陸中
陸前
羽前
羽後
セシウム
また変なのが湧いたのか?
関西のお笑い芸人、口から生まれてきたような、例えば、明石家さんまのような人間が藤原氏ではないだろうか?
藤原鎌足は、間諜つまりスパイだったし、言葉巧みに人身を惑わすのが得意。
藤原不比等も道長も、どうも、口先だけで政治をしきっていたような気がする。
そういう藤原の血を引きものは東北にもいて、仙台訛りでまくし立てられると気持ち悪くなる。
奥州藤原氏やその傘下の藤姓諸氏がそうなのだろう。早く死んで欲しい。
940 :
日本@名無史さん:2012/06/16(土) 13:11:30.75
東北のどこかにあるという、
日本中心碑って何なんでしょう?
安倍氏辺りと関係があります?
ひでぶ〜
あべし〜
たわば〜
前九年の役・後三年の役で滅んだ安倍一族の断末魔の声が聞こえるようです。
ぜんちょうちゅう〜 もあるでよ。
945 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:07:02.09
平永衡って桓武平氏なの?
946 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:35:37.47
後三年の役で滅んだのは清原氏だろ。
947 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:40:03.23
というか安倍氏はその後、安倍宗任の系統が九州や瀬戸内海のあたりに残って、
安倍晋太郎・晋三まで続き、奥州でも安東として残り、江戸時代に秋田氏になって、三春藩主となり、
明治時代には華族になるわけだが、
出羽清原氏はその後、全くいなくなって、文字通り滅んでしまったんだよな。
実は子孫を称する氏族を一家知ってる。
親戚になった家がそうだった。
桓武平氏って言ってる。
家紋も同じだそう。
>>945 常陸平氏の一族だそう。
野口実氏が詳しいよ。
>>947 奥州藤原氏に比べれば、安倍氏は本家筋が残っていて家名も承継している部類だな。
藤原は、田村とか藤井とか家名が違っているやつしかいない。
951 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:22:11.88
わざわざ赤の他人が出羽清原氏の子孫を名乗るとも思えないからやっぱりちょっとは子孫がいるんだな。
>>951 赤の他人が仮冒する可能性も否定出来ないが、
太平洋戦争を見てもわかるように、一族郎党皆殺しにするなんてほぼ不可能だろう。
その親戚の家は北関東の惣代名主でまあそこそこの名家ではあるんだよね。
家屋敷は国の重要文化財になってる。
でも「出羽清原氏の系譜なんです」と説明された時は思わず「はっ?」となったw
清原氏といったら、元西武>巨人の番長清原みたいな感じで、
腕力は凄いので戦乱の世なら大将だろうけれど、政治力は皆無で、平和の時代の統治には全く不向きなタイプだったのだろう。
藤原3代も、平安時代の藤原政権の焼き直しのような古めかしさが見える。
956 :
日本@名無史さん:2012/07/30(月) 21:02:35.56
お教え頂ければ幸いですが、山形県にある幾志(キシ)という地名の所から発生した岸氏についてなのですが、
中世戦国時代は最上郡神田の神田大館にたてこもっていたらしく、
安倍晋三氏が親しくして来られるという事ですが、
安倍貞任後裔の引田臣系岸氏なのでしょうか?
引田臣系岸氏として喜志という字は見当たるものの幾志は見当たりませんが。
どの道大彦命の末裔の可能性が高いのでしょうか?
紀氏との繋がりは考えられるでしょうか?
勝海舟も伊藤博文も坂本竜馬も、金で武士の身分を買った金上げ士族だというじゃないか
大彦の末裔を語るなんざあおこがましい限り
>>957 そんな意地悪言って遣りなさるな・・
彼の家の先祖が名前買ったかのような事を・・
どういう家柄かも知れない訳だし、公では、ポジティブに語ろうね。
たまたま名字が同じだというだけで「我が家は○○氏族の○○流だ」とか信じ込んだり
信用性なんて皆無の系図類を盲信してそれをアイデンティティに生きてる人だっているからねえ
>>959 良い事だ。
そう言う思考で良いから、氏神を祭る神社が各地に点在する訳だしね。
神社の存在意義の一つ
神社の役割
土地の神話を語り継ぐ者の住まう場所。
氏神を祭る場所。
地域氏姓ルーツ発祥の拠点。
民人・小作人の拠り所。
祟り神を封印する場所。
血脈、龍穴の集まる場所。
神仏合祀の施設。
氏神というのはシュメールの個人神が伝わったものだろう。
963 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 02:48:30.11
>>956 東北の辺りの武家なら安倍氏族じゃないなら藤原北家傍流か阿蘇発祥の菊池氏等もあり得る。
また東北日本海側では越や呉から来た人達が住み着いた地に高志・古志・古市・喜志等の地名がついてる事があるが、吉士のいた所にきしという地名がつく事が多い。
吉士は白川静によれば百済官吏じゃなくて祝(はふり)、吉士の祖は五十狭茅宿禰で出雲国造と同祖。天照大神の子の天穂日命の子孫の天夷鳥命の子孫。
でも幾志なら広島県広島市安佐北区口田南など天照大神が機織りに使っていた幾(おさ)を天穂日命が授かった地とされる天照大神絡みの機織りに関係する地や徳島県鳴門市大麻町大谷などの忌部氏・秦氏絡みの機織り関連が多い。
出羽幾志神田大館辺りの岸氏なら少なくとも佐々木源氏与力国人領主系。大戦時前後で一族でそれぞれ3万3千石や1万3千石等、国立博物館に関連品あり。
964 :
日本@名無史さん:2012/08/25(土) 05:55:54.06
出羽清原氏といえば、当主の真頼と弟の武則は、異母兄弟だったのでは?と思われますが、どうでしょうか?
勝手な予測では、真頼は、橘氏の母出生、武則は、岩城氏の母出生(桓武平氏繁盛流)。
理由は、名前に出羽橘氏の通字である「頼」を真頼が受け継いでいること、
また岩城氏の通字である「則」の字を武則が受け継いでいること。
また松浦厨がすれ違いの直リン貼りかよ
>>963 >山形県にある幾志(キシ)という地名の所から発生した岸氏についてなのですが、
幾志とはおそらく紀氏
祟神天皇の子である豊城入彦の母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛だから、毛野氏とは紀の氏のことだ。
その子孫は上野・下野国造りの祖とされているから、毛野氏が滅んだ後も藤原氏の配下として生き残ったのだろう。
前九年・後三年の役の後、関東武士団による東北入植は盛んだったのです。
それか・・青森所領の裏切り者の安倍富忠のはからいか・・
イミフ
>>970 安倍頼時、宗任親子の魂が供養された来たのは事実だと言う話。
いや、事実じゃないからw
973 :
日本@名無史さん:2012/11/14(水) 00:23:13.95
>>963 海上国造は出雲臣の伊勢津彦の末裔の系譜。
伊勢津彦末裔系は、嶋津国造から出ている。
出雲臣には、地祇系(三輪君系)と天日照命系が混じっていて
地祇系と考えられる神門臣、二方国造、伯耆国造、嶋津国造
などがある。海上国造氏族である五十狭茅宿禰は、千葉県銚子にある
猿田神社の祝でもあった。猿田彦神を祖とするのは、宇治土公
や二見氏といった三輪君系。忌部ではない。
974 :
日本@名無史さん:2013/02/26(火) 21:38:51.05
>5
>9
>11
>35
子孫はいますよ〜。もちろん。
「ぶっ殺す!」
>>943 花巻城って正しい元の呼び名って
島谷城で良いの?
広島の安倍氏縁者に江戸時代に藩主の阿部氏から奥州安倍氏の居城の島谷姓を帯刀したそうなんだけど・・
978 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:47:24.46
>>977 鳥谷ヶ崎城って、島谷ヶ崎城とも言う様だけど・・
安倍宗任が幽閉されてた石鳥谷城とかとゴッチャに成ってそうな気もするけど・・
十八ヶ崎の表記もあって読みは「とやがさき」
ごっちゃにしてるのはお前さん
どちらにせよ
島と言う漢字の元は鳥だろ・・?
島谷のルーツが鳥海だから嶋なのだろう。
安倍氏も松浦の島谷氏も海人族で通ってる。