524 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:37:34.04
>>518 それも地方財閥は大昔からの旧家で地方役人は呑百姓出身という構図だろ。
525 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:50:24.13
藩とかなんとかどうみても江戸時代以降の話ばっかりやね
江戸時代の武家なんてもう武士じゃねえぞあれ
武道ってなった時点でもう武士の名を借りた振り
526 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:57:54.10
江戸時代はいろんなとこの開拓とか進んだけど例えば藩ごとの商業政策とかやってるが
もはややってるの商人と同じ、アイヌ問題やらも蝦夷地の開発関連で起きてるからな
国後あたりの新しい産業、アイヌの減少も商業関連で富の差を使って漁師とかがアイヌ
の女たち買ったのが根源
527 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:39:03.60
>>525 源平名門大名や徳川将軍家、旗本吉良あたりまでは武家でいいよ。
528 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 18:53:14.04
>>525 その通りなんですよ
江戸時代の武士なんて武士じゃないですよね!
よほど豪農のが武家を彷彿とさせる
江戸時代の藩士は武家にあらず!
あんなの戦国時代以前こそ江戸藩士が元呑農や雑多でしょ
529 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:00:42.98
まあ武家というのは高家や寄合レベルの旗本までにしてほしいわ
武士は中世以前からの地侍レベル以上を言うてほしいわ(名主庄屋層)
江戸藩士はいい加減軍人という扱いにすべき
江戸藩士はは大半が元は雑多層からの成り上がりなんだから、軍人とか自衛官という扱いにすべき
真の武士階層は在地の名主庄屋豪農層也
530 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:15:52.28
531 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:33:08.33
532 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:34:23.44
なんでウィキが正しく表示されねんだよ
533 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:47:44.76
ウィキが表示されないが
江戸成り上がり基準だと、
武家の正統にして武家の棟梁たる足利公方家すら武士扱いせず平民とかふざけてんだろ
何で江戸武士程度が、源氏の正統平島公方家より武士扱いなんだよ成り上がり基準はさ
ありえないわ
534 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:57:33.83
それいえば和歌山であったなんとか団体の抗議とかもあったじゃん
和歌山にいたのは新宮党の連中だぞ、南朝にも絡みそうだな
535 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:03:44.72
海野氏の祖と言われてるらしき貞和親王が住み着いたって逸話もみつけたし
サンカ関連で騒いだのもあったな
どういう経緯で騒いだのかねえ?
吾妻五郎が全国の源氏を数えてる記述もみつけたけどさ
536 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:05:02.45
どうみてもなんらかの正当性が絡む話だろ
537 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:11:28.00
とにかくあの辺は系図関係がいくつかの数家だけで保存されてたらしく
戦国時代の騒乱の中で失われてるらしいからねえ
地元で800石クラスの新田開発をした元戦国武士(800石超えると幕府から証明書がもらえるらしい)
の家の持分が20石程度と知って微妙な気分になるよね。管理は任されたらしいけど、どいういう配分になるんだろうか?
私財を投げ打っての開発で20石程度しか得られないのかね?
20石丸々年貢免除なんだろ
20石=20俵=玄米1200キロ=上白米840キロの収入になる
800石-20石=780石=780俵
780俵から年貢を納めて273俵=上白米16380キロが手元に残る
780キロ+16380キロ=17160キロが収入
条件がわからないから何とも言えないけど。
いろいろあるよ。
4人で、開発費100%出資
許可もらう
人集めたり・作業を指導
完成
20*4石土地もらう(普通1割)+720石分近隣百姓に売却
新田の管理業務(主に水利)
新田は、初年度無税で、段階を経て標準課税になる。新田耕作要員
確保のため。
9割売却は強制。理由は、新田開発請負人の大地主化抑制。
新田開発すると水利系で従来の田と紛争が起きやすいため。
4人と思ったのは、普通は1割(80石だから)。
>>540 普通、売却はしないだろ
売却せずに水呑に小作させるだろう
売却したら開発した旨味がない
免租されたのが20石
租税負荷対象が780石
というのならわかる
>>541 > 売却したら開発した旨味がない
デベロッパーの存在意義を否定するのか。
江戸時代にディベロッパーという概念はない
新規に開発した土地を所有して、百姓ならその一部を自分で耕作し、残りを小作にやらせる
開発者が商人なら、全てを小作にやらせる
お上は開発させて新規に課税対象地を増やし、収入を得る
新田地は本田畠よりも、税率が優遇されていた
>新田地は本田畠よりも、税率が優遇されていた
土が出来上がるまでの最初の数年は収穫あまり見込めんしな
収量の少ない土地は少なめの税率が普通。免除もありうる
田畑永代売買の禁
>田畑永代売買禁止令
これ今でいう親告罪で、特に訴え出るものがなければスルーされていた
武家の次男坊三男坊に親が田畑を購入して農業させるってのが普通にあったしなぁ
田畑を質草にして流してしまうというパターンもあったり
新田開発した耕地を早々に売却した事例はあったのか?
禁令に触れることが前提の開発が認可されていたのか?
>>547 無いと思うよ
基本的に民営の新田開発は利益目的の投資だから
農民だって売りたくて田畑売る奴は稀
レス538の場合、代官見立新田と土豪開発新田のチャンポンっぽいね
代官見立新田(代官による新田開発)の場合、代官は新田からの年貢の1/10貰える
800石(4公6民)なら320石の1/10で32石手に入る
新田なら税率はもっと低いだろうし、20石は妥当なライン
北田屋新田 請負った2名に1/10を与えて残り売却
>>550 請負った者に売却する権利があるのか?
開発主体は発注元である殿様じゃないのか?
>>549 これ、売却じゃなくて新田開発を請け負って1/10の土地を報酬として受け取っただけじゃないか
こりゃ村請新田か町人請負新田になると思う
あと、江戸期なら新田の開発は藩主か幕府に届け出るのが決まり
石高の増加(税収の上昇)につながるからね
553 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 12:23:29.87
うちの先祖は旧武田家下級家臣の傍流で200石の新田開発を行ったが天領であった
為か庄屋になっただけだった。他藩だと200石レベルなら苗字帯刀や郷士への
取立ても藩によっちゃあるらしいがね。年貢が安いのがせめてもの救いか
554 :
日本@名無史さん:2014/05/25(日) 13:08:05.43
まあ天領だと帯刀や郷士は石高に限らず不可能に近いほど極小だよ
555 :
日本@名無史さん:2014/06/01(日) 01:16:07.79
親戚の家(庄屋)が某藩の城普請で寄付したので一時宮使いして武士だった時が
あるのだがその後苗字帯刀はない。どっちが良いんだろうな?
>>538 資金を全部自分が出したのとは違うんじゃないかなあ。
大阪の鴻池新田なんかだと、158町の開発を鴻池が出してるけど。
江戸時代って、人口が急増したのは、大規模な新田開発のおかげだね。
戦国時代もかなりやってたみたいだけどね。
関ヶ原とかが田んぼになったのは江戸時代なんだろな。
領主が田んぼをぐちゃぐちゃにするわけないし、隣の領地でやったら
百姓にも恨まれることになるし。
関ヶ原自体は竹中氏の所領だったんだっけ?
558 :
日本@名無史さん:2015/01/25(日) 16:21:06.11
559 :
日本@名無史さん:2015/01/25(日) 16:53:27.76
>関ヶ原とかが田んぼになったのは江戸時代なんだろな。
>領主が田んぼをぐちゃぐちゃにするわけないし、隣の領地でやったら
>百姓にも恨まれることになるし。
領主は旗本の竹中氏で、戦後に家康から見舞金みたいな名目で米を補償されてる。
うちの100超える婆さんが、ご近所さんのことを家来言ってるんだけど、ボケてきたの?
確かに家は江戸初期に帰農した名主だったようだけど、お迎えが近付いてるのか、ご近所を下げずんだり、農地解放の愚痴ばっか言ってる。
>>560 お前んちのばーさんがボケたかどうかを2ちゃんで聞くって、
お前がボケてきてるんじゃないか?
江戸初期?
400年農民してて家来って・・・。
565 :
日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:05:19.23
>>560 家来という表現がよくないんでしょう
「うちの小作さんや」とか「おとこし(家の雑用係みたいなん)さんや」とかそういう感じなんだと思います
でも、そういうことを言うようになっていらっしゃったってことは
自分の若いころ「いとさん」って言われて育ったことを改めて考えると
今の状況が酷くなってきたってことではないでしょうか
ちゃんと自分の家の格式とか残ってますか?
周りの家から今でも、「あの家はここらでは一番の〜」とか言われるような家ですか?
そういうことをおばあさんは嘆いていらっしゃるんだと思いますよ
566 :
日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:57:59.20
でも、戦国時代に滅ぼされた大名家とか、
旧家臣の帰農家に花印のついた旧家臣であったと証明する書状を送っている例は江戸中期以降かなり存在する
>>566 「でも」って何に対して反論してるんだよ。
568 :
日本@名無史さん:2015/02/01(日) 12:25:14.47
>>567 「つまるところ」などの言葉を選ぶべきでした
紛らわしいことを書いて申し訳ありません
うちの地方でも小作のことを家来って言うな。
へー。
571 :
日本@名無史さん:2015/02/02(月) 19:41:39.57
まあ、明治以降の寄生地主は高利貸しや商人あがりだったんですけどね
>>571 農地を買うのは資金回収率が悪かったんで
街中に家を買って借家として運用したって話は聞いたことがあるな
自分のところの地元の廻船問屋は地主をやってた例が多い
そこで取れた米を北前船で北海道に送って、海産物を仕入れて戻ってくる
取れた農産物を使った交易で利益を上げていた模様
あとは造り酒屋やってた家も地主だったという話
今コンビニやってるわ
血統書付きの庄屋の娘