陸奥♪奥州安倍氏と奥州藤原氏を語るスレ♪出羽

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1日本@名無史さん
語ってください。
2日本@名無史さん:2011/03/01(火) 20:29:09.53
日高見国
3日本@名無史さん:2011/03/02(水) 00:05:32.15
>>1
スレタイに出羽清原氏も入れんか!
4日本@名無史さん:2011/03/02(水) 02:21:51.08
源氏(頼義、義家、義光…頼朝)の粘着質で陰険な性格には参るよな。

初代経基以来、戦はからっきし弱いクセしてw
5日本@名無史さん:2011/03/02(水) 08:11:35.33
奥州藤原氏の末裔はいるの?
6日本@名無史さん:2011/03/02(水) 18:18:45.98
あべし
7日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:43:34.89
>>4
源氏は、人間関係で抑えるやり方。

平氏は、マジで荒地を開墾して土着するやり方。
8日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:56:16.66
なるほどぅ
9日本@名無史さん:2011/03/02(水) 23:17:30.11
>>5
やすひらの弟は許されてるから子孫はいると思う。
ただしその後藤原を名乗ったとは考えにくい。
あとは傍流で家臣レベルの家系。
10日本@名無史さん:2011/03/02(水) 23:54:33.21
家臣でいいなら伊達の一門とかにいたはず。
白石だか古内だか柴田だか
11日本@名無史さん:2011/03/03(木) 12:21:13.73
>>9
たしか奥州征伐の後に反乱を起こした奥州藤原氏の分家筋が居たな。
>>5
むしろ安倍氏の末裔は居るだろ、安倍元総理だけど。
12日本@名無史さん:2011/03/03(木) 13:34:01.65
あと米内光政が安倍氏の子孫
13日本@名無史さん:2011/03/03(木) 13:59:10.82
1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦

   同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される(陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)

1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)

1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)

1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定

1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される

1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平重成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、藤原登任と平重成は大敗する。
      (鬼切部の戦い)
14日本@名無史さん:2011/03/04(金) 09:12:12.76

1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦

   同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される
       (陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)

1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)

1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)

1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定

1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される

1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平繁成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、
       藤原登任と平繁成は大敗する。 (鬼切部の戦い)
15日本@名無史さん:2011/03/04(金) 10:29:10.21
年表を見ると
1027年に朝廷が鎮守府将軍が廃止し、奥六郡の支配を放棄してから
安倍氏の奥六郡の侵食・支配が開始されたと思われる。
朝廷が放棄した地区の侵食は、朝廷による抑止が効かない為に、
この地の住民の抵抗が無い限り、力のある豪族により制圧されてしまう。

この時期に奥六郡には、和人の入植が進んではいないし、朝廷が支配を放棄
した時点で和人入植民の撤退も行われた可能性が高く、この様な侵食・支配を
行えるのは、蝦夷系豪族だけであり、安倍氏は中央官人系豪族では無い。

1036年に安倍頼良の父の可能性がある忠良(忠好)が陸奥権守に任命されている事
から、奥六郡の委任支配や交易、納税を認められて辺境軍事貴族に遇された、と理解できる。
これは朝廷や陸奥国府の「夷を持って夷を征す」の方針が陸奥の実情見て遂行された、
と見るべきだろう。

さて安倍氏の本貫地は、頼良の次男で跡継ぎの貞任の厨川柵が奥六郡最北端の
岩手郡に存在している事から、この岩手郡にあった、と思われる。
安倍氏は、奥六郡の支配を鎮守府が存在している胆沢郡から開始された訳ではなく、
最北端の岩手郡から開始され次第に南下した、可能性が高い。

安倍頼良は、奥六郡の支配体制が完成した事(父 忠良の代に奥六郡制圧完了?)により、
奥六郡北部(岩手郡・厨川柵?)から胆沢郡の衣川柵に移ってきた、そして
安倍氏の支配地域を奥六郡から更に南下させるべく活動していた。

事実、安倍氏の活動拠点は、奥六郡の南隣である磐井郡にも設けられており、
記録では三つの柵が確認できる。これらの柵は、衣川以南に存在し、安倍氏の
勢力南下と磐井郡が、鬼切部の戦い以前に安倍氏勢力圏に併呑されていた可能性
を物語っている。
16日本@名無史さん:2011/03/04(金) 11:03:15.28
安倍氏と陸奥国司や朝廷との最初の武力衝突が、玉造郡鬼切部で行われた
と言う事は、安倍氏は、既に磐井郡の制圧を終えており、次の目標として
磐井郡の南隣の栗原郡やそのまた南の玉造郡にまでに支配権拡大を目論ん
でいた可能性がある。

特に玉造郡鬼切部は、陸奥と出羽の交通の要所となっており、鬼切部にも柵が
設けられていた、と言う地元の伝承もある事から、玉造郡にも安倍氏の支配が
浸透してきたか、それを阻止する為に陸奥国司が柵を設けたか、どちらかの可
能性がある。

いずれにせよ、鬼切部の戦い以前に磐井郡や更にその南の郡にも安倍氏の
勢力が浸透を開始していた可能性すら考えられるのである。

「陸奥話記」には、安倍氏の衣川以南への進出が陸奥国府を刺激し、戦闘になった
と記述しているが、安倍氏の磐井郡以南の郡への進出が、その記述に当るのだろう。
17日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:29:07.03
やれやれ。
二度も続けて同じ年表レスを出してきから、過去スレで最後にはファビョッて逃げた奴と同一人物とは思っていたが・・・

> 1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍が正式に廃止、朝廷は奥六郡を放棄を決定

>朝廷

>鎮守府を
>廃止
したことがどうして
=>奥六郡を放棄
したことに繋がるのだ?
朝廷は奥六郡を、元の支配の及ばない蝦夷地に戻したとでも言うのか?

陸奥国府との権限の重複により、鎮守府機能は廃されたとしても、そのかわりに陸奥国府が、かつての鎮守府機能を吸収したのに決まっているだろう。

だいたい、そのような説を展開しているのはどの研究者?
工藤雅樹氏も高橋富雄氏も高橋崇氏もそんな説は唱えていないぞ。
18日本@名無史さん:2011/03/04(金) 13:12:55.08
>>17
返答が、欲しいか?

なら、ご返答をお願い致します。

が、無いぞ、オラ!オラ!

>安倍氏の本貫地が、奥六郡最北端の岩手郡の厨川柵


認めたんだな、
安倍氏の本貫地が岩手郡の厨川柵って事を。
19日本@名無史さん:2011/03/04(金) 13:43:35.63
>>18
> 返答が、欲しいか?
> なら、ご返答をお願い致します。

質問に質問で返してくるなよw
学術板でのルールを心得ていないのは相変わらずだなw

> が、無いぞ、オラ!オラ!

つまりお前の脳内ソースってことをそれこそ
>認めたんだな


> >安倍氏の本貫地が、奥六郡最北端の岩手郡の厨川柵


> 認めたんだな、
> 安倍氏の本貫地が岩手郡の厨川柵って事を。

それお前のレスだろ?
それに安倍氏の最重要拠点は厨川柵よりも(厨川も重要拠点には違いないが)むしろ鳥海柵だ。
つまり、安倍頼良の嫡子はこの鳥海柵を任されていた宗任である可能性の方が高いと見てるが?
20日本@名無史さん:2011/03/04(金) 14:01:14.74
蝦夷は、現在の盛岡県太平洋側の蝦夷と内陸部北上川沿いの蝦夷に大きく2分類
されており、奥州安倍氏は、当然内陸部の蝦夷としてカウントされる。

両者の詳しい性格、生活、経済活動の差は、後に述べるが、両者は通交しながらも
対立する事がママ在り、必ずしも蝦夷側が、一致団結する事はなかった。

780年に多賀城を一時陥落させた“宝亀の乱”の伊治公呰麻呂は、栗原郡の受領の
可能性がある蝦夷で、同じ俘囚出身である牡鹿郡受領の道嶋大盾は、呰麻呂を見下
して夷俘として侮ったために“宝亀の乱”の勃発となるが、これも内陸部の蝦夷と
海岸部の蝦夷の対立の可能性がある。
“宝亀の乱”は、当初は、内陸部の蝦夷と海岸部の蝦夷との対立が発火点であり、
後に陸奥国府が巻き込まれた可能性があり、蝦夷と陸奥国府の単純な対立だけが
奥州での戦乱とはいえない。

1018年には、中央官人同士の陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、
税金や交易上の利害の対立から、合戦に及んでおり、朝廷サイドすら一概に
団結しているともいえないのが実情である。

1018年の陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良の合戦を前九年の役の
前哨戦と位置づける向きもあるが、同じ日本人官人同士の対立である為に朝
廷がすぐさま介入し事態は長期化・広域化しなかった。
しかし、奥六郡を管轄する鎮守府将軍と陸奥国司が税や交易の処理で合戦まで
及んだのは、前九年の役の勃発理由に通じる処もあり、この時代の奥州北部
の経済活動の重要性と事態の不安定さを物語っている。
21日本@名無史さん:2011/03/04(金) 14:12:54.57
いいから>>17の質問に答えろよw

お前の脳内妄想の敷衍はいいから。
22日本@名無史さん:2011/03/04(金) 14:25:16.02
一般には安倍氏は鎮守府時代から在庁実務官吏として活躍しており、鎮守府の形骸化、廃止により、そんな彼らがより表に出る形で奥六郡に台頭してきたと言われる。

そのような経歴を有すると考えられる安倍氏が蝦夷であるわけがない。

またこれも過去スレで既に述べたが道嶋嶋足も、その姓、氏、高い官位を有することから見て蝦夷系豪族ではなく、中央官人の系譜を引く一族であることは明白である。
23日本@名無史さん:2011/03/04(金) 14:58:51.09
>>21は、

「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
           つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」

これを百回このスレに書き込んでおけ!
24日本@名無史さん:2011/03/04(金) 15:35:42.54
またファビョッたか・・・

奥六郡安倍氏は最近の研究者の間では、中央官人系氏族であり、在地豪族との姻戚により、陸奥に根を下ろしたとの考え方が主流になってきている。
つまり、安倍氏は関東その他の地域と同じ経緯を辿って在地豪族化していった一族とみなされて良い。
従ってその視点から見た「辺境軍事貴族」というなら、その見方は正しい。

だいたい蝦夷の者が陸奥権守などという高い地位に任じられるわけが無かろう。
「陸奥話記」に五位貴族への尊称である「大夫」等と記されるはずが無かろう。
(これも「陸奥話記」だが)一族に無官有位貴族への称号である「散位」と冠される人物が存在するはずも無かろう。

25日本@名無史さん:2011/03/04(金) 15:57:03.02
出羽仙北三郡清原氏が「真人」の姓を有し、前九年役の功績により鎮守府府将軍という高官に任じられたことを以て、清原氏は中央官人系氏族だとお前は過去スレで述べていたことと思うが、
ならば同じように「大夫」と称され、鎮守府将軍職よりも更に高位の陸奥国衙の最高職である受領職(権守)に任じられ、
「散位」号を冠する人物(安倍為元=忠良子息、頼良弟)が一族に存在する理由を以て、
陸奥奥六郡安倍氏をも、清原氏と同様に中央官人系氏族と見なすことは至極自然の成り行きであろう。

むしろ史料(といってもその数は甚だ少ないものではあるが)的には清原氏よりも、そのように見なされる材料が揃ってもいるのだ。


26日本@名無史さん:2011/03/04(金) 16:32:38.58
あの〜

「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
                   つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」

の100回書き込みがまだ無いんですけど。

早くして下さい。


27日本@名無史さん:2011/03/04(金) 16:46:00.69
>>26
今回は壊れるのが早かったなw
28日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:08:45.88
>>27
相変わらずアホやなw

アホなんだから

「奥州安倍氏の出目は、俘囚系蝦夷豪族でありながら、奥六郡の“兵”
                      つまり辺境軍事貴族として陸奥国府や朝廷に採用された。」

を100回書き込んで覚えとき!www
29日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:45:46.29
>>28
それをやるとどうなるの?ねえ、教えて?




『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?
30日本@名無史さん:2011/03/04(金) 18:19:39.67
>『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?

奥州安倍氏中央官人系豪族説の事だろ?

奥州安倍氏中央官人系豪族説=プロレス真剣勝負説w

奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
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奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
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奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
31日本@名無史さん:2011/03/04(金) 18:35:51.72
>>30
> >『嘘も100回書き込むと真実になる』のww?

> 奥州安倍氏中央官人系豪族説の事だろ?

> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=プロレス真剣勝負説w

> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
> 奥州安倍氏中央官人系豪族説=重光武雄『辛格浩(ロッテ創業者)』重光 葵外相親族説
・・・・

一ヶ所間違えている。

>奥州安倍氏中央官人系豪族説

のところを、
>奥州安倍氏俘囚系蝦夷説
ときちんと直しとけ、この火病りチョン太郎w!
32日本@名無史さん:2011/03/04(金) 22:45:26.82
>ときちんと直しとけ、この火病りチョン太郎w!

君ファビョリ杉。

このスレから退場汁!

出て行け、二度と書き込むな!
33日本@名無史さん:2011/03/04(金) 22:53:15.71
           __
        , ‐' ´   ``‐、             / ̄:三}
.     /,. -─‐- 、.   ヽ        /   ,.=j
 _,.:_'______ヽ、 .!       ./   _,ノ
  `‐、{ へ  '゙⌒ `!~ヽ. !     /{.  /
    `! し゚  ( ゚j `v‐冫   , '::::::::ヽ、/     そんなことより野球しようぜ!
.    {.l   '⌒      ゙ 6',!   / :::::::::::::::/ __
.     〈  < ´ ̄,フ  .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
.      ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠.   ヽ_}  ゙ヽ
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34日本@名無史さん:2011/03/04(金) 23:33:56.07
奥州安倍氏氏を何が何でも、蝦夷氏系であると主張する人たちがいる。
なぜだろう?

中央官人だと何か不都合なことがあるのだろうか?



俺はどっちでもいいけど。
35日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:02:49.50
安倍氏といえば、神武東征で大和を追われた大毘古の弟、安日彦の子孫だろう?
安倍氏が移り住んだ地域には横穴式墓が多く、埼玉県吉見の百穴、栃木県長岡の百穴、宮城県矢本町の百穴などがあります。
安倍氏は、阿部氏、我孫子などと名を変え今でも東日本各地で生きながらえています。
36日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:14:10.10
>>34
> 奥州安倍氏氏を何が何でも、蝦夷氏系であると主張する人たちがいる。

約一名だけだよ。過去スレ以来ずーっと。

> なぜだろう?
> 中央官人だと何か不都合なことがあるのだろうか?

こっちもそれが聞きたいところだが、どのような論拠や傍証を用いて話をしても、↑のようにファビョリ逃げした上で、悪態をついてくるだけになってしまうので議論にならない。
よってスレが非常に勿体無いので、そろそろ相手にしないのがよろし。

37日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:24:16.64
稲荷山鉄劍名分には、大彦は大和朝廷を佐治したとある。
大彦は、神武大和朝廷の尖兵隊として関東や東北勢罰に使われたのだ。
38日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:28:05.99
大君を補佐したのは大彦の子孫のヲワケ臣ね。
大彦とその子の建沼河は四道将軍。
39日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:28:46.67
そんな軍事力はどこにもない
先進文化の受容を通した緩い支配関係
40日本@名無史さん:2011/03/05(土) 00:43:42.91
>>39
それはヤマト王権による西国及び畿内近国の“制覇”過程においても、ほぼ同様のことが言える。
41日本@名無史さん:2011/03/05(土) 01:02:38.94
安倍晋三は腐臭w

>>24
>奥六郡安倍氏は最近の研究者の間では、中央官人系氏族であり、
>在地豪族との姻戚により、陸奥に根を下ろしたとの考え方が主流になってきている。

これは自民党安倍政権時代のヨイショ学者の説だろw
42日本@名無史さん:2011/03/05(土) 01:07:11.62
>>41
> 安倍晋三は腐臭w

あちこちのスレで同じレスしまくっているのもやはりお前だったのかw
43日本@名無史さん:2011/03/05(土) 01:28:15.81
>>41
>自民党安倍政権時代のヨイショ学者の説だろw

残念ながら安倍政権時代(2006・9〜2007・9)以前からだよ。

44日本@名無史さん:2011/03/05(土) 19:09:47.83
自民党清和会になんで俘囚がいるの?
45日本@名無史さん:2011/03/05(土) 19:39:38.27
いちゃいけないって法律でもあるの?
46日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:24:58.99
先祖の兄を清和源氏に惨殺されたのにね。
47日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:27:48.43
小沢一郎はアテルイの生まれ変わり。
48日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:31:07.39
>>43
岸、佐藤時代以降だったらヨイショは十分立証されるなw
49日本@名無史さん:2011/03/06(日) 00:27:19.96
どのように?
50日本@名無史さん:2011/03/06(日) 02:29:45.36
>>46
> 先祖の兄を清和源氏に惨殺されたのにね

肉親同志の凄惨な殺しあいや暗殺なんて清和源氏内では全然珍しくもないし。

近年の研究では安倍氏の一族内でも(清原氏も関与する形で)、それぞれの政治的立場に微妙な温度差があったという説が唱えられはじめてきているんだよ。

それは安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任にとって、兄・貞任は邪魔な存在となりつつあり、また脅威な存在ともなりつつあったというもの。

この説に従えば宗任にとって、貞任が戦死したことは怨恨を抱くことでも何でもないことになる。
51日本@名無史さん:2011/03/06(日) 12:14:46.38
近年のけんきゅーってな〜に?
52日本@名無史さん:2011/03/06(日) 12:17:40.99
鋸引きリンチ殺人は戦死じゃ〜ないね
53日本@名無史さん:2011/03/06(日) 12:42:34.67
>この説に従えば宗任にとって、貞任が戦死したことは怨恨を抱くことでも何でもないことになる。

安倍氏丸ごと潰されているのに怨恨もヘッタクレも無いだろうw
奥六郡は、出羽清原氏に丸呑みされている。

奥州安倍氏の内部で温度差があったというなら、頼良-貞任ラインで推し進めている
支配地拡大的南下路線についてだろう。
この南下路線を推し進める為に頼良-貞任ラインは、明らかに陸奥南部の中央官人系受領
との婚姻関係強化に動いており、本来蝦夷俘囚系が血統的ルーツである安倍氏にとって
自らの蝦夷系血統を否定するもしくは薄める方法で支配地拡大動いており、これに反対
する声が安倍氏内部や奥六郡での蝦夷系住民内部で大きくなっていた可能性がある。

事実、出羽清原氏では、後に子の居ない真衡の跡継ぎとしての海道平氏との養子縁組の
是非を巡る感情的な対立から後三年の役が勃発している。

>安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任

そんな記録も状況証拠も無いぞ。

>兄・貞任は邪魔な存在となりつつあり、また脅威な存在ともなりつつあったというもの。

ジオン公国のザビ家の事だろう?
54日本@名無史さん:2011/03/06(日) 12:50:48.12
宗任キシリアなら重任がドズルかよw
55日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:05:21.66
>>53

他人の質問は(>>17)スルーするわ、論に詰まると荒らし行って逃げまくるわでどの面下げてレスしてくるんだとは感心するが。


> 安倍氏丸ごと潰されているのに怨恨もヘッタクレも無いだろうw

それは結果から見ているからだよ。
けど宗任、正任、そして清衡母子は助かっているね。
その理由について考察しているのが樋口智志岩手大学教授だ。


> 奥六郡は、出羽清原氏に丸呑みされている。

その仙北三郡清原氏を背景にして強い関係で結ばれていたのが宗任らだというのだ。
樋口教授の推論によれば、宗任、正任、そして経清妻=清衡母の母は清原氏であり、貞任の母は気仙郡司・金氏の一族であるという(但し、工藤雅樹氏は貞任母は岩手郡の在地豪族であろうと推測している)。


> 奥州安倍氏の内部で温度差があったというなら、頼良-貞任ラインで推し進めている > 支配地拡大的南下路線についてだろう。

そう推測する根拠は?
安倍頼良の嫡子は奥六郡内における最重要拠点である鳥海柵を任されていた宗任である、との見解は工藤、樋口両教授の一致した意見だぞ。

そして、その宗任母について上述の考察を加えているのが樋口教授であり、その論に従えばということでレスしたのが>>50で書いた内容だ。

俺自身は宗任らの母が清原氏であるかどうかについてはまだ確信を持つには至っていないでいる。
だが、清原、安倍両氏とも累代に渡って隣接したエリアにおいて勢力をふるっている以上、この両氏が姻戚関係によって結ばれていない筈がないとは思っている。
よって樋口氏説は非常に魅力ある見解ではある。

56日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:28:57.20
>>53
> この南下路線を推し進める為に頼良-貞任ラインは、明らかに陸奥南部の中央官人系受領
> との婚姻関係強化に動いており

>頼良-貞任ライン
等ではないよw
在地豪族が受領や中央軍事貴族と姻戚関係を結んでその一族と化していくのは、全国共通のプロセスだ。
特に中央軍事貴族(系一族を含む)と結ぶのは東国全体の傾向だ。奥羽では奥六郡安倍氏、仙北三郡清原氏ともにこれをやっている。
清原氏は海道平氏、安倍氏は桓武平氏(永衡)、秀郷流藤原(経清)の両軍事貴族から招婿を行っている。


> 本来蝦夷俘囚系が血統的ルーツである安倍氏にとって

俺の再三に渡る(しかも過去スレ以来のだw)論拠の提示はもはや完全スルーかw
どうしても安倍氏を蝦夷と主張したいのなら、俺の論拠が霞んでしまうぐらいの説得力のある論拠を挙げた上でやってみろw


57日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:45:00.16
>>53
>安倍氏の総領筋を継ぐべき立場である宗任

> そんな記録も状況証拠も無いぞ。


>記録については当たり前だw
10世紀から安倍、清原両氏の登場する11世紀半ば頃までの奥羽地方は史料の極端に不足する時期だからだ。
高橋崇氏の言葉を借りるならば「(史料の)暗黒時代」だ。

だが
>状況証拠
についてはどうかね?
すでに上でレスしたはずだが。

だいたいお前
>状況証拠
の意味分かってる?

58日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:48:08.21
>他人の質問は(>>17)スルーするわ、論に詰まると荒らし行って逃げまくるわで
>どの面下げてレスしてくるんだとは感心するが。

お前偉そうだな、別にこのスレに書き込みする必要は無いんだよ。

“奥州安倍氏中央官人説のスレ”でも建てて自分の意見を開陳していろ。

それともナリスマシを見破られて、異民族である事がばれると困る立場なのかな?
民団?ソー連?韓青?

>樋口智志岩手大学教授だ。

シラネーよ!ナンだそいつは?

>樋口教授の推論によれば、宗任、正任、そして経清妻=清衡母の母は清原氏であり

客観的な史料どころか状況証拠すらないのにw

>この両氏が姻戚関係によって結ばれていない筈がないとは思っている。

姻戚関係はともかく協力関係には有っただろう。
「東日流外三郡誌」には、清原守武という出羽清原氏の一員が、宋との密貿易をとがめられ、
佐渡に流罪となったが、安倍頼時が、奪い返し身柄を奪回した。とある。
同書は、いい加減な書だが、安倍氏と清原氏には関係がある事を言いたいのだろう。

>その仙北三郡清原氏を背景にして強い関係で結ばれていたのが宗任らだというのだ。

出羽清原氏ですら割れているよ。
59日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:02:12.56
>>55
宗任が貞任を裏切ったというなら宗任に恩賞が有るか、逆に余計な事を言わないように殺すかだろう。
流罪は中途半端。
60日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:16:34.45
>>58
> お前偉そうだな、別にこのスレに書き込みする必要は無いんだよ。

感情論はいいからきちんと反論してみなよ。
出来ないのかな?

> “奥州安倍氏中央官人説のスレ”でも建てて自分の意見を開陳していろ。

それを言うならお前も
>「論拠は無いけど(w)何がなんでも安倍氏は俘囚蝦夷系豪族なのw!説」
を建てて、そこで自分の妄想を念仏のように延々と
>開陳して
いないといけないと言うことになる罠w

但し、ここは学問板だから、論拠を述べられないのなら他でやってくれ。
最悪板がメンヘル板がオススメだよw


過去ログ読み返せよw
繰り返すがお前本当に
>状況証拠
の意味分かって言ってるw?


>出羽清原氏ですら割れているよ

出羽清原氏は割れていないなどどこでも述べていないが?
それと時系列理解してる?
61日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:31:24.07
>>59
>中途半端
なのはお前の推論能力の方だよ。

清原氏は、頼義からの再三に渡る安倍氏討伐戦への参戦依頼に対し、
乱後は母系で自分たち(清原)の血を引く宗任を中心に据えて安倍氏を再編成する目論見を抱いて頼義の依頼に応じたとするのが樋口氏説だ。
だが乱後、清原氏のその目論見は頼義に見破られ、それで宗任、正任らは都に連行されていくことになる。

それに魅力はあるが俺はまだ樋口氏説は保留中だと言ってもいるが?







それで
>>17の質問への答えはまだか?
62日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:44:25.01
上で2回もヒントを出してやってるのに
>状況証拠
はまだ分からんか?

(とりあえず樋口教授説は措いておくとしても)
安倍氏の嫡氏が宗任であるのは、宗任の根拠地が奥六郡内最重要拠点である鳥海柵であるからであり、
その鳥海柵が最重要拠点である理由はそこが奥六郡内にある安倍氏の諸城柵の中で、かつての胆沢鎮守府と最も至近距離にあるのが鳥海柵だからだよ(工藤雅樹氏説)。
つまり、鳥海柵とはかつての鎮守府機能の継承的存在なのであるというのが工藤雅樹氏説。
これはその通りと俺も考えている。
63日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:57:25.65
しかし恥ずかしげもなく
>「東日流外三郡誌」

を出してきたのには固まってしまったな。

やっぱりオカ板かメンヘル板の範疇だわお前w。




いやしかし悶絶させて貰うには十分だったよww
64日本@名無史さん:2011/03/06(日) 16:44:50.89
>>61
俺はお前さんの論戦相手じゃないんだけど。清原の目論見が外れたにしては清原が手に入れた物はあまりに多く、
頼義が手に入れた物はあまりに少ないな。

ちなみに59は俺ね。
65日本@名無史さん:2011/03/06(日) 17:03:21.28
>>64
> 俺はお前さんの論戦相手じゃないんだけど。

それは失礼したね。
何しろ病人相手にしてるものでね。


>清原の目論見が外れたにしては清原が手に入れた物はあまりに多く、
> 頼義が手に入れた物はあまりに少ないな。

それは貴方の主観にすぎないな。

>多

>少ない
なんてのは見る人それぞれの基準によって違ってくるだろうからね。

前九年役の最大の功労者が誰であるのかという観点から評価する人の基準に依ったならば、清原氏、頼義両者への恩賞の
>多

>少ない
の見方は貴方と違って至極妥当のものである、と認識されることであろうしね。

66日本@名無史さん:2011/03/06(日) 20:13:56.37
>>65
清原の目論見では安倍氏の当主となった宗任の黒幕として奥州に影響力を持つ。これが失敗して
実際に得た物は奥州の支配者の地位。どっちが大きいか判らんというの?

対して頼義が手に入れたもの。宗任の身柄。清原の支配権を確立する手助けにしかなってない。
67日本@名無史さん:2011/03/06(日) 20:53:38.71
>>65
> 清原の目論見では安倍氏の当主となった宗任の黒幕として奥州に影響力を持つ。これが失敗して
> 実際に得た物は奥州の支配者の地位。どっちが大きいか判らんというの?


何を言っているんだ?
清原氏にとっては単に参戦前の「目論見」と戦後の恩賞に開きがあったというだけのことだろう(あくまでも樋口氏説に沿って論を進めた場合の話な)。
そして清原氏にとってはそれは「嬉しい誤算」だったということだろう。
それともお前の考えでは、参戦前に描いた「目論見」と戦後に受けた結果とがぴたりと一致しなければならないのか?

> 対して頼義が手に入れたもの。宗任の身柄。清原の支配権を確立する手助けにしかなってない。

だからそれも結果論だろw
頼義は頼義で勿論、奥州そして奥六郡に対して抱いていた野心があったことだろう。
だがそんな頼義は黄海の合戦で命を落としてもおかしくないほどに安倍軍に惨敗している。
そこで「臣下の礼」を取るようなやり方をしてまでも出羽清原氏に参戦を乞い願ったのだ。
この点、頼義と清原氏の関係は、承平天慶の乱での貞盛と秀郷の関係に似ているといえる。
同乱鎮圧における恩賞の一番手は貞盛ではなく、秀郷であったことからも明らかなように、
国家(国府)への反逆行為への鎮圧においては、まず反逆者を倒した武力の担い手に対して乱後の恩賞が最優先に下されることになっていたのだろう。

6867:2011/03/06(日) 20:56:03.20
アンカミス

↑は
>>66
に対してね。
69日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:06:19.93
>乱後は母系で自分たち(清原)の血を引く宗任を中心に据えて
>安倍氏を再編成する目論見を抱いて頼義の依頼に応じたとするのが樋口氏説だ。

そんなの無理な説だ。 めんどくさ杉。

源氏に奥州安倍氏を滅ぼさせて、陸奥国司や鎮守府将軍の任期切れを待ち、
畿内に源氏が帰った後に奥六郡を丸呑するのが一番手っ取り早い。 事実、史実ではそうなっている。

それよりも頼義は出羽清原氏に再三、協力を依頼し続け(清原氏は、頼義が清原光頼に
臣下の礼を取って参戦を依頼したと伝えていた)、ついに清原氏は重い腰を上げて参戦を決意した。

しかし、出羽清原氏内部で本来の嫡流である光頼・頼遠親子は、従来の安倍氏
との協調関係を考えて自らの出兵を差し控え、その代わりに光頼の弟の武則
武貞親子が出兵を指揮した。

ある意味この時点で出羽清原氏は、親安倍派の光頼・頼遠ラインと反安倍派
(親源氏派)武則・武貞ラインに分裂し始め、武則の鎮守府将軍任官で出羽
清原氏の分裂は決定的になった。
また、源頼義は自分の依頼を受けて出動し安倍氏と戦ってくれた武則を
鎮守府将軍に遇する事で、新たな出羽清原氏の嫡流に据えてしまった。

これにより旧出羽清原氏嫡流の光頼・頼遠親子は、源頼義や光頼・頼遠
ラインに反発を強め、余計に奥州安倍氏残党を擁護結託する姿勢を示す。
清原頼遠が、前九年の役の最中に安倍正任をかくまったのは、この為である。

安倍正任は、大鳥山太郎(清原)頼遠の許に隠れていたが、
後に宗任が帰降した事を聞いて、出頭して来たと言われる。

出羽清原氏は、武則・武貞ラインが安倍氏を攻めている時でも、光頼・頼遠ライン
で出羽の国の中に、安倍氏の一員をかくまっていた事実があり、事実上の前九年の役
では出羽清原氏は分裂状態にあったという事である。
また、それほど実際には、奥州安倍氏と出羽清原氏は親密な関係にあったとも言える。
70日本@名無史さん:2011/03/06(日) 22:07:05.89
>>67
それで清原の邪魔をするつもりで宗任を拉致したのにかえって全部清原に持って行かれたって理屈が判らん。
「臣下の礼」を取る立場でなんで宗任を拉致出来るんだ?
71日本@名無史さん:2011/03/06(日) 22:08:15.63
>>69
> そんなの無理な説だ。 めんどくさ杉。

>めんどくさ杉
でもなんでもないよw
手段としての戦争を漫画か何かのように軽く考え過ぎているから、そういう結果論でしかものを見られないのだ。
戦争して相手を滅ぼすなどというのは最終手段だ。
それをするには一体どれだけのリスク、コストがかかると思っているんだ?
だからこそ、清原氏はなかなか思い腰をあげようとはしなかった。
言っとくが参戦前の段階での話だぞ。
それをするぐらいだったら姻戚関係を通じており、しかも政治的思惑の一致した相手と謀ってことをすすめる方がよほど
>手っ取り早い。

こちらが受けるダメージを最小限におさえるべく、相手を調略して取り込むという戦略の方こそ古今東西変わらぬやり方だ。

さまざまな理由により、それが叶わなくなった時になって初めて戦争という最終手段を選択するようになるのだ。
72日本@名無史さん:2011/03/06(日) 22:15:59.91
>>70
> それで清原の邪魔をするつもりで宗任を拉致したのにかえって全部清原に持って行かれたって理屈が判らん。

重箱の隅をつつくような真似はもうやめとけよw
清原氏の思惑があり、頼義の思惑があり、そして朝廷の思惑があるからに決まっているだろう。


> 「臣下の礼」を取る立場でなんで宗任を拉致出来るんだ?

宗任は「清原宗任」か?
73日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:01:50.83
>>60
>但し、ここは学問板だから、論拠を述べられないのなら他でやってくれ。

安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw

おまけにお前の勝手な仕切りは無視されているw
馬鹿じゃね〜
74日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:46:14.59
初めて書き込むが・・・
これだけ言わせてくれ

>安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw

三郡誌を持ち出す人間がエビデンスを口にするか(笑)

それと「樋口智志」じゃなく「樋口知志」岩手大学教授な
近々本が出るらしい

はい、続きどうぞ
75日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:51:28.51
>ある意味この時点で出羽清原氏は、親安倍派の光頼・頼遠ラインと反安倍派
>(親源氏派)武則・武貞ラインに分裂し始め、武則の鎮守府将軍任官で出羽
>清原氏の分裂は決定的になった。

出羽清原氏は、前九年の役以後には仙北三郡と奥六郡双方を領有する奥羽清原氏になる。
そして陸奥鎮守府と出羽秋田城に分かれていた東夷成敗権が鎮守府に一本化された事で
新たに清原氏の嫡流となった武則・武貞・真衡ラインは、安倍氏の重要拠点であった
奥六郡の胆沢郡に居を移す。
これは安倍氏が陸奥国府や朝廷から委任されていた、鎮守府業務を清原氏新嫡流である
武則・武貞・真衡ラインが引継ぐ為であるが、他にも理由があるのかもしれない。

つまり、仙北三郡では、清原氏旧嫡流である光頼・頼遠親子の勢力が根強く、安倍氏との
同盟を解消し源氏と新たに同盟する事で奥六郡を手に入れた武則・武貞ラインへの反感
や蔑視が強く、新嫡流の武則・武貞親子としては、新天地での奥六郡での業務遂行の方が
よりやりやすかったのかも知れない。

そういう背景から、清原氏が仙北三郡と奥六郡双方を領有し、新嫡流の武則・武貞ラインが、
奥六郡に移って来た事それ自体が、清原氏の分裂を既に内在していた事になる。

真衡、家衡、清衡三兄弟なってから急に仲たがいを始め、清原氏が分裂したのではなく、
武則が清原氏の新嫡流になり鎮守府将軍に任官して奥六郡に移って来た事が、もはや
清原氏が分裂し始めの一例に過ぎないのである。
76日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:52:40.07
>>73
> 安倍氏中央官人説は、論拠なし、エビデンスなしw


ほぉ。
ならば清原氏中央官人説の
>論拠
>エビデンス
についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。


> おまけにお前の勝手な仕切りは無視されているw


お前の悔しい気持ちがひしひしと伝わってくる文面ではあるよなw
よっぽど
>仕切り
たかったんだよね。






残念だったねw
77日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:57:39.79
>>74
> 三郡誌を持ち出す人間がエビデンスを口にするか(笑)

同感だが、本人にとっては一向に構わないことであるらしい。


> それと「樋口智志」じゃなく「樋口知志」岩手大学教授な

素で間違えてた。以後気をつけます。

> 近々本が出るらしい

それは楽しみ。
良い情報をありがとう。
78日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:02:28.28
>>75
そこで、光頼系統は既に以前から安倍氏と姻戚関係によって結ばれていた可能性について触れているのが工藤雅樹氏なんだけどね。
79日本@名無史さん:2011/03/07(月) 10:52:48.22
>ほぉ。
>ならば清原氏中央官人説の>論拠>エビデンス
>についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。

うんうん、機動戦士ガンダムって面白いよね。

>お前の悔しい気持ちがひしひしと伝わってくる文面ではあるよなw

うんうん奥州安倍氏中央官人説は、ちーとも広がらんねw
80日本@名無史さん:2011/03/07(月) 12:34:51.66
>>78
可能性はあるが、記録がない。
どっかの公家の家にでも、その手の記載があればな〜

安倍-清原同盟の窓口は、頼良時代は、光頼で、貞任時代は、頼遠かも…
貞任が気仙郡の金氏(海道蝦夷)との婚姻を進めた為に、頼良時代程の同盟
の緊密性が無くなり、清原氏の武則・武貞ラインが源頼義の誘いに応じて
しまったのかも知れない。

それと貞任は、南下志向が強かったのかもしれない。清原氏との同盟関係
の維持は、他の一族に任せて、もっと陸奥南部に進出したかったのかも。
ま〜南下政策は、父頼良が始めたモノで、貞任はより積極的にそれを担った
のかもしれない。

清原氏からしても、安倍氏の南下政策は、同盟関係が無くならないのであれば、損ではないはず。

磐井郡を領有した安倍氏は、更に南下すべく行動し始めるが、気仙郡や登米郡、新田郡には進出
せずに栗原郡や玉造郡に進出している。事実、玉造郡の鬼切部で陸奥国府と秋田城介の連合軍と
戦闘になっている。これは、気仙郡の金一族と貞任は婚姻しており、既に安倍氏と金一族は同盟
関係有ったので進出しなかった。登米郡、新田郡にも金一族やそれに近い海道蝦夷が居住していた
為に進出しにくかった。残るは栗原郡であり、そのまた先の玉造郡であった。
81日本@名無史さん:2011/03/07(月) 12:36:13.86
(>>80のつづき)
栗原郡は、宝亀の乱の伊治公呰麻呂が受領を勤めていた郡で、蝦夷俘囚を血統的なルーツとする
安倍氏にとって領有する事は、特別な意味があったのかもしれない。しかし他の要因の可能性も
検討すべきだ。例えば出羽清原氏からの要請も安倍氏が栗原郡や玉造郡に進出した要因にもなる、
可能性があると思う。

なぜ出羽清原氏が、安倍氏に栗原郡や玉造郡に進出を要請したのかといえば、まずは出羽清原氏
自らは動けない事があげられる。この時点では、平繁成が秋田城介の任にあり、秋田城介が行政
機構として機能していた。胆沢郡の鎮守府の様に朝廷や陸奥国府が廃止した訳ではない為に
出羽清原氏は動けなかった。そして鬼切部の関が、陸奥北部と出羽北部を結ぶ交通の結節点に
なっており、ここを安倍氏が制すれば、陸奥国府軍も秋田城介軍も交通出来なくなり、双方が
支援することが難しくなる、事が挙げられよう。陸奥国府と秋田城介はお互いに何か軍事的な
事態が発生した時は支援し合う事になっている。事実、鬼切部の戦いの時は、安倍氏は両軍と
戦っている。出羽清原氏と奥州安倍氏の同盟関係も陸奥国府や秋田城介サイドには、知られて
おり。この同盟に対応すべく陸奥国府と秋田城介は連係していたのかもしれない。

出羽清原氏は、奥州安倍氏に鬼切部の関を制圧させる事で、陸奥国府と秋田城介の連係を妨害し、
孤立させるべく考えたのかもしれない。この事から、鬼切部の戦いには、秋田城介軍には当然
清原氏の部隊は居ない、平繁盛としても安倍氏を攻撃する為に清原氏を動員したら、裏切られる
と思ったのかも知れない。

この様に安倍-清原同盟は、陸奥国府と秋田城介の連係に対応したモノであり、安倍・清原両氏とも
陸奥国府と秋田城介の連係を阻害する事で、自己の立場の強化を考えていた可能性がある。
82日本@名無史さん:2011/03/07(月) 16:22:38.38
871年〜 朝廷と陸奥国司が、奥六郡の和賀郡・碑貫郡・紫波郡(岩手郡も?)の放棄を決定
927年  陸奥北限国域が縮小南下する。

1013年 平維良が、左大臣藤原道長に膨大な賄賂を贈った事で鎮守府将軍任官に成功する

1018年 陸奥国司 藤原貞仲と鎮守府将軍 平維良が、税金の徴収や蝦夷との貿易を巡り合戦

   同年 陸奥国司 藤原貞仲の要請により平維良は、鎮守府将軍職を解任される
       (陸奥国司 藤原貞仲は、鎮守府将軍職廃止も要請)

1019年 平永盛が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再要請)

1025年 藤原頼行が鎮守府将軍に任命される。(陸奥国司は、鎮守府将軍職廃止を再々要請)

1027年 陸奥国司の度重なる要請により鎮守府将軍職を正式に廃止し、胆沢城を破棄する
       朝廷は江刺郡と胆沢郡をも廃止し奥六郡全てを放棄する

1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される

1051年 陸奥国司 藤原登任と秋田城介 平繁成の数千の兵が、鬼切部で安倍頼良の部隊と衝突、
       藤原登任と平繁成は大敗する。 (鬼切部の戦い)
83日本@名無史さん:2011/03/07(月) 20:23:22.53
>>79
> >ほぉ。
> >ならば清原氏中央官人説の>論拠>エビデンス
> >についてはどうなってんだ?ん?言ってみ。聞いてやるから。

> うんうん、機動戦士ガンダムって面白いよね。


君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。
能力ないね。


> うんうん奥州安倍氏中央官人説は、ちーとも広がらんねw

君の『願望』をよそに
もう大勢は決まってんだよ。

84日本@名無史さん:2011/03/07(月) 20:32:13.14
>>80
>>78
> 可能性はあるが、記録がない。

記録の空白時代だからね。
でも、それを言ったら、清原氏も記録は無い点は同じこと。
だから傍証から探ってゆくしかない。


> どっかの公家の家にでも、その手の記載があればな〜

『範国記』に安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ。
これは同時代記録だから注目に値する。
樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も、これを重大な論拠として安倍氏中央貴族出自説を展開してる。
85日本@名無史さん:2011/03/07(月) 20:58:41.39
>君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。

ちゃんと答えている。
オメーは、日本語読めないのか!?

>樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も

アムロ・レイ(古谷徹)なら知っている。

>安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ

正確には“忠好”だけ
安倍かどうかわからないし、頼良の父の正式名は忠良。

また、任官の記録=中央官人ではない。

アテルイにもモレにも伊治公呰麻呂にも官職の記録あり、
この連中も中央官人だというなら仕方ないけどなw
86日本@名無史さん:2011/03/07(月) 21:38:00.87
>>85
> >君、ありとあらゆる質問に答えられなさ杉。

> ちゃんと答えている

どこで?
ちゃんと答えた箇所提示してみなよ。
出来るんなら。

> オメーは、日本語読めないのか!?

一応、あんたと違って樋口教授等の名前ぐらいは知っているけどね。
まあ「東日流外三郡誌」では君に到底及ばないがw
何れにせよお前の虚勢にはもう飽きた。


> >樋口知志氏も戸川点氏も井手将人氏も

> アムロ・レイ(古谷徹)なら知っている。
無知だねえ。

君は答えに詰まると揚げ足とったりして誤魔化すことしか出来ないが、己れの池沼ぶり曝してるだけだからもうやめといたら?

> >安倍忠好が陸奥権守任官の記録があるんだよ

> 正確には“忠好”だけ
> 安倍かどうかわからないし、頼良の父の正式名は忠良

時期的に間違いない。
他に候補としてどの「忠好」が挙げられるんだ?
87日本@名無史さん:2011/03/07(月) 21:42:33.96
>>85
> また、任官の記録=中央官人ではない。

過去スレ以来すでに何度も述べているが、蝦夷の者が権守などという高い地位に任じられた例は無い。

> アテルイにもモレにも伊治公呰麻呂にも官職の記録あり、
> この連中も中央官人だというなら仕方ないけどなw


この程度の答えが限界か?

本気で言っているなら、権守と郡司クラスの違いも認識できていないことになるので、やっぱり君は池沼であること間違いなしだよ。
88日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:35:13.94
>>85 は

 馬鹿な 津軽衆

安東氏を蝦夷の末裔として誇っているから、安倍氏はどうしても
蝦夷でなければならない。
89日本@名無史さん:2011/03/07(月) 23:44:26.49
>蝦夷の者が権守などという高い地位に任じられた例は無い。

て事は、出羽清原氏が、鎮守府将軍に任官できたのは、中央官人系だからかな?

蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?w
90日本@名無史さん:2011/03/07(月) 23:51:03.35
>>89
> て事は、出羽清原氏が、鎮守府将軍に任官できたのは、中央官人系だからかな?

> 蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?w


出羽仙北三郡清原氏が中央貴族系氏族であるとの主張は、過去スレ以来の君の主張じゃないか。




見苦しいからもうやめときなよ。
91日本@名無史さん:2011/03/08(火) 00:31:36.19
蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?





1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される

この時点で奥州安倍氏の奥六郡支配は朝廷と陸奥国府に認められた。
そして胆沢郡の鎮守府将軍業務は安倍氏の機関委任され、蝦夷系豪族でありながら
事実上安倍氏が鎮守府将軍の役目を担う様になった。


同じ時期、仙北三郡の清原氏は一族が三郡に広まっていたにも関らず、
秋田城の行政・軍事機能がまだ生きていた為に、秋田城介の監督統制下にあり、
秋田城介業務を清原氏が担う状態には無かった。
92日本@名無史さん:2011/03/08(火) 01:02:22.51
>>91
君にはいつものことだが、全然論理的展開になっていないよ。


> 蝦夷系豪族だと高い地位には就けないんだろ?

> 1036年 陸奥権守に安倍頼良の父 忠良(忠好)が任命される

> この時点で奥州安倍氏の奥六郡支配は朝廷と陸奥国府に認められた。


公家(平範国)の日記に安倍忠好の陸奥権守任官が記録されたからといって、どうしてその
>時点で奥州安倍氏の奥六郡支配

>朝廷と陸奥国府に認められた
なんてことに決めつけられるのだ?
鎮守府機能の健在だった頃から安倍氏は在庁官人として重きを成していたとするのが現在の学界での主流を占める見解だ。
つまり、安倍氏の事実上の
>奥六郡支配
は忠好以前から継続されてきたものと考えられる。


> そして胆沢郡の鎮守府将軍業務は安倍氏の機関委任され

>>17で書いた通りだ。
しばらく鎮守府将軍が中央から派遣されるということが無くなったと考えられるため、自動的に代々在庁としての実務の担い手であった安倍氏が大きく勢力を伸ばしていたということにすぎない。

93日本@名無史さん:2011/03/08(火) 01:15:11.67
>>91
>蝦夷系豪族でありながら
> 事実上安倍氏が鎮守府将軍の役目を担う様になった。

上述の理由により、安倍氏は中央官人系氏族と思われる。


> 同じ時期、仙北三郡の清原氏は一族が三郡に広まっていたにも関らず、
> 秋田城の行政・軍事機能がまだ生きていた為に、秋田城介の監督統制下にあり、
> 秋田城介業務を清原氏が担う状態には無かった。

上述の理由により安倍、清原両氏が中央官人系氏族であったかどうかを、
国府などの
>監督統制下に
あったからとか、無かったから等という理由によって判断することは的はずれも甚だしい。

94日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:21:50.33
>上述の理由により安倍、清原両氏が中央官人系氏族であったかどうかを、
>国府などの監督統制下にあったからとか、無かったから等という理由に
>よって判断することは的はずれも甚だしい。

別にそこまでは言っていない、日本語読めるのか?w

>自動的に代々在庁としての実務の担い手であった安倍氏が
>大きく勢力を伸ばしていたということにすぎない。

機関委任事務だらけの王朝国家だからといって全ての事務手続きがいい加減な訳なかろうがw
なんだ?自動的ってw

陸奥国司は、引継ぎもしないで奥六郡から撤退したとでも?
95日本@名無史さん:2011/03/08(火) 23:31:37.51
>>94
> 別にそこまでは言っていない、日本語読めるのか?w

>そこまでは言ってい
るではないか。
他にどう読めというんだ?

> 機関委任事務だらけの王朝国家だからといって全ての事務手続きがいい加減な訳なかろうがw
> なんだ?自動的ってw

安倍氏の「在庁」というのを、今度は陸奥国衙におけるそれのこととわざと読み間違えか。

相変わらず見苦しいやり方を続けてくるな。

君もはや反論のための反論をするためだけに、あれこれ難癖つけてはレスすることしか出来なくなってしまっているよ。

「在庁」というのは胆沢鎮守府におけるそれのことに決まっているだろう。

いつ俺が、安倍氏が陸奥国衙における代々の在庁実務官人職を継承してきた一族だ、などというレスをした。

胆沢鎮守府のフェードアウト、一時停止化により、
中央から鎮守府将軍が送られるということが途絶えたことにより、
「自動的」に代々「鎮守府在庁官人」を勤めてきた安倍氏が表明に上がってくる形で、その存在感が増してくることになったと言っているのだ。

アホらしい。
96日本@名無史さん:2011/03/08(火) 23:34:49.05
>>94
> 陸奥国司は、引継ぎもしないで奥六郡から撤退したとでも?


ほう。↑のようなレス内容を投下してきたということは、
俺の>>17での指摘を受けて、少しは己れの薄っぺらな見解を修正する気にはなってきたということなんだな?





一歩前進だよ。
97日本@名無史さん:2011/03/09(水) 00:35:39.38
>一歩前進だよ。

奥州安倍氏中央官人説なんて、ちっとも広がっていない。
残念ですた。



君は、まだ奥州安倍氏中央官人説で足踏みしているねw
どうしようもないね〜w
98日本@名無史さん:2011/03/09(水) 01:04:18.94
>>97
> 奥州安倍氏中央官人説なんて、ちっとも広がっていない。
> 残念ですた。

現在の学界でもはや誰も唱えていない安倍氏蝦夷説なんて今や風前の灯火だよ。


> 君は、まだ奥州安倍氏中央官人説で足踏みしているねw
> どうしようもないね〜w


下卑た文面書きつらねながらあんた1人で勝手に
>足踏み
続けてなよ。

99日本@名無史さん:2011/03/10(木) 00:41:49.00
鎮守府在庁官人の中で力のある、そして陸奥国府に受けの良い蝦夷系豪族が、安倍忠良だった。

そして既に朝廷と陸奥国府が放棄していた奥六郡の北側三〜四郡で最有力の豪族が旧岩手郡に柵を構える
蝦夷系豪族であり、陸奥国府に確実に税金を納め、交易管理を行っていた安倍忠良だった。
そういう意味では、陸奥国府の評価は、安倍忠良>>>>越えられない壁>>>>平維良だったのだろう。

れっきとした中央官人の平維良が、メチャクチャな事をした為に、
真面目に鎮守府将軍業務をやってくれるのであれば、蝦夷系豪族でも構わない、
と言う判断が陸奥国府に有ったと思われる。それだけ平維良の行いは酷かった。(戦闘にまで至った)

他の鎮守府在庁官人中で中央官人系は、陸奥国府がある多賀城やその他の奥六郡以南の郡に撤退した。
蝦夷系の鎮守府在庁官人は、そのまま安倍氏の奥六郡の支配体制に組み込まれた。

1027年に鎮守府将軍職を廃止にした時に忠良に鎮守府将軍業務を委託し、
引継ぎをして朝廷と陸奥国府は奥六郡から撤退した。そしては忠良は、納税と
交易管理は、陸奥国府の期待どうりに成し遂げ高い評価を得た。
尚且つ安倍氏の奥六郡支配体制も確実に深化整備され、これらの功績や実力が認められ、
晴れて1036年に陸奥権守に忠良(忠好)が任命された。

その後忠良は亡くなり、頼義が後を継いだ。しかし忠良には行われていた納税が
怠るようになった。特に貢金が行われなくなった。(貢馬は、それなりにやっていた)

また、頼義は奥六郡だけの支配には飽き足らず、南隣の磐井郡に進出を開始、
これまでの出羽清原氏との同盟だけではなく、海道蝦夷で気仙郡郡司の金一族
と安倍氏の跡継ぎである貞任を結婚させて、今まで何かと対立してきた
山道蝦夷(安倍氏)と海道蝦夷の同盟にも着手した。

これは、陸奥国府にとって重大かつ危険な兆候であった。奥州安倍氏の“平維良”化であった。
いや、“平維良”化よりも悪かったかも知れない、少なくても平維良の関心は“富の蓄積”だったが、
安倍氏は、富の蓄積と同時に支配領域の南下拡大も模索し始めたからだ。
100日本@名無史さん:2011/03/10(木) 00:45:45.34
頼義←× 頼良←○
101日本@名無史さん:2011/03/10(木) 02:58:23.09
出羽仙北三郡清原氏のルーツを、9世紀後半の元慶の乱時において、中央から派遣された出羽権掾・清原令望に求める研究者は多い。

実はこの元慶の乱勃発当初における鎮守府将軍が、前出羽守・安倍比高(これたか/なみたか)であった。

樋口知志岩手大学教授によれば、安倍比高は出羽守在任中、蝦夷に対し善政を敷いた人物として知られていたという。

更に同教授は、この安倍比高こそが後の奥六郡安倍氏の始祖に当たる人物なのであろうと推論する。

尚、元慶の乱の真っ只中、
小野春風が新たな鎮守府将軍となり戦地出羽国に赴き、鎮守府の実務は引き続き前鎮守府将軍・安倍比高が行うことを国から命じられている。


つまり、
令望が出羽北部の在地豪族に婿として迎えられて、その子孫が仙北三郡清原氏となり、
出羽城(秋田城)の有力在庁官人として成長して行き(その本拠地から推測して具体的には雄勝城の有力在庁官人として成長して行ったとも目される)、
比高が陸奥北部の在地豪族に婿として迎えられて、その子孫が奥六郡安倍氏となり、
胆沢鎮守府における有力在庁官人として成長して行った。

これが、樋口教授による推論である。

102日本@名無史さん:2011/03/10(木) 12:13:17.75
奥州安倍氏が、中央官人血統なら、
なぜ朝廷や陸奥国司は、1027年に鎮守府将軍職を廃止して奥六郡から撤退したのか?



撤退せずに安倍忠良をそのまま、鎮守府将軍に任命すればよかったはず。

何か理由があって、鎮守府将軍には任命出来なかった。

権守に任命したのも、鎮守府将軍職廃止と奥六郡撤退から10年も経過してからの話。


朝廷も陸奥国府も忠良の権守任命に躊躇もしくは内部で反対や議論があった。
103日本@名無史さん:2011/03/11(金) 01:28:57.64
>樋口知志岩手大学教授によれば、
>安倍比高こそが後の奥六郡安倍氏の始祖に当たる人物なのであろうと推論する

出羽清原氏の始祖には、清少納言に通じる清原深養父との記録がある。
また、出羽での活動実績を見て出羽権掾・清原令望とも言われる。

安倍姓の鎮守府将軍は二人、陸奥守は一人、陸奥介は一人いる。
コレだけ居る訳だから、四人のうち、だれかを奥州安倍氏の始祖として議論するのは容易いが、信憑性は?だ。

ただ記録として、これら四名を奥州安倍氏の始祖として記録している史料はない。

安倍氏の始祖として記録されているのは、孝元天皇の皇子大彦命の後、となっている。
また、長脛彦の兄安日彦をその始祖とし、安日彦の津軽亡命をもって安倍氏の発祥としている記録があり、
安倍氏自身は、この記録を信じていたようだ。
他に秋田の蝦夷の帰順を得た阿倍比羅夫につながる系図もある。

これらの事から、史料から奥州安倍氏の始祖を探すのは困難である。

ただし、これらの史料の中で、真偽は別にして安倍氏は、安日彦の津軽亡命をもって
安倍氏の発祥としている様な自己意識を持っていたことは確かである。

神武天皇に抵抗した長髄彦の兄を始祖とする安倍氏の自己意識は大変興味深い。
この話だと安倍氏は、朝廷には自家の始祖を求めてはいない事になる。
104日本@名無史さん:2011/03/11(金) 02:05:12.01
忠良1人のために残してどうすんだ?
仮に忠良を鎮守府将軍に据えたとしてその後はどうするんだ?
頼良-宗任と代々安倍氏に鎮守府将軍職を世襲させてくのか?

そんなことをするために莫大なコストをかけて鎮守府を維持していくくらいなら、国衙に一本化して、そこの在庁として安倍氏などの有力在地豪族を取り込んで行った方が遥かにコストパフォーマンスに叶うと国が判断したからこその方針転換だろう。

そしてこれは出羽でも同じことなのだ。
10c前半には奥羽ともに、鎮守府、出羽城、雄勝城といった諸城は、もはや時代の実勢とはかけ離れたものになっており、その役割は終焉に近づいていっていたのだ。

そこで国は陸奥側に対しては奥六郡の安倍氏に、
出羽側に対しては仙北三郡の清原氏に、かつての鎮守府領域、出羽城or雄勝城領域の経営をそれぞれ半ば請け負わせるような形でアウトソーシングしていったのだ。

そして安倍、清原両氏にはそれぞれ在庁として陸奥大掾、陸奥権守などの官職や、五位程度の位階を与えて行った。
清原氏に関してはその官職は(今のところ)記録には見い出せていないが、武則の位階が五位であったことは分かっており、やはり安倍氏と同様の役割を出羽仙北三郡において果たしていたと考えられるので、それなりの官職を有していたと見て良いだろう。

つまり国の方針に於いては、
陸奥国の鎮守府や奥六郡と、出羽国の出羽城・雄勝城や仙北三郡とは「対」になっていたんだよ。
105104:2011/03/11(金) 02:06:46.26
>>104>>102に対してのレス
106日本@名無史さん:2011/03/11(金) 02:24:27.53
>>103
>確か
じゃねえよ。全然w

だいたい安日彦なんて安倍氏ではなく、遥か後世の安東氏による伝承じゃねえか!

祖を清原嫡流である深養父系統に繋げる清原氏の「系譜」も、やはり安東氏のそれと同様に後世のものでしかない。

この時代の奥羽に(同時代)記録がないことには研究者ならみーんな苦心しているんだよ。

(何度も言うが、)だからそんな中で新に見つかった公家の記録や断片情報や、当時の中央の情勢やその他状況証拠などから探って推論を進めて行くということを(どの研究者でもそうだが)やっていくしかないのだ。

107日本@名無史さん:2011/03/11(金) 03:18:19.83
(記録が途絶える前夜である)9世紀後半に陸奥国国府多賀城や胆沢鎮守府に赴任した中央安倍氏には、
855年、安倍安仁(陸奥出羽按察使)、
872年、安倍貞行(陸奥守)
878年以前、安倍比高(鎮守府将軍)
884年、安倍三寅(鎮守府将軍)
886年、安倍清行(陸奥守)
などが記録に挙げられる。

清原氏の中で、同時代の奥羽に赴任した者で挙げられるのは令望1人であることと比べると、奥六郡安倍氏のルーツの「候補」はまことに数多いと言わなければならない。

これは、比較的新しい氏族である清原氏と違い、
安倍氏がそれだけ律令制以前の氏姓制度の時代から軍事氏族、軍事官僚として、いかに奥羽に数多く赴任してきたかということを雄弁に物語る記録でもある。

そして、これだけ数多く奥羽に赴任したという実績がありながら、
その一族の中から奥羽に留住、土着した者が誰もいない等と考えることは返って不自然でもある。

地方に赴任した中央貴族が、在地の豪族に乞われてそこに婿入りするというのは定番中の定番のプロセスである。

少し後の時代における坂東の平氏、藤原氏、源氏も皆そうだろう。

陸奥奥六郡安倍氏も、
その位階、官職、称号、領した規模などから鑑みて、そうした中央貴族による招婿婚によって誕生した一族と見ることにもはやなんの無理があろう。

108日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:24:34.48
>その一族の中から奥羽に留住、土着した者が誰もいない等と考えることは返って不自然でもある。

その割には、安倍氏のそれを示唆する史料や説話がない。

>忠良1人のために残してどうすんだ?
>頼良-宗任と代々安倍氏に鎮守府将軍職を世襲させてくのか?

鎮守府将軍業務である奥六郡の支配や交易管理、納税などは、忠良の代で行われた。
しかし朝廷も陸奥国府も安倍氏による鎮守府将軍職の世襲を認めなかった。

一方、出羽清原氏は、武則-武貞-貞衡と言う鎮守府将軍職の世襲を認められた。

>それぞれ半ば請け負わせるような形でアウトソーシングしていったのだ。

王朝国家とはそういうもの。
ただし奥六郡の放棄や鎮守府廃止の理由と仙北三郡の放棄や秋田城介廃止の理由は異なる。
また時期も異なる。

>陸奥国の鎮守府や奥六郡と、出羽国の出羽城・雄勝城や仙北三郡とは「対」になっていたんだよ。

確かに鎮守府と秋田城介の機能は対になっている。
しかし廃止理由や時期は対ではない、鎮守府廃止は、1027年に朝廷自らの判断で行った。
しかし秋田城介は、鬼切部の戦いの敗北と言う外部要因で1051年に廃止になった。
時間的にも24年間の差がある。
109日本@名無史さん:2011/03/11(金) 22:17:32.51
こんな状況なのに、相変わらず己れの自己顕示欲示すことしか眼中に無いことに呆れるわ・・・
110日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:46:14.04
ここでカキコしている連中が別に被害に合っている訳ではない。
111日本@名無史さん:2011/03/12(土) 00:14:17.68
ハァ?

被害にあってないなんてなんでお前に分かるんだ?

俺は東京だが、揺れは凄まじかったし、職場から2時間半かけて歩いて帰ってきたよ。
帰ってもつい先ほどまで停電で寒い思いを余儀なくされてきもした。
町中真っ暗で、オール電化で水を沸かせられないお宅も多くいたので、(うちもそうだが)ガスが使えたりする家ではお湯を沸かして差し上げたりもしてたよ。

お前は震源地により近い所に住んでるんだろう?

一連のレス内容から判断して、
お前はとにかく
自分、自分、自分、自分、自分で
自分のことしか見えていない奴なんだろうとは判断していたが。

大した「洞察力」の持ち主だよと感心するよ。
112日本@名無史さん:2011/03/12(土) 02:00:25.13
>>111

その位の被害なら、自分もあった。
興奮していないで、本題に戻ったら?

奥州安倍氏や奥州藤原氏の関連して十三湊の件がある。
113日本@名無史さん:2011/03/12(土) 07:04:46.64
>>112
>興奮していないで


あれだけの長い揺れや、
職場からの徒歩での帰宅や、
ラックから落ちたCDやDVDや本類で散乱した室内や、
深夜に至るまで停電状態で過ごさなければならなかったことや、
やはり深夜に至るまで連絡がつかなかった親族の安否を心配することや…なんて体験は人生初のものであったからね。


もっとも、お前が他人との共感能力を欠いた病的気質の人間であることは、
これまでにお前が投下してきた一連のレス群の内容から十分に承知している。


> その位の被害なら
>自分もあった

等の平然としたあと出しじゃん拳レスや、
>>108>>110のようなネジの何本か外れたレス内容の数々もその典型だ。

>>109>>111のレスはそれへの皮肉だよ。

114日本@名無史さん:2011/03/12(土) 07:19:25.83
>>112
>本題に戻ったら?

>本題
とは何を指すのだ?

どうやらお前は>>88の言うように東北人それも津軽人であるらしいが、
安倍氏の出自を探るのに
一級史料である『範国記』や『陸奥話記』等の記載は否定しても、
お前の大好きであるらしい
『東日流外三郡誌』や、津軽安東氏の『安日彦始祖伝承』は採用していくことを言うのか?

115日本@名無史さん:2011/03/12(土) 08:28:01.26
>>108
> その割には、安倍氏のそれを示唆する史料や説話がない。

ならば他氏の
>それを示唆する史料
なら、史料の空白時代である9c後半から11c半ばにかけての奥羽に存在するのか?
そうであるのなら是非挙げて欲しい。

それと
>説話
と持って来たのは、あとでお前さんの大好きな『今昔物語集』を持ち出す心積もりからやっているのだろうが、説話集等は根拠にも何にもならんよと今の内に言っといてやるよ。
だからやめとけ。


> 鎮守府将軍業務である奥六郡の支配や交易管理、納税などは、忠良の代で行われた。> しかし朝廷も陸奥国府も安倍氏による鎮守府将軍職の世襲を認めなかった。

だ〜か〜ら〜
お前の言う忠良時点の
>鎮守府将軍業務
とやらは、既に陸奥国衙機構によって吸収・継承されたそれなの。
つまり忠良以下の安倍氏は鎮守府ではなく、既に「陸奥国府における」在庁官人なのだと何回説明させりゃ気が済むんだ。
だいたいお前の過去レスの内容と矛盾している。
都合が悪くなる度に詭弁を使うのもいい加減にしとけや。

それと
>鎮守府将軍職の世襲
勝手に創作するな。
忠良等、安倍氏は鎮守府将軍職そのものに就いていない。

116日本@名無史さん:2011/03/12(土) 08:42:17.59
>>108
> 一方、出羽清原氏は、武則-武貞-貞衡と言う鎮守府将軍職の世襲を認められた。

>一方
じゃねえよw
清原氏のは前九年役への恩賞だろうが。
国家反逆者の鎮圧という、事件による恩賞と
平穏時における行政能力によるそれとをいっしょくたにするなよ。
だいたいお前さんの過去レスの内容とも矛盾してるだろうがw
都合が悪くなる度に詭弁を弄するのもいい加減にしとけや。
自分で言ってて苦しくないか?


> 王朝国家とはそういうもの。

>そういうもの
とはどういうものだ?
お前さんの言葉で述べてみてくれ。


> ただし奥六郡の放棄や鎮守府廃止の理由と仙北三郡の放棄や秋田城介廃止の理由は異なる。
> また時期も異なる


おんなじだよ。
どちらも「誤差の範囲内」でしかない。

117日本@名無史さん:2011/03/12(土) 18:07:38.62
>清原氏のは前九年役への恩賞だろうが。

恩賞でも鎮守府将軍に任官している事実
世襲している事実。

>「誤差の範囲内」

24年が、誤差ねw
ハイ!ハイ!ww

>忠良等、安倍氏は鎮守府将軍職そのものに就いていない。

安倍氏は、鎮守府将軍には任官していないよ、何言ってんの?wwww

ただし奥州安倍氏の奥六郡郡司の業務内容は、鎮守府将軍業務とかぶる。

>お前さんの言葉で述べてみてくれ。

お前偉そうだな、気仙沼市の消火活動でもして来い!
118日本@名無史さん:2011/03/13(日) 19:00:32.76
今TBSを見ていたけど869年に東北北部で今回と同じような大地震と大津波が有ったらしい。
海岸や海底の砂が、陸地奥地から見つかるらしい。

あまり、この時の記録が無いそうだが、ただ多賀城の記録の中に、869年には大地震で
多賀城の壁や庁舎、兵舎が崩れ多数の官人や兵士の死傷者が出たらしい。
また同じく多賀城の城下町では、洪水や家の倒壊で1000人近くが亡くなったらしい。


蝦夷でも、山道蝦夷に比べ海道蝦夷は、勢力として弱体で、陸奥国府に比較的大人しく従う様に対応していた。
このような海道蝦夷の対応には、多数発生した自然災害と関係が有るのか、どうか?

山道蝦夷は、早い段階から(8C)には交易や狩猟、ヒエ・アワの栽培と併行しながら稲作を開始する。
また38年戦争では、山道蝦夷が、政治的に大同団結して朝廷や鎮守府と軍事的に対決している。
また、関東からの土器もこの時期に大量に発見され、活発な交易が行われている。
山道蝦夷は、この時期に大量の動物の毛皮を和人と交易し、土器や農器具を輸入している。

また、同じ時期に仙台平野を中心に大崎や牡勝郡を北限として関東から移民が送り込まれており、
この地域では、蝦夷と和人の混血・混住が進んだか、それとも蝦夷がこの地域から追われて、
仙台平野北部に位置する奥六郡に逃げ込んだ可能性もある。

いずれにせよ、この時期から仙台平野には和人の人数が増えてくる。
119日本@名無史さん:2011/03/13(日) 19:03:05.68
牡鹿郡←○

牡勝郡←×
120日本@名無史さん:2011/03/13(日) 19:33:57.00
これだな。
『三代実録』巻十六
貞観十一年(八六九)五月廿六日癸未
陸奧國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。
馬牛駭奔。或相昇踏。城倉庫。門櫓墻壁。落顛覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚涛涌潮。泝漲長。忽至城下。
去海數十百里。々不弁其涯。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。
121日本@名無史さん:2011/03/13(日) 21:11:25.02
金色堂は無事なんだろうな。

人命は地球より重いかもしれないが
国宝の一部は太陽系より重いからな。
122日本@名無史さん:2011/03/19(土) 11:34:29.64
>>22
>道嶋嶋足も、その姓、氏、高い官位を有することから見て蝦夷系豪族ではなく、
>中央官人の系譜を引く一族であることは明白である。

これってギャグだろ?
ぜんぜんの面白く無いんだけど…唖然!
123日本@名無史さん:2011/03/19(土) 15:54:58.27
>>22
>ぜんぜんの面白く無いんだけど

>ぜんぜんの
か…

お前には悪いが学問板で
>面白
さを基準にして書こう等とは
>ぜんぜんの
考えていないんでね。

それでお前がどう
>唖然
としたのかを
俺には
>面白
さとやらはいらないから、是非「具体的」に述べてみてくれ。






述べられるのならなw
124日本@名無史さん:2011/03/19(土) 16:04:13.67
>>122
>ギャグ
は学問板で平気で「東日流外三郡誌」や「安日彦伝説」持ち出すお前の存在だろうがw
125日本@名無史さん:2011/03/19(土) 22:27:37.99
>>122

馬鹿津軽衆 もう何も言うな。 


   恥ずかしい。
126日本@名無史さん:2011/03/20(日) 03:38:54.61
>>125

津軽衆でもないし、馬鹿でもない。

オオバカは、道嶋嶋足中央官人説wwを吹いている>>123-124の事。
127日本@名無史さん:2011/03/20(日) 04:18:40.66
>>126
長時間かかってやっと投下したレスが↓の無内容レスか?


>津軽衆でもないし
>馬鹿でもない。

苦しそうだなw


> オオバカは、道嶋嶋足中央官人説wwを吹いている>>123-124の事。


だからどう
>唖然
としているのかということを、(いつものことでどうせ答える気も無ければ、その能力も有していないのだろうがw)>>123で訊ねているのだがね。



君は本当に質問という質問にまるで答えられない
>オオバカ
者だよ。

128日本@名無史さん:2011/03/20(日) 04:23:53.47
>>126
> 津軽衆でもないし、馬鹿でもない。

>馬鹿
という言葉に敏感に反応するんだな。


君にとっての禁句なのかw?
129日本@名無史さん:2011/03/20(日) 06:30:54.86
>らしい
>らしい
>らしい

の連発厨も同一人物か?
130日本@名無史さん:2011/03/20(日) 11:03:51.27
他人に馬鹿呼ばわりされたら、面白くない、ただそれだけ。

>いつものことでどうせ答える気も無ければ、その能力も有していないのだろうがw

なんでお前なんかに答えなきゃいけないんだよ、視ね〜w

道嶋嶋足だけじゃなくて道嶋大楯も中央官人系豪族にしちゃうんだろ?

>の連発厨も同一人物か?

連発厨というか
何でもかんでも中央官人厨って感じwww
131日本@名無史さん:2011/03/20(日) 16:59:10.98
>>130
> 他人に馬鹿呼ばわりされたら、面白くない、ただそれだけ。

>>113でも述べたが、お前が他人との共感能力を欠く解離性人格障害気質であるということは、こちらは十分に承知している。

従って、
>(言われて)面白くない
言葉とやらを、スレの中で最初に発しているのはもしや自分自身であるのではないか(>>73)、
等と省みる気持ちも、又その能力も全く有していない極めて自己中心的な存在がお前なのである、
ということもこちらは十分に承知しているよ。

> なんでお前なんかに答えなきゃいけないんだよ、視ね〜w

何才?


> 道嶋嶋足だけじゃなくて道嶋大楯も中央官人系豪族にしちゃうんだろ?

いちいち相手するのも面倒くさいが、今度は難癖つけて両者を別氏族扱いか?
悪あがもこの辺までにしとけ。

132日本@名無史さん:2011/03/20(日) 17:00:35.43
>>130
> 連発厨というか
> 何でもかんでも中央官人厨って感じwww

もう、ここに至っては文章が支離滅裂そのもの。

お前のソース無しの
>らしい
>らしい
>らしい
と違って、こちらはきちんと論拠、出典を明記して答えている。
一緒にして欲しくないんだがね。

133日本@名無史さん:2011/03/20(日) 17:22:52.33
道嶋宿禰氏を史料(六国史)で追っていくと、
氏は「丸子」(和邇氏系多氏族)、
姓は「連」、
さらに
「道嶋宿禰」と「宿禰」姓を賜っている。

この時代(8世紀)の蝦夷や隼人に与えられる姓は「君」あるいは「公」であるので、姓を見るだけでも道嶋氏が中央系豪族(=非蝦夷)あることは一目瞭然なのだ。

更に上述した六国史において、道嶋氏は一度も「夷俘、夷、蝦夷、俘囚」等といった用語で記されてもいない。

道嶋氏を俘囚蝦夷とするのは、その本拠地(牡鹿郡)などからのイメージによって、後世に後付けされたものに過ぎないのである。

因みに、
牡鹿郡は蝦夷領域と境界を接してはいるものの、歴とした大和朝廷側領域である。
134133一部訂正:2011/03/20(日) 17:28:25.57
>この時代(8世紀)の蝦夷や隼人に与えられる姓は「君」あるいは「公」であるので

この時代(8世紀)の蝦夷や隼人の族長クラスに与えられる姓は「君」あるいは「公」であるので
135日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:58:53.74
>道嶋氏は一度も「夷俘、夷、蝦夷、俘囚」等といった用語で記されてもいない。

安倍頼良は、思いっきり太政官符に「故俘囚首安倍頼時」って書かれているw
陸奥話記には、祖父安倍忠頼は「東夷酋長」の記載。

>牡鹿郡は蝦夷領域と境界を接してはいるものの、歴とした大和朝廷側領域である。

仙台平野の北限で関東系住民の入植地だけど、蝦夷系住民は結構居る。
この時期は、入植が始まったばかりで、関東系住民もそんなに多くないし、
自然環境の厳しさもあり関東に逃げ帰っている住民さえ居るぐらい。
牡鹿郡は、蝦夷系住民と関東系入植民の混住地帯、故にトラブルも多い。

>氏は「丸子」(和邇氏系多氏族)、

蝦夷姓だろ、この場所なら。

>その本拠地(牡鹿郡)などからのイメージによって、後世に後付けされたものに過ぎないのである。

道嶋嶋足は、正四位だっけ?
だから、蝦夷系を必至に否定する。
安倍氏の大夫(五位)を上回っているw

>解離性人格障害気質である

随分難しい漢字書けますねw 良く出来ましたww

アナタは、若年性アルツハイマーとサイコパスの合併症を引き起こしています。
緊急入院が必要ですw
136日本@名無史さん:2011/03/21(月) 06:05:08.69
>>135
> 安倍頼良は、思いっきり太政官符に「故俘囚首安倍頼時」って書かれているw
> 陸奥話記には、祖父安倍忠頼は「東夷酋長」の記載。


都合よく安倍氏の部分だけ抜粋するのは公平とは言えないなw

君の理屈に従えば、
『陸奥話記』に「出羽国山北俘囚主清原真人・光頼・舎弟武則」と記されている清原氏や、
九条兼実の日記『玉葉』に「奥州夷狄秀衡鎮守府将軍に任ぜらる。乱世の基なり」と記さるている奥州藤原氏も「蝦夷系豪族」ということになってしまうね。
それについてはどうなるのかなw?

> 蝦夷姓だろ、この場所なら。

君にはいつも注意しているはずだが(例えば>>17などで)、↑のような意見は単なる「決めつけ」に過ぎなくて、全く論理的展開となっていないんだよ。

>この場所(牡鹿郡)
ならどうして
>蝦夷姓
と決めつけられてしまうのだ?
>8世紀の牡鹿郡なら十分に中央官人系豪族である
と逆にも言えてしまえるではないか!
だから、他の傍証(「姓」「位階」「官職」etc)等から探って、どちらの方がより可能性が高いかということを推論していくのだ。
君のレスにはその「傍証」が皆無なんだよ。
前にも言ったはずだが、俺に反論したいのなら俺の挙げた論拠を上回る論拠を挙げてからにしてみろ。
まずはそれが前提だ、いいな!
137日本@名無史さん:2011/03/21(月) 06:46:19.27
>>135
> 仙台平野の北限で関東系住民の入植地だけど、蝦夷系住民は結構居る。

>すでに和人系入植者の方が数で凌駕しているよ。

> この時期は、入植が始まったばかりで、関東系住民もそんなに多くないし、
> 自然環境の厳しさもあり関東に逃げ帰っている住民さえ居るぐらい。

これも>>136で注意したこととおんなじだ。>厳しさ
から
>逃げ帰っ
た和人系入植者(柵戸)が多いのは事実だが、その逃亡先は何も故郷である内国にばかりではない。
蝦夷との境界を越えて逆に蝦夷領域に逃亡して行った和人柵戸も数多く存在するのだ。
「続日本紀」を読んでみろ!
アホらしい。


> 道嶋嶋足は、正四位だっけ?

そうだよ。蝦夷系豪族では絶対に貰うことの出来ない位階だね。

> だから、蝦夷系を必至に否定する。

またもや論理的展開になっていない。
>だから、蝦夷系を必至に否定する
ではなくて、
>よって、(道嶋氏は)蝦夷系豪族とはみなせない
となるのが論理的展開だ。
いい加減覚えようね。
138日本@名無史さん:2011/03/21(月) 07:04:19.97
> 安倍氏の大夫(五位)を上回っているw

道嶋氏と安倍氏とでは時代が3世紀も異なるがその時間差は無視するのか?

まあ、お前の頭ではそこまでは理解するのはどうせ無理であろうから教えといてやるが、
一般に律令時代から王朝国家時代にかけては、軍人階級の位階はどんどん下がって行っているんだよ(律令軍人官僚→軍事貴族)。
既に安倍氏の1世紀前の10世紀には、軍事貴族である平将門も藤原純友も平貞盛も藤原秀郷も
その
>大夫(五位)
に叙爵することすら叶わない状態であったのだ。
だから彼らは朝廷に対する条件闘争を重ねていく。
その集大成として起こったのが承平天慶の乱であったのだ。


> 随分難しい漢字書けますねw 良く出来ましたww


お前には一生かかっても書くのは無理だよ。
139日本@名無史さん:2011/03/21(月) 18:55:22.02
岩手で9日ぶりに救出された高校生の阿部君の名前が任だったのが感慨深かった
140日本@名無史さん:2011/03/22(火) 05:27:25.80
>>136-138
もはや、ホームラン級の妄想ですねw

バカなの?池沼なの?アルツハイマーなの?
久々の大爆笑スレ。 もう山田君、座布団みんな持ってっちゃいなwww
141日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:10:35.42
142日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:30:29.03
143日本@名無史さん:2011/03/22(火) 20:31:26.43
>>140
> バカなの?池沼なの?アルツハイマーなの?

具体的に反論できなくなる度に、暴言で返して逃げていては信用を失うよ。

もうそうなってるけど。

>ホームラン級の妄想
は、「東日流外三郡誌」や津軽安東氏の先祖伝説を信じたいが為に、
そこから逆算して安倍氏をどうしても蝦夷ということにしなければないお前の方だろう。
最も、そのための無駄な努力は、いつも徒労に終わってしまうことの繰り返しのようだが。
つまりお前の場合は
>ホームラン級の
>バカ
であると同時に、
その狙いは常に
>空振り三振の連続
と言った方が正確であるかもしれないな。

> 久々の大爆笑スレ
俺のレスは
>ぜんぜんの面白く無いん(>>122)
じゃなかったのか?
>面白く
なったり、ならなかったりとお前も情緒不安定で大変だな。
心から同情する。

>もう山田君、座布団みんな持ってっちゃいなwww

幼稚なセリフ回し繰り返してる割りには、年齢行ってんだなw
144143:2011/03/22(火) 22:01:08.04
そこから逆算して安倍氏をどうしても蝦夷ということにしなければないお前の方だろう(×)

そこから逆算して安倍氏をどうしても蝦夷ということにしなければならないお前の方だろう(○)
145日本@名無史さん:2011/03/23(水) 13:22:30.78
146日本@名無史さん:2011/03/23(水) 13:22:59.64
147日本@名無史さん:2011/03/24(木) 09:06:04.74
>>143
中央官人厨は、併行世界に逝ってしまったwww

1人で喚きチラシしているぞw黄色い救急車を呼べww
>>146
“父祖忠頼は東夷の酋長”&“祖父忠頼東夷尊長”と書いてある。
148日本@名無史さん:2011/03/24(木) 12:47:15.08
獄長秀衡w
149日本@名無史さん:2011/03/24(木) 21:46:00.20
>>147
> 中央官人厨は、併行世界に逝ってしまったwww

ここのところ意味不明なレスを連発することでしか返せなくなってきているよね。

俺なら具体的な内容を伴った反論が出来なくなった時点で消えてるけれどねw

とっても恥ずかしいことだからね。


>www
なんて、いくら「w」を3つも重ねて平静さを装っても、
内心の焦燥感や無力感は隠し切れていませんよ。





虚しいねw
150日本@名無史さん:2011/03/25(金) 15:59:09.50
>虚しいねw

中央官人厨にとっては“陸奥話記”の原文に“祖父忠頼東夷尊長”と、
また現代文訳には“父祖忠頼は東夷の酋長”と書いてあるのだから
それはそれは悲しかろうwwww

おまけに当時の政府公文書である太政官符に「故俘囚首安倍頼時」とも書いてあるw

これらを見て中央官人厨は頭がおかしくなっただろうなw

さっさと死んでしまえ!
151日本@名無史さん:2011/03/25(金) 17:59:10.75
安倍頼良の祖父である安倍忠頼は大変興味深い人物。

近年、アイヌ社会の研究が進み、実はアイヌ社会は極端な富の偏在を伴う格差社会だったのではないかとの説が発表されている。

瀬川拓郎は文献資料や墓の発掘調査結果などから、近世アイヌ社会はカモイと呼ばれる首長、
その下の階層であるニシパ、平民、そして隷属民であるウタレという4つの階層に分かれており、
カモイに富が集中していたのではないかと指摘している。

これらの事から、奥六郡の山道蝦夷でも豪族の首長に富が集中していた可能性がある。
873年の記録には、陸奥の国の「富饒(ふじょう:富み豊かの意)の酋豪」が役人に賄賂を贈り納税を誤魔化している」
とあり、記録者がワザワザ陸奥国と明記し更に“酋豪”なる蔑視の表現を使っている事から蝦夷豪族の首長の可能性が高く
蝦夷社会でも和人との交易や田畑の開発などで富が蓄積されていたが、それが特に首長級の人物に集中していた可能性がある。

この安倍忠頼という人物は、この様な蝦夷の有力豪族の首長であり、鎮守府や陸奥国府からも知られていたのだろう。

ちなみ871〜927年までに奥六郡の北部四郡が放棄されているが、この背景には山道蝦夷の跋扈の激化や
徴税効率の悪化などがあった。この事は蝦夷豪族の首長の勢力の強さを表しており、鎮守府や陸奥国府
でさえ蝦夷豪族の首長を抑えられなかった事が背景にあるともいえる。

この時統治を放棄した奥六郡の北部四郡の蝦夷首長の中に後の安倍忠頼に繋がる人物がいた。
ただし奥六郡を占めている山道蝦夷は、政治的には統合されておらず、複数の部族に分かれていた。
後に頼良亡き後の安倍貞任が厨川柵を任されていた事を見ると、当初の安倍忠頼の本貫地は、
奥六郡最北端の岩手郡に有ったと思われる。その後南下し他の部族を付属させつつ本貫地も
南下していた。おそらく忠良時代に奥六郡の郡司としての地位が正規に認められる事になる。
152日本@名無史さん:2011/03/25(金) 18:05:11.27
  「延久の合戦」は、最近の研究で明らかになってきた延久2年の合戦。陸奥守源頼俊と清原真衡の連合軍が「衣曾別嶋荒夷(えぞがわけしまあらえびす)」と「閉伊七村山徒(へいしちそんさんと)」と称される「賊」を討ち、多くの捕虜も得たといわれる。

藤原政権は清原政権
153日本@名無史さん:2011/03/25(金) 22:50:13.60
>>150
> 中央官人厨にとっては“陸奥話記”の原文に“祖父忠頼東夷尊長”と、
> また現代文訳には“父祖忠頼は東夷の酋長”と書いてあるのだから
> それはそれは悲しかろうwwww
> おまけに当時の政府公文書である太政官符に「故俘囚首安倍頼時」とも書いてあるw

いいからさっさと>>136の質問に答えろよw

都合の悪い部分はとことん無視しないと話が進められないところは、
流石は『東日流外三郡誌』厨だよ。
もう「特徴」丸出しw

もう一度言っといてやるが、安倍氏の部分だけ都合よく抜粋するのは何故だ?
君の理屈に従えば> 『陸奥話記』に「出羽国山北俘囚主清原真人光頼舎弟武則」と記される清原氏や、
『玉葉』に「奥州夷狄秀衡鎮守府将軍に任ぜらる。乱世の基なり」と記される奥州藤原氏も蝦夷系豪族となる筈だが君はその立場なのか?どうなんだ?
今度は無視せず、必ずこの質問に答えた上で話を進めろよw!


> これらを見て中央官人厨は頭がおかしくなっただろうなw

過去スレ以来散々指摘されてきた事実じゃないか。
その上で辺民論の説明をしたはずだ。


それとあんたは相当年配者らしいんだから、ちょっとは大人らしい文章心がけてモノ書けよw
154日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:20:20.46
>>151
> 安倍頼良の祖父である安倍忠頼は大変興味深い人物。

どう安倍忠頼が
>大変興味深い
の?

> 近年、アイヌ社会の研究が進み、実はアイヌ社会は極端な富の偏在を伴う格差社会だったのではないかとの説が発表されている。

お前ぜんぶWikiからの引用じゃないかw!
まともにお前の手元にあるのは『外三郡誌』だけかよw!

まあよくも次から次へと自説に都合良い説の都合良い部分だけを引っ張り出してきては、それらを継ぎ接ぎのように繋げてくるもんだ。
それもこれもひとえに、
「安東氏の先祖神話」を事実化することを目的として、そこから逆算する形でやっていることなのだが。

>アイヌ社会の研究が進んでいる
のは事実だが瀬川某説なんてまだ海のものとも山のものともつかない代物だよ。

それをいうなら一連の勝山館の発掘資料を元にした榎森進氏や石井進氏等の見解を参考にする方がよほど理に適う。
アイヌに階級社会なるものが存在したとしてもそれは極ゆるやかなもの。それはアイヌの稗や黍を主体としたごく初期型の農耕形態や、須恵器やマキリなどの生活必需品が完全に和人からの交易品に頼っていたことからも明らかだ。
また時代的にも安倍氏の時代とは遥かに隔たる。
9世紀の安倍比高ら中央官人と11世紀の奥六郡安倍氏との時代差以上にな。
155日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:32:51.49
>>151
> 瀬川拓郎は文献資料や墓の発掘調査結果などから、近世アイヌ社会はカモイと呼ばれる首長、
> その下の階層であるニシパ、平民、そして隷属民であるウタレという4つの階層に分かれており、
> カモイに富が集中していたのではないかと指摘している。

まただよw
例え↑の指摘が事実であるとして

どうして
> これらの事から、奥六郡の山道蝦夷でも豪族の首長に富が集中していた可能性がある。

>奥六郡の山道蝦夷
の身分形態にまでいきなり話が飛ぶのだ?
また何世紀奥六郡の話だ?

> 873年の記録には、陸奥の国の「富饒(ふじょう:富み豊かの意)の酋豪」が役人に賄賂を贈り納税を誤魔化している」
> とあり、記録者がワザワザ陸奥国と明記し更に“酋豪”なる蔑視の表現を使っている事から蝦夷豪族の首長の可能性が高く

お前の説ではここで言う蝦夷=アイヌのことであると見なしているのか?


> 蝦夷社会でも和人との交易や田畑の開発などで富が蓄積されていたが、それが特に首長級の人物に集中していた可能性がある。

から、

> この安倍忠頼という人物は、この様な蝦夷の有力豪族の首長であり、鎮守府や陸奥国府からも知られていたのだろう。

までが全く論理的展開となって繋がっていない。
156日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:42:18.10
> 873年の記録には、陸奥の国の「富饒(ふじょう:富み豊かの意)の酋豪」が役人に賄賂を贈り納税を誤魔化している」
> とあり、記録者がワザワザ陸奥国と明記し更に“酋豪”なる蔑視の表現を使っている事から蝦夷豪族の首長の可能性が高く
> 蝦夷社会でも和人との交易や田畑の開発などで富が蓄積されていたが、それが特に首長級の人物に集中していた可能性がある。

首長層は既に和人系豪族だよ。アイヌではない。

> この安倍忠頼という人物は、この様な蝦夷の有力豪族の首長であり、鎮守府や陸奥国府からも知られていたのだろう。

何を当たり前のことを言っているのだ?
>知られていた
からこそ記録されるのに決まっているだろう。

ただし招婿婚による土着中央貴族としてな。
157日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:56:18.88
>>152
意味不明。

藤原氏が清原氏の領域を継承したことは事実だが、お前の自説に都合良くそこだけ「切り抜き」するっていうのは恣意的に過ぎるってもんだな。

ならば清原氏も安倍氏の領域を継承してきた事実を指摘しなくては公平とはならない。


それと
>清原真衡
と清原貞衡とが同一人物であるかどうかについては学界でもまだ見解の一致を見ていない。

158日本@名無史さん:2011/03/26(土) 10:56:05.06
>>153-157
精神異常ですので早急にご入院下さいwww

>都合の悪い部分はとことん無視しないと話が進められないところは、
>安倍氏の部分だけ都合よく抜粋するのは何故だ?

都合が良かろうが、悪かろうが、
安倍忠頼=東夷尊長(東夷の酋長:陸奥話記)
安倍頼良=故俘囚長(太政官符)&六箇郡之司(陸奥話記)の記載がある。

>首長層は既に和人系豪族だよ。アイヌではない。
>ただし招婿婚による土着中央貴族としてな。

それどこの併行世界?
159日本@名無史さん:2011/03/26(土) 11:18:33.37
和人系豪族なのに東夷の酋長?俘囚長?
ありえんw

“酋”には、確かに“〜長”の意味があるけど、蔑視した言葉。

>「衣曾別嶋荒夷(えぞがわけしまあらえびす)」

朝廷にまだ帰属していない蝦夷の事を、“荒夷(あらえびす)”とか“東夷(あずまえびす)”とか言いますな。
朝廷に帰属した蝦夷の事を“熟夷(にぎえびす)”と言います。

>清原真衡と清原貞衡とが同一人物であるかどうかについては学界でもまだ見解の一致を見ていない。

100%じゃないけど、ほぼ貞衡=真衡で決まり。
作者は、父親が武貞なんで間違えたんだろう。
160日本@名無史さん:2011/03/26(土) 11:22:47.58
エビスとは燻す、つまり燻製のことだ。
肉や魚をいぶして燻製にして食べる狩猟民族こそエビスの祖先。
マンモスを追ってユーラシア大陸を横断した旧石器人の血を引く者たちだろう。
161日本@名無史さん:2011/03/26(土) 11:33:57.63
ちなみにビートルズは、

ポール、ジョン、ジョージはケルトでリンゴはアングロサクソン

オノヨーコは、日本人
リンダは、ユダヤ人
162日本@名無史さん:2011/03/26(土) 11:38:27.66
>>160
?????????????????????
わかりません。
163日本@名無史さん:2011/03/26(土) 23:35:44.47
>>158
> 精神異常ですので早急にご入院下さいw

しょうがねえなあ、爺イw!


> 都合が良かろうが、悪かろうが、
> 安倍忠頼=東夷尊長(東夷の酋長:陸奥話記)
> 安倍頼良=故俘囚長(太政官符)&六箇郡之司(陸奥話記)の記載がある。


だーかーらー、
お前のその理屈では、
>>136>>153で、その『陸奥話記』に「俘囚主」と書かれている清原氏や、
『玉葉』に「奥州夷狄秀衡」と書かれている平泉藤原氏も蝦夷系豪族であるということになってしまうが、お前はそれについてはどう思うんだ?と散々訊ねているんだが?
答えられないのか?


> それどこの併行世界?

現在の学界で、地方豪族に中央貴族が乞われて婿入りする「招婿婚」(実際は両者に共にメリットとなる一種の双務条約のようなもの)を否定する学者はまずいないが、

お前の場合は「まず結論ありき」で、
津軽安東氏のご先祖神話を事実化することを目的としてやっているので、そんな学問的姿勢ゼロのお前には確かに永遠の

>平行世界

であると言えるだろう。

164日本@名無史さん:2011/03/26(土) 23:38:19.89
シュリーマンだってアインシュタインだってキチガイだと思われたこともある。
革命的な学説を唱える学者というものは辛いものです。
165日本@名無史さん:2011/03/27(日) 00:21:08.76
>>159
> 和人系豪族なのに東夷の酋長?俘囚長?> ありえんw

お前は頭が悪いからな。
だから分からないだろうな。

だが十分に
>ありえ
るんだよ。

それは上でも述べたが、「辺民論」という観点があるからだ。
この時代になると人種・民族といった意味合いから文字通り「蝦夷」と呼称すること以外に、
地域住民に対する呼称として「蝦夷」という言葉が宛がわれるようになっていた側面が強い。
つまり、北東北に住んでいれば、和人であろうと蝦夷であろうとその他のどんな人種であろうと、全ていっしょくたに「蝦夷」と呼ばれるようになってきていたという学説だ。
だから、
安倍氏も清原氏も奥州藤原氏もそれぞれ「東夷酋長、俘囚主、奥州夷狄」等と中央の公家達などから記されるのだ。


> 100%じゃないけど、ほぼ貞衡=真衡で決まり。
> 作者は、父親が武貞なんで間違えたんだろう。


昔はそれで良かったが、
近年は野口実氏が紹介した桓武平氏の諸系譜中最も信頼性が高いとされる中条家の『桓武平氏諸流系図』や、
網野善彦氏が紹介した桐村家の『大中臣氏略系図』などから、「貞衡」は「真衡」の誤記ではない可能性が生じてきた。

>100%じゃない
どころか、そのパーセンテージはどんどん下降傾向にあるよ。
同一人物説の筆頭である入間田宣夫氏は以外とやっつけでものをやってしまうところがあるように見受けられるからね。
史料を丹念に漁るよりも、自分の思想を長々と繰り返すようなところがある。

まあ東北系の学者にはまま見られることだけどね。
166日本@名無史さん:2011/03/27(日) 00:53:35.19
>>164
> 革命的な学説を唱える学者

古田武彦大先生様のことですかw?

たしかに今は
>辛い
お立場でしょうなw
167日本@名無史さん:2011/03/27(日) 04:47:46.80
浪岡北畠も存続していれば安東氏を継承する蝦夷千島王とか日本将軍と自称他称?
168日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:53:08.22
オイ!誰か

>ポール、ジョン、ジョージはケルトでリンゴはアングロサクソン

>オノヨーコは、日本人
>リンダは、ユダヤ人


に突っ込みいれてくれよ!

イギリスのケルトvsアングロサクソンは、日本の蝦夷vs大和の構図に似ているんだけど。
169日本@名無史さん:2011/03/27(日) 18:30:15.99
>>163
>お前はそれについてはどう思うんだ?と散々訊ねているんだが?
>答えられないのか?

お前って誰の事だ?

>と散々訊ねているんだが? 答えられないのか?

誰に向かって言ってんだ?
学者になり損ねた落ちコボレ専門馬鹿に返答する義務は無い。

視ね!

>>165
>北東北に住んでいれば、和人であろうと蝦夷であろうとその他のどんな人種であろうと、
>全ていっしょくたに「蝦夷」と呼ばれるようになってきていたという学説だ。

そう思うなら、そうなんだろ〜、お前の中ではな!www

御偉い先生方の名前を出して普通の一般人が恐れ入るとでも思ってんのか?バカヤロー!
だから世間知らずって言われるんだよ!学者に成り損ねが!

>安倍氏も清原氏も奥州藤原氏もそれぞれ「東夷酋長、俘囚主、奥州夷狄」等と中央の公家達などから記されるのだ。

出羽清原氏は“東夷酋長”では無いし、だいたい真人姓なのを忘れている。
奥州藤原氏の歴代当主は、「東夷酋長、俘囚主、奥州夷狄」を自認してもいるんだけどだけど、何か?

>ポール、ジョン、ジョージはケルトでリンゴはアングロサクソン

オイ!学者に成り損ね!
ポールは“指ぱっちん”するんだぞw
170日本@名無史さん:2011/03/28(月) 00:47:02.32
>>169
> お前って誰の事だ?
> 誰に向かって言ってんだ?

決まっている。
津軽カルト爺イ、
お前にだよ。

> 学者になり損ねた落ちコボレ専門馬鹿に返答する義務は無い。

三度も訊ねているのにその都度はぐらかしてくるということは、
要するに
>返答する
能力が
>無い
ということなんだから正確にそう書き直しとけよ。

>学者

目指したこともないが?

> そう思うなら、そうなんだろ〜、お前の中ではな!www

逆。
「安東氏氏祖伝説」で満たされた
>お前の
アタマの
>中
だけが、
他と「懸絶」しているのだよ。

171日本@名無史さん:2011/03/28(月) 01:12:04.06
>>169
> 御偉い先生方の名前を出して普通の一般人が恐れ入るとでも思ってんのか?バカヤロー!

>普通の一般人
がどうであるかは知らないが、
アンタが学問板で論外の存在であることはよ〜く分かっているからw

ここが学問板である以上、学者専門家諸氏の見解を挙げながら論を進めて行くのは当然の話。

お前にそれが出来ない以上、お前がよそへ行ってやるというのが筋というものだろう。

その際は>>60でも述べた通り、
脳内ソースによる決めつけによってしか何事も語ることが出来ないお前の行き先は最悪板かメンヘル板だ。

だからお前がそっちへ行ってやれ。


> だから世間知らずって言われるんだよ!学者に成り損ねが!

俺は逆に、
>視ね!
とか
>併行世界が〜
とか、いい年して連発するアンタが、果たして
>世間
ときちんと折り合いをつけて生きていけてるのかどうかを前から多いに疑っているんだよ。

アンタ一体どういう育ちして来たんだ?
爺さんよw!

172日本@名無史さん:2011/03/28(月) 02:00:48.76
>>169
> 出羽清原氏は“東夷酋長”では無いし、

ほう。
「東夷酋長」という文字で記されるとそれは蝦夷のことを意味し、
「俘囚主」という文字で記されるとそれは非蝦夷で中央貴族系豪族のことを意味するということになるのか?
初耳だ。
誰の唱えてる説だ?


>だいたい真人姓なのを忘れている

>忘れ
ちゃいねえよw
勝手にそういうことにしてんなよw

それについては>>25及び過去スレで、
・安倍氏も五位貴族への尊称である「大夫」と記されていること
・清原氏の鎮守府将軍よりも上位の陸奥権守に任じられていること
・一族の中にやはり四位、五位の無官貴族に付せられる「散位」号を有する人物が存在すること
等の複数の証拠を以て、
安倍氏も清原氏と同様に中央貴族系土着豪族と見なすのが妥当であると何度も何度も何度も繰り返し説明してきたはずだが?

都合良く
>忘れ
たフリをしてくるのはお前の方だろう。

最も「真人姓」を有していようがいなかろうが(安倍氏とセットで)清原氏のことも「蝦夷系豪族」と見なす学者は存在はするんだよ。
173日本@名無史さん:2011/03/28(月) 02:41:18.84
>>169
>奥州藤原氏の歴代当主は、「東夷酋長、俘囚主、奥州夷狄」を自認してもいるんだけどだけど、何か?

>だけどだけど、何か?
と聞かれてもな。

お前の見解では奥州藤原氏は蝦夷系豪族になるのか?というお前の問題の筈だが?

だいたい、↑は例によってその前の文章
>出羽清原氏は〜を忘れている
と論理的に繋がってめいない(もう慣れたがw)。

それと中尊寺願文で清衡が
>自認
しているのは
「東夷遠酋&俘囚上頭」だが、それ以外(基衡、秀衡)はどこで自らのことを
>「東夷酋長、俘囚主、奥州夷狄」

>自認
しているのだ?

また、
>自認
というなら、自らを「東夷」と
>自認
する千葉氏や上総氏や三浦氏他の坂東豪族たちも「蝦夷」になるのか?どうなんだ?

174日本@名無史さん:2011/03/28(月) 11:32:47.16
>>170-173
あの世に逝ってしまったな、南無阿弥陀仏!

せめて福島の原発に突入して放射線マミレの水を処理してからにしてもらいたかったw

>千葉氏や上総氏や三浦氏他の坂東豪族たちも「蝦夷」になるのか?

そう思いたければ、そうなんだろ!お前の中だけではなwww



中央官人厨は、さっさとシカトするが、安倍忠頼の存在には大変興味を引かれる。

忠頼は、おそらく陸奥国府や鎮守府には帰属していない蝦夷首長だろう、
“東夷酋長”の自称は、忠頼の頃から既に始まっており、かなりの有力な首長と思われる。

“在庁官人という「職」は、有力な「個」が手にする副産物”by 秋山哲雄&細川重男
という王朝国家の原則があり、これに当てはめると忠良が陸奥権守に任命されたのは
忠良が、奥六郡内の北四郡で最有力の蝦夷首長の家筋だったからであろう。

ココで重要なのは、陸奥権守(在庁官人)に任命されたから、最有力の蝦夷首長になったのではなく、
既に最有力の蝦夷首長だから、安倍忠良は陸奥権守(在庁官人)に任命された、と言う事だ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つまり、既に忠頼の代で奥州安倍氏は、有力な蝦夷首長になっていた可能性が高く、
陸奥国府も鎮守府も忠頼の存在を確認して、在庁官人への取り込み工作をしていた
可能性が高いが、忠頼が在庁官人に任官した史料はない。
その点も関心がある。
175日本@名無史さん:2011/03/28(月) 19:16:00.28
安倍忠頼は、別の史料では“国東”(藤崎系図)や“隣東”(安藤系図)と言うなで記載されている。
これは個人的な感覚だが“国東”ナンカの方が、蝦夷っぽい名前で本名かな?
とも思えるが、それを表す資料が無いので“安倍忠頼”を使う事にする。

忠頼は、奥六郡内の北四郡で複数ある蝦夷首長のなかでも兵力・財力共に最有力の蝦夷首長であった。
忠頼一人で成り上がったのか、代々の家筋なのか、史料が無いが、アイヌ社会は極端な富の偏在を伴う
格差社会だった可能性が言われている為、首長の家筋の可能性が高い。

815年に鎮兵を廃止し、10世紀中旬までに奥六郡の北部四郡の放棄されると、再び柵が形成される。

元々山道蝦夷は、三十八年戦争の時は一時的にアテルイやモレの元に統合されたが、元来政治的な
統合はされていない蝦夷であった。鎮守府や陸奥国府の兵力が奥六郡から減り始めると、
従来の政治的統合がなされなかった山道蝦夷の特徴が、復活してきたのだろう。

また、鎮守府は、奥六郡の山道蝦夷統治にあたり、蝦夷の伝統的首長制社会を温存し、
特に徴税などでは蝦夷首長を利用する形で運用していた。また、関東へ移送されていた俘囚が、
再度陸奥に帰還しており、奥六郡にも大量に俘囚が戻ってきた可能性が高い。
この様な事から、朝廷の軍事力が後退する事で比較的容易に蝦夷首長が山道蝦夷を
掌握する事は容易であったのだろう。
また、山道蝦夷は、6世紀には稲作を取り入れ、ヒエやアワの栽培と併行して狩猟や
資源採掘、交易を行うなど、経済的には活発であった。この事から蝦夷首長が富の
蓄積を行う条件は整っていたし、それを兵力の動員に転化する条件もあった。
176日本@名無史さん:2011/03/28(月) 19:23:42.07
この様な事から、朝廷の軍事力が後退する事で比較的容易に蝦夷首長が山道蝦夷を
掌握する事は容易であったのだろう。 ←×

この様な事から、朝廷の軍事力が後退する事で比較的容易に蝦夷首長が山道蝦夷を
掌握する事が出来たのだろう。 ←○
177日本@名無史さん:2011/03/28(月) 20:43:48.15
富を蓄積し、鎮守府の軍事的後退の中で政治的行動の自由を獲得した蝦夷首長達は、
関東に移配され数々の戦闘能力を付けた俘囚たちを積極的に向い入れ、兵士として
採用する事で軍事力の向上を図った可能性がある。

また、政治的に統合されていない山道蝦夷社会は、鎮守府の軍事力の後退により
容易に分裂し内部抗争を始めた可能性もある。それが関東俘囚の向い入れに拍車を
かけた可能性もある。10世紀中旬に柵や高地性防御集落が、再び構築された背景
にはこの可能性があるのかもしれない。

「陸奥話記」の“父祖忠頼は東夷の酋長、威風大いに振るいて村落皆服す。”の記載は、
この様な蝦夷首長達の武装化による山道蝦夷の平民や隷属民の掌握過程を描いている。
陸奥話記では、安倍忠頼だけが武装化と平民や隷属民の掌握を行ったように記述しているが、
山道蝦夷の政治的未統合の実体を見れば、忠頼だけの行為ではなく首長クラスは皆この手の
行為を行っていると思われる。

前九年の役で安倍氏の最後の拠点となる岩手郡の厨川柵は、従来からの安倍氏の本貫地であり、
忠頼も厨川柵を拠点にしていた。その意味では、鎮守府や陸奥国府に帰属する以前の安倍氏は
奥六郡のかなり北側(岩手郡)を勢力としており、より北方の荒夷との交易を果していたのか
も知れない。

また、10世紀初頭に関東や東海道に移配された俘囚の帰還受け入れ先として岩手郡が建郡された、
と言う説もあり、そうなると岩手郡を支配する蝦夷首長として戦闘ノウハウを身に着けた俘囚の
帰還を安倍氏が一手に引き受け、彼らを兵士として再組織した事で北四郡最強の蝦夷首長になった
可能性もある。
178日本@名無史さん:2011/03/28(月) 21:29:14.06
安倍富忠は?
179日本@名無史さん:2011/03/28(月) 22:08:59.43
>>178
安倍忠世の子で、安倍頼時の従兄弟だって。

詳しくは、wikiでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%AF%8C%E5%BF%A0#cite_note-0
180日本@名無史さん:2011/03/28(月) 22:18:38.52
>>174
> あの世に逝ってしまったな、南無阿弥陀仏!
> せめて福島の原発に突入して放射線マミレの水を処理してからにしてもらいたかったw

>>110でもそうだが、人の痛みや不幸に対する共感能力を全く欠くサイコパスは、やはり言うことが違うね。
流石は和田喜八郎を生んだキチガイ津軽人だ。
お前もそれと同質の自分のことしか考えられない詐欺師体質の人間であることは分かっている。

> そう思いたければ、そうなんだろ!お前の中だけではなwww
「辺民説」を提唱してきたのは学界における潮流で、俺
>の中だけ
ではない。
最も現在の学界における潮流は「蝦夷アイヌ説」、「辺民説」両説の更に止揚されたもの、ということになっているが。

それに、
>自認
ということを言い出したのはお前の側(>>169)。
従ってお前が
>自認すると
どうなると
>思
うのか?、という問題のはずだとも言ったはずだが?

お前が誤魔化しでしかずっと俺に対処できてないのは、

「安東氏の神話伝説」を信奉するあまり、
「安日彦」など存在もしなかった「始祖」の実在を、事実であったこととしてしまいたいがために、
次々と生じる矛盾は、いちいちその場しのぎで対処するということを繰り返してきたためだよ。


まさに和田喜八郎そのもの。
181日本@名無史さん:2011/03/28(月) 22:56:53.55
>>174
> 中央官人厨は、さっさとシカトするが、
>シカト
されてんのは「三郡誌」を平気で論拠に持ち出してくるお前だよ、
津軽爺さんw


>安倍忠頼の存在には大変興味を引かれる。
> 忠頼は、おそらく陸奥国府や鎮守府には帰属していない蝦夷首長だろう、

はい、またその場しのぎの根拠なし発言。
これまでのお前自身の発言とも二転三転する。

「安日彦」子孫の忠頼(というよりも奥六郡安倍氏そのもの)は津軽方面から下りて来た等と最終的には言いたいんだろうが、
お前のそんな魂胆はとっくに読めてるんだよ。

言っとくが「藤崎系図」なんて16世紀になって成立した証拠能力皆無の代物だぞ(しかも安東氏諸族の中で「安日彦伝承」を伝える諸系図としてはそれが最古の代物w)。

だから学界ではそんな安東氏の伝説神話を載せる系図なんか全く相手にもされていない。

お前は上で散々、奥六郡安倍氏が中央貴族系であることを示す同時代史料が存在しない、等と喚いているが、
ならば安東氏が安倍「高星丸」の子孫である等という、それよりも遥かに胡散臭い「史実」(とも言えない史実)が記載されている「同時代史料」とやらは存在するのかw?うん?どうなの?言ってごらんw!




「『東日流外三郡誌』こそがそれ」かw?
182日本@名無史さん:2011/03/28(月) 23:14:26.59
>>174
> “東夷酋長”の自称は、忠頼の頃から既に始まっており、

忠頼が
>東夷酋長
と『陸奥話記』にあるのは「他称」なんだが?
>自称
していたということが載っている「同時代記録」は?

183日本@名無史さん:2011/03/28(月) 23:49:23.85
>>174
“在庁官人という「職」は、有力な「個」が手にする副産物”by 秋山哲雄&細川重男
> という王朝国家の原則があり、これに当てはめると忠良が陸奥権守に任命されたのは
> 忠良が、奥六郡内の北四郡で最有力の蝦夷首長の家筋だったからであろう。

アホらしくて言葉も出ませんw

>在庁官人という「職」は、有力な「個」が手にする副産物
ということと、
「安倍氏は蝦夷」
ということとがどうしてイコール関係で結ばれてしまうのだ?

奥六郡以北や仙北三郡以北に既に和人(中央貴族系豪族)が勢力を築いていたならばそんな彼らの方こそが
>有力な「個」
であることと言ってしまうことも出来ように(そして近年の専門家たちの研究成果により事実そちらの可能性の方が高くなってきている)。

関東の豪族たちを見てみるが良い。
彼らとて、その根拠地から元は国造などの在地豪族が母体となっており、
そこに律令期に入って以降中央から国司、押領使等として赴任してきた中央貴族を招婿して、一族名(本姓)としては、父方の中央貴族のものを名乗るようになって行ったのだ。
つまり、母系では彼らは氏姓制度以前の時代より在地に勢力を有しており、
従って在地における
>有力な「個」
となるのは当然のことなのだ。
千葉介、上総介、三浦介、多気権守etc。

安倍氏の「陸奥権守」とて同様のことだ。
どうして奥羽だけ関東と切り離したものとして見ることが出来よう。

184日本@名無史さん:2011/03/29(火) 01:34:41.69
あのさあ、津軽爺ちゃんさぁ、
アンタ他人には
>そんな記録(史料)は無い(>>57>>58>>80ほか)
などとシャアシャアと言ってくる割りには、
アンタのレスは、
>らしい
>らしい
>かもしれない
>かもしれない
>可能性がある
>可能性がある

のオンパレードなんだよね(>>15>>16>>20>>53>>75>>80>>81>>99>>118>>151>>174>>175>>177ほか)。

しかもそれらの殆んどが、具体的な史料や論拠の提示が無く、
お前の脳内ソースによるくだくだしい自説の展開になってるだけ。
つまり、アンタ自分で自分の首を絞めているんだがそれには気づいてる?

だから俺は何度も言ったのだよ。
「史料の空白時代」
だと(>>57>>84>>115ほか)。

史料が乏しい以上、状況証拠やその他周辺情報等によって推論を立てて行く以外にないともな。

その際、重要になってくるのが、
相反する推論(例えば安倍氏は蝦夷系豪族か中央貴族系豪族か、といったこと)
が存在する場合、
互いの論拠を並置してそれを比較していくことに有ると思うんだがアンタにそれをやる勇気はある?
185日本@名無史さん:2011/03/29(火) 08:31:52.58
>>180-184

はい、はい、アナタは入院中ですので静かにして下さいw

錯乱状態ですので、トランキライザーを飲んでくださいwww
186日本@名無史さん:2011/03/29(火) 08:44:13.02
安倍 富忠(あべ の とみただ、生没年不詳)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%AF%8C%E5%BF%A0

平安時代の武将。
陸奥国奥六郡の北方を領した俘囚長。安倍忠世の子で、安倍頼時の従兄弟とする系図がある[1]。

解説 [編集]
前九年の役では初め頼時に従って陸奥守源頼義らと戦う。しかし、
1057年(天喜5年)、頼義の「甘説」に応じて頼時に叛旗を翻し頼義方に寝返る。]
7月、説得に赴いた頼時を仁土呂志辺で奇襲し、その折りの重傷が原因で頼時は没した。

「甘説」の内容は不明であるが、安倍一族分断の策の一環として、
地領安堵、安倍氏後継、論功行賞の保証などとする見解が主流である。
しかし、富忠に対する実際の保証の履行・論功行賞・その後の動向消息については不明である。

脚注 [編集]
^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年
187日本@名無史さん:2011/03/29(火) 09:31:03.30
俘囚長というのは、和人がコタン長を世襲しているようなもの?
長は「俘囚」ではなく。
188日本@名無史さん:2011/03/29(火) 09:33:52.65
ようするに捕虜収容所長が囚人でないのと同じようなもの?
189日本@名無史さん:2011/03/29(火) 09:36:53.55
東北蝦夷人と戦争する過程で肥大化した東国諸国国府の軍団が、武士の期限でしょう。
190日本@名無史さん:2011/03/29(火) 11:17:22.31
宝賀(笑)
そうかあんたあのグループの人か
191日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:30:26.94
ナンカ以前から変なのが入り込んでいるなw 精神科病棟から逃亡して来たヤツだなw
192日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:57:59.98
>>188
正解。
193日本@名無史さん:2011/03/29(火) 21:37:34.23
山道蝦夷は、農耕や金の採掘をかなりやっていますから、
近世の北海道のコタンよりは、日本の農村に近いし、もっと大規模なのでは?

11世紀の蝦夷は人種的にはアイヌの可能性が大きいと思いますが、
社会構造や生産手段はかなり大和化してますよ、関東から日用品なんかをかなり購入していますし
古墳みたいなのをつくっていたようです。

忠頼の頃は、岩手郡だけだったかもしれないが、
忠良の頃からかなり広域化した政治&軍事集団となっていますから、
コタンのような数十軒の小さな集落では済まない規模です。

俘囚長→俘囚の中の1、ヘッド=俘囚の上頭
俘囚主→俘囚の所有者、オーナー=球団オーナーは野球選手ではない

※社主 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%B8%BB
社長や会長と似たような意味の用語だが、現在の日本においては、主に新聞社で使用されている肩書きである。
「社の主」という綴りが示すように、組織の「持ち主」という意味合いが強く、
会社の株式を大量に保有しているケースが多い。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※社長(サラリーマン社長も含む) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E9%95%B7
「社長」とは、第三者に対して会社を代表するとともに、会社内部で業務執行を指揮する役職の事である。
社長の権限に対する法的根拠を確保するために、一般的に株式会社では会社を代表する取締役、代表取締役ことを差す。
大株主が社長を務める会社は、オーナー会社と呼ばれる。
似たような用語に「社主」があり「社の主」という綴りが示すように、本来オーナー社長の様な立場を示す用語といえる。
194日本@名無史さん:2011/03/29(火) 21:39:35.38
>>192

オナニー丸見えwww
195日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:12:27.00
獄長秀衡=農奴・鉱山奴隷・戦奴化された哀れな蝦夷を使役していた中央貴族末裔?
196日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:14:11.55
蝦夷は中央貴族末裔である安倍頼時の農奴・鉱山奴隷・戦奴化として使役、動員されていたということ?
197日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:16:02.12
俘囚主という語もあったの?
198日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:33:43.33
中尊寺金色堂のミイラ調査によると
奥州藤原氏は蝦夷顔ではなかったらしいよね
199日本@名無史さん:2011/03/29(火) 23:32:32.76
清ミイラは華奢な中央軍事貴族風
秀ミイラは骨太な地方軍事貴族風
200日本@名無史さん:2011/03/30(水) 02:02:22.74
>>191
同意です。

>トランキライザー
等という語をやたら使用してきますから、日常生活において彼自身が、それらととても親和性が高いところで暮らしていると見なして良いでしょう。

彼は『東日流外三郡誌』
や学問的信用度0の「安東氏系図」を事実化・通説化することを目的とする津軽人です。それは彼のレスを丹念に見ていけば分かります。

また、そのような偽史・偽系図をくる日もくる日もずっと真実と思い込んでいれば、
精神を病んでしまうのも当然の結果と思われます。

>>196
近年の学界で安倍氏を純然たる蝦夷の出と考えている学者はもういません。

>>197
『陸奥話記』での仙北三郡清原氏に対する「記」がそれです(>>136>>153>>163)。

201日本@名無史さん:2011/03/30(水) 02:36:14.75
>>198-199
奥州藤原氏の初代清衡、三代秀衡の二人の母親はそれぞれ奥六郡安倍氏の娘です。
にもかかわらず、昭和25年に行われた藤原四代の遺体の学術調査の結果、
奥州藤原氏は和人そのものあり、アイヌの特徴が認めらるものはありませんでした。

四代中、二代にも渡って母系で安倍氏の血が入っているにも関わらず、
奥州藤原氏にアイヌ(蝦夷)の特徴が認められないことからも、その安倍氏もアイヌ(蝦夷)ではあり得ず、
従ってこの学術調査の結果も、安倍氏は和人(中央貴族系)豪族である、ということの1つの傍証になってきます。
202200訂正:2011/03/30(水) 02:38:55.83
『陸奥話記』での仙北三郡清原氏に対する「記」がそれです(>>136>>153>>163)

『陸奥話記』での仙北三郡清原氏に対する「語」がそれです(>>136>>153>>163)
203日本@名無史さん:2011/03/30(水) 02:59:58.44
>>187
> 俘囚長というのは、和人がコタン長を世襲しているようなもの?
> 長は「俘囚」ではなく。

はい。その通りです。
異民族の頭目として彼らを率いて行くことは歴史的に見てもちっとも珍しいことではありません。
フレンチ=インディアン戦争しかり、アラビアのロレンスしかり、地獄の黙示録(実話ではトニーポー大佐)しかりetc。

・安倍氏の「東夷酋長、俘囚首」
・清原氏の「俘囚主」
・奥州藤原氏の「俘囚上頭、東夷遠酋」
などは皆このことを表しています。

204日本@名無史さん:2011/03/30(水) 03:20:33.44
>>189
> 東北蝦夷人と戦争する過程で肥大化した東国諸国国府の軍団が、武士の期限でしょう。

軍団制廃止以後の健児制こそがむしろそれに当たると思います。

軍団制は士気の面でも問題が多く、財政をも圧迫したので中央政府はいわばそれをスリム化する形で有力地方豪族(郡司・富豪層)を中核に据えた軍制改革を実施して行きます。
そんな彼ら全国の地方有力豪族と、中央から赴任してきた(軍事)貴族とが招婿婚により一体化して行くのです。
これは坂東においても奥羽においても同様のことです。
205日本@名無史さん:2011/03/30(水) 04:49:33.28
>>204
その過程で大和と地方の混血が進んでいったわけか。
しかし大和の血に地方の血が入るのは分かるが、反対大和の女が地方の長に嫁に行くのはイメージしにくいな。
感覚的な話だけど。
男が養子で行ったりしてたのか?
206日本@名無史さん:2011/03/30(水) 08:42:33.13
「自分たちは俘囚ではなく王民である」と訴え出た俘囚というのが記録に残っていたと思う。
俘囚というのは、蝦夷側に「囚」となった和人入植者のことであるという考え方もできないか?-武装移民としておくられて後、棄民状態になって蝦夷に同化した。
207日本@名無史さん:2011/03/30(水) 08:50:51.29
「軍事貴族」という言い方も・・・・
古代社会で軍事力を独占してるから貴族階級なんじゃないの?
本当に平安貴族がそんなに軟弱だったのか?
208日本@名無史さん:2011/03/30(水) 10:34:49.98
大川兼任も実は、奥羽に来てからまだ年数が浅い素性だったそうですね。田舎武者にしては派手な格好をしていたそうですし。
209日本@名無史さん:2011/03/30(水) 10:51:26.54
>>207
そもそも、奈良朝の貴族はヤマト政権時代の有力豪族だったわけで、
奈良時代や平安初期は普通に戦争や武力闘争やってるからなあ。
210日本@名無史さん:2011/03/30(水) 11:13:34.42
藤原氏は「非軍事貴族」だったのですか?
211日本@名無史さん:2011/03/30(水) 11:18:43.85
朝廷からの征夷の軍勢とは別に・それよりも前から、三々五々、関東以南から奥羽に移住していた集団も居るはずですよね。
212日本@名無史さん:2011/03/30(水) 11:58:43.43

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。
213日本@名無史さん:2011/03/30(水) 15:01:42.65

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。
214日本@名無史さん:2011/03/30(水) 20:29:15.89
>>207
そもそも独占などしていない
215日本@名無史さん:2011/03/30(水) 20:43:11.52
>>205
> しかし大和の血に地方の血が入るのは分かるが、反対大和の女が地方の長に嫁に行くのはイメージしにくいな。
> 感覚的な話だけど
> 男が養子で行ったりしてたのか?

日本の社会は古代になればなるほど母系制の要素が強いですから。
嫁入り婚ではなく婿入り婚(=招婿婚)なのです。
中国の社会制度である律令制の導入により、家系図も一斉に中国的な父系のものに書き換えて行ったものと思われます。
しかし実際の社会制度としては、まだまだ母系制の影響が強く残ります(だいたい院政期ぐらいまでですかね)。

姓は父方のものを名乗りますけどね。
216日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:08:17.41
>>206
> 「自分たちは俘囚ではなく王民である」と訴え出た俘囚というのが記録に残っていたと思う。
> 俘囚というのは、蝦夷側に「囚」となった和人入植者のことであるという考え方もできないか?-武装移民としておくられて後、棄民状態になって蝦夷に同化した。

>>137にもちょっと書きましたが、
『続日本紀』神護景雲三(769)年十一月二十五日条と、
翌宝亀元(770)年4月一日条(ともに称徳帝の御代)などに、
牡鹿郡、黒川郡、加美郡などの「蝦夷たち」が、
「自分たちの先祖は元来は律令公民であったものが蝦夷に誘われて彼の地に参って以来、自分たちも卑しい蝦夷と同じとみなされるようになってしまった。
どうか元の皇民に戻して頂きたい」
等と朝廷に申請してこれを許可されているという記事が見えるんですよ。

そして、このような事例は実際にはもっと数多く有ったのだと思います。


217日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:11:02.55
陸奥で殺戮略奪の味を覚えたベトナム帰還兵のような源氏武者が「八幡太郎は恐ろしや」との歌にあるように、死刑の停止されていた仏法による日本社会を血腥い野蛮なものに変えた。
218日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:23:46.83
>>207
「軍事貴族」というのは、現在の学界における学術用語です。
彼らが実際に活躍した時代の記録には、
「諸家兵士」、「諸国兵士」、「堪武之輩」、「堪武芸之輩」、「つは物(兵)」、「武者」、「京武者」、「武芸之輩」、「弓箭の輩」、「弓箭を帯びる者」etc等の言葉で記されていますね。

> 本当に平安貴族がそんなに軟弱だったのか?

いえいえ。彼ら「軍事貴族」も中央の
>平安貴族
から出ていますから。
これは
>平安
時代に限りませんが、強いからこそ、そこが「中央」になれるのです。
>軟弱
であったなら、一地方の地位に甘んじる他なかったはずでしょう。
219日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:30:11.91
秀郷流と伊勢平氏のような武力でのし上がった軍事貴族は地方の関東から中央に進出したもの
きな臭い源氏は元々中央出身の軍事貴族
220日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:32:50.20
>>210
> 藤原氏は「非軍事貴族」だったのですか?

全藤原氏のうち、
寛平・延喜東国の乱における鎮圧勲功者であると目されている藤原利仁と、
それに続いて起こった承平・天慶の乱における鎮圧勲功者である藤原秀郷、
この二人の系統が「兵の家(=軍事貴族)」として朝廷に認められる存在となりました。
221日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:37:08.45
>>211
> 朝廷からの征夷の軍勢とは別に・それよりも前から、三々五々、関東以南から奥羽に移住していた集団も居るはずですよね。

貴族・豪族や庶民を問わず、そのような者たちは数多く存在したと私も考えています。
222日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:49:02.57
寒い雪国に自ら移住したい人間がいたのか?
借金抱えて夜逃げ、鉱山で強制労働させられるための奴隷くらいだろう?
223日本@名無史さん:2011/03/30(水) 22:03:12.22
信夫佐藤一族は義経に娘を与えて婿にしていた可能性あり。佐藤兄弟の忠節の理由。
信州中原一族の巴御前と木曽義仲のような関係で。
224日本@名無史さん:2011/03/30(水) 22:11:01.53
鎌倉軍の侵攻で
信夫佐藤一族は平泉について奮戦したが敗れて、信夫郡にのみ押し込められる。
岩城一族は早々と降伏して生き残る。ー基衡に屈服させられていた海道平氏
石川一族は最初から鎌倉御家人。
225日本@名無史さん:2011/03/30(水) 22:26:40.98
>>222
> 寒い雪国に自ら移住したい人間がいたのか?
> 借金抱えて夜逃げ、鉱山で強制労働させられるための奴隷くらいだろう?

律令内国が天国だったとでも?
大宝律令の施行以来、1世紀を経ずして内国では百姓たちの偽籍(男児を女児として届け出たり、僧籍に入ったと称したりすること)、浮浪、逃亡が蔓延します。
それだけ税(特に雑徭)がきつかったのです。
そんな彼らの最大の受け入れ先が荘園であったわけですが、中には当時の「化外の地」であった北奥羽にまで逃亡して行った者たちが多く存在していてもちっとも不思議ではありません。

貴族にしても似たようなものです。
>>138でも書きましたが、
貴族社会もその数が増えすぎたり、氏族間の権力闘争に敗れたり、またはその他の理由等によってそこからこぼれ落ちる者が多く出てきます。
そのような者たちが真っ先に考えることの1つが地方に下ることです。
坂東に下って土着した平高望や源護などはその典型でしょう。
彼らの中に、北奥羽に進出することを考える者があったとしても、やはり全く不思議はありません。
特に安倍(阿倍)氏のように7世紀の比羅夫以来連綿と奥羽に赴任し続けてきた氏族ならば、奥羽に土地勘もありますし、拠点や既得権益等も多く有していることでしょうから尚更のことなのです。
226日本@名無史さん:2011/03/30(水) 22:47:48.78
海保嶺夫は中世津軽地方の豪族安東氏を俘囚長と同様の存在としている。
安東氏自身は蝦夷、俘囚(鎌倉になると流刑地にされた津軽沿岸に限定か?)でなく鎌倉御家人か寝返った泰衡家臣ということか。

227日本@名無史さん:2011/03/30(水) 22:55:45.07
うさんくさい安東氏系図(貞任の子の高星の末裔)は津軽支配を正当化する目的?
十三藤原氏は、津軽氏系図でのみ書かれた完全に架空の存在か。平泉時代に津軽辺りにいた在地領主は、大河兼任じゃなかったか。
228日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:07:33.86
>>223-224
角田文衛氏の説ですね。
野口実氏等も、当時の貴族・有力在地豪族間においては招婿婚が当たり前であったこと(一種の双務条約)等から、角田説を支持していますね。

因みに信夫佐藤氏は、
中央軍事貴族佐藤氏の嫡流である佐藤公清の兄・公脩から出ています。
公脩の子、師清が出羽守となっており、その子孫が陸奥信夫郡に根拠地を得るようになりました。
もちろん、実際は信夫郡の在地豪族(安倍信夫臣か?)に招婿されたものでしょう。
229日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:45:18.37
義経生存説は荒唐無稽だが・・・
少しばかりの想像。
「義経の首が鎌倉に届くのが遅れた」ので怪しいのは、
婿の首を佐藤一族が引き取って葬った、ニセモノとすりかえたんじゃないのかなあ・・・?
あるいは佐藤一族も反鎌倉と降参派とに割れていた・・・・?
大河兼任が「義経」と名乗って宣伝したのも、佐藤一族のなかの抵抗派が義経の子を連れて大河軍に参加していたのかも?
230日本@名無史さん:2011/03/31(木) 00:04:45.93
奥州藤原氏にしてみれば義経を助けるメリットなどゼロ。
231日本@名無史さん:2011/03/31(木) 03:28:53.74
>>153
>『玉葉』に「奥州夷狄秀衡鎮守府将軍に任ぜらる。乱世の基なり」と記される奥州藤原氏も蝦夷系豪族となる筈
摂関家の兼実から見たら夷狄以外の何者でもない
232日本@名無史さん:2011/04/01(金) 05:11:59.46
信夫佐藤氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sato_sin.html

「伊勢佐藤系図をみると、基治の子孫は摺上川上流飯坂を中心とする地域に大鳥の楯を構え、信夫庄北東部に隠然たれう勢力を保持した。
伝によれば、源義経と基治の娘との間に生まれた安居丸は、母方の姓を名乗って佐藤基信といい、その子基久は南朝方として奮戦し、伊予で戦死したという。」

233日本@名無史さん:2011/04/01(金) 09:44:17.96
義経の孫が南朝方...
もうちょっとまともな系図考えろよ
234日本@名無史さん:2011/04/01(金) 17:37:45.46
将来、道州制によって東北州が実現したら、州都はやはり平泉になるだろう。
代々の藤原氏に守られた静謐な都になるだろう。
235日本@名無史さん:2011/04/01(金) 18:39:58.54
『殴り合う貴族たち』の平安貴族=東電役員
236日本@名無史さん:2011/04/01(金) 21:16:33.44
新都はズバリ、気仙沼だ。
すっかり更地になったわけだし、20mどころか100mの津波でにも耐えうる要塞都市を築き州都にする。
これほどの防災都市になると、原水爆やミサイル攻撃にもびくともしない。
あらゆる自然災害や他国からの軍事攻撃にも耐え、10年は立てこもることができる。
237日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:25:04.63
232-233
佐藤一族は北朝方なのに、義経孫だけが南朝方だったということになりますね。
238日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:32:41.94
孫って宝治合戦の時代になるぞ
239日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:51:45.25
義経子が爺さんになってから作った子が爺さんのときに戦死したってこともありうるぞ
240日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:54:19.70
>>232-239
佐藤基久 さとう-もとひさ

1306−1348南北朝時代の武士。
徳治(とくじ)元年生まれ。南朝方の北畠顕家(あきいえ)・顕信(あきのぶ)兄弟につかえる。のち脇屋義助にしたがって伊予(いよ)(愛媛県)にわたり,
土居氏,得能(とくのう)氏らとともに北朝方の細川頼春の軍とたたかった。
貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年死去。43歳。通称は信夫太郎。

241日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:07:14.53
義経子孫が生きていたとしたら信夫佐藤一族にかくまわれていたという可能性は有りますが、
義経自体がそんなにたいしたものとみられていなかったとおもいますね。佐藤一族だって、差し出した兵力は佐藤兄弟ほか数人でしょう。
242日本@名無史さん:2011/04/02(土) 03:43:39.84
紙本墨書佐藤文書
指定区分 県指定
指定種別 有形文化財(文書)
指定登録日 2002(H14)3月18日
所在地 津市丸之内9-18
員数 58通
年代 室町時代(南北朝時代〜戦国時代末)
概要  戦国時代、北畠氏の家臣として、現在の松阪市肥留に居を構えていた佐藤家に伝来した中世武家文書である。
佐藤氏は、もと陸奥国信夫郡信夫荘(現在の福島県福島市付近)を本拠とする土豪で、
南北朝の内乱期には、北朝方に属して、奥州をはじめ東国から伊勢・摂津・山城など近畿にまでを転戦し、内乱収束後は、伊勢国司家北畠氏の家臣となり、
戦国時代末期まで、その一員として活躍している。
 文書群の構成は、南北朝期に南北両朝から佐藤氏への文書を中心とする一群と、内乱収束後の北畠氏発給文書の一群に大別される。
数少ない伊勢国司家北畠氏関係の伝存史料であると共に、家臣団の動向を知り得る文書群として貴重である。
 三重県下で最も充実した内容、数量を有する中世武家史料であり、
南北朝期から戦国時代末期までの文書群が一貫して伝来した唯一のものである。
243日本@名無史さん:2011/04/02(土) 03:44:57.62
このため、南北朝内乱期における南北両朝、並びにこれに呼応する武士団の動向を伺い知ることができ、
また、稀少な北畠氏関係史料の中でかなりまとまった文書群として、三重県の中世史を研究する上で欠くことのできない貴重な史料と言えよう。
史料内容、伝来の上でも、県指定文化財に十分価するものである。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/bunkazai/da/item/detail.asp?pub=1&pub=2&speclass=1&spetype=1&spetype=2&spetype=3&dettype=7&prePageNum=1&mngnum=0000302
244日本@名無史さん:2011/04/02(土) 03:59:21.51
「佐藤家文書」国重文指定へ 石水博物館所有
 国の文化審議会が18日、文部科学相に答申した国重要文化財(美術工芸品)の指定に、三重県内からは石水博物館(津市垂水)が所有する「佐藤家文書(もんじょ)」=写真=が選ばれた。これで、県内の国宝・重要文化財は184件、このうち古文書は18件になる。

 佐藤家は伊勢国司・北畠氏の家臣として、現在の松阪市に住んでいた武家一族で、指定の答申があったのは、14世紀前半から16世紀後半までに、南北両朝や北畠氏から届いた文書計57通。
 佐藤家は南北朝時代に北朝方に属したが、内乱期には両朝から兵隊を率いて加勢するよう求める文書が寄せられた。また、内乱収束後は北畠氏から領土の所有を認められる文書が届いた。
 県教委によると、これらの文書は南北朝時代から戦国時代の武士の動向を伝える史料として貴重で、数少ない北畠氏に関する史料として伊勢地域の歴史を研究する上で重要という。
(2011年3月19日 読売新聞)
http://chubu.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyo110319_6.htm
245日本@名無史さん:2011/04/02(土) 04:54:35.13
佐藤元清 さとう-もときよ

?−?南北朝時代の武将。
観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で、足利尊氏方の小笠原為経(おがさわら-ためつね)に属し、信濃(しなの)(長野県)で諏訪(すわ)氏とたたかう。
さらに仁木義長(にき-よしなが)に属して伊勢(いせ)(三重県)に転戦。
その功により、貞治(じょうじ)2=正平(しょうへい)18年(1363)近江(おうみ)(滋賀県)安吉保御厨(あきほのみくりや)をあたえられた。号は浄勝。
246日本@名無史さん:2011/04/02(土) 15:15:34.10
>>231
じゃあ、安倍氏と清原氏は?
247日本@名無史さん:2011/04/03(日) 00:14:11.15
清原のほうが格上
248日本@名無史さん:2011/04/03(日) 06:05:05.85
根拠は?
249日本@名無史さん:2011/04/03(日) 07:26:35.33
>>227
> うさんくさい安東氏系図(貞任の子の高星の末裔)は津軽支配を正当化する目的?


県有形文化財から、更には国重要文化財にまで指定された>>242-244の実例などは、
専門家から「偽」の烙印を捺されて久しい『安東氏系図』を後生大事に抱える津軽厨にとっては涎が出るほどに羨ましい出来事であることでしょう。

250日本@名無史さん:2011/04/03(日) 11:37:05.90
安倍氏には清原氏のようにカバネが認められていない・・・・

安倍氏は仮冒?
251日本@名無史さん:2011/04/03(日) 12:56:53.70
東北地方に、清原氏なんてもうほとんど残っていない。
しかし、安倍氏(阿部氏)の方は東松島の阿部秀保市長、南三陸町の佐藤仁町長をはじめ、
今回の津波で被災した三陸沿岸は阿部さんだらけなのだ。
神武勢力に追われ東北に落ち延びたアベ一族にまたしても災難が降りかかったのだ。
252日本@名無史さん:2011/04/03(日) 13:05:08.60
八幡太郎の手先藤原秀衡が復讐のために清原皆殺し

八幡太郎が失脚しなかったらどうなっていたのだろう?
253日本@名無史さん:2011/04/03(日) 13:06:09.75
金(こん)一族は中央貴族末裔?
254日本@名無史さん:2011/04/03(日) 14:23:18.15
百済王系?
255日本@名無史さん:2011/04/03(日) 18:47:47.61
>>250
いいえ。
(論拠として)姓の有無だけが中央貴族系氏族であるかどうかの決め手に成り得る訳ではありません。

現に新野直吉氏のように、一昔前までの学者たちは、姓を有していようが有していまいが、一纏めにして安倍・清原両氏をともに「蝦夷」と見なしていました。

また、
>安倍氏には
>カバネが認められていない
のではなく、姓の有無、種類が「不明」なのです。

しかし、
>>24>>25>>172
でも述べましたが、
安倍氏は、
・安倍忠好(良)が陸奥国衙機構最高職である陸奥権守に任じられていること(『範国記』)・忠好子息の安倍頼良が諸大夫身分(四位五位貴族)への敬称である「大夫」と冠せられていること(『陸奥話記』)
・忠好子息で頼良弟の安倍為元が四位五位の無官貴族のことを表す「散位」号を付せられていること(『陸奥話記』)
・なによりも頼良が本来ならば国規模にあたる、六ヵ郡もの郡司職(奥六郡司職)に任じられていること(因みに清原氏が仙北三郡の郡司職に任じられていたかどうかは記録からは「不明」です)
等の複数の論拠をもって、近年の学界では奥六郡安倍氏は中央貴族系氏族と見なされる傾向が(それも年々)強まって来ているのです。
256255つづき:2011/04/03(日) 22:02:15.86
上でも再三述べましたように、以上(>>255他)の論拠から
樋口知志岩手大教授は奥六郡安倍氏を鎮守府将軍・安倍比高の後裔であると推測していますし、戸川点氏もこの樋口説を支持しています。
また、工藤雅樹氏も、安倍・清原両氏はともに奥羽の在地豪族に招婿されて「土着」した中央貴族系氏族であろうと推測しています。
更に、平将門研究で名高い川尻秋生氏は、
「近年、頼良の父忠好(良)が、長元九年(一0三六)に陸奥権守に任命されたことが判明し、中央官人の子孫である可能性が高くなった。」(『日本の歴史4揺れ動く貴族社会』小学館p173)
と、やはり『範国記』の記事を踏まえた上での発言をしています。

以上みてきたように、この趨勢(安倍氏中央貴族説)は、学界ではほぼ「定説」になりつつあるのです。

257日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:41:20.49
安倍氏にはカバネが「無い」のは、反逆したのではく奪され、記録に残されていないということなのでしょうか?
258日本@名無史さん:2011/04/04(月) 13:44:14.39

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。
259日本@名無史さん:2011/04/04(月) 13:44:57.60

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。

奥州安倍氏が、蝦夷系の豪族である事は、通説である。

しかし一部のDQN学者が、「土着した中央官人」説を唱え、大嘘を撒き散らしている。

デマ・ウソに巻き込まれないよう、ご注意下さい。
260日本@名無史さん:2011/04/04(月) 13:52:21.80
布教活動乙です!
261日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:01:36.29
このレベルでも中央貴族系氏族にはなる

母地方

母地方

母地方
┃  ←婿取り
父中央、母地方

母地方

母地方
262日本@名無史さん:2011/04/05(火) 02:06:47.57
悪徳バーのジョニ黒ウイスキーよりも血が薄いぞ
263日本@名無史さん:2011/04/05(火) 04:29:25.77
http://www.st.rim.or.jp/~success/bunko_ousyuu.html
基本史料

>>177
奥州安倍氏の元々の本貫地は、岩手郡であり、安倍忠頼は、本来厨川柵を本拠地としていたと思われる。
陸奥話記に忠頼の記録が出ているように最有力な蝦夷首長として陸奥国府や鎮守府にその存在を確認されていたのだろう。

当然、忠頼に対し陸奥国府や鎮守府は、朝廷に帰属し在庁官人になる様に勧誘していると思われる。
しかし忠頼が、在庁官人となった記述は無く、陸奥話記にも“東夷酋長”としか無い事から、
やはり朝廷には正式には帰属してはいなかった可能性が高い。
これは、忠頼が在庁官人になる事を利点と考えなかったのか、それとも朝廷に対する反感があったのか
記録が無いため良く判らないが、結論として忠頼は“東夷酋長”の立場を堅持しそれを乗り越える事は無かったのだろう。

だが忠頼の代に既に、自己の兵力財力を持って勢力を岩手郡から南下させ始めていた可能性はある。
1057年に頼義の「甘説」に応じて頼時に叛旗を翻し頼義方に寝返る“安倍富忠”には、安倍忠世の子で、
安倍頼時の従兄弟とする系図がある事から、これが事実だとすると、忠頼は、忠良流には奥六郡を南下させ
忠世流には、岩手郡から北上させていた可能性がある。忠良が任官し王朝国家の身分制度に飛び込んだのも
岩手郡からの南下、奥六郡全体の制圧には、在庁官人の肩書きや鎮守府とのコネが必要だと感じたからだろう。

“炎立つ”の原作者である高橋克彦氏は、奥州安倍氏を衣川館よりも更に奥から来た勢力としており、
更にまたアラハバキ信仰を持つ氏族であり、この信仰の背景には金山の所有や採掘があると述べられている。
この考えには、賛成できるし、基本的に高橋氏は、歴史家ではないが奥州安倍氏を蝦夷系豪族と考えている。
264日本@名無史さん:2011/04/05(火) 05:03:17.00
自分で自分にレスしたりと蝦夷厨は何でも有りになってきたなw
265日本@名無史さん:2011/04/05(火) 06:21:52.50
>>261-262
それが招婿婚です。
これは奥羽に限らず坂東でもどこでもそう。
266日本@名無史さん:2011/04/06(水) 16:09:59.54
でも都の権門勢家にとってはニセ貴族の扱い
「蝦夷」「俘囚」というのは要するに差別語、そういわれたモノが実際にアイヌか非和人文化人であるとは限らない。
267日本@名無史さん:2011/04/06(水) 23:14:29.25
>>266
> でも都の権門勢家にとってはニセ貴族の扱い

それは一面的な見方にすぎませんね。。
>都の権門勢家
が本当に安倍氏のことを「蝦夷」としてしか見ていなかったにしては、
彼らが安倍氏に任じた「陸奥権守」という役職(内爵五位以上)は高位過ぎます。

また、安倍氏と同じ条件を持つはずの清原氏や奥州藤原氏に↑の言葉を一度も投げかけてみないのは何故なのでしょう?
これは不可解極まりないことですし、
また、とても公正さを欠くことでもあります。

> 「蝦夷」「俘囚」というのは要するに差別語、そういわれたモノが実際にアイヌか非和人文化人であるとは限らない。


それは自他共に「東夷」と認めていた関東武士たちが
>実際にアイヌか非和人文化人であるとは限らない
ということと同じですね。

過去スレでも今スレでも私は散々「辺民論」「方民論」ということを言ってきました。
奥羽という「辺境」に居住していれば、和人、蝦夷(ここではアイヌの元となったと考えられるエスニックグループを指す)、その他のエスニックグループ全てをひっくるめて「蝦夷、俘囚」等と呼称してきたというものです。
268日本@名無史さん:2011/04/06(水) 23:43:07.20
天慶の乱
『貞信公記抄』によると、反乱した俘囚は秋田郡に到り官稲を奪ったとある。同書ではこのとき賊は「異類」を率いてきたとも記載されており、この「異類」を俘囚とは異なる蝦夷とする説、渡島の狄とする説や、アイヌではないかとする説がある。

「異類」と書いてあるならば非和人文化集団ぽい。


269日本@名無史さん:2011/04/07(木) 08:41:23.85
陸奥国田村郡の戦国大名田村氏坂上浄野の曾孫の田村古哲にはじまるという。
270日本@名無史さん:2011/04/08(金) 01:19:58.22
清原成衡夫婦は殺されたの?
271日本@名無史さん:2011/04/08(金) 21:54:55.70
秀衡が殺害。
272日本@名無史さん:2011/04/08(金) 21:57:18.44
中尊寺コンキチ堂は自分が殺戮した平氏清原氏や蝦夷らを、祟られないために供養する目的で建立した。
273日本@名無史さん:2011/04/09(土) 14:10:59.21
>>270
諸説入り雑じっていたんですけどね。
要するに長らく「不明」とされてきたんですけど、ここ15〜6年位の間にかなり研究が進んできました。
網野善彦氏が学界に紹介した「桐村家文書」所収『大中臣氏略系図』(遅くとも鎌倉時代末期には成立)という史料があり、その中に、
常陸中郡を本拠地とする、大中臣姓・中郡(ちゅうぐん)権守頼経が「海道小太郎業平(成衡)」を「下野国氏江(氏家)風見楯にて討った」という記事が見えます。
この史料を論拠に野口実氏は、
成衡の義兄に当たる源義家(成衡の妻は、義家父・頼義と常陸平氏・多気権守宗基女との間に出来た子、つまり義家妹)が延久年間に下野守を勤めていたことから、その間に義家は同国塩谷郡氏家の地に根拠地を有しており、そこで成衡夫妻をしばらくの間は匿い、
後には不要となって、頼経に命じて成衡を抹殺させたのだろうと推論しています。

私も最近はこの野口説に傾いてきています。
274日本@名無史さん:2011/04/09(土) 22:24:03.08
(義家の妹である)成衡の妻は、義家が、清衡に(清衡を子分にする道具として)与えたのかも?
義家と清衡が利害対立したという記録は残っていませんよね?
275日本@名無史さん:2011/04/09(土) 22:25:53.21
その後、成衡の実家である岩城一族は、奥州藤原氏の姻戚ー準臣下?になっている。
脅されて従属か?
276日本@名無史さん:2011/04/10(日) 00:59:23.57
>>274
> (義家の妹である)成衡の妻は、義家が、清衡に(清衡を子分にする道具として)与えたのかも?

どうでしょうね?

ちなみに、清衡の正妻である「北方平氏」とは私は清原氏女のことだと考えていますけどね。

> 義家と清衡が利害対立したという記録は残っていませんよね?
真衡の急死後(1083年)、陸奥守義家の裁定により、
奥六郡は二分割され、北三郡は家衡に、南三郡は清衡に与える裁定を下すわけですが、
南三郡に比べ土地の痩せた北三郡を宛がわれた家衡は激怒し、それが後三年の役会戦の発端となります。
これはもちろん、義家による清原氏内紛を狙った策略と見て良いと思います。
その誘いに家衡は見事に乗ってくれたわけです。
では義家は清衡に対しては見方だったのか?
私はそんな訳は無いと思っています。
義家は清原氏そのものを滅ぼして、そのあとに自分が奥羽に君臨する腹積もりでいたと考えています。
そのため、義家は清原氏を分裂させてまずは家衡を滅ぼし、次には清衡を滅ぼす算段をたてていたのだと思います。
しかし、そんな義家の目論見は、清衡にも朝廷にも見抜かれてしまいます。
結果として、家衡との戦いは私戦とみなされて、義家は陸奥守を解任され、義家の野心は中途で挫折してしまうこととなったのです。
277日本@名無史さん:2011/04/10(日) 01:13:05.78
清衡の正妻である「北方平氏」=清衡母(安倍のゆう御前)のように戦利品にされた清原氏女?
278日本@名無史さん:2011/04/10(日) 01:17:51.01
清衡の正妻である「北方平氏」=安倍頼良にボコボコにされた秋田城介平繁成の(出羽に住み着いた)一族だと思っていましたがちがうのでしょうか?
あえて先祖の敵側だった一族と姻戚関係になることによって、出羽の支配権を得ようとしたのでは?
279日本@名無史さん:2011/04/10(日) 01:27:55.62
>ちなみに、清衡の正妻である「北方平氏」とは私は清原氏女のことだと考えていますけどね。

それは、(実は)出羽清原氏自体が、海道平氏の支族だったという説のことでしょうか?
280日本@名無史さん:2011/04/10(日) 07:43:12.48
>>277
> 清衡の正妻である「北方平氏」=清衡母(安倍のゆう御前)のように戦利品にされた清原氏女?

はい。中世初期当時には母系制社会はいまだ根強く残っていますから。
安倍頼良の女を妻に迎えたことにより、清原氏の奥六郡統治が正当な意味を持つことが出来たのと同様に、
清原(藤原)清衡も清原氏の女を妻とすることによって、かつての清原氏本領であっ仙北三郡地域の正当な統治者の資格を有することとなったのです。

ただし、
>戦利品
というよりも、
神代・古代から中世初期までの日本社会全体がそのような「社会システム」の元で動いていたのだと考えた方がより妥当であると思います。
281日本@名無史さん:2011/04/10(日) 08:07:48.15
>>278
> 清衡の正妻である「北方平氏」=安倍頼良にボコボコにされた秋田城介平繁成の(出羽に住み着いた)一族だと思っていましたがちがうのでしょうか?

いや、その可能性も十分にあると思いますよ。
ただ、のちの奥州藤原氏の有り様を考えると、>>280で述べたような理由から、清衡の「正妻」は清原氏女と考えた方がよりしっくりくるのです。

ただし、清衡の複数いた妻(4人いたと言われている)の1人が出羽城介重成一族の女であったことは十分に考えられます。

ちなみに、「桓武平氏清原氏」一族と出羽城介平重成の一族とは血縁的にも以外に近い間柄です。
282日本@名無史さん:2011/04/10(日) 08:28:35.84
>>279
> それは、(実は)出羽清原氏自体が、海道平氏の支族だったという説のことでしょうか?

はい。特に清原氏の中でも武則系統が海道平氏一族であると考えています。
これは招婿婚においては、入り婿側のものに姓が変わるという当時の婚姻形態からいうと、数少ない例外事例には当たりますが(ただしこれも招婿婚であること自体には変わりはありません)。
283280訂正:2011/04/10(日) 10:16:15.81
>>280
>中世初期当時には母系制社会はいまだ根強く残っていますから

>中世初期当時までは母系制社会はいまだ根強く残っていますから
284日本@名無史さん:2011/04/10(日) 14:31:41.33
氏族は、単一父系の先祖の集団ではないのですか?
285日本@名無史さん:2011/04/10(日) 15:52:52.34
西北遊牧民は、双系の相続をするので
有力者の娘婿であることも、非常に重要な意味を持つ。
アジアの遊牧民には、母系氏姓の一音節と父系氏姓の一音節をとって
自分の姓とする集団がある。
並び順序は、どれだけ裕福な家かに依存し、母父の場合と父母の順の二通りが存在。
286日本@名無史さん:2011/04/10(日) 21:12:48.79
>清原氏の中でも武則系統が海道平氏一族であると考えています。

吉彦秀武はもともと吉美侯部(きみこべ)、服属した蝦夷(俘囚)からなる部民=奴隷格だから、
清原真衡が見下したといっても、もともと格下の家柄だから、腹が立ったにせよ別に不当なことじゃなかったのでは?
287日本@名無史さん:2011/04/10(日) 21:15:22.36
武則系統が中央貴族の家柄
あと蝦夷奴隷の家柄

清原氏は二重構造だったのかも?
288日本@名無史さん:2011/04/11(月) 15:27:27.55
平泉藤原氏と南奥武士団の成立
歴春ふくしま文庫
入間田宣夫
歴史春秋出版
1,260円(税込)


良書?↑
289日本@名無史さん:2011/04/12(火) 20:34:40.07
相馬氏の領地になる以前の相馬地方は誰の領地だったの?
290日本@名無史さん:2011/04/12(火) 20:36:10.71
平泉藤原時代の奥羽の領主が誰だったのか?全ての地方については分からないの?
291日本@名無史さん:2011/04/13(水) 01:28:56.36
平泉藤原時代の相馬地方に居たのは、郡名と同じ名字からして
岩城氏の同族である楢葉氏、標葉氏、行方氏でしょう。
292日本@名無史さん:2011/04/13(水) 01:33:41.27
行方氏は陸奥国行方郡ではなく、常陸国行方郡の領主ことでしょう。

郡名が同じであるのは、常陸から陸奥に植民して地名が移動したのでしょう。
293日本@名無史さん:2011/04/13(水) 01:38:29.60
『東奥標葉記』によると、標葉氏は平国香の二子繁盛の末である海東小太郎成衡の四男隆義を祖とするという。
すなわち成衡は源頼義の娘で妻徳尼との間に男子五人をもうけたが、嫡男隆祐は楢葉太郎を称し、次男隆平(衡)は岩城次郎を名乗り、
三男が岩崎三郎隆久、四男が四郎左衛門尉隆行で陸奥国標葉郡標葉庄を領して標葉氏を称した。五男は行方五郎で、それぞれ各郡を領したというのである。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sineha.html
294日本@名無史さん:2011/04/13(水) 01:44:35.28
頼朝が相馬氏の所領としてもらったのは(陸奥国)行方郡だけのはず。その前の領主は不明。
295日本@名無史さん:2011/04/17(日) 09:07:58.96
領主といっても、この頃は荘園管理人ということでしょ
296日本@名無史さん:2011/04/18(月) 06:14:13.06
外国と密貿易していた藤原氏?
297日本@名無史さん:2011/04/21(木) 07:48:00.62
金(こん)氏
 平安末期以来、気仙・磐井郡を中心に勢力を有した豪族。
今野・紺野・金野・昆などの名字もその流れを汲むといわれる。
金系図はさまざま伝わっているが、いずれも、左大臣安倍倉橋麻呂を遠祖とし。
その後裔で貞観元年に初代気仙郡司として下向した安倍兵庫丞為勝を始祖としている。
 郡内の金山から産出した金を京へ運んだ功により、金姓を賜ったとしており、古代の新羅族の金姓との関連はないとみられる。
298日本@名無史さん:2011/04/22(金) 12:13:23.44
郡司も中央貴族?
299日本@名無史さん:2011/04/23(土) 11:02:45.95
その10年後、貞観11年(西暦869年)に起きた大地震は今回の東日本大震災とほぼ同じ震源域でマグニチュードは8.3以上だったと推定されている。
この地震の5年前、つまり貞観6年には富士山も噴火を起こしており、大狭窄も起こって世の中が騒然としていたのだろう。
聖武天皇による奈良の大仏の建立もそんな社会情勢と密接に関連している。
その阿部氏や金氏の子孫も今回の地震で多くの犠牲者を出した。
再び中央から復興の中心を担う集団を呼び寄せないと東北再建は難しいだろう。
法人税を優遇して多くの企業や労働者を呼び寄せ、当時さながらのゴールドラッシュが起きることを期待したい。
300日本@名無史さん:2011/04/23(土) 22:26:46.87
>>290
本当なら、奥州安倍氏が柵を守り抜いてたら‥鎌倉に負けず、宗任の子孫の俺は、平泉の黄金の金山を受け継いでたのかな‥。
301日本@名無史さん:2011/04/23(土) 22:31:31.05
安倍晴明は、阿倍御主人の子孫
奥州安倍氏は、桃太郎伝説の吉備津・大彦命の子孫
302日本@名無史さん:2011/04/24(日) 06:26:40.27
混血ということでしょ
303日本@名無史さん:2011/04/24(日) 08:56:37.25
岩手県に多い菊池姓は藤原三代のころから岩手県に多く居住していました。
戦国時代の江刺には江刺菊池党が存在しました。
今も岩手県には菊池姓の住人が多いです。

今も藤原三代のころからの人々は健在です。
304日本@名無史さん:2011/04/24(日) 08:58:08.01
>>301
阿閉臣事代が先祖なんじゃないの?壱岐から月読の神を中央に紹介した。
305日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:01:52.40
>>300
金山を開いたのは百済王子孫の百済王善光だよ?
306日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:04:19.09
>>303
南朝方武士として九州からやってきた人間じゃないの?
307日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:04:18.79
奥州から金が謙譲される数年前に佐伯今蝦夷は「今蝦夷」と名前を変えているよ。
308日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:13:25.02
佐伯なんて名乗る時点で、中央勢力ではない証拠だ。
309日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:26:11.04
佐伯今蝦夷は蝦夷の土地からの産出物に対するなんらかの利権関係を中央で根配りしていたのではないだろうか。
だから、金献上数年前に名前を今蝦夷に変えた、と。

従来的な発想では「蝦夷」という名前を持つものは勝ち組ではない、などと言われていたがそれは違うのではないだろうか。
310日本@名無史さん:2011/04/24(日) 10:10:04.71
>>308
佐伯といっても色々ある。
東国から西国に配されたプレ俘囚的存在である蝦夷の佐伯もあれば、
それらの統率を職掌とした中央貴族の佐伯連氏(大伴氏と同族)もある。
311日本@名無史さん:2011/04/24(日) 12:39:23.46
蘇我蝦夷以外にも蝦夷を名乗った蝦夷以外と思われる人物は結構多い。
彦や麻呂、太郎のように流行りはしなかったけれど、蝦夷も勇敢な男という意味だろう。
例えば今度の震災でボランティアの女婿と結婚することになった阿部さん、
いかにも荒蝦夷といった面構えをしていて強い男に惹かれる女性のもてたのだろう。

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/images/20110423k0000e040047000p_size5.jpg
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110423k0000e040044000c.html
312日本@名無史さん:2011/04/24(日) 13:07:09.83
古代社会において柿本猿(人麻呂の前名)や、藤原魚名などのように動物の名を諱(いみな)に付けたのは、その霊力にあやかろうとしてのことだろう。
動物の人には無い能力に古代社会の人間たちは畏怖の気持ちを抱いていた。
「蝦夷」、「今蝦夷、今毛人」などと名付けたのもそれらと同じ意味のことと思われる。
勇猛果敢な蝦夷の霊力にあやかろうとしたのだ。
つまり、「蝦夷」は(半ば)動物扱いだったということにもなる。

また、上のような理由から動物の名前をつける習慣は古代社会では、広く世界中で行われていたことと思われる。

インディアンなんかは今でもそれをやってる。
313日本@名無史さん:2011/04/25(月) 16:30:27.58
当時の人としては龍太郎とかレオとかつける感覚か
314日本@名無史さん:2011/04/25(月) 22:43:53.09
オカ板にも書いた、本来歴史板に書くべき内容ではないカモ知れんが我慢して読んでくれ。
しかも長くなる、覚悟してくれ。
今回の震災、東北の被害がむごくて見過ごされがちだが、千葉県旭市の津波被害もかなり深刻だった。
だがコレが明らかに不自然。ちょっと日本地図を見てもらえば判るだろう。
震源地からは銚子岬の陰に隠れ、前は太平洋、右は九十九里浜と、津波を反射する物はなく、入江もないので津波が巨大化する原因もない。
にも関わらず、津波は市内住宅地まで襲い、死者13人(俺の記憶に間違いなければ全員津波被害)が出る事態となった。
津波被害としては、福島に隣接する茨城をも凌ぐ関東最大の被害である。
近隣の同様な条件の市でもこれほどの被害は出ていない。
旭よりも震源地に近く、ちょうど旭市の防波堤の様に太平洋に向かって大きく突き出した構造になっている銚子ですら、コレほどの被害は出ていないのだ。
つまり、津波が不自然なカーブを描いて、ピンポイントで狙ったように旭市を襲ったとしか思えないのである。
315日本@名無史さん:2011/04/25(月) 22:54:56.91
>>314の続き
スレ違いに感じるカモ知れんが、最後まで読んでみてくれ。
大袈裟な表現はしていない、重複するが一度日本地図を見て確認してみて欲しい。
この津波被害がどんなに不自然なモノか理解してもらえるだろう。
旭市はあの木曽義仲の一族が逃れて拓いたという伝説がある。
木曽義仲と言えば、源氏の一勢力として平家を初めて破り、京都から平家を排除した武将である。
そもそも木曽義仲の父が関東で源頼朝・義経兄弟の兄である義平と戦って破れ木曽に落ちたのだから、あながちあり得ない話ではない。
316日本@名無史さん:2011/04/25(月) 23:02:14.94
>>315の続き、本当に長くなってスマン。
さらに今回の震災では、岩手県も福島に次ぐ大きな被害を受けた。
岩手と言えば平泉、奥州藤原氏の黄金郷があった場所だ。
壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、その後、兄の頼朝と仲違いしこの平泉に逃げ込んで、この地で討たれた。
元々、義経は幼少時代から奥州藤原氏の庇護を受けて育ったというのが近年の有力な説である。
事実、義経の直参の家臣は皆、奥州の出身である。
あの弁慶ですら、比叡山の僧兵出身ではなく、出羽三山の山伏系武装勢力出身だという説が近年注目されているほどだ。
平家を滅亡に追い込んだ二人の源氏武将ゆかりの地が、まるで狙われた様に被害を受けたのは偶然だろうか?。
最近、ネット上では今回の震災がアメリカによる地震兵器の攻撃によるモノという説が浮上してきている。
そしてその指示を出したのはアメリカを裏で支配するロックフェラーである、と。
もしコレが本当ならば、ロックフェリー=平家の末裔と言う説が急浮上してくる!。
平清盛の不自然な大出世も、清盛=フリーメイソン説ならば納得がいく。
いや、むしろフリーメイソンの力無くして、当時の日本で無名武士があれほど出世するコトはあり得ないのではないだろうか?
317日本@名無史さん:2011/04/25(月) 23:34:41.51
>>314-316
貞観11年(西暦869年)の大地震は、今回の震災と同規模、同震源域で、津波の被害もほぼ同じ地域で起きたと推定されている。
当時の人々には、現在のように地震が起きると津波が来るといった知識もなかったため、壊滅状態となった。
そういう権力の空白地帯に東国からの武士(と言っても屯田兵というか移民だ)が入りやすくなったのだろう。
この津波は、三陸沿岸を支配していた海洋民族 安倍氏の力を弱め、前九年の役、後三年の役の遠因となったのかもしれない。

今回の東日本大震災も東北の勢力図を大きく変える契機となることだろう。
被災地の復興プロジェクトの中心となる企業集団が、この地域を(実質的に)支配することになるかもしれない。う。
318日本@名無史さん:2011/04/28(木) 01:25:43.07
塩釜神社は塩田が有る地域から北上してきた氏族が開基したの?
319日本@名無史さん:2011/04/28(木) 06:48:38.83
塩田自体は割合新しい時代で、律令時代は海藻を加熱する方法があったようだな。
320日本@名無史さん:2011/04/28(木) 20:17:06.87
主祭神シオツチ守に相殿鹿島、香取神だから、
久米・和邇氏系大氏、丸子氏などの陸奥進出を物語っているな。
実際、福島宮城は鹿島神社が異常に多い。
321日本@名無史さん:2011/04/28(木) 23:55:25.28
塩竈周辺は出雲神だらけだ。
鹽竈神社の塩爺も、実は出雲神。
金華山多ごん神社には海神(わだつみ)が祀られている。
今回の大津波で塩竈の街は壊滅したけれど、鹽竈神社は高台にあるので全くの無傷。
これは、貞観の大津波の被害で生き残った者たちが祭った神社だからです。
低地には、家を立ててはいけないという言い伝えを無視した人たちが大勢亡くなりました。
322日本@名無史さん:2011/04/29(金) 17:50:47.69
鹽竈神社は誰がつくったの?
323日本@名無史さん:2011/04/29(金) 20:10:27.49
タケミカヅチ、フツヌシが陸奥を平定というのは、やっぱりそれらの神を奉じていた一族が平定したと考えるのが妥当だな。
よって鹿島神の元の司祭一族である大氏や丸子氏、香取神の司祭一族である物部氏と考えるのが妥当。
ただし、両一族の没落によって両一族の跡を襲った藤原氏の線も考えられないではないが。
いずれにせよ正確な創建年代が分からないとなんとも言えん。
324日本@名無史さん:2011/04/30(土) 07:50:56.97

それは多賀城創建よりも前?
325日本@名無史さん:2011/04/30(土) 12:27:25.47
仙台湾にある七ヶ浜町には大木囲貝塚という縄文時代から続く貝塚というのがあって、
ニニギ(神武)が日本に渡来するよりずっと前から太平洋側の海岸の入江に住んでいた。
それが安曇族、出雲族と呼ばれる海人系の縄文人。
ニニギに大和を譲った安日彦は東日本に勢力を移している。
しかし、一部の者は御用聞きとして食料を献上することで、中央貴族に取り立てられたものもいた。
326日本@名無史さん:2011/04/30(土) 12:42:15.70
>>323
坂上田村麻呂なら帰化渡来人だぞ?もとは漢民族。後漢霊帝の子孫が田村麻呂。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/a/a9/%E5%8F%A4%E5%9B%9B%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%8B%9D%E6%AE%BF.jpg
古四王神社 (こしおうじんじゃ) 秋田県秋田市寺内字児桜81
・旧國幣小社
御祭神
・武甕槌神 大彦命

社伝によると、四道将軍の一人・大彦命が
蝦夷平定の際、北門鎮護のため武甕槌神を祀り、
「鰐田浦(あぎたのうら)の神」として祀ったのがはじめ。

後に、阿部比羅夫征夷大将軍が下向の時、大彦命を合祀し、
越王(古四王)と称したといわれている。

『続日本記』によれば、出羽の柵を当地へ移し、
北方防備の本拠地とし、秋田城となった。

古四王、越王、巨四王、胡四王、高志王、腰王、小四王、小姓など
いろいろな表記があるが、すべて当社の関連社と考えられ、
新潟・山形・秋田・岩手に、広く分布している。
もとは聖護院修験道の管轄だったため、仏具の輪宝が神紋。
「古四王」という名前から、仏教の四天王と解釈されるのかもしれない。
輪宝は、真理を示すものであると同時に、破邪の剣の輪でもある。
北方警護の武神を祀る神社には相応しい神紋ではある。


http://www.genbu.net/data/dewa/kosiou_title.htm
327日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:03:40.95
>>325
ウソくせぇ
安曇族や出雲族がそんな昔(4000年前)に、この世にいるとは思えない。
せいぜい1700年前ぐらいの存在だぜ。
328日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:14:53.56
坂上氏は東漢氏
西漢氏は半島南端の安羅出身といわれてるから、東漢氏も朝鮮半島南部出身者の集合体だろう
329日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:39:32.01
>>326
田村麻呂の話なんかしてないけど?
330日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:54:20.35
451年、倭王済、六国諸軍事「安東将軍」倭国王を望み賜る「倭新羅任那加羅秦韓慕 韓六國諸軍事安東大將軍倭王」(宋書倭国伝)
倭の五王の1人安東将軍津軽安東氏の子孫である安藤忠雄が震災復興会議の議長代理をして実質的に被災地復興の青写真を描くようになるとは、奇遇です。
331日本@名無史さん:2011/04/30(土) 22:02:34.98
北陸地方(たしか富山県)につたわる伝承で、
ヤマトに征服される以前に越(高志)王として君臨していたとされる阿彦と
、四道将軍大彦命と、
津軽安東氏がその始祖と主張する安日彦。

この三者を同一のものとしてみなしたいという香具師がいるということなのかな?

332日本@名無史さん:2011/04/30(土) 23:31:28.55

古四王神社参拝のしおり
御由緒

往古のことは詳かならねど、我が北門の鎮護として大毘古命先づ武甕槌神を奉祀し、
齶田浦神と称し次いで阿部比羅夫将軍下向の砌り、大毘古命を合祀して、
古四王と崇めたりと、斎明天皇紀に齶田浦神見え、又彼地の神を祭るなどあり。
三代實録に出羽国正六位上高泉神並從五位下とあるは当社のことなりと。真澄遊覧記に云へり。
蓋しこの地古へ齶田村と称し、鎮座の地を高清水岡と云ふ。
聖武天皇天平五年出羽柵を遷してこの高清水岡に置かれ後秋田城となりて、
北辺防備の根據地となり、坂上田村麿将軍これに據られたれば其の守護神となり給ひ、
中世秋田城鎮守、古四王大權現と申して、武人並に地方民の崇敬篤く、秋田城之助しばしば社殿を造営し、
佐竹藩主特に崇敬ありて、社領六拾石を寄るせられ、明治九年縣社、同十五年四月二十九日國幣小社に列せらる。

古四王神社 (秋田市)
http://www.genbu.net/data/dewa/kosiou_title.htm
333日本@名無史さん:2011/05/01(日) 00:11:05.74
秋田にある物部ゆかりの神社と言うのは本物でしょうか?怪しげな神代文字のある。
334日本@名無史さん:2011/05/01(日) 00:12:16.20

秋田・唐松神社にて
http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-10.htm
335日本@名無史さん:2011/05/01(日) 00:15:47.01
>>334
唐って中国って意味ですよね?松って韓国にもありますよ。
336日本@名無史さん:2011/05/01(日) 00:25:06.89
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http://www2.city.oga.akita.jp/upload/contents/con-1_228.jpg
名 称:榧(カヤ)

所在地:北浦真山字水喰沢95(真山神社)

種 別:(記念物)
 
指定年月日:昭29.3.7 県指定文化財

説 明:
 榧はイチイ科の常緑高木で材は堅くて碁盤などを作る材料になります。慈覚大師の手植えのものと伝えられ、
樹齢約1200年、根元の周囲4m、樹高7mの地方の榧としては珍しい巨樹老木です。榧の巨木は真山北麓の登山口、
真山神社境内の寺院跡にあり、ここは寒風山や日本海の雄大な風景が北方に展開し、風光またとない景勝地となっています。
------------

↑この榧の木の”カヤ”とは古代半島南部に存在した「伽耶国」のことですか?
337日本@名無史さん:2011/05/01(日) 11:13:01.72
唐子鍵遺跡、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。
この遺跡は、出土物から朝鮮半島の伽耶からの渡来人の遺跡と思われます。
唐子(からこ)、韓子、伽耶子などの呼称は中国大陸から朝鮮半島南部に移り住んだ人たちでしょう。
そこも安住の地でないと知ると、さらに日本海を渡って、若狭湾から畿内の入ったのだろうと考えられます。
338日本@名無史さん:2011/05/01(日) 20:05:22.02
南奥武士団は臣下ではなく同盟者
339日本@名無史さん:2011/05/02(月) 03:38:54.50
奥州藤原氏の直轄地は、奥六郡や仙北三郡でその周囲に一族が分置されていた
奥六郡や仙北三郡は奥州藤原氏の当主(ミタチ)が一円支配していた。
北奥羽は奥州藤原家の直轄地と言って良いかも知れない。

南奥羽武士団は、奥州藤原氏の当主(ミタチ)の公的職務である奥州(奥羽)押領史の権限と
奥州藤原氏の当主(ミタチ)に任されていた摂関家の代官職に服していた形。
藤原秀衡が、平清盛により鎮守府将軍に任じられた事でこの南奥羽武士団と
奥州藤原氏の当主(ミタチ)の関係がより強化された。
340日本@名無史さん:2011/05/02(月) 11:18:28.03
出羽は?
341日本@名無史さん:2011/05/02(月) 11:50:09.88
入間田 宣夫 (著)
平泉藤原氏と南奥武士団の成立 (歴春ふくしま文庫) [単行本]
単行本: 170ページ
出版社: 歴史春秋出版 (2007/03)

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面白いけど文庫本で短かった。
品切れ


342日本@名無史さん:2011/05/02(月) 11:51:34.21
出羽への支配権は、旧清原氏勢力範囲以外では公権の裏付けなかった。
343日本@名無史さん:2011/05/03(火) 01:10:14.18
清衡が実父の姓である藤原を再び名乗れたのはなぜですか?

反逆者である経清に朝廷から恩赦が与えられたのですか?
344日本@名無史さん:2011/05/03(火) 01:13:29.70
>>342
基衡の任じられた出羽押領使としての権限=荘園の管理権。おそらく荘園の現地管理者の武士への軍事警察権だけで、出羽国衙の権力ではない。
345日本@名無史さん:2011/05/03(火) 05:26:02.76
>>343
清衡は最初は平姓を名乗っていた形跡がありますね。
これも清原氏が平姓を称していたためと考えると道理にかないます。

> 反逆者である経清に朝廷から恩赦が与えられたのですか?

その辺は古代、中世はアバウトです。
例えば、
「反逆者」平忠常も、その息子たちは罰せられること無しに、上総氏、千葉氏など房総の大豪族して存続して行きますし、朝廷から在庁にも任命されてます。

346日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:33:36.71
経清の菩提を弔ったという記録が無いので、
赦免されたというのではなく、
家名復興と言う形で、清衡が藤原姓に戻ったというのではなかったのでは?
347日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:36:27.44
経清の藤原性は公認でも、
清衡以後はただの自称と言う扱いなのでは?
348日本@名無史さん:2011/05/04(水) 02:10:40.13
清衡は後三年の後直接摂関家と結んでるよね?
(馬、所領の寄進)
氏長者公認だったのでは?
349日本@名無史さん:2011/05/04(水) 02:29:03.07
謀反人経清の息子でも、賄賂で赦免され家名復興?
それとも謀反人であっても、(藤原)姓まで剥奪はされないということか?
350日本@名無史さん:2011/05/07(土) 14:22:22.04
金さえ払えば昔のことは気にしない
そこまで大物反逆者じゃないし
351日本@名無史さん:2011/05/08(日) 05:41:37.21
「大物反逆者」って具体的に当時の例でいえばだれ?源義朝?
352日本@名無史さん:2011/05/08(日) 06:33:00.87
>>351
平家物語に四人列記されている。
平将門、藤原純友、源義親、藤原信頼
353日本@名無史さん:2011/05/08(日) 06:33:56.59
(ほぼ)同時代なら平忠常とか安倍頼義とか。
少し前なら平将門とか藤原純友とか。
少し後なら源義親とか。

要するに国衙機構(=朝廷)に抗ったり、国司を殺したりすれば、その者は「反逆者」。
ある意味では勝手に清原氏と合戦した義家も、国の承認(官符)を受けずに戦かった国司ということで「反逆者」と言えるかも。

まあ反逆までいかなくとも、(国司としての)「違反者」という感じか。
354日本@名無史さん:2011/05/08(日) 22:22:26.09
>>1
ども!
宗任の子孫の松浦氏の諸流家の者です。
奥州安倍氏の末裔の安倍元総理は、琵琶法師の壇ノ浦の合戦に出て来る‥
松浦太郎高俊の娘の平氏に嫁いだ家柄なのに、正当な高俊の男系の松浦一族には、奥州安倍氏の正当性語られないのが、不満だな…。
まぁ、松浦一族は、元は、嵯峨源氏の光源氏=嵯峨天皇の第9子、源融で、曾孫が枕草子の源(渡辺)綱で、その渡辺氏諸流に松浦氏が居る。
松浦氏に高俊の親が婿養子に入り、松浦党水軍党首として、平家時代の世にあり‥
清盛側近として、仕えたが、清盛死後、一の谷から壇ノ浦の合戦時に、松浦(安倍)高俊は、源義経からのラブコールに応え、源氏に返り咲く為‥
義経に協力し壇ノ浦で清盛無き平家に半旗翻し義経側に参戦し、平家に終止符を討った要が、松浦太郎高俊の松浦党水軍だった。
俺の血には、そんな、桃太郎伝説の鬼退治や竹取物語の安倍の血と光源氏の源融や枕草子の源綱の酒呑童子退治の血に‥
家の氏祖の日本最初の冒険家の血が入ってると、氏祖を調べて、松浦党出身と知り、皇統系譜調べて色々分かり、感動し放しです。
355日本@名無史さん:2011/05/08(日) 22:37:43.65
>>353
奥州安倍氏と平泉藤原北家
平良兼の末裔の永井氏=大江氏→毛利氏と関わりあり
藤原純友の末裔の有馬氏と大友氏との関係の謎
松浦氏は、謎だらけ。
特に、松浦氏次男以下が纏まった、秀吉に滅亡させられた波多氏(滅亡時は、有馬氏の次男が、婿養子に入り後を継いでいた謎。)
家は、その松浦波多氏の流れぽい。
356日本@名無史さん:2011/05/08(日) 22:43:07.85
波多氏と言う姓も、安倍氏の流れを現していて謎めいてるしね‥。
357日本@名無史さん:2011/05/09(月) 01:40:58.86
>>355
秀吉によって主君三河守が茨城県に島流しになってから家臣たちは将来を悲観して集団自決しています。
358日本@名無史さん:2011/05/09(月) 09:30:40.61
>>357
そこっ!
松浦波多氏は、義経が間に合わなかった、富士川の合戦に、呼子の名の由来する活躍をし、波多氏三代の呼子氏の血族が、三男石志氏に入り、伍男佐志氏に合流した、呼子一族は、佐志氏に波多氏の姓を譲り、有馬氏の代に成る前に、波多氏から、離脱してるから不思議。
江戸初期には、美作守を経て、東へ代を経ながら移動してる。
呼子氏の子孫も、九州に今も居るし、四男の神田氏も健在だしね。
359日本@名無史さん:2011/05/11(水) 13:08:34.81
パワフルな貴公子が軍事貴族になったというよりも、
企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた。
征夷の軍の幹部に居た百済王一族の場合は、最初から有力だったので、土着しても源平藤原の武士団にはならなかった。


360日本@名無史さん:2011/05/11(水) 14:42:13.68
マルチさえしなければ、なかなかのレスだったのに
361日本@名無史さん:2011/05/11(水) 23:29:25.41
>>355
>滅亡時は、有馬氏の次男が、婿養子に入り後を継いでいた謎。
謎でも何でもないよ。仙嚴入道のころの有馬氏は肥前でいっちゃん強かったんで
めぼしい他の豪族に子女を養子縁組みを押し付け半分に結べたんだよ。
こうして肥前の半分は孫子の代にまで有馬のものになるはずだったのだが龍造寺がすべておじゃんにしてしまった
それでも孫の晴信はあきらめずに島津、豊臣、徳川と臣従して
ポルトガル船焼き討ちした褒美で肥前半国貰えると信じて送った賄賂が仇となって身を滅ぼしたのであった
362日本@名無史さん:2011/05/12(木) 00:17:16.99
749年 陸奥国守百済王 敬福、黄金九百両を献上する
766年 百済王 文鏡を出羽守となす
774年 百済王 武鏡を出羽守となす
785年 百済王 英孫を出羽守となす
797年 百済王 聡哲を出羽守となす

---

363日本@名無史さん:2011/05/12(木) 00:23:25.11
百済系は近江とか出羽のような、最初から実入りの良い土地を与えられたようだ。
364日本@名無史さん:2011/05/12(木) 00:29:30.63
征夷は、亡命してきた百済人に土地を与えるという目的があった。
武士団イコール征夷軍に動員された関東人ではなく、開拓困難な土地を開拓した氏族(おそらく敵性国民扱いされた新羅高句麗系が多かったろう)が、
中央貴族を天下りで当主に迎え入れてかつぐ。
優遇されていた百済系は近江とか出羽のような、最初から実入りの良い土地を与えられたようだ。
だから百済系の武士団というのはあまりいないということか。
365日本@名無史さん:2011/05/12(木) 01:02:34.55
百済王(くだらのこにきし)氏は数ある渡来系氏族の中で日本に渡来してきた最後発氏族。
だから他の渡来系氏族と違い、その出自も確かな史料からはっきりと分かっている(百済王家一族)。
本拠地は河内国で(これは他の渡来系氏族も同じ)、主に鉱物資源探索をその職掌として担っていた。

366日本@名無史さん:2011/05/12(木) 16:04:37.35
百済の小錦
367日本@名無史さん:2011/05/12(木) 18:22:36.58
映画「アバター」の世界ですか?
毛人の住んでいる土地で金が見つかり、しかしそこにはすでに毛人たちが住んでいて・・・・・・
まんま映画「アバター」ですね。
368日本@名無史さん:2011/05/12(木) 22:37:57.85
金だけが理由ではないだろう。
平安時代は地球が温暖になるから、北上盆地に農地としての魅力が出てくる。
それに東北は鬼門って思想が影響してる可能性もあるぞ。
蝦夷を鬼門の鬼に見立て、蝦夷を平定すれば国が安定すると思ってたのかも。
369日本@名無史さん:2011/05/13(金) 18:57:08.84
370日本@名無史さん:2011/05/13(金) 23:23:30.67
頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の中で生き残った末裔は、その後も藤原氏って名乗り続けてたの?
俺の祖先は藤原氏に遣えて苗字もらったって話しなんだけど
371日本@名無史さん:2011/05/13(金) 23:27:10.48
分家筋は、家名が違うんじゃないのかな?
京の藤原でも末端にいっちゃうと、三条とか嵯峨とか冷泉なんかの方で通じてしまうし。
372日本@名無史さん:2011/05/14(土) 01:42:40.58
奥州藤原氏は平泉氏とは名乗らなかったの?
373日本@名無史さん:2011/05/14(土) 01:49:44.12
氏姓と家名と屋号はちげうよ 別もんだ
374日本@名無史さん:2011/05/14(土) 07:44:14.99
奥州藤原氏は平泉家とは名乗らなかったの?

375日本@名無史さん:2011/05/14(土) 09:48:13.06
内藤とか田村とかいても、平泉はいないな
376日本@名無史さん:2011/05/14(土) 10:13:33.97
西木戸
377日本@名無史さん:2011/05/14(土) 23:41:47.97
本家には屋号も(分家と区別するための)家名も必要ないからだろう。
378日本@名無史さん:2011/05/15(日) 02:27:32.90
つ平泉澄
379日本@名無史さん:2011/05/15(日) 04:52:10.94
>>377
そういや信夫佐藤氏も信夫家と言わず佐藤のままだよな。
分家は杉目とか伊賀良目とかを家名としてるが。
380日本@名無史さん:2011/05/15(日) 09:47:07.00
天皇家は苗字もねえしな。
381日本@名無史さん:2011/05/15(日) 10:23:04.14
いやいや、華夏の姫(姬)姓らしいw
成周(雒邑)からやってきた周武王の子孫なので、庶民にはひ・み・つ
382日本@名無史さん:2011/05/15(日) 12:24:02.41
平泉氏はいないが一関氏はいる

小田原城攻め不参加で秀吉に追い出された
383日本@名無史さん:2011/05/15(日) 12:39:27.85
>>382
有名な平泉澄(キヨシ)は福井県の
384日本@名無史さん:2011/05/15(日) 12:40:11.62
>>382
有名な平泉澄(キヨシ)は福井県の”平泉寺”地名由来の苗字を持つ福井県出身者。
385日本@名無史さん:2011/05/15(日) 12:49:22.37
平泉成さんは、愛知県の岡崎出身
386日本@名無史さん:2011/05/16(月) 04:34:12.93
>>354の訂正。
>嵯峨源氏の光源氏=嵯峨天皇の第9子、源融で・・

系譜見直したら、第18子、源融でした。

嵯峨天皇より出た源氏で、源氏賜姓の始まりでもある。 嵯峨源氏の中で第18皇子の融が最も世に知られている。
五代の綱は、父の病没後に生まれ母も出生十日後に喪うことにより、伯母に引き取られ摂津国渡辺郷で成人し、「渡辺」姓を称する。 綱の末裔は武門の家柄で、平戸藩主松浦氏、伯太藩主渡辺氏、尾張藩家老渡辺氏、幕臣渡辺氏(20余家)など
387日本@名無史さん:2011/05/16(月) 06:31:45.54
tunaの家は、父源宛、そのまた父の源仕以来二代に渡って武蔵に留住し続けたけど、その後は武蔵の地盤は子孫に継承されることなくフェードアウトしていったね。
村岡五郎平良文流(秩父党など)に追い出された形かな。

388日本@名無史さん:2011/05/16(月) 06:53:51.87
>>387
良文は将門の叔父。
389日本@名無史さん:2011/05/16(月) 06:55:30.71
>>387
みんなの党代表渡辺氏は今でも関東の栃木県が地盤でしょ?
390日本@名無史さん:2011/05/16(月) 12:28:50.07
>>389
震災被災者の姓が、やはり
佐藤・渡辺・阿倍がめだったね。
391日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:54:40.79
>>388
将門は常陸などで源護(前常陸大掾)一党を敵にまわして激戦を演じているんだよね。
将門が戦った伯父・叔父の国香や良兼や良正もみんな護の婿たち。
護はその一字名から前武蔵権介・源仕(渡辺党祖)と同族の嵯峨源氏と目されている。

一方、平良文やその子孫は将門の本拠地近辺を地盤として受け継ぎ、国香流平氏とその後も敵対していることから、将門とは非常に近しい関係にあったと推測する人は多い。

以上のことから、将門・良文「連合」は、それぞれ常総と武蔵の地で嵯峨源氏一党と勢力争いを繰り広げていた、
そして武蔵の地においては良文(流)が嵯峨源氏を駆逐することに成功した、と推測することが可能になってくる。
392日本@名無史さん:2011/05/17(火) 22:19:42.29
>>391
嵯峨天皇には23皇子も居て、第1皇子の仁明源氏にも、一文字名の筋が幾つか居る。
渡辺氏と言うより、嵯峨天皇筋と言うべき。
393日本@名無史さん:2011/05/18(水) 04:47:25.53
>>392
ちゃんと「嵯峨源氏一党」と、あんたの言う「嵯峨源氏筋」に近い表現で書いているよ。
武蔵権介・源仕が渡辺党祖なのは事実。
仕‐宛‐綱
394日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:09:09.21
>>393
どちらにせよ、家のもう一方のルーツ、渡辺松浦氏の松浦(安倍)高俊のご先祖、奥州安倍氏のアテルイや藤原北家を征伐しに行ってたのだろうに・・
渡辺の嵯峨源氏と一緒に、桓武平氏とて・・
395日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:18:28.03
同じ皇統系譜の安倍氏も孝元天皇の大彦の末裔なのに・・
この時代の朝廷の武門に従わないだけで、朝敵に仕立て上げられてね。
後の世で、国津神系にされてる。
高天原の神々に追放された国津神スサノオパターン。

396日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:20:55.64
平氏も同じだな。
嵯峨源氏も後の清和源氏勢力拡大と、元軍との幾たびの戦で衰退した。
397日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:59:34.54
8代孝元天皇の末裔、奥州安倍部門。安倍貞任・宗任
50代桓武天皇の末裔、桓武平氏部門。平良兼・将門、平清盛
52代嵯峨天皇の18皇子、初代源氏長の光源氏=源融=嵯峨源氏武門。渡辺綱・松浦(安倍)太郎高俊・蒲池
56代清和天皇の末裔、清和源氏部門。源頼朝・義経、足利・新田、大河内、徳川=松平
大彦の妹が卑弥呼だったんだね。
398日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:21:24.86
あっ!
そうなんだぁ・・やっぱり・・
卑弥呼=天照大御神だから、大彦命=スサノオだったのか・・
だから、家は、スサノオの子孫で海神族の海人族だったんだぁ・・
399日本@名無史さん:2011/05/19(木) 05:20:08.77
>>394
もうあんた滅茶苦茶。

>どちらにせよ、家のもう一方のルーツ、
(※中略※)
>奥州安倍氏のアテルイや藤原北家を征伐しに行ってたのだろうに・・

アテルイが奥州安倍氏?
ソースは?

400日本@名無史さん:2011/05/19(木) 20:43:16.57
>>399
んっ?
アテルイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4

は、悪路王と言いたかったが、よーく考えたら、アイヌに引き取られた安倍貞任の次男筋の安東氏の家伝だったから、
安倍清明筋の土御門氏の系譜にある。
安倍氏武門の奥州安倍氏の安倍忠好(忠良)→安倍忠頼→安倍頼義・頼時(頼良)の世代の時代だから安倍忠好(忠良)→安倍忠頼を討つ為にと言いたかった。

401日本@名無史さん:2011/05/19(木) 20:53:51.96
奥州安倍氏の系譜では、貞任・宗任の父までの系譜しか、昔、分からなかったからね。安倍頼義・頼時(頼良)
しかし、家が男系正当後継のスサノオ筋の家系とは・・感動した。

402日本@名無史さん:2011/05/19(木) 21:09:09.94
896 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 06:15:17.77
ヤマタノオロチ=八口説ってお前らどう思う?

897 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 06:48:41.69
>>896
俺は、それが正解のような気がする
当の出雲には大蛇伝説なんか無い
オオナムチが越の八つ口を平定したとあるだけ
出雲大社の蛇信仰が何かで繋がったんじゃないか

八口ってその話だろ?

898 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 08:45:58.24
存在しない大蛇、活躍しないスサノオ……
記紀神話は一体どれだけ元の話を改竄したんや〜(;・`ω・´)

903 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 16:27:41.56
>>898
別に民話を記録したわけじゃなくて歴史書書いたわけだからな
史料をそのまま信ぜず、その向こうにある真実を探ろうとするのは当然

日本神話総合スレ弐
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1285931762/
403日本@名無史さん:2011/05/19(木) 21:22:43.18
そして、俺は・・神無月生まれの恵比寿が支配する月生まれ。
恵比寿=蝦夷=アイヌでもあり、光源氏=源融の子孫筋でもある。
天津神系なのか国津神系なのか??
404日本@名無史さん:2011/05/20(金) 13:37:33.23
そして藤原不比等の子孫でもある。
405日本@名無史さん:2011/05/20(金) 15:39:42.57
あれ?
406日本@名無史さん:2011/05/20(金) 15:53:24.21
405は私です、すみませんm(__)m

お邪魔しますm(__)m

岩手県内陸北部に『安比川』という川があります。
この『安比』という名前は、『安日彦』から由来するのではないかと思ってしまったのですが、みなさんはどのようにお考えでしょうか?
407日本@名無史さん:2011/05/20(金) 16:01:39.47
胆江日日新聞社の

安彦公一取締役編集長

が「後藤寿庵の人となり」と題して講演。知られざる寿庵の人間性に迫った。
 寿庵は仙台藩主伊達政宗の家臣で、江戸初期に水沢区の福原一帯を治めたキリシタン領主。
農民たちと共に荒れ地だった当時の胆沢平野に水路を引くなど開拓に情熱を注いだが、
禁教令により道半ばでこの地からの逃亡を余儀なくされた。どこで一生を終えたのかなど、不明な部分が多い。

http://laudate.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/05/29/2008_mizusawa007.jpg
胆江日々新聞社取締役編集長・安彦公一(あびこ きんいち)氏。


◇ 安彦 公一(あびこ きんいち)氏(胆江日日新聞社取締役編集長)
昭和30年水沢市生まれ。法政大学文学部卒業。
昭和56年胆江日日新聞社入社。報道記者、編集部次長、編集部長、編集委員、取締役編集委
員を経て、平成17年取締役編集長。
主な著書に『寿庵の道』、『古代アテルイの里』(共著)『日高見抄』、『図録・田村麻呂展』(責
任編集・共著)など。
408日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:57:33.21
スレタイが楽しそうなので来ました。
409日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:16:07.42
藤原姓をかたるものは皆「藤原不比等」の子孫。天皇の子孫。
中臣鎌足の子孫は「中臣」姓。

天皇の子孫は源平藤橘。
410日本@名無史さん:2011/05/29(日) 07:48:40.66
奥州の蛇藤伝説
前九年の役、源義家(通称:八幡太郎義家)が、村田付近で敵軍に包囲され危機一髪の時、白鳥神社境内の藤の木が二匹の大蛇となってあらわれ、真っ赤な炎を吐き敵を追い散らした。
境内には樹齢約1000年といわれる巨木群が悠然とそびえています。特に藤の木は、大杉に巻き付く姿が大蛇のように見えることから、「奥州の蛇藤」と呼ばれています。

日本に巣くう蛇頭
411日本@名無史さん:2011/05/29(日) 08:26:20.99
>>410
白鳥氏と黒澤氏も安倍氏系譜
412日本@名無史さん:2011/05/29(日) 10:20:04.71
白鳥氏は、ヤマトタケルの化身。
別名、城取氏ともいい、城攻めの名人。
大和朝廷の東国遠征で多くの蝦夷の城を奪い取った。
413日本@名無史さん:2011/05/29(日) 13:15:54.44
安倍氏も天皇の子孫でヤマト朝廷の氏族だからね。
414日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:45:09.73
安倍氏の血筋が絶世の美女なのは、源義家が証言しているが、さて、どう美女なのかだが・・
安倍氏系で言うと、引田氏の二代目:引田天功・松浦高俊の末裔の島谷ひとみ・その島谷の総家島屋の親戚筋の川島氏の川島なおみが同一の安倍氏の血族のようだ。
415日本@名無史さん:2011/05/31(火) 22:50:36.89
本来の、天皇家の血は、超美形揃いだと言う事だ。
416日本@名無史さん:2011/06/01(水) 15:52:24.72
蝦夷ごときが「城」なんか持っていたの?
417日本@名無史さん:2011/06/01(水) 16:12:01.65
テスト
418日本@名無史さん:2011/06/01(水) 16:58:25.36
>>416

当時は多賀城も秋田城も「官庁街を木の柵で囲んだ」程度の防御力だった。
419日本@名無史さん:2011/06/02(木) 00:43:54.20
多賀城や秋田城や胆沢城は大和朝廷側の拠点だろう
420日本@名無史さん:2011/06/02(木) 02:32:46.56
>>416

砦は持っていたのではないか?
421日本@名無史さん:2011/06/02(木) 10:07:29.46
>引田氏の二代目:引田天功・・
は、違うだろうと言う突っ込み待ってたのにWW
誰も、興味示さないんだね。。

引田氏は、疋田氏で、安倍氏の阿倍引田部氏とは関係しないし、二代目の本名が分からない。
とか、とりあえず、>>414のは、自ら訂正しとくW
422日本@名無史さん:2011/06/04(土) 10:01:27.03
安倍なつみもえー
423日本@名無史さん:2011/06/04(土) 13:03:09.20
>>416
蝦夷の場合、城じゃなくて防御性集落だろうね。
424日本@名無史さん:2011/06/04(土) 14:59:12.10
蝦夷の製鉄技術はどこから来たのか?
朝鮮半島なのか?
425日本@名無史さん:2011/06/04(土) 17:45:32.03
蝦夷の米代川以北から岩木山麓にかけて発見されてるのは「製鉄」遺跡じゃなくて、「製鋼」遺跡だろう。
鋼にするための銑鉄は他所から交易で手に入れる。

奥州の製鉄遺跡は、福島県浜通り一帯から宮城県丸森町にかけて発見され続けている7〜9世紀にかけての製鉄遺跡群。
当然大和朝廷による蝦夷征討戦用のもの。
426日本@名無史さん:2011/06/04(土) 19:53:47.26
>>424
北海道と違って東北地方には弥生時代があったし
青森で弥生時代の水田稲作跡が発見されてるし
普通に弥生人が伝えたんでしょ。
古墳時代に入って地球が寒冷化すると稲作は廃れたけど
その他の技術は残ったんじゃね?
427日本@名無史さん:2011/06/04(土) 20:28:46.80
弥生時代って馬鹿にするけれど、中国では三国志の時代。
曹操や孫権、劉備玄徳の活躍する三国志の時代、実史の時代ですよ。
赤壁の戦いでは数万の軍艦が対峙している。
造船技術も海洋航海術も相当のレベルにあった。
呉の艦隊が津軽海峡を回って太平洋側にも着ていたのは当然です。
428日本@名無史さん:2011/06/04(土) 20:43:08.31
>>427

> 呉の艦隊が津軽海峡を回って太平洋側にも着ていたのは当然です。


この1行はおかしい。ただ、九州や台湾に来るのは不可能ではないと思う。
429日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:02:37.75
多分、東北へ最初にやってきた外国勢力は8世紀の渤海使だろう。
半数以上が蝦夷に殺されちゃったけどね、哀れ。
430日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:26:28.10
国と言えるかは微妙だが、粛慎、靺鞨は渤海より前に結構な数入ってきてる。
あと内国からは渡来人も。
渤海使を出羽城で饗応したのも、すでに前代からのそうした土壌があったからとも考えられる。
431日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:51:09.44
日本史に出てくる粛慎は中国史に出てくる粛慎じゃなくて
樺太にいたオホーツク人の可能性が高いからなぁ。
中国史に出てくる粛慎や靺鞨が日本に渡ってきてるかどうかは微妙じゃね?
432日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:12:29.21
多賀城碑 碑文

去京一千五百里
去蝦夷国界一百二十里
去常陸国界四百十二里
去下野国界二百七十四里
去靺鞨国界三千里

多賀城の住民はだいたいこのあたりから着ているということがわかる。
433日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:36:39.14
>>432
なるほど、一理ある。
あんたするどいな。
434日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:55:34.06
>>431

> 中国史に出てくる粛慎や靺鞨が日本に渡ってきてるかどうかは微妙じゃね?


同意。渡来していたとしてもスゴイ数ではなかったと思う。
435日本@名無史さん:2011/06/05(日) 00:06:18.66
俺は逆。
言われてるより多いんじゃないかと思ってる。
436日本@名無史さん:2011/06/05(日) 07:54:46.44
>>422
あいつ渤海出身っぽいじゃん。満洲族?!
437日本@名無史さん:2011/06/05(日) 08:41:21.57
>>436

> あいつ渤海出身っぽいじゃん。


意味がわからんw
438日本@名無史さん:2011/06/05(日) 08:54:20.22
安部なつみとか松浦亜弥とかモンゴル系だろ
439日本@名無史さん:2011/06/05(日) 09:49:49.16
安倍なつみの血液型はA
松浦亜弥の血液型はB
440日本@名無史さん:2011/06/06(月) 22:55:45.82
安倍なつみは安日彦の子孫だろう。
松浦亜弥は、末盧国出身の海人。
441日本@名無史さん:2011/06/07(火) 22:55:54.47
しかし、数年前に渡来した同胞でさえ、日本人のような日本語を話します。
ところが、日本人の子供として日本に生まれ日本で育ち、40にもなりながら日本語がうまく操れないのは、もともと日本人ではなかったからだと思われます。
では、どんな人種かといえば、それは文字を持たないツングース語族ではないでしょうか?
ツングースとは、東胡、つまり蝦夷のことです。
高句麗、夫余、粛愼、悒婁、勿吉、靺鞨・・ツングース族といわれるこれらの部族の子孫は東日本を中心に広く日本列島に住んでいます。
「まつろわぬものども」、「俘囚」などと呼ばれ、日本人として教化するもかなわず、遠く奈良時代から厄介者とされてきました。
その子孫は繁殖力だけは旺盛で日本人の主流となりつつあります。それが日本衰退の原因ではないでしょうか?


442日本@名無史さん:2011/06/07(火) 23:02:22.87
「俘囚」は、トナカイ飼いのサーミ人とかいうオチじゃねーだろうなw
443日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:05:01.56
>>440
現代に続く奥州安倍氏と同じ祖先を持つ安倍清明筋の土御門氏は、ちゃんと大彦命の末裔と系譜に記している。
安東氏方面は、アテルイに引き取られて育ったから、悪路王を崇拝させてるし、安日彦とかは、どの血筋が言ってるんだ?
白鳥氏とか黒澤氏辺り??
444日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:11:57.61
>>440
松浦氏本流は、渡辺氏で甥筋ですよ。
光源氏モデルの嵯峨天皇18皇子の源融→曾孫の枕草子の渡辺綱→松浦久氏祖に安倍宗任の子筋が婿養子に入り、松浦(安倍)高俊が居るので、松浦氏は、安倍氏水軍として、平清盛の側近でした。
445日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:18:54.50
>>443 大彦命って、さきたま稲荷山古墳の埋葬者と同一で
5世紀の渡来人らしきビッグネームである可能性が高い
446日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:34:08.99
>>443
> 安東氏方面は、アテルイに引き取られて育ったから

だから↑のソースを出せよ。
447日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:49:22.20
>>446
ソース
炎立つ
448日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:51:57.18
>>445
ビックネームも何も‥8代孝元天皇家の嫡男。
449日本@名無史さん:2011/06/08(水) 01:04:10.88
>>445
神武天皇は、親神の居る日出国へ来てる訳だから、本拠地は、大陸な訳で‥
孝元天皇も大陸に居て、大彦=素戔嗚尊の妹を日本の管理者として派遣していて、素戔嗚尊が妹に会いたさに、高天原で暴れて、追放され、半島の新羅が嫌いで通過して、日本へ来た訳。
高天原=中国北斉=秦=満州族の拠点。
大彦の弟の開化天皇が即位して、天皇家が続いてきた訳。
本来の天皇家は、安倍氏だから、後に清和源氏に狙われた訳。
450日本@名無史さん:2011/06/08(水) 01:48:20.44
満州族は5世紀には民族成立していない!
451日本@名無史さん:2011/06/08(水) 01:52:10.87
青海省のタングラ山=高天原
タングラ東麓の人=タングート人( → 11世紀の西夏 )
語呂からいえば、大陸の北方で似ているものがあるけど
よくワカンネー
452日本@名無史さん:2011/06/08(水) 08:22:21.50
中国戦国時代の経緯から、大陸の拠点防衛で、紀元前の天皇家は、大陸に止まって居た。
勢力拡大で半島に逃れていた倭人族と結び付き、倭人族の日本の神話を基に世代を経て‥
神武天皇の代に植民地開拓と資源開拓で唾付けに来て孝元天皇の代から本格的開発に成ったと考えるのが、自然。
453日本@名無史さん:2011/06/08(水) 08:24:51.74
>>450
コリョ族→満州族
454日本@名無史さん:2011/06/08(水) 08:36:57.79
>>452
だから、三国志時代に、沢山、天皇家縁の9天皇家が移住して来たんだろうよ。
455日本@名無史さん:2011/06/08(水) 16:44:28.65
中国から来たのなら、その時点で漢字が伝わりそうなもんだが
文盲の中国人ていう設定なの?
456日本@名無史さん:2011/06/08(水) 16:52:33.44
五胡十六国の拓跋や氐羌は、突厥系ルーン文字だよ。
漢字なんか使わない。
漢民族のスタメンじゃないもの、漢字じゃないよ。
457日本@名無史さん:2011/06/08(水) 17:02:27.15
>>454
三国志時代というより、西晋時代だろう。
古い漢民族と移動性のある胡族の攻防の時代。
で、どういうわけか日本に来てしまったのは、前者ではなく後者。
458日本@名無史さん:2011/06/08(水) 17:05:00.87
>>456
八咫鏡に彫ってある謎の文字とは、拓跋や氐羌の文字か!?
459日本@名無史さん:2011/06/08(水) 17:20:09.55
ヘブライ文字w
460日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:43:27.36
>>455
漢字の起源も知らずに、知ったような話方止めた方が無難だぞ。
漢字を開発した敦煌は、西暦600年〜900年在った国。
漢字が完成したのは、末期だから、天皇が知らなくて当然ですがね。
461日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:45:25.61
漢字=敦煌文字
462日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:47:58.85
敦煌より前に、楚が漢字使ってるじゃん!
楚簡は漢字だよ。前漢・後漢も漢字つかっとるし。
463日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:48:43.93
>>461 それ西夏文字の前身だろ?
464日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:54:29.84
コリョ族=満州族も漢民族の文字共用してたのかね?
465日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:55:33.37
コリョ族って何だよw
高句麗? 高夷?
466日本@名無史さん:2011/06/08(水) 18:58:00.06
>>465
満州族の前のシベリアからの南下して来た騎馬民族。
467日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:02:15.97
現代ユダヤ人と漢民族は、中央ロシアからの発生した民族。
468日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:05:20.44
滅んだ民族の話をしてもしかたあるめい >>466
古文書に出ている名前で書け このボケ
469日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:11:50.63
>>466
出直してこい。
470日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:24:47.79
コリョ族内の部族内部闘争で勝ち上がったのが、今の満州族。
その部族内部闘争の延長線に日本の歴史がある。
新羅と加耶
新羅と百済
源氏の奥州攻め。
源平合戦。
歴代天皇家部門同士の血で血を洗う戦い。
471日本@名無史さん:2011/06/08(水) 19:30:38.50
早く、どうぞ‥?
下世話な遣り取りのゲス
472日本@名無史さん:2011/06/08(水) 20:20:03.86
>>469
464 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/06/08(水) 18:54:29.84
コリョ族=満州族も漢民族の文字共用してたのかね?
473日本@名無史さん:2011/06/08(水) 20:22:51.47
>>469
で・・どうなん?
474日本@名無史さん:2011/06/08(水) 23:52:06.81
ケリン(鶏林)族w、キム(金)族wなど
架空の民族名を使うファンタジー愛好者は
学問板では相手にされないよ(笑)
475日本@名無史さん:2011/06/10(金) 04:09:20.37
アテルイも不良中央貴族出身?
476日本@名無史さん:2011/06/10(金) 06:58:11.08
俺は蜂子皇子が近いのではないかと思う。
477日本@名無史さん:2011/06/11(土) 06:45:59.00
今回の大震災では特に荒蝦夷の子孫が縄文人の血を表し、被災者救援にいち早く立ち上がった。
このマイヤ社長なんかは風貌もアテルイを髣髴させます。

http://blog-imgs-17.fc2.com/m/i/t/mitokohmon02/20110319143204577.jpg
478日本@名無史さん:2011/06/11(土) 07:00:32.50
悪路王とは羽黒王ではないか?

AKURO O
HAKURO O

↑羽黒王の最初の子音・Hが無音化されると悪路王になる。

そして、羽黒王とは蜂子皇子の子孫ではないか?
479日本@名無史さん:2011/06/11(土) 11:26:50.49
羽黒王、蜂子皇子って架空人?
480日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:33:35.84
場所が全く違う
481日本@名無史さん:2011/06/12(日) 13:11:40.55
【東日本大震災】中国山東省から仙台市に義援金と「国泰民安」の文字が刻まれた玉印が送られる
 中国側との仲介役を務めた日中経済交流協会の岡村聖爾会長代行、
仙台市日中友好協会の加藤義雄会長らが市役所を訪れ、伊藤敬幹
副市長に手渡した。玉印は中国五岳の一つ、同省にある泰山の
黒玉で作られており、「国泰民安」の文字が刻まれている。

http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1307701813/l50

藤原氏は中国人だったのか
482日本@名無史さん:2011/06/12(日) 13:22:34.89
泰山って、日本で閻魔大王と呼ばれている
泰山府君の本山だからね。山東省のが総本山。
死んだ人へ引導を渡してくれという意味がありそうだね。
483日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:18:54.59
中国系「秦民」をよろしくってことだろ?
484日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:23:43.15
地獄行き側に引導を渡すのですね。わかります。
485日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:32:47.71
仙台には太白山(太白とは金星のこと)があって、中国と北朝鮮の国境付近にそびえる靺鞨族の聖地である長白山とのかかわりが深い。
多賀城碑碑文の「去靺鞨国界三千里」とあるように、靺鞨族の血を引く高句麗が滅んだことで、多くの靺鞨族が東北に移り住んだものと思われる。


486日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:38:29.17
>>485
なるほど、一理ある。
あんたするどいな。
487日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:46:42.65
渤海の船は酒田とか船川に入港しているので
高句麗の末裔は日本海側に多いはずだ。
勝手に住みつくなというお触れがでているのは日本海側。

太平洋側はそれほど数が多くないのではないかな?
まー支配者層になったとかいうならば、少数でも構わない。
488日本@名無史さん:2011/06/13(月) 00:44:49.25
>>481
だから、藤原純友自身が世代を経ても、歴史を聞き学んで、自らの行動を決めて海賊王となり、その末裔も、日本の歴史を操って来たのだろう。
藤の字は、草冠に月読の月と秦で藤と推定している。
大陸に居た頃の天皇家秦氏の武門筋として、日本に卑弥呼と共に派遣された豪族が中臣と束なり、後に藤原氏と称した。
489日本@名無史さん:2011/06/13(月) 00:50:33.39
豪族とは、渡来人族の事で、中国や半島に居た漢民族や満州族も元は、中国に居ても豪族。
漢民族は、中央ロシア出身のユダヤ人。
満州族も、シベリア渡来のユダヤ人。
490日本@名無史さん:2011/06/13(月) 07:14:52.42
>>487
日本海側に上陸したからといって住み着くのもその近辺だけとは限らないよ。
正規の移住でない場合(つまり非合法)なら尚更。

ふつうはより奥地とか内陸に向かう。
491日本@名無史さん:2011/06/13(月) 08:30:50.80
入国管理しているわけではないので非合法ということはないが
租税をどうするのかという問題はあるわな
492日本@名無史さん:2011/06/13(月) 11:56:36.71
だから、大彦命=スサノオの末裔の奥州安倍氏に奥州藤原氏の関係だったのだろうね。
493日本@名無史さん:2011/06/13(月) 12:02:51.23
奥州攻めの源氏は、後の秦氏本体天皇家(卑弥呼とスサノオの弟、開化天皇筋)の末裔で高天原の意思で征夷大将軍実権を確立し、君主と成るべく、奥州を攻めたんだね。
494日本@名無史さん:2011/06/13(月) 12:07:17.27
古代羌族同士の争いか?
495日本@名無史さん:2011/06/13(月) 12:15:44.24
古墳を掘ってみると骨格が、匈奴や古羌族と一緒だもの。
面長で脛が長い。mtDNAは古人骨からも採取でき、そのハプログループはD4。
496日本@名無史さん:2011/06/13(月) 14:05:17.64
鮮卑系拓抜部?
497日本@名無史さん:2011/06/13(月) 14:13:59.26
鮮卑は複合民族なので今でいう何系かよくわからない
とりあえず東アジアの西北や東北にいる人達に近縁としか言えぬ
498日本@名無史さん:2011/06/13(月) 14:18:33.68
拓抜部は 後の時代のタングート人なのかな?・・・
499日本@名無史さん:2011/06/15(水) 04:08:43.20
百済系以外の移民は古代も強制収容されたの?
500日本@名無史さん:2011/06/15(水) 04:22:56.98
強制収容なんかされないよ
501日本@名無史さん:2011/06/15(水) 06:44:34.72
高句麗系移民のように、それまで東国の各国に入植してたものを、改めて一ヶ国(武蔵国)の一ヶ所に纏めて再入植させられたという事例ならある。
502日本@名無史さん:2011/06/15(水) 17:46:13.56
大宰府=入管?
503日本@名無史さん:2011/06/15(水) 18:43:02.22
羽越のほうに上陸されると訳わかんなくなるぞ
清原や安部のほうは不輸不入に近いから中央からの監視は緩い
504日本@名無史さん:2011/06/15(水) 19:09:23.09
んだんだ。
仙北三郡〜奥六郡〜(そして更に北の)津軽〜下北のあたり。
実際このあたりはかな〜りツングース顔の密度が高い(例:高橋克彦、木野花、旭富士、貴ノ浪、畑山隆則、伊調馨、俺の父方の婆ちゃん)
505日本@名無史さん:2011/06/15(水) 19:12:07.91
キックボクシングの小比類巻貴之の顔なんかも追加だな
506日本@名無史さん:2011/06/15(水) 19:16:14.07
岩手の陸前高田とか宮城の気仙沼は、
青森県と違い面長ではなく、大陸的な顔が少ないんだよな。
507日本@名無史さん:2011/06/15(水) 20:37:06.50
蒙古襞の発達程度の地域差(旧ソ連の人類学者・レヴィンの調査)
朝鮮1.01
近畿0.97
東北0.89
北海0.86
508日本@名無史さん:2011/06/15(水) 20:41:32.12
だから何?
509日本@名無史さん:2011/06/16(木) 17:45:34.41
ttp://www.karatsu-kankou.jp/history/32.jpg
●波多氏代々の菩提寺
●旗本百人腹切り場所
南北朝時代末期(1355年)の創建といい波多氏代々の菩提寺。
参道の小丘を円山といい、岸岳没落に際し、城を奪われ主君を失った波多氏家臣の一同が
再興の望みも絶たれ悲嘆の自決をして主君に殉じた場所として昔から旗本百人腹切り場所と伝えられています。
ttp://www.karatsu-kankou.jp/history_tanbou2.html

独裁者、秀吉がやってきた。九州征伐である。
波多三河守親は遅参してしまった。島津には庇護を受けた経緯があった。
秀吉、へそを曲げ会ってくれない。何とか本領八万石を安堵してもらった。
彼の所領でなした美麗な茶器を多数献上し、秀吉のご機嫌をとることができた。
当時の名品は、後に利休の銘が入り、三斎公、鴻池家の手を経て今日に伝わっている。
文禄の役。
秀吉の命の下、鍋島勢らと共に千人の兵と共に渡海した。散々泥沼の戦ののち、1593年、
波多三河守親を待ち受けていたのは、改易であった。
朝鮮での戦いぶり、卑怯、あるいは勝手な振る舞い、まことにけしからぬ、という理由。誰やら不明の三人の奉行の讒言があったとか。

実際の彼は、卑怯どころか、兵を三百までに減らしつつ鍋島勢と共に敵兵二万を撃退した奮戦ぶりであったのだが。
秀吉としては、根拠地名護屋を古来領する波多氏が邪魔、目障りであった、真の理由はそれにつきるのである。代わりにこの地を拝領したのは
秀吉お気に入りの寺沢志摩守でしたから。
兵農分離し、行き場を失った家臣百名が腹を切ったとか。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3001.html
510日本@名無史さん:2011/06/18(土) 12:36:38.05
平泉文化に地方性なんか無い。
アイヌ文化の痕跡も、マタギ言葉くらいしかない。
もともとアイヌは東北北部のごく少数住民だけだったろう。
511日本@名無史さん:2011/06/18(土) 23:37:16.14
アイヌだのホテントッとだのエスキモーだのは、みんな原始的な素質を残した少数民族。
ベツとかシリとかのつく地名をアイヌ語地名と呼ぶから混乱が起きた。
アイヌ語というより出雲語といった方が状況を正しく伝えられる。
九州やアイヌにもアイヌ語地名はある。たとえば阿蘇山。北海道の有珠山、浅間山と同義。火の山の意。
512日本@名無史さん:2011/06/19(日) 01:38:23.66
38年戦争の蝦夷側の武将に「赤頭」って人がいるじゃん?
その人は服を着て頭だけだしていたんだと思うんだ。
で、頭だけで判断するとその人の頭はきっと「赤」買ったんだと思うんだ。

だから、あだ名が「赤頭」

人首丸も「心は醜悪なる鬼だが、顔は人」だから「人首丸」ってあだななんだし。

そして、日本にはY染色体ハプロタイプCの人たちがわずか10%ほど存在する。かなりマイノリティー。
そのハプロタイプCこそは北米大陸の先住民、ネイティブ・アメリカンの人々の同じハプロタイプなんだ。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201102%2F20%2F98%2Fd0218598_21115053.jpg
513日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:32:53.74
514日本@名無史さん:2011/06/20(月) 00:45:31.92
結論:奥州藤原氏はただの田舎の成金のおっさん。
515日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:29:46.31
ネイティブ・アメリカンの話はよせw
酷使様にとって、英語が話せるくせに「なまぽ」もらって
昼間から酒くらっている人間の屑みたいな民族だからw
516日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:42:02.77
ぬるぽ
517日本@名無史さん:2011/06/21(火) 10:49:10.05
なまぽ
518 忍法帖【Lv=21,xxxPT】 :2011/06/21(火) 18:15:05.39
中尊寺の旧鞘堂をご存知ですか?
http://www.st.rim.or.jp/~success/sayadou02_ye.html

僕は鞘堂に感銘を受けました。
いまは役割を終えて、コンクリのハイテク鞘堂にバトンタッチして
構内に移築され佇んでいます。
519日本@名無史さん:2011/06/22(水) 22:50:06.55
アメノコヤネ 屋根 日を遮る者 四つ足使い 中尊寺(中華家臣が尊い)
520日本@名無史さん:2011/06/22(水) 23:08:03.27
大田田根子の根子っていうのは根っ子のこと
つまり股の間だ。
これは、村の入口に鳥居を立ててそこに股の割れた男女の人形をおいて外敵の侵入を防いだ中国南部からの渡来人の風習につながりますね。
521日本@名無史さん:2011/06/22(水) 23:58:16.08
じゃあ
大倭根子日子賦斗邇(オホヤマトネコヒコフトニ=孝霊天皇)は?

大倭根子日子國玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル=孝元天皇)は?

若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ=開化天皇)は?

難波根子建振熊(ナニワネコタケフルクマ=和邇氏祖)は?

522日本@名無史さん:2011/06/26(日) 00:54:28.83
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523日本@名無史さん:2011/06/26(日) 00:57:20.34
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          |           |       ヽ:.:.:.:.:.`= 二ニ r 7|:.:.:.:|
        │    /     |      丶:.:.:i:.:ヾ_ |   ,!∠.:.:.:/       /
          |   /ヘノ    !      丶:.:|:.:.:\「:.7/.:.:.:/   ,ィ  /へノ
       |            ',          ヽ!:.:.:.:.:.ヽ':.:.:.:.:.:/ ,ィ´│
         | ,ヘ /⌒ヽ  /⌒丶          |:.:.:.:.:.:.トi:.:.:.:.://:.:i  | /⌒ヽ
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           ′                   |:.:.:.:.:.:.|:.!:.:.:.:.:.:.:.:,イ  ′
524日本@名無史さん:2011/06/26(日) 00:58:57.58
平泉が世界遺産になりました!
525日本@名無史さん:2011/06/26(日) 01:20:30.91
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110626-OYT1T00063.htm
「平泉」世界文化遺産に登録…東北では初

【パリ=三井美奈】パリで開かれている国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は
現地時間の25日、日本が推薦した「平泉」の文化遺産(岩手県平泉町)について、
中尊寺など6か所のうち、柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡を除く5か所を世界遺産に登録することを決めた。

国内の世界文化遺産としては、2007年の「石見銀山とその文化的景観」(島根県)に次いで12件目で、東北では初めて。
自然遺産を含めると、24日に決まった小笠原諸島(東京都)を含め16件となる。

「平泉」の文化遺産は、東北地方に栄えた奥州藤原氏が12世紀に造営した寺院や庭園など。
ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(ICOMOS(イコモス))は5月の勧告で、奥州藤原氏の居館跡である柳之御所遺跡については、
「浄土思想との直接的な関連性の点から、顕著な普遍的価値の一部をなすものとは認められない」などとして構成要素から除くべきとしていた。
また、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の遺産名についても、
考古学的遺跡群の部分を削除するよう求めていた。この日の世界遺産委員会では、勧告通りの登録が適当とされた。

(2011年6月26日00時51分 読売新聞)

∩( ・ω・)∩ばんじゃーい
526日本@名無史さん:2011/06/26(日) 01:34:51.98
北のホットスポット平泉(一関)。
松戸、柏、流山、我孫子の例のスポットとふぐずまを中心として対になる距離にあって、
自治体公式発表の線量も、まったく同レベルで高濃度汚染地域となっております(毎時0.4-0.5マイクロsvクラス)。
http://f.hatena.ne.jp/rakkochan/20110618230416
http://www.nnistar.com/gmap/fukushima.html

----------
それはそうと、みなさん、中尊寺金色堂はご存知だと思います。
現在は鉄筋コンクリート製のハイテク空調覆堂(鞘堂)ですっぽりと全体を覆われ、
その鞘堂の中に入って見学します。
ところが、この鞘堂は2世なのです。何がいいたいかというと、この現代ハイテク鞘堂
が完成する前に、旧鞘堂がありました。中尊寺金色堂は、建立後奥州藤原氏が滅亡し、雨ざらしになっていたのです。
それに心を痛めた為政者が、ちょうど100年後ぐらいに旧鞘堂を立ててすっぽり覆ったのです。
その旧鞘堂が、昭和にハイテク新鞘堂に交代するまで、猛り狂う風雨から金色堂を守り通してきたのです。
旧鞘堂は現在、金色堂のそばに移築され、その余生を送っています。

役割を終えた旧鞘堂の春
http://www.st.rim.or.jp/~success/sayadou02_ye.html
527日本@名無史さん:2011/06/26(日) 14:36:20.61
柳御所だけ除外とは結構複雑な心境ではあるな。
ってか「聖」の部分の要が金色堂なら、
「俗」の部分の要が柳御所だろうに。
528日本@名無史さん:2011/06/27(月) 12:50:11.35
>>514
金色堂だけは指定から外せ
下品な成金趣味の建物
金箔貼る、カネで輸入品を買いあさる田舎根性丸出し。
529日本@名無史さん:2011/06/27(月) 14:12:44.39
いわき市の白水阿弥陀堂も平泉中尊寺と同等の値打ちがあるはず
530日本@名無史さん:2011/07/02(土) 09:15:44.14
九州の菊池氏も九州の総まとめ役になれそうだった?
531日本@名無史さん:2011/07/02(土) 14:51:59.24
しかし、文化遺産としての価値ではなく、東日本大震災の復興支援のためお情けで世界遺産に登録してもらったなんて、後世の恥にならないか?
532日本@名無史さん:2011/07/02(土) 17:14:38.62
>>531
復興支援の為に登録してもらったわけではないだろ
533日本@名無史さん:2011/07/02(土) 19:41:11.37
中華が尊い寺 by 藤原氏
534日本@名無史さん:2011/07/03(日) 08:18:45.10
奥州安倍氏の祖
大彦命=桃太郎伝説で考えると‥
西日本から大和朝廷の命令で、奥州の豪族が金山で荒稼ぎしてるので、征伐へ向かい、奥州を制圧し代々治めたのが奥州安倍氏だったのでは?
奥州藤原氏は、武蔵国鎮守府の藤原秀郷嫡流だしね。
535日本@名無史さん:2011/07/03(日) 08:21:37.49
吉備彦は、おばあさんとおじいちゃんの所へ帰り、豪族から奪った金銀財宝で栄えたんだね。
536日本@名無史さん:2011/07/03(日) 09:56:38.69
藤原秀郷は将門の敵だね。
秀郷の先祖は瀬尾律信仰弾圧で有名な不比等だね。
水神=瀬尾律信仰を擁護した倭人たちも他にいたね。
537日本@名無史さん:2011/07/03(日) 16:13:01.17
どうでもいいけど、将門って美化されすぎじゃね?
朝廷とは成り行きで嫌々対立しただけだし
朝廷の討伐軍が到着する前に殺されてるのに。
538日本@名無史さん:2011/07/03(日) 16:27:24.71
朝廷軍の到着前に将門を倒すことができたのは、
関東には秀郷に代表されるような、将門に匹敵する在地勢力があったからだよ。

西国では、この頃には未だ関東のような軍事貴族による留住・土着が進められていなかったので、純友を倒せる在地勢力が存在しなかった。
だから純友を倒した軍事力は実質的に将門討伐に加わった坂東の軍事貴族+朝廷軍。
539日本@名無史さん:2011/07/03(日) 17:02:22.61
純友が将門と違ってしぶとかったのは
軍事貴族云々よりも、純友が海賊化してたからじゃね?
淡路襲ったり、大宰府襲ったり、行動範囲が広い。
540日本@名無史さん:2011/07/03(日) 18:09:33.42
東西同時蜂起していた時と違って将門が倒れたあとは、純友一人に対象を絞れるようになったからだよ。
これで朝廷はぐっと楽になった。
あとは真綿で首を締めるようにゆっくり純友を追い詰めていったの。
541YAP?:2011/07/03(日) 19:08:37.93
で、この掲示版では最近の、奥州安倍氏が中央豪族阿部氏の子孫で在庁官人だった、
と言う説は どう評価されているの?
542日本@名無史さん:2011/07/03(日) 21:54:29.50
>>541
ぶっちゃけ、謎だろ。
安倍は中央貴族の姓だし
阿倍比羅夫とか東北に縁のある奴もいるから
中央貴族の末裔でも不思議ではないけど
俘囚が安倍を名乗ってただけって可能性も十分考えられるし
謎だな、謎。
543日本@名無史さん:2011/07/03(日) 23:13:12.02
新聞報道などをきちんと読んでいる人ならすぐわかることだが、
平泉の世界遺産登録は難しいというのが一般的な見方だった。
しかし、予想を覆して平泉は世界遺産に登録された。
今回の東日本大震災で大きな被害を受けた地域ということで、
ユネスコの特別の配慮が働いたことは確かだ。
それを素直に喜んで良いものだろうか?
おれは、お情けで世界遺産に登録されたくはない。
今回は辞退して、数年後に正々堂々と厳正に選んで欲しいと思う。

みんなそう思うだろう?
544日本@名無史さん:2011/07/04(月) 08:30:37.90
>>543
辞退とか、そんなたいそうな事かな
世界遺産登録は、単に、世界が人類史の歴史遺産と認めたので、地域が厳正に、保存して下さいね位なもの。
いい加減な扱いなら、それなりの程度の物として、取消もありますよと言う程度の話だろ?
545日本@名無史さん:2011/07/04(月) 13:05:44.47
>>541
過去ログ嫁よ。
スレ前半で散々やってるだろ。
546YAP?:2011/07/11(月) 12:47:25.92
読んだが、どうも結論は出ていないようだな。

 542氏の言うように今のところ「謎」か。
 個人的には在庁官人説を採りたいが。
547日本@名無史さん:2011/07/14(木) 22:28:06.43
女子サッカー見てたら、ドイツやスウェーデンも負けてくれて、
日本人に勇気を与えようと配慮しているのはわかるけれど、
それは日本人を愚弄することになるからやめてほしい。
アメリカは、そういう事はしないで実力を思う存分発揮すべきです。
米軍の「ともだち作戦」だけで十分感謝してます。
548日本@名無史さん:2011/07/20(水) 21:00:30.63
在庁官人≒県庁幹部?
549日本@名無史さん:2011/07/20(水) 21:50:44.16
中央官庁キャリア組の県庁課長とか局次長とかいるじゃない(30代だったり)
何年か後、副知事になったり、知事選に出るとき有利。
550日本@名無史さん:2011/07/20(水) 22:30:13.41
>>548
現地採用組の実務官吏ってとこ。
彼らがいないと中央から赴任して来たキャリアのお役人達も何も出来ない。
551日本@名無史さん:2011/07/20(水) 22:34:21.89
官人と吏人にはなかなか超えられない壁がある。
吏人は、軍隊でいえば中隊長ぐらいまでしか役目が与えられず
もっと広域の職域は官人にしか与えられない。
552 【東電 60.7 %】 忍法帖【Lv=35,xxxPT】 :2011/07/20(水) 22:46:24.32
【安倍氏/那須国造/膳 氏/佐々貴山氏】
安倍氏は孝元天皇の皇子大彦命の子建沼河別命の裔 同族の大臣命は景行朝に那須国造となり、後世家系 る。
他に皇子大彦命孫の磐鹿六雁命は、景行天皇東国巡 平安朝の安倍晴明は、陰陽道、天文道、暦道に通じ する。
武家安倍氏は、中世に蝦夷管領の秋田城介職となり 家)、井上氏(3家)、安藤氏で明治に至る。
《孝元帝裔氏族綱要》
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm
553>>552修正:2011/07/20(水) 22:50:00.45

【安倍氏/那須国造/膳 氏/佐々貴山氏】
安倍氏は孝元天皇の皇子大彦命の子建沼河別命の裔孫と伝えられ、
大和国十市郡発祥説が有力である。
同族の大臣命は景行朝に那須国造となり、後世家系は藤原に改姓して
源平合戦では那須与一宗隆が活躍す る。
他に皇子大彦命孫の磐鹿六雁命は、景行天皇東国巡幸に際して大蛤を御膳に供献して
膳臣を賜姓される。 平安朝の安倍晴明は、陰陽道、天文道、暦道に通じて朝廷に仕え、
土御門家、倉橋家の2家は堂上家に列 する。
武家安倍氏は、中世に蝦夷管領の秋田城介職となり、江戸時代は秋田氏(岩城三春藩主)、
阿部氏(3 家)、井上氏(3家)、安藤氏で明治に至る。
安倍氏の裔は、安部、阿倍、阿部とも表記する。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm
554日本@名無史さん:2011/07/23(土) 05:04:58.12
軍団≒州軍?
555日本@名無史さん:2011/07/24(日) 11:00:41.80
朝廷が最初にどうやって地方支配を確立したのか気になる。
556日本@名無史さん:2011/07/24(日) 21:41:52.77
>>555
基本的には技術力や経済力の優位性を基盤にした盟主-連合制だったはず。
それでも従わない諸勢力は力でねじ伏せることもしたろうが、それらは比較的少数だったと思う。
つまり、のちの頼朝や足利や徳川と同じ。
覇権の確立過程っていうのは古今東西変わらない。
557日本@名無史さん:2011/07/24(日) 22:20:00.40
ん?征服していったのだろ?
558日本@名無史さん:2011/07/24(日) 22:45:49.05
秀吉が全部征服したか?
自分では動かず、征服した豪族を使って、従わない豪族を倒して行ったのだ。
夷を以て夷を制す。この原則はずっと続くことになる。
559日本@名無史さん:2011/07/24(日) 23:29:35.03
>>558
信長はどうだったのよ
配下に元大名なんて何人いる?
560日本@名無史さん:2011/07/25(月) 00:47:52.49
雄珍鎮
561日本@名無史さん:2011/07/25(月) 13:01:10.63
>>553
源融、渡辺綱の末裔の松浦氏は、松浦久の家に婿入りした、奥州安倍氏、宗任(鳥海三郎)の末裔。
明治天皇の外祖母が中山愛子(旧姓:松浦愛子)
奥州安倍氏
大彦命‥歌麿‥(阿部引田臣系)
安倍頼良の末裔。
厨川氏、岸氏、芝山氏や柴山氏、十三氏、湊氏、桧山氏、米内氏、尾瀬氏、一方井氏、松島氏、芥沢氏や阿久沢氏
安東氏、秋田氏、岩手氏、藤崎氏、萩本氏、横木氏、行方氏、黒澤氏、北浦氏、磐井氏、白鳥氏、白岩氏、安藤氏、小松氏、河崎氏や川崎氏、宮部氏、黒木氏
新田氏祖や足利氏祖とも繋がる。
562日本@名無史さん:2011/07/25(月) 14:50:51.05
>>559
尾張美濃の土豪が半分くらいだろう。
563日本@名無史さん:2011/07/25(月) 14:52:38.27
>>556
武装移民を送り込んで、そいつらが保護を求めてきたとして占領したんじゃないの?ロシアやナチスドイツのように。
564日本@名無史さん:2011/07/25(月) 19:27:31.32
>>563
たかが畿内の狭小な地域からどうやって全国各地を制圧できるほどの
>武装移民
とやらを送り込めるんだよ?
565日本@名無史さん:2011/07/25(月) 21:06:51.12
>>564
当時の畿内は人口増加が激しく、新たな土地が必要とされていた。
そのため、あぶれた連中を日本各地に武装移民とした。
566日本@名無史さん:2011/07/25(月) 21:27:02.60
柵戸=武装移民
567日本@名無史さん:2011/07/25(月) 21:29:32.94
武装移民というと、明治政府による北海道屯田兵を想起させます。
昭和初期の満州開拓団も現地召集があり、実質的に屯田兵だったのです。
「大地の子」を見た人はわかるとおもうのですが、移住は出身地単位で、信濃郷、栃木郷‥・
郷里の地名を残しているのです。
東北の地名考というとアイヌ地名が想起されますが、
安日彦の村女川町、登美彦の村、富谷町など中央の豪族とのつながりを思わせる地名も多いのです。
568日本@名無史さん:2011/07/25(月) 23:36:57.90
六世紀後葉
 甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
 これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)
569日本@名無史さん:2011/07/26(火) 02:20:08.29
>>561の続き
嵯峨天皇筋
代1皇子:仁明源氏
纐纈氏、花房氏、榊原氏、漆間氏、立石氏、片山氏、菅氏、漆島氏、和田氏、夏目氏、田中氏、立川氏、森氏、大那氏、神文氏、市真島氏
代6皇子:淳王─博泰・・大伴氏
伴氏、久万氏、鶴見氏、速見氏、小川氏、家内氏、山前氏、成田氏、井上氏、高部氏、萩原氏、清田氏、西保氏、印沢氏、岩間氏、宮内氏、祝氏、寺尾氏、清野氏、岩崎氏、八代氏、坂氏、降矢氏、
古屋氏、大谷氏、宮原氏、市部氏、丹沢氏、田部氏、岩間氏、岩下氏、百々氏、皆井氏、八田氏、轟氏、大鳥居氏、矢作氏、藤井氏、金丸氏、開門氏、大屋氏、富田氏、渡氏、小林氏、平替氏、小野氏、平松氏、宮島氏、岡崎氏、富永氏
設楽氏、多賀氏、三雲氏、中条氏、八名氏、岡氏、宇利氏、里瀬氏、塩瀬氏、伊予部氏、八椚氏、滝川氏、笹山氏、池田氏、中山氏、大原氏、高屋氏、右馬氏、衛門氏、中井氏、馬杉氏、毛牧氏、上野氏、上田氏、
中上氏、中神氏、兼松氏、左近氏、沢氏、櫟野氏、篠島氏、泉田氏、竹島氏、内田氏、垂井氏、岡田氏、篠山氏、可児氏、山岡氏、多喜氏、佐治氏、隠岐氏、丁氏、神保氏、岩野氏、関野氏、小泉氏、向氏、市場氏、増井氏、亀井氏、伊東氏
570日本@名無史さん:2011/07/26(火) 02:22:32.14
>>569の続き
代18皇子:光源氏=源融、渡辺綱の子孫
渡邊氏や渡邉氏に渡部氏は、渡辺氏、松浦氏、佐世保氏、平戸氏、峰氏、高島氏や鷹島氏、牟田部、相知氏、有田氏、吉野氏、志佐氏、百枝氏、深江氏、馬場氏、荒久田氏、佐志氏、御厨氏、小佐々氏や佐々氏、
一部氏、大島氏、小値賀氏や値賀氏、佐志氏、諸浦氏、有浦氏、三栗谷氏、今福氏、生月氏、松野尾氏、調川氏、白浜氏、斑島氏、塩鶴氏や塩津留氏、荒古田氏、神田氏、庄崎氏、
牛久氏、吉永氏、寒水井氏、中津隈氏、平山氏、鶴田氏、鴨打氏、石田氏、木島氏、二股氏、厳木氏、宇久氏、大曲氏、武末氏、桃川氏、馬渡氏、徳永氏、楠久氏、森田氏、宇久氏、楠久氏、
瓜生氏、芝原氏、新保氏、武曹氏、赤田氏、藤並氏、川上氏、岩崎氏、梶原氏、宮原氏、野田氏、和田氏、中屋氏、白井氏や城井氏、芳川氏、曽根崎氏、向山氏、杉浦氏、原氏、三矢氏、柏田氏、神足氏、
竹田氏、本目氏、横尾氏、高松氏、寺内氏、貴船氏、長谷氏、本野氏、今村氏、日高氏、田平氏、大野氏、今戸氏、鮎河氏、横山氏、横田氏、大河野氏、伊万里氏、河原氏、山代氏、久保氏、鍋島氏、八並氏、
早岐氏、朽網氏、蒲池氏、首藤氏、塩塚氏、千原氏、中野氏、星野氏、二宮氏、公文氏、宇都宮氏、鶴氏、窪田氏、江口氏、御厨氏、中山氏、城島氏、酒見氏、今村氏、末吉氏、安武氏、西牟田氏、犬養氏、梶山氏、
古館氏、古村氏、中村氏、島谷氏や島屋氏、川島氏、入交氏

明治天皇の外祖母が、中山愛子(旧姓:松浦愛子)
571日本@名無史さん:2011/07/26(火) 02:24:51.96
>>569の続き−2−
嵯峨天皇以前の大伴氏族
大伴氏、佐伯氏、林氏、山前氏、伴氏、榎本氏、呼氏、丸子氏や仲丸子氏。
高皇産霊尊裔氏族
度会氏、爪工氏、大田氏、多米氏、県犬養氏、猪使氏、間人氏、斎部氏、鴨氏や賀茂氏、葛城氏、玉祖氏、御春氏、久我氏、猿女氏、今木氏、宮部氏、若桜部氏、雄儀氏、美努氏、鳥取氏、額田部氏、倭文氏、石部氏、岩淵氏、上部氏、川辺氏、
河井氏、橋村氏、広田氏、藤本氏、出口氏、藤波氏、渡相氏、度相氏、磯部氏、赤畝氏、小須氏、尾上氏、津辺氏、佐久目氏、西河原氏、中西氏、世木氏、春木氏、橋爪氏、上部氏、紀氏、忍坂氏、楢原氏、藤津氏、大村氏、名草氏、宗形氏、
島田氏、福田氏、森本氏、中島氏、税部氏、負倭部氏、負倭部氏、神氏、祝部氏、今園氏、八柳氏、生眼寺氏、樹下氏、泉氏、泉亭氏、梨木氏、広庭氏、三善氏、里村氏、真野氏、三輪氏、、南大路氏、鴨脚氏、滋岡氏、御矢川氏、下田氏、
林氏、田中氏、北大路氏、山口氏、河崎氏、山本氏、伊佐氏、蔭山氏、大東氏、今井氏、渡辺氏、西野氏、杉山氏、山部、浮穴氏、中臣氏、三木氏・・

572日本@名無史さん:2011/07/26(火) 11:23:17.90
>>564
ヤマト王権は地方豪族の連合で、天皇家はその連合の代表だった。
ところがやがて天皇家は他の豪族を圧倒する力をつけ、
毛野や吉備、筑紫や出雲といった有力地方豪族を弱体化させて支配下に置いた。
これが北九州から関東までの地方国家が存在した地域の征服、平定。
入植政策は東北のような地方国家が存在せず
部族社会が続いていた地域を平定するために行われたものだよ。
573日本@名無史さん:2011/07/26(火) 13:27:25.39
国家というのは、律令国家のことですかね。
そうでないなら、部族との違いがわかりません。
574日本@名無史さん:2011/07/26(火) 15:07:22.31
>>573
例えば光武帝が倭の奴国って国に金印を与えたでしょ?
三国志の東夷伝には邪馬台国や投馬国って国が登場するでしょ?
それが地方国家で、天皇家はその地方国家を支配する豪族の代表だったが
やがて力をつけて地方豪族を支配するようになった。
それらの地方国家が存在しなかった東北は移配などで俘囚を
全国各地に強制移住させて、空いた土地に農民を入植させて支配した。
575日本@名無史さん:2011/07/26(火) 21:30:05.73
朝廷による入植が進められるよりも以前に、中央から排除された物部などの氏族が東北に亡命・移住していたはず。
576日本@名無史さん:2011/07/26(火) 22:10:37.16
東北って言っても北東北と南東北で違うけどね。
例えば南東北の会津なんかはヤマト王権が成立した4世紀頃から既に
ヤマト王権と同盟関係にあったことが古墳から出土した神獣鏡から伺える。

逆に古墳寒冷期の北東北は江戸時代の蝦夷地みたいなもんで
そこで手に入る交易品には価値があっても、土地時代は無石で無価値。
朝廷が奥六郡(北上盆地)を征服したのも暖かくなった平安時代に入ってだしね。

で、平安時代になると朝廷との争いだけじゃなく、蝦夷同士の争いも活発になるんだけど
その争いは弥生時代に北九州から関東までの地域で起こった争いと同じ意味を持った争い。
つまり、水耕稲作が可能になった北東北で土地や水を巡って集落同士が争い
やがて地方国家に発展していく過程の争いではないかと思う。

まぁ、その争いは地方国家が誕生する前に
陸奥安倍氏や出羽清原氏、奥州藤原氏によって平定されてしまのだけどね。
577日本@名無史さん:2011/07/27(水) 02:55:22.01
>>572
(柵戸の)奥羽への入植政策は>>573氏、>>576氏が言うように、律令期以降になってからのの奥羽北部への入植だよね。
ヤマト王権による東北南部を含めた日本各地の支配化は、それ以前の氏姓制度時代になされたもの。
南奥羽だと武蔵国造と同族の丈部氏や壬生氏などによる国造封建。
また>>575氏が言うように、氏姓制度時代〜律令時代前期を通して、
物部氏や安倍(阿倍)氏、毛野氏、多氏などによる(北奥羽も含めた)半ば独自の進出も相当あったものと思われる。

578 【東電 64.2 %】 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 :2011/07/27(水) 10:33:19.72
蝦夷大乱

1326年(嘉暦元年)には御内侍 所工藤祐貞が追討に派遣された。祐貞は旧暦7月に 季長を捕縛し鎌倉に帰還したが、
季長の郎党や悪 党が引き続き蜂起し、翌1327年(嘉暦2年)には幕 府軍として
宇都宮高貞、小田高知を再び派遣し、 翌1328年(嘉暦3年)には安藤氏の内紛については 和談が成立した。
和談の内容に関しては、西浜折曾 関などを [2] 季長の一族に安堵したものと考えられて いる [1] 。
季長のその後の消息は不明であるが、諸系 図や伝承等から湊上国系安東氏との関係を指摘する 見解がある [3] 。
この乱の詳細については不明であるが、御内人の紛 争を得宗家が処理できずに幕府軍の派遣となり、
更 に武力による制圧が出来なかったことは東夷成敗 権の動揺であり、幕府に大きな影響を与えたという 見方が定着している。
エゾは夷敵と認識されてお り、元寇の頃と同様に異族降伏の祈祷が行われてい る。
後世に成立した史書においては、エゾの乱 は1333年に滅亡する幕府の腐敗を示す例として評さ れる。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E4%B9%B1
579日本@名無史さん:2011/07/27(水) 19:23:27.66
交通費も出してくれず輸送手段もなかったのにどうやって東北地方まで移住できるんだよ!
580日本@名無史さん:2011/07/27(水) 19:40:56.19
>>579
交通費も出してくれず、輸送手段もなかったのに
東国住民は九州まで行って防人の任に就いてたんだぜ。
その間、税金は免除されないし、食料や武器は自前で調達だぜ。
それに比べれば東北に入植して農業くらい楽勝だろ。
581日本@名無史さん:2011/07/27(水) 19:44:57.36
>>16-17
どっちも逃亡者続出だよ
582日本@名無史さん:2011/07/27(水) 20:07:22.97
まぁ、逃亡者も出ただろうけど
入植はある程度上手くいったんじゃないかな。
田村麻呂の奥六郡平定から前九年の役の間に
北東北が急激に和人化してるし。
583日本@名無史さん:2011/07/27(水) 23:15:16.89
ったく狭い日本なんだから東北の平定なんてさっさと終えて、鎌倉期までに北海道全土も制服し終えろよ。
そうすれば樺太や千島列島が室町・江戸期の北海道みたいな感じになって露助に取られることもなかっただろうに。
584日本@名無史さん:2011/07/28(木) 00:32:43.73
そうだよね。なぜ北侵が滞ったのかは興味のあるところだね。
585日本@名無史さん:2011/07/28(木) 15:26:00.79
倭人式農業が不可能な北方にも進出した倭人もいたはずだけど、そいつらはおそらく現地の生活様式で生きざるを得ず蝦夷に同化した。
有史以前からある有珠善光寺。
586日本@名無史さん:2011/07/28(木) 15:28:16.52
奥州に仏教寺院を建立したことが倭人化の要因
587日本@名無史さん:2011/07/30(土) 02:58:10.00
結局、大和朝廷成立期に参加出来なかった東北の諸勢力が自ら統合を始めた所を
朝廷軍に阻止されたのが、アテルイ、貞任、泰衡の時の戦いってことか。
588日本@名無史さん:2011/07/30(土) 03:23:41.56
安倍氏の場合は元々朝廷側だったものが後に離脱したもの。
平将門や平忠常と同じ。
589日本@名無史さん:2011/07/30(土) 14:15:42.02
安東将軍安日彦の末裔安倍氏。
伽耶諸国のひとつ多羅王の末裔平氏。
どちらも日本列島から朝鮮半島南部を支配していた古豪だから、
新興の扶余百済からの渡来系集団である大和朝廷に尻尾を振ることなどできないんだよ。
590 【東電 71.9 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/30(土) 14:35:46.20
>>589
だから幕府派なのか?
蝦夷大乱では安東氏はアイヌに殺されているそうだが。

安東氏を殺したのは「もののけ姫」の室町時代の蝦夷・アシタカ類似人物か?
591日本@名無史さん:2011/07/30(土) 20:15:09.13
>>583-584
南侵だって十分遅い。
大和王権の発祥地を考えればむしろ南方進出こそもっと進められていてよかった。
歴史時代に最低でも台湾までを抑えてりゃシーレーンももっとばっちり、尖閣諸島に対しても支那ごときにどうこう言わせなかった。
592日本@名無史さん:2011/07/30(土) 22:05:05.24
他国の歴史と比べても浸出が遅いのは、初期大和朝廷が諸勢力の合意による連合勢力だったことの傍証なんじゃないかな。
琉球も北東北もこの連合から漏れていたと。
593日本@名無史さん:2011/07/30(土) 23:39:42.16
あと、済州島もな
済州島は倭人系の神話体系を持っていて、明らかに大陸・半島系のものとは民俗的に別系統だから。
594日本@名無史さん:2011/07/30(土) 23:40:52.90
>>590
そう、安倍氏分流の白鳥は、蝦夷の城攻め名手一門から、城取・・白鳥氏だそうだ。
595日本@名無史さん:2011/07/31(日) 00:12:10.53
だいたい・・安倍氏から噴流の安東氏が親筋に成ってる時点で、安東氏・・アイヌ族長:アテルイに引き取られ、子々孫々刷り込まれたとしか、受け取れんよ・・。
>>589の内容わね。
安倍頼良をアテルイとし、安日彦を安東氏とした時点で、アイヌの捏造に安東氏が1000年近く騙されてる。
安東氏が安倍貞任の忘れ形見の幼子:高星の末裔なのは、大河ドラマ「炎立つ」で、容易に推察出来る。
宗任の娘と基衡の子が藤原秀衡が、清原氏に引き取られたように、安倍高星もアテルイに引き取られたと考えると>>589の話も分かる。
>>561に追加。
横木氏・潮潟氏・内藤氏・馬場目氏
萩本氏って・・萩本欽一だね。



596日本@名無史さん:2011/07/31(日) 00:30:59.43
>>589
高星の子孫よ‥そう代々教わったのは分かるが‥
実際は、柵の戦いで生き残った当事者:安倍宗任の子孫や安部御主人の末裔の安倍晴明の直系の土御門氏らが、言う多数の証言が正しい。
597日本@名無史さん:2011/07/31(日) 01:25:02.51
安日彦なんて架空の存在ですよ。
598 【東電 52.5 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/07/31(日) 04:18:07.31
百済王敬福没後8年後に38年戦争が起きておるけど、
百済武寧王子孫桓武天皇が正義だよね。

そして、その桓武天皇の子孫・平将門こそは正義だよね。
599日本@名無史さん:2011/07/31(日) 04:53:36.12
百済の王族といえば扶余民族。
扶余民族といえば北扶余の末裔の豆莫婁は
モンゴル系の言語を話していたそうだが
結局、高句麗とか百済はモンゴル系の国家だったのかねぇ。
600日本@名無史さん:2011/07/31(日) 05:15:01.96
>豆莫婁はモンゴル系の言語を話していたそうだが
  ↑ ↑ ↑
この記事には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。

モンゴルや中国の文献もあたってください。
そうは書いてないから。
601日本@名無史さん:2011/07/31(日) 05:22:49.45
>>599
シベリア北方の騎馬民族渡来人とは、満州族=秦氏の事な・・。
中央ロシア出身の漢民族やロシア系ユダヤ人と古代蒙古を挟んで隣国出身。
それに対して、倭王の倭人は、チベット人と同じルーツの山岳民族出身の中国大陸の元々の土着民族。
だから、中国にあって漢民族や満州人は、豪族と称される。
倭人の神道によると、蛭子神=恵比寿とは、アイヌ人を指し、倭人から枝分れした、最初の民族で、日本の地は、倭人の支配地だった。
古代中国北方の北斉から高句麗辺りでね漢民族に追われた、倭人と古代の秦民族が合流し、半島に、高句麗・新羅・伽耶・百済などの王朝が出来、日本を植民地開拓していったのが、スサノオからの歴史となる。
そして、大陸では、三国志時代が近づくと、各国々の統合戦争的小競り合いにより、日本に遣って来た豪族と倭人と同化した9天皇家が続々と渡来し、豪族とは、その大陸に居た頃の天皇家分流の軍属に当たる。
後の天皇家分流武門の源氏や平氏に当たる存在。
だから、東夷=蝦夷アイヌとは、同族でもあるのだよ。
602日本@名無史さん:2011/07/31(日) 05:43:21.96
阿閉‥阿部→安倍氏とは、古代天皇家皇族の内親王の宮室のから発生してる姓。
大仏建立の時代の阿部内親王が有名。
安倍氏は、孝元天皇→大彦命嫡流
603日本@名無史さん:2011/07/31(日) 05:59:20.41
>>600
中国の文献もあたってくださいって
その中国の文献である魏書に語與庫莫奚、契丹、豆莫婁國同
って書いてあるんだが……
604日本@名無史さん:2011/07/31(日) 07:23:40.06
だいたい当時モンゴル人なんていたの?
モンゴル族は思いの外新しい民族で、最初はトルコともツングースともつかない母体があってそこから7世紀頃に分化して現れたって聞くけど?
605日本@名無史さん:2011/07/31(日) 07:59:31.29
いたに決まってるでしょ。
モンゴル、テュルク、ツングースじゃ話す言語が違う。
それら3者の言語が7世紀頃に分化したなら
日本語と琉球語みたいに基礎的な語彙が似通ってて
完全に語族認定されてるはずだよ。
現状、アルタイ諸語には祖語があるのか、言語連合なのかも分かってない。
基礎語彙が似てないってことは、仮に祖語が存在したとしても
分化して何千年も経ってるってことだよ。
606日本@名無史さん:2011/07/31(日) 09:03:42.72
>>604
室韋の構成部族のうち、いくつかはモンゴルの祖先。
あと契丹の構成8部族のうち、いくつかはモンゴル系。
耶律氏は、モンゴル系部族だね。

>>605
あったでしょう。
室韋や契丹は、複数部族の複合体だから。
ちょうど鮮卑のように3〜5系統の語族の集まりだと思います。
607YAP?:2011/07/31(日) 15:31:32.54
匈奴にしても鮮卑にしても、拡大する前は比較的民族・言語は統一されていただろう。
匈奴十九種の内、レンテイ氏(虚連題し)を含む屠客種(部)はおそらくチュルク系だが
、残る18種〜十八部の中は、、チュルク系以外の民族系統も含まれていた可能性がある。
鮮卑は、チュルク系かモンゴル系か決めがたいが、拓跋部はチュルク系かな?

 契丹、奚、室韋は基本的にはモンゴル系だろうが、その中の蒙瓦〜蒙兀室韋が
後のモンゴル部族の母体であることは間違いない。
608日本@名無史さん:2011/07/31(日) 21:17:03.57
アシュケナージ系ユダヤ人の元と言われるハザール人は西凶奴だよね。
凶奴は元は蒙古系でモンゴル西部が原住地だったのに、西へ進む過程で自分たちはテュルク系と主張するようになった。
609日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:26:41.91
西匈奴は、後のエフタル(白匈奴)との関係から
民の多くはイラン系じゃないか?という可能性もある。
610日本@名無史さん:2011/08/01(月) 07:49:05.58
「おさ」(長)は「通訳」という意味。
日本列島は古代、多言語だった。おそらく郡レベルの支配階級から日本語化(西日本のことば)した。
611YAP?:2011/08/03(水) 11:47:32.99
 アシュケナージのハザール帝国起源説は、ユダヤ人排斥のために作られた説じゃないか?
確かにハザール帝国の国教はユダヤ教だが、アシュケナージの遺伝学的デ−タは、チュルク系ではなさそうだ。
セファルディを含めた、祭祀家系のコーエン家のY−DNAなど共通しているし、何よりも、
モンゴルやツングースなどアルタイ系に多い−C3が見られない。チュルク系でも、Y−C3は少ないので、
なんとも言えないが。
612日本@名無史さん:2011/08/03(水) 11:50:37.16
ハザール系はいても少数だったでしょう。
ドイツ系も少数だったでしょう。
スラブ人がユダヤ教徒の奴隷になったんでしょう。
613日本@名無史さん:2011/08/03(水) 13:34:10.77
つまり、アシュケナジーユダヤ人は血統的な観点から見た場合、ほぼスラブ人と一緒ということ?
614日本@名無史さん:2011/08/03(水) 15:44:11.94
そうだよ。
615日本@名無史さん:2011/08/03(水) 15:52:53.13
ドイツ、タタール、ルーシ(バイキング)など周囲のものによって奴隷狩にめにあっていた。
どうせb¥ならば、治外法権的存在で豊かで、7年働けば解放されるユダヤ教徒の奴隷になったほうがましだったってわけだろう。
616日本@名無史さん:2011/08/06(土) 07:10:19.19
>>615
まるで、藤原純友海賊だな。
617日本@名無史さん:2011/08/06(土) 08:00:29.50
>>616
なんで?
618日本@名無史さん:2011/08/06(土) 19:47:17.89
中臣というのは東漢(やまとのあや)の祖の3腹(兄腹、中腹、弟腹の3兄弟)のうち、中腹の出と思料される。
619日本@名無史さん:2011/08/07(日) 00:50:39.72
奥州藤原氏の財源は金山だけど、今の何鉱山?
尾去沢?
620日本@名無史さん:2011/08/07(日) 07:30:53.20
鉱山ではなく砂金だ
ビッグバンで形成された金が溶解せずにそのままの形でザクザク取れた。
東北はゴールドラッシュに沸き、世界中から一攫千金を狙った荒くれどもが押し寄せた。
採掘権を握り、そいつらを束ねたのが奥州藤原氏だということだ。
621日本@名無史さん:2011/08/07(日) 07:42:51.23
百済王敬福が奥州において半島系の職人を使役して初めて日本で金山を発見した。
敬福死後、8年たってから38年戦争が起こっている。

桓武天皇 対 蝦夷 の戦争だったといわれている。

桓武天皇の先祖は百済王武寧。
田村麻呂もまた半島南部の伽耶出身だといわれている。

そして、その桓武天皇の男系男子子孫が有名な平将門だ。

蝦夷大乱(鎌倉時代末期)においても在地豪族安東氏がアイヌ人に殺されるという大事件が起きている。

蝦夷、アイヌ人と百済王との間には何かと対立が多い。

そうほうに言い分はあるだろう。
622日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:04:33.41
>>620
>>621
何、なんで、奥州安倍氏の金山の話を、奥州藤原氏や桓武天皇嫡流平氏の話してんのん?
平泉藤原は、奥州安倍氏の母方が安倍宗任(鳥海三郎)子孫でしょうに!
安倍氏の金山を清原から奪い返して、滅亡安倍氏の遺産の金山を引き継いだ、棚ボタでしょうにW
安東氏は、宗任の兄、貞任の子孫。
田村麻呂の伽耶は、かぐや姫も同じ出身で、阿部御主人と絡む関係。
>>621
んじゃあ・・アレか?
多々良場豪族とは、百済王敬福の事で、桓武天皇は、大彦の弟の開化天皇筋だ!
百済の子孫は、桓武の妃の百済姫だろうに、その百済姫の高野氏の10代前が武寧王。

武寧王は百済國の第25代王にして、諱は斯摩(しま)。
父は第21代百済 蓋鹵王(かすりのこきし)。
母は恩率贏高軌の女(むすめ)なり。
人皇第15代應神天皇の御代、百済國より阿直岐(あちき)、王仁(わに)ら儒者渡來して、百般の文物を貢(こう)す。
人皇第21代雄略天皇の御代、5年夏4月百済國の蓋鹵王(かすりのこきし)、王弟の軍君(こにきし)を諭(さと)して曰く、「汝、よろしく日本に往きて天皇に仕へまつれ」と。
而して軍君(こにきし)、君命を奉じて将(まさ)に発せん時に「願くば上君の寵嬪(ちゃうひん)を賜へ」と云ふ。
蓋鹵王(かすりのこきし)これを納(い)れて、孕婦(ひめ)を軍君に與ふ。
「孕婦(ひめ)、既に産月に臨むなり。
若(も)し渡航の途に男児を分娩したらんには、何処(いずこ)に到るとも一船に載せて速かに故國に還せ」とて確(かた)く約して袂(たもと)を分つ。
果して同6月朔日孕婦、航途加唐島1)に到りて男児を産む。依て島君(せまきし)と名づけ、船を艤(ぎ)して百済國に送還す。
之、後の百済國の武寧王なり。百済人は此島を呼んで「主島(にりむしま)」と云ふ。

その、武寧王の先祖が扶餘 初代百済王
又、その先祖が高句麗 高氏系図に記される、漢孝元帝建昭2年(BC37)高句麗建國の東明聖王:朱蒙(BC58-BC19) 
桓武天皇と安倍氏は、孝元天皇で同祖。
歴史捏造は許しません!
623日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:18:31.01
なんか、イライラしたので、話が飛んだが、戻すと‥
>多々良場豪族とは、百済王敬福の事で、だが‥
多々良場豪族とは、百済王敬福の事で、その、敬福と言う多々良場豪族を退治したのが、吉備彦と大彦たちだったんだね。
桃太郎伝説は‥
後々、多々良場豪族が10代後に桓武天皇の妃に高野氏が出し、平氏と源氏が誕生したんだね。
高野氏変じた河野氏流と会津人、後々から高句麗渡来した、兵庫県西宮神社の氏子や巫女が傀儡師→忍者→同和と成った訳だね。
こんな、分かり易い天皇家ルーツ捏造するのは‥同和だね。
624日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:26:03.96
又、河野氏流には、何故か、氏姓ルーツとは、全く血の繋がりが無い氏姓が末流に、いけしゃーしゃーと存在しまくっていますよね!
伊藤氏の伊藤博文は、河野氏流
本来の伊藤氏は、藤原北家の藤原秀郷の末流なのに、なせが、河野氏末流に伊藤氏や稲葉氏など通名の元祖とも言える系譜が在りますね。
これは、忍者:工作員だったゆえか‥?
625日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:35:09.94
注釈。
漢孝元帝建昭2年(BC37)高句麗建國の東明聖王:朱蒙(BC58-BC19)と孝元天皇(BC273-BC158)の人物なので別人です。
あしからず。
歴史捏造は許しません!

626 【東電 74.0 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/07(日) 21:40:59.66
百済王敬福 百済王 敬福 (くだらのこにきし の きょうふ く、文武天皇 元年( 697年) -天平神護 2年6月28 日(766年8月8日 ))は
奈良時代 の貴族。摂津 亮・百済王郎虞 の三男。 官位は従三位 ・刑部 卿。
749年(天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元 年)、陸奥守 在任時に 陸奥国 小田郡から 黄金が
発見されたことで知られる。
また橘奈良麻呂 の 乱や藤原仲麻呂 の乱の鎮圧にも功績があった。
-Wikipedia

蝦夷とは何か?
百済王敬福が発見した黄金の山に土着していたアイヌ人なのか?
それともそれ以外?

百済王子孫桓武天皇こそ敬福後継者だ。

627日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:44:14.96
河野氏末流?稲葉氏流安東氏まで存在します。
河野氏なら、いい加減にしとけよ!と
過去の出来事に立腹しとく。
628日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:51:30.14
>>626
あ〜あああ〜あ‥分かった。
お前は、平家だね‥。
上の>>621も、お前のかァ?
629日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:53:22.70
百済崇拝の平家は、河野氏と仲良さそうだね。
630 【東電 74.0 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/07(日) 22:09:24.43
>>628
源平の戦いの時、松浦党は平家側についているだが?
平家敗戦後、源氏からの迫害から逃れるために安倍の本姓を名乗っている。
平家側についていたからだ。
631日本@名無史さん:2011/08/07(日) 22:32:22.35
>>630
それ、意図的誤認だな。
まず、源氏松浦党は、平家の世で
偶々、安倍末流の婿養子の子が、松浦党旗頭を勤めて、平清盛の側近を勤め‥
忠誠従った清盛死後、主を亡くした、松浦(安倍)太郎高俊は、源氏の世が再び近いのを悟り
源義経のラブコールに答えて、源氏長者、叔父筋の渡辺党と共に、嵯峨源氏水軍として、一の谷の合戦から壇ノ浦の合戦に至るまで、義経をバックアップし
平家残党を壇ノ浦で挟み撃ちにし、撃滅した。
だが、平家落人は、平家落武者とは違うので、手厚く匿った。
後々、松浦党内の御厨氏などの平良兼流を頼り、今に至ってるのだろう。
それと、後、源氏からの迫害から逃れるために安倍氏を名乗ってだが‥
それ、平家に嫁いだ松浦太郎高俊の娘の話で、安倍晋三の御先祖の話だろうが!w
632 【東電 67.4 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/07(日) 23:59:03.45
義経を鎌倉に送り込んで平家倒したのは奥州藤原氏だけどね。
一時は源平に別れて戦っていたが、
後に合流したのか。
633日本@名無史さん:2011/08/08(月) 00:18:15.83
源平合戦とは百済と伽耶の日本での再戦ということだろう?
634日本@名無史さん:2011/08/08(月) 07:08:54.69
越智氏‐河野氏‐稲葉氏、林氏なんてのは戦後時代後期に至るまで実利的な意味での力を有していたみたいだな。
織田弾正忠家の本拠地津島湊は物流の集積地だからな。
林なんかは瀬戸内方面との物流方面における実務官僚だったんだろう。
635日本@名無史さん:2011/08/08(月) 09:53:37.73
>>634
その実利も、
源勝利に導いた嵯峨源氏水軍と藤原北家末流の少弐水軍などの瀬戸内水軍絡みで、河野水軍が行動を共にしての実利だろ。
瀬戸内水軍のそもそもは、藤原北家の藤原純友海賊で、その子孫が有馬氏で、少弐水軍と嵯峨源氏水軍の生みの親だろ?
清盛の頃に、松浦太郎高俊が安倍水軍とした事から、奥州の水軍とが瀬戸内水軍と交流が出来て、後々の元寇の際にも、奥州の水軍が支援に来ていた記録があるようだ。
家の先祖は、松浦氏末流の鎌倉武士団に付き従った末流水軍だったので、氏祖の時代には、奥州から九州までの港に通じて居て、回船問屋で近畿一円、瀬戸内の港の豪商だったようだ。
636日本@名無史さん:2011/08/08(月) 09:58:01.39
宗家で林氏と親戚のようだ。
林氏と河野氏みたいな親戚関係を家にも、林氏は、親縁関係を、政略婚で広げてたようだね。
637日本@名無史さん:2011/08/12(金) 16:01:58.82
>>617
俺のネット調査では・・
嵯峨天皇→渡辺氏→松浦氏(婿養子:安倍氏)→島谷氏(片親筋:林氏。林氏は、ルーツ石川氏と同じく、蘇我氏末流)→川島氏と言う皇統系譜。
638日本@名無史さん:2011/08/12(金) 16:04:07.35
>>637
617は、アンカーミス。
639日本@名無史さん:2011/08/12(金) 16:16:17.14
>>637の話は、
小笠原諸島巡検士隊長:島谷市左衛門と言う人物が、松浦党出身で、宗家の島屋氏の近い親縁関係に、林氏と川島氏とされているからである。

文仁親王妃紀子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
640日本@名無史さん:2011/08/12(金) 23:30:30.51
641日本@名無史さん:2011/08/13(土) 13:36:56.80
なでしこの岩清水選手は斯波御所の末裔か?
642日本@名無史さん:2011/08/14(日) 01:46:04.40
斯波御所系は絶滅
643日本@名無史さん:2011/08/14(日) 21:42:25.11
男系は滅んでも、女系は生き残る場合が多いです。
「江」を見ればわかると思います。
644日本@名無史さん:2011/08/16(火) 15:23:50.89
安倍富忠は実在したの?
頼良を討ったのに恩賞の記録も一切無い。
645日本@名無史さん:2011/08/16(火) 22:58:58.21
なぜ浮囚同士のいさかいに恩賞を出さねばならぬのか
646日本@名無史さん:2011/08/17(水) 02:26:54.34
恩賞出さないと「俘囚やーめた」となって大変よ!
647日本@名無史さん:2011/08/17(水) 05:58:10.13
俘囚やめられるの?やめたら何になるの?
648日本@名無史さん:2011/08/17(水) 15:40:44.20
>>647
また元の「蝦夷」
649日本@名無史さん:2011/08/17(水) 16:09:36.05
王民
650日本@名無史さん:2011/08/18(木) 12:45:59.59
俘囚やめるってのは、捕虜収容所脱走だから、抜け忍として処刑された
651日本@名無史さん:2011/08/19(金) 10:48:05.16
俘囚というのは、故郷から強制連行されて、捕虜収容所のような部落に住まわされていたような連中だったの?
652日本@名無史さん:2011/08/19(金) 13:26:29.87
「俘囚」には律令公民と同じようになるための「準備期間」といった意味合いがある。
関東以南に移配された俘囚たちは「捕虜」といえばその様な要素もあったかもしれないが、逆に国家は彼らへの税の免除や物資の支給を決めるなど、優遇措置を講じられてもいた。
もっとも地方ではそんな彼ら俘囚への優遇措置を不満として、実際には物資の支給などはなされなくなっていってたらしい。
それが「約束違反」だとして俘囚が各地で反乱を起こす素地となっていく。
653日本@名無史さん:2011/08/19(金) 15:02:31.54
佐伯もそうなの?
654日本@名無史さん:2011/08/19(金) 19:49:34.99
あからさまな征服政策だね。
アメリカインディアンに対するアメリカ白人の政策を彷彿とさせる。
655日本@名無史さん:2011/08/20(土) 01:08:46.94
東日本大震災で家や仕事を失ってまた俘囚が湧いてきました。
被災者は日本全国に受け入れてもらっているし、
貞観大津波の時も同じように受け入れてくれてありがとう。
東北は、地震や津波、例外の度にたくさんの俘囚(難民)が発生して、
そのたびに大和政権の恩情で日本各地の国々に受け入れて貰っている。
今の三陸海岸に住んでいるのは、紀州串本とか三浦半島からの移民が多いみたいです。
656日本@名無史さん:2011/08/20(土) 15:11:35.88
坂上田村麻呂といえばくだら系の渡来人だし、祖国が滅亡して、しょうがないから蝦夷を征伐してそこに住め!
と、桓武天皇にいわれて屯田兵を引き連れて移住したんだよな。いろいろ大変だったろう。
657日本@名無史さん:2011/08/20(土) 19:49:31.59
>>656
坂上二郎と田村正和の先祖か何かかぁ?
658日本@名無史さん:2011/08/20(土) 19:51:44.40
坂上二郎は、アイヌ系だが
田村正和は、確かに、百済弥生人系だね。
659日本@名無史さん:2011/08/20(土) 19:53:53.94
萩本欽一は、奥州安倍氏分流姓だね。
660日本@名無史さん:2011/08/20(土) 22:10:50.41
このスレにエミシ直系の方っています?
661日本@名無史さん:2011/08/22(月) 01:53:50.14
家系図あってエミシ直系って、秋田氏以外いないのでは?安東氏もか?
662日本@名無史さん:2011/08/22(月) 04:42:40.41
1268年(文永5年)に津軽でエゾの蜂起があって蝦夷代官職の安藤氏がアイヌ(蝦夷)によって殺されてるけど、
それいらいアイヌ(蝦夷)が安藤氏になったの?
663日本@名無史さん:2011/08/23(火) 01:43:24.62
まあ一揆で殺された人もいるだろうね。

だが、秋田氏は明治維新の時に、エミシに繋がる家系図を明治政府にわざわざ出している。
一応、天皇に繋がる捏造家系図もあるのだが、わざわざエミシ系統の家系図を提出したということは
完全にアイデンティティはそっちにあったということ。
664日本@名無史さん:2011/08/23(火) 02:04:29.49
まて、アイヌ≠エミシだろ?
665日本@名無史さん:2011/08/23(火) 05:10:06.84
ナガスネヒコはアイヌ、蝦夷じゃないだろ?
666日本@名無史さん:2011/08/23(火) 08:11:30.73
なんだ煽っていたのかw

オレとしてはどっちでも良いから >>663 書いたんだけどな。
667日本@名無史さん:2011/08/23(火) 11:50:37.42
662は日蓮によるタワゴトだけが唯一の史料
668日本@名無史さん:2011/08/24(水) 23:07:29.56
日蓮が「安藤太は善人だったのに蝦夷をとられた」といってるが、蝦夷代官職の安藤氏のことかどうか不明。
蝦夷代官職が戦死したのなら事件なのに鎌倉幕府の公式記録にない。
669日本@名無史さん:2011/08/25(木) 22:32:37.93
>>656
糞食い人種のニダ公棄民はどこにでも湧いてくるんだな

捏造すんのは名前と顔面だけにしとこ済州糞豚
670日本@名無史さん:2011/08/27(土) 17:39:24.30
エミシって何かね。沿岸部ではなく内陸部に住んでいたんでしょ?
アイヌって漁労はするの?
671日本@名無史さん:2011/08/27(土) 20:41:40.60
完全にスレ違いだが、アイヌは川舟を利用してかなり内陸まで移動している。
アイヌの地名の付け方も、川舟を利用する視点からの地名が多い。
672日本@名無史さん:2011/08/30(火) 21:17:58.79
アイヌ=倭人とはっきり区別された異民族とされるような集団が、藤原氏に支配されていたという記録はあるのですか?
673日本@名無史さん:2011/08/30(火) 21:19:13.49
ある程度倭人化されていた集団=「蝦夷」、
まったく別の民族=「異類」と書き分けていたのだろうと思う。
674日本@名無史さん:2011/08/31(水) 12:05:52.32
エミシってのは大雑把に東方の敵を指した言葉だよ。
朝廷は東の敵を蝦夷、西の敵を衆夷と呼んでいた。

古くは毛人と書いてエミシと読み、畿内に近い蝦夷を熟蝦夷、
遠い蝦夷を麁蝦夷と呼び、最も遠方に都加留(つがる)があったそうだ。
朝廷の支配下に入った蝦夷は俘囚と呼ばれるようになる。

時代が下るごとに和人と蝦夷の区別は曖昧になっていき
前九年の頃になると、蝦夷はかなり和人化していたようだ。
鎌倉時代に入ると東北住民をエミシとは呼ばなくなり、
北海道住民に対するエゾという呼称が新たに登場してくるんだけど
エミシが和人化して、公民と区別する意味がなくなったからじゃないかな。
675日本@名無史さん:2011/09/02(金) 11:43:09.20
公民じゃない存在って内国にもいたのでは?
676日本@名無史さん:2011/09/04(日) 10:29:12.62
徐福の連れてきた童男童女はいわゆる奴隷だし、
国同士が戦って負ければ男はみんな殺され、きれいどころの女は側室にしたり、飯炊き女にしたり、
身長120cm未満の子供は、戦利品として勝ち組に分配されて雑役をさせていた。

人権なんて言い出したのは戦後のことなのさ。
677日本@名無史さん:2011/09/04(日) 10:34:50.94
雑役やらせるやついないと、貴族の暮らしなんかなりたたんわな
678日本@名無史さん:2011/09/04(日) 23:06:49.57
エミシは今で云うエスニッククレンジングの対象になったんでしょ?
田村麻呂はかなり酷いことをしたと聞いているけど。
今でも東北の人は田村麻呂を仇のように思っているそうな。
679日本@名無史さん:2011/09/05(月) 00:48:02.92
田村麻呂自身は、アテルイの事を気遣って助命嘆願をしているからそれなりに人気あるんじゃないの?

あちこちの開山伝説などにしょっちゅう田村麻呂が出てくるし。
680日本@名無史さん:2011/09/05(月) 00:56:45.02
徐福は伝説でしょう。
681日本@名無史さん:2011/09/05(月) 03:11:19.09
>>679
そういった、どう贔屓目に見ても朝廷史寄りの史実を一方的に信じるのはどうかと...
集団として消滅させなきゃいけなかったから、征服後、各地への移住も行われたんでしょ?
歴史は勝者のものだけど、あからさま過ぎて信じる気にはなれないね。
エミシに対して殲滅戦実施してるのに、人気があると本当に考えてるなら、どうかしてると思う。
682日本@名無史さん:2011/09/05(月) 04:40:44.05
今の東北住民の基幹は、田村麻呂についてきて奪った土地をもらって住み着いた人間の系統だから、感謝してねぶたに描き祭ってるのでしょう。
683日本@名無史さん:2011/09/05(月) 07:05:10.58
田村麻呂側についたエミシもいるのさ。

エミシの生活よりも、倭人の生活の方が人口を多く養えるからな。だから、田村麻呂を契機に倭人の方に
寝返った人たちから田村麻呂信仰が出てくる。倭人が入り込むと自然に蝦夷と交雑したトコも出てくるしな。

だいたい、三湖物語だって、倭人側の代表であり、もの凄い災厄を鎮めたはずの南祖坊の方が扱いが
ぞんざいで、逆に蝦夷側の代表である八郎太郎の方が災厄を引き起こしたにも関わらず、最後は辰子と
結ばれるストーリーだしな。
684日本@名無史さん:2011/09/05(月) 10:50:00.72
百済王敬福以前に東北地に産金の文化はなかった。
百済王敬福らが産金文化をもたらした。
敬福死後八年後に38年戦争が起こっている。

鎌倉末期には代官安藤視がアイヌに一揆で殺される事件も起きている。
685日本@名無史さん:2011/09/05(月) 13:46:45.70
と言うことは百済人が東北征服したってこと?
倭東北はウリナ...いや何でもない。
686日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:04:16.57
んなことを言ったら、現在の天皇家だってウリ…いや何でもない
687日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:09:20.13
>>686
んなことを言ったら、現在の2000年間の天皇と血で繋がる我々自身、アイヌや沖縄人だってウリ…いや何でもない
688日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:12:27.53
中国なんて、朝鮮族が普通に要るシナ・・
だって満州族の清=秦自体をルーツにしているウ…いや何でもない
689日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:23:37.85
【高句麗 高氏系図】
【始祖】東明聖王朱蒙 
(1)東明聖王
朱蒙(BC58-BC19)

扶餘 初代百済王
(2)温祚王

親子

【百済 扶餘系図】
【始祖】扶餘温祚  
【世系】扶餘氏は、初代百済王の温祚王に出づ。
【歴史】百済國の王は、扶餘氏なり。その國もと馬韓に属し索離國(伯済國)より出づ。
その源を尋ぬるに高句麗と之を同じくす。
其國の王の遠出せる折に、其王の侍女妊娠したるあり。王、帰還して之を怪しみ、之を殺さんとす。
侍女曰く「妾、かつて天上に大いなる鷄子の如き気を見たるあり。
按ふに其の気に感精し受胎したる歟」と。
王は侍女を廃し、侍女は後に男児を産す。
王は男児を豚舎に置くも、豚は之を暖めるに因って死なず。
厩舎を遷すと雖も之に同じくす。王は遂に男児を以て神人と為し、之を養育せしむに至る。
此男児、名を東明と云ふ。

其國の東は新羅に極まり、北は高句麗に接し、西南は大海の沿岸を垣根とす。
東西450里、南北900餘里なり。其の都を「居拔城」と号し、或は「固麻城」と云ふ。
其の外に更に五方あり、中方を「古沙城」、東方を「得安城」、南方を「久知下城」、西方を「刀先城」、北方を「熊津城」と云ふ。
王姓は餘氏。号は「於羅瑕」、百姓は「韃吉支(こにきし)」と云ふ。
漢語に翻すに「王」の意たりと。王妃の号は「於陸」と云ひ、漢語の「妃」なりと。
690日本@名無史さん:2011/09/05(月) 16:27:26.10
【高句麗 高氏系図】
【始祖】東明聖王朱蒙 
(1)東明聖王
朱蒙(BC58-BC19)

扶餘 初代百済王
(2)温祚王



淳陀太子
斯我君(  -513)



贈高野朝臣
贈正一位
和史乙継
高野氏

桓武天皇(737-806)の母:高野新笠
桓武平氏が百済崇拝した理由ですね。
691日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:31:44.85
名字の由来
http://office-maeta.jp/office/contents/060828.htm
■ 嵯峨源氏の起り
桓武天皇の次の嵯峨天皇は皇子と皇女を合わせて32人の臣籍降下を行ったが、これら全てに「源」の名字を与えた。
これが嵯峨源氏の始まりであるが、ではどうして源という名字を与えたか?
それは中国の北魏の太武帝が同族の河西王の子「賀」を西平侯に任じた時に、「卿(あなた)と朕(わたし)とは家系の源が同じである。
そこで今より源を氏とせよ」と言って源姓を与えたのに倣った。
佐賀源氏を遠祖する名字:  渡辺(摂津国西成郡渡辺村)・松浦(九州肥前)・宇久・五島(長崎五島列島福江島)

中国の北魏の太武帝=百済始祖王:温祚王(  -AD28)の甥が、太武神王:無血(AD4-AD44)
因みに、この百済始祖王:温祚王(  -AD28)の親の東明聖王:朱蒙(BC58-BC19)のルーツが朝鮮文聖王:箕子=胥余([1162]-  )・・
商始祖:契・・高辛氏の黌の帝黌次妃:簡狄・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
※一説「國常立尊」是唐土之人称「盤古氏」、亦曰「伊奘諾尊」是唐土之称「伏羲氏」、「伊奘冉尊」是称「女禍氏」詳細未審。
※按元初者無人而無文字越人之智。悠久之歴史誰語有哉神代惟眞難推算而有諸説。『古事記』所載陰陽剖判以前之神名雖無確證因今不採是説。大概順『日本紀』之説。
『倭姫命世紀』
『神祇譜伝図記』
惟宗朝臣:永厚 元慶7賜惟宗朝臣・・秦大人:宇志([510]-  ) ・・波多公:普洞王([420]-  ) の親、(弓月君)融通王([400]-  ) 應神朝[413?-435?]投化 ・・
仲哀朝渡来の功満王([366]-  )の親、秦:武安王([333]-  )・・孝武王([BC200]-  )・・皇帝:胡亥(BC229?-BC207)の親が秦の始皇帝:政・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅でラストエンペラーの愛新覚羅 溥儀と繋がるようだね。
だから、山口神社庁に愛新覚羅家神社が祭られた訳だ・・。







 
盤古



 
692日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:34:03.58
>>691
惟宗朝臣=惟宗氏とは、島津氏の事です。
693日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:37:04.27
この系譜で観ると、漢民族も倭人の先祖筋に成るねW
694日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:41:36.05
>>691修正。
>(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
盤古の所が飛んで最下段に成ってたので、正しくは・・
(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・盤古:天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
695日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:45:00.91
分かり難く成ったので、改めてレスします。

名字の由来
http://office-maeta.jp/office/contents/060828.htm
■ 嵯峨源氏の起り
桓武天皇の次の嵯峨天皇は皇子と皇女を合わせて32人の臣籍降下を行ったが、これら全てに「源」の名字を与えた。
これが嵯峨源氏の始まりであるが、ではどうして源という名字を与えたか?
それは中国の北魏の太武帝が同族の河西王の子「賀」を西平侯に任じた時に、「卿(あなた)と朕(わたし)とは家系の源が同じである。
そこで今より源を氏とせよ」と言って源姓を与えたのに倣った。
佐賀源氏を遠祖する名字:  渡辺(摂津国西成郡渡辺村)・松浦(九州肥前)・宇久・五島(長崎五島列島福江島)

中国の北魏の太武帝=百済始祖王:温祚王(  -AD28)の甥が、太武神王:無血(AD4-AD44)
因みに、この百済始祖王:温祚王(  -AD28)の親の東明聖王:朱蒙(BC58-BC19)のルーツが朝鮮文聖王:箕子=胥余([1162]-  )・・
商始祖:契・・高辛氏の黌の帝黌次妃:簡狄・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・盤古:天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
※一説「國常立尊」是唐土之人称「盤古氏」、亦曰「伊奘諾尊」是唐土之称「伏羲氏」、「伊奘冉尊」是称「女禍氏」詳細未審。
※按元初者無人而無文字越人之智。悠久之歴史誰語有哉神代惟眞難推算而有諸説。『古事記』所載陰陽剖判以前之神名雖無確證因今不採是説。大概順『日本紀』之説。
『倭姫命世紀』
『神祇譜伝図記』
島津氏の惟宗氏とは、惟宗朝臣:永厚 元慶7賜惟宗朝臣・・秦大人:宇志([510]-  ) ・・波多公:普洞王([420]-  ) の親、(弓月君)融通王([400]-  ) 應神朝[413?-435?]投化 ・・
仲哀朝渡来の功満王([366]-  )の親、秦:武安王([333]-  )・・孝武王([BC200]-  )・・皇帝:胡亥(BC229?-BC207)の親が秦の始皇帝:政・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅でラストエンペラーの愛新覚羅 溥儀と繋がるようだね。
だから、山口神社庁に愛新覚羅家神社が祭られた訳だ・・。
696日本@名無史さん:2011/09/05(月) 18:37:00.37
北魏を建国したのは鮮卑ですね。
697日本@名無史さん:2011/09/05(月) 18:43:10.92
牧畜畑作民であって、水田稲作民ではないわな
698日本@名無史さん:2011/09/05(月) 19:54:40.46
奥州二十万騎はなんで、頼朝の軍に簡単に敗北したの?
699日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:05:36.44
泰衡が裏切りにあっていなければ巻き返せたはず。
700日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:16:50.16
百済崇拝桓武平氏を祖とする鎌倉北條氏と仕えた惟宗氏=島津氏は、漢民族倭人天皇筋で同祖だったんだね。
その家の先祖は、松浦党=安倍水軍で惟宗氏=島津氏鎌倉北條氏に仕えてた訳か・・

701日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:25:01.16
そもそもは、壇ノ浦の合戦で義経に従った松浦党=安倍水軍の旗頭:松浦(安倍)太郎高俊から鎌倉の頼朝に、だろうが・・
その後、元寇の際、安倍水軍として、参戦し、倭寇の際には、足利冬直の指揮で、大河内氏に従い、北九州の漁民を束ねて朝鮮攻撃に加わった訳か・・
702日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:30:39.22
倭寇と済州島民連合による挑戦攻めは、南朝方、足利軍の功績。
北朝は、大陸と朝鮮との交流で倭寇を知らぬ存ぜぬとシラを切り通して、海賊の仕業とし、松浦党波多氏の責任にしたようだね。
703日本@名無史さん:2011/09/05(月) 20:34:05.74
徳川家康は、この足利氏家来の大河内氏出身の清和源氏ルーツ
704日本@名無史さん:2011/09/05(月) 21:08:05.46
>>701
足利冬直は、歴史家の誤りで、足利直冬の誤りのようだねW
705日本@名無史さん:2011/09/05(月) 21:45:30.84
四大歴史ストーリー−大内氏/年表山口県の文化財
http://bunkazai.ysn21.jp/support/theme/oouti/onen.html
1350年 観応1/正平5 観応の擾乱/九州で足利直冬挙兵/倭寇、高麗沿岸を荒らす。
>>702
>朝鮮攻めは、南朝方、足利軍の功績。
朝鮮攻めは、南朝方、足利直冬軍の功績。が正しいなW
706日本@名無史さん:2011/09/05(月) 21:47:39.46
これが、新羅と高麗統合朝鮮建国に繋がった訳だね。
707日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:19:19.11
連投するのなら日本語を学んでからにしてくれ
708日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:40:09.71
>>707
あっ・・この辺りか・・
>中国の北魏の太武帝=百済始祖王:温祚王(  -AD28)の甥が、太武神王:無血(AD4-AD44)
>因みに、この百済始祖王:温祚王(  -AD28)の親の東明聖王:朱蒙(BC58-BC19)のルーツが朝鮮文聖王:箕子=胥余([1162]-  )・・
>商始祖:契・・高辛氏の黌の帝黌次妃:簡狄・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・盤古:天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
>※一説「國常立尊」是唐土之人称「盤古氏」、亦曰「伊奘諾尊」是唐土之称「伏羲氏」、「伊奘冉尊」是称「女禍氏」詳細未審。
>※按元初者無人而無文字越人之智。悠久之歴史誰語有哉神代惟眞難推算而有諸説。『古事記』所載陰陽剖判以前之神名雖無確證因今不採是説。大概順『日本紀』之説。
>『倭姫命世紀』
>『神祇譜伝図記』
>島津氏の惟宗氏とは、惟宗朝臣:永厚 元慶7賜惟宗朝臣・・秦大人:宇志([510]-  ) ・・波多公:普洞王([420]-  ) の親、(弓月君)融通王([400]-  ) 應神朝[413?-435?]投化 ・・
>仲哀朝渡来の功満王([366]-  )の親、秦:武安王([333]-  )・・孝武王([BC200]-  )・・皇帝:胡亥(BC229?-BC207)の親が秦の始皇帝:政・・(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅でラストエンペラーの愛新覚羅 溥儀と繋がるようだね。
>だから、山口県神社庁に愛新覚羅家神社が祭られた訳だ・・。

ソース忘れてたね!
日本氏族大鑑
http://www.geocities.jp/tajima73/index.html
■皇統御譜
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【天日槍命系図】←これが、関西人の祖なのは分かるんだが・・
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【百済 扶餘系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【高句麗 高氏系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【檀君系図】←ここまで来ると・・ちょっとね・・
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【盤古氏系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【神代系図】←多分、世界中の宗派統合する思想の進学校のリーク情報を基にした、■神代御系譜だと思うよ。
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
709日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:42:18.43
見た人の判断任せですね。

日本氏族大鑑
http://www.geocities.jp/tajima73/index.html
■皇統御譜
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【嶋津氏系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html
【贏姓系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/kouto.html

710日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:50:03.12
>>695
>だから、山口県神社庁に愛新覚羅家神社が祭られた訳だ・・。

下関市 中山神社(愛新覚羅社)紹介
http://www.tokyo-kurenaidan.com/aishinkakura-2.htm
711日本@名無史さん:2011/09/06(火) 00:55:55.14
因みに、家の姉の勤めてた店の来日した時の常連客が、愛新覚羅 溥傑さんでした。
712日本@名無史さん:2011/09/06(火) 21:44:26.63
ツングース系女真族は邪馬台国と同族?
713日本@名無史さん:2011/09/06(火) 22:34:32.84
天皇は渡来系と?
中国神話が日本神話の原型であると?
714日本@名無史さん:2011/09/06(火) 22:46:06.60
>>713
おっかしいよねW
倭は、漢に定住していた先住地の中国大陸を奪われて、半島経由で台湾と日本に散らばったのに・・
チョモランマの原人時代で同族だとしても、文字を持たない原人時代のルーツモンゴロイド同士が、果たして、同祖としての同じ神のルーツを記憶してんのかねぇ??
白人もココで枝分れしてと、一部のチョモランマ・エベレストの研究してる人類学者は、考えてるようだけど・・
その人類学者の話を元に、宗派の神々の統合をしてるのが進学校みたいだけど・・
715日本@名無史さん:2011/09/06(火) 22:51:14.49
その宗派の基点もメソポタミア起源として、古代エジプト・インド・中東諸国として東西に散らばったと考えてるようだね。
716日本@名無史さん:2011/09/06(火) 23:05:07.86
こないだ、何処かのサイト記事にも、
そんなような話の記事が在ったな・・
「日本の源平時代もインドのクシャトリア独立闘争の延長だった」とか・・
717日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:09:57.82
海底に沈んだ幻の大陸スンダランドこそ倭人の故国。
たぶん、東日本大震災の地震の32倍以上、マグニチュード10クラスの大地震が起きて一夜で海に沈んだのだろう。
たまたま漁に出ていたり。高台にいた少数の人だけが生き残って、倭人の細々と子孫を残したのだ。
718日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:22:01.09
藤原氏は女衒
自分の娘を含む女を豪族に与えて親戚となりながら勢力を広げた そして天皇にも
既に生えている木の傍に藤を植えるだけて 蔓を伸ばして巻き付かせる手法

太陽神を女神としたのは 与えた女よりも上の立場でいるため
天の小屋根は天の児の意味が表(事実と違う)日を遮り世に暗黒をもたらし公務を私物化した様子を伝えいているのが裏(事実)
719日本@名無史さん:2011/09/08(木) 02:43:16.26
待て、奥州藤原氏には関係のない話だろ。
何言ってるんだ?
720日本@名無史さん:2011/09/08(木) 07:27:22.41
奥州藤原氏は平将門を倒した藤原秀郷の子孫。
秀郷は藤原不比等の子孫。
721日本@名無史さん:2011/09/08(木) 12:21:00.20
本貫地亘理郡の支配者はどのよう交代がなっていったの?
722日本@名無史さん:2011/09/09(金) 23:19:58.53
経清(亘理権大夫)以来代々の所領地曰理郷(亘理郡)も清綱(亘理権十郎)の没落とともに頼朝の幕僚・千葉胤盛の支配する所となった。

723日本@名無史さん:2011/09/10(土) 22:00:12.48
相馬氏関係の一族係累の所領になり、その後、伊達にとられたということか?
724日本@名無史さん:2011/09/10(土) 23:56:24.60
亘理郡とか相馬って、今回の大震災のとこじゃねえか。
千年おきに起こる震災らしいし、奥州の栄枯盛衰はこの周期地震と関連してるのか?
725日本@名無史さん:2011/09/11(日) 11:10:27.00
仙台周辺の遠見塚古墳や東北最大の雷神山古墳があって、6世紀には既に仙台平野から大崎地方まで大和朝廷の勢力下にあったことがわかる。
その付近を支配していた大首長こそ、祟神天皇の叔父で大彦を遠祖とし、安倍比羅夫に繋がる安倍一族だったのではないだろうか?
今、東北で一大勢力になっている藤原氏傘下の佐藤氏は、前九年の役・後三年の役の後に関東から入植した新参者といえる。
726日本@名無史さん:2011/09/11(日) 13:19:34.98
世田谷区にある野毛大塚古墳は
武蔵の国の造・笠原氏のものであろう。

その他の古墳も各地の国の造、縣主などの人々の墓だろう。

笠原氏は今も実在する。
727 【東電 74.4 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/09/11(日) 13:39:15.11
无邪志国造 无邪志国造(むさしのくにのみやつこ・むさしこく ぞう)は
武蔵国東部を支配した国造。無邪志国造・ 武蔵国造とも。
概要

祖先

建比良鳥命。出雲国造・遠淡海国造・上菟上国 造・下菟上国造・伊自牟国造などと同系。
成務朝 に二井之宇迦諸忍之神狭命の10世孫の兄多毛比命が 无邪志国造に任じられたという。

氏族
丈部氏、のち武蔵氏。姓は直だが、のち宿禰。
一族 として笠原氏・物部氏・大伴氏・檜隈舎人氏などが ある。
本拠
武蔵氏・大伴氏は武蔵国足立郡(東京都足立 区と埼玉県東南部)。
笠原氏は武蔵国埼玉郡笠原郷(埼玉県鴻巣 市)。
物部氏は武蔵国入間郡(埼玉県入間市・川越 市・狭山市・所沢市・富士見市・ふじみ野 市など)。

子孫 笠原使主 …… 安閑朝の武蔵国造。笠原小 杵と相続争いを起こした。
物部兄麻呂 …… 推古朝の舎人。武蔵国 造。
丈部不破麻呂 …… 奈良時代の官人。藤原 仲麻呂の乱の功績で武蔵宿禰を賜り、武蔵国 造に任じられた。
728 【東電 74.9 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/09/11(日) 13:41:35.57
児玉党 児玉党(こだまとう)は、
平安時代後期から鎌倉時 代にかけて武蔵国で割拠した武士団の一つ。
主に武 蔵国最北端域全域(現在の埼玉県本庄市・児玉郡付 近)を
中心に入西・秩父・上野国辺りまで拠点を置 いていた。

武蔵七党の一つとして数えられる児玉党は諸々の武 士団の中では最大勢力の集団を形成していた。
本宗 家の家紋(紋章)は、軍配団扇紋であるが、
随身・ 随兵して行くことで諸氏による派生紋・続葉紋が生 まれた。
その後、時代の流れと共に各地へ散らばっ てゆく。
児玉党をはじめとする武蔵七党の各武士 団・諸氏族は蒙古襲来に備えるため
(鎌倉)幕府の 命により西方遠くは、安芸国・九州
(最西は、小代 氏の肥後国・野原荘)まで及びその防備につくため 下向し土着してゆく。
729 【東電 74.9 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/09/11(日) 13:44:10.93
【有道氏/児玉党】
天長10年(833)、饒速日命を祖(物部氏と同 祖)とする
丈部長道、氏道、継道、福道の四名が有 道宿禰を賜姓されるに始まる。
藤原伊周の家令有道惟能は武蔵国児玉郡に下向し て、
惟行(遠峯)は武蔵七党の児玉党の祖となる。
児玉党の族葉は多く、武蔵国秩父郡、比企郡から 上州に及び七党中で最大の兵力を持ち、
傭兵として 安芸、備後、陸前など全国各地に広まる。
大名家の 本庄氏(2家)は児玉党の後裔と伝える。

日本の苗字7000傑物
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02130.htm
730日本@名無史さん:2011/09/12(月) 02:06:11.26
東北で繁栄してる渡辺氏は、嵯峨天皇の時代、嵯峨天皇第6皇子の淳王─博泰の子孫が、大伴氏族に合流して、繁栄したものと、皇統系譜に記されてるね。
731日本@名無史さん:2011/09/12(月) 02:53:17.08
>>730の訂正。
今、暇だから、もう一度系譜観てたら、渡辺氏の欄が無くなってた。
修正されたのか、見間違いのようなので

東北で繁栄してる渡辺氏は、嵯峨天皇の時代、嵯峨天皇第6皇子の淳王─博泰の子孫が、大伴氏族に合流して、繁栄したものと、皇統系譜に記されてるね。
の話は、無しです。
732日本@名無史さん:2011/09/12(月) 20:46:55.78
仙台周辺の津波で浸水した地域を見ると、
古墳時代にはそのあたりは海の中だったことがわかる。
名取市の東北最大の古墳である雷神山古墳も東北3番目の遠見塚古墳も
実は遠浅の海岸沿いに遠浅の海岸線に凛として聳えていたのだ。
733日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:36:22.67
奥州藤原氏は最後まで直接支配領域は奥6郡・山北3郡だけ。
あとは、さまざまな関係で在地武士への指揮権があったという程度。
734日本@名無史さん:2011/09/24(土) 14:26:21.43
徳川幕府だって地方まで支配が及んでいたわけではないし、
各大名はそれぞれ領内での立法権、裁判権や行政権を持っていた。
中央集権が進んで、国の法律が全国に及ぶようになったのは明治以降。
それも欧米の先進文化を取り入れて改革を進めていったに過ぎない。

鎌倉幕府の支配地は東日本だけだったし、西日本は朝廷の支配。東北も間接支配だった。
735日本@名無史さん:2011/09/24(土) 16:59:49.96
承久の乱以降は北条一家の全国支配でしょう
736日本@名無史さん:2011/09/25(日) 08:23:57.24
奥州藤原氏は平氏政権、鎌倉幕府に先立つ武家政権だと思うけど、
どうもそういう扱いをされてないよね。
なんでだろ。
737日本@名無史さん:2011/09/25(日) 13:29:16.39
全国的なものではないから。
738日本@名無史さん:2011/09/25(日) 14:32:40.04
東北地方って元々、倭国の一部じゃないから、そういう定義で比較するのは意味がないと思うんだよね。
つまり、彼らは独立を指向していたという点で、政権と呼べると思うんだよね。
"日本"史という概念に収めようとすれば、政権じゃないんだろうけど。
739YAP?:2011/09/25(日) 21:40:09.85
 奥州藤原氏って、倭国化というか、倭人化の尖兵じゃないのかな?
740日本@名無史さん:2011/09/26(月) 19:04:16.94
>>739
坂上田村麻呂が奥六郡(北上盆地)を平定して以降、
朝廷は蝦夷を各地に強制移住させて、空いた土地に公民を入植させてるんだぜ。
奥州藤原氏以前にとっくに和人化してるよ。
都の貴族が安倍宗任に梅の花を見せて
奥州の蝦夷は花の名前なんて知らないだろって馬鹿にしたら
歌で返されて驚いたって話があるが、
前九年の役の頃にはかなり和人化してる。
鎌倉時代に蝦夷(えみし)って言葉が廃れるけど
源氏が東北を平定してみたら、もう蝦夷と公民の区別なんて付かなかったんだろ。
741日本@名無史さん:2011/09/26(月) 20:58:31.48
源氏によってアイヌ人だった人間は北海道に追放されたんだろう?
742YAP?:2011/09/27(火) 01:08:08.92
安倍氏を蝦夷と考えるか、それとも中央の阿部氏の子孫で在庁官人だったと考えるかで、
奥州藤原氏を「倭人化」の尖兵と考えるか、それとも、尖兵だった安倍氏の追従者だったと考えるかが、
きまるのでは無いかね?
743日本@名無史さん:2011/09/27(火) 11:37:48.89
>>740
我が国の
梅の花とは
見たれども
大宮人は
何と言ふらむ
744日本@名無史さん:2011/09/27(火) 13:56:04.46
>>742
藤原3代のミイラが残っているのだから、まずは清衡の遺伝子を調べれば良いのでは?
母方が安倍氏だよね?
745日本@名無史さん:2011/09/27(火) 22:26:05.73
>>744
ミイラと言う時点で、縄文文化ではないね。
即身仏は、仏教徒だからね。
746日本@名無史さん:2011/09/28(水) 10:54:55.44
ミイラって仏教なのか?
747日本@名無史さん:2011/09/28(水) 13:08:22.88
奥州藤原氏がいわゆる蝦夷とは異質な容貌であったというのは有名な話。
748日本@名無史さん:2011/09/28(水) 20:18:55.93
え?エミシの顔って残ってるの?
749日本@名無史さん:2011/09/28(水) 22:11:19.83
東国人の人骨とか残ってるでしょ。
750日本@名無史さん:2011/09/29(木) 11:37:45.45
だから、豪族の中臣〜藤原北家の藤原秀郷の末裔が奥州藤原氏

【藤原氏系図】
藤原氏は中臣姓大職冠鎌足公に出づ。公家、武家の一大流祖なり。
http://www.geocities.jp/tajima73/fujiwarashi.html
藤原氏諸流
魚名筋
秦の始皇帝・島津氏は、國常立尊の末裔
アイヌは、西宮戎 蛭児の末裔
天皇家は、天照大神(卑弥呼)-正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊-天津彦彦火瓊瓊杵尊- 彦火火出見尊(山幸彦)-彦波瀲武鵜草葺不合尊(玉依姫)-神武天皇の末裔
安倍氏は、牛頭天王 素戔嗚尊(大彦)の末裔
出雲・千家・菅原道真・大江氏・毛利氏は、天穂日の末裔
隼人祖は、火闌降(海幸彦)の末裔
藤原氏は、津速産霊命の末裔
麻生氏は、高皇産霊命の末裔
751日本@名無史さん:2011/09/29(木) 12:04:32.06
藤原仲麻呂(仲麿)=恵美押勝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82
吉備真備と戦い破れ、自ら、恵美氏と改名。
藤原南家の祖である左大臣の父・藤原武智麻呂の次男。
母:阿倍貞媛 - 阿倍貞吉または阿倍真虎の娘、阿倍御主人の孫

752日本@名無史さん:2011/09/29(木) 12:13:11.35
>>664
藤原仲麻呂(仲麿)=恵美押勝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82
吉備真備との戦い破れ、自ら、恵美氏と改名。
藤原南家の祖である左大臣の父・藤原武智麻呂の次男。
母:阿倍貞媛 - 阿倍貞吉または阿倍真虎の娘、阿倍御主人の孫
>>670
>>674
多分、この恵美氏
>>678
坂上田村麻呂は、渡来豪族で、三国志の劉備の末裔

753日本@名無史さん:2011/09/29(木) 12:20:43.50
三国志の劉備の末裔×
誤りでした。
正しくは・・

日本氏族大鑑
http://www.geocities.jp/tajima73/index.html
■劉姓諸流
http://www.geocities.jp/tajima73/sakanoueshi.html
【漢帝 劉氏系図】
劉累
6代景帝の子で三国志の劉備玄徳とは、兄弟筋ですね。
754日本@名無史さん:2011/09/29(木) 12:33:56.33
【有道氏/児玉党】  
 天長10年(833)、饒速日命を祖(物部氏と同祖)とする丈部長道、氏道、継道、福道の四名が有道宿禰を賜姓されるに始まる。
 藤原伊周の家令有道惟能は武蔵国児玉郡に下向して、惟行(遠峯)は武蔵七党の児玉党の祖となる。
 児玉党の族葉は多く、武蔵国秩父郡、比企郡から上州に及び七党中で最大の兵力を持ち、傭兵として
安芸、備後、陸前など全国各地に広まる。大名家の本庄氏(2家)は児玉党の後裔と伝える。

日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02130.htm

史跡
「有氏神社」は、始祖を祀っている。
有道維行の生誕一千年を記念する石碑(平成十二年) 神社の北側にあった石塔を北東寄りに移した時,
石塔の下から人骨が発掘された(伝承)。その石塔こそ有道氏の墓碑でありこれを御神体として祀るために建てられたのが有氏神社だと推測される。

参考文献
『兒玉黨』笹川種郎著
『特別展武蔵武士』 埼玉県立博物館 著
『武蔵武士』渡辺世祐・八代国治 共著
『埼玉県の歴史』田代脩・塩野博・重田正夫・森田武 共著 ISBN 4634321106
『武蔵武士』福島正義 ISBN 4878910402
『武蔵の武士団』 安田元久著 有隣新書 ISBN 4896600673

児玉党ここによみがえる!
http://www.kodama.to/
755日本@名無史さん:2011/09/29(木) 17:49:16.97
>>751
長澤氏/永澤氏の祖が、この藤原南家の恵美仲麿
756日本@名無史さん:2011/09/29(木) 17:50:38.87
藤原南家【永澤氏系図】
http://www.geocities.jp/tajima73/fujiwarashi.html
757日本@名無史さん:2011/09/29(木) 18:39:54.30
大化の改新は、藤原 南家・北家・式家・京家の祖・・中臣(藤原)不比等と鎌足親子と大彦の末裔、阿部氏と紀氏の蘇我氏、葛城氏、林氏
大仏開眼/吉備真備と藤原南家の恵美氏
光源氏=源融
平将門/平貞盛/藤原純友と藤原秀郷
炎経つ/奥州安倍氏
安倍清明/枕草子の源頼光と源綱
炎経つ/奥州藤原氏/平泉藤原氏
源義経/源頼朝/平清盛/松浦(安倍)太郎高俊
元寇の鎌倉時代/北條政子と島津氏
太平記の南北朝時代/足利尊氏と新田義貞、楠木正成
倭寇/南朝征西将軍宮 懐良親王に就く、足利直冬
戦国時代・・

758日本@名無史さん:2011/09/29(木) 18:50:17.36
大化の改新は、藤原 南家・北家・式家・京家の祖・・中臣(藤原)不比等と鎌足親子と大彦の末裔、阿部氏と紀氏の蘇我氏、葛城氏、林氏
大仏開眼/吉備真備と藤原南家の恵美氏
光源氏=源融
平将門/平貞盛/藤原純友と藤原秀郷
炎経つ/奥州安倍氏
安倍清明/枕草子の源頼光と源綱
炎経つ/奥州藤原氏/平泉藤原氏
源義経/源頼朝/平清盛/松浦(安倍)太郎高俊
元寇の鎌倉時代/北條政子から8代:北条時宗と島津氏
太平記の南北朝時代/足利尊氏と新田義貞、楠木正成
倭寇/南朝征西将軍宮 懐良親王に就く、足利直冬
戦国時代・・


759日本@名無史さん:2011/10/01(土) 00:23:33.05
また松浦バカかよ
意味不明の書き込みはいい加減にして欲しい
760日本@名無史さん:2011/10/01(土) 02:56:17.90
松浦=宗任末裔はただの伝説
761日本@名無史さん:2011/10/01(土) 04:25:08.99
>>760
つW安倍総理の先祖なのに・・WW
762日本@名無史さん:2011/10/01(土) 04:30:50.62
安倍分流の岸氏の由来も紀氏ぽいけどね・・。
763日本@名無史さん:2011/10/01(土) 04:37:08.34
蘇我氏が左大臣だから安倍氏も奥州地頭官人だった可能性大で
光源氏=源氏長者の源融の要職も左大臣。
左大臣繋がりで、松浦へ安倍宗任末流が婿入りしたと考えるも容易く・・
764日本@名無史さん:2011/10/01(土) 04:47:37.36
だから、元々、奥州定住以前の安倍氏は、大和=奈良に近い、紀州出身の可能性大。
765日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:25:59.02
また松浦バカかよ
意味不明の書き込みはいい加減にして欲しい
766日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:28:46.36
>>765
お前こそだが・・
愚痴ばかり
ここのスレタイ観れば、お前が、タダの荒しと自覚出来るだろうに・・あーあ
767日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:32:57.91
平清盛側近、松浦(安倍)太郎高俊の松浦党=安倍水軍は、歴史的史実。
その証が、松浦諸流と安倍元総理、天皇家なのですがね・・。
768日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:35:48.60
>蘇我氏が左大臣だから安倍氏も奥州地頭官人だった可能性大で
>光源氏=源氏長者の源融の要職も左大臣。
>左大臣繋がりで、松浦へ安倍宗任末流が婿入りしたと考えるも容易く・・

こんな意味不明な書き込みする奴に言われたかないねw
日本語の接続詞の意味とかわかってる?
769日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:38:12.29
源平合戦勝利に導き手の、あの壇ノ浦合戦の松浦(安倍)太郎高俊活躍無くして
源氏の世壇ノ浦の勝利から徳川300年も無かった訳で・・
770日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:40:01.96
史実を元にした考察ですが?
771日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:43:42.55
ここで、史実のみをタラタラオウム返しするより、面白いがね。
772日本@名無史さん:2011/10/01(土) 09:47:13.67
で、自己満カキコを続けるわけだ
そういうことは自分でブログでも立ち上げてやってくれ
773日本@名無史さん:2011/10/01(土) 10:02:29.66
>>772
だから、お前みたいな荒しに個人特定されて、ストーカー被害避けれるのが、匿名2ちゃん
な訳で・・ブログとか言ってる時点で、お前がココでは、異分子なのだがね。
774日本@名無史さん:2011/10/01(土) 10:13:39.77
こりゃだめだ…真性だな
775日本@名無史さん:2011/10/01(土) 17:14:16.94
トンデモサイトに荒らしなんて来ないよ。
コメント自体されないって。
ブログが嫌ならメモ帳に書いててくれよ、頼むから。
776日本@名無史さん:2011/10/01(土) 17:28:29.18
実際、何をいいたいのかがさっぱりわからないので
コメントもつけようがない
777日本@名無史さん:2011/10/01(土) 21:31:32.92
そこまでしつこく絡んで行く方も、どうかと思いますね‥。
778日本@名無史さん:2011/10/02(日) 08:42:46.18
いいじゃないか、独り言のスレなんだから
779日本@名無史さん:2011/10/10(月) 04:25:04.93
780日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:51:19.17
源氏に滅ぼされた
阿部一族の復讐を描いた
小原地区に伝わる
農村歌舞伎
奥州安達ヶ原はご存知か?
781日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:55:08.05

阿部一族の末裔が
念仏坊主に身をやつし
流れ流れてある地域の
有力者の家に婿養子として入りこみ
やがてその子孫が源氏の長者をのっとり
復讐を果たしたのだった。
782日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:08:45.65
阿部一族


熊本藩の話かと思った。
783日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:21:34.31
>>781
徳川家康?
784日本@名無史さん:2011/12/03(土) 12:59:36.41
安倍一族といえば、縄文時代から日本列島で暮らしているいわゆる国津神、
建御名方神は古事記の国譲りの段においては建御雷之男神(タケミカヅチノオカミ)に敗北し諏訪へ逃れた出雲の神の一柱とされているし、
そのあとも渡来系の天孫族に追われて奥へ奥へと追いやられています。
今も阿部さんは東北にたくさん住んでいますが、皆さんぼくとくとした感じで、藤原系の佐藤氏とか斉藤氏などに頭があがらない感じの人が多いです。
785日本@名無史さん:2011/12/03(土) 13:03:50.04
鈴木氏や山本氏は東北にはいないの?
786日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:01:24.84
鈴木姓は多いです。
北上川の河口に近くに遠山村(現在は登米市)というところがあって、
平安時代にはこの辺りは蝦夷の支配地でしたが、田村麻呂に討たれ、
藤原氏が滅んだあとは、伊達藩の家臣鈴木氏が住み着いて今でも大きな屋敷が残っています。
江戸時代の初めに伊達氏に伴われて関東から移り住んだようです。
私見ですが、鈴木姓は威張っている人が多いです。w

山本姓もいるにはいますが、少数派だと思われます。
787日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:15:12.71
他の中世豪族系の姓で人口的に多いのは、高橋姓と渡辺姓かな?
東北でも、割合多いほうだな。
788日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:03:11.23
東北の鈴木姓が伊達家の鈴木元信(重信とも)に始まるものだとしたら、そんなに数多くはならないだろう。
やはり関東と同じで、中世以降に熊野三山が熊野御師、熊野比丘尼を使って東日本一帯に広めた熊野勧進つながりによるものだろう。
789日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:06:43.89
東北は、農耕牧畜系の小林・中村・田中が多いのではないのか?
790日本@名無史さん:2011/12/03(土) 22:47:45.94
>>784>>786
威張っている云々はともかく、仙台平野周辺(古来の東北枢要部)のエスニシティ的状況が垣間見えますね。
阿部姓は、一番蝦夷に近い土着姓なのだと思う。諏訪神や鹿島神とは、おそらく関係が無い。
その上に、奥州藤原氏被官由来の佐藤姓が乗っかり(これが最多数派)、さらに鈴木姓が移住して乗っかってくる。
鈴木姓は、大元は熊野信仰由来だけど、もっとも「鈴木さん密度が高い」のは、愛知県豊橋から静岡県浜松にかけて。
(ずばりの名前を持つ某自動車メーカーの発祥地そのものでもある)
前方後方墳文化以来、東日本の太平洋側の文化は、愛知あたりから発祥して、太平洋側を進み、仙台付近で終点となる。
これが、おそらく「東国文化」のプロトタイプで、東海→関東→東北という住民移動が、
古墳時代以来、何層にも上塗りされてきたのが、東国の歴史なのだろうと思う。
791日本@名無史さん:2011/12/04(日) 10:37:04.54
仙台平野が古代東北の枢要部というのは、郡山官衙→多賀城という流れから見てたぶんその通り。

阿倍(安倍)姓は東北には大きく2つの流れがある。縄文云々ではない。
1つは比羅夫(或いは大彦)以来日本海(高志、出羽)側から本州北端部に到り、陸奥国を北側から南下して領域を広げてきた一派(もっとも陸奥国北端部は元来は出羽国管轄領域であり、これも安倍氏の北陸→出羽→陸奥北部進出説を裏付ける)。奥六郡安倍氏はこの流れ。

もう1つは、南陸奥諸国の国造であった丈部諸氏の流れ。彼らは陸奥仙道地域を中心に海道南部、会津の一部までをも勢力下に治めていた。
称徳帝の御世、神護景雲3年に、彼ら南東北の丈部氏の多くが阿倍安積臣、阿倍柴田臣、阿倍会津臣、阿倍陸奥臣と阿倍姓に改姓される。
丈部氏は出雲臣氏流(天穂日後裔)で武蔵国造、相模国造、房総の上兎上国造、下兎上国造、常陸の新治国造など関東一帯の国造の多くが同族である。
中でも重要なのが武蔵国造で、稲荷山鉄剣銘文を素直に読むと、武蔵国造もその元来の祖は阿倍氏ということになり、南東北同様、関東においても阿倍氏と出雲氏との連関(招婿婚による一体化か?)を伺わせる。
そしてこの武蔵国造と奇妙にシンクロしているのが南陸奥の丈部氏→阿倍諸氏なのである。
792日本@名無史さん:2011/12/04(日) 11:31:17.86
東国は濃尾平野からの勢力の扶植がその原型というのは確かに面白い視点ではある。
たとえば、日本武尊が仮に尾張あるいは伊勢の勢力だとすると、その事跡は紀記神話に投影された世界だとも読み取れるからだ。
だが、そんな濃尾地方も、じつは東方進出を果たしつつある大和政権の東方最前線基地であったという観点からすれば、それ(濃尾勢力による東方進出)はある意味当然の視点であるとも言える。

仙台地方が古代東北の枢要地と上で述べたが、それは必ずしも領域内の真ん中に位置することを意味しない。
郡山官衙や多賀城はむしろ蝦夷領域との境界線に近いところに位置していると言える。
のちの胆沢城や徳丹城を見ても、蝦夷征服の過程で常に新たにテリトリーに組み入れた地に政治的中心地を置いていった事実がそこには読み取れる。
これは上述の濃尾地方や、更に言えば中央政権を置いた大和地方にしても同じことかもしれないのだ。
793日本@名無史さん:2011/12/04(日) 12:57:01.03
>>791>>792
>>790です。なるほど。面白いね。その事実は、俺の考え方だと、次のように解釈されると思う。
基本的な考え方から先に述べると、「日本の地方氏族神話は、始祖部分をいじって中央神話に接続される」ということ。
だから、始祖の部分だけは、事実の反映として大変に怪しい。逆に言えば後続する話はかなり信憑性が高い。
地方神話について、記紀と平仄を揃える際、これが一番合理的方法だから。
末裔が目の前にいるのに、全部を書き換えるなんて愚かなことだし、系譜というのは、その性質上、
最も重要なのは始点なのだから、ここさえ書き換えれば、中央神話に簡単に列することになる。
794日本@名無史さん:2011/12/04(日) 13:02:08.95
これを本件に当てはめる。
前者については、阿倍比羅夫・大彦との関連・接続部分だけが脚色。
つまり、「前者の阿部姓」は、古来の土着姓でいいと思うんだ。そして、彼らは「北から南下して来て」いる。
東北日本において、氏族が北から南下するという話は大変に珍しい。おそらくこれは真実だろうと思う。
本当に、(4世紀頃から7世紀にかけて北奥から仙台付近まで南下した)続縄文文化の担い手の氏族名だった可能性がある。
安易な類推は避けたいが、アイヌ語ape(炎)との関係が、確かに気になる。
アイヌ語の古語語形がそもそも学問上分からないので、この類推は妄想の域でしかないことを断っておく。
795日本@名無史さん:2011/12/04(日) 13:08:58.42
では、「後者の阿部姓」はどうか。これは、丈部氏との関連、相武各国の国造との関連までは、仮説として採用可能だろう。
「切り捨てるべき始祖部分」はその先で、相武各国造と「出雲」との関係。
「東国太平洋側の出雲は、諏訪なども含めて、山陰島根県の出雲とは全く関係が無い」と俺は理解している。
これは地理的・考古学的に明らかで、東国太平洋側に島根県の影響は見られないし、地理的にも移動は困難。
東海の「出雲系氏族」は、山陰ではなく「大和三輪山」を故地とする例が大変に多いが、
間がミッシングリンクになっていて、多分ここも始祖脚色だろうと思う。本当に東海土着なんだろうね。
さらに、「天穂日命」が出てきたら、濃尾平野と即答してかまわないと思う。今なお尾張一宮真清田神社の祭神。
ということで、武相国造は東海起源で、箱根を越えて南西側から関東平野に入った。
(箱根でなく碓氷から入った東海系氏族は毛野系になる。毛野と武蔵の関係はかなり厄介だが、ここでは措いておく)
彼らと同族がそのまま中通りに入って、丈部氏になり、阿部に改姓した。これは>>790の例そのままだ。
796日本@名無史さん:2011/12/04(日) 13:57:31.33
それから、「地理的枢要」と「地理的中央」の関係については、概ね同意。
議論をもっと拡張すれば、フロンティアに限らず、大和朝廷の所在地近畿地方(奈良盆地)それ自体が、
「西南日本の東端部」というポジションにある。西南日本の「中央」というのなら、岡山(吉備)あたりだろう。
フロンティアに限らず「枢要部が端っこにある」というのは、ごくありふれたこと。
そして、その場合、「その端っこと相対する異勢力」との交流関係が、枢要部を枢要たらしめている鍵になる。
797日本@名無史さん:2011/12/04(日) 17:04:00.66
阿閉使主事代

↑ググレ
798日本@名無史さん:2011/12/04(日) 22:55:04.72
しかし、東北地方の住民の主流は、鎌倉時代以降に関東を追われた落武者ではないかと思うのです。
仙台周辺にも平氏の落人とされる村はいくつもあり、また同じ平氏系だけれど鎌倉御家人だった千葉氏も多いです。
そのほか、鎌倉幕府の御家人としては、安達氏、梶原氏、三浦氏、及川氏も多いです。
さらには、伊達氏も関東から伊達郡、岩出山と移ったわけだし、秀吉の仕置きで東北で帰農した北条氏系の戦国武将も多いようです。

ですから、東北の原住民とはいったいだれなのか?わからない状態です。
799日本@名無史さん:2011/12/06(火) 01:04:37.56
>>784
そんじゃあ、もののけ姫のアシタカは、奥州安倍氏で、名の由来は、長脛彦の捩りか?
800日本@名無史さん:2011/12/07(水) 08:26:10.23
>>799

12749位 芦高 約480名 吉備の名族、作州古城記に見える。現在、香芝市など奈良県に多い。
http://www.myj7000.jp-biz.net/9999/99015.htm

↑アシタカさん。
801日本@名無史さん:2011/12/07(水) 08:28:38.46
14983位 足高 約370名 清和源氏新田氏族由良氏流、藤原氏道兼流八田氏族など。現在、関西地方に多い。

http://www.myj7000.jp-biz.net/9999/99015.htm

↑アシタカさん。
802日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:49:42.82
>>801
なーんだ
俺の故郷地名かい
洲本市由良
和歌山県由良も在るね。
清和源氏の新田は、河内源氏にも居たかな?
清和が河内源氏だったっけ?
河内源氏なら和歌山県境泉州までが諸領地だったから、紀氏族も絡んでそう。
家は、父:安倍の血絡みの源氏長者渡辺松浦諸流
母の旧姓が、清和源氏小笠原大西姓。
803日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:53:08.97
>>800
吉備津彦の吉備氏って岡山県だったよね。
804日本@名無史さん:2011/12/08(木) 01:57:12.36
そして、家の家紋は、ずーと昔に亡くなった祖母の出石家の家紋の五三の桐。
805日本@名無史さん:2011/12/08(木) 06:07:18.39
蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年?(562年?) -
舒明天皇13年10月20日?(641年11月28日?))は飛鳥時代の皇族。崇峻天皇の第三皇子。

概説

崇峻天皇5年(592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、
蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向った。
そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、
八人の乙女が笛の音に合わせて踊っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。
八乙女浦という地名は、その時の八人の乙女に由来する。蜂子皇子はこの後、
海岸から三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われている。

羽黒では、人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、能除大師と呼ばれる様になった。
現在に残されている肖像画は、気味の悪いものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。
出羽三山神社にある皇子の墓(東北地方で唯一の皇族の墓)は、現在も宮内庁によって管理されている。

系譜
父:崇峻天皇
母:大伴小手子姫(大伴糠手の娘)
姉妹:錦代皇女

経歴
562年(欽明23年)- 誕生。
585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。
593年(推古元年)- 由良の八乙女浦の海岸にたどり着き、羽黒山を開山。3年間崖下の岩窟で修行。羽黒修験の元になったと言われる。引き続き、月山も開山した。
605年(推古13年)- 湯殿山に湯殿山神社を建てる。
641年(舒明13年)- 羽黒で死去(享年80)。享年は91とする説もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E5%AD%90%E7%9A%87%E5%AD%90
806日本@名無史さん:2011/12/11(日) 18:24:30.85
>>802
>清和源氏の新田は、河内源氏にも居たかな?
>清和が河内源氏だったっけ?
>河内源氏なら和歌山県境泉州までが諸領地だったから、紀氏族も絡んでそう。
>家は、父:安倍の血絡みの源氏長者渡辺松浦諸流

松浦バカさん、もうちょっと勉強して書き込んでください
807日本@名無史さん:2011/12/13(火) 07:59:20.13
>>806
ネットストーカーさんエンジン全開だねぇw
808日本@名無史さん:2011/12/15(木) 15:09:57.72
教えていただきたいのですが、
安倍姓○○氏と表記されているのはどういう意味なのでしょうか?
809日本@名無史さん:2011/12/15(木) 18:02:08.83
流れ見ずに書き込むけど、
源姓足利氏とかそういった意味なんじゃないの?
810日本@名無史さん:2011/12/15(木) 18:06:28.25
>>809
流れてないのでOKw

で、それはどういう意味なの?
安倍さんとこに仕えている○○さんみたいな感じ?
811日本@名無史さん:2011/12/15(木) 18:08:00.42
>>809
安倍さんを先祖にもつ○○さんってこと?
812日本@名無史さん:2011/12/15(木) 21:09:22.98
源姓渡辺氏。
源姓渡辺分流松浦氏。
または、安倍姓松浦氏。
渡辺党
源氏帰属松浦党=平氏帰属安倍水軍とか・・
813日本@名無史さん:2011/12/15(木) 21:37:47.08
姓は本姓(氏)っていう意味だよ。

源姓足利氏
平姓大掾氏
藤姓小山氏
橘姓楠木氏
etc

814日本@名無史さん:2011/12/15(木) 21:53:56.03
>>812
ミドルネームみたいにどんどん繋がってくってこと?
815日本@名無史さん:2011/12/15(木) 23:21:29.28
>>812はスルー推奨

すごーくおおざっぱに言えば
安倍氏の一族の○○さん
ってことだから>>811の理解が近いと思う

816日本@名無史さん:2011/12/15(木) 23:28:48.19
>>815
ありがとー

817日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:08:41.89
おまえ..なんか、偉そうできらいだわ 
818日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:09:07.91
おまえ..なんか、偉そうできらいだわ 
819日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:24:19.41
>>815は、人間的配慮欠落した、典型の文系あたまだから生理的に嫌いだわぁ
820日本@名無史さん:2011/12/17(土) 23:19:10.88
>>817-819
ネットストーカーさんエンジン全開だねぇw
821日本@名無史さん:2011/12/18(日) 18:16:18.72
>>806>>815>>820と、確認出来た。
だから、ココを荒らしてるのが、どちらかわかるよね。
君だよ君。
ストーカーで荒らすのいい加減辞めとけよ。
対して、知識もないのに
何か、言いたい史実有るなら、語ればいいが、何にも、語らず、揶揄のストーキングばかりでは、程度が知れてる。
822日本@名無史さん:2011/12/18(日) 22:19:18.52
>>821
↓もたいした知識もなく書かれているのだがw

>清和源氏の新田は、河内源氏にも居たかな?
>清和が河内源氏だったっけ?
>河内源氏なら和歌山県境泉州までが諸領地だったから、紀氏族も絡んでそう。
>家は、父:安倍の血絡みの源氏長者渡辺松浦諸流
823日本@名無史さん:2011/12/19(月) 23:24:42.61
>>802
清和源氏新田氏族由良氏は上野国新田庄由良郷が名字の由来で
淡路や紀伊の由良とは関係ない

清和源氏は、本来は清和天皇の皇孫で源姓を与えられた諸王の後裔氏族の総称だが、
経基王(源経基)の子孫が武勇で名を挙げておおいに繁栄したため、
経基流が清和源氏を代表する存在として語られることが多い

河内源氏は、経基の孫の頼信が河内に本拠地を構えたことに由来するので
概念としては、清和源氏>河内源氏となる

新田氏は、頼信の孫の義家の子である義国が下野の足利を本拠として足利氏の祖となり、
ついで義国の子の義重が上野国新田を本拠として生じたもので、
強いて言えば上野源氏であり、河内源氏ではない

源氏長者はあくまでも個人に下されるものだから
「源氏長者渡辺松浦諸流」などという言い方はしない
「嵯峨源氏渡辺氏族松浦氏」とか「嵯峨源氏融流渡辺氏族松浦氏」などが適当



824日本@名無史さん:2011/12/20(火) 09:39:26.85
>家は、父:安倍の血絡みの源氏長者渡辺松浦諸流
っていうかここまで行くと、その辺のただの人だろう
825日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:09:41.77
>>824
氏族は、氏族だろう。
うんうん
826日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:11:40.26
松浦氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%B0%8F
明治天皇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
明治天皇の生母。
中山慶子(旧姓:松浦愛子)中山慶子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%85%B6%E5%AD%90
秋篠宮妃 紀子様(旧姓:川嶋紀子)の家系図によれば、曾お爺さんは、松浦平吉だそうです。
http://stat.ameba.jp/user_images/4e/86/10010550547.gif
源氏始祖だから全ての源氏の親みたいなもんだって事。

藤原基経 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%9F%BA%E7%B5%8C

元慶8年(884年)、基経は天皇の廃立を考え、仁明天皇のときに廃太子された恒貞親王に打診したが、既に出家していた親王から拒否された。
そこで仁明天皇の第三皇子の時康親王が謙虚寛大な性格であったので、これを新帝と決めた。
時康親王の母は藤原総継の娘・沢子で、基経の母・乙春とは姉妹であり、基経は時康親王の従兄弟にあたる。
公卿を集めて天皇の廃位と時康親王の推戴を議したところ、左大臣源融(嵯峨天皇の第12皇子)は自分もその資格があるはずだと言いだした。
基経は姓を賜った者が帝位についた例はないと退け、次いで参議藤原諸葛が基経に従わぬ者は斬ると恫喝に及び、廷議は決した。
公卿会議の決定を持って、陽成天皇に退位を迫った。孤立した年少の天皇に、抗する術はなかった。
827日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:15:25.44
訂正。
>秋篠宮妃 紀子様(旧姓:川嶋紀子)の家系図によれば、曾お爺さんは、松浦平吉だそうです。
http://stat.ameba.jp/user_images/4e/86/10010550547.gif

秋篠宮妃 紀子様(旧姓:川嶋紀子)の家系図によれば、曾々お爺さんは、松浦平吉だそうです。

828日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:30:08.85
名字の由来
http://office-maeta.jp/office/contents/060828.htm
■ 嵯峨源氏の起り
桓武天皇の次の嵯峨天皇は皇子と皇女を合わせて32人の臣籍降下を行ったが、これら全てに「源」の名字を与えた。
これが嵯峨源氏の始まりであるが、ではどうして源という名字を与えたか?
それは中国の北魏の太武帝が同族の河西王の子「賀」を西平侯に任じた時に、「卿(あなた)と朕(わたし)とは家系の源が同じである。
そこで今より源を氏とせよ」と言って源姓を与えたのに倣った。
佐賀源氏を遠祖する名字:  渡辺(摂津国西成郡渡辺村)・松浦(九州肥前)・宇久・五島(長崎五島列島福江島)
829日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:36:42.42
愛新覚羅溥傑 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%96%B0%E8%A6%9A%E7%BE%85%E6%BA%A5%E5%82%91

                    中山忠能
                       ┃
           ┏━━━━━━┫
孝明天皇===慶子     中山忠光
        ┃            ┃
      明治天皇         仲子===嵯峨公勝
        ┃            ┃
      大正天皇      嵯峨実勝
        ┃           ┃         ┏━━━━━━━┓
      昭和天皇        浩===愛新覚羅溥傑   愛新覚羅溥儀
        ┃             ┃
        ┃          ┏━┻━┓
      今上天皇       慧生  ?生
830日本@名無史さん:2011/12/21(水) 01:46:51.81
訂正2
明治天皇の生母。
中山慶子(旧姓:松浦)中山慶子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%85%B6%E5%AD%90

中山慶子さんの母が松浦愛子さんです。
831日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:07:10.90
>>826
>明治天皇の生母。
>中山慶子(旧姓:松浦愛子)中山慶子

大嘘つき!
中山慶子には「旧姓」などなく、生まれた時から中山慶子
832831:2011/12/21(水) 02:08:23.18
あ、訂正はいってたのね
ごめんなさい
833日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:15:39.48
>>832
いえいえ
ぺディアには、系図が無かったので、何度か読み解かないと語弊し易いから、ついやっちゃってて・・
因みに、家は、松浦出身の島谷氏のようです。
834日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:19:38.38
島谷市左衛門と島谷太郎右衛門親子
1/3

徳川3代:家光の幕命で、父の造った建造船(富国寿丸)で、小笠原探検調査の巡検士隊隊長を勤めた。

硫黄島と小笠原をめぐる日米関係
http://books.google.co.jp/books?id=Oo5kNWBv2dQC&pg=PA522&lpg=PA522#v=onepage&q&f=false
島谷市左衛門で検索。
http://www.weblio.jp/content/%E5%B3%B6%E8%B0%B7%E5%B8%82%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
http://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E8%B0%B7%E5%B8%82%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-2.html
文久年間の小笠原島開拓事業と本草学者たち
一小野苓庵(職愨)・宮本元道・井ロ栄春・栗田万次郎・阿部櫟斎一
http://rnavi.ndl.go.jp/bibliography/tmp/49-03.pdf
The Meiji Restoration FAQ|軍事板常見問題&良レス回収機構
http://mltr.ganriki.net/faq04.html#establishing
※目次「◆維新後」、最下段の【質問】 小笠原諸島の日本帰属が決まるまでの顛末を教えられたし.をクリック。
小笠原の呼称がおかしい-吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/2021
ジョン万資料室 鳥島漂流史
http://john-mung.com/shiryo/torishima.html

835日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:20:27.16
2/3

中高年・シニアの連載小説を楽しむ来た-北の徳内-先代
http://www.e-yuyu.com/kitanotokunai/kita_07.html
行動の人・最上徳内、城山来る。
http://park19.wakwak.com/~hotaru1/mogamitokunai.html
最上徳内(島谷房吉→高宮元吉→島谷元吉→最上徳内)
http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/mori-senzou01.html
嵯峨源氏筋の島屋(島谷宗家筋)と芝五郎の逸話をネットで観た・・。
〇1868年頃の幕末、薩長軍に追われて、下北半島:野辺地の島屋呉服店にて(旧姓:柴五郎)島谷清五郎を名乗り、田名部にて、旧姓に戻り、会津藩士発の陸軍大将を栄達。
日本周遊紀行?紀行(33)野辺地 「或る旧会津藩士」
http://orimasa2005.blog101.fc2.com/blog-entry-44.html
斗南
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub4tonami.htm

水戸藩 島谷吉兵衛 能シテ方
http://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E8%B0%B7%E5%90%89%E5%85%B5%E8%A1%9B
福井県史?年表(1841〜50年)1849?嘉永2???大野藩,泉州堺の銃工島谷与吉を鉄砲師として召し抱える〔土井家文書〕.
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/nenpyo/rekishi/chrn38.html
島谷汽船社長宅(現三箇宅)
http://otaru-journal.com/prologue/tatemono/page72.htm
「函館市史」通説編3 5編2章4節4-8島谷汽船(株)
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_03/shishi_05-02/shishi_05-02-04-04-08.htm
海軍報国号献納機調査(1〜999)211 ?島谷汽船號?九六艦戦?S13.12.10?大阪盾津陸軍飛行場?島谷汽船株式会社 島谷武次?海の荒鷲奮戦録、絵葉書
http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Houkokugou_List1.html
財団法人?印刷図書館 コレクション紹介?No.?題名島谷汽船ポスター年代?昭和7年?印刷方法オフセット印刷?製版方?法写真プロセス?原作者?エアーブラシュ?印刷所?精版印刷
http://www.print-lib.or.jp/collection/colle_n031.html
836日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:21:21.25
3/3

なだいなだ?-?Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%A0
筑摩書房?夢をみた海賊?-?なだ?いなだ?著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480023278/
猫と海賊?ボニンブックストア〜小笠原諸島の本のことなら〜
http://bonin-bookstore.seesaa.net/article/3141992.html
【第359号】「長崎の海と船展」(長崎市歴史民俗資料館)
http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol359.html
県立長崎図書館だより/いしだたみNo.148/2005?年7月?-3ページ-下段
http://www.lib.pref.nagasaki.jp/service/pdf/ishi148.pdf
なだいなださんの話では、島谷市左衛門は、源氏長者の光源氏=源融→枕草子の渡辺綱筋の嵯峨源氏渡辺氏分流松浦党出身だそうです。

沖ノ鳥島関連年表(〜1900年)
16754-29~8-3?(延宝三・四‐五〜六‐一二)?島谷市左衛門が小笠原群島を探検。
1692竹島一件(~1696.?鬱陵島をめぐる日朝間の領土紛争)。
1722春?山田治衛門が小笠原群島の探検を幕府に具申。
1727小笠原貞頼の子孫を自称する小笠原宮内貞任が小笠原群島への渡航許可を幕府に申し出る。
1734(享保一八・一二‐)?小笠原貞任の一族が小笠原群島を探険に向かい消息不明となる。
1735(享保二〇・一‐)?小笠原貞任が詐欺師として重追放に処せられる。
http://homepage3.nifty.com/boumurou/island/sp01/chronicle0000.html
小笠原 貞頼?-?Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%B2%9E%E9%A0%BC

小笠原?貞頼(おがさわら?さだより)は、安土桃山時代の武士。通称は、彦七郎・又七郎、民部少輔。徳川家の家臣で、小笠原諸島を発見者と伝えられる。父は小笠原長隆で、信濃国領主の小笠原長時の孫(曾孫説もあり)、深志城(松本城)城主・小笠原貞慶の甥にあたる。
貞頼の生涯には不明瞭な点が多く、実在した確証にも乏しいことから、子孫の小笠原貞任によって創作された人物ともされる。
837日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:28:13.39
ついでに言うと、母は、旧姓:大西で
名字の由来
http://office-maeta.jp/office/contents/060828.htm
■ 甲斐源氏の武田氏
源義光は常陸介の後に甲斐守に昇進し、甲斐の国に赴任した。
義光の次男義清は常陸国那珂郡武田(茨城県勝田市)に住み武田冠者と呼ばれたが、甲斐国に配流され、その子の清光が辺見庄(北巨摩郡)に住んで辺見氏を名乗った。
清光の次男信義が武河庄武田(韮崎市)に住んで甲斐の武田氏の始祖となった。
信義の甥の長清が中巨摩郡小笠原に住んで小笠原氏を称し、長清の弟の光行は中巨摩郡南部に住んで南部氏を名乗った。
小笠原氏は後に信濃国深志(長野県松本市)を本拠とし、その後明石から小倉に移封され幕末を迎える。
南部氏は光行が頼朝の奥州ぜめの勲功で陸奥国北部を与えられ、後に盛岡を本拠地とした。
※ 小笠原氏は後に小笠原諸島を発見し、小笠原諸島の語源とされる。

香川県 大西 田中 高橋 山下 山本 大西は小笠原一族の大西家に由来する。
の大西のようですので、小笠原諸島を発見者小笠原氏と小笠原諸島を探検した島谷の間の子が私のようです。W
838日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:34:10.80
案外、私にネットストーキング行為してるのは、この、小笠原氏の人間・・家の母方臭いですW
839日本@名無史さん:2011/12/21(水) 02:47:45.14
東宝の代表取締役社長。
14代目:2011年 島谷能成氏

阪急阪神東宝グループとは・・
第二次世界大戦がはじまると、戦時統制の一環として小規模企業を整理・統合する戦時企業統合が始まり
内閣情報局の指示によってこれがさまざまな分野で進められていった。
映画業界でも1942年、新興キネマ・大都映画・日活製作部門を軸とした合併が行われ
1942年、新興キネマ・大都映画・日活製作部門を軸とした合併が行われ
「大日本映画製作株式会社」(大映)が誕生。
東宝、松竹、大映3社体制が成立した。
文化放送、ニッポン放送と共にフジテレビジョンを開局。
840日本@名無史さん:2011/12/21(水) 03:23:37.52
エイベックスグループ社長
松浦勝人
エイベックス所属
松浦亜弥
島谷ひとみ
841日本@名無史さん:2011/12/21(水) 08:29:50.78
ZARDの坂井泉水=蒲池幸子
松田聖子=蒲池法子
842日本@名無史さん:2011/12/21(水) 12:40:51.39
安倍晋三
843日本@名無史さん:2011/12/21(水) 22:17:35.10
1/2
#797 
なな 2000/04/28 22:20
嶋谷市左衛門について調べました!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/bbs/kakolog/log8.html

私は江戸時代後期のことなら少しは分かるので。
幕命で探検などした人は、よく帰還後に幕臣に取り立てられたりするでしょう?
よって「寛政重修諸家譜」なら手がかりがあるかと思ったの。ところがどっこい、無かった。
で、このままでは図書館に来た意味がなぁ〜い!と、棚にあった資料に当たってみたのです。

「長崎県大百科事典」

●島谷市左衛門 しまや いちざえもん ?〜一六九〇(元禄三)
 泉州堺の人。江戸時代前期の探検家。オランダ人カスパル・スハルベルヘンによって遠近法
 測量術を伝えられた長崎奉行所与力・樋口清右衛門から「規矩元法」の伝授を受け、島谷流
 航海術に優れる。一六六九年(寛文九)末次平蔵の命で唐船を模した船を造り江戸に回航した。
 一六七五年(延宝三)幕命を受けて代官・伊奈忠易らを乗せて伊豆下田を出港し、小笠原諸島
 を調査・探検し珍獣、奇木を持ち帰り将軍に献上した。
   
●末次平蔵政直 すえつぐへいぞうまさなお 長崎代官を務めた朱印船貿易家。
●末次船絵馬 現在は長崎市歴史民族資料館に寄託。
●スハンベルヘン 出島商館外科医。

●航海術
 ・・・また島谷市左衛門定重は一六七〇年(寛文十)『オランダ系航海術』を著した。
 その子孫の島谷市左衛門尉父子は一六七五(延宝三)小笠原諸島探検を行った。彼らが長崎と
 かかわりがあったと考えられるのは、一六八八年(元禄元)徳川光圀が蝦夷探検を試みた際、
 長崎からアストロラーベ(天文観測儀)をはじめとする天測具や磁石、海図の類を取り寄せ、
 航海家・崎山市内を船頭にしていることから判断でき、当時わが国でも西洋式航海術が細々
 ながら存続していたことが知られる。
           
844日本@名無史さん:2011/12/21(水) 22:19:28.90
2/2

……以上から判るのは、まず長崎の人ではないということ。一介の漁師でもない。
島谷という名字を持ち、いみなを持つ、それなりの家柄。そして興味深いのは親子代々
通称を市左衛門と名乗ってきたらしいこと。「島谷市左衛門」は一人ではなかった!(笑)

江戸時代以降の島谷家については、崎山市内〜徳川光圀〜水戸藩のラインで調べられそうです。
ただ一人、幕臣・伊奈忠易は「寛政諸家譜」にありまして、これも縁というものでしょうが、
この人の後妻が水戸家臣の娘だったりするのです。あとは「島谷流航海術」について洗うこと
ですね。倭寇とのつながりなら、なにか思いがけないこぼれ話にぶるかるかもしれませんよ。
で、「泉州」と出たところでちょっとゾッとする偶然を……。

「姓氏家系大辞典 第二巻」

●島谷 シマヤ シマタニ
 泉州の名族にこの氏あり。河盛仁平の女婿を島谷安三郎という。
 また銀座由緒書に「平銀見役、島谷八之助、島谷八次郎」等見え、また伊勢、志摩にも存す。

……この島谷氏について調べられれば、時代的に松浦党との接点も見つかるかもしれませんね。
今回はこれ以上調べていませんが、上記の島谷姓三人の素性も手がかりになるかもしれません。
なんだかだいっても江戸時代の史料じゃないのよね。現代の、よくある一般的な本じゃぁ〜ん!

この掲示板の書き込みが、ルーツ探しの切っ掛け。
845日本@名無史さん:2011/12/21(水) 22:39:42.08
叢文閣書店 大道 剣聖 島谷八十八先生
http://sobunkaku.jimbou.net/catalog/product_info.php/products_id/28872
武道の教育力 ―満洲国・建国大学における武道教育―
http://www.gaku-jutsu.co.jp/article/13232825.html
島谷八十八 しまたに やそはち − 剣聖。
巡査から剣道範士となり、旧制郡山中学の嘱託教授として全国制覇の功績がある。
http://elkings.sakura.ne.jp/jinbutu/jinbutu-s.htm
島谷八十八についてのエピソード
剣聖小川金之助とこのちゃんの欄
http://www.geocities.jp/konoejsr/profile-kiokunonaka3.html
846日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:27:27.61
三井寺=園城寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%9F%8E%E5%AF%BA
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)
http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htm
三井寺>連載>新羅神社考>京都府の新羅神社(1)
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/122.htm
三井寺>連載>新羅神社考>京都府の新羅神社(3)
大宮売(め)神社(周枳の宮―祭神天鈿女(あめのうずめの)命・豊受大神)の宮司・島谷氏に教示を受けた。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/124.htm
大宮姫命稲荷神社
http://www.genbu.net/data/yamasiro/oomiya_title.htm
伏見稲荷大社
御祭神
宇迦之御魂大神
配祀 佐田彦大神 大宮能賣大神 田中大神 四大神/四ヶ辻 荒神峰 田中社 猿田彦神
http://www.genbu.net/data/yamasiro/fusimi_title.htm
松浦-波多-鴨打-木島
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01053b.htm#004
木嶋坐天照御魂神社
http://www.genbu.net/data/yamasiro/konosima_title.htm
木島谷
木島谷の総社 森稲荷神社
http://machikomi.zaq.ne.jp/view/kaizuka/334/36724/
http://nttbj.itp.ne.jp/0724460866/index.html
山口県神社庁
河内神社 0827-96-0744 夏祭 島谷神社御神幸祭・七月第二日曜
http://www.yamaguchi-jinjacho.or.jp/list2.php?mode=next&st_no=0&key=select+saiten.*+%2C+jinja.hyouzi_flg+%2C+jinja.patten+%2C+jinja.tel_no+from+saiten+inner+join+jinja+on+saiten.jinja_cd+%3D+jinja.jinja_cd+&p=1
父島 大神山神社|と金日和−Step by Step−
鎮座地:東京都小笠原村父島東町105番地
ご祭神:天照皇大神(アマテラスオオミカミ)・誉田別命(ホムダワケノミコト)・天児屋根命(アマノコヤネノミコト)の三柱神に天之御中主命(アメノミナカヌシノミコト)・大物主命(オオモノヌシノミコト)を合祀
http://ameblo.jp/tokinbiyori/entry-10646224805.html
847日本@名無史さん:2011/12/21(水) 23:36:01.19
これが、家の氏族たる由縁です。
848日本@名無史さん:2011/12/22(木) 10:43:02.55
>>790-796
この辺の考えは一般的なものですか?
色々読んでいるうちに、漠然と思い描いたのと概ね一致しててビックリです。

大和ってのはもっとファジーな存在で、西端と東端が前線ってことで注視されているだけなのでは。
邪馬台国って九州から奈良ぐらいまでを統治したというより、東の前線が通過してきた道というような
感じなのではないか?
そして、時間感覚を当時のものに置き換えて考えると、戦争というよりも、和合しながら前線が進んで行くようなイメージ。
新しい技術をもと人たちが、徐々に農地を広げながら、先住民と合体して何百年とかけて、
畿内辺りに到着し落ち着いた。
畿内で始めて抵抗勢力(長髄彦)が登場し、しばし東進が止まったのかも。


849日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:56:45.97
>>839
松竹系的には
ガンダムは、島谷市左衛門親子の史実で(富国寿丸=ガンダム)
東宝系的には
マクロスは、松浦党視点で源平合戦から元寇がモチーフに解釈出来るね!w
850日本@名無史さん:2011/12/24(土) 11:07:18.49
>>839
クロスボーンガンダムもマクロスクォーターも
正規軍から一時的に抵抗勢力の海賊化してるしね‥
851日本@名無史さん:2011/12/24(土) 11:07:39.55
山陰地方には「嶺」(レイ、アムロレイのレイ)という苗字がある。

出雲には美談姓がある。(カミーユビダンのビダン)

阿倍氏族概観
enjoy.pial.jp/~kokigi/keihu/.../abe1g.htm
塩冶〔塩谷〕−出雲佐々木氏の宗族、神門郡塩屋に起る。野木〔乃木〕、乃白〔野白〕、 出雲、美談、馬田、富田、 ...
852日本@名無史さん:2011/12/24(土) 11:09:50.32
松浦党の話でなんだけど、富野、大河原って児玉党の苗字だよね。
松浦党と児玉党ってどうなの?

児玉党党祖の先祖はニギハヤヒだけど。
853日本@名無史さん:2011/12/24(土) 11:15:07.54
Zガンダムのエゥーゴも平清盛側近時代の松浦党=安倍水軍みたいだな
854日本@名無史さん:2011/12/24(土) 11:23:03.84
>>852
確か、接点あったと記憶してるんだが‥思い出せない
また、分かり次第レスする。
855日本@名無史さん:2011/12/24(土) 15:28:21.58
孝明天皇も側室を持てたにもかかわらず男子は一人だったのか。
その明治天皇も子は大正天皇だけ。
天皇家はもう何代も危ない橋をわたってきたのだ。
856日本@名無史さん:2011/12/25(日) 01:03:56.57
まつろわぬ神とは松浦氏のことだろう。
大和朝廷成立後も松浦氏は朝廷に逆らって反乱を起こしたのだ。
857日本@名無史さん:2011/12/25(日) 01:14:14.02
まつろうで恭順するって意味だろ。
まつろ国に由来する苗字だからむしろ
進んで恭順したと思う。
858日本@名無史さん:2011/12/25(日) 16:56:33.78
>>852
児玉党 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E5%85%9A
武蔵七党の一つとして数えられる児玉党は諸々の武士団の中では最大勢力の集団を形成していた。

氏祖は、藤原北家流・藤原伊周の家司だった有道惟能が藤原伊周の失脚により武蔵国に下向し、その子息の有道惟行が児玉党の祖となった有道氏である。
また「有」とは、有道氏の略称として伝わる。

元寇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
対馬・壱岐の状況が博多に伝わり、京都や鎌倉へ向けての急報が発せられる。日本側は少弐氏や大友氏を始め、九州の御家人を中心として大宰府に集結しつつあった。
「八幡愚童訓」によれば少弐・大友氏、臼杵、戸次、松浦党、菊池、原田、小玉党、神社仏寺の司まではせ集まり、大将クラスの人物が十万二千余騎、一般兵と合わせると、「何千万騎と云うことを知らず」とあり、相当な誇張で日本軍の様子を伝えている。

・元寇の時に、共に行動してたんだな。
>>856
まつろわぬ神とは松浦氏のことだろう。
大和朝廷成立後も松浦氏は朝廷に逆らって反乱を起こしたのだ。
神武天皇筋の古代松浦氏や
孝元天皇筋の古代波多氏と、嵯峨天皇筋の松浦氏や松浦波多氏とは、血の接点、系譜では、直接繋がり在りませんよ。
古代松浦氏自体、ネットに系譜up無いし、古代波多氏は、安倍氏経由で嵯峨源氏渡辺松浦氏の婿養子と言う形で安倍宗任筋の血が継承あるだけ。
古代松浦氏とは、血の繋がりの裏づけ自体なしです。
系譜の説明では、嵯峨源氏筋松浦氏の語源の由来は、末羅国時代の佐賀の古代地名からとされてます。
859日本@名無史さん:2011/12/25(日) 19:39:07.55
まつろ・わぬ
末盧・倭奴

松浦=委奴

漢委奴国王印 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/漢委奴国王印
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、
日本で出土した純金製の王印(金印)である。 ...

860日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:04:48.50
>>859
そうなんだぁー
小学校の社会科で習った、金印って、あの土地なんだね。
大彦の桃太郎伝説。
安倍氏の竹取物語。
嵯峨天皇-源融の源氏物語。
渡辺綱の酒天童子退治の枕草子物語。(渡辺綱の愛刀、現存する名刀:鬼切安綱。源頼光の愛刀:童子切安綱と対)
松浦(安陪)太郎高俊の壇ノ浦の合戦
島谷市左衛門と島谷太郎右衛門親子の小笠原探検(日本で最初の冒険家。)
最上徳内=高宮元吉=島谷房吉のアイヌとの交渉相談役、北海道測量。
家のルーツは、日本権主って感じだな。
ニッポニアニッポンって感じかなW
861日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:07:14.68
鬼切安綱 - 名刀幻想辞典
http://meitou.gob.jp/index.php/%E9%AC%BC%E5%88%87%E5%AE%89%E7%B6%B1
童子切安綱:大原安綱作。
鬼切安綱:大原安綱作。鬼切國綱と改銘
鬼丸国綱:国綱作。

※大原安綱作刀は、童子切安綱と鬼切安綱(國綱改銘)
※新田義貞が所有したのは鬼丸国綱と鬼切安綱(國綱改銘)
862日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:11:36.44
>>861の追記。
鬼丸国綱との混同  
?北野天満宮所蔵のこの鬼切安綱は、大原安綱の作だが現在は銘が改変されており、「國綱」と切り直されている。鬼切"丸"国綱。
?北野天満宮によれば、「鬼切と号する太刀で、当初「安綱」と刻銘してあったが、後代に安の字に字画を加えて「國綱」にしたと伝えられる。源氏の重宝として最上家に伝来し、のち有志者より当宮へ奉納された。」という。
?このため、国綱作の鬼丸国綱と混同される場合がある。

最上家ってWW
863日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:13:52.76
鬼切安綱は、最上徳内とも関わってるのかねぇ?
864日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:26:44.00
>>862
頼朝幼少期に、鬼切安綱を鍛冶屋に手渡し、清盛に分からないように隠した時の経緯のようですね。
865日本@名無史さん:2011/12/30(金) 01:32:42.62
清盛が鬼切安綱が無いとと、必死に血眼に探してた代物。
鬼切安綱を手に入れないと、真の支配移行とは言えないと言うエピソードがあったね。
綱の愛刀が権威の象徴だったんだね。
866日本@名無史さん:2011/12/30(金) 08:42:06.33
>>860
桃太郎は秦河勝だろ。雉、猿、犬は新羅構成三部族。
以下ソース。

新羅人(弁辰人)は雉トーテムが最上位で、猿、犬トーテムが続くという民族なのです。
これは呉人(雉トーテム)の堂谿氏が首長で、祝融を祭る楚人(猿トーテムのトゥチャ族)が続き、
最下位に長身で多数派の房人(羌族系、犬戎)がいると推定した堂谿の民族構成にそのまま当てはまっています。
http://www.eonet.ne.jp/~temb/5/kika_4.htm

↑これの最上部に秦氏・秦河勝=桃太郎。

桃太郎といえば岡山県。

岡山の礎を 築いた三宅氏を語ろう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1322481898/
867日本@名無史さん:2011/12/30(金) 09:00:06.93
楚人は、《楚辞》の中では、土家のような北方系言語を使っていないのだが。。。
土家は、猿トーテムであっているけど、祝融ではなく神農だ。
彼らは楚の構成員ではなく、白蘭みたいな北方の氐系言語なので、吐蕃興隆期あたりの侵入者だ。

「長身で多数派の房人」なんて、秦の時代にならないと
嶺南地方の南海郡・桂林郡・象郡には、植民されてい。
堂谿は、呉越とは関係なく、もともと黄河にいて南に行って戻ってきたとは思えない。

なんか突っ込みどころ満載。>>866
868日本@名無史さん:2011/12/30(金) 10:42:11.35
四天王 (通称) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B_(%E9%80%9A%E7%A7%B0)
四道将軍 - 名刀幻想辞典
http://meitou.gob.jp/index.php/%E5%9B%9B%E9%81%93%E5%B0%86%E8%BB%8D
四道将軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E9%81%93%E5%B0%86%E8%BB%8D

頼光四天王 - 名刀幻想辞典
http://meitou.gob.jp/index.php/%E9%A0%BC%E5%85%89%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B
渡辺綱 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%B6%B1
摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話で有名。謡曲『羅生門』は一条戻り橋の説話の舞台を羅城門に移しかえたものである。
869日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:09:16.93
>>866-867
桃太郎とは、1人ではないですよ。
吉備津彦を筆頭にした四道将軍たち=桃太郎ですので、
犬、猿、雉は、途上で合流したり、雇ったり現地調達した軍隊です。
870日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:17:39.77
>>866
桃太郎とは、時の朝廷から勅命を受けた四道将軍たちで、
犬、猿、雉軍は、四道将軍たちに雇われ傭兵です。
871日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:21:55.43
>>866
岡山県美作の地は、吉備津彦の出身地だから桃太郎伝説が、色濃い残り
神社も在るのですよ。
872日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:41:32.66
因みに、三宅氏は、四道将軍の1人、大彦命の三男筋の波多武彦命の子孫。
大彦命の嫡子筋が奥州安倍氏。
その大彦命の三男筋の波多武彦命の血筋を、古代波多氏とも言えるね。
873日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:47:40.04
でも、その大彦命の三男筋の波多武彦命の血筋を、古代波多氏として、惟宗氏の秦氏とは、系譜で繋がりが無い。
惟宗秦氏の系譜は、秦の始皇帝とリンクする渡来系譜ですからね。
874日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:02:08.78
まあ、初代神武天皇から8代孝元天皇を、天孫降臨の天津神同様
渡来系譜とすれば、新羅経由秦氏と同族とで、波多武彦命の名の由来も合点が
ゆくが・・・
875日本@名無史さん:2012/01/06(金) 12:37:37.36
なんだぁ、誰もレスしないのか?
876日本@名無史さん:2012/01/08(日) 04:04:19.98
スレタイとここまでかけ離れてると、書く気がうせる。
古代史妄想スレへどうぞ。
877日本@名無史さん:2012/01/08(日) 12:04:05.86
も〜う、そう?
878日本@名無史さん:2012/01/08(日) 13:14:27.51
この時代は文民統制が効いた中央集権がうまく機能していたよな
無駄な争いを避けて利を得る

だが武家の台頭とともに文民統制が崩れだし
秩序が荒廃した政治体制となった
今も昔も軍事が力を握るとろくな事がないな
879日本@名無史さん:2012/01/10(火) 01:17:11.27
奥州藤原の当主が御立と呼ばれてますけど、
御立ってどんな意味なんでしょうか?
ググッてもそれらしい由来が見つかりません・・・
880日本@名無史さん:2012/01/10(火) 01:19:16.14
御館(みたち)?
881日本@名無史さん:2012/01/10(火) 01:26:02.35
ああ、お屋形さまって意味だったんですか。
ありがとうございました。
官位なんだか宗教的な由来なんだかとかんぐってました。
882日本@名無史さん:2012/01/10(火) 07:33:07.92
古来、庁を 「たち」と呼んでいて、国府か郡司の館をさしていたが、
平安中期から、治安が悪化、国司の統治能力が形骸化して押領使、追捕使が力をもち、武士がその任を代行するようになる。
その有力武士の屋形を「館たち」と呼ぶようになり、尊称の「御」をつけて「御館、ミタチ」と呼ぶようになったらしい。
883日本@名無史さん:2012/01/10(火) 11:39:43.84
なるほど、すごいよくわかりました。
ご説明がそのまま安倍〜奥州藤原の流れにピタッとハマりました。
ありがとうございます。
884日本@名無史さん:2012/01/25(水) 08:16:29.48
祓戸大神(瀬織津姫など)は
平戸大神なのではないか?

ふと、思いついた。
885日本@名無史さん:2012/01/28(土) 07:08:26.76
886 ◆Z2WUqOOGqw :2012/01/28(土) 09:57:55.59
うほうほ
887 ◆Szi/TLYDgo :2012/01/28(土) 09:58:21.14
uhouho
888 ◆J58Oj7Szs. :2012/01/28(土) 09:58:57.49
ohoho
889 ◆s874AUTph2 :2012/01/28(土) 09:59:22.09
tohoho
890 ◆RCK1P1eWBk :2012/01/28(土) 10:00:14.73
tohoh
891 ◆uhjGD2O5YQ :2012/01/28(土) 10:00:36.85
don
892 ◆a.33ZygqDM :2012/01/28(土) 10:00:57.05
kore
893日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:57:40.70
http://a7.sphotos.ak.fbcdn.net/hphotos-ak-snc6/210899_208518569244872_100002601921787_388719_793184258_o.jpg

http://www.facebook.com/ekiholic

⬆安倍晴明生母葛の葉は北アジア系民族だったのでは?
だから、狐であるとされていて追ってがあって、
民族の違い(正体)が明らかになったから離れて行ったのでは?
894日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:01:27.63
>>626
吉備津彦命 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E5%91%BD
鬼ノ城 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E3%83%8E%E5%9F%8E
温羅伝説 [編集]温羅伝説とは、吉備地方に残る、桃太郎話のモチーフとなったといわれる伝説である。
古代吉備地方には百済の王子と称する温羅(「うら」または「おんら」)という鬼が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配し悪行を行っていた。

当時の百済人は、やはり、鬼の一族ですね。
895日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:29:44.93
桓武天皇の母:高野氏の百済王族
古代吉備地方に居た、百済の王子と称する温羅「うら」
百済の第3王子筋を称する、多々良豪族の多々良氏の大内氏。

百済王敬福 百済王 敬福 (くだらのこにきし の きょうふ く、文武天皇 元年( 697年) -天平神護 2年6月28 日(766年8月8日 ))は
奈良時代 の貴族。摂津 亮・百済王郎虞 の三男。 官位は従三位 ・刑部 卿。
749年(天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元 年)、陸奥守 在任時に 陸奥国 小田郡から 黄金が
発見されたことで知られる。
また橘奈良麻呂 の 乱や藤原仲麻呂 の乱の鎮圧にも功績があった。
-Wikipedia

恵美氏って人も居るね。

藤原仲麻呂(仲麿)=恵美押勝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82
吉備真備との戦い破れ、自ら、恵美氏と改名。
藤原南家の祖である左大臣の父・藤原武智麻呂の次男。
母:阿倍貞媛 - 阿倍貞吉または阿倍真虎の娘、阿倍御主人の孫
896日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:48:50.20
百済人は、5・6世紀辺りに最後の方で渡来して来た。
略伝 宣化天皇2年(537年)、新羅の任那侵攻に際し、朝鮮半島に派遣された百済人を救くった大伴狭手彦の話の時代で日本に渡来した最後の豪族。
大伴狭手彦
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/sadehiko.html
松浦佐用姫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E4%BD%90%E7%94%A8%E5%A7%AB
897日本@名無史さん:2012/02/04(土) 22:42:31.12
東北弁つうのは、要するに、百済弁だべ?
898日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:46:44.99
うそこぐでねあほつらすが
899日本@名無史さん:2012/02/06(月) 12:48:43.64
>>897
それなら、武蔵の会津人の江戸っ子弁が、ルーツ的に近いよね。
900日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:51:13.62
日ユ同祖論の百済人がユダヤなら、鬼のように金に汚い似非ユダヤ確定
901日本@名無史さん:2012/02/07(火) 03:16:32.96
本物だろう琉球王朝の人は、太平洋戦争末期に殆ど全滅して居ない筈。
ハワイアンが天然痘で絶滅したようにね‥。
902日本@名無史さん:2012/02/07(火) 03:19:46.01
スレ間違いでした。
失礼しました。
903日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:46:14.59
しかし、百済王の子孫が日本国を作ったことは間違いなさそうだ。
奈良時代の帰属はほとんどが百済からの渡来人の子孫。
養蚕、絹織物、木造建築、鉄工技術、どれをとっても百済王やその配下の秦氏が持ち込んだものばかり。
大化の改新を果たしたのも百済加羅の知識人が参画したからだ。
先に日本に入り込んだ新羅、高句麗系としてはおもしろくなかったろう。
904日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:02:11.57
>>903
秦氏は、色んな豪族に就いてたからなんともだが、基本新羅系渡来が大部分だな。
百済王の子孫の鉄工技術は、新羅に対抗したもので、百済特有ではない。
古くは、新羅王子の天之日槍命やらが日本に持ち込んで、農耕に役立ってたようだし、
百済は、戦用の鉄兵器の多々良場で馳せていた。
だから、多々良氏・・
905日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:19:42.84
>>903
それに、亡命期には、高句麗とも対峙した百済だが、そもそもは、百済王の親の国で、同盟国だったんだろうに・・
新羅と言うより、争ってなかった頃の百済・高句麗の渡来だろう。
新羅と高句麗が組んだのは、百済が亡命した後期の頃だろう。
百済亡命が半島からの大規模渡来があった最後渡来だし、百済が同盟国だから、この頃の新羅は、大和の敵国。
後々来たのは、高麗からであり、高麗は、その後、倭寇で疲弊した新羅を吸収し、朝鮮と成ってる。
906日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:23:37.31
新羅の、新は清=秦で、親国は、中国漢民族。
907日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:31:17.35
高句麗の百済民族とは、別民族だから、対立していた。
新羅と共通の倭人系で、大和が当時、先住した新羅渡来の倭系新羅の当時の朝廷が百済に着いたか、倭系百済の部族と、蘇我氏が代々、百済姫を后にしていた為
当時の蘇我は、朝廷側の一門なので、百済贔屓で、大伴狭手彦百済を派兵して救っただけだ。
908日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:38:06.63
>>907の修正。
>>906のつづき
高句麗の百済民族とは、漢民族とは別民族だから、対立していた。
新羅と共通の百済の倭人系で、大和が当時、先住した倭系新羅渡来なのに、当時の朝廷が百済を何故、救済したかは、、倭系百済の部族と、蘇我氏が代々、百済姫を后にしていた為
当時の蘇我は、朝廷側の一門なので、百済贔屓で、大伴狭手彦を百済に派兵して救っただけだ。
909日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:48:44.46
蘇我は、神事相撲発祥の孝元天皇の第3皇子、彦太忍信命(大彦命、開化天皇の弟。)の孫、武内宿禰、その子筋、古代波多氏・巨勢氏・蘇我氏・紀氏・葛城氏・・
910日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:51:07.92
>>909注釈。
神事相撲発祥のは・・
神事相撲発祥の武内宿禰筋と言う意味。
911日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:56:22.41
蘇我氏の蘇我入鹿が渡来帰化人なら、百済人は、どうなるんだろうねw
摂関などの藤原氏からすると・・
912日本@名無史さん:2012/02/25(土) 15:03:18.30
初代:神武天皇から8代の孝元天皇筋が渡来帰化人なら、以下の天皇筋や豪族は、全て、チョンと言う事で、ウヨ論理と被るよね。
藤原氏自体が渡来豪族の総称なのにね。
麻生氏については、天之御中主からの系譜らしいけどねwww
913日本@名無史さん:2012/02/25(土) 15:16:28.15
神道解釈での漢民族の祖・・國常立尊・・
正確には、麻生氏は、高皇産霊命の末裔だってさっ・・
(漢民族祖)黄帝 公孫氏:軒轅(BC2510-BC2448)・・盤古:天地万物之祖=國常立尊:本朝元初始尊是也
アイヌは、西宮戎 蛭児の末裔
天皇家は、天照大神(卑弥呼)-正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊-天津彦彦火瓊瓊杵尊- 彦火火出見尊(山幸彦)-彦波瀲武鵜草葺不合尊(玉依姫)-神武天皇の末裔
宗像氏は、牛頭天王 素戔嗚尊の末裔
出雲・千家・菅原道真・大江氏・毛利氏は、天穂日の末裔
隼人祖は、火闌降(海幸彦)の末裔
藤原氏は、津速産霊命の末裔
麻生氏は、高皇産霊命の末裔
914日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:46:18.10
>>903
魏志倭人伝の一説
>種禾稻、紵麻、『蠶桑緝績』。出細紵、縑綿。其地無牛馬虎豹羊鵲。
倭には蚕が居て絹を紡ぐとはっきり書いてあるぞw
しかも倭錦という織物を魏に贈って珍重されたようだから技術も高かったようだ
百済なんて朝鮮半島に影も形も無かった時代だからな

あと木造建築というのが微妙だが、木材を組み合わせて加工する技術なら4000年前から有るぞ
一番下が4000年前の建物の再現図だ、
http://www.nsknet.or.jp/~fmukai/oyabe/sakuramati/sakuramati.html

もちろん巨大建造物も縄文時代にも有る
>三内丸山遺跡…前期、竪穴式、青森県青森市、長さ32m×幅10m
>杉沢台遺跡…前期、竪穴式、秋田県能代市、長さ31m×幅8m
>一ノ坂遺跡…前期、竪穴式、山形県米沢市、長さ44m×幅4m
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/超大型住居
915日本@名無史さん:2012/02/27(月) 01:01:46.28
キ○ガ○警報発令中
916日本@名無史さん:2012/02/27(月) 01:18:29.07
うむ
>>903は無知の基地外
917日本@名無史さん:2012/04/05(木) 22:19:16.90
百済や新羅の建国は
ヤマト王権の成立より遅いくらいだからねぇ……
918日本@名無史さん:2012/05/17(木) 12:20:08.10
小笠原諸島 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6
歴史
年表 古第三紀 - 凝灰質砂岩・泥岩・石灰岩などの海底噴出物より形成される。
北硫黄島には先史時代のものとみられる石野遺跡がある。父島でも石器が発見されているが詳細な時代は不明。
1543年 - スペイン人によって母島が発見されたと見られる。
1593年(天正20年) - 信濃小笠原氏で信濃国深志城城主の小笠原貞頼が発見したという説があるが、貞頼という人物の実在自体が現在では否定されている。
江戸初期、松浦党の島谷市左衛門尉が探検。 
1670年(寛文10年)2月20日 - 紀州を出港した蜜柑船(長右衛門ら7人)が母島に漂着し八丈島経由で伊豆下田に生還、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告された。
現在ではこの報告例が最初の発見報告と考えられている。
1675年(延宝3年) - 江戸幕府が漂流民の報告を元に調査船富国寿丸を派遣し島々の調査を行い「此島大日本之内也」という碑を設置する。
当時は無人島(ブニンジマ)と呼ばれた。調査結果は将軍はじめ幕府上層部に披露された[7]。
1727年(享保12年) - 貞頼の子孫と称する浪人者の小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求めて幕府に訴え出る。
小笠原島と呼ばれるのはこれ以降のことである。
最終的に貞任の訴えは却下され探検の事実どころか先祖である貞頼の実在も否定された。
このため、貞任は1735年に詐欺の罪に問われ、財産没収の上、重追放の処分を受けた。
919日本@名無史さん:2012/05/17(木) 12:22:02.34
最上徳内 - Wikipedia この記事は、まだ、不十分ですかァ・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E5%BE%B3%E5%86%85

家業を手伝い、たばこの行商などをしつつ独学で学ぶ。
父が死去し、天明元年(1781年)には江戸へ出府。
奉公しつつ学び、天明4年(1784年)には本多利明の音羽塾に入門し、天文や測量、海外事情にも明るい利明の経済論などを学ぶ。
長崎への算術修行も行っている。
幕府ではロシアの北方進出(南下)に対する備えや、蝦夷地交易などを目的に老中の田沼意次らが蝦夷地(北海道)開発を企画し、北方探索が行われていた。
天明5年(1785年)には師の本多利明が蝦夷地調査団の東蝦夷地検分隊への随行を許されるが、利明は病のため徳内を代役に推薦し、山口鉄五郎隊に人夫として属する。
蝦夷地では青島俊蔵らとともに釧路から厚岸、根室まで探索、地理やアイヌの生活や風俗などを調査する。千島、樺太あたりまで探検、アイヌに案内されてクナシリへも渡る。
徳内は蝦夷地での活躍を認められ、越冬して翌・天明6年(1786年)には単身で再びクナシリへ渡り、エトロフ、ウルップへも渡る。
択捉島では交易のため滞在していたロシア人とも接触、ロシア人のエトロフ在住を確認し、アイヌを仲介に彼らと交友してロシア事情を学ぶ。
北方探索の功労者として賞賛される一方、場所請負制などを行っていた松前藩には危険人物として警戒される。
同年に江戸城では10代将軍・徳川家治が死去、反田沼派が台頭して田沼意次は失脚、田沼派は排斥される。
松平定信が老中となり寛政の改革をはじめ、蝦夷地開発は中止となる。徳内と青島は江戸へ帰還。
徳内は天明7年(1787年)に再び蝦夷へ渡り、松前藩菩提寺の法憧寺に住み込みで入門するが、正体が発覚して蝦夷地を追放される。
徳内は野辺地で知り合った船頭の新七を頼り再び渡海を試みるが失敗、新七に招かれて野辺地に住み、天明8年(1788年)には酒造や廻船業を営む商家の島谷屋の婿となる。


なんか・・続々と、ウィキーペディアに、情報寄せられてる。
嬉しい。
920日本@名無史さん:2012/05/19(土) 01:54:09.73
スレ違いも甚だしい
921日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:56:47.02
いや・・間違ってないよ・・
今の安倍氏族の話だからね。
922日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:57:13.30
今に至るまでの・・
923日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:47:23.31
>>921 >>922
スレタイを100回声に出して読んでみろw
924日本@名無史さん:2012/05/23(水) 09:47:14.69
>>923
前スレとココのスレ半場から繰り返すが・・
奥州安倍氏・安倍頼時(頼良)・・義家配下の宗像氏に家臣とされた、安倍宗任(鳥海三郎)・・・・・・安倍氏末代が渡辺松浦氏に婿入りして後の子、安倍高俊(松浦太郎高俊)の松浦氏分流だから血統的に間違ってませんよ。
>>553 名前:>>552修正[sage] 投稿日:2011/07/20(水) 22:50:00.45

【安倍氏/那須国造/膳 氏/佐々貴山氏】
安倍氏は孝元天皇の皇子大彦命の子建沼河別命の裔孫と伝えられ、
大和国十市郡発祥説が有力である。
同族の大臣命は景行朝に那須国造となり、後世家系は藤原に改姓して
源平合戦では那須与一宗隆が活躍す る。
他に皇子大彦命孫の磐鹿六雁命は、景行天皇東国巡幸に際して大蛤を御膳に供献して
膳臣を賜姓される。 平安朝の安倍晴明は、陰陽道、天文道、暦道に通じて朝廷に仕え、
土御門家、倉橋家の2家は堂上家に列 する。
武家安倍氏は、中世に蝦夷管領の秋田城介職となり、江戸時代は秋田氏(岩城三春藩主)、
阿部氏(3 家)、井上氏(3家)、安藤氏で明治に至る。
安倍氏の裔は、安部、阿倍、阿部とも表記する。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01208.htm
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 嵯峨源氏【2】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01053a.htm
826 自分:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2011/12/21(水) 01:11:40.26
松浦氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%B0%8F
明治天皇 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
明治天皇の生母。
中山慶子(中山慶子さんの母、中山愛子さんの旧姓:松浦) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%85%B6%E5%AD%90
秋篠宮妃 紀子様(旧姓:川嶋紀子)の家系図によれば、曾お爺さんは、松浦平吉だそうです。
http://stat.ameba.jp/user_images/4e/86/10010550547.gif
源氏始祖だから全ての源氏の親みたいなもんだって事。
925日本@名無史さん:2012/05/23(水) 09:50:00.81
松浦氏分流松浦党出身。
松浦氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%B0%8F
926日本@名無史さん:2012/05/23(水) 09:56:07.16
927日本@名無史さん:2012/05/23(水) 10:05:05.09
洋々閣ー女将のご挨拶61
http://www.yoyokaku.com/sub7-61.htm
皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集 安倍宗任(あべのむねとう)
http://jiyodan.exblog.jp/7958125/
皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集 松浦高俊(まつらたかとし)
http://jiyodan.exblog.jp/7937435/
皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集 壇ノ浦の戦いと松浦(まつら)水軍


http://jiyodan.exblog.jp/10562222/
928日本@名無史さん:2012/05/23(水) 12:35:09.97
スレタイにある「陸奥」「出羽」がなんのことだか理解できないのか?
929日本@名無史さん:2012/05/23(水) 22:46:50.14
>>928
言ってもムダだよ
理解できるならあんなトンチンカンな書き込みはしないよw
930日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:25:07.40
陸奥りんご
出羽三山
931日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:31:29.44
>>930
出羽三山
源九郎判官義経の修行場の羽黒山

戦艦陸奥
932日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:33:43.98
陸奥八仙
933日本@名無史さん:2012/05/25(金) 01:23:52.23
陸中
934日本@名無史さん:2012/05/25(金) 01:24:42.12
陸前
935日本@名無史さん:2012/05/25(金) 01:25:26.58
羽前
936日本@名無史さん:2012/05/25(金) 01:26:17.19
羽後
937日本@名無史さん:2012/05/25(金) 06:32:59.62
セシウム
938日本@名無史さん:2012/05/25(金) 19:41:50.64
また変なのが湧いたのか?
939日本@名無史さん:2012/06/14(木) 23:48:44.89
関西のお笑い芸人、口から生まれてきたような、例えば、明石家さんまのような人間が藤原氏ではないだろうか?
藤原鎌足は、間諜つまりスパイだったし、言葉巧みに人身を惑わすのが得意。
藤原不比等も道長も、どうも、口先だけで政治をしきっていたような気がする。
そういう藤原の血を引きものは東北にもいて、仙台訛りでまくし立てられると気持ち悪くなる。
奥州藤原氏やその傘下の藤姓諸氏がそうなのだろう。早く死んで欲しい。
940日本@名無史さん:2012/06/16(土) 13:11:30.75
東北のどこかにあるという、
日本中心碑って何なんでしょう?
安倍氏辺りと関係があります?
941日本@名無史さん:2012/06/16(土) 15:10:53.73
942日本@名無史さん:2012/06/16(土) 20:05:49.89
>>940
『真実の東北王朝』(駿々堂 古田武彦)第三章 日本中央碑の思想
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku10/touhoku3.html
943日本@名無史さん:2012/06/17(日) 14:15:20.83
ひでぶ〜
あべし〜
たわば〜

前九年の役・後三年の役で滅んだ安倍一族の断末魔の声が聞こえるようです。
944日本@名無史さん:2012/06/17(日) 21:14:56.51
ぜんちょうちゅう〜 もあるでよ。
945日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:07:02.09
平永衡って桓武平氏なの?
946日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:35:37.47
後三年の役で滅んだのは清原氏だろ。
947日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:40:03.23
というか安倍氏はその後、安倍宗任の系統が九州や瀬戸内海のあたりに残って、
安倍晋太郎・晋三まで続き、奥州でも安東として残り、江戸時代に秋田氏になって、三春藩主となり、
明治時代には華族になるわけだが、
出羽清原氏はその後、全くいなくなって、文字通り滅んでしまったんだよな。
948日本@名無史さん:2012/06/30(土) 20:00:58.92
実は子孫を称する氏族を一家知ってる。
親戚になった家がそうだった。

桓武平氏って言ってる。
家紋も同じだそう。
949日本@名無史さん:2012/06/30(土) 20:02:25.00
>>945
常陸平氏の一族だそう。
野口実氏が詳しいよ。
950日本@名無史さん:2012/06/30(土) 20:33:49.93
>>947
奥州藤原氏に比べれば、安倍氏は本家筋が残っていて家名も承継している部類だな。
藤原は、田村とか藤井とか家名が違っているやつしかいない。
951日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:22:11.88
わざわざ赤の他人が出羽清原氏の子孫を名乗るとも思えないからやっぱりちょっとは子孫がいるんだな。
952日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:32:18.12
>>951
赤の他人が仮冒する可能性も否定出来ないが、
太平洋戦争を見てもわかるように、一族郎党皆殺しにするなんてほぼ不可能だろう。
953日本@名無史さん:2012/06/30(土) 23:13:15.58
その親戚の家は北関東の惣代名主でまあそこそこの名家ではあるんだよね。
家屋敷は国の重要文化財になってる。
でも「出羽清原氏の系譜なんです」と説明された時は思わず「はっ?」となったw
954日本@名無史さん:2012/07/06(金) 00:46:28.26
何これ?

127. 名無しさん
2012年07月03日 23:04 ID:IrWzXgrE0
霧島 鹿島 日光 霞ヶ関 アメノコヤネの正体

スカイツリーはカラクニダケ

http://oo77986455645.wordpress.com/
955日本@名無史さん:2012/07/07(土) 11:47:35.27
清原氏といったら、元西武>巨人の番長清原みたいな感じで、
腕力は凄いので戦乱の世なら大将だろうけれど、政治力は皆無で、平和の時代の統治には全く不向きなタイプだったのだろう。
藤原3代も、平安時代の藤原政権の焼き直しのような古めかしさが見える。
956日本@名無史さん:2012/07/30(月) 21:02:35.56
お教え頂ければ幸いですが、山形県にある幾志(キシ)という地名の所から発生した岸氏についてなのですが、
中世戦国時代は最上郡神田の神田大館にたてこもっていたらしく、
安倍晋三氏が親しくして来られるという事ですが、
安倍貞任後裔の引田臣系岸氏なのでしょうか?

引田臣系岸氏として喜志という字は見当たるものの幾志は見当たりませんが。

どの道大彦命の末裔の可能性が高いのでしょうか?
紀氏との繋がりは考えられるでしょうか?
957日本@名無史さん:2012/07/31(火) 21:56:12.24
勝海舟も伊藤博文も坂本竜馬も、金で武士の身分を買った金上げ士族だというじゃないか
大彦の末裔を語るなんざあおこがましい限り
958日本@名無史さん:2012/08/03(金) 00:34:30.71
>>957
そんな意地悪言って遣りなさるな・・
彼の家の先祖が名前買ったかのような事を・・
どういう家柄かも知れない訳だし、公では、ポジティブに語ろうね。
959日本@名無史さん:2012/08/05(日) 04:34:54.06
たまたま名字が同じだというだけで「我が家は○○氏族の○○流だ」とか信じ込んだり
信用性なんて皆無の系図類を盲信してそれをアイデンティティに生きてる人だっているからねえ
960日本@名無史さん:2012/08/06(月) 00:44:54.95
>>959
良い事だ。
そう言う思考で良いから、氏神を祭る神社が各地に点在する訳だしね。
神社の存在意義の一つ
神社の役割
土地の神話を語り継ぐ者の住まう場所。
氏神を祭る場所。
地域氏姓ルーツ発祥の拠点。
民人・小作人の拠り所。
祟り神を封印する場所。
血脈、龍穴の集まる場所。
神仏合祀の施設。

961日本@名無史さん:2012/08/07(火) 02:22:28.30
>>960変換ミスってたな・・
血脈×
地脈○
962日本@名無史さん:2012/08/09(木) 22:58:24.20
氏神というのはシュメールの個人神が伝わったものだろう。
963日本@名無史さん:2012/08/21(火) 02:48:30.11
>>956
東北の辺りの武家なら安倍氏族じゃないなら藤原北家傍流か阿蘇発祥の菊池氏等もあり得る。
また東北日本海側では越や呉から来た人達が住み着いた地に高志・古志・古市・喜志等の地名がついてる事があるが、吉士のいた所にきしという地名がつく事が多い。
吉士は白川静によれば百済官吏じゃなくて祝(はふり)、吉士の祖は五十狭茅宿禰で出雲国造と同祖。天照大神の子の天穂日命の子孫の天夷鳥命の子孫。
でも幾志なら広島県広島市安佐北区口田南など天照大神が機織りに使っていた幾(おさ)を天穂日命が授かった地とされる天照大神絡みの機織りに関係する地や徳島県鳴門市大麻町大谷などの忌部氏・秦氏絡みの機織り関連が多い。
出羽幾志神田大館辺りの岸氏なら少なくとも佐々木源氏与力国人領主系。大戦時前後で一族でそれぞれ3万3千石や1万3千石等、国立博物館に関連品あり。
964日本@名無史さん:2012/08/25(土) 05:55:54.06
出羽清原氏といえば、当主の真頼と弟の武則は、異母兄弟だったのでは?と思われますが、どうでしょうか?
勝手な予測では、真頼は、橘氏の母出生、武則は、岩城氏の母出生(桓武平氏繁盛流)。
理由は、名前に出羽橘氏の通字である「頼」を真頼が受け継いでいること、
また岩城氏の通字である「則」の字を武則が受け継いでいること。
965日本@名無史さん:2012/08/31(金) 03:11:18.53
>>845への追記。

渡辺栄 (剣道家) - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%A0%84_(%E5%89%A3%E9%81%93%E5%AE%B6)
『皇太子殿下御誕生奉祝昭和天覧試合』 挙行の発表 - 小豆島テストパイロット物語 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/south_6475/20539818.html
武道の教育力 ―満洲国・建国大学における武道教育―
http://www.gaku-jutsu.co.jp/article/13232825.html

島谷子行 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%B3%B6%E8%B0%B7%E5%AD%90%E8%A1%8C


966日本@名無史さん:2012/09/02(日) 04:06:38.58
また松浦厨がすれ違いの直リン貼りかよ
967日本@名無史さん:2012/09/15(土) 15:31:09.28
>>963
>山形県にある幾志(キシ)という地名の所から発生した岸氏についてなのですが、
幾志とはおそらく紀氏
祟神天皇の子である豊城入彦の母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛だから、毛野氏とは紀の氏のことだ。
その子孫は上野・下野国造りの祖とされているから、毛野氏が滅んだ後も藤原氏の配下として生き残ったのだろう。
前九年・後三年の役の後、関東武士団による東北入植は盛んだったのです。
968日本@名無史さん:2012/09/19(水) 02:54:24.21
>>965への追記。
安倍晋三 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89
まったりの天幕生活 2006年02月17日
http://dora41.blog.shinobi.jp/Date/20060217/
和田家文書「偽書説」の崩壊 三つの質問状 和田家文書「偽作」論者に対して 古田武彦
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai1/furuta09.html

石ノ塔林道 石塔山荒覇吐神社

http://www5b.biglobe.ne.jp/~buritaro/iimitihasirou/mihosou/isinotou08.htm
石塔山荒覇吐神社
http://www7b.biglobe.ne.jp/~choreki/touhoku-2.htm
平泉世界遺産
http://www.iwate-np.co.jp/sekai/miti/miti39.htm

役の小角が御祭神の石搭山荒覇吐神社に、安倍頼時、宗任親子が眠ると言うことは・・
やはり、安倍宗家の安倍清明縁者のはからいだね。
欠史八代孝元天皇の大彦命筋は、明白たる証。
岡本太郎にも驚いたW
969日本@名無史さん:2012/09/19(水) 02:57:25.05
それか・・青森所領の裏切り者の安倍富忠のはからいか・・
970日本@名無史さん:2012/09/20(木) 00:13:56.91
イミフ
971日本@名無史さん:2012/09/20(木) 10:47:37.20
>>970
安倍頼時、宗任親子の魂が供養された来たのは事実だと言う話。
972日本@名無史さん:2012/09/20(木) 23:53:10.54
いや、事実じゃないからw
973日本@名無史さん:2012/11/14(水) 00:23:13.95
>>963
海上国造は出雲臣の伊勢津彦の末裔の系譜。
伊勢津彦末裔系は、嶋津国造から出ている。
出雲臣には、地祇系(三輪君系)と天日照命系が混じっていて
地祇系と考えられる神門臣、二方国造、伯耆国造、嶋津国造
などがある。海上国造氏族である五十狭茅宿禰は、千葉県銚子にある
猿田神社の祝でもあった。猿田彦神を祖とするのは、宇治土公
や二見氏といった三輪君系。忌部ではない。
974日本@名無史さん:2013/02/26(火) 21:38:51.05
>5
>9
>11
>35
子孫はいますよ〜。もちろん。
975日本@名無史さん:2013/02/27(水) 02:05:10.96
「ぶっ殺す!」
976日本@名無史さん:2013/03/26(火) 05:40:33.27
>>943
花巻城って正しい元の呼び名って
島谷城で良いの?
広島の安倍氏縁者に江戸時代に藩主の阿部氏から奥州安倍氏の居城の島谷姓を帯刀したそうなんだけど・・
977日本@名無史さん:2013/03/26(火) 08:40:32.77
>>976
鳥谷ヶ崎城だろう
978日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:47:24.46
>>977
鳥谷ヶ崎城って、島谷ヶ崎城とも言う様だけど・・
安倍宗任が幽閉されてた石鳥谷城とかとゴッチャに成ってそうな気もするけど・・
979日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:56:25.93
十八ヶ崎の表記もあって読みは「とやがさき」
ごっちゃにしてるのはお前さん
980日本@名無史さん:2013/04/02(火) 03:09:42.32
どちらにせよ
島と言う漢字の元は鳥だろ・・?
981日本@名無史さん:2013/04/02(火) 03:46:39.72
島谷のルーツが鳥海だから嶋なのだろう。
982日本@名無史さん
安倍氏も松浦の島谷氏も海人族で通ってる。