歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ26

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1日本@名無史さん
前スレ 歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ25
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1295743878/

博士は現存するのか、という問いは置いておいて定番ですので
2日本@名無史さん:2011/10/04(火) 04:17:27.36
516 :白馬青牛:2011/10/02(日) 23:38:37.11 ID:4FFJ5Ea1
> > >>435-436及び>>438-439及び>>443までチンコ長いのう。
> > > 古同性愛者がホモじゃ無いじゃの造るなや。
> > > 三島由紀夫、フレディマーキュリー、エルトンジョンは古同性愛者じゃ。
> >  しかも陰茎はABO血液型同様、
> > > 人種や容貌と全く関係無ぁんで。
> >  前スレでもオスギ氏の説明を挙げたろうに。
> >  ほんまホモカルトは>>99-100のカルトホモ教団系の発想と構造が似とるのう。
> > > 明治以来でも、性教育学で教育したんがホモ牛の実態で
> >  「同性愛主義」対称が松平健から高倉健に変わっただけで、昭和初期は「三輪明宏」となり、
> >  欧米も夷狄とし、アナルセックス決行して日本は負けたんじゃ。
> > > 戦後同性愛者も構図として楽しんご攘夷主義者じゃし、「どんだけ〜」も含め現在進行形じゃ。

コイツじゃねーだろうな歴史家って
3日本@名無史さん:2011/10/04(火) 15:35:40.44
昨日TVで笠原一夫さんが話をしていた。
領家と地頭、親鸞など
とうとうとまるで講談のような名調子でしゃべっていた

親鸞が京都の下層貴族の出身だったって、初めて知った。
4日本@名無史さん:2011/10/04(火) 23:59:27.14
さっき放送大学の日本古代中世史をみていたら
宇佐八幡神の神託として、「道鏡を皇位に就かせれば天下は乱れる」と称徳天皇へ奏上
とぬかしやがった(苦笑

「天下は太平になる」の他に異説でもあったのだろうか
まぁボードに「王家」と書かず「天皇家」と書いてあったのは評価するけど

第四回の再放送があれば必見
放送開始後22分あたりで言っているから
5日本@名無史さん:2011/10/05(水) 00:01:09.34
あぁ和気清麻呂が確認に行く前ね↑
6日本@名無史さん:2011/10/05(水) 00:32:49.56
流れ
・藤原仲麻呂の乱で藤原仲麻呂失脚、淳仁帝廃位
・孝謙帝重祚、のちに言われる称徳天皇
・道鏡が出世、称徳帝には跡継ぎがいない
・道鏡が帝位に着けば天下太平との宇佐八幡の神託
・二度目の勅使として和気清麻呂が送られる
・和気清麻呂は帝位を継ぐ者は天孫の血を引いているべきとの神託を持ち帰る
・和気清麻呂は左遷
・称徳帝崩御
・天智系の光仁帝が践祚、道鏡は左遷、和気清麻呂は復位
7日本@名無史さん:2011/10/07(金) 23:12:06.01
質問です
石川五右衛門以外で釜炒り・釜茹での刑に遭った人はいますか?
8日本@名無史さん:2011/10/08(土) 00:43:28.35
五右衛門と一緒に茹でられた子供。
9日本@名無史さん:2011/10/08(土) 16:06:07.39
蘇我入鹿は西暦645年の乙巳の変(大化の改新)で、中大兄皇子(後の天智天皇)らに斬殺されますが
立ったまま首を斬り飛ばされた描写や首塚がある一方、絶命直前に皇極天皇に疑問を直接投げ掛ける描写も有ります

個人的にズタズタに斬られ刺され(射られ)た後に皇極女帝に直接語り掛け、死後に首を刈られたと推測も出来ます

立ったまま首を斬り飛ばされた描写と明らかに矛盾する、絶命直前に皇極天皇に疑問を投げ掛けた描写は、実際の所はどうだったんでしょうか?
10日本@名無史さん:2011/10/08(土) 16:43:25.41
立ったまま首を切り落とすというのは余程切れる剣と腕が無いと無理で、事実では無いでしょう。
襲う側からすれば首を狙うのは確率も低くなるし、袈裟懸けか腹を突くのが常道ではないでしょうか。
11日本@名無史さん:2011/10/08(土) 17:42:11.66
立ったまま首を刎ねられる描写ってのは、
近代以後に書かれた話だけじゃないかな?
ひょっとすると漫画だけだったりしないかな?
12日本@名無史さん:2011/10/08(土) 17:55:08.83
>>11
どこのか忘れたけどテレビでよく見る何処かの神社の絵巻がそうなってる。談山神社だったか?

上から2番目の画像がそれ。16世紀らしいから近世と言えば近世かな?
ttp://www.tanzan.or.jp/houmotsu/2.html
13日本@名無史さん:2011/10/08(土) 17:58:12.03
間違えた。16世紀中頃だから戦国まっただ中で中世か。
ttp://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y06/tounomine/
14日本@名無史さん:2011/10/08(土) 18:03:11.46
>>12
談山神社蔵「多武峰縁起絵巻」
住吉如慶・具慶の合作で1668年の作らしい
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Irukaansatsuzu.jpg
15日本@名無史さん:2011/10/08(土) 18:11:15.09
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/ossinohen.html
http://www.asuka-tobira.com/taika/taikanokaishin.htm
これらのサイトを見ると、入鹿は中大兄皇子や佐伯子麻呂に斬りつけられた後皇極天皇に問いを発したが帝は下がり入鹿は絶命したようです
16日本@名無史さん:2011/10/08(土) 18:57:42.85
>>14
あれ?それだと江戸時代だからやっぱり近世か。
17日本@名無史さん:2011/10/08(土) 19:00:56.69
>>14
連投スマン。それは写本の方だ。オリジナルの絹本は16世紀中頃らしい。
ttp://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y06/
18日本@名無史さん:2011/10/08(土) 20:58:44.74
小学校の林間授業で、いたぶきの宮跡や、何百メートルも首が飛んだとか説明受けて入鹿の首塚見せられたけど、子供ながらに「本当嘘くせえ。歴史伝承なんてそんな荒唐無稽なものなのか」と残念に思ったよ
19日本@名無史さん:2011/10/08(土) 21:11:02.18
>>18
伝承は伝承でしかないからな。
20日本@名無史さん:2011/10/08(土) 21:39:42.72
島津忠久宛の地頭安堵状で教科書で有名な伊勢波出御厨というのは現在のどの地域にあたるのでしょうか。
ネットでは全くわかりません
三日平氏の乱からして松阪多気の方でしょうか
またその後、伝領はどうなったのでしょうか
よろしくお願いします
21日本@名無史さん:2011/10/09(日) 02:45:50.12
初期荘園は皇族・貴族や寺院が自ら開墾したタイプと,既墾地の寄進を受けたタイプがあると思います。
でも開墾した土地はのちに衰退した。これは荒地に戻ってしまうということですよね?
ということは、この時点で貴族は荘園を持っていないということになるのでしょうか。
もし持っていないとしたら、免田寄人型荘園において不輸の権を入手するそもそもの土地がなくはないですか?
もともと免田であった職分田や寺田を荘園としたり、また開墾したのでしょうか…

それとこの時期の荘園は、寄進地系ではなく荘官を間に挟まず
荘園領主−田堵−作人ら という流れでいいんですか?
22日本@名無史さん:2011/10/09(日) 19:59:41.76
超馬鹿な質問して悪いんですけど、
よく聞く「石(こく・ごく)」って、
その国の生産力の単位って認識で合ってますか?
23日本@名無史さん:2011/10/09(日) 21:10:15.99
>>22
お米の取れる量なので米以外の生産力は含まれません。
24日本@名無史さん:2011/10/10(月) 17:07:36.54
>>23
お米の生産量なんですね。ありがとうございます。
25日本@名無史さん:2011/10/10(月) 17:21:09.34
いや、米の取れない松前藩では
海産物などをもって
みなし石高を計算していたこともある
26日本@名無史さん:2011/10/10(月) 17:43:46.06
でも松前藩は1万石格でしょ。実収入はもっとあった筈。
27日本@名無史さん:2011/10/10(月) 22:05:35.88
>>26
そう、だから後に3万石格に昇格する
28日本@名無史さん:2011/10/12(水) 00:26:25.22
応仁の乱によって東寺•平等院•等持院•龍安寺•金閣寺•清水寺は焼失してますよね?それぞれの焼けた年(西暦)とかってわかりますか?
29日本@名無史さん:2011/10/12(水) 00:32:07.14
戦国時代の仙石氏と、民主党の仙石元官房長官は、関係ありますか
30日本@名無史さん:2011/10/12(水) 00:36:06.71
>>21
初期荘園が衰退するのと同時並行的に院宮王臣家と豊富の輩の結託による荘園が発達しているので荘園は持っている。

例えば東大寺の北陸にある初期荘園(名前失念)では郡司等の地域有力者が経営しているのでそのラインはおかしい。
また畿内に近いとこと遠いとこでは形態が違ったりするので一概にいえない。
これは領域型荘園になっても同じ。
31日本@名無史さん:2011/10/12(水) 00:40:11.22
>>24
お米の生産量ではありません
お米の生産力です。

太閤検地の頃の話でいけば,石高の基準となる石盛は斗代と同じなので,
単位面積当たりの収穫量ではなく,年貢量と考えたほうが自然。

ということで生産量を示していないので,せいぜい生産力の目安だ。
32日本@名無史さん:2011/10/12(水) 21:41:38.20
しかも時代が下るにつれ
どんどん石高は米の生産力とは関係なくなっていって
単なる大名ランキングの数値になってしまう
33日本@名無史さん:2011/10/13(木) 00:34:11.47
前田利家が開いた前田家は加賀百万石なんていわれて、相当な力を誇ったハズなのに江戸時代〜幕末にかけて何も大きなリアクションや存在感みせられなかったのは何故?

秀吉や家康も前田利家自身には、一目置いていただろうに
徳川幕府の「枝打ち」が功を奏してたの?
34日本@名無史さん:2011/10/13(木) 01:02:57.03
今のやり方でGDPの構成比みたいなものを考えると
江戸時代を通じて、お米というか農業の比率は
あまり変わらなかったのか、都市の商業に押されて減っていってたのか
35日本@名無史さん:2011/10/13(木) 08:32:56.41
質問です
室町時代や戦国時代、武士は自分の同輩の子供をどう呼んでいましたか?
○×丸という名前の子供だった場合、○×丸殿ですか?
それとも呼び捨てでしょうか? あるいは他の接尾語があったのでしょうか?
変な質問ですみません。よろしくお願いします。
36日本@名無史さん:2011/10/13(木) 18:12:51.64
生産力よりも「領主の収入」ではないかと。

領地替えの際に、旧領と新知の収入差を把握しやすくする目的で。

ただ、江戸時代に入ってからの開墾とか新産業の育成とかで、
領主の収入と合わなくなっていったけども。
37日本@名無史さん:2011/10/13(木) 19:58:52.79
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1318470888/
なんでも半島伝来説がまた否定されました。
で史学者は、半島伝来説否定の時は何故か中国伝来説が否定とか
言うんだよなー。頭おかしいんだよ。歴史学者は。
38日本@名無史さん:2011/10/13(木) 22:15:27.61
>>37
っていうか、漆の半島伝来説なんて聞いた事ないけど。半島に漆器の文化が有るの?

>>36
石高から何割かを税として取るんじゃないの?
39日本@名無史さん:2011/10/13(木) 22:19:39.89
いくつか質問があります

・源頼朝が石橋山の戦いをきっかけに平氏に戦いを挑んだ理由
・後白河法皇が清盛を敵視するようになった理由
・十月宣旨にて後白河が頼朝の東国支配権を保証した理由

わかるかた教えていただけると幸いです。
よろしくお願いします
40日本@名無史さん:2011/10/13(木) 22:53:06.33
>>38
半島に馬も梅も茶も土器も水田も無いのに、全部半島でんらい
とか言ってるよ。嘘付くなよ。歴史学者。これまで嘘つきまくって
それがバレたら、そうとは言ってないとか言いだすのが嘘付き歴史学者。
考古学的調査も、古生物学的調査も終ってないのに、色々嘘ついてきたのが
歴史学者。
41日本@名無史さん:2011/10/13(木) 23:06:37.18
まあね、旧石器遺跡捏造発覚後の薄ミットモナイ姿とか 未だに何一つ分かってないバカとかを見ると
考古学協会とか学会とかって 何の自浄能力も無かったんだからな。
縄文石器と旧石器の区別もつかないんだぜ 学者様ってさ。
42日本@名無史さん:2011/10/13(木) 23:22:05.02
>>39
石橋山はきっかけじゃないでしょ。平家打倒を決意して蜂起した結果が石橋山。
決意したのは何時かはやるつもりでいた所に以仁王の平氏追討の令旨が届き、
平氏が令旨を貰った諸国の源氏を討伐するという噂が流れて身の危険を感じたかららしい。

後白河法王としては、権勢をふるう清盛は目の上のたんこぶでしかないでしょ。敵視って言うよりも邪魔。

木曾義仲の山猿振りに辟易していた後白河は義仲を追い出してくれそうな頼朝に良い顔する必要があった。
43日本@名無史さん:2011/10/14(金) 11:45:34.71
>>42
清盛に権勢を与えたのは後白河法皇なんだけどね。
保元の乱、平治の乱と後白河は清盛にお世話になりっぱなしだったし。
清盛の義妹を寵愛し、清盛の娘を愛息の妻に迎えるなど蜜月時代は長かった。

以仁王は親王宣下も与えなかったぐらい冷遇されてた皇子だったのに
自分で還俗して天皇になろうとした後白河の手におえない不肖の息子。
別に以仁王に令旨を出すように頼んでもいないしね。
44日本@名無史さん:2011/10/14(金) 13:06:42.99
熱く語られる「邪馬台国」だが、その当時の舟の積載能力って どの位有ったのでしょうか?
丸木舟よりは構造船っぽいんだと思いますが 今で言う総トン数とかが知りたいのと
カタマラン型とか 小型のアームを出してバランスを取ってたのか?と思って色々ネットを見ても
出土してるのは丸木舟みたいなのばかりで困ってます。
45日本@名無史さん:2011/10/14(金) 19:30:19.68
>>8
武田信玄が釜茹での大釜をもっていたらしい。
46日本@名無史さん:2011/10/14(金) 22:53:21.15
よっしゃこい!は何処へ行ったの
47日本@名無史さん:2011/10/14(金) 23:04:11.63
>>45
戦陣での炊事用でしょう
長い戦さには必要
48日本@名無史さん:2011/10/15(土) 00:17:58.54
>>44
固まらんて何かと思ったら双胴船かよ。そういう説は聞いた憶えが無い。アーム(アウトリガー)は出土して
ないけど在ったんじゃないかと考えてる人はいるようだ。
49日本@名無史さん:2011/10/18(火) 18:55:18.34
>>43
もともと清盛と後白河の蜜月の始まりは、二条帝が早死にしたことで二条親政派だった清盛が
清盛の甥であり後白河の子である高倉帝を皇位に付けようとして後白河との思惑が一致したため。
清盛と後白河の関係が破綻した背景には、建春門院の死や院近臣と平家の官位を巡る対立、
清盛が既成権力に入り込みすぎたことへの反発、山門強訴への対応の違いなどがある。
いわゆる鹿ヶ谷事件(これの信憑性はともかく)の後始末として、清盛が院近臣を大量に処分したことと、
その後治承三年の政変で後白河を幽閉しことで両者は修復不可能な関係になった。

十月宣旨に関してはもう出てる通り義仲に対抗するために頼朝との結び付きを強めようとしため。
義仲は以仁王の子である北陸宮を皇位につけようとしたり、院政を続けたい後白河にとっては目障りこの上ない。
50日本@名無史さん:2011/10/23(日) 23:05:45.03
歴史上の謎や伝説の客観的真相を知ることができるとしたら、どれが知りたいですか?
できれば理由も教えてください
@邪馬台国の有無とその場所
A実在する天皇は第何代目からか
B本能寺の変に黒幕がいたのかどうか
C孝明天皇毒殺説の真相
D明治天皇すり替え説の真相
E坂本龍馬を殺したのは誰か
F小渕総理急死のあとの森氏、青木氏による密室会談
Gその他
51日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:50:13.32
Aかな
52日本@名無史さん:2011/10/24(月) 18:24:21.35
>>50
2と3と、聖徳太子(厩戸皇子)の実在
53日本@名無史さん:2011/10/24(月) 19:20:27.86
C話題古杉
D〃
E〃
F小渕総理急死のあとの森氏、青木氏による密室会談の何が知りたいのかを知りたい
G(厩戸皇子)が実在していないと思い込める奴の根拠

54日本@名無史さん:2011/10/24(月) 21:00:34.49
>>50
F以外全部知りたい
55日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:00:01.78
居るか居ないかの争いの場合、「居なかった証明」って難しいんだから
順序として居たと主張する側が「居た証明や根拠」をまず提示すべきだな

有罪か無罪か争われた場合だって、有罪と判断するに足る証明や証拠や根拠をまず提示しないといけない訳で

まあ正史記述以外の証拠となると、他の古代史の歴史上のほとんどの人物の存在が怪しくなってしまうわけだが
56日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:05:02.92
荘園についてなのですが、庄、郷、牧など呼び方がたくさん有りますよね。
これらの違いについて教えてください。
57日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:18:57.13
>>55
そりゃ逆やで。
通説をひっくり返す方に、通説を否定するだけの根拠を示して証明する義務があるよ。
58日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:18:59.44
>>55
>有罪か無罪か争われた場合だって、有罪と判断するに足る証明や証拠や根拠をまず提示しないといけない訳で
それには推定無罪という前提が有る。しかし歴史は『証明出来ないものは存在しなかった』では済まない。
59日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:25:01.77
>>55
>有罪か無罪か争われた場合だって、有罪と判断するに足る証明や証拠や根拠をまず提示しないといけない訳で

そんな人物は存在しない = 存在するという通説が間違っている = 通説が有罪

君の説によれば、有罪と判断するに足る証明や証拠や根拠をまず提示しないと、
通説が有罪=居なかったとは主張できないね。
60日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:41:01.72
博士はなぜ就職できないのですか?
61日本@名無史さん:2011/10/25(火) 07:57:01.85
まあ古代天皇の存在が怪しいと言われるのは、100歳以上生きた例が非常に多い
60歳を超えても皇子が生まれる
といった不自然な記述があるからだが、聖徳太子の場合は彼が定めたとされる冠位十二階の後を引き継いだ法令が存在するとか、法隆寺や四天王寺があったりする事が存在の証拠としてあげられるからしっかりした根拠が無いと存在を否定するのは難しいと思う
62日本@名無史さん:2011/10/26(水) 17:38:25.84
古代人は長寿だったんだよ

オゾン層が今より厚かったんで
癌になりにくかったんだ

聖書研究者によれば
モーゼだって数百歳活きたとされてる
63日本@名無史さん:2011/10/26(水) 21:17:13.33
>オゾン層が今より厚かった

米でオーロラ観測っていうからアラスカだろうと思ったら南部で観測されたらしいな
昨日は日本の関東でも夜中空が赤かったと書き込んでいる香具師もいるが

地球ヤバイ!
64日本@名無史さん:2011/10/27(木) 07:13:15.13
もうじき、人類史に終止符が打たれる。
我ら歴史学者の仕事も終わるのだ。
65日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:16:02.94
仮に人類の95%が一気に死滅しても、残った人類で歴史は継続するだろ!?
66日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:30:25.60
95%どころじゃなく、99.999%が死滅しても、残りの0.001%=7万人が生き残れば歴史は伝えられるよ
67日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:50:14.86
明治天皇すり替え説ってどういう根拠でいつ頃からあった説なんですか?
明治時代は天皇大権が非常に強かった時代だし、明治天皇のすり替え説なんて
唱えてたら逮捕されるような時代でしょ?
この説が出てきたのはもっと後(戦後とか)からなんでしょうか?

また、昭和の妖怪といわれた岸元首相なんかもすり替え説を公言してたようだし、
それなりにきちんとした根拠があるって事でしょうか?
68日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:00:24.66

見苦しい自作自演、恥を知れ
69日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:54:06.63
>>67
すり替えたの俺。ごめんね。
70日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:00:10.43
前田利長は「利長遺訓」にて利常のことを
「筑前守(利常)は関東の聲に候」
と言っているのですが、意味が良く分かりません。
どういう意味なのか、教えて頂けないでしょうか?
71日本@名無史さん:2011/10/30(日) 21:53:34.59
律令制での中央行政組織では神祇官と太政官に分かれ、太政官の中の
右弁官の中に宮内省がありました
イメージ的に神祇官と宮内省の役割が重なるのですが、組織が違うということは
役割もまったく違うということですか?
また、組織的に神祇官のほうが大きく、格も上だということですよね?
どなたか詳しい方、ご教示願います
72日本@名無史さん:2011/10/30(日) 22:38:59.87
>>71
『太政官の右弁官局の被官で、はじめ1職4寮13司、のち統廃合されて1職5寮5司の官司を所管し、
宮廷の修繕や食事、掃除、医療などの庶務一切を務め、天皇の財産を管理した。』
wikipediaの引用だが神祇官とは全く異なる役割だ。

神祇官は祭祀を司り、太政官は行政を司る。その中で宮廷や天皇に関する行政を担当するのが
宮内省という事になる。
73日本@名無史さん:2011/10/31(月) 00:57:30.80
どなたか>>56お願いします
74日本@名無史さん:2011/10/31(月) 21:12:37.32
>>72
詳しい解説ありがとうございます。
つまり神祇官は各神宮や大社の宮司さんや掌典職等だということですね
75日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:24:42.43
>>74
俺も詳しい訳ではないが、wikipediaを見ると他に諸国の祝部の名簿や神戸の戸籍を管理したり
祈年祭、月次祭、大嘗祭(新嘗祭)といった全国規模の祭祀の時に諸国の祝を招集して幣帛を
班給する、といった仕事も有ったらしい。祈年祭の奉「幣」を神祇「官」から直接受ける神社が
「官幣社」だそうだ。
76日本@名無史さん:2011/11/01(火) 20:50:07.15
伊勢神宮や明治神宮の宮司さんや東大寺や延暦寺クラスの一番偉いお坊さんなんかは
一体どれくらいの年収があるもんなんですか?
凄く多そうな気もするけど、同時に思ってるほどでもないような気がして不思議な感じです。

おおよそでも良いので誰か教えて下さい
77日本@名無史さん:2011/11/01(火) 22:19:08.39
明治維新のときの大改革はいろいろ有名ですが、その中で「一世一元の制」は
あまり有名でなく、マイナー扱いされてる気がします。
なぜでしょうか?
日本特有の元号に対する改革なんだからもっと知られるべき事柄な気がします
78日本@名無史さん:2011/11/01(火) 22:58:39.54
「明治から一世一元になった。」「あ、そう。」で終わってしまって、それがどうかしましたかってのが実感。
79日本@名無史さん:2011/11/01(火) 23:20:15.47
実際のところ、桓武・平城・嵯峨・淳和帝も一世一元

明治天皇が慶応と明治の二つの元号に渡って在位しているのはいいとしても、今上天皇は昭和64年1月7日践祚、翌日平成に改元なので1月7日の昭和天皇崩御後の十数時間は昭和時代に在位していた事になる
80日本@名無史さん:2011/11/02(水) 04:49:01.53
>>60をお願いします
81日本@名無史さん:2011/11/02(水) 08:25:31.27
大室 寅之祐と睦仁=京都明治天皇は別人と言える6 
http://makimo.to/2ch/academy2_history/1033/1033549342.html
さわやかに 大室 寅之祐が明治天皇になったと言える7 
http://makimo.to/2ch/academy2_history/1047/1047627900.html
大室 寅之祐明治天皇が年\\CDになったと言える8 
http://makimo.to/2ch/academy2_history/1048/1048763181.html
ネタ】 大室 寅之祐が明治天皇になったと言うと9【ネタ 
http://makimo.to/2ch/academy3_history/1065/1065149632.html
大室 寅之祐明治天皇が御所不法占拠したと言える10 
http://makimo.to/2ch/academy3_history/1089/1089872577.html
大室寅之祐明治天皇が御所不法占拠したと言える11
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1106455514/l50
大室寅之祐明治天皇が御所不法占拠したと言える12
http://makimo.to/2ch/academy4_history/1127/1127745281.html
大室寅之祐明治天皇が御所不法占拠したと言える13
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1150612416/l50
海賊の孫大室寅之祐が明治天皇になったと言える14
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1168007771/
海賊の孫大室寅之祐が明治天皇になったと言える15
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1171170779/l50
海賊の孫大室寅之祐が明治天皇になったと言える16
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/history/1204528274/601-700
いまさら大室寅之祐(地家寅吉)明治天皇すりかえ説17
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284381378/
いまさら地家寅吉大室寅之祐明治天皇すりかえ説18
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1305252518/

82日本@名無史さん:2011/11/02(水) 12:46:25.91
故郷の郷土資料を見てたら、「加子は○○人、内役加子は○○人」と書いてありますが、加子ってのはどんな役職ですか?
恥ずかしながら初耳で読み方もわからない…
83日本@名無史さん:2011/11/02(水) 13:29:34.21
歴史を知らずに哲学は語れない

1 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2011/10/23(日) 12:02:55.39 0
歴史を知らずに哲学は語れない


84日本@名無史さん:2011/11/03(木) 13:09:09.52
>>79
改元詔書が出た翌日に改元されることは珍しくはない
85日本@名無史さん:2011/11/04(金) 01:33:31.29
質問です。
「お館様」という敬称が戦国時代では使われていたみたいですけど、主君が未婚
の女性だった場合(そんなケース自体、稀というよりほぼないと思いますが)
どのような敬称になるんでしょうか?やっぱり姫になるんですか?
ご返答よろしくお願いします。

86日本@名無史さん:2011/11/04(金) 02:18:34.85
>>85
「屋形」というのは幕府かなんかの許可を得ないと使えない特別な称号です。
そして井伊直政や井伊直弼の井伊氏には生涯未婚のまま当主になった井伊直虎が居ます。
「女地頭」と呼ばれたそうです。
87日本@名無史さん:2011/11/05(土) 15:39:55.83
質問です。
日米修好通商条約で日本は開国しましたが、貿易額の統計を見たら条約を結んだアメリカが1位ではなくイギリスが1位だったのですがどうしてですか?
88日本@名無史さん:2011/11/05(土) 18:50:03.05
>>87
イギリスとも条約を結んだんだよ
アメリカが最初に開国させた後、フランスやイギリスやロシアが開国を求めてきたんじゃなかろうか
8985:2011/11/06(日) 08:19:59.67
>>86
回答ありがとうございます。読みは「おんなじとう」でいいんでしょうか?
あと呼ぶときは敬称をつけたりしますか?(「様」・「殿」など)
90日本@名無史さん:2011/11/06(日) 10:26:02.41
>>88
なるほどそうでしたか、ご回答有り難うございます!
91日本@名無史さん:2011/11/06(日) 10:42:50.33
>>89
それは「北条政子は尼将軍と呼ばれた」というようなもので、直接呼びかける訳では無いと思います。
読みはそれで良いと思います。男名前を使ってるし、普通に男と同じように呼ばせたんじゃないでしょうか。
92日本@名無史さん:2011/11/06(日) 10:45:27.55
>>90
具体的には、日米修好通商条約を結んだ1858年に日英修好通商条約を結んでいます
安政五カ国条約と言って、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダそれぞれと同様な条約を1858年に結びました
最初にアメリカと日米修好通商条約を結んでしまった事で他の国も同様の要求をしたためどれもほぼ同じ内容です
93日本@名無史さん:2011/11/10(木) 01:44:09.96
質問をしたいのですが、
1)平安京遷都後、奈良にあった寺院はどうなったのか。

2桓武天皇の政治によって、人々の生活は変わる事が結果的にできたのか。
⇒インターネットでサーチしてもやったことはかかれていても、「結果」については、述べられていませんで。

3平安時代の摂関政治のころの国司は誰が任命していたのでしょうか。確実に、平安以前の国司の任命事情とは違うことはわかりますが、具体的には示せないのが現実です。

4)かな文字が作られた理由は?
5)平清盛の死後、なぜ平氏の力は急に衰えることになったのか。

面倒くさい質問で申し訳ないですが、教えてください!
中間に出る問題なんです…。
記述式なんですが、試験が明後日からで、ピンチです。
答えが見つからないです。

よろしくお願いします。
94日本@名無史さん:2011/11/10(木) 02:19:59.66
 
一騎討ち、戦場の幟旗は、全て捏造・陰謀

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0203/39/266_1.html

日本の歴史は、ほとんど真逆の陰謀だと言っていい。
「一騎討ち」や「幟旗(のぼりばた)」が、いかに、敵の餌食になるかは、
子どもでもわかる。
これは、「テロ」、「陰謀」、「騙し討ち」を得意とする大和朝廷が、
潜在的敵対者に、完全に誤った戦法を吹き込み、無力にさせ、
一方で、自分たちの戦法を見抜かれないようにする、トリックだった。
日本の天皇・徳川一族の伝統は、「偽装」と「詐欺」・「陰謀」であり、
この伝統は彼らの遺伝子に深く刻まれており、それを「正義」と信じる、
誤った感覚が消えることはない。
(仮説を含む)
95日本@名無史さん:2011/11/10(木) 02:27:26.06
応仁の乱がなければ、もっとたくさんの書物が現存しましたでしょうか
96日本@名無史さん:2011/11/10(木) 02:51:13.31
>>93
判る範囲で答えようと思ったけどテストなら自分で勉強しろ。付け焼き刃は無駄。
97日本@名無史さん:2011/11/10(木) 03:05:37.57
>>95
あまり関係無いと思います
平安時代の書物は割と残っています
御堂関白記のように自筆本が残っているものも中にはある程で、大体が写本として現存しています
応仁の乱よりも正倉院の火災で失われたものの方が数も多く価値あるものも存在したでしょう
98日本@名無史さん:2011/11/10(木) 22:54:35.92
>>93
ググればでてくるだろ
試験や宿題を掲示板で聞いて嘘を教えられたらどうすんだ

記述ならなんか書けば3割位はくれるよ
がんばれ
99日本@名無史さん:2011/11/10(木) 23:37:49.34
そうですね。調べなおしてみます。

ですが、
桓武天皇の政治によって、人々の生活は変わる事が結果的にできたのか。
については考えを伺いたい。
100日本@名無史さん:2011/11/10(木) 23:51:34.05
>>99
正直言って何を意図した質問か理解出来ない。難問というより奇問。
101日本@名無史さん:2011/11/10(木) 23:54:22.62
桓武天皇は庶民の生活の負担を軽減するために雑徭の日数軽減や出挙の利息軽減などをしたということですが、
これらによって、人々の生活が奈良時代の時と比べて変わったのか?
ということです。
102日本@名無史さん:2011/11/11(金) 00:04:48.88
質問は小出し・後出し
解答は詳細・長文希望


質問スレで一番嫌われることをやっていることに気付いているの?
103日本@名無史さん:2011/11/11(金) 00:23:12.52
>>102
たかが2chの質問に、なんでそんなに厳しいの?
104日本@名無史さん:2011/11/11(金) 00:33:14.83
ここが2chだからだよ
105日本@名無史さん:2011/11/11(金) 01:10:50.52
>>101
そりゃ難問だな。授業でやってない事は出ないだろうから誰かクラスメートに訊くのが良い。
106日本@名無史さん:2011/11/11(金) 02:06:50.63
>>104
めったにない強い立場に立てて、威丈高になっているようにしか見えない。
107日本@名無史さん:2011/11/11(金) 02:54:36.87
そんな場所で質問するしか手が無い自分が一番惨めだと気がつけよ
108日本@名無史さん:2011/11/11(金) 03:01:41.59
>>107
>>103>>106を書いたオレは、質問者とは別人だ。
いたいけな高校生をいじめてるようで、横から見ていて、なんだかなあ〜と思ったんだ。
109日本@名無史さん:2011/11/11(金) 03:25:01.34
だからこそ、ここが2chなんだってば。
どんな相手が答えるかわからない場所で、回答者の質を求めるなよ。
まして学校の宿題や試験の質問とか聞くのはダメすぎだろ?
98が書いてるが、間違った解答や嘘教えられるより、冷たくあしらわれる方が、まだましだと思うがな。
110日本@名無史さん:2011/11/11(金) 16:04:56.13
>>101
戦争(東北への大遠征)とか造営(長岡京と平安京を作った)などによって、
人々の負担が増えて生活が苦しくなっているという理由で行われた負担軽減策でしょ。

奈良時代よりも生活が楽になったとは思えないけど...

授業ではそういった話は出てなかったの?
それとも、ひょっとして授業を聞いていなかった?
111日本@名無史さん:2011/11/11(金) 21:25:41.74
壷の最低住民が集うと言われているニュー速等の板ですら質問スレでの常識とされていたことがこうも簡単に否定されるとは「ゆとり」恐るべしw

回答を必要とする質問者にはできるだけ手間をかけさせるな
回答者はエスパー能力を駆使して質問者に誠実に答えよ「考えるな!感じろ!」


質問者は(御客様として)めったにない強い立場に立っているのだから威丈高に振舞うことを許容しろという発想がどうしても理解できない
初心者を宣言すれば大事にされて当然という思い込みでしか物事を考えられないコノゴミは何時まで日本史板に居座る心算なのだろうか…
112日本@名無史さん:2011/11/12(土) 12:06:36.05
あの、質問です。どうでもよいことかもしれませんが、どうしても気になって仕方がないのです。

赤松則祐は、サザエさんの放映やその前の朝日新聞連載前も「そくゆう」という読みしかなかったのでしょうか?
のりすけと読んだら怒られてしまいましたが、気になって仕方がないのです。
113日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:11:57.69
法名に改名しない場合は俗名を音読みにして法名とする
114日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:04:42.37
規則守らない中学生ほど1人ネットに興じる傾向

規則を守らない子どもほど、一人きりでインターネットやメールに興じることが多い――。そんな実態が、警視庁が中学生を対象に実施したアンケート調査でわかった。
アンケートは今年7月、都内の中学校11校で実施され、1〜3年の男女計4029人から回答を得た。
全員に「規則を守らない」「友だちとの約束を破る」など規範意識を問う15の質問をし、規範意識が「高い」グループと「低い」グループに分けてアンケート結果を比較した。

放課後や休日の過ごし方を複数回答で聞いたところ、規範意識が高いグループは「家族と外出する」(21・5%)など家族と一緒に行動することが多かったが、
低いグループは「インターネットのサイトを見る」(27・1%)「友だちとメールする」(23・9%)など一人で過ごす傾向があった。

(2011年11月11日12時53分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111111-OYT1T00271.htm
115日本@名無史さん:2011/11/12(土) 22:43:33.28
>>111
>壷の最低住民が集うと言われているニュー速等の板ですら質問スレでの常識とされていたことがこうも簡単に否定されるとは「ゆとり」恐るべしw

古参ネラーの「ゆとりさ加減」恐るべし
116日本@名無史さん:2011/11/13(日) 01:14:42.84
郷土史を調べていると、「加子は○人、内役加子は○人」と書いてありますが、加子とは何ですか?
船や海に関わる人たちと言うことは間違いなさそうですが…
117日本@名無史さん:2011/11/13(日) 01:26:58.35
そこまで判ったらググれば判るだろ。平家物語によると壇ノ浦で義経は非戦闘員である「かこ・かんどり」を
狙えと命令して平家にひんしゅくを買っている。かんどり(梶取)は舵取りなので、かこ(水手)は水夫となる。
118日本@名無史さん:2011/11/13(日) 01:34:44.88
なぜ、室町幕府は京都にあったのですか
119日本@名無史さん:2011/11/13(日) 01:45:41.59
室町じゃなくて鎌倉にあったら鎌倉幕府だし、足利にあったら足利幕府であって室町幕府にならないから。
120日本@名無史さん:2011/11/13(日) 01:54:25.32
京都って、攻めやすく、守りにくいのになぜ、そんな室町を選んだのかなって聞いたんだ〜い
121日本@名無史さん:2011/11/13(日) 02:15:52.24
京都が攻め難く守り易いって認識は間違っちゃいない
故に奈良・大坂・滋賀の範囲で転転とした後の終の棲家に選ばれたわけ

攻守の人物に大きな隔たりがあったり特殊な状況全てに対応できる都市って何処よ?>120
122日本@名無史さん:2011/11/13(日) 02:30:37.72
足利家として北朝を正当化しまもるために、室町をえらんだろ
京都の守りにくさは、応仁の乱でしめしてるから
123日本@名無史さん:2011/11/13(日) 08:55:24.56
京都御所の近くに室町幕府があったわけで、現代風に言えば
2重行政ってことにならないの?
それとも、場所は近くとも「朝廷」と「幕府」の役割分担は
きっちりと分かれていたのかな?
124日本@名無史さん:2011/11/13(日) 15:11:39.79
>>122
世人の支持を失ったがゆえに京都を守れなかった南朝のどこに正統性があるのかと問いたい

>>123
一応、分かれてはいた
が、細かく見れば分担する範囲は曖昧で、
朝廷が担当していた業務が次々と幕府の担当に変わっていった。
権限移行の過程では、将軍が朝廷内で重要な役割を担った時期もある。
125日本@名無史さん:2011/11/13(日) 21:41:17.29
>>124
小林よしのり「天皇論」読め
アンチ南朝を黙らせた良書だ
126日本@名無史さん:2011/11/13(日) 22:20:14.01
後世において、この平成という時代がどういう位置づけになるのかって事に
興味があります。
日本史として、昭和以上の位置づけになることはないでしょうが、
それなりに重要な位置づけになるでしょうか?
それとも、大正のような感じで比較的マイナーな位置づけになるのでしょうか?
2度の大震災、原発事故、オウム事件、人口減少社会の到来、長期不況の時代、
自殺大国化、など、それなりに大きな要素は多いですよね
127日本@名無史さん:2011/11/13(日) 23:14:54.66
>>125
ゴミは要らん。
128日本@名無史さん:2011/11/13(日) 23:19:34.74
まあとりあえず、九州じゃ足利義満が将軍職に就くまで南朝方が力を持っていたことと、延暦寺が南朝方だったこと、南北朝の合一後に北朝は神璽を南朝に奪われていることを勉強しておこうか
129日本@名無史さん:2011/11/13(日) 23:22:55.79
正統性なんて善政や悪政や勢力の有無なんてまったく関係ない

ただ一点、神器による正統なる継承が行われたか否か、だ
130日本@名無史さん:2011/11/13(日) 23:39:05.87
安徳天皇と後鳥羽天皇の両立も疑問だな
今じゃ両方の在位年間がかぶってる
131日本@名無史さん:2011/11/14(月) 13:29:54.04
まあ天皇家には天皇家の即位ルールがあるんだろうさ
132日本@名無史さん:2011/11/14(月) 18:33:37.45
>>95
「源氏物語」の最有力な写本が応仁の乱で失われいる
紫式部の自筆本がどうなったのかは記録がないので全くの不明なのだが
平安時代に従一位源麗子が写本したものが室町時代初期まで残っていたことがわかっている
源麗子は紫式部が仕えた藤原彰子の姪(藤原道長の孫)に当たる人物。
関白藤原師実(彰子の甥)の室であり紫式部とあまり時代が隔たっておらず
かつ紫式部が源氏物語を献上した彰子の身内であることからかなり信憑性の高い写本であったこと推測されている
麗子写本の源氏物語は代々摂関家に伝えられたが応仁の乱の混乱で焼失したとみられており研究者が惜しんでいる
133日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:26:35.12
神器が正統性の要件として本当に最重要視されていたかは疑問。

むしろ「持ってないと体面が悪い」、体裁が悪い程度のものだったんじゃないの。

ミヤコにおいて、きちんと政務をこなすことの方が確実に重視されている。

もし仮に、本当に神器が最重要視されていたのであれば、
朝廷を動かすお役人達(官人)たちも後醍醐天皇を追いかけて吉野に行ったんだろうが、
現実にはお役人達の大多数は京都に残留した。

吉野に行ったお貴族様の大半は、家督争いの関係で京都に残れない人。
後醍醐天皇の支持なしには家督を追われるだけだから仕方なく吉野に行っただけの人。

そういう、やむにやまれぬ理由じゃなく、信念に従って積極的に後醍醐天皇に従った人は、
貴族・官人・武士など、あらゆる階層に渡って、極めて少数派。

つまり、神器というものが、当時はそこまで重要視されてはいなかったって事だ。
中ったらカッコ悪いから必要だけど、絶対条件ではなかったってわけ。
安徳天皇の時も同様で、絶対視されてはいなかった。
安徳天皇は京都を去ったと同時に廃帝と認定され、平氏関係者以外からは支持されていない。
並立状態だったとは認定し得ないよ。
134日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:35:16.96
まあ草薙剣壇ノ浦に沈んで新しいの作ってるしな
135129:2011/11/14(月) 23:52:42.64
>>133
俺の言ったのは明治政府の認定基準の推測
弘文が入ったり、現天皇家は北朝にもかかわらず南朝を正統とした理由はこうなんじゃないかってこと
136日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:55:52.38
>>129
「玉葉」みたいな公家の日記でも「平家物語」の軍記物でも
都に鳥羽天皇が立ってからは安徳天皇を「先帝」と表現してる。
三種の神器は都落ちした安徳天皇のもとにあったにもかかわらず。
平家の側は安徳天皇を「帝」とし安徳天皇の年号を使い続けたが
後白河の側では鳥羽天皇の代になって新しい年号を使っていたり。
自身が支持する側が「帝」なんだよな。
南朝と北朝でも年号が当然に異なっていた。
帝の並立はたびたび起こっている。
137日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:56:18.78
明治期には、国学から派生した新宗教が討幕運動の基調になった関係もあって、
国学系の歴史観で過去を読み替えてたからね。

同時代の人々の認識とは全く違う基準と認識で、
過去の事件について価値判断を行ったんだよ。
138日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:22:28.91
>>135
江戸時代の国史学研究の第一人者は水戸学だったからな
明治時代に南朝が持ち上げられたのは水戸学の影響
江戸幕府は前将軍であった室町幕府をかなり意識して
室町幕府将軍の任官を真似たり(将軍とは高位の公家でもあり
将軍が太政大臣などの公家高官となること)してたからね
室町幕府を否定するには室町幕府に滅ぼされた南朝を推したのかもね

ちなみに江戸時代の朝廷は当然のことながら北朝支持で
江戸時代の公家による国史研究ではすべて北朝の年号が使われている
139日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:45:11.51
 千姫がらみの話で有名な坂先出羽守(坂崎直盛)が、知り合いの大名に刀を贈呈する際に、その刀
の切れ味を確かめるために茶坊主をその大名の目の前で平然と惨殺したという話を何かの本で見たこ
とがあるのですが、これホントでしょうか? ネットで坂先出羽守を検索してもそんな話は出てこない
のですが。事実なら文献もお願いします。
140日本@名無史さん:2011/11/15(火) 09:17:57.36
>>121
京都は軍事都市ではないよ
守りやすく攻めにくい都市を目指すなら山城にでも籠るべき
実際に京都は何度も簡単に攻め込まれ
天皇や将軍が京都から逃げ出しまくってるからね
大坂城や江戸城の攻めにくさを見れば一目瞭然
天皇は都をオープンにし過ぎたために上洛してくる権力者とすぐに同盟した
そのためにかえって殺されなかったというのはあるかも
141日本@名無史さん:2011/11/15(火) 22:08:22.01
ロンブー淳が犬山城について同じような事言ってたな。小城で、かつ見晴らしが良くて攻めてくる敵が
よく見えるんで、敵わないとなったら攻め落とされる前に降参したから残ったって。
142日本@名無史さん:2011/11/15(火) 23:15:24.80
>>140
上4行には同意だが、
大阪だって地形だけで言うなら京都と大差はない。
大坂城それ自体の堅牢さが無ければ京都と同等に守りにくかったと思う。

京都の場合、既に町が確立してたから、
町を壊して(一部住人の立ち退きなど)、堅牢な城を新たに造営することが難しかったのが原因じゃなかろうか?
143日本@名無史さん:2011/11/15(火) 23:22:31.76
和同開珎が作られた理由は?
144日本@名無史さん:2011/11/16(水) 00:04:22.78
>>142
戦国時代の大阪って、湿地、大きな湖などがあったような。
今とは地形が違ってたと思います。
145日本@名無史さん:2011/11/16(水) 00:23:22.33
政体が違うので純粋な比較はできませんが、それを承知で質問します
かつての太政大臣と現在の内閣総理大臣はどちらが格上と考えられますか?
天皇に次ぐ国のNO2というのは同じだと思いますが、もし仮に太政大臣と
内閣総理大臣が並立した場合、どちらがNO2になるのでしょうか?
146日本@名無史さん:2011/11/16(水) 01:13:56.64
内閣総理大臣が居ません、では今の日本は成り立たない。
太政大臣はいてもいなくてもいい。
147日本@名無史さん:2011/11/16(水) 01:20:49.76
よく平城京から遷都くんした理由に奈良仏教会が腐って、政治介入をさけようとしたと言われますが、平安時代には、同様の事例はあったのでしょうか
また、比叡山や高野山は、政治介入していたのでしょうか?
平安時代で教えてください
148日本@名無史さん:2011/11/16(水) 01:50:18.84
>>147
『平家物語』の巻一には、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と
嘆いたという逸話がある。山法師とは比叡山の僧兵の事である。
149日本@名無史さん:2011/11/16(水) 01:59:34.70
坊主も権力が欲しかったのですね
150日本@名無史さん:2011/11/16(水) 05:06:41.93
伊勢商人は繁栄出来たのですか?
厳密に調べてみると松阪商人と射和商人の繁栄が
半端じゃないんだよ。
151日本@名無史さん:2011/11/16(水) 07:45:08.55
>>149
宗教自体が政治の重要な手法であり問題でもだった

災害や疫病があったら、寺社に要請して神仏にすがる以外に具体的な政策を持ち合わせていなかった。
だから、当然政治と宗教の癒着は発生する。
152日本@名無史さん:2011/11/16(水) 08:28:28.23
佐々成政のアルプス越えについて
何故極寒のアルプス越えが可能たらしめたかを教えてください
153日本@名無史さん:2011/11/16(水) 08:34:15.88
本多忠勝の身長は実際はいくつなの?
130センチ代という信じかたい説もあるが
甲冑から推定可能と思うのだが
154日本@名無史さん:2011/11/16(水) 09:46:17.60
>>145
今の日本は「国民主権」なので天皇が国のナンバー1ではないよ
天皇は国の「象徴(シンボル)」に過ぎない
明治時代に内閣制度が発足すると同時に太政官制は廃止されている
「内閣総理大臣と将軍はどちらが偉いのか」みたいな質問だ
155日本@名無史さん:2011/11/16(水) 16:06:49.94
>>142
大坂城は上町台地の北端に建築されていて築城当時当時は北、東、西の三方を川に囲まれていた
徳川勢は唯一川に阻まれない南側からしか攻めていないんだよ
上町台地は北へ行くほど高いので大坂城本丸まではひたすら上り坂だった

徳川時代に上町台地が削られて大阪城内の段差がないように変えられた
現在では川も埋め立てられ流れが変えられてしまっている
現在の埋め立てが進んだ大阪の地形と比べても意味がない

156日本@名無史さん:2011/11/16(水) 16:24:36.26
平安京はむしろ東に川、西に道、南に池、北に山を備えた土地という風水の考えに則って設営した都だからあんまし防衛とか考えてない
157日本@名無史さん:2011/11/16(水) 17:17:14.83
当時の軍事面から見たら三方に山、南は巨椋池でちゃんと考えられてるよ
まあそもそも造営時の政治的軍事的状況からは平安京襲う軍団なんて考えられもしないが

あと風水的防御は軍事面と同じかそれ以上に重要でもあった
158日本@名無史さん:2011/11/16(水) 17:27:20.32
>>157
京都の山はかろうじて東側が迫ってるだけで西や南からは平地続きで入り放題だしな
巨椋池は現在の京都市伏見区から宇治市にかけてあった池で
洛中からは遠く迂回路がいくらでもある
巨椋池を渡らなくても陸続きの道路が何本もあったってこと
159日本@名無史さん:2011/11/16(水) 18:09:18.13
>>147
奈良時代には弓削道鏡が太政法王となって政治介入したように
仏僧がもろに政治家になる例が見られていた
平安遷都した桓武天皇は奈良仏教を嫌い新興の天台宗・真言宗を庇護した
しかしその天台宗・真言宗も平安末期になると僧兵を抱えて
軍事力を背景に無理難題を要求し朝廷の手に負えなくなってしまった
160日本@名無史さん:2011/11/16(水) 20:42:30.31
>140
>京都は軍事都市ではないよ
俺は軍事都市だなどとは一言も言っていない

>守りやすく攻めにくい都市を目指すなら山城にでも籠るべき
意味不明

>実際に京都は何度も簡単に攻め込まれ天皇や将軍が京都から逃げ出しまくってるからね
攻守の人物に大きな隔たりがあったり特殊な状況全てに対応できる都市って何処よ
想定できる難易度以下の攻撃計画しか立てられないのが一般的だとでも言いたいのか
御子様向けのアニメと現実の違いが理解できないの?
前世紀末のフィリピン人みたいな思考だな(苦笑

>大坂城や江戸城の攻めにくさを見れば一目瞭然
秀吉が御土居を強化して大規模な城郭都市にでもしないと納得できないようだが軍事都市とか城とかゲーム脳でものを言うのは止めてくれ

>天皇は都をオープンにし過ぎたために上洛してくる権力者とすぐに同盟したそのためにかえって殺されなかったというのはあるかも
史上無防備都市の発想は天皇の独占ではないし守られない例は世界史上無数にある

歴史人物辞典に掲載され後世に伝えられる人物が無能で俺様は優秀なんだと言いたいのなら対案をだせよ
京都よりも人口を養えて国境の隘路に軍勢を送り込めば敵軍を防ぐか時間稼ぎができて貴族官僚が拒否反応を示さないどこの都市にしなかったから駄目だというのか腹案を示してくれ
批判だけで発言できたと自己満足に陥ってよいのは小学生迄>140が中学生以上なら意味のあることを言ってくれんか
161日本@名無史さん:2011/11/16(水) 22:59:17.02
そういえば、蘇我氏などは
要塞館の跡らしいものがあるようですが
天皇や平家は城を持たなかったのでしょうか?

ローマのバチカンにはそぐ横に脱出用の地下道でつながったサンタンジェロ城があります。
162日本@名無史さん:2011/11/16(水) 23:15:17.57
まあ京都に攻めてくる輩はいなかったから防衛が手薄なのは自然の成り行きだな
室町時代に土塁が築かれてなかったか?
163日本@名無史さん:2011/11/17(木) 01:17:25.97
室町幕府の滅亡へのターニングポイントは、やはり、日野富子でしょうか?
164日本@名無史さん:2011/11/17(木) 15:16:08.67
無能の>>160が自説を論破されて著しく狂ってているが
>京都が攻め難く守り易いって認識は間違っちゃいない
これを一つも証明していない件
いいからお前が引用した「歴史人物事典」を挙げろよ
お前の私論はどうでもいい

165日本@名無史さん:2011/11/17(木) 15:18:23.48
確かに京都は防衛では劣っている
166日本@名無史さん:2011/11/17(木) 15:29:04.34
室町時代は何年からですか?
またわかるなら鎌倉時代も答えて
167日本@名無史さん:2011/11/17(木) 15:44:30.50
平安時代(通い婚)について質問です

結婚までの流れとしては
文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)という流れでしょうか?
それとも、
文を送る→婚礼→夜這い×3日→3日夜餅という流れでしょうか?

また、その時代、女性は結婚するまで処女を守っていた、ということが分かる資料等ありますか?
168日本@名無史さん:2011/11/17(木) 15:59:56.23
>>166
諸説ある
学生なら教科書に載ってる奴で覚えとけ。

>>167
>文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)

こっちが正解

あの時代に女性が処女を守っていたなんて資料があったらこっちが読みたいくらいだw
169日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:02:31.85
室町も鎌倉も教科書にははっきりとは載ってない

板付や菜畑は縄文で断定してんのにこっちは曖昧
170日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:03:38.48
>>167
文を送る→夜這い×3日間→翌朝3日夜餅→婚礼(披露宴)
ですかね
婚礼が行われるのは3日夜餅の後です

女性は結婚するまで処女を守る、という義務もなかったのでは?
勿論、親としては変な虫がついたら困ったでしょうが夜這い文化ですからね。
和泉式部や清少納言が自分の不倫歴を惜しみもなく日記に描いていた時代です。
171日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:10:36.89
>>166
正式に言うなら「決まってない」
それぞれの学者がそれぞれの説を主張しているから。
縄文時代なんかも実は結構アバウトなんだけど、何故か決まっているw
不思議w

>>167
婚礼は後。
3日通った後で披露宴を行うのが普通。
また、3日というのも「通常であれば」で、実際には当時は縁起の悪い日が3日目にあたれば4日目に三日餅を食べるのが通常。
当時の日本は婚礼といっても今のような挙式を人前であげるわけじゃなく、あくまで「夫婦になりました」というお披露目なので通う前というのは無い。
日本は昔から披露宴(祝言)のみの文化だった。

女性が結婚するまで処女を守るという習慣は無かった。
当時そこまで処女性も重視されなかった。
処女性が重視されるようになったのは明治大正昭和の流れに入ってから。
それ以前、江戸時代ですら処女性は重視されなかった。
但し、武家の奥方等は結婚後の貞操はそれなりに求められた。
当然結婚前は問題なし。
172日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:16:10.20
>>167は女がどの時代も処女を守っていたと思う処女厨って奴だろ。
こんな板まで遠征してくんな、アホ。
173日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:22:18.87
167です。

すみません。
処女厨じゃないんですが、そういう主張をする人がいたもんで確認しにきました。

皆さんの意見が彼を正常な道へ戻してくれることを期待します。
174日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:27:13.80
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175日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:27:51.36
>>171
まあ、乱暴な書き方ではあるな。
関白藤原忠実が白河法皇から息子忠通の妻に養女の藤原璋子を勧められたとき
璋子が未婚時代に別の公家と密通していたことを日記に書きなぐって大激怒
結局理由を付けて断っているからな。
処女でなければ結婚できないわけではないが処女であるほうが望ましいという
男の願望はあったわけで。

176日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:33:51.08
>>173
そいつに、根拠となる資料の提示を求めてみろ。
提示できたら再度検証。
提示できずにそれをひたすら主張する奴ならマジキチだからそれ以上は関わるな。
177日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:39:08.57
まあ、藤原璋子は「乱行の人」と呼ばれるほど、男の出入りが激しい女だったからなw
しかも鳥羽天皇との間に子をもうけた後も白河院とデキてたしw
そりゃ固辞するわなw
178日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:55:55.81
顕仁親王の母は婚前はヤリマンでしたっつーのはワロエナイ
結婚した後もヤリマンっつーのも更にワロエナイ
でも、そういう時代なんだからシカタナイ

当時に処女厨がいたら発狂してただろうな。。。
179日本@名無史さん:2011/11/17(木) 16:59:48.56
>>177
藤原季通との密通は同時代の忠実の日記にあるから限りなく史実だろうが
白河院との密通は同時代史料にはなく確認できない
崇徳帝が不義の子というのは100年ぐらい後の鎌倉時代に初めて出てくる

帝の后妃や摂家正室が結婚前に密通しているというのはやはりこの時代でも
印象が良くなかった
「源氏物語」でも源氏と密通した朧月夜が女御としての入内が認められず
尚侍という女官での出仕になってしまったことが描かれている
180日本@名無史さん:2011/11/17(木) 17:49:09.10
あれは相手が源氏だったからだろ
181日本@名無史さん:2011/11/17(木) 17:50:35.61
つか、非処女が結婚できないなら
璋子が鳥羽天皇の中宮になるっておかしくね?
中宮って一応「天皇の妻」だぜ
182日本@名無史さん:2011/11/17(木) 17:58:30.75
源氏が相手だったから、というより、知れ渡ってしまったからというのが問題だった。
尤も、朧月夜はその後、弘徽殿入れたし最高の寵愛を受けているので、
知れ渡らない程度の火遊びなら黙認されていた、と考えられる。
知れ渡ってしまったので「形式上」低いくらいでの出仕になった、ということだ。
まあ、フィクションだけど。
183日本@名無史さん:2011/11/17(木) 18:19:15.99
もともとこっそり忍んできて朝には帰るのが礼儀なんだから
結婚前の女にそういう男がいたかどうか確認のしようがないんだよな。
だから、噂になるほど酷い男遊びをするような女だけ排除して
おとなしく男と遊んでた女はスルーするしかなかったんだろう。
今なら処女膜の有無で検査できるけど当時はその手段すらなかった。
184日本@名無史さん:2011/11/17(木) 18:54:55.90
>>181
院政期は特殊
鳥羽天皇が絶対王権であった祖父白河法皇の命に
逆らえるわけがない
>>182
弘徽殿は姉弘徽殿女御が朧月夜に譲ったものだけどな
朧月夜は朱雀の寵愛を受けることは許されたものの
正式な妃である藤壺女御や承香殿女御ほどの栄華を得られなかった
185日本@名無史さん:2011/11/17(木) 19:18:02.23
>>183
童貞っぽいな
処女膜はもともと穴が開いている
だから生理の時の経血が外へ出せる
初体験=ふさがっていた処女膜に穴が開くではない
つまり現代であっても処女膜観察で処女かどうかは確認できない
また性行為を繰り返しても完全に処女膜が失われるわけではない
出産で巨大な赤ん坊の頭が通り抜けて初めて処女膜が完全に喪失する
186日本@名無史さん:2011/11/17(木) 23:23:03.38
>>167-168
古代には、処女という語句は未婚という意味に過ぎなかったから、
結婚していなかったら「処女」に決まっている。

だが、「婚前交渉」なしに結婚する例は滅多になかったんじゃないかとは思う。

>>169,171
>板付や菜畑は縄文で断定
それの場合、文化様式が縄文文化だから縄文時代、みたいな意味で断定されてるんじゃないの。
「年代は未定だけど、これは縄文時代」という感じだと思う。

およそこれぐらいの年代、という案は出てても、異論もあって決定的ではない。
弥生開始年代も同様だよね。

>>175
それ、忠実の性格が変わってたという意味の逸話なんじゃない?
日記自体は事実だけど、彼の意見は特殊例でしかなかったような気がする。
187日本@名無史さん:2011/11/18(金) 08:14:43.64
まあ、順番的に婚前交渉→婚礼だから、「婚前交渉無しに」結婚する例は滅多に無かっただろうな。
188日本@名無史さん:2011/11/18(金) 10:23:35.13
>>186
>古代には処女という意味は未婚という意味にすぎなかったから

さすがに処女と未婚は違うぞ。
伊勢斎宮・賀茂斎院は未婚の皇女・女王に限られていたが、
伊勢斎宮在任中に男との不義密通の疑いをかけられた斎宮が
未婚のまま「汚れた」として斎宮をおろされた例がある。

>忠実の性格が変わっていた(普通の男は非処女と喜んで結婚した)
男は妻に自分以外の子を産まれては困る、妻には貞操の義務を求めるのであって。
独身時代に奔放にやってた女性は結婚後も以前の男ときれずにヤリまくる可能性があり
これを忌むのはある意味当然。
ちなみに忠実の北政所源師子は若い頃白河法皇との間に一子産んだが
白河に捨てられその後忠実と再婚したという経歴の持ち主。
忠実も最初の正室と離婚しお互い再婚同士ではあったものの
忠実が特にこの時代にしては異常な処女信仰の持ち主であったわけではない。
189日本@名無史さん:2011/11/18(金) 11:03:23.35
>>188
言葉の意味としてだろ?

処女というのは当時は未婚の女性の意味だったし
未通娘(おぼこむすめ)も同じ意味。

当時は処女かどうかの確認のしようがなかったので
未婚の娘かそうでないかを区別した程度。

斎宮に関しても「潔斎中の密通などの不祥事」で斎宮を降りることはあるが
それ以前の不義密通を理由に卸された例なんてあったか?
190日本@名無史さん:2011/11/18(金) 11:09:29.01
斎宮をおろされたのは済子女王のことかな。
まあ、野宮で密通してたのなら、退下させられて当然って気もするけどな。
何歳で斎宮になったのかすら不明だから、何ともいえんけど、それ以前はどうだったんだろうか。
191日本@名無史さん:2011/11/18(金) 11:13:55.92
伊勢の斎宮である恬子内親王も業平との不義密通の噂はあるけど、こちらは退下させられてない件もお忘れなく。
当然事実かどうかは知らんが、疑いだけで下ろされた済子女王とは違う処遇になったのは、何か理由があったのかもしれん。
192日本@名無史さん:2011/11/18(金) 14:05:51.93
>>188
もともと、処女という語句は、「生家に処る女」の意味で、
嫁入り婚を前提として、嫁入りしていないことを示していた。
この言葉が中国から輸入された当時には、日本では、嫁入り婚は普及していなかったので
当時の中国での、常用される意味である「未婚」の意味のみが採用されて持ち込まれた。

>忠実が特にこの時代にしては異常な処女信仰の持ち主であったわけではない

すると、璋子は同時期に複数の相手と関係していたことがあって、
二股三ツ股ないし乱交の嫌疑で嫌われた、ということだろうか? よくわからん。
193日本@名無史さん:2011/11/18(金) 14:30:31.74
>>191
「伊勢物語」は創作物語だから。
あれを史実として扱わないように。
194日本@名無史さん:2011/11/18(金) 14:32:24.26
>>192
璋子に関しては「婚姻関係にない男と乱交していた」ことが問題なんだろ
195日本@名無史さん:2011/11/18(金) 15:35:49.18
結婚前に男が通うなんて当たり前にあった時代じゃん
問題なのはそれが、人の口の端に上るほどのご乱行だった、ということ
196日本@名無史さん:2011/11/18(金) 16:51:07.09
正しくは
男が文を送る→娘の両親が見て「この男こそは」と思う奴にだけ返事を書かせる→
男の筆まめさ律義さを両親が見極めて男を家に呼び夜這いを許す→結婚
だな
娘の両親の許可を得ない夜這いは非難されたし
無理やり髪切られて出家させられそうになった姫もいる
197日本@名無史さん:2011/11/18(金) 16:58:51.00
筆まめさ律儀さより、どういう立場でどういう人間なのかのほうが重要だと思われ
男親にしてみたら、自分が後ろ盾になる相手だからな。
男の方も色恋沙汰というより、そういう計算も込みで女を狙ったんだろうし。
198日本@名無史さん:2011/11/18(金) 19:05:39.84
>>197
人間性も重視してたと思うよ
左大臣家の長女で入内を考えてた源倫子が当時微官だった藤原道長に許されたり
東三条院詮子が養女の源明子を摂関になる可能性の高い兄たちの求婚を退け
末弟の藤原道長に与えたりしたように
199日本@名無史さん:2011/11/18(金) 21:04:32.86
| ┏━━━┓   従軍慰安婦は反日朝日新聞の捏造でした。
| ┃借収安┃    デマだらけの報道に注意しよう
| ┃三三婦┃
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| ┃迄上  ┃_
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http://www.iza.ne.jp/images/user/20090810/574440.jpg
200日本@名無史さん:2011/11/18(金) 22:33:14.96
伊勢の斎宮だけ見ても、雅子内親王は22才で斎宮になったけど、斎宮になる前に藤原敦忠と恋仲で
二人の贈答歌もちゃんと残ってたりする。
規子内親王も斎宮になったのは26歳なので、それまでに恋人が居てもおかしくは無い。

もともと未婚の内親王または女王の中から候補者を選んで占いで決めるという規定があるだけで
そこに処女性だの過去の恋愛だのを問われることは無い。
201日本@名無史さん:2011/11/19(土) 02:44:58.04
歴史上の人物の諱の読みってどうやって判断してるの?それが分かる史料があるってこと?

たとえば足利義政は最初義成と名乗っていたようだが、国史大事典を見ると「よししげ」とわざわざ読みが併記してある
でも、その義成から偏諱を受けたと言われる伊達成宗は「しげむね」ではなく「なりむね」としている本が多い。
あとは足利義尚も「よしひさ」と読むことが多いと思うが、伊達尚宗は「なおむね」とする本が多い。

これは何で?読みに関してはそこまで重要じゃないってことなんですか?
些細なことでも良いので知ってる人教えてください。
202日本@名無史さん:2011/11/19(土) 02:53:54.87
質問スレに書いた人と同じ人?
向こうであんだけ丁寧に返事もらって、話題も盛り上がってたのに、こっちにマルチするってどういう神経なんだよ。
203日本@名無史さん:2011/11/19(土) 03:02:34.08
と思ったら、微妙に初心者スレとは内容違うか。失礼しました。
んでもせっかく向こうで近い話題出てるんで、まずそっち見てみるといいかと。
204日本@名無史さん:2011/11/19(土) 09:38:29.63
>>201
護良親王は「もりなが」「もりよし」と読み方が二つあるな
吉良義央は花押の研究で「よしひさ」と読むのが正しいらしい

名前って上下につくかで読み方が変わるんじゃないのかな
足利直義や足利直冬は「ただ」、と徳川義直は「なお」
大体法則があるんじゃなかろうか
吉良義央のような事がなければ法則に則ってみたいな
定子や彰子みたいに読み方が伝わらない例も多く存在するからそうやっていかないと無理な気がする

明子って「あきらけいこ」と読むって決めたの誰だよ
ググったら藤原明子も源明子も「あきこ」と読む事もあるらしいし
「めいし」とも書かれている
205日本@名無史さん:2011/11/19(土) 17:54:04.63
読み方は特に決まってない
江戸時代の沖田総司ですら「おきたそうじ」と「おきたそうし」の両方の説がある。
単に「今そういうふうに言い伝えられている」というものが多数。
それと歴史上ではひらがなで書されたものもあるので、そういうのは読み仮名として採用されているだけ。
206日本@名無史さん:2011/11/19(土) 20:51:53.56
>>203-205
ありがとうございます
やっぱり分かっているものはほとんどないんですね

そもそも諱で呼び合うなんてあり得ない時代だから当然と言えば当然か

質問スレも見てみました。情報ありがとうございました。
207日本@名無史さん:2011/11/20(日) 09:39:41.78
かつては朝廷が、そして幕府が、そして明治政府が、
現代なら民主党政権が日本を統治していますが、
「統治する」とは具体的にどういうことを指すのですか?
208日本@名無史さん:2011/11/20(日) 10:37:15.84
税金の使い方ともらい方を決めること。
209日本@名無史さん:2011/11/20(日) 17:13:25.87
足利義昭の邸宅を京都に建造するに当たり、信長自ら現場監督のような事を努めたと
本で読みましたが、現場監督まで出来る為政者って凄くないですか?
現場監督といってもいろんなレベルがあるのかも知れませんが、単に
「そこ!モタモタすんな、早く運べ!」とか言うだけならほとんどの大名なんかも
やっていただろうし、わざわざ「信長自ら現場監督をした」などと書かれないですよね
それなりに専門的かつ的確な指示を出していたんですかね?
210日本@名無史さん:2011/11/20(日) 20:18:36.06
>>209
違うだろ。金出して命令するだけで良い所をわざわざ現場監督した、と書いてるだけで
それだけで専門的な指示までしてたか判らん。
211日本@名無史さん:2011/11/20(日) 21:59:44.46
>>金出して命令するだけで良い所をわざわざ現場監督した、と書いてるだけで


それだったら、わざわざ書かないだろう
212日本@名無史さん:2011/11/20(日) 22:11:40.45
だから『(金出して命令するだけってのが普通なのに)わざわざ現場に来て「しっかり働け!!」と
ハッパかけて行った。』と記録したんじゃないの、って話だ。
213日本@名無史さん:2011/11/20(日) 22:13:53.85
>>200
敦忠と雅子内親王が斎宮卜定前に恋仲(男女の関係にあった)のに
斎宮卜定により引き裂かれたというのには異論もあるようだよ。
214日本@名無史さん:2011/11/20(日) 23:51:17.51
小学館「漫画 日本の歴史」を読んでいたら、明治政府で天皇に次ぐ高位にあった
三条実美が「ギャクか?」と思うほど気の弱いキャラで描かれていました
もちろん、実際の三条実美も気が弱い人だったんだろうけど、ここまであからさまに
描いてしまうのは問題ないのですか?
子孫の方の名誉に関わるとか、ここまであからさまに描く必要はなかったとか・・
悪いことをして、悪人として描かれるのとは訳が違うわけだし
215日本@名無史さん:2011/11/21(月) 00:16:58.50
魯粛の子孫は吉川三国志を知ったらどう思うだろうか…
216日本@名無史さん:2011/11/21(月) 00:36:02.79
>>214
悪人として描いてるんじゃないんだから問題無いんじゃないの?読んでないから判らんけど。
征韓論の時だったか何か、政府内の意見が割れて三条が決定しなきゃいけない場面があったんだけど、
あまりの重圧で体調を崩して決められなかったらしい。
217日本@名無史さん:2011/11/21(月) 01:13:47.24
>>216
じゃあ明治六年の政変ひいては西南戦争、国会開設の発端は三条実美にあったのかな
生前に正一位を賜った最後の人であり、近代唯一の太政大臣、臣下として初めての大勲位菊花大綬章叙勲
今でも官報の題字は三条実美の筆
http://1.bp.blogspot.com/_vBCd0_S8YD8/SxZWPrgwiVI/AAAAAAAAAY4/YmK433RJ2i8/s1600/P1060171.JPG
という凄い人物の筈なのに認知度が低いのは政治にあまり口を出さなかったからなのかなあ
218日本@名無史さん:2011/11/21(月) 05:55:42.81
645年の乙巳の変(大化の改新の蘇我氏征伐クーデター)から中臣(藤原)鎌足や中大兄皇子(後の天智天皇)から、幕末・維新まで約1200年間天皇を傀儡とし真の支配者として日本を牛耳ってきた藤原氏

…いや明治から現在まででも藤原氏系の総理大臣が2名と、藤原腹の細川護煕氏を加えたら計3名総理大臣を輩出したというのは本当ですか?
総理や大臣などの要職や財閥など含め維新後の政財界など表と裏から日本を牛耳ってきた影に絶えず藤原は居た(今も居る)というのは本当なんですか?

・武士による鎌倉幕府成立時
・明治維新
・第二次世界大戦終戦1945年
・現在もそう
・その他
藤原の世は一体いつ終わったのですか?
それとも徐々に影響力を低下させたまま今も一定程度の影響力は温存させているのですか?

あと現代の藤原系子孫の政治家や資産家や実業家や社会に影響を与える様な有名人を教えて下さい

トンデモ的なユダヤやフリーメーソン、在日、宗教などの日本支配陰謀論よりは、藤原氏の日本支配論の方が納得出来そうな気がします
219日本@名無史さん:2011/11/21(月) 06:04:18.24
あと藤原は名前が別れましたよね
鷹司だとか三条、九条とか
その辺が不勉強な者にとっては「藤原」判別を一見分かりづらくしてますよね
主な系統だけでも分かりやすく藤原系氏族を解説していただけたら幸いです

藤原の宗家(本家)って今どこなんですか?
藤原を名乗る人はいまは?
220日本@名無史さん:2011/11/21(月) 07:17:49.27
>>167
わるい、光源氏のご乱交勘違いしてたわ。orz
正式には結婚後三日目の祝い餅だった
公家だもんな。お試しセクロスとかやってるわけ無いか

1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
http://dic.search.yahoo.co.jp//search?ei=UTF-8&stype=prefix&fr=dic&p=%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85

現代の様な自由恋愛じゃないから実際の結婚は親が決めるので文のやり取りも形式的な事が殆どだったようで。

221日本@名無史さん:2011/11/21(月) 07:28:45.45
流れわからんけど
文→通う(3日)→婚礼の儀→3日夜餅だから上が正解なんじゃねーの?
通うより先に婚礼やらかしたなんて資料、見たことねーわ。
222日本@名無史さん:2011/11/21(月) 07:32:11.81
>>220
新参か?
このスレsage推奨。
ログ読めばわかるがageるといろんな奴が湧いていっきにレスが増えるぞ。
まあ、俺も「いろんな奴」のうちの一人だがw

>現代の様な自由恋愛じゃないから実際の結婚は親が決めるので文のやり取りも形式的な事が殆どだったようで。

二種類あったのは常識だろ。
親が絡まない自由恋愛部門。
親が絡んだ戦略的恋愛(結婚)部門。
だから、親に内緒で勝手に男連れ込んで散々揉めて尼になれと強制された奴までいる。
全部に親が絡んでたらそんなことにはならんし、正式な父親がいない場合は関与が一切無い場合もある。
223日本@名無史さん:2011/11/21(月) 07:42:41.13
wikiがわかりやすくまとめてあるな


平安時代
通い婚の時代での帝(天皇)においては、女御と家族が入った宮中の殿舎に、
天皇が三夜しのんだ後発見されたという「露顕(露見)」(ところあらわし)という宴をおこなう。
これが現在の披露宴に該当する。
民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式であるが、
女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待する。
3日目には露顕(ところあらわし)という披露宴が行われ、新郎新婦が披露される。 
列席者は妻側の関係者のみに限られる



源氏物語は有名だし、たとえ話として用いられるので俺も用いるが
浮舟で薫と匂宮が鉢合わせというシーンがある
自分が通う女のところに他の男が通っているのは当然、とうい当時の世相をよく現したシーンだな

まあ、和泉式部や清少納言あたり読んでみりゃ、当時の女がどれだけ性的に縛りがなかったかよくわかるし
こんなスレじゃそんなこと一々取り上げる必要も無いくらい常識だろ
224日本@名無史さん:2011/11/21(月) 07:45:28.77
また蒸し返してるアホがいるのか
処女厨ってのは本当に頭がおかしいんだな
225日本@名無史さん:2011/11/21(月) 08:15:30.61
>>219
五摂家には、近衛、鷹司、九条、二条、一条の五家があります。
流れとしてはまず平安時代末期に近衛家と九条家の二流に分かれ、
鎌倉時代初期に近衛家から鷹司家が、九条家から二条家と一条家が別れています。
(あげられている三条家は五摂家ではなく清華家ですので、説明を省きます)
<近衛家>
平安時代末、関白藤原忠通が没すると、その長男基実が関白となります。
この基実が近衛家の祖。
本来、長男系で継いでいくと近衛家が摂家嫡流ということになり、
実際に江戸時代には近衛家は「摂家筆頭」と自称していたようです。
<九条家>
九条初代の九条兼実は近衛家初代の近衛基実の弟。
近衛家は摂関家嫡流であったがゆえに、平安時代末期、平清盛による政略の対象となります。
清盛は天皇に娘を嫁がせるのと同時に摂関家である近衛家にも娘を嫁がせました。
そのため、平氏と癒着した近衛家を嫌い、源氏が別の関白を立ててしまうのです。
九条家はそのような経緯から源頼朝によって関白に立てられて成立します。
226日本@名無史さん:2011/11/21(月) 08:25:07.50
>>225の続きです。
<二条家>
兄九条教実が25歳で早世したことにより、弟の二条良実が関白に任命されて
立てられた家。
<一条家>
一条実経を祖とする家。実経には九条教実、二条良実といった兄たちがいましたが、
父の九条道家に兄弟たちの中で最も寵愛され、道家は二条良実を関白からおろして実経に譲らせ、
実経を関白として一条家を継承者とするようなことを言ったともされています。
しかし、弟九条頼経(鎌倉幕府前将軍)の北条氏排斥計画に道家と実経がかかわったとされて
鎌倉幕府は実経を罷免しています。
<鷹司家>
鎌倉時代の鷹司兼平を祖とする家。九条家の流れが三家に分かれたのに対抗して
近衛家から分流したものだとされています。
227日本@名無史さん:2011/11/21(月) 08:58:33.91
>>222
光源氏であっても好き勝手に女と結婚することができたのは
親に死なれた身寄りのない女とだけだよ。
親がいれば原則親の許可なしには結婚できない。
二種類あったもなにも、親の許可を得て夜這いが王道であって
それ以外は不倫とか密通とか呼ばれる類だよ。
228日本@名無史さん:2011/11/21(月) 09:03:28.20
結婚する必要なかったんじゃね?
実際、源氏は人妻にも手ぇ出してるし
結婚まで至らない恋愛もそこかしこであった
平安より前だが「とはずがたり」あたり読んでみりゃ良い
229日本@名無史さん:2011/11/21(月) 09:08:15.90
平安といっても平安のいつに焦点をあてるかで変わってくるけど
一般的に言われている通い婚というのは今ほど縛りはきつくなかった。
男の足が遠のけば自然に離婚となって、女は次の男を探す。
親は娘のためにあちこちで噂をばら撒き、良い男との縁談をつくろうとした。
その一方で結婚という正式な形にとらわれず男が通い女が招いていたのも
その時代の書物を見れば明らか。
まあ、正式な結婚が何を指すのか、という議論が沸きそうな話題だけどな。
230日本@名無史さん:2011/11/21(月) 09:17:01.97
>>227
平安時代はあちこちの女に手を出すのが一種のステイタス
むしろ、一人の女のとこにしか通わない男は「あいつは頭が固い」「真面目すぎる」と揶揄されたくらい
ただ、人妻に手を出すのはルール違反で不義密通に値する
231日本@名無史さん:2011/11/21(月) 14:11:20.75
質問です。

位牌の戒名の裏に俗名が書いてあるのですが

例えば日本太郎と俗名の下に藤原忠勝と誰だか
わからない人の名前が書いてあるのですが

藤原忠勝って誰ですか?
232日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:18:57.20
スレ違いスルー徹底してんなw

>>231
ここら辺できいてこい
歴史関係ねぇ

冠婚葬祭
http://toki.2ch.net/sousai/

神社・仏閣
http://kamome.2ch.net/kyoto/
233日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:24:31.81
江戸時代は銭湯が混浴だったと聞いたのですが、それは本当ですか?
また、それならいつ男女分けられたのでしょう?
234日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:26:21.36
>>233
本当
一度幕府から禁止令が出たけど効果なし
いつ男女分けられたのかは知らん
235日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:26:22.67
>>221
>文→通う(3日)

ここが違うみたいだね。それじゃ自由恋愛みたいな物で。
公家の場合、大抵子供の頃に婚約相手が決まっているので、文もなしで結婚は先に決まってる。
元服12歳でいきなり結婚も珍しくないようだね。(光源氏・正妻 葵の巻)

婚約も決まってない関係の場合は、男が噂を聞きつけて、何度も文を送り、女房が代返しつつ
親にも品定めされて、気に入られたら、御簾越しの対面を繰り返し良家の結婚話し合い。
合意が成されると、日程調整のうえで結婚日(通い初日)が決められる。
そして 結婚2日  → 結婚3日(三日餅、披露宴)ということ

俺も勘違いしたのは「3日かかって」結婚だと思ったこと。初日が結婚日(婚礼)なんだよ。
餅は「結婚3日目」を祝う餅で、3日目でやっと結婚成立したから祝う餅ではない。
その間に披露宴の準備も進んでいて3日目に親類縁者等を呼んで披露宴

以上が正解なので、どのソースもても「結婚・婚礼後、3日目の・・・・」と説明されている。
違う史料ってどんなのだ。
236日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:30:05.65
>>233
混浴だけど男は湯褌・女は腰巻で入っていた、と聞いたことがある
歴史というより文化風俗だから、あんまり詳しくない。
スマン

>>235
>公家の場合、大抵子供の頃に婚約相手が決まっているので

決まっていない。
その時々によって実力者が違い、それにあわせて相手を選ぶので
逆に子供の頃からの婚約者なんてほとんどいなかった。

紫の上は稀な例。
紫は正式に元服する前に源氏に手を出されてしまった特殊例。

>俺も勘違いしたのは「3日かかって」結婚だと思ったこと。初日が結婚日(婚礼)なんだよ。

上で何度も書かれているけど、「初日が婚礼」ではなく「婚礼が決まっている場合3日通ったあと披露宴がある」というだけで
そうでない恋愛も山ほどあった。
詳しくはそれ関連のレスについている書物を片っ端から読め。
いい加減処女厨キモイわ。
さっさと自分のスレに戻れ。
237日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:34:58.44
>>233
江戸時代は男女の混浴が普通だったが、江戸時代中期に禁止令が出された
ただ、これは一切効果なしで普通に混浴が続いていた
明治になり、明治政府が禁止令を出し、さらに翌年分離しないと営業停止となったので
渋々分離することになった。

>>235
婚礼は3日目
初日か2日目にしくじったら、3日目までに拒否されて結婚もおじゃん。
初日と2日目はお互いに様子見の猶予であって、3日通い続けないと結婚とはならない。

>以上が正解なので、どのソースもても「結婚・婚礼後、3日目の・・・・」と説明されている。

君の言うソースって何?
例えば辞書なんかでは「男が女の元に通って3日間セックスした後での婚礼」と明記できないので
「結婚(=3日無事通う)の後に3日餅」と濁してはいるけど、それ以外にちゃんとした史実
もしくは資料的なもので、初日から結婚と明記されたものはあるのか?
それはどんなのだ?
238237:2011/11/21(月) 15:44:27.61
ああ。これ処女厨とか言う奴なのか・・・
だったら一応こっちのソース出しとくか。

山岸徳平・今井源衛監修 『源氏物語』全54帖
服藤早苗 『平安朝の男と女ー貴族と庶民の性と愛ー』
川村裕子 『王朝生活の基礎知識 古典のなかの女性たち』
山本淳子 『源氏物語の時代 一条天皇と后のものがたり』

ここら辺読めばわかるが、当時の「結婚の条件」というのは
・3日続けて通う(契る)
・3日目の夜(都合次第で2日めや4〜5日目にシフトすることもあり)に三日夜の餅を食べる
・後朝の文を送ること
・露顕で舅(いない場合は後見人)が婿と従者を饗応する(現在の披露宴)

これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。
これを終えない限りは逆に言えば結婚が成立したとは言えない。
初日が結婚、なんてトンデモ説が書いてある文書があるなら
具体的にその書物名あげて反論しろ。
それができんのなら、その自スレとやらにさっさと戻って妄言吐いてろ。
239日本@名無史さん:2011/11/21(月) 15:58:39.31
なんで処女厨ってだけで叩くの?
240日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:02:51.84
別に処女厨だから叩かれてるんじゃないと思うぞ
言ってることめちゃくちゃだから叩かれてるんだ

あと、このスレは過去に与謝野晶子訳の源氏物語を鵜呑みにした処女厨が暴れた過去があるので
特にこのスレでは嫌われる、という傾向はあるかもしれんが
241日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:20:53.38
>>236
処女厨??なんだそれ。
ソースは>>220
違うなら自分のソース出せばいいだろ。君のソースは何だよ
242日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:22:09.97
>>237
>「結婚(=3日無事通う)の後に3日餅」と濁してはいるけど、それ以外にちゃんとした史実

それ君の妄想だろ。自分の主張のソース出せよ
243日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:24:08.86
>>220は「結婚後」と書いてあるだけで
「初日が結婚日(婚礼)」とは書いてないだろ。
そのソースを出せって言われてるんだが、お前のオツムじゃ理解できんの?
244日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:25:16.11
っていうか話の流れ的に

>>220=>>235=>>241=>>242がキチガイ処女厨だよな。

うんこには触らんほうがえぇぞ。
245日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:25:51.04
>>238
>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。

そんな事書いてないから。俺と同じ誤読してるよ君。



246日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:27:22.06
>>244
その処女厨とかいうレッテルはなんなんだおまえ?
国語大辞典に書いてあると言うとなんで処女厨なんだ。
平安時代の結婚の話じゃないのか?
247日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:31:20.73
すみません。
こいつ、独身女性限定板で論破されたキチガイ処女厨なんです。

流れを説明すると

「キリスト教は処女崇拝だ」と主張する(これも処女崇拝じゃなく一神崇拝だと論破され済)



さらに「世界的に数千年前から処女婚が常識。結婚前にセックスする女は居ない」と主張



それに対して「通い婚は通ってから婚礼だ」と異論を唱えられる



「まず婚礼が最初にあって、次に文を交わすんだ」と主張するもソースを求められてなみだ目で辞書(>>220)を出すが相手にしてもらえず


こういう流れで論破されたアホがこっちに流れてきているだけです。
どうか、相手にせず放置してあげてください。

「現に」まず婚礼が行われる、ということの根拠が何一つ出せてない時点で、こいつ完敗なんです。
それを認められないキチガイなんです。

どうか赦してあげてください。
248日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:32:48.09
>>246
そうだな。
日本史板なんだから、ソースは辞書じゃなく資料を提示すべきだな。
「初日から結婚」というソースを辞書以外で出せたら相手にしてやるわ。
それができないんならこの板的には相手にすらならん雑魚。
249日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:35:06.76
>>245
>>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。

補足、三日通いの風習は結婚後の儀式ではあるが、実際にやらないでも結婚は結婚だっよ
それは源氏物語の紫の上の巻でもそう。
源氏がさらってきて、そのまま妻になってる。
婚姻届の無い時代だから、合意があればそれで結婚なんだよ。それで男が来なくなれば自然消滅。
正式な手順は>>220の通り。異論はあっても辞書記載が変わる程ではない別解釈程度。

ソースもなしに妙な押しつけとレッテルするおかしな奴出てきたな。
結婚後だとなにかまずいことでもあるのか?
250日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:36:23.90
>>248
辞書は史料に基づいているから辞書なんだよ?
お前らキチガイか?
歴史史料的に正当とされているから辞書に載るんだぞ
251日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:38:38.88
>>247
>「現に」まず婚礼が行われる、ということの根拠が何一つ出せてない時点で、こいつ完敗なんです。

おいおいキチガイかおまえ???
>>220は見えないのか??
252日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:39:02.56

なんで急にキチガイが沸いてるんだ
253日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:39:26.14
>>250
その史科に基づく辞書に「初日から結婚」とは書いていないから
その根拠の提示を求められている、ということなのが理解できないのかね。

辞書にはあくまで「結婚後〜」であって「何日目から結婚なのか」は明記されておらず。
よって「初日から結婚である」という主張の根拠としては成立しない故
その根拠となる資料を提示しろ、と言われているだけだが。

当然、その資料の提示ができてこそ議論が成立する。
それが出来ないのであれば主張のみで根拠が無いのでそれ以上議論の必要すらない。
254日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:42:37.83
>>253
>『結婚後』三日目の夜に

他にどう解釈するんだよキチガイ。
255日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:44:18.46
>>249
紫の上については未だに賛否両論出ているから根拠としては薄くね?

工藤重矩を初めとして、紫の上は法律上の婚姻を結んでおらず
生涯「正妻扱い」であるだけの「妾とする説も根強くある。

あと、婚姻届は無いが法律に基づいて正妻・妾などの区別があった。

とりあえずお前は工藤重矩の『平安期の結婚制度と文学』を読め。
256日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:45:09.30
>>254
「辞書」以外のソース出ず。

これ以上議論の価値無し。

後は独身女性限定板に戻って妄言吐いてろ。
257日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:45:32.41
わけがわからん。他の板のキチガイなのかこいつら

反論があるなら辞書の出版社や編集に関わった国語、歴史学者に言えよキチガイ共
日本中の出版社相手になるだろうが。
258日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:47:17.76
>>255
嫁じゃなくて引用しろよ。
おまえがそう解釈した下りを。なにも出して無いじゃないか、
記載の不明な書籍の名前出しても辞書ソースの反論にならない。何処の板の奴なんだおまえ
259日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:48:21.37
辞書に「初日から結婚」なんて書いてないのに
「そういう意味合いで書いてるんだ」と主張するキチガイが叩かれてるだけだろ。

つか、こいつら源氏物語すら読んだことないんだろうか?
3日通っても婚姻にならない男女の仲が普通にあった時代の話だって理解してるんだろうか?

まあ、「厨」といわれるだけのことはあるわな。
これ以上さわらんほうがえぇ、ってのは理解できた。
俺も以後スルーするわ。
260日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:48:29.55
>>256
まず出されたソースを覆してからにしろよ。
辞書は尤も多くの人の目に晒されて、数多の国語学者や歴史学者が編纂しているんだから
261日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:48:57.91
>>259
>『結婚後』三日目の夜に

他にどう解釈すると言っているんだよキチガイ。
262日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:49:57.72
>>258
引用も何もww

工藤重矩は源氏物語の研究者としては有名だし
数年前に出した当時の法律と源氏物語を絡めた文書は基本中の基本。

その基本を引用しろってのは「1+1は2だろ」って質問に
「そのソースを出せ」というのと同じw

お前こそどの板の人間なの?w
このスレ基本sage進行なことすら知らない初心者が、このスレの住人気取ってんじゃねーよw
263日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:50:37.05
>>262
だから触るなっつの。
264日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:51:42.23
>>259
>3日通っても婚姻にならない男女の仲が普通にあった時代の話だって理解してるんだろうか?

愛人の話じゃないだろ。
4日通っても5日通っても結婚の合意がなければ結婚にはならんのは当たり前だろ。
源氏が六条御息所 に何度通ったと思っているんだ。
265日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:53:01.97
>>262
有名かどうかは主観だろ。
出せばいいだろソースを。書籍名じゃなくて 早くしろよ。
お前の言うとおりだったら、なぜそれが主流の解釈ではなく辞書記載にならないのか
そういう話だ
266日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:54:05.20
>>263
OKw

>>264
その通り。
処女厨涙目の事実を指摘しただけ。

浮舟では二人の男が鉢合わせなんて場面もあった。
それくらい性に奔放な時代の話なんだから、処女厨がでしゃばる話じゃねっつこと。

後は知らん。
ROMに戻るわ。
267日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:57:03.57
ageて必死な人が一人いて、その人が>>247の人ってこと?
前に沸いた処女厨とは別人っぽいな。
別人とは言えキチガイなのは間違いないけど。
268日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:57:48.62
1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
http://dic.search.yahoo.co.jp//search?ei=UTF-8&stype=prefix&fr=dic&p=%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85



ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


アホかこいつら何年検証に晒された辞典なのかわからんのか。
269日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:57:55.38
ソースが辞書wwwwwwwwwwwww

いや、久々に声出してワロタwwwww

いいんじゃね?www

国語板でもできたらいいなwwww
270日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:59:00.02
>>269
俺もワロタw
斬新な「資料」だなwww
271日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:00:20.09
>>220
三日後だったか。
272日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:01:43.58
文のやり取りが形式的って時点でもう・・・・w
273日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:03:02.92
だからお前らもう触るなっつの。
スレ違いだから書かなかったけど、こいつヲチ板にも難民にも最悪板にもヲチスレがある真性キチガイなんだからな。
このスレに常駐されたらかなわん。
初日に結婚でいいだろ。
別にこいつにそう言ったところで、史実や事実が歪むわけじゃない。
こいつが納得して消えてくれたらそれでいいだろ。
274日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:03:13.36
以前、「司馬遼太郎小説の何ページ何行目に書かれているから会津は正義である事は間違いない」という話を始めた馬鹿がいた。
275日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:04:12.87
>>269
>>270
おまえらこの板の人間じゃないだろ?
この板の人間はそんな事はいわんぞ
なにをしに来ている?

辞書ソースは基本の基本だぞ古典や歴史の。
歴史学的不明な論争は記載されないし。明確と多数の学者に認められた物だけが記載される。
違えば誰かが修正するしな。
276日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:05:24.95
>>273
なんなんだ急に沸いてきてそのレッテルは。
どこの連中だおまえらはと聞いているんだ。

277日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:05:52.16
辞書ソースが基本なわけないじゃん。
辞書は曖昧で参考にならんっていうことこそ常識だろ。
以前は辞書に書いてある嘘の告発スレが別板にあったくらいなのに。
278日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:06:55.54
>>277
シッ
黙ってろ

>>275
その通りです。
諸説色々あるなかで、辞書に採用されたものだけが正解です。
たとえ事実とは違っていても、辞書に載ったらそれが事実です。

これで満足っすよね?

さ。そろそろ自分の板へ戻ってください。
279日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:08:32.49
>>277
>辞書は曖昧で参考にならんっていうことこそ常識だろ。

アホ。何処の常識だ
280日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:09:27.27
辞書に書いてあるのが正解じゃないってのは歴史系好きなら誰だって知ってるだろ。
没年数がはっきりしないものでも、編集者の一存で勝手に決められて異論の長文を送った住人もいて
リアルタイムで文句言って荒れてたこともあっただろ。
何年も前のことだけどな。
辞書は語句が多い分、どうしても一般的に分かりやすく言葉を変えたり
そういう風に編集するので、専門的なものとしては扱えない、というのが基本。

そういうスタンスに異論があるのなら、別の資料として価値のあるソースをもってくるか
引き続き「辞書だけ」を根拠に自己主張すればいい。

ま、後者ならこのスレでは相手にされんけどな。

俺も引くわ。
マジキチ相手にしてるほど暇じゃない。
課題溜まってるし。
281日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:10:27.61
はい。解散〜

以後はキチガイの独り言劇場が始まるよ〜

以前からのこのスレの住人はROMに徹してね〜


↓↓↓↓↓↓↓
282日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:10:42.36

おいおい、日本語、古典の基本ソースの日本国語大辞典にソースも無で難癖つける厨が沸いているのか(笑)
どこの厨房だ
283日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:12:58.12
>>280
>辞書に書いてあるのが正解じゃないってのは歴史系好きなら誰だって知ってるだろ。

どこの国の話だ
示せよソースを。そこのここはこう間違ってます、それが国語会で今は常識ですと。
出したソースを論破できないで次のソース、次のソースでは同じ繰り返しだろ
中二病かおまえW
284日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:14:14.47


おい沸いてきたキチガイこれを上回るソース持ってこい!!




1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
http://dic.search.yahoo.co.jp//search?ei=UTF-8&stype=prefix&fr=dic&p=%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85


ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


アホかこいつら何年検証に晒された辞典なのかわからんのか。
285日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:16:24.74
これもあるぞ キチガイこれを上回るソース持ってこい!!


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/211033/m0u/%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85/
みか‐の‐もちい〔‐もちひ〕【三日の▽餅】 平安時代、婚礼後3日目の夜に、妻の家で新郎・新婦に食べさせた祝い餅(もち)。また、
その儀式。三日夜(みかよ)のもち。 提供元:「デジタル大辞泉」



286日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:26:52.95
>>237
>初日か2日目にしくじったら、3日目までに拒否されて結婚もおじゃん。

今で言えばそれは短期離婚でしょ。実例はしらんけど
287日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:30:45.03





       文を送る→夜這い×3日間→婚礼(3日夜餅)


   上記ここまでソース提示無し、名無しのキチガイが言い張っているのみ


   正解>>220 ソース有り








288日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:31:39.29
>>283
一度だけマジレスするけど
辞書って何故版が重なると思う?
何度も中身を精査してその都度変えるからなんだよ。
辞書に載っているから正解、じゃなく辞書は「その時選者が一番ベストと思うもの」が掲載されているに過ぎない
だから昔の辞書と今の辞書では中身が違うことなんて多々ある

また、辞書というのは情報としては「二次情報」に当たる
これは歴史だけじゃなく今の日本の情報においてもそうだけれど
二次ソースは「誰かが情報に手を加えた形」でしか読むことができないので、信憑性に欠けるというのが基本。
誰かの手の加えられた伝聞より、その情報源を見るほうが良いというのはわかるよね。
だからこそ、この場合ソースというのは「歴史的な根拠となる資料」という一次情報が求められている。
例えば、誰それの書いた書物であるとか、誰それの紀行文であるとか。
そういう一次情報が提示できないから二次情報である辞書を持ち出して主張しているんだろうけど
裏を返せば「歴史的根拠の無い(辞書的根拠しかない)」話でしかないわけで・・・

これ以上言わなくてもわかるよね?

もうこのスレで君の相手をする人間は誰もいないと思うから、本当に自分のスレに戻った方がいいよ。
俺ももう相手にしないから。
サヨウナラ。
289日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:37:10.41
なんか急に荒れてるね。
処女厨とかなに?歴史?それ
諸説あるならその諸説をだせばいいのに?
今までなかった荒れ方だね。キチガイの正体は>>167では無かろうか。急にレスが増えてるし
290日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:38:41.03
>>288
>辞書に載っているから正解、じゃなく辞書は「その時選者が一番ベストと思うもの」が掲載されているに過ぎない

今載っているから問題なしだね。馬鹿かおまえ。

>裏を返せば「歴史的根拠の無い(辞書的根拠しかない)」話でしかないわけで・・・

馬鹿かお前、根拠なければ載るかアホ どんな妄想だ
291日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:40:36.80
>>288
根拠がないから辞書にのってるって・・・・・・・・・・

頭痛くなってきた・・・・誰この人
292日本@名無史さん:2011/11/21(月) 17:45:24.04
>>289
よくわからん。
軽く調べたら辞典レベルでわかりやすく解説あったから>>220に書いたら
急に発狂したキチガイが沸いてきた。

餅食うのが三日後でも三日前でもどうでもいいが、三日後でないと困るキチガイのようだ。
なんの利益があるんだろ言い張って。
ソース出せと言えば書籍名だして読めとか言わんし。
初めてだなこのスレでこんなキチガイが現れたのは
293日本@名無史さん:2011/11/21(月) 18:09:44.83
>>249
源氏が紫上の三日夜餅をしてあげた時に乳母が
「正式な奥様にしていただいて」と感激しているから
一応「妻」になるには三日夜餅が必要だったと想像できるよ。
夕顔や朧月夜が源氏の「妻」になれなかったのは
源氏が三日間続けて通ったところで三日夜餅をしてあげた形跡がないから。
源氏がさらってきた=同居していれば妻なのではなくて、
紫上は三日夜餅がなければ一生源氏に仕える侍女兼愛人として
日陰の身の上にされてた可能性があるということ。
294日本@名無史さん:2011/11/21(月) 18:22:01.11
>>292
そうか?
参考の資料として書籍名を出すのは結構あるだろ。
むしろ辞書をソースに主張する奴を見たのはこのスレじゃ初めてだ。

っていうか「辞書レベルでわかりやすい解説」しか出せないから荒れてるんじゃね?
他にソース無いの?
いや、無いんなら無いでそれこそもうどうしようもないし。
あるんなら出せば済むじゃん。
あるのに出せないの?
それとも無いから出せないの?どっち?
295日本@名無史さん:2011/11/21(月) 18:27:59.09
>>290-291
ああ。わかりにくかったね。
そこだけ解説しておくよ。

辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料を提示する=辞書的根拠+歴史的根拠がある
辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料が提示できな(今の状況)=辞書的根拠のみ(=歴史的根拠が無い)

現時点では後者、ということ。
辞書的根拠しかなく、歴史的根拠が無いのであれば、このスレとしてはそれ以上議論するだけの価値が見出せない、という意味。

普通に読めばわかると思うんだけどな。
何故「根拠が無いから辞書に載っている」なんて思う人が「二人も連続で」沸いたのか、不思議だw

ま、これ以上突っ込んでもしょうがない。
結局「辞書以外の根拠は提示できない」わけだからなあ。
根拠があるのなら出して自分の主張の歴史的裏づけをすれば良いよ。
それができたら、またこのスレで違う議論もおこるだろうし、君の意見の賛同者も出てくると思うよ。
でも現時点では歴史的な根拠が無いんだから、議論しようもないし、賛同者も出てこない。
だからもうこれ以上このスレに君がいる必要性は無い。

そういうことだね。
296日本@名無史さん:2011/11/21(月) 18:30:30.43
処女スレお留守になってるよ〜
さっさと戻ってトモ叩き開始しなよw

あっちのスレでトモ叩きが無いと、こっちのスレで連投があるってわかりやすっw
297日本@名無史さん:2011/11/21(月) 19:51:34.10
辞書は過去の研究を踏まえて書かれるのが本来的なものだが、
研究そのものが古くて既に覆されていることもあるし、
当時の研究水柔な低くて良質な研究ですらなかった場合だってあるし、
執筆者が研究の状況を知らない場合だってある。

国語辞典の執筆者が歴史学者の研究状況を知らなくてもおかしくないってわけだ。

そういうことをわきまえずに、
>辞書ソースは基本の基本だぞ古典や歴史の。
とか言っちゃう時点で、素人丸出しだな。

辞書よりも専門研究の方が優先されるのが常識。

>>284
つまり、半世紀も前の古い研究しか反映されてないわけで、
研究水準が充分に高かったとは言えんな。
>>285 の大辞泉の方が新しいだろうが、執筆者の歴史学に関する知識水準はそれなり。

国語辞典の類よりは歴史事典(国史大事典とか)のほうが信憑性は高いだろうが、
こいつだって古いしなあ。

>>295
ちゃんとした記述なら、辞書にも論拠が載ってるだろうけど、辞書にもよるしなあ。

>>296 トモって何者?
298日本@名無史さん:2011/11/21(月) 19:59:22.19
>>238
>これを一通り終えてやっと「結婚が成立した」と言える。
>これを終えない限りは逆に言えば結婚が成立したとは言えない。

服藤早苗は読んでるが、そんな記述はないな。
儀式が三日間の説明はあったが、成立要件などとは書かれてない。
三日やらなかったら結婚したことにならない、なる記述もない。
あるなら示してくれ。

山岸徳平・今井源衛監修 『源氏物語』全54帖
服藤早苗 『平安朝の男と女ー貴族と庶民の性と愛ー』
川村裕子 『王朝生活の基礎知識 古典のなかの女性たち』
山本淳子 『源氏物語の時代 一条天皇と后のものがたり』

299日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:03:37.71
>>295
それも詭弁だな。
辞書や辞典には個人の諸説が載っているわけではない。
現時点の総合的な見解として取り上げられている。だから辞書、辞典、
論争があるなら断定しないのが常

君が権威より権威あるソースだせばいいんだよ。
都合が悪いから他のにしてくれとかバカかね
300日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:06:50.50
>>297
>辞書は過去の研究を踏まえて書かれるのが本来的なものだが、
研究そのものが古くて既に覆されていることもあるし、


それを示しなさいよ。
タラレバはソースじゃないから
どこから沸いてきているんだ、
主張をするならソースをだせ。妄想は聞き飽きたぞ
301日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:28:53.99
>>295が荒らしババア>>167だな、実にわかりやすいw
辞書に載るということは一応の根拠があるということ。言わば通説的な存在。
で、それに加えてどこぞの馬の骨の文章を合わせて提示しないと主張として認めないとか
もうヴァカかとアフォかと。
つか、歴史研究には異説があるのもよくある話で(邪馬台国関連なんぞはその典型例)、
異説をソース付けて出しても反対派から反論されて論争になるだけ。
ここは論争スレではなくて回答スレじゃねーのか?

それより処女厨がどうとか、レッテル貼りが異様に好きな基地外がいるようだが、
何考えてるんだアフォがw
302日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:30:34.41
>>297
>辞書よりも専門研究の方が優先されるのが常識

だからそれを示せばいいじゃない。
これが市場に広く流通した誰々さんの新説ですと。

辞書のソースとか言い出すのは悪魔の証明
編纂しに関わった学者の研究を全部並べる不可能作業。厨房の詭弁ですよ。



303日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:32:22.10
1.みか の 餠(もち・もちい)-日本国語大辞典
平安時代、結婚後三日目の夜に、帳中で新郎・新婦が祝って食う餠。四種類の小餠であったらしいが
http://dic.search.yahoo.co.jp//search?ei=UTF-8&stype=prefix&fr=dic&p=%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/211033/m0u/%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85/
みか‐の‐もちい〔‐もちひ〕【三日の▽餅】 平安時代、婚礼後3日目の夜に、妻の家で新郎・新婦に食べさせた祝い餅(もち)。また、
その儀式。三日夜(みかよ)のもち。 提供元:「デジタル大辞泉」


ソースの日本国語大辞典について

日本国語大辞典 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8

上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一
三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・
金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・
山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員し
て本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には
主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷株式会社があたった。


はい、キチガイはとっとと上に勝るソースを示しましょう。


                               キチガイの論拠ソースここまで無し
304日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:34:50.11
>>295
>辞書に載ったことを主張する+裏づけである資料を提示する=辞書的根拠+歴史的根拠がある

違うねどんなキチガイだよ

辞書に載ったことを主張する = 歴史的史料・多数学者の賛同根拠がある

間違わないでね
305日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:37:00.80

なんでこの人達は>>288、辞典の記述を目の敵にしてるのw
違うなら違う根拠出せばいいのにw

306日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:40:03.13
>>301
あなたこのキチガイ知ってる人?
どこから沸いてきてるのこんな馬鹿。
辞書の記述の間違いを指摘するならまだしも、辞書の正しさのソース出せとかアホな人間初めて見たわ。
307日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:42:32.36
>>305
根拠がないから、辞書の記述は無かったことにしたいみたいだな。
どんな頭しているのか興味があるわ
308301:2011/11/21(月) 20:42:35.87
>>297
>トモって何者?
毒女板の荒らしの一人。

ちなみに>>167=>>295も荒らしの一人である通称パラババア(パラおばさん)
こいつは自分勝手な妄想を盛んに主張して、受け入れられないとすぐさま発狂する真性。
309日本@名無史さん:2011/11/21(月) 20:45:41.54
だから、一次史料を出してきて説明すればいいんだよ。
ウィキとかから引っ張ってきて説明しようとする人は何?
歴史学者どころか
一次史料すら読めない人が回答しても意味ないと思うんだけど
310301:2011/11/21(月) 20:53:53.25
>>306
こいつは恐らく、毒女板や鬼女板、男女板などを根城に荒らしてる、通称パラババア。
パラとはパラノイアの意味で、文字通りの基地外ババア。
元々は、毒女板で平安時代は非処女婚が当たり前だと主張してその根拠として>>167
持ち出したところ、>>220みたいなレスがつきまくってフルボッコされて逃亡し、ここで
>>167をレスして、(多分自演で)賛同レスを付けて、元々の毒女板でここのレスを都合の
いいやつだけ抜き出してコピペw
日本史板の住人は>>167に賛同してると吹きまくってますw
311日本@名無史さん:2011/11/21(月) 21:03:04.27
>>310
まじかよやっぱキチガイか

そもそも、この件
後朝使や三日の餅などは、重明親王の結婚とか徽子女王の入内儀などが史料だから
1日目2日目でドタキャンとか有り得ないんだよ。
入内の段階でもう嫁という認識なんだからさ。
いつ結婚が成立しているかと言えば、入内決まった段階なんだよ。
312日本@名無史さん:2011/11/21(月) 21:09:39.44
まあ藤原北家の娘とかなら親が入内させる気でいるから変な男は近寄らせないだろうな
文なんざ書いても女房が破り捨てるわな
他の家はちょっと高貴な男が来たらその貴族の子を産ませる為にホイホイ寝所に案内するもんかもしれないけど
313日本@名無史さん:2011/11/21(月) 21:18:17.10
それに、結婚前に夜ばいだが普通とか言ってるが、がっちり親と女房が
ガードしてて光源氏みたいな速攻レイプとかしたら人呼ばれてフルボッコだわ。
史料読めば、娘の母親が娘の男性選びを行っているような話が多くて、近寄ってくる
男は排除されてる。
たとえば、大和物語(76)には、
桂のみこの 御もとに嘉種が来たりけるを 母御息所、聞きつけたまひて、
門をささせたまうければ、夜ひと夜立ちわづらひて、かへる」
といって、孚子内親王のもとに、源嘉種が通っているのを母親が門を閉めて
追い出したとある。自由恋愛なんぞないんだよ。ちょっといい娘生まれたら
後宮政治の為になんとかして女御にして入内させようと時代なんだから。
キズもんの娘など末代までの恥という時代で、二夫にまみえずが普通。
当然再婚とかは例外の希少例なんだよ。希代の女性の再婚なんか幾つあるよ。
314日本@名無史さん:2011/11/21(月) 21:29:07.52
>>310
>日本史板の住人は>>167に賛同してると吹きまくってますw

なにそれw
315日本@名無史さん:2011/11/21(月) 21:36:14.99
>>313
未婚の娘を親や女房がガードしていたというのは同意だが、
「二夫にまみえず」まあ、これは違ったと思うな。
親の同意があれば再婚は可だった。再婚した女性の例も多いよ。

藤原能子=醍醐天皇女御→醍醐天皇没後、藤原実頼室
婉子女王=花山天皇女御→花山天皇出家後、藤原実資室
藤原尊子=一条天皇女御→一条天皇没後、藤原通任室

清少納言、和泉式部、大弐三位、小式部内侍などにも再婚歴がある。
316301:2011/11/21(月) 21:44:49.33
>>314
このスレの806以降w
処女だけど処女厨が嫌い Part26
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/sfe/1320861329/806-


ちなみに、これの129が、このババアが毒女板も荒らしていたことを自白したレスw
処女だけど処女厨が嫌い Part26
なお、このスレも、実はパラババアが乱立させた重複スレw
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/sfe/1320998218/129n
317日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:10:53.19
>>216
自分の記憶によると、西郷派と岩倉派が対立するごとにオロオロしっぱなしで、
征韓論で揉めた時は自分で判断できずに泡吹いて倒れてた気がする
非常にかっこ悪い印象で描かれてるね
>>217
>>生前に正一位を賜った最後の人であり、近代唯一の太政大臣、臣下として初めての大勲位菊花大綬章叙勲

確かにすごい実績だけど、なぜこんな評価が高いんだろう?
気が弱くて重大な判断を下せなかった、リーダーシップが取れなかったり、
部下たちをまとめられなかったわけだし・・
家柄が良かったのかも知れないけど、それだけで上記の実績は出ないよね
318日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:15:46.94
>>315
>再婚した女性の例も多いよ。

多くないだろ3例じゃ。
それに、訳あり再婚だろそれらは。普通の経過じゃない。
319日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:19:00.93
>>317
維新派の公家のトップだからじゃないの!?
320日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:22:41.19
>>318
えっ?
どんな訳あり?
どれも藤原元子みたいな親の同意を得ない駆け落ち再婚じゃないけど?
321日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:27:13.23
>>316
酷いね。
要するに、処女で嫁に行ったか行かないかの下らない喧嘩かw
例外はあれど処女で結婚したに決まってるじゃないか。
元服した男(12歳前後)以上の男には、兄弟ですら顔も姿も見せてはいけない時代に
自由恋愛が出来るかってのw 
322日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:28:16.77
>>320
あげるなら調べろよ自分で3例なんだから。
異例な再婚なんだから。
323日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:29:45.34
盛り上がってると思ったらまだこの話題やってんのか
324日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:31:44.34
再婚例追加

藤原繁子(藤原道長の叔母)=藤原兼家先室→離婚後、平惟仲室
藤原遠量女(藤原道長の従妹)=藤原兼家後室→兼家没後、藤原顕光室
普子内親王(醍醐天皇皇女)=源清平室→清平没後、藤原俊連室
325日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:34:17.33
>>324
はい6例ぽっち。

どこが多いの?
326日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:35:35.57
二人以上の男性と結婚、もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性
県犬養三千代
清少納言
赤染衛門
伊勢
小式部内侍
軽く調べてこんだけいた
327日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:37:17.59
>>324
それとさ、一夫多妻制の時代に側室(愛人格)あげたら本末転倒だぞ。

328日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:38:29.82
>>326
>こんだけいた ×

その程度しかいない。
おまえら、日本の貴族歴史を汚したいチョンかよw
329日本@名無史さん:2011/11/21(月) 22:50:20.32

キチガイは平安時代の結婚が家格の結婚だという認識ないんだな。

基本は同格の家同士、再婚事例を見ると、縁故での救済的な側室待遇、
家同士の格差が大きい場合、政略性の観点での再婚、幼少時の縁故組で
男が夭逝したので後に再婚、そういった事情が大体ある。
マンガ読み過ぎると恋愛結婚があったように勘違いするし、そんな妄想で
ブログ書いている馬鹿多いけど全部アホ。
330日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:09:47.66
あと、統計端から無視して「多いだの少ないだの」言う奴はこのスレの住人じゃないだろ。

多い少ないの主観ばなしは馬鹿だからやなんだけど。
現在が再婚が”多い”と基準置くとしてこれ見ろ

厚生労働省:1 婚姻の推移
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin06/konin06-1.html

平成17年で婚姻が70万、その内再婚が20万 つまり28%
これを元に話せよ。平安時代の記録に出てくる人物で再婚してるのが
28%もいるかよ。1%にもならないだろ。
男は側室取り放題の時代にも関わらず再婚などにたどり着けた女は一握りの更に一握り。

ソース見ないでも普通にわかるだろうがこれくらい。
331日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:12:55.39
>>319
維新派の公家のトップでも、先頭に立って下の人間を引っ張ったとか、
重大な局面で英断を下したとか、そういうのがないしね
完全に岩倉に出し抜かれていた感じだし、気が弱くて特にこれといった事してないんじゃね
一応、建前上維新派公家のトップとしてそれなりの高位にいたとしても、
>>217に挙げられているような前人未踏の実績をもらう(与えられる)必要はないよね
332日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:19:25.33
百人一首の女流歌人を集めてみた
・付きが複数の男性と結婚もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性
○付きはそれ以外の結婚した事がわかっている女性
○持統天皇
小野小町
・伊勢
右近
○藤原道綱母
○儀同三司母
・和泉式部
○紫式部
・大弐三位
・赤染衛門
・小式部内侍
○伊勢大輔
・清少納言
○相模
周防内侍
祐子内親王家紀伊
待賢門院堀河
皇嘉門院別当
式子内親王
殷富門院大輔
○二条院讃岐
333日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:45:09.98
>>332
その程度、しかも殆ど側室(愛人)な。
上に書いただろ。キズもの女はそういう扱いの時代なんだよ才があっても
334日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:55:09.25
>>333
額田女王って知ってるか?
335日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:59:19.04
>>332
小式部内侍とか再婚じゃなくて私生児産まされてるんですけど・・・・
そういうのカウント大分入ってるみたいだけど
336日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:02:18.69
>>334
知ってるけど、そういう推理小説真に受けるより、史料確認できる
藤原多子(二代の后で有名)の方がまだマシなんじゃないの?
337日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:07:33.55
なんか、上げキチが暴れてるみたいだな。
338日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:16:55.87
皇極天皇ってたかむき
339日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:20:14.22
>>338
ミス
皇極天皇は最初高向王に嫁いで男児をもうけたが舒明天皇の皇后となり舒明天皇の死後は皇極・斉明天皇として即位
舒明天皇との二皇子は後の天智、天武天皇
340日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:33:15.49
>>331
いやだから、功績に応じた報償はするけど、トップは何もしてなくてもトップの褒賞をもらうという事じゃないの。
三条みたいな上流の公家を神輿として担いでおかないと色々と横やりも入るだろうし。
341日本@名無史さん:2011/11/22(火) 00:39:34.44
>>339
それ飛鳥時代だけどw
342日本@名無史さん:2011/11/22(火) 02:50:24.77
百人一首で言うと、蝉丸は謎が多いな
343日本@名無史さん:2011/11/22(火) 08:09:49.79
スレの住人さんにまず謝っておく。
毒女板のキチガイが迷惑かけてごめんなさい。

それと
>>310あたりのキチガイ

悪いけどそれは私じゃない。

ついでに私は男女板も鬼女板も根城にしてない(この時点で既に妄想)
鬼女板は空気があわなくて特定の情報系スレのみROMってる状態だし
男女板にはもう何年もROMすらいってない。
私が普段いるのは、独身女性限定板と女性板(これも3つほどスレをROMってるだけ)と冠婚葬祭板くらい。
後はお前らと被ってないから申告はしない。

前に書いたことを繰り返すけど、お前らキチガイを相手にするのはもうやめた。
過去も私とババアちゃんが同一人物だ、やれパラババアは千葉ババアの自演だとホザきまくるキチガイだったけど
今度は別板の住人とまで同一人物認定するようなキチガイとこれ以上は本当に付き合いたくない。

時間って有限なの知ってた?
お前らがこのスレで暴れてる間に、世の中の人はいろんなことしてるって知ってた?
いい年して女に相手にしてもらえない売れ残り無職ニートにとってはいくらでも暇な時間はあるかもしれないけど
私にとっては凄く大事なものだってここしばらくで特に思ったから、本当にこれ以上お前ら相手にすることは無い。

このスレも一応、住人に迷惑かけたのとアホが喚いてるから説明しにきただけで
これ書いた後はすぐにログは消す。
引き続き自演だパラだファビョーンファビョーン祭りを開催したいなら、好き勝手やってくれても良いけど
できればそれはお前が建てた毒女板のスレでやって。
これ以上このスレの住人に迷惑かけんな。
そんだけだわ。

では、失礼。
344日本@名無史さん:2011/11/22(火) 08:43:56.75
1978年刊行・朝尾直弘編 小学館・ジュニア日本の歴史4 戦国の争い 97頁左上に載ってる
刀に寄り掛かってクネっとポーズ取ってる立ち姿の
茶筅(ちゃせん)まげ結ってる若い侍風の美少年の肖像画が有るんだど
なんてタイトルの絵画か知ってる方いたら是非とも教えて下さい、お願いします。
東大史料編纂室や国会図書サイトをググっても出て来ません。恐らく安土桃山から戦国時代に描かれた絵だと思います。
345日本@名無史さん:2011/11/22(火) 10:04:42.10
>>343
なに寝言言ってるんだw
これからおもしろくなるってのに。
今更見つけたおもしれえおもちゃ逃がすかよ。
どこまでもスネークしてやんぜババアw クックク
346日本@名無史さん:2011/11/22(火) 10:49:51.10
>>327
そこであげているのは全部正室ですが?
それから正室も側室も妻ですよ。
源倫子は正室だけど源明子は側室だから妻ではない、
側室ならば夫藤原道長以外とでも自由恋愛だったといいたいのですか?
なら、天皇も正妃である中宮以外の女御・更衣は天皇以外とも恋愛自由の側室になってしまいます。
尚、愛人関係はあげていません。
(和泉式部は正式な結婚が2回あったということです。
親王2人との不倫はカウントしていません)
347日本@名無史さん:2011/11/22(火) 11:30:33.34
>>321
兄弟ですら顔も姿も見せない女が体の関係を結ぶ時代に何言ってんだw
348日本@名無史さん:2011/11/22(火) 11:35:04.55
>>327は当時の制度を理解してないんじゃね?

当時は一言で言うなら「一夫多妻」
一人が正妻で後は愛人、というのではなく、力があれば一人で何人も妻がもてた。
そのうちの一番格の高い女が正妻と呼ばれるだけ。
側室を愛人扱いするのはおかしい。
349日本@名無史さん:2011/11/22(火) 11:37:53.18
>>330
ソースに文句つけるつもりはないけど、それ分母おかしいだろ。

「1年間の婚姻件数」からみた「1年間の離婚件数」の割合が28%であって
「既婚者全体が離婚する確率」が28%じゃない。

その統計そのものは間違っていないが、そこから「28%が離婚している」なんて言うお前の主張は明らかにおかしいだろ。

第一「1%にもならない」の根拠も不明。
350日本@名無史さん:2011/11/22(火) 13:52:36.76
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています

「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット

「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」

「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット

「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット

他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください
351日本@名無史さん:2011/11/22(火) 14:45:06.85
>>346
キチガイさんお帰り

>そこであげているのは全部正室ですが?

赤染衛門は再婚してない。
清少納言は私生児2人 結婚してない。妾
伊勢は初回女房仕えで天皇のお手つきで親王産む、次の親王でも女房仕えでお手つき子供設ける。2回とも結婚してない。
和泉式部も最初は女房、次は召人なので結婚してない。妾

アホですか
352日本@名無史さん:2011/11/22(火) 14:45:49.62
>>347
日本語話せよ
353日本@名無史さん:2011/11/22(火) 14:46:53.65
>>348
>側室を愛人扱いするのはおかしい。

おかしくないね愛人だからねえ。
354日本@名無史さん:2011/11/22(火) 14:47:30.08
>>349
1年当たりで見る事が出来ない出来ない馬鹿ですか?
355日本@名無史さん:2011/11/22(火) 14:49:45.81
>>346
>>347
>>348
>>349

なんか>>343のキチガイがまだいるんですけどw
356日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:02:36.10
>>351
話にならんわ。

赤染衛門→再婚に上げてないが?
清少納言→枕草子読めよ。最初の夫が登場するから。
伊勢→再婚に上げてないが?
和泉式部→和泉式部って夫の官職から名前がついたんですが?

平安時代は結婚制度が存在しなくて、愛人しか存在しなかった、
男女はすべて愛人関係だったという妄想で話す凄い人ですね。
357日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:05:30.33
>>351>>353
同じ奴が連投する意味あるか?
変な奴が常駐してるな
まずは尊卑分脈でも読め
「室」と書かれてあるのに「愛人」と読み替える馬鹿
358日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:07:00.72
>>351
残念。
当時の史料に「室」と書いてあります。
ということで君が基地外決定です。
359日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:37:44.96
>>356
お前が書いた設定だぞ

・付きが複数の男性と結婚もしくは二人以上の男性との間に子供をもうけた女性

 「・」が見えないか

・伊勢
・和泉式部
・大弐三位
・赤染衛門
・小式部内侍
・清少納言


>平安時代は結婚制度が存在しなくて、愛人しか存在しなかった、 ×

ブブーー飛鳥、鎌倉時代から婚姻令がありました〜〜

婚姻令
男は十五歳、女は十三歳以上
女側はその祖父母・伯叔父母・兄弟・外祖父母の承諾を得なければならない
媒人を必要とする
正妻一人
360日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:40:02.51
>>357
>まずは尊卑分脈でも読め

ブブーー 異本が多くアテになりませんーー(常識)
361日本@名無史さん:2011/11/22(火) 15:40:45.13
>>358
>>360 ブブーー
362日本@名無史さん:2011/11/22(火) 16:33:31.73
普通に考えて、一夫多妻制なんだから女が複数の男と関係を結ぶか結婚しない男が増えるかのいずれかだろ
儀同三司母(高階貴子、従一位摂政関白太政大臣藤原道隆の妻で正二位内大臣藤原伊周や中宮定子の実母)のように大貴族の正室だの天皇の后は離婚も再婚もまず無い訳だから数を合わせるにはそうするほか無い
363日本@名無史さん:2011/11/22(火) 16:40:10.45
>>357=>>343=パラババア乙w
364日本@名無史さん:2011/11/22(火) 16:47:38.30
側室を愛人と思う人は確かに多いけど、側室は正式な「妻」ぞ
勘違いしてるアフォがこのスレにいるとは思えんが

【側室】wiki
正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。
正妻、本妻とも言う。
律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。
これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。

正室=第一夫人
側室=第二夫人以下

こういう並び
大辞泉にもそう載っている。
辞書は根拠なんだよな?w
365日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:22:45.31
初歩的な質問ですみません

秀吉が一代で終わってしまった理由を独自の見解でも良いので教えてください
色々本を読んだんですが、いまいち納得できません
366日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:28:51.68
現代人が言葉だけで無理なく意思疎通図れるのって何時代まで?
367日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:31:52.34
>>364
>側室は正式な「妻」ぞ

なんて書いてないね。勝手に妄想乙
368日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:40:46.22
ついでに言えば

第一夫人 = 第二夫人以下

なんて書いてないから。

結婚の順番じゃないしね。

一夫多妻制というのは現在の結婚制度から見て、そっち寄りという意味しかない(妾を不法とする条項がなかった)。
律令下で一夫一妻多妾性だから。
頭悪いキチガイは、律令での嫡妻とそれ以外の側室の権利関係調べてご覧。
正室も側室も同じ「妻」?馬鹿言うなよw マンガじゃないんだって。
369日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:44:06.24
>>359
おまえ、別の奴にレスしてるだろ。
再婚例をあげた>>324に対して>>327がその中には
妻ではない愛人が含まれているとレスを返すから
>>324 に愛人は含まれていない(妻しかあげていない)と返したんだが?
>>324に愛人が含まれてないのだからお前のレスは見当違い。
見当ちがいのアンカつけて基地外もいいとこ。
370日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:45:10.52
>>366
地域にも寄るけど明治ぐらいじゃないかな。
青森、沖縄だと戦前あたりでも大分怪しい
371日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:50:28.12
>>368
馬鹿すぎるな。
律令の「戸令」のことを言っているのならば
庶民は一夫一妻制で側室や妾を持つことを禁じていた。
そのために夫婦関係に対する取り決めがあった。
しかし、これは天皇や貴族には該当しない。
現に天皇は皇后、夫人、嬪など多くの妃を持つことを許されていて、
皇后以外の妃たちに相続が普通にされていた。
貴族も同様。
で、君がいう「律令」の記載ってどんなもの?
中宮以外の天皇の妻は愛人なので、女御や更衣は自由に浮気し放題で
天皇以外にも自由にいろんな男の種を産んでいたのか。
女御腹の男子が天皇になったり、
側室腹の男子が摂関になった例も多いのにね。
372日本@名無史さん:2011/11/22(火) 17:53:50.25
>>366
明治以降、義務教育で全国共通の「標準語」を学ぶようになったことで
随分意味が通じるようになったらしい。
昭和30年代以降のテレビ放送開始以降は、日本全国ほぼ皆標準語を
口語で話すことができるようになった。
この世代以降だと、日本国内で会話ができないということはまずない。
373日本@名無史さん:2011/11/22(火) 18:05:22.01
>>370 >>372
トン
って事はドラマ「仁」のような展開はありえないってことだね
374日本@名無史さん:2011/11/22(火) 18:23:36.24
>>373
「東海道中膝栗毛」の原文を読むと江戸時代の江戸の言葉が分かるよ。
確かに現代人の言葉とは違うんだが単語は共通するものが多く
完全に「何を言っているのか分からない」というわけではない。
語尾やイントネーションはだいぶ違うけれどもまあ、同じ日本語なので。
平安時代ぐらいになるとほぼ源氏物語を原文で朗読するような世界なので
漢字で書いてもらえれば筆談で意味は通るだろうけど口語ではほとんど外国語常態かも。
375日本@名無史さん:2011/11/22(火) 18:44:54.43
>>367
スマン
引用箇所間違えた

>現在では側室を正室以外の「妻」と定義(『大辞泉』)される

上のは「正室」のwikiだったw
376日本@名無史さん:2011/11/22(火) 19:04:36.03
>>374

なるほどなるほど・・・・うわあなんかワクワクするなぁ
377日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:05:30.50
>>371
>愛人なので、女御や更衣は自由に浮気し放題で

そもそもそんな時代じゃないんだが。自由恋愛病だなおまえ何度も言うけど。
さすがナントカババアとか異名を持つだけあるね。
来ないと言ったのになにしてんだい?
378日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:07:05.58
>>373
孫生まれて田舎帰って爺さん婆さんの言ってることが孫がわからんなんてのもまだあるしね。
379日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:13:25.71
>>375
???

1.そく‐しつ【側室】
貴人のめかけ。そばめ。⇔正室/嫡室。 大辞泉
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%81%B4%E5%AE%A4&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=10875000

しかもキチガイさんのソース(wiki)ではご丁寧に

 >本来は正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」である
 >この点で、家族の一員としての妻が複数存在する「一夫多妻制」とは厳密には異なる

側室 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B4%E5%AE%A4

だってさ


380日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:26:24.32
要は>>313
>キズもんの娘など末代までの恥という時代
とか書いたのがおかしいだろ
小式部内侍は二人の男との間に子供がいんのに左中将(のち参議、従二位権中納言)藤原公成の息子を出産している
Wikiによると二十代で死んだらしいし
381日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:30:39.50
>>380
だから恥知らずなんでしょ。
今でも、殺人犯とか強姦魔とか恥知らずな時代だけど、いるよね。
なにがおかしいの。

みんなが平和を願えば戦争はなくなるとか8/15日に叫んでる人の仲間かな君
おめでたいねえ

382日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:37:10.81
そう言えばさぁ

>律令の「戸令」のことを言っているのならば
>庶民は一夫一妻制で側室や妾を持つことを禁じていた。 >>371

この規定「戸令」に見つからないんだけど、脳内かなぁ。
383日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:55:56.58
文徳、陽成、光孝、宇多、醍醐天皇も女御の腹ですね
なぜ父帝は皇后をとらなかったのかなあ

桓武帝は正妻の子じゃないんだな
まあ井上内親王の廃后が原因ではあるけれど

平城、嵯峨、淳和天皇兄弟も淳和天皇だけ母が違って正妻の子じゃない
384日本@名無史さん:2011/11/22(火) 20:58:24.57
>>371
律令の制定当初は中宮と皇后は同義語だったのに、
いつの頃からか同格の異なった地位、にかわったんだっけ。
皇后と中宮と、二人の正妻がいる?

>>374
漢字で書いても通じないと思う。
あの時代に漢字仮名交じり文は充分には普及してなくて、
むしろ「漢字表記=漢文(擬漢文)」のはずだよね。
実際には、あまり漢文に似せることができていない、エセ漢文の場合が多かったようだけど。
385日本@名無史さん:2011/11/22(火) 21:18:00.16
>>384
>律令の制定当初は中宮と皇后は同義語だったのに、
>いつの頃からか同格の異なった地位、にかわったんだっけ。

ちゃうちゃう、皇后居るところが中宮だったわけ「宮」は場所。

よって、皇后、大皇后、を中宮と言ってもよかったわけ。場所だから

皇太子を「東宮」と言ったりするのと同じ。

当然 2后が立つようなドタバタもあるにはあって、新しく立后したのを中宮、

前のを皇后とか変則的な事もあっただけ。基本、中宮、皇后についても律令があったので

これは例外

386日本@名無史さん:2011/11/22(火) 23:21:26.15
>>365
秀吉が死ぬ前に後継者に引き継ぐ事が出来なかった。それが全て。秀次に引き継いで、
次は秀頼に回せと遺言を残すべきであった。
387日本@名無史さん:2011/11/23(水) 09:20:55.54
>>340
>>トップは何もしてなくてもトップの褒賞をもらうという事じゃないの。

そのトップとしての褒賞が前例から見ても過剰すぎるんじゃないのかなって言う疑問
それプラス、トップのリーダーシップや決断力のなさから考えたら余計にそう思う
388日本@名無史さん:2011/11/23(水) 10:29:29.59
>>387
だって三条の褒賞が上限になって、他はそれ以下の報償しか貰えないんだから、過剰なくらいにと
岩倉辺りが運動するだろ。リーダーシップとか関係ないし。
389日本@名無史さん:2011/11/23(水) 11:12:33.88
史上最低の総理と言われる鳩山さんとか、史上最悪の総理と言われる菅さんが
歴代首相でももらってない最大級の勲章を天皇陛下から賜るような感じ?
390日本@名無史さん:2011/11/23(水) 15:56:38.81
>>379
wikipedea書いた人(素人)の間違いっぽいね。
その辺の間違った記述が2次3次ソースになって間違ったまま覚えている人はかなりいると思う。
通常の結婚でさえ法律婚じゃない時代から側室はただにセフレから実質正室扱いまで様々というのが
正しいけど、律令的には正妻は一人の一夫一婦制なんだよね日本は。
その辺の男女の色恋をおもしろおかしく脚色してねじ曲げた2次小説多すぎ。
391日本@名無史さん:2011/11/23(水) 16:59:13.08
>>389
後醍醐天皇の建武の新政では鎌倉幕府を倒すのに功績のあった武士にあまり恩賞が無くて、
公家ばかりが恩賞をもらった。そんな感じ。明治維新の時は三条だけでなく実際に功績のあった
西郷や木戸らにも報賞があったから異論は出ないということ。
392日本@名無史さん:2011/11/23(水) 17:11:57.17
>>390
だって紫式部が光源氏の正妻の葵の上を六条御息所にとり殺させたりするんだもん…
てか後冷泉天皇や鳥羽天皇って皇后が三人いたんだな
二条天皇も高倉天皇も皇后の子じゃないな
高倉天皇の母、平滋子は女御
393日本@名無史さん:2011/11/23(水) 20:53:40.30
関ヶ原から豊臣滅亡までなんで15年もかかったのですか?
家康はマジで豊臣を残そうと考えてたのですか?
394日本@名無史さん:2011/11/24(木) 03:05:36.42
「一つの大名家としてなら残してやってもいいよ。でも大阪城からは出て行ってね。減封もするよ」
「イヤざます。日ノ本はうちの子のものざます。減封など論外ざます」
「あ、そ。じゃ、消えて」
395日本@名無史さん:2011/11/24(木) 04:09:02.69
>>392
>てか後冷泉天皇や鳥羽天皇って皇后が三人いたんだな

律令に反してどっちも皇后にしなきゃならんというのは、
正室と側室にそれほど立場上の開きがあったということだよ。
396日本@名無史さん:2011/11/24(木) 04:46:06.51
毒女板のキチガイババアとやらの無知をまとめておくな。
同意レスが付いているが多分同じ奴の自演だろう。この馬鹿自演ぶりは板住民ではあり得ない。

【キチガイのまとめ結論】
   >1.そく‐しつ【側室】貴人のめかけ。そばめ。⇔正室/嫡室。 大辞泉
   >http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%81%B4%E5%AE%A4

【無知を強弁したキチガイの書き込み(おそらく一人の自演)】
   >346 :2011/11/22(火) 10:49:51.10
   >>>327
   >そこであげているのは全部正室ですが?
   >それから正室も側室も妻ですよ。

   >348 :2011/11/22(火) 11:35:04.55
   >>>327は当時の制度を理解してないんじゃね?
   >当時は一言で言うなら「一夫多妻」
   >一人が正妻で後は愛人、というのではなく、力があれば一人で何人も妻がもてた。
   >そのうちの一番格の高い女が正妻と呼ばれるだけ。
   >側室を愛人扱いするのはおかしい。

   >364 :2011/11/22(火) 16:47:38.30
   >側室を愛人と思う人は確かに多いけど、側室は正式な「妻」ぞ
   >勘違いしてるアフォがこのスレにいるとは思えんが
   >【側室】wiki 正室(せいしつ)は、高貴な人物の正式な妻のこと。
   >正妻、本妻とも言う。
   >律令制の元では嫡妻(ちゃくさい)とも呼ばれていた(原則一人)。
   >これに対し、正室以外を側室(『大辞泉』)という。
   >正室=第一夫人 側室=第二夫人以下 こういう並び
   >大辞泉にもそう載っている。辞書は根拠なんだよな?w

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1317667731/346,348,364,379
397日本@名無史さん:2011/11/25(金) 08:51:46.28
>>396
それ全部バラバラ。
お前の考えが特殊で反対する奴全部同一人物にしてるだろ?
逆に一夫一妻残りは愛人と言ってる奴がお前一人だけ。
じゃあ、日本の天皇って半分が愛人から生まれてるんだね?
明治天皇も大正天皇も愛人の子だという不敬罪の奴が湧いてる。
398日本@名無史さん:2011/11/25(金) 08:54:57.50
>>395
皇后腹の男子を差し置いて女御腹の男子が即位した例がないからだろ。
一条天皇の中宮に定子がいたので強引に彰子を立后させたのと同じ理由。
当の一条天皇は女御腹の天皇だ。
しかし母の藤原詮子は女御から皇太后、女院となり、女院制ともいわれる
強大な政治権限を駆使した。
詮子付きの女房たちが子がなかった円融天皇の中宮導子を「それみたことか」
といったというから大して差はないんだよ。
導子が雲の上の人だったら詮子なんて処罰だろう。
399日本@名無史さん:2011/11/25(金) 10:27:02.47
>>393
「関ヶ原の戦い」は徳川家康が豊臣秀頼を攻めたわけではなく
家康はただ豊臣家家臣の内紛に乗じて勝たせていただいただけ
家康は豊臣恩顧の大名を味方に引き入れるために「石田三成の謀反を討伐する、
秀頼さまのために戦う」というスタンスを貫く必要があった
そのために秀頼は殺せなかった
関ヶ原から15年もたってからなぜ急に殺そうと動いたかといえば
やはり徳川政権には必要ないとかねがね思っていたからでしょうな
すでに秀吉が死んでから18年の月日が流れ、豊臣恩顧の大名たちも
ほとんどが代変わりして秀吉から直接恩を受けていない者も多くなり
やりやすかったということだろう
400日本@名無史さん:2011/11/25(金) 21:51:18.54
実家から凄く古い写真が出てきました。
リアルタイムを知る人はもう誰もいないので推測でしか無いですが、祖母の兄が出兵する時の記念写真のようです。
写真に写っている祖母と思われる少女の年齢から推測するに1930年代前半の撮影ですが、その当時一般人が出兵するような戦争ってありましたか?
いつの写真なのか詳しく知りたいです。
401日本@名無史さん:2011/11/25(金) 22:48:29.06
兵役は臣民の義務だよ
402日本@名無史さん:2011/11/25(金) 23:00:34.49
>>400
満州事変は1931年。
それ以降は満州に大部隊を張り付けてる。
403日本@名無史さん:2011/11/25(金) 23:14:54.48
親父の遺品整理してたら多分終戦直後くらいの時期の
モノクロ無修正の本番写真が出てきたことがあったわw
404日本@名無史さん:2011/11/25(金) 23:24:15.24
>>403
親父の?
405日本@名無史さん:2011/11/26(土) 00:01:40.48
ヤってるのはお前のとーちゃんとかぁちゃんだとして、撮影したのは…?
406154:2011/11/26(土) 00:35:45.92
自分が産まれる瞬間の映像と思うとあらたかな気持ちにもなるけど、
自分の親とか考えると絶対見たくないな。
407日本@名無史さん:2011/11/26(土) 00:36:44.40
失礼。↑どっかで書いた154が残ってた。
408日本@名無史さん:2011/11/26(土) 00:56:29.53
大使は馬車で皇居へ 信任状奉呈式で震災以来復活
http://www.asahi.com/national/update/1125/TKY201111250571.html

欧の猿まね、カコワルイ
日本なら牛車か駕籠という発想はしなかったのでしょうか
409日本@名無史さん:2011/11/26(土) 01:14:10.07
>>408
西洋から来た大使に正座を強いるのは失礼に当たります。
410日本@名無史さん:2011/11/26(土) 01:28:54.88
ハリスも立礼を通したから畳を七枚も重ねて家定は謁見する羽目になった
411日本@名無史さん:2011/11/26(土) 01:29:57.45
椅子席にすればOK
大使たるもの郷にいれば郷に従え

そんなこと言ったら、欧に赴任する東洋の大使に椅子を強いるのは失礼に当たります。
412日本@名無史さん:2011/11/26(土) 02:02:08.41
>>411
東洋の民であるお前の家には椅子が無いのか?

お前は郷に入っては郷に従えなんて言葉をいっちょまえに使える人間か?
国際関係でそんな事言ってるのは今時ナンセンス
昔からの風習だ
http://pub.ne.jp/luckfield/?entry_id=2659850
413日本@名無史さん:2011/11/26(土) 03:47:15.50
>>397
>逆に一夫一妻残りは愛人と言ってる奴がお前一人だけ。

人数の問題じゃないし、IDも出ない匿名掲示板で人数などわかるわけもない。
そんな事が分からないのは自演の当事者。
論理で対抗できないと自演で支持があるかのように装う。

>>398
「それ見たことか」の揶揄でひとつで妄想乙


お前だけだよキチガイさん
414日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:26:03.07
>>398
言ってることがワケワカメ??

>女御腹の男子が即位した例がないからだろ。
>一条天皇は女御腹の天皇だ。
415日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:56:46.71
>>411
牛車に椅子載せるんならもはや馬車で良いじゃん。
416日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:18:26.36
■民主党政権になって放送禁止になった言葉一覧■
[道義的責任・進退問題・発言のブレ・閣内不一致・派閥・プライマリーバランス
空気が読めない・庶民感覚・国民目線・バラマキで人気とり・国民に信を問うべき・OECDの貧困率
ワーキングプア・ネットカフェ難民・世襲・料亭・漢字・読み違え・直近の民意・国民の生活が一番、政権交代が最大の景気回復策、公務員改革
ガソリン値下げ、景気回復策、解散総選挙、ホッケの煮付け
世襲制廃止、地域主権、議員定数削減、地球温暖化対策]
417日本@名無史さん:2011/11/28(月) 00:29:38.63
西郷隆盛「ペリーの固くて黒くておっきいので我々の鎖国をぶち抜いてっっ!!!」
このギャグの実用性を問いたい。
418日本@名無史さん:2011/11/28(月) 00:33:22.16
>>417
なぜ西郷なのか
419日本@名無史さん:2011/11/28(月) 01:15:11.87
斉彬の方が良かったな。
420日本@名無史さん:2011/11/28(月) 13:08:05.19
>>418
西郷だとよりリアルかなと思ったので
421日本@名無史さん:2011/11/28(月) 14:56:56.23
素朴な疑問なんですが、実子のいない大名は種無しだったのでしょうか?
422日本@名無史さん:2011/11/29(火) 09:30:47.23
>>414
意図的に文章切ってるな。
「皇后腹の男子を差し置いて女御腹の男子が即位した例がない」
円融天皇の皇后(中宮)には子供がなかった。
だから女御腹の一条天皇が即位した。
お前、円融天皇の中宮導子に男子があったのに
女御腹の詮子の男子が即位したと思ってたの?
423日本@名無史さん:2011/11/29(火) 09:31:54.70
>>413
「大正天皇の母親は愛人」
不敬罪だよ、お前
424日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:15:05.75
日本史を語る上で、ペリー提督とマッカーサー元帥はどちらがより
外せない重要人物でしょうか?
425日本@名無史さん:2011/11/30(水) 23:45:58.07
ペリーは日本を開国する為に入念に研究した結果、恫喝が一番効くと判断した。彼以前に日本を開こうと
やって来た者は皆、友好的にやろうとして幕府の「交渉の窓口は長崎である」という説明を真に受けて結局
良いようにあしらわれて追い返されてしまった。ペリーが居なければ開国はもっと遅れ、明治維新も無かった
かもしれない。

異論は認めます。
426日本@名無史さん:2011/12/01(木) 01:54:33.47
ペリーって、ペルリって言われるドラマだとよくセリフある
ペルリは誰が通訳したんだ
427日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:32:40.88
>>424
もう一つの質問スレでも同様のこと聞いてるけど
マルチポストはやめたほうがいい
428日本@名無史さん:2011/12/06(火) 06:06:31.16
歴史学のコアジャーナルって何なのでしょうか?
複数挙げてもらえれば嬉しいです
429日本@名無史さん:2011/12/06(火) 23:06:11.18
日本歴史
歴史評論
歴史学研究

あたりかな
430日本@名無史さん:2011/12/10(土) 09:01:05.20
日本の統治機構や社会制度が違うから単純比較はできないけど、
「ザク」っとした感覚で比較すれば、飛鳥〜平安時代の歴代の天皇、
鎌倉時代の執権北条氏、室町時代の足利将軍、信長、秀吉、
江戸時代の徳川将軍、明治〜昭和初期の薩長閥の総理大臣、戦後の
自民党の歴代総理大臣、近年の鳩山〜野田は「日本の統治権者」
(またはそれに近い存在)として同格の存在と言えるのですよね

この解釈は間違ってますか?
431日本@名無史さん:2011/12/10(土) 10:24:17.36
>>430
平安時代を一つに括るのはあまりね…
桓武、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳帝は天皇親政
清和、陽成、光孝帝は藤原良房、基経の摂政
宇多天皇前期も藤原基経が政権を握ったけど死後天皇親政(寛平の治)
醍醐帝は菅原道真、藤原時平を用いた天皇親政(延喜の治)
朱雀帝は摂政藤原忠平の政治
村上帝初期数年は摂政藤原時平が政治をとったが、その死後は摂関を置かず天皇親政(天暦の治)
あと冷泉、円融、花山、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉天皇は藤原北家の天下
後三条天皇は藤原氏を抑える天皇親政を行った
白河帝も同様の政治を行ったが出家し、堀河、鳥羽、崇徳帝時代の政治をとる
鳥羽上皇も崇徳、近衛、後白河帝時代の院政をとる
後白河上皇の院政は長く続き、二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽帝時代に至った
もちろん太政大臣平清盛も政治とったけどね
関白もいたし
後鳥羽帝は譲位後順徳、仲恭帝時代に院政をとるが承久の乱に敗れ配流
後堀河帝即位後は父の守貞親王の院政
これ以後の院政は形だけのものとなり北条氏が実権を握る
長くなってごめんな
432日本@名無史さん:2011/12/10(土) 20:53:32.80
>>430
それぞれの在位期間の長さや貢献度はバラバラだけど、「統治権者」という視点のみで
語ればほとんど同格と言えるんじゃないのかな
ここ何年かの総理は存在感なさ杉だけど、北条氏の後半や足利氏の後半なんかも存在感ないし、
信長秀吉が傑出してますね〜
433日本@名無史さん:2011/12/11(日) 09:12:46.20
統治権者というと、明治〜戦前は時の総理ではなく時の天皇になるべき?
434日本@名無史さん:2011/12/11(日) 21:19:33.24
信長秀吉と鳩山菅が同格と聞くと、胸に去来するものがあるな
435日本@名無史さん:2011/12/12(月) 00:36:49.73
秀吉はともかく、信長は日本全土を統治したわけではない
とすると、鳩山、菅>信長、という解釈も成り立つ
436日本@名無史さん:2011/12/12(月) 01:21:41.19
その論理でいけば戦中は中国に領土あったり併合してるアジアの国も多かったから、戦中の総理大臣は大物になっちゃうぞ
437日本@名無史さん:2011/12/12(月) 02:47:45.00
歴史を知らずに哲学は語れない 2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1322998278/


438日本@名無史さん:2011/12/12(月) 10:41:24.47
>>434
鳩山は一代で内閣総理大臣に上り詰めたわけではなく、世襲だからな。
祖父も内閣総理大臣、父も衆議院議員だし。

現在の内閣総理大臣は名目上は一代限りということで
親が幕府をひらけば子供は馬鹿でも将軍という
明治以前の政治形態とは明らかに違うだろう。
439日本@名無史さん:2011/12/13(火) 10:00:01.12




ワイは日本人やが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
みんなも知っての通りもう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや


その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで

まあお前らほどの頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、かえって失礼かもしれん
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?








440日本@名無史さん:2011/12/13(火) 22:49:10.64
質問です。
黒田孝高は長政を信長への人質に提供し、信長が孝高離反疑い長政を殺す命令を出したとき
竹中さんが命令違反をして長政を殺さず信長に虚偽報告をしということですが、
後に孝高の潔白がわかり長政は堂々と生きていけるようになりましたが、もし孝高が
死ぬなどして潔白が証明されなかった場合、長政は身元不明の人間として出家したり
庶民になったりしたのでしょうか。

また、室町以前は家督相続問題などで周囲が他の当主(当主の弟など)を持ち上げようと画策し、
当主は騒動を鎮めるため当主候補を殺した例がしばしばありますが、当人同士の思いとは別に
現状に不満を持つ周囲が対立当主候補を持ち上げてしまうため、騒動の根を絶つため
対立候補を殺したことにして実は殺さずにおいた、ということはあったのでしょうか。
441日本@名無史さん:2011/12/13(火) 23:43:13.18
「実は殺さずにおいた」事例があったとしても歴史には残らないから分からん
442日本@名無史さん:2011/12/14(水) 18:04:22.41
質問です
元老院議長を島津久光にするという案があり(結局中断した)ましたがその前に岩倉が議長に任じられていたが断った
という歴史事実はありますか

あと島津が大審院長になってほしいと頼まれた歴史事実があるかも教えて欲しいです

もしわかれば文献も教えてほしいです、よろしくお願いします(>人<
443日本@名無史さん:2011/12/16(金) 15:21:35.37
森有恒(文部大臣)が、伊勢神宮の御神体・八咫鏡を見てユダヤ文字が書いてあったと新聞記者に言っただけで、なぜ暗殺されたのでしょうか?
新聞にはもっと他のことも書いてあったのでしょうか?
444日本@名無史さん:2011/12/17(土) 00:19:12.55
幽霊のこと言ってるのか
445日本@名無史さん:2011/12/17(土) 06:17:27.95
豪族を作って天下を取りたいのですが
まずは何から始めればよいのでしょうか?
「信長の野望」なら何度も全クリしてます。
446日本@名無史さん:2011/12/17(土) 10:00:20.42
>>445
信長の野望クリア程度では、天下は取れません。
戦国史の天文戊申シナリオを江儀遠山家あたりでクリアしてから出直してください。
447日本@名無史さん:2011/12/18(日) 14:27:46.60
質問させてください

新井白石の母の姓名 家系を教えてください
448日本@名無史さん:2011/12/19(月) 20:54:44.95
寺に貫主と別当がいるんだけどどっちがえらいの?
449日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:24:53.71
>>365
1.統治システムが未成熟だった。
 ほぼ秀吉の独裁。五大老・五奉行は晩年にできたシステムのできそこない。

2.引き継ぎができなかった。
 家康が生きているうちに位を譲って後見に回ったのは秀吉の引き継ぎがうまくできなかったのを目の当たりにしたから。
450日本@名無史さん:2011/12/19(月) 22:26:43.01
天皇家ユダヤ人説>騎馬民族征服説>九州王朝説

古代史ドイヒー説順序
451日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:03:31.25
>>449
家康の時代も独裁に近かった。
正直、豊臣秀頼を殺さないうちに家康が没していたら、どうなっていたかわからない。
結局、家康が秀吉と違っていたのは、家康が存命中に嫡孫家光までが生まれていたこと
家康が秀忠の弟三人に御三家を作らせるなどして徳川家中枢を固めたこと。
家康の血縁者が非常に多かったことが吉と出た(女系やら家臣の子まで大量に養子や養女にしている)

江戸幕府も統治体制が整ったのは3代家光頃。
家光以降は、ほぼ将軍が幼くても馬鹿殿でも耐えうる幕府体制ができた。
452日本@名無史さん:2011/12/20(火) 00:37:59.57
2011年
東日本大震災
東京電力福島第1原発の事故
世界同時多発テロ首謀者のビンラディン殺害
平成で最悪の台風被害
天皇陛下入院
北朝鮮の金正日国家主席死亡

戦後の六十数年の中でも2011年は傑出していろいろあった一年じゃない?
日本国憲法施行の年とか、サンフランシスコ講和条約の年とか、
東京オリンピックの年とか、それ自体は大きな出来事だけど、
こんなに盛り沢山な一年ではなかったよね(多分)

もっと年配の方の意見が聞いてみたい
453日本@名無史さん:2011/12/20(火) 01:29:58.51
私事ですが、私の先祖は下級ながら武家だと聞いていました。こないだ江戸時代に生きていた先祖の名前を知る機会があったのですが、○太郎、○次郎、○七郎、○作、○吾などとごく平凡な名前で驚きました。
武士でも○衛門とか、大名みたいに漢字二文字の名前と言うのはむしろ少数派だったのでしょうか?
454日本@名無史さん:2011/12/20(火) 01:32:22.88
94年の阪神大震災と地下鉄サリン事件&オウム真理教を軽く越えたな
455日本@名無史さん:2011/12/20(火) 01:44:34.67
昭和天皇崩御に天安門事件、東欧革命に冷戦の終結、
ソ連崩壊、とどめにバブルが弾けた1989年もなかなか
456日本@名無史さん:2011/12/20(火) 02:13:04.11
>>453
赤穂浪士で有名な堀部安兵衛は正しくは堀部安兵衛武庸となります。安兵衛は通称で、
武庸は諱(いみな)です。大岡越前守忠相や遠山左衛門尉景元のように通称ではなく官職の
場合も有ります。水戸中納言光圀も官職です。
そちらの場合も通称の他に諱が有るんではないでしょうか。
457日本@名無史さん:2011/12/20(火) 06:32:20.48
金さんは通称は金四郎だね。
越前さんも忠衛門なのかな。
平凡だから驚いた、と言われるけど下級だったら
ごめん、平凡でも普通だし「衛門」「兵衛」というのも
官職由来だからカッコよく聞こえるけど
実はありふれてる。
大名みたい、というのはちょっと意味合いが違って
ちゃんとした官職持ってればいいけど
下級だと、ごめん、単に「二文字ネーム」を名乗っただけだろうから
やっぱりあんまり大名っぽくもない。

ちなみにお百姓さんでも「兵衛」と書いて?「べぇ」と呼んだりするから
「大名みたい」というあたりに少し誤解があるかもね。
0吾、なんてかえって平凡じゃなくてキラキラネームだったかも。
458日本@名無史さん:2011/12/20(火) 19:23:41.52
>>454
95年も凄かったけど、今年は抜いちゃったね
>>455
1989年も確かに凄かったね
世界的に見たら1989年の方が上かも
ただ、日本に限定したら今年の方がインパクトあったかも
まあ昭和天皇崩御&バブル崩壊もでかいけど

452に追加で中東革命、タイ大洪水
459日本@名無史さん:2011/12/20(火) 19:41:01.65
>>452
ニュージーランド地震
トルコ地震
ジョブズ死去
南スーダン独立
二度の皆既月食
世界人口70億人突破
460日本@名無史さん:2011/12/20(火) 19:54:16.68
人数は諸説ありますが一応は
テルモピュライの戦い
スパルタ兵300人でペルシャ軍100万と三日間戦い四日目でようやく全滅
100万相手に300人で四日持ちこたえるという最強の無双騎士団

日本を含めて世界でこれより凄いか同格の話ってありますか?
個人的には島津軍の鬼の引き口以上の、たぶん人類史上一番凄い実話だと思ってるんですけど
(三国志の張飛が一人で、魏軍100万人に啖呵切ったのは、啖呵切っただけで実際は戦ってないのでノーカンで
 というかあれは三国志演義という小説上の話らしいので)

こういう話好きなので「史実じゃなくて神話だけど一応○○ってのがある」
というのでも知っていれば教えてください
461日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:37:57.85
>>460
他でもやってたけど、人の知らない話を知りたいのなら
ググればいいと思うよ。
一応こっちは、真面目な話、のスレだから「史実じゃなくていい」
というのはちょっと失礼になる。
仮想歴史コーナーに行けば「鬼の〜」「最強〜」とか
オビにもいっぱい書いてあるからそこから探せば早いよ。
462日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:41:28.85
>>452
オヤジだが感動が薄れてな〜。
万博、あさま山荘、三島切腹、よど号、猪木対アリ
こういうのが近い年で印象が強い。国内だけでもね。
463日本@名無史さん:2011/12/20(火) 20:51:37.05
>>461
失礼になるとは思いませんでしたすいません
ただこうしないと史実と完全確定してるものいがい誰も描きこまない気がしたのであえて幅を広くしました

例えばアーサー王物語は伝説ですけど円卓が発見されたり、史実だったんじゃない説や
ギルガメス大王は叙事詩の架空の人物かと思われたけど最近実在の人物説が出て来てウィキペディ
でも数千年まえの人間でありながら126年間在位したという記述があったりするので

テルモピュライもスパルタ軍はもっといたとかペルシャ軍はもっと少ないとか
あれはほぼ架空で史実はたいしたことない説もあるので、気を悪くしなたならすいません
464日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:19:56.17
>世界でこれより凄いか
世界史板へどうぞ
465日本@名無史さん:2011/12/20(火) 21:55:38.31
>>463
ウィキをありがたがってるようだけど
あれは、トンデモさんが自分の主張をするところ、だから
それだけでレスはつかないと思うよ。

いろんな単語や「鬼の〜」みたいなのを使いたいのは
わかるけど「サンタクロースは実在しますよね、史実じゃなくていいので
逸話を教えて」と言われても、まず「いないよ」というところから始まるでしょう。

史実と確定、とも言うけどそれ自体が難しくて答える人が
その確度や信憑性を悩みながら答えることになる。
それに対して「そんなのはどうでもいいんです、最強、とさえつけば
いいんです」というのなら、やはり架空コミックスレのほうがいいよ
ということね。

説教みたいで悪いが、史実とドラマの区別がついてないというのは
もう一度考えて見たほうがいいんじゃないかってね。
466 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/20(火) 22:05:08.41
>>465
ちょっと待て
中東のセントニコラウス司教をいじめるな
467日本@名無史さん:2011/12/20(火) 22:08:36.53
>>463
「日本を含めて世界で」だったら、やはり世界史板に行くべきだな。
この板の人は日本史の史料は読んでいる人はいるだろうけれども
海外の史料にまで当たっている人は少ないよ。
468日本@名無史さん:2011/12/20(火) 22:35:48.91
>>462
近年ではっていっても、どれもずいぶん古いな〜
469日本@名無史さん:2011/12/20(火) 22:58:01.54
>>460
俳優の宇梶剛士は暴走族の総長時代に1vs100で喧嘩して勝った事が有るらしい。
470日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:02:00.16
>>468
その頃はまだ生中継が少ないぐらいだったからねぇ。
白黒テレビもあったし。
あと、そういう10大ニュースのさらに10年で一番すごかった
みたいなのも前はよくみかけたけどね。
丁度21世紀にかわるあたり。
今年はそんなに印象ないというか
大震災が抜けちゃってると言うか。
471日本@名無史さん:2011/12/20(火) 23:30:51.84
>>453
それ、仮名(けみょう)だね。
それとは別に実名(じつみょう)がある。

織田信長の仮名は三郎だし、同じようにみんな仮名をもっている。
472日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:04:01.59
>>471
長男、次男、三男、を昔は
太郎、次郎、三郎と言っていたということじゃないのかな
473 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/21(水) 01:22:02.84
源九郎判官牛若丸義経
九郎は第何子か、判官は官職、牛若丸は生まれたときからの通称、義経は元服後の本名(源経基と源義家から一字ずつとったとされる)
桂小五郎の「小五郎」は幼名(通称)
福沢諭吉の「諭吉」は諱(本名)
通称は先祖と同じものを名乗る場合が多い(松平家は竹千代)

諱は親友でも知らない事があり、西郷隆盛を大久保利通は「吉之助」と呼んでいたので本名を知らず、戸籍の届け出の際に西郷の父親の名前、隆盛にしてしまった(本当の諱は隆永)
474日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:27:16.29
仮名、実名、通称、本名、諱、幼名、戸籍名
と出てまいりました。

歌舞伎の襲名とも違うのかな
475日本@名無史さん:2011/12/21(水) 03:28:39.27
歌舞伎のは芸名であって、襲名は過去の偉大な役者の名を継承すること。
2代目市川団十郎が始めたらしい。
476日本@名無史さん:2011/12/21(水) 09:39:20.94
>>475
襲名自体は歌舞伎以前から遊郭などでもあったみたいだな。
宮本武蔵の小説にも出てくる吉野太夫(実在の人)は2代目吉野太夫で、
安土桃山〜江戸時代初期の人。
477日本@名無史さん:2011/12/21(水) 15:42:46.20
>>474
全部立脚する場所が違うから同一で並べると
ニワカさんが話を混乱させるよ。
478日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:04:50.36
尾張家五代、五郎太が3歳で亡くなった時 17歳未満の者による末期養子の禁 が全く取りざたされなかったのは何故なんでしょ
継友への甥→叔父の逆行相続も、何事もなかったかのよう
福井松平家で重昌が16歳で亡くなった時も、当然のように続いているのは何故?

伊達家、南部家、宗家などでは、必死になって隠しているのに

御三家親藩スレにも見当たりませんでした。
知っている方、教えてください。本気で知りたいです。  
479日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:59:33.35
>>478
一応末期養子は慶安時代に禁が解かれてるけど、そうじゃなくて?
実際は手続きが複雑でいろいろなんだけど、そういう個別の事情って
話なのかな。
480日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:27:40.19
>>472-474
幼名と仮名は別。
仮名・実名とも、元服時につけられる名前だよ。

信長の関係者(親族)の仮名では、
三七(信長三男、信孝)、勘十郎(弟、信行)なんてのもある。

俗に「通称」などといってるのが仮名のことだ。
で、同じく俗に「本名」などと言ってるヤツが「実名」な。
諡と言ってるのも実名と同義と思っていい。(微妙に違うかもしれん。)
戸籍名は明治以後のもので、江戸時代までは存在しない。
481日本@名無史さん:2011/12/22(木) 00:42:54.82
>>480
おくりなといみなはちがうだろ。
482日本@名無史さん:2011/12/22(木) 01:46:44.40
漁師は士農工商で言うとどれに当たりますか?

また、海辺の土地の郷土資料には必ず漁師と加子が出てきますが、この二つは別物でしょうか?
地元の資料には「加子は○●番所に所属」とありましたが、番所に所属すると言うことは士分だったのでしょうか?
483日本@名無史さん:2011/12/22(木) 04:51:50.00
士農工商という言葉自体がデタラメなので参考にするべきではない。

明治期の人が幕藩体制下の身分秩序のことを呼ぶのに使った言葉だが、
江戸時代の実態とは関係が乏しいんだよ。
言葉自体は中国からの輸入物らしい。

実際には、武士とか貴族が上位に来て、その下に農工商などの庶民が来たってだけ。
町民より農民が上位に置かれたというのもウソらしい。
あと。「農」とされているのは、「町民以外の庶民すべて」程度な意味っぽい。

そうそう、「町民」という身分階層は、江戸時代の定義としては、
商家・長屋を管理する大家などといった、武士による統治を補佐する重要な地位の人を指す言葉であって、
農村における庄屋などと同格だった。
もちろん、庶民は町人ではない。いわゆる江戸っ子たちの大多数は町人じゃないわけ。

公的な序列としては、実のところ、町の統治に関わる町人の方が、農村の統治に関わる庄屋より上だった。
同格だが少し優先、という位置づけらしい。
同様に、町に住む庶民の方が農村に住む庶民より上に置かれた模様。
士農工商という呼び方とは違って、農民の序列は商人より低かったわけだよ。
484478:2011/12/22(木) 07:40:48.11
>>479  レスありがとうございます。
その慶安年間の解禁自体も、どんな解禁なのか知りたいのです。
というのも、解禁されたとはいいつつも、その後も、478で書いたように、必死で隠している家がある。
Wikiの記述ではあるが、そうまでしたのは、やはり改易を恐れたためだとある。

それじゃあ解禁って一体何だったの?
その一方で、まったくスルーで相続されている家もあるし???

実際問題として、尾張や福井に手を付けることは無理だったのでしょうが、盛岡や仙台、対馬だって、そうそう手を付けられそうにはない
だから、当時として全くスルーされていることが解せないのですが・・・
485日本@名無史さん:2011/12/22(木) 09:45:59.08
>>484
結局、末期養子を認めるには江戸幕府の許可が必要で、
親藩と外様では幕府の査定に差があった可能性も。
福井藩主では、藩主松平斉善が19歳で没した時にも子はなかったが、
松平斉善が11代将軍の実子でありながら福井藩の養子に入った人物であったことから
兄である12代将軍徳川家慶が特別の配慮で12歳の松平慶永を死後養子とすることを認めている。
徳川幕府は開幕以来、外様を警戒し冷遇する風潮があったということです。
486日本@名無史さん:2011/12/22(木) 16:49:08.86
>>484
どうして慶安に解禁が解除されたかというと政情不安
につながる意味が大きい。
つまり改易とか末期養子の禁とかの意味合いが時代と共に
違ってきてて幕府にとって重要なのはいたづらな改易よりも
社会安定第一ということになってきたということ。

隠してた、というのは485さんも触れているけど
手続きのミスや他に何かヤマしいことがあってそういう
事情があったのかもしれない。
だから改易を恐れてたということなんだけどそれは
各藩に理由があるわけで幕府側の事情ではない。
解禁ってなんだったの?というのはあくまで幕府側の
事情なんだが個別で各藩がヤマしいことをしてたら
やはり改易を恐れてしまうことになる。

実際に幕府が解禁した、と言っても段階的だから各藩は
本当に安心できたかは別問題、幕府もサジひとつでどうにでもなる、と
解禁はうまい作戦とは思うし個別の事情でいろいろ発生することにもなる。

ゴチャゴチャしたレスで悪いが、慶安の解禁は正雪事件で幕府がビビって
方針転換、このあたりが重要だから幕府の政策変更という観点から捉えるべきで
それを押さえた上で個別の事情を考えていくと言うのが方法的にはいいのかな。
487日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:09:12.53
江戸時代までの諱って概念はむずかしいよね
いろいろ文献漁ってみても理解しがたい
488日本@名無史さん:2011/12/22(木) 17:14:40.05
どういう文献みたの?
489478:2011/12/22(木) 22:37:48.66
>>485 >>486 ありがとうございます
・親藩と外様では違う
・時代とともに意味合いが違っている
・さじ加減でどうにでもなる可能性があるので、諸藩の側は安心できなかった がキーワードですね。
実態は個別案件ごとの判断であり、統一ルールはあるようで無かったという…

尾張家への手出しは政情への影響が大きすぎる
(ただし、八代将軍争いの際に「継友以降は新家のようなもの」という理屈が生まれた)
福井家は、485さんが挙げたように、一橋家からの養子の受け皿としての配慮

外様の件も個別事情であり、
伊達家は、東北の大藩であり、本気で改易を恐れたのではなく、当時、有り余っていた一橋系の子の養子押し付けの回避
南部はわからんが、宗家は、手続きを無視した藩主の死の公表に、幕閣から待ったがかかったというところでしょうか

疑問な部分も残ってはおりますが、自分の中でかなりクリアになりました。ありがとうございました。
490日本@名無史さん:2011/12/23(金) 14:35:16.80
聖徳太子は父親、母親までわかっているし、17条憲法や冠位12階などの実績も多いのに、
なぜ「架空人物説」があるのでしょうか?
491日本@名無史さん:2011/12/23(金) 15:10:12.75
17条憲法や冠位12階などは、実際は蘇我氏がやった業績。
蘇我氏を亡ぼして天皇権力を確立できたわけだから、それまでの良い業績は、
聖徳太子という架空の人物を創作して、みんなその業績とした。
492日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:25:28.88
天武持統陵は今までの陵墓と違う感じがします。
まったく違う政権と考えてよろしいでしょうか?
後、愛知県の岡崎市に大友と言う地名があり
大友神社がありますが大友皇子は乱の後生き延びたのでしょうか?
くだらない質問かもしれませんが、よろしくお願いします。
493日本@名無史さん:2011/12/23(金) 16:36:56.95
厩戸皇子は存在したが聖徳太子はいなかった
ってことなんでしょあれ。
単に言葉のレトリックでしかないと思うのだけどね。
494 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/23(金) 16:47:18.05
十七条憲法制定、冠位十二階を制定した人物が一人の聖徳太子という人物であるか、それが用明天皇の皇子、厩戸皇子かどうかは確実ではないって事だろ
495日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:12:15.27
ちょと違わないか?
憲法や十二階は後世の偽造だから
それを制定した人物なんかはいない、ということじゃないのか。
だから聖徳太子は架空であって厩戸皇子は実在。
だから教科書は、聖徳太子から厩戸皇子に書き換わってるんじゃないのかな。
496日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:14:54.81
天智・天武は稲目の子孫、
持統・文武・元明・元正はさらに馬子の子孫、
ところが上記の誰一人厩戸の子孫ではない(史料上)、ってのも皮肉だな。
497日本@名無史さん:2011/12/23(金) 17:18:55.75
つーか十七条や十二階を作ったのが蘇我氏だなんて証拠も無いんだけどね。
498日本@名無史さん:2011/12/23(金) 18:34:18.44
公地公民制、口分田などの大化の改新も、皆、蘇我氏がやった業績。
敵の蘇我氏のやったことだから、年代を下げて天智天皇の手柄にしている。

同様に、その他の業績を、丁度厩戸皇子が居てたから、これを聖徳太子に仕立て
話を創ったもの。
厩戸皇子自身は政治的には全く無意味な存在。

当時の天皇が推古女帝というのも作り話。
男帝である、摂政も居なかった――記紀の所為で、その名が伝わっていない。
499 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/23(金) 18:39:10.28
中宮寺の天寿国繍帳を見ろ
500日本@名無史さん:2011/12/23(金) 19:00:24.58
>公地公民制、口分田などの大化の改新も、皆、蘇我氏がやった業績

これって証拠あんの? 希望的観測?
501日本@名無史さん:2011/12/23(金) 19:17:30.28
息子が大兄皇子になるくらいだから、ウマちゃんは有力者だったんじゃないの?
502日本@名無史さん:2011/12/23(金) 19:23:09.76
>>501
「大兄」とついても天皇になれなかった皇子なんていくらでもいるよ

長男が帝位につくことが多かったために長男に多い大兄の名を持つ皇子が帝位につくことが多く
天皇の後継者を意味するという説を出してくる人がいるだけで
当時の史料にそんなことが描かれてあるわけではない
光明皇后の兄葛城王が橘姓に改姓したとき諸兄と名乗ったように
ただ大勢いる兄弟の中で兄であるという理由からそう呼ばれただけとも考えられる
503日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:13:40.79
【諡と諱】
実は、俺の家は代々、男は諱を持っている。
それが本名だから、明治五年以来、諱を戸籍名にされて来た。

然るところ、俺の親は「諱は他人に知られたのでは意味が無い」と言って、
何を寝呆けたのか、通称の方を戸籍届けした。

以来、何かオカシイことになっている。
本来正式の時に使う本名を現代社会では結局使う機会が無い。
504日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:55:23.94
よく判らんが、諡(おくりな)は死んでから残された人が故人につけるものだろ。
505日本@名無史さん:2011/12/23(金) 22:45:01.56
それは戒名では
506日本@名無史さん:2011/12/23(金) 23:28:50.73
現代人からすれば「何を馬鹿な」と思うだろう
だが>>503の父はそう考えなかった
なにしろ本名を知られてしまう事は「支配される」事を意味するのだから
従って「戸籍に本名を載せない」という選択を取らざるを得ない
もちろん本人は大真面目である
507日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:28:32.67
>>505
戒名は仏教用語。本来は出家して戒を授けられた時に与えられる名前。
西遊記の沙悟浄や猪八戒(猪悟能)が観音様に名前を貰うのがそれ。

諡は皇帝とか王様が死んだ後につけられる名前。武帝とか文王とか桓公とか
歴史でおなじみの名前は生前は使われていない名前。
508日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:03:12.79
昭和天皇のwikiに

諱は裕仁(ひろひと)。幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。

今上天皇が、在位中の元号から採り昭和天皇と追号した。
とありますが、在位中はなんというお名前でしたっけ?
まあ天皇陛下でわかるといえばわかるが。
509日本@名無史さん:2011/12/24(土) 01:20:01.98
在位中でもお名前は諱の裕仁の筈です。生前に天皇として、過去の天皇と区別する必要がある時は
今上天皇とするから個人名は無い筈です。
510日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:55:13.99
古代の漢文(史料)はどうしたら読めるようになりますか?
やはり量ですか?
511日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:14:43.85
>>503
諡と号を間違えてるのかな。
諱=正式文書に署名するときの公式名。
号=普段用いられる通称。
諡=死後贈られる名。
戸籍は正式の文書なのだから、諱で届け出るのが正しい。
号はニックネームに近いので、今でも使ってる人はいるだろ。
芸名やペンネームが号に該当する。

512日本@名無史さん:2011/12/24(土) 13:14:35.42
正しいもなにも今はイミナなんて認められてないのだから
戸籍も何もないだろう。
届けたのが本名であり名前、ただそれだけ。
歴女あたりが「イミナも子供につけた〜い」なんて
言ってそうだが。
513日本@名無史さん:2011/12/24(土) 21:51:50.25
>>512
むしろ、今は諱を日常でも使うようになったってだけだろ。
龍馬とか勇とか、自分で勝手につけたものだぞ。
現在は親が役所に勝手に届け出た名(諱)のみが有効になった。
天皇家でも「愛ちゃん」とか「悠ちゃん」とか諱読みされてるぞ。
514日本@名無史さん:2011/12/25(日) 14:40:49.19
歴史上、性的にものすごく遊んだとされる人は誰ですか?
TOP5を教えて下さい
515日本@名無史さん:2011/12/25(日) 15:01:21.08
光源氏は有力候補
516日本@名無史さん:2011/12/25(日) 20:43:17.52
世之助
517日本@名無史さん:2011/12/26(月) 10:44:07.34
1位 徳川家斉(推定妻妾数40人・子供53人)
2位 嵯峨天皇(推定妻妾数30人・子供50人)
3位 桓武天皇(推定妻妾数30人(うち人妻3人)・子供35人)
4位 亀山天皇(推定妻妾数20人・子供25人)
5位 後白河天皇(推定妻妾数15人(遊女含む)・子供17人)
518 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/12/26(月) 15:45:43.27
どっかの大名に70人以上子供がいたのがいなかったっけ
織田信長も21人ぐらい子供いたような
伝承では景行天皇には80人を超える皇子女がいたそうな
519日本@名無史さん:2011/12/26(月) 16:27:47.80
子供の数は関係ないんじゃないか。
520日本@名無史さん:2011/12/27(火) 21:56:39.16
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています

「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット

「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」

「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット

「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット

他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください
521日本@名無史さん:2011/12/29(木) 17:47:00.05
実朝が殺された時、後鳥羽上皇に、鎌倉からの後任将軍派遣要請を断るという選択肢は無かったのでしょうか?
ほどなく武力討幕を試みるくらいなら「後任将軍?自分らで将軍守れないのに知ったことか!自分らでなんとかしろ」とシレッと突き放して、様子をみる。
うまく瓦解したらラッキー みたいな。

解説、推測、お待ちしております。m( )m
522高橋:2011/12/29(木) 23:32:05.84
石見高橋氏について質問です
現在高橋久光について悩んでいます
ウィッキでは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E4%B9%85%E5%85%89

寛正元年(1460年) - 大永元年(1521年))
とあります
1521年に三次市にある青屋城を攻めている途中に討死したとあります
しかし、その出典が陰徳太平記という軍記物なので嘘だろうと思います
いろんな文献をあたっても久光の名前が全然出てきませんのでフィクションで
勝手に架空の人物を作ったのでは?と思っています

当然、島根県の市町村史などには系図で久光もあり、久光の事柄もありますが、
どれも
@高橋久光の時代に最大の領土にした
A娘は毛利興元に嫁ぎ孫の幸松丸が生まれ外祖父として大きな権力を握った
(毛利家へも干渉している)
Bその結果毛利元就は発言力があまりなかった
C1521年に三次市の青屋城を攻めている途中に討死
D結果高橋家は内証を起こし、結果的に毛利元就に攻め滅ぼされる
とあります
この1521年の戦いは実はなかったとか、久光の娘ではなく、次男の弘厚の娘だとか様々です
なにかこの久光が実在したという証拠みたいなものはないでしょうか?
○○文献には久光から■■へ感状があった
○○神社には奉納記録があったとか
この城の近くに住んでいるんで前々から気になっていました
よろしくお願い致します
523日本@名無史さん:2011/12/31(土) 17:16:30.23
524日本@名無史さん:2012/01/03(火) 19:52:40.21
アイヌ、蝦夷、琉球人はいつからヤマト風の名前を名乗るようになったの?
525日本@名無史さん:2012/01/04(水) 00:37:30.11
>>524
しりたい
526日本@名無史さん:2012/01/04(水) 12:53:04.52
>>524
アイヌ人はもともと日本語とは文法も言語体系も別のアイヌ語を持っていた。
アイヌ語による独自の名前を持っていたが(ケプリアン、オフェミヤなど)
江戸時代の1855年、蝦夷地が幕府領となってから日本風の名前が奨励された。
明治時代に戸籍が作られると、日本風の名前の登録が半ば義務付けられたらしい。

一方で、琉球は、もともと古くから日本語を話していた(琉球の言葉は日本語の方言に入る)。
琉球王国が中国と交渉を持ち出してから王侯貴族は中国風の名前を名乗るようになったが、
それ以前は日本でも見られるような素朴な名前を名乗っていた(ムタとか、阿古屋とか)。
元々の名前に相当するものは幼名として残り家族間で用いられていた。
明治以降は旧王侯貴族の名前も日本風になった。
527日本@名無史さん:2012/01/04(水) 13:57:30.81
無名F欄大学からでは歴史学者になれませんか?
528日本@名無史さん:2012/01/04(水) 14:55:46.59
>>527
広い意味での学者なら自称可
狭い意味での学者なら…
あなたのゼミの先生に「どこの大学を出てますか?」って聞いてみたらいいよ
529日本@名無史さん:2012/01/04(水) 15:17:52.60
>>528
決心がつきました
ありがとうございます
530 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/01/04(水) 16:57:25.36
高校の日本史Bを勉強していて質問なんですが、

武士の台頭は教科書では9,10世紀からと書いてあるのですが、それ以前は
治安維持はどのように行われていたのでしょうか?
531日本@名無史さん:2012/01/04(水) 17:34:37.26
まろ とか おじゃる って いつから言わなくなったの?

古典の教科書に出てこないんですけど
532 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/04(水) 17:43:26.71
>>530
検非違使とか、地方豪族とか
9、10世紀の武士ってまんま豪族じゃん

武士いても治安は維持できないからな
533日本@名無史さん:2012/01/04(水) 17:58:27.78
>>530
古代には地方豪族が領国の治安維持を行っていた
律令社会後は公地公民となったので中央政府が治安維持を行った
都の治安維持のためには検非違使を置き
地方の反乱については国司からの要請によって鎮圧のために
征夷大将軍や鎮守府将軍を中央から送った
「武士」と呼ばれる人たちももともとは律令制度の中で
中央の役職についていた人たちだった
534日本@名無史さん:2012/01/04(水) 18:01:24.12
>>527
無名大でもある程度は自分の大学の卒業生を採用しているよ
大学院を併設している大学ならば可能性はあるかも
あとは、大学が無名でも有名大学の大学院を狙う手かな
就職が異常にいい大学だと大学院進学率が低く意外に簡単に入れるらしい
2浪して琉球大学→就職できずニート→3年後なぜかふと受けた京都大学大学院に合格
→東北大学非常勤講師
という人を知っている
535日本@名無史さん:2012/01/04(水) 18:08:33.61
>>531
「まろ」は平安時代の一人称。
栄華物語や土佐日記にも出てくるよ。
「おじゃる」は少し時代が下り、室町〜江戸時代の公家言葉。
「ござる」が変化したもので室町時代の狂言などに出てくる。
言語板でやったほうがいいかもしれんが
536日本@名無史さん:2012/01/04(水) 22:33:18.26
女房言葉というのかな、あれは公家言葉の変種で
また違う意味合いになるのかな。
現在皇居内で使われてるであろう言葉は比較的
古い時代の雅言葉ってことか。
537日本@名無史さん:2012/01/04(水) 23:58:15.09
2000円札に載ってるのはどちらが光源氏ですか?
全く見分けがつかない上にどっちもイケメンじゃないってどういうことなの。
538 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/05(木) 00:15:47.18
>>537
http://www14.plala.or.jp/wanetjp/gennko_sihei/2000y.html
かいつまんで言うと、左のヒゲが冷泉院で、右の横顔が光源氏
冷泉院は光源氏の弟にあたるが本当は実の息子
親父(桐壺院)の奥さんをはらませちゃったんですね

絵柄に関して説明すると、当時「引目鉤鼻」は美男美女の証だった訳です
抽象化された顔は、高貴だからこその表現
リアルに描いては低俗さしか表れないのです
539日本@名無史さん:2012/01/05(木) 01:43:09.54
>>538
「引目鉤鼻」
今でいう萌絵だったりして
540日本@名無史さん:2012/01/05(木) 02:12:55.47
明治時代のとある有名人物のひ孫さん(♀)が今、声優とか女優とかをしてるって、以前ネットの
書き込みで見たのですが、肝心のその人の名前も、「歴史上の人物」も忘れてしまいました。

もし、ご存じの方がいたら教えていただければと思います。
541日本@名無史さん:2012/01/05(木) 11:31:40.80
>>536
女房言葉は室町時代頃から宮中の女官たちの間で使われ始めた言葉で、
女房奉書などに現れる。
公家言葉とも違う(当初は公家であっても男性は用いず、女性が使う言葉だった)
語頭に「お」を付ける(おかき(お餅)、おひや(お冷)、おなら(お鳴)など)
語尾に「もじ」を付ける(しゃもじ(杓もじ)、かもじ(髪もじ)、おめもじ(お目もじ)など)が特徴。
一部は現代語でもつかわれている。
542日本@名無史さん:2012/01/05(木) 18:20:25.53
>>541
女官たちで、というのを独立的な意味合いで強く
解釈したほうがいいのか単にイマドキのギャル語みたいなものだったのかなってね。
不遜だからおおっぴらにはいえないが。
543日本@名無史さん:2012/01/06(金) 12:01:44.56
>>521
実朝死後、北条氏らは後鳥羽上皇に皇子を鎌倉へ下し将軍とするよう要請したが、
後鳥羽上皇はこれを拒否しているよ。
やむなく、頼朝の遠縁にあたる三寅(後の九条頼経)が鎌倉に下ったが、
この時朝廷は三寅に対して将軍宣下を与えておらず、
承久の乱のときには鎌倉に征夷大将軍は不在だった。
三寅が元服、征夷大将軍となったのは承久の乱後。
すでに後鳥羽上皇も順徳上皇も流罪になった後のことだった。
544日本@名無史さん:2012/01/06(金) 22:13:01.81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E6%B0%B8%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%AF%87
日本語と英語で全然記述が違うんですがどういうことですか?
545日本@名無史さん:2012/01/06(金) 23:09:51.68
英語版の冒頭の記述を読んでみたが、
韓国側の見解を書いてる感じに見えるな。
546日本@名無史さん:2012/01/07(土) 08:37:54.27
>>535
さっき日本語の本読んでたら
「おじゃる」から「ござる」に変化したみたいに書かれてた。
鈴木貞美という人の本で、間違ってたら悪い。
547日本@名無史さん:2012/01/07(土) 16:50:27.62
日本って白人国家みたいに支配するために外国同士(またはその内部の勢力同士)を
煽って戦わせたり、武器を売ったりしたことありますか?
548日本@名無史さん:2012/01/07(土) 23:45:37.85
>>547
これからやろうとはしているな
549日本@名無史さん:2012/01/08(日) 00:15:24.43
日露戦争ではロシア内部の共産主義者を支援したものだ
しかし権謀術数を用いるのは白人のみだと思ってるのかな
550日本@名無史さん:2012/01/08(日) 15:59:44.55
てすと
551日本@名無史さん:2012/01/08(日) 18:25:39.99
自分の小学生〜大学生時代は中大兄皇子らが蘇我入鹿を討って、その後にさまざまな政治改革を行ったことを
総称して「大化の改新」と習いました。
しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、
「さまざまな政治改革=大化の改新」
とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?
552日本@名無史さん:2012/01/08(日) 19:32:23.05
震災前

     /::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
    /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~    ヽ:;::l
     |:::::::::::|    岡田 異音    |ミ|
     |:::::::/     ,,,  ヽ,、   '|ミ|  
     '|:::::::l    '''""   ゙゙゙゙`   |ミ|
       |:::::|.  ,,r ‐、   ,, - 、  |/
     ,/⌒|  ノ ・ _), (. ・ `つ|
     | (   "''''"    |"'''''"  | 
      ヽ,,.        ヽ    |
       |       ^-^_,, -、   |   
         |    _,, --‐''~    ) |  マニフェストもう守れない。どうしよう・・・・ 
         'ヽ  (   ,r''''''‐-‐′ / 


震災後

     |:::::::::/            |ミ|
     |::::::::|   ,,,,,    ,,,,,   |ミ|
     |彡|.  '''"""''   ''"""'' |/
     /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |
     | (    "''''"   | "''''"  |  
     .ヽ,,         ヽ    .|  キリッ
        |       ^-^    |
   .     |     ‐-===-   |   大震災が起こったのだからマニフェストの破綻も致し方ありません
         ,\.    "'''''''"   / 
朝鮮民主党
     おわり
553日本@名無史さん:2012/01/08(日) 20:50:09.49
>しかし最近では、「蘇我入鹿を討った事=乙巳の変」、 「さまざまな政治改革=大化の改新」 とされてます。これはいつ頃からなんでしょうか?

80年代末か90年代初頭にNHKの歴史番組でやっていたから最近ではない罠
554日本@名無史さん:2012/01/08(日) 21:06:07.75
>>553
90年代前半は大学生だったし、歴史は結構好きだったんだけど、
乙巳の変なんて最近まで知らなかったわ〜
知ったのは本当にごく最近
今は歴史の授業で乙巳の変を習ってるんでしょうかね
555日本@名無史さん:2012/01/08(日) 21:39:32.12
あるマンガで豊臣秀吉の死後、その死から一夜明けた朝
徳川家康の前に並べられた足袋を諸将が一つずつ持っていく
というシーンがあります。
マンガの主人公である古田織部のみ部屋を訪れず、足袋は一つ余ります。
この儀式(?)がもつ意味と、なぜ古田織部のみ足袋を受け取らなかったかを
教えてください。
556日本@名無史さん:2012/01/09(月) 01:06:07.06
後鳥羽院が法然房源空を流罪にするにあたって、還俗させましたが、僧籍を剥奪することにどんな意味があるのでしょうか。
557日本@名無史さん:2012/01/09(月) 01:26:54.43
へうげものの話なら、徳川との確執を後で描写するための伏線ってだけじゃ?

ネタバレっぽくなるけど、
史実における古田は徳川政権下で切腹させられるよ。謀反を疑われて。
558日本@名無史さん:2012/01/09(月) 01:29:20.24
>>556
「寺は神域なので、世俗の権力が及ばない」という建前なんですよ。

だから、神域の人間を世俗の権力で裁くためには、
前段階として還俗させて俗世間の人間に戻さなければならないわけです。

神様の世界に住んでいる人を罰せられるのは、
神様ないし、神様の世界の住人だけだって理解でも良いのですが。
559日本@名無史さん:2012/01/09(月) 02:52:28.50
秀吉が高野山に入った秀次に切腹命令を出した時も
僧達がかなり抵抗したというからね。
560日本@名無史さん:2012/01/09(月) 05:18:16.30
>>554
小学校では何時からか知らないけど、歴史用語としては以前からですよ。
乙巳の変のような事変を改革を意味する大化の改新で呼ぶのは変でしょ。
561日本@名無史さん:2012/01/09(月) 08:29:07.87
>>558-559
ありがとうございます。
よく判りました。

江戸時代になると寺社奉行が坊さんを絞めあげてくれるからいいですね。
寺社領を失った寺に抵抗する力はないだろうし。
562日本@名無史さん:2012/01/09(月) 10:18:35.10
名無しでいいよ:2011/08/15(月) 23:20:15.53 ID:2fed4jwtO
FNS歌謡祭やHEY!×3の制作会社
株式会社CELL
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル

前バリ・REN4・野田らに政治献金した後藤組のフロント企業
メディアトゥエンテイワン
東京都千代田区麹町2―2―4麹町YTビル


563日本@名無史さん:2012/01/09(月) 11:39:52.40
>>561
ちと誤解があるといけないが寺社者奉行自体が
そんな権限?を行使できるようになるのはかなり後で
基本はあくまでも徳川の世の安定度に関連してくる。
徳川自体は各地で荒廃した寺社を助けて復興に協力
してる。信長にやられた叡山もだし本願寺も今に
残るしね。
564日本@名無史さん:2012/01/09(月) 17:03:31.73
日本史上の大きな合戦の時代って源平と戦国と幕末以外にありますか?

他に外国でも小競り合いではなく、英仏戦争みたいに大きな合戦には何がありますか?
(第一時世界大戦などの近代戦争以外でお願いします)
565 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/09(月) 17:16:32.14
白村江
566日本@名無史さん:2012/01/09(月) 17:45:00.80
保元の乱、平治の乱は源平に含むのかねぇ?
承平天慶の乱とか前九年の役、後三年の役とか平安時代は大きな戦争が相次いだ時代だった。
567日本@名無史さん:2012/01/09(月) 17:46:04.92
室町幕府成立前
568日本@名無史さん:2012/01/09(月) 17:59:26.27
磐井対大和
吉備国対大和
569日本@名無史さん:2012/01/09(月) 18:55:08.91
仙台の伊達氏の家紋?に、
「太陽のようなマーク」の物があったと思いますが、
あれの正式名称は何と言うのでしょうか?

伊達の家紋って、複数あるのかな?
570日本@名無史さん:2012/01/09(月) 22:13:23.20
伊達家は家紋が最も多い家と言われる。
由緒ある家紋をうまく使用してどことでも関係があるように見せかけた
わけね。
詳しいことはググればいっぱいでてくるぉ。
571日本@名無史さん:2012/01/09(月) 22:53:56.25
太陽のようなマークってもしかして中心に大きな●があって
周りに小さい●が九個ある紋?
それなら伊達政宗が細川家から貰ったとも言われる九曜紋だが
572日本@名無史さん:2012/01/09(月) 23:15:59.98
>>563
追加解説ありがとうございます。
色々勉強してみたいと思います。
573日本@名無史さん:2012/01/10(火) 09:07:52.32
>>572
徳川が寺社を保護したのは、寺ウケ制度というのがあるのだけど、
これはいろいろ重要な側面があるからそういう風に徳川支配体制を
理解していくとおもろいぉ。
574日本@名無史さん:2012/01/10(火) 09:36:20.05
民主党には朝鮮人など外国人のなりすまし、スパイが約90名在籍している

野田内閣は過半数が帰化人

野田はどうだろうか
韓国人から賄賂を貰い、韓国人の集いに出席している野田は
575日本@名無史さん:2012/01/12(木) 18:56:24.71
泣いてとりすがる子供をけり倒して出家したのって、西行であってる?兼好だっけ?
576日本@名無史さん:2012/01/12(木) 18:57:34.20
源義経が水神として祀られている神社

があったと思いますが、どこの神社でしたっけ?
577日本@名無史さん:2012/01/13(金) 19:40:06.59
>>575
西行で合っている。
吉田兼好は生涯独身だった。
578日本@名無史さん:2012/01/14(土) 02:42:31.11
幕末に寺子屋が急増した理由は何?
幕末の経済成長が影響してる?
579日本@名無史さん:2012/01/14(土) 08:41:43.78
江戸と地方では一概には語れないけど
広義の社会の安定、というのが一番だろう。
生活苦では学問なんかしてるひまがない。
衣食住が満ち足りてこそ、立身出世、余裕があらわれてくる。
それと下々の存在がそういった「向上」的なものを持ち始めたというのは
特筆すべきだろう。
世界中では貧富の差から革命が起きてるのに日本では
身分社会であるのに階級闘争にはなってない。
これはいかに徳川の世が優れていたかを示すもの、でもあるだろう。
ちょと話がそれた。
580日本@名無史さん:2012/01/14(土) 11:54:20.84
でもその見解は「幕末」ではなく「江戸全体を通した時」の見方でしょ? 幕末だけ安定してたわけじゃあるまいし
581日本@名無史さん:2012/01/14(土) 15:55:47.03
江戸時代にはそろばんや帳簿などの技術が発達したこともあり
江戸時代末期には「読み書きそろばん」が一種のステイタスとなっていたことかな。
皆が行くならうちの子も、みたいな感じで寺子屋へ通わせる庶民が増えた。
寺子屋は室町時代頃から存在し、もともとは寺の住職が庶民の子供を集めて読み書きを教え始めたことに始まるらしいが、
江戸時代中期以降、「往来物」と呼ばれる絵をふんだんに取り入れた子供に分かりやすい教科書の普及、
「百姓往来」「商人往来」など職業直結の内容などが受けて受講者が増えた。
582日本@名無史さん:2012/01/14(土) 21:59:27.73
個人的には、黒船来航以降、天下国家を語ることが一種の流行となり
そのためには当然読み書きできないといけないから、という理由がありそう。
幕府に意見上申して出世した、なんて逸話が広まれば教育にも熱が入るだろ
583日本@名無史さん:2012/01/14(土) 23:37:34.43
天皇の存在や役割の変化として、孝明天皇→明治天皇(幕末→維新)の時の変化と
昭和天皇(戦前→戦後)の時の変化はどちらが大きいと考えられますか?
584日本@名無史さん:2012/01/15(日) 00:36:34.91
>>583
どちらも大きい。比較検討する事は大事だけど、どっちが重要とか単純な見方をするのは無意味。
585日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:10:27.97
でも先生にそういう宿題出されたら、無意味、とも
返事かけないだろうし困るだろうねぇ。
586日本@名無史さん:2012/01/15(日) 10:12:54.30
そんな宿題だす先生がいたら、免許取り上げるべきだな。
587日本@名無史さん:2012/01/15(日) 10:59:02.08
どちらが重要か決め付けるのはよくないが、それぞれの背景や歴史的意義などを
比較検討してみるのは歴史学上良いことだと思うけどね
歴オタレベルの比較検討でも良いと思うけど
588日本@名無史さん:2012/01/15(日) 14:37:11.20
>>582
ペリー来航は1853年だが、それ以降寺子屋受講者数が急激に伸びたわけではない。
江戸時代を通じて寺子屋入学者数は徐々に右肩上がりで増え続けたものであり、
「黒船」といった一事件によって突発的に増えたものではない。

http://historyrakusei.bake-neko.net/education/edosho.htm
589582:2012/01/15(日) 19:10:09.64
なるほど、ありがとう。
ただ、19世紀から急激に増加するのは、やはり松平定信らの
文教政策が背景にあると思うんだ
590日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:11:38.15
学問上はよいことだけど
学校レベルではイエスノーで答えがないと
いけないからそのあたりが今の教育の
問題点でもあるわな。
591日本@名無史さん:2012/01/16(月) 13:52:36.59
ひょうたん形の土製品13点出土 京都・美濃山廃寺
http://www.asahi.com/culture/update/0113/OSK201201130210.html

これって、石灯籠の原型ですか
592日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:17:00.46
>>588
それのソースなんかあてになるかよw
フランスの識字率が1パーセントってなんだよw
593日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:36:48.13
>>591
それは塔。そのリンク先にも「百万塔」の事が出てる。石灯籠は灯籠だから全然別の物。
594日本@名無史さん:2012/01/17(火) 20:35:54.23
初歩的な質問で申し訳ないのですが
天守と櫓の違いって何なんでしょうか?
櫓に天守が含まれると思っていいんでしょうか
いまいち掴みきれないです
595 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/01/17(火) 20:53:45.80
>>594
天守は一つの城に一つ
連結してる場合は大天守、小天守
と思ったけど豊臣大坂城には天守二つあった気がする
瓦葺複数層なら天守なんじゃない?
ただし一つの城に一つが原則
石垣はどうなのかな…水戸城の三重櫓は天守?
596日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:58:00.74
>>595
回答ありがとうございます
一番立派なものを天守としてそれ以外は櫓となる感じですかね
小天守やら天守とみなす櫓やらややこしい…
597日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:30:53.38
>>596
江戸時代になると小藩なのに天守を建てるのはおこがましいから三重櫓にしておくとか、
一国一城令でお城は一つしか許されない事になったから名目上は要害とか陣屋とかにして、
天守と呼ぶのも憚られるので櫓と呼んでおくとか、いろいろあります。
598日本@名無史さん:2012/01/18(水) 01:27:46.90
>>593
ありがとうございます。
百万塔というのが、あることも知りませんでした。
599日本@名無史さん:2012/01/18(水) 03:19:46.07
>>598
塔はお寺にある三重塔とか五重塔とか、あれの事だけど、元々はストゥーパといって仏陀の遺骨を
収めた塚の事だった。礼拝の対象として各地に分骨して一杯建てられた。
元々は土饅頭のでかいような物だったが中国で木造建造物となり、日本に伝わってあんな感じになった。

歴史上、信仰心を示す為に写経したりするのと同様に、小型の塔を作ってお寺に収めたりする事が行われて来た。
600日本@名無史さん:2012/01/18(水) 16:27:30.64
日本の思想史とか精神史ですごい本教えてください。
ただし右寄りじゃなくて世界でも通用する学術的なの
601日本@名無史さん:2012/01/24(火) 13:33:04.24
日本史って何が面白いの?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1327358947/l50
602日本@名無史さん:2012/01/28(土) 20:14:02.00
スレチだったらすみません

卒論に地元加賀の一向一揆を扱おうと思ってます
でも先行研究が膨大で、まとめるだけで本一冊書けそうなくらいです
何か加賀一揆に関して面白いor書きやすいテーマないでしょうか
603日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:07:55.58
なんで教授に聞かないの?
604日本@名無史さん:2012/01/28(土) 21:24:27.59
研究史
605日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:33:56.75
>>602
教授に聞くのが一番いいんじゃね?
一向一揆というと、神田千里氏の著書あたりをかじってみたらどうかしら?
606日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:58:10.93
>>578
幕末に寺子屋が急増した、という話が既に間違いだからなぁ
急増したのは18世紀後半以降

理由は諸説あるけど、少なくとも幕府の政策なんか関係あるわけがない
国民国家じゃないんだから
607日本@名無史さん:2012/01/28(土) 23:02:11.30
>神田千里氏

ん?加賀の一向一揆について何か書いていたか?
608602:2012/01/28(土) 23:38:18.93
レスありがとうございます

まぁ確かに教授に相談するのが一番ですよね(笑)
日本史板の人なら日本史の卒論書かれた人も多いでしょうし
参考になれば、と思って書き込みさせていただきました

>>607
神田氏は「戦争の日本史」などいくつか加賀一揆について著作をお持ちです
609日本@名無史さん:2012/01/29(日) 00:11:32.66
海外ではパリコミューンに先駆けて世界初の
コミューン誕生という人もいるから
章の最後ぐらいでこっそり触れてみるとか。
610日本@名無史さん:2012/01/29(日) 02:25:31.98
ドイツ騎士団領に近い特権僧侶騎士による地域改宗領地化運動じゃないか
611日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:08:32.28
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?


612日本@名無史さん:2012/01/29(日) 10:42:43.36
644 日本@名無史さん sage 2012/01/25(水) 01:03:55.27
太政官制と内閣制はどう違うのでしょうか?
それぞれの特徴などをわかりやすく教えてください
また、いまの日本で内閣制から太政官制に戻したとしたら、どうなるでしょうか?
613日本@名無史さん:2012/01/29(日) 21:29:05.19
よほど切羽詰まった宿題らしいな。
614日本@名無史さん:2012/01/29(日) 23:06:30.84
小説などに出てくる毒味役って、大名クラスだと大体いたのでしょうか、
効果はあったのでしょうか
615日本@名無史さん:2012/01/31(火) 20:18:12.34
質問です
徳川秀忠の妻お江与、豊臣秀頼の妻千姫
共に再嫁してますが、江戸時代以降でも大名家に嫁いだ者が
夫が死んだ場合等再嫁するケースは多かったんでしょうか?
616日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:05:09.01
しません
尼になります(半ば強制
617日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:09:26.72
>>602
中世社会と一向一揆
http://www.bk1.jp/product/00374222
北西弘先生還暦記念会
出版:吉川弘文館
発行年月:1985.12


戦国大名論集 13 本願寺・一向一揆の研究
http://www.bk1.jp/product/00304881
峰岸 純夫
出版:吉川弘文館
発行年月:1984.7


富樫氏と加賀一向一揆史料
http://www.bk1.jp/product/00908916
舘 残翁
出版:石川史書刊行会
発行年月:1973
618日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:13:55.49
宗教で読む戦国時代 講談社選書メチエ 459
http://www.bk1.jp/product/03239300
神田 千里
出版:講談社
発行年月:2010.2


一向一揆と石山合戦 戦争の日本史 14
http://www.bk1.jp/product/02920465
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:2007.10


中世社会の一揆と宗教
http://www.bk1.jp/product/03006690
峰岸 純夫
出版:東京大学出版会
発行年月:2008.7


戦国期の真宗と一向一揆
http://www.bk1.jp/product/03329232
新行 紀一
出版:吉川弘文館
発行年月:2010.11
税込価格:\11,550 (本体:\11,000)
619日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:16:03.22
大系真宗史料 文書記録編11 一向一揆
http://www.bk1.jp/product/02939397
真宗史料刊行会
出版:法藏館
発行年月:2007.10

一向一揆論
http://www.bk1.jp/product/02499936
金竜 静
出版:吉川弘文館
発行年月:2004.12

一向一揆と部落 正 三一新書 945
http://www.bk1.jp/product/00255407
石尾 芳久
出版:三一書房
発行年月:1983.5

http://www.bk1.jp/product/02591994
真宗教団の構造と地域社会
大阪真宗史研究会
出版:清文堂出版
発行年月:2005.8
620日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:19:02.01
http://www.bk1.jp/product/02564697
東北中世史の研究 下巻
入間田 宣夫
出版:高志書院
発行年月:2005.6

http://www.bk1.jp/product/01587443
一向一揆と戦国社会
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1998.10

http://www.bk1.jp/product/00759417
一向一揆と真宗信仰 中世史研究選書
神田 千里
出版:吉川弘文館
発行年月:1991.8

http://www.bk1.jp/product/00559181
金沢四百年にあたり真宗と一向一揆を考える
出版:真宗大谷派金沢別院
発行年月:1982
621日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:30:06.65
http://www.bk1.jp/product/01007790
賀国司富樫氏と御廟谷 闡提舎叢書 第1輯
出版:闡提舎
発行年月:1939

http://www.bk1.jp/product/01155033
補正暫定富樫氏系譜
舘 残翁
出版:舘残翁
発行年月:1938

http://www.bk1.jp/product/01008221
一向一揆と富樫氏
出版:石川県図書館協会
発行年月:1934
622日本@名無史さん:2012/02/01(水) 20:56:55.47
俺の手元にある北陸一向一揆関連五冊が一冊もねぃーてどういうことだよ
623日本@名無史さん:2012/02/02(木) 02:29:09.97
下地中分の「下地」って何ですか?
624日本@名無史さん:2012/02/02(木) 03:10:28.40
大宝律令から親王以外の諸王と諸臣に冠位26階や冠位48階の時にあった位階の差はなくなりましたよね

しかし、八色の姓で決められた姓には依然として皇族と豪族の氏姓的な階級差があります

この時代に三等親以外の真人と朝臣の位階が同じだったら朝廷での権力はどちらが上となりますか?
また、律令国家を目指す国が三等親以外とは言え氏姓的には差がある皇族と豪族の位階を同一にしたのはどうしてですか?
せっかく八色の姓で皇族と豪族を分けて皇親政治を取ったと言うのにまた豪族が力をつける事を予想しなかったのでしょうか?
625日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:52:40.76
応仁の乱前後〜信長上洛頃までの京の都は一体どういう状態だったのでしょうか
そうだ、京都行こうと雅や活気を求めて庶民が観光に来るような感じなのか
むしろその辺の町より荒れ果てていたのか
どういった様子でしたか?
626日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:44:40.86
応仁の乱以降は荒れ果ててた、というのが一般的な理解。
そこに飢饉とかも起きて諸国から紛れ込んできた人たちが
餓死したりするからさらにすごいことに。
信長パパが内裏修理に多額の献金したりしてるから
その時点でも朝廷ですら貧窮にあえいでいたという感じかな。
ちなみにこのあたりではまだ観光という習慣はないでしょう。
せいぜい寺社ー僧たちが奈良ー京都をお勉強しに
移動してたぐらいじゃないかな。
627日本@名無史さん:2012/02/02(木) 23:43:20.03
観光的なものは西行とかが歌枕を見に行くくらいだろうね。
庶民が行けるようになるのは江戸時代の伊勢参り以降の話になる。
628日本@名無史さん:2012/02/03(金) 00:19:03.62
「下地」って何ですか?
博士も分からないのでしょうか?
629日本@名無史さん:2012/02/03(金) 01:31:26.52
>>626,>>627
詳しい説明ありがとうございます
この時期は観光の習慣がないというのは知りませんでした
勉強になりました
630日本@名無史さん:2012/02/03(金) 02:11:41.40
>>622
その5冊
ぜひ紹介してくれ
読んでみたい
631日本@名無史さん:2012/02/03(金) 15:54:29.68
>>627
桜を見に行くのはあったかも
632日本@名無史さん:2012/02/03(金) 23:37:21.59
[信仰と参詣]
元来,祭りは共同体の行事として行われるものであったが,平安京の神社では,祭りが華麗な催
物としての性格を持つようになり,祭りに参加せずに見物する人々があらわれた。そして,祭りの
担い手ではなく傍観者になった人々は,祈願に際して他所の神社にも参詣するようになる。中世に
なって参詣はさかんになり,徐々に庶民の間にもひろまった。参詣する人は,身心を洗い清めて米
銭などを奉った後,神々の加護を願い,誓いを立てる。中世以降各地に多くの参詣者を集める神社
があらわれたが,中でも伊勢神宮や熊野大社では,参詣者を集める御師などの専門的な神官が
あらわれ,遠隔地からの参詣者の団体を組織した。参詣者は祈願成就のために,旅の苦労と道中
の禁忌に耐えて参拝するが,目的を果たした後に,門前町のにぎわいの中で精進落しの歓楽に
浸る。さらに参詣のしるしとなるみやげを持ち帰って隣人に配るが,こうした遠隔地参詣のさまざま
な習慣は,何世紀にもわたって繰り返されるうちに,日本人の旅行のしかたの型となった。
633日本@名無史さん:2012/02/04(土) 00:42:07.39
簡単にまとめると御師による団体でのお伊勢参りがツアーで旅行するスタイルの始まり。庶民には個人で
旅費を工面出来ないのでみんなで出し合って代表者がお参りする伊勢講が出来て、お金出したのに
行けなかった人たちに配るのがお土産。
634日本@名無史さん:2012/02/04(土) 00:59:43.76
>>633
>お金出したのに行けなかった人たちに配るのがお土産。

なるほど、お土産の起源、納得
イスラム教徒が一生に一度行くメッカ巡礼者もお土産をどっさり買うのもわかる。
インドネシア→サウジはすごく遠い
635日本@名無史さん:2012/02/04(土) 10:21:36.89
当時は生物とか重いものは運べなかったから
「お札」とかなんだけどお土産を勘違いされてそうだな。
636日本@名無史さん:2012/02/08(水) 10:07:43.37
 これは正しいの?

『長宗我部元親は元来朝鮮民族の渡来人秦氏の末裔です。秦という字があります。秦と言いますのは朝鮮では、チンという苗字です。』

http://www.nc-21.co.jp/dokodemo/whatnew1/fan/fan2.html
637日本@名無史さん:2012/02/08(水) 14:05:46.98
>>636
確かに秦氏の祖は百済の弓月君ですね
百済人=朝鮮民族には疑問符がつくけど
638日本@名無史さん:2012/02/08(水) 19:49:28.56
自殺した天皇はいると思いますが、乱を起こして負けても、何故天皇は殺されなかったんですか?
639日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:34:18.77
尊い身だから。ダビデの前に救世主に選ばれたサウルののちに神の意に背いたが、
一度は救世主に選ばれた尊い身という理由で殺される事は無かった。
それと同じ。
640日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:50:26.99
戦する時点で尊いなんぞ思っていないはず。
結局は世間体
641日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:16:49.51
現代史の方法論的な歴史学の本ある?
642日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:36:02.46
>>640
サウルはダビデに討伐されたけど殺されはしなかった。
それでどんな世間体で殺さなかった訳?
643日本@名無史さん:2012/02/09(木) 00:04:00.23
>>637
ありがとうございます 以下引用の信憑性はどうなんでしょうか?

  『古代日本人は韓国より中国が文化の本元って意識があって、
  韓国人よりは中国にルーツをもつと言われる秦(はた)氏と漢(あや)氏を大切にした。
  秦氏・漢氏は帰化人だから権力中枢に入ることは遠慮して黒子として政治・外交をやった。
  表に立ったのは臣(おみ)連(むらじ)姓を賜(たまわ)った豪族』
  『物部は神武以前から大和にいた弥生の民』
  『蘇我氏はわからんけど、馬子とか入鹿とか韓国や中国でもちょっと無い名前。
  中国式からしたらとても野蛮な名前だが日本では動物的な名前はよくある。
  熊五郎とか虎吉とか。悪い意味でつけたのではなく強いものからつけた。
  やはり土着のアイヌに通じる名前なんじゃないか?』

  梅原猛 談
  梅原日本学講義/君は弥生人か縄文人か 梅原 猛×中上 健次 より
644日本@名無史さん:2012/02/09(木) 00:27:39.51
秦氏とかは自分らのルーツの宣伝として名乗ってるだけで
渡来人自体は山のように来てるだろ
つーか何世紀に大陸や半島から来たなら渡来人になるわけ?
645日本@名無史さん:2012/02/09(木) 02:39:31.51
信憑性は、そういう事を言ってる人も居るらしい、と参考にする程度。
646日本@名無史さん:2012/02/09(木) 10:01:15.12
>。643
いろんな話題がごっちゃになってるから
答えようがないのだけど、帰化人は各種技術に
優れて土着したからそういう意味でも秦氏は渡来系であることは
確実だろう。

名前に関しては、日本の後の幼名とかは自然とか動物から
採用するからその祖として解釈するのもあるけど
やはり蘇我に対しては蔑称的なものを感じるし
ここはかなり難しいところ。
アイヌとの関連はもちろんあるだろうしね。

秦氏自体が韓国から渡ってきたといっても
その祖はさらに中国にあったかもしれないし
韓国or中国という意味ならどっちでもありそうと言うしかない。

それぞれが細かくて深い話題だから面白い
ところではあるんだけどね。
647日本@名無史さん:2012/02/09(木) 10:07:48.42
弥生時代には時代を通して名も知れぬ渡来人がたくさん来て、戦争や農耕、土木の
技術を広めている
ただしその人たちの子孫がみな渡来系を名乗っているわけではないし、自分の先祖
のことなどわからないという人も多いだろう
古墳時代にも渡来人は多数流入しているが、その中で渡来系を名乗ることに何か
有利性がある人たちがそう名乗ってるだけじゃないの
648日本@名無史さん:2012/02/09(木) 11:00:33.91
戦国時代、殿様達の偉さの順番は何で決まりましたか?石高?官位?
あと主家の重心と配下の国の殿様ではどちらが偉いのですか?
例えばだけど主家:織田家 重臣:柴田勝家 配下の国の殿:宇喜多直家とかだとどうですか?
こう見ると宇喜多直家の方が偉いよなと思うけれど…
649日本@名無史さん:2012/02/09(木) 23:11:28.83
「偉い」という意味がよくわからないけど
席次、みたいなものでいいのかな。
秀吉ぐらいになると結構残ってるけど
各家では公式、非公式いろいろあるだろうし
単に長幼の序かもしれないし
「偉い」というのがちょっとイミフだね。
650日本@名無史さん:2012/02/10(金) 11:11:04.83
>>649
イミフですみませんでした
当時は今よりも縦社会だから上下はきっちりしているイメージで
席次もそうだし仮に殿様達やら重臣なりが顔を合わせた時に
どういう判断で誰が謙る側になるのかと疑問に思っての質問でした
651日本@名無史さん:2012/02/10(金) 16:40:53.50
>>650
子会社の社長と親会社の重役なら当然
重役が偉いだろうけど、いくら親会社でも
課長クラスが「偉いんだ」みたいにしたら
問題があるわなぁ。
こういうのはケースバイケースとかいいようがない。
それよりも親会社の社長の「親兄弟奥さん」とかの
関係の方が面白いとは思うよ。
公的には関係ないだろうけどやはり日本では
肉親関係とかは重要視される。
ちなみに律令制の色分けなんかはそういうトラブル
防止のためとはよく言われるね。
大河でもきっちり色分けはしてわかるようにはなってる。
652日本@名無史さん:2012/02/10(金) 22:53:55.01
歴史学の存在意義って何?
歴史は繰り返す・・・なら、お前ら不要じゃん。
リーマンショックを防げたの?
イラク戦争防げたの?
宦官達の腐敗で、中国王朝が腐敗してっったよね。

今のギリシャ問題防げて、ねえじゃん。

歴史学は不要だろ。自己満足オナニー学問?



何の役にも立たない歴史という学問の意義は何だ?
653日本@名無史さん:2012/02/10(金) 23:02:24.63
歴史学とか自己満オナニー学問だろ。
趣味ならまだわかる。
新撰組、会津、とかで、血眼変えて、
今の日本人を見ると、日本は終わったとか言うんだろ?

馬鹿そのもの。DQNと同じ。というか、歴史学はDQN。歴史に拘るのは、ネトウヨかDQN
654日本@名無史さん:2012/02/11(土) 02:29:05.80
日本で西欧的な「市民」が出てきたのっていつ?
655日本@名無史さん:2012/02/11(土) 09:16:27.46
>>651
ありがとうございました
決まった上下関係というのはないんですね
確かに実際は色んなパターンがあって一概にこうとは言えなさそう
656日本@名無史さん:2012/02/11(土) 16:11:11.39
歴史とは、過去に学び未来に活かす、もの。
歴史学とは、そのための学問と思ってる。
今は、受験用暗記学問、となってるから本来の
目的や意味や重要性が失われてるだろう。
それだけのこと。
学問自体が悪いのでなく、その付帯的状況が悪いと言う
だけね。
657日本@名無史さん:2012/02/11(土) 16:15:36.35
>>654
いわゆる、市民革命、が日本では起きてないから
「いまだ出ていない」という言い方がより正確かも。
第二次大戦後の「我々」はそうなんだけどこれも
一種の「輸入」だから、自発的努力で手に入れたものではない
という言い方もあるし。
ただ、こんな質問がテストで出たら先生の主義主張に
あわせないとマルはもらえないだろうしかわいそうではあるな。
658日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:00:57.60
>>657
明治維新は「上から」だから違うのか
659日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:11:38.99
明治の文章読むコツを教えてくらはい
660日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:20:24.89
>>658
明治維新は「王政復古」と言うの自体が
「市民革命」と矛盾してる部分が多いし
徳川藩からその他いろいろ藩に変わっただけ。
難しい議論はいっぱいあるだろうが
あれを「革命」という人は左右どっちにもさすがにいないだろう。
661日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:24:41.40
>>660
じゃあやっぱり敗戦してからと考えるのが最も無難か。憲法も八月革命説あるし。
662日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:36:14.10
市民というのは一般的には参政権を持った人ということだろ。すべての男女に
選挙権が与えられるようになった敗戦後でよくね
663日本@名無史さん:2012/02/11(土) 19:19:11.87
普段どんな感じで研究してるのか気になる
664日本@名無史さん:2012/02/11(土) 20:11:24.89
義経が最初に奥州に行ったとき、
秀衡はどうして本物だと確信できたの?
最初『平清盛』スレで訊いてみたけど、
答えが返ってこなかった。
教えて。

665日本@名無史さん:2012/02/11(土) 20:13:01.05
嘘発見器
666日本@名無史さん:2012/02/11(土) 20:56:23.25
>>661
まあ市民の定義にもよるけどね。

>>664
それ結構不思議なとこでね。
書状でもそうなんだ。
花押があるというけどいくらでも偽造できるし。
たぶん、父親とか先祖とか名前を聞いて確認もどきを
したんじゃないかな。
言えないから偽者じゃなくてなんか本人しか
知らないことってあるんじゃないかってね。
667日本@名無史さん:2012/02/11(土) 21:17:21.84
藤原長成→藤原基成→藤原秀衡のルートで確認できるよ
668日本@名無史さん:2012/02/11(土) 21:56:06.02
Quarantineって何?
669日本@名無史さん:2012/02/11(土) 22:23:26.16
>>667
へ〜、長成はあのわずかな期間に頼朝は
見てそうだけど義経もどっかで大きくなった
ところを見てるわけか。なるほどなぁ。
670日本@名無史さん:2012/02/11(土) 23:21:50.80
刀鍛冶とか神主が、日向の守などの国守名を名乗っている場合がありますが、
あれは、どっかの許可を得て名乗っているの。
それとも、自由に自称ってこと?
671日本@名無史さん:2012/02/12(日) 00:25:38.40
>>664
俺はそれが本物であるかどうかは割とどうでも良かったのだと思う。
重要なのは利用価値が有るかどうかだから。
672日本@名無史さん:2012/02/12(日) 11:31:25.99
五位以上の官人が畿内の外に出る場合には天皇の許可が必要であったと記憶しておりますが、
場所そのものが畿内の外れであった平安京に遷都された後、
五位以上の官人が平安京から隣接する丹波国桑田郡や近江国志賀郡に行く場合にも許可が必要であったと考えて良いのでしょうか?
反対に両郡よりも遙に遠い、摂津国の難波や大和国の吉野に行く場合にも許可は不要であったのでしょうか?
673日本@名無史さん:2012/02/12(日) 11:34:46.23
>>623下地中分の下地とは?

”土地”でもいいんだけど、当時年貢など土地の収益を上分といいました。

上分(年貢)を分ける方法ではなく、土地そのものである「下地」を分けるという意味で
下地といいました。
674日本@名無史さん:2012/02/13(月) 16:40:42.79
>>666
なるほど。多謝
>>671
そういう見方もあるか。
なるほど。d
664
675日本@名無史さん:2012/02/13(月) 23:11:40.34
>>674
奥州藤原氏と源氏の関わりを考えてみれば、源義家のおかげで藤原氏は奥州の覇権を握ったが、
代わりに藤原清衡は全ての家族を失った。義家の父、源頼義は清衡の父、藤原経清の仇でもある。
源氏に対して良い感情はあまり無いと思う。だから『利用価値』と考える。
676日本@名無史さん:2012/02/14(火) 08:43:13.03
少しわからないのだが、偽者とわかって利用したら
本物が出てきたり、あそこは詐称だ、と山賊扱い
されたりかえって自分たちの「源氏」が傷つかないだろうか。
利用するならかえって「真贋」には厳しくなると思うが
どうだろうか。
その前の「何のための利用価値」というのもよくわからなくてね。
677日本@名無史さん:2012/02/14(火) 21:44:29.52
日本は神話時代から生きてる文化を持つ唯一の国ですか?
678日本@名無史さん:2012/02/14(火) 23:04:53.99
幕府法、藩法をまとめて説明したサイト、ブログ、本などがあれば教えてください
679日本@名無史さん:2012/02/15(水) 09:03:35.16
>>677
よくわからないが神話と文化は表裏一体部分も
あるしそういう意味では神話を持つ国はすべて
そうともいえるかな。

>>678
幕府と言ってもいろいろあるし
政治史的に語るのと法律史では違うし
もう少し質問を具体的に細かくしたほうが
いいんじゃないか。
680日本@名無史さん:2012/02/15(水) 10:03:22.63
>>678
もう少し詳しく聞かせてください。私は>>677は間違いだと思って質問させてもらいました。
詳しく述べると、渡部昇一という学者がギリシアに海水浴をしにいったときにアテネのポセイドンの廃墟の柱をみたそうです。
それから日本に帰って塩釜神社に行くと茅葺の木造でほっとけばすぐ腐るのに腐っていない、その理由は祀る人が絶えた事がないからとのことでした。
そのことから日本は古代が生きているという実感をしたそうです。そしてギリシアもローマもゲルマン諸国もイギリスも古代は死んでいると結論していました。

しかし神話が神社と結びついたのは国家神道からで、それまでは土地神を祭ったり仏教と合体した習合神道が一般的だったと聞きます。
これは、古代人が古事記神話にでてくる神を祀りにきていたとは言えないと思うのですがどうでしょうか?
私は日本に神話が生きていないとは思いませんが、同様に他の国々にも神話は生きていると思います。
博士号を持っている人からみて、このような自国と相手国を理解してない安易な比較文化をどう思いますか?
681日本@名無史さん:2012/02/15(水) 10:17:12.42
>>680
679だけど、安易な比較文化は意味が無い
ですよね。
少し問題提起だけど古いものを無条件で価値あるものとするか
そういうものを認めないか。
これは国とか支配層とか個人とかそういうのを解釈する視点として
それなりに有効な時も多い。
比較文化ならいろんな視点がありすぎるから
まず絞って具体的に、とかね。
まぁ、方法論を話し出すときりがないのでこのあたりで。
682日本@名無史さん:2012/02/15(水) 13:09:14.31
武士が狩りで馬に乗るときなんか、
鹿の皮みたいなのを両足の外側に着けてるようだが、
あれはなんの役に立つものなの?
683日本@名無史さん:2012/02/15(水) 13:35:45.58
日本の歴史って明治以降からなの?
684日本@名無史さん:2012/02/15(水) 15:34:35.35
>>662
限られたブルジョワジーのみが参政権を確立するレベルでも市民革命と呼ぶんだから、
普通選挙じゃなく制限選挙でも「市民」と呼んでいいのでは。

>>680
古代ギリシャも古代ローマもゲルマン諸国もイギリスも、古代文化の担い手たちと現在の住民とは民族が違うわけで、
同じ文化を維持継続している可能性を想定する人はいない気がするよ
それを単純に言い換えただけではないのかな。
「ああ、やっぱり連続してないんだなあ。」と、あらためて実感した、という意味だよな、たぶん。

>>683
かつては、明治維新より前の歴史なんて学ぶ必要はない。なんて意見も少なからずあったけど、
いまはそういう意見は少数派だろう。
ただ、誰もが必ず学ぶべきと言える部分は、明治維新より前には多くあるわけではない。という見解なら、いまでもある。
685日本@名無史さん:2012/02/15(水) 18:09:23.68
卑弥呼の前の倭国大乱って
前漢の時代に百余国に別れてたのが統一していく過程なの?
686日本@名無史さん:2012/02/15(水) 18:57:12.85
統一かどうかはわからないが、モメごとは
あったんだろうということで。
古代史以前はちと答えるのに厳しい。
687日本@名無史さん:2012/02/15(水) 19:05:33.09
>>682
足がスレて痛いからそれ防ぎ?
688日本@名無史さん:2012/02/16(木) 03:49:55.69
>>687
足の外側につけてるように見えるんだが。
682
689日本@名無史さん:2012/02/16(木) 06:21:26.14
下地中分の「下地」の意味について、
博士たちも答えられないのか・・・

われこそは、という博士いない?
690日本@名無史さん:2012/02/16(木) 09:44:57.61
>>688
すまんかった。
691日本@名無史さん:2012/02/16(木) 13:13:47.47
>>689
誰か答えてやれよ!
692日本@名無史さん:2012/02/17(金) 00:41:03.36
>>673が既に答えている。
693日本@名無史さん:2012/02/17(金) 03:49:57.83
さすが博士
ありがとうございました
694日本@名無史さん:2012/02/19(日) 11:14:30.30
○○派の総理大臣とその○○派の領袖はどちらが格上とみなすべきですか?
695日本@名無史さん:2012/02/19(日) 11:40:56.87
板違いのうえに、質問じゃなくてアンケートだな。
696日本@名無史さん:2012/02/19(日) 23:06:22.07
建武の親政は後醍醐天皇による天皇親政でしたが、後醍醐天皇自らいろんな政策を
考えたり、配下の人間と協議したり討論したりしてたんですか?
天皇親政というのは、どのレベルで天皇自ら政治を取り仕切っていたんでしょうか?
697日本@名無史さん:2012/02/19(日) 23:54:18.79
フランス領であったインド南部への日本軍進駐により、
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ、在米日本資産凍結や
対日石油禁輸をおこんった。

この文章で間違えてる部分ってありますか?
698日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:04:34.73
>>696>>697は受験生か?
699日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:19:11.72
>>697
「おこんった。」
700日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:21:08.99
インド南部→インドシナ
アメリカは対日姿勢を一挙に硬化させ→アメリカは対日姿勢を更に硬化させ
おこんった→行った
701日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:40:10.95
>>699>>700
ありがとうございます
誤字は気にしないでください。

次のも頼みます…。

日中戦争時の話です。

政府は日本労働総同盟のもとに
労働組合を組み入れ、労働者の統制をはかった。

間違いありますか?
702日本@名無史さん:2012/02/20(月) 02:09:04.78
期末試験?
703日本@名無史さん:2012/02/20(月) 04:26:45.85
>>696
討論もしたんだろうが、少数の側近の話しか聴かないタイプ
前代未聞の新政策を乱発し、
「朕が新儀は後代の先例となるべし」=自分が打ち出した新政策は先例として将来に残る、と言い放ったが、
肝心の後代の人からは、あの時代は「もの狂い」が多かったから先例として考えるべきではない、扱いされた。
704日本@名無史さん:2012/02/20(月) 14:35:02.92
>>697
近代史スレの方が詳しいんちゃう!
705日本@名無史さん:2012/02/20(月) 21:40:11.70
日本で馬車が使われなかったのは何故ですか
牛車やら大八車が有ったんだから簡単に作りそうなものですが
706日本@名無史さん:2012/02/20(月) 22:37:37.47
馬車ってか、道が舗装されてたわけじゃないから
車自体が役に立たない。
牛車は京でごく限定されたところを通っただけだし
大八車も許可制だったけど江戸のきれいになった
ところを通れてただけだからね。
707日本@名無史さん:2012/02/21(火) 22:49:13.90
>>706お返事ありがとうございます
708日本@名無史さん:2012/02/22(水) 13:03:07.79
>>688
西洋の馬術ではチャップス、日本では むかばき と言います。
カウボーイもジーンズの上にかぶせて穿く革のプロテクターを穿きますね。脚部の保護でしょう。
709日本@名無史さん:2012/02/22(水) 13:58:33.95
虐殺は無かったといったらまぁ嘘になるだろうね。
名古屋市長の河村さんはイタいことしちゃったね。 公人として失格。

日本に都合のいい情報だけを集めて「虐殺はない」なんて勝手に納得しちゃったネトウヨとかは論外として
30万人って言うのはいくらなんでも多すぎだぜ。人数についてはいろんな説があって分からんが
中国人ってのは限度を知らないな。
大学で歴史学の勉強をしてきた小生が言わしてもらうと当時の南京の人口をもはるかに越えてるんじゃないかな。
人数についてはいろんな説があって分からんが、せいぜい見積もって5〜10万人くらいが相場だろうな。おっと別に自虐史観とかじゃないんだぜ。
単なる歴史的事実を述べたまでだ。
右翼系の雑誌やサイトだと「虐殺は無かった」とかのトンデモ論がよく飛び出るが
あれに飛びつく奴はよほど歴史について勉強したことが無いか何も前提知識がないのだろうね。簡単にだまされちゃうんだから。
ああいうのは中国に弱みを握られたくない保守派(主に知識人は除く)のせめてもの抵抗なんだな。
彼らはとにかく植民地の話になると西洋の植民地政策を挙げて正当化しだすからな。
俺はイギリスやスペインのやってきたことに比べたら日本のはまだ生ぬるいと思う。
まぁ南京虐殺否定派は歴史をねじまげてでも自己満足でもしてればいいww

でもここで重要なのは数じゃなくて虐殺の事実なんだな。(それを認めたくないというのがウヨクのホンネ)
いずれにせよ日本人と中国人は対等な関係を築き上げていきたいものだな。

たぶんムリだが…。
反日vs嫌中の構図はこれからも続くだろうしな…。
710日本@名無史さん:2012/02/22(水) 14:33:36.14
↑のような政治運動員には、まず、「虐殺」行為の定義から語ってもらいたいですなぁ。
711日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:34:15.80
↑当然、「虐殺」の定義は知っているんでしょ?
712日本@名無史さん:2012/02/23(木) 02:40:27.32
火のないところに煙をたてれる実例知ってるからねー
日和見で折衷していくやつがよくわからん
713日本@名無史さん:2012/02/23(木) 20:08:19.68
織田信長は生前右大臣まで昇進しましたが、時の天皇だけではなく、
まだ信長よりも格上の存在が数人いたという事ですよね?
また信長亡き後、秀吉が天下人となりましたが、関白や太政大臣に
昇進するまでは秀吉よりも格上が時の天皇のほかに数人いたという事ですよね?
さすがに信長も秀吉も時の天皇には(少なくとも建前上は)一目置いていたでしょうが、
左大臣や太政大臣に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?
逆に左大臣や太政大臣は信長や秀吉に対してどんな態度、対応を取っていたのでしょうか?
714日本@名無史さん:2012/02/23(木) 22:38:32.82
>>713
答えようがないけど、公式の場では上下の差を
わきまえたTPOにあった態度だったんじゃないかな。
あんまりそういう機会もなかったろうけど。
有名な関白左大臣近衛前久なんかは武将にあこがれてたから?
逆に自分がおっかけみたいになって武将たちに接近してたけど
そういう時は少々プライベートチックに鷹狩とかして
普通におつきあいしてたというか。
715日本@名無史さん:2012/02/24(金) 05:53:46.11
>>713
その一方では、貴族たちや天皇の領地は信長や、その後には秀吉の保護下にあったのも事実なので、場面にあわせて振る舞いを変えてるよね。
716日本@名無史さん:2012/02/24(金) 07:45:00.72
ちなみに信長の在世中に格上だった公卿は、信長の前任の右大臣で一緒に左大臣に転じた一条内基と
1582年の2月から5月まで太政大臣だった近衛前久
前久の3か月での大臣辞任は、信長の三職補任問題との関連とも言われている。
717日本@名無史さん:2012/02/24(金) 13:05:28.07
>>708
ありがとう。
ただ、なにからの保護かがわからないのよ。
足の内側も覆っているなら、
馬腹で擦れないようにだろうと推測できるんだけど、
映像で見たところ、外側しか覆っていないんだ。
718日本@名無史さん:2012/02/24(金) 23:05:11.63
騎手の足は馬の身体から外にはみ出すことになるから
樹木の枝などの障害物によって足が傷つけられるのを防ぐものではないか
719日本@名無史さん:2012/02/25(土) 00:31:07.76
バイクと同じで、寒さ対策ということは
冬も戦いはあるが寒いので
720日本@名無史さん:2012/02/28(火) 05:07:41.47
682,718です。
専門家に聞いたところ、718が正解だった。
行縢は雨露や小枝などから守るためのもの。
みなさん、ありがとう。
721日本@名無史さん:2012/03/02(金) 22:05:19.83
>>697
日本軍の仏印進駐はアメリカの対日姿勢を硬化した。昭和10年ごろから帝国海軍
は軍艦の石炭から石油のボイラー変更を実施。その石油をオランダ領、イギリス領
にあったアメリカ、オランダ、イギリスの会社に求めた。しかし支那事変の
長期化は円の国際価格の暴落(円安)をさそい、円の価値を下げた。
す当時高価だった石油代金の支払いが滞った。ついに日本在外資産の凍結が実施された。
差し押さえ。そして帝国は年末12月開戦に踏み切る。
 不当な利益を得ているアングロサクソンの企業を追い出しアジア人の物にしようと。
大東亜共栄圏のため。
722日本@名無史さん:2012/03/03(土) 04:23:17.35
天皇っていつからいたの?
723日本@名無史さん:2012/03/03(土) 18:20:28.50
>>722
天皇という称号を使いだしたのは天武天皇か持統天皇のころから
桓武などの漢字二文字の称号(贈り名)は奈良時代末ぐらいからか。
存在そのものは、もっと昔から。三世紀か四世紀ごろ。
724 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/03(土) 22:53:33.75
>>723
漢字二文字の諡号は奈良時代末の淡海三船による
725日本@名無史さん:2012/03/03(土) 23:44:26.23
実在した天皇は応神天皇までのようですがこの人はどこから湧いて出たんですか
726日本@名無史さん:2012/03/04(日) 01:34:47.03
実在したのは応神天皇までって、それ以後の天皇は架空の存在か?
727日本@名無史さん:2012/03/04(日) 02:03:41.45
応神まで遡及するってことだろ
728日本@名無史さん:2012/03/04(日) 16:51:04.78
大和連合国という広域支配が史書と照らし合わせて考古学的に確認できる天皇がってことだろ
おそらく奈良県内を統治したであろう伝説的な存在として、応神以前もいたんだろうけどな
729日本@名無史さん:2012/03/04(日) 17:17:10.57
までって言い方をからかったつもりだったんだがな。
730日本@名無史さん:2012/03/07(水) 07:16:27.03
江戸の茶屋文化について調べたいと考えているのですが
現代語でお勧めの資料はありませんか?
731日本@名無史さん:2012/03/07(水) 13:24:37.01
725の書き方そのものは別に不自然ではない
近代から見て行くと、今上から応神までって、普通にそういう意味に解釈できる
732日本@名無史さん:2012/03/07(水) 13:26:04.56
>>722
「天皇」は聖徳太子の時代にはすでに使われていたよ
733日本@名無史さん:2012/03/07(水) 13:50:01.54
さあどうかな?
天智天皇がみづからを初めて「天皇」と称し、
親の舒明天皇に遡って「舒明天皇」と諡(おくりな)したのが最初、
という説が現在最も有力なわけで…。
734日本@名無史さん:2012/03/07(水) 16:59:29.11
ちょっと質問させてください。

戦国筒井氏年表その他に
永正四年六月二十七日の出来事として
「丹後出陣中に政元暗殺の報せを受けた朝経が軍を返すと石川ら
の一揆が蜂起してこれを攻撃、朝経は丹後にて自害し和久掃部・
古市丹後は討死。大和では国人衆が悉く入国を果たす。」

とあるんですが、これを記載している日記や記録にご記憶がおあ
りなら教えて下さい。
735日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:40:33.04
>734
府中城(成相寺)の戦いのことなら田辺旧記にある
736日本@名無史さん:2012/03/08(木) 18:25:08.79
平安京とか平城京とか長岡京とか藤岡京とか
遷都しすだと思ったんですけどそんな力あったんですか?
仕丁がやってたんですか?
737日本@名無史さん:2012/03/08(木) 18:45:19.54
>>733
小林よしのり「天皇論」の揚げ足を取るブサヨ乙
738日本@名無史さん:2012/03/08(木) 19:35:48.63
>>736
ごめん質問がよくわかんない
739日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:40:39.10
>>737
小林は漫画家であって歴史学者じゃないから、板違い
740日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:44:31.72
>>738
変な文章になってて申し訳ないです
藤原京とか平城京とか長岡京とか平安京とか短期間で移ってて
簡単に遷都してるような印象があるんですけど
そんな力が古代の日本にあったんですか?
あと遷都する時の労働力は仕丁なんですか?
741日本@名無史さん:2012/03/09(金) 13:42:32.29
労働力は普通の民衆だよ。
現代社会と違って民衆は年中仕事してるわけではない。
労賃払えば押すな押すなと近隣から幾らでも集まってくる。
労賃はコメなど穀類だけでなく薪やら時には日当として野菜や魚まで呉れるんだから。

古代の天皇家はそれだけ財政力があったが、天皇家だけで賄うのではない。
貴族各家にむしろ大半を出させる。
すなわち、貴族に臨時の巨額課税をするわけ。

古代の天皇家(天智天皇以降)は、それだけ権力が強かった。
誰に対する権力かと言えば、何よりも貴族に対してだ。
貴族とは、物部氏や蘇我氏が亡んだあとの古代豪族達。(後の公卿)

権力と言うと、すぐ民衆に対する権力を云々する向きがあるが、
古代は、民衆は常の納税以外ほったらかしだよ。
生産力を上げるため、天皇家も貴族達もむしろ仁政を敷いていたのが時代の普通の姿。
742日本@名無史さん:2012/03/09(金) 16:36:27.97
でも徳政相論で平安京の造営は民を苦しめていると習ったんですがどうなんでしょう
743日本@名無史さん:2012/03/09(金) 17:07:46.14
「民を苦しめている」というのは、すべて戦後の左翼教育。
744日本@名無史さん:2012/03/09(金) 17:18:28.89
タージマハルの例もあるし箱物そんなにつくって民衆に
しわ寄せがいかないとは思えんがね
745日本@名無史さん:2012/03/10(土) 01:12:47.73
戦後教育以前に『日本後紀』も読んだことがないのかよwwww
746日本@名無史さん:2012/03/10(土) 12:59:04.15
>>743
徳政相論が戦後に作られたって事ですか?
権力があったのはわかるんですけど
遷都の時は民を苦しめてるから、そんなに何回も遷都できるほどの体力はないという事ですよね
747日本@名無史さん:2012/03/10(土) 13:00:45.59
あと国司は力が強くなっていったのに郡司の力が衰えたのはなぜですが?
748日本@名無史さん:2012/03/10(土) 14:45:52.31
なんでもかんでも、苦しめる、に結びつけるのは
どうかってことだと思うよ。臨時収入で儲かる人もいるだろうし
常にマイナス方面、なんでも反対、と騒ぐのは大昔の
記録からしてそうじゃないかってね。
儲けたり喜んだ話は記録に残らない・・というとまた
おかしな方向に話が行ってしまいそうであれだが。
749日本@名無史さん:2012/03/10(土) 15:41:10.74
>>747
国司が中央官僚層で郡司が在地領主層だということを忘れるな
総務省官僚と町内会会長ぐらい最初から違う
750日本@名無史さん:2012/03/10(土) 19:18:10.00
>>749
最初から違うのは違うでいいんですけど
どうして国司は力をつけて郡司は力が衰えたんですか?
751日本@名無史さん:2012/03/11(日) 04:41:20.90
国司が力をつけたというか、朝廷が地方支配を強化して
土着豪族の権限を徐々に奪っていった結果じゃないの?
752日本@名無史さん:2012/03/11(日) 08:02:30.18
西郷隆盛の孫、侯爵・西郷吉之助が「両性愛の人物」とウィキペディアにありますが、
その根拠となる記録ないし証言にはどんなものがあるんですか?
活字になってる作品があったら、その書名も教えて下さい。
よろしく。
753日本@名無史さん:2012/03/11(日) 08:51:06.66
かつての太政官制では官職の序列が割りとはっきりしていましたが、
現在の内閣制では官職の序列はあるのですか?
もちろん内閣総理大臣がトップなのは間違いないでしょうが、
NO2、NO3・・と序列はあるのでしょうか?
また、閣僚とは別に内閣官房長官や政調会長、国対委員長、などの
役職もありますが、この辺の序列も決まっているのでしょうか?
754日本@名無史さん:2012/03/11(日) 10:48:01.79
閣議席順や総理大臣臨時代理順位で判断できます
官房長官は国務大臣なので閣僚の一人です
幹事長の序列は時々によって上下します
755埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ :2012/03/11(日) 12:47:12.81
>>746
徳政相論があった延暦年間は古代国家の地方支配がほつれてくる時期であることも大きいんだけどね。
百姓を苦しめるものとしては「軍事と造作」っていう二つの政策があって、軍事とは蝦夷征討
で造作ってのは造都のこと。

基本的にはこの二つの事業の担い手は百姓で、その疲弊が極限まできていたのが
延暦年間ってみていい。

遷都自体なんでそう繰り返し行われるのかってことに関しては、平城京から長岡京
・平安京への遷都は天武系から天智系への皇統の変化を新王朝の樹立ってことを示す
意図から行われたとか、掘立柱建物は耐久性が15年程度しかないからとか、水害に
よるものとか、諸説混淆としているけど、平安京以後造都が終焉した理由に関しては
百姓の疲弊、つまり国力が限界に来ていたとみていいと思う。

こうした現象を一番端的に示すのが東国。東国は防人の供給地であったことは
知ってると思うけど、それと同時に蝦夷征討の軍兵や兵糧の類の徴発地でもあった。
そのために、極めて重い負担を強いられていたようで、群馬とか栃木あたりの古代の
集落遺跡の様相は8世紀後半以前は大規模集落といえるような集落景観をもつ遺跡が
検出できるんだけど、蝦夷征討が活発になる8世紀後半頃の集落遺跡の在り方はかなり
散在的になる。これは蝦夷征討によって東国社会がかなり疲弊していたことの
表れであると理解されている。

後は東国は東北への移民政策の担い手になっていたことも大きい。8世紀前半頃の例では
約1万5千人前後の人が東北に強制的に移住させられたことがわかってるし、
そうしたことも東国社会の既存の在り方を破壊した行為で、在地社会の疲弊を招いた。
756日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:24:10.08
平安京では親が子供を捨ててそれを犬や鳥が食べてしまうという事もあったそうですが
施薬院や悲田院などの効果はどれぐらいのものだったんですか?
こういう貧しい人が増えた理由が知りたいです
それとも貧しい人はずっと昔からいて平安時代が特別というわけではないんですかね?
757日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:06:07.38
>>756
昔からずっとあったとは思うよ。
なくなったのは綱吉の生類哀れみの令ぐらいから。
758日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:18:18.91
>>757
昔からというのはどの時代ぐらいからでしょうか?
あと施薬院とか悲田院ってどのぐらいの効果があったんですかね?
759日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:54:53.48
>>757
平安の日記類には結構エグいことも書いてあるからね。
効果と言うと難しいけどそういう「思想ができた」というのは
重要だろね。
760埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ :2012/03/12(月) 00:14:57.06
>>759
野犬に食べられて一週間前は全身あった子供の遺体が首だけになってたとか
その類のやつか。。。身寄りなくなって病にかかった子供が屋敷追い出されちゃって
死んだ母親が仕えていた屋敷の門付近をうろうろしてるのを追い払ったり、
心苦しい記事も見かけた気がする。こういうのみてると悲田院とか施薬院が
十分に機能していたかどうかといわれたら甚だ疑問。。。
この手の論文はコピーしただけでまだ読んだことないんだけど、財政的な面
からも光明皇后とか支持する人が政治の主権もってる時はある程度確保される
けど、そうじゃない人が政治の担い手になった時はあまりね。。。

賑給とか食料を貧民に給付するのもあるけど、平安末期になると京内だけの
殆ど儀式化しちゃうよね。それ以前はわりと中央・地方を問わず行われているけど、
それは殆ど政治的演出にすぎないし、これも十分かと言われたら甚だ疑問。。。
761日本@名無史さん:2012/03/12(月) 07:34:33.58
>>760
結局中央集権もままならない中世をどう解釈するかには
なってくるね。
今の物質文明からみたら過去の歴史状態は全て悲惨で
悪の状態みたいに考えてしまうのが進歩的で人道的
というのに問題があるわけで、各時代の状況とかをどう
価値観的に判断するかは難しいだろうから。
762日本@名無史さん:2012/03/12(月) 08:41:34.53
>>753
原口氏が総務大臣のときに「総務大臣は財務大臣に次ぐNO2」と言ってたから、
閣僚の序列は財務大臣>総務大臣>外務大臣が妥当なのかな
あと、日本の国家元首説では天皇説、総理大臣説に次ぐ3番目として衆議院議長説が
あるから、日本のNO3は衆議院議長になるのかな
それと国政ではなく地方行政ではあるけど、東京都知事は執行予算の規模や権力基盤が
かなり高いらしい、序列でいうとどういう順番になるかは知らんけどね
誰か詳しい人いたら追加&訂正ヨロ

763日本@名無史さん:2012/03/12(月) 14:04:26.17
封建制ってどのようなものですか?
古代の律令制度以前のヤマト王権は封建制になるんですか?
あと中世ってなにをもって中世とするんですか?
764埼玉古墳群 ◆AAq5ZafcCQ :2012/03/12(月) 15:00:20.30
>>761
中世って幅広いから何ともいえないけど、無秩序っていうイメージがあるよねww
戦国なんかは一番の例だろうけど、分国法みたいに国ごとに法があり、国境越えると別世界
みたいな。まあ中世専門にしてる人からみれば違うんだろうけど。
765日本@名無史さん:2012/03/12(月) 19:30:54.30
>>762
真面目な話、

形式上では首相臨時代理順が序列
これは時の政権ごとに違う

実質的には一番カネを動かせる閣僚が重量級
昔は超軽量級だった環境省も今や重量級
766日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:12:53.05
>>765
皇族と国政のトップどころと地方行政のトップどころ、
総合するとどういう序列になるんですか?
767日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:38:41.14
>>763
王あるいは皇帝が功臣や協力的な異族を諸候あるいは王として封建して、一定の支配権を与える制度。
江戸幕府で説明すると王でも皇帝でもないけど将軍が三河以来の譜代の功臣や関ヶ原辺りから配下に
なった外様の大名を諸候(大名)として封建した、という説明になる。諸藩には一定の支配権があるので
他所の大名や幕府でもある程度の事は口出し出来ない。
ヤマト政権は有力な豪族たちの連合政権。

中世の定義は俺も知らん。古代を規範する秩序が役目を終えた以降という事にはなるだろう。
768日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:46:00.60
江戸時代の大名経験者で一番長生きしたのは誰の何歳でしょうか?
769日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:52:57.31
天海の124歳。
770日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:06:45.47
>>767
ヤマト王権の大王家は他の豪族を配下にして支配を認めたりはしてなくて
ただ単に豪族達が大王家を盟主として担いだって事ですか?
封建制と有力豪族の連合政権の具体的な違いってなんになります?
自分の理解力が足りなくて何回も申し訳ないですがお願いします
771日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:17:57.31
>>770
横から悪いが、土地管理、の問題かな。
支配権というのを、土地に結び付けて固定支配する、というの。
そっから農奴制とかそういう分化的な話になっていくよね。
772日本@名無史さん:2012/03/13(火) 01:02:52.06
>>770
>ただ単に豪族達が大王家を盟主として担いだって事ですか?
そういう事です。一応リーダーだけど、それほど強い権力を持っている訳では無い。
封建制では君主が土地を与えて支配させるという建前になっています。だからそれまでの土地から引きはがして
転封させる事も出来ます。実際はそれまでの支配権をそのまま認めるという場合も少なくないですが。
773日本@名無史さん:2012/03/13(火) 01:03:32.31
大陸から稲作を日本に伝えた人の子孫が天皇になったという説はありますか?
自分は一番自然な考え方だと思いますが・・・
774日本@名無史さん:2012/03/13(火) 03:15:36.61
封建制の特徴って、

領土を与える、領有権を公認するという形で上位権力が地方領主に何らかの支配権を持つって事かなあ。

その意味で言えば、封建領主(地方領主)の立場に近いのは、
大和王権のころの地方豪族(国造・群造)よりも律令時代初期の郡司のほうだろうね。どちらかといえば。

>>773
あまりにも時代が開きすぎているので無理と思う。
1000年以上は離れてるよ。
775日本@名無史さん:2012/03/13(火) 11:44:05.52
四つ質問がありますのでお願いします
最初の土地制度は私地私民で、公地公民になったそうですが
なぜすんなり豪族達が納得したんですか?
あと浮浪・逃亡・偽籍が増えて税収が減ったそうですが
偽籍をしても逃亡したわけでもないしすぐ把握できないものなんですか?
浮浪・逃亡した人達が多かったそうですがそのたくさんの人達はどうなったんですか?
あと墾田永年私財法とか三世一身法とか百万町歩開墾計画ってどういう理由で出されたんですか?
776日本@名無史さん:2012/03/13(火) 14:30:29.88
>>775
>なぜすんなり豪族達が納得したんですか?
それまでに、蘇我氏が滅ぼされたりなどの形で君主の権力が強くなり、文句を言えるような豪族は
いなくなった。

>すぐ把握できないものなんですか?
誰が調査するんですか?また、逃亡した人がどうなったか判るくらいなら連れ戻すとかも出来るだろう。

>どういう理由で出されたんですか?
生産を増やして税収を増やす。他に理由があるのか?
777日本@名無史さん:2012/03/13(火) 16:45:13.42
>>776
墾田永年私財法とかの法が生産を増やして税収を増やすための法だってのはわかるんですけど、どういう理由で出されたんですか?
あと墾田永年私財法が出される前は開墾してもすぐに国のものになってたんですか?それとも国のものになってしまうので開墾してなかったんですか?

調査する人がいなかったという事ですが、戸籍がおかしいって段階で調査をすることはなかったんですか?
あと戸籍って農民の自己申告だから偽れたんですか?それとも戸籍を作る役人が不正してたんですか?
逃亡した人のその後は現在でもわかってないんですか?

蘇我、物部、大伴とかが潰しあって蘇我氏も滅ぼされて他に有力な豪族っていなくなったってことですか?
藤原氏って蘇我氏滅亡後も力が強いと思いますけど、藤原氏は大王家に文句言えるような力はないって事ですか?
778日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:39:39.23
>>777
逃亡などで田畑が荒れた。開墾しろ!(開墾計画)。号令だけで実績上がらず。
三代耕せば私有を認めるから耕せ!!(三世一身法)。3代目になったらやーめた。実績上がらず。
しょーがないから私有を認めてやる。ちょっとは上がりを収めろ!!!(墾田永年私財法)

>調査する人がいなかったという事ですが、
戸籍調査はそんな簡単じゃないよ。現代だって国勢調査に大量のバイトを使い、更に交番のおまわりさんが
歩いて回ってやっと実態が把握出来る訳で。

例えば蘇我氏を例にとると必ずしも滅んだ訳ではない。一族の反主流派の蘇我倉山田石川麻呂が中大兄
皇子に接近して主流派を滅ぼした後の蘇我一族の長を継承している。でもその権力は朝廷との結びつきを
背景としているから蘇我入鹿とは違う。その石川麻呂もまた謀反の嫌疑をかけられて自害したが。
そういう風にして豪族の力を弱めて行った。
藤原氏の力は中大兄皇子との結びつきに由来していて、しょせんは朝廷の臣下としてのもの。
でも墾田永年私財によって有力貴族が私有地を増やして荘園にする事を認めてしまったら、どんどん力をつけて、
皇后に娘を押し込んで外戚になり、天皇の祖父ともなれば天皇にも文句を言ったり出来るようにもなる。
779日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:42:02.68
>>778
>三代耕せば私有を認めるから耕せ!!
間違えた。三代の間は私有を認める。その後は公地になる。
780日本@名無史さん:2012/03/13(火) 19:04:00.14
>>765

>>766もお願いします
781日本@名無史さん:2012/03/13(火) 22:05:34.77
>>780
形式的には、
天皇が第一位、総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁長官が同列第二位
知事は並べてはいけない

実質的には、
誰かが国会議員を辞めて知事になったとき、
御輿として担がれたと見られるか、重鎮自ら出てきたと見られるか
それだけのことでしかない
782 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/13(火) 22:33:36.36
宮中席次
1 : 大勲位
1 : 菊花章頸飾
2 : 菊花大綬章
2 : 内閣総理大臣
3 : 衆議院議長、参議院議長
4 : 最高裁判所長官
5 : 国務大臣
6 : 衆議院副議長、参議院副議長、最高裁判所判事、会計検査院長、宮内庁長官
7 : 特命全権大使、検事総長
8 : 侍従長
9 : 認証官、国家公安委員
10 : 勲一等旭日桐花大綬章
11 : 従一位
12 : 勲一等
1 : 旭日大綬章
2 : 宝冠章
3 : 瑞宝章
13 : 衆議院議員、参議院議員
14 : 都道府県知事
15 : 公務員
正二位以下有位者
勲二等以下有勲者
備 考
正二位以下勲三等までは十二級職の次
正四位以下勲八等までは九級職の次
位勲の順位は正二位従二位勲二等(一、旭日重光章 二、宝冠章 三、瑞宝章)として三位以下之に準ずる。

ただし存命者で大勲位を賜っているのは中曽根康弘元首相のみ
783日本@名無史さん:2012/03/14(水) 00:50:51.13
江戸時代の大名経験者で最も長生きした人は誰の何歳ですか?
784日本@名無史さん:2012/03/14(水) 01:28:26.21
>>782
こういうものを維持するために何百人かの公務員と、何千人かの関連業者がいて
税金いくらつかっているんだろうね

そろそろ勲章は全廃して3ランク松竹梅くらいの表彰状に変えよう
785日本@名無史さん:2012/03/14(水) 02:39:01.32
>>781>>782

詳しい紹介サンクスです。
ちなみに皇太子や宮家当主はどういう序列でしょうか?
786 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2012/03/14(水) 13:08:08.33
 
787日本@名無史さん:2012/03/15(木) 02:21:17.15
>>784
こういうのは年々価値が落ちてくものだから次々新しいものを作らないといけないのさ
788 忍法帖【Lv=27,xxxPT】 :2012/03/15(木) 13:16:09.07
質問です
間宮林蔵以前に樺太先住民のことを日本人はどれくらい知っていたのでしょうか?
また日本との交易とかはあったのでしょうか?
789日本@名無史さん:2012/03/18(日) 17:19:29.04
日本史上で、まともに記録が残っている時代で、
最も中央の政府が機能せず各地が荒れ放題していなかったのはどんな頃でしょうか。

私は応仁の乱の後から1500年代半ばの頃かと思っているのですが。
あとは2009年9月以降とか
790日本@名無史さん:2012/03/18(日) 20:40:31.10
>>789みたいな自民党時代は政府が機能していたかのような寝言は近代史によくあることですか?
政友会の頃はどうたら…みたいな論調などなど
791日本@名無史さん:2012/03/20(火) 10:04:08.82
南北朝時代について教えてください
南北朝時代は単に天皇が二人並立したってだけじゃなく、朝廷が並立してたわけですよね
京都に北朝があり、後醍醐天皇が吉野に南朝を立てたわけだけど、
もともと京都にいた公家・公卿が二つに分裂したわけじゃなく、多数の公家・公卿は
京都の北朝に残ってたわけですよね
すると、南朝の公家・公卿はどこから持ってきたのでしょうか?
新しく公家・公卿を作ったわけでもないですよね・・
792日本@名無史さん:2012/03/20(火) 10:27:36.45
大徳寺系の公卿も居ましたし、
保元平治の乱を見ても、旧家というものは大抵長男と次男が仲が悪いものです。
二つ朝廷があって、公卿はあっちに長男の家系があり、こっちに次男の家系があるわけです。

南朝の旗色が悪くなるに従って、いつの間にかみんな京都に居たような顔をするようになりましたけどね。

ちなみに後南朝に殉じた家系もあります。
793日本@名無史さん:2012/03/20(火) 10:46:22.10
もともといた公家・公卿・貴族の絶対数は同じわけだから、
朝廷が分裂することによって二派に分かれたって事なんですね
二派に分かれた後で公家の流動があったと
ありがとうございます
794日本@名無史さん:2012/03/20(火) 18:35:18.78
ひとつだったのが分裂しただけって話なら、両方とも弱体しただけってことなの?
795日本@名無史さん:2012/03/20(火) 18:59:00.58
兄弟喧嘩だとか御家騒動だとか、そういうのを経て強大になる場合もある
織田家の分家の倅が教えてくれた
796日本@名無史さん:2012/03/22(木) 12:48:42.11
昔の人はどうやって相手の顔を見分けてたんでしょうか?
自分が合戦でどんなに偉そうに見える人を討ちとってもそれが誰なのかわかる術がないような気がして。
797日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:09:31.06
>>796
捕虜なんかを捕まえてそれに確認したとかね。
もっと大将クラスだと結構顔改めはしっかりやってて
たまに記録にも残ったりしますね。
たぶん、最後まで勇猛に戦った武将としてこちらの記録に
名を残すことにする、知ってる人がいたら名前言うように、とか。

面白いのは、秀吉母が家康のところに人質に来た時に
誰も秀吉母のば〜さんなんて顔を知らずに
どうやって替え玉身代わりじゃないと判断するかで
先に嫁に来てた娘と抱き合ったふいんきで判断した
なんて話がありますね。

昔は子の認知とかしようがないですもんねぇ。
798日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:23:59.21
赤穂浪士も吉良上野介の顔を確認するのに
えらい苦労してたからなw
799日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:29:58.07
>>797
レスどもです。
やっぱり知人頼りってことになりますよね。

敵方の上官クラスの顔とか普通知らないんではと不思議に思ったわけです。
時代が古くなれば古くなるほどそうなりますよね。
800日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:32:16.87
歴史上死んだことになってるけど、影武者とか身代わりとかで実は生き延びててひっそり暮らしてた人とかたくさんいるでしょうね。
801日本@名無史さん:2012/03/22(木) 13:41:07.62
>>799
昔の戦闘は一騎打ち形式?だから
ちゃんと名乗ってから戦ったりしてて
それで高官はわかったりしたんでしょうね。
平治の乱とか鎌倉での紛争も名乗ってるし
それを破ったのが義経。
802日本@名無史さん:2012/03/22(木) 20:59:22.33
万葉集に『防人の歌』など、庶民の詠んだとされる短歌が沢山載っていますが
当時(〜奈良時代)の庶民の識字率はどのくらいだったのでしょう?
803日本@名無史さん:2012/03/22(木) 22:20:49.89
さすがに識字率までははっきりしないだろうけど
木簡には庶民の字みたいなのが残るから
結構あったんじゃないかな〜。
804日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:53:59.84
当時の庶民って今で言うところの非嫡出子もいたでしょう?
なんで彼らを御輿にして一旗揚げなかったんですかね
805日本@名無史さん:2012/03/24(土) 02:55:03.05
明治や大正の文読めるようになりたいんだけどどういう訓練をしたらいいの?
806日本@名無史さん:2012/03/24(土) 03:41:19.34
>>805
本屋に行けば普通に買えるだろ?
夏目漱石とか森鴎外とか、普通に読める文章だ。訓練など要らん。
807日本@名無史さん:2012/03/24(土) 06:26:46.15
http://jglobal.jst.go.jp/search.php?q=200905066752580590&t=1
こういう大学以外での研究者ってどのように採用されるの?
808日本@名無史さん:2012/03/27(火) 05:30:31.87
久し振りに手にとってみた『天皇裕仁の昭和史』(文庫版なれば、121頁)に、
某皇族の妃殿下が姦通によって長男を産んだが、太平洋戦争がはじまり、空襲に備えて血液型を検査したところ、
その子が夫の殿下の実の子供で無い事実が判明。しかし、大戦のさなかのこと故、殿下はひたすら我慢した、云々
という記述がありました。
これは何という皇族の話なんでしょうか。
ちなみに戦後離婚した李王家の王公族ではないようです。
809日本@名無史さん:2012/03/27(火) 10:11:55.22
137 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/27(火) 05:32:51.60 ID:/QsWnP9X0
久し振りに手にとってみた『天皇裕仁の昭和史』(文庫版ならば、121頁)に、
某皇族の妃殿下が姦通によって長男を産んだが、太平洋戦争がはじまり、空襲に備えて血液型を検査したところ、
その子が夫の殿下の実の子供で無い事実が判明。しかし、大戦のさなかのこと故、殿下はひたすら我慢した、云々
という記述がありました。
これは何という皇族の話なのでしょうか。
ちなみに戦後離婚した李王家の王公族ではないようです。

マルチは止めろよ
810日本@名無史さん:2012/03/27(火) 11:28:14.55
その本は読んだことないけど、
太平洋戦争時に父・子(長男)とも存命という例を挙げれば絞られますね。
@賀陽宮恒憲王−邦寿王(大22生) 母は敏子妃(九条)
A久邇宮朝融王−邦昭王(昭4生) 母は知子女王(伏見宮)
B朝香宮鳩彦王−孚彦王(大1生) 母は允子内親王(明治皇女)
C朝香宮孚彦王−誠彦王(昭18生) 母は千賀子妃(藤堂)
D東久邇宮稔彦王−盛厚王(大5生) 母は聰子内親王(明治皇女)
E東久邇宮盛厚王−信彦王(昭20生) 母は成子内親王(昭和皇女)
F竹田宮恒徳王−恒正王(昭15生) 母は光子妃(三条)
G閑院宮載仁親王−春仁王(明35生) 母は智恵子妃(三条)

姦通の相手にもよるでしょうが、これらの方々の容貌を
写真で親・兄弟と比較してみる限り、該当者は見当たりませんね。
強いていうなら、夫の近親血縁者との姦通、ということになりましょうか。
811日本@名無史さん:2012/03/27(火) 12:22:50.14
>>810ですが、少々ミスりました。
賀陽宮の邦寿王は大正11年の生まれです。
閑院宮の春仁王は厳密にいえば次男です。
812日本@名無史さん:2012/03/27(火) 12:38:59.88
昭和天皇と今上天皇とかな
813日本@名無史さん:2012/03/27(火) 13:11:13.81
今上天皇は「妃殿下」ではなく「皇后」の所生ですね。
その夫は「殿下」ではなく「陛下」ですし。
814日本@名無史さん:2012/03/28(水) 08:34:18.95
太平洋戦争中に、その長男はまだ子どもだったようですね。
とすると、かなりしぼられるのではないかと
815日本@名無史さん:2012/03/28(水) 08:46:53.81
当該書らしき本を見てみました。
「待ちに待った長男が生まれて、夫の殿下は有頂天になって、可愛がっていた。
ところが太平洋戦争が始まり、空襲にそなえて血液型を検査したところ、・・・」
とありますね。
しかも、その夫殿下が「長い沈黙を破って、苦しい胸中を私(著者)へ吐露した実話である」
と最後に記されていますから、この本が出た昭和58年1月近くまで、夫の元殿下は存命していた様子です。
となると、いっそう的がしぼられて来るのではありませんか。
816日本@名無史さん:2012/03/28(水) 12:54:45.93
>>810の@、B、D、Gは子供が成人していたので外せる
久邇宮朝融王は昭和34年に没しているのであり得ない

とすると残りはC、E、Fだが信彦王が誕生したのは東京大空襲のときだから>>815の記述は不自然
CかFの可能性が高い
817日本@名無史さん:2012/03/28(水) 14:36:59.62
>>815の「ところが太平洋戦争が始まり」を文字どおり解釈した場合、
Cもはじかれるな。誠彦王は戦中生まれだから。
ということはFの竹田宮になるけど、
恒正・恒治・恒和の三兄弟の顔貌は相互によく似通ったところがあって、
とても片親が違うようには思えんのだよな。
んー難問だw
818日本@名無史さん:2012/03/28(水) 19:51:19.28
まぁ両親が共にA型でもB型の子供が生まれることもあるけどね

確率はかなり低いが…
819日本@名無史さん:2012/03/28(水) 20:57:30.66
調所広郷はなぜ当時の通称で「調所笑左衛門」と「笑」という漢字が入っているのでしょうか?
調所(笑)左衛門とか書くとかなり可哀相な感じなのですが、、
820日本@名無史さん:2012/03/28(水) 22:29:17.65
>>782に載っているような勲章や名誉はどういう話し合いや経緯を経て賜れるのでしょうか?
勲章検討委員会みたいな組織があって、組織員の合議によって決定されるのですか?
選考過程、選考の根拠等がまったく予想できません
821日本@名無史さん:2012/03/28(水) 23:01:29.86
自薦、他薦、官僚、国会議員、地方政治家のごり押しなどの受付吸い上げ部門あり
822日本@名無史さん:2012/03/28(水) 23:48:13.93
最上位の大勲位は中曽根氏だけなんだよね
中曽根氏がその最上位を賜れた理由、根拠はなんだろうか?
単に長いこと総理大臣を務めた功労賞って意味合いじゃないでしょ?
なにがしかの根拠があるはず
823日本@名無史さん:2012/03/29(木) 00:18:24.58
戦後で生前に受勲してるのは吉田茂・佐藤栄作に続いて三人目らしい。
他の総理経験者は死後に受勲する慣例みたい。
824日本@名無史さん:2012/03/29(木) 00:19:58.35
大勲位を受勲したのと同じ1997年(平成9年)には国会議員在職50年表彰を受けた(史上4人目)。
これも関係あるかも。
825日本@名無史さん:2012/03/29(木) 00:29:01.12
早稲田の校歌ってイェール大学のパクリなんだって?
本当なら恥ずかしい事だね。
826日本@名無史さん:2012/03/29(木) 08:23:20.74
西郷隆盛の孫、侯爵・西郷吉之助が「両性愛の人物」とウィキペディアにありますが、
その根拠となる記録ないし証言にはどんなものがあるんですか?
活字になってる作品があったら、その書名も教えて下さい。
よろしく。
(薩摩人の間では長い間、男色が盛んだったという理由だけではない筈です)
827日本@名無史さん:2012/03/29(木) 11:34:25.53
戦後の経済は本当に歴史教科書通りの日本の歴史上一番の経済だったのでしょうか?
828日本@名無史さん:2012/03/29(木) 11:53:42.44
日本一どころか世界一だろ
829日本@名無史さん:2012/03/29(木) 16:31:19.06
世界2位にいったのが1980年代後期

でもバブルが弾けてあぼーん

今じゃ経済破綻国家寸前w
830日本@名無史さん:2012/03/29(木) 16:44:19.25
GNPだかなんだかは2位だけど
成長率は奇跡レベル
831日本@名無史さん:2012/03/29(木) 16:51:33.50
>>829
GDPはアメリカに迫っていた

今の中国にもあのようなかさ上げがあるのだろうな
832日本@名無史さん:2012/03/30(金) 08:55:05.27
>>830
日本は現在GNP世界第3位
1位アメリカ、2位中国
30年後には世界第10位程度まで落ちるらしい
>>830
GDPは世界第一位のアメリカだけが突出している
世界2位中国の約3倍で2位以下を大きく引き離してる
日本が世界第2位だった時代から変わってない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3
833日本@名無史さん:2012/03/30(金) 14:03:56.64
>>826
あちこちにコピペ貼ってるマルチ
ちなみにそもそも根拠にしているウィキペディアにそのような記述がない
834日本@名無史さん:2012/03/30(金) 15:45:32.15

日本初の歴史書『日本書紀』は「殆ど神話」なのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1384551383




久々に凄まじい知的障害者だな、コリャ

「沢村英治の神話・伝説」的な比喩用法的・神話も日本書紀にありますから
だとよwwww
835日本@名無史さん:2012/03/30(金) 15:46:25.03

日本初の歴史書『日本書紀』は「殆ど神話」なのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1384551383




久々に凄まじい知的障害者だな、コリャ

「沢村英治の神話・伝説」的な比喩用法的・神話も日本書紀にありますから
だとよwwww
836日本@名無史さん:2012/03/30(金) 16:41:56.74
済州島が日本領になってた可能性はないのでしょうか?
五島列島まで約180キロ
半島の三国時代あたりに九州から移民を送り込むとかできていれば
可能性があったと思うんですがどうでしょうか?
日本は済州島の存在をかなり後の時代まで知らなかったとか
五島から済州への渡航が気象条件でとても難しいとか
耽羅はそれなりに強くて征服はとても無理とか
何か具体的理由があるのでしょうか?
837日本@名無史さん:2012/03/30(金) 21:35:21.35
辞世の句って本人がほんとに死の直前に
詠んでいるんですか?
838日本@名無史さん:2012/03/30(金) 22:09:21.72
普通はあらかじめ用意しておくものだろう。
839日本@名無史さん:2012/03/31(土) 00:10:59.56
チマタに知れ渡ってるのは後からの創作だろうしね。
840日本@名無史さん:2012/03/31(土) 01:46:45.57
安土城に落ちてる瓦は、信長当時の瓦なんですか?
841日本@名無史さん:2012/03/31(土) 15:37:45.03
歴史において個人なんてそんなに重要なんですか?
気候とか技術とかのほうがよっぽど影響があると思うんですけど
842日本@名無史さん:2012/03/31(土) 16:31:33.37
最近、騎兵の習志野が強調されているのは何故なんですか
843日本@名無史さん:2012/04/01(日) 19:28:10.39
中大兄皇子や大海皇子の「皇子」は
どうして「みこ」と読まないのですか。
844日本@名無史さん:2012/04/02(月) 08:12:18.59
「みこ」とも読みます。
学校で「おうじ」と教えてるだけです。
巷に出回ってる本でも「みこ」とルビを振っているものは多いはずです。
本来は「みこ」と読んだ(呼んだ)と思われますが、教育上の便宜でそうなっただけだと思われます。

ちなみに確か岩波文庫版日本書紀だと大海人皇子は「おおあまのおうじ」ではなく「おほしあまのみこ」となっていたはずです。

周知の通り「みこ」の名は傅役の氏族の氏名(うぢな)を取って呼ばれます。
「大海人氏(おほしあまのうぢ,凡海人氏とも書く)」に養育されたから「おほしあまのみこ」です。

またちなみに「おほし」という訓みは、
「凡河内躬恆(おほしかうちのみつね)」で著名な「凡河内氏(おほしかはうちうぢ→おほしかうちうぢ)」と同じ用法だと思われます。
845日本@名無史さん:2012/04/02(月) 20:24:22.04
844さん
ありがとうござります
846日本@名無史さん:2012/04/05(木) 22:09:38.21
厩戸皇子の名前について質問です。
聖徳太子という呼び名は後に送られた号であるからということで
厩戸皇子と呼ぶのが正しいということですが、
この時代の皇子の名前としては、田村皇子とか軽皇子などと命名則が違うような気がします。
そもそも皇子なんだから馬小屋近辺で産み落とされるはずないですよね?
どうしてこの人物はこの時代の皇子らしい名前で呼ばれないのでしょうか?
エピソードにちなんだ名前なら聖徳太子と同じじゃないですよね。学術的にOKなんですか?
847846:2012/04/05(木) 22:22:52.70
ちなみに馬小屋エピソードがキリスト降誕伝承の影響であるという説は知ってます。
たぶん影響してると思うけど、そうするとますます本来の名前が別にあるってことですよね。
848日本@名無史さん:2012/04/05(木) 23:39:34.33
>>846
お釈迦様だって王族だけど宮殿じゃなくその辺の適当なとこで生まれてるぞ。
849846:2012/04/05(木) 23:48:49.99
>>848
偉大な歴史上の人物の伝承との類似性に着目してください。
お釈迦様にそのようなエピソードがあるのでしょうか?
850日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:02:00.55
>>849
何を言いたいのか判らんが、お釈迦様は母親が里帰りの途中で産気づいて
その辺の適当な処で生んだ事になっている。
里帰りは実家に帰って子供を産む為だったが、途中で生まれたので取りやめた。
851846:2012/04/06(金) 00:11:54.79
>>850
古代インドの王族がどこで出産されたかは
日本の皇太子の資格を十分持ちうる皇子がどの部屋・どの場所で出産されるかという問題とあまり関係ないと思います。
852日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:24:48.50
>>851
当時に皇太子という制度が有ったかどうかすら怪しい。
853日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:39:03.62
>>852
つか、ホントの意味で皇太子制度と呼べるようなのは、奈良時代からだよな。
あれ、平城京遷都よりは少し前だっけ。
少なくとも壬申の乱までの段階では、皇太子制度は確立してないな。
854846:2012/04/06(金) 00:54:54.74
皇太子って用語が不適切だったようです。なにぶん厳密さに欠ける箇所はお見逃しください。
855日本@名無史さん:2012/04/06(金) 01:36:22.59
>>851
そしたらイエスの話と似てる件も、似て見えるという以上の関係はない。
856846:2012/04/06(金) 01:46:39.07
>>855
似て見える、つまり類似性があるってことを言ってるのでそれ以上でもそれ以下でもありません。
857日本@名無史さん:2012/04/06(金) 04:51:45.89
じゃぁその件は善しとしよう。
他のスレで中大兄皇子の名前について、諱(本名)は養育を担う部族にちなんで付けるのが普通で
中大兄皇子の場合は葛城皇子だと書いてあった。中大兄は異称だそうだ。厩戸も同様と考える事は
出来ると思う。文献では諱となってるけど。
858日本@名無史さん:2012/04/06(金) 07:37:16.12
そういうところからもO山なんかが調子こくわな。
どう見ても後からつけた聖人伝説ネームだし。
859日本@名無史さん:2012/04/06(金) 07:41:37.83
厩戸という名前は生まれた時からつけられていて、それに合わせてのちの歴史家が話を作っちゃった可能性も十分ある
860846:2012/04/06(金) 07:56:34.55
>>857
同様ってことは厩戸氏という部族がいたということですね。
検索してみたらそういう説もあるということでした。

厩戸は「うまやと」でなく「うまやべ」だとする説:井上薫「聖徳太子『異名』論」
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/8095fe028a5f7aba89d495ba8d91ff4d

これだと厩戸皇子がいるから厩戸氏がいたはずだという証明したいことがそのまんま根拠になってしまってますね。
ひきつづき他の回答を待ちたいと思います。ありがとうございました。
861日本@名無史さん:2012/04/06(金) 15:32:44.26
>>860
いや俺が同様と書いたのは本名は別に有って厩戸は異称である、という事だ。
そう主張する事は可能だけど、妥当かどうかはまた別の問題。
862846:2012/04/06(金) 17:19:16.49
>>861
ですからそれは私が>>847で述べました。「本来の名前が別にあるってことですよね」と。
863日本@名無史さん:2012/04/06(金) 18:42:37.79
>>862
だからそれが正しいとは言わないが主張する事はできるから後は自分で研究しろ、という話だ。

でも>>847は厩戸がキリスト教由来という主張だろう。俺は伝説どおり厩で生まれてもおかしくないと思っている。
864日本@名無史さん:2012/04/06(金) 19:18:54.94
厩の前で生まれたから厩戸と名付けたとあるのは「上宮聖徳法王帝説」だっけ。
しかし、穴穂部間人皇女は厩戸皇子が初産だったのだし、
初産ならば出産に大変時間がかかり丸一日、二日苦しんでもおかしくないのに
厩の前を通りかかったらひょっこり生まれたというのはあまりにも伝説化しすぎている。
厩戸という名から「上宮聖徳法王帝説」を書いた法隆寺の僧が推測したのかもしれん。

他の皇子・皇女の名と同様、養育者の名を取ったというのが一番ありうると思う。
命名法があまりにも特殊すぎるから。

865日本@名無史さん:2012/04/06(金) 19:42:23.17
>>863
すみませんけど質問に対する答えを持ち合わせてないならレスしないでください。
IDがないから判らないけど、こねくりまわしてるだけで何一つ答えらしいこと書いてませんよ。

>>864
つまり厩戸という名前以外に、この時代の命名則に従った名前があるってことですね。
それはまだ知られてないということですね。
866846=865:2012/04/06(金) 19:46:53.06
連投です。
読解力不足でした。
864さんは厩戸氏が養育したから厩戸皇子ということですね。
867日本@名無史さん:2012/04/07(土) 00:24:58.02
厩戸はただの省略名であって実際はもっと長いのがいくつもある
そもそも厩戸という名前も後からつけられたしな
幼名は分かってないんじゃなかったか?
868846:2012/04/07(土) 01:39:06.41
>>867
そうでしたか。下記サイトに行き当たりました。同様のことが書かれてました。

その一例として、今回は「上宮」という語をとりあげてみます。
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/2b4f0bf965b5688f98bd823b38a31225
前回は、よく分からない「上宮厩戸豊聡耳太子」という呼称のうち、「上宮」を取り上げたため、今回は「厩戸」について考えてみます。
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/53bb7ab615f8108d3f3c304d1528f05f

その他参考にすべきサイトあったら教えてください。
869日本@名無史さん:2012/04/07(土) 12:22:52.21
質問です
昔女性の名前を呼ぶ場合に名前の前に「お」を付けて呼ぶ場合が多いですが
その「お」にはどんな意味があるのでしょうか?
870日本@名無史さん:2012/04/07(土) 20:55:43.85
江戸時代の将軍の子女が無事成人できる確率がたった1代でとんでもないことになってるんだがこれは何故ですか?
wikiで調べた内容↓


第11代将軍 徳川家斉の子女
    男子26人・女子27人を儲けたが、成年まで生きたのは半分(28名)だったと言われる。
    (生存率28/53)



第12代将軍 徳川家慶の子女
    14男13女の内20歳を超えて生きたのは家定だけ
     (生存率1/27)
871日本@名無史さん:2012/04/07(土) 21:10:22.49
大奥のおしろいが毒だったから、じゃないのか
872日本@名無史さん:2012/04/07(土) 21:18:44.28
>>871
解答ありがとうございます。

そういやヨーロッパの方でも似たような話聞いた気がする。
873日本@名無史さん:2012/04/08(日) 14:06:29.57
神の御意志です
874日本@名無史さん:2012/04/08(日) 15:05:33.88
>>866
厩戸氏というのは史料に現れない。
この時代は万葉仮名(あて字)であるため、音の近い「うまやべ」氏養育という説が
近いように思う。
@この時代の皇子・皇女の名は基本的には養育者の名を取っている。
A「厩戸」は「日本書紀」「上宮聖徳法王帝説」にみられ、古くからある呼称とみられる
(他に名があったとは思えない)
以上の点から。
「上宮」については、「上宮聖徳法王帝説」に、父用明天皇が嫡子である厩戸皇子を
上宮(という名の邸)に住まわせたから(現在の明日香村にある橘寺がその跡地)と書かれてある。
875日本@名無史さん:2012/04/08(日) 15:12:28.76
>>869
「お」はもともと室町時代の女房言葉が起源。
室町時代、宮中に勤める女房達は、言葉を優雅に見せるため、
名詞の最初に「お」、名詞の最後に「もじ」を付ける独特の文化を生み出した。
名詞の最初におをつけたものに「おひや(水)」「おかず(菜)」「おでん(田楽)」
名詞の最後にもじをつけたものに「しゃもじ(杓子)」「おめもじ(お目にかかる)」など。
女房言葉は上流婦人の間にも広まり、いつしか女性の人名の最初にも「お」をつけて
ゆかしさを表すようになり、室町時代後期以降、明治時代頃まで続きました。
876846:2012/04/08(日) 16:14:27.84
>>874
回答ありがとうございます。
「うまやべ」氏の存在を示す史料があればハッキリするってことですね。
877日本@名無史さん:2012/04/09(月) 01:15:13.49
「うまやべ」氏なんて聞いたこともないが
ハッキリするも何もそんなのいないんでしょう。
なんかおかしな話してないか。
878日本@名無史さん:2012/04/09(月) 04:08:19.17
>>869じゃないが
女性の名前に「お」をつけるのって他人から呼ぶ場合のみで
例えば自分で「お菊でございます」なんて言うのは間違い?
自分に敬称を付けてるみたいな気がするんだがよく聞く気もするし分からん
879日本@名無史さん:2012/04/09(月) 07:06:33.26
>>878
手紙などで女性が署名をする場合自分の名前に「お」を付けることはまずない。
話し言葉については不明な点が多いが(なかなか残らないので)本来
自分で自分に「お」を付けることはなかったと思う。
ただし、今でも子供が自分で自分の名前に「ちゃん」を付けて呼ぶことがあるように
周囲からそう呼ばれて育つと身内や近所の人の前では「お」を付けて口語することが
全く無かったとも言い切れない。
880846:2012/04/09(月) 09:44:43.19
>>877
おかしいと思うよね
「うまやどの皇子」が定説になってるのに
うまやべ説に依らないと整合性がないなんて
じゃあなんで厩部皇子って書かなかったんだ?
881日本@名無史さん:2012/04/09(月) 10:57:26.54
まあ名前の意味なんて考えるだけ無駄のような気もするが
厩戸皇子の弟の名前は来目皇子、殖栗皇子、茨田皇子、麻呂古皇子、田目皇子だけど何か意味あるのかな?
882日本@名無史さん:2012/04/09(月) 11:22:25.51
江戸時代はよくテレビでドラマ化されていますが、
学者(特に三都)では、パックス・トクガワーナ、エコ社会と美化します。
江戸時代はそんなに素晴らしい時代なのでしょうか?
883日本@名無史さん:2012/04/09(月) 12:02:19.73
>>882
大坂の陣と幕末と島原の乱を別にすれば260年の平和が続いたんだからパックス・トクガワーナで
良いんじゃない。
884日本@名無史さん:2012/04/09(月) 13:48:01.27
>>882
若者よ、長期平和について私はかつてキミと同じような質問をした
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1294291331/52-

趙匡胤とアウグストゥスと家康、戦乱期の後に長期平和を築いた人物は少ない。

エコ社会については「逆のぼり日本史」で否定されてた
江戸時代初期はむしろ資源消尽社会だと
ある時点で持続可能社会に変換したとのこと
885884:2012/04/09(月) 14:13:42.57
一応、平和はかけがえのないものという考えでのものです
平和に価値をおかなければまた違うでしょう
江戸時代の西洋人の紀行文では貧しくとも笑い顔の絶えないよい社会と書かれている
886日本@名無史さん:2012/04/09(月) 17:38:30.46
>>880
日本書紀に「うまやど」という読みが振ってあるわけじゃないよ。
厩戸は現代の学者が任意的に使っている読み方。
「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むか「やまとこく」と読むかみたいなもんだ。
ルビが振ってないから当時の人が何て読んだか定説がないんだよ。
887日本@名無史さん:2012/04/09(月) 17:43:07.40
消費というのはムダがないという意味では
江戸時代は完璧。
ゴミや糞尿の処理をどうしてたと思う。
食べ物を捨ててる現代の学者もどきに
言われたくはないだろうなぁ。
888日本@名無史さん:2012/04/09(月) 18:08:39.72
威張るなよ
889日本@名無史さん:2012/04/09(月) 19:25:55.53
>>879
やっぱつけないのが普通か
解説サンクス。すっきりした
890846:2012/04/09(月) 21:10:10.85
>>886
読み方が複数あってどう読むかで成り立つ説と成り立たない説があるんだから
任意じゃすまないでしょ。
馬小屋付近で産まれたという文献があり、その説が成り立つためには「うまやど」でなければならないし
>厩戸は「うまやと」でなく「うまやべ」だとする説:井上薫「聖徳太子『異名』論」
>http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/8095fe028a5f7aba89d495ba8d91ff4d
井上薫さんの説が成り立つためには「うまやべ」じゃないとダメだし。

もし今後、新たな記録が発見され井上説が優勢となるようなことがあれば
うまやべの皇子と読むべく注意喚起が必要でしょう。
891日本@名無史さん:2012/04/09(月) 21:30:55.60
なぜ何時までも聖徳太子論争は続くのですかね
小楠公は「まさつら」
「まさゆき」と呼ぶべきかどうか!?とか言われない
「正行」だけでなく「正之」もあったはず…
892日本@名無史さん:2012/04/10(火) 07:59:45.52
>>890
だから、おたくの言っている
「厩戸はうまやどというのが大正解。うまやべとは読めないから
井上氏の説は無理」というのは違うというわけ。
そもそも「厩戸」の読みに定説は出てない、と言ってんの。
893日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:16:55.77
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E8%A1%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

wikipediaの「紫衣事件」の項目には、
「紫衣とは、紫色の法衣や袈裟をいい、古くから宗派を問わず高徳の僧・尼が朝廷から賜った。
僧・尼の尊さを表す物であると同時に、朝廷にとっては収入源の一つでもあった。」
と記述されていますが、なぜ紫衣が朝廷の収入になるのですか?
894日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:01:34.11
養老律令は明治維新まで廃止されませんでした。

そのため律令制の定める位階による、衣服の色・形式の制限が
律令制崩壊後の平安中期以降も明治維新まで、公式の場では持続します。

つまり、朝廷で然るべき位階を得ないと、衣服として公式の場で使えない色があるわけです。
895893:2012/04/11(水) 00:03:36.21
>>894
ということは、僧侶は位階を得るために
朝廷に寄進というか、貢ぎ物をするということですか?
896日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:26:35.95
>>895
現代だって資格とかにはお金がついて回る。
897日本@名無史さん:2012/04/11(水) 18:19:16.23
僧侶たち、そこまで腐っていたのか
僧が朝廷から位をもらってどうするというんだ?
これは悪習を断ち切ってくれた徳川幕府に感謝すべきことだろ
898日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:08:27.51
>>897
江戸幕府だって僧侶を重用してたじゃん

寛永寺の天台座主は都から迎えた親王だったが
多くは徳川将軍の猶子になってたぞ
899日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:47:01.56
おかげで明治維新で不遇だった神道系が逆襲したんだよね
900日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:52:52.35
士民問わず江戸時代には仏教界に対してかなり不満が高まってたらしいね。
901日本@名無史さん:2012/04/12(木) 00:39:28.39
>>897
元々、日本の仏教は朝廷から独立した存在じゃないぞ。

当初は出家することさえ朝廷から許可を得なければならなかったほど。
朝廷の許可無く出家したら罪人扱いだったんだ。

その風習の延長みたいなもんだろ。
902日本@名無史さん:2012/04/12(木) 08:13:36.62
>>901
へー。
じゃあ白河法皇の三不如意っていうのは、その時代だけ仏教勢力が朝廷の支配下を逃れてたってことなんですか?
903日本@名無史さん:2012/04/12(木) 11:14:32.16
>>902
延暦寺を開いた最澄は官費留学生として唐に渡り、当時最も権威が有ると考えられていた天台宗を
学んで帰る事を期待されていた。最澄は天台宗が既に時代遅れになりつつ有る事に気がついたが、
期限を切られていたため長居する事は許されず、天台宗を持ち帰る事しか出来なかった。
延暦寺と朝廷の関わりは強い。それを逆手に取って、神仏の御意志と称して好き勝手しようとしたって事だろう。
904日本@名無史さん:2012/04/12(木) 12:19:41.03
仏教勢力、という全体的なものではなく
白河法皇に従わなかったのは「延暦寺勢力」と
限定した方がわかりやすい。
強訴と言うのも叡山は土地関係、興福寺は人事関係が多くて
白河法皇の場合は摂関政治で奪われた荘園を回復しようとしてたから
そこで叡山と衝突したということ。
それとテレビでやってるほどしょっちゅう強訴ばかりしてたわけでもない。
普段は普通にうまくやってて損得利害が対立した時だけそうなったわけで
三不如意を拡大解釈して叡山が常時独立存続団体だったように考えると
少しおかしくなる。
もちろんそういう部分は各巨大寺社あったわけなんだけど
単純に「100%こうだった」とは簡単にはラベル貼りはできないということね。
905902:2012/04/12(木) 12:39:09.01
>>903-904
ありがとうございます。
今度は法然、空也、道元らと朝廷の関係を知りたくなってきました。
紫衣事件からいろんな疑問わいてきました。
もしお手間でなければ比叡山、興福寺以外の事情を教えてくださると幸いです。
906日本@名無史さん:2012/04/12(木) 19:02:59.92
私度僧(無許可で得度して僧侶になったひと)禁止条項は、
聖武天皇の時に緩和されたけどな。大仏づくりへの協力を求めるためだったか。

ただ、得度の際に受戒するための戒壇は、まだ国家管理だった。
のち、平安初期になって、延暦寺にもう一つの戒壇が設置され、奈良時代よりは独立色が強くなった。

>>902
現代の内閣で、総理が手を焼くような大臣がいたとしても(というか、いることも多いけど)
制度上はあくまでも、総理大臣が国務大臣を任命してるわけで。

内閣総理大臣が選んで任命するはずの国務大臣がいつも内閣総理大臣の言いなりになるわけではないのと同じじゃないかな
907日本@名無史さん:2012/04/12(木) 19:47:32.13
歴史学かわかりませんが

太郎と花子という名前が最初に使われたのは史実上何時の事
ですか。またその名前が一番流行ったのは何時ですか
908日本@名無史さん:2012/04/12(木) 20:01:37.49
>>907
気になったのでぐぐってみたら太郎の方はwikipediaに載ってた
嵯峨天皇が第一皇子につけたのが最初らしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%83%8E
909902:2012/04/12(木) 20:36:44.73
>>906
わかりやすい説明ありがとうございます
他人の質問に便乗だけど勉強になりました 893さんいい質問してくれて感謝です
910日本@名無史さん:2012/04/13(金) 15:45:03.72
>なぜ紫衣が朝廷の収入になるのですか?

については、平安後期以後、朝廷の官職就任時(除目、任官)の際に礼金のようなものを献上する風習があって、
紫衣についても、官職と同様の扱いだったってだけじゃないのかな。
911日本@名無史さん:2012/04/13(金) 17:02:31.04
>>905
一応平安末期の強訴のあたりの話だったのだけど
もし寺社関係全体の事情と言うことなら伊藤正敏先生の
新書なんかが非常に参考になりますぉ。
そこから個別のお寺の話になっていくというかね。
朝廷、寺社、そして幕府の関係と言うのは各時代それはそれで
とても難しいテーマで学者さんによっていろんな解釈がある。
一つの本だけでなくいろんなのを読んで自分で考えられる様になると
これまた歴史がより面白くなりますわね。
上からマリコで申し訳ないが。
912日本@名無史さん:2012/04/13(金) 17:50:56.19
>>910-911
ありがとうございます
寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)
無縁所の中世 (ちくま新書)
という本がありますね
寺社勢力の〜はアマゾンのレビューよると力作・良書みたいです
913日本@名無史さん:2012/04/15(日) 00:00:00.06
H24/03/29 参院総務委 (http://www.youtube.com/watch?v=qZOXpA598ZU) より
片山さつきの発言

>皇帝が上位で王は下位。
>天皇は皇帝と同等であるから、王とは絶対に呼ばない。
>少なくとも 明治以降の我々のこのような考え方からいうと、非常に違和感があり・・・

そういうものなのですか?
914日本@名無史さん:2012/04/15(日) 00:10:13.10
>>913
上位下位というのが既に違和感。清の冊封体制の時代の発想だ。
915日本@名無史さん:2012/04/15(日) 09:50:18.05
呼称なんか気にしない一般民間人と公式な
立場の人とは発想は違うだろう。
さつきの場合は単に初歩の歴史知識自慢というぐらいの
ものだろうけどね。
一応は国営放送の歴史大河といわれる番組で使用するには
違和感がある表現というのが普通で
「そういうのもの」といえばそうだろうね。
916日本@名無史さん:2012/04/15(日) 19:48:12.59
>>915
当時の公家の日記とかで、常用されていた表現だから採用したんだろうが。
文句が言いたかったら、当時の公家に直接言え。
917日本@名無史さん:2012/04/15(日) 20:53:06.39
このスレでこの質問は畏れ多いんですが。
平氏が滅亡した原因は何か?という質問がテストに出たら、武家的側面が貴族から反発を受け、貴族的側面が武士から反発を〜と答えるのが模範回答だと思います。

貴族的なものとしては荘園経営や天皇との外戚関係などがあると思うんですが、
武士的な政策って何でしたっけ?
大学を卒業してすでに10年経ってしまい、勉強、学問からはだいぶ遠ざかって全く思い出せません。
よろしくお願いします。
918日本@名無史さん:2012/04/15(日) 22:22:04.48
まったく模範回答ではないと思います。
従って武士的な側面云々以前に前提を再検討すべきです。
少なくとも歴史的事象についてそう簡単に原因を言い切れるとしたら学者は要りません。
919日本@名無史さん:2012/04/15(日) 23:07:31.73
>>918
いやいや!高校のテストや大学受験では正解ですよね?少なくとも10数年前、これで正解しました。
確かにくぐっても全くヒットしなかったんだけれど。今は違うのかな。
確かに武士的な側面なんてほとんどなかったようにも思いますが。
920日本@名無史さん:2012/04/15(日) 23:16:26.49
武士的な政策って武力行使なのでは
921日本@名無史さん:2012/04/15(日) 23:42:08.79
>>915
それが正しいとしたらイギリス国王は天皇よりも格下という事になってしまうので外交的に非常にマズい。
922日本@名無史さん:2012/04/15(日) 23:57:59.32
>>921
つ大英帝国
まあイギリス連邦の皇帝であるのは事実だし
923日本@名無史さん:2012/04/16(月) 00:04:06.87
>>921
天皇はエンペラーという自称に実態を持たせるべく大正から昭和初期には背伸びしつつも帝国のかたちをつくりあげていた。
当時はイギリスもイギリス連邦国王兼ムガル皇帝だったから、どちらもエンペラー、だった。
日本は敗戦時に帝国としての体裁のすべてを失い、称号はエンペラーだが実質はキングとなった。
イギリスもインド独立などで皇帝ではなくなったが、今もイギリス連邦という多くの国々にクンリンスル王であり、現存する国王たちの中では最もエンペラー的な存在だ。
とはいえ、王朝の存続期間という点では天皇家は群を抜いているのはたしか。
924日本@名無史さん:2012/04/16(月) 00:33:19.81
>>915の(実態はともかく)呼称を気にする立場での問題提起だから。
大英帝国なんて言ってるのは日本だけだし。
925日本@名無史さん:2012/04/16(月) 10:16:47.21
>>924
大英帝国は大航海時代以降、イギリスで使われたBritish Empireの和訳
United Kingdomがイギリス本土のみを指す号なのに対して
British Empireは植民地も含めたイギリスの全支配地を表す語だった
第2次世界大戦後、戦勝国ですら植民地を持つことが否定され
British Empireの号も使われなくなった
926日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:00:08.56
「日本」国号は7世紀後半に始まったとされています
ただ「日本武尊」などの表記から、最初は「やまと」だったのでしょうか
それが「にほん」とかなで表記されている最初の文献はわかっているのですか?
927日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:10:07.89
>>926
日本書紀の記事に有ります。
『日本書紀』巻之第一 神代上 第四段
「日本、此云耶麻騰。下皆效此」(日本、これヤマトと言う。下は皆これにならえ)
国号を漢字表記で『日本』と書くけど読みはこれまで通り『ヤマト』だからそこんとこヨロシク、って事です。
928日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:11:59.72
>>926
あー、質問の意味を間違えた。いつから『にほん』と呼んだかはよく判りません。
929日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:19:52.51
>>926
「新羅本記」では670年に倭が国号を日本と改めたと書いている
おそらく文字としての日本が定着したのはこれ以降
日本の和語である「にほん(にっぽん)」もこの漢字ができてからの読みだろう
それ以前のやまとに「日本」を宛てるのは後世の書物の宛て字だろうね
930日本@名無史さん:2012/04/16(月) 15:24:13.27
日本という漢字をいつごろから「にほん」と読むようになったか?って質問だよね
931日本@名無史さん:2012/04/16(月) 15:47:09.46
>>930
「日本」という漢字の読みはもともと「にほん」だよ
「日本」を「やまと」と読むのが日本書紀成立以降の特殊文字だろう
932日本@名無史さん:2012/04/16(月) 16:13:20.30
>>931
ふむふむ。
では日本書紀以前は「日本」を「にほん」と読んでいたと?
で、当時「にほん」という言葉は何を指していたのでしょうか?
この国のことですか?
933日本@名無史さん:2012/04/16(月) 16:19:08.46
普通の理解では
自称『ヤマト』→中国側の表記『倭』→『倭』を『ヤマト』の表記として受け入れる
→『倭』の表記を『日本』に改める(読みは『ヤマト』)→『日本』の表記を中国側で『ジッパン』とか
向こう流に発音する→『日本』の読みとして『ニッポン』が一般化して行く
って流れだと思うが。
934日本@名無史さん:2012/04/16(月) 16:30:51.56
>>932
「日本」という言葉は670年に国号として成立した。
それ以前にこの言葉はなかった。
そして日本の漢字を普通に日本語読みすれば「にほん」だ。
しかし、口語では670年以前の国号はやまとだ。
そこで、日本書紀では日本という漢字にやまとという読みを当てはめた。
935日本@名無史さん:2012/04/16(月) 17:06:49.31
>>920
917です。ありがとうございます。
保元平治の乱を経ているし、鹿ケ谷とかも雑兵を使ったりしたんでしたっけ。そういうことですね、きっと。
そう教わった気がしました(あやふやですみません)。スッキリしました。
936日本@名無史さん:2012/04/16(月) 17:21:52.49
>>934
それ、質問にぜんぜん答えてないじゃんw
答えるつもりのない人はレスしないほうがいいよ
質問の主旨が理解できない人もレスしないほうがいい
937日本@名無史さん:2012/04/16(月) 17:45:13.12
>>936
はいはい、君は「日本書紀」は「やまとしょき」だと読む人ですよね。
君も意味不明な質問しないように。
938日本@名無史さん:2012/04/16(月) 17:48:13.78
そもそも古代にはハ行をパ行で発音してたからな
ニホンという読み方は中世以降のものだとか
939日本@名無史さん:2012/04/16(月) 17:51:21.46
>>938
それを言い出すと日本語のほとんどが全く別の言葉になるよ
そもそも古代には濁点も破裂音もなかったんだから
940日本@名無史さん:2012/04/16(月) 18:02:22.79
>>937
ごめんね、まじめに答えてくれてたんだね

日本書紀は「やまとぶみ」とも読むらしい。専門家じゃないかぎり現代ではにほんしょきだよね
941日本@名無史さん:2012/04/17(火) 08:22:53.20
926だけど、回答してくれた人たち、ありがとう
いろいろと勉強になりました

ところで、ボクの考えだが、
「日本」の読みは、中国では元々音読みなので、「日本」の国号を中国に伝えた当初から
中国人は「じっぽん」とか[にっぽん」とか発音していたのではないかと考えています
ただ、日本国内で日本人自身は、漢字は「日本」でも、発音は「やまと」だった

なぜそう考えるかと言うと、日本書紀には「日本武尊」や「神日本磐余彦命」と表記があるし
9世紀半ばの仁明天皇の時代まであった和風し号に「日本根子・・・」とあるから

だから、日本書紀だけでなく、続日本紀や日本霊異記も今僕たちが発音しているような
「しょくにほんぎ」や「にほんりょういき」ではなかったと考えている

それが、中国と交流しているうちに、「にほん」「にっぽん」が
日本国内でも広く普及するようになったと・・・。

ただ、深く勉強したわけではないので、自信があるわけではないけれど、
また調べてみます。
942日本@名無史さん:2012/04/17(火) 10:43:22.76
>>941
ウィキの丸写しだね。
ここで聞くほどのことではなかったのでは?

中国語の「ジッポン」という読みをそのまま輸入して
中国語を国号にしたというのならば「にっぽん」が正しい
しかし日本国内では7割が「にほん」という読みを使っている
矛盾が多い
943日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:43:08.91
>>942
ボクが本当に聞きたかったのは以下の点なんですけどね。
ウィキ見てわかるようなことをいちいち聞きません

>それが「にほん」と、かなで表記されている最初の文献はわかっているのですか?

944日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:48:02.56
>>943
だったら>>941は見当違いな書き込みだね
最初の質問と全く趣旨の異なる書き込みをしている
945日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:10:47.66
>>944
ボケ!!
そんなことをお前なんかに言われる筋合いはないわw
人の問いに答えられんバカが、いちいち相手してくるなw
946日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:18:21.60
博士と雨季とどちらがより真実より遠いの?
947日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:31:56.21
『ひのもと』(日本、日下)読みは?
948日本@名無史さん:2012/04/17(火) 17:55:20.99
>>945
まだ自分の過ちに気づいてないなw
随分何日もこのスレに一日中貼りついていても
君のレスに誰一人答えを書いてくれない理由が分かる?
お馬鹿君。
949日本@名無史さん:2012/04/17(火) 20:32:55.89
真摯に答えてくれてるカキコあるでしょ

質問の粗をつつくだけの人もいるけど
そういう人はレスしないでほしいね
950日本@名無史さん:2012/04/18(水) 09:20:12.02
>>949
どれ?
本人は「誰も答えてくれていない」と言っては
質問と何の関係のないウィキの丸写しを「俺の考え」と書いてはスレ汚し
951日本@名無史さん:2012/04/18(水) 09:20:55.75
>>949
だから、お前が答えてあげたらいいんじゃないの?
質問と関係のないカキコ続けさせたいの?
952日本@名無史さん:2012/04/18(水) 13:48:46.06
ボケと言われて、よほど腹が立ったのかww
いつまで、そんな話を続けているんだよ
可哀想な奴ww
953日本@名無史さん:2012/04/18(水) 14:23:29.05
>>952
他人にボケとバカしかいえない可哀想な無職が
誰からもレス返してもらえなくて今日も発狂

いいから仕事に行けよ
954日本@名無史さん:2012/04/19(木) 00:05:20.30
質問です
723年に決まった三世一身法では墾田の取り決めがありますが
この朝廷から支給された口分田とは別の
"個人が新たに開いた田畑"でとれた稲などは課税対象にならなかったのですか?
955日本@名無史さん:2012/04/19(木) 00:32:56.19
すみません、誤爆です。
956日本@名無史さん:2012/04/19(木) 02:25:04.53
一日をイチジツと読む事も出来る事を考えれば、元々はジッポン、ジーポンだったんだろうな。
日本書紀が対外的な外交文書の一種だった事を考えあわせれば、さらにその可能性は高い。
いちにち、ふつか、みっかという言い方が大和言葉と中国音の混用で間違っているように、
大和言葉と中国音は、ある時期までは明確に分けられていたのだろう。

中国が「中国でなくなっ」たと日本人が認識したのは、間違いなく元朝以降だろう。
夷蛮に征服されたわけだから、それまでに持っていた権威は少なからず失墜したはずだ。
加えて武士の隆盛で、日本が大陸崇拝の呪縛から解き放され真に独自の文化を生み出しはじめたのもこの辺り。
ジーポンが全く使われなくなってにほんになったのはこの辺りの時期じゃないか?
957日本@名無史さん:2012/04/19(木) 04:24:56.56
カナなんて大陸の象徴である漢字からの脱却そのものだろ
958日本@名無史さん:2012/04/19(木) 04:44:50.99
菅原道真が「もはや唐から学ぶものは無い」と言った時、皆同じ考えだったからそれで決まった訳だろ。
じゃなかったら藤原氏の目論見どおり道真は遣唐使として海の藻屑になったり長安で客死したりして
いたかも知れない。
959日本@名無史さん:2012/04/19(木) 05:30:41.73
漢字音の研究から、
日 の読みは古くはニチ、のち、遊牧民の侵入の影響でジツ
同様に、ホン→ポン
日本という表記の成立時期によって、どちらが最初かは不明なんだよな
唐は遊牧民国家(征服王朝)で、その音を採用したならジッポンみたい発音だったろうけど。
漢字音を唐音に統一する法律が出るよりは日本 表記のほうが古いはずではあるけど。
960日本@名無史さん:2012/04/19(木) 05:55:06.68
中国にとって日本は未知の蛮国で、普段直接交流あったのは遊牧の商人達だったろう。
情報源である彼らの発音をそのまま採用したとしても不思議は無いね。


961日本@名無史さん:2012/04/19(木) 23:47:17.58
>>956
・もともとは漢字の音読みとしては上古音で読んでたはずだが(いわゆる呉音の原型)
奈良時代初頭頃だったか、唐音で読むように法律が出された。(こちらが漢音の原型)

上古音は百済経由で日本に入ったらしい。中国との正式交渉が始まった後で唐音に統一しようとした。
が、仏教界が抵抗して上古音(呉音)を使い続けた影響で、仏教用語だけは呉音が用いられるわけだ。

・大和言葉との対応がない輸入語は中国音で読むしかないから音読み。
対するに、漢語を用いることのない、もっぱら大和言葉で用いる語もある。
それらを組み合わせた熟語が作られてしまえば、重箱読みとか湯桶読みの、和漢混成の読み方になってしまう。
意外と古くからあると思うよ。

・>中国が「中国でなくなっ」たと
正式な意味では、中国が非中国化したのは五胡十六国の乱によって非中国系の王朝が河北を支配したときから。
北魏の時代でも、まだまだかなり非中国的だった。隋唐の頃には改善して、北魏の頃よりは中国的になったとは言え、
まだまだそれなりに遊牧系の非中国的な文化だったはずだ。


んで。
959のいうように。
日本という名称を音読みするようになった時期が早ければ呉音全盛だから「にほん」だし、
遅ければ唐音へ統一されてるから「じっぽん」だったはずなんだが、さてね。

>>960 それは違うようだぞ。
962日本@名無史さん:2012/04/19(木) 23:53:39.42
「ひのもと」が先か「日本」が先か
963日本@名無史さん:2012/04/20(金) 00:09:28.84
國學院出身の高校の先生が「……昔の東大の連中は、用意されたストーリーに歴史を当てはめていくという歪んだ史学をやっていた……」と言っていたのですが、
これは唯物史観のことを言っているのでしょうか?
964日本@名無史さん:2012/04/20(金) 02:01:25.14
そんなの本人に聞けばいいじゃん
965日本@名無史さん:2012/04/20(金) 07:56:48.92
日本史ものの番組で面白くて勉強になるオススメの番組ってある?
966日本@名無史さん:2012/04/20(金) 09:26:11.08
>>963
でしょな。今でもその生き残りがウジャウジャしてるよ。
967日本@名無史さん:2012/04/20(金) 12:42:39.54
>>965
選ぶ余地が有るか?NHKの「ヒストリア」とTBSのアレ(タイトル忘れた)しかないだろ。
あえて他を探せばEテレの高校講座。

>>962
「日本」の由来を枕詞とする説に乗れば、「ひのもと」が先。「ヤマト」の枕詞として「ひのもと」があって
その表記としての「日本」が「ヤマト」の表記になったとする。ただし枕詞としての使用例が見つかっていない。

普通は「日本」の表記が先でジッパンとかニッポンとか呼んでいたのを訓読みして「ひのもと」と読んでみた、と考える。
968日本@名無史さん:2012/04/20(金) 17:00:11.96
一応さかのぼり日本史なんて番組もあるよ
為になるかは分からないが、タイムスクープハンターも始まったな
969日本@名無史さん:2012/04/20(金) 17:41:04.44
忘れてたよタイムスクープハンター。
古代は古語使ってるのに大正時代は現代語っぽかったけどあれで正しいのか?
970日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:00:31.80
>>969の両親や爺さん婆さんはどういう言葉で喋っていたのだろうか
971日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:18:13.19
>>970
俺は福島だがバァさんは新潟なので会話にならなかった。
972日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:24:19.07
>>963
戦前の、皇国史観全盛期も同様だぞ。
大正時代に天皇機関説が排撃された以後には、特に。

必ずしも唯物史観の話だけに限らない。

>>967
普通の説に従えば、「ひのもと」読みが定着する時期は江戸時代としか考えられないよなあ...

異説として、「ひのもとだいしょうぐん」とかあるらしいけど、あれの信憑性ってあるんだっけ?
973日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:39:49.83
>日本史ものの番組で面白くて勉強になるオススメの番組

>選ぶ余地が有るか?

キワード登録で「歴史」とか「城」を設定しておくと週に十数本ぐらいはBSの番組が録画されると思うぉ
まぁ日本史は5〜6ぐらいかな
974日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:40:31.17
キワード

キーワード
975日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:48:23.73
ありがとう、やっぱNHKだな。歴史ヒストリア見てみる。
976現在9927票:2012/04/20(金) 21:17:02.55
署名活動に協力しておくれ

ホワイトハウスに、『日本海の名前を変えるな』という意見を送る。
最低25000人の署名が必要だ。

署名はここから出来る。:ttp://wh.gov▲/UCX
投票方法の解説はこちら。:ttp://www.gogakudojo.▲com/article9/index.html

書き込み規制かかってるんで、▲をとっておくれ
977日本@名無史さん:2012/04/22(日) 03:34:57.75
ニコニコ動画にも日本史の動画がいっぱいあるよ
残念ながら世界史の動画には質、量ともに劣るが
978日本@名無史さん:2012/04/22(日) 15:17:57.43
>>977
で?
979日本@名無史さん:2012/04/22(日) 17:19:46.50
下品な質問ですみませんが、
近代以前の売春婦はどうやって避妊していたのでしょうか?
980日本@名無史さん:2012/04/22(日) 19:01:27.99
堕胎罪が無かった時代だから堕胎専門医のところへ行った
981日本@名無史さん:2012/04/22(日) 21:20:32.39
靖国神社でのA級戦犯合祀がいろいろと物議を醸してますし、昭和天皇や今上陛下も
A級戦犯合祀に不快感を示して靖国神社参拝をしなくなったと聞きます
なぜ天皇陛下が不快感を示すような「A級戦犯合祀」という事態になったのでしょうか?
また、それはもう取り返しのつかないことなんでしょうか?


982日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:51:57.82
軍人じゃない広田弘毅が祀られたからかな?
983日本@名無史さん:2012/04/22(日) 23:03:14.81
>>980
なるほど、堕胎という手がありましたか。
調べてみたら堕胎ってけっこう昔からあったんですね。
避妊も堕胎も明治以降かと思ってました。
984日本@名無史さん:2012/04/22(日) 23:06:34.72
>>981
少なくとも靖国関係者は、
「すでに一体化・融合してしまって、分離させることなど不可能」と言ってるよ。
つまり「もう取り返しがつかない」説。

先帝が特に不快感を示したのはたしか、国際連盟脱退事件の総責任者らしい彼の合祀の件じゃなかったっけ?
985日本@名無史さん:2012/04/22(日) 23:31:14.20
>>981
いわゆるA級戦犯の合祀を行ったのは、当時靖国神社の宮司だった松平永芳という人です。
合祀の理由は以下のサイトに書いてなりますが、
私見を言わせてもらいますと、松平氏という人は一種の朱子学原理主義者であり、
結果を予測して柔軟に行動するということができない人だったのではないかと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B0%B8%E8%8A%B3
986日本@名無史さん:2012/04/23(月) 01:19:53.84
売春婦が避妊せずに堕胎してたら商売にならないし体壊すし。
まあ質問者が納得してるからいいってことにするか。
987日本@名無史さん:2012/04/23(月) 01:35:10.84
よくないです。他に正解があるならぜひ教えてください。
988日本@名無史さん:2012/04/23(月) 09:11:31.36
>>979>>986
実際に効き目は定かではないが膣の中に懐紙を入れて
精子を吸い取らせるという避妊法が江戸時代にあったらしい。
また、妊娠してしまえば堕胎薬で降ろすぐらいしか方法がなく、
これは水銀を子宮に入れて胎児を殺し流産させるというものだった。
水銀は猛毒なので、下手をすれば母体自体も死んでしまう。

遊女は体を壊す商売だったというのは事実。
江戸時代、吉原遊女の平均寿命はわずか22歳(大江戸博物館データ)。
989日本@名無史さん:2012/04/23(月) 14:33:07.86
図会なんかにも、なんとか流、って堕胎の宣伝看板が載ってたりするね。
990日本@名無史さん:2012/04/23(月) 17:08:01.15
>>988
ありがとうございました。
991日本@名無史さん
>>990
では、明るい家族計画を!