♪邪馬台国 ドンと来い♪ 86

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1日本@名無史さん
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

出来るだけソースを出して後はお好きに!


    |┃三     ∩___∩
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前スレ『♪邪馬台国 ドンと来い♪ 85』
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1299890863/

2日本@名無史さん:2011/05/22(日) 02:00:55.65
>>1
乙です。
3日本@名無史さん:2011/05/22(日) 02:02:03.06
A「都庁はどこにあるんですか?」
B「空港から約12000mのところにあります。今あなたがいるところは空港から10500mぐらいですね。
 そこから南に行けば都庁が見えてきます。」

九州説「そうですか。では南に残り1500m程行きますね。」

畿内説「そうですか。では東に10000m程行きますね。」
4日本@名無史さん:2011/05/22(日) 05:47:38.01
倭国の不弥国で魏の使節が邪馬台国の場所を聞いた。
魏の使節「邪馬台国はどこにありますか?」
倭国の人「南へ水行20日で投馬国に着きます。さらに南へ水行10日、陸行1月で邪馬台国に着きます」
魏の使節が聞いたとおり行くと太平洋に「ド・ボ〜〜〜〜〜ン!」と沈没した。
魏の使節「日本人め!騙しやがったな!ボケナス!」と激怒した。
5日本@名無史さん:2011/05/22(日) 08:16:39.35

いまだに、こんなこと言う人いるんだね。
断章取義の典型なんだけどな。
畿内説だね。
6日本@名無史さん:2011/05/22(日) 09:44:37.67
未だに九州説の人は何でも半島由来にしたい人達位ですよ。
7日本@名無史さん:2011/05/22(日) 09:51:13.52
九州説のほとんどは在日らしい。
8日本@名無史さん:2011/05/22(日) 10:12:34.74
九州説によると、卑弥呼は朝鮮人になる。
韓国人は、そう信じてる。
吉野ヶ里も朝鮮人が作った。
9日本@名無史さん:2011/05/22(日) 10:18:33.56
だから理論展開も強引なんだね。
10唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/22(日) 10:42:21.72
纒向遺跡の年代は2世紀末からである。
この数字は舶載鏡(魏・晋鏡)の年代感からも支持される。
308年永嘉の乱 これ以前が舶載鏡であり、以後は仿製鏡の時代である。
箸墓=舶載鏡の時代である。
4世紀に移動すると、鏡の説明が出来ない。
11サガミハラハラ:2011/05/22(日) 10:48:43.02
>>8 今は朝鮮人は一種ですが、当時は数種あったようです。あなたのいう朝鮮人とは何種でしょうか。
12日本@名無史さん:2011/05/22(日) 11:24:59.55
畿内説の連中(自演くさいけど)が九州説に論理的に勝てないからって在日にして貶めようとしてるのか
ホリエモンが日本人は議論すると相手の人格否定しはじめると言ってたけどまさにこのことだな
13日本@名無史さん:2011/05/22(日) 11:36:41.93
それがホリエモンが渡来人だという動かぬ証拠だ。
14日本@名無史さん:2011/05/22(日) 12:25:37.66
わけわからんな?在日というのはほめ言葉じゃないか。九州説はもっと喜べばいい。
15日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:14:00.55
>>12
九州説は論理的にも既に破綻してるでしょ。
16日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:27:36.53
>>15
一応聞くけどたとえばどこが?
17日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:44:47.74
九州説は九州単独で完結させようとする点で
既に無理がある。
18日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:49:26.74
>>11
吉野ヶ里は、朝鮮半島と密接な関係があることは知ってるよね?
で、吉野ヶ里に移民した朝鮮半島人も多いことがわかるよね?
当然、朝鮮半島人のほうが進んだ文化を持ってたから、首長も朝鮮半島人が選ばれたはずだよね?
吉野ヶ里が邪馬台国なら、卑弥呼は朝鮮半島人だよね?
19アンギラスU:2011/05/22(日) 13:52:36.83
新板が立ったところで再び要請する。
近畿説の諸君は「東の海」を立証せよ。東の海が立証できなければ邪馬台国
近畿説が成立するとは認められない。
20大阪人:2011/05/22(日) 14:03:18.18
畿内説は九州も含んだ緩やか連合って説が多いんだから
当然、周旋五千余里も矛盾するんだけどこれも証明してほしいな。

行程での証明は無意味とか言って逃げるんじゃなくてさ
21日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:03:46.08
倭人伝の読解をやってる畿内説がこの板のどこに?
22日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:14:06.06
>>20
倭の地でも遠くて詳細がわからん、と言ってる国があるのに
周旋五千余里という数字が正確であると思いますか?

もしくは使いが廻る事が出来たのがその距離だった、という事。
23日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:18:26.31
邪馬台国は壱岐や対馬、考え方によっては狗邪韓国まで支配している。
伊都国には一大率をも置いている。畿内説と言えども九州を無視するわけにはいかない。

にもかかわらず、纏向説の、いわゆる「ゆるやかな連合」の根拠になっている土器については
九州系のものはほとんど出ていない。各地の土器を根拠にした「ゆるかな連合」説は
最初から破綻していると言える。
諸国を検察する一大率の存在もその矛盾の証明になる。
24大阪人:2011/05/22(日) 14:33:20.89
>>22
畿内説に立つと少なくとも対馬もしくは伊都から畿内の邪馬台国までは倭の地なんですよね?

九州から畿内までは直線距離でも壱萬里程あります。その距離を行程した使者が周旋五千余里なんて書くはずないでしょう。
仮に数字が正確じゃいとしても、畿内まで来たのなら周旋五千余里なんて100%書かない。
25大阪人:2011/05/22(日) 14:37:26.50
>>22
ついでにもう一つ言っておきますと、周旋五千余里は倭人に問い合わせたんであって
魏の使者が廻ったんじゃないですよ
26日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:39:36.96
>>24
だから遠くは判らないと書いたのでは?
27大阪人:2011/05/22(日) 14:48:06.60
>>26
遠くは使者が行ってないから詳しくは書けない。
周旋五千余里は倭人に聞いた数字。ちょっと性質が違いますね。

駅から家まで直線1.5kmとしましょう
駅から家まで歩いた人が「駅から家までの土地は巡りまわれば500mである」なんて書くと思いますか?
28日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:50:54.98
>>25
当時の倭人は里数を知らず、日を持って距離を計るはずでは?
29日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:58:33.23
つまり水行陸行を日で数えてる行程は伝聞という事でしょう。
遠すぎて詳細が判らないと言う記述とも一致します。

周旋五千余里という記述は、何も倭の地の大きさを表しているのではなく、
魏の人間が廻った距離を書いたに過ぎないのです。
30大阪人:2011/05/22(日) 15:07:43.13
>>28
官に里数を知った者がいたのか、もしくは漢人が里数に直したのでしょう。
全くのデタラメを勝手に書くとは思えないですし。

>>29
「倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」
思いっきりこう書いてありますよ。
31日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:21:26.22
>官に里数を知った者がいたのか、もしくは漢人が里数に直したのでしょう。
それでは何故投馬国、邪馬台国までは日数による表記なのか
という矛盾は残りますね。

倭の地を周施五千余里ばかり巡ったと、解釈するべきだと思います。
でなきゃこの数値は何処にも当てはまらない。
32大阪人:2011/05/22(日) 15:28:06.27
>>31
魏使が倭の地を巡って周旋五千余里を書いたとするのならなぜ
「倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」
なんて嘘を書いたんですか?

「使、倭の地を行程するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」
とか書いてないとおかしいでしょう

魏志倭人伝に書いてあることを勝手に書きかえればどうとでも解釈できます
33日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:31:18.57
>「倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」
別に嘘ではないでしょ、実際見た風景と計った距離を書いただけなら。

>魏志倭人伝に書いてあることを勝手に書きかえればどうとでも解釈できます
それは貴方も同じ事。

34日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:33:41.40
>>32
>それでは何故投馬国、邪馬台国までは日数による表記なのか
という矛盾は残りますね。
これに対してはどうなの?

35神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/22(日) 15:34:13.10
「周旋可五千餘里」とは裸国・黒歯国の海岸線の総延長距離のことで倭国のことではありません。
裸国・黒歯国とは現在の台湾です。また侏儒国とは現在の沖縄です。

「東渡海千餘里」とは伊勢湾を東へ航行することで豊後水道を航行することではありません。
36大阪人:2011/05/22(日) 15:39:28.51
>>33
>「倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり」
参問するにとは倭人に問い合わせてみたという意味ですよ。
魏使が回って五千余里を算出したのなら、倭人に聞いて五千余里という数字を書いたということは嘘になりますよね?

しかも群から女王國に至るのに萬二千里なのに、畿内まで行くなら二萬里は超えますよね。
これはどう解釈するんですか?

>それは貴方も同じ事。
私はそのまま書いてある通りに解釈してるんですけど、どこが勝手に書き換えてるんですか?
そういうところがあれば訂正したいので詳しく教えてください。
37大阪人:2011/05/22(日) 15:43:49.84
>>34
使節が実際進んでいない説。
首都は重要拠点なので、わざと里数をわからせないように案内した結果、日数表記になった説。

いっぱいありますけど、どれがどうとかははっきり言って解らないですね。
38日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:45:33.86
>>36
>しかも群から女王國に至るのに萬二千里なのに、畿内まで行くなら二萬里は超えますよね。
>これはどう解釈するんですか?

だめだめ。数値の正確性を求めるなら、邪馬台国沖縄説を採りなよ。
39日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:46:23.75
>>36
「倭の地を参問する」は「倭人に問い合わせてみた」という意味ではないな。

>私はそのまま書いてある通りに解釈してるんですけど、
倭人伝を解釈する人間は100%皆そう思ってるからw
勿論俺も含めてね。
40大阪人:2011/05/22(日) 15:50:12.81
>>39
じゃあどういう意味?

>倭人伝を解釈する人間は100%皆そう思ってるからw
それはいいとして、じゃあ、私の解釈のどこがおかしいの?
それを言ってくれないと議論にならんでしょうに
41日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:59:06.20
>>36
1里は420mだから、2万里っていったら8000Kmあまりだよ。
なんか、根本的に単位を間違えてるね。
42神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/22(日) 16:02:05.13
「参問倭地」=倭の地とくらべあわせて聞いてみると。(謝銘仁教授訳)
43大阪人:2011/05/22(日) 16:04:35.16
>>41
三国志は公里の他に短里を用いてるところがままあるからね
倭人条はまさに短里(どこで計算するかによってかわるが80m前後)を用いてるから
これこの板だと多分常識だよ
44日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:05:53.22
>>43
ないよ。それは変な人が勝手に作った単位。
中国人に聞いても知ってるやつなどいない。
45大阪人:2011/05/22(日) 16:09:15.65
>>44
いくらなんでも釣りだとは思うが
じゃあ対馬と壱岐が420kmはなれてることになるけどいいのか?
46日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:10:28.22
>>45
それは外洋海路だからだよ。
外洋船は千里船と呼ばれてる。

変な人の変な論拠を真に受けちゃだめだよ。
47日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:23:25.39
>>36
参問した相手は裸国・黒歯国の人かと

参の意味
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/90048/m0u/%E5%8F%82/

この場合は「照らし合わせる」の意味では?
48大阪人:2011/05/22(日) 16:31:56.05
>>47
いや多分参問した相手は裸国・黒歯国ではなく、「今使譯所通三十國」の中の人でしょう
裸国・黒歯国は伝聞のみで、実際その地には行ってないでしょうし

現在の日本での「参」にはその意味があるでしょうが、倭人伝中の「参問」は問い合わすの意味かと
49日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:43:39.17
>>48
じゃあ、唐突に裸国・黒歯国が出てきた意味は?
それ以前に裸国・黒歯国からも倭国に関する情報を得ていて、
その倭国と今回訪問した倭国が同一だということを示してるんじゃないかと
50大阪人:2011/05/22(日) 16:54:27.26
>>49
倭人伝序盤の行程記事とは別に出ていることから、
「今使譯所通三十國」以外の倭の地理を書き連ねているんでしょう。

裸国・黒歯国の前に「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり」
と書いてあります。とても「今使譯所通三十國」(=国交がある)とは思えません。
51日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:15:13.94
>>29
>つまり水行陸行を日で数えてる行程は伝聞という事でしょう。
単に正確な里数を書くことがむずかしかったというだけでしょう。
道里戸数を書いているのは、使者が実際に行った国だけですよ。いかない国に
ついて伝聞で書くというならば、旁国についてだって書けないはずはない。

>周旋五千余里という記述は、何も倭の地の大きさを表しているのではなく、
>魏の人間が廻った距離を書いたに過ぎないのです。
自分が回った距離を書いたところで、それが倭の地の大きさと無関係ならば
何の意味もないことになる。周旋五千里は、倭の地のおおきさですよ。
52日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:18:02.87
会稽東冶の前で文脈が切れてるんじゃない?
そして別の機会に得た倭国についての知識で補完している
周施五千余里というのも裸国・黒歯国から得た知識じゃないかな
その後の倭国の風習も。
53アンギラスU:2011/05/22(日) 17:22:14.03
35氏へ、東の海一千里というのは卑弥呼女王に表敬に来た魏の使節団が、目の
前にその海を見た、ということなの。近畿説に執着するあまり伊勢湾だなどと
間の抜けたことを考えちゃだめですよ。
54日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:26:17.90
>>51
行って全て把握しているのなら、行程は
里で統一されないとおかしくない?
大体遠すぎてわからねーと言ってるのは事実だしな。
それで何故倭地の大きさが把握できるのさ?無理でしょ。
55日本@名無史さん:2011/05/22(日) 18:06:36.29
>>54
実際に行ったところでも、海に出たり上陸したりを繰り返したり、曲がりくねった
山道を歩いたりすれば、自分が何里移動したのかを把握することは難しくなる
んだよ。だから、里数で表すことをはばかったんだろう。
遠すぎて分からないというのは、旁国の道里戸数だよ。これは、女王の都にいた使
者にとっては、都から旁国までが遠くて分からなかったというだけだろう。
邪馬台国は戸数7万戸の広大な国だ。その都から旁国まではかなりの距離だったはずだ。
56日本@名無史さん:2011/05/22(日) 19:13:46.46
>>55
それじゃ結局周旋五千里の矛盾は解決しないけどな。

大体倭人伝のいう邪馬台国の場所はヤマト、と隋書倭国伝で結論出てるでしょ。
57日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:30:30.28
周旋五千里、ぐるっと一回りする距離と考えると。

公里435メートルならば2175キロ、円ならば、直径700キロの円に相当する。
短里80メートルでは、400キロ、円ならば、直径127キロとなる。

もちろん正確な円ではないだろうから、楕円になれば、いくらかの伸縮はあるだろう。

ともに北部九州は含まれていると仮定すると、

公里直径700キロなら、九州から畿内、東海までが治まる範囲
短里直径127キロなら、北部九州から熊本までが収まる範囲となる。

どちらでも、そんなに矛盾は出なかったな。
58日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:39:34.35
>>56
周旋五千里は倭の地の大きさ。自分が回った旅程と倭人から聞いたこととを
合わせて倭地の大きさを書いたんだろう。何も矛盾はないさ。
榎一雄は参問は「参験問尽」、すなわち体験や意見を比較検討した意味だと
述べているよ。

>倭人伝のいう邪馬台国の場所はヤマト、と隋書倭国伝で結論出てるでしょ。
何がどう出ているというのかな? 意味不明だね。
隋書が云うのは、隋使が訪ねた先は倭人伝にいう邪馬台国だというだけの話。
それがヤマトとはどこにも書いてないよ。

59日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:49:19.63
>>58
>それがヤマトとはどこにも書いてないよ。

早い話「九州王朝説」なら問題ないという話だなwwww

「方角は絶対間違いない!」と言う事を突き詰めるとそうならざるを得ないw

もうその時点で既にお付き合いいたしかねるんで
九州説はその方向性で突き進んでくれと言うしかないなw

まあ流石に世間一般もそれは受け入れがたいだろうw

「悪の畿内説の陰謀」とか言うレベルの話じゃないwwwwwwww

60日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:53:42.36
九州王朝説とはまったくちがうつもりだがね。
都合が悪くなると、非難罵倒で逃げるってのが畿内説のやり口のようだね。
61日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:56:42.96
>>57
倭の地とあるのは倭の島全体の話だよ。
倭の地の一部を考えるならば、どんな距離にでも合わせることはできる
がそんな話ではない。
62日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:58:07.54
しかし、隋の代になっても九州邪馬台国と同じ場所に都があるとするなら、九州王朝と
見られてもしかたないような。
63日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:59:08.46
>>58
何度も言うがそれじゃ投馬と邪馬台国の行程が
日数で書かれている件と矛盾するだろw
倭地の大きさを計る事なんかよりずっと単純な話だからな。

64日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:05:10.82
>>60
ん?「方角の記述に誤りは無い」と言うロジックを突き詰めるとそうならざるを得ないが?w
厄介な部分だけは背負うのは拒むなんてご都合主義は止めてくれという話だなwww

まあ「九州王朝説」と言われるのに抵抗があるんだろうがw
7世紀裴世清が訪れたのも(かつて邪馬台国と呼ばれた)九州の何処か?
…なんて話はもう「九州王朝説」と言っても差し支えないだろうにw

いや俺が拒んでも世間はそう見るってwwww

つうか同じやり取りを一体何回やってるんだ?w

お前らは「九州説」じゃなくて「僕達は九州王朝説です」って言えやっちゅう話だなw
65日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:05:31.30
もはや九州説の人はやっぱり半島人の工作活動としか
思えないレベルだな。無茶苦茶過ぎるだろ。
66日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:16:48.15
九州王朝説には、私からすれば、いろいろ問題があるんだよ。
だから、九州王朝説ではないと言ってるだけさ。
隋使が訪れた先は、九州だ。これは当然のこと。でなければ、隋書は倭人伝の
方向、距離が間違っているとか書いたはずだろ。そんなことは一切書いていない。
これは倭人伝の方角距離(日程)が基本的に正しいということを示している。
しかも、隋書は、筑紫の東は倭に附庸していると言ってるだろ。これは倭ではない
ということ。ヤマトは筑紫のずうっと東だろ。ヤマトは倭ではない。
67日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:22:00.58
>>66
で、隋書によると倭人は仏教にえらく力を入れている様子が書かれているが
通説と言うか今の日本人の常識としてはそれは飛鳥ということになるんだろうが…

そのお前の九州王朝説だとそれは九州のどこかに見ることができるのかな?

68日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:32:52.66
飛鳥に隋使が来た当時の寺でもあったかな? 
だいぶ、後のものしかないはずだが。
69日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:36:14.51
>>66
東西五ヶ月、西北三ヶ月の行程に
東高西低の地形で都がヤマト‥
これが九州なのかww
70日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:44:52.31
>>69
>東西五ヶ月、西北三ヶ月の行程
うろたえるな。西北三か月なんてどこにも書いてないぞ。

>東高西低の地形
本州ならば何が東高で何が西低かわけが分からんね。
九州はまさに東高西低だろう。東の大分、宮崎には九州山地が続いている。
平野はほとんどない。西の熊本には熊本平野が広がり比較的低いな。
71日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:45:29.19
三月行240キロより、一月行80キロ、

済州島など、ほかの表記を参考にすると
東南「界」、南北「界」表記では、縦と横が逆になるので、

東西五月行=南北400キロ
南北三月行=東西240キロ
東高西低の地勢

となると、まあ九州だろうな。
72日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:48:47.93
>>68
飛鳥寺の前身である法興寺が
用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願

以後飛鳥に仏教寺院が建てられていく事になるが
お前の言う九州王朝説の場合だとそれに相当する物があるのかな?

まあその辺は「ハコモノ」が残っていないだけと言う話になるんだろうがw

どの道7世紀頃まで引っ張るなんてのは、もはや邪馬台国云々のレベルの話じゃない。

結局「南」一字をドグマにしちゃうと九州王朝説と心中する覚悟が必要になると言う話wwwwww



73大阪人:2011/05/22(日) 21:50:22.69
魏志倭人伝に見る畿内説が抱える矛盾点

・郡より女王國に至ること萬二千余里と畿内には程遠い
 →女王國は畿内と九州を含んだ連合国とすると別の矛盾点が生じる
・伊都國から邪馬台國に至るまでの道のりが極端に短い(六十日行=千余里)
・伊都國から邪馬台國には南行して至る
・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
・女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北
・「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない
・「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」とあるが、畿内では東の海の存在がない
・「周施五千余里ばかり」とあるが畿内まで行くと五千余里では狭すぎる
・出土する魏晋鏡の数が北部九州に比べて圧倒的に少ない
・畿内で弥生時代によく出土する銅鐸の記述が全くない
・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
 (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
74日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:57:30.71
>本州ならば何が東高で何が西低かわけが分からんね。

君は日本に住んでないのか?

>>71
じゃ倭人伝の方角も訂正しなきゃなw
75日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:57:33.39
法隆寺とよく対応されるのが、
大宰府の観世音寺だったかな。

ここと京都にある最古の梵鐘(同型品)は福岡県の糟屋郡
で作られたそうである。
76日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:00:39.61
>飛鳥寺の前身である法興寺が用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願
得意の文献批判というのをやってみるべきだな。


77日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:00:59.93
>>74
 >>71
 じゃ倭人伝の方角も訂正しなきゃなw

ほかにも同じような記録があるから、
アジア全体を訂正しなければならないだろうな。www

78日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:06:22.29
>>76
諸説あるって話だろう?w

で、結局九州に古代の日本が仏教を盛大に取り入れたその魁となるような物が見えるのか?

まあ仏教なんてのは一つの事例に過ぎず
結局ここの九州説のように「南」一字を拝み倒すと7世紀頃までの日本史を大幅に変える必要があるw

この板のゴミクズレベル九州説どもが言う「畿内説」とは
ごく普通に教科書に載っているような歴史そのものであるwwwwww

こいつらの言う文献史学とは多分『古田史観』の亜流、もしくは劣化版なのだろうw

ちなみに考古学は『安本考古学』がバンドルされてますwwwww
79日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:12:51.43
東西五月、南北三月というのは、倭の地を直線で計った東西、南北ではないよ。
あくまでも行程だ。その点を忘れてはいかんね。
九州は、南北は比較的単純なコースを進むことができる。しかし、東西はそうは
いかない。東の宮崎から西の端の長崎までどうやって行く?宮崎から海岸線にそ
って豊前に行き筑紫に抜け、長崎を目指すことになるだろう。南北よりもずっと
距離は長くなるんだよ。
80日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:16:39.41
>>76
飛鳥寺から出土した瓦は詳細に研究されていて
百済の寺院に用いられていたものとそっくりであることが論証されており
『日本書紀』の記述が考古学によって裏付けられているのだが



81日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:17:16.65
素朴な疑問だが

蘇我、物部の崇仏論争の時代、テスト運用状態の仏教が
そんなに盛大に入ってきていたのだろうか。

隋書は何を見てそんな判断をしたのだろうか。

法隆寺級が10も20もあるってんなら、盛大といえるだろうが。
82日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:18:18.21
>>70
>本州ならば何が東高で何が西低かわけが分からんね。
こんな書き込み見てると、本当に半島人の工作な気がしてきたわ。
ちなみに中国地方で最大の山、大山でも標高2000mないんだぞ‥
83日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:25:16.71
>>81
今言っているのは隋書に書かれた倭人の自己申告の部分であって

隋使が林立する寺院を見たと言う話じゃないからなw

84日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:25:41.89
>結局九州に古代の日本が仏教を盛大に取り入れたその魁となるような物が見えるのか?
物が好きなようだな。しかし、柱の跡などなんとでも言える。
九州年号って知ってるかな?まさかそれを「実はヤマトの年号だ」なんて言わんだろうね。
その九州年号に仏教と結びつく年号があるのは知ってるかな?

85日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:27:12.29
九州年号w
86日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:28:52.34
>>84
まずはその九州年号とやらが古代にさかのぼるものであることを論証してみせてくれ
87日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:30:21.44
九州年号・・・太国と同レベルと見た。
88日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:34:33.08
>>82
東京、埼玉、千葉あたりにも大した山はないよ。
89日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:52:21.49
>>88
当たり前だろw
目の前の箱で東北地方と中国地方の山を調べろよ。
90日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:55:44.00
>>84
秦氏の年号だからなw
91日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:58:18.94
>>89
ということは、東高とは言い難いな。
92日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:01:16.57
>>91
君は日本語で会話できるのか?
93日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:02:01.88
>>85 >>86 >>87
九州年号はきらいかな(笑)。何でそんな年号が残っているのか、
考えないとね。
94日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:06:29.81
サイキバ君降臨w
95日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:09:33.88
>>93
残っている文章が正解なら、モモソ媛が卑弥呼で決定だな。
何しろ神大市姫命、日女命(ヒメノミコト)だからな。
国宝というお墨付きだし。
96日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:12:24.49
ヒメノミコトなんぞいくらでもいるだろが。
97日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:14:15.45
>>92
君ができないんじゃないかな。
98日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:19:09.18
まあ「九州年号」なんて九州王朝説定番与太ネタにまで付き合うつもりはないが

結局この板のゴミクズレベル九州説どものように「南」一字をドグマにしちゃうと九州王朝説にならざるを得ない

…ということをまだ引き返せる奴は肝に銘じておくことwwwwwwww

ちなみに年号のお話だと関東は「那須国造碑」に「永昌元年」の文字が見える。

永昌元年とは唐の則天武后の年号で689年だから
九州王朝説のロジックだと関東は7世紀中国の領土だったと解するべきか?wwwwwwwwww

99太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/22(日) 23:20:07.10
「倭京」という年号があtt
100日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:20:25.81
 一支 → 已百支 ┗╋┛壱岐  北 >>1
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄┃        φ y52ydgvBDGHx 8.3
放射説            ┃4000   南 ┌───┐    ┌──┘
      ┌──┐  ┌末盧┌┐─→□金印  └─┐│遠絶
      └┐  └┐│┃└┘└──┘        ┏┛┗━━
伊都国: .┗━┓└┘┃   1000   『奴』→支配┃北方外縁
一大卒が┌┓│1000┃  ★不  20,000       ┃(海峡や
奴牽制┌┘┃│    伊都━弥              ┗┐本州に疎い)
飛地  │  ┃│  ┌╂┐\   境界┏━       ┗───┐
従属国└┐┗┘┏┛┃│ 奴━━━╋烏奴━支惟━巴利 ┗┐
    ┌─┘遠絶└┐┃└┐┃..再掲 ┌┘    ┏躬臣━┛ ┏┛
    ┗━━━━┓┃10日│┃其南 │┏邪馬┛   ┏━━┛
奴国<筑紫>: .┌┘┃┃  │狗奴    鬼奴━━為吾┗┐
非親女王    ┗━┛┃┌┘ ..Kikuchi│  ┏鬼━┛★ ┗──┐
斜陽  ┌──┐    ┃└┐       │★┃Kihachi       ┏┛東
    ┌┘┏━┛┏━┫┌┘      華奴蘇奴┓          └┐渡
    │┏┛┏10日┌╂┘ ..DMZ ┌┘     ┃          ┏┛海
    ┗┛┏┛┌─┘1月┌───蘇奴━━呼邑         └┐→
前半は┌╂─┘    ┃ │┏対蘇━┛ Koyu   ★.┏\━━┛
ソノママ │投        ┃★姐奴━━不呼┓    ┏━┛傘下故
記載┌┘馬        ┃ │Hinamori ┏┛★┏┛戸道里も当然得
    ┗┓50,000 『馬』┃弥奴━━━好古都━┛られるが断った上
      │Satsuma   ┃┗━都支┓★┏┛ で抄録。
    ┌┘  ┏━┐  ┃ Yagorou 伊邪┃Miya, 夷守≒都支=都城
┌─┘  ┏桜島│  ┃★┏━━┛┏┛Izanaki 左回りで順に紹介
│    ┏┛│└┘★┃已百支★┏┛ ┏──┓┏─┓
└┓  ┃  │    邪馬台┃★┏┛ ★│屋室┗┛  │伊
  ┗┐┃  │ 70,000┏┐斯馬┃     ┗┓      ┏┛│奴┐
後半┗┛┌┘    ┏┛●┏━┛穀璧 ┏┛  ○  ┗┓│↓北
他国┌─┘    ┏┛↑┗┛kushima  │花弁状住居│↓狗↑
北向┗━━━━┛  │             ┗─┓    ┏┛投→邪
先ず概説        侏儒国(南方は詳しい)  ┗──┛
101太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/22(日) 23:21:55.11
>>99
どうもいかんな。ミス・プリントになってしまった。
ノート型PCっていうのは書きこみしにくいね?

年号「倭京」
102日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:26:26.74
倭=九州
日本=畿内
103日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:30:53.65
九州年号が出てきた時点でもう遊びは終了だよw

しかし‥九州説は文献派だって自称してるのに
倭人伝も倭国伝も全く無視だよな、話にならんわ。
104大阪人:2011/05/22(日) 23:32:27.36
>>98
私は九州王朝説をとらないが、できれば>>73の全てに反論してみてくれないか?

所詮ゴミクズレベルの考えた矛盾点なもので、崇高な畿内説の方だとお見受けしたあなたなら簡単に反論できるでしょう?
105日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:35:26.52
九州年号自体は逸文の集計で
かなりの数が出てて、年表が作れる程度には充実している。

畿内でも一応大化から年号を作っているようなことが書いてあるが、
年号として安定的に使用されるのは大宝からで、
それまでは九州年号よりも資料が少ない。

大化から大宝以前までの間は年号が畿内年号が存在しなかったのではないかという
時期もある。

大宝直前まで九州年号は存在し、
大宝から畿内で制定されるようになる。

実際の権力は別としても、年号制定権がここで移ったと思われる
106日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:41:43.59
>>105
散文を妄想で組み合わせたのが九州年号。
しかも提唱者が偽書事件にも関与してる以上話にならない。
107日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:42:27.75
韓国や中国の学者で九州王朝の存在認めてる奴なんているの?
108日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:47:41.54
まあ、九州ローカルだろうと思うが、中国から影響を受けた九州の豪族が
独自に年号らしきものを制定するのはありだと思うよ。

そもそも、そのころには畿内には年号がなかったわけだし。

記紀に胸張ってここから年号が始まった、なんて書いてるんだから
それ以前に畿内に年号がなかったのは間違いないだろうし。
109日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:52:02.59
>>98
残念ながら南一字だけの話ではないんだよ。
末盧国から東南五百里伊都国は佐賀だ。そこから畿内説も北九州説も
あり得ないことは明白。君たちの説こそ信仰以外の何ものでもないっ
てことだ。
110日本@名無史さん:2011/05/22(日) 23:54:32.98
>>106
古田が提唱者だと思い込んでいるところが幼いね。
111日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:05:01.38
>>100
狗奴国の位置が問題だね。そこでは、投馬国、邪馬台国への途中に狗奴国が
立ちはだかっていることとなる。
112日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:11:37.35
>>109
で、結局お前が言うところの『7世紀の邪靡堆≒3世紀の邪馬臺』って一体何処なんだよ?w

3世紀の邪馬台国は痕跡一つ残さず消えましたと言うのはまだしも
その7世紀の邪靡堆も日本の文献史料・考古資料に痕跡は無いのか?

九州王朝説にありがちな

「大和朝廷によって完全に破壊され焼き尽くされ何も残らなかった!」

とか言うお話かな?wwwwwww


113日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:15:35.38
>>112
畿内説論者の幼稚な頭では到底理解できないよ。大和朝廷が九州の倭国を破壊し焼き尽くしたの
ならば、そのことを誇らしく書きまくっただろうよ。
114日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:19:20.81
白村江かな
115日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:26:59.44
>>113
そりゃ君の脳内の妄想なんて誰も理解できないよw
116日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:33:17.00
>>113
>大和朝廷が九州の倭国を破壊し焼き尽くしたのならば、そのことを誇らしく書きまくっただろうよ。

じゃあうまく行けばそのものが現存しているのかな?w
少なくとも長く破壊されること無く九州の地にあったと?ww

え?何処だ?
スマンが俺のレベルでは候補が全く出てこないwww

ここで勿体つける意味がよく分らないんだがwwwwwwwwwww


117日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:39:07.28
>>116
東遷に決っているだろう。記紀の記述に沿っているし、大和朝廷と九州勢力の争いが熊襲以外にないこともそれで理解できる。
別に争いの記述を避けているわけじゃない。磐井の乱などは壮絶な戦いを演じている。
東征によって、いろんなことがうまく説明できるのに、それを避けようとしているのが面白い。
118日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:45:00.36
ヒントを言えば、東征と東遷の時間差が問題なんだな。
119日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:48:01.93
記紀の記述じゃ国の始まりは淡路島だよな。
120日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:07:26.21
国土がどんな順序でできたかなんて誰にも分かりっこないんだから、
こだわらない方がいいんじゃないかな。
121日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:21:18.58
>>118

ヒントもくそもあるか。www

ヤマト王権に下に九州が屈服したという歴史があるだけ。wwwwwwwww

しかし、この九州説のなんでも起源を捏造する朝鮮人気質はどうしたものかね?
122日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:23:34.28
個人的には、九州王朝と大和朝廷はそれほど
仲は悪くなくて、白村江で九州王朝の頭がつかまって
壊滅的な打撃を受けてから、大和朝廷が
後を引き取ったんじゃないかと思ってるんだが。

で、喧嘩した中国相手には、九州王朝とは別人のふりをすると。

それでしばらく遣唐使も途絶えるくらいに中国とは険悪だったが、
いろいろ整備して、記紀編纂して関係を回復する。

頭をとられた九州の残勢力も中国からの報復が怖くて、
わりとすんなりと大和朝廷傘下入り。

大戦争なかったようだから、こんなシナリオ考えているんだが。

123日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:24:35.14
ヤマト王権に屈した順は
山陽、東海、関東、北陸、山陰、九州
124日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:25:46.15
しかし、
30年前の小説だか漫画だかの影響かしらんが、
九州に、栄華を誇った卑弥呼の統治する邪馬台国があって、
その子孫の神武が東征してヤマト王権を作り、
卑弥呼はアマテラスとして崇拝され、今日に至る。

という、いかにもオコチャマ的な筋書きのドラマを、歴史の真実であるかのごとく信じられるってのは、
やっぱり、高校生までにしたほうがいいと思うよ。
いい社会人が、顔を真っ赤にして力説するような話しじゃないから。

見物してるほうは、暇つぶしになって面白いけどねえ。
125122:2011/05/23(月) 01:28:12.05
あ、自分はあんまり東征東遷は気にしてない。

つか、記紀神話みたいに少数がゲリラ化して突入くらいはあるとしても
畿内を屈服できるだけの大軍を畿内に運べるとは思っていない。
126日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:29:43.09
>>117
>東遷に決っているだろう。

お前は一体何を言ってるんだ? 
3世紀以後邪馬台国が東遷して7世紀になる前にまた九州に戻ったんか?w
言っている事がサッパリワカラナイ  ハァ?(゚Д゚)

結局「7世紀の邪靡堆」とか大風呂敷広げたけど適当な物すら出せずにトンズラ

ゴミクズレベル九州説の常だなwwwwww
127日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:33:20.34
攻撃3倍の法則
兵站二乗則

大型前方後円墳作れるくらいの相手に
九州から勝てる大軍運ぶってとんでもない規模になるよ。

記録に残らないはずがないくらいに。
128日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:34:12.61
記紀の神武は、畿内豪族のトップに入り婿した男が支配権を主張して地元豪族とぶつかり合う姿
東征ではなくて通い紺
129日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:43:02.09
>>124
そのお子ちゃまレベルの東遷説に、顔を真っ赤にして大人気ない対応をし続けてきたのが畿内説。
大人なら冷静に、静かに見守ったらどうかな。
議論すればするほど、東遷説有利になるから、顔を真っ赤にして慌てふためいているとしか思えない。
130日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:45:20.94
>>127
記紀読んでないな
土着の豪族に神武天皇軍コテンパンにやられてたぞ?
その後、物部氏が同じ天孫族だからと言って、天皇に服属したけど
131日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:45:23.35
いやいや、畿内説論者も東遷説を無視できなくなっているんだよ。
寺沢なんぞを読んでいると、そのことがよく分かる。
132日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:47:39.34
>>126
アホは、話の流れも読み取れないのか。。。>>117 は私ではない。
133日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:52:22.85
>>131
少なくとも寺沢の年代観その他では「邪馬台国東遷説」は無理なわけだがwwwwwww

吉備東遷説や伊都国東遷説と都合の良い時だけ同じカテゴリーとして紛れ込んで
東遷説に理があるように説くw

ペテンの手法だなw
134日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:01:09.65
出雲神話だって殺しあい自体は否定してない。
息子は諏訪まで逃げたなんて話まであるくらい。

軍事衝突したのなら、その程度の話くらい残ってても
いいはずだが、そんな話は残っていない。

今も昔も、攻められる側はおとなしく既得権益を手放したりはしない。

それでも統一されたとすれば、直接対決とは別の要因で、
どちらかが反抗能力を失ったと考えたほうがいい。

それに該当するイベントが白村江だと思う。
135日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:04:26.91
>それでも統一されたとすれば、〜どちらかが反抗能力を失ったと考えたほうがいい。
二つの勢力を考えると、そう考えざるをえなくなる。しかし、最初から一つならば・・

136日本@名無史さん:2011/05/23(月) 03:42:20.98
末盧=松江=出雲
戦前の神社タブーを越えてここからはじめれば
魏志湾人伝研究は21世紀の進歩が望める。
あとは、あらゆる昭和の苔をどう剥ぎ取るかだね。
137アンギラスU:2011/05/23(月) 06:56:41.01
73氏に賛成。
近畿説の諸君、大阪人さんのあげた13項目にきちんとした反論をしたまえ。1
項目ずつね。不可能だと思うけど。

ジェーオーケーイーアール君、あんたは相変わらず人の説を攻撃するだけで、
自分の説は表明できないようだね。ゴミクズレベル近畿説だね。

138日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:05:33.37
大阪人の質問?上の方で既にボコられて涙目になってるやんw
139日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:15:13.99
記紀の記述を参考にするなら、神武の鉄器軍団は
畿内の石器軍団にボロボロにされてたよな?
140サガミハラハラ:2011/05/23(月) 07:55:00.39
>>139あなたのいう記紀というのはどんなご本でしょうか?
141じょーか〜:2011/05/23(月) 08:22:20.13
アンギラUなんやてwwwww
畿内説ゴミいうなwwww
・郡より女王國に至ること萬二千余里と畿内には程遠い
 そんなことない。
・伊都國から邪馬台國に至るまでの道のりが極端に短い(六十日行=千余里)
 畿内説に長い道のり不要
・伊都國から邪馬台國には南行して至る
 魏志倭人伝の捏造じゃw
・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
 鉄は錆びてなくなったww
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
 甕棺は都市開発で撤収したwww
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
 絹製品は燃えてなくなた
どや、畿内説の勝ちやwwwww
142日本@名無史さん:2011/05/23(月) 08:28:55.45
東遷説は学界ではタブーなのですよ。
あってはならないこととされています。
それを唱える者が出てくると口角泡を飛ばして罵倒しまくるのは、
「大人の対応」ができないほど危機感を感じているからです。
143じょーか〜:2011/05/23(月) 08:31:40.52
・女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北
 魏志倭人伝得意の方向間違いw
・「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない
 今から発掘するの!
・「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」とあるが、畿内では東の海の存在がない
 魏志倭人伝が方向間違ったの!!ww
・「周施五千余里ばかり」とあるが畿内まで行くと五千余里では狭すぎる
 魏志倭人伝が何か勘違いしたのwww
・出土する魏晋鏡の数が北部九州に比べて圧倒的に少ない
 △縁があるじゃないかwww
・畿内で弥生時代によく出土する銅鐸の記述が全くない
 え?そうなの?
・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
 (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
 それは、現在検討中MMMM
それでも邪馬台国は畿内にあったのじゃ〜wwwww
144水銀厨:2011/05/23(月) 08:49:00.65
私は東遷自体はタブー視も否定もしませんよ。
仮に「らしきもの」があったとすれば、3世紀より
以前の事だと思ってますが。
それに話自体はいくつかの伝承の組み合わせ+脚色説で。
145日本@名無史さん:2011/05/23(月) 08:55:31.73
ダメだ、ジョーカーはそんなに上品じゃないぞ。
もっと成りきらないとな
146日本@名無史さん:2011/05/23(月) 09:57:57.48
>・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
> (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
> それは、現在検討中MMMM
畿内説といったって、邪馬台国が畿内にあるってことで、九州北部が女王の境界であることには違いない。
だから狗奴国が九州南部にあっても何の問題もない。
其の余の傍らの国を列記している所は、別に方角とか書いてないから、
相互の位置関係はわかんない。
邪馬台国の南に傍らの国々があって、その南に狗奴国があると考えているなら勘違い。
女王の境界の南に狗奴国がある。
九州北部も女王の境界。その南に狗奴国がある。つまり九州南部。
147日本@名無史さん:2011/05/23(月) 10:12:56.36
>>142
>東遷説は学界ではタブーなのですよ。

マキムクから出土する土器は、東海系が圧倒的で、九州はカケラ程度。

東遷説の証拠は一切無く、東西説のほうがまだ説得力がある。
実際、記紀でも最後に神武は西から攻めてるわけだが。

そうした、考古学的事実も、文献も精査しなから、
東遷説はバカにされるのだ。
148日本@名無史さん:2011/05/23(月) 10:14:02.39
じゃ、倭の役人は魏使を狗奴国へ案内したんだな。
149日本@名無史さん:2011/05/23(月) 10:14:03.15
おっと
×東西説
○西遷説
150日本@名無史さん:2011/05/23(月) 10:29:55.29
>>147
>マキムクから出土する土器は、東海系が圧倒的で、九州はカケラ程度。
だから、だめなんだよ。物資は被支配地から支配地へ流れる、土器はそれに
ともなって移動するわけだ。畿内の土器が九州からでるが九州の土器は畿内
からはでないとなれば、九州が畿内を支配していたということさ。
151じょ〜か〜:2011/05/23(月) 10:44:18.43
>>147
だいたい土器なんて遙か遠くから持ち込む物か?珍しいものではないよ
土器なんて地場産業で作る物なので畿内に九州の土器が少ないのは当たり前www
お〜と、俺は畿内説だったwwww
152日本@名無史さん:2011/05/23(月) 11:36:44.24
>>150
つまり巻向からは九州以外の全国からの土器が出土する。
倭人伝によると九州にある伊都国に国王がいて周辺諸国をまとめる。
そして女王の力が及ぶ境に奴国がある。畿内説でOKという事だなw
153日本@名無史さん:2011/05/23(月) 11:47:32.29
>>152
論理というものがまったく分かっていないみたいだね。気の毒に・・
154日本@名無史さん:2011/05/23(月) 11:50:22.25
>>153
皮肉というものがまったく分かっていないみたいだね。気の毒に‥
155じょ〜か〜:2011/05/23(月) 12:00:19.59
なんだか畿内説終わってるぞ!
畿内説者よ俺みたいにガツンと言ったれwwwww
156日本@名無史さん:2011/05/23(月) 12:11:26.51
終わってるのはお前だって誰もが知ってるw
157:2011/05/23(月) 17:11:29.44
ふん! さて帰ろうか・・・
158日本@名無史さん:2011/05/23(月) 18:33:02.79
>>73 大阪人(←できれば過去に使ったステハンで頼むw)
お前如き、じょ〜か〜さんに代わって俺が意見してやるw
どれもこれも過去に散々出てきた話「過去ログ読んで来い」「半年ROMれ」で終わりだな。
と言うかお前は過去にそのやり取り見たことがない「新参の人」なのかな?www

それに質問の程度があまりに低い。
ゴミクズレベル九州説によるゴミクズレベル(サイキバレベル)質問事項の羅列。

例えば畿内説を「女王國は畿内と九州を含んだ連合国とする」と理解しているのなら
「倭国の特産品である絹製品がほぼでない」なんてアホ丸出しの質問は本来出てこない。
その広範な連合体の倭国内の何処かで産出されればいいだけの話なのだから。少しは脳味噌使え阿呆。
そんなだからじょ〜か〜さんにゴミクズって言われるんだよwww

とにかく「質より量」何処かのパラノイアなクレーマーが火病起こして書きなぐった物にしか見えないな。
興味の欠片も沸かない内容。

じょ〜か〜さんもボランティアじゃないからな。答えて欲しかったら少しは頭使って、あのお方の興味を引く内容を書き込めゴミw

>>145
>ダメだ、ジョーカーはそんなに上品じゃないぞ

黙れ品性下劣人品骨柄卑しき下賎の者。
159日本@名無史さん:2011/05/23(月) 18:36:42.36
で、結局方角に間違いはないと言う九州説の−と言うより九州説が畿内説を否定する−最大の根拠「南」と言う一字に固執すれば

7世紀裴世清が訪れた「邪靡堆」も九州の何処か、恐らくは3世紀「邪馬臺」とそう遠くない位置にあるんだろうが
それに耐えうるような比定地が九州にあるのか?

「則魏志所謂邪馬臺者也」も九州王朝説をもってくれば一応は筋が通る回答ができるが益々現実から乖離した物になる。

とりあえずここのゴミクズレベル九州説はその「7世紀まで栄えた偉大なる九州王朝の都」を探し出してきてくれw

7世紀の壮麗な都なら随分探しやすくなると思うがwwwwwwww
160日本@名無史さん:2011/05/23(月) 18:39:02.96
だから邪馬台国は徳島だって。
1000基以上の古墳といい、その年代といい、
さらに魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国へのルートと行程日数」
全部ピッタリじゃん。

知らねーよw近畿派や九州派のプライドや名誉やショックなんてw
知るかよwそんなもんw
勝手に涙目で口惜しがればいいじゃんw落ち込めばいいじゃんw

真実は1つだから。

161ローガン:2011/05/23(月) 18:53:12.87
ここのみんなは、秋津遺跡の多孔銅鏃ってどう考えますか?
曲学さんが赤塚氏の意見を引いて、そこから遺跡の年代を「邪馬台国時代」だと主張してるんですが…
まあ、その説の良否はさておき、私は「多孔銅鏃」についての知識が皆無なので、詳しい方が居れば教えて下さい。
162日本@名無史さん:2011/05/23(月) 19:01:45.03
多孔銅鏃は長く儀礼用として用いられていたので土器以上の指標にはならんよ。
むしろ遺跡の東海的性格こそを見るべきだろうね。
163日本@名無史さん:2011/05/23(月) 19:28:19.48
>>160
おめでたいね。魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国へのルートと行程日数」
とは、何も一致しないじゃないか。よくそんな話に乗れるもんだ。
164水銀厨:2011/05/23(月) 20:07:28.72
私は徳島説は半分支持しますよ。何より丹の山も有りますしね。
但しここだけで七万戸は無理なので、
あくまで瀬戸内海東部周辺説ですが。
165日本@名無史さん:2011/05/23(月) 20:21:14.88
その頃、関東や東北や北海道は人が住んでたんかな?
166日本@名無史さん:2011/05/23(月) 20:28:47.94
さすがにその質問は釣りとしか思えない。
167ローガン:2011/05/23(月) 20:28:59.07
>>162
>多孔銅鏃は長く儀礼用として用いられていたので土器以上の指標にはならんよ。

返信ありがとう。橿考研でも尋ねたんだけど そのような回答でした。ふと興味が湧いたので調べてみようかなと…。
参考になるサイトでもあれば教えて下さい。
168日本@名無史さん:2011/05/23(月) 20:50:50.25
>>167
ウエブに上がるようなメジャーなものではないから、サイトは知らん。廻間様式から攻めたほうがいかも。
いずれ曲学にかかわってもろくなことはないぞ。
169日本@名無史さん:2011/05/23(月) 21:01:58.15
戸数七万の邪馬台国が我が国随一の大国だと考えている人が多いみたいだが、
それほど当時の日本は人口密度が低かったのでしょうか。

後漢書郡国志によると、後漢統治下の「国」には
戸数7万以上の国は沢山あるんようなんですが。

(例)
青州
済南国 78,544戸 平原郡 155,588戸
楽安国 74,400戸 北海国 158,641戸
東莱郡 104,297戸 斉国 64,415戸

徐州
東海郡 148,784戸 琅邪国 20,804戸
彭城国 86,170戸  広陵郡 83,907戸
下邳国 136,389戸

豫州
穎川郡 263,440戸 汝南郡 404,448戸
梁国 83,300戸 沛国 200,495戸
陳国 112,653戸 魯国 78,447戸
170じょーか〜:2011/05/23(月) 21:20:17.48
だいたい九州説なんて気に入らないんだよ
くそ田舎者の分際でなにが「邪馬台国は九州だ。」だよ。
過去も現在も畿内が一番じゃいwwwww
玉壁〜?知らんわ〜
金印〜?偽物だろ〜?知らんわ〜
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡?何それ?知らんわ〜
アメタリシホコ?誰それ?知らんわ〜
171日本@名無史さん:2011/05/23(月) 21:23:49.81
>>159
筑紫の君磐井が、6世紀の磐井の乱で勢力を失った後、九州の大部分を支配したのは火の君らしい。
しかし、磐井の本拠地は八女市付近とも言われるが、はっきりとはわかっていない。
同じく火の君も、熊本であることは間違いなく、候補地はあるらしいが、断定というわけでもない。
172日本@名無史さん:2011/05/23(月) 21:27:01.21
>>170
九州にも、ひとつ橿原考古学研究所みたいなのが必要かもな。
遺跡も遺物も豊富なんだが、発表する機関がない。
173じょーか〜:2011/05/23(月) 21:33:08.80
だいたい、新唐書に倭国王が筑紫城に住んでるって書いてるけど
筑紫って何処や?知らんわ〜
174日本@名無史さん:2011/05/23(月) 21:55:56.67
筑紫の釜山近郊にあった邑だろう。
いつ、九州に移ってきたのかは定かではない。
175日本@名無史さん:2011/05/23(月) 22:17:37.84
なんだ、結局は村興しとか、その地域の利害のために
近畿説だの九州説だの主張してるだけか。

損得抜きに純粋に見れば、邪馬台国は四国だよ。
176日本@名無史さん:2011/05/23(月) 22:30:01.49
俺も四国だと思ってたよ。

四国にいたモモソヒメ=卑弥呼が死んでマキムクに墓を作ったんだよ。
177日本@名無史さん:2011/05/23(月) 22:44:55.58
>>173
し〜っ!畿内説が発狂するだろ!
178日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:02:03.55
>>177
神武や景行は九州にいたと日本書紀に書いてあるからな。

それがどうかしたの?
179ローガン:2011/05/23(月) 23:11:15.67
>>168
>廻間様式から攻めたほうがいかも。

庄内式土器研究会会誌の赤塚氏寄稿は目を通してます。

>いずれ曲学にかかわってもろくなことはないぞ。

ろくなこと有るも無いも、所詮掲示板の会話。しかし…
この「いずれ」って我々大阪のもんは使わんのでどうも気になる言い回し。
縦ちゃんがよく言ってたと記憶。さて彼は元気にしているんだろうか?
180日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:15:57.34
>>165
鬼頭さんの調査によると、西暦200年で、関東地方10万人。近畿地方(含三重)10万人。九州10万人。東北3.3万人
東海・北陸・東山(甲斐・信濃・飛騨)16万人。
中部地方、特に内陸部の人口が多いな。
181日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:23:22.55
>>180
>鬼頭さんの調査によると、西暦200年で、・・・

住居跡遺跡等から推定したものだろうが、西暦200年辺りと確定している遺跡がどれほどあるのやら?
182日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:25:24.57
>>179
多孔銅鏃と銅鐸の出土地の相関は見ておいたほうがいいでしょう。
183日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:43:40.45
また考古学者は多孔銅鏃を祭祀用だと妄言を言ってるのか?
184日本@名無史さん:2011/05/24(火) 00:09:13.27
3、4世紀の遺跡・遺物が出たら、すぐに邪馬台国に結びつけるのは困りもの。
3世紀という時代は日本全国に訪れた訳で、どこにでもこの時代の遺跡はあって当然。

邪馬台国という言葉を捨てて、遺跡をありのまま分析すべき。
185日本@名無史さん:2011/05/24(火) 00:24:46.70
アトランティス大陸やムー大陸みたく海に沈んだんじゃねーの?
だって卑弥呼が死んだ後の4世紀って日本史上謎の空白の時期なんだべ?
186日本@名無史さん:2011/05/24(火) 00:32:06.21
結局>>73に反論できる畿内説の人ないし四国説の人はいないということでFA?
187日本@名無史さん:2011/05/24(火) 00:35:24.10
>>185
5世紀になると倭の五王の時代になる。邪馬台国とのつながりがどうなるのか。
卑弥呼も倭王なら倭の五王も倭王。つながりがあると考えるのが普通だろうな。
188日本@名無史さん:2011/05/24(火) 00:56:51.64
よしんば卑弥呼の遺骨や反論できない程の何か決定的な証拠が出てきて
邪馬台国は四国あったと断定されたら、近畿説ないしは九州説訴えてた学者は一体どうなるんだろ?w

まぁ大学教授なら、俺ならソイツをクビにしますけどね。
あと狼中年として、もう本人が自殺したくなるぐらいの必要な罵声を浴びせますけどね。
その子供や孫にもね。
189日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:00:19.35
じゃ、「天皇」って現実的にいつから始まったんだ?
いつからそう呼ばれ始めたんだ?
古事記の神話は抜きにしてさ。
190日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:01:03.90
>>188

じゃあ、ニュートンにも罵声を浴びせるといいよ。
191日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:04:41.96
>>188
君はまず九州とか四国、畿内といった括りを捨てる事だね。
192日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:07:42.95
というか考古学者は正式な論文に邪馬台国の名を出すことはまずないから。一般向けの本では
出すけど。結局、考古学者の実績というのは、○○遺跡の発掘責任者とか、土器編年とか、
そっちなわけで。
193日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:29:17.79
>>189
日本書紀によれば、煬帝への国書に、
「東の天皇、つつみて西の皇帝にもうす」
と書き出したとしてるな。
194日本@名無史さん:2011/05/24(火) 02:28:02.34
しかし妙だな。
当時を書いた文献が外国にある外国人が書いた「倭人伝」だけってのも。
それしか手がかりがないわけだ。
意図的に痕跡を全て消滅させられたんじゃねーの?
4世紀あたりに。何かあって。
木簡は全て燃やされたり、石板や神殿が破壊されたり、
当時の知識人が虐殺されたりさ。
過去歴史を振り返れば、世界中そーゆー事って結構あるじゃん。
部族や民族浄化とかさ。文化革命とかさ。
どこの国もそーゆー基地外がたまに出るもんだよ。



195日本@名無史さん:2011/05/24(火) 02:32:15.25
>>194
とりあえず、「まだ文字がなかった」ってことだけは忘れないでくれ
196日本@名無史さん:2011/05/24(火) 06:32:48.01
>>194
魏志倭人伝だけってことではないよ。魏略、後漢書、梁書、宋書、隋書、旧唐書など、
いろいろな史書に記述がある。
それらを通読すれば、倭国というのはあくまでも九州のことだ。東の本州、四国など
を倭国に含めていると断言できるものはない。特にそのことがはっきり分かるのは
隋書、旧唐書だな。隋書によれば、九州からみて東は「倭に附庸す」とされている。
つまり、本州や四国は、大国(倭国)に附属する小国にすぎないということだ。
旧唐書が書く倭国も本州の日本国と対比して書いているから、倭国=九州であること
は疑いがない。問題はその倭国が列島全体を統一した過程がもう一つはっきりしない
ということだな。
197日本@名無史さん:2011/05/24(火) 07:08:54.85
またサラッと嘘をつく。
隋書だと倭地は九州だけでは無いのは明白なのに。
198日本@名無史さん:2011/05/24(火) 07:24:19.48
だから九州説は半島人の工作活動か?と言われる所以だな。
199日本@名無史さん:2011/05/24(火) 07:57:25.39
隋書なんて東西五ヶ月、南北三ヶ月で東高西低の地形、
都はヤマトと書かれてるからな。

間違っても九州単独ではねーだろw
200日本@名無史さん:2011/05/24(火) 08:25:05.53
済州島までの距離が三月行で実測240キロだから、
一月行あたり80キロ前後

これで、規模と距離がわかる。
どうも中華圏は公里、辺境は1/5〜1/6で換算されてるようだ。
一月行も同じように換算すれば80キロ前後となる。

換算されないと、パプアニューギニアまでいっちゃうし。
201卑彌呼の都は久留米:2011/05/24(火) 08:30:38.68
>>159
>「7世紀まで栄えた偉大なる九州王朝の都」を探し出してきてくれw
>7世紀の壮麗な都なら随分探しやすくなると思うがwwwwwwww

倭京(618年〜697年) 場所:大宰府(≠太宰府)
都府楼、大宰府(政庁跡)、大極殿、観世音寺、天神社(天満宮)

京(517年〜617年) 場所:久留米(邪靡堆)
筑後国府跡、高良大社

都(217年頃〜516年) 場所:久留米(邪靡堆)
遺跡不明、高良大社
(卑彌呼から倭王旨、倭5王、磐井(倭薈)まで)
202日本@名無史さん:2011/05/24(火) 09:59:41.25
>>197 >>198 >>199
もう少しまともなことを書ける奴はいないのか? 畿内説はまったくの人材不足だな。

203日本@名無史さん:2011/05/24(火) 10:10:17.70
>>192
>考古学者は正式な論文に邪馬台国の名を出すことはまずない

というより正式には出せない(論拠無し)、というべきやな
204日本@名無史さん:2011/05/24(火) 10:18:30.93
確かに九州説には人材には欠かないな。

売れないファンタジー小説レベルだがw
205日本@名無史さん:2011/05/24(火) 11:07:36.61
>>202
しかたないでしょう。
まともな人間は畿内説に見切りをつけてゆくのですから。
若者の畿内説離れも問題になっていますしね。
206日本@名無史さん:2011/05/24(火) 11:09:37.55
>>203
遺跡や遺物から古代の国の名前がわかることはまずないだろうからなあ。

その意味じゃあ、「考古学的には邪馬台国はここだ」という言い方は、
素人の一般人向けの単なる宣伝と言うことか。
207水銀厨:2011/05/24(火) 12:35:34.49
皆深く考え過ぎですね。
ミワヤマ、アワウミ、アワシマ、アワは
三輪山、淡海、淡路島、阿波。
ついでにビワコもミワからの転嫁でしょう。
倭の持つ蔑称的な印象を消す漢字を当てたのですね。

だから畿内が倭の中心だったのは間違いない。
208日本@名無史さん:2011/05/24(火) 12:51:21.85
>>207
九州にも三輪山あるんですけど・・・
というか九州と畿内(特に奈良)は類似している地名が極めて多い
これは東遷の根拠の1つとされる

それに音だけが根拠だと、はっきり言って韓国起源説と程度が変わらないのでやめたほうがいいんじゃない?
209水銀厨:2011/05/24(火) 13:08:34.13
>>208
どちらが「倭の山」として相応しいか考えると
比べる自体無謀な事ですよ。
三輪周辺は丹の山でも有りますからね。
210日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:20:51.11
>>209
奈良の三輪山が歴史の表舞台にたったのは大和朝廷以降。邪馬台国とは何の関係もない
211日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:24:08.56
>>208
九州の三輪山の場所教えて?
全国にどれくらい三輪山があるのか知りたいので
212日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:28:19.50
>>211
福岡県朝倉市
213水銀厨:2011/05/24(火) 13:31:22.46
>>210
では根拠をどうぞ。何故大和朝廷が重視したのかもね。
後畿内には二上山という、これも象徴的な山も有りますしね。
214日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:41:17.30
>>212
ありがと、やっぱり地名の方の三輪ね、俺が知りたかったのは山の方だったの
だけど。今のところ”三輪山”は大和と吉備にしかないのか。
215日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:42:29.68
>>213
九州から東遷して大和に入った一族が、九州で神聖視されていた三輪山と名付けた。
もちろん三輪山以外の地名も類似するし、配置まで類似する。

東遷したという根拠は他にも存在する。
216日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:45:34.35
>>214
三輪山あるよ。三箇山南部で大神神社の北。
ちなみに奈良にも三輪山の傍に大神神社があるから注意。
217日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:46:11.66
九州に三輪山が無いのに、東遷はありえないって言ってるのに、
このバカは人の言うことを全く聞かないね。
218日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:49:15.61
博多湾東部の古称はチカツアフミ
志賀島の古名はチカノシマ
219水銀厨:2011/05/24(火) 13:50:59.19
では九州で畿内以前から三輪山と呼ばれていた文献資料と、
神聖視されたいた根拠はありますかね?

東遷説なんて今まで何度も聞いてますが、
皆まともな根拠もない妄想だと思いますよ。
220日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:51:24.93
東遷を否定する根拠は山ほどあるが、
「三輪」だけでも、東遷はありえない。
「九州にだって三輪があるから、東遷があったんだ!」とかいうやつは、
すぐに恥をかくことになるから、いまのうちに引っ込めということだな。

それでも、
「九州にだって三輪があるから、東遷があったんだ!」とか言いたいやつがいるなら、
かわいそうだけど、コテンパンに粉砕してあげるから、申し出るように(笑)
221日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:55:20.69
地名の相似なんて、太宰府で役人が大和から行って付けただけの話。
東遷説の根拠なんて詐欺の手法です。
222日本@名無史さん:2011/05/24(火) 13:55:20.65
>>217
yahoo地図で探してんだろうけどあれに載ってなかったぞ。行政上の地名ではないのかも知らんけど
地図を買って調べてくれ。

ちなみに隋書には「自竹斯國以東、皆附庸於倭」って書いてるし
新唐書なんかモロに
「其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城」
「彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州」
って書いてるぞ。
223日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:04:02.72
東遷の根拠

記紀の神武東遷やら三種の神器だな。
鏡・勾玉なんて倭人伝に出てくるし、九州ではよく発掘される。剣の記述はないが北部九州にはよく鉄剣が出る。
反面、3世紀の奈良には鉄剣は出ないし、勾玉もない。鏡は後に三角縁神獣鏡が出るが。
またよく畿内に出土する銅鐸はなぜか神器ではない。

しかも鉄や絹、鏡の出土数は3世紀まで、九州>>>>>>>>畿内だったが、3世紀後半から徐々に畿内に移り
4世紀には逆転する。

記紀なんて、もともと大和に土着の酋長がいただろ?それを天下った物部氏が従えて、後に九州から来た神武に譲った。
日本書紀を受け取った中国も東遷したと認知してるし。
224日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:06:34.18
>>216
現在、目配山になってるみたいね。ありがと
225水銀厨:2011/05/24(火) 14:07:28.49
三輪山は山自体が御神体なのは有名だが、
これも倭の象徴、私的には丹を産する山の象徴と
考えると判りやすいはずです。

二上山や海柘榴市も鉱産物を頭に入れて考えると
話は皆繋がるのですよ。
226日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:17:43.12
>>225
俺が相手すんのめんどくせえから、畿内説主張するんだったら>>73の大阪人さんが言ってるのに反論してから主張してくれ
227水銀厨:2011/05/24(火) 14:43:53.51
>>226
正直何度も出てる話ですからね。携帯なんで長文は辛い

私は行程、距離に関しては、当時の概念による
アジア地図でも出ない限りは論ずるだけ無駄、
証明する手段に欠けると主張してますから。

後鉄についても淡路島には垣内遺跡の件も有りますし、
何より倭人伝には鉄に関する話なんて極僅かですから。
我々が思ってるほど大した情報ではないのでは?と。
228日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:54:46.11
>>227
じゃああんたのアワのワとやらも邪馬台国の時代からの名称だと証明する手段がないから、論じるだけ無駄だな
はい解散!
229日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:55:44.68
地名の類似性が東遷の根拠というわけではない。
安本氏は、地名の類似性を根拠に邪馬台国の場所を甘木市付近にしたということ。
今は朝倉市だったか?もちろん、それが東遷説の根拠にもなっているわけだが。
その意味では、安本色が一番濃い部分。安本説=甘木説といえる。

東遷説そのものはけっこう多様であって、邪馬台国を甘木に比定していない人の方が多い。
そういう人は、地名の類似性を東遷の根拠にしているわけではない。
230日本@名無史さん:2011/05/24(火) 14:57:40.03
>>222

まじめに相手をするのもバカらしいが。

>新唐書なんかモロに
日本書紀を読んだ中国人が書いたものだろ。
で、神武までが筑紫にいたのは、そう、日本書紀に書いてあるな。
それがどうした?
神武が4世紀に東征したなどと、新唐書に書いてあるのか?

わざとミスリードさそってるなら、安本と同罪だ。市ね。
231日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:00:07.94
>>222

それに、新唐書を持ち出すなら、「初主號天御中主」であって、天照大神でないことも、おぼえておけよ。
天照大神はイザナギ、イザナミから生まれたのであって、天御中主とは関係ないからな。
232日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:03:47.60
>>73

どこを読んでも、畿内説に有利にしか読めないな。
やっぱり、邪馬台国は、大和だったということだな。
233日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:27:24.16
だからさー、
神功皇后と応神天皇と仁徳天皇の墓内部を全て発掘調査させろって。
全ての謎が解けるよ。

目の前に決定的証拠になり得るかもしれない物が転がってるのに
机の上であーだこーだ論争してても仕方ないじゃん。
あんなもん宮内庁の私物じゃ無くて、日本国民皆の物だ。
知る権利がある。
自国の歴史を正しく知る権利が。
234日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:37:06.28
神武天皇が東征して都を築いた橿原を発掘調査すればわかるはず。
と思ったら、神武天皇の橿原宮の上には明治時代に橿原神宮が作られたらしいな。
これは調査は無理だ。
235日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:37:19.06
>>223
>東遷の根拠

>鏡・勾玉なんて倭人伝に出てくるし、九州ではよく発掘される。剣の記述はないが北部九州にはよく鉄剣が出る。

よく出るって、どこから? 遺跡をいくつか教えて。
236日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:40:28.07
神武天皇は架空の人物っしょ。
237日本@名無史さん:2011/05/24(火) 16:24:00.04
>>223
>東遷の根拠
>鏡・勾玉なんて倭人伝に出てくるし、九州ではよく発掘される。

剣が無理なら勾玉でもいいよ。複数の遺跡名教えて。
238日本@名無史さん:2011/05/24(火) 16:56:59.24
>>234

橿原神宮が出来る前に、明治政府が神武東征の証拠を探そうと発掘しまくったが、出てきたのは縄文時代の遺跡だけだった。

それでもまだ神武東征を信じるのか?バカめ。

239日本@名無史さん:2011/05/24(火) 16:57:49.98
剣と鏡と勾玉か。

一つの墓から出てきた最古の遺跡が吉武高木遺跡だっけ。

一つの墓でなければ、伊都の遺跡群や吉野ヶ里遺跡からも出てくるね。
勾玉は、古墳じゃなくて環濠集落跡からなら、北部九州ではそんなに珍しいもんじゃないし。
佐賀の総座遺跡も一応全部出てきたかな。

吉野ヶ里と総座は鏡の型とか出ているし、
伊都の平原の大型内向花紋鏡は国産らしいね。
240日本@名無史さん:2011/05/24(火) 17:01:21.98
三種の神器が決められたのは8世紀だ。
ばかものどもめ。
241日本@名無史さん:2011/05/24(火) 17:09:00.11
ふつう、ある程度広域が統一的に支配されてるなら、
自然に分化して、鏡はどこ、勾玉管玉はどこ、鉄はどこ、ってな具合に
生産する場所が分かれてくると思うんだが、

北部九州の場合、あんまり別れてないんだよね。

だから広域支配って言うほどのものじゃなくて、
それぞれの国が、それぞれで完結した国家を持ち、
そのうえで連絡会議みたいなものを持っていた程度ではないかと思うんだ。
242日本@名無史さん:2011/05/24(火) 17:45:56.49
>>239
ふ〜ん ありがとう。
という事は
>>223の人は、「3世紀の奈良」と「弥生時代の、九州にある複数の県」の遺物の数を比較して 、それが東遷の根拠だという訳ね。
東遷説ってなんて幼稚なんだろう。
243日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:37:35.33
四国説に勝る証拠や納得いく理論を出せていないのが
近畿派・九州派の痛いところだな。

「しょ、証拠とかはないけど、俺の勘で近畿だ!九州だ!俺が正しいんだ!」

そんなもん小学生でも言えるわなw
244水銀厨:2011/05/24(火) 18:48:12.24
>>243
でもね、四国だけでは青玉や真珠がネックになりますから。
徳島辺りと河内は同一圏と見た方がいいと思いますよ。
245大阪人:2011/05/24(火) 19:34:40.75
>>243
>>73にすべて矛盾なく整合するのは九州北部だけ

あと水銀厨氏は距離で否定するのを無意味と主張しているが

九州は魏志倭人伝をそのまま読んで方角・距離・範囲すべてで矛盾なく整合する
畿内は魏志倭人伝をそのまま読むと方角・距離・範囲すべてで矛盾するから無意味だと主張する

この場合畿内・九州どちらに説得力があるかは火を見るより明らか。
もし九州説に説得力がないと思われるのなら、どうか>>73に反論お願いします

無意味だと主張するのもそれなりの論拠があれば時に正しいこともあると思いますが
自分の説に合わないからと言って無意味と主張するのは愚の骨頂。
しかも当時の東アジアの地図を持ってこいなど、あるのかすらわからないものを要求するのは
相手に悪魔の証明を求めているのといっしょ。
今現在現存する資料から整合性が見られないのだから、そこは整合性なしと判断するべき。
もちろん後の発掘でこの判断が覆されることもあるかもしれませんしね。
246日本@名無史さん:2011/05/24(火) 19:37:58.61
>>73を見る限り、九州説はどうにも苦しいね。

畿内説で正解でしょう。
247水銀厨:2011/05/24(火) 19:52:07.37
別に行程についての主張も以前からしてましたけどね。
それを証明する手段が無いから、私も含めて妄想でしかないと。

ただ私の場合は畿内説といっても、女王国=瀬戸内周辺部。
その入り口が大分、山口辺りと見てますから、
方角や距離の解釈も九州説の人とも
そんなに変わってないはず。
(元々私は邪馬台国南九州説だと言ってたはず)
248日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:03:53.86
>>245は、>>73で勝ったと思ってるのが可愛いね。

249日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:12:11.67
>>246 >>248
>>73のどこがどうちがうのか、どう考えたら畿内説になるのか、きちんと
説明してみたら? それができなけりゃあんたの負けだよ。
250日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:18:03.00
>>249

>>72は九州説を証明してないからですよ。
251大阪人:2011/05/24(火) 20:22:21.74
>>247
あなたは女王國は広域連合で邪馬台国は女王國と同一ではなく、その首都という考えですよね?
そしてあなたが想定している邪馬台国の位置は淡路島ということでいいんでしょうか?
そして瀬戸内周辺部と言いますが、よく三輪山や二上山が出てきますがそこまで女王國と考えてると思っていいんでしょうか?
252大阪人:2011/05/24(火) 20:42:24.98
>>250
この機会に説明しましょう。

・郡より女王國に至ること萬二千余里と畿内には程遠い
 北部九州だと丁度萬二千里程です。これは女王國が広域連合と考える畿内説の方も考えは同じでしょう。 
・伊都國から邪馬台國に至るまでの道のりが極端に短い(六十日行=千余里)
 つまり、丁度萬二千里に収まる(北部九州) に邪馬台国(女王國ではなく)があるということ
・伊都國から邪馬台國には南行して至る
 伊都國は北部九州にあるというのは、畿内説でもそう考えることが多いとおもいます。
 その南に邪馬台国があるのだから、九州のどこかにあるということ。
・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
 倭人伝の記述に整合する遺物が出土するということは、そこにある可能性が高いということ
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
 上に同じ
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
 上に同じ
・女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北
 これも上でいったことと同じ
・「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない
 九州は吉野ヶ里遺跡など城柵などの跡が出る遺跡がある。
 もちろん吉野ヶ里が邪馬台国であると決めつけているのではなく、
 建造物や文化に同一性が見られるということは、その地域に邪馬台国がある可能性が高い。
253大阪人:2011/05/24(火) 20:44:41.91
上の続き

・「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」とあるが、畿内では東の海の存在がない
 九州では、瀬戸内海を挟んで四国や本州西部が相当する。
・「周施五千余里ばかり」とあるが畿内まで行くと五千余里では狭すぎる
 北部九州では整合する
・出土する魏晋鏡の数が北部九州に比べて圧倒的に少ない
 魏晋鏡は魏や晋と通交を持っていた証と言えるもの。これが出ないところはまずないと言っていい。
 しかもこれが一番出土する場所は北部九州。
・畿内で弥生時代によく出土する銅鐸の記述が全くない
 オバケ銅鐸のような不可解・不可思議なものが記載されていないことは不可解・不可思議。
 九州では銅鐸はない。
・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
 (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
 邪馬台国と対立するのなら相応の軍事力が必要。
 鉄鏃その他鉄製品を見るに熊本県が福岡県に次ぐ軍事力を持っていたと思われる。
 また熊本県は魏晋鏡が出土しない。これは魏と通交がなかったであろう狗奴国の事情によく合う。

また私は畿内説の大黒柱とも言える、女王國=広域連合説はないと思っています。
女王國は邪馬台国の代名詞かと。(これは九州説でも意見が分かれると思いますが)
需要があれば説明しますが
254大阪人:2011/05/24(火) 20:49:47.89
何度も連投すみません
ここは言葉足らずでした

・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
 倭人伝の記述に整合する遺物が出土するということは、そこにある可能性が高いということ
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
 上に同じ
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
 上に同じ

畿内では出ない反面北部九州ではよくでます。
3世紀の鉄製品・絹・魏晋鏡などの出土数は日本全国で福岡県がぶっちぎりのトップです
255水銀厨:2011/05/24(火) 21:23:07.93
邪馬台国=女王国と言う説も一応捨ててませんが…

邪馬台国の範囲は今の所、
淡路島辺りから徳島、河内、そして奈良盆地だと想定してます。

まず鉄については倭人伝自体、倭国に鉄が豊富ともありませんから。
某会のミスリード的に感じます。
それに淡路島に大規模な垣内遺跡も発掘されてる以上、
畿内に鉄が入って無いとは言い難い状況になるかもしれませんよ。

真珠、丹、青玉は徳島や二上山から宇陀で揃ってます。
256日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:23:22.77
政治的首都より商都の方が物質的に栄えている国は多いしな。
257日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:41:49.59
九州説の話はダメダメだな。


なんにも証明できてないくせに、証明したフリだけって、なんだりゃ?
258大阪人:2011/05/24(火) 21:45:01.84
>>255
鉄について
『三国志魏書』弁辰伝にはこうあります「國出鐵、韓、濊、倭皆從取之」
つまり当時魏から倭と認められていた国は鉄を半島から盛んに取っていたということ

そして今現在畿内は、九州より発掘される鉄の数より圧倒的に少ないです
ゆえに邪馬台国の比定地には遠いのではないか?というわけです
259日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:45:31.02
どの板も畿内説優勢はかわらずか。

最近の九州説は元気ないねえ。
とっくに廃れた説だもんねえ。
260日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:46:35.50
必死に九州説にしがみついてる人って、
世間から相手にされない老人ばっかりだよ。

261日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:50:46.79
九州説の人は、>>73をプリントアウトして、
「九州説が立証されました!」って言って、
全国の考古学研究所、文部省、九州の県庁にプレゼンしてみるといいよ。

どうして行動に移さないのかなあ?
こんなネットで勝ち誇っても、世の中は変わらないのに。


あ、社会に出るのが怖いニートでしたか。
262日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:51:39.39
何の根拠もなく九州説貶めてるやつはなんなんだ?

ただの無関係な釣り師か?
反論できない畿内説がただほざいてるだけか?
九州説が「ロクに反論できないバカな畿内説」を演じてるだけか?
263日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:54:09.46
>>253 大坂人
>魏晋鏡は魏や晋と通交を持っていた証と言えるもの。

「魏晋鏡」って何?

特に問題になるのは景初あたりで洛陽周辺で作られた鏡だろうが…

どのような様式でどれくらいの出土例があるのかな?


つうか元ネタは「邪馬台□の会」あたりかな?wwwwwwwww
264日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:55:21.84
じゃ、こうしたらどうだろう?

>>73をプリントしたビラを、各家庭の郵便ポストに入れてみるとか。
九州説の人が一致協力してビラを配れば、全国的にも九州説の認知度は上がるんじゃない?
ビラを読んだ人は、きっと畿内説のウソを見破り、九州説に傾倒するはずだよね?

なかなかいいアイデアだ。誰か実行してみる人いないの?
265日本@名無史さん:2011/05/24(火) 21:59:47.09
上でも言ったがホリエモンは日本人は議論で対立すると相手の人格否定までしだすといったがそのお手本みたいな奴がわいてるな
266水銀厨:2011/05/24(火) 22:02:24.04
>>258
しかし倭人伝に鉄についての記述はほんの僅かです。
それに畿内に二世紀前後で最大級の鍛冶工房跡が既にある以上、
鉄については現状でも九州説有利とは言えませんよ。
しかも場所が淡路島ですからね。
267日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:03:28.09
畿内説の自作自演はヒドイな。
「大阪人」とかいうバカな九州説論者を仕立てて、九州説を貶める作戦だろ。

まともな九州説は、「大阪人」ほど酷くないからな。
268日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:05:25.59
>>252 
>「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない

まあこの九州説の定番ペテンにも突っ込んでおくがそもそも吉野ヶ里の復元だって想像した物。
「構造物」そのものが地中から出てきたわけでもない。

その「楼観」の再現に当たっては
鳥取県稲吉遺跡出土の土器の絵が参考にされていたりするwwwwwwww

それでも以前なら纏向には太い柱で造られたと見える建屋の跡が無くて
一定期間で取り壊す事を前提として(細い柱で)建てられていたのではないか?
…なんて推測もあった。

それも大型建物跡が出て来たことで無くなった。

「宮室・楼観・城柵」なんて別に吉野ヶ里や同タイプの環濠集落に特有の物でもなんでもない。
違うと言い張るならその大きさや形といった規格をその文字から読み取ってみろという話、馬鹿馬鹿しい。

結局その3点セットは工業団地として取り壊される予定だった物を邪馬台国に絡めて喧伝した時のネタwwwww
269杭心棒:2011/05/24(火) 22:14:29.99
久しぶりにレスします。近畿説の皆さん、そろそろ目を覚まして。倭人伝に
記されている「東の海」とはここだ、と証明を提出しない限り近畿説は成り
立たない。この問題に真正面から取り組むことです。
九州説の皆さん、よくお分かりですね。近畿説の最大の弱点が「東の海」だ
ということが。近畿説の重鎮である白石太一郎氏、金関恕氏、福永伸哉氏な
どにもこの課題は解けないでいるのですよ。
近畿説の人がしゃしゃり出てきたら「東の海」を証明しろと言えば簡単に退
治できるのですよ。今後この手をどんどん使いましょうね。
270大阪人:2011/05/24(火) 22:16:54.64
>>266
そうですね。もちろん畿内から大量に発掘されたらこの考えも改めざるをえないと思いますよ。
しかし現状では圧倒的に九州が上回っている状況です。

そして邪馬台国が東は奈良まで想定しているのなら東の海はどこだと考えていますか?
地図はなくとも倭人伝に記述されているのなら、どこかに想定しなくてはならないでしょう

>>268
反論どうも。他の項目も全部反論してみてください。いや挑発とかじゃなくて、意見を聞きたいものなので。
あとできれば、なぜ邪馬台国が畿内にあるのかも説明してくれたら幸いですがね
271268:2011/05/24(火) 22:22:06.78
>>270 大坂人

別に反論したつもりはない。

前にも書いたがそもそも多くの事項が質問として体を成していない。
質問にもなりえていない物に反論もできない。

それでも過去ログ漁ればどれも嫌というほど出てくる話だろうがw

で、元ネタの多くはやっぱり「邪馬台□の会」とかかな?wwwwwwwww


272大阪人:2011/05/24(火) 22:29:14.98
>>271
まあ質問してるわけじゃないですからね。文を見たらわかると思いますけど

たしかに鉄や鏡の出土数のグラフを参考にしたHPは邪馬台国の会のHPですね

で、あなたの意見は書いてくれないんですかね?
273日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:32:03.62
ジョーカー氏はちょっかい出して遊ぶだけだから
まあ、ほどほどに
274日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:32:40.63
>>269

>近畿説の人がしゃしゃり出てきたら「東の海」を証明しろと言えば簡単に退
>治できるのですよ。今後この手をどんどん使いましょうね。



奈良の東には、「東海地方」がありますが、なにか?





275日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:34:45.22
そうか、東の海は弥生時代の
地名をさしていたのか
276日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:38:45.39
>>274
へぇ、東海地方って海は渡れるんだ
277日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:42:35.51
もう九州説は論破されたのか。

しょうがないなあ。
278神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/24(火) 22:48:19.18
「東の海」とは伊勢湾のことですよ。また琵琶湖のことを近淡海と言います。なぜか浜名湖のことを遠淡海と言います。
そして「東南海夷図」と言う古地図を見ると尾張の東側が海によって分断されています。昔の人の認識はこの程度ですよ。
279日本@名無史さん:2011/05/24(火) 22:55:07.16
あれ、方角は九十度違ってるんじゃなかったの? 東渡海千里は北渡海千里じゃないと
話が合わんね
280日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:02:57.05
東海地方はいつから東海地方と呼ばれるように
なったんだろうね。

記紀や風土記ではどうなってるのかな?
魏使倭人伝の頃にすでにそう呼ばれていたってことだよね。

筑紫とかはそう呼ばれていた記録が残っているようだけど。
281日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:10:18.34
>>274
>奈良の東には、「東海地方」がありますが、なにか?

7世紀頃の律令制による広域行政区画として五畿七道が置かれた。九州方面を西海道、三重、岐阜、愛知、静岡
辺りを東海道と呼んだ。現在の東海地方はその名残である。海そのものとは関係ない。
282日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:13:34.35
>>281

古代では、東海地方を船で行き来してたから、「東」の「海」の「道」なんですよ。
283ローガン:2011/05/24(火) 23:14:15.16
そもそも、島国の日本。東に海の無い地方などあるのか?(笑)
284日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:19:20.05
>>282
>古代では、東海地方を船で行き来してたから、「東」の「海」の「道」なんですよ。

律令制での東海道は行政区画であり、道のことではない。なお、江戸時代の東海道は陸上の道である。
285日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:22:04.32
現在の東海道新幹線も陸上を走っているね。
286日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:26:33.52
>>284

君、それ以上言うと、自分の無知をさらけだすだけだよ?
287日本@名無史さん:2011/05/24(火) 23:30:27.49
しかし、まあ、東海道全域にしても、
海があるのは南だよねえ。

そういや、南海って関西になかったっけ。
南海電車の南海はなにからだろう。
288日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:03:13.76
勿論南海道からだよ。
電車は泉州、紀伊半島が主な守備範囲だが
四国方面にもフェリー運行してたし。
289日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:07:39.84
東の海が伊勢湾だの東海地方だの言うのなら
古代そこまで行くのに、陸路ではなく海路を用いていたということを証明しないとだめでしょ
290日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:13:38.09
畿内説の連中は邪馬台国が畿内にあったことにしたいだけです。
畿内は邪馬台国とは何の関係もない倭種の国にすぎないんですけどね。
邪馬台国に恋いこがれているけど
本当は
畿内は邪馬台国論争の候補地にすらなれないんですよ。
それでも
どうしてもあきらめきれないんですね。
哀れですね。かわいそうですね。悲惨ですね。
291日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:17:52.27
畿内説の連中は、伊都国=佐賀説を聞いたときからガックリ来ているんだよ。
言われてみれば、それが一番当たり前の話だからねえ。そして、伊都国が佐賀だ
となれば、もう畿内の目なんぞまったくないんだから。
292日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:18:23.87
東、は八戸。北海道から、ベーリング海を経て中南米までの記述だよ。

伊勢湾は、宮城の宮島まで10日、沖縄まで20日。そういう太平洋側港のネットワークを書いてるんだよ。

東北文化圏を無視して、半島経由の大陸大陸という主張は、戦前戦中の思惑とか
神社と倭人伝の関係を絶ちたいとか、半島が好きとかいろんなやつの綱引きで捻じ曲がってるだけだね。
293日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:18:58.62
>>289
壱岐・対馬の倭人が日常的に南北に穀物を買いに海を渡ってるんだから、
本州の倭人も海路を往来する技術があってもおかしくない。
294日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:34:41.93
旧唐書や新唐書には「倭國者、古倭奴國也」と書かれている。

これは漢委奴國を言うのだと思われるが、邪馬台国畿内説はいても奴國畿内説はいないだろう
奴國が倭(当時は大和朝廷)の前身だと書かれている以上、九州から東遷した可能性は高い。

また新唐書には
「使者自言、國近日所出、以為名。」の他に「或云日本乃小國、為倭所并、故冒其號。使者不以情、故疑焉」
と書いてある。つまり倭国は小国日本を併合したと。

倭王神武天皇が、物部氏の「虚見つ日本の国」を譲り受けたことと一致する。
もちろん読みは両方ヤマトとされているがね。

日本に改元したのは長安元年より前らしいので、書記成立以前。

ちなみに旧唐書には全く逆の内容が書かれているから注意が必要。
295日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:38:04.35
>>290
どこをタテ読み?
296日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:41:11.37
>>293
あってもおかしくないけど、陸路を使用せず海路を用いていたことを証明したことにはなってないでしょ
なぜ陸続きの地形をわざわざ誤解を招くかのように「東に海を渡る」と書いたのか?
海岸線に沿って海を渡るのはだめですよ。それなら「循海岸水行」と書いてあるはずですから。

補給も難しく難破の可能性も高い渡海ルートを古代人が選んだ理由ははたして何なのか?
297日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:42:03.24
>>294
東遷とか東征とか言ってるやつの多くは、その前提として九州に畿内勢力に相対する権威があったとしたいように感じられるが
俺の意見では、それはいわゆるクーデターであったと思うよ。
おそらく女王の死に関して、女王に親しい者の状況だったのだろう。
おれはそれが対馬一大の官、卑狗だと踏んでいる。
一大は語呂合わせのへんな説で壱岐島とされているが、北九州の沿岸、おそらく糸島だろう。
地勢的にも、大宰府のように博多湾を管理睥睨できなければ、密輸取り締まりはできない。壱岐ではそれは無理だ。
298日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:53:17.64
>>296
例えば鳥羽辺りから伊良湖へ行くのに陸路を使うと思うか?

当時名古屋辺りの平野部なんて沼とか芦原ばかりで
移動にはどちらにしても船(水運)を使うのだが。
299日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:14:56.27
>>298
使うかどうかはともかく、陸路を使わないもしくは使えず必ず海路を用いたことを証明しろよ
陸続きをなぜ海を渡るとわざわざ書いたのか?

仮に鳥羽から伊良湖に行くには100%海路を使用したとしよう
しかしそのルートだけじゃないだろ?しかもそのルート200里もないぞ。

沼とかは水運を使うというのはともかく海を渡るとは全く関係ないな
300日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:18:08.91
>>296は、古代日本は
どこでも歩いていける道があると思ってるんだろう。

アホはほっとけ。
301日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:28:07.84
>>300
仮に歩いて行ける道が無くても、陸続きを海を渡るとは書かないだろ
他に例もないしな。
あるなら例をだせよ
302日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:30:33.69
>>301

おまえは、郡使が朝鮮半島を陸路で縦断したと思ってるのか?

おめでたいほどアホだな。
303日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:32:32.01
陸続きでも走水海を渡る話とかもあるぞ。
304日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:38:27.88
>>302
帯方郡から狗邪韓国までは水行。狗邪韓国から対馬までは渡海。
海岸線に沿って行くのと、舟でしか行けないところははっきり区別している。
東に海を渡るという表現は九州には当てはまるが、伊勢湾には当てはまらないな。

それに伊勢湾渡ったとしても、はたしてどこに行くのやら。尾張あたりの濃尾平野とかの方が
ずっと重要だったろうに、それは無視というわけかな。
305神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/25(水) 01:38:35.41
海人族の国家である邪馬台国が交通手段に船を使用するのは当然です。全国各地に拠点があったからです。
源順によって編纂された日本最初の辞書「和名抄」には海部郡・海部郷が全国に17か所もあります。
306日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:38:42.72
>>302
それとこれとは話が違うだろ?話の内容分かって書き込んでるのか?それとも論理的に説明できないアホか?
帯方郡から狗邪韓国までの地理を海を渡るとは書いてないだろ?
「循海岸水行」とは書いているがな。
海を渡るは別の表現だ。現にそののちに「始度一海」とか「又南渡一海」とある

他にも通常水路を使う道でも地理の説明がなされるときは陸続きなら陸路で説明されている。

もし例外があるのなら教えてくれ
307日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:51:09.17
>>306

そもそも、九州から東が海だと認識できるのかね?

半島から来た人は、ほとんど、九州と山口県は陸続きにしか見えないと思うが?

308日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:53:17.44
東京湾を横断するのを走水の海を渡ると言ってるよ。
309日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:57:40.57
>>307
関門海峡のことを言ってるのか?
あそこはどちらかと言えば伊都國だろう。女王國の東ではない
しかもこの場合100里ほどしかない

伊都の南の女王國から東に千余里渡って倭種の国へ着く。
そこからなら千余里で四国や本州西部にたどり着いてちょうど良い。
310日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:01:37.72
>>309
>関門海峡のことを言ってるのか?
あそこはどちらかと言えば伊都國だろう。女王國の東ではない
奴国は何処へ???
311日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:02:39.90
しかし、畿内説の解釈はすごいな。何でもありの世界にしてしまう。
方向の修正なんてへっちゃらで、海を行くのも陸を行くのも自由自在。
北海道説や沖縄説、ジャワ説、果てはエジプト説まで出てくるのは畿内説の責任だな。
312日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:04:21.29
しかし九州説の奴って文献重視なんてのはウソだな。
都合のいいとこを捏造ばっかり。
313日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:07:27.72
>>310
いやまあ奴國と解釈してもいいけどさ
どちらにせよ女王國の東ではない
314日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:12:01.20
畿内説での東海は伊勢の東か伊豆より東の海でOKだよ。
315日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:12:37.22
やっぱ四国が妥当っしょ。
316日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:22:39.27
そもそも畿内説は方角は誤りと言ってるわけで、
東に海を渡るを説明しなきゃいけない理由はないと思うんだが。
317日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:28:36.07
30国についてさえ 其余旁国遠絶不可得詳 と言ってるのに、
さらに遠い国について、沿岸航行とか渡海とか東とか、正確に解るもんかね。
318日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:28:58.60
>>316
方角が誤りと言うのなら、当然本来の正しい方角はどちらで実際はどの方向へ海を渡ったのかを説明しないとだめでしょ
畿内説の人でも方角が誤りっていう人ばっかりでもないしな
319日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:29:13.05
反時計回りに90度回転して、日本海を渡ってロシアにでも
行くつもりかな?
320日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:35:38.32
畿内説は最終的には絶対文献批判に行くよな

信頼できないとか、誤りであるとか、証明できないとか、正確にわからないとか、あるいは記述そのものを無視するさえある

しかしながら、九州説は文献をそのまま解釈して成り立つ
321日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:42:26.85
>>320
文献そのままで成り立たないから短里というものをひねり出してきてるわけで
322日本@名無史さん:2011/05/25(水) 07:00:03.02
九州説も大半文献資料無視だし。
あるのはこじつけで強引に解釈してるだけ。
323日本@名無史さん:2011/05/25(水) 07:07:29.92
>>321
東夷伝に書かれている里がどの程度の距離か、それを東夷伝のいろいろな記述により調べて
行程を考えているんだ。それが文献そのままの考え方だよ。
324日本@名無史さん:2011/05/25(水) 07:10:03.22
>>322
伊都国前原説なんてのは確かに文献無視だね。佐賀と考えるのが
文献に従った考え方だ。
325水銀厨:2011/05/25(水) 08:51:36.24
>>320
私は文献を重視してるつもりですが。
特に丹、鉱産物については九州説では不十分ですから。
326日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:03:31.10
>>325
あんたおもいっきり里数を無視してるじゃん
無意味・証明できないって言ってるんだから

じゃあ仮に証明できないとしても、書かれていることを畿内説に解釈しないと行けないでしょ?
それはどうなったの?
まあそれを書いて論破されて証明できないって言ってるんだから書きたくないのはわかるけどさ

丹なんか交易で手に入れていたんだろ?
九州式土器が各地にあって、鉄が淡路島にある程度出るのが良い証拠
関門海峡を抑えていた倭國ないし一大卒が瀬戸内にただで鉄を回すなんて考えられない
相応の交易があった証拠

ちなみに言うと辰砂は九州ででるけどね。
327日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:04:30.67
>>322
そうだな
で、たとえばどこが?
328日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:22:27.84
山陰で製鉄が始まるまでは、
鉄を輸入してた関係から、伊都や唐津を中心として、
鉄が出土され、距離が離れるとともに、鉄の出土量が減っていく。

出雲を超えると、ほんとうに出土量は少なくなっていく。

九州は大抵の集落跡に鉄器加工跡がある。
淡路島に鉄器加工跡が集中して。他からほとんど出ていないというのは
鉄が貴重だというのと同時に、特定の豪族が鉄の利権を握っていたんだろうね。
329水銀厨:2011/05/25(水) 10:35:17.55
>>326
私は行程については何度も書いてますよ。
女王国の入り口が大分、山口辺りだと、
これで萬二千と方角の矛盾は九州説と同じです。

五千里は実際倭地の広さではなく、巡った距離でしょう。
遠くて判らないとしてるのに、広さなんて計れる訳がないのと、
倭人は里を知らないと随書に記述されてるしね。
330日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:35:32.08
九州の場合、貴重なものではあっただろうが、
それでも駆けまわれば鉄の地金を入手することは比較的容易だった。
これは出土量から推測できる。

逆にいえば、鉄を持っても近隣の豪族に対して優位になることはなかった。
他の豪族も持ってるからね。

しかし、畿内では希少な鉄を、淡路島に隔離することによって、
他の豪族に対して優位に立つことができたのではないかと思う。
ほかではほとんど鉄は入手できないのだから。

鉄の入手は北部九州、ひょっとしたら直接朝鮮半島から直接入手していたのかもしれない。
その入手した鉄を、瀬戸内海経由で直接運び込めれば、他の豪族をしり目に
鉄を独占できることになる。
331日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:57:19.76
「倭人が里を知らない」ことと
「倭人伝の里が信用できるか」は別次元の問題
332日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:59:27.01
>>329
伊都國=■、女王國=□とすると

■      □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□略
       □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□略

□□□□□  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□略

あんたの説だとこれで伊都と女王國が南北関係って無理がないか?
常識的に考えるとおかしいよな
中国正史で大方東西関係でも一部南北関係なら南北と書き記す例があるなら教えてくれ

しかも歩いた距離なら書くはずないだろそんな無意味な情報
魏志が倭の地の大きさを書き記すと言って、自分が歩いた距離を書くなんて大嘘書いたのか?

しかも倭人が里数を図れなくても計算してある程度の里数を算出できるだろ
正史では里数と日数表記を両方用いてるんだから

それと東の海はどうなったの?
333日本@名無史さん:2011/05/25(水) 10:59:30.49
>広さなんて計れる訳がない

「韓地は方四千里」と、ちゃんと広さを測ってるが
334日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:03:31.43
編纂者「遠くてわからない場所の
広さなんて分かるかよ」
335水銀厨:2011/05/25(水) 11:03:40.71
>丹なんか交易で手に入れていたんだろ?
九州の墓から検出した水銀朱は、今の所中国産だとされていますが。

>関門海峡を抑えていた倭國ないし一大卒が瀬戸内にただで鉄を回すなんて考えられない
相応の交易があった証拠
つまり瀬戸内が倭国だと言う証拠でしょう。
大半の畿内説の人の主張ですよ?

ちなみに辰砂は弥生時代の採掘跡は何処?
336水銀厨:2011/05/25(水) 11:10:07.66
>>332
元々九州までの行程だって正確に南北と言えるかな?
ずれてるでしょ。

>>333
半島を巡るだけだからね。
倭は遠いし島や山やら入り組んで多いから正確に判らないと。
337日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:13:07.79
>>335
まず質問に答えろよ

それに奴國も九州だろ?
その奴國だけで2万戸だぜ?
あんたの説で言うと九州から東は奈良までかけた邪馬台国は7万戸だぜ?
そんなスッカスカもスッカスカな首都であり、重要な産業拠点があるかよ
田舎丸出しじゃねーか
人口密度1000倍は違うんじゃねーか?
338日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:14:35.38
>>336
九州までの行程は南北なんてかいてねーよ
東南海中で、あるいは南あるいは東に行ってるんだよ
339水銀厨:2011/05/25(水) 11:22:36.26
まず本当に質問したいのならコテ名乗ってね。
正直何度も同じ書き込みするの面倒だから。
340日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:31:33.47
出雲の大国主の神話は鉄をめぐる戦いではないかというのは、
わりとよく言われている話だが、

水銀朱をめぐる戦いというのは行われたことは
あるのだろうか。

鉄の有無は戦の勝ち負けという生存権にかかわってくるが、
水銀朱は無いなら無いで他のもので代用はできそうだな。
341日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:44:45.02
製鉄技術を西から持ち込んだ部族が淡路島には居たということですよ。
吉備や河内には地元の強い勢力があって直接上陸できなかったのです。
鉄鉱石を手に入れるために「倭」は何度も半島に侵攻していますが、これは記紀には出てきません。
342日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:48:31.71
>>341

製鉄と鉄工房(鉄器加工)は技術レベルが違うので、
区別して議論されます。

淡路島は鉄工房です。

いまのところ、3世紀前後で信頼できる製鉄跡は見つかっていません。

5世紀にはいると北部九州や山陰で製鉄がおこなわれ始めます。
343水銀厨:2011/05/25(水) 12:23:52.00
>>340
イヒカや香久山の土、宇陀での戦いなんて話が出てくる
神武東征話は、丹を巡る話だという説はありますよ。

もっとも話自体、私は別の豪族の話だと思ってますが。
344日本@名無史さん:2011/05/25(水) 14:00:13.47
エウカシね
345唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/25(水) 19:20:00.64
崇神時代(188〜216)に任那建国(210)
崇神末より、大和に鉄が流入
垂仁(217〜239)末頃 清彦(天日槍の末裔で田道間守の兄?)は淡路島に住む。

鉄は、伽耶(任那)より必要量が流入するから、541年伽耶が新羅に降るまで製鉄は無い。
卑弥呼=崇神時代では、任那建国が無い。
346太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/25(水) 19:25:39.58
任那建国なんぞ、オマエの言うのが正解だという保証はな〜い。

日食が数日間も継続するとかの計算結果を得てるオマエの言い分
なんか、全然信用はな〜い。数日間とか、こんなのは天動説同然だ。
頭を冷やすんだな。
347日本@名無史さん:2011/05/25(水) 20:18:15.60
ウィキペディアの纏向遺跡を読んでいたら、こんなのが出土していたらしい。

製鉄跡 - 「ツクシ型送風管」を伴う鍛冶遺跡

どうも製鉄の跡が見つかっていて、九州型らしい。
各地から土器が搬入されたと言っているが、実は九州系はほとんど出ていない。
にもかかわらず、製鉄跡は九州型というのが面白い。
348日本@名無史さん:2011/05/25(水) 20:35:16.07
鉄に関しては九州からでしょ。
というより瀬戸内、阿波経由だろう。
349唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/25(水) 20:49:14.12
鍛冶場は何時から?
青谷上寺地遺跡の鉄器に鍛冶場は必要であろうが、小さい。弥生後期後半。
庄内式は2世紀末からである。まだ”鉄のない纒向”。
垂仁時代であれば、220年頃から鍛冶場が在って良い。
ホケノ山の鉄器は、畿内で造られる。鍛冶場は必要である。
庄内式の新しい時代=福岡西新遺跡、畿内各地に鍛冶場が必要である。=3世紀後半。
350唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/25(水) 21:04:31.48
崇神時代 210年伽耶(任那)建国であれば
239年朝貢 都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
になる。
239年が崇神時代であれば、この設定は誤りであるが、その前提となるのが
“任那建国”である。
だが 魏が半島を管理する時代に“任那建国”の文献を探しても存在しない。
その 存在しないであろう文献を探し出せれば、崇神=卑弥呼もありうると出来る。
狗邪韓国は伽耶(任那)そのものである。
351日本@名無史さん:2011/05/25(水) 21:11:06.22
>>347
>製鉄跡 - 「ツクシ型送風管」を伴う鍛冶遺跡

ああ、それね。確か勝山の近くだったかな?

実際にそれを再現してみたら確か先がすぼんだ形になっていないが為
風が逆流して言わばバックファイアをおこしてしまう構造だったと言うオチw

つまり確かに「ツクシ型」であるのは間違いないんだが
例えばツクシから工人がやってきて直接技術指導したとかいう話ではないらしい。

その辺で当時のツクシとヤマトの”距離”も計れるw

まあ、少なくとも九州から東遷してきた勢力が纏向を興し
鍛冶技術を持ち込んだなんてお話は与太だと言うことだwwwwwwwww
352日本@名無史さん:2011/05/25(水) 21:29:31.17
>>351
それはつまり、九州の真似して製鉄やってみようとしたが、失敗したと言うことか?
353日本@名無史さん:2011/05/25(水) 21:46:56.90
>>352
まあそんなところだろうなw

354日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:02:07.73
>>353
そうじゃないだろう。
九州型とあるからなんとなく性能を批判してみたかった。九州型だから九州の人間が作ったのだろう、という考えを
否定したかった。そうしたら、結果的に妙な結論になってしまった、というだけの話だな。
355日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:07:20.71
ちょっと後世の7世紀くらいらしいが、
糸島の元岡遺跡からは、連続製鉄炉跡と思われる製鉄遺跡が出ている。
これは現在の高炉に近い構造で、斜面を利用した斜め型

たたらのような高品質ではないが、大量の鉄を作るのには適している。

356日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:13:30.38
>>354
だったら自分で再現実験でもするんだな。
下らない。

まあ他の人間に参考になるかもしれないので『邪馬台国時代のツクシとヤマト』より
該当する部分を適当に書き出しておく、発言者は何れも石野

・というのは鍛冶の専門的見地からいうと勝山古墳の羽口は機能性を疑う羽口なのです。

・ですから下手な人が教えにきたらそう言うことが起こるのかもしれませんが 
 僕はそうではなくて模倣の模倣の結果が勝山古墳の羽口と考えているわけです。

・筑紫に比べると纏向の羽口は下手くそらしいのですが
 それにしても三世紀代そういう技術的なことをマル秘に属するようなことを教えてもらっているとなると
 筑紫とヤマトを敵対的にとらえるのはおかしいのではないか
357日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:21:13.89
なんとなく、畿内の鉄へのあこがれが感じられるね。

鉄器工房を淡路島に隔離したり、出雲を征服したのも鉄のため。
一生懸命製鉄のための炉を模倣したのも鉄がなかなか手に入らないため。
358唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/25(水) 22:24:05.89
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下 斗は書紀
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁

筑紫と大和は共同して”乱”に対処した。ただ残念なのはその最中に男王の死。
これにより、大和が生き残る。
359日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:24:20.47
だが逆に言えばだ…

当時の北部九州から見れば、それこそ「鉄貧乏」で鍛冶技術も未熟なまま

それでも纏向=初期ヤマト王権はおきたという事になるwww

360日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:32:41.42
初期ヤマト王権くらいできてもいいじゃない。
7世紀くらいまでは、九州とちょっとずつ交流しながら
互いにやってきてたんだし。

さすがに、山陰の製鉄を押さえて、力をつけてくれば
差は少なくなってきて、

白村江の九州勢自爆と共に、九州を傘下に入れてしまうけど。
361日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:32:42.20
だから、鉄器と王権は関係ないんだってば。
362日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:34:45.69
しかし、仁徳天皇陵があるというのに、
九州王朝を信じてるやつって、本当にバカだと思う。
363水銀厨:2011/05/25(水) 22:45:14.78
畿内の鉄なら獄山、竜田山も忘れてはダメですよ。
一応弥生後期からとは言われているのだが‥
移転や地滑りの影響もあって痕跡を調べ辛い状態。

金山彦、金山媛神社もここだからね。
364唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/25(水) 23:25:04.18
近畿・中国の地方政権連合が、当時鉄の輸入権・配布権を掌握していた北九州の政 権を制圧したことから、
近畿・中国の地方政権連合の中核であった初期ヤマト王権が 鉄の輸入権・配布権を掌握した。このことが、
近畿の一地方政権であった初期ヤマト 王権がやがて列島の大部分を支配する大和政権に成長する主要因とな
ったという説が 唱えられている。

卑弥呼=崇神とした場合、任那建国が無い。だからその直後に大和が九州を吸収となるが
書紀はその様な主張はしていない。あくまでも任那建国にこだわるのは、
書紀の主張を認めるためである。
323年 神功49年半島占拠。この位置なら半島占拠は正しい。

365日本@名無史さん:2011/05/26(木) 05:46:22.85
畿内説の諸君、まず、伊都国の比定について考え、反論があったら書いてね。
末盧国から東南五百里だよ。方角はわざわざ東南と細かく言っているんだから
それがまちがっているとは考えがたい。五百里は対馬国から一支国、又は一支
国から末盧国の半分だ。となれば、伊都国は佐賀市付近だろうな。
伊都国が佐賀ならば、使者がわざわざ船をおりて陸行したことも理解できる。
南水行についてくどくど説明せず、あっさりと書いていることも理解できる。
はい、伊都国はきちんと比定できた。これで邪馬台国の範囲はかなり絞れる。
佐賀へ行って畿内へ行くことはないね。


366じょーか〜:2011/05/26(木) 06:01:48.40
墓がでかいとか大きいとか国力と比例しないよ。
むしろ、国に必要な防衛施設やインフラ整備そっちのけで
でかい墓ばかり作っている畿内勢力のアホさがあらわれている。
367本田:2011/05/26(木) 06:55:07.26
伊都国歴史博物館
http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/33/hakubutsukan.html

木屋の資料館3.33h
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya333h.htm
●伊都国

大率だいすい[呉音]

「桓檀古記〜大震国本紀」日本には、もと伊国があった。
伊勢(石上、磯城)ともいい、倭と隣り合った。
伊都国は筑紫にあり日向国に服属していた。
その東は倭に属した。
その南東は定羅に属した。

 ※ 伊都国は磐余の古邑である。
368日本@名無史さん:2011/05/26(木) 07:37:47.37
勉強になります
369日本@名無史さん:2011/05/26(木) 09:38:51.71
>>362
仁徳天皇陵って天皇陵にみせかけたただの山だろjk
370日本@名無史さん:2011/05/26(木) 10:04:59.27
仁徳稜の被葬者が、本当に仁徳天皇かどうか、
まだわからないぞ。たぶん、違う。
371日本@名無史さん:2011/05/26(木) 10:15:22.94
河内を征服した大王が自らの力を誇示するためにつくったものでしょう。
海からその姿が見られたところが重要です。
被葬者は海から来た征服者だったのでしょう。
372日本@名無史さん:2011/05/26(木) 10:52:39.40
素朴な疑問だが、
結構各地にかなり大きな前方後円墳が造られているわけだが、
広域を支配し、そこの産品を献上させるような政権が、

人手も食料も必要な大型前方後円墳をつくらせるものだろうか?
「そんな余裕があるなら、もっと貢物を持ってこい」というものではないか。

373やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 11:03:23.69
>>372
>結構各地にかなり大きな前方後円墳が造られているわけだが、
後漢末は、東アジア全体が一大宗教改革・信仰改革の時代でもある。
中国に誕生した天師道(初期道教・鬼道・五斗米道などといわれる)と太平道は、
宗教教団が巨大化して国家を形成する勢いを見せたものだ。
その教義は、生者に現世利益(病気治療・破邪・駆邪)をもたらすことだ。

土地の神を鎮め・鬼神の災いが生者に及ばないように
銅鏡と剣を副葬する葬送儀礼が爆発的に広がった。
前方後円墳を含む高塚式墳墓の流行もこれと対をなすと見たほうがよかろう。

タコどもは、何でもかんでも「勢力」に直結して勝手な歴史を語りたがるが、
むしろ「信仰的精神性の広がり」の視点で見るべきじゃないのか。
あの大きな地震を幾ばくかでも体験している者ならば、
古代人の土地の神に対する畏怖と畏敬のほとがわかろうというもの。
大切な銅鐸や鏡を集落や開墾地に埋めたのも納得がいくだろう。
374日本@名無史さん:2011/05/26(木) 11:29:51.11
>前方後円墳を含む高塚式墳墓の流行もこれと対をなすと見たほうがよかろう

じゃ何故、中国に前方後円墳がないんだよ
天才は、完全に中国コンプレックスだな。
なんでも中国から来るんだよね。
375やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 11:55:10.32
>>374
倭人にもオリジナリティがあったということだ。
なんでそう、ガチガチの石頭発想しかできないんだ。んー?
376日本@名無史さん:2011/05/26(木) 12:11:46.09
>>365 フェニックス@日向厨
> 反論があったら書いてね。

『倭人伝』では対馬海峡を南へ渡海してきて末盧国で東南へと方向転換している。
この南は実際には東南だから、唐津から東南方向の佐賀平野へ向かうことは100%ない。
377日本@名無史さん:2011/05/26(木) 12:14:02.17
都のそばに墳墓を造るのも倭人のオリジナルティってことになるよな
378やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 12:20:26.08
某BSの番組で、曹操の祖父にあたる曹騰の墓が紹介されたことがある。
それは小山のような円墳だった。むろん玄室は地下深くに設けられていた。

中国でも、日本と同じように玄室を地面と同じ高さにつくるのは、
長江河口域の限られた地域だけだという。
ほれ。墓づくりも呉越方面からやってきたわけだ。
379やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 12:24:54.85
>>377
>都のそばに墳墓を造るのも倭人のオリジナルティってことになるよな

わはは。そういうのを、絵に描いたような詭弁というのだ。
都づくりと墓制という大きな枠組みの基本制度と
中国オリジナルの円墳と方墳をくっつけた形の話と、
同じ次元で揚げ足してるだけだろが。

ガチガチの短絡石頭
380日本@名無史さん:2011/05/26(木) 12:33:06.64
>中国でも、日本と同じように玄室を地面と同じ高さにつくるのは、
長江河口域の限られた地域だけだという。
ほれ。墓づくりも呉越方面からやってきたわけだ。

ガチガチの短絡石頭wwwww
381日本@名無史さん:2011/05/26(木) 13:39:44.07
奈良湖
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/narako.jpg
一説には飛鳥時代まで存在してたらしい

奈良湖を指しているとされる記述ってある?
無いのなら何かがおかしい
382日本@名無史さん:2011/05/26(木) 14:10:43.62
>>381
おーい唐古鍵まで水没してんぞ
383日本@名無史さん:2011/05/26(木) 14:26:02.17
大和郡山市は
池が多く、地盤が緩い。
おかげで金魚の養殖で有名になった。
すごく道はガタガタになるが。

あの辺は湖だったんじゃないかな?
法隆寺も湖のほとりに建てたんかね?
384日本@名無史さん:2011/05/26(木) 15:20:33.69

河内から大和川を船で遡上できたかどうかという議論もあるのに、湖は無いわな。
385日本@名無史さん:2011/05/26(木) 15:26:23.39
奈良盆地の排水路は大和川だけらしいから、大和川が整備されるまでは
湖だったと考えることも出来るな。
386日本@名無史さん:2011/05/26(木) 15:35:23.06
奈良湖があったとすれば、これを排水して耕地にした伝説上の人物がいても不思議ではない。
以前、「縄文人」が言っていたこともそれなりの意見だったと思うが、畿内説は頭から拒否したな。

実は阿蘇にもそういう伝説が残っている。阿蘇には巨大な湖があったが、これを排水して耕地にしたのが
神武天皇の孫に当たる健磐龍命。健磐龍命は阿蘇神社の祭神となっている。もちろん、阿蘇の全部が湖だったと
いうわけではなく、周辺の高い部分にはたくさんの弥生集落跡があり、鍛冶遺跡が多いことでも有名。
387日本@名無史さん:2011/05/26(木) 15:53:12.11
日本書紀には、こういう事業がけっこう載っている。
例えば、仁徳天皇の難波堀江の開削。それまでは河内湖があってたびたび氾濫していた。
仁徳天皇の大規模な掘削事業により、河内湖の水はなくなり、陸地になっていった。
388日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:20:36.59
甲府盆地にも湖伝説がある。
蹴裂明神が蹴破って水路を築いたという伝説もあるし、四道将軍の一人武淳川別命が切り開いたとする伝説もある。
いくつかの神社でこれらの神様が祀られている。
排水事業がある時期に行われたと考えた方がいいのではなかろうか。
389日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:24:32.22
まあ、弥生時代の奈良盆地が後進地だったのは多くの人が認めるところで、だから、畿内説も自生説を取り下げて、各地の連合説を
出さざるを得なかった。
390日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:33:37.40
江戸時代の国学者たちは奈良湖や河内湖の存在を想像すらできなかった、
だから紀記に出てくる地名、例えば葦原中国などを比定できなかった、
という可能性が無いかい?
391日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:41:53.06
そして本居宜長が邪馬台国九州説などという奇説を言い始めた
392日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:45:29.62
魏使が樺太から迂回して邪馬台国に来た可能性について。
http://ishinsha.blog60.fc2.com/
393日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:52:44.79
>>386
誰が畿内説の人で奈良湖の存在を否定してたか?
弥生末期には大半消失していると言ってるだけの話。
394日本@名無史さん:2011/05/26(木) 19:21:08.38
大和朝廷って湿原の干拓・農地化を得意とした技能集団だったのかね?
395サガミハラハラ:2011/05/26(木) 20:31:37.21
>>386排水して耕地にした伝説上のじんぶつですか?オオクニヌシとスクナビコといったところでしょうか。
396玉 乱造:2011/05/26(木) 21:00:24.43
奈良湖は地学で実証されている。議論の余地は無い。およそ6世紀まで湖は
残っていたらしい。
397日本@名無史さん:2011/05/26(木) 21:24:59.09
なぜ記紀に奈良湖に関する記述がないの?
江戸時代の国学者が解釈を間違えてるんでない?
398日本@名無史さん:2011/05/26(木) 21:28:57.76
奈良湖など存在しない。もちろん万葉集にも書いてない。
399杭心棒:2011/05/26(木) 21:36:54.33
269で私が「東の海」の問題をレスしてからの近畿説の諸君の反応を見ている
と笑ってしまうよね。
私はわざわざ近畿説の重鎮の3学者の名前を出しておいた。その後レスした近
畿説の諸君はこの3学者よりも邪馬台国の研究に詳しく、研究成果が優れてい
る積もりなのかな。
君たちのはすべてゴミクズレベル近畿説だなー(アンギラスUさん、借用しま
す、ごめん)。
400日本@名無史さん:2011/05/26(木) 21:47:23.78
奈良湖って、初めて知った。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html

こんなものがあったとは・・・。
弥生時代にはだいぶ小さくなってるけど
たしかに時代ごとにすめる集落が増えているね。
ただ、主要な神社などが湖周りにあるということは
神道の歴史がだいぶ古いってことなんじゃないかな。
401日本@名無史さん:2011/05/26(木) 21:50:50.73
奈良湖ネタは散々ループしてるから
402日本@名無史さん:2011/05/26(木) 21:55:51.91
河内湖のことも忘れないであげてね
湿原で、おそらく葦が生い茂ってたはずだから
403日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:03:33.35
大和郡山の金魚池が奈良湖の痕跡だろう。ああいう池が奈良盆地に無数にあるな。

404日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:22:08.11
弥生時代後期には奈良湖は消滅してるっつーの。
405日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:23:03.24
>>402 河内湖の痕跡は門真市の三ツ島付近にあるらしいね。
406日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:42:23.28
日本書紀によると、神武天皇は河内湖を舟で進んだらしい。
河内国草香邑青雲白肩之津に到着している。
記紀が編纂された頃は、河内湖は舟では行けない状態になっていたはずで、
神武東征の信憑性にも係わってきそう。
407やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 23:03:15.42
>>404
>弥生時代後期には奈良湖は消滅してるっつーの。
古墳時代直前に大々的な開拓の手が入ったというわけだな。
その技術は大和盆地周辺に自生した技術か。んー?

>>406
>記紀が編纂された頃は、河内湖は舟では行けない状態になっていたはずで、
神武の逸話は記紀が書かれた8世紀のことじゃない。
記紀は・河内湖が・舟で行けた昔の話・を書いてるのだろうに。タコ
408日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:10:49.75
>>407
神武東征は、記紀が編纂された頃に創作されたものではなく、何らかの記録あるいは伝承に
基づいて書かれたものだろうと言っているのだが。
409日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:14:45.70
     ∧_∧  あーはっはっ!神武だってよ! ドッカンドッカン !
 o/⌒(. ;´∀`)つ      
  と_)__つノ 神武天皇なんているわけがない! ☆ バンバン !
410日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:15:57.64
>>407
マキムクスレでコテンパンに叩かれたからって、ここで愚痴るなよ。
411やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 23:29:37.92
>>410
勝ったそぶり・勝ったポーズを刷り込むのも
打つ手がなくなった畿内説の常套手段だ。

纏向偏重連を一人でコテンパンに叩いたのは俺だが。
記録は残ってるんだぜ。ウソついてまで『 』つけたいか。害宣ゴキブリ
412やはり天才の伊作:2011/05/26(木) 23:35:35.23
>>408
>神武東征は、記紀が編纂された頃に創作されたものではなく、
>何らかの記録あるいは伝承に 基づいて書かれたものだろうと言っているのだが。

け。下の文章からはそうは受け取れないな。

>>406
日本書紀によると、神武天皇は河内湖を舟で進んだらしい。
河内国草香邑青雲白肩之津に到着している。
記紀が編纂された頃は、河内湖は舟では行けない状態になっていたはずで、
神武東征の信憑性にも係わってきそう。
413ローガン:2011/05/26(木) 23:36:48.90
>>407
>>弥生時代後期には奈良湖は消滅してるっつーの。
>古墳時代直前に大々的な開拓の手が入ったというわけだな。その技術は大和盆地周辺に自生した技術か。んー?

湿田で大豊作続きだったりして。
414日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:37:59.20
奈良湖のあった部分は、そんなに大事な施設が無いようにも見えるが・・・。
纏向も古代の湖の外のようだし。
特に歴史に問題は無いんでは?
415日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:38:53.49
伊作はバカだから読解力がないんだよ。
416日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:43:00.05
>>415
確かに…。
417日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:54:36.11
定期的に上がるゴミクズレベル九州説ご執心の与太ネタ「弥生末期の奈良盆地湖」

以前は縄文人や九州王朝大好きが必死に叫んでいたが結局根拠を出せないどころか
自分で自分の首を絞めて消えていったなw

(盆地で河川氾濫の冠水はないだろう→調べたらきちんとありました・・・とかw)

まあ「あった」というのは何万年前というスケールの話でそれが弥生末期に存在していたというのなら
地質学的なデータを探して来いという話で
古墳時代の直下ということなら地質学ならほんの昨日の話だろうにw

盆地の大半が湖面下にあった事をしめす堆積物。
それが盆地全体に見られると…

ゴミクズレベル九州説は地質学まで電波を飛ばすなwwww
418日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:58:25.15
あ、それから勘違いしている奴が多いが…

奈良は吉野川から分水してもらうまで結構水不足に悩んできたんだぞ?

故に(香川あたりと同じように)ため池が多くある。

地図で盆地(郡山あたり)を見てみろ。
ため池の多くが四角形で人工的に作られたものが分かる。
419日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:04:56.61
荒ぶる神、、、これってもしかして洪水のことなのかな?
420日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:52:38.78
>伊作はバカだから読解力がないんだよ。

つーか
根性も頭も極悪。
421日本@名無史さん:2011/05/27(金) 01:06:28.32
最近では弥生時代終末期どころか縄文時代晩期においてでさえも
奈良湖が存在していたかどうかが疑われているよ

盆地内で最も標高が低いとされる一帯で行われた発掘調査で
その当時の水成堆積層が認められないばかりか
まとまった量の縄文土器が出土しているかららしい
422日本@名無史さん:2011/05/27(金) 09:15:57.24
奈良盆地は川が多いから、湿地帯なのかと思いきや、
雨が少なく水不足が常態化しているというのは、なかなかヨソの土地のものには理解しがたい。
423日本@名無史さん:2011/05/27(金) 11:02:50.36
雨が少ないのに川が多いということは
地下水面が高いということで、
奈良湖の傍証といえなくもない。
424水銀厨:2011/05/27(金) 11:21:49.38
奈良湖(というより雨がふれば水が溜まる沼地)の存在は
畿内説にとって何のマイナス材料にもならないのですが。
425日本@名無史さん:2011/05/27(金) 11:36:28.14
426日本@名無史さん:2011/05/27(金) 14:36:09.08
>>417
>まあ「あった」というのは何万年前というスケールの話でそれが弥生末期に存在していたというのなら
>地質学的なデータを探して来いという話で
>古墳時代の直下ということなら地質学ならほんの昨日の話だろうにw
>盆地の大半が湖面下にあった事をしめす堆積物。
>それが盆地全体に見られると…

素人だからそのように思うのだろうが、そのような簡単な話ではない。

沼沢池が干上がって数百年も経過すれば地質学的には草地と区別することは難しい。特に耕地化されたりなどの
人工が加わっているところは撹乱されていて判別は困難である。盆地内の窪地には現在でも池や水たまりになって
いる所があるのだが、こういう所の地質データを出しても証明にはならないからな。地質学的に証明しろと求める
のは無理だ。
427日本@名無史さん:2011/05/27(金) 14:58:04.32
>>426
九州王朝さん乙です
428レス長たらし毘古:2011/05/27(金) 15:22:34.28
晋の皇帝
「あれから幾月年、最初に奴隷や貢物を贈って来て、必死に外交持ちかけて来た
あの辺境の邪馬台国から全く連絡が来ない。シクシク卑弥呼さんお元気かなぁ」

うーん、古代のボトルメールロマン!
429日本@名無史さん:2011/05/27(金) 15:36:24.33
>>417
>以前は縄文人や九州王朝大好きが必死に叫んでいたが結局根拠を出せないどころか
>自分で自分の首を絞めて消えていったなw

唐古・鍵集落の水没は河川の氾濫によるものではなく湖の増水によるものだと考える方が理に適っているように
見えたのだが。畿内説の人達は有効な反論が出来ていなかったようだが。それなのになんて言い草なんだろ?
430日本@名無史さん:2011/05/27(金) 16:02:05.97
唐古が水没なんて言ってる時点で笑けているんだが(笑)

他の地域の人間はわからないだろうが、
奈良には台風はめったに来ない。
天気図で真上にあっても
嵐にならない。
最後に嵐になったのは10数年前だ

全ては紀伊山地の恩恵だ。
だから古代の人々は山を神として崇めた。
吉野に降った雨水は吉野川によって
盆地を潤わせている。
431日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:11:44.06
>>421
>盆地内で最も標高が低いとされる一帯で行われた発掘調査で
>その当時の水成堆積層が認められないばかりか
>まとまった量の縄文土器が出土しているかららしい

3世紀頃でも縄文式土器や石器や木器が使われていたのではないか。
432日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:13:05.79
>>430
>唐古が水没なんて言ってる時点で笑けているんだが(笑)

シロウトのバカは笑っていろ。
433日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:16:20.11
>>426
>素人だからそのように思うのだろうが

名指しされてご執心の盆地湖ネタを叩かれたら出てこずにはいられないんだなwww

で、素人思案はともかく玄人を納得させる根拠はあるのか?

古墳時代直下の地層は破壊されてしまって証明手段がありません。
奈良盆地の弥生末期の地層は全て破壊されてしまったというのは便利な言いわけだなw
というかそんな事を言い出したら人類が農耕を始めたて以後は地層というものは意味をなさないって話だがw

まあ何処かで聞いたような便利理論だと思えば九州王朝説もこんな感じだなwww

肝心のその時代の痕跡なんて話になったら
 「全て現代の土地宅開発で破壊されてしまった」
 「大和朝廷が破棄し尽くし焼き尽くしてしまったニダ<丶`∀´>」
とかwwww

何れにせよ与太を飛ばしている方にその立証の責務があるw

さっさとまともな根拠を上げて欲しいものだw
434日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:17:22.62
>>425
リンク先でよいこのおともだちに投げかけられた質問

>年降水量と地形のようすをくらべてみると何か気づくことがありそうだね

果たしてこの板のゴミクズレベル九州説は気がつくんだろうか?不安だwwwwwwwwwww
435日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:22:48.25
>>421
>まとまった量の縄文土器が出土しているかららしい

多分ゴミクズレベル九州説的には古代人が葦船から湖底に放り込んだとか言うんじゃないのかな?w

まあ寺澤の「王権誕生」に盆地の集落跡を載せた図があったと思うが
小さい集落跡とかを拾っていけばおよそ盆地全体を覆うような巨大湖なんてのはありえない話で

結局地図上で等高線をなぞり巨大な水たまりをシミュレーションしてみませたというだけの話。
ムーレベルの発想w
もちろん客観的な根拠何かあるはずも無くwww

436日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:38:59.47
5月21日 全国一斉「パチンコ禁止デモ」 【在特会】 J
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14536643

北朝鮮ヤクザが在特会を襲撃!パチンコを死守する北朝鮮!
437じょ〜か〜:2011/05/27(金) 17:41:06.79
>>433 >>434 >>435
本物ジョーカーだろ、相変わらず下品だね。
君の発言のおかげで畿内説の品位が低下するとともに
その信憑性も怪しさを増す。
頑張れジョーカー!
438日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:43:08.01
>>434
君はどういうことに気がついたのかね。
439日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:47:26.74
>>438
ごく普通に馬鹿でもわかる事だなw

でもそんな事でも答えを言っちゃうとゴミクズレベル九州説のよいこのおともだちの学習機会を奪うから
伏せておくのが仏心だろうなwww
440日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:50:23.76
>>437
>君の発言のおかげで畿内説の品位が低下するとともに
>その信憑性も怪しさを増す。

いや、九州説の信憑性なんて、ゼロだから。
441日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:52:26.19
>>437 じょ〜か〜
>本物ジョーカーだろ

こらこら、自分で偽者だってバラすなよ。
つまらないやっちゃなw

ちなみに本名は「サイキバ君」かな?w
442日本@名無史さん:2011/05/27(金) 17:57:08.58
>>435
>小さい集落跡とかを拾っていけばおよそ盆地全体を覆うような巨大湖なんてのはありえない話で

誰も盆地全体を覆うような巨大湖が弥生後期に存在したとは言っていないだろ。盆地と言っても一様な平地ではない。
小さい集落跡とかは湖に島状に浮かぶ場所や半島上に突き出た場所に設けられたものだろ。湖と言っても極めて浅い
もので、島から山沿いまで歩いて渡れるようなものだ(部分的には深いところもあっただろうが)。

唐古・鍵も湖面に囲まれていたか半島状になっていたのだろう。
443じょ〜か〜:2011/05/27(金) 18:09:04.24
>>441
最初っからばれてるからどうでもいいよ。
差益場ってだれ?
444日本@名無史さん:2011/05/27(金) 18:13:10.51
>>443 じょ〜か〜
サイキバってのはお前レベルの馬鹿だって事だけ覚えておけ
445日本@名無史さん:2011/05/27(金) 18:31:48.83
>>442
>唐古・鍵も湖面に囲まれていたか半島状になっていたのだろう。

湖上にほぼ孤立した形で存在する大型拠点集落か…
行き当たりばったりもいいところだなw

まあ自覚症状ないんだろうが…wwwwww

446じょーか〜:2011/05/27(金) 18:48:20.34
と、ゆーことは「差益場」ってかしこい畿内説か。
いいやつだ。
447日本@名無史さん:2011/05/27(金) 18:54:27.97
>>445
>湖上にほぼ孤立した形で存在する大型拠点集落か…

バカだなあ。周りはいきなり深い湖ではないと言っているだろ。山沿いには歩いてでも行ける深さだ。筏のような
ものでもあれば物を運ぶこともできる。孤立などと浅はかな連想をするとは!!ゴミクズ脳らしいな。
448日本@名無史さん:2011/05/27(金) 20:49:22.94
畿内説の連中は何も根拠示せずにファビョってるだけなのがおもしろいねw

魏志倭人伝に書いてないことばっかほざいてw

ジョーカーさん()もなぜ畿内説か説明できないようだしねw
449玉 乱造:2011/05/27(金) 21:04:56.41
叙明天皇が「国見をすれば、かもめ立つ」と歌っている。だからこの天皇の
ころまで奈良湖は有ったよ。
450神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/27(金) 21:25:35.58
>>449
ユリカモメなら鴨川にたくさんいるよ。京都湖でもあったか?
451日本@名無史さん:2011/05/27(金) 21:28:18.26
>>44
7
…で、今度は「孤立した」を物理的に行き来不可能としてああだこうだ言い出すのか…
もう馬鹿は死ねよとしか言いようがないなw

おまえ「九州王朝大好き」だっけ?いい年して恥ずかしくないのか?

まあ一時が万事、ここのゴミクズレベル九州説(というか九州王調説)ってのはこう言う論法というか
相手にそれがなかったと言う「悪魔の証明」をふっかける事はできても自律的に自身の証明は出来ない。

むしろそれが証明できない事の説明に汲々となる。
(今回の場合湖底にあった時代の地層は破壊され尽くした云々)


452日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:02:15.55
>>451

こんな地質情報もあるけどおぬしには理解できないかもな。なんせゴミクズ脳だからな。

天理市での土層調査の結果として2000〜7000年前に形成されたと見られる黒色炭質粘土層の存在が
報告されている。この土層には炭素が多く含まれるが生物の遺骸は殆ど残っていない。
http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/452/4/kobunnka15_1-30.pdf

湖沼では植生も陸上よりは少なく、遺骸もメタン醗酵などで分解され、難分解性のフミン質しか残らない。
上記黒色炭質粘土は湖底堆積物であろう。
453日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:38:31.35
>>452

…で?

盆地湖を証明するならその”層”が広く盆地全体に広がっていなければならないって話だと思うのだが?
それも比較的浅い、表面の耕土を除いたら直ぐに見えるような深さでだ。

そのような結論がその引用の文章のどこかに見えるのかな?

「長く湖沼の底にあった地層がありました」だけじゃ話にならないだろう?w

そりゃ「奈良盆地は砂漠じゃありませんでした」って話でwwwwwwwwwwwww

しかし、以前に湖岸堤防厨(=九州王朝大好き)の時と同じような話がでたっけ?w
454日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:42:37.39
奈良湖の存在がなぜ九州説を利することになるのかが理解できない
455日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:48:31.96
>>454
要するに

「3・4世紀までまともに人が住めない地域でした。
 そんなところに戸数七万戸の邪馬台国があったはずがありません」

と言うゴミクズレベル九州説にとってはかなり魅力的な説(ゲラ

(人によってはそこから大規模な干拓工事を行い人が住めるようにしたのが九州からの東遷勢力だというお話も加わるw)
456縄文人:2011/05/27(金) 22:50:09.13
>>452

ジョーカーのために解説してあげよう。

黒色炭質粘土層には植生などの遺骸がほとんど含まれていないと言う。しかし、炭素はかなりの量含まれているそうである。
これは>>452が言うように浅い湖沼などでの堆積物と見るべきである。湖沼の底で長時間かけて分解された植生などの有機物
がフミン質となって粘土とともに堆積すればこのような黒色炭質粘土層となる筈である。

河川の氾濫などで短時日で埋没した地層では植生などの遺骸が残ることが普通であるから、このような黒色炭質粘土層となるこ
とは考え難いのである。天理市のかなりの地域が弥生時代には沼地の状態であったと考えられよう。
457日本@名無史さん:2011/05/27(金) 22:54:18.16
>>455
湖(湿地)の存在=水稲の生育適地が存在=より多くの人の食を賄う事が出来るってことじゃないんですか?
458唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/27(金) 23:04:06.81
水中の泥は有機物からなる。
この有機物が分解するのに酸素を必要とするが、泥の表面まで届く酸素では深くまで酸化することはない。
つまり泥の表面は酸化分解されるが、10センチも深くなれば、有機物のかたまりである。
黒土は、もっと乾いた土地に積もった植物により造られる。
つまり乾くことにより全てが分解されるのである。
水中では不可能な出来事である。
459日本@名無史さん:2011/05/27(金) 23:06:17.23
>>457
そこらへんが実に曖昧wwww

湖沼が数多く点在する地域だったりモロに湖だったり
ある時は陸地化して再び湖面の下に沈んだりw

数万年単位の古代なら湖もあっただろうし、当然盆地に長く湖沼地帯であった形跡もあるだろうし…

そのへんを適当につまみぐいして
「それでも奈良盆地湖はあった」とループしているのがこのネタw

もうウダウダ言うのは聞き飽きたから何処か地理地質の専門家が土壌調査に基づいて
「盆地湖はありました」と言っている資料出して欲しいw



460縄文人:2011/05/27(金) 23:13:02.04
>>453
>それも比較的浅い、表面の耕土を除いたら直ぐに見えるような深さでだ。

ん?マキムクの例の柱穴跡は表面の耕土を除いたら直ぐに見つかったのか?

黒色炭質粘土層のC14年代測定値がyBP2000〜7000(現在から2000〜7000年前)と出たと報告されている。
ということは、黒色炭質粘土層の炭素が植生に取り込まれたのが2000〜7000年前ということである。恐らく層
の下部(古い層)が7000年前のもので、上部(新しい層)が2000年前のものだろう。C14年代測定法では誤差
を考慮しなければならないが、弥生時代の奈良湖の存在を支持する一つのデータである。


461日本@名無史さん:2011/05/27(金) 23:17:20.26
沼地って雨季にはドロドログチュグチュ、乾季には固まるってかんじですよね
水田も春ー秋には水を張って冬には乾燥させる、そういう状態を人工的に作ってる
そんなところが水稲にとっては最高
奈良湖っていうより奈良沼って言ったほうが実態を把握し易いんじゃないかな
462縄文人:2011/05/27(金) 23:29:24.85
>>458
唐松どんは知ったかぶりをしなければいいんだがな。君は嫌気性菌の存在を知っているかね。メタン醗酵は嫌気性菌に
よって行われる。植生の遺骸の堆積が異常な早さで行われない限り(湖沼では植生の遺骸の堆積は早くないだろ)嫌気
性菌と細菌類によって分解されてしまうのだよ。
463日本@名無史さん:2011/05/27(金) 23:46:14.80
ここで畿内説の品位を下げ畿内説の信憑性をますます怪しいものにするジョーカーとやらは、
畿内説を唱える考古学者の先生方の敵。鼻つまみ者。
今年は畿内説にとって大切な年になるというのに、先生達は本気で怒っていますよ。
464日本@名無史さん:2011/05/27(金) 23:57:36.43
>>463
お前も病気なかなか治らないんだなw

2ちゃんのこんな板の俺の書き込みなんかが
リアルで学者先生の間で話題になっているという妄想を時々書き込んできているがw

それって何かのギャグなのか?笑いどころが分からないんだが…

やっぱりリアルメンヘラさんなんだろうか?w


465伊作:2011/05/28(土) 00:01:11.11
奈良盆地が湖だったなんてのは初耳だったが。

いずれにしても大和盆地の開拓と開墾は、土着のじゃがいもにはとても無理で、
先進の技術をもった集団が九州からやってきたということだろう。
466伊作:2011/05/28(土) 00:04:52.92
手の道具も必要になるだろうしよ。
九州の精鋭が鉄の武器をチラつかせれば、それだけで多くは勝負がついたろうさ。
467伊作:2011/05/28(土) 00:07:21.60
で・なに。
場末の墓づくり祭祀センターの土器がどうしたって?

支配勢力が持ってくるのは先進の鉄の武器と鉄材と鍛冶技術だ。
バカ重たい土器などは持参せず、支配地の庶民にやらせればいいのだ。
468日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:13:53.04
>>460 蝿文人
>ん?マキムクの例の柱穴跡は表面の耕土を除いたら直ぐに見つかったのか?

いやだから物理的な浅さじゃなくて割と新しい時代のモノって意味でね。

そもそも>>452の資料をもってきて何が言いたいのか?

サンプリングした多くの地域は元々旧河川の氾濫原内と思われる場所。

ちなみにその資料に出てくる上部黒色炭質粘土層の見える地域全てが2000年前まで水面下だというなら
それこそ巨大盆地湖が2000年前まであったという話で
先に出てきた割りと標高の低い土地から出てきたような縄文土器も
それこそ船から捨てた…なんて香ばしい話になるw

469日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:14:51.59
>>467
あのでかい巨大古墳群は誰が作ったと?
開拓と開墾がしたいのなら、あんなの無駄では?
土俗民を使わないと出来ないでしょうし、洗練された頭脳の人が入って来たにしては、投資の方向がずれてないですか?
バカどでかい物を作らせたのは、その外来の支配勢力とやらなんでしょ?
470日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:18:15.18
大和朝廷が力を得たのは、鋼を用いた合わせ鍛えの技術を得たからであろう
青龍刀にはこの技術は使われていない
471日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:18:36.63
>>464
と、リアルメンヘラのジョーカーがほざいてやがるw
お前の書き込みなんかが学者先生のあいだで話題になんぞなるわけないだろww
2ちゃんに1匹アホがいると笑われてるだけ
知らぬはジョーカーばかりなりwww
472日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:18:47.98
>>455
あたっている。確か、縄文人の説は、奈良盆地は神武天皇が開拓したと言うことだった。かな?
本物の縄文人が復活してきているみたいだから確かめればいい。

>>463
ちゃちゃを入れるだけの畿内説が多い中、ジョーカーは畿内説としてはまともに取り組んでいる。
しかし、しょせん、畿内説。武器がない。石器しか持たないものは、鉄器軍団には勝てないということだろう。
473日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:21:17.46
まあこの縄文人とか遺作とか言う連中は要するに古代の日本を設計したのは
「ボクの考えた偉大なる九州王朝なんだ!」と言う主張において似たようなもんだなw

つうか始め俺は同一人物だと思っていたwww

纏向もその後の巨大古墳も九州王朝かその後裔がつくった…と言う脳内ストーリー。
(まあ似たような奴は他にもいっぱいいるが、というかこの板ではそれがほとんどの気がするがw)

ここまで来ると何かごく一般的な歴史にすら何か強烈なコンプレックスのようなものを持っているのか?とも思うw
474縄文人:2011/05/28(土) 00:25:04.69
>>459
>もうウダウダ言うのは聞き飽きたから何処か地理地質の専門家が土壌調査に基づいて
>「盆地湖はありました」と言っている資料出して欲しいw

>>452に挙げられているような地質調査(災害予測などの為のものでなく、盆地湖の変遷を調べる目的で行われたもの)が
殆ど行われていない(あるいは行われているのかも知れないが発表されていない)のだ。その意味であの調査は貴重なもので
あるが、何故か続報が見られない。疑うのはよくないと思うが、畿内説に都合が悪い結果は伏せられているのかな?

http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/452/4/kobunnka15_1-30.pdf の著者らも黒色炭質粘土層を湖底堆積層と
述べることを控えているし、この層の生成時(yBP10,000以降)では「河川は埋積 され た盆地底 を 自由に流 れ る自 由水系で、
この水系 はバ ー ンズ (1982)に 示 され た如 き扇状 に広 が った 自然水系 で あ っただ ろ う。 この河川 は平地 を 自由に蛇行
す る巾 の広 い もので あ った。 しか し律令国家の成立 とともに奈良盆地 で は条 里制 の整備が進 み 、
自然水系 は条里水系へ と改変 されて ゆ く」という当たり障りの無い見解の上に立っている。

このような状況であるからおぬしの要望には応えられないのだ。
475日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:27:23.42
>>472
石器<<<鉄
普通の鉄<<<合わせ鍛えされた鉄
476日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:27:52.79
>>471
>2ちゃんに1匹アホがいると笑われてるだけ

まあ学者先生じゃなくて
お前みたいなゴミクズに恨まれているというのならわかる話だなwwww
477日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:31:02.67
弥生時代の巨大盆地湖ネタに今度は無敵の鉄器軍団ネタ

…こんな恥ずかしいネタよく飽きないなw
478伊作:2011/05/28(土) 00:32:32.53
あのー。
畿内説がゴミクズの与太ばかりなんだがな。
479日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:33:36.42
>>471
>知らぬはジョーカーばかりなりwww

たしかにそのとおりですが、あなたも品位がありませんよ。
かわいそうですが、もうそっとしておいてあげましょう。

>>472
たしかに学識もあると思いますしなかなかいいこと言っているときもあるのですが。
汚い言葉さえ使っていなければここまで問題にはならなかったでしょうね。
480日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:34:57.10
鋼を用いた合わせ鍛えって、実際のところどこで発明されたの?
481日本@名無史さん:2011/05/28(土) 00:38:00.42
奈良盆地湖については、大和川の様子を見ればわかるんじゃなかろうか。
排水路となるのは大和川だけだから、ここがいつ切り開かれたのかがわかれば、
そのときが湖でなくなった時期だろうと思う。
482縄文人:2011/05/28(土) 00:42:38.07
>>468
>サンプリングした多くの地域は元々旧河川の氾濫原内と思われる場所。

やっぱりおぬしは理解力が無いのだなあ。解説してやったではないか。河川の氾濫で埋没したら植生の遺骸が残るって。
しかも、そのような氾濫による地層ならば植生の遺骸の濃密な層と土砂の層ができるのだ。黒色炭質粘土層はそのような
ものではなくほぼ一様な炭質粘土層で、このような地層が出来るのは沼沢が長期間存在したからだ。
483日本@名無史さん:2011/05/28(土) 01:06:24.12
>>480
天孫一族がおのごろ島で発明して矛に用いたんだろうな
484水銀厨:2011/05/28(土) 01:08:22.28
弥生末期まで奈良湖が存在しようが何か問題あるのか?
私には巻向無人説と共にむしろ都合いい話。
485日本@名無史さん:2011/05/28(土) 01:14:58.93
>>479 リアルメンヘラ怒基地外

うーんキャラでやっているのかマジもんなのかよくわからないがw

>今年は畿内説にとって大切な年になるというのに、先生達は本気で怒っていますよ。

何か予言のようなものでも閃いたのか?w
気に説の頭上にアンゴルモアの大王でも降ってくる?www

しかしリアルの学者を怒らせるなんて俺も大した出世だなw

大丈夫か?日本の考古学会wwwwww

486日本@名無史さん:2011/05/28(土) 01:25:09.06
>>484
奈良湖が存在したことにすると、
東遷説に都合がいいらしいですよ。

奈良湖があれば、それだけで自生説を否定できると思ってるらしいし、
奈良湖の水を引いて開拓したのは、鉄器を持ってきた九州勢力という話にできると思ってるらしい。

いずれにせよ、奈良湖があろうがなかろうが、
九州説も東遷説も証明にはなりませんけどねえ。

487日本@名無史さん:2011/05/28(土) 01:41:31.13
古墳に盛られた土の出所はどこなのか?って考えたら、
農地整備のために水路を浚渫して生じた残土なんじゃないかと思うんだけどねー
488日本@名無史さん:2011/05/28(土) 01:55:18.11
>>487
普通にいえば周濠部分からとった土。

まあ箸墓なんかは氾濫原に作られていて何らかの治水事業の意味のあったのかも…

このへんの考察は意見ある人には聞きたいが
もちろん九州の東遷勢力が作らせたとかいうキチガイ電波はナシの方向で
まともなのを聞きたいw
489日本@名無史さん:2011/05/28(土) 02:03:56.49
>>486
自生説なんて唐古・鍵が見捨てられてたときから消滅している。
だから各地の豪族連合というような奇妙な説が生まれた。
ついでに年代観まで変えてしまったが。
490日本@名無史さん:2011/05/28(土) 02:53:08.07
>>489
どこまでいっても東遷説の目は出ませんね。
残念でしたねw
491日本@名無史さん:2011/05/28(土) 03:54:34.41
最近、素人の間でも東遷説をよく目にする。一番合理的な説だから、人の目に触れさえすれば支持者は増えていく。
だから、畿内説は、極力東遷説に人々の目を向けさせないようにしてきた。
戦後はそれがかなり成功して、邪馬台国九州説でも、九州王朝説の系統の説が増えていった。

しかし、安本氏が堂々と東遷説を主張して調子が狂ったといえる。だから、安本叩きが横行している。
その意味じゃ、安本氏は偉かった。相当な圧力や中傷があっただろうし。

しかし、畿内説は東遷説支持者を軍国主義者と呼んできたが、これは戦争体験者には有効でも、それ以後に生まれた人には効果がない。
安本氏とは関係なく、東遷説は復活していく運命にあったと言える。

もう、>>488みたいな言い方はやめたほうがいいだろうな。
492残念ですが:2011/05/28(土) 05:00:55.54
>>491
>東遷説は復活していく運命にあったと言える。
 ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓ ↓ ↓↓ ↓

東遷説は廃れていく運命にあったと言える。
493じょーか〜:2011/05/28(土) 07:23:09.95
畿内説の民よ。もっと説得力ある説で立ち向かえ。
聞いていると
○古墳の大きさ自慢
○マキムク自慢
○カラコ自慢
○地場産業土器自慢
+ジョーカーかきみだし暴言畿内説先生激怒攻撃
この程度しかないのか?
これでは、九州軍団に勝てん!
494日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:26:14.24
>> 493 じょーか〜
>九州軍団

・・・軍団か(苦笑
495日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:37:58.56
九州軍団は伊作に蹴散らされてるじゃねえか
496日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:40:38.93
>>495
近親憎悪による内ゲバですね、わかります。
497日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:45:10.35
伊作は文献の人で考古学はほとんどできない。畿内説は考古学派が多いから伊作の
間違いだらけの論を苦笑して眺めているだけだが、文献九州説はここで言い負かされる
のは存在にかかわるんじゃないか。
498玉 乱造:2011/05/28(土) 07:52:37.26
>>451  叙明天皇の歌をキッチリ調べてからレスしなさいね。

>>459 奈良市の博物館に奈良湖の展示が有りますよ。不勉強ですね。
499日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:56:09.10
奈良湖は100万年レベルの大昔にはあったからだな。
500日本@名無史さん:2011/05/28(土) 07:59:18.62
旧唐書や新唐書には「倭國者、古倭奴國也」と書かれている。

これは漢委奴國を言うのだと思われるが、邪馬台国畿内説はいても奴國畿内説はいないだろう
奴國が倭(当時は大和朝廷)の前身だと書かれている以上、九州から東遷した可能性は高い

また新唐書には
「其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城」
「彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州」
と書かれている。はじめ天皇の祖は九州にいたが神武の代で東遷したとモロに書かれているのだ。

これは日本書紀を読んで東遷したと中国が認識したのであろうが、
なぜ大和朝廷は先祖が九州にいて後に東遷したと中国に伝えたのであろうか?

仮に東遷していなかったとすれば、何故大和朝廷がそのような嘘の認識を中国にさせたのか
東遷否定説派は説明しなければならない
また、対外用の日本書紀だけでなく、国内用の古事記にも東遷した事は書かれていることにも注意が必要である

ただ東遷したから東遷したとするのがなんのひねった解釈も必要なく、すんなりと解釈できるのである
501日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:05:43.08
>奴國が倭(当時は大和朝廷)の前身だと書かれている以上

書かれてはいないな。諸説の一つとして取り上げられているだけ。捏造はやめようぜ。
空しくならんか?それに奴国王が倭の中心であった時代が過去にあり、その系譜が
受け継がれている可能性に言及しているだけかもしれない。奴国は博多周辺だよ。

>はじめ天皇の祖は九州にいたが神武の代で東遷したとモロに書かれているのだ。

これは新東書の編者が倭国の文献を読んで引き写したからだろう。馬鹿じゃないの。
502じょーか〜:2011/05/28(土) 08:11:30.73
>>500
やめてくれ。畿内説の民が生きていけなくなる。
畿内説の民よすぐ反論しろ。
「倭奴国と倭国は関係ない」とか
「筑紫城なんて日本にない」とか
「アメタリシホコ知らん」とか
「中国人の言うことを信用するのか」とか
「ゴミクズレベル○○説」とか
本物ジョーカー口撃するんだwwwwwwww
503求む!まともな九州説www:2011/05/28(土) 08:11:50.39
さて「ゴミクズレベル九州説」どもによる既視感2万%な万年ループネタも飽きたので
「まともな九州説」を相手にその御高説を聞いてみたいw

「まともな九州説」の条件としてとりあえず以下をあげさせてもらう。

条件1)…九州邪馬台国と纏向の並存を前提とする。
条件2)…倭人伝について当然基礎史料とするのは構わないが行程記事等については
     「正しいかもしれないし間違っているかもしれない」と言う姿勢であること。

無論「そんな条件もはや畿内説じゃねえか!」と拒絶反応起こす奴がいるだろうが 
そういう奴はこの件はスルーしてくれて構わない、つか、むこうに逝け。

で、「まともな九州説」に聞きたいのが以下3点。
質問1…先ずは比定地、漠然と九州ではなくて何処か?
    それを行程記事の解釈以外に補強するような材料はあるのか?
    (別に考古資料に限定しない)
質問2…ヤマト・首長連合との関係(敵対的、友好的、そもそも首長連合のメンツだったetc)
質問3…4世紀以降のその邪馬台国がどうなったか?(武力により平定された〜緩やかに併合した、ウルトラCで応神東遷とかw) 
504日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:12:29.54
>>498
「舒明天皇」だろ、ちゃんと書けよ。馬鹿が。
505日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:13:27.20
>>501
唐会要「古倭奴國也」
旧唐書「倭國者、古倭奴國也」
新唐書「日本、古倭奴也」

冒頭におもいっきり書かれているが、どこが書かれていないのかな?
なるほど、諸説の1つか。けどでは何故他の説が書かれていないんだ?

>これは新東書の編者が倭国の文献を読んで引き写したからだろう。馬鹿じゃないの

人の文章を最後まで読んでからレスしような。馬鹿じゃないの
506日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:17:43.60
>>505
>倭國者 古倭奴國也

これは漢に朝貢した奴国王が倭国の王として認められたことを言っているだけだな。
507日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:21:47.27
過去の歴史家も現代の我々と同じように
複数の文献同士の整合性をとろうと解釈に苦心したのだろうな。
足りない部分は、現代と同様、自己流に想像、造作される。

そして、その既に想像によって肉付けされている過去の解釈を
アホな現代人が史実だと誤認識して、さらに勝手な解釈を付け加える。
508日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:23:12.36
>>506
ちゃんと文読んだらそんな認識はできないと思うぞ。

それに新唐書はどう読むんだ?
日本(もちろん大和朝廷)は古の倭奴なり。
と直訳でも読めるのだが
509日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:26:40.19
>>507
出た!畿内説の必殺文献批判!
自説に都合が悪いと必ずその文献は嘘だの造作されただの誤りだの言い出すw

自説に都合のいい文献(ほぼないけどw)には絶対文句言わないのにw
510日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:27:42.82
>>503
一番条件に近いのは太国になってしまうぞ。
因みに巻向発掘結果を必死になって肯定している九州論者はコイツだけだ。
511水銀厨:2011/05/28(土) 08:29:23.55
奴国が北部九州を中心に倭国王を輩出する。
その後吉備や阿波地方へ瀬戸内東部に勢力拡大。
三世紀にはヤマトの巻向に祭祀目的の宮を設けたという事でしょう。

どちらにしてもこの時点で瀬戸内東部は邪馬台国というだけの事。
512503:2011/05/28(土) 08:31:05.74
>>510
いや流石に太国は想定外w

古代人の予知能力だか千里眼を当て込んでいる時点で「まとも」じゃないwww
513日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:37:02.67
>>511
勝手に自説をいれてんじゃねーよ
>その後吉備や阿波地方へ瀬戸内東部に勢力拡大
どこにも書いてねーだろこんなこと

瀬戸内東部は邪馬台国?

神武天皇筑紫から大和州に入ったって言ってるんですけど・・・
514日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:41:13.21
ところで水銀厨とジョーカーその他畿内説はお互い同じ畿内説でも内容が違うと思われるが
その辺は相いれるの?
515???:2011/05/28(土) 08:45:52.62
>>503
条件2)…倭人伝について当然基礎史料とするのは構わないが行程記事等については
     「正しいかもしれないし間違っているかもしれない」と言う姿勢であること。

お前が書いたテストの解答か?「正しいかもしれないし間違っているかもしれない」 なんじゃこりゃ?

516日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:49:02.51
>>515
そういう奴はこの件はスルーしてくれて構わない、つか、むこうに逝け。

517じょーか〜:2011/05/28(土) 08:50:08.52
>>514
相いれるよ、アンチ九州軍団として大同団結だ。
518日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:51:28.76
>>515
そこが畿内説にとって一番都合が悪いんだ

絶対に正しいと強硬に来られると、畿内説は対応に困る(苦し紛れに文献批判するだけ)ので
間違っているかもしれないと言う姿勢を強制することによって、追及を免れようと必死なんだよw
519日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:55:49.63
畿内説の連中は神武東遷をどう考えてるんだ?

@邪馬台国以前に行われた
A邪馬台国以後に行われた
B邪馬台国と同時期に行われた
Cホラ
520日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:57:06.22
>>509
最早脊髄反射だな。
倭人伝が100%正しいとか考えている時点で正常な判断力は失われてる。
原発は100%安全だから事故対策しなくても良い、と考えてた連中と同じ。

倭国に関して倭人伝と同時代の文献が無い以上、その正しさを検証する事は
出来ない。資料批判は必要な事だ。
陳寿も東夷伝の序文でこの東夷地域はよく分からないと述べているし、
それを反映してか、記述も矛盾しているような箇所が見られる。
521日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:58:46.46
>>519
弥生前期だろ。縄文人が渡来系弥生人に北に追われていく状況じゃないか。
前7世紀は比較的近いだろ。
522じょーか〜:2011/05/28(土) 08:59:15.48
>>503
こいつ本物ジョーカーでしょ
マキムク王権スレに畿内説仲間呼びに行ってたよ(笑)
なんだか苦しいみたいだね
523日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:03:19.04
>>520
100%正しいなんか誰が思ってるの?w

自説に都合が悪い文があって自分の説に矛盾が生じても、相手の説に同調したり、意見を変えたりすることなく
いの一に文献批判する頑固な姿勢を言ってるのw(しかも自説に都合のいいように無理やりな解釈ばっかりw)

そして自説に都合がいいところは絶対に文献批判しないご都合主義なことも言ってるんだよw
524日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:04:00.26
>>519
@記紀に記されているんだからCはないよ。
525日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:05:02.94
>>523
>自説に都合が悪い文があって自分の説に矛盾が生じても、相手の説に同調したり、意見を変えたりすることなく

九州説の事か
526水銀厨:2011/05/28(土) 09:06:37.47
>>513
神武東征なら瀬戸内を東を進んで各地を滞在。
武力衝突で河内で敗北と書かれてますよ。

アンチ北部九州説と言う意味では私は畿内説です。
奈良盆地のみが邪馬台国ではないという主張ですが。
527日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:07:26.46
>>521
書紀年代を素直に計算すると、その通りで紀元前7世紀だろうな。
記紀を全く信用していない九州派は反論するだろうけど。
528筑紫の民:2011/05/28(土) 09:08:28.52
>>519
Aと思います。
やはり、鉄製武器大量生産時代にならないと征服戦はできないと思います。
記紀の記述にも武器が沢山出てくるし
529日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:13:26.66
あれ、畿内派は神武東征を否定しているんじゃなかったの?そうだろう。
つーか、何で九州派が記紀を信用していないって話になるんだよ。可笑しいだろう。
あべこべな話をされても困る。神武東征が紀元前7世紀になるという書紀年代はデタラメだと思うけどな。
530日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:22:18.02
まあ、九州説と言っても、たくさんあるからな
531日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:23:18.80
>>519
>畿内説の連中は神武東遷をどう考えてるんだ?

D神話
532筑紫の民:2011/05/28(土) 09:27:11.30
日本書紀の神話代にも征服戦ともうかがえる記述がありますよ(国譲り)
そう考えると、神話代からして4〜5世紀ではないかと思いますね。
アマテラスからニニギに渡された神器も道教がらみでしょ。
533日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:31:33.19
アマテラスは7世紀の創作だから、関係ないね。
534日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:32:39.49
4〜5世紀は完全に人の代です。
神の代ではありません。
535日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:41:11.02
>>522 じょーか〜
>畿内説仲間呼びに行ってたよ(笑)

スマンその発想はないw

お前みたいな馬鹿なら
お仲間集って「畿内説軍団」とか発想するのかもしれんがwwwwwww
536じょ〜か〜:2011/05/28(土) 09:50:39.59
でた本物ジョーカー
畿内説同士仲良くしようぜ
537じょ〜か〜:2011/05/28(土) 09:55:36.33
本物ジョーカーてさ、マキムクこだわってるけど
奈良県出身?
538日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:58:12.19
じょ〜か〜(偽)ってジョーカー(真)と馴れ合いたいのかね?キモイw
539じょ〜か〜:2011/05/28(土) 10:02:25.46
>>538
本物ジョーカー結構おもしろいよ。
間抜け発言でバカにされて逃げていったり
マキムクスレに仲間呼びにいったり
本物ジョーカーのお里が何処か知りたいね
540じょ〜か〜:2011/05/28(土) 10:05:34.05
あと、>>535 が自分を本物ジョーカーと認識しているところも
結構おもしろい(笑)
541日本@名無史さん:2011/05/28(土) 10:09:54.34
叩く煽るじゃなくてジョーカーなんかのプロフィール聞きたいのか?
きしょくわるいやつだな
542日本@名無史さん:2011/05/28(土) 10:23:23.81
「じょ〜か〜」は「サイキバ」の新芸だろ。
543太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 10:33:41.94
>>462
奴の知能は天動説並みなんだぜ。
日食が数日間も続くんだと計算結果を得てるらしい。w
544日本@名無史さん:2011/05/28(土) 10:57:23.06
唐松山は、人はイイよ。ここでの投稿から、それが偲ばれる。
研究熱心、人間関係のゴタゴタには淡泊。仙人のような境地に近い。
難点は、日本語での解説がややヘタなことくらい。
545日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:06:49.53
また、ここで太松論争が始まるのか?
546日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:34:18.27
>>520
どこがって聞かれると困るんだろ。
547唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 11:53:50.62
>>543
>日食が数日間も続くんだと計算結果を得てるらしい。w
太国倍年:353癸丑  神功摂政立皇太后(倍歴では皇紀863年と同年)

太国は数日間の暗黒を太国倍年で主張出来るのか?
出来なければ太国倍年は成立しない。
これまでの太国の主張からは、太国倍年は成立していない。

考古学:西新町遺跡には、3世紀後半、布留式と半島の土器、カマドがセットで存在する。
273年日食の直後が神功渡海と出来る。274年渡海とした場合、神功52年七支刀=236年
 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■ これを満たす西暦は、326年5月辛卯朔 
東晉明帝太寧4年5月16日丙午、(3月辛卯朔は存在する、5月であれば1日の齟齬)
百済はこの頃、文字を得て記録を残す。369年では百済の歴史として遅すぎる。
百済は323年領土分与で立国。
孝武帝の太元十年(324年)、句驪攻遼東、玄菟郡、後燕慕容垂遣弟農伐句驪、復二郡。
この高句麗軍攻撃に百済は軍を派遣し、前燕に睨まれることが無くなる。
この場合梁書のいう遼西県までを百済が占領する可能性がある。

>難点は、日本語での解説がややヘタなことくらい。
スマン。 あまり解説をしすぎると誤りの元となる。だから漢文は皆の翻訳の
力量にかかる。
548太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 12:01:21.85
宿主
宿主空年は成立しない。その証拠に各天皇の在位間のどこからどこまでが
空年だとの説明が出来ない。恣意的に先に景行をご都合の年代に設定
したために、後回しの各空年の両端の年代の干支などの接合が具体的に
出来ない。だから開示できずに音なしを貫いているのだ。こやつの足元
は見てとれたり。

出来るというんなら、まず神功の代のどこからどこまでが空年か、出して
みろ。出来ないだろう。ww
549縄文人:2011/05/28(土) 12:18:30.30
太国どんも唐松どんも根は善人だよ。
550太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 12:31:34.83
女王国の当時は、大陸は諸葛亮の名言どおり、魏呉蜀の天下三分の計の
3極支配に分かれていた。同様に日本側は畿内の天皇国と先駆けの九州
王朝との2系の局面にあったのだ。
卑弥呼は王朝の始点的女王であり、これが畿内の景行の代にいったん勢力
が衰えたらしく、景行九州行幸時にはそれらしき女王国の情報の記事は
見当たらないようである。景行は九州全部を行幸したわけでもなくかつ
女王国の衰退時では卑弥呼の後裔の情報も掴めなかったと観たい。

それが神功の代あたりになって九州には王朝の壱与に続く比売大神と
いう女王が立ち、これが神功応神の代であったから宇佐神宮に三者並べて
の神殿が出来えたということだろう。さらにこの後 倭の五王 が九州に
勢力を伸ばし、畿内ほどではないが、政権をとっていたということだ。

以後の後代に阿毎多利思北孤等とかの人物があるもどうやら九州王朝関係
の人物らしく、九州年号も先頭に 継体 があるところを観ると、畿内の
天皇の継体の諡号をつけた関係の者が、同天皇のころにこの年号が対応
するということを知悉してたのかもしれない? これは大陸の孝霊皇帝の
時代が孝霊天皇の在位の時代とほぼ対応することからこれが覗えるのだ。
551唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 13:20:53.98
>先駆けの九州王朝との2系の局面にあったのだ。

使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。

庄内式の末には、九州王朝は存在しない。
神功渡海で半島へのルートは畿内大和が管理する。
だから、九州も鉄の分与は畿内大和の手の内にある。この状態で九州王朝がどこに存在出来るのだ?
552日本@名無史さん:2011/05/28(土) 13:25:34.55
神功皇后は奈良葛城地方の出身だろ。
553日本@名無史さん:2011/05/28(土) 13:34:01.96
>>519
邪馬台国がいつから始まり、いつ終わったのかが今一つ不明なので、そこは邪馬台国を卑弥呼に
置き換えた方がいいんじゃなかろうか。
554唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 13:54:06.44
神功皇后は北陸から九州へ向かう。
だから西新町遺跡には、庄内式、北陸、東海の土器がそろう。
東海の土器は、日本武尊に従う、尾張、岐阜方面の集団。
555唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 13:57:48.22
この集落で特に顕著なことは、他の同時期の遺跡と比べて格段に多い朝鮮半島系土器の出
土と、竪穴住居跡に付設されたカマドの存在である。朝鮮半島系土器には、忠清道から全
羅道系のもの、全羅南道から慶尚南道系のもの、そして慶尚道系のものといったように、
朝鮮半島中南部の複数の地域のものがみられる。カマドはこの当時の日本では、いまだ
普及していないものであるが、80 軒以上の竪穴住居跡で確認されている。こうしたことは、
朝鮮半島から渡来した人々の居住を示すものと考えられている。
国内の土器についてみると、この時期、博多湾沿岸の地域では、日常土器の多くが、庄内
式・布留式とよばれる畿内の土器の特徴を備えていくが、西新町遺跡においても、このよ
うな畿内系統のものと山陰地方のものが卓越し、これに加え吉備など瀬戸内海地域の土器
も認められる。
556唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 14:06:36.46
神功元年は、渡海派と残留組の対立。これにより、播磨、摂津、北河内に古墳が造られ
中・南河内には造られない。(勝ち組と負け組に別れる)。

ここからほぼ40年間の記録を欠くのが日本書紀である。
つまり書紀に空白が在っても、その全てを”書紀の引き延ばし”としたのでは
歴史は見えない。
557ひとぶた:2011/05/28(土) 14:35:30.82
>>519

@でしょう。

BC10〜5世紀ころに北部九州の勢力が暫時東進を始め、
AD1世紀にはその一部が河内へ。
AD2世紀、その勢力は遂に大和盆地の一角に拠点を築くことに成功、東海勢力と直接手を結ぶまでになりました。
AD3世紀には、大和盆地の勢力は九州と拮抗するほどに成長し、
AD4世紀には、それを凌駕するところとなりました。
ときの首領が「我東征せり」と宣まったかは存じあげませんが。
558太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 14:40:59.02
>>551
宿主
九州年号は「継体」の号からゴマンとある。すなわち畿内の継体天皇
あたりから九州で年号を使用したと観て間違いはない。つまり景行の代に
日本統一は九州王朝の存在が阻んでおり、景行は日本統一が出来ない。
559太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 14:45:42.83
>>556 宿主
>ほぼ40年の記録を欠くのが日本書紀
神功2年、神功3年及び神功13年の記事があるから、40年の空白はインチキ
である。
560日本@名無史さん:2011/05/28(土) 14:48:46.92
神功皇后の実体はトヨになるだろう。
561太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 14:58:39.54
トヨにはならんでしょう。卑弥呼が247〜8年あたりに死んで、その後
壱与(←貴方はトヨと言う)が立つの確認が神功66年あたりに紀の記載が
あっても実際は250年以降で恐らくは266年頃の話であるから、神功の代に
紀の編者らが卑弥呼、壱与の年代をそこだろうと考えて神功39年、同66年
に挿入したものであり、真の年代との断層が生じている。

だから神功皇后は倭人伝の壱与にはならない。
562日本@名無史さん:2011/05/28(土) 15:02:51.69
トヨの実体を反映させているのが神功皇后。
勿論脚色は当然あると考える。
563唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 15:51:18.73
>九州で年号を使用したと観て間違いはない。

だから 何処に九州王朝が存在したか?所在地が無い限り存在は認められない。

>恐らくは266年頃の話であるから、
魏書が晋の時代までを記載するのか?
倭人伝とは、魏の関与した魏時代の書物と捉えれば、250年代までである。
255年日本武尊16歳。また背いた熊襲征伐。=諸国が畏れ憚る大倭の軍隊。
564唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 16:20:34.07
日本書紀は”章(19年)”単位の”空白年の差し込み”がある。
その空白年を差し引けば、正しい太陰暦となる。

開化天皇 184年〜187年 3章 暦に1、2年の異常?開化、崇神の暦を同じとするのが妥当。
崇神天皇 188年〜216年 2章 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。後漢193年冷夏。
唐古、鍵 弥生後期後半(大和第Y−3)に大量の土器の投棄をもって、大半の環濠は埋没する。
異族多帰は、各地の土器。6年秋大物主の国譲り、陶邑のタタネコ、庄内式。
209年 新羅本紀、伽耶に援軍=任那建国。
垂仁天皇 217年〜239年 4章 ホケノ山古墳。半島式木郭墓は田道間守の殉葬。
纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に、土を盛り平す(ひ=乾く、しろ=ならす)日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵。遠国をまとめる為、魏の政治手法「屯倉」導入。
使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
成務天皇 262年〜265年 3章 
仲哀天皇 266年〜274年 0章 273年日食(神功元年に注入)
神功皇后 275年〜344年  ここより盟神探湯による世継ぎの部分。磐余稚桜宮は、桜井茶臼山
メスリ山の時代、佐紀楯列までの70年間。
565太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 17:05:06.95
>>563
オマエ頭がおかしくないか? 天動説の如き日食が数日間も続く計算を
斎藤先生のにわか勉強から算出したらしいが?ww

九州王朝は九州にあったから、九州だよ。こんな稚拙な質問をするな。

>魏書
神功紀の年代は、編纂したのはそっちじゃなかろうが、紀の編者だよ。
オマエのホツマこそ偽書だといわれてるんだよ。そっちのほうを勘ぐ
ったらいいだろうが。

空年の差しこみなんかない。そんなことをしたら、真の年代が撹乱され
て未来永劫に分からなくなる。だいたいそんなことをすれば公文書偽造
同行使でパクられて、身の失脚だ。

それよりホツマのインチキ妄想がホツマに差しこまれているのを
気づくのが先決だな。朝敵君。
566太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 17:10:14.65
@ 紀に動機のない宿主空年を差しこむ必要はまるでない。

A ホツマには宿主インチキを差しこむ著者の恣意的妄想がある。ここ
  こそ実でない空念仏ならぬ 空年仏 也。ww
567日本@名無史さん:2011/05/28(土) 17:13:22.39
>>462
トヨの実体を反映させているのが神功皇后。

根拠皆無の完全なる妄想。

>>593
何処に九州王朝が存在したか?所在地が無い限り存在は認められない。

大善寺(天皇屋敷)
三潴(大君=天皇のこと)
佐賀(ふなんこ祭り)
久留米(玉垂命)
大野城(御陵)
その他八女、熊本にもあった可能性がある。
568日本@名無史さん:2011/05/28(土) 17:20:30.23
>>567
なんでそれが根拠になるんだよw

妄想のしすぎはお前だわ。
569太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 17:21:46.07
古代史の真の年代を測る朝廷の 大中臣 からのインチキ・ホツマを降す
べき天下の宝器→天津神算木(天津金木)。
天津神算木とは崇神紀(景行紀ではない)の三輪山の説話に古代人が
秘めた半径r=3の円(三輪)の球化の 体積=表面積 の数式をいう。
天津神算木

 4πr**3/3=113.0973355292・・・  (**は ベキ)

大祓祝詞に曰く 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて

 3≠113.097335=113.◎97B350

○数字は数的にミワ(三輪)と読み、中に B.C.97年 崇神即位 の数あり。
崇神即位の真の年代は、○数字の両脇の数列 113 350 の差により求まる。

 350−113=237年=崇神天皇即位元年(実年代)=景初元年

で真の年代が求まった。妄想の188年を祓いに祓っての大祓いをするのだ。
570太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 17:30:43.87
宿主
景初3年にもう伊支馬が死んで以後、幽霊で活動してるわけだ。pupupu・・・
571アンジェリーナ・ジョリジョリ:2011/05/28(土) 18:32:57.76
503さん、可愛そうね。ほとんど無視されちゃって。
でもね、あなたも悪いのよ。人の揚げ足をとることばっかりやってて、自分の
邪馬台国論をきちんと発表しないから。
あんな質問書いたって、また揚げ足とりの材料集めをしていると思われるだけ
よね。わかったぁ?
572日本@名無史さん:2011/05/28(土) 18:58:03.28
ネカマ キモイ・・・
573唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 19:11:18.06
>九州王朝は九州にあったから、九州だよ。こんな稚拙な質問をするな。
>350−113=237年=崇神天皇即位元年(実年代)=景初元年
だからあ〜 九州王朝の王都が何処にも存在しない。(260年以降)
崇神を景初元年とする文献が存在しない。そして纒向遺跡の年代の
説明も出来ない。

崇神5年の「疫病」は、「高句麗本紀 256年 九年十二月 無雪 大疫」の
“大疫”と同等であり凶作の意味で使われている。
つまり崇神6年の「民の離散」とは、逃散であり、弥生後期後半 唐古・鍵遺跡
の放棄で説明出来、崇神11年異俗多帰=2世紀末各地の土器が纒向に。
文献と考古学の知見と書紀を太陰暦で設定出来る。
書紀は太陰暦を主張しても、倍年の主張は無い。
景初元年より後に“任那建国”を設定出来ない。
まっとうな暦(中国の太陰暦と同等)も持たない倭人に魏が関与しても何も得るものは無い。
つまり「黄旛下賜」などの連絡がとれない。

239年垂仁崩御、240年田道間守殉死。であるから、景初3年の朝貢に名を残すのみ。
田道間守が大和を出発した5月には垂仁は存在している。
この朝貢を 「太国倍年293癸丑  景行即位」で説明するのであれば、291年の朝貢であろうが
ここでは遅すぎ、渡海、半島占拠の説明がうまく行かない。
574太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 19:29:19.89
だから〜存在しないのはないにはならない。その事例として今回の3/11
の大震災でもあんなにもろく原子炉崩壊につながって廃炉にするという。
だから時間の経過で九州王朝の遺跡は1000年以上も経過すればほとんど無
に帰するが、当時存在してない事には全然ならない。オマエの体表にガン
の兆候がないからガンじゃないとオマエは豪語してるわけで、オマエが
医者ならもう藪遺捨だ〜。ww

景行が日本を統一とする文献がない。巻向は考古の四六時中の年代の
上下移動ばかりやっててアテにはならない。今後もまた動くことは
当選確実であ〜る。天津神算木は数式であるからして、これは数字での
恒久的文献であり、崇神紀の三輪山の説話がこれを補強する。おまけに
漢書王莽伝の西暦5年から

 神武即位=西暦元年

は動かなくなった。41年じゃぁ、東夷の王と王朝とかが西暦5年に畿内に
いたということになってきて、オマエのこの年代では整合しない。
575太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 19:39:32.83
臣下 伊支馬≠垂仁天皇

臣下は絶対天皇にはなれない。それは大陸だったら帝が下克上で臣下が
帝になれるがこれは易姓革命の国だからであり、日本では戦国時代
の下克上のときでも臣下は天皇にはなれない。そして伊支馬は
九州の人物であり、垂仁天皇は畿内の人物にして九州行幸をしていない。
つまり両者は明確に別人であり、等号は成立せず、デタラメである。

また神功初年前年の暗黒を日食だとするのは、文面から日食が数日間も
継続しないことから似てるとはいえ日食とは別ものであり、その日食
暗黒持続時間の結果では最大でもたかが数分であるはずが数日間の計算
結果を得たとするオマエの算出数値はデタラメであることは一見して
わかる粗悪な論説で、天動説同然の大インチキである。ww
576日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:58:14.75
>>568
頭悪すぎ。
577日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:08:55.12
>>576
せめて地球人レベルまで話のレベル落としてくだせえ・・・

わしら頭にアンテナ生えてねえですだ。
578日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:13:55.04
早く地デジ化に対応しろよ。
579太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 20:28:58.41
>>556 宿主
>ほぼ40年間の記録を欠くのが日本書紀
神功13年をスッポ化して、40年もの空白があるように偽装したって
ダメだぜ。ww

神功11年  住吉大社の建造神功元年と神功40年の間に他の文献
     (帝王編年紀)がある。神功が建設に関わったという。

神功12年  この年熊野参詣多し(熊野年代記)

神功14年  新宮造修  (熊野年代記)
580唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 21:11:42.41
帝王編年紀とか熊野年代記をどう使って神功時代が350年過ぎで在ることを
証明出来るの?書紀に書かれていないことまで正しいと認識するにはそれ相応の
記事が必要であるが、単体の記事は後付けと見なした方が正しいだろう。

ほぼ40年間の記録を欠くとは、この時代をどう捉えるか?の問題である。
274年応神誕生。弥生時代と寿命が大きく変わらなければ、これから ほぼ40年後
313年に仁徳即位は、ありうる。応神誕生から39年後仁徳即位。
しかし、半島占拠は323年神功49年であり、そこから百済王家が書かれているから
神功、応神紀は1つのブロックであり、太陰暦はそのまま使われる。
しかし仁徳をその後ろに繋ぐと、世継ぎや記事の設定に異常が出る。
神功69年=仁徳31年。ここで即位するのが応神である。
世継ぎに異常のあることは、允恭紀に書かれる。
ここは、世継ぎより記事内容の正しさを優先すべきである。
つまり
神功元年の渡海派と残留組の内乱から継体による1本化まで世継ぎを
1系と見なさない方が説明しやすい。
また河内の初期古墳の説明も出来る。庄内式の時代を引っ張った河内南部
が何故古墳を受け入れなかったのか?
581太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 22:19:23.48
ゴマ化すなよ。神功13年があり他に3つもあるんじゃ、オマエの論は
成立するとは言えない。しかも同13年が阻んでいるわけだし、13年分も
空年が短縮されてるわけであり、これを誤魔化して40年にするとはトンデモ
ない。この記事を蹂躙することは、オマエのこの前の 東夷の王 を
削ったのと同様の悪事に準じるぞ。オマエは藤村某の2番手か?
そういうイカサマはやってはならぬぞ。><

13年とかがある限り、40年もの空白にはならない。こういう記事の空白
とはオマエの言う空年→マシとかではなく、当時大陸と半島と、日本の
倍暦法と暦法が相違するためにおこったことなのだ。神功の代は半島遠征
とかの関連記事が多いため紀の編者らが整合できず、記事の記載を保留
したため空んぽに見えるだけのことである。
582唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/28(土) 22:35:18.80
>13年とかがある限り、40年もの空白にはならない。

ほぼ40年間の記録を欠くの”ほぼ”は、全くの空白ではない。
そしてこの空白は、実際に時間が流れている。
583太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/28(土) 22:38:07.10
間があるんじゃぁ、40年の空白とは認められない。とりわけ事象がなけ
れば記載の用もない。こういうことも考えにいれておかないと、妄想の
虜になるんだぜ。オマエはとりわけそそっかしいからな。ww
584筑紫の民:2011/05/28(土) 22:51:35.79
ホークス勝った、6−5ばい。
カブレラホームラン気持ちよかったよ。
杉内打たれすぎ、負けるかと思ったばい。
内川も0安打やったし危なかったよ。
でも現場(球場)は盛り上がったとよ。
馬原復活もよかったばい。
585日本@名無史さん:2011/05/28(土) 23:46:58.32
>なんでそれが根拠になるんだよw

根拠なんかきかれてないし、
根拠なんか述べてない。
586日本@名無史さん:2011/05/29(日) 05:43:31.38
何とか王朝の所在地とかいう、妄想の根拠じゃねーの?
587日本@名無史さん:2011/05/29(日) 05:47:55.06
覗いても箱のなかは空だった。
手を入れて探っても何もなかった。
当たり前の事である。
588日本@名無史さん:2011/05/29(日) 16:44:54.48
ここ数日、邪馬台国関係の火が消えたようになっちまったな。
本当に論争が終わってしまったのかな。

大転換の瞬間に立ちあってしまったのだろうか。
589日本@名無史さん:2011/05/29(日) 16:53:05.39
予算取りの時期が来たら、なにか発見さっるでしょ。
590日本@名無史さん:2011/05/29(日) 16:56:01.83
マキムクの発掘は170回目くらいだっけか。
また。いつものように予算取りするんだろうな。
591日本@名無史さん:2011/05/29(日) 17:37:18.77
マキムクは今年何とかしないと本当にまずい。
592水銀厨:2011/05/29(日) 18:04:37.91
そりゃ奈良なんて掘る場所多すぎですから。
大規模開発でもない限り、何も出そうに無いような処には
予算なんて付けれませんよ。
593唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/29(日) 19:23:12.92
崇神 188年〜216年
垂仁 217年〜239年 前半の大型建物=珠城宮
景行 240年〜261年 中期の大型建物=土盛りと整地=日代宮
成務 262年〜265年
仲哀 266年〜274年

纒向遺跡でまだ発掘、特定出来ていないのは、崇神の瑞垣宮と成務、仲哀の
作りかけの宮殿。
仲哀元年に仲哀は陵域の池(箸墓)で白鳥を飼う。
594日本@名無史さん:2011/05/29(日) 21:01:27.63
test
595日本@名無史さん:2011/05/29(日) 23:41:45.88
御所は市が財政難で手付かず。
秋津やら高天やら風の森、天の森、鳥井戸
長柄、南郷、北窪、栗坂…まだまだ怪しい箇所があるのに
596大阪人:2011/05/30(月) 09:58:31.24
畿内説は方角や距離の矛盾を解消するために「女王國」を超広域連合国と見なして
矛盾を解消しようとしてる方が多数いると思いますが、果たして女王國は連合国なのでしょうか?
否、女王國は邪馬台国の代名詞とみて間違いないでしょう。

根拠は多数あります。

まず、「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳?、可七萬餘戸」
からすぐに「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳・・・」と続きます。

邪馬台国からなんの説明もなく女王國に置き換わっていることから、これは邪馬台国の代名詞である可能性が高いです。
仮に女王國が倭国の国々の連合国なら何かしらの説明があってしかるべきだと思います。
597大阪人:2011/05/30(月) 10:01:37.53
次に「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國・・・次有奴國、此女王境界所盡」とあります。

女王國より北は簡単に戸数道程を書けたが余りの国は書けない、そして国名が連なりそこまでが女王の境界であるという。
つまり女王の境界の中の女王國より北は詳細を書けたが、北以外は書けないという訳です。

「自女王國以北」を見てもわかるように女王國は他の国と領域的に区別されていることがわかります。
それは後の「自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國」を見てもわかると思います。
伊都國や他の国は女王國より北にあるというのです。
また「此女王境界所盡」を見ても分かるように、ここでは女王國とは書かれていません。
当然のことですが「女王國」と「女王」は区別されて書かれています。
「其餘旁國」が女王國に属すとは書かれていないのです。
さらに、狗奴國も「不屬女王」と女王國とは区別されて書かれているのがわかります。
女王に属すとはそのまま女王陛下に属すの意味と捉えていいでしょう。
倭人伝の中で「女王」の単語が国を指している場面は皆無です。
598大阪人:2011/05/30(月) 10:10:24.72
最後に、実は「屬女王國」の文字が一か所だけあります。そこには
「東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐」
と、書かれています。

おかしいですね。女王國に属しているはずの伊都国が女王國より北にあるんですからね。

つまりこれらから見るに女王國は邪馬台国の代名詞と考えられるのであって
女王國が数多の国から合わさった連合国だとはどこをどう見ても書かれていないということです。
599日本@名無史さん:2011/05/30(月) 10:19:37.90
「それでも邪馬台国は九州にあった」スレッド、誰か立ててよ。
オレはダメだった。
600日本@名無史さん:2011/05/30(月) 12:28:03.23
大阪人さんは何がいいたいのだろうか?
概略図があると分かり易いと思うけどな……。
601日本@名無史さん:2011/05/30(月) 12:36:21.02
>女王國に属しているはずの伊都国が女王國より北にあるんですからね。

何言ってるんだ?伊都国には代々王がいるのだから
協力関係にあるだけで属してないだろw
それに女王国との境界線が奴国なら、記述を裏付けてるだろ。
602日本@名無史さん:2011/05/30(月) 12:54:02.25
>おかしいですね。女王國に属しているはずの伊都国が女王國より北にあるんですからね。

?どこが可笑しいのだろうか
素直に読むと、北にある伊都国が女王国に服属している、という事だろう。
どこか日本語が変か?
わざわざ、必要以上にややこしく考えすぎなんじゃないの。
603日本@名無史さん:2011/05/30(月) 14:25:43.29
>>599
オレも、いつのまにかLv=1になってて立てられなかった。
604日本@名無史さん:2011/05/30(月) 15:30:41.58
>>600,>>601

大阪人氏は「女王国」は邪馬台国の代名詞であると言っているのである。説明がやや分りにくいようだが、
まともな解釈である。

>>601
>それに女王国との境界線が奴国なら、記述を裏付けてるだろ。

奴国は女王国に接するという解釈かな?女王国以北の国として對海国、一大国、末盧国、奴国、不彌国、投馬国
が記述されているのだが、どうして奴国が「女王国との境界線」になるのだ?おかしいだろ。
女王国(邪馬台国)の北側に投馬国があるのだ。
605日本@名無史さん:2011/05/30(月) 15:46:09.66
倭人伝の解読ごっこのバリエーションか。つまんね。
606日本@名無史さん:2011/05/30(月) 15:50:06.33
>>605
倭人伝を正しく読めなければ話にならん。つまんねと言う君は正しく読めるのか?読めないからついて行けない
と言い給え。
607日本@名無史さん:2011/05/30(月) 15:52:56.20
>>604
投馬国が女王国の北にあるなんて書いてないよ。
女王国は万二千里から始まる、伊都国からは千五百里から女王国だ。
水行20日の投馬国はそれよりも南になる。
だいたい、女王国以北の国は伊都国に置かれた一大率の検察を受けていたんだ。
北九州から水行20日の遠方にある国を一大率が検察できるわけがない。
608日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:02:07.03
は〜、
投馬国は戸数が略載されている女王国以北だろう。
普通に定められた公式ルールに従って文を読まなければ、公には通じないよ。
私的解釈が出てくると複雑奇怪になる。
609日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:04:17.84
先ずは、とにかく、公の模範解答のみを言ってくれ。
その上で、私的解釈をいえば良い。
違いをはっきりさせろ。
610日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:14:51.30
>>607
ちょっと、ちょっと、邪馬台国の水行10日、陸行1月はどうなっちゃったのよ?
邪馬台国は余裕で投馬国の南になるよ。
あくまでも、普通に読んだ場合ね。
611日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:41:37.03
>投馬国は戸数が略載されている女王国以北だろう。
女王国以北の国々について戸数道里が略載してあるというだけで、略載している国が
女王国以北だというわけではない。女王国以北か否かは万二千里よりも北かどうかで
判断すべき問題なんだよ。でなければ、邪馬台国も投馬国も伊都国に派遣された一大
率が厳しく検察し、その一大率を畏れるなんて妙なことになってしまう。
612日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:51:11.20
>女王国以北の国々について戸数道里が略載してあるというだけで、略載している国が
女王国以北だというわけではない。

日本人に通用する文章を書けよ。
試しに誰かに読んでもらいな。可笑しいといわれるから。
613日本@名無史さん:2011/05/30(月) 16:54:10.70
わかりにくかったかな。ちょっと補っておこう。

略載している国が女王国以北だというわけではない。→略載している国の全てが
必ずしも女王国以北だというわけではない。
614日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:09:40.35
>>606

つまんねーからつまんねーって言ってるんだよボケ。
魏志倭人伝なんてもう誰も興味ねえよ。
テレビでも歴番組は多いが、邪馬台国とか卑弥呼なんてここ何年も見てないぞ。
戦国時代、大奥や新撰組に比べたら、はるかにマイナー。
なに?魏志倭人伝は正しく読めて、邪馬台国がどこで卑弥呼が誰だとか、
それがわかったところで、なんだっていうんだ?
なにが面白いんだ?誰が喜ぶんだ?
いってみろコラ!
615日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:12:58.97
>略載している国の全てが必ずしも女王国以北だというわけではない。

なして?

女王国以北の国々について戸数道里が略載してあるというだけで、略載している国の全てが必ずしも女王国以北だというわけではない。

この文章になったとしても非常にまどろっこしい文章だと感じないのか?
つーか、普通にシンプルに読んでくれよ。悩ましい読み方を披露しないでくれ。
616日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:17:15.69
女王国以北の国々について戸数道里が略載されている。しかし、略載されている国が必ずしも女王国以北だというわけではない。

ってどういう状態なんだ?

617日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:30:24.34
>>614
邪馬台国関係の番組やると、意見や抗議が多いらしいな。
畿内説は特にうるさいらしい。畿内説寄りでないと許さないらしい。
618日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:40:17.42
>>617

根拠は脳内ソースか…
619日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:41:49.70
>>614
てめ〜の頭にゃ糠味噌が詰まってんのか?ここは「邪馬台国どんと来い」スレだ。どこから迷い込んだ馬の骨か知らんが、
大きな口叩きやがって、承知しね〜ぞコラ!とっとと出て行きやがれ、ドアホ。
620日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:54:49.94
>>619
戦国時代、大奥、新撰組が人気なのは、
世の中のサラリーマンや主婦に、その時代の人間の生き様が共感呼ぶからなんだよ。
じゃ、邪馬台国の卑弥呼はなんだ?
変な妖術使いのばあさんだろ。で、中国のケツ舐めてたってんだから、人気でるわけないか。あはははは。
621日本@名無史さん:2011/05/30(月) 17:57:57.91
邪馬台国問題はミステリーではあるよ
だからこんなに一人歩きしている訳で
622日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:05:56.50
邪馬台国趣味はトンデモを言ってるぶんには金かからんからな。
623日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:07:02.83
>>620
>戦国時代、大奥、新撰組が人気なのは、
>世の中のサラリーマンや主婦に、その時代の人間の生き様が共感呼ぶからなんだよ。

そんなことは関係ない。倭人伝にその時代の人間の生き様が描かれていると思う者はここには居ない。
小説じゃないんだ。そんなこともわからないのか?とんちんかんな奴だな。

俺たちは畿内派と九州派とその他派に分かれて喧嘩してるんだ、この野郎!!引っ込んでろ、ダーホ!!
624日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:28:46.03
>>623
>俺たちは畿内派と九州派とその他派に分かれて喧嘩してるんだ

現実には既に畿内説で決着してしまってるけどな…

戦争終わったのを知らずに(あるいは認められず)ジャングルに篭って戦い続けているのがここの九州説・・・
625日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:29:08.20
>>623
>俺たちは畿内派と九州派とその他派に分かれて喧嘩してるんだ、この野郎!!引っ込んでろ、ダーホ!!

一般人が興味を示さないゲートボールみたいな趣味なんだな。
どっちが勝っても虚しいだろ。誰も注目してくれなくて。

626日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:58:35.35
>>624
>現実には既に畿内説で決着してしまってるけどな…

わかるよ、その気持ち。虚勢を張らないと・・・

>>625
ベ〜つにイ。誰かに注目して貰いたくて喧嘩してるんじゃね〜よ。おめ〜、暇だからってくだらん茶々
をいれ続けるなら、ぶっ飛ばすぞ!!なんなら串刺しにして炙ってやろか?この野郎‼‼‼‼
627日本@名無史さん:2011/05/30(月) 18:58:40.31
>>608
投馬国は戸数はあるが里数は記されてないけど。
628日本@名無史さん:2011/05/30(月) 19:06:56.71
>>615 >>616
分からんやっちゃな。
女王国以北については、全部の国について戸数道里が書かれているんだよ(魏使は
女王国以北の国は対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国だけだと考えて
るわけだ。)
女王国以北でない地域については、投馬国、邪馬台国について書けただけで、
旁国については書けなかったということ(「其の余の旁国は書けなかった」とある
だろ。)。現実に書いている投馬国や邪馬台国のことは誰がみてもわかることだか
らわざわざ「2国について書けただけで」とまでしつこいことは書いてないのさ)。
629日本@名無史さん:2011/05/30(月) 19:16:58.30
九州派を隔離して笑うつもりだったが
ゴール寸前まで行っちまったな。

コテさんたちが無音なのが不気味だ。
630 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/05/30(月) 19:29:43.12
中には本職の方もおられると見受けられるが、
まさか、いまごろ本や記事書いたりしてないだろうな?
631日本@名無史さん:2011/05/30(月) 19:30:31.01
コケ猿の壷探し
632日本@名無史さん:2011/05/30(月) 19:58:18.59
このスレに本職いるの?
考古学者?そっち専攻の教授や学生とか?

まー。いたとしても、トンデモ系の歴史モノ書きか?
いやいや、邪馬台国スレのレベルの低さからしたら、トンデモのプロにもなれない、
ゴミクズ連中ばっかりか。
633日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:00:22.39
たしかに、ゴミクズ連呼してるような奴はいるな。
634日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:02:54.69
>>632
2ch はどの板、どのスレでもゴミクズばかりだ。ここは公衆便所、世間のゴミ溜め。
偏屈老人と狂信者、アスペのニートと生活保護の在日、身寄りのないアル中、そういう人の
吹き溜まりだ。2ch に何を期待する?仲間と見られたくなければ出て行くことだな。
635日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:04:06.09
>>629
見ないふりをしてるんだから突っつくなよwww
636日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:28:17.89
目クソと鼻クソが喧嘩して、
どっちかが、相手を言い負かしたとして、
それで、なにか得るものがあるのかね?

九州説派が議論に勝ったからって、誰も君を賞賛しない。
畿内説派が証拠をつきつけたって、誰も君を注目しない。

所詮は自己満足の世界だろ。
637タイガーマスクU:2011/05/30(月) 20:30:44.85
卑弥呼女王が妖術使いのバアさんだって?無礼者!
鬼道がどうのという者もいるが、実は違う。卑弥呼は霊感によって未来を見る
ことのできる霊能者だったと考えられる。今の世でも霊感占いで有名な女性が
いるが、そういう人達に近い。
政治面では弟やナシメ、ツシゴリなどが担っていたのただろうが、彼女は霊感
によって邪馬台国の危機や他国の動きをかなり高い確率で当てることができた
のだろう。
魏と交流を図ったのも日本列島内の敵対国を倒すために魏の進んだ文化を取り
入れようとしたからで、けっしてただ頭を下げていたわけではない。その証拠
に魏は答礼使節団を送り込んできた。古代に中国が答礼使節団を送ってきたの
はこの時だけ。ここに卑弥呼女王の非凡が現れている。
このような優れた女王が3世紀にいたというのは日本の歴史のトピックであっ
て、既に底の割れた戦国時代や明治維新の頃よりはるかに面白い。
この面白さが判らない人はこの板から降りなさい。
638日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:31:26.33
>>636
底辺者のうさ晴らしだ。皆わかってやってる。お前はわかんないのか?
639日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:33:14.66
>>628

ますます説明がわからん。
投馬国はその他の傍国ではないぞ。勝手に一緒にするな。わけが分からなくなる。
対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国と同じく女王国以北の国だ。
つーか、邪馬台国まで書いてる順番に追って行けよ。
普通の感覚で読めよ。因みに学校の漢文の教師に聞いてみろよ、君のように読む教師はいない。
君は特別な読み方をしている、という事を自覚してから話せ。それからこういう考え方もあると話してみろ。
要はもっと客観的になれ。分かってもらいたかったらな。
640日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:35:01.07
>>638

なんかもう、見苦しいんだよね!
俺が俺がって、なにか真実に到達したかのような妄言を長文で書いちゃったりしてさ。

あ〜コイツの人生終わってるんだな〜って思うだろ。ふつー
641日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:43:17.79
>>640
死ねや、出て行けよ 最低クズ
642日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:48:41.73
やっぱさ〜
謎解きにマジになるのって、人生の成功者じゃなくて、底辺でヒマなやつだよね。
社会的に自分の存在価値が見いだせなくて、
歴史の謎を自分だけが解き明かした!って妄想にすがらないと、生きていけないっていうか。
邪馬台国にハマるひとに老人が多いのは、そういうことなんだよね。
643日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:50:24.64
> 吉野ヶ里が邪馬台国なら、卑弥呼は朝鮮半島人だよね?

などという書き込みがありますが、
当時の朝鮮半島の国で、女性に人権のある国は存在していません!

いまでも韓国では男尊女卑がひどいです!
半島人にとって女は強姦するために存在しているのです。

それは、テレビドラマの「チャングム」などを見てもわかるはずです。
朝鮮は完全な男性社会なのです。

ですから、卑弥呼が朝鮮人なわけありません!
結論として邪馬台国は畿内にあったということになります。
644日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:06:30.76
もう決着はついてる。今時九州説を口にする考古学者はいない。いや、口にするのは恥ずかしいだろう。
納得できない輩が2CHに流れてきている。今や、トンデモの乱舞台にされている。
そして、学会で全く相手にされなくなったトンチンカン九州説はネットの世界でたくましく生き続けて行く事になる。
645日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:15:40.83
九州説って一人一説って感じになるのはどうしてなのでしょうか?
どうして統一見解がないのでしょうか?
どうして人それぞれ違ってしまうのでしょうか?決定打がないのでしょうか?
教えて下さい。
646日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:28:05.11
>>645
自分で考えているからだろう。
畿内説の考古学は、発表されたものを鵜呑みにするしかないので同じになる。

>>644
考古学者が邪馬台国について語るのが恥ずかしいことなんだが。
石野氏なんかは、「考古学的には邪馬台国は存在しない、だから私は邪馬台国について
語ったことはほとんどない」とか言っていたくせに、近年は語りまくり。
647日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:34:21.65
>>646
>自分で考えているからだろう。

人はそれを「妄想」と呼ぶ。

648日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:36:21.47
>>646
>「考古学的には邪馬台国は存在しない、だから私は邪馬台国について
語ったことはほとんどない」とか言っていたくせに、近年は語りまくり。

別に恥ずかしい事ではないのだが、雑音がどっと増えるからです。
でもつまりね、もう既に結論は出たという事ですよ。


649日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:48:45.82
「考古学者は邪馬台国を語ってはいけない」、なんて決まりがあるのか?
憲法が認めている言論の自由に反するのではないか?
650日本@名無史さん:2011/05/30(月) 21:51:15.12
>>648
考古学で分かった弥生時代の国というのがあるのかね。
考古学でそんなことがわかるなら、弥生遺跡が何という国だったか全部わかるはず。

はっきり言って、考古学では固有名詞なんか出てこない。固有名詞はあくまで倭人伝からの借り物。
でも、邪馬台国だけはわかるのが、畿内説の考古学というわけで、笑ってしまう。
651唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/30(月) 21:51:59.33
>九州説って一人一説って感じになるのはどうしてなのでしょうか?

3世紀後半、福岡西新町遺跡に庄内式土器が存在する。
これを認めない九州邪馬台国説であるが、これ以降九州王朝の王都が存在しない。
だから一人一説となる。しかし、大和に乱は無い=卑弥呼はいない。
652日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:03:51.79
なんというか、畿内派が思い通りにならないから、
文献無視の立場というのは周知のとおりだが、

2chの議論無視の立場も取り始めたのか?
653日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:10:54.78
全国各地、台風から変わった
低気圧の影響で大変みたいですね。
奈良は、また小雨でした。
これは紀伊山地の恩恵なんだけど、
だから昔の人はここに都を置いたんだろな
654日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:12:12.55
よく読んだら、邪馬台国の話題そのものを無視する立場のようだな。
655日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:12:26.74
>>639
>邪馬台国まで書いてる順番に追って行けよ。
確かに多くの人は、そのように読んでいるね。しかし、その結果が、邪馬台国も一大率の検察に
畏れおののいているとかいった奇妙な結論に至るわけだ。
一大率はあくまでも女王国から派遣された地方官にすぎない。倭国全体を検察しているならば伊
都国なんぞに治所を置かず、邪馬台国中央に置くだろう。伊都国にいて検察しているということ
はそのあたりだけを検察しているということなんだよ。
倭人伝が何のために「其の余の旁国は書けない」と「旁国」(これは小国のことだぜ)という限
定を置いたのかだ。大国である投馬国や邪馬台国は書けるからなのだよ。そのことに気づかない
といけない。
656日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:15:28.08
だれか、それ邪馬九州【道場】立てて下さい。
こんなところでは楽しい議論になりません。
お願いします。
657唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/30(月) 22:23:34.79
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵。遠国をまとめる為、魏の政治手法「屯倉」導入。
使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。

これが西新町に庄内式が存在する実態である。
658日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:24:14.23
>>652
>なんというか、畿内派が思い通りにならないから、

畿内説は、なにも困ることはないけど?

思い通りにいかない負け組みは九州説でしょ。ぷっぷー
一人一説って笑える。
自分だけが正しくて、後は全部間違いだーって思ってるわけでしょ。
社会性もなにもないね。
659日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:27:43.97
>>656
だったら西都原道場にでも行ったら。
あそこも九州説じゃん。
660太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/30(月) 22:29:08.72
臣下 伊支馬≠垂仁天皇

神国日本では、大陸の易姓革命での下克上と神国での戦国時代での下克上
はあっても、天皇への下克上は絶対無い。つまり臣下は天皇には絶対なれ
ない。つまり等号は成立しない。
661日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:34:56.76
>>645
妄想は人それぞれ違うくなる。
九州説が一人一説になるのは当たり前の話。

正しい答えは一つだけ。
畿内説が巻向に集中するのは当たり前の話。
662日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:38:04.01
畿内説の問題は、
なぜマキムクなのかが説明できないだけだ。
663日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:39:21.48
徳島でもいいんだけどね。
664日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:41:20.83
阿波のわ、が倭に繋がるといったのは水銀厨さんだっけか。
665日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:42:00.85
やっぱ徳島だろ。

九州とか言ってるやつは30年前から頭が硬直してるんだよ。
666日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:45:01.37
@自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
A王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國、及郡使倭國、皆臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。

@から分ること
一大率は諸国を検察している。諸國畏憚之とあるので、武力行使を許された警察長官みたいなものであろう。
警察であるから投馬国はもとより邪馬台国(女王国)も検察したのであろう。

Aは一大率の特殊任務である。郡使や魏使は当然この任務を目撃したので特に記した。
667日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:46:30.74
>>662
虚しい言動は止めた方が良い。君の為にいう。

昨今の巻向発掘状況下では、逆に君の哀れさが際立つだけだ。
楽しいか?
668日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:49:17.25
明らかに、世の流れがはっきりしているのにね。
馬鹿じゃない限り分かってる筈だけど。
669日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:53:50.29
>>668
虚勢だよ、虚勢.
言わずにはいられないくらいに悔しいのだよ、きっと。
670唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/30(月) 22:54:21.27
>なぜマキムクなのかが説明できないだけだ。

文献の存在しない 崇神時代=卑弥呼時代。
文献、考古学に合わせるには、崇神を2世紀末からとせねば成らない。
崇神五,六年=新羅192,3年。
210年 任那建国。新羅209年伽耶に援軍。三国遺事541年時点で建国330年。
671日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:55:21.56
マキムクの遺跡(前方後円墳、掘ったて柱跡など)の年代を明確にしてからでないと話にならんだろう。
庄内式土器の年代も本当は不明だろ。なにが畿内で決まりだ?アホか!!
672日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:00:17.40
>>666
>警察であるから投馬国はもとより邪馬台国(女王国)も検察したのであろう。
警察の役目をするのは大倭だと解釈されているようだ。一大率は刺史の如くある、つまり
地方長官のようだとされる。ということは、倭国全体を検察するのではなく、検察対象は
対馬国から伊都国、奴国、不弥国までなんだよ。一大率が投馬国や邪馬台国も検察するな
どと説く学者はまずいないと思うが、みつけたかい?
673太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/30(月) 23:04:52.70
崇神5,6年≠新羅192,3年

上は、等号は成立しない。当時クィーン・エリザベス号の1/3の
乗員になる1000人もの多勢を乗せる船舶は製造されていない。
船舶の始めて製造されたのは紀の崇神17年という10年余後である。

おまけに飢饉災害で全員飢餓であるから、到底千人も大陸へは渡海
できない。若狭湾へ至る前に共食いを兼ねて野垂れ死にだ。3/11の
災害でも、ガソリンがなく遠行けなくて困っているとの被災者の
苦渋の語があることからも、当時は自動車、新幹線、航空機も
ガソリンも無いことは、千人の半島渡海を大きく阻むのが知れる。

卑弥呼が景行年代になる文献は存在しない。
天津神算木の測りから、 崇神元年=237年 である。
674日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:05:41.49
考古学者もダブルスタンダードなところがあってね。

前方後円墳の広がりが、ヤマト王権の支配下に置かれた地域とするのが一般的だが、
それなら、朝鮮半島の5世紀の前方後円墳はどう説明するのかと。
百済も、ヤマト王権の支配下にあったというなら辻褄が合うが、
そんなことをいう考古学者は誰もいない。

百済が、ヤマト王権の支配下になったことがなく、前方後円墳だけ受け入れたというなら、
4世紀の日本でも同じ状況と考えられなくもないだろ。
東北や九州は、前方後円墳だけ受け入れたが、けしてヤマト王権の支配下にあったわけではない、とみなすことができる。

誰か反論できるかね?
675日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:06:33.27
畿内説の学者のなかで畿内説を本気で信じていそうな人っている?
いないと思うけど・・・
676日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:11:32.74
九州説の学者のなかで九州説を本気で信じていそうな人っている?
いないと思うけど・・・

677日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:15:38.74
>>674
畿内説論者は、結論を先に決めておいて、それに合わせて論を立てているだけなんだよ。
墓の大きさが政治的地位の上下を示しているとか、銅鏡の頒布の中心にその頒布をした
権力者がいたとか、全て本当のところは眉唾的な話ばかりだ。
678日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:16:40.00
>>676
んなこたない。
著書を読めば九州説の学者は大半が本気と分かる。

一方、畿内説は都合の悪い部分をスルーしまくりなので、本気と思える人が見当たらない。
三角縁舶載説への批判はタブー(絶滅危惧種をいじめちゃいけない??)
マキムクで一般住居跡がほとんどないこともスルー
年輪年代の問題性にもスルー

その他、畿内説に都合の悪いことは言わない約束があるかのように振る舞うので
「コイツは本気じゃないな。」とすぐに分かる。

政治力だけでなんとかハリボテを維持しているのが今の畿内説。
学部の学生の大半が見捨てているのが畿内説。
教授を目指している人だけが信じる(ふりをする)畿内説。
679日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:17:17.96
>>672
大倭も警察の役目に近い事を行うが、主として市の監察が仕事である。一大率はそれよりもより政治的な面の
強い業務を行うのであろう。例えば徴税の業務に不正がないかを調べたり、叛逆行為を調べたりなどである。
密貿易の取締りなども行ったであろう。こういう仕事は女王が支配する国々全てにおいて行われた筈である。

>一大率が投馬国や邪馬台国も検察するな どと説く学者はまずいないと思うが、みつけたかい?
居ないね。学者と言ってもね〜。
680日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:23:09.84
>>678
無駄な足掻きは止めておいた方がいいよw
681日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:25:20.79
>>679
女王が支配する国々全てにそのような実力部隊がいたことは考えられる(軍が
軍事、警察を兼ねていたのではないかな)が、その全体を統括する者は、邪馬
台国本国にいただろう。一大率はあくまでも女王国以北に限定されている。邪
馬台国から遠いから、本国からでは目が届かないので、一大率が置かれたんだよ。
682日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:26:55.09
>>680
貴殿は畿内説派と思われるが、庄内式土器の年代は判明していると思うかね?
683日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:27:09.95
古墳は、戦国時代あるいは江戸時代の城と似たような意味合いかもしれないな。
文献がなかったらいろんな想像が可能だが、特にたいした意味もない。

九州で言えば、日本三名城にも数えられる熊本城に注目が集まり、ああだこうだとなるのだろうが、実は
城らしき城もない島津の方が強かったりする。こんなのは考古学では出てこない。
考古学は、すごい城を持っているから強いみたいな基準を勝手に作ってそれで論じなくてはならないわけで、
そこに危うさがある。
684日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:32:21.00
おまえらがいくら九州だ九州だと泣き喚いても世の中なにもかわりませんから。
685日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:36:11.28
>>684
いや、そんなに泣き喚かなくても………

君が畿内説の優位を語ってくれてもいいんだよ。
そのほうが建設的だろ?
686日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:37:36.49
>>681
貴殿は「自女王國以北、特置一大率」をどう読むのかね。自は起点を示す語であるから女王国も含まれるのである。
一大率は女王直属の警察長官であるからもちろん女王(邪馬台国首脳)の指令によって動くだろう。一大率が本拠を
伊都国に置いたのはここが郡や魏との通交の窓口であるからであり、その配下の組織は各国を巡回して検察していた
のであろう。
687日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:39:38.03
熊本城が建ったのは1612年。
戦国時代はとっくに終わってるし。
意味の無い例えだよなあ。
688日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:40:47.30
>>682
>庄内式土器の年代は判明していると思うかね?
そんな大した問題かな?文献資料的にも九州には無いと思うね。


689日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:41:09.13
九州説は、畿内説なんぞ問題にしていないんだよ。いくら頑張ったところで考古学的に
決め手なんぞでるわけはない。これまで、ヤマトだ、纏向だと見当をつけて調べてきた
のにまったく進まないんだから、もうそろそろ見当違いだつてことに気づくべきだ。
今までの学説の混乱は、伊都国の比定を間違えていたからだよ。末盧国から東南五百里
というのに、東北に伊都国を比定してそれが絶対だと思い込んでいた。倭人伝どおりに
進み、有明海沿岸に出ることを考えれば、あとは倭人伝どおりスムーズに投馬国、邪馬
台国を比定できる。九州説は倭人伝どおりで何の問題もなし。畿内説がのたうち回って
つぶれていくのを待ってるだけでいいんだ。
690本田:2011/05/30(月) 23:43:05.00
歴史における「真実」とは
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-17.html
東京帝国大学の黒板勝美教授は「朝鮮総督府朝鮮史編修會」の顧問であり、
朝鮮史改竄の首魁と見なされている人物である。
その黒板勝美の直系の弟子にあたるのが日本歴史学会の最高権威の一人東京大学の坂本太郎である。
坂本太郎の言葉に「古代のある事件について幾つかの史料がそれぞれ異なったことを延べている時は
『日本書紀』の記述を基準にする。」というのがあるが、
現在、我々が読んでいる「日本書紀」は黒板勝美が編集したものなのである。
691神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/30(月) 23:43:58.63
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       | ::::::::/   \    、_, _.,.,_ ノ::: !   内閣不信任決議案が可決しますように
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692日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:45:11.68
>>689
一月行の短里換算で
九州内に収まるのは確実になったからね。

細かいところを調整する必要はあるだろうけど
ありえない矛盾は完全になくなった。
693日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:46:55.25
>>689
なんだ、考古学を知らない人だったのか。聞いて損した。
694日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:48:40.20
>>693
無知な人間が口を出すと恥をかくぞ。
695神無月未婚:2011/05/30(月) 23:48:45.37
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696日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:51:29.56
>>689
君がいくら一人頑張っても所詮九州になんて邪馬台国はないんだよ。
あるのは大国の奴国であり伊都だ、多分投馬は南九州の事だろう。

九州王朝も否定しないよ、多分伊都辺りからの流れで。
でもヤマトはヤマトでしかないという事。
697日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:54:01.24
九州説の総本山だった東京大学が手を引いた時点で決着は付いてたんだろうな。
698日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:57:58.11
東京大学はバカばっかりだからな。
699神無月未婚:2011/05/31(火) 00:00:06.50
東大は文献主体だったから、文献がいきづまった時点で離脱した。
700日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:01:58.72
九州に邪馬台国がある、そう考えてる時間だけ人生を無駄にする。

九州に邪馬台国があるなしに関わらす、自分の人生になんの恩恵も与えない。
賞賛されることはなく、他人の反応は、無視か罵倒。
それでも九州説を信じなきゃいけないのはなぜ?
なにが、そうまでして、自分を悲劇に追い込むの?
けして実らぬ夢なのに。

701本田:2011/05/31(火) 00:02:54.79
伊都国歴史博物館 - 糸島市ホームページ
http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/33/hakubutsukan.html
702日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:05:49.51
畿内説の人間は、実のある論争を避けている。末期症状だな。
703日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:07:23.78
九州説は間違いなんだから、いさぎよく手を引きなさい。
九州説が間違ってたから、それが何なの?
九州説を夢見てた間の自分の時間が無駄に終わっただけ。
それだけだよ。
金銭的な損害とかも何もないよな?九州説の本を買いあさってたりしなければ。

もうこのへんがしおどきだよ。
世の中もっと、楽しく面白いことも多いよ。
歴史が好きなら、意地を張らずに畿内説を学べよ。
知れば知るほど、九州説よりも、もっと面白いよ。
704日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:12:37.13
>>703
わかりますた
705日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:13:21.84
考古学に少しでも興味があって、
博物館にいくことがあったら、学芸員と話す機会もあるだろう。
学芸員はみんな気さくな人だから、こっちの素朴な質問にも丁寧に答えてくれる。
学芸員のほうも、自分の知ってる知識を惜しまず話してくれるよ。

でも、そこで、九州説の話をしたり、卑弥呼が九州のどこそこにいたなんて話をしようものなら、
学芸員のほうも、「あ、そういう人か」と、軽くあしらうようになるよ。
関わると面倒だし、いくら説明しても、九州説に優位な話ししか聞こうとしないから、疲れるしね。
それで結局、有意義な話が聞けなくて損をするのは、きみらのほうなんだよ。

もう、九州説を信じてる人なんて、どこでも厄介者でしかないよ。
誰もまともに話しなんてしようとしないよ。
706日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:19:55.47
ところで、畿内説ってのを
分かりやすく解説してくれると嬉しいな。
畿内説の人も増えるかもよ。
707本田:2011/05/31(火) 00:20:58.96
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。
四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに前人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。
東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。
官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。
三十王有るも皆女王國に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。


●伊都国
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya333h.htm
大率だいすい[呉音]

「桓檀古記〜大震国本紀」日本には、もと伊国があった。伊勢(石上、磯城)ともいい、倭と隣り合った。
伊都国は筑紫にあり日向国に服属していた。その東は倭に属した。その南東は定羅に属した。

 ※ 伊都国は磐余の古邑である。


日向国を女王國に比定すればいいんだ。
日向国は30人の王がいる邪馬壹(懿)国の首都だ。
708日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:24:46.22
畿内説の連中は九州説に反論できなくなれば暴れだす

見ろ。明らかに人格否定までしている奴がいるぞ

まあ畿内説の連中というのは失礼か。多分一人ないし二人が連投してるだけだろうし

しかしただの2chの議論で何がそこまで彼を怒らせるのだろうか

本当に畿内説を信じているのなら、その高説を垂れて九州説を説き伏せればいいだけなのに

ただの誹謗中傷を繰り返すということは、みなまで言わずともわかることだな
709日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:27:57.74
>>686
>自は起点を示す語であるから女王国も含まれるのである。
そうとは限らない。起点を含むときもあるが含まないときもある。
魏志東夷伝の濊伝に「自單單大山領以西屬樂浪。自領以東七縣都尉主之」とあるよ。
これは起点を含んだらおかしなことになるだろ。
710日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:30:53.99
「日本」の元の意味は祭壇である
朝鮮半島の北部、高句麗の辺りは太陽信仰が濃かった
「石上」「磯城」も祭壇である
711日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:31:14.33
見ろ畿内説の奴が言ってる言葉を

根拠は何も言わないがとりあえず九州説はありえない。
同じく根拠も提示せず畿内説万歳。
九州説には脊髄反射で誹謗中傷。
九州説は全国で嫌われていてる。
九州説は偉大なる畿内説を学べ。

まるでどこぞの民族を彷彿とさせないかね?

畿内説は可哀そうだ。こいつ1人?のおかげで大いに誤解されるだろうから。
712日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:36:27.44
畿内説を擁護もできない畿内説派のおかげで
畿内説は地に落ちたなあ。
713日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:37:28.74
九州説を信じてた自分がバカだったよ。
おかげで目がさめた。

思い返せば、九州説の何が良かったんだろう?
良かったというより、畿内説への反発かな?
魏志倭人伝を素直に読めば、九州説が当たり前なのに、畿内にあるわけないのに、学者は畿内だというから、
ちょっとフテくされてたんだな。
子供じみてたよ。
714日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:39:48.91
>>713
あいかわらず中身がないねえ
畿内説すら理解してないんじゃない?

それで九州説を批判してたのかい?
715日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:43:34.23
ネットをのぞけば、みんな九州説だから、安心してたところもあったんだけど、
でも、違ってたんだね。
みんな、本当は、本当のことわかってなかったんだ。
本当のことを知りたいと思っていろいろ調べてみたけど、みんな言ってることがバラバラで、
結局、誰も何もわかってなんかいなかったんだ。

九州説に夢を見ることができた、あの頃が懐かしくも思えるけど、
もっと早く、九州説から抜け出せたなら、もっと違った人生だったかもしれないな。
716日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:45:35.42
これだけは言える。

九州に邪馬台国は、無い。
717日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:46:57.78
>>715

つまんない

根拠がある批判ならそれなりの対応するけどね
根拠が一切無いからおもちゃにされる。
そして、本来の良識ある畿内説派からも助けが入らない。
ちょっと甘いと思うよ。

口先だけで状況が変わるほど甘くはないよ。
718日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:47:46.77
>これだけは言える。
うん、理由は言えないってことだね。
719日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:50:44.82
いまとなっては、九州説の人がどうして九州説なのか、不思議だ。

自分でマインドコントロールにかかってるみたいに、
壁に向かって一人でぶつぶつ念仏を唱えてるような。
気味が悪いよ。
720神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/31(火) 00:51:59.88
邪馬台国九州説の人の名前は「金」「朴」「李」が多い。
「金・朴・李」と書いて「カネ・パク・リ」と読みます。
721日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:52:37.96
まさに念仏だねえ。

>>719 はね。

しかし、本当に畿内説の擁護すらできないんだな。
本当に畿内説なのか?
722日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:55:19.87
>>720

半玉さんでしたっけ。畿内説の擁護をお願いしますね。
723日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:58:53.15
畿内説の言うことが全部が全部正しいとは思わないよ。
でも、九州説は、もう正しいとは少しも思えなくなった。
わかるかな?たぶん、わからないだろうな。九州説にどっぷり浸ってるうちは。

あるときから、突然目が覚めるんだよ。
ああ、九州説って、なんだったんだろうかって。

いろいろと意地になって畿内説の言動を否定してばかりいたけど、
なかには、うなずける意見もあった。
と、いまごろになって気が付いた。

夢からさめたら、夢の内容を覚えてないように、
どうして九州説を信じられなくなったのか、その過程が思い出せない。

724日本@名無史さん:2011/05/31(火) 01:04:06.20
>>723
はいはい、あいかわらず中身がないねえ。
この程度なら書かなくてもいいんじゃないかな?

この程度なら書くだけ畿内説を愚弄することになるよ。
725大阪人:2011/05/31(火) 01:04:31.95
>>601
>何言ってるんだ?伊都国には代々王がいるのだから
>協力関係にあるだけで属してないだろw

「東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國」
女王国に統属するとおもいっきり書かれています。

>>602
すみません、言葉足らずでした。
詳しく説明すると
仮に女王國が数多くの国からなる連合国だとするのならば
その女王國に統属し、構成国たるはずの伊都國が女王國の北(女王國の領域外)にあるのはおかしいということです。
726日本@名無史さん:2011/05/31(火) 01:13:15.61
やっぱり、魏志倭人伝の、文面を引き合いに出して、
あーだこーだってやってるのが、
どうにも子供っぽくてウソくさくって、
ついていけなくなったんだな。

そんなの、1000人れば1000通りの読み方ができるじゃん。
1000人が全員違う場所を邪馬台国だと言ってるわけじゃん。
で、みんなが「俺はアイツとは違う。俺のほうが正しい!」って言ってるわけじゃん。
おかしいよね。そんなの。

九州説の人は、誰一人として、「あの人の言うことが100%正しい」って言ってる人いないもの。
俺だって、自分が一番正しいと思ってたよ。

でも、冷静に考えれば、おかしいよね。俺が一番正しいなんて。すごい思い上がりだよ。
九州説って、そういう変人ばっかりってことに気がついたって言うのかな。

727日本@名無史さん:2011/05/31(火) 01:19:09.60
そういうふうに、議論そのものを放棄しようとするのが、
ダメな畿内説だね。
子どもが議論に負けそうなときにちゃぶ台ひっくり返すのと一緒。

良識ある畿内説は、ここでグッとこらえて自説に有利な説を
一生懸命さがすんだよ。

他の畿内説の人がほとんどフォローしないの分かるかい?
728日本@名無史さん:2011/05/31(火) 01:45:14.13
>>725
あなたは統属国と構成国の区別がついていないようだね。統属国というのは、女王国の
外にあって女王国に従属する国、構成国は女王国の中の国。
女王国以北の諸国というのは、単なる統属国で、構成国ではないよ。
729大阪人:2011/05/31(火) 01:48:06.17
>>728
盗賊国と構成国の違いはどこに書いてあるんですか?
また構成国がどこの国だとはどこに書いてあるんですか?
730日本@名無史さん:2011/05/31(火) 02:56:14.89
>>645
以下たとえ話

 x+y=10

…この式は解けない、元が足りない、等式を成り立たせるだけの数値なら無限に存在する。
本来「解けません」というのが正解。

ある者は (x,y)=(1,9)と言い、ある者は(x,y)=(2,8)、ある者は(x,y)=(3,7)…と言っているのが九州説ということなんだろうとwww

731杭心棒:2011/05/31(火) 03:00:16.75
昨年11月に泉大津市で邪馬台国に関するシンポがあった。白石太一郎氏をはじ
め近畿説の大物学者が6人、パネラーを務めた。であれば議論の中身が近畿説
ばかりになるのはお判りであろう。
なぜ九州説の学者を呼んで正々堂々の議論をしないかと不満を持った会場の
人が質問をした。「近畿に邪馬台国が有ったなら東の海とはどこか」。
上記の学者ども、一人も答えなかった。答えられなかった。
近畿説敗れたり。近畿説が成り立つ余地は無い。
732日本@名無史さん:2011/05/31(火) 03:08:25.01
>>731
ここの畿内説の人間は、恥ずかしげもなく伊勢湾と言うけどね。
733日本@名無史さん:2011/05/31(火) 03:15:45.46
>>731 「東の海」厨
なるほど、だからやたら「東の海」に拘るのかw

九州説が畿内説をやっつけた瞬間。

その歴史的瞬間に自分は立ち会ったのだと(あるいは当事者か?)w
734日本@名無史さん:2011/05/31(火) 03:38:10.05
まず異論のないところから始めようじゃないか。

紀元前5世紀ごろ朝鮮半島を経由して、
大陸から九州へと水稲技術などの農耕生活体系が伝わった、
ということに異論はないよな?これは誰もが認めているところだから。

そして、紀元前5世紀から紀元前3世紀には畿内にまで
それらの農耕文化が伝わっていた、ということに関しても異論はないよね?
ここまではいいかな?
735日本@名無史さん:2011/05/31(火) 04:25:53.34
稲作は朝鮮半島経由ではないとも言われるな。
中国南部から大陸を北上して朝鮮半島に行くためには、中国の東北部を経なくてはならないが、
古代に寒冷地のあの付近で稲作は無理だろうということ。
むしろ、南西諸島伝いに日本に入り、日本から朝鮮半島に伝わったと考える方が妥当性があるとか。
736日本@名無史さん:2011/05/31(火) 07:12:03.93
>>734
俺も半島経由では無いと思うので既に異論ありだな。
737水銀厨:2011/05/31(火) 07:26:58.12
異論というか、現時点で三世紀末の時点で倭国を九州内のみ、
特に北部九州に邪馬台国のを求める説は
除外していい段階だと思いますよ。
738日本@名無史さん:2011/05/31(火) 07:29:08.48
>>735
中国東北部を経由しなくても、山東半島→朝鮮半島経由でもいける。

逆に、南西諸島伝いは可能性は低いという見解もある。
なぜなら沖縄には稲作の痕跡が残ってないらしい。
台風なんかで栽培が困難だったのかもしれないな。
739日本@名無史さん:2011/05/31(火) 07:29:37.25
三世紀末でなくとも、銅矛や銅剣の分布を見れば、四国、瀬戸内と深い関係があったことは
明らか。
740水銀厨:2011/05/31(火) 07:40:39.93
私はやっぱり瀬戸内東部説、倭国はここを中心にしているのは
記紀上その他でも疑いようの無い事ですから。
東の海は走水海、房総へ渡る海でしょうか。
741日本@名無史さん:2011/05/31(火) 09:41:15.82
>>740
記紀を元に邪馬台国の所在地を同定しようというのは、
最初から結論ありきの議論のような気がします。
邪馬台国=後の大和朝廷であるというのが議論の出発点になっているのですから。
742日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:06:22.34
記紀には出てこないものがやたらと出土するのが畿内ですね。
743日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:28:39.52
上のほうでまた「東の海」なんて話題が出てるが、
そもそも、九州にきた中国人が「東の海」なんて表記をするのがおかしいのであって。

日本海側から倭国をながめれば、関門海峡の先が瀬戸内海で海に続くとは認識できない。
九州と山口県は陸続きの、ひとつの島のように見える。

しかも、九州と山口県の倭人が、全く交流の無い倭種などと表現されるなどありえないわけで。
ほんとに、九州説の人間は独善的というか、広い視野で物事を見られないというか。
だから、九州の人間は外に出て行かないという話もうなづける。
自分が外に出て行く気持ちが無いのに、東遷説とかあきれ果てる。

744水銀厨:2011/05/31(火) 10:34:53.89
>>741
というより本来そういう認識だったはずですから。

>>742
記紀なんて国生みからしてどうみても畿内が舞台ですよ。
745日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:36:36.70
畿内政権が書いたから、畿内が舞台なのは当然なんだが、
なんで日向にしちゃったのかということだな。

畿内にいくらでも由緒ありげな山でも川でもありそうなんだが。
746日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:37:37.27
>日本海側から倭国をながめれば、関門海峡の先が瀬戸内海で海に続くとは認識できない。
>九州と山口県は陸続きの、ひとつの島のように見える。
魏使は関門海峡を見ていないんだよ。魏使に説明した倭人も、九州が島だということは知っていたが、
関門海峡を隔てただけで本州があることを知らず、東の海を渡ればまた島(四国)があると説明した
んだろう。
747日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:45:58.05
本州を知らずに四国を認識というのはさすがにネタとしか…
748日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:46:28.86
>>729
統属は従属するということで、そのものになることではない。伊都国は女王国に
従属するのだから、伊都国と女王国はあくまでも別の国だよ。だから、伊都国は
郡から万五百里にあるが、女王国は万二千里から始まるんだ。

>構成国がどこの国だとはどこに書いてあるんですか?
女王国は万二千里から始まり南の奴国でその境界が尽きる。その間にある国々が
女王国を構成する国だ。
749日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:56:27.10
東海道って、京からみて
東に向かう海側の道って意味だよね。
750日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:11:45.42
>>747
魏使の応対をした倭人がどこの人間か知ってる?
751日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:22:59.84
女王国は邪馬台国のことで、女王境界は女王を共立した30国全体。
752日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:28:05.74
>>750

大和だろ?
753日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:28:58.88
魏志倭人伝こと東夷伝は邪馬台国への官吏の道程を明らかにするための記述。
ならば侏儒国、裸国、黒歯国の記述もまた同じ。

尾張と美濃の国境は今でこそ多くの河川がコンクリートによる護岸工事で真っ直ぐに固定されているが
昔は大雨が降るたびに氾濫し形を変える塩度の高い海とも干潟とも言える湿地帯。

纒向から東国の侏儒国、裸国、黒歯国に向かおうとすれば伊勢湾を船で渡ることになる。
船を使わないならば大きく北上した上で何本も渡河しなければならな事は佐屋街道を見れば分かる。

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/015/329/36/N000/000/002/125406932954716406494.jpg

畿内説と云えども考古学者は地理的な考察が苦手なのかね。
754日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:37:11.29
>>753

美濃から尾張まで歩いて行くと思ってるとしたら、おまえのほうがバカ。
古代になれば、尾張は伊勢から船でいくものだ。

美濃から尾張にいく道などはじめからない。
尾張は東海道で、美濃は飛騨に向かう東山道だバカもの。
755日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:40:11.43
それに、ヤマトタケルの嫁になったミヤズヒメのいた尾張氏の熱田神宮は、
古代は島であって、船でしか行けないんだぜ。
756大阪人:2011/05/31(火) 11:48:41.89
>>748
>女王国は万二千里から始まり南の奴国でその境界が尽きる。その間にある国々が
>女王国を構成する国だ。

いやだからそんなことどこにも書いていないでしょう。
「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國・・・次有奴國、此女王境界所盡」
の言葉に矛盾すると思うのですが、根拠は何ですか?

女王の境界とは書いてありますが、國集まりて女王國を成すとか、女王國の境界とは何処にも書かれていませんよ
757日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:52:44.87
>>754
上でも書いたが、陸続きを海を渡ると書かれているのはおかしい。
例え普段水路を使うルートでも地理の説明をするときは、陸路で表記する。

そして侏儒国、裸国、黒歯国が勝手に東国になってるのがおかしいのだろう
758日本@名無史さん:2011/05/31(火) 11:55:14.82
>>754
どの部分に対してバカって言ってるんだ?
759日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:01:37.52
>>756
>「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國・・・次有奴國、此女王境界所盡」
>の言葉に矛盾すると思うのですが、根拠は何ですか?
どこが矛盾するのですか?

境界とは国境を表す言葉です。今はそれ以外に使うこともありますがね。
女王の境界は女王国の境界と同じ。勢力圏ならば境界などという言葉は不適当です。

760大阪人:2011/05/31(火) 12:03:13.82
>>740
記紀上淡路が初めにできたので淡路が邪馬台国の中心という考えでしたよね?
ならそののちに日向から神武天皇が東遷してきたのは何故?
邪馬台国が奈良にも広がっていたという主張でしたよね?
なら物部氏に支配され、後に神武に国を明け渡された大和土着の酋長長脛彦とは何者?

そして女王國が連合国ではないと>>597のレスで申し上げたのですが
それに関して、邪馬台国が九州から奈良まで駆ける連合国家という根拠は?
761日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:04:05.84
>>757
>陸続きを海を渡ると書かれているのはおかしい。

道程を書いているのだから別におかしくはないだろう。


>そして侏儒国、裸国、黒歯国が勝手に東国になってるのがおかしいのだろう

魏志倭人伝にそう書いてるだろ。
裸国、黒歯国は南東になるが、方角が傾いていると考えられているのは周知の事だ。
762日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:07:07.58
方角が傾いているんだから、実際には北東か北に海を渡らないといけないのかな。
763大阪人:2011/05/31(火) 12:13:41.04
>>759
女王國より北は戸数等を書けたが、他は書けない。というのです
ですから女王國の北とその他の国は同じ女王の境界内の国でしょう
これらを区別するには理由が必要ですがその理由は?

この場合の境界とは女王を共立した30國を表すのでしょう。
女王國という多数の国家からなる連合国家という意味ではありません。
というかそんなことはどこにも書かれていない。

>女王の境界は女王国の境界と同じ
倭人伝中で「女王」が「女王國」の意味で使われている場所はありません。
国という字を勝手に付け足しては解釈が成り立たないとおもいます。

また上でも言いましたが、簡単に戸数等を書いた女王の北の国も境界内に入ると思いますが
女王の境界が女王國の境界の意味ならこれはおかしい。
764日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:19:12.59
>>761
だから地理の説明がされるときに海を渡ると書かれているのはおかしいって言ってるだろう
道程って東の倭種の国には行ってないだろう。

しかも、陸続きを陸路ではなく水路を使うだけだから、渡海より水行の表記じゃないとおかしいだろう

方角が傾いてるという根拠はなんなんだよ、まさか4枚中1枚だけが不自然な15世紀の「混一疆理歴代国都之図」
じゃないだろうな?
765日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:25:43.79
親切で暇な人に>>764の相手任せた。
766日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:34:13.62
>>764

魏志倭人伝の記述が一字一句正しいと思うほうがおかしい。
「一大国」から、表記が間違ってることはわかるよな?
767日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:42:06.82
>>766
当時と今の発音が一緒とは限らないんだしその例えは不適
まあ壹の字がおかしいのはわかってるけどね。

素直に読めば普通に解釈できるところを、自分の都合に合わないだけで勝手に間違いだと決めつけて読み替えるのはおかしい。
どうしても矛盾するとかなら話はわかるがね。

ところで魏志倭人伝の何が間違っているのかな?
768日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:55:52.80
>>767
>魏志倭人伝の何が間違っているのかな

魏志倭人伝の正しさって、どれくらい証明されたと思ってるわけ?

九州説の間では、伊都国の場所すら定まってないようだが?
769日本@名無史さん:2011/05/31(火) 12:57:48.39
ただまあ、今見ることができる三国志は、陳寿が書いたものとは相当に違っていることは
認識しておく必要がある。

トルファン市で発掘された晋代の写本と考えられる三国志古本では、姚李農の研究によれば
「三国志巻五七虞翻伝・陸績伝・張温伝」の1192字中、「紹煕本」と画数の同じでないものが416字で
全体の1/3を越える。また、用語から見て「紹煕本」と異なるものが40句ある。
770日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:02:16.47
文献から証明しようとするなら、文献の正しさを証明する必要があるのに、
そこをすっとばして、「一字一句正しい」とみなして「素直に読めば」なんて言ってるから、
バカにされるんだよ。

いいかげんにバカらしさに気づいたら?
771日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:08:01.62
>>768>>770
で、文献がおかしいの可能性があるのはわかったから
どこがおかしいと考えてるの?

荒らしだとは思うがその自分に都合が悪いものは全て考慮に値しないって考えやめたら?
772日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:14:17.64
>>763
>女王國より北は戸数等を書けたが、他は書けない。というのです
>ですから女王國の北とその他の国は同じ女王の境界内の国でしょう
趣旨がよく理解できないのだが、もう少し説明してくれるかな。
「ですから」というが、北にも南にも女王国以外の国はあってよいだろ。

女王国は万二千里から始まる。それより北は女王国ではないよね。
その以北の国々については戸数道里を書けた、其の余(以北以外の地域)の旁国に
ついては書けない、ということですね。其の余については女王国と女王国ではない
国があると考えられますが。
773日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:19:00.79
>>771

文献が正しいという証明を先にしろといってんだよカス!
774日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:23:11.94
>>709
>>自は起点を示す語であるから女王国も含まれるのである。
>そうとは限らない。起点を含むときもあるが含まないときもある。
>魏志東夷伝の濊伝に「自單單大山領以西屬樂浪。自領以東七縣都尉主之」とあるよ。
>これは起点を含んだらおかしなことになるだろ。

別におかしくない。單單大山領を起点としてそれ以西は樂浪に属する。何が問題なのか?
775大阪人:2011/05/31(火) 13:25:23.35
>>772
女王國の境の国々の中で女王國より北の国々は書けたが他の国は書けない
ということは女王國の北の国々も女王の境の中の国々だということ

>北にも南にも女王国以外の国はあってよいだろ
別にあってもいいですよ

>女王国は万二千里から始まる。それより北は女王国ではないよね
そうですね。
正確に言うと女王國に萬二千里で至るです。女王国が始まるなどとはどこにも書かれていません。
そして女王國の南ないし東西にあると思われる旁国が女王國の一部だとはどこにも書いていないということです。

>其の余については女王国と女王国ではない。国があると考えられますが。
其の余りの国は全て女王国ではないでしょう。

改めて言いますが私は、女王国は邪馬台国の代名詞であって、多くの国からなる連合国家ではないという主張です。
776日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:28:07.84
大阪人氏の見解「女王国は邪馬台国の代名詞」に一票。
777日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:32:50.01
>>773
それ証明できんのかカス

邪馬台国を比定するために文献を参照してるのに、
文献を正しいと証明するためには邪馬台国を発掘しないといけない。

これは困ったなw

というか邪馬台国の文字は文献でしか出てこないわけで、その文献を全否定するのならなぜ邪馬台国板にいるんだ?
デタラメな文献にしか載ってない国のことをなんでお前が論争しようとしてるんだ?

まあ釣りの類なら俺が引っかかって満足かw
778日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:40:36.15
>>777

文献の間違いなら証明できる。

一大国は、一支国のことで、壱岐島のこと。

同じように、邪馬台国は、「ヤマト」と読むべきものであって、
おまえらの言う「素直に読めば」大和国のことだ。

それをわざわざ「ヤマタイ」などと曲解して読んでることの欺瞞はどうするつもりだ?
「台与」は、なぜ「タイヨ」と読まない?
779日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:42:42.70
>>775
>女王國の境の国々の中で女王國より北の国々は書けたが他の国は書けない
>ということは女王國の北の国々も女王の境の中の国々だということ
「女王国の中で」とはどこにもないよ。「女王国以北」が女王国を含むのか、含まないのか
ということは既に論じられていたがち、女王国は含まないと解すべき。
すなわち、女王国以北は、女王国でない国々ということだ。

>女王國の南ないし東西にあると思われる旁国が女王國の一部だとはどこにも書いていないということです。
それは先に答えたが、旁国である奴国につき女王の境界が尽きる所とあることから、それまでの旁国は女王
国を構成すると読むんだよ。

>倭人伝中で「女王」が「女王國」の意味で使われている場所はありません。
女王を去る四千里。これも女王国という意味だよ。



780日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:49:47.11
>>771

末廬国(秀吉の朝鮮出兵の拠点にもなった国際港の松浦半島4000余戸)
     │
東南に500里
     │
伊都国(居留地の糸島1000余戸)
     │
6東南に100里
     │
奴国(那の津のある福岡で戸数が非常に多い2万余戸)
     │
東へ100里
     │
不弥国(不明だが船で海沿いに先に進むなら北東方向になる1000余家)


このような推測から方角の記述が傾いていると考えられている。
781日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:51:35.32
>>778
>それをわざわざ「ヤマタイ」などと曲解して読んでることの欺瞞はどうするつもりだ?
>「台与」は、なぜ「タイヨ」と読まない?

イヨとかヤマイという説の人もいるね。

で、それをどう証明するのかな?、どういう条件が成立すると
証明したといえるのかな?

証明という言葉が独り歩きしているような気がするのだが。
782780修正:2011/05/31(火) 13:53:38.45
末廬国(秀吉の朝鮮出兵の拠点にもなった国際港の松浦半島4000余戸)
     │
東南に500里
     │
伊都国(居留地の糸島1000余戸)
     │
東南に100里
     │
奴国(那の津のある福岡博多で戸数が非常に多い2万余戸)
     │
東へ100里
     │
不弥国(不明だが船で海岸沿いに先に進むなら北東方向になる1000余家)


このような推測から方角の記述が「東」が「南東」に40〜60度ほど傾いていると考えられている。
783日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:54:35.16
>>781

証明できないなら、おまえのほうが黙ってろカス!

784日本@名無史さん:2011/05/31(火) 13:58:35.01
>>782
おちつけ、「南東」が「東」に、じゃないのか?
785日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:00:31.99
>>777
>邪馬台国を比定するために文献を参照してるのに、
>文献を正しいと証明するためには邪馬台国を発掘しないといけない。

邪馬台国九州説の現状について、言い得て妙。
786日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:03:36.93
邪馬台国は連合国で、倭はそのひとつ。邪馬台国の衰退で
倭をはじめ、小さな国が独立した、よって倭に邪馬台国などない。
787日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:03:46.47
>>774
自領以東七縣都尉主之まで訳してみたかな?
単々大山領以西は楽浪郡に属す、領(単々大山領)以東の七県は都尉が統べる。
支配が分かれることを書いた文章だ。以西、以東に起点を含むとしたら、単々大山領
は二重支配という妙な文章になる。
788日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:15:14.76
>>777
>邪馬台国板

そんな板はないのだが…
789大阪人:2011/05/31(火) 14:25:05.19
>>779
>それは先に答えたが、旁国である奴国につき女王の境界が尽きる所とあることから、それまでの旁国は女王
国を構成すると読むんだよ。

いや、奴國が女王の境界のつきるところとは書いてありますが、それが連合国家女王國の構成国だとはどこにも書いていないでしょう?
普通に読めば、女王の支配権の及ぶ範囲という意味でしょう。

女王の境界つまり支配権が及ぶ範囲は、対馬ないし狗邪韓国から南の奴國まででしょう。
これは一大卒の例や、魏使が通過してきたことからもわかります。
しかし、女王國の範囲などはどこにも書かれていないです。

女王國より北は書けたが、旁国は書けないと書いてあります。
詳細を得ることができない小国を名前だけ記載してるだけで、それらが女王國の構成国だとは一言も書いていません。
略載したかしてないかで女王國以外の国か女王國の構成国かを区別する理由にはならないでしょう。

そして女王國が連合国家だということはどこに書いてあるんですか?
なぜ女王國に属する伊都國が、女王國を構成する国ではなく、何も書かれていない他の国が女王國の構成国なのですか?

>女王を去る四千里。これも女王国という意味だよ
確かにその例では、女王國の意味でないとおかしいですね。
これは訂正します。
790日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:27:26.60
>>788
しょうもない揚げ足とるなよ

おそらく邪馬台国板というのは、このスレッド名を簡単に記載しただけだろう
もしくは邪馬台国を論じるスレの意味だろう
791日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:31:35.15
邪馬台国板を作って日本史板から独立させ、マルキを隔離したほうがいい
という意見はかなり前からあるが。
792日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:46:04.38
>>778
>文献の間違いなら証明できる。
つまり、文献は元々正しいが、どうしても間違ってる部分は訂正しましょうってことだろ。
俺が言ってるのと何が違うんだ?

>同じように、邪馬台国は、「ヤマト」と読むべきものであって、
>おまえらの言う「素直に読めば」大和国のことだ。

まあこれは東遷したときに奈良と九州の地名が似てる云々かんぬんで
ここでは論じるべきではないからおいとくとしよう。

逃げたとか言われないようにこれだけは言っておくと、奈良を「やまと」と名付けたのは
九州から来た神武天皇と同じ天孫族の物部氏な。
つまり俺が言いたいことはわかるな?
793日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:53:57.09
>つまり俺が言いたいことはわかるな?

ヤマトは紀元前7世紀から開けた由緒ある土地と言いたいわけだな。w
794日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:54:37.06
>>792
>まあこれは東遷したときに奈良と九州の地名が似てる云々かんぬんで

やっぱりおまえも東遷説か。
じゃあ、先に東遷説を証明してもらおうかね?

いったい、九州の王が奈良に東遷した証拠がどこにある?
どこにもない、全く無い。
795日本@名無史さん:2011/05/31(火) 14:56:37.93
>>792
>九州から来た神武天皇と同じ天孫族の物部氏な。

まあ、これもデタラメもいいところ。

物部氏の祖のニギハヤヒのことを言ってるのだろうが、そんな記紀の作り話がなんの証明になるんだね?

ドアホ。

796レス長たらし毘古:2011/05/31(火) 15:02:19.35
「邪馬台国がヤマト国と読む」と、自説には反するが仮に仮定した場合、
なぜ、邪馬台がヤマトである事を記紀は隠したのか?或は調べきれなかったの
か?このどちらかの説明が欲しい所。
ちなみに小生は、九州説だが、もうこの二つの疑問点は解明済み。
調べきった挙句、もし仮に調べたとおりなら、記紀の時代の大和王権にとって
は、この邪馬台国が大和と近似の場合、内外的に非常に不利になるから、と
言う結論に辿り着いた。

卑弥呼の時代の終焉、それは古事記の建ハニヤスヒコの乱がそれに当たる。
と小生は架空する。異論反論ドーント来い!(お手柔らかにネ♪)
797日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:14:30.77
>>789
>普通に読めば、女王の支配権の及ぶ範囲という意味でしょう。
あなたの感覚ではそうかも知れないが、私はちがった意味にとる。境界は国について言うとで
支配権(同盟関係というべきかも知れないが)の及ぶ範囲を境界と表現した例は知らない。
文例がありますか?
支配関係ならば、統属すると書くのではないかな。例えば南の奴国に続いて、「以上、女王国に
統属する」とかね。

>女王國の範囲などはどこにも書かれていないです。
万二千里は? 女王国に至るという以上、それまでは女王国ではないでしょう。
ということは、その万二千里のところから境界の尽きるところまでが女王国。
当然その間にある国々は女王国を構成するということになる。

> 女王國に属する伊都國が、女王國を構成する国ではなく、
この結論はあなたも認めるのでしょうね。女王国=邪馬台国ならば、伊都国は女王国ではないですね。

>女王を去る四千里。・・・確かにその例では、女王國の意味でないとおかしいですね。
ならば、女王の境界も、女王国の境界と読むのが素直だとおもいますが。

>女王國が連合国家だということはどこに書いてあるんですか?
邪馬台国と女王国が同じだとは、どこにも書いてありません。異なる表現をとっている以上、
異なる概念であろう。とすると、邪馬台国を中心とした国々と考えられる、しかし、倭国全体
ではない。そうゆうことですね。





798日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:15:53.61
>>779
あなたは「自女王国以北」の自は起点を示す自ではないと言われますが、ではこの自はどういう意味の自なのですか?

倭人伝は非常に簡略に書かれています。我々には文字が省略され過ぎていると感じられるほどです。そのように簡潔
に書くことが名文とされていたのでしょう。そのような文を書く陳寿が不要な文字を書き入れるとは考え難いでしょう。
であれば、自女王国以北の自には明確な意味がある筈です。それは起点を示す「自、より、から」です。それ以外の意味
が考えられますか?
799日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:19:09.29
九州説どもローガン先生が立ててくれたみたいだぞw

「それでも邪馬台国は九州にあった」その4
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1306822195/l50
800日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:20:07.21
>>793
紀元前7世紀という記紀の記録をそのまま信用するつもりはない

>>794
まあ証明とまではできないが(当たり前だが)
まあ自レスが>>223>>500にあるので目を通してくれ

それに証拠って邪馬台国が奈良という証拠もないだろ?

>>795
作り話?神話はある程度史実を元に書かれているというのは今や常識だろう
歴史書が全くのデタラメというのなら何をもって歴史とするのか?


それに人に証明証明いうのなら、奈良のヤマトが弥生時代からあったという地名だということをあんたら証明しろよ
でなければ、大和だから邪馬台国とは言えないぞ?

まあデタラメな記紀や倭人伝、旧唐書・新唐書などを参考するに

九州に倭奴國(1世紀〜2世紀)があって、後に神武は東遷(邪馬台国と神武はどちらが先かはかかれていない)
その少し前に物部氏の祖先が奈良を日本(ヤマト)と名付けヤマトの王となり、東遷してきた神武に国譲りということになるが。
801日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:33:15.64
>>800

>紀元前7世紀という記紀の記録をそのまま信用するつもりはない

>作り話?神話はある程度史実を元に書かれているというのは今や常識だろう

どうだい、見事な統合失調症じゃないか?

でなければ、自分の都合の良いように、文献のあそこ信じず、あそこは史実と、
好き勝手に解釈してるってことだろ。


>九州に倭奴國(1世紀〜2世紀)があって、後に神武は東遷(邪馬台国と神武はどちらが先かはかかれていない)
>その少し前に物部氏の祖先が奈良を日本(ヤマト)と名付けヤマトの王となり、東遷してきた神武に国譲りということになるが。

倭奴國と神武は何の関係もないし、
物部氏の祖が神武に国譲りした年代が4世紀という証拠は無い。

全く証拠は無い。

ぜんぜん無い。

きみだけの妄想なんだよ。

802大阪人:2011/05/31(火) 15:33:50.17
>>797
女王の境界は女王の支配権というか女王を共立した国々を表していると思います
つまり魏と通交のあった倭国の境界という意味。
別に支配にこだわっているのではなく、女王の権限が及ぶ範囲と言いたいだけです。

>その万二千里のところから境界の尽きるところまでが女王国。
>当然その間にある国々は女王国を構成するということになる。

なぜこの結論になるのか謎。別に萬二千里以南の国が連合国家女王國を構成する国になる必要はないでしょう。
そしてなぜどこにも書かれていない連合国家になるのか?どこからそれはでてくるのか?

>女王国=邪馬台国ならば、伊都国は女王国ではないですね

そうですね。伊都國は女王國ではない。しかし伊都國は女王國に属している。
これは女王國が連合国家なら、属している伊都国が範囲外にあるのはおかしいと言っているのです。

>ならば、女王の境界も、女王国の境界と読むのが素直だとおもいますが
はっきり言って女王が女王國の意味をもつのはそこだけです。
他にも無数の女王が出てきますが、だからといってそれらが女王國だとはならないでしょう。

>異なる表現をとっている以上、 異なる概念であろう。
なぜ異なる表現をとっているかは幾つかの根拠があります。
・画数が多く、書くのが面倒だから
・壹と臺が紛らわしく誤字を誘うから(現に、現存する倭人伝は壹と臺が間違えられている)
・女が多く、女王が治めるという珍しい国であることを殊更に強調したいから
一例をあげるとこんなところです。
803日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:39:11.45
>>797
>邪馬台国と女王国が同じだとは、どこにも書いてありません。異なる表現をとっている以上、
>異なる概念であろう。とすると、邪馬台国を中心とした国々と考えられる、しかし、倭国全体
>ではない。そうゆうことですね。

邪馬台国の名前が出て来る前に伊都国のところで「世有王皆統屬女王國」とありますので、読者は女王国とは何ぞや?
と思います。そうして読み進んで行くと「南至邪馬壹國女王之所都」と出て来る。ここで読者は”ああ、女王国とは邪馬
台国という名前の国なのだ”と分るわけです。これが先入観を持たない読者の反応なのです。
804日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:42:57.28
>>801
まてまて天皇一代の寿命が100歳を超えるんだぞ?
古代の天皇に限った話ではなく、実在がほぼ確実な仁徳や雄略も異常な高齢になるのはおかしいだろ?
この記紀の解釈は畿内やら九州やらに限った話ではないと思うが。
俺は自分に都合が悪いから、間違いといってるのではない。普通に読むとおかしいから間違いと訂正しているのである。

それに史実をもとに書かれていると書いたのであって、
嘘偽りのない史実だからまるまる信用しろとは言ってない。

>倭奴國と神武は何の関係もないし
唐書読んでから言ってね。

で、大和が弥生時代からあるという地名だってことは証明してくれないんだ?
805日本@名無史さん:2011/05/31(火) 15:50:54.32
>>804

崇神を4世紀初頭としても、神武は1世紀のはすだが?

なぜ東遷説が正しいと思うのかね?
806日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:01:36.42
>>805
大和朝廷が中国に東遷したという事実を伝えた。
逆に東遷してないという根拠はない。
仮に東遷していないのなら何故中国に嘘の認識をさせたのか?
何故東遷したという神話を作ったのか?

神武が1世紀まで遡るのもおかしい
在位がほぼはっきりしている欽明天皇から天智天皇まででたった130年ほど

ちなみに、俺はあまり支持しないが崇神=神武論ってのもある
807日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:08:08.21
>>806

文献バカには何を言っても無駄か。

ようするに、ニギハヤヒが九州から東征して、物部氏になって、
邪馬台国の卑弥呼の後、神武東征があって物部氏が神武に国譲りして、
数年後に崇神が登場して、大和王権になったと言いたいわけね。

そのすべての考えは間違ってる。
文献主体に考えてもだ。

おまえの空論を支持するやつなんて誰もいないよ。勝手に妄想にふけってれば?



808日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:18:19.67
邪馬台国の記録が残っていないというところがミソ。
歴史は勝者のものだから。
大和朝廷に抹消されたんだよ。
で、代わりに古事記日本書紀で建国神話を作ったんだな。
なぜ邪馬台国は大和朝廷にとって都合が悪い存在だったのか?
を考えていくと自ずと答えは出る。
809日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:18:38.54
>>807
>ようするに、ニギハヤヒが九州から東征して、物部氏になって、
>邪馬台国の卑弥呼の後、神武東征があって物部氏が神武に国譲りして、
>数年後に崇神が登場して、大和王権になったと言いたいわけね

まあ大体そうだな。よくわかってる

>そのすべての考えは間違ってる。
>文献主体に考えてもだ。

どこが間違ってるんだ?自説がおかしいのなら正したいからな
矛盾があるのなら教えてくれ

で、なんで記紀でありもしない東遷を書いたのか?
どうしてありもしないことを中国に認識をさせたのか?
仮に東遷がなかったなら、大和朝廷はもともとヤマトで発生しその前身は邪馬台国
とでも書けば楽だったろうに
それは教えてくれないのか?東遷がないとするのなら
この質問に何かしらの結論を出さねばならないだろうに
810日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:39:00.90
>>802
>なぜこの結論になるのか謎。
女王国に到達しました、ここで女王国の終わりです。こう書いてあったらその間は
女王国でしょう。どこが謎なのか、理解できませんね。

>他にも無数の女王が出てきますが、だからといってそれらが女王國だとはならないでしょう。
それは、その「女王」が国の話ではないことが分かるからでしょうね。

>なぜ異なる表現をとっているかは幾つかの根拠があります。
史書は正確性が重んじられます。あなたの言うような理由で、断りもなく別の表現に
するとは思えません。
811日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:49:10.69
>>803
読み方が浅いですね。史書を読むのはそれなりに基礎知識が必要です。
812日本@名無史さん:2011/05/31(火) 16:58:52.75
>>811
>読み方が浅いですね。史書を読むのはそれなりに基礎知識が必要です。

もっと具体的に指摘してくれ。頼む。
813日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:00:08.47
>>804
魏略に曰く。其の俗、正歳四節を知らず。但し春耕・秋収を計りて年紀と為す。

バカ丸出しだねお前。
814大阪人:2011/05/31(火) 17:00:44.32
>>810
>女王国に到達しました、ここで女王国の終わりです。
そうは書いてないですからね。

邪馬台国に到達しました。女王の都するところです。女王國より北は略載しましたが、
他は遠くて詳細は得られませんでした。次に・・・・次に奴國。ここが女王の境です。

だから何故この文で女王以北とそれ以外を区別しているのでしょうか?
奴國は狗奴国との境です。
それらより上は全て女王の境界内(女王を共立してる国)でしょう。

連合国とはどこにも書いてないのになぜ急に連合国家だというのか?

>史書は正確性が重んじられます。あなたの言うような理由で、断りもなく別の表現に
>するとは思えません。

正確性が重んじられるからこそ、誤表記を避ける表現にしたとも受け取れます。
後々の史書に女王國を断りもなく女国と別の表現にしたりもしてますので、
中国側が付けた代名詞と考えてもおかしくないでしょう。
これが代名詞でなく、連合国家の正式名称なら勝手に表記を変えるのはおかしいでしょう。(時代によって漢字がかわることはあるが)

そして正確性を重んじる史書が、どこにも説明をのせず急に連合国家の名前だけをだすのか?

一度女王国を邪馬台国と読み替えてみて下さい。どこにもおかしい場所はないでしょう。
女王國が連合国家だとすると不自然な点はぽつぽつ出ます。
815日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:12:21.80
>>813
晋書に曰く「不知正歳四節、但計秋收之時以為年紀」

仮に一年を二年と計上しても
在位50年ぐらいの化け物天皇が続くことになるんだぞ。
後にもそんな例はないからこれはおかしい。

しかもとっくにその説はないって論破されてるしな(詳しくはググって)
816日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:35:33.98
>>809
魏志倭人伝と、記紀の上辺の聞きかじりだけだから、
神武東征=邪馬台国東遷なんて、トンチキな結論に行き着くんだよ。

実際に記紀に書かれてる大和王権建国の筋道というのはだ、
崇神の時代に世が乱れてどうしようもなくなったから、
ヤマトトトヒモモソヒメと、大田田根子に、三輪山の大物主を祭らせた。
そうして、世の中は落ち着き、崇神は、日本統一ができたのだ。

三輪山の大物主は、出雲の大国主係であり、
大田田根子は河内の土器職人であり、
ヤマトトトヒモモソヒメは四国で育った巫女だ。
ヤマトトトヒモモソヒメの弟は、吉備のキビツヒコだ。

つまり、実質的には
出雲〜吉備〜四国〜河内が一丸となって、大和を治めたということが書かれているのだよ。
九州の影響など、どこにもないのだ。

わかったか?ドアホウ。
817日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:36:45.91
>>815
論破?
ソースだしなよ。
第124代天皇
在位期間
1926年12月25日 - 1989年1月7日。
化け物ですかー。
そうですかー。
818太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/31(火) 17:37:14.93
>>804 >>815
当時は3倍年暦も行使してますよ。
詳しくは書紀のスレにあります。
819日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:41:34.94
>>811
>読み方が浅いですね。史書を読むのはそれなりに基礎知識が必要です。

史書を読むのにそれなりの基礎知識が必要であるということに異存はありませんが、女王国についての問題で、基礎知識が
必要だと言うのでしょうか?そのような基礎知識が存在したのですか?無いでしょう。つまり、あなたの言われる事は何の
意味もないのです。バカをさらしているだけです。

女王国をいくつかの国の連合体国家と言っている人達は、深く読んでいるのではなく、自分の都合(自分の邪馬台国比定地
に都合がいいように)強弁しているだけです。
820日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:41:38.89
なぜ、神武東征なんてストーリーが創作されたらか?

4世紀以後に、大和王権と日向国が同盟する。
日向の髪長媛が、仁徳天皇の妃になる。

このとき、日向と大和が同祖の契りを結び、神武東征なるストーリーを
「日向に対してのリップサービス」で、創作したというわけだ。
神武東征神話を創作したおかげで、大和と日向は同盟関係を保持できたというわけだな。

これが、きちんとした文献学の結論だ。
821日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:44:24.37
神武の親戚が日向に存在しないのも、
神武東征が創作だという十分な根拠であるな。

822日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:47:26.14
自らの王の出自を卑下してまでやることかな?やりすぎじゃないかな
逆でいいんじゃないか
823日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:48:23.92
>>816
それは崇神の代の話だろう?
そして俺の質問に答えてくれ。
何故東遷したと記紀に書かれていて
中国にそう認識させたのかを言ってくれよ

それとこれよめねーのか?
唐会要「古倭奴國也」
旧唐書「倭國者、古倭奴國也」
新唐書「日本、古倭奴也」

>>817
なぜ古代の天皇と最も離れていて、かつ古代を除き歴代最長の昭和天皇と比較するのか?
現代のほうが寿命が長いのは当然だろう。
当時に近い、奈良や飛鳥で平均在位は12,3年ほど。
そして半年暦に従うのなら、古代40〜50年の在位の天皇が続いている。
これは現在においても例がない。
824日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:57:55.69
>>820
>「日向に対してのリップサービス」
へえただのリップサービスで、神祖が兄貴皆殺しにされて土着の酋長ごときにボコボコにされたことになったんだw

で、きちんとした文献学とはどこかな?

そしてなぜそれを日本書紀にまで書いた?対外用の文書にまで書く必要はないだろう。
仁徳よりだいぶ時代が下った奈良のころにわざわざ中国にまで嘘をつくのか?

>>821
神武は日向に天下った(他から来た)、後に一族引き連れて大和にいった。

親戚が残っていることを思わせる記述もないがな
825日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:10:57.01
>>824
>へえただのリップサービスで、神祖が兄貴皆殺しにされて土着の酋長ごときにボコボコにされたことになったんだw

そういうこと知ってるなら、なおさら、
九州が畿内に攻めてきて征服したような妄想はできないはずだが?

>親戚が残っていることを思わせる記述もないがな

神武以外の親戚はほとんど殺され、九州に親戚も居ないわけだ。
そこまでわかってて、東遷説とは笑わせる。

826日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:13:12.36
神武の親戚が存在せず、東征したときに殺されまくってるのは、
神武東征が架空だからだよ。

あとで、「俺も神武の子孫なんだが」と名乗りでるやつがいたら困るだろ。
827日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:16:39.98
>>823
単純に現代の方が寿命長いとか意味不明。
高齢で即位したり崩御前に退位してる天皇も多いのに即位期間が短いからおかしいってのはもっと意味不明。
828日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:17:53.63
記紀の記述を信じるなら、一個中隊程度の少人数が、あまり大きくない現地の豪族を抑えて、
その場所に陣取ったというだけだろう。それでも相当の年月がかかっているようだが。

ほかにも多数豪族はいただろうが、その一つとなったにすぎない。
大和朝廷の成立過程で、その一族がたまたま力を持ったというだけではないか。

すでに広域支配しているような大勢力を倒せるほどの大軍を
九州から運ぶというのは難しいと思う。

それも前方後円墳が増築される時代では、それだけの動員力を持っているということなので
それを倒すのは難しい。それ以前の出来事ではないだろうか。
829日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:29:31.58
先に文献の正しさ云々という話があったんではっきり言っておくが…

3世紀の日本には九州だろうが畿内だろうが邪馬台国なんてクニはなかった
中国の史書に邪馬台国と記されたクニがあっただけの話だ。
「邪馬台国」”そのもの”を見つけようとするなら文献の中にしか、その行間の中にしか存在しない。
九州も畿内もへったくれもない。

黄金の国ジパングはなかったが日本という国はあった。
数々の超人伝説に彩られた聖徳太子はいなかったが厩戸皇子はいた。
邪馬台国はなかったが中国に邪馬台国と呼ばれた畿内ヤマトはあった。

つまりはそれだけの話wwwww
830日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:32:06.83
>>829
最後の一行にギャグ混ぜるなwww
831日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:33:35.32
>>825
そんなことより、権威ある機関とは?
しかも攻めて征服なんてどこにも書いてねーよw

>>827
即位期間が短いからおかしいってどこで言ったかな?
半年歴で計算しても古代天皇はその少し後と比べて異様に在位、寿命が長いから半年歴はおかしいって言ってるんだ。
832日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:33:52.81
>>394
> 大和朝廷って湿原の干拓・農地化を得意とした技能集団だったのかね?


そう思うが、根拠があまりない。            
833日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:51:17.65
>>831

なんで記紀に書いてある天皇が実在してると持ってるの?

神武〜崇神まで架空かもしれないし、実在だとしてもさらに間に50人くらいいて、
全部覚えてる人がいなかったから割愛したかもしれないのに。
834日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:52:20.59
>>831
> 即位期間が短いからおかしいってどこで言ったかな?
現代のほうが寿命が長いのは当然だろう。
当時に近い、奈良や飛鳥で平均在位は12,3年ほど。
そして半年暦に従うのなら、古代40〜50年の在位の天皇が続いている。
これは現在においても例がない。
思いっきり言ってるだろうが。つーか、普通に7、80年生きてる天皇いるから。
いつまでも壁打ちやってんじゃねーぞ。
835日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:53:07.92
聖徳太子だって実在じゃないのに、神武が実在とか、どんだけお花畑なんだよ。

しかも、中国から見たらアメタリシヒコなんて王がいたことになってるし。
836日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:57:30.76
>>834
俺はな、半年歴計算でも即位期間が「長い」から半年歴はおかしいって言ってるんだ

70〜80年生きる天皇はいるな。
しかし在位40〜50年の天皇が続いてるのはおかしい
意味わかるか?
837日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:00:25.59
>>835
聖徳太子はいないとか言われてるけど
その元となった厩戸皇子はいるだろ?
それと一緒、記紀に丸々書かれている神武天皇はいないかもしれないけど
その元となった史実、人物はいたのではないかということ

まあこの程度のこともわからないか
838日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:05:22.18
>>837

その程度で、東遷説の根拠にはならんよ。
839日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:12:56.73
>>838
そうだな
>>223>>500も見てくれな
840日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:15:18.10
>>836
他の天皇と比べて長いって言ってんだから他の天皇が短いって言ってるのと一緒。
因みに二倍歴で50年行くのって垂仁天皇と孝安天皇だけだよね。
何を持って古代天皇の在位は長いと言ってるのやら。
841日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:17:18.19
いやしい(卑)とかよこしま(邪)とかおかしいだろ
邪馬台国は眉唾物
842日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:39:17.76
>>840
>何を持って古代天皇の在位は長いと言ってるのやら。

実在、在位期間がほぼただしいとされる欽明〜天智で130年ほど平均13年前後
これはこの時代ならどこで区切って計っても、あまり結果はかわらない。
時代が下るにつれ少しずつ長くなる傾向はあるが。

そしてそれ以前の天皇は半年歴でも40〜50年在位が続いている。
立て続けにそのような在位が長い天皇がいるのはおかしい。

ちなみに40年以上在位が続く天皇は、古代を除くと明治天皇と昭和天皇の二人のみ

よって半年歴がどれだけずさんかわかるというもの
843太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/31(火) 19:44:00.65
当時は2倍暦と3倍暦とを行使していたのです。勿論通常の1年が365日
の暦法もありました。3種の暦法を編んでいた
844日本@名無史さん:2011/05/31(火) 19:59:51.82
>>839
別の者だが、中国の史書については都合の良い所だけ拾い読みしてる感じ。
少なくとも旧唐書には、「倭人の言う事は信用できねー」という事が書いてあるぜ。
845日本@名無史さん:2011/05/31(火) 20:30:43.27
日本書紀にも、「そういう話だけど、本当のことはわかんないから」って但し書きがあるからな。
846日本@名無史さん:2011/05/31(火) 20:33:44.01
>>842
お前が杜撰なんだよ。
他の天皇が短いのは高齢で即位して崩御前に退位するから。
それに上皇抜いてるだろお前。
政治的状況も考えずに期間だけ比べておかしいとかありえねーから。
847日本@名無史さん:2011/05/31(火) 20:44:48.75
>>842

どうせ安本の数値なんちゃらグラフを見て、無批判に信じちゃったクチだろう。

あんなのに騙されるのは、老人か小学生くらいだろうに。
848日本@名無史さん:2011/05/31(火) 20:53:56.70
おそらく老人だろう
849日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:03:02.43
>>846
古代天皇も崩御前に退位したりしてるだろ

それにしても40年以上在位が続く天皇は、古代を除くと明治天皇と昭和天皇の二人のみだけだぞ
二人とも限りなく現代に近い天皇。それぐらいの在位期間ある天皇がごろごろいるのはおかしいだろ?

一天皇の在位期間が長いと、次の天皇の在位期間が短い傾向にある。
これは皇太子が高齢になって在位できる期間が短いからだ

しかし古代天皇は半年歴で40〜50年ざらだろう

上皇抜いてるけど、天皇と期間被るから計りにくいだけだ
しかも全員が全員上皇になるわけでもないのでなおかつ計りにくい
850ローガン:2011/05/31(火) 21:04:19.06
>>500
>旧唐書や新唐書には「倭國者、古倭奴國也」と書かれている。

旧唐書は、後漢書と後漢書を誤引用した隋書がテキスト。
新唐書は、王年代紀がテキスト。
851日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:05:32.05
安本は古代史金吸い魔神、邪悪
852日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:11:03.19
畿内説哀れだな
まともに批判せずに誹謗中傷ばっかりして

口げんかで負けたガキが怒って、話に関係のない暴言を吐くのに似てるな
もしくは論破されてファビョった朝鮮人かな?

まあ精神の構造は似たり寄ったりだろう
853日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:18:36.19
やれやれ、民族差別主義者だったのか
854日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:20:24.51
安本は金吸い詐欺大魔神。
855日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:26:24.44
>>846
もう一つ付け足しておくと持統天皇まで上皇はないので
古代天皇との比較において不適。
また、上皇になるとだいたい死ぬまで上皇になるので、在位期間じゃなく寿命比べになる
さらに、上皇は併存もするのでこれまた在位期間を比べるのに不適
856日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:38:12.92
>>852

と言うか

九州説がウリナラ起源説に似ているのは何故ですか?w
857日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:43:09.46
兄より優れた弟は存在しないからだよ
858日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:50:01.82
>>744

741です。遅レス申し訳ありません。

>というより本来そういう認識だったはずですから。
 ↑
これはどういう意味でしょうか?
この板で議論している人が皆、その認識だと?

私は記紀や、中国でも隋書のような後代の書物を根拠に
邪馬台国を語るのは間違いだと思っているのですが。
859日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:50:41.51
>>855
古代天皇は崩御まで天皇なので完全な寿命くらべな件。
二倍説で計算すると40年超えは孝昭天皇、孝安天皇、垂仁天皇、仁徳天皇だけな件。
860日本@名無史さん:2011/05/31(火) 21:52:15.33
安本はほんとにサギだよな。
861ヒムカノボーレイ:2011/05/31(火) 21:53:44.94
邪馬台国の研究はあくまでも歴史学の一部で学問である。いくらこの板が2
チャンネルだからといって単にディベードの一分野と考え、相手を誹謗した
り侮辱したりして良いわけは無い。ひとの意見を批判するならきちっと論拠
を示し、論証をしなさい。論拠の基点となる自分の邪馬台国説をきっちり皆
に公開してからね。
主張していることは違うけれども、論証の仕方で合格点なのはローガンさん、
大阪人さん、水銀厨さんまでね。
862日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:03:31.56
>>861

なにがディベートだ。
こっちは暇つぶしで九州説のアホの相手してるだけだよ。
863日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:12:46.45
確かに、アホ、バカなどの暴言が目に付くな。
なにか嫌なことでもあったのか?

暇つぶしとしても、結局反論されてるから、
あまり、スカっとしないだろうに。
864日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:16:20.29
まあこの板でもよく叩かれたりする安本美典だが論争史に一石を投じ
一世を風靡した事は認められても彼の説自体はもう終わっている過去のもの…としか言いようがない。
『邪馬台国への道』が筑摩書房から67年
『卑弥呼の謎』が講談社から72年
…と当時はかなりなセンセーションを起こしたのだろうが

実は80年代前半にはそれまでバラバラだった九州と近畿の年代のすり合わせが行われている。
(昨今よくTVで聞く電力会社の地域独占の解消みたいな話www)
無論その場合舶載品に富む九州を基準にして合わせるのが当たり前なわけで

その当たり前なことがされた80年代前半で既に安本の東遷説は終わっている。
865日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:17:12.50
はっきりいえば、ディベートしたくても、相手のレベルが低すぎて話しにならん。

神武東征は事実かどうかなんてところから話しを始めるなんて、そもそも間違ってる。


 神 武 東 征 が 史 実 な わ け な い だ ろ 。


なにがディベートだ笑わせるな。
866日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:22:47.10
>>865
とか、なんとかいっても、中身がないんで
説得力がないというか、そもそも反論にもなんにもなってない。

>>864だって、ただの呟きでしか無いが、多少の中身があるだけまし。
867日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:24:16.54
>>859
>二倍説で計算すると40年超えは孝昭天皇、孝安天皇、垂仁天皇、仁徳天皇だけな件

26代継体〜124代昭和天皇までで在位40年越えは二人だけ(それも最近の天皇)に比べるとずいぶん多いな
868日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:26:59.24
>>866
そうそう彼ら叫ぶだけ叫んで中身はないんだよね〜

根拠はないけど史実じゃない!根拠は言えないけどそれは違うんだって!

まるで・・・だよなw
869日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:29:45.97
歴史を考えれば、どう考えても縄文人が覇業を行えるとは思えないので、
日本国を作ったのは、文化の進んだ渡来人だ、ということはまず納得できますよね?
畿内説のみなさん。現に顔は中国、韓国と少しも変わらない。
つまり東征はごく当然の事跡なの。
870ローガン:2011/05/31(火) 22:31:11.64
うーん、紀の東遷が史実の記載だとすると、神武とは、遠賀川式土器を東へ広めた人か?(笑)
871日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:36:13.56
        / ̄ ̄ ̄\    
      / \    / \    
     /  (●)  (●)  \    
  ∧、 |    (__人__)    |_∧   「邪馬台国」東遷
γ⌒ヽ.\    ` ⌒´    /γ⌒ヽ
.|(●).| i\        /i |.(●)|  はあったんだお!
.ゝ_ノ ^i | |       | | i^ ヽ_ノ
 |_|,-''i⊃l()      ()l⊂i''-,|_| 
 [__|_|/〉l/       \l〈\|_|__]
   [ニニ/           ヘ ニニ]
   └―'             `─┘
872日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:41:50.36
日本書紀によると、初期の天皇の年齢と在位期間は、
若干、計算間違いがあると思うが、

神武天皇 126才 76年
綏靖天皇 83才 33年
安寧天皇 67才 39年
懿徳天皇 76才 33年
孝昭天皇 113才 83年
考安天皇 136才 102年
孝霊天皇 127才 76年
孝元天皇 115才 57年
開花天皇 110才 60年
崇神天皇 119才 68年
垂仁天皇 138才 99年
景行天皇 106才 60年

こんな様な感じになる。
873日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:43:03.58
まあ上の方で出てきた「東の海」のネタに突っ込んでおけば…

はっきり言って東の海が瀬戸内海でも豊予海峡でもかまわないw

古代中国において倭国倭地に明確な地理観があったとも思えない。
それは旧唐書や隋書からも伺えるし南北が逆さまになったような地図もある
(ただしそれは倭人伝の記事が”必ず間違っている”ということを保障するものではないが)

更にに言えばだwww
そもそもホントに日本周辺の事を書いた物かも怪しいw
「侏儒(=小人?)國」とか「黒歯國」だぞ?wwwww

一説に風俗は海南島あたりとゴッチャになっていると言う説があるが
そうなれば東にはオラウータン(現地の語で”森の人”)の生息する地域もあるしw
噛み煙草のように使われ口の中が赤とか黒に染まるビンロウを産する地域もある(台湾もそうだっけかな?)www

こんなもので鬼の首をとったようにはしゃぐのは見ているこっちが恥ずかしいwwwwwww
874日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:43:05.61
>>870
神武天皇は布留式土器と関係しているような気がする。
875日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:45:23.71
>>787
>自領以東七縣都尉主之まで訳してみたかな?
>単々大山領以西は楽浪郡に属す、領(単々大山領)以東の七県は都尉が統べる。
>支配が分かれることを書いた文章だ。以西、以東に起点を含むとしたら、単々大山領
>は二重支配という妙な文章になる。

自單單大山領以西屬樂浪、自領以東七縣都尉主之

自單單大山領以西屬樂浪の自はfromの意味、自領以東七縣都尉主之の自はbutの意味ですね。
つまり、「単々大山領(を含めて)以西は楽浪郡に属するが、領よりも東にある七県は都尉が治める」
と言うことだからおかしい話ではありませんね。
876神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2011/05/31(火) 22:49:24.74
パンパンパーン
  ∧_∧ ∩
 ( ・∀・)彡☆
   ⊂彡☆))ω‘ *) >>871
       ☆

877日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:50:09.60
>>874

こういう発言が中身があるって言うわけ?

こういう発言を言うやつとまともに議論が出来ると思うのか?

むりむりむりむりかたつむり!
878唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/05/31(火) 22:50:52.27
神武東遷は、遠賀川式土器で説明出来ない。
欠史八代、平均20年の治世なら20×8=160年
崇神の占める位置は、5,6年の災害=新羅192,3年であれば、
2世紀末に纒向遺跡に各地の土器が持ち込まれる=崇神11年異俗多帰。
このころ河内陶邑のタタネコが崇神に仕える=庄内式。

神武は1世紀半ばの弥生中期と後期を別ける位置であり。
これ以後”鏡”が徐々に東方へ伝わる。

舶載鏡と仿製鏡を別けるのは、早く見れば、291年東夷朝貢であり
遅く見た場合は308年永嘉の乱。これ以後に前期の舶載鏡は存在しない。

879日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:52:46.10
それじゃあ、ディベートするか?

まず、天照大神は、7世紀の創作。
したがって天照大神の子孫の神武が東征したなどということはありえない。

反論があるなら、天照大神が実在したことを証明せよ。
880日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:53:41.65
>>873
「侏儒(=小人?)國」とか「黒歯國」に関してだけ言えば「山海経」を参照にしたんだろうな

まあ、この記述があるからと言って他も全て間違っているというのはおかしいと思うが
881日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:55:14.70
>>814
>邪馬台国に到達しました。女王の都するところです。女王國より北は略載しましたが、
>他は遠くて詳細は得られませんでした。次に・・・・次に奴國。ここが女王の境です。
邪馬台国の話ではない。 女王の境界尽きる所に対応するのは郡より万二千里女王国に至
るという記事だ。

>それらより上は全て女王の境界内(女王を共立してる国)でしょう。
そんなことどこにも書いてないだろ。あなたのような話だったら、女王の境界始まる所、
対馬国に至るとでも書いたはずだ。
(続く。)
882日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:55:20.28
>>879
その前にあんたが天照が創作であることを証明しないといけないんじゃね?
883日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:55:22.11
前にも書いたが、東遷の根拠の一つとして、古事記に書かれている大久米命の刺青がある。
大久米命は神武天皇に随行して東征してきたのだが、顔に刺青をしていて、それを見た
五十鈴媛が奇妙に思ったとある。

見慣れているのなら奇妙に思うはずがないので、近畿地方では刺青の習慣はなかった。
一方で、倭人伝の記述から倭国の男は大人も子供も刺青をしているとある。

東征があったのは事実と考えられるし、古事記や日本書紀の信頼性も増してくる。
884日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:56:39.80
>>814
>連合国とはどこにも書いてないのになぜ急に連合国家だというのか?
女王国のことかな? 複数の国だと読めるから連合していたのだろうということね。

>正確性が重んじられるからこそ、誤表記を避ける表現にしたとも受け取れます。
私が言うのは、邪馬台国を断りもなく女王国と言い換えることはしないということ。

>一度女王国を邪馬台国と読み替えてみて下さい。どこにもおかしい場所はないでしょう。
たくさんありますよ。例えば、邪馬台国までを日数で表記したのに女王国まで万二千里としている
こと。女王国=邪馬台国ならば、日数ではなく、里数で表示できたね。
次に、万二千里を旁国記事よりも後ろに書いていること。邪馬台国までが万二千里ならば、邪馬台国
に至る、に続けて、その里数を書くのが当たり前だろ。

> 女王國が連合国家だとすると不自然な点はぽつぽつ出ます。
例えばどんな?

885日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:58:23.14
>>880
>まあ、この記述があるからと言って他も全て間違っているというのはおかしいと思うが

毎度毎度毎度毎度…言っていることだが必ず間違っているという事ではない。
間違っている可能性が多分にあるという話。

それを金科玉条にして立論された物に意味がないというだけ。


886日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:59:45.13
記紀が書かれた8世紀はヤマトでは文身をしていないし、その頃でも隼人でしているやつがいた。
それだけのことだな。
887日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:59:53.59
>>882

ろくろっ首
一つ目小僧
海坊主


伝説上のキャラクターを
なんでいちいち創作だと証明する必要があるのかね?

現実の人物だというのなら、現実だと主張する側に証明責任があるのは明白だろ。
888日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:04:39.20
日本書紀の神武東征の記述にも面白いものがある。
神武天皇は、河内湖を舟で渡り、河内国草香邑青雲白肩之津に着いている。
神武東征のときには、河内湖が存在していたことがわかる。
しかし、記紀が編纂された8世紀には河内湖はすでに湖ではない。
神武東征が8世紀の創作でないことがわかる。
889日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:06:54.55
まさか妖怪と皇室の先祖をいっしょくたにする奴が現れるとはな

別に天照が現実の人物なんて言ってないよ
元となったモデル人物がいる可能性があるというだけ
その考えを捨てて創作と断定するのなら、創作されたということを証明しろってだけね

まあお互い悪魔の証明だから無理だろうな
890日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:07:41.24
>>888
>神武天皇は、河内湖を舟で渡り、河内国草香邑青雲白肩之津に着いている。

一種の地名由来譚に過去の地形の情報が入っていただけ。

891日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:08:38.27
>>867
古代は1000年16代で4人
昭和天皇、明治天皇、光格天皇、霊元上皇、後小松院、後宇多院、後鳥羽上皇、鳥羽上皇、白河上皇、1000年53代で9人。
いい加減壁打ちやめれば?
892日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:09:57.46
7世紀はじめ、倭王の阿毎多利思北孤は、遣隋使を送った。

「使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」とあり、
天を兄とし、日を弟とした。天が明けぬうち出てあぐらをかいて座り政務し、日が出ると政務をやめ弟にゆだねた。
隋の高祖は義理がないとしてこれを改めさせたという。
----------------------------------------------

↑意味がわかるかな?
6世紀までの倭人は、天を兄とし、日を弟としてたんだよ。
すると、中国人は「バカじゃねえの?」っていって、「天」の中国風の意味を教えた。
つまり、天というのは、一番偉い神様のような高貴な存在であるということ。

それを聞いた倭人が、「天照大神」を天で一番偉い神様として創作したわけ。

おわかり?

6世紀以前は、「天」は兄であり、天照大神でもなく、女神でも無かったということなんだよ。

前から、中国の文献を引用してる人が多いけど、スルーしないで、よく意味をかみ締めて、悔しがってね。バーカ。
893日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:11:39.11
>>885
そんなこと言うやつが何で2chで古代史の論争してるか謎だね

意味がないことはないでしょうに。可能性があるのはあんたも認めていることだろ?

それにこの板って議論を楽しんだりするとこだろ?それ自体無意味というなら発掘でも行って来たら?
894日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:13:40.58
天照=卑弥呼に関して言えば

先ず天照自身、文献史学というより神話学でアプローチされるべきモノ。

太陽の神がいて月の神がいて三番目に両者に悪さして「食」を引き起こす神がいる…という構図。
太陽の神がいて岩屋等に隠れ世界が真っ暗になり神や人があの手この手でおびき出すと言うお話。

これらは東南アジアに類型が見られる物というのは常識の常識。

この構図まで史実を元に作られた話(オリジナル)というから馬鹿げたレベルになるwwwww

言うならせめて何処かの時点で元々あった太陽神の神話に卑弥呼が姿を仮託去れたもの
・・・ぐらいにしておけゴミクズレベル九州説のアホどもw

895日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:14:27.93
>>888
河内湖のなれの果てである鴻池と深江池が消滅するのは江戸時代
それまでは大阪平野のかなり奥まで船でいくことは可能
奈良時代もしかり
896日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:18:15.07
>>889

>元となったモデル人物がいる可能性があるというだけ

天照大神が7世紀の創作なのに、
元のモデルもクソもないだろ。

天照大神が創作だと理解できたなら、では皇室の本当の祖神は誰か?
それが、高皇産霊神だ。
神話では、高皇産霊神が自分の孫のニニギを天孫降臨させるという指示している。

もっとも、天照大神も、高皇産霊神も、天武天皇、持統天皇がモデルであって、
邪馬台国とは全然関係ないというのが、文献学の常識なんだけどね。
897日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:18:25.48
>>890
創作をするときに、その時点で実在しない上陸方法が浮かぶかな。
普通は、創作する時点でもっともポピュラーな上陸方法を考えるだろう。
大和川を遡ってもいいし。
逆に言えば、神武東征の時点で、大和川を遡ることはできなかったのかもしれない。
898日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:20:11.13
>>891
なんで勝手に上皇もいれてるの?比較は無意味と言っただろ?
古代は上皇制度もないのに。

しかも勝手に変な区切りいれてるし。

仮に上皇入れたとしても、古代より割合的にかなり少ないな

それに>>872見る限り半年歴でも在位期間と寿命が異様に長いことがわかるだろう
899日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:23:54.96
>>896
持統天皇と天照大神のどこが似ている?
持統天皇には夫もいれば子供もいるだろう。
素戔鳴尊は誰が該当して、その争いはどのように表現されている?
900日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:24:27.44
>>894
ジョーカーよ、これだけは言っておく
あんたの邪馬台国論を発表しないともう誰もあんたを相手にしてくれないぞ?
揚げ足ばっかりとって自分の説は発表できない。反論されるのが怖いのかい?
901日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:25:28.62
>>897
だから、
奈良時代には河内湖がきれいさっぱりなくなっていた
というのが大間違いなんだよ
902日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:25:32.43
伊勢神宮の歴史を見れば、天武・持統期以前は伊勢大神であり男神としての性格を持つ一地方神だった。
ただし太陽神的な性格があり、さらに奈良から見て東方に位置していたので、アマテラスという性格付けを
され、皇祖の一神として創作された。このあたりの結論は明らかだと思うが。

903日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:27:49.36
しかしどれもこれも下らない万年ループネタ…

ここのゴミクズレベル九州説はこれから先どうしたいんだ?w

死ぬまで「砂鬼四荼羅経」を唱え続けるのか?ww
それとも寄生虫よろしく永遠に「キナイセツガー」と叫び続けるのか?www

現実は邪馬台国論争自体既に過去の話として
この日本という国家の原型を解明するにどんどん進んでいくだけだぞ?w

「学者の世代交代が進んだら九州説が復活する」とか電波飛ばしているバカがいるが
世代交代が進めば益々邪馬台国論争なんてものが過去のものとなるだけ。

904日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:27:55.13
>>899
天照大神=卑弥呼よりは、よほど似てるよ。

卑弥呼は独身だから子供はいない。神武が子供であるわけがない。
天照大神には、子供がいる。その子孫が神武天皇。
持統天皇には、子供がいる。その子もやっぱり天皇。

905日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:28:52.98
>>892
>6世紀までの倭人は、天を兄とし、日を弟としてたんだよ。
倭人→倭王な
>すると、中国人は「バカじゃねえの?」っていって
ここまではまあ史実

↓ここからはこいつが勝手に考え出したこと

>「天」の中国風の意味を教えた。
>つまり、天というのは、一番偉い神様のような高貴な存在であるということ。
>を聞いた倭人が、「天照大神」を天で一番偉い神様として創作したわけ
906日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:29:28.87
>>898
何で勝手に上皇抜いてるの?
上皇制が無かったら天皇辞める訳ねーじゃん。
割合?そりゃ皇族が増えれば割合も当然減るだろ。
全然おかしくない。

お前が他の天皇の在位期間と生没年知らないだけじゃね?

つーか、政治状況が違うのに数字だけ比べても全くの無駄。

907日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:29:36.12
天というのは空、それに対して地がある。
天の神と地の神、それに対し、日(太陽)の神、月の神は異質なもの。
隋書の天を兄として日を弟とは、
上述をごっちゃにして、天は空の神が兄、日(太陽)の神は弟。
つまり卑弥呼は「日の御子」だとすれば、太陽の神の子で太陽神をあがめていた、
それが弟である、ということで、天の神が日の神を従えたということなのだろうと
思いますね。兄と弟の関係は。
908日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:29:56.70
畿内説は、ただ単に九州説にケチをつけるだけしか能がなくなった。
積極的に、自説を展開するのは皆無。
畿内説にはもう根拠がないのがわかる。
909日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:32:14.72
>>905

6世紀までの倭人は「天を兄」とし「日を弟」としてた。

天照大神が創作で無いなら、

天照大神=女神=太陽神はどこにいったのかね?

あん?
910太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/05/31(火) 23:32:30.99
天照大御神は超ミス・ユニバース級の女神さまだよ。
瓜実顔に近く柳腰のやせた姿で威厳がある神々しいお方だ。
通常はマリー・アントワネットが着てるようなドレス姿でおられた。
額の上に八咫鏡のあるかぶり物をされている。

毒書 ホツマ の男神というのは大ウソ。

zzzzzzzzzzzzz・・・・・
911日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:33:47.38
>>901
仁徳天皇に時代に、難波堀江の大規模な開削を行っている。
その後も舟で往来していたという証拠でもあるのか?
912日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:36:14.24
>>900 ゴミ
そう言うのはなあゴミよ
俺に「こいつからは意見を聞きたい」と思わせてから言わないと意味が無いぞアホwww

まあ過去に何度かは説明したが、暫くすれば全てりセットまた始めから…の繰り返し。
理解する知能もないしハナから理解するつもりもない。

いや俺の事だけじゃなく世間一般に言われている「畿内説」というものを理解していない。
故に、年輪年代等の理化学的年代測定や、箸墓=卑弥呼の墓説を否定すればひっくり返せると短絡思考しかできない。

そのレベルでしか理解出来ないから何故九州説が今の状況になっているのか理解出来ない
故に「悪の畿内説の陰謀」という脳内ストーリーができちゃう事になるw

913日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:41:02.76
>>897
>逆に言えば、神武東征の時点で、大和川を遡ることはできなかったのかもしれない。

神武東征は2世紀末頃の事件の記憶が基になって語られたものでしょう。その頃では奈良盆地の出口にあたる
大和川の川床は現在より5〜10mほど高く、そこから河内国分辺りまでの標高差は15m以上ありました。つまり、
この間の約7kmは急流であるため舟で盆地内へ入ることは出来なかったでしょう。

914日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:42:01.19
>>906
だから在位期間を比べるのに、上皇入れると計算がしにくいって上でも言ってるだろう
上皇は他の上皇と天皇と重複して存在するのに、その上皇まで在位期間に入れるとおかしくなるのわからねーのか?
もはや在位期間じゃねーだろ。寿命比べてるわけじゃねーんだぞ

おまえあと割合って言葉知ってるか?

>政治状況が違うのに数字だけ比べても全くの無駄
だから局所的に捉えず平均で算出してるんだろうが

しかもそれならはじめっからそう言えよ。不利になったら今までの議論は無駄か?
自分もその無駄な議論に自発的に参加してたように見えるが
915日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:47:08.00
>>912
まあまあ何様のつもりかしらんがそうほざくなよ

別に一から語れとは言ってないじゃないか
過去ログを教えてくれるだけでもいいだろ?
916日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:47:18.65
ぶっちゃけて言えば、九州説は演繹法なんだな。軍事に優れ文化程度の高い大九州様が南から
列島に文化を広めていくという一大原理があって、それらを個々の事象に敷衍していくという方法論。
だからどんな現実を突きつけられようともイド化している根本は崩れないし、死ぬまで治らない病気の
ようなものだ。
それに対し、畿内説は演繹的手法をとる。何も考古学者に大和中心論があるわけではなく、列島各地の
発掘成果が一つのベクトルとして立ち現れている状況なんだ。
917日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:47:28.42
河内湖が葦原中国
出雲から国譲りを受けて開拓を始めた
つまりその時代のヤマトは出雲の配下
高天原は奈良盆地
開拓が進むに伴い前方後円墳も河内平野に進出した
918日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:51:52.71
>>916
全くの逆だろう畿内説さんよう

畿内説は大和朝廷があるからヤマトという結論から、仮定を創作している状態
919日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:54:45.36
>>916
慌ててないかい。「九州説は演繹法なんだな。」、「それに対し、畿内説は演繹的手法をとる。」?
920日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:55:38.22
そもそも行程記事の読み解き、暗号解読ゴッコで邪馬台国の位置を決定することはできない。
この現実を認められない馬鹿には何を言っても無駄。

じゃあ仮に九州の何処かから親魏倭王の金印が出てきて出土状況や共伴の出土物等々から
そこが邪馬台国と言うことが文句のつけようがない形で決まったとしよう。

でも九州の大概のところなら複数のコースが過去に発表されているだろう。
放射式でも順次式でも想定可能なはずだ。
結局そのコースが正しかったかなんて分からない。
その発掘が「ある行程記事の読み解き」に基づいてなされたものでもだ。

921日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:55:47.50
>>900
自分の説は発表せずに(というよりできない)、揚げ足をとって相手が間違っていると印象づける。
これは畿内説の常套手段ですよ。
922日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:56:19.33
>>918
あってるよ。
畿内説は演繹的手法だっていってんだから。

畿内にあったと前提してるわけ。
923日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:57:32.94
>>918
文献史学は5世紀以前の古代史に関してはもはや新しい論文も出ない、死滅したような状態だし
考古学者に大和中心論などはないよ。畿内以外の各地の大学や教育委員会でそれぞれ発掘調査を
行っているが、それらは皆3世紀の畿内にベクトルの中心が向いている。これは仕組まれたものでも
何でもないのだが、おそらく言ってもムダだろうな。
924日本@名無史さん:2011/05/31(火) 23:58:14.28
>>919
ああ、畿内説が帰納法。スマソ
925日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:00:27.50
>>914
計算がしにくいからどうしたんだ?
おかしくなるのはお前の理論が成立しなくなるだけだろ。
だから初期は寿命=在位期間じゃねーか。
後期の寿命前に退位した天皇と同じ土俵で比べんなや。
後期は天皇すぐ交代するから割合は当然減るだろ。
平均で算出するんなら即位年から没年で計算しろよ。
>>846で言ってる。
926日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:03:15.30
九州説ですが
豊かで恵まれた九州の勢力が畿内に「東遷」する必要性はなかったように思えますよ
朝鮮半島南部から九州北部に侵入してきた倭人=景行天皇、神功皇后、そして倭生まれの応神天皇が
九州を平定しようとしたものの土着の豪族たちの抵抗に遭うなどして、そのまま東へ行ったもののように思われます
半島南部から入って来た勢力は、邪馬台の末裔=神夏磯姫と血縁を結び
おそらく吉備と手を組んで畿内に入ったでしょう、こうして豊かで九州よりも文化性の高かった銅鐸文化は滅亡したのです
927日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:03:19.93
>>921
そういう大口は九州説でどれが本命かを決めてから言えよという話だなw

「比定地を一本化しろ」というのが横暴だというのなら
「そもそもどれが正しい読み方か出せ」と言ってもいいぞwwww
928日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:06:35.87
>>926

九州のカメ棺、銅矛文化も滅んだことをご存知ないようですな?

929日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:06:47.22
>>927
> >>921
> そういう大口は九州説でどれが本命かを決めてから言えよという話だなw
>
> 「比定地を一本化しろ」というのが横暴だというのなら
> 「そもそもどれが正しい読み方か出せ」と言ってもいいぞwwww

そういう大口は畿内説で、ちゃんと文献解釈して見せてから言えよという話だなw
930日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:08:34.53
そもそも文献の解釈だけを言い合っても埒があかない
…なんてことは本来九州説も畿内説も分かっていた話で
むしろ九州説の方が積極的に考古資料を用いてきている

神籠石、江田船山、トンカラリン…あげればキリがない。

ここのゴミクズレベル九州説にできることは
勝てなくても負けることもないフィールドを創りだしてそこに引き篭もるだけwww

931日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:09:04.05
ディベートしろとあおってくるから、ディベートしてやったら、
東遷説はあっさり白旗で、反論も出ないか。

東遷説がインチキだってことに気が付くのが遅いんだよ。

天照大神は7世紀の創作。神武東征も創作。
東遷説の根拠などひとつもないわ。


932日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:10:06.69
>>930
負けないようなフィールド作ってんのは考古学者だろうが。
933日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:11:59.05

■滋賀・栗東で近畿最大級の琴出土 珍しい8弦か

共同通信2011/05/31
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011053101000636.html

 滋賀県栗東市の下鈎遺跡(しもまがりいせき)で、古墳時代初頭(3世紀)の琴の一部が見つかり、31日、同市教育委員会が発表した。
出土したのは弦を張る上板部分で長さ158センチと近畿では最大級で、市教委は「琴の全体像が分かる状態での出土は貴重」としている。

 針葉樹の板で、最大幅24センチ。中央には直径約2センチの穴があり、音響効果を狙った加工とみられる。割れた上板を補修するための樹皮の帯も残っており、大切に扱われた様子が分かるという。

 弦を巻き付ける突起が5個残っていたが、復元すると、8個だった可能性があるという。古代の琴は5〜6個のものが多く、市教委によると8弦琴は非常に珍しい。

・下鈎遺跡で出土した古墳時代初頭の琴の上板部分=滋賀県栗東市
http://img.47news.jp/PN/201105/PN2011053101000706.-.-.CI0003.jpg


※下鈎遺跡(滋賀県文化財学習シート 遺跡編)
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/gakushu2/data/2043/index.html
934ローガン:2011/06/01(水) 00:18:15.41
>>893横失礼。
>意味がないことはないでしょうに。可能性があるのはあんたも認めていることだろ?

「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國 齒國復在其東南船行一年可至。」
四千里は、異人譚で千里は信用出来る記述だという根拠は何?

>それにこの板って議論を楽しんだりするとこだろ?

同意。

935日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:18:24.65
>>932
その相手の文言の一部をそのままオウム返しする芸風はサイキバのアホか?w
936大阪人:2011/06/01(水) 00:23:49.23
>>881>>884
>邪馬台国の話ではない。 女王の境界尽きる所に対応するのは郡より万二千里女王国に至るという記事だ。
いや、そこに対応するのは恐らく「其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王」
女王の境界が尽き、その南には敵対する狗奴國があるというのは文章構成としてはとても見やすいですから。

>そんなことどこにも書いてないだろ。あなたのような話だったら、女王の境界始まる所、
>対馬国に至るとでも書いたはずだ。

上でも書いた通り境界つきるところは狗奴國との対応だからでしょう。その時点で始まる所と書かれても
女王國とはなんや?何との境界や?って状態でしょうし

>私が言うのは、邪馬台国を断りもなく女王国と言い換えることはしないということ

理由は説明しましたが、納得いかないのならこちらも質問しましょう。
ではなぜ、後の史書「太平御覧」などは女王國を女国と言い換えてるのでしょうか?
固有名詞なら名称を勝手に変更するのはおかしいでしょう。
これを代名詞ないし普通名詞だとすると、勝手に改変があっても納得ができるというもの。

里数表示がおかしいというのなら、それは上(>>37)でも述べましたのでそこを参照してください

>邪馬台国までが万二千里ならば、邪馬台国に至る、に続けて、その里数を書くのが当たり前だろ。
萬二千里は、伊都國ないし投馬国からの距離ではないので不自然ではないでしょう。
間に狗奴國の記事もあるので、連合国家女王國を説明するにしてもタイミングは不自然でしょう。

>例えばどんな?
これは上のレスを参照してくれとしかいいようがないですね
937日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:27:07.21
>>934
そう言えば老眼翁って隠れ九州説だったらしいな…

いや前から薄々(以下略
938日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:37:55.13
>>925
>おかしくなるのはお前の理論が成立しなくなるだけだろ
なんか勘違いしてるのか怖くなってきたから聞くけど、俺はどんな理論を持ってると思ってる?

上皇含めるなら即位して崩御する前に即位してまた崩御する前に即位してって
比較できないだろう。
何度も言う、在位期間を比較しているのであって寿命を比較しているのではない。
当時の崩御するまで在位というのも含めてのこと。
939日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:41:32.31
>>934
千里は「山海経」が出典ではないため。
また現実とも対応するため、矛盾という矛盾はないからかな
940日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:43:48.69
>>935
あんたの書いたものが、どう受け取られるか教えるためだよ。
941日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:45:09.88
>>931
>>223>>500には反論してくれないようだけど白旗かな?

IDがないのでこれはあんたかわからんが、東遷=リップサービス論を言ってる権威も教えてくれないしな
942日本@名無史さん:2011/06/01(水) 00:54:21.02
>>941

>東遷=リップサービス論を言ってる権威も教えてくれないしな

自分でググれよ。人にばっかり尋ねてないでさ。頭悪いやつだな。


ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040703.htm

>塚口さんはさらに、いわゆる神武東征――初代天皇を日向出身とする伝説も、5世紀の河内王朝の時代に、4世紀末の内乱をモデルに構想されたものとみる。
>塚口義信・堺女子短大学長(日本古代史)
943日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:04:24.16
>>941

そんなに中国の文献に重きを置いてるなら、
記紀に登場しない「阿毎多利思北孤」が誰かくらい、明確な答えをもってるんだろうね?

答えが無いなら、中国の文献の信憑性なんて、その程度ってことだ。
944日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:13:21.54
>>938
だから、古代天皇の在位が長すぎておかしいってことでしょ?
少なくとも上皇は天皇以上の権力を維持してるわけで、上皇として天皇以上の権勢を振るってるわけだよ。
その事実を無視して『天皇』じゃなくなったからってつっかかってくんじゃねーよw
上皇は天皇扱いだっつーの
それに俺が名前出したのは長期間院政敷いてた人ばっかだけど。
お前が在位期間だけ比べてホルホルしたいのは解るけど、後代の天皇が政治的理由で退位させられたり暗殺されたり兄弟継承で60過ぎてから即位したり権勢を維持するために上皇になったりして即位期間が短いのは事実だから。
寿命も廃位しただけでそれから長生きする天皇もいるし。
945日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:15:12.70
畿内説はなぜ自分の論理を展開せず、九州説の重箱の隅をつつくような攻撃ばっかりしてるんだ?

おおっぴらに○○だから畿内説なんだと説明して九州説を言い負かせてくれよ

自説を展開してる畿内説って水銀厨氏やローガン氏ぐらいじゃないのか?

レス読んでる限りジョーカーさんも逃げの一手らしいしな
946ローガン:2011/06/01(水) 01:18:12.90
>>939
「四千里」という情報の精度の話なんだけどね。
ソースは何だろう?
947日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:27:08.26
いわゆる畿内説の考古学者も、纏向が邪馬台国だと強弁し、宣伝するだけだからな。
無理やり年代合わせただけで、邪馬台国と言えるわけがない。
何か出るたびに邪馬台国や卑弥呼を持ち出すが、その根拠は全くないわけで。
948日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:33:58.85
>>947
それは九州も同じ、いや畿内説以下というべきか?

じゃあ九州の何処かを掘れば一発で邪馬台国と分かるものが出てくるのか?って話で

考古学の限界、いや元々邪馬台国論争の限界は別に畿内説にだけ被ってくるものではない。

949日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:34:00.19
考古学の関心の重心は「邪馬台国がどこか」では無いそうだから。
邪馬台国や卑弥呼を持ち出すのはマスコミでしょ。
九州説も吉野ヶ里で記憶にあるでしょ。
950日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:37:17.22
>>944
待て待て古代の天皇の旧辞記事がないのになぜお前は勝手に
古代の天皇と後代の天皇とは違うと決めつけてるんだ?

また、上皇は天皇や上皇と重複するから、上皇中も在位相当とみなすなら重複しまくって計算不可能だろう
この際権力がなかった天皇ないし上皇はどう計算するんだ?計算できないだろう。
あんたは権勢がある状態も指標にしてるらしいから在位0年相当とでもするか?

あと俺は半年歴を否定してるだけであって古代の天皇の実在を否定してるわけじゃないぞ?
951日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:39:18.90
吉野ケ里が邪馬台国ではないかといわれたのは、倭人伝の「宮室・樓觀・城柵」の三点セットが
出たからで、まさに倭人伝に書かれた国が出現したから。
十分に根拠のあること。纏向にはそれが全くない。同列には論じられない。

畿内説は、吉野ケ里が発表された頃は、対抗馬として唐古・鍵を持ち出していたが、さすがに
無理とわかって見捨てられた。最初から無理とわかっていたのだが、他に方法がなかったのだ。
952日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:41:40.59
そして、吉野ケ里発表から5年ほど経って、纏向の年代が100年ほど遡り、纏向=邪馬台国が出現した。
これも無理があるが、畿内説としては他に方法がなかったと言える。
953日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:48:08.68
>>948
方保田東原遺跡もある。かなり興味深い遺跡。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/katouda.html
954日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:51:58.56
>>943
さっそく白旗をあげちゃったか

いきなり俺が触れていない隋書もってくるんだもんな
この辺専門じゃないし邪馬台国論争に関係ないと思われるのでパスしてもいいかな?

しかしまああえて答えるなら推古摂政厩戸皇子かな。

これが絶対正しいとは言わないが誰か比定される人はいるだろうな。
隋が架空の相手と文通するとも思えないしな

あと間違っても、この答えがおかしいから中国の史書は信用できず
お前の主張も信憑性が皆無とか言わないでくれよ。

これと邪馬台国論争は別の話だというのはあんたもわかってるだろうからな
955日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:52:11.54
アホなん?
考古学の関心の重心は「邪馬台国がどこか」では無いと書いてるんだが。
でも報道的には邪馬台国論争と結びつけたほうが視聴者は喜ぶからね。
956日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:55:37.23
>>951-952
この内容は「恨み節東遷厨」だな?w

こうやって>>864のようなこと(80年代前半には九州と近畿の年代すり合わせがすでにされていた)
…を何十回と言っても都合の悪い話には耳をかさないのがゴミクズレベル九州説w

あくまでピンチに陥った「畿内説」が編みだしたのが年輪年代というストーリーw

こうやってこっちの根拠を何回言ってもリセットされるのは別に俺だけが経験しているわけじゃないだろうがwww
957日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:56:02.03
>>955
考古学者も邪馬台国に関心あるよ
まあ本当はその先にあるお金だろうがね。
人々の興味を引くものであればあるほど予算がつくからね

学者も背に腹はかえられんよ
958日本@名無史さん:2011/06/01(水) 01:59:45.76
>>956
お、ジョーカーさんじゃないか
ところであんたの主張は?過去ログも教えてくれないのか?
ログにはちゃんとリセットされずに残っていることだろう
959日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:00:34.83
>>955
まあいまだに古代史において「邪馬台国」が最高の客寄せパンダであるのは間違いないw

九州でも関西でも博物館の展示や催し物とかに「邪馬台国」の文字が入るのは同じだな。
960日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:02:02.16
>>950
即位退位と崩御年。
明確に違いが出てる。
個人個人別々に計ればいいだろう、じゃなきゃ南北朝とかどーすんだよ。
傀儡でも天皇なんだからカウントしてやれよw
なんだ?万世一系原理主義者なのか?一代一人しかカウントしちゃいかんのか?
961日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:07:21.75
そもそも吉野ケ里の所謂3点セット「宮室・樓觀・城柵」なんて考古学的定義があるようなものでもなければ
構造物がそのまま出てきたという話でもない。

ぶっちゃけ工業団地に潰されるのを防ぐために記者に吹き込んだ方便w
これも何回も言ってきた話だが常にゴミクズレベル九州説にはリセットされる。


962日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:09:10.45
>>957
テレビの邪馬台国関係の番組にも良く出てくるしね。
963日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:16:17.01
>>957
そりゃ関心はあるだろうさ。
学問としてどう扱うかは別。
964日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:17:43.43
>>961
城柵は構造物が出なくても、集落を囲むような形で柱跡が出てくるからこれは判断が可能

樓觀はそれなりの高さなら、柱の跡がある程度広く深く、土台が固く、また支えの跡もある場合があるのでこれもある程度判断可能

宮室、これは俺にはわからんな。まあ柱跡が大きく、柱から柱の間隔が広くて
大きな立派な建物が予想される。つまり宮室だという構図だろうが
965日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:18:47.60
>>961
そうでもない。その頃の本もけっこう持っているが、畿内説と言われる考古学者も「倭人伝の国を見た」
なんて言っている。佐原真や金関恕の両氏が良くやってきていた。
石野博信さんだけはけっこう批判的で、邪馬台国なもんか、という気持ちが言葉に出ている。
どうも、石野さんにとっては、邪馬台国九州説といえば東遷説であり、騎馬民族征服王朝説を連想して
しまうらしい。
966日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:28:57.24
>>965
そうやってリアルタイムでの学者の発言を引用するなら
後に池上曽根が出てきた時の学者の発言も教えてほしいねえw

年輪年代による実年代は別にしても相対年代で吉野ケ里より古く大型建物も規模が大きかったんだからw

俺がメモしている当時の高島先生の発言(どこかの本に載っていた当時の新聞記事だったかな?)

高島忠平
「思っていた以上に古い建物でショッキングだが、
 『魏志倭人伝』によると邪馬台国は環濠に囲まれていたとみられ、これは九州に例が多い。
 近畿が九州とは別の大陸との交易ルートを持っていた可能性は考えられるが、九州説がゆらぐことはない」

まあ今日の九州説は未だに吉野ケ里のイメージで助けられているのは間違いないのだろうがw


967日本@名無史さん:2011/06/01(水) 02:39:50.40
まあどの道吉野ヶ里は庄内併行期には土器を含む土で環濠も埋められ
邪馬台国にするには古過ぎるというのは
何もゴミクズレベル九州説が呪っている「キナイセツ」じゃなくて大抵九州の考古学者の意見だろう。

そういう意味では高島先生は異彩を放っているともいえるが
「アレは盛り上げるためにわざとやっている」という説もあるが
実際本当なのでは?とも思っているwww
968日本@名無史さん:2011/06/01(水) 03:22:30.06
>>911
難波の堀江の掘削によって河内湖が完全消滅したとでも?
下記URLの中世や近世の地図を100万回眺めてみるべし

ttp://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/know/rekisi/kakawar.html
969日本@名無史さん:2011/06/01(水) 07:43:13.95
天照大神というのは天(空)を照らす神なので、太陽神ということ。
それに対し天皇の天は大空の皇。
つまり、天皇(天子といわれる)の高祖が天照大神というのはそもそも矛盾している。
天照の子は「日子」であって天の子ではない。
日本書紀はつまり以前の他勢力の歴史も自分のものとして
語っているという証のようなものですね。

970日本@名無史さん:2011/06/01(水) 08:58:49.70
>>>954

隋時代の記述も、記紀と整合性がないのに、
邪馬台国の記述と記紀を同列に扱って、
天照大神の子孫の神武が東征したから、
卑弥呼の流れをくむ神武が東征して大和王権を作ったなどという妄想をたれるのはやめろということだ。

ここまでいってわからないなら、
おまえは本物のクズだ。
971日本@名無史さん:2011/06/01(水) 09:08:38.65

天照大神=卑弥呼が否定されちゃったから、悔しいんだろうな。

もともと彼の主張の90%は「天照大神=卑弥呼」だったのに否定され、反論できず、
残り10%の「邪馬台国=九州」に必死ですがりついて勝利宣言とは、哀れというより滑稽だな。



972日本@名無史さん:2011/06/01(水) 09:19:18.10
記紀より中国文献の方を信頼するべきですね。
対外関係を処理する上で、正確な情報を書き止めなければ
ならないですから。
つまり邪馬台国のときはヒコの名は見当たるけど、アマ=天はない。
隋書にはアマの名が出てきている。
その何百年の間に変化があったということでしょう。
973日本@名無史さん:2011/06/01(水) 10:04:36.47
>>972
>つまり邪馬台国のときはヒコの名は見当たるけど、アマ=天はない。
>隋書にはアマの名が出てきている。
>その何百年の間に変化があったということでしょう。

そのとおり。
天皇の名に「天」がつくのは、欽明天皇(天国排開広庭)から。
つまり、河内王朝=倭の五王まで「天」の意識は無く、
継体以後〜欽明にかけて「天」を兄とする思想が生まれたということと。

この時点で、天照大神=女神は、存在しなかったのだよ。
これが文献の正しい読み方だ。

974日本@名無史さん:2011/06/01(水) 10:19:09.32
>>902

>伊勢神宮の歴史を見れば、天武・持統期以前は伊勢大神であり男神としての性格を持つ一地方神だった。

天照大神が伊勢の地方神なのは常識ですな。

継体天皇が、尾張の目子媛を娶ってることから、
「アマ」の語彙が越〜東海からもたらされたと見ることも出来る。
河内王朝時代にはアマの語彙が無かったのだから。

東遷説の連中は、むりやり九州に起源を求めて
天照大神=卑弥呼などとほざいてるようだが、
文献史学的にも文化人類学的にも、ちゃんちゃらおかしい話。
975日本@名無史さん:2011/06/01(水) 10:21:25.35
>>957
九州説の人も九州の発掘のためにやむを得なく
九州説にしがみついているのかなと同情する時もあるが
成果は出ているのかね?
976伊作:2011/06/01(水) 10:30:28.42
『隋書』倭国伝は、『日本書紀』が成立する100年も前の記録だから、
創作のない生きた見聞記録だと評価できる。
その『隋書』倭国伝は、太陽神は男だったことを伝えている。

「使者言、倭王以天為兄以日為弟。天未明時出聴政跏趺坐。日出便停理務云委我弟」。
これは倭王が3人兄弟だったというのではなく風俗について述べているのである。
使者が答えた内容から判断すれば現代にいう風俗ではなく
祭政(国家祭祀と政治)に関する信仰的「しきたり」みたいなものである。

そこで倭国の使者は、天(天帝)を至上の神とし、太陽神をその次としている。
しかも太陽神は「弟」というのだから男性神である。
この時点では倭国の太陽信仰も男性神だったことが分かる。

ということわ・天照大神という女性神わ・
8世紀に成立した『日本書紀』の創作した神様で・
『日本書紀』の作者がこれに卑弥呼をダブらせたかどうかなん・どうだっていいことだよ。
ダブらせていたところで、しょせん片方は架空の存在なんだし。
架空の存在について、史実検証を旨とする学者・研究者が、
史実検証論説の中で言及することじゃない。

おれ・九州説だけど。なんか・文句ある?
977伊作:2011/06/01(水) 10:33:50.66
>>974
>東遷説の連中は、むりやり九州に起源を求めて
>天照大神=卑弥呼などとほざいてるようだが、

おれ・東遷説だけど。
天照大神=卑弥呼などとほざいていないけど。文句ある?
『日本書紀』の作者が架空の天照大神に卑弥呼をダブらせたかどうかなんて
どうだっていいことだよ。
978日本@名無史さん:2011/06/01(水) 12:19:17.65
>>970>>971
>隋時代の記述も、記紀と整合性がないのに
え?俺の発言一つでそこまで信頼するの?お前俺の信者か何かか?

お前らが勘違いしてるのか知らんが一言言っておく
天照天照って俺「天照=卑弥呼」に主眼おいてねーから
ってかそんなこと一言もいってねーから。

俺の主張はだ
倭人伝に記される、絹鉄が3世紀九州で大量に出るが畿内に出ない
しかし4世紀これが逆転する。そして絹鉄だけでなく、皇室の三種の神器に相当するものもしかりだ。
また畿内の銅鐸も消滅するしな。大和で同じ勢力がずっと保持されているのなら、銅鐸が消滅するのはおかしい。
これまでなかった、絹やら勾玉やら鉄剣やらこさえた別の勢力に取って変わられたとみるのが妥当。

けどこれだけじゃ東遷があったなんて認められないな。
九州の勢力が畿内に物品を持ち込んだだけかもしれんしな。(銅鐸消滅はおいといて)

しかし補足材料として、朝廷も東遷があった(神武東征)ことを認めてると書いてあるんだ。
中国も倭奴(佐賀県)が大和朝廷の前身であると認めてると主張している。

反論できないからって、人が勝手に天照=卑弥呼とか言ってると仮定して
そこだけ叩くってやめてくれるかな?w
架空のことを作って叩くより、考古学的見地を叩いてくれよw

それとあんた畿内説だろ?俺だけばっかに語らせずあんたの説もほざいてくれよ
979日本@名無史さん:2011/06/01(水) 12:24:40.09
>>974
>東遷説の連中は、むりやり九州に起源を求めて
アホか。
東遷説の連中はまず、邪馬台国九州説があるんだよ。
そしてその後邪馬台国はどうなったのかで、消滅説・発展説・東遷説やらなんやらの中で
東遷を主張してる奴が多いってだけだ。
順序が逆だよあんた
980日本@名無史さん:2011/06/01(水) 13:02:16.76
>>926
考古学的に出土品やその分布状況などを考えると無理のない説ではあるが、ちょっと荒唐無稽だな。
981sss:2011/06/01(水) 13:39:49.01
>>971
そりゃあ、否定する人もいるだろう。畿内説は畿内説である限り否定する運命にある。
認めることは東遷説に宗旨替えすることだから。

いつものように、天照大神=卑弥呼(+台与)の根拠をあげると次のようになる。

一、まず、古代の日本に女性を中心とする体制があったことを中国の歴史書、日本の記紀が裏付けている。
二、共に独身であることなど、巫女的な性格が良く似ている。
三、卑弥呼を日御子と考えれば、天照大神と共に、太陽に関係あることがわかる。両者とも鏡に深い関係がある。
四、岩戸に隠れる前の天照大神は一貫して素戔鳴尊に苦しめられる。一方で、卑弥呼は狗奴国との争いに苦しめられる。
五、天照大神が岩戸に隠れると、高天原は真っ暗に成り、卑弥呼が死ぬと、跡継ぎをめぐって千人あまりが殺される。
六、天照大神が岩戸を出ると、高天原は元のように明るくなり、台与が王になると国中が定まる。
七、天照大神が岩戸を出た後、高皇産霊尊が登場し、共に高天原を治める。台与が王になると、男王が立ち、
共に中国の爵命を受ける。

もし、反論する気があるのなら、他に適当な人物を挙げて、これより良く似ていることを指摘すること。
982日本@名無史さん:2011/06/01(水) 13:46:40.02

トヨタン・・・・・・・・・・
 
983日本@名無史さん:2011/06/01(水) 13:50:28.86
>>981

やっとコテハンつけて登場か。

おまえをあぶりだしたかったんだよ。

伊勢神宮には問いただしてみたかね?

「伊勢神宮で奉ってる天照大神は、九州の卑弥呼がモデルですよね?」ってさ。

まだ、恥ずかしくて聞けてないのかな?

きみが信念を持って、天照大神=卑弥呼だと思ってるなら、
伊勢神宮の宮司に、本当のことを教えてやるべきだし、参拝者にも、
天照大神=卑弥呼だと教えてやるといい。チラシとか配ってさ。
一般大衆に、天照大神=卑弥呼だと知らしめることが、きみの人生の最終目標なんだろ?
違うとは言わせないよ。

天照大神=卑弥呼という説が、一般に浸透しなければ、
君の人生は、無駄に終わるわけだ。悔しいだろ?惨めだろ?な?

だったら、2chで文句いってないで、伊勢神宮に行って、ちゃんと問いただしてこいよな。

「伊勢神宮で奉ってる天照大神は、九州の卑弥呼がモデルです!間違いありません!」ってさ。
で、宮司がどんな顔するか、報告してくれよ。

984日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:01:18.27
アマ=安曇
985日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:03:05.85
>>983
こいつ・・・
なんか可哀そうだな・・・

何故2chの見ず知らずの人の人生勝手に決めつけて勝手に優越感に浸ってるんだ?
ここは論争を楽しむところなんだから、普通に論争すりゃいいものを人格否定までしだすんだもんな

何か嫌なことでもあるんならこんなとこ書き込んんでないでカラオケなりスポーツなりで発散してきたほうがいいと思うぞ?
986日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:03:47.91
>伊作

東遷説のくせに、天照大神=卑弥呼説を採用しないのは、まあ、評価してやるよ。

天照大神が架空の伊勢の地方神であることと、東遷説そのものは、何にも矛盾しないからな。

しかし、>>981が、これだけ列挙して、天照大神=卑弥呼説の根拠を述べてるわけだし、
君も>>981を否定するなら、相応の理由を述べる必要もあるんじゃないかなあ?

しかし、今後、君も>>981に習って、やっぱり天照大神=卑弥呼説を採用したとしも、別に俺はかまわんよ。
君の自由だし。

987日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:08:30.23
あまは たかあまがはら
高天原なのが一般的。

東遷も卑弥呼より遥か前の話なので
どうでもいいってのが畿内説の俺のスタンス。

卑弥呼はモモソで
卑弥弓呼は同族のタケハニヤス。
弟王は義弟の祟神。

倭国再び乱れるは
サホヒコサホヒメの反乱。
イヨは伊勢神宮建立のヤマトヒメ
988日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:11:10.79

イヨタン・・・・・・・・・・
 
989日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:12:46.10
畿内説にしてみれば、卑弥呼のころは天の意識がなく、
後に天を兄とする思想が生まれたとして、邪馬台国はヤマト王権の前身
でずーっと一系だと理解したいようだけど、
邪馬台国は九州で新勢力に服従し取り込まれた、ととらえたほうがいろいろ
つじつまが合う。やまたのおろち退治とか、大国主の国譲りとか、、、にみえるように。
東遷したのは邪馬台国ではなく邪馬台国を服従させた新勢力が東遷したということでしょう。
ひょっとしたら、その東遷も他勢力のしたことで、自分の歴史として記紀にとりこんだ
のかもしれないし。
というのは唐書には小さな日本が大きな倭国を合併したとある。普通は大きな国が
小さな国を合併させるけど、これは逆ですね。小さくても財力、武力が
相当大きかったのでしょうね。
990sss:2011/06/01(水) 14:16:12.56
>>983
だから、お前は天照大神は誰だと思っているのかな?
名もない人物か、それとも架空の人物か。
そんな得体の知れない人物を伊勢神宮は祀っているのか?
相当に伊勢神宮を愚弄しているな。
991日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:17:52.00
>>989

九州の邪馬台国を服従させ、大和に移り住んだ勢力があったかもしれないな。

現実的には、吉備国東遷説というのもあるが、
そういう現実的な議論がなされないのは残念だよ。
水銀さんが、それに近いか。

992日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:20:34.58
>>990

天照大神は、伊勢の地方神だよ。

伊勢神宮が認めてるわけだが?

人のことはいいから、おまえは、人生かけて卑弥呼=天照大神を証明しなよ。
卑弥呼=天照大神と、自分ひとりが信じたまま、惨めに老人になって死にたくないだろ?
993日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:20:59.80
>>936
>そこに対応するのは恐らく「其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王」
そんなものに対応させてどうするんだよ。私がいってるのは、境界の尽きる所を書いている以上、
始まる所が示されているはずだということ。そして、それが万二千里だということだよ。

>女王國とはなんや?何との境界や?って状態でしょうし
読み進めれば分かるってことね。

>固有名詞なら名称を勝手に変更するのはおかしいでしょう。
>これを代名詞ないし普通名詞だとすると、勝手に改変があっても納得ができるというもの。
代名詞だとか普通名詞だとかいってみたところで、途中で呼び方を変えるのが不自然なことには
変わりないよ。

>萬二千里は、伊都國ないし投馬国からの距離ではないので不自然ではないでしょう。
そうかね。無理してない?
私は郡からの距離だからといって離れたところに書く気にはならないな。

>間に狗奴國の記事もあるので、連合国家女王國を説明するにしてもタイミングは不自然でしょう。
間に狗奴国の記事? 不自然だと思ったら、その読み方を疑ってみたら?
間に狗奴国の記事が入らない読み方もあるだろ。


994日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:32:27.62
そろそろ次スレ立てないと、苦労するぞ
995sss:2011/06/01(水) 14:37:26.12
>>992
伊勢の地方神って…。天照大神は皇祖神だろう。
天照大神は元々は宮殿に祀られていた。

崇神天皇の時代に、災いが多発し、反乱するものが後を絶たなかった。
これは大物主神の祟りということで、大物主を祀ると災いは収まった。
以後、大物主は皇室の守り神となる。

そこで、天照大神は遠ざけられ、結局、伊勢に祀られることになる。
どうして皇祖神が遠ざれられるようなことが起きたのか。

これは、いわゆる出雲の国譲りと関係する。出雲の国譲りは征服戦争で、張本人が
皇祖の高皇産霊尊と天照大神だった。出雲は破壊され大物主は祟り神となる。
こういう経緯だから、皇祖神ながら天照大神は伊勢に遠ざけられてしまった。

時系列的にも妥当だと思う。
996日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:40:56.67
>>993
>>そこに対応するのは恐らく「其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王」
>そんなものに対応させてどうするんだよ。私がいってるのは、境界の尽きる所を書いている以上、
>始まる所が示されているはずだということ。そして、それが万二千里だということだよ。

「始まる所」は此処じゃないかい。
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、「到其北岸狗邪韓國」、七千餘里



997日本@名無史さん:2011/06/01(水) 14:43:58.66
190以前     各地における天候不順、食糧不足などによる争乱多発。

190年頃     東海勢力、東瀬戸内勢力、河内や地元大和の勢力の連合により纏向遺跡が建都される。
           卑弥呼の共立。銅鐸祭祀の終焉。

200年代前半  石塚など早期の前方後円墳の築造開始。公孫氏への朝貢、画文の輸入開始。

240年頃     卑弥呼の魏への朝貢、吉備、山陰などの連合への参画、初期の三角輸入開始?
           卑弥呼倭王冊封により各地首長による纏向詣でが始まる。全国的な前方後円墳の展開。
           
           西新を中心とした大陸との交易。対狗奴国(東海)戦争、東海の影響力低下。
           一大率の設置?庄内式土器の北部九州への流入。

250年頃     卑弥呼死亡、墳墓造営。男王擁立。東日本に高地性集落出現、東国への勢力拡大。
           

260年頃     台与共立。九州での環濠集落の終焉。
           北部・東部九州への影響力拡大。南九州生目勢力と連合。

270年代以降  ヤマト王権の成長、国産三角製造。
     


998ローガン:2011/06/01(水) 15:19:55.58
>>972
>つまり邪馬台国のときはヒコの名は見当たるけど、アマ=天はない。
>隋書にはアマの名が出てきている。その何百年の間に変化があったということでしょう。

「日出處天子致書日沒處天子無恙」なので、隋と対等である事を主張した記述。
であるから当然、名乗らない。しかし隋は称臣不明なんて認めないから
「倭王姓阿毎、字多利思比孤」と称号を個人名扱いした。
玄宗が聖武帝の個人名を「主明楽美御徳」と呼んだのに同じ。
999太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/06/01(水) 15:22:10.44
>>981
卑弥呼を天照大御神とすると、239年あたりが神武以前の時代となるわけで、
これだと神武以後歴代天皇の在位期間が当分の間、スシ詰めになる不合理が出る。

したがって卑弥呼は天照大御神に非ず。
1000日本@名無史さん:2011/06/01(水) 15:26:17.49
太国がマトモなことを言った・・・SSSは太国以下・・・
10011001
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