純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
2 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:18:37.22
いらんのに。
3 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:20:26.44
>俺の親には両親が二人。その祖父母達にも両親が二人。
>俺の三代前の先祖は八人。その八人にも両親がいる。
>六代前だと六十四人。それぞれ二十五歳で子供を生んだとして六代前が百五十年前。
>十代前だと二百五十年前、先祖の数は千二十四人。
>二十代前だと五百年前、つまり戦国時代突入前。先祖の数は百四万八千五百七十六人。
>遺伝子は両親から受け継ぐ。男系だけの遺伝でもなければ長男と次男の区別も無い。
>二十代前の百万人からたった一人からの流れだけを先祖とする。
>これに価値を見出す科学的根拠が無い。
先祖は徴兵されて戦ったので武士。
6 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:31:13.79
赤紙だな。
大日本帝国は物凄い平等主義だよな
華族様でさえ赤紙召集されたら一兵卒
ところでみんなの家は赤紙組?志願組?
8 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:43:42.47
ウチの先祖は日露戦争以来誰も戦争に行ってない。
町内会の活動はしてたが。
うちは超幸運な事に誰も戦争行ってない
高祖父、曾祖父、祖父ともみんな徴兵年齢とズレてた
>>1 >>先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
『正し』→但し
いくら2ちゃんのなかでも再底辺スレとは言え、釣りミエミエでみっともないから訂正しろ
大学の図書館に県別の名家とか地主とか実業家?の一覧が載ってる本があって
その名簿には士族とか平民とか神官とかの階級が載ってたよ
12 :
大室寅之スレ:2011/09/17(土) 08:37:30.61
14 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 10:51:28.78
大丈夫。皆さん立派な平民です。
15 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 11:17:17.48
で、庄屋と武士はどっちが偉いか決着ついたの?
まだまだ白熱したバトルをみたいんだけどwww
武士と呼べるのは自衛隊員だけだ。
右翼やヤクザは武士じゃない。
18 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 16:52:43.77
>>11 >大学の図書館に県別の名家とか地主とか実業家?の一覧が載ってる本があって
>その名簿には士族とか平民とか神官とかの階級が載ってたよ
本のタイトルがわかったらぜひ教えてください。
県立図書館なんかには必ず県内の人物名鑑みたいなの何冊かあるよ
それ見ると軍人や役人なんかは全員載ってる
戦前のなら出自まで出てる
我が家も曾祖父がでてたけと「清和源氏義光流の家系で〜」とか書いてあって噴いたw
何処からそんな話し出てきたんだよ
20 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 18:47:59.58
>>19 ありがたき情報。
明治の軍人(将校)だった先祖を調べに行ってみよう。
21 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 19:03:27.82
先祖が藩士とか村役人だと、名前をググるだけでも詳細が出てくるかも。
俺の先祖は備中岡田の中間さん。
22 :
大室寅之名スレ:2011/09/18(日) 07:32:16.52
長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を持っている
苗字なしは0.7%(147人に1人)(江戸時代の人口3300万人としたら22万4千人くらいが苗字なし??)
卑弥呼の時代には苗字は無かったんだろうな。
苗字ってのも渡来の文化なのかもな。
>>22 苗字は全員持ってるよ
名乗れなかっただけで
山窩や非人は分からんが
25 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 16:34:55.84
山窩ってなに?
>>25 山に住んでいたと言われる集団
山地を移動して定住しなかった
明治以前は平地と隔絶された生活をしていたから大名などの支配を受けず
年貢などを払わないし公式文書などには載らない、言わば日本の外にいた集団
明治になってからはそう言う生活は認められず、全員戸籍に入れられて普通の人になった
山窩?なんだそりゃ?
28 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 18:59:21.20
サンカは熊とか狩って暮らしてたんだろ?
岩手・秋田あたりにいるイメージだけど、東北以外でもいたの?
29 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 20:56:34.97
山窩ってよく知らないがマタギのことなの?
>>28 >>29 全国にいたと言われるが実態はよく分かっていない
炭焼きとかキコリも山窩だと言われる場合もあるけど
単に山の中に住んでた人間全般を指す場合や大和民族とは別だと言う説まである
山窩は穢多や非人のような差別的な呼称だから余り好ましいものではない
31 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 03:27:19.41
>>30 昔、コンビニによく置いてあるタブー漫画で読んだことがある。
第一印象はジプシー日本版って感じ。
32 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 06:58:16.71
>>27 2008年をもってサンカの末裔は消えました。(消えたといってもトケコミしてなにげに都会の会社で働いてます。)
なぜなら彼らはひっそり隠れてくらさなければいけないのに
ネットが普及したため場所特定され困るから。
(サンカとは「人間の顔した宇宙人のこと。とくに多いのがシリウス星人)
サンカは3代でトケコミしたあと芸能界 政界 スポーツ界 吉原福原チャンネー界隈などにも多い。
シノガラといって秘密をまもって現代社会に生きているが強固なネットワークがある。今はケイタイ、
ネットのメールなどで連絡しあうがそれがなかったころテレパシングで仲間と集まったりする。
(サ×カの木×カ×ラが広島サンカアイドルパ×ュームを紹介するなど。。
オオモト(ア-モト)広島「大本姓」(ノッチ)は
サンカの「オオモトジメ」(サンカの親分)のこと。サンカは戸籍がないから苗字がない。パ×ュームみたいに
したの名前で呼び合う。石井一や重村一など一とかいて(はじめ)と読むのはサンカの長(オサ)のこと。
サンカで「数字」とは「時間軸」のこと。彼らは4次元時間軸で生きているから
人里離れた160キロくらいの山道を平気で1日で日帰りする。(テレポテーション)
33 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 07:06:07.56
サンカの女性はたまらなく『美人』が多いです。 (銀色もしくはブルーのオーラ)(紀子さまクラスの美人。)
僕は「右脳」に優れているので「あっ!このひとサンカだ!」ってすぐ直感する。
(サンカは基本人間のツラした宇宙人だからテレパシングする。)
何がスゴイってサンカの女性はあまりにもセックスがうまくてたまらないから。。。
ただここで誰がサンカとは言えない。いってもいいけど誤解されるから。。。(すぐ逃げられてしまう)
彼らは隠れて暮らしている。時の政府(明治新政府)に人類より進化しすぎて誤解され迫害されて
カワイソウナひとたちなんだよ。サンカは。。
34 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 08:40:53.86
なんか気持ち悪いやつがいるな
ヌルーで
36 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 11:36:43.48
サンカというと病人が湧いてくるなw
サンカのドキュメンタリー、つべにあったんだけど消されてるな。
38 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 14:22:31.73
サンカとか宇宙人信じてるレベル
>>33 馬鹿登場w
会津藩士の血を引くキコが美しくみえるのは中身を知らないからだ。
まあ、山窩は都市伝説レベルだわな
色々話題になったこともあるが結局みんな捏造だったし
41 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:27:18.99
もし壬申戸籍が見れて自分の先祖に「土人」とか「流人」とか書いてあったらショックだろうな。
42 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:31:15.01
壬申戸籍?ばかじゃね?
43 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:51:55.48
「ばかじゃね」という身分はなんだ?漢字だと場加邪根かな??
44 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:55:22.26
鎌倉ぐらいからの家系図がうちにある
江戸時代の参勤交代の写真とかもある
どこまでルーツを辿れるだろうか
45 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 21:58:17.36
小作人「う〜む、先祖代々小作人というのもなぁ…」
小作人「!!家系図を作ろう! え〜っと、オラの先祖は山城の殿様…いや家老の方がリアルで信憑性があるか…」
小作人「オラの5代前の先祖は庄屋を務めていたが没落して小作人になった…っと 出来たっ!」
数百年後…
子孫(29)「ちょwww俺の先祖って元は武家かよwww2chで自慢したろうで」
46 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 22:09:34.61
で、結局は士族の末裔ってそんなに居ないのかね?
47 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 22:25:52.50
そりゃ士族は絶対数がすくないから
圧倒的に農が一番でしょ?
あとさ、ここで小作人がどうとか書いてる人いるけど譜代奉公人など小作すらできないやつもいたことを少しは思い出してください
小作をやるにも労働力として家族が必要だからね
譜代奉公人とかは独身だろうから子孫は少ないかも
>>44 それが本当に参勤交代の写真だとしたら歴史的発見じゃないか?
>>46 嫡流で人口の約10%らしいから多いだろう。
50 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 22:45:13.11
江戸時代の写真は特に歴史的でもないんでないの?
我がご先祖ながらかっこいいけどね
参勤交代の写真が本当にあるのなら大発見です。
新聞に出るクラス。
参勤交代の行列が長時間じっとしていないと当時は写真は撮れなかったから。
53 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 23:01:29.55
>>44 幕末期には参勤交代も緩和された筈だから、写真があれば
>>49,
>>51の言う通り大発見!
おおかた明治になってから横浜あたりで作られた(外人向けの)観光土産
54 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 23:11:45.95
>>46 三男の五男の・・・、女系の・・・、という自称士族が多いのが2ちゃん。
本来士族の戸主とその扶養家族までが士族の範疇。
分家だの女系などは問題外
55 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 23:29:24.66
>>44 まあ画像をうpってごらん。いろいろゴネルと嘘つき呼ばわりされるから
56 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 23:59:02.40
シリウス人
こちらこそ、よろしくお願いします。
まず宇宙人というと地球外生命を思い浮かべると思いますが、
地球人の中にも宇宙人が姿を変えて暮らしている(サンカ)ことをお忘れなく。
シェイプシフターとしての彼らは、
何食わぬ顔をして社会に溶け込んで(トケコミ)いますが、
彼らの目的は地球を観察するだけでなく
情報を母船から母星に送信する役目も持っています。
57 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:03:54.21
>>54えぇ〜!、折角ひいばあちゃんの実家から貰った文書(幕末〜明治)に「久松大蔵少輔家来」と書いてあったのを発見。
これで俺も武士の子孫だと思ったのに(ry
仕方が無い、名主の子孫で我慢するとしよう
58 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:11:26.63
曾祖母の実家なら親戚だけど、あっちはあっちで嫡流があるだろ。
そもそも名字も違うだろうし。
基本、自分の名字の先祖が武士の場合は士族って名乗ってんだよ。
うちの集落では我が家が一番古いと言われているけど百姓だし特別なにも残っていないから良く分からないかった
だがこの間、正保年間に描かれた絵図を図書館で発見
それを見たところ我が家の半径500m以内ぐらいに家が一軒もない
どうやら伝承は正しかったようだ
ちなみにそれには名前が記されていたから、検地帳で照らし合わせて見たところ10町歩ほどの田畑を所有していた事も分かった
なかなか頑張ってたな御先祖様
何代目かが売り払ったのか今は畑田も4町歩程度しかない
あとは山ばかり
>>58 曾祖母の実家とか、親戚と言えるのは親の代までだろう
余程仲が良いか、もしくは親戚付き合い大好きな人でもなければ普通は親戚付き合いしない
61 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:26:38.65
>>60 仲がいいか悪いか知らないけど
俺が言う親戚とは血縁でのこと。
まぁ、曾祖母の家系を出して自分は武士と言うのも図々しいが。
62 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 03:06:10.12
公家の名跡を買ったという苗字なのだが、買った高祖父よりも前の系譜がわからない。
高祖父の実家はわかっているのだけど。
そんな場合、俺の先祖は公家でOK?(幕末の身分的には士族)
63 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 03:28:40.93
>>62 高祖父が武士なら、先祖は士族で家柄は公家と思う。
64 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 07:36:32.48
>>57 それよか「久松大蔵少輔」のほうが気になる
柳営補任の索引じゃ、それらしいのが見当たらない?
65 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 08:44:00.76
松山城
66 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 09:08:27.92
>>64 の自己レス。
多古藩らしいが、久松であって松平姓でない点が気になる。
明治なら、久松で可だが官位は停止じゃないのか? 過渡期?
教えて、詳しい方
67 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 09:19:57.39
>>62 本当に公家なら分かるでしょう。いろいろ公刊されてるよ
>>54 教えていただきたいのですがうちの場合、
高祖父まで代々武士で明治生まれの曾祖父はその武士の三男。
私はその家系。
この場合、私の家は武士の家系ではなくなるのですか?
69 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 16:30:05.93
>>68 今は制度そのものがないのだから、論じても仕方がないのだが
「士族」というのは士族の家督を継いだ惣領とその扶養家族だけ。
分家したり、嫁入りしたものは士族ではない。しかし養子先や
嫁入り先が士族であれば士族。
貴殿は制度上の「士族」ではないだろうが、武士の家系を名乗る
のは自由
70 :
68:2011/09/20(火) 16:58:30.53
早速のレスありがとうございます!
昔むかしの先祖が武士だった、というところですね。
ありがとうございました。
71 :
57:2011/09/20(火) 18:07:03.98
>>66 久松(松平) 勝行 多古藩代七代藩主
wikiによれば
「戊辰戦争時の慶応4年(1868年)2月、徳川氏との訣別を示すために姓を松平から久松に改めた。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還で多胡藩知事に任じられるが、直後の8月に死去した。享年38。跡を長男の勝慈が継いだ。」
だそうな。
72 :
44:2011/09/20(火) 20:21:02.62
>>55 すいません、44だけど正確に言うと参勤交代で江戸に来た時に撮った写真らしいです。
刀差してキセルを持ってポーズとってる写真なんです。
竜馬みたいでかっこいいですよ。
73 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:55:32.65
>>72 それなら問題ない。世間に割とある。御先祖が著名な人物
(幕末の志士とか)でない限り、特別な価値はない。
家宝として大事にして下さい
74 :
64:2011/09/20(火) 21:09:09.36
>>71 ありがとうございます
結局なにを言いたいかというと「久松大蔵少輔」という記述に間違いが
なければ、その文書は明治初期のきわめて短い期間の成立したものと
推定できる、ということ
(後年になって、危うい記憶をたどって書いたようなものでなければ)
75 :
日本@名無史さん:2011/09/20(火) 21:25:05.02
丁髷姿の先祖の写真とはすごいな!
モロに丁髷で侍姿の先祖の写真は我が家には無いが、明治初期の一揆鎮圧か西南の役の際に撮影したらしい鉢巻きに筒袖で両刀を指して肩口に「福岡県士族○○」という布切をぶら下げた写真がある
その後はキリスト教に入信したり学校に勤めたりしたらしいが最終的には太宰府近くの山を切り開いてわずかばかりの耕作地を得て農民になった。
その土地も今ではほとんど他人の物になっていて新興住宅地の外れに家屋が一棟あるだけでる。
1000町歩の土地を有する大庄屋だった我が家には幕末からの写真など腐る程あるわ!
むしろカメラごとあるわ!
木っ端侍ごときでは足下にも及ばん
77 :
57:2011/09/20(火) 22:37:41.49
>>77 署名だけで使い道がわかるわけないでしょ。
文書の中身のほうこそうpしないと。
79 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 02:18:12.54
81 :
74:2011/09/21(水) 08:29:23.13
>>77 材質やサイズも分かりませんので何とも?
上にゴタゴタ書いたものをまとめると
1.久松氏は江戸時代は松平姓なので「松平大蔵少輔」
2.「大蔵少輔」始め従来の官称は明治2年7月には廃止の筈
3.
>>71さんの紹介したwikiが正しければ、写真のものは
慶応4年2月から明治2年7月の1年半の内に作成された
ものと推定できる
82 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 09:22:15.08
>>76 庄屋様〜せめて一枚だけでもうpをお願いしますだ〜
83 :
57:2011/09/21(水) 19:04:53.59
>>81 横123mm縦246mm、の切紙です
朱印の大きさ66×66mm
貰った時には「御墨附」と書かれた紙に挟んでありましたが、
虫穴の位置等から元は「御印鏡入」と書かれた包紙に入っていたようです。
おそらく戊辰戦争のどさくさに領内の協力者に便宜的に与えられたのでは?
と思っています。
なお次の代?の栄一郎は名主から伍長、戸長となっています。
84 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 00:02:45.07
足軽「こら〜庄屋〜、オランちよりも立派な家建てたな〜(≧∇≦)」ポコポコ
庄屋「フヒヒwww拙者、帯刀しておりますが暴力反対でござるwww」
庄屋と言えば長屋門
我が家は米屋
87 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 14:40:42.20
実際問題として江戸時代からの長屋門は少ない。明治以後が圧倒的・・・
88 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 16:17:13.39
部落の家って見た目豪華な家が多いよね。
立派な門構えやどぎつい日本庭園にしてたり。
89 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 16:41:41.91
水呑百姓の子孫が何で大学に来てるの?
授業中落ち着きがなくやる気がないなら来なくてもいいのにと思ってしまう。
ゴキブリと一緒で頭数だけは多いよねぇ。
正直、辟易としてしまう。
90 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 18:58:07.47
結局 最終的にはアフリカの先の方から出て来たエテ公の親戚の「ルーシー」にたどり着くんだろ?
サベツもクソもなんもないわな。
>>87 うちの方は江戸時代からの物が多いよ
改築して見た目は新しい物も多いけどね
火事や台風の被害で新築した所もあるけど、少なくとも「偽物」は一軒もない
92 :
日本@名無史さん:2011/09/23(金) 02:24:03.83
>>91 へー凄いね!貴重だなぁ。
行きたいからどこか教えて下さい。
93 :
日本@名無史さん:2011/09/23(金) 05:00:44.05
オッス!オラ、小作!
いっちょ耕してみっか!
小作料3倍だぁーー!!
半島の日本人比率とかどうなってるんですかね
95 :
日本@名無史さん:2011/09/23(金) 11:44:22.54
年貢玉
みんなー!オラに米を分けてくれーー!
96 :
57:2011/09/23(金) 19:09:16.14
日本人浄化計画
98 :
日本@名無史さん:2011/09/24(土) 17:32:06.52
「臣」という苗字の家が40軒ほどあるそうなんですが古代からの渡来人なんでしょうか?
ご存知の方がいれば教えてください
うちは秦なんだけど支那系?
小作ダンスって小作人が舞う豊穣の踊りがルーツなの?
102 :
日本@名無史さん:2011/09/25(日) 18:24:16.22
>>99 「臣」とは古来日本では役職の階級だったもの
大臣や大君など元々は朝鮮王朝で使われておりその文化を朝鮮渡来人から学んだもの
と思われる
それを苗字として子孫に残したものではないかと思ったから
確定的な根拠などない
だから聞いてみた
当時の渡来人の名にはなかったようだ
その後いつの時代にか名乗ったのかも知れないし
そのような事とは一切関係ないのかも知れない
日本人の名前か、在日の名前かも分からない
だからもし分かる人がいたならと思いここで訊いてみた
>>102 日本の苗字は10万ともそれ以上ともいわれているから、個々の例に
ついて判明するか否か、盲亀浮木というものだ
ただ「臣」が史料上に見えないものであれば、オミやヲミの可能性
も疑ったほうがいい
「藤原」って名字ってどうなの?
>>104 御承知の通り、嫡流は近衛・一条・・・なのだから
傍系傍々系傍々々系傍々々々系
藤原氏が勢力を誇っていた頃に別れた支族か、
仮冒も多いらしい。
>>104 末端の傍系も姓をそのまま名乗ることは余りない。
近い過去に土地の名前辺りを付けたんじゃなかろうか。
108 :
日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:52:22.82
松尾って名字はどう?
地名を苗字にするのは平安時代から鎌倉時代あたりが多い感じ
110 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 01:02:56.98
>>103 「おみ」と読むらしい
「間人」と書いて「はしゅうと」という人もおり調べたが由来は確証できなかった
「たいざ」に古くから在住していた人たちの子孫でもないように思える
聖徳太子の母の子孫でもないと思うが・・・
>>108 単純に松の生えてたところ、もしくは
松尾大社がらみだろう
うちは武田
信長の子孫らしい
松尾大社は宗像大社の系列だが、その宗像という名前は宗像大宮司家由来なのか?
114 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 21:44:19.97
松尾社社家、伴姓、清和源氏頼政流、桓武平氏柘植氏流など諸流多し。
松尾はこういう家みたい↑
115 :
日本@名無史さん:2011/09/27(火) 22:50:14.38
庄屋様〜
>>113 【宗像氏】
三輪氏と同族、大国主命の神裔と伝えられる宗像神社の大宮司家を中核とする筑前の名族。
大化改新後、筑前国宗像郡大領を兼帯した家柄でもあり、後裔の宗像氏実は鎌倉御家人となる。
建武3年九州西走の足利尊氏を宗像社に迎えて、以後北朝側で活躍することになる。
戦国時代は大内氏と提携して大名化するが、天正14年宗像大宮司の正統が断絶して近世以降は庶流の深田氏が系嗣して明治に至る。出自については、清氏の宇多帝皇胤説が存在する。
117 :
日本@名無史さん:2011/09/29(木) 22:13:12.76
>>91すごいな家の地方じゃ唯の門自体が珍しい。天領なんだが門のある家は
代官の宿泊等の名目があるとこだけだな。後は明治の廃仏毀釈で各地の寺からもらって
きたものが大半。長屋門自体は存在しない
118 :
日本@名無史さん:2011/09/29(木) 23:32:04.68
俺の地元にある長屋門は明治期のものだよ
昭和後期に建てられた立派なのもあるけど部落の家だし
庄屋様の家にあるのは江戸期のものだけど
二本の木と扉だけのシケた門(←かえって通行の邪魔ww)だよ
119 :
日本@名無史さん:2011/09/30(金) 00:29:49.40
この間うちの家紋ってなんだろうと気になって父に聞いたところ隅立四つ目だと
その際「そういえば先祖に坂本龍馬暗殺した人いるよ」と言われてたまげた
佐々木只三郎って人らしいんだが本当に坂本龍馬暗殺したのか?
120 :
日本@名無史さん:2011/09/30(金) 01:15:49.83
Wikipediaに載ってるレベルの人を先祖に持ちながら、その人を知らないとは残念な子孫だなw
121 :
日本@名無史さん:2011/09/30(金) 01:33:57.28
いやまあWikipediaは読んだけどイマイチ信じられなくてな…
うちは曽祖父の代で没落したそうで日本刀とかも残ってないし
なにより家紋のこと聞くまでうちの先祖は農家かな程度にしか思ってなかったからw
>>119 佐々木姓の家紋はほとんど四目結だから、NHKあたりから仕入れた
父ちゃんにかつがれたんじゃねw
江戸時代たいていのところで、百姓身分の長屋門は禁止だった
明治になって禁が解けたので、かえって急増した
124 :
日本@名無史さん:2011/09/30(金) 08:08:30.31
>>122 多分そんなとこだろうと思うw
ただ笑ったのは佐々木只三郎と父がそっくりだってことw
まあ常識的に考えて、刀とか古文書が残ってなくても
旗本の子孫だと菩提寺に墓が数十基とか
過去帳に先祖がうじゃうじゃとか
曽祖父さんあたりの遺物に士族とあるとか
何らかの痕跡はあるよね
父が地元嫌いで親戚付き合いとか全然してないから確かめようもないんだよね
まあとにかく話半分で聞いとくことにするよ
127 :
日本@名無史さん:2011/09/30(金) 17:16:38.99
祭祀を継いでる家(多くは長男の家系)以外の子孫って、そんなもんだろう。
あと、「先祖」って言ってもよく聞くとその人は子孫を残してなくて、その兄弟姉妹の子孫が「うちの先祖」と名乗ってたりはするな。
>>125 旗本は案外分かりにくい
分かりやすいのは交代寄合ぐらいかと
旗本は殆どが定府だから土地との結び付きが弱い
明治維新で江戸を追われて静岡に定住した家はまだしも、地方を点々とした家も多かったから
そういう家は何だかよく分からなくなってしまったようだ
うちは一応旧華族だけど、華族だからと言って何も得した事はないな
話のネタにすらならない
現行で出世してる分家の方が100倍は有名というのが現実
「ああ、〇〇さんの家の?」
「いえ、その隣です」
この会話、何万回やったか分からない
130 :
日本@名無史さん:2011/10/01(土) 00:50:52.21
最近TVで有名になった奈良県五條市大塔町って平家の落人?
逃れて山間部に隠れ住んでいた集落?
131 :
日本@名無史さん:2011/10/01(土) 01:27:48.69
>>129 まあそんなもんだよね。
うちも華族だけど、出世した分家の方が偉そう。
一応、本家を立てるとはいうけれど、墓を改修したお祀りの時、本家の当主の次に分家の当主がお参りしてきた。
普通は、本家の当主夫人・前当主夫人、次期当主の3人の次だと思うのだけど?
「皇室を重んじ云々」とか偉そうに言うくせに、皇后よりも先に三笠宮がお参りするような式次を強行するなんて…
132 :
日本@名無史さん:2011/10/01(土) 14:54:42.55
うちも正真正銘の士族の家系
アジ歴にも俺の先祖(明治初期〜中期頃)の史料が沢山あってびっくりしたほど。
士族の血を受け継いでいると言っても何の特も無いし、普通と変わらん。
自分の家や親戚を見回しても大して出世した奴は居ないなぁ(笑)
まあ、唯一このスレで自慢する程度だね( ´∀`)アハハ
>>130 「平家の落人」ってよく言うけど、平家の落人伝説はあるのに平氏の落人伝説が無いのはおかしいと思う。
河越氏など滅ぼされた一族の残党がいるはず。
なんでもかんでも「平家」ってことになってるのでは。
134 :
日本@名無史さん:2011/10/01(土) 23:03:47.41
雪だるまみたいな墓は何時の時代のものですか?
。←脱着可
○←きれいな楕円
○←きれいな楕円
□←台
って感じの墓です
>>134 墓石は時代と言うか宗派によって形があるんだよ
>>134 現物みないとなんともいえないが、
五輪塔の部材を寄せ集めたものではないか
落人と言うと何でもかんでも平家なんだよなw
138 :
日本@名無史さん:2011/10/01(土) 23:27:34.78
>>135 宗派は臨済宗
>>136 全長(脱着可の小石も含)は約70cm
あと、江戸期っぽいですが先端の尖った墓(同じく約70cm)もあります
140 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 00:14:44.42
>>139 雪だるまには何も書かれていない
先端の尖った墓は戦死墓を小さくした感じ
戒名は釈○○って彫ってあった(居士・信士といった語尾は無し)
141 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 00:29:54.14
↑○○は解読不可能という意味です
>>136のいうように五輪塔だとしたら
年代観は空輪・風輪(二つで屋根の上の団子みたいなパーツ)か
火輪(屋根みたいなパーツ)で判定されることが大いので
時代を知るのは絶望的かな
「先端の尖った墓」っていうのはイメージがわかない
143 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 00:35:10.63
>>142 今、酔って語彙が乏しくなっているのでごめんww
先端が尖った墓と言うのは戦死墓の縮小版の様なものです
144 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:58:00.16
145 :
日本@名無史さん:2011/10/03(月) 23:02:58.30
自分の母方の祖父が、藤原っていうんですが、
しかも出身地が、「流刑島」だったところの島みたいで、
悪いことをした人の子孫なんでしょうか?
どこの島か分からんと何とも言えない
147 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 10:41:23.77
>>140 昔は知らないが、釋○○って浄土真宗の定番だよね、墓石そのものに彫るものかどうかはわからないけど。
ちなみにうちの先祖のお寺に江戸時代のものは20基くらいありますが、全てがその寺の宗派のものではなかったよ。
そんな可能性もあるのかな?と思いまして
148 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 20:57:30.27
>>147 ありがとうございます。
墓を改めて見ると江戸期の墓は22基
確認出来る一番古いのは元和2年の墓です。
語尾は禅定門が多く、数基が信士です。
並び方は一列ですが年代はバラバラです。
調べると安曇族なる集団がルーツらしいのだがそこから先がどうも見えない
150 :
日本@名無史さん:2011/10/07(金) 21:07:51.59
俺はやっぱり小作人の子孫は嫌いだな
彼らが自分に不利益な事をするとつい語気が荒くなってしまう
151 :
日本@名無史さん:2011/10/07(金) 21:29:58.83
前ここの人が同じ姓で同じ土地で関係がないとは言い切れない
とか書いた人がいたが本当にそうでした。
江戸期以前の祖先の歴史が気になったので郷土史を調べていたが
12世紀ぐらいに京都から来た修験者が改姓したことがわかった。
最近どうも苗字を変えた可能性があるかなと思い始めていたので
どうりで調べても全く出てこない訳でそういう人もいるかもしれませんよ?
勝手に繋げてるものがほとんどだけどな
由緒書なんて大概は江戸時代のものだし
言ったもん勝ちみたいなもん
153 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 01:04:01.16
大庄屋様〜大庄屋様〜!
154 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 01:29:33.83
>>152 それは有名な一族とかの場合でしょ?
うちはそういうわかりやすい者ではないからなあ。
うちにもいかにもインチキな由緒書あるぞ
内容もしけてるし、なんでこんな中途半端なもん作ったか分からないレベル
156 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 01:55:00.41
江戸初期、百姓の禅定門はよくあるものですか?(場所は広島県の山間部)
157 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 12:06:05.51
初期は戒名自体珍しいでしょ。戦国時代は禅定門が一般的だったらしい(少ない中でね)、
居士が付いてると、まあ江戸時代に入ってから付けたかな?という感じらしい
金のあった家だと思う
158 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 20:01:07.18
うちの由緒書なんて和気清麻呂の家臣とか書いてあるぜ
160 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 03:41:53.53
個人の過去帳より墓石の方が重要なんじゃないのか。
161 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 12:22:17.54
162 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 13:58:10.77
うちのジサマは北海道の滝川市出身。家紋は丸に立ちおもだか。
北海道だからよくわからん。なにかわかる?
163 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 15:46:50.34
>>162 毛深いですか? そうなら間違いなく・・・
164 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 16:25:14.84
いやふつう。色は白くて鼻は高いかな。アイヌではないよ。明治以降食いっぱぐれた末端士族かなとおもうんだけど
166 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 19:57:56.95
おもだか紋
と苗字
立沢瀉紋が士族だという話は聞いたことがないし、
同じ苗字でも士族もいれば農民もいる。
だから、一概には言えない。
しかし、北海道への移民の状況を鑑みると、
末端士族や士族の二男三男の可能性も高いと思われる。
移住した時期によってもある程度推測できるかも。
168 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 21:35:30.58
そっかぁ
おもだか紋が結構な根拠だったわ
ありがとう
何言ってんだこいつは
うちも北海道だけど調べたら簡単に分かったよ
仙台藩士で大崎市の辺りが本拠地だった
館跡の住所も分かったので今年の3月6日に見に行って来たけど別の人が住んでいた
館はなかったものの(400年前だからあるわけないが)近所の人に聞いたら近くに墓地があるとの事なので墓参りしてきたよ
仙台市内に一族が住んでいるみたいだけど
残った方が本家なのか、北海道移住組が本家なのかまではまだ分からない
祖父から先祖の事を調べて欲しいとお願いがありました。
手がかりとしては、
祖父の祖父(自分にとっては高祖?)とその妻の苗字と名前。
そして住んでいた住所までは位牌からわかっています。
もし手がかりがつかめれば自分の本家がどこなのかわかりますし、
調べたいと思っています。
自分の住んでいる所が東日本なのですが、
位牌に書いてあった住所は西日本なので遠隔地です。
具体的に調べる方法としては近くの市役所で聞いてみるのがいいのでしょうか?。
いろいろアドバイスをいただけるとありがたいです。
172 :
日本@名無史さん:2011/10/11(火) 02:07:49.81
>>171 墓石は存在しないですか?
その西日本の住所は田舎の方ですか?
それなら手紙を書いて同姓のお宅を訪問する
事も考えられますし、私は郷土史の狭い範囲を調べて
周辺の同姓のお宅とも血のつながりがありそうだと
いう事実を見出しました。
173 :
日本@名無史さん:2011/10/11(火) 13:24:04.52
先祖は武士、と親父が言っていたので調査してみた。
除籍とってみたところ、安政生まれの高祖父とその父まで遡れたが、
その村は江戸時代は旗本領。
家紋は領主と同じ。
旧土地台帳では番屋敷を調べてみると名字が違うが、相続していく者の名前が同じなので、明治に
なって名字変えているみたい。
元々の名字は、珍しい名字なので郷土史を調べてみると、三木別所の流れ
とのことで、江戸時代は近隣の庄屋(高祖父はそこの当主の弟の三男)や、
藩士分限帳にその名字を確認できた。
ただ直接の先祖である、高祖父の父が分からない。
旗本知行地の家来とかって資料残ってませんかね?
174 :
日本@名無史さん:2011/10/11(火) 13:51:58.58
原戸籍(はらこせき)は取ってみたのかな?
曾祖父の代までは出てるし 判ってりゃもう少し前まで出てたりもする。
遺産相続の時にしか使わないのだが 取ってみると面白いぞ。
>>173 「高祖父はそこの当主の弟の三男」ってことがわかってるのに、
なんで高祖父の父がわからないんだ?
それに、庄屋なら嫡男以外は資料なんてほとんど無いだろう。
176 :
173:2011/10/11(火) 20:23:01.27
説明不足でした。
高祖父は養子にきたんです。
除籍の高祖父の欄に、○○村△△弟××三男とあり、その△△の名は郷土史
を調べると、○○村庄屋として出ていました。
ただ、曾祖父はまた、高祖父の父の血を引く者が養子となりついでますので、
戸籍上の高祖父とは、私は血のつながりはありません。
ですので高祖父の実父(庄屋)ではなく、養父について知りたいのです。
177 :
171:2011/10/11(火) 22:16:45.18
>>172 返信有難う御座います。
墓石は西日本の方は住所のみしか特定できておらず難しそうです。
西日本の住所は田舎の方なんでしょうかね。
岡山県窪屋郡倉敷村って今じゃないみたいですし・・・。
もう一つ貰った資料には、
岡山県兒島郡福田村とも書いてありますがこちらも調べるの大変そうです。
おもくそ地元でワロタ
遠方にお住まいで、私の地元近辺にルーツがあり尚且つそれを辿っている方に遭遇するとは
これも何かの縁かと、できれば協力して差し上げたいのですが差し出がましいですかね?
墓地の在所が分かるということは、お寺さんかこちらに残っている親族の方が管理してるのでしょうか
差し支えなければお参りして拝見してくることも可能ですが
180 :
日本@名無史さん:2011/10/12(水) 00:50:54.39
>>174誰も突っ込まないので不思議に思って調べたら慣用的にそういう言い方もするんだね。。。
181 :
日本@名無史さん:2011/10/12(水) 03:35:29.92
>>180 うん。はらこせきって言うところは言うね。
以前ここではらこせきと見て新宿区役所に行ったら
げんこせき、と言われて恥ずかしがったことはありますw
182 :
171:2011/10/12(水) 22:30:01.10
>>179 私への返信でしょうか?。
177の書き込みで少し確認不足で書き込んでしまいました。
墓石は現在住んでいる東日本の方でそちらの墓石があるお寺に177で書き込んだ住所があったとのことです。
西日本の方の墓石がどこにあるかわかれば一番幸いなのですが・・・。
西日本側の高祖やその関係者の名前も分かっているので、
お寺1件1件を虱潰しに調べればいいのでしょうけど・・・。
ご協力をしていただけるとのことで、
うまく連絡が取れると嬉しいです。
183 :
179:2011/10/12(水) 22:39:49.24
>>182 どこまで力になれるか分かりませんが、お名前と住所を伺って訪ねてみたいと思います
ここで具体的なことや連絡先等書くわけにはいかないので、どうしましょう
例えばどこかログの消せるチャットかなにかを挟んで、なんとかメールアドレスをお伝えして連絡とりたいです
>>177 岡山なら 「ごさんべえ」に出てこないの
185 :
日本@名無史さん:2011/10/13(木) 03:57:50.41
>>184今でも公開してるの?数年前だか家系を扱ってるサイトが(どこたかは忘れたが)
いわゆる系図屋が全部書き写して利用してるみたいな記述があってから、そういった
サイトが公開しなくなっていった気がしたが・・・
186 :
171:2011/10/13(木) 22:04:35.64
>>179 返信ありがとうございます。
メールアドレス暫定で取得致しました
[email protected] しかしいま気づきましたがこちらの板って書き込み主のIDでないんですね、
179さんからのメールだと特定できる何かがあればいいのですがorz。
>>184 ごさんべえ、今確認致しました。
こちらを使って調査してみます。
187 :
179:2011/10/15(土) 00:29:26.41
>>186 メール送信しました
実地に臨むにあたっての地名によるものだけの想定ですが、おおまかな見解を書きました
188 :
171:2011/10/15(土) 02:18:56.08
>>187さん
返事が遅れてすみません。
仕事で今帰りました・・・。
メールはひと通り読ませて頂きましたので、
吟味して明日返信いたします。
ご協力本当にありがとうございます。
189 :
日本@名無史さん:2011/10/15(土) 19:14:47.88
自分の先祖は某藩の武士なのだが、嘉永期生まれで身長が5尺8寸であった
ことが判明。
幕末から明治期にかけての一般的な人の中では一際デカかったようだ。
190 :
日本@名無史さん:2011/10/15(土) 22:36:43.44
どこにそんなの載ってたんだよw
191 :
日本@名無史さん:2011/10/16(日) 07:55:11.22
192 :
191:2011/10/16(日) 17:28:05.45
実際、俺は母親方が小さいこともあって現代の並よりちょい高いくらいだが
その先祖の孫に当たる父親は昭和一桁生まれで176センチある。
今は結構縮んでるけど(笑)
それなりに身長の遺伝子も受け継がれるようだよ。
193 :
171:2011/10/16(日) 21:10:24.94
>>187さん
頂いたメールに昨日返信を記入致しました。
送信の際に迷惑メール対策だの何だのHotmailに言われて困惑したものの送信できていると思われます。
もし、受信できていませんでしたらこちらにご連絡ください。
>>193 返信が遅れてご心配をおかけして申し訳ないです
195 :
忍法帖【Lv=36,xxxPT】 :2011/10/18(火) 21:51:06.54
w
>>181 げんこせき、というと「現(在)戸籍」とまぎらわしいので
はらこせき、と呼び分けてます。
しかし
>>177をみて、倉敷って観光地としてまだまだ有名じゃないんだなあとさみしくなった。。。
家は俺で8代目だが4代目までは写真もあるが3代目から初代までの素性が
わからん。町内に同じ苗字が無いところを見るとどこからか流れてきてすみ付い
たみたいだな
198 :
名無しさん@お腹いっぱい:2011/11/09(水) 22:10:12.45
お尋ね致します。
大変初歩的な質問で申し訳有りません。
先祖探しで親戚の先祖が眠っている納骨堂を尋ねたら埋葬者の過去帳が有り
埋葬者の名前、戒名、行年●●歳、●●年●月●日の4項目の記述が書かれていました。
行年●●歳とは死亡した時の年齢で満●●歳のことですか?。
●●年●月●日とは生年月日? or 死亡日ですか?
恥ずかしくて寺の住職の方に聞けませんですた。
>>198 行年(享年)は満年齢ではなく数え年。その後の日付は亡くなった日かな。
今知った
自分は安東家の血筋だったって
ごめんねご先祖さん
ご先祖さんは大名なのに自分はフリーターで・・・
201 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 01:37:10.21
202 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 01:48:53.29
ごめんなさい左下でした
203 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 13:28:45.41
譲渡山證文之事(印かも?)ですね。
204 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 17:58:39.18
>>203 ありがとうございます。
山の所有権関係ですか。
205 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 18:33:09.61
襖の破れた所から出てくるなんて、貴方とは無関係じゃない?
自分の先祖についての資料を襖の部品みたいな扱いはしないだろう…?
家にある要らない紙を、襖の下張りに使うなんて当たり前のことでしょ。
無関係の書類を使う方が稀だと思う。
207 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 21:35:41.36
我々が想像する以上に、紙は貴重品。証文だって期限切れになれば
再利用するのが当たり前。襖の下張りに古手紙が多いのは常識
208 :
日本@名無史さん:2011/11/11(金) 00:03:58.92
表具屋の古紙ストックではないの?
確かに古紙を回収して再利用もしていたから、その可能性もなくはない
>>201でうpしたものは以前に庄屋と百姓代の名前が書かれてたものと同じ紙です。
その山は戦前まで親戚と分割して所有してたそうです。
文章を楷書で読んで先祖の軌跡を知ることができればと思いうpしました。
>>201添削おながい。
譲渡申山証文之事
字□□
一 柏雑木山壱反弐拾歩 御運上銀壱百目
右は当巳御年貢差支、書面山質地流ニ相譲、銀
弐百目(たしか)ニ受取、御収納相勤申処実正也、然上は
御運上御納、如何様共御作配可被成候、仮令如何様之
新規出来候共、於此証文ニは子孫ニ到迄毛頭異存
無之候、(より)て為後日譲渡証文、如件
>>211 ありがとうございます。
以前も翻訳して頂いた方ですか?
お世話になりました。
213 :
日本@名無史さん:2011/11/19(土) 22:43:09.76
家系図を見ると江戸時代に数代襲名してる。
これは特別な身分だった証拠。
214 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 09:14:01.75
うちの先祖も百姓だが襲名している。
本百姓の家は 基本的に古いとこが多いからな
だいたい庄屋や組頭クラスから派生した家がほとんどだし
うちの近所では、江戸時代の墓は信士か石を置いただけのもばかり。
それ自体も一家につき十基ほど。
江戸時代は農民が墓を造るのが珍しかったのかも。
うちの方でも百姓の場合は古い家でも江戸後期辺りからしか墓石はないね
恐らく墓石は建てられなかったのだろう
218 :
日本@名無史さん:2011/11/21(月) 13:36:50.14
うちは江戸時代百姓だけど、墓は文字を確認できるもので江戸前期から、それ以前と思われる小さめの宝篋印塔があります。いつからか不明ですが、代々襲名です。信憑性は薄いけど、家系の由緒書もあります。百姓でも地域差とか個人差あると思います。
>>218うらやましい限りです。
宝篋印塔は笠の四隅が反っていないのが古様と聞いたことが有ります。
夏に訪ねた千葉県の中世の荘園跡で、「領家」と呼ばれた家の墓域もそんな感じでした。
そこには小さな宝篋印塔や五輪塔に混じって何気に青石の板碑片もありました。
由緒書きもかなり信憑性が有るかも知れませんね、詳しく調査される事をお勧めします。
220 :
日本@名無史さん:2011/11/21(月) 23:11:38.18
平氏とか源氏の人たちって
氏神はなに?
姓もらってから天照大神とは無縁になるの?
>>221 そうか!
自分、血縁関係だけが氏子かと思っていたので…
それ以外でもあったとは。
ありがとうございます。
223 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 00:20:35.97
うちの一族はどうやら村で一番古い寺の住職に遡るらしいが
その家は本家でうちは分家になるようだ。それでも
江戸中期ぐらいの墓石はあるからね。普通の百姓の家でも
墓石はありそうだ。
うちも遡ると古い神社の神官家で、300年前に分かれたらしい
墓は読み取れるのが天保までだった
225 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 07:23:16.60
寺とか神社とか地味すぎ。古けりゃいいってもんじゃないだろ。
うちは平家の落人だからロマンがあるし格が違う。
家系自慢スレかないから
平家の落人→大半が作り話
古い社家→由緒正しき本物の上流
228 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 16:10:45.37
229 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 22:37:22.56
>>225 本当に平家(100%とはいいきれないかも←自己判断)か調べるなら
ネットに系図載っているよ。
そこに平からでている姓の中に自分のと同じものがあるなら
ありえると思う。
確か松尾とかもあったな…
230 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:29:38.07
>>228 いや、分家のうちは天台宗で
本家は修験宗で聖護院の末寺として開かれたという。
しかも平安時代にw
爺さんを墓参りに連れていったら
「うちはずーと昔からあるんだ」とかいうから
郷土史をかなり調べたら寺の歴史がうちの歴史のようだ。
231 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 00:04:37.15
俺はサルの直系の子孫!
232 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 00:20:23.05
私は真核生物の直系の子孫!
233 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:19:12.17
>>230 修験者の家系だから世襲ができたのかな
坊主って基本 一代限りだから
>>233 住職はどうかわらかないけど、形式上一代限りの職が実質世襲になってるのもあるから、それかも。
修験宗の寺は住職も世襲できるものなのかな
俺の先祖は外国から来た天孫族から日本を守るために戦った邪馬台国の戦士だ
237 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 02:06:08.47
>>233-235 そう言われると不思議な気もしますね。
現代の本家は第27代権僧正になるとおもうが
本来は世襲ではないのか。
先祖さがして部落民だったらどうしたらいいの?
>>237 有力な家が寺を建立して、三男坊など行き場のない子を寺に放り込んで、代々住職に据えたりするよ
240 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 00:04:39.20
>>239 ああそういうこともあるんですか。
でもね、うちの場合京都の寺の兵火を避けて
関東の村まで来たとあるからさすがにそれ以前の
話は郷土史にはなかったなあ。
>>238 気になるなら部落から離れればおk
日本の被差別民は土地を離れれば終了する緩いものだから
ていうか、聞き違いか爺さんが勘違いしてるかじゃないか?
寺の系図は何処でも当然ながら初代から繋いであるよ
血縁の有無に関わらずにね
「家の家系がずっと住職をしている」と言う意味ではなく「家(寺)がずっと昔からある」と言う意味だと思うよ
>>238 せっかくだし歴史を勉強するといい。
意外となんてことなかったりする。
245 :
日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:54:20.56
>>241 うちの祖先が平安時代に京都の寺から
関東の村まで来て寺を建立したというそういう記録が郷土史にあるんだよ。
>>243 そんなに珍しいのか住職の世襲は。w
一般的な寺なのかと言うとそうでもないし、修験宗だし。
まあうちは分家だから直接話を聞きに行ければいいが。
246 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:28:31.95
>>245 苗字だけでもおせーて
もしかしたら同族かもしれん
247 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:51:50.83
>>246 うちの苗字は全国的には百世帯前後で
2ちゃんで知ってる人がいたらかなり奇跡だと思うんだが・・・
小野関という苗字だね。珍しいでしょう?
248 :
日本@名無史さん:2011/12/01(木) 11:26:41.82
すいません、誰か教えて。
除籍謄本の本文中の、中野村(空白)鈴木源太郎という風に氏名の上が白く消されて
いる場合と、上田町○○番屋敷佐藤一郎という風に空白がない場合があります。
空白の部分、これは族称を消してあると思うんですが…
空白が最初からない場合ってどういうことなんでしょうか
>>211さんに翻訳して頂いた古文書のことで質問ですが
山林売渡証文は与頭が代表して1枚を保管していたものですか?
それとも氏子家の皆がそれぞれ一枚ずつ保管していたものですか?
文末は以下になっています
譲主 ○○
請人与頭 ○○
氏子中
前書御座候、令加印候
庄屋○○
>>243 寺を継承する・・・法灯を継承するということだから
歴代住職の位牌や過去帳、宝塔というのは寺の大事な財産だよね。
ちょっとした寺院なら歴代住持の位牌所や墓域がある。
251 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:31:15.74
>>248大正ころから平民の族称は用いられず何も書かれないからかな
>>248 住所なら普通に部落名(現代風に言うと自治会名)が続くと思うんだが
それなら消す必要ないしな
たぶん平民(もしくは士族・・・)っていう部分を消してたんじゃないかな
253 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:54:04.88
嫁に来た親の名前とか書いてあるとこなら、そんなもんだよ。
うちもOO県OO郡OO村名前とか住所が書いてあるのもあるけど
無いのもある。昔は村+名前で分かったんじゃないかな?
254 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 23:27:58.78
>>249 宛名が「氏子中」となっているので氏子組織の代表者が保管してたのでは?
与頭(くみがしら)は譲主の保証人として加印、
庄屋は証文の効力の確認のため奥印したのでしょう
255 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 00:44:09.00
>>254 ありがとうございます。
与頭は譲主側の人なのですね。
我が家は江戸前期からの禅定門・尼墓が10基有り、地域では稀(庄屋家除く)なので
金持ちか役持ちだったのかと勘違いしてましたww
256 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 12:21:37.79
>>255これまた、ご謙遜を。
組頭は村方三役の一つですし、村の有力家系が付く事が多いです。
長い近世、庄屋役も一つの家筋だけとは限りませんから
貴家も場合によってはは庄屋を勤めたかもしれません。
本来氏子の共有地だったものを、そちらの家で所有する事になった
経緯なども含めて調査されたら如何でしょうか?
組頭と言っても色々あるからな
うちの藩じゃ組頭がやたら多かったから特別珍しいものではない
258 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 03:19:55.68
>>256 わかりました。
墓を見ると1600年代からは禅定門ですが
1800年代になると信士になっていました。
時代が下がると貧乏になったのかもしれません。
昭和の物だけど祖父が軍隊で使用していた革脚絆(某雨付)を見つけました。
戸籍史のうえで明治9−10年にはレッキとして身分で「妾」なる存在
があった
お袋の旧姓が万里小路だが、
旧公家ではないそうだ。
京都産ではあるが、。
>>260 万里小路さんなんて初めて見たからググったらWikipediaに載ってた
珍しい苗字だし元を辿れば普通に公家の万里小路さんに行き着くんじゃないの?
いつ、どこからどう分かれたとかは無視して大ざっぱに考えてご先祖様には違いなさそう
万里小路に店出してて屋号から来てるとかあんじゃないの?
そうらしい。
商人だったらしいから。
戦前も、爵位なかったらしいし
>>261 何の確証も出てないのにご先祖様に違いないとまで言うのは早漏過ぎるだろう。
ご先祖様の可能性があるとは言えると思うが。
>>263 分家は爵位が無いとか商売してたとかよくある話だから、何の参考にもならない。
単に、いまもある万里小路沿いに住んでて、維新後、それを苗字にしただけだと思うのだが、お袋、アルツハイマーで、もう、なんも聞けない
過去帳や系図もなければ、傍々々系じゃね?
>>265 公家の万里小路氏だって、もともとは万里小路の近くに住んでたことから名乗ったのが始まりだろう。
お母様じゃなくても親戚に聞けばいいのでは?
>>267 お袋の弟は、下層公家とか言ってたけど、だいたい万里小路家って位どのへん?
>>268 名家だから一応「堂上」公家だけれど、公家を公卿の家とするなら下層ってのは
強ち間違いでもないかな? 家祖は参議にはなっていないし、極位極官が従三位
中納言?くらいだし。
270 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 00:24:19.03
先祖は在郷の役人(郷士)だったみたいなんですが、その場合は宗門改帳と分限帳どちらに記されてますか?
>>270 在郷の役人って 村方三役のこと?
それとも代官所等の役人ってこと?
272 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 22:22:19.48
番所の番人か高札場の役人みたいです。恐らくは。
元禄の頃の先祖の戒名が居士なんですけど武士だった可能性ってありますか?
戒名だけじゃ可能性を論じられるレベルじゃないと思う。
分かってないなら可能性だけはあるだろ
可能性があるからなんだよって話だけど
276 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 04:17:09.34
>>273当時居士は珍しいんじゃないかな?大体は信士だから
金持ちであることは分かる
277 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 15:04:06.59
横からですが
幕末頃の院号なし居士は珍しいですか?
なにせ付き合いのない遠い親戚の家の墓なので聞きました
278 :
日本@名無史さん:2012/01/05(木) 16:46:27.90
我が家で一番古い墓に
天和二年
□に十字〜〜〜〜禅定門
十一月○○○○俵○○住
とありました。
○は解読不可能ということです。
十一月以降はどういった意味があるんでしょうか?
>>278 読み取り不可能なのか単に知識不足で解読できないのか
どちらですか?
後者であれば画像をアップしてみては?
>>279 文字が潰れて読めなくなっています。
写メを撮るのは気が引けるのですみません。
281 :
日本@名無史さん:2012/01/05(木) 23:39:02.36
>>277幕末になれば珍しくは無いが、居士号が付いていればそれなりの家だろう。
282 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:26:01.26
42代続いてる家系だけどうちより長い人いる?
今まであったことない
>>282 会ったことはないだろうけど125代続いてる家があるじゃないか
284 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 15:14:26.04
285 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 15:21:20.32
>>282 何時代から?
兄弟相続が多いと代数多くても意外に古くなかったりする
286 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 15:54:36.41
平安時代から
確かに一代あたり短いね
287 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 16:05:58.01
遠い親戚のお家のお墓の隣に
旧士族のお家のお墓があるんだが
幕末頃の戒名が院居士や院大居士であるのに対して
遠い親戚のお家のお墓はせいぜい居士
俗名だって旧士族のお家のお墓には佐藤○左衛門藤原○○とか書いてあるのに
遠い親戚のお家のお墓には與○郎とかで通称のみ
となるとこれは分限帳ではなく人別帳を探さないと辿れないのか?
>>287 マジレスするとその旧士族にあって系図を見せてもらう
あなたとの空白を書き足していく
ん?墓が隣り合ってるから血縁関係があるんじゃないかって話なの?
>>287 両方から調べてみればいいじゃん。
当時の苗字は分かってるの?
>>286 平安からはすごいですね
どういった家柄なんですか?
>>291 皇族が皇族やめて田舎に住んでそのまま居着いた家です
ステマ
うん。じゃねぇわ。その類ってこと
じいちゃんのじいちゃんが何してたかじいちゃんがあまり語らない。
小作人ってそんなに恥ずかしいことなの?
298 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 18:02:59.50
幼名と諱をもってたらしいんだが
庶民が幼名とか諱をもっていたのか?
みんなの先祖にも幼名とかあった?
>>298 あった。
ほとんどが生涯で何度か改名したようだ。
何ソースだよ
302 :
299:2012/01/07(土) 19:49:46.67
>>300 うちの小屋から出てきた古文書を見る限りではそう。
他の家がどうかは知らない。
なんか名跡みたいなのがあるんじゃない?
仮名の変遷書いた古文書って何だよ日記か?いつの時代の物だくずし字読めるんか?
305 :
299:2012/01/07(土) 23:19:17.67
>>304 日記とか家系図とか諸用留とか。
江戸時代前期から明治時代のものと思われる。
頻出字は読める。楷書のものもある。
戦前生まれ世代まではあったな。
親以外は本名で呼ばなかったらしい。
ん?家族親戚以外はどうしてたんだろう?今度聞いてみよう。
ちなみに士族。庶民だけど。
墓石に本名の脇にそういうのが書いてあるな
士族じゃないけど
うちの祖母ちゃんは嫁に来た時、サザエ→みさえ、みたいに名前が変わったな。
勿論、戸籍上の名前ではなく通称だが。
サザエさーん
うちは本家が神社の神主だから、今の苗字の初代も、本姓もわかる。
古事記にも日本書紀にも出てくる一族で、皇別
314 :
日本@名無史さん:2012/01/12(木) 22:57:54.35
マージ・シンプソンも既婚
分家が偉そうな顔すんなや
無数におるわ
ウチも分家だw
>>315 証明できるか? 無数にいる訳がない。
うちの家系は、今の苗字になってから約680年経つが、一族は日本全体で数百世帯以下多く見ても千世帯以下。
苗字が一族以外には無い珍しい物だからはっきりとわかる。
以外と本家と同じ苗字の分家の数は少ないぞ。
特に昔は、分家は本家と同じ苗字を持てなかった時もあるからなおさら。
そう言う漢字が違う分家は除外しての話。
墓石をみると、同じ読みで漢字が違う墓石が沢山有る。
1000年以上前まで先祖を辿れる家系は無数にあるとは思えない。
本姓(苗字じゃないよ。 うじかばね)は、古事記や万葉集に出てくる名前でかつその氏(うじ)の郷出身だから間違いない。 朝臣や真人の姓(かばね)を受けてるんだから。
当然家系図も残っている。
今の苗字になる前の本姓の分家も有る程度は把握出来るが、結構一般的な名前なので名前から判断する事はむつかしい。
は?名字自慢か?
680年の間に何人が分系してんだよ、女系も合わせりゃ血統はそれこそ無数にいるだろ
何年続いてる家だなんだは代々を祀ってきた本家だから意味があって、そこに格を感じるもんでしょ
自慢の元の先祖から辿れば、庶家なんて最近分かれてようが、もはや縁さえ分かってない他家とそう変わりはしない
つか辿れないってだけで日本人ならほとんどが1000年遡れば諸名家へ繋がってるだろ
辿れることだけを誇ってるなら、まあそれもその通りだろうけど
1000年の間に分家は沢山出てるけど本家の我が家と同じ苗字は近代除いて一軒もない。本姓があるから苗字はわりとどうでもよかったみたい。そんな我が家も1000年前にある家からわかれた分家。
321 :
日本@名無史さん:2012/01/13(金) 03:51:34.98
お公家さんかな?
うちは3000年
ここの奴らは嘘つきばっかだな。
証拠の出せない捏造ばっか
うちは5万年
×ねつ造
○ほら吹き
×ねつ造
×ほら吹き
○会心のボケ
320だけど事実だ。地元じゃ誰でも知ってる郷土史にも載ってる。朝廷も知ってた。
うちは1100年
うちは1050年
どんな家柄?
>>320 うちも似た様な感じたが、奈良のある郷の豪族(今もその郷の中に氏神を祀る延喜式内社が有る)だった。
古事記の中でも副将軍として活躍し、推古天皇の時にも副将軍になったり、同じ読みの漢字に改名した分家が真人の姓(天皇と同じ姓)を貰ったり、本姓の方では、朝臣、宿禰、臣などをもらった人々がいたがどこが本家かは分からない。
真人をもらった方が本家筋なのかもしれないが、改名した上に、日本書記では勝手に全ての祖先の氏を自分の名前に書き換えやがったから嫌いだ。
うちは、古事記に出てくる方の氏。
鎌倉幕府が出来た時に、地方の地頭に任命されてその郷から出てそれ以降そこに住み着いている。
地頭になって直ぐに行ったのは、神社を建てて人望を集める事。
それ以降宮司と侍の二足の草鞋を履いている。
南北朝時代に後醍醐天皇からもらった苗字が今の苗字。
その時の初代の姓は、宿禰(上から3番目)。
波乱万丈の伝記は面白い。 おれの本籍もそこだったが、結婚した時に移してしまった。
昔の本籍の有る県には、同じ苗字の家は150家程。
高校の時、別の県に住んでたら友達が丸丸県苗字で手紙が届いたくらいに珍しい名前。
うちの家系以外にこの苗字は存在しない。
分家なら珍しくもないな。
>>331 すげー面白い。うちは皇別直系だけど歴史の長さじゃ同じくらいだな。はじめての出会いだわ。
334 :
331:2012/01/13(金) 21:39:25.20
>>332 珍しいだろ。
古事記の時代から奈良の一か所に住み続け、1193年まで少なくとも数百年以上同じ所に居た事もはっきりしてるんだから。
その後地頭に飛ばされてからも820年も同じ所に住み続け俺もそこで生まれたと言う珍しい事だと思うぞ。
もっとも俺は3歳位までしかそこにはいなかったが。
同じ名字だと言うだけで本当に親近感が有る。 一度会っただけで親戚と同じ感覚となる。
毎年先祖祭りもやってるし、俺も参加した事が有る。
とにかく今の苗字が珍しいから変な事は出来ない。 県名だけでハガキが届いた時もその県に住んでた同じ苗字はうち以外には無かったから。
勿論古事記時代の氏が全国各地に散らばって各地に同じ氏神を祭る神社を立てているから子孫が多いだろうことは解るが、
本当の氏の地に住み続けていた古代豪族は少ないと思うよ。
分かれて行った人達は、京都、奈良、四国等各地に同じ神社をたてて行った。
殆どそれらが延喜式内社だからかなり古い時代に広がったと思われる。
分家とは言えその地に住み続けている家はかなり本家に近いと思うぞ。
そう言えば、ごく最近奈良の郷(今はその郷名は別の漢字で所々残っているだけだが)で、先祖の住居跡(あるいは天皇の行宮)と思われる遺跡が発掘された。
>>334 かなり珍しいと思うぞ。
家に伝わる言い伝えとかあったら教えて。日本史を揺らがずような秘密しってそうだ
>>333 うちも八色の姓が出来た時、朝臣(あそん)を賜ってるから皇別。
その後改名した奴が天皇と同じ真人(まひと)まで貰ってるから、金の力も大きかったと思われる。
同じ先祖なのに日本書紀時代にはかなり嘘を織り込んで真人をもらってる。
>>334 旧氏をそのまま現在の苗字にしているケースも見受けられるが、旧氏はかなりどこにでも有る名前だからそれだけで出生を判断する事は無理。
でも今の苗字はそれを持っているだけではっきり同じ先祖(本姓が同じ)だと言う事が解るから便利と言えば便利。
338 :
ここのスレなんなの?:2012/01/13(金) 21:59:18.99
1000年前の先祖とか1100年頃の先祖とかってわかるわけ
ねえしほとんどマジヤバイ妄想の域の精神状態やん。
もし本当ならここスレ全員「近衛家」レベルの家柄じゃねーかw
(お前ら曽祖父の祖父名前すら知らねえくせに )w
>>336 どの時代に臣下に下ったんですか?途中で真人を授かったということは、天皇の近くにずっといたってことですか?官位はどのくらいですか?
>>338 少ないだろうけどあり得ること。ネットって凄いねと感心するところ。
近衛家の人も2chくらいするだろう。俺がするくらいなんだから違和感なし。
342 :
日本@名無史さん:2012/01/13(金) 22:08:20.09
22 :大室寅之名スレ:2011/09/18(日) 07:32:16.52
長野県松本平の南安曇郡の33ヵ村の講中2345人のうちわずか16人を除いて「苗字」を持っている
苗字なしは0.7%(147人に1人)
(江戸時代の人口3300万人としたら22万4千人くらいが苗字なし??)
>>331 > うちの家系以外にこの苗字は存在しない。
他の苗字だって基本的にはそうだろう。
345 :
日本@名無史さん:2012/01/13(金) 22:23:25.64
山口県民なんて旧家多いが「明治時代」の墓すらぶち壊してる。
なぜかというと今年山口県のおばあちゃんちに墓参りして大阪
帰ってきたが山口県民は優秀で東京、大阪にでて地元にかえらず
出世して都会に家つくる。
こうなるとさ山口県の旧家でも墓管理する人いなくなってさお墓が
整理(無縁仏化)するのさ。
大正時代の高祖父のお墓参りいったの。
でもおばさんもおじさんも都会にでて帰ってこないからさ
おばさんが「アタシの代で墓処分する(大正時代の)」ていいだすから
僕がおばちゃん「墓」だけは大切にして。と頼みこんだ。
でも坊主にカネ払わないと先祖の墓処分される。
明治、大正時代の墓ですらこんな状況。とりあえず高祖父の父名前は
お寺の過去帳で確認取れた。でもそこから先はわからない。もちろん壬申戸籍も明治19年式
戸籍もありません。さて江戸時代、平安時代の自分の先祖の名前ってこんな状況でわかるのかな?w
>>335 そんな大それた話は無い。 ただ、先祖の氏を調べるうちに同じ発音の古代豪族、戦国武将などがおり、
どれが自分の家系と繋がってるのかどうか色々調べた。
それではっきりとうちの家系を切り分けて理解する事が出来た、
各地で複数の氏をごちゃまぜにして祭られているケースもあるけど、それは間違いだが時代時代でそう言う必要性も有ったのだろうなと言う事が理解できて面白い。
最初自分の家の話を知ったのは、小学校低学年の頃に大正時代に発行された郷土史に書かれていた話を読んだ事だった。
なにしろ本籍からは物心ついた時には離れていたから。
でもその話はせいぜい2〜3ページしか先祖の事が書かれていなかったし、
難しい漢字も多かったから小学校低学年では正確には理解できなかった。
例えば時の今上天皇から名前を貰ったと書いて有り、親に聞くと後醍醐天皇だと教えてくれたり。
朝鮮征伐に行ったと書かれていても、豊臣秀吉の時の出来事だとばかり思っていた。
(後でそれは神功皇后時代の話だと言う事が理解できた)
何年か前に平成になってから発行された神社誌が有るのを知り古書を買って読んで初めてはっきりと解った。
(その10年位前にたまたま同じ名字の人:その人も神主:と巡り合い、家系図をコピーしてもらい興味が増していた)
大正時代の風土記にも今の苗字の初代の名前も書かれていたがそれが何を意味するのかどこから移住してきたのかも知らなかった。
平成の本には、事細かに書かれていたのでそれではっきりわかった。
苗字をもらった年も日付もはっきりと書かれている。
苗字をもらう事になった出来事も後醍醐天皇の周りの短歌集にも歌われているらしいしその歌集の名前も解っているが、どこに保存されているのか判らん。
短歌集に書かれていた内容は、はっきりと覚えている。
昔の文書は戦国時代に焼けて消失し、一部だけしか残っていないが、その後の文書と共に県の重要文化財として保存されている。
まだ、その文書を自分の目で直接は見ていないが1000点近く有るので簡単に理解出来るようなものではないだろう。
名前もどう理解するのかやっと解ったのも最近。
苗字:役職:官位:氏(うじ):姓(かばね):諱(いみな)
明治時代まで国の要職たちはこれに近い表現をしているね。
>>337 同じ。ごめん。
>>339 奈良の都にずっと豪族としていたから、天皇家とは友達みたいなものでしょう。
推古天皇記にもうちの先祖の郷で遊んだ事も書かれていますし。
ただ、最近になって色々解ってきたので真人になった後の事は良く解りません。
真人になってから日本書紀の編集に携わったり。
先祖の事を提出させられた時に先祖の名前を全部自分の改名した名前にしてしまって、
最初自分が調べ始めた時の混乱の元を作ったのがこ奴だと解り、大嫌いになった。
その後歴史からは姿を消して行ったようです。
下の方ではうちの様に地頭になる位の力は有ったのでしょうが、中央では多分藤原を名乗っていたのではないかと思います。
うちの家系図にも藤原は現れますから。
>>347 スゲぇw面白過ぎw言い伝えレベルじゃなくてガチなん?
あんたで80代目くらいかw
うちの系譜はすげーシンプルだから憧れるw
351 :
日本@名無史さん:2012/01/13(金) 23:24:49.41
>>338 いやそれは誤解で、
本来わからない事が判明してるだけの話で
どの家も本来はそれなりの歴史なんじゃないだろうか?
うちの場合江戸中期の墓石と郷土史と寺社が証拠になるんだと思うが、
たぶん1000年前から階級移動してないと思う。
気になったんだけど、本姓じゃなくて苗字を天皇にもらったの?本姓を苗字にしたってこと?それだと同じ本姓の家が増えるから、苗字だよね。苗字を天皇に貰うって歴史上唯一じゃないの?
うちは3※代当主全員の名前もはっきり残ってるわ。
>>347 古代豪族ってめっちゃ沢山いたけどみんな居なくなっちゃったよね。
その一族から出た有名人っている?
家の話はおもしろいが、民俗学のような域で日本史とは言えないな
妖怪伝承みたいなもんだ
苗字がどうの、故郷がどうので史料にこじつけるのは夢想でしかない
そこに連なると信じて疑わないのはむしろ宗教的
>>347 もしかしてご先祖様、菅野朝臣(津連)真道?
あーでも書記編纂時の方ってあるから違うな、もっと前の人か
359 :
334:2012/01/13(金) 23:38:24.15
>>344 それは違うと思うよ。 うちの苗字の家は全国で300と言う調査類推も有る。
その位少ない。 人数は1000人位だろう。
800年経ってもその位しか増えていないんだよ。
勿論今の苗字を名乗った後でも分家で別の漢字を取った家系も有るし、旧本姓を名乗っている家系も知っているがそれは別。
同じ名字(特にありふれた名前)でも色んな場所と状況で生まれているから、全く別の物が普通。
特に昔(の氏)はその土地の名前を取ったし、同じ名前の土地は沢山有ったから、同じ名字でも同じ家系とは言えない。
所がうちみたいに他には有り得ない苗字だと同じ家系だと言う事がはっきりわかる。
それ以前の氏も同じ所に住み続けたと言う事で氏が間違いない事が解る。
うちの苗字は全国的にはありふれてるけどうちの地域じゃ我が家だけ。他には名乗らせて来なかった。一発で領主とわかる苗字。
うちは1000年同じ場所に住んでるから嘘とかつきようがない。
うち=居館跡
>>352 苗字と紋をもらった。 本姓(氏姓)はそのまま。
だから、
<貰った苗字><官職:官位><氏><姓><いみな>を名乗った。
貰った紋は、かなり有名な神社と同じ紋。
>>360 それが普通見たいだったようだね。 わざわざ分家には別の苗字を名乗らせた時期も有った様だし。
墓石を見ると良く解る。 うちの墓地は一山全て墓地で全てうちの一族の墓だけ。
最近(大正?)古い墓石を整理した見たいで、先祖の合同廟が建てられ当時の自治大臣の揮毫が有る。
墓参りしていなくても皆で守ってくれてるけど、有る程度の期間(多分100年程度?)訪れる人が居ないと合同廟に移される見たい。
>>362 そんなに珍しい事なの?
そう言えばそう言う話はあまり聞いた事が無いね。
その後も、後醍醐天皇が無くなった後も天皇の遺言によって
とある超有名神社を持ってきて、神社をたてた。
その今の神社には、天皇の皇子も祭りを行った。
昔は面白い。 神社と侍は同じなんだよね。
地元民をまとめる為に神社は必須だった。
神社や、寺はそれなりの武力を持っていた。
諸兄方に伺います。
大正時代、曾祖父が馬を2頭所有してたそうですが
2頭の馬の保険証に「鮮」「蕃」という項目に○がしてありました。
どういった意味なんでしょうか?
それと、当時は馬を2頭飼ってる百姓って珍しいものですか?
苗字っていつ頃から一般的になったんだろう。
苗字が一般的になったのは明治3年の平民苗字許可令or明治8年の平民苗字必称令じゃないか
苗字ここに書けよ。
一般的ってなんだよ
>>365 知識はないけど、○のついてない項目も分かれば推定が捗るな
鮮は半島産の種であるとか、蕃は蕃殖用って意味の蕃だとか想像はできる
時期的に馬政局の計画に関わる証書なのだろうかとか興味が湧くわ
当時の明治農法というスタンダードからして、農家で馬が活躍してたのは珍しくないはず
それ以前でも藩令に百姓の馬について出てきたりするから、昔から輓馬は持ってる家は持ってる、とくに北国
林業に馬は重宝されました
>>371>>372 お答えありがとうございます。
場所は岡山県の山奥です。
今、手元にないのでうpできませんが
和・鮮 ←鮮に○
農・蕃 ←蕃に○
となってたと記憶してます。
>>345 山口県だけじゃなく、全国的に祭祀継承者がいなければ無縁仏になる。
戸籍でも過去帳でもわからないことは、有名な家でもなければ調べられないと思われる。
>>359 「数が少ないからうちの一族だけ、数が多いから他の一族も混じっている」とは言えない。
基本的に、苗字が生まれた時代が古ければねずみ算的に家が増えていくし、
勢力が強ければ増えやすい。
領主・藩主などは、分家に同じ名字を使わせずにその苗字が増えなかったけど、
それはまた別の話。
あなたが知らないだけで、他にも一族だけの苗字なんてたくさんある。
多くの苗字は地名に由来するからありきたりになる。とくに古い領主ならありきたりの苗字
苗字は、平安末期辺りから同じ氏でも別の土地に住んでいる一族を区別する為に苗字を付ける様になったらしい。
うちの場合は、氏=地名そのものだったから区別する必要もなく、天皇から苗字を戴くまでは、苗字は使っていなかった。
>>377 通常は天皇が苗字を与える事は殆どなかった様だが、実際うちの場合は、後醍醐天皇から頂いた。
もらった日にちもはっきりしているし、後醍醐天皇の短歌集の中にも詠われているから間違いない話。
>>379 信じられない。何かの間違いだろ。
自分の苗字は書けないだろうから、
他の苗字の例を教えてくれ。
>>380 間違いなんかじゃない。 天皇が旗を挙げて全国の武将を集めていた時に、有る所で天皇を脅かす事件があった、それを解決し天皇を救ったので、お褒めのお言葉と共に、苗字と紋をいただいた。
短歌集の歌の歌い手の名前も知っているし、歌の内容もはっきりと覚えている。
賜姓と言って氏姓を与える事は有ったらしいが、うちの氏姓は由緒正しいものだったから、苗字を与えたのではないかと思われる。
もしかしたら、その時に宿禰の姓を頂いたのかもしれない。 それ以前は、臣の姓だったから。
苗字とは違うかもしれないが、中臣鎌足が藤原を賜ったのは有名な話。
これは氏だが、似た様な物だろう。
後醍醐天皇の時代になると本姓の他に苗字を持つ様になっていたから。
法螺話いい加減にしろ
日本史板なんだからさっさと史料出せよ
天皇が苗字を与えた例は貴方の家以外一切見当たらない
たった苗字や氏姓 と言う言葉だけで報償と成るんだから安い物だ。
後醍醐天皇から戴いただけでその後も代々南朝を助けたのは言うまでもない。
ただ不思議なのはその時戴いた家紋を使っていない事。
多分、守護として送り込まれたのが味方には同じ家紋を使わせたからでは無いかと思われる。 うちは若干モディファイした家紋を使ってるが。
奈良時代から貴方までの歴代当主の名前ははっきりしてるの?
何代目なの?
江戸、平安、南朝、戦国あたりはどんな立場だったの?
貴方が発掘した先祖話なのか、誰もが周知の話なのか
なんか一気に嘘くさいスレになったなw
>>387 分家は家紋をモディファイされるからな。
>>385 資料なんか出したら、2ch 何かに出入りできなく成る。珍しすぎる苗字だから。
>>389 はっきりしている。 ただ、もらった家系図が家の中の何処かに有るはずだが、探しても見つからない。
もらった人からまたコピーして貰う事も可能だが、恥ずかしくてできない。
もらった人もお父さんも神主で、一族神主修行をしている。
地頭になったあとの党主の名前はWiKi にも出ている。 地頭になってからは36代目位。
最初の氏から18代後の人が副将軍として出てくる。その人から家祖とする人まで何代有ったのかは知らない。
家系図を見つけて数えればわかるはずだけど。
>>391 奈良時代以前は、色々記紀に出てくるが、平安時代には、余り歴史には出て来ない。
戦国時代は源頼朝を助け、地頭に任ぜられる。
これ以降は、家系の伝記にはっきり書かれているから詳細にわかるけど。
南北朝時代には南朝を助け、懐良親王の信も厚かった。
豊臣秀吉時代に社領を取り上げられたので、村人からの寄進による田畑だけで祭り事を行っていた。
勿論それ以外にも武士としての俸給はあったはずだが。
江戸時代には、神社の傍寺小屋を開いたりしていたらしい。
明治以降も宮司の傍教師をしている人が多い。
某超有名進学校の校長も出ている。
手前勝手なお家自慢されてもどうしようもないんだが
特に先祖探す際のエピソードとかもないようだし、とりあえず後醍醐の短歌集とかいうの持って来いよ
>>396 平安時代に歴史に出てこなくなったのは、京都に移住した人達は別の氏を名乗り追いかけることができなくなった事も大きいと思う。
奈良の古代の郷に居続けたのは、直系では有るが落ちこぼれに近いのかも。
>>397 短歌集は、国会図書館を検索しても出て来ない。
誰かどうしたら見つける事が出来るか知らないかな?
直接国会図書館にいけば見つけられるのかな?
なくなってる訳は無いと思う。
検索したってことはタイトルは分かるだろ書けよ
>>392 鎌倉時代以降は本を買えば誰でもわかる話。
それ以前の本姓について調べたのは自分。
勿論その本にも記紀の話も入ってるが、それだけでは良く判らなかった。
調べる上で一番参考になったのは、神社の名前とそこに祀られている祭神の名前。
同じ名前の神社でも祭神が違えば別系統。
おまえら…もう武士の情けで許してやれよ
やっぱ妄想ばっかだなw
国会図書館でないならそんな短歌集なんて元からないんだろ。あるっていうなら前でも言ってるけど題名言えよ
あと鎌倉時代以降は本を買えば誰でもわかるとかワロタ
>>364 神社と侍は同じではない。
例え武力を持っていたとしても寺社はあくまでも寺社。
最近思うんだ日本の家柄ってのは土地に宿るんだよ。
うちも天皇に貰った苗字なんだけどおかしいのかな?
>>403 国会図書館はネット検索できるのはほんの一部だけだよ。
古文書はおろか、風土記ですら検索できない。
最初のレスだけならふーんで済んだものが、
言えば言う程うさんくさくなって来るなw
>>406 元々、氏=地名だったからね。
その後の苗字も地名を名乗ることがほとんどだったし。
先祖探しには家紋も大雑把なヒントにはなるね。
家紋=家系では無いけど。
まあ傍証の1つ…ってとこかな。家紋。
墓掘ったりとかはどうなんだろ?
>>405 大きな神社だと兼任と言う事はなかっただろうけど、地方の小さな神社では宮司で有り侍大将でもあった。
もちろん大きな神社でも大きな武力を持っていたのは言うまでもない。
ウチの先祖は国造
>>415 古墳などだったら埋葬物も有るが、普通の墓にはほとんど埋葬物は無いだろう。
それよりも、墓石の銘文や家紋などの方がヒントには成る。
明治や江戸時代位までなら戸籍をたどれるだろう。
>>421 ひいひいじいちゃんまで土葬だけど
関西
普通土葬じゃないの?
江戸時代の墓石に家紋か゛入ってるって普通?
>>423 え? 知らなかった。うちの墓地は土葬なんかだと到底できないくらい密集してる。
勿論一族だけの墓地。
>>425 地域によるんかね?
うちは田舎だからか埋墓と参り墓が別になってる
後醍醐天皇から苗字をもらってるケースがいくつか見つかった。
特に下の王身代は、本姓は残したままだから、苗字として賜っている。
ネグラ 塒 鳥取県、広島県。創賜。初代の助右衛門が、後醍醐天皇を雨戸で作った箱状の「ネグラ」に泊めたことから賜る。
オウシンダイ 王身代 鳥取県。創賜。後醍醐天皇が隠岐より帰還の際に大山寺侍の槽谷長政が身代わりになったことから賜る。「王の身代わり」の意。本姓は槽谷。
>>427 それらは貰ったんじゃなくて自分で名乗ったんだ
>>425 明治以前は普通土葬だよ
その密集した墓の他に埋墓もあるでしょ?
>>428 賜ると言うのは、もらった事。
最初の塒は、百姓見たいだから自分で苗字を名乗ることは許されていなかったはず。
>>429 埋墓が有るのは知らない。 神社と寺が一緒になって居た時代が有るから自然と荼毘に付すのが当たり前に行われて居たのかも。
>>431 勿論近くには、近所の人達が土葬にした地域が有り、彼岸花が咲き乱れている。
後醍醐天皇 苗字を授け
埋めるとき穴掘ってると先祖の骨が出て来て大変らしいぞwなんせ千年分の人骨だからな
>>436 詳しく書くと身元がバレるから書けないが、大雑把に言うと天皇の身に危害が及ぼうとしたのを一人で未然に防ぎ、、、直接天皇を助けた。
当時は、既に本姓のある郷からは出て居たので、本姓と区別する為に苗字を与えられた物と思われる。
441 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 14:55:21.09
なる程、天皇を銃弾から守ったってことか。
>>440 郷土史や、神社誌に書かれている。文禄時代に書かれた家譜も残って居てそこにも記述されているらしいがそれはまだ見たことがない。
武家社会になり、源朝臣とか藤原朝臣を名乗るのも増えて来ている時期だから、本来の姓(かばね)を与える有難さが薄れ(朝臣の上は天皇と同列の真人しか無い為与えられなくなった)。
本姓の氏をもらったところで、例えば源朝臣を名乗ってる人にとっては有難迷惑。
だから自然と姓を与えると言う事が苗字を与えるという行為に変わって行ったのではないだろうか。
勿論、源朝臣を賜姓したケースも有るから完全に本来の形態が無くなった訳では無い。
うちの場合は、姓を臣から宿禰に1ランク上げてもらったようだ。(本姓の郷には朝臣や真人を名乗る人たちが残っていたはずだが。)
お前の妄想はスレ違いなんだけど
そんなにすれ違いだとは思わないが?
知らない事実が何処かに書かれているかもしれないから、根気良く探し続ける事だと思う。
これから調べようと思ってるのは、空白の平安から鎌倉までの間。
昔の郷に一度も行ったことがないから、行って調べて見たい。
自分の家の文書もまだ拝んだことがないから近いうちに見に行って見たい。
ネットの発達で意外な事実が出てくる可能性は増えて来ていると思う。
>>445 何しろ名前の読み方を人に説明するのも疲れるし、自分の苗字をPCに入力するのも辞書登録してからじゃないといけないから大変だった。
自分がネット上の人名辞典に載せたりいろいろして来たのでやっと人名辞典にでてくるようになった。
でもまだまだ間違いだらけの読みが出てくる。
447 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:20:43.60
「詳しく書けないけど、凄いんだぞ」と言われても材料がなければコメントのしようがないのに、
何の目的でここに書き込んでいるの?
少しでも材料があれば心ある人がいろいろ教えてくれるかもしれないだろうに、それもしないのは不誠実だよ。
448 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:28:38.76
思うんだけど鎌倉とかの書物読めるのか?
読める保存状態にあるっていうだけでもすごいが
ネットde家系とかふざけてるだろ
その上遡及の原点の資料は確認してないんだからな
名字が珍しいか知らんが、その辺の藤原さんが名字自慢してんのと同じじゃん
話の種にはなってもこのスレの姿勢に合ってない
450 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:35:46.04
たぶん
江戸時代くらいの先祖が捏造した伝承を元に郷土史が作られた
というオチだと思う
>>447 ごめん、何処にでも有る名前ならいくら晒しても構わないんだけど、下手に晒すと家族や親族に迷惑をかけるかもしれないから出来ない。
珍しい名前と言うのは結構気を使うもんなんだよ。
歌集も探してもらいたいのは山々なんだけど、さらすと多分すぐに身元がバレる。、
もう帰ってくれ
453 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 18:25:39.35
今来たので悪いが、歌集を探す目的なのだったら、
国書総目録と古典籍総合目録で調べてから、
所蔵図書館に問い合わせるとかすればいい。
尤も、あの本に出ていても、研究者でも見せて貰えない所蔵文庫は
たくさんあるけどね。ただ、その場合は、東大史料編纂所図書館に
利用申し込みして、引用書などを相談して調べて見ることをお奨めします。
このスレはどうすれば身バレせずに信じてもらえるのだろうか。
>>439 お前の身元に興味ねえんだよ。
そのご先祖の苗字名前教えろよ
>>451 お前みたいな現代のカスに興味ないの、分かる?
>>455 ここは自分の家系を説明するスレじゃないから。
459 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:16:23.43
>>459 そこ今は動いていないのでは?
検索できない場合は無いと出てくるけど、ヒットしたと思える場合に真っ白な画面が出てくる。
>>3 参りました。
ぐぅの音も出ませんw
ただ、昔だから、今と違って交通網も発達してないから、
近親婚というか、遠縁との婚姻を重ねるケースとかも多かったとは思うが。
ただ、あんまりそれやると障害児が生まれるが。
中国とかは近親婚が非常に多く、障害児が多かったらしいね。
462 :
日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:40:50.59
463 :
453:2012/01/15(日) 23:46:07.14
問題なく検索できるよ
464 :
453:2012/01/15(日) 23:50:14.18
表記が少しでも違うと検索で出てこないから、題名の一部分や、漢字一文字ずつで
and 検索すれば出ると思うよ
>>461 まあ近親・遠縁婚もあったろうが、
20代も遡れば先祖のあちこちに同一人物が出てくるだろう。
かなり極端な話をすれば、20代前の先祖が100万人どころか、
先祖代々がある土地に定住して郷村内で婚姻を重ねてきたような場合、
500年前当時そこに住んでた100人程度の村民が先祖の全てである、
なんてこともあり得る。
>>462 あ、出て来た。 さっきはメンテナンス中だったのかも。
でも探してる名前では出て来ない、ちよっと違ってるのかな?
ゆっくり色々なキーワードでトライして見ます。
>>465 その通り、確かに血縁という事であれば、
>>3の言うように先祖の数は膨大になるが、普通そういう風には見ない。
家系と言うのは直系をたどって行くから先祖をたどればたどる程数は少なくなって行く。
468 :
日本@名無史さん:2012/01/16(月) 00:54:18.34
自分の苗字の先祖を辿っていくスレかと思ってた。
女系は確かに血縁だけど向こうは向こうで家督が在るわけだから。
>>468 それが普通だろ。
母方が有名家系ならそちらも遡れるだろうけど中々そんな家系は少ない。
470 :
日本@名無史さん:2012/01/16(月) 04:01:01.05
先祖調べをしていくと、祖父母、曾祖父母、と八家、十六家とみんな調べる
ようになる人も多いよ。
もちろん、大先祖を調べることが出来る家の方が少ないけど、気長にやっていくと
手掛かりが突然つかめたりするから、父方だけに限定しない方が良いと思う。
471 :
日本@名無史さん:2012/01/16(月) 04:57:59.21
>>470 賛成。っていうか俺はそうやってる。
案外成果があったりするもんだよ。
同好がいることがわかり、そこの系図がもらえたりして楽しいよ。
逆もあって、墓に待ち伏せしてた超遠い親戚がいた時はびっくりしたが。証拠だっている系図ももらった。
フツーなら怪しいと追い返すかもしれないけど、俺が高祖父の姉の名前を知ってたのでその子孫だとわかった。
472 :
日本@名無史さん:2012/01/16(月) 06:23:58.83
母親の影響を受けて育ってるので、自分は母方の家風に染まってる。
母方を辿って、自分の精神的ルーツを確認して、凄く納得した。
473 :
日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:05:08.17
>>472 子育てってたいていは母親との時間が圧倒的に多いから、母方の教えや伝統みたいなものが色濃く出がちって聞いたことある。
核家族な今は余計にそうかもしれないよね。
うちは父方の土地に暮らしていたが母方の影響の方が大きい気がする。
うちは離婚して母方の家だから、専ら母の父と母を遡って調べてる。
父方も調べてみたいが…。
母方のおばあちゃんに育てられた。どの先祖を探すのがいいだろうか?ばあちゃんでいいかな?
476 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 01:09:29.14
>>475 ばあちゃんのルーツは調べてリスペクトしないとあかんでしょ!
うちは8代続けて婿養子だけど辛うじで続いてる
そう言えば名家って断絶率高いよな
うちは名家でもなんでもないけど
478 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 01:57:08.14
<<477
そういう家ならなおさらいろいろと調べてみると、婿養子さんの家と
先祖代々いったりきたりしてたり、時には大先祖も同じだったりすることもあるよ。
479 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 12:28:43.43
自分の色んなルーツを知ると、最終的には人類皆兄弟だと感じる。
480 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 13:26:12.68
>>450 >> × たぶん 江戸時代くらいの先祖が捏造した
伝承を元に郷土史が作られた というオチだと思う
〇 たぶん 幕末OR明治初期、時代くらいの先祖が捏造した
伝承を元に郷土史が作られた というオチだと思う←(これ、ガチ)
ソース
「明治19年式戸籍が役所に存在するか存在しないか?(2012年1月17日現在)
482 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 18:42:16.25
僕んちは「や〜めた」って言って戦から逃げて帰農した。
元々はかなり身分が高い武士だったけど。
>>482 ここは先祖のエピソードを語るスレではない。
484 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:51:45.24
>>483 僻み乙。木曽義仲の家来の家来だからかなり歴史がある。
戦いに疲れて農村に逃げ込んで、それ以来岐阜に住み着いた。
妬みが酷いな。 何でも良いじゃないか、先祖が有る程度まではっきりしてても、それ以前を探し続けるのは同じなんだし、昔になればなるほど探すのはむつかしくなるんだから。
何が妬みなんだよw
何でもいいとか言い出したし、訳の分からん自慢なら余所でやれよ
日本史を勉強してるわけでもなく、日本史好きとか言っちゃう子はただのロマンチストな場合が多い。
488 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:28:29.08
>>488 それは禁句だろう。
上には上もいるし、くだらない煽りはやめた方が良い。
490 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:55:30.84
>>489 先に刀を抜いたのは向こうだけど?
武士相手に刀を抜いたことを後悔させてやらねば!
491 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 01:37:04.05
>>484 義仲軍から離脱して岐阜?胡散臭い話だなw
もう次スレは立てなくていいよ
先祖が岩手県の藩士だったということまでわかりましたが、明治5年までで遡りがとまってしまいました。
東京の図書館で文献を調べてみたのですが何もありませんでした。
この場合、岩手まで赴き図書館などで資料を得られる可能性はありますでしょうか?
また、ほかに何か可能性のある調べ方はありますでしょうか?
どんなささいなことでもいいのでご意見いただけると嬉しいです。
495 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 11:49:26.13
>>494 うちの場合
○○藩士 苗字 でググってみたら数名ヒット
これが自分の先祖に該当するかどうかはその市が販売している(または県立図書館に置いてある)○○藩の名簿で確認。
※ひとりいくつも名前があって大変だった
ネットでは○○藩のあった県ではなく、かつてその藩の飛び地のあった隣県で活動してた記録が出てきたりもした。
やはり○○藩のあった市町村の図書館には資料がたくさんあった。
あと市役所の市史研究担当あてに、かつて○○藩に先祖がいて調べていると用事ついでにメールしたら、
その人物について記載されてる資料があればまとめておくとも言われたことがある。
ザックリ書いてしまったが何かの参考になれば。読みづらくてすまぬ。
>>495 ありがとう、本当に参考になりました。
とりあえず同じようにネットで調べてみましたが情報はありませんでした。
時間見つけて現地の図書館で資料を探そうと思います。
同様に、市民課にも情報がないかどうかメールを送ってみることにします。
497 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 13:05:25.54
>>496 ただその資料、藩や土地の歴史や藩主についての物はたくさんあるのだけれど、藩士の個人特定となると名簿以外では難しいかもしれないです。
遠方になるならもう少しヒントを集めてからの方がいいかも?
あとうちは家紋がお墓の特定に役立ちました。
城下町にあるお寺さんに今も御先祖様が眠っている可能性もあるので、市史研究している方や城下町の案内所の詳しいオジサマなどに○○藩士が眠るお寺をいくつか聞いておくといいかもしれませんよ。
事件に関わってたり重役についてれば情報多いけど
普通の藩士だったら難しいな。
>>494 >明治5年までで遡りがとまってしまいました。
これは戸籍調査? 墓石調査?
500 :
日本@名無史さん:2012/01/18(水) 14:32:35.59
岐阜笑
>>450 ×たぶん
江戸時代くらいの先祖が捏造した伝承を元に郷土史が作られた
という『オチ』だと思う
〇たぶん
江戸時代くらいの先祖が捏造した伝承を元に郷土史が作られた
という『ガチ』だと思う
>>503 しつこい奴だな、ウザい。
人の事なんかほっとけ、それとも羨ましいのか?
505 :
日本@名無史さん:2012/01/19(木) 17:39:06.50
うちの町は長年君臨した町長が郷土史を都合よく書き換えた。
古い神社と有名な社家の分家の旧家があるんだけど
町長の家(一応武家)より格上扱いだった社家の歴史を抹殺。
>>505 いつの世もそんなもんだ。
日本書紀しかり、新撰姓氏録しかり。
509 :
日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:37:22.49
千葉県の某市史も、酷いもんだよ。俺の母方の先祖が名主をしていた
村の記載なんか名主がいなかったことにされてるほど。
明治になってから、引っ越して初代市長になってるんで単なる記載ミスでは
あるんだけどね。
511 :
日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:39:02.71
>>509 じゃあただの記載ミスじゃん
指摘して訂正してもらえばいいだけの話
くだらない
512 :
日本@名無史さん:2012/01/20(金) 00:43:51.87
でも郷土史ってよっぽどの家でなければ各家が自主的に調べて、それを郷土史家がOKだすと町の
広報誌や郷土史編纂時に参照にするわけで。興味なく資料が眠ってる家は当然郷土史上は残り辛い
大阪だけど武士の子孫にあったことないな
大阪だからかな
514 :
509:2012/01/20(金) 14:49:32.98
>>511 すみません。なんだかただの自慢みたいな書き方で悪かったです。
実はもっとシビアなんですよ。
代替わりしていて、名字も変えているので、全くの別家にされちゃってるんだ。
515 :
日本@名無史さん:2012/01/20(金) 15:30:25.60
>>514 別に自慢とも思ってないよ。
失礼だけどそこに至る理由があって、それを訂正しない理由もあって、それで納得してるお宅なんでしょ?
文句言うのはお門違いなのでは。
そんな愚痴よりエピソードがほしいよー何かないの?先祖調査のエピソードとかさー
うちも千葉県某藩の出だから何か書いてよ、参考にしたいし。
うちは藤原だからまんま藤原氏だわ
はいはい
>>514 百姓に恨み買ってるから目立ちたくないんだろ。
>>519 明治に藤原に戻したらしいので間違いないです
明治に戻したんじゃなくて明治に藤原って苗字選んだだけだろ
てか藤原氏の宗家でさえ藤原名乗ってないんだけど
>>521 いや、だから○藤から藤原にもどしたんだって
ギャグだろ
>>521 宗家じゃないからこそ姓が残ったということも考えられる。
鎌倉時代以降は藤原と違う苗字を名乗ったから、
藤原という苗字はそれ以前に分家した家の可能性があるだろう。
藤原って苗字だから藤原氏とか釣りで言ってんのかと思ったらマジで言ってんのかw
あのさぁ藤原って苗字だけで藤原氏なら全国に何人もいるんだよ
どうやって辿ったかぐらい言えば?
藤原は珍しい苗字だろ
>>526 マジでそんな事思ってるのか?
全国46位の非常にありふれた名前だよ。
小学生か?
528 :
日本@名無史さん:2012/01/22(日) 13:11:16.62
藤原は大阪、神戸あたりを中心にとくに近畿に多い苗字。
うちは北海道だけど昔関西から来たときいてる藤の字からたどるに昔は藤原摂関家といって天皇に仕えていた家柄らしい
藤の字からたどるのがふざけてる
家柄なんて分からないから馬鹿にしてない
お前のことは馬鹿に違いないと思ってる
家柄を馬鹿にしてるわけじゃなくて、先祖探しの方法がおかしいと言っているのだろう。
何がおかしい
摂関家の苗字には藤の字が含まれてないのにたどれるのがおかしい。
藤原摂関家の分家で○藤になって北海道にきて藤原にもどした
537 :
日本@名無史さん:2012/01/22(日) 20:56:25.61
つまりさ、信憑性がない調査じゃ笑われるだけなんじやないかなぁ?
例えば、その戸籍から辿れた一番古い先祖の出身地やお寺を調べて
そこにいる同族などが確認できて、なおかつその一族の出自が藤原姓
だと確認できてとか、そういうのがないと、なんとも妄想みたいでしょ。
538 :
日本@名無史さん:2012/01/22(日) 21:10:57.00
そもそも摂関家の嫡子以外はほとんど出家しているから分家も限られているし、分家の系図もはっきりしているので、詐称するなら摂関家以外にした方が良いよ
琉球の武士の子孫らしいんだけど琉球に武士っていたの?
541 :
日本@名無史さん:2012/01/22(日) 23:31:07.05
>>529 藤の字からたどるなんて不可能。
ヒントにはなるだろうけど。
かなりの証拠を積み重ねないと誰も信用しないだろう。
>>539 折口信夫によると、尚王朝は名和氏の一族らしいw
第二尚王朝も鹿児島かどこかの家に連なるとかw
武士という言い方をしてたかどうかは別として、兵士はいたでしょ。
ボクシングの具志堅と渡嘉敷、渡嘉敷は王の家系で、具志堅は兵士の家系って言ってた。
現代では逆ですけどね(笑)とも言ってた。
545 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 17:08:40.54
小石という名字は小石=宝石だから王族関係。藤姓なんかとは違う。
546 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 18:57:46.29
武蔵御嶽神社の濱名氏は江戸時代に失脚したらしいのだが
その濱名氏一族がそのあと何処に行ったのかてがかりはないだろうか?
548 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 20:01:34.08
>>547 別格だからね。うちには立派な家系図があるし
江戸時代には何代か襲名してるから。
位の高い武士じゃないと襲名なんかしないからね。
549 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 20:33:35.82
それに庭を掘ったら不思議な壺が出てきた。
歴史のある家だからだと思う。
551 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 21:25:28.06
三井八郎右衛門って位の高い武士だっけ?
なんだ?一人が繰り返し釣り針垂らしてるのか?
小石家は宇宙皇帝の末裔ってことでいいよ。
>>548 別格でも何らかの神に繋がっていなければ、ユダヤの王と言うのと同じ。
紀記に出てこない王族なんて有り得ないんだけど?
555 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 01:02:36.25
小石が宝石って…。まだ玉田の方が可能性あるだろ(笑)。
>>540 摂関家分家っていうだけでもはっきりしてるところはかなりあって、
閑院流、水無瀬流、中御門流、御子左流、花山院流(大炊御門・難波含)、
と5つの大きい分家の流れがある。
それから後はもっとはっきりしてて、各摂家毎に、
近衛なら常盤井、水谷川、鷹司なら華園、九条なら松園、鶴殿、
二条なら富小路、相楽、一条なら醍醐
が分かれている。
公家としてちゃんと残った家は系図も日記もかなりあるので、下手な嘘は通用しないだろう。
まあ一方で、公家の庶子を荘園つながりで地方の富農の養子にしたりもしてたよう
なのでその系統だと主張するなら、系図じゃ追い切れないけどね。
557 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 01:08:25.26
沖縄は、戦災でやられなければ、お墓に詳しい墓誌が銘板か何かで
残ってた筈だよね。
武士っていうより、按司という豪族までたどれるでしょう。
558 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 01:56:36.73
559 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 07:48:12.58
閑院流分家を「摂関家分家」とは呼ばない
560 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 07:57:39.01
561 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:22:37.74
>>556 摂関が世襲となり摂関家が成立したのは院政期
それ以前に分家したものが含まれるのはおかしいし
そもそも摂関家成立以降に分家した家は皆摂家だしな
(いわゆる五摂家。初期には一時期松殿家があった)
562 :
171:2012/01/30(月) 21:22:47.41
久々の書き込み失礼いたします。
183さん、その後進展はありますでしょうか?。
メールも毎日確認しておりますので状況のほどご連絡お願いいたします
563 :
日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:11:58.42
武蔵御嶽神社の神主である濱名氏は江戸中期頃に失脚した後
何処へ去ったのか?
佐藤だから藤原氏だってじいちゃんが言ってた
565 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 19:53:00.79
佐藤基信は源義経の落胤
藤姓とはかぎらない
566 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:14:19.97
薩摩藩士の士族帳ってどこにあんねん
568 :
556:2012/02/08(水) 00:44:50.61
>>561 語句の定義をどうするかってことかと。
俺は「摂関経験者の子孫」という一番の広義で書いてみた。
「摂関家の分家」といって間違いとまでは言えないだろうという意味で。
だから、基経の子孫ということで、清経の高倉流は含まずに書いたよ。
まあ、解釈の問題だから、どっちが良いってことも無いんだろうけれど。
おっしゃるとおり松殿とか絶えたとされる家も含めれば、もちろんもっと増えるよね。
569 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 07:48:44.28
>>568 平安時代中期には摂関は世襲ではなかったから
「摂関経験者の子孫=摂関家分家」というのはおかしい。
基経の子孫を全部摂関家分家といったならば、
藤原北家の流れはほとんど皆摂関家分家になってしまうよ。
摂関常置にすらなっていない時代の基経をさして
「摂関家」というのはおかしいってこと。
570 :
日本@名無史さん:2012/02/09(木) 13:34:01.84
そんなに厳密な用語を使ったってね。摂関家のながれをくむ家ってことでさ。
親戚のおじさんあたりに説明するんじゃOKだろ。
実は、俺は、法事の席で常識的に通じると思った用語表現で、自分が調べた先祖のことを
むしろ好意を持って話しただけなのに、あいつは先祖を馬鹿にしていると
逆恨みされた苦い経験があるよ。
571 :
日本@名無史さん:2012/02/10(金) 11:23:59.11
先祖が戦で負けたり、何らかの失敗をしたり、正室以外の腹であったり、という歴史をちゃんと正視して考えられない人っているよね。
系図をつくっても、「あそこの家は載せるな」みたいな。
572 :
日本@名無史さん:2012/02/10(金) 13:20:17.89
>>570 学術用語的に摂関家成立は院政期頃だよ
鳥羽天皇の外戚が摂関を望んだにもかかわらず退けられ
血縁関係のない藤原忠実が摂関となって世襲となったのが始まり
親戚のおじさんに説明する流れで日本史板に書き込まれてもな
573 :
日本@名無史さん:2012/02/10(金) 19:03:54.09
つまり王家連呼じゃ誤解されて損するってだけのはなし。
574 :
正宗:2012/02/11(土) 00:22:03.27
先祖がとある藩公の御抱え刀鍛冶師らしいのだがどのようにして調査したらいいだろうか?
575 :
日本@名無史さん:2012/02/11(土) 15:23:22.36
人に訊ねるときに「とある藩公」などと曖昧に言う時点で論外
576 :
日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:12:48.27
刀剣柴田さんにでも聞けば?
>>574 まずは現在持っている情報でググる。
藩名、刀工名、苗字など。
578 :
日本@名無史さん:2012/02/11(土) 22:17:53.14
何藩の何という刀工かぐらい晒しても、何の問題もないことが分からない
人に調べられるとは思えない。ゴメン。
>>574 分限帳とか家臣録あたりに
のってるかもしれないね
扶持米とか出てたろうし
ただ、名字か書かれてない場合もあるから、自分のとこの系図あたりを調べとかないと
うちは男爵だったから割りとはっきりしてる
造り酒屋らしいんだけど何かな?商人?
>>581 色々な身分の人が酒造業を始めたようだから、それだけではわからないと思う。
584 :
日本@名無史さん:2012/02/15(水) 00:45:27.27
除籍謄本に記載されている曾祖父の出身地の電話帳を調べてみたら、まだその住所に同じ名字の人が住んでいるみたい。
調査に協力してもらうのが一番の近道だろうけど、気をつけるポイントとかマナーなどある?
いきなり100年前に分かれた縁戚が来て仏壇や墓の資料見せろ言われても普通気持ち悪がるよな…。
>>513 俺も同じだ。「士族」という言葉は歴史の話をするときしか耳にしない。
代々散髪屋なんだけど江戸時代差別があったって本当ですか?
>>586 そっか? 昔は医者を兼ねてる事も多かったんだぜ
590 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 01:11:23.36
>>584 過去スレというか、本スレのテンプレにあった手紙を出してみてから聞きに行くと言いよ。
591 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 01:13:25.32
実際にそういう類いの聞き込みみたいなのやってみた人いる?
592 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 01:30:42.32
手紙出さずに、直接行って二軒聞いた。
電話だけで、手掛かりを教えてくれたのが二軒。
電話してから行ったのが一軒。この五軒は凄く親切で大成功した。
親戚らしき家は無視して、近所のお墓を調べて成功したのが三軒。
電話して、嫌な目にあったのが一軒。
>>584 本スレは「先祖探しのテクニック、エピーソードを語るスレ」だったかな?
15くらいまで行った。
593 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 04:55:43.45
>>584 うちも明治時代から住所の変わらない家(A家)があって、訪ねるか手紙を書くかで迷っていたんだけど
偶然別の親戚が近所にいて(導かれたのかも、ビックリ)
とりあえずそこに直接行ってみた。
家系図と取った戸籍全部、自分の身分を証明するもの、そして住所名前電話番号など、信用してもらう為に個人情報は全て渡しました(いきなりで警戒するだろうから)
凄く良くしてくれてお互い色々な情報交換ができたけど、そこの人には
こんな世の中だからA家への接触は控えた方がいいのでは、と言われました。
歴史調査している方にも『どこかでストップがかかることは良くあること』と言われました。
ゆくゆくはA家にも接触するつもりですが、手紙を書く場合はまず、
趣味で先祖調査をやっていてたどり着いたこと、
該当するかの確認(系図をつける)、
差し支えなければその返信がほしい旨(返信用ハガキを同封)、
を書くといいそうです。
長くなってすみません。
うまく繋がるといいですね!
594 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 05:02:01.28
ちなみに、接触できた親戚がそうだったのですが、
自分の親族間で遺産相続等で揉めた過去があると、かなり警戒されるみたいです。
当たり前のことだし仕方のないことだけど、下心がない分微妙な距離がちょっと寂しいw
今の流れすごく参考になるわ
自分もひょんなことから先祖を辿っているのだが、
謄本や旧土地台帳などからさかのぼると最古の先祖は天保時代まで。
ここを読んで(祖父母とも同じ県出身だから)春になったら一度行ってみようと思っているよ。
四代前までしかわからないけどヤバイかな…?四代前は長屋暮らしで大阪で商いしてたみたい
調べた方がいいかな?心配なってきた
598 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 22:17:05.54
テレビで堂々と「藤姓は藤原氏から。」だなんて放送してましたが
あれを鵜呑みにしてしまう人もいるでしょうねえ。
実際は地名からついた人が多いでしょう。
つまり藤原氏由来の伊藤さんや加藤さんとそうではない伊藤さんや
加藤さんがいるという事です。
苗字のサイトでは貴族由来の姓は全体の6%だとされていましたし
私の苗字も全国では100世帯程度で成立は平安期まで遡ります。
599 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 22:28:11.42
まあ江戸期の墓を何基も保有しているような家の方は、
戸籍調査によっては判明しない事もままあるでしょうし、
むしろ郷土史をよく研究されれば判明する事実もあるでしょう。
600 :
日本@名無史さん:2012/02/17(金) 12:45:59.85
601 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 08:45:08.61
>>597 よくわかんないんだけど、何が心配なんだ?
士族や代々継いで商売してた家以外は四代(戸籍でわかる分?)わかれば十分な気もするけど。
>>596 役所に原戸籍取り寄せ頼んだら
「こちらでとれるところまでお送りしましょうか?」と向こうから言われて
祖父母合わせて7部分(5000円以上の定額小為替送って)届いたよ
それだけで7代前まで辿れた
603 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 10:00:17.91
>>602 七代前って凄いな
うちは戸籍では五代前までしかわからなかった
ちなみに四代前で幕末生まれだ
うちは苗字帯刀だから藩の記録を調べることができれば
江戸初期までたどれるかもしれん。
605 :
日本@名無史さん:2012/02/19(日) 13:13:40.44
平民と士族、名字帯刀と郷士(郷士格)は地域差が大きいね。
田舎の外様大名なんかでは、名主・庄屋階級は、郷士・名字帯刀がデフォだけど
天領や関東の親藩・譜代の大名領では、大庄屋(五郷取締名主)でも名字帯刀をゆるされたとしても平民がデフォ
と言って、関東の幕府の直轄領の代官は、そんな農民階級出身の禄高の低い武士。
ところが、ごく小さな知行地の旗本領では名主が、名字帯刀で郷士格だったりする。
だから、単純比較はナンセンス
606 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 09:15:00.93
ある地域の中だけに同じ苗字が固まって住んでいる事がよくあるけど、あれって何か由来があるの?
身分的にはどういった人たち?
旧村地域だと村役人の家とその分家がほとんどでしょ
608 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 14:07:44.97
自分の家が名乗っている苗字が武家の家系でないと、先祖が武家だとはいえない。
無数にいる先祖の一人に武士がいることを以って、うちの先祖は武家であると詐称
している人が多いように思う。割合的には、武家の家系である人は日本国民の1割にも満たないはず。
>>606 俺が知ってる範囲では、室町時代まで遡れる城代の分家とか、
平安時代まで遡れる豪族の分家などがある。
611 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 22:41:26.78
>>608 どの時代のどういう武家かにもよるでしょう。
室町時代もいれば戦国時代もあって江戸時代もあるし
家禄にもよるし。
612 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 23:00:37.96
>>608 その 名乗ってる苗字 って例えばどういうの?
うちは江戸初期からの記録や墓があって(それ以前は今調べてる)住んでた家も残ってるけど(今は観光地)
記録はあっても無名だからよくある武家の苗字的な資料にうちの苗字は載ってない。
でも武家出身です。これは・・・?
煽りとかでなく、単純に疑問なので教えていただけたら嬉しいです。
613 :
612:2012/02/20(月) 23:02:51.06
>>608 すみません、完全に読み違えてました。申し訳ない。
理解しました。
614 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 23:24:12.53
>>612 そこまで分かっているなら、公立図書館にある「姓氏家系大辞典」でその地方のその名字に
ついて調べてみればいい。
それで、どこの流れの家だとわかるから、次は県立図書館などで「系図纂要」などの
信憑性の高い系図で調べる。
615 :
612:2012/02/20(月) 23:30:27.03
>>614 ありがとうございます!
実はその先が手探りでとっちらかった探し方をしていたのでとても参考になりました。
早速行ってみますありがとう!
616 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 00:11:44.78
寺の過去帳と墓石の文字。
このどっちも手がかりないと難しいだろ
617 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 18:33:26.05
本家にある古い過去帳を見てみると、年齢や俗名が除籍謄本と違うのが多かった。
昔ってこう言うの当たり前?親が子供の年齢とか把握してなかったのかな。
>>617 墓石や過去帳に載るのは数え年だからだろう。
名については、成長に応じて複数回の改名をすることも当たり前だったし、
諱もあったりする。
619 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:01:36.80
いやいや、例えば数え33歳で亡くなったと記録されてる人が謄本では満35没になっていたりする。
名前も明治から大正に生きた人や昭和初期に幼児死亡した人の話なので諱があったとは考えにくい…
それを先に言ってくれよ。じゃあミスだろう。
621 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:32:54.16
誰がどう間違えるんだろ。無縁仏じゃあるまいし家族が訂正しないかな。
>>619 数え年は生まれた年を当歳とし、明くる一月一日を以て2歳と考えるから普通にあり得る。
例えば43歳で3月某日に44歳を迎える人間が誕生日前に逝けば、数えでは享年45歳になる。
623 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 21:58:24.53
数え年の理論くらいわかっとるよ。
その理論で35歳の年に死んだ人が数え33歳と表記されるか?
普通に別人だろ
625 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 04:27:02.68
山奥で、役場が遠かったり、雪深い季節などでは届出が遅いのは当然。
しかも、乳児死亡率が高いから、二〜三歳ぐらいになってから戸籍の届出を
する場合もあり、亡くなった兄弟姉妹の戸籍と入れ替わってする場合もある。
泉重千代翁もその可能性が指摘されている。
626 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 04:28:11.61
替わってする ×
替わっている ○
627 :
617:2012/02/22(水) 10:26:06.62
問題の人たちは
628 :
617:2012/02/22(水) 10:36:05.27
問題の人たちは祖父の兄弟なんだが、兄と姉は祖父が生まれた時に一緒に届け出をされているので
>>625が言っているような状態だったんだと思う。
その戸籍を見てみると、1910〜1945と記載された人が過去帳には33歳、1912〜1922と記載された人が過去帳には10歳と記録されている。
過去帳通りなら、兄弟が同じ年に生まれたことになるから戸籍が正解だとは思うが、親兄弟がまだ同じ家にいる状態でそんなミスがあれば誰か訂正しないだろうかと。
あとは、その兄の名前が戸籍では二○郎だが、過去帳には仁○郎と書かれていたり、●吉さんが●一と記録されていたりする。
昔は厳密に名前決まってなかったのかな。結婚の時に戸籍謄本見て今まで名乗っていた名前が誤字だと気付く人も昔はいたらしいが。
●吉さんは生後すぐ亡くなったみたいだから、正確に名前が決まっていなかったのだろうか…。「きち」と「いち」を坊さんが聞き間違えたとも邪推できるが…
629 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 16:06:34.74
いいかげんな家だったって事は理解した。
630 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 17:12:48.24
つまらんちゃちゃ入れて白けさせるなよ。虚しいだけだろ。
16家系ぐらい調べれば、明治の戸籍なんて多かれ少なかれ齟齬がでるよ。
>>110 間人という名字について青空文庫に興味深い記事があるから検索してみ
過去帳と戸籍のこまかい食い違いうちもあったよ
名前の微妙な違いもあったし、
過去帳は旧暦使ってたみたいで、亡くなった日も戸籍とは違ってた
でも過去帳は戸籍にない情報もあるよね
入籍していない伴侶とか早く亡くなった子供とか
>>632 うちも戸籍と墓誌に違いがあったね。
墓誌では明治中期以前は没年月日は旧暦で
早く亡くなった子供の記載もあった。
634 :
日本@名無史さん:2012/02/24(金) 23:51:38.72
郷土史の研究の他にも祖父母の世代などの親族の
話をよく聞く事が重要です。私の遠祖は有力者でしたが、
その歴史が長すぎるので半ば風化されてしまったようです。
諦めることは簡単ですが、時代を問わず、祖先が有力者の場合には
非常にもったいない事をしていることにもなりますので
財力がある方は家系調査の会社に依頼しても差し支えないと思います。
>>634 有力者でなくとも親族から話を聞くのは面白いよ。
親のイトコから曾祖父の一人が借金を抱えて死んだとか
オジから祖父の早死にした兄弟の死因がアル中だったとか。
こんな俗っぽい話も聞けるw
636 :
日本@名無史さん:2012/02/25(土) 03:39:53.25
>>635 まあ確かにうちにもそういった話はありますね。
例えばこの前も親戚の家に行ったときに
伯父がさりげなく武士をばかにしていましたし
そういう人間的な話も多々あります。
私の祖母の生家は材木問屋をかつて営んでいて
祖母の母はその使用人と結婚したようです。
いわばあの「はいからさんが通る」に出てくる
紅緒の子分になった牛五郎と紅緒が籍を入れるようだなどと
想像するのは楽しいです。でもその曾祖父はあまり働かなくなったようです。
637 :
日本@名無史さん:2012/02/25(土) 22:37:00.87
親戚の人から情報を得ることは重要だと思います。
私の経験では、本家では全く伝承されていなかった先祖の本貫地が
本家の三女の嫁ぎ先の、子供さんにだけ伝承されていた事があります。
分かった事実を本家の人に紹介してあげたら大層感謝されました。
638 :
日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:30:52.50
そうだよね。
ある本に祖母の実家の話が載ったんだけど、
祖母の実家の跡取り夫婦が記者に話したと
思われる内容が明らかに間違っていた。
祖母は、90代で亡くなったけど、亡くなる
3年前までは頭もクリアだったから同居の孫
の俺は色んな話を日常的に聞いてたので、俺
の方が明らかに正しいはず。
でも、社会的に地位のある祖母の実家の跡取
り夫婦が公式見解として言ったとなると彼ら
の話が残されてしまうんだろうなあ…。
639 :
日本@名無史さん:2012/02/26(日) 04:23:32.53
俺の家も、知ったかぶりした郷土史家がまったく別の村の同名の人物と混同して
噴飯ものの記事を、二十年も前に、市史に書き込んでいたことを先祖調査で
市史を見て初めて気が付いたよ。
悔しいんだけど、どうしようもないよ。
640 :
日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:08:25.38
>>639 改訂版出してもらえばいーじゃん
泣き寝入りもったいないお
ご先祖様の為にも今こそ立ち上がれ!
村って人間関係が出来上がっちゃってるから異論を挟むとか難しいよね
役場の人もそういう意識だからそこに住んでない人間が
直系の戸籍請求しても変な目で見られて理由も曖昧なまま却下されたりするんだぜ
642 :
日本@名無史さん:2012/02/27(月) 15:56:20.67
わかってるけどさ。
でも何もしないであきらめるのもね・・・ってお話。
外国みたいに古い資料を電子化して閲覧自由にしてくれたらいーのになー
イギリスのルーツ番組うらやましす
古い村誌とか
役に立つ場合が結構あるね
最近除籍謄本の保存期間延長したでしょ
それで前は出してくれなかったものを出してくれることがあるよ
646 :
639:2012/02/27(月) 21:54:48.13
>>640 >>642 ありがとう。俺頭悪いけど、いつか頑張って
年に何冊か出る市史研究の冊子にでも、謝りを
正した論文記事を投稿することにするよ。
647 :
639:2012/02/27(月) 21:55:53.27
謝りじゃなくて、誤りでした。
これぐらいの馬鹿だから。ふー
648 :
日本@名無史さん:2012/02/27(月) 22:29:51.94
>>647 誤りに気付いた意味がある気がするんだ。
こんなこと言ったら笑われちゃうかもしれないけど、使命っていうかさw
自分も先祖調査で『これは何かのメッセージか?』と感じたことがあったもので。
大きなお世話かもしれないけど、ご先祖様の名誉の為にも頑張ってほしいな。
陰ながら応援してるよ、あなたの努力がいつか必ず実を結びますように!
649 :
日本@名無史さん:2012/02/27(月) 23:23:29.54
>>644 そうなんですよね。
江戸期以前から代々そういった村や町に
住んでいた方の名前はたいていどこかのページ
に出てきますしやはり自主調査が一番納得がいくと思います。
最近増えている家系調査の会社の中には、最初から
平安期までの調査料金を設定している業者もあり
こういう業者は非常に疑わしいと思います。
なぜなら法的に苗字が義務化されたのは明治8年頃だからです。
当時は識字率も4割程度で全世帯に家名が継承されていたとは
考え難いです。
>>645 自分はダメだった。
てかそれで出してもらった例を聞いた事がない。
652 :
日本@名無史さん:2012/02/28(火) 17:18:23.06
旧保存期間過ぎても放置されてたのは今になって出せるだろうけど、旧保存期間過ぎて削除されちゃったのは今更どうしようもないでしょ。
653 :
日本@名無史さん:2012/02/28(火) 18:33:13.13
あと、実際には処分されていなくても、旧保存期間を過ぎていることを理由に
廃棄証明を一度出してしまった除籍については、他の子孫からの請求でも
出して貰えないとかいう、おかしな決まりに関しては、反対意見が強くあって
まだ弾力的な判断がなされるとおもう。
時間がたてばいろいろ閲覧できるようになるかもしれないけど
命がたりないわー
655 :
日本@名無史さん:2012/02/29(水) 01:23:46.22
除籍謄本は期間過ぎてもとっといてくれてるとこ意外と多いよ
656 :
日本@名無史さん:2012/03/01(木) 00:12:07.64
改正原戸籍よりも以前の謄本はどうやっても閲覧できないかな。
657 :
日本@名無史さん:2012/03/01(木) 00:18:20.57
法務局にあるんじゃね?
658 :
日本@名無史さん:2012/03/01(木) 00:49:54.48
存在はしてるんだ!?
でも絶対に見せてくれないよね?w
ごさんべえと言うサイトを見たら自分の戸籍謄本の家計の人たちの家系図が出ててびっくりしました。
宗門帳という情報から調べてるそうですけど、
ここの情報だとうちの高祖がいないのはなんでだろう。
660 :
日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:51:41.42
ちょっとなにいってるかわかんない
>>659 ごさんべえさんも
他家の系図まで しっかり把握してないってことだろ
662 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:12:36.26
除籍謄本に載っている人の名前の読み方がわからないんだが、方法は無いだろうか…?
あと、苗字の一部が高祖父は嵜、曾祖父以降は崎なんだが、改名したと言う表記は無い。当時は区別が無かったのかな?
>>662 異体字なんて今でも区別しないケースも多いよ。
664 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 08:30:37.90
例えば吉沢という苗字で「うちは士+口じゃなくて土+口だ」って言い張ってるアホとかいるけど
活字体だと士で筆記体だと土ってだけで同じ字には違いない
なのにあろうことか土の方のフォントまで作る奴が出てきちゃうのは混乱を助長していると言うか恥の上塗りと言うか
665 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 08:45:31.03
消えた年金問題の時、異体字は別人とみなされて未納扱いなんてことが多々あったが、川崎と川嵜は区別無いの!?
666 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 13:45:56.56
>>664 多様性があって良いじゃん。
金さん李さんばっかりなのがいいの?
>>662 戸籍は、一度、新体字(普通字)で登録してしまうと、もう旧字(正字・異体字)に
変更出来ない決まりがある。
667 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 13:54:00.50
>>659 「高祖」とはどういう意味での高祖でしょうか?
「宗門帳という情報」というあなたの書き方をみると、宗門人別改帳というもの
について、あなたが正しく理解されているのかどうか疑念を覚えます。
「うちの高祖」という表現も、あなたの調べている家系の始祖なのか
あるいは、まさか、単に高祖父なのかとさえ思えます。
668 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 14:17:39.88
>>659 追記
少し、きつい言い方をしたかも知れません。推測で書きます。
いわゆる人別帳(宗門帳)は、本来は毎年作られたもので現在の戸籍にあたるものです。
これに対して、いわゆる菩提寺(檀家になっている寺)にある過去帳が、現在の除籍謄本にあたります。
宗門人別改帳の正本は、お上に提出したもので現在残っていません。残っているのは
村役人の家にのこされた副本で、これも全ての集落のものが残っているわけではなく
運良く残っている村(現在の地区)のものも、年代が揃っているわけではありません。
したがって、ごさんべいさんが見た、ある年の人別帳の調査時点で、すでに故人になっていた
人は、人別帳に載りません。ですから、あなたの先祖の家の高祖父のどなたかはもう
亡くなっていたということです。
669 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 19:46:42.88
屋号を持ってる農家は本百姓以上って考えてよかですか?
>>669 屋号っていうのは、集落で同姓が多くなったのを区別するためにつけたものだろう。
つまり、本家以外はみな屋号を持っているということ。
671 :
日本@名無史さん:2012/03/02(金) 20:06:31.69
ニックネームみたいな認識でいいのかな?
うちは入れ替わりの多いサラリーマンが住む町に住んでるからか、屋号の存在を知ったのは最近です・・・恥
672 :
日本@名無史さん:2012/03/03(土) 02:00:20.48
>>669 実際の本百姓の方はそこそこの歴史があって
私の知り合いなんて安土桃山時代からの歴史だと言ってましたよ?
屋号は士族や名主以外の者が取引を行うために必要だそうです。
本家ってなに?
俺の親父の田舎は今でも分家は本家に頭が上がらない
本家も分家?
分家も分家出したら本家?
分家の分家の本家は分家?
屋号と言えば
横溝正史の悪魔の手毬唄
678 :
日本@名無史さん:2012/03/03(土) 20:33:47.58
正三位の中流貴族の男系子孫
679 :
日本@名無史さん:2012/03/03(土) 22:13:39.50
>>673 一般には中世以来の地権者だと考えられています。
人によっては必ずしも本家がわかるとは限らない。
例えばすでに江戸期(過去)に都市部に移動している場合も少なくない。
>>679 人の話聞いてるとさだいたいさ、親の兄の家が本家、祖父の兄の家が本家、って感じ、それおかしくね?って思うのよ。それただの自分にいたるまでに最後に分家した先祖の家じゃね?
大多数の日本人の本家は天皇家です
例えフィクションであろうとも
682 :
日本@名無史さん:2012/03/03(土) 23:01:47.21
>>680 あ〜それは確かにそういう勘違いをされている方は
いらっしゃるかもしれません。
私の家も祖父の話や郷土史の調査など
本家とされる家の確認は難航しましたから。
うちはガチの源氏の家系なんだけどさ、
本家は天皇なの?
それおかしくね?
684 :
日本@名無史さん:2012/03/04(日) 00:15:06.49
転籍をしたら
新しい戸籍を作って古い戸籍は前の本籍地に返されるはずなのに
返されずに転籍先の役場に放置されたままってことはあるかな?
685 :
659:2012/03/04(日) 00:27:09.91
返信遅れました。申し訳ないです。
>>661 そういうもんなんですねぇ。
>>659 うちのひいひいじいちゃんですね。
自分の理解不足もあって混乱を招いてしまいましたね。
申し訳ありません。
>>668 うちのひいひいじいちゃんは養子に出されてしまったみたいですね。
だから書いてないのかもしれません。
宗門帳のルーツが正しければ今現在も家はあるんでしょうかねぇ。
686 :
日本@名無史さん:2012/03/04(日) 00:36:01.18
>>683 偶然ですね。何がおかしいんでしょうか?
本家が天皇ではなくて上皇または皇族の子孫という方はおります。
私の家も20数代前の本家を形成したのは皇族ですね。
平安時代の院政期の院号も確認できましたし
院号は当時としては上皇の尊称で他に旧姓と名前もあります。
上皇とは皇位を譲った天皇です。賜姓皇族の末裔の方は
以前にも書きこまれました。公家や士族の末裔の方も頻繁に
書き込まれています。
688 :
日本@名無史さん:2012/03/04(日) 01:56:22.96
>>681 ネズミ算を逆算すると、鎌倉時代頃には先祖の数が当時の人口を軽く超えるから
千年前の先祖は、日本人なら、だれでもみんな天皇家が本家になる。
ただ、ホアカリノミコトを系図上どう捉えるかによって、ホアカリノミコトから
神武天皇に至る前の本家筋とも見なせる、元伊勢神社の宮司家の海部氏系図が正しければ、
天皇家も分家になる可能性もある。
皇統でない天神系の神々とアマテラス系の天孫系の神々を区別すれば、
多数の始祖がでることになるので、元から本家がいっぱいあったことになるけどwww
分家はさらに分家が生じた時点で本家
690 :
日本@名無史さん:2012/03/04(日) 02:39:03.19
>>688 ただそれは理論上と言いますか計算上の話でしょうね。
実際には個別の家系追跡は極めて困難でしょう。
>>684 転籍をすると、転籍前の戸籍は「除籍」という形で当時の本籍地に残る。
前の本籍地に返されるわけではありません。
>>688 出雲の北島家や千家家は別系統だろうね
阿蘇家とかも
693 :
日本@名無史さん:2012/03/04(日) 13:57:18.17
国造(くにのみやっこ)の直系家系は古いからね。
694 :
日本@名無史さん:2012/03/05(月) 01:52:23.87
夛郎左衛門も夛左衛門も同じ名前だよね?
>>694 同じではないけど、書き間違いが多かった時代ならそういうことかも知れない。
696 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 01:16:51.70
うちにある明治の除籍謄本で文章の間に修正テープで消したような不自然な空白があって
たぶん士族やら平民の差別問題で市役所の人が見せないようにしたんだと思うけど
他にも不自然な空白とかある人いますか?
697 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 01:45:13.19
不自然な空白は身分
698 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 02:37:22.97
うぶネ
699 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 09:08:37.40
身分の記載があるのなんて削除されてるんじゃないの? 削除して新しく作成し直した自治体とめんどくさいから該当部分だけ消した自治体があるってことか?
うちは改正原戸籍あるけど空白なんて見当たらない。
漏れの一番古い除籍謄本には平民と記載されていますた。
701 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 12:17:55.76
士族じゃなく土族か
702 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 14:54:33.63
俺は父方をたどれば本百姓。
継いでいる家(母方)は元神官の武家。
703 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 15:39:32.42
>>696 あるよ、不自然な空白w
戸籍の紙の模様とマッチしてないから消したんだろうなと思う。
でも、族の右下の矢の先っちょが消しきれてなかった。適当だなw
つまり壬申戸籍を見せてくれる自治体があるってこと?
それともその後の戸籍にも身分の書かれたものがあるってこと?
705 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 16:45:34.05
>>704 今取れる戸籍だよ
うちのは戸主の欄で一列丸々消された行(前戸主との続柄、父、母欄の並び)と、
嫁に来た人の経歴?に空白がある。
○○町[修正跡]野比ドラ右衛門参女入籍
みたいな感じ。
爵位も載ってるのかな?
今度確認してみよ
空白じゃなく
黒く塗りつぶししてるな
こっちの方は
708 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 23:18:14.97
>>699 それは見方が悪いだけ。
現在取れる戸籍・原戸籍は、身分の欄は全部消してある。
もちろん明治19年式戸籍も明治31年式戸籍も大正4年式戸籍、すなわち改正原戸籍には
平民か士族かという身分の欄があった。
戦後、戸籍法が改正されてから、古い戸籍の謄本をとるときにその欄を、墨で塗りつぶすか
あるいは、修正液で白く塗るか、どちらにせよ役所の職員が消したのです。
709 :
日本@名無史さん:2012/03/06(火) 23:55:19.24
>>704 壬申戸籍を見せてくれる自治体など存在しない。
誤解が多いから、整理すると、戸籍に記載されていた族称(身分)は
明治5年式戸籍(壬申戸籍)に記載されていた身分は
皇族、華族、士族、卒族、地士)、旧神官、僧、尼、平民
平民には、旧被差別民も含まれている。新平民、穢多、非人の記載は実際には殆ど無かった。
明治19年式で、華族、士族、平民、棄児、無戸籍になって、
明治31年式で、華族、士族、平民だけになった
明治の末頃には身分登録が無意味となり、大正4年式以降廃止
ただし、昭和22年頃まで、古い戸籍を取ると記載が残っていた。
現在でも、ごく稀に原戸籍に消し忘れがある場合もある。
>>706 爵位がある場合は華族になる。
710 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 00:11:57.96
みなさんありがとうございました
>>705さんの言うように家に嫁いできた人の出身地とその父親とかの名前の間に空白が特に多いです
最近届いたばかりの戸籍には消し忘れもありました
711 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 00:22:00.58
>>710 消し忘れ、都道府県名だけでいいので教えていただけないかな?
役所によって厳しい緩いがあるのでなんというか、参考までに。
712 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 00:37:41.24
福井県の戸籍です 明治時代に現在の北海道に来る前は福井にいたらしいので
でもそれ以外は完璧に消してありました 今回見つけた消し忘れはかなり文字が薄くて
見ずらかったし、その前の行に空白があり、多分市役所の人も同じ文章に二回も身分は出てこないだろうと見落としたんだと思う
713 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 01:59:04.50
>>712 丁寧なレスありがとう、とても参考になりました!
そういう見落としもあるんですね。
うちはほぼ東京だったのですが、都市部と田舎(と言っても今やアジア1の歓楽街)では字の書き方すら違ったり、
現代においても申請した時の厳しさなどが随分違ったので興味がありました。
役所といえど色々ですね。
714 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 03:58:44.13
715 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 04:06:34.05
先祖調べで、自分の先祖の分からなくて、どうしても族称が知りたい場合は
明治時代後期のから大正初め頃の選挙人名簿、または名士録、納税者名簿などを
県立図書館などで探す方法がある。
ただし、それらに載っているのは当然、経済的に豊かだった人々です。
といっても、ある程度の自作農や商店主レベルなら意外と載っている。
716 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 17:29:04.79
>>713 戸籍の申請書を送る前に電話したら謄本が何通あるか教えてくれる役所とそうでない役所がありますからね
色々ですね
>>715 参考にしてみます
>>716 うちの場合、祖父母双方取りあえず1通づつ申請したら
後日役所から電話が来て「とれるところまでとりますか?」と言ってきたよ
718 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 18:40:24.24
>>717 そういう気の利いたところはありがたいよね。でも
>>716さんが言う通りホントそれぞれ。
あと、人にもよるよね。
>>718 たまたま受け取った担当者にもよるのかもね
再度連絡来て「両家で7部とれますが、いかがいたしますか?」って
慌ててその日のうちに郵便局へ走って小為替購入してその場で送ったわw
720 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:33:08.60
話戻って悪いが、身分表記を消した痕跡ってどこにある?
実家帰って原戸籍見たがワカラン…
722 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:43:53.10
>>720 例えば、明治19年式戸籍だと、一番最初に、何県何郡何々村何十何番地とあるでしょ。
その下に、前戸主 何の誰兵衛とある縦長の欄があるでしょ。
その右側に、同じ大きさの空白の欄がある筈だということ。
そこに、平民とか士族とか書いてあったの。
それと、上の方で話題にされているように、例えば、その妻の嫁入り年月日というか
明治何年に入籍したとかいう記述がある場合、当村平民山田太郎三女入籍と書いてあった
とすると、そこの当村□□山田太郎三女入籍となって、山田の前が二文字分空白に
なっているということ。
723 :
日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:46:22.85
724 :
日本@名無史さん:2012/03/08(木) 02:08:15.62
おおなるほどサンクス!あまりに綺麗に消されてるので気づかなかった。
しかし嫁入りの欄には空白なく「○○村▲▲四女入籍」と書いてある。これって変?
725 :
日本@名無史さん:2012/03/08(木) 02:44:36.07
>>724 変じゃないよ
むしろ消されてる方が少ないなも?あくまで自分の場合だけど。
ちなみに今浮かぶ限りで
東京(3区2市1町1村)、千葉、神奈川(2市)、群馬(2市)、宮城、あたりをたくさんとったけど、
明らかな修正跡があったのは千葉だけw(また引っ張り出して確認してみます)
嫁として来た人も、前戸籍の番地の有る無しも役所によって違ったりするね。
地味に興味深い。
消したり塗りつぶしたり、なんでそんなことするんだろうか?
曖昧にすることはいらぬ憶測を呼ぶだけなのに。
なんでってちょっと歴史を勉強してきたらどうだ?
うちには家紋が男、女とあるんですが
(女紋は揚羽蝶、男紋は梅鉢)
どの階級くらいの人だったんでしょうか?
農民でも家紋を男、女と持っているものなんですか?
>>726 俺もそう思うよ。
少なくとも現在は殆ど問題無いでしょ。
確かに昭和30年代頃迄は結婚とか就職で差別されるようなこともあったらしいけど
純粋に士族や平民(新平民含む)の血統を受け継いでいる人自体が皆無。
言い換えれば、士族や華族の血筋でも平民の血がどっさり入ってるのが普通だと思うよ。
730 :
日本@名無史さん:2012/03/08(木) 13:45:40.16
それは、あり得る。
そもそも、家紋は一つだけとは決まっていない。
武家なら家紋が幾つあってもおかしくない。
伊達家などはとくに家紋が多いことで有名だし、地位が高い家だと個人で異なる場合もある。
一般民でも、表紋、裏紋がある家は多い。
家紋どころか、同じ家の中で、男女でお寺が違う場合もある。人別帳に記される
宗門の寺が別なのは、先代からの付き合いとかいろいろある。
もっとも問題なのは利権がらみで
政治的に悪用する輩がいるから閲覧禁止になってるんじゃないの<身分
732 :
730:2012/03/08(木) 13:49:16.27
>>728宛でした。
揚羽蝶は一応、平家の血筋だっとおもう。
734 :
730:2012/03/08(木) 13:50:25.68
そうそう。野中や松本ドラゴンみたいなのを調べればよっく分かる。
735 :
729:2012/03/08(木) 13:51:13.37
因みに俺の父親のお爺さんにあたる人が士族だけど、当然の事ながらそれ以降の血には平民がどっさり入ってる。
良く調べてはないけど、ひょっとしたら部落系の血が入ってる可能性だって十分考えられる訳だ。
言いたい事は、明治初期から既に150年も経ち、もう十分にミックスされ尽くしてるってこと。
阿波国旗本幕紋控って、どこで閲覧できるか知ってる人いる?
まぁ時間がたっても人によってはデリケートな話題であることは確かだよ
外国のルーツ番組見てごらん
奴隷や貧民が出てくるとかなりシビアだよ
今は問題がないからといって不幸な歴史が帳消しにできるかといえばそうではない
事実を知ることは大事だが慎重さも求められると思う
だからって明治の戸籍見せてくれないのはショボーンなんだけどね
738 :
730:2012/03/08(木) 14:10:01.29
結局、似非同和やら人権団体とか、半島がらみにさえなってしまう。
戸籍制度さえなくそうという勢いなんだから。
壬申戸籍がらみの話をすると、俺が見せて貰った一番古い戸籍は、壬申戸籍よりも
古いものがあった。壬申戸籍は近代最初の全国的な戸籍ということだけど、
それより少し前に、暫定的に作られた世にも珍しい戸籍でした。
幕府の大身の旗本だった家の戸籍で、「東亰府貫族」となっているものでした。
江戸から東亰、さらに東京にかわり、壬申戸籍では東京府士族とかわる前のもの。
739 :
729:2012/03/08(木) 14:23:07.24
>>738 ほぉー、興味津々…。
戊辰戦争が終わった直後の時代ですね?
察するところ明治2年頃かな?
740 :
730:2012/03/08(木) 14:30:14.79
先祖調べに興味を持っていた家では、昭和42年頃の壬申戸籍が取得不能になる前に、
とにかく全ての戸籍を取っておこうという静かなブームがあったので、親戚の
どこかの家で古い戸籍が取ってある場合もあります。
それと、ここの住人には耳寄りな話として、明治三年から四年の最後の人別帳
というものが存在します。これは、明治五年に壬申戸籍が出来る前年にその準備
作業として作られたやたらに調査項目の多かった特殊な宗門人別改帳で、記載
内容は壬申戸籍と同じ程度のものです。現存している村の方が少ないのは当然ですが、
こちらのほうは、明治初年に名主や庄屋をしていた家に残っている場合があり、
被差別集落がなかった市町村では、近年発行された市町村史の資料編などに名前まで
実名で記載されている場合さえあります。
自分が見た中で一番考えさせられたのは、イギリスの番組だったと思うけど、
インドから来たと一族内で言われていたひぃひぃばあちゃんが
実は奴隷で、それも、
黒人奴隷(母親)と白人の支配者(父親)の混血の、
云わば、生まれながらの奴隷だったという話
その2人は愛し合ったのではなくて、「効率的に奴隷を生産するために」
女奴隷に無理やり子供を生ませるのを政府が奨励し、日常化していたんだって
それまでは、どんな話でも知らないより知ってた方がイイと思っていたけど
これはさすがに考えさせられた
742 :
日本@名無史さん:2012/03/08(木) 16:55:04.39
娘をかどわかされて、朝鮮人の子供を産ませられた横田早紀江さんに向かって
テリー伊藤は、「それは考えてみれば、素晴らしいラブロマンスじゃないですか」
って言ったんだよね。
早紀江さん、二の句が継げなかった。
>>732 平氏の中に揚羽蝶紋を使っている家があるからと言って、
揚羽蝶紋を使っている家が全て平氏の血筋を引いているとは言えない。
数ヶ月前に神主の衣装を着た曾祖父の写真を見つけて大叔母に仔細を尋ねたら
それは天理教のものだとのこと。
開祖とは遠戚であることと20数年前までは活動もしてたことがわかった。
本家と分家で家紋が違ったりするんだよね
明治以降は本家から別れた家は同じ家紋になったけど
746 :
日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:28:43.72
>>743 無論そうだね。だから、「一応」と「思う」としてるんじゃない。
むしろ、もしかしたら平家と繋がりが在るのかもしれないと、調べるきっかけ
になれば面白いと思う。
でも、今じゃ、山奥の平家の落人部落出身などという伝承は、縄文系の山岳少数民族の出だと
思いこんだ方が、ロマンを感じるかも知れないね。
>>745 今でも、家紋は勝手気ままに変えることが出来るのは常識でしょ。
>>746 「一応」「思う」では、その論の曖昧さを表現してはいるが、
可能性を限定する意味では無いだろう。
「平氏の中に揚羽蝶紋を使用している家がある」とか、
「揚羽蝶紋は平氏と関係している可能性がある」と言えば良かった。
平家の落人は西日本一帯に居ただろうが、三関以東は平家ではなく平氏の落人が多かっただろう。
748 :
730:2012/03/08(木) 23:01:52.01
はい、スミマセンでした。
でもさぁ、このスレ、歴史や戸籍について、うぶな人が多いんだから、あれぐらいの書き方
しないと通じないじゃない。
てか壬申戸籍を封印してること自体が差別だろう。
自分の先祖が穢多だとして、
それは封印されなきゃいけない存在なのか?
違うだろう。
750 :
730:2012/03/08(木) 23:50:47.95
>>749 709でも書いたけど、被差別民であったとしても、壬申戸籍の族称欄に新平民
などと書かれていることは、九分九厘ないというのに何でだろうと思うよね。
それは、むしろ、昭和42年頃は、第三者が戸籍謄本を取得することが現在と違って
極めて容易だったことによるよ。問題なのは、出身地区が分かってしまうと
被差別地区出身だと、婚姻や就職に影響したんだから当時としては仕方がなかった。
その「差別」が確立して、松本龍たち同和利権者が、今でも差別が存在していることにしないと甘い汁が
吸えなくなってしまうからでしょうね。
>>747 ちゃかして悪かったが、言いたかったのは、平氏と平家の語を使い分けても一般に通じるとは限らない。
「王家」「悪党」などという用語も、相手が普通に理解してくれると思ったら
大間違いだということ。私などは、法事の席で、常識的だと自分で理解している言葉で、先祖の話をしたら
親戚の爺さんから、あいつは先祖を馬鹿にしていると、誹謗されたよ。
そこで、先祖咄には、リップサービスが必要だと悟ったというわけ。
>>728 747さんが指摘しているのと、わたしが730に書いた伊達家などのように、当時の権力者の家紋の一部を貰ったり
して家紋が増えていったように、血筋は関係なくても、何らかの理由で
有名な氏族の家紋を使っている家があります。
751 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:05:34.98
家紋ってどこかに正式に届け出をしてる訳じゃないから何にしようと変えようと勝手でしょ?
752 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:32:23.36
除籍謄本見ると、「天保○○年 ▲▲家より入籍」とか「慶応○年前戸主××死去のため戸主となる」
なんて書いてあるが、江戸時代に苗字が無かった身分の人たちは▲▲とか××の部分は名前だけなの?
753 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:57:38.24
明治五年戸籍が明治三十年頃まで明治十九年戸籍に移行されなかった村があるってホント?
こういう場合は明治十九年から明治三十年頃の間の除籍がとれないの?
明治十九年から明治三十年の間に家督相続と管外転籍で2つ除籍があるはずなのに
いくら申請しても戸籍の存在が無いって言われるんだけど
>>753 一行目については知らないが
二行目以降についてはただ除籍簿の廃棄がなされたんじゃないか。
除籍簿の保存期間が150年に延長されたのは一昨年六月からだから。
うちの先祖が住んでた自治体の場合は明治大正年間に除籍された戸籍は
片っ端から廃棄されてたよ。渋々、廃棄証明書だけ貰ってきたよ。
でも
>>645>>653を見たら、まだしつこく挑戦してみる価値あるのかな?
755 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:43:57.90
今日返信用封筒届いていて結構分厚かったから除籍謄本何通入ってるか期待したが
直系だと証明するために入れた戸籍のコピー返されただけでかなりがっかり
これで戸籍での先祖探しは終わってしまった
除籍簿の保存期間ってのもよくわからんな。
今のご時世、データで保存しようと思えば、
いくらでも保存できるだろうに。
一般的な理屈でいけば
デジタル化→効率化&保管庫等スペース削減で低コスト化→人減らし
なんだけど
お役所が人減らしを自らやること無い罠
これも壬申戸籍の方も、
橋下さんがクリアにしてくれないだろうか。
特に壬申戸籍は彼が言ってこその部分がある。
760 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 13:27:16.06
>>752 名字がなかった人は、名字を作ってから戸籍を作ったから、名字のない戸籍は無い。
それに、名字は先祖から伝えられていたのに公的に名乗ることが許されていなかった
という人々が多いので、明治になってから名乗った名字でも先祖代々の名字である家
の方がずっと多い。
>>759 東京、大阪、名古屋などの大都市圏では空襲で戸籍が燃えてしまっているところ
が多いので、多分もう存在していない。
761 :
753:2012/03/09(金) 21:52:21.72
>>754 それがさ「破棄もされてない」って言うんだ
管外転籍したときに前の除籍も移転したのかなって思うから
転籍後の役場でもう一度申請してみるよ
762 :
日本@名無史さん:2012/03/09(金) 23:59:28.18
失礼ながら、除籍という意味がなにか曖昧な感じがします。
714でも紹介した戸籍のサイトの相談室で聞いてみることをお奨めします。
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/soudan.html どっちにしろ、戸籍は、遡って取っていくものなので、転籍後の役場で
戸籍を取ってからでないと前の役場でも確認できないでしょう。
そうしないと、前戸主の名前が明確にならなかったりすると思います。
また、戸籍というものは、その戸籍に載っている人全員が除籍にならないと、
完全に除籍謄本にはならないわけだと思うのです。
この辺のことばの行き違い?も感じます。
明治19年以前に亡くなった人は除籍謄本がとれないということでいいでしょうか。
764 :
762:2012/03/10(土) 01:41:03.33
はい。
除籍という制度が始まったのが明治19年でしたから、それ以前の
除籍謄本というものはないはずです。
役所によって明治20年以降の除籍謄本がとれるところもあるでしょう。
しかし、一昨年までに、大正5年以前の除籍謄本はすでに廃棄している役所も
多いようです。
うちの市では廃棄と言いつつ実は残してるみたいだ。
ただ出してはくれない。
766 :
762:2012/03/10(土) 13:45:03.53
私の経験では、「所・番地」も「(複数の)戸主名(候補)」も正しかったのに、三回も存在しないと
言われた除籍謄本が、四回目に、すんなり出てきたという信じられない経験がありました。
さすがに、このときは怒り心頭に発して、大声で罵声を浴びせてやりました。
ただ、冷静に考えると、役所の職員が複数の戸主名をモニター画面で追っていく
時に単に見落としていただけのようです。
除籍請求の際は、本家のお墓などに出向いて前戸主名・戸籍筆頭者の名前などを
正しく調べてから戸籍請求すべきです。前戸主が、探している自分の先祖の父親
とは限りません。兄弟の名前であった場合などは、戸籍課職員が調べても、気が付か
ずに、そういう戸籍は見あたりませんと言われてしまうからです。
士族の人は、分限帳、庶民の人は宗門人別帳。これは常識だね。
日本は記録文化だから身分階層問わず、祖先を探ることはある程度できるそうな。
庶民の場合は、明治前後の名字保有という経緯があるから、お寺の過去帳とにらめっこしなきゃいけない手間が
加わるけど、武士の場合は公文書館や出身都道府県の図書館で過去帳が確認できるケースも。
地方の場合は名字と家紋が一緒というケースもあるが、近い同族、遠い同族、無関係のケースいろいろあるから、
自分の名字が一緒だとか、家紋がある有名人物と一緒とか、傍証程度で喜ばないこと。
粘り強く調べないと、手がかりなくスタートする人は良質な情報は得られないかなと思います。
768 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:12:25.17
>>767 さすがに身分階層問わずとはいかないでしょう。w
江戸期以前に水呑み、小作、被差別部落等の出身の方の情報が
正確に保持されている場合は少なそうですが。・・・
江戸の平民でも苗字はありますよ?うちは江戸期の墓石が
8基程あって名主や士族ではないがそういう水準の家もある。
769 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 22:32:49.24
うちとこの本家筋の位牌を見せてもらったら貞享四年没の先祖までだった
その先祖の俗名「○○織部」の脇に「取分始」と彫り付けてあった。
それまで小作だったのが、やっと一人前の百姓になったという事だろうか?
せめて寛永位の水帳でも残っていればなぁ
水呑や穢多だからといって、
宗門人別改帳から漏れることはないでしょ。
別でまとめられることはあっても。
771 :
762:2012/03/11(日) 00:59:48.88
人別帳には、本百姓だけでなく、普通に水呑も記載されています。
ただ、穢多は、
>>770さんの通り、通常の人別帳ではなく、長吏の人別帳に
載ります。
現代人のイメージと違って、江戸時代というのは、不思議な時代です。
水呑と記載されていても、それはお米の年貢を納めない百姓ということで、
千石船を何隻ももつ豊かな廻船問屋が、水呑に区分されていたりしますので
水呑が貧乏とは限りません。
被差別民が、経済的に貧しいはずだというのも思い込みで、長吏(穢多・皮太・皮坊)
は、経済的には貧しくありません。
本百姓でも、年貢が納められず、逃亡すれば、無籍・無宿人となって、人別帳から消えます。
また勘当されたり、やくざ渡世の者になっても、人別帳から消えて記載されなくなります。
しかし、普通に嫁に行ったり、婿に出たり、養子に出たのならば、別の家の人として、別の村の
人別帳に載りますので、広い意味で人別帳から消える訳ではありません。
772 :
762:2012/03/11(日) 01:16:37.13
連投すみません。
>>771の最後の2行は唐突でしたが
>>685さん宛のものです。
被差別民としては、非人もいましたが、これは長吏の支配下に置かれて
経済的には長吏より苦しい人が多かったようです。ただ非人は、元の身分に
戻れることもありました。非人のなかでも、野非人はどんな人別帳にも載りません。
>>766 私の場合は曾祖父が分家で高祖父戸主の戸籍を請求したら
既に廃棄され証明書だけ貰ってきた。
この時点で高祖父本籍は「番戸」記載で相当する番地は不明。
↓
その後、高祖父の墓を発見しら没年月日が廃棄証明書の廃棄年月日より後となっていた。
そこで墓誌、建立者、施餓鬼から次の当主(曾祖父兄)と現在の当主を確認。
↓
次に現当主を住宅地図で探し番地も確認。
その番地、筆頭者曾祖父兄、高祖父で請求が出来た。
高祖父は隠居してて、生年と父母が判明したよ。
もう一つの経験では古い女性先祖はその父の住所が「当村」のみで
戸籍課から請求を拒否された。
これも上記同様に墓から現当主、宅地図から番地を割り出して請求した。
こっちは廃棄証明だけなんだけどね。当時の番戸と除籍年は判明した。
墓地も住宅地図も捜索は虱潰しで骨が折れる。
それと住宅地図に関して近年のは個人情報が喧しいせいか
氏名が記して無かったり、名字しか記されてないのが多い。
やや古め(2005年以前くらい?)の地図をお勧めします。
775 :
日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:40:44.77
探そうとしている前戸主の戸籍が明治五年式戸籍の場合でも破棄証明書って貰えるの?
776 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 00:29:06.17
破棄証明書は、もう絶対に貰わない方が良い。
なぜですか?
778 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 11:42:42.36
戸籍謄本 普通に誤字脱字が多すぎ。
江戸末期生まれの人までしか遡れなかった。
779 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 14:49:33.21
>>777 653の
>>実際には処分されていなくても、旧保存期間を過ぎていることを理由に
廃棄証明を一度出してしまった除籍については、他の子孫からの請求でも
出して貰えないとかいう、おかしな決まり
があるの
780 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 15:39:45.56
>>778 うちもw 「福」って字が全部「當」になってたw
戸籍から遡れるのは江戸末期が限界でしょ。むしろラッキーな方だよ。
それ本当どうにかしてほしいわ。
自分が廃棄証明を出されてたならまだしも、
全くの赤の他人の影響だからな。
あ、そっか
ひいひいおばあさんが結婚して除籍した戸籍
その筆頭者ひいひいひいおじいさんが長生きしていれば
その除籍謄本が請求できるかもしれないんだ
そうすれば早く亡くなったひいひいおばあさんの生年月日がわかるかもしれないんだ
でもそれにはひいひいひいオジイサンの正しい名前と住所がいるわけね
それは確かに大変だぁ
>>782 ひいひいひいって・・・・小学生かw
この際だから曽祖父や高祖父と覚えておきなよ←上から目線
ひいひいひいの代は難しいぞ。
俺はひいひいの代で
>>779にひっかかった。
785 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 18:18:30.09
つうか、782が除籍ということを根本的に理解していないらしい点
786 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:03:59.18
「前戸主 山田太郎左衛門」の除籍を申請しても取れない原因は誤字脱字があったからかもしれない。
今度は「山田夛左衛門」で申請してみよう。
ここの人みんな詳しいので勉強になります
うちは過疎の農村なので知れば知るほどそこらじゅう親戚だらけ
八つ墓村じゃないんだからーって感じでやりにくい
うちも親戚だらけ。都会の旧村だけど。
同じ除籍謄本の中でも
住所と名前の間に削除している者いれば空白なくすぐ下に名前が書かれている差は何?
初心者レスでごめん
790 :
日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:31:56.43
不明瞭な質問だけど、推測するに、入籍届出などの記述に、南郷村九番地山田与左衛門次女入籍届出
とあるのと、番地と山田の間に空白があるばあいと言うことなら、多分、大正四年以降の
届出か、それ以前の届出かと言うことだと思う。
791 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 00:53:15.17
同じ戸籍でも書式が改正された場合、既に死んだり家を出たりした人は記載されなくなりますか?
792 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 02:19:35.72
ここの人は日本軍関係のことも詳しいですか?
近代史板は回答を得られそうにないので。
793 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 03:16:37.99
794 :
762:2012/03/14(水) 13:00:53.44
軍服ではなくて、国民服4号(乙号)ではないでしょうか。
撮影時期が11月以降の紀元二千六百年記念行事の際に撮影されたものなら
乙号国民服となるでしょう。
どちらにせよ、この写真から何かを調べるより、御祖父様がどこの出身で
どこで徴兵されたかなどを、肉親や親類に聞いて調べたほうが良いと思います。
その写真から撮影場所や日時などは分かりかねます。体格からは丙種とは
思えませんが、兵隊にとられたのも昭和17年なのか、あるいはそれ以前に
少年兵として志願したか、後に特別幹部候補生として志願したかなど、その後の
人生を調べるほうが先だと思います。陸軍の兵隊として召集されたなら
居住地によって、どこの連隊かが推定でき、戦地に行ったのならそれがフィリピン
なのか南支なのかとかの推定もできるのではないでしょうか。
>>794 ありがとうございます。
写真裏には薄い字で二六〇〇紀とありました。
広島住みです。
親戚自体が少なく、尋ねるのも被爆についてデリケートな部分もあり聞きにくい面もあります。
叔母が語っていたのは軍隊時代は九州にいて列車で広島に移動中、原爆が落ちて被爆。
喉が猛烈に乾く→広島の川の水を飲む
うめぇwwん?黒い雨が降る
黒い雨と思われるものが付着している革脚絆も遺っています。
796 :
日本@名無史さん:2012/03/15(木) 22:51:32.60
797 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 15:31:26.66
799 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 19:35:13.57
800 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 19:41:04.01
801 :
日本@名無史さん:2012/03/17(土) 11:00:11.36
803 :
762:2012/03/18(日) 18:16:57.72
比島
粁
おk
804 :
762:2012/03/18(日) 18:32:24.75
その戸籍の記載は、「死亡」とあって、「戦死」と書いてありませんが、
もし軍人・軍属で戦死されたのなら、靖国神社に祀られている筈ですので、
靖国神社に書簡で問い合わせれば、死亡時の状況が詳しく分かる場合もあります。
805 :
802:2012/03/18(日) 22:15:04.26
>>803,804
早い回答ありがとうございます。
一つ目のは除籍スタンプと交錯しており
見辛かったのですが、そのまんま普通に比でしたか。
>>802の人物はその地元の寺院に
「昭和二十年七月二十六日比島二十五才陸軍伍長○○○○」
と刻まれた慰霊碑は建っております。
私の親蔟では他にニューギニア島、南洋群島などで亡くなった者もいますが
皆、戸籍上の記載は「戦死」ではなく「死亡」となってます。
それぞれの地元の墓地の慰霊碑に陸軍伍長、海軍軍属、海軍上等水兵、
海軍整備兵長とか戦地とか戰死、名誉戦死などと彫ってあります。
806 :
762:2012/03/19(月) 14:41:23.65
そうでしたか。戦死した場合も、「死亡」という記述が普通なのかも知れません。
私の親族の戦死者二人が戸籍上も、ともに「戦死」となっていましたので、
死因などによって違うこともあるのかと思っただけです。他意はありませんので、
お気を悪くされませんよう御容赦下さい。
私の伯父の場合、乗っていた油槽船が撃沈されて死亡したのですが、靖国神社と
日本殉職船員顕彰会に問い合わせたところ、今まではアメリカの潜水艦に攻撃
されたとしかわからなかったものが、何処から何処へ向かう、どういう船で、
他に何という人々と一緒に亡くなったのか、また相手の潜水艦の名前なども教えて
いただきました。
因みに相手の米海軍潜水艦は、その半年後、日本軍機の攻撃により撃沈、
乗組員全員死亡ということでした。
軍籍簿というのがある
各都道府県に移されてるから請求してみるといいよ
808 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 17:57:55.08
>>807 軍籍名簿は軍所属で軍属はふくまれてたっけ?うろ覚え
809 :
朴軍足:2012/03/20(火) 19:24:13.47
僕グンソクにだ。
810 :
729:2012/03/20(火) 21:03:58.31
軍籍簿?
兵籍簿と違うのか?
811 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 22:51:19.09
俺はわかる範囲で7代目。
1代目までは市役所で除籍取って見つかったんだけど、
それより前を調べる方法ありませんか?
お墓の文字は消えて読めません。
位牌はたくさんありすぎて、2代目が一番古い状態です。
2代目は文政2年生まれです。
812 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 02:22:16.61
>>811 位牌や墓はどうやって見つけたの?
位牌が管理されてるのなら過去帳もあるはず。
うちは先祖の故郷に行ったら幕末の大火で何も残っていなかった…
位牌や墓碑で遡っても
たいてい江戸時代までだよなわかるの
814 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 03:39:15.11
そうでもないよ。俺は奈良、平安、鎌倉、室町と自分でも驚くほど
遡れて驚いた。
でも肝心の父方は安政の地震で寺も史料も灰燼に帰していて駄目だった。
だから父方の男系に限らず、先祖何家も調べてみるいいよ。まあ運が良ければだけど。
奈良まで遡れる碑がそのうちにあるということは
物理的に残ったという事実が高貴な家柄を表してるなんて判断されるのかね
>>814 レアケースを挙げて「そうでもないよ」とはいかに。
れっきとした由来がないと
家系図等だけでは 何ともいえないだろ
江戸時代以前は
鎌倉時代に地頭として赴任してきた家があるけど
別に墓とか位牌があるわけじゃないし その頃の
811 除籍の前は宗門帳とか分限帳じゃない?
819 :
814:2012/03/21(水) 18:03:26.27
文脈考えないで投稿した。すまん
お墓や位牌で遡れるのはそりゃ近世初期までだったけど
それから先は、何軒かが思いの外、名家だったんで系図纂要とか尊卑分脈で調べて
わかったってこと。
「そうでもないよ」というのは、分限帳とか着到といったものでも調べてわかったから
自分の調べてわかった方法を参考までに紹介したいとおもったの。
820 :
日本@名無史さん:2012/03/23(金) 21:00:09.11
どうみてもどちらも「無番地」
>>820です。
判読ありがとうございます。
そうなのかなぁとは思ってましたがやはりでしたか。
上の住所に本籍を置く人物は軍の大将だったと聞いているのですが、
今でも自衛隊施設が無番地を住所としてるのと関連あるのでしょうか。
下の番地の某町は、かつて部落が存在したともされてるようです。
部落と無番地って関係あるの?
824 :
日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:43:31.55
>>811 郷土史は見ましたかね?
私は祖父から話を聞いたら
村にある非常に古い寺の創建をした人物と同じ姓でした。
ひょっとしたらそういう話を親戚や親族の方が持っているかもしれません。
825 :
820:2012/03/23(金) 22:58:19.83
>>823 下の無番地は某町に存在した部落地域に該当する訳では全くありませんし、
現在某町は某市の一部に、字は消滅し丁目に変わっているので現在位置すら分かりません。
「戸籍 無番地」でググると孫正義の逸話が出てくるので
思わず関係があるかのような書き込みをしてしまいました。
余計な誤解を招き失礼しました。
826 :
762:2012/03/23(金) 23:30:56.14
文面からは、その土地は官有地で、住居が官舎のような気もしますけど
旧土地台帳はもう調べてみたのですよね?
>>826 たぶん無番地だろなぁとは思ってましたが
さっき
>>821で確認が取れたばかりなので旧土地台帳はまだですw
調べに行きたい気もしますが直系先祖ではないこと、
一度行きましたが法務局支局まで遠いのと
閲覧請求すると職員に面倒そうな顔されるのでちょっと億劫です。
たった今気付きましたが
>>820の下の者も
当地にある信用金庫の前身が在郷軍人信用組合となっているので
軍人だったのかもしれません。
828 :
762:2012/03/24(土) 00:51:31.95
旧土地台帳は、赤の他人でも堂々と閲覧複写請求できる性質のもの
ですから、面倒そうな顔をされたというのは、そういう思い込みによる
のではないでしょうか?
私は何カ所もの法務局で閲覧しましたが、面倒臭がられたことなど
一度もありませんでしたよ。
とりあえず本家までたどれた、分家は俺で7代目だった。
過去帳で1番古い人で分家初代当主の父(本家)の没年
だった。没年は文政12年6月。
本家は火事で位牌だけ持ち出して他は燃えたって親父が
言ってた。
本家にはまだ確認してない。機会あれば1回忌とかの機会に
菩提寺の住職に聞きたい。
仏壇の奥を漁ってたら分家初代当主の名が入った古文書と
小太刀と脇差が出てきた、錆びてたが刃引き処理がされていなかった
ような印象。
過去帳には大地震と水害で今の家の場所に移ったとも書いてあった。
830 :
日本@名無史さん:2012/03/24(土) 10:14:43.35
本家に協力依頼ってどうした?いきなり突入した?
>>830 俺はまだやってないけど、不幸にも身内や本家に不幸があれば
本家と自然に会えるし自然とご先祖の話に持って行けると思う。
どうしても平常時にお願いしに行くのは気が引けるw
832 :
日本@名無史さん:2012/03/24(土) 16:37:25.82
先祖調べを始めて夢中になってくると、付き合いのない「本家」がいっぱいあることに気が付く。
お彼岸やお盆などは、お墓参りにいって会って話すとか良い機会になりますね。
私は、父方の祖母の実家筋となる、新潟県内の遠い本家には、中越地震のあと
思い切って、電話でお見舞いを入れてみました。その後、訪問して過去帳を見せて貰える
きっかけになりました。
833 :
日本@名無史さん:2012/03/25(日) 03:03:32.00
>>832 たしかにそうですね。自分も先祖調べにハマって以降は毎年お盆に行く墓参りで
誰か親戚に会っていろんな昔話したいなと期待しています。
だけど今の時代は皆バラバラにお参りに来るのでめったに会いません
昔は親戚同士で行く日を決めて、その後大勢で食事したりしていたらしんですが
>>833 うちも爺ちゃんの代はうちに親戚みんなきて酒飲んだり
泊まっていったりしたんだけどねえ、本当に集まらなくなった。
なんかすごく寂しい・・・
地域によるんだろうけどうちの田舎では親戚同士で畳に頭を擦り付けるようにして挨拶してた
836 :
日本@名無史さん:2012/03/25(日) 20:48:29.76
それに今の時代では親戚にあったとしても自分とその人が一体どういう血のつながりで
何代遡ればその人と先祖が一致するのかとか気にしていない人の方が多いと思う・・
親戚の範囲をどこまでにするかにもよるね
曾祖父や祖父の兄弟や祖母の実家辺りは 親戚付き合いするけど
それ以上になると 同じ自治会(部落)に住んでいるぐらいじゃないと
親戚と認識してても親戚付き合いまではしないね
親戚付き合いは、本家の本家とかだと多そう。
逆に分家の分家とかだと少なそう。
839 :
日本@名無史さん:2012/03/25(日) 23:13:05.36
俺みたいに訪問して塩巻かれないようにね
コミュ力って大事だよね
840 :
日本@名無史さん:2012/03/25(日) 23:27:48.47
あといとこ同士とかでも年が離れすぎてると交流少ないよ
自分は先祖調べにハマってから同じ苗字のはとこが近くに住んでることを知ったんだけど
父親同士がいとこなのに年が離れてたせいか交流全くない 祖父同士はたまに会ってるが
墓参りでも見かけたことない
841 :
762:2012/03/27(火) 00:13:25.34
青森県にご先祖がいらっしゃる方は、参考にして下さい。
サンカやアイヌなどの先祖の記録はほとんど残っていませんが、彼らも
我々日本人の確実なご先祖様たちです。アイヌは北海道だけでなく
青森県の下北半島や、津軽の夏泊半島に西暦1800年頃まで独自のアイヌ社会を
営んでいました。日本人の風俗を取り入れた後も、幕末頃まではアイヌ同士のみで
婚姻していました。また一説には、二十世紀後半の1960年頃まで青森県内にアイヌ語
話者が残っていたと言われています。
断片的な史料の残る夏泊半島の例では
1717年には、現在の青森県東津軽郡今別町浜名の宇田村は和人の集落だったが、
二軒アイヌ民族が住んでいました。戸主名「クネキラタ」和風名「伝蔵」、もう一軒は、
女性戸主で名を「ヨーカイン」和風名「ふく」と名乗っていた。
この先にあった三ヶ村はアイヌの集落で、松ヶ崎村(青森県東津軽郡外ヶ浜町松ヶ崎)の
酋長は、「シウラキ」であり先代の酋長は「ニィエヘテ」であった。
藤嶋村(青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩藤嶋)の酋長は「ウテレキ」、
宇鉄村(青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩上宇鉄)の酋長は、「四郎三郎」と和風の名前であった。
842 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 02:03:06.59
戸籍、除籍の請求ですが
直系の先祖であっても、女系だと取得が難しいことはありますか?
たとえば祖母の両親の名前が知りたいような場合です
843 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 02:11:49.13
すみません
>>842は
祖母の父親の名前と住所は分かっているが、母親の名前や旧姓が分からなくて、
それを知りたいので戸籍をみたいような場合に、
男系でないので却下されることがあるかどうかです
844 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 03:53:31.12
祖母の父親が筆頭者(戸主)の除籍謄本とれば祖母の母親は妻だから名前とか
旧姓もわかるよ 廃棄されてなければ
祖父が筆頭者の戸籍でも名前だけならわかると思うよ
直系なら問題ない
>>842 祖父の除籍を取れば、妻である祖母の両親の名前はわかる
そこで祖母の父親(戸主)の住所が記載されているので
そこからさらに除籍謄本を取れば祖母の旧姓を知ることは簡単
長男?
>>848 うちの場合、明治2年の分限帳に記載されている藩士の次男に当たる家系なんだけど直系なのかな?
850 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 14:30:18.41
842です
お答えくださった皆様ありがとうございました。
直系なら間に女子が挟まっていても問題ないはずですよね。
ところが男系からの請求でないと受理されにくいと言う人が親族におり
インターネットでもそのような事例を見つけたので
実際にはどうなのかなと思いおたずねした次第です。
先祖供養といっても祖母の父親になると姓が違いお墓も別になるので難しいのでしょうか。
851 :
762:2012/04/08(日) 16:36:31.80
戸籍請求の直系というのは、男性・女性は関係ありません。
血のつながりがある尊属であれば、全て直系です。
また養子が入って、血のつながりが無くても、戸籍上尊属であることが
確認できれば問題ありません。
ただ、市町村役場で請求するときに、請求者と求める戸籍の人物との関係を
示す簡単な家系図を書いて行き、持参する戸籍謄本などで証明する必要があります。
>>850 請求する自治体にもよるのかもしれませんが
私(女)の場合、父方の祖父母の除籍謄本を辿って
祖父方6代、祖母方5代まで遡って受け取りました
同時に母方も取ったのですが、
終戦時、樺太に住んでいたため最終的に
「旧樺太戸籍について外務省に保管されていません」と書かれた用紙1枚で終了で
それ以前の謄本は手に入れることができませんでしたよ
その後調べてみたら、サハリンの古文書館だかに
日本人が置いていった2万人ほどの戸籍台帳を大事に保管してあるそうです
長々失礼いたしました
>>849 直系傍系を本家分家と勘違いしてないか?
>>853 あぁ、そうかも知れない。
と言うことは分家だけど直系な訳ですね。
父母とたどっていけるならそう
叔父叔母とかじゃダメ
856 :
850:2012/04/09(月) 09:55:29.96
>>851さん
>>852さん ありがとうございます。
大変参考になりました。
我が家の場合分家で直系でかつ傍系でもあるので話がややこしいのかもしれません。
祖母の母について知りたいので曾祖父(祖母の父ー本家)の謄本が見たいのですが
祖母の父(本家)は祖父の養父(分家)と兄弟関係にあります。
つまり祖母は本家から分家の叔父家に嫁に入ったことになります。
昔の事情がどうであれ今は原則的には謄本が見られるはずですよね。
請求するかどうかは私の一存ではどうにもならないのですが
もしうまくいきましたらまた報告させていただきます。
857 :
762:2012/04/09(月) 13:36:04.59
>>857 コメントありがとうございます。
古文書館が保管してある戸籍台帳は
現地へ赴けば施設側の配慮で閲覧させてくれるそうなんですが、
通訳者を引率しなくちゃいけないので中々難しいところです。
先祖の苗字(ちょっと珍しい苗字)と同名の地域があり、元々そこに住んでいたそうです。
の子孫が来たよ
村の人民総代って庄屋と同じような立場?
てか人民総代って何?
>>860-861 ググれ。ヤフれ。そして先祖探しのエピソードと関係ない事を理解して適切なスレに行け。
>>861 自治体史によると明治初期に戸長や人民総代などの役職に任命されたらしい
郡長と連署で県知事に嘆願書出したりしてる
864 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 21:45:58.36
人民の総代でしょ
人民と言う言葉は、現代的イメージと異なって、住民というようなニュアンスで
少なくとも18世紀後半からは、かなり使われていた言葉だと思う。
>>862 すみませんでした
ヤフってきます
>>864 分かりやすい説明ありがとうございます
住民に置き換えたら意味を掴みやすくなった気がします
>>857 >>856です お返事ありがとうございました
請求したい戸籍はわたくしから見て直系です
しかしながら複雑な血縁関係になっているうえ
田舎のことで役所も顔見知りが多く
万が一にも変に思われることがあれば皆に迷惑をかけるため
請求に慎重になっております
>伯父などが戸籍筆頭者となっている場合でも、同じ戸籍に載っているその尊属は、
>請求者から見ても直系尊属であればその戸籍を請求できますよ。
筆頭者が直系でなくとも、その戸籍に直系が含まれれば請求できるということですか?
除籍でもそうですか?
868 :
762:2012/04/11(水) 16:28:41.83
はい。当然そうなります。
そもそも戸籍謄本(除籍謄本でも)の申請書というものには、「どなたの戸籍が
必要ですか」と書かれているはずで、次の欄に「請求する戸籍の戸主名」の
記入欄があるはずです。
ですから、請求する戸籍、この場合は、「あなたの母方の祖母のご両親」という
ことですから直系尊属であり、たとえ、傍系尊属を戸主とする戸籍に載って
いようと問題ありません。
ただし、842の投稿を読み直すと、あなたは順序を取り違えています。祖母のご両親、
すなわち曾祖父母の名前を知りたいためにその戸籍を請求することは出来ません。
曾祖父母の少なくともどちらか一方の名前がわからなければ、誰の除籍謄本を請求
したいのか記入できないからです。この場合は、曾祖母さまのお名前を、墓石などで
調べてからでないと請求できないのです。これはあくまでも基本です。ただこの
スレッドの住人で、先祖の戸籍を集めた人の多くは、逆に除籍謄本によって曾祖父母、
高祖父母の名前を知った方が多いだろうという事実と矛盾します。しかし、
何らかの理由によって、既に取得済みの祖母さまの載っている戸籍から遡って戸籍を
取ることが出来ない場合は、そうなることもあるのです。
申請書に書く理由は「墓碑墓石改修のために曾祖母の享年を確認したい」などと
すれば、顔見知りの市役所職員でも何の遠慮も憚りも要りません。
869 :
762:2012/04/11(水) 18:14:02.49
おっと、843で、曾祖父さまの名前と住所地番は、既におわかりとのことですね。
それなら、必要とする戸籍の人の名前欄を、曾祖父さまの名にして、その除籍
謄本を請求すれば良いだけです。これで墓石で調べなくとも、曾祖母さまのお名前は
その謄本で確認できますね。ただ、曾祖父さまからあなたに至る簡単な系図のメモと、
既に取得済みのあなたの戸籍謄本などを持参する必要があります。
870 :
日本@名無史さん:2012/04/12(木) 00:36:34.76
除籍には限界があるけど、そこから寺院やもう縁の切れた親戚の家なんかに突入した経験のある人いる?
卒族の子孫ってあんまり聞かないよな。
士族や庄屋さまはいるけど。
俺の先祖は中間だけど備中岡田藩の分限帳に載ってたからおどろいた。
872 :
日本@名無史さん:2012/04/12(木) 06:04:29.54
ウチは木曽義仲の家来の家来で身分が高かったけど戦から逃げて農民になった。
でも江戸時代には何代か襲名してるから武士だったはず。
>木曽義仲の家来の家来で身分が高かったけど
文の中で既に矛盾してますがw
875 :
762:2012/04/12(木) 20:53:18.83
>>871 マジレスすると、卒族は明治初年に一時的に区分されたものです。
明治五年にはなくなり、卒族とされたものは、士族または平民に
編入されたためです。
>>875 つまり百姓から中間になった我が家の先祖は間違いなく士族ってことですね。
ってのは冗談だけどww
先祖の親族が江戸後期に銀200目(円でいかほど?)で山林を買ってからは引き継いで我が地域へ住み始めたらしい。
877 :
日本@名無史さん:2012/04/15(日) 02:37:32.34
俺みたいに訪問したら塩まかれたエピソードはないのかよ はあ
878 :
日本@名無史さん:2012/04/15(日) 08:29:37.50
その話くわしくwww
879 :
日本@名無史さん:2012/04/15(日) 22:05:32.14
俺も詳しくききたい。
880 :
日本@名無史さん:2012/04/15(日) 23:21:54.82
881 :
日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:26:13.65
>>877 無視したほうがいいよ。概ね推察できるし、釣られる必要なし。
882 :
日本@名無史さん:2012/04/20(金) 09:21:45.86
うちの先祖は赤穂藩士だったという記録が残ってる
討ち入りには参加してないので
年末は家族で忠臣蔵見ながら全員(´・ω・`)な感じになる
883 :
日本@名無史さん:2012/04/20(金) 17:52:02.66
高祖父母など16家系ぐらい調べれば、討ち入りした先祖や、吉良の先祖も出てくるかも
知れないからそっちも調べた方が良い。
884 :
日本@名無史さん:2012/04/20(金) 17:55:05.04
吉良の先祖 ×
吉良の子孫 ○
うちの近辺の集落には赤穂藩士が流れてきたっていう伝説が結構あるよ
きっと当時としては大きな出来事だったんだね
記録が残ってるなんてすばらしい
886 :
日本@名無史さん:2012/04/27(金) 12:01:33.13
昔の戸籍見ると、「當村より入籍」なんて表記がある。福村って地名なので誤表記かと思ったけど、明らかに別人が書いた欄も當村と書いてある。
同村からの移籍の場合は当村とか当町とか言う表記をしてたのだろうか?
誤記の多い時代だから絶対とは言えないと思うけど、当村のことだろうね。
市町村によって表記の特徴に違いがありそう。
その通りでいたって普通の表記
當村や当郡何某村、やや年代が下れば當村仝大字や当郡何某村大字何某とかか。
890 :
日本@名無史さん:2012/04/27(金) 13:19:55.73
当の正字が當じゃんか。ゆとりの学力は半端なく強いね。
當が当だということはわかってると思うが
892 :
日本@名無史さん:2012/04/27(金) 17:59:00.18
>誤記の多い時代だから絶対とは言えないと思うけど、当村のことだろうね。
♪♪♪♪♪
100%じゃないんだから合ってるだろ
ご当地の当だよね
何の疑問も持たなかったよ
世代が変わるってこういうことなの
昔の戸籍ってどうやって入手すんだ?
897 :
日本@名無史さん:2012/04/28(土) 04:16:19.39
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>>896 まず今の自分の戸籍を役所へ取りに行く。親やそれより上の先祖の本籍地も変わってないならそこで取得。
嫁入りや引っ越しなどで本籍が変わっている先祖なら、そこの役所で。遠ければ郵送申し込み。ご当地の役所のHPに申請方法が載ってる。
昔と地名が違ってたりするから、今はどこの管轄になってるか。地名の変遷もインターネッツで簡単に調べられる今は便利な時代。
ただ古い戸籍の紙面の文字は読み下すのに苦労することがある。
自分はすでに直系先祖の戸籍で取得権利のあるぶんはとれるだけ取ったところ。で、今迷っていることがあります。
1カ所だけ(曾祖母の実家)、その明治初期の戸籍とおなじ住所番地に、いまでも同じ苗字の家が存在していることがわかりました。
お手紙を書いてみたいなと思ったりもするのですが、やはりびっくりされる迷惑されるかなと思いとどまっています。
ご先祖の話など伺ってみたいような気がするのですが・・・
900 :
762:2012/04/29(日) 01:13:06.68
本スレのテンプレにあった手紙を出して行けば心配しなくても良いよ。
私の経験では、電話したり、いきなり行っても意外と大丈夫だったことの方が多い。
お彼岸やお盆などに墓参りを兼ねて行くのも誤解されないコツでしょう。
それでも、春のお彼岸に丁重に電話したのに、電話応対の最低限のマナーもないような
相手(若い男)から不愉快な思いをさせられた苦い失敗も一度だけある。
901 :
日本@名無史さん:2012/04/29(日) 23:04:25.99
俺んち、8代続けて男一人だけ成長できて続いてきた家だけど、
女はいっぱいいろんなところに嫁いでいってる。
だから、ときどき知らない先祖探しの人から連絡くるよ。
あぁ、またか・・って思うけど、最初はなんか嬉しかった。
それは、聞いてくる人の期待に応えられるようなエピソードや
物がないからなんだけどね。新築して家も新しくなったし、
墓もじいさんが新しくしたから。古い墓は字も読めないんだ。
もし自分の家が訪ねてこられる方の立場だったら、やっぱり警戒するかな。いきなり親戚ですとかこられても。
電話が掛かってきて、それが丁寧な口調だったとしても、眉唾かなあ。なにか企みがあるのかとか思う。世の中怖い人変な人もいるし。
やっぱりコンタクトはまず、手紙でほしいな。きちんと戸籍と本人の身分証コピーが添えてあったら良し。
903 :
日本@名無史さん:2012/04/30(月) 00:46:31.02
昨日は親父の通夜だった。
久しぶりに父方、母方、祖母の一族、
曾祖母や高祖母の実家の子孫などなど親類一同集結。
この期とばかりに大系図を作るべく聞き込みをしようと思ったが
みんな酒が入ってあえなく挫折する。
904 :
日本@名無史さん:2012/04/30(月) 12:16:47.15
俺自身が系図オタクで、かなり系図を把握してるので、自分の家に訪ねてこられても、
ちゃんと系図を持参してきてくれれば、そんなに警戒しないかも。
嘘だったら、かなり見抜ける自信はあるので。
実際、お彼岸の日に遠縁のおじいさんが待ち伏せしてた時はびっくりしたけどね。
彼は、俺の高祖父の姉妹の子孫だった。高祖父は分家独立した人だけど、有力者に
なってたので子孫の我が家にも挨拶したかったらしい。
逆に、高祖父の弟の子孫を名乗る人物が、俺と同じ苗字を名乗ってきた時は会わなか
った。高祖父に弟はいないはずだし、高祖父がはじめて名乗った苗字なのに弟の系統
が同じ苗字を名乗るというのも不自然だったので。
警戒するもしないも内容次第
家系図ぐらいだったら別に誰に見せてもいい
金貸せだったらいくら親族でもアウト
906 :
日本@名無史さん:2012/04/30(月) 19:20:35.62
>>904 ふーん。いないはずの弟がいたか、あるいは知られていない妹さんの婿さんの子孫で
義弟だったとかもあり得るんじゃないの?
実は、俺の曾祖母の実家が、やはり誰でも知ってる明治の財界人の親類なんだけど
そのうちだけは、金の無心に来たとか思われると嫌なので、死ぬまで調査に行く
つもりはない。
>>906 加藤家乙
渋沢家乙
幣原家乙
どれか当たっちゃいけないからやめておくか
908 :
日本@名無史さん:2012/05/02(水) 18:43:05.00
半角半角「4!」、全角半角「4!」ならば正解だけど、
半角全角「4!」、全角全角「4!」 だと違うように感じる。
誤爆?
910 :
日本@名無史さん:2012/05/02(水) 21:47:45.21
寺で先祖探しするときにみんなどうしてる?
いきなり訪問?電話?
911 :
日本@名無史さん:2012/05/02(水) 22:29:33.83
/ ̄¨¨ヽ
゚ 。 (−) .. (−)
| l`^´l | ふぁ〜
| |⊂ | |
>  ̄ く
_/ ,/⌒)、,ヽ_
ヽ、_/~ヽ、__) \
912 :
日本@名無史さん:2012/05/02(水) 23:39:26.49
私達の先祖は、最終的に天之御中主神に辿り着くってことで結論にしちゃっていい?
まずは手紙か電話だろ
914 :
762:2012/05/03(木) 14:16:32.74
>>912 駄目。
>>688にあるように
>皇統でない天神系の神々とアマテラス系の天孫系の神々を区別すれば、
多数の始祖がでることになるので
60歳過ぎて他家に入家してる先祖の爺さんがいて
どういう意味があるのかはかりかねている。
>>915 御家断絶の憂き目を打ち払わんが為
嫡流の男子の死亡確認があったんだろう
近衛家みたいなもんだ
917 :
日本@名無史さん:2012/05/04(金) 13:25:56.26
ばかじゃないの。愛よ。愛
明治19年式戸籍
戸主の二男が5歳で祖父の養子となり亡跡家督相続していて
どういう意味があるのかはかりかねている
919 :
762:2012/05/06(日) 17:23:44.40
所謂、承祖孫ということで戸主となったわけですね。よくあります。
これには、明治では、徴兵免除(悪く言えば兵役逃れ)などの理由もあるようです。
13歳で絶家願済により復帰していますが
ググってみたら隠居分家というのがあるようですね
解決しました
921 :
日本@名無史さん:2012/05/07(月) 01:29:10.21
除籍謄本の文字がぐちゃぐちゃに潰れてて読みにくいんだけど、これは印刷した奴が下手くそだっただけ?それとも、そもそもの原本が劣化してるの?
やっぱり皆の先祖は居士なのけ?
俺んちは禅定門ばっかり。
923 :
762:2012/05/07(月) 12:07:50.62
釣りじゃなくてマジレスなのでしょうか?
時代と地域、宗派によって違うのですが、一応、順番としては、
信士(信女)、清信士(清信女)、禅定門(禅定尼)、居士(大姉)と上がって
いきます。
父方の先祖だけでなく、もっと多くの先祖を調べれば、信士が多くなります。
>>921 戦前の戸籍は劣化や達筆すぎて解読が難しい場合もあります。
その達筆の原本の戸籍は、原寸大ではどんな大きさなんだろう。
当時は和紙の帳面に筆で書いてあったものを、マイクロ化してあるんだっけ?
それを今の用紙の行数に印刷してあるから恐ろしく読みにくい紙面になってるんだよね。
926 :
762:2012/05/08(火) 12:30:40.12
B4からA4に代わったのが酷かった。
江戸時代以来の美濃紙の型番を踏襲した、B版から、アメリカの非関税障壁
云々のケチがつけられなかったら、もっと見やすかったのに。
>>922 先だって、本スレに質問を書き込まれたのも、あなたさまでしょうか。
本スレにもレスしておきます。
927 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 11:54:33.60
次スレは、復活した本スレに移行しましょう。
928 :
1 地家ヤスマサ:2012/05/10(木) 13:07:41.63
929 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 19:28:58.16
>>926 向こうのレスの人ではありません。
でも、ありがとうございます。
930 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 21:20:15.73
本スレどこ?
931 :
日本@名無史さん:2012/05/11(金) 05:26:11.12
広島県の山奥だけど畑で永楽通宝見つけた
おいおい、500年前から百姓してたのかよ。
932 :
ysms :2012/05/11(金) 10:32:36.59
戸籍謄本の保管150年ってマジかよう。
フジテレビだって20年前のコンテンツ
は消去されるし。ネットは10年くらい?
DVDも寿命10年くらい。
VHSのテープで20年くらい
CDでも30年くらいなのに『150年』ってw
てか普通に永久保存でいいだろう
技術的には何の問題もないはず
壬辰戸籍はいつになったら閲覧できるの?
抄本でも構わないし、先祖の名前を一代でも遡って知りたいだけなのに
国民を登録する戸籍なんて基本資料は永年保存すべきだわな
期間を区切ること自体おかしい
壬申戸籍の封印なんて本末転倒もいいところ
自分の先祖の記録をなかったことにしたい人種がいるんだよjk
まあ間違ってるわな
そういうもんだってお墨付きを与えたようなもんだからな
同和地区の指定なんかもそうだ
一応華族の子孫。公家から華族になった
母方の父方の母方の…とか遡っていったら源平藤橘に行きつかないか?
名字を勝手に名乗っているだけだとしてもだよ
>>939 華族の子孫ってやっぱ未だに学習院に通ったりしてるの?
近衞忠大はムサビ卒だね
>>942 うん多いよ。いとこはずっと学習院。おれは違う。大学は美大行く予定
公家出身の華族なら
当主は歌会始とか宮中行事に呼ばれるのけ?
946 :
日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:17:52.36
ムサビ
って韓国語?
韓国語?
バカですか?
武蔵野美術大学
949 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 16:01:24.81
知ってて聞いてるノラ
950 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:08:11.30
ええい!大庄屋はおらぬか!
951 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:52:58.52
うちの藩では郷士がいたので庄屋などはおらぬ
豪商、豪農は士分持ちや
百姓と武士が親類で共同で田を耕してたんじゃ
952 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 18:24:43.84
先祖は裏日本のある藩の藩士だった。
一応「○○県姓名辞典」みたいな本に記述がある。
うちの先祖は大庄屋の娘と結婚してる
系図と○○村史にも出てくるから間違いない
954 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:15:55.45
東日本は、大庄屋とは言わないんだよね。
五郷取締名主とか、名主頭、とか言った。
九州とかだと、どうなんだろう、長百姓とかかも知れない。
955 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:01:54.60
肝煎って呼ぶ地域もあるよ
956 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:42:14.13
庄屋と郷士って同じ地域にはいないの!?
>>941 近衛家が母方の祖父の家を継いでいるわけだが
無嗣断絶という危機があればいくらでも外孫を養子にする
958 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:32:49.48
>>954 九州は大庄屋とか名主とか名称にこだわりは無いよ
ズバリ東日本の骨格は酋長性社会だからこだわるんだよ
強固な大地主と小作の関係で閉鎖的百姓村社会
九州の骨格は自由闊達な職能社会
つまり横社会で社会発展活力や人材を生む土壌がある訳ね
有名どころで上杉綱憲が女系だったね
>>951 郷士兼庄屋だろ いたとしても
庄屋がいない村なんか基本ないだろ
961 :
日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:34:43.24
そらしょうや
962 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 08:03:16.57
>>960貧乏な村にゃいないこともあるよ。組頭を置いて大きい村の庄屋
支配に入るし、逆に大きな豊かな村だと一村をいくつかに分けて各々
庄屋を置くと一つの村に複数の庄屋が並存することもある
>>960先祖が武士だった家系の庄屋など郷士と自称してることも多い
963 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 09:00:04.48
すいません。素人です。ぐぐってもわからないので教えてください。
父方の原戸籍を取得し明治のひいじいさまの名前はわかったのですが、それ以前の先祖を調べるには
どうしたらいいですか?
ちなみに品川区でとり「これ以上はありません」といわれました。
母方は、眉唾ですが武士だったようで市役所に資料があるとか、生前の祖母に言われたことがあります。
どうやって確認できますか?
964 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:03:10.60
>>964 お寺のかこちょうでも5代前までしかわからないのであきらめてください。
結局普通の家系はそれほど遡れないってこと?
967 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 19:04:50.87
>>964 寺の過去帳って5代前までなの?どこも?
初級者がしぼれるのは祖父か曾祖父の軍歴までだな
俺は曾祖父がどういう軍人だったのかさえわからない
971 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 22:15:43.19
963< 除籍票を取った事ありますか?祖母の生まれた実家の除籍票を
その市で除籍票を取ると、その戸籍の戸主が解るはずですよ。
身分証明証とか必要ですが。祖母の実家が無い市で取れるか解りませんが。
うちも取って昔に病気で亡くなって除籍した人も居て発見って感じでした。
ちなみ、江戸時代の先祖も名前がわかったのでよかったです。
972 :
日本@名無史さん:2012/05/18(金) 23:19:14.61
軍歴なんかどこでわかるんだ!?
974 :
日本@名無史さん:2012/05/19(土) 00:48:56.51
初耳だ!どこ管轄?
天保年頃の参宮記録の古文書に各村数百人規模で姓名が載ってた
本籍の村に同姓がいたけど江戸時代って通称変えたりしそうで分からんよね
× 数百人
○ 数十から百人
姓も変えたの?
>>978 いや下の名前ね
若い頃は○衛門でも世襲の名乗りがあるとか
とりあえず同姓の○衛門やらが複数いたけど戸籍と一致する名前はなかった
981 :
日本@名無史さん:2012/05/20(日) 16:34:42.59
〜衛門とか〜兵衛は役職名だから明治維新の時に
役職名を個人名として登録するの禁止的な法律のため改名したらしいね。
今風の名前と言ったらおかしいけど
○太郎や○次郎とかに改名してたりするね
983 :
日本@名無史さん:2012/05/20(日) 18:05:08.31
藩士名簿には夛左ヱ門や太左ヱ門。戸籍には夛郎左ヱ門、なんてのもある。
今でこそ太郎なんて書くが、昔は夛郎と書いていた。
984 :
日本@名無史さん:2012/05/20(日) 19:15:02.56
あと戸籍には籐治、墓石には與一、系図には直正とか
一人でいくつも名前があるから、たまにわけわからん時がある
>>984 うん、あるある。
幼名なのか通名なのか、はたまたミドルネームなのか?
訳わからなくなってくる(笑)
戸籍に治郎三郎ってコンビ名みたいな人がいたんだけど、幕末では普通?
>>975 郷土連隊で○○から復員
これでまぁ分かる
990 :
日本@名無史さん:2012/05/20(日) 21:38:15.99
991 :
日本@名無史さん:2012/05/20(日) 21:42:57.36
993 :
日本@名無史さん: