6か月、
>無風ならば3年なんてことが書いてあるよ。
ほれ。日数単位で書かれてるだろ。月数・年数は日数単位の積み重ねだ。タコ

同じように、目測可能な近距離と、
陸路に併せて測定可能な河川水行を例外とすれば、
海路距離はすべて千里単位、これの大きいのが万里単位だ。
386日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:08:46.65
いや官もいないのだから女王国側ではないだろう 既に離反していたかもしれない
頑強そうな狗奴国は魏と敵対していた国と交易を通じて技術を手に入れていたかもしれない
387日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:10:18.75
黄幢の意義については>>63
388ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:10:58.23
>>380
>錦の御旗を二回もあげる方がへんだべさ

倭人伝は特筆すべきところを書いているようで、
二度に限らず、複数にわたってやってきているとも見られる。
張政らが帰国するときの送迎団が20名となっているが、
援軍につぐ援軍でかなりの数にのぼっていたと思われる。
389日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:17:40.56
>>378
>中国人が1航海千里、1日航海千里とした慣例は、
>帯方郡から末盧国はまでの沿岸航海と島伝い航海を基準にできたのか?。

仮にその「慣例」なるものがあったとしても、それは計測不可能な「水平線しかない海路航海」用の「慣例」だろ
帯方郡から末盧国は計測可能なのだから機械的にその「慣例」とやらを適用する必要はない、というか適用しちゃ駄目だろ
390ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:17:46.25
>>387
くだらんことをするな与太郎。 バカバカしいから放置だ。

>>63
>黄幢も檄も皇帝の使節ってことを証明して、
使節の証しが、からうしの尾でつくった「節」だ。
これを持しているのが使節だ。タコ

>帰路の途中、魏の勢力下の都市に立ち寄れるのを保証しただけっしょ。
黄幢がおくられたのは、倭国の使者や魏の使節の往来とは無関係だ。
391稗箕狐:2012/01/30(月) 01:19:01.34
錦の御旗は親魏倭王難升米さんへのたんなる就任のお祝いでし

死せる女王のお名前で死亡報告してから2年後に郡についたけれど

バトルのせいで届ける余裕とかまったくなかたからのびのびのびのびで

作戦終了して最精鋭の主力の親方の王頎さんたいほおに到官で

やっとお届けしたそのときには

ねえ難升米さん親魏倭王とかやめたら? あんたじゃむりぽ

委與たんのほおがええだろ

委與たんのとおさんもきっともちつくからそおしたら・・・ってことになって

めでたしめでたし

んで

難升米さんは幡もらってからにおふねに掲げておおよろこび
392あらため だよん:2012/01/30(月) 01:19:06.81
>>387
おまぇさんは、あっち行ってヨシW

さて、時間なので ZZZ・・・・・・・・・
393ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:21:23.15
>>389
>それは計測不可能な「水平線しかない海路航海」用の「慣例」だろ
海路航行にはおしなべて慣例適用。おしなべて適用するから慣例。

>帯方郡から末盧国は計測可能なのだから
しつこい。現代人の考えを押し付けるな。

>というか適用しちゃ駄目だろ
はじめての航海・渡海に「計測可能」もへたたくれもあるかー。
そういいうお前のいい分がダメだ。
394日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:21:49.79
>>385
私が西域伝を引いた意味が分かってないようだな。河を渡るのに1日、どんな河でも
河幅が千里もある河はないぜ。順風ならば 2か月、微風ならば6か月、無風ならば
3年というのも、同じ海の話だ。1日千里と決まっているなら、同じ海を渡るのに2
か月かかるとか、6か月かかるとか異なる日数がでてくるはずはあるまい。史書はそ
んな馬鹿な書き方はしておらん、ということを言ったまでよ。
6か月かかる海は18万里のはずだが、
395ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:23:52.44
>>389
しかし、こいつ相当に頭わるいな。
396日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:27:14.31
自分に都合が悪い=バカバカしい、か
397日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:31:39.52
しかし倭人伝では狗奴国勝利とはなっていない
そうすると女王国と同盟している倭王の国は博多湾からかなり離れた位置になってくるな
398日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:37:05.07
>>393
陸地を見ながらの沿岸航海の距離、島影が見える場所までの航海の距離、魏の優秀な測量技士ならいづれも計測可能でしょ
399ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:38:10.30
帯方郡から狗邪韓国までの海路7000里が、
三韓の陸地距離とはぜんぜん関係ないことの証明。
説明図つきで俺の板に掲示した。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs?
400日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:40:51.73
>>395
いやーあんたはちょっと自説に凝り固まり過ぎだよ
401日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:41:17.61
>>390
>黄幢がおくられたのは、倭国の使者や魏の使節の往来とは無関係だ。

バカだなぁ
官位を与えられたことで難升米の帰路には魏の使節(詔書するための)という性格も与えられてる訳なんだが
402日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:46:31.14
>>393
大体さ、勝手に考えた「慣例」を押し付けてるのはあんたでしょーが
403ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:46:37.57
>>394
>私が西域伝を引いた意味が分かってないようだな。
誰を相手にしてると思ってるんだ?
俺のサイトから転載しといたぜ。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs
404ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:52:02.27
>>400
>自説に凝り固まり過ぎだよ
ここに参加してる奴全部がそうだろ。

>>401
>官位を与えられたことで難升米の帰路には魏の使節(詔書するための)という性格も……
バカはお前だ。名無しは恥のかき捨て。

>>402
>勝手に考えた「慣例」を押し付けてるのはあんたでしょーが
ぐーの音も出ない証拠を>>403で俺の板に提示した。
ぐーの音が出るようだったら出せ。

ゴミクズども。
てめえらは何の証拠も論拠も提示せず、能書き垂れるだけか?
ゴミクズ
405日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:57:54.13
しかしよく考えてみたら魏がそれほどの海軍力をもっていたら、先に呉を攻めたほうが早かろうな
406ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 01:59:43.27
>>398
>陸地を見ながらの沿岸航海の距離、島影が見える場所までの航海の距離、
>魏の優秀な測量技士ならいづれも計測可能でしょ

>>399のアドレスで俺の説明図をみれ。
そこに見える明らかな矛盾をみて、
朝鮮半島の沿岸航行距離を「魏の優秀な測量技士」が計測して記録したと強弁しろ。
クソ野郎
407日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:02:26.39
結局、水行一日千里には、明確な根拠はないということだな
408ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 02:04:55.44
>>405
>先に呉を攻めたほうが早かろうな
水軍力だけでは語れまい。
天然の広大な水路(天然の要害といわれた)に守られていたのだ。
会稽といわれた紹興市あたりは、今でも広大な水郷地帯だ。
これに似ていたのが佐賀県と筑後川河口部の水郷地帯だ。

(虫食い状態の天然の水路が縦横に入り組んでいた。
土地勘があっても容易には進めない。むろん陸行でも水行でも直進不可能だ。
現在でも佐賀県にはその名残りが残っている)。

ほれほれ。だんだん面白くなってきたろ。
409ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 02:07:13.56
>>407
提示した証拠を正視する勇気も受容する度量もないか。
で・ただ否定文言を垂れるだけとは、いつものパターンだが。
410日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:09:54.57
いやそれはわかるがよその国の心配するよりやはり自分のとこが大事だしな
先に呉方面に戦力をまわすだろう
411日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:11:36.14
>>409
よく正視した結果だが、これらが一日千里の明確な根拠になるのか?
ただの伊作氏の個人的な妄想しか見えないのだが?

伊作氏の主観だけでなく、もう少し普遍性のある根拠を提示してくれるとありがたい
412ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 02:15:46.30
「海路一日千里」が符牒だった中国には「千里船」という言葉がある。
「千里馬」と同じように「一日千里走る」という大ぎょうな言葉だ。

これを真に受けたものか、実際に千里船をつくって実験したという記録さえある。
(『南斉書』祖沖之伝)
南斉の科学者・祖沖之は、1日に1000里進むという船をつくって、新亭江に浮かべて実験をした。
その結果は1日に100余里しか進まなかったというのである。
ここでいう新亭江がどこかは定かではないが、その名からみておそらく河川か入り江だろう。
海路でいうアバウトな千里を、河川に船を浮かべて試したのだとすれば、
航行速度も航行距離も比較にはならなかったろう。

また、河川距離は陸地に沿って計測できる。ある程度は正確に把握できるから、
極めて現実的な数値が出たというところか。
千里船とはいっても、実際に船が1日に1000里進むというのではない。
つまり海路距離の場合は、日数で表記するか千里単位で表記するしか方法がなかったのだ。

そうした実例は俺の板に抜き書きを転載しておいた。勝負ありだな。
413ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 02:18:09.06
>>411
能書き垂れるお前らが、寄ってたかったところで、
まともな反証を提示したのは皆無だぞ。
求めるものばかり多くて、ちとおかしいとは思わんか。
てめえの言動をさ。
414ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 02:19:40.34
>>411
いっちよ前の発言をするようだから、ハンドルつくれ。
名無しで恥のかき捨てなんて「ふ抜け」のすることだ。
415日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:22:16.82
>そうした実例は俺の板に抜き書きを転載しておいた。勝負ありだな。

本気でそう思ってるか?
こういう情報を記載してくれるのはありがたく、
また、こういう記録を記載してくれるのが
伊作氏の信頼性に関わってくると思うが、

勝負ありと、勝負を急ぐのはどうかな?
416日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:35:56.29
ということは郡から末盧で100日か
417稗箕狐:2012/01/30(月) 02:37:07.89
いさくもどき いさくもどき

なんで もまいのところのは なんでも JPEGに変換とかしちゃうの?

ほんとにかす板だな
418日本@名無史さん:2012/01/30(月) 05:10:41.11
@海路は船でn日を1000里と表現していると考えられる(実際の距離とは無関係)
A韓伝中の「東西以海為限,南與倭接,方可四千里」(1辺が4000里)と倭人伝中の「七千餘里」(海路表示)
 とが一致するので、「方可四千里」とは1辺が船でn日×4かかる(海路表示)広さの表現と考えられる
 実際この時代に陸路でこの直線距離は計測できない

よって地図上で1辺の直線距離を計測し、4000里で割って1里の距離を導き出すことはできず、
倭人伝中の陸路「五百里」「百里」に韓伝から求めた数字をあてはめることはできない
三国志で使用されている尺度か計測不能であるための修辞ととらえるしかない
419日本@名無史さん:2012/01/30(月) 08:38:09.17
九州だの畿内だのといい加減馬鹿じゃないのかと。
まっとうな神経あるやつはもうとっくにそんなもん馬鹿馬鹿しいから
相手にしてないってのに。
420日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:01:43.76
昨日は朝から晩まで飲み続けたからよ。今日の午前中は禁酒しようと思ってんだよ
お前らみたいに酒が強いなら、俺も毎日朝から飲むんだけどな、残念な事に弱いんだわな
421日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:05:49.71
酒と言っても酒を指しているわけじゃなくアルコール全般の事を言ってるわけで、別に深い意味があるわけでもないわな
そこんとこ誤解があると、飲ん兵衛のお前達が不愉快な気持ちになるとイカンと思ったわけやね
422日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:17:46.94
久しぶりに来たら伊作が住み着いてるのか?
すっかりゴミ溜めの住人だなw
423日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:26:45.52
伊作は天敵の19歳名古屋が消えたんで、今まで19歳が怖くて
ここにこれなかった分、溜まってたものを今吐き出してるんだろうw
424日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:35:53.07
伊作は東北説論者に敗北してから名無し
425日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:50:08.75
>>403
結構いろいろ読んでいるんだな。それなのに、何で1日千里なんて馬鹿なことを
いうのかねえ。

>7000余里と書かれた沿岸航行距離は約1万余里になる。
これがおかしいな。7000余里とある以上、倭人伝はそれを七千里とみているんだ。
1万余りなんて妙な数字を出す必要はない。方四千里もその比例から大きさを考える
んだよ。そうすると、方四千里の線が海に出てしまうというかも知れんが、それでい
いんだ。あとの話はまたな。
426日本@名無史さん:2012/01/30(月) 09:59:23.20
帯方郡から邪馬台国までの総日程が水行十日陸行一月なわけないってw
それも古田武彦に騙されてるアホ。
427卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/30(月) 10:09:57.07
「契丹古伝」要点紹介その1
タイトルは契丹古伝となっているが、契丹とはあまり関係がない。むしろ朝鮮民族などの神話と歴史の書である。
訓みは浜名氏の解釈に従う。

1 神は耀体であり、形容できない。鏡は神の象徴である。
  冒頭にいきなり鏡の原義の説明がある。鏡信仰が日本だけのものではなかったことが分かる。
2 日祖をアメウシフウカルメという。日孫を産む。
3 日孫をアメミ・シウクシフ・スサナミコという。カモともいう。コマカケに命じ載して降臨させる。
  このシウクシフが馬韓伝の難読箇所に出てくる臣雲遣支報である。コマカケは神名か天鳥舟のようなものか。
  スサナミコはスサノオを連想させる。
4 日孫族の廟をフトヒ、廷をコマヤ、国をシウク、族称をシウカラ、民称をタカラ、皇をシウクシフという。
  日本でも民のことをタカラという。浜名氏はシウクとかシウカラが粛慎、女真、韓、高麗、加羅などの語源であると解釈。
  (つづく)
>>348
漢委奴国王の金印は偽物です。倭奴国が九州北岸の国だとは断定できない。
  
428日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:14:11.10
卑弥呼は朝鮮にいただの喫丹古伝だの、頭いかれた馬鹿は来るな。
429日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:32:37.59
>>427
キチガイ
430日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:42:20.40
>>427
貴様はマジキチだな
431日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:45:58.07
いまだに邪馬台国論争などしてるやつは気違いしかいない
ってことがよくわかるスレだわw
432日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:50:44.08
>>431
わざわざ皮肉を言う為に、ここに来られたんですか?ご苦労様です。キチガイさん。
433日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:51:32.65
ちゃんとした大学で歴史学を修めてない素人がやるから
そういっためちゃくちゃな妄想だらけになる。
どうしても歴史研究したいならちゃんとした大学に入学してからやりなさい。
そうじゃないと史料の読み方もわからないでしょ。
434日本@名無史さん:2012/01/30(月) 10:59:28.89
喫丹古伝みたいな古史古伝は偽書が多いんで
専門家も相手にしてないよ。マニアくらいだそんなもんに熱中してるのは。
素人のくせに歴史研究したいなら、まず自分の専門分野をもてよ。
大学で何専攻してか知らんが、化学なら化学分析の見地からアプローチするとか、
そういうやり方じゃないと稚拙すぎて相手にされんぞ。
435卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/30(月) 11:01:16.54
契丹古伝 要点紹介その2

5 別伝 神祖の名はトコヨミカト、号はシウスサカ、現在の遼西の医巫閭山に降る。アシノヒに居す。シウ氏といい二宗あり。
  神祖を同じくするもので、東冥に顕現した者があり、アシムス氏といい、のちニギ氏という。
  
トコヨミカトは常世帝を連想させる。医巫閭山に降ったというのは契丹と関係づけるための作為ではないかと浜名氏は疑っている。
というのは神祖は初め北朝鮮の長白山に降ったという伝があるからである。
東冥とは日本のことであり、ニギ氏とはニニギのことだと浜名氏は解釈している。

6 瑪汗と靺鞨と渤海。珠申と粛慎と朱真は同じような音であるという説明がある。同じ族の意か。
7 大和は秋洲でアキシマと訓む。アキヒが語源であるという説明がある。
8 スサナアキヒから出た族を阿芸、央委、陽委、潢弭、伯弭、潘耶、淮委という。
  
これが七族の意か、一つの族をこのような別称で読んだのか、文意不明。
浜名氏はこれを七族と解し、アキ、ワイ、ヤイ、ワニ、ハイ、ハヤ、アイと訓んだ。
アキとは日本、ワイとは倭とか濊、ハイとは貊、ワニは記紀に出てくる?ワニ氏と関係あるか、と浜名氏は解釈。

9 浥婁は異種で、もと沃祖の地。原称はヤオロチ。
  浜名氏はヤオロチはヤマタノオロチと関係あると推測。
10 神祖、浥婁を討ち、化育し、のちカラとなす。

(以下、つづきは明日)
436日本@名無史さん:2012/01/30(月) 11:04:07.33
そのようなトンデモ話を真に受けるのは馬鹿なマニアくらいw
浜名とかいうやつが誰だか知らんがそのようなやり方じゃ在野の素人だろう。
437夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 11:11:06.72
コテ変えよ、気分転換 ワラ
成り行きで前にやってた営業で、どうしてもと頼まれ現在ダブルワークで超多忙。
寝る暇が無いぜ。って、ことで気分の乗らない。

水行一日=千里なんて、まだやってるのか。
これは少なくとも魏志倭人伝では間違いなく成り立つ等式だ。
万二千里を実距離としなければ自論が崩壊する馬鹿な九州説者が無駄な抵抗してるだけ ワラ
ま、ここは伊作を応援しておくかな。
伊作〜頑張れ!! ワラ
438日本@名無史さん:2012/01/30(月) 11:45:23.87
>>437 夢GEN ◆vaujymvCDcV.さん
>成り行きで前にやってた営業で、どうしてもと頼まれ現在ダブルワークで超多忙。

今のお仕事の契約が切れる前に昔のお仕事回してもらえるあてができたんですね、よかったですね。
お仕事頑張ってください。
439訂正!:2012/01/30(月) 11:46:36.46
>>385 :ゴミために降りた鶴
>海路距離はすべて千里単位、これの大きいのが万里単位だ。
陳寿は何故『海路距離』を千里単位で記述したか?
「對海【馬】國」と「一大國」の二国間距離は千余里(432km)の様に。
又、「對海【馬】國」は「方可四百余里」・「一大國」は「方可三百余里」と記述した、陳寿の基本概念は、国・都・邑という概念に則って記述している。

伊都国が出雲であるから、従って、五百里離れた末廬國は下関に当たる。

440日本@名無史さん:2012/01/30(月) 17:28:29.92
ゴミために降りた鶴は漢籍を調べて知識は多いがその知識の使い方を間違えていることがしばしば見られる。
いわゆる論語読みの論語知らず。
夢幻如(夢GEN)は漢籍の知識は少ないくせに天子の徳だとか中華思想だとかを得意顔で語る中学生。
何れも科学的思考が苦手で、論理的思考も不得手であること及び自惚れが強く自説を批判されると狼狽して相手を罵倒する性癖まで同じ。
お似合いだから二人だけで言い合う板を作ってそこでやったらいいと思う。
441夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 17:41:47.00
>>439
あ〜?伊都国が出雲とか言う馬鹿だったのか。
ちゃんと読んでなかった。こんなのを伊作はマジ相手してたわけ ゲラ

水行一日は千里で、行程記事に出てくる里はすべて修辞で実距離ではない。
旅程における里は距離の単位ではない。
堂々巡りしてんじゃねえよ。
442夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 17:45:31.54
う〜ん、やっぱ全角文字の方がいいかな ワラ
しばらく単発参加しか出来そうにないぜ、じゃあなあ。
443日本@名無史さん:2012/01/30(月) 17:48:17.16
>伊都国が出雲

ギャハハハハハハ♪ないない
444志紀:2012/01/30(月) 17:58:45.10
>>419>>426>>431>>433>>434>>436
役立たずの歴史学者は死ねよ。
お前らクズは、歴史学がどれだけ大切か何もわかっちゃいない。
自国の歴史が分らない事がどれだけ危険か、その腐った豆腐に
どうすれば教え込めるのか知りたいわ。
うせろやヴォケが。
445志紀:2012/01/30(月) 18:00:43.04
>万二千里を実距離としなければ自論が崩壊する馬鹿な九州説者

実距離でいいじゃないかw
446九州王朝大好き:2012/01/30(月) 18:17:15.51
>>426
>帯方郡から邪馬台国までの総日程が水行十日陸行一月なわけないってw
>それも古田武彦に騙されてるアホ。

 帯方郡から女王國までの総道程が水行十日陸行一月である。
 古田武彦説の大筋は正しいが、詳細には間違も多い。
447九州王朝大好き:2012/01/30(月) 18:20:37.32
>>426
>帯方郡から邪馬台国までの総日程が水行十日陸行一月なわけないってw
>それも古田武彦に騙されてるアホ。

間違い修正
 帯方郡から邪馬壹國までの総道程が水行十日陸行一月である。
 古田武彦説の大筋は正しいが、詳細には間違も多い。

448日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:20:56.25
ゴッドハンド古田なんてまだ信者いるの?
449日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:22:15.70
水行十日陸行一月の総行程説は、自分は取らないな。
不弥国から投馬国や邪馬台国の距離がわからなくなるから。

足したり引いたりして計算する説もあるが、
あまりシンプルな表現ではないから、とらない。
450九州王朝大好き:2012/01/30(月) 18:26:04.21
>>441
>水行一日は千里で、行程記事に出てくる里はすべて修辞で実距離ではない。
>旅程における里は距離の単位ではない。

 水行一日は千餘里で、行程記事に出てくる里はすべて実道程である。
 道程における里は距離の単位である。1里≒70m
451日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:28:24.56
452日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:28:34.37
畿内説論者にもまともな人がいて、伊都国からそう遠くない場所が邪馬台国と見ているわけね
だから伊都を九州に当て嵌めたくないわけね
453九州王朝大好き:2012/01/30(月) 18:37:22.26
>>449
>不弥国から投馬国や邪馬台国の距離がわからなくなるから。

不彌國領域の南に3世紀の筑後川を挟んで、
投馬國と邪馬壹國の領域が接している。
海よりの西側が投馬國。山よりの東側が邪馬壹國。
投馬國と邪馬壹國の領域は筑後平野を南北に連なる低湿地帯や入り江を挟んで接している。
454日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:38:22.22
伊都国に使者が滞在した理由は会えるチャンスを伺っていたと考えられる
455日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:41:23.86
とりあえず飲もうぜ♪
456稗箕狐:2012/01/30(月) 18:42:10.40
まめだけど

「國」は列島内で勝手に涌いてくるとゆうことではないのな

「國」を「くに」と読むやつはまぬけさらすみたいなもの
457日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:42:24.36
もう今頃九州内でごちゃごちゃ言ってる説なんて
誰も見向きもしませんぜw
458日本@名無史さん:2012/01/30(月) 18:46:44.25
ビールを買ってくる
459九州王朝大好き:2012/01/30(月) 18:48:11.18
>>454
>伊都国に使者が滞在した理由は会えるチャンスを伺っていたと考えられる

だいたい其の通り。
伊都國から女王の都までは1日の距離(約17km)。
会える日の調整をしていた。
460稗箕狐:2012/01/30(月) 18:57:56.36
委都國のコアなところをピンポイントで示すぞ

http://maps.google.co.jp/maps?q=33.587502,130.204833
461日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:04:05.52
>>460
伊都国じゃなくて志摩国の方っぽいけどいいの?

糸島水道の北側の方みたい。
462稗箕狐:2012/01/30(月) 19:05:05.88
積荷とか臨検する「津」ののところがこのあたり 

http://maps.google.co.jp/maps?q=33.580392,130.189463
463稗箕狐:2012/01/30(月) 19:08:07.48
糸島水道の検出したかったら

まわりと条里がずれているところを色塗りして上げると良いよ
464稗箕狐:2012/01/30(月) 19:15:05.28
一律に海面上げて処理したりしたらずれるよ

大まかな傾向把握するだけのなら良いですけどね
465日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:15:36.87
>>463

糸島水道は瑞梅寺川の河口から、
泉川の河口をほぼ直線でつないだ部分と思いますね

九大伊都キャンパスの南側も海ですね。

学生時代、バイトの郵便配達エリアでした。
元岡、桑原、太郎丸地区です。

おそらく、堤防がなかったら今でも満潮時には水が流れこむような
低湿地地帯になります。
このあたりから周船寺のほうまで、砂質の土地になっています。
最近は結構家も立ちましたが。
466日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:20:13.14
>>462
個人的には港は現JR周船寺駅の近辺だと考えています。

まあ、あの辺りはどこでも遺跡があるので、こじつければ
どこでも可能性はありますが。
467日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:23:28.87
ゴミため氏は「海路は千里単位で記されている」ということから「一航海=千里」「一日航海=千里」を導き出しているようだが、
論理が飛躍し過ぎてると言わざるを得ないな
468稗箕狐:2012/01/30(月) 19:24:04.24
条里が全体的に20度ほどまわっていますが

たぶん陸側から島ごしに海や半島を見る時の

視線がそおゆうかんじだったんだなっておもふぞ
469日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:27:27.85
>>466
波多江でしょ、常識的に考えて。
当時、海運を取り仕切ってたのが秦氏だったとわかる。
470稗箕狐:2012/01/30(月) 19:27:50.65
周船寺あたりが伊都国に含まれる領域であってものおぷろぶれむだよ

半島の南側のと同じパターンだからさ

定宿はむしろそのあたりかなと妄想したいところ
471日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:31:16.48
しかしまあ、周船寺の北側って家が増えたなあ。
あんな、軟弱地盤によく家建てるよねえ。
あのへん、ほとんど砂だよ。
472日本@名無史さん:2012/01/30(月) 19:33:42.56
九大伊都キャンパス内の元岡製鉄高炉遺跡。
今宿の鉄器加工遺跡。

今宿は福岡市になりますが、
あのへん一体は痕跡が濃いですね。
473日本@名無史さん:2012/01/30(月) 20:33:02.58
伊都の「津」は今津だという感じもしますけどね。
晴れた日は東の方角に不弥国(香椎付近)がよく見えますよ。
東行百里至不弥国。不弥国から来る船、行く船は風、潮を選んで一日で一気に海を渡ったのでしょう。
474稗箕狐:2012/01/30(月) 20:36:33.11
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=130.21887499868&latitude=33.576851193721

ここらへんが糸島水道のボトルネックのところ
475日本@名無史さん:2012/01/30(月) 20:41:43.15

海上から参拝してた志登神社ね
476日本@名無史さん:2012/01/30(月) 20:49:30.24
>>442

ころころハンドル変えないないでくれ。
いちいち設定しなおすのが面倒くさいからさ。
477稗箕狐:2012/01/30(月) 20:50:09.88
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=130.31938194304&latitude=33.537739816653

ちょっと溝掘っただけでザクザクの吉武高木ののメモリアルなところ
478稗箕狐:2012/01/30(月) 20:54:07.44
479日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:12:28.90
 ....|..|............................|||..............
|ここから邪馬台国→|
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ こんな感じのカンバンが出土するまで待て
480日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:13:33.21
九州だ畿内だと争う時代は終わってるし、
素人マニアくらいだよ、いまだにそんなこと言ってるのは。
プロほどもう邪馬台国には手を出さない。おまえらみたいな
気違いマニアがうざいし、相手にするのも時間の無駄だしねw
邪馬台国は畿内で間違いない。古墳だけみてもそれがわからんか?
卑弥呼の魏への朝貢(239年)で中国から冊封されたので
魏の墓制がその時に入ってきたのが前方後円墳の始まり。
前方後円墳の規模は被葬者の身分に比例してる。
親魏倭王卑弥呼の箸墓を最大基準に、部下の古墳の規模も身分に応じて
ちゃんと決まってるよ。三角縁神獣鏡もこの時から流入し、
墓に入れられてるので、晋への朝貢(266年)まで数回朝貢したときに
下賜された数百枚を古いほうから5段階にわけられ、
黒塚は1〜3段階までの三角縁神獣鏡が墓に入れられてるので
260年前後には作られてる。箸墓も黒塚と同じ築造規格で設計されてるから
同時代。椿井大塚山は1〜4段階まで入ってるのでそれよりやや後に作られてる。
481日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:24:50.99
>>437 自説の押し売りに必死な 笑えるせーるすまん 自惚れ親父 無限尿

まだいるのか?この馬鹿は…
コテ変えて過去の馬鹿発言が消えるわけじゃないさっさと消えろゴミカス。

>これは少なくとも魏志倭人伝では間違いなく成り立つ等式だ。

アホが。
お前の理屈の中でさえそれは精々里数で表記されている不彌國までしか成り立たない。
「日数の里数への換算」についててめえが

>>200
>陳寿が計算出来ないんじゃない。
>計算すべきではないものを計算するお前が馬鹿なだけだ

と言ってほざいておいて自分は倭人伝の記事全体に
その公式< 水行一日=千里 >を当て嵌める=換算するのか?
いい加減にしろよキチガイ。
「万二千里」が実数でなかったとしても不彌國から先は
その日数がどれだけの距離に当たるのか分からない(理屈でいえば 10700里 + 0〜∞)
精々読者に「かなり時間がかかる≒遠い」と言う印象を与える物でしかない。
その時間に移動以外の時間が大幅に含まれているかどうかなんて分からない。
分からないから陳寿も” そのまま ”書いた。

結局のところ距離の記述で九州説を否定するためには、その距離が
「とても九州に納まるものではない」…と日数部分の何らかの距離への変換が必要不可欠。
その変換を否定しているのだから、距離による他説の否定など本来できるわけが無い。

馬鹿の絵に描いたような自己矛盾。
ゴミクズの中のゴミクズ。
482日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:29:36.69
>>444 志紀(支援くん)
>役立たずの歴史学者は死ねよ。

相変わらずファビョってんな〜。

2ちゃんのどの板でもその道のプロがこっそりあらわれることはあるだろうが
そこまで頻繁にでるかよ阿呆w

余程リアルで恨みつらみ重ねてここでその幻影を見ているようだがw
483稗箕狐:2012/01/30(月) 21:30:33.78
かれかもね

484日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:33:06.62
つーかニギハヤヒとか神武とかいくらやっても
それは読み物にはなっても学問にはならないことをいいかげんわかれよな
485稗箕狐:2012/01/30(月) 21:33:25.08
http://chardb.iis.sinica.edu.tw/char/20573

大麻でもやってらりっちゃてるきつねつきのお姐さんか
486日本@名無史さん:2012/01/30(月) 21:40:40.70
二ギハヤヒや神武なんて読み物読む奴も
気違いマニアくらいしかいねーよww
487稗箕狐:2012/01/30(月) 21:45:29.76
488日本@名無史さん:2012/01/30(月) 22:02:05.60
対馬でコース設定するとき、いつも悩むのだが、
大船越って、対馬の真ん中の水路は
昔からあったのか?、それともある時期に掘削されたのか?

これのあるなしで結構航路が変わる。
489:2012/01/30(月) 22:04:27.53
>>478
>竺紫日向之橘小門之阿波岐原

竺紫   − 博多
日向之橘 − 日の昇る立花山
小門   − 立花山の北・尾東山(おとう)
阿波岐原 − 青柳(青柳川)

立花山の西、新宮浜には最も古い「阿曇郷」がある。
阿曇族の説話を取り込んだのではないだろうか。
立花山・尾東山は海人達の灯台と想像している。
志賀島の漁師達には、神社の浜の砂を体にかけて
漁に出かける禊の風習が、現在でも残っている。
490日本@名無史さん:2012/01/30(月) 22:05:04.06
そんなことでいつも悩むなよw
その思考回路じゃ堂々巡りで進展しないことに気づけよ。
いつまで不毛な行程解釈などやってるんだと。
少しでも賢かったらそのような作業アホくさいから
手を出さんよ。
491稗箕狐:2012/01/30(月) 22:10:08.43
>>489
複数でてきてもあたりまえだよな

めもりあるののてそおゆうもんだろ

めくらましででっちあげたブツとかのもあるしね

人が移動してあるくと移動先にも発生とかするしね
492稗箕狐:2012/01/30(月) 22:13:11.37
>>488
そこのところまでのは沿岸流利用するのに

島の西側に沿っておりてきて湾内にはいるのがらくちんだよ
493ゴミために降りた鶴:2012/01/30(月) 22:16:14.03
●より正しい時代評価をするために。

先に、呉の孫権が公孫淵を燕王に封じるとき、4人の使節と護衛兵を含む400人の随行員と、
600人の交易商人による封爵使節団を派遣したと書いた。
使節団はこのとき、封爵儀式に必要な節・印綬・割り符・九錫・什器などを持参している。

『漢書』王莽伝によると、王莽が安漢公として平帝から九錫を受けたが、
この時に彼を補佐する官吏(宗官、祝官、卜官、史官、家令丞各一人)が割り当てられている。
天子が封拝と同時に与えるさまざまな物や人材の中に、
▼祭祀や占いを司る官吏とともに史官が割り当てられている事実を認識しておきたい。

九錫は「九命の錫」ともいう。本来天子がもっぱらとしたものだが、実権者や功臣などに特別に下賜した。
九錫とは、@車馬(飾りつけた鸞車。本来は天子が乗る車)
A袞冕衣裳(袞竜衣と冕と沓。袞竜衣は正装用の礼服で、冕は大夫以上の官がつけた「玉すだれ」の冠)
B楽則、C朱戸(家の門を朱塗りにする資格)
D納陛(中陛から昇降する資格)、E虎賁(数百人単位の勇士からなる親衛隊)
F斧鉞(絶対的軍事指揮権をあらわす「まさかり」)、G弓矢(朱塗りの弓と黒塗りの矢、H秬鬯(祭祀用の香酒)。
 
▼もう一度強調する。
後漢皇帝から禅譲を受けた正統王朝たる魏は、果たしてどのような使節団編成したか。
倭国を訪問した封爵使節団は、どのような授与儀式を執行して卑弥呼に印綬を渡したか。
魏と倭国の使節交流を、国家規模の威厳と格式のある儀礼交流としてみてほしい。
そうすれば、マイナーな個人レベルの歴史解釈など霧散するはずだ。
494日本@名無史さん:2012/01/30(月) 22:16:50.33
しかしC14も年輪年代も、安本をはじめとした
九州説のアホどもは猛烈に反論してて笑えるなw
やつらも自説を守るのに必死すぎる。
C14が正確な精度だと判明しちゃったら、
邪馬台国論争自体完全決着しちゃうからなw
そしたら邪馬台国で小遣い稼いでたやつらや、
九州説のマニアは困るだけだろうにw
495志紀:2012/01/30(月) 22:20:45.06
>>480
ここはお前のようなカスの来る所じゃない。
素人でも一生懸命真実を追求しようとする人の集まりだ。馬鹿ばっかりだがなw
でも、一生懸命なのは違いないだろ?それで飯食ってるからってアマチュアを馬鹿にする
業界が他にあるかい?
素人マニアなどと馬鹿にする古代史学者のアカデミズムこそ、もう見向きもされなくなって
きてるんだよ。干からびた土器や腐った材木や「○○と矛盾しない」程度の土壌分析やって
ろよ。うざい。

魏の薄葬礼とか知らないだろw
魏の墓制が巨大古墳なのかよ。文字通り噴飯ものだなw曹操の墓さえ未だに不明なのに。
棺の外に散らばってた沢山の△がどうしたって?
それで「邪馬台国を補強」だの「また一歩近づいた」だの、漫画かよってw
かつて真剣に議論を戦わせてきた先人たちの方法論に比べれば幼稚極まりないね。
終わってるのは何一つ明らかに出来ず、畿内からだけ何か出れば「邪馬台国」って
喚き散らすお前らだよw
もう一般人には信用など何もない事を自覚すべきだな。
496観客その3:2012/01/30(月) 22:21:16.88
>>480 バレバレこづかい稼ぎハナたれ名護屋
もうやめたほうがいいんじゃね?
書き込みしてて自分を哀れに思わんかね?
497日本@名無史さん:2012/01/30(月) 22:25:07.18
C14は大事だね。
日本独自の較正曲線なんて馬鹿な事をせず、標準の国際較正曲線を適用すれば、
現在の常識とは違う本当のイメージが出てくるのではないかと期待している。

日本独自の較正曲線ってのは、結局正確とは限らない土器年代などに、
無理やり合わせる作業である。

土器年代が絶対的な指標になるはずもなく、そういうことはしないようにしなければならない。

時々とんでもなく古い年代が出てきたりするが、同時に奈良時代以降の
建築物などは文献に近い比較的正確な物も出ている。

とんでもなく古いのは、その遺跡が古くから存在する遺跡であり
実際にその遺跡の過去の古いものが混入しているものも
あるのではないかとおもう。

もちろん誤差やミスもあるだろうが。
498稗箕狐:2012/01/30(月) 22:25:55.45
>>495
鏡とかくれた明帝さんの叔父ちゃんのお墓とか発掘されてるよね

明帝さんのかあちゃんと噂とかあったひとだけどさ
499観客その3:2012/01/30(月) 22:32:36.23
>>495  名前 志紀
ハナたれをまともに相手にしてはいけない。
奴は〈名護屋91歳>といいうアラシなのだから
500志紀:2012/01/30(月) 22:34:26.16
>>497
そうですよ。
土器も労作である事は評価するけど、おれならなおさら全く違う所から
検証すべきで、より確実でしょ?それが学問だし。

自信がないんですよ、結局。いくら精緻に仕上げても、土器も遺跡も
いくらでも新しいのが見つかり、そのたびごとに新たに矛盾が生じる。
でまた屋上屋を重ねて、結局素人にはわけがわからず、学者自身も
同職ギルドのように、全面的に受け入れて子分になるしか仕様がなくなる。

現代の学問のスタンスじゃないですよね、これって。
捏造体系に現実の方を従わせるって、それこそゴッドハンドw
501志紀:2012/01/30(月) 22:48:13.23
>土器も労作である事は評価するけど、おれならなおさら全く違う所から


土器編年も労作である事は評価するけど、それならなおさら全く違う所から

関係ないデータで補完されるのが最も強力な証明なのに、何でそれを無理やり
結びつけるかな?それを捏造って言うんじゃね?

って事が言いたかったw
502卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/30(月) 22:52:25.01
今、古田の「失われた九州王朝」を読んでいるのだが、
△鏡や景初三年鏡や正始元年鏡のインチキがほとんど完璧に論破されているではないか。
とくに正始元年鏡のインチキはひどいな。学者というものがいかにいいかげんな人間かが分かる。

名古屋君はその学者の言うことを無批判に信じているわけで、学者としての素質はないな。
>魏の墓制がその時に入ってきたのが前方後円墳の始まり
どこでこんなことを聞いたが知らないが、どうせ学者某の受け売りだろう。
503日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:03:30.19
次スレ立てていい?
504志紀:2012/01/30(月) 23:03:53.31
あんた古田読むのか。
ならなんで朝鮮に卑弥呼なんだよw
505日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:05:42.79
>>495
曹操の墓、去年だか見つかったぞ。一応、公認された。
506日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:06:36.23
>>502
畿内を裏切る気だな!
507日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:09:38.72
AAA 何にしようかな
508日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:13:57.21
>>500
>学者自身も同職ギルドのように、全面的に受け入れて子分になるしか仕様がなくなる。

かつて京大の権威で小林や佐原の理論により
「古墳時代は3世紀末から4世紀初頭」
と言われていた時代が続いたことですか?…とwwwwww

それから>>494は名古屋っぽいがw
そもそもC14も年輪年代もそれで推測できるのは
「ヤマト王権」と言われる物がその年代にあったのだろうと言うことで
それが邪馬台国であると言う保障を与える物でもなんでもない。

安本やこの板のゴミクズレベル九州説の多くは「邪馬台国東遷説」で
東遷した九州勢力がヤマト王権の祖となったと言う筋書きだから
その東遷が終わるまでヤマト王権の「ヤ」の字も大和にあってはならないと言う
極 め て 特 殊 な立場だからそれを九州説全体に当て嵌めるのもどうかと思うぞ?wwww

509日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:15:09.62
510日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:19:41.36
>>505
>一応、公認された。
え?あれ公認されたんか?

曹操の墓としては小さいのかもしれないが薄葬と言うには大きかったような…
少なくとも曹丕の薄葬の詔なんかから受ける薄葬のイメージじゃないと言うか

まあ詔全体がかなりデフォルメかかっていると言うか理想像になっているのかもしれないがwwww
511志紀:2012/01/30(月) 23:21:31.82
>>510

つ >>509

偽物だよw
512日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:22:51.13
スレタイトル「♪邪馬台国 ドンドン来い♪」にしない?
新しくリニューアルした感じがしていい。
513日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:24:27.52
>>512
どうせ中身は同じになる。リニューアルする意味が無い。

514夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 23:24:50.98
やっと今日が一段落。オフだっつうのに忙しいわ。
もう馬鹿といい合う気もないんで勝手にまとめる。

朝鮮半島から北九州までの行程は 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 と断定する。
諸説はあるが、これ以外はみなどこかに無理があるしマイナーだ。
3航海とも千里としていることから、まずこれが実距離ではないことは簡単にわかる。
壱岐〜松浦だけが、他の2航海のほぼ半分の距離だからな。
この3航海とも一日航海であることも十分に納得できるもので、ここから 海路千里表記=水行一日 だ。
等式だから 水行一日=海路千里 の逆も成り立つ。
これを投馬国、邪馬台国の水行に当てはめれば2万里、1万里で連続説でも放射説でも万二千里はオーバーする。
これによって万二千里が具体的な距離を表すものではないことがわかる。
○氏が紹介していた大月氏国の例もある。「万二千里」は間違いなく修辞だ。

これを否定しようと思えば
連続説、放射説以外の解釈論、伊作みたいな郡からという説を立てるか
末ろ国を松浦ではなくもっと遠いところとするか
釜山〜対馬は一日航海じゃ無理だと言うか
「水行十日陸行一月」を&ではなくorとし「水行なら十日、陸行なら一ヶ月」とするか
等だろう。
これは全部、無理やり解釈、勝手解釈だ。言い方が悪ければ独自解釈。
普通の読み方、感覚を放棄したコジツケだ。これは証明できるものではない。
だから、こんなのは放置すればいい。付き合ってたらキリがねえ。

万二千里を実距離としなければ成り立たない九州説はこれで完全否定できる。
連続説をとらざるを得ない畿内説は投馬国、邪馬台国への水行だけで畿内は通り過ぎ
さらにその先に陸行一月まであり、どうやったって畿内には収まらない。
極々普通に魏志倭人伝を読めば九州説も畿内説も否定されるのよ。
これでどうにもならないから無理やりコジツケ読みや、倭人伝を放棄して考古学に走る。
考古学的発見は限定的に解釈すべきという鉄則を無視した観測論から
科学否定の検証抜きのものを、さも絶対かのように言うしかない。
どっちも成り立たねえんだよ。
515日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:25:27.26
>>511
もし本当に偽物なら、それはそれですごいな
さすがチャイナ
516日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:26:29.24
改革を止めるなー
517日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:32:21.34
>>514 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

くどいおっさんだな。

>万二千里を実距離としなければ成り立たない九州説はこれで完全否定できる。

それは
「万二千里を実距離としなくても成り立つ九州説もある」と言う話なのか?
それとも
「九州説は万二千里を実距離としなければ成り立たない」と言う話なのか?

「万二千里」が実距離であろうとなかろうと不彌國から先の合計2ヶ月の水行陸行がどれだけの物か分からないと言うのなら
距離をもって九州説を否定することはできない。

おまえ自身それを距離に換算できない・するべきじゃないといっているんだから

脳味噌「カタワ」には分からないのかな?www

518夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 23:40:00.75
あ〜あと「渡海」と「水行」は違うとしつこく言ってた低脳児もいたな ワラ
ここにも一応説明しておくか。

渡海と沿岸水行のどっちが大変かは言うまでも無い。渡海の方が「えらいこっちゃ」だ。
つーことはだ、渡海一日で釜山〜対馬などが渡れるわけだから、沿岸水行ならもっと行けるわけだ。
釜山〜対馬を沿岸水行の最低距離と想定さえできるくらいだ。
水行二十日や十日はどこまで行くんだろうな?富山くらいまでなら楽勝じゃんか ワラ

それと古代船の常識を信じちゃいけないぜ。
縄文時代に既に青森〜新潟間の航海は成功している。
くり抜き舟でも準構造船でも無理だろう航海をだ。
魏船もいくつか前のスレで誰かが画像を紹介していたが「東北どころか北海道までだって行けそうだ」
という感想があったくらい立派な船だ。渡海、水行はこういう船で行くんだぜ。
倭船だって朝鮮半島に渡海してるんだからな。相当な性能があったはずだ。
イモトのタライ船じゃねえんだ。潮流の流れですべて決まるようなヤワな船じゃないはずなのよ。
519夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/30(月) 23:43:17.37
>>517
うるせえよ、低脳の馬鹿粘着。
お前の馬鹿さには辟易だから無視してるんだ。馬鹿に生まれたことを恨め。
てめえに話など反論するまでも無い馬鹿話ばかりだ。
理解できないなら出てくるな、糞頭。

馬鹿に生んだ親を恨むんだな ゲラ
520日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:45:03.87
>>518 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

「〜はずだ」「〜はずなのよ」全部お前の推測と言うよりほぼ妄想。

地図に関して地理情報は時代と共に集積していってそれが地図に現れると言っていたが
ならば航海・造船技術にしても同じ。

船舶はそれに乗る人間にとって命に関わる話だ。

ならばできるだけ近い後代にその技術が受け継がれている物を探すだろうが
この馬鹿はそんな事もしない。

こいつが批判している考古学はまだ「出てきた物」で語っているが
こいつのは先ず 自説ありき の為の願望だけwww

521日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:50:35.08
>>519 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

他人のことよりお前のガキがお前の馬鹿さぶりを受け継いでいないか心配しておけゴミクズwwww

そもそも里数で表されている10700里分とて「修辞」じゃなかったのか?ゲラ

これでどうやって吉備や出雲も過ぎると「 計 算 」したんだドアホウwww


522日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:53:37.67
全部修辞とか何とかで、デタラメという立場に立つと、
他説を否定する根拠すら失ってしまうわけか。

だろうな。
523夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 00:01:17.90
というわけで、魏志倭人伝は九州も畿内も指していない。
邪馬台国はどこかはわからないが、少なくとも九州でも畿内でもない。

北九州から日本海側を船で二十日行ったところが投馬国で、そこを経由し
さらに船で十日いったどこかで上陸し、そこから徒歩一ヶ月の内陸部だ。
どこかはさておき、結構遠隔地であることは間違いないわな。

投馬国経由の合計水行三十日プラス陸行一月が九州からの最速行程なんだろう。
陸路だって恐らくいけるのだろうが時間がかかるからのこの最速行程が紹介されたのだろう。

女王国勢力圏内の国は陸路で九州から邪馬台国まで行った場合、あるいは帰ってくる場合の
途中になる国だ。
女王国より以北はつまり「混一」地理観で以南。邪馬台国が倭国の最北だと見れば辻褄が合う。
最北邪馬台国から奴国までの陸路にある勢力圏内の国の紹介だろう。
日本海側か太平洋側のどっちか、あるいは両方にまたがってなのか、などはわからんけどな。
524稗箕狐:2012/01/31(火) 00:07:41.96
邪馬台国なんてそんなものねえよ

邪馬壹国だって女王が死ねば消滅しちゃう浮草みたいなもんなんだよな

でもさ

壹與たんが復活させちゃったけどな
525日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:08:30.54
>>523 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>最速行程が紹介されたのだろう。

これも根拠無し。

まさか陳寿がこれが最短・最速だと認識していた筈もないだろうし
この情報を出した倭人が最短・最速のものをいったと言う根拠は何処にもない。

頭が悪すぎる。





526夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 00:14:07.72
>>521
ここまで説明して理解できない馬鹿だから辟易なんだよ、腐れ頭。
お前はな、俺の粘着しか出来ない馬鹿なんだよ プ
ここでは俺がいるからお前は存在できているようなものだ。
俺がいなければ屁みたいな存在だろうが、それが粘着なんだがな ゲラ

俺の子どもらはもう立派に成人してるぜ。
息子はディズニーランドで数年ショーに出ていたからお前らも見ているかもな。
2ちゃんのこのショーのスレでは、いつも注目の人気者だったよ。
今ではTV出演も度々で、売れっ子とはいえないがそこそこの奴だ。
FM番組のレギュラーも持っている。娘は普通の主婦だがね。
どっちも俺のDNAを受け継いでいるから、かなり賢いぜ ワラ
527夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 00:17:56.80
>>525
俺はお前など無視してここに参加できる。
お前は俺がいなければ、まともに参加も出来ない。

これが存在感を示せるかどうかの頭の差だ。
馬鹿粘着は馬鹿だから個人粘着しか出来ねえんだよっと ゲラゲラ
528日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:23:18.40
>>526 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

お前が来るだいぶ前からいるわ阿呆が、何処までも自惚れしかないゴミクズ。

こっちは「水行一日千里」「距離は修辞」等々それを否定するんじゃなくて肯定した上で矛盾を指摘している。
要は馬鹿が気が付かない自己矛盾だな。

まあ馬鹿は馬鹿故にそれにすら気が付かないんだろがw








529稗箕狐:2012/01/31(火) 00:27:45.94
なんか空白ばかりでわろす

また涌いているのか
530夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 00:30:37.09
>>528
いるだけで存在感の無い空疎野郎だったんだろ ゲラ

馬鹿叩くのが好きな性格には、我ながら呆れるわ、やめとこ ワラ
531日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:31:58.63
>>527 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>俺はお前など無視してここに参加できる。
>お前は俺がいなければ、まともに参加も出来ない

違うな。
お前は他説を否定することでしか 自説=東北 を述べられない。

位置も大雑把すぎて果たして日本海側か太平洋側かも分からない。
東北邪馬台国がどういう背景で出てきてどういった経緯で歴史から姿を消したのか?
その他諸々その姿を具体的に描き出せない。

…というかハナからそんな事は興味が無いw

この馬鹿が考えているのは

「どれどれこのオレサマが九州説や畿内説のオタク連中をナントカしてやり込めてやろう プ 」

と言う中二的発想w

中身はスッカラカン、あるのは他説の否定だけ。

要するに依存・寄生しているのがこの ゴミクス無限尿 www


532日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:36:35.41
しかし「曹操の墓」。偽物という事で決着したのか?

「年代違い」とかじゃなくて近年作られた偽物ということでw
533日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:42:11.74
曹爽はよっぽど盗掘されるのが嫌だったらしく、70を超えるカムフラージュをしたとか、
墓作りに立ち会ったものは全て殺されたとか。いろんな伝説があるな。

ジョーカーも東北説に絡むとは暇なんだろうな。
534日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:45:32.71
近年のニセモノ・・・・ww 目的は観光誘致か?www
535日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:48:46.10
しかしこの ゴミクズ無限尿 の様に水行はともかく陸行一月を最短・最速とみなすと言うのは記憶にないな。

普通に考えてそんなにアクセス悪いところに邪馬台国があったと言うのも考えにくいというか…

まあ畿内説=ヤマト説の場合、無論それが最短最速なんて事はない。
ゴミクズ無限尿の「イモトのタライ舟」じゃないがw関西深夜番組で奈良から堺市のオフィスまで大和川を下って通勤できないか?と言うのがあって
朝一出て途中トラブルありながらなんとか終業寸前に着いていたようだがw
無論、河川のコース自体大きく変わっているし水深等の条件も今とは違うが少なくとも下りは一日あれば十分に大阪湾に出られたはず。

他の説にしても最短最速で一月と言うのはあったかな?
536日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:51:24.36
>>533
中国人にとって死後自分の墓を荒らされるのは最も恐れるところだった…とも聞くがw

そもそも魏代の墓の発掘事例が幾つあるんだろう?

537日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:54:47.33

最短最速にするとみんな都合が悪いw
538日本@名無史さん:2012/01/31(火) 00:58:55.33

中にはジイさんが半日で行けるとこを40日かける人もいるw
539日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:02:13.96
バカじゃないから自己矛盾に気が付かない振りができるんだろうw
540夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 01:05:57.01
>>537
そういうこと ワラ

おやすみ〜
541天下無敵の大天才:2012/01/31(火) 01:14:27.26
>>514 :夢GEN
>朝鮮半島から北九州までの行程は 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 と断定する。 ーーー@
>諸説はあるが、これ以外はみなどこかに無理があるしマイナーだ。ーーーA

@の 断定する根拠を述べよ。
Aの諸説のどこに無理があるか具体的に述べよ。

どうせ誰かの口まねで書いたのだろうから、このアホに上記出題に答える能力がないことは誰でも知っているが、
チャンスは与えてやるから答えてみろ。

それから肝心なことだが、狗邪韓国や末盧国の位置を倭人伝から求めるとすればその記述に合うことを第一の条件にするのが筋だろ。
いずれの渡海も千里余と書かれているのだから、その条件を満たすところに比定するのだ。

542日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:17:32.44
まあ ゴミクス無限尿 の「東北の何処か分からない、何処でも良い 説」の強みだなw

しかしこれで太平洋側の方が近かったらなんでそっちから行かないのか?と言う疑問が出てる。

こいつの妄想している古代の高速帆船なら太平洋も問題ないはずだw

これも馬鹿が出たとこ勝負で適当に言うから出てくる自己矛盾のようなものだなw
543日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:27:30.49
結局のところ無限もゴミためも「水行一日=千里」と兎に角言い張ってるだけ
非常に見苦しいものがある
544日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:31:09.67
まあ文献だけだとどうしても飛躍するからな
見つかってるわずかなパズルのピースを少しずつ繋ぎ合わせる作業の積重ねを同時にしないとな
545日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:45:57.06
無限尿っていつになったら死ぬの?
546日本@名無史さん:2012/01/31(火) 01:46:36.34
そうだね。「水行一日=千里」や「日数は郡からだ」なんて言っている説は、
それだけでトンデモご苦労様でおしまいだ。
まあ、これまで誰からもこれといった反論がないのは私の説だけだな。
末盧国から東南五百里の伊都国は佐賀大和だ。これは誰が考えても倭人伝どおり。
その伊都国からは、放射式だ。佐賀大和ならば、嘉瀬川を使って有明海に出られる。
南へ水行できるのだから、そこが投馬国や邪馬台国への基点となることは当然。
有明海へ出られるところから更に順次式に奴国や不弥国へ行くはずはない。
放射式は文献史学的にみても問題はない。
ということは、佐賀から南へ水行二十日で投馬国。また、佐賀から水行二十日陸行
一月で邪馬台国。佐賀から南下して陸行一月できるところは、九州島の中しかあり
得ないから水行陸行の速度はそれに合わせて考えればいい。投馬国も邪馬台国も南
九州だ決まりだ。
547ひとぶた:2012/01/31(火) 01:52:44.60
>>274 www氏
>ある地位や役職に付随して与えられる物
いや、よく知りません。
でも、将軍級より下位の人物に仮授された例(過去スレのローガン氏談)もあるそうですけど。

>小競り合いはあっても全面戦争のような物ではなかった
そうなんでしょうね。
抑止力なら、遠隔の地の大国のお墨付きより、近場の共立連合の方が実効性がりそうです。

>>299他 鶴氏
御高説を賜りありがとうございます。

>>375他 メ氏
>六年の詔は相攻撃の報告より「前」に出たことになり
はい、そう思います。
その詔の内容は「立派な黄幢あげるから、これからも忠義を尽くし、任務に励め」くらいのものなんじゃないのでしょうか。
景初の詔には、倭王拝命と言う特別の記述があるため伝中に引用されたのでしょう。
正始六年の詔が引用されななかったと言うことは、記述すべき特別な内容が無かったからじゃないのかな?
まあ、私はそう思うつーだけのことですが。
548卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 09:48:45.06
契丹古伝 要点紹介その3 >>427>>435のつづき

11 神祖、アシタに都す。ヤケクシウクアケに命じて治せしむ。ヒシヤという。神京なり。
   浜名氏はアシタを月支国、平壌と解釈。〜アケは日本の白日別のような〜ワケと解釈。
   実際、後の章では〜ワケと書かれている。
12 シラヒキアケに命じてカムカに居らしむ。カコヤという。仲京なり。
   浜名氏はシラヒキが新羅の語源と解釈。   
13 アタカシコメに命じてカクタラに居らしむ。シホヤという。海京なり。
   浜名氏は〜コメは女の神祖と解釈。シホは潮と関係か。
14 ウサハミコメに命じてムコハキに居らしむ。ヒレヤという。斎京なり。
   ヒレは旗の意のヒレか。
15 キリコエアキに命じてフカムに居らしむ。シラマヤという。神祖、初めにここに降る。ゆえにスサモリの京という。
   ネクタに宮す。ソトヤという。離京なり。シラヒキアケは異相にして頭に角あり。
   浜名氏はシラマヤを北朝鮮の長白山と解釈。むしろこれが正伝ではないか。スサモリはスサノオがいたソシモリと解釈。
   ソトヤは韓伝にある蘇塗と解釈。頭に角ありというのは牛頭天王と関係あるか。
(つづく)
549卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 10:14:37.96
契丹古伝 要点紹介その4

16 神祖西征。ウシアケワケに命じ、カメナトに城かしむ。マカアケに命じ、アシナトに城かしむ。ユキアケに命じ、ケシセマに城かしむ。
   ニレワタを渡り、ヒヒクイの岡に都す。ニレワタは西海の名。
17 神祖、アシアを拓く。区画して五原となす。
   ハキシノワケ、マコクに治す。西原。ワタシカワケ、ヤコクに治す。東原。ナキクシコメ、イラキに治す。中京。
   イカタチワケ、サハキに治す。北京。ウナミチワケ、ナカハに治す。南原。
   アジアの語源はアシアか。〜ワケとあるように日本の〜別(ワケ)と同じ言葉が使われている。
18〜20は省略。ここまでが神代。以下に歴史時代が続くがメモを取っていないので略す。

37章に辰国伝があるのでそれを紹介しておくと、

37 神祖からシウムス氏とアシムス氏が出て、シウムス氏がコマシウ氏とカラシウ氏に分岐した。
   アシムス氏からアメシウ氏が出て、のちにヒミシウ氏に譲った。
   
浜名氏はコマシウ氏が高麗、カラシウ氏が韓、加羅の源と解釈。アメノヒボコはアメシウ氏、卑弥呼はヒミシウ氏と推測。

以上、終り。
   
550日本@名無史さん:2012/01/31(火) 10:29:06.70
まーた、飲んでるのかよ。じゃあ、俺もビールを飲むよ。乾杯♪
551卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 10:31:24.17
私は持っていないが、岩波文庫の「魏志倭人伝」に、参考文献として浜名寛祐氏の「契丹古伝」が挙げられているとか。
まともな学者が学術的価値ありと認定した書なのである。君らが思っているようなトンデモ本ではない。
たしかにこじつけ解釈も見受けられるが、それは浜名氏の解釈であって、
われわれが、自分自身の解釈によって読み進めていけば良いのである。

古代史本で唯一冊を挙げよ、と言われれば、私はこれを挙げる。
古代史愛好家なら、死ぬまでに一度は読んでおくべき本である。
552日本@名無史さん:2012/01/31(火) 10:37:28.69
>>551
岩波文庫の「魏志倭人伝」て、クソだろ
(原文じゃなく、解説、その他の部分ね)
553日本@名無史さん:2012/01/31(火) 11:05:38.58
伊都国が糸島なら邪馬台国は九州なんだろう
554夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 11:23:20.09
>>541
おめえはよ、俺から突っ込まれたことは答えないくせに逆質問は得意だな ワラ
@は最もメジャーな解釈だから、でいいだろ。
多数が支持するには支持する理由がある。一番無理が無い解釈だからそうなるわけだ。
ここは九州説、畿内説の大半も異論が無いところで、あるのはおめえみたいな勝手解釈説者だけ プ

郡から「水行十日陸行一月」もコジツケ解釈の最たるもの。
そうならちゃんと郡からと書くはずなのよ。
放射説だって一言「伊都国より」と言う一文が入ればいいものがないことから
無理やりコジツケなんだが、郡よりとなればさらにその上を行くコジツケだ。

まあ、どんな解釈をして「邪馬台国はここだと思いたい」てのは勝手だが
それで邪馬台国が希望する地に移動してくるわけじゃねえぜ ワラ
必死こいて無理無理論、コジツケ論、勝手解釈論並べてみても事実は変わるわけじゃない。
自己満足の世界で自分だけを納得させる無駄なこだわりだ。
このコジツケに血眼になれる阿呆のオタクどもには少々うんざりし始めてるんだがなあ。
555夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 11:26:46.85
>>546
誰からも見向きもされてないことが、正しいと思えるオツムは幸せでいいと思うよ ゲラ

もう時間がないわ、じゃあなあ
556日本@名無史さん:2012/01/31(火) 11:31:07.77
>>546は日向説かな?流石に東北説より見向きされていると思うけどw
夢幻もだんだんやけっぱちになってきてるような・・・
557日本@名無史さん:2012/01/31(火) 11:31:58.94
夢GENも、荒らし書き逃げパターンか。
相手にされないまま、そのうちひっそり消滅するのを、
何度見てきたことか。
558日本@名無史さん:2012/01/31(火) 12:21:59.03
とーほぐ説なんてマイナー中のマイナーじゃねえかw
方角も距離もゴジツケ無理矢理勝手解釈の塊だしな
559訂正!:2012/01/31(火) 12:28:48.95
>>441 :夢GEN
>>439
>あ〜?伊都国が出雲とか言う馬鹿だったのか。
>ちゃんと読んでなかった。
腐った脳の基地外にとやかく言われてもな〜〜〜。
腐った脳では理解不能だからな。

魏志に
「對海【馬】國・・・方可四百余里」
「一大國・・・方可三百里」
並びに、魏略に
「暦韓國到拘耶韓國 七十餘里」とある、
「方四百余里」「方三百余里」「七十余里」は、何を意味するか?
結論だけを言うなら、
「邑」の尊卑の大小を記述してある。
因みに、「方四百余里」の尊卑は矦「方三百余里」の尊卑は伯、
並びに「方七十余里」の尊卑も伯。

 「方可四百余里」は四百余里の差し渡しであるから、その範囲は直径四百里の円と解釈してよいだろう。
所謂、直径172.8kmの円が矦の「邑」のおおきさである。
従って、
「對海【馬】國・・・方可四百余里」は、会稽東治【冶】之東にあたる現沖縄首里城を172.8kmの円の中心とした範囲となる。

560日本@名無史さん:2012/01/31(火) 12:30:31.86
>冬将軍、また猛威か 週末にかけ日本海側を中心に大雪

雪国は大変だよな〜 裸で過ごすには無理があるもんな〜
561卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 12:32:05.64
>>548の解説と訂正

>神祖、初めにここに降る。ゆえにスサモリの京という

神祖スサナミコが降った(降る=漏る=モル)処なのでスサモリという。
スサノオが居たところがソシモリ。つまりスサナミコ=スサノオと解釈できる。

>シラヒキアケは異相にして頭に角あり→キリコエアケに訂正。
562卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 12:40:05.53
倭王武の上表文

道百済を遙て、船舫を装治す。しかるに句麗無道にして

百済を経て中国に通行しようとするが、高句麗がいつも邪魔して腹が立つという文である。
常々高句麗と敵対していた様子が窺える。

これなどもどう見ても朝鮮の倭である。百済の南の朝鮮の倭から通行しようとするが邪魔されるという文である。
なぜ学者はこんな簡単なことが分からないのだろうか。
563日本@名無史さん:2012/01/31(火) 12:45:43.66
朝鮮は日本の属国だったはず
564日本@名無史さん:2012/01/31(火) 12:48:54.39
朝鮮半島は太古より我国固有の領土である
565日本@名無史さん:2012/01/31(火) 12:54:43.43
>>559
「暦韓國到拘耶韓國 七十餘里」は、単に七千余里の誤写。
「方可四百余里」は、一辺が四百余里の正方形に相当する面積。
それとも、わざとトンデモを主張してみようってことかな?
566訂正!:2012/01/31(火) 13:22:57.25
>>565 名前:日本@名無史さん :2012/01/31(火) 12:54:43.43
>>559
>「暦韓國到拘耶韓國 七十餘里」は、単に七千余里の誤写。
>「方可四百余里」は、一辺が四百余里の正方形に相当する面積。
>それとも、わざとトンデモを主張してみようってことかな?

「邑」の尊卑の大小を知らない者に
トンデモと云われてもね。

「邑」の尊卑の大小を理解してから出直して頂戴。

567日本@名無史さん:2012/01/31(火) 13:26:28.70
おっと、もうこんな時間かよ。そろそろ本格的に飲もうZ
568訂正!:2012/01/31(火) 14:13:03.18

清代陳昌治刻本『說文解字』:邑
國也。从囗;先王之制,尊卑有大小,从卪。凡邑之屬皆从邑。於汲切
囗;先王之制,尊卑有大小,从卪。凡邑之屬皆从邑。於汲切
清代段玉裁『說文解字注』
先王之制。尊卑有大小。从卪。尊卑謂公矦伯子男也。大小謂方五百里,方四百里,方三百里,方二百里,方百里也。土部曰。公矦百里伯七十里,子男五十里。從孟子說也。尊卑大小出於王命。故從卪。於汲切。七部。凡邑之屬皆从邑。

569唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 14:17:28.75
百済・新羅を含む半島南部は、神功49年以後倭の属国であった。
400年前後の高句麗の南下により、百済・新羅は高句麗の属国となる。
新羅は、まもなく高句麗軍を退け独立するのであるが、百済はこれに失敗。
高句麗の圧力を受け続ける。
570竹斯の民:2012/01/31(火) 15:43:41.33
>>562 卑弥呼は朝鮮にいた

<宋書倭国伝倭王武の上表文>
順帝昇明二年(478年)、遣使が上表して曰く「封国は残念ながら遠く、藩を外に作り、
昔より祖先は自ら甲冑を着け、山川を跋渉し、安らかに暮らす暇なし。東に毛人を
征すること五十五国、西に衆夷を服すること六十六国、(海を)渡り海北を平定する
こと九十五国。王道は安泰に調和し、国土を拡げ、京畿を遠く離れる。

上記部分は無視して「卑弥呼は朝鮮半島にいた!」と言い張るんだね。
571ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 16:16:33.67
>>570  竹斯の民

あなたの指摘もそうだが、何よりも、>>562は意図的なのか真性オタクなのか、
決定的な読み違いの上にバカ論を垂れているのです。
「道百済を遙て、船舫を装治す。しかるに句麗無道にして」だと「珍文漢文」読みをしておいて、
倭王武は百済にいたというわけです。ホラ吹き蓮ちゃんキャラですね。

倭王武は百済にいたのではなく、倭国から百済に出向いたといっている。
上表文の正しい読みはこうです。
「臣は下愚と雖(いえど)も、忝(かたじけ)なくも先緒を胤(つ)ぎ、統(す)ぶる所を駆り率い、
天の極みに帰崇せんと道遥か、装いを治えて百済に船を舫)(もや)いだ」。
(私は決して賢くはないが、かたじけなくも先人の事業を引き継ぎ、
正道を実行するために兵士を従えて道遥か、百済の港に船団を泊めて戦の装いを整えた)。

私が無視してるのです。
利口なしとは、こんなの相手にしなさんな。
572竹斯の民:2012/01/31(火) 16:27:08.00
>>571 天才
は〜い。
573ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 16:29:13.03
●歴史泥棒に要注意!!

日本に対するコンプレックスの跳ね返りだろうが、
古代日本の歴史を朝鮮の歴史にしてしまったり、
日本の支配層を朝鮮だ騎馬民族だ高句麗だにしたりで、
歴史ごと朝鮮や高句麗のものにしようというのがいる。

こういう「歴史泥棒」の手合いは、そのうちに
「対馬も韓国の領土だ」といい兼ねないから要注意。
歴史を正しく解釈することの大切さと意義ここにもある。
574稗箕狐:2012/01/31(火) 16:43:23.90
おまいらなかええな
575稗箕狐:2012/01/31(火) 16:49:00.15
順帝の昇明二年(478)

熊襲の酋長の倭王武は騙ります

    開府義同三司

  三公以外で開府を許された者のつもりです

けっか

使持節 都督 倭 新羅 任那 加羅 秦韓 慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭王

げっとですう
576日本@名無史さん:2012/01/31(火) 16:55:17.21
天気もいいし、焼酎でも飲もうや
577稗箕狐:2012/01/31(火) 17:00:32.51
開府義同三司    三公以外で開府を許された者のつもりです

これからのがずにのってからに 三公を騙ってしまうんだぞ

それも軍政を統べる  太師 太尉 大司馬

「師」が景帝司馬師の諱であることから避けて「太師」を「太宰」と称した
578唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 17:03:40.58
神功49年 半島占拠は、百済本紀と整合させる七支刀=369年で否定されている。
はっきりいって、半島占拠はここではない。

神功元年 あづないの罪は273年の日食である。
ここから数える七支刀は、326年 東晉明帝太寧4年である。
 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
323年神功49年 半島は政治的空白地帯である。倭軍は274年以来この地に1大卒(軍隊)
を派遣し、この地の治安維持にあたってきた実績がある。
だから、大きな混乱もなく半島占拠を達成できたのである。
579ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 17:05:13.83
ところで名無しの板ダニども。

陸路と海路が異なる尺度で書かれている事実は確認できたのか?
三韓の方4000里の二辺の合計8000里よりも、
帯方郡から狗邪韓国までの海路距離が長いのにもかかわらず、
その長いほうの海路距離を7000里としている矛盾は誰も否定しきれなかろう。

海路については「1航海を千里と書いた」「1日航海を千里」と書いた、
「距離の不明な航海を日数単位」で書いた。という天才の主張を、
短絡的に「1日=千里」などと誤解されやすいことをいいやがる。

誇大ではあるが「1航海千里、1日航海千里」はあくまでも古代の海路の「表記単位」だ。
いいか? ぼんくらども。 
表記単位はあくまでも表記単位だ。実際の距離とは無関係だ。
天候・風邪の具合・波の程度・海流などによって、
海路航行速度を一元的にはいえないという現実に対する方便だ。
海路距離の正確な測定が不可能という現実に対する方便だ。
(陸路の距離表記と混同するんじゃないぞ)。

俺の理路の整った論考を論拠に乏しいなどど、
いっちょ前をいうわりには、論理的に否定できた奴は皆無だ。
海路距離を「何千名に百里」と、細かい表記をしている実例を提示してみろ。
(一つや二つの例外的事例ではなく、
「海路を正確に測定できた」という証拠となる程度の事例だぞ)。
580日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:11:57.49
ビールを1杯飲んでベロンベロンになる人もいれば、10杯飲んでもホロ酔い程度の人もいるわな
581日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:19:10.41
>三韓の方4000里の二辺の合計8000里よりも、帯方郡から狗邪韓国までの海路距離が
>長いのにもかかわらず、その長いほうの海路距離を7000里としている矛盾は誰も否
>定しきれなかろう。
方四千里の正方形の書き方が小さすぎるんだよ。
方四千里というのは、16000000平方里のことだ。
四千里×四千里に限らず、五千里×三千二百里でもいい。
朝鮮半島の西を南下したのが五千里、半島の南を東へ進んだ距離が二千里、
そんな計算じゃないかな。
582稗箕狐:2012/01/31(火) 17:20:35.12
>>568
そのぢいちゃんは ふるい字びきでやるのは とてもえろいのだけど

漢字がずううっと不変みたいな扱いのが まぬけ

もれなら 漢字考古学とか 騙っちゃうぞ

「都 つ」 にめえつけたのは とてもすてきだけど

墓あるところだとかで断言みたいなことしているのも まぬけ

「都」 つうのは暴力装置の呼称だって直感でわからないのは にぶい

583唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 17:21:28.28
316年 西晋滅亡。仁徳4年課役の停止。兵の引き上げ。
ラヂオ氏 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 1年, 11月, AD377年. (ver.1) 。
317年 元年 丁丑 十一月 加耶君守克□ 慕訶立 以宣失為太后 時加耶与倭相通
不遵朝廷之令 至是以倭王女為妻 而不聴宣失之言 遣使責之
317年伽耶と倭は通じており、朝廷に従わない、これは伽耶が倭王女を妻としたためである。

319年 太興2年 鮮卑慕容廆襲遼東,東夷校尉、平州刺史崔高句驪。
(319年) 高句麗 冬十二月、晋の平州刺史「崔」が(慕容廆に駆逐され)奔って来た。
320年 高句麗は扶余を攻める。
奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年,   熊彦=千熊長彦 神功49年
323年 七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年1月, 水羊(癸未年)祭を行った。
3月 扶余の流民がまた30戸来降してきた。扶余と倭は通じており、年々その民を受け
入れ、都や村に散置してきた。倭臣千熊長彦は良く弁舌がたち、住民と仲がよい。
住民はその言の多くを聞き入れ、故に国に背き、千熊長彦に従う。(大量渡来)
或いは我(百済?)に帰順、また高句麗に帰順する。
584日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:33:23.14
ものすごく机上の空論でいいなら、
短里4000里×4000里相当の面積を円にすると、
半周でほぼ7000里となる。

自分自身、そんなガセネタ、押す気もないが。
585稗箕狐:2012/01/31(火) 17:33:48.42
>>582
所詮ああゆうのは訓詁学にけえはえたみたいなもの
586縄嘉ー:2012/01/31(火) 17:37:42.79
>>351 :ゴミために降りた鶴:2012/01/29(日) 23:45:03.69
>>344 :縄嘉ー
>俺は動かぬ実例を提示した。反論は、これに勝る
>「そうではなかった」という実例を提示すれば済むことだが。
>うだうだ「現代人の結果論」めいた泣きごとをいうな。

ではお望み通りにしよう。
貴殿がみずからのサイトに挙げている下記の記事
・『魏略』西戎伝
 従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一?、無風或三?

これは風の状態によって到着までの所要時間がこのように変わるということを示しているだけである。
水行1日=千里の根拠になるものではない。むしろ、日数は条件によって変わるもので距離に換算できないことを示すものである。

また、下記の記事
・『新唐書』
 廣州東南海行二百里至屯門山 (100里単位)
▼『山海経』東山経
 南水行五百里、流沙三百里。至于葛山之尾、無草木多砥礪。
 南水行三百里、流沙百里。曰北姑射之山、無草木多石。
 南水行五百里、曰流沙行五百里。有山焉、曰跂踵之山。
 南水行五百里、流沙三百里。至于無皋之山、南望幼海。

においては水行二百里、三百里、五百里とある。
貴殿は水行が午前だけだろうが10時間だろうが実質の航行時間にかかわらず水行1日とし、水行1日=千里だと言っていたが、
それだと水行二百里、三百里、五百里はどうなるのだ?日数と距離の換算が可能なのか?
水行二百里、三百里、五百里は測定可能だったから里数で表したのではないのか?

以上の例から分かるように貴殿の説は成立しない。これで文句はあるまい。

587日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:47:20.63
おじいちゃん達もっと時間は有意義に使わなきゃ。
残り少ないのに。
588日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:55:15.11
今日はビールから焼酎にワインといこう
589稗箕狐:2012/01/31(火) 17:58:51.28
役に立ちそうなのに無駄に空回りしていて惜しい

学問の体をなしていないのが痛い

とりまきに商売気のおおいいのがいるんだろ
590日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:59:25.70
卑弥呼をつまみながら飲む酒が美味いんだよな
591稗箕狐:2012/01/31(火) 18:03:55.07
百済って どうして くだら って読むのか 知っているひととかいる?
592日本@名無史さん:2012/01/31(火) 18:11:23.94
旧多羅ってか?
593縄嘉ー:2012/01/31(火) 18:15:58.82
>>554 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 11:23:20.09
>>541
>@は最もメジャーな解釈だから、でいいだろ。
>多数が支持するには支持する理由がある。一番無理が無い解釈だからそうなるわけだ。
>ここは九州説、畿内説の大半も異論が無いところで、あるのはおめえみたいな勝手解釈説者だけ プ

これだから科学的、論理的思考ができない者は始末におえないのだ。
まあ、おまえは中学生レベルだからそのレベルに合わせて例を挙げて説明してあげよう。

あのな、コペルニクスは地動説を確認、発展させた人物であるが、彼の生存時には論文の公表を控えていた。
何故かと言うと、当時は天動説を信じる者が圧倒的に多かったから、迫害を恐れて生前における公表を避けたのだ。
当時は天動説による天体運行の理論も構築されており、それを認める者が多数を占めていたのだ。
それが現在では天動説の誤りが明らかにされ地動説の正しさを認める者が圧倒的多数を占める。科学界では100%だ。

また、ダーウインの進化論も発表当時は圧倒的少数派だった。特にキリスト教徒、ユダヤ教徒など万物は神により創られた
とする教義の宗教信者は教典に書かれたことを根拠として進化論を否定した。
現在でも否定する者がいるが、科学界においては進化論が正しいとされている。

このように、「多数派が根拠を持って主張しているから正しい」とは言えないのである。
正しいかも知れないが間違っているかも知れないのである。
そのようなことを根拠として論を組み立てても結論は正しいかも知れないし間違っているかも知れないのである。
お前はそのような無意味な論を述べ立てているにすぎないのだ。いい加減に気付け。
594稗箕狐:2012/01/31(火) 18:16:00.87
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%B8%A1%E5%B3%B6

へんてこな読み方の島発見なんだ
595稗箕狐:2012/01/31(火) 18:18:37.86
句渡 くだら

すっきりしていてこれでいいかなとはおもふが
596日本@名無史さん:2012/01/31(火) 18:25:10.73
百済は【古い多羅人=旧多羅】が多く住む所
597卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 18:25:42.65
>>570
君が何を言わんとしているのか、さっぱり分らない。
>>571
伊作氏よ、私の文章をよく読みたまえ。
私は、倭王武は百済にいた、などとはどこにも書いていない。
百済の南の倭にいた、と書いているのである。
百済の南の倭国から百済を経由して通行しようとした、と言っているのである。
598日本@名無史さん:2012/01/31(火) 18:25:49.80
>>593
説得力がまったくない
さては、飲んでるな♪
599稗箕狐:2012/01/31(火) 18:32:36.61
卑弥呼は朝鮮にいた

でなくてえ

卑弥呼は韓にいた

にかえたら

朝鮮たら箕氏とか衛氏とかので

すこし寒そうなところだろ
600志紀:2012/01/31(火) 18:36:26.36
>>591
最近は「ひゃくさい」と読むべきって人もいる。世界史では「ひゃくさい」って
なってたり。
現代朝鮮語では「ぺくちぇ」ですよね。
「くたら」という用例もあったようで。

飛鳥「あすか」、斑鳩「いかるが」、変なのは色々あるね。

「阿弥陀経」は、ある宗派では漢音読みと呉音読みとあるそうです。
で、漢音読みにも二つあって、そのうちの一つが「百済(くだら)読み」と
言うそうです。ところどころ呉音、唐音が混じるそうで。

由来は、聖徳太子が百済から取り寄せた読み方と言うことですが、
空海と並ぶ二大伝説超人の逸話ですから、それは信じがたいw
601唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 18:36:33.71
半島が倭の領土となるのは、神功49年以後である。

七支刀=369年に箸墓をつなげれば、箸墓は4世紀の墳墓である。
七支刀=326年に箸墓をつなげれば、箸墓は260±10年の墳墓である。

七支刀=369年で半島占拠が成立しないことは、日韓で確認済み事項である。
602志紀:2012/01/31(火) 18:40:58.46
お前こっちくるなよ。ほつまじじい。
せめてちゃんと日本語しゃべれ。
603日本@名無史さん:2012/01/31(火) 18:46:49.63
>卑弥呼は朝鮮にいた

マジっすか!?
604稗箕狐:2012/01/31(火) 18:54:43.75
良質な業界の人が「ひゃくさい」と読むべきだとゆうのは

発声することによって思惟するのに使用するツール自体が汚染されちゃう

そういうことを防ぐという意味からです。
605卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 18:57:15.90
とにかく、倭といえば日本という先入見があるので、東大や京大の学者さえ判断が狂うのである。
韓半島に倭人がいたことは認識しているが、洛東江周辺の狭小な地域にしかいなかったと思っているのである。

そもそも韓とか倭というのは中国から見た呼称であって、韓人が自分たちを何と称していたかは不明である。
たとえば弁辰とか伽耶諸国の人々が、中国と通行するときに、自分たちを倭と称したかもしれないのである。

もしかしたら馬韓とか辰韓とか弁辰というのは国称で、族称は倭だったかもしれない。
漢書地理誌の倭人とは、韓半島の民族を指していると思われるのである。
606ローガン:2012/01/31(火) 19:08:01.87
>>547:ひとぶた
>>小競り合いはあっても全面戦争のような物ではなかった
>そうなんでしょうね。抑止力なら、遠隔の地の大国のお墨付きより、近場の共立連合の方が実効性がりそうです。

私的には、狗奴国は三重辺りにあった倭国の構成員と捉え、纏向造営に積極的に参加したものの、
盟主には成れず、女王とは一定の距離をおいた存在 という風に考えています。
607唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 19:12:22.86
公孫氏、東夷九種皆服事焉。魏置東夷校尉,
韓に3種あり。馬韓・辰韓・弁韓の3種である。 ここに倭種は登場しないが
238年時点で、弁辰の鉄を採掘している。

210年 金官伽耶(崇神の任那)建国。これ以降倭人が存在する可能性は大きい
纏向 2世紀前半の大型建物に古韓尺が使われる。
ホケノ山古墳3世紀第2四半期(225〜250年) 石囲い木槨
大型壺(瀬戸内系、高さ77センチメートル・最大径65センチメートル)
中型壺(東海系、高さ26センチメートル・最大径24センチメートル)
銅鏃 約60本・鉄鏃 約60本・素環頭大刀 1口・鉄製刀剣類 10口・加飾壺
画紋帯同向式神獣鏡(がもんたいどうこうしきしんじゅうきょう)1面
画紋帯神獣鏡かと考えられる銅鏡片2個体分、内行花文鏡片
鉄製農工具
穴開き二重口縁壺20体(庄内式)≒埴輪

埴輪は、大和と吉備・出雲が関係することをあらわす。
大和と任那の中間に、阿波・播磨・但馬を含む“日矛”系の存在がある。
しかし、この勢力は吉備とは関係が無い。
播磨 綾部山39号墳 『石囲い』 画文帯神獣鏡
葬送儀礼に讃岐地方から運ばれてきた土器が使 われていた。
播磨の墳丘墓からは吉備の土器が出土しない。
三國遺事卷二 より
洎新羅第三十王法敏龍朔元年辛酉(541年)三月日.有制曰.朕是伽耶國元君九代孫仇衝王之
降于當國也.
位己卯年(559年)置便房,降及仇衝朝末,三百三十載之中,享廟禮曲,永無違者.其乃仇衝失位去國.

金官伽耶の領主は倭人ではない。つまり倭人の国ではない。


608日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:13:59.40
倭人は半島にも住んでいて韓伝の国名にも倭国の国名と一致するのがあるけど

それらと倭人伝の内容とはまた別だろ

冒頭に「倭人は帯方郡の東南の大海中に在り」とことわってるんだから

半島内のことじゃない
609夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 19:14:06.55
>>558
距離や方角が一番まともだから九州、畿内が否定出来るんだが。
魏志倭人伝が指している邪馬台国は北九州から日本海側に水行二十日
そこからさらに水行十日陸行一月の内陸部だ。
九州でも畿内でもない。

修辞の万二千里を実距離としなければ成り立たない九州説
倭人伝の行程記述を無視しなければ成り立たない畿内説
これが300年以上、無駄な論争してることに気づけや、糞頭ども プ
610夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 19:19:51.92
あと毎度の粘着が馬鹿言ってて笑っちまうぜ。
自然科学の証明と人文がまるで違うことがわからないで天動説とか、馬鹿丸出しだな ワラ

粘着は粘着、俺の存在に頼る空疎な糞野郎てか ゲラ
611日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:25:13.40
>609

行程記事が正確にどこを指しているかわからないという点では畿内説と一致してる

と思うんだけど?

夢GEN さんはその先は考察しないの?
612日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:30:26.09
東北説の人ってクレーマーだよね
613卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 19:31:31.68
>>608
樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云 (漢書地理誌)

楽浪郡は遼東に在ったのである。だから楽浪海とは渤海のこと。
渤海周辺あるいは韓半島あたりに倭人がいる、という認識である。

のちに認識が進んで、楽浪東南海中とか楽浪東南大海中と書かれるが、
倭国大乱のあった後漢時代にそこまで認識が進んでいたかどうかは不明である。

つまり倭国大乱とか卑弥呼共立は韓半島のことかもしれないのである。
倭韓が帯方郡に属し、公孫氏が平定されると卑弥呼が朝貢してきた、と韓伝や晋書にある。
ここだけ見れば明らかに倭とは韓半島の倭である。

諸悪の根源は倭人伝である。倭人伝を読んで、誰もが倭とは日本であり、
倭国大乱や卑弥呼共立は日本の出来事だと勘違いしてしまったのである。
614日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:37:10.12
>>613
>諸悪の根源は倭人伝である。倭人伝を読んで、誰もが倭とは日本であり、
>倭国大乱や卑弥呼共立は日本の出来事だと勘違いしてしまったのである。

まったく意味がわからん。
615日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:38:42.79
>>613
>ここだけ見れば明らかに倭とは韓半島の倭である。

いや、ここだけ見ちゃだめでしょう

三国志の魏書の東夷伝全体で読まないと
616稗箕狐:2012/01/31(火) 19:43:09.19
弁辰のとこなんかは

倭系っぽいひとたちが多数いるところに

身長の高いのが来て征服してできてるって嫁る
617日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:44:29.37
>>609
水行十日陸行一月が示す距離は不明だ
水行一日=千里みたいな等式があるなら全て里数表記にしてるっつーの
それになんと言っても方角が違う
南と書いてあるものを東と言い張ってる時点でトンデモ解釈としか言いようがない
水行一日=千里の等式があるという思い込み
南を東と言い張る文献無視の態度
正に夢の如きコジツケ解釈だな
618日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:52:59.57
夜なんだから夜勤労働者は2ちゃんなんかやらずに真面目に働けよw
そんなんだからいつまで経っても人様が眠っている時間にしか働かざるを得ないんだよ
619ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 19:54:54.84
>>586 :縄嘉ー
突っ込めそうと思った所をつまみあげただけで、
俺の論旨をまったく理解していんいという外道の典型だ。
>「従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一?、無風或三? 」
>これは風の状態によって到着までの所要時間がこのように変わるということを示しているだけである。
そうだ。
>水行1日=千里の根拠になるものではない。
(風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年)
すべて日数単位で表記してるだろ。海路航行は日数単位か千里・万里単位で表記という説に何も反しない。
何か矛先を間違えちゃいないか?

>日数は条件によって変わるもので距離に換算できないことを示すものである。
状況によって変わるから、
「風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年」だろが。タコ
つづくぞ。
620ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 19:57:06.21
>>586 :縄嘉ー
・『新唐書』 廣州東南海行二百里至屯門山 (100里単位)
▼『山海経』東山経
 南水行五百里、流沙三百里。至于葛山之尾、無草木多砥礪。
 南水行三百里、流沙百里。曰北姑射之山、無草木多石。
 南水行五百里、曰流沙行五百里。有山焉、曰跂踵之山。
 南水行五百里、流沙三百里。至于無皋之山、南望幼海。
>においては水行二百里、三百里、五百里とある。
卑怯もの。(極めて稀な例として、目視可能な短距離を300里、400里と書いているが、
圧倒的大多数は1000里単位か日数単位表記である)。ということわり書きを添えて、
稀に100里単位で表記している事例を出しているフェアさを評価せんか。
『山海経』については、こういう事より書きを添えている。
流沙は中国西北方のタクラマカン砂漠。
ここでいう水行は、明らかに(タリム河やホータン河など)砂漠周辺の内陸河川行である。
河川距離は陸路距離と平行して把握が可能だから、ある程度正確な距離表示ができる。
『山海経』の水行の細かい里程は内陸河川航行だから、ほぼ陸路距離に準じているとみなされる。
 この注釈を抜きで濡れ衣を着せようとしているだろ。卑怯者。

>貴殿は水行が午前だけだろうが10時間だろうが実質の航行時間にかかわらず水行1日とし、
>水行1日=千里だと言っていたが、
あくまでも「表記単位」だ。実際にその距離を航海したというのではないぞタコ。

>それだと水行二百里、三百里、五百里はどうなるのだ? 日数と距離の換算が可能なのか?
(極めて稀な例として、目視可能な短距離を300里、400里と書いているが、
圧倒的大多数は1000里単位か日数単位表記である)。
という注釈を虫した上でのいいがかりだろ。ひきょうもの。

>水行二百里、三百里、五百里は測定可能だったから里数で表したのではないのか?
「目視・目測可能な短距離」とことわっている。
ものの道理が分かるなら。素直に手違いを謝罪せい。さもなくば消えろ・
621唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/31(火) 19:58:23.81
北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

謂之倭奴國… 其國亂...歴年無主。有女子名卑彌呼,國人共立為王。
だから、九州倭奴国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。
晋書 正始元年 東倭重譚納貢。

東倭とは、倭奴国に対する言い回しであり、統一倭国を大倭と表記する魏書。

倭奴國は伊都国の近方である。半島に伊都国は登場しない。
よって、半島に卑弥呼は存在しない。
622ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 19:58:43.41
>>586 :縄嘉ー
勘違いが、それとも、てめえの「こすっ辛い」人間性か。
どっちだ。んー?
623卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 19:59:32.75
私は馬韓と弁辰の南に倭の国々があり、狗邪韓国はその中の一国だったと思っているのだが、
それはそれとして、気になるのは弁辰である。

倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王

ここに弁辰の名がないのである。だから弁辰が倭と名乗って朝貢した可能性もある。
ただし弁辰は辰韓に合併吸収されていたかもしれないが。
624日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:03:11.10
「海路航行は日数単位か千里・万里単位で表記している」から「一航海千里 」「一日航海千里」という結論を導き出すのは論理の飛躍が過ぎる
陸路の距離表記が百里単位だからって「陸行一日=百里」になるのか?
625日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:04:07.98
>>608
>「倭人は帯方郡の東南の大海中に在り」

帯方郡の東南に大海があるんだから朝鮮半島の西岸ってことはあり得ないとよね。
帯方郡は朝鮮半島の東岸にあったってことだよね。
東岸のほうが地形的に乍南乍東という記述にも合ってるわけで。
626ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:04:15.16
>>581
>四千里×四千里に限らず、五千里×三千二百里でもいい。
5000里と3200里の二辺の合計は、8200里だタコ。
俺のいっている意味が分かってるのか?  ゴミクズ
627稗箕狐:2012/01/31(火) 20:05:44.23
>>623
弁辰は12カ國構成のので秦韓だろ

12-8=4のが新羅・任那・加羅・慕韓だってか?
628ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:09:00.13
>>586 :縄嘉ー:
>ではお望み通りにしよう。

て。てめえ、それで反論でもしたつもりかこの野郎。
いっぺん俺の目の前で語ってみるか?
629日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:10:38.69
もともと、正確な距離は計測できないんだから、
千里に近ければ千里でよかろう。

せいぜい500里を千里と言っている位の事で、
百里を千里と言っているわけではない。
630ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:13:55.51
>>624
>陸路の距離表記が百里単位だからって「陸行一日=百里」になるのか?
あくまでも「正しい距離測定が不可能な海路距離の表記法」の話だが。
揚げ足とりだか言葉尻のつもりだろうが、
てめえの「おつむ」の粗末さを露呈するだけの恥投稿だ。
631ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:16:29.53
>>629
>千里に近ければ千里でよかろう。
船による航海が1日で千里に近いことはない。
あくまでも、アバウトかつ大ぎょうにいう中華人の表記法だ。
632稗箕狐:2012/01/31(火) 20:17:00.04
>>623
いちばんあたまのの「倭」が「狗邪韓国」のなれのはてだわな
633ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:18:25.84
>>624 のクソ野郎
>陸路の距離表記が百里単位だからって「陸行一日=百里」になるのか?

あくまでも「正しい距離測定が不可能な海路距離の表記法」の話だ。
こんな口上を目の前でやられたら、
モノも言わずにぶっ飛ばしてるところだぜ。
634志紀:2012/01/31(火) 20:20:20.37
『南斉書』加羅國伝
 弁辰與辰韓雜居

って書いてあるやんw


從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里

ここで、狗邪韓國も倭に入れると言う人もいるが、この条に何も書いていなくて、
次の対馬が詳しいのを見ただけでも、ここからが倭人の領域って明らかじゃないかな。
また、仮に?賣廬國が倭と接している、を、地続きと見て、半島南部も倭地としても、
そこから女王国はじめとする倭地の中心部まではまだ遠いわけで。
とても卑弥呼が半島にいたとは読めないよ(´・ω・`)
635日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:20:50.36
>>625
>帯方郡の東南に大海があるんだから朝鮮半島の西岸ってことはあり得ないとよね。
帯方郡は朝鮮半島の東岸にあったってことだよね。

いや、必ずしも帯方郡と東南の大海の間に土地がないということにはならないだろ

大海とは日本列島の周りの海全部だから半島の西側から東南の大海と表現しても

別に矛盾はしない
636Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 20:26:41.31
>>551 朝鮮
>私は持っていないが、岩波文庫の「魏志倭人伝」に、
>参考文献として浜名寛祐氏の「契丹古伝」が挙げられているとか。
>まともな学者が学術的価値ありと認定した書なのである。
>君らが思っているようなトンデモ本ではない。

所持していますが、貴方が読むような本が載ってるわけないじゃないですか。
考えたら分かりそうなものを・・・ミ(ノ_ _)ノ=3
637日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:27:28.16
>>633
あなたの論理構成を陸行に当て嵌めれば俺の言ってる通りになるじゃないか
痛いところを突かれたからってヒステリーを起こしなさんな
大体さ「一航海千里」「一日航海千里」って方程式みたいなものがあるのなら全て里数表記になってるはずでしょ
日数表記と里数表記が混在しているという事実から導き出される結論は「日数と里数を相互変換する方程式みたいなものは無い」という事だよ
普通に考えればそうなるよ
638志紀:2012/01/31(火) 20:29:50.81
倭人の初出が

樂浪海中有倭人

魏志東夷伝が

倭人在帶方東南大海之中

この有と在の違いからも、地理志と東夷伝の指す「倭人」が同じと
言う説が有力に思います。

http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=33.606452164248&lon=130.41807746193&ac=40&az=&z=10

方向も正確に東南で、乍南乍東の通り。
639日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:30:46.90
>>635
帯方郡 : 南は韓と接し、東北は高句麗、 西北は烏丸・鮮卑、西南は漢・魏の幽州
640夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 20:30:52.33
>>617
ぐだぐだ同じことを繰り返すな、糞頭。
倭人伝の行程記事を百回読み返せ。

距離表示に里程と水行、陸行は同じ使われ方をしている。
水行一日=千里は修辞なんだよ。実距離とは無関係。
使者が直に行ってる所は里程表示、伝聞は時間表示だ。
その直に行ってる陸路の里程も修辞だがな。
方角は古地図から明らかに日本の地形を誤認しているのがわかる。
蝦夷が琉球より南だと認識してたような国だぞ。
「混一」的地理観であったことは間違いなく、九州より先は南は東ないし北と読むべきなんだよ。

同じ話を蒸し返すな、面倒くさい。
641ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:33:29.15
>>637
>あなたの論理構成を陸行に当て嵌めれば俺の言ってる通りになるじゃないか
あくまでも「正しい距離測定が不可能な海路距離の表記法」の話だ。
これを陸行に当てはめるバカがいるか。クソ野郎
なーにが「論理構成」だ知的しゃくしょ。

>痛いところを突かれたからってヒステリーを起こしなさんな
痛いどころか。健常者のセリフにはあり得ないバカさ加減だ。

日ゼニ稼ぎの板乞食。
642夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 20:35:21.29
前後するが、>>611
倭人伝からは「その先」はわからない。わかるのは上記のことまで。
日本海側に水行二十日、さらに水行十日陸行一月の内陸部だけ。
これ以上は特定しようがない。
東北のどこかか、近いなら信州あたりじゃないのかね。
643日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:36:58.94
>>640
糞みたいなトンデモ理論を蒸し返してるのはお前だろ
言い張ればなんとかなるとでも思っているんだろうが、もう皆あきれ果てているから
644日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:41:50.58
>>641
ますますヒステリックだね
計測不可能云々は論理構成には関係無いでしょ
それに噛み付くならそこじゃなく後段に噛み付けよ
645日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:42:34.40
基本は日数→里程への変換
但し、船行日数からの変換には齟齬が生じる
巍の本拠は内陸部。
波がなく流れの緩やかな大河での船行が基準になってる
波が高く海流のある外海では当然速度は落ちる
済州島まで3ヶ月も要する程に。
そのまま変換すれば、里程が大きくなる方向に誤差が生じる
646夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 20:47:54.24
>>637
伊作の援護してもしかたないんだが ワラ

>「日数と里数を相互変換する方程式みたいなものは無い」という事だよ
普通に考えればそうなるよ

普通に考えるなら直に行ってる場合と、伝聞とだとわかりそうなもんだがな。
伝聞で聞いたものまで里程換算する必要はないぜ。

>伊作
倭人伝の陸路の里程も実距離じゃねえぜ。

時間が前以上に限られると、書き込みも難しいな。
647ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:49:08.48
おほほーい・クソったれども。

海路距離を細かく「○千○百里」と書いている記録を探してこい。
(ただし、ごく稀に、目測可能な近距離を○百里と書いたのは問題外とする)
海路日数を「○月○日と半日」なんて記録があったらもってこい。
その上で反論しろ。


日ゼニ稼ぎの板乞食。日ゼニ稼ぎの名無し。
お前らはヒット数だけが目当てだから、
自分が横ちゃりする投稿の主旨・論旨を理解していない。致命的で共通の特徴だ。
648縄嘉ー:2012/01/31(火) 20:49:14.79
>>610 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/01/31(火) 19:19:51.92
>自然科学の証明と人文がまるで違うことがわからないで天動説とか、馬鹿丸出しだな ワラ

また馬鹿丸出しのレスだな。
儂は自然科学の証明の話などしていないぞ。
論理的考察について話しているのだ。
地動説や進化論の例はそれが出た当時の人々の認識として反対派がメジャーだったという例だ。
そしてそのメジャー派の認識が正しくなかったという例だ。
これはおまえのレベルに合わせてやったものだ。
多数派の認識が正しいかどうかはその認識の根拠が正しいかどうかにかかっている。
だから、おまえの主張の根拠に「多数派の認識だから」を挙げるのはペケで、多数派の認識の根拠が正しいことを示さなければならないのだ。
こんなことも分からんとはねえ。馬鹿だからしょうがないか。

649ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 20:53:06.90
おほほーい・縄嘉ー 。
「うん」とか「すん」とかいったらどうだ。
頬かむりして消えて、ほとぼりが覚めたら別ハンで再登・縄嘉ー ?
650日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:56:20.61
>>646
相互変換出来るのなら伝聞だろうがなんだろうが関係ないだろ
相互変換出来ないから日数で表記した、これがごく普通の結論
651日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:00:10.17
>>648
つーかね、あなた出す例がいっつもずれてるから説得力ないのよ
ま、笑いは人一倍とってるんだけどね

652日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:02:29.86
>>647
だからな、その事から「一航海千里」「一日航海千里」なんて方程式みたいなものは導き出せないんだよ
もうやめとけ
653日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:04:21.78
>>642 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>日本海側に水行二十日、さらに水行十日陸行一月の内陸部だけ。

根拠無し。

里数の10700里分は「修辞」で実数でないのだからどれくらいなのか「分からない」
日数表示部分は「距離に換算できない・すべきでない」と言っているのだからこれも「分からない」

「分からない」+「分からない」=当然分からない

…はずなのに何故か九州に収まらず畿内も過ぎることは分かると言うw電波丸出し。
「メクラ」の脳味噌「カタワ」のゴミクズ。

A〜B間をある距離に計算
B(邪馬台国)がCと言うエリア(九州や畿内)内だと結果付けた。

それを「その計算が間違っている」「その数値は実数ではない」と証明できたとしても。
じゃあB(邪馬台国)がCと言うエリア(九州や畿内)内に入っているのかどうかは別の問題。

更にD(東北)と言うエリアに届くかは本来分かる筈も無い。

「実数ではない」「修辞だ」…で否定できるのはその計算根拠であって
計算によって位置を限定できないと言うことだけ。


654縄嘉ー:2012/01/31(火) 21:09:36.35
>>619, >>620 :ゴミために降りた鶴

情けないねえ。痛いとこを衝かれて狼狽しちゃって。無意味なレスを返していることも分からんの?

>>水行1日=千里の根拠になるものではない。
>(風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年)
>すべて日数単位で表記してるだろ。海路航行は日数単位か千里・万里単位で表記という説に何も反しない。

「すべて日数単位で表記してるだろ。」って当然だろ。所要時間を言っているのだから。里数で表記出来る訳が無い。
「海路航行は日数単位か千里・万里単位で表記という説に何も反しない。」と言っても、水行1日=千里とは何の関係もない。
その他貴殿が挙げた例の中でも「水行1日=千里が表記上の常識だった」ということの根拠と看做せるものは一例も無い。
たまたま千里が水行1日に相当したとしてもそれが常識であった根拠には出来ないだろう。

>>622 :ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 19:58:43.41
>>586 :縄嘉ー
勘違いが、それとも、てめえの「こすっ辛い」人間性か。
どっちだ。んー?

落ちたもんだな〜。こうはなりたくないな。
655日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:10:35.92
>>606 老眼
>狗奴国は三重辺りにあった倭国の構成員と捉え

まあ纏向の外来系土器における東海系の割合を考えて
それでも全面戦争の想定には難があるとすればそう言うシナリオになるんだろうけど…

しかし「倭国の構成員」と言うことは狗奴国との衝突は「国内問題」って事で
国外に何らかの調停役を頼むと言うのは違和感があるwwwwwwww
656卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 21:23:49.03
>>636
もう一度見てごらん。「日韓正宗遡源」として載っているかもしれない。
657日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:23:53.27
前方後円墳の円は天を表し、方は地を表す
天地思想で、円のほうで首長霊の継承が行なわれ、
地のほうで民衆がそれをみた中国のならわしであり、
これは卑弥呼が魏の冊封下に入ったから
始まったものなので、箸墓が卑弥呼の墓だよ。
いずれC14の精度がもう少し高まれば決定する。
658日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:28:18.18
>>657
名古屋かな?w
例によって前方後円墳が中国思想に由来すると言う説だが
じゃあ前方部分が「撥型」になっていくのは何故なんだい?wwwww

659ローガン:2012/01/31(火) 21:28:19.33
>>655
>国外に何らかの調停役を頼むと言うのは違和感があるwwwwwwww

だから「半島への出兵要請」を断る言い訳。 又後程。
660ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 21:45:13.18
>>654 :縄嘉ー
想定済み。なめるんじゃない。

・論拠というものは、時として両刃の剣となる。
反論材料にもなるわけだ。その逆もまたある。
・論拠をもちいた論証ごとは将棋のように
何手か先を読むことが必要だ。

俺は、「こういう史料を使って反論してくるだろう」と読んだものは、
それをも提示してあらかじめ反証にならないことを明記する。
今回の例もそれにあたる。

「従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一歲、無風或三歲」
(風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年)
ある一定の距離を、風の状況によって2ヵ月から3年かかるというわけだ。
これをとって、「1日が千里表記ではない」といえるし、
「船の航行速度は一定ではない」「1日何里とはいえない」ともいえる。
だから、何手か先を読める人間はこういうのは論拠にも反証にも使わない。

何よりも、特殊な事例だからこそ例外的に特筆している記録である。
特殊な事例をもって通例であるかのようにいう帰納法はこのジャンルでは邪道だ。
661日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:46:47.02
>>657
主張ではなく、論証をしろ。箸墓が卑弥呼の墓だという証拠がどこに有る?。あほ。お前がその論証をキチッとやり遂げて、立証して見せるか。その立証をしてから箸墓=卑弥呼の墓だと言え。
662ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 21:48:17.73
>>654 :縄嘉ー
バカなくせに利口だとおもって自惚れているる野郎には
ちと・言い回しが高度すぎたか。
モノの違いがわかったら・もう消えろ。
663縄嘉ー:2012/01/31(火) 21:49:57.10
>>660:ゴミために降りた鶴
では特殊な事例でない「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せばいいだけのことだ。
664卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 21:50:48.34
>>634
後漢書の檀石槐伝に烏侯秦水の東の倭人國を攻撃して倭人を拉致してきて魚を捕らせたという記述がある。
これは魏略のほぼ丸写しだが、魏略の原文では汗人国、汗人となっている。
范曄はどういうわけかそれを倭人国、倭人に変えているのである。

烏侯秦水というのは遼河か、渤海周辺のどこからしい。
すると、范曄は、倭国が日本だと知っていながら、渤海周辺あるいは遼東あたりにも倭人、倭国があったと思っていたのである。

だから倭国大乱とあっても日本のことだと即断しないほうがいい。
後漢時代の中国人が、倭国大乱と聞いて日本のことだと思ったかどうかは疑問なのである。
665日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:53:59.73
放射性炭素14測定もこれはまだどんぴしゃで当てるだけの精度はないな。
おまえらもくだらん文献解釈から邪馬台国などアプローチする
素人じみたやり方などいい加減馬鹿だからやめて、
科学的アプローチに切り替えろ。放射性炭素14と年輪年代の
整合性がうまくいくような研究したほうが、魏志倭人伝の行程を
ごちゃごちゃ考えるよりはるかにましだ。
666縄嘉ー:2012/01/31(火) 21:54:58.71
>>662 :ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 21:48:17.73
>>654 :縄嘉ー
>バカなくせに利口だとおもって自惚れているる野郎には
>ちと・言い回しが高度すぎたか。
>モノの違いがわかったら・もう消えろ。

あ〜あ。ここまで落ちたか。情けない奴だ。
泣き言言わずにさっさと「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せ。
667ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 21:55:15.54
縄嘉ー がスルーした返答を再掲する。
>・『新唐書』 廣州東南海行二百里至屯門山 (100里単位)
>▼『山海経』東山経
>南水行五百里、流沙三百里。至于葛山之尾、無草木多砥礪。
>南水行三百里、流沙百里。曰北姑射之山、無草木多石。 (以下省略)
>においては水行二百里、三百里、五百里とある。

卑怯もの。
(極めて稀な例として、目視可能な短距離を300里、400里と書いているが、
圧倒的大多数は1000里単位か日数単位表記である)。ということわり書きを添えて、
稀に100里単位で表記している事例を出しているフェアさを評価せんか。

『山海経』については、こういうことわり書きを添えている。
「流沙は中国西北方のタクラマカン砂漠。
ここでいう水行は、明らかに(タリム河やホータン河など)砂漠周辺の内陸河川行である。
河川距離は陸路距離と平行して把握が可能だから、ある程度正確な距離表示ができる。
『山海経』の水行の細かい里程は内陸河川航行だから、ほぼ陸路距離に準じているとみなされる」。
この注釈を抜きで濡れ衣を着せようとしているだろ。卑怯者。

>貴殿は水行が午前だけだろうが10時間だろうが実質の航行時間にかかわらず水行1日とし、
>水行1日=千里だと言っていたが、
あくまでも「表記単位」だ。実際にその距離を航海したというのではないぞタコ。

>それだと水行二百里、三百里、五百里はどうなるのだ? 日数と距離の換算が可能なのか?
(極めて稀な例として、目視可能な短距離を300里、400里と書いているが、
圧倒的大多数は1000里単位か日数単位表記である)。
という注釈を無視た上でのいいがかりだろ。

>水行二百里、三百里、五百里は測定可能だったから里数で表したのではないのか?
「目視・目測可能な短距離」とことわっている。
ものの道理が分かるなら。素直に手違いを謝罪せい。さもなくば消えろ。
668日本@名無史さん:2012/01/31(火) 21:59:19.38
しかし 森村伊作vs無限尿 のみならず 森村伊作vs縄文人か…
もうケイオスの極みだなwwwww

まあ縄文人も 森村伊作 や 無限尿 に劣らず自惚れ屋さんだからなあw
669縄嘉ー:2012/01/31(火) 22:00:46.61
>>667 :ゴミために降りた鶴
この野郎!!うだうだと繰り返しやがって。
だから、そんな屁みたいな話でなくちゃんと「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せと言ってるだろが。

670日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:02:20.30
ゴミためを漁るつるっ禿げ今日は張り切ってんな
671日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:02:32.92
遺跡から新発見がある度、祭や儀式で使用されたものではないかとありますが、無理があると思います。
本当に頻繁に行われていたと思われますか?
672日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:03:47.19
>>661
少なくとも箸墓は候補として有力な古墳というのは認めてもいいと思う。
673Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 22:03:50.63
>>547 ひとぶたさん
>その詔の内容は「立派な黄幢あげるから、これからも忠義を尽くし、任務に励め」くらいのものなんじゃないのでしょうか。
>景初の詔には、倭王拝命と言う特別の記述があるため伝中に引用されたのでしょう。
>正始六年の詔が引用されななかったと言うことは、記述すべき特別な内容が無かったからじゃないのかな?

なるほど、なるほど、う〜ん・・・
そうすると、貴方やローガン氏の言う通りなんでしょうかねえ・・・困ったな><
674Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 22:05:03.63
>>656 朝鮮
>もう一度見てごらん。「日韓正宗遡源」として載っているかもしれない。

無いですよ・・・
675ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:05:25.20
>>663 :縄嘉ー
お前は >>586 でこういっている。
>貴殿がみずからのサイトに挙げている下記の記事

こういって、俺が俺のサイトに提示した『魏略』西戎伝 、『新唐書』 、
『山海経』の記録(販路な使えそうな部分)を、卑怯にも
俺のことわり文を引用せずピックアッブしてるじゃないか。
俺のサイトを見たんだろ。
そこに「水行1日=千里が常識」の根拠になる例が列挙してあったろ。
それなのに、こんな板で見栄はって、
>特殊な事例でない「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せばいいだけのことだ。
とは性格のいいところが如実に出てるぜ。

>>666 :縄嘉ー
>あ〜あ。ここまで落ちたか。情けない奴だ。
返答に困った奴がよく使う「口先だけの見栄」というやつな。

>泣き言言わずにさっさと「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せ。
お前は俺のサイトを見たいってるんだ。
そこに「水行1日=千里が常識」の根拠になる例が列挙してあったろ。
それをなかったことにして見栄を張る。
「ここまで落ちたか。情けない奴だとはお前のことだ。
676ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:08:47.05
縄嘉ー

俺とやり合った奴は、俺の真っ直ぐさと清廉さに現れて、
こ汚いところが浮き彫りになる。
すると、信用を喪失した誰ももともに相手をしなくなる。お前もその口だ。
安い奴とおなじで、掛け合い口論上の「負けないそぶり」だけはする。

直球を投げられて変化球を投げ返すのは逃げと同じだ。やりとりにならん。
677日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:10:23.06
>>676 森村伊作 
>俺とやり合った奴は、俺の真っ直ぐさと清廉さに現れて、

コレ素で言ってんだろうなあwwwwwwww
678卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 22:10:38.99
>>671
学者は、分らないから、何でもかんでも祭祀や儀式に使用されたのだろうと言っているのですよ。

>>674
そうかww ではたぶん旧版に載っているのだろう。
679ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:10:40.10
縄嘉ー がウソをついてる証拠を確認してくれ。
奴とのやりとりのテーマとなっていることは
俺の板にも掲示してある。

http://8234.teacup.com/isaq/bbs
680日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:12:36.49
箸墓は土器編年や築造形式、特殊器台や鏡等から判断しても
3世紀代の築造は揺るがないから卑弥呼じゃなかたっとしても
台与だ。九州説とかほんと頭悪い奴しか今時言ってないよ。
681ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:14:24.85
>>677
>コレ素で言ってんだろうなあwwwwwwww
俺がここにツラを出して以来不動の現実だ。
ここは、名無しが多いから特定はできんが、蹴散らした奴の数は相当数に昇るぜ。
682ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:16:00.35
ほれほれ、縄嘉ー。
バツの悪さをどうつくろうか見物だ。観客が返答を待ってるぜ。
683日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:22:17.98
祭祀や儀式に使われたってのは、話半分に聞いとかんとなあ。
要は論理的理由がわからない、と言っているに等しい。
684日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:22:37.92
>5000里と3200里の二辺の合計は、8200里だタコ。
>俺のいっている意味が分かってるのか?  ゴミクズ
おいおい、誰も使者が2辺を完全に回ったなんて言ってないぞ。

>「水行1日=千里が常識」
そんな常識あるわけなかろうが。水行は同じ距離だって条件次第で
かかる日数がまったくちがうんだ。西域伝にそう書いてあったろうが。
685日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:23:28.31
ほんと素人マニアなどいかんことがよくわかるスレだなw
そりゃ専門家はみんな邪馬台国は嫌って避けるわけだww
686ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:24:41.09
>>660  縄嘉ーがまったくスルーした俺の返答の再掲
・論拠というものは、時として両刃の剣となる。 反論材料にもなるわけだ。その逆もまたある。
・論拠をもちいた論証ごとは将棋のように 何手か先を読むことが必要だ。
俺は、「こういう史料を使って反論してくるだろう」と読んだものは、
それをも提示してあらかじめ反証にならないことを明記する。 今回の例もそれにあたる。

「従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一歲、無風或三歲」
(風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年)

ある一定の距離を、風の状況によって2ヵ月から3年かかるというわけだ。
これをとって、「1日が千里表記ではない」といえるし、
「船の航行速度は一定ではない」「1日何里とはいえない」ともいえる。
だから、何手か先を読める人間はこういうのは論拠にも反証にも使わない。
何よりも、特殊な事例だからこそ例外的に特筆している記録である。
特殊な事例をもって通例であるかのようにいう帰納法はこのジャンルでは邪道だ。

そうしたらこれだ。
>>663 :縄嘉ー
>では特殊な事例でない「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せばいいだけのことだ。
で・「水行1日=千里が常識」の根拠になる例は俺の板にも開示している事実を述べた。
けっきょくの所、こ汚い手口を使った尻拭いはしないままだ。
こういう手合いを何人相手にして蹴散らしたことか。ほとんどは消えたが…………。
687日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:26:56.53
キチガイには何を言っても無駄であるとつくづく思う
688ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:29:48.45
>>684
>誰も使者が2辺を完全に回ったなんて言ってないぞ。
なーにをズレたことをいってやがるんだ。
7000余里と書いた海路距離よりも、
現実には三韓面積の二辺合計の8000里が短い。
海路距離と陸路距離は尺度が違うという事実。
これに対する横チャリじゃなかったのか?

ぶっ飛んだ横チャリならほかをあたれ。
689日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:30:44.12
はっきり言って、C14と年輪年代をうまく整合させて、
年代測定の精度を高めていくしかもうやり方はない。それに気付かない時点で馬鹿だ。
九州説とかいまだに言ってる素人マニアのアホどもは
必死でC14は出鱈目だと火消しに走っててうけるがねw
補正がもっとうまくいけば精度は高まるし、まだ伸びしろはあるから
邪馬台国研究したいならここで攻めるしかないとおもうが、
ここのやつらはほとんどくだらん文献解釈ばかりでいかにも
頭悪い素人マニア丸出しで笑えてくるがね。まあおまえらみたいのは
プロは相手にしてないよ。
690日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:32:13.44
>>412
>1日に100余里しか進まなかった

1日に100里(43.2km)だったら海流がある玄界灘はプサン〜対馬〜壱岐間各1日は
ちょっと厳しいだろうな
691ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:32:28.80
>>684
>そんな常識あるわけなかろうが。水行は同じ距離だって条件次第で
>かかる日数がまったくちがうんだ。西域伝にそう書いてあったろうが。

>>686を読め。日ゼニ稼ぎの板乞食
692日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:32:29.81
結局、水行に何日かかったかを検証する方法はない。
一生懸命いろいろ主張しているが、文献などの客観的な決め手はない。

今のところ、水行二十日陸行一月の解釈は、

帯方郡から邪馬台国までの総日程
不弥国からの日程
伊都国からの日程
距離の単位

といったところかね。
693日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:34:23.79
4000里四方の面積が、

四角の二編だと8000里だが、
円周の半分だと7000里
694ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:37:54.76
>>692
>結局、水行に何日かかったかを検証する方法はない。

「水行20日」「水行10日」に何日かかったか分からんてか?
なにかしら、不具合な頭の持ち主ばかり横行するなー。
こいつ、前にも「水行10日陸行1月は距離の単位」とか、
よくは意味の理解できないことを口走っていた奴だな。
695志紀:2012/01/31(火) 22:38:41.16
>>689
理論と検証、文献と発掘は車の両輪。
それを、考古学一辺倒で文献の方は都合のいいとこだけ稚拙なやり方で
つまみ食い。まさしく片輪(カタワ)だね。

仮に箸墓の年代がジャストだったとして、じゃあそれが即ち卑弥呼の
墓なのかよ。
キチガイは死ねよ。
696日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:41:03.13
>>694
ちょっと足りなかったな。すまん

>結局、水行に何日かかったかを検証する方法はない。

>結局、狗邪韓国ー唐津間で、水行に何日かかったかを検証する方法はない。

と修正する。
697ゴミために降りた鶴:2012/01/31(火) 22:41:12.00
>>693
>円周の半分だと7000里
もぐら叩きか、不具合な頭の持ち主ばかりボコボコ。
完全にいっちゃてる奴にまでからまれちゃ・たまらんぜ。
698日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:41:31.01
C14がジャストなら箸墓は卑弥呼の墓の蓋然性は高い。
箸墓に対して、2分の1、3分の1の規格の前方後円墳が
作られだすので、箸墓は倭王の墓だ。魏志倭人伝からこの時代の
倭王は卑弥呼だと証明できる。
699日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:41:35.14
>7000余里と書いた海路距離よりも、現実には三韓面積の二辺合計の8000里が短い。
>海路距離と陸路距離は尺度が違うという事実。これに対する横チャリじゃなかったのか?
三韓面積の方四千里の線の引き方がちがってんだよ。小さく引くから七千里の方が長く
見えるんだ。

700日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:44:10.89
短里で、4000里×4000里の面積は、
現在の韓国の面積とほぼ同じ。

これでなにも問題はないだろう。
701日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:44:20.96
>>688
>海路距離と陸路距離は尺度が違うという事実。

陸路距離じゃないよ そんな直線距離計測できないから
702日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:44:44.09
>何手か先を読める人間はこういうのは論拠にも反証にも使わない。
都合が悪い証拠には目を背けるってだけのことだな。
703日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:46:03.50
よく考えてみれば、帯方郡−狗邪韓国間の七千里も、
7日で行ったという根拠は何も無いよな。
704日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:46:21.04
やはりC14がカギを握ってると言うことだ。
しかしこの分野の研究は素人には無理だろうな。難しいし、
そもそも文系のくせに大学で歴史学考古学も専攻してなかったような
素人ばっかじゃないかここw
それでもせめて歴史学か考古学で学部くらいは卒業してると思ってたが
全くの素人だなこりゃw
705日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:50:50.77
>よく考えてみれば、帯方郡−狗邪韓国間の七千里も、
>7日で行ったという根拠は何も無いよな。
考えんでも何にもないよ。

706日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:51:57.78
>>704
このスレの中では、お前が1番カスだから、自覚するようにな。
707日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:54:26.97
帯方郡−狗邪韓国間が、実質10000里として、770キロ
これを7日で行くとなると、一日110キロ
一日10時間航行して。時速11キロで約6ノット

これは平均速度だから、最高速度はもっと早いだろう。

このくらいの速度だと、原始的な帆船や手こぎでは無理な速度だな。
708日本@名無史さん :2012/01/31(火) 22:55:43.13
>>706
19歳自宅警備員に何を言っても無駄な気がするw
709日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:55:47.44
1000里という海路距離に何日かかったかはわからないよ
710卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/31(火) 22:56:58.18
まあ、名大に通ったことがよっぽど自慢なのだろう。
名大に落ちていれば、ここまで生意気な人間にはならなかったろうが…。

困ったものだ。先が思いやられる。これからの人生で痛い目に合うだろう。
711日本@名無史さん:2012/01/31(火) 22:57:39.42
すくなくとも、帯方郡−狗邪韓国間は7日では移動できない。
従って、この間は一日あたり千里という論理は適用できないと言えそうだ。
712日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:02:27.82
>>704
ココの住人は邪馬台国に関しては、その辺の学者よりは上だぞ
学者が論破されるところを見たいから、お前の思う偉い学者をここに呼んでこいw
713日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:04:54.88
水行十日陸行一月のうち、水行十日は、
狗邪韓国までの7000里を7日
狗邪韓国−松浦間の3000里を3日とする向きがあるが、

動力船でもなければ、狗邪韓国まで7日で行けない。
714日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:07:11.64

伊作の行程解釈説は終了でいいね
715日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:11:36.02
じゃ、ついでに、日数は郡からだなんてトンデモも吹っ飛ばしておこうか?
みんな、どう思う?
716Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 23:12:14.28
>ココの住人は邪馬台国に関しては、その辺の学者よりは上だぞ

コレは無いなwww
逆にどこのどいつが学者よりは上なん?て聞きたい。
717日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:13:41.27
>>715
うん。なりたたないね。
718縄嘉ー:2012/01/31(火) 23:16:38.23
>>675,>>676 :ゴミために降りた鶴
儂はおまえのように暇人ではないからしょっちゅうパソコンの前に居るわけにはゆかないんだ。
しかし、頭の悪い奴よの〜。

おまえの書いたもの
船行・海行・水行の記録法 投稿者:管理人 投稿日:2012年 1月30日(月)01時44分11秒
には船行を日数、月数などで表記した例、千里、万里単位で表記した例、百里単位で表記した例が挙げられているが、
そのどれをとっても水行1日=千里の根拠になるものが無い。

儂の判断が間違っていると言うのなら、これがその根拠になる例だというものを示してくれ。
そういうものがあるのであれば、ぐちゃぐちゃ恨み言など言わず、さっさと出せばよいだろ。

女の腐ったようなマネはやめろ。みっともない。
719Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 23:17:04.25
>学者が論破されるところを見たい

俺、ローガン氏と人豚氏に論破されてるやんww 
あれーー ホントに 其六年と八年の「黄幢」は一緒だねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
720Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 23:31:51.78
>プサン〜対馬〜壱岐間各1日はちょっと厳しいだろうな

まだ言ってるのか・・・ジョーカーはすでに微訂正してるのにwww
721日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:34:47.34
>>720
ふ〜ん
722日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:39:44.11
伊作、夢幻如は終了
723Aratame_Himiko:2012/01/31(火) 23:40:07.40
>ココの住人は邪馬台国に関しては、その辺の学者よりは上だぞ

コレってマジで誰なん?そんな奴ここに居たか〜?www

あと、おれは違うな。
私はいつも言ってるように、5年以上はやってきてるんで
それぐらいのスキルはあっても(自分で言うのもなんですが・・・)
10年以上はやってないので、それ以上のスキルはないよ、と。
724日本@名無史さん:2012/01/31(火) 23:49:55.78
五年以上やってもまだ放射式が理解できんか?
725Aratame_Himiko:2012/02/01(水) 00:10:01.73
>>724
放射式ていうのは、東洋史学者の榎一雄氏が初めに提唱したもので、
この榎説が提唱されるまでは、ずっと連続式で論争がおこなわれてたんですが、
この放射式が世に出て、いままでの邪馬台国論争を一新させた画期的な説なんていわれてた時期があると思う。
そのあとにすぐ、これを批判する〜誰だったか忘れたんですが・・・論文が出されて
その他の記事(中国文献)と比較したら、「放射式」ではなく、「連続式」で読む例が多くあり、
放射式で読む事例はなかったんじゃなかろうか(たぶん)。
その論文以降、この放射式で読む方法は、ほとんどみられなくなったんじゃなかろうか?
726ひとぶた:2012/02/01(水) 00:17:17.57
>>719

別に「論破」なんてしてませんよ。
そう思ったなら、それは睡眠術にでも掛ったんでしょう。
暗示を受け入れやすい人は、前説でもっともらしい話を聞かせられ納得したところへ、
それとは関係ない本題を「だから、これも正しいんです」とか振られると、そう感じてしまうそうです。
これ、トンデモ本書くときの基本だそうですねw
727日本@名無史さん:2012/02/01(水) 00:20:30.66
>>726
誰かがよく使ってる術ですね
728Aratame_Himiko:2012/02/01(水) 00:24:52.17
ああ〜もう少し、調べてみる必要があるかもしれませんが
おそらくは、ローガン氏、人豚氏の言うとおりでしょうね。

ていうのは、その四年の朝貢の際に狗奴國との不和を訴えて、
その時に黄幢を求めたと。
729日本@名無史さん:2012/02/01(水) 00:38:34.98
>>725
> 放射式で読む事例はなかったんじゃなかろうか(たぶん)。

http://zh.wikisource.org/wiki/通典/卷184 で "南海郡" を検索
730Aratame_Himiko:2012/02/01(水) 00:45:34.57
>>729
とても大事な〜♪ 君の思いは〜♪ この中ではナッチがかわいいかな。
http://www.youtube.com/watch?v=EZ9x1keJW4A

検索して探すの〜面倒なので、おぃは寝るぜーw zzz・・・・
731日本@名無史さん:2012/02/01(水) 00:54:07.39
連続式で読む文もあり放射式で読む文もあり、どっちでも読める文もある。
そんなこともわからないやつが連続式だ放射式だと言っても意味なし。
732ひとぶた:2012/02/01(水) 01:03:49.04
>>606 ローガンさん

> 私的には、狗奴国は三重辺りにあった倭国の構成員と捉え、纏向造営に積極的に参加したものの、
> 盟主には成れず、女王とは一定の距離をおいた存在 という風に考えています。

よく誤解されている九州説の方がいますが、別に連合勢力が共同して纏向を建設したわけではないですよね。
東海とか吉備とか阿讃とかの影響は、あくまでも文化的、技術的(当然人的にもですが)なレベルであって、
建設主体ってのは、政治的には単一勢力だと思うんですよね。
「連合」ってのは、全国に出来つつあった大小様々な「纏向的」存在の政治勢力が連携しあって生まれた。
だから、狗奴国みたいな、そんな際どい関係の勢力は、積極的には絡んでこないと思うんですよね。
じゃ、それはどこかと言うと・・・南九州とか出雲とかでしょうかね。
733ひとぶた:2012/02/01(水) 01:09:57.70
>>582 稗箕狐さん

> 「都」 つうのは暴力装置の呼称だって直感でわからないのは にぶい

じゃ、都市牛利の「都」も・・・・
734日本@名無史さん:2012/02/01(水) 01:19:19.92
放射式だと伊都國から投馬國に行って又伊都國に戻ってそれから邪馬台國に行ったっていう事になるんでしょ
わざわざ往復40日もかけて目的地でもない投馬國に行くかね?
735稗箕狐:2012/02/01(水) 01:57:00.88
>>733
校尉は指揮官で軍を率いる専門職で、司令官である都尉の下に複数所属するのが普通で
都尉は校尉を統べるのだけれど、郡が発明されてからは郡太守が都尉を兼務するのが多い

九卿の光禄勲に所属する 倭國都尉 は
  形式上は帯方郡太守の指揮命令系統下に位置する帯方郡都尉ですね
  これはいわば郡太守のが分身したみたいなもの
  てか郡太守をセットアップしたときのちょっとした工夫というやつ
  郡太守を九卿の光禄勲に所属するようにみせかけたいわけです

倭國都尉 は 倭國中郎将 です
九卿の光禄勲に所属する 倭國都尉 は、銀印青綬を帯びるけど
九卿の光禄勲に所属する 光禄大夫 として帝のとりまきのふりしたら
    金紫光禄大夫(おぉふ) で 金印紫綬を帯びれるわんわん(王)だからいぬ(委奴)なんだろ
        王におうなんて音とか何処捜したらでてくるもんだかね 列島ローカルのだろ
736稗箕狐:2012/02/01(水) 02:10:43.89

自單單大山領以西屬樂浪 自領以東七縣都尉(属国都尉)主之皆以濊爲民
後省都尉 封其渠帥爲侯今不耐濊皆其種也

高句麗 
在遼東之東千里 南與朝鮮 濊貊 東與沃沮 北與夫餘接
都於丸都之下 方可二千里 戸三萬
737日本@名無史さん:2012/02/01(水) 02:29:49.56
>>725 ドツボ
>東洋史学者の榎一雄氏が初めに提唱したもので、

違う。
738夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 06:22:11.75
>>648
糞頭、まだ理解出来ないか。どんだけ馬鹿なんだ? アキレ
自然科学と人文科学じゃ根本からして違い多数派は全く違う意味を持つ。

>地動説や進化論の例はそれが出た当時の人々の認識として反対派がメジャーだったという例だ。

これはその当時の科学レベルが低いから当然なんだよ。
自然科学は人為的なもの以外を対象とするから、その時点で理解出来ないことは支持されない。
地動説、進化論も仮説の段階では猛反発されて当たり前だし、立証されても半信半疑だろう。
検証までいって、はじめて科学的事実と広く多数に認められる。
後に正しいと証明されるものは、それまでは圧倒的多数に反対されて当たり前なのが自然科学だ。
しかし人文科学はこうじゃない。対象が人為的なもので未知なもの、それまで不可知な現象などではない。
特に今の問題など資料は出尽くしていて、あとはどう解釈し、どう特定するかだけだ。
そこで数えきれない学者らが研究し 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 が圧倒的に多数だ。
これはそう特定(比定)するだけの根拠があり、一番矛盾がないから多数派になる。
自然科学における科学的未熟さからの多数派とは中身が全然違う。
こんなこともわからないから馬鹿だつうんだ。

こいつ、本物の馬鹿だわ。
739日本@名無史さん:2012/02/01(水) 07:04:06.12
>>725
余り研究したことがないことを率直に述べていることは好感を抱く。
だが、その認識はだいぶまちがっている。放射式は、榎の前に豊田某ら2、3の学者?
が主張していたそうだ。榎はそれに気づかず自説を主張しだしたとか。とにかく、その後
井上光貞らも同調し、九州説の学者はその多くが放射式を評価した。また畿内説の山尾幸
久や中国人の王玉林らも史書の書法を研究した上、放射式でまちがいないと断定している。
今や、真面目に研究した文献史学者の多くは放射式をとり、あまり研究しない者がこれと
いった根拠なく連続式を主張するといった様相だ。
740夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 07:05:00.44
あと「水行一日=千里」を認めたくない
つまり、「万二千里は実距離ではない」を認めたくない糞九州説者、必死だな ゲラ
伊作の「水行十日陸行一月」は郡から総日程というのは、とても支持できるものじゃないが
「水行一日=千里」は正いぜ。少なくとも倭人伝では間違いない。

郡から狗邪韓国まで七日じゃ無理とか言ってる阿呆はくり抜き船や準構造船でもイメージしてるのか。
まして 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 が各一日は無理とか、馬鹿かよ。
動力船じゃなくても間違いなく一日だ。
朝鮮出兵の小西行長の例を出したはずだ。
午前8時に対馬を出発し午後2時に上陸作戦を開始している。
古代の魏の船がこれより劣るとして、倍の時間がかかっても12時間だ。一日水行になるわな。
同じ木造非動力船だ、倍ってこともないだろうがな。
さらに、それより大幅に短距離になる 壱岐〜松浦 は確実に一日水行。
これも千里表記されてることから、同じ里程表記なら同じ日数と見るのが「普通」
これを認めない奴は「特殊」、はっきり言えば「異常」だ ワラ

水行一日は千里で表されている。
741日本@名無史さん:2012/02/01(水) 07:17:09.91
>>739の続き
飯尾としたが、中国史書をみると、連続式で書かれたものももちろん多いが、放射式で
書かれたものもかなりある。榎や山尾はそれらを引用している。先日、誰かが言っていた
通典州郡志にも放射式がたくさんでてくるよ。

>>734
>放射式だと伊都國から投馬國に行って又伊都國に戻ってそれから邪馬台國に行ったって
>いう事になるんでしょ
行程が放射式で書かれているということと、実際にどのように訪問したかはまったく別だよ。
伊都国に到着した使者は、そこから奴国→不弥国と巡って伊都国へ戻り、また、投馬国→邪馬
台国と巡り、邪馬台国からまっすぐ伊都国に戻ったと考えるべきじゃないかな。誰かがそんな
主張をしていたよ。
742日本@名無史さん:2012/02/01(水) 07:19:41.76
打ち間違えた。
飯尾としたが、→言い落としたが
743志紀:2012/02/01(水) 07:43:18.51
もういいだろ、無限如。おまいの私的HPじゃないし。

陸行一月なんて、海岸からそんなにかかるところなんて日本中何処捜したって
ないから、一日の誤記っていう説もある。
里程・行程問題だけでもこんだけ叩かれまくってるのに、いつまでも強弁する
のは見苦しい。

もっと多面的に説明してくれないかな。女王国が計画道路や山城に囲まれた弥生
先進地域でも、巨大古墳や計画都市を生んだ畿内でもない論拠をね。
こんだけ引っ張るには内容が薄すぎる。
744夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 08:45:24.04
>>743
黙ってろ、年長を自称する青二才のガキはよ。
俺がどう参加しようが勝手だろ。お前は2ちゃんに向いてねえよ。
俺を黙らせたかったら、俺の言うことの一つでも論破してみろ。
お前の頭じゃ無理だろうがな プ

里程、時間表記については強弁じゃない。これが正論。
強弁と言うよりコジツケに必死なのが、てめえみたいな糞九州説者よ。
そりゃ、俺が邪魔だろうがねえ ワラ
745日本@名無史さん:2012/02/01(水) 08:47:13.61
>>741
>伊都国に到着した使者は、そこから奴国→不弥国と巡って伊都国へ戻り、また、投馬国→邪馬
台国と巡り、邪馬台国からまっすぐ伊都国に戻ったと考えるべきじゃないかな。

あぁそういう考え方有るか

746夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 08:55:58.80
>>739>>741
こいつも糞九州説者だな、見苦しいコジツケだねえ プ

>伊都国に到着した使者は、そこから奴国→不弥国と巡って伊都国へ戻り、また、投馬国→邪馬
 台国と巡り、邪馬台国からまっすぐ伊都国に戻ったと考えるべきじゃないかな。

しかし、ここは、どいつもこいつも改行が出鱈目な奴ばかりだが
もしかしたら同じ奴が一人何役もしてたりしてな ワラ
ま、それはどうでもいいが、上記をコジツケあるいは妄想と言う以外、何と言えばいいんだ?
馬鹿は休み休み言え、寝言なら寝て言え、馬鹿頭。
お前は糞九州説だから行程記事の使者は正使という立場だろう。
正使なら金印ほか重要な品々多数携えたままウロウロしてるってか?
頭、大丈夫か プ
747日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:00:46.39
都尉>校尉だったのは前漢の頃の話で、
三国時代には、概ね校尉>都尉になってるな。
屯田校尉>屯田都尉とか。
この場合の都は大きいとか上級の意味らしい。
校の方は部隊の名称で、大隊長とか連隊長とかの意味、本来は。
748日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:02:51.75
なんか夢幻如もうただの荒らしだね…。
749夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 09:12:32.98
倭人伝では放射説はあり得ない。
理由は何回も言ってきたが、魏の倭国軽視だ。
古代中国はシルクロードのある西には大いに関心があるが、東には関心が薄い。
実際西からは莫大な利益が上がるが、東からは皆無に近い。益が無いんだよ。
まして倭国は海を隔てた島国だ。良くも悪くも影響などほとんどない。
この関心の薄さは、まともに描かれていない古地図で証明できる。
どうでもいい国だから、どうでもよく描かれている。

さらに魏志倭人伝が正式な正史編纂事業で書かれてないことも前に理由にあげた。
最初から正史編纂なら東にももっと関心を寄せただろう。
しかしこの書はそうじゃない。
国中で東には西ほどの関心がない。陳寿にしても同じ。陳寿が想定したであろう読者も同じ。
だから、ここを書く時は内容だけでなく記述方法だって面倒なことはしない。
普通に連続式だ。

放射式なら一言「伊都国より」を入れればいいだけだが、それがない。
ないものは ”ない” んだよ。
九州に邪馬台国を持って行きたいから、という理由から放射説をコジツケてるのは明白だ。
これも「普通」の感覚を否定する「特殊」な、いや「異常」な感覚よ ワラ
750夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 09:20:07.00
>>748
俺を荒らしとしなければ、正当性も主張できないヘタレの泣き言か プ
俺を荒らしと思うなら削除依頼出してみな。
どうなるかは明らかだがな ワラ

だが、ここまでにしておいてやる。
あとはピーチク、パーチク泣き言をさえずってな。
751日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:31:46.39
水行一日=千里だなんて何処にも書いて無いし、方角が東だなんて事も何処にも書いて無い
書いて無い事を書いてあると言い張る、これをコジツケ解釈・トンデモ理論と言う
752日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:42:50.00
進化論も科学的な根拠はないけどな
これ豆知識な
753ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 09:46:41.09
●日ゼニ稼ぎの板乞食たたき。

>>669 :縄嘉ー
>ちゃんと「水行1日=千里が常識」の根拠になる例を示せと言ってるだろが。
常識だったから、日数単位千里単位で書いてるだろ。
自分で古い正史の地理志をみてみろよ。
反論材料がないから「根拠になる例を示せ」というしかなかろう。

>>690
>1日に100里(43.2km)だったら
実験した船の規模と形状、実験した場所が不明な記録だ。
これをそのまま、お前のいう「プサン〜対馬〜壱岐間」航海の状況と
船の規模と形式を「同じ」と横滑りさせて比較するほうが間違っている。
無意識にも、条件と前提を一緒にしている間違いに気づけ。わかるか?

>>696
>結局、狗邪韓国ー唐津間で、水行に何日かかったかを検証する方法はない。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津、それぞれの区間海域は、
対馬海流が走ってる。少なくとも海中に停泊する場所はない。わかるか? 
俺がガキのころ、伝馬船の船底に10人ばかり寝そびらせて
韓国からきた密航船が水際で摘発されたが、
彼らは飲まず食わずで一昼夜でやってきたといっていた。

>>703
>帯方郡−狗邪韓国間の七千里も、 7日で行ったという根拠は何も無いよな。
白村江の戦いのとき、倭国が大和から5000の兵団を百済に差し向けたが、
白村江に1週間で到達している。これは手漕ぎ和船の日程だ。
魏は最新鋭の帆つき櫂つきの大型楼船を差し向けている。
754日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:47:06.40
●日ゼニ稼ぎの板乞食たたき。

>>705
>考えんでも何にもないよ。
バカは考えても何も出てこない。材料となるべき知識がないから。

>>707
>一日10時間航行して。時速11キロで約6ノット
>原始的な帆船や手こぎでは無理な速度だな。
魏の使節船は帆つき櫂つきの大型楼船だ。お前も前提がまちがっている。
半島沿岸航行には、その海路に詳しい水先案内人を起用する。
島影と星空を眺めながらの昼夜航行だって可能だ。ここでも前提が間違っている。

>>709
>1000里という海路距離に何日かかったかはわからないよ
分からないのはお前だけだ。航海した当人たちには分かっている。
海路7000里は7日。海路3000里は3日。末盧まで合計水行10日だ。

>>711
>帯方郡−狗邪韓国間は7日では移動できない。
お前が無知なだけだ。
俺がガキのころ、伝馬船の船底に10人ばかり寝そびらせて
韓国からきた密航船が水際で摘発されたが、
彼らは飲まず食わずで一昼夜でやってきたといっていた。
白村江の戦いのとき、倭国が大和から5000の兵団を百済に差し向けたが、
白村江に1週間で到達している。これは手漕ぎ和船の日程だ。
魏は最新鋭の帆つき櫂つきの大型楼船を差し向けている。

>>713
>動力船でもなければ、狗邪韓国まで7日で行けない。
お前も無知だ。
755日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:47:20.35
>>749
>倭人伝では放射説はあり得ない。理由は何回も言ってきたが、魏の倭国軽視だ。
>だから、ここを書く時は内容だけでなく記述方法だって面倒なことはしない。
理由になってないな。放射式は単なる書法だ。重視する国かどうかは関係がない。
文章を知っている者からすれば、放射式は何も面倒なことではない。

>放射式なら一言「伊都国より」を入れればいいだけだが、それがない。
勉強もしないでこじつけようとしてもだめだ。放射式で書かれている文例にそんなことを
書いたものがあるか?私が見る限りないね。あるというなら、いくつか出してみな。

756ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 09:47:38.62
●日ゼニ稼ぎの板乞食たたき。

>>714
>伊作の行程解釈説は終了でいいね
最強の行程読みとして、いずれは独り歩きする。

>>718 :縄嘉ー
こうやって、幼稚園児童に説明するかのようにしてやってるが。
問題はてめ。反論の仕方がこ汚いという話だ。そらすな

>>722
>伊作、夢幻如は終了
俺のは最強の行程読みだ。
ここのバカどもののような、視野の狭い空想船談義によっているのではない。
倭人伝の文章構成、文法変化など総合的な見地からの結論だ。
757卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 09:52:43.80
猿が進化して人間になった、とか、人類の起源はアフリカ、なんてのは真っ赤な嘘なのだが、
現代はそれが常識とされているのでみんなが信じてしまっているわけである。

それと同じように、神武は実在しないとか、欠史八代は創作、というのも学者が勝手に唱えた嘘なのだが、
現代はそれが定説化してしまっている。

同じように、畿内説も九州説も空想なのだが、朝鮮説を唱えると嘲笑される。
758日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:53:22.78
釜山ー松浦間を、水行十日としている人もいるようですな


http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono808.htm
759日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:57:20.87
>>757
>同じように、畿内説も九州説も空想なのだが、朝鮮説を唱えると嘲笑される。

ここは違うだろうw
さては、飲んでるな♪
760日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:01:01.08
文献解釈はもうかれこれ300年やってもいっこうに進展せず伸びしろはないから
頭いいプロほど馬鹿馬鹿しいのでそんなもんやらない。
頭悪い素人のオタクほどそういう作業をすすんでやりたがる。なのでオタクなんて人種は
世間じゃ毛嫌いされる。新しい考古学上の発見か、C14などの科学調査の
質の向上か、そのへんくらいしかもう邪馬台国問題は進展しない。
素人などの出る幕ではないよ。どうして素人がしゃしゃり出ても
行程解釈に終止して、郡からの総日程で九州説で決まり、その後東遷しただの
九州王朝になっただの言いだすんだろうし、そりゃ専門家も付き合いきれんし
邪馬台国からは距離置くわw
761日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:01:48.73
8世紀の遣唐使船南航路で、
九州−上海間をだいたい二十日で移動している。
一日あたり50キロ前後だな。
昼夜航行で、時速1ノットといったところ。

ちなみに最速レコードで、8日の記録があり、
これだと昼夜航行で時速2ノットを越える。

さらに、わりと最近まであった焼玉漁船が、7ノット程度。
762日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:09:41.59
最強寒波で新潟も大変だな
763卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 10:09:53.29
君らは神代と人代の区別もついていないようなので、私が大雑把な見取り図というものを教えてやろう。

ごく大雑把にいって、神代とは紀元前一万年以上前のこと、人代とはそれ以後のことと思ってよい。
ウガヤフキアエズまでが神代、それ以後が人代だろう。だから神武は紀元前一万年以後。

神武が七人いたという伝説は、そのまま真実かもしれないが、
神武の時代が七百年、もしくは七千年続いたということの比喩かもしれない。

ニニギの降臨は書紀に180万年前とあるのだから、それをそのまま信じていればよい。
アマテラスやスサノオの話は、おそらく一億年以上前のことだろう。
764日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:13:58.17
倭人伝は巫女が女王に成り上がった話しだろう
765卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 10:15:30.32
ごく大雑把な予想をすれば、

アマテラスとスサノオの話は中生代、ニニギやウガヤフキアエズの話は新生代のことである。

とにかく紀元前一万年頃が一つの区切り。それ以前を神代、それ以後を人代という。
766日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:17:42.97
>「古事記ガール」が増殖中!

流行ってんだね
767日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:25:54.84
素人は邪馬台国よりクイズでもやって
アタック25でも目指せw素人に学問など無理や。
雑学レベルまでだ。
768日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:27:37.20
>>766
多いよ、うちは飛鳥周辺住みだが
ここ最近明らかにやって来る客の年齢層が若くなった。
769???:2012/02/01(水) 10:28:03.53
125 名無しさん@12周年 sage 2012/02/01(水) 10:18:31.93 ID:ogSD2cYv0
大分県の国東(くにさき)半島は、古くから宗教文化が形成され
ストーンサークルなども見つかっている。
その近くには、耶馬渓がある。耶馬溪は、その字から邪馬台国と関係あるのでは
と思われがちだが、その名は江戸時代に頼山陽がつけたとされる。
だが、そもそも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、
頼山陽がそれに耶馬とあてたものだ。
耶馬溪を流れる山国川は、英彦山(ひこさん)から中津(なかつ)市へと注ぐ川で
英彦山は霊山として古くから山伏の修験道場となっており、もとは「日子山」と書いた。
英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行った時と古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html
宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日があると考えると、それらを線で結ぶと日田が浮かび上がる。
日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、これを、卑弥呼と結びつける説もある。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif
宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中ツ国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。
770日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:31:03.95
>>768
時代がやっとココについて来たって感じだね
よく友人から「若いの邪馬台国とかどうなん?」
みたいに言われて来たからね。
771唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/02/01(水) 10:35:39.81
>>763
ホ15160 ワレみるススキ チヱヨタビ わがミもコトシ フソヨヨロ いまたさかりの カキツハタ のちモモヨロをふるもしる
 われ見る稲穂 4度目(国を治めて4年)わが身も今年24歳 いまだ盛りのカキツバタ(盛夏)後 百万を振るもしる。

そのまま信じろとは書かれていない。
772日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:39:54.39
>>754

>>>707
>>一日10時間航行して。時速11キロで約6ノット
>>原始的な帆船や手こぎでは無理な速度だな。
>魏の使節船は帆つき櫂つきの大型楼船だ。お前も前提がまちがっている。
>半島沿岸航行には、その海路に詳しい水先案内人を起用する。
>島影と星空を眺めながらの昼夜航行だって可能だ。ここでも前提が間違っている。

昼夜航行しても3ノットで、 相当な強行軍になる。風や海流などがベストコンディションでないと難しい。
また地図を見ればわかるが、水先案内を置いても、半島の北側は暗闇で航行できるような
単純な海域ではない。

そうとう全力で、昼も夜もなく、危険を犯して進むことになるがいいのか?
魏使はゆったりと威信を持って旅をしていたと、聞いたような気がするが。

773日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:42:43.35
じじいどもは勘違いしてて笑えるなw
なにが乞食ガールだ、普通の若い女などみんなそんなもん興味ないし
逆にそういうマニアックでダサい話題は一番嫌うネタだ。
ましてや邪馬台国はキモオタレベルだ。女じゃなくても男でも嫌がる。
774日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:54:48.13
お前の周りにそんな女しかいないだけだろw
775日本@名無史さん:2012/02/01(水) 10:57:31.91
>>773
世間知らずの言い分だなw
776日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:04:16.99
渋谷を闊歩してるギャルが古事記や邪馬台国など興味あるわけないだろ。
そんなもんに興味ある女など、オタ系の不細工なキモい女くらいさ。
777日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:13:41.30
ギャルって何だよw
今時、ギャルかよ。ダサ過ぎる
ギャハハハハハハハハハ
778日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:18:01.22
邪馬台国はオタじゃなくても一般人にその話題ふっても
頭おかしくなったのかと引かれるレベルの話題w
決して一般人には言ってはならない。
779日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:26:42.41
>渋谷を闊歩してる「ギャル」

おっさん歳いくつだよww

780日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:28:15.49
>>778
いつも人様の顔色を伺って生きているんだね
可哀相な奴だよ。哀れんでやるよ。
781日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:31:19.39
なんか、うちでは、女性版DQNを「ギャル」と呼称してるな。
782日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:36:51.98
>渋谷を闊歩してる「ギャル」

ギャル?ギャル?えーギャル?
今頃のおっさんでも言わないぞ
ギャルとか言う奴って、どんだけ時代に乗り遅れているんだよ
783日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:37:38.23
さすがに若い女で古事記や邪馬台国に興味関心あるのは
1万人に1人いるかいないかだよw
現にアマチュアの邪馬台国研究会や古代史同好会とか
そういう集まり見ればほぼ全員爺婆でしょww
784日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:52:41.65
>>753
「水行一日=千里」の根拠が「日数単位千里単位で書いてる」からだというのは昨日も書いたが論理の飛躍が過ぎる
この理屈だと
「陸行は日数単位百里単位で書いているから陸行一日=百里」
「不動産の距離表記は分単位10m単位だから徒歩一分=10m」
という事になってしまう
計測不可能な海路だから云々と言い訳をするが、これはそれ以前の論理構成の問題だ
それにそんな方程式みたいなものがあるのなら全て里数表記になるはず
日数表記と里数表記が混在しているという事実から導き出される結論は、そんな方程式みたいなものは無いという事
今日はヒステリーを起こさずまともに反論してくれや
785日本@名無史さん:2012/02/01(水) 12:01:19.36
水行陸行とかもういつまでそんな不毛なことやってるんだとww
ほんとキモいオタクにつける薬などないわ。
そんなこと延々言ってるやつは若い女じゃなくてもドン引きするわ。
786日本@名無史さん:2012/02/01(水) 12:01:20.13
我々ホモサピエンス(新人)の歴史は20万年。
そのご先祖さま達の風貌や容姿は現代人と余り変わらなかったといわれます
20万年の歴史の内の15万年程はアフリカの東側地域だけに暮らしていて、
その人口は約2万人程で変動しなかった模様。
インドネシアで起きた幅数十キロ長さ100キロの超メガ爆発噴火でふきあげられた大量の火山噴出物(粉塵)の影響で地球全体が急速に寒冷化。(噴火の冬)
これにより数多の動植物が激減〜絶滅。
ご先祖さま達も極度の食料危機に見舞われて絶滅の瀬戸際に立たされ
いよいよ新天地を求めて故郷のアフリカから旅立ちました。
その時の人数は数十人で有ったと。
女性だけが遺伝的にもつDNAのミトコンドリアの解析からは9人の母親に行き着くといわれます。
更には1人の女性に集約するとも。
人類の各民族がつたえる創世記神話における始原の一組の男女の話は遠い遠い記憶を伝える実際の出来事で有った可能性が・・・
787ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 12:22:02.37
>>784
>「日数単位千里単位で書いてる」からだというのは昨日も書いたが論理の飛躍が過ぎる
タコ。あくまでも表記方法の問題だ。実際に「日数単位・千里単位」で表記してるだろ。

>この理屈だと 「陸行は日数単位百里単位で書いているから陸行一日=百里」
タコ。あくまでも海路の表記方法の話だ。
「この理屈だと」て、てめえこそ単純理屈で飛躍し過ぎてるだろが。

>という事になってしまう
とはならないんだ。お前、そうとうなバカだな。

>計測不可能な海路だから云々と言い訳をするが、これはそれ以前の論理構成の問題だ
こいつ、高校もまともに出ていない名古屋乞食だな。

>それにそんな方程式みたいなものがあるのなら
方程式ではない。「そう表記した」という事実の話だ。

>全て里数表記になるはず
正確な距離測定ができないのに、「全て里数表記」にできるわけがなかろう。

>日数表記と里数表記が混在しているという事実から導き出される結論は、
日数か千里単位でしか表記する手段がなかったということだ。

>そんな方程式みたいなものは無いという事
あったま悪いな。方程式ではない。「そう表記した」という事実の話だ。

>今日はヒステリーを起こさずまともに反論してくれや
てめえみたいなアホにからまれりゃ瞬間湯沸かしするしかないだろ。

>>785  一人で何役やってるんだ。中卒名古屋。
788訂正!:2012/02/01(水) 12:22:16.98
「行」並びに「到」の概念を理解していない者は読むな。・・・・
◎「至投馬國水行二十日・・・至邪馬壹【臺】國 女王之所都 水行十日陸行一月」 ・・・・魏志。
「至投馬國」並びに「邪馬壹【臺】國」の起点は末廬國。
 「東南陸行五百里 到伊都國」の起点も末廬國。
末廬國から伊都國迄が五百里ということは、「邑」の
「尊卑有大小」を持って考察するなら
暫定的に、「大小」が五百里であるから「尊卑」は「公」。
「女王之所都 水行十日陸行一月」 ・・・・魏志。
「都」と呼ばれるその領域は半径五百里を要する。
故に、伊都國の中心と」「邪馬壹【臺】國 女王之所都」の中心は千里をへだてねばならない。
故に、「水行十日陸行一月」を距離に換算すると千里となる。
「水行十日陸行一月」=40日であるから、それを距離に換算すると千里となる。
故に「水行二十日」は距離換算すると五百里に相当する。





789日本@名無史さん:2012/02/01(水) 12:30:50.87
この前、熊本に行ったら狗の国って書いてある看板を見た
790卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 12:35:49.22
歴史に興味を持つ歴女?というのが出てきているのだから、古事記ガールが出てきてもおかしくはない。
要するに以前は男だけが興味を持っていた分野に女が進出してきたわけだ。
女が経済的に独立し、時間的余裕も出てきた証しである。

女もどんどん論争に参加すればいい。女は思考が柔軟だから、朝鮮説もすんなりと理解してくれるはずだ。
男は思考が硬直していて、なかなか柔軟な発想ができない。
791日本@名無史さん:2012/02/01(水) 12:43:03.41
>>787
相変わらず中身の無いヒステリックな反論だね
「日数単位千里単位で書いている」から「水行一日=千里」だという理屈はおかしい
その事を陸行や不動産に同じ理屈を当て嵌めて説明したのだが理解出来ない、というか理解したくないんだろうね
本当は自分の言ってる理屈がおかしいって分かってるんでしょ?
でもそれを認めたくない、だからヒステリーを起こす
同情を禁じ得ないが、たかが2ちゃんなんだから気楽にいこうよ
792卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 12:46:35.37
古田の本を読んでいて、面白い事実を教えられた。
宋書の夷蛮伝の東夷の部には、高句麗国と百済国と倭国しか記事がないそうだ。

そうするとだ、倭新羅任那加羅秦韓慕韓を統合する倭王という承認を倭王が受けたということは、
韓半島のこれら六国を総称して倭国と称したかもしれないということだ。

つまり韓半島内の、高句麗と百済を除く部分が倭国と称されたのかもしれないのである。
793日本@名無史さん:2012/02/01(水) 12:56:42.07

もうサイキバレベルだな この熊本人はwww
794卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 12:59:44.35
>>786
要するに聖書をそのまま信じればよいということです。

同様に、記紀をそのまま信じればよいのです。
795日本@名無史さん:2012/02/01(水) 13:03:25.14
>>769
>英彦山は霊山として古くから山伏の修験道場となっており、もとは「日子山」と書いた。

英彦山も行った。天狗が語り継がれているよね。耶馬渓も行ったが椎茸と自然薯のイメージしかない。 日向(ヒムカ)のくろうまは高千穂 焼酎が美味かった。
796日本@名無史さん:2012/02/01(水) 13:05:58.56
>>794
聖書と記紀では月とスッポンほどレベルが違いすぎる。塚、君は比較対象がいつもズレているよ
797日本@名無史さん:2012/02/01(水) 13:29:32.71
>福岡県、大分県に残る豊前、豊後などの地名は、分割される以前は豊国(とよのくに)と呼ばれていました。これは卑弥呼の宗女である台与(豊=とよ)の国と重なります

決まりだな
798日本@名無史さん:2012/02/01(水) 14:13:43.40
やはり伊作は夢幻如と同じレベルの人間だな。論理というものがわかっていない。
799日本@名無史さん:2012/02/01(水) 14:16:16.75
>>797
伊予は四国にあるけどな。
800日本@名無史さん:2012/02/01(水) 14:21:24.55
古代においては文系や理系という区別はなかったんだな。森羅万象についての認識において優れた者がリーダーになれたのだ。
古代史の研究においても文献を読めるだけでは駄目だということが認識されるようになって考古学という学問分野が誕生した。
人文科学と自然科学の垣根が取り払われて、今では自然科学を理解できないようでは古代史の研究はできないのだな。
801日本@名無史さん:2012/02/01(水) 14:24:32.35
>>798
たしかに。夢幻如のレスで辛うじて読めるレベルのものは伊作批判だけだね。
802ローガン:2012/02/01(水) 14:38:51.93
>>731
それ面白いねえ。
「南海郡東至海豐郡四百里。南至恩平郡五百里。西至高要郡二百四十里。北至始興郡八百里。東南到恩平郡四百里。西南到高要郡界二百三十里。西北到連山郡九百里。東北到海豐郡界三百五十里。」
「始興郡東至南康郡界七百里。南至南海郡八百里。西至桂陽郡五百里。北至仁化縣三百二十里,重山無路。東南到南海郡界七百里。西南到桂陽郡師子岡界四百二十里。西北到南陵郡界二百二十里。東北到仁化縣三百二十里。」

方(東西南北)は「至」で、邪(東南 西南 西北 東北)は「到」 法則性を考えたくなる。
どうでもいいが…
803日本@名無史さん:2012/02/01(水) 14:51:39.53
>>797
瀬戸の水軍の始祖と云われる伊予王子は孝霊天皇の皇子。
男女の違いはあるが、神功皇后が男装した話もあるからな。
つまり伊予王子はモモソの兄弟の一人だよね?

モモソ自身も7才で大和から讃岐にやってきて
瀬戸内海周辺で多くの逸話を残して、後に
三輪の大物主に嫁ぐ訳だ、で、子供もなし。
あれ、答え殆ど出てるじゃんw
804日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:01:05.34
もう15時か、おやつの時間だ。焼酎をお湯で割り飲むとしよう
また寒くなるらしいから、お前らもさっさと飲む準備をしろよ
805夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 15:03:32.69
>>784
>それにそんな方程式みたいなものがあるのなら全て里数表記になるはず
 日数表記と里数表記が混在しているという事実から導き出される結論は、そんな方程式みたいなものは無いという事

何でこうなるかね、不思議 プ
実地に行ったものは里程表記、伝聞は聞いたそのまま、という極々普通の感想は持たないんだ。
さすが凝り固まった、何でもコジツケの糞九州説者だな ワラ

>>755
放射式とされるものが間違いなく放射で説明されたものかすらわからん。
なぜ単純に連続式で読まないか、そのほうが不思議だよ。
連続式で読んだら九州説は成り立たない。何とか他の方法は無いか?
この発想が無ければ出てこない解釈論だろうなあ。
ま、放射説でも万二千里が実距離でないことは証明したけどな。
所詮、無駄な足掻き ワラ

邪馬台国は九州には絶対に存在しない。倭人伝が嘘を書いているんじゃなきゃな。
勿論、畿内でもないがね。
806日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:13:03.09
>>802
>>729はもともと九州スレの>>250で久留米氏が貼ってくれたリンクだけど
魏志なんかとかなり文体がちがうところが面白い。
「方と邪の法則性」については当方はうやむやにしておきますw
807日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:14:22.22
朝鮮半島を「韓半島」などと呼ぶ奴は在日。
808日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:19:20.53
到は至に置換可能
逆は不可
809日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:21:52.78
>放射説でも万二千里が実距離でないことは証明したけどな。
そんな証明は見たことがないな。万二千里は実距離と考えて何も問題はない。
但し、邪馬台国までの距離ではない。女王国までの距離だ。それを理解して
いないんだろう。
810日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:25:00.44
九州>畿内>>>>四国>>>>>沖縄>台湾>エジプト>>>>東北
811日本@名無史さん:2012/02/01(水) 15:32:01.23
テレビを見ていると、雪おろしが大変そうだね。また、スノボーに行きたくなるね。
812ローガン:2012/02/01(水) 16:02:05.21
>>792:卑弥呼は朝鮮にいた
>古田の本を読んでいて、面白い事実を教えられた。
>宋書の夷蛮伝の東夷の部には、高句麗国と百済国と倭国しか記事がないそうだ。

で、何故無いのか? を御自身で調べたら如何ですかな。
梁書「其國在百濟東南五千餘里。其地東濱大海、南北與句驪、百濟接。魏時曰新盧、宋時曰新羅、或曰斯羅。其國小、不能自通使聘。普通二年、王姓募名秦、始遣使隨百濟奉獻方物。」
宋代の新羅は小国ゆえ、中華との通交が出来ず梁普通二年に始めて、百済に付いて使者を出したと。
宋書夷蛮伝東夷は基本、通使の往来と叙爵の時系列表記。通交の無かった新羅等の伝が立たなくても不自然では無いでしょう。
813日本@名無史さん:2012/02/01(水) 16:35:29.98
過去の実験や、遣唐使の記録でも、
だいたい、時速一ノットから、かなりがんばって二ノット程度。

これで、短里千里は一日では無理。

まして、プサンまでの7000里、実質一万里は、
どうやっても7日では移動できない。
814卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 16:50:49.07
>>812
なるほど。これは一本取られたな。
梁普通二年といえば521年か。その頃でもそんな弱小国だったとは意外だった。
815日本@名無史さん:2012/02/01(水) 16:55:23.96

海路距離1000里は1日では無理→これはいい

しかし短里は東夷伝からは導き出せない
816日本@名無史さん:2012/02/01(水) 16:58:06.68
>「其國在百濟東南五千餘里。其地東濱大海、南北與句驪、百濟接」
どう考えてもこんな地図にはならないぞ
http://www1.bbiq.jp/ikeda/kan8.png
百済は半島西岸から南部にまで広がっていて、百済は東岸中部、その北に高句麗っていう位置関係になる
817日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:05:54.54
梁の時代にはまだ小国だったんだろ。
818夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 17:14:54.26
修辞を実距離とし、放射説でコジツケ、馬鹿馬鹿しくなってきたぜ。
どんなに頑張っても絶対に邪馬台国は九州では発見できないから
好きなだけ妄想してろ。
自分を納得させても邪馬台国がワープしてくるわけじゃねえぜ。

大体、なんで邪馬台国をそこまで執拗に九州だの畿内だのに持ってきたいかね?
これが不思議。
九州だったら、あるいは畿内だったら、お前らに何かいいことがあるのか?
とても探究心から言ってるとは思えんぜ。
819日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:24:51.50
その年に百済のおまけでお使い逝ったとかしらんかったの?
820日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:29:27.17
>>707
>帯方郡−狗邪韓国間が、実質10000里として、770キロ
>これを7日で行くとなると、一日110キロ
>一日10時間航行して。時速11キロで約6ノット
>これは平均速度だから、最高速度はもっと早いだろう。
>このくらいの速度だと、原始的な帆船や手こぎでは無理な速度だな。

 帯方郡−狗邪韓国間が、7000里で、700キロ
 これを7日で行くとなると、一日70キロ
 干満のサイクルが12.4時間だから、
 一日12時間航行して。時速6キロで約3ノット
 これは平均速度だから、最高速度はもっと早いだろう。
 このくらいの速度だと、原始的な帆船や手こぎでも十分可能な速度だな。
821日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:31:01.31
>>707
>帯方郡−狗邪韓国間が、実質10000里として、770キロ
>これを7日で行くとなると、一日110キロ
>一日10時間航行して。時速11キロで約6ノット
>これは平均速度だから、最高速度はもっと早いだろう。
>このくらいの速度だと、原始的な帆船や手こぎでは無理な速度だな。

 帯方郡−狗邪韓国間が、7000里で、500キロ
 これを7日で行くとなると、一日70キロ
 干満のサイクルが12.4時間だから、
 一日12時間航行して。時速6キロで約3ノット
 これは平均速度だから、最高速度はもっと早いだろう。
 このくらいの速度だと、原始的な帆船や手こぎでも十分可能な速度だな。
822日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:35:40.82
行程解きに正解なんて出る訳ないのになw
いつまでやってんだか、ここの連中は。
823日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:43:51.03
狗邪韓國から末蘆だか末盧だかとゆうとこまでは5日間かけてるとおもふぞ

狗邪韓國から対あま國まで6時間もあればにぶい2人乗りのでもつくべさ

つかれるから島で一日ずつ休息日やるんだよな

むすめっこつまみで酒盛りするんだろ
824日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:49:43.31
とゆうことは

郡から伯村の江たらまで5日かけて渡航するんだろ
825日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:04:16.08
狗邪韓國 って

こいぬ・耶・はん・こく

こ委奴・耶・はん・こく

わんこ・とおさん・はん・こく
826日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:05:07.92
>>822
同感
827日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:07:44.39
いいんだよ2chだから ある意味ゴミが吹きだまってんだ
いちばんでかくて汚いのが伊作
828卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 18:20:51.27
大和説の立場から行程記事を考察すると、次のように考えるしかない。

1 九州北岸までの記事は商人、旅行者等、民間から採取した情報。
  魏使から得た情報ではない。魏使なら東と南をまちがえるはずがない。
2 投馬国と邪馬台国については風の噂で中国に伝わっていた。
  水行二十日、水行十日陸行一月くらいの処という情報も伝わっていた。
  しかし起点も方角も不明だった。そこで陳寿は、起点は曖昧にして不弥国のあとに繋げて書き、
  方角は、倭は南北に延びていると思っていたので、南と書いた。
829卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 18:34:35.73
凡陸行之程、       およそ陸上の行程は、
  馬日七十里、       馬、  日に七十里(70里×0.43km≒30km
  歩及驢五十里、      歩行、ろば、五十里(50里×0.43km≒22km)
  車三十里。        車、    三十里(30里×0.43km≒13km)

 水行之程、        水上の行程は、
 舟之重者、泝       重い船で川を遡上するには
  河日三十里、       黄河、日に三十里(30里×0.43km≒13km)
  江四十里、        長江、  四十里(40里×0.43km≒17km)
  余水四十五里、      他の川、四十五里(45里×0.43km≒19km)

 空舟泝          空の船で川を遡上するには
  河四十里、        黄河、  四十里(40里×0.43km≒17km)
  江五十里、        長江、  五十里(50里×0.43km≒22km)
  余水六十里。       他の川、 六十里(60里×0.43km≒26km)

 沿流之舟、則軽重同制、  川を下るには、船の軽重を問わず、
  河日一百五十里、     黄河、日に百五十里(150里×0.43km≒64km)
  江百里、         長江、    百里(100里×0.43km≒43km)
  余水七十里。       他の川、  七十里(70里×0.43km≒30km)
 (近衛本大唐六典)
830卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 18:39:42.18
千里
非常に遠い距離

千里眼 千里鏡 千里膏 千里耳 千里同風
千里の行も足下に始まる
千里の駒
千里の野に虎を放つ
千里も一里
悪事千里を走る
一瀉千里
831日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:41:10.10
九里より美味い十三里
832日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:47:27.28
>>803の補足
モモソの母、オオヤマトクニ「アレヒメ」、別名ハヘイロネ。
イロネとは姉妹の意味、「ハヘ」とは沖縄久米島の大巫女の名、
君南風(キミハへ)と一致する。

モモソの南方系所以の系譜も、これで一応説明は出来る訳だ。
倭人伝の風土が南方系を思わせるのも、元々この一族が
南方系からの出自だという証明でもあるな。
833日本@名無史さん:2012/02/01(水) 19:00:42.84
じつわあ 陳さんのは

晋の炎さまのめいれいで

仲達さんのええこと書けっていわれて

魏のお使いの足跡辿る旅ぱっく組んでもらってからに

いよたんのとこに来たんだよな


蜀漢の帝やめたひと殺さないで親切にしてくれたから

炎さまのこと ええひとだなあっておもてたけど

よいしょばっかりとかだとつまらないから

途中でさぼって聞き取り調査とかいぱいしてからに

酒もいぱいふるまってもらってからに

旅行記に仕立てて型破りの歴史書かいてからに

後の世のうけとかねらったんだよな

常識なのは省略してがっつし簡潔にしてあげたり

もってまわったいいまわしでぼかしたりしてさあ

まぬけなやつにはちゃんとよめないだろうってかんがえると

どんだけおばかなひとが釣れちゃうのかって ほんとたのしみだなあ
834箸墓に眠る女王:2012/02/01(水) 19:18:31.36
年代測定、放射性炭素14の本を読みましたが大変難しかったです。
感想は正確な補正曲線作るのは補正するファクターが多すぎて
相当難しいということです。
835夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 19:20:30.34
なんか馬鹿らしくなってきた。
九州説、畿内説に凝り固まった連中が、どんなコジツケを言うか大体理解した。
これを元に中学生くらいを対象に邪馬台国テーマのジュブナイルを書こうかね。
ここにいる馬鹿オタクみたいにならないように
九州か畿内の二者択一しかないと思い込まないように
結論先にありきの馬鹿馬鹿しさを理解出来るように
子供世代を育てた方が有意義かもな。
おもしろ、おかしくストーリーに引き込むのは、俺の文才で十分可能だろ。
2月でセミリタイアにして本格的にやってみるか。
まずは中学生の歴史教科書から取材するかね。
836箸墓に眠る女王:2012/02/01(水) 19:25:32.71
本書きましょう。一冊出してまとめればすっきりしますよ。
自分も歴史好きなので歴史ミステリーに挑戦していきたい。
手始めに邪馬台国、次に聖徳太子、義経 等々いろいろ書きたいですね。
そういうの考えるの楽しいですし。
837日本@名無史さん:2012/02/01(水) 19:29:48.65
わざわざ競争率の高いところばかり攻めるんだな。
838箸墓に眠る女王:2012/02/01(水) 19:36:31.20
邪馬台国も専門家等に徹底して取材して最新情報載せないと
他の邪馬台国本と差別化できませんからね。
よくある古代史本のように妄想だらけにするのは私は嫌いです。
自分自身そういうの読んでて馬鹿馬鹿しくなるし。
九州王朝とか、邪馬台国は四国だとかもううんざりです。
839夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 19:41:07.03
>>836
そうだな、ここでいくら突っ込んでも堂々巡りで話が進むわけじゃない。
本を書く方が楽しいし、子供世代を凝り固まらせないようにやる方が有意義だ。
楽しそうだし夢がある。
俺はありそうでない異世界を舞台にしたものやSF専門だったが、歴史ジャンルも面白い。
マジに構想立ててみよう。やる気になってきた。

これやったら、伊作が出してる本なんかより、遥かに有意義なんじゃねえか ワラ
840箸墓に眠る女王:2012/02/01(水) 19:45:22.32
自分も最初は読書はSFばかりで銀河英雄伝説からですよw
それから村上春樹等の小説読んで、次は経済学で、
それから歴史に流れ着いたものです。

邪馬台国関連の書物を気付いたら最も読んでるので
このジャンルで一冊書きたいなと思った次第です。
841日本@名無史さん:2012/02/01(水) 19:47:48.57
それじゃ同人誌だなw
842箸墓に眠る女王:2012/02/01(水) 19:50:19.13
鐙とC14に関する最新情報で箸墓の築造時期に迫りたいと思ってます。
843卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 19:53:54.34
大山 誠一「<聖徳太子>の誕生」を読んだことがある。
馬鹿としかいいようがないと思った。
東大卒だが、学者がいかに阿呆であるかを知った。
844日本@名無史さん:2012/02/01(水) 19:54:02.76
>箸墓に眠る女王

ムーでも見てろよw
845夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 19:59:52.18
銀河英雄伝説か ワラ
あれ最初の方は抜群に面白かったけどな。

俺は宮崎アニメなんかの異世界に似た話を何本か書いて、いくつかの小さな賞は取っている。
子供を引き込む術は心得ているつもりだから、それをどう歴史にドッキングさせるかだ。
一般向けの邪馬台国本じゃ確かに競争が激しいし、当たり前じゃつまらない。
珍説に走ればただのトンデモ本になる。
だが子供向けならまだ未開の分野に近いだろ。
邪馬台国に関心を向けさせるのはテクがいるが、やってやれないことはなかろ。
846日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:01:09.83
一日水行千里が崩れたところで、
一月行千里を出していいかな?
847日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:01:49.95
卑弥呼が誰だったかとか邪馬台国はどこだったのか、そんなのだけの本なんて読んでもしょうがない
各勢力の範囲、パワーバランスとか、それがどのように変化していったのかとか、
歴史の中での意義とか、そんなとこまではっきりさせてくれないと価値はない
848夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 20:07:00.85
>>846
崩れてねえよ。
849卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/01(水) 20:07:30.59
思えば、明治以後の珍説愚説はすべて、素人ではなく、学者が唱えたものなのである。
神武は実在しないとか、欠史八代は創作だとか、書紀の編年は作為的だとか、
大和王朝の成立は7〜8世紀だとか、三王朝交代説とか、邪馬台国東遷説とか…。

すべて、記紀を信じなくなった、記紀を信じるほどの理解力が失せた、ボンクラ学者が唱えたものなのである。
東大教授、京大教授といえどもその程度のレベルなのであって、あほらしくて話にならない。
850日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:07:43.20
>>845

お前には、鯨統一郎のパクリ小説しかかけねーよw
851志紀:2012/02/01(水) 20:10:46.65
無毛運古は青二才のガキ
NG推奨

>>840
俺はSFは豊田有恒のヤマトタケルシリーズからだな。
実際に登場人物の息遣いが聞こえてくると、楽しいし、逆に何説でも
どうでも良くなってくる。それくらい歴史に生命を吹き込むのは大切
ですよ。
外国の歴史教育は、そういう物語風の導入から、いろいろと想像力を
働かせる教材が多いらしいです。日本はそこからしてダメですね。
歴史物はどんなものを読みましたか。私のお勧めは、司馬遼の「項羽
と劉邦」です。いわゆる漢文脈の味わいとは異なりますが、シンプルで
中国古代の雰囲気を損なうことなく漢楚軍談を生き生きと描き出して
くれます。
ここに書くと無毛運古のようなクズにクレーム付けられたりするので、
とりあえずどっかにサイト作って書いてみてはどうかな。
852日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:12:28.40
小説家になろう、に邪馬台国ネタ書いてるが
場所は匂わせてる程度だからなあ

主人公が豊さんなので、卑弥呼は思い出でしか出してない。
853志紀:2012/02/01(水) 20:16:57.79
漫画でも小説でも九州説だよね、ほとんど。

キチガイとかいって偏狭な学会に引きこもってるウジ虫共は、こういう
人たちも小馬鹿にしてるんだろうね。
お前らこそキチガイやろ、ってw
854日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:20:05.99
九州説は空想下学小説
現実性の無さが読んでて面白いんだろう
855夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 20:22:31.02
>>850
才能のない奴のやっかみと聞いておいてやる ワラ

>>851
こらガキ、坊やは2ちゃんに向いてねえぜ。
携帯ゲームでもやってな ゲラ
856志紀:2012/02/01(水) 20:25:29.83
>>854
そら下の学問に詳しい馬鹿は小説も読めんだろうw
857日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:28:29.31
九州説は仮説だが、畿内説は妄想と言われているw
858夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 20:30:01.59
>>853
こういう馬鹿を出さないように子供は導かないとな。

結論先にありき、そのためにはどんなコジツケもOK、普通の感覚を放棄、他の可能性の頭からの否定
こんな奴らしか邪馬台国に関心を持たないようじゃ世も末だぜ ワラ
859日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:31:57.44
つか本は売れなくてもかまわなかったんじゃないのか
当然ながら売れる本こそ競争が激しいに決まってるんだが
860夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 20:34:07.35
さて、とりあえず今はお仕事。
引き受けた仕事はきっちり仕上げなくてはポリシーに反する。
じゃあな〜
861日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:34:53.52
>>858
この基地外が!
862志紀:2012/02/01(水) 20:36:19.48
>>858
死ねよヒキオタニート
仕事なんて有るわけねーだろ
863日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:36:29.90
邪馬台国に関しては遺作の年代の爺が死に絶えれば
また新展開があるだろうよ
864日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:45:43.08
夢GENさん、
夜のガードマン、ご苦労さんです!
865日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:49:00.69

もっとネタ仕入れないと、九州でもない畿内でもないどっかわからないじゃ
さすがに無料でも子供も読まないと思う
866日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:49:06.86
営業なんじゃなかったっけ?
夜から朝にかけての営業ってどんな仕事なんだろう?
867志紀:2012/02/01(水) 20:50:36.63
ポン引きかwwwww

そんな感じだわ
スレ汚しどころか世間汚しか
868日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:51:27.16
客引きじゃね じゃなきゃ水商売の運転手
869日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:56:45.73
>>805
>放射式とされるものが間違いなく放射で説明されたものかすらわからん。
>なぜ単純に連続式で読まないか、そのほうが不思議だよ。
読解力がないと当然そのような考え方になるだろう。しかし、古代の史書が連続式で
書かれたものと放射式で書かれたものがあることは、文献史学上のいわば常識だ。
870日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:03:45.56
で、モモソ姫以外に誰が卑弥呼候補なんだ?
瀬戸内〜畿内説なら本に書ける位のネタなら腐る程あるぞ。
俺は実際資料提供を色々してるしな。
871日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:11:16.77
田油津姫
872日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:18:37.60
モモソ姫は倭人伝の記述、記紀や各風土記、伝承の記述で
一致する部分が一番多い候補には間違いないはず。
勿論細かい年代の差は当然あるのだが。

一応「日女命」とする資料も存在するしな。
まあ箸墓の年代比定を問題にする人も多いが、
それ以前に他の部分で人物像に一致する部分が非常に多い。
873縄嘉ー:2012/02/01(水) 21:25:03.74
>>738 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/01(水) 06:22:11.75
馬鹿なんだからおとなしくしておればよいものを、いつまで底の浅いレスを続けるつもりだこの中学生は。

儂がおまえでも分かるようにと易しい例を挙げてやったのに調べもしていないんだな。
地動説の例はな、天体の運行を地球が太陽の周りを回転しているとして説明したものだが、これに対したのが天動説だ。
天動説は太陽が地球の周りを回っているとしたものだ。そしてコペルニクスの生存時には天動説が多数派だった。
これは現代の科学知識があってはじめてどちらが正しいかが分かったものではない。当時の科学知識でも判定可能なことだったのだ。

「多数が認めているから正しい」ということが成り立つとは限らないというのは自然科学の分野に於いても人文科学の分野に於いても共通だ。
人文科学も科学と言うからには科学的、論理的でなければならない。多数だとか少数だとか、選挙じゃないのだからな。

それから、おまえはこちらの突っ込みの主要な論点を隠して些末な点だけ取り上げ「反論したぞ」というポーズをとるのを常套手段にしているな。
儂は、おまえの「証明」と称する論の前提に「多数が認めるルート」があるが、その前提が正しいことを証明しろと言っているのだ。
証明というのは厳密な作業だ。前提が正しいと証明できなければ結論もへったくれもないわ。


874日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:31:07.86
>>872
一致するのは女ということだけ。他に一致することなんて一つもない。
875日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:33:16.09

地動説、天動説は宗教がからむから単純な話じゃないな
876日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:36:38.55
>>853 志紀(私怨くん)

相変わらず「恨み節」全開だがw(※注 例の 恨み節東遷厨 とは別人物です)

>>743で 無限尿 の阿呆にその東北説の中身を聞いているが
そいつは「他説の否定」だけで「比定」をしているわけじゃない。

「オレサマのロジックで畿内説も九州説も否定できるぜ〜!」だけでここに意気軒昂にやってきた馬鹿。
中身スッカラカンなのを分かれよwww
勿論九州説も畿内説も他の如何なる説も否定できず(できたとしても万二千里が実距離と言う仮説のみ)物の見事に自爆しているだけだがw

それよりお前の方はどうなんだ?

リアルでの何処かの学芸員だか所員だかへの嫌悪・憎悪から畿内説にイチャモンつけるだけつけているが
一応は「九州説」でいいのかな?それとも畿内説だが畿内説を批判すると言う立場かな?

仮に九州説なら、じゃあ現在の畿内説と呼ばれるもの以上に蓋然性のある仮説を立てられるのか?

一口に「九州説」と言っても福岡平野と宮崎平野では話の中身が全く違ってくる。

「畿内説憎し!」だけで「九州だったら何処でもOK説」なら
「兎に角、畿内でも九州でもない東北の何処か説」の馬鹿尿と変わらないぞwwwww

877日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:38:36.40
最近九州説のレベル低下が酷すぎじゃねーかw
878Crab louse:2012/02/01(水) 21:40:27.92
>>872
>一応「日女命」とする資料も存在するしな。

ロシア側から言えばサハリン。
日本側から言えば樺太。

卑弥呼はどっちだ? 倭語なのか?
879日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:43:41.62
てーか九州説なら無理に記紀の中の誰かに卑弥呼を比定する必要もないだろ 
卑弥呼は卑弥呼のままでよくね
東遷説なら比定する必要も出てくるだろうが
880日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:45:48.31
卑弥呼の実在はキチガイじみた説のやつを除いて認めてるだろうが
モモソ姫や田油津姫が絶対実在とはいえんだろ
881日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:51:01.11
女が出てくるとみんなヒミコに見えるんだよw
882日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:52:56.66
>>835 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>これを元に中学生くらいを対象に邪馬台国テーマのジュブナイルを書こうかね。

…と言うかフィクションでなくてきちんと邪馬台国論として書けばよい。

この自惚れ屋が自身で言うほどの内容ならあっという間に版を重ね、史学の世界に名を轟かせるだろうw

いくら前世紀で終わった「邪馬台国論争」とは言え畿内でも九州でもないことを証明できたと言うのなら
そりゃただ事じゃ済まないw

まあ実際には泣かず飛ばずで返品の山が関の山だろうなw

殆どの人間は
「万二千里が修辞?そんなの当たり前じゃないの、これを書いた馬鹿は何を言いたいのか?
 ”邪馬台国ブームの夢をもう一度”とイッパツ狙いの究極のKY?」
…ぐらいかwwww

そう言えば 森村伊作 の本は本人の談によると自費出版でもなく印税も入ったらしいが
下手するとそれすら超えないかもwwwwww
883日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:54:11.86
田油津姫の実在可能性は神功皇后と同等だと思うんだが
884日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:55:21.45
>>879
隋書に邪馬台国は大和と書かれてる以上はマズいでしょ。
885日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:58:42.66
記紀は8世紀成立の書物で、しかも崇神朝は調整を入れなけりゃ
前1〜2世紀の話だ
田油津姫やモモソが実在の人物かは到底わからん むろん神功皇后も
886日本@名無史さん:2012/02/01(水) 21:59:29.63
>>884
だからそれを否定してるのが九州説だろ
887日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:00:18.08
>>884
九州王朝説なら問題ないwwww
888日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:00:28.51

七、八十年男王の後、王統が絶えて、戦乱を経て女王共立じゃないとね
889日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:01:54.33
つまらんチャチャしか無いという事は、
結局モモちゃんが一番近いって事だね。
そりゃ国宝にヒミコと書かれちゃ仕方あるまい‥
890日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:05:27.32
>>886
結局倭人伝だけ信じるの?方角距離は?と突っ込まれるだけの気が。
891竹斯の民:2012/02/01(水) 22:05:49.66
>>882 反キチ
>仮に九州説なら、じゃあ現在の畿内説と呼ばれるもの以上に蓋然性のある仮説を立てられるのか?

「畿内説の蓋然性」ってなんだ?

しっかり・根拠に基づいて・回答してもらおう。
892縄嘉ー:2012/02/01(水) 22:09:50.95
>>756 :ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 09:47:38.62
>●日ゼニ稼ぎの板乞食たたき。
>>718 :縄嘉ー
>こうやって、幼稚園児童に説明するかのようにしてやってるが。
>問題はてめ。反論の仕方がこ汚いという話だ。そらすな

おまえも落ちぶれたものだの〜。
「水行1日=千里の根拠となる文献の例文を示せ」というのがこ汚いか?

文献で示せないとわかったからだろうが、
>魏の使節船は帆つき櫂つきの大型楼船だ。お前も前提がまちがっている。
>半島沿岸航行には、その海路に詳しい水先案内人を起用する。
>島影と星空を眺めながらの昼夜航行だって可能だ。ここでも前提が間違っている。
とは血迷ったものだな。
誰かが指摘しているように、あの海域は夜間航行は危険なところだ。昼夜航行での南下など 論外だ。
しかも、潮流は6時間ごとに反転する。満ち潮のときは北上する潮の流れが時速3kmに達する。これに逆らって
漕ぎ続けても流されないのが関の山だ。漕ぎ手は疲労困憊してしまう。運悪く夜間に南風でも吹けば黄海を漂流することになる。

魏の使節の船であればそんな危険は冒さない。万一遭難でもしたらえらいことだ。
しかも、倭人伝には循海岸水行歴韓國とある。これは韓の諸国に立ち寄りながら行ったことを示す。
沖合を昼夜兼行で急いだ筈が無い。「魏は倭国の卑弥呼を親魏倭王とするぞ」と知らしめながらの旅だったろう。

893日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:11:48.73
>>890
倭人伝は信じるというより問題提起だろ
あれがなければ邪馬台国問題もない
あとは考古学だろうな
894日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:16:31.18
倭迹迹日百襲媛命や田油津姫。
武埴安彦命のヨメも戦に出てきたし神武が大和入りして討ったツチグモにも女頭領みたいなのがいたり…

記紀にはこうした勇ましい女や一族の命運をかけた場面に出てくる女と言うのは結構出ている。

倭人伝の風俗記事にも
「その会同坐起には父子男女別なし」とある。

男どもの話し合いで決着がつかず卑弥呼と言うオバチャンと担いだ
…なんてのは規模の大小の問題はあれ古代日本の社会ではさほど珍しいケースではなかったのではないかと言う推測も可能だろう。

要は卑弥呼あるいは壱与的な女はそこかしこにいた可能性があり。
偶々記紀にそれっぽい女が出ていたからと言ってそれに当て嵌めるのは危険だとwwwww
895日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:19:19.82
>>891 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  のポチ 竹斯のド民

>「畿内説の蓋然性」ってなんだ?

さあ少しは自分で考えてみようなw
最もしょっちゅう言っている話ではなるがwww




896竹斯の民:2012/02/01(水) 22:21:30.28
>>876 反キチ (>>882は誤り)
畿内説の蓋然性などこれっポッチもなかろう。
畿内の弥生時代の遺跡に「邪馬台国」の欠片もない。
「弥生の人口は畿内の方が多い」にしたって、過去に指摘したように
昭和40年代当時の弥生遺跡に掛け算して程度の極めて信憑性の低いデータだ。
古墳だって、必死に時代を溯上しようとしているが無理が生じてボロ出しまくり。
年輪・C14に至っては皆しってのとおり。まさか△鏡はなかろうね?
で、畿内説の蓋然性って・・・なん?
897日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:22:14.30
>>894
モモソは巫女として書かれてるから、そこが重要でしょ?
それはホトを刺して死ぬ事からも判る。
それに墓造りの逸話まで記述されてるからね。
898竹斯の民:2012/02/01(水) 22:24:32.64
>>895 反キチ
なんだ、自分でも理解できないのにかっこつけて「畿内の蓋然性」などと
デッカクでたのか・・・やっぱり残念な奴だったのね。
899Crab louse:2012/02/01(水) 22:27:08.60
>>895
高地性集落
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9C%B0%E6%80%A7%E9%9B%86%E8%90%BD

近畿勢も吉備勢も逃げまくってるぞ!
第一回九州勢の東征だろ。(失敗したようだが・・・)
九州北部には「逃げ城」はないぞ!
900日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:28:58.60
>>897
と言うか一人の人物に「盛り杉」wwwwwww

オオモノヌシとの逸話は「神婚譚」とでも言うべきか?

アレを読んでギリシア神話の「エロスとプシュケー」を思い出す人間も多いだろうw

その姿を見てはならないと言う禁を破ったが為に逢瀬を重ねた相手(実は神)が去っていく…というプロット
901日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:38:20.46
そりゃ大物主は三輪山の主だからな。
純潔じゃないと巫女は出来んよ、子供なんて当然無し。
902日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:38:37.53
>>897ハナタレの論理
巫女として書かれてるからヒミコ (いままでに巫女が何人いたと思ってるんだ?)
ホトを刺して死んだからヒミコ (ヒミコがホトを刺したとは初耳だな)
墓を造ってもらったからヒミコ (他の倭人は全員墓なしか?)

このアホ「馬鹿馬鹿しいから消える」と言っておいて何をこそこそやってるんだ?
903Crab louse:2012/02/01(水) 22:44:27.63
>>895
九州北部出土の「玉壁・金銅四葉座飾金具」のような王統を示すものが
近畿から出てるのか?

桃の種・柿の種じゃつまらんぞ!
904日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:44:56.93
>>896文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

本当頭が悪いなこいつw

「畿内説の蓋然性」なんてそう難しい話じゃない要は
邪馬台国の時代既に畿内ヤマトを中心とした連合体のようなものができていたなら
魏に朝貢した勢力はそれを当てるのが妥当だろう

…というだけの話。

一体何十回何百回同じ事を言わせるんだゴミクズ。

ただし当時の国内最大勢力が魏に朝貢したクニ=邪馬台国と言う保障は実はない。
これが畿内説の根本的弱点ともいえる。

海外に日本の国王を名乗ったのが一戦国大名…なんて事例も実際にある。

あと人口推定に関しても無論今後大幅に変わる可能性はあるだろうが
じゃあ(おそらくこのゴミの期待通り)九州だけ大きく伸びる筈もなく
地域間のバランスとしてはむしろ日本海側や東日本の方が過小評価されていてそれが修正され
益々ここのゴミクズレベル九州説が思い描く九州大国主義には都合の悪いものになる可能性が大だろうなwwwwwww
905唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/02/01(水) 22:46:35.50
>純潔じゃないと巫女は出来んよ、子供なんて当然無し。

タテマエはそういうことであるが、その内実は子供ゴロゴロ。
だから、出産時に母親を亡くした女児が預けられて養育される。
906日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:46:44.31
キターwwwwwwwwwww
鬼キタキタ
コレヨンシンイチ、
バクン。。MOGU★MOGU
&&
%%
$$
##
907904:2012/02/01(水) 22:49:45.67
あ、>>904

『文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿』あてじゃなくて

『見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  のポチ 竹斯のド民』あて、間違った…

なんかゴミクズの分別も面倒くさくなってきたなwwwwwwwww



908日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:51:37.55
>>907
犬にかまうなよ
909日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:52:21.38
>>884
隋書すら読んだことがないのか? どこにも書いてないぞ。
910Crab louse:2012/02/01(水) 22:54:53.14
>>904
>邪馬台国の時代既に畿内ヤマトを中心とした連合体のようなものができていたなら
魏に朝貢した勢力はそれを当てるのが妥当だろう

建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。
安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。
桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。

そりゃ、帥水だろう。
お願いしたが、門前払い。
そして、倭國大亂じゃないのか?
911日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:55:18.23
柿の種も出てたのか…
912日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:57:44.22
書きの種が出たからヒミコ
913日本@名無史さん:2012/02/01(水) 22:59:31.46
木の面がでてきたろう。あれこそ卑弥呼がかぶったものだ。
914Crab louse:2012/02/01(水) 23:03:08.13
>>878
一大国はどっちだ?
「伊都国」はどうだ?
伊作氏は、表音のようだな。 イツとかイトとか言ってた。
卑弥呼の都は久留米氏は、表意だな。
915Crab louse:2012/02/01(水) 23:06:41.58
>>893
>倭人伝は信じるというより問題提起だろ

紫の中にもまともな人もいるんだな。
でも、投稿番号が怪しい???
916日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:10:34.78
>>805
>伝聞は聞いたそのまま、という極々普通の感想は持たないんだ。

伝聞だろうがなんだろうが水行一日=千里なら里数表記にするだろ
現にお前は里数に変換してああだこうだ言ってるではないか
まぁどっちが普通の考え方かは読む人が判断するから言い合っても仕方ない

それよりな、「伝聞は聞いたそのまま」というのなら方角についても聞いたそのままのはずだろ?
確か倭人伝には南って書いてあった気がするんだけど、俺の記憶違いか?
東北って九州からみて南だっけ?
917日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:11:20.43
>>913

あの面に角は無かったぞw
918日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:18:10.61
角がないから卑弥呼の可能性が高い
あとから角が発見されると、角があるからやっぱり卑弥呼の可能性が高い
919日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:19:23.39
>>907
夢さんに完全無視されてるあなたが一番ゴミだけどねw
920日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:20:37.63
角があったら桃太郎侍になっちまう
921日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:23:19.52
>>919
森村伊作 のポチが竹斯のド民で
無限尿 のポチがお前と言うわけだw

まあ 無限尿 の自演と言ってやっても良いんだがwww

ゴミクズの更にその後ろから小石を投げるんじゃなくて 無限尿 の批判の何処が間違っているのか説明したらどうだ?

単に感情的なものでシンパシー感じているだけの低脳ゴミクズじゃないんだろう?wwww
922日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:27:35.26
桃太郎侍は卑弥呼である
923日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:28:55.42
卑弥呼は鬼道の使い手なんだからオニさん側だろw
924志紀:2012/02/01(水) 23:31:06.21
>>876
陰湿なおっさんやな。お前が俺に私怨あるんか、カスw
お前はレスすんなやカス 話のすり替えだけは一著前に畿内説の
クズ学者と一緒やなカスが
自分の意見も書かず、人様を誘導しておいて晒すのかクズ

>>879
まあそうですね。
実際記紀にストレートに魏に朝貢しただの使いが来ただのとは何も書いてないし。
モモソヒメが卑弥呼って言っても、共立女王とも大王とも言ってないし、また一方
卑弥呼の「鬼道」も、巫女と言ってるわけでもない。無理やりにクロスオーバーする
のはかえって話をややこしくするかも。
卑弥呼の当時、奈良地方で日食が見られたという説がありますが、じゃあそれと卑弥呼
がどう重なるかと言えば、それも東夷伝に書かれているわけでもないし。
>>881が一番真実を突いてるかもw 神功皇后だって、明治になって勝手に男尊女卑で
格下げされただけで本来は神功天皇だし。

>>891
竹斯さん、そいつキチガイだから、自分の意見なんて言わないんだよ。時々「まだ邪馬台
国とか言ってる馬鹿」荒らしと同一じゃね?クズはほっとけばいいよ。コテすら名乗れない
クズだし。リアルキチガイ。
925日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:31:37.13
卑弥呼は男だった
926日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:31:52.77
卑弥呼の「卑」と鬼道の「鬼」はちょっと似た字だね
927日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:36:57.60
>>924 志紀

ふむ一応は九州説と言うことでいいのかな?

でも具体的に「九州の何処」ということはないw

「畿内説憎し」で「九州の何処でもOK説」と言うパターンかw

益々「恨み節東遷厨」に似てきたなwwww



928志紀:2012/02/01(水) 23:38:44.73
>>927
ウジ虫まだいるのか

クズ、俺にレスするなよ陰湿ジジイ
929日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:41:49.12
邪馬壹國にしても卑彌呼にしてもちょっと蔑称使いすぎじゃね?
930ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 23:42:02.42
●締める。
魏の公式尺度で7000里といえば、3000km強になる。
帯方郡から狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmだ。
この数値だと帯方郡もかなりの面積をもつことになる。

現実に狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmになるか?。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間がそれぞれ432kmもあるか?
海路距離はいずれも途方もない数値だが、
この途方もない数値をどういう詭弁でやり過ごすか。
「誇大表記」「いい加減」か?
凡人は最も安易な結論を選択するものだ。
それが、検証らしいことをした結果だとでもいうのか。凡人ども

地理情報の中でも面積は、民力と年貢の基準になるものだ。
新しい王朝が興るたびに度量衡を見直すのもそのためだ。
べらぼうに誇大に書かれたのでは、
郡下の年貢を集積する帯方郡もたまったものではあるまい。
しかるに東夷伝の場合は、海路7000余里という途方もない海路距離数値が
訂正もされずに校閲をパスしている。どういうことだ?

王莽の地皇年間には、楽浪郡が大きな船を回して辰韓から1000人の捕虜を奪還し、
1万5000人の賠償捕虜を獲得して帰還している。
魏代よりも遥か以前に、大型船による朝鮮半島沿岸航行のキャリアはあるし、
朝鮮半島沿岸距離は把握しているのだ。
しかるに東夷伝の場合は、海路7000余里という途方もない海路距離数値が、
訂正もされずに校閲をパスしている。どういうことだ?

自力検証をしたこともなく安易に「間違い」や「誇大表記」で逃げる
半端知識衒学の怠け野郎どもに、
「海路航行は1日航海千里単位表記」とする説をとやかくいう資格はないぜ。
931日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:43:19.06
>>928 志紀(私怨くん)

え?無限尿より年寄りのお前は俺より年寄りなんじゃないのか?w
まあネットじゃ年齢や性別も関係ないんだが…

割とマジで言っておいてやるがお前はネット特に2ちゃんねるには向かないよw

932日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:48:51.26
>>930
夫餘 去玄菟千里 方可二千里
高句麗 遼東之東千里 方可二千里
東沃沮 西南長,可千里
挹婁 夫餘東北千餘里

韓 方可四千里

実測してるような数値じゃない 実際できない
これが年貢の基準になっている証拠でもあるのか?
933日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:50:07.94
>>930 ゴミため氏

理論じゃなく感情に訴えても無駄じゃないですかね?

まぁあなたの説が正しいという可能性もゼロではないので希望は捨てないで下さい
934日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:55:57.52
>半端知識衒学の怠け野郎どもに、
>「海路航行は1日航海千里単位表記」とする説をとやかくいう資格はないぜ。

根拠もないのに「海路航行は1日航海千里単位表記」を主張する馬鹿を何と呼べばよいんだろ。
935日本@名無史さん:2012/02/01(水) 23:57:56.00
馬鹿でいいだろ。アホでもいいけど。
936ゴミために降りた鶴:2012/02/01(水) 23:58:30.77

>>892 :縄嘉ー
お前。曲学のところで「H」を名乗っていた奴だろ。ここじゃ縄文人を名乗っていたよな。
俺のサイトからつまみ食いした、したり顔で2ちゃんで吹いていた奴だよな。
そのわりには大口叩くじゃないか。俺は怒っている。
>あの海域は夜間航行は危険なところだ。昼夜航行での南下など 論外だ。
見てきたのか?
>潮流は6時間ごとに反転する。満ち潮のときは北上する潮の流れが時速3kmに達する。
どこから仕入れたハッタリネタだ?
>漕ぎ続けても流されないのが関の山だ。漕ぎ手は疲労困憊してしまう。
櫂よりも帆走が主流の楼船だが?
>運悪く夜間に南風でも吹けば黄海を漂流することになる。
みてきたようなホラほ吹くな。タコ
>魏の使節の船であればそんな危険は冒さない。万一遭難でもしたらえらいことだ。
調子コイてホラがエスカレートするが、
どんどんハッタリめいた「知ったふり」になってるぞ。お前の特徴がよく出ている。
>倭人伝には循海岸水行歴韓國とある。これは韓の諸国に立ち寄りながら行ったことを示す。
「歴」に立ち寄るという意味があるのか。はつみみだホラ吹き野郎。
>沖合を昼夜兼行で急いだ筈が無い。
はずがない・ではお前自身がよくバカにするカラ推測レベルだ。
>「魏は倭国の卑弥呼を親魏倭王とするぞ」と知らしめながらの旅だったろう。
倭王に差し向けられた封爵使節が韓国を歴訪して「知らしめて歩いた」てか。
そんのを歴史だとでも思っているのか・この野郎。

そもそも俺が2ちゃんにきたのは、
俺のなりきり偽物が横行していたことが理由の一つだ。
事情は唐松たちがよく知っている。それをやっていたのてめえだろが。
937ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 00:06:21.68
銀蝿たたき。

>>932
>これが年貢の基準になっている証拠でもあるのか?
面積や人口のほかに年貢の基準になるものでもあるか? あるなら出せタコ

>>933
感情ではなく確かな数字と理づめで攻めているが、ちゃんとした返答はできまい。

>>934
>根拠もないのに「海路航行は1日航海千里単位表記」を主張する……
根拠と状況証拠と、>>930で抜き差しならない事実を述べた。
お前らは、俺の主張を否定する根拠を何も提示できない。
ただ、そうやって否定文言を連呼するだけ。
自力検証のカケらも見せない半端知識衒学の怠け野郎どもだよな。

>>935
>馬鹿でいいだろ。アホでもいいけど。
お前らのことだ。
938ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 00:11:55.29
●「負け惜しみの否定文言」しかいえない銀蝿ども。きちんと返事しろ

魏の公式尺度で7000里といえば、3000km強になる。
帯方郡から狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmだ。

現実に、狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmになるか?。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間がそれぞれ432kmもあるか?
海路距離はいずれも途方もない数値だが、
この途方もない数値をどういう詭弁でやり過ごすか。
「誇大表記」「いい加減」か?  返事しろ

東夷伝の場合は、海路7000余里という途方もない海路距離数値が
訂正もされずに校閲をパスしている。どういうことだ?  返事しろ

王莽の地皇年間には、楽浪郡が大きな船を回して辰韓から1000人の捕虜を奪還し、
1万5000人の賠償捕虜を獲得して帰還している。
魏代よりも遥か以前に、大型船による朝鮮半島沿岸航行のキャリアはあるし、
朝鮮半島沿岸距離は把握しているのだ。
しかるに東夷伝の場合は、海路7000余里という途方もない海路距離数値が、
訂正もされずに校閲をパスしている。どういうことだ?  返事しろ

自力検証をしたこともなく安易に「間違い」や「誇大表記」で逃げる
半端知識衒学の怠け野郎ども。
てめえらは、何一つ論らしい形で反論したことがなかろうが。
939日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:12:42.89
>>937
お前が年貢の基準になっていると言ってるんだからお前が出せ アホ
940ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 00:13:39.77
「負け惜しみの否定文言」しかいえない銀蝿ども。
たまには論らしい形を構築して反論してみろ。
941日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:17:36.42
伊作って知識は豊富なんだけど分析力が無いんだよね
残念な人だよね
942日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:17:53.99
>>938
魏の公式尺度で7000里といえば、3000km強になる。

だれか3000kmで計算した人間とかいたか?この板に
943日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:19:28.51
そんな関係ない問いかけをする前に、ちゃんと一航海千里だかになると言う理屈を説明しなさい。
何度同じことを書かれても「理屈」になっていないものは誰からも受け入れられない。
まあ、出来ないなら、キミの脳内の思いを真摯に公開することだ。
「俺様は2chごときでコケにされたままじゃあ、死ねねーんだよぉおおお」とかだなw
944日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:19:51.29
無限もゴミためも「嘘も百回言えば本当になる」を地で行ってる
しかも本人にその自覚がない
945日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:21:37.36
錯乱しておかしくなったんじゃないのか?
946日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:22:02.24
>>938
何度も同じのを並べてるが、ここ最近では公里を主張しているのは、いなさそうなのだが?
この辺は、一部を除いて、短里で意見は一致しているとみてよいのではないかな?

それよりも、表記距離七千里、伊作による実質距離一万里を7日で行く方法を説明したほうがよい。
一日10時間航行で、6ノット、昼夜兼行の7日連続、無休息航行でも3ノット程度になる。
この速度はいささか現実的な速度ではない。

ちなみに、大型帆船だから早いということはない。
8世紀の遣唐使船南航路でも、平均的な速度は一ノット、
最速記録でも二ノット程度だ。
947日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:23:23.77
>>940
反論したら発狂するだけじゃん
君にはまともな論理がないから議論にならない
948日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:25:00.84
いやおおよその実際の距離で把握してるんだと思うよ
7日で行けるかどうかは
949日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:28:00.56
二点間の航路を千里単位で記述すると言う方法を用いる者が、
一日航海の距離を千里と考えていたかは次元の違う話だ。
本人も判ってはいるが、もう引っ込みがつかなくなって立ち往生だな。
950日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:32:23.59
いさくもどきげんきそおだな
951日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:33:25.80
私は、表記距離七千里は、実距離のつもりで記載していると
考えている。現代のように正確な地図や距離が望めない中で、
実際に行った日数や時間、目測で測ったものだろう。

一日航行すれば千里、というのなら
少なくとも、一日航行可能距離以内に納めなければならないが、
その距離の倍以上になっているので、少しくらいがんばっても、
納めることができない。
952日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:33:40.67
>>941
> 伊作って知識は豊富なんだけど分析力が無いんだよね
> 残念な人だよね

知識?
ただ、手当たり次第に漢文をコピペしてるだけだぜ(しかもソースの半分くらいはWikiと翻訳サイトのだしw)。
自己流訓読の痛さだって過去にさんざん笑われてるじゃん。
953日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:39:58.03
人のレスの内容もよく読み違えてるしな
954ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 00:40:24.16
続・銀蝿たたき。

>>939
>お前が年貢の基準になっていると言ってるんだからお前が出せ アホ
「出せ・出せ」ばかりじゃバカだ。>941
分析力の意味をしってるなら説明してみろ。

>942
>だれか3000kmで計算した人間とかいたか?この板に
じゃどういう計算をしてるんだ? 
>ちゃんと一航海千里だかになると言う理屈を説明しなさい。
もう十分に説明した。
>何度同じことを書かれても
何度同じことを書くしか返答のしよえがないんだろ。
>短里で意見は一致しているとみてよいのではないかな?
海路の短里はなかろう。陸路短里との整合性しとれているのか?
>表記距離七千里
途方もない数値だな。
>実質距離一万里
陸地面積の方4000里と比較すれば7000里ではなく1万里ほどなる。
さらに途方も無い数字になる。実質距離ではない。
>7日で行く方法を説明したほうがよい。
勘違いするな。実際に7000里や1万里を7日で行ったというのではない。
「7日で行った距離を7000里と表記している」。いい加減に発言内容を理解しろ。

>>947
>反論したら発狂するだけじゃん
とりあえず、きちんと返答できるならやれ。
>君にはまともな論理がないから議論にならない
まともに返答できないじゃないか。
955日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:43:52.61
>>954
>勘違いするな。実際に7000里や1万里を7日で行ったというのではない。
>「7日で行った距離を7000里と表記している」。いい加減に発言内容を理解しろ。

で、その7000里と表記された実質一万里の距離が、7日で行ける距離かどうかを
考えたほうがよい。
956日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:44:07.21
こいつ今までの議論の内容が全く理解できてない
また最初からやれというwww
957日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:45:08.86
>>954
>とりあえず、きちんと返答できるならやれ。

それは貴方にこそ言いたいw
958日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:47:38.73
>>954
>「出せ・出せ」ばかりじゃバカだ。

何言ってんだwww 言ってるのはお前だろーがwww
だいじょぶかよ ちょっと落ち着いて話せよw
959日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:48:01.61
瞬間最大速度は3ノットを超える速度を出すことも可能かもしれない。
しかし、一日の間に、海流も風も何度も変化する。
島嶼の多い場所を、夜間の暗闇で航行するのは危険でもある。

一日当たりの実質速度はその半分以下になるのではないかな。
960日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:51:16.84
>>902
>このアホ「馬鹿馬鹿しいから消える」と言っておいて何をこそこそやってるんだ?

全然別人なんだが、勘違いしないように。

>巫女として書かれてるからヒミコ (いままでに巫女が何人いたと思ってるんだ?)
鬼道を用いてるからな、武力を背景にしてる訳ではない。
まあ最低条件いたいなもんだ。
>ホトを刺して死んだからヒミコ (ヒミコがホトを刺したとは初耳だな)
子供がいない念押しにもなるからな、ホトは巫女にとっては象徴だよ。
>墓を造ってもらったからヒミコ (他の倭人は全員墓なしか?)
記紀で具体的に記述の描かれた姫なんて少ないからな。
倭人の女で誰かいるかい?

961ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 00:52:20.50
どんどん銀蝿たたき。

>>949
>二点間の航路を千里単位で記述すると言う方法を用いる者が、
>一日航海の距離を千里と考えていたかは次元の違う話だ。
二点間の航路も、沿岸航行も、園酔え航海も日数単位か千里単位表記だタコ。

>>951
>表記距離七千里は、実距離のつもりで記載していると考えている。
帯方郡から狗邪韓国まで3000kmもあるか?
狗邪韓国・対馬・壱岐・唐津それぞれの海峡が432kmもあるか?

>952
>手当たり次第に漢文をコピペしてるだけだぜ
>(しかもソースの半分くらいはWikiと翻訳サイトのだしw)。
道具は何だろうが構わんのだ。ソースの一つも提示しないよりはよかろう。
やっかむな。

>自己流訓読の痛さだって過去にさんざん笑われてるじゃん。
訓読の間違いなんざ、邪馬台国を論じる学者のほうが素人よりもひどいぜ。

>>953
>人のレスの内容もよく読み違えてるしな
俺なんざ、横チャリの9割は論旨を読み違えて横車されてるぜ。
962日本@名無史さん:2012/02/02(木) 00:56:48.31
>>961

>>表記距離七千里は、実距離のつもりで記載していると考えている。
>帯方郡から狗邪韓国まで3000kmもあるか?
>狗邪韓国・対馬・壱岐・唐津それぞれの海峡が432kmもあるか?

私は短里で考えているからなにも問題はない。
このスレッドでここ数日は公里を使用している人はいないようなので、
ほとんどの人は短里表記だろう。
963日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:00:46.94
>陰湿なおっさん
>カス
>クズ

ジョーカーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウジ虫だってwwww
964日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:01:31.32
>>961
日数単位か千里単位で書いてるとなんで水行一日=千里になるの?
みんなそこが知りたいんだけど
965ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:01:41.48
>>955
>その7000里と表記された実質一万里の距離が、
7000里と書かれた沿岸航行距離を、陸地の方4000里に依拠して計ると、
だいたい1万里になるというだけの話しだ。バカ野郎。何をゆさってるんだ。

>7日で行ける距離かどうかを
7日間で行った距離を実際の距離とは無関係に7000里と書いてるだけ。
という話だが・まだ分からんか?
1万里を7日で行ったなどと俺がどこで書いたか。クソたれ。

>>956
>こいつ今までの議論の内容が全く理解できてない
お前がわれの要求を理解できていない。逃げてるだけだ

>>957
>それは貴方にこそ言いたいw
きちんと返答できまい。出された意見は否定するが、
自論として形をなした意見が言えないクズのカラ切り返し。

>>958
>だいじょぶかよ ちょっと落ち着いて話せよw
話がまともに通じない奴。

>>959
>一日当たりの実質速度はその半分以下になるのではないかな。
いい加減無視しているが、当事者でもあるまいに机上の速度計算に何の意味があるか?
966ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:03:29.56
>>962
>>私は短里で考えているからなにも問題はない。
ややこしいから紛れ込むな。
967日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:04:05.70
もはや自分で何を言ってるのか分かっとらんのであろう
気の毒です
968日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:07:52.22
>>965

>>7日で行ける距離かどうかを
>7日間で行った距離を実際の距離とは無関係に7000里と書いてるだけ。
>という話だが・まだ分からんか?
>1万里を7日で行ったなどと俺がどこで書いたか。クソたれ。

その七日間で行った距離という、お前さんの主張する距離が、
7日間で行けないと言っているだけなのだが?
969日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:07:59.12
>>905
>タテマエはそういうことであるが、その内実は子供ゴロゴロ。
だから、出産時に母親を亡くした女児が預けられて養育される。

建前が記紀と倭人伝で一致すればOK。
また記紀上でホトを刺して死んだ、と記述されたら、
後世「オオモノヌシとモモソ姫の子孫」なんて嘘でも出てこれないだろ?
仮にモモソがヒミコなら、そりゃ大事になるよw

970日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:10:01.86
>>960
そのぐだぐだのどこから卑弥呼が出てくるんだよアホ
971日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:11:32.59
>>965

>>>959
>>一日当たりの実質速度はその半分以下になるのではないかな。
>いい加減無視しているが、当事者でもあるまいに机上の速度計算に何の意味があるか?

算数程度の机上計算でも間違いがはっきりしているのを、
机上計算だからといって拒否するのは、氏にとってもマイナスだと思うぞ。

切り捨てるのは、現実に即していない机上計算であり、
特に根拠もなく、論理にも合わない、一日水行千里のほうである。
972日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:11:32.47
ゴミため氏みたいな人をパラノイアというのかな
973日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:12:20.22
そう短里と考えてる人も海路表記と考えてる人もいるが
どちらもその1000里という単位×7の実際の距離を7日で行くのは無理だと考えているだ
わかるか?
974日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:12:48.62
>>884

隋書に阿蘇山って書いてあるが?
975日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:13:46.33
次スレ立つまで、こっちでやる?

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1326970386/
976日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:15:04.72
>>970
文献に残る人物から選ぶとしたら、モモソが一番像に近いって事だな。
なにせ国宝で「日女命」とお墨付きだし。
他に誰かいるかい?候補出してみなよw
977ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:15:40.95
>>964
>日数単位か千里単位で書いてるとなんで水行一日=千里になるの?
測定不可能な海路距離は、正確に表記しようがないという事実があって。
現実に日数単位か千里単位で書いてるという事実を提示して。
例として、朝鮮半島沿岸航行距離が7000余里という、
実際とは途方もなくかけはなれた数値で書かれているという事実を提示した。

「水行一日=千里」とは、そういう表記をしている事実に沿って
測定しようのない海路距離の誇大における表記法だといってるただけだ。
実際の航海距離を「水行一日=千里」といってるのではないぞ。ぼんくら

で・朝鮮半島沿岸航行距離が7000余里という、
実際とは途方もなくかけはなれた数値で書かれているという事実を
お前らはどう判断するんだ? と問うたが返事がない。
イージーに「間違い」「誇大表記」とするか? といったがこれにも返事がない。

で・俺が出した解釈には、やんやのケチをつける。これって何だ?
ただの銀蝿行為だよな?

>みんなそこが知りたいんだけど
みんなで答えるべきこと・考えるべきことを放置して、
一方的に「出せ出せ」てか? ガキみたいなわりには相手には論拠を要求する。
ここでは唯一論拠を提示している俺に対していうんだから、そうとうなタマだぜ。
978日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:17:33.64
>>974
当然阿蘇山も倭国にあるからだろw
ヤマタイはヤマトですよ。
979日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:22:05.63
なんだかんだ言っても
卑弥呼スレの方でも約2週間で690レス超えしてるんだよな。
ここにしてもそうだが、邪馬台国スレは消化するの早くない?
980日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:22:11.50
日本語が苦手なのかな?
981日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:22:20.97
>>976
「文献に残る」卑弥呼は「魏志」という文献に残っている。
国宝は無関係。
「他に誰かいる」必要なし。アホか??
982日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:23:26.68
 
>>4
このくらいでお願いします
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃解析結果                  ┃
┣━━━━━━━┳━━━━━━━━┫
┃電波受信率    ┃99%            . ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃アホ率        .┃90%            . ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃馬鹿率        ┃90%            . ┃
┣━━━━━━━╋━━━━━━━━┫
┃妄想率        ┃90%            . ┃
┗━━━━━━━┻━━━━━━━━┛




次スレ  ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 109
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1328113252/
983日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:25:10.34
>>981
>「他に誰かいる」必要なし。アホか??

じゃ。何のためにこのスレにいるの?
アホどころか存在価値ないじゃんw
984ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:26:54.25
>>968
7日間で行った距離を実際の距離とは無関係に7000里と書いてるだけ。
という話だが・まだ分からんか?

>その七日間で行った距離という、お前さんの主張する距離が、
>7日間で行けないと言っているだけなのだが?
そういう意味には読めない文章だが・まいい。
「言っているだけ」て、いうだけなら誰にでもできる。
ナンセンス。
985日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:27:39.85
>>977
特殊な理論を掲げる以上説明を求められるのは無理からぬことだよ
でまあつまり「水行一日=千里」は日数単位千里単位表記だからなんとなくそう思ったと、そういうことですね
了解しました
986日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:29:03.76
>>977
>「水行一日=千里」とは、そういう表記をしている事実に沿って

「そういう表記」がどこにある?
直接的な記録は文献にはないね。
水行十日から、勝手に結びつけただけだろ?

水行7000里を7日、
渡海3000里を3日とね。

しかし、水行7000里とそれに該当する距離を
7日ではいけないのは前にさんざん書いたとおり。、
987ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:29:09.73
>>971
>特に根拠もなく、論理にも合わない、一日水行千里のほうである。
お前もまた、「一日水行で千里行った」といってると誤解してるだろ。

海路は正確な距離測定ができない。測定できないものは正確には表記できない。
ではどうしたか。
数多の歴史書が日数単位、千里単位で表記している事実を提示して、
日数単位、千里単位が古代における「表記法だった」と主張しているのだ。
表記方法の話だぞ。
日数単位、千里単位で表記しているのは揺るぎない事実だ。

文句ばかりいうから、
それじゃ・帯方郡から狗邪韓国までの7000里は途方もない距離だが、
この事実についてはどう解釈するのか。と問えば返答は一人もなし。
ざまねーや。
988ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:32:15.02
>>986
>「そういう表記」がどこにある? 直接的な記録は文献にはないね。
駄論
海路は正確な距離測定ができない。測定できないものは正確には表記できない。
ではどうしたか。
数多の歴史書が日数単位、千里単位で表記している事実を提示して、
日数単位、千里単位が古代における「表記法だった」と主張しているのだ。
日数単位、千里単位で表記しているのは揺るぎない事実だ。
989日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:33:03.29
たぶん無理じゃね こいつと会話すんの
990日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:33:22.48
>>987

>それじゃ・帯方郡から狗邪韓国までの7000里は途方もない距離だが、

短里だと妥当な距離だが?
実質距離のほうがちょっと長いかなといったところで。

その辺はだれも問題にすらしていないはずだが。
異論のある奴いるかね?
991日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:35:43.86
こいつ以外みんなわかってるよ
こいつの説も他の人の説も
992日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:36:11.44
>>977

> 「水行一日=千里」とは、そういう表記をしている事実に沿って

だから、それは事実じゃないのw
そんな表記は、されていません。
貴方の脳内では「事実」なんでしょうけどね。
993日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:36:59.30
>>988
>日数単位、千里単位で表記しているのは揺るぎない事実だ。

これもだれも問題にはしていないぞ。
誤差があるんだから、ある程度荒っぽい表記になるのは仕方がない。

ただ、一日千里は絶対的な法則ではないよ、と言っている。
994日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:37:27.87
7000里は539kmくらいだな

いさくもどきたら

わざわざ押入れ捜してせっかく貼ってあげたの消しちゃったくせに

なあんばゆうちょるかあ
995日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:39:08.45
>>983
おまえ日本語読めないのか?
996ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:40:36.99
負け惜しみ銀蝿ども。文句をいうなら返事しろ

魏の公式尺度で7000里といえば、3000km強になる。
帯方郡から狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmだ。

狗邪韓国までの朝鮮半島沿岸部の海路が3000kmもあるか?。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間がそれぞれ432kmもあるか?
海路距離はいずれも途方もない数値だが、この途方もない数値をどういう解釈するのか。

間違いだ誇大表記だで逃げるのではなく、
俺の「1日航海千里単位表記説」を超える代案を寄越せ。
997日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:41:35.84
>>995
君よりかはね。
998日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:41:56.78
ところで、伊作里の1/6.5換算はやめたのか?
999日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:42:51.94
水行一日=千里には特に論理的な根拠は無い
伊作がそういう風に思ったってだけの話
議論しても無駄
1000ゴミために降りた鶴:2012/02/02(木) 01:45:16.48
「海路距離の途方もない数値をどういう解釈するのか」。
新しいスレッドが立ったら、引き続きこの要求について追いつめる。
誰か一人でも詭弁抜きで明解に答えられるか見物だ。

俺の「1日航海千里単位表記説」に文句をいうのだから、
さぞや立派な代案がでることだろう。
10011001
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