1 :
日本@名無史さん:
先日、本屋で20年振りに日本史の参考書を手にしたら、その昔『島原の乱』という名で習った事件が、今は『島原・天草一揆』と書かれてあって、あらびっくり!
そんな、オッサン世代と現役受験生世代とでは呼び名が違う日本史用語や、歴史の解釈が変わったこと、更には歴史上の新発見は、きっとたくさんあるかと思います。
オッサン世代の日本史知識の更新のため、それらいろいろをここに書き込んでくださいな。どうぞよろしく(^-^)/
鎌倉幕府成立は1192年ではない
諸説ある中で1185年が有力
3 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 21:40:08.00
震災前
/::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
/::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~ ヽ:;::l
|:::::::::::| 岡田 異音 |ミ|
|:::::::/ ,,, ヽ,、 '|ミ|
'|:::::::l '''"" ゙゙゙゙` |ミ|
|:::::|. ,,r ‐、 ,, - 、 |/
,/⌒| ノ ・ _), (. ・ `つ|
| ( "''''" |"'''''" |
ヽ,,. ヽ |
| ^-^_,, -、 |
| _,, --‐''~ ) | マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・
'ヽ ( ,r''''''‐-‐′ /
震災後
|:::::::::/ |ミ|
|::::::::| ,,,,, ,,,,, |ミ|
|彡|. '''"""'' ''"""'' |/
/⌒| -=・=‐, =・=- |
| ( "''''" | "''''" |
.ヽ,, ヽ .| キリッ
| ^-^ |
. | ‐-===- | 大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
,\. "'''''''" /
朝鮮民主党
解党
4 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 22:56:10.59
以前 セポイの乱
現在 インドの大反乱
5 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 23:07:26.38
>>2 そうなん?
じゃあ、今は『いい国作ろうキャバクラ幕府』って言わないの? なんかショック…
6 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 00:45:28.90
セポイの蜂起って習ったけど@数年前の高校生
「インドの大反乱」じゃ一般名詞っぽくて抽象的で意味が通らないよね
7 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:46:23.93
インドの大反乱…山川とかの教科書もそうなってるのかな?
あと、今は大和朝廷? 大和王権? 大和政権?
大和は漢字? それともカタカナ?
>>7 >インドの大反乱…山川とかの教科書もそうなってるのかな?
山川の世界史は「シパーヒーの反乱」になっていますね。
>あと、今は大和朝廷? 大和王権? 大和政権?
> 大和は漢字? それともカタカナ?
どれも使われているようで。中学では「ヤマト王権」、高校では「大和政権」で習いました。
原始時代の部分が一番変わっていそうですね。
人類の出現は500万年前〜700万年前、明石人は原人ではなく新人の一種
稲作伝来は弥生時代ではなく縄文時代の晩期
大和時代にかわり古墳時代という呼称が使われるようになった点などなど
9 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 00:50:17.55
俺の頃は、吉野ヶ里も三内丸山も見つかってなかったからなぁ。
乙巳の変っておっさんは聞いたことなかろう
昔は大化の改新と一緒くたにされてた、イルカが首切られた事件
緑豆皇子がそのあと抗議デモをやった
11 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 01:33:09.94
インドの大反乱w
なぜ変わったんだ セポイはどこに
仁徳陵はどこに消えちゃったの?
13 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 13:03:15.37
>>12 だよな。
>>10 入鹿暗殺と改革を区別した方が、理解はしやすいかな?
でも、その健康食品みたいな皇子は誰?w
「治外法権」って、俺たちの時代は最重要語句だったはずだが、
すっかり見当たらないのは何でだ?
15 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 13:46:19.03
領事裁判権に縮小されてしまったんだね
16 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 02:45:35.48
17 :
名無しさん@お腹いっぱい:2012/01/10(火) 10:19:47.72
ふほんせん
19 :
日本@名無史さん:2013/03/12(火) 17:00:27.78
源頼朝
足利尊氏
武田信玄
の肖像画と言われてきたものがどうも別人らしい、というのは
聞いたことがあるけど、他には無いのかな。
源頼朝像とセットだけれど、平重盛・藤原光能像もやで。
小牧・長久手合戦は、総体でみれば秀吉の勝利。
家康は本姓豊臣を名乗らされ、
秀吉が創設した武家清華家という上位家格に叙せられたとはいうものの、
ある種、他大名横並びの枠組みの中に完全に組み込まれた。
22 :
日本@名無史さん:2013/04/14(日) 17:59:10.52
>>2 >鎌倉幕府成立は1192年ではない
>諸説ある中で1185年が有力
1185年は武家政権としての「鎌倉政権」の実質的な発足年ではあるが、
「鎌倉幕府」の発足は従来通り頼朝が征夷大将軍となった1192年でないと
「征夷大将軍を頂点とする全国規模の武家政権」という歴史用語としての「幕府」の定義とは合わない。
もし「幕府」を単なる武家政権の意味で使い「鎌倉幕府成立は1185年」とするのなら、平清盛や豊臣秀吉の政権にも「幕府」の名を名乗らせないのは矛盾である。
>>19 北条時宗(→北条定宗?)
足利義政(→洞院実熙?)とか
24 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 19:51:08.80
>>23 ありがとうございます。「定説」が覆るのは他にもたくさんあるのですね。
別人説とは違うけど前田利長と平資盛の肖像画は似過ぎ
26 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 13:35:13.50
【歴史】徳川綱吉が暴君から名君に 教科書記述一変 「生類憐みの令は慈愛の政治」★4
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1365996616/l50 いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に
疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。
「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。
そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である。
実在そのものにも疑問がついた聖徳太子が「下がった人」の典型だが、
聖徳太子から親書を託され、最初に隋に渡ったとされた遣隋使の小野妹子も、そのひとり。
「無礼な(607年)遣隋使・小野妹子」なんて語呂合わせを覚えている
読者は多いかもしれないが、山川出版社の教科書(以下、引用は同社のものより)では、
現在では〈600年の派遣に続けて607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った〉と
初の遣隋使ではなかったことが明記され、かつては太文字だったのも細字に
格下げされた。親書を託した聖徳太子も存在が疑われているから、将来の教科書では
名前そのものが消えているかもしれない。
一方、歴史研究の成果で、逆に評価が上がった人物もいる。
関ヶ原の戦いで西軍を組織した石田三成について、1988年版では
〈五奉行の一人石田三成は、小西行長らとはかって家康の排斥をくわだてて挙兵し〉と
悪役臭が漂うような表記になっていたが、現在は〈豊臣政権を存続させようとする
石田光成と家康との対立が表面化し〉と、石田側にも大義があったように改められた。
劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である
27 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 18:09:42.74
>家康は本姓豊臣を名乗らされ、
ハァ?
豊臣は秀吉が関白になってから、天皇から下賜された名字だがw
28 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 18:11:17.78
生類憐みの令が慈愛とか言ってる奴って、
ただの動物愛護家だろw
野良猫がかわいそうだからといって餌をやってる馬鹿と一緒ww
29 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 22:15:12.01
>>28 そういう時代になったんだよ。
綱吉が名君になるね。
「足利義昭が追放されて足利幕府は滅んだ」ってのは、
今じゃどうなってる?
綱吉の場合
・発令の目的が「世継ぎが生まれる」ためという個人的な理由
・その分人間様にしわ寄せがきている
ことを考えるとこの考え方はおかしい
その「子供が欲しかった」説が最近あやふやみたいよ
子供欲しかったのは事実だけど、それは生類の中で特に犬を保護した理由にはなっても、
生類を憐れむようにふれを出した行為の説明にはならない
34 :
日本@名無史さん:2013/04/20(土) 18:09:51.79
35 :
日本@名無史さん:2013/04/20(土) 18:22:24.38
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隅隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隅隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈隈
肉眼では分かりづらいレベルだと思うよ。
試験でさえなければ漢字は多少の誤記でも意味は通じるし許されるんだがな、試験でさえなければ
37 :
日本@名無史さん:2013/04/22(月) 12:18:21.90
>>27 ツッコムなら本姓と名字の違いを覚えてからにしようか。
フーム。綱吉の生類憐みの令の評価は変わったのに、
三大改革とか江戸時代の評価は大して変わってるように見えないな
慶安のお触書を出さなくなっただけマシか。
39 :
日本@名無史さん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN
その慶安のお触れ書きも
実在したかどうか怪しいという記述に。
うちの教科書には農村法令として出ています。
今年度新しく市販された山川の教科書
従来の化政文化が「天明・宝暦期の文化」と「化政文化」に分割されてて驚いた。
40 :
日本@名無史さん:2013/09/16(月) 15:25:45.08
>>37 それって現代人には全く関係の無いことだね。
41 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:40:14.22
室町幕府は後世の呼び名。
・・・ってこのスレでは当たり前ですね。
>>26 >実在に疑問がつけられたり
厩戸皇子(聖徳太子)と表記されてはいても、
その実在に疑問符なんて付いてねーよバーーーカw
チョンじゃねーのかこいつ
>「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。
それも嘘だ。
ずっと前から諸説の一つであって、1192年に征夷大将軍に任ぜられたことによって
名実ともに実験を握ったという趣旨の記述をする教科書もあるし、
学会でも、観点によって諸説あるとするのがスタンダードだ。
天皇より任ぜられるというファクターを取り去りたいだけじゃないのかw
まるでお話にならない
43 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 16:51:36.08
20世紀の歴史解釈はまだ生々しくて無理な部分が多いだろうけども、
19世紀についてはもっと踏み込んだ研究があってもいいと思う。
44 :
日本@名無史さん:2013/12/30(月) 19:02:13.08
今の教科書って古代史の朝鮮半島関係の記述が昔とは大きく違うんだろ?
任那とか無くなっているって聞いたけど、どうなのよ?
実際、ヤマト王権が朝鮮半島に進出し、その南部に一定の勢力圏を確立したのは、
中国の歴史書からも概ね裏が取れるので史実なんだろ?
韓国のファンタジー史に迎合するのはいい加減にして欲しい。
45 :
日本@名無史さん:2014/01/01(水) 14:20:09.30
>>44 山川の「もう一度読む日本史」で確認したら?
自分は手元に無いけど。
前・中期旧石器時代の遺跡は消滅したね
>>44 にんな、と読ませるらしいよ。
みなま、と読まないみたい。
去年、JKに聞いた。
八十年代の山川用語集でも
百済→くだら(日本史)ひゃくさい(世界史)
新羅とかetc.etc.
にんなは初めて聞いた、世界史なのか日本史でそう読ませるのかは知らんが…
49 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 00:06:27.52
>>48 新羅(しらぎ)の「ぎ」が「〜の奴ら」という意味だとかで「しんら」に変わったとかいうのは
どこかで知った。「中立な呼称」みたいなものか。
「くたらぎ(百済+ぎ)」という地名・苗字もあるしね
51 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 06:01:12.26
47
>>47 山川の用語集2009年にはミマナの読みもでているよ。
52 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 08:52:17.28
諸説といえば平家が初の武家政権という扱いになってるとか何とか。
54 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 12:05:30.69
将軍の存在しない「幕府」だなどとは滑稽千万
笑止よのう!
55 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 13:17:58.91
>>54 「笑止」が「わらってしまうこと、おかしいこと」の意味で盛んに使われるようになったのは
やはり『北斗の拳』以後なのかな。
56 :
日本@名無史さん:2014/12/29(月) 14:19:00.69
「石山本願寺」の石山って当時の地名だったのかな?
>>55 北斗の拳など知らない爺だが、笑止は時代劇‥だけでなく昔から受け継がれているおっさん用語という感じでお馴染みの言葉だぞ
58 :
日本@名無史さん:2014/12/29(月) 16:23:22.25
本筋論じゃない小さな話だろうけど、気になるのが人命の呼び方
1 秀吉の妻が 「ねね」→「おね」
2 浅井長政の浅井が 「あさい」→「あざい」
3 護良親王の護良が 「もりなが」→「もりよし」
4 山内一豊の山内が 「やまのうち」→「やまうち」
いずれもNHK大河ドラマではこう呼んでいた。古文書にルビ振っているわけでも
ないだろうから、根拠は何と思う。特に本当か?と疑問なのが2の「あざい」で、
「浅井氏の領地だった滋賀県のある地区が『あざい』なので、この呼び方が正しい」
というのだが、これに対しては「殿さまと同じ読み方をするのは恐れ多い」とも、
あるいは「滅亡した浅井氏の出身地と思われるのはいやだから」という理由で、
「あさい」から「あざい」に変えたとも考えられないか?
自分の実績を作るために学者が変にこねくり回していないかと疑いたくなる。
59 :
日本@名無史さん:2014/12/29(月) 17:06:11.19
士農工商の順番は、儒者の理念を語ってるだけで、
幕府が町人と農民の代表を呼んで寄合をする時は町人の方が農民の上座につくなど
実際の扱いは町人の方が上だったと歴史の新書で読んだ
60 :
日本@名無史さん:2014/12/29(月) 17:38:05.02
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm 隋書 倭国伝
死者は棺槨に納める、親しい来客は屍の側で歌舞し、妻子兄弟は白布で服を作る。
貴人の場合、三年間は外で殯(かりもがり=埋葬前に棺桶に安置する)し、庶人は
日を占って埋葬する。葬儀に及ぶと、屍を船上に置き、陸地にこれを牽引する、ある
いは小さな御輿を以て行なう。
倭国の真ん中には「阿蘇山」があり、
そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、
因って祭祀を執り行う。如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとし
て、倭人を敬仰して常に通使が往来している。
>新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
倭人を敬仰して常に通使が往来している。
倭人より古代から格下の民族って新羅や百済の朝鮮人は自覚してたのはワロタ
62 :
日本@名無史さん:2014/12/30(火) 16:16:36.60
昔は源氏しか将軍になれないって聞いてたが、今はそう言われてないみたい
また、昔は織豊政権という言葉があったが、今はほとんど聞かなくなった
鉄砲伝来も疑問視されてるとか