>>698 その百済は日本に人質を出していたのだが?
百済王も日本で生まれている
百済王を任命していたのは天皇だぞw
無知恥ずかしいなwww
702 :
日本@名無史さん:2013/04/21(日) 14:58:37.76
百済王子が糞ジャップを治めるために派遣されていたことがそんなに誇らしいのか
朝鮮人ってそんなこと本気で信じてんの?
民族主義に囚われた人間はどこの国でも似たようなもの。
>>702 人質を出している方が服従しているのよ … これ世界の常識だからね。悪いけど。
>>656 農耕がはじまると土器のつくりは雑になるよね
>>707 世界的に見て考古学的には、狩猟から農耕民に移行すると
祭祀が単純になり広場が減り、行動が家族単位に変化して行く
古代人の狩猟は個人で行っていたと思われるけど
集団で緻密に協力して行っていたようだ
だから人を纏める何か神秘的な物が必要だったのだろう
709 :
日本@名無史さん:2013/04/23(火) 12:26:50.34
>706
初期農業が始まる縄文時代後期なんかは
土器が簡素化はするけど緻密になっていくので
雑になっているとは違う気がしますね
造りは薄く紋様と装飾も少なく小さく簡単に
土器の造形は大きく変わるもの
>>709 縄文時代後期には未だ農業がはじまってないでしょ。はじまったとしても社会を変えてしまうほど本格的で大がかりなものではない。
弥生土器も縄文土器も作る技術は同じなんだが
形が変わっただけ
あと土偶は厚さ数ミリしか無いよ
縄文農耕論か。何でも年代引き上げればいいってもんじゃないな。
716 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 22:13:37.33
三内丸山でも栗の栽培をしていた
717 :
日本@名無史さん:2013/04/25(木) 11:43:06.20
未開な採取文明に過ぎなかった縄文土人に
ある時急激に農業が誕生する
これはどう考えても16500年前から水田で稲を育てていた
百済系大韓民族による縄文土人の支配
あるいは縄文土人が自ら先進文明である大韓文明の支配下に
入ったという事であろう
だから日本で水田が普及し始めた時期に
百済なんて国は無かった
しかもそのは倭の領土だった
719 :
日本@名無史さん:2013/04/25(木) 12:05:10.35
厳密に表現すると古朝鮮帝国の百済地方人やね
古朝鮮帝国wwwwwww
中国の歴史書に朝鮮の戸数が書いてあるから読んだら?
国とも呼べない弱小な勢力しか無かったぞ
721 :
日本@名無史さん:2013/04/25(木) 19:26:10.42
>717
16500年前って
日本は無文土器出てますけど朝鮮半島は旧石器時代の遺跡しか出ないじゃないですか
しかもその後は遺跡全然出ない時代が5000年も続くし
水田跡が出るってどこの朝鮮半島ですか
よく引き合いに出される蔚山の遺跡は遡っても4000年だし
どこの文献にあるんですかね、この16500年前って
722 :
日本@名無史さん:2013/04/25(木) 21:54:37.74
あまり乗っかるのもどうかと思うが、敢えて言わせてもらおう。
世界五大文明だの、コリアン文明だの妄想先行の連中だから、なんでも捏造するわな。
半万年属国の華々しい歴史を教えたら良かろうにのぅ。
縄文時代、三内丸山でクリを栽培しているから「農業文明」っていうのも何だかな。そういう議論に乗っかるのは
学術的にはかなり恥ずかしいとは思うな。
724 :
日本@名無史さん:2013/04/26(金) 00:41:48.97
此処で誰か農業文明とか言ってた?
縄文農業とか言ってるやつらもコリアン文明とか言ってるやつらも国は違うが同じレベルだな
>>725は妄想ばかりで現実を受け容れられない低レベルのゴミ在チョンだが
縄文農業論は至ってまともな学説。
自分と同レベルに貶めようとしてはいけないよ
>>726 まともな人はそんなことは言ってないぞ。誰が言ってんだ? w
栗を栽培するのも、転々と移る焼き畑農業も、西欧のような粗雑な天水農業も
農業。実際に在った物、行われていた事を否定するのは無理筋だよキミ
クリの栽培はじまったからといって採集生活やめたってわけではあるまい。つか、
採集=未開というふうに考えている時点で、縄文農業論者とコリアン文明論者は
両方ウンコ。そもそもそこが間違っておるw
江戸時代も農業やっていても魚は捕っていたし
木の実の採取もしていた
主食が栗であれば完全な農業だぞ
オマエの主張の論点は何?
縄文時代に農業が無いと言い張るのはかなり時代遅れの老害か
まともな知識を持っていない奴だけだぞ
縄文人は何を食べていたか ― 新しい科学が明らかにする日常
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/021/ss_1.html#2 >東北地方では,ヒエ,ヒョウタン,ゴボウ,エゴマ,アサなどの種子が発見されており,
>栽培植物が食料として利用されていた可能性が高い。
>佐藤洋一郎氏(静岡大学助教授)が出土したクリの実のDNA分析によって,
>クリが栽培されていたと考えられるデータを出した。
>集落規模の大きさから,クリが主食としての役割を果たしていたと私は考えている。
>>729 反論はしないのかねウンコリアン族の子孫くん
733 :
656:2013/04/26(金) 18:53:57.35
皆さんの主張の論点は理解しました。
私の議論にお付き合いしていだだいて
とても感謝しています。
気になった所はまだいっぱいあります。
何故、弥生人の頭蓋骨の歯列が乱れた
のですか?現代日本人の歯は縄文人や
ポリネシア人の奥歯と全然違います。
やはり根拠にも説明にもなってないです。
皆さんはどう考えますか?
>>731 申し訳ないんだが、どこに「農業」という言葉がありますか。
あんまり安易に縄文文化は農耕文化だとか、栽培植物があるから農業社会だとか
言ってもらっちゃ困るんだけどね。専門家のターミノロジーを少し学んだ方が良
いんじゃ?
申し訳ないんだがどこに「農耕文化」「農業社会」という言葉がありますか。
さっきから藁人形論法ばっかりだねこの人。
>>739 でも、実際問題として縄文時代を「農耕文化」「農耕段階に達した社会」というふうに
とらえる考古学者は、少なくとも主流ではないよね。貴方の周囲はわからんが、決して
多くはないと思いますよ。三内丸山遺跡が騒がれたのは20年も前の話だから、クリの
栽培の話は誰でも知っているけど、しかし、だからといって「農業開始」というふうに
はならなかったわけですよね。そういう騒がれ方はしなかった。むしろ、採集生活にお
ける豊穣さ・内容の深さが話題になってきたんだね。言い換えれば、《人工林のクリを
採集して主食にする巨大集落があった=縄文時代の日本列島がすっぽり農業社会に突入
していた》という結び付け方は一般的じゃなかったわけだ。もっと言うなら、縄文文化
は基本的には採集を基盤とする文化だとみなすべきであり、多くの考古学者が指摘して
いるように、縄文文化は、採集段階の文化としては人類史的には稀なくらい人口密度の
高い、内容的にも高度の物質的(おそらくは精神的にも)内実を備えた文化だったとと
らえるべきなのだと思う。もし、貴兄が「採集文化なのだから遅れている、未開だ」「採
集文化って恥ずかしい」そういう感じ方なら縄文時代については何も語らないでいただ
きたい。
>>740 何所に「農耕文化」「農耕段階に達した社会」と書かれているか
レス番をアンカーしてみようか。
まあ、そんなものは無いのだから不可能だけどねw
話を自分の都合ですり替え、自分の願望に沿うよう捏造し
自分の捏造した話を元に相手に難癖を付けるとは
正に人間の屑、下種の極み、チョンの同胞と言える
>>740 栗の栽培は農業
在チョンの願望ではなく、農業の定義に従えば、ね。
>>741 「農業文明」と「採集=未開という考え」も追加でw
>>733 渡来人(弥生系)が先住民(縄文系)支配された
つまり大きな戦争にならずに吸収された
これだけで説明が付くが?
どこに疑問が有るの?
745 :
日本@名無史さん:2013/04/27(土) 02:49:02.53
>>740 >人工林のクリを採集して主食にする
こういう言い方、おかしくないか。
現代人も人工の稲を採集して主食にしてるってことになるよ。
人工のブドウを採取して主な飲料に
人工のバナナを採取して主なおやつに
クリの栽培は林業じゃないのか?
>>747 りんごの栽培は林業か?
みかんは林業か?
柿は林業か?
栗を多く栽培出荷してる人を栗農家と言うぞ
林業なのは幹の方w
752 :
日本@名無史さん:2013/04/27(土) 12:00:21.61
>>751 縄文時代に出荷? 商品作物がつくられていたとか?
>>752 黒曜石、翡翠、貝殻の加工品は交易として使われていたから
当然食品も交易として使われていたと考えられる
海で穫れた物が内陸部でも見つかるぞ
石器も専門的に加工する集団が居てそれが広い範囲で発見される
漆塗りの器や装飾品も発見されている
その能力はすごいと言わざるを得ない
しかも南方産のタカラ貝も見つかり、これが貨幣として使われていた可能性すら有る
>>751 クリに関しては幹の方が大事だったかもしれんな。三内丸山の掘建柱建物はクリ材だったからね。
ただ、クリの実だけで縄文人が生活できていたとは思えんな。もし、それができていたら、それ
こそ農耕文明だ。
縄文時代には工業もあったし、商業もあった。そういうこと言っていても仕方ないわなw
>>752 半島南部では紀元後1000年経っても商品作物など作られていなかった
つまり、新羅では農業が行われていなかったという事
758 :
656:2013/04/27(土) 19:25:42.47
どうも、又来ました。
弥生人は日本の歴史の中で現代日本人の次に
高身長な人々だったそうですね?
これは水田農耕と豚等の家畜を食べる様に
なって栄養状態が良くなったのが要因ですか?
ならなぜ、後の時代になったら平均身長が
低くなったのでしょうか?本当は渡来人が
大量に押し寄せて来たのが原因では?そして
徐々に混血が進んで身長も低くなったと
考える事は出来ませんか?
弥生人の祖先が縄文人だとはどうしても思え
ないのですが・・・反論とかありますか?
>>758 現代の日本人が身長が一番高くて
一番低かった時代は江戸時代後期
渡来人が大量に来てない事は明白であり
生活環境の変化で身長が縄文→弥生時代よりアップしてる事が証明できる
あと数百年前のフランスも平均身長が160cmぐらいだった
これも今は高い
ついでに言うと現代韓国人の身長は日本人より低いという統計が出ている
>>759補足
つまり背の高さというのはまったく当てにならない指標
でも弥生人は渡来人だと思うよ
鼻の高さがまったく違う、弥生人は鼻が低い
ただ水田が普及した時期に戦争の形跡がまったく無いんだよ
逆に青森と九州が親密に交流していた形跡が有る
鼻骨は朽ち易く残らないので
鼻の高さは学術的な推測が出来無いんだよね
762 :
日本@名無史さん:2013/04/27(土) 23:42:56.60
鼻が高いのはコーカソイド大韓民族の特徴やね
ウォンビンさんのような高鼻は大韓では珍しくないが
我々ジャップには存在しない
コラ、日本人のフリするな!
ヒント:チンコと鼻のデカさの相関性
一般的には弥生人は鼻は低い・細いのに対し、縄文人は鼻が立派だったようだね。現在でも、沖縄・南九州の人、
東北・北海道の人は鼻が高い傾向がある。
766 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 11:16:28.96
そんな傾向ねーよ。太いだけだよ
有 る よ
768 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 13:45:18.23
弥生人をどう定義して言っているのかな?。稲作農業を日本に持ち込んだ人達
と定義するなら、大方の弥生人とは中国江南地方から移住して来た人達になる。
韓国半島は日本から稲作が伝わったことが歴史上の定説だから、韓国半島南部
の住人は弥生人の子孫だという可能性が高い。
わかるのは縄文人は額が張り出し鼻の根本が窪んでて
渡来系弥生人は額と鼻の根本が平坦ってことぐらいじゃ
>>770 それも解らない。
縄文時代の人骨は額と眉間の平坦な方が多い
775 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 17:10:20.98
>758
縄文人 低身長
弥生人 高身長
以後江戸時代まで 低身長
現代人 高身長
身長で縄文人と弥生人が別人種と言えるなら
つまり現代人は江戸時代と違う人種ということですか
>縄文時代の人骨は額と眉間の平坦な方が多い
>早期、前期の人骨は全国的に出土数が非常に少ないのですが
>眉間とそれに続く眉弓の発達は弱く
>縄文人骨236体の計測値で最大値を示す出現頻度は
>初期から晩期に掛け直線的に増える
>>782 だからその縄文人の方が鼻が高いのだよ
まだ分からないの?
アジア人が扁平顔と言われてるのに
無い物は来れないぞ
朝鮮人の鼻が高いって言うのか
どんな妄想に浸っているんだかw
>>783 ちゃんと
>>782を読んだかね?
眉間とそれに続く眉弓の発達は弱く、と書いてある。
早期の華奢な骨格から晩期の角張った骨格へ変化した、と書いてある。
>縄文人の方が鼻が高い
という主張自体が誤り
>>785 だからそれは縄文人同士の比較
弥生人はそれよりずっと眉弓が低いのだぞ
弥生人の方が鼻が高いなんて言ってる奴は誰もいない
世界でオマエだけだ
788 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 20:12:25.11
>>788 そりゃ元にも清にも支配されりゃコーカソイドの血が混じった雑種ができるだろうよ
>>787 オマエの願望は要らないよ。鼻骨は残らない
>>782にある人骨群は弥生時代の物と眉弓の高さが変わり映え無い
792 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:10:55.43
>>790 すごいな、早期の縄文人と弥生人が同じだって事かw
だったら弥生人の渡来はまったく無くとも骨格は変わると言う証明だなwww
>>788 それ、半島に残った縄文人の子孫だな
もしかして南部出身か?
コーカソイドが何故半島に居るの?
モンゴル人に蹂躙されまくったのにwww
794 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:16:41.08
彫りの深い顔は
朝鮮では非差別民だからなあ
795 :
日本@名無史さん:2013/04/29(月) 23:06:01.17
>>788 全然コーカソイド的じゃねーよw
骨格が違うし、特に目が違う。
日本にもよくいる顔だ。
796 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 01:26:26.39
そもそも
縄文人とはどのどの年代のどの地域の縄文人であり
弥生人はどの年代でどの地域の弥生人であるのか
それも提示しないのでは論に価しない
「弥生文化」は水稲耕作を受容した、生産段階に達した文化ということだけれども、土器・石器・住居などのつくり方は
概ね縄文時代の伝統的な要素を引き継いでいるから、単純に外来文化とは言えんのだな。水稲耕作自体は中国南方で確立
した生業・生産様式であることは確かで、日本は稲作適地だからアッという間に広がったんだね。コメは大人口を養うか
ら人種的要素については難しい。いわゆる縄文人と弥生人が同一遺跡で平和的に共存した事例もあったはず。
798 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 07:10:52.96
とにかくスレタイが間違っている。
「百済は日本の属国だった」というスレタイが歴史上の事実だ。
799 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 15:28:11.34
大和周辺には百斉とか何とかやら帰化人達のコミュニティーが有ったのは確か。
第三十代とされる(日本書紀の外交使節団が来朝した際の一文では第二十代としらっと記述)
敏達(他田/おさだ)天皇(571〜585?)が当初に宮居を置いたのが百済宮。(百済と言う地名に因んだか)
後にオサダ宮に遷座(三輪山麓)。
800 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 15:34:09.88
この頃の前後より日本(大倭国)は明確に親百済。反新羅の政策を祖法、国是のようにしていくようです。
百済とは親しく交流を保つが、新羅からの事物は一応受理しても後に改めて突き返す事を繰り返しています。