金もあり名誉もあり、はたまた苗字帯刀など特権もある。
外見は二本差しに雪駄を履き絹服を着、屋敷は塀はあり門あり
玄関、書院造。傍から見ればどこの殿様か上士か?
しかし、身分は徒歩より下・・・が、家の歴史、プライドは
下手な侍には負けない。
語りましょう。
大部分の郷士は足軽、浪人程度の身分だが、徒歩より上層のもいそう
藩領天領等で扱いが異なるが概ね大庄屋、本陣は苗字帯刀を許され
庄屋も長く勤めた人物や世襲した家は概ね認められてるぽい
(特権が無ければ庄屋の意味が無いとも)
また郷士については自称等あるのでなんとも
忘れてはならないのは御用商人かな
享和元年(1801)の御触書
領主によって苗字帯刀を許された庶民は
(1)郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
(2)奇特な行為によって褒賞として新たに許されたもの
(3)町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
11 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 17:03:46.60
僭称郷士と庄屋層の違いがいまいちわからない。
12 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 18:12:37.26
古文書に「帯刀御免」と記入されていれば帯刀を許されていたと
考えて良いのでせうか?。
13 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 19:06:31.54
なんの古文書かによる。
14 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 19:56:40.57
個別的に家又は主に個人に対して許されるわけだが
>>9のお触書が出ていれば
庄屋などに付いていれば苗字帯刀しても文句は言われないだろうが積極的に
帯刀するかと言えば疑問が残るね
15 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:34:08.82
苗字帯刀の庄屋も実際に帯刀するのは式事の時のみだよ
16 :
12です。:2011/09/20(火) 00:53:37.51
漏れの先祖は庄屋でしたが地区の大庄屋が藩の担当武士宛てに作成した
「●●藩旧家由緒書」と言う書物の中に「今般被仰渡候 相続の分明仕候者書上帳」と言う
項目の中に庄屋職を務めた先祖代々の説明文の中に書いて有りました。
17 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 08:36:08.46
>>15前にテレビでやっていたけど武士も役目のときは二本差しで家来を引き連れていくが
ちょっと野暮用で近所へって時は丸腰or脇差程度だったかもしれないって。
ただ、丸腰のとき切られたら改易だろうから・・・どうすんだろうね?
18 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 11:08:52.62
丸腰は無い筈。適塾でも刀を取り上げられると外出できなくて困った
という話がある。また竹光を帯びた死体は非人に下げ渡されるという
19 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 13:04:55.03
野暮用と塾に行くときは違うだろ。
20 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 16:53:01.48
>>19 不良生徒を(塾から外へ)遊びに出られないようにするという話です
21 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:23:34.22
武士が従僕を連れず単独で外出する際は深網笠か覆面、下級武士なら手ぬぐいで頬かむりが常識的な装いだが、
当然両刀を帯び、室内では大刀を預け脇差しのみ。ただし時代や地域差もあるかもしれない。
福沢諭吉は豊前中津の部屋住時代、着流しに大小指して頬かむりをして焼酎を買いに行っていたとの事。
22 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 21:15:27.46
>>17 そのテレビは所詮・・・かもしれないレベルの話だね
23 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 21:32:32.67
でも丸腰で襲われたりして藩から士道忘却とか咎められた武士の記録もあるようだから人によっては丸腰で外出もあったかもね。
24 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 21:48:36.01
>>23 だから常識からすれば無腰は異常な状態であって、決して無いとか
ありえないとか言ってるわけではない。無駄話はやめようよ。
何を好き好んで家名断絶の危険を冒すわけ?
25 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 22:42:22.70
気のゆるみ、士風の荒廃でしょ?
26 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 02:49:41.77
>>19 塾に行く?適塾って寄宿制だろ?
その辺の進学塾じゃないんだからw
ひょっとしてそんな基本的な事も知らない歴史に疎いやつなの?
そんなに人を無意味に罵倒しない。
28 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 11:04:03.44
>9はそれまで個別的に許可を出していたけど以後は役柄に付いていれば苗字帯刀
しても差し支えないということ?
苗字系の本に良く引用されてるんですが漠然としすぎていてわかり難いですね
29 :
イケメン2号:2011/09/26(月) 18:06:04.13
漏れの父方の先祖は一応農民と聞いています。
農民なので唯一の公的資料の土地台帳も有りましたので取得しますた。
それ以外は有るか否か判りません。
先祖代々の位牌の中の墓誌を見ると全員に苗字が有りますた。
下の名前は四昴右門、仁兵衛、権右門、仁右門、甚平政常、卯太郎等です。
取得出来た最古の除籍謄本の当主は漏れの地元では結構有名な武士の分家の
娘を嫁に貰っています。
名前の最後に〜門、〜衛は小作人農民では無く庄屋だったのではないかと
漏れは思っていますが、間違っていますか?。
(郷土の庄屋の資料に漏れの苗字は今だ発見していません。)
>>名前の最後に〜門、〜衛は小作人農民では無く庄屋だったのではないかと
間違ってますね
31 :
イケメン2号:2011/09/27(火) 08:40:24.26
間違っています?。
ショボ〜ン。
私が在所の金石文(墓碑・道しるべ・庚申塔など)で確認したところ
苗字付は当たり前、〜門、〜衛はごくごく普通の農家、諱付は無し。
名主だけは院号付でした。あくまで金石だけで、紙史料などは確認しておりません。
ちなみに天領
>>32 に補足しますが、神社に奉納した額には諱付のものがあります
もちろん全て百姓身分の者たちです
34 :
イケメン2号:2011/09/27(火) 12:58:31.08
例えば名前(記述)、享年、 戒名をカキコします
1)●●仁右門 宝暦5年10月13日 奏仙院霜誉細居士
1)●●仁右門女子 安永3年04月06日 天光院員誉智教信女
上記2人は漏れの先祖ですが、
かなり良い戒名を貰ってると思うのですが?。
>>34 上の戒名は(文字数的に)明らかに間違っていると思われる。要確認
36 :
日本@名無史さん:2011/09/27(火) 15:16:45.42
宗派によって字数は変わる
院がついてるのに信女とかだと浄土真宗だな
ふつうに浄土宗だらう
38 :
イケメン2号:2011/09/27(火) 18:31:29.01
戒名の中に誉れ(ほまれ)の文字が入っていると浄土宗です。
済みません、タイプミスですた。
(誤)奏仙院霜誉細居士 → (正)泰仙院霜譽紅細居士
(誤)天光院員誉智教信女→ (正) 天光院員譽智教信女
江戸時代から代々院号付なら、上のほうと言えるだろう
ただし寄進によって格上げされた可能性もあるから要注意
わが家は明治時代の当主が菩提寺に貢献したので、遡って
歴代ワンランク・アップしたことが資料上確認できる
40 :
日本@名無史さん:2011/09/28(水) 09:09:04.48
まあ、それは武士でもそうだけどね。追贈って言うんだっけ?
江戸初期に居士号だった旗本が後期に先祖に院殿号とか・・・
江戸初期は居士自体が珍しくて禅定門とかが一般的かな?
41 :
日本@名無史さん:2011/09/29(木) 06:43:57.89
庄屋は門塀玄関書院造りが許されていたそうですが広さや高さにも制限はあったのでしょうか?
家老より広い家じゃまずいとか?
42 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:49:24.18
そりゃ、お布施次第だろうけど。大藩の家老の屋敷より大きいのは考えにくいけど
小中藩の家老より庄屋宅のほうが圧倒的に広いだろ。役割が違うからね
年貢米とかもおかなくてはならないし・・・郷屋敷ってのもあったらしいがけどね
43 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 15:43:13.94
郷士と庄屋の違いが良くわからない。制度として郷士を各地において国境の警備を
させたい場合は郷士=武士、庄屋=農民という括りはまあ理解出来るが
帰農してに引きこもった場合は大地主ではあるのだろうが藩から見れば
唯の農民では?
>>43 郷士とかは 各藩で制度が違うから
全くない藩もあるのでは
45 :
日本@名無史さん:2011/10/15(土) 02:00:19.84
地元の藩には郷士制度はなかったみたい
代わりの制度的なものはあったが、御用銀で決まってたみたい
46 :
日本@名無史さん:2011/10/15(土) 03:20:09.23
制度が無い藩にも郷士は存在する。藩が認めるか認めないかの差だが
どこまで認めるかも様々
藩が認めていないなら
単に名字帯刀を許された農民にならないか
うーん、慣例的にだか?帰農した武士を郷士と呼ぶらしくて
藩的には唯の農民の庄屋に過ぎない家が、その由緒を持って’郷士’と名乗
もしくは云われているんだよね。
ウキとか見ると苗字帯刀を許された農民は郷士には入れてはいないのだが
郷土史を紐解くとそう単純に区分けは出来ない。また、江戸期から興隆した家でも
偽文書等作成して郷士と時間をかけて認識させていった家もある。
いまいちよく分からない
49 :
日本@名無史さん:2011/10/16(日) 03:34:27.70
別のスレで名主=百姓みたいに書いてあったが
それも一概ではないんでしょう?
うちの先祖は平安時代に寺社を建立したらしいが
江戸期には名主を兼任していたという。
為政者側から見たら、牢人→土着→農民でしょ。
ただ元牢人側から言えば、ただの農民じゃプライドが保てないから
郷士とか自称するわけで
51 :
日本@名無史さん:2011/10/16(日) 09:30:03.72
帰農法
>>49 名主=百姓でしょ、100%
名主の内、一部だけが苗字だけ認められたり、苗字・帯刀を許されたり
家系図持ってようが、蔵に甲冑をしまってようが、藩の分限帳に載ってなきゃ百姓だよ
ですから農民階層の“長”っていうことなんでしょうね。
ところで私が住んでいる地域は名主の子孫が今でもふんぞり返って威張っいますよ〜。
名主の子孫と言ったところで、大したご利益は無いけどな。
村での寄付金集めとかだと、「○○さん家は昔名主やってたんだから」と
いつも筆頭に、しかも他の家より高額な寄付金を期待されるし、
「昔からそうっだ」とお祭の時や寄合と称して、時折座敷を開放して酒肴を振舞ったりと大変。
55 :
日本@名無史さん:2011/10/16(日) 20:53:46.60
郷士で有名なのが、土佐の郷士と新撰組が宿所とした八木家
土佐は制度として郷士があったけど、八木家とか実際どうだったんだろ
56 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 02:50:45.36
>>52 江戸時代には士族や農民以外にも様々な職業があった訳で
近世の名主に様々な職業の名主がいても不思議ではない。
町名主は町人身分すよね、
でも、村方の名主は、例え網元でも造り酒屋でも百姓身分でないの?
郷士に取り立てられたら、息子や分家が名主を勤めるとしても、
彼自身は名主役は兼帯出来なかったような。
詳しい人教えて。
58 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 19:54:01.84
>>52 で?下級武士が武士だとでも言うわけ?
だれか 「庄屋VS下級武士」というすれ作ってくれませんか?
徹底的に武士にすら当たらない下士程度と我等庄屋と格の違いを見せ付けますから、
だれかたててもらえませんか?
59 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 19:59:33.58
>>52
で、分限長に乗ってるだけで、庄屋に何一つ勝てない雑魚身分がなんですって?
分限長に乗ってれば、旧大名家の庄屋より格上だったの?
庄内藩では、加藤家に藩家老ですらため口聞けなかったと残されてるが?
もっと徹底的に、奉公人まがいの下級武士程度と圧倒的に格の違いを見せ付けたいのだけど、
だれか 下級武士VS庄屋 というすれたててもらえないだろうか?
60 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:20:45.04
>>52 そもそも、その百姓とやらに圧倒的に財力も土地も由緒も上になられてる事実をよく考えてみなよ。
徳川家直参の下級武士である御家人ですら、譜代、抱席のうちの名門とされる譜代ですら、
出自は忍者や伊賀衆、雑賀衆、根来衆といった、当時土地に定着もしなかった、
野盗や足軽といった類がほとんどなのに、
あるいみ、その陪臣の陪臣のそのまた陪臣にあたるであろう譜代大名や親藩の下級武士など出自なんて、
火を見るより明らかでしょ。
だから、その百姓程度より圧倒的格差で格下なんでしょうが。
61 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:27:04.47
明治維新後の我々庄屋連合と、その分限長にしかアイデンティティがない下級武士とやらの、
そもそもの中央政府からの扱いや政府の方針を徹底的に格の違い見せ付けたいんだが、
だれか、すれつくってよ
62 :
57:2011/10/17(月) 20:37:18.88
一村立ての「かわた」村にも年寄、庄屋役がありました。
村方は全て「百姓」というのは言いすぎだったようです。
63 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:45:56.58
>>62 下級武士VS庄屋
というすれつくってくれませんか?
皆さんがまだ知らないような事実で、徹底的に庄屋連合との格を見せ付けますから。
下級武士なんてただの野盗の成れの果てなんですから。
64 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:48:53.42
郷士なんて百姓の自己満足・私称だよw
幕府や三百藩で『公式』に郷士なんて認めるてるのどことどこよ?
具体的な藩名と史料名だしてくれよww
65 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:53:28.04
>>64 そのとおり。郷士なんてある意味自己満足を満たさせるために幕府が作ったもの。
武士なんて、上級武士のように藩政の執政でもないかぎり、ただの野盗と変わらないんですよ。
そもそも武士自体に根拠がないんですから。その根拠のない武士という総称に、さらに政治的意味合いが皆無の下級武士なんて、
郷士よりひどいものでしょ。
郷士ならまだ庄屋という本来の行政の一部としての機能があった上での飾りだからこそ成立もするが。
下級武士なんてしゃれにもなってないだろ。生活自体も。
66 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:01:57.83
幕府は、江戸中期以降は、武士というものをブランド化させ、
下級武士のように、何の役もなければ何の価値もないものに、
その武士という架空のブランド力で、現代も真っ青のピンはね搾取してたというだけなのに。
67 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:26:38.36
>>58 やっと「あ庄屋」登場w
このスレが立てられた時にはまた「あ庄屋」の立てた新スレか、あるいは「あ庄屋」を呼び込むためのスレかと思ったが、思いの他マジメな内容のレスが続いてたから別人の立てたスレらしいと分かった。
そのため、「あ庄屋」タソも困ってしまって、1ヶ月もの間どうやってスレに割り込もうかとウズウズしながらも様子見していたんだと思われるw
68 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:29:01.64
それに踊らされ、分限長にあったから、おらのうちはこれでも下級武士だぎゃ!!
とかいってな内職せずには生活すら成り立たず、
庄屋のようにアグラかいて 村のめんこい女独り占めの、村の行政、財政、司法、思案独り占めの
中世期の土豪スタイルを地で行く真の旧武家層の百章を横目に見てを見ても、
おらは、内職のわープアだけんど、分限長に乗ってる下級武士だっぺ!!
というように使い捨てのこまにされてたんだよ。あげくは藩主にお目見えすらできないくせに。
69 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:38:44.63
下級武士なんてどうだっていい。
70 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:46:26.77
>>67 だれのことですか?
>>69 じゃ庄屋の何に興味があるの?
明治政府の太政官府みても、庄屋が江戸幕府期からの公認の行政区の長であったことが
きちんとかかれてる。庄屋がすごかったのはもう、いわずもがなでしょ。
71 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:54:07.98
しかし、下級武士どもは、ひたすら庄屋は百章としかいえない。
分限長にしか根拠がない。そりゃそうだ。庄屋層は中世期よりその大名家に使えていたわけでないし。
明治新政府自体が、太政官府で、一般下士なんて政治の機能にすら組み入れてすらいなく、
庄屋は維新後すぐに、政治中枢のいち行政区の長だと歌ってるのに。反幕の政府が自体が。
身分なんて徳川家に都合のいいように江戸期に編纂されたものだろ。
なら、江戸期以前、戦国期以前に、庄屋層に出自や身分で勝てるのか?
72 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:56:24.26
皆!庄屋様がいらっしゃったぞ!
73 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:02:29.84
塩じいこと、もと国会議員の塩川家は、本家は庄屋だが、江戸初期分家は旗本御家人に3家も独立させてるだろ。
いつどこに下級武士がいるんだよ。
格が違いすぎるだろ。
下級武士という存在が、事実上庄屋より上となったのは、明らかに島原の乱以降だろ。
それまで、どこに、庄屋に威張れてた事実がある?それどころか、
江戸初期、その庄屋にすらさげすまれてたろうが。
74 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:09:00.92
>>73 先祖の江戸初期の戒名は居士?
公文書には名字がある?
家に安政の書があるけど庄屋と百姓代にも名字が書かれていない。
75 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:09:28.59
下級武士なんて武士として一切認めないからな。
何が武士だw中世期よりし武士としての体を一切続襲してないだろうが。
中世期にいないんだよ下級武士なんていう職業も、そしてあんな内職やって長屋暮らしの、
武士なんて。
いないんだよ。中世期、庄屋と同じ生活スタイルの土豪や地侍はいても。
76 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:10:11.73
あ庄屋様は足利支流との伝承を持つお家の生まれらしい。
ハハーッ!
77 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:17:05.72
>>74 もちろん代々院号付の居士です。笠付も許されてます。
墓にも苗字も刻まれてるし、 諱もついて刻まれてる。
もちろんすべての庄屋がそうだったとは思っていません。
しかし、江戸初期よりの庄屋は旧武家層が大半ですから、
私のような家が多いと思います。
私の家は元地侍で、旧守護大名家の家臣団の家でしたから。
78 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:26:17.51
苗字云々も、先ほど述べたように、下級武士という搾取対象に不平不満を述べさせないため、
藩によっては庄屋等に苗字を公的に名乗らせないといった差別化を図ることでブランド化を強調させてたんでしょう。
苗字が藩によって対応も何もまちまちなんですから、さほどいみないでしょう。
意味があったのは下級武士という、御正道の使い捨てのこまたる搾取対象者にとってはプライドしかすべがないので、
武士はくわねど高楊枝決め込むためには重要なファクターなんでしょうが。
79 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:32:11.34
だってよく考えてみてください。庄屋の屋敷は家老並みの屋敷に住み、
財力も個人所得では江戸期明らかに家老程度どころか大名家並みの庄屋がごろごろいるんですよ?
かたや武士と名乗らせてる下級武士は大半が長屋住まいで、着るものも庄屋以下
財力はいわずと知れたこと。三度の飯にも困る日々。
苗字くらいの差別化は駆らないと、不平不満を抑えるブランド力が低下するでしょ。
下級武士なんて幕末見ればわかるとおり、不平不満はあのようにテロ行為でしか返せない集団なんだから。
郷士って言ってもいろいろだから
新撰組の宿所になった八木家や十津川郷士みたいなのもあれば
土佐や薩摩みたいに完全に下士扱いの郷士もいたわけで
81 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:39:25.58
>>77 我が家の先祖は江戸初期(覚えている年号は元和と寛永)から院無し禅定門・禅定尼です。
正直どういう身分か分かりませんが。
近所の庄屋の墓地は門と鉄柵があり立派な造りです。
82 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:41:33.98
明治維新後、版籍奉還し、その後藩知事は中央政府よりの派遣されてくる県令が統治することになる。
県令は大半が維新の勝者たる大名家や維新の功労者がなっている。
それらが各県で官選で任命した各行政区の長はほとんどが庄屋。
しかも太政官府でも庄屋の身分を保証している。
維新後ですらなぜ下級武士で泣く庄屋に行政区の長をことごとく任命した?幕末後3年もたってないのに、
なぜ簡単に身分が逆転する?江戸期より下級武士なんぞ庄屋以下だったからだろ。
83 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:43:11.54
さあさあ皆様お待ちかねのアンポンタンが来たよwww
84 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:50:28.65
だったら薩長土肥・・・以外の一般下級武士の維新後の状況上げましょうか?
職人や飛脚が多いですよ。ほとんど新政府から官選での重職なんぞに任命されてなく、
おのおのてに職つける道に行ってるんですよ。
よく警察官とか言いますがそれも一部。
でだ。そのいち巡査程度がいつから村長より身分が高くなった?なめてるの?
一介の巡査が村長と比べるなんて、なめてるの?核が違うだろ。
江戸期、徳川家の都合で、村長より一介のチャりんこ巡査が対面上上とされてただけだろうが。
85 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 22:58:13.39
今後、常識として、下級武士なんぞより庄屋のほうが何もかも上だった真の事実を、
グローバルスタンダードにしなきゃ。
うそばかりだよほんと。下級武士なんぞに格下扱いなんて、猿といわれてるようなものだよw
絶えられない。
86 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 23:05:11.23
さらに明治期の国会議員の内訳見ても、
もちろん大名家や維新の功労者が大半の中、第三の勢力として庄屋が多いのはなぜ?
薩長土肥・・・以外の一介の下級武士なんぞいないんだが?
87 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 23:13:00.36
旧大名家には元市長県知事が多くおられるが、
市長クラスは旧大名家であろうが、
町長村長クラスなんて旧庄屋がごろごろいるんですよね
それで明治期、一部の下級武士が運よく巡査になれてても、
巡査でしょ。地方行政区の長とは次元が違うでそ。
88 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 23:45:26.73
結局のところ、家中だの幕藩体制化の都合といった旧態依然が払拭し、
職制の適正化が行われれば、すぐさま現実の立場が浮き彫りになったでしょ。
本来、幕府300年もつつく中での、下士>>越えられない壁>>庄屋 出会ったなら、
幕末から三年後に、新政府の職制の適正化による行政区の長が、権力基盤が、
こんなにも簡単に下級武士と庄屋の立場が入れ替わるわけないとわかるよね?
案の定江戸忌避もとけば、立場上は、武士>庄屋であったとしても、実態は矛盾だらけだったろ。
それが結果として明治維新後三年もたたずに出てるでしょ。現実の適正が。
89 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 00:14:11.45
90 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 00:37:52.90
91 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 00:40:45.22
92 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 01:03:41.97
あっそうそう、それから、いつから農業は、武士とは名ばかりの土地すら持たない、
傭兵程度の長屋住まい武士に馬鹿にされるようになった?
江戸期以前、守護大名家クラス以外は、国人級や土豪は当たり前のごとく半農半士であって、
士の部分だけを生業にしてたのは、守護大名家か足軽くらいなんだがな。
93 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 01:11:59.92
あっそうそう、で、いつから足軽野党は、土地を持って、争わなくても十分食っていける本百章すら馬鹿にできるようになれた?
明らかに江戸中期になってからだよね?これが真実の断片のひとつだ。
江戸以前は豪族ですら半農半士スタイルなのに、土地すら持てない用兵上がりの下級武士が、農で生業できるほどの家を
見下すようになったのは、まさに、江戸幕府の政策の最たるもの。徳川の都合によるものに他ならないんだよ。
だって、江戸下級武士の状況って、戦国期以前は何に当たるか行ってごらんよ。
94 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 01:22:21.44
大体、江戸初期以前、下級武士でも憧れの職業だったという文献出してくださいよ。
江戸初期までこそ庶民の憧れは庄屋だっただろうが!!野蛮なことしなくとも何から何まで保障してもらえるんだ。
そもそも武士なんてこんなの職業として存在してたわけじゃないだろ。
あくまで政の性質を帯びた武士が存在はしていたが、
いつの時代に、政の性質を帯びずに士のみで成立してた武士なんて存在する?足軽の話だろ。
結局下級武士は足軽上がりだと簡単に点と点ですぐつながるでしょ。
何この基地外スレ?
足軽に無礼討された水呑百姓の子孫が発狂しているの
水呑百姓ならまだマシかもwww
途中からすっかりおかしくなったよな。
まあスレタイから容易に想像がついたがw
庄屋様vs百姓上がりの足軽
ファイッ!
99 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 20:26:06.69
司会は●多、解説は旗本様でお送りします
●多「おっと、足軽!紋付き袴に大小二本差しを出した〜!」
●多「対する庄屋様は…紋付き袴に…あれ?大小二本差しが出ません!」
旗本「これはですねぇ〜いくら名字帯刀の庄屋様とは言え、日常的には帯刀できないのです」
平川氏なくして備中は語れない
101 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 21:30:16.27
庄屋様でも公式には馬に乗れまい
公文書に苗字は書けない
裁判沙汰になれば、百姓牢だろう
死刑相当になっても、切腹は許されまい
維新後はただの平民だろう
102 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 22:45:16.56
ひとりキモオタ(庄屋だと思い込んでいる武家にコンプレックスを持つ水呑百姓の子孫)が混じってるな。
103 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 23:39:06.68
>>87 田舎、特に明治期だと
村長=小学校校長=住職=巡査
の格付けだし、特に巡査なんて戦前明治期はお上の象徴だろ
なんか大庄屋って、公設民営の施設長みたいな感じだな。
どっかのNPOの理事長に業務委託してるみたい。
大名(行政側)は、安い経費で実質的な経営をしてもらえるので嬉しい…みたいな。
消防で例えると
足軽がヒラの消防署員だとすると庄屋は消防団の最高位ってイメージ。
庄屋だ名主だなんていったってそんなに身大おおきかったの?
たとえば100石の村があったとして、庄屋はその100石全部の地主でもなんでもないでしょ?
半分くらいは領主である武士が持って行くわけだし、村には庄屋以外にも高持百姓や本百姓が多くいるわけだから、村の長とはいえ、庄屋の取り分なんて村の総石高の10分の1とかそんなもんなんじゃないの?
つまり、100石の村なら10石程度なんじゃないの?
107 :
日本@名無史さん:2011/10/19(水) 10:59:31.75
あ庄屋さんは
1.アイドルオタク(秋葉原の常連)
2.自分の家は水呑み百姓の子孫
3.近所に立派な庄屋さまの墓がある
4.ニート
あ庄屋さんのデータはこんな形
居士を誇示する庄屋さま
>>106 庄屋は村の収穫を自分のものにする権限などないよ
110 :
日本@名無史さん:2011/10/19(水) 22:48:50.01
>>105 適切だと思うねw
町内の自警団と、現役の機動隊くらいの差?
111 :
日本@名無史さん:2011/10/19(水) 23:36:50.08
>>109 維新の時はドサクサに紛れて本来は村の共有地?なのに自分の私有地に組み入れたっていう話ならあるみたい。
112 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 00:06:13.12
あ庄屋さんは郡をまたいで何百・何千町も持ってるような
日本国中でもそう何軒もないような大庄屋を妄想してるんじゃね?
113 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 00:26:49.31
何千町なら歴とした大名ってことだなw
>>111 共有地だと国有になってしまうので私有地にしたっていう話じゃなくて?
うちのあたりでは入会地が国有地になってしまって取り返すのに苦労したと聞いている。
115 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 11:57:31.15
>>110 庄屋さまは現代で言うと町内会長みたいな名誉職っぽい感じwww
実際田舎だど、町内会長は入札で決まるとは言え、地元の代々の有力者がなるし
116 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 14:13:02.37
正一位大居士庄屋様
目通り叶い、恐悦至極に存じ奉りまするっーう
ハハーッ!
うちの本家はしがない農協勤めだが、
分家のうちは教員一家で悠々とした生活。
もう逆転してるよな。
>>117 並大抵の努力では得る事が難しいと思います。一家教員とはすごいです。
本家とか年長にアイデンティティがある奴らって、分家や弟妹筋がいい暮らしをしていると
露骨に嫌な態度を取るか変にすり寄ってくるよねぇ…
こっちはあぶくで得た地位ではないのに。
119 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:03:33.03
おまえらって、
120 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:13:27.58
なあ?庄屋は江戸幕藩体制化、お上が決めた役職であり、さらに、
太政官府で明治新政府が、行政区の首長は、華族、上士族、庄屋名主であると、
きちんと歌ってるのに、やれ消防団だの、NPOだの町内会長だの、
何でわざわざ政府がうたってる内容を捻じ曲げたいわけ?www
名主庄屋だけで何町も土地持ってるのに何で町内会長なんだよボケが。
この水飲みの末裔の僻みとばればれだろww一町も土地すら持ってないんだろww
だから土地の単位すらわからなく、千町だの当時千町持ってる庄屋どころか大名もいないのに
こういう低脳発言しかできないんだよww
121 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:22:58.32
それから、
>>104>>105君たちは本当に低脳だなww
仮に庄屋は村長以外にたとえるなら、機関委任事務の独立行政法人に値するんだが?
お前らは地方自治すらまるでわからないんだろww地方自治位調べてからいえやww
NPOすら知らない分際でwwwいつから庄屋は非営利になったんだよ?
それから何度もいうが、馬鹿なら調べてから物言ったらどうだ?
庄屋は村内の警察権、司法権、増税権、納税、裁判権、自治行政、すべて藩から独立委任されてんだよ。
増税して上乗せ徴収も許されてるが?
122 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:31:51.94
>>107もそうだが、お前らは
・五代前の先祖の名前がわからない
・低学歴低偏差値
・一町すら土地持ってないから町内会がすべてだと思ってる。
・だけど歴史好き
・だからこそ由緒ある家は認めない。認めたくないジレンマでパラサイトww
まるっとおみとうしだよ町内会の水飲百章どもwwwwww
123 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:42:46.77
それから、いつからそんなに農はあんたらみたいな見下す対象になった?
江戸期は農こそが産業であり、
農こそが流通経済であり、
農こそが殖産興業であり
農こそが石高であり、
農こそがすべてなのに、
それをつかさどる庄屋がいつからお前らみたいなあしうがるの末裔に馬鹿にされてた事実があるんだ?
足軽下級武士ごときに、庄屋が馬鹿にされてた事実あるなら出せといってるんだよ。
124 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:46:47.46
ニートのアイドルオタク、あ庄屋さま降臨!!
125 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:50:27.75
それであ庄屋んちは何町持ちの百姓だったんだ?
126 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:50:47.77
庄屋さま武勇伝パネェwww
127 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:52:14.67
まあ、戒名なんざお布施しだいで、いくらでも長いのつけてくれるし、
長屋門は古いと思われているだけで、実は明治初期だったりするんだけど
128 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:55:30.34
それから
>>108 院号誇示が許されてるんだよ、われら庄屋組は!!
由緒ある庄屋は私の家のように院号傘付まで許されてる。
藩の家老と同じ面目まで許されてる。
で、足軽下級武士は、さぞかしわれら庄屋組よりすごい戒名なんだろうな?www
庄屋が独立行政法人っていうのは違うなあ。
独立行政法人は独立とは言いながらも国から運営資金を貰ってるけど、
庄屋は幕府や藩に金(年貢)を納める側だからねえ。
130 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 22:58:35.93
>>121 地方自治調べろって…(^^;)機関委任事務はもうないからな。
どうせ例えるなら現代の用語くらい知っといてね
131 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:05:07.50
>>99いいか?公式に名字帯刀されてるわけだ。
で、今と同じようにファッションスタイルを追及したと時代だと思ってるのか?
庄屋は独自に上乗せして税率上げて雌伏肥やしてるんだよ。
そんな中、帯刀して村内管理してりゃ、必ず不平不満起きるに決まってるだろ。
刀なんぞ、中世期よりし甲冑刀槍までいくらでも蔵の中にあるのに、
何でいまさら何の用もないのに普段から帯刀する必要がある?馬鹿なの?
お前らは遊び行くときもスーツ着てるのか?まさにニートが考えそうな世界観だなw
132 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:07:35.45
こうやって自分の妄想膨らませてオナニーしているあ庄屋さま。庄屋の子孫の振りするのも大変ですね。
なるほど!
普段から帯刀することが許されない下級武士以下で
おらが村を徘徊する程度の身なりですか。
134 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:14:03.58
>>131 他の農民たちから恨みを買い捲ってますって言ってるようなものですな。
子孫に祟りもしますわ。
お可哀想に。
135 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:15:12.99
>>124 久しぶりだな兄弟!!
俺とお前は数年来の間柄だからよしみで言うが、
俺様はアイドルお宅じゃない。
ただ、調子こいて、かっこつけてばかりの人生で生きてきたが、
ここ数年すげースランプに陥ってもう馬鹿らしくなってきたのよ。
そんな中俺が目指してるスタイル?が、これ
http://www.youtube.com/watch?v=KQ6zr6kCPj8&NR=1 英語くらい少しくらいわかるだろ?最後まで見てみてくれ。まじいけてっから。
こうなりたくてよ、まーそれで馬鹿になる練習にAKBいったまでだ。最高のパーティーチューンだろ?
こんな生き方しようぜ!!ww
136 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:16:14.38
だからキモオタでニートなのか……
137 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:20:26.61
あ庄屋さまがニートだというのは間違いないな。
138 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:24:52.49
一町も土地持ってない三反百章だから、土地の単位もわからず、
千町って言ったり、町内会長とほざいたり、
また、自分が低学歴だからとほかまでニーとだと思い込んだりw
大変だなwwww
俺は出張三昧で気がおかしくなりそうで、スランプに陥ってるんだよw
しかもお前らのような黄猿相手じゃなく、白人相手のビジネスな?
申そうというのは自分の世界観をよくあらわすな。お前らのレベルが丸わかりだよw
139 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:27:24.27
そういや「あ庄屋」は高卒で白人コンプでコンビニのレジ打ちだったなw
140 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:28:05.03
親のお小遣いによるアキバの出張御苦労様。あ庄屋さま。当然、アキバオタクのあの踊りはマスターしてるね。
141 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:33:27.55
>>129 さすがは低農。藩から庄屋は上乗せのピンはね権が認められてるといってるだろ。
これは藩から村内の首領権が認められてるのと同じ。
これを答辞に言い換えれば独立行政法人だが?
>>130 当たり前だろ。今現代じゃ通用しないほどの委任事務が庄屋だから、権力構造のすごさを物語ってるんだよ。
大体な、今から指し示すのをみてどうおもうかいってみろ。
142 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:33:55.33
>>135 馬鹿の練習ですか。
ここで練習の成果を発揮してるんですね。
143 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:39:11.47
しっかしよく何年にも渡ってやるよな。
その原動力になってるのって何なの?
足軽や徒への「恨」の精神?
144 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:42:48.53
管首相 元庄屋
麻生 元戦国大名上がりの大庄屋
福田 元北条家家臣の名主
森 元柴田家臣の庄屋
竹下 島根の大庄屋
後藤田 元長曽加部家臣の庄屋
田中 越後の庄屋
上げりゃきりないほどの元庄屋の首相
もう言い訳できないだろ。これだけ十数代首相をさかのぼっても庄屋だらけ。
庄屋は現代でも地元で絶大なる権力もって、
挙句はどれだけ首相に庄屋がいると思ってるんだ?www
145 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:46:42.12
それだけ戦後の日本が矮小化したということでしょう。
半島に乗っ取られるわけだ。
146 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:48:32.02
鳩山は士族だがな。
147 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:49:10.64
>>141 ぼくは庄屋さまの権力が現代の役職とは比べ物にならないほど強いことを知ってすごいなぁと思いました。
これからはお米をだいじに食べようと思いました。
148 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:51:56.89
お百姓さんは国のおおみたからだからね。
149 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:52:21.70
認めろよ。昔も今も現実派
庄屋>>>>>>>>>>>>>>>>>>>徒、足軽 だと。
実際そうなんだから。時代劇に見すぎで何で庄屋が下級武士ごときに、
あんなさげすまれ勝たされてた現実が存在するのか。
するわけないだろ?俺たち庄屋組のほうが圧倒的に何もかも格上なのに。
太政官府でも述べられてるとおり、社会の支配構造は、
華族>上士族>庄屋名主>>豪商>役を得られた一般士族という形だろ当時の特権階級は。
平民は豪農>>>>>その他一般(徒足軽
であって、下級武士足軽などその他なんだよ。なんでそれをわざわざねじまげるんだ!
150 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:54:44.31
わかったわかった。あ庄屋さまの妄想の強さは。そんなに庄屋にあこがれてたのか。
151 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 23:59:00.35
自分で描く理想の庄屋像があるらしい。あ庄屋さまみたいに庄屋で奉公する下男の子孫だとこういう妄想をするんだな。
152 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:01:04.03
>>120 >何町
って2〜3町くらい?
だったら20〜30石くらいのものだよね。
五公五民だとして手取り10〜15石。
武士だとしてもペーペーの下っ端侍じゃんよ。
153 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:04:48.81
>>149 「格」ということでは、徒足軽>>庄屋だろ
ま、御役目や金は、徒足軽よりも庄屋の方が多いのは事実だろうが・・・
「庄屋さまの話を聞いて」
今日、ぼくは庄屋さまの話を聞きました。
庄屋さまは「足軽は最低な人達」だと言っていました。
足軽達は庄屋さま含むお百姓さん達をイジメて威張ってたそうです。
>>148先生がおっしゃった「お百姓さんは国のおおみたから」という言葉が印象に残りました。
ぼくは、お百姓さんにとっての真の敵は足軽ではなく働かないドグズでカタリの庄屋さま自身だと思いました。
155 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:10:08.88
>>146 よかったな中級武士の士族が唯一いて。で、下肢は?w
>>151 庄屋の墓の戒名や、屋敷をもろで直に見て見たらどうだ?
本当に自分の今現代の常識である士農工商と言う序列二矛盾を必ず感じるから。
>>152 三町程度ではない。それに、地域にもよるが、一町十石というのは違うね。
当時染谷家が25町の大庄屋で千石だったと書いてある。
どうしてそうやって、庄屋を格下にしたい?そんなに庄屋に恨みでもあるの?w
156 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:13:13.86
庄屋マニア=あ庄屋さま≠本物の庄屋
157 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:15:21.04
158 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:18:28.41
>>153 だから、以前にも言ったが、島原の乱以降そうなった。
島原の乱以前は村方騒動では、庄屋にまで挑発行為を繰り返させられてたのが下級武士なんだが?
中世期の室町よりし序列!ではなく、m徳川が島原の乱以降危機を感じ、
都合で一律庄屋との関係性をそのようにしたmでであって、
その背景には初期の村方騒動で下級武士程度は旧武家庄屋にさげすまれてた背景があるからだが?
初期の村方騒動を調べれば、どれほど当時の庄屋が旧武家層が多く、
新興大名も恐れていたかというのがよくわかるよ。
159 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:24:45.13
>>149,
>>155 ふ〜ん、庄屋様は皆、下級武士の郡方役人に対して上座に座ってたんだ
庄屋様は皆、下級武士の郡方役人に土下座なんてしないよね
格上っていうのは、そういうことだよね
160 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:27:19.75
161 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:27:41.03
162 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:30:57.15
163 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:34:44.19
あ庄屋さま=M男
きょうはエクスタシーびんびんだね♪
164 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:36:10.22
>>159 庄内藩の庄屋、加藤家や本間家は、藩家老ですら彼らが下座に座ってたという記録ないけど?
165 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:38:29.68
ないんじゃんw
166 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:40:33.39
>>161 五代前の先祖って何?源平藤橘のどれですか?
まさか系図云々なんて言わないよね
それとも寺の過去帳?
現代でも、女房の親の再婚相手の子孫なんて言ってる人もいるんですよ・・・・
167 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:40:50.68
じゃあ説明してくれないか?
なぜそれほどまでに下級武士ごときでも武士だと言い放つなら、
中世期になぜ下級武士のような土地すら持てない長屋住まいの武士なぞ存在しないのに江戸期存在した?
なぜ屋敷も戒名も着ぐるみも財力も門構えも由緒も何もかも庄屋のほうが格上なの?
明治期以降もなぜ、幕末後ソク交付された太政官府にまで、行政区の長は華族、上士族、庄屋という風な序列で書かれた?
何で何もかも、いつの時代も、全部庄屋より何もかも劣ってるんだよ下級武士は?これが封建社会の真髄なのか?
168 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:46:04.53
>>166 あたくしの五代前の先祖、明治初期、当時の県令として中央政府から送られてきた、
維新の要人より、直々に官選で戸長に任命されてますが?
>>89>>90ほどの大庄屋ではありませんが、同じ明治官選戸長ですがなにか?w
169 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:46:08.11
300年も足軽の下に置かれて屈辱味あわされてた庄屋カワイソス
170 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:47:51.06
ちなみにあ庄屋さまは庄屋の子孫じゃないから。
171 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:50:20.62
>>168 明治期の県令というのは、お公家さんでしたっけ?それとも薩長土肥の殿様・重臣クラス?
172 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:58:30.95
173 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 00:58:46.72
>>171 まちまちですよね。公家は知りませんけど、殿様、重臣クラスが多いようですよ。
ですが、地元と一切係わり合いがない県令から官選されたというのはさすがわれながら庄屋は力があったと思いますね。
ちなみに区長や郡長も、地元の旧大名家や重臣がなってますから、しかも明治4年にね。
江戸幕府より四年で、県令ー郡長区長のすぐしたの行政の長たる戸長は庄屋だらけというのはどういうことかな?
なぜ下級武士や足軽は一切いないの?まだ4年しかたってないよ?
174 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:09:52.50
手元に武州多摩郡の総代名主・佐藤家ご子孫の佐藤文明氏の著書『未完の「多摩共和国」』という本があるんですけど、
これによると天保8(1838)年、多摩代官の旗本・江川太郎左衛門の名代・松岡正平が佐藤邸に来た時、佐藤彦五郎は大慌てで前庭に出て松岡を迎えたということが書いてありますね。
それ以上詳しくは書いてないんですけど、
佐藤は土下座とかして迎えたんでしょうか?
そして名代・松岡は馬上のままだったんでしょうか?
何れにせよ、総代名主といえども、代官のそのまた名代に対しても庭に駆け出して礼を取らねばならなかったようですよ。
175 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:12:36.80
>>174 庄内藩では庄屋加藤家は、代官に土下座したなんていう記録は一切ありませんが?
それどころか、藩家老も加藤家に敬語を使ってたようですが?
176 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:19:50.51
>>175 どう見てもそうした事例の方が遥かに少ないだろw
普通は武士に
>土下座
するのが庄屋百姓だろjkw
177 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:21:18.21
加藤の乱の家か?
178 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:23:21.91
>>176 少なかろうが、事実としてある。
ということは、普遍的政策としての秩序に、封建的階級ありきの体制ではなかったというのが浮き彫りになってるじゃないですか。
数の問題ではなく質の問題だということが、まさにしょうめいされてるではありませんか!
179 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:27:01.93
なんで一例しか無い例外が即
>質の問題
に転化されるんだよw
都合の良いオツムだなw
いいから大人しく足軽にでも仕えてろよww
180 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:29:59.37
まぁ、庄屋と言っても規模はマチマチ。
ムシロ旗持って直訴するような地域もあったしね。
181 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:30:55.96
182 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:34:12.17
183 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:35:01.27
184 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:38:40.27
>>179 いいですか?庄屋が足軽に使えたという事実は一切ないですからね?
どこの藩で庄屋は足軽に使えてたという事実があるんですか?
ありえないでしょ。
そりゃまがりなりにも武家社会の名乗る以上、島原の乱の再来防止のためにも、
力を持ちすぎている庄屋を対面上でも一律下としてるだけの話で、
あくまで初期の庄屋が力を持ちすぎてた結果でしょ。
それに一例じゃなく、代官相手程度なら庄屋郷士クラスなら結構いますよ。
185 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:39:17.35
あ庄屋さまは食事中のようです。
186 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:46:22.14
187 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:47:22.92
>>185 残飯でもあさりに真夜中に外を徘徊してんじゃねw?
188 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:54:52.47
いいですか?
何度もいってますけど、室町期、下級武士のようなスタイルの武士なんてありえないんですよ。
いないんですから。そんな武士など。
しかし、庄屋と同じスタイルの土豪や豪族、地侍はいますた。
しかも、庄屋にはこれら旧武家層がごろごろ。
なぜですか?これら庄屋にまかりなりにも武士としての側面もたせれば、
ただの中世期の土豪地侍でしょ。だから武士の側面だけ剥奪する変わりに、
それ以外のすべてを中世期のまま権利保障した。それが庄屋であって、
だからこそ江戸初期の庄屋は村方騒動で新興大名に恐れられ、気を使わせるほどの勢力を誇示していたんでしょ。
しかし、島原の乱以降江戸中期になり幕府政策の都合により一律足軽以下となってるだけ。対面上の問題。
実質しただったわけではないのですよ。現実は。
189 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:59:16.10
あ庄屋さまはお食事を終えたようです。
190 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 02:03:22.68
九州にいたっては、初期の庄屋の新興大名に対する一揆や反抗の数はすさまじいですよ。
群を抜いてます。びっくりしますよ?
何しろ九州の旧武家庄屋は江戸初期、新興大名の入植に伴って一揆三昧ですからね。
藩と意見が食い違っただけでも庄屋が反乱起こしてる始末ですから。
191 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 02:12:03.04
>189
秋葉のメイド喫茶ってたけーなー。
へたなキャば蔵と変わらないほどなんだが。
しかも席のちゃーじりょうまでとるとわ・・・
でも戦国メイドカフェってあるの知ってる?
いきたいんだろ?wwいきたくてしゃーないんだろ?www
192 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 04:48:37.91
193 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 07:48:06.63
庄屋さま
公務員(足軽)相手に僻みまくりwww
腹いせに村内でオイタをしてお殿様気分www
くだらないところまで先祖に似なくてもいいのに。揃いも揃ってよっぽど人徳が無いんだなwww
煽られて今度は財産自慢でもするか?
庄屋は土下座(プ
195 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 13:17:58.82
そろそろニートのあ庄屋さまが起きる時間だな。
196 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 20:08:16.99
いつまで寝てんだろうなww
197 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 21:10:13.51
あ庄屋さまはアキバ出張中です。
198 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 22:35:33.97
オラはおさむれぇだべ〜
(山で拾った木を腰に二本差し)
〜家系図作成編〜
え〜と、オラの先祖は守護大名の後、庄屋さま…
あ"〜いつもの癖で庄屋さまって書いてしまっただ!!
199 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:07:40.77
家老が下手にでた相手は本間様クラスの庄屋だけでなく、三都の豪商にも同じように下手に出てただろうに。
つまり借金まみれの貴人の家臣が金持ってる相手や金貸しに頭が上がらなかったというだけ。
格の上下なんてご大層な話じゃなく、やっぱり金持ってる奴が強いという話。
その金持ってるっていうのも、庄屋は水呑百姓を奴隷労働でこき使って掠め取ってたいただけで誇れるものなんてないし・・・
200 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:24:56.75
それに本間家は百姓じゃなくて商人・金貸しだしな。
借金させて返せなくなった百姓の土地を容赦なく取り立てていって地主になっただけ。
そんなアコギな輩。
201 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:36:26.67
伝説の一戦
○クルセーダーvsぶよう●
202 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:38:17.35
江戸期の天皇は、酢になった酒を舐め、出される食事も実際にはほとんどは食べられないものばかり
御所の塀は崩れ、それは貧相はお暮らし。
貧乏公家はさらに悲惨な暮らし。
>>1 >>金もあり名誉もあり、はたまた苗字帯刀など特権もある。
外見は二本差しに雪駄を履き絹服を着、屋敷は塀はあり門あり
玄関、書院造。傍から見ればどこの殿様か上士か?
この程度の羽振りで格の上下を問うのなら、庄屋様は天子様や公家よりも格上とでも言うのか?
203 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 23:49:20.53
>>201 くるくるパー将軍とも名乗っていた時期があったよなw
204 :
日本@名無史さん:2011/10/22(土) 00:23:01.85
あ庄屋さまがアキバからお帰りのようです。
うちは庄屋の分家で、一町ほどしかありません。
ただ、親父が小作にお願いして、転勤をしたおかげで出世し、
本家の上司にぬりました。
息子の私も旧帝大にいけ、地元の工大の本家を追い抜きました。
だけど、嫉妬がひどいのよな。
仕方ないんでしょうかね
うちはあ庄屋の分家で、鎌一丁ほどしかありません。
ただ、小作の親父がお願いして、転勤をしたおかげで出家し、
本家の塀をぬりました。
息子の私も花園大にいけ、地元の大工の本家を追い抜きました。
だけど、雨漏りがひどいのよな。
仕方ないんでしょうかね
庄屋っていっても、不作・水害等で収穫が思わしくなく、年貢の減免の交渉に、藩の城下まで何度も行っても認められず…という状況のところもあった。
年貢が納められないと、数日間入獄されたり、場合によっては田畑を売ってでも納めろということになった。
その責任を取る立場になったのが、庄屋や組頭。
「あ庄屋」氏の言うようなうかれ気分の庄屋ばかりじゃない。
もっと、困難に満ちていただろうし、だからこそ尊敬も受けた。
208 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 14:37:10.25
209 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 14:46:51.40
>>193 当時の足軽を公務員だというなら、それこそ庄屋は完全なら地方上級公務員だろ。
今現代でも特別職という扱いだし。地方自治くらい勉強しなさいよwww
>>200 庄屋があこぎというなら、武士は何なんだ?あれ以上にあこぎなこと庄屋はしてるのか?
これから私が示す内容を見て、本当にそんなことが言えるかよーく見てみなさい。
210 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 14:56:35.95
>>202 いいですか?江戸期大名家、たとえば浅野家や蜂須賀家。まさに戦国期の先祖の神レベルの活躍で
あそこにまで上り詰め、以後数百年も大名家として存続した。たった一代が神レベルというだけで。
たとえば、土方歳三。元は後北条家の家臣団だった土豪の家らしいが、その後帰農。
そして歳三は、一代であの動乱期、直参の大身旗本にまで上り詰めた。
しかし、君らから言わせれば、百章上がりなんだろ?
しかし歳三が、戦国期に生まれてたら、江戸期を通し、泣く子も黙る直参旗本の交代寄合だったわけだ。
いいか?武士なんてこんなもんなんだよ。時代が昔、一代が神レベルの活躍したら名門、近代ならなりあがり。
しかし、在地の庄屋は一代で成り上がってなるものとは違うんですよ。規模も小さければ地味かもしれないが。
私が次に示す資料を見てどう感じるか答えてみてくださいよ。
211 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:09:15.77
>>207 いいですか?水害等の天災という部分に庄屋は左右されてたというようないい振りですが、
天災に左右されてたのは庄屋だけですか?
城下には近くに川があることも多いでしょう。川が氾濫すれば農地は打撃を食い、物価はインフレ。
商も打撃。結果税収低下により藩そのものが財政難。さらにインフラ整備の莫大な借金がかさみ、破産。
天候に左右されるのは、江戸期の全産業でしょ。例外は坊さんくらいでしょ。
しかし、下記は同意です。そのとおり。庄屋こそ社会に一番貢献していましたからね。
212 :
これ、よくお読みなさい:2011/10/23(日) 15:19:27.17
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/106/02.html ↓
「名主庄屋」をこう表現しています。
@近代の地域社会において一定の名望を備えている人々のこと
A名士・徳望家・素封家・旧家などと呼ばれることも多い。
Bその活動は政治・経済・文化など多方面にわたる
C明治初期には区長・戸長(こちょう)などの公職や、多くの名誉職を兼務していた。
D一定の行政能力と地域社会をまとめる才覚を持っている
Eまた充分な経済力を保有
F地域産業の発展に寄与している
G地域社会への慈恵的行為を常に怠らなかった
H更に高い教養を持つ
I地域文化の担い手になっていること、
などを挙げることができるだろう............... とかいてあるんですが?ww。
213 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:31:02.87
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/107/02-3.html 戸長庄屋さまのいでたちを見なさい。
立派に帯刀しておられるだろ。
格が違うのだよ下級武士などとw
レベルが違いすぎるだろw
>>庄屋は地域の殖産興業に大きく貢献した。
>>近世の村役人層は、広範な政治・経済・文化活動等を通して人脈・情報・資金等を集積し、明治20年代に地方名望家と呼ばれる存在へと成長するが、
>>池谷(いけのや)家の場合、幕末期以来の鶴見川治水ネットワークに加えて、義廣(よしひろ)の第三(大)区時代の行政経験が大きな意味を持っていたのである
どうするのここまで褒めちぎられちゃってwwwwwww
214 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:41:30.35
で、この時代、庄屋さまは、明治新政府より、太政官府により、
華族、上士族とともに、行政区の長と定められ、ことごとく任命され、
地域の文明開花、産業経済、インフラ、行政、あらゆるものに尽力を
旧大名家様や上士族の方々と手に手を取り合って、庄屋は貢献してるとき、
下級武士は何をしたの?陣風連の乱や佐賀の乱起こして、暴徒化してましたよね?w
どこまで庄屋は名望この上ないのかw。ここまで褒めちぎられちゃっても、むずかゆいですがねw
215 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:08:14.72
>>212 写真を撮るからおめかししちゃいました(テヘッ)
216 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:09:39.99
あ庄屋のバカまた公務員落ちたのか…
217 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:15:06.19
>>209 今現代に庄屋なんてあるわけないだろうが
218 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:15:46.73
すいませんがここで質問を。足軽または下級武士は庄屋を無礼討ちできたんでしょうか?
220 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:40:12.90
>>219 すいませんができたという理由は何でしょうか?
御定書百箇条七十一条にこうある。
一 足軽体に候とも、軽き町人百姓の身として、
法外の雑言等不届の仕方、やむことをえず切殺し候もの
吟味の上紛なきにおいては構なし、
庄屋は「軽き町人百姓」じゃない、などと減らず口を叩くんじゃないよ。
士分と庶民の関係を書いてるんだよ。
222 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 19:37:08.03
>>218 出来ません
理由は刀が穢れるからですwww
223 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:10:14.08
>>216 俺が公務員試験など落ちるわけないだろw偏差値いくつだと思ってるんだ?w
>>217 現代の庄屋は村長だと太政官府にきちんと記されてるといってるだろw
その村長は特別公務員という名誉職なんだよ?わかる?
で、
>>221だ。
そのお定め書きはまさか、1700年代後期とか言う落ちじゃないよな?ww
ええ?www江戸初期からそうだったっていうもの出してみなよww
その百年も前に、幕府は庄屋に関するお定め下記で、村民の庄屋に対する忠誠心を定め、
さらに庄屋の村政の利権まで書いてるのに、何で庄屋は軽き百章なんだ?
軽き百章が、なんで村内の税率改定や上乗せ徴収や、裁判、司法、警察犬まで許されてるんだか教えてくれないか?
もしくは、庄屋は軽い百章だという幕府の定め下記出してくれないか?w
何で軽い百章に明治四年には太政官府で、行政区の長と定めてる?
さらに、足軽程度が、勝手に庄屋をたたき切った令を出してみろ?w損な事実など一切ないわw
庄屋が足軽まがいをフルぼっこにしても無罪放免だった土佐の庄屋島田さんっていうのは歴史の事実であるけどなw
で、庄屋をたたききった足軽出してくれないか?w
いいか?島原の乱以降、秩序の問題からそういう締め付けになっただけで、島原の乱以前を見てみろ。
なんであんなに庄屋は威張ってるんだよ?
224 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:20:36.48
>>223 は?あのなぁ、お前自身が今現代って書いてんだろうが
なにが太政官だ コラ
この前は現代の役職では表現出来ないつってたろうが
225 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:21:54.29
それからな、足軽は、庄屋屋敷の陣屋並みの長屋門、どうやってよじ登るんだ?www
おふざけはおいておいても、庄屋の家は代々村長なども歴任し、とても足軽が近世でも下手に近寄れるようなオーラじゃないのだよ。
レベルが違いすぎるんだから。
いいか?わざわざ1700年代にもなってんそんなお定め柿をわざわざ出さなければならない背景はどうなのか説明せよ。
いいか?江戸初期に庄屋は足軽以下なんてお定め下記などない。
なぜだ?その庄屋から見下され、庄屋にもちょっかい出されるようなのが下級武士や足軽だったから、
わざわざ江戸中期以降にもなって、そんなベーシックな封建体制の法典見たいのもんんかかなきゃならなかったんだよ?
島原の乱みりゃわかるだろwそ霊前の九州地方での庄屋の一揆だらけの現実w
足軽下級武士程度が庄屋をどうのこうのできる話と違うだろww
村ひとつ討伐した江戸初期の水戸藩は藩兵150もつれて数ヶ月及んでるだろ、庄屋一人のの一揆潰すのに。
下級武士程度が単体で出れるくらすじゃないっつーの庄屋はw
226 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:25:23.01
227 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 23:12:45.02
あ庄屋さまは宇宙から電波を拾っております。宇宙の感覚ですので一般人には理解できません。
228 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 05:45:43.32
229 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 05:53:47.28
>>55八木家の当主の方が本を出されていて、それを以前読んだのだが
江戸期も途中までは郷士は私称に過ぎなかったのだが、中途から家計図等
戦国時代武士であったと証明できるものを年に一度代官所(京都所司代?)
に見せることによって
浪人(郷士)であると認められたという話だった。
>>77流石に江戸初期に院号居士は眉唾。旗本でも二字居士ぐらいだよ(後に
追贈で院殿居士号になってるだろうけど)。初期は禅定門が一般的で居士はあんま見ないよ
230 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 06:00:42.70
>>106それは自分も不思議に思う。3町程度の持分の庄屋さまでも家屋敷は
馬鹿広く長屋門などを構えてたりする。理由としては、おそらくだが
当時は貧富の差が激しいので人件費が異様に安い、また酒造質屋等の副業
また、これが大きいと思うのだが、ほぼ階層が固定されている為数代に渡る
富の蓄積があるのではと思っている、毎年わずかずつでも蓄えていけば当時は
人口物価とも今に比べれば安定していただろうから100年ぐらいたてば結構溜まるのでは?
庄屋の屋敷は役所を兼ねてるから武士の住居との
単純比較はできない。
なるほど、半公共建造物だったわけね。
納得。
村役場&下級裁判所&地方税務署てなところか
磐城平藩、中老の日記より
天保五年 正月朔日
一年頭御礼、独礼以上服紗小袖麻上下着用、六半時揃、於大書院被為請候
奏者番格以上貫銭差上候、其已下焼杉三本入扇子箱差上候、御礼申上候、披露物頭
徒士格已下一統迄、御橋掛ニテ 御通掛御目見
夫より又々、在・町給人格より独礼迄 於大書院申上、
徒士格御橋掛ニテ 御通り懸け御目見申上候事
年頭ぐらいは在・町の者でも格式を持てば、それに応じた待遇をしてくれたみたいです。
(それまでには長年名主を勤めたり、多額の献金をしたようですが)
235 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 18:05:11.99
あ庄屋さま、出番でござりまする!
お庄屋様早く出て来てくだせえやし。おらたち百姓のために御年貢免除を直訴して
磔になってくだせえやし。
小作人「庄屋さま!(今年は直訴で磔になりたい気分☆byあ庄屋)って言ったじゃねぇですかっ!!」
ドコッ ボスッ バキッ
238 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:14:36.89
>>235 しゃねーな兄弟!俺の論破劇場みしてやんよw
239 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:28:13.74
>>231 それは違いますね。下級武士足軽の長屋や小屋屋敷は、比較がそういう理由で無理だから、屋敷は関係ないといいたいのでしょ?
いいですか、小や屋敷に公共性など規定されてないし、また、公共性を兼ね備えてるがゆえに、あれだけの屋敷の保持を藩幕府から許されてるわけじゃありません。
あくまで、庄屋個人の格に由来したものであり、庄屋の権威に由来する私人の邸宅です。
でまかせはいけません。あくまで、庄屋の権威にもとずくものによる庄屋屋敷なのですよ?
ですから比較検討できます。
あなたがおっしゃっている半公共性を帯びると認められたのは、あなたの嫌いな明治の太政官府により、
(庄屋名主は、敷地は広大で、屋敷は大きく、村の中心的場所であり、戸長たる庄屋名主の役場として併せ持つ機能も有す。と。
これにより、明治期、太政官府により、戸長兼戸長役場兼連合戸長役場を、庄屋および庄屋屋敷と定められました。
あくめで、公共だと認められてのことは明治期なんですよ。それゆえに、あれだけの屋敷を許されたという道理は、明治期になら存在するも、
江戸期はあくまで、庄屋の権威に付随するものとして、庄屋屋敷が許されていたわけで、
半公共性を有するがゆえに許されていたわけじゃありません。
ですから下級武士足軽長屋と、容易に比較検討対象となりうるのです。
240 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:39:26.11
江戸期、半公共性を有するもので言えば、それは藩邸ですね。
大名家の邸宅および、藩の出先機関ということになります。
江戸期の半公共性による建築物は藩邸
明治期の半公共性による建築物は戸長役場たる庄屋屋敷となります。
藩邸はあくまで藩の権威に由来するものですが、
庄屋屋敷は、あくまで私人に帰属する権威に由来する個人所有のもの。
どれだけ庄屋がとてつもないほど、江戸期にしては例外的にもほどがあるほどの権威があったかを示してます。
また、例外としての半公共性は本陣庄屋がございますよね。
大名家の本陣宿。下級武士足軽などとまらせるはずもないほどの本陣庄屋屋敷はやはり、すごいですよね。
この本陣庄屋に関しては、半公共性を帯びてるがゆえに許されている格式および屋敷ともいえるでしょう。
われら庄屋がどれほど個人としての権威を保障され、認められていたのか、よくわかりますよね。
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/kamoso.htm 以前も張りましたが、庄屋屋敷の一例です。
ある意味で言えば、足軽下級武士長屋こそ半公共性を帯びてますよね?ww
藩が所有し、足軽等には、このとうじのマンションたる長屋に区分所有権すら認められてないわけですよ。
庄屋屋敷とはまさに比較すらできない。比べる以前の話ですよねw
241 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:46:55.53
>>230 あなたがどうこうというわけではありませんが、あなたのように、たかが三、4町程度とか言う方多いように思いますが、
東京ドームが、4町弱ですよ?かっぺは東京ドームすら入ったことないのでしょうが、
よくも、東京ドームほど持ってる豪農や庄屋を四町程度なんていえるなと思いまして・・・
もちろん地域によって庄屋の土地の量の平均基準自体ぜんぜん違いますし、
庄屋が一番土地を村の中で持ってるわけではありませんよ?
村内には庄屋より土地を持つ豪農も結構存在します。
土地さえ持ってれば庄屋になれるわけでもないのですよ。
242 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:52:44.20
>>229 >>流石にに江戸初期に院号居士は眉唾
あなたは名門の庄屋のかたでしょ?わかります。
これがわかるというのは、実際江戸初期の墓をお持ちだからですよね?
確かに1660年代までの墓の戒名は居士のみです。
それ以降、傘付角柱型の院号居士になってます。
さすがですね。
243 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:04:46.43
それから、私が下級武士足軽長屋、屋敷を出さないのは、真の旧武家層のこれが本当の武家の情けです。
江戸期、ある程度身分間の統率があらゆるところで比例化している中で、
なぜ、その江戸中期以降になってなぜか足軽以下?という風にされてる庄屋だけ、
あらゆる存在実態に他職種間と反比例するのか。
わかりますか?江戸初期、あの屋敷、敷地、門、蔵、等に由来するだけの格式と権威とが藩幕府から認められてたから、
庄屋名主だけ例外的にここまで反比例する存在実態があるわけです。
はじめから、江戸初期より以前から足軽下級武士以下なら、絶対このような現象がおきるわけないのですよ。
わかりますよね?
庄屋は江戸初期よりというより、戦国期以前より、在地の土豪、地侍、豪族であり、それらを色濃く残してるが故でしょ
そしてまた、江戸初期それらをすべて藩幕府から気を使わせ、認められてたが故に既存するのが、他を凌駕する庄屋屋敷ということ。
だから、あれだけの屋敷や門、敷地、庭園なんですよ?わかりますよね?
だからここまで例外的に、足軽以下?(プっ)とおっしゃってる庄屋がここまで突出して反比例してるんですよ。
わかりますか?w
244 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:19:27.24
なんだたった3町かw
石高に直せばたったの30石w
さすが庄屋さまはお大尽ですなあw
245 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:22:35.43
>>244 私は三町などといってませんが?あなたが勝手に三町といってるんでしょ。
で、石高に直せば場所によりけりですが、3町は実質100石くらい生きますよ?
馬鹿なの?一町から搾取する平均石高は10石程度ですよ。
下級武士からすればそりゃお大臣様でしょwwわかりきってることをwwさすがですよw
246 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:26:18.46
そもそも、仮に下級武士が50石まれに賜ってたとして、
だから何?5十国の土地与えられてるわけじゃないですよ?
自前の土地50石所有と50石知行って、ぜんぜん意味違うのわかるよね?w
247 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:32:08.70
庄屋は村ひとつのある意味知行を持ってますよね?性質上で言えば。
村ひとつは余裕で200石いきますよ?
庄屋を知行に言い換えれば、村ひとつの200石知行ですよ。
その上でさらに、4町の土地自前で持ってるなら、100石弱の土地所有ということ。
で、下級武士は自前の土地もってないだろww
248 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:43:31.34
しょせん足軽とあらそってるレベルw
249 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:48:08.65
だから、何を根拠に足軽とどの部分を争ってるレベルか言ってくださいよ?w
とりあえず、涙拭けよw
250 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:54:29.45
昔、元土豪の名主、福田首相が、
「あなた方とは違うんですよ!!」
ときれたろ?ww
あなた方とは、下級武士足軽のことだからな?ww
格が違うんだよ旧武家庄屋名主様はw
251 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:59:16.76
200石の村で、そこの 庄屋の「知行」が200石?
ヴァカw?
252 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:00:12.91
旧戦国大名家の大庄屋、麻生首相は三万石の大名に匹敵する財力があったといわれてるが、
麻生大庄屋家は村20村を治める庄屋
庄屋なんて大名や旗本と同じ。
一村200〜300石としても単純に4000石〜5000石の知行、さらに自前で1000石近い土地持ち。
それを、大名家と違って一族だけで独占してるんだもん、
下手な大名家程度じゃ庄屋には勝てないよww
だもん、総理大臣や国会議員は庄屋だらけになるわwwww
さすが、われら庄屋軍団!!キリ☆
253 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:08:24.95
庄屋って名前がカコワルイ
いかにも『百姓』って感じw
254 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:12:23.86
>>251
知行地と言い換えてやろうw
いいか、4町程度とほざくまえに、下級武士など自前の土地3反も持ってない事実をどうしてくれんのか、
説明してくれよ。www
足軽は何俵だ?w
庄屋は知行地も違うよな。所領だよ
米だけ搾取してるわけでなく、あらゆる権益も独り占めしてる。それを幕府が公に認めてる主体。
訂正します。知行地でなく、所領です。領主です。
255 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:14:45.10
かくして妄想は尽きないあ庄屋さまなのであった。
256 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:16:41.78
>>253 庄屋 →庄の屋形
名主 → みょうしゅ
本来の中世以前よりの在地の権力者層ということ。
かっこ悪いと思うのは君の勝手なイメージ。
土豪や地侍が江戸期、庄屋という名前に変わっただけ。
奉公人よりよほどましだろ。奉公人はないわww下級武士なんぞ奉公人ですがななにか?w
へ?武士?はあああああああああ?wwヴァカですか?ww
257 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:17:29.93
>>254 だから精々足軽と争ってなよw
所詮足軽相手にムキになる程度のレベルなんだからw
258 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:18:31.75
>>255 一体全体どこが妄想なのか教えてくれよ?w
庄屋の権益や帰属する権利主体は、中世で言えば土豪等の所領という概念の枠組みですが?
259 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:23:29.33
だから庄屋に「知行」なんてあるわけないっしょ。
知行は武士に対して使う言葉。
庄屋はどんなに大きくてもお上(武士政権)に年貢を納める側。
つまりは百姓ってこと。
260 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:25:42.85
261 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:28:27.55
>>245 それであ庄屋さまの御家は何町、何石持ちだったのですか?
262 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:29:18.24
オラァ〜!庄屋始め百姓共!
頭が高いぞ!ゴラァ!
足軽さまが来てやったぞ!
263 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:29:23.12
264 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:29:32.70
>>259 だから、例えでいってんだよ。
それから所領な!庄屋は所領だよww
知行ごとき、食い扶持のみ搾取してるわけではなく、
村の権利主体の帰属は庄屋だぞ。
庄屋は所領地ということだ!!
知行と所領の違いわかるよな?
庄屋の権益、支配形態は、中世の所領に概念が当たりますが?
265 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:31:46.66
>>256 庄屋もお上への奉公人のようなものだけどね。
266 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:33:32.56
庄屋なんて村全体の代理人程度だよ。
267 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:35:22.92
>>265 そうだね。そのとおり
いくら成り上がりとはいえ、大名家にまでのもりつめりゃお上だよ。
われわれはお上である藩や大名家には、礼節尽くすよね。ww
しかし、九州地方では江戸初期、その大名家にも旧武家庄屋は礼節尽くさず、
一揆という名の合戦三昧するほど、その新興大名家と庄屋は渡り合ってた事実がありますけどww
レベル違いすぎwwww
そして奉公人は下級武士足軽だとお上は言っておられるだろ?ww
藩主の顔見たことあるの?wwぷっww庄屋屋敷には大名家も本陣としますけどwww
268 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:38:01.01
>>267 に、庭掃除の時にちらっとお顔を見たことあ、あるし…
269 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:38:54.98
>>266 管理人にもなれない下級武士いかがいう言葉かよww
管理人でもないしww
下級武士の中世は何してたのよ?ww
幕府直参の御家人衆の長屋があったのは伊賀町という地名になってるのでわかるとおり、
忍者だぞ?ww
一介の大名の下級武士以下が、徳川家直参の御家人より名門という通りが通らないだろwww
名門の旧武家庄屋を貼ってってやろうか?www
このすれ簡単に埋められるぜ?ww
270 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:43:10.80
そ、そうだよな!庄屋って偉いよな!
271 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:43:28.47
>>268 wwwwwwwwwwwww
久々に爆笑したぜwwwwwwww
wwwwwwwwwご飯粒が鼻に逆流したじゃねーかwww
wwwwwwwwwwwww
272 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:51:15.46
>>271 庄屋ちゃんのバカバカバカ…(ポコポコポコッ
273 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:52:30.47
>中世でいえば中世でいえば
って馬鹿かコイツ?
中世でなくなって武士身分から百姓身分に落とされたのが「庄屋」なのに。
だから近世においては国人とも地侍とも呼称されることは無くなったのだ。つまりは庄屋はもはや「武士」ではなくなったということだ。
274 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:57:14.73
>>272 だかれたいのか?www
庄屋の現代の子孫は、DAIGOや女優と結婚したの旦那の後藤田国会議員だの
男前だらけだなwww
代々庄屋は村一番のめんこい娘っ子をいただいてきたから、
子孫も飛び切り男前だらけだもんなwww
恵まれすぎててわろすだなwwww
275 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:03:32.67
>>273 いいですか?
江戸期以前、武士身分が絶対ではないといってるでしょ?
そうなったのは島原の乱以降江戸中期以降だと。
江戸初期は下級武士程度より圧倒的に庄屋のほうが格上でしたが何か?w
いい?武士身分こそが絶対だったとお考え照る時点で、現代の価値観乙というだけ。
江戸初期、幕府は下級武士夜庄屋は格下なんて一言も言ってないし、
じっさいそうじゃなかったし。
276 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:04:01.48
>>274 庄屋さまに衆道のご趣味がおありとは…流石戦国武家!
277 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:07:24.19
あ庄屋さま、本日も絶好調でございますな♪
278 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:09:35.16
>>277 いやー庄屋様にうまれて、よかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(織田祐二風)www
279 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:09:45.07
秀吉による中間搾取者(地侍)狩りによって武士階層に残れず落ちこぼれたのが庄屋百姓。
どんなにほざいてもこれが真実。
280 :
207:2011/10/29(土) 02:13:43.87
庄屋が「搾取」する存在って位置づけの発言が、一般的なように思えないんだよな。
俺の先祖の出身地は、年貢の取り立てが厳しくて、土地が痩せていた地域だったんだ。
そういう地域では、「役得」よりも「役損」の多い大変な仕事だった。
それがどれくらいポピュラーな実態だったのかはよくわからない。違う村もあるのだろう。
でも、俺の先祖の村の歴代庄屋の名誉のためにも、ひとこと言いたい。
(少なくともうちの村の)庄屋は村を搾取する側というよりも、村のために私財を提供してまで村に尽くし、命がけで藩との交渉も行ってくれる存在だった。
俺の先祖は江戸(東京)に出たけど、その兄の娘婿は村長になって、その子孫はずっと村政に携わってきた。
それは、「搾取していた」からじゃなく、「村のために尽くしてきた」からだ。
江戸(東京)に出た先祖も、災害があると必ず村に仕送りをしていたよ。
>庄屋っていっても、不作・水害等で収穫が思わしくなく、年貢の減免の交渉に、藩の城下まで何度も行っても認められず…という状況のところもあった。
>年貢が納められないと、数日間入獄されたり、場合によっては田畑を売ってでも納めろということになった。
>その責任を取る立場になったのが、庄屋や組頭。
>「あ庄屋」氏の言うようなうかれ気分の庄屋ばかりじゃない。
>もっと、困難に満ちていただろうし、だからこそ尊敬も受けた。
281 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:19:39.95
秀吉の一連の施策では、きほん、その藩(大名家)自体に一任されてるだけで、
徹底されてるわけでは全然ないですよ。
さらに、当時庄屋層が武家になった場合、確実に上級武士層になってますし、
また、あくまで選択性です。
秀吉により身分選択を迫られたのであって、剥奪ではないということ。
そして庄屋を選んだものが非常に多いと負うのは、それだけ庄屋と上士の職業的隔たりや、
また権益に差がなかったことならわれ。
負け組みと思ってるのは、あなたの現代の時代劇価値観なんですって!!
証拠に明治期以降も庄屋は旨みをず〜〜と与えられ照るでしょ政府からもw
わかります?
下級武士等は江戸中期以降、島原の乱等武士政権が絶対ではなかったからこそ、
庄屋の相次ぐ一揆のおかげで、幕府の都合により下級「武士」としての権利が与えられたまでのことでしょ。
普遍的性質の家でも、主体でもないようなものたちだったから、
江戸期も軽輩と上士にいわれ、明治期もいたるところで反乱起こして、
明治政府に暴徒として鎮圧されるんでしょw
庄屋のように主体にもその家にも普遍性があるから、
明治期にも太政官府により、華族、上士族とともに行政区の長とはっきり認められるんですよw
わかるでしょ?この違いw
282 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:24:54.20
>>280 そうですよ。あなたのおっしゃるとおり。
以前、庄屋は
>>212でもあげたように、とてもすばらしい、名望家です。
言い換えれば、搾取できる立場にあるということです。
幕府から公的に搾取を許される側ということです。
283 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:31:18.31
>>281 訂正
幕府の都合により下級「武士」としての権利 → 下級「武士」としての性格があたえられたまで。
武士としての権利は実質与えられてませんから。
284 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:48:42.60
>>280 いや良い話を聞かしてもらったよ。
あなたの述べるような徳の高い庄屋さんが治める村の村人はつらい境遇にあっても幸せだったろうね(武士もまたしかり)。
こういう人のご子孫は誰か様のように傲慢な人間にはなっていないんだろうなあ。
285 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 03:52:36.41
286 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 03:56:19.10
どってことないじゃん
287 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 03:59:18.67
麻生神の敷地面積だけで東京ドーム何個分だか知ってるのか?w
288 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:01:46.96
東京ドームw
うちのすぐ近くだしww
あんなのどってことないよ。
289 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:07:17.78
東京ドームの近くの東京医科歯科大学に入院してるのか?
ご立派な身分だなw
290 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:09:50.92
東京ドームをやたら連発w
田舎者乙おーっつww
291 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:12:32.17
>>289 >立派
かどうかは分からんがNK町の出身だからふつうに坂を下れば数分でドームだし。
292 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:15:30.88
単位としてわかりやすくいってるだけだw。
あんなところに何の都会を感じるんだよ。君じゃあるまいし。
俺、ビジネスエリートよ?俺クラスは湾岸方面よw
それだけのお大臣様なら水道橋になんで住んでるのよ?www
話がごちゃごちゃww水道橋の入院費はたかいの?www
293 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:22:01.51
だから水道橋でも後楽園でもないNK町と言ってるだろうが。
文盲なのか。
それに医科歯科も順天堂も近いけど雰囲気が好かないから行かないしw
大体病院にかかる時は新橋のJ大に行くし。
294 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:24:53.89
その前に書き込んだからだ。
ちなみに俺クラスならどーせ新橋方面に行くなら聖路加いくねw
295 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:25:34.51
それに一生懸命麻生邸みたいの出してくるが、あのテのもの見ても本当に大してなにも感じないのよ。悪いけど。
お庄屋さま出て来てくだせえやしたか。ありがてえことでごぜえやす。
組頭参上!!
298 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:55:07.78
歴史板らしく解説してやろう
江戸初期と中後期では庄屋名主の性質・立場は全くと言っていい程変貌している。
島原の乱と慶安の御触書による公儀の統制、元禄期までに庄屋給地による幕藩体制の
地方行政末端への組み込みを経て庄屋名主は全く別の存在と言っていいくらいだ。
299 :
298:2011/10/30(日) 00:00:00.57
庄屋給地とは僅か十俵程度の押し付けられた「御恩」のこと
300 :
299:2011/10/30(日) 00:15:24.70
幕藩体制の建前としての序列は領主から見た俸禄が基準になる。
高持千石でも庄屋給地八十俵であれば百石取の徒目付の方が上になる。
>>300 まだそういう馬鹿な子といってるの?
じゃあ、旗本30石は下級武士程度の50石給地ごときより下ですか?www
ほんと、ヴぁかなの?ww
で、いつ誰が俸禄が基準だといってる?
いツモ君の勝手な基準だよな?w
建前という部分に関しては同意するよ。すべてが建前。
旧武家の庄屋が、江戸中期以降忍者足軽の類の下級武士より一律下となってるのも対面。
すこしはまなんだようだなw
ちなみに公平に日本の真ん中である摂津当たりを例に取る。
摂津国島上郡 下郡
36か村 21501石 →1か村平均約600石 22か村 12743石→平均580石
住吉郡
2か村787石→1か村約400石
こう記されてる大名家の文献がある。これは全国でも多いほうではないよ。
北と南で言えば仙台藩は1か村あたり平均780石、九州の南部では平均650くらいになってる。
なので日本の中心くらいの摂津を例に取ったが、上記の例で行くと
600石と400石の間を取って1か村あたり500石としよう。
大体庄屋の平均上米率は庄屋それぞれだが、平均を取って1.5割の上米をとったとしよう。
そして、数日前から3町とか言ってる人が多いので、まーわかりやすく東京ドームが4町弱なので4町の庄屋としましょう。
↓
そうすると、
自前の土地4町の石高を最低限で見積もっても80〜100石。
うち、納税率は当時の平均は3割程度なのでー24石
★ただ、庄屋は免税という藩も多いこと忘れるな!ただ、いちを庄屋も納税としてやろう。
庄屋が1.5割の上米をはねた場合、75石
↓
実質の可処分所得は130〜150石
しかし、村には庄屋より土地持ってる豪農など結構いる。
庄屋が庄屋たる由縁は、村内の警察、裁判、行政立法等の実態権益が存在すること。
これを今現代がこの資産に換算すれば、当時は封建制でもあり、まさに庄屋の実質可処分所得約150石の4,5倍近くに見積もられるはず。
しかし、あえて2倍としても、庄屋になれば、一家のみで300石程度の実態収入は存在するということ。
あくまで、すべて最低のラインで見積もってもな。
下級武士の自分の土地でもない50石程度の知行じゃ、比べ物にならないんだよ。
そもそも50石ももらってる下級武士自体全体の何パーだ?w
上の計算で、旧室町大名家の大庄屋麻生家を換算すれば、
麻生庄屋20か村の所領は1万3000石〜一万5000石
うち自前の土地1500石
麻生家は自身の家の納税は免除のお墨付きをもらってたようなので
そのまま1,500石
さらに、村々の上米1割はねただけでも+1300石
計約3000石の石高
さらに20カ村の住民1万5千人分の自治を完全掌握。
この資産価値は最低限で見積もって×3倍としても焼く一万石相当
計1万三千石相当の資産価値を最低レベルで見積もっても麻生庄屋は保持していた。
ちなみに近隣の一万石程度の藩だと麻生家のように20か村も支配してない藩もある。
下級武士程度がしゃしゃりでてくるレベルの話じゃないのだよww
>>298 君、なかなかわかりやすいじゃないか!!
もう少し、この武士信者どもに説明してやってくれよwww
武士とつけば何でもえらいとおもっtれるようだからさw
知行なんて食い扶持の搾取しかできない分際が、
庄屋の村政自治も含めた中世期よりの利権までもっとる庄屋より上なんだってwww
すげーよな知識足らずの武士信者はww
それでもまだ上士ならわかるが、あげくは下士ってwwwwww
もうあいた口がふさがらないですよww
ですからあなたからもわかり易く教養をといてあげてくださいよ下級武士信者にww
305 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 14:18:27.42
庄屋なんて所詮は中世まで武士がしていた領民管理の請負業。
武士が在地を離れて城下士化したのでその現地管理人が必要になった。
つまりは下請けだよ。
306 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 14:25:40.04
それから禄、身代の大きさと身分序列は全く関係ないぞ。
これはヨーロッパなどでも同じだが、
身代の大きさで序列が決まるなら中世以来、最上層身分は商人になる。
土倉などはその代表例だ。
307 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 17:50:51.24
ゴッ!
足軽「!!ッッ」門で躓いた
足軽「庄屋ちゃん〜遊びに来たよ〜開けて〜」ドンドンドン!
308 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 20:39:20.42
>>301 あ庄屋さま、30石の旗本など存在しませんぞ!
余所のことは触れずにあ庄屋一族に集中してくだされ!
309 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 21:05:37.86
つまり父方が五千石の旗本の子孫で母方が中級貴族の子孫である俺の方が上だということ
おい!庄屋!ジュース買ってこい!
5秒以内にな
310 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 21:07:18.21
あ庄屋さまはコンビニ勤めでございますよ!
311 :
日本@名無史さん:2011/10/30(日) 21:39:26.23
何とも労しいあ庄屋さま…
旧家の子孫なら
島崎藤村の「夜明け前」は読んでるよな
何か虚しい
全くだ。
315 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 03:18:26.52
やっと気付いて頂けましたか庄屋さま
庄屋って、村の数だけいたんだろ?
星の数ほどいたんだよ
318 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 06:09:50.40
だけどあ庄屋さまは唯一人
本陣?
320 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 09:55:02.13
>>316一村2家から8家ぐらいいるよ
唯、田舎行くと今でも庄屋の家系は別格だし家柄という観点から言えば
下級武士には負けないというか、下手な武士には負けないという「お庄屋」
みたいのが多いのも嫌な事実
321 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 10:03:17.92
もう少し付け足しておこう
田舎に行くと名門の苗字というのがあって大体郡内にそれなりの数がいて
各村で庄屋を勤めていて、そういう家は戦国期にどこぞに城を構えていたと・・
なので庄屋だからいいというわけでなく名門の苗字を持った庄屋が田舎では真の名家である。
それを知らずに田舎住まいに憧れて引っ越す人やここの住人等が引越すと
まさに小作人のごとく扱き使われるので要注意
うちは東京郊外の新興住宅地に数年前に新築したんですけど、ここは江戸時代はT村といっていました。そして隣のK村を併せた2ケ村の名主を勤めていた家が(評判はどうあれ)今でもこの地域一番の名家として通っています。
元々この地域はある旗本の領地だったんですけど、その旗本の家が改易されてからは幕府直轄地となり、名主の家がそのまま代官をも勤める「百姓代官」となったということです。
現在この家は駅前の一等地にビルや駐車場などを幾つも所有しています。
でも上にも書きましたがあまりいい噂は聞かないですね。
323 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 16:24:07.54
田中角栄さんも越後の村の庄屋です
自身では百姓の出と言ってたが村ではそれなりの名門の出でしょう
324 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 19:38:51.68
日本は当時世界で見ると、独特な制度。 開国の時に外国人は支配階級であるはずの武士が土地を持っていない事に驚愕したらしいね。
武士が持っていたのは徴税権だけ。
大名の国替えが出来たのはその制度があるから…
325 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 21:55:43.89
お庄屋→村の代表
あ庄屋→ニートの代表
326 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:57:01.03
田舎のOO(町や村の名前)会って言うのが東京都かで作られるけど
代表者は大体庄屋だし小さな藩があるとこは元殿様を招聘して
庄屋、殿様と毎年互選でやってるが(今の時代に何をやってるのかとOrz)
と思いつつ田舎のヒエラルキーってそんなもんだよな。
327 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:09:56.58
我が地域の庄屋の家系は謙虚過ぎるくらいの人達ばかりだけど
No.3的な中途半端な百姓はお山の大将で
さらに似たような百姓共がヨイショして浮かれてるからタチが悪い。
328 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:30:21.28
組頭がしゃしゃりでるパターンかw
329 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 02:39:27.20
>>328 そうそうww
元気な本百姓ってな感じww
No.3なら百姓代でしょ。
331 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 04:26:24.63
いや、村に組は1つとは限らないから組頭は複数名いるだろ。
332 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 05:29:36.32
順序なら
庄屋(名主)
年寄
組頭(百姓代)
だな。
おおむね庄屋と年寄は1名づつで、組頭は規模によって2〜5名くらいいる
ようだ。
333 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 08:11:03.69
庄屋の数が多いとこは庄屋、組頭はその家々で占有(ぐるぐる回ってる)だけだけどね
334 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 21:44:45.19
庄屋が 明治以後没落して 商売でうまくやったとこがデカイ顔するようになったとこも多いはず
因みに後者の代表が太宰治の実家の津島家
335 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 22:48:27.04
明治没落は珍しいんじゃないのかな?維新後は急速に大地主化が進んだから元々零細な
名ばかり庄屋が淘汰されたのだろう。
以後、昭和大恐慌で銀行やってる家が破産し、農地改革でほぼ全滅と。
336 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 23:42:37.71
周囲からおだてられ、政治に私財を注ぎ込んで窮乏なんてのも。
私財を投じて道整備したり、池修繕したりは、してるとこ多いと思うよ
歴史的には忘れ去られてるだろうけど
338 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 10:01:43.15
>明治没落は珍しいんじゃないのかな?
資本主義経済というのは浮き沈みが激しいのが一番の特徴。在地代官をやっていたような
有力庄屋でさえ、断絶しているところは多い。消費地の欧州の動向次第で生糸生産で大損したり。
一番激しかったのは昭和はじめの金融恐慌で、当時は銀行も村の有力者が小さいのを
経営していることが多く、その大半が淘汰され、地主層が没落していった。
339 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 19:38:33.61
経済的困窮ではないけど地元の大庄屋も大正期に子孫なく断絶してる。
江戸期には村医や啓蒙活動も兼ねていたりと県では有名なのに子孫がいないのは無常。
現在の屋敷跡には市跡指定の看板と土蔵と井戸しかなく、半分公園化してる。
藪が生い茂っていて蛇や蜂が多いから滅多に人は行かないけどwww
340 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 20:00:00.40
跡継ぎが戦死して、親が失望のあまり世を儚んで養子も取らずに断絶ってパターンもある。
341 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:20:28.41
>>305 それはぜんぜん違うんですよね。
いいですか?これから少し細かいことを言いますが、庄屋を語る上では語らざるを得ないのです。
あなたは庄屋は請負業とおっしゃっていますが、低脳にはニュアンスで伝わるのでしょうが、まるで実質が違います。
いいですか?庄屋は機関委任事務の「委任」に当たるのです。
委任は行政が庄屋に権限までも委任するので、庄屋は庄屋の名の下に村政を行います。
ですので裁量権も持たされています。それが上乗せ徴収権等です。
これらは事実上の中世でいう領主権なんですよ。ですから、村政は藩命の名のもとに行われているのではなく、
庄屋の庄屋による庄屋のための村政が行われているのです。
権利の帰属先は庄屋になりますので、責任もすべて庄屋が負わされます。
方や請負というのは中級武士以下になります。これらを「委託」といいます。
個にには何の権限裁量権もなく、藩命の末端の実行者にすぎず、大原則の権利の帰属は藩にあります。
あくまで藩の藩による藩のための末端の実行役に過ぎず、個が存在するわけではないからです。
下請けというのは完全な下級武士なんですよ。
あなたは勘違いしすぎてる。委任と委託の違いをわからないとは・・・w
私くらすと討論できて幸せですよあなたw
>>武士が在地を離れて城下士化したのでその現地管理人が必要になった
これもまるで違いますね。下士はそもそも在地ってありましたか?
そもそも土地を持たない足軽忍者ですよ?w
それから何度もいってますが、土豪とは、原則大身の農場経営者が大原則なんですよ。その中に武士の側面、
村主の側面、商の側面を兼ね備えてるということ、
必要になったのではなく、もともとこれら旧武家庄屋の土豪にはかね備わってた部分。
歴史が浅はか過ぎないか君?
342 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:27:24.92
あ庄屋さま!ご無沙汰をいたしております!
先日、論破された下級武士めにごさいまする
(小作人的土下座スタイル)
343 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:28:45.90
>>306 >>これはヨーロッパなどでも同じだが
あなたはすごいいい指摘をしたと思います。
いずれ私も教えを君たちに説いてあげようと思っていましたが、いい機会です。
欧米のものと比較すれば、一目瞭然に日本での実質が浮き彫りになります。
欧州において有名なのが貴族と騎士ですよね?
よく、騎士=武士という風に伝わっていますがまるで違います。
騎士とは村単位の領主なんですよ。騎士と言うのは、戦うための戦士ではなく、
地方在地領主のこと。そして貴族が日本で言う大名家なんですよ。
騎士と瓜二つの側面持ち合わせてるのが土豪、地侍だということ。
勘違いしないでください。ドラクエのやりすぎですよあなた方ww
いいですか、世界最先端のイギリスフランスドイツを見ていきましょうか。
これらを紐解けば、また日本の実質が見えてくるんですよ。
344 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:48:48.49
いいですか?
そもそもナイトとは騎士とは武士ではなく、地方在地領主である急土豪地侍庄屋と同じ属性だといいましたが、
では下級武士とは列強では何に当たるのかということになりますよね?
欧州においてはローマ皇帝時代より傭兵制度が非常に発達しています。
ローマ帝国時代にも多くの傭兵将軍が登場します。
これらは一代限りの将軍職で世襲ではありません。
君たちには難しすぎると思うのでわかりやすい時代でいえば、百年戦争当時の世界があります。
当時フランスは諸侯であるシャンパーニュ大公らに国土継承権をイングランド王家に売られ
国土の大半を奪われていましたが、そこに登場したのが、フランスの伝説にしか存在しないロレーヌの乙女だと自称する少女ジャンヌダルクでした。
その当時のオルレアン要塞でイギリス軍と対峙してた将軍のほとんどが傭兵将軍です。ほとんどが一般階級の人です。
ジャンヌはその後オルレアン攻防戦に勝利しランスを奪い返し、シャルル七世をフランス王家にすえ、ブルボン王家の土台を築き上げましたが、
そのときの側近の将軍は10人弱いますが、うち一人のみが国王直参の側近貴族諸侯であり、その他は傭兵将軍です。
しかし、欧州では下克上というのは存在しないため、傭兵将軍派一代限りの特権なのです。
用は蜂須賀家や浅野家のように下克上後も大名貴族になることはありません。
これら傭兵将軍に当たるのが、江戸大名家なのですよ。
それら一代限りの傭兵将軍の末端の傭兵たちが下級武士に当たるんですよ。
欧州では貴族=室町守護大名 騎士=土豪地侍庄屋 傭兵将軍=下克上大名 日雇い傭兵=下級武士以下
これが現実なんですよ。さらに日本史と共通点があるのは、
欧州は十字軍遠征よりの時代から諸侯国家ですので、国王は直属の軍隊を持たず、戦時には諸侯から軍を募って兵役を貸す制度です。
まさに十字軍の時代だとわかりますよね?ですから上記で述べたようにシャルル七世よりシャンパーニュ大公のほうが力が強大であった。
まさに、鎌倉、室町武士団と同じなんですよ。守護家は直参の家臣団を持たず、地域の自侍土豪の土地権益を保障する代わりに軍役をかしました。
まさに騎士=庄屋が欧州でも真の武家なんですよ。
345 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:58:54.87
もっといえば、農村の長なんてださいと、勝手な価値観で言っていますが、
今度は泣く子も黙るプロイセン王国見てみましょう
日本が幕末に入る手前の時代までプロイセンも諸侯国家だったのはご存知のとおりです。
そのプロイセン王国の諸侯をなんといいますか?
ユンカー「農場領主」ですよ?プロイセンゲルマン国家の騎士は農場領主というんですよ。
いいですか?あくまで在地領主でありう、大農場を所領する庄屋であり、そこに武士としての騎士としての側面と、
さらに、村長としての側面を兼ね備えた在地領主ということで、在地農場地主領主(ユンカー)というんですよ。
日本で言えばなんですか?庄屋でしょ。イギリス、フランス、ドイツ、これら世界最先端の歴史国家どの区に見ても庄屋こそ騎士なんですよ。
国が違えで、歴史の築き上げ方は似ます。特に日本ほどの歴史国家は欧米に準ずるほどの国ですからね。
その庄屋ももともと、中世期は真の武家層でしょ。
わかる?農民農業はかっこ悪いなんてほざく前に、
欧州では農場である、在地の大農場主が騎士の前提条件であるということ。
346 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:05:20.17
あ庄屋さま、あしたはアキバなのでは?
347 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:13:46.49
それに、下級武士足軽の人は、すぐに武士武士言いますが、そもそも武士とは何ですか?
武士とは免許でもなんでもないんですよ。
武士の近代起源は鎌倉御家人衆ですよ。
彼ら鎌倉武士団とは、土地の開発領主なんですよ。いいですか?
鎌倉方から武士としての免許なんて与えられてませんよ?そんな免許ないですから。
いい?在地の農場土地開発領主は自己の土地、権益の保障を鎌倉方、もしくは守護大名家にしてもらうことが必要でした。
そして、それら開発地主は自己の広大な土地を守るために必要な側面、それこそが武装して自衛することでした。
それこそが近世武士の起源なんですよ。それらと地権益の自衛のための武装が、そのご鎌倉方等の号令の際には代理戦争をするという軍役、
ようはご恩と方向が誕生してるんです。あくまで土地を介在しての武士だということ。
わかる?プロイセン等列強の在地農場領主という意味のユンカーやナイトとまったく同じ運用のされ方なんですよ。
自己の土地権益を防衛するために武士という側面を持ってるとだけの話で、いつしかこれらの総称が武士と称されてるだけなんですよ。
武士になりたくて武装してるわけではなく、必要性があるから武士化してるだけなんですよ。
土地すら持たないで武装していたものたちを「野党」というんですよ。
これらにあたるのが武士がすべてと勘違いしてる下級武士でしょ。
在地を持たない、日常傭兵を生業とするもの。これは中世で武士といいましたか?野党でしょ。
まさに雑賀衆ではないですか。
いい?武士というのは、在地領主層の側面であるだけで、主体が武士ではない。
主体は在地の開拓荘園領主であり、その運営維持のために武士団化していき、室町守護家の下で土地を介在にしたご恩と方向の関係があった。
それらが旧武家庄屋層の土豪地侍であって、下級武士など武士と呼ばないんですよ。
武士家業を生業にしてたのは中性の傭兵集団雑賀衆でしょ。
348 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:27:38.87
>>307 wwwwwwwwwwwはっはっはtっwwwwwwwww
面白いから4こま漫画にしたいねww
確かに、足軽下士が近寄ってきても門を硬く閉ざしますwww
仲間だと思われたくないのでw
>>310 俺、ビジネスエリートよ?wwヴィジネス戦士w
>>312
初めて知りました。とてもありがたいですね。興味わきました。
いつか次官ができましたら必ず読ませていただきます。
>>316 なにを持ってそうおっしゃるのでしょうか?
庄屋の数と下級武士の数比較してくださいよ庄屋の5倍以上の数いますよ下肢は。
いいですか?一万石の大名家など村20個もないですよ?その村には必ず大庄屋が降ります。
実質一万石に庄屋は15人弱。下級武士は明らかに百人前後いるでしょ。
無駄に糞多いのはどちらでしょうか?w
>>318 否定しませんねw。私中学高校時代、有名全国模試、確か十万人弱受けた中で、全国100番以内はいってましたからw
>>324 そうそう!私が上記で述べたとおりですよね。
大名家ならまだしも、下肢は絶対に武士ではありません。まったく武士たるゆえんがありません。奉公人ですw。
>>333 そのとおりですよね。結局明治維新後戸長、その後村の大合併後の村長も、合併前の村々の庄屋3家くらいで数年後とにまわしてるだけですよね。
349 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:40:30.83
>>334 明治期庄屋が没落したというソースは?
いいですかね、何べんでもいいますがw明治期「太政官府}により、華族、上士族、とともに、行政区の長とすん。と庄屋は歌われてるのに、
何を持って没落したというの?
明治期直後即没落したのはまさに末席上級武士層と中級武士層ですよ。
これらは基本藩においても藩執政の権利主体ではないため、即座に没落し路頭に迷っています。
薩長土肥等例外抜かしてね。
下級武士にいたっては没落云々というより、相も変わらずですよねw
最後の砦の武士という方下記を明治初期に感嘆に新政府から剥奪されようものなら暴徒と化し、
明治新政府より討伐されましたw。
何を持って庄屋が明治五速没落したというのかな?
>>337 そのとおり!!明治維新後さらに名望家の代表者として名前刻まれてますよね?
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/106/02.html これ以前にも言いましたが、見てくださいよ、庄屋の褒めちぎり方www
>>338 ここで時系列に見ていけばわかるんですよ。
350 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:50:10.16
明治維新
↓
華族、上士族、庄屋は行政区の長に。
↓
下士達暴徒化、新政府により速やかに鎮圧。
↓
明治後期から大正
↓
しだいに下克上大名家、重臣達も失速し始め衰退。
↓
新興財閥の成立
↓
昭和初期
↓
大恐慌により新興財閥(銀行家等)が没落
↓
戦後
↓
唯一の権力者層たる庄屋組が、農地解放により根こそぎ大没落
↓
高度経済成長期
↓
事実上もはや日本に特権階層はなく総中産階級となる
↓
現代
↓
しかし結局総理大臣にまで上り詰めるものたちは庄屋だらけ乙ww
最後の最後まで結局力を誇示しているのが庄屋。近世唯一の非成り上がり層であるがゆえ、
結局最後まで生き残ってるのが在地領主層のしょうやであった乙wwということでしょ
351 :
日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:55:04.38
>>342 wwwそうかwww
これから、庄屋様にため口きくのは、「暴れん坊な将軍」の世界だけにしときーやwwww
>>346 おれはブゥイズゥイネスなのだよ兄弟www
352 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:01:38.84
旧家に美女が多いのは同意
それに礼儀作法も子供の頃からしっかりしていて小中学生、同年代の女の子は俺の憧れだった。
かといって、堅苦しいのではなく人当たりが良い感じだった。
旧庄屋の爺さま当主は俺みたいな若造に頭を下げてまで挨拶をしてくださるので恐縮。
353 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:29:06.27
だめおしになっちゃうかなww
江戸大名家で、名門といえば誰ですか?
徳川方で言えば、審判となるのでしょうが、
親藩はただ単に徳川家一門というだけなので、はずします。
すると、譜代の中ではどこでしょうか?
渡し的には譜代最強の名門の武家は事実上伊井家といっても過言ではないではないでしょうか?
するとだ。伊井家とは元なんでしょうか?
そのとおり、武田家重臣ですよね?もちろん、信州の土豪です。
では、この譜代最有力名門武家の伊井家の同僚たる武田家家臣団と比較すれば、
庄屋と下級武士が歴然としていることがわかると思いますよ。
この譜代筆頭超名門武家、伊井家の同僚、馬場家を見てみましょう!!
↓
354 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:34:51.11
この譜代筆頭超名門武家、伊井家の同僚、馬場家を見てみましょう!!
馬場家以外の武田家家臣団の家も見てみましょう
↓
http://park2.wakwak.com/~do2000/mjinu.html さあどうでしょう。
馬場家は4家位に分裂してますが、いずれも庄屋郷士です。
下級武士など一人もいません。
譜代筆頭名門土豪武家、伊井家は大身の大名家になりましたが、
その同僚はみな「庄屋」や「旗本」「藩家老」だということ!!!。
355 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:43:41.26
先祖は御用達として藩の金策に走り回っていた。
先日、旧藩主家の御当主から、「その節(幕末頃)はそちらの家にお世話になりました。」
と、お礼を言われた。なんだか恐縮した。
356 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 01:44:15.12
譜代の井伊家のことか?
武田の重臣って、いつの時代?
仮に武田についた時代があったとしても、南朝方(宗良親王ら)や今川家や徳川家(松平家)の家臣筋であった時代の方が圧倒的に長いだろう。
357 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 02:01:01.51
>>356 あ庄屋さまはパラレルワールドの住人なのですから日本人の常識は通じません。
358 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 02:22:09.23
武田二十四将といえば大半が旗本か名主だとおも。
たしか板垣も名主だったはず
359 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 04:57:00.34
>>359 板垣家は主家が名主で、分家が旗本だよね
それにしても馬場庄屋屋敷はすごいね〜
361 :
日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:06:23.91
>>360一回土着してしまうと、それを捨ててというわけにはいかなくて次男が・・・
ということになるんだろうけど。昔から不思議に思うのだが何故甲斐でなく信州や上州に
土着するんだろうね?
この中で爵位もらえた家系の人います?
363 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 01:30:49.02
庄屋ごときに爵位など与えません。
364 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 12:07:49.14
足軽「勘違いがあったらいけないから敢えて言うけど、俺にも爵位なんてないからな」
365 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 14:12:41.36
中間出身の山縣有朋公爵
足軽出身の伊藤博文公爵
366 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 17:14:02.78
みんな〜水呑と●多は〜いっしょだよ〜
ポイポイポイポポイポイポポ〜イ
身分的に爵位があるのは
公家、旧大名家とか 北島家・大谷家等の神官僧侶系だけだから
名のある庄屋なら天皇方について戦わないの?
369 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:31:39.64
庄屋出身の貴族院議員(多額納税)ならいるっぽいけど、何人ぐらいでたのかな。
そういう議員の中から、有力な議員って出たの?
(おいしいところは、身分の高い華族議員や学識のある勅選議員に持ってかれそうだけど)
元庄屋の活躍舞台は衆議院だろう。
みなさんの家は明治維新のとき何してました?
うちは朝廷に呼ばれて京都と福島に行ったそうです。
372 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:01:49.95
我が先祖は現在地へ引っ越してきた。
その時に家屋と畑を買った証明書があった。
373 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:03:25.88
>>345 プロイセンなんて13世紀以降のドイツ騎士団による東方植民の過程で、ドイツ西部あたりで食いあぶれた騎士の次男坊三男坊が一旗あげようと続々渡っていったのが始まりだろ。
しかも後のユンカーとの系譜的繋がりだって明確ではない。
ちなみに、ユンカー(Junker)は「Junger Herr」の縮まった言葉で「若旦さん」とでもいった意味が原義。
JungerはJung(若い)の比較級。英語でいうとYoungerね。
374 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:14:08.87
うちは天保の飢饉以上の米価高のために一揆が起こり、ご機嫌取りのために炊き出しやってた。
>>371 曾祖父さんが尾道から大阪に出てきたのが明治の初年。
尾道の前は岡山県と広島県の境の山間の村で庄屋を
やってた。領主と村との紛争で責任を取って庄屋を辞任し、
村を離れた。祖父の話から想像する庄屋は苦労の多い中間管理
職ってところだな。
377 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:43:52.04
どっちも平民。
庄屋は士族じゃないの。うちは爵位の誘いもあったよ。
うち郷士で御家人で庄屋だけど珍しい?
380 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:07:14.20
>>369-370多額納税者は貴族院議員枠があるので当然ですが。
明治に入り英国式政治を希求し貴族と地方大地主での政治を目指し設立された
郡会が中途半端な形で終焉を迎えたことから地主の国政への関心は薄いと思われ。
>>379武士の末端に位置する土佐藩の庄屋なんてものもあるけどね
維新の功労者に、日清日露で活躍した軍功華族
財閥華族に、南北朝時代の武士等々、も華族にはいるよ。
なるほど。
農地改革でghqに土地盗られた!って人はみんな庄屋だと思っておkですか?
383 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:24:43.48
>>371 母ちゃん家は、当時小さな宿場の本陣を兼ねていたので、輪王寺宮の休息所になった。
紫の幕が張られた御座所に子供が入っていってしまい、手ずから御菓子を頂いたと言う。
暫らくして今度は官軍が通行、人馬の継ぎ立てに大わらわ。
そんな中、風呂の順番を巡って官軍の隊長が「切腹をする!」と言い出す始末。
この先祖は、雨降るなか、裃を着てずぶ濡れになりながら土下座してその場を収めたと言う。
名主も楽じゃないね。
384 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:51:26.75
土下座って今じゃ何かかわいそうな感じのイメージだが昔じゃ挨拶程度だろ?
米にいった使節団が土下座してて奇怪だったとか・・・
385 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:53:04.40
>>385 千人同心の伝承もどこまで信憑性あるんだか曖昧だよね。
>>385 違うよ。畿内の田舎だよ。
土下座の件だけど、ひいじいちゃんも子供のころ村の人には土下座で迎えられてたそうだから大したことなんじゃないかな
388 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 00:38:08.36
あ庄屋さまのお出番はまだでございますな。
389 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 00:44:03.13
あ庄屋さまは今、お城で若殿様と仲睦まじくしておられるはず
390 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 01:13:00.44
殿の御刀、太うございますぅ〜
俺の祖先は幕末に庄屋をやってたことはわかってるがその前はわからない。
戦国時代の武士だったという話も聞いたことがないし、系図もない。
百姓だから系図なんかなくてあたりまえと思っていた。あ庄屋の話は
特殊な例ばかりをホラ混じりに語っているのだ。
392 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 08:44:35.00
昭和戦前くらいだとそうでもないんだろうけど、
明治に議会政治がスタートした時点で、現役の大名や公家だった人と、
田舎の大庄屋クラスの大地主が同じ貴族院議員として同席するのは、
お互い違和感というか気まずい気分があったんだろうな。
まあ、下級武士や足軽出身の勲功華族の伯爵もゴロゴロいて、
その一人の伊藤が初代議長だったから、カオスな状況だったんだろうな。
御家人庄屋かな
御家人庄屋なんて言葉あるの?
396 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 19:42:33.61
398 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 20:54:19.15
>>392あんま無いみたいだけどね。身分差の無い新時代っていう雰囲気だったらしいが
・・・ただ、旧制中学とかだと平民はフラットと呼ばれたとか。
後、基本的なことだけど庄屋や大地主の場合、明治期に士族の奥さん貰ってるのが
かなり多いし下手したら華族の嫁さん。相当混じってるよ
399 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 21:29:32.72
豪商が叙爵されてるくらいだから、明治は資産家がすなわち高い家柄だった。
鉄道王の伝記では、まだ商店の使用人から独立してすぐくらいの時期に、
将来性を買われて元家老の娘を娶ったりしている。
400 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 21:31:15.69
そういえば知り合いの家が庄屋の家柄で、某藩の家老の家と親戚づきあいをしていて、
その知り合いの妹も家老の家に嫁いだってさ。
401 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 21:35:04.55
明治っていうのは富国強兵政策を採っていてね富を生み出すものが国にとって
一番重要だったわけでね。たくさん納税してくれる人に貴族議員枠があることが
証左だ。
402 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 22:16:32.90
財閥富を誇れども社稷を思う心なし
>>401 でもはじめは多額納税議員も衆議院の有権者も地主が多かっただろう。
富国強兵の財源を負担してくれる階層を優遇したんだね。だけど、衆議院は
地租軽減を掲げて政府と激突してたわけだ。
本陣って何?
あんまり聞かないんだけど
405 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 22:27:15.01
>>404 大名が村に出張した時の指定宿泊場みたいな感じ。
殿様が来る用の座敷がある庄屋は本陣ってことですか?
参勤交代のときの定宿じゃなかったの?
408 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 22:41:49.03
>>406 本陣に指定されるのは庄屋や豪商のようです。
くだけた表現だと、殿様ご一行専用ホテルwww
本陣と庄屋べつべつにしたり色々なんだね。ありがとう。
あれ?殿様は寺に泊まらないの?
411 :
日本@名無史さん:2011/11/05(土) 22:53:13.05
旧家の人たちは家にある一番古い写真いつの?
413 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 00:04:50.56
>>412分からん。おいらの高祖父の父親、つまり曽祖父の祖父が一番
古い写真。本人は明治20年ごろ亡くなっているのでそれ以前だろうが・・・
いつ撮ったか書いておいてくんなきゃ分からんぞなもし
414 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 01:14:34.01
写真と言っても写真師が少ない時代は出張してもらうしかないから、田舎過ぎる旧家では写真がないことは往々にあるよ。
宿場だと
脇本陣とか問屋っていうのもあるな
416 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 07:34:01.26
本日はあ庄屋さま日和ですな!
417 :
383:2011/11/06(日) 13:05:23.04
まあ、映画「一命」にありますが、恐らく宿場での切腹騒ぎも
ちょっとした小遣い稼ぎだったのでしょう。
先祖も土下座するかたわら、幾らか包んかも知れません。
後に書かれた「村誌」にはこれとは別の仮病兵士の継ぎ送りを
お金を添えて穏便に済ませた話が伝わっており、官軍なのに・・・とモラルの低さを嘆く一方で、
名主たるもの村のために清濁併せ呑む対応が肝心だ、みたいな事が記されていました。
名主も楽じゃありません
あ庄屋様のようになりたいなぁ−(棒読み)
>>412 曾祖父の若い頃の写真。おそらく明治半ば。
それより古そうな写真もあったりするけど、
年代はもとより、写ってるのが誰なのかもわからない。
419 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 23:06:31.24
あ庄屋さま、
チェ、ポクはスネている。
420 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 23:30:29.00
帯刀した写真は横浜神戸辺りじゃないと出てこないかね?
うちは丁髷切ってすぐ撮った写真があるよ
422 :
日本@名無史さん:2011/11/07(月) 14:29:05.40
423 :
日本@名無史さん:2011/11/07(月) 17:52:31.84
丁髷って藩によって違ったらしいが庄屋様はどういう武家髷を結うの?
庄屋と庄屋代官と郷士庄屋の丁髷は違うの?
426 :
日本@名無史さん:2011/11/07(月) 20:31:11.65
士装するときは武家髷でしょ
427 :
日本@名無史さん:2011/11/07(月) 20:44:21.79
庄屋だと、武士の髷じゃないでしょ
名字帯刀にしても、実際には武士みたいな帯刀なんかしないから
庄屋代官とか郷士は別だろうけど
428 :
日本@名無史さん:2011/11/07(月) 21:00:33.84
429 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 01:33:51.73
庄屋が侍の格好して城下を歩いてたら無礼討ちOKでしょ。
430 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 01:58:52.13
足軽…二等兵
庄屋…巡査
郷士って庄屋兼ねれるのか?
432 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 03:25:24.55
足軽「こんばんは。あ庄屋さまと若殿の現場をリポートしたと思います」ヒソヒソ
アンアン…
足軽「聞こえてきました。どうやらこの御部屋のようです」ヒソヒソ
433 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 13:26:00.24
434 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 16:52:10.36
あ庄屋さまはM男です。
どんどんいじってあげてください。
土佐の庄屋は郷士?
436 :
日本@名無史さん:2011/11/08(火) 20:48:28.32
薩摩はどうだったんだろうね。村役人も郷士だったんじゃないの?
土佐は郷士のなり達がわかりやすいけど、ほかの地域も良く似た感じなの?
昔の領主の家臣が土着して郷士になるの?
439 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 02:42:36.57
俺的イメージ
足軽…高卒の万年平社員。
庄屋…国立大卒のバイト長。
440 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 03:41:10.03
あ庄屋さまは親に怒られてネット禁止になったのでは?
(そんなことしてないで働けと…)
あ庄屋の
あ
って何?
大庄屋と庄屋はどの位格が違うの?
443 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 14:21:52.18
>>438様々な為議論を呼ぶが・・・大多数の郷士はただの農民
>>439足軽・・・高卒の一般職。
庄屋・・・家柄が良いが勉強する気がない親のスネ齧りのニート
>>442格式は変わらず同様らしい、姻戚関係は庄屋と大庄屋かわらず、唯
藩によっては士分もしくは士分に準づる扱い。まあ、世襲の庄屋でもそういう家も
あるけどね。小藩なら長く庄屋を勤めてる家なら名字帯刀馬廻り格とか・・・
足軽って江戸時代もいるの?
446 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 19:12:22.85
>足軽って江戸時代もいるの?
六尺棒持ってる役所の門番とかじゃね。
八丁堀同心は足軽だろ?
448 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 20:17:31.89
奉行所の同心は卒。明治以降は勲功がなければ平民。
449 :
日本@名無史さん:2011/11/09(水) 20:40:48.41
同心は足軽とは別だけどね。同心が卒族になったかは知らないけど、
卒族でも事実上世襲ならのちに士族に編入されたはずだけど。
三重だけど本家は北畠つぶれたときに帰農して紀州藩の庄屋
うちの家系はその時飛び地を相続して藤堂家久居支藩の庄屋でした
ちなみにうちは三町ほどの自前の土地と集落5つほどの村を差配してたようです
分家と小作は苗字がうちと同じで、他の本百姓は四つ程のうちと違う苗字を名乗っていて
父などが○○一党は〜とか話してたのを聞いたりしました
蔵には普通に刀槍鎧なんかがあります
婚姻関係では曾祖母が本家の出で祖父の姉が本家に嫁いだりして血縁関係は複雑です
祖母は大庄屋の出だったそうですが、ここの嫡流は昭和初期に東京に行ってしまい
屋敷も最近取り壊されました。現当主は官僚様らしいですw
祖母の家は勢州軍記などにも○○住人って感じでも出てこない苗字なので
土豪出身ではない江戸以降の庄屋っぽいです
長々と失礼しましたが地方の庄屋事情でした
451 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 00:25:49.61
奉行所の同心は士族。
有名な例として樋口一葉の生家がある。
一葉の父は、もともと一介の農夫だったが、武士になることを夢見て江戸に出て、
旗本屋敷の武家奉公人として小金をため、八丁堀同心の株か買って幕臣になった。
幕府滅亡後、町方の与力・同心はそのまま東京府・警視庁に奉職したが、
一葉の父も東京府・警視庁の役人になっている。
このとき、樋口家は士族となっている。
幕府瓦解で大打撃を被ったのは修験
あと社家ね
樋口一葉って貧乏で有名だけどなんでさ?
>>453 父親が亡くなったから。しかも、兄弟がなくて一葉が女戸主になったから
嫁にも行けなかった。
455 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 10:22:18.63
原胤昭文書を読むと勲功あったり出仕して請願すると士族になってるよ。
卒自体は明治9年まで族籍として認められてるしね。
456 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 12:07:18.16
庄屋と聞いて北大路欣也の八州廻りを思い出した。
庄屋の息子が2人の百姓と一緒に八州廻りに化けて旅館でバカ騒ぎ。
北大路が演じる本物の八州様に捕らえられると「ふざけて遊んでたんです〜」と泣き出した。
457 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 19:48:05.00
>>456ドラマはドラマだろ。庄屋が士装してたら話がややこしくなるから
百姓のかっこをさしてるだけで、階級社会での農民の最上層だからな・・・
まあ、庶民もそんな汚いかっこでもないしね
458 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 23:22:02.68
>>456で野良着や士装云々は言ってないけど関東八州に化けた悪意のある偽黄門的な話ということだよ。
ストーリーは創作だけど庄屋の息子が出てきてたのが珍しかっただけ。
日本昔話では庄屋は悪い人達
庄屋で官位持っているの?
461 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 14:53:23.04
>>361 いや、長男は土地を継承しなければならないので、本家庄屋は長男。
分家のつぶれようがどうでもいい武家は次男以下というのが多いですよ?
>>373 >>ちなみに、ユンカー(Junker)は「Junger Herr」の縮まった言葉で「若旦さん」とでもいった意味が原義。
だからなに?w原義がそれだから何?wその後在地領主層の騎士身分をユンカーと呼ぶようになってるのに、
原義がそれだから何?w
名主ももとは(みょうしゅ)とよび、元は在地領主をあらわし、その大身が大名主となって、基本属性は同じ。
しかし、江戸期、徳川の時代にそのとおりの名主に。本来は庄屋名主は江戸期以前まで普通に在地領主層のことをあらわしてたんだが?
江戸御家人も鎌倉御家人とまるで違うでしょ。忍者足軽の類を本来御家人と呼ぶなんてはなはだありえない。
で、あんたの主張、だからなに?wwwwww
462 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 14:59:52.63
>>383 結局中級士以下なんて、そういう類のが多いんでしょうね。れっきとした武家じゃないから。
しかし、その土下座ついたというのは、本陣であれば中士以下なんて立ち寄れないんですよ?
幕末の非常の時だからこそその程度の武士も本陣に泊まれたのでしょうが、
土下座をついたというのは、そりゃ戦争中のことだし、何されるかわからないですし、
それに、下手にしなれたら、看板に傷がつくので、当たり前の子としたまで。
それが下士程度より庄屋はしたということになるわけないでしょ。
>>391 じぶんのいえがそうだからって、なんで他人の家までそうだと思う?
庄屋名主で江戸以前よりの武家の家、ここに張ってやろうか?
このすれ簡単に埋まるよ?いくらでも腐るほど出てくるよネットでも。
463 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:04:18.72
>>429 だから、無礼打ちされた庄屋上げてみろといってるんだよww
一例もないんだよw
わかる?下士程度が、藩政の一端を担う行政の長を無礼打ちしてみろよw
下士何ぞ即逆に打ち首に決まってんだろw
な?w一例もないんだよww土佐で足軽をフルボッコにしても無罪放免だった庄屋や、
水戸藩内で江戸初期庄屋が下級武士たたき切った例はあるが、
下士程度が庄屋を切ったなんて例は一例もないんだよ?わかる?w
庄屋と豪商ってどっちが強いの?
465 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:11:24.28
>>439>>443 あのな?いい?
今も昔も、なんら変わらないんだよ。
下士・・県庁の高卒非常勤
庄屋・・・県内の町村長
これは江戸期も明示以降も何も変わらないの。
でも、江戸期、徳川は、この庄屋が下士をたたき切ったり、まったく言うこと聞かなかったり、
はたまた年貢を徴収しに下士が行った際、たたき切ったり追い返したりしてたという文献が九州の大名家にはごろごろ残ってるんだよ。
さらには、下士どころか、藩命にまで背いて旧武家庄屋は一揆三昧だったともかかれてる。
いい?だから徳川は、江戸期末端の非常勤程度の平にまで、庄屋は逆らうことを禁じた。
わかる?下士が武士的性格を帯びさせてもらえた背景は、下士自身の功績ではなく、
庄屋があまりにも力持ち過ぎていたために、幕藩体制の秩序の観点から一律底上げさせてもらえたんだろ。
下士が武士的性格を帯びられたのもすべて、庄屋のおかげだろ。
江戸初期、庄屋にたたききられた下級武士の例挙げましょうか?wwww
下級武士と庄屋の屋敷を比べればわかるんじゃないの?
467 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:17:40.85
>>440 わたしは、エリートゥォヴィズィヌェスマンだといってるだろwwwwwたわけがw
>>458 結局庄屋というのは、現代時代劇の世界の中の、下士足軽にすら小ばかにされ、見下され、常に土下座、
娘を寝取られる、という対象になってるそのイメージなんだよなw
しかし、水戸黄門でもこういう境遇で庄屋は描かれるが、撮影の中の庄屋の屋敷は必ず長屋門とういうwwww
損で下士は傘針長屋www
なぜか対人関係以外はリアルというwwwww
うちの村は平安時代から郷士が仕切ってたけど庄屋っているの?
469 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:28:22.47
>>466 わかりました。
じゃあこれを見てください。
>>469 はよ貼れや
下級武士の家なんて庄屋屋敷に100戸入るわ
471 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:31:00.01
あ庄屋さま、おひさしぶりでござりまする。
472 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:58:19.17
473 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:04:58.92
http://kazeno.info/karuizawa/3-usui/3-usui-1-18.h >>これは中間(下男)の部屋。
>>わずか一畳です。
>>さて、ここで
>>農家の屋敷と、郡奉行の役宅を比較してみましょう。
>>貧富の差は、歴然です。
>>まず、雷電爲右エ門の生家。
>>凄い富豪ですね。豪華な家で、郡奉行の役宅の倍はあります。
>>それに比べて郡奉行の役宅。
>>だいぶ、みすぼらしいですね
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww的得すぎコメントナイスwwwwwwwwww
474 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:10:52.83
>>471 ひさすぶりじゃの〜〜ww元気でフリーターしてたか兄弟ww?
TPPで日本はオワタよなww
475 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:39:58.29
あ庄屋さまは衆道を嗜んでいると聞きましたが本当ですか?
476 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:58:15.76
修道ってなに?
テニスうまい奴やろ
478 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 19:38:42.71
それから最後に、士族だの何だのとほえてる人いますが、これ見てくださいよ。
《鎌倉御家人庄屋》
http://www.oct-net.ne.jp/~miyuki32/rekisi/souran.htm ●大友家没落後の稙田
@稙田主要所は府内領となる。
新領主・・・福原直孝府内領主 12万石
A稙田荘宗方郷 名家 安東家7代当主 貞吉は太閤検地に竿役(責任者)をつとめる。
B領主 福原直孝の任官勧進を貞吉は辞退し、野に伏し帰農の民となる。安東氏にならい多くの武士が百姓に帰す。
C安東貞吉、宗方郷の庄屋となる。(実質名主)
豊後方・・・・・大野泰基(神角寺)、阿南惟家(高崎山城)、阿南家親(鶴ヶ城)
鎌倉方・・・・・古庄重直、安東常輝、稙田有綱
※この阿南家のち庄屋
748 :旧武家[sage]:2011/09/09(金) 15:36:46.51
http://dayzi.com/zisyo/y-isshikitou.html (名門一式家)
◎江戸時代の一色党(伊予)・・・一色右馬三郎の末裔
・一色右馬三郎重之の子重勝は、文禄二年(1593)村の長(郡代官)になりました。
・その長男重次は周布三谷の庄屋になりました。
・次男重直が三津屋の庄屋になりました。
・重次の長男重政は、慶長十九年十月(1614)大阪冬の陣に三津屋港から
軍平二百余人とともに出陣しましたが摂津国尼崎で25歳をもって戦死しました。
さらに源氏の正統名門一式家は
・次男重昌は、周布村一色大庄屋お祖となりました。
・三津屋村庄屋は、三男の重行が継いで大庄屋になりました。
・彼の五男重好(新兵衛範好)は、明理川村の入庄屋になり、貞享元年(1689)には高橋氏に代って壬生川村の入庄屋になり貞享三年から大庄屋になりました。
・明理川の方は、彼の次男が継ぐことになって、一色家は四ヶ村の庄屋を勤めて繁栄しました。
479 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 19:45:53.01
>>478の続きですが、このようにリアル名門鎌倉御家人の直系も庄屋で明治期は平民です。
かたや下級武士足軽は、根来衆や野党、足軽、等、土地すらもてなく傭兵になったものが、
時代の成り行きで明治期の一時期、士族という徳川時代の都合による編入されました。
しかし、本来の「武家」という観点で見て、
>>478のようなリアル旧名門武家直系が平民なのに、
そんな士族という一時期の足軽程度ですら士族になってるものに、何の価値があったの?
庄屋のように太政官府により役与えられたの?
どう考えても、リアル鎌倉御家人庄屋が平民なのに、足軽士族に何の価値があるのか・・・・
この足軽下級武士士族は、リアル超絶名門鎌倉御家人庄屋平民に、何か見下せる部分あるの?
ないよ。明治士族なんてこんなもんでしょ。
480 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 22:30:21.00
あ庄屋さまはウンチか?
481 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 23:36:49.31
長グソだからな。
482 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 00:15:58.63
小藩の家老クラスだと、豪商や庄屋と通婚してるな。
表向きの格式は別にすると、実質的には親戚付き合い。
例えば、確か田原藩の家老だった渡辺華山の妹は商人に嫁ぎ、弟の一人は商人か庄屋に養子に行っている。
表向きの付き合いと裏の付き合いを使い分けてたんだろう。
483 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 00:34:45.56
小藩クラスの家老だと、庄屋名主から養子とってるのもあるよね
484 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 09:20:11.50
当時は実際には知行や家禄の大きさがそのまま武士の格の違いで、直臣陪臣の違いよりも
よほど重要なんだよな。
庄屋は上のほうでは公的に認められている格は、数十石の知行取りと同程度であったりする。
財産を肥大させても、その額ほどには格が上がる要因にはならないけど。
しかし、大阪の豪商ともなれば、上士中士程度の格の家臣扱いされたりする。使用人数が小大名に
優に匹敵したりするからな。
485 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 09:44:01.69
小藩だと 重臣クラスと上農クラスの婚姻はあるみたいだね
『伊予小松藩会所日記』によると
486 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 10:12:02.94
大坂の町奉行や番方の同心たちは近隣農村の豪農クラスと養子や嫁のやりとりをしていた。
同心でなく与力になると、そのような例は皆無になる。
488 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 10:41:52.04
>>484 豪商は、酒田の本間家でもそうだけど、名字帯刀許されたり、扶持米もらって、
上士中士の格式与えられてるケースもあるからね。
489 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 12:21:46.04
屋敷内の暗く狭い部屋に詰め込まれて起居していた商家の奉公人は死亡率が高かったようだ
490 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 16:30:42.81
>>487 確かに分かりにくい書き方だったが、大坂町奉行同心と番方の同心っていう意味だ。
491 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 19:04:56.28
庄屋でも小藩だと馬廻り格や奏者格をもらってることがあるけど、そういう場合、藩士との姻戚はどうなんだろうね?
492 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 20:56:37.32
備中松山藩領の庄屋の柚木家は、同藩の産物の津出し業務を行って、屋敷を
蔵屋敷兼御茶屋として開放していた関係で、奉行格だった。
その柚木家は、同国内の旧城主の末裔あたりの家々と通婚していたようだ。
本間家の扶持は二百石だろ。
494 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 22:31:30.97
あ庄屋さまは何石だ?
庄屋なんて一つの村に三軒くらいあるから家老格はいいすぎじゃないの?
◯千石の庄屋とかいうのはたいがい士分だろ?
497 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 14:06:11.83
江戸時代、平百姓の戒名で居士は勿論のこと禅定門も稀なものなの?
日蓮宗なら居士じゃないの
499 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 15:42:39.66
>>497時代と場所による
江戸初期は居士自体が珍しくかなり高位といわれていて一般的なのは禅定門だったらしい・・
江戸時代は百姓院号禁止令で院号や居士は建前上禁止されていたが守られてはいないみたい
ただ、庄屋郷士層でも院居士は稀だと思われ、古いお墓を回ってみたが
大体は四字居士ぐらい
>>499 ありがとうございます。
天和年間の禅定門の墓(百姓)が珍しいものか気になったので、こちらで尋ねてみました。
(先祖スレは人がいなさそうだったもので)
>>499 うち日蓮宗だからかしらんが江戸時代から院居士だぞ?庄屋郷士クラスなら普通院居士じゃないの?うちが建立した寺だからか?
502 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 16:34:43.39
在地代官とかやってたんじゃねーの。あちこち聞いていても、自治体史で在地代官だったと記してある家の子孫が
うちは庄屋だったと答えるケースは多いぞ。
503 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 17:30:56.85
下級藩士で四字信士、中級で四字居士、家老クラスで院居士、大名旗本で
院殿居士ぐらいだからね
504 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 17:37:39.28
江戸中期以降なら、代官程度でも院居士、大藩家老なら院殿居士だけどね。
大名はもちろん、旗本も寄合以上ならほぼ確実に院殿大居士だろ。
505 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 18:08:03.39
あ庄屋様が「武士の起源」スレで大暴れ。
この人、頭おかしいんじゃないの?
宗派は関係なくて庄屋であろうと百姓は問答無用で院居士禁止だったってこと?
浄土真宗って基本みんな釈〜じゃん?
身分が高い人でもそうなの?
508 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 18:55:12.05
士分の名目がなければ禁止。
墓碑や過去帳も、明治以後に作り直されたら院号を追贈されていたりするので注意。
あるいは表立って名乗れないから墓石だけは彫ってないってケースかもしれないけど。
あ庄屋氏
庄屋がそれほど強大なら一揆を起こさずに年貢の減免出来たはずですよね?
江戸初期でもいいので小藩などの藩庁に庄屋層が圧力かけて年貢の減免を勝ち取った例を
示してください
511 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:23:51.76
>>441 2〜3年前まで「あ」というコテで暴れ回っていた。
その前は「クルセーダー」だの、「くるくるパー将軍」だのと名乗ってやはり暴れ回っていた。
コテ名は違っても投下内容はぜんぶおんなじw
512 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:25:50.50
>>508 浅はかですね。
院号は庄屋のうちも許されてますよ。江戸初期より代々。
さらに傘月まで許されてますよ。
すべての庄屋がそうだとは言いませんが、院号が許されてる階級は、上士と庄屋ですよ。
513 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:35:53.96
>>510 お答えしましょう。
いいですか?一揆を起こさずにどうやって減免できるのでしょうか?
そもそも大名家はあらゆる独裁権を所領に持っているはずですよ?
そもそも話し合いの民sh主義が通用してたなら、戦国下克上なんて起きてないでしょ。
それは江戸期に限らず室町期も。
いい?そもそも合戦の成り立ちとはないかわかりますか?
平安期の武士と呼ばれるものは、荘園等を「奪う」目的から武士化していったのが合戦の期限ですよ。
その後鎌倉期以降、名門お武家たちは、合戦を奪う手段ではなく、
公方や将軍家に対する反対意思の表明の手段として合戦を用いているのです。名門ですから。
しかし、応仁の泥沼化以降、足軽野党の出現と時を同じくして下克上が訪れ、
また合戦の趣旨は奪うための表現手段に変貌していきます。
室町大名家のような長名門の武家がなぜあれほどまでに滅亡をたどったのか。
それは、保守的だの何だのとアマチュア歴史家が寝言言ってますが、
私クラスだとそれだけではないのですよ。
奪うといxった野蛮な合戦の価値観を持ち合わせていなかったため、
その時代の流れに乗っ取った手段としての合戦方法に拒否反応、もしくは適応できなかったのです。
そして、一揆でいえば、
514 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:41:13.97
一揆でいえば、当時独占権を持つ江戸期下克上進行大名家に対し、
庄屋は名門が故、反対の意思表示を一揆という手段を用いて表現しているのですよ。
わかりますよね?
で、その一揆という手段を持ちいれるほどの力を有していたのが庄屋なのですよ。
わかりますか?あなたの発想は、なぜ、一揆起こさなくちゃいうこと聞いてくれなかったか?
という話ですがぜんぜん違うんだよ。下克上が終わり、元和年間以降も、一揆を起こせる在地の権力と
また、武力を持つものが、挙句は大名家に対し反旗を翻せる臍のものが一揆の庄屋だということなんですよ。
その証拠。次の資料見てくださいよ。
515 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:44:57.69
( 江戸初期の岡藩 )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm ↓
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
>>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、
>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。
516 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 22:54:04.51
いいか?岡藩家中の重臣家老クラスですら500石が最高クラスで数人しかいないのに、
在地旧武家層には1000石を二十数人に与えてるんだぞ?
ドンだけ庄屋に気を使ってるかわかりますよね?
たかが農民でしょうか?
下級武士程度がしゃしゃり出てくるレベルと格が違いますよね
庄屋は大名家とさし争えてるんですよ?わかる?
きちんと書いてあるだろ?旧在地領主層を庄屋に任命し特権を与え、
さらには旧大名家が庄屋に妥協したと!!
で、下級武士が、江戸大名家から妥協してもらった特権言ってください。
517 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:00:48.90
いいですか?
江戸初期、庄屋の屋敷から権限から在地の地から見れば、ただの中世期の豪族となんらかわらないんですよ。
しかし、新興下克上大名家とは、いえば外様に当たるわけですよ、在地領主層は。
しかし、それらすべてを討伐なんてできるわけないし、また、そんなことしてたら下克上に逆戻りする。
だから、入府新興大名家にとって外様に当たる在地領主層を、武士化する理由をなくさせたわけですよ。
それが、上記にも書いてあるとおり、大名家ですら在地庄屋に妥協しながら、
特権と、それまでの在地主権と、土地を保障する代わりに、武士化武装化する意味合いを奪った。
それが庄屋なんですよ。だから庄屋は、農民でありながら、屋敷から特権から旗本並みにもかかわらず、農民なんですよ。
わかる?江戸期の武士といおうものが、有史以来の通年を通し、どれほど変形したいびつなものだったのかということを知るべきなんですよ。
518 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:06:11.04
武士の俸禄と庄屋の管理石高を一緒には出来ないだろ
戒名とか庄屋の待遇って各藩によって結構違うからな
厳しい所は名字帯刀なんかよっぽどでもない限り認めないし、緩い所は多額の御用金・銀納めれば認めたりするし
519 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:08:42.11
いい?江戸期武士という存在が、古来より続く武士、武家という性質において、
下克上という欧州にすら一切存在しない現象が起きたが故、日本においても、
かつて存在しない、非常にいびつな変形した武士世界が存在してしまったんですよ。
江戸期武士とはゆがんだひずみに生まれた特殊な事例だということまずわかるべき。
>>344>>345<<347にも書いたとおりですよ。
江戸時代の武士を標準と考えるから、すべて矛盾した庄屋と下級武士という存在が生まれるんですよ。
江戸期武士が特殊なの。
私は学生時代、十万人弱が受ける全国模試、トップクラスに入ってましたからねww
伊達じゃないですよわたしw。
520 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:14:40.97
>>518 ですから、あなたの価値観の世界の歴史は、アマチュアレベルだといってるんですよ。
そんなもの、古来よりの武士の定義でもなければ、古来の武士武家と同じ属性は庄屋ですよ?
だったら、土地すら持たず、主家と謁見すら許されず、長屋住まいの下級武士は室町、鎌倉期の何に当たるわけ?
そんな武士存在しないんだよ。江戸期の武士の定義は時代の流れとともに徳川政権化が確立したもの。
その価値観とものさしと尺度のみの武士観を肯定するなら、それが絶対とするなら、
高家等の室町よりし、本来の名門武家層を完全否定すべきですよね。
もしくは、鎌倉御家人の世界の武士定義を、あれは武士ではないとp断言すべき。
521 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:25:29.26
>>518 さらにあなたに質問です。
>>武士の俸禄と庄屋の管理石高を一緒には出来ないだろ
とおっしゃってますが、
@1万石の大名
A一万石程度の村々(約20か村前後)を収める庄屋
.
>>302>>303にもかいたけど、
このふたつの、何が違うのか、教えてください。税制や徴収関係、運営、内部留保等、
上記二つの庄屋大名の管理体系の違い、具体的にまったく違うというのであれば、何がどう具体的に運営について違うのか教えてくれませんか?
何が違うの?
さらに
>>戒名とか庄屋の待遇って各藩によって結構違うからな
そのとおり。だから、極端に庄屋が恵まれてない地域の庄屋が一般的だといってるのがおかしいでしょ?
たとえば名字帯刀という、実益とはかけ離れた名誉に関する部分など、
その在地の新興大名家の胸先三寸でぜんぜん対応が違うし、
またそれは下級武士にいたっても同じでしょ。
一本さし、はかまも許されない、、苗字も許されない、下駄すら許されない
こんな下級武士の判もあるんですよ。
そういう、実益以外の名誉名目の部分で実質を語ることが間違えてるとわからない?
522 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:38:55.43
いい?欧州、日本といった、世界に名だたる歴史を持つ国は成り立ちが非常に似ているんですよ。
日本は、事実上世界最強国家といっても過言ではないドイツの歴史と非常に成り立ち問うも共通点が多い。
その中で、領邦主たる大名家=欧州貴族 在地領主たる庄屋=騎士
これらヨーロッパと日本の領主に絶対的共通点は「土地」 土地の所有
この土地を介在にしなければ世界の先進国の歴史において特権階級とはありえないということ。
下克上の成り上がりは、欧州では傭兵将軍という、一代限りの権限。これらはまさに在地もなく、土地も所有しません。
これらにあたるのが、江戸期下克上大名、それらにくっついてた、野党下士でしょ。
欧州では下士のような存在を、日雇傭兵というんですよ。存在しないんですよ欧州では下級武士のような階層など。
わかる?このような日本においてもたったひと時の非常に歪んだ世界の武士定義があたかも、武士武家だといってるんですよ。
で、その下級武士は案の定、庄屋のように、室町期、行方すらわからないでしょ。
あ庄屋さんや、江戸期の庄屋がそれまで武士として持っていた戦闘スキルが時代を経て
廃れてしまった時点で、武士ではなくなったといえないか?
もちろん、庄屋の格は幕末までかなりものものだとしてもだよ。
524 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:08:25.12
>>523 いや〜〜〜〜すばらしい質問ですよ君w
ナイスですね。お答えしましょう
525 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:26:59.70
いいですか。武士とは、騎士とは、刀もって戦うもののことではないんのですよ。
在地領主のこと。わかりますか?領主のことを「武士」という総称で呼ぶに過ぎないということなんですよ。
わかりますか?
>>347をちょっと読んでみてください。
いい?日本において、元は荘園領主という在地領主層が存在していました。
これらを武士と呼びますか?呼びませんよね?なぜですか?
極端に単調に簡単に説明しましょう。
これら荘園領主は土地を守るために、自衛しなければなりませんよね?
そのために傭兵を雇いました。これが武士というものの語源ですよ。
これら傭兵が荘園領主たる在地領主層から土地を奪い、自らがその在地の開発や利権を持つようになりました。
目的は「土地」ですよ。しつこいようですが。
これらは奪った土地や開発開墾した土地を守るには、もしくは在地の治安を守るには、
自ら一門で「武装」していかなければなりませんでした。
それらの側面をみて、これら在地の領主層を「武士」と総称してるのであって、
職業として下士のように給金もらって職業として武士をしてるものを武士と呼ぶのではないということ。
それは欧州においても騎士(ナイト)も同じなんですよ。
526 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:37:20.44
(続き)
あくまで、武装することは、自分の利権や土地、また在地の治安を守るがために手段としての武士化であって、
それを目的とし一義的な意味合いにおいてるわけではないんですよ。
あくまで、「自衛の手段」としての武士化だということは絶対条件なんですよ。欧州でも古来日本でも。
この、側面としての武士化ではなく、武士化することを目的とするものこそ、「奪う」を一義的にした下克上野党上がりの武士なんですよ。
わかりますよね?簡単に言えば、理由もなく、守るものも目的もないのに、武装してる集団はどうですか?
これらを武士というの?野党でしょ。これらを室町期足軽と称したんでしょ。
あなたのゆう、武力持つものが武士ではなく、土地在地を守るリーダーを領主、もしくは武士と呼んでいたんですよ?
中世以前の武家社会は、武士とは、武士化とは、在地の土地や利権や治安を維持するものの、側面としての断片的性格に武装自衛の武士という側面が存在するということ。
527 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:44:19.20
(続き)
庄屋は江戸期、
>>515にも例を挙げたとおり、新興大名に武装蜂起する代わりに在地の旧来の権利利権、土地の保証を約束されました。
武装する理由がないんですよわれわれは。しかし在地の領主にはかわらなりないんですよ。
しかし徳川政権下、江戸中期までその旧武家庄屋層は幕藩にいまだその力の誇示を見せ付けていました。
幕藩体制の誇示、治安維持の観点から、庄屋は江戸中期以降、島原の乱以降急激に制度改革により、
これら庄屋は江戸徳川政権下において、足軽にも逆らうことを禁じられました。
これは、足軽下士が自ら権利を獲得したわけではなく、庄屋の力を押さえ込むためのものですよ。
この違いわかりますよね?そして、武士とは古来より、在地の領主を言うのであって、
ただ意味もなく武装してるものを言うのではありません
「守るべき土地や在地、利権を持つ在地のリーダ〜」を武士と呼ぶのであり、
それら守るべき宿命を負うものがそれら権利を保障されたのであればなおさら、
それらを領主というんですよ。武装せずとも、それら中世期以前よりの旗本並みの権利土地を幕府より保障されたのですから。
そこに、武装してなければ、「見た目」が武士でないから武士でないというのは、アマチュア厨房歴史おたということなんですよ。
528 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:56:33.21
その証拠に、
江戸初期まで庄屋層は新興大名家相手に合戦繰り広げてますが、
中期以降、足軽下士程度よりも一律逆らうことを禁ずとされても、
その足軽下士は、屋敷や待遇は江戸初期より上がったのですか?
なんら江戸初期より福利厚生屋敷などほとんど変わりないでしょ。
下士足軽の地位が向上したわけではなく、
庄屋の江戸初期以前の
>>515のような1000石庄屋のような極端に力を誇示してる庄屋層を
対面上押さえ込むための施策であって、
下士足軽の立場が一切上がったわけじゃないにもかかわらず、
対面上は庄屋が下肢以下になってるんですから、一目瞭然で、
当時の幕府や藩の意図がうかがえるはずですよ。
にもかかわらず、下士が上と誇ることがいかに真意と逆行する低脳まるだしかというのがわかるでしょ理論敵にいわれれば?
529 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 01:01:52.78
530 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 01:33:45.67
何度もいいますが、武士とは身分でも階級でも免許でもないんですよ。
それを許可したのは徳川政権下であって、それ以前、武士になるために努力をするのではなく、
武士化して在地を守るリーダを、総称で武士と呼ぶのであって、
武士身分というものなど存在しません。必然性のあるものが武士化する必要性を余儀なくされたということ。
勘違いしてはいけないんですよ。ここすごく重要だから。
室町期、武士になりたいとかいってたら、基地外か野党だと思われますよ?武士なんて職業ではなく、
在地の領主のひとつの断面に過ぎないんですから。
では、GHQから農地を貰い受け、ビル、マンションに転用して手広く経営している都市部の元小作様は立派な武士だね。
暴力を独占的に許された日本国政府様によって元小作様は所有権jを認められ、それを犯すものに対しての対抗手段も持っているわけだしね。
532 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 02:07:26.66
事実上江戸期で封建社会は崩壊してるんだから、現代にサムライなどいないよ。
それにそれは意味合いがまったく違う。
533 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 05:35:21.19
「庄屋VS下級武士」スレを立ててくれと頼むから立ててやったんだ。あ庄屋のためのスレだ。
そこでだけ吠えてろ。他のスレに出て来るなキ◯ガイ。
534 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 06:12:27.83
>>512 浅はかな奴だな。
そこまで格式が高いということは、その土地の旧城主か何か、郷士として藩が統治のために疎かな
扱いができないとして、高い格式が認められていたケースだ。けっして、庄屋として認められていたわけではない。
例えば和泉国の中氏の二家は根来衆を束ねていた旗本根来氏二家の本家筋。この中家本家の二家は
その由緒から幕府から苗字を認められるほどの家で、領主の岸和田藩からは庄屋を仰せつかっていた。
墓は一家が五輪塔、もう一家は四角柱の一般的なものながら家紋つき、院号つきだ。
「すべての庄屋がそうだとは言いませんが」ではなく、由緒により高い格式を認められたごく一部の庄屋が、
苗字と同じく院号を認められていただけだ。属性は庄屋ではなく郷士。
庄屋として1%にも満たない例外ケースを、まるで庄屋の多くがそうであったかのように勘違いを振り回さないようにな。
実際、各地を回っても自分のところの特殊なケースを日本全体に一般化できると勘違いしている人たちは多い。
また、地元の自治体史でその人の家のことを明記しているにもかかわらず、自家の古文書でなく自治体史の
思い込みによる誤読によって妙な主張を頑として曲げない人たちもいる。仕えていた藩の石高を誤って覚えていたり、
松平紀伊守を紀州藩主松平氏なんて言ってみたり。御三家くらい覚えていて欲しいものだ。
535 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 07:33:17.07
>何度もいいますが、武士とは身分でも階級でも免許でもないんですよ。
江戸時代には明確に階級化されているのに、されていない室町期の例を出しても意味がないな。
身勝手に中世的価値観を振り回しても、現代では誰も相手にしないぞ。
鎌倉室町時代では地頭・荘官のクラスまでがれっきとした武士だな。
地侍層は庶民だが、守護大名や地頭の被官となって武士化する。
537 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 16:50:19.64
スレ題を見る限り、明らかに江戸時代を話題にしてるよな。
中世の例を振り回して江戸時代が語れてたまるかよアホ。
538 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 16:52:56.31
西日本は庄屋、東日本は名主とよく言われてるけど、名主だった信濃あたりでも、
複数の村を束ねる大庄屋は何故か大名主ではなく大庄屋なんだよな。
自治体史でも、現地聞き込みでもそうなってた。
なんで?
一村の長を名主とか肝入とか呼ぶ地方では庄屋と言えば大庄屋の事なのかな?
540 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 18:07:48.33
長野だが庄屋を使う
先祖は庄屋だったと聞く。
541 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 18:15:09.26
長野県も伊那と木曽と諏訪と松本と長野と佐久では習慣が全く違うしな。
木曽と伊那あたりは庄屋なのかねえ。
542 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 18:17:56.02
好きな昆虫(他地域住民の想像)
伊那 ザザムシ
木曽 ハチノコ
諏訪 イナゴ
松本 イナゴ
長野 カイコ
上田 カイコ
佐久 カイコ
543 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 18:57:14.99
時代も地域では「庄屋」「名主」の歴史的存在意義も違うと思う。
滅亡した旧守護大名、戦国大名の支配地域では「あ庄屋氏」の言うような事象が
現実に有った訳だ。
明治期以降だが私の祖母の実家である筑後の大庄屋永松家に家老古賀家から曾祖母が
養女に入っている。
大庄屋永松家は3千石持ちだと伝わっている。
>>512 笠付は供養塔だと思うよ
角柱の墓塔でしょ?
寛永あたりなら大名、大身旗本でも院号無しはある
545 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 23:54:54.65
田舎の昔ながらの墓地だと
露骨にヒエラルキーが見えるとこがあるよね
546 :
日本@名無史さん:2011/11/16(水) 07:55:31.38
集合墓地(同じ姓なので同族か)が丘にあり、本家筋ほど上のほうにあるとかね。
実家は大庄屋、庁長の息子を婿養子にするぐらいの庄屋だったらしい。
実家に行くと大きな蔵が手付かずである。
今度探索に行ってみよう
548 :
日本@名無史さん:2011/11/16(水) 15:33:17.45
>>547 この画像だけなら捏造とは判断できんだろ。むしろ左翼の捏造を助長するだけだ。
549 :
日本@名無史さん:2011/11/17(木) 17:58:00.57
>>545田舎ってそういうものだし
>>546大体墓群を前にして上段左側が本家だね(左右だと左の方が上なのかな?)
室町期の守護大名を先祖に持っているのに、あ庄屋さまで末代だと思うと涙
551 :
日本@名無史さん:2011/11/17(木) 19:50:39.34
宝篋印塔と笠付って
どっちが格が上なの
552 :
日本@名無史さん:2011/11/17(木) 22:28:38.64
格式はあんま関係ないかも、五輪塔と宝篋印塔は江戸以前に良く見られるもので
当時墓があること自体がある程度の身分を表してる。
笠付は江戸時代に上級武士や本陣庄屋等に好まれた形式
554 :
日本@名無史さん:2011/11/18(金) 06:03:28.00
>当時墓があること自体がある程度の身分を表してる。
庶民は石屋から大量生産の一石五輪塔を買ってきて墓石とする。墓はあるよ。
555 :
日本@名無史さん:2011/11/18(金) 06:57:10.45
関東の大庄屋の末裔って
頼朝に土地を安堵してもらった御家人の子孫ってのも
そこそこいるんだよな
そういう家は戦国の成り上がり下級武士より格上だろうな
大庄屋なら下級武士より上だろう。在郷の武士という性格の大庄屋も多かっただろう。
557 :
日本@名無史さん:2011/11/19(土) 18:20:08.34
あ庄屋さまのうんこは固くて長い。
島津藩には百姓身分の村役人はいたのか?
あ庄屋さまはパチスロでご多忙中
560 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 14:22:29.67
>>512許されてはいないと思うけど。武士でも安易には院号はつけなかったらしい
まあ、江戸も時代を下るとぐだぐだだが、ただ面白いのは江戸末期院殿居士だった
旗本が明治になると四字信士に成ってるのがあるが、坊主も金次第だなと
561 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 14:47:47.71
>>560 戒名にランクは無いが値段はあるってことかww
562 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 15:02:19.15
院号がだいたい30万円なり。
563 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 15:03:52.29
院号ってのも不思議なもので、大名家の墓地で禅定門や信士に院号がついてるのを見たことがある。
臣籍降下から小領主として生き残り華族になったら我が家から見れば庄屋なんてカス
565 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 18:23:08.95
>>564 君自身は家系に見合うだけの社会的地位を保持してる?
566 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 18:35:32.27
>>564 お公家さんか
いつの時代なの 臣籍降下したのは
>>566 武家だよ!あれ?官位があれば公家というなら公家かな
1000年くらい前だよ
眞子
1700年代初期の五字戒名+禅定門は本百姓?
寛文、延宝頃は二字戒名が主流だが
享保あたりは四字が多いように思う
まあ宗派、檀那寺によって違いはあるが
寛永頃の供養塔じゃない墓石があれば旧家の部類だろうな
>>570 四字+禅定門じゃないの
その年代の禅定門の位置付けが難しいけど、庄屋クラス以上じゃないの
これが反日マスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています
「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット
「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」
「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット
「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット
「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット
他にもカットシーンがたくさんあるので、ブータン国王の演説 でyoutube検索してください
574 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:00:49.38
うちの先祖も庄屋だが庄屋自体は幕府が庶民と見なそうが武士と思ってたんじゃないかな。
自分の祖父や曽祖父のことについて聞かされた感じだとそういう感じ。
時々、真剣を磨いたり木刀で素振りをしたりetc
まあ、武田家の領地の字侍だったらしい(戦国期の本家筋は知行を貰ってる)こともあるのかな?
575 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 01:43:34.38
あ庄屋さまはお亡くなりになりました。
法名は畜籠長糞信士です。
576 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 03:27:51.18
あ庄屋さまがこだわってた院号は…
577 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 05:46:30.05
>>576 ニートでお金がないから院号はありません。
>>574 大名屋敷のような屋敷が重要無形文化財か何かで残ってるんだね。町長市長議員は
一族だね。
579 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 06:44:13.85
>>576 檀家料も払わずにアキバ通いした天罰です。
580 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 12:37:11.00
>>572 失礼しました
2文字と思ってたものが1文字でした。
我が先祖の墓で確認できる一番古いものは天和2年の墓です。
581 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 14:42:20.39
>>578重要無形文化財にはなっていないが県、町の何たら指定にはなってる。
庄屋屋敷で江戸時代のが現存していれば町指定ぐらいにはなるよ
戦前までは町長郡会議員県会議員ぞろぞろだが戦後は散発程度
>>581 恐れ入りました。どうぞ足軽の子孫であるあっしをを存分に侮蔑罵倒してください。切り捨て御免に
していただいてもけっこうでございます。
583 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 18:46:35.08
>>581 俺、金属アレルギーだから斬られるのはちょっと…
登録有形文化財と言いたのか?無形な訳なかろう
あ庄屋さまのお屋敷なら無形文化財の価値がある。
587 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 22:11:22.80
苗字帯刀について
>>9にあるような御触書が出ているので幕領に関しては
庄屋が苗字帯刀していても文句を言われることは無いんだろうが・・・実際問題
として士装していたのかな?
588 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 01:17:06.84
589 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 01:47:54.39
>>546 うちは一番下だが、一番旧家だ。
寺に一番近い場所=一番最初に墓を持った、ということらしい。
江戸期に墓石があるのはうちの一族だけだ。武士じゃないけど苗字が書いてあるよ。
読めるのは江戸中期。それ以前のもあるが、古いやつは文字はろくに読めないよ。
もっと昔のらしい墓石は小さいし、固めて一箇所に置いてあるのが昔のやつ
だとお寺さんが言ってた。
他の家は明治以降から墓石がある。
多分、並の庶民は石の墓は作れなかったんじゃないかなあ。
ああ、よく姑と一緒の墓に入るのはいやだっていう話があるが、俺んとこは
夫婦墓(一代墓)だから、そういうのはないな。
ずら〜っと、夫婦の墓石が時代順に並んでいる。
ま、前妻が死んで後妻が来たらいっしょになってるんだがw
江戸期はもちろん、近年まで土葬だし、正確には一緒の墓に入るんじゃなくて
墓石が一緒ということだけど。
臣籍降下から小領主として生き残り華族になったら我が家から見れば庄屋なんてカス
591 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 17:27:34.70
あ領主様はスレ違です
593 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:57:13.00
>>544 なにをいってるの?供養等?いつそんな子といった?馬鹿乙
院号がない大名、たとえば仙台初代藩主も印殿号ないが、それとどう異義語の戒名なんですよ。?
>>554 このほら吹き。
何でそういう嘘をつくの?だったら、庶民でも石墓買ってたという事実出しナよ。
ヴログとかじゃなく、事実を。
当時の値段で石墓はどれほどのものか知ってるの?
>>558 基本、外様地区の庄屋と親藩譜代の庄屋はまるで違う。
外様のように幕末の長州のような藩上げて対外勢力に立ち向かわなければ成らない地域と、
鉢植え入府のような譜代大名家では、庄屋の扱いがまるで違う。
譜代親藩領内では秩序的にも在地領主層と差別化をしていかなければ、秩序が保てない。
かりに、名字帯刀許されてない庄屋層があった地域でも、それは統治の観点からであって、
お前らが大名でも、同じことするだろ?
その庄屋が名門でなかったというわけじゃない。一揆多発地帯などはそういう締め付けの強い天領がある。
594 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:04:57.87
>>560 >>院号は許されてはいないと思うけど。武士でも安易には院号はつけなかったらしい
だからさ、何の根拠でいってる
また
↓
>>武士でも安易には院号はつけなかったらしい・・・・・・
ふざけてんのか低脳?wあんたみたいな歴史好きにもかかわらず、歴史の根幹すら知らない馬鹿乙と話すのはもうつまらないねw
根拠は武士がつけてたかつけてないかだと・・・・・・・
情けないよ。
武士という部分にさほど意味がないとまだわからないんだな?
ちなみに、俺の家、江戸初期から居士、院居士だが?
大庄屋でもなければ、戦国期以前、大身の室町武家層ではなく、末端の地侍程度ですら江戸期院号だが?
全国区でもいくらでも庄屋で院号など腐るほどいるが?
仮に、
595 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:12:35.72
>594
仮によ?あんたが言うとおり、武士がすべての基準となってるなら、
下士程度に間違っても許されない、
「長屋門」 「広大な在地」 「家老並みの屋敷」 「中世以来の在地特権」・・・・
が許されてるのに、なんで院号が許されてないと思うの?
国語の偏差値いくうだった?w普通にこうかぶせられると、なぜ文脈から意図を理解できないかな?
ゆとり乙か?w・・・・・・・・・だろうな・・・・
いいか?お前の憶測時代劇主観などきいてないからw 事実を言えよw
596 :
595:2011/11/26(土) 20:21:42.10
訂正
>>595は
>>560に対してです。
それからな、ちなみに
>>554 ←こういうこといってる人
こういうやつは、自分の家に宝篋印塔の墓がないと一発で丸わかりだよな。
なぜかって?
宝篋印塔の墓を持ってれば、いかに、巧妙に杭で彫られた芸術課がわかるはず、
セメントはなく、いくつものパーツを重みで組み合わせ、石の彫刻ともいうべき芸術で、
大きさは身の丈ほど。
こんなのを一般庶民が買えるわけがない。
宝篋印塔すら見たことない馬鹿が、庄屋のような百姓にあるなら一般庶民でも変えたといってるだけだろ。
しかし、
597 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:29:08.13
>>596の続き
しかし、宝篋印塔が江戸中期以降許されてる層は大名家のみな?
わかるか?江戸中期以降は旧大名家しか許されてない宝篋印塔という墓の芸術たる石墓を、
江戸初期、名門の旧室町武家庄屋層が持ってるのに、
なぜ院号に関しては絶対許されてないといえる?
馬鹿なの?
偏差値が違いすぎると、ここまで文脈からの意図すら読めないものかね?w・・・・・
武人としての戦闘技術と朝廷から役職や官位を頂いてないと武士とはいえないね。
どちらが欠けても武士とはいえないよ、あ庄屋さん。
599 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:03:38.79
>>598 それがあなたの武士定義なら、江戸期の上士もほとんど武士に値しないね。
上士はいいとしても、下士は完全なる陪臣大名程度の私兵程度の内陪臣奉公人だよね?
それは納得ですよ。
もちろんその定義なら室町期も守護大名家や守護代程度だよね?
国人や名門土豪は武士でないとするなら別にいいよ。
それから>>戦闘技術・・・・
あなたは神話の世界のまさに東夷の話してるの?熱冷シートはりナよとりあえず。
>>598 戦闘技術と身分は比例しないから関係ないな
官位がなきゃ駄目じゃ近世武士はほぼ消滅
601 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:16:36.95
俺は思うが、戦国期、秀吉恩顧の下克上大名家等が、
当時、身分など関係なく、腕っ節だけ強いというだけで、そこらの人間を家臣団に加え、
下士化して言ってない保障はあるか?
俺が戦国大名でも、豪農のもやしより、天山広吉や蝶野、武藤、真壁みたいな新日プロレスラー雇うし。
幕末、西南雄藩の東照征討軍の人材などみれば、一目瞭然でしょ?
近代でこれなのに・・・
602 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:35:58.57
>>599 えーと、うちの先祖は最初は押領使で幕府とは関係なく、それでも武士と見做されていたよ。
鎌倉期もうちは東国の田舎幕府とは無関係だしね。
その後、国人衆や幕府奉公衆や大名の家臣にもなったりと、色々別れたけど、
これらも朝廷から直接、或いは間接的にしろ、官位やら役職も頂いていたわけだ。
それからだよ、戦闘技術が絶えて武の側面がなくなったら、そらもう武士と違うがな。
本人が自ら持っていなくても一族郎党、本人が属する家臣団等の組織が武を持ってないないと話にならない。
庄屋の中で帯刀や乗馬を許可され、これを誇りとしたのは武士には不可欠な要素と彼らが考えていたからだよ。
604 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:45:38.60
>>602 当時の西南雄藩の鎮撫総督軍は末端の編成はいろいろだよ
漁師のような腕っ節の強いものももちろん。
>>603 頭悪いなー?。
君のうちがもらってたのは守護大名とかからだろ。
朝廷から直々にか?それならたいしたものだ。
それから馬鹿みたいに武力武力とほざいてるが、
少し長くなるが、
>>522>>525>>526>>527>>528>>530をまず呼んでくれないか?
武力持ってるだけで武士なら、盗賊、海賊、足軽こそ真の意味での武士だな?
605 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:02:07.07
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD 。>>応仁の乱では足軽集団が奇襲戦力として利用されたが、
>>足軽は忠誠心に乏しく無秩序でしばしば暴徒化し、
>>多くの社寺、商店等が軒を連ねる京都に跋扈し暴行・略奪をほしいままにすることもあった
>>訓練された長槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され備の主要な部隊として活躍するようになる。
>>戦国時代後期には地位も向上して足軽大将の家禄は、200石から500石程度で中級の武士として認められる存在になった。
>>兵卒の身分は依然として武士と農民の間に位置して低かったが、
>>功を認められれば侍
確かに、このような足軽でも武力持ってりゃ立派な中級武士にも多くのものがなったようだな?www
こりゃ中世以来の名門武家層は勝てんよwwww
頭がわるいのはあ庄屋さん、君だよ。
武士と見做されるのは朝廷との関係(幕府を通じての間接的な関係も含む)、そして武、この二つが必要なのは変わらない。
盗賊や海賊も朝廷から官位や役職を貰い、公の側面を手に入れれば、武士だね。
あ庄屋さんの江戸期の先祖は武士ではなく、商人か農民で、一般的には百姓という。
607 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:26:23.51
608 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:32:59.32
>>606 頭悪いな〜〜ww偏差値いくつだ?w
公の側面を持ったものが江戸期、足軽のような、武力で奪ったものたちだから武士というわけじゃないが?
だったら、公家が、明治政府の参与になってる公家は武士なの?
平安中期以降、武力によりあらゆる物を奪って、それらが政治までつかさどるようになってるがゆえ、武士と称するだけで、
だったら、縄文人や弥生人時代の根っからの武士挙げろよww
ねえ?w
609 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:37:49.37
低脳に説明するのは大変だが、
室町期までの武士と、江戸期の武士とはわけが違うんだよ?
生い立ちも成り立ちも。
610 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:42:01.59
>>606 たとえば、下士や奉公人は室町以前にはいない存在媒体だが、
これを、公に?朝廷でも将軍家でもなく、陪臣まがいの下克上大名家の末端に囲われてても、
それを武士だというの?なんなの公って?
で、この江戸期にしか存在しない下級武士や足軽は、室町時代だと何に値するわけ?
一貫した普遍性すら存在しない武士の定義で、この下級武士は室町期何に値するの?
611 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:55:03.75
>>608 ただ、必然性を帯びた媒体こそが領主であるというのはわかります。
蜂須賀家や浅野家でも、公的に認められ、必然性を帯びた政治主体は、それらを称して武士と成してるだけなんですよ。
わかりますよね?
武士の成分が武装してなければ呼ばないというのは間違いなんですよ。
わかる?
当時の政治主体は、一家が独裁してあらゆる権限を掌握してました。
それらのひとつの統治システムの中に、武装する理由すなわち治安維持という大義名分を帯びてるからこそ、
野党ではなく武士になるわけ。
で、庄屋も村内の治安維持を公的に任されてるよね?
これは室町期、武士じゃないの?で、
江戸期下士は身分も簡単に安値で売り買いでき、さらに
何の役も大儀も持たされてなくても武士なの?
十分条件と必要条件の違いすらしらないとは困っちゃうね。
議論しても無駄かな。
613 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:25:03.12
は?
そもそも全部あなたの価値観の中での武士の定義でしょ。
その必要用件の規則、きちんと朝廷は歌ってるんだろうから、魅してくれよ。
あるんだよね?ひたすら必要条件といってるが、君の意見ではなく、
武士の定義を歌った朝廷の規則があるなら、だしてくれよ。
君の憶測とかはいいんだよ。w
614 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:26:31.39
あ庄屋久しいのぅ
余の顔を見忘れたか
615 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:29:09.63
長グソさま、ようやくトイレから出られたか!
616 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:32:20.67
よく考えてみ?
御家人の定義が、鎌倉御家人と、江戸御家人ではあれほど変わってるのに、
室町武家と江戸武家の生態があれほど違ってるのに、
戦国期以前の武家と江戸武士の統治のあり方(在地)があれほど編成してるのに、
君のいう普遍的な武士たる必要用件とは何なのか、それを当時の公である肯定はなんと歌ってるのか、
教えてくれよ?
普遍的意味合いでの必要用件としての武士のあり方など存在しないから、
時代により、また下級武士と庄屋の間での待遇や屋敷や戒名やら財力にこれほど差が出るんでうすよ。
で、ここら辺を合理的に教えてくださいませんか?
617 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:39:11.82
>>614 先生、お久しぶりです。
うわさでは、男でありながら自らをパイパンにするほど自己研鑽に怠らないと聞き及んでおります。
パイパン先生、以前のようにまた、学説教えてください!!
618 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:48:06.94
>>617 2ヶ月前、マジで全剃りしたから笑えねぇww
これが以心伝心というやつか…わしはまだまだ修練が足らん!!
619 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:57:31.50
>>618 パイパン先生、今どうしてるの?何してるの?足軽稼業やってんの?
620 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:03:21.77
>>619 足が軽いというより股間が軽い今日この頃
621 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:12:21.97
パイパン先生、チクチクイタ痒くて・・・・とかきいてないんだよw
パイパン先生、最近どうなの?心配してるんだよ。
622 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:15:47.90
623 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:24:49.19
誰に?仕事してるの?
元気?そうなんだ・・・よかったよ。
先生もオイタしなくなったのか。なんかさみしいのお。
624 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:30:14.52
>>623 実は…俺、このスレを知って数週間の新参なんだww
藩主の顔を謁見云々で庭掃除の時に見たことあるもん!って書き込んだのが初だよ。
■民主党政権になって放送禁止になった言葉一覧■
[道義的責任・進退問題・発言のブレ・閣内不一致・派閥・プライマリーバランス
空気が読めない・庶民感覚・国民目線・バラマキで人気とり・国民に信を問うべき・OECDの貧困率
ワーキングプア・ネットカフェ難民・世襲・料亭・漢字・読み違え・直近の民意・国民の生活が一番、政権交代が最大の景気回復策、公務員改革
ガソリン値下げ、景気回復策、解散総選挙、ホッケの煮付け
世襲制廃止、地域主権、議員定数削減、地球温暖化対策]
626 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:42:49.68
>>624 知ってるよw
そんなことも知らないと思ってるの?w
で、調子いいの?いいなー・・・・俺なんて死にそうなんだが・・
627 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:51:42.99
>>593天領で苗字帯刀が許されていない庄屋っていたの?
天領は格式が高いって言うんで後期には普通の百姓でも(小作ではないと思うが)
苗字が付いてき始めてるが
628 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:53:15.21
>>626 あ庄屋さまが倒れると足軽がよr…ゴホン 百姓が困りますです。
ヴィジヌェスの疲れをとるには寝るのが一番。
てな訳でおやすみ。
>>627 逆に御料所の格式が高い⇒苗字・帯刀のハードルが高いと思ってました。
却って私領のほうがゆるゆるのイメージがありました。
630 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 20:48:46.41
>>629個人に対しては確か老中裁可なのでハードルは異常に高いが
役付に関しては
>>9にあるように一応の基準を設けてある。
ただ、実際にどうだったかは・・・
江戸の通常の町名主は苗字帯刀していたという記録は夏目漱石の親父により明らからしい
し町年寄にいたっては年初めに将軍にご挨拶に伺うということも出きた。
631 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 20:52:05.29
各藩資料を調べてみると今一分からないらしいが殿様が江戸から帰ってくるときなどの絵図には
庄屋は苗字帯刀して迎えに出ていたりするらしいのだが、それが一般化できるかは・・・
632 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 21:09:28.92
>>630 幕末では、ただの百姓の倅でも
武士髷にして大小の日本刀を差して
公然の横行していたけどなw
志士といった連中はそんな怪しげな連中ばっかりだったが、
特にそれが理由で検挙されてはなかったような。
浪人と同じような扱いで、特に治安を騒がせない限り
黙認状態だったのかな。
633 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 21:23:30.29
>>632一応百姓の倅でも志士は先祖は誰々の家臣だったと名乗ってるから浪士でしょ。
634 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 21:33:45.33
そういや幕末に美濃浪人とか現れたりしてたね
635 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 00:12:18.71
>>627 代官江川太郎左衛門支配地である日野宿の名主、佐藤彦五郎なんかは苗字御免になったのは慶応3年。
常盤貴子の父親の実家って、とてもな旧家なのな
637 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 02:49:55.08
>>635そそ、それが不思議なんだよ幕末に苗字帯刀が乱発されてる。
>>9との整合性はどうなんだろ??役よりも個人に対してだろうか?
638 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 09:05:26.71
>>637 ある程度の雄藩なんかは黒船騒ぎの際、お金がなかったので庄屋に献金を強要している。
その見返りに苗字御免、苗字帯刀御免を与えてるんだ。
639 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 09:07:51.30
金持ってる領民に献金させるのは藩政の常套手段。
帯刀はともかく苗字は私的に称するのはかまわないだろ。
日本史上の人物で苗字が付いてないのなんかいない。
全員が士分だったとか領主から苗字を許されたとかいうものでも
ないだろう。
641 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 12:40:58.23
>>640 んなことはない。
百姓で苗字ないのなんかゴロゴロいるよ。私称なんだから名乗りたい奴もいれば必要と思わない奴もいる。
642 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 03:03:27.30
夜明け前では本陣の主人が苗字帯刀を許されたけど、一般的に本陣の主人は許されてるものではないか。
こういうのは一個人に対して与えるものなのかしら
643 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 06:45:37.67
本陣当主は大名と応対しなくてはならないから、役に対して許可されるだろ。
本陣から外れれば、功績やもともとの家柄で許される例もあっただろうけど。
644 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 13:24:43.63
庄屋が世襲の地域だと組頭や百姓代も世襲になるの?
その場合は名字帯刀もあり?
645 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 15:46:18.06
>>644 領主によるよ。永代なのか一代限りなのか、まぁ、一代限りだと領主に賄賂送ってなぁなぁにするのが多いけど。
646 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:17:25.97
>>645 ありがとう
庄屋に比べてマイナーだから
組頭と百姓代の実態ってどういったものか気になって。
647 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:46:41.24
>一代限りだと領主に賄賂送ってなぁなぁにするのが多いけど。
むしろ献金自体が功績って扱いだろ。主君に賄賂って発想自体がナンセンス。
賄賂は上役や取引相手に贈るものであって、主君に贈るものではない。
648 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:05:47.62
>>647 勘違いしているようだけど、領主自体は領地にいないだろ。
こういう場合は領主の公用人とか国家老とかだろう。
649 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:30:20.97
あ庄屋さまはまた土日かな?
650 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 22:10:25.07
651 :
日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:37:39.27
数年 多額の御用金・御用銀納めたら
名字帯刀認められるケースは結構ある
ただ、一代限りか永代かは、藩や額とかで、だいぶ異なる
庄屋は室町時代からの上級武士だから苗字帯刀はあたりまえ。足軽風情を
無礼討ちする権利まで与えられた農村の支配者。本来の封建領主だよ。
654 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 09:40:30.70
庄屋が領主の家臣たる足軽を無礼討ちにできたなんてそれは無いでしょう。
足軽は武士でも家臣でもない。今でいえばバイトか派遣だ。本来の正社員中の
超エリートである庄屋には逆らえない。
656 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:21:45.27
足軽・・・大企業の派遣社員
庄屋・・・自営業の社長
取引があったら派遣社員威張り散らしそうだな
657 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:17:02.43
あ庄屋・・・ニート
中級旗本の家臣構成
用人
給人
中小姓
旗本領の庄屋・名主が家臣になって家政を取り仕切る場合は
給人、近習あたりの身分か
659 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 03:59:56.71
旗本構成は分からんが小規模の藩なら庄屋に馬廻り格や奏者格だよ
660 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 06:25:42.73
>>648 大名なら参勤交代で領地に入るし、お前は「領主に賄賂送ってなぁなぁにするのが」などと
はっきり書いているだろ。それを勘違い云々とは、基地外かお前は。
661 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 06:35:26.48
引き立てられる最高身分を一般的事例のように語るのはまずいだろ。
庄屋が武士になる場合には、勝手方下役人や代官あたりが一般的だろうに。
庄屋は中世の名門武士の家系だから成り上がり大名より格が上だ。
大名も庄屋には礼を尽くしたし下級武士は庄屋に土下座しなかったら無礼討ちされた。
663 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:19:03.13
なぜ庄屋の一部を庄屋全体のように語るのか。頭悪すぎ。
664 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 12:18:08.98
>>661というか庄屋って格式が高く置かれているのである程度上の身分に取り立てられるか。
それ以外大部分は取り立てられないだからね。
ちょっとした庄屋がアルバイトで足軽とか考えにくいから。せめて代官手代とかだろ
庄屋は鎌倉室町の武士の家系だから戦国成り上がり大名より家格が上だ。
666 :
日本@名無史さん :2011/12/02(金) 14:36:54.93
漏れの先祖は天正時代から庄屋を務めていたとの文献が残っています。
天正時代ちゅ〜と江戸時代より前の安土桃山時代ですけど、
庄屋職ってそんな昔から有ったのでしょうか?
667 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 14:44:34.93
村は中世からあるし、村のトップは必要。
668 :
日本@名無史さん :2011/12/02(金) 15:13:43.25
漏れは666ですけど
江戸時代後期で庄屋職を継いだ先祖は何故か庄屋職を放棄して弟に家督を
譲り、苦労して武士の徒歩並みまでなって一生を終えています。
先祖代々の庄屋職を継いで悠々自適の一生を終えた方が
下級武士より楽勝に漏れは思えるのですが
庄屋より下級でも武士の方が男のロマンと言うか魅力的だったのでしょうか?。
>>668 経済的には実家の援助でラクだったんじゃないの?そもそも武士になるためにも
お金が要るしね。
670 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 16:39:27.67
庄屋も楽とは限らない。村全体の世話役として面倒見なくちゃいけないことも多い。
年貢関係はもちろん、災害の際の復旧復興を含めた日々の工事関係、村民の冠婚葬祭
全般、祭りなどの年中行事の差配…。
それなりに面倒臭く、人間関係の調整も含めて大変。
武士の方が気楽で良い場合もある。
672 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:58:07.92
>>668 うぬぼれの強い野心家だったんだろう。一国一城の主にでもなるつもりが、
その程度で終わったってこった。
673 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:47:52.64
商家では、出来の悪い息子に持参金つけて武家へ養子に出したりしていたようだが。
庄屋は、どうなんだろう?
674 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:31:25.61
大塩平八郎の乱に参加した同心には、有力農民層から養子に入った男がいる。
逆に大坂の同心の家から有力農民層に養子に出た者もいる。
>>666 村内上層の案内人は除地を与えられてる
村役人層は成り上がりの方が多いから
こういう旧家の方が珍しい
677 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 21:18:47.40
>村役人層は成り上がりの方が多いから
土地にもよるよ。経済発展から取り残された地域では、貧富派入れ替わりようがないし、
人材も育たないから中世そのままの体制がいつまでも続く。
678 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:00:31.10
>>673生涯もらえる扶持と侍株の値段を天秤にかけてお得なら・・ってことらしい。
679 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:02:47.00
銭金じゃなくて名誉の問題だろう。
680 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:51:08.59
まかせなさい♪
現実は、庄屋、豪農、本百章>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>下士
だというのをはっきりさせますよww
>>668,
681 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:59:19.12
>>668 今からあなたの疑問すべてお答えまるっとしましょう!!
少し長くなるかもしれませんが、すべてお答えします。
私クラスは、高校中学の歴史の先生程度じゃ足元にも及びませんからねww
私クラスの講義ただで聴けて幸せものですよ?ww
682 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:25:55.37
@ (Bまで続きがあります)
>>668の答え
まず、率直に答えから言いましょう。 あなたの家は当時は庄屋ではありません。
非常に裕福な豪農ということです。なぜか?お答えしましょう。
庄屋職というのは、幕藩体制化の役であります。あなたのご長男が、庄屋職を継いだにもかかわらず、
それを徒歩になりたいという私的理由で、当時封建下の役を勝手に途中放棄することは原則許されていません。
それは大名家でも同じです。もしあなたの家が庄屋なら、確実に取り潰しかお役御免です。
さらに、徒歩になったという時点がおかしいのです。
683 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:35:11.85
>>668の答え A
さらに、徒歩になったという時点がおかしいのです。
本来庄屋であれば、郷士格さえ持てば庄屋の立場、財力のまま武士格も簡単になれます。
そしてさらに、郷士になる理由はこういう理由です。
庄屋にとって生活基盤は保障されてますので、武士的側面など庄屋にとって飾り程度に過ぎないんですよ。
でも余裕があるからその飾りを欲します。
しかし、徒歩になるというのは、その徒歩身分に自己を由来させ、
さらに生活基盤をその下士に付随する収益、立場、QOLに一切を身を委ねるということなんですよ。
要は食い扶持を下級武士身分にすがるということ。そして徹底服従。
郷士のような庄屋の延長上なる、かっこつけの飾りとはわけが違うんですよ。
ですから、通常庄屋の役のある家が、わざわざ下士にこだわる理由がありません。
郷士株を買って裕福に生活しながら、武士的要素も満喫すればいい。これが一般的スタイル。
ですから、まして長男が庄屋の役を勝手に放棄し、さらに水飲みとかわらぬ生活スタイルである徒歩身分に
生活のすべてを委ねてまでこだわるというのは庄屋ではなかったからですよ。あくまでその当時は。
684 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:43:32.97
>>668の答え B
要は、役無し豪農であるあなたの家が、何不自由のない普通の生活に飽き足らず、
また庄屋のように役がないがゆえ、庄屋身分は簡単に買えるわけもなく、
当時簡単に買え、豪農には比較的余裕の値段である徒歩身分にこだわったのでしょう。
豪農層は役はないので出入りは比較的自由ですよ逆に。
例えをあげましょうか!では、
685 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:52:04.49
>>668の答え C
例えでは、当時御家人株の抱席、二半場等の身分はなんと約9割前後が豪農と商人によって買われています。
この豪農層の中に庄屋はほとんどいないんですよ。ほとんどが役無し豪農層。
庄屋は大半が世襲長男が、飾り程度の価値観で武士格にこだわる場合、
郷士株を買ったりして郷士担ってるものが圧倒的です。
わざわざ庄屋の役を放棄するという賭けに出てまでのリスクを負って、
さらに酷い徒歩なんぞになる理由がないんですよ。
それに庄屋格の役がないため、御家人や徒歩等にこだわったのでしょう。
大半が食えず、結局早々に売りに出すという、フランチャイズ連鎖だったようですよ。
まあ、藩や幕府もそれで資金稼ぎしてたのでしょう。
郷士を選択しておらず、さらにその庄屋役の長男の放棄リスクが背負えたのは、
役がない富裕豪農層だからです。
でも、あなたが由緒ある名門の裕福な豪農であることには変わりありません。また時代は違えであなたの家が庄屋であった時期も合ったとも思います。
でもその当時は庄屋でないことは明白です。
686 :
漏れは666ですけど :2011/12/02(金) 23:58:28.88
明日昼までに漏れの先祖が家督を弟に譲り庄屋職を放棄して武士になった経緯を
古文書「●●藩旧家由緒書」及び●●●人物誌の2誌からカキコ致します。
乞う御期待❤w。
687 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:07:04.62
>>668 >>庄屋より下級でも武士の方が男のロマンと言うか魅力的だったのでしょうか?。
これについてもお答えします。
当時、豪農層で下士は憧れていたという 文献など一切探しても出てきませんよ。
当時上士や旗本層をうらやんでいたと思われるものは出てきますが、
当時の下士は、長屋住まいの役無しの傘はり内職というのが当時でも農村でも知られていました。
もちろん例外の下士もいますが。
おそらくロマン云々は幕末のあなた方の価値観で言っておられるのでしょうが、
例えば新撰組も、下士に憧れていたのど一切いっていません。直参旗本になることに相当こだわってはいますが。
さらに下士にロマン的なイメージが出たとするなら、幕末のチャンバラ劇の時代が故でしょう。
それまでは、本当に辛酸な生活ぶりを下士自体が文献でいろいろ残してますよ。
しかし、食うためにはそれでも下士足軽で我慢せざるを得ない。それ以外に生きるすべ持ち合わせてないんだから。
当時、下士のロマンを感じえたとするなら、ほんの幕末の数年程度です。後は現代の価値観です。武士なら何でも偉く、かっこいいみたいな?
688 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:13:30.67
>>686 それ、当時の藩がその時発給してるものでないなら個人の由緒書程度のものですよ?
明治時代編纂の旧家録とかならマジ勘弁www
689 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:42:21.25
>>686 明日私は仕事なので、見ることもできないかもしれませんので・・・
ですので今。
当時の藩が当時の発給の書面にそう書かれているのならそうなのでしょ。
でしたら、当時あなたの家が、徒歩のような格安株で一切の扶持も藩からは保障すらされていないものにも、
こだわらなければならない何かがあったのでしょう。
まーそれだけですよね。庄屋でも、商人になってるものもいればいろいろです。
そこにこだわる何かがあなたの家には存在していたのでしょう。
例えばあなたの家族の長男と次男がが不仲だったとか?
基本、私の知ってる庄屋は、徒歩のように食い扶持から何までそこに依存させてまで徒歩程度にこだわった庄屋は存在しません、
旧室町守護大名家の重臣だった庄屋の方の家はそのほとんどが、武士格にこだわってる家は郷士格を買い、
そのまま在地でのさばxっています。ほとんどが、士格などはお遊びの飾り程度にしか考えておられません。
わざわざ城下にまで出てましてや、
下士の中でも末端の徒歩程度に必死にこだわって在地を離れたものは一切いません。
マー価値観は庄屋も十人十色ということでしょう。
690 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:46:23.38
ちなみに、本家庄屋が、分家を旗本や御家人、藩上士になん家も分家させてる本家庄屋は多く存在します。
徒歩に分家させてる庄屋は聞いたことも見たこともありません。、
漏れの先祖のプロフイ〜ル。
梅野和蔵
上妻郡緒玉、光友両村(現福岡県八女市)の庄屋梅野仁兵衛の長男で正種と称す。
生母離縁となり継母とは合わず妻子を連れて家を出て、生母の近くに住み
皮笠を縫い習い生計を立て、次に久留米(福岡県久留米市)に移り傘張りを行い
後に質業、刃物商に転じ寺社奉行の下代となり幸運に向かい天保12年8月5日に
御徒歩並となる。(最初から武士になる為に宗家から出た訳では無いようです。)
「旧家由緒書」とは漏れが読んだ限りでは大庄屋が傘下の庄屋の
歴代当主の簡単なプロフイールを藩の担当者に紹介している様な書類です。
692 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:35:49.75
>>691 そうですか。あなたの家は立派な庄屋ではないですか。
別に庄屋の長男が、徒歩になりたいがために家を飛び出したのではないでしょ。
要は、土方歳三のように、裕福で何不自由なく育ったことに逆に不満を感じ、冒険。
その中で徒歩という身分に成り行きでなったというだけのこと。
あなたの家は立派な庄屋ですよ。
で、あなたのその人がどうのこうのではなく、そのような流転の人生の中で、
結局行き着く先が、このような足軽徒歩ということがわかりますよね。
勘違いしないでくださいよ?例として、やはり流転から中間徒歩などになることが非常に多いという意味ね。
全うな豪農以上が足軽中間徒歩などに成り行きでなるわけじゃないというのがわかります。
693 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:44:52.91
要は、土方歳三もそうですが、
彼も丁稚奉公→行商→薬売り→姉の嫁ぎ先の庄屋の家に居候→壬生労使鯛入隊→直参旗本
という順です。
要は家柄は庄屋や豪農のように立派でも(土方家は後北条家の旧臣帳に名を残す土方家のようです)、
次男三男のような宙ぶらりんが流転した結果、行き着く食い扶持が足軽下士だということですよ。
そして、土方歳三のように神的領域の人間なら、一代で旧幕軍の彰義隊や各藩士の諸隊の、
統合軍事奉行にまで簡単になってしまうわけですし、まさに武士とは、
刀一本の胸先三寸で、戦国期、このように成り上がったものたちということです。
庄屋のような在地では下克上でなりあがれるものではないですからね。
694 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:50:24.28
要はまさに下級武士とはこれにぴったり当てはまりますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD 。
>>応仁の乱では足軽集団が奇襲戦力として利用されたが、
>>足軽は忠誠心に乏しく無秩序でしばしば暴徒化し、
>>多くの社寺、商店等が軒を連ねる京都に跋扈し暴行・略奪をほしいままにすることもあった
>>訓練された長槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され備の主要な部隊として活躍するようになる。
→ >>{戦国時代後期には地位も向上して足軽大将の家禄は、200石から500石程度で中級の武士として認められる存在になった}。
結局江戸期の下士は、戦国期、下克上にもかかわらず、成り上がることすらできず、
かといって、在地すらなく、行き着く先は、下士足軽という長屋で飯だけあてがわれ、
駒として保留されただけの存在ということになりますよねw。
徒歩と違って、江戸期の足軽は苗字が公に名乗れんし、分限帳にも記載はないだろう。
696 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:12:14.08
>>695 それは足軽のみならず、徒歩なども、藩によって苗字どころか二本さしすら許されてない藩もありますよ?
袴すらはクコと許されてない徒歩の藩もある
あっ、それから、かなり前のレスで、帯刀してたら捕まるかどうかという話で、
あんなの旅道中の町人ですら中刀一本さしは許されてますよ?
冗談抜きに格さん助さんが持ってるのが例。
護身用に町人でも帯刀など理由あらば許されてる。
帯刀などwwwそもそも庄屋なんぞ蔵に刀などぶっ積んであるんだから、
藩にわざわざ許可得ずともどうでもいいでしょwww刀なんぞいくらでも持ってるんだもんww
697 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:24:48.89
>>696の続きですが、
庄屋と下士の格の違い、もうひとつ言いましょう。
↓
武士は刀が命といいますが、あれは明治に作られたもの、もしくは下士程度の家の価値観なんです。
実は、武士の命とは槍なんですね。中世期の先祖代々伝わる槍。
江戸期に入ると、城下の武士は朝登城なければなりません。(足軽や下士程度は登城すら許されてませんがwww)
その際、上司とすれ違う際、挨拶しないで無視したらその場で切腹させられるケースもあったようです。
その際、上士は、槍の矛を戦国期の馬印に使っていたため、
遠くから来る上司がどの階級なのか、その槍の矛の形でその人を見分けていたそうです。
ですので、中級武士の家には、槍の矛の形ごとに、その上士はどの階級の上司なのか判断できるよう記した記帳などが多く保存されています。
江戸期、上級士族の間では、このように槍を馬印の代わりに使っていたため、
上士の間では武士の命は槍だったそうです。
もちろん、下士足軽程度が、戦国期よりの槍など持ってるわけもなく、
その槍を保持してる階層も庄屋と上士クラスで
江戸期、帯刀程度なら庄屋にいくらでも許していましたが、
やりは唯一保持する階層である庄屋には、槍を所持しての闊歩は、(実際は奉公人が脇で持たされてるが)
上士クラスのみの特権であるので、庄屋には中世よりし伝来の槍を持ち歩いての闊歩は許さないとされていたようです。
わざわざ庄屋に槍の所持禁止とするほど、上士にとってライバル視されていたのはまさに庄屋ということww
698 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:34:26.15
俺の知ってる庄屋さまは家の蔵に薙刀があるって言ってたな。
699 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:53:32.20
下級武士は長屋に住んでたんだ。苗字帯刀も許されなかったんだ。
勉強になった。
このスレ、ボロアパートに住んでる庄屋さんばっかりでワロタw
10人いたら二三人は農地改革でうんたらかんたら言うからワロタw
701 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:46:01.82
下級武士は長屋住まいで苗字帯刀も許されなかったんだ。
時代劇は全部ウソだったんだ。
702 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 22:59:31.04
嘘吐き朝鮮、中国人がやってる報道機関 朝鮮人犯罪があまり報道されない理由
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臣籍降下組のガチンコ武家が帰農した庄屋
と、土豪農あがりの庄屋の格は違うのかい?
707 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 00:13:32.38
708 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 01:39:46.98
>>9庄屋本陣に苗字帯刀とあるけど公文書で庄屋本陣の苗字って見ないような・・・
712 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 05:49:05.76
713 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 14:14:45.59
名主だから必ず苗字が書かれるというわけではないのね。郷土史をみると
OO村名主O兵衛としか書いてないので何故かなと思ったので
実家が江戸時代は庄屋だったけど官位は従五位下だったらしい。みなさんの家の官位はどのくらいですか?
715 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 00:51:57.30
公家の庶子が養子に来る家とかですか?
716 :
日本@名無史さん :2011/12/05(月) 01:20:29.99
私の先祖も庄屋でした。
先祖を調べると宗家の当主になる長男の嫁には大庄屋の娘が嫁いで来たようです。
また宗家に生まれた娘達は分家の長男に嫁いで行ったようです。
それでもまだ余った娘は比較的裕福な農家(豪農?)に嫁いで行ったようです。
庄屋に生まれた子達の結婚は庄屋同士で行っていたのでしょうか?。
>>714 従五位下なら大名並だよ。勝手に名乗ってただけじゃないの?
718 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 06:40:36.75
庄屋でも家格や資産に大きな違いがあるから、同程度のところと通婚した。
家格が高くて絶対数が少ない場合は、隣国くらいからも探した。
719 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 08:22:28.49
そうでもないんじゃないかな?うちも庄屋の家系だが明治時代までは
嫁や養子は本陣庄屋の家系だけど、かなり広がっていて郡内の名家は
ほぼ親戚だったよ。
ただ、たとえば一人嫁に来るとその近辺の養子や姻戚は増える傾向は
あるけど。そんなに狭い領域でもないみたいよ
721 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 17:58:58.95
>>719 郡内程度におさまるほど狭いのか、狭い領域でもないのか、どっちを主張したいんだ。
722 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 19:53:46.46
オレの母方の先祖も庄屋だったが、通婚圏は江戸時代でも結構広範囲だった。
明治になって逆に狭まり、戦後は一挙に広がった(と言うよりも、戦後は通婚圏の概念を当てはめるのに
無理がある。)
戦前までは家格重視で、釣り合う相手なら遠距離でも全然かまわないが、近くて便利でも家格が釣り合わなきゃ駄目って言う感じだな。
723 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 22:42:32.11
家格っていうのが難しいかもね。庄屋と馬廻り格の庄屋だと家格的には釣り合わないのだろうか?
逆に馬廻り格の唯の豪農と(それ以上の家格の家が存在する為庄屋になれない不遇な家)と
庄屋の通婚はあり得るのか?
封建時代は非常に細かい家格の違いが存在したが、どの程度まで許容範囲なんだろう?
725 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 23:13:24.68
庄屋を交代制でやるとこは庄屋になったら二本差で武家髷にして辞めたら丸腰で
庶民髷にすんのかな?
それだと面倒だから通常は庶民髷丸腰で必要な時だけ二本差ぐらいが現実的かね?
726 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 10:02:54.62
>>723 家格を語る場合に庄屋ってのはあまり意味がない。よほど人材が乏しくて庄屋以外に
有力農民がいないような地域限定の話。
上方あたりでは人材が豊富だから、豪農の分家やら成り上がり者やらの中で
能力がある者が庄屋になる。通婚範囲も庄屋かどうかなど何の意味もなく、
豪農同士でくっつく。
727 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 10:04:19.93
>>725 なぜ庄屋が二本差し?
あまりにも事実を知らなさ過ぎる。
728 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 10:46:06.02
729 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 10:59:14.79
どこの触書だよ。本気で言ってるのか。
730 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 14:11:48.69
731 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:35:09.14
>>730 その会の文章、素人が書いてることくらい見抜いて欲しいなあ。
触書は、庄屋のうちでその役目を通じて功績を挙げたものに苗字が認められている例があり、
それらに関しては禁止しないというくらいの意味合いでしかない。
当時の古文書を見ても、庄屋で苗字を公式に名乗っている人間はごく一部だよ。大庄屋になれば
たいてい苗字を許されているけど。
例えば大塩平八郎の姻戚で乱に参加して獄死した橋本忠兵衛は般若寺村の庄屋だけど、
忠兵衛をはじめ連座した庄屋は一人残らず、吟味書で苗字を省かれている。
橋本というのは、平八郎が高弟のためにつけた苗字で、公式には使われないものだったからな。
逆に言えば、自称であれば庄屋でなくてもいくらでも例があるけどね。平八郎の門人たちは軒並み
公式には認められない苗字を名乗っている。白井とか、茨田とか、但馬とか、柏岡とか、深尾とかいうように。
庄屋は鎌倉室町の名門武士の家系で、苗字帯刀はあたりまえ。戦国成り上がり大名よりも
家格が上。
下級武士は野盗、浮浪者、河原者の子孫で、苗字帯刀も許されず長屋住まい。
733 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 16:54:33.43
>>732 うちは大庄屋を輩出した家系だけど、庄屋のときには苗字を名乗ってないよ。
734 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 20:57:29.80
735 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 23:37:55.85
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736 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 06:39:27.68
>>734 表現の仕方が
>>728と同じだけど、同一人物か? その割には主張が正反対だけど。
一般論として庄屋が二本差しだの苗字があるだの、何の冗談かって話だわな。
郷士は苗字有り二本ざしなの?
738 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 18:17:36.94
朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作を行っていた。
捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。
>>866 14時以降に何が起きたんだ
>>866 Domain Information: [ドメイン情報]
a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP
e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ
f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社
これが規制されたからじゃねw
−「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」−
これはおそらく週刊誌さえ書けない。
「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 2009年3月
739 :
日本@名無史さん :2011/12/08(木) 09:56:11.05
私の先祖は土地台帳から推定すると多分農民だったと思いますが
遺牌の墓誌には総て苗字が有ります。
下の名前は〜門、兵衛等ですが、まさか庄屋だった?ことはないですよねw。
740 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 10:24:31.91
農民でも苗字は自称する。苗字があっても庄屋とは限らないし、庄屋でも苗字がないところも多い。
ゆえに、庄屋と苗字を結びつける発想自体がナンセンス。
庄屋は鎌倉室町の名門武士の家系だから例外なしに苗字帯刀で、
大名屋敷よりも大きい屋敷に住んでた。
下級武士は苗字帯刀なしで長屋の八畳間に4,5人住まわされるのが標準。
742 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 22:28:19.07
庄屋は鎌倉室町の名門武士の家系で、苗字帯刀はあたりまえ。戦国成り上がり大名よりも
家格が上。
大名の家臣ではなかったので、大名も名字に殿とつけて呼んでいた。
743 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 22:43:12.74
あの、スレチだと思うんだけど
ごめん、スレチなのはわかってるんだけど
うち、九州のとある地域の大網元だったんだ。
で、親や本家筋が言うには苗字が江戸時代からあったんだって。
そして、その苗字が、九州ではよく見られる苗字になってる。
家屋敷は今でも残ってて、白塀と石垣をめぐらせた豪勢なもの
今はそこは人に売って、城下の雰囲気のいいお屋敷街に住んでる
ちなみに自分は東京生まれの東京育ち
母方は東北の外様小藩だけど、古くからある名門で
その曹洞宗の菩提寺の娘が自分の母親なんだ
父はポリネシアンみたいで母は東北の白肌で
自分はハーフみたいな顔してる
街を歩いてると、なにじん?てよく聞かれる
なんとなく親近感がわいて、スレチなのに失礼しました
あ、でも網元は元は大地主がなったらしいよ
745 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 04:40:28.74
746 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 06:57:06.97
尾張三河は大多数が武士になってると思われるので庄屋の家系っていうのは
どういう家になるんだろうね。やれ酒井の親戚だ大久保の親戚だって感じか
747 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 10:30:10.99
>>740 ある時とない時があるということ。
100%ないとか100%あるとかいうことがおかしいの。
庄屋だと 公式には名字ない場合が多いよ
大庄屋だとある場合が多い
あくまで公式にはの話だから、墓とか位牌には普通に名字書いてるけど
749 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 17:35:15.61
,.r.:::;;;;:ュ、
fイ´__ __ヾ
{:六;;;;:ハ:;;;:カ
(_ ' _^_ヽリ なんだ AKBって整形した反日朝鮮人だったのかァ
,人 l⌒l、 ブームの捏造手法が寒流と同じだけはあるな
/ \,ゝヽr' \
/ |:| ヽ
l l /´堰@ l !
|___l ノ ,イ !__,}
751 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 18:37:48.48
手法は同じでも、銭はミンジョクを凌駕するからな。
752 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 00:56:24.83
江戸時代というか封建制っていう制度は慣習というか、旧来からのものはそのままで
黙認もしくは追認するが新規のは認めないというネガティブなシステムだからな
あ、庄屋謂う如く地侍や郷士はどういう扱いを受けていたかは教科書的に即断は出来ない。
ただ、あ庄屋が謂う如く初期においては懐柔策として厚遇されたが政権安定後在地代官や庄屋の力
を削いでいったのも確か、各地の隅々にまで届いたかは知らぬ。
地方では戦国期と変わらぬ遺風が残されえいたかも知れない。
今でも地方に行けば元名主の家系というのが別格の存在として厳然と存在してる
>>753 戦国時代の領主の子孫ばかりではないだろ?
755 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 19:46:56.55
>>748 ねえ、君は何をもってそうだと断言してるわけ?
君の憶測など聞いてないんだよw
もしくは一例を持って全体と成すのは違うよね。
756 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 19:55:18.50
庄屋も地域によってかなりの差があるのは事実。
例えば関東においては、他地域より室町期以来の土豪、地侍等が非常に多い地域。
さらに徳川家による直参の旗本八万騎を引き連れての関東入府であるため、
関東の在地では、八館クラスほどの例外的大身以外は、ほとんど帰農してる。
関東において徳川家は在地で召抱えてるものは、一部例外の八館等クラス以外は帰農させてる。
関東においては、大半が在地では戦国期よりし武家層(土豪、地侍等)が帰農して見事に庄屋にさせられてる。
地域によって多少なりとも格差はある。
757 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 20:01:05.43
各差はあれども、事実上、s城下の領主は新興大名家
在地の領主は中世よりしの庄の大名
という価値観ですよ。江戸時代は。
758 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 20:12:32.30
訂正
各差はあれども、事実上、城下の領主は下克上新興大名家
在地の領主は中世よりしの「庄屋」
という価値観ですよ。江戸時代は。
ちょっと、気休めに、次面白い例え話、要はIFの話してみましょう。
759 :
IF もう一つの幕末 @:2011/12/10(土) 20:21:18.05
よく考えてみてください。
徳川家、及び幕府が、外圧によるインパクトにより崩壊への道を辿らさせられましたが、
仮に外圧がなかったとしましょう。大航海時代が訪れなかった世界だと仮定しましょう。
しかし、どの道西南雄藩等の内乱でどの道遅かれ早かれ崩壊していたことでしょう。
さあ、そしたらもう一つの幕末はどのような事実が待っていたでしょうか?
760 :
IF もう一つの幕末 A:2011/12/10(土) 20:31:24.57
さあ、そしたらどうなるでしょうか?
戦国期の到来ですよ。
親藩譜代等の徳川一門の支藩は小藩が乱立ですよね?
それらの根拠となる徳川宗家自体が崩壊してしまうわけですから、
各藩ごとが、孤立無援と化します。
繋がりもなく、根拠たる保証団体の宗家が崩壊した支藩らなど、戦国期のいち豪族程度に過ぎません。
在地には2万石クラスの領益有する中世以来の在地特権もつ庄屋など全国ではごろごろいますよ。
そうでなくとも、中小旗本クラスの庄屋など苗字帯刀許されてなくともゴロゴロ腐るほどいます。
大半は中世期よりの在地旧武家層です。
かれらは、孤立化した支持母体を失った大名程度に服従する義理はもはやありません、
さあどうなるでしょう?
761 :
IF もう一つの幕末 B:2011/12/10(土) 20:41:59.94
在地庄屋は、
自らの権益、土地、在地特権の藩からの保証も存在し得なくなったと悟ったとき、
また、中世期と同じく、一族一門で武装してそれらを守ろうと自衛するはずです。
そう、徳川家により奪われていた武家の側面が武装自衛により、武士化するわけです。
庄屋が武士化を復活と同時に、時を同じくして事実上の戦国時代の幕開けになるでしょうね。
庄屋は、鉢植え譜代親藩と違い、在地では親類など繋がりがあります。
在地の治安、法治、流通、貨幣経済、情報、・・・それら全てを独裁する庄屋が、
親類等の在地豪農、庄屋一門と武装蜂起したとき、譜代親藩程度の城下など
一週間ともたないでしょうね。リアルの幕末が証明してます。
762 :
IF もう一つの幕末 最終章:2011/12/10(土) 20:48:55.98
事実上、室町期の在地国人、領主層のように在地を持たない、徳川譜代親藩は、
秤量すら確保できず、あっという間に雪雪崩式に崩壊し、
確実に庄屋層が江戸崩壊後の戦国期の覇者たる覇権争いの王道を駆け巡っていくと分かりきったシナリオでしょ。
徳川幕藩体制は、大名等には統制された秩序体制でも、
在地支配体制が以外にも疎かだったものが露呈されるでしょう。
事実、実際この程度の支配機構しか、在地には有しておりません。
それらが、庄屋に対する地域差として、存在してるわけです。
以上
764 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 21:30:22.33
>>756 国人、土豪、地侍は名主どころか本百姓だよ。
関東の土豪・地侍をみんな名主にしてたらポストが圧倒的に足りない。
765 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 21:45:02.21
>>764 もちろん本百姓もいるが、
自分、国人、土豪、地侍の意味しってるの?
地侍という末端が、ムラオサクラスなのに、それでも数か村所領が多い。
どうやったら、圧倒的にポストが足りないという計算医なるのかな?
なんか天文学的係数使うと、そういう結論になるのか?wwww
庄屋の数より圧倒的にそれらすべての数のほうが少ないが?
766 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 21:54:39.95
>>764 確かに関東においては、ほとんどの旧武家層が帰農してるため、
普通に役なし豪農でも名門の旧武家が多数存在する。
それらは庄屋とほとんど変わらぬ屋敷やモンも有してたりする。
まー関東においては、庄屋はそれら役なし豪農層とも親類関係が非常に多いし、
役なし豪農もかなり名門だということは言える。
下士足軽の類とは、役なし豪農層にもはるかに及ばないほどの格式由緒があるのは事実だよ。
767 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 22:07:36.45
ttp//www.blog.sasakitoru.com/200905/article_5.html
>>近世大名や旗本は、高家であれば名門出身だが、その多くは織田・豊臣・徳川系の成り上がりの武家が多く
>>実は地方の旧家には、中世の名門武家の子孫で帰農して庄屋・名主となった郷士の家柄が多い。江戸時代の豪農は中世武家の子孫で、殿様よりも名門という豪農も多かった。
こんなの常識ですよ。
地方豪農>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>下士
郷や保の管理者は地頭身分になったものが多いそうだよ、これらが戦国期に国人領主層になる
また、名主は村を管理し、やがて地侍身分になったものがおおいらしい
国は守護が管理するとして、郷を統括する郡に関しては明確な役職が見られないが
おそらく、荘園公領制時代からの関係性がそのままスライドしていったのだと思われ
惣村が村の集まった集合体で、有力名主や上層農民が主体となって形成された
惣村が集まったのが惣郷や惣荘と呼ばれたらしい、〜郷、〜庄、〜荘とよばれるものがそれ
また郷村というものがあり、惣が郷規模でゆるやかに結合したものとある
以上の事から考えると、村と郷の広さのちがいはかなりのものであって
地侍と国人には大きな力の差があったと言える
ちなみに一国には10数郡、一郡には10数郷あると考えて、一国には多く見積もって
100人の有力な地頭がいたんじゃないのかな
名主の数となればもっといることになる
と考えても、全人口の一割にも満たないのはゆうまでもないことだが
769 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 00:07:01.62
百人の地頭って・・・
そもそも地頭の意味わかってる?
100人強の地侍(大小違えど土豪も含め)履いたというのが正解。
一国に守護家が狩りに一家いるとするなら
その下に守護家、守護代に寄生する地頭屑れの国人が数家存する。
もちろん守護代も地頭層であるが。
さらに、その国人に寄生する中流領主たる土豪層が存する
その下にそれらに秩序的寄生をする地侍層が各在郷在村に存する。
百人も地頭黒人が一国にいたとか、狂気の沙汰だなww
そうかな
戦国期の安芸国人なんか無数にいると思うが
毛利家内ですら、井上、桂、福原、坂、児玉などの有力な国人がいるのに
毛利家の外には、高橋、宍戸、吉川、熊谷、小早川がおり、その家の中にも有力者がいる
当然、毛利家の中にも相合や多治比などと分家が増えてく
その他に安芸守護家たるかの有名な武田氏がいることを考えれば
100人というのは妥当な数だと思うけどな
ちなみにwiki調べだが
安芸国には、8郡あり、その中に計66郷ある様子
単純に考えれば66人の有力地頭がいる計算になるな
安芸国は律令では上国とされ、令制国では上国は他35か国ある
全国的にスタンダードな数なのではなかろうか
そもそもいくさというのは動員されるのは単純に考えても、男で壮年で村からよりすぐりをえらぶのだから
単純に考えても、全人口の二分の一かけ、五分の一かけ、十分の一程度じゃないの?
地頭が一国に数人程度だったら、どんな組織構成してんだっていうくらい不自然だと思うけどな
現代の人口で考えるのはあれだが、一県に小学校すらふつうに200はいくぞ
まとめると
村(名主)ー惣村・保(マイナー地頭)ー郷(地頭)ー郡ー国(守護)というかんじではないかね
名主はほんとに末端。
772 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:01:20.04
そもそもそのマイナー地頭って何?そんなの存在しないのだが?
土豪だと言ってる。。土豪の生い立ちわかってるの?
それからそうですよ。末端ですが?
しかしそれは、支配機構、秩序の根拠と成すヒエラルキーの中のアリストであって、
全体のいちずけの中の末端ではないということにきちんと自覚すべきなんですね。
室町器における秩序は事実所守護代以下の当地体制で成り立っており、
事実上の有名無実化された職こそ守護家そのものです。
彼らこそ事実上の地頭といえるほど、実態権益は地に根ざしたものではありませんでした。
ので、実質、旧地頭層、さらに在地の地侍土豪層を被官化し、それに代わる経済価値を生み出そうとしていました。
それこそが、武家層(在地領主)の武家たる所以の一所懸命による契約による主従関係です。
わかりますか?無条件服従によるそれではなく、中世的契約による労使関係こそが、真の武家たる所以なんですよ。
そして、
773 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:17:47.56
室町期以前における支配構造は、非常に単純明快にできて居るんですね。
それは人類学上当たり前なんですね。人間である前に動物である人間は、
組織を単純化すればまさに、動物園の猿山と同じ、単純明快な末広がりのピラミッド型です。
非常に似ているものに、明治期の行政区の体系が挙げられます。
この明治期の行政区編成と、室町機の行政区は極端にいえばほぼ同じです。
中央により県(国)が置かれ、そこに中央(幕府)より派遣されし県令(守護家)が置かれ、
その県を約10弱の大区(群)にわけ、そこに大区長、当時藩の重心クラスがそこに就きまして、
それこそが、地頭屑れの国人層です。
さらに、その大区の下に小区を十弱の割合で起き(郷にあたる)そこには大庄屋、また藩の重心のどちらかが就任しており、
これらが中間層たる土豪の色合いの者たちだったものです。
その小区のなかに、戸長たる庄屋をおきました。(地侍)
ほとんど明治期の太政官府による大綱における行政区の編成と、
室町器における、自然的形成によりし支配秩序体系と瓜二つに合致します。
なぜ合致するか。そこに必然性があり、社会進化的に根拠をなすものであったからこそ類似性が親和するんです。
774 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:27:17.09
で、庄屋はたかが末端といいますが、まったんにかわりありませんが、
あくまで支配階層たるアリストの中での末端であり、
西洋においては庄屋を騎士といいます。
庄やは明らかにアリストの中の末端であり、
トリスターノと複合されるわけではないんですよ。
ですから、戦国期、下克上大名家のアリスト階層になった武士団が土豪地侍層であり、
それらの絶対数が少ないため、
中士以下のあの大量の人員補充はトリスターの階層から大量に流れてきました。
全部説明がつくでしょ。はい論破\_(^へ^)_/
マイナーというのはあくまで少数派で、勢力が弱いというものです。
地頭という集合の中で一番勢力のあったものの代表は当時力をつけていた郷司からでたようです。
当時において、郷司は郷長とことなって郡行政にしたがっておらず、国司に直接結びついていく傾向にあって
当然、郡司と郷司は同格程度の意味しかなくなり、地頭の最大公約数は郷司となりました。
そういう意味から郷の管理者をのちに地頭となった代表格として定義付け
それより勢力の小さな地頭をマイナーとしました。
学術上の名称ではないです。
それと守護代というのは守護の家のものが担うものであって
独立した領主である地頭とは別物ですよ
776 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:50:36.31
きみはあらゆる時代変遷の中でのもがごっちゃになっているようだね。
もう少し冷静に一つ一つ時代を追って観てご覧なさい。
そうすると、今自分が思ってるそれが、多重に重なっているということに築くはずです。
>>774 ちょっと気になったのでひとこと
騎士階級こそ地頭に該当するものです。
初期の島津氏や毛利氏の立ち位置です。
貴種の後裔でありながらふるわず、諸大夫には列せられず準貴族的な立ち位置にいる階級です。
庄屋や名主はそのさらに下、準準貴族、準準準貴族にあたり
西洋でいうなら、ナイト以下のジェントリ、ヨーマンにあたる田舎紳士たちです。
彼らは地主であり、地域を振興し、ことあれば中央にでて政府を痛烈に批判しました。
まあ、これもヘンリー9世以来の伝統があってのものですから、日本ではそんなものないですけどね
ドイツの貴族制度は複雑すぎるので軽々に触れない方がいいかと思いますよ
778 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 01:59:54.50
それから
>>775 きみはあらゆる時代変遷の背景の中の次元的偏重による誤認と、また、無知から来る盲信
まず、付け焼刃のウィキ解釈ではなく、冷静に見地した上で覚知することをおすすめします。
779 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 02:04:53.90
>>777
シマずや毛利のような大名家は、れっきとした西洋ではれっきとした貴族領主ですが?
厳密に王家の血を引いてる引いてないとか、そういうことを抜きにして、
大名家は極端にいえば大公にも準じますが?
貴族と騎士の違いわかってますか?w
もう少し冷静になられたほうがいいですよww
それじゃーだめだw
大名に発展するのは戦国期からだね
島津は鎌倉に地頭に補任されて以来勢力を拡大してきたふるつわもの
毛利は西国に下向して国人領主として長くすごすが、戦国期、たかだか50年間で中国地方をたいらげた
基本的な知識ももってないのか?
781 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 02:18:49.94
地頭も、西洋において、一概には絶対評価はくだせませんが、
帰属に主体が慨するものもいれば、いち騎士クラスのもいるでしょうが、
往々にして西洋の騎士は完全に地侍庄屋クラスの規模のものです。
あなたがいってるのは、階級としての概念なんでしょうね。
階級の概念は、日本には武家と朝廷などまるで西洋とはシステムが違ったりしますし、
下克上の成りあがりですら当地検まで持つようになるので、階級格差はまるで比較検討になりません。
あくまで、その主体に属する、付随する、領有する価値の比較でいxっています。
説明不足でしたね。
階級の意味合いは国によって制度が違いますので比較になりませんが、
付随する権利の範囲を比較すれば、ほとんど地侍土豪程度です。
日本ではこれらにあたります。確実に。
782 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 02:24:25.32
あなたのそれを言い訳といいますw。
いい?毛利や島津の家単位の栄枯盛衰の中での事例なんて一言も言ってないが?w
それらの初期がどうのこうのではなく
大名家は大公、貴族にほぼ同列といってるんですよ。
>>781 いやーないですねえ
中世的な意味でのナイトを論じているわけですが
ナイトは射手や歩兵とくらべて特権的な位置にいて、身代金さえ払えば殺されることはなかったし
そのシンボルである馬に乗るための訓練、そのための馬を数頭所有しており
またナイトは世襲ではなく、下層の富豪層たちが目標とすべきステータスの一つであったナイトですら
その全員がなれたわけではなかった。
ナイトからもれた富豪層たちが地主層を形成しするわけですが
こういった背景を鑑みると、名主や庄屋がこのレベルとは思えませんね
>>782 とにかく地頭層が戦国期に活躍した主体であって
名主や庄屋は足軽程度の役割しか担ってなかったってことです。
戦国大名の軍隊の構成員の多くはさまざまな規模、階層の農業関係者で、農村に土地や家や
親族を有していた。大量の無産者を抱えて直接扶養することを可能にする整備された徴税機構が
なかったし、無産者自体が多くなかった。
786 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 05:04:19.72
庄屋さえいない地域があるが・・・僻地かね?うちの母方の実家は山梨だが
寒村だったのか、そういった地侍層がいなかったのか庄屋はいず組頭がいろいろ
やっていたそうだが、おそらく庄屋は遠い所にいたのだろうけど、そういった地域
もあるということです。
大庄屋がいない地域ならザラにある。領主または代官が
村を直轄するシステムだ。
公文書に苗字が記されてないのはやはり苗字が公許されてなかったからにちがいない。
789 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 09:47:44.86
上にもあったが庄屋の場合は書かれる場合もあれば書かれない場合もある
室町期の名主やむらおさが
江戸期の庄屋・名主と必ずしも一致しないと思うんだが
一致するような場合でも、江戸期に庄屋で、室町期にも名主?だったらしい家があるんだが、室町期には守護代家のれっきとした家臣に名を連ねてたりしてるんだな
だからあ、庄屋が本来の武士なんですよ。下級武士は野盗、浮浪者、河原者の子孫なんです。
大部分が苗字帯刀も許されず長屋の一部屋に十人ぐらいが住まわされてたんです。大名屋敷よりも
大きい屋敷に住んでた庄屋とは格が違うんです。わかりますか?下級武士は武士じゃない。
上級武士も大名も戦国のドサクサにまぎれて腕と度胸でのしあがったヤクザの末裔。
庄屋こそが武士、つまり開発領主なんですよ、わかりますか?西洋中世ではこれを
騎士とかユンカーとか言うんです。
792 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 18:41:42.76
そもそも、一口に庄屋と言っても、同一地域でさえピンキリがあり、地域が異なれば
歴史的経緯も加わってますます様々なパターン、バラエティが広がって行く。
より細かいカテゴリー分けが必要だろうな。
しかし、明治以降言われて来た、江戸時代には士農工商の身分制度があったと言うのは、
ほぼデマ、でたらめであった事は明らかだ。
下層の武士は事実上庶民であったし、工商の上流は、下手な武家より由緒も位も上だった。
(京阪の農工商の中には、公家に出入りして、六位ぐらいの位階を持ってる連中はざらにいた。)
793 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 21:27:01.99
京都は徳川(関東)の武士なんて認めていないからな・・・あそこ別物
794 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 22:15:52.76
でも身分制はあったんだよ。
士農工商という四字熟語は明治になって使われるようになったんだろうけど。
795 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 22:33:31.80
文政13年(磐城平藩、城付27952石余、56ヶ村12町)
在・町独礼以上8名(在方4人、町方4人)
在方徒士格より帯刀御免まで37人 町方同、14人
在方苗字御免36人 町方同、15人
平名主、須賀番31人
在方惣小前2003軒 町方同、359軒
796 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 03:41:56.35
京都の富商の家に公家の次男坊、三男坊が養子に入ることも珍しくなかったし、
老舗だと鎌倉時代以前から続く所もあった。
京都では、サムライなんて言うのは、氏素性の卑しい暴力団風情ぐらいの存在だろう。
*
しかし、ほとんどの公家は貧しかったよ。下級武士と変わらない。
しかも、家格を超える出世の可能性がゼロ。
798 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 07:17:34.45
>>795平名主ってあるから、この藩では名主よりも格下って事なのかな
百姓町人でも武士になれたけど百姓町人も武士も公家には絶対に
なれなかった。やはり貴い人たちだったんだね。
800 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 08:27:15.81
庄屋は身分や社会階層ではなくて役職だ。世襲も多かったが
あくまで任命権は領主にある。村民から庄屋の不正弾劾や
庄屋更迭、庄屋公選の要求が起きたりもしている。
802 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 13:23:12.23
>>800というか平と付いてるから名主の中に上下があるのかなと。
社員は上から下までの総称だが基本的に名主は一つの役職
社長と平社長・・・微妙に違う気がするけど
任命権があっても実際に行使するか、できるかはまた別問題だったりするし、
飛び地があると、そっちは放任なんて大名家もある。
旗本だと放任の場合も多いようだ。
飛び地じゃなくても歴史的経緯とか社会的経済的事情で、
同じ大名家の領内でも同様のものとは限らない。
さらにこれに時間経過による変化もあって……。
>>795の場合は、名主の中で苗字を公称できないのが平名主ってことじゃないの。
同じ平社員でも対外的には主任を名乗って良いのと、
対外的にも平のほんとのぺーぺーの差みたいなものでは?
そもそも必ずしも地域一番の有力者ってわけでもないし、
確かに名誉だし権限も役得もあるけど、
いろいろと負担も多いから有力者がやりたがらない場合も多い。
で、地域内の上の下程度が押しつけられたりもする。
成りたがる場合も多いが。
そこそこ有力な家の互選だったり、交代制だったりとか。
それをすべて一律に語るのは無理でしょ。
806 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 17:14:18.37
>>804帯刀は兎も角も苗字を公称できない庄屋っていたのかな?
>>805>いろいろと負担も多いから有力者がやりたがらない場合も多い。
それは田舎を知ら過ぎる。田舎は見栄と虚栄で出来てる素朴な所も多いが
地方名家はやりたがらない仕事は確かに他に押し付けるが役職や肩書きは
絶対に手放さない。
807 :
795:2011/12/12(月) 20:59:11.79
>平名主
他の史料には「名主苗字無之者」とあります。
>>805、断るにしても即答は良くないみたいです。
手許の古文書の奥書より
(前略)長谷川忠蔵と云、苗字帯刀御免名主相勤、病死、
其子忠次苗字御免、名主役は若輩故他家にて相勤る、
其後忠次名主役被 仰付候処、御請不仕、即答に役儀相勤り兼候段
申張り候に付、苗字御取上げ、御咎め蒙り候、
当時(嘉永七寅)植木商などいたし、忠左衛門と云、此忠次の事也
「苗字御取上げ、御咎」とあるけど、成長後名主就任を前提にしての苗字御免だったとしたら
苗字取り上げはあたりまえだな。苗字取り上げと御咎とは別の処置だね。
809 :
795:2011/12/12(月) 23:09:28.08
苗字や格式は負担と一体って事でしょうね
別の史料には
一 坂本庄次右衛門
嘉永五子年十二月二十六日、
父笑(庄)左衛門勝手向不如意に付、格式・苗字差上度段、願之通申付置候処、
其方義、家業出精之趣相受、格別之御評議苗字差免す
>>808さま
`>苗字取り上げと御咎とは別の処置
どうやら,そのようですね
で、こちらは苗字は残ったみたいです。
一 大竹長次右衛門
天保十一子年二十三日町頭役申付、(中略)
弘化三午年十二月二十六日町頭出精苗字御免、
嘉永五子年十一月十九日、倅杢之助博エキ致し、
申付方不行届、町内不取締に付、町頭役取上、
押込申付候
811 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 20:52:21.10
>>801 頭悪いなーww
いいか?社会階層と役職は同列だから封建というんだよww
これを切り離して考えろ(キリ・・・・とかww
民主主義でも語ってるの?w勘弁してよww
812 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:04:05.30
>>783 いいえ、庄屋は騎士に当たりますが?
いい?西洋においては日本のような下級武士など存在しない。
で、ナイトは騎馬格というのではなく、そもそもの地侍土豪階層である騎士は格も何も
戦役負担のかわりに在地安堵の主従関係によるもの。
たとえば、クルセーダーズ戦役の際も、在地領主たる騎士は、単身か、一門で戦役を貸してる。
また、庄屋の前身である地侍土豪クラスも、応仁の乱や地元紛争の際、
ほとんどが単身か、一門。従者などいない。
各々が騎馬で奉公してるが?
いいか?和田氏などの大豪族でも、乱の際、出陣した人数43騎だぞ?
地侍土豪クラスのほとんどが、5人未満で戦役負担。騎馬で。
この時代騎馬格もくそもww
これが中世なんだよ?馬鹿なの?
あんな日本のような足軽下級武士など欧州では奴隷傭兵というものだろ。
いい?欧州の村長なんてほとんどが騎士クラスだが?
日本において村長もやはり土豪地侍庄屋だが?
中世の軍役負担も、土地を介した主従関係も、テリトリーもまるで守備範囲が同一ですが?
813 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:10:53.09
>>785 >>大量の無産者を抱えて直接扶養することを可能にする整備された徴税機構が なかったし、無産者自体が多くなかった。
↑
なんでお前さんは、ことあるごとに嘘ばかりつくの?
あんたまったく歴史知らないだろ?
信長直参の足軽下級武士長屋に住んでたやつら、秀吉浅野のような無産階層がどれほどいたと思ってるんだよ?
なんだ徴税機構って?www馬鹿のくせに難しい言葉使うなよw
鈴木の雑賀党や蜂須賀の野党どものあれだけの傭兵、何が有産階層なの?
なにをもってたの?長屋に閉じ込め、三度の飯と長屋提供する代わりに軍務を貸してただけだが?
それでもやりたいという階層が、足軽下肢としてのこった。
それでもやりたいとした者どもは、在地に何かあったと思ってるのか?
814 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:20:34.93
815 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:27:55.29
いい?西洋において日本の土地すら持たない持てない、屋敷すらない食い扶持ごときの下級武士足軽に当たるものが、どのような階級だったのか、
また、扱いを領主よりされていたのか。
これがよくわかる映画があるんです!!。
ジャンレノ主演の映画、「ビジター」というんだと思います。
またの名を「おかしなおかしな訪問者」という副タイトルだったように思います。
めちゃくちゃ面白いフランス映画なんですが、
フランス貴族?(騎士?)が西洋版下士足軽に当たる従者一人とひょんなことから現代にタイムスリップしてしまう・・・
という映画。この騎士の下級武士に対する扱いが、西洋の下級武士のイメージです。
よーーーーーく見て、野党上りというのは、西洋ではこういう輩だったということを、見てみるがいいですよw。
それで最後、この西洋版下級武士は、タイムスリップした現代で、誰と結婚したのか?w
非常によく比喩された面白い映画です。めちゃくちゃ面白いので、見てみるといいですよ。
西洋では土地すら持てない、屋敷すら長屋の下級武士など、どのような扱い受けるかw
816 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:35:08.65
富裕な庄屋などが実質的に下級武士より上であった事は間違いないだろうが、
じゃあ下級武士が庄屋にペコペコしていたかと言うと、そうでもなさそうだ。
年貢の送付が遅れると、領主側は柄の悪い足軽を雇って在所まで送り込み、
そいつらは庄屋の家に泊まり込んで、昼間から酒を喰らい無理難題を吹っかけて庄屋側を
困らせた事もあったようだ。
実質的には庄屋は足軽風情より遥かに上だが、役目が絡むと足軽を上に立てなきゃいけない場面もあり、
庄屋もなかなか楽な商売ではなかったようだ。
その庄屋とやらがたかだが数石三人扶持程度の下級武士として何家も立家させているのは何故だろう。
818 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 22:48:00.34
>>817 江戸中期以降はなwwかたでまの、はなたれ次男三男坊のしょくのあっせん程度だが?ww
徒歩程度にしがみつかなきゃ生きていけない、モノホン下士足軽と一緒にするなよw
次の資料見て、それでもそんな寝言こけるなら言ってくれないか?ww
819 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 22:52:32.69
正直すげー!武家屋敷なんかよりはるかに凄い
821 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 00:13:29.96
大都市となった城下町の一等地にある高層マンションや小じんまりとした一軒家。
これに対してド田舎のだだっ広いだけの土地及び家屋。
さてさて、前者と後者、どちらが貨幣価値が高いのでしょうかね。
823 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 00:27:27.39
「画像は拡大」して見てみろ。
凄さが伝わるから
在地の旧武家地侍庄屋って、下士足軽と、とてもレベルが格が違いすぎるとわかるからw。
江戸京大阪に出てくるなよ庄屋はwww
おおは自覚し下手したら首が危ういwww
825 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 00:29:50.26
>>822 ←なにいってんのこのカスww
今度は、現代の区画整理事情に置き換えないとくるしいの?ww
下肢足軽は、江戸期の交通事情や公示価格や路線価の関係から、
長屋に住まわされてたのか?wwww
一族の名にかけて成し遂げてみせる
>>812 バカですか?
和田合戦は鎌倉時代の初期じゃねえかw
地侍がでてきたのは戦国期ですよ、時代感覚がめちゃくちゃだなあいかわらず
そのころ庄屋レベルである名主階級は軍事にかかわってません
御家人といえど人別支配するほどの権力はないですから、動員数が限られて当然でした。
もちろん、和田氏の動員に名主は応えていません、おk?
あと、西洋の騎士階級というのは日本のような土地の御恩奉公の関係ではありません
王は直轄地だけが王のもので、そのほかは諸侯のものです。
諸侯の土地は日本で幕府が守護任命権があったのとは異なって、王はなんの指図もできませんでした。
ゲルマンにとって王とはリーダーや中間管理職程度のもので、諸侯の中で一番勢力をもっているもの、
程度の存在でした。アーサー王と円卓の騎士の関係もそうですし、カール大帝時代のパラヂンの関係もそうです。
単なる王との主従契約関係です。王がもっとたくさん兵を出してほしくとも契約以上の兵を要求すれば
いつでも騎士は契約を打ち切りにして反乱してもよかったそうです。また、単なる契約だからこそ二君に仕えることが
できたのです。
また、農奴は土地とセットの存在でした。土地を買ったらついてくる不動産のようなものです。
奴隷はこどもが生まれたら、その子をまた売ることが可能でしたが、農奴は家族を奪うようなことはできませんでした。
それが農奴としての特権だったからです。また、領主が変わったとしても農奴は前の領主と共に移動する自由はあり
ません、同じ土地で働き、土地で生まれたものはすべて領主のものでした。それゆえ奴隷的側面ももっているのです。
騎士は中世における最底辺の貴族階級で、世襲でないため貴族ですらありません
農奴をまとめる程度の特権しかもたない小地主の準貴族あたりが褒賞をもとめて王と契約をもとうとしたのが
騎士の実体でしょう。名主はもっと下です。
村の長や地侍クラスが戦国大名に出仕したら足軽だよ。
830 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 09:46:50.33
庄屋なら資金力で人を雇って小部隊長になるだろう。
831 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 10:56:21.28
>>819-21極一部だけだよこんなの
>>829チャウ!小作人を足軽にした騎馬。足軽大将の下で働くのだが・・・
地侍は一応騎馬身分
庄屋なんて公儀には勝てません
833 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 14:33:37.30
大庄屋、惣庄屋、千石庄屋等と庄屋とを区別しないから話が混乱するんだ。
835 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 20:54:47.58
大阪の陣の頃まではな。
地侍、国人、土豪、なんというかはともかく武装自作農の大きいやつだろ。
国人は地頭クラスのれっきとした御家人武士だ。地侍は農村の上層が
守護大名や国人の被官となって武士化したもの。将軍や公家から見れば
地侍は土民だ。
国人が御家人とは限らん。
地侍か国人かは時代により様々。
国人から地侍もいる。
838 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 23:07:31.61
>>834大庄屋と庄屋との間には質的な差は無いというのが一般的な見方
もちろん量的(所有地の広さ等)はあるけど
国人が御家人って…そりゃ逆に特殊な例だよ。
841 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 17:45:13.64
ウィキペディアは根拠にならない。
842 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 18:34:45.31
>大庄屋と庄屋との間には質的な差は無いというのが一般的な見方
格式は全く違うけど、質的な差って何を指してるんだ。
質的な差があるよ。庄屋は百姓で村の構成員。
844 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 06:37:31.26
よく言われるのは姻戚関係かな。大庄屋同士で姻戚関係があるだけなら別の階層
だろうけど庄屋と大庄屋は姻戚に関しては同等なので同じ階層と。
ただ、維新後は変化してきて多くの庄屋もそうであるが嫁は士族の娘とか
なのだが大庄屋は地方財閥や華族関係との姻戚が増えてくる一方、庄屋は
教員等を養子にしたり、かなり分離が進む
845 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 07:35:45.17
相変わらず、家格で言えばピンキリの庄屋大庄屋を十把一からげに語ってるし。
846 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 07:45:02.59
大庄屋も江戸時代通して代々って少ないからね
847 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 10:29:28.29
天領は途中で大庄屋は廃止になった。極一部の地域で復活したらしいが・・
>>845庄屋の家で家格の違いってあるの?唯の庄屋と馬廻り格庄屋の違いってか??
うちは庄屋の家系なんだが先祖を辿って行くと郡内や隣接する郡内等ほとんど
の有名な家(言い過ぎかもしれんが昔は養子にいったり、娘がいってその子供が
とか・・・)と親戚。地域的に格違いの庄屋がいなかったのかね?
848 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 11:57:30.15
>>828 足軽君こんにちわ。
年末なので、少し、本気を出して論述したいと思います。w
>>身代の大きさ=身分ではありませんよ
↑
この、武士信者が庄屋の力を見せ付けられたとき、常に隠れ蓑にする魔法の言葉
「封建」
最後は何でも封建社会だから、身代とは関係ないというこの論調を一気に、ハイ論破!!してくれましょう。
849 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:04:52.85
>>828 いいですか?
「封建」とは、
社会的序列、地位に比例した富や利権を集中させる社会。
また、列序に批准した社会の資源分配がなされる様をいうのですよ。
封建とはすなわち、身代に比例する資産分配がなされるものがアりストであり、
アリストだからこそ、利権や富が集中する。これこそが封建社会の根幹を成す定義なんですよ。
わかる?
では、
850 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:13:55.45
>>828 上記を踏まえてあなたの論述を聞かせてもらいます。
では、封建的序列こそ江戸社会であったというなら、
江戸封建ヒエラルキーの根幹を成す戦国時代において、
それまでの中世的パラダイムを崩壊させ成り立っている下克上身分にもかかわらず、
その身代においても、その封建的ヒエラルキーに比例した社会分配や利権を、
一切、集中も恩恵すら与えられていない、「下士足」。
これらの存在は、この封建的序列とおっしゃってるものが社会の根幹を成すといってる自身の価値世界の中で、
封建社会においてのこれらの社会的意義をどのように定義付けるのか、あなたなりの尺度で論じてください。
あ庄屋さま、続きを早く
852 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 13:08:53.82
中学や高校の歴史の教師程度じゃ私の足元にもお呼びませんよwww
学生時代の試験も私に一度足りも買ったことないでしょうしww
はっきりいって、中高の歴史教師程度じゃ秒速論破www
相手にならない。
853 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 13:13:56.66
>>827 >>地侍がでてきたのは戦国期ですよ、
>>西洋の騎士階級というのは日本のような土地の御恩奉公の関係ではありません
↑
西洋史の基礎すらわかってないのなら、黙ってろw。
わかる程度の日本史にだけ発言してろ
854 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 13:21:49.81
>>833 GJ
そのとおりだね。ナイス資料
庄屋というのは、あくまで領主との契約に付随する戦役負担。
下士足軽のような、無条件の隷属化ではないという事象の最たるものですよ。
>>845 そんなもの、地域によりけりだろ。
天領など代官は伊那等旗本が兼務することが多く、
幕領等では庄屋と大庄屋の差は極端に言えば、身代の大きさ程度のところが多い。
有名無実化。
庄屋と大庄屋の待遇(戒名、屋敷、名字帯刀など)も極端な差は認められず。
支配伝達の中継として、ワンクッション庄屋より大庄やが上に置かれてるという程度。
855 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 13:59:32.95
856 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 14:12:12.28
857 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 14:28:11.82
土民の代表が庄屋だね
858 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 14:39:56.09
859 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 14:55:59.37
860 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 15:23:22.02
>>858 残念、歴とした士族の出だよ。
お百姓さん。
スゴぽよ 凄すぎるぽ orz
862 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 15:36:45.71
>>860 だから?ww
俺の明治時代のばあちゃんちも中士の士族だったが、だからどうしたの?ww
足軽も漏れなく士族に誇り抱くくらいしかないの?w
百章で結構ww明治初期には庄屋は旧大名家より戸長に任命され、
昭和初期までずーと在地領主だからなwww
そんなもんイラネ
中間士族乙ww
863 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 16:34:57.39
>>862 残念、歴とした千石台の士族だよ。
お百姓さん。
>>863 嘘つけ、足軽ふぜいが。嘘じゃないなら証拠を見せろ。
867 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:04:57.33
なんだ動揺してるのか
あ庄屋様は
868 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:37:12.59
竹光差して侍ごっこに勤しむ足軽ちゃん可愛い
869 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:47:53.62
足軽と庄屋は釣り合いが取れてるからな。
870 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:51:21.07
あ庄屋の御先祖は剣術やってたの?
太郎スゴぽよ orz
873 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:09:24.41
百姓でも剣道ぐらいやるだろ。馬庭念流とか
足軽庄屋も武士と百姓町民の中間階層だってことがよくわかった。
庄屋太郎タソ、敷地だけで千石あるぽ orz
上からタロウ! BY秋元
イバ公の田吾作は自分の土地を買ったり、借りたりしてくれるところがなかったから、都市部を僻んでんだろうな。
878 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:43:24.83
879 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:49:34.48
今日はあ庄屋さまフル回転で楽しい
881 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:59:02.95
>>870 私の家では刀は蔵にぶっ積んで腐るほどあり、まったく大切にしていません。
甲冑も数対ありますが、
それよりも、屋敷の仏間のある部屋の壁に、戦国期より伝わる十文字槍が立てかけてあり、
これは家宝として代々大切にしてます。
じいちゃんは、槍術はやっていたのを覚えてます。
自分は、小さいころ剣道と弓道はやらされました。
弓引くこともできますよ。
小学生ながらに、的と射る場所の距離から、速度を求め、
自分の身の丈から打ったときの弓の引き具合と速度のおおよその関係を求め
その上でその距離でのほう物線を大体で求め、
そこから目線と的の直線より何センチ上に矛先を上に向けて打つことで、
的の中心にほう物を描いて落ちるのか。
というのを計算して打ってたこと覚えてます。
>>879 その大庄屋様の宿場が旗本奴の首一つでお取つぶしですが?w
883 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:10:20.04
>>880 わたしを論破できたらたいしたものですよw
>>882
やはり庄屋ほどの対戦相手は、寄り合いクラスの旗本でないと、不可能ですか?www
将軍家の威光つきじゃないと、庄屋とのバトル不可能ですか?www
だしょうねーー。結果そういうことなんですよ。
>>883 一代お抱えの同心クラスを大庄屋がフルボッコしても
家財没収 本人も打ち首ですよ?w
そもそも集団陳情や悪徳官僚罷免請求でも
簡単に大庄屋一家皆殺しってご存じないの?w
886 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:21:16.64
>>884 だったら、抱席御家人ごときの威光で、大庄屋を滅ぼした事例は?
>>集団陳述
村方騒動で庄屋が正義を勝ち取った辞令などありますけど?
土佐藩内で、庄屋が足軽をフルぼっこにしても、無罪放免だった辞令ありますが?
>>886 庄屋層だって賢いでしょうwwさすがに意味ないことやって滅亡したくないでしょうしw
ただ普通の百姓は凶作続きなら逃散できるけど 大庄屋はそうも出来ず
苦し紛れの一揆や直訴で首チョンパってことw
おまけに一家全員ですから悲惨すぎでしょう
>>886 外様の田舎大名の施政がだらしないだけです
有名な庄屋佐倉宗吾のときなんか 堀田家自身はお咎めナッシングですw
庄屋悲惨^^;
200兆円没収できる身分格差が凄い時代に
土田舎の庄屋ごときが 例えば幕府の代官手代挑発して本気で怒らせたら
名目上の四公六民をきっちり徴税されたらその庄屋はリンチだと思いますよ?
庄屋の屋敷が広壮で格式を認められたのはその身分の分をわきまえる絶対条件の下でです
分をわきまえぬと悲惨
それが江戸時代です
891 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:42:00.09
>>887 >>百姓町人を「無礼」とみとめれば、斬り捨てることもできた。
>>「斬り捨て御免」である。そして社会はすみからすみまで身分制度でつらぬかれた
↑
こういうのを知識足らずの歴史おたというんですよ。
だったら、江戸期を通して、下士足軽程度が、行政区の村長を独断で無礼打ちした事例だしてみなよ
前にも話したことありますが、島原の乱以前は圧倒的に立場は、庄屋>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>下士足軽でした。
事実、庄屋が下士を無礼うちにしてるケースもあります。
たとえば
http://www2.ttcn.ne.jp/~voce-someno.y/section1.html のように庄屋が江戸初期、下級武士を2人たたききった例もあります。
また九州のの旧武家庄屋のように氾濫につぐ氾濫があった。
その延長に島原の乱も起こり
幕府はその後、秩序の観点から、このような警告のお触れを出すにいたったんですよ?
>>891 それ一揆だろww
結果は悲惨^^;
戦国末期の慶長(又は元和)年間に、袋田の滝で有名な現在の茨城県久慈郡大子町の小生瀬村で一揆が発生しました。
しかし、時の為政者(徳川)に鎮圧されて一村皆殺しとなり、三百数十名が全滅したとの伝承があります。
>>891 下士2人の命が一つの村全員に匹敵したわけだよ あ庄屋君w
894 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:50:29.64
あくまで秩序の観点で警告として出してるだけであって、
行政区の長をむやみやたらに、下士足軽程度のこわっぱが、いつでもどこでも切り捨てて言い分けないだろかすがw
そんな藩がどこにそんざいすんだよ。
それにそもそも勘違いしてるが、
江戸期の庄屋なんて、藩執政と非常に仲良く、逆に藩執政と結託して村方騒動起こしてる事例が多いんですよ?
庄屋xって藩と仲いいから。基本。
執政は、下士程度の意見など一切取り入れなくとも、会うこともしないだろうが、
庄屋と村方騒動起こして悪政するほど、基本、仲いいですからw
藩主が直々に庄屋宅を訪れてる庄屋も多いくらいですし。
いつ藩と庄屋は対立関係だといいました?w
895 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:55:30.31
>>893 この生瀬事件に関して
当時水戸藩は、「佐竹家中の帰納庄屋に手を焼いており」
と書いてあるだろ。
さらに、この佐竹旧臣の庄屋は、水戸藩からの達しに「不服を述べた」とかいてあり
さらに、水戸藩兵150に対し、この庄屋は村一村でフル武装して戦いを挑んだと書いてある。
わかる?さらにこの一揆(合戦)は「数ヶ月にも及んだ」とも書いてある。
一方的な虐待じゃないんだよ。抵抗してるの。わかる?
江戸中期以降考えられないようなことが江戸初期、各地で旧武家庄屋は起こしてるんだよ。
九州地方はもっとすごいんだぜ?
>>894 封建秩序では下士も秩序の一員でいわば藩や幕府の威信を背負っているわけね
だから下士を庄屋が公に侮辱 暴行することは封建秩序 つまり藩や公儀への反逆なわけ
庄屋が勲功を上げて つまり反や公儀に長年忠節を尽くし莫大な献金などをして士分に取り立てられて
封建秩序の 士 に編入できない限り いくら相手が下士でも牢人でもない相手を見下せない
見下したら藩や領主や公儀に反逆することを意味する
わかるかな あ庄屋君w
君は故意に士分に組み込まれた庄屋とそうでない庄屋を混同させてるけどねw
>>895 で
その報いは大ジェノサイドww
あほですかw
つまり封建秩序はそれだけ厳しいってことです
薩摩のように実態は農村の職人でも士分は士分として君臨し
農民身分の庄屋は頭を下げて製品を購入するような自体が日常だったんですw
それこそ貧窮していて夏は蚊帳に包まってた下級の公家が 例幣使関連の役儀についたとたん
街道沿いの庄屋連中に威張り散らして賄賂せびり取ったのと同じことです
898 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:08:30.23
>>896 そんなの当たり前だろ。
戦国時代から金魚の糞のように奉公人してきた家中と、
入府した管轄地で、その在地にいる、藩にとっては外様のの土豪地侍と、
差別化はかるのが当たり前だろ。
ただそれでも、島原の乱前後は全国的に庄屋の一揆が多発している。
そもそも、封建秩序がなかったから、徳川による封建秩序が確立されてなかったから、
島原の乱が起きてるんだが?
そもそも庄屋は藩を見下してはいない。下士足軽は見下してたろうが。
で、先ほども述べたように、秩序の観点から、江戸中期以降
下士足軽のこわっぱが、一律底上げされたまで。
以前も言いましたが、彼らが勝ち取った権利ではなく、
島原に代表する在地旧武家層の徳川新興勢力に対する衝突反抗が多かったため、
政策として、切捨てごめんや一律底上げされたまで。
いいか?底上げされても、これら下士足軽の福利厚生や藩からの待遇が変わったわけでは一切ないだろ。
一切彼らの地位が向上したわけではないのに、江戸中期以降は庄屋より一律底上げされたまで。
庄屋の持ちすぎた在地権力の肥大化によってその粛清としてこわっぱが一律底上げされたまでだということな
>>898 だから封建秩序においては下士のほうが農民身分より上なんだってwww
個人や一族の富裕度なんて関係なし 淀屋の身代没収がよい例です
おまえは身分格差が個人的に悔しいからわざと目をそむけてるだけww
農民身分の大庄屋に士分の下士を公に侮蔑する権利はありません
900 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:20:08.92
>>899 ですからいってるじゃない。
逆を言えば、下士程度に庄屋をたたききる権利も、
下士程度の裁量で庄屋や村単位に威厳を求めることも不可。
かれらは武士ではないですから。
>>そこに富裕度なんて関係ない
江戸期封建体制は、秩序的封建のみで運営されてるわけじゃないと気づいてないから
君のようなメンヘラ低脳は、その秩序的区分にしがみつくわけ、縛り付けられてしまうわけww
わかるっかなーーー?wwそこが私クラスと違うところなんですよ
>>898 その反抗の結果は庄屋の一家惨殺だってわかってるよね?w
>>900 一揆以外で庄屋が下士殺した実例出してみて?w
903 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:22:47.04
>>902 一揆以外で殺してないなら、ただの殺人だろw
馬鹿なの?w
庄屋って封建秩序で下士以上なんだろあ庄屋君ww
農民身分が下士という士分殺した例出してみろw
905 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:26:52.87
>>904 >>庄屋って封建秩序で下士以上なんだろ
こんなこと言ってません。
>>900を嫁よ なんて書いてある文盲?w
ていうか庄屋の処刑比率半端無いだろ江戸時代www
完全に非常時の人身御供役だなwww
908 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:28:20.48
>>901 >>その反抗の結果
こんな結果論にこだわってるから、真の江戸封建の意味がわからないんですよw
わかる?
結果の前のその過程で江戸封建は反抗されてたんだろ?
>>908 だから江戸の極初期以外は 庄屋って非常時の生贄かつ貧困層の欲求不満解消役ですねww
910 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:31:52.80
>>907 お前は本当に頭悪いんだなw
俺の書いた文から、そう解釈しかできないの?ww
ゆとり教科書には、読解力養う教育されなかったの?
しょーべんする
江戸時代に一揆3000件!
数万人は処刑されてるだろ庄屋www
死亡率凄すぎwww
912 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:39:29.05
>>911 馬鹿だな。wwどうしてその表面的意味合いでの数値出しか分析できないの?w
その一揆の首謀者が庄屋だというのなら、
それほど江戸期、反抗の意思を実力を持ってアクションにかえられる地から持ってるのが庄屋だということだろ。
また、それほどの藩にとって粛清しなければならない相手こそ、庄屋であり、
それほどの在地特権を、その数値から持っていたという裏返しだが?
913 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:43:42.18
どうしたカスwww
俺クラスとディベートできるだけでもありがたいんだぞ?ww
俺クラスは本来時給が発生するからなww
ありがたいと思えよカスww
どうした?ww
百姓身分の庄屋は下士の下。
島原の乱以降、牛馬の扱いに等しい庄屋、百姓の待遇が改善されたのは事実だけど、
それは牛馬がいなくなれば税として実入りがなくなるのに武士が気づいたから。
綱吉の生類憐れみの令もこの流れ。
武士は百姓より上だよ。
917 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 20:51:36.68
いいか?お前程度にもヒントをやろう
以前から言ってるが、庄屋と下士程度は、秩序的区分以外では圧倒だよな?庄屋様は。
なぜだかわかるか?
江戸期封建とは秩序的区分だけで運営されてるわけじゃないから、一見このような矛盾とひずみが起きてるわけ。
江戸期封建体制を秩序的区分という一側面でしか見分できないから、
君たちのようなものは、この矛盾を解き明かすことができないわけ。
わかる?中学高校どころか大学の歴史おタ先生程度じゃ、ここまでのこと教える力ないぞ?ww
その上で
>>850の質問の↓
では、封建的序列こそ江戸社会であったというなら、
江戸封建ヒエラルキーの根幹を成す戦国時代において、
それまでの中世的パラダイムを崩壊させ成り立っている下克上身分にもかかわらず、
その身代においても、その封建的ヒエラルキーに比例した社会分配や利権を、
一切、集中も恩恵すら与えられていない、「下士足」。
これらの存在は、この封建的序列とおっしゃってるものが社会の根幹を成すといってる自身の価値世界の中で、
封建社会においてのこれらの社会的意義をどのように定義付けるのか、あなたなりの尺度で論じてください
これに答えられたとき、江戸封建体制の真意が紐解けるんですよ
>>917 悔しいのは理解できますが何万人も処刑されてる役儀なんて庄屋くらいですのでw
おまけに連座で家族皆殺しとかw
下士のほうが貧しくてもましですねwww
>>917 ヒントでなく、ズバッと紐解いてやって下さい。
誰も止めません。
庄屋様だけは勘弁だなww
苦労して丁稚からなりあがる商人のほうがずーーッとましwww
豪商のほうが庄屋よりもずっと豊かでいい生活してるよ。
必死に禄を貰う下士にでも加えてもらおうと願い、藩の末席に並ぶことを最上の誇りとした庄屋。
江戸期、時代が下るにつれ、彼らの動向を見ると泣けてくる。
923 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:01:48.85
>>918 何万人とかほら吹いてるようですが、その何万人も処刑しなきゃならないほど、
幕府は恐れていた存在という裏返しです。
中世魔女狩りの真意と一緒ですよ。
恐れからくるものなんですよ。
パードックの社会進化論のなかの、社会的規範性パーソナリズムという解釈にどんぴしゃで当てはまります。
>>919
ばーーーかwwなんで俺クラスの男が、ここまでの大学教授ですら教えられない理論を
丁寧に教えてやらなくちゃいけない?wwww
>>920 足軽乙
>>922 一揆で内応するのも庄屋層w
だから打ちこわしの標的になった
上級武士の株は買えないから下級武士の株を買ったんだよ。
>>923 あのー
家長が磔レベルの重罪の場合 家族も連座するんですけど?w
大体数人の庄屋が処刑されるとして家族含めたら何人になると思うんだょアホww
武士から見たら庄屋も水呑みも卑しき百姓町人だよ。
無礼を働いたらぶった斬っていいのw
928 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:07:30.85
>>921 それは一概に言えない。マー下士?ぷっ 程度よりは数億倍ましだろうが、
庄屋は、一人村長。
ようは大名家の縮小版というほどの村内のすべての権限許されている。
経済的マネジメントで流通を牛耳りたいと思うのなら、うきしずみのFX感覚で挑む商人のほうが向いてるだろうが、
パブリックマネジメントをダイレクトに牛耳り、在地の繁栄と名声を牛耳りたいなら庄屋だろうな。
929 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:14:02.28
>>924 打ち壊されるほどの富の集中が可能だから打ち壊されたわけ。wwわかる、ぼ。ん。く。らwww
>>925
そうだなww糞下士株なんて、藩のフランチャイズ戦略のお布施普請程度の扱いの価値身分だもんなwww
そりゃー豪農様のハナタレ三男棒の食い扶持程度の斡旋職になるわけだww
つまり百姓は武士の下だってことだw
931 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:24:13.40
あ庄屋さま…百姓代のオラの為にも足軽をフルボコに論破… バタッ
932 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:25:06.41
>>927 それは、昭和時代劇価値観の今現代の世界ではなw。
真の現実で卑しきと思し召すものは下士足軽ですからww
昔なんかのユーチューブみたいなサイト見てたら、
男が「元豪族の館だそうだよ。すごいなーでっけー」
とか実況しながらカメラ回してて
「イヤー立派だねーー豪族って殿様なんですかねーー?」
と散々言ってたのに、途中、同じ観覧者かガイドか知らないが
「ここは庄屋三の屋敷ですよ」
と声が入ったとたん
「庄屋?百章の?うそでしょ?なんで百章がこんな屋敷すんでるの?(鼻笑い)」
といいはじめ、
その旧豪族庄屋の館に展示されてる甲冑をみたとたん
「百章の癖に調子乗ってるでしょww」
とかいってた動画を見たことある。
今現代は、庄屋というだけで馬鹿にされ、鼻で笑われる存在にまで時代劇のおかげでなったが、
今現代の価値観な。これ。
そんな百姓が、
http://www.youtube.com/watch?v=TmDSqCAxoEk ナ屋敷住めるわけないだろ。
>>932 だからそれは封建秩序内で士族に忠実な使用人で納まってる場合です
凶作が続き飢饉ともなれば年貢減免の人身御供として家族全員処刑が
哀れな庄屋の運命です
>>928 江戸時代って凶作結構多かったんだけど?w
村人が餓えれば庄屋一家はたちまち年貢減免の口実のために。。。。
935 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:37:08.80
>>930 いいか?
士、脳、商とは三つの独立したヒエラルキーを形成しており、
これらが対になってるわけでも連立しているわけでもない。
庄屋は武士というそこに帰属する、内存に身をゆだねて、すがってかってるわけじゃないだろうが。
モノホン下士は、その下士というそれ自体にすべてを依存してる存在媒体だろ。
依存しなきゃ食っていけないものと、主体は他にあっての庄屋とどっちが上田と思ってるんだよかすがw
お前ら下士は、その藩から武士扱いされないそれにすら依存しなきゃ生きられない主体なのw
その価値すら失ったら、全国ふらふらして浪人という野党にまた逆戻りだろ?ww
庄屋のほうが上に決まってるだろwww
武士は百姓の上だよ。
938 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:40:24.19
>>931 俺は江戸封建の真髄を知ってる。論破されることはない。たとえ大学教授でもw。
まかせろ舎弟w
>>935 意味不明です
階級格差をまったく理解されていないのは理解できますが
厳しい実例を挙げると江戸時代において穢多の支配層は
弾家は10万石格 頭程度でも大身旗本くらいの格とそれ以上の
富強を誇りましたけど彼らが平民と等しく扱われましたか?
穢多数人で平民一人分の命とされていました
それが身分格差というものです
まぁ古来生贄には本番の時までかなりいい思いをさせる風習が世界中にあったそうですが
庄屋の贅沢も考えればそういうものですねw
940 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:43:48.03
>>933 だから、じゃあ、なぜ使用人風情だというなら、その使用人程度が
奉公人風情ごときの下級武士様のあの長屋住まいより、下手すりゃ大名藩邸波の屋敷に住めてる事実があるんだといってる。
封建秩序はどこえいxった?ww
イバのキチガイは学者の話が理解できないようです。
庄屋が地元でいくら威張っていても一旦武士に逆らえば
「百姓ふぜいが!」でしかないのよw
943 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:46:08.26
例えそうであっても、直参旗本にまでに上り詰めることができた頭は、
一概にそうだったといえるものではないですね。
庄屋が後とり以外のせがれに下士の株を買い与えたのも
おそらく他家の人間になれば連座にはならないだろうから
なんか哀れだよね庄屋って
946 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:50:30.96
>>941 末端の下士乙
学者馬鹿は、厨房の歴史教科書鵜呑みにするくらいしか歴史解釈できないんだろ?
お前さんは、その学者自体がなに言ってるか理解できてないだろww
邸脳乙w
>>942
だったら岡藩の千石庄屋の矛盾を説明しろよかす
妥協させてやってんだよ庄屋様は!!
庄屋以外で江戸通年とおして、下克上なりあがり大名が譲歩した階層は庄屋以外にいるの?
庄屋は幕藩領主の末端の支配機構として置かれたんだ。譲歩がどうたらこうたらではない。
949 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:57:13.84
>>878 あんたは他人と見れば足軽扱いにしないと気がすまないのか?
お前さんとは以前も別のスレで話しただろう。
うちは代々一千石台の士族で、
義兄(姉婿)は北関東の大庄屋の家の生まれだと。
また、義兄の家屋敷は国の重要文化財に指定されてるとも、外車商社で有名な家は義兄の家の元番頭だったとも話したはずだ。
ちなみに明治以降は俺の父方の家も母方の家もみんな上級士族同志で婚姻を重ねてきてるよ。
だが今はそんなうちの父方、母方の一族も義兄の家もサラリーマンや公務員や教師だらけで一般人となんら変わらんよ。
兎に角、あんたみたいに口角泡を飛ばしては「足軽、足軽」を連呼する人間のメンタリティが不思議で仕様がないんだが?
950 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 21:58:48.88
その末端機構に岡藩は譲歩してるんだが?
支配機構の末端であって、
その支配機構にすら置かれてない、不浄奉公人が言えた義理か?w
千石もなんで管轄地を与える必要があった?
そんなカスならなんで成り上がりの分際で、捻りつぶさないんだよ?
家中の誰より管轄地与えてんだろうがw
952 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:02:16.06
>>949 んなのシラネw
2ちゃんの足軽乙・・というくらいの煽りにも耐えられないカスが、よく2ちゃんなんかやるよね?ww
2ちゃんの挨拶程度にしか思ってないが?w
953 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:06:16.75
>>951 なんなの?ばかなの?逝くの?ww
あのさ、庄屋のどこに、非常な役が含まれてる?
中世以来の在地特権しかないが?
御家人の不浄役人のほうがよほど人身御身だが?
954 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:08:08.24
>>949 でも立派だよ君の家。
まー本当だと信じてるよ。
別に疑ってはいない。
で、君の学術的考察を聞いてるんだよ。
>>953 一揆の後処理における庄屋の死亡率は異常www
おまけに家族も皆殺し
一揆で死ぬのはほとんど庄屋一家だけwww
956 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:10:55.88
>>955 うそこくなよw
一揆での志望は庄屋だけというソース出せよww
普通に田んぼ作らなくてもいい扶持で 庭で畑やって
内職で稼いで あとは趣味の世界に生きれる下士最高だろ
凶作続くと家族全員処刑におびえる庄屋生活なんて最低
959 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:13:06.09
>>957 釣り乙wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
960 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:15:31.10
>>958 >>この度の一揆は処刑された殆んどが庄屋級でなくて一般農民であることが注目される。
どんだけ庄屋に気を使ってるんですか?w
961 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:18:56.51
つーかまじ、畳一畳、6畳3人詰めの間借りなど
下士足軽、どうして帰農しなかった?帰農できなかったのか?という待遇ですよ本当に。
>>960 そこ一揆常習地帯だから庄屋全滅だったりwwww
964 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:26:14.28
あのな、
江戸封建体制下とは、
@秩序的封建(徳川幕藩体制の国体護持のために、そのための秩序を誇示せんがための支配秩序
それすなわち、抑止力としての切捨てごめんと、あくまで対面上、表面上の秩序、
すなわち足軽以下一律底上げによる、「治安」としての秩序封建
そしてもうひとつ江戸封建体制の根幹を成すものが存在するといってるんだよ。
あくまで上記は 「治安」による支配体制の誇示による秩序的封建区分のみ。
わかる?その根拠は、
965 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:37:08.88
庄屋とは村長
末端とはいえ行政区のひとつを担うもの。
明治期、太政官府による行政区の形成は、
県令、→大区(郡長)、→小区、→戸長
という編成になってる。
そのとおり、庄屋は村長たる戸長だよな?
で、江戸期、この村長が、足軽下肢等の、役なしの非常勤現業職より下にされたわけだ。
いいか?わかる?
江戸期、徳川の都合のみで、「治安」という秩序の一側面の固持のために
故意に捻じ曲げられた支配秩序ナだけであって、明治になxって即適正化され、
大区の郡長たる藩執政クラスのすぐ下に小区および戸長という庄屋が置かれてるよな?
わかるよな?江戸期の下肢のような、治安という一側面の秩序固持に必要性がなくなったため、
適正化されたんだよ。
わかる?室町以前も、庄屋クラスの「土豪地侍」が、奉公人の下肢足軽よりしただとされた試しなし。
江戸期の中期以降のみ、徳川の「治安」による秩序体制の強化の目的により、
このようなひと時のねじれ現象がおきたまで。
わかるか?
966 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:37:18.43
あ庄屋さまだんだん余裕がなくなってきてるように見受けられる。
ここのところクルセーダー以来のキャラもかなぐり捨ててるw
967 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:39:28.10
968 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:47:58.68
ぶよう「クルセーダーよ 私の負けだ」
相方「勘弁してくれ」
クルさん
ぶよう負債を引退させた実力を見せてくれ
969 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:48:40.12
俺はもう時間がないのだw
仕事も年度末が過ぎたら辞めるつもりだ。
当てもない。なにもない。
しかし現状維持しても何も残らない。
後は、庄屋こそキングオブ支配階層で、
中世以来、現代総理大臣にいたるまで、一貫して普遍的地位に納まっている庄屋。
庄屋は下士のような奉公人風情とは格が違うという根拠と歴史の真髄を示した後、
後は放浪に出ようと思うwまじで。
行き着く先に自身に結末を導き出すのであれば、その意思に素直に従王と思うwまじで。
人間頭だけよくてもだめだなwと思う。俺はもう年度末過ぎたら、旅に出る。
イバはどこの学校にいてたの。
一橋くらい?
973 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 22:56:47.79
>>970 一揆という非常時のみをもxって人身御身とは言いません。
いつ庄屋が不浄役人といわれました?w
>>971
私は中退しましたが、全国トップクラスの大学ですw
自分で言うのもなんですが頭よすぎてもw考え物ですw
まったく人生うまくいかないwww
唯一の武勇は過去の学生時代の成績のみwwwこれが現実です
974 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:01:43.20
あ庄屋時代の「(県内トップ高校)高卒」
から
「一流大学中退」
に「進化」されてますな、あ庄屋さま。
975 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:02:01.48
>>973 ホント身分格差認められないんだなwww
たまにいるよね。
いい年した大人で予備校で何位取ったとかわけのわからない自慢話してる奴。
あーゆーのは痛すぎて見てられない。
あ庄屋って格差が嫌いなんだなw
979 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:06:39.10
高校は県内どころか、全国有数の進学高ですよ。w
そのころが花だったぜw
大学も全国トップクラスの大学だが、糞つまらない学科のため何年も留年して中退した。
それ以降というより、成績以外でうまくいったためしがないww
仕事も年度末まで仕方なく続けるが、もう俳人寸前だなw
まーでも、君たちよりは圧倒的偏差値だとわかるだろwwwってなww
980 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:11:42.86
>>978 ゆとりでないなら、学生時代、全国学力順位こそが、人間の価値という教育されただろww
981 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:13:03.61
庄屋って結局は農村の管理人
江戸時代以前 鎌倉以前の荘園の管理人と同じ
だから一揆のような反逆の時は真っ先に責任とわれる
磔とか晒し首なんてもう羞恥刑もいいところ
家族も連座でご自慢の大邸宅も没収ww
士分なら磔なんてありえない
重罪でもせいぜい斬首ですので
名誉刑の切腹が基本
庄屋は晒し首www
984 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:16:59.11
全国トップクラスですよw宮廷異学部クラス順位のw
あ庄屋は祖先譲りの身代で優雅に暮らせばいいんだ
あ庄屋っておそらく先祖が一揆の後始末で磔にされたんだと思う
987 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:27:21.71
>>983 結局のところ、西洋でも領主層は、在地を開拓、インフラと密節にかかわりを持つものが、
在地領主層になっています。
鎌倉期においても東国における武士団は、在地開拓領主層です
江戸初期も↓に書かれてるとおり、
http://www.asahi-net.or.jp/~CN3H-KKC/shiro/ichinoe.htm >>土地に土着し屋敷を構えたと
>>されています。その頃の一之江周辺は江戸川下流部の湿地帯や原野だったのですが、田島図書が
>>率先して新田開発をしたので、代々に渡って特権的な地位を与えられ代官のような役割を任され
とされ、
明治期においても
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/106/02.html ↓
「名主庄屋」を名望家と評し、こうかかれています。
@近代の地域社会において一定の名望を備えている人々のこと
A名士・徳望家・素封家・旧家などと呼ばれることも多い。
Bその活動は政治・経済・文化など多方面にわたる
C明治初期には区長・戸長(こちょう)などの公職や、多くの名誉職を兼務していた。
D一定の行政能力と地域社会をまとめる才覚を持っている
Eまた充分な経済力を保有
F地域産業の発展に寄与している
G地域社会への慈恵的行為を常に怠らなかった
H更に高い教養を持つ
I地域文化の担い手になっていること
いい?古今東西、時代の変遷を追っても、庄屋がグローバルスタンダードで在地領主と解されるのは必定なんです。w
988 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:30:44.18
>>985 いまどき百章なんて食えないでしょw
農地開放でほとんど財産などないよw
TTPでもっとひどくなるんじゃない?w
>>987 で
切腹した庄屋っているの?w
羞恥刑の磔や獄門ばかりでしょ?
990 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:34:18.36
>>983 それから、大名家も藩内のいさかいが拡大化すれば、責任を持って改易だが?w
庄屋とお殿様は、性質が似とるの〜〜〜wwww
いやーー大名家の在地縮小一家独占媒体といったところでしょw
>>990 大名には獄門や磔にあった方はおりません
江戸時代に入ってからですが島原の松倉だって斬首です
庄屋で切腹はいないですよねぇwww
992 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:40:09.16
>>989 中世期に切腹してる旧武家の庄屋は腐るほどいるだろうがなw
それも、かくゆう「治安」という一側面化における秩序固持であって、
統制された差別化が士のブランド力を支えていたわけで。
逆に言えば、そのような既存的差別化が図られていなければ、
下士等の厳しい状況下においても、優位性を意識させるクオリティーは
非常に低下します。ネームバリューのみの価値しかない、実益0の下士以下は、
まさに、そのような意識的優位性を保たせる以外ほかにないんですよ。
実益がないんだから。
>>992 江戸時代の庄屋のほとんどは農民身分であり
士分になれた庄屋も一揆などの時には士分として扱われなかった
庄屋は結局 農民っていうことで^^
994 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:46:09.39
>>993 農民身分であり・・・ではないんです。
農民身分にされてはいたが、その農民身分でありながら・・・・
と、論文書くときに書かないと、江戸封建体制化の真髄を、真意を提唱することはできませんよ?ww
995 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:47:50.50
西洋でも商人あたりが爵位を得たのなんかごまんといるし。
てか中世後期からはそんなのの方が多い。
秀吉の屏風が見つかったオーストリアのエッゲンベルク城主家ももとは商人だ。
997 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:53:00.08
切腹は武士に限らない
百姓もやってるし女もやってるよ
998 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:54:40.15
>>995 フランスにおいては特にそうですよね!!
しかし、クルセーダーズ戦役後、中世社会は、日本のような
封建体制は事実上崩壊し、軍制も一律に改められてます。
貴族でも一般階層の将校より下なら逆らえません。今とほとんど変わらなくなっていきます。
そして、重商主義の発達で、西洋においては、国家の基盤が近代と同じように変化していきます。急速に。
よって、西洋の中世以前クラスの時代的変容に過ぎない日本は、
軍事面のみ肥大化した江戸下克上のような新興勢力というのではなく、
西洋においては時を同じくして、近代的重商を中心とした新興勢図となったわけです。
999 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:56:02.38
>>989 ワロタw
義民なんたら五郎とかみんなそうだよなw
1000 :
日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:03:22.20
ま、庄屋も水呑みもおなじ百姓っつうことで
1001 :
1001:
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