♪邪馬台国 ドンと来い♪ 102

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1日本@名無史さん
 
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

     出来るだけソースを出して後はお好きに!

゙、\   i  i゚  ./`:;,,___ノ  ◯  。        ゚         (   ノ
 \`ー'   i //´ o    。 o       o   。       ___  o
   `\  ◯" ,ノ        。   ........____......o___...._____.....__........_  |______|       ○ 。゚
    i   。 /   o      o ,'"      ̄   ̄   ̄o    `、 iエエエi    o   。゚
o   |   /゚  ,i'⌒ヽ、  ゚   ,' ,ヘ、。 ◯   o  ,へ、 o   `く`ユュ/        。
゙、\_ノ  i o (    )      ,' メ ヘ     。   / oへ、     `、_メ  。
 ` 、゙   ノ /`;;;;;_ノ      ,' メ /::`、 o    / /_____\    `、     ◯  o
   \  i,//´   o   ,' メ /二:`、     i  | |ロ|ロ| | 。    `、           o
   i  ◯/    。    ,' メ /|iロiロ|`、  。  i.__|_|ロ|ロ|_|      ○   。
  /   / 。          ,' メ /..|iロiロ|..`、   O    ̄ ̄ ̄ o    `、     。  *
 ./   /    ○ o    i_/__/::::ニニ:::::`、_____________`。  o
:::/ο i        iニi、  | || \" ゙゙̄\゚ | |゚ ゚ ゚ ゚ ゚ °°゚ ゚ ゚ °|°
..i   |    O (´・ω・`)  |O  |o @::| 。0ニニ二ニ|ミ田田彡|ニニ二ニ|   。   ○
ノ、.......,iー. __(_    _).. |..||  |$::::::::| | |二ニニ二ニニニ二ニニニ|`ー-、.,_.................................
     ,._,,,.,.,._.。--ー―'''''^"´,。=ー'^"´ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_,.。-ー'''^         ,.。-ー'^"´         o         o

前スレ   ♪邪馬台国ドンと来い♪101
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1323690790/
 
2日本@名無史さん:2011/12/17(土) 10:36:48.83
一支1st→已百支last.↓ http://ameblo.jp/y52yd/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄├───┐  ┌───┐9.3f
支(防)┌──┐  ┏末盧┏┓└→□金印  └─┐┌
      └┐  └┐┃↓┗┫┗━─┘委奴国  ┌┘└
.  北 .   └─┐┗┛    ┗━┓.    (=筑紫) │↑
. φ  ....┌┐│放■@  ★不┗┓     斜陽 ┃海峡に疎い
 南   ┌┘││射■伊都→弥┏┛ 再掲 D  ┗┓
      │  ││式■┿┳↘ ━┛.██████.. ━━┻━━━┓
『伊都』└┐└┘┏■↓┃  奴←▉烏奴←██ 支惟← 巴利 ┗┓
飛地┌─┘遠絶┗■  ┗┳━━▋ ┫┏┓ ██ ┌躬臣┘  ┏┛
    └────┐■十  ┃其南▍ ┗┛┃┌■邪馬┏━━┛→
『奴』非親女王┌┘■日  ┃ 有 ▎E   鬼奴■┐  ┃四国認識
    非反狗奴└─■  ┏┛狗奴国 Kikuchi ■為吾┗━━━┓
      ┌──┐  ■  ┗┓      ┏━┛鬼■┘ C     ┏┛
    ┌┘┌─┘  ■  ┏┻━━━┛★┌┘■女王国以北┗┓
    │┌┘十    ■━┛      華奴蘇奴  ■戸数道里可得┛
    └┘  日┏━■一              ↑  ■略載(抄録)┗┓
      ┏━━┛  ■月    ┌蘇奴→呼邑  ■┏━━━━━┛
      ┃↓      ■↓★┌対蘇    Koyu. ■┛夷守:卑奴の
    ┏┛投馬 A ■    姐奴←不呼┐┏━■  南下監視
    ┗┓Satsuma ■ ┌弥奴─→ 好古津┓■
      ┃         ██都支..Aya..Miya┏━ ██  都支(城):宮護
    ┏┛    ┏┓  ██ └ 伊邪┏━┛ ██   伊邪那岐
┏━┛  ┏━╋┛   ████████████
┃    ┏┛┏┛    B  已百支┃  周旋五千余里
┗┓  ┃  ┃原  邪馬台  ↑┏┛
  ┗┓┃  ┃田○┏━●斯馬┃Kushima
    ┗┛┏┛    ┃  璧┏━┛次有
    ┏倭地温暖┏┛↓┗┛
    ┗━━━━┛南方に詳しい
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1105856.article.html
★佐賀は南九州と朝鮮半島を結ぶ役割を担っていた
3日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:17:12.44

あ-35-9
平成21年度民主党第5区総支部(手塚仁雄議員)収支報告書(行番号1151、1204)
報告書73ページ目に、平成21年8月18日 「中山 諭」 250万円ってあるけど、誰だ?wwこいつはww

野田の側近の、手塚首相補佐官殿がお金もらってた中山諭って、
不動産販売会社 ダイナシティの当時社長で、覚せい剤取締法違反で
現行犯逮捕されてる奴だろ?w (共同通信) 2005 年- 6 月29 日

そういえば、レンホーちゃんも仲良しらしいじゃんw
それと、手塚っちがレンホーと中山さんと飲み会したって暴露ってるぞ?www
ヤクザとずっぶっずぶだなあwミンスはww
4メちぁん:2011/12/17(土) 19:39:56.16
あげ

>>1
乙〜!
5伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/17(土) 19:42:08.46
どっちが本スレだよw
こっちにも書いとくか。
おーい伊作よ、反論できんからもうでてこれないかww
おまえさんの景初2年の証明は完全に論破済みだからww

劉マ劉夏の件のみでもほぼ勝負あったわw
伊作は帯方郡の先行平定を主張しており、平定してから
間髪いれずに卑弥呼が郡に難升米らを送ったと
そのスピードを強調してるし、つまり帯方郡を先行平定した
劉マが、難升米らが郡にきたときに劉夏に変わってるわけがないw
つまり交代説などありえないことを伊作自身が言ってるようなもん。
となると劉マ劉夏は同一人物とするしかこいつの説は成立しないが、
その根拠が中国人の学者がそう言ってたからときたww
じゃあ学者はほぼ畿内説なんだから畿内説を支持するのかと。
でもこいつは学者の言うことなど馬鹿馬鹿しいと俺は九州説のホープだとか
言ってるし矛盾しまくりだよww
それに劉マ劉夏が同一人物なら、三国志内で、同じ役職で名前が似てれば
全部同一人物だということもまかり通ってしまうだろww
前に言った蜀漢皇帝の劉備と劉禅とかも同じ役職で名前も親子だから
似てるよなww完全にこいつの説は成り立たない。論破達成。
つまりこのようなでたらめなこと書いて本出して金詐取してる
トンデモ野郎ということが皆よくわかったでしょ。
6日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:52:14.91

はっはっは。いまどき、九州説ってだけで笑いものだわ。
7太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 20:18:45.71
はっはっは。いまどき、紀無い説ってだけで噴飯ものだな。
8日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:42:11.83
売り奈良詐欺の畿内説は、今日もペテンに励みます。
9竹斯の民:2011/12/17(土) 20:45:09.20
こっちだこっち、こっちが本スレ。
あっちは間違って立ててしまった。
ごめんね。
10日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:02:40.91
ガチホモもドンとこい!
11日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:03:47.71
>>1
絵上手いな。
文字と記号だけでよくここまで画けるものだ、
12日本一正直な論客:2011/12/17(土) 21:20:48.91
日本一正直な論客の、日本一正直な検証。「景初2年の証明」を検索して確認せよ。
文献検証とはこうやるもの・といういい見本でもある。

斉王方が表だった公務を控えて明帝の喪に服していた景色初3年の6月。
即位のお披露目もしていない斉王方に即位祝う「表敬」の使者を贈っただの、
即位のお披露目もしていない斉王方が倭国の使者に接見しただの。
倭国の使者が帯方郡を訪れ前の景初3年5月丙午に、
卑弥呼に贈る「呉式神獣鏡」を魏政府の官製工房で製作しただの。
畿内説の権威学者たちの・はちゃめちゃ加減を根底からついた論説だ

畿内説末端人材が、くだらんいいかがりをつけて否定に必死だが、
それだけまっとうな論説ということだ。天才の凄さの片鱗がそみこにある。
13日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:24:56.35
トンデモはもういいよ。


九州説のじいさん。
14日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:02:26.68
△鏡
箸墓
年輪
桃の種

トンデモは           畿内説の専売特許です。
15日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:17:22.65
記事が出た当時、桃の種を畿内説の根拠にしようとしてるのを見て、
本気で引いたわ。
16日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:23:13.86



桃の種すら出て来ない九州っていったい・・・・・

17太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 22:26:05.71
>>13
女王の記事は相当年代に紀に無いんだよ。ハハハハ・・・

ナゼだか分かるか?

紀無いに卑弥呼の情報がないわけだから、紀無いに卑弥呼の国が存在
しないということを物語るわけだ。当然だな。
相当年代に女王(女天皇)が即位した事実はない。祭祀王なんていう
のは、政治王じゃないとすれば、大して実権など祭祀王にはなく、せいぜい
もの忌みで神の前で篭る地味な女だ。王などと名をくっつけても、派手に
倭人伝に載る程度の積極的活動をする女ではなかろう。

つまり祭祀王なんていうのは王の字をつけて女王気分で論を張る妄想
そのものだ。歴然としている。

それに女王卑弥呼を隠匿しようなどという気持ちは紀の編者側にはないの
は、神功39年の女王の記事で明解だ。これを他人が挿入したというなら、
隠匿の気があるんなら即刻その記述を削除するはずだ。また大陸の下っ端
になるのが都合わるいから隠匿したと頑張るなら、こちらが大陸側を
属国だと書けばいいことで、「魏」の国号も倭(委)の字を大陸に与えた
として鬼のツクリも卑弥呼の鬼道を大陸に教授した旨を書いてえへん
えへんと威張ればいいことであり、なにも隠す必要は無い。

紀無いに卑弥呼の情報が倭人伝の借り物たる神功39年等でない紀無い独自
のものが記紀に無いわけだから、卑弥呼の国は紀無いでない九州だと
考察するのが相当であ〜る。
18日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:29:07.61
>>17

いいことをおしえてあげる。

日本書紀には、崇神天皇の時代に、ヤマトトトヒモモソヒメという巫女が登場する。

実は、この巫女が、卑弥呼なんだよ。
19太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 22:32:52.77
>>18
何故だか、その事由が無いね?
百襲媛は即位してないから、女王(女天皇)ではないよ。
20日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:33:29.14
今の歴史教科書は、検定が甘いのでいろんなことが比較的自由に書ける。
さらに、どの教科書を採用するかも学校の裁量に任されているらしい。
ということは、畿内説を前提にした教科書というのもありえるし、学校がそれを
採用するというのもありえる。

最近、大和政権とかヤマト王権とか言うのを聞くのはそういうわけなのだろう。
こういう風に、学校の教科書から畿内説を働きかけていくのは問題な気がする。
畿内説ってのはこういうことが得意だから。
21日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:38:53.62
東電の原発
学会の畿内説

どちらも、
間違いとわかった今になっても
引っ込めるタイミングが掴めません。
22おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/17(土) 22:44:43.68
前スレより
975 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 15:19:38.96
>>969
良く、鉄器が普及したから生産性が向上したみたいなことを言う人がいるけど
鉄器の農具も、木製や銅製の農具も、どちらも人力で耕すわけだから
近代の機械化による生産性の向上ほど劇的な変化はないよ。
鉄器は壊れにくいけど、つくるにコストがかかる。
木製や銅製や鉄器よりも壊れやすいが、作るのにコストはかからないから
新しいのに変えて農作業を継続したら良いだけ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
畿内説ボケ老人クラブの皆さん ケアが行き届かず申し訳ありません。
さて、鉄器の価値についてですが、

木製の鍬を作ってみましょう。材は杉などの柔らかい木ではダメです。樫や楢などの硬い木でなければ使い物になりません。
その硬い木を石器で作るとなると一人で1日1個がやっとでしょう。2日かかるかも知れません。
鉄斧だと一人で1日に20個くらいは作れるでしょう。もっと作れるかも知れません。

つまり、鉄斧1個は大人20人分の働きに相当するとしてよいでしょう。
鉄斧の寿命は2年は越えるでしょうから、仮に2年間使用可能としますと、年間200日使用したとすれば大人8000人・日
に相当します。

大人1人の労働価値を米5合/日(米750g/日)としますと鉄斧1個の価値は米100俵(6000kg)に相当します。開墾などの工事では
鉄器の価値はさらに高いでしょうからこの値は少なめな見積もりでしょう。
23日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:46:33.70
>>19

本当は、モモソヒメは女王に即位してるんだよ。
その証拠に、モモソヒメの墓は、とても大きいんだよ。
箸墓と呼ばれて伝承されてるよ。

日本書紀では、女王が即位したことを書きたくなかったから書かなかったんだよ。
そういう改竄は多いよ。
24日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:49:26.49
>>22

>鉄斧だと一人で1日に20個くらいは作れるでしょう。もっと作れるかも知れません。

すごい詭弁ですね。

一人の農夫は、ひとつの農具を使えばいいのですから、
鉄が無くても、ひとつの農具を冬の間にゆっくり作ればいいのですから、何の問題もありません。
25日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:53:58.84
>>16
桃の種すら出て来ない九州っていったい・・・・・

詐欺の材料しか自慢できないのか?
26太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 23:02:06.84
>>23→なぜ書きたくなかったのか?

改ざんなんかすれば、当時でさえ公文書偽造同行使相当の罪で、その者の
身が失脚するにいたる。当時でさえ内外に敵は多いわけであり、彼らに
その事実を垂れこまれると、身の危機が切迫する。だからそんな改ざん
などはせず、そのまま記載するよ。彼女に怨恨があるならば、彼女を悪く
書くだろうし、そんな箸墓は傷つけとか破壊されたりする。所詮君の妄想。

怨恨で記述を削ってなおした事例は古代エジプトの神殿だったか、あるに
はあるが、そうならば、それ事由と痕跡があろうはずだが、そんなもの
はなさそうではないか。w

別に大きいのを造っても女王だとはならんぜ。

インドの大きな建物のタージ・マハルは王が王妃可愛さに彼女のために
大きく造ったものであり、コレで彼女は王に即位なんぞしておらず、その
ままの身分だよ。
エジプトの某神殿も王が王妃可愛さに王妃のために特大の石造りとして
建造したものであり、とりわけその彼女は王にはなってはいない。

箸墓は百襲媛の墓で天皇と同級あるいはそれ以上に大きくなってはいるが、
これも彼女の神がかりが際立って天皇、朝廷に貢献した感謝のことから
えらく特大にしたもようだと観るべきで、それで彼女が女王(女天皇)に
なったわけではないよ。
27日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:02:07.68
>>25

悔しかったら、桃の種を吉野ヶ里にでも埋めてきたら?
28日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:04:52.78
>>23
>日本書紀では、女王が即位したことを書きたくなかったから書かなかったんだよ。
そういう改竄は多いよ。

倭人伝の方角を間違いだとし、距離も間違いだとし、
こんどは
日本書紀の桃ちゃんの記事まで出鱈目だったことにしちゃうの?

ひどすぎるっぺ。
何でもありの畿内説は。
29おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/17(土) 23:05:07.82
>>24
あなたは木製の鍬を使ったことがありますか?私は樫の木鍬を作って使ったことがあります。鉄の鍬に比べて
刃先の幅を狭くしないとものすごく力を必要とします。土の切れ味を良くするために刃先を鋭くすると直ぐに
潰れてしまいます。刃先を削りながらの作業になります。下手すると1日の作業で使用不能になりますよ。
30日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:05:40.94
>>26

日本書紀、古事記は、天武朝のときに作らせたものなので、
天武の命令があれば改竄は簡単です。

というかですね、日本書紀は、卑弥呼を神功皇后としてるのだから、
改竄とかじゃなくて、勘違いのレベルなんですよ。
7〜8世紀の朝廷は、神功皇后を卑弥呼と思ってたわけ。
でも、実際は、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼だったということ。
31日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:07:57.96
>>29

あなたは、奈良湖があったとか言ってた人でしょ?
そういう湿地帯を開拓するのに、どうして鋭い刃先が必要なんですかね?

奈良には湖が広がってた、または湿地帯だったのに、固い土を掘り返さないといけないとは、珍妙な話ですね。
32太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 23:09:10.21
>>30
命令があるんなら、天皇に都合の悪い雄略、武烈の極悪非道を削除改ざん
するはずだろう。w おまけに皇族の殺人、浮気もうんと記紀に消さ
れずに有る。

このことは命令による改ざんなんか無かったことを物語る。
33日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:10:40.87
>>27
>悔しかったら、桃の種を吉野ヶ里にでも埋めてきたら?

必殺生ゴミなんかに頼らなくても
九州は遺跡の宝庫。

生ゴミを後生大事に奉る馬鹿はいないよ。
残念だろうがね。
34日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:12:57.86
>>32

雄略、武烈は、天武とは系統が違いうでしょう。
後の継体の敵対勢力とも言えるわけですから、悪口を書くのはむしろ当然です。

35日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:14:42.40
>>30
>でも、実際は、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼だったということ。

根拠のないことを
詐欺師集団がいくら言っても説得力は無い。
36日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:15:06.68
>>22 アタマのお菓子な縄文人
>その硬い木を石器で作るとなると一人で1日1個がやっとでしょう。2日かかるかも知れません。
>鉄斧だと一人で1日に20個くらいは作れるでしょう。もっと作れるかも知れません。

同じ木を削って鉄の刃が石の刃の1/20のエネルギーで済むと?
一体それは如何なる根拠で言ってるんだ?

それがお前の言うところの「かがくてき」「りろんてき」な検証なのかドアホウ。

それに一つで誰だけ効率が上がったとしても
その道具が作業者のどれくらいに行き渡っているかでトータルの効率は出てこんぞ阿呆。

ド素人が見てもお笑いレベルの見積もり。

根拠なし。やり直せ馬鹿者。
37日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:16:26.03
>>35
ヤマトトトヒモモソヒメの墓は、3世紀で一番大きな前方後円墳です。

卑弥呼の墓に間違いないので、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼なのです。
38太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 23:21:34.29
>>34
ある家庭に過去に極道がいたならば、履歴書にはむしろそのことを書く
わけがなかろう。w 君だったら、就職試験でその極道親戚を試験官に
公言するのか? するわけもなかろうがね。w

ある家系に殺人犯人がいたとしてそこへ外人さんでも嫁いでも、そういう
事実は必死に隠すだろうが。系統が違う外人が日本のそういう家庭に入っ
ても、都合悪いから必死にむこう三軒両隣りに公表などすまい。

所詮君の即興の詭弁の言い訳。
39日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:22:16.33
鉄器と木器が、農作業の効率上、等価なんて言っているのは、
世界広しと言えども、ウリ奈良詐欺の畿内説だけだろ。
40おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/17(土) 23:23:10.55
>>31
沼状態であれば(柔らかい泥土であれば)鋭い刃先は必要ありません。しかし、水稲栽培を沼地でなく干拓地で行う場合
には田植え前には耕起しなければなりません。このとき残っている稲株や禾本科の雑草の根を切らねばなりません。これ
には鋭い刃先が必要です。

なお、農作物は水稲だけではなく畑作物も重要で、畑を耕す方が作業量としては多いでしょう。
41日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:24:07.13
>>37
だから、詐欺師集団がいくら宣託を述べても無意味だって。
第一
畿内なんて倭の国じゃなくて倭種の国の一つにすぎないし。
42太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/17(土) 23:24:40.88
>ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼なのです。
即位していないし、とりわけ隠匿など神功39年の事例からも自明であり、
彼女は卑弥呼ではない。
43日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:29:25.28
>>39

鉄器を持つ集団と、鉄器を持たない集団を比較するのであれば、
その二つの集団が密接に関係を持っていなければなりません。

遠く離れた二つの集団を比較して、一方は鉄器があるとか、一方は鉄器が無いとかそういう比較は全く無意味です。

見え透いた詭弁はやめてください。

44日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:32:42.80
>>40アタマのお菓子な縄文人(現・乳頭パイ)

そう言えばお前が持ち出した例の朝和地域の資料。
どうにもこうにも標高が高すぎると思うんだが・・・

その点について言うことはないのか?

盆地、湖の痕跡として挙げる以上、ギリで湖に繋がっているか直ぐそこまで湖岸があったと言うことなんだろう?
45日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:35:23.38
>>39
>鉄器と木器が、農作業の効率上、等価なんて言っているのは

そもそもそんな事を誰が言っているのかな?

逆に言えばゴミクズレベル九州説の立場としては
等価でなければ自分達の言うようなまるで魔法のアイテムの如き価値を認めろと言う
超極端な二択を迫りたいだけ。

ゴミの中のゴミの思考。
46日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:35:39.64
>>38

>ある家庭に過去に極道がいたならば、履歴書にはむしろそのことを書く
>わけがなかろう。w 君だったら、就職試験でその極道親戚を試験官に
>公言するのか? するわけもなかろうがね。w


でも、その極道親戚は、倭の五王として中国に朝貢してたので、
ヤマト王権としては親戚と認めるしかないわけです。

九州王朝の貴方とは話は噛み合わないと思いますがね。

47日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:36:41.71
モモソヒメ=卑弥呼 なんて想定がまかり通る、
日本の古代史学会のレベルは、相当低いんだな〜
48日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:37:04.93
【畿内説詐欺の手口】箸墓編

1:畿内説を1点で強行突破したい
2:箸墓が卑弥呼の墓だったら突破できる
3:日本書紀に、箸墓はヤマトトトヒモモソヒメの墓だと書いてある
4:嘘も百回言えば本当になる→「卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメ」を連呼
5:畿内説の詐欺がバレないよう、根拠が弱すぎる点は有耶無耶にしよう
49日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:39:37.77
鉄器と木器が同じだって????
そんな無茶苦茶が通用するのは、詐欺の世界だけでしょ!
え、畿内説だけは通用するって?

 畿内説は 純 粋 詐 欺 ですね
50日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:41:52.09
>>49

>そもそもそんな事を誰が言っているのかな?

>逆に言えばゴミクズレベル九州説の立場としては
>等価でなければ自分達の言うようなまるで魔法のアイテムの如き価値を認めろと言う
>超極端な二択を迫りたいだけ。

>ゴミの中のゴミの思考。
51日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:42:16.70
>>49

ざっと過去スレを眺めても、「鉄器と木器が同じ」とか言う人はいなかったと思います。

勝手に他人の発言を捏造して詐欺と決め付ける手法はよくないですね。
52おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/17(土) 23:42:54.25
>>36畿内説ボケ老人クラブ広報担当
やあお元気でしたか。なによりです。

>同じ木を削って鉄の刃が石の刃の1/20のエネルギーで済むと?
>一体それは如何なる根拠で言ってるんだ?

鉄斧のように鋭利な刃先を石器で作るのは極めて難しいし、すぐに刃こぼれしますよ。あなた自身でサヌカイトを拾ってきて
作って試してみて下さい。樫の木を切り倒すのに鉄斧なら4〜5撃で済みますが、石器だと取っ替え引っ替えやってもなかな
か切れませんよ。

>それに一つで誰だけ効率が上がったとしても
>その道具が作業者のどれくらいに行き渡っているかでトータルの効率は出てこんぞ阿呆。

鉄斧を作業者全員が持つ必要はありませんね。石器だとその必要があるでしょうがね(なにしろ作業効率が悪いから)。
ということは、鉄斧を持つ者は他の人々に木製農具を提供する専門家になれるわけです。分業ですね。
53日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:43:20.51
畿内説は、木の包丁を使ってるのかな?
畿内説は、木の自動車に乗ってるのかな?
54日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:44:09.81
木器と鉄器が同じだとは、ウリ奈良畿内説でしか通用しませんね!
55畿内説自爆せり:2011/12/17(土) 23:44:12.91
>>43
>鉄器を持つ集団と、鉄器を持たない集団を比較するのであれば、
その二つの集団が密接に関係を持っていなければなりません。
遠く離れた二つの集団を比較して、一方は鉄器があるとか、一方は鉄器が無いとかそういう比較は全く無意味です。

そうそう
倭国大乱も卑弥呼共立も
≪二つの集団が密接に関係を持っていなければなりません≫
九州と畿内は≪遠く離れた二つの集団≫なの。

九州の倭国大乱も卑弥呼共立も畿内は無関係なの。
判った?
56日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:46:47.21
△鏡
箸墓
年輪
桃の種

全部、一点強行突破を狙う、売り奈良畿内説詐欺の詐欺ネタです。
いままで畿内説のどれもが100%詐欺でした。
57日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:47:30.66
弥生時代後期中葉以降の熊本では、各集落に大量の鉄器が保有されていた。
しかし、鉄製開墾具(鋤先)は存在せず、多くは「鉄鏃」「摘鎌」であった。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/kouko/book/noji-kaken/chap_05.pdf
「図 5.3 九州・中国地方における集落出土鉄器の組成」 肥後阿蘇・菊池郡 参照

このことから、弥生時代終わり頃の熊本では、水田稲作を積極的に行わず、
狩猟・採集生活をしていたことを推定した。

さらに、他地域と比較して突出して多い「鉄鏃」の出土量は、
狩猟のための日用道具の範囲を超えているのではないかとさえ思われる。
これらの「鉄鏃」は単に狩猟用ではなく、対人用だったのではなかろうか。
つまり、他地域の集落を襲い略奪するための武器だったと考えられる。
すなわち弥生時代の熊本は山賊の巣窟であったのだ。

この熊本が邪馬台国であったことが、これまでの研究で判明している(縄文人2009、イサク2010)。
ということは邪馬台国の女王卑弥呼は、じつは山賊の女酋長なのであった。
58日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:48:04.62
>>52

まだ、同じ詭弁を繰り返すのですか。

サヌカイトで、ゆっくりゆっくり木製農具を作ったとしても、
農閑期は半年はあるのだから、時間は腐るほどあるわけです。
そんなに急いで、農具を何本も作らなくてはならない必要性はどこにもありませんね。

現に、稲作は縄文時代から始まってますよ。
59日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:50:53.90
>>55

貴方の言ってることは、鉄器が重要な物資という前提のようですが、
鉄器なんて、あれば便利なだけで、無くても構わないものです。

どうも鉄器を過大評価しすぎのようですね。
60日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:51:21.82
>>57
この熊本が邪馬台国であったことが、これまでの研究で判明している(縄文人2009、イサク2010)。

唖然、
イサクの馬鹿を信じるとは.
低脳にもほどがある。
61畿内説自爆せり:2011/12/17(土) 23:57:58.67
>>59
>貴方の言ってることは、鉄器が重要な物資という前提のようですが、

そんなことは一言も言っていないし、鉄に関心もない。
九州と畿内は≪遠く離れた二つの集団≫なのだから無関係な別の集団。
倭は九州にあって
畿内は倭種の国。

卑弥呼も邪馬台国も潔くあきらめなさいよ。
悔しいでしょうけどね。
62メちぁん:2011/12/18(日) 00:00:55.38
>>57
>この熊本が邪馬台国であったことが、これまでの研究で判明している(縄文人2009、イサク2010)。
>ということは邪馬台国の女王卑弥呼は、じつは山賊の女酋長なのであった。

アホ家
奴國が二万戸余りで、邪馬台国は七万戸だろう。
熊本のどこに七万戸居たと言える遺跡があるんだい?
熊本はないな〜ぁ
63日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:01:21.07
>>52 アタマのお菓子な縄文人
>樫の木を切り倒すのに鉄斧なら4〜5撃で済みますが

一体直系どれくらいの木を想定してるんだ?

まあ斧で薪というか廃材みたいな物を切った経験ならあるが
立木を4〜5撃で切り倒す?乾燥もしていない生木はしぶといぞ?

鉄の斧(と言うか現代ならその程度なら鉈で十分だろうが)で4〜5撃で切り倒せるものが
石斧だとその20倍の80〜100打必要だと?

お前の自己申告じゃなくて第三者によるデータになりうるものを出せ。

何れにせよ根拠なし。

>鉄斧を作業者全員が持つ必要はありませんね。

つまり鉄器の有用性を活かせる場面と言うのは全体の中でも一部に限られてくるわけだw

じゃあそこのところを加味して見積もりやり直せお馬鹿さん。

64おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/18(日) 00:01:53.85
>>44畿内説ボケ老人クラブ会長
>そう言えばお前が持ち出した例の朝和地域の資料。
>どうにもこうにも標高が高すぎると思うんだが・・・

実にいいところに気がつかれました。そうなんですね。あの地域については「過去に堤のようなもので囲われた池」であった
というような形跡はないようですし、現在は東から西(あるいは西南)方向に極めて緩やかに下る平地ですね。
ここがおよそ2000年前に沼沢地であったとすれば奈良湖は相当な規模だった可能性が高いですね。
65日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:04:08.50
つーか稲作が始まって長い時間がたった3世紀には開墾できるところは
ほとんど水田になってただろ 長期間の延べ人数を考えるということができないのか
登呂遺跡の復元水田を見てみればいい
水路に矢板までつけてあれで1世紀の話だ
66日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:09:20.58
>>61

遠く離れた二つの集団であっても、奈良にヤマト王権が興って九州を征服したのは事実ですよ。

その、ヤマト王権が九州を征服したのが、卑弥呼の時代というわけ。

わかった?
67メちぁん:2011/12/18(日) 00:09:29.12
>木製の鍬を使ったことがありますか?私は樫の木鍬を作って使ったことがあります。鉄の鍬に比べて
>刃先の幅を狭くしないとものすごく力を必要とします。

縄文さんは、木製の鍬なんて使ったことあるんだ。
たしか土木関係のお仕事とか誰かが言ってましたね。
私は自慢じゃないが、鉄製の鍬すら使ったことありませんゎ。
木製の鍬なんて実際あるんだろうか?なんて考えたりしてしまう・・・これ本当のことなのかしら。
68おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/18(日) 00:12:18.73
>>63畿内説ボケ老人クラブ会長
>立木を4〜5撃で切り倒す?乾燥もしていない生木はしぶといぞ?

これだからシロウトは困るのです。な〜んにも知らないのに大きな口をきくのですから。
木材は乾燥すると硬くなります。「生木はしぶとい」というのは乾燥した木に比べて撓み易い(柔らかい)から折れ難い
ということでしょうが、切削の容易さは生木がはるかに上ですよ。

今日はもう遅いのでお休みなさい。
69メちぁん:2011/12/18(日) 00:12:42.55
>熊本が邪馬台国であったことが、これまでの研究で判明している(縄文人2009、イサク2010)。

太国のおっさんが入ってないね。

(太国1991)←熊本説の太国のおっさんも入れてやって下さいww
70畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:13:35.42
>>6
その、ヤマト王権が九州を征服したのが、卑弥呼の時代というわけ。

いくら詐欺師でもそんなすぐばれる嘘を言うとは。
もうなりふり構わずですね。

実にみっともない。
71日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:16:59.33
畿内なんか、よそからやってきた入植者が、奴隷のように働いていただけだろ。
72日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:17:14.43
>>70

九州の人々が、ヤマトの女王を共立したのだから、実質的にはヤマト王権が九州を征服したのと同義ですね。

73日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:17:21.49
>>64 アタマのお菓子な縄文人

つまり2000年前は湖面が標高50mは超えていたわけだなw

件の資料で2000年前、帯水域であったとされる天理市遠田町石川は55.41m

唐古鍵(標高46〜47m)も余裕で水の中だなww
あるいは10m近くの地盤沈下引き起こしたか?

まあアホが後先考えず資料持ち出してきた結果がこれ。

土木関係には詳しいんじゃないのか?ゴミクズ縄文人w




 
74メちぁん:2011/12/18(日) 00:18:23.28
所構わず、けんか売りましょう〜みなさんww

>>61
>九州と畿内は≪遠く離れた二つの集団≫なのだから無関係な別の集団。
>倭は九州にあって 畿内は倭種の国。
>卑弥呼も邪馬台国も潔くあきらめなさいよ。 悔しいでしょうけどね。

邪馬台国は畿内政権ですょ
今日の私のハンドルネームに「ちぁん」が付いてるからといって
畿内説を舐めないでくれwww
75畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:20:53.58
>>43
鉄器を持つ集団と、鉄器を持たない集団を比較するのであれば、
その二つの集団が密接に関係を持っていなければなりません。
遠く離れた二つの集団を比較して、一方は鉄器があるとか、一方は鉄器が無いとかそういう比較は全く無意味です。
↑↓↑↓↑↓↑↓
>>66
遠く離れた二つの集団であっても、奈良にヤマト王権が興って九州を征服したのは事実ですよ。


自爆にまだ気づいていないのだろうか?
本物の馬鹿なのだろうか?
それとも
恥知らずなだけなのだろうか?
76日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:21:07.47
阿蘇には開拓らしい伝説が残っている。ここはもともとは湖だったらしい。
外輪山の一角を蹴飛ばして阿蘇湖の水を抜いて開拓したのは、神武天皇の孫に当たる健磐龍命。

甲府盆地にも伝説が残っていて、第2代・綏靖天皇の時代の土本毘古王がもともと湖だった盆地の
水を抜いて開墾したと言われている。

大阪の河内湖の水を抜いたのは確か仁徳天皇。灌漑・干拓のような事業がこの頃盛んに行われて
いた様子がわかる。4世紀、5世紀あたりかな?

奈良も水が溜まりやすいような地形ではあるな。水を抜いて開拓、開墾した可能性もありそう。
77日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:22:20.94
畿内って、銅鐸でウハウハやっていた場所だろ?
九州から畿内人を駆逐して、各地から人を集めて、
畿内に入植者を送り込んだんだよ。
畿内に西日本の首長なんかいるわけないだろ。
78畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:24:08.80
>>72
九州の人々が、ヤマトの女王を共立したじしつはありませんね、
素性も知れない畿内の人を共立するはずもない。

共立したのは九州の卑弥呼です。
ももちゃんとか別の名前の人ではありません。
79日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:26:12.16
>>74
今日の私のハンドルネームに「ちぁん」が付いてるからといって
畿内説を舐めないでくれwww

うえ!!
そんなカス誰も舐めないよ。
80日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:26:39.64
>>75

あなたは矛盾を感じるかもしれませんが、

遠く離れた二つの集団であっても、奈良にヤマト王権が興って九州を征服したのは事実ですよ。

どうしますか?

81メちぁん:2011/12/18(日) 00:29:30.67
>>77
歴史を振り返っても、神武東征以降、九州に列島の主がいたことがなく、
日本列島の「ど真ん中に居座る」と言いますか・・・
ある時は、奈良ですし、ある時は滋賀ですし、時代が下ると室町将軍も大阪ですし、
織田信長にしても岐阜、愛知ですし、どうしても日本列島の「端」ではなく、「真ん中」に主がいるといいますか。
82畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:35:36.09
>>80
>あなたは矛盾を感じるかもしれませんが

貴方の主張はとっくに破綻していると言うことです。


>遠く離れた二つの集団であっても、奈良にヤマト王権が興って九州を征服したのは事実ですよ。
どうしますか?

どうしますかって、貴方馬鹿ですか?
4世紀後半以降の話を卑弥呼に当てはめてどうするつもりですか?
ホント
しつこい詐欺師だこと。
83日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:38:00.57
>>82
>4世紀後半以降の話を卑弥呼に当てはめてどうするつもりですか?

違いますよ?

ヤマト王権が九州を支配したのは、2世紀後半からです。

84メちぁん:2011/12/18(日) 00:40:41.82
所構わずケンカ売りましょう!みなさん

>>79
「仮す」てご自分で、ご自身のことを言ってどーすんだって!
私はハンドルネーム(固定)付けて来てるんですが、
貴方達はビビってハンドルネームすら付けれないではないか。

そんなに自信なぃのかな?日本@名無史さん達ゎ〜
まぁ〜みなさん、まだコテに昇格するのは早いとは思うんですが・・・w
85日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:40:48.86
6世紀末ですら、ヤマトは播磨を支配できていないんだが、
どうやって九州を支配できたのかな。

あ、畿内説って詐欺だから、何でもアリね!
86日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:40:59.00
>>81
歴史を振り返っても、神武東征以降、九州に列島の主がいたことがなく、

ここにも馬鹿がいた。
神武東征以降だろうが以前だろうが九州に列島の主がいた事実はなく
そんなアホ名事を言っているひともいない。

関係のないことを並べ立てて印象操作するのが
詐欺師畿内説の常套手段。
87畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:42:53.47
>>83
ヤマト王権が九州を支配したのは、2世紀後半からです。

貴方本物の馬鹿だったんですね。
違うというなら
証拠を提示してください。
88日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:45:32.88
>>87

つまり、私が「私は馬鹿だ」と言えば、貴方は納得するのですか?

わかりました。「私は馬鹿です。」そして「邪馬台国は畿内です。」
89メちぁん:2011/12/18(日) 00:47:49.21
>>85
天皇家を中心とするヤマトは、「ジョジョ」に冒険じゃなく〜日本各地を平定する。
これは、五世紀ないし、六世紀、七世紀になり、ようやく日本列島各地を平らげると言いますか・・・

>>86 
日本@名無史さんに限って、なぜか無知だよね・・・

終止符スレの>>316さんが書き込んでくれてるじゃないか。

>「新唐書 日本伝」には
>「初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
> 彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。」

たぶん、君一人だけだと思う。
90畿内説自爆せり:2011/12/18(日) 00:49:38.05
>>88
>つまり、私が「私は馬鹿だ」と言えば、貴方は納得するのですか?
わかりました。「私は馬鹿です。」そして「邪馬台国は畿内です。」

ハイ、納得しました。
貴方は自爆しようが何を言おうが自由です。

馬鹿の言うことを信じる賢い人はいないでしょうからね。
では、、さようなら。
91メちぁん:2011/12/18(日) 00:52:09.38
>>88
>>90

お前らケンカすんなっwwww
お二人とも、目に涙ためてないかぃ?w
92日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:54:09.03
>>91

涙目なのは、彼のほうでしょうねえ。

教養が無いばかりに、有効な反論も出来ず、相手を罵倒するしか出来ないのですから。
今夜は自分のふがいなさを恥じて、涙で枕を濡らせばいいのですよ。
93日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:59:37.11
ちなみに、2世紀後半にヤマト(邪馬台国)が九州を支配できた理由は、
鉄器とは何の関係もありませんからね。

ヤマトに鉄器が流入してきたのは、ヤマトが九州を支配できた結果としての副産物にすぎない。
そこを理解できるかどうかですね。
94日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:02:01.69
>>57
>これまでの研究で判明している(縄文人2009、イサク2010)。

センスあるなと言うか個人的にはそう言うの好きだwwwwwwwww

確かに鋤や斧と言ったものが著しく少なくて鉄鏃が異常に多いなw

やっぱ火山灰を多く含む土壌とか関係しているのかな?
95日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:02:59.66
>>89
>たぶん、君一人だけだと思う。

いやあ、馬鹿な貴方だけです。
だって

>「初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
> 彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。」

で日本列島を支配していたなんて書いてないし、そんなアホな解釈するのは貴方だけでしょうね。
これは
筑紫城にいた天皇の祖先が大和州に移って統治したと事実を述べているだけ。
これは貴方の言っているように
≪五世紀ないし、六世紀、七世紀になり、ようやく日本列島各地を平らげる≫話です。

結局貴方も少なくとも4世紀までは九州には九州の支配者がいたことを認めて自爆してますね。
ホント
詐欺師連中は自爆大好き集団だね、
96日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:04:06.38
仏教初伝って知らないのか?
6世紀末、外国だった播磨から、大和に仏教が来たんだよ。
九州じゃとっくに仏教が盛んだったけどなw
2世紀に大和が九州を支配したなんてトンデモは、オカルト板でやってください。
97日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:05:42.56
>>95

わかったから、はやく涙で枕を濡らせば?
98日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:09:22.93
反論できずにとうとう遠吠えを初めてしまった。
悲惨な畿内説詐欺師集団。
99日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:14:04.05

[日本書紀にみる仏教初伝]

播磨については、敏達紀13年(584)を読むと、ヤマトへ仏教を伝えたの
は播磨国にいた高句麗の環俗人の恵便(えべん)であると書かれています。つま
り、ヤマト以前に既に播磨へは仏教が伝来していたということ。

 このことは、実は非常に大きな問題を含んでいます。何かというと、当時(敏
達朝;6世紀末)、播磨はヤマトにとって別の文化圏(=外国)だったというこ
とがわかるからです。「ヤマトは5世紀には日本列島の多くを支配していた」な
どと言われていたこともありましたが、6世紀末になっても播磨国(現兵庫県)
がまだ外国(隣国?)だったのですから、推して知るべし。

 では、播磨にいつごろ仏教が伝来したかというと、詳しいことはわかりません
が、興味深い伝承が残っています。兵庫県神戸市の丹生山明要寺(たんじょうざ
ん・みょうようじ)の縁起によると、同寺は欽明朝に百済からの来た僧によって
「明要元年辛酉三月三日始開山岳造仏閣」とのこと。ちなみに、この「明要」と
いうのも正史には登場しない年号で、『書紀』の欽明天皇の2年(541)を元
年としています。
100メちぁん:2011/12/18(日) 01:15:43.13
↓これコピーしたんであとで暇つぶしに観るゎん
http://home.hiroshima-u.ac.jp/kouko/book/noji-kaken/chap_05.pdf
101日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:18:28.08
それでは、九州がどうしてヤマトに支配されるようになったのか、お話しましょう。

というかですね、九州のほうが、ヤマトの支配を受けざるを得なかったということです。
九州には、平原遺跡の頃には王がいましたが、それ以後の王朝は途絶えてしまいました。
加えて、大陸では後漢が滅び、朝鮮半島では公孫氏が影響力を増すなど、
いままで漢との朝貢交易をしてた九州は大打撃を受けてしまうわけです。
かわって、吉備、山陰、丹後、ヤマト、東海では、ムラに集権化がおこり、クニの王が生まれ始めます。

近畿のクニは互いに連合し、結束を高めていきます。
そしてヤマトに大王が生まれます。
このとき、九州はカヤの外だったのですが、九州が漢と交易できなくなった以上、
代わりの交易相手は、近畿の邪馬台国連合しかありません。
そうして九州は、近畿の邪馬台国連合の傘下に入るしかなくなったわけです。
これが2世紀末に起きたことです。

102日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:23:39.47
>>101
だから
詐欺師集団が根拠のかけらもない願望をいくら言っても無駄だって。
103日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:25:25.87
ttp://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/kyouiku/rekisi/shuppan/kouko-41.pdf#search='西新町遺跡'


九州が主体性を失い、大和王権(邪馬台国)の支配を受けた証拠が、西新町遺跡遺跡です。
ここからは、朝鮮半島と、近畿の土器が同時に出土し、交易がされていたことがわかります。
その時代は、卑弥呼が共立され、統治をしていた3世紀初めの頃です。

このことを、しっかり理解してください。

「3世紀に入る頃から、福岡周辺では、西日本各地の土器が見つかるようになり、またそれらをまねて作られた土器も見つかるようになります。
その中で、一番多いのが、近畿地方(おもに大阪府・奈良県地域)の土器です。」
104日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:30:21.77
ttp://www.city.onojo.fukuoka.jp/library/kyouiku/rekisi/shuppan/kouko-41.pdf#search='西新町遺跡'

九州・博多湾では、近畿の土器が出土しますが、逆に近畿地方では九州の土器はほとんど出土しません。

したがって「イサク」「縄文人」なる人物が説くように、九州の人間がヤマトを開拓したなどという論は、完全に否定されます。

この報告は、九州の大野城市教育委員会がまとめたものです。
105日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:31:11.23
>>99
播磨ネタと言えばサイキバ君のお得意持ちネタだが

毎度毎度持ち出してくるが、それが一体何の問題があるんだ?

584年に仏教がいわば「国教」になっていたのか?

蘇我氏が仏教の導入をめぐり対立していた物部を(馬子・厩戸らによって)倒したのが587年
それでも馬子は実権を握る為に更に崇峻天皇の暗殺もやっている。

聖徳太子による仏教興隆の詔は594年とされている。

何れにせよ九州王朝説をやりたかったら九州王朝説スレでやれゴミ。
106日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:38:13.46
大野城市教育委員会が、西新町遺跡の報告を公にした時点で、
邪馬台国九州説は、終わったのです。

2005.8とありますから、もう、6年前ですか?

いまだに九州説が主流であるかのように語られてるのは、ごく一部のネット上だけのことですよ。

九州説を言い続けるなら、西新町遺跡の状況と整合性をつけてからにしてください。

107日本@名無史さん:2011/12/18(日) 01:58:11.04
>九州・博多湾では、近畿の土器が出土しますが、逆に近畿地方では九州の土器はほとんど出土しません。

当然だろうな。
人も物も都会へ集まる。
自然の法則だ。
九州・博多湾の方が近畿よりも都会だった。それだけの話しだ。
判ったかね、、
畿内詐欺師自爆大好き集団。
108日本@名無史さん:2011/12/18(日) 02:19:39.10
>>107

>人も物も都会へ集まる。

「3世紀の卑弥呼が統治してた時代」なんだけどね?


おわかり?
109日本@名無史さん:2011/12/18(日) 02:28:46.42
>>108
>人も物も都会へ集まる。
「3世紀の卑弥呼が統治してた時代」なんだけどね?
おわかり?

判ってないのは貴方。
3世紀の卑弥呼が統治してた時代に博多湾岸の方が都会だった。
それだけの話。

九州と畿内は支配関係には無かったが
神功皇后が博多湾岸で心からくつろぎ
出産しむ、兵を集めたりしている。

支配関係にはなかったが博多湾岸と畿内は親密な関係があった、
果てしなく離れた田舎の畿内人を共立などしない。

脳タリンの相手も疲れた。
もう寝る。
110日本@名無史さん:2011/12/18(日) 02:55:10.76
3世紀の卑弥呼が統治していた時代に都会だった博多湾よりも
もっと香隆範囲の広い大都会が奈良盆地の一角にあったわけですがね
111日本@名無史さん:2011/12/18(日) 02:58:33.81
他地域土器の出土状況は、
東海北陸の土器が一旦畿内に集まり、
その一部が九州に運ばれたと見られる。

つまり年貢に相当するものを畿内周辺で取り立て、
畿内である程度独自に運用していたと思われる。

そして、その一部を九州に上納しているようである。
112日本@名無史さん:2011/12/18(日) 03:05:55.75
>そして、その一部を九州に上納しているようである。

無償ではなく畿内で入手困難な交易品とかの交換かもしれません、
113日本@名無史さん:2011/12/18(日) 03:09:17.66
>>110
畿内が地方都市として栄えていたと仮定しても
湯種の国の話であり、九州とは韓国など外国みたいな関係ですね。
114日本@名無史さん:2011/12/18(日) 03:50:08.09
>>113

外国みたいな関係だとして、
畿内ではヤマト王権が興ったが、九州では王権は発生しなかったわけであり、
九州が平原以降、弱小地方政権だったことは変わり無い。

その弱小地方政権を邪馬台国と呼ぶなら、勝手にしろという話。

115日本@名無史さん:2011/12/18(日) 05:18:36.00
>>114
その当時畿内は木製農具でちっちゃな畑を耕して銅鐸でウホウホやってた
そんな弱小田舎を邪馬台国とよぶなら勝手にしろって話し
116日本@名無史さん:2011/12/18(日) 05:28:14.56
その後銅鐸は叩き壊され埋められて、古墳時代が始まるわけね
そうすると鉄器がわんさか出てくる
普通に考えて畿内負けてない?
117夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 07:14:23.72
また九州説と畿内説の ”ガキの喧嘩” か プ
鉄器を盛んに言ってる九州馬鹿、それが邪馬台国比定にどう繋がるんだ?
鉄器がより早く使われる文化圏が九州にあった、というだけの話で終わりだ。

弥生期の農業の振興度なら畿内も九州も東北に劣っていたかもな。
東北人は縄文時代に既に農耕を初めていた。
作物の品種改良までやっている。
日本最古の米も東北から出ている。
石器しかなかった時代に、どうやってどんな船を作ったか不明だが
青森〜新潟の航海も恐らく成功させている。
この技術は農耕にも活かされただろうよ。
現代でも東北は食糧生産拠点で他地域へ供給している。
米どころは近畿でも九州でもないぜ。東北だ。
これは米作に適した気候と土壌が東北にあるということだ。
農業が盛んな所が邪馬台国というなら東北は無視出来ないねえ ワラ
恐らく縄文時代に最も栄えていただろう東北が、弥生時代にどう移行したかは不明だ。
解明されたら、お前らのガキの喧嘩は笑い話になるかもな ゲラ
118日本@名無史さん:2011/12/18(日) 07:58:44.50
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
119日本@名無史さん:2011/12/18(日) 08:34:52.62
>>117
何にも知らないんだな
東北地方や北陸地方に水田が多く残ってるのは、気候的な問題で転作可能な作物が少なかったからだよ
現在では稲の品種改良が進んで寒冷地でも収量を上げる事が可能になった
大体縄文時代の農業と弥生時代の農業を同じ類で考える事がナンセンス
これだからトンでもはこまる
120夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 08:57:05.18
>>119
馬鹿タレ。米は日本の主食だ。それを第一に作るところから農業は成り立っている。
九州や近畿ではろくな米が出来ないから米作で東北に劣るのよ。
品種改良で寒冷地でも収量を上げられた?
なら品種改良なしでいい九州や近畿は東北以上の米の収量があるのかね プ
大体な、縄文・弥生期は東北も今より平均気温で2〜3度高かったという。
日本最古の米が出たのもそのためだ。

>大体縄文時代の農業と弥生時代の農業を同じ類で考える事がナンセンス

お前は文章読む力が著しく劣るねえ。誰が同じ類で考えてるんだ?
縄文期ですでに農耕をやっていて、当時としては科学力もあり
集団生活を支える食糧確保に成功していた。
この縄文・東北人の弥生時代での可能性を話しているんだ。
どう移行したのか不明だが、どこの地域より先進的な農業をやれてる可能性はあるわな。
わかる?
121夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 09:05:20.50
余談だが、俺は米どころの新潟生まれだ。
新米の美味さはよく知っている。もう、これは本当に美味い。
九州の米を作っている農家の娘に「新米の美味さは飛び切りだよね」と話したら
「うちの方は土が合わないからそんなに美味しいお米は出来ないよ」と言われ驚いたことがある。
まあ新潟の米を基準にしたら東北以外の地域の米の味は比べるまでもないが
新米の、あの爆発的とも言っていい美味さを他地域では作れない。
これも米作に向き不向きがある証拠だろうな。

まあ、どうでもいいか、こんな話 ワラ
122日本@名無史さん:2011/12/18(日) 09:14:41.42
しかしこの馬鹿はいつまでいるんだ
123伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 09:17:07.26
>>12
伊作か?HNころころ変えて逃げるなよww
劉マ劉夏の件も都合が悪いからって話そらしてるなよww
逃げずにちゃんと説明しろ。できなきゃサイト書き換え、
本もひっこめろよ。その明帝の喪中に新帝のお披露目などないってのも
司馬や曹爽の二人の摂政がついてて対応してるんだし
なんの問題もないわ。昨日一緒に食事したプロの専門家にもその件について
聞いてみたが、俺と全く同じこと言ってたし。学会でも
どうやら景初2年説言ってるのは古田武彦だけらしいww
理由はやはりこれも俺とほぼ同じで司馬との戦闘中に使者送るのは
難しいと言うのが学会でもコンセンサスらしい。
たまにおまえみたいに喪中の新帝が対応するわけないと宮中儀礼もちだして
つっかかってくる素人がいるとその人も言ってたが、学会では
全く相手にしてないらしいぞ。てかつっかかってる素人ってまさかおまえか?w

124夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 09:20:45.46
>>122
俺のことかな プ
俺を追い出したかったら、俺の推論を論破すりゃいい。
トンデモとか論外などと言うなら簡単に出来るだろ。
俺は10項目+1の推論をまとめてある。論破してみな。

ま、お前らじゃ具体的話になったら絶対に俺には勝てないけどな。
125卑弥呼の都は久留米:2011/12/18(日) 09:27:41.49
富山米は新潟の平野米と同等以上にうまい。
新潟米や富山米がうまいのは北陸米がうまいということ。
米のうまいのは土壌よりも水と気候の影響のほうが大きい。

平均的にみて東北米は北陸米に比べてそれほど美味いと思わんが。
126夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 09:28:06.52
本線に行こう。

>前スレ966
>経度差の割り出しは難しいが、緯度差の割り出しは可也正確であっただろう。
>南・北、並びに南東(45度・二等辺三角形)は、緯度の割り出しで可也正確に距離を割り出せる。

理屈で割り出せるのと実際に割り出せるのは大違いだ。
末ろ国→伊都国の五百里、伊都国→奴国の百里、奴国→不弥国の百里など、どれでもいい。
勝手に基準点を決めていいからどうやって「正確に距離を割り出す」のか説明してみろ。
その説明でお前の話は破綻する。間違いなくな。
里は距離を表す単位にはならないんだよ。
127伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 09:38:25.56
>伊作
何?あと呉様式の鏡だって?
それも前にもう論破しただろww
呉の鏡職人が倭国に移り住み工房開いて長期にわたり大量に鏡製作した
考古学的痕跡など微塵もないと言ってるだろww
いつまでそんなアホなこと言ってるんや。
それに呉の鏡職人が3世紀末以降に倭国で鏡作って
なぜすでに滅亡してる魏の年号なんぞを鏡に入れるんやww
そのへんの説明も全くせず、ただ呉の様式の鏡だから
△鏡はすべて国産品とかお笑いでしかないww
九州説にもっていきたいから国産にしたいだけだろうがww
前にも言ったように楽浪郡滅亡の313年までは鏡は舶載鏡が主流だ。
それ以降は大陸との交流が断たれたために国産の倣製鏡に移行したんだよ。
壱与の266年の朝貢以降、男王が爵位をもらったとあり、それから倭国のことが
中国の文献から消えるのも楽浪郡滅亡で大陸と交流するルートが断たれたためだ。
この程度の歴史の流れもわかってないとは。
128夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 09:38:31.98
俺が出している推論は以下の10+1

(1)倭国に最初に訪れた使者は伊都国までしか行っていない。
(2)倭人伝に記された国、工程は連続読みをすべきもの。
(3)距離は時間表記(水行、陸行)のみ信用に値する。
(4)「里」は距離の単位ではない。信用に値せず超大雑把に感覚的に捉えるだけでいい。
(5)魏の地理感は「混一彊理歴代国都之図」的なもので、それを踏まえて方位は見るべき。
(6)女王国と邪馬台国は同一である。
(7)邪馬台国と邪馬壱国は同一である。
(8)投馬国は北九州より日本海側を東に水行二十日の地である。
(9)ここより水行十日の地は、恐らく新潟県北部か山形県。
(10)そこからの「陸行一月」から邪馬台国は海岸線にはなく東北の内陸部。
+1(11)卑弥呼の鬼道は占星術

とりあえず、ここからまず九州説潰しに行こうかね。
129夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 09:59:55.41
>>127
伊作叩きなら専用スレがあるじゃねえか。そっちでやれ、うるさい。

>九州説論者
俺は最初の使者は伊都国までしか行っていないと結論つけた。
これが正しければ九州説は破綻同然だ。
伊都国から遠くない地にありながら使者が訪れないはずがない。
邪馬台国は九州にはない遠隔地だったから(先遣調査が目的だあっただろう)最初の使者は
邪馬台国まで行っていない。
伊都国に近ければ先遣調査とはいえ、必ず邪馬台国まで行っているはずだ。
行っていない根拠は以下の2点

1.「至」「到」の使い分け。
両方とも同じ意味で「至」がより広く使われていた、という専門家の話を持ってきた奴がいたが
それなら倭人伝の国・行程紹介のあの短文はすべて「至」で統一されただろう。
わざわざ二文字だけ「到」にする必要はない。
陳寿は明らかに意味が違う文字として使用したと見るべきだ。
「到」=到着する、という意味でだ。

2.対馬国、一大国、末ろ国、伊都国、この四カ国には使者が直接見聞したと思われる
観察記述が記されている。
これが伊都国を過ぎると一切なくなる。伝聞で聞けばわかる話だけになる。
使者が直接見たのは観察記述がある四カ国だけと見るべき。

以上の二点から使者は伊都国までしか行っていないと結論する。
これを崩せなければ九州説は終わりだ。
130伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 10:08:15.45
>伊作
そろそろかわいそうになってきたから最後に鬼道だけ批判して勘弁してやるよw
邪馬台国の場所や郡からの総日程も間違いだが、情けをかけてそこは触れずにいてやるよww

>それでは卑弥呼は大陸で鬼道をマスターしたのか。こちらの可能性のほうが高い。となれば、彼女は新来の渡来人の子女という論理に帰結する。
その卑弥呼の鬼道については、張魯と同じ鬼道と書かれたことや、鏡と剣を神宝とする様式からみて、天師道か太平道だったものとみてよさそうである。

とおまえのサイトに書いてあるが、こんなもんでたらめもいいとこだぞww
太平道ってのは黄巾の乱引き起こしたトンデモ集団だろうに。魏朝の祖である
曹操も鎮圧に奔走してるし。その残党が倭国に亡命して女王として推戴されたとか
馬鹿も休み休み言えよwじゃあ何か?太平道という鬼道を用い、衆を惑わしてる
国の女王に魏は金印与え親魏倭王に封じたというのか?w
黄巾の乱と同じカルト集団とみなし鎮圧される対象だろうが。よくもまあこんなでたらめなことばかり
書けるもんだなw

131伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 10:14:23.62
>>129
おまえがうざい。言ってることが伊作よりさらに下のレベルだしww
おまえも糞爺臭くて嫌いだww
伊都国までしか使者がいってないとかその程度の見識しかないみたいだし
話にもならんレベルだわ。一回大庭脩の「親魏倭王」でも読んでみろ。
そしたら使者は邪馬台国まで行ってることがわかるわ。
132夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 10:19:25.87
>>130
だから、他でやれ、うるさい。
伊作の馬鹿さはもう十分だ。

寝る。九州説論者、反論してきな。尻尾巻いてもいいけどよ ワラ
133夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 10:21:01.33
>>131
受け売り馬鹿のお前がこの二点に明確な反論をしてみな。
受け売りしか出来ない馬鹿には無理だぜ ゲラ
134伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 10:27:42.30
>>133
おまえはまじ相手にもならんレベルだからどっかいけよw
簡単に言えば金印持ってきた魏の使者が倭王に渡さずに帰るわけないだろ。
倭王の部下に渡して帰れば、仮にその部下が裏切りどこぞに亡命すれば
そいつが親魏倭王になってしまうだろうがw
そしてその責任を問われるんだし倭王に金印をちゃんと渡して帰るはずだ。
あと至と到?こんなアホなこと言ってる馬鹿がまだいるとはw
三国志全体をみれば両者の明確な使い分けなどされてないことくらいわかるだろうに。
おまえ自分が相手にされてないことくらい自覚しろよ。
135太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 10:30:47.46
>>69 メさん
それがしは熊本だとは考えてないよ。中九州でも阿蘇かその東のへんだと
想うがね。
136日本@名無史さん:2011/12/18(日) 10:43:00.26
邪馬台国は熊本である(縄文人2009 イサク2011)。
その熊本では、弥生時代後期中葉以降、各集落に大量の鉄器が保有されていたが、
鉄製開墾具(鋤先)は存在せず、多くは「鉄鏃」「摘鎌」であったことが出土資料からわかる。

<参照>
http://home.hiroshima-u.ac.jp/kouko/book/noji-kaken/chap_05.pdf
「図 5.3 九州・中国地方における集落出土鉄器の組成」 (肥後阿蘇・菊池郡)

鉄製開墾具がなければ農地開発はできない(奴民チャイ・筑チン2011)。
ということは、邪馬台国は水田があまりなく、狩猟・採集生活をしていたのである。

また、「鉄鏃」の出土量の多さは、狩猟のための日用道具の範囲を超えているのではないかとさえ思われ、
他地域の集落を襲い略奪するための武器だったと考えられる。
すなわち邪馬台国は山賊の巣窟であり、卑弥呼は山賊の女酋長なのであった。
137西都原のオサホに考古学者がガサる(これガチ!:2011/12/18(日) 10:59:29.81
邪馬台国は西都原(宮崎県西都市)である
1 :日本@名無史さん:2011/01/31(月) 14:19:45
邪馬台国が西都原(宮崎県西都市)である証拠。

1、地名の語末に『都』という文字を使うのは、実際に首都であった場合に限られる。
 類例、京『都』、東京『都』、神武建国の伊『都』国。宇『都』宮のような音借とは違う。
 西都の「西」、方位の事ではなく、西洲(九州)という固有名の地の都という意味。
 (日向地方は九州島の東海岸沿いにあり矛盾するから。)
2、日向地方は冬も温暖。真東に海がある。原文(倭人伝)に沿わせるとこうなる。
3、三角縁神獣鏡も出土。(半島や中国から1枚も出土しないので鏡は純国産。)
4、西都のオサホ塚はもともと九州で一番大きな円墳で卑弥呼の墓だから黒板勝美が
  尻尾をつけて墓を捏造。さらに柵で囲って現在宮内庁が管理。そのため発掘させてくれない。
  9割以上が手付かずらしい。発掘調査の実施を強く宮内庁に要求したい。
5、九州で一番規模のでかい古墳群遺跡は西都原である。規模のてんからいってもここが
  邪馬台国の跡としてふさわしい。さらにシャーマニズムの卑弥呼とも思わせる斎殿原跡が存在。
  これだけ大規模な遺跡であるから長岡京や藤原京の場所は特定できるのに、同じく古都であった
邪馬台国(大国)の所在が特定できないのは不可思議な話。政治的意図(半島からやってきた天皇
および天皇制)による政府の組織的隠蔽工作が行われたと思量する。これに加担する畿内説信者は
不快である。
138西都原のオサホに考古学者がガサる(これガチ!:2011/12/18(日) 11:00:01.68
>>137の続き
6、神話伝承の数では日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地は「西都原」。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は九州で一番人口密度が高かった。
  人間の生活痕跡である遺跡の数がその証拠である。

朝鮮総督府修史委員会の「黒板を中心とする焚書」は畿内説による歴史改竄でオサホ塚に
後方部をつける改修であり好太王碑文の改竄、カンダンコキの焚書も同一の歴史改竄。
記紀による天皇家の出自も改竄で、現実は神武も卑弥呼も朝鮮半島からきた。
これらの隠蔽行為によって邪馬台国の所在は不明とされている。
西都原の発掘調査が行われれば一気に論争も解決するだろう。





207 :▲:2011/10/19(水) 20:59:00.99
宮崎(日向)の地に邪馬台国があったとすれば、
少なくとも2世紀初頭には九州倭国の強豪であったとみなければならない。
そこに至るに必要な大陸・半島との通交はどうしてなり得たのか。
南周り海路には隼人が盤居している。
北回り海路を使うにしても、九州北部の大勢力を、
どのようにして傘下に治めたのか。

九州倭国を束ねるだけの力と先進性を
大陸半島との出入り口となる九州北部をだし抜いて
九州倭国を束ねるだけの力と先進性を、どうやって手に入れたのか。
諸君が目を三角にして批判する畿内説と同様の難問(関門海峡の支配の形と使われ方)が
控えている事実も認識する必要がある。

139日本@名無史さん:2011/12/18(日) 11:28:50.38
次から次に変なのが来るな
140日本@名無史さん:2011/12/18(日) 11:37:49.25
>>139

皆、同じ人だよ。
141日本@名無史さん:2011/12/18(日) 11:39:09.42
馬鹿が寝ただけましかなw
142日本@名無史さん:2011/12/18(日) 11:50:00.53
>卑弥呼は山賊の女酋長なのであった。

魏は山賊の女酋長を倭王に任じ、大量の賜物を差し上げ
勅使まで派遣したんだな。
知らなかった。
143日本@名無史さん:2011/12/18(日) 12:19:25.73

7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき
自民党が要請した復興予算は累計17兆円

自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら
今の日本はもう少し違って居た筈だ
ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。
この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない。
144日本@名無史さん:2011/12/18(日) 12:28:20.75
>>126 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
>末ろ国→伊都国の五百里、伊都国→奴国の百里、奴国→不弥国の百里など、どれでもいい。
「到伊都國」 「東行至不彌國百里」とあるから行程記述解釈、
『末ろ国→伊都国、伊都国→奴国、奴国→不弥国』は誤りだ。
『末廬國→伊都國、末廬國→奴國、末廬國→不彌國』が正しい記述解釈だ。
別記するなら、
『末廬國→不彌國→末廬國→奴國→末廬國→伊都國』がその行程順だ。


キトラ古墳の星宿図を見たこと有るか?
星宿図には内規円、外規円、赤道円、黄道円が描かれている
緯度の割り出しとして賢明なのは内規赤道比だろう。

「始度一海千余里 至對海【馬】國」と「度」を持って『わたる』と解釈させている、天文距離を示唆していることに誤りはない。

緯度の割り出しは星宿図をおこす事によって割り出せる。
彼らはそれれが出来た。
君のようなぼんくらとは違う。
145日本@名無史さん:2011/12/18(日) 12:39:49.62
>>129 :夢幻如
>陳寿は明らかに意味が違う文字として使用したと見るべきだ。
その通りだ。
>「到」=到着する、という意味でだ。
それは、お前の脳内妄想だ。
だから↓のようなことを平気でかきこできるのだ。
>2.対馬国、一大国、末ろ国、伊都国、この四カ国には使者が直接見聞したと思われる 観察記述が記されている。
「到其北岸狗邪韓國」 「至對海【馬】國」 「至一大國」の
「到」の解釈はどうするの。あほ〜〜!
何で、『対馬国、一大国』には行った事になるの。
「到」の解釈は『無視』か?
『観察記述が記されている。』でごまかしかきこカ?
 


146日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:09:53.96
>>126 :夢幻如
>その説明でお前の話は破綻する。間違いなくな。
破綻しているのはお前のかきこだ。
>>128 :夢幻如
の @からI迄すべて、出鱈目だ。
レス入れる気も起きない低脳邪馬台国ごっこ。
147日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:16:40.63
>>83
ヤマト王権が九州を征服したのは2世紀後半と断定していますが、証明を呈示し
て下さい。

>>129
魏の使者は伊都国までしか行っていないと断定していますが、証明して下さい。
148日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:56:26.71
夢幻如って、おらが故郷=新潟のそばに邪馬台国を持って来たいだけかよ。
ねちねち君も、おらが村こそ邪馬台国って言ってるわけだろ。
二人そろって、オカルト板に行けよ。
149夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 16:43:56.25
>>148
まったく、そんな気はねえよ。九州vs畿内の争いこそセクショナリズムだろ。
かつては天皇制、政治が絡んでの論争だったが、今じゃほとんど「おらが町に」だ。
俺は富山にも八幡平にも縁がないし、生まれ故郷のそばに持ってきたって
それを喜ぶような趣味はない。
歴史が好きな人間にとって、こういう下らなさが一番ムカつくわ。
弁慶生誕の地があちこちにあるように、徐福来航の地があちこちにあるように
「おらが町」のためなら平気で捏造するのが人間の性だが、それが歴史を混乱させる。
150日本@名無史さん:2011/12/18(日) 16:55:21.15
>>149
言い訳無用。
お前は、我田引水以外の何物でもないじゃないか。
151日本@名無史さん:2011/12/18(日) 16:59:03.15

  魏⇔オラが村・新潟⇔邪馬台国

これが、夢幻如の捏造した詐欺です。
152夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 16:59:54.88
>>134
ねちねち受け売り君はチーとは受け売りばかりじゃなく自分の頭で考えな。
中華思想を考えたら、いきなり金印持たせた正使を送ると思う方がどうかしている。
ループなんで自レスコピペで済ます。

752 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :sage :2011/12/16(金) 11:25:16.47
>>749
卑弥呼に会っている使者は魏志倭人伝冒頭に書かれている記述の後だろうな。
朝貢したいという島国がある。どれだけ野蛮か皆目見当がつかない。
中華思想の国では周辺はすべて野蛮であることは確定しているんだ。
そこで先遣調査隊があっただろうというのが俺の推論だ。
実際問題なきゃおかしいだろ。
野蛮で間違いないと信じている未知の国にいきなり勅旨や土産を持たせた正使を出すか?
ここは常識の問題だと思うがね。

「至、到」については>>145と一緒にやってやる。これもループだがな。

観察記述についてはスルーね プ
伊作にスルーで逃げてるとか何とか言って噛み付いてる奴が プププ
153日本@名無史さん:2011/12/18(日) 17:04:15.62
自演如がウザい・・・
154夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 17:23:21.59
>>145
「至、到」については時間が経つと同じことを言う馬鹿が涌いてくる。
ま、何回でも繰り返してやるがな。
以下は筑紫次郎が俺への反論のつもりで出したコピペ。

中国の古文においては、小休止、大休止、中間的経過、四至、目的地到着のいずれにも至は広範囲に使われてきた。その使用ぶりは到よりもずっと頻繁である。
至は「まで」の意味、到は「着く」の意味で区別があると説く人もいる。しかし、中国の史籍古典をひもとけば、至到の二字は互いに適用でき。単に至が到よりも頻繁に使われていたにすぎないことが首肯されよう。
〓謝銘仁【中国文学者、社会学博士、元国立台湾師範大学教授】〓

これを全面的に認めたとしたら、あの短い記述の中で二回だけ「到」が出てくる理由は何か?
「気まぐれ」しか説明がつかない。正史に認められた書を書いた陳寿が気まぐれでか?
ありえねえよ。

>至は「まで」の意味、到は「着く」の意味で区別があると説く人もいる

説く人もいる、じゃない。中国語辞典にははっきりとそう解釈が記されている。

で、狗邪韓国。これは倭国へ渡海するための大陸側最終目的地。
だから目的地に到着するという意味で「到」
伊都国は最初の使者の目的地だから、これも「到」
対馬国、一大国には実際に行っているが目的地ではない。途中経過だ。
「目的地へ到着する」が「到」だ。「至」は「〜まで行く」の意味。
わかりやすく話してやる。
Aを出発しBとCに立ち寄り、目的地Dに着いた。
BとCは途中経過の「〜まで行く」だから「至」Dは目的地だから「到」
実際に行っていても目的地かどうかで変わるのは当然だ。
その先Dから○里行けばE、さらに水行○日でFなどと説明を受ければ
「○里でE ”まで行く” 」になるから「至」だ。

観察記述について誤魔化しているのはおめえだ。
説明がつかないから誤魔化すしか方法がないってか プ
155日本@名無史さん:2011/12/18(日) 17:31:28.85
落書きはよそでやれ
156夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 17:36:05.80
>>144
九州説論者が好んで言う「こねくり回し」の放射説は伊都国が基点だよな。
お前は末廬國基点放射説かよ ワラ
こねくり回しもここまで来ると見苦しいねえ。
まあ単純に連続読みしたら都合が悪いもんな。だが、あれは連続読みするものだ。
これもなぜかは前に言った。

魏志倭人伝は正式に正史編纂事業で書かれた書ではない。
著者の陳寿も対象になる読者も西には関心があっても東夷には関心が薄く
まして島国小国の倭にはほとんど関心も興味もない。
だから、たかだか2千文字で軽く流されている。
記述内容も簡潔すぎるくらい簡単だが、記述方法も複雑にする必要がない。
単純に見ての通りの連続読みしか出来ない書なんだよ。
157夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 17:39:49.55
>>144にもうひとつだな。

星宿図の説明なんか聞いてねえよ。
どこを基準でもいいから倭人伝に書かれている里程をどうやって測定したかの想像を
具体的に示せと言ってるんだ。
158夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 17:43:20.21
>>150-151
そう思いたいなら勝手にそう思っていろ。
まったく的外れだが、邪馬台国比定を試みるということには変わりないからな。

論じる頭のない奴は、こういう形の参加しか出来ないのはよーくわかるぜ ワラ
159夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 17:49:44.90
ここで俺をうざがっているのは「ガキの喧嘩」してた奴らだろ。
邪馬台国比定に直接つながらない「ホケノ」や「鉄器」で
あーでもない、こーでもないとお互いを否定するだけの罵倒合戦を楽しんでいたわけだ。
ここはその遊びのためのスレだったからな。
毎日毎日、こんな内容で100レス以上進んでいる。学問板にあるべき姿じゃねえよ。
俺がいたら、その論争ならぬ単なる言い合いが無意味だと切って捨てられるからやりにくい。
だからウザイ プ
悪いねえ、ガキども。だがこのまま行くぜ。
160日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:13:22.60
と言うことで、暗号解読オナニーが、居すわり宣言をしました。
仕方がないので、前すれの議論の続けたい方は、ここは放置して
ド民の建てた重複スレへ移動しましょう。
161夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 19:31:39.66
議論?笑わすな プ
進展性のないガキの喧嘩だろ ワラ

しかし日曜の夜なのに見事に止まったねえ。
学問板はこれくらいで丁度いい。
馬鹿な言い合い、罵り合いで毎日100以上進む方がどうかしている。

九州説論者はギブアップか?
あっけねえな。2ちゃんの論者ならこんなものか ワラ
162日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:37:54.97
というわけで、ここは夢幻如の

 ≪オラが村=新潟≫ 宣伝スレとなりました。
163日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:37:58.30
>>160

ばいばい。

もう来ないでね。
164太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 19:40:00.33
紀無い説は成立せず。

相当年代に卑弥呼という女王(女天皇)が即位
した記事は記紀にまるでない。これは重要な出来事で
ある。女王隠匿説も神功39年に卑弥呼らしき女王を
出しているところから、成立出来ないし、後代の挿入
記事だというなら、隠匿とは都合が悪いんだから、当然
発覚時点で39年の記事を抹消するはずだ。

隠匿したものではないわけで、これは紀の基と
なった朝廷の書庫の書に相当年代、女王(女天皇)の
情報なんぞ全く無かったと観るべきである。となれば
畿内に卑弥呼とその関係の出来事など無かったとなり、
そうなれば女王国は九州に在ったと考えるのが正解で
ある。九州の外界と隔絶地域なら、畿内にその情報が
来ないのは当然である。

以上から、卑弥呼の国は九州所在だということになる。
165日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:48:54.30
\           /     /. : : : : : : : :ヽ-‐.: :_;. --- .._: : : : : : : :\       \      /
_  争  も  _   /, -‐==ミ: : : : _,ィニ-‐……ー-: 、`ヽ、: : : : ヽ、      _   邪   _
_  え  っ   _     . .:´: : : : : : : ≠:7: : : : : : : : : : : : :ヽ、 ヽ| : i : : :,     _   馬   _
_  争  と   _   /.: : : : -‐: :7´: : /:,ハ : : : :ヽ : : : ゝ-- :\ | : :! : : : ,   _   台   _
_  え  争  _ /, -‐/.: : : : :i : : /ィ:爪: : :\ :\ : : :\: : :`ト : !: : : :′   _  国   _
      え     〃  /. : : : : : : |.:イ :ハ:| \: .、\: : xィ¬ト、: :| : : ! : : : : :,      .論
/          \   /.: :/.: : : : /l : |/Гト、       / |_,ノ0:::ヽ : : :i : : : : :′ /  争     \
 /  |  |  \    | .:/.:/. : : :i: i : | |ノ0:::ト        |: :∩::::::ト: : : !: : : : : : :,  / | | \
             ∨i: |: : : : |: :ヽ| |::∩::|         !.::∪::::::| |: : :i : : : : : : ′            ,ィ /〉
               |: |: : i : :', : |  |::∪::|         !: : : : : :||: : i : : : : : : : :,          / レ厶イ
                ヽハ: : :、: :ヽ|  l : : : |    ,   └――┘ ! : : i : : : : : : : ′        /   ⊂ニ、
                い、: :\/   ̄ ̄                 ', : : i : : : : : : : : ,     _, -‐'    ⊂ニ,´
    r 、  _          ヽ: :〈        <    ̄}         |: : : ! : : : : : : : :′,.-‐T   _,. -‐'´ ̄
    くヾ; U|           | : \                   /| : : :i : : : : :_, -‐'    |  /
   r―'   ヽ、             | : : : \               イ: : :| : : :i_,. -‐       |/
    `つ _   ̄ ̄Τ`ー―-- L: : : : : `: : . . .  __    .:〔: : :|: : :r┬'              |
166日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:51:49.87

    夢幻如 「オラが村=新潟万歳!」

卑弥呼は、オラが村=新潟を経由して、帯方郡に
大夫の難升米と次使の都市牛利を派遣しました。
邪馬台国はオラが村=新潟のそばにありました。
167夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 19:52:23.79
>>164
お前さんも九州説だったな。
都合悪い話は避けて九州強弁かい プ

始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶 、方可四百餘里。
土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。
 又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。
方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
 又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。
 東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。

たったこれだけで九州説は完全否定出来る。
最初に訪れた使者は伊都国までしか行っていない。
九州に邪馬台国があるなら絶対にこんなことにはならない。
「至と到の使い分け」「観察記述」この二つがそれを証明している。

九州説論破で到いかな ワラ
168日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:55:37.69
新潟、新潟、新潟はオラが村だ!
卑弥呼の使節は新潟経由だ!
邪馬台国は新潟のそばにあった!
畿内説・九州説など糞喰らえ!

             by 夢幻如
169日本@名無史さん:2011/12/18(日) 19:58:41.80
いいか、お前ら!
俺様の故郷を知ってるか?畏れ多くも新潟だぞ!
邪馬台国の場所は新潟のそばに決まってるだろ!
オラが村、新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟、万歳!

                       by 夢幻如
170日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:01:18.87
邪馬台国の場所?
決まってるだろ、新潟のそばに決まってるだろ。
オラが村、新潟周辺以外に考えられないだろ。
お前らの考えは全部間違いだ。
畿内説・九州説など糞喰らえ!

           by 夢幻如
171夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 20:02:21.07
× 九州説論破で到いかな
○ 九州説論破でいいかな

>太国
>以上から、卑弥呼の国は九州所在だということになる。

なんだこの結論なよ?議論のイロハくらい押さえて書き込め。
お前の書き込みは畿内説を否定するものだが、それが=九州説の正統性の証明にはならない。
お前の主張では「卑弥呼の国は畿内ではないが九州所在だという証明にもならない」 わかるか?

ま、ここの議論は相手を否定すれば自論が証明されると思う奴らばかりだがな。
172日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:05:56.05
九州説畿内説なんか全部ダメだ。
邪馬台国は、オラが村=新潟のそばに決まりだ。
卑弥呼の朝貢も新潟経由だ。
新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟がカギだ。
邪馬台国はオラが村=新潟の周辺にあったのだ。

                by 夢幻如
173夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 20:06:22.28
>>168-170
頭が足りないくせに参加したい馬鹿はこうなるという見本だ。
お前に学問板は無理だよ。
厨房板に行け。
174日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:06:40.03
オラが村、新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟、万歳!

                       by 夢幻如
175太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 20:07:53.35
他の論は考慮する必要はない。他はトンデモだぜ。
オマエは火星に卑弥呼の国があるとでも言うのか?w
176日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:09:04.23
新潟出身の俺様が、邪馬台国は新潟周辺と決定した。
畿内説九州説など全部間違いだ。
俺様が言うのだから、絶対間違いない。
邪馬台国問題は、オラが村=新潟周辺で決まり!

                    by 夢幻如

177夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 20:12:21.96
火病で発狂してる馬鹿はどうでもいいが

>九州説論者
反論なければ論破ということになる。
後から四の五の言わせねえぜ。
確固たる信念があっての主張なら、どんな突っ込みにも答えられるはずだ。
誤魔化しで逃げるのは信念とは言わないぜ。

しばらく静観する。俺は今日も仕事だしな。
178日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:14:33.46
九州説畿内説なんか全部ダメだ。
邪馬台国は、オラが村=新潟のそばに決まりだ。
卑弥呼の朝貢も新潟経由だ。
新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟新潟がカギだ。
邪馬台国はオラが村=新潟の周辺にあったのだ。

                by 夢幻如
179夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/18(日) 20:16:14.94
>>175
それが誤魔化しだ。
俺は九州否定の論を二点の理由をもって説明した。
九州説論者なら、これを否定しなくてはならない。
否定出来ないなら論破されたことになるんだからな。
明日まで時間をやるよ。
脊髄レスは要らない。よく考えて否定してみろ。

じゃあな
180太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 20:16:29.65
な〜んだ、オマエは逃亡か〜?

「逃走中」は20日だ。w

そこへハンター〜〜
181太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 20:20:31.66
新潟男を 証拠とか言ってて 屈服できない>>179
182日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:26:43.42
>>178
わかったから黙れ

太国さん、議論挑まれたんだから逃げちゃコテの名折れですよ
九州説コテさんのお手並み拝見させてもらいましょうか
183日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:28:28.40
そうだな〜、夢幻如は面白い奴だが、
結論が富山・新潟ていうんじゃな〜。話にならんわな。

その邪馬台国候補地での三世紀の考古学的遺物を示してもらわんとな。
184日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:31:53.06
夢幻如が越(こし)の国を宣伝したいようだが、越が栄えたのは縄文時代。
縄文のなかでも、出雲の国が興隆する以前の古い時代だ。
185日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:49:31.55
>>183
結論は出していないだろ。
投馬国〜富山、邪馬台国〜八幡平は仮比定だと言っている。魏志倭人伝ではそこまでわからないとね。
186日本@名無史さん:2011/12/18(日) 20:56:53.90
八幡平=ハチマンタイ=ヤマタイ説は、すでに古典的(というか笑いもの)となった、ゴロ合わせネタだね。
187日本@名無史さん:2011/12/18(日) 21:04:56.64
八幡平に行くんだったら、使節は九州・マツラに上陸する必要があるか?

伊都国で女王への荷物の検査をする必要があるか?(これからの旅の方が長いというのに)
188太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/18(日) 21:08:54.00
逃げたのは奴だよ。
お手並みなんぞというものは毎回書きこんでるよ。
189日本@名無史さん:2011/12/18(日) 21:12:51.65
だいたい、この時代に
八幡平に女王の宮殿があったとして、
はるか遠くの九州を支配できるものだろうか?
190日本@名無史さん:2011/12/18(日) 22:00:17.31
>>188
至、到から使節は伊都国までしか行っていない
観察記述も伊都国までしかないのがこれを補強、証明している。
九州内に邪馬台国が存在するなら伊都国止まりはない。
だから九州には邪馬台国はない。

こういう論旨だね。これにあなたは反論していないよ。
191日本@名無史さん:2011/12/18(日) 22:35:19.69
伊都国までしか言ってないとか倭人伝もちゃんと読んでないアホの言うことww
192日本@名無史さん:2011/12/18(日) 22:42:11.08
>>190が纏めてくれた点は、下記のように論破されてるな。

[倭人伝の里程日程の原作者]≠[魏使]
http://homepage3.nifty.com/washizaki/paper/paper14.html
193伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/18(日) 22:53:28.74
>>192
俺も前はその思考で魏使ではない旅程記録も混ざってたと考えたこともあるが、
今はそのようなものは証拠もない妄想でしかないし論評に値しないと考えなおしたw
194日本@名無史さん:2011/12/18(日) 23:00:15.68
まあ、その辺は水掛け論にしかならないな。
195日本@名無史さん:2011/12/18(日) 23:44:39.00

なんか久しぶりに覗いたら、ちょっと面白くなってる?

伊都=丹波 と言って、2年位前に議論してたものです。
なんか、当時の話がいろんな人の参考になってるみたいですな。

夢幻如さん、東北説の同士です。
でも、陸路の否定はよくないです。
出雲(松江)=末盧國
難波=奴國
三重=不彌國
このあたりが倭人伝のキモだと思います。
196熊次郎:2011/12/18(日) 23:57:01.85
「君が代」国歌であるぞ
九州の福岡(糸島)である。
邪馬台国は九州内に存在した。君が代が証拠
ローカル番組情報。あとはくぐろう。
熊次郎万歳 熊次郎万歳
197日本@名無史さん:2011/12/19(月) 00:17:09.49
>>196

九州のどこぞの神社に君が代の碑文があるって話だろ?

ばーか。
198日本@名無史さん:2011/12/19(月) 01:14:38.57
結局、東北説でも新潟説でも論争に参加できるということだ。
それなりに頑張れるということだ。
199日本@名無史さん:2011/12/19(月) 01:26:47.48
>それなりに頑張れる

相手にされないけどな。
200日本@名無史さん:2011/12/19(月) 01:41:41.92
距離と方向を根拠なしに操作すれば、
世界中どこでも候補になるということだ。
201日本@名無史さん:2011/12/19(月) 01:48:26.16
>>200
根拠は示されている。そこに異論があるなら反論すればよい。それが議論だ。
お主のような態度が真っ当な議論の議論の邪魔になる。
202日本@名無史さん:2011/12/19(月) 02:05:48.00
誰しもが決定的と思う根拠など、どこにもないから、
総合力で勝負するしかないな。
203日本@名無史さん:2011/12/19(月) 02:28:37.11
ヤマトで決定なんですけど。

204日本@名無史さん:2011/12/19(月) 02:33:22.28
志賀島の金印しか確実なものはないな。
205夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 06:37:16.54
>>190
いい把握力だね。

>太国
不様な奴だな。゚
突っ込み受けて自論の立場から反論一つ出来ないのか。
反論出来ないだけならまだしも、誤魔化した上に俺が逃げただと。
お前はコテで学問板で議論する資格はねえよ。
議論で論破される負け犬以下、二度とコテを名乗るな。

こいつに限らず九州説も畿内説も、この二地域以外の比定候補地を出すと
トンデモだとか論外だと言い出し、都合悪いものはこれで逃げる。
自論に自信があるなら、どんな対抗論にも真正面から対峙しろ。
206夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 07:00:56.08
>>187>>189
本拠地が大陸の玄関口から遠隔だからこそ、最も信頼が置ける者を配し、さらに軍事拠点にしたのだろう。
それが伊都国だ。
ここを外交窓口兼軍事力による九州管理という役割を持たせたと見れば不思議じゃない。
邪馬台国が九州内にあるなら、近くにわざわざ自国以外の軍事拠点は必要ないはずだ。

受領や検閲のような役割については、これは対大陸に対してだろう。
それを邪馬台国までの移送するのは国内問題で別になる。。
だから窓口は大陸に最も近い場所がよかったはずじゃないのかね。

前に聞いたが誰も答えなかった質問をもう一度出す。
伊都国の「一大率」これは何と読む?
どういう音読みが一番妥当なのか、漢文自慢に聞きたいね。
比定には関係ない話に膨らむが、ここに俺はある想像をしている。
207夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 07:04:29.68
>>192
携帯じゃ細かすぎて読めない。
あとで見るが簡単に論破などと言うんじゃねえよ。
恐らくただの対抗論だろ。
208サガミハラハラ:2011/12/19(月) 07:43:18.56
一大率とはイタソと発音するのがよいでしょう。 
これは漢文ではなく倭語に当て字したものです。
意味はアイヌ語のイタグ、モンゴル語のイタガン、日本語のウタ、沖縄語の
ユンタと共通の字義を持ち、神霊なる言葉という意味です。
つまり、卑弥呼の言葉、命令を伝える者ということです。
実際はイタソのいうことは卑弥呼様のいうことだと思えということでしょうね。
209日本@名無史さん:2011/12/19(月) 07:54:35.31
「到」と「至」ねえ。そもそも現代われわれが目にしている三国志の南宗「紹興本」でも「紹煕本」
でも実際に陳寿が書いたものとは用字が異なっているだろう。「到」「至」にしてもその可能性が
ないわけではない。

西域のトルバンから晋代の写本と思われる古本三国志の部分がいくつか出土しているが、例えば
1924年にトルバンから出土した「三国志」巻五七(呉書一二)では、ある研究によれば、
全1192字中、「紹煕本」と画数の同じでない漢字が416字で全体の1/3を越える。また、用語から
みて「紹煕本」と異なるものが40句ある。漢字誤写の例(免」と「勉」「成」と「誠」など)

さらに三国志全体をみても「至」と「到」が明確に使い分けられている用例は見当たらないと考える。
故にこのことから何かを断定するのは無理であろう。ただし自分はこの部分の文章を普通に読む
かぎり、いわゆる「放射説」は成り立たないと考えている。
210日本@名無史さん:2011/12/19(月) 08:10:33.19
魏使の報告書・・・これについても存在はしていただろうけれども、陳寿が実際に参照して
倭人伝を書いたかどうかはわからない。倭人伝の歴史的記述は長期間のことについて
書かれており、実際に倭国についての報告が入ってきたであろう景初3年(239)から三国志が
書かた280年代まで(あるいは魏消滅まで)の情報を総合していると考えるのが自然ではないか。

上リンクのホームページにもあるが、「郡使往来常所駐」という伊都国の記述は明らかに梯儁
が倭に来て以後の話である。これら郡使からの報告も陳寿(あるいは魏略等の編者)が参照して
いた可能性が高いだろう。だからこそ対馬、壱岐を含む北部九州のクニが詳述されているのだと
考える。倭人伝が魏使のたどったルートどおりに書かれているという考えはロマンがあり、謎解きの
モチベーションを高めるが、必ずしもそうであるとは言えない。
211伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 09:15:34.32
伊作がひどすぎるから叩いてたが、もう反論不可能ですっかり
でてこれなくなっちゃったなwしかしよくみてると伊作以上にひどいやつばっかだなここww
何?東北?w笑い取ろうとして言ってるのかと。
もうそういう邪馬台国の所在地探しの時代など終了してるよ。
頭悪いアホ爺なんかがいくら考えても東北とかとんちんかんなこと言いだすだけだから
もうやめとけw撤退しろ。
212夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 09:19:54.60
>>192
あはは、マジで笑ってしまったよ。
お前が出したリンク先、俺の推論の何を論破してるんだ?
俺の推論を補強しているだけじゃないか 爆ワラ

>里程日程の原作者は通常の帯方郡使(目的は倭国の状況視察または半ば観光気分)
 または交易商人で、博多湾岸までしか到達しておらず、
 「投馬国への水行二十日、邪馬台国への水行十日陸行一月」は、
 博多湾岸の伊都国・奴国・不弥国の倭人からの伝聞です。
 従来の邪馬台国論争では、倭人伝の里程日程は梯儁や張政が原作者との前提で
 議論されてきましたが、これは大いなる錯覚です。

これがこの論者の結論だな。この通りだろ。
>通常の帯方郡使(目的は倭国の状況視察または半ば観光気分)
ここを俺は中華思想から先遣調査隊だと推論したわけだ。これが違うだけだ。

世界の中心に位置し、華のある民族は自分達のみ。これが中華思想だ。
周辺国が野蛮で、馬鹿で、人でなしで、知恵遅れな後進国というのは
彼らにとって絶対に揺るがない確定事項だ。実際を知るまではな。
この鼻持ちならない思想こそが中国そのもので、王朝の交代でも一貫している。
現代ですらその影響は大だ。なんせ国名にしているくらいだからねえ。
古代ならこの思想がガチガチなのは絶対に間違いなく、微塵も疑う余地はないはずだ。
その野蛮で後進国と信じて疑わない国から、いくら朝貢を言ってきたからといって
いきなり金印を持たせた正使を送り込むはずがない。調査するのは常識だろ。
ただ調査だから時間をかけるわけにも行かない。
だから行ったのは伊都国までで、そこまでの実態調査と、あとは伝聞情報を集めたのだろう。
時間的制約があれば当然こうなるはずだ。

俺の推論に無理があるかい?
213日本@名無史さん:2011/12/19(月) 09:21:52.17
>>206
八幡平が九州を支配できた説明にはなってないが。

律令時代の京都朝廷でさえ、福島・宮城県界隈の支配さえろくにできなかったんだぞ。
それより400〜500年前の時代に、東北から九州を支配できたなんて夢想そのもの。
214夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 09:31:59.60
>>209
地名で例えば「東冶」を「東治」とか、「一大国」は恐らく「一支国」の間違い
というのはあるだろう。
だがここまで誤字説を採用したら”なんでもあり”だ。検証を放棄するに等しくなる。

ま、誤字でなかった場合という条件をつけてもいい。
たった二千文字の中の、さらに冒頭の国、行程紹介はごくわずかな短文だ。
ここに多くの「至」がある中で「到」は2回しか出てこない。
十分に納得行く場所だけにだ。
「至」に汎用性があるなら、ここも「至」でなければ説明がつかない。
まさか陳寿の気まぐれ等とは言うまい? ワラ
観察記述もこれに十分以上に呼応している。これを否定できるか?
215伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 09:35:51.22
夢幻は伊作よりレベル低いわw
もうその到至とか倭人伝の一字一句の解釈論など
昭和レベル。とっくに終了してることをいまさらぶり返すとか
アホにもほどがあるわ。
216伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 09:48:44.54
至到などすでに40年近く前に決着済みw

三国志全体を検索すると、「至」字は1096、「到」は194 あり、
用例を調査した結果、「至」には中間的経過、四至、終着点への帰着等、
きわめて広い用例がある。「太祖、遂に洛陽に至る」(魏志1)は、
最終到着の用例であり、「兵未だ到らずして、仁おおいて至る(呉志11)では、
「到」は未到着に「至」は既到着につかわれ、「我長安に到らば、即ち自ら
了せんと。軍、長安に至る」(魏志28)では至と到は同意義で使用されている。

もうとっくに論破されてるんだしいつまでもくだらんこと言ってるな馬鹿が
217夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 09:54:06.67
>>210
ここも肝心なところだ。

>実際に倭国についての報告が入ってきたであろう景初3年(239)から三国志が
 書かた280年代まで(あるいは魏消滅まで)の情報を総合していると考えるのが自然ではないか。

当然そうだし、それについては倭人伝を読めば疑う余地はない。
だがこれについても既に何回も俺は説明している。三国志の生い立ちだ。
これは陳寿の死後に正史と認められた書だ。正史編纂事業で書かれた書ではない。
ここがポイント。
陳寿は大いなる覚悟と決意を持ってこれを書いただろうことは、その膨大な量からもわかる。
正史になればいいと思う願望くらいあったかもしれない。
しかし最初から正史とするという前提がない著作だからな。
著者の陳寿も、想定される読者(自国民)も関心が薄いところは簡略になる。
最初から正史になる物と決まっていれば、関心の強弱は記述基準に大きく影響しないだろうがね。
倭人条は膨大な量の書の中で、たった二千文字でしか記されていない。
ほとんど興味がない対象だったと見るべきだ。
我々からすれば日本の当時の姿を知る貴重な史料で重大視するが
向こうにすれば倭国など「ついで」に書いたくらいなものだろ。
だからいい加減に書かれている。
冒頭の国、行程紹介は恐らく先遣調査隊の報告書そのまんま。
以後に何度も邪馬台国まで使者が行って、正確な地理情報が入っても訂正する必要を感じていない。
こうみるのが妥当だろうな。
だから新旧の出来事を、ただそのまま羅列して倭人伝になったと俺は見る。

>倭人伝が魏使のたどったルートどおりに書かれているという考えはロマンがあり、謎解きの
 モチベーションを高めるが、必ずしもそうであるとは言えない。

最初の魏使が辿ったのは伊都国まで。そのあとは伝聞。
これだけ簡略極まりない記述内容は、記述方法も簡略でないと整合しない。
あれだけ超簡単に内容が書かれているのに、行程紹介をひねるはずがない。
そのまんま連続読みしか成り立たない。ここは断言する。
218夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 09:58:05.45
>>216
腐れ頭の ねちねち受け売り君
てめえの相手は後でしてやるから、意味のない、内容もない無駄吠えするな。
お前まるっきり怯えまくった弱犬だな ワラ

煽り合いするほど暇じゃねえんだ。
219夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 10:06:07.07
>>208
ありがとう。参考になった。
ついでに一番妥当な読み方にならなくていいが、これを「イワレ」と読むことは出来ないだろうか?
無理無理でもいいんだが、わずかでもこの可能性があるのかどうかを知りたい。

本線に関係ない想像というか妄想に近い話を広げられるかもな〜
というお遊びなんで、申し訳ないんだが。
220伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 10:06:35.78
>>218
反論できないからいきなり人格攻撃かまして逃げるのかよww
おまえも伊作のように二度とでてこれないくらいけちょんけちょんにしてやろうか?ww
221夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 10:21:34.65
>>220
俺が主張する論に具体的反論は何一つせず
トンデモ、論外、論破済みで済ましている馬鹿がお前だ。

>おまえも伊作のように二度とでてこれないくらいけちょんけちょんにしてやろうか?ww

望むところだ。覚悟してかかって来い。
だが、お前はまだ後回し。
馬鹿の相手より先に言わなきゃならないことがあるからな ワラ
222日本@名無史さん:2011/12/19(月) 10:21:57.41
伊作はよく勉強し見識も広い。参考にさせていただくことも多々あったのだが、
短里否定、6.5倍独自論のように、他人から見れば些細な所で、自説を絶対視してしまう所がある。

現実問題として、論拠となる情報は日々修正され、解釈もまた変わっていく。
そういう揺らぐ足元の上に、絶対的なものを構築しようとしているが、安定するものではないのだ。

そういう部分は、ペンディングにしておいて、結果待ちて留めておくとか、
推論的解釈はするものの、絶対的ではないことを受け入れる柔軟性と広い度量があれば、
変な所で追い込まれることは無いと思っている。

むしろ、「この部分はわからんがこう思っている」というように、すべて正しいと主張するだけでなく、
間違っている可能性も含めた推論と、絶対崩せない条件を分けて、受け入れるところと
受け入れられないところを明確に出来れば、穏やかになるのではないかと思う。

まあ、いつでも馬鹿な罵倒をするやつはいるが、本質に関係なければ無視すればいい。
223伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 10:30:00.87
夢幻とかこいつアホすぎるから周りは馬鹿馬鹿しくて
相手にしてないこともわからんのかw
東北説とかもうみんなコメントする気もおこらんような馬鹿馬鹿しさだから
スルーしてるってのにww

伊作などもう奴の本の最も自信があるから立ち読みできるようにしたであろう
景初2年の証明を俺に完膚なきまでに論破されたからもうでてこれんよw
現に最近ここあんまりきてないでしょww
224太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 10:41:10.94
>>205
オマエの能書きはそんなものか。ww
先に考えるのは ↓ これだろうが。

記紀に卑弥呼の記事なんかないんだよ。これは畿内に卑弥呼なんかいなかっ
た文証そのものだね。いたんなら記紀に卑弥呼も壱与も記事がどでかく載るだ
ろうが。記事がない場所に卑弥呼をもって行くオマエは、よっぽどの妄想野郎
だな。チーとよく考えてみろ。ね〜んだから、紀無いなんかに卑弥呼はいや
しないんだよ。

女王の即位した記事なぞ、相当年代に記紀になければ紀無いに卑弥呼がいたなん
ぞデタラメ論もいいところだ。オマエ相当おつむの巡りが悪いようだな。w
オマエのそんな論で紀無いにいたなんぞ脳内判断するのは、ま〜だ百年早い。
22519歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 10:50:50.94
>>224
太い国さん、もういい加減にしてください。
卑弥呼は天照として、壱与は豊受大神としてちゃんと
伊勢神宮に祀られてますよw
ちゃんと記紀にも登場させてるじゃないですかww
226太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 10:54:48.08
19歳老人
オマエいつから 卑弥呼=天照大御神 という妄想を言い出したのか?w
右辺のは神武以前の女性だが、左辺のは崇神のころの女性だ。時代が違い、
その等式は成立しない。
22719歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 10:57:41.16
証拠に海部氏系図でモモソ姫のことを日神と書いてあります。
天照の別名も日神です。巻向に卑弥呼を共立してはじめて畿内王権が誕生したので
卑弥呼が皇祖神天照大神として神話世界の人物になったわけです。
228太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 11:00:44.30
書いてあるなら、その系図のそこの部分は間違い。

そうでないとオマエのは日神、モモソ、卑弥呼の3人とも同一人物だとなる。ww
デタラメだな。
22919歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:02:53.15
卑弥呼の死後の垂仁期にちょうど倭姫によって
天照は伊勢神宮に祀られるようになったので卑弥呼の死亡時期とも一致しますよ。
その後豊受大神も外宮に祀られるようになったので、
ほぼ決まりでしょう。
23019歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:06:46.52
>228
甘いのは貴方です太い国さん。
神武〜欠史8代など明らかに架空の人物です。
実在してたわけがありません。
まあ欠史8代に関しては実在してたかもしれませんが
奈良の地方豪族といったとこでしょう。
大和朝廷の実質上の祖は卑弥呼で初代天皇は男弟崇神です。
現に崇神も初国シラスでしょ。
23119歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:10:56.03
日神、モモソ、卑弥呼は全部同一人物ですよw
東証大権現、徳川家康、大御所は全部同一人物なのと一緒でねww
232日本@名無史さん:2011/12/19(月) 11:12:23.00
卑弥呼=天照大神で、畿内説というのはわからないな。
23319歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:13:46.26
卑弥呼の死後に天照は卑弥呼のことを指すようになったんでしょう。
それまではただの太陽信仰かなんかの架空の神扱いで。
234日本@名無史さん:2011/12/19(月) 11:13:56.35
お前も全部同一人物だろが クソが
23519歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:16:17.61
記紀をみればわかります。
天照の弟にスサノオがいますし、
卑弥呼にも弟がいます。
天の岩戸で隠れたのは卑弥呼の死のこと。
それから再び登場したのは壱与のこと。

神話の世界に卑弥呼を組み込んだとみて間違いない。
236太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 11:17:22.62
19歳老人
オマエの脳内を早く精神病院で診てもらえ。ひどい重症だな。ww
23719歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:21:16.12
病院行くのは太い国さん、あなたですw
いつまで九州王朝とか馬鹿なこと言ってるんですかww
そんなこと言ってる暇あったら被災地にボランティアにでもしにいってください。
徳川家康も死後に東証大権現として神になったでしょ。卑弥呼もそれと一緒です。
死後に天照大神となったわけです。
23819歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 11:25:12.59
太い国さん、間違いも何も海部氏系図にモモソ姫、またの名を日女命、日神
と書いてあるんだから間違いなわけないでしょww
つまりモモソ姫が中国では卑弥呼として認知されており、
モモソ姫の死後日神となったというわけです。
239日本@名無史さん:2011/12/19(月) 11:40:13.67
>>154夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :
>わかりやすく話してやる。
>Aを出発しBとCに立ち寄り、目的地Dに着いた。
>BとCは途中経過の「〜まで行く」だから「至」Dは目的地だから「到」
お前、頭は大丈夫か?
『Aを出発しBとCに立ち寄り、目的地Dに着いた。』と理解しているのに
かわいそうな奴だ。
『BとCに立ち寄り』だからAからDの『いたる』を「到」と記述しているの。
『BにもCにも立ち寄らない』なら『いたる』は「至」だ。
解ったか 鈍重野郎。

原文を挙げれば
「末廬國」「到伊都國」の間に
「至奴國」と「至不彌國」に立ち寄って居ると記述してあるの。

「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國」は、
「郡」を通り過ぎて(從)倭に至る。
「郡」から「歴韓國」を立ち寄らずに「狗邪韓國」へ『いたる』なら「至」と記述される。
 「自郡至女王國萬二千余里」のようにだ。
「歴韓國」とは「郡」→「狗邪韓國」の行程で脇道に逸れて又戻ってという行程を示唆しているの。

240日本@名無史さん:2011/12/19(月) 12:00:25.05
>>239
>原文を挙げれば
>「末廬國」「到伊都國」の間に
>「至奴國」と「至不彌國」に立ち寄って居ると記述してあるの。

『立ち寄る』の意は、目的地への本線とは別の方向に行き又本線に戻る。
東南奴國   東行不彌國
末廬國/  \末廬國/   \末廬國→到伊都國 。

歴韓國      歴韓國
帶方    /   \    /   \
循海岸水行   循海岸水行    循海岸水行 →到其北岸狗邪韓國。
のようにだ。


241日本@名無史さん:2011/12/19(月) 12:04:18.59
>>239 倭@名無氏
>原文を挙げれば
>「末廬國」「到伊都國」の間に
>「至奴國」と「至不彌國」に立ち寄って居ると記述してあるの。

『立ち寄る』の意は、目的地への本線とは別の方向に行き又本線に戻る。
・・・・東南奴國・・・東行不彌國
末廬國/  \末廬國/   \末廬國→到伊都國 。

・・・・・・・歴韓國・・・・・・歴韓國
帶方・・・・・/・・\・・・・・/・・・\
循海岸水行   循海岸水行    循海岸水行 →到其北岸狗邪韓國。
のようにだ。
242日本@名無史さん:2011/12/19(月) 12:30:35.86
>>157 :夢幻如
>>144にもうひとつだな。
>星宿図の説明なんか聞いてねえよ。
>どこを基準でもいいから倭人伝に書かれている里程をどうやって測定したかの
>想像を 具体的に示せと言ってるんだ。
お前は、計り知れない程の馬鹿だな。
「對海【馬】國」と「一大國」で星宿図を起せは、緯度差が明確になる。それが二点間の距離だ。
「始度一海千余里 至對海【馬】國」「又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」
から、對海【馬】國は狗邪韓國の東(南)に一辺千余里の正方形の海内に對海【馬】國という着点があり、
對海【馬】國東(南)に一辺千余里の正方形の海内に一大國という着点がある。
と記述されている。
千余里は緯度差から算出した可也正確な数値だ。
243日本@名無史さん:2011/12/19(月) 12:53:36.26
卑弥呼=天照大神なら畿内説はないな
244日本@名無史さん:2011/12/19(月) 13:02:23.52
>>238
天照大神も卑弥呼も女陰を箸で刺して死んだりしてないだろ
245日本@名無史さん:2011/12/19(月) 13:10:37.78
ボンクラ 夢幻如 !

「末廬國」 「東南陸行五百里 到伊都國」 「東南至奴國百里」 「東行至不彌國百里」の
「行」は『進み、そして止まる』だ、所謂、一つの終点だ。
「東南陸行五百里 到伊都國」で「伊都國」が「末廬國」からの行程行為の終着地である。が「到」をつかっているから、「末廬國」から「伊都國」に至るにあたり本線から方向を変えて「東南至奴國百里」と 「東行至不彌國百里」にも立ち寄った。ということだ。
「東南至奴國百里」と「行」が使われていないのは、その先に「伊都國」があるからだ。「東行至不彌國百里」の「行」で「不彌國」の先に行程は無いということだ。
もし『進んで止まる』との意を外す場合の『行く』は「去」を使う。
 「又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里」の「去」は『行く』だ。
後漢書の「去」も是に倣え。


246日本@名無史さん:2011/12/19(月) 13:20:23.19
>>156 :夢幻如
>>144
>九州説論者が好んで言う「こねくり回し」の放射説は伊都国が基点だよな。
>お前は末廬國基点放射説かよ ワラ
ボケ!
>>245 :日本@名無史さん:2011/12/19(月) 13:10:37.78
>ボンクラ 夢幻如 !
で、お前の頭が飛んでいることが解ったか?

もっとまとものことかきこしないともうあいてにしないぞ
247日本@名無史さん:2011/12/19(月) 14:29:13.37
八幡平にある卑弥呼の宮殿から、はるかに遠い九州を支配していたというなら、
こりゃ、堂々たる大国だ。魏本国より立派といっても良いくらい。

そんな国が、魏に朝貢する必要などあるか?
狗奴国ていどを征服するのに苦労するか?
248夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 15:22:47.24
寝てしまった。
書いたつもりのものがないような・・・

いかんな、寝ぼけてる。少しスッキリしてからだ。
俺は連休でオフだから、他にやることもたくさんあるんだが
いつもよりはじっくりやれる。
もう少し時間が空く。
249日本@名無史さん:2011/12/19(月) 15:56:37.11
>>222
同感だ。
伊作はかなりスジがいいのだが、
「九州の国家全部畿内に引っ越し=東遷」論はどうかと思う。
また、邪馬台国熊本説は、熊本が4世紀以前に権力の中心とは
考えにくいので、少々弱い。

ここの夢幻如とかねちねち君、19歳などのトンデモ連中は、
はなから検討の対象にならないから無視するよりほか無いでしょう。
250太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 16:22:01.26
>>237

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kyusyune/koga02ko.html

オマエは古代史を推理小説探偵小説だと想っているのか〜?w
3人が同一人物なぞ、まるで西村京太郎の小説みたいだ・・・。w

ハハッ、オマエは宿主とともに精神病院ご歓迎さまだな。pp
251夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 16:42:21.22
>>247
書いたつもりなのはお前にだ。>>213はお前だよな。

>>206は統治する方法だ。それが可能かどうかは力関係になる。
この力関係は統治する側より、される側の規模を考えるべき。

で、ここで勘違いするのが「国」だ。
この「国」は今ならせいぜい町や村の規模。
国邑と言われたものだから今の感覚で言う「国」とは大違いだ。
対馬国千戸、一大国三千戸、末ろ国四千戸、奴国二万戸、不弥国千戸
奴国が飛びぬけて大きいが、こことさえ良好関係にあれば
千戸の伊都国が純粋軍事拠点なら十分に押さえられるだろう。

邪馬台国がどこにあろうが、現実に周辺国を抑えていたのは伊都国だ。
これは動かない。
邪馬台国が九州にあろうが、畿内にあろうが、東北にあろうが同じだ。
伊都国とさえ密に連絡が取れ、伊都国が絶対服従なら問題なく統治できただろうよ。

そこで一大率なんだが、まあ今はいいや。
妄想を話したら、そっちに話がぶれてぶっ飛んでいく ワラ
252日本@名無史さん:2011/12/19(月) 16:51:03.16
>>248 名前:夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 15:22:47.24
>寝てしまった。
>書いたつもりのものがないような・・・

ima no omaeja negoto shika kakena kara zu----------to netero.
253夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 16:54:27.27
>>224>太国
お前開き直りか、馬鹿か?俺を畿内説論者だと思っていやがる。
誰が記紀の話などした。誤魔化すな、糞野郎。

俺は九州論者であるお前に、二点の理由を挙げ九州説が成り立たないと主張し
これを崩してみろと言ったんだ。文章も理解できない馬鹿か。
俺を畿内説論者と言うことにし、畿内説を否定しさえば何とか話題をそらせると思ってやがる。
>>190が俺の主張を簡潔にまとめてくれた。これに答えろ。
お前は>>190もスルーしてるよな。

こんな腐れコテも珍しいぜ。よくこれでコテやってられるな アキレ
畿内説ならな、九州説を論破した後に論破してやるわ。
254日本@名無史さん:2011/12/19(月) 17:10:04.58
八幡平の三世紀の考古学的遺物はどうなの?
なんか、それらしいのあるの?
255日本@名無史さん:2011/12/19(月) 17:12:05.49
何で同じやつが別コテでクソカキコしてるんだよ
256日本@名無史さん:2011/12/19(月) 17:12:51.41
>>251
だけどよ、夢幻如さんよ

それじゃ、卑弥呼の本国(八幡平)自体は、周辺国(津軽あたりの蛮族)に
すぐにつぶされちゃうんじゃまいか?
257夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 17:16:20.55
>>239
こりゃまたおかしな奴が プ

>『BとCに立ち寄り』だからAからDの『いたる』を「到」と記述しているの。

これはいいとして

>『BにもCにも立ち寄らない』なら『いたる』は「至」だ。

独自解釈かあ。
「至、到」が同じ意味だと言う奴がいたと思えば、今度は違うと言う奴がいる。
どうとでも解釈入れられるって話だな ワラ
お前は筑紫次郎が引用したお偉い先生の解釈まで否定するわけだ。

>原文を挙げれば
 「末廬國」「到伊都國」の間に
 「至奴國」と「至不彌國」に立ち寄って居ると記述してあるの。

こりゃ最高の「こねくり回し」だな。
>>245では「行」からもグチャグチャ言ってるが

>もし『進んで止まる』との意を外す場合の『行く』は「去」を使う。

「行」にも元々「去る」の意味はあるようだねえ。
この「行」は単純に「行く」でいいはずだ。こねくり回すな。
258夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 17:30:04.02
>>254
あのな、八幡平だと俺は決め付けていない。
俺が追及しているのは、あくまで魏志倭人伝からだけのアプローチ。

投馬国は北九州から日本海側を水行二十日の地
邪馬台国は、そこから水行十日してその地点から陸行一月
この陸行一月から海岸線にはなく東北の内陸部

これが俺の推論の結論で、魏志倭人伝からわかることはここまでだ。
それ以上はこの書からは探れない。
富山、八幡平は地名くらいしか頼るものがないから、ここから出した。
誰かが言ってたがただの「語呂合わせ」だ。
最有力候補地だと思うが違うかもしれない。
何回も言うが仮比定だ。仮の地でも示さなけりゃわかりにくいだろ。

遺跡は当然何も出ていない。だが、比定にそれが先行するものじゃない。
先行すべきは唯一の史料の解明だ。
259夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 17:34:24.96
>>256
お前さんも俺が八幡平と決め付けてると思っているのか、やれやれだな ワラ

まあいいや、当時7万戸の国なら規模からみて安泰じゃないのか。
ここは想像しても仕方ない話しだし、比定には関係もあまりないと思うが。
260夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 17:49:09.45
いけね「追及」じゃない「追求」だ。
単なる誤変換だが文系学問板だからな、訂正しておく。

あとは、ねちねち受け売り小僧だな。

お前は九州、畿内以外の候補地が出たら全部「トンデモ」「論外」「論破済み」で
逃げる馬鹿なんだよ。
お前が何説支持か知らんが、とりあえず今は九州説否定で二点を挙げた。
ここをトンデモだ、論破済みだと言うなら簡単に否定すりゃいいじゃないか。
キャンキャン吠えてないで具体的にやれ。
お前も誤魔化し逃げ回る太国とやってることは同じだ。

1.わずかな国、行程紹介の短文の中で「至」がほとんどの中、二回だけ「到」が使われている。
 ここから俺は最初の使者は伊都国までしか行ってないと推察した。
 違うと言うなら、この二回の「到」がどういう意味を持つのか説明しろ。
2.観察記述が伊都国を境になくなっている。これも使者が伊都国までしか行っていない証拠だ。
 観察記述について反論できるならやってみろ。

この二点が崩せなければ邪馬台国は九州内に存在することはあり得ない。
理由はもういいな。
261日本@名無史さん:2011/12/19(月) 18:12:33.75
最終比定地が、大局的(考古学その他)にみてどうやらおかしい
=倭人伝解読がおかしい、ということ。

おのれの解読を疑わなければ進歩はない。
局所的な小さなことにこだわって、大局を見ないとダメだな
木を見て森を見ず、ということ。

もし、解読に完全に自信があって、かつ最終比定地もおかしいなら、
そんな史料は捨てろ。資料自体がいいかげん、なんだから。
262太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 18:18:02.97
>>253
じゃぁ〜オマエはなにか〜?w
〜要するに火星説などがオマエの性分だというわけだな。ppppp

それでは19歳野郎とともに精神病院がオマエをご歓迎だ。w
263夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 18:29:59.72
>>261
考古学万能!くんかな プ
遺跡は掘らなきゃ出てこない。そしてこれはほとんどが偶然だ。
都市開発でやったら出た
あるいは既に何か出来ていたところをさらに作り変える時に出た
などだろ。
考古学的考察は大切だよ。
だが限られた条件で出てきたものだけで日本全体像を考えようとする方が
「木を見て森を見ず」だ。
山形で以前まで3例しかない前方後円墳が、近年に30例以上発見された話はしたな。
これだけで古墳の全体像は全然変わるはずだ。

>>262
結局まともに突込みには対峙出来ないわけだ。
反論できない無能をあおりで誤魔化せると思うな、糞コテ。
敵前逃亡と言うことで、こいつは論破だな。
太国は俺の九州説否定を崩せなかった。これでこの馬鹿は終了だ。
264太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 18:36:06.07
崩すも崩さないもそんなことは関係な〜い。

オマエは火星説など主張してるから、おつむがおかしいんだよ。ww
ここは畿内か九州かだけで結構月光〜〜。

オマエは〜つまり低級なムー民同然の脳内だな。
つまり火星説なんぞ頑張ってるんでは、オマエは大した野郎ではないと
いうことだよ。bububu・・・
265日本@名無史さん:2011/12/19(月) 19:03:13.88
147で証明を求められていますよ。129(263)さん。証明できなければ貴方の主
張はすべて不成立ね。
266ローガン:2011/12/19(月) 19:25:13.99
>>253
>お前は>>190もスルーしてるよな。こんな腐れコテも珍しいぜ。よくこれでコテやってられるな アキレ

よく、人の事を言えたもんだなあ。「邪馬台国ドンとこい99」以下コピー

『575 : ローガン
>>542:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>「至」意味は「〜まで」 「到」意味は「着く、到着する」です。

●秋九月曹休率諸軍至皖、與呉將陸議戰於石亭敗績。(魏書明帝紀)曹休は諸軍を率い、皖に到着。陸議と石亭で戦い、敗北。
●遂北渡河攻蕃破之、水道得通。劉表使劉備北侵、至葉。(魏書李典伝)劉表は劉備を使って北方へ侵略させ、葉に到着した。
●張遼之討陳蘭、霸別遣至皖、討呉將韓當、使權不得救蘭。(魏書ソウ覇伝)ソウ覇は別に派遣されて皖に到着し、韓当を討ち、陳蘭への孫権の援軍を不可能にした。
●與張遼等至廣陵討孫權。(魏書王リョウ伝)張遼等と廣陵に到着し、孫權を討伐した。
ちょっと調べてみただけでいくつか見つかった。「至」の意味は到着。』

『579
関連して>>575
1番目 皖に到着は「皖まで行き」の意味で皖が明確な目的地ではない。戦う場がずれれば行く先もずれる。
2番目 葉に到着したのは侵略で「葉まで進んだ」だろ。葉が目的地ではない。
3番目4番目も同じようなもの。目的地があり、そこに着けば「到」何かの過程でどこかに着けば「そこまで行き」で「至」』

『584 : ローガン
>>579:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>目的地があり、そこに着けば「到」 何かの過程でどこかに着けば「そこまで行き」で「至」

光和中、涼州賊起。發幽州突騎三千人、假?都督行事傳、使將之。軍到薊中。
薊中(けいちゅう)が軍の目的地ではない。 涼州賊徒追討の過程。いやはや…。』

に対して返信無し。君の、答えない人に対しての罵倒は、君自身に対してのものでもある事を心得なさい。
267あらため だよん:2011/12/19(月) 19:46:44.82
太国さんって、初心者だとか、まだ日が浅い人によく絡まれるよねw
「こいつの邪馬台国は大したことないぞ」ていう風に思われてるんじゃねーの?ww

まあ、
「舐めるなよ!」ていう風に九州説コテの意地というか、
みんなが納得するような反論をみせて下さいょ〜私等は観戦しときますのでwwwww
268あらため だよん:2011/12/19(月) 19:55:11.30
>>266

まあ、まあ、ローガンさんW

>畿内説ならな、九州説を論破した後に論破してやるわ。

と言ってるので九州説のコテでもある「太国」に任せて
我々〜畿内説は観戦しときましょうよW
あとで〜畿内説の私やローガンさん、その他の人の中から選んで貰えばいい事ですしWWW

てことで、おっさん〜コテの意地を見せてくれW
269日本@名無史さん:2011/12/19(月) 20:16:05.03
なんだよ、詐欺の畿内説が、身分もわきまえず観戦かよ。
「詐欺に感染」の間違いだろ。
270太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 20:24:29.84
アラタメどの
奴の火星説なんぞ論外だよ。ww
奴は滑稽wwの支離滅裂で、脳内がショートしている。

もう奴は「逃走中」だよ。

〜そこへハンター ←明日の夜7時にTVでやるよ。
271夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 20:29:10.61
>>624
負け犬以下、お前の頭に詰まっているのは糞か プ

九州説を通すなら九州否定論を言われたら否定しなくちゃ話にならないだろうが。
「〜だから九州はない」といわれ「そんなの関係ない、でも九州だ」てか。
お前はもう終了。
自論を否定されて、それに反論できず近畿説否定すりゃ何とかなると思っている
おめでた馬鹿がおめえだ。
272夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 20:38:41.66
>>266
「到」「至」が同じような意味で使われていることは認めよう。
ここは俺の認識不足もあった。
だが倭人伝では明確に使い分けられていると言う点は間違いない。
たったあれだけの文章でなぜ「至」と「到」は混在するんだ?
全部「至」でいいはずが(あるいは「到」で)なぜだ。
魏志倭人伝の中では「〜まで行く」「〜に到着する」の意味だ。
最初の使者の報告書をそのまま載せたなら、その報告書を書いたものが違いを認識したのだろう。
これに呼応するのが観察記述だ。

魏志倭人伝の中で、と限定しよう。「至」と「到」は別な意味で使われている。
273夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 20:45:03.63
>>265
お前も頭大丈夫か?
伊都国までしか行ってない説明は十分した。
これを否定できなければ九州説はお終い。わかる?

>>270
お前も ねちねち小僧 も反論できなければ「論外」で逃げるヘタレだ。
負け犬以下、惨めだのう プ
274唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 20:45:41.22
>奴の火星説なんぞ論外だよ。ww 奴は滑稽wwの支離滅裂で、脳内がショートしている。

太国倍年にそっくりだな。
275夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 20:53:56.17
ついでに ねちねち小僧 にも言っておこう。

>>134でお前はこう言った。
>簡単に言えば金印持ってきた魏の使者が倭王に渡さずに帰るわけないだろ。

これに対し俺は中華思想から先遣調査が常識で、最初の使者は正使ではないと推論した。
これにお前は答えていない。

> あと至と到?こんなアホなこと言ってる馬鹿がまだいるとはw
 三国志全体をみれば両者の明確な使い分けなどされてないことくらいわかるだろうに。

倭人伝の中で二ヶ所だけ「到」が使われ、それに観察記述が加わり
使者は伊都国までしか行っていないという俺の推論をお前は崩せていない。

負け犬以下 同様に「論外」で逃げるか?
276日本@名無史さん:2011/12/19(月) 20:54:35.64
>>273
証明にはなっていない。
277日本@名無史さん:2011/12/19(月) 20:56:47.51
>>273
仮に伊都国までしか行ってないとしよう。
終わるのは、九州説のみならず、すべての邪馬台国論じゃまいか。

伊都国しか行ってないで、卑弥呼その他を記述してごまかしているような
報告書=魏志倭人伝を研究しても、意味ないだろ。

オレなら、それが判明した時点で邪馬台国探索の興味はなくなるがな。
(こんなもんあてにならん、ということで)
278日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:00:29.37
まあ、八幡平が温暖だなんていう奴は、誰も信用しない。
279夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 21:03:44.33
>>276
なってないと思うなら具体的に突っ込め。

>>277
魏志倭人伝は、正史になる前提で書かれていないというその生い立ちから
倭人伝はいい加減なのは確かだ。
しかし日本側から見れば、これしか史料がない。
どういい加減だったかまで考察すりゃ実像には迫れるんじゃないか。
俺はそう思うからやっている。
280日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:06:41.18
新潟の宣伝スレにしないでください>無限尿
281夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 21:07:58.50
最初の使者が伊都国までしか行っていなければ九州説は終了。
反論なければ九州説論破で次に行くぜ。

以後ここで九州説は一切認めないが、それでいいんだな。
282日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:09:22.19
>以後ここで九州説は一切認めないが、それでいいんだな。

認められないのはお前だけだから、人のことは心配するな。
283ローガン:2011/12/19(月) 21:10:27.43
>>272
>最初の使者の報告書をそのまま載せたなら、その報告書を書いたものが違いを認識したのだろう。これに呼応するのが観察記述だ。

ここの記述は、テキストが別にあるので、そうかもしれない。
ただ、目的地へ至る過程での、めさきの目標地点への到着を意味した可能性も視野にいれるべき。


又あとで。
284日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:11:36.97
>>281
いいんじゃないですかね。俺も伊都国までしか行っていないと思う。
邪馬台国が九州にあるならこれはない。だから九州説は間違いでいい。
285夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 21:15:07.40
>>282
九州説論者は九州否定論に反論すら出来なかった、という事実が残る。
この意味がわかるか、馬鹿頭。

九州説論破でいいな。文句ないな?
286夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 21:23:45.86
畿内説否定に行きたいが、九州片付けてからじゃないとゴチャゴチャになる。
少し静観するか。ほんの少しだけ ワラ

一杯飲んでくつろぐ。北朝鮮のニュースも気になるし。
287日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:26:00.64
7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき
自民党が要請した復興予算は累計17兆円

自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら
今の日本はもう少し違って居た筈だ
ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。
この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない

帰化人だらけの民主党に復興なんて はなっから無理な話なんだよ
288唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 21:26:21.50
247年? 景行天皇十二年八月己酉《十五》幸筑紫。8月15日九州へ向け出発
景行天皇十二年九月戊辰《五》到周芳娑麼。9月5日周防サバに到着 20日間の旅。

この時は、先遣隊が通った後の時間であるから、それ相応に旅程が決まっていての時間である。
239年の田道間守はこれ以上の時間がかかった可能性がある。
さらに商人の旅程であれば、それ以上の時間がかかる。
北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

謂之倭奴國… 其國亂...歴年無主。有女子名卑彌呼,國人共立為王。
だから、九州倭奴国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。

商人の旅程であれば、筑紫から大和まで2ケ月もありうる。
289太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:28:44.82
あらため殿
貴殿はあいつに厄介だと難渋しているからそれがしに負荷しているよう
だが、火星野郎は完全な妄想だから心配はない。コチラが料理して
やろう。ww

あいつはまぁ将棋で言えばあいつに十枚落ちで丁度いい。
奴いは王一枚でも軽く勝負出来よう。ww

火星じゃぁpupu・・・もう重症だな。奴は精神病院ご苦労さん!
290太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:30:50.01
>成務 262〜265年(基本的に57年の空白)↓宿主よ空年はどこ?
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が尊廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立
成務60年 成務天皇 崩御
291太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:35:14.41
畿内説は成立しないが〜まぁ脳内は正常のうちだ。そのうち不合理に
気づき、論を九州説になるときが来よう。だから畿内とか九州とか主張
してる奴は脳がまともだが、火星だとかエジプトだとかではww・・・もう
脳内の操縦がガタピシャだということよ〜。ppp
292日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:36:46.57
>>289
おまえは本当にグズだったんだな
293唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 21:37:22.93
>成務 262〜265年(基本的に57年の空白)↓宿主よ空年はどこ?

それを聞きたければ、 成務治世60年に西暦を振ってから聞きなさい。
294太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:42:15.38
それを聞きたければ、 成務治世60年に空年を振ってから聞きなさい。
295伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 21:44:22.64
>夢幻
推論ばっかで話にならないw
推論したってここは歴史板であって推理小説板じゃないだろww
>唐松山
こいつもめちゃくちゃww
垂仁期に殉葬の廃止の話が載ってるんだし
卑弥呼の墓に100名殉葬したと倭人伝に書いてあるだろうに。
つまり卑弥呼は垂仁より前の人物だ。
296日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:44:27.06
>>291
持論を否定されたのに反論さえ出来ないバカの戯言ですね
わかります、はいw
297太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:45:02.64
>>295どの

 ほぼ同意
298太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:47:03.31
>>292
畿内説を主張してる連中は脳内が正常だと言ってるんだから、コチラを
グズだとか言うなよ。それともオマエが隠れ夢か〜?w
299太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:49:35.54
>>296
火星ちゃんじゃぁ〜論外という奴よ。

オマエも火星説か? ならば精神病院で診てもらえ。w
300伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 21:51:25.95
画文帯神獣鏡と△鏡の分布状況をみるに、
九州説はないわ。補強材料として人口も
九州説では倭人伝に書かれてる国全部九州に収めたら
多すぎる。
301日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:53:40.91
>>299
おまえは議論すら出来ないグズだとよーくわかった
都合悪い、反論出来ないと逃げるわけね
九州も畿内も関係なく お ま え は グズ !
302太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 21:57:33.13
>>301
な〜にオマエはグー垂れてるんだ?w

畿内と九州だけを考えればいいことだ。それ以外も書きこめるが論外で、
そいつらには誤りだと言えばいいことよ。
30319歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 21:59:02.15
>太い国さん
辛酉なんとか説で紀元前660年から始めてしまったので、
卑弥呼の時代が神功の時代になってしまっただけです。
あと万世一系が記紀での建前だし、共立された王の卑弥呼は
都合が悪いので、記紀ではスルーしてるにすぎません。

あと卑弥呼はやはり天照でしょう。
304夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:00:57.18
黙ってみてれば、またガキの喧嘩になりそうだな。

九州説は俺の論を否定できなかったということで終了。
伊都国までしか使者は行っていない。このことだけで九州説は破綻だ。

>>295
お前も>>275はスルーか プ
推論ばっかって九州説も畿内説も推論なんだがね。
こんなこともわからない馬鹿かよ。
305日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:04:31.34
>>302
>畿内と九州を考えればいいことだ
おまえは学問板は無理
その九州をおまえは否定され反論出来なかった
引っ込んでろキチガイ
306夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:07:15.57
負け犬以下=太国 はもういいよ。負け犬にも劣る馬鹿だ。

近畿説否定に行こうか。
>近畿説論者
投馬国をどこに比定し、なぜそこなのか詳細に説明してくれ。
ここからスタートだ。
307太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:09:31.78
>都合が悪いので
だから、都合が悪けりゃぁ、神功39年の記事を残すわけがないだろう。

>>302
火星節に加勢するのか〜?w
それじゃぁ、オマエは松沢病院へ駆けつけろ。
308日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:12:03.64
>>306

>投馬国をどこに比定し、

比定しない、と言うより出来ない。
検証不能だし、比定材料無さ過ぎだから。
状況的には、畿内説なら出雲か吉備なんだろうがなw
309太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:13:38.25
>>306
火星節が説明出来ないオマエにww

 エ〜ンエンと泣いてやるよ。〜〜エンエンとねww

泣き屋になってやろう〜〜mmm
310日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:14:40.02
畿内説なら当然の話だな。
無理に比定しても意味ねーだろw
311日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:15:19.77
>>307
そんなところの話じゃないだろ、バカか
おまえが都合悪くて逃げたのは伊都国までしか使者が行っていないという無限の論
これで九州説を無限は否定しているんだ
九州肯定、否定のどっちの味方もしないが議論をごまかす馬鹿は腹立たしい
312日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:16:39.12
>>309

いつまでも火病ってんじゃないよ!
オマエは、もう要らないんだってさ。
巣に帰ればいいじゃん。
31319歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 22:17:04.52
伊都国までいったかいかないかなんて答えは絶対に出ないってww
そんなことに時間費やしてどっちだとか言ってるのはあほの極み。
そういう人は学問には向かない。
314太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:17:56.92
>>312
いらないのは火星節。オマエの大好きな火星節さ。w
315日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:19:59.48
>>313
一人4役はたいへんだなw
316夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:20:02.71
負け犬以下 を構うなよ、うるさいだけだ。

>>308
それじゃ魏志倭人伝から畿内説、というわけではないという事かね?
それはおかしいだろ。
317太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:21:30.98
>>311
腹立たしいか〜?w

ハハハ・・・ 畿内と九州以外を本気で信じているのか?

それは論外の論外さ。またオマエは出直して来い。
318日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:21:48.97
>>316
>魏志倭人伝から畿内説、

ほとんどの畿内説は、倭人伝なんかで推論してないだろうw
今まで、知らなかったのかWWW
319唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 22:22:05.49
>だから、都合が悪けりゃぁ、神功39年の記事を残すわけがないだろう。

神功39年の差し込み記事は、邪馬臺國=大倭の根源である証拠だな。
九州に邪馬臺國が存在しなかった証拠でもある。
320伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 22:23:28.15
伊作は今日も来ないじゃないかwもう二度と来ないかもな。
ちょっとやりすぎたか。さすがにこてんぱんにしちゃったしなw

邪馬台国は畿内でほぼ間違いない。いまだに邪馬台国の所在地はどこだと
言ってるのは時代遅れのアホだけ。ましてや東北説など一回病院いったほうがいい。
明らかに頭の中どっかおかしいよw
321日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:24:07.53
>>316

要するにただの文献珍読小僧だな・・・
322夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:24:39.71
>>313
今さらゴチャゴチャ言うんじゃないよ。
行っていないことを根拠を示し説明した。
これに反論が出せなければ行ってないことを認めたということだ。

お前は投馬国をどこに比定するんだ?話はもうこっちだ。
323日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:24:58.18
>>320

次は尿の出番だなW
324日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:25:21.01
>>214
大將軍何進與袁紹謀誅宦官,太后不聽。
進乃召董卓,欲以脅太后,卓未【至】 而進見殺。
卓【到】 ,廢帝為弘農王而立獻帝,京都大亂。

目的地は同じ。もし違いがあるとすれば、
「まだついてない」か「もうついた」かの違い。
目的地と経由地の違いではない。
325太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:25:54.08
>ましてや東北説など一回病院いったほうがいい。

ほぼ同意 つまり畿内、九州以外はトンデモ。
326日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:26:51.91
オマエもだろうが・・・
327太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:27:35.80
>>326
九州はトンデモではない。
328夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:29:12.44
>>318
だから突っ込んでる。何を根拠にお前は畿内説信者なんだ。

>>320
自分の言ったことに突っ込まれてスルーした ねちねち小僧
お前も畿内と断言してるよな。投馬国はどこ?
329日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:29:15.50
>>324
漢文で時制の概念が表現されることは稀れ
330日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:29:57.49
>>327
うん、だけどオマエはトンデモw
331日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:31:10.00
>>328

> 何を根拠にお前は畿内説信者なんだ。

過去スレぐらい読めよw
332日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:31:14.89
東北はニギハヤヒの降臨伝説が有るから
そっちでガンバレw
333伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 22:31:32.17
投馬国は戸数的にみて吉備だろう。
次点で出雲。まあ瀬戸内ルートの吉備のほうが有力だ。
334唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 22:32:28.48
>ほとんどの畿内説は、倭人伝なんかで推論してないだろうw
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神夏磯姫(カンカシヒメ)か?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王(男王)の部下 斗は書紀
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=景行 になる
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
狗奴國=女王国の南にある。狗古智卑狗?
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向

倭人伝から卑弥呼を畿内に配置できないが、邪馬臺國は畿内大和である。
335日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:33:51.24
>>333

邪馬台国が吉備で、投馬が出雲、狗奴が畿内。
又は。出雲が邪馬台国で、畿内が投馬、狗奴が吉備とかもあるでよ。
336夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:34:40.84
>>331
名無しが「過去レス読め」はねえな プ

>>333
根拠は戸数だけか?そんな薄弱な根拠しかないわけ?
337日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:35:15.44
次は名古屋が出ると予想www
33819歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 22:36:52.40
狗奴国は熊襲でしょう。
邪馬台国は畿内。
で女王国が熊襲征伐のために九州に遠征したときに
宮を置いたところじゃないか?
それが神功の記事に反映された。
熊襲征伐のために女王が九州にいるときに
魏からの使者が来たから話がややこしくなっただけ
339太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:37:40.24
>>330
九州はトンデモではない。
ということはコチラがトンデモにはならない。

オマエは顔を千回洗って出直して来い。
340自演厨撲滅委員会:2011/12/19(月) 22:38:46.87
>>336

名無しだろうが何だろうが、カンケーねーだろw
単に、オマエが畿内説を知らねーみたいだから勉強しろって言ってんだよw
何も知らんで、あーだこーだ言ってたのか(アゴがはずれちまったぜ
341日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:39:35.36
>>338

大当たりぃぃぃぃWWWW
342太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 22:40:06.10
>伊支馬=イクメ=垂仁←まるで猿の惑星さながらの噴飯論ww


イヨ≠五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向せず
343日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:40:07.60
畿内説と投馬国なんて、なんの関係性もないんじゃまいか
畿内説論者は主に考古学的分析及び大局的歴史観(皇国史観)を論拠としている
魏志倭人伝に、仮に投馬国の記述が無くても、畿内説は成り立つ

夢幻如は、なんか変な思い込みがあるんじゃないの?
344日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:40:26.87
今度は「名無し」で来るかな
345日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:40:57.85
伊作がこないとド民もこないね
なんでかな〜
346日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:41:00.34
無限尿は、夜勤まであと何時間かな〜?
347夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:41:55.94
>>334
人物を無理やり当てはめて、かよ。やれやれだ。
これも前から言おうと思っていたんだが景行なんてのは書記の捏造天皇の一人だ。
34819歳邪馬台国畿内説論者:2011/12/19(月) 22:42:50.98
寒いなあ。パソコンやる部屋にヒーターないのでそろそろ寝ますわ。
もう邪馬台国も畿内で確定なんだし、皆さんいい加減にしましょうよ。
僕ももう最近はちょっと冷め気味ですわ。勉強自体に興味が薄れてきてる。
349日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:43:54.49
>>345

二人は別人だよ。
遺作は野球じゃなくてサッカーファン(レッズ狂)だから。
どっちかってーとサイキバ=ド民だと思うよw
350日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:44:30.30
>>347

外れちまったort
351日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:45:40.22
「奴」という文字が頻出しますが、皆さんはどのように発音しているんでしょうか?
「ど」「な」「の」あたりかな?
352日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:46:56.84
奴国だけは「ナ」
その他は「ノ」
353日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:47:27.70
「奴民」なら「ド」w
354日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:48:14.13
>>329
時制の違いじゃないよ。
どちらも、その時点現在の董卓の状態。
董卓がまだ至ってないときに、何進が殺された。
董卓は到ると、皇帝の廃立を行った。
355351:2011/12/19(月) 22:50:34.01
同じ書物で同じ漢字なら、同じ音をあらわすと考えるのが普通でしょう。
その都度音を変えるのは恣意的にすぎませんか?
356夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 22:50:49.52
>>343
だから、敢えて聞いている。

いいか、唯一の史料は魏志倭人伝しかないんだ。
これは九州論破で話したように内容も記述方法も極めて単純に書かれた書だ。
国、行程紹介は単純そのもので連続読みすべきものだ。
北九州から水行二十日で投馬国、そこから水行十日陸行一月で邪馬台国だ。
これを無視しないと畿内説は成り立たない。

皇国史観で言うなら捏造天皇(当時は大王か)を根底に置いた説など
端からおかしなもので話にならん。
魏志倭人伝を無視しなきゃ成り立たないのが畿内説でいいのか?
357日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:53:22.02
>>355

>皆さんはどのように発音しているんでしょうか?

って問に答えてあげたんだが何か文句あんのか?
俺が、そう読む理由は有るんだが、アンタの態度が気に入らないので教えてあげないぜw
358自演厨撲滅委員会:2011/12/19(月) 22:55:05.56
>>356

> いいか、唯一の史料は魏志倭人伝しかないんだ。

ほー。
視野が狭いな。
359伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 22:55:18.66
伊作の遺作が大和の揺り篭になっちまったようだなw
もう奴は出てこれんよ。奴のスレみればわかる。
奴の説は俺が破綻させたから、つぎでてきても反論に窮するから
もう出てこないよ。また時間おいて俺がこここなくなったら
ひょっこり現れるだろうけどw
360唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 22:55:32.03
>>347 考古学編年を知っているのか?
開化 184〜188年(基本的に57年の空白、崇神と同じ暦)
崇神 188〜216年(基本的に38年の空白)
新羅に合わせれば188年から29年間、後漢に合わせれば189年から28年間。
纏向1類(前) 弥生X様式土器 新羅192年・後漢193年冷夏凶作 。[崇神5年]
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)[崇神58年?]
垂仁 217〜239年(76年の空白)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)[217年垂仁元年]
纏向2類(中)
纏向2類(後)
景行 240〜261年(38年の空白)
纏向3類(前) ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡 庄内3式期末 [239年 垂仁99年]
廻間I式4段階≒ホケノ山古墳。
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。[景行]
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)≒250年
纏向4類(前)
纏向4類(中)
纏向4類(後)箸中山(最初の大王)・燈籠山、布留0の指標、[261年 景行没]
成務 262〜265年(基本的に57年の空白)  仲哀 266〜274年
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。[274年神功渡海]
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
考古: 纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、兵の引き上げ [313年仁徳元年]
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
361日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:56:05.15
>>356

邪馬台国八幡平説なんか、はるか昔に論破されて、木端微塵だぞ。
そろそろ夜勤に行く時間だろ?もう二度とここに来るなよ。
362日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:57:05.33
>>359

バーカ。お前の説も、所詮、詐欺だよ。
363唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 22:57:16.61
>いいか、唯一の史料は魏志倭人伝しかないんだ。

北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

謂之倭奴國… 其國亂...歴年無主。有女子名卑彌呼,國人共立為王。
だから、九州倭奴国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。
晋書 正始元年 東倭重譚納貢。

東倭とは、倭奴国に対する言い回しであり、統一倭国を大倭と表記する魏書。
南に至邪馬臺國,即倭王所都。は、東に書換えねばならない。
歴年無主。←3世紀初めの前原王墓を最後とする。←考古学のいう巻向年代と整合した数字である。
考古学はさらに、3世紀半ばに畿内庄内式土器が北部九州に持込まれる、とする。
次の時代、布留式期には、半島の土器やカマドと共存する。~功渡海はこの時代である。

そうであれば、南に至邪馬臺國,即倭王所都。は、東に書換えねばならない。その証拠として
晋書 正始元年 東倭重譚納貢。がある。
倭奴國(女王国)=西の倭に対する東倭=東の倭(邪馬台国=大和)である。
畿内庄内式土器の年代を新しくすると、前原王墓も新しくなる。
これでは、倭奴國に歴年無主の時空が無くなり、女王卑弥呼の共立まで無くなる。
そして、倭奴國王が存在してしまい、文献との整合性が得られなくなる。
364日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:58:26.05
資治通鑑もあるけどな。
365日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:00:43.42
旧唐書をもっと嫁
366夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 23:00:58.09
「混一彊理歴代国都之図」を捜し出した古地図専門家の先生は畿内説だったよな。
南を東と読む、というだけではご都合主義過ぎる。
そこで何とかこれを正当化することは出来ないかであの地図にたどりついた。
これは評価すべきで、これで魏志倭人伝の方位の謎は解明出来たわけだ。
畿内説も何とか魏志倭人伝で矛盾がないようにしたい苦心惨憺の賜物だ。
つまり、魏志倭人伝を無視したら畿内説も成立しない。
この先生はそれがわかっていたから必死に研究したわけよ。

ここの連中は「魏志倭人伝なんかどうでもいい」連中だけか?
367太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 23:02:02.41
天津神算木とは崇神紀の三輪山の説話の三輪(半径r=3の円)の球化の
体積=表面積 の数式をいう。(景行紀ではない。)
天津神算木(天津金木)

 4πr**3/3=113.0973355292・・・ (**はベキ)

大祓祝詞に曰く(大中臣のニセ編年撲滅の下命文)
 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて

 3≠113.097335=113.◎97B350

左辺と中辺から

 B.C.3113年 9月7日 マヤ文明元年 始原日

右辺〇数字◎Bは数的にミワ(三輪)と読む。その中
に B.C.97年 崇神即位元年 の通説年代がある。

この真の年代は右辺の〇数字の両脇の数列 113 350
から、その差にて求まるのである。すなわち


350−113=237年=崇神即位元年(実年代)=景初元年


を得る。大中臣の宣言により、インチキ年代たる188年
を祓いに祓って、日本古神道の真の年代が顕現される。
毒書秀魔電はイカサマたるお助け年代の景行世をことさら極超誇張をして
賛美するただのオッサンの編書を〜ペテンでのカリスマ化を狙う大妄想を
組み立てに至らしめる危険な史想の要警戒書であり、各々方はこの書に
厳しく用心せねばいけない。崇神没年=188年 を祓いに祓って、わが
神州をこの188年イカサマ説から防衛する。
368伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/19(月) 23:02:54.73
はいはい。九州説など言ってる馬鹿からみれば
畿内説は詐欺に見えるんだろうねww

てゆーかいまだに邪馬台国論争などしてるのはここくらいで
学会ではもうしてないから。とっくに畿内でほぼ決着してるよ。
古田武彦や高島忠平とかそのへんの痛い奴らが九州説をいまだに
主張してるくらいで、相手にもされてないから実質邪馬台国論争は
終わってる。
369日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:05:05.66
畿内に邪馬台国が有ろうとも
九州にはヤマト国が有った、しかも神武天皇の実家が有った
370自演厨撲滅委員会:2011/12/19(月) 23:05:13.71
>>366

>魏志倭人伝を無視したら畿内説も成立しない。

それって、自分の脳内で否定してるだけで、何の論証にもなってないよw
現在の畿内説は倭人伝を「無視」してるのでは無い、それに頼らないと言うことだ。
オマエさんの「マイルール」には合わせようが無いなwww
371日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:06:03.62
奈良や京都の先祖は九州だからw
372日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:07:50.50
そして九州の祖先は半島
373太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/19(月) 23:08:01.77
>成務262〜265年(基本的に57年の空白)←↓57年分の空年の形跡は無い。
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が尊廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立
成務60年 成務天皇 崩御
374日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:10:35.51
>>372
全然違いますw
半島人は基本的に海が嫌いです
縄文人は沖縄から富山、アムール川、さらには八丈島まで交易していました
半島人は海が怖い民族ですw
375自演厨撲滅委員会:2011/12/19(月) 23:11:48.74
自演クン、レスポンスが下がったな。
先に落ちるぞ、オマエもたいがいにして寝なよw
376日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:12:08.31
朝鮮人は今も泳ぎが嫌いw
377日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:14:51.26
尿は爆殺されたみたいだな
378夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 23:14:57.76
>>370
それに頼らない、というのは「整合しないところは無視する」と同義だな。
出鱈目な皇室史観と限定的考古学調査だけで畿内説か。

後代の書を参考にするのも結構だがね、魏志倭人伝に整合しない地では
畿内説はいつまで経っても有力候補地から抜け出せないぜ。
379日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:15:53.28
詐欺の畿内説がウジャウジャ湧いたと思ったら、
新潟八幡平トンデモ馬鹿まで出てきたよ。
馬鹿同士が、とっとと討死にしてくれますように。
380夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 23:19:06.75
>>375
自演君って俺のことを言ってるのか ワラ
糞頭、魏志倭人伝は嫌いみたいだねえ。
嫌わなきゃ畿内説は成り立たないからな。
381日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:21:43.21
自演如にジョーカー、湧いてる奴ってのはよく似てるもんだなw
382日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:29:22.14
>>378

> それに頼らない、というのは「整合しないところは無視する」と同義だな。

目糞に鼻糞呼ばわりされてるみたいだなw

オマエの
>(5)魏の地理感は「混一彊理歴代国都之図」的なもので、それを踏まえて方位は見るべき。

東の倭種のことをスカしてんのに気がつまねーのかW
383夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 23:31:06.66
俺は昼間寝たし、明日はオフだからね。
とはいっても、そろそろにするか。

ここの連中はやたらと古代天皇を基準に話したがるが初代から13代までは間違いなく捏造だ。
これ、全部「直子継承」なのよ。つまり父から子へだ。
15代応神以降は兄弟継承が圧倒する。
歴史的信憑性が高まるのはここからだ。これ歴史学の常識な。

天皇家は万世一系ではない。
だから日本書紀で万世一系を創作しなければならなかった。
古代天皇を基準に何か話すことの馬鹿さを知れ。

寝るか。

384日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:31:53.63
>>356
夢幻如さんよ、
仮に畿内説が魏志倭人伝によって成立しているとしよう。

投馬国を推定するよな。
そこから「水行十日陸行一月」の行先は、理論上、無限にあり得るだろ。

ところが、実際は、それらを一切無視して、全論者が大和盆地で一致してるわけよ。
つまり、極論すると、魏志倭人伝の行程・里程は無視なの。
大和という結論が先にあるわけ。極論すると、魏志倭人伝は必要ないの。
385唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/19(月) 23:33:27.92
>嫌わなきゃ畿内説は成り立たないからな。

倭人伝の登場人物を特定してあげたろ?
しかも考古学や文献とも整合する。つまり歴史の真実とできる。

4世紀の古墳が山形に存在するのは、景行による魏の屯倉手法を持ち込んだためだ。
魏の屯倉手法とは、領土の領有を認める代わりに兵役の義務を負う。
274年の神功渡海とは、晋の冊封体制参加であり、兵を半島に駐留させる。
これにより、神功49年(323年)半島占拠も可能となる。

369年神功52年=七支刀ではこの出来事は否定される=神功52年は369年ではない証拠である。


386日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:35:27.02
>>384

> 極論すると、魏志倭人伝は必要ないの。

いや、「邪馬台国」と言う文字列を存在させるために文献は必要だ。
387日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:41:24.17
自演尿は、考古ネタに分け入って自爆する愚は思いとどまったようだ。
アソコがアレな遺作と違って、己の限界を弁えてるつーことだなw
388日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:44:58.43
>>386
いや、実はそれも「後漢書」からとったんだな、これが。
魏志倭人伝の原本は「邪馬壹国」(岩波文庫参照のこと)
389日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:45:23.13
>>387

文献でも老眼翁に噛みつかれっぱなしで反撃できてないし、
もう、畿内説には絡んでこれないだろうな。
390日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:46:39.95
>>388

だから「文献」と幅広く書いている。
391夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/19(月) 23:47:10.78
>>384
投馬国を比定した場合、そこから「水行十日陸行一月」の地は無限ではない。
限定された地域になる。そこには機内はどうやったって入らない。

>大和という結論が先にあるわけ。極論すると、魏志倭人伝は必要ないの。

そういうことだ。それを引き出したかった ワラ

>>385
登場人物は特定できない。
考古学は限定された情報しか得られない。景行は架空天皇。

まあいいや、明日だ。

392日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:52:09.62
>>391

>そういうことだ。

だから過去スレを読んでこい!って。
最初から、そう言われてたじゃんwww
393日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:55:43.93

>>そういうことだ。それを引き出したかった ワラ

こいつはホントに何も知らずにここへ乗り込んできたんだな。
無知って凄いって言うか、或る意味、幸せって言うか・・・
394日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:58:46.49
夢幻如=ねちねち君=19歳=69歳=名無しその他

一人で何役も一日中書いている気違い 正体は近江厨
395唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/20(火) 00:08:34.81
>投馬国を比定した場合、

投馬国は2つの港の意味がある(宮崎説)
洞海湾がそれにあたり、
巴、鞆、早鞆の瀬戸が代表となる。洞海湾から陸を南行すれば、瀬戸内である。
穴門には、日本武尊が関与するまで、素通りできない勢力が存在した。
このような勢力が複数あれば、海または、陸のみの旅行は困難である。
陸行10日、海上30日で畿内大和もありうる。
396ローガン:2011/12/20(火) 00:11:13.15
>>391:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>投馬国を比定した場合、そこから「水行十日陸行一月」の地は無限ではない。限定された地域になる。そこには機内はどうやったって入らない。

それ、逆。畿内説なんだから、畿内へ至る地域のどこかが投馬国。推定は可能なれど、資料皆無なので根拠無し。
君が云う所の富山にしたって、音を頼りにした所で、トヤマなんて倭名抄にすら出てこない。まあ、わかっていると思うけどね。
だいたい「投馬国は〇〇だ!」って主張する方がおかしい。ゆえ、「どこだ?」という設問自体が駄目。
397日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:24:33.71
学問以前の、ゴロ合わせはやめましょう!

  詐欺の畿内説→ヤマト=ヤマ台

  馬鹿の八幡平説→ヤマタイ=八マンタイ
398日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:26:18.73
畿内説>>>>>【超えられない壁】>自演尿>>>九州説軍団(遺作、犬国、ド民、サイキバ)
399日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:27:25.24
祭器場=サイキバ
400日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:27:30.42
↑ 詐欺指数w
401日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:28:10.94
サイキバ=サギキナイセツバカ
402日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:31:03.67
売り奈良畿内説って、△鏡、箸墓、年輪、桃の種など、
詐欺ばかりやっていて、何が楽しいんですか?

あ、八幡平馬鹿には聞いていませんので、念のため。
403日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:34:35.44
邪馬台国が畿内に有ったとしても
天皇は九州から来てる事に変わりはないw
404日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:34:38.72
ここでサイキバを弄るのが楽しい。
405日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:35:07.24
夢幻如=ねちねち君=19歳=69歳=名無しその他

一人で何役も一日中書いている気違い 正体は近江厨
406日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:39:31.70


朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作していた。
捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。
>>866
14時以降に何が起きたんだ

>>866
Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP
e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ
f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社

これが規制されたからじゃねw

−「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」−
これはおそらく週刊誌さえ書けない。
「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ

407日本@名無史さん:2011/12/20(火) 02:20:55.55
読売新聞なんか、代々トップがCIAの工作員。朝日やフジサンケイ、NHKなども同様で、何を今さら?
408日本@名無史さん:2011/12/20(火) 06:38:46.60
>>391
>>324は無視?
409日本@名無史さん:2011/12/20(火) 09:36:09.59
>>401

サ=サギ

キ=キナイセツ
バ=バカ

「イ」が対応してませんよサイキバ君w


410奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 09:49:17.46
卑弥呼は九州奴国の女王です。
近畿に移ったのは壱与からです。
411日本@名無史さん:2011/12/20(火) 10:13:51.81
卑弥呼は邪馬台国の女王です。
壱与も邪馬台国の女王です。
距離が韓国の三倍もあるような倭種の国の近畿なんかへ移ったりはしてません。
移る理由なんて無いです。
412日本@名無史さん:2011/12/20(火) 10:36:17.26
>>411
記紀ぐらい読めよw
理由をはっきりと語っているからw
413奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 10:39:16.41
庄内式土器が全国に出回るのが3世紀半ばなので
この時に新女王壱与を中心とした畿内王権に一元化されたとみるべきです。
魏志倭人伝の世界は卑弥呼時代をベースに書かれたものなので
九州主体の記述になってるだけです。
414奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 10:42:56.35
旁国の最後に奴国があるのが不思議だとみんな疑わなかったんですか?
だって奴国は2万戸の奴国として一回登場させてるでしょ。
つまり旁国の最後にくる奴国が女王国であることを示しているわけです。
つまり奴国=女王国の南に狗奴国があるので熊襲で間違いないでしょう。
415奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 10:51:33.81
さらに補強材料として提示すると鉄の量は
3世紀半ばまで圧倒的に九州優位です。
しかし3世紀半ば以降は畿内を始めとして
東日本にいっきに広まります。
なので2世紀末に畿内を中心に卑弥呼を共立し、
畿内に一元化されたとするのは早計です。
魏志倭人伝との整合性を考慮すると、
卑弥呼時代は九州の奴国を中心とした連合国家だったとみるべきです。
416奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 10:58:54.36
神武の東遷というのも壱与と崇神が奴国から畿内に移ったことを
言っているのでしょう。崇神のみまきいりひこも渡来系の名前ですし、
半島から渡来した一族の可能性が高い。元から畿内にいた一族ではない。
なので欠史8代とかほとんど詳細な記述がないわけです。
実質壱与と崇神から大和朝廷がスタートしてるのでね。
417奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 11:05:05.90
三角縁神獣鏡も九州からはほとんど出ないのも、
九州から畿内に移ったためと考えればすべてつじつまが合う。
畿内に移った際に、壱与の権威の象徴として各豪族に分与したものでしょう。
なので三角縁神獣鏡は3世紀末以降の古墳からしか出てこないわけです。
418奴国女王卑弥呼:2011/12/20(火) 11:10:02.55
なので箸墓は卑弥呼ではなく壱与の墓でしょう。
なので3世紀後半に作られたものでいいでしょう。
このような巨大古墳が作られるようになったことこそ
この時期に畿内に王権が一元化されたために国力が増強したためと
考えられます。


反対意見はありますか?ありませんよね?w
419日本@名無史さん:2011/12/20(火) 11:32:35.02
夢幻如の主張は鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」の受け売り
420日本@名無史さん:2011/12/20(火) 12:13:00.84
サ=サギ
イ=インチキ
キ=キナイセツ
バ=バカ

421日本一正直な論客:2011/12/20(火) 12:14:10.91
>>320
>伊作は今日も来ないじゃないかwもう二度と来ないかもな。
>ちょっとやりすぎたか。さすがにこてんぱんにしちゃったしなw

雲助と「ごまのはえ」が我がものツラで跋扈。
氏育ちのいい天才は、お近づきになりたくないから、敬遠してるだけだ。
品も知性もない枝葉攻撃で薄っぺらく勝利宣言したがる「安もの」が。
俺の景初2年の証明は緻密かつ多岐にわたる。
あらゆる角度からの検証がみな、景初2年という結論へむかっているのだ。
おかしな解釈をしてまで部分的につっこんで論破した気になってるが・笑止だぜ。

従来は「景初3年の朝献は新帝斉王芳への表敬としても理屈に合う」などと、
とんでもない歴史知らず論で景初3年説を唱えてきた。
だが、これが歴史の常識だ。

@「服喪中の天子に朝見はかなわず」。
宮廷内でも表だった行動を制限していた喪中の皇帝が、外来の使者に接見することはない。
(文句があるなら中国王朝儀礼をそのまま踏襲している宮内庁に入って確認してこい)。
斉王芳の景初3年の動向。
1月、斉王芳即位。 
  この1年間を喪に服すこととして、建造中の宮殿の工事を中止。
2月、西域から燃えない木の樹皮でつくった火浣布を献上してきた。
  大将軍の曹爽と大尉の司馬懿に命じて百官に披露した。
7月、はじめて朝会に出席して諸公・諸臣の前に姿を見せる。
12月、景初暦を通常暦(夏暦)に戻すよう命令をくだす。
景初3年の1年間を喪に服していた斉王芳は公務を最小限にとどめている。
公式の場に出たのは7月の朝会だけである。
422日本@名無史さん:2011/12/20(火) 12:14:46.43
つづきだ・ほれ。
A「服喪中の天子に朝見・朝貢はせず」。
先帝の服喪中にある皇帝に、朝献・朝貢の使者を派遣するなどという儀礼知らずはいない。
この年は外来の朝献・朝貢は2月の西域からだけだが、
明帝が急死する以前に西域を出立した使者だと思われる。
(明帝の急死を知らなかった)。
斉王芳は、彼らが献上した火浣布の実効実験を曹爽と司馬懿に命じているが、
斉王芳自身がこの実験に立ち会った形跡すらない。

B景初3年鏡はいつ造られたのか
景初3年説でいえば、景初3年の12月に卑弥呼に鏡を贈ることが宣下されて詔書が書かれた。
では、卑弥呼に贈るために特注製作されたという景初3年鏡はいつ製作されたのか。
・景初3年12月というわけか?  
・倭国の使者が帯方郡の役所に飛び込む以前の5月丙午か?
景初3年説が、へたなマンガ以下の歴史解釈で成り立っていることがわかったろう。
423日本一正直な論客:2011/12/20(火) 12:48:00.13
ねちねち「ごまのはえ」。

お前がもっぱら攻撃しているのは、東夷伝序文のおかしな表現部分に関してだな。
それは、東夷伝ですら年月を定かにできていないところだ。
だからこそ、てきるかぎりの資料に基づいて検証しなければならない。

もともと曖昧表現でなるところを、この天才は、
緻密な分析・検証と軍事行動上の常識などで明らかにした。
東夷伝自身が年月を明らかにできていない曖昧な記録を、
何の検証もせず採用して強弁を張るだけで、
この天才の説を論破した気になってるとは片腹痛いぜ。

ここで問題となるのは、
お前のように「曖昧な記録を何の検証もなく採用する」のと、
俺の「周辺状況や軍事行動上の常識などによる総合的検証」と、
どっちが検証ごととして正しいかだ。
な。そもそも手順と手法の次元が違いすぎるだろ。

安もの。俺がマジな議論相手にしないのだ。格の違いとうものを知れ。
424日本@名無史さん:2011/12/20(火) 12:59:39.09
奴国女王卑弥呼。
自演如の別ハンが、また一つ増えたなw
425日本@名無史さん:2011/12/20(火) 13:02:59.45
>>396 :ローガンさん
>>391:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>>投馬国を比定した場合、そこから「水行十日陸行一月」の地は無限ではない。限定された地域になる。そこには機内はどうやったって入らない。

>それ、逆。畿内説なんだから、畿内へ至る地域のどこかが投馬国。推定は可能なれど、資料皆無なので根拠無し。
「南至投馬國水行二十日」と「南至邪馬壹【臺】國・・・水行十日陸行一月」の「至」の起点は、同じで「末廬國」。
「其北岸狗邪韓國」から「末廬國」迄は三千余里。
「水行二十日」が距離換算かのうなら、投馬國はピンポイントで決定出来るだろう。
426日本一正直な論客:2011/12/20(火) 13:05:16.15
今回の「ねちねち・ごまのはえ」不当な部分批判については、
もともと不明確な記録部分を天才の眼力で分析・検証した部分であって、
にわかには「どう」と断定できない部分を確かに孕んでいる。
「ごまのはえ」がつついているのはこの曖昧な記録に関する天才の検証の部分だ。
それよりも、多角的な検証によって「確かに2年だった」とする証拠を幾つも提示している。
だが、ここではとても書ききれない。
この件に関して確認した者は、天才のサイトを読むよう。もう一度サイトを提示する。

「景初2年の証明」
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/88313e06be0d5adedf5686528bda41f8
以下3ページ、合計4ページにわたって展開している。
427日本一正直な論客:2011/12/20(火) 13:29:30.56
ローガンくん。

中平刀について質問。
ごまのはえが、中平刀は公孫氏が後漢朝から拝領したものを、
「お下がり」よろしく卑弥呼に与えたとか・見てきたようなことをいってたが、
中平刀が列島から出たことに関して本当のところはどうなんだい?
428夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 15:12:27.09
>>419
ビンゴ!その通り。ただしパクリ、受け売りじゃない。
俺は20年以上、邪馬台国に関する色んな本を読んできた。
でもずっとすっきりするものがなかったわけよ。みな「結論先にありき」だ。
必ずコジツケが入ってくる。
「混一彊理歴代国都之図」の存在を知ってから、かなり自分なりの方向性が定まった。
観察記述についての伊都国を境にする点も自分で整理がついてきていた。
この時に暇つぶしに手にした本が「邪馬台国はどこですか」だ。
本格的な書ではない。歴史推理の娯楽短編小説だ。
だが、自分が整理してきたものと見事に合致して驚いたね。とくに「富山」
まあしかし受け売りではないぜ。
あの本には俺が論じてきた観察記述についても、中華思想についても触れてない。
三国志成立を背景にした記述の単純さにも触れていない。
パクったのは「八幡平」だ。
富山は俺自身が地名から見当をつけて仮比定していたが(だから驚き、引き込まれた)
東北の内陸部については、それ以上仮の比定も出来ていなかったところに「八幡平」だ。
お、これでいいじゃん、だったわけよ ワラ
仮の比定地だから、別にそこにこだわる必要はないんだが
「日本海側のどこか」「東北の内陸部」では漠然としすぎで自分でも考えが進まない。
説明もしにくい。それだけの理由で仮に比定している。

魏志倭人伝を無理なく読み解けば、誰でもこういう結論になるわけよ。
429日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:15:58.83
↑ お前は「八幡平先にありき」なわけだがw
430日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:18:24.07
>魏志倭人伝を無理なく読み解けば

邪馬台国は温暖で、冬にも生菜を食べる地域だから、
寒冷な東北だけは有り得ませんね。
431日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:25:00.94
>この時に新女王壱与を中心とした畿内王権に一元化されたとみるべきです。

見方が間違っています。

>旁国の最後に奴国があるのが不思議だとみんな疑わなかったんですか?

最後だから特別な意味があるわけではありません。

>だって奴国は2万戸の奴国として一回登場させてるでしょ。

戸数道里可略載の奴国と
遠絶不可得詳のなこくは
別の奴国です。

>つまり旁国の最後にくる奴国が女王国であることを示しているわけです。

女王国とは邪馬台国くのこと。

>つまり奴国=女王国の南に狗奴国があるので熊襲で間違いないでしょう。

遠絶不可得詳の奴国は博多湾岸。
数道里可略載の奴国は伊都国と不弥国の間にあり、
その奴国の南に投馬国、邪馬台国があります。
狗奴国=熊襲があるのはその南。

>箸墓は卑弥呼ではなく壱与の墓でしょう。

思い違いです。
432日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:27:14.49
国民に罵声を浴びせられ駅前交番に逃げ込むアカヒ新聞の取材班 12/19正午 新橋駅前 
http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/111219_124643_ed.jpg
        ,:'  .l .::;',. :::;/..://:: /,':/  ', l、 .i  ヽ
.          ,'  ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/   ',.ト',_|, , ',.',
       ,'   .::::::!'''l/!:;'/ /'゙  /     '! ゙;:|:、.|、| 'l
.         ,'.  .:::::::{ l'.l/  、_  _,.      'l/',|.';|
       l  :::::::::::';、ヾ      ̄     `‐-‐'/! ';. '
.         ! :::::::::::/ `‐、        ゝ   |'゙ |
       | ::::::::/   \    、_, _.,.,_ ノ::: !  野田政権が早く終わりますように
       |::::/.     _rl`': 、_     ///;ト,゙;:::::./
..      `´      /\\  `i;┬:////゙l゙l ヾ/
                ,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l  / !.|
.            /:.:.:.:\:.:.:.:.`:、ソ/:.:|    | |   19日の報道ステーション
           /.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:У:.:;l     http://livedoor.blogimg.jp/kingcurtis/imgs/e/d/ed2dbc66.jpg  


433夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 15:34:22.91
>>408
倭人伝での使い分けが陳寿の気まぐれというならレスするが。

あと、ごちゃごちゃ九州説。
倭人伝冒頭の国、行程紹介で使者が伊都国までしか行ってないのは明らかだ。
これで九州説は成り立たない。
うるせえから黙れ。
434日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:39:23.57
鯨統一郎の推理小説は、別な板でやってください。
435日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:41:18.81
倭地温暖、冬夏食生菜。皆徒跣。→東北、あり得ない!
436日本@名無史さん:2011/12/20(火) 15:45:08.41
>>433
なぜ至と到を混用しているのか、理由は解らんが、
>Aを出発しBとCに立ち寄り、目的地Dに着いた。
>BとCは途中経過の「〜まで行く」だから「至」Dは目的地だから「到」
では、絶対にないという証拠だろ。
437夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 15:57:00.30
>>395
なんで投馬国が北九州になるんだよ?呆れるな。
どこから「水行二十日」したら洞海湾になるわけ?

>陸行10日、海上30日で畿内大和もありうる。

倭人伝のどこに「陸行十日水行三十日」なんてあるんでしょうね。

>>396
結論ありきで物事を見るのは学問じゃねえぜ。思い込みだ ワラ
結論が先だからすべてがコジツケになる。
で、コジツケられないものは検証不能で片付ける。馬鹿の所業だ。

>君が云う所の富山にしたって、音を頼りにした所で、トヤマなんて倭名抄にすら出てこない

富山は仮の比定だと何回言えば理解できるのかな?
投馬国は北九州より日本海側の水行二十日の地点。アバウトだがそこしかない。
そこからどう「水行十日陸行一月」しても畿内は圏外になる。

「投馬国はわからないし、どうでもいい。だけど邪馬台国は畿内だ」
ガキの論法かよ ゲラ

438夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 16:09:10.28
>>435
それは倭国全体の話で邪馬台国限定ではない。
冬は一定期間厳しい天候だが、食物は生菜だったろうよ。
缶詰、加工食品、レトルトがあるわけじゃないんだからな ゲラ
ま、それは冗談だが根菜も葉物野菜も雪国ですら生で食べられるんだぜ。
越冬野菜といってな、新聞紙に来るんで雪の中に埋めておくんだ。
俺の家は新潟で実際これをやっていた。
古代人もそういう知恵は当然あったはずだ。
東北は中国や朝鮮半島北部に比べれば温暖だし冬以外は裸でさえ過ごせるだろ。
まして縄文、弥生期は平均気温で今より高かったという。

温暖をどうイメージするかだが、東北も一年を通せば温暖という表現をして間違いでもない。
冬厳しくて人もろくに住めない、あるいは住みにくい地なら
本州最北県に三内丸山遺跡は存在していない。
縄文時代に千年近くも継続して集団生活が可能だったのが東北の地だ。
これが弥生期に栄えていて何の不思議がある?
439日本@名無史さん:2011/12/20(火) 16:14:05.10
苦しいな
440夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 16:14:56.06
>>436
観察記述と併せて読めば混在の理由は明白。
「到」のみが「目的地に到着する」の意味だ。
441日本@名無史さん:2011/12/20(火) 16:18:18.44
當在會稽、東冶之東→東北だけはありえないね。
442日本@名無史さん:2011/12/20(火) 16:31:47.83
九州以外の説の人って、
倭人伝の風土や風俗の記載は九州だと内心は認めてしまってるところが辛い。
書いてある内容は九州だけど、邪馬台国は別の場所・・・
というのであれば、もう何処でも成り立つのでお好きにどうぞという感じですね。
443日本@名無史さん:2011/12/20(火) 16:43:13.98
>縄文時代に千年近くも継続して集団生活が可能だったのが東北の地だ。
>これが弥生期に栄えていて何の不思議がある?

それに関しては否定しません。
東北にも畿内にもそれ相応の文明があったでしょう。
もしかしたら九州よりも強大な王国があったかもしれません。
がそれでも、魏志倭人伝が記載した、魏と交流のある土地でないことは明らかです。
まずそこから始めましょう。
444夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 17:09:52.96
堂々巡りだな アキレ

>>441
「混一〜」的地理感の中国人から見たら、会稽東冶の東で正解じゃないか。
東北を含む倭国全体が正に「会稽東冶の東」になる。
日本列島を九州を基点に南に伸びるのが倭国という認識だったんだからな。

>>442
北九州が大陸の玄関口だ。大陸人が一番多く訪れたのも九州だろう。
風土、風俗は九州中心のもので間違いないと思うが、それだけだ。
倭地温暖、冬夏食生菜。皆徒跣。
「混一〜」的地理間なら実際には北へ行くほど南と思い込む。
この地理感では九州が倭国最北になるんだ。
九州でこの気候なら倭国全体はもっと温暖と思うのは当然だ。

九州は倭国の玄関口だが邪馬台国はなかった。
使者が伊都国までしか行っていないことが明らかなことから、論破済み。

>>443
>がそれでも、魏志倭人伝が記載した、魏と交流のある土地でないことは明らかです。

なぜ明らかなの?理由がないよ。


445日本@名無史さん:2011/12/20(火) 17:26:06.06
>>440
そんなもん言語じゃない
446日本@名無史さん:2011/12/20(火) 17:33:40.29
>>444 夢 如
幻 幻
如 夢
447夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 18:29:04.05
邪馬台国比定のポイントは投馬国なんだよ。
ここから「水行十日陸行一月」なんだからね。

畿内説は後代の書やまったく信用が置けない日本書紀の古代記載やら
(日本書紀の歴史的信用度が出てくるのは応神以降だ)で
「畿内のはず」と決めつけているが
間違いなら魏志倭人伝の国、行程紹介での邪馬台国が畿内である説明はつくはずだ。
方位の「南は東」はそれでいい。距離の問題だねえ。
ここにもちゃんと説明がつかなくてはならない。
「そんなの関係ない」では通らないぜ。
448日本@名無史さん:2011/12/20(火) 18:31:02.00
伊都国の南に位置、奴國が女王の境界の尽くる所、南に狗奴國有り、
男子は皆黥面文身、蚕桑、鉄鏃、馬無し、温暖にして冬に夏生菜を食す、
死するや棺有れども槨無く土を封じてツカを作る、大いにチョウを作る〜径百余歩、
女王國より以北に一大率、女王國の東〜海を渡る千余里〜また國あり〜皆倭種なり。

とこれだけの記述を一切して無視して成り立つ説って何なの?
位置も風俗も古墳も全て九州としか読み取れない。
畿内説の人が探してるのは、邪馬台国じゃなくてヤマト国ですよね?
魏志倭人伝とか全然興味無いんですよね?正直に言ってください。
鉄は国の支配や発展に必須ではないというような書き込みも目立ちましたが、
そういう問題じゃなくて、倭人伝に鉄を使ったと書いてあるから、鉄の出土が必須なんです。
数字に関しては測定法が発達してないから間違いがあっても仕方ないと思うけど、
上記の記述に全く合わない大遺跡が幾ら発掘されても何の意味もないでしょう。
449日本@名無史さん:2011/12/20(火) 18:34:06.32
>>448

まったく同感!
それらを全部否定するなら、南極でも北極でも、
世界中どこでもOKになっちゃうよ。
450日本@名無史さん:2011/12/20(火) 18:44:29.88
じゃあ卑弥呼の時代はヤマトは存在しなかったんだな?
神武天皇は九州から来たと言ってるぞ
451日本@名無史さん:2011/12/20(火) 18:46:39.06
いいや、神武は在来豪族を倒しているから、畿内が無人というわけではなかった。
ただしその当時、畿内にヤマト地名があったという証拠はない。
452ローガン:2011/12/20(火) 18:46:54.97
>>425
>「水行二十日」が距離換算かのうなら、投馬國はピンポイントで決定出来るだろう。

まあ上で、あーは書いたものの翰苑引用廣志から考えると、別資料混在の可能性あるのでね。
しかし久しぶりですね。河童さん?

>>427:日本一正直な論客
>中平刀は公孫氏が後漢朝から拝領したものを、「お下がり」よろしく卑弥呼に与えたとか・見てきたようなことをいってたが、

手元に資料無いので記憶で書くと、後漢で紀年銘のある大刀は、4例か5例。全て叙爵のあった年。中平の叙爵は公孫氏。

>中平刀が列島から出たことに関して本当のところはどうなんだい?

ちょっと古い資料で恐縮ですが…
「弥生時代の素環頭大刀が前原上町、平原遺跡出土の二口を除くと、大方は内反り傾向を示す。…そして古墳中期以降、ほとんど反りの無い直刀となる」(今尾文昭1982)
中平刀は、弥生時代の素環頭大刀で、環頭を取り替え大切に伝世し、副葬された。 で良いんでない?

>>437:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>「投馬国はわからないし、どうでもいい。だけど邪馬台国は畿内だ」ガキの論法かよ 

そうそう。「ここだ!」なんて強弁した所で、よってたつ資料皆無だから、無意味。以下も、君が云う所のガキの論法に同じ。

>投馬国は北九州より日本海側の水行二十日の地点。アバウトだがそこしかない。

453夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 20:07:37.76
>>448
それ全部、説明がつくんだが。やろうか。

>伊都国の南に位置、奴國が女王の境界の尽くる所、南に狗奴國有り、


倭人伝の国、行程紹介で「奴国」は二回出てくる。
邪馬台国以遠の諸国は、北九州から投馬国、邪馬台国に到って
そこから北九州への逆行になる。そこで「奴国」に戻る。その南に狗奴國だろ。
二行目、三行目は風土だから地理は関係ない。

>女王國より以北に一大率、女王國の東〜海を渡る千余里〜また國あり〜皆倭種なり。

「混一〜」地理感では東北は南に位置するから一大率を置く伊都国は「女王國より以北」
「女王國の東」は東北の太平洋岸。これは地図どうり。
ここにある港からの先の話。

>鉄の出土が必須なんです

東北にも多数の山師がいた。金属を求めての存在だ。
鉄がないとは言えないね。

行程の時間表記は信頼に十分足りる。
454夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 20:08:23.09
>>448
それ全部、説明がつくんだが。やろうか。

>伊都国の南に位置、奴國が女王の境界の尽くる所、南に狗奴國有り、


倭人伝の国、行程紹介で「奴国」は二回出てくる。
邪馬台国以遠の諸国は、北九州から投馬国、邪馬台国に到って
そこから北九州への逆行になる。そこで「奴国」に戻る。その南に狗奴國だろ。
二行目、三行目は風土だから地理は関係ない。

>女王國より以北に一大率、女王國の東〜海を渡る千余里〜また國あり〜皆倭種なり。

「混一〜」地理感では東北は南に位置するから一大率を置く伊都国は「女王國より以北」
「女王國の東」は東北の太平洋岸。これは地図どうり。
ここにある港からの先の話。

>鉄の出土が必須なんです

東北にも多数の山師がいた。金属を求めての存在だ。
鉄がないとは言えないね。

行程の時間表記は信頼に十分足りる。
455日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:12:43.62
夢氏はしきりに魏使は伊都国までしか来ていないと言っているが、ここが氏の
間違いの発端である。皇帝の命令を受けた魏使達は必ずその命令のとおり邪馬
台国まで来て、卑弥呼女王に謁見して帰国した。そうしなければ皇帝の命令に
背いたことになって帰国後ただちに処刑されたはずだ。しかし魏の歴史書には
そのような記事は無い。
456夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/20(火) 20:13:54.73
あらら連書きになっている。どっかボタン押してしまったか。

>>452
無意味じゃないね。
投馬国は日本海側、水行二十日のどこかだからね。
457日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:41:41.05
× 魏使=行程記事提供者
○ 魏使≠行程記事提供者
458日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:46:28.52
推論は推論に過ぎないンだから余りムキになるなよ
459日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:49:22.67
>>455
北史倭国伝 には「卑彌呼始遣使朝貢。魏主假金印紫綬」と書いてあるよ
あと使者は帯方郡に命じたんであって
倭国訪問後に中央政府までわざわざ帰国して報告に行くとも思えない
報告書でも送ったんでないかな
460日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:54:26.71
まあ、倭地温暖、冬夏食生菜っていうんだから、
馬鹿以外は、東北や北陸を除外すべきだろう。

あ、馬鹿は南極でも一向にかまいませんからね>無限尿
461あらため だよん:2011/12/20(火) 20:57:52.71
>>427 日本一正直な論客
>ローガンくん。中平刀について質問。
>ごまのはえが、中平刀は公孫氏が後漢朝から拝領したものを、
>「お下がり」よろしく卑弥呼に与えたとか・見てきたようなことをいってたが、
>中平刀が列島から出たことに関して本当のところはどうなんだい?

>>452 ローガン
>手元に資料無いので記憶で書くと、後漢で紀年銘のある大刀は、4例か5例。全て叙爵のあった年。中平の叙爵は公孫氏。
>「弥生時代の素環頭大刀が前原上町、平原遺跡出土の二口を除くと、大方は内反り傾向を示す。…そして古墳中期以降、ほとんど反りの無い直刀となる」(今尾文昭1982)
>中平刀は、弥生時代の素環頭大刀で、環頭を取り替え大切に伝世し、副葬された。 で良いんでない?

いいネタが出てるじゃん〜なんでみんなスルーするかなw
これについて、私も詳しいことは知らん。ローガンさんが何か知ってそうなので聞こう!w
462日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:05:11.07
>あらため

△鏡が、卑弥呼の魏製舶載鏡だなんて妄想しているローガンの言説を、
君は本当に聴きたいと思うの?
463あらため だよん:2011/12/20(火) 21:09:56.20
>>452
>しかし久しぶりですね。河童さん?

ローガンさんは「まぼろし」を見てるようでw
彼は、もう去った人だよ(出会いがあり、別れが来る)。
464日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:28:31.72
なんであらためドツボは去らないのか?
465あらため だよん:2011/12/20(火) 21:29:48.68
>>462
金関恕 監修「卑弥呼誕生」が今、手元にあるんですが、
それのP52~53に中平紀年大刀について書かれてて、
そこには、この時代の

「鉄刀に紀年銘を入れたものは二例しか報告されてない」

又、「中平・初平年間の卑弥呼の遣使は遼東の公孫氏に行き手を阻まれ、公孫度は、
自らの工房で作らせたこの刀を、倭の使いに与えて同盟を結んだのではないだろうか」

と載ってるので、ローガンさんの言ってることと食い違いがあり、
どこから知り得た情報なのか聞きたいんですよ。
466あらため だよん:2011/12/20(火) 21:32:55.88
>>464
>なんであらためドツボは去らないのか?

あれ~私より河童さんの方が良いのぉーー?><
467日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:35:00.53
ドツボは食えないけど、プラムは食えるし
468伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 21:37:16.18
邪馬台国邪馬台国と毎日つまらんやつらだ。
さんま御殿とか見たりしないのかと。今面白いのに。

>伊作
数日間現れず反論考えてたあげくがそれかよw
結局遼東情勢に関しては反論不能だから話題そらして
宮中儀礼にもっていきたいわけだなw
そのおまえの生命線の服喪中の天子に朝見・朝貢はせずってやつも
もう崩れてるよ。少帝はまだ子供だから摂政二人が対応すれば
問題ない。プロの専門家にも確認取り、これが学会のコンセンサスだと言う
お墨付きも貰ったし。おまえみたいに宮中儀礼もちだして
そういう反論してくるやつがたまにいるらしいが学会では相手にもしてないとさw
邪馬台国東遷説とかと同レベルってことだww
つーか学会では景初2年説などとってるのは古田武彦くらいだとさww
やっぱり俺の考えがほぼ正しいとその専門家の方も言ってたよ。
司馬との戦闘中に朝貢するわけないとさ。
469あらため だよん:2011/12/20(火) 21:38:02.37
>>270 >>289 太国さん

何があらため殿だw
分かったから、さっさと向かって行けよw
470日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:40:30.83
>>465
ローガンはソース出さずにガンガン喋り始めると、
自説に都合の良いようにシラッと嘘を混ぜ込んで、
話をややこしくし反論が来ないような状態にしておいて、
「自説が孤高に論証できた」かのように装うのさ。
471伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 21:44:40.98
>伊作
つーかおまえは苦しくなったら学者がこう言ってたというのを
根拠にする癖をやめろよ。ほんと小汚い爺だw
一方では学者の言ってる畿内説など馬鹿げてるというくせにさ。
一貫性が全くないんだよ。
あとは景初3年銘鏡がいつ作られたかか。それは難升米らが
洛陽に着いてから作るように命じたから景初3年の後半でいいだろう。
5月丙午ってのは吉日のことで、実際に作られた日のことじゃない。
証拠に福知山の景初4年銘鏡の三角縁盤龍鏡も同じく5月丙午だ。
しかし景初4年の5月などありえないことは知ってるだろう。
景初4年の1月は実質存在したからこの時期に作られたとみて間違いないだろう。
472日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:46:05.56
>>468
司馬懿が攻めると決まった時点で、公孫淵の負けは誰にでもわかったんだよ。
無茶な屁理屈はやめておけ。
473あらため だよん:2011/12/20(火) 21:51:44.56
>>462
>△鏡が、卑弥呼の魏製舶載鏡だなんて妄想しているローガンの言説を、
>君は本当に聴きたいと思うの?

んんん?ローガンさんに限らず、各遺跡の博物館でも周ってくることだね。
博物館で展示されている、三角縁神獣鏡の紹介には、ちゃんと「舶載鏡」て記載されてるでしょうに〜ぃ?
君等は、他人を批判する前に自分たちのスキルを高めるとかの努力は一切しなぃのかw
474伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 21:53:50.06
>伊作
よくみたらまだあったなw
>>423は何を言ってるんだ?遼東情勢では
反論不能だから人格攻撃に出てるだけかw
情けないもんだ。負けたと思ったなら素直に負けを認めろ、
いい歳してみっともないw
次は中平刀の話題か?それはおまえの間違いだらけの解法スレのほうにも
書いておいたが、これも論破できなきゃおまえの説は成立しないぞ。
公孫度が遼東大守に任ぜられたときに後漢王朝から下賜されたものだぞ。
たしかに考古学関連の本に学者がそう書いてたからほぼ間違いない。
誤った情報をを学者がわざわざ本に書いたりはしないだろう。
つまり204年に帯方郡を公孫氏が設置し、韓と倭が郡に属すと
文献にあるとおり、このとき倭国は公孫氏政権に従属したということだ。
そのとき倭国が公孫氏に使者を送った時に、貰った刀でほぼ間違いない。
それが奈良からでるってことはやはり邪馬台国は畿内の可能性大ということだ。
ついでに画文帯神獣鏡も3世紀初頭の鏡だから公孫氏から貰ったものだろう。
これは国産鏡ではなく中国や朝鮮からも出土するから。
画文の分布状況見ても九州はないことがわかるだろう。
つまりおまえの熊本説は崩壊、郡からの総日程説も崩壊と
ドミノ倒しで全部間違いだということが証明されてしまったわけだww
475あらため だよん:2011/12/20(火) 21:57:53.54
>>474
>公孫度が遼東大守に任ぜられたときに後漢王朝から下賜されたものだぞ。
>たしかに考古学関連の本に学者がそう書いてたからほぼ間違いない。

私の>>465をみなされ。
金関 恕氏は「公孫度は、自らの工房で作らせたこの刀を」て言ってますが?
476伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 22:01:54.83
中平刀がまさに伊作を切り刻んでしまったということさw
公孫氏から卑弥呼が貰ったものの可能性大だし、
そうすると倭国は公孫氏滅亡まで公孫氏政権に属してたという証拠だ。
文献ではすでにその証拠はあるし、考古学的にも証明されたわけだ。
まあ画文でほぼわかってたことだけどねw
もっといえば司馬が公孫淵攻めたときは倭国は公孫淵の燕国の一員だったということだ。
そんな中どさくさにまぎれて魏に朝貢などすると思うか?
とんでもない二重外交だろうがwwつまり景初2年説も間違いだ。
わかりきってたことだが。
477伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 22:12:14.65
景初3年の終わりから正始元年の前半にかけて
三角縁神獣鏡の初期作が作られ卑弥呼に下賜されたわけだが、
作る日数が少なかったために、初期作では紋様の配置とかが
めちゃくちゃらしいw
478伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/20(火) 22:23:13.22
>>475
俺が読んだ本には、公孫度が遼東大守に任ぜられたときに
後漢朝からもらったものとちゃんと書いてあったぞ。
なんつう題名の本か忘れてしまったし、図書館の本だから
手元にはないが、たしか考古学者の書いた本だと思った。
素人の書いたもんじゃないよ。

伊作もサイト早く書き直せよwサイトはまだ書き直せるから許せるが、
半端な知識で本など出して金詐取するなよww
まさに生兵法は怪我の元で、頭悪い素人風情が本など出すから
こうやって恥かくはめになるんだよww

さて今日はこのへんで。定年退職した糞爺どもとは違い
こちらは忙しいわ。伊作やその他爺どもはまた反論あるなら書いとけ。
479日本@名無史さん:2011/12/20(火) 22:50:18.28
>>473

>君等は、他人を批判する前に自分たちのスキルを高めるとかの努力は一切しなぃのかw

君はそれがインチキだって、いまだに気づかないの?もう少し、頭を使ったほうがいいと思うよw
480あらため だよん:2011/12/20(火) 22:51:26.49
中平刀に関して、

中平の叙爵は公孫氏なんて誰が言い出したんでしょうね?
これは初めて聞く・・・

>>478
>なんつう題名の本か忘れてしまったし、図書館の本だから
>手元にはないが、たしか考古学者の書いた本だと思った。

よく思い出して下さいなw

ていうか、誰かここをみてる人でこれについて知ってる人はいないんでしょうかね?
481日本@名無史さん:2011/12/20(火) 22:54:35.29
482あらため だよん:2011/12/20(火) 22:54:39.36
>>479
だから、どうして博物館に展示されてるものがインチキだって思ったの?
君の頭の中で「これはインチキだ!」判断した理由て言うか、
ただ単に君の感想文でw 博物館に展示されてるものを覆すなんて考えてたらいかんょw
君の頭の中はどうなってるんだね?君しか分からないんで、説明宜しく〜w
483あらため だよん:2011/12/20(火) 22:59:13.90
おまえら〜出典はどこだああああああああああああああああ?

適当にに語られても困るし・・・・

私は>>465で出典をだしてるでしょ

>金関恕 監修「卑弥呼誕生」P52~53

て書いてるでしょ?こんなふうに!
484日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:00:35.60
>>482

うん、教科書にもバンバン嘘が書いてあるのは、君も知ってるよね。
博物館で聴いてきてごらん。
「従来の通説ではこういうことになっておりまして」しか言わないからw
485日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:02:09.15
>>482

で君は、根拠なく「△鏡は卑弥呼の魏鏡」だと断定してるわけねw
486あらため だよん:2011/12/20(火) 23:04:45.97
>>484
教科書は「新しい発見」によって書き換えられることはたまにあると思う。

しかし、
>教科書にもバンバン嘘が書いてあるのは、君も知ってるよね。

ていうのは分からん。
何を「根拠」にして、「ウソが書いてる!」て思ったの?
教科書に載ってることは、何かしらの根拠をもとに書いてるんであって
全てが、「ウソ」とは思わないよ。
487あらため だよん:2011/12/20(火) 23:07:23.84
>>485

誰が「△鏡は卑弥呼の魏鏡」なんて言ったんだね?
あんた等〜話飛びすぎだって〜おれは「幼児」と話してるのかな?wwwww
488日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:07:35.87
聖徳太子の話とかだろ
489日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:09:07.01

 《これが分かると、古代史が見えてくる》

・畿内説は詐欺だった
・詐欺だから総合力では負けるので、1点突破で勝負しようと狙った
・畿内説を言い張るために、△鏡を卑弥呼の魏鏡と言い出した
・畿内説を言い張るために、箸墓を卑弥呼の墓だと言い出した
・畿内説を言い張るために、密室で年輪を操作して年代判定を誤魔化した
・畿内説を言い張るために、畿内説のお手盛り土器編年を操作した
・畿内説を言い張るために、桃の種すら卑弥呼の証拠と言い張った
490日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:12:38.13
>>486

博物館の説明は、絶対的真実ではなく、仮の説明です、って学芸員さんはみな言うよ。
教科書の内容も、同じようにふらふらしてるんだよ。百年経っても、それじゃ生徒のままだよw
491あらため だよん:2011/12/20(火) 23:17:22.73
>>490
だから根拠は?て聞いてるでしょ・・・・疲れるな〜><
何を「元」に君の頭でそう判断したんだね?
ただ単に君の頭の中の憶測でそう物事を考えて、そう判断し、ここに投稿してるんであって
何かしらの「出典」や「証拠」はないんだろう?
492日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:26:28.63
>>491

ははは、「ものの考え方」という話をしてるんだよ。
博物館に書いてあるから、教科書に載っているから正しい、って判断しちゃう
君の考え方自体が間違っているんだよ、と認識してもらうのが第一だ。
493あらため だよん:2011/12/20(火) 23:29:25.54
>中平刀に関して、
>中平の叙爵は公孫氏なんて誰が言い出したんでしょうね?

についてだが、チトググってみたらローガンさんが別の掲示板で何やら話してるようですな。
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_tree_r_2308.html

ローガンさんにお聞きしたいのは、
「中平の叙爵は公孫氏」という情報源はどこなんでしょうね?
494ローガン:2011/12/20(火) 23:47:02.16
>>480:あらため だよん
>中平刀に関して、中平の叙爵は公孫氏なんて誰が言い出したんでしょうね?これは初めて聞く・・・

あはは。金関氏の講演ですよ。故佐原先生の基調講演が、秀逸。 放送大学でも流されたもの。トリが金関先生。
先のレス、記憶違いがあるかもしれないので、もいちどビデオを見てみましょう。
495あらため だよん:2011/12/21(水) 00:06:36.06
>記憶違いがあるかもしれないので、もいちどビデオを見てみましょう。

そうして下さいw

ローガンさんは、
「シラッと嘘を混ぜ込んで、話をややこしくする」て噂だしww
496日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:14:38.06
wikipediaより

東大寺山古墳(とうだいじやまこふん)は、奈良県天理市に所在する古墳時代前期中葉にあたる
4世紀後半頃に築造された前方後円墳である。副葬品の中に、24文字を金象嵌で表し、
「中平」の紀年銘を持つ鉄刀があった。

規模・形状・埋葬施設 [編集]

規模・形状は推定140メートルの前方後円墳で墳丘には円筒埴輪を巡らす。
築造時期は4世紀後半ごろ。 後円部の埋葬施設の主体部は、墳丘主軸に
平行する木棺を覆った粘土槨があり、長さ推定9.4メートルの及ぶ大規模なもので、
主要部分は盗掘を受けていた。

副葬品 [編集]

粘土槨の東西に墓壙が掘られ、豊富な武器や武具が副葬されていた。その東側の墓壙
(粘土槨)から「中平」[1]の年号を持つ刀が出土した。 鉄刀20本、鉄剣9本などの武器類のほか、
玉類、腕輪形石製品、滑石製のつぼなどが出土している。

「中平」銘鉄刀を含む5本の装飾環頭付きの鉄刀(大刀)の環頭は、
様々な意匠を表している。基本的には楽浪の石巌里(せきがんり)の古墳で出土しているような
環の中に三葉形を入れた三葉環である。三葉環の鉄刀は、福岡市の若八幡宮古墳(4世紀)
から出土している。

鉄刀の中には、家形の環頭(かんとう)をつけた刀もあり、奈良県河合町の佐味田宝塚古墳出土
の家屋文鏡の鏡背に表された家屋と形体が類似している。

497あらため だよん:2011/12/21(水) 00:16:15.24
△鏡に関しては、私もローガンさんと同じで
魏製舶載鏡が混じってるという考えでいる。

各遺跡や、博物ヵンを周ってきた感想をいいますと、
やっぱり博物館で「舶載鏡」というプレートが付いてるものと「ボウ製鏡」といわれるものを
見比べてみると、明らかに違う。 

なんか〜ボウ製鏡ていうのは、みなさん御存じでしょうが、
「あんなの要らないよ」ていうか、子供が大人の真似して作ったような品物のようですよね。
498日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:17:48.68
「中平」銘刀 [編集]

24文字を金象嵌で表した長さ110センチメートルの鉄刀一本が出土した。
鉄刀の刀身の銘文は「吉祥句」を用い、

「中平□□(年)五月丙午造作文(支)刀百練清剛上応星宿□□□□(下避不祥)」

と記されていた。内容は「中平□年五月丙午の日、銘文を入れた刀を造った。
よく鍛えられた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では禍を避けることができる」という意味である。

中平とは後漢の霊帝の年号で、184〜189年を指し、「倭国乱」(『魏志』倭人伝)「倭国大乱」(宋書)
が終結した時期、2世紀の末である。中平銘紀年刀は「倭国乱」終結後、後漢王朝から下賜された
ものであると考えられている。この鉄刀がいつどこで入手され、本古墳に副葬されたのかは分からない。しかし、
この地の人たちが中国の後漢と通交があったのではなかろうかと考えることができる。

鉄刀に着けられていた環頭は鳥文飾りであり、刀身は内反りしていて、日本の前期古墳に特有の直刀とは違い、
中平の年号が示すように中国(後漢)製である。

花形飾環頭大刀 [編集]

棺外東側の被覆粘土中から出土した刀・槍郡の一振で、環頭飾り部分と鉄刀本体部分は別々に造られたもの
である。環頭部分は青銅の鋳造品で、環頭の外側に様々な装飾を施し、そのデザインは直弧文を刻んだ
環の中に三葉文を置き、上端に花形飾りを付ける。その横に角形の突起を一対、鳥形の飾りを一対付ける。
このような飾りの環頭大刀が三点出土しており、そのうちの1点が「中平」鉄刀である。[2]
499日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:19:18.12
>>497

それを根拠として「畿内説が証明された」と思ってる?
500日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:25:40.91
中平というのは後漢の元号。西暦184年〜189年だから、ちょうど倭国の大乱の時期になる。
東大寺山古墳とは明らかに時代が異なる。

古い刀が新しい古墳に納められたのか、それとも新しい刀に古い元号が付けられたのか。

以前は、三角縁神獣鏡に刻まれた年号との関係で問題が多いところだったんだろうな。
501日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:28:31.34
だれでもググれるwikipediaだが、
基本情報というものは共有してこそ価値がある。

基本情報を共有しない論争に価値はない。
502あらため だよん:2011/12/21(水) 00:28:33.31
>>499
なんだ、私と△鏡に関しての議論がしたいのかな?
まあいいが・・・・△鏡にしろ、画文帯にしろ、年号の有る「キネン銘鏡」てあるでしょ?
それの分布に関しては、私がいまここで説明するまでもなく、みなさん御存じだろうと思うが、
それをみても分かる通り、近畿を中心として出土しているという事実がある。

「卑弥呼の鏡」というのは魏の皇帝から下賜された物ですから、おそらく魏の年号が入ってるものだろうと・・・
それが出土した場所が、おそらくは邪馬台国じゃないかと思うのです。
503日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:37:10.17
>>502

ううん、違うよ。
君と△鏡の議論しても、君の答えは「教科書通り」って言うだけだからね。
3世紀のはずの△鏡が、4世紀以降の古墳からしか出てこない、なんてことは、
「教科書に書いてないから知りません」でいいよね。
504日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:38:01.89
200年ほどの時をえて副葬されたのか、
いわゆる吉祥句として、後世の鉄刀に掘りこまれたか。
505あらため だよん:2011/12/21(水) 00:50:24.76
倭人伝の文に「邪馬壹(臺)國、女王之所都、水行十日、陸行一月」とあると思うんだが

「水行十日、陸行一月」

この「一月」ていうのを距離にすると、
大体、九州か〜近畿にさしかかるぐらいていわれてるんですよ。

誰かさんも言ってたと思うが、「邪馬臺國」というのは、もともと「ヤマト」と呼ばれていたんですが、
最近になって皇国史観から天皇中心に、万世一系の天皇家が
外国の中華人民共和国に対して朝献なんかするはずがない!という思想をもとに
本来は「ヤマト」読まれてたのに対して、ワザと「ヤマタイコク」と呼べと言いますか、
そういう経緯があって、現在我々はヤマタイコクと呼ぶようになってる。
506あらため だよん:2011/12/21(水) 00:55:56.68
>>503

卑弥呼の墓である「徑百餘歩」相当の墓が
九州にはな〜いんですよ。

おそらくは近畿の古墳でしょうかね?
507日本@名無史さん:2011/12/21(水) 00:59:34.61
なるほど、邪馬台国とは、ヤマト国ということが、よくわかりました。

508日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:09:18.57
>「卑弥呼の鏡」というのは魏の皇帝から下賜された物ですから、おそらく魏の年号が入ってるものだろうと・・・
それが出土した場所が、おそらくは邪馬台国じゃないかと思うのです。

東京軒と言う店があったら、
そこが間違いなく東京と確定するならそんな馬鹿な理屈もあるかも。

いくら魏の年号が入っていても
魏で作られた痕跡が皆無の鏡を魏鏡と断定するだけでも馬鹿であるが
その疑わしい根拠をもとに
「それが出土した場所が、邪馬台国」なんて話を進めるのは恥を知らない詐欺行為。
509日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:12:13.40
中平刀の議論はもう終わったのか?
510日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:17:46.52
中平刀については

環頭・・・国産であることに異論はない。日本独自の装飾。全ての学者が認める。
刀身・・・逆そり。同時出土した国産の刀と同じ。
文字の形式・・・日本式に変形した漢字というのが中国の学者の見解

つまり、刀は400年頃であり、文字の形象は日本式である。


    問題なのは文字だけが「中平年」に書かれたのかどうかである。


懸命な諸君はどう答える?

ちなみに畿内説は「中平年」に作られたと答えなければならない縛りがあるようだwwwwwww


511あらため だよん:2011/12/21(水) 01:17:47.06
ただ、私も魏の年号が入っているからと言って100%そこが邪馬台国だとは言いませんが、
半分以上、いや、95%以上の確率でそこが邪馬台国じゃなかろうか?と思ってるんです。

その残りの5%ぐらいの確率の部分を突っ込まれても困るというかw
挙げ足とりに没頭するんじゃなく、もっと真面目に邪馬台国問題を考えてみては如何だろうか。

今日はおしまい、もう寝る・・・・・・・・・・zzzz
512日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:20:51.27
>「水行十日、陸行一月」
この「一月」ていうのを距離にすると、
大体、九州か〜近畿にさしかかるぐらいていわれてるんですよ。

何処の馬の骨が判らないアホが言ったのまで事実になるなら
邪馬台国は日本中にあったことになる。
そんな不確かな物ではなく
邪馬台国は伊都国から千五百里しかないのが判っている。
これは
九州〜韓国の半分しかない。
韓国までの距離の三倍もある畿内へは絶対無理。
また
倭地は周旋可五千餘里しかないからせいぜい九州中北部程度。
近畿なんて問題外。

当てになる距離が書いてあるのに
それをことさら無視して
不確かな日数を根拠にするのが恥知らずの詐欺集団。
513日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:23:17.90
中平刀は、中平年間よりもずっと後に日本で作られたものだろう。
しかし、それを認めると、後世になって古い元号を入れる習慣が日本にあったことになる。
それでは、三角縁神獣鏡の年号が後世に入れられたことを認めることになり、景初などの三角縁神獣鏡の
元号が何の意味もないことになる。つまり、卑弥呼とは関係ないことになってしまう。

したがって、中平刀も中平年間に作られた刀にされてしまったということだろう。
514日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:24:00.73
>おそらく魏の年号が入ってるものだろうと・・・
それが出土した場所が、おそらくは邪馬台国じゃないかと思うのです。
>ただ、私も魏の年号が入っているからと言って100%そこが邪馬台国だとは言いませんが、

いくら誤魔化しても根拠にして畿内説を確定させようとしている詐欺師です。
515日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:27:27.60
>卑弥呼の墓である「徑百餘歩」相当の墓が
九州にはな〜いんですよ。

卑弥呼の墓が無ければ
いくらたくさんの墓があっても無意味です。
それくらいの事も判らないのですか?

それとも卑弥呼の墓があるとでも言うのですか、
あると言うならどの墓ですかね、
516日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:29:38.57
>げ足とりに没頭するんじゃなく、もっと真面目に邪馬台国問題を考えてみては如何だろうか。

根拠にできないものを根拠にする貴方の頓珍漢を指摘するのは揚げ足取りとは言いません。
詐欺を暴いているだけです。
517日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:31:56.84

在日の戦略にひっかかり、全ての間違いが始まった2009年 夏
        |:::::::::::::;;;ノ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |::::::::::( 」 < 民主になればこの世はバラ色、政権交代!
        ノノノ ヽ_l   \______________
       ,,-┴―┴- 、    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| | 在 反 | '、/\ / /     
     / `./| | 日 日  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      |   ┬    |それでも懲りない日本人、韓国民団総理支持率35%w早く目を醒まそう!
518日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:45:27.25
>半分以上、いや、95%以上の確率でそこが邪馬台国じゃなかろうか?と思ってるんです。
その残りの5%ぐらいの確率の部分を突っ込まれても困るというかw

魏で作られた痕跡が皆無の△鏡を
卑弥呼が魏からもらった可能性は95%以上の確率どころか
5%もありませんね。
519518:2011/12/21(水) 01:47:21.61
いくら魏と言えども無い袖は振れませんからね。
520日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:56:26.59
裏飯屋〜
521日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:59:59.35
邪馬台国はヤマトじゃないなんて話をしても、根拠が無い以上無意味だよ。
522518:2011/12/21(水) 02:07:05.28
>邪馬台国はヤマトじゃないなんて話をしても、根拠が無い以上無意味だよ。


方角
距離
自女王国以北其戸数道里可略載其餘旁國遠絶不可得詳
自郡至女王國萬二千?里
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南
連周旋可五千餘里
自女王國以北特置一大率檢察諸國
その他

これで根拠が無いと言うのは
証拠を証拠と認めない詐欺師だけ。
523日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:15:00.53
>>513
中平刀を出土した東大寺山古墳は発掘から半世紀を経ても報告書が出されなかった。
これは異常なことである。

なぜか。
当初は中平刀の環頭が国産であるという当たり前のことを認めることもはばかられたから。。
これを認めれば、この刀は国産と考えるのが当然だろう。
今でもこの事実に触れない著書の方が多数を占める。
しかも同じ環頭の刀があと2本出土しているので中平刀だけが舶載というのは無理がある。

刀は鎌のように内側に反っている。これも舶載とすることが困難な事情になる。
だから全体の報告書が書けなかった。
他の多数の刀との比較では中平刀が舶載などとは到底無理がある。

近年に東大寺山古墳ではなく、中平刀だけの報告書が出されたのはこの事情による。
中平刀の刀身だけが舶載というグロテスクな報告書である。


524日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:17:18.58
公開されず、密室で行われている年輪年代判定で、畿内説が支持されている。
なんで、非公開・密室研究なんでしょうか?
525日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:21:35.71
方法論自体は密室でもなんでもない。
誰もが知っていることで

別にその理論は奈文研のオリジナルでもなんでもないわけだが
526日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:25:02.55
>>518 恨み節

で、『魏で作られた痕跡がある鏡』とは一体どんな物なのかな?
527日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:46:15.59
>>525
う〜ん、国内の年輪判定は外国で確立された理論通りにいかないし、
同じ地域にある木の年輪同士でも、1本の木の年輪同士ですら、
年代の同期がかなり難しいのに、どうして密室研究のままで、
畿内説の根拠になっているんだろう?
528日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:50:40.09
>なんで、非公開・密室研究なんでしょうか?

だって詐欺の手口がばれてしまうでしょ。
いや、これは冗談ではなくホントの事ですよ。
歴○の白○石教授、春○教授達のことです。
529日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:53:27.71
>>527 恨み節

相変わらず
「年輪年代法によって年代遡上が謀られた」
という脳内ストーリーか

お前の方が余程グロいわw





530日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:58:33.75
>>518 恨み節

だから『魏で作られた痕跡』と言うのを教えてくれ。

それが分かれば舶載/国産の論争にケリがつく。



531日本@名無史さん:2011/12/21(水) 03:17:54.50
>>503 恨み節
>4世紀以降の古墳からしか出てこない

これも根拠を聞いておこうかな?

鏡の年代は古墳の築造時期を知る為の手段であった筈だが
それに頼らず明確に年代が分かると言う根拠があるのかな?

大体、三角縁神獣鏡にもちいられている意匠で大陸で4世紀を待たねば登場しない…と言う物がない
それどころか3世紀中に絶えている物が見られる(福永あたりを参照

無論百年以上前の様式がリバイバルヒットの如く流行した…という可能性もあるが
以前、老眼あたりとも議論になったが三角縁神獣鏡を編年すれば
大陸での変遷をトレースしている様子が浮き出てくる。

イッパツヒットならともかく大陸のものを追っているとなればタイムラグを挟んで製造副葬されたと見るが妥当。
そのタイムラグもいくらなんでも百年はないだろうと。

まあ製作地論争とは別に年代は3世紀でほぼ収束。
更に三角縁神獣鏡に先行する画文帯神獣鏡をも4世紀とするというのは
邪馬台国東遷のスケジュールに都合が悪い連中が必死に唱えてるぐらいのものか?w




532日本@名無史さん:2011/12/21(水) 03:36:08.08
三世紀に作られたはずの△鏡が出てきた古墳を三世紀とし、
三世紀の古墳から出てきたからその△鏡は三世紀のものとする。

さすが、詐欺の考える循環論法って、すごいですね!
533日本@名無史さん:2011/12/21(水) 03:47:42.26
>>532
三角縁神獣鏡を3世紀と考える妥当性については述べた。

循環論法はお前らゴミクズレベル九州説だ阿呆。
534夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:02:58.73
またガキの喧嘩になってやがる アキレ
目に付いたものだけに片っ端から

>>455
何回も同じことを言わすな。しかし何回でも言ってやるがな。
魏志倭人伝の国、行程紹介のものは魏の正使のものではない。
お前が言う理由に対しては
中華思想からいきなり金印持たせた正史を送るはずがなく
先遣調査は常識だと論じている。
ここに反論することも出来ずに「間違いの発端」などとは片腹痛いわ。

>>460
温暖についても語ったばかり。反論できないなら馬鹿は黙れ。

>あ、馬鹿は南極でも一向にかまいませんからね>無限尿

魏志倭人伝が示す投馬国も邪馬台国もごく限られた地域に限定される。
どこでもいい訳がないだろうが、馬鹿頭。
その「ごく限られた地域」には九州も畿内も絶対に入らない。
535夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:17:25.02
ここはどうでみいい話なんだが、笑ってしまったのでレスしておこう。

>>471>ねちねち受け売り小僧
>>伊作
 つーかおまえは苦しくなったら学者がこう言ってたというのを
 根拠にする癖をやめろよ。ほんと小汚い爺だw

こりゃなんだ? ゲラ
お前伊作にこうやって噛み付いてるが、それはお前のことだろ 爆ゲラ

>>468
>プロの専門家にも確認取り、これが学会のコンセンサスだと言う
 お墨付きも貰ったし。
>>474
>たしかに考古学関連の本に学者がそう書いてたからほぼ間違いない。
 誤った情報をを学者がわざわざ本に書いたりはしないだろう。
>>478
>たしか考古学者の書いた本だと思った。

俺がお前をなぜ「受け売り小僧」と言うか、これでよくわかるだろ ワラ
俺を早々と回避した伊作などどうでもいいが、お前は伊作を笑えねえよ。
お前は>>455と同じことを言ってきたが、俺の説明には以後反論できないままだ。
これも忘れんなよ プ
536夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:24:31.96
>>489
これを出してるお前は九州説なんだろうが、九州説は論破した。
お前が覆すか プ
ま、それはおいておくとして、その羅列は満更でもない。

「邪馬台国は畿内と決まっているんだから」という結論先にありきの畿内説論者は
少なからずそういうコジツケを繰り返している。
色んな事象から結論を導くという方法を放棄し、結論に事象を無理やり合わせようとする。
その羅列の全部が全部を「そうだ」とは言えないが
畿内説論者の醜さはよく表していると思うぞ。
537夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:46:41.95
>>505
ここに一番力点を置いて書こうかね。

>「水行十日、陸行一月」
 この「一月」ていうのを距離にすると、
 大体、九州か〜近畿にさしかかるぐらいていわれてるんですよ。

倭人伝の国、行程紹介でポイントになるのは投馬国だと言った。
お前のこのレスはなんだ?「水行二十日」の投馬国がすっぽり抜けている。
放射説を言いたいのかな。これがないことも論じたし、反論は出ていない。
さらに「水行十日陸行一月」の中でさえ「水行十日」を無視している。
さすが ”結論先にありき” の糞畿内論者だな。
こういうのをな、ご都合主義というんだ、馬鹿タレ。
次、「ヤマト」だが、これは違うね。
538夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:50:19.99
>「邪馬臺國」というのは、もともと「ヤマト」と呼ばれていたんですが

>本来は「ヤマト」読まれてたのに対して、ワザと「ヤマタイコク」と呼べと言いますか、
 そういう経緯があって、現在我々はヤマタイコクと呼ぶようになってる。

邪馬台国は音読みの当て字であることは当然だな。
中華思想から、わざわざ「邪」という酷い意味の文字を選んで当て字にしてある。
(前に言ったが「台」を当て字にする大ミスも犯してしてしまってもいるが)
これは「ヤマト」と発音したものを聞いて、それに当て字したのか?違うだろうね。
「ヤマト」は字数にすれば3文字だ。「ヤマタイ」は4文字。
中国語発音でも「台」は一文字発音にはならない。
邪馬台国は「ヤマタイ」そのままか、それにほぼ近い読み方の四文字国名だろう。

邪馬台国は「ヤマト」ではない。
539夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 07:53:29.35
あと中平刀、△鏡は例によって比定には直接関係ない話。
年代も含め適当にチンチンカモカモやってな。
540日本@名無史さん:2011/12/21(水) 08:40:24.43
>>538
臺与はなんて読むの?
タイヨ?
541夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 09:10:05.68
台(臺)はカタカナ表記なら「タァイ」と小さな「ァ」が入るくらいな音になる。
まあ普通に「タイヨ」じゃないかな。
542夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 09:37:44.37
おっと、肝心なのを飛ばすところだった。

>>512
>当てになる距離が書いてあるのに
 それをことさら無視して
 不確かな日数を根拠にするのが恥知らずの詐欺集団。

お前は九州説なんだな。既に論破してある。
使者は伊都国までしか行っていないとした俺の論を崩してからほざけ。
ま、それはそれ。
倭人伝の距離表記で信用に値するのは時間表記のみで里程表記はあてにならない。
これも、もう何回も話した。
しつこく、しつこく徹底して何回も繰り返そうか。



543日本@名無史さん:2011/12/21(水) 09:38:22.65
>>508
>魏で作られた痕跡が皆無の鏡を魏鏡と断定するだけでも馬鹿であるが

それはいいんだけど、魏で作られた痕跡のある鏡とやらを明示してくれよ
そしたら、それが卑弥呼の鏡の可能性があるわけで・・・
いくらなんでも、卑弥呼に100枚も下賜したんだから、日本でも中国でも
1枚も出土していないとは思っていないんだろ
544伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 09:49:06.13
伊作の反論はまだないようだなw
今度は一体何日待てばいいのやらww

△鏡がすべて国産とかまだそんなこと言ってるのかww
それについてはもう何度も説明しただろうに。
舶載鏡が4段階、倣製鏡が2段階にわかれ、段階的に
△鏡の様式が変化しており、313年の楽浪郡滅亡により
大陸とのルートが遮断されたために舶載鏡が手に入らなくなったことから
国産の倣製鏡が製造されるようになったんだよ。これは△鏡に限ったことじゃなく
他の鏡も同じ流れ。もちろん卑弥呼が下賜された鏡の中に
舶載鏡初期段階の△鏡もちゃんと含まれてるよ。景初3年銘入りの鏡がそれだ。
545夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 09:54:24.15
まず「里」が実際に何メートルを指すのか誰にもわからない。
中国では王朝が交代すればこの単位も変わったという。
魏志の中でも「長里」的なもの「短里」的なものが混在する。
はっきり言って一理が何メートルか「わけわからん」のが実情だ。
尺貫法から単純に何メートルなんて出てくるものじゃないし
「わけわからん」から勝手解釈が何通りも出てくる。
「水行十日陸行一月」は千里だ、などという暴論までまかり通る。

次に、仮に一理が何メートルか確定したとしても意味がない。
測る術がないんだ。里程は目測、勘でしか言われていない。つまり「あてずっぽう」だ。
「混一〜」地図を、あれは歳差理論で書かれたものだと馬鹿言ってきた奴だと思うが
星宿図から正確に距離は出せると言ってきた者もいたがね。ありえねえんだよ。
対馬国や一大国で星宿図を起こし一辺千里の正方形がどうたらこうたら、が奴の説明だったが
こんな馬鹿なことをするはずがない。
航海でこのくらい時間をかけて進めば大体何里というのは経験的にわかっているはずだ。
たかだか一日にも満たない航海の距離はこれで十分わかる。
星宿図など起こして一々計算する馬鹿はいないし、そこまで正確に測る必要もない。
船乗りの「勘」で十分だ。で、里程ではこの「勘」がキモなのよ。
546日本@名無史さん:2011/12/21(水) 09:55:23.16
大体、4世紀になってから、数十年以上前のとっくに滅んだ魏王朝の年号を
日本国内でオリジナルで作るなんていう考えの方が、よっぽど馬鹿げているんだよ
模倣鏡に決まってるだろ
547伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 09:59:14.96
おいおい△鏡の次は中平刀まで国産言いだすのかよww
ならなぜ古墳時代に数百年前の後漢時代の年号など刀に入れたんだ?ww

これは△鏡についても同じこと。伊作のアホは呉の鏡職人が渡来して
3世紀末以降に国産したとかぬかしてやがったが、呉の鏡職人が
とっくに滅亡してるはずの魏の年号の景初だの正始だのを鏡に入れるわけがないww
その前に呉の鏡職人が渡来し定住し、工房開き鏡作った痕跡など微塵もないんだがなw
548伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:04:46.13
△鏡ばかりに気を取られてるようだが、画文帯神獣鏡に目を移せば
答えが見えてくるはずだ。この鏡は中国や朝鮮でも出土するから
国産ではありえない。2世紀末から3世紀前半にかけて大陸で作られたものだ。
それが日本からも出るってことは、舶載鏡として輸入されたってことだ。
しかし当時は楽浪郡帯方郡の二郡は公孫氏政権におさえられており、
画文帯神獣鏡を輸入できたとすれば公孫氏政権からしかないわけだ。
なので中平刀もこのとき公孫氏からもらったものだろう。
で鏡も刀も同じ近畿から出土してるんだし、邪馬台国の場所もおのずとわかるだろう。
549日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:09:24.32
鏡や刀は持ち運びが出来るので、そこから邪馬台国の位置を確定するのはダメですよ

550伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:15:35.99
夢幻は東北説で馬鹿馬鹿しいからスルーw

で鏡や刀が持ち運び可能だから云々ってのも、
邪馬台国の東遷がなければ九州説は成立しないってことだから、
ほぼ無理だろう。考古学的にみても東遷などまずない。
あったとしたら北九州の土器が突如大量に近畿で出土するとか
なんらかの動きがあるはずだし、現実は逆に近畿の庄内式土器が
この時期に九州を含め全国に出回るわけで、東遷などとは真逆だw
学会でも東遷説は話にならないと相手にしてないとさ。
551夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 10:17:29.27
「勘」である程度ならまあ正確に言える。
平坦な直線道路を一時間歩いたら、などならな。だが実際はこうはならない。

何回も最寄の駅までなどで例示した話だが、もう一回やろう。
A地点からB地点まで3、4時間かけて行ったとしよう。
途中何回も右左折があり、蛇行もあり、上り下りもあった。
B地点に着いた時にほぼ正確に自分が何Km歩いたかいえる人がいるだろうか?
万歩計でもあれば自分の一歩の歩幅から計算できるだろうが、何もなしでだ。
まず不可能だな。
しかしこれを無理やり何Kmで表現しようと思えば「あてずっぽう」しかない。
さらにA地点からB地点までの直線距離を言えと言われたら完全に不可能だろ。
そこを無理やりKmで言おうとするなら「超・あてずっぽう」になり、ほとんど「出鱈目」になる。
倭人伝に書かれてある距離はこの「勘」で表記されている。
一里が何メートルでも関係ない。400メートルだろうが500メートルだろうが
大雑把に「大体このくらいじゃないかなあ」程度のもので実測値ではない。
そして「勘」では遠距離になればなるほど「出鱈目」になる。
まして関心が薄い東夷の島国が対象だ。正確を期す必要性すら感じていないだろう。
「一万二千里、へえ遠いねえ」程度のものだ。
時間表記なら正確に誰でも言える。
A地点からB地点まで何Kmかはわからなくても「徒歩で3時間半でした」と言えるからな。

倭人伝での距離は時間表記のみ信用に値し、里程表記は当てにならない。
552夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 10:21:46.73
>>550
伊作にはスルーで逃げていると馬鹿にする奴が俺からスルー逃げね プ
お前の言い分に突っ込み返しているんだが、それにはグウの音も出ない、てか。
そりゃスルーしかないわな ワラ
受け売り小僧はこんなものだ。
553伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:25:02.80
こいつ自分が相手にされてないレベルなのもわかってないのかww
東北説言ってる頭いかれたやろうのくせにグゥの音もでないとか
そこまで頭いかれてるなら早く病院いけww
554日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:27:08.08
神原神社古墳 島根県 三角縁神獣鏡
魏・景初三年

和泉黄金塚古墳 大阪府 画文帯神獣鏡
魏・景初三年

広峯15号墳 京都府 斜縁盤龍鏡
魏・景初四年

? ? 斜縁盤龍鏡
魏・景初四年

柴崎蟹沢古墳 群馬県 三角縁神獣鏡
魏・正始元年

森尾古墳 兵庫県 三角縁神獣鏡
魏・正始元年

御家老屋敷古墳 山口県 三角縁神獣鏡
魏・正始元年

景初、正始の紀年鏡は奈良からは1枚も発掘されていない
555日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:27:57.61
>>547
古い中国の元号を入れる趣味が流行したんだろう。
かっこいいとか、古く見えて重厚さが出てくるとか。

鏡では「景初」や「正始」が話題になるが、「青龍」や「赤烏」、「元康」というのもある。
これに刀の「中平」が加われば、あの時代の元号がたくさん出てくる。
見つかっていないものや、盗掘されたものを含めれば相当の元号がある可能性がある。
魏だけでなく、呉や後漢・晋のものまである。
556日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:32:52.72
>古い中国の元号を入れる趣味が流行したんだろう。
>かっこいいとか、古く見えて重厚さが出てくるとか。

ここまで言うと、屁理屈そのものだなw
ところが、その趣味が流行とか言ってる割には、
紀年鏡はたったの13枚しか発掘されていないんだよな
すでに古代鏡は何百枚も発掘されているにもかかわらずねw
思い付きがバレバレw

557伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:34:41.83
>>555
名無しも伊作と同レベルで△鏡は国産だと思ってる馬鹿ばかりかww
何度も言うように呉の鏡職人が渡来し定住し長期に渡り
鏡製造した考古学的痕跡はないと言ってるのになぜそこまで
△鏡をはじめとした年号入り鏡はすべて国産と強弁するのか
意味不明だ。
558夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 10:36:12.94
>>549
その通り。核心を言うねえ ワラ

>>553
受け売り小僧、お前が伊作を馬鹿にした学者信奉そのものの馬鹿だと自覚できたか?
てめえで言った説明(>>455と同内容)を否定されてグウの音も出ないのを
「相手にしていない」と誤魔化すのはヘタレだからよ。

自分の発言に責任を持たない馬鹿はコテ張るな。
559伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:40:23.75
伊作の場合は都合のいいときだけ学者の意見を根拠にし
、通常時は学者など糞だというダブルスタンダード。
俺の場合は一貫して学者の意見も参考にしてるだけ。
俺もプロではないから素直にプロの意見には耳を傾ける。

さすがに東北説など話にならんこともわからんほどの馬鹿は
俺以外も相手にする気も起きんだだろうw
560日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:43:22.75
>>556
13枚も出ていれば十分すぎる。まだ発掘されていないものや盗掘されたものを含めると
相当な数になる可能性がある。

日本では鏡の質についてあまり議論されることがなかった。
これは太田南古墳から出土した青龍三年銘の方格規矩四神鏡だが、とても質が良いとは
言えない。

http://inoues.net/tango/gikyoootaminami.jpg
561夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 10:46:20.80
九州説は論破済だが、畿内説もアホばっか ワラ

北九州に投馬国があるだの
その投馬国すっとばし、さらに「水行十日陸行一月」の水行まですっとばし
九州から陸行一月は近畿にかかるとか
中国が「中国で作られたものではない」と断言する△鏡をことさら重大視したり
比定に無関係なところで九州説を否定さえすればどうにかなると思っていたり
(これは九州説論者も同じだがな)
魏志倭人伝より遥か後代の書や歴史的信用性では著しく劣る日本書紀の古代天皇を
ことさら特筆大書したり
挙げていけばキリがないわ。救えねえよ ワラ
562伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:52:23.15
年号を後の時代に入れたとかアホそのものw
昨日伊作にも言ったが福知山の景初4年銘△鏡も
こんな年号は後世からみればありえないわけで、
後世に年号入れたとか無知もいいとこw話にもならんよ。
563日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:52:50.46
>>560 続き

平原遺跡の方格規矩四神鏡は、長年中国製と言われてきたが、王仲殊氏から
「日本ではこんなものも中国製と言っているのですか?」と言われて、訂正された経緯がある。

質の面からの考察も必要だろうな。
564夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 10:53:16.64
>>559
お前は九州説を支持する学者先生の論も尊重するのか?しねえよな。
九州説学者もプロだぜ。
伊作がダブスタなら、お前もダブスタだ。
学者の意見を尊重するならフラットな立ち位置から両者を共に尊重しなくちゃならない。
畿内という結論先にあり気の奴は畿内説学者だけを尊重する。
馬鹿だからだ ゲラ
565日本@名無史さん:2011/12/21(水) 10:55:46.26
>>562
景初四年なんてのは、ずっと後だからありえるわけで、同じ時代というのがありえない。
そんな年号ないわけだから。
566伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 10:56:37.96
俺が参考にしてるのはあくまでも学者のコンセンサスだ。
特定個人の主観的な考えではない。

てか東北説がそんなに正しいと思うなら季刊邪馬台国にでも
投稿してみろってw説得力ある説なら採用されるはずだから。
採用されないなら相手にされてないってことだw
567伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 11:01:36.60
>>565
逆だよw同じ時代の人だからありうるんだよ。
景初4年は実質一か月だけ存在するんだよ。
明帝が景初3年の元旦に死んだから元旦を忌日にしたくないので、
景初3年12月を2回やってから年号を正始に替えたんだよ。
なので当時の人からみれば景初3年の13月を景初4年1月だと思ってたはずだ。
何十年も後の後世から俯瞰すれば暦上は景初4年などありえないから
こんな年号を銘に入れたりはしないよ。
568夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 11:08:19.39
東北説が「トンデモ」なら簡単に否定できるだろ。
出来るならやってみろ。

温暖については反論した。そこに再反論はない。
魏と交流が持てるはずがないとの突っ込みは、理由を質したが返答無し。
突飛だと思うくらいしか根拠なく、誰も否定など出来ないんだよ。
魏志倭人伝を「混一〜」地理感、中華思想、この書の成立過程などを踏まえて
読み解いていけば、邪馬台国は「東北の内陸部のどこか」しか指していない。
東北が弥生時代に栄えていたとして何ら不思議がないことも三内丸山遺跡などで説明した。

東北を否定できるものならやってみな。
俺は俺で九州同様に畿内説も論破してやる。
569伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 11:09:08.43
これでわかったか?
年号を後から入れたなどでたらめもいいとこだ。
年号はリアルタイムで入れられたものでほぼ間違いない。

まず△鏡国産という誤った考えから改めろ。
そのような浅はかな考えでは笑われるぞ。
景初3年銘△鏡は卑弥呼が下賜されたもので、
同范鏡理論で、邪馬台国は畿内でほぼ間違いない。
570伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 11:22:07.41
東北のアホやろうはさっさと消えろw
3世紀の時点で東北の国が南朝鮮や北九州をコントロールしてたわけないだろ。
東北が大和朝廷の傘下に入ったのは何百年先の話だよww
東北なら卑弥呼や壱与はだれだ?
7万戸約35万人が住んでた痕跡が東北にあるのか?
571日本一正直な論客:2011/12/21(水) 12:03:52.85
>>471
>学者がこう言ってたというのを根拠にする癖をやめろよ。ほんと小汚い爺だw
何を指していうのかは知らんが。
俺は邪馬台国を論じた学者の本は読まないし、その論説も信用しない。
俺が読むのは「客観的に解説した学者の本」で信用するのは「真摯な解説」だけだ。

>一方では学者の言ってる畿内説など馬鹿げてるというくせにさ。
お前の攻撃こそ半端知識のてんこ盛りで、かつ支離滅裂だ。
俺が信用しないのは、畿内説を唱える考古学者の意見だけだ。

●それからタイムリーな実例だタコ。
北の皇帝然とした金正日総書記が死去したが、
国をあげて喪中にある中、金正雲氏に後継者となった「祝いの使者」を派遣するか?
そんな礼儀知らずの外交をやって、あちらで喜んで受け入れてくれるか?
少しは世の中の常識というものをわきまえたからモノをいうことだな。

古代の中国王朝はもっと遥かに厳格に儀礼を重んじた。
ちまちまと勝手な解釈ならべてほざいてるが、この事実だけで2年説に決定だ。

「喪中にあって即位の披露目もしていない新帝に祝賀と表敬の使者を贈った」。
これがが、3年説を標榜する畿内説「権威」の意見だった。
ほれ。「信用できない畿内説学者」の見本みたいなもんだ。
さすがの権威も、天才の2年説の登場でいまでは笑い者だ。
572日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:05:18.12
ねちねち君は、なかなかだな
573日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:09:29.04
>>452 :ローガンさん
>>425
>>「水行二十日」が距離換算かのうなら、投馬國はピンポイントで決定出来るだろう。
>まあ上で、あーは書いたものの翰苑引用廣志から考えると、別資料混在の可能性あるのでね。
さすがですね。
「安イ妾西南海行一日 有伊邪分國 無布帛 以革爲衣 盖伊耶國也」
あたりかな。
此処での、「伊邪分國」が倭人伝の「投馬國」ではと試行錯誤中。

「安イ」は倭人伝の「末廬國」。「末廬國」が現下関なら「伊邪分國」≒投馬國は四国だね。

「自女王國以北特置一大率檢察諸國」の一国に「伊邪國」がある。
又、「伊耶國」は倭人伝の「狗奴國」。

>しかし久しぶりですね。河童さん?

 残念ながらわしは河童さんではありません。
 何度か河童さんと間違われましたが。
 2chの規制もとけて書き込みは出来る様になったようですが。
 めったに、出没しないようですね。

574日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:12:39.90
中平刀が年号通りに作られているとすれば、
200年後に埋葬されているということになるが、
それだと手擦れや磨り減りがありそうなものだが、
どうなんだろうかね?
575日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:15:31.19
>>567
景初四年という年はない。
倭人伝によると、梯儁が鏡百枚を持って日本にやってきたのは正始元年。
なのに、景初三年のもの、景初四年のもの、正始元年?のもの、はては
そのときの呉の元号である赤烏などが混在しているのは不可解ということになる。
普通はありえないな。
畿内説的にはありえるのだろうが。畿内説は何でもありだから。
576日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:33:35.73
>景初四年という年はない。

だったら、なんで後世の人が、そんなありもしない年号の鏡を作るんだよ?
577日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:36:23.89
>>560
>13枚も出ていれば十分すぎる。まだ発掘されていないものや盗掘されたものを含めると
相当な数になる可能性がある。

なるほどね、でもそんな理屈なら、△鏡だって、中国ではたまたま発見されていないだけって
そういう理屈と一緒だね
お互い様w
578日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:40:13.56
>>576
何年まであったか分からなかったからだろう。
現代でも、大正や明治くらいまでならわかるかもしれないが、慶応や元治などに
なると普通の人にはわかりにくい。
慶応五年、あるいは元治三年と書いてあれば、疑うこともほとんどないだろうし。
579日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:43:55.63
>>578
>何年まであったか分からなかったからだろう

そんなもの、答えになっていない
だったら、最初から元年にすればいいだけ
現に「元年」の紀年鏡はあるのだからな
そんな取って付けたような解釈ばっかりしても無駄
580日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:48:31.56
それに、後世の人間が作るのであれば、尚更、年号がいつまで続くのかを
きちんと調べて作るはずだ
そうでないと、せっかく作った鏡が偽物扱いされるわけだからな
製作者が、年号があることは知っていたが、それが何年続いたかは知らなかったなんて
もう御都合主義の解釈だよ
581日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:53:12.89
魏の明帝は景初三年一月に死んでいる。だから、景初四年は存在しない。
存在しない年にリアルタイムに作ったというほうがはるかにご都合主義だろう。
582日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:59:09.90
喪中の年号を、縁起物に入れる馬鹿はいない。
583日本@名無史さん:2011/12/21(水) 13:02:28.56
堂々巡り。
結論なんかでるわけないだろ。
584日本@名無史さん:2011/12/21(水) 13:25:08.98
>>568
ここで「反論してみろ」って吼えられてもねえ〜
大体あんたの言ってる事って「邪馬台国はどこですか?」のパクリだろ
585日本@名無史さん:2011/12/21(水) 13:27:26.61
これだけ揉めるという事は
魏の使者が女王国まで行ってない証拠
帯方郡から南に水行二十日、と書いとけば問題なかった
586日本一正直な論客:2011/12/21(水) 13:58:41.73
>>468   雲助。放置してりゃ調子づくタイプらしいな。
>数日間現れず反論考えてたあげくがそれかよw
勝負はついているんだが。

>結局遼東情勢に関しては反論不能だから話題そらして
2年説が正しいのは明白だから、
遼東情勢と二郡平定に関する俺の高度な分析と検証も正しい理屈だ。

>宮中儀礼にもっていきたいわけだなw
世間の常識だ。宮内庁に行って確認してこい。

>少帝はまだ子供だから摂政二人が対応すれば問題ない。
相手がガキか大人かの問題ではない。王朝儀礼の問題だ。タコ
喪中に「お祝い」の使者を贈るのは、国際感覚の欠落した田舎者。
喪中に「お祝い」の使者を贈ったとするのはバカ学者だけだ。

>プロの専門家にも確認取り、これが学会のコンセンサスだと言うお墨付きも貰ったし。
そいつを俺の前に連れてこい。俺が恥をかかせてやるぜ。

>学会では相手にもしてないとさw
相手をできるわけがなかろう。赤恥をかくのはそのバカたれのほうだから。
その学会てのは、信用のおけない畿内説学会だろう。

>司馬との戦闘中に朝貢するわけないとさ。
「喪中に朝献などするわけないし、喪中の皇帝が対応するわけもない」。
そもそも、卑弥呼の朝献目的は軍事支援要請だ。「喪中のお祝い」じゃないぜ。
司馬懿の公孫淵討伐戦と重なることに何も不自然性はない。
587日本一正直な論客:2011/12/21(水) 14:00:56.50
>>471 雲助よ。見るからに頭の悪い奴の論法だな。

>景初3年銘鏡がいつ作られたかか。
>それは難升米らが 洛陽に着いてから作るように命じたから景初3年の後半でいいだろう。
「難升米らが 洛陽に着いてから作るように命じた」。いつのことだ?
ウソをつくな。朝貢担当窓口で色々と聞き取り調査をして、書類を上に上げて、
対応の吟味・検討がされて、実際の対応が決定する。
皇帝の贈り物が決定した中で、鏡の授与が決定して製作されたってか。
ウソをいうな。
正当王朝の官製工房だ。しきたり通り夏至の太陽から採った火で鏡製作を始める。

>5月丙午ってのは吉日のことで、実際に作られた日のことじゃない。
夏至の太陽から採った火で鏡製作を始めるのは、朝廷の大切な「儀礼」「儀式」のうちだ。
これを12月につくったとでもいうのか。
てめえらのいうことは、ことごとく破壊的な歴史ばかりだな。

>5月丙午ってのは吉日のことで、実際に作られた日のことじゃない。
景初3年銘鏡の場合はそれがいえる。いつ・どこで造られたか非常に怪しい。
しかも、呉式神獣鏡は魏の官製工房では絶対につくられない。
その魏の官製工房では絶対につくられない神獣鏡に魏の年号が刻まれている。
てめえらは、この件に関しては何度提示しても音無しじゃないか。

>福知山の景初4年銘鏡の三角縁盤龍鏡も同じく5月丙午だ。
ほれ墓穴。いつ・どこで造られたか、素性もはっきりしない鏡だろ。

>景初4年の5月などありえないことは知ってるだろう。
また墓穴。あり得ない年月を刻む怪しさのほうが重大な問題だ。
そんなものを魏の尚方でつくったとでもいうのか。タコ

ちょっとかまってやったが・どだ。 てめ、あまり頭よくないな。
588日本一正直な論客:2011/12/21(水) 14:24:05.81
>>548  ねちねち雲助
>当時は楽浪郡帯方郡の二郡は公孫氏政権におさえられており、
>画文帯神獣鏡を輸入できたとすれば公孫氏政権からしかないわけだ。

何の論拠も無い推測空論だな。呉式神獣鏡を公孫氏が仕入れたという時代背景の説明はなしか?
神獣鏡は、劉焉・劉璋、張魯、張角など新興宗教を基盤とした教団が、
信仰上の神宝・呪具としたものだ。
張魯と張角は、曹操、孫権、劉備らと中原の派遣を争った領袖だぜ。
火事場泥棒よろしく遼東に居座った公孫が、ライバルの信仰的精神性を現した神獣鏡を、
呉の孫権を介して入手して、神宝・呪具として重宝したとでもいうのか。半端衒学野郎

>なので中平刀もこのとき公孫氏からもらったものだろう。
「だろう」て、これも何の論拠提示もなしで、ただの空想だな。
倭国の外交相手はあくまでも中原の覇者だ。
中原が安定しない間は50年・130年と殻を閉ざした貝のように大陸との接触を断っている。
火事場泥棒みたいな太守あがり田舎者風情に、へりくだって外交などするものか。
そこに倭人の誇りというものがある。

お前ら畿内説は節操がないから古代の倭国像がコロコロ変わる。
ヤマト王権だのゆるゆるの連合といったかと思えば、
原始共同体に毛が生えた程度の頭の悪い土着民集落国家でもあるかのようにいう。
これほどに古代人をバカにした話はないぞ。下賎な外道ども

>鏡も刀も同じ近畿から出土してるんだし、邪馬台国の場所もおのずとわかるだろう。
下賎な外道学者たちが日本人を騙すために考えついた方便の受け売り垂れ流しにすぎん。
589日本@名無史さん:2011/12/21(水) 14:25:21.35
>>568 :夢幻如
>温暖については反論した。そこに再反論はない。
あんなもんで、反論だって?
恥さらしなやつだ。
 「男子無大小皆黥面文身 自古以來其使詣中國皆自称大夫
 夏后少康之子封於会稽斷髪文身以避蛟龍之害
 今倭水人好沉沒捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後硝以為飾 諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差

 計其道里當在会稽東治【冶】之東
 其風俗不淫 男子皆露紒以木緜招頭其衣幅但結束相連略無縫 婦人被髪屈紒作衣如單被穿其中央貫頭衣之

 種禾稻紵麻 蠶桑緝績 出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛楯木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與擔耳朱崖同
 倭地温暖冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室父母兄弟○息異處 以朱丹塗其身體 如中國用粉也 食飲用籩豆手食」
「倭地」の範囲」を
原文で示せ。 ば〜〜〜か!


590日本@名無史さん:2011/12/21(水) 14:27:24.96
>>542
>使者は伊都国までしか行っていないとした俺の論を崩してからほざけ。
>倭人伝の距離表記で信用に値するのは時間表記のみで里程表記はあてにならない。
これも、もう何回も話した。

夢幻如はそんな馬鹿げた事を言っていたのか?
夢幻如の文読んでなかったから知らなかったぞ。

>しつこく、しつこく徹底して何回も繰り返そうか。

根拠にならないだろう屁理屈聞いてもしょうもないが、
繰り返すなら聞いても良い。
591日本一正直な論客:2011/12/21(水) 14:37:12.71
この、ねちねち雲助をしばらく観察していたが、
こいつは名古屋大学生を名乗っていたハナたれの別ハンのようだ。

俺のサイトをちょっと覗いて、つつけそうだと見たところを攻撃したくて、
俺を引っぱり出したくて挑発的なあおりをやってたのだろう。
論調と文章レベルと知識レベルなどからみて、あのハナたれとみた。

●それからしょくん。
夢幻如という闖入者だが、俺は早々と見切りをつけて無視している。議論にならん
かまったいる間は居続けるだろう。
誰の目にも明らかなように、極めて狭義でお粗末な論拠に基づく暴論だ。
大国・唐松山・久留米らと同じように、無視して勝手にやらしておいたらどうだ。
592日本@名無史さん:2011/12/21(水) 14:44:29.42
>545
>まず「里」が実際に何メートルを指すのか誰にもわからない。
>はっきり言って一理が何メートルか「わけわからん」のが実情だ。

だから
倭人伝記載の郡〜狗邪韓国〜末盧国から推定すべき。

>魏志の中でも「長里」的なもの「短里」的なものが混在する。

魏志の中はもちろん、宋史、梁書、晋書、後漢書、唐書など全て
倭国でしようされた「長里」的なものなど皆無のはずだ。

>「水行十日陸行一月」は千里だ、などという暴論までまかり通る。

そんなトンデモは無視すればよかろう。

>測る術がないんだ。里程は目測、勘でしか言われていない。つまり「あてずっぽう」だ。

海路はコウロウを用いて距離を計測していたし
陸路はキリコシャを用いて計測していた。
歩数を数えるだけでもおおよその計測はできる。
593日本@名無史さん:2011/12/21(水) 14:54:02.67
>>551
>B地点に着いた時にほぼ正確に自分が何Km歩いたかいえる人がいるだろうか?
万歩計でもあれば自分の一歩の歩幅から計算できるだろうが、何もなしでだ。

部下に歩数を数えておくように命令すれば済むこと。
命の保証のない命令すら当然なのだから、歩数計算など双方とも簡単なものだ。

>倭人伝に書かれてある距離はこの「勘」で表記されている。
一里が何メートルでも関係ない。400メートルだろうが500メートルだろうが
大雑把に「大体このくらいじゃないかなあ」程度のもので実測値ではない。

勅命を受けた勅使が可能な計測すらせずに「勘」だけで表記するはずもない。
594日本一正直な論客:2011/12/21(水) 15:04:52.28
魏の使節は邪馬台国まで行って、倭王卑弥呼に接見して詔書を渡している。
すでに述べたことだが、これが歴史の真実だ。
↓↓↓
天子代理または天子の命を受けた使者である証拠として、
からうしの尾でつくった「節」を与えられた使者が使節だ。
(したがって倭国側の使者を使節というのは安易な間違い)
使節を立てることができるのは天子だけであり、
天子の詔書を持参できるのも使節だけであり、
これを授受し開封できるのは詔書をおくられた本人だけである。
とくに国際外交の場合、天子の詔書というものは、
ややもすれば使節代表よりも立派な4人担ぎの輿に乗ってやってくる。
むろん、ただポイと渡すのではなく、厳粛な授与儀式を執行して渡される。
これが「拝假」だと考えて差し支えない。

時代は下がるが、『日本書紀』に隋の使節が持参した詔書(国書)の授受シーンがある。
極めて厳粛なシーンだ。王朝儀礼の現実をここにかいま見ることができる。
「皇子、諸王、諸臣ことごとくが着飾って居並ぶ中で、
裴世清は唐国の進物を朝廷会見の場に置き、大事に持参した書をもって二度再拝して立つ。
その書を 阿倍臣進み出て受けて、これを大伴囓の連が迎え出て承け、
天皇の前の机の上に置きてこれを奏じて退く」。
thats all
これで、夢幻如とかいう闖入者の論は土台から崩壊する。

なお、まともな話がまともに通じないのが2〜3いるようだから、
こいつらが飽きていなくなるまで天才は投稿を遠慮する。
595日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:06:08.45
当然誤差はあっただろうが、
軍事情報としてある程度推測出来る程度の精度はあっただろうな。

1〜2割前後の誤差は仕方ないとしても、実距離の3倍や10倍では役に立たない。
596日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:13:08.61
>>593
>勅命を受けた勅使が可能な計測すらせずに「勘」だけで表記するはずもない。

その通りだ。
千里は432kmもある。
432kmを感で表記できる者も又居ないだろう。

432kmといったら、緯度差で4度近く有るぞ。
597日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:24:22.17
>>594 名前:日本一正直な論客
>魏の使節は邪馬台国まで行って、倭王卑弥呼に接見して詔書を渡している。

「倭王卑弥呼に接見」し、
というのが問題だな。

「邪馬壹國」に至ったことはたしかだが、

後漢書 光武中元年二 倭國奉貢朝賀 使人自稱大夫 光武賜以印綬 
安帝初元年 イ妾王師升等獻主口百六十 景初之辰 恭文錦之獻 
槐志曰 景初三年 イ妾女王遣大夫難升未利等 獻男生口四人 女生六人 布二疋二尺 詔以爲新魏倭王 假金印紫綬 
正始四年 倭王復遣大夫伊聲耆振邪拘等八人 上獻生口也

の、倭とイ妾だ。
598夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:25:56.71
>>548
>>428をよく読みな。
俺の論の柱は
1.「混一彊理歴代国都之図」的な地理感
2.中華思想
3.「三国志」は正式な正史編纂事業で書かれた物ではない
4.伊都国を境にする観察記述
この四つだ。

「邪馬台国はどこですか?」は1.で同じだったから非常に面白く読んだ。
投馬を富山と比定していたのには感激した、まじで。
だが2〜4は、あの娯楽小説には一切出てこない。
俺が漠然と「東北の内陸部」で済ませていたところに「八幡平」だから
仮の比定地はこれでいいや、で拝借したわけよ。
パクったのは「八幡平」だけ。
「東北の内陸部のどこか」が今のところの答で、比定は仮だから
別に「八幡平」じゃなくてもいいんだがね。
599夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:27:40.07
いけね、アンカー間違えた。
× >>548
○ >>584
600夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:37:05.39
>>589
そのへんは国、行程紹介にすぐ続くところだから
正史ではない最初の使者の報告を載せた可能性が高い。
伊都国までの実地観察に倭人からの伝聞を併せて書かれているのだろう。
だから九州中心の風土、風俗と見てよかろ。

前にも言ったがな、「混一〜」地理感なら九州は倭国最北の地になるんだ。
これで
計其道里當在会稽東治【冶】之東 も 倭地温暖冬夏食生菜 皆徒跣 も
何の問題もなくなる。

堂々巡りじゃなく、人の言ってる話に反論して話を伸ばせねえか?
601日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:45:28.58
600 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:37:05.39
>>589
そのへんは国、行程紹介にすぐ続くところだから
正史ではない最初の使者の報告を載せた可能性が高い。
伊都国までの実地観察に倭人からの伝聞を併せて書かれているのだろう。
だから九州中心の風土、風俗と見てよかろ。

>前にも言ったがな、「混一〜」地理感なら九州は倭国最北の地になるんだ。

それは、お前の地理感で倭人伝にも、「混一〜」にもそのような馬鹿げたことなどありゃしない。

>これで
>計其道里當在会稽東治【冶】之東 も 倭地温暖冬夏食生菜 皆徒跣 も
>何の問題もなくなる。

笑わせるな。
原文解釈が出来るようになってから出直して来い。


「倭地」の範囲」を
原文で示せ。 ば〜〜〜か!

原文を探して来い。
それができないならお前のたわごとでしかないことを解れ。

602夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:45:45.58
>>594
>こいつらが飽きていなくなるまで天才は投稿を遠慮する。

自画自賛の馬鹿頭天才くん、また言い逃げか プ 
「節」だの「拝假」の説明をして、何で俺の論が土台から崩れるんだ、馬鹿頭。
魏志倭人伝に記された国、行程紹介の部分の記述は、その正式な正史ではないと言ってるんだよ。
なぜ正使ではなく先遣調査隊だったかは中華思想から説明した。
そこに反論もせず(出来ず、かな ワラ )また元に戻す。ループだ。
お前の話に俺は中華思想からの先遣調査隊だと解釈をぶつけてるんだ。
天才くんは文章読解力は駄目なのか プ
ま、いち早く俺を回避して、今また逃げ腰でループ吠え逃げしてるような馬鹿だからな。
能力は推して知るべし、か プププ
603夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 15:54:49.78
>>601
>それは、お前の地理感で倭人伝にも、「混一〜」にもそのような馬鹿げたことなどありゃしない。

「ありゃしない」という根拠を示せ。根拠もなく無駄吠えするな、腐れ頭。
魏志倭人伝の地理の謎は「混一〜」的な地理感を大陸人が持っていたからこそ生まれた謎で
これで解決できる。
会稽東治【冶】之東
これを信じるなら倭国は台湾か沖縄になってしまうわ ワラ

「倭地の範囲」を原文で?そこに何の意味があるんだね?
604日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:54:54.34
鯨統一郎の推理小説は、別な板でやってください。
605夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 16:00:22.71
>>592-593
こういうのは「まともな反論」だな。これでなければ話は伸びない。

だが、ちと時間が空く。
連休だったオフももう終わりで今夜は仕事なんでね。
その前にやることがまだ残っている。仕事に入る前には戻れると思うが。
606ローガン:2011/12/21(水) 16:49:23.08
>>480:あらため だよん
>中平刀に関して、中平の叙爵は公孫氏なんて誰が言い出したんでしょうね?これは初めて聞く・・・

金関氏ですよ。(叙位又は叙任と言い換えた方がいいかな)
後漢の紀年銘刀は中平刀以外3例。
江蘇省徐州銅山県駝竜山出土「建初二年」
山東省蒼山県ベン庄出土「永初六年」
記録のみ「元嘉三年」
それぞれの年に叙位あり。叙位のあった年毎に特別な刀を作ったかはどうかまでは云えずとも、刀を作った年には叙位があったと考えて差し支えない。
で、度の遼東太守就任が中平年間。
という話ですわあ。
607日本@名無史さん:2011/12/21(水) 16:50:23.23
>>605
もう結構です。
別の板でお願いします。
608日本@名無史さん:2011/12/21(水) 17:02:03.41
>夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

こちらへどうぞ! → http://toro.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1288678277/
609夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 17:31:14.99
>>592−593
兵に歩数を数えさせる。いい指摘だねえ。
普通、地図上ではA地点からB地点への距離は直線距離をいう。
だがここは行程距離でもいいや。
歩数で確かにある程度正確に測れると俺も思う。
だが倭人伝では、これはやっていない。

行程距離で里が出てくるのは
郡から狗邪韓国七千里、対馬国まで千余理、一大国までの千余里、末ろ国へ千余里
伊都国へ五百里、奴国へ百里、不弥国へ百里、あとは郡から女王国へ万二千里
何か気づかないか?百単位で基本10か5でしか示されていない。
歩数で測れば一桁とまではいかなくとも、二桁の里数くらい出てきそうなものだ。
里が何メートルであろうともね。

>勅命を受けた勅使が可能な計測すらせずに「勘」だけで表記するはずもない。

可能な歩数計測をやっていないことはこれで十分わかると思うが。
海路はともかく、陸路は四百六十里とか八十里や百二十里があってもいいんじゃないか?
やればできることをやっていない。だが表記されている。
どうやって?「勘」しかないだろう。
610夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 17:41:21.11
>魏志の中はもちろん、宋史、梁書、晋書、後漢書、唐書など全て
倭国でしようされた「長里」的なものなど皆無のはずだ。

ここはずぼらに手抜きでwikiを頼ろう ワラ

>生野真好による『三国志』全編の調査では、「短里」で記述されていると思われる記述は
 「魏志」と「呉志」の一部に集中しており、「蜀志」には全く見られない。
 また、「魏志」のうちでも後漢から魏への禅譲の年である西暦220年より以前の記事には
 「短里」での記事は見当たらず、220年以後の「魏志」に集中して現れる。
 安本美典らの説では、「短里」は東夷伝のみに見られ、他の箇所では存在しないとしているが、
 実際は中華中原に関わる部分にも頻出する。
 ただし、220年以後の記述であっても従来通りの「長里」でないと解釈できない部分もあり、
 「魏王朝=短里」という単線的構図は成立しない。

倭国に対しての限定ではないが、同じ書で注釈無しに「長里」「短理」が混在しているのは確かだ。
220年を境に検証しても統一されていないらしい。
これで里のいい加減さは十分だと思うが。
611日本@名無史さん:2011/12/21(水) 17:47:50.69
>>610
お前見てると畿内説がマトモに見える。
612日本@名無史さん:2011/12/21(水) 18:48:14.18
>>609
>兵に歩数を数えさせる。いい指摘だねえ。

38度線では現代でも眉が白く凍る状態で
24時間体制で警戒している。
目的のためなら兵士の苦労、生命の危険など問題ではない。

>郡から狗邪韓国七千里、対馬国まで千余理、一大国までの千余里、末ろ国へ千余里

陸路の場合は迂回すれば距離が伸びるが
海路の場合は流れに乗れば距離は短くなり
流れに逆らえば距離は長くなる。

>伊都国へ五百里、奴国へ百里、不弥国へ百里、あとは郡から女王国へ万二千里

直線距離は簡単には計測ではないし、直線距離よりも踏破距の方が現実的。

>何か気づかないか?百単位で基本10か5でしか示されていない。
歩数で測れば一桁とまではいかなくとも、二桁の里数くらい出てきそうなものだ。

海路では海流による誤差があるし、陸路にしても不都合が無い程度の
おおよその距離だ。
何割かの誤差があるのは想定内だから百、五百、千。七千などの一桁表示だ。
百三十、五百六十。千百、七千五百などの二桁表示にすれば
誤差は1割以下でなければならない。
そんな精度はないだろうし、必要もないから、必要かつ十分な一桁表示。
何の問題もない。

>可能な歩数計測をやっていないことはこれで十分わかると思うが。

いや、それ考え違いね。
より正確な情報収集と言う目的のためなら部下の労力など問題とはならない。
613夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 18:56:33.25
>>611
悪いが俺は畿内説も否定する立場だ。
614日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:00:47.98
>>610
>「魏志」と「呉志」の一部に集中しており、「蜀志」には全く見られない。

私は倭国の説明で宋史、梁書、晋書、後漢書、唐書などで
使用された距離と言っている。
韓国の「蜀志」のことは言っていない。

>る西暦220年より以前の記事には 「短里」での記事は見当たらず、

「長里」での記事も無いんじゃないのか?
あるなら提示をしてほしい。

>「魏王朝=短里」という単線的構図は成立しない。

「魏王朝=短里」ではなく「倭国=短里」と言っている。

>これで里のいい加減さは十分だと思うが。

倭での記載は長里を否定すれば実用に十分な精度がある。
615日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:13:17.96
どうした19歳?
616夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 19:26:39.89
>>612
必死に食い下がるところを見るとお前さんは九州説かな?一応はっきり聞いておきたい。

>より正確な情報収集と言う目的のためなら部下の労力など問題とはならない。

これと下のレス

>そんな精度はないだろうし、必要もないから、必要かつ十分な一桁表示。

この二つは矛盾なんだがねえ ワラ
部下の苦労など屁でもないなら、より正確にだろ。
だが記述は極めて大雑把だ。

>そんな精度はないだろうし、必要もないから、

正にこれなのよ。
何回も言ってるが倭国なんぞに魏は大した興味は示していないんだ。
これは膨大な量の三國志の中で、たった二千字でしか書かれていないことで十分わかる。
三國志が正史編纂で書かれた書でないからこそ、当時の魏の倭国に対する関心の薄さがわかる。
そんな所を正確に測距する必要性など感じてないはずだ。
相手は野蛮な後進国で海を隔てた島国だ。自国に影響も少ないし興味はない。
だから千年以上たっても「混一〜」地図みたいなものが存在しているんだ。

里程は隣だから百里、少し離れて遠いから五百里にしとけ、程度なものだったろうよ。
郡から女王国まで万二千里なんて、この記載時点じゃ絶対わからない。
なんせ行っていないんだからな。
伊都国より先は伝聞だ。これは間違いない。
実際に踏破すらしていない所だが「遠そうだ、じゃ万二千にでもしとけ」程度のものなのよ。

伊都国より先に行っていないことも繰り返すか?
617ローガン:2011/12/21(水) 19:26:50.07
>>573
>「安イ」は倭人伝の「末廬國」。「末廬國」が現下関なら「伊邪分國」≒投馬國は四国だね。

?? 「安イ」って意味がわかりません。
安=案で、イ+妾=倭でいいんじゃないですかね?ほら、すぐ後にも
中元之際、紫綬之榮。
【漢書地志曰:「夫餘樂浪海中、有イ妾人、分爲百餘國、以歳時獻見。
とあるし。イ妾人=倭人でしょう。

>残念ながらわしは河童さんではありません。

それは、失礼。よく似ているように思ったので。
618夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 19:36:13.14
>>614
だいたい里に「長里」「短里」があると考えられる時点でおかしいだろうが。
どうしてもこだわり、正確だとしたいのは九州説だからだよな。
まず、これをはっきりさせてくれ。
九州説なら里が正確と仮定しても万二千里が出鱈目ということと
九州説は成り立たないことなど簡単に説明出来る。
619夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 19:44:32.21
残念ながら時間だ。
続きは仕事明けの明朝だな、じっくりやろうぜ ワラ
620日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:46:32.84
618 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2011/12/15(木) 11:07:03.80
周髀算経から導きだされた、短里77m
隋書百済伝より導きだされた一月行約80キロ

これを適用するだけで、距離も方向もなんら修正する必要はない。
なんの矛盾もない。
どうやら、これでたどると、熊本南部に行くようだ。

卑弥呼はクナ国との戦いで亡くなったフシがある。
すくなくともクナ国に悩まされていたのは間違いなかろう。

景行天皇の熊襲退治より、九州東岸沿いに熊襲がいたと
思われるので、人吉盆地やえびのでぶつかっていた可能性は高い。

熊本南部はいわばクナ国との最前線なのである。
621日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:49:12.46
>>616
>この二つは矛盾なんだがねえ ワラ

何としても矛盾があることにしたいのか?
それとも判断能力が無いのか?

>より正確な情報収集と言う目的のためなら部下の労力など問題とはならない。

勘ではなく実用に耐える程度の正確な距離だ。
数倍の誤差ではなく数割の誤差という意味。

>そんな精度はないだろうし、必要もないから、必要かつ十分な一桁表示。

1割以下の誤差精度で記載してもそれを有効利用できる状況にはない。
数割以下の精度なら十分である。
つまり
1割以下の誤差精度は無いが必要かつ十分な数割以下の精度で記載してある。
何の矛盾もない。
622夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/21(水) 19:49:16.81
あ〜もう一個。
ちと言葉足らずだったから訂正しておく。

× 九州説なら里が正確と仮定しても万二千里が出鱈目ということと

○ 九州説なら、国、行程紹介での里が正確と仮定しても最後の万二千里が出鱈目ということと

じゃあなぁ。
623日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:49:24.98
>>616
>何回も言ってるが倭国なんぞに魏は大した興味は示していないんだ。

そんなのは関係ない。
問題なのは
皇帝の命令で来た勅使が実用に耐えない数倍、数十倍の
誤差のある報告書を提出すれば責任問題となろう。

>たった二千字でしか書かれていないことで十分わかる。

文字数と誤差精度は無関係。
わずか 二千字にこれだけの情報を込めた記載技術は
賞賛されることはあっても馬鹿にされるいわれはない。

>三國志が正史編纂で書かれた書でないからこそ、当時の魏の倭国に対する関心の薄さがわかる。

三國志が正史編纂で書かれた書でないから
陳寿の書いた三語増しの記述がいい加減などと
恥ずかしいこと言うのは恐らく貴方だけですよ。

>伊都国より先に行っていないことも繰り返すか?

貴方の妄想です。
624日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:50:31.91
>九州説なら里が正確と仮定しても万二千里が出鱈目ということと
九州説は成り立たないことなど簡単に説明出来る。

無理
625日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:52:19.48
帯方郡−狗邪韓国:7000里
狗邪韓国−対馬:1000里
対馬−壱岐:1000里
壱岐−松浦:1000里
松浦−伊都:500里
伊都−奴:100里
奴−不弥:100里
不弥−投馬:水行二十日=666里
投馬−邪馬台:水行十日陸行一月=1333里

合計12699里=万二千余里
626日本@名無史さん:2011/12/21(水) 19:59:03.31
周髀算経から導きだされた、短里77m
隋書百済伝より導きだされた一月行約80キロ

これで距離、方向、総合計距離の全てで矛盾なく説明できる。
また、これを適用した場合、水行陸行にも矛盾はでない。

陸地を水行するような矛盾も発生しない
627日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:00:35.20
成り立たないのは

  夢幻如の存在価値
628日本一正直な論客:2011/12/21(水) 20:02:15.58
お寒い笑いばなし。
>>611
>お前見てると畿内説がマトモに見える。
>613
>悪いが俺は畿内説も否定する立場だ。

畿内説はひどいが、それよりもひどいという揶揄だが、
文意を理解できないタコがバカ正直に返答してる。
バカがバカの一つ覚えで持ち出す「インチキ図」と同じ構図だな。

けけけ
629日本一正直な論客:2011/12/21(水) 20:11:55.72
>>602 :夢幻如
>「節」だの「拝假」の説明をして、何で俺の論が土台から崩れるんだ、
論理だ。歴史の事実だ。抗弁のしようがなかろう。
中度提示しても「わめく」だけで論理的反論がない。

>魏志倭人伝に記された国、行程紹介の部分の記述は、その正式な正史ではないと言ってるんだよ。
かんけいない。

>なぜ正使ではなく先遣調査隊だったかは中華思想から説明した。
かんけいない。正使ではなく先遣調査隊が詔書を持参したたてか。タコ

>そこに反論もせず(出来ず、かな ワラ )また元に戻す。ループだ。
歴史の事実を論理で説明したが、それが反論には見えないか。ボケ

>お前の話に俺は中華思想からの先遣調査隊だと解釈をぶつけてるんだ。
「先遣調査隊」などとというつくり話しにつき合う気はない。

>天才くんは文章読解力は駄目なのか
文章に関する天才だ。

>いち早く俺を回避して、今また逃げ腰でループ吠え逃げしてるような馬鹿だからな。
まともに議論できる相手ではないと「いち早く」察知したのだ。天才だから

>能力は推して知るべし、
慧眼。先見の明あり。だからお前を回避している。
わかんねーだろうな? タコだから
630日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:14:36.21
>>621
>>612
何割かの誤差があるのは想定内だから百、五百、千。七千などの一桁表示だ。
百三十、五百六十。千百、七千五百などの二桁表示にすれば
誤差は1割以下でなければならない。
そんな精度はないだろうし、必要もないから、必要かつ十分な一桁表示。
何の問題もない。

【そんな精度はない】とは【1割以下の誤差精度はない】
631日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:16:42.51
>>629
さすがにそんなレスではね…w

無限の肩を持つわけじゃないが、お前負けてるよ
632日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:21:56.58
>>629
>文章に関する天才だ。

理解力には難ありだけどな。
633日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:31:39.97
>>632
だよねw

読解力がないか噛み合わせたくないかのどちらかだろう
634日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:32:05.56
無限尿を、仮に擁護したくても、
擁護する要素も価値も、一切ない。
635日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:35:00.77
>>634
それはそれ
だけど議論なら相手の主張には論点をごまかさずに向き合わないと
636日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:48:02.84
それが、まっとうな議論であればの話だが、議論以前だよ。
637日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:56:34.55
635氏
そうかな。私はそうは思わない。無限尿なる人は主張しているだけ。説明して
いるだけ。説明している積もりになっているだけ。説明すれば歴史上の事実の
本当の流れを的中させたと錯覚しているだけだよね。邪馬台国論は学問の一部
だから自分の主張が正しいという立証、論証ができなければ誰も納得しない、
認めない、認められないということを彼は理解していないだけではないか。
638日本@名無史さん:2011/12/21(水) 21:38:51.68
東北は論外だな
639あらため だよん:2011/12/21(水) 21:52:28.93
>>511-533
昨晩、私に絡んできてた人は「恨み節」とか言う人なのかな?
以前、誰かが評価を表したものに、

恨み節 文献△ 考古○ デペート○ 恨み度★★★ とかで、

比較的にみんなの評価が高かった記憶があるんですが、
私が議論した感じ、そうでも無さそうな感じがする。

上の評価って本当なんだろうかねぇ?www たぶん彼よりも、私とここで議論した人のが手強いと思う。
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=121
640あらため だよん:2011/12/21(水) 22:05:55.77
>>537-539で 夢幻如氏 からアンカー付けられてるし>< くそw

夢幻如さんは〜まだ邪馬台国問題に日が浅く、
たぶん、私と議論するのに知識面で足りてないというかw 
まあ、そんな理由で、君にアンカーを付けるの恥ずかしいので
おれはパスするぜぃwww

私の議論する相手は、

恨み節 文献△ 考古○ ディペート○ 恨み度★★★  の彼でいいや。

恨み節さんとやらは評価が高いみたいで、蹴落とすのに丁度いいというかw
まあ、御指名てことで、貴方の「九州説」ってやつを書き込んで下さいな。
641日本@名無史さん:2011/12/21(水) 22:09:40.24
おれは、君もパスするぜー>改めドツボ
642あらため だよん:2011/12/21(水) 22:14:42.07
>>641
あちゃー><

でも、夢幻如氏にアンカー付けるのはチト恥ずかしいのは確かだw
おめぇらは、「なんともない」みたいですがwwww
643天才的な論客:2011/12/21(水) 22:30:48.17
>>636
>議論以前だよ。
>>637
>説明している積もりになっているだけ。

きみたちは、まともな平衡感覚をしている。
彼には論理破綻といいたいが、はじめから破綻するほどの論理になっていない。
彼もまた、ここのタコどもと同じで、
口論や掛け合いに勝つのと、論の質と内容で勝つのとを混同している。
というよりも、口論や掛け合いに勝つことに価値を見いだすクチだろう。

賢明な者は捨て置く。
644伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/21(水) 22:36:30.84
今ちょっと忙しいから携帯からなので長文は書けないから簡潔に。
>伊作
景初2年12月に制詔すと言ってるのは皇帝じゃないのか?
でもこのとき皇帝は危篤状態だよなw
そんな中どうやって制詔するんだ?また皇帝が危篤中の
大変な時だし他国の使者など相手にしてる場合じゃないだろう。

あと遼東では司馬軍は4万、公孫淵軍は15万で戦う前から
司馬軍が勝つのは決まってたとか後世から俯瞰してみるから
そう思うだけ。

携帯から書きにくいからまた今度こてんぱんにしてやるよw
645日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:03:32.36

解散コールは1:55から
12.19 街頭演説、国民の怒りと危機管理への不安
http://www.youtube.com/watch?v=6PQf9GvXWB0


国民に罵声を浴びせられ駅前交番に避難するテレビアカヒの取材班 12/19正午 新橋駅前 
http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/111219_124643_ed.jpg
        ,:'  .l .::;',. :::;/..://:: /,':/  ', l、 .i  ヽ
.          ,'  ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/   ',.ト',_|, , ',.',
       ,'   .::::::!'''l/!:;'/ /'゙  /     '! ゙;:|:、.|、| 'l
.         ,'.  .:::::::{ l'.l/  、_  _,.      'l/',|.';|
       l  :::::::::::';、ヾ      ̄     `‐-‐'/! ';. '
.         ! :::::::::::/ `‐、        ゝ   |'゙ |
       | ::::::::/   \    、_, _.,.,_ ノ::: !  野田政権が早く終わりますように
       |::::/.     _rl`': 、_     ///;ト,゙;:::::./
..      `´      /\\  `i;┬:////゙l゙l ヾ/
                ,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l  / !.|
.            /:.:.:.:\:.:.:.:.`:、ソ/:.:|    | |   19日の報道ステーション
           /.:.:.:.:.:.:.:.:.:\:.:.:.:У:.:;l     http://livedoor.blogimg.jp/kingcurtis/imgs/e/d/ed2dbc66.jpg 
646日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:05:57.18
何の四天王?


夢幻如
天才的な論客
あらため だよん
伊作というより爺嫌いなねちねち君
647日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:17:35.46
>>644

公孫淵軍が籠城した時の食糧備蓄量が絶望的だったね。
あれじゃ無理。
648あらため だよん:2011/12/21(水) 23:51:27.62
>>606 ローガンさん

なるほど、なるほど、情報サンクスです〜金関氏でしたかぁ。
そうすると中平刀は公孫度の「遼東太守」就任の際に与えられた物が
その後に日本列島に流れたというストーリーが出来あがる。

しかし、金関氏は「卑弥呼は共立の直後に後漢に遣使し中平紀年銘この刀を授けられたことが考えられる」
とか言ってたのを知ってたので意外だったな〜。

まあ、どっちなんでしょうねえw
卑弥呼が直接に後漢王朝から授けられたという可能性もあるでしょうし・・
649あらため だよん:2011/12/22(木) 00:04:05.25
>>503
>3世紀のはずの△鏡が、4世紀以降の古墳からしか出てこない

△鏡は3世紀の古墳からも、4世紀の古墳からも出るんですよw
ジョーカーも言ってると思うが、土器編年はきねん銘鏡に記された「年号」から
導き出す作業も重要で、君の考えで言うとまず土器の年代観があり、
それに「年号」を合わせるという考えでいるようで、それは違うだろうと思うぞ。

>>508
>東京軒と言う店があったら、そこが間違いなく東京と確定するならそんな馬鹿な理屈もあるかも。
>いくら魏の年号が入っていても魏で作られた痕跡が皆無の鏡を魏鏡と断定するだけでも馬鹿であるが
>その疑わしい根拠をもとに「それが出土した場所が、邪馬台国」なんて話を進めるのは恥を知らない詐欺行為。

あのね、古代の日本は先進国である中国の真似をした。
この件にしてもジョーカーさんのレスにもあったように日本列島での鏡の出土は
1世紀、2世紀は舶載鏡で三世紀になってからボウ製鏡が多く出土するようになる。
三世紀にあの三角縁神獣鏡を作る技術が当時の日本列島にあったのか私は疑問である。
650日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:08:27.32
一世紀から二世紀とされているが、
平原の大型内行花文鏡は国産鏡らしいね。
651日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:08:36.54
よこだが
>3世紀のはずの△鏡が、4世紀以降の古墳からしか出てこない

貰ったばかりの貴重な鏡をすぐ墓に入れるバカは居ない気がする
神器扱いなら継承するな
4世紀の古墳から発見されるのは、古い鏡がいらなくなったからだろw
652ローガン:2011/12/22(木) 00:13:56.13
>>635
>それはそれ だけど議論なら相手の主張には論点をごまかさずに向き合わないと
まあ、伊作氏の場合、そういう批判がつい出るのはわかるんだけど。
はじめて彼と話した時だったか二回目だったか…
此方がこう書けば、きっと、こういう反論が有るはず。それに対しての再反論を… と踏んで やり取りを始めたんですけどね。
最初に彼が潰しにきたのは、此方の再反論の論拠部分。
凄いなあ話が早いなあって思った覚えがありますよ。だからこの度も、ひょっとしたら議論が噛み合っていないように見えるだけがもね。
ただ、外野席から思うのは、夢という御仁の主張は、あくまで歴代国都図からヒントを得た可能性への言及。
蓋然性としてはどうか?にまで思考が及んでいない感じ。植生とか土器とか…
653日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:14:22.91
そんなに大事な△鏡が、古墳の中では
三流品の安物扱いしかされていなわけだがw
654あらため だよん:2011/12/22(木) 00:17:09.59
>>512
一生懸命にレスを返してるのは分かるんですが、
「倭人伝」というのを貴方はよく分かってないのじゃないでしょうか。
倭人伝は複数の情報をもとに記載されてるのであって「女王国」というのは
あきらかに九州を指して言ってるのは畿内説の私も認めてることです。

周旋可五千餘里ですか?え〜と・・・おそらくは"九州"でしょうね。
水行十日、陸行一月・・・・・・・・"近畿のヤマトでしょうね。

>>514
じゃ〜貴方は、卑弥呼の鏡はどれと考えてるんですか?方格規矩鏡?内行花文鏡?

>>515
貴方はただ単に私へ批判してるだけで、食らいついてるだけと言いますか、
まぁ、卑弥呼の墓については、150メートル規模という事が分かってますので
この規模はおそらくは九州にはないだろうと申してるのです。
たくさんの墓〜って意味不明ですしWW
655日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:18:54.90
やっと書き込めた。

>>381
> なぜヤマタイとよむのかな

鈴木武樹編「論集 邪馬台国 1」大和書房を立ち読みした記憶では
新井白石の論文に「ヤァーマァータハーイ」と書いてあった。(「ハ」は小さい文字)
これが「ヤマタイ」という慣用読みの始まりと見た。
今の北京音 yémǎtái よりやや古い形だから白石の頃の北京音なんだろう。
三国時代の中国音でないことは確かだね。
656あらため だよん:2011/12/22(木) 00:24:43.09
>>518
>魏で作られた痕跡が皆無の△鏡を卑弥呼が魏からもらった可能性は
>95%以上の確率どころか 5%もありませんね。

あのね、日本列島の各地で出土する"鏡"はもともと先進国家である大陸から来たもので
日本人が発明したものではないと言いますか・・・

それと、魏で作ろうが、職人が来て列島内で作ったのか関係ないんですよ。
魏の鏡は、列島国内で作ろうと、「魏製」のモノだろうと思うのです。
それに誰かのレスにもありました洛陽で造ったという「銘」のある鏡もあります。
貴方のレスは、単なる「食らいつき」と言いますか、連レスしてるダケと言いますか・・・
657あらため だよん:2011/12/22(木) 00:27:20.96
>>653
黒塚とかがそうですよね。
画文帯の方が大事に扱われてる。
658日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:28:40.51
>>653
確かに△鏡は扱われ方がヒドイね。
とても貴重な物とは思えない。
どう見ても数合わせの量産型。
659あらため だよん:2011/12/22(木) 00:30:13.59
>>650
細かい突っ込み話でW
「大体」三世紀ごろから と言いたかったんですよW
660ローガン:2011/12/22(木) 00:30:21.69
>>648:あらため だよん

ごめんなさい。ソースの書き忘れ。その件は「平成8年シンポジウム大学と科学」
661あらため だよん:2011/12/22(木) 00:33:56.33
>>660
金関氏はだんだんと考えに変化が生じてきたのでしょうかねW
662日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:57:45.02
>>654
>一生懸命にレスを返してるのは分かるんですが、
「倭人伝」というのを貴方はよく分かってないのじゃないでしょうか。

「倭人伝」というものが全く判っていないメに言われたくない。

>倭人伝は複数の情報をもとに記載されてるのであって

全然読めて無いじゃないか。
陳寿がそんなアホなわけがない。

>「女王国」というのはあきらかに九州を指して言ってるのは
畿内説の私も認めてることです。

当たり前の事をトンデモに言われても全然うれしくない。

>周旋可五千餘里ですか?え〜と・・・おそらくは"九州"でしょうね。
水行十日、陸行一月・・・・・・・・"近畿のヤマトでしょうね。

理解力、読解力のないの無いメは論争から撤退すべき。

>この規模はおそらくは九州にはないだろうと申してるのです

150bを超える円墳で農地にするため壊されたものならある。
100b程度の3世紀末の多分方墳ならかろうじて残っている。
少し時代が後なら130b、150b余りの円墳が現存している。

>たくさんの墓〜って意味不明ですしWW

だから卑弥呼の墓があるのか聞いている。
いくら大きな墓があっても卑弥呼の墓が無いのに、九州のことをケチ付けても無意味。
第一径百歩が150bの確証もない。
663日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:03:22.12
>>656
>あのね、日本列島の各地で出土する"鏡"はもともと先進国家である大陸から来たもので日本人が発明したものではないと言いますか・・・

根拠にならない関係ないことを何ぶつぶつ言っているのですか?

>それと、魏で作ろうが、職人が来て列島内で作ったのか関係ないんですよ。
魏の鏡は、列島国内で作ろうと、「魏製」のモノだろうと思うのです。
それに誰かのレスにもありました洛陽で造ったという「銘」のある鏡もあります。
貴方のレスは、単なる「食らいつき」と言いますか、連レスしてるダケと言いますか・・・

邪馬台国の根拠にならないことをぐちゃぐちゃ言っても無意味です。
664あらため だよん:2011/12/22(木) 01:08:31.67
>>662
>「倭人伝」というものが全く判っていないメに言われたくない。
>全然読めて無いじゃないか。陳寿がそんなアホなわけがない。
>当たり前の事をトンデモに言われても全然うれしくない。
>理解力、読解力のないの無いメは論争から撤退すべき。

その言葉、そっくりそちらへ返すよw
おめぇさのどこがどう なんだよ?www

恨み節 文献△ 考古○ ディペート○ 恨み度★★★ 

1
>150bを超える円墳で農地にするため壊されたものならある。

どこ?

>100b程度の3世紀末の多分方墳ならかろうじて残っている。

どこ?

>少し時代が後なら130b、150b余りの円墳が現存している。

どこ?

>だから卑弥呼の墓があるのか聞いている。
>いくら大きな墓があっても卑弥呼の墓が無いのに、九州のことをケチ付けても無意味。

よく言われてるのは箸墓の円形部がピタリ150メートルに一致すると。

>第一径百歩が150bの確証もない。

調べたことがありませんでしょ。。。。。
665日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:12:14.67
>あらため だよん

根拠にならないことをだらだら言うのは無意味。
ちゃんとした根拠を提示できる話をしろよ。

あっそうか、
邪馬台国は畿内に無かったのだから証拠のある話なんかできる訳がないな。
せっせと
詐欺と印象操作に励むしか無い訳だな。
666あらため だよん:2011/12/22(木) 01:14:48.01
>>663
"鏡"はもともと先進国家である大陸のモノということです。

列島国内外で作るという話については
たとえば、日本メーカーの品が、海外の拠点で作られようが日本メーカーのはずです。
△鏡に関しても同じことが言えるのではないでしょうか。
667日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:25:06.76
>>664
>その言葉、そっくりそちらへ返すよw
おめぇさのどこがどう なんだよ?www

メのものを返してもらわなくても結構。

>どこ?
どこ?
どこ?

全部筑紫平野だ。自分で調べろ。
この規模はおそらくは九州にはないは、間違いだ。

>よく言われてるのは箸墓の円形部がピタリ150メートルに一致すると。

280bの箸墓の円形部がピタリ150メートルと言うのが詐欺。
280bの箸墓見て径百歩の墓というのは畿内説詐欺師だけ。

卑弥呼の墓が作られた同じ時期に卑弥呼の墓の倍もある
箸墓が作られたという事実が畿内説を完全否定している。
残念でした。

>調べたことがありませんでしょ。。。。。

確証無いだろ?
668日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:29:16.55
>>666
>"鏡"はもともと先進国家である大陸のモノということです。

当たり前のことを何得意になって話しているのですか?

>列島国内外で作るという話については
たとえば、日本メーカーの品が、海外の拠点で作られようが日本メーカーのはずです。
△鏡に関しても同じことが言えるのではないでしょうか。

だから
邪馬台国の根拠にならないことをいつまでぶつぶつ言い続けるのですか?
669あらため だよん:2011/12/22(木) 01:33:19.79
>>667
>全部筑紫平野だ。自分で調べろ。
>この規模はおそらくは九州にはないは、間違いだ。

たぶんそこは墓ではないと思う、『僕は卑弥呼の墓を発見したぞー』てやつかな。

>280bの

円形部て書いてるでしょう。

>確証無いだろ?

何いってんだか・・・たぶん普段君が議論してる人が大したこと無いんで
そんなマヌケな言葉を発するんだよ。
670あらため だよん:2011/12/22(木) 01:38:48.71
まあ、いいや
今日はもう眠いので続きは後日レスします。

恨み節さんは、「文献△ 考古○ ディペート○」らしいので
ぜひ、その専門知識とやらを、「私の前」で御披露してほしいですね。

See you again〜★ ねる ZZZ
671日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:41:05.14
>>669
>たぶんそこは墓ではないと思う

貴方が間違った判断しても無意味。

>円形部て書いてるでしょう。

円形部なんて書いてない。
円墳と解釈するのなら箸墓は無条件でアウト。

>何いってんだか・・・たぶん普段君が議論してる人が大したこと無いんで
そんなマヌケな言葉を発するんだよ。

根拠提示せずに宣託述べても何の価値もない。
672日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:50:42.87
返答、反論がないな〜。
反論できないなら消えなさい。

卑弥呼の墓が作られた同じ時期に卑弥呼の墓の倍もある
倭迹迹日百襲姫尊命の墓である
箸墓が作られたという事実が畿内説を完全否定している。
残念でした。
673日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:53:17.19
すべては陳寿の誤りで説明がつく。
前方後円墳を円墳とまちがえた。
東を南とまちがえた。それどころか北と南もまちがえた。
モモソヒメを卑弥呼と誤記した。
卑弥呼の墓に埋めた2000個の桃の種を見落とした。
まだまだいくらでもあるぞ。
近日刊行「まちがいだらけの邪馬台国」予約受付中!
674日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:57:50.90
ヤマトトトヒモモソヒメとは誰か?衝撃の発見!

ヤマトトト ← 「ヤマタタタ」 ← 「ヤマタイタイタイ」
  ヤマタイは人名、山鯛氏、魚料理店経営者。タイタイは奥さん(中国語「太太」)。
ヒモモソヒメ ← 「ヒモンモソヒメ」 ← 「ヒモンミソヒメ」
  ヒモンミソは干物味噌。ヒメは姫、お嬢さん。
したがってヤマトトトヒモモソヒメはもともと「ヤマタイ・タイタイ・ヒモンミソ・ヒメ」であり
「魚料理の店を経営する山鯛氏の奥さんになった干物味噌問屋のお嬢さん」の意。

1 倭人伝でヤマタイを国名としたのは陳寿の誤り。
2 倭人伝にヒモンミソをヒミコと記載しているのは、倭人からの伝聞を報告者が
  いいかげんにヒミソと書いたのを陳寿がさらにヒミコと誤写したのである。
3 天照大神=神宮皇后=ヒミコ=ヤマトトトヒモモソヒメであるから、今回の発見の
  注目すべき点は天照大神が料理屋の女将であったという衝撃の事実である。
4 なお山鯛屋の料理にはいつも桃の種が添えてあったという。ギャハハ
675日本@名無史さん:2011/12/22(木) 02:04:51.84
40数基の古墳が点在していた。しかし、大正年間の大規模な耕地整理により二つの古墳を残すだけとなった。
http://www.daizenji.kurume.ed.jp/gonngenn2.htm

御塚は帆立貝式前方後円墳で全長123メートルの三重の周濠がめぐっています。
また、権現塚は円墳で全長150メートルの周濠が二重にめぐっています。
http://www.kurume-hotomeki.jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=402036000018

ほぼ
正方形で一片は220mあまり、周囲には濠をめぐらした跡もあります。
http://www.h2.dion.ne.jp/~okioki/tutumikohun.html
676日本@名無史さん:2011/12/22(木) 02:36:25.30
>>674
ギャハハ
677夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 06:50:56.99
あれほど最初の使者は伊都国までしか行っていないと主張したあとに
反論ないか、なければ論破とするぞ、あとで四の五の言うなと念押ししたのにねえ ワラ
反論出来ず論破扱いにしてグウの音も出なかった九州説論者が今さらか。
ま、ほとぼり冷めればで、こうなるのはわかっていたことだがな ゲラ

いいだろ、使者が伊都国までしか行っていないこと
里程が出鱈目なこと
さらには予告通り、仮に国、行程の里程が正しいとしても万二千里はあり得ないこと
まとめてやってやるわ。

と、その前に
伊作の馬鹿さに呆れたんで、そっちに一個な プ
678夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 07:09:07.18
>>629
論理だと喚く馬鹿は俺の具体的な話には「かんけいない」で逃げる プ
具体的に推論の根拠を挙げて話しても反論出来ないと「かんけいない」で済ますわけだ。
中々な逃げっぷりだぜ ワラ
だがな、お前は馬鹿だ。

>正使ではなく先遣調査隊が詔書を持参したたてか。タコ

持参してないから先遣調査隊、わかる?
確かに把握力、読解力に難ありだわ。
まあいいか、相手にしないと宣言しながら名無しで俺にレスしたり
しばらく控えると言いながら堪えきれずすぐ出てきたりだからな。
自分の宣言すら守れないくらい悔しかったのだろう。
反論は出来ないが罵倒せずにはいられなかった、か ゲラ

俺の論をねじ伏せも出来ず「かんけいない」連発で、よく文章の天才とかほざけるな。
隅っこでROMってな。
679夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 07:45:18.36
さてやるか。まずは「最初の使者は伊都国までしか行っていない」
これは何回も説明したので説明は簡略にいく。

1.「至、到」の使い分けから伊都国までしか行っていない

行程のあの短文の中で何回も出てくる「いたる」で「到」は二回だけ。
これは陳寿かあの行程を報告した者かが辞書通りの意味で「到」を使ったものだと断じた。
これに対して二つは同じ意味だとか、「至」は、あるいは「到」はこんな使われ方をしてる等があった。
だったから、なぜあの二ヶ所だけ「到」なのか説明をつけろと注文したが誰一人答えられていない。
陳寿の気紛れとでも説明するしかなかろ。つまり反論出来ない。
「到」は目的地に到着するの意味で使用されている。

2.観察記述が伊都国を境に消滅している。目的地で最も詳しく観察記述を書くべき邪馬台国にも皆無。

説明不要だな。使者が伊都国までしか行っていない歴然とした証拠だ。

これに次を加えよう。

3.実地で行ったところは里程表記だが、伝聞のところが時間表記で歴然とわかれる。

これは誰かが貼ったサイトに出ていたのをそのまま拝借する。
観察記述と呼応している。

反論があるならなぜ観察記述がなくなり、なぜ距離表記が里程から時間に替わるか
合理的に説明しろ。出来なければ文句を言うな。

以上3点から国、行程紹介の使者は伊都国までしか行っていないど断じる。
九州内に邪馬台国があるなら絶対に伊都国止まりはない。
必ず邪馬台国まで行くはずだが行っていない。
つまり九州に邪馬台国は存在しない。
680夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 07:56:37.04
次、里程について。

本題の前に、昨夜の名無し。
朝廷の命令で正確な距離を出したはずと主張していたが、上記3の通りだ。
時間表記より里程の方が正確なのは言うまでもない。
邪馬台国まで使者が行っていたなら、なぜ投馬国、邪馬台国は時間表記なのか説明しな。
朝廷命令で正確を期さねばならぬ使者が切り替えた必然性を説明しろ。

里は何回も言うが長里、短里などがあるとされる時点でいい加減なものだ。
って、ここは面倒臭いわ。やめ。
次の話が「仮に国、行程紹介の里が正確ならば」だから、これは棚上げだ。
681サガミハラハラ:2011/12/22(木) 08:03:39.17
これは誰かがはったサイトに出ていたのをそのまま拝借する。
観察記述と呼応している。

>>そうです。チンジュは種々の資料を拝借して切り貼りしたのです。
ですから、里程と日程にかわったのは、拝借した資料がことなっていたのです。
魏使は、里程は測定しなかったのです。フミ国までの資料とそれ以降の資料はちがっていたのですが、
チンジュはおかまいなしにはってしまったのです。
これは邪馬台国の都が吉野ケ里から小城甘木に遷都されたからです。
もともとの里程記録には吉野ケ里までの里数がきちんとかかれていたのですが、遷都してからの
里数は測っていなかったのです。
682夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 08:05:34.39
国、行程紹介の里が仮に正確だとしても万二千里は出鱈目

これは第一に上記の通り使者が邪馬台国まで行っていないんだから計測しようがないはずだ。

第二に。
いいレスがあるじゃないか ワラ
>>625そっくりコピペするぜ。

帯方郡−狗邪韓国:7000里
狗邪韓国−対馬:1000里
対馬−壱岐:1000里
壱岐−松浦:1000里
松浦−伊都:500里
伊都−奴:100里
奴−不弥:100里
不弥−投馬:水行二十日=666里
投馬−邪馬台:水行十日陸行一月=1333里

合計12699里=万二千余里

ここに答がある。
683夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 08:23:33.29
この中で対馬国、一大国がその間1000里だな。
これを昨夜の名無しを尊重し(ワラ)正確としよう。
これを「水行」に換算したらどうなるよ?
どう見たって「水行一日」しかあり得ない。
つまり「水行一日」=千里になる。
(そう言えば伊作が海里は一日航海を千里としているとかなんとか言ってなかったか。まあ馬鹿の話はいいか)
じゃ、これはなんだ?

不弥−投馬:水行二十日=666里

なんで水行一日の対馬国などが千里なのに水行二十日が666里になるんだろうねえ。
答はこれよ。

投馬国までは水行二十日。
ここは連続説でも放射説でもいい。つまり基点はどこでもいい。
どこかから投馬国に行くには水行で二十日かかる。
狗邪韓国から対馬国への二十倍だ。これだけで二万里にならなきゃ整合しない。
さらに邪馬台国までは「水行十日」もある。
投馬国も邪馬台国も放射説基点の伊都国じゃなく帯方郡からでもいいぜ。
投馬国に行くだけで二万里だ。
邪馬台国までは一万里プラス「陸行一月」だ。万二千里じゃ収まらんわね。

トータル万二千里など出鱈目なんだよ。
以上二点、反論あるならやってみろ。
684日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:26:53.34
>>646
独善勝手読み大馬鹿四天王
685日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:30:42.92
周髀算経から導きだされた、短里77m
隋書百済伝より導きだされた一月行約80キロ

一月行約80キロ≒短里1000≒里77キロ、と換算

水行二十日=20/30月=(2/3)×千里≒666里

以上
686日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:35:51.87
修正


一月行約80キロ≒短里1000≒里77キロ、と換算


一月行約80キロ≒短里1000里≒77キロ、と換算

私は、水行一日=千里説は採用していない。
なにか根拠があれば別だが。
687日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:38:40.03
>>683
>トータル万二千里など出鱈目なんだよ。

万二千里が出鱈目で水行陸行が出鱈目でない根拠はあるのか?

>以上二点、反論あるならやってみろ。

水行陸をが所要日数と考えるのが間違い、。
688夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 08:39:29.42
>>685
そんな計算出してなんになるの プ
じゃあ朝鮮半島から対馬まで一ヶ月もかかるのか ワラ
689日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:40:33.07
当然ある程度の誤差は見込まなければならないが
行程紹介の里も、万二千里もかなり正確である。

最も大きいと思われる海上での誤差でも三割以内で収まるようである。
690日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:43:29.58
隋書百済伝では。240キロほどの距離を
三月行と記録している。

当然三月もかかるはずはない。

月行は、距離の単位の一つと見るべきであり
実経過日数ではない。
691日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:46:34.24
邪馬台国が東北に在ったなら「邪馬台国は寒冷地」って記述があるはず
使者が実際に行ってたなら勿論、行ってないとしても倭人から「邪馬台国は寒い所ですよ」と説明されるだろうからね
でも実際は寒冷どころか温暖って書かれている訳で、この点で東北説は苦しい
692夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 08:51:40.12
もう少し何が出てくるか静観してよ ゲラ
693日本@名無史さん:2011/12/22(木) 08:56:46.87
距離も方向もデタラメという主張では、東北に行く根拠にもならんね。
日本中どこでもいいってこった。
>>625 のように熊本南部(だっけ?)のほうが説得力がある。
694日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:20:25.56
黥面文身の風習は明治初期あたりまで
肥前の旧松浦郡(唐津から五島にかけての一帯)や
島原、天草、八代海沿岸など九州でも温暖な地域に残っていたものですが
東北や畿内にもそういう風習があったのですか?
695日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:25:46.75
千軍萬馬・・・数え切れない程の大軍団。

千里萬里・・・どえらい遠く遥かな距離。
白髪三千丈。

馬々虎々、出会い頭のハッタリが中国人の常。
以上踏まえてヨロシク。
例えば、史書に有名な南北朝時代の北朝(北方民族系)のある皇帝が
画家の描いた名勝の風景画をどうしても実際に見たくてやらかしたお馬鹿で迷惑な出師の詞に。
「イザ往かん。万里を越えて天下の名勝、太湖の畔。千丈が峰に。我が百万の兵と。」

太湖は南京付近の名勝の太湖、
・・・敵対していた南朝(漢民族系)の国の真っ只中で首都の近郊。当然ながら侵略戦争をおこして討伐しないと無理な場所。
千丈の峰は画家が誇張してエラく立派に描いた畔の小山。
百万の兵は精々五十万、大体は三十万程度が現実。
696日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:38:32.53
>隋書百済伝では。240キロほどの距離を三月行と記録している。
そんな記事をもとに考えるのはどうかな。3日の誤伝かも知れない。
チェジュ島に関する記事と台湾に関する記事がくっついたのかも知れない。


697夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 09:38:35.38
こんなもんか?まだある?
眠くなってきた。寝ちゃうかも ワラ

伊都国までしか行っていないことにも反論あるなら、どうぞ。
具体的にな。
698日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:50:44.69
ヤマトは大国の大王(=大国主。大己貴命と意味は同じ)の坐す首都、首府の意味。

卑弥呼はヒミコで日巫女
これに該当する御神名は二柱坐して、
一方は、(天照)大日霊女貴命。(巷間、天照大神とされる御方。)
又の御号は天照大神荒魂。
=憧賢木厳之御魂天疎向津比売命。
御別名(秘匿)を瀬織津比売大神。

もうお一方は雅日霊女貴命。
巷間、天照大神の妹君とされる御方。
古代の妹には嫁/妻や一族の娘の意味も
フツウ?に考えてるとトヨ姫に比定できそうです。
699日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:54:14.27
>伊都国までしか行っていないことにも反論あるなら、どうぞ。
伊都国までしか行ってないなら、倭の山の動植物なんて書けるわけがない。
邪馬台国まで旅したからこそ書いているんだよ。
700日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:13:42.77
>>696

そういう誤記の可能性も無いとは言えないが、
誤記の根拠が確立しない間は、そのまま読むことにする。

もちろん、誤記だということがわかれば、
修正することもやぶさかではない。

至、到、に関しても、自分には漢字の細かい用法の違いがわからないので、
他の人の議論が枯れるまで待っている状態。
701日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:15:39.43
そもそも、伊都国までしか行っていないという根拠が無い。
その根拠が確立するまでは、連続式で邪馬台国まで行っていると解釈する。
702日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:30:46.42
邪馬台国畿内説は、九州にあった卑弥呼時代の邪馬台国が、
のちに畿内に移ったと考えれば、それほどのトンデモ説でもない
これが畿内説の唯一の生き残る道だな
考古学観点からの否定説なんて、あんなものはこじ付けばかりで、信用するなよ
703日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:37:03.79
至、到の違いなんて、陳寿の原本から何度も筆写転記されるうちに、
筆記者が好きなように書き変えている可能性があるので、
そんなことを議論の土台に据えても、何ら意味はない

704日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:53:44.34
>>701
それだとやっぱり九州中南部になるのかな?
なんか狗奴国っぽいけどな。
705日本@名無史さん:2011/12/22(木) 11:03:01.93
邪馬台国論争では、可能性99%の事象も、可能性1%の事象も、共に可能性ありということで同列に
論じられる傾向がある。
可能性が非常に高くても、そうでない可能性もあると批判され、可能性が非常に低くても、その可能性も
あると言われる。
こういう論調が定着しているから、いくら議論しても埒が明かない。

ちなみに、可能性99%というのは九州説で、可能性1%が畿内説というのはいうまでもない。
706日本@名無史さん:2011/12/22(木) 11:12:56.63
畿内説も東北説(w)も魏志倭人伝を信用すると成り立たない。
「間違いである」、「勘違いである」、「邪馬台国には行っていない」を連呼しなければならない。
風俗や武器などについてまで詳しく記してあるのだから、巨大な銅鐸なんて奇っ怪なものがあれば普通書くだろう。
707日本@名無史さん:2011/12/22(木) 11:14:29.78
景行天皇の熊襲退治では、北九州の中津から、大分宮崎と九州東部を移動している。
最後に宮崎に長く滞在していることから、宮崎が熊襲の本拠地の可能性もある。

熊襲とクナ国が同じと仮定すれば、熊本南部から宮崎にかけての、
人吉、都城あたりがクナ国との最前線となっただろう。
708日本@名無史さん:2011/12/22(木) 11:14:50.93
>>706
Good Point!
709日本@名無史さん:2011/12/22(木) 11:28:08.84
>>706
ぬうがたのアホも反論できんな
710夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 11:56:19.10
うたた寝してたら、ちょっとだけ目が覚めてきた。
いつ寝てしまうか?だが(なんせ今、酒飲みながらだから ワラ )
やれるだけやろうかね。

まず総じて言えば「有効な反論無し」でいいよな。
一個づつ行くぞ。

>>681
あははは、そう来たか。珍説として承っておく ワラ

>>684
煽りしかいえない馬鹿は引っ込んでな。

>>685-686
お前さんのコジツケ計算なら狗邪韓国〜対馬国は一ヶ月かかってしまう。
>私は、水行一日=千里説は採用していない。
あんたが採用してようが、してまいが関係ないだろが ワラ
狗邪韓国〜対馬はどう見たって「水行一日」だ。
時代は千年以上後になるが、秀吉の朝鮮出兵でな、開戦日に小西行長の軍が先陣を切っている。
これが対馬を出発したのが午前8時、釜山へ上陸開始が午後2時。6時間の行程だ。
千年以上経てば造船技術も航海術も進歩しただろうが、木造帆船には変わりない。
エンジンがつくわけじゃ無いから、そうは変わらないだろ。
仮に十時間かかっても「水行一日」には変わりない。これを倭人伝は千里としてるんだ。
机上のコジツケ計算じゃなく、現実を見なよ。
711夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 12:07:08.68
>>687
>万二千里が出鱈目で水行陸行が出鱈目でない根拠はあるのか?

あのな、馬鹿みたいな質問はやめてくんないか。
船で二十日旅したら、日付さえ数えていたら誰が二十日を間違えるんだ?

>水行陸をが所要日数と考えるのが間違い、。

もうそう言うしかなくなるよな ワラ
じゃあ「水行、陸行」は何かを言え。つーか、言ってからほざけ。

>>689
お前は昨夜の名無しじゃないかな?ま、どうでもいいが。

>最も大きいと思われる海上での誤差でも三割以内で収まるようである。

あっそ、三割ね。
狗邪韓国〜対馬国の里程千里を三割誤差で最大限見てみようか。
三割減なら七百里だな。これを「水行一日」でもいいぜ。
投馬国は、どっかから一万四千里。これでも「万二千里 アウト!」 だ ワラ
712夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 12:14:22.01
>>690
その後の誤記説否定でもいい。
「月行」が怪しいでもいいが、今の場合は「水行一日」の話だ。
「月行」ではなく、間違いようがない「日行」

で、お前さんも「水行、陸行」は実経過日数ではないと言いたいわけね。
じゃあ何よって話だ。上の奴と一緒。苦しいねえ ワラ
713夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 12:20:35.67
>>691>>693
今の話題と関係ないスレだと、好意的に見てやる。
もし俺の論に反論出来ないからのレスなら糞だぜ。
今ここで東北説は関係ない。
その関係ないことを否定すれば「万二千里は出鱈目」も否定できると思うなよ。
こういう論点ずらしは、このスレで度々見てるがね。
>>694も同じ。
論点ずらしじゃないなら、話題の論点をぼかすな。
714日本@名無史さん:2011/12/22(木) 12:24:54.71
>>710-713
必死なわりに反論できてない件w
715日本@名無史さん:2011/12/22(木) 12:25:19.36
>>713
>>691だけど、距離に関する話題とは関係なく、東北説への根本的な疑問。
716夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 12:30:57.16
>>699
>伊都国までしか行ってないなら、倭の山の動植物なんて書けるわけがない。

伊都国までも倭国だぜ。あとは伝聞でもいくらでも書けるさ。

>>701
根拠がない?お前は馬鹿だろ プ
「至、到」「観察記述」「里程から時間表記」これらを根拠としてるのが
理解できない馬鹿頭か。

>>702
この話題ではないレスだよな。

>>703
お前には>>700のレスを転用してあげよう。
>誤記の根拠が確立しない間は、そのまま読むことにする。

>>704-705
この話題に関係ないレスだな。

>>706
俺の東北説は魏志倭人伝を信用するから成り立つ。
解釈の仕方に注意がいるだけの話よ。

こんなとこか、何か抜けたかな?
717日本@名無史さん:2011/12/22(木) 12:44:06.64
>>603 :夢幻如
>会稽東治【冶】之東
>これを信じるなら倭国は台湾か沖縄になってしまうわ ワラ
「会稽東治【冶】之東」は、現沖縄だ。
それ以上の説明は割愛す。

>「倭地の範囲」を原文で?そこに何の意味があるんだね
原文を挙げて解釈を進めなければ、なんでも有りのただの妄想だ。



718日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:05:35.34
>>716
> 何か抜けたかな?
トンデモ必須のアイテム「モモソヒメ」が抜けてるぞ
719日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:12:17.56
>>716
何一つ反論できていない件w
720日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:12:37.01
夢幻如てのは主張するのも
相手を否定するのも「俺様はこう思う」だけが根拠だな。

他説の否定も自説の正当化も何の苦労もない。
どこかの天才と全く同じだな。
721日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:15:47.09
>>720
論理的な思考力がないんだもの。
722日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:17:20.79
>>716
>何か抜けたかな?

お前の頭のネジが抜けてるぞ
723日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:21:06.46
>>684
>>646
独善勝手読み大馬鹿四天王

俺がこう思うだけが根拠四天王
724日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:25:58.15
>>716
カスの無駄なかきこ。
誠に うっとうしい。
725日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:27:21.38
ここまでアホウ呼ばわりされる奴も珍しいな。
726日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:32:07.16
>>617 :ローガン:2
>>573
>>「安イ」は倭人伝の「末廬國」。「末廬國」が現下関なら「伊邪分國」≒投馬國は四国だね。
>?? 「安イ」って意味がわかりません。

失礼。「安イ」は「安[イ妾]」です。
「安」の解釈は『連結する』『取り付ける』『据え付ける』。

>安=案で、イ+妾=倭でいいんじゃないですかね?ほら、すぐ後にも
>中元之際、紫綬之榮。
>【漢書地志曰:「夫餘樂浪海中、有イ妾人、分爲百餘國、以歳時獻見。
>とあるし。イ妾人=倭人でしょう。

イ妾人=倭人
【漢書地志曰:「夫餘樂浪海中、有イ妾人、分爲百餘國、以歳時獻見。
【漢書 地理志 燕地条:「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云
 自危四度至斗六度 謂之析木之次 燕之分也」
先ず結論。
◎倭人は太伯之後で
「光武中元年二 倭國奉貢朝賀」→「邪馬臺國」→正始四年 倭王復遣大夫伊聲耆振邪拘等八人→ 卑彌呼宗女壹【臺】與年十三為王
◎イ妾人は季歴之後で
周→漢→魏 が本線で
安帝初元年 イ妾王師升等獻主口百六十→景初三年 イ妾女王遣大夫難升未利等
倭人伝の卑弥呼はこの流れ。

727日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:49:58.68
>>679
>観察記述が伊都国を境に消滅している。目的地で最も詳しく観察記述を書くべき邪馬台国にも皆無。

邪馬台国の記述は詳しく書いてあるだろ?
お前倭人伝ちゃんと読んだことあるのかよ?
728日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:54:38.80
伊作と夢幻如が、よく似てる点は、
とりあえず何でもレスを返せば、
「もはや反論済み」と思い込んでるらしいこと
729日本@名無史さん:2011/12/22(木) 13:55:05.29


震災前

     /::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
    /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~    ヽ:;::l
     |:::::::::::|    岡田 異音    |ミ|
     |:::::::/     ,,,  ヽ,、   '|ミ|  
     '|:::::::l    '''""   ゙゙゙゙`   |ミ|
       |:::::|.  ,,r ‐、   ,, - 、  |/
     ,/⌒|  ノ ・ _), (. ・ `つ|
     | (   "''''"    |"'''''"  | 
      ヽ,,.        ヽ    |
       |       ^-^_,, -、   |   
         |    _,, --‐''~    ) |  マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・ 
         'ヽ  (   ,r''''''‐-‐′ / 


震災後

     |:::::::::/            |ミ|
     |::::::::|   ,,,,,    ,,,,,   |ミ|
     |彡|.  '''"""''   ''"""'' |/
     /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |
     | (    "''''"   | "''''"  |  
     .ヽ,,         ヽ    .|  キリッ
        |       ^-^    |
   .     |     ‐-===-   |   大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
         ,\.    "'''''''"   / 
朝鮮民主党 
  解党
730唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/22(木) 13:55:16.87
邪馬台国の記述はまったくない。卑弥呼との面会がやっと容認できる程度である。
しかし、女王国から1ケ月以上離れて立地するのが邪馬臺國である。

210年 任那(狗邪韓国)建国 209年新羅、三国遺事(541年時点で建国330年)
216年 任那より朝貢 3世紀初めの大型建物(古韓尺)
225〜250年 ホケノ山古墳。 木槨石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 埴輪(穴あ
き壺) 東海・西瀬戸内の壺
纏向3類(前)庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年)
徳島県萩原墳墓群その1号墓 木槨石囲い構造 画紋帯神獣鏡(大同江区域出土の同笵鏡)
兵庫県綾部山39号墳 石槨木棺石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 讃岐系の土器片1点
と在地の土器片2点が出土。 播磨の墳丘墓からは吉備の土器が出土しない。

大和と阿波・讃岐・播磨は同盟的性格がある。
大和と東海は同盟的性格がある。
大和と吉備・出雲は同盟的性格がある。しかし、吉備と播磨の間にはそれがない。
この時点(ホケノ山)で、畿内大和は中国地方〜東海までの盟主的性格がある。
邪馬臺國畿内説を擁護する。


731日本@名無史さん:2011/12/22(木) 14:03:57.92
無限尿の理性・判断力が欠如しているという、
重大な論点が抜けてるよ。
732日本@名無史さん:2011/12/22(木) 14:04:39.74
>>730
あなたは別の板でお願いします。
733日本@名無史さん:2011/12/22(木) 14:36:39.50
>>710
>狗邪韓国〜対馬はどう見たって「水行一日」だ。

遣唐使船の速度を考えると、南航路で、一日の速度は50キロくらいだ。
最短八日から数ヶ月と幅はあるが、トラブルなく航海して20日くらい。

対馬-狗邪韓国の陸間の最短距離は50キロくらいだが、
釜山の港はかなり奥まったところにあるし、対馬の主要港は
中央に近いところにあるので、実際の航路は100キロくらいになる。

二日くらいかかるかもしれないぞ。倭人伝には「千里」としか書いてないからな。
734日本@名無史さん:2011/12/22(木) 14:40:41.62
>>727
つーか、
倭人伝読めてたらあんな出鱈目ばかり言えないだろう。
倭人伝読めてあんなアホ言っているとしたら相当な馬鹿という事だな。
735日本@名無史さん:2011/12/22(木) 15:10:58.52
>>710 :夢幻如
>狗邪韓国〜対馬はどう見たって「水行一日」だ。

あほか〜〜!
狗邪韓國〜對海【馬】國は千余里ある。
 千余里は約432kmだぞ。
18ノットのスピードで24時間走りぱなして432kmだ。
そんな船が魏の時代に有ったのか・

無理がとおればどおりでへんだ。
『狗邪韓国〜対馬はどう見たって「水行一日」だ。』が正しくて、
距離は当てにならない
というとうへんぼく。

736日本@名無史さん:2011/12/22(木) 15:15:23.38
>>735
夢幻如を
夢幻如と同じ方法で退治したあなたは偉い。
737日本@名無史さん:2011/12/22(木) 15:23:34.39
韓国を経て狗邪韓國に至と有るのに432kmは無いなw
それに狗邪韓國は倭国領土だし
738日本@名無史さん:2011/12/22(木) 15:30:12.93
確率的に畿内と東北はどちらが上なのだろうか?
739ローガン:2011/12/22(木) 15:41:00.02
>>726
>◎イ妾人は季歴之後で周→漢→魏 が本線で

王季との関係がわかりません がさておき、
文身點面、猶稱太伯之苗。
魏略曰:「女王之南、又有狗奴國、女男子爲王、其官曰拘右(古)智卑狗、不屬女王也。自帯方至女國萬二千餘里。其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂太伯之後、昔夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之吾。今[イ妾]人亦文身、以厭水害也。」

猶稱太伯之苗 とする本文に付けた注に登場するのは、イ妾人ですが…。
740日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:10:22.40
「自帯方至女國萬二千餘里。其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂太伯之後」

が自謂太伯之後で倭人。
で、
[イ妾]人は、
「昔夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之吾。今[イ妾]人亦文身、以厭水害也。」

倭人と同じように[イ妾]人も「亦文身」と解釈してよいのではないでしょうか?
741日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:11:57.23
>>738
同じくらいだろう。
742日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:12:19.03
>>679
>これは陳寿かあの行程を報告した者かが辞書通りの意味で「到」を使ったものだと断じた。

3世紀に、夢幻如が見ている辞書があったのか?
辞書には至や到の意味は、ひとつしかないのか?

>つまり反論出来ない。

反論しているのに、夢幻如が反論の有効性を認識できていないだけだろう。
そもそも、古代語の読解に辞書を持ち出すことがナンセンスなんだが。
743夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 16:43:22.91
なんかなあ、下らない煽りと恨み節だけで詰まらんのう。
魏志倭人伝における「万二千里」は出鱈目である。
出鱈目といったら悪いか。>>695の言うとおりなんだよ。

千軍萬馬・・・数え切れない程の大軍団。
千里萬里・・・どえらい遠く遥かな距離。
白髪三千丈。

「万二千里」は具体的な数字を表しているのではない。
これを否定しようと思えば「水行陸行は経過日数ではない」とするしかない。
じゃあ「水行陸行」とは何か?
ここの連中は「違う」止まりで何かは言っていない。
具体的に「水行十日」と「水行二十日」の違いを説明した話など聞いたことがない。

「万二千里」を具体的数字ではないと証明して見せたのは
300年を超える邪馬台国論争で俺様が最初か?
744夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 16:50:00.05
>>742
筑紫が貼ったサイトの専門家先生の中にもあっただろうが。
「至」を「〜まで」、「到」を「到着する」とする説もある、とさ。
これで見なければ倭人伝の使い分けは説明がつかない。
俺はそう言っているの。

お前さんが、あの短い紹介文の中に何度も出てくる「至」がある中で
なぜ2回だけ「到」になっているかを説明をするかい?
745夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 16:53:28.35
最初の使者は伊都国までしか行っていない。
「万二千里」は具体的な数字ではない。

論証終了としていいかな?
746日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:57:51.84
>最初の使者は伊都国までしか行っていない。
>「万二千里」は具体的な数字ではない。

なぜ?
747日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:58:48.14
>>745
いいわけないだろ
アホかおまえ
748夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 17:03:33.44
>>746
そういうのをループ作戦と言う。

こんな奴しかいないのか?
749日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:06:35.00
>>748
あんたの論証が全くできてないからだろ?
750夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 17:13:16.54
スルーしてもいいが、あとでゴチャゴチャも面倒だからレスしておくか。

>>733
>二日くらいかかるかもしれないぞ。

OK、なら「水行二日」にしよう。それなら水行一日は五百里になる。
どこかから投馬国への距離は一万里だな。
郡から狗邪韓国まで七千里とあるから、これでも「万二千里」はアウトだ。
751日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:13:57.81
いくら書き込んでも、結局、俺様脳内論証でしかないので、
誰も理解出来ない。

多分本人以外、誰も理解できてないだろう。

誰か理解できた奴いるか?
752唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/22(木) 17:20:18.96
>最初の使者は伊都国までしか行っていない。

ほぼ正確ではあるが、奴國の女王卑弥呼を訪れた可能性はある。
238年に、魏使(斥候)は、倭奴國王に面会したかったが、倭の代表者としての
倭奴國王はいない。そこで、だれかを代表者とするために、女王卑弥呼を共立する。
この共立卑弥呼を代表者として239年の朝貢がある。
だから、朝貢団の人選=卑弥呼を共立した勢力範囲である。
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神夏磯姫(カンカシヒメ)か?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王(男王)の部下 斗は書紀
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁

239年 奴國から代表者、邪馬臺國から副使、という構成の遣使団。
240年 カテイ等は邪馬臺國を訪れ、倭王位授与。晋書正始元年東倭重譚納具。
魏は、冊封体制へ倭国を組み込むため、分裂国家群の統一をはかる。
中国地方以東は、邪馬臺國で決まりであるが、九州全体が”乱”以来の分裂状態。
女王卑弥呼(男王)と邪馬臺國倭王は協力して事に当たる。
黄旛を受け取る役は、難升(斗)米の役であり、伊聲耆掖邪狗ではなかった。


753日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:20:30.54
>>750
>OK、なら「水行二日」にしよう。それなら水行一日は五百里になる。
>どこかから投馬国への距離は一万里だな。
>郡から狗邪韓国まで七千里とあるから、これでも「万二千里」はアウトだ。

そうはならないね。初めから実経過日数ではないと言っている。
表記の日数は距離の単位としての日数であり、
実際には何日かかっても関係がない。
754日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:21:52.78
>>751
痛い奴ってことぐらいかな
755日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:27:28.60
>>751
俺は無理、唐さんは理解できてるのかな。
756日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:38:10.08
>>755
理解できてそうだね。
似た者同士だから。
757日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:39:55.35
伊作なら部分的には(全部ではない)賛同するが、
夢幻如に賛同できるところは全くないねえ。
758おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/22(木) 17:52:39.76
>>745夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 16:53:28.35
>最初の使者は伊都国までしか行っていない。

ち〜とばかりお尋ねします。「最初の使者は伊都国までしか行っていない」というその使者は誰ですかね。
それから、倭人伝の地理記のところに書かれている下記の文ですが、
東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐
ここに書かれていることは對海国や一大国や末盧国に比べると「実地観察」の記述が少ないようですね。

「世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐」の部分は伝聞でも書けますよね。
何が言いたいかと申しますと、あなたの説の根拠の一つである「実地観察」記録の存在が末盧国で途絶えていて伊
都国まで及んでいないと見ることもできるということです。

さらに、郡使往來常所駐とありますから、これは最初の使者の報告では有り得ませんね。

なお、
男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國・(途中略)・下戸與大人相逢道路、逡巡入草;傳辭説事、或蹲或跪、
兩手據地、爲之恭敬。對應聲曰噫、比如然諾。
の部分は倭国の風俗等を述べたものですが、倭国の風俗として述べるからには大国である投馬国および邪馬台国を見
ないで済ますとは考え難いですね。あなたの言われるように對海国、一大国、末盧国、伊都国は実地観察したとして
もそれらの国々は全部合わせても9千戸の戸数を持つにすぎません。これで倭国を代表させるわけにはいかないでし
ょう。それともあなたは上記風俗等記事は全て倭人からの聞き取り調査によるものとするのですか?





759天才的な論客:2011/12/22(木) 18:07:22.23
>>678 ようよう無限暴。
>論理だと喚く馬鹿は俺の具体的な話には「かんけいない」で逃げる
非現実的なストーリーを「具体的な話」とはいわないのだ。

> 俺の論をねじ伏せも出来ず「かんけいない」連発で、
論になっていない話を「論」とはいわないのだ。

己の独善我流解釈をまくし立てたあとは、出てくるのは大口強弁だけ。
>>594の正論(お前のいう具体的な事実提示)に対する返答はゼロだ。
使節交流というものの実態を知らなかったんだろ。無知ゆえの無恥発言。

世人は利口だ。
とくに曲がりなりにも自論をひっさげている奴は、
(よほど天然オタクでもないかぎり)自分の小細工解釈を自覚している。
だから、他人の小細工解釈もすぐに看破する。同じ手法だからな。わらわら
な・小細工解釈や独善我流解釈は相手にされずに放置される宿命にあるだろ。

いまどき、国内純正仕様の我流解釈など通用しないのだ。
とくにお前のは、使い古された古い手法だ。のぼせるな
760天才的な論客:2011/12/22(木) 18:16:12.52
>>758
>對海国や一大国や末盧国に比べると「実地観察」の記述が少ないようですね。

伊都国どころか不弥国までは「女王国以北の国」であり、「その戸数・道里などを略載」したにすぎない。
倭国風土記ともいうべき倭国全体の見聞記録(実地観察記録)は、別の章立ててまとめてある。
無限暴はここの所をはき違えている。
文章構成の分別もつかんタコの暴言につき合う必要はなかろう。

はなしが・ちと高度すぎたかな?
761ローガン:2011/12/22(木) 18:37:48.72
>>740
>[イ妾]人は、「昔夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之吾。今[イ妾]人亦文身、以厭水害也。」

晋書に「昔夏少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害、今倭人好沈沒取魚、亦文身以厭水禽。」
とあるが、じゃあこれは間違いですかね。
それと、季歴との関連を示す文献などのご紹介よろしく。
762日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:45:02.75
>>743
倭人伝デタラメっていうなら読まなきゃいいのに。
763日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:56:37.57
>>744

   324 自分:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/12/19(月) 22:25:21.01
   >>214
   大將軍何進與袁紹謀誅宦官,太后不聽。
   進乃召董卓,欲以脅太后,卓未【至】 而進見殺。
   卓【到】 ,廢帝為弘農王而立獻帝,京都大亂。

   目的地は同じ。もし違いがあるとすれば、
   「まだついてない」か「もうついた」かの違い。
   目的地と経由地の違いではない。

>なぜあの二ヶ所だけ「到」なのか説明をつけろ

上記の例文、夢幻如説で説明できるのか?

仮に至と到が使い分けられているとしても、夢幻如説では説明がつかない用法が三国志に沢山ある。
夢幻如説が正しいとすれば、倭人伝だけ特殊な到と至の使い分けがなされていて、
三国志の他の部分では、その使い分けは無視して別のルールで使い分けしていることになる。
しかも、何の説明も無し。
そんなもの、言語ではない。
764太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/22(木) 19:15:08.92
伊支馬=イクメ=垂仁←まるで猿の惑星さんがらの噴飯説 bbb・・・

なお官(臣下)は天皇には絶対なれない。
765夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 19:17:08.39
>>758
もう出かけているんで、明日にでもじっくり話しましょ。

馬鹿の自称天才がまた自分の宣言を破り出てやがる ゲラ
上にいる名無し馬鹿と同じだ。
もうどうにも反論不可能とわかるから理解出来ないとし
あるいは勝手解釈、独善解釈だと誤魔化す。
勝手解釈や独善解釈つうのはお前の海里や6.5倍説みたいなものを言うんだよ。
一個もまともな反論も出来ないで何が天才だ。

「万二千里は実距離ではない」と日本で初めて(?)論証した俺様は
お前みたいに天才などと言う気は更々ないが、お前とは頭の出来が違う。
文章すら読めない、書けない馬鹿など俺様の足元にも及ばんよ ゲラ
766夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 19:23:49.85
>>752
南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。

これをどう解釈してるのか聞きたいね。

>>753
>表記の日数は距離の単位としての日数であり、
実際には何日かかっても関係がない。

それを具体例をもって説明しな。
九州説終了の大ピンチただ。必死にこじつけろ ワラ
767日本@名無史さん:2011/12/22(木) 19:49:49.48
う〜ん、決定的な馬鹿は、無限尿だけだと思うが?
768夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 19:55:34.60
>>763
国、行程紹介は恐らく最初に訪れた使者の報告書の転載だと思う。
もしそうなら、陳寿の筆ではないから三國志の他の用例と違っても不思議ではなくなる。

お前は倭人伝での二回の「到」を俺の説明以外で説明がつけられるか?
769日本@名無史さん:2011/12/22(木) 20:01:48.85
>>767
そういう下らないレスはやめてもらえませんかね
夢幻如はちゃんと自説をわかりやすく話しています
賛成、反対があるのは当然ですから反対なら議論してください
下らない誹謗のレスはスレレベルが落ちます
770日本@名無史さん:2011/12/22(木) 20:04:52.87
>>765
う〜ん、感動的なほど、実に伊作とそっくりな書き込みだ。
771夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/22(木) 20:08:47.36
さてお仕事。
この前の連休で我が家はクリスマスは終了。
年末年始はみんな仕事でまったくいつもと変わらず、正月らしきものはなし。
一月半ばに連休をとって遅い正月休みにするが、しばらくは普段通り。
2ちゃんも普段通りにやれるぜ ワラ
772日本@名無史さん:2011/12/22(木) 20:10:02.50
>>768
到と至が混在する理由の可能性を列挙する。

1、特に意図は無い。陳寿が、至と到は同じものとして使用した。

2、元の資料が複数あり、それぞれ到・至を用いられていたものを、そのまま切り取ってつなぎ合わせた。

3、陳寿が作った原本は誰も見たことがない。
  長い年月、沢山の人の手を経て筆写された間に文字の異同が起こった。

4、至と到には意味の違いがあり、使い分けがなされている。

 4−1 到は目的地への移動。至は目的地への途中の地点への移動。・・・夢幻如説
 4−2 4−1以外の意味での使い分け。

もっと他の可能性があったら、指摘おねがいします。
夢幻如氏は、1・2・3の説を否定する根拠は何も提示していない。
短い文に両方使ってるから4−1なんだと言い張るだけ。
根拠は「短い文に両方使ってる」だけ。
「短い文に両方使ってる」ということは、上記の1〜4のどの可能性も否定しない。
それが理解できないんだろうか?

使い分けが無いとすれば1.2.3のどれか。
使い分けがあったとすれば、他の例文の用法から、夢幻如説は否定される。
つまり、どう転んでも夢幻如説は成り立たない。


>国、行程紹介は恐らく最初に訪れた使者の報告書の転載だと思う。

だったら、4−1より、2の可能性の方が圧倒的に高い。
773日本@名無史さん:2011/12/22(木) 20:25:59.98
>>769
自演乙
774天才的な論客:2011/12/22(木) 21:07:58.35
>>765  無限暴。
ほれほれ。何一つ正論に対する返答がないぞ。

>勝手解釈、独善解釈だと誤魔化す。
図星だろ。これもまた正論だ。

>一個もまともな反論も出来ないで何が天才だ。
俺が提示した正論。すなわち使節外交の常識が最強の反論だ。
そもそもお前の言説は・反論というほどのものではないがなー。

>「万二千里は実距離ではない」と日本で初めて(?)論証した俺様は
だいい張ることを論証とはいわんのだが。論証の意味は知ってるのか?

>お前とは頭の出来が違う。
それは・はじめからはっきりしている。
俺みたいな方向からの「潰し意見」が出ることは予想もしなかったろう。
ご苦労だったな。潮時だ
775伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:08:08.88
>>586
>伊作
ではまず二郡の先行平定からか。
これは何度も言うように劉マ劉夏が
同一人物だという証拠を出さなきゃこんなもん成立しないよ。
三国志という同じ作者が書いた書物の中で名前が違うんだし
同一人物ではないと見るのが妥当だろ。
この点に関して逃げ回るなよw

次に喪中の新帝への拝謁などありえないか。
これはちょっと考えたらおまえの詐欺に気付いたよw
難升米らが新帝から制詔されたのは倭人伝によると
景初3年12月だ。この年は12月が2回ある。後半の12月なら
明帝の死から1年経っており喪はあけてて喪中ではない。
なのでなんの問題もないということだ。
逆に景初2年12月だったほうが大問題だ。翌年の元旦に明帝は死ぬし
この時期重体で危篤状態だwそんなときに倭国からきた使者の
処遇決めて制詔などできるわけがない。ほんとどこまでおまえは
詐欺ばっかなんだよww
776日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:17:24.86
夢幻さんの説は距離に関する考察は説得力はあると思う
(正しいかどうかは別として)
しかし「温暖」という記述を合理的に説明出来ない
東北を「温暖」と記述するとは普通に考えたらあり得ない
むしろ寒冷と記述するだろうし、無ければおかしい
それは夢幻さんも分かってるようでスルーしてるけどね
777伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:18:10.27
次に鏡がいつどこで作られたか。
これは俺も洛陽で作られたものだと思ってたが、
今日手鏡で眉毛整えてるときにはっと気付いたよw
こんな割れやすい繊細なものを陸路で数千キロかけて
運ぶのは不合理だとね。楽浪郡帯方郡で作りそのまま船で
運ぶほうが合理的だ。東夷向けの鏡は二郡で作られたと
考えるべきだろう。難升米らの帰国時に帯方郡で渡された
鏡の中に初期の舶載三角縁神獣鏡も含まれてたとすれば問題ない。

次は公孫氏政権に倭国は属していなかったか?
おいおいそれはないだろう魏志韓伝に204年に公孫氏が
帯方郡設置後、韓と倭はこれに属すとちゃんと書いてあるだろうにw
これをなぜ否定するか理解に苦しむねww
778天才的な論客:2011/12/22(木) 21:22:01.44
>>775
>劉マ劉夏が 同一人物だという証拠を出さなきゃこんなもん成立しないよ。
魏が任命した初代小尾方郡太守が劉マ、交替の時期と事情は不明だが2代目が劉夏。
こう書いたが見ていないのか。
俺のサイトでは、
中国の有名な『三国志』研究学者の意見として、二人が同一人物だという意見を添えた。
はき違えて攻撃していては効果が薄れるな。雲助

>同一人物ではないと見るのが妥当だろ。
当然だな。

>難升米らが新帝から制詔されたのは倭人伝によると景初3年12月だ。
はははー。それはあくまでも3年説に立ったばあいの意見であって、
それこそが詐欺意見だ。2年説では制詔したのは明帝だ。話にならん。

>この年は12月が2回ある。後半の12月なら明帝の死から1年経っており喪はあけてて喪中ではない。
点家手的な詐欺論法だが。これにつき合おうか。
じゃ、喪中の景初3年のうたに倭国は「喪中のお祝いの使者」を出したことになるぞ。タコ

>なのでなんの問題もないということだ。
お前は頭が悪い。畿内説の刺客には、もっと利口なのはいないのか?

>逆に景初2年12月だったほうが大問題だ。
>翌年の元旦に明帝は死ぬしこの時期重体で危篤状態だw
倭国の使者に接見したあと危篤に陥ったわけだ。

>そんなときに倭国からきた使者の処遇決めて制詔などできるわけがない。
危篤かせ死に至ることが予測できていた場合の話だろ。

>ほんとどこまでおまえは詐欺ばっかなんだよww
伊作誹謗もいいが、もっと質の高い話もってこい。ぼんくら
779伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:26:25.87
最後は画文帯神獣鏡と中平刀か。
舶載鏡を倭国が手にするルートはほぼ半島経由なわけで、
画文の製造時期は3世紀前半なんだし、このとき半島ルートを
おさえてたのは公孫氏政権であり、まず公孫氏政権から
輸入したものと考えるに決まってるだろうに。
それ以外にどういうルートがあるのか言ってみろよw
中国への朝貢だって半島ルートが遮断された4世紀は全くなくなり、
383年の淝水の戦いで前蓁が敗れ、東晋の勢力が山東半島まで
達することでようやく再開されたんだぞ。

中平刀も俺のほかにもローガン氏やあらため氏も同じように
公孫度のものだと証言してるじゃないかw
なぜこれも否定するのか。後漢から下賜されたものなら記録に残るだろうし、
時期的に考えて公孫氏の物だと考えるのがもっとも整合するだろう。
それを卑弥呼がもらったのが伝世して東大寺山古墳に入れたと
考えるべきだろうに。それ以外の解釈があるなら言ってみろww
780日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:31:11.87
>ねちねち君

君は「半島の倭」と「列島の倭国」の区別がつかないのか?
なんで君は、二者を同一視できるのかね?
781天才的な論客:2011/12/22(木) 21:33:11.86
>>777 ねちねち君
>こんな割れやすい繊細なものを陸路で数千キロかけて運ぶのは不合理だとね。
割れない運び方をするのが常道だが。
反論の論拠としては理屈になっていないな。

>楽浪郡帯方郡で作りそのまま船で運ぶほうが合理的だ。
>東夷向けの鏡は二郡で作られたと考えるべきだろう。
どこでつくろうが、魏が人心を惑わす邪教扱いした鬼道の信仰心反映した
呉式の神獣鏡をつくるわけがなかろう。歴史を考えるには頭がわるずきるぞ。

>難升米らの帰国時に帯方郡で渡された。
くだせねー方便の山たい国。
12月に魏都洛陽で鏡の下賜がほ決定した。
お前のバカ頭計算でいうと、二郡に鏡をつくるよう伝わるの何月になる?

>鏡の中に初期の舶載三角縁神獣鏡も含まれてたとすれば問題ない。
すべてが、ふにゃふにゃの逃げの詭弁だってこと、自覚できているのか?

>次は公孫氏政権に倭国は属していなかったか?
当然だ。

>魏志韓伝に204年に公孫氏が帯方郡設置後、
>韓と倭はこれに属すとちゃんと書いてあるだろうにw
これは、あくまでも半島の倭に関する記録だ。
公孫氏が海を渡って列島の倭を攻略したと書いてあるか。タコ
それとも、半島で風邪をひけば列島がクシャミするというわけか。

>これをなぜ否定するか理解に苦しむねww
文献記録の棒読みという「論拠ねつ造」による反論だ。

てめ。むかし八幡を名乗っていたバカ野郎か?
782日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:34:19.06
解釈の幅があるから何百年も揉めてるんだろ
何を言っても数ある仮説の内の一つでしか無いんだから、どいつもこいつもアホみたいに興奮すんなよ
「俺はこう考える」くらいにしとけ
783伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:37:41.04
>>778
>魏が任命した初代小尾方郡太守が劉マ、交替の時期と事情は不明だが2代目が劉夏。

交代時期も何もおまえが先行平定してから間髪入れずに
倭国の使者が帯方郡に飛び込んでると強調してるだろーがww

>翌年の元旦に明帝は死ぬしこの時期重体で危篤状態だw
倭国の使者に接見したあと危篤に陥ったわけだ。

おまえは本当にどこまでご都合主義なんだよww
んなわけねーだろ、元旦に死ぬ人間なら前月など
立ってることもままならんほど弱り切ってるわ。

>喪中にお祝いの使者を出したことになるぞ。
これも使者が皇帝に謁見するのが喪明けならなんの問題もないだろうに。




784日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:38:38.25
>>782

いやなに、総合的な蓋然性があるかないかだ。
倭の地は温暖としているのを、寒冷地に比定しようだとか、
畿内特有のものだから邪馬台国の証拠として捏造しちゃえ、
というのはダメ。
785伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:43:30.20
>くだせねー方便の山たい国。
12月に魏都洛陽で鏡の下賜がほ決定した。
お前のバカ頭計算でいうと、二郡に鏡をつくるよう伝わるの何月になる?

その反論は予想できててあえて書いたが、
景初3年銘鏡に関しては前年に製作していたものでいいだろう。
元から東夷向けに鏡を作る工房が二郡にあったとみるべきだ。
俺も勘違いしてたが別に作れと命じて卑弥呼への鏡を作る必要など
どこにもないということだ。
786唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/22(木) 21:43:54.90
210年 任那(狗邪韓国)建国 209年新羅、三国遺事(541年時点で建国330年)
216年 任那より朝貢 3世紀初めの大型建物(古韓尺)
225〜250年 ホケノ山古墳。 木槨石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 埴輪(穴あ
き壺) 東海・西瀬戸内の壺
纏向3類(前)庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年)
徳島県萩原墳墓群その1号墓 木槨石囲い構造 画紋帯神獣鏡(大同江区域出土の同笵鏡)
兵庫県綾部山39号墳 石槨木棺石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 讃岐系の土器片1点
と在地の土器片2点が出土。 播磨の墳丘墓からは吉備の土器が出土しない。

大和と公孫氏の関係は、任那成立後であり、中平年間に大和との直接関係は考えられない。
787天才的な論客:2011/12/22(木) 21:46:33.56
>>779 ねちねち君
>舶載鏡を倭国が手にするルートはほぼ半島経由なわけで、
呉との通交ルートがあったことをいう研究者も少なくないが。ホラ吹くな

>画文の製造時期は3世紀前半なんだし、
かんけいない。神獣鏡という鏡の性格が問題なのだ。タコ

>このとき半島ルートをおさえてたのは公孫氏政権であり、
>まず公孫氏政権から 輸入したものと考えるに決まってるだろうに。
理屈にならない理屈に基づく二段論法だ。

>それ以外にどういうルートがあるのか言ってみろよw
呉式の神獣鏡だ。これがなんで半島経由と断定できるか。

>中国への朝貢だって
倭人の朝貢対象し一貫した中原の王朝だ。これは認めるらしいな。
で・朝貢ルートと交易ルートは一つしかなかったという限定話か。クズ

>中平刀も俺のほかにもローガン氏やあらため氏も同じように公孫度のものだと証言してるじゃないかw
くだらねー。進爵など日常茶飯事だ。この意味は分かるか?
「ローガン氏やあらため氏も」て、何かアテにできる意見だとでもいうのか。

>時期的に考えて公孫氏の物だと考えるのがもっとも整合するだろう。
やってはならない帰納法による整合性でっちあげ。

>それを卑弥呼がもらったのが伝世して東大寺山古墳に入れたと考えるべきだろうに
もはや論理の欠落し願望論。

てめ。やはり八幡を名乗っていた野郎だな。
俺が潰してからしばらく見なかったが、やはり出てきたか。
いうことなすことに進歩かぜないな・浅薄野郎。
788日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:48:56.20
>>784
「総合的な蓋然性があるかないか」という判断も詰まる所主観だからねえ
畿内説九州説東北説ともそれなりに蓋然性は有ると思う
789日本@名無史さん:2011/12/22(木) 21:52:32.66
>>788

いいや、ピンポイント・単一問題だと、どの説にも蓋然性があるだろう。
しかしだ、総合的蓋然性では、はっきりと優劣がつく。
790伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:53:15.93
八幡ってなんのことだよw
俺は最近ここにきたしそんなやつはマジで知らんぞww
そんなやつと間違える程度の洞察力しかないことを晒してしまったわけだ。

>呉式神獣鏡だ、呉経由のルートだ。

ほんと予想通りの反応示してくれるわw
呉が公孫淵を燕王に封じたときに呉から万人単位で
燕に船で送られたとあるし、このときに呉の鏡職人も
混ざっていたとみるべきだろう。二郡で呉の鏡職人が
公孫氏政権の元で鏡を作っていたとみるべき。

791天才的な論客:2011/12/22(木) 21:54:33.65
>>783  進歩がない八幡
>交代時期も何もおまえが先行平定してから間髪入れずに
>倭国の使者が帯方郡に飛び込んでると強調してるだろーがww
その時の太守劉マではなく劉夏になっていることは周知の事実だが。
何をいいたいのか、以前と何も変わらんなー。

>元旦に死ぬ人間なら前月など立ってることもままならんほど弱り切ってるわ。
いったいどういう病と勝手に限定したの空論なんだ?

>使者が皇帝に謁見するのが喪明けならなんの問題もないだろうに。
ほれ。時間の感覚のないバカ意見。
急病で倒れて急死することが分からない時期に使者を派遣したのだから、
「喪中のお祝い派遣」というバカげた理屈だろ。わかんねーだろーなバカだから

>>784
いやなに、総合的な蓋然性があるかないかだ。
倭の地は温暖としているのを、寒冷地に比定しようだとか、
畿内特有のものだから邪馬台国の証拠として捏造しちゃえ、
というのはダメ。

>>785
>景初3年銘鏡に関しては前年に製作していたものでいいだろう。
>別に作れと命じて卑弥呼への鏡を作る必要などどこにもないということだ。
すだに逃げの方便になっている。
卑弥呼へ贈るための特注鏡という節は放棄か?
792伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 22:02:55.45
>>791
自分がほとんどタイムラグもなしに
先行平定後の帯方郡に使者を送ってると言ってるくせに
何言ってるんだww
だったら大守の交代などあるわけないこともわからん馬鹿なのかww
てか同一人物説否定した時点でもうゲームオーバーww
破綻してるよその説。

あと>急病で倒れて急死することが分からない時期に使者を派遣したのだから、

これはなんの話だw景初3年なら帯方郡も平定されてて
6月に郡に使者を送り、その後半年かけて洛陽まで行き、
皇帝に謁見した時は喪が明けてる。出発時に最初からこうやって計算して
移動すれば済む話だろうに。

793天才的な論客:2011/12/22(木) 22:05:08.87
>>790  進歩がない八幡
>呉が公孫淵を燕王に封じたときに呉から万人単位で燕に船で送られたとあるし、
実際は交易商人を入れても千人規模だろ。

>このときに呉の鏡職人も混ざっていたとみるべきだろう。
単なる想像だ。職人まで混じっていたとは書いていない。

>二郡で呉の鏡職人が公孫氏政権の元で鏡を作っていたとみるべき。
封爵使節の船を襲い、使節をはじめ皆殺しにして金品を奪ったが、
鏡職人だけは捕虜にしたってわけか。ホラもほどほどにせい。

ほれ。どんどん空想の世界にのめりはじめだぞ。
794伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 22:09:54.65
おいおい進歩がない八幡って誰のことだよww
俺はマジでそんなやつ知らないぞww
19歳の某国立大生の別ハンと見破った前の意見のほうが正解だww

だいたいおまえはタイムラグの計算がご都合主義すぎるw
実際そんな短いタイムラグで現状把握して使者送れたわけない。
795天才的な論客:2011/12/22(木) 22:12:43.72
>>792  浅薄八幡
>同一人物説否定した時点でもうゲームオーバー
>破綻してるよその説。
おまえ。同一人物ではないと断言したんではないか。
論理破綻とはそのことだ。タコ

>景初3年なら帯方郡も平定されてて6月に郡に使者を送り、
>その後半年かけて洛陽まで行き皇帝に謁見した時は喪が明けてる。
だから。喪中の6月に派遣したわけだ。
で・喪中の12月に接見したわけだ。

>出発時に最初からこうやって計算して移動すれば済む話だろうに。
都合がよすぎて、お前の思考構造はマンガ以下だ。
796伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 22:14:15.09
ちゃんとこないだ食事した時に古代史のプロの学者から
景初3年が正解だというお墨付きをもらってきたからw

いくらたてつこうが、学会ではもうこれがコンセンサスらしいから。
素人が何を言おうがもう覆らないからww
797天才的な論客:2011/12/22(木) 22:17:09.28
>>794 仕返しにやってきたボケ八幡
>19歳の某国立大生の別ハンと見破った前の意見のほうが正解だww
そうかあ。俺は特殊能力者でな。直感と洞察の天才でもあるのだ。

>そんな短いタイムラグで現状把握して使者送れたわけない。
古代人の能力評価と史観の違いだ。のぼせるな
798伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 22:21:34.45
あたりまえだww

どんなに短くタイムラグを計算しても
司馬軍が襄平に到着する6月以前に卑弥呼が使者を
送ってる計算になるんだしそんなことはありえんわww

昨日も言ったが司馬軍は4万で、公孫淵軍は15万と
兵力では司馬軍のほうが劣勢であったんだし。
まあ大将の質の優劣ははっきりしてたからそれが結果に出ただけで。
799天才的な論客:2011/12/22(木) 22:26:22.95
>>796 情けないちんぴら八幡
>古代史のプロの学者から景初3年が正解だというお墨付きをもらってきたからw
その古代史のプロの学者とやらを、
ここか俺のサイトのコメント欄にでも連れ出してこい。マジに議論してやるる。

最後には、尻尾を原に巻き付けて電柱の陰で吠えるふ抜け犬のようなこという。
てめ。そんな根性なしで、よく俺に食いついてきたもんだな。
最初の勢いはどうした。

>いくらたてつこうが、学会ではもうこれがコンセンサスらしいから。
たてつくのではない。畿内説学者たちの欺瞞を暴いてみせたのだ。

>素人が何を言おうがもう覆らないからww
素人もプロもない。正論が勝つ。泣きごとをいうな。見苦しい。
800伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 22:28:35.24
同一人物説を否定しちゃったしもうおしまいだなww

さすがに1時間もこんな話のわからんやつの相手してどっと疲れた。
そろそろ風呂入って、ウイイレでもやるかな。
歴史ばかりじゃ味気ないわ。そうは思わんか爺諸君?
801日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:34:23.36
伊作というより爺嫌いなねちねち君:2011/12/22(木) 21:18:10.27
>今日手鏡で眉毛整えてるときにはっと気付いたよw
>こんな割れやすい繊細なものを陸路で数千キロかけて
>運ぶのは不合理だとね。楽浪郡帯方郡で作りそのまま船で
>運ぶほうが合理的だ。

“ねっちゃり”が100円均一で買った鏡と銅鏡が一緒? それこそ プッ
802天才的な論客:2011/12/22(木) 22:35:19.72
>>798
>司馬軍が襄平に到着する6月以前に卑弥呼が使者を
>送ってる計算になるんだしそんなことはありえんわww
お前、そうとう頭悪いな。視野も狭いし思考流域も狭い。
まず、遼東問題は東アジア諸国細田の関心ごとであり、最大の国際問題だった。
「司馬懿が洛陽を立つ」という情報は、緊急情報だからすぐに伝わる。
さらに、
司馬懿軍が遼東に到着して遼水で対峙したのは何月だったか。
司馬懿軍が襄平の城を包囲する6月以前に倭国が使者を派遣したことに
時間域な無理はぜんぜんないぜ。古代人の能力をバカするな・この野郎

>昨日も言ったが司馬軍は4万で、公孫淵軍は15万と
>兵力では司馬軍のほうが劣勢であったんだし。
>まあ大将の質の優劣ははっきりしてたからそれが結果に出ただけで。
なーにをいい出すなんだボケ。かんけーない。
むしろ魏本国では、4万は多すぎるという意見が出たほどなんだぜ。
勝負はやる前から見えていたんだ。お前と俺の勝負と同じだな。
803日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:43:06.83
>ねちねち君

>昨日も言ったが司馬軍は4万で、公孫淵軍は15万

15万人がわずかな食料で籠城したことこそ、決定的な敗北要因なんだが。
804日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:43:19.11
邪馬台国の発音はヤマト国でしょ? 邪馬臺国の発音は?
805日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:47:09.95
>>804
ゴロ合わせの歴史学から卒業しようよ。
806頭にきている天才論客:2011/12/22(木) 22:49:26.84
進歩がない八幡よ。
俺がいうまでもなく、誰もが気づくことだ。ほれ

3年説に従って第一回目の朝献が新帝・斉王芳への朝賀訪問だったとすれば、
その献上物が第二回目以降のそれに比較すると格段にお粗末すぎる。
新帝の即位を祝う朝賀の貢ぎ物とは見えない。
●景初2年の貢ぎ物 倭国の使者は難升米等2人で、上献したのは男生口4人、女生口6人、班布2匹2丈、
●正始4年の貢ぎ物 倭国の使者は掖邪狗等8人で、
 上献したのは生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢。
これをみただけでも、第一回目は十分な準備ができず、相当に慌てて間に合わせた感がある。

この事実を前に、気のきいた詭弁をいえる奴はいるか?
807頭にきている天才論客:2011/12/22(木) 22:53:22.13
>>800
>さすがに1時間もこんな話のわからんやつの相手してどっと疲れた。
俺は神経戦にも強いんだ。
絶対に小細工はしないし、論旨を見失うこともない。
勝負はやる前から見えているんだ。よゆうよ

>そろそろ風呂入って、ウイイレでもやるかな。
>歴史ばかりじゃ味気ないわ。そうは思わんか爺諸君?
俺は相手が逃げたなどという安いことはいわんが、いちおうは議論放棄宣言か?
808日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:53:24.97
卑弥呼は吉備らしいです
809日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:55:47.89
伊作も、やればできるじゃないか
810日本@名無史さん:2011/12/22(木) 22:57:40.66
高天原は蒜山らしいです
811日本@名無史さん:2011/12/22(木) 23:04:27.15
福岡西区にも山門がありますた
812ローギャン:2011/12/22(木) 23:12:10.51
>>806頭にきている天才論客
>進歩がない八幡よ。

伊作ちゃん違うよ。彼は八幡氏じゃない。八幡氏はあれほど弁は立たないし頭も・・・
813頭にきている天才論客:2011/12/22(木) 23:13:05.07
>>809
>伊作も、やればできるじゃないか
取り巻き群集の中の傍観ヤジ馬か。
自分を高みにおいたハナ持ちならねー発言だな。心理は見え見えだぜ

「俺は絶対に小細工はしないし、論旨を見失うこともない」。
「だから、勝負はやる前から見えている」。

正論が見える奴と論理が分かる奴は、絶対に俺に議論を挑んではこない。
正論と論理では勝てないことが分かるから。
もしくは、自分が古材九九解釈に頼っていることを自覚できているから。
俺にからんで来るのは、論理の欠落したバカばかりよ。

無視して放置すれば、勝った宣伝をする態度のタマだ。
ちょいとかまってやれば・ちょろいもんよ
814頭にきている天才論客:2011/12/22(木) 23:15:06.92
>>812
弁が立つというほどのものでもなかろう。
弁がたないし頭が悪いところも、似たようなもんだ。
回転スピードからして・かったるいしな。
815ローギャン:2011/12/22(木) 23:16:53.07
伊作ちゃん

卑弥呼帰国子女説は言い過ぎではないかな〜。
816日本@名無史さん:2011/12/22(木) 23:18:57.82
やまとととひももそひめのみことらしいです
817頭にきている天才論客:2011/12/22(木) 23:33:40.55
それもすでに述べたが、論理で詰めている。反論があれば論理の通じる人だけでおいで。

張魯の天師道が鬼道と呼ばれ始めたのが188頃からで、そこから30年間218年頃まで続いた。
張角の太平道を柱とした黄巾党は180年頃の旗揚げで、20年間200年頃まで続いた。
両者は190年代に中国本土で盛んになっている。
卑弥呼が女王になったのは同じく190年前後である。
その彼女は、女王になる時点ではすでに鬼道を修得していたことになる。
問題は、彼女はいつ・どこで鬼道をマスターしたのかである。
時間的なタイミングからみて、中国で学んで帰国した倭人道士がいて、
それを卑弥呼に伝授したとは考えにくい。それでは卑弥呼は大陸で鬼道をマスターしたのか。
こちらの可能性のほうが高い。となれば、彼女は新来の渡来人の子女という論理に帰結する。

その卑弥呼の鬼道については、張魯と同じ鬼道と書かれたことや、
鏡と剣を神宝とする様式からみて、天師道か太平道だったものとみてよさそうである。
卑弥呼が鬼道をマスターした渡来人だったとすれば、漢巴の地で天師道を修得して、
長江をくだってきた可能性も少しは残されている。
ただ、鬼道様式の伝播にしろ鬼道を修得した人材の渡来にしろ、
日本列島に至るまでの時間的・距離的スタンスからいえば、
内陸部の漢巴を拠点とした天師道よりは東部で盛んだった太平道がやってきた可能性のほうが高い。

……ここで、よくよくお考えいただきたい。
中国発祥の「森羅万象の哲学」ともいえる黄老学を基礎とする「道学」を修得するには、
高度な中国語の素養と多岐にわたる知識・見識を必要とする。
必然の道理として、生粋の土着倭人には伝授も修得も不可能である。
ということは、卑弥呼はやはり新来の渡来人の線が濃厚だろう。これが論理だ。

ま・みこれに対抗する言説としては、卑弥呼の鬼道は倭人の土着宗教ということか。
だが、「鏡と剣を神宝とする様式」は紛うことなく鬼道(天師道)の様式だし、
異民族の素性や習俗や宗教に関心の強かった中国人が見紛うことなどない。
818日本@名無史さん:2011/12/22(木) 23:34:30.29
邪馬台国なんて何処でもいいじゃん
青筋立てて言い争う事ではないだろ
819日本@名無史さん:2011/12/22(木) 23:44:17.41
>>817

>ということは、卑弥呼はやはり新来の渡来人の線が濃厚だろう。これが論理だ。

渡来人かどうかは別として、雄大な世界観・宇宙観をもった宗教が、日本列島に
やってきて、たちまち積極的に受け入れられるというのはよくあることだと思う。
ただし、民族宗教色が強すぎるものは別だが。
820頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 00:05:12.64
>>818
それならば、お前はなんでこの板にツラ出すんだ?
黙ってほかへ行け。

>>819
>雄大な世界観・宇宙観をもった宗教が、
>積極的に受け入れられるというのはよくあることだと思う。
豊穣の祈りと地鎮に使われた銅鐸に比べれば、
破邪・駆邪・地鎮・死者を神仙へ導く呪具のほかに、
病気治療・医薬処方・鬼神の災いを避けるという
「生者への現世利益」をもたらす宗教だ。
またたく間に広がったことは想像に難くない。
そのツールとなったのが鏡と剣だったわけだ。

これで、少しは古代の素顔がみえたはずだ。
821ローガン:2011/12/23(金) 00:06:19.77
>>794
>19歳の某国立大生の別ハンと見破った前の意見のほうが正解だww

自身の主張を、hnの使い分けにあわせて、色々変えるのは掲示板的には、ルール違反ではないの?
822日本@名無史さん:2011/12/23(金) 00:17:20.96
ルール違反なんか言ってたら畿内説やってられないべ。
823日本@名無史さん:2011/12/23(金) 00:46:30.33
邪馬台国とは何か?という答えは、大和朝廷とは何か?という問いとほぼ等しいのではないだろうか?
古墳j時代を調べていると、古墳の格式というものは豪族の格付けによって大和朝廷が決めていたようだ。
財力があっても格式が低ければ前方後円墳は造れない。帆立式古墳にするか、巨大円墳にするしかなかった。
当時、大和朝廷は直接地方を統治することはなかったけれど、定期的に巡回して、祭ろわぬ者どもは征伐し、徹底的に潰す政策をとっていたのだ。
古墳時代は約350年。その間に作られた古墳の数は大小合わせて数万。
この期間は戦国から江戸時代とほぼ一致する。造営された古墳の数も戦国から江戸時代に作られた城の数に近いのではないだろうか?
内部に石室を作り、葺石で葺く大型古墳の構築技術と城の石垣を築く技術には連続性があると思われる。
野見宿禰を起源とする石工集団は、古くはエジプトのピラミッドや万里の長城を作ったフリーメイソンと同祖のの渡来人集団だろう。
824日本@名無史さん:2011/12/23(金) 01:46:17.62
震災前

     /::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
    /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~    ヽ:;::l
     |:::::::::::|    岡田 異音    |ミ|
     |:::::::/     ,,,  ヽ,、   '|ミ|  
     '|:::::::l    '''""   ゙゙゙゙`   |ミ|
       |:::::|.  ,,r ‐、   ,, - 、  |/
     ,/⌒|  ノ ・ _), (. ・ `つ|
     | (   "''''"    |"'''''"  | 
      ヽ,,.        ヽ    |
       |       ^-^_,, -、   |   
         |    _,, --‐''~    ) |  マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・ 
         'ヽ  (   ,r''''''‐-‐′ / 


震災後

     |:::::::::/            |ミ|
     |::::::::|   ,,,,,    ,,,,,   |ミ|
     |彡|.  '''"""''   ''"""'' |/
     /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |
     | (    "''''"   | "''''"  |  
     .ヽ,,         ヽ    .|  キリッ
        |       ^-^    |
   .     |     ‐-===-   |   大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
         ,\.    "'''''''"   / 
朝鮮民主党
    解党
825日本@名無史さん:2011/12/23(金) 02:39:17.43
>>823

>江戸時代に作られた城の数

江戸時代にはほぼ築城が禁止されていたので凄く数が少ないけど、そういう意味?
826日本@名無史さん:2011/12/23(金) 05:48:47.60
邪馬台国前後も、江戸時代のあたりも
経済の中心は農業であり、本質は同じなんだよね。
だから、似たようなことが起こっていても不思議ではない。
産業構造が急激に大きく変わったのは
近代に入ってからの産業革命以降だから。
邪馬台国〜江戸時代までの変化と
江戸時代〜現代までの変化だと
邪馬台国〜江戸時代までの変化のほうが小さいぐらいだ、
期間が圧倒的に長いにもかかわらず。
827日本@名無史さん:2011/12/23(金) 05:55:19.82
19歳名古屋撃沈w
828夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 06:28:20.53
>>758>>772>>776
あとでちゃんとレスする。
俺は前振りしたことや予告したことは必ずやる。
>>776、その話も説明しているぜ。
馬鹿はスルーするが肝心なところは絶対スルーなどしないよ。
突っ込まれれば必ず応える。
自称天才のヘタレ馬鹿頭とは違うぜ ワラ

今日はそのヘタレ馬鹿頭叩きが先だ。
こいつの頭の悪さをとことん証明してみせよう。
829夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 06:56:45.77
>>759
まずこれ。

>使節交流というものの実態を知らなかったんだろ。

この馬鹿の把握力、読解力の無さがよくわかる馬鹿レスだ プ
いいか、馬鹿頭。馬鹿レベルまで降りて説明してやるからよく嫁。

俺は最初の使者は正使ではなく先遣調査隊だと主張した。
そこにこの馬鹿は「節」だのなんだの使節の儀礼、しきたりなど出し、反論出来たつもりでいる。
双方がそういう儀礼、しきたりを守らねばならない正使ではないという主張に
正使の儀礼、しきたりはこうだと言ってきたわけだ。
的外れも甚だしい ワラ
なぜ最初の使者が正使ではなく先遣隊であるかは中華思想から説明した。
反論するならここで、こいつは最初の使者は正使だと主張しなければならない。
一応正使だと言ってはいたが「なぜか」がない。
俺の中華思想を根拠にした主張に対する反論もない。
で、ずれまくりの馬鹿は「調査隊が詔書を持っていったてか」と馬鹿を重ねた。
金印、詔書などを持っていけば正使だろうが。
正使じゃないと言ってるのにこれだ。
こいつがやるべきは、儀礼などの説明ではなく
俺の中華思想を根拠にした「いきなり正使を送るはずがない」という主張の否定なんだよ。

人の論旨を掴めないから的外れで反論した気になる。
馬鹿だからだ。
830日本@名無史さん:2011/12/23(金) 07:03:46.78
>>829
こいつダメだな
自分の頭の悪さをとことん証明してやがる
831夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 07:09:11.42
>>760馬鹿論はあとでやろう。

>>「万二千里は実距離ではない」と日本で初めて(?)論証した俺様は

>だいい張ることを論証とはいわんのだが。論証の意味は知ってるのか?

馬鹿に論証の意味を教えてやろう。
九州説、畿内説、俺の東北説はすべて推論だ。
個別項目では論証することは可能だが、決定的証拠がなければ
どの説も「推測」が入るから「推論」の域を出ることは出来ない。
つまり各説の正当性、正しさは「論証」出来ない。

だがな、俺の「万二千里は実距離を表さない」は完全なる論証なんだよ。
これも馬鹿レベルに降りて説明してやろう。

ちと時間あく。帰宅中なんでな。
832日本@名無史さん:2011/12/23(金) 08:27:19.75
>>831
伊作みたいに自分のHPかなんかでやれよ。
アホウすぎて読むに堪えないんだよ。

一度伊作の見てみな。
ちと独善に過ぎるところはあるが勉強にはなるぜ。
少なくともお前の落書きよりはな。
833日本@名無史さん:2011/12/23(金) 08:36:23.07
伊作と無限では格が違いすぎる
834頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 08:45:13.32
>>829 :夢幻如
>俺は最初の使者は正使ではなく先遣調査隊だと主張した。
論証はせず首長するだけなら、オタクでもできる。

>「節」だのなんだの使節の儀礼、しきたりなど出し、反論出来たつもりでいる。
事実を提示したが、立派な空論崩しだ。

>なぜ最初の使者が正使ではなく先遣隊であるかは中華思想から説明した。
俺が提示した節外交の常識は、その中華思想からなる王朝の外交儀礼だが。

>反論するならここで、こいつは最初の使者は正使だと主張しなければならない。
使節外交の常識から、正始め元年の使節は正使だと主張している。

>一応正使だと言ってはいたが「なぜか」がない。
絶対専制時代のトップ外交における使節交流の常識が「なぜ」にあたるが。

>俺の中華思想を根拠にした主張に対する反論もない。
「中華思想を根拠にした主張」が何だか不明だか、そんな駄論に言及する必要はなかろう。

>金印、詔書などを持っていけば正使だろうが。
正しい元年の使節は正使なわけだが。

>こいつがやるべきは、儀礼などの説明ではなく
使節外交の常識を手時しただけで充分むだ。

>「いきなり正使を送るはずがない」という主張の否定なんだよ。
勝手な「はずがない」というカラ主張だろ。
現実に正使が金印と詔書を持参して卑弥呼に渡している。

>人の論旨を掴めないから的外れで反論した気になる。
もともと的外れを連呼しているからだ。
835頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 09:00:50.18
>>831 夢幻如  吹けば飛ぶよな・ウスバカゲロウ(薄馬鹿下郎)

>俺の「万二千里は実距離を表さない」は完全なる論証なんだよ。
はははー。
中国人特有のアバウト表現でいう「万里」と、
『倭人伝』のいう「万二千里」が同じアバウト表現というわけか。タコ
この手のがんたれには馬耳東風だろうが、論理的思考とはこういうものだ。
↓↓↓
後漢代までは伝説か風聞でしかなかった大海の中の倭人と倭人の住む島の発見は、中国にとっては民族学的・地理学的大発見だ。
その調査と記録は、前漢朝の西方調査に匹敵する偉業だ。文化事業だ。
文化事業も天子政府の責務の一つであり、誇らしい「業績」となる。
そうして書かれた東夷伝の中でも、倭人伝は目玉だといえる。
だからこそ、他の東夷諸国とは異質にも、
帯方郡から邪馬台国へ至る方角・行程・日程・距離が細かく書かれている。
これをいい加減だアバウトだ、実距離を表さないなどとほざいて、
てめ、歴史を語っているつもりか。
いったい・どんな小細工言説を見て入れ込んでるんだ?

絶対専制時代の「神」にも匹敵する天子の命を受けて組まれた
調査関係者を含む使節団が適当な仕事をしたというわけか。
俺の観測では絶対にあり得ないとは思うが、こうたとえよう。
お前が会社から外国出張を命じられたとして、
出張中の行動と日程と距離とをアバウトに書いて提出するか?
真性の馬鹿やろうには、はっきりしてい分かりやすいだろう。
836完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 09:12:26.55
吹けば飛ぶよな・ウスバカゲロウ。じっくり相手になってやるぜ。

俺はやさいしい男だから、「とんでもだろうが妄想論だろうが、
男が人生の何%かをかけて構築した論だから、完全に潰することはしない」という主義だ。
馬鹿でもないかぎり、2〜3度やりあえば、相手の力量もどっちが正しいかもわかるものだしな。

お前まさしく、相手がどんな人間で・どんな力量の持ち主で、
どんな道具を所持しているかも分からないのに、
行きずりの喧嘩を得るような愚かなことやっている。
潰されても恨みつこなしだぞ。承知だな。

マジに議論する気なら、罵倒と誹謗文言はいいから、純粋に意見だけに限定して書け。
馬鹿呼ばわりは互いになしだ。議論の邪魔になる。
837日本@名無史さん:2011/12/23(金) 09:15:01.55
南水行十日陸行一月至邪馬台国じゃなくて南至邪馬台国水行十日陸行一月と書いたのはなぜですか?
838夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 09:24:15.35
お〜お、的外れに輪をかけてやがる プ
ま、とりあえず放置。続きやるぞ。「論証」とは何か教えてやるよ。

俺は「万二千里は実距離ではない」と主張した。これを論証しなくてはならない。
論破すべき相手は「万二千里は実距離」肯定者
この時にやらなきゃならないこと、やってはならないことがある。
論破すべき相手が見て納得できる材料で論を構築すること、がやるべきこと。
「勝手解釈、コジツケ解釈」と「推測」を入れてはならない。これがやっちゃならないこと。

俺はこの論を張るにあたって出した材料は三つだけ。
「狗邪韓国〜対馬国は千里」
「狗邪韓国〜対馬国は水行一日」
「某所〜投馬国は水行二十日」
上と下は倭人伝の距離表記は正しいと言う連中が相手だから否定するはずがない。
中は現実だ。事実ならこれも相手は否定しようがない。これでまず
狗邪韓国〜対馬国=千里=水行一日 の等式を出した。
どこにも勝手解釈もコジツケも推測も入っていない。
相手が見ても納得せざるを得ない材料だけでこの等式は成り立つ。
これを「某所〜投馬国=水行二十日」に当てはめただけだ。
これで「某所〜投馬国=二万里」になる。
国内旅程だけで二万里になるなら「群〜邪馬台国の総旅程 万二千里は間違い」
これが当然の答えになる。
コジツケも勝手解釈も推測もここには入っていない。
これで「万二千里は実距離ではない」が「論証」される。

唯一問題になりそうなのは「水行」だが
「船で何日かかったかを表すもの」という解釈は一般的なものだ。
俺の独自解釈ではない。俺はこの一般解釈を使っている。

これを見て俺の論を勝手解釈、独善解釈だと馬鹿は言う。
「論証」が何かがわかっていないからだ ゲラ
839夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 09:37:20.80
>>835のような話を「論点ずらし」という。
憶えておけ、低脳。

お前が言ってるの「推測」を含む背景説明。
これなどいくらでも反論は可能だ。
ただ、こちらの反論にも当然「推測」が入るから、どりらも「論証」は出来ない。

俺が「万二千里は実距離ではない」を否定したいなら時代背景などではなく
論じている内容そのものを具体的に否定しなければならない。
だがお前にはどこにも否定できるところがない。だから背景に逃げているのよ。
質問形式にしようか。
1.狗邪韓国〜対馬国は千里である yes か no か
2.狗邪韓国〜対馬国の旅程を水行で表せば「水行一日」である yes か no か
3.某所〜投馬国は水行二十日である yes か no か
某所の説明は不要だよな。
これに答えてみな プププ
840完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 09:47:53.70
>>838 :夢幻如
>狗邪韓国〜対馬国=千里=水行一日 の等式を出した。
ここまでは誰もが似たような意見だ。偉そにいうな。

>これを「某所〜投馬国=水行二十日」に当てはめただけだ。
>これで「某所〜投馬国=二万里」になる。
えらく単純にできているなー。以前書いたが、まったく聞き入れていなようだな。
海路距離は正確な測定が不可能だ。
距離測定が不可能な海路距離を数値では書きようがない。書いたところでウソになる。
だから、「実際の距離に関係なく」1日航海1000里、1航海1000里と、
日数表記か1000里単位で表記する。
目測可能な短距離を例外とすれば、数多の歴史書がそうしている。事実だ。
『倭人伝』の海路距離も1000里単位、1日単位で書かれている。
伊作の新説だが、ここへ踏み込んでこい。

以下は間違った論拠による三段論法だ。
>国内旅程だけで二万里になるなら「群〜邪馬台国の総旅程 万二千里は間違い」
>これで「万二千里は実距離ではない」が「論証」される。
海路表記の部分は時差懿の距離とは無関係だ。

陸路距離は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。これも事実だ。
いつでも論拠を提示する用意がある。
カラ否定するだけではなく、この議論に踏み込んでこい。
841夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 09:51:08.87
>>836
>俺はやさいしい男だから、「とんでもだろうが妄想論だろうが、
 男が人生の何%かをかけて構築した論だから、完全に潰することはしない」という主義だ。

あ、そう。俺は性格が悪くて、馬鹿が嫌いだから
馬鹿と判定した奴は徹底して潰す、容赦は一切しない。
遠慮なくかかって来い。
論点ずらしなど姑息な手法じゃなく、正々堂々と俺の論に真正面から対峙しな。

「倭人伝に書かれてある万二千里は実距離ではない」
842完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 09:54:14.18
>>839 夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 09:37:20.80
>835のような話を「論点ずらし」という。
いやいや。そうやってお前がかんじんの論点を回避している。
俺が提示したのは、お前などが考えもしなかった事実だしなー。

>俺が「万二千里は実距離ではない」を否定したいなら時代背景などではなく
>論じている内容そのものを具体的に否定しなければならない。
>>840 で、細かい説明をしておいた。

>狗邪韓国〜対馬国は千里である 
『倭人伝』はそう書いてる。
>狗邪韓国〜対馬国の旅程を水行で表せば「水行一日」である
ほとんどの研究者がそう解釈する。
>某所〜投馬国は水行二十日である 
『倭人伝』はそう書いてる。

>これに答えてみな
答えたが、どうかしたか?
843夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 09:56:37.25
>>840
馬鹿が、乗ってきやがった ワラ
ま、ここは助走。

>>狗邪韓国〜対馬国=千里=水行一日 の等式を出した。
 ここまでは誰もが似たような意見だ。偉そにいうな。

いいや違うね。狗邪韓国〜対馬国の旅程を水行に置き換えるという発想を誰もしなかった。
だから万二千里が実距離ではないことが証明できなかったんだよ。

さて、寝るまでやろうかね。時間制限はあるがな。

844夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 10:02:26.16
>伊作の新説だが、ここへ踏み込んでこい。

まず、これが勝手解釈だ ワラ
海里を特別視するのはいいとして郡〜邪馬台国の総旅程は万二千里と記されていて
お前はこれを肯定している。
陸里、海里ごちゃ混ぜでの総旅程、万二千里とはなんだ?
乖離は計測不能なら、これだけで万二千里は実距離にならないになるわな。
自己否定か ワラ
845夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 10:04:47.99
乖離じゃねえ「海里」な。

「論証」の仕方は教えてやった。ちゃんとやれよ プ
846日本@名無史さん:2011/12/23(金) 10:08:51.39
>>「倭人伝に書かれてある万二千里は実距離ではない」

他人の説を否定する材料ではないな。
勝手に思っとけ、ってところだなww
847夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 10:10:29.46
「魏志倭人伝の里程は陸里だけである」

という主張なら、俺が納得できる材料だけで論を構築し論証してみな。
「万二千里は実距離」肯定者も海里を含んだ肯定論だということも忘れずにな。
848完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 10:27:06.90
>>843 夢幻如
>狗邪韓国〜対馬国の旅程を水行に置き換えるという発想を誰もしなかった。
狗邪韓国〜対馬国の工程ははじめから水行だが。気は確かか?

>>844
>海里を特別視するのはいいとして郡〜邪馬台国の総旅程は万二千里と記されていて
>陸里、海里ごちゃ混ぜでの総旅程、万二千里とはなんだ?
帯方郡から末廬国まで海路1万里。1000里単位表記を日数になおして「水行10日」。
海路1万里に末廬国からの陸路2000里を足して1万2000里だ。

>>845
>「論証」の仕方は教えてやった。ちゃんとやれよ 
カラ元気になってきたぞ。

>>846
「倭人伝に書かれている万二千里のうち、海路の1万里は実距離ではない」と説明したはずだが。
>他人の説を否定する材料ではないな。 勝手に思っとけ、ってところだなww
ふにゃふにゃになってきたぞ。

>>847
>「魏志倭人伝の里程は陸里だけである」
「倭人伝の海路距離は実際の距離とは無関係。陸路距離は儀の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている」だ。

>俺が納得できる材料だけで論を構築し論証してみな。
>「万二千里は実距離」肯定者も海里を含んだ肯定論だということも忘れずにな。
大口叩いて、どこかの板で覚えた「他人の文章力や読解批判」だけはするが、
お前の日本語力と文章力こそはちゃめちゃだぜ。
しかも、「論だ構築だ論証だ」ときーたふーなセリフを使うが、どれも不完全で不適切だ。
無知からくる無恥というわけか。
849完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 10:29:21.61
早いとこケリをつける。物理問題でとどめだ。

中国大陸との船による往来は、
台風シーズンを避けることと季節による風向きの都合からだろうが、
中国正史の記録をみると、
倭国からの使者の派遣は「秋口〜冬〜初春」が圧倒的に多い。
一方、中国から倭国への使節派遣はどの季節が多かったろうか。
(この件に詳しいのがいたら参加してくれ)。

さて夢幻如。ここからが本題だ。
景初3年の1年間は明帝の服喪期間だった。
喪があけた正始元年に金印と詔書を携えた使節がやってきて、
邪馬台国まで行って卑弥呼に渡している。

お前は先遣隊を派遣したというが、
それは正使を派遣するための下準備・下調査が目的だろうな。
むろん、先遣隊が帰国して彼らの報告を聞いたあとで正使が派遣される。
では、先遣隊は正始元年の何月に派遣されて何月に帰国して、
正使は何月に派遣されたか。細かいタイムテープルを提示してみ。
失笑を誘うような奴だと、お前の言説の未熟さを証明することになる。

おっと。国をあげての喪中(景初3年中)に先遣隊を派遣したなんてのはなしだ。
(むろん、景初3年説では慌ただしすぎて話にならんが)。
85019歳某国立大生:2011/12/23(金) 10:55:01.95
ではHNはこれで統一しますw
ありふれてますがね。てか今日は寒くて外出る気しないので
家で過ごします。

あれ?伊作爺は昨日僕に完全に論破されたはずでしょww
まだ負けを認めてなかったの。帯方郡を先行平定した劉マが
卑弥呼が先行平定後に超スピードで使者を送った時に
劉夏に変わってたとか、子供じみたこと言ってるようじゃあ
負けを認めたのと一緒だよw
851完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 10:55:55.64
●絶対専制時代のトップ外交における使節交流の常識を提示したが具体的な反論なし。
●現実に正使が金印と詔書を持参して卑弥呼に渡している事実を提示したが反論なし。
●魏にとっての東夷調査の学術的価値の高さを説明したが反応なし。
●夢幻如の言い分では、絶対専制時代の神にも匹敵する天子の命を受けて組まれた調査関係者を含む使節団が
適当な仕事をしたとの論理に帰結するが、「そうだった」とする具体的な説明も反論もなし。
●夢幻如本人が会社から外国出張を命じられたとして、
出張中の行動と日程と距離とをアバウトに書いて提出するか?  との詰問にも反応なし。
●「正々堂々と俺の論に真正面から対峙しな」というから
歴史の事実を論拠とした正論で正々堂々と真正面から対峙しているが、
「論点ずらし」などという掛け合い口上を使ってかんじんの論点を回避している。

相手の論を潰すには、相手の論拠を誰もが納得する論理で潰すことだ。
お前は、相手の論拠が何であるかの見極めもできていない。
この天才を相手に大口叩いて議論しようとは、20年ばかり早い。
というよりも、議論するだけの下地がなっていない。
にわか仕込みの半端知識で、邪馬台国を理解した気になっているんだろ。
とんだ邪馬台国ビギナーがいたもんだぜ。
85219歳某国立大生:2011/12/23(金) 10:59:01.19
鏡はすべて船で運ぶのが合理的考えなので、
魏志倭人伝の行程など魏使が邪馬台国に行く行程を
示しているものではないことが明らかになりましたね。

つまり陳寿が複数の資料をまとめただけの記述にすぎないということです。
実際はおそらく魏使は同じ船で半島南部から伊都国を経由して
瀬戸内ルートで30日かけて畿内にいったとみるべきでしょう。
853完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 11:01:22.14
>>850
ハナたれ。
てめえのお里はとさくに知れている。
>帯方郡を先行平定した劉マが卑弥呼が使者を送った時に劉夏に変わってたとか、子供じみたこと言ってるようじゃあ
『倭人伝』がそう書いている。
俺は、書いてあること覆す論拠もなく推測で否定するほど軽卒じゃないのだ。

なことよりも、景初2年だったとするに充分な証拠を幾つかあげたが、
それに対する返答も言及もなしか。
てめ。俺と議論するなど30年早い。もっとレベルの低いところで遊んでこい。
854日本@名無史さん:2011/12/23(金) 11:03:03.87

名無しでいいよ:2011/08/15(月) 23:20:15.53 ID:2fed4jwtO
FNS歌謡祭やHEY!×3の制作会社
株式会社CELL
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル

前バリ・REN4・野田らに政治献金した後藤組のフロント企業
メディアトゥエンテイワン
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル
855完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 11:06:04.95
>>852 ハナたれ
>魏志倭人伝の行程など魏使が邪馬台国に行く行程を
示しているものではないことが明らかになりましたね。
>実際はおそらく魏使は同じ船で半島南部から伊都国を経由して
瀬戸内ルートで30日かけて畿内にいったとみるべきでしょう。

これだけをいう論拠が、
「鏡はすべて船で運ぶのが合理的考えなので」か。
お前、ここの参加者を低学歴だ素人だとバカにしていたが、
お前の知能指数も学歴も学力も知れてるぜ。
いってることの理路と理屈が、義務教育低学年レベルじゃないか。
85619歳某国立大生:2011/12/23(金) 11:12:50.54
>景初2年だったとするに充分な証拠を幾つかあげたが、
それに対する返答も言及もなしか。

伊作爺さんよ、そりゃこちらのセリフさww
こちらが景初3年である充分な証拠をいくつもあげたのに
あんた人格攻撃に終止して逃げ回ってるだけじゃんww

景初2年の証明に関してはあんたの負けは明らかなんだし
もう負けを認めて引き下がれよw
劉マが数日で劉夏に変わったわけないだろ。
皇帝は劉マを大守に任じ郡の先行平定を命じたんだから。
てか本当は先行平定などあったかどうかも怪しいがww

あんたの喪中での皇帝への拝謁問題も昨日すでに論破し
あんたの詐欺を見破り、喪中でもなんでもないことがわかったし、
中平刀がどうやって倭国にもたらされたのかも自分は説明したのに
あんたは逃げ回ってはぐらかしてるだけじゃないかww
85719歳某国立大生:2011/12/23(金) 11:20:31.99
景初2年12月は明帝は危篤状態なのに
倭国からきた使者相手にするような公務などできるわけないって言っても
危篤になる前に対応したとか子供じみた言い訳する始末だしさw
もう見苦しいよww

それに>>817の卑弥呼の鬼道に関しても僕がさんざん言及したでしょ。
あんたのその考えはめちゃくちゃ。太平道を極めた卑弥呼が渡来して
女王になっただのそれこそファンタジーの世界だ。
太平道や五斗米道などカルト宗教として弾圧される対象であり、
魏祖である曹操も黄巾の乱の鎮圧に奔走してるよ。
そんな危険カルト宗教を極めた女が女王となり衆を惑わしてる国に
金印与えて冊封するわけない。
つまり魏の使者からみれば卑弥呼の鬼道は道教には見えなかったということさ。
85819歳某国立大生:2011/12/23(金) 11:26:43.49
>>855
知能指数がしれてるのは伊作爺さん、あんたのほうだろww
陳寿が卑弥呼に下賜品を届けたときの記録のみ参考にして
倭人伝書いてると思ってるような一面的な見方しかできないみたいだしさ。
いくつかある資料を陳寿の主観でまとめただけでしょうに。
それに九州説だって、倭人伝の行程どおり進めば末櫨国で船乗り捨て
陸行し、伊都国へいき、それから陸行後、不弥国でまた水行に切り替え、
投馬国から邪馬台国までも水行から陸行に切り替えと
そんなことするわけないんだよwそれがわからんのかねえ。
順次式で書かれたものではないでしょ。
859完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 11:30:51.24
>>856
あらため。やはりお前のダブハンだったようだな。
誘っても俺が相手にしないから、挑発してあおってきたんだろ。
で・まだあおってるつもりか?

>あんたは逃げ回ってはぐらかしてるだけじゃないかww
こういう事実無根のポーズ投稿もお前らしい。
勝負はついている。W氏とあそんでろ。
860日本@名無史さん:2011/12/23(金) 11:38:52.97
中身がない、根拠がない、とはずっと言われ続けてたが、
同一人物なのか。さもありなん。
861日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:07:24.49
つーか、川上憲伸って何してるの?
862日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:09:10.28
>>858
ホントに中身がないな
863日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:33:10.20
最近の方々は御存じないでしょうけど、古くからいる人なら気がついてたと思います。
今の”19歳”自演クンは、5〜6年前にいた「中卒ヒッキー」氏です。
自演や連投癖、キャラ設定の基本、”おもちゃ”(当時のお気に入りはプラム時代も河童虫)の嗜好、みな変わってないですね。
デビュー当時は”15歳”(後に25歳と自白)の設定だったはずですが、今回の設定と年が合わんなw
864日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:39:03.87
つまり名古屋と新潟には馬鹿が多いってことだな。
865日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:20:13.34
無限尿逃亡w19歳名古屋再び撃沈w
866日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:31:58.39
761 :ローガン:2011/12/22(木) 18:37:48.72
>>740
>>[イ妾]人は、「昔夏后少康之子、封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之吾。今[イ妾]人亦文身、以厭水害也。」 ・・・・@

>晋書に「昔夏少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害、今倭人好沈沒取魚、亦文身以厭水禽。」 ・・・A
>とあるが、じゃあこれは間違いですかね。

Aの後に「計其道里當會稽東冶之東」とあります。
晋書は「會稽東冶之東」で北緯26度の沖縄の倭人が視点ですが、
@ は「自帯方至女國 万二千餘里」に当たる北緯38度迄 が倭人で
[イ妾]人も亦[文身]している。
その[イ妾]人は、倭人の領域で共存しているとの解釈です。


>それと、季歴との関連を示す文献などのご紹

「復立卑彌呼宗女壹【臺】與年十三為王」から

壹【臺】與が太伯之後なら
倭人伝の卑弥呼は季歴の後。

追筆
「自帯方至女國 万二千餘里」は
「歴朝鮮」を経由していないね。
 帯方から大陸経由・福州から台湾そして西表島のルートですね。
867日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:40:01.56
次から次に…
868日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:46:24.07
これほど低能な尿と名古屋が、大威張りでいること自体笑止千万。
869日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:58:43.16
5〜6年前からやってて、これほど中身がないのと、
対話の異常性をかんがえると

学習障害とアスペルガー症候群かな。
870唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 14:02:29.61
>頭にきている天才論客
@卑弥呼が女王になったのは同じく190年前後である。
A病気治療・医薬処方・鬼神の災いを避けるという 「生者への現世利益」をもたらす宗教だ。
B中国大陸との船による往来は、
台風シーズンを避けることと季節による風向きの都合からだろうが、

後漢書 志15
183年 靈帝光和六年冬,大寒,北海、東萊、琅邪井中冰厚尺餘。[一]袁山松書曰:
「是時羣賊起,天下始亂。讖曰:『寒者,小人暴虐,專權居位,無道有位,適罰無法,
又殺無罪,其寒必暴殺。』」
193年 獻帝初平四年六月,寒風如冬時。[一]袁山松書曰:「時帝流遷失政。」
養奮對策曰:「當溫而寒,刑罰慘也。」
獻帝興平元年夏,大蝗。是時天下大亂。

@193年の冷夏は、日本においても同様であり、各地の居住遺跡で変化がある。
吉野ヶ里もこの影響を受けているとみてよい。
Aにつなげるには、200年程度の数字を設定する必要がある。
しかし、前原王墓は3世紀初頭で終了する、であるならばここから 暦年無主の時空を
差し込めば、女王卑弥呼の朝貢直前に共立されたとみる。
B蒙古襲来からみて、この時代にあてはめられるの?
871日本@名無史さん:2011/12/23(金) 14:08:34.42
>>840

>陸路距離は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。これも事実だ。

ずっと前に論破されてるんじゃん。
872日本@名無史さん:2011/12/23(金) 14:15:57.83
それは脳内論破だろ。
倭人伝内の1里は70〜90mぐらいだな。
873日本@名無史さん:2011/12/23(金) 14:57:43.86
夢幻如遁走w
874唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 15:13:54.85
遺跡名 長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき)所在地 平戸市大島村前平1456
本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成されている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水
の地であり、また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネッ
トワークで結ばれた集団であったことが推測される。

景行(庄内期)にいったん従うが、仲哀時代(神功=(古墳時代初頭)に滅ぼされる。
景行諸縣=玄海町諸津
神功田油津媛=田平

肥前・肥後に卑弥呼を設定しても、庄内期に海上ルートを失う。
875日本@名無史さん:2011/12/23(金) 15:41:18.62
伊作の一番のトンデモ論といえば
一大率は卑弥呼の弟であり、卑弥呼=天照、一大率=スサノオと言ってることだな
876日本@名無史さん:2011/12/23(金) 15:48:54.96
しかし最近のスレの消化速度はハンパないな
この勢いだとスレも年内に終わりか…

無限尿とかあらたなゴミクズ参入の影響なんだろうが
まあ本人にすれば

「畿内説でも九州説でもない全く新しいこれぞ正しいすなお読み
 論争に終止符をうつ解」

と言うつもりなんだろうが
何のことはない大昔、邪馬台国ブーム華やかりし頃の「暗号解読ゴッコ」の焼き直しでしかない。

現在「畿内説でほぼ終焉した」と言われるのはそう言った「暗号解読ゴッコ」の果てに畿内説が勝利したと言う話ではない。
もし敗者と言うのなら昔の畿内説もまた敗者だ。

何と言うかそう言うことを分かっていない勘違いのカスと言う点でこの板のゴミクズレベル九州説と無限尿なんて
何処も変わるところが無い。

「ボクこそが正しい暗号解読に成功しました!」と言う自惚れが先ずありきのゴミクズレベル。

とりあえずゴミクズレベル同士で戦って誰が一番正しい「すなお読み」か決定してくれ。
877日本@名無史さん:2011/12/23(金) 15:51:26.53
帯方郡から狗邪韓国まで7000里、狗邪韓国から末廬国まで3000里、末廬国から伊都国まで500里
てことはやっぱり1里は60~80mくらい?
878日本@名無史さん:2011/12/23(金) 15:56:04.08
>>875
そこは九州説の俺でも言いすぎだろと思うところ。
卑弥呼帰国子女説もね。
879876:2011/12/23(金) 15:58:45.96
そうそう一度聞きたかったんだが
「すなお読み」の数ある「カスタマイズパーツ」の一つ
(現在の 無限尿 とかいうカスも採用している)

「魏使は卑弥呼にあっていない(伊都国止まり)」

…とか言う奴。

実際に朝貢に対する返礼使が相手国の王に会わずに途中まで
…というのは古代の中国の外交で実例があるのか?

途中までしか行かないのなら最初から送る必要が無いだろうと…


880日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:05:32.09
会ってはいるんだろうけどその記録がないってことだろ
難升米らを送ってるんだから行かないわけがない
倭人伝の地理的記述は梯儁の後、郡使が常駐するようになってからの情報
881日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:16:04.00
>>880
その解釈が合理的だわな。

目的地に近づくにつれ情報量が低下する報告書なんてありあえないw

ただ「梯儁の後」と言うのは引っかかるな。

確かに伊都国の人口の少なさとか晋代に入ってからの方が理解しやすい部分もあるが
後漢時代からの情報もかなり混じっていると思うが・・・

882日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:21:42.95
>>874

日本書紀の編者が、漢籍とのつじつま合わせや、大和朝廷の対中独立性などを
捏造する一環として創作した、「神功説話や景行説話」を、

原典批判をする力のない唐松山が引用して古代史を語っても、オウム真理教の
語る精神世界と大して変わらない信頼度しかない。
883太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:24:50.02
>日本書紀の編者が、漢籍とのつじつま合わせや、大和朝廷の対中独立性などを
 捏造する一環として創作した、「神功説話や景行説話」を、
創作すれば当時の公文書偽造で身の危険が切迫するから、滅多にそんな
ことは出来ない。

>原典批判をする力のない唐松山が引用して古代史を語っても、オウム真理教の
 語る精神世界と大して変わらない信頼度しかない。

 これは、ほぼ同意。
884日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:28:12.57
>>874 唐松
>特に土師器は畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。

何処から引いたのかは知らないが
その表現のニュアンスをどう解釈するかだなwwwww

おそらく「影響下に成立した」と言うのは畿内の様式そのものではなくて
在地の特徴も加えられた、ワン・アレンジされた物…という意味ではないかな?

それをもって
>仲哀時代(神功=(古墳時代初頭)に滅ぼされる。
…というのはいかにもな牽強付会。

自分のストーリーが先にありき。
考古資料のピースをそれに当てはめているだけともw


885太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:30:51.79
ジョーカーは今日、宿主にちょっといい批判をしている。
886日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:32:20.66
唐松山は、ホツマ真理教のグルですから、
事実と空想との間に、境界などありません。
887日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:33:24.59
>>885 犬国

勘違いするなよ阿呆。

古代人の予知能力とか古神道の秘儀で卑弥呼様の顔を拝めるとか
…おめーこそ精神世界あっちの世界の住人そのものだろうがド米白


888太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:33:52.82
>唐松山は、ホツマ真理教のグルですから、
 事実と空想との間に、境界などありません。

 ほぼ同意。
889太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:41:27.45
>古代人の予知能力とか古神道の秘儀で卑弥呼様の顔を拝めるとか
 …おめーこそ精神世界あっちの世界の住人そのものだろうがド米白

ジョーカー
それは宿主をけん制するのが目的でのことだ。

毒を制するに毒をもってする。

それが主でそういう書きこみをしてるのだ。オマエのためではない。
そうでなければこの書きこみはしない。宿主がいなければ、そういう
書きこみはしないで終わりだ。

またオマエはそのけん制でのいささか余慶に預かるだけのこと。w

ただ卑弥呼の姿を拝めるのは確かに俺以外にないだろう。w
オマエの目は節穴に近い。pp
890唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 16:51:55.22
>大和朝廷の対中独立性などを 捏造する一環として創作した、「神功説話や景行説話」を、

仲哀天皇九年(庚辰二〇〇)三月丙申《廿五》。轉至山門縣。則誅土蜘蛛田油津媛。
時田油媛之兄夏羽。興軍而迎來。然聞其妹被誅而逃之。

この田油津媛を田平津媛とすれば、田平・平戸が滅びるとなる。

「神功説話や景行説話」とせずに、正しい歴史的位置を求める必要がある。
景行(240〜261年)
考古学 ホケノ山 穴あき壺=埴輪、鉄の副葬。半島式墳墓 西瀬戸内の壺。
田道間守の葬儀を許可。
晋書 正始元年 東倭重譚納具。景初3年、正始元年銘。
景行12年より 九州へ派兵
倭人伝 伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
246年頃 黄旛下賜の決定。
景行20年 五百野姫=壹與即位 ホツマ 五百野姫を軍隊付きで派遣。
255年 景行27年 日本武尊を九州へ派遣16才。
256年 景行40年 日本武尊を関東へ派遣 倭国統一(大倭成立)。
倭人伝 使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

大倭(大和)は北の女王国(九州北部)に自ら一大率を置き、諸国に使わし検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
刺史の様だ。
891日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:53:10.66
卑弥呼に近づくには、弥生時代の鉄鏃や絹が出る地域を探すことですね。
ゴロ合わせや証拠詐欺、オラが村への利益誘導目的では、決して近づけません。
892太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:54:01.42
五百野姫≠壹與即位 ホツマでも五百野姫を軍隊付きで派遣せず。
893唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 16:55:12.34
開化天皇 184年〜187年 3章 1、2年の異常は崇神と同じ暦のため。
崇神天皇 188年〜216年 2章 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。唐古・鍵、近江伊勢遺跡などの衰退、変化。7年 大物主の国譲りとタタネコ=庄内式の始まり。
209年 新羅本紀 加羅に援軍、三国遺事。=任那建国。 ホツマ58年
垂仁天皇 217年〜239年 4章 纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁。ホケノ山古墳は垂仁末。
女王卑弥呼は倭奴國王位継承、邪馬臺國(大和)倭王位授与。(晋書正始元年東倭重譚納具。)
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵。鐙・牛馬の登場。遠国をまとめる為屯倉導入
使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
(壹與の時代)大倭(大和)は女王国(九州)の北部に(自ら)一大率を使い監督する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
成務天皇 262年〜265年 3章 仲哀と同じ暦の可能性がある。空白年を含む。
仲哀天皇 266年〜274年 0章 273年日食(神功元年に注入)
神功皇后 275年〜344年 ここより盟神探湯による世継ぎの部分。
274年 神功渡海、2月幽州を分け平州を置く、冊封体制下、半島で1大卒の行為。
仁徳天皇 313年〜399年 神功三九年大歳を元年とする。
316年 西晋滅亡、仁徳4年課役の停止。
317年 丁丑倭は朝廷に従わない。奈勿大聖神帝紀1年,
323年 癸未年 神功四九年 千熊長彦 東晋が洛陽奪回を断念し半島は空白地帯となる。
奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年, 水羊(癸未年)祭。熊彦=千熊長彦 
 平州方面の住民が大挙して渡来。
326年 五二年七支刀 東晉明帝太寧4年5月16日丙午 百済本紀の数字には狂いがある(46年程度)。
894日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:55:47.29
>>890

それは景行天皇じゃなくて、倭国王の九州平定話。
日本書紀の編者が、九州の王室文書から抜いてきて、
主人公を入れ替えてかいたもの。
895太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:57:08.02
伊支馬=イクメ=垂仁←噴飯説ww まるで猿の惑星同然のデタラメ

所詮官(臣下)は天皇には絶対なれない。
道鏡も当然天皇になれず。
896日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:58:02.24
唐松山は、原典批判が出来ないのに、データ量に溺れながら、
自分の空想に合うようにデータを拾い集めてきただけ。
真実にはまったく近づいていません。
897太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 16:58:39.83
>成務天皇 262年〜265年←全然 ↓ 整合せず
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が尊廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立
成務60年 成務天皇 崩御
898日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:00:03.32
>>875
>伊作の一番のトンデモ論といえば
一大率は卑弥呼の弟であり、卑弥呼=天照、一大率=スサノオと言ってることだな

いいや、
水行を郡からと言ったりほとんど全てがトンデモじゃん。
「俺はそう思う」だけが根拠で、自説以外はトンデモと罵倒する。
基本的には夢幻如と同じだよ。
899太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 17:01:16.95
崇神紀には三輪山の説話がある。これは半径3の円(←三輪)を示唆したもの
である。その球化の 体積=表面積 の数式を天津神算木(天津金木)といい、
古代史の真の年代を測る天下の宝器であるのだ。違える編年は出鱈目だ。

天津神算木(天津金木) r=3

 4πr**3/3=113.0973355292・・・ (**はべき)

大祓祝詞に曰く 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて

 3≠113.097335=113.◎97B350

マル数字 B ◎ がまず注目すべき数字で、三輪(ミワ:三〇)を示唆する。

マル数字の中に B.C,97年 崇神即位年 の見かけ年代が位置する。真の年代は

 350−113=237年=崇神天皇即位元年=景初元年

と、計測される。崇神元年は景初元年だったのだ。これ以外の編年は悉く
デタラメです。

天津神算木からその主値は崇神であり、景行はA.D.130年にて死値であり、
景行年代は崇神の代の引き立て役たる〜お助け年代となることが把握される。
900日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:02:34.12
太国さん。
オカルトは、別な板でお願いします。
901太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 17:02:46.25
>唐松山は、原典批判が出来ないのに、データ量に溺れながら、
 自分の空想に合うようにデータを拾い集めてきただけ。
 真実にはまったく近づいていません。

ほぼ同意。
902太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 17:05:18.53
>>900
オカルトならばそうしたいが

 毒を制するに毒をもってする。

宿主が幅を利かさぬよう、あいつがああいう書きこみを続ける間は、
やむをえずコチラもけん制のため書きこむ。

君には迷惑になるが、辛抱せい。
903日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:11:14.28
>>898
>基本的には夢幻如と同じだよ。

例えば『鬼道』についても

 森村伊作:鬼道は本場の道教、卑弥呼は帰国子女のバイリンガル

     VS

 無限尿:鬼道は星占い

…で結構”噛み合う”のかもwwwwwww
904日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:17:59.14
 発 者 同         . 。_   ____           争
 生 同 .じ     .    /´ |  (ゝ___)          い
 .し 士 .レ      .__/'r-┴<ゝi,,ノ   ro、      は、
 .な で .ベ      ∠ゝ (ゝ.//`   ./`|  }⌒j     
 .い し .ル        } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
 .! ! か の       /  ´..:.} >、、___,  .r、 ソ、`\
             /   ..:.:.}   /   |∨ ` ̄
            /   ..:.:./    |   丶
           / _、 ..:.:.:.{    .{.:.:.   \
          {   ..:Y  .ゝ、   {.:.:.:.:.    ヽ
          |、  ..:/ 丿 .:〉   >.- ⌒  .  ヽ
          / {. ..:./ ソ ..:./  .(    ..:.:.:`  ..:}
         ./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./   .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
        ./..:.:/|.:/   {.:./     X.:.:}.}   X X
        /..:.:/ .}.:|    }:/       .Y丶ヽ  Y.:Y
  . __/.:/ { }  《.〈、     _,,__>.:》丶   Y.:\
  /.:.:.:.:.::/   !.:.:ゝ  ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ   \.: ̄>
905日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:19:05.83
無限尿は出身地の新潟を、難升米や魏使が行き来したとして、
八幡平を邪馬台国としている。
伊作は出身地の熊本を邪馬台国に比定している。
906日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:21:16.49
>>903
やっぱり
「俺はそう思う」だけが根拠で、根拠にならない屁理屈を付けて正当化する。
そして、自説以外はトンデモと罵倒する。
基本的には森村伊作と夢幻如は完全に同じだな。
907夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 17:23:54.53
夜勤明けで寝てしまったら遁走扱いか プ
ここの馬鹿レベルがよくわかるぜ ゲラ

低脳天才
>帯方郡から末廬国まで海路1万里。1000里単位表記を日数になおして「水行10日」。
 海路1万里に末廬国からの陸路2000里を足して1万2000里だ。

あははは、なんだこれは?正気か。
末廬国〜不弥国 700里
てことは連続説なら「水行二十日」+「水行十日陸行一月」=1300里
お前の愚論だと水行一日=千里だから3万里+陸行一月になっちまうな。

「水行十日陸行一月」だけで万二千里にしたいんだろうが
「なぜそうなるか」の説明が抜けてるぜ。
だからお前は文章が書けないと言ってるんだ プ
投馬国はどこへ行ったんだろうねえ ワラ

相手が最初から納得できる材料で論を構築するなら不要だが
相手が納得しないであろう材料で論を張るときは、それについて十分な説明をしてからだ。
お前は議論能力がなさ過ぎなんだよ。

議論能力が劣る馬鹿相手だと最初からやらにゃならん。
国、行程紹介は連続説、放射説その他勝手解釈説ある。
お前の解釈をまず示せ。
908夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 17:30:39.44
とりあえず遊んでおくか。

>後漢代までは伝説か風聞でしかなかった大海の中の倭人と倭人の住む島の発見は、中国にとっては民族学的・地理学的大発見だ。
 その調査と記録は、前漢朝の西方調査に匹敵する偉業だ。文化事業だ。

これは「推論」な。こんなものはいくらでも反論が出来る。

倭国発見は中国にとっては民族学的・地理学的大発見でもなんでもない。
シルクロードのある西には関心大だが東なんてどうでもよかったはずだ。
国を挙げての文化事業ならまともな地図ひとつくらいあってよさそうなもんだがね。
倭国に対する関心は薄かった。
これも「推論」わかるか?国語力無しお君 プ


909唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 17:37:22.64
>>901
> 自分の空想に合うようにデータを拾い集めてきただけ。

自分の空想に合うようにデータをねつ造するよりどれだけましか。
その最たるものが、>>899
910夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 17:42:10.72
あと先遣調査隊をいつ派遣したかね。
「正使の前だ」答えはこれだけ ゲラ
お前が ねちねち受け売り君 と喧々諤々やってるように正使派遣時期は確定していない。
これも「推論」同士の議論だから延々と続き、双方ともよほどのことがない限り
自説の正しさは論証できない。

>●夢幻如の言い分では、絶対専制時代の神にも匹敵する天子の命を受けて組まれた調査関係者を含む使節団が
 適当な仕事をしたとの論理に帰結するが、「そうだった」とする具体的な説明も反論もなし。

あらま、国、行程紹介をお前は評価してたんじゃなかったっけ?
調査隊は調査だから時間はかけられなかっただろう。
だから遠隔である邪馬台国へは行けなかった。
伊都国までであとは伝聞であの国、行程をまとめた。お前も評価する立派な仕事ジャン。

あ〜これも「推論」な。
「推論」同士の議論は、どっちが無理のない推論カの争いになる。
お前は事実認定と推論の議論の区別がついていないんだよ。
911日本@名無史さん:2011/12/23(金) 18:07:58.53
邪馬台国は温暖地だ
寒冷地東北は有り得ない
912卑弥呼の都は久留米:2011/12/23(金) 18:29:27.11
寒冷地東北では冬に生野菜を食べることはありえない。
食えるの野菜の漬物だけ。

雪の下から野菜を掘り起こして食べるなんて言うなよ。
関西でも伊吹山の麓でそんなところがあったなぁ。
913太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 18:58:43.17
自分の空想に合うようにデータをねつ造するのがどれだけまずいか。
その最たるものが、>>893

つねに秀魔電のカリスマ・インチキ化を狙う朝敵のオマエの空想がいかに
ひどいか〜、その阻止を確実に行う。
914唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 19:07:57.70
>カリスマ・インチキ化を狙う朝敵のオマエの空想がいかにひどいか〜、その阻止を確実に行う。

>>893 をねつ造と主張しても
太国倍年が正しいと出来る文献が存在しない。
だから、自分でもねつ造インチキ指標と知っている 金木算木を書き込み続ける
しか対処法が見つからない。
かわいそうに

91519歳某国立大生:2011/12/23(金) 19:09:58.27
とりあえず伊作の爺さんは景初2年の証明に関してはもう負けを
認めろ。景初2年の11月末に明帝は病気で倒れてるから、
12月など病床にふせって公務を行える状態じゃないよ。
そんな中、倭国からの使者が明帝に謁見できるわけないでしょ。

>3年説に従って第一回目の朝献が新帝・斉王芳への朝賀訪問だったとすれば、
その献上物が第二回目以降のそれに比較すると格段にお粗末すぎる。
新帝の即位を祝う朝賀の貢ぎ物とは見えない。

それから最後にこの貢物の少なさか。これは手元にある本をよく読んだら
ちゃんと書いてあった。魏からの下賜品が自国の貢物に比べ思った以上に多かったので、
後から朝鮮各国から貢物を集め足りない分納めたとさ。


これでもう反論不可能でしょwとりあえずこの問題もそろそろ飽きたから
早く3年が正解だと認めてくれ。自説を絶対に曲げないのは賢いとは言えんぞ。
916太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 19:12:31.42
>>899 をねつ造と主張したいようだが
宿主空年が正しいと出来る文献が存在しない。
だから、自分でもねつ造インチキ指標と知っている 秀魔電波を書き込み続ける
しか対処法が見つからない。
かわいそうに 代わりに泣いてやろう。mmm
91719歳某国立大生:2011/12/23(金) 19:13:20.31
>>863
>今の”19歳”自演クンは、5〜6年前にいた「中卒ヒッキー」氏です。

中卒ヒッキーとかそんなやつは知らんってw
八幡ってやつも知らないし、毎日誰かと間違えられて困るわ。
僕は中卒でもなく高校もちゃんと出てますし大学にも通ってますよ。
引きこもりがちな性格ではあるけど、外出て遊ぶことも多いよ。
918夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 19:14:31.89
>>911
それは答えるといってた話だから繰り返そう。

記述は邪馬台国が温暖ではない。倭国が温暖だ。
あの部分は国、行程紹介と同列で一連の記述とみていい。
つまり邪馬台国まで行っていない先遣調査隊の報告書だ。
「混一」的地理感で行程を紹介しているから、当然彼らは邪馬台国を北九州より南国と思っている。
紹介された風土、風俗は九州のものだろうが、最北の北九州を見てだから
それより南に伸びる倭国全体を温暖とするのは何ら不思議ではない。

逆に彼らが「混一」的地理感の持ち主だった傍証になるものなのよ。
919完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 19:15:14.93
>>875
>一大率は卑弥呼の弟であり、卑弥呼=天照、一大率=スサノオと言ってることだな

いつもの認識不足に基づく不当な批判だ。
SSS氏が卑弥呼は天照というから、それならば天照の弟のスサノオ=狗奴国の男王で、
卑弥呼の政治を手伝っていた目立たない弟=ツキヨミとなぜしないのか。
こういった所を誤解して覚えているんだ。

俺が卑弥呼=天照などとバカげたことをいうかタコ。
お前らは、ほんとうに頭が悪い。
そんな調子じゃ学業成績も落第スレスレで、
就職した今ではろくな仕事もできん奴だろうな。

>>878
>そこは九州説の俺でも言いすぎだろと思うところ。
お前も認識不足だ。

>卑弥呼帰国子女説もね。
たまには「そうではない」とする論理的意見を書いてみせろ。

>>898
>水行を郡からと言ったりほとんど全てがトンデモじゃん。
一行ヤジはいいから、俺の論説をしっすり把握した上で、
論理的反対意見を書いてみせろ。
92019歳某国立大生:2011/12/23(金) 19:19:19.87
あと大守の交代に関しても、皇帝の判断で
大守に任ぜられるんだし、帯方郡の大守を交代するのも
皇帝の判断あおがないといけないでしょ。時間的に無理なことわかるよね?
勝手に大守交代させたら、皇帝の権威丸つぶれだしねw

あとは鬼道ね。これはおそらく祖霊神を祀ることだというのが基本なんだろうけど、
卑弥呼の鬼道の場合は、それ+太陽神を祀ることだと考えていいだろう。
旧来の祖霊神を祀るだけじゃ共立された祭王としては弱い。
太陽神という新しい信仰形態で連合国家をまとめたとみるべきだろう。
921完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 19:25:42.08
>>907  無限暴
>あははは、なんだこれは?正気か。
レベルが高いだろ。お前がツラ出す以前に何度も説明した問題だ。
お前が知らないだけだ。駆け出し

>お前の愚論だと水行一日=千里だから3万里+陸行一月になっちまうな。
海路距離は実際の距離は無関係と口を酸っぱくして述べたが。

>水行十日陸行一月」だけで万二千里にしたいんだろうが
>「なぜそうなるか」の説明が抜けてるぜ。
過去に何度も説明しているが、お前には理解できんだろ。
お前のために説明する気などない。

>お前は議論能力がなさ過ぎなんだよ。
ここは、高飛車に罵倒すればいいってもんじゃないぞ。

>お前の解釈をまず示せ
お前に説明する気などない。馬の耳に「真珠」だから。

>>908
>これは「推論」な。こんなものはいくらでも反論が出来る。
高度な所見だ。これも歴史の事実だ。
『倭人伝』の行程記事をかじっただけの駆け出しが、
東夷伝を序文から全部読んでモノをいえ。

>>910
>あと先遣調査隊をいつ派遣したかね。
バカげたねつ造言説の論証は、このごに及んでもできずしまいだな。
92219歳某国立大生:2011/12/23(金) 19:28:44.44
邪馬台国への行程についても、複数ある資料を陳寿がまとめただけという
認識をもたなくてはならない。倭国から献上された生口からの聞き取りもあるだろう。
あれがそっくりそのまま下賜品を運んだ魏使が踏破した道程と
とらえるのは浅はかだろう。
>>919
伊作爺さん、景初2年12月はもう明帝病気で倒れてるの確認したからw
今はMステみたいんで反論あるなら書いておいてね。
923夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 19:32:11.33
あと約束してたひとつがこれだな

>>758
>「実地観察」記録の存在が末盧国で途絶えていて伊
都国まで及んでいないと見ることもできるということです。

そこには一つの想像が出来る。
伊都国の戸数の少なさからだが、たいした人口でないのに九州を抑える要になっている。
ここは生活臭の薄い純粋な軍事拠点だったんじゃないか?
農耕、漁業などの生産活動がほとんどない兵士と官僚だけの国(町といった方が正確か)
これなら風土、風俗の観察記述が少ないのもわかる気がするがね。

で、この論の場合は末盧国で止まろうが伊都国で止まろうが大差ない。
邪馬台国まで使者が行っていないから九州に邪馬台国はない、の論にはどちらでも大差ない。
「至、到」と距離表記の切り替えから俺は伊都国止まりだと思うけどね。
924完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 19:40:21.26
>>918
>逆に彼らが「混一」的地理感の持ち主だった傍証になるものなのよ。
隋や唐の使節団や文化人もやってきているし、
倭国からは留学学問層など文化人も中国を訪れている。
その後、中国からの交易船もやってきている。
それでも15世紀まで「混一的地理感」だったというわけか。
アナクロもいい加減にせい。

その「混一的地理感の持ち主」のはずが、
実際には九州から南へは向かわず皆東へ向かっているが、
これについてはどういうごまかしを言うのか知りたいもんだな。
925日本@名無史さん:2011/12/23(金) 19:41:40.34
●天才語録

漢字というものは、それぞれが複数の意味を持っている。
その漢字たった一字の意味を独善我流解釈するだけで、
おうおうにして古代の歴史を180度違った視点で語ることができる。

それが毛色の変わった論を垂れたい増上慢には醍醐味なのだろうが、
皆が利口になった今では、ほぼ例外なく見向きもされない宿命にある。
926夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 19:44:32.90
>>772
これもあったな。

1なら陳寿か報告書作成者の気紛れになる。気紛れです、ではあまりに説得力がない。
2は国、行程紹介の内容が連続しているところから、一つの報告を元にしてると見るのが自然だろ。
複数の切り貼りは考えにくい。
3は誤記か。これを言い出すときりがなくなる。
誤記が証明されるまでは信じるしかない。
4-2は俺が説明を求めている。
俺が提示した使い分け以外で説得力がある使い分けはないはずと思うからだ。
927日本@名無史さん:2011/12/23(金) 19:44:52.53
…で、このスレもはや900を超えたが次スレどうするんだ?

筑紫のド民が立てた102の重複

♪邪馬台国ドンと来い♪102
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1324112438/l50

があるがそれを使うか?

結局、削除依頼も出されたなさそうだが

history:日本史[スレッド削除]
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1125573948/l50

928夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 19:59:57.98
>>921
だからお前は議論能力がないんだよ。
過去に説明した、面倒だで議論相手を納得させられるか。
相手を納得させられない、つまり永久に論破は不可能というだ。
議論放棄に等しい。
ま、いつも逃げるヘタレだから驚かんがね。
たかだか推論を歴史的事実と言い切るあたりも馬鹿なんだが、こいつのオツムじゃな ワラ
てめえで万二千里を海里一万と陸二千と言いながら、突っ込まれれば誤魔化す。これも毎度。
頭が悪いから自説を簡潔に表現できない。
お前は勝手解釈、コジツケ解釈並べ立てるのが精一杯よ。
推論を出す場合の根拠提示すらまともにやれないんじゃな。

連続説、放射説の場合「万二千里は実距離を表したものではない」
俺が出したこれは推論ではなく証明。
このくらいやれるようになってからデカイ顔しな。
929夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/23(金) 20:05:59.77
>>924
中国に日本を記すまともな地図があったか?
これにお前が答えられないのがすべてだ、馬鹿頭。
現場の人間と中央の別は説明したはずだがね。
中国古代歴代王朝は一貫して日本を軽視している。
これが歴代的事実なんだよ。

さて仕事だ。またな。
930日本@名無史さん:2011/12/23(金) 20:11:08.23
無限尿が

  「とっくに論破した」「論破済み」

と脳内論破したはずの>>911に、ここのみんなが納得し、
無限尿を支持する人間は、ゼロ。

自分が超、低知能だと悟れよ >無限尿
931日本@名無史さん:2011/12/23(金) 20:21:32.96
夢幻如のいうのは推論と言うよりは妄想だからな。
932太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/23(金) 20:30:35.42
妄想盲象〜〜です・・・。

卑弥呼が二人いたとか、
卑弥呼が九州にいててかつ邪馬台国のほうが畿内にあったとか、
卑弥呼が半島にいたとか、卑弥呼の国が東北にあったとか〜〜、これらは
みな妄想から出たものである。

だいたい卑弥呼が半島行幸した事実は文献になかろうし、いずれにしろ
こういう説はことごとく駄目だ。
933日本@名無史さん:2011/12/23(金) 20:39:41.36
足利事件のインチキDNA鑑定のような、畿内説お手盛り年輪年代判定や、
ゴッドハンド箸墓、ゴッドハンド△鏡、ゴッドハンドホケノ山等の詐欺は
とっととやめてもらいたい。

弥生時代の鉄鏃と絹の出土状況を無視し、「倭地は温暖」を無視し、
脳内妄想を正しいと言いくるめんがための邪馬台国論は、
いい加減、やめてもらいたい。
934日本@名無史さん:2011/12/23(金) 20:42:40.77
>>930
東北説は賛成できないけど無限の距離証明は秀逸だと思うよ
>>911には>>918が出ているから議論すれば?
935完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 20:49:33.52
>>928
>相手を納得させられない、つまり永久に論破は不可能というだ。
お前には説明する気はない。お前には説得する価値を見いだせない。それだけだか

>てめえで万二千里を海里一万と陸二千と言いながら、突っ込まれれば誤魔化す。
なんなのなんの。ここで説明しないだけ。過去に説明したことがあるし俺のサイトに詳しい。
別に、ここで再掲しないからと、逃げたわけじゃないぞ。下郎

>推論を出す場合の根拠提示すらまともにやれないんじゃな。
俺は奇跡的なほどフェアな手順を踏んでいる。お前が知らないだけだ。
議論のイロハも知らんタコにはいわれたくないな。

>>929
>中国に日本を記すまともな地図があったか?
知らんなー。地理感覚が清浄だった証拠は売るほどあるが。

>中国古代歴代王朝は一貫して日本を軽視している。これが歴代的事実なんだよ。
勝手な空想言説の積み重ねを、いっちょ前の論だと思ってる所が・ナイスだな。

>さて仕事だ。
下賎なやりとりはこれまでだ。そののま消えろ。
936完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 20:54:45.18
夢幻如。下賎なやりとりはこれまでだ。これに頬かむりしてるようだから、そののま消えろ。

●絶対専制時代のトップ外交における使節交流の常識を提示したが具体的な反論なし。
●現実に正使が金印と詔書を持参して卑弥呼に渡している事実を提示したが反論なし。
●魏にとっての東夷調査の学術的価値の高さを説明したが反応なし。
●夢幻如の言い分では、絶対専制時代の神にも匹敵する天子の命を受けて組まれた調査関係者を含む使節団が
適当な仕事をしたとの論理に帰結するが、「そうだった」とする具体的な説明も反論もなし。
●夢幻如本人が会社から外国出張を命じられたとして、
出張中の行動と日程と距離とをアバウトに書いて提出するか?  との詰問にも反応なし。
●「正々堂々と俺の論に真正面から対峙しな」というから
歴史の事実を論拠とした正論で正々堂々と真正面から対峙しているが、
「論点ずらし」などという掛け合い口上を使ってかんじんの論点を回避している。
●「混一的地理感の持ち主」のはずが、
歴代の倭国訪問者が実際には九州から南へは向かわず皆東へ向かっている。
これについてはどういうごまかしを言うのか知りたいもんだな。といっても応答なし。
いじょ・勝負ありとする。
937おしまい:2011/12/23(金) 20:56:50.05
>>935
地理感覚が清浄だった証拠は売るほどあるが。
↓↓↓
地理感覚が正確だった証拠は売るほどあるが。
938日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:00:18.96
>>937

>地理感覚が正確だった証拠は売るほどあるが。

無い無い。
939日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:11:19.16
>>934
どこに無限尿の真っ当な議論があるの?
どこにも無いでしょ。議論以前だ。
940日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:16:11.17
場所が分からないような国に、誰が金印を授けるか。
帥升の使いに「お前の国はどこにあるんだ」と
しつこく訊かないわけがない。
941坊ちゃん団子:2011/12/23(金) 21:36:29.46
>>934
僕も夢幻如氏の行程連続読みを支持する。また、里数は一里430mとすればデタラメである。
しかし、水行陸行の日数もまた距離には換算できない筈である。

倭人伝の記述を信じるならば東北説は無理である。
「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」をどう説明するか。これはデタラメ情報とするか。
942完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 21:43:26.89
>>938
チリ感覚が正確だったから、使節外交や人事交流ができたんだ。
その実例をいちいちあげるまでもなかろう。
いったい何を考えてるんだ・ポメラニアン
943完全に頭にきている天才論客:2011/12/23(金) 21:49:45.79
>>934
>無限の距離証明は秀逸だと思うよ
>>941
>僕も夢幻如氏の行程連続読みを支持する。

こんなのを支持するというのだから、お前らが代わりに説明してみろ。
↓↓
>918 「混一」的地理感で行程を紹介しているから、
>当然彼らは邪馬台国を北九州より南国と思っている。

混一的地理感の行程で、
隋や唐からきた人間が北九州より東へ行くのか? んー?
944唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 21:50:43.60
北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…

魏使は、倭奴國を目指して倭国を訪れたことは明白である。
倭奴國は伊都国の近方でありあまり離れていない。つまり、伊都国で待つことが出来る位置。
945日本@名無史さん:2011/12/23(金) 22:16:39.23
唐松ちゃん、そのとおり。邪馬台国にはむかっていない。
946おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/23(金) 22:34:54.84
923 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

ははあ、そうきましたか。まあ、どんなことでも理屈をつけることはできますからねえ。
ところで、以下の記述についてはどう思われますか。
計其道里、當在會稽、東冶之東。

あなたは「混一彊理歴代国都之図」的な地理感 で考えたから(東北が)當在會稽、東冶之東になるという説だ
と思いますが、陳寿の『計其道里」は「自郡至女王國萬二千餘里」を基にしているのではありませんかね。
つまり、水行二十日と水行十日陸行一月がその計其道里には含まれていないのではないかということですが。
947おばんです秋田名物乳頭パイ:2011/12/23(金) 22:39:42.04
946の訂正
>>923 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
94819歳某国立大生:2011/12/23(金) 22:59:19.97
伊作爺さん、反論不可能だからスルーしたとみていいわけだねw
もう少し柔軟性をもち間違ってたなら素直に訂正すればいいのに。
949日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:00:53.01
>>942

地理感覚など、まったく必要ない。
必要なのは、隣ムラ、隣の港と交流しているムラ人とコネクションをとるための、通訳ガイドだ。

金とガイドさえ居れば、世界地図など持たなくとも、世界を旅することは誰にでもできる。

古代人はそうして世界を旅していったんだよ。
地図なんてものは、近代になって作られたものだ。わかったかバカめ。
95019歳某国立大生:2011/12/23(金) 23:07:54.31
古代中国人の地理認識は、
タン耳・朱崖、今の海南島と倭国は
同じような風俗であると認識してるようだし、
実際よりだいぶ南に倭国が位置していたとみていいだろう。
現代人と同じだと思ってるから見誤る。
951日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:18:24.98
どこにある国だか分からない国に、
誰が金なんかくれてやるか?
馬鹿じゃないの?
952日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:20:41.88
>>951

バカはおまえ。
953唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 23:26:16.38
國人共立為王。
卑弥呼共立を支持した勢力が景初3年の朝貢に関与する。
その勢力範囲が
女王国(難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王(男王)の部下 斗は書紀)
から邪馬台国(伊支馬=イクメ=垂仁・都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守)
までの勢力範囲であり
晋書正始元年東倭重譚納具。
邪馬台国王に倭王位授与(伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁)
これ以降にも女王が登場する以上、女王と倭王は同一とできない。
954日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:28:15.76
無限の東北説はともかくとして
魏志倭人伝で連続説、放射説を支持して、かつ萬二千里を実距離としていた者は、無限の証明で破綻なのは確かだ
とくに九州説はこれでほとんど全滅かな
955日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:33:27.80
畿内説はそれ以前から全滅だな。
956日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:43:29.11
やはり、畿内説が真実だな。
957日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:49:52.39
とにかくこの三人で決着をつけろ。
逃亡したら負けだ。
他の者は口出しするな。

夢幻如
完全に頭にきている天才論客
19歳某国立大生落ちこぼれ
958日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:50:38.19
使者が邪馬台国には行ってないとしたら、記載されている邪馬台国の話は倭人からの伝聞情報ってことになる
邪馬台国が東北にあったのであれば倭人は南でなく東だと言うはずだ
それに邪馬台国は寒い所だと言うはず
夢幻如の話は根本的におかしい
959日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:52:57.10
トンデモ度が一番高いのが、天才論客伊作か。

あとの二人は、割とまともだからどうでもいい。
960唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/23(金) 23:54:14.83
>邪馬台国の話は倭人からの伝聞情報ってことになる

210年任那(狗邪韓国)建国。
伽耶韓国で聞き込むこともできる。
961日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:57:27.51
959は夜勤中の無限尿
962日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:58:52.84
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符! 第一話

http://mimizun.com/log/2ch/history/1167480597/

963日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:06:03.38
>>961

筑紫の民よ、ハンドル忘れてるぞ。
964日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:12:26.20
965ローガン:2011/12/24(土) 00:15:47.42
>>957
とにかくこの三人で決着をつけろ。逃亡したら負けだ。他の者は口出しするな。

すんません。一言だけ。
>>849:完全に頭にきている天才論客
先遣隊は正始元年の何月に派遣されて何月に帰国して、正使は何月に派遣されたか。細かいタイムテープルを提示してみ。」
は、当然の指摘。に対して
「910:夢幻如◆vaujymvCDcV.
あと先遣調査隊をいつ派遣したかね。「正使の前だ」答えはこれだけ ゲラ」

と、練れていないのが露見した事で終了。また、

>>915:19歳某国立大生
景初2年の11月末に明帝は病気で倒れてるから、12月など病床にふせって公務を行える状態じゃないよ。」

十二月乙丑帝寢疾不豫 倒れたのが8日。その後、病床で曹宇等の罷免の詔を書かされている。
966日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:22:41.32
ローガンは口出しするくらいなら、きちんと伊作を黙らせろ。

967日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:25:37.02
文献の細かい言葉尻にこだわるばかりで、議論の中身は何も無し。

畿内説しかありえないのに、バカと同レベルの言い合いをして何の意味があるのだ。
968日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:26:36.46
論理が通用しない、無限尿と名古屋だけの退場で十分だ。
969日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:29:26.96
旧唐書に、倭国と日本国が別々に立てられているから、畿内説はない。
970日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:31:00.45
邪馬台国はヤマトだと書いてあるだろ。
971日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:33:03.68
 夢幻如と名古屋は同一人物
972日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:36:11.56
>>970
学問は、ゴロ合わせじゃ通用しない。
973日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:46:36.37
>>970
どこに書いてあるんだ?
974唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/24(土) 00:47:22.58
>学問は、ゴロ合わせじゃ通用しない。

ゴロ合わせもできないようでは、候補にもあがらない。
975日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:51:47.99
カラマツってこの程度のバカだったのか
976日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:53:46.67
>とにかくこの三人で決着をつけろ。
>逃亡したら負けだ。
>他の者は口出しするな。


…要するに隔離してしまえという事ですね、分かります。


977日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:54:05.36
ゴロ合わせしました

脳みそがカラ松山
978唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/24(土) 01:01:17.70
ホケノ山と伊支馬=イクメ=垂仁を整合させることはできる。
これをゴロ合わせと称して否定しても、ホケノ山の時代も主張できない。
ホケノ山は何時(225〜250年)誰の時代か?
979日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:02:49.92
ホケノ山で古代史は見えてこないから心配するな
980日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:03:40.48
邪馬台国はヤマトだしな。
981日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:28:17.10
>>980
不況のお陰で(財政難)未発掘のままだが、
卑弥呼の後継者となった臺與が豊国に支配拠点を移す以前の「女王国」と関連があるだろう。
親魏倭王の金印が発掘されればビンゴ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%96%80%E9%83%A1
982日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:32:30.59
>山門郡

空耳アワー
983日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:50:12.15
>>961
俺も個々の話なら無限を支持出来るよ
984日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:55:46.35
>>983

>個々の話

死の彷徨で有名な寒冷地、八幡平が
温暖な倭地の邪馬台国だって信じるの?
985夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/24(土) 06:35:00.37
「万二千里は実距離ではない」証明の重大さがわかる人がチラホラいるようで嬉しいよ。
行程紹介を連続説か放射説で見た場合という条件はつくが
それ以外の解釈は超勝手解釈、つまりコジツケ解釈しかない。
「水行陸行」は経過日数を表さない、という唯一の対抗論もあるが
これは論証出来るものではない。

「万二千里」が実距離でないことが判明した以上、ここを柱にした論はすべて否定される。
986夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/24(土) 06:52:49.06
「万二千里が実距離かどうか」も論争のポイントだが、なぜこんな簡単なことが解明出来なかったのか。
里程表記を水行表記に置き換えるという、単純な発想がなぜ出来なかったのか。
「結論先にありき」だからだろ。
邪馬台国に比定したい地は最初から決められ、あらゆる資料はすべてそこに向くよう勝手解釈をする。
フラットに物事を見る目がなくなっているから、こんな簡単なことにすら気づかない。

俺が見つけられたのは頭がいいからではない(いや、それもあるけどな ワラ)
どこかに邪馬台国を比定したいというのがないから、フラットで柔軟な目で資料、史料を見れるからだ。
検証していき、その結果どこが邪馬台国に比定されようとそれを認める。
この当たり前のことが邪馬台国論争ではほとんどされていない。
987日本@名無史さん:2011/12/24(土) 06:53:12.92

          o。_。_lコ<o>     |l≡≡≡|ミ|__。≠_〇o
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     。。oo  |l|FFFFFF |朝から活発な夢幻如 今日はイブだぞ そろそろバカを止めたらどうだ...
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   |ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF     ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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   lミl.」」.」〇 ++ +  (´・ω・) o  〇 。 o  +   〇 。 +
  __〇___。_゚__/ ~つと)____o______〇__o___。
  二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二

988夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/24(土) 07:02:29.09
里程表記を水行表記に置き換えることを、あれだけ懇切丁寧に書いたのに読解力がない馬鹿がいる。
自称天才の低脳くんだ ワラ

>>848のレスだ。
>>843 夢幻如
>狗邪韓国〜対馬国の旅程を水行に置き換えるという発想を誰もしなかった。
狗邪韓国〜対馬国の工程ははじめから水行だが。気は確かか?

これだけでこいつの把握力、読解力の無さは十分証明出来るわな。

>>851のアホ突っ込みには既に答えている。
それすら理解出来ないらしい。馬鹿につける薬はないってか ゲラ
989日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:28:59.80
>>973
大和は、古の邪馬台なりって、
中国の史書に書いてあっただろうが?
隋書だったかな??
99019歳某国立大生:2011/12/24(土) 08:23:54.18
>ローガン氏
そうだったんですか。僕の手元にある横山光輝の三国志最終巻では
司馬が洛陽に帰ってくる1か月前に倒れて、司馬と会ったその数日後に死んだと書かれてあったもので。

しかし倭国の使者との謁見は無理ですよね。伊作爺さんも逃亡したようですし
とりあえずこの景初2年問題に関してはこれで決着といたします。

99119歳某国立大生:2011/12/24(土) 08:40:33.76
万二千余里は、松本清張説で、実数ではなく遠方にあると言う
比ゆ的表現の可能性もたしかに高いが、
水行30日を1里=約430m で計算し、1500里プラスして、
万二千余里にした可能性も否定できない。
推測するしかないので、いくら考えても正解などわかりゃしないよ。
992日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:43:21.79
>>796 情けないちんぴら八幡
>古代史のプロの学者から景初3年が正解だというお墨付きをもらってきたからw
その古代史のプロの学者とやらを、
ここか俺のサイトのコメント欄にでも連れ出してこい。マジに議論してやるる。

最後には、尻尾を原に巻き付けて電柱の陰で吠えるふ抜け犬のようなこという。
てめ。そんな根性なしで、よく俺に食いついてきたもんだな。
最初の勢いはどうした。
993日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:43:34.81
>いくらたてつこうが、学会ではもうこれがコンセンサスらしいから。
たてつくのではない。畿内説学者たちの欺瞞を暴いてみせたのだ。

>素人が何を言おうがもう覆らないからww
素人もプロもない。正論が勝つ。泣きごとをいうな。見苦しい。

>>798
>司馬軍が襄平に到着する6月以前に卑弥呼が使者を
>送ってる計算になるんだしそんなことはありえんわww
お前、そうとう頭悪いな。視野も狭いし思考流域も狭い。
まず、遼東問題は東アジア諸国細田の関心ごとであり、最大の国際問題だった。
「司馬懿が洛陽を立つ」という情報は、緊急情報だからすぐに伝わる。
さらに、
司馬懿軍が遼東に到着して遼水で対峙したのは何月だったか。
司馬懿軍が襄平の城を包囲する6月以前に倭国が使者を派遣したことに
時間域な無理はぜんぜんないぜ。古代人の能力をバカするな・この野郎

>昨日も言ったが司馬軍は4万で、公孫淵軍は15万と
>兵力では司馬軍のほうが劣勢であったんだし。
>まあ大将の質の優劣ははっきりしてたからそれが結果に出ただけで。
なーにをいい出すなんだボケ。かんけーない。
むしろ魏本国では、4万は多すぎるという意見が出たほどなんだぜ。
勝負はやる前から見えていたんだ。お前と俺の勝負と同じだな。

>>990 これに対してどう決着したんだ?
994日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:45:22.65
進歩がない八幡よ。
俺がいうまでもなく、誰もが気づくことだ。ほれ

3年説に従って第一回目の朝献が新帝・斉王芳への朝賀訪問だったとすれば、
その献上物が第二回目以降のそれに比較すると格段にお粗末すぎる。
新帝の即位を祝う朝賀の貢ぎ物とは見えない。
●景初2年の貢ぎ物 倭国の使者は難升米等2人で、上献したのは男生口4人、女生口6人、班布2匹2丈、
●正始4年の貢ぎ物 倭国の使者は掖邪狗等8人で、
 上献したのは生口、倭錦、絳青縑、緜衣、帛布、丹、木□、短弓、矢。
これをみただけでも、第一回目は十分な準備ができず、相当に慌てて間に合わせた感がある。

この事実を前に、気のきいた詭弁をいえる奴はいるか?

>>800
>さすがに1時間もこんな話のわからんやつの相手してどっと疲れた。
俺は神経戦にも強いんだ。
絶対に小細工はしないし、論旨を見失うこともない。
勝負はやる前から見えているんだ。よゆうよ

>そろそろ風呂入って、ウイイレでもやるかな。
>歴史ばかりじゃ味気ないわ。そうは思わんか爺諸君?
俺は相手が逃げたなどという安いことはいわんが、いちおうは議論放棄宣言か?

>>990 これに対してどう決着したんだ?
995日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:51:43.88
>>850
ハナたれ。
てめえのお里はとさくに知れている。
>帯方郡を先行平定した劉マが卑弥呼が使者を送った時に劉夏に変わってたとか、子供じみたこと言ってるようじゃあ
『倭人伝』がそう書いている。
俺は、書いてあること覆す論拠もなく推測で否定するほど軽卒じゃないのだ。

なことよりも、景初2年だったとするに充分な証拠を幾つかあげたが、
それに対する返答も言及もなしか。
てめ。俺と議論するなど30年早い。もっとレベルの低いところで遊んでこい。
>>852 ハナたれ
>魏志倭人伝の行程など魏使が邪馬台国に行く行程を
示しているものではないことが明らかになりましたね。
>実際はおそらく魏使は同じ船で半島南部から伊都国を経由して
瀬戸内ルートで30日かけて畿内にいったとみるべきでしょう。

これだけをいう論拠が、
「鏡はすべて船で運ぶのが合理的考えなので」か。
お前、ここの参加者を低学歴だ素人だとバカにしていたが、
お前の知能指数も学歴も学力も知れてるぜ。
いってることの理路と理屈が、義務教育低学年レベルじゃないか。

>>990 これに対してどう決着したんだ?
996日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:57:00.49
>>468   雲助。放置してりゃ調子づくタイプらしいな。
>数日間現れず反論考えてたあげくがそれかよw
勝負はついているんだが。

>結局遼東情勢に関しては反論不能だから話題そらして
2年説が正しいのは明白だから、
遼東情勢と二郡平定に関する俺の高度な分析と検証も正しい理屈だ。

>宮中儀礼にもっていきたいわけだなw
世間の常識だ。宮内庁に行って確認してこい。

>少帝はまだ子供だから摂政二人が対応すれば問題ない。
相手がガキか大人かの問題ではない。王朝儀礼の問題だ。タコ
喪中に「お祝い」の使者を贈るのは、国際感覚の欠落した田舎者。
喪中に「お祝い」の使者を贈ったとするのはバカ学者だけだ。

>プロの専門家にも確認取り、これが学会のコンセンサスだと言うお墨付きも貰ったし。
そいつを俺の前に連れてこい。俺が恥をかかせてやるぜ。

>学会では相手にもしてないとさw
相手をできるわけがなかろう。赤恥をかくのはそのバカたれのほうだから。
その学会てのは、信用のおけない畿内説学会だろう。

>司馬との戦闘中に朝貢するわけないとさ。
「喪中に朝献などするわけないし、喪中の皇帝が対応するわけもない」。
そもそも、卑弥呼の朝献目的は軍事支援要請だ。「喪中のお祝い」じゃないぜ。
司馬懿の公孫淵討伐戦と重なることに何も不自然性はない。

>>990 これに対してどう決着したんだ?
997夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/24(土) 08:59:04.03
>>941
>「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」をどう説明するか。

邪馬台国を東北の内陸部とすれば東西に海がある。
その東側、太平洋岸の邪馬台国に最も近い良港から海を渡ると見ればいいんじゃないか。
もし北海道の東側へ行くなら太平洋岸だろうな。
これは想像でしかないが、西側には近くに良港がなかったのだろう。
だから「陸行一月」だと思う。

倭人伝に記された投馬国経由のルートが、北九州からの当時最速のコースだったと
俺は想像している。
998日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:59:15.37
>>548  ねちねち雲助
>当時は楽浪郡帯方郡の二郡は公孫氏政権におさえられており、
>画文帯神獣鏡を輸入できたとすれば公孫氏政権からしかないわけだ。

何の論拠も無い推測空論だな。呉式神獣鏡を公孫氏が仕入れたという時代背景の説明はなしか?
神獣鏡は、劉焉・劉璋、張魯、張角など新興宗教を基盤とした教団が、
信仰上の神宝・呪具としたものだ。
張魯と張角は、曹操、孫権、劉備らと中原の派遣を争った領袖だぜ。
火事場泥棒よろしく遼東に居座った公孫が、ライバルの信仰的精神性を現した神獣鏡を、
呉の孫権を介して入手して、神宝・呪具として重宝したとでもいうのか。半端衒学野郎

>なので中平刀もこのとき公孫氏からもらったものだろう。
「だろう」て、これも何の論拠提示もなしで、ただの空想だな。
倭国の外交相手はあくまでも中原の覇者だ。
中原が安定しない間は50年・130年と殻を閉ざした貝のように大陸との接触を断っている。
火事場泥棒みたいな太守あがり田舎者風情に、へりくだって外交などするものか。
そこに倭人の誇りというものがある。

お前ら畿内説は節操がないから古代の倭国像がコロコロ変わる。
ヤマト王権だのゆるゆるの連合といったかと思えば、
原始共同体に毛が生えた程度の頭の悪い土着民集落国家でもあるかのようにいう。
これほどに古代人をバカにした話はないぞ。下賎な外道ども

>鏡も刀も同じ近畿から出土してるんだし、邪馬台国の場所もおのずとわかるだろう。
下賎な外道学者たちが日本人を騙すために考えついた方便の受け売り垂れ流しにすぎん。

>>990 これに対してどう決着したんだ?
999日本@名無史さん:2011/12/24(土) 09:02:29.75
この、ねちねち雲助をしばらく観察していたが、
こいつは名古屋大学生を名乗っていたハナたれの別ハンのようだ。

俺のサイトをちょっと覗いて、つつけそうだと見たところを攻撃したくて、
俺を引っぱり出したくて挑発的なあおりをやってたのだろう。
論調と文章レベルと知識レベルなどからみて、あのハナたれとみた。

●それからしょくん。
夢幻如という闖入者だが、俺は早々と見切りをつけて無視している。議論にならん
かまったいる間は居続けるだろう。
誰の目にも明らかなように、極めて狭義でお粗末な論拠に基づく暴論だ。
大国・唐松山・久留米らと同じように、無視して勝手にやらしておいたらどうだ。

>>990 これに対してどう決着したんだ?
ついでに
>>997 夢幻如 
1000日本@名無史さん:2011/12/24(土) 09:02:55.44
おしまい
10011001
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