1 :
日本@名無史さん:
元は倭だったわけでしょ?
奈良時代です。「養徳」の時代もありました。
今でも倭と和は併用されていますね。
格式ぶりたいときは今でも倭を用いる人もいます。
倭漢朗詠集は有名だけど、
今年の高校野球の岩手代表花巻東の主将は菊池倭(やまと)君でしたね。
うちの近所には倭(やまと)工業という会社があります。
一般的には和と書く場合が多いだろうが、倭と書いた方が格調高いような感じはしますね。
5 :
日本@名無史さん:2011/08/20(土) 13:54:02.67
倭って悪い意味のある漢字じゃなかった?
直接に悪い意味は無いんじゃないかな。
漢和辞典で調べたら、日本・奈良の意味のほかには、「従う」の意味しかなかった。
それが「倭の字を嫌って日本と改めたのかも」という「唐書」の推測や、
「矮」の字義(小人・低い)とも相まって、あまり良いイメージが続かなかったのかも。
しかし、上にあるように日本を指す文字として「倭」は後世にも使用されており、
平安時代の天皇の宣命にさえ「倭根子」と書かれていたりする。
作家の陳舜臣は、「中国の王朝外の辺境国家が漢字一文字の国名は
珍しい」と書いていたのを見たことがある。たしかに例外的な国名だね。
倭から日本に変わったんだよ。正式の国号は「日本」。
9 :
日本@名無史さん:2011/08/20(土) 22:17:38.81
倭waと和huaではシナ語では発音が違うのに日本では奈良時代にはもう同音になっていたので倭=和という変更が可能だった。
「やまと」で漢字変換すると倭、大和、日本に変換できるんだね
大倭→大養徳→大和、
高天原から国造りを委ねられた人たち
13 :
日本@名無史さん:2011/08/26(金) 11:02:43.21
保守
>>9 倭waと和huaでは発音が違う。やまと言葉ではウァとカと転嫁しようもないぐらいに違う。
むしろ、国号としての大倭と大和をヤマトと訓読みしているうちに倭と和がごっちゃになって「わ」と読むようになったのではないだろうか?
>>14の補足。
倭は、waというよりはwi wei だからやまと言葉ではウィ(ヰ)、ウェイ(ヱイ)。
和huaをやまと言葉で発音するとファ、クァだから転嫁して双方が同じになったというのは無理があるんじゃないのかということ。
言語学的には
>>9が定説なのでしょうか。
藤原京〜平城初期(すなわち未だ「大和」の表記が行われていなかった時代)の木簡には、
「伊和之」(鰯)や「和邇部」(ワニ部)などの表記が見られる。
一方、「倭」の字が書かれた同じ頃の木簡は、「若倭部」や「倭万呂」など、
「やまと」と読ませるものはあっても、「わ」に当てたものは見つかっていないかもしれない。
ただし「倭文」(しとり)を「委文」と書くなど、「倭」の字を「委」で代用する例は見られ、
この「委」の字は、「伊委之」や「委邇部」といった使われ方もしている。
17 :
日本@名無史さん:2011/08/26(金) 20:25:17.66
>>15 宋音では和尚をオショウと読んでいるから和はwoだったんだろう。
「和」をクワ、カと読む例は知らない。
和氏の璧(かしのへき)
桓武「朕が物心ついた頃には、もう和の国であったわ」
21 :
日本@名無史さん:2011/08/28(日) 20:04:56.32
なんでそこで朝鮮の天皇が出てくるの?
桓武が朝鮮人とか、どんな妄想だ。
平氏も源氏も現皇室もみんな桓武の子孫
>>20 マジレスすると、桓武さんが物心ついた頃(5歳頃)はまだ「養徳」の時代。
10歳頃にまた「倭」に戻され、「和」になるのは20歳の頃。
和よりは倭のほうが古式ゆかしい感じだな
26 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 03:41:30.24
倭と呼ばれると、バカにされてるような気がするけど。
和よりも倭の字の方が格調が高いように見えるけどね
28 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 14:55:29.84
倭の意味は従う、従順
つまり当時の中国の人から見れば倭人とは中国人に従順な人たちの意味
周辺民族を獣の当て字で呼んできた中国からすると人を意味する「倭」の漢字は異質
というのをどこかで見た記憶がある
30 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 16:38:44.30
すまん基本的な質問だが、1-3世紀当時、倭は自称でもあり、他称でもあったの?
よく自国内の自国の呼び名と、他国(この場合は中華の王朝)の呼び名が違うことがあるけど、
倭は倭だったのね?
31 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 18:01:08.82
>>30 1-3世紀当時日本国内は小国に分立していて一つの国だという認識はなかったと思う
中国が日本列島を指して漠然と「倭国」そこに住む人を「倭人」といっていた
5世紀ごろの日本国内の国号は「ヤマト」であり、それに「大和」や「倭」の漢字をあてていた
日本人が自分の国を「ワ」という発音で呼んでいたわけではないはず
一人称からきているという説はとんでもなのか?
大倭がおほやまとで大和がやまとなのがなんとなく具合が悪く思う。
和=やまと、大和=おほやまとでよかろうに。
34 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 17:12:12.99
敷島行進曲3番の詩 のは倭心AZUMAGOKORO)
とある
35 :
34:2011/09/01(木) 17:46:04.13
失礼しました 3ではなく11番でした
謹んで おわび します
36 :
34:2011/09/01(木) 18:19:11.70
もっとももと日本陸軍砲兵中尉 蒋介石氏は戦時中 日記に日本(りー
べん)とは書かず 倭 で とうした
昔のように倭のほうがいいね
38 :
日本@名無史さん:2011/09/05(月) 15:25:07.91
>>31 倭という他称は中国では日本列島だけを指すものではない。
日本列島(特に本州西部から九州北部)を指すならヤマトと言うのが正しいのだろう。
>>38 当時は朝鮮半島南部も倭の支配下にあったようですね
ほぼ全域だよ
かつては朝鮮半島の南部が倭の支配下にあったからと言って、
日本はイスラエルのパレスチナ占領のような行為は慎むべきだろう。
42 :
日本@名無史さん:2011/09/15(木) 20:12:20.99
多分、倭国は百済の植民地だったのではないかと思う。
43 :
日本@名無史さん:2011/09/15(木) 20:56:44.87
それは無いね、百済が倭国に人質を出しているから。
遺伝子的には近いね
倭人と朝鮮人共通の特殊な遺伝子もある
ただし縄文人由来の、倭人特有の遺伝子が朝鮮半島には少ししか残ってないから
間接的な支配だったか、後で追い出されたかだと思う
日鮮同祖論を振りかざして朝鮮を支配したあのl時代の再現はないだろう。
46 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:21:31.91
中国の史書が、韓と倭は接していると書いている。
大昔に国境があった訳はない。海を船で行き来していた同族だったんだろうな。
アメリカのイヌイットとロシアのイヌイットのように。
その後半島の倭人は追い出されたり、韓に同化したりしたんだろ。
ミトコンドリアDNAでは近いが、Y染色体で見ると、遠い関係。
朝鮮半島は、北方民族に侵略され、今の韓民族が形成された。
1700年前とは男系の血筋が違うんだろうな。
47 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:49:37.54
>>31 魏志倭人伝の言う小国に分裂ってのは、江戸時代の藩を国とも言ったのに近い。
つまり、邪馬台国の時代は、江戸時代と同じように連邦国家的という意味だと
思うよ。明治神話からこっちの皇国史観ウリナラマンセーで、中央集権的と
日本史を読みたがるけども、日本でまともに中央集権が整ったのは、第二次
世界大戦前後からだよ。
48 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 00:55:25.45
>>46 魏志倭人伝の言う、狗邪韓國は、在朝鮮半島日本領だろ?
任那日本府獲得譚が一切日本史に現われないんだから、そうとう古代から
朝鮮半島の一部には、倭連邦の国(今で言う都道府県レベル)が有ったのだろう。
49 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 20:39:41.90
>>48 辰韓の彌烏邪馬国が国名から見て倭国の一部だっただろうな。
倭はヤマトとも読めるし倭人はヤマト人でもいいんだよね?
もっと意味がありそうだけど、とりあえず。
「大養徳」は「おほやまと」と読むんだよね。だったら、「大倭」も「大和」も
「おほやまと」じゃないの?大倭(おほやまと)神社も大和の国魂を祀る神社で、
日本国の神社ではない。
☆五畿八道
・畿内5ヵ国(山城、大和、河内、和泉、摂津)
・東海道15ヵ国(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸)
・西海道11ヵ国(豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩、壱岐、対馬)
・南海道6ヵ国(紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐)
・北海道11ヵ国(渡島、後志、胆振、石狩、天塩、北見、日高、十勝、釧路、根室、千島)
・東山道13ヵ国(近江、美濃、飛騨、信濃、上野、下野、岩代、磐城、陸前、陸中、陸奥、羽前、羽後)
・北陸道7ヵ国(若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡)
・山陰道8ヵ国(丹波、丹後、但馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐)
・山陽道8ヵ国(播磨、美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門)
・その他(琉球、樺太)
論考の森
http://f-kowbow.com/ron/rontop.htm 歴史論考01
【記念歴史論考01:(前)漢書地理誌・倭人条を読む】
http://f-kowbow.com/ron/lekishi01/lekishi01.htm (1)「如墨委面」「<墨如委面>」
問題は「如墨委面」の文意である。これが難解で未だに定説がない。通訓では「墨」を、
「入墨・刺青(いれずみ)」のことと捉え、また「委」を(無理に?)「あやかざる」等と読み、
「(倭人は)面(顔)に入墨(刺青)を施している」と解釈してきた。
この結果、「倭人の鯨面文身」は定説になって、以後の各文献に繰り返し引用されることになってしまった。
・魏志倭人伝「男子無大小 皆黥面文身」
・後漢書「男子皆黥面文身 以其文左右大小別尊卑之差」
・晋書「男子無大小 悉黥面文身 自謂太白之後」等
だが私はこの通訓は誤読であると考える。ここの「墨」とは「入墨(刺青)」のことではなく、
「墨家」のことであると考える。根拠を問われれば様々の検討の結果としか言いようがないが、
全体の意味から妥当なことは以下の検討で納得していただけるだろう。(※注1:墨家について)
「委面す」の「委」は稲穂に実がなって頭を垂れる様で「垂れる」「自然に曲がる」ことをいう。
だから「委面す」とは「面(顔)を垂れる」「お辞儀をして挨拶する」の意味と思量される。
結局、「如墨委面」とは「(倭人は)墨家のように顔を垂れて礼をする」のことと考えるのである。
54 :
53:2011/09/30(金) 00:21:16.96
さてこの如淳注が貴重なのは、先述の宿題、「倭」の語源を示唆している可能性があるからである。
「倭」は「人べん+委」の構造になっている。そして「委」が前述のように「頭を垂れる」であるとすれば、
「倭」もまた「頭を垂れて挨拶する人」「お辞儀をして礼をする人」の意味ということになる。
時の中国人は得意の漢字をもって対象をいかに適切に表現するかを工夫した。
そして古代日本人が自称していた交易集団「わ」に「倭」の字を(おそらく造字して)当てたのである。
だから「倭(わ)」とは、「お辞儀をして挨拶する人々の交易団(集団)」の意味と理解される。
どうだろう、この推理は何となくぴったりしないか。考えてみれば、「お辞儀」は現代にも通ずる
日本人の風習(文化)である。日本人は昔も今も基本的には変わっていないのかもしれない。
このことから「倭人」とは人種を言っているのではなく、その風俗から名付けられた言葉であることがわかる。
55 :
征明仁大将軍:2011/09/30(金) 12:23:41.06
“倭”的意思就是:不光彩的出生,暗弱的,猥瑣狭隘,不知羞耻,頑愚無威信
倭 大和 日本 全部ヤマトと読める同じ意味だと思われ
ヤマトタケル 倭武尊 大和武尊 日本武尊
多分悪い意味は無いよ
日本をニッポンと読み始めたのも最近
>>56 それらの文字自体に悪い意味はないけど、日本に恨みや反感を持っている人たちは特別の意味合いがあるのではないかな。
58 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:08:31.98
60 :
征夷大将軍:2011/11/14(月) 20:19:18.94
“倭”是三国時期,魏国皇帝下賜邪馬台国国使,
国号“魏”字中の“委”字,
旁加“人”字,成為“倭”,称倭国
意思是,魏倭一家
61 :
日本@名無史さん:2011/11/19(土) 17:35:18.08
そうだな、漢代の倭は日本じゃないかも
俺は帥升=高句麗王遂成説を支持
62 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 01:38:24.37
蓋国は巨燕の南、倭の北、倭は燕に属す。
蓋国は蓋馬山からわかるように鴨緑江側の北
この頃。倭の本体は半島全体に存在、
燕の没落とともに盛んになった朝鮮族の南下に押されて、九州に南下
満州に倭山がある、
63 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 01:43:08.77
蓋国は巨燕の南、倭の北、倭は燕に属す。
蓋国は蓋馬山からわかるように鴨緑江側の北
この頃。倭の本体は半島全体に存在、
燕の没落とともに盛んになった朝鮮族の南下に押されて、九州に南下
満州に倭山がある、
山海経のこの記事には、韓、朝鮮がでてこない。
燕(の遼東領域)の南には、蓋国と倭としか存在しない
ちなみに柳田国男じゃないが、昔はかなりなまって話たんだろ
65 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 09:44:47.05
聖徳太子からかな?
中華から与えられた漢字かっけーとか浮かれていた時代が終わり、
ようやくその意味する所がわかってから初めて改号
卑弥呼も邪馬台国も日本書紀でかっこいいキラキラネームに書きなおしたのに
倭人伝でバッチリ書き残されてて涙目ですよ、ええ
北九州人に至っては倭の入った恥ずかしい金印を博物館に飾る始末
>>66 「卑」や「邪」の字は良くないだろうが、「倭」の字は別に悪くないだろう。
68 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 02:11:52.55
「わ」は環濠集落の環あるいは輪ではないかという井沢説は正しいの?
わかんないの わ
71 :
日本@名無史さん:2011/12/18(日) 23:26:37.03
もともと漢字自体だ中国のもの。
当時の日本語で「ワ」と名乗っていた国を、中国は蔑視を込めて「倭」と書いた。
日本では、中国から伝来した漢字を当てて「和」と書いた。
日本列島住民が「わがくに」と言ったのをシナ人が「倭国」と表記したんです。
それだと我国じゃないの?
倭(ヤマト)人は大和民族の事でしょ
倭国はヤマト人の国って意味でしょ基本的に
当時中国と交渉を持った人たちが大和系だからだろう
76 :
日本@名無史さん:2011/12/23(金) 12:44:58.86
>>74 日本人が私たち(の国)って意味で「わ」って言ってたのを
中国人が国名だと勘違いしたんじゃないの
>>76 そうだよ。「わがくに」と言ったのが「倭国」になったんだよ。
78 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 21:30:16.36
武烈までは和国だったらしい。
継体から日本になったらしい。
今は[倭」の使用例は少ないけど、個人的には「和」より「倭」の方が格調が高くて重々し区帝位ですね。
81 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 23:09:06.43
>>61 だろうな
倭人は、新羅経由で
高句麗・百済経由が和氏だからね。
>>81 倭って、そんなもんより遥かに昔から
存在してるんだぞ。
新羅の始めの王が、倭から来た倭人だし。
83 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:00:12.41
>>82 とすると、中華にとっては「東の方の野蛮人」くらいのニュアンスかいね?
半島の特に北側は中華の直接支配がおよび、
中華の軍勢が未進出=東の野蛮=倭=列島 ???
84 :
日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:12:42.25
>>79 日本の国号になったのは天武朝からだろ
日本の使者が国号を日本と決めましたと唐に申告したので
唐の皇帝はそれ以降日本の天皇に「日本国王」の称号を与えるようになった
今も使われている和風、和式、和食、和服などの用法を倭風、倭式、倭食、倭服に直せば如何にも伝統と格式のある感じになるのだけどね。
87 :
日本@名無史さん:2012/01/25(水) 01:57:19.61
環の国→輪の国
環濠集落
ちょっと調べればわかることなのに…
ゆとりと妄想しかいないなこのスレは
91 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 01:05:59.99
しかし日本列島をさした倭じゃなくて今の奈良県をさした「大倭(やまと)」のほうが
紛らわしいからと「養徳(やまと)」に変更になったのはわかるとして
なんで「養徳」から「大和」になったんだ?
大和はヤマトと読めないね?
厳密に言うと、「大養徳」から一度「大倭」に戻され、のち「大和」となった。
日本は室内では靴を脱ぎます。
正装はモノトーンです。
和を以て貴しとなす国だから和国なんだ。
和を以て貴しとなす=和(日本)は偉いということ
96 :
日本@名無史さん:2012/03/03(土) 03:54:32.84
「ヤマト」にかかる枕詞として
「大和(おほにぎ)の〜」か「和(やはらぎ)の〜」ってのが、
かつて存在したのが、伝承が散逸したんじゃないのか。
大和にしろ和にしろ、字面だけからはヤマトという訓が発生しようがない。
こういうケースは他の例ではだいたい枕詞から発生してるじゃん。
「倭」も字面からはヤマトという訓が発生しようがないじゃないか。
「日本」も「大和」も訓はヤマトだ。意味によって用字を使い分けようという意図あったんじゃないかな?
>>97 なにをいってるのかわからんが。倭は日本以外の意味は無い漢字なんだけど。
100 :
日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:03:20.92
100
101 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 00:42:28.51
Japanをやまとの訓に当てる様な物だろ
102 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 08:28:25.60
沖縄では今も日本のことをヤマトと言うな。
>>99 当時の中国人がわざわざ日本人を呼ぶためだけに一字作るとは思えんが
なぜか知らないが日本語で「倭」と「和」が同じ発音になってたんだね。
日ユ同祖論も面白いけど
魏と倭が同じ意味合いがあるってのも面白いな
>>103 お前はなんにも知らないんだな
漢籍の基礎からやりなおそうな
107 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 11:08:49.41
108 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 11:15:29.12
倭と表明したわけがない
「わ」と言ったかもしれないが
109 :
日本@名無史さん:2012/05/10(木) 18:37:58.75
後に稍く夏音を習い倭の名を悪み、更えて日本と号す
おじぎをする従順で蛇信仰な人たち
113 :
日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:04:02.21
何百もの民族が暮らす雑居状態の国は擬似的な連邦制をとる事があり、
特に初期の西アジアに原型が求められる。
無用な戦争や利権の取り決めのために周辺国が対等に代表者が車座に並んで会議や祭事を行う。
日本の場合も恐らくそれで、
その寄り合いの連邦会議を「輪」といい、その集合場所が「やまと」であり、
座長が神官である卑弥呼(日御子)だったのだろうな。
114 :
日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:12:48.97
文法の問題も大きいかもしれない。
大陸では「中国は私の国です」というが
日本は「私の国は日本です」という。
ここでごっちゃになった可能性はある。
115 :
日本@名無史さん:2012/05/25(金) 05:34:37.82
「我が国」は子供なみの思いつきレベル。
日本以外で中国周辺の国々がそれぞれの民族の言葉で「わが〜」が
国名になってるか?
なんで日本だけそうなるんだよ。
たとえ一時の誤解があっても中国人は日帰り旅行できてるんじゃないんだぞ
もう少しマジメに考えろよw
百万歩譲って「わが〜」が国名になったとして
なんで「倭」の字なのか、それじゃ説明できないしね
116 :
日本@名無史さん:2012/05/25(金) 10:26:38.02
気候的なアプローチをすれば、黄海を中心に江南〜渤海〜朝鮮半島西南岸〜九州は人くくりに同じ気候だ。
地図を見れば解り易いが、黄海をぐるっと取り囲んで「環」になってる。
この地域は昔からつながりが深く、白村江の戦いまでは密接に繋がった一つの経済圏だったことは確実だ。
この環をさして「輪の国」だったかもしれん。
弥生時代の近畿はど田舎だった事は発掘調査からも明らか。
また、出雲支配地域は北朝鮮と同じ亜寒帯小雨気候で、生活形態も民族も別で、
あちらは対岸の現ロシア領まで含む日本海経済圏に属していただろう。
しかし、この考えをさらに発展させると、ちょっと面白い状況が生まれる。
つまり、黄海中心の稲作クリーク・砂鉄製鉄の輪、日本海中心の雑穀・陸稲牛耕・鉄鉱石製鉄の輪
そしてその両方の輪の接点、瀬戸内海畿内〜紀伊半島〜吉備〜大分〜四国貿易経済圏の輪環。
三つの輪全てをあわせて「輪の国」だったとしたら面白いな。
第二次農業革命の一端としての水稲栽培とそれに伴う人口爆発で急拡大した文化圏のうち、
後の中国北部から広がった麦族の拡大に同化しなかった周辺地域。
記紀の出雲の国譲り伝説と良く似た構図の周の呉乗っ取り。
倭が格調高いなんて妄想は噴飯物だなw
どう考えても蔑視語。
倭を殊更使おうとするのは、支那やチョンって語を消し、任那や
朝鮮征伐を死語にした流れの裏返し。
チョンが言う倭奴がいい例。
成りすまし帰化人や在日に番組制作層が乗っ取られたNHKが大和朝廷
を使わず倭国を多用するのも自虐史観浸透を図る間接侵略の一環。
倭という語を持ち上げる輩は成りすまし帰化人などの売国奴。
倭人はチビだよ
文字としては倭でも和でもそれ自体に特別な優劣はないだろうが、
文字のイメージとしては和よりも倭の方が歴史と風格を感じますね。
そもそも中国なんてここ100年の間で作られた国なんだけど
123 :
ぷら:2012/07/11(水) 11:10:33.18
「委」だけなら魏に近くタダの一地方名として通るだろうけど、
そこにニンベン付けたなら蔑称だわね。
朝鮮史の本を読んでいるが、やたら「倭」と出てくる。不愉快だが、
歴史用語だということで我慢することにしている。
モンゴル人が「蒙古」と呼ぶな、というのも、今現在使うなと言うなら
同意するが、歴史用語として廃止しろというなら同意しない。我慢して
使い続けるのが筋である。
倭に蔑称の意味はない
126 :
日本@名無史さん:2012/10/15(月) 12:36:00.74
倭国と和(大和)は同一の国家ですか?百済等の帰化人
との連合王朝という可能性は無いだろうか?なぜ刺青文化
が消えたのか?2、3世紀に刺青入れてた倭人は縄文系で
間違い無いよな?
何で刺青入れなくなったのかが知りたいんだよね。
次第に流行らなくなって止めたのか?異民族の文化が入って
来て止めたのか?そもそも身分の低いごく一部の人間
しか刺青を入れてなかったのか?逆に高い身分の者達だけ
に許された特権だったのか?
倭人と言っても雑多な民族の寄せ集めだから黥面を施す民族が居ればそうでない民族も居る
その理由も魔除けやらなんやら民族によって様々
廃れた理由は古代中国で罪人への罰として罪人の顔に刺青をする風習が日本に伝わったせいだという話もあるね
実際江戸時代でも懲罰として存在してる
隋書によれば百済自体が新羅、高句麗、倭の人間が入り混じった国だったから親戚みたいなもんだ
隣国の伽耶なんて倭人の植民地だし
128 :
日本@名無史さん:2012/10/16(火) 12:10:32.20
>隋書によれば百済自体が新羅、高句麗、倭の人間が入り混じった国だったから親戚みたいなもんだ
あるサイトで高句麗の鎧兜と新羅の鎧兜が確かにソックリでした。
ですが一方で新羅と高句麗とでは言葉が違っていたという主張を聞いた事
があるのですが、それは方言程度の違いですか?それとも意思疎通不能な違いですか?
129 :
日本@名無史さん :2012/10/16(火) 12:41:26.44
>>119 倭=委(墨)面の人
蔑称でなくどういう意味なの?
矮小の矮と同じ意味だからな
ちっこい野蛮人という意味だ
小さいと言うのは見た目が小さいではなく、小とは徳が低いと言う意味があるらしいからな
要は野蛮人だというわけだ
131 :
日本@名無史さん:2012/10/17(水) 10:38:02.57
孔子は逆にその野蛮人の方が偉大だと言ってたな
弟子を殺されてその肉を漬物にされたりしたからね?
>>130 「わいじん」と「わじん」は違うだろ
矮と倭じゃ発音が全然違う
「わい」は悪い意味が多いが「わ」は良い意味が多い
邪馬台国の邪などとは違って倭の字には悪い意味などないね
倭の字は古代日本を指す言葉以外に使用されていない
これは何かの字を古代日本に当てたのではなく
古代日本用に字を創った事を意味している
つまり「ワ」が最初に有って、それに合わせて漢字を作った
倭が野蛮な文字なら魏はどうなんだ
わ=和=輪
人の集まり、連合体という意味だ
日本語で、わ=自分、相手
>>136 倭に悪い意味があるとしたら魏はとんでもなく悪いことになるね
委ねるに鬼かw
委ねる人の方がマシだな
倭ってのは小さいって意味がある
小さいって言葉に一体どんな良い意味があると言うのだ
>>141 倭と矮を間違えているよ。
わざとかもしれないけど。
143 :
日本@名無史さん:2012/10/18(木) 11:13:50.03
>>141 矮と倭は全く違う字だよ
中国人なら絶対に間違えない
漢字知らないな
ウィキペディアにはこうある
「倭」は「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。音符の委は、「なよなかな女性」を意味し、解字は「ゆだねしたがう」「柔順なさま」「つつしむさま」、
また「うねって遠いさま」[5]。「委」は「禾(=粟の穂:米や麦に比べると低い)」+「女(なよなよした様)」で、体の曲がった背の低い人。
「矮(こびと)」はこの解字。
矮小の矮と倭は同じ意味だ
「匈奴」や「蒙古」など中華思想の傲慢さから周辺国を見下す名称をつけていたことからも蔑称以外に考えられない
こんなことはすでに常識のはずなんだがな
いっちょまえに()などと茶化すだけで論理ではまるで言い返せない
直感だけで論理性がない
>>145 アホー
馬鹿マヌケ
低能、無知www
そんなの誰でも編集できるんだぞ
wikipedia「魏」にはそんな解説まったく無いぞ
魏を解説してみろよ
期待してるぞ
まるで○鮮人の様だなオマエw
漢字の知らなさに笑える
鮮人は大清国属高麗国旗も理解出来ないし
朝鮮が100%蔑称なのも知らない
低脳のレスはお呼びでない
あっち行ってろ
倭を小さく弱々しい意味が有るとかw
マジ低能www
wikipedeaの「倭」の項目で「委」を「禾」をアワとして稲より小さいと解説してるが
それは明らかに誤りである
http://ja.wikipedia.org/wiki/禾部 国語辞典
>か【禾】
>いね。穀類の総称
つまり「禾」は最も重要な穀物(アワ、イネ)を意味していた
それプラス「女」
つまり「委」とは「とても重要」という意味を持つ字である
委をなよなよとか弱いとか、はっきり言って恥ずかしいレベル
誰だよ、それ書いたの
大恥
ちなみに「魏」
古代の「鬼」は今の様に悪い意味は少なく「先祖の霊」のような漢字だった
そして「委」は当然重要な意味
魏=甦った凄い国・・・かもしれない
魏志倭人伝の時代に倭に悪い意味はまったく無い
ただ日本で倭と矮の発音が変化して
倭と矮が混合して嫌な感じになったんだと思う
まあ真相は謎だが
そういや「和」は
禾に口だな
仲良く食べろってことかw
とりあえず古代中国王朝は周辺国に対し蔑視の意味を込めた名称をつけていたと言うのが「通説」であるわけだが(「邪馬台国」「卑弥呼」等)
現在常識となっているこの通説に反旗を翻すという認識でいいのかな
それは魏がどうのとと幼稚な論点をすり替えた主張では不可能だぞ
魏が云々は相手にする価値を感じない
相手にすればするほど変な方向に論点がすり替えられるのでこういうのは相手にしないのがセオリーだ
>>155-156 wikipediaの倭の字の解説で
禾をアワとしてイネと対比しているのは明らかな間違い
それを元に倭に対して小さい弱い意味が有ると言う主張も完全な誤り
これは同意するよな?
倭は悪い意味にはならない
むしろ良い意味が有る
これは東の海の向こうに理想郷が有るという中国古来の伝説とも合致する
東の海を越えて来た・・・
もしかして伝説の地?という想いが有ったのだろう
大陸の東端は酷く蔑視してるが、東の海の向こうは別なんだよ
事実、倭は厚遇されている
中国は東の海の向こうに神仙の地が有ると信じていた
だらから徐福が旅立った
倭の扱いが悪くなったのは随あたりからだな
のぎへん(禾)はイネの意味
中学生で習う常識だろ
wikipediaの倭、読むたびに笑えるwww
笑いが止まらねえ
どんだけ頭悪い奴が書いたんだwww
>>157 むしろ良い意味が有る >
いい意味ってどういう意味でいい意味なんですか
弥生時代末期の筑紫、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。
【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)・筑紫/宇佐→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)・日向↑ 【神武東征ルート】
....................隅国(鹿児島)
卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。その男系子孫であることを示すため、神武は投馬国(日向)から出航し、
「和」国の首都を筑紫・博多から「大和」へ東遷。「大王(おおきみ)」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。
※記紀が、投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。
【大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代】
〔前期古墳〕…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
〔中期古墳〕…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(百済へ軍事援助で王権強大化)
〔後期古墳〕…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王
※
-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗→百済滅亡で半島権益を完全喪失、王権弱体化→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。大王→天皇。倭国→日本国。両系和解の記紀編纂→「道鏡事件」へ
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の奈良・平城京から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都
>>159 倭は「人+禾(稲)+女」で構成されている
または「人+委」だ
どれも悪い意味は無い
人じゃなくて草なら → 萎(草が生える、つまり稲が萎える)
人じゃなくて矢なら → 矮(矢が有る、つまり戦争で収量が少ない嫌だな)
組み合わせで悪くなる場合もあるが倭は人が追加だ
人・稲・女で構成された倭の意味するものは理想郷だと思う
随は禾を爪にした字を使ったので悪字になるかな
倭の五王が余り戦争したので印象が悪くなった可能性が有るな
倭を好戦的な国だという意味合いにしたかったのだろう
古代中国では東の海の果てに理想郷が有ると信じていた
それが「倭」という文字になったと思う
163 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 11:20:03.77
>>143 お前が正解、ちなみに輪(連合国家)って意味も含まれる。
>>151 「魏」と「倭」に共通するのは「委(い)」+鬼が魏で、+人が倭。
「和」と「倭」に共通するのは「禾(のぎ)」+口が和で、+女人が倭。
165 :
日本@名無史さん:2012/10/21(日) 12:42:49.94
九州の倭と近畿の倭は同じでつか?
倭の用例は三国志以前から見られるから、魏とは関係ないだろ
中国や朝鮮は
日本も「小日本」と呼んで弱い小さい国と言いたがる
「倭」も同じ
弱い小さい字だと言い始めたのは政治的なもので後付け
特に朝鮮人が盛んに喚き立てた
現実から目をそらし蔑視する事でプライドを守る人達だから
まあしょうがない
>>161 一番肝心な、人が入るといい意味になる理由が全く触れられていないわけだが?
漢語林によると委という漢字は「したがう」「つつしむ」という意味があるそうな
従うなどと言われていい意味だと受け止める人はいない
萎にしても矮にしても委が入る漢字はあまりいい意味がないように思える
レッテル貼りは知性のなさを見せつけるだけなのでやめた方がいい
そんな無様な光景は見たくないので人が入ると理想郷という意味になる理由が知りたい
漢字源にも「倭」と「矮」は同じ意味だと書かれている
辞書にデタラメが書いてあるとも思えない
漢字源にはこうある
@倭は「人+委」で、しなやかで丈が低く背の曲がった小人を表す。
A矮(背が低い)と同列
どこが「理想郷」だよw
>>171 古代の日本を指すという項目は無かったのか?
>>168 委員とか悪い意味?
委任が悪い意味?
なぜ萎・矮が悪い意味になるか説明してるが
漢字は象形文字だから、組み合わせに意味が有る
あと朝鮮が倭を小さい弱い意味だと言い続けているのは歴史的事実だが?
スーパー大辞林
>わ【倭】漢字
>やまと。中国や朝鮮などで用いられた日本の古称。「倭寇(わこう)」「倭国」「倭人」
これだけ
弱い小さいと言う意味は載っていない
ぎ【魏】漢字
>@ 高くそびえる。「魏魏」
>A 中国の国名。「魏志」「北魏」
委+鬼なのに褒め言葉だな、かなり古い漢字の様だ
人+委はなんだろうね
まあ今は倭に悪い意味が有ると主張したがる人が居るのは否定できないが
倭を含む言葉で小さい弱いを感じさせるものは無い
176 :
日本@名無史さん:2012/10/21(日) 18:25:10.05
やっぱヤマタイは九州だろうな
まあ、フィン人(マジャール人)の匈奴や、トルコ人の突厥、モンゴル人の蒙古、
チベット人の吐蕃に比べればマシだろう。また、そういう例があるから、ついつい
差別語だと思ってしまうんだろうね。
178 :
日本@名無史さん:2012/10/21(日) 21:06:46.14
差別意識とかおいといて
東の小国だから「倭」と漢字を当てたと考えて何の問題もないだろ
>>178 だから、小さい国とか小さい人とか
古代中国人はそんな意識を持っていただろうか?
見かけが小さかったと言うのはバカげた説だ
中国人と日本人でそんなに身長違わないだろう
倭人が遠くから来た事は分かっても、国が大きいか小さいかなんて分からない
分かれて百余国になったと聞いたから巨大な国だと思っていたかもしれない
まして徐福が旅立った伝説の地かも知れないんだぞ
倭が小さい意味なんて、どうしても後付けだとしか思えない
まあ倭は遠くから来た人かもしれないが
あまりにも日本以外の用法が無さすぎる
>>177 一応読みは尊重して漢字を当てはめたらしい
それらは元々字が有った
でも倭は日本以外に使われた単語が無いんだよ
だから小さい意味だとか言われるとハア?となる
倭と小さいを繋ぐものが無いんだよ
後付けなら山ほど有るが
漢字源で魏を調べたけど
漢字の説明無しに「大きい・高い」と説明していたw
倭は委は女で小さく弱いと言う意味が有るんだあと断言してたのにw
魏に関しては無視w
漢和辞書を見たけど半々ぐらいだね、倭に小さい意味が有るとしてるのは
倭を小さい意味だと信じて疑わないのは朝鮮人w
中国人なら倭と矮の区別がちゃんと付く
朝鮮半途なら分かれて最大で5国程度だし
中国も分かれて数十ぐらい
倭国が分かれて百ってのはかなり衝撃的だったと思う
倭国=小さい国・・・
有り得ないぞ、古代中国の認識で
「倭」が、小さい・弱々しいと云う意味合いがあって、それに負けじと「大」と云う字で持って『大倭』と称したと云う考えも中々面白いと思ったけどね。新しくてにぎにぎしい気っ風が感じられて。
でも本来の意味するところは、「倭」の中の『大倭』なのでしょうね。「王」の前に「大」が来て『大王』とするのに同じく。
んー「禾」に「口」で、前に「大」が付いて『大和』なら、「大」(大きな=広く)+「禾」(お米)+「口」(口にする=食べらる)+「国」で『大和国』(飢えの無い国)を表しいるのかな?転じて『豊かな国』という意味?親父ギャグみたいだけれど。
中国が最初から矮国と書いてれば何も問題なく蔑称
でも倭と書いた
蔑称ならなぜ面倒な事をしたのだろう?
矮を当てはめれば済んだはずだ
矮を使えば良かったのに倭を使ったのは
蔑称にしたく無かったという意図を感じるのだが
一番恐ろしい仮説は
古代の倭人は自分たちをワイヌ(ワヌ)と呼んだんでね?という仮説
金印委奴国やアイヌに繋がるから有り得そうw
ワイヌ(笑)
倭と初めて当て字された時は
倭奴、で一組だったんだろう
そのうち倭人という概念が発達して倭だけが浮くことになったが
すると中国人や朝鮮人は矮という字に結び付けたがるようになったと
中国人は結びつけてない気がするが・・・
189 :
日本@名無史さん:2012/11/05(月) 16:04:36.83
山本五十六は言ってるじゃないですか一年ぐらいはもつって、勝った勝ったでいくだろうと。
だけど後はもう知らんて、そしたら天皇はそれでもいいからやれちゅーわけですよ。
やらないと自分の身が危ないと、スキャンダルをみなばらされて全部失うと、スイスに貯めた金も失うと。
なぜ石油があったか考えてみたことありますか、これはですね戦争のときにアメリカは、
日本には石油を売らないと、ところがパナマ国籍の船ならば石油を積んでいって日本に売っても、
自分達は攻撃できないというような理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です。
でこれに三菱が作った昭和通商という会社がそれを引き受けるわけです。
で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので日本水産という会社が代行するわけです。
魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので戦争は長引く
わけです。
太平洋でいっぱい戦争しました、あれはアメリカの石油をもらってアメリカの石油を使った軍隊と、
戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ、そしてある時になってもう石油をやらないというときに、
天皇は気がつく、ああ遂に終わりがきたかと、これが真相なんですよ。
御文庫といって、天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作りそこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め、
図面を置いて毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ、それを指図ができると、
東条が受けてですねやるわけです、だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、
それを東条に渡すわけです、首相の東条は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです他の連中も。
そういうシステムで戦争が進んでいくわけです。
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes
190 :
日本@名無史さん:2012/11/21(水) 22:48:50.51
「和国」ってあったの?
「倭国」→「大和」→「日本」じゃないの?
191 :
日本@名無史さん:2012/11/21(水) 22:51:00.89
北九州が「倭」で、奈良のヤマト政権と合併して「大和」になり、
天智天皇の頃に「日本」になったのでは?
倭国ってのは、倭人の国という程度の意味
本当はイキやらイトやらヤマトなどたくさんの国があった
その一つ一つがある意味倭であり、
その中のヤマトが天下統一したので、
倭の中で一番上に立つものという意味で大倭と書き、ヤマトと訓んだのだろう
王の中でで一番上に立つものという意味で大王と書いて、おおきみと呼ぶのと同じ漢字の使い方
大和というのは、後世の表現
大王 = the king of kings
大倭 = the Wa of Wa
195 :
日本@名無史さん:2012/12/14(金) 14:40:25.62
今の日本人が倭人って事でいいんだよね?
明治時代に洋装、洋式軍隊を取り入れても欧米の植民地になったわけではない
軍事顧問や技術指導として少数の外国人を受け入れたことはある
倭人=チビ、猿のような格好
>>197 倭に小さいという意味は無い
矮とは読みも似てない
漢字を知らない馬鹿が勘違いしてるな
倭=背が曲がってたけの低い小人の意。
倭風大刀
202 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 17:24:20.94
倭ってのは日本全体をいう場合と奈良県をさす場合があってややこしいから
日本全体をいう時は「日本国」、奈良県をいう時は「大和国」と区別したんだろ
「倭」は「人」+「委」
「委」は「匈」と同じく中国にとっての民族の特徴を表しているのでしょう
「匈」は騷動不安、「勹」+「凶」=災禍
「委」は順從、安 また曲折「委蛇」という語があるように、蛇信仰や刺青もイメージしているのかもしれません
中国人が日本を馬鹿にする時は、小日本と言って倭は使わない
つまり倭にはそんな意味は無いってことだよ
委は遠いと言う意味もある、大切な物でもある
205 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 11:13:09.38
倭になったのは則天武后の頃からでその前は「委」
あとから書きなおしたからほとんど「倭」にされてるけど
ところどころ修正漏れがある。
「委」だと頻繁に使われる普通の文字だから人偏つけて国名にしたんだろう。
初めて知った。
>>204 逆、意味が在るから使えないんだよw
朝鮮とは違う。
209 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 01:56:21.21
>>208 「羊と貝」の血統に絡むんだよ抜け作君。
210 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 02:01:02.08
羊と貝って朝鮮人だろ
211 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 02:03:02.73
あ、羊と魚かw
212 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 08:03:20.65
213 :
日本@名無史さん:2013/02/01(金) 00:23:19.58
「倭」は日本のために作った漢字
朝鮮は当て字で鮮は蔑称
格の違いがまざまざと出てるな
古代の中国人は東の海の向こうに仙人が住む島が有ると信じていた
それが「倭」
東野半島の羊と魚の土地とは「神」と「獣」ぐらいに格が違う
215 :
日本@名無史さん:2013/02/01(金) 00:35:45.48
>>199 唐人から見たら倭人は背が高いという認識があったことを知らないのか。朝野群載ぐらい読め。
216 :
日本@名無史さん:2013/02/01(金) 01:20:46.99
大神姓三輪氏
神=ミワ
三輪=ミワ
217 :
日本@名無史さん:2013/02/01(金) 01:21:48.01
つまり
倭国=神国
である
違います
倭=人+禾(稲穂)+女
つまり理想郷
「倭人」とは「背丈が短く背が曲がっている人」を意味する。
>>219 それは朝鮮人の創作
漢字知らない馬鹿の集まりだし
>>219 ハングルの読み過ぎで頭おかしくなったのか?www
224 :
日本@名無史さん:2013/04/03(水) 08:29:58.79
倭(ワ)→和(ワ)→大和(ダイワ)
までは納得できるのだが、
これからヤマトにチェンジする理由がわからない。
畿内付近に古地名もなく、記紀に出ているヤマトの表音文字は、
人名にしかついていないので、ヤマト氏なるものがいたのではないか?
また、ヤマトの表音文字が国名になっていないところを見ると、
ヤマト氏はまだ文字を日常的には使っていなかったのではないか。
だから、新たに入ってきた倭や和にヤマト音をかぶせたのではないか。
邪馬台国って知ってるか?
226 :
日本@名無史さん:2013/04/03(水) 15:49:41.67
東夷なのにニンベンのついた字を使うって…
邪馬台国=ヤマト
大和は倭人の国の中国に対する表記
中国の国名表記では漢字一文字のほうが文明的に見えるので和に大をつけた
邪馬台みたいな当て字だと野蛮に見える
228 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 12:54:52.10
228
秦王家そのものは山東の出身、秦民には西戎も多いけど
231 :
日本@名無史さん:2013/05/06(月) 12:28:20.96
師升=スサノオ
>>231 スサノオ(須佐の男)というのは後世に付けられた名前
フツシが生前の名前
スが一緒だから帥升=スサノオとするのはあまりに短絡的(バカ)
233 :
日本@名無史さん:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN
だから秦漢倭だろ
Œ
235 :
日本@名無史さん:2013/10/15(火) 23:17:11.41
>元は倭だったわけでしょ?
馬鹿?w
それはシナ人の一方的な呼び方
邪馬台国も 卑弥呼も シナ人の一方的なおしつけねつ造歴史
その証拠は いやしい だの邪(よこしま)だの 汚らわしい言葉を使ってるのが証拠
236 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 01:28:01.49
倭→和ではなかったとおもう。
大和勢力は倭人より先に大和の地に定住してた。
ヤマトのトって、
隼人(ハヤト) 見たいなものかな。
ヤマの人の意味で、ヤマトになったとか。
海彦山彦も ウミヒト ヤマヒト みたいなもんだろ。
238 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 08:46:23.06
『わ』は、遠いご先祖様方が自分自身を指す一人称単数(古語)。、
この単音が古くから有って、(東北等一部方言に残存)
後に、わが、われ、わたし/わたくし。等が派生//基本の自称『わ』+副詞
反対に『ヤ』はアナタ、オマエ、キミ等を表す古語か。(淡路島の洲本市由良地区(他地域とは全く語彙が異なり古語表現が多数)に現存)
聞きかじりに、ヤマトとはアナタとワタシ(様様な人たち)が沢山集まって(寄り合って) 出来たもの、=国。
又、ヤマトは国(勢力圏)の中心部。首都の意味。
239 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 09:14:21.80
記紀で倭の初出?は神武天皇(とされるお方)を瀬戸内海の備讃瀬戸だか明石海峡だかに亀に乗り釣竿を肩に掲げて(マンマえべっさん)洒落た姿で出迎えた
珍(宇豆)彦/椎根津彦が先祖(天照大神〜天火明命)伝来の王権の証。天璽瑞宝を奉呈する従属儀礼の後、水先案内と道案内役をかって出て又参謀役として活躍。
神武天皇(とされるお方)がめでたく琴平げて大王(大倭大己貴命)に即位。
論功行賞で珍彦/椎根津彦は倭(大和)宿禰命(宿禰や国造は在来の王を追補したもの)を賜り、
倭(大和)氏の祖となる云々。
倭大國魂大神の初代神主や天照大神(天照御魂大神と思われる)の初代斎宮らは倭宿禰命の子孫。=天火明命の神裔。
240 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 10:32:18.45
241 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 11:51:25.59
『わ』は、遠いご先祖様方が自分自身を指す一人称単数(古語)。、
この単音が古くから有って、(東北等一部方言に残存)
後に、わが、われ、わたし/わたくし。等が派生//基本の自称『わ』+副詞
反対に『ヤ』はアナタ、オマエ、キミ等を表す古語か。(淡路島の洲本市由良地区(他地域とは全く語彙が異なり古語表現が多数)に現存)
聞きかじりに、ヤマトとはアナタとワタシ(様様な人たち)が沢山集まって(寄り合って) 出来たもの、=国。
又、ヤマトは国(勢力圏)の中心部。首都の意味。
242 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 16:58:09.67
や と ま を引き離すのは不自然だな。
やま と
語源は山
>>241 古い時代は「我」「吾」は「わ」でなく「あ」だから
おまえの説は成立しないね
244 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 13:27:20.61
わ と言えば 浪速
246 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 18:11:06.74
>>245 それって後世の日本語だろ。
一人称「あ」が「わ」に変わって以降に派生した用法。
古い時代は一人称「あ」二人称「な」三人称「か」
ある民族の自称が他民族からの他称になった例って有名なのある?
>>246 自分をワと呼ぶようになったら相手もワになった
無理有り過ぎ
で、出雲はどう呼んでたんだよw
>>248 おまえは思い込みの素人っぽい感想だけで脊髄反射してるだけ
勉強してから出直してこいよw
>>249 出雲がどうだったか答えられないわけかw
そんなんでよく威張れるな
251 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 21:09:33.10
>>250 答えてやるからちゃんと質問しろ
いつも時代において、誰が出雲をどう呼んだってことなのか
出雲が日本列島内の誰をどう呼んだってことなのか、ハッキリしろ
質問が漠然としすぎ
>>251 古い時代、奈良時代より前ぐらいの出雲地域での二人称が質問
できたら九州、関東、東北も
>>252-253 え?出雲の地名じゃなくて人称?
なんで出雲と大和じゃ人称が違ってると思うの?
つかそんな時代の出雲語なんて残ってないだろ
大和なら推古遺文とかあるだろうけど
憶測でいいなら、大和も出雲も同じ日本語だから
一人称「あ」二人称「な」三人称「か」
方言差があったとしても記録がないから不明
なんで出雲をもちだしてるのか質問の意図も不明
あれ、われが残っているのは大和言葉だろ?
あの方が前というのも万葉集辺りの推測
で国譲りの伝説が有るように大和朝廷以前の出雲は重要な地域
出雲弁は大和言葉と正反対のような方言
その辺の歴史を知らずにあが前、倭とは無関係と言い切れるのは異常って事だよ
256 :
日本@名無史さん:2013/11/15(金) 17:02:08.89
「委」(イ)→「倭」(イ)→「大倭」(タイ)→「大倭」(タイワ)→「大倭」(ヤマト)→「大和」(ヤマト)
「委」(イ)→「倭」(イ)→「倭」(ワ)
>>255 じゃ、当時の出雲弁を復元再構成できるのかっていう話
当時の大和の言葉から類推する以外ない
>>256 委の字の上古音は「わ」であって「い」でも「ゐ」でもない
委の上古音は「ヰァ」か「以ァ」か、そんな感じだけど
>「ヰァ」か「以ァ」
つまり日本語の音韻では「わ」か「や」だな
タモリが昔やってただろ、
「世界に広げよう、友達の輪、ワ!」
由来はあれだよ。
261 :
日本@名無史さん:2013/11/18(月) 03:09:46.16
『日本國と倭國は別種なり』
旧唐書(942年中国)
『倭一名日本。自云「国在日辺、故以為称」』
通典(801年中国)
>>261 その頃の日本国は、東北・北陸
倭国も邪馬台国の倭国と大和政権の和国と別だしね。
265 :
日本@名無史さん:2013/12/03(火) 08:21:40.63
奈良県が「大倭」から「大和」へ移行したのははっきりしている
しかし日本を差す言葉に「大和」は無い
なぜなら大和という名前が出来る以前に「日本」という国号が誕生しているから
>>265 もう民族分離してるだろがよ。
歴史で遊ぶのにも軍事力が必要なのよ平和ボケの時代も長いな。
267 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 09:41:13.74
>>266 大和という名前は750年代からだが
日本という国号は670年代にすでに決まっている
日本が大和という国号を名乗ったことは無い
大倭(やまと)と大和を一緒にするな
大倭(だいわ)大和(だいわ)←同音
大和(ヤマト)←訓読み
大和(ヤマト)邪馬台(ジャミャタ)←近似音
269 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 17:48:45.95
>>267 「山門(ヤマト)」という地名に「大倭」「大和」「日本」という当て字をしただけだろ
270 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:09:26.50
大和朝廷は大和地方じゃなくて、大和氏の都じゃないだろうか?
藤原京みたいに。
そこに天皇をお迎えしたとか。
271 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:16:24.17
>>270 藤原京の藤原は地名だよ
飛鳥に藤原という地名がもともとあって
藤原氏はその土地の名前を天智天皇から贈ってもらったの
藤原京って藤原氏の都だと思ってた?
272 :
日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:30:24.06
藤原京が出来た時、藤原氏は藤原を名乗ってたんだよな
家臣と同じ名前を新しい都に付けるとかおかしくない?
藤原氏の元は物部氏だと思う。
藤原京という呼び名そのものは、藤原京が廃止されて以後のものだろ?
藤原京に都があった当時には、単に「みやこ」と呼ばれてたんじゃないの?
275 :
日本@名無史さん:2014/01/06(月) 21:59:58.20
>>255 一応島根県民レス 現在出雲弁で一人称は『わ』二人称『わぁ』って感じ。出雲地方の一地区限定かもしれんが。
276 :
日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:53:56.53
大和は「大いなる和」なんじゃないの?天皇で落ち着いた頃の。
>>276 国号の前に「大」をつける風習は、「倭」から「和」に変わる前に輸入されてるだろ
だから、「大倭」→「大和」だと思う
278 :
日本@名無史さん:2014/04/29(火) 13:14:59.66
NHK集客騒音問題
NHK集客騒音問題
NHK集客騒音問題
NHK集客騒音問題
どうなんだろうね…?
「大倭」と「大和」はもともと全然関係なく別々に作られた言葉だったりして。
後世の我々は大和をヤマトと読むものと思い込んでるから何も疑いを抱かないけど
何も知らない最初期の人間にしてみれば大和はヤマトと読めないし。
普通に倭の字は固有名詞と思い込んでるわけだから
音読みが同じだからって倭の字を和に差し替えようって発想はしないはずなんだよね。
大和は日本で作られたとしたら初期には「おほにぎ」と読まれていた段階が
必ずあったんじゃないかと想像するが…。もしそうならもともとは
今の奈良県じゃなくて日本全体を指していた可能性もなくはない。
倭の字はもともと日本全体なのに「大倭国」で奈良県を指す用法は
「日本」という国号ができた後だとすると腑に落ちるんじゃないか?
そのさらに後になって倭の字を消そうとなって
大昔の大和と音読みが同じことを奇貨として大和って文字を再利用したと。
順番としては
・7世紀後半辺りに国号を『倭』から『日本』に変更(ただし発音は『ヤマト』)
・それと前後する時期に奈良盆地の国を『倭』から『大倭』と2文字で表記するようになる
(改変の理由は2文字表記にするという決まりを作ったから)
・752年か757年から『大倭』の表記を『大和』の表記に変更
>>15 で、
倭は、waというよりはwi wei だからやまと言葉ではウィ(ヰ)、ウェイ(ヱイ)。
とあるのだから、ウィ、ウェイは ウィ、ウェイは 何を意味したか、考察するべきではないのか。
当時の ウィ、ウェイは、白い人を意味したというのを読んだことがあるが、本当なのか。
倭に対抗して大倭とつけたような気もする。
>>283 自国の国号の前に大と付けるのは、当時の東アジアでの規範的存在たる中国での基本だろ
大漢、大魏、大呉などと自称してた。
いまも旧弊を捨てきれないで大韓って自称してる国が至近距離にあるがなw
大倭とか大和とかの表記もそれと同様の、単なる一般的用法だったんじゃないのかな。
そんなのに特殊な意味を探す方が変だと思う
「大倭」については「倭」が先行するのだから
>>285の理屈で問題なく説明できる。
しかし「大和」に先行する「和」が国名としては存在せず
大和以前には和といっても普通になごやかとかの意味であって国名ではない。
従っては「大和」に関しては
>>285の説明は適用できない
説明しうる理屈があるとしたら、
1.全くの新規名称説
2.大倭から大和に改称説
この場合、命名主体は倭と和の発音が異なっていることを知らない人種だったと考える必要があるわけだが、
その時期の発音では同音だったかどうかという点が問題になる
全くの新規名称説に投票したい
使主をオミと読むけど、これは必ずツカヒヌシと読んでた段階が先行したと思われ
飛鳥もアスカじゃなくてトブトリと読んでた段階があったはずと言われてる
大和も「そうだ、これ倭の字の代わりにヤマトって読もうぜ」と発案される前の段階で
オホニギと読んでた時期が存在したのではないか
>>288 >飛鳥もアスカじゃなくてトブトリと読んでた段階があったはずと言われてる
それは「飛ぶ鳥の明日香」という、地名の明日香に掛かる枕詞としての飛鳥に「アスカ」の訓が付いたって話だろ。
飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きていなば 君があたりは 見えずかもあらむ(『万葉集』巻第一)
それは飛ぶ鳥と書いてアスカと読むという
そんな教科書的なもんだと思うぞ
>>288 >使主をオミと読むけど、これは必ずツカヒヌシと読んでた段階が先行したと思われ
それはないな。
使=ツカヒ、主=ヌシという対応関係が確定するのは後代のことで、
漢字を用い始めた当初には、そういう文字単位の対応は成立してないだろ
漢語表記の語句---一文字の単語もあれば熟語もある--のそれぞれについて、
同様の意味を持つ和語、ヤマトコトバ(もしくは方言)を個別に対応させた。
使主をオミと読む理由は、使主と表記された特定の地位のことを(もしくは、その表記で表された特定人物の役職を)
ヤマト側では「オミ」と呼んでたって事
漢字表記とは無関係な和語の地位呼称について、ある場合には「使主」表記がつけられたってだけ。
そういった順序関係を理解できないヒトの空想は参考にもならないな
>>287 倭も和も似た様な音(wua、hua)だし現に日本人は同音にしちゃったろ
>>292 八母音説? 甲音、乙音の別でひょっとしたら同音じゃなかったかな、と思ったけど、
wua、huaだったら違うのは子音だけだから奈良時代以前でも「日本人にとって(だけ)は同音」だったと考えていいのか。
ああ、riceとliceを一緒にしちゃうような
倭という国は、古代中国の南方にあったとされる、、、ってどっかで見た気がする。(うろおぼえ)
日本列島に住む住民を「倭人」と言ってる。
倭人の住んでるところが、「倭」(日本列島や半島など)
「倭人」が、自分の「国」と言ったのが「ヤマト」で、漢字が「倭」
一方、「大和」は奈良県のあたりの地名で、「大和」自体で日本の国という意味は無いんじゃないかな?
地名と国名がごっちゃになってるのでは?
>>296 南方じゃなく南東方〜東方
矮小な体躯の人々の国「矮国」だったのかもしれん。
矮小という特徴が、古代中国の空想上の僻地(東の果て)の特徴に近いっぽいんだが。
>一方、「大和」は奈良県のあたりの地名で
おそらく、そこの地名は「和」じゃなく「倭」と表記されてて、奈良時代頃に国名の文字表記を華字に変えた際に表記替えされたんじゃないかと
木の国→紀伊の国、みたいなのを全国規模で行ったから。
そういえば、越(こし)の国とか、峡(かい)の国とか、総(ふさ)の国とかあったけど、
越って、支那の越(エツ)の国からの帰化人の国と聞いたことがあるけど、本当なのか?
倭というのも、呉越のあたりにあったんでしょ?
>>297 中国では倭と矮は発音が違う
混合するのは馬鹿な日本人とキチガイの某国人ぐらい
倭じゃなくて「委」、人偏がついたのは南北朝か唐になってからだろう
越しの国って、山を越えて向こうの国ぐらいのイメージ
古い時代は高志(コシ)と表記したのでエツとは関係無いのは明らか。
303 :
日本@名無史さん:2014/05/26(月) 19:46:32.32
聖徳太子が倭を持って貴しとなす。からかなと思ってた
304 :
日本@名無史さん:2014/05/27(火) 05:56:06.01
>>298 高志国は山東省の越人(倭人・太白系)の国。支那とは関係ない。帰化人は京都に集まったから関係ない。
305 :
日本@名無史さん:2014/05/27(火) 06:01:16.99
越人は橋本環奈みたいな白色南方系モンゴロイドであったと言える。
306 :
日本@名無史さん:2014/05/31(土) 21:57:05.71
というか「倭」と「和」は同義語なの?
日本語で音が同じ
>>306 もともとは同義語じゃない
古事記では日本(自国)のことを和じゃなく倭の文字で表記していたこと、それより以後の文献では自国を和と表記したことだけは確実
中国の場合
委 → 倭 → 日本
日本の場合
倭 → 大倭 → 和(大和) → 日本
それは無い
倭は西周の頃からある文字だし、中国でも大倭の表記をしてる
>>310 は?
西周の頃の金石文に「倭」という文字が刻まれてるものがあると?
構成に作られた、成立が西周代と標榜する書物(実際の成立はもっと後)の文字だろうが。
大ボラを吹かすなよ
良く判らんが、夷狄の呼び名を記す為にいちいち新しい字を作れって話か?
>>313 中国の史家(というか王朝)が倭人の存在を知ったのは漢代だろってこと
周代に倭人について書いてある
>>315 その記述が後代の偽作であって周代の本ではないと言っている
ホントは漢代になってから作られた本だろって。
318 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:17:51.24
倭って文字は、いわゆる日本のこと以外の使い方ってあるの?
319 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:25:10.28
318
倭の五王伝にでてくる
使持節都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王
ってな〜に?
320 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:28:19.40
新羅、百済はもとは高句麗に属し倭と戦いこの辺の絡みでのちに新羅と安羅が戦争になってるが?
321 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:33:35.70
年代的には最後の倭王武は日本史にでてくる雄略天皇と時代的には合う
前期の4名は不明
322 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:33:36.92
年代的には最後の倭王武は日本史にでてくる雄略天皇と時代的には合う
前期の4名は不明
323 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 20:40:16.56
一方、日本史においては雄略天皇の系統が途絶え継体天皇の系統に皇位が移ったことが記されてる
324 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 21:15:07.70
継体って、二中歴の九州王朝年号と
推測される年号の最初の年号なんだよなあ。
あと、各書に九州年号と推測されている年号が、
二千箇所ほどあるそうで、
続日本記にも数か所存在し、白鳳時代の白鳳も、
大和朝廷の年号にはない、九州王朝年号。
>>311 大篆にも小篆にも倭の字はある
要するに遅くとも戦国時代には存在した
>>319 使持節六国は、六国の裁判権者
都督六国諸軍事は、六国の徴発権動員権者