復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.5

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1黥面文身
男子無大小、悉黥面文身。自謂太伯之後(晋書)
倭者、自云太伯之後。俗皆文身(梁書)

神武天皇は入れ墨をしていた!

過去スレ
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://unkar.org/r/history/1189507021
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.2
http://mimizun.com/log/2ch/history/1206938431/
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.3
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/history/1225586417/
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.4
http://unkar.org/r/history/1256401997
2黥面文身:2011/01/24(月) 17:09:59
天皇こそ正統周王家の生き残りなのです。
銅鐸がなぜ巨大化していったのかという
古代史の謎をここに解き明かしましょう。
呉の末裔達が列島に渡来してしばらく後
かられは列島の青銅器の一部、とくに
銅鐸を鼎に相当するものとして扱うようになりました。

しかし、鼎にはかつて楚の荘王からその大きさを問われた
苦い過去がありました、(いわゆる「鼎の軽重を問う」)
そのトラウマから銅鐸や銅剣の一部が巨大化してつくられるように
なっていったのです。

【奈良】「女王卑弥呼の宮殿」といわれている纒向遺跡から大量の山海の幸 祭祀の供物で並べられたか
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1295599247/

そしてとうとう纒向遺跡から大量の桃の種と同時に祭壇跡が発見されました。
桃は古代支那大陸の土着宗教である道教で神聖な果物とされ今も儀式に使われています。
卑弥呼が司った鬼道はすなわち初期の道教。
見事に日本人のルーツである周王室→呉(春秋戦国)→日本がつながりました。
3日本@名無史さん:2011/01/25(火) 10:59:53
NHKが検証番組してたね。
とうとうNHKでさえ古代中国王朝と大和朝廷のつながりを認めざるを得なくなったってことだね。
日本人は直接中国大陸から渡ってきた人々で、朝鮮半島を経由しなかった事実が主流になってきた。
4ワン人:2011/01/26(水) 18:06:12
マジでか!? 天皇との繋がりも興味あるなぁ。
5日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:30:43
日本人 - Wikipedia 「Y−DNA」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
日本人(にほんじん、にっぽんじん)とは一般に日本国の国籍を持つ者。もしくは日本国内で多数を占める大和民族や、日本列島にルーツ(起源・祖先・由来等)を持つ人々を指す。
日本人の多数を占める大和民族の例。 日本の先住民族の一つであるアイヌ。 ...
大和民族 - 日本人論 - 在外日本人
.......................................................C...............DE....................N....O
.......................................................C1...C3...D1...D2...D3...N...O1...O2a...O2b...O3
日本(野中、水口).東京........1.......2......1...40.......0....0......3.........1........26...14
日本(Hammer et al.).青森..8.......0......0...39.......0....8......0.........*........31...15
静岡.................................................5.......2......0...33.......0....2......0.........*........36...20
徳島..............................................10.......3......0...36.......0....7......0.........*........33...21
沖縄.................................................4.......0......0...56.......0....0......0.........*........22...16
日本(Tajima et al.)アイヌ.....0....13......0...88.......0....0......0.........*..........0.......0
九州.................................................4.......8......0...28.......0....0......2.........*........34...24
日本(Shinka et al.)北琉球..4.......0......0...39.......0....0......0.........0........30...16
南琉球............................................*.......0......0.....4.......0....0......*.........0........67......*
6日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:32:46

.........................................C...............DE....................N....O
.........................................C1...C3...D1...D2...D3...N...O1...O2a...O2b...O3
オロチョン.................... *....91......*.......*......*....*.......*.........0..........0......0
エヴェンキ.................... *....68......*.......*......*..17.......*.........*..........*......*
満州................................ *.....27.....*.......*......*.....*.......4.........0..........4....38
ブリヤート..................... *....84......*.......*......*..28.......*.........0..........2......2
ハルハ(モンゴル)... *....52......*.......*......1....*.......1.........0..........0....23
朝鮮................................. *....11......*.......4......*....*.......3.........0........36....38
漢民族(華北)............ *......5......*.......*......*....*.......*..........2..........0....66
チベット.......................... *......3.....16.......*...33....*.......*.........0...........0....33
ベトナム......................... *......4.......3.......*......*....*.......6.......36........14....41
7日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:51:58
出土地不明:2011/01/04(火) 03:56:59 ID:igvOoTyF
殷、周では宝貝(子安貝)を貨幣として使っていて、銅銭が登場するのは周〜春秋時代のようです。
宝貝は東シナ海沿岸では採れず、採れるのは台湾以南と南西諸島だそうです。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/C001.htm
殷の宝貝は宮古産という話もありますが未確認。
8日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:55:39
出土地不明:2011/01/04(火) 04:43:54 ID:zUhec8Xt
 ● 殷・周の貝貨

貝貨 15-21mm 0.5-2.0g
中国では新石器時代の晩期の紀元前30世紀ころから、墓地に宝貝が埋葬されています。
宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。 はるか海上の道を伝って運ばれたものです。 宝貝の裏面は丁寧に削り取っています。

殷王朝の末期から西周王朝の末期にかけて、王や王族が家臣に宝貝を下賜した記録が残されています。
  西周第5代の天子穆公は、治世13年(紀元前989年)6月6日、西域の赤烏の王に、
    墨車4輌、黄金40鎰(800両)、貝帯50、朱薬300嚢
を下賜したとの言い伝えがあります。
  柳田国男さんは『海上の道』の中で、琉球諸島の宝貝が殷王朝に供給された可能性を強調されています。
9日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:12:38
夫余は呉王の弟「夫慨」の子孫。

「史記-呉太伯」闔閭10(505)年、夫概を攻める。夫概は破れて楚に奔走する。
「風俗通義 廣韻〜餘」呉の公子の夫概は楚に奔走した。その子に国があり、夫餘を氏とした。(今の百済王夫餘氏)[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]

・「呉王 闔閭」が楚を攻略中に、留守居の弟王「夫概」は楚と通じてクーデターを起こし、呉を実効支配した。
・闔閭は直ちに取って返して呉を奪い返し、夫概は楚に奔走した。呉に残された夫概の子らは呉におられず、半島北部、さらに西部に逃げて、高句麗や百済の始祖となった。

・呉は元をたどれば(倭国の大夫も名乗った)周の王子「太伯」の末裔で、江南の東夷系の水生種族。その東夷が北進して、北方ツングース族の地で王家となって国を建てたのが高句麗。

・高句麗王家も百済王家も、もちろん朝鮮人じゃない。
・ちなみに「正統な呉王家」の末裔は、新撰氏姓録によれば、結局日本にやってきている。


そのため高句麗には
1)四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)信仰がある。(玄武すなわち変温動物の蛇や亀が北にある)
2)織媛(七夕)や北斗七星、北辰といった夷族系の星信仰がある
3)江南発祥とされる「支石墓」がある。
4)高床式建築がある。
5)建国の始祖朱蒙(あるいは東明王)は天帝と河神の子であり、追手に攻められたとき魚(トーテム)族に助けられた。
6)朱蒙は弓の善射という意味だが、弓は北方系の短弓ではなく夷族の長弓。
というように高句麗王家は、実は北方騎馬民族要素は少なく(江南の)水生夷族系の文化を多く持つ。
10日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:16:54
風俗通義-廣韻〜餘(後漢代)によると、
「呉の公子の夫概は楚に奔走した。その子に国があり、夫餘を氏とした。今の百済王夫餘氏である。」
とあります。

夫概(フガイ)は呉の公子で呉王「闔閭」の弟で、夫余氏の始祖とされます。
このあたりの流れを史記他を総合すると、

1)B.C.506呉軍と楚軍が漢水を挟んで対陣した。
2)11月、夫概は闔閭の命を聴かず部下5000人を率いて楚を襲撃し、楚軍を大敗させた。
3) この戦いで呉は郢を陥落させることが出来た。
4)B.C.505呉は秦、越に攻められ敗北を喫した。
5)夫概は闔閭が楚の地から帰国できない情勢であることを見て取ると、呉に戻り自立して王となった。
6)しかしすぐに鎮圧されて楚に亡命した。楚の昭王に堂谿に封じられ、堂谿氏と称す。
7)呉に余(のこ)されていた夫概の子らが呉を去り,以後「夫餘」を氏とした。
11日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:30:42
『大宋重修廣韻』大中祥符元年(1008年)通称廣韻の「上平09魚〜餘」の中で風俗通義を引用する形で載せてる漢文。
それが一般に「風俗通義-廣韻〜餘(後漢代西暦23年〜西暦220年)」と云われてる物。(注)一番下の行

* 風俗通云吳公子夫摡奔楚其子在國以夫餘爲氏今百濟王夫餘氏也 *

余我也又姓風俗通云秦由余之後何氏姓苑云今新安人以諸切三十 蜍蜘蛛又常魚切 藇芞藇香草 㶛水名 餘殘也䞉賸也皆也饒也又姓晉有餘頠又漢複姓三氏晉卿韓宣子之後有名
餘子者奔於齊號韓餘氏又傳餘氏本自傅說說旣爲相其後有留於傅巖者因號傅餘氏秦亂自C河入吳漢興還本郡餘不還者曰傅氏今吳郡有之
風俗通云吳公子夫摡奔楚其子在國以夫餘爲氏今百濟王夫餘氏也 輿車輿又多也又權輿始也續漢書輿服志曰上古聖人觀轉蓬始以爲輪輪行不可載因物生智後爲之輿又姓周大夫伯輿之後

12日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:33:38
『後漢書』扶余伝  >東夷に猿と云えば(テンや猿の毛皮)国の古老は昔の亡命者だと自称する。
         >文中に「古之亡人」とあるが、中原諸国に追われ扶余国に亡命してきた人々がいたのだろうか。

其國善養牲、出名馬、赤玉、貂?、美珠。珠大者如酸棗。以弓矢刀矛為兵、家家自有鎧仗。國之耆老自説古之亡人。
作城柵皆員、有似牢獄。行道晝夜無老幼皆歌、通日聲不絶。有軍事亦祭天、殺牛觀蹄以占吉凶、蹄解者為凶、合者為吉。
有敵、諸加自戰、下戸倶擔糧飲食之。其死、夏月皆用冰。殺人徇葬、多者百數。厚葬、有槨無棺@。

 その国は家畜を上手に飼育し、名馬、赤い宝玉、テンや猿の毛皮、美しい淡水真珠を産出する。
真珠の大きいのは棗(なつめ)ほどもある。弓矢刀矛を武器とし、家々に鎧と武具を備えている。国の古老は昔の亡命者だと自称する。

13日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:37:02
春秋句呉 歴代君主
1,太伯
2,虞仲


17,句卑
18,去斉
呉王(19代寿夢より)
1,寿夢(紀元前585年 - 紀元前561年)夫余族始祖,朱蒙かも?
2,諸樊(紀元前560年 - 紀元前548年)
3,余祭(紀元前547年 - 紀元前544年)
4,余昧(紀元前530年 - 紀元前527年) 
5,僚(紀元前526年 - 紀元前516年)
6,闔閭(紀元前515年 - 紀元前496年)
7,夫差(紀元前495年 - 紀元前473年)弟,夫概の子,夫余氏有り

1,寿夢(紀元前585年 - 紀元前561年)夫余族始祖,朱蒙かも?
日本の相撲(スモウ)も遠い先祖神への奉納(角力)をスモウと発音したのかも。

14日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:40:06
出土地不明:2011/01/22(土) 20:20:42 ID:VOmcpAcb
>日本の相撲(スモウ)も遠い先祖神への奉納(角力)をスモウと発音したのかも。

角力は角を突き合わせて戦うことで、頭に角があるという蚩尤(しゆう)に由来するという。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4

相撲発祥の地とされているのは、当麻蹶速(たいまのけはや)と出雲の国の野見宿禰(のみのすくね)が天覧試合をしたとされる、大兵主神社神域内小字カタヤケシですが、
兵主とは蚩尤のことです。
http://kakinoha.jugem.jp/
15日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:41:43
出土地不明:2011/01/22(土) 23:07:43 ID:ODAT31ul
>>697 >蚩尤(しゆう),敦賀市の神話ツヌガアラシト(つのがあるひと)と関係ありそう。

熊本.チブサン古墳「三山角冠を被った人物像」
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/cibu.jpg
http://kyuhaku.jmc.or.jp/kofun_img/chibusan.jpg
呉越時代.臨し出土.三山角冠を被った「水軍戦闘図」
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
16日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:44:05
17日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:47:11
まさしく>>自ら太白の後という・・・ここでは「呉の太白の後裔」と言わず、「呉の」が無いことに注意しなければならない。
この「呉の太白の後裔」を解釈して「倭人は呉国(呉人)の後裔だ」と考える向きがあるが、魏略はそうは言っていない。
あくまでも呉の祖である「太白」の後、すなわち「呉人と同様に、倭人も太白の末裔なのだ」と言っているというのだ。
これを逆に倭人を中心に解釈すると「太白は倭人の祖、つまり、太白は倭人なのだ」となる。

 そんなこと有り得ぬ、と言われるだろうが、『史記』「周本紀」によると太白・虞仲・季歴の三兄弟のうち周王朝の祖となったのは末っ子の季歴であり、
上の二人は南方に逃れ、太白は呉の祖になったわけだが、実はこれら三兄弟の父は名を「古公亶父(ここうたんぷ)」という。
「古公」は「遠い昔の人」という意味だから外してみると残りは「亶父」つまり「亶洲の父」であり、
「亶洲」を先述のように倭人列島のこととすると「倭人の父」と解釈することができる、ひたすら亶洲を探し求めた呉の「孫権」。
18日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:50:42
>>17 それで東王父、西王母、神話が出来。
つまり東王父=亶父=太白の父=周王の父=亶洲の父=倭人出身だったんじゃないか?

>>14
戦いの神スサノオ別名,牛頭天王まさしく兵主,蚩尤のことでじゃな。
19日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:56:50
この『ヤタガラス』が太陽信仰の南方系天孫族のシンボル

中国 河姆渡文化(紀元前5000年) 青銅器
http://www.collectioncnsh.com/pmyg/picshow/WDQTG000204-1x.jpg
周(しゅう、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)
http://www.scrtvu.net/support/refer/jxczy/jxc/jpkc/zgmsjs/ztfd/sz/ss2.jpg

春秋時代 紀元前770年
http://a4.att.hudong.com/37/55/01300000341600123441554631212.jpg

前漢(ぜんかん 紀元前206年)
http://www.xwxian.cn/uploadfile/2009729154012.jpg
明(みん、1368年) 地壇
http://www.dianping.com/photos/1189752
20日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:10:20
韓国の遺跡から卵形土笛の出土例がない不思議?後世雅楽の楽器としては有るんだが。
日本では日本海側の縄文、弥生遺跡を中心に数多く(100個近く)出土し(前4後2穴)で中国と同じ作りである。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前(土へんに員)(けん)と呼ばれる土笛が発見され、これが最も古い ...
土笛の役割 陶(土へんに員)(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........
土笛は、殷周の時代は前面3孔後面2孔ですが、戦国時代の孔子の時代に前面4孔後面2孔の形式が完成しています。
弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカこれも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html
21日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:13:06
出土地不明:2011/01/30(日) 03:02:53 ID:VArm8dy4

太陽信仰も鳥信仰も古代三苗から伝わった信仰かもしれんよ
中国や朝鮮に伝わる神話は三苗の影響たっぷり受けたものが多いからね
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinwa/sinwa-1-banko.htm
22日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:21:43
渡来系弥生人の故郷を中国に求めて - 日本人はるかな旅展(国立科学博物館)

渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。
最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。
黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています

渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_14_02.jpg

江南と日本の稲DNAが一致、朝鮮半島とは一致せず
http://yamatai.cside.com/katudou/image/266-4.gif
http://www.iza.ne.jp/images/user/20090917/613712.jpg

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土―江蘇省
http://blog.livedoor.jp/kyoumisinsin8/archives/50251853.html

5000年前に身長180cmの古代人、日中関係のルーツ解明か―江蘇省徐州市
http://www.recordchina.co.jp/group/g20558.html

弥生人と江南人の、DNA、抜歯形式が一致―江蘇省
ttp://www.asukanet.gr.jp/tataki/yayoizin2.html
23日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:27:50
日本ではいまだに浪速なにわ、奈良なら、山背やましろ、高麗こま、百済くだら、と
1500年位前の地名は普通に使ってるぞ、それは日本人が当事者だからな。

百済ーくだらーペクチェ
高句麗ーこまーコグリョ
新羅ーしらぎーシンラ,シルラ
熊本,八代ー地元OOOO−東京大阪,ヤシロ

>私が言いたいのは、東京大阪人は漢字を見てヤシロとしか発音できない
しかし地元民,当事者は「OOOOやっちろ」と代々発音伝承してる。
つまり今の韓国人も東京大阪人も所詮よそ者外来者だから漢字音でしか発音できない。
24日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:33:35

越王句践棲於会稽、復残強呉而霸天下。 此皆因禍為福、転敗為功者也。
「句践世を霸し、都を琅邪に徙す。 後に楚の為に伐たれ、始めて浙東に還る。
『資治通鑑』 巻第七十三
呉を滅ぼした勾践は、越の都を琅邪に遷し、更に諸侯を会盟して中原の覇者となった。

 越王句践は紀元前473年に呉王夫差を滅ぼした。そしてさらに北上して山東半島の付け根の琅邪山に都を移し、紀元前333年から334年の頃に楚に滅ぼされるまで越の都となった。
越王句践が琅邪に都を移したのは、呉人を琅邪に追って来た結果であって、最初から意識して都したものではないだろう。ここから朝鮮半島や日本列島に渡ることは航海が上手な越人にとっては、
それほどの困難ではなかったであろう。越は紀元前333年から334年の頃に楚に滅ぼされるが、この前後つまり、呉と越の戦いから越が呉を滅ぼし、楚が越を滅ぼした間に、多くの民が流民となって各地へ渡っていった。
25日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:38:27
桃の種

今夜のNHKスペシャル「邪馬台国を掘る!」を見た。
纒向遺跡で2765個の桃の種が出土。

桃を盛った考えられる竹ざるも出土した。
魏志倭人伝に卑弥呼が鬼道で倭国を支配したとある。

多数の桃はその鬼道の祭祀に使ったと考えられるという。
2世紀後半の中国では道教が盛んだった。

桃は不老不死のシンボルとして祭事に使われていた。
魏−道教−桃−鬼道−卑弥呼-纒向遺跡

とつながることで邪馬台国・近畿説がぐっと有力になってくる。
桃の種がキーになっていることが面白い。
26日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:40:23
出土地不明:2011/01/24(月) 02:21:14 ID:07ySmRKk


上流から流れてきた桃を食べて老夫婦が若返ったというくだりには、道教やさまざまな神話が影響しているとみられる。
『山海経』や西王母伝説、あるいは日本神話のイザナギの神産み#黄泉の国にみられるように、桃は邪気を祓い不老不死の力を与える霊薬である果実とされている。
また、山奥に住む仙人にも桃は欠かせない存在である。桃太郎を齎した桃は、こうした力のある桃が山から流れて来たものとも考えられる。
世界的には霊力のある植物は桃とは限らず、古くはギルガメシュ叙事詩での不死の薬草、旧約聖書の『創世記』における生命の樹と知恵の樹、
田道間守の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘の実とされる)や徐福伝説の神仙薬などが挙げられる。
桃太郎の対的説話としては瓜から生まれた瓜子姫が指摘され、沖縄県久高島には黄金の瓜から生まれた男子が後の琉球王(西威王とされる)となったという伝説のバリエーションもある。
27日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:47:28
 春秋戦国時代の船

紀元前1070年正月に武王が孟津に渡り紂を討った時が、船が軍事物資や武人の運輸を行った最初のものであると考えられています。
この時には47艘の船が使われ、兵車300乗、近衛兵3000人、甲士45000人などを運んだとされています。
 春秋戦国時代は、中国における航海というものが形成された時期です。この時期は、探検をし、海戦をし、交易をするなど活発な動きが見られます。
そして航海の地理・知識を得ることにもなります。中国東部の北海(現渤海)、東海(現黄海)、南海(現東海)は、オールで漕いで渡っていたようです。
人々は既に、「百川が海に帰る」ということを理解し、沿岸の航行を始めていました。この時海上の強国として現れたのが、呉国と越国でしたが、
余り目立たないですが斉国も「海の国」と呼ばれていました。
 呉の国では「舟と楫は一日もなくてはならぬ」、あるいは「1日として船を廃止することは出来ない」とも言われていました。
越国でも「越人は舟造りが得意」といわれていて、お互いが造船技術から実際の戦いまで競いあっていました。
28日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:50:53
 春秋戦国時代の戦船 

周代の前11世紀には越で作られた船が呉の成王に謙譲された記録が残っています。また戦国末期の『越絶書』では「(江南の者は)よく水行し、
山ある処は船を車とし、楫(かい)を馬とし、往くこと瓢風(ひょうふう)のごとし」とあります。
呉越とも、造船所は「船宮(せんぐう)」と呼ばれていて、多種多様の船が作られていたようです。この時期の船の発達は、鉄器の使用によるものです。
 春秋時代、海軍は舟師、水軍、或いは水師と呼ばれていました。海軍を形成するまでには、奴隷の追捕、軍事物や武人の運輸そして組織的に水上作戦を行なえるようになるという
3段階があったと考えられています。武器は、漁具から発達したものです。中国での海軍が誕生したのがどこで、いつというのは確定できませんが、
魯の襄公24年(紀元前549年)に魯と楚が第1回目の海上戦闘を行っており、これより10年前位が適当であろうと考えられています。
29日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:53:16
民間では、軽舟や扁舟という快速舟が既にありいろいろな運搬の用を行っていましたが、軍事用としては、国の君が乗る「余皇」を始め、戦闘用専門の船が出現してきます。

型号 船長 船幅 乗員
大翼 12丈 (26.4m) 1.6 (3.5m) 91人
中翼 9丈 (19.8m) 1.35 (3.0m 86人
小翼  5.6丈 (12.3m) 1.2 (2.6m) 80人
  『越絶書』での呉の水軍船舶諸元
 戦船については呉や越が優位であり、??(よこう)、三翼(さんよく)、楼船、突冒(とっぽう)、戈船(かせん)、橋虹(きょうこう:橋船)などの種類があったといわれています。
??が最大規模のもので指揮船でした。三翼は、大きさ定員により大、中、小の3種類に分かれていました。
大翼は、全長26m、幅約3.5mで、戦士20数名、漕ぎ手50名、航海士3名、吏、僕、射長各1名、その他の人員12名の合計91名を収容することができました。
船上の武器は、長鈎、長矛、長斧各4把、弩32把、箭矢3200支、かぶと32頂です。三翼には頭部に堅固な突起をつけ、多舟に突っ込んでゆくことも行われましたが、
突冒が本来船の舳で敵の船を破壊するものです。橋船は小回りのきく小さな船、もしくは竿で方向転換が出来る船のことです。
30日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:56:43

楼船は、「当陵軍(強行軍)の進める楼車である。」(『越絶書』)楼車は、十余丈の2層高架になっており、相手の城に直につけ攻城するものであるが、
楼船も同様に高架になっており、上から矢や石を放ち相手の船を攻撃するものである。橋船は快速舟であり、それを生かし攻撃する舟です。
秦が楚を攻撃した時、3000里の距離を1隻の船で50名の兵士と3か月分の食料を積み、長江を下り1日300里進んだ記録が残っています。
紀元前400年頃の大翼の復元模型は、片側に12の櫂があり、それぞれの船舷に防御用の丸い盾が設置してあり、全体の印象はバイキングの舟というものです。
積まれている武具は、長い鉤(かぎ)、長い矛、長い斧、以上が格4本、弩(いしゆみ)が32丁、兜が32個である。呉越はこの戦船で、太鼓やドラを叩いて戦をしたようです。
「水上戦の武器は、楚国の伍子胥が考案し、舟をもって車となし、楫をもって馬となした」との記載が『越絶書・札記』に載っています。
31日本@名無史さん:2011/02/08(火) 23:58:45
 水上戦闘の様子
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
当時の銅壺(「宴会を楽しむ様子・狩猟の様子・水上戦と陸上戦の様子が描かれた壺」)には、水軍の戦闘の模様が詳しく描かれています。
戦艦は2層に分かれていて、上層では水兵が腰に短剣を下げ、長い戈や弓で戦っておりそれを陣太鼓を叩いて鼓舞する武人がいます。
下層には漕ぎ手が必死にオールを漕いでいます。潜水兵は水の中に潜り、船の航行を妨害したり、同じように潜水した相手の水兵を攻撃しています。
潜水兵は相手の船底に穴を開けて船を沈めようとしています。船底は潜水兵の攻撃を防ぐために、2重の装甲が採用されています。
これらの銅壺には、まだ帆や舵は画かれていません。
楚国の公輸子というものが初めて船戦を描いていて、『墨子魯問篇』に舟戦のために、鈎拒という武器を作り、退こうとするものを鈎で捉え、
進もうとするものには拒で制止させたことが記載されている。
32日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:01:42

前漢までの越や呉に関する地方誌である『越絶書』では、越の海軍力について「決死の兵8千人、戈船3百隻」という記述があります。
「戈船」とは戦艦のことで、これだと1隻に27人乗っていた計算になります。これが実際の定員数に近いでしょう。
またこの時、この動員状態で、長江の入江から山東半島、東海、黄海を経て、全工程500海里(930km)をこなしたことは、
中国としての最も古い遠洋航海記録となっています。

水上戦の記録
春秋戦国時代、数多くの水上戦が行われましたが、その主に戦った国と戦いの期間を拾うと次のようなものがあります。呉はどの国にも戦を仕掛けていたようです。
● 呉楚水戦(紀元前549年〜506年)
● 呉斉水戦(紀元前494年〜485年)
● 呉越水戦(紀元前494年〜475年)
どうもこの呉,楚、越の三か国はしばしば揚子江上で船戦をしていたようです。
33日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:06:20
「内越」と「外越」はもともと同じく古越族に属し、東シナ海の大陸棚に生活していた。
しかし、13000年ほど前、地球温暖化がもたらしたammonia海進によって古越族が分かれてしまい、
中国大陸の長江下流域に移転していった人びとは「内越」となり、日本列島に上陸した人びとは「外越」となった。
にもかかわらず、縄文前期以降、彼らはまた往来して交流を始めた。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bungaku/ronshu68/ri.pdf
「こし(越)」の来歴 李国棟
34日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:10:32
江南馬橋文化の縄文土器

馬橋文化(4000〜2700年前)も、基本的な性格は江南の農耕文化であるが、良渚文化との
大きな相違は、大量の玉器が出ていないことである。それにかわって大量の縄文土器が
出土している。中国の考古学者が、拍印縄紋陶とよんでいるものである。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_03_01nettaijaponica_ha_dokokarakitaka.html

半島南岸「東三洞貝塚」の縄文文化

東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。
朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は、縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。
朝鮮半島では銛(もり)や鏃といった漁労具や狩猟具に最適な黒曜石が産出されない。
このため朝鮮半島で特に貴重であった黒曜石を携え、縄文人たちは交易にやってきたのではないかと考えられている。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_02inasakugijyutu_wo_dareka.html

35日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:25:10

...さらに「日本まで流されることがよくある」という。潮の流れや風の関係で、漂流すると二日ほどで日本の九州沿岸あたりに流れ着くらしい。
確認するために海上保安庁に問い合わせると「現在はさすがに減ったが、1960年代頃までは中国の浙江省や福建省から漂流してきた漁船を、頻繁に沿岸や海上で救助していた」というのである。

河姆渡のあたりから流れ始めると、まず大河長江から吐き出された流れによって沖合いに運ばれ、やがて対馬海流にのって九州あたりに到着する。
風向きが良い春から夏だと、この流れはさらに加速し、まる一日ほどで着くこともあるのだという。

はるか6000年前の昔、稲籾を携えた漁労民たちも、こうして漂流の果てに日本列島に流れ着いたのだろうか、果てしない数の漂着物を見ていると、それも当然あったことのように思えてきた。
http://tonko.photo-web.cc/bunarintokodaisi/inenotami/inenotami/ine4/ine4.html#ine4
36日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:32:15
37日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:48:23
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://www.zenplan.co.jp/public_html/topics/img/14-1.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
38日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:55:33

>>>朝鮮南部は元もと縄文,倭人文化圏<<<

「東アジアのゴホウラやイモガイ,オオツタノハ製品,その他の南海産貝製品出土圏」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_06/kai448.jpg
日本と韓国の結合式釣針の分布
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/11nihonnkaibunnkakenn/nihontokankokunoketugousikituribari_Rnobunpu.jpg
「朝鮮半島南部の勾玉文化圏」
http://yamatai.cside.com/katudou/image/241-5.gif
南式支石墓文化圏,前方後円墳分布図
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/shisekibo_hantou.png
韓国全羅南道の前方後円墳分布図
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/img_1583928_39577794_21.jpg
半島南西部の甕棺文化圏
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/01/74/b0017474_20213019.jpg
1七岩里古墳2月桂1号墳3古城里古墳4月桂洞2号墳5月里古墳6月桂洞1号墳7明花洞古墳8新徳1号墳9咸平長鼓山古墳10杓山古墳11チャランポン古墳12龍頭里古墳13海南長鼓山古墳

縄文,弥生「土器,石匙(携行ナイフ)」文化圏
39日本@名無史さん:2011/02/09(水) 00:57:51

!!!!!!「石鋤」をご存知ない方はユックリご覧下さい!!!!!!

遼寧,興隆窪文化(約7000〜8000年前)の打製石鋤,鍬,石包丁(1〜5 石鋤・鍬)
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2e.gif
東北アジアにおける先史文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm
興隆窪文化と黄河中・下流域の新石器文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-3b.gif

打製石器-石鋤 農具 (台湾)大馬?文化 新石器時代?期
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd054&ParentID=0b000001801bd054
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd056&ParentID=0b000001801bd054&Type=archeology&Part=2-1

縄文農耕論発祥の地・井戸尻 縄文中期の石器群
http://tonko.photo-web.cc/11gatukara/lolipopfc2/hujimi/toukai/noukoutosiyoku/noukou/1/clip_image002.jpg
40日本@名無史さん:2011/02/09(水) 01:02:01
41日本@名無史さん:2011/02/09(水) 01:05:42
鋤先骨耜「骨製の鋤,骨耜」 日本にも時代は下るが全国に有ったのでは西日本、関東では火山灰ローム層の酸性土壌の為、
骨製の物は大部分消滅したと思われるが一部東北,北海道の貝塚等で出土する、地方なので土器同様時代がかなり下る。

北海道根室(弁天貝塚) 骨鍬,骨耜
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-2.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-6.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-3.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/index28.html

「骨製の鋤,骨耜」 7000〜5000年前 長江,河姆渡遺跡出土 浙江省博物館蔵
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_24_04.jpg
http://www.geocities.jp/room_fai/s-kouko-china.html稲作農業
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-24.html
42日本@名無史さん:2011/02/09(水) 01:07:26

南九州・上野原遺跡  縄文時代早期前葉(約9500年前〜7000年前)の後半期。

上野原遺跡第3工区では、平成4年度から平成6年度までの3年間にわたり発掘調査が行われ、
約90000汀fの範囲に縄文時代早 期 ... その中で、約 10万点の土器や石器が出土した
縄文時代早期後半の時期が特に注目される。 この時期に造られた施設の中では、壷 ...
http://inoues.net/ruins/uenohara_sekki.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara029.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara030.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara_isiono.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara_museum.html
43日本@名無史さん:2011/02/09(水) 18:11:44
◆西原町は、「ニシ原町」にしては? (#0017, 2002年12月)
http://www.aoikuma.com/image/nishihara.gif
沖縄ではニシは、北のことです。「ニシ原」は首里王府、那覇の北の方角にあるので、その名がつきました。
ここで北とは、民俗方位(=沖縄の生活方位)のことで、磁石の方位では北東のことです。
冬は北東の季節風が吹くので、北東が<北>になりました。冬の吹きはじめの風をミーニシ(新北風)といいますが、北東の風です。
地図から、ニシハラは、那覇の北東にあることがわかります。
ニシハラには、まずいことに西原という漢字をあててしまいました。「ニシ原」に改名したほうが、実状にあっています。
「ニシ」なら、「ああ、カタカナだから沖縄の古語なんだな」との連想がききますから。
<まとめ>
「にし原」は首都の<北>にある所という意味。沖縄での生活方位の<北>は、実際は北東のこと
南風原(ハエバル)は南風の吹く原、東風平(コチンダ)は、東風(コチ)の吹く平という意味です。





44日本@名無史さん:2011/02/09(水) 18:33:35
◆「西」とは、イニシ(去)で、出発点のこと (#0016, 2002年12月)
http://www.aoikuma.com/image/nishi.gif
琉球語を含む日本語では、「ニシ」とは、イニシ(去)のことで、去った所を指します。
日本人は大陸を去って、日に向かって、つまりヒンガシ(日向→東)に進みました。
琉球人はその昔、九州を去って、南に向かいました。沖縄ではニシが北を意味するのは、北の九州を去ったからです。
沖縄では、東、西を、 アガリ、イリとよびます。したがって、西表はイリオモテです。太陽が西に入って沈むので、西はイリです。
<Memo>
そういえば、イニシエとは、「古」「昔」のことです。ニシとは、イニシ所=去ったところ、帰るところ=出発点のこと
四国などでは帰る事をイヌる、イネ、イノ、イニや、などと方言でいい、イニシ所から来たものだと思われる。
日本人は西からきて、沖縄人は北から来たことが上からわかります。沖縄のニシは、実際には北東です。

45日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:11:36
46日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:17:40
>>世紀の大発見!!縄文時代土器の常識が覆すかも。櫛目文土器より曽畑式土器の方が可なり古い<<

この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器。

発掘調査が待たれる茂の脇遺跡

案内板のある茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさすらしいが、縄文前期から古墳時代に至る
複合遺跡で、本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期
の土器、石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。
今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが学会の常識
であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から
曽畑式土器が見つかった。つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということに
なってしまう。
47日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:21:10
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html
48日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:27:16
49日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:58:18

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。
50日本@名無史さん:2011/02/10(木) 00:39:54
「東海之外、大荒之中、有山名曰猗天蘇山」
>>おどろくべき事に紀元前475年〜紀元前221年頃には済州島南西150kmに有る、海面下の岩礁の事が詳しく知られていた。
>>もう少し東へ進めば対馬暖流に乗り、済州島や九州へは以外と簡単かも知れない。

中国の古書「山海経」(紀元前475年 - 紀元前221年)に「東海之外、大荒之中、有山名曰猗天蘇山」と記載されている。
この蘇山とは海面下4,6mに有り、海が荒れた時だけ見える蘇岩礁のことであり中韓の領土紛争になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%B2%A9%E7%A4%81
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/61/36/t032131/folder/1575422/img_1575422_43544767_0?1230026560
http://www.iza.ne.jp/images/user/20080809/313967.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c8/494ae96f8e2f8d96db264d73cb324d10.png
51日本@名無史さん:2011/02/11(金) 23:23:13
>35

これ大陸棚が陸だった時期ならもっと交流が盛んだったんじゃないだろうか
52日本@名無史さん:2011/02/12(土) 23:30:46
「長江を下って東シナ海に出れば、偏西風と黒潮に乗ることができる。黒潮の流速は、本州南方で最も速く3〜5ノットに達し、この流れに乗れば容易に日本に到達する。
舟山列島を春から夏に出た船は、南西風と対馬海流に乗って五島列島につく。
昭和19年3月、ジャンクで日本に帰った山手元枝氏の経験によると、20日夜半、舟山島を櫓で漕ぎ出したジャンクが、舟山島沖合で潮に乗ると同時に帆をあげると、
一路、東に向かって走り出し、翌日昼ごろ五島列島を横切り、日暮れに唐津港に投錨したという。わずか20時間ほどで東シナ海を横断できる。
秋から冬の間に出た船は、舟山群島沖を南下する寒流と西北風によって黒潮に乗り、九州南端の野間岬とか紀州南端の潮岬などにつく」。 (『四川と長江文明』古賀登・東方書店)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/f8/89ab229e956a6176e81e7f0e953fa174.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a2/53be93b0a448039987c150f13c83e07b.jpg
53日本@名無史さん:2011/02/12(土) 23:40:34
おまり泳げない、長江河口でのんびり暮らしているテナガミズテングが、なぜ、日本で発見されたのか、簡単に書く。
中国、長江の大洪水で、日本まで流されてきたらしいのである。1995年の5月中旬〜6月に、長江では大洪水が発生した。
最大流量は毎秒75500立方メートルに達したというが、この数字は、ぴんとこない。

この大量の洪水、淡水は、東シナ海の表層で幅100〜200km、北東方向に少なくとも長さ約600kmにわたる
巨大なプルームをつくり、対馬海峡を抜けて、日本海に侵入したと考えられ、報告されている。この数字の巨大さはわかる。
プルームとは流体の流れである。境界は渦巻くような、見えるものでいえば、大気に立ちのぼる黒い煙の流れのようなものをプルームと呼ぶ。

巨大な淡水のプルームが対馬海峡を超えたのだ。巨大な大洪水起源の河川水が、1995年に、九州北部から日本海西部まで流入したのである。
テナガミズテングは、卵か、稚仔魚が、この河川水に流されて、有明海湾奥の河口に運ばれ、ここで2年ほど育って捕まったと推測されたのである。
河川水にのって、東シナ海を780kmも渡ってきた。長江は1954年にも、大規模な洪水を起こしている。

54日本@名無史さん:2011/02/17(木) 13:06:14
かけ算の九九を書いた木簡が昨年平城宮跡から出土しましたが。
日本の九九は春秋戦国時代の九九歌という数え歌が起源で「孫子算経」が原典となっています。

孫氏がいた呉の国が滅亡した後、我々日本人の祖先がこの日本列島にたどり着いた時、同時に九九も伝わったのでしょうね。


55日本@名無史さん:2011/02/17(木) 18:10:29
>>渡り鳥を目印に進めば中国,長江〜九州間,直行ルートの方角は訳ないよ(渡りルート図参照)、数万羽の鳥が案内してくれる。<<

タカ科の猛禽類ハチクマ
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/08/59/f0132959_1936171.jpg
http://www.kitashirakawa.jp/ryoma/manifold/kuma.jpg
日本では主に本州で繁殖するトビとほぼ同じ大きさのタカ科の猛禽類です。秋になると越冬のため中国大陸へ向かう渡り鳥として
ハチクマの群れが長崎,五島福江島に飛来します。特に玉の浦町大瀬崎(大瀬崎山頂)は、
ハチクマの群れが中国大陸へ向けて次々に飛び出す様子を間近に観察できる絶好のポイントになっています。
http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/www/contents/1232518705804/activesqr/common/other/49548ea0002.jpg
http://livedoor.2.blogimg.jp/sasakiri/imgs/7/4/74d1b4b3.JPG(海上を移動中の鷹柱たかばしら,上下も)
http://pds.exblog.jp/pds/1/200609/22/42/b0093742_18512550.jpg
毎年9月中旬から10月上旬にかけて、4万羽を超えるハチクマが観察され、1日で1500羽を越えることもあります。
この時期には、ハチクマのほかに、アカハラダカ、チゴハヤブサ、ツバメなど多くの野鳥が渡って行く様子も観察できます。
http://www10.plala.or.jp/ayac/yazu/fa1/b129wa.jpg(ハチクマの渡りルート(提供:信州タカ渡り研)中下も)
https://iiiro.jp/blog/ManageBlog/DispPhotoImage?filePath=imagedir/317460.jpg&m=4
http://lh5.ggpht.com/_4TFpUG1wmjo/TJqsVeEF4lI/AAAAAAAAAgs/5ZiYjcbmG3M/s400/jpg
日本国内で繁殖したハチクマのほとんどが五島列島に飛来し、大瀬海岸を中心とした福江島の西海岸から
中国大陸まで直線約600kmを一気に渡って行くと考えられ、その飛翔力に驚かされます。
56日本@名無史さん:2011/02/17(木) 18:13:06
毎年9月中旬から10月上旬にかけて、4万羽を超えるハチクマが観察され、1日で1500羽を越えることもあります。
この時期には、ハチクマのほかに、アカハラダカ、チゴハヤブサ、ツバメなど多くの野鳥が渡って行く様子も観察できます。
http://www10.plala.or.jp/ayac/yazu/fa1/b129wa.jpg(ハチクマの渡りルート(提供:信州タカ渡り研)中下も)
https://iiiro.jp/blog/ManageBlog/DispPhotoImage?filePath=imagedir/317460.jpg&m=4
http://lh5.ggpht.com/_4TFpUG1wmjo/TJqsVeEF4lI/AAAAAAAAAgs/5ZiYjcbmG3M/s400/jpg
日本国内で繁殖したハチクマのほとんどが五島列島に飛来し、大瀬海岸を中心とした福江島の西海岸から
中国大陸まで直線約600kmを一気に渡って行くと考えられ、その飛翔力に驚かされます。

57日本@名無史さん:2011/02/17(木) 18:20:58
>>渡り鳥を目印に進めば中国,長江〜九州間,直行ルートの方角は訳ないよ(渡りルート図参照)、数万羽の鳥が案内してくれる。<<
タカ科の猛禽類ハチクマ
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/08/59/f0132959_1936171.jpg
http://www.kitashirakawa.jp/ryoma/manifold/kuma.jpg
日本では主に本州で繁殖するトビとほぼ同じ大きさのタカ科の猛禽類です。秋になると越冬のため中国大陸へ向かう渡り鳥としてハチクマの群れが長崎,五島福江島に飛来します。
特に玉の浦町大瀬崎(大瀬崎山頂)は、ハチクマの群れが中国大陸へ向けて次々に飛び出す様子を間近に観察できる絶好のポイントになっています。
http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/www/contents/1232518705804/activesqr/common/other/49548ea0002.jpg
http://livedoor.2.blogimg.jp/sasakiri/imgs/7/4/74d1b4b3.JPG(海上を移動中の鷹柱たかばしら,上下も)
http://pds.exblog.jp/pds/1/200609/22/42/b0093742_18512550.jpg
毎年9月中旬から10月上旬にかけて、4万羽を超えるハチクマが観察され、1日で1500羽を越えることもあります。この時期には、ハチクマのほかに、
アカハラダカ、チゴハヤブサ、ツバメなど多くの野鳥が渡って行く様子も観察できます。http://www10.plala.or.jp/ayac/yazu/fa1/b129wa.jpg
https://iiiro.jp/blog/ManageBlog/DispPhotoImage?filePath=imagedir/317460.jpg&m=4 (ハチクマの渡りルート(提供:信州タカ渡り研)上下も)
http://lh5.ggpht.com/_4TFpUG1wmjo/TJqsVeEF4lI/AAAAAAAAAgs/5ZiYjcbmG3M/s400/jpg
日本国内で繁殖したハチクマのほとんどが五島列島に飛来し、大瀬海岸を中心とした福江島の西海岸から中国大陸まで直線約600kmを一気に渡って行くと考えられ、
その飛翔力に驚かされます。

58日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:38:06
 __          〆 ⌒ ヽ
| ● | サッ      i.   ^、,^ i
  ̄ |         (6- (III)(III)
c~~⌒ )       ノ⌒ヽ 、 '◇〉 此処で一旦、駒ー斜瑠でぇーす
  ̄| |   ,____/  \ \⌒\) 
   i ゝ_/ i i      \ノ`\丿 
   ヽ__|  ヽ ヽ    ノ      ノノ
       ゝ  _\ 二ノ
        \. ヽ
          ) )
        / /
       (  く
        \ ο  
          ̄
坐禅と見性73章社会的関係性と損在が人
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1289689033/
坐禅と見性スレ避難所第1章
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11155/1296476490/
【仏経】悟りを開いた人のスレ90【天空寺】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1296618056/
悟りを開いた人のスレ の避難所 13
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1294520561/
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】6
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1293371851/
【秘密の】 馬鹿者の集い 【しゃべり場】その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1279184518/
仏教 議論スレッド 10
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1297398791/
宗教ジョークを作ろう
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1267655053/
59日本@名無史さん:2011/02/19(土) 00:30:06
>>これも参考に、私が子供の頃は空に灰色の龍雲の様だった。
>>渡り鳥を目印に進めば中国,長江〜九州間,直行ルートの方角は訳ないよ(渡りルート図参照)、数万羽の鳥が案内してくれる。<<
(ハチクマの渡りルート(提供:信州タカ渡り研)http://www10.plala.or.jp/ayac/yazu/fa1/b129wa.jpg
https://iiiro.jp/blog/ManageBlog/DispPhotoImage?filePath=imagedir/317460.jpg&m=4
http://lh5.ggpht.com/_4TFpUG1wmjo/TJqsVeEF4lI/AAAAAAAAAgs/5ZiYjcbmG3M/s400/jpg

タカ科の猛禽類ハチクマ http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/08/59/f0132959_1936171.jpg
             http://www.kitashirakawa.jp/ryoma/manifold/kuma.jpg
日本では主に本州で繁殖するトビとほぼ同じ大きさのタカ科の猛禽類です。秋になると越冬のため中国大陸へ向かう渡り鳥として
ハチクマの群れが長崎,五島福江島に飛来します。特に玉の浦町大瀬崎(大瀬崎山頂)は、
ハチクマの群れが中国大陸へ向けて次々に飛び出す様子を間近に観察できる絶好のポイントになっています。
(海上を移動中の鷹柱たかばしら)
http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/www/contents/1232518705804/activesqr/common/other/49548ea0002.jpg
http://livedoor.2.blogimg.jp/sasakiri/imgs/7/4/74d1b4b3.JPG
http://pds.exblog.jp/pds/1/200609/22/42/b0093742_18512550.jpg
毎年9月中旬から10月上旬にかけて、4万羽を超えるハチクマが観察され、1日で1500羽を越えることもあります。
この時期には、ハチクマのほかに、アカハラダカ、チゴハヤブサ、ツバメなど多くの野鳥が渡って行く様子も観察できます。
日本国内で繁殖したハチクマのほとんどが五島列島に飛来し、大瀬海岸を中心とした福江島の西海岸から
中国大陸まで直線約600kmを一気に渡って行くと考えられ、その飛翔力に驚かされます。
60日本@名無史さん:2011/02/19(土) 22:23:43.51
BC20000〜BC6000縄文形成  連 載 川上しのぶ(かたばみ)

http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/sankou/e_asia01.png
61日本@名無史さん:2011/02/20(日) 19:47:53.34

浙江省,温州市,瑞安市,浙南石棚墓(支石墓の中国名)群,属于商周(紀元前1700-紀元前256年)时代墓葬

浙南石棚墓群分布于浙江省瑞安市篁社镇棋盘山、平阳县钱仓龙头山和苍南县钱库镇桐桥等地,
属于商周(紀元前1700-紀元前256年)时代墓葬。
http://blog.sina.com.cn/s/blog_574dff1c0100g7va.html
http://www.mayu.zj.com/tour/detail/15873/15459
http://www.wzwiki.org/wiki/%E6%B5%99%E5%8D%97%E7%9F%B3%E6%A3%9A%E5%A2%93%E7%BE%A4

62日本@名無史さん:2011/02/20(日) 22:58:17.79
63日本@名無史さん:2011/02/26(土) 15:23:16.44
三重人は名古屋人に対して、
うわべはニコニコ接していても
下品で野蛮な猿のように思っているから
腹の底では馬鹿にしている。

三重は関西であり、
三重人は関西人である。
64日本@名無史さん:2011/03/01(火) 22:52:12.74
『 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。
ざんばら髪の君には長者の相なく、入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。
おのれを阿儂(おいら)と言いふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が代用飯、茶が飲物代わり。
じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)をクチャクチャ。手には荳蔲(ズク)をつかみ、口にはビンロウを噛む中州のところで、
魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。』

* * * * * * 六世紀に書かれた『洛陽伽藍記』より * * * * *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
65日本@名無史さん:2011/03/30(水) 11:50:57.33
「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく)想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

スゲーよな!
この大昔に建てられた石碑の戒めを守って暮らしてきた岩手県の集落は誰も死なずに助かったんだって!
なんとこの石碑の50m手前で津波が止まったそうだ!
わが国の先人達の知恵。
ありがたいね。
66日本@名無史さん:2011/03/30(水) 12:48:10.69
67日本@名無史さん:2011/04/02(土) 08:09:42.37
呉とは何かから始めたほうがいいんじゃないか
68『民族の指紋』”管理”者:2011/04/02(土) 17:44:12.07
52 :日本@名無史さん
驚きました。
私のサイトから画像を引用されていますね。ありがとう。

皆さんも、できれば私のサイトのほうを一瞥してください。
長江流域と日本列島との数千年にわたる「人・もの・文化」の結びつきが、
断片的・散発的かつ点としてで語られてきたことを、線として構築したものです。

従来にない、まったく新しい視点と観点からなっています。
たぶん、驚きの事実が見えるものと思います。

『民族の指紋』
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/
69『民族の指紋』”管理”者:2011/04/02(土) 18:33:10.13
私の論考から

●卑弥呼も長江河口からの渡来人の可能性
後漢末という時代は一大宗教改革の時代でもあった。
張魯の天師道が鬼道と呼ばれ始めたのが188頃からで、そこから30年間218年頃まで続いた。
張角の太平道は180年頃の旗揚げで、20年間200年頃まで続いた。両者は190年代に中国本土で盛んになっている。
卑弥呼が女王になったのは同じく190年前後である。
その彼女は、女王になる時点ではすでに鬼道を修得していたことになる。
鬼道を修得していたのだから、年齢も1すでに成人の年齢に達していたと思われる。
問題は、彼女はいつ・どこで鬼道をマスターしたのかである。
……ここで、よくよくお考えいただきたい。
中国発祥の森羅万象の哲学ともいえる黄老学を基礎とする道学(天師道=鬼道)を修得するには、
高度な中国語の素養と多岐にわたる知識・見識を必要とする。
必然的に、生粋の土着倭人には簡単かつ短期には伝授も修得も不可能である。
ということは、王位継承が発端となった内紛の収束のための苦肉の策として、
リリーフ役に立てられた卑弥呼は、新来の渡来人だった可能性が高い。
70『民族の指紋』”管理”者:2011/04/02(土) 18:40:34.63
つづき。

倭人と倭国支配層の出自については、抗しようのない確かな証拠がほかにもある。
▼文身とお歯黒をする▼文字をもたない▼漢族とは少し異なる民族である。

(中国には現在でも50を超える少数民族がいるが、そのほとんどが独自の言語を有し歴史的に文字をもたなかった。
中国大陸からの渡来人といえば、中国語を話し漢字を持ち込んだはずと考えるのは早計である)。

(お歯黒はそもそも、判明しているだけでも古墳時代か江戸幕末まで、皇族・貴族の間で行なわれた習俗である。
1870年に皇族・貴族に対するお歯黒禁止令が出されたあとは民間でも徐々に廃れるが、
一部地方では昭和前期までお歯黒をした民間女性がみられた)。

3世紀半ば以降、倭国に関する記録が中国の歴史書から消える。
そうした空白の世紀というトンネルを抜けたら、中国名を名乗る男王たち(五王)が登場し、
以来、倭国は男子継承を原則とする大和国家へと脈絡する。

こうした歴史的推移の中に、長江河口からの渡来民族の影がかぶさってはいないだうか。
倭国支配層の「お歯黒」の習俗が古墳時代以降のものだったとすれば、
五王たちの時代を含む古墳時代は、お歯黒をする民族がもたらしたとの論理に帰結する。
むろん、半島渡りの騎馬民族などの影ははない。
71日本@名無史さん:2011/04/09(土) 17:19:20.10
うむ
72日本@名無史さん:2011/04/29(金) 15:36:12.87
お歯黒は江戸時代にもあったな
73日本@名無史さん:2011/05/16(月) 21:56:37.64
74日本@名無史さん:2011/05/17(火) 05:39:19.15
最近読んだ「日本のまつろわぬ民(水澤龍樹著)」や、昔読んだ「青銅の神の足跡(谷川健一著)」によると、
日本固有のタタラ吹きによる製鉄は、呉国があった大陸南部から海の道で渡来したとか。
朝鮮半島にタタラの痕跡はないという。
75日本@名無史さん:2011/05/17(火) 15:29:20.43






34 :日本@名無史さん:2011/05/17(火) 00:55:02.80
どこが愛国なんだよw

そいつは日本人を装って朝鮮から日本を護る正義の味方のふりをしながら、
実は日本人のルーツを台湾人の故郷、江南に改竄する事が目的の台湾人国策工作員だよw





76日本@名無史さん:2011/05/17(火) 23:51:49.82
凄まじい限りの詐欺創作の塔だなw

江南誘導サギ創作のバリケードと命名してやろうwwww

な、日本人を装って朝鮮から日本を護る正義の味方のふりをしながら、
実は台湾人故郷江南に日本人のルーツを改竄する事が目的の台湾人国策工作員w
77日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:09:38.66
>>2
銅鐸と鼎は全然別のものでしょう。

で、画像とか見つからないんですが
中国無錫の呉文化博物館には、
現地で出土した”土鐸”が陳列されていましたよ。
78日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:37:36.18

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
79日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:38:27.73
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
80日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:39:54.33
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(嘲笑)


81日本@名無史さん:2011/05/18(水) 07:48:22.34
前期百済は呉の流民だぜ
その後、北方騎馬民族扶余に制服された
扶余は日本にも到達して
初期大和王権の元となったま混合
82日本@名無史さん:2011/05/18(水) 08:24:27.54
韓国人は秦の国の子孫辰韓 > 新羅 > 高麗 > 朝鮮異民族に滅亡あったことがない民族
83遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 11:04:22.23
>>81
>北方騎馬民族扶余に制服された
夫余は騎馬民族ではない。(中国からの流民集団がワイの土地に定着したというが、本質的にワイ族に近い)。
宮城、倉庫、牢獄などの建造物を建てて定住し5穀を植えるという夫余が、
学術的にも遊牧騎馬民族であるはずはない。むろん、高句麗も騎馬民族ではない。
そもそも民俗学に騎馬民族という用語はない。
江上波夫が無名の駆け出し時代に花火を打ち上げるために造った「造語」である。
民族とは、言語・宗教・歴史などの文化や、主たる生産活動形態(生活形態)などによる分類で、
馬に乗るだけで騎馬民族とはいわない。船に乗る民を乗船民族とか操船民族とはいわないのと同じ。
馬に乗る民族が騎馬民族だというのであれば、本来は農耕民族である中国人も紀元前から騎馬民族である。

>扶余は日本にも到達して
海を見たこともなかったろう内陸部の牧畜農耕民が、船を操って大海を渡った可能性はゼロ。
いつ現れていつ消えたかも分からん中国郡県下の少数民族にすぎん。
むろん、高句麗も騎馬民族ではない。

>>82
>韓国人は秦の国の子孫辰韓 > 新羅 > 高麗 >
馬韓人が本来の韓族。これが、きみのいう韓国人かな。
辰韓は、秦の役を逃れて中国北部から楽浪郡に流入した集団の一派で、のちに韓族の領域に入ってきた。
馬韓の韓族が、これに半島南部東側の土地をさいて住まわせたのが辰国、のちの辰韓。
辰韓人は秦人に似ているといえども、燕や斉などの生粋の漢族の特徴とは異なるという。
この辰韓に新羅が興る。

このあたりのことになると、あたしゃ「うるさい」から。
84日本@名無史さん:2011/05/18(水) 19:43:40.08
>>83
弱い!弱いなあ、名詞の定義の問題でないぞ
その理屈、お子様なら騙せたろうがw

1970年代まで古墳発掘が盛んだったころ、高松塚や藤ノ木から出てきたのは、
完全に高句麗式の壁画と鮮卑式甲冑である。
天井の天空図の星座配置は近畿のものでなく北朝鮮の緯度の景色という意味深なおまけつきである。
学生運動はなやかなりし頃は小中学生でも知ってる話だった。
朝日新聞はこのネタが大好きだったから赤報隊に襲撃されたと思われw
宮内庁方面は高松塚抹殺に必死だがねw

百済(呉、扶与)高句麗(扶与、鮮卑)新羅(秦)が天孫

半島で高句麗をいったん押し戻した「倭」の本拠は北九州、太宰府が首都並規模で別格だったのはその名残、法隆寺は北九州から移設された
近畿の半島勢力連合に制圧されオリジナルの倭を併合、
百済系天智朝に白村江に日本全域から動員されたが負けて、
郭ムソウに進駐されて唐系新羅系の天武朝、ここで日本と改称
百済系が桓武朝で盛り返すとw
85日本@名無史さん:2011/05/18(水) 19:49:30.52

YDNA−D2の謎が解けないかぎり、
日本人がどこから来たのか結論は出ない。
各自、妄想の書き合いだ、
この謎から目を背けたがる者が、一番のペテン師。
北からだろうが、南からだろうが、半島からだろうが、
何処からでも良いが、だれが、謎を解くのだろうか。

YDNA−D2と分類される遺伝子が現実にある、
その事から目を背けたい人が多いみたいです。
86日本@名無史さん:2011/05/18(水) 19:55:56.75
もっと言うと
日本書記にも出てきて江戸時代まで続いた日本の屋外乱交=歌垣、盆踊りの習慣はそもそも高句麗の習慣である

三韓と鮮卑は日本の元

ただし在日君はモンゴルの血が半分だから威張らないように!
87日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:48:18.82
高句麗に歌垣があったという記録は見当たらないですが、

88日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:51:00.57
屋外乱交=歌垣ではないでしょう、
89日本@名無史さん:2011/05/18(水) 20:56:50.32
>>84
D2は縄文人の話

縄文人はまさに中南米のように混血されて現日本人の元になったが、多方面からの人口流入で賎民の層が厚かったのが日本のダイナミズムの元。

オリジナルの武士は朝廷の台帳に名前のある騎馬系帰化人の公僕だったから坂上田村麻呂の軍隊には百済語の通訳が同伴した。

荘園は人身売買で農奴を仕入れたから平安期に下々はさらに混ざる。
東国の武士が強かったのは高句麗が多かったから。

濃すぎた集団は別所や散所という隔離地域に押し込められこれが「部落」につながるが古代の名残で皇室直属の賎民もかなりいた。

そこで別所からも武士が出て楠正成とかが活躍。

室町から戦国で強けりゃ皆武家を名乗って幕府皇室に献金して官位を買い取り系図を偽造。
庶民は半農半兵や半賎半兵、戦国の戦争では人は戦利品だから日本人はさらにミックスされる。
徳川家康も、賎民出の秀吉と同じく松平を乗っ取った賎民の世良田二郎三郎。
だからお仲間は優遇して浅草にエタ頭の弾左衛門を置いた。江戸期の十手持ちはほぼ賎民で博徒を兼務。
これは差別でなく特権で、警察とパチンコがグルなのは日本の伝統。

江戸期で農民が大半というのは嘘で、寺の戸籍に入らない非定住民がかなりいて明治で戸籍を作りなおしたら日本の人口は倍になった。

大陸系支配者と先住民系大陸系の庶民賎民の三つ巴。それが日本。
90日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:15:10.01
当時日本列島内でもアイヌ語をはじめ方言が強く通訳は必要だと思います。

>坂上田村麻呂の軍隊には百済語の通訳が同伴した。

と「百済語の通訳」と限定した根拠となる資料を述べよ。



91日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:32:32.15
>>87>>88

風俗尚淫、不以為愧、俗多游女、夫無常人、夜則男女群聚而戲、無有貴賤之節。
あと共通点は妻問い婚な
これは南方という解釈より素直に北の風俗
92日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:45:10.29
自分も参加したくなる文章ですね、
屋外乱交と表しても違ってはいないような文章ですが。
歌垣ではないようです、「夜則男女群聚而戲」を読むと
日本古来の歌垣とは完全に違いますね。
93日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:48:12.39
祭りや、盆踊りの夜の情景ならば、かなり共通していますが、
94日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:14:07.08
>>90
あれまあ
「六国史も読んだことがない厨房かつ、
宮廷人事の行間が読めない素人なので
畏れ多くもご教示をたまわりませんと
涙目で朝まで眠れません」
ぐらい正確に日本語は使いませんとね、
文科省公認史観は頭に毒ですござんすよ

続日本紀 延暦十年で
百済王俊哲を探しなさい
95日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:21:16.49
>>92>>93

赤松さんでもご覧なさい

歌垣も盆踊りも、ハメハメありが本来でございます
隠蔽禁止
96遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 22:23:52.77
>>84
>高松塚や藤ノ木から出てきたのは、 完全に高句麗式の壁画と鮮卑式甲冑である。
>天井の天空図の星座配置は近畿のものでなく北朝鮮の緯度の景色という意味深なおまけつきである。

その理屈、お子様なら騙せたろうがw 。もう通用しないんだ。
●高句麗壁画古墳の源流は中国
▼最初の高句麗壁画古墳{安岳3号墳」。横穴式石室をもつ封土墳の形態である。
安岳3号墳の7行68文字の墓誌によると、357年に冬寿(とうじゅ)という中国人が
69歳で死去したと伝えている。『資治通鑑』によれば、
とう寿(とうじゅ)という人物が336年に遼東から高句麗に亡命したことが判明しており、
この安岳3号墳の被葬者の冬寿は、ほぼ間違いなく『資治通鑑』のいうとう寿だと考えられている。
▼徳興里古墳。墓主の名前が墨書された数少ない古墳で、14行154文字の墓誌が記されている。
この墓誌によれば、 被葬者は幽州刺史の鎮という漢人官吏で、
409年に77歳で没したことを伝えている。
後室の四面には墓主のほかに馬射戯図(流鏑馬)、高床倉庫、蓮花文、七宝行事図で埋め尽くされ、
天井には星宿図があり、周囲を彩色された火炎文や蓮花文が飾っている。
また前室にも墓主像のほかに13郡太守図、 鎮の家臣図があり、
それぞれに官職名が記されている。 ほかにも騎馬行列図も描かれている。
(「世界遺産情報」高句麗古墳から抜粋して要約)
 
つづくけど・どや。
97遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 22:24:54.92
>>84  つづき。

高句麗壁画古墳とされる墓は鴨緑江と大同江流域に集中しているが、
このあたりは、紀元前108年に前漢の武帝が4郡を置いて以来、
玄菟郡下の少数民族棲息地域として中国文化の影響を多く受けてきた。
事実、ここに最初につくられた安岳3号墳は中国人の墓であり、
そこに見られる様式も明らかに中国発祥の様式である。
これを、(積み石塚をつくる高句麗の中で)支配層の一部が、
中国由来の封土墳(盛り土の墓)と壁画様式を採り入れたものと思われる。
6〜7世紀になると、青竜・玄武・白虎・朱雀をテーマとした四神が登場するようになるが、
四神も、太陽と三足烏(三本足の烏)・月とヒキガエルもみな、中国古来の信仰精神によるものである。
そうした流れの必然として、墓づくりも描画も中国人の手によるものとみるべきである。

ついでに。中国人の墳墓・安岳3号墳に描かれた角抵(相撲)も、
徳興里古墳に描かれた流鏑馬も中国発祥である証拠を提示する。
是時二世在甘泉、方作角抵優俳之観。(『史記』李斯列伝)
▼この時、二世甘泉に在り、方(まさ)に角抵は優俳の観を作(な)す。
秦の二世皇帝が甘泉宮にいるとき、角抵の技を競わせたが、
それは演劇や雑技にひけをとらないほどのの見せ物だったという。
この角抵については、應劭と文穎が次のような注釈をつけている。
▼應劭曰く:戦国の時、武道を学びたしなむ礼がやや多くなり、
男子が相対して(力を比べて)誇示するをもって娯楽とした。
秦はこれを角抵と名づけて呼んだ。角とは力の技なり、抵とはぶつかり合う(抵触する)なり。
▼文穎曰く:秦はこの娯楽の名を角抵となす。両者が相当り、力くらべをす。
角技は、射御(馬を御し弓を射る流鏑馬)と同じ技、故に角抵というなり。
このほかにも、『漢書』武帝記、『後漢書』夫余伝、『日本書記』皇極天皇紀にも、
角抵を見せ物や賓客を迎えるイベントとして催したことが記録されている。
98遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 22:25:55.62
筋金入りの天才の登場だ。
やわいギミックは通用しないと知れ。どや
99日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:29:56.16
>>94
>続日本紀 延暦十年で
>百済王俊哲を探しなさい

坂上田村麻呂の軍隊には百済語の通訳が同伴した記述は、
どの文章から解釈できるのだ?

100日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:40:46.61
>>95

ハメハメありが本来でございます←男と女が集まれば、古代は共通ですね。
しかし、歌垣の必要条件は、求愛の歌を掛け合う事が明確でないと、


101日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:56:54.09
>>98
いやいや
まったく通用せんのはお宅様の舌先三寸のほうでw

高句麗が漢の支配下だったとか中国文化の影響を強く受けているとか真似していたことから
成層圏突き抜けて飛躍して
「高句麗は中国人!」
と叫ぶのは最近の中国共産党の国際宣伝そのものですな

高句麗墳墓の被埋葬者が「中国人」?
高句麗存在当時の漢人がこぞって、「言語が違う習俗が違う」と異民族扱いしたものが21世紀には無理矢理実質同族ですか?
被埋葬者が漢人だとしても国を捨てて高句麗に根付いて埋葬までされた時点で
後世に自分が「中国人」と呼ばれるとは心外でしょう。
流鏑馬中国起源はかなり眉唾ですなあwww
狛犬は中共ではどう説明しろと?

自分の古代史を無視して東夷を中国扱いする中共の宣伝は正当ではありません。
東夷は東夷です。漢人ではありません。
中共は満州から出ていきなさい。
102遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 23:03:33.10
某サイトから拾った情報。
●集安駅の北にある高句麗期の王族や貴族の古墳群「禹山貴族墓地」。
展示室には集安一帯の壁画古墳の画像が展示されていて、
中国神話に登場する伏義と女媧、三本足烏と蟾蜍のほかに
神農が稲の束を持っている図などがある。

これらの絵の筆法と技術からもみて、描いたのは中国人絵師だろう。
こうした中国人職人が日本にやってきて、松塚古墳や藤ノ木古墳の壁画を描いた。
墓室の壁面や天井に壁画を描くのも、
そこに描かれた信仰的精神性も、挿画技術もみな、源流は中国にある。

断じて高句麗の文化などではない。
103遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 23:08:04.59
>>101
往生際が悪いぜ。

墓詩があるのは中国人の墓の特徴だ。厳然たる事実だ。
集安一帯にはじまる高塚墳と装飾壁画は、
中国の郡県下時代に中国人が中国人のためにつくったものだ。

東夷伝が「好んで略奪を働く」という高句麗のことではあるが、
歴史までパクるのはなしにしようぜ。
104遊撃的論客・伊作:2011/05/18(水) 23:12:55.98
>>101
>お宅様の舌先三寸

ずいぶん無礼な文言だが、どこが舌先三寸なのか。
きちんと指摘して、舌先三寸であることを証明してみ。

舌先三寸の否定文言羅列ではなく、
俺が提示した歴史的・考古的根拠を崩すレベルの論拠を提示してな。
それが反論というものだ。
105日本@名無史さん:2011/05/19(木) 00:14:36.23
黒い顔を赤黒くして、ギョロっとしたギョロ目を真っ赤にし、
潰れた過広鼻をフンガーフンガーとさらに広げて怒り狂うバカ湾人wwwwww
106遊撃的論客・伊作:2011/05/19(木) 00:26:11.35
>>105
誰に対する書き込みかは不明だが、ねんのため。
俺は熊襲の末裔を自認する、れっきとした日本人だぜ。

バリバリの九州出自だが、なんか・文句あるか?
107日本@名無史さん:2011/05/19(木) 00:49:39.28
帰化湾人なw

台湾料理屋のせがれのw

で、片親がクッセエ、クッセエ、黒くて醜悪な湾人の汚物雑種だろwwwww
108遊撃的論客・伊作:2011/05/19(木) 06:58:16.63
↑↑↑↑↑ 107
こういう攻撃ヤジを飛ばすのさって・どんな人種なんだ?
誰か、しってる人がいたら教えてくれ。日本人なのかい?
109日本@名無史さん:2011/05/19(木) 09:45:35.29
図星かよwwwwww
110遊撃的論客・伊作:2011/05/19(木) 19:27:20.57
>>109
文身(刺青)をする・お歯黒をする・文字をもたない、というのが日本人の祖先だ。
現代中国の少数民族といわれるのがそれだな。
とくにお歯黒は、日本の皇族・貴族・支配層がやっていた習俗だ。

で・ちみ。ちみはどんな祖先を持つと自分で思ってるんだ?
自分だけが日本人だとでも思ってるのならお笑いぐさだぜ。
111日本@名無史さん:2011/05/19(木) 20:57:03.76
>文身(刺青)をする・文字をもたない、というのが日本人の祖先だ。

それを縄文人といい、主に石器を使用していた。

習俗ならば、お歯黒どころか抜歯など多様に有ったはずだよ。

人類の祖先はみんなそうではないのか?


112サガミハラハラ:2011/05/20(金) 07:39:14.19
そういえば、スイスで発見されたアイスマンも刺青をしていたとか聞きました。
113遊撃的論客・伊作:2011/05/20(金) 08:16:28.44
>>111
文身(刺青)をする・文字をもたない、というのが日本人の祖先だ。

>それを縄文人といい、主に石器を使用していた。
ふにゃふにゃした「やわい」見識でものをいう奴だな。
黥面・文身も縄文土偶や弥生の埴輪にも認められる。
縄文時代から現代まで(機能・用途は変遷しても)連綿と続いている習俗だぜ。

・『史記』呉太伯世家(集解應劭注釈)
(呉人は)常に水中に在り、故にその髪を断ちその身に文し、
以って龍子の像(かたち)をす、故に傷害を見ずなり
・『史記』魯周公世家
呉王・夫差いわく。「我は身に文す。(中原の)礼を責むるに足らず」。
・『史記』趙世家(武霊王の言葉)
歯を黒く染め額に黥を彫り、魚皮で冠をつくり、太針で粗衣を縫うは大呉の国なり。

>習俗ならば、お歯黒どころか抜歯など多様に有ったはずだよ。
日本の支配層はお歯黒をする民族だ。
・『史記』趙世家(武霊王の言葉)
歯を黒く染め額に黥を彫り、魚皮で冠をつくり、太針で粗衣を縫うは大呉の国なり。

>人類の祖先はみんなそうではないのか?
逃げるなよ。文身やお歯黒についてどの程度詰めてゆってるんだ。
で・ちみはどんな祖先を持つ日本人かね?
114遊撃的論客・伊作:2011/05/20(金) 08:20:30.11
>>112 ハラハラ
>そういえば、スイスで発見されたアイスマンも刺青をしていたとか聞きました。

一般論としての人類共通の刺青の話をしてるんじゃない。
日本人の源流を語る手づるとしての倭人の刺青の話だ。
ふざけた横ちゃりはよせ。
いっちょ前の論客のつもりでいるのなら、論旨ぐらいきちんと捕えて考えろ。

半端ものが
115日本@名無史さん:2011/05/20(金) 09:47:29.71
◆入れ墨・入墨・刺青(いれずみ) 【IREZUMI】


日本には世界最古である7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。



紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
116日本@名無史さん:2011/05/20(金) 09:48:31.27



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


117サガミハラハラ:2011/05/20(金) 10:03:46.64
出アフリカの頃から刺青をしっていてようであるが、それがおまじないにせよ、飾りにせよ、起源はかなり古いようです。
で、倭人の刺青についても、その一派であり、倭人が突然独自に考案したものではない。
初めはおまじないや装飾としてまた成人儀礼としてやったであろうが、次第に身分とかの社会的な意味をつけるようになったようです。
日本では最近になって主に若い女性が刺青をするようになっています。これは装飾目的ですが、けすの大変ですから、けっしてすすめられません。
中国人は親からもらったからだを傷つけ(損なう)のは親不孝ということで刺青はおこないません。
そんなことをするのは野蛮人だというわけです。中華思想ですな。
118日本@名無史さん:2011/05/20(金) 20:53:31.00
>文身(刺青)をする・文字をもたない、というのが日本人の祖先だ。

それを縄文人といい、主に石器を使用していた。

習俗ならば、お歯黒どころか抜歯など多様に有ったはずだよ。

人類の祖先はみんなそうではないのか?

縄文人も抜歯の習俗もあったと思ったが、


119遊撃的論客・伊作:2011/05/20(金) 21:58:37.59
>>118 リフレイン
文身(刺青)をする・文字をもたない、というのが日本人の祖先だ。

>それを縄文人といい、主に石器を使用していた。
ふにゃふにゃした「やわい」見識でものをいう奴だな。
黥面・文身も縄文土偶や弥生の埴輪にも認められる。
縄文時代から現代まで(機能・用途は変遷しても)連綿と続いている習俗だぜ。

・『史記』呉太伯世家(集解應劭注釈)
(呉人は)常に水中に在り、故にその髪を断ちその身に文し、
以って龍子の像(かたち)をす、故に傷害を見ずなり
・『史記』魯周公世家
呉王・夫差いわく。「我は身に文す。(中原の)礼を責むるに足らず」。
・『史記』趙世家(武霊王の言葉)
歯を黒く染め額に黥を彫り、魚皮で冠をつくり、太針で粗衣を縫うは大呉の国なり。

>習俗ならば、お歯黒どころか抜歯など多様に有ったはずだよ。
日本の支配層はお歯黒をする民族だ。
・『史記』趙世家(武霊王の言葉)
歯を黒く染め額に黥を彫り、魚皮で冠をつくり、太針で粗衣を縫うは大呉の国なり。

>人類の祖先はみんなそうではないのか?
逃げるなよ。文身やお歯黒についてどの程度詰めてゆってるんだ。
で・ちみはどんな祖先を持つ日本人かね?
120日本@名無史さん:2011/05/21(土) 00:15:19.93
お歯黒は弥生人骨には一切見られないため、古墳時代の登場だと分かる。





お歯黒は古墳時代の埴輪と人骨から発見されているそうですが、
弥生時代に存在した証拠はまだ発見されていません。
http://www.mctv.ne.jp/~kawai/bbs/bbs%5B1%5D.html




121遊撃的論客・伊作:2011/05/21(土) 06:53:59.91
>>120
ならば、古墳時代をもたらしたのは「お歯黒」をする民族というわけだ。
「黒歯民族征服王朝説」というわけだ。わらわら
122はるま:2011/05/21(土) 17:02:15.85
奄美沖縄など南西諸島の女性はつい100年前まで手の甲に刺青を施す風習があったみたいですが、古代日本の刺青の名残だったんですかね?
123日本@名無史さん:2011/05/22(日) 12:19:55.64
日本史を理解するのに世界史も不可欠です

安岳3号墳の晋の王族の司馬氏の"人冬"寿(晋書慕容"皇光"載記)は
司馬氏、つまり漢人の支那人ではなく西方のソグド系です
この高句麗への亡命は騎馬民族つながりのコネクションがあればこそで、支那共産党が妄想する「支那人の天下り」的なものではありません

秦も北魏も晋も隋も唐も、鮮卑をはじめとする異民族が支配層ですが
これらをすべて支那人だと述べて奴隷民族だった漢人の祖先であるかの如く錯誤させるのは、
支那共産党の悪質な歴史操作です

前漢が、非漢人の騎馬民族連合の匈奴に軍事的に歯が立たず、
後漢で反攻に成功するまで匈奴への朝貢外交で命脈を保っいたのは有名な史実

後漢が潰れるとまた非漢人が支那北方を支配したのです、
その余波が日本列島まで及んで大和王権の遺物に残るのです
匈奴が連合だったように大和王権も連合
その象徴に天皇を号したのは騎馬民族の伝統で、支那を否定する独立文明の宣言だったと、支那古代史を知る人には日本の有り難さが分かるのです
124日本@名無史さん:2011/05/24(火) 09:00:07.65
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮ネガ煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
125日本@名無史さん:2011/06/02(木) 22:39:21.77
多額の義捐金をくれた親日国台湾を悪く言うのは朝鮮族か?
126日本@名無史さん:2011/06/03(金) 00:08:25.48
◆「感情を害する選択」 日本の教科書検定に台湾メディアが憤慨示す

台湾メディアNOWnewsは3月31日、日本の教科書検定で尖閣諸島(中国名:釣魚島)を「日本領土」とする
記述があったことについて、「各国が東日本大震災に対して愛を示し、日本が緊急事態を乗り越えるよう
支援してきたが、このような時にも日本政府は中国や台湾、韓国、ロシアの感情を害する選択をした」と
批判した。

記事は、3月29日までに14の政府機関から2億4000万台湾ドル(約6億8000万円)、8つの民間団体から
23億9000万台湾ドル(約68億円)の義援金を集めたことに言及したうえで、「日本政府は尖閣諸島を
日本の領土とみなしている」と憤慨した。

また、「日本の教科書に竹島(韓国名:独島)や北方領土、尖閣諸島を自国領と記載すれば、中国や
台湾、韓国、ロシアを挑発することになる」と報じた。

さらに記事は、韓国での反応を取り上げ、「韓国を含めたアジア諸国は、日本の震災に救助の手を
差し伸べた。韓国では、日本政府はなぜこの時期に周辺国家を刺激するようなことをするのかと
非難が高まっている」と紹介した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110401-00000014-scn-cn
127日本@名無史さん:2011/06/03(金) 11:04:56.93
周とか呉が混ざってたとしても漢民族と歴代支配者はけっこう異民族だから
いまの中国とのつながりにはならないし
古代に本格的大陸式文明を構築できてないのだからあくまで少数派
128日本@名無史さん:2011/06/04(土) 18:09:41.31
台湾人と言っても、外省人と本省人の区別を付けましょう。
129日本@名無史さん:2011/06/04(土) 18:20:17.26
150億円で尖閣諸島を売ったわけではないしな。
130日本@名無史さん:2011/06/04(土) 19:10:20.03
何で本省人のために我らが日本人が外省人の害悪を受けにゃならんのだ?

バカだろオマエ。

台湾人=敵

で良し。
131日本@名無史さん:2011/06/04(土) 21:26:17.41
132日本@名無史さん:2011/06/08(水) 00:32:13.19
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮ネガ煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
133日本@名無史さん:2011/06/08(水) 07:27:37.78
黄河文明はコーカソイド
長江文明は弥生人

今の支那人の直接の先祖は三国時代に人口激減の空白地帯と化した支那大陸に入り込んだ周辺蛮族の五胡十六国
古代の文明と今の支那人に殆どつながりが無い上に
その後の唐でも支配層はトルコ系、今の支那人はその下で支配された奴隷みたいなもんで

古代支那はちょっと前のアメリカ大陸に似ている

支配層の白人が黄河文明人
自分達の文明を築いたが文字を持たなく滅ぼされたインディアンが長江文明弥生人

そんで今の支那人は、アメリカで言えば、黒人奴隷もしくは、今大量に不法入国しているヒスパニクもしくは不法入国している支那チョンと同じ

もう直ぐアメリカは有色人種国家に成るが、それが二千年後に自分達は日本を打ち破った誇り高い民族だと言い出した様なもん
134日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:29:03.60
百済の扶余が呉と周に繋がるなら、
周も非漢人?
135日本@名無史さん:2011/06/12(日) 07:54:28.82
>>134
しらんけど、古代の漢民族ってコーカソイドじゃないの?
黄河文明人はコーカソイドで支那の自尊心の孔子もコーカソイドだから

三国志の主要メンバーもコーカソイドでしょ?もじゃもじゃ髭生えてる上に蒼眼とか赤髪なんだから
136日本@名無史さん:2011/06/12(日) 08:14:26.96
脳障害者のスレ
137日本@名無史さん:2011/06/12(日) 21:40:20.56
もしかして、漢人の皇帝は
夏と漢と後漢と明だけ?
138日本@名無史さん:2011/06/12(日) 22:35:52.36
そもそも漢人というのが何なのかの定義もね
夏だってどうも殷商に負けたあと一部が越人になり
その一部がもしかすると日本に来たかもという説があるし
漢もどうも劉邦は故郷の関係から古蜀国との関連が疑われるし

結局漢人って様々な民族が中華思想に取り込まれてできた
幻想なのかもしれない。

まあ多くの民族が思想により生まれたのかもしれないけど
139日本@名無史さん:2011/06/12(日) 23:43:21.17
越からやって来て何で越王朝のシンボルであり祭器だった越式鼎が
伝わらんのだアホかオマエ。

ちなみに呉の遺跡から出土する鼎もこの越式鼎だがな。


●越式鼎


江南百越名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎

http://guangulou.any2000.com/web/viewpicture.asp?userid=545364&lanmuid=3488451&ContentID=1739194
http://www.yododo.com/files/photo/2010-11-24/012C79975E0366A9FF8080812C7530E0.jpg





140日本@名無史さん:2011/06/13(月) 04:30:30.07
>>137
古代の漢人は多分コーカソイド

だから、今の漢民族の統一王朝と言えるのは多分明だけ
そして今の漢民族は殆どがオリジナル古代漢民族に蛮族呼ばわりされてた北狄とか
141日本@名無史さん:2011/06/13(月) 12:13:20.77
つーか思うんだけど
福岡が大陸の血が入ってるから美人が多いとか言ってるじゃん?
どう考えてもチョンとか支那とかの血が入っても美人には成らんよな?

でも古代遼東半島にはコーカソイドが居て、古代支那人の支配層がコーカソイドなら
やっぱ渡来系ってコーカソイドが多かったんじゃねーの?

勿論一重は弥生の血だろうけど
142日本@名無史さん:2011/06/14(火) 23:42:30.94
大馬鹿。

弥生人は北方アジア沿海州人。
143日本@名無史さん:2011/06/16(木) 15:12:06.55
>>142
長江流域人と弥生人は遺伝子が一致してるんだが?
早く徴兵でいじめ殺されれば?
144日本@名無史さん:2011/06/18(土) 13:01:15.90
>>142
沿海州ということは女真族かね?
蝦夷が粛慎から襲撃を受け敵であるはずの大和朝廷軍に助けを求めてきたという記録がある。
その粛慎は沿海州の女真族ではないかという説もある。
145日本@名無史さん:2011/06/18(土) 14:47:16.66
古代シナにコーカソイド集団がいたかどうか知らんが、インドは確実にコーカソイドだ。

 言語もインド・ヨーロッパ語族だしな。
146日本@名無史さん:2011/06/18(土) 15:54:02.14
>>144
時代が違い過ぎるの。

弥生開始は炭素測定からBC10C頃。

その当時、沿海州にも様々なツングース諸族が居たと考えられるが、
弥生開始時に九州北部に突如現れる高床式倉庫文化と三国志に扶余は
倉庫文化が有るという記述から見て、まだ成立していない扶余の前身に
あたる部族が沿海州内陸部から沿海州南岸まで南下して、朝鮮東岸を
海路経由して九州北部に上陸した集団が弥生人と考えられる。

なお、稲作は朝鮮東岸を海路経由してくる際に知った、
或いは、九州北部上陸後に朝鮮南部と交流して持ち込んだだけ。

たったそんだけの話。

たったそんだけで終わってしまう話を、朝鮮ネガ焚き湾人(台湾人国策工作部隊)が
弥生人の故郷を自分たち台湾人故郷「江南」に誘導改竄せんがために、
情報操作の様々な高度な手法を使って、それによって編み出された
高度なウソ創作をあの手この手でこの板の馬鹿に食わせて弥生人の故郷が
あたかも江南かのようなヴァーチャルリアリティーを造り出している
だけの話。
147日本@名無史さん:2011/06/18(土) 16:54:39.76
刺青は北方にもある
148日本@名無史さん:2011/06/18(土) 17:02:29.05
相変わらずだな、おいw

問題は北か南かでは無く大陸の連中が壮大な混血種だと云う事にある。東シナ海に潜む強烈な病原菌はその部分に深く関わる。
149日本@名無史さん:2011/06/18(土) 18:46:06.43
>>144
明も清に征服されそうな時日本に助け求めてなかったっけ?

相変わらず上から目線だろうけど
150日本@名無史さん:2011/06/18(土) 18:47:34.56
>>145
インドはコーカソイドとモンゴロイドの混血じゃなかったか?
イランから入り込んだイラン人と、南インドの黒いドラヴィタ人モンゴロイドの混血だったはず

ドラヴィタ人ってモンゴロイドなんだってさ、俺も驚いたが
151日本@名無史さん:2011/06/18(土) 20:01:31.26
>>146
中国最古の書物のひとつである『書経』にも粛慎の記述はある。

「成王既伐東夷、肅慎來賀。王俾榮伯作『賄肅慎之命』」
(成王は既に東夷を討伐し、粛慎がお祝いを申し上げにきた。王の家来の榮伯は『賄粛慎之命』を作った)

周王朝の時代にはすでに沿海州に存在していたと記録がある。
152日本@名無史さん:2011/06/18(土) 22:24:00.76
>>150 ドラヴィダ人はアーリア人とは外見が異なり、アーリア人よりも一般的に肌の色が黒く背が低いが手足が長い、
ウェーブがかった髪などの特徴があり、DNAの観点からは古アジア人に分類される。

遺伝学が未発達な以前は、オーストラリアのアボリジニやパプアニューギニアの人々、スリランカのヴェッダ族と同じ人種、
オーストラロイドまたはヴェダロイドに分類されていたこともある。

by wikipedia
153日本@名無史さん:2011/06/18(土) 22:25:07.42
>>150 どこにもモンゴロイドとは書いていない。
154日本@名無史さん:2011/06/18(土) 23:13:19.49
>>151
弥生開始時の早期弥生土器である刻目突帯文土器と特徴が一致する突出した
口縁部に刻みが施された土器が出土するのが沿海州南西部あたりで、
沿海州東海岸とは土器の特徴が一致しない。

粛慎は三国志に、扶余の東北千余里のところにおり、大海に面し、南は
北沃沮と境を接し、北はどこまで及ぶのかわからないとあり、
沿海州東海岸にいたツングース集団と考えられるため、弥生人の故郷とは
考えにくい。

沿海州南西部からそれに繋がる内陸部が弥生人の故郷として有力になるが、
その辺りを統括していたのは後世に扶余と呼ばれる事になる巨大ツングース
集団であり、三国志にも扶余には倉庫文化が有ると記されているところからも
弥生人と共通している。
155日本@名無史さん:2011/06/19(日) 10:31:13.03
>>149
鄭成功のことですな。
彼は日本人とのハーフで、日本の鎖国政策のおかげで東アジアの海洋貿易をほぼ独占していた今で言う海運王のような存在でした。
明王室から国姓である朱を名乗る事を許されていた愛国者だったので日本では「国姓爺」と呼ばれていましたね。
ですので、正式には明王朝からの救助要請ではなく、鄭成功という海運王からの要請なのであります。
立花宗茂など血の気の多い戦国の生き残り大名などはその義侠心に打たれて「今すぐ救援軍を送るべし!」と騒いだのですがクールな徳川家光が「行きたい奴だけで勝手に行け」と冷たく突き放したので主戦論はトーンダウンしてしまいました。
という話しです。
まあ、清も徳川幕府も鄭成功に海運を握られているのは面白くなかったので利害が一致したということでしょうか。
156日本@名無史さん:2011/06/19(日) 20:08:19.70
>>151
言い忘れたが、沿海州南西部に限って言えば、三国志の粛慎は扶余の東北千余里の
ところにおり、大海に面し、南は北沃沮と境を接し、北はどこまで及ぶのか
わからないという記述からの地理的な関係から考えると、北沃沮の可能性も
高いと思う。

いずれにしても、そのいずれかの前身の集団だろう。
157日本@名無史さん:2011/06/20(月) 02:08:20.74
呉人てどんな顔付きだったんだろ
158日本@名無史さん:2011/06/20(月) 02:17:25.90
>>157
>呉人てどんな顔付きだったんだろ

九州筑紫平野の顔付

久留米近郊出身の芸能人の顔を思い浮かべろ。
福岡大分熊本とは違う顔
159158:2011/06/20(月) 02:20:10.56
九州筑紫平野の顔付 長崎も含む
160日本@名無史さん:2011/06/20(月) 02:23:05.22
普通の中国人の顔だろ。

やや面長で鼻は広くなく二重まぶたで蒙古ひだが弱く目が細くない。

越人になるとやや褐色を帯びた肌で顔が丸くエラが張ってて鼻がやや広く
口元が突き出した感じで蒙古ひだが弱く目が大きい。

弥生人とはかなり様相の異なった顔だったと思うよ。
161158:2011/06/20(月) 02:29:27.42
普通の中国人の顔のなんてない。

>やや面長で鼻は広くなく二重まぶたで蒙古ひだが弱く目が細くない。
が正しい。

付け加えると、顔が平らで彫りが深くない。
162日本@名無史さん:2011/06/20(月) 03:22:30.53
現代のシナ人とは違う顔付きだね
163日本@名無史さん:2011/06/20(月) 06:51:04.17
中国人の顔は平らでもないし彫りが深くも浅くもない。
164日本@名無史さん:2011/06/20(月) 07:55:40.80
黒木瞳さんでしょうか?それとも松田聖子さん?
165158:2011/06/21(火) 00:28:11.39
黒木瞳さんも、松田聖子さんも。

それと、現地には美人が多い。
呉地方からの移民難民の末裔
今の呉地方のシナ人には呉人に北方シナ人が混血している。
166日本@名無史さん:2011/06/21(火) 00:34:49.58
クッサイクッサイ台湾土人臭がただようスレはここでつか?
167日本@名無史さん:2011/06/21(火) 01:12:08.09
松田聖子は整形二重だろ
168日本@名無史さん:2011/06/21(火) 01:18:08.12
黒い! ブラック! ギョロ目! ギョロギョロ目! ぶっ潰れた広鼻!
突き出すホッテントット口元! メラニンたらこ! 黒いたらこ唇!
骨張った輪郭!

OH! タイワン!

広鼻ブラック! 広鼻ブラック ニグロアイランド!

A-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA
169日本@名無史さん:2011/06/21(火) 09:13:17.27
>>166 クッサイクッサイ朝鮮土人臭をただよわせるな。
170日本@名無史さん:2011/06/21(火) 10:52:23.88
朝鮮人は臭い

臭いやつは差別されるのが自然

差別されたくなければ大蒜食うな。
171日本@名無史さん:2011/06/21(火) 12:53:15.37
              _,, --- 、
           , ' ´       `ヽ、
         ,/    __,,,,=- 、   ヽ,
        ノ  ,= ̄ i ,__ノ_i、イ  ヽ  
        ~i. ´、i_,,V  ,'rヽヽiノ   i、
______i  ヽr'rヽ,  `'´ |/ヽ人ル' ここのスレって
::::| ______ヽi/ ヽ`'  __ u_レト 、ノノ
::::| |        |ノi `' --, '´   ̄`ヽ,  こういうスレだっけ?
::::| | ヤイ 帰化湾人 レ ノレ /´       \
::::| | オウ 朝鮮土人w  ,く`ヽ、____,,,,,,, イゝ
::::| |       ⊂',⌒ヽヽ/' 〜 〜〜 ~~イヽ
::::| |______ゝr⌒ 、   イ      iノ
::::|________i、    /i       ,ゝ
___========__ヽ_,/く__,,i,---´iヽ、
________________________________//        ヽ
172日本@名無史さん:2011/06/21(火) 19:08:44.96
そうだ吉瀬美智子さんも近くでしたっけ。
あのあたり、美人が多いですね。
173日本@名無史さん:2011/06/21(火) 19:52:52.88
中国人はのっぺり顔多いだろ
174日本@名無史さん:2011/06/21(火) 19:55:39.02
吉瀬とか黒木ってのっぺり顔で彫が深くない。
しかも蒙古襞がある目でツリ目気味。
175サガミハラハラ:2011/06/21(火) 20:15:06.93
のっぺり顔って、いとうあさ子さんやあさだまおさんのような顔のことですよ。
176卑彌呼の都は久留米:2011/06/21(火) 22:39:31.72
呉人の移民難民の主力が来倭したのは、4世紀から6世紀南北朝の頃。
5世紀には仏教の布教もあった。
177日本@名無史さん:2011/06/21(火) 23:49:41.45
黒い! ブラック! ギョロ目! ギョロギョロ目! ぶっ潰れた広鼻!
突き出すホッテントット口元! メラニンたらこ! 黒いたらこ唇!
骨張った輪郭!

OH! タイワン!

広鼻ブラック! 広鼻ブラック ニグロアイランド!

A-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA
178日本@名無史さん:2011/06/27(月) 00:37:42.60
呉太伯に子孫はないだろうが。
いたら弟の仲雍が後を継がなかったろ。
179日本@名無史さん:2011/06/27(月) 00:57:27.73
ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ここは台湾の田舎町。どこからか南方太鼓を叩く音が聞こえてくる。

見てみると叩いているのはそう、東南アジア顔した台湾人。

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

半裸で意味不明の南方語の掛け声を唱えては太鼓をしきりに叩いている。

叩く。叩く。しきりに叩く黒い手。

そして黒い顔に潰れた広い鼻。突き出した口元とゴツゴツとした輪郭。

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

一瞬、ニューギニアの奥地に居るような感覚に私は襲われたのである。
180日本@名無史さん:2011/06/27(月) 01:04:04.78
181日本@名無史さん:2011/06/27(月) 01:31:05.35
台湾人は98%までが福建広東から移民した華南人が祖先。

だからベトナム顔をしている。
182日本@名無史さん:2011/06/27(月) 11:04:46.54
台湾=土人。バナナ。下心丸出しの義援金。自ら親日と言いふらす危ない害人。
183日本@名無史さん:2011/06/27(月) 12:30:43.76
>>181 台湾人は華南人と先住民のマレー系高砂族との混血だからフィリピン顔だろう。
184日本@名無史さん:2011/06/27(月) 12:39:20.77
数%の先住民系はそうだろうな。

でもほとんどは黄褐色で鼻が横にビローンと広がったベトナムくさい顔。
185日本@名無史さん:2011/06/27(月) 21:28:59.33
>>179
それ、ガチ北方系・新モンゴロイド形質遊牧民の歌?
http://www.youtube.com/watch?v=TSN_izUt0A0
186日本@名無史さん:2011/06/27(月) 21:29:56.98
これ、これもおなじ歌
http://www.youtube.com/watch?v=yRyv0NP-7VU
187日本@名無史さん:2011/08/02(火) 20:20:30.06
どこかの国の人凄い嫉妬の嵐・・・
188日本@名無史さん:2011/08/12(金) 12:17:59.72
今の考古学的知見では倭人の渡来経路と稲の伝播経路は重なっているのだろうな
189日本@名無史さん:2011/09/05(月) 08:24:11.03
稲作が渡ってきたルートって複数ある?
190日本@名無史さん:2011/09/06(火) 08:51:33.10
>>189
温帯ジャポニカは長江流域から海流に乗って日本へのルートが有力のようですね
191日本@名無史さん:2011/09/07(水) 11:19:52.56
ところで三国時代に呉が日本に出兵したものの風土病でひどい目にあったということになっているが
呉軍が来た形跡はあるの?
192日本@名無史さん:2011/09/07(水) 19:23:47.40
>>191
呉軍が酷い目に遭ったと言う風土病はおそらく今でいう旅行者下痢症だろうな。
日本国内に呉軍が侵攻した証拠になるようなものがあるかどうかは知らないが、
呉軍が旅行者下痢症になった記録があるなら日本へ駐留した有力な証拠にはなるね。
193日本@名無史さん:2011/09/07(水) 20:33:36.92
>>191
台湾でマラリアにでかかったんだろ。
194日本@名無史さん:2011/09/08(木) 08:40:56.49
日本のどこに出兵して誰と戦ったんだ?
195日本@名無史さん:2011/09/08(木) 09:54:14.79
>>194
当時は呉と倭が対立していたわけではなく、新たな居住地として移住を試みた程度だろう。
196日本@名無史さん:2011/09/08(木) 10:08:48.95
>>195

移住ではなく、日本人を大量に拉致して兵士にする計画。

呉は兵士が不足していた。
197日本@名無史さん:2011/09/15(木) 11:50:14.76
ちゃんと出典元明らかにしてくれない?
198日本@名無史さん:2011/09/15(木) 12:47:04.13
根拠などあるわけないだろう
199日本@名無史さん:2011/09/15(木) 15:01:04.52
200日本@名無史さん:2011/09/15(木) 16:36:46.91
呉が日本へ来たなら魏志倭人伝に記録があるはずだがな。

 倭国の一部に夏華と同じ風俗の国があるというのがそれだとしても兵士とは書いていないな。

 魏の使者が風土病にかかったという記録もない。
201日本@名無史さん:2011/09/15(木) 17:57:29.78
「島夷」って、日本じゃないからなw
貴州省あたりにいた武陵蛮のことだから。

隣接している耿舒を出した五渓蛮と同様
勇猛な戦士になりうるので、孫呉は武陵蛮をとりこもうとしたのだ。
202日本@名無史さん:2011/09/16(金) 21:49:43.20
ウィキ「呉 (三国)」

その後、孫権は遼東の公孫氏に使者を送って魏を挟撃しようとしたが失敗した。
また、東の夷州・亶州(今の台湾・沖縄諸島)に探索と人を集めさせに兵を派遣したが、亶州には辿り着けず、
夷州から数千人の住民を連れ帰っただけに終わった。
203日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:00:55.98
単に呉と同族ってだけの話だろう倭人が
204日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:41:57.62
それだと卑弥呼が呉でなく魏に使いを出した理由がよくわからん。

単なる軍事的な理由か?

205日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:45:47.43
>>204
魏の呉に対するハッタリじゃないか?

呉もそんなに人手不足なのかよ?島側から大陸目指すより大陸から沖縄本島辺り目指すのは大変だぞw
206日本@名無史さん:2011/09/17(土) 05:40:38.83
>>205

当時は呉のわりと近くの海上に倭が浮かんでいると考えられていた。
207日本@名無史さん:2011/09/17(土) 11:14:31.69
>>205
海流のため中国南部から日本へは比較的楽だけど、日本から中国へは逆に難しいですね。
208日本@名無史さん:2011/09/17(土) 11:50:31.26
古代から、半島西側と瀬戸内海までは普通に貿易の道が出来てたからな
昔は半島南部と日本は同一国家だし

半島に影響力を及ぼす勢力に使節を送ったってことだろ。だから魏なんだろ。
当時は魏と国境を陸で接してた訳だからな。戦うか結ぶかどっちかしか無いだろ。
209日本@名無史さん:2011/09/17(土) 11:59:08.00
>>207
海流と逆に進むほうが楽。中国南部から日本へ来る方向は難しい。
1000年以上前のラピタ人は、海流の逆方向へ進んでいる。
210日本@名無史さん:2011/09/17(土) 13:12:08.06
>>209
え! それは知らなかった。
海流の力どのようにして逆用するのだろうか。
211日本@名無史さん:2011/09/17(土) 13:41:09.89
とにかくポリネシアやサモアからイースター島への道は
エルニーニョ、ラニーニャの来る北赤道海流の方向とは逆方向なんだよな。

海流の方向だとイースター島へは、チリから出発しないといけないが
ラピタ人のコースはポリネシア→サモア→ソシエテ→イースターの逆流のようだ。
1200年前ぐらいからイースター島の農耕が始まっていて、それがラピタ人だと比定する学者が多い。
そして、モアイは16世紀頃の製作。
212日本@名無史さん:2011/09/17(土) 19:45:32.17
>>210
ちょっとした反流が在るんですよ。流れから外れると長崎、朝鮮半島のゴミが奄美沖縄に流れつく事もある。つうか古代人はある意味現代人より偉大。
213日本@名無史さん:2011/09/17(土) 20:04:45.17
古代から季節風や海流を利用した航海は、現代人が想像する以上に盛んだったということだな。
214日本@名無史さん:2011/09/17(土) 20:37:44.54
>>209
平安時代の遣唐使は日本から大陸にはうまくつくが、
大陸から日本には帰れず遭難する例が多い
当時は新羅との外交関係が悪く、朝鮮経由ルートは使えなかった
215日本@名無史さん:2011/09/17(土) 21:51:36.63
>>213
海流は利用していない。追い波で船が制御できなくなるから。
216日本@名無史さん:2011/09/22(木) 21:06:46.40
魏志倭人伝に記載されてることは史実という前提なの?
217日本@名無史さん:2011/09/23(金) 07:01:57.03
>>216

誇張や事実誤認はあっても、おおむね史実ではないだろうか。
218日本@名無史さん:2011/09/26(月) 09:45:13.54
曹魏のことを西晋の時に書いているのだから
まあだいたい妥当なところかも?
ただ時代が下った南朝(宋・斉・梁・陳)の頃になると
二次利用になって、変な雑音が載る
219日本@名無史さん:2011/10/06(木) 07:42:52.34
魏志馬韓伝には倭が朝鮮半島南端にあったことが書いてあるお
220日本@名無史さん:2011/10/06(木) 17:08:56.12
>>219

朝鮮半島南端の倭が、日本列島の倭の飛び地だったのか?

あるいはその逆か?

これが問題。
221日本@名無史さん:2011/10/06(木) 17:17:36.78
長江河口を出て黒潮に乗って偏西風を使えば、
2日足らずで九州に到着する。
九州を目指した者の中で、稀に五島列島をすり抜けて
朝鮮半島にたどりつく者がいた。
彼らの生息地(主に海浜や島嶼)が「倭」と呼ばれた。

むろん九州倭人の往来もあったろうが、両者もともと同じ民族だ。

222日本@名無史さん:2011/10/06(木) 18:17:28.29
>>220
当時の歴史的状況を考えても逆はないだろう
223日本@名無史さん:2011/10/06(木) 21:22:43.66
君達、シナの典籍を見たまえ。

周王室、秦王室ともに、羌の出身だ。
羌は西域の民族。
徐は秦と同族。2600年前の山東半島の人骨のmt-DNAは現代のヨーロッパと同型。

ユーラシア大陸を西から東へと大移動した民族の跡だ。
224日本@名無史さん:2011/10/06(木) 21:31:52.53
周は姫姓で、姜姓の羌じゃないよ。
羌と近縁なはずの涼山イ族のmt-DNAは、M系D4が多くてヨーロッパには殆どいない北東アジア固有。
白人のR系のBやFでなんか少ないよ。BやFが多いのはタイ系やマレー系とウズベキスタンあたり。
西安や蘭州でも、D4多し。日本でもD4は最大派閥。アメリカやモンゴルに多いA系A1やA5よりも多い。
4世紀の五胡十六国の時に多くは漢化してしまって、漢人に化けて日本にやってきただけ。
225日本@名無史さん:2011/10/06(木) 21:48:29.61
「異論な異論」があるようだが、
皇族・貴族が古墳時代から明治のはじめまで、
「お歯黒」をしていた事実をどうするか。

黥面・文身・お歯黒・無文字文化は、
長江流域の非漢民族(現在の少数民族)の習俗だ。
(北西部から長江流域に移動した羌族もかなり渡来してきている)
226日本@名無史さん:2011/10/06(木) 22:12:19.86
稲作・土器づくり・環濠集落・高床式住居・銅鐸・神獣鏡・舟型木棺・高塚式墳墓……。
そして何よりも、蛇神を崇める新興的精神性。
これは縄文後期の土器・土偶にもはっきりと見ててれる。
ご承知の通り、これらはすべて長江流域からやってきている。
一部、北方民族の文化と思われる土間式ベッド状遺構をもつ住居や、
遼寧文化の松菊里型住居で暮らしていた民族も混じっているが、
それはきわめて少数派でしかない。

北方から長江流域に移動して定着した羌族が長江河口からやってきたが、
DNAによる民族識別では「北方民族の特徴」だ。
だからといって、朝鮮半島を経由してきたのではない。
そこがDNAによる民族識別の盲点だ。
民族とは言語や宗教などの文化で区分する。DNAが有効なのは人種区分だ。
227日本@名無史さん:2011/10/12(水) 02:19:45.16
>>204
越系だったりして
228日本@名無史さん:2011/10/17(月) 02:46:05.89
黒い! ブラック! ギョロ目! ギョロギョロ目! ぶっ潰れた広鼻!
突き出すホッテントット口元! メラニンたらこ! 黒いたらこ唇!
骨張った輪郭!

OH! タイワン!

広鼻ブラック! 広鼻ブラック ニグロアイランド!

A-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA

A-HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA
229征夷大将軍:2011/11/14(月) 20:26:25.41
“倭”是三国時期,魏国皇帝下賜邪馬台国国使,
国号“魏”字中の“委”字,
旁加“人”字,成為“倭”,称倭国
意思是,魏倭两国一家

230日本@名無史さん:2011/11/25(金) 01:58:24.83
17 :日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:47:11
まさしく>>自ら太白の後という・・・ここでは「呉の太白の後裔」と言わず、「呉の」が無いことに注意しなければならない。
この「呉の太白の後裔」を解釈して「倭人は呉国(呉人)の後裔だ」と考える向きがあるが、魏略はそうは言っていない。
あくまでも呉の祖である「太白」の後、すなわち「呉人と同様に、倭人も太白の末裔なのだ」と言っているというのだ。
これを逆に倭人を中心に解釈すると「太白は倭人の祖、つまり、太白は倭人なのだ」となる。


新撰姓氏録および松野氏系図に呉の夫差の後裔氏族がいる。新撰姓氏録は官選であり、真っ赤な嘘を書けるとは思えない。
一応公認されている。
231日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:04:12.85
失われた長江文明の末裔は
倭人とブータンだと思う。
232日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:47:47.03
>>231
ブータン国民の主流ゾンカ(民族)は、言語的にはラサチベットと非常に近縁で
13世紀以後に、チベット遊牧民が移住してきた者と先住民の混血。
東部のほうが、先住民文化が強い傾向がある。
ゾンカには、SharchopとNgalopの文化圏のバラエティがあり、Sharchopが東部にあたる。

実はSharchopのゾンカは、Mompaというチベットの先住民と近縁。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Photoessay/201006.html
233日本@名無史さん:2011/12/03(土) 11:00:38.59
ヒマラヤンは、長江文明というより、土器とかみていると
彩文土器があっったりして仰韶文化に近いんだけどね。


青海省のアムド・チベット人は遊牧専業なのだが、彼らが使う言葉は
ラサ・チベット語やブータンのゾンカ語とも語順や言い回しも一緒なので方言関係にある。
アムドの人達が、遊牧系の源流だとしたら、
農耕系の源流は、Mompaなんじゃないだろうか?

これらとは別に、羌系のカムパ藏族(チベット族)というのもいて、五胡十六国の羌・氐や
吐蕃の一部や西夏の主流が仲間だといわれている。
ヒマラヤのシェルパ族、旧シッキムのブディア人やレプチャ人は、このカムパ藏族と同じ
羌系の言葉を使う。
234日本@名無史さん:2011/12/03(土) 23:34:27.94
シェルパ族は西夏王族の末裔だといわれている。
235日本@名無史さん:2011/12/04(日) 01:30:33.33
>>231
ラダックのWiki英語版
http://en.wikipedia.org/wiki/Ladakh
> Ladakh's earliest inhabitants consisted of a mixed
> Indo-Aryan population of Mons and Dards

ここでは、Monsは、モン・クメールにlinkしているので
カンボジア国の住民などのオースロアジア語族が青銅器時代の先住民であるとしている。
シナ・チベット語族は、有史時代に侵入してきたこという見方をしているね。
236日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:01:44.56
漢民族は自らを「華夏(中華思想)」と称し周辺民族を見下して、東の民を「東夷」と呼んだ。
・東夷(wiki)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
 (ここに書かれている歴史の内容と以下の地図はほぼリンクしてます。)

・紀元前1050年頃 内陸部で「周」が膨張しだす。http://www.geocities.jp/mapqin/bc/bc1050.html
 (長江沿岸周辺に「九夷」「呉」「越」がある。呉と九夷は同系類かと)
※ 九夷 ⇒?夷,于夷,方夷,黄夷,白夷,赤夷,玄夷,風夷,陽夷
 (その他の近縁と覚しき集団⇒嵎夷,藍夷,徐夷,淮夷,泗夷)

・紀元前1000年頃 「周」が沿岸部にまで迫る。http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc1000.html
・紀元前950年頃 地図から「九夷」が消える。http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc950.html
・紀元前800年頃 呉に迫った周が押し返される。http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc800.html

『論語』には、子欲居九夷(孔子は、九夷の住むところに住もうとした)
【九夷】 昔、中国の漢民族が東方にあると考えた九つの国=九州

◆周に攻められ海へと逃げた「九夷」の民の一部が、現在の九州に流れ着いた?
237日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:25:30.38
・紀元前700年頃 周は平定した諸国から離反された。http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc700.html
・紀元前600年頃 長江内陸で「楚」が台頭し始める。http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc600.html
・紀元前580年頃 「呉」は元の九夷などの諸国と結ぶ。http://www.geocities.jp/mapqin/b4/bc580.html
・紀元前500年頃 呉は内陸の楚へ侵食し勢力を拡大。http://www.geocities.jp/mapqin/b4/bc500.html
・紀元前470年頃 楚に押し返された呉が「越」に併合。http://www.geocities.jp/mapqin/b4/bc470.html
※この際も多分、呉の民が海へと逃れ、日本列島や朝鮮半島南部へと流れ着いたのでは?
238日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:32:40.30
この「九夷」と呼ばれた集団が何者だったか、ググッてもたどり着けない。
漢語が出来る人なら、何かの文献を知っているかも。
239日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:39:03.87
扶桑(wiki)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91
中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。
扶桑・扶桑国は、日本の異称ともなった。

・古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。
のちの『梁書』以降は、東海上の島国と考えられるようになった。巨木の伝承は、その国では
桑の木が多いという話に代わった。
蔑称とする説もある一方では、古代の中国では、九州(九夷)が扶桑の生えるところで
「紫庭」としての憧れの地だった面があるという説もある。
戻って来たが誰も書き込んでないのな。
>>236-237-238-239 は俺の書き込みだからコテ入れとく。
安価ミスったw >>236-239
242日本@名無史さん:2011/12/23(金) 00:41:18.11
>>238
何か、もともと游牧民らしいのだが、前漢時代から内陸に記録があるらしい。
中央アジアのキルギスあたりから侵入してきて、奴隷社会の特権階級となったようだ。
これは烏蕃白蕃とか南詔や大理の支配層に続く。

http://zh.wikipedia.org/zh-hk/%E5%BD%9D%E6%97%8F
彝族歷史上一個重要特徵,是長時期保持着奴隸制度
公元前2世紀的西漢及其以前,彝族先民社會已出現
游牧部落與定居農業部落的分化。東漢至魏晉時期,
各彝族先民地區繼續分化出一批叟帥、夷王

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E6%97%8F
彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、
自ら漢民族の王朝ではない満州人がこの呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。
243日本@名無史さん:2011/12/23(金) 07:50:34.41
>>236
> 【九夷】 昔、中国の漢民族が東方にあると考えた九つの国=九州
これは誤り

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
> 前漢の武帝が紀元前106年に全国に13州を設置したことにより、
> 九州は具体的な9つの州ではなく、中国全土の雅称として使用されるようになった。

《三国演義》でも、こういう地名が出てくる。
豫州,冀州,兗州,青州,徐州,揚州,荊州,雍州,幽州
244日本@名無史さん:2011/12/23(金) 13:33:24.56
西戎北狄が日本列島へやってきたのだ
245日本@名無史さん:2011/12/23(金) 14:19:11.52
>>242
周代の東夷と後漢の夷王は同じなのだろうか?
246日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:53:26.49
四夷=東夷+西戎+南蛮+北狄
>>242 ありがとう。
「九夷」の「夷(イ)」は、たくさん存在する「イ族の一部」を指すのですね。
長江沿岸周辺から南に広く分布した少数民族はイ族系のようで、現在の「李さん」の先祖か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E6%97%8F

ってことは「越族」とかぶるんだな。同じ地域に住む少数民族の総称として「百越」とも呼ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E8%B6%8A

イメージとしては、主に長江の北側が「夷」で、南側が「越」かと。(もちろん混在しながら)
実際に日本で発掘された渡来系弥生人と似た人骨は、長江北側に多く見られる。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-14.html

そしてこれは、自分が>>236 に記した
 >・紀元前1050年頃 内陸部で「周」が膨張しだす。http://www.geocities.jp/mapqin/bc/bc1050.html
と重なるので、ヒマを見ながら調べてみたいと思う。
ただ、ここに満州族が関わるのかは疑問。
>>243
時代が1000年くらいズレてますぞ。

自分が>>236 で (※「?夷」は 『田犬−夷』と思われ)
 >・東夷(wiki)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
 >※ 九夷 ⇒?夷,于夷,方夷,黄夷,白夷,赤夷,玄夷,風夷,陽夷
 > (その他の近縁と覚しき集団⇒嵎夷,藍夷,徐夷,淮夷,泗夷)

と記したように
現在の江蘇州から内陸部の一帯に、漢民族が「◯夷」と呼ぶ集団がwikiに記されただけでも14族あるのに、
この「九夷」をひとつの集団だと見做していたからこそ「九夷」と呼んだのではないか。
それが「周」の覇権によって「九夷」が消滅したが、残った淮夷(わいい)などが押し返してる。
・紀元前850年ころ http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc850.html
・紀元前800年ころ http://www.geocities.jp/mapqin/b/bc800.html

【メモ】⇒ 藤原宮に最古地鎮祭(692)跡・・めでたい「九」は永久の「久」
http://aoyamaroman.fc2web.com/sub83.html
奈良県橿原市の藤原宮(694〜710)跡で、大極殿南の正門近くの穴から、日本最古の富本銭9枚と、水晶9本が入った壺が出土した。
道教では「九」の数字が最も大きく、めでたく、縁起が良いとされていることから地鎮祭でも「九」の数字にこだわったとされている。
中国・広西チワン族自治区の旅(1)〜トン族の村に日本人の起源を探る
http://nsfs2.exblog.jp/4792035/

稲作と漁労を生業とするこの地域の人々は、華北人から「百越」(越人)と総称されていました。
彼らは、弥生時代の日本人同様、履物を脱いで高床式住居に住むなどの文化風俗を共有する民族で、「倭族」ともいわれています。
「百越」の出典は『呂氏春秋』『漢書』などの歴史書で、百はたくさんの意味です。越は、上古音で「ヲ(wo)」と発音し、倭の類音異字です。

「百越」の諸族は、BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を追われ、中国華南から南西部や東南アジアに移動し、
治乱興亡を繰り返しました。この過程の中で日本列島に移動した人たちが稲作を伝えたともいわれています。

トン族は、自然神を崇拝し、女神信仰を重んじており、わが国ときわめて近い神観念を有しています。このトン族の祖先の女神を薩神(薩歳)といいます。
薩神とアマテラスとの間には、@民族の祖先の女神である、A太陽神でもある、B稲作の神である、等の一致点があります。

※「鼓楼」を建てて政治や軍事を議事する他、ここに先祖を祀り娯楽を行い、正面には「円形の鏡」が飾られる。(役割が神社とかぶります)
>>249 続きのメモ http://nsfs2.exblog.jp/4792035/

トン族を代表する建築物に鼓楼があります。一つの村で多いところでは十数座、少なくとも複数座が存在します。
日本の氏神様のように、氏族ごとにそれぞれ一座を建立することが多いといいます。
トン族は大樹を信仰の対象としていましたが、そこから鼓楼が成立したといわれています。
鼓楼を支える基本信仰は、樹木、山、太陽の三つです。

樹木の信仰はその原型が大杉であったという事実からも、柱が建築物の基本の骨組みになっていることからも明らかです。
山は鼓楼の形状から容易に導かれます。
太陽については、正面に決まって円形の鏡がかかげられ、頂点が太陽を象徴する傘の形をしていることから推測されます。

このことは、太陽神であるアマテラスを祀る伊勢神宮の御神体が、三種の神器の一つ八咫鏡であり、
隠されたもう一つの御神体が「心の御柱」であることを彷彿させるものがあります。

自分が書いた>>239 から、樹木信仰の共通性が伺われます。
 >扶桑(wiki)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91
 >中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。
 >扶桑・扶桑国は、日本の異称ともなった。
弥生時代は紀元前1000年頃から?AMS年代測定法の現状と可能性
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/31341772.html

最近になって、国立歴史民俗博物館の研究グループによる炭素同位対比を使った年代測定法を活用した一連の研究成果により、
弥生時代の開始期を大幅に繰り上げるべきだと主張する説がでてきた。これによると、
早期のはじまりが約600年遡り紀元前1000年頃から、
前期のはじまりが約500年遡り紀元前800年頃から、
中期のはじまりが約200年遡り紀元前400年頃から、
後期のはじまりが紀元50年頃からとなり、
古墳時代への移行はほぼ従来通り3世紀中葉となる。


弥生時代の開始年代
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm
253日本@名無史さん:2011/12/24(土) 19:52:48.35
「夷」はキルギス遊牧民系で、越は「蛮」などタイ系農耕民っぽいな
254日本@名無史さん:2011/12/25(日) 00:25:54.05
>>247
李さんって、北中国や雲南に多く、先祖は鮮卑・匈奴か氐・羌など胡族が多いと思うぞ。

康定情歌にでてくる
李家溜溜的大姐 人才溜溜的好哟
张家溜溜的大哥 看上溜溜的她哟

李家、張家は、内陸四川省のチベット族カム人の地域での名乗りで
康定とは、康定県打箭爐鎮(カム語でタルツェド、チベット語でダルツェンド)のこと。
カム地方は、こういうふうにチベット仏教の信者だが
独自のカム人名と漢姓の両方を名乗っている。
ただし、同じチベット族でも、チベット人は漢姓は名乗らない。
五胡十六国・北朝の鮮卑・匈奴・氐・羌も、最初は両方の名を使っていたと思うぞ。
255日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:00:26.88
南蛮のダイ族、チワン族、トン族、プイ族などタイ系民族の人達も
漢姓を名乗っていて、陸さんだの鄭さんだのそういう名前だ。
15世紀以降にできたタイの王族でも、漢姓を持っているが
そっちの名乗りをしないだけ。
256日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:38:59.74
李さん=羊
陸さん=貝

まさに「羊と貝」
257日本@名無史さん:2011/12/25(日) 12:11:54.44
日本の氏も結婚しても変わらない中国式だよね。
258日本@名無史さん:2011/12/25(日) 13:50:43.20
日本の苗字と鎌倉武士なんかの氏は違うならな
259日本@名無史さん:2011/12/25(日) 16:00:35.02
明治日本は、苗字制度と氏姓制度のどちらを
民法(家族法)に採用したか。
前者の苗字(名字)制度のほうだったというだけだ。
>>253
何か根拠なりソースなりをお願いします。
現在までのところ、自分の印象としては以下のとおり。

古代の「越」も「夷」も Y-DNA O2b系 で、漢民族の覇権に飲み込まれた百越人が
支那大陸の全愛に拡散・混血して現在の「Y-DNA O3*」となった?

・Y-DNA O3*系
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1226206/figure/FG4/
(※どこかで誰かさんが貼っていたのを借用させていただきますた)
>>254
自分もそう思ってたのです。「李さん」は満州方面(女真族)の代表的な氏だと。
ちょいとググりましたら、支那大陸の北から南まで広がってるようです。「イ族」は、多数の少数民族の総称のようで。

・李氏(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F
李氏(りし、いし)とは、中国、朝鮮、ベトナムの氏のひとつ。現代中国・朝鮮においては最も数の多い五大姓の一つに数えられ、
世界的に見ても最も多い姓である。唐(後唐、南唐も含む)、李氏朝鮮(大韓帝国)、李朝大越国、西夏の国姓。

実は日本にも「い」という氏族が居たとの研究があり、まだ確定ではありませんが参考まで。
・墨書土器「井部」と井真成 http://www.city.katsuragi.nara.jp/museo_history/labo_ibe.html

※もし「イさん」が紀元後を過ぎて日本に来たのなら、漢民族の文字で「李」と書くはずだと勝手に考えてみる。^^;
「九夷」と「九州」について調べてみた。

・九州を諭ず 国内史料にみえる「九州」の変遷
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin15/kyushukg.html
 「九州」という用語は、古代中国における「天子の直接統治領域」を意味する政治用語である。
 その用例は中国の古典、代々の典籍のいたるところに存在する。
 ○禹、九州を分かつ。(尚書、禹貢)
 ○凡そ九州、千七百七十三州。(礼記、王制)
 ○天に九野有り、地に九州有り。(呂覧、有如)
 ○禹の九州を序する、是なり。(史記、[馬芻]椹伝)
 ○今、魏、九州に跨帯す。(蜀志十四)

※「九州」とは国を統治する、一つの古代中華思想に淵源があるのでは?
九州について調べてみた。

・九州 (中国)(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
九州(きゅうしゅう)とは中国全域の総称。古代、中国全土を九州に分けたことに由来する雅称のひとつである。
中国では天下、世界全体の意味で用いられる場合もある。

・新羅の九州(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85#.E4.B9.9D.E5.B7.9E
第31代の神文王の687年には九州が完成し、州治が地方統治の拠点となるとともに、
旧三国のそれぞれを三州とすることで、三国の統一を改めて印象付けることに成功したとみられている。

※6世紀以降、朝鮮半島の統一を果たした新羅も9つの州を置いて統治した。
古代中華思想における「九」

・洪範九疇 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E7%AF%84%E4%B9%9D%E7%96%87
洪範九疇(こうはんきゅうちゅう)は、中国古代の伝説上、夏の禹が天帝から授けられたという天地の大法。
単に九疇(きゅうちゅう)あるいは九章(きゅうしょう)、九法(きゅうほう)などともいわれる。

儒家経典の中で五行説の中心となるものであり、陰陽説にもとづいた『易』の八卦と表裏の関係とされた。
このことから西洋哲学におけるカテゴリの訳語である「範疇」の語源となった。
265日本@名無史さん:2011/12/27(火) 16:49:02.08
九州ってのは要するに、国全体を九州と呼んで、国家の別名みたいなもんだったって事なのかね

おもうんだけど、何時から「ヤマト」つー呼称が出てきたんだろうか
山の麓でヤマトだっけ?奈良とかの山に囲まれた地形から来てると聞いたことがあるけど

そんなら九州にしか倭国が無い時はヤマトじゃないよね?

そもそも倭ってのは、日本人が小さいからじゃなくて、多分昔の一人称が「ワ」って所から来てるんじゃないのかね
お前は誰だって聞かれたら、ワって答えてたとか

確か、一人称のワは新潟だか東北だかでも今でもワらしいし
「私」ってのもワ達で一人称複数が語源らしいな

ワってのも「ワレ」なのか?
266日本@名無史さん:2011/12/27(火) 22:54:28.57
「我」wa/woは北方漢語
「吾」goは南方漢語
九黎族について…(現在のミャオ族の先祖とされている)
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/qian/200305.htm

・珍しい牛竜崇拝
漢民族と同じように、ミャオ族も竜や鳳凰を崇拝している。この信仰習俗は、服飾上にも表れている。
ミャオ族にはまた、牛を崇拝する習慣がある。たとえば、ミャオ族の人々は、玄関の上に一対の木製の
牛角を置いているが、これは牛の神様が家を守り、邪気を払うと考えられているからだ。

ミャオ族は古くは「九黎族」と呼ばれた。最も古くは現在の山東地方に暮らしていたが、後に、九黎族の
首領・蚩尤が民衆を率いて、河北一帯へと移り住んだ。
蚩尤の兵は、黄帝(中国の古代伝説上の帝王)が統率する部族と、菘鹿(今の河北省にある)の地で
戦ったのだが、ことごとく破れた。九黎族の一部は黄帝の部族に吸収され、一部は徐々に南下して、
長江の中流域および南方や西南地方へと逃げのびて、「三苗族」と称した。

言い伝えによると、首領の蚩尤は「人の体に牛の蹄、頭には長い二本の角があった」そうだ。
興味深いのは、ミャオ族のいくつかの村では、今も蚩尤式の帽子をかぶることだ。
 蚩尤(しゆう) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4
九黎族について
[黎族 ]でググると<リー族>がヒット。翻訳にかけると「李・Li」と変換される。
http://translate.googleusercontent.com/translate_c?hl=en&rurl=translate.google.com&tl=ja&twu=1&u=http://baike.baidu.com/view/4702.htm&usg=ALkJrhgCWKWvN0Az9o4kpS6dpuCmTfJ6fg

・リー族(wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%97%8F
「鬼神」と呼ばれる精霊的存在へのアニミズム信仰を持ち、旧暦3月3日「三月三」と
呼ばれる豊穣を祈る祭礼を行う。粥など米類を主食とするが、特色のある料理として、
竹筒に米を入れて作る竹筒飯などがある。

※日本の古代文化とのつながりを感じます。(卑弥呼の「鬼道」、豊穣を祈る「神道」など)

黎族とか九黎族で調べると、「山東半島の出自」とか「長江周辺の民」など評価が一定せず、
神話のくくりで語られる場合もあるようで、要するに歴史家でも様々な分析があるのかと。
現在のリー族は、「その約90%以上が海南島に住む。(wiki)」とありますので、ミャオ族の中で
古い独自文化を維持する少数民族を特定する分類になっていると思われます。
イメージとして、戦に敗れ敗走した「九黎族」の一部が「九夷」となったか、または
呉の北側に住んでた民と交わって「九夷」と称された印象を持ったんだけど…。
しかし明確な証拠は得られませんでした。

ちょっと調べても北京語のサイトばかりで、気長に他を探したいと思います。
>>265
>九州ってのは要するに、国全体を九州と呼んで、国家の別名みたいなもんだったって事なのかね

古代中華には明らかに「統治する意味での九州」との言葉があり、単に「9つの国々」の意味では無いようです。
長江周辺とつながりのあった極東の島を「九州」と呼ぶようになったことと無関係とは思えません。


>九州にしか倭国が無い時はヤマトじゃないよね?

倭国=倭人の国々の意で、邪馬台国/邪馬壹国は倭国を構成する一つの集団ではないかと。
「倭の奴国」との言い方で金印が造られてますので、自分はそのように理解しています。

また、自分を意味する言葉として「ワ(ヲとアの中間音?)」と呼んだので、周辺から「ワ族」と呼ばれるように
なったとの考えには同意です。後に日本文化を表す言葉として「和」へと変化したのかと。
>>266
>「我」wa/woは北方漢語
>「吾」goは南方漢語

おースバラしいw。どちらの漢字も、日本では「自分」を示す言葉として生きています。
272日本@名無史さん:2011/12/31(土) 09:21:04.14
九黎 蚩尤というツボを押さえると、湖北・湖南・貴州など長江中流域、
つまり、春秋戦国の楚について認識が深まるぉ

>>267のいうように、苗族は北の黄河下流域から来た伝承があり
韓信がらみの文書にもでてくる、黄帝・蚩尤の「逐鹿」の出典らしいのだ。
現在の苗族は、南下する際に現地人と混血していて
南北混合みたいな容姿になっており、湖南・貴州などの漢族も同じ南北混合の傾向。
273日本@名無史さん:2011/12/31(土) 11:06:27.12
>>268
黎族の文化は、精霊信仰やバンブーダンスの形においてタイ系文化が強いよ。
あんまり、苗族の影響は強くない。
274日本@名無史さん:2012/01/02(月) 21:44:35.89
和服はもともと呉の服なんでしょ?
275日本@名無史さん:2012/01/03(火) 14:45:29.65
>>274
呉服の呉は三国志に出てくる呉。このスレの呉とは別。
276日本@名無史さん:2012/01/03(火) 18:15:51.31
杭州時代の趙宋も呉服と関係ありマス
新年おめでとうございます。
ご挨拶が遅れましたが、のんびりと気づいた情報をうpしながら集約できたらと思ってます。

他のスレなどで概出済みの情報や一般的に理解されている話も、念のために上げたいと考えてます。
では本年もよろしくお願いします。
>>272
 >九黎 蚩尤というツボを押さえると…

そのようですね。
更には、黄河流域と長江流域の関係性も見えてきそうです。

また、長江下流域と山東半島も深い関係がありそうなので、今後の課題かと思います。
>>237
現在はそのようです。
今の李族は「黎族の一部の末裔」らしく、慨出したように海南島に集中して住んでいますから、
歴史の中で東南アジアの文化の影響を受けて融合しながら現在に至っていると考えます。
丹生都比売伝承 ・・・(姫の歩み?)
http://kamnavi.jp/ny/nyutu.htm

・太伯説話
 周の王子であった太伯は、聖人の資質を持つ末弟に王位を譲るべく自ら南方の地に去り、
 文身断髪して後継ぎの意志のないことを示した。太伯は自ら勾呉と号し、呉の太伯と呼ばれた。
 なお倭は自らを呉の太伯の後裔と信じていた。

・春秋時代(BC770〜BC402)
 呉は太伯、越は禹の苗裔で夏后帝少康の後裔と称した。ともに「夷」であるが「華」の後裔を称した。
 我が倭も「夷」である。

・誕生から美少女へ
 稚日女は、江南の呉王国の妹王女 として生を受けた。姉王女は大日女と云う。

・臥薪嘗胆の故事
 BC473年、呉は越に滅ぼされ、BC334年、越は楚に滅ぼされた。なお楚国は始皇帝の秦に滅ぼされる。
 呉越の遺民は、揚子江以南の海岸沿いに国を構えた。
 <続き>
丹生都比売伝承 ・・・(姫の歩み?)
http://kamnavi.jp/ny/nyutu.htm

・九州上陸

 南九州に上陸、姉の大日女姫はこの地に伴侶を得てとどまり、
 後に天照大神と呼ばれる女神の原型となった。狗奴国の狗は呉(gu)であるか。
 妹姫の稚日女姫はミズガネの女神と讃えられ、すなわち丹生都比売神の原型となった。
 稚日女姫を奉戴した一族は熊本の八代や 佐賀 の嬉野で水銀鉱脈を見つけ採掘した。

  天野大社(丹生都姫神社)の丹生良広氏の「丹生神社と丹生氏」によれば、
  丹生氏の第一歩は筑前の伊都の地とされている。
  この地は邪馬台国の伊都国であるがここには水銀鉱床は出ていない。
  しかし紀の国の主な水銀産地は伊都郡内にあり、伊都国から人と共に地名が
  運ばれたとの想定である。
  伊都国王の後裔が紀州丹生氏や怡土県主の五十ト手につながり、
  大分豊後丹生氏になっていったとの見解を開示されておられる。

※続きもありますが、内容的にはスレチなのでこの辺で。
メモ> 春秋諸侯興廃説 http://awatasan.web.fc2.com/chunqiu/shiryou/kouhai.html

・周
 姫姓。黄帝の末裔、后稷の子孫。后稷は?に封ぜられた。夏の末期、后稷の子の不?は失敗を犯し、西戎の地に逃亡した。
 不?の孫の公劉は、?に移った。公劉より九世の後、太王になった。太王は?から岐山に移った。
 文王は天命を受けると、豊に移った。武王は商に打ち克ち、天下を平定すると、都を鎬に定めた。
 鎬は豊水の東部、豊は豊水の西にあり、相互に二十五里ほど離れている。平王は都を王城に移した。
 敬王はまた都を成周に遷した。平王の四十九年に魯の隠公が即位した。敬王の三十九年は獲麟の歳に当たる。
 これ以後、九王二百二十年を経て、赧王のとき、秦に滅ぼされた。

・呉
 姫姓。子爵。周の太王の長子の太伯は、季歴の邪魔にならぬよう蛮族の地に逃亡し、梅里に居住した。
 太伯が死ぬと、仲雍が後を継いだ。十七世の後、壽夢のとき、はじめて王と称した。
 その後、闔閭は大城を築き、その地を都とした。魯の成公六年、はじめて壽夢が『春秋』に登場した。
 夫差の十五年は獲麟の歳に当たる。魯の哀公二十二年、越の句踐に滅ぼされた。

※姓が「姫」で同じ。「蛮族の地」とあるが、流れからして「呉の地」に移り住んで支配者となった?
wiki⇒姫 (姓)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB_%28%E5%A7%93%29

 姫(き)は、中国の姓の一つである。
 中国史では、周王朝の国姓及びそこから分家した晋(諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(畢、晋の分岐国)などの国姓である。


※先の >>280-281 にうpしたサイトによる分析では「女性の姫(ヒメ)」の物語になっているが、確認作業が必要ですな。
284日本@名無史さん:2012/01/04(水) 21:53:19.81
姫って、元々シンと呼ぶ字とキと呼ぶ字の2つあるけど、姫姓は後者で良いのかな。
しばらくぶりに来た。
つい最近、ニコ動にうpされた「三国志演義」を見つけてハマってしもたw

空いた時間はそちらにへばりついてますわ。
286日本@名無史さん:2012/02/16(木) 04:57:47.47
なー、おもったんだけどさー
広島に呉って有るじゃん?

でよく考えたらさー

越後とか越中とか越前とかって、これ越だよね?

呉と越でしょ?唯の偶然でこんな名前つくかね・・・・・・・
287日本@名無史さん:2012/02/16(木) 10:41:03.98
>>286
それなら新潟には燕と言うところがあります。
メモ
wiki 太伯・虞仲 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF%E3%83%BB%E8%99%9E%E4%BB%B2
 >倭人は太伯の子孫であるとする説がある。例えば『翰苑』巻30にある『魏略』逸文や『梁書』東夷伝などに
 >「自謂太伯之後」(自ら太伯の後と謂う)とあり、『日東壮遊歌』や『海東諸国紀』等にもある。

 >『新撰姓氏録』では、松野連(まつののむらじ)は呉王「夫差」の後とある。

wiki 夫差(ふさ、? - 紀元前473年) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%B7%AE

 >中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。姓は姫。
289日本@名無史さん:2012/02/16(木) 17:21:12.40
なー、華族って名前からして古代中国バリバリだよなー

江戸末期に置いて、儒学者がガンガンいた時期って、漢文が素養だったからモロ常識だったんだよな

日本人が古代中国の周王朝の末裔ってのは

周の民族=華族=夏族=漢民族(滅亡したオリジナル)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%A4%8F%E6%97%8F

今の支那人五胡十六国の土人だし

どう見ても日本人が黄河文明も長江文明も合わせて古代中国の正統継承者じゃねーか
290日本@名無史さん:2012/02/16(木) 17:26:35.01
周王朝(紀元前1066年 - 256年)の創立者である周武王

おいおい何気にサラっと書いてあるけど、周の創立者は武王かよ

実は神武天皇は倭王武じゃなくて、武王由来だったりしねーだろうな
291日本@名無史さん:2012/02/24(金) 23:45:02.33
倭が呉太伯の子孫ではありえない。
なぜなら太伯にはそもそも子孫がいないから。
だからこそ呉の王位は太伯の子ではなく弟が第二代を継いだ。

はい、終わり。もう糞スレ立てんなよ!
292日本@名無史さん:2012/02/26(日) 20:09:23.60
てか、何で呉と同族の倭人が漢字も一緒に伝えなかったの??

実は半島とか唐から漢字伝わった以前に漢字伝わってたとかないのか?
293日本@名無史さん:2012/02/27(月) 01:52:38.20
漢字は一部の貴人には伝わってたでしょう
日本固有の文字がなかったので一般人は文字を使用してなっかったということではないですかね
庶民は中国でもまだ文盲がほとんどではないでしょうか
294日本@名無史さん:2012/02/27(月) 03:53:33.63
>>292
前漢時代に貢納する際、自前の通訳使ってるから
支配層の一部も漢字知ってたと思うよ、平々の役人が漢字使うのは唐の頃だろうけど
295日本@名無史さん:2012/02/27(月) 15:59:11.57
初めは漢字を伝えたかもしれないが時が経るうちに忘れられてしまったのだろうな。
296日本@名無史さん:2012/02/27(月) 18:56:14.04
魏や宋に貢納した時も自前の通訳使ってるから
古代中国語も漢字も知っていたよ、歴々とね。
297日本@名無史さん:2012/02/27(月) 19:17:18.36
そうだよな?
そうなると日本に漢字を伝えたってのはおかしく無いか?

今のシナ人て古代の漢字を作ったオリジナル漢民族と別物だろう?

日本人て、周の王族が呉に移って更に日本に来た

ここまでは文献で証明されていることだよな?

はっきり言ってしまえば、日本人が漢字を作ったって方が真実に近くないか???

言ってみりゃ、ローマに対するルーマニアみたいなもんだろう?
298日本@名無史さん:2012/02/27(月) 19:19:40.01
日本人の方が文化も血も古代の支那の正当な後継者じゃねーの???

だって長江文明の担い手の上に黄河文明王朝の子孫だろう???

どう考えても今の五胡十六国土人の末裔より、日本人の方が古代史な文明の正当な担い手じゃねーの?
299日本@名無史さん:2012/02/27(月) 19:27:07.73
だってそうだろう?

長江文明を今の支那人が日本に伝えたとか言ったら、今の日本人でも、そりゃお前達じゃねーだろ

長江文明を担った人間そのものだ、と答えるだろう?

実は黄河文明担ったのもその末裔は日本人だろ?
300日本@名無史さん:2012/02/27(月) 21:26:47.94
はいはいワロスワロス
301291:2012/02/28(火) 03:36:26.26
>>297
>日本人て、周の王族が呉に移って更に日本に来た
>ここまでは文献で証明されていることだよな?

いや、その段階で大間違いだからw
302日本@名無史さん:2012/02/28(火) 11:21:24.42
呉あたりに住んでいた倭人(倭・呉・越人・苗族)
303日本@名無史さん:2012/02/28(火) 18:40:13.97
呉と越と苗は住んでいた場所が何千何万里も離れてる
倭人はさらに遠くの住人w
304日本@名無史さん:2012/02/28(火) 20:16:24.24
>>303
そそらく倭人は長江の最上流にいたのだろうね
305日本@名無史さん:2012/02/28(火) 20:34:33.90
青海省の玉樹か
倭人は遊牧と畑作のミックスか
タングートということか
306日本@名無史さん:2012/02/28(火) 21:28:25.91
支那人か?

倭人は呉と同族だと文献にも出ていれば遺伝子でも証明されているが

長江文明は明らかに倭人の文明だ

当たり前だが倭人が長江流域の先住民

更に周の王族の子孫だから黄河文明の担い手


明らかに日本人が支那古代文明の担い手です
307日本@名無史さん:2012/02/28(火) 21:54:12.38
現代のタングート人は
ポン教もしくはチベット仏教を信仰してる
308日本@名無史さん:2012/02/28(火) 23:01:03.03
D2は、パラシュートで、おりてきたん
D*・D1・D3は、いてるのに
309日本@名無史さん:2012/02/28(火) 23:18:18.76
騎馬で黄海沿いにたどり着き
対馬から九州へ上陸
パラシュートの機動力はあり得るね
310日本@名無史さん:2012/02/29(水) 01:09:52.67
何いってんだ?
縄文人の方が古モンゴロイドで新モンゴロイドの発生以前に支那大陸通って日本に来ただけだ

その後大陸から縄文人が新モンゴロイドに駆逐された

一旦北に行って糸目毛無しの新モンゴロイドに進化した後、支那半島に降ってきたってのが流れだ

だから支那大陸の先住民は明らかに縄文人だ

今の毛も生えない支那人は後から住み着いただけ
311日本@名無史さん:2012/02/29(水) 06:08:16.77
>>308
関西地方や中国地方に多いというのがなぁ
新モンゴロイド多数地域に多いというのが何とも
312日本@名無史さん:2012/03/01(木) 12:55:47.07
秦王室かも
313日本@名無史さん:2012/03/05(月) 14:19:56.71
>>310
混血で新モンゴロイド化したのよ。w
314日本@名無史さん:2012/03/06(火) 22:34:47.26
新モンゴロイドとか旧モンゴロイドとかいってるアホは
旧時代の人種分類と遺伝子レベルとどっちの話してんだよ?
両者は一致しないんだがな。
315日本@名無史さん:2012/03/06(火) 22:39:30.10
シベリア寒冷地適応人種に変えても良いが観てくれの形質支配変化の話しだから、確かにコア血統DNAとは別物だなw
316日本@名無史さん:2012/03/06(火) 22:54:01.36
ジャンク遺伝子やヒトではない真核生物で
寒冷地適応か否かなんてわかりませんからww
317日本@名無史さん:2012/03/20(火) 18:31:51.67
倭が呉太伯の子孫ではありえない。
なぜなら太伯にはそもそも子孫がいないから。
だからこそ呉の王位は太伯の子ではなく弟が第二代を継いだ。

はい、終わり。もう糞スレ立てんなよ!
318日本@名無史さん:2012/03/21(水) 07:06:07.12
子孫が倭に渡ったので王位を継ぐ者がいなかったのだろう
319日本@名無史さん:2012/03/27(火) 03:01:24.57
なんで王位を捨てて倭に渡んなきゃならんのよ
320日本@名無史さん:2012/03/27(火) 09:56:34.27
>>319
当時の王家の内情までは知らないが、おそらく新天地で雄飛しようとしたのではないか。
321日本@名無史さん:2012/04/04(水) 02:13:33.22
平家の落人みたいなヨタ話だよ。

注目すべきは、そのようなヨタ話を自身にとって意味があると当時の倭人がみなしていたことだ。
322日本@名無史さん:2012/04/04(水) 08:33:47.15
>>321
当時の倭人は単に事実を述べただけで、そのことに特に意味があるとみなしていたわけではないだろう。
323日本@名無史さん:2012/04/04(水) 19:03:58.91
崇め奉る中華王族の末裔、意味あり過ぎだな
324日本@名無史さん:2012/04/04(水) 19:59:13.88
>>323
本人達が意味があると見なしていないのだから
325日本@名無史さん:2012/04/04(水) 20:39:20.50
>>324
当時の倭人は南朝から半島南部の領有権を認めて貰う立場な
326日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:16:32.31
医師の本に商の末裔とかいう話もあったが。
327日本@名無史さん:2012/04/07(土) 22:09:04.63
>>325
「意味」というものを狭く考えすぎだね。

「うちの村は平家の落人がどうたらこうたら」と宣う村落の村民は
そういう実利がぶら下がっているから嘘をつくのかい?
328日本@名無史さん:2012/04/09(月) 00:29:57.42
倭人は鮮人の亜種だよ
329日本@名無史さん:2012/04/09(月) 01:40:55.63
今の鮮人はモンゴル人と漢人にレイプされて生まれた子孫だよ
330日本@名無史さん:2012/04/09(月) 02:13:32.53
>>328
「倭」は南血統、貝人種なんだよ。北系の羊の出番無し。朝鮮が倭系なら中国は済州島が中国領だと言い掛かりをとっくにかけてる。中国のストーカー領域は東シナ海の中南部だ。
331日本@名無史さん:2012/04/15(日) 02:09:49.83
朝鮮人って日本文化と日本人の定義やルーツについてはやたらと口を挿むくせに
自分たちのそれについては言及しようとしないよね

まさか古代朝鮮半島に突如として「朝鮮文明」なる文明を持った
「朝鮮人」なる民族が発生して日本人に文化を教えてやったと考えているのだろうか
332日本@名無史さん:2012/04/15(日) 02:55:32.17
最大の問題は、古代の2つの朝鮮と今の韓国人の間には
遺伝的な繋がりはともかく、何の文化的な繋がりも言語的な繋がりも無く
李氏朝鮮の支配層の女真も現韓国人と関係が無いってことじゃね
333日本@名無史さん:2012/04/17(火) 22:09:17.63
>>331
自分たちのルーツが「日本の兄」であるという主張なんだから反吐が出るよな
なんという哀れでミジメな民族だろう
334日本@名無史さん:2012/04/19(木) 02:01:09.35
少なくとも中国から学んで、
殷の祭司王、
周王朝の徳治の形式で皇室が継続している。
しかも古墳時代から一系で。
従って中国4000年の歴史の正統な継承者は日本であるといいうる資格がある。
だから宣長がシナよりも日本こそが中華(世界の中心)といったのは正しい。
335日本@名無史さん:2012/04/19(木) 02:24:57.27
白川静によると入れ墨文化、貝を尊ぶ、勾玉、
神話に列なる系譜があること、
動物の骨を使った占い文化があることが
殷と共通しているらしい。
336日本@名無史さん:2012/04/19(木) 19:17:08.28
そんなに遡らんでも、宋・唐の文化的末裔は誰かと言えば
清や中共じゃなく日本だろう
337日本@名無史さん:2012/04/19(木) 20:12:03.77
異民族支配の文化じゃ無くて表に出ない血統の話しだろ。「羊と貝」な
338日本@名無史さん:2012/04/19(木) 22:43:56.80
宋・唐の血脈的末裔は誰かと言えば、それは清や中共だな
339日本@名無史さん:2012/04/30(月) 02:15:45.61
【文化】青森で出土、世界最古の弦楽器か 3千年前、縄文の木製品
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1335613232/
340日本@名無史さん:2012/04/30(月) 03:12:36.29
>>331
1万年前から文明があり、世界に広めたと言うのが彼らの言い分だよ…
341日本@名無史さん:2012/04/30(月) 06:34:08.95
あれ、ウリナラ半万年じゃなかったのか
いつのまに倍に
342日本@名無史さん:2012/05/01(火) 08:31:11.67
>>341
南京もいつの間にか40万人になってたらしいし…
まったくあの二つの国は。

ところで、呉じやなくて越じゃないの?
わし越後生まれだけど、漂流越人と土着縄文人の混血だと思ってる。
343日本@名無史さん:2012/05/01(火) 18:34:09.07
三国志の呉に肖った伝説だから越じゃ駄目なのさ
344日本@名無史さん:2012/05/01(火) 22:11:03.04
>>338
国際外交で名を馳せたの周恩来って
周王室の血筋を引き継ぐ末裔って気がする
345日本@名無史さん:2012/05/02(水) 01:59:45.87
周の末裔なんてもう中国には残っていないだろう
346日本@名無史さん:2012/05/02(水) 02:53:37.94
古代朝鮮、夫余、高句麗を構成した民族が消滅して
今はもう何所にも存在していないのと同じくな
347日本@名無史さん:2012/05/02(水) 18:57:39.38
臨シLinziの住民の遺伝学的研究
 2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝 WANG Liらは、
約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)
遺跡から出土した人骨、 及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表した。
それによると、三つの時代の臨シ人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、
約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、
現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。
 この研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団が
存在していたことが明らかになった。また、2500年前から2000年前の500年間に臨シ集団に
大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったことを示唆している。
348日本@名無史さん:2012/05/29(火) 21:49:11.16
この名物スレまだあったのか
349日本@名無史さん :2012/06/02(土) 22:38:59.61
DNAが語る古代の東アジア【日本語字幕】
ttp://www.youtube.com/watch?v=xx6elRjoJBQ

倭王の出自が朝鮮半島と思っている人へ
ttp://www.youtube.com/watch?v=mfCDtLttPqg&feature=related

350日本@名無史さん:2012/06/05(火) 22:30:13.74
>>334
我が強く競争原理が激しい怜悧な中国人の中では珍しく
謙虚で奥ゆかしい繊細さを持つ周恩来とケ小平は日本にとって大恩人
351日本@名無史さん:2012/06/11(月) 04:05:46.26
周は国名 王家の氏族名は姫(姫氏)
352日本@名無史さん:2012/06/19(火) 14:50:08.27
353日本@名無史さん:2012/07/07(土) 22:58:30.41
5000年前に身長180cmの古代人、日中関係のルーツ解明か―江蘇省徐州市

2008年6月17日、江蘇省徐州市郊外の梁王城遺跡から出土した5000年前の男性の人骨2体は、
いずれも身長が1m80cm以上あったことがわかった。東方早報が伝えた。

梁王城遺跡は、春秋時代(紀元前770〜同403年)における江蘇省北部最大の遺跡で、5000年に
もわたる文化層が重なっている。1957年、南京博物院によって発掘された。4年前、徐州博物館
との合同チームが行った調査では、10基以上の墓穴が発見され、およそ5000年前の男性の人
骨2体が出土した。この人骨には、日本でも渡来系弥生人の間で流行した祝い事や服喪の際、
健康な上顎側切歯(=上前歯の両横にある歯)を抜く「抜歯風習」の跡が見られるという。

徐州博物館の考古学専門家、原豊(ユエン・フォン)氏は、「ここに埋葬されている成人のほとん
どは『抜歯』されている」と指摘。専門家の間では、古代の中国大陸と日本との関係をひも解く上
で重要な鍵になるのでは、と期待が高まっている。(翻訳・編集/NN)

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=20558
354日本@名無史さん:2012/07/16(月) 09:33:39.91
どんどんスケールが大きくなっていくw
江蘇省は数年前にたまたま行ったけどその時はこのスレのような説は知らなかった
行ってよかった
355日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:33:48.56
まー、初期の天皇は普通にペルシャとかアラブ系の血が濃い可能性とか有るからなぁ

渡来人もコーカソイドの可能性高いし、多分当時の中国人はコーカソイドが一般的で常識だったんだろうし
そりゃそうだよな、秦はコーカソイドで漢とかもコーカソイドで唐も一応コーカソイドの血が濃いんだろうから
それまでの常識では支那人はコーカソイドなんだよね
アマテラスが米を持ってきたって言う山東半島もコーカソイドしか居ないからもう支那人=コーカソイドって認識だった筈だし当時は
少なくとも中原の支配階層は

渡来人と言えば、普通にコーカソイドが当たり前過ぎる程当たり前だから何も言及しなかった可能性が有るってか
天皇とか貴族自体がコーカソイドの血が濃かった場合唯の同族だから、態々モンゴロイド目線からのコメントなんかする訳ねーんだよね

唯平安貴族の目が一重らしいから全部がコーカソイドの血もそれ程多かった訳じゃ無いんだろうけど一重じゃ弥生系だしどう見ても
356日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:45:45.44
>>334
中国から 学んだって言い方はそろそろやめにした方が良い

中国から学んだんでは無くて

中国で文明を起こした民族そのものだ倭人は
357日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:38:20.06
age
358日本@名無史さん:2012/08/28(火) 03:08:40.36
現在では、紀元前450年頃の、つまり春秋時代(「呉越同舟」で有名な呉越戦争の時代で、呉が滅亡した時期)の組織的な大規模な水田跡が九州で見つかっており、又、
「倭人は周の子孫を自称した。」という記録もあることから、長江文明の象徴でもある水耕稲作文化の揚子江一帯の呉人が紀元前5世紀頃、
呉王国滅亡とともに大挙して日本列島に漂着していたという説も有力になっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E4%BA%BA

wikipediaでも有力説なってますた
359日本@名無史さん:2012/08/28(火) 10:59:43.45
>>358
BC1000年くらいでしょ。稲作はじまった弥生人は。
じゃ、弥生人と倭人は別物なわけね。
360日本@名無史さん:2012/08/28(火) 14:56:44.90
いや、もっと前からでしょ、倭人が渡航してきたのは
弥生人はBC500年以前からずっといたんだから
361日本@名無史さん:2012/09/08(土) 07:39:28.36
>>358

>揚子江一帯の呉人が紀元前5世紀頃、呉王国滅亡とともに大挙して日本列島に漂着していた


大挙かどうかはわからんが、やってきていたことは確かだと思う。
362日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:50:20.80
>>361
これって知識階級も少しは来たのかな?
363日本@名無史さん:2012/09/10(月) 05:24:47.22
>>362

知識階級とまではいかなくても、読み書きができる人はやってきたでしょう。
364日本@名無史さん:2012/09/10(月) 06:22:53.40
帆船もない当時の航海術で中国大陸南部から直接日本に渡るのは不可能とされている。
なのに日本人からは長江流域の少数民族などと共通の遺伝子が確認される。
イネからも共通の遺伝子が確認される。
いずれも現在の朝鮮半島では確認されていないという。
365日本@名無史さん:2012/09/10(月) 06:47:18.93
>>364

ベトナムからボートピープルはたくさん来ましたが。
366日本@名無史さん:2012/09/12(水) 10:16:43.82
孫呉→天孫族(神武・ニギハヤヒ)

-「孫」は呉の皇室(孫堅→策→権)から来ているのか?
-「天」が付いているのはなぜなんだろうか?
367日本@名無史さん:2012/09/12(水) 10:55:20.28
>>366

> -「孫」は呉の皇室(孫堅→策→権)から来ているのか?


三国時代の呉ではなく、もっと前の時代の呉王朝
368日本@名無史さん:2012/09/12(水) 10:56:05.74
>>366

> -「天」が付いているのはなぜなんだろうか?


天=海外のように思う。
369日本@名無史さん:2012/09/12(水) 12:41:16.66
日本人は中国って言ったら三国志だもんなー
370日本@名無史さん:2012/09/12(水) 12:45:00.21
>>366
天=海。海部ほか海人族。
371日本@名無史さん:2012/09/12(水) 15:07:41.27
>>366
孫子こと孫武や伍子胥で有名な春秋時代の呉だよ。
孫武=神武天皇なんて説もあるけどw
372日本@名無史さん:2012/09/15(土) 23:00:48.45
>>364
普通に海流が支那から日本に向かって流れてて2日も有れば流れ着きますけど
373日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:37:19.94
流れ切ってスマソ

以前二胡を習ってて、教材として中国の民謡の他にチベットやモンゴルの民謡も習った。
チベットやモンゴルの民謡って、日本語の歌詞をつければ日本の民謡といっても違和感がない。
チベット仏教の声明でも三々七拍子のリズムが出てくる。
でも中国の民謡は北も南も、チベット・モンゴル・日本とは全く異質。
こういうのって、何かの手掛かりにはならんかな?

朝鮮のは全く取り上げられてなかったから知らない。
374日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:51:21.82
日本人はモンゴルのホーミーだったかが練習しなくても
できる率が高いとか聞いた事がある。
375日本@名無史さん:2012/09/17(月) 10:28:04.03
日本の民謡にもいろいろあると思うけど
みんな似たり寄ったりなんだろうか?

http://www.nihonjiten.com/monogatari/data_51.html
↑こんなの見つけたけど文章読んでもよくわからんし
聴きたいと思うほど民謡好きじゃないしw
376日本@名無史さん:2012/09/17(月) 22:06:07.37
>>373
陝西や四川など西北内陸なら、日本の民謡といっても違和感がないでしょ
「黄金コード進行」だもの

内蒙古
http://www.youtube.com/watch?v=IZ2wH1A-w0s
四川西康(藏族)
http://www.youtube.com/watch?v=vTLTdZCbziw
陝西
http://www.youtube.com/watch?v=j9I5uK4KmX4

南中国は内陸でも、声調アクセント5〜9とが多かったり
音声も入声や声門閉鎖音、閉音節、二重子音があって
タイ語みたいなんすよ
http://www.youtube.com/watch?v=YStXZZ55XoM
377日本@名無史さん:2012/09/18(火) 05:45:55.42
378日本@名無史さん:2012/10/06(土) 01:25:04.78

とうとう決定的証拠がきたね。

【科学】イネの栽培化は中国の珠江中流領域が起源 ゲノム解析で解明[12/10/05]
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1349451005/
379日本@名無史さん:2012/10/06(土) 05:36:59.47
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」
と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。

380日本@名無史さん:2012/10/13(土) 07:26:04.15
なんで朝鮮通信史の連中は、周の時代に倭人が日本にやってきたってわかったんだ?
当時から天皇家は周王室の末裔って説が有名だったのか?
381日本@名無史さん:2012/10/13(土) 09:16:34.29
下から3行は379の感想でしょ
382日本@名無史さん:2012/10/13(土) 11:46:12.64
違うよ、『日東壮遊歌』からの引用でしょ、>>379
383日本@名無史さん:2012/10/15(月) 19:09:37.24
日本のルーツを克明に記した文献が高句麗や新羅あたりにあったかもだね
それが秀吉の時代か併合の時代か半島人の独自判断かはわからんけど
なんらかの政治的理由で消失したのではないかと空想してしまう
384日本@名無史さん:2012/10/18(木) 00:12:37.68
マダガスカルはマレー系民族が住んでいるが
中継点のインド南部やスリランカはマレー系ではない
古代民族の航海術を馬鹿にしてはいけない
朝鮮南部に米作文化人が移住しても北方麦作文化人に同化されてしまう
385日本@名無史さん:2012/10/19(金) 00:35:49.28
【週刊ポスト】香港大手紙「大和民族は中華民族の一部で中華の血脈」の広告[10/03]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1349271738/l50

ネタかしらんが、これは壮大な自爆じゃないのか?
386日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:51:12.17
age
387日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:44:32.17
2chの日本人にも中国人に憧れて、大和民族であることを意識するどころか
憎んでる日本人が多いからな
中国でこういう声が出てくるのは当然だろうな
そのうち中国、韓国で九州もとかって説まで出そうだな
388日本@名無史さん:2012/10/30(火) 05:58:27.39
389日本@名無史さん:2012/10/30(火) 13:24:29.77

この人天津市が郷里だし
「百家姓」の温氏は、山西省や内蒙古自治区の胡族系の氏姓だぜ?
なんで?!

長沙葉氏とかは苗だろうけど、こんな胡族姓のやつが苗のわけねぇよ
390日本@名無史さん:2012/10/30(火) 16:00:20.68
>>387
そんなやついるのか?
391日本@名無史さん:2012/11/09(金) 21:49:50.05
しかし、NHKで中国文明のなんちゃらとかやってるけどひどいな
4000年前から分裂せずに変わらない文明があったとか
夏王朝の実在なんてまだ全然証明されてないのに
次は漢字特集やるみたいだけど、漢字作った殷人なんて非漢族の東夷だろうに
392日本@名無史さん:2013/02/06(水) 14:17:28.87
まだやってんのか
太伯は倭と関係ないよ。
これは三世紀頃になってから作られた与太話で古代伝承ではない。
393日本@名無史さん:2013/02/06(水) 21:53:29.55
豊臣秀吉は中華皇帝になろうとしたんじゃないか?
信長なら朝廷なんか屁でもないしアレキサンダーみたいに通婚作とりそうだな
394日本@名無史さん:2013/02/07(木) 01:15:17.18
>>373

TVでリズム?だかなんだかが同じなのでどうこうと言ってた
音楽関係一切わからないので詳しく説明できなくてごめん
395日本@名無史さん:2013/02/07(木) 06:30:19.87
>これは三世紀頃になってから作られた与太話で古代伝承ではない。

司馬遷の史記の「呉太伯世家」は紀元前1世紀
396日本@名無史さん:2013/02/13(水) 14:39:48.72
ミャオ族は古くは「九黎族」と呼ばれた。最も古くは現在の山東地方に暮らしていたが、後に、九黎族の
首領・蚩尤が民衆を率いて、河北一帯へと移り住んだ。
蚩尤の兵は、黄帝(中国の古代伝説上の帝王)が統率する部族と、菘鹿(今の河北省にある)の地で
戦ったのだが、ことごとく破れた。九黎族の一部は黄帝の部族に吸収され、一部は徐々に南下して、
長江の中流域および南方や西南地方へと逃げのびて、「三苗族」と称した。

言い伝えによると、首領の蚩尤は「人の体に牛の蹄、頭には長い二本の角があった」そうだ。
興味深いのは、ミャオ族のいくつかの村では、今も蚩尤式の帽子をかぶることだ。
397日本@名無史さん:2013/02/17(日) 18:19:51.80
戦国時代の武将のかぶっていた帽子(兜)も角が生えたの多いよね
蚩尤式の帽子と無縁とは思えない
三国志の映画とか観ても角の生えたヘルメットかぶってる奴いないもんね
398日本@名無史さん:2013/02/17(日) 23:51:53.04
>>395
あほか
史記のどこに「倭人は呉太伯の子孫」って書いてあるんだよw
399日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:27:59.74
魏志倭人伝には魏略に通じる記述が多いが
「呉太伯の後」の部分は見事にカットされている
陳寿さんの意図は何なのか?
倭人の正確な分布域を知っていて日本列島の倭人ではないと判断したか?
東夷の蛮族が呉の末裔であることを知られては困ると思ったか?
呉とか越とか楚とかそれ以前の先住民とかがごちゃ混ぜになってるのを知っていて
あえてルーツには触れたくなかったか・・・
400日本@名無史さん:2013/02/26(火) 22:14:02.62
>>399
魏略は今でいえばプロの学者が編纂したんじゃなくて
民間の個人が書いたもの、「野史」。
やたらに詳しいが、それは
情報源が確かな記述とイイカゲンな与太記事が混在してるから
情報量が豊富に感じるだけで正確さはないといわれてた。
陳寿は当代一流の学者だからそりゃ取捨選択するのは当たり前だろ

なんでおまえの思い込み史観が正確で陳寿がそれを隠蔽したってのが
前提になってるんだよ、そういうのを電波というんだろ
401日本@名無史さん:2013/03/05(火) 01:11:32.07
「姫」という姓は、古代も今も中国でさほど珍しいもんじゃないからねえ。

温家宝とか連戦とか今の中国人の政治家がいるが、[温」や「連」の方が
「姫」よりはるかに珍しい。「姫」を名乗らず、別の氏を名乗るように
なった連中を含めればさらにその数は膨らむ。
多少の出入りはあるが今「姫」を名乗る以上の数の人間が周王家の
一族の末裔だ。

どこぞの「姫」さんが春秋期に長江下流域から日本列島に流れて
きていたとしてもなんの不思議もない。

ただし、少なくとも邪馬台国の連中には漢文を書ける能力がない。
よって下記のいずれか。

(1) 流れ着いたのはまともに文字を知らない下層民。種籾だけは持っていた?
(2) 邪馬台国は中国からの流入民とは関係のない連中
(3) 大陸からの流入民はいたが、日本の土着民に早々に吸収された。大和権力とは何の関係もない。
(4) 大陸からの流入民などいない。もしくは全員早々に死に絶えた。
402日本@名無史さん:2013/03/05(火) 02:14:37.50
まともに文字を知らないっていっても
共産党誕生以前でも中国の識字率って1割にも満たなかったんでしょ
古代ならなおさらで、下層民どころか中間層でも
文字がわからない人が多かったんでないの
403日本@名無史さん:2013/03/09(土) 15:32:05.48
.




■■■悪の王者『台湾人情報工作部隊』の卑劣なステマ劇団型ネット世論操縦の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮ネガ煙幕を組織で焚きつけ、正義の味方を装いながら
我らが日本人の視界と思考力を奪取。
(悪い外国人は朝鮮人「だけ」なんだ!と、この時点でバカ落ちる。)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、「日本人は台湾人が大好きです!」やら、
「台湾人は親日!」やら、台湾および台湾人美化用の洗脳プロパガンダを組織で無数に
唱え殺す。(単純なステマ工作に、バカ、ダマサれ信じ込む。)

最近はこれだと角が立つので台湾美化をせず、ただし台湾ネガは一切見せないようにして、
ただひたすら朝鮮ネガをプロパガンダし狂って韓国・朝鮮を下げ殺す事で他が持ち上がった
ように見える錯覚を利用した無言の台湾アゲ工作に出ている。

B台湾人部隊だとバレかけたら、その邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをして潰すという
卑劣な狂言を働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、ハッカクくせえ褐色広鼻の汚らしい反日土人が親日という世論操縦が完了しました。




.
404日本@名無史さん:2013/03/13(水) 23:52:05.54
>>401
さりげなく姫姓の話とすりかえてんじゃねぇよw
呉太伯ネタは本来は姫姓云々と関係ないだろ
405日本@名無史さん:2013/03/13(水) 23:57:50.24
周王室血筋を引く人たちは
古代中国大陸の戦乱を逃れて
新天地を求めて九州に辿り着いた
406日本@名無史さん:2013/03/14(木) 00:03:11.13
簡単に大船団で九州に来れたら、日本じゃなくなってるだろうな
407日本@名無史さん:2013/03/14(木) 02:37:02.10
遣唐使の時代も帰りは難破することが多い
408日本@名無史さん:2013/03/16(土) 17:04:33.26
.




戦後の「三国人暴動」での在日台湾人の姿
http://www.logsoku.com/r/taiwan/1017663508/


強盗・強姦・傷害・恐喝・脅迫・不動産窃盗、時には殺人まで、
経済犯、實力犯を中心に、この世の悪という悪の限りを尽くしたのです。




.
409日本@名無史さん:2013/03/18(月) 01:10:53.64
>>405
糞くだらない阿呆陀羅経を唱えるんじゃなくてきちんと証明してみせろよ
本当に中共の工作員と真性のキチガイはしょうがないなー
410日本@名無史さん:2013/03/18(月) 22:55:42.72
基地外コピペにマジレスはいかんです
411日本@名無史さん:2013/03/23(土) 14:56:32.18
.




■■■悪の王者『台湾人情報工作部隊』の卑劣なステマ劇団型ネット世論操縦の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮ネガ煙幕を組織で焚きつけ、正義の味方を装いながら
我らが日本人の視界と思考力を奪取。
(悪い外国人は朝鮮人「だけ」なんだ!と、この時点でバカ落ちる。)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、「日本人は台湾人が大好きです!」やら、
「台湾人は親日!」やら、台湾および台湾人美化用の洗脳プロパガンダを組織で無数に
唱え殺す。(単純なステマ工作に、バカ、ダマサれ信じ込む。)

最近はこれだと角が立つので台湾美化をせず、ただし台湾ネガは一切見せないようにして、
ただひたすら朝鮮ネガをプロパガンダし狂って韓国・朝鮮を下げ殺す事で他が持ち上がった
ように見える錯覚を利用した無言の台湾アゲ工作に出ている。

B台湾人部隊だとバレかけたら、その邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをして潰すという
卑劣な狂言を働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、ハッカクくせえ褐色広鼻の汚らしい反日土人が親日という世論操縦が完了しました。




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412日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:20:54.20
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617 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:08:43.55
江南の古代遺跡から出土する炭化米は、その比率はともかく、必ず、
長粒種、中粒種、短粒種が、混合して出土してくる。

ところが、日本の最古水田から出土するのは短粒種だけである。

もし本当に日本の稲が、この台湾人詐欺師の言う通り、江南から導入された
ものならば、長粒種の一粒くらい、日本の最古水田から出てくるはずなのである。

江南なんて絶対にあり得ません。

日本稲作は1000%朝鮮半島から導入されている。

ただ、それを導入したのは半島人ではないけどな。







.
413日本@名無史さん:2013/04/07(日) 01:20:04.64
618 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:42:08.29
江南の古代遺跡から出土する炭化米は
時代が下って前3000年頃になると、地方にも拠るがほぼ100%短粒種になる
日本稲作は1000%江南から導入されている。

はい、在チョンの願望はまた破綻しました。
414日本@名無史さん:2013/04/08(月) 18:21:16.27
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622 :日本@名無史さん:2013/04/08(月) 18:15:01.75
ハイ、結局、江南の炭化米が前3000年頃になると、ほぼ100%短粒種になるという
発言に対してのソースも証拠も何も出てきませんでした。

よって、これはウソの発言と断定させて頂きます。

では、改めて言明いたしましょう。

江南の古代遺跡から出土する炭化米は、その比率はともかく、必ず、
長粒種、中粒種、短粒種が、混合して出土してくる。

ところが、日本の最古水田から出土するのは短粒種だけである。

もし本当に日本の稲が、この台湾人詐欺師の言う通り、江南から導入された
ものならば、長粒種の一粒くらい、日本の最古水田から出てくるはずなのである。

江南なんて絶対にあり得ません。

日本稲作は1000%朝鮮半島から導入されている。

ただ、それを導入したのは半島人ではないけどな。



.
415日本@名無史さん:2013/04/08(月) 19:34:32.06
遣唐使を見ると寧波から日本へ来る場合、
難破したり南海にたどり着いて原住民に殺されたり
大船団がそのままつくことはない
朝鮮経由の沿岸航海がよいが、新羅との関係が悪い時は使えない
416日本@名無史さん:2013/04/08(月) 20:17:11.22
>>414
618 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:42:08.29
江南の古代遺跡から出土する炭化米は
時代が下って前3000年頃になると、地方にも拠るがほぼ100%短粒種になる
日本稲作は1000%江南から導入されている。

はい、在チョンの願望はまた破綻しました。
417日本@名無史さん:2013/04/08(月) 20:30:22.59
>>415
大船団で来る必要もないだろ
418日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:08:53.59
>>412
それは単にいつかわからん何処かの場所で
誰かが選別したということだわな。

日本に持ち込んだ奴がやったんじゃないのか?
419日本@名無史さん:2013/05/04(土) 00:02:06.14
.




622 :日本@名無史さん:2013/04/08(月) 18:15:01.75
ハイ、結局、江南の炭化米が前3000年頃になると、ほぼ100%短粒種になるという
発言に対してのソースも証拠も何も出てきませんでした。

よって、これはウソの発言と断定させて頂きます。

では、改めて言明いたしましょう。

江南の古代遺跡から出土する炭化米は、その比率はともかく、必ず、
長粒種、中粒種、短粒種が、混合して出土してくる。

ところが、日本の最古水田から出土するのは短粒種だけである。

もし本当に日本の稲が、この台湾人詐欺師の言う通り、江南から導入された
ものならば、長粒種の一粒くらい、日本の最古水田から出てくるはずなのである。

江南なんて絶対にあり得ません。

日本稲作は1000%朝鮮半島から導入されている。

ただ、それを導入したのは半島人ではないけどな。



.
420日本@名無史さん:2013/05/04(土) 14:34:05.13
周王室の末裔で呉王室の姫氏が日本に来た紀氏が倭の五王。
421日本@名無史さん:2013/05/04(土) 15:25:47.49
>>419

618 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 16:42:08.29
江南の古代遺跡から出土する炭化米は
時代が下って前3000年頃になると、地方にも拠るがほぼ100%短粒種になる
日本稲作は1000%江南から導入されている。

はい、在チョンの願望はまた破綻しました。
422日本@名無史さん:2013/05/05(日) 18:14:26.54
.




622 :日本@名無史さん:2013/04/08(月) 18:15:01.75
ハイ、結局、江南の炭化米が前3000年頃になると、ほぼ100%短粒種になるという
発言に対してのソースも証拠も何も出てきませんでした。

よって、これはウソの発言と断定させて頂きます。

では、改めて言明いたしましょう。

江南の古代遺跡から出土する炭化米は、その比率はともかく、必ず、
長粒種、中粒種、短粒種が、混合して出土してくる。

ところが、日本の最古水田から出土するのは短粒種だけである。

もし本当に日本の稲が、この台湾人詐欺師の言う通り、江南から導入された
ものならば、長粒種の一粒くらい、日本の最古水田から出てくるはずなのである。

江南なんて絶対にあり得ません。

日本稲作は1000%朝鮮半島から導入されている。

ただ、それを導入したのは半島人ではないけどな。



.
423日本@名無史さん:2013/05/05(日) 20:29:30.54
425 名前:出土地不明 :2013/05/05(日) 20:08:26.73 ID:cYopZ1PO
台湾人、息をするように、ウソをつき

そんな低レヴェルな詐欺に引っかかってくれる基礎学力の無い大バカが
ここは多くて仕事がしやすいな。

まあ、大バカのために言っといてやるが、弥生人は朝鮮半島とも中国大陸とも
何ら関係ない北方アジア沿海州人だからな。

だいたい、

5000年前から長江下流域の住居は木骨泥墻(もっこつでいしょう=木組み泥壁)。

長江下流域からやって来といて、何で木骨泥墻住居を伝えん?

5000年前から長江下流域では龍信仰がさかん。

長江下流域からやって来といて、何で龍信仰を伝えん?

5000年前から長江江南土器の焼成技術は穴窯(あながま)。

長江下流域からやって来といて、何で弥生土器の焼成技術に穴窯を伝えん?

当時の長江江南土器の代表器種は鼎。煮沸器であり炊飯器。しかも祭器。

長江下流域からやって来といて、何で弥生土器の鼎で煮炊きせん?炊飯せん?祭器に使わん?

当時の長江文明の農耕具の代表は石刃の鋤。

長江下流域からやって来といて、何で石刃の鋤を真っ先に伝えず、最初に江南に無いクワ(しかも木製)なんか伝える?
424日本@名無史さん:2013/05/05(日) 22:57:40.55
あちこちでコピペしてんじゃねえよ
中共工作員がw
425日本@名無史さん:2013/05/05(日) 22:58:38.39
631 :日本@名無史さん:2013/04/08(月) 21:06:36.32
日本@名無史さん[] 投稿日:2010/04/02 02:05:56 798 名前: 日本@名無史さん Mail: 投稿日: 2010/03/05(金) 14:03:29
>だいたい日本で6000年以上も前から稲作も小麦作もしておいてだ、
>何で3千数百年以上前に遡れる炭化米や炭化小麦が一切出土しない?

コピペ荒らしウザイな。ちゃんと反論しろよ。

6000年以上前のプラントオパールが出土してるんだから、証拠としては充分だろ。
炭化米が出土しないからって、日本に稲作がなかった・韓半島から伝播した反論になっていないな。

じゃあ約6500万年前から化石が見つかっていないシーラカンスが、現代になって発見されたからって、白亜期末に絶滅しなかった証拠にはならないとか言い張るのか?

炭化米が発見されていない期間の何万倍もシーラカンスの化石が発見されないことがあっても、点と点が繋がれば線になるんだよアホ。
それとも原生のシーラカンスは絶滅種とは別に6500万年以降に発生した相似種だとでも言うつもりか?
426日本@名無史さん:2013/05/05(日) 22:59:37.59
プラントオパールについてはやっぱり逃亡か。

>炭化小麦はどうした?w  何で炭化小麦が弥生以降しかねえんだよ?w

プラントオパールは?

>で、いつ稲作開始地の九州北部に江南農耕具の代表「石鋤」を伝えてくれたの?w

あほか。
例えばイースター島のモアイを作った連中は遺伝的にもポリネシア系。
近くで見たらわかるが、モアイは褌をつけて正座する姿で、これまた東アジアからポリネシアの共通文化で、ポリネシア系の人間が伝えたのがわかってる。
で、モアイの石切場から見つかっている石のノミは、これまたポリネシアの物にそっくり。

しかしながら、ポリネシアの道具が全部共通するわけではなく、
文化が移植された先の環境や地理的条件によって、道具は伝わったり伝わらなかったりする。
実際、イースター島ではノミぐらいだったりする。
モアイを運搬する方法も、割と短期間で伝承が失われたり混乱したりするもの。

そもそも、日本と韓半島は縄文時代から交易があったことぐらいは知ってるだろうな。
隠岐や佐賀の腰岳の黒曜石など、農耕伝播以前から交易品として流通していたんだ。
日本に伝来した稲作が韓半島に伝播し、そこで日本との交流の過程で韓半島の農機具が主流になっても、
それは韓半島から稲作が伝播した証拠にはなりえない。

ジャガイモやサツマイモの伝播で、原産地の南米の農具や、それを世界に持ち込んだヨーロッパの農具、
日本(沖縄)に直接持ち込んだ中国の農具が、日本に伝播しているか?
鹿児島や長崎の栽培方法ですら、残っていない地域があるぐらいだ。

>で、何で日本の最古級炭化米は長江江南のインディカのような長細いジャポニカじゃないの?w

外形的な物は決定的な証拠にはならんよ。
外見がインディカのように長細くても、遺伝的にジャポニカだったらジャポニカ。
ジャポニカ種には長粒品種と短粒品種が混在してることも知らんのか?
427日本@名無史さん:2013/05/05(日) 23:00:32.57
日本@名無史さん[] 投稿日:2010/04/02 02:09:15 807 名前: 日本@名無史さん Mail: 投稿日: 2010/03/06(土) 21:49:41
>806
>全然答えになってねえから

でもどこが答になっていないか、一言も反論できませんってか?
おまえがまずなすべきことは、

1)残りやすいプラントオパールではなく、残りにくい炭化米・小麦の出土にこだわるのか?
2)石鋤が伝わっていないことが、なぜ江南伝来説否定の論拠になると思い込んでいるのか?
3)ジャポニカ種の長粒品種はインディカ米と遺伝子的に別種だと、なぜ認められないのか?

について自問することだな。
428日本@名無史さん:2013/05/05(日) 23:10:44.83
356 :出土地不明:2011/04/10(日) 14:41:42.08 ID:EvPm7rbf
バカの一つ覚えが、木骨泥墻木骨泥墻 何それ美味しいの?
朝鮮は、満州文化の豚便所やモンゴル文化の焼き肉を取り入れたけど、
高句麗人みたいには馬に乗れなかったでしょ(イサベラ婆 記)。それでいーのよ。
要りもしない物まで他国から文化総合体として輸入する義理なんて無い。
あんた日本の伝統家屋の壁の中身、知らんでしょ。
うちの実家は四国の山奥で、築100年の母屋の壁が台風で崩れた時、見たんだ。
日本の土蔵と民居つーのは、壁の部分は檜の木枠内に、モウソウ竹を割って骨に
したヤツをナナメ格子にバッチリ入れて補強した上に土と石灰を塗って有るんだよ。
木骨泥墻は、日本列島で「竹骨泥墻」に換骨奪胎されたのね。
木骨泥墻なんかにしたら、浦島太郎の竜宮城みたいな厚壁になっちゃうでしょ。
温帯モンスーン気候帯で、そげなむさくるしい家に住むバカおらんちや。
429日本@名無史さん:2013/05/05(日) 23:14:51.83
352 :出土地不明:2013/04/08(月) 22:48:33.63 ID:VAv850uA
現在の日本の米は、本来耕作に適さない寒冷地北海道でも美味しいお米が出来るし、温暖な鹿児島でも作れる
一見すると非常に多様な稲の種類が存在するんだけど、実は日本で栽培される全ての米が古代ジャポニカ米の子孫であり、
江戸時代に改良が加えられ、特に明治以降に日本人が独自に品種改良を進めた結果誕生した品種の数々である

つまり日本の米は、現在から古代に溯ってもひたすらジャポニカ米ばかりなのである

では朝鮮半島の米はと言うと、主要な品種は朝鮮併合後に日本から移植され、現地で日本人の農業研究者によって
広められた寒冷地対応の品種ばかりである

では朝鮮半島の古代遺跡にはジャポニカ米の先祖が存在するのかと言えば
朝鮮半島の古代遺跡から発見される米はジャポニカ米とは異なる品種であり
しかも日本の遺跡で古代ジャポニカ米が発見される年代よりも遙かに後世になってから登場するのだ

これではいくら何でも朝鮮半島から日本に米がもたらされたなど言うのはムリだろう
430日本@名無史さん:2013/05/06(月) 00:39:54.37
425 名前:出土地不明 :2013/05/05(日) 20:08:26.73 ID:cYopZ1PO
台湾人、息をするように、ウソをつき

そんな低レヴェルな詐欺に引っかかってくれる基礎学力の無い大バカが
ここは多くて仕事がしやすいな。

まあ、大バカのために言っといてやるが、弥生人は朝鮮半島とも中国大陸とも
何ら関係ない北方アジア沿海州人だからな。

だいたい、

5000年前から長江下流域の住居は木骨泥墻(もっこつでいしょう=木組み泥壁)。

長江下流域からやって来といて、何で木骨泥墻住居を伝えん?

5000年前から長江下流域では龍信仰がさかん。

長江下流域からやって来といて、何で龍信仰を伝えん?

5000年前から長江江南土器の焼成技術は穴窯(あながま)。

長江下流域からやって来といて、何で弥生土器の焼成技術に穴窯を伝えん?

当時の長江江南土器の代表器種は鼎。煮沸器であり炊飯器。しかも祭器。

長江下流域からやって来といて、何で弥生土器の鼎で煮炊きせん?炊飯せん?祭器に使わん?

当時の長江文明の農耕具の代表は石刃の鋤。

長江下流域からやって来といて、何で石刃の鋤を真っ先に伝えず、最初に江南に無いクワ(しかも木製)なんか伝える?
431日本@名無史さん:2013/05/06(月) 01:53:09.09
356 :出土地不明:2011/04/10(日) 14:41:42.08 ID:EvPm7rbf
バカの一つ覚えが、木骨泥墻木骨泥墻 何それ美味しいの?
朝鮮は、満州文化の豚便所やモンゴル文化の焼き肉を取り入れたけど、
高句麗人みたいには馬に乗れなかったでしょ(イサベラ婆 記)。それでいーのよ。
要りもしない物まで他国から文化総合体として輸入する義理なんて無い。
あんた日本の伝統家屋の壁の中身、知らんでしょ。
うちの実家は四国の山奥で、築100年の母屋の壁が台風で崩れた時、見たんだ。
日本の土蔵と民居つーのは、壁の部分は檜の木枠内に、モウソウ竹を割って骨に
したヤツをナナメ格子にバッチリ入れて補強した上に土と石灰を塗って有るんだよ。
木骨泥墻は、日本列島で「竹骨泥墻」に換骨奪胎されたのね。
木骨泥墻なんかにしたら、浦島太郎の竜宮城みたいな厚壁になっちゃうでしょ。
温帯モンスーン気候帯で、そげなむさくるしい家に住むバカおらんちや。
432日本@名無史さん:2013/06/21(金) 22:21:50.36
>>422
選別した奴が何処かにいたということは分かる。

日本に持ち込んだ人が選別して持ってきただけじゃね?
ジャポニカ好きとかで。
433日本@名無史さん:2013/08/06(火) 12:53:30.07
423
ツングースの血を全く日本人は引いてないんだが
アイヌでようやく5分の1くらい
434日本@名無史さん:2013/08/06(火) 12:55:33.82
見た目の容姿と遺伝子って合わないからな
染色体の構造の方で決まるそうな
435日本@名無史さん:2013/08/06(火) 12:59:30.23
日本は王室ってより法家とか儒家とかあるようなそんな国でないかい?
孔子、孟子、管子、韓非子、李斯とかみたいなあとに子がつくのになにか
秘密があるんでないかなと
天子なんてのもあとに子がつくもんな
436日本@名無史さん:2013/08/06(火) 13:00:41.76
中国の文献にも日本は仙人の住む国としっかりのっとりますよと
437日本@名無史さん:2013/08/16(金) 19:41:34.31
>>436

仙人というか原始宗教っぽいシャーマンはいたと思う。
438日本@名無史さん:2013/08/16(金) 19:57:23.67
呉人の言葉って広東語?
439日本@名無史さん:2013/08/16(金) 20:22:19.25
新撰姓氏録に呉夫差の子孫が諸蕃に区別されているから
倭人の一部に呉系倭人がいたことはあっても倭人=呉人とはならない
呉夫差の子孫である呉系倭人の松野氏が「私は太伯の子孫である」と答えただけだろう
440日本@名無史さん:2013/08/17(土) 01:09:15.45
>>438
呉や越は人名や地名の分析からは、孤立語じゃなく膠着語なんだとか
楚は漢語の亜種だとも
441日本@名無史さん:2013/08/24(土) 13:46:56.59
周王朝の末裔で倭の王(姫氏・紀氏・熊襲・松野氏・岸氏)が磐井の乱で古代天皇家と戦い山に逃げ込んで王朝が滅びて、
その時の中国の歴史記述では日本の天皇が滅びたと認識していたというけど、
周王朝は客家でイスラエル(ヤコブ)の長男のルベン族で、
天皇家はその末っ子でルベンから長男の家督相続権奪ったヨセフ族らしいから、
折角平和に治まってたのに兄弟の末裔同士で殺し合わせたりして、
わざわざその故事繰り返させる神はしつこいし人格異常だ。
442日本@名無史さん:2013/08/24(土) 22:11:23.66
>>622 農林5号っていつ出来たか知ってる?
日本の稲作が半島起源なんて有り得ないw
半島から新規で入って来たのは畑作物麦豆類
雲南→台湾→琉球→九州→朝鮮の一方通行が蓋然性が高い
443日本@名無史さん:2013/08/24(土) 22:51:05.44
>>442
雲南や台湾島へは中国から伝わった
444日本@名無史さん:2013/08/25(日) 08:15:43.96
シナ大陸は日本人の
ものだったのか
445日本@名無史さん:2013/08/27(火) 20:19:47.24
>>1

てか周か殷の王族がもともと東夷族出身。

昔海側にいた人々の習俗。

オーストロネシアン、日本の過去の習俗が一致。

貝殻を大切に交換しあう習慣は南洋の島に最近まで残っていた。
446日本@名無史さん:2013/09/03(火) 08:16:54.78
夏殷周秦はどちらかと言うと西戎じゃね?
447日本@名無史さん:2013/09/03(火) 21:18:56.26
で、実際のところ、1=台湾人情報工作員に見事にハメられてる馬鹿って居るの?

真相は、弥生人は弥生開始時の土器の一致から北方アジア沿海州南西部人。
今のウラジオストクあたり。

稲作は単に上陸後ほどなく、半島南部との交流を通じて、弥生人自身の手で
九州北部に導入しただけ。
448日本@名無史さん:2013/09/03(火) 21:41:07.44
440
呉や越は膠着語だったんですか?
その話、もう少し詳しく教えてもらえませんか。
449日本@名無史さん:2013/09/03(火) 22:02:25.23
>>448
詳しくと言われても、呉越や言語研究の本じゃなく
楚についての本に余談として出て来ただけなんで
詳しくは書かれてなかった。

文献に残された地名や人名を言語学的に分析すると
まず間違いなく孤立語ではなく膠着語に分類される。結論はここまでで
以下、なので黄海沿岸に散在していた東夷と同種なのではないか?
と自信無さ気な推論が述べられてた。
450日本@名無史さん:2013/09/03(火) 22:23:17.83
面白いですね。
膠着語だと、スッキリしますよね。
長い間、もんもんとしてたんですよね。
451日本@名無史さん:2013/09/03(火) 22:29:20.85
                             ..____
                              | (・∀・) |
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                   /⌒\   / 田 田 \  .... /⌒\
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     | (・∀・) |  /三三三三三三三三∧_/\_∧三三三三三三 三三 ヽ | (・∀・)|
      ̄ ̄ ̄ ̄|   |__| ̄田 ̄田 / ̄ ̄Π . ∩ . Π ̄ ̄ヽ田 ̄田 ̄田 . [_| ̄ ̄ ̄
452日本@名無史さん:2013/09/04(水) 00:08:24.78
>>447

何にも文化も古典もない半島の歴史を直視しなよ。
453日本@名無史さん:2013/09/04(水) 00:22:38.64
醜悪でキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ゴキブリだろ。

俺は純血の日本人種だ馬鹿!

半島は稲作だけで、弥生人は北方だ馬鹿!
454日本@名無史さん:2013/09/04(水) 00:51:11.13
>>453

台湾をライバル視するのはコレアだけwww


百済も新羅も日本の影響下。
稲作があった半島南部はそもそも倭人の土地。
455日本@名無史さん:2013/09/04(水) 00:56:17.60
馬鹿野郎!

詐欺師はどこだろうが敵だ。

台湾ゴキブリはさっさと朝鮮人とともに日本から出てけよこの野郎!
456日本@名無史さん:2013/09/04(水) 00:56:35.44
>>454
半島で最も早期に稲作が行われていたのが
狗邪韓国、任那、金官県の在った地域だもんな
457日本@名無史さん:2013/09/04(水) 01:08:35.14
>>455

台湾人は日本人に好かれていてうらやましいです。
コンプレックスです、てことだね。

台湾人は台湾帰ってもどうってことないけど、
在日は半島戻ったら粛清されたり、
いじめられるから大変だね。
親日派だものねw
458日本@名無史さん:2013/09/04(水) 01:11:26.02
嘘こけ。

半島で最古の稲作証拠は漢江下流域あたりから出土する
炭素年代測定でBC20C〜25C頃の炭化米だろうが。
459日本@名無史さん:2013/09/04(水) 01:20:53.76
>>457
どうも台湾広鼻褐色土人は日本語が理解できねえみたいだな。

じゃあ、分かるまで日本語を教えてやるよ。

いいか、しっかり理解するんだぞ。

醜悪で臭くてはキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!

分かるか、土人。

醜悪で臭くてキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!
460日本@名無史さん:2013/09/04(水) 01:29:47.85
>>459

ベトナムも増えたんだ。
そりゃ韓国軍ベトナムの民間人あれだけ殺戮してるものね。

もうちょっと人格を磨くというか徳を積んだほうがいいよ。
日本人ではありえないんだよねwww
礼儀やマナーが。

それから日本人はすべて先住民(弥生人含め)だから土人なんだよ。
まぁご新規日本人さん除き
461日本@名無史さん:2013/09/04(水) 02:01:09.46
>>460
まだ日本語が理解できねえみてえだな。

醜悪で臭くてキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔サギ汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!

と言っているんだ。分かるか?ギ土人?。

醜悪で臭くてキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔サギ汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!
462日本@名無史さん:2013/09/04(水) 02:02:09.03
>>460
まだ日本語が理解できねえみてえだな。

醜悪で臭くてキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔サギ汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!

と言っているんだ。分かるか?サギ土人。

醜悪で臭くてキモくて汚らしい台湾広鼻褐色ベトナム顔サギ汚物は
朝鮮人とともにさっさと日本から出ていけ!
463日本@名無史さん:2013/09/04(水) 02:03:05.68
>>461
もうちょっと人格を磨くというか徳を積んだほうがいいよ。
日本人ではありえないんだよねwww
礼儀やマナーが。
464日本@名無史さん:2013/09/04(水) 08:24:30.95
>>458
それ陸稲
465日本@名無史さん:2013/09/04(水) 14:56:19.49
陸稲から水稲になっただけだろ。

それに中国から半島に水田は伝わっていないな。

半島の水田が中国から伝わったものなら、最初からもっとクオリティの
高いものになっていたはず。

半島の水田は江南と同様に自然発生的に半島内で登場しただけ。
466日本@名無史さん:2013/09/04(水) 17:15:06.84
その稚拙な半島の水田技術が九州北部に弥生人自身の手で導入された。

だから、九州北部の最古水田は水田とは呼べないほど非常にクオリティが低い。
467日本@名無史さん:2013/09/04(水) 19:09:04.12
>>465
日本から半島南部へ稲作が伝わったんだよ。

半島で最も早期に水稲作が行われていたのが
狗邪韓国、任那、金官県の在った地域

半島で最も早期の水稲が見つかったのも
狗邪韓国、任那、金官県の在った地域
468日本@名無史さん:2013/09/04(水) 21:07:04.24
な訳ねえだろサギ湾人。

半島最古の水田遺跡はBC11Cのオクキョン遺跡。

日本の最古水田よりも古いのに、どうして日本から半島に
伝わるんだよ。

それに確証たる最古の炭化米証拠が半島の方が日本よりも
千年以上も古い。

サギもほどほどにしとけよ台湾人情報工作員。
469日本@名無史さん:2013/09/04(水) 21:41:55.93
 141 名前:キジ白(大阪府)[sage] 投稿日:2013/01/26 13:33:27 ID:Uglq0In80(1)
 >135
 
 オクキョン遺跡とかいう奴だろ?
 
 でも、あれは放射性炭素年代測定で出された年代じゃなくて、同時に出土した
 土器様式から「推測」した年代であって、科学的分析の結果ではない。
 しかも、稲のDNAも、黄河型か長江型か調べられてない。
 
 数日で出来る検査なのに、何年も判明してないというのは、韓国の学会でよくある
 日本に「有利」となる可能性があるから公表しないって事じゃないのかな。
 日本式の古墳が発掘されたのに、埋めて無かった事にしたのが何回かあったでしょ。
 
 近代以前の歴史は、日本や中国にとっては学問だけど、韓国にとっては願望だから。
470日本@名無史さん:2013/09/04(水) 21:47:43.72
日本の弓は長弓である。中原や朝鮮、モンゴル、匈奴の弓は共通して短弓である。
パプアニューギニアやインドネシア、セイロンの弓は日本と同じ長弓である。
呉や越、古代台湾の弓については知らない。
誰かご存知の方はいませんか。
ちなみにアイヌは短弓である。
471日本@名無史さん:2013/09/04(水) 21:51:57.34
オクキョン遺跡がある蔚山市ってどこにあるか知ってるのかな
山東・遼東経由で伝播したならなんで行き着いた先の先に最古の遺跡があるんだ?
年代の推定を較正して九州北部からの伝播と考えた方が明らかに自然
472日本@名無史さん:2013/09/05(木) 00:44:37.25
>>471
しかも、中国の学会では誤った分析だとほぼ結論付けられてる
日本は毎度お馴染みの政治的配慮で有耶無耶だけど
水田跡と認めている日本人の研究者は居ないね
473日本@名無史さん:2013/09/05(木) 00:52:31.00
台湾人を侮蔑する醜悪な朝鮮人よ
どこの板で嘘を並べてもすぐ露見するぞえ
数十年統治して教化したくらいでは根底にあるさもしさは治らぬか
474日本@名無史さん:2013/09/05(木) 01:14:21.46
だから、BC20〜25Cに漢江下流域あたりに炭化米初登場だろ。
そこから拡散してBC11Cにオクキョン遺跡に登場で、時間的に
全然おかしくねえじゃん。

オクキョン遺跡が日本の最古水田より古いと言えるのは、
出土土器が日本の稲作開始時の土器より古い孔列文土器時代の遺跡で、
日本の稲作開始時の土器が見つかってるからだろ。。

日本から半島に水田が伝わったなら、孔列文ではなく、
日本の稲作開始時の土器時代より後の朝鮮土器でないとおかしい。

日本に水田が登場した瞬間に半島に水田が登場したと
考えるのは不自然だろが。

半島に水田が登場して、ある程度時間が過ぎてから日本に
水田が登場したと考えるのが自然。
475日本@名無史さん:2013/09/05(木) 01:18:07.81
>>474
あちらこちらで論破されたのにまだ続けるのか
その炭化米が陸稲でなく水稲だというなら話は別だが
炭化米だけなら稲作の証拠ではなく単に稲米の招来を示すだけ
とかなんとか言ってたのは誰だっけ?w
476日本@名無史さん:2013/09/05(木) 01:55:12.76
知るかアホ。

それに全然論破されてないんだけど。

論破されてるのはオマエら湾人部隊だろ。

インチキ材料ばっかで確証が何一つ無い。

そりゃそうだろ。

そんな史実、この世にないんだから。

早く俺を論破しろよ台湾人組織詐欺部隊。
477日本@名無史さん:2013/09/05(木) 02:16:10.95
内容の無いレスをする暇があったらもう少し勉強したらどうだw
何ヶ月経っても中身に進歩が無いなw
478日本@名無史さん:2013/09/05(木) 03:07:44.48
おまえがなw

いつ見ても同じ詐欺、同じ詐欺材料。

それじゃあ、最終目的の台日同祖論という大掛かりな全日本人一括詐欺は
永遠に完結しないぞ湾人詐欺部隊w
479日本@名無史さん:2013/09/05(木) 03:20:54.15
>>478
反論できなくなると無意味な攻撃かw
いつまでもやってろwww
480日本@名無史さん:2013/09/05(木) 03:29:57.18
じゃあ、早くいつもの詐欺材料もってこいよ詐欺湾人。

論破してやるからよ。
481日本@名無史さん:2013/09/05(木) 04:01:49.49
新たに提示できるものがなくても気になるんだな
2chでの工作ごっこがよほど楽しいと見える
いつまでもお元気で
482日本@名無史さん:2013/09/05(木) 04:05:37.06
>>474
論破されてやるから具体的なこと書いてくれ

>だから、BC20〜25Cに漢江下流域あたりに炭化米初登場だろ。
何遺跡の資料か示せ
そして陸稲か水稲か

>オクキョン遺跡が日本の最古水田より古いと言えるのは
オクキョン遺跡に水田跡が検出されたとわかる資料を挙げてくれ
ネット上で見れなくても紙の資料でかまわん
483日本@名無史さん:2013/09/05(木) 07:30:06.50
じゃあ、歴博に直接問い合わせればイイじゃない。

歴博がソースなんだし。

朝鮮稲については過去に散々貼った。

面倒くさいから、キムポ、イルサン、清洲、
で、自分でググれよ。

それよか、仮に江南から日本の弥生開始時に稲作が伝わったとしてだ、
農耕具や炊飯器などの稲作文物が、弥生とリアルタイムの江南とでは
全く一致しない点をおまえはどう説明する?
484日本@名無史さん:2013/09/05(木) 07:46:25.07
>じゃあ、歴博に直接問い合わせればイイじゃない。
その歴博の資料を提示することもできないの
URLをコピペするのも面倒なら初めから掲示板なんぞに書き込まないことだな

>朝鮮稲については過去に散々貼った。
>面倒くさいから、キムポ、イルサン、清洲、
>で、自分でググれよ。
散々貼ったくせに今もこんなところで息巻いているのは何故だ?w
ここでもしっかり工作したらどうだね

>それよか、仮に江南から日本の弥生開始時に稲作が伝わったとしてだ、
>農耕具や炊飯器などの稲作文物が、弥生とリアルタイムの江南とでは
>全く一致しない点をおまえはどう説明する?
朝鮮半島最古の炭化米とやらは山東や遼東の農耕具や炊飯器などと整合性がとれているのか?
そもそもDNA検査はしているのか?
水稲だったとしても水田遺構の検出はあるのか?
485日本@名無史さん:2013/09/05(木) 10:38:23.00
蒙古襲来図に登場する武士の名族の菊池氏にも紀氏→姫氏説あり。
486日本@名無史さん:2013/09/05(木) 12:06:01.81
やっぱり台湾人工作員ガーとかいつも連呼してる奴の正体は
鮮人だったのかwバレバレwww
487日本@名無史さん:2013/09/05(木) 12:53:32.91
難波吉士集団の調吉士、調連の祖先の努理使主=奴理能美も、
周王朝の姫氏末裔。
488日本@名無史さん:2013/09/05(木) 12:55:22.05
漢民族の客家なら古代イスラエルのルベン族。
489日本@名無史さん:2013/09/05(木) 13:12:06.70
>>488
はい、また在チョンが話のすり替えによる逃亡を謀りましたw
490日本@名無史さん:2013/09/05(木) 15:08:29.20
周王朝、呉関係の子孫や真面目に論じる気のない奴以外は書き込むな、
とまでは言わないまでも見て不快な下らない荒らしどもをスレ主は何とかしろよ。
491日本@名無史さん:2013/09/05(木) 16:49:44.28
>>484
そもそも半島にはまだ稲作開始時の明確な遺跡が見つかってないだろうが。
見つかってないものを誰も評論できないし、どう文物整合の評論をするんだよ。
それに水田開始時の遺跡だと断定できる遺跡もまだ見つかってないしな。

ただ陸稲さえあれば水稲なんていずれ出現する運命なんだから、水稲の有無なんて
大きな意味を成さないと思うね。

ただ半島の水田は中国から伝わったものではなく、江南の水田同様、
自然発生的に半島独自に登場してきたものだと思うがね。

中国から伝わったものなら、もっとクオリティが高いだろ。

ただ半島とは違い、幸いにも日本には稲作開始時の明確な遺跡が見つかっている。
だから評論できるし、文物整合の言及もできる。
492日本@名無史さん:2013/09/05(木) 17:11:41.63
わざわざ休憩時間の度に2ちゃんねるだから玄人はだしの情報持ってる人居るだろうと、
関連スレのぞきに来たら、
変なのが何故か居着いてて何の為にもならなくてガッカリだったりする。
493日本@名無史さん:2013/09/05(木) 17:41:30.56
>>484
踏み込もうか。

日本の稲作開始時の最古水田に最初に新登場した農耕具は
エブリとクワだ。江南はないそうだな。 

ところがその時の江南の農耕具の主力は石鋤だ。
鋤が日本に登場するのは弥生開始からずっと後の事で、
しかも木製の鋤だ。

そして、日本の稲作開始時の最古水田遺構に新登場した
炊飯器は新型器種の甕だ。

ところがその時の江南の炊飯器と言えば三脚を持つ安定した
土器鼎だ。

ついに弥生人たちは最後の最後まで安定した土器鼎を拝む事なく、
弥生は終焉を迎えたのである。

ところで、エブリもクワも甕も稲作開始時に日本に新登場した新型器種だ。

江南から日本にこの水田稲作が伝わったと言うならば、なぜ江南の
スタンダードである石鋤や土器鼎が日本稲作開始時の農耕具、炊飯器と
いった稲作文物として新登場しない?

なぜ江南とは別の稲作文物を日本に伝えた?

伝わっていないならともかく、伝わり新登場したんだぞ。
それが江南とは全く違っているのはどう説明する?
494日本@名無史さん:2013/09/05(木) 18:01:40.39
土人ていうのはこういう暮らし。
古代の中国日本の生活のほうが豊か。

「最近朝鮮事情〜朝鮮の人々」 1906年 荒川五郎 著

・肺結核や解熱として 小便 を飲む、いよいよ病気が酷くなると、大便 を食べる。
・穴で暮らしているから夏は暑く家の外で寝る。顔の近くを 大便 や 小便 が流れているが、朝鮮人にとっては臭くないらしく、平気で寝る
・衛生観念は全く無く、獣に近い。
・濁っている水だろうが、小便 や 糞 が混ざっている水でも 平気で飲む。
とにかく不潔で、味噌と糞も朝鮮人にとっては一緒だ。
・驚くべき事に小便で顔を洗う。
・婦人が洗濯をしているので見てみると、小便水と見分かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。
・勤勉とか責務という観念は無く、雨が降ったらそこらじゅう水だらけになるので仕事をしないで呆然としている。
・雨が降ると動かないので雨具が無い。日本の傘を入手すると嬉しそうに周囲に自慢している。要するに、治水という概念が無い。
・雨が降って水が濁っても、ろ過して使うという事をしないで濁ったまま水を使う。とにかく衛生観念が無く、伝染病がはびこっている。
・壁は馬糞を混ぜる。壁が固くなるそうだ。
495日本@名無史さん:2013/09/05(木) 18:47:57.33
>ただ半島の水田は中国から伝わったものではなく、江南の水田同様、
>自然発生的に半島独自に登場してきたものだと思うがね。

以上、鮮人の願望でしたwww
496日本@名無史さん:2013/09/05(木) 18:51:12.11
なんだ、遺伝子は経年変化するから参考にならない(キリッ
とかいってた奴かw
ホモ牛と同類の奴
497日本@名無史さん:2013/09/05(木) 20:21:35.83
>>491
半島の稲は遺伝的多様性が無い
全て江南に起源を持つ稲種の一部から派生した品種
>>493
江南の呉越地区の陶器は現中国の他の地方で一般だった三足ではなく
平底、甕や甕に似た形状の陶器も主流。

しかも日本の最初期の水田からは、日本に原生していない
江南特有の植物の種子が多数発見されている

在チョンは歴史と向き合えよw
498日本@名無史さん:2013/09/05(木) 21:37:27.63
>>495
日本人だ馬鹿。

じゃあ、江南の水田はどっから伝わったんだ?

>>497
日本人だ馬鹿。

半島の現代米しか調査せずに嘯く佐藤洋一郎だろ。

佐藤はどこか忘れたが弥生研究の権威に文物との整合がないと
一蹴されて以後相手にもされていないよ。

それと陶器の話をしてるんじゃない、炊飯器の話をしてるんだ。
当時の呉越地域は脚長の越式鼎のメッカ。
そんな特色のある自分たちの炊飯器をなぜ伝えない?
それに鼎は祭器でもあったから二重の意味で伝わらないとおかしい。
甕、壺、高坏が伝わっているのに鼎だけがない。
しかも、製法や焼成法も江南とは全然異なり、江南の特色がそこには
一切見られない。
さあ、どう説明する?

で、農耕具はどうした湾人?
499日本@名無史さん:2013/09/05(木) 21:58:17.69
>>498
江南で水田が誕生

なら半島にも自然発生

てのが朝鮮脳なんだっつのw

鼎なんぞ効率の問題で使用されなかっただけの話
500日本@名無史さん:2013/09/05(木) 22:52:46.16
>>498
「日本人だ馬鹿。」

ないないw
501日本@名無史さん:2013/09/05(木) 23:41:16.36
>>500
相手が全部台湾人だと思ってるエスパーだからw
502日本@名無史さん:2013/09/06(金) 01:34:15.36
>>498
成り済まし見苦しいぞ在チョン

呉越地区からは越式鼎は出ない
越式鼎が出土するのは楚や南越が在った地域で
呉や越の在った地域からは見つからない。
オマエの妄想は前提から破綻している

しかも炊事に使われたのは瓶、甕などの平底陶器
503日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:00:09.21
>>499
前も必要ないから伝えなかったとかオカシな論理言ってたよな、おまえ。

じゃあ、どうして鼎が効率が悪く必要がないと分かったんだ?


>>502
でも鼎が存在していたのは事実だし、炊飯器として使っていたのも事実。

弥生の稲作開始甕には特徴的な文様があってな、しかも野焼き焼成法で
江南の穴窯焼成法とは異なるのだよ。
江南とは文様も焼成法もさっぱり異なるのだよ。

日本の稲作開始時の稲作文物には、さっぱり江南が見られない。
さっぱり江南がない。

その辺はどう説明する?

それと農耕具はどうした湾広鼻?
504日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:07:06.38
まずは朝鮮で出土したものを精査したいんですが

できないよねえw
505日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:16:07.96
>>503
はあ?誰と勘違いしてんだ?w
自分の敵は皆台湾人工作員とか勘違いしてんのか?w

まずその前に、鼎が出土しなければならない理由を書けよ鮮人w
506日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:18:37.16
キムポ、イルサンとかでググッても
半ケツの電波サイトしかみつからん
あ〜あ、正体バレチャッタネwww
507日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:20:48.54
で、DNAが一致してる件は
鮮人「経年変化です(キリッ」
508日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:26:59.91
>>505
質問したのは俺だぞ。

どうして鼎が効率が悪いから必要ないと分かったんだ?
509日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:41:38.47
朝鮮出土の遺構や遺物を詳しく見たいんだがね
どうして土器や農具なんて余計な話に持ち込むのだろう
肝腎の炭化米や水田の評価をしましょうや
510日本@名無史さん:2013/09/06(金) 02:43:28.41
>>508
だからその前に
鼎が出土しなければならない理由を書けよ涙目鮮人w
511日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:14:50.10
>>510
日本人だ馬鹿湾!

江南の炊飯器の主力だからだろ。

では答えてもらおうか。

どうして鼎が効率が悪いから必要ないと分かったんだ?
512日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:25:00.38
>>511
俺日本人だけど〜()

>>502の質問に答えれば?
513日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:26:59.81
>当時の呉越地域は脚長の越式鼎のメッカ。

まずこの前提から間違ってるジャン
514日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:31:50.40
502は何の証拠もないしな。

とにかく江南は鼎のメッカですんで。

鼎が生まれたのは長江流域ですんでね。
515日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:32:50.00
DNAが一致してる件は
鮮人「経年変化です(キリッ」

↑これこそ証拠なしの妄想だろw
516日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:34:32.99
>>512
答えられなければ論破された事になるぞ。
517日本@名無史さん:2013/09/06(金) 03:35:06.19
>>516
んじゃおまえは何回論破されてることになるんだ、馬鹿鮮人w
518日本@名無史さん:2013/09/06(金) 04:17:55.63
>>503>>516
そんな事実は存在しないと教えた筈だが。

呉越地区からは楚、南越地域に比べ越式鼎は極少数しか見つかっていない
越式鼎が出土するのは楚や南越が在った地域で
呉や越の在った地域からは稀にしか発見されない。

よって、呉越で鼎が炊事用具として普及していた事実は無い
519日本@名無史さん:2013/09/06(金) 08:40:09.59
>>517
じゃあ、早く答えてみろよこの台湾ウンコ色ウンコ鼻汚物。

どうして鼎が効率が悪いと分かったんだ?
520日本@名無史さん:2013/09/06(金) 09:17:08.85
>>518
どこの馬鹿がそんな大嘘信じるんだよこのバカ湾広鼻!

鼎で炊飯器は越式鼎だけなのかこのバカ!
呉越地区の弥生頃の遺跡調査資料なんか鼎だらけじゃねえかよ。
呉越地区の鼎は普通の鼎が大部分で越式鼎は少数という話なだけだろが。_

それにおめえはとんでもねえ大嘘をついちまったようだな。

呉越で鼎が炊事用具として普及していた事実は無い、という
証拠を出してみな。
521日本@名無史さん:2013/09/06(金) 12:02:01.87
>>519
稲のDNAが一致してるという「証拠」を出されても
鮮人「経年変化です(キリッ」

そんな奴が証拠証拠と火病発動されてもなあwww
522日本@名無史さん:2013/09/06(金) 12:18:36.77
中国では紀元前2000年の時代に、すでに鼎が登場していましたが、これ
は中火での調理に適している事から使用されるようになったものと思います。
しかし、精白米や粉にした加工品は鼎で茹でたり、蒸したりして調理出来るで
しょうが、赤米になると美味しい調理は出来ないでしょう。後述のように、赤
米の調理には強火が必要だからです。赤米は通常の玄米と異なり、薄い皮膜が
あるために水が浸透しにくく、又、アク味が強いからです。赤米も精米度を高
めれば白米になりますし、粉にすれば調理もし易くなりますが、その場合には
薄い器壁と小型とを特徴とする甕型土器登場の必然性は消滅します。
 つまり、鼎は中火で大量に調理可能な器具としての長所を有しているために、
弥生時代の調理環境には適合していなかったのだと推測出来ます。調理環境と
は、栽培作物の種類や収穫量の多寡並びに作物の製粉の要否、精米の程度とい
った事項の事ですが、土器製作者が念頭においた、何を、どの位、調理するた
めの道具なのか、という製作のための事前情報の事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/folder/1080250.html
523日本@名無史さん:2013/09/06(金) 15:17:49.73
個人ブログかよwwww

何の説得力もないし、証拠にならんね。

ただの「推測」だと本人も書いてるだろ。
それ全部、個人的な推測、妄想。

米が堅いなら鼎の火力を上げれば良いだけの話。
それに調理時間を長めにすれば何でもござれだろが。

そもそも何で江南はカボト遺跡では釜を捨てて鼎に乗り換えたのか
矛盾するしね。

それに食ってたのは米よりも粟やヒエなど方が遥かに多いんだから
むしろ弥生時代に鼎ほど便利な炊飯器は無いはず。
524日本@名無史さん:2013/09/06(金) 15:27:12.35
>>521
おい、台湾広鼻褐色エテコー。

どうしたんだ?

早く答えんかい。

どうして鼎が効率が悪いと分かったんだ?
525日本@名無史さん:2013/09/06(金) 16:48:30.83
水稲栽培が、日本列島のほうは短期間に摩擦なく高緯度に広がるのに対して
朝鮮半島は南部から北部には発展しないのは
いずれにしても、九州北部か半島南部の倭人が着手して担ったんだろうな
526日本@名無史さん:2013/09/06(金) 17:05:34.54
>>524
はあ?お前の方こそ推測しかしてねえだろうが糞鮮人w



稲のDNAが一致してるという「証拠」を出されても
鮮人「経年変化です(キリッ」
527日本@名無史さん:2013/09/06(金) 17:10:12.38
江南で水田が誕生

なら半島にも自然発生

これを推測(というより妄想)といわずしてなんというwww
528日本@名無史さん:2013/09/06(金) 18:35:26.83
>>520
>呉越で鼎が炊事用具として普及していた事実は無い


早く証拠を出せ。


>>526
おい、台湾ウンコ色ウンコ鼻汚物。

早く答えてみい。

どうして鼎が効率が悪いと分かったんだ?
529日本@名無史さん:2013/09/06(金) 18:44:12.84
おまえが>>526>>527のウリナラ妄想の証拠を出したら
こっちも答えてやるよw
糞鮮人w>>528
530日本@名無史さん:2013/09/06(金) 18:50:25.89
もうみんな朝鮮人もどきをいじめるのはやめなよw
531日本@名無史さん:2013/09/06(金) 19:03:13.56
>>529
日本人だ馬鹿湾!

そんなインチキ、誰が乗るんだ馬鹿。

質問に答えられない時点で議論は負けなんだよ。

じゃあ、今日中まで待ってやる。

答えられなければ、午前0時をもって、おまえの敗北は確定な。
532日本@名無史さん:2013/09/06(金) 19:05:46.36
出た、鮮人のウリナラルール炸裂www
533日本@名無史さん:2013/09/06(金) 19:07:25.05
要約・・・午前0時に勝利宣言して逃亡しまつ
534日本@名無史さん:2013/09/06(金) 21:10:23.27
>>528
オマエが証拠を出さないと駄目だよ
長江下流域で越式鼎を使っていたという主張は前提が破綻してたのだから
535日本@名無史さん:2013/09/06(金) 21:30:04.98
じゃあ、長江下流域の越式鼎は何のために有ったんだ?

それに、質問に窮したら、インチキな条件を付けて逃げる
卑怯なインチキ手口はもう止めろ。

反則行為も甚だしい。
536日本@名無史さん:2013/09/06(金) 21:41:15.01
>>535
長江下流域から越式鼎は見つからないと言ってるだろw
見つかるのは長江中流域や嶺南
537日本@名無史さん:2013/09/06(金) 21:48:31.99
でも普通の鼎は出まくってるだろが。

長江下流域の鼎は何のために有ったんだ?
538日本@名無史さん:2013/09/06(金) 21:57:13.60
長江下流域は確か鬲も出るよな。

鼎も鬲も日本の最古水田遺構に伝わってないね。

伝えてくれた炊飯器は甕だけ。

しかも江南とは文様も焼成法も異なる非常に原始的な甕だけだ。
539日本@名無史さん:2013/09/06(金) 22:53:40.90
>>538
長江下流域は鼎の出土も少なく
見つかるのも楚に併合された戦国期の物が多い
瓷も簋も鬲も平底や浅腹の作りで
華北や中国東北部に普遍的な深くい作りの三足器じゃない
540日本@名無史さん:2013/09/06(金) 23:30:21.68
でもカボト遺跡は早々に鼎に移行してるじゃないの。

その後、鬲にシェアを盗られた分、鼎が少なくなったというなら話も分かるが。
541日本@名無史さん:2013/09/06(金) 23:53:17.45
なんだこの朝鮮人、一日中スレに常駐してんのか?w
542日本@名無史さん:2013/09/07(土) 00:34:59.08
>>529
ハイ、時間切れ。

鼎が伝わり、実際にある程度の期間、使用しない限り、
鼎が効率が良いとか悪いとか、必要があるとか無いとかは
分からないのである。

それを知るには、まず、伝わり、使う事が前提になる。
543日本@名無史さん:2013/09/07(土) 01:03:52.96
>>540
鼎が出るのは晩期になってから
日本へ陸稲が伝わった前4000年頃より遅いし
鼎、釜、罐の形状が華北〜遼東経由半島着到の様式とは異なる
544日本@名無史さん:2013/09/07(土) 01:13:30.39
予想通りの勝利宣言ワロタw
ウリナラマイルールw
545日本@名無史さん:2013/09/07(土) 01:28:11.45
>>543
日本に稲が伝わったのは今のところ、前1000〜1500が限界だね。

それ以前の信憑性のある明確な炭化米証拠がない。

前2000年の炭化米もあるにはあるが、佐藤洋一郎の調査なので信憑性がない。
546日本@名無史さん:2013/09/07(土) 01:36:10.11
なんだよ、やっぱDNA分析全否定かよw
鮮人の珍説お披露目会は他所でやってくれよなw
547日本@名無史さん:2013/09/07(土) 01:45:14.74
否定してないが。

俺が否定しているのは佐藤洋一郎の稚拙な調査方法とデータの出し方。
548日本@名無史さん:2013/09/07(土) 02:09:11.72
>>547
分析結果は日本の学会で全面的に支持されてる
諦めような南韓人
549日本@名無史さん:2013/09/07(土) 02:11:06.89
縄文中期の土器には稲もみの圧痕とかも発見されとるんだが?
つか、炭化米のDNA調査なんて経年変化でどうにでもなるニダ!!
とかおまえいってたろw
550日本@名無史さん:2013/09/07(土) 02:13:52.24
朝鮮系は分子生物植物学否定せんともう無理だよなw
551日本@名無史さん:2013/09/07(土) 03:12:43.71
サイエンス詐欺なんて一晩でひっくり返るからな。

サイエンス詐欺師、佐藤洋一郎は現代米の調査だけで
嘯いているだけで、遺伝子の経年変化を知ってて、
全く調査の計算に入れていないスットボケ調査データで
馬鹿を欺いてるだけだしな。

稲籾らしき圧痕があるのに、その周辺に炭化米が一粒も
見つからない。

少しはオカシイとは思いませんか。
552日本@名無史さん:2013/09/07(土) 03:40:01.54
中国の発掘調査でもプラントオパールが見つかって
同じ地層から炭化米は出ない遺跡は幾つもあるよ
553日本@名無史さん:2013/09/07(土) 07:22:00.11
>>551
何年も前から同じ事を何度も繰り返している人の方がオカシイと思います
554日本@名無史さん:2013/09/07(土) 14:26:28.62
プラントオパールは土の粒子よりも遥かに小さく、降雨で
下の地層に潜り込んでいってしまうため、実際地層よりも遥かに
古い地層から発見されてしまう事が欠点だわな。

信憑性は10%以下だね。

岡山のプラントオパール調査にしても、いずれもコムギの
プラントオパールが検出されているところが問題だわな。

注目されるべきはイネよりもコムギの方であり、
6000年前から日本でコムギ作をしていた事の方が稲作よりも
100倍すごい大事件なのにな。
555日本@名無史さん:2013/09/07(土) 15:19:43.38
土器に稲もみのスタンプがある点もスルー
10%()というウリナラルールw
556日本@名無史さん:2013/09/07(土) 15:20:55.51
どうせ科学のかの字もしらないド文系なんだろおまえw>>551
557日本@名無史さん:2013/09/07(土) 15:29:25.83
学界はサイエンス詐欺に支配されてる〜とか2chで妄想吐くなら
てめえで研究して論文でも発表して論破してこいよ
まあ祖国の学界以外じゃ誰も相手にしないだろうけど
558日本@名無史さん:2013/09/07(土) 15:30:39.99
世界中で朝鮮半島だけは遺伝子が経年劣化するんだろう
可哀想なことよ
559日本@名無史さん:2013/09/07(土) 18:51:01.13
遺伝子は経年や移動などで頻度を著しく変える。

増えたり減って消滅したりな。
560日本@名無史さん:2013/09/07(土) 18:59:18.12
という科学を理解できない鮮人の妄想
561日本@名無史さん:2013/09/07(土) 19:23:33.39
>>559
>遺伝子は経年や移動などで頻度を著しく変える。
意味不明
何の頻度が変わるんだよ
562日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:14:52.65
おまえってさ、ただディスってるだけじゃん。

全然、議論になってないじゃん。

おまえがそのつもりなら、俺もいずれディスの鬼になって、
おまえを絞め殺すだけの鬼になるぞ。
563日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:19:38.20
>>562
何年にも渡って目の前の箱と戦ってるだけのおまえが誰を絞め殺すって?w
564日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:30:10.21
まさかディス殺す事をおまえは論破だと思ってないか?

反則勝ちは真の勝利ではない。

卑劣で卑怯者の贋作の勝利。
565日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:33:56.77
なんでもいいけど遺伝子の頻度が変わるってどういうことなの?
頻度って何?
566日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:50:02.37
ある遺伝子が現れる確率の事だよ。
567日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:03:14.92
遺伝子は移動や経年でこの頻度ってヤツが著しく変えてしまうから
調査がメンドーなんだよ。

それを佐藤洋一郎は知ってて現代米だけの調査データだけであれを
書きやがった。

馬鹿はイチコロだ。
568日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:12:28.49
なんかこの台湾連呼厨は、自分に反論してる奴は
1人だけと妄想してるみたいだな
569日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:14:39.75
>>562
disって反則って
おまえは台湾人ガー、遺伝子の経年変化ガーってコピペ連呼してるだけじゃんw
どっちが反則なんだかw
570日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:23:39.71
>>569
おまえの書き込みのどこが議論?

何か学術的なコンテンツがあるか?

ディスだけの学術的コンテンツ無し馬鹿は死んどけよ。

掲示板の無駄使いなだけ。
571日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:33:45.61
>>570
はあ?台湾台湾連呼してるおまえこそ
どこにがくじゅつてきぎろん()とやらがあるんだ?

つか学界の結論すら全否定してるしなおまえw
572日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:34:22.76
>>567
いちころならさっさと論文書いて学界の結論ひっくり返して来い
573日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:40:43.42
>>520
>呉越で鼎が炊事用具として普及していた事実はない



おえい、これの証拠はどうした?

早く証拠を出せ。

それと農耕具の不一致はどうした?
574日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:44:45.73
>>571−572
ディスだけの学術的コンテンツ無し馬鹿乙w
575日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:48:34.68
>>573
別人だボケw勝手に同一人にすんなよカスw
576日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:55:23.96
>>518だったw

>>573>>518へのレス。
577日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:58:42.46
>>576
どっちにしろ別人だぞ妄想鮮人w
578日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:59:54.48
がくじゅつてきこんてんつとやらの例



577 :出土地不明:2013/09/07(土) 21:15:26.89 ID:jMYcb4Zb
>>574
台湾マニラ色ハノイ広鼻ビエンチャン目プノンペン口汚物乙wwww
579日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:08:41.53
俺はここでおまえら台湾ゴキブリ部隊からディスの手法を
みっちりマスターしていずれお礼させてもらうつもりw
580日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:15:40.13
俺に反論する奴皆台湾人()
581日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:23:04.47
世界中どこへ行っても礼儀とマナーを守れない民族性。

【嫌韓】世界で広がる韓国人への襲撃...韓国メディアが危機感伝える★4[09/04]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1378369994/
582日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:36:43.98
鼎は紀元前3000年黄河流域の竜山文化に始まる
水田稲作は7000年前に長江流域から始まっている
竜山文化を受容せず追われた集団が、半島南部や九州北岸に水稲栽培をもたらしたのではないだろうか
583日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:38:35.10
>>582

呉越の人々が船で渡ってきて弥生人になった
584日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:46:05.89
縄文時代には、東南アジアを経由して、アフリカ原産のヒョウタンやエゴマ、東南アジアのクワイやサトイモなどが
日本列島にもたらされている
弥生時代以前から、中国の南方からは継続的に少数の人が日本列島に来ている
585日本@名無史さん:2013/09/08(日) 00:53:02.34
>>582
鼎は7000年前の長江流域から始まるの。

弥生人は弥生開始時の土器の一致から北方アジア沿海州南西部人。

稲作は彼らが海路で西日本に渡来後ほどなく、半島南部との
交流を通じて、彼ら自身の手で九州北部に導入しただけの話。


>>583
だから、呉越から来て何で弥生開始時の文物に呉越が無い
んだと聞いてるだろサギ湾人。

>>584
日本には南方文物が全く伝わっていない。

全部、半島経由か沿海州経由だな。
586日本@名無史さん:2013/09/08(日) 00:59:24.83
と証拠もなく断定する鮮人クオリティw
587日本@名無史さん:2013/09/08(日) 01:09:31.69
いま暴れてる奴って>>124のコピペとかしてた奴だろ?
588日本@名無史さん:2013/09/08(日) 01:10:11.26
>>585
弥生土器と半島南部の土器はある時期から様式が似てくるが
その開始年代は弥生土器の方が年代が早い
また、もう少し時代が下ると半島南部からは弥生土器そのものも多数発見されるようになる

水稲作に至っては北九州の方が大分早く
水田作では無い稲作は前4000年と非常に古く
残留種子の品種から明らかに稲は江南から伝わっている
589日本@名無史さん:2013/09/08(日) 01:19:55.09
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

こんなとこで粘着してないで、さっさと論文書いて
通説覆して来い引き篭もり鮮人
590日本@名無史さん:2013/09/08(日) 02:05:05.17
>>588
何でコムギ作も前4000年と言わないの?w
591日本@名無史さん:2013/09/08(日) 05:37:33.16
小麦が作られると稲は不要という朝鮮脳がよく理解できないw
592日本@名無史さん:2013/09/08(日) 06:56:00.67
>>585
長江流域の河姆渡遺跡の煮炊具セットはこれ↓
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
黄河文化の三足土器は青森で出てるから、鬲は北ルートだろう
稲作は珠江デルタで紀元前4000年ころ、紅河デルタで紀元前2000年前後に始まってるから
時期的に南方ルートが合う
朝鮮半島は南部以外、李氏朝鮮中期まで水稲の直播栽培で生産性が低く
日本は株跡が数多く見つかり早い段階から田植えが行われていた
朝鮮半島の北の方には移植栽培の技術は伝播してない
593日本@名無史さん:2013/09/08(日) 08:31:45.10
>>591
日本脳だし、誰も不要となんて言ってないが。
不要どころか、両方言うべきだろう。
ただコムギ作の方が世界的に遥かにすごい発見なので、



前4000年からコムギ作をしていた。稲作もあった。
 


と言った方がインパクトがあって良いね。
あるいは、



前4000年からコムギ作も稲作もあった。



とコムギ作を先にして両方言うべきだろうwwww
594日本@名無史さん:2013/09/08(日) 08:47:15.35
>>592
ええ、ええ、よく存じておりますよw

青森のは鬲じゃなくて、鬲型土器な。
中国鬲とは製法の違う、足が後付けの朝鮮東北部や沿海州方面で
見つかるやつな。

ほう、ほう、稲作は南方ルートですか。素晴らしい!

じゃあ、何で長粒種の炭化米が一粒も無いんですか?w
595日本@名無史さん:2013/09/08(日) 09:41:48.66
興奮せずに会話できないのかな
そんなことはまだわかってないだろ、炭化米なんてまだそんなに見つかってないんだから
ゲノム解析で、1つの野生イネ集団からジャポニカ米が生まれ、
ジャポニカ米の集団に別の野生系統のイネが複数回交配してインディカ米の系統が作り出されたと考えられてる
わけだから、日本にわたってきた品種に長粒種がほとんど混在していなかったか
していても日本の緯度では初期の栽培で育成しなかったかだろう
朝鮮半島北から南下してきた集団が日本に水稲栽培を伝えて、
日本列島ではすぐに移植栽培や寒冷地に適応した品種改良されて
半島北は2000年間も生産性が低い原始農法を続けてるままなんておかしいだろ
596日本@名無史さん:2013/09/08(日) 13:57:30.53
>>594
江南の稲は元々全部短粒種な
河姆渡遺跡から見つかってるのも短粒種
597日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:09:30.33
また嘘かw

カボト遺跡の炭化米は長・中・短がそれぞれ1/3ずつの構成。


>>595
俺は全く興奮してないし、笑って楽しんでますよw
むしろ興奮してるのは自身では?w

説得力がないね。
それだと一粒くらい長粒種が出るわな。

寒い寒い半島から暖かい日本にイネが伝われば、
それこそ百人力じゃないですか。

暖かい分、半島より生産が、ドーンドン増える。
598日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:34:50.94
>>589
スルースンナよ引き篭もり鮮人w

さっさと論文でも書いて発表してみ
599日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:37:59.49
×笑って楽しんでる
○引き篭もりニートが顔真っ赤にして粘着してる
600日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:49:10.63
6000年以上前のプラントオパールが出土してるんだから、証拠としては充分だろ。
炭化米が出土しないからって、日本に稲作がなかった・韓半島から伝播した反論になっていないな。

じゃあ約6500万年前から化石が見つかっていないシーラカンスが、現代になって発見されたからって、白亜期末に絶滅しなかった証拠にはならないとか言い張るのか?

炭化米が発見されていない期間の何万倍もシーラカンスの化石が発見されないことがあっても、点と点が繋がれば線になるんだよアホ。
それとも原生のシーラカンスは絶滅種とは別に6500万年以降に発生した相似種だとでも言うつもりか?
601日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:55:34.10
そもそも、日本と韓半島は縄文時代から交易があったことぐらいは知ってるだろうな。
隠岐や佐賀の腰岳の黒曜石など、農耕伝播以前から交易品として流通していたんだ。
日本に伝来した稲作が韓半島に伝播し、そこで日本との交流の過程で韓半島の農機具が主流になっても、
それは韓半島から稲作が伝播した証拠にはなりえない。

ジャガイモやサツマイモの伝播で、原産地の南米の農具や、それを世界に持ち込んだヨーロッパの農具、
日本(沖縄)に直接持ち込んだ中国の農具が、日本に伝播しているか?
鹿児島や長崎の栽培方法ですら、残っていない地域があるぐらいだ。

>それだと一粒くらい長粒種が出るわな。

外形的な物は決定的な証拠にはならんよ。
外見がインディカのように長細くても、遺伝的にジャポニカだったらジャポニカ。
ジャポニカ種には長粒品種と短粒品種が混在してることも知らんのか?
602日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:56:34.74
>>597
河姆渡遺跡から見つかってる稲は品種的に全て短粒種
形状的にも細長い物は2割程度しかなく
残り8割は太く短い短粒
603日本@名無史さん:2013/09/08(日) 17:48:20.40
またウソかw

カボト遺跡の炭化米は長・中・単がそれぞれ1/さずつの構成。


>>600
そのプラントオパールの調査が正確だという保証はどこに
もない。

下位の地層に沈下する傾向のプラントオパールが本当に
その地層のものかどうかも分からない。

しかもコムギのプラントオパールについてはダンマリ。

信憑性ゼロw
604日本@名無史さん:2013/09/08(日) 17:50:51.66
×1/さ
○1/3
605日本@名無史さん:2013/09/08(日) 18:09:24.65
>>601
もうその時代の日本の基本的な農耕具は欧州中国と
ほとんど変わらないんだから伝わりようがないだろ。

ただの屁理屈だわな。

とにかく長粒種の炭化米はありませんので、

残念でしたw

残念でしたw
606日本@名無史さん:2013/09/08(日) 18:29:22.12
日本の稲は早生、大陸から渡ってきた品種をそのまま生育させてるんじゃないだよ
もともと晩生の熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカを混埴させると、
突然変異種として早稲種が誕生することは実験で確認できてる
だから日本のような高緯度でも生育できるようになったんだよ
現代日本で発見されるわずかな数の炭化米に長粒種が確認されないなら
できた寒さに強い早生種が短粒種で、長粒種は生育できずに消滅していったんだろ
いつまでも原始人の農法から進歩しない半島北が日本に水稲栽培を教えるとかおこがましい
607日本@名無史さん:2013/09/08(日) 19:13:01.45
>>603
おまえの糞意見なんぞどーでもいい
考古学界の現実は>>589

さっさと論文書いて学説覆して来いよw
608日本@名無史さん:2013/09/08(日) 19:48:51.09
>>606
で、その消滅していった過程の長粒種の炭化米はどこにあるの?w
609日本@名無史さん:2013/09/08(日) 20:00:11.26
見ないと納得できないなら、水稲栽培が始まった頃の炭化米が全て一粒残らず発見されるまで待ってなよw
日本は日本に適した品種を選択することで水稲栽培が進歩して米文化が発展した
半島北は2000年間原始人みたいなことやっていた
610日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:14:41.48
待つ意味がない。永遠に出ないからw

確かに半島北部は稲作と全然関係ないね。

山東半島から漢江下流域に入ってオクキョン遺跡までの
間に水田が自然発生的に登場しただけなんだから。
611日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:22:27.54
でた鮮人の妄想w半島で自然発生w
その証拠こそ永久にでてこないだろうなあw
612日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:23:13.51
んなもん出なくたって現実は>>589な訳だが
613日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:34:35.83
ただの稲籾そっくりな石粒の圧痕だろw

やっぱり炭化米がありませんw
614日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:36:30.91
>>610
半島の水田は倭人の土地だった南端部が最も早く
北へ進む程開始時期が遅くなるんだよね
615日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:41:51.55
>>603
河姆渡遺跡から見つかってる稲は品種的には
全てジャポニカでインディカ米は無い
形状的にも細長い物は2割程度しかなく残り8割は太く短い短粒種
616日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:50:15.41
ウソはやめましょう。

カボト遺跡の炭化米の構成は長・中・単粒種の割合が
それぞれ1/3ずつ。
617日本@名無史さん:2013/09/08(日) 22:42:59.38
>>613
んなド素人の妄想を吐かれても現実は>>589
618日本@名無史さん:2013/09/08(日) 22:45:49.16
相手の発言に耳をかさず、ただひたすら自分の方が正しいと、根拠も論理もなく言い続ける
相手が根負けしたり、理論的反論をしようとしても一切相手にしない
これが南韓の学校で教育されている「声闘」という民族の伝統的な討論方法だ
619日本@名無史さん:2013/09/08(日) 22:57:21.65
日本人ですんで。

おまえらは間違いなく台湾汚物だがな。

おまえらの方がその声闘だろが。

しかも、その内容のほとんどがインチキ材料を使ったウソとサギ。

組織工作でバカをウソサギ声闘で騙して強制改竄。

これが国民党の手法なんだなw
620日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:01:06.04
いや、お前の理屈だと学界がインチキってことになるんだが>>589
621日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:02:50.23
>>619
なりすまし白丁です、でしょ。
622日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:03:56.94
朝鮮人「考古学界は台湾人の集まりです」
623日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:28:46.07
ウソとサギとインチキ材料と朝鮮人レッテル貼りで改竄。

台湾国民党工作部隊。
624日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:36:24.09
「ウソとサギとインチキ材料とレッテル貼り」

これ半島の伝統文化であり民族性。
625日本@名無史さん:2013/09/08(日) 23:42:49.01
ウソとサギとインチキ材料と朝鮮人レッテル貼りで強制改竄。

台湾国民党工作部隊。
626日本@名無史さん:2013/09/09(月) 00:11:31.56
てめえがレッテル貼りしてるくせになw

朝鮮人「考古学界は台湾人の集まりです」
627日本@名無史さん:2013/09/09(月) 07:20:46.64
もう日本と台湾に迷惑かけるな。

モラルと礼儀とマナーを身につけろ。
628日本@名無史さん:2013/09/09(月) 07:37:06.85
そもそも、長江下流域ではカボト遺跡から現在に至るまで
絶やす事なく、ずーっと長粒種ジャポニカが作られきた訳だけど、
仮に長江下流域から九州に稲作が伝わったとしてだ、
どうして九州だけ長粒種ジャポニカがそんな瞬時に
消滅する必要があったんだ?w

長江下流域と九州では気候はほとんど同じはずですよw
629日本@名無史さん:2013/09/09(月) 12:09:05.17
んなもんななんで今の日本でジャポニカしか普及してないの?
っていってるのと同じこったわな

つかはよ>>589論破してこいよ
630日本@名無史さん:2013/09/09(月) 13:42:16.18
>>628
太古の河姆渡遺跡等長江下流域から見つかる稲はジャポニカ米

宋代以降多く作られているのは
長粒種ジャポニカではなく、南海諸国から持ち込まれたインディカ米
631日本@名無史さん:2013/09/09(月) 17:32:07.17
でも、それまでは長江下流域で長粒種ジャポニカは継続的に
作られてきた訳だ。

当然、中粒種ジャポニカも短粒種ジャポニカもな。

仮に九州の最古水田が長江下流域から伝わったものだとしてだ、
気候は変わらないのに何で九州の長粒種ジャポニカだけが
そんな炭化米も見つからないほど短時間で消滅してしまうんだ?w
632日本@名無史さん:2013/09/09(月) 20:48:03.41
だからいいから>>589を論破してこいよ
633日本@名無史さん:2013/09/09(月) 20:50:17.29
そもそも炭化米自体それほど見つかってないのに
なんで長粒種だけみつかってないの?とかいわれてもなw
634日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:10:50.55
確率的に10粒炭化米が出れば、長粒種が1〜3粒は出るはずだわな。
635日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:40:31.44
は?一箇所で長粒種短粒種同時に栽培してんのか?南朝鮮じゃw
636日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:46:38.10
土器に稲もみの圧痕跡が発見

ただの稲籾そっくりな石粒の圧痕だろw

さっさと↑の根拠を述べろよ
人に証拠証拠いってないでな
実際>>589の土器見たこともないくせにな
637日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:51:55.20
周辺に同時期の炭化米が無い。
それが稲籾の圧痕だという確証はどこにもない。
638日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:55:27.39
>>635
少なくとも古代長江下流域ではそうだろうな。
639日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:56:12.71
>>637
だからさっさと石粒の圧痕という論拠を見つけて学界に殴りこんで来いよw
640日本@名無史さん:2013/09/09(月) 22:06:42.32
大矢遺跡の土器は、同じく雑穀や豆の痕もみつけて分類してるんだが
てめえで電子顕微鏡でもこさえて、石粒の圧痕だ〜!!俺に調査させろ〜!!
と殴りこんでこいや
基地外扱いされて門前払いだろうけどなw
641日本@名無史さん:2013/09/09(月) 22:36:52.82
>>631
それまで長江下流域で作られていたのは
中粒種短粒種ジャポニカ、時代が下る毎に細長い米は減ってゆく
642日本@名無史さん:2013/09/09(月) 22:39:58.46
証拠出せるか?
643日本@名無史さん:2013/09/09(月) 22:50:34.00
九州の北岸で初期の水稲栽培が始まるころの支石墓、甕棺も百越地域が由来
水田の初期の層は畑作植物と混在、縄文土器が2/3以上だから、担ったのは縄文人
半島南岸からも縄文人骨、縄文土器、日本の黒曜石
慶尚南道、全羅南道の支石墓は南方式
ウルサンの水田跡なども南方ルートだな
ウルサンの炭化米は理化学的手法による結果が出るまでは保留だな
644日本@名無史さん:2013/09/09(月) 23:32:08.82
「中国では高句麗や渤海が中国の属国という事になっていた」・・韓国人留学生、中国に広まる間違った韓国情報の調査開始
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1378719856/l50
645日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:11:05.39
支石墓は間違いなく半島南部式、水田開始時の刻目突帯文土器は
そうとう前から弥生土器として扱われている。
担ったのは弥生人だよ。

で、宋までの長江下流域のジャポニカに長粒種ジャポニカがないと
いう証拠はないんだな?
646日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:19:28.29
証拠証拠言う前に>>640に答えろや鮮人
647日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:24:42.17
半島南部式ではなくて、中国の南方式

朝鮮半島で生まれた文化はトンスルと試し腹だけ
648日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:53:36.72
ウソとインチキで築き上げたサギの牙城は遅かれ早かれ
滅びゆく運命にあるものですよ。

台湾ピーノくんw
649日本@名無史さん:2013/09/10(火) 01:07:32.73
朝鮮半島と台湾は食文化も共通しているじゃん
650日本@名無史さん:2013/09/10(火) 01:12:24.82
>>648
ようするにおまえの祖国は滅びると
嘘だらけジャンおまえの国の歴史教科書
651日本@名無史さん:2013/09/10(火) 01:17:41.50
韓国の歴史を考えるときはまずこれを見たほうがいい

http://www.youtube.com/watch?v=qcocx_ywl5U
652日本@名無史さん:2013/09/10(火) 01:19:04.77
日本の教科書のどこがウソなんだ?
653日本@名無史さん:2013/09/10(火) 02:18:49.18
>>642
江南の各遺跡の発掘報告が証拠だよ
654日本@名無史さん:2013/09/10(火) 02:22:49.54
>>645
河姆渡遺跡や太湖周辺の遺跡調査報告を読めば
細長い稲は前史時代にほぼ消えた事が解るよ

嘘を半万回繰り返し、声闘しても駄目
655日本@名無史さん:2013/09/10(火) 03:55:05.40
>>2
和服は、正しくは呉服
和服と言われだしは、高句麗の子息の国、百済人が新羅からの攻撃から逃れて日本に渡来以降
百済系倭姓の和氏が、渡来して数世代後、百済氏として、藤原仲麻呂の乱で朝廷側に就き、勝利し
後に高野姓を賜る。
大和朝廷の敵は、全て、出雲族で国津神系とされ、
百済人渡来以前の渡来系辰韓=新羅や弁韓=鹿耶渡来を天津神系とした。
よって、紀記以降に再編された古事記や日本書紀は、怪しい部分が多く、欠史八代も紀氏の蘇我氏や安倍氏の祖の紀元前150年頃の孝元天皇とその子、大彦命を皇統系譜上から削除する為の編集改竄が濃厚な疑いがある。
因みに、後の西暦200年頃の神功皇后と紀氏の祖武内宿禰の三韓征伐も近代研究者が存在を否定している点といい
大伴連狭手彦
西暦600年頃の新羅遠征軍を出そうとした聖徳太子の存在否定、更に、、『日本書紀』で比羅夫の活動を記す部分は、当時の阿倍氏宗家(阿倍御主人の布勢氏)が提出した家記によると推定されているが、「阿倍臣(名を欠く)」と人名は記されていない。
この布施氏、真田家累代の地名由来の阿部谷からの阿部氏の縁者だろう・・。
西暦642年蘇我入鹿暗殺
大臣として大和朝廷の有力者であったが、大化の改新の前夜乙巳の変において討たれ、その後蘇我氏が凋落するきっかけとなった。
藤原仲麻呂の新羅征討計画
758年、唐で安禄山の乱が起きたとの報が日本にもたらされ、藤原仲麻呂は大宰府をはじめ諸国の防備を厳にすることを命じる。
西暦759年、新羅が日本の使節に無礼をはたらいたとして、仲麻呂は新羅征伐の準備をはじめさせた。
軍船394隻、兵士4万700人を動員する本格的な遠征計画が立てられるが、この遠征は後の孝謙上皇と仲麻呂との不和により実行されずに終わる
西暦764年、藤原仲麻呂の乱の時の孝謙天皇=称徳天皇=続日本紀では終始高野天皇と呼ばれており、ほかに高野姫天皇・倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)とも呼ばれたこともある。
の二代経て天智天皇の孫が桓武天皇で、母が高野氏
その孫が嵯峨源氏や子孫の平氏たちで、藤原南家恵美押ゆかりの蝦夷や奥州安倍氏・北家の藤原秀郷の裔を前九年の役で滅ぼす。
新羅を滅ぼした南朝方に就いた、足利尊氏の嫡子、足利冬直と家臣大河内氏と松浦水軍の倭寇も後の後期倭寇と誤認させて有耶無耶。
656日本@名無史さん:2013/09/10(火) 04:11:29.80
大伴連狭手彦の歴史は、敢えて語らないようにしている点・・
大昔から、半島系渡来人が、自らを敵視されないよう、語らせないようにし、史実を無かった事にし、
敵対勢力を朝敵としてきた事は明白。
新羅系は、新羅建国当時の昔氏で倭人国家だった。
そこに、秦国から逃れて来た秦人が共生し、天孫降臨のアメノウズメや天日矛命の出石民族のその裔・・神功皇后
神功皇后の時代の三韓征伐以降、渡来し、紀氏族と同化し古代波多氏や後の惟宗島津氏や長宗我部氏の祖と成ったのだろう。

新羅の入寇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87#.E8.97.A4.E5.8E.9F.E4.BB.B2.E9.BA.BB.E5.91.82.E3.81.AE.E6.96.B0.E7.BE.85.E5.BE.81.E8.A8.8E.E8.A8.88.E7.94.BB
657日本@名無史さん:2013/09/10(火) 04:14:45.30
一部、各源氏の一族にも、秦氏なとの渡来姓改名で源氏と成っている系譜も見受けられる。
658日本@名無史さん:2013/09/10(火) 08:15:45.61
>>654
そういう逃げ方か卑怯者。

どうせウソだろうけどな。

それに伝わってる農耕具が全く違ってるのはどうした?

あれほどの違いをどう説明する?
659日本@名無史さん:2013/09/10(火) 12:13:49.95
>>658
てめえこそ逃げてないで、さっさと考古学会に殴りこんで来いよ
石粒の痕だ〜!!ってなw
660日本@名無史さん:2013/09/10(火) 12:15:45.13
そもそも文字もそうだけど、遺跡から発見された農具なんぞ
生産方法も含めて当時の大陸でもどれだけ普及していたのかは疑問
日本に来たボートピープルが同じ製法を知らなくてもなんも不思議はないな
661日本@名無史さん:2013/09/10(火) 14:42:46.07
そのボートピープルが故郷の石鋤は伝えず、何を血迷ったのか、
故郷に無いエブリやクワを伝えてしまいましたってか?w
662日本@名無史さん:2013/09/10(火) 15:03:12.98
>>661
稲作は道具がかってに動いて作らんw産業ロボットじゃあるまいし。

血統を示すなら大和民族に稲作にまつわる民俗学を提示しろよ。
663日本@名無史さん:2013/09/10(火) 16:14:30.04
>>661
故郷にないのなら、どこか別のところから伝わったのか
土着の民が開発したのか、いろいろ想像できるわなあ

で?
664日本@名無史さん:2013/09/10(火) 19:36:41.68
開発過程がないから、長江江南以外のどっかから稲作と一緒に
伝わったとしか考えざるを得んわなw
665日本@名無史さん:2013/09/10(火) 19:59:00.36
ならさっさと学界に殴りこんで来いよ鮮人
666日本@名無史さん:2013/09/10(火) 20:59:36.75
クワは根菜類を掘り返すための道具だよ
ゴボウ、大根、カブ、ニンジン
これらが日本人の主食
米は渡来系支配層の主食
作るのは被支配者側の土着の奴卑階層
奴卑階層の主食はやはり根菜
ふかふかの白米を庶民が腹一杯食えるようになったのはつい最近にことだよ
100%人力の水田農作業なんて奴隷でもなければやる気にはなれないはずだ
日本人なら根菜を食べて健康になろうぜ
667日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:03:29.68
>ふかふかの白米を庶民が腹一杯食えるようになったのはつい最近にことだよ

んじゃ世界中でコメを主食と出来る民族は存在しないことになるな
668日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:20:06.02
>>658
河姆渡遺跡や太湖周辺の遺跡調査報告を読めば
細長い稲は前史時代にほぼ消えた事が解るよ、それが現実

自分の願望と違うからといって、嘘を半万回繰り返し声闘しても
民族史観の南チョンと違い歴史捏造は赦されません
669日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:25:06.57
>>666
ええ、ええ、よく存じておりますよw

ところが、日本の最古水田には長江江南にないエブリとクワしか
農耕具が伝わっておらず、長江江南の主力農耕具の石鋤(いしすき)が
全く伝わってないんですなw

稲作が長江江南から伝わったというなら、これをどう説明する?
670日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:28:55.27
何度もループさせるなよ鮮人

いいからおまえは学界に殴りこんで来いよ
671日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:29:12.80
>>668
じゃあ、楽浪郡遺跡から出土する長粒種の炭化米は
どっから入ってきたんだ?w
672日本@名無史さん:2013/09/10(火) 21:33:37.36
>>671
具体的にどんなもん?
ソース出せば?
673日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:05:53.41
楽浪郡遺跡の遺跡調査報告を読めば、長粒種がたくさん出土して
いる事が分かるよ。

それが現実。
674日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:06:18.62
以上、ソースを出せない鮮人の妄想でした
675日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:09:07.53
〜が見つかってないからアウト!!
というなら半島の水田跡や稲は
日本よりずっと新しいものしか存在してない時点で
半島起源説は完全に没だな
676日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:17:47.50
>>671
楽浪郡が設置されたのは
日本で水稲作が始まった時期から1000年も後な
677日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:32:17.87
半島の最古級炭化米は日本のものより古いし、
オクキョン遺跡は日本の最古水田よりも古いわな。

それにエブリやクワはどっから伝わったの?w
678日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:33:22.35
ほう、尻尾が出てきたな鮮人w
さっさとソースだしなよ>>677
679日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:35:30.88
オクチョンなんぞ土器から推測した年代やんかw
680日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:44:29.68
>>677
半島には日本より古い稲跡も残ってないのでダウトだな
おまえの理屈だと
681日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:47:31.78
日本人だと言ってるだろキショい台湾ベトナム顔土人が。
 
朝鮮炭化米なら、 イルサン、キムポ、清州、稲、 で勝手に飛べば?
682日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:49:41.06
あやしいハンケツ城のサイトしか出てこないんだけど・・・
>>681

いいからちゃんとしたソースだせ鮮人
683日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:51:22.20
この理屈だと、2万年前に、原発があったんだろ〜な。
684日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:53:57.93
米を炭化させるなんて
なんて不器用な奴らなんだ
食えないし、もったいないなぁー

>>683
イミフ
685日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:56:48.94
>>682
全部で3つあるだろがアホ土人w
686日本@名無史さん:2013/09/10(火) 23:23:50.53
山東半島発〜漢江下流域経由〜ウルサンなら三足土器で炊飯してないとおかしいな
687日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:04:41.46
稲作開始時の遺跡が無いから何とも言えんわな。
688日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:08:38.17
それに、長江江南→九州北部でも、鼎or鬲で炊飯してないと
おかしいね。
689日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:11:28.69
ん? 蔚山だろ水田跡
690日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:27:50.82
>>687
いいから学界に殴りこんで来いよ
あれは石粒の痕だ〜ってなw
691日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:28:13.26
蔚山とか密陽の釜山近郊は縄文人の痕跡が濃厚だから、水田は中国南方渡来人と縄文人が主体で作ったものだろうな
692日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:29:35.79
そもそもキムポの炭化米とかも鮮人が勝手にいってるだけで
公式にはどこの国も認めてない
693日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:42:13.32
金浦のは10余個か
数粒だったら渡り鳥が運んで糞でそのまま出すからな
694日本@名無史さん:2013/09/11(水) 00:49:59.02
しかも、鮮人の学者以外で誰かまともに調査した奴いるのか?
キムポの炭化米
695日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:05:14.02
そんな中国南方土人とか、ウンコ色でギョロ目で鼻が潰れ広がった
東南アジア汚物が祖先で何か嬉しいか?
696日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:08:33.28
鮮人らしいレイシストな発想だな
697日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:13:53.68
そんな中国南方土人とか、クーッサイ、キモい、キショい、
醜悪で汚らしい東南アジアの類人猿が祖先で何か嬉しいの?
698日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:16:11.66
と、朝鮮ヒトモドキが申しております
699日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:21:38.50
そんな中国南方土人とか、きったならしい、ウンコ色、ウンコ鼻、
ウンコ目、ウンコ口したベトナム顔汚物が祖先で何か嬉しいか?
700日本@名無史さん:2013/09/11(水) 01:34:44.62
それ中国で活動してくれんか?

俺たちは万里の長城の北から来たんじゃ無いと否定してる。頼むから説得して真面な人間にしてくれ中獄人を
701日本@名無史さん:2013/09/11(水) 02:27:31.67
トンスリア人火病り過ぎでしょ
702日本@名無史さん:2013/09/11(水) 07:22:51.22
そんな汚らしい、褐色、広鼻、ギョロ目、突き出た口元の、
モワ〜ッと生暖かいウンコに似たベトナム臭漂う中国南方汚物が
祖先で何か嬉しいか?
703日本@名無史さん:2013/09/11(水) 08:57:10.57
>>702
そうそうコンプレックスが世界一だから
世界一の整形大国だものねwww
704日本@名無史さん:2013/09/11(水) 17:50:04.84
そんなベトナムがかった、臭くてキモくて汚らしい、
醜悪な東南アジア広鼻褐色汚物が祖先で何か嬉しいか?
705日本@名無史さん:2013/09/11(水) 19:59:51.93
いくら自分の祖先がのっぺり朝鮮ヒトモドキだからって
706日本@名無史さん:2013/09/11(水) 21:48:37.07
そんなハノイの公衆便所に漂う腐った屎尿臭を顔面から放つ
醜悪極まりない東南アジア汚物が祖先で何か有り難いか?
707日本@名無史さん:2013/09/11(水) 23:01:26.01
ウンコ食い民族のくせに
708日本@名無史さん:2013/09/12(木) 01:18:48.86
そんな東南アジアの肥溜め臭香る、ウンコ色、潰れ広がったウンコ鼻、
ギョロッとしたウンコ目、突き出たウンコ口をした
醜悪なインドシナ汚物が祖先で何かハッピーか?
709日本@名無史さん:2013/09/12(木) 02:08:33.80
ウンコ大好きのっぺり朝鮮人
710日本@名無史さん:2013/09/12(木) 02:11:42.04
半島人disると、なぜか台湾や東南アジア人をヘイト

正体バレバレだねw
711日本@名無史さん:2013/09/12(木) 02:39:42.68
そんなクッサイ、潰れた広鼻、突き出た口元の、非常に気持ちの悪い、
東南アジアホッテントットが祖先で何か楽しいか?
712日本@名無史さん:2013/09/12(木) 02:42:44.20
やーい のっぺり糞喰い民族
713日本@名無史さん:2013/09/12(木) 02:48:54.06
そんな汚らしい、汚らしい、汚らしい汚らしい汚らしい、汚物色、
汚物鼻、汚物目、汚物口した汚物の塊が祖先で何か楽しいの?
714日本@名無史さん:2013/09/12(木) 03:56:39.57
>>713
つ鏡
715日本@名無史さん:2013/09/12(木) 06:24:27.35
かなり長い距離を航海するんだから、貴重な稲は携えたとしても
重くがさばり土器や石器はほとんど船に乗せなかった。
稲さえ生育すれば、刈り取る方法や食する方法は考えつく。
稲作が長江流域の民(弥生人)によって運ばれたのは間違いない。
716日本@名無史さん:2013/09/12(木) 08:30:15.24
水田開始時の炭化米には長江江南の長粒種ジャポニカが無い。

水田開始時に長江江南にない農耕具が伝わっている。

水田開始時に長江江南の炊飯器だった鬲と鼎が伝わっていない。



結論:日本の水田稲作は長江江南から伝わってはいない。
717日本@名無史さん:2013/09/12(木) 11:02:11.58
中国で最も古い長江の文明は7千年前に発生したもの
日本は一万年以上前から土器で料理を作っている

因みに姓を何よりも重んじる支那系文化圏の王族に姓が無いなんて事はありえない

日本の天皇は姓が無かった為大昔の支那は困惑し日本の呼び名を姓に当てはめて呼んでいた
718日本@名無史さん:2013/09/12(木) 11:06:36.98
>>715
弥生人はマヤ文明の移民
当時の支那にもマヤ文明の移民は多く存在した

大陸に最も近い山陰は2500年ぐらい前に大国主が開拓するまで黄泉の国と呼ばれ
全く発展などしていない樹海だった
719日本@名無史さん:2013/09/12(木) 11:57:54.02
>>716
稲のDNAが一致
稲モミのスタンプも発見

学界の結論は「縄文中期から稲作が開始されたことは確実」

あきらめろ鮮人

つかさっさと学界に殴りこんで来い
720日本@名無史さん:2013/09/12(木) 19:21:39.60
鬲と鼎は半島南部も使ってなかろ?
721日本@名無史さん:2013/09/12(木) 21:16:10.94
佐藤洋一郎は半島の現代米の遺伝子調査しかしていない。

日本に稲作が伝わった3000年以上前の半島の炭化米で
調査しない限り、佐藤の遺伝子の調査結果は無効。

奴はただの売名目的のサイエンス詐欺師、サイエンスペテン師。
722日本@名無史さん:2013/09/12(木) 23:04:01.94
半島人がいくら喚いたところで現実は>>719
723日本@名無史さん:2013/09/13(金) 00:01:22.69
佐藤は弥生文化の権威から相手にされてませんので。

さすがは権威、詐欺師を見抜くのが速い。
724日本@名無史さん:2013/09/13(金) 01:19:46.12
適当抜かすな鮮人w

てめえの土器の稲もみのスタンプは石粒だ!!説こそ
てめえ以外で誰がいってんだw
725日本@名無史さん:2013/09/13(金) 01:24:43.01
確証の炭化米が出ている訳じゃないから、間違いもあるし、
捏造もでっち上げも出来る。

信じるに値しないという事だ。
726日本@名無史さん:2013/09/13(金) 01:32:00.02
おまえからもう何千回も朝鮮人レッテル貼りを受けているが、
俺は朝鮮人とは全く関係ないただの日本人ですんでね。

おまえは100%台湾人だがな。

褐色広鼻の汚らしい醜悪なベトナム顔したwwww
727日本@名無史さん:2013/09/13(金) 01:44:39.15
炭化米なんぞ検出されんでも、現実は↓

2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

あきらめろ鮮人w
728日本@名無史さん:2013/09/13(金) 09:42:30.65
イネじゃなくてオオムギの可能性もあるしな。
729日本@名無史さん:2013/09/13(金) 10:25:46.12
こんなところでぐずぐずしていないで
大矢遺跡で出土した縄文土器にある圧痕は稲籾ではなく
石製模造品による可能性や大麦である可能性もある
という論文でも書けよ

まあ相手を単数の台湾人だと妄想している段階で病人というか狂人だから
載せてくれるところがあるとは思えないけど
730日本@名無史さん:2013/09/13(金) 16:29:04.55
事実、台湾人じゃねえかwwww
731日本@名無史さん:2013/09/13(金) 16:38:43.95
馬鹿「学界は台湾人の集まり」
732日本@名無史さん:2013/09/13(金) 16:57:18.61
台湾人「学会は朝鮮人の集まり」
733日本@名無史さん:2013/09/13(金) 17:01:00.68
>>732
はあ?

2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

↑が学界の結論なら、馬鹿の理屈だと
「学界は台湾人の集まり」
734日本@名無史さん:2013/09/13(金) 17:34:51.78
朝鮮半島南部は古代から日本の属国

朝鮮南部の主要な遺跡から発掘された、この時代の倭系の遺物の分布図
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_03/nannbutyousenn_niokeru_wakei_ibutu_no_bunnpu.jpg

「朝鮮半島南部の勾玉文化圏」
http://yamatai.cside.com/katudou/image/241-5.gif

韓国全羅南道の前方後円墳分布図
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/img_1583928_39577794_21.jpg
735日本@名無史さん:2013/09/13(金) 19:33:17.07
台湾人でも朝鮮人でも何でもいいよ
はやく>>729を学界に報告して>>733を検証してくれよ

>>734
そういう事実は無視するからねえ
736日本@名無史さん:2013/09/13(金) 19:57:51.65
で、その日本は江南広鼻褐色土人が祖先だ、と言いたいんだろ?

朝鮮人を叩く正義の味方を装いながら、実は台湾人論理に
改竄しているだけw
737日本@名無史さん:2013/09/13(金) 20:30:04.80
話のネタが尽きたならどっか池
罵倒合戦はよそでしな
738日本@名無史さん:2013/09/13(金) 21:53:12.63
気が向いたら消えるし、気が向いたらまたいじってやるだけだw
739日本@名無史さん:2013/09/13(金) 22:19:41.60
>>736
学界は台湾人論理に支配されてると

いいから病院逝けおまえw
740日本@名無史さん:2013/09/13(金) 22:43:04.42
>>739
何年も前からこの調子
そのわりに主張の進展は殆ど無い
目の前の箱の向こうには台湾人しか居ないと思ってる
病気だわなw
741日本@名無史さん:2013/09/13(金) 22:45:07.80
そんな中国南方とか、ウンコみたいな色、ベトナム鼻、カンボジア目、
プノンペン口した江南広鼻褐色ピーノが祖先で何か嬉しいか?
742日本@名無史さん:2013/09/13(金) 23:27:05.16
と、のっぺり朝鮮人が申しております
743日本@名無史さん:2013/09/13(金) 23:59:55.58
そんな汚らしい、モワ〜ッとウンコみたいな東南アジア臭を顔面から放つ
江南ベトナム顔ウンコ色汚物が祖先で何か心ときめくか?
744日本@名無史さん:2013/09/14(土) 00:16:50.54
と、ウンコ食い民族が申しております
745日本@名無史さん:2013/09/14(土) 00:29:56.51
そんな黒くてギョロ目で口元が突き出て鼻が潰れ広がった、
東南アジアの品性下劣な汚らしい生き物が祖先で何か嬉しいの?
746日本@名無史さん:2013/09/14(土) 00:31:45.64
と、吊り目エラ張り民族が申しております
747日本@名無史さん:2013/09/14(土) 00:41:27.45
そんなプノンペン臭え、汚物色、汚物鼻、汚物目、汚物口した
東南アジアの醜悪極まりない下等生物が祖先で何か心躍るか?
748日本@名無史さん:2013/09/14(土) 01:36:03.95
と、汚物食い民族が申しております
749日本@名無史さん:2013/09/14(土) 01:59:40.25
そんな顔面から香港の路地裏に漂う生ゴミの腐乱臭を放つ、
醜悪な広鼻褐色江南ピーノが祖先で何か嬉しいか?
750日本@名無史さん:2013/09/14(土) 02:59:02.77
と、ゴミのような民族が申しております
751日本@名無史さん:2013/09/14(土) 03:22:28.54
嬉しいか?とかいわれても願望で歴史創るどっかの国とは違うわけで。
752日本@名無史さん:2013/09/14(土) 06:42:52.87
半島は中国に美女を献上し、

中国からは障害者と犯罪者を送り込まれた。

そりゃコンプレックスいっぱいで整形したくなるし、

歴史を直視できないわなwww
753日本@名無史さん:2013/09/14(土) 08:07:37.21
そんな鼻の潰れ広がった、下品で下劣で醜悪な、気色の悪い顔面をした
東南アジア江南褐色汚物が祖先で何か嬉しいの?
754日本@名無史さん:2013/09/14(土) 08:11:01.69
>>753

半島のより全然ましだからw

遺伝子レベルで中国に支配されてるw

犯罪者と障害者送り込まれて美女が強制連行されて。
755日本@名無史さん:2013/09/14(土) 09:53:32.03
そんなハノイの農村に漂う肥溜め臭を顔面から放つ、肥溜め色、肥溜め鼻、
肥溜め口した江南広鼻褐色ベトナミーが祖先で何か楽しいの?
756日本@名無史さん:2013/09/14(土) 10:07:51.51
ベトナム人虐殺&大量レイプについて謝罪しろよ朝鮮人
757日本@名無史さん:2013/09/14(土) 11:05:50.65
まさにこれだね

朝鮮人の扱い方

【 旧日本陸軍の朝鮮兵に対する注意書き】
一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。

【米軍による韓国兵の扱いマニュアル 】
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。 2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。

【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】
1、頭痛の種になるだけだから関わるな 
2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな 
4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ
758日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:12:14.83
そんな口元がボコッと前に突き出た、ウンコ色の肌、潰れ広がったウンコ鼻、
ギョロギョロした目の江南広鼻褐色ジャワ原人が祖先で何か喜ばしいか?
759日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:39:14.85
>>758

祖先が白丁でうれしいのかwww
760日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:53:11.06
そんなギョロリとした目つきの、鼻が横にビローンと広がって
唇が黒いメラニンたらこの江南広鼻メラニン汚物が祖先で何か嬉しいか?
761日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:57:58.51
何が楽しいのか知らないがよく飽きないなw
762日本@名無史さん:2013/09/14(土) 12:58:13.47
>>760

自己投影してうれしいのかw
763日本@名無史さん:2013/09/14(土) 13:09:39.55
そんなボルネオ鼻、ルソン目、ミンダナオ口した醜悪極まりない
江南ウンコ色ピーノが祖先で何か有り難いか?
764日本@名無史さん:2013/09/14(土) 13:11:46.45
>>763
コンプレックスを自己投影してうれしいのかw
765日本@名無史さん:2013/09/14(土) 13:15:38.64
>>763

「4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。」
766日本@名無史さん:2013/09/14(土) 13:18:51.85
そんなプノンペン顔した東南アジア丸出しの醜悪で穢らわしい
江南広鼻褐色カンボジーデが祖先で何か心ときめくか?
767日本@名無史さん:2013/09/14(土) 13:31:19.71
こんな歴史でうれしいのかw
10世紀以降でも、この無様さ惨めさw
963 宋に服属
994 遼に服属
1126 金に服属
1259 モンゴル(元)に戦わないまま降伏・服属(王朝は逃亡、引きこもり)、
    無抵抗のまま、男の8〜9割が殺され、女は少しでも美人だと連れ去られる
1359 朝鮮建国(太祖・李成桂がモンゴル属国・満州女真族出身、
    しかも、明の属国)
    それでも国内に抵抗皆無w
    (明に国名決定も国政も何もかも決定権のある傀儡国ww)
    李成桂存命中から一族親戚などで内紛・近親殺し合いの日々
1419 応永の外寇、1万8000人の朝鮮軍精鋭が対馬奇襲、
    対馬藩留守番部隊600人に大敗、降伏w 外征しなくなるw
    この年から明治まで、対馬藩にも兵糧などを大量に献上させられるw
1575 両班党争激化、内紛だけ、論争敗者一族を残虐に殺すだけの日々・・・・
1619 服属を求める後金への反撃を計画するも全く戦わず逃亡し大敗w
   そのまま後金に降伏、服属
    三跪九叩頭の礼を求められると、そのまま受け入れ実行ww
1636 清に無抵抗、戦わずに降伏、三跪九叩頭の礼の屈辱再び
    が、そのまま自堕落・無抵抗に服属国に
1910 韓国政府から日本に請願を繰り返し、日本に併合して貰うw
1945 連合国の委任統治を全くの無抵抗で受け入れ、
軽装上陸してきた米ソの軍を拍手・花束で歓迎w
   アジアで唯一、以後占領軍と戦うこともなく南北に分割。
    米ソ中の代理戦争、同胞殺し合い(代理戦争への抵抗も全くなし)、
    北朝鮮の傀儡政権への反乱もなし、傀儡三代目w
    今に至る
768日本@名無史さん:2013/09/14(土) 17:28:04.35
そんなメコン川のヘドロ臭が顔面から漂う、臭くてキモくて汚らしい
江南広鼻褐色インドシナ類人猿が祖先で何か嬉しいか?
769日本@名無史さん:2013/09/14(土) 17:30:57.89
エラ張り吊り目ミンジョクのくせに
770日本@名無史さん:2013/09/14(土) 17:42:25.48
そんな出したてのウンコのような色、ツヤ、ニオイをモワ〜ッと顔面から放つ、
江南ウンコ色ウンコ鼻ロピテクスが祖先で何か有り難いか?
771日本@名無史さん:2013/09/14(土) 17:55:19.93
ウンコ喰い民族のくせに
772日本@名無史さん:2013/09/14(土) 21:23:00.58
そんな穢らわしい、東南アジア色、東南アジア鼻、東南アジア目、
東南アジア口をした醜すぎる東南アジア江南汚物が祖先で何か心暖まるか?
773日本@名無史さん:2013/09/14(土) 23:23:40.33
エラ張り吊り目ミンジョクのくせに
774日本@名無史さん:2013/09/15(日) 00:10:36.67
そんなマカオの路地裏の腐った屎尿臭を顔面から放つ、醜悪で気持ちの悪い
江南プノンペン顔ロイドが祖先で何か楽しいか?
775日本@名無史さん:2013/09/15(日) 00:51:51.20
不細工朝鮮人がよくいうわ
776日本@名無史さん:2013/09/15(日) 01:22:40.63
そんな東南アジアの熱帯雨林で作られた、ウンコ色の肌、潰れ広がった広鼻、
ギョロギョロした目、突き出したホッテントット口の江南汚物ピーノが祖先で
何か嬉しいか?
77710人に一人はカルトか外国人:2013/09/15(日) 03:06:14.50
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること

TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。

リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
.....
778日本@名無史さん:2013/09/15(日) 03:54:21.84
>>776
どんだけ東南アジア人腐したって
おまえがエラ張り吊り目不細工朝鮮人である現実からは逃れられない
779日本@名無史さん:2013/09/15(日) 08:25:07.75
そんな中国南方土人とか、ウンコ色でギョロ目で鼻の潰れ広がった
醜悪極まりない東南アジア汚物が祖先で何か嬉しいか?
780日本@名無史さん:2013/09/15(日) 12:38:27.79
そんな土人の2000年間属国だった
情けないエラ張り吊り目不細工朝鮮人
781日本@名無史さん:2013/09/15(日) 14:11:12.89
そんな中国南方土人とか、臭くてキモくて汚らしい、
醜悪な東南アジアの褐色広鼻類人猿が祖先で何か嬉しいの?
782日本@名無史さん:2013/09/15(日) 14:29:19.78
ヒトモドキが祖先のくせに
783日本@名無史さん:2013/09/15(日) 15:19:31.94
そんな中国南方土人とか、極めて汚らしい、ウンコ色、ウン広鼻、ウンコ目、
ウンコ口した醜悪なベトナム顔汚物が祖先で何か嬉しいか?
784日本@名無史さん:2013/09/15(日) 15:23:43.50
>>783
アジア最下層に発言権なし
785日本@名無史さん:2013/09/15(日) 16:01:45.68
>>716
日本で水田作を開始した時代の江南では
品種選択が進み、既に細長い長粒種ジャポニカは殆ど無かった

鼎は長江下流域では周代以降にならないと使われず
これは日本での水田作開始よりも遅い

日本の水稲作開始年代に使われた農耕具や炊事具は
華北や半島中部以北には無い様式、かつ
半島南部の物は日本より時代が新しく
日本から半島南部へ伝わった事を明示している

はい、論破。
786日本@名無史さん:2013/09/15(日) 18:04:15.90
浙江省や福建省は、近代まで長粒種の栽培だよ。
短粒種は、遼寧省や雲南省からの移入品種で1980年代以降にしか栽培してないよ。
787日本@名無史さん:2013/09/15(日) 18:41:34.67
浙江省や福建省は、宋代にインディカが広く普及した
それ以前はジャポニカの短粒種だよ
788日本@名無史さん:2013/09/15(日) 18:57:29.69
>>785
ぜーんぶウソ。

本当なら証拠が出せるハズ。

はい、論破。
789日本@名無史さん:2013/09/15(日) 19:02:07.26
>>787
ソースなしの口先だけの大嘘。

はい、論破。
790日本@名無史さん:2013/09/15(日) 21:30:02.07
願望がかなわないとアイゴー、かw
791日本@名無史さん:2013/09/15(日) 22:12:38.51
だったら、ソースを出してみな、湾ピーノwwww
792日本@名無史さん:2013/09/15(日) 23:55:23.93
黄?稲と占城稲が宋代に広く普及した品種
これは粳と呼ばれ粳とは区別された
793日本@名無史さん:2013/09/15(日) 23:56:52.35
>>788-789>>791
黄穋稲と占城稲が宋代に広く普及した品種
これらは粳と呼ばれ稲とは区別された

はい、在チョン論破
794日本@名無史さん:2013/09/16(月) 00:43:22.58
>>792
>>793
宋以前に長粒種ジャポニカはもう無かったというソースは?

鼎が周以降にならないと長江下流域では使われなかったというソースは?

九州水田開始時のクワが華北に無いというソースは?
795日本@名無史さん:2013/09/16(月) 01:13:00.96
>>794
稲モミのスタンプが石粒の痕だというソースは?

水田が半島で自然発生したというソースは?
796日本@名無史さん:2013/09/16(月) 01:14:35.86
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

>>791
↑以上のソースだせよ、鮮人
797日本@名無史さん:2013/09/16(月) 01:37:23.75
はい、ソースが出ませんでした。

ぜーんぶ湾ピーノのウソと出任せ。

はい、論破。
798日本@名無史さん:2013/09/16(月) 01:54:43.02
>>797
稲モミのスタンプが石粒の跡だというソースは?

水田が半島で自然発生したというソースは?

はい、↑のソースが出ませんでした。
ぜーんぶ鮮人のウソと出任せ。

ちなみに、>>793とは別人だからな
799日本@名無史さん:2013/09/16(月) 02:06:57.88
同地層から炭化米が発見されない。

中国から半島に水田が伝わったときの遺跡が無い。
800日本@名無史さん:2013/09/16(月) 02:10:37.87
>>799
ソースにもなりませんw
>>796は学会の結論
>>799は鮮人の妄想
801日本@名無史さん:2013/09/16(月) 02:11:09.00
わざわざ米を炭化するまで食わないなんて・・・
802日本@名無史さん:2013/09/16(月) 02:14:40.47
遺跡がない

それなら半島で自然発生

これこそウリナラファンタジー
803日本@名無史さん:2013/09/16(月) 08:02:36.62
全部ウソで塗り固めたオマエらよりは遥かにマシだわなw
804日本@名無史さん:2013/09/16(月) 08:46:36.37
>>794
河姆渡遺跡や太湖周辺の遺跡調査報告を読めば
細長い稲は前史時代にほぼ消えた事が解るよ、それが現実
そう>>668で教えてやった筈だが
805日本@名無史さん:2013/09/16(月) 09:01:21.59
【国際】世界中で法や秩序を無視する韓国人…海外で過去4年の国外退去処分は2111人
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1379288910/

ちゃんと礼儀とマナーを守れるようになろうなw
806日本@名無史さん:2013/09/16(月) 09:11:24.26
>>804
絶対にウソだなw

この目でそれを確認しない限り絶対に信じませんのでw
807日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:23:30.98
>>803
はあ?朝鮮の歴史教科書には嘘しか載っていないが?
808日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:28:21.45
だから鮮人じゃねえって言ってんだろがこのウソしか言わねえ湾ピーノ。
809日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:34:27.14
>>808
新モンゴロイド面晒すなや
稲は南の作物だ麦でも喰ってろ。
810日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:45:00.72
じゃあ、おまえはパンも麺も食うなw

豆腐も食うなよw

大豆は弥生人の故郷、北方アジア原産だぞw
811日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:50:38.46
>>806
学会の見る目>>>(超えられない壁)>>>ド素人鮮人の見る目

あきらめろ鮮人
812日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:52:26.66
>>803
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵


いいから学界に殴りこんで来いよ
このウソツキドモガ〜ってなw
813日本@名無史さん:2013/09/16(月) 12:08:59.52
>>810
北方アジアで偉大な文明遺跡をはやく発掘してくれないか必ず見つかる筈だ基地外中国をそこに誘導してくれ。
814日本@名無史さん:2013/09/16(月) 12:28:17.28
      ☆ チン     マチクタビレタ〜
                        マチクタビレタ〜
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < >>804の査読付き論文のURL まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       | 根拠 エビデンス |/
815日本@名無史さん:2013/09/16(月) 12:31:05.13
学会なんか10年でひっくり返るからな。

ウソやインチキは遅かれ早かれ滅びゆく運命ですよ。
816日本@名無史さん:2013/09/16(月) 12:49:47.47
>>815
引っくり返してから偉そうに口利けよ、ド素人鮮人
817日本@名無史さん:2013/09/16(月) 12:59:06.76
>>815
要するに下朝鮮は遅かれ早かれ滅びゆく
といいたいわけか
818日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:06:02.54
819日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:51:04.21
それのどこに長粒種ジャポニカが前史時代に消えたと
書いてあるんだ?

だいたい前史時代って何??

そんな日本語ないぞ湾ピーノ。
820日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:56:20.24
いいから学会に殴りこんで学説引っくり返して来いよ
821日本@名無史さん:2013/09/16(月) 19:46:47.94
前漢のころのことなんか、どこにも書いてないよ! >>818
822日本@名無史さん:2013/09/16(月) 19:51:25.04
>>819>>821
河姆渡遺跡からは地層が上がるに連れて
そして夏、殷、周、前秦、秦漢と時代が下るに連れ
細長い米粒の割合が減少している、そう書いてあるよな
823日本@名無史さん:2013/09/16(月) 20:43:22.94
減少している事が宋以前までに長粒種ジャポニカが消滅したという
証拠にはならんわな。

それに日本の最古水田の時代は殷ごろだから、日本で最古水田が
始まったときには長江下流域に長粒種ジャポニカはまだしっかりあるじゃないの。
824日本@名無史さん:2013/09/16(月) 20:58:28.62
いいからさっさと学会で論文書いて来いよ
稲モミのスタンプは石粒の跡だ!!ってな>>823
825日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:25:49.11
>>823
紀元前2000年頃の遺跡からは細長い米は1割弱
漢代になるとほぼ消える、つまり太く短い種類を選択的に栽培してたわけ
日本の水田跡から細長い米が出無くとも何ら不思議ない
826日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:37:36.34
チャイナって、外貨稼げず食料を輸入できない頃は
収量が高収量安定している長粒米ばかりを栽培していたんだろ?

そんな短粒米なんか栽培しだすと、飢饉でバッタバッタ住民が死ぬだろ?
漢や三国の時代なんか人口減少して、チャイナは滅亡してもおかしくない。
現代の中華人民共和国みたいに、食料を輸入できないんだぞ!
827日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:44:09.03
事実、三国時代に漢民族は滅亡するくらい減少した
という説もある
人種的にもその頃と入れ替わってるらしいし
828日本@名無史さん:2013/09/16(月) 21:59:22.17
>>826>>827
インディカが広まったのは唐宋以降だと何度言えば解るんだよw
丘陵地や湿地帯を農地にする過程でインディカが選ばれた
829日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:02:16.45
>>825
で、そのソースは?

それに日本の最古水田は殷ごろだぞ。
830日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:11:17.26
稲モミのスタンプは石粒の跡だ!!ってソースだせよ鮮人
水田が半島で自然発生したという妄想のソースもな
831日本@名無史さん:2013/09/17(火) 00:40:29.29
>>829
ほらソース、何度出せばちゃんと読むのかねきみわ

農業考古2002年第1期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NOSE200201008.htm
南方文物2009年第3期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-LFWW200903014.htm
寧波通訊2009年第6期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NBTX200906022.htm
中国水利2007年第5期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-SLZG200705024.htm
832日本@名無史さん:2013/09/17(火) 07:18:10.84
ちゃいにーず・ぴーぶるでないと読めないよ (>_<)
833日本@名無史さん:2013/09/17(火) 07:47:18.66
国民党タイワニーズの本性現したな!
834日本@名無史さん:2013/09/17(火) 09:14:42.60
>>831
で、それのどこに前2000年には長粒種ジャポニカの割合が
一割弱になり、漢代になるとほぼ消滅するって書いてあるんだ?
835日本@名無史さん:2013/09/17(火) 10:08:23.15
>>833
>>834
いいからさっさと学会に殴りこんで来いよ
836日本@名無史さん:2013/09/17(火) 21:32:30.26
>>831
おやおや

どうした?

どこに書いてあるんだ?

早くしろ。
837日本@名無史さん:2013/09/17(火) 21:37:50.57
>>836
何度出せばちゃんと読むのかねきみわ
どれも1〜3ページ目に書いてあるから低脳のオマエでも読めるよね
オマエは人間の屑だという事を自覚しろ

農業考古2002年第1期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NOSE200201008.htm
南方文物2009年第3期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-LFWW200903014.htm
寧波通訊2009年第6期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NBTX200906022.htm
中国水利2007年第5期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-SLZG200705024.htm
838日本@名無史さん:2013/09/17(火) 21:42:36.36
だから、それがどこに書いてあるのか抜粋して、
ここに貼って皆に見せなさい。

広鼻褐色、湾ピーノはウソツキではありませんとなw
839日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:08:57.42
>>838
いいからおまえは論文書いて学会に殴りこんで来い吊り目エラ張り鮮人
840日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:11:57.24
日本人だと何回言わせるんだ湾ピーノ。

早く抜粋して、ここに貼って皆に見せなさい。
841日本@名無史さん:2013/09/17(火) 22:28:58.05
はやく、コピペしろよ ちゃいにーず台北
842日本@名無史さん:2013/09/17(火) 23:06:08.13
>>840
高々数ページの論文なんだから読もうな
人にソースを要求したんだから
出されたソースを感謝しながら読みたまえトンスリアン
843日本@名無史さん:2013/09/17(火) 23:33:19.97
金融卡SmartPay(タイワン元),銀聯UnionPay(人民元),
そんなカード、日本人は持ってねーよ! (`Д´)
844日本@名無史さん:2013/09/18(水) 00:00:26.19
>>842
じゃあ、皆の目の前に正々堂々と抜粋して見せれる文章ソースは無い
と判断するが、よろしいか?

台湾広鼻褐色ピーノはソースもインチキ、手口もインチキの卑怯者の
所詮は汚らしい醜悪な顔面の東南アジアの広鼻褐色汚物集団だと皆に
認識されるが、よろしいか?
845日本@名無史さん:2013/09/18(水) 00:35:13.71
>>844
ほら、ソースだソース。言い逃れしてないでちゃんと読もうね
読めないなら読めないと白状するように

農業考古2002年第1期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NOSE200201008.htm
南方文物2009年第3期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-LFWW200903014.htm
寧波通訊2009年第6期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NBTX200906022.htm
中国水利2007年第5期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-SLZG200705024.htm
846日本@名無史さん:2013/09/18(水) 01:44:27.53
>>840
おれはとっくにソースを貼ってるぞ

2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

てめえこそソースだせや鮮人
847日本@名無史さん:2013/09/18(水) 02:08:01.52
>>845
ただチンコロ語のリンクを貼る事がソースになるのか?

普通ならねえわな。

ソースというのは常識的に、ドキュメントの文章+リンク、だわな。

そういう卑怯なインチキじゃなくて、皆に納得がいくように
その箇所の文章を抜粋して、ここに貼りなさい。
848日本@名無史さん:2013/09/18(水) 02:11:27.53
>>847
いいからおまえの妄想のソースをここに貼れや
そんで学会に論文もって殴りこんで来い
849日本@名無史さん:2013/09/18(水) 02:13:34.95
ソースというのは通常、文献名もしくはサイトのURL
そのどちらも提示してる以上、読む努力義務があるのはキミ

こちらはソースの提示を完遂した
無知故にソースを読めないとしたら、それは>>847くんの問題
850日本@名無史さん:2013/09/18(水) 02:28:39.38
普通、その証拠の箇所のドキュメントくらい貼れます。

さあ、証拠ソースのドキュメントが出てきませんねえ。

ベトナム顔した湾ピーノのウソ、出まかせ確定かな?wwww
851日本@名無史さん:2013/09/18(水) 03:03:30.48
>>850
だから俺はソースを載せたが?>>846
ググレば同じ文章はいくらでも出てくるぞ

おまえの妄想には一切ソース無しだけどなw
852日本@名無史さん:2013/09/18(水) 07:52:00.05
そうか。

じゃあ、改めて追求するまでだ。

前2000年には長粒種ジャポニカの割合が一割弱になり、
漢代にはほぼ消滅するという証拠のソースをただのリンク貼りではなく、
リンク付きのドキュメント自体でお出しください。
853日本@名無史さん:2013/09/18(水) 08:37:12.02
「千百年前までの朝鮮半島では、
中国と日本が勢力争いを繰り広げていました。
もちろん朝鮮人などまだ存在していませんでした」
今、最新の遺伝子技術が歴史の定説を覆しています。
もちろん、ファンタジー史観wのチョンは全ての科学的史料を
全否定していますがwww
長江文明人(倭人、百越人、弥生人)とは、
黄河文明より三千年も古い長江文明の失われた担い手です。
今そのDNAは越南、日本、朝鮮にしか残されていません。
穏やかな農耕民族だった弥生人は、残虐な漢族に侵略され南へ、
長江を下り日本へと揚子江上流原産ジャポニカ水稲を
携えて逃げてきたのです。そして山東半島から、
水稲と共に日本から、朝鮮半島へと進出していきました。
現在、朝鮮より日本の稲作の方が古いことがわかっています。
そして日本米のDNAが朝鮮米に残されていても、
朝鮮米のDNAは日本米に存在しないことで、
稲作文明は定説(いわゆる朝鮮日教組史観ですね)の逆、
日本から半島に渡ったことが判明しています。
今でも北朝鮮ではコリョ族(高麗族、扶余族とは敵対)のDNAが強く、
南朝鮮では弥生人のDNAが強いそうです。
千百年前までの南朝鮮は、日本から渡った弥生人を扶余族の王
(三韓、倭共通で親族)が統べる日系の社会だったということです。
854日本@名無史さん:2013/09/18(水) 08:40:10.38
このスレ↓と同じだねwwww
------------
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
「新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る 所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」 と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」と書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
855日本@名無史さん:2013/09/18(水) 11:11:08.62
>>852
おまえがそれらのソースを要求してる人間とは別人だが?

俺はソースを明記した
後はおまえの妄想のソースを出せばいいだけ
そして学会に殴りこんで来い鮮人
856日本@名無史さん:2013/09/18(水) 12:36:31.81
>>852
はい、ソース
どんな書籍や論文でもソースは文献名と該当ページによって提示される。

こちらの論拠はとなるソースは完全無欠に提示された。
オマエが選べるのは、ソースを読んで具体的に箇所を指摘して反論するか
現実を受け容れ自らの妄想を撤回し黙る事のどちらか。

農業考古2002年第1期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NOSE200201008.htm
南方文物2009年第3期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-LFWW200903014.htm
寧波通訊2009年第6期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-NBTX200906022.htm
中国水利2007年第5期
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-SLZG200705024.htm
857日本@名無史さん:2013/09/18(水) 15:05:03.60
それには前2000年には長粒種ジャポニカの割合が一割弱になり、
漢代にはほぼ消滅するとは書いてありません。

よって、

前2000年には長粒種ジャポニカが一割弱になり、漢代にはほぼ消滅する
という発言は全くのウソ、デタラメであると判明致しました。
858日本@名無史さん:2013/09/18(水) 16:00:08.48
>>857
↓スルーすんなよ鮮人
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵

↑の後は石粒の跡
という発言は全くのウソ、デタラメであると判明致しました。
859日本@名無史さん:2013/09/18(水) 21:43:33.44
大麦の痕跡かもしれんな。

もちろん石粒の痕跡も否定できない。
860日本@名無史さん:2013/09/18(水) 21:55:41.54
以上、ソースをだせない鮮人の願望でした、と
861日本@名無史さん:2013/09/18(水) 21:56:18.83
以上、ソースをだせなタイワン人の願望でした、と
862日本@名無史さん:2013/09/18(水) 21:57:40.95
こっちは何回もソース出してるんだが?w>>858
863日本@名無史さん:2013/09/18(水) 22:08:17.16
それはあくまでも俺の推測だから、ソースなんてものは
無いわな。

推測してはいけないという決まりは無いだろ。

あえて言うなら、同地層から炭化米が一粒も
出てこない事自体がソースだよ。
864日本@名無史さん:2013/09/18(水) 22:11:51.83
>>863
はあ?てめえは他人の推測にソースを求めるくせに
てめえの妄想にはソースはいらないと?w

なにこのウリナラルールw
865日本@名無史さん:2013/09/18(水) 22:12:59.76
炭化米なんぞ発見されてなくても、学会の結論は
>>858

いいから早く電子顕微鏡でもこさえて学会に殴りこんで来いよw
866日本@名無史さん:2013/09/18(水) 22:15:39.53
イネは実れば必ず穂からこぼれる実があるハズ。

それはやがて炭化米になっていく訳だが、それが無い。

少しはおかしいとは思いませんか?
867日本@名無史さん:2013/09/18(水) 22:16:39.88
いや、わざわざ炭化なんかさせる前に食った方が合理的だからなw

で、てめえのソースのない妄想なんてどうでもいいw
868日本@名無史さん:2013/09/18(水) 23:09:39.30
>>857
ほら、これなら誰でも読めるだろ、論文の5ページ目(167ページ)
http://www.doc88.com/p-0738740710502.html

7000年前から前2000年に掛けて
太く短い米が増え細長い米は漸減していると書かれてる
869日本@名無史さん:2013/09/18(水) 23:37:22.50
それには前2000年には長粒種ジャポニカの割合が一割弱になり、
漢代にはほぼ消滅するとは書いてありません。

創作は止めましょう。
870日本@名無史さん:2013/09/18(水) 23:39:18.40
>>869
いや、前2000年には長粒種ジャポニカの割合が一割弱になり
そう書いてあるよね
871日本@名無史さん:2013/09/19(木) 00:40:49.34
>>868
> 基本上属于転暖期 唐代揚州鑑真和尚渡海去日本
> 伝佛教時、帯去稲種礼物、至今保存正倉院内
> 年前取出研究除く有芒短粒外 亦有長寛比為2.5的中粒存在
>
> 接近河姆渡的平均値 依此例来説 長江下遊的水稲土種
> 還不能説已完全改変為粳型 至宋代(960-1279) 気候
> 明湿転冷 太湖常年結氷 運河結氷布瀬障航行
> 長粒品系有可能剤此段時期里被淘汰 而留下短粒耐低的品種


逆じゃろ? 趙氏宋朝の頃に寒冷期となり
耐寒性のある短粒米が導入されて、長粒米が減ったんだろ?
872日本@名無史さん:2013/09/19(木) 01:22:25.89
>>871
>>787に書いた通り、宋代にインディカが普及したのは南部の福建、浙江。
この論文は15年以上前の物で、当時は未だ細長いジャポニカも米山に分類されてた
>不能説已完全改変為粳型
とある通り、既に大多数が短粒の粳だった事が解るし
太古の段階で既に長粒種とされていた細長い米の割合が0%に近い事も書かれてる
873:2013/09/19(木) 01:36:28.15
そういう卑怯なインチキじゃなくて、皆に納得がいくように
その箇所の文章を抜粋して、ここに貼りなさい。
874日本@名無史さん:2013/09/19(木) 01:57:35.36
>>873
いやいやいや、PDFなのにどうやって抜粋するんだよ
下らない言い逃れをしていないで
>>868の5、6ページに書かれている事を受け容れなさい

日本で水稲作が始まった時代には既に長粒種はほぼ0%だった
875日本@名無史さん:2013/09/19(木) 02:06:18.02
>>873
いいからおまえは>>858を論破するソースをだせ
876日本@名無史さん:2013/09/19(木) 02:30:36.19
>>874
漢字なんだから、>>871みたいに書きうつせばいいじゃんw

もしかしたら、おまえは漢字読めない韓国人?!
877日本@名無史さん:2013/09/19(木) 03:24:12.47
いいからてめえはまともなソースをだせや>>876
878日本@名無史さん:2013/09/19(木) 03:43:25.88
>>876
図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布

このグラフに拠れば、短粒が約45%、中粒が約半分
長粒はたった5%にすら満たないよね。はい、完全論破。
879日本@名無史さん:2013/09/19(木) 07:21:53.63
880日本@名無史さん:2013/09/19(木) 08:08:22.39
>>874
日本で水稲作が始まった時代にはすでに長粒種は0%だったと
どこに書いてあるんだ?
881日本@名無史さん:2013/09/19(木) 08:33:14.11
>>878
縦幅/横幅が2.5倍以上が長粒種だろ?

2割以上も存在してるじゃないの。
882日本@名無史さん:2013/09/19(木) 09:20:23.66
長粒種の割合はちょうど30%ぐらいだな。
883日本@名無史さん:2013/09/19(木) 13:57:02.07
>>881
縦幅/横幅が3.0以上が長粒種だよ

5%も存在してないな。
884日本@名無史さん:2013/09/19(木) 13:57:23.12
長粒種の割合はちょうど3%ぐらいだな。
885日本@名無史さん:2013/09/19(木) 17:49:52.57
なわきゃねえだろボケ湾ピーノw

だったらカボト遺跡もほんの数%になっちまうじゃねえかwwww

カボト遺跡の長粒種ジャポニカの割合はちょうど1/3だったはず。
886日本@名無史さん:2013/09/19(木) 18:06:29.44
>>885
いいからてめえはさっさと学会に殴りこんでこいや
ソースなしで喚いてないで
887日本@名無史さん:2013/09/19(木) 18:14:39.19
>>874
おい、どうした、早くしろ。

日本で水稲作が始まった時代には既に長粒種は0%だったと
どこに書いてあるんだ?
888日本@名無史さん:2013/09/19(木) 18:22:47.82
>>887
おい、>>858を論破できるソースはどこにあるんだ?

はやく学会に殴りこんでこいや
「てめえら皆台湾人ニダ〜」ってなw
889日本@名無史さん:2013/09/19(木) 18:36:50.96
863から867を再読しとけ湾ピーノ。
890日本@名無史さん:2013/09/19(木) 19:02:00.64
>>867は俺のレスだろボケw

んで反論はなしとw
891日本@名無史さん:2013/09/19(木) 19:18:15.39
じゃあ、反論しようか?

そんな穂からこぼれてしばらく経った泥だらけの真っ黒い汚いものや、
土に埋まりかけた真っ黒い汚いものを食べますか普通?

江南とか台湾の東南アジアの広鼻褐色の汚らしい土人なら食うかも
しれんがなwwww
892日本@名無史さん:2013/09/19(木) 19:25:44.26
はあ???
土器の稲跡から、なんで泥だらけの稲だったとかわかるんだ?w
てめえは超能力者か?w
考古学者の誰がそんなこといってんだ?www
893日本@名無史さん:2013/09/19(木) 19:40:31.47
炭化米なんぞ発見されても数十粒とか数百粒だからな
発見されなくてもおかしくないし、学会の結論は↓

2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に稲もみの圧痕跡があることが判明、
当時の稲作が確実視されるようになった。 by 知恵蔵


石粒の跡だ〜とかいってるのは電子顕微鏡もさわったことのない
>>891の引き篭もりド素人鮮人だけw
894日本@名無史さん:2013/09/19(木) 19:45:06.72
>>887
自分に都合が悪い現実が見えなくなる様だから
おまえは南チョン族で確定だな。現実を受け容れよう

>>868
図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布
日本で水稲作が始まった時代にはすでに長粒種は0%
895日本@名無史さん:2013/09/19(木) 21:46:00.02
あの表にはそんな事は全く書いてないし、長粒種ジャポニカは
全体平均で3割占める事がよーく分かったw

見る価値があったよ。ありがとうwwww

で、日本に水稲作が始まった時代には既に長粒種ジャポニカは
0%だったと、どこに書いてあるの?w
896日本@名無史さん:2013/09/19(木) 22:03:46.15
おい、いいから>>893に答えろや

さっさと学会に殴りこんでこいやへタレ
897日本@名無史さん:2013/09/19(木) 23:10:45.58
>>895
見苦しい言い逃れを繰り返しても厳然としたソースがあるから無駄だよ
>>868
図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布

日本に水稲作が始まった時代には既に長粒種ジャポニカは
0%だった
898日本@名無史さん:2013/09/19(木) 23:38:00.25
だから、どこにそれが書いてあるの?w
899日本@名無史さん:2013/09/19(木) 23:57:50.71
QinngGuoRen
 清 国 人

狗犬とチンコロ お断り
900日本@名無史さん:2013/09/20(金) 00:28:10.59
おい、どうした、ベトナム顔した湾ピーノw

早く、どこに書いてあるのか教えなさいw
901日本@名無史さん:2013/09/20(金) 01:35:06.30
>>898
自分に都合が悪いと見えなくなる民族という事は
在チョンで確定、オマエは生きてる価値が無い。

>>868
図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布
902日本@名無史さん:2013/09/20(金) 01:53:37.70
だったら、それにはそんな事は全く書かれていないから、


日本に水稲作が始まった時代には既に長粒種ジャポニカは0%だった、


という発言は無効になり、ただのウソであり、出まかせと
いう事で確定させていただきます。
903日本@名無史さん:2013/09/20(金) 02:09:08.46
>>902
んじゃ>>893も確定ってことでおkな
904日本@名無史さん:2013/09/20(金) 02:44:35.81
>>902
いや、>>868図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布
にそう描かれているよ。

確固としたソースがある以上もう言い逃れは不可能
日本に水稲作が始まった時代には既に江南では長粒種ジャポニカはほぼ0%だった。
自らの誤った願望>>594を訂正し謝罪しないと駄目だよ
905日本@名無史さん:2013/09/20(金) 07:42:31.23
論文の文章が読めず、イラストだけ拾っているやつ・・・
906日本@名無史さん:2013/09/20(金) 08:14:57.46
>>904
そんな事は絶対に書いてありません。

ウソはやめなさい。


>>905
なら、その箇所の文章を貼って皆に見せれば良いだけの事。

直ちにその箇所の文章を貼って皆に見せなさい。
907日本@名無史さん:2013/09/20(金) 11:48:58.03
>>906
おい、てめえこそ>>893を論破する論文ここに貼り付けろや

てめえの妄想ソースじゃなくてな
908日本@名無史さん:2013/09/20(金) 14:01:04.48
>>906
>>868図2 長江6地点出土五千〜七千年前稲米的変異分布

長粒種に該当する長短比3.0を越える米は全体で5%
賈湖遺跡に至っては0%で短粒種と中粒種が半々
事実を受け容れないと駄目だよ、南チョン族くん
909日本@名無史さん:2013/09/20(金) 15:50:25.79
>>908
まちがい→長粒種に該当する長短比3.0を越える米は全体で5%
正解→長粒種に該当する長短比3.1を越える米は全体で2%以下
910日本@名無史さん:2013/09/20(金) 15:55:57.81
>>908
日本人だバカ湾ピーノ。

ウソツキは普通の人より不幸な出来事が多くなるそうだよ。

私生活で心あたりはないか?


長粒種は長短比2.5以上だ。

全体で平均30%を占める。

事実を受け入れるのは、お・ま・え
911日本@名無史さん:2013/09/20(金) 16:26:40.59
>>910
お米は、玄米の形によって、長粒種、中粒種、短粒種の三種類に区別されます。
お米の形による長さ・幅
区分  長さ(mm) 長さ/幅
長粒種 6.61〜   3.0〜
中粒種 5.51〜6.60 2.1〜2.9
短粒種 〜5.50   〜2.0
http://www.mmrice.jp/info/knowledge.html

長粒種3.0〜長粒種3.0〜長粒種3.0〜
912日本@名無史さん:2013/09/20(金) 16:29:05.72
>>908
いいからてめえは>>893を論破する論文を書いて学会に殴りこんで来い
ド素人鮮人
913日本@名無史さん:2013/09/20(金) 17:07:41.06
>>912>>910へのレスね
914日本@名無史さん:2013/09/20(金) 19:19:56.62
>>911
こりゃ悪かった。俺の勘違いw

でもそれが、日本に水稲作が始まった時代には既に長粒種ジャポニカは
0%だった、という証拠にはならんわな。

日本の最古水田の炭化米と長江流域の炭化米の短粒種ジャポニカと
中粒種ジャポニカの比率も違い過ぎている。
915日本@名無史さん:2013/09/20(金) 19:43:13.43
>>914
炭化米はいいから、はやくおまえは学会に殴りこんで来い
トンデモ論文こさえてな
916日本@名無史さん:2013/09/20(金) 19:46:53.53
河姆渡遺跡の米は平均長/幅の2.0と3.0に二つピークがあるから
意図的に短粒米と長粒米を栽培し分けてる
より高緯度の日本に短粒種だけ伝わったとしても何の不思議も無いよ
917日本@名無史さん:2013/09/20(金) 21:35:37.13
不思議杉るだろw

例の短・中・長粒種ジャポニカ分布表を見ても、長江流域の炭化米は
中粒種以上の分布が7割前後じゃないか。

でも日本の最古水田の炭化米は短粒種ジャポニカがほとんどだぞ。

おかし杉るだろ。
918日本@名無史さん:2013/09/20(金) 21:37:45.59
>>917
いや、おまえが可笑しいと思っても学会の結論は>>893だから
919日本@名無史さん:2013/09/20(金) 22:01:33.54
例のドキュメントにも正倉院に保存されている8Cに長江流域から
来日した鑑真和尚が持ってきた稲の種は短粒種と中粒種が半々の
比率だったとあるしな。

BC10Cに長江流域から伝わったなら中粒種ジャポニカ以上の比率が
過半数でないとおかしいじゃないか。
920日本@名無史さん:2013/09/20(金) 22:56:36.87
>>919
いや、ド素人のおまえの妄想なんてどうでもいいから
はやく学会にいって>>893を論破して来い
921日本@名無史さん:2013/09/20(金) 23:36:54.81
>>917
ソース>>868があるから、嘘を吐いても無駄だよ

図2を見れば解る通り、江南のプラントオパールや炭化米は
短粒米と中粒米がほぼ半々、長粒米は3%にも満たない
922日本@名無史さん:2013/09/20(金) 23:40:20.44
>>919
短中半々という結果は、正に>>868と合致する。
江南から見つかっている稲の痕跡は
短粒米と中粒米がほぼ半々で、長粒米は3%にも満たない
923日本@名無史さん:2013/09/21(土) 00:28:00.60
例の表では短粒種が3割前後で中粒種以上が7割前後だな。

で、8Cに鑑真和尚が持ってきた稲が短粒種と中粒種がちょうど半々。

でもBC10C頃の日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種がほとんど。

長江流域から入ったものじゃないね。
924日本@名無史さん:2013/09/21(土) 00:47:54.04
だから妄想で語ってないで
学会いって>>893論破してこいや
925日本@名無史さん:2013/09/21(土) 02:11:49.38
>>923
図2では、ッ沢遺跡や銭山漾遺跡の短粒種は7割を超え
河姆渡遺跡では長短2種類の稲が栽培されていたが
短粒の方は同じく6割を超える

結論、日本の稲作は江南、特に長江流域から伝わった物。
或いは最近の調査で前5000年前後に長江流域から淮河流域へ
水稲作が広がる時に短粒が移植されたと解ってきたので淮河流域の可能性もある
926日本@名無史さん:2013/09/21(土) 02:49:04.14
日本の最古水田は短粒種ジャポニカがほとんどですんでね。

残念でしたw
927日本@名無史さん:2013/09/21(土) 10:15:21.57
>>926
学会の現実は>>893

残念でしたw
928日本@名無史さん:2013/09/21(土) 11:44:07.64
倭人伝に書かれているのと同じ顔の入れ墨 in 台湾。
土器や埴輪に書かれてるのと一致。

やはり南洋、オーストロネシアンと同じ習俗が日本にあった。
先の温泉拒否されたマオリと同じ。

http://yaplog.jp/marumaruezono/archive/51

http://native.way-nifty.com/native_heart/2008/02/post_4e24.html
929日本@名無史さん:2013/09/21(土) 17:23:58.32
>>926
嘘を吐いてはいけないよ
日本最古の水田跡から見つかった米は
形状がバラバラで短粒、中粒に該当する物が混在していた
これは日本最古の前4000年頃の稲作と変わっていない

日本の稲作が江南から伝来した事は、最早疑う余地が無いよ
930日本@名無史さん:2013/09/21(土) 19:01:55.80
主張が変わったのか〜 ケラゲラ
931日本@名無史さん:2013/09/21(土) 19:26:29.12
俺の主張は>>893でなんもかわっとらんけどな
932日本@名無史さん:2013/09/21(土) 20:18:54.28
短粒米信仰はどこへいったの?
933日本@名無史さん:2013/09/21(土) 20:19:33.17
日本の最古水田は短粒種ジャポニカがほとんどですんでね。

台湾土人のみなさん長いこと乙枯さんw
934日本@名無史さん:2013/09/21(土) 20:20:46.16
>>922>>923
いいから学会いって>>893論破してこいよ

ド素人鮮人w
935日本@名無史さん:2013/09/21(土) 20:40:30.52
短粒米だけを栽培していた浙江省の河姆渡から
日本へ稲作が伝来したという主張じゃなかったの?

最古の水田に中粒米や長粒米も混じっていたなら、
日本の中で、中粒米や長粒米が減っていった根拠は何?
936日本@名無史さん:2013/09/21(土) 20:42:58.98
>>935
いや、俺は主張してないけど?

俺の論拠は>>893と稲のDNA等から
937日本@名無史さん:2013/09/21(土) 21:57:58.43
日本の最古水田には短粒種ジャポニカしかほとんどありませんのでね。 

台湾ベトナム顔ピーノのみなさん、ご苦労さんwwww
938日本@名無史さん:2013/09/21(土) 21:59:00.08
現実は>>893
ド素人鮮人の妄想なんて誰も相手にしてませんのでw
939日本@名無史さん:2013/09/21(土) 22:27:10.65
>>935
>>868図2で解る通り
江南の遺跡から出土した米は短中半々
長粒米は数%にも満たない、嘘を吐いては駄目だよ

日本最古の水稲作が江南から伝来したのは疑いようが無いね
940日本@名無史さん:2013/09/21(土) 22:28:43.98
>>937
嘘を吐いちゃ駄目だよ
日本最古の水田跡からは中粒に該当する米の痕跡も多数発見されている
941日本@名無史さん:2013/09/21(土) 22:34:04.64
日本の最古水田の炭化米は長短比1.7ですんでね。

マニラ顔した台湾ピーノのみなさん、長いこと乙枯れさんwwww
942日本@名無史さん:2013/09/21(土) 22:51:52.50
>>941
長いこと妄想吐いてるのはおまえ
現実は>>893
943日本@名無史さん:2013/09/21(土) 23:04:59.73
>>941
江南の遺跡から長粒米が殆ど出ていない事と
日本の最初期の水田からも中粒米が出ている事
この2点は認めたのだな、善い進歩だ。
944日本@名無史さん:2013/09/21(土) 23:42:35.79
短粒米にあらずんば、日本米にあらず。
中粒米は煎餅用タイ米なり。
945日本@名無史さん:2013/09/21(土) 23:49:53.62
しかし現実は>>893
もうあきらめろ鮮人
946日本@名無史さん:2013/09/21(土) 23:50:36.22
BC10C頃の長江流域は中粒種以上が過半数。

日本の最古水田には中粒種がほとんどありませんのでね。

タイワピーノの諸君、長いこと乙枯れさんですたwwww
947日本@名無史さん:2013/09/21(土) 23:54:33.57
ソロンゴスさんは今日もプロパ工作ですか!
948日本@名無史さん:2013/09/22(日) 00:02:54.30
>>946
いや、おまえみたいなド素人鮮人がいくら妄想しても現実は>>893
949日本@名無史さん:2013/09/22(日) 01:38:20.82
>>946
嘘を吐いてはいけないよ、>>868にある通り
前4000年の時点で短中半々、しかも1000年に長短比は0.15づつ下がっているとある
前1000年頃には丁度1.7前後になる頃合だね

実際、西周時代の江南の遺跡には、大半を短粒種が占める遺跡が幾つもある
950日本@名無史さん:2013/09/22(日) 03:04:51.41
往生際が悪いぞ湾ピーノw

あの表では中粒種以上が約7割。

鑑真が持ってきた正倉院のイネが短粒種と中粒種が半々。

その約2000年前の弥生開始時なら中粒種の比率は過半数のはず。

でも日本の最古水田には中粒種はほとんどありませんのでね。

残念でしたw
951日本@名無史さん:2013/09/22(日) 03:35:44.48
>>950
>>868というソースを見てみよう
図2によると、銭山漾遺跡の短粒米は6割を超え
河姆渡遺跡では2種類の品種のうち粳の方は短粒が過半数
ッ沢遺跡の丸い方の品種に至ってはほぼ全てが短粒

また年代が下る毎に、1000年につき長短比は0.15づつ下がっているともある。
他にも西周時代江南の遺跡には、ほぼ短粒米で占められる遺跡が複数ある

日本の稲は江南から持ち込まれ、水稲作も又江南から伝来した。
952日本@名無史さん:2013/09/22(日) 03:45:27.48
でも過半数は中粒種以上ですから。

残念wwww
953日本@名無史さん:2013/09/22(日) 03:54:55.30
>>952
現実は>>893ですから

残念wwww
954日本@名無史さん:2013/09/22(日) 06:43:13.65
>>951
粳は、短粒
杣は、中粒長粒
  ↑
漢語の意味はこうだぞ。
あんた漢字読めない韓国人じゃろ?
955日本@名無史さん:2013/09/22(日) 07:21:04.93
>>953
おまえは学会は台湾人の集まりだ〜
って騒ぐ朝鮮人だろ?>>893
956955:2013/09/22(日) 07:25:09.68
>>954へのレスな
957日本@名無史さん:2013/09/22(日) 08:05:15.77
ありませんよ。ありませんので。ありませんから。

日本の最古水田には中粒種ジャポニカはほとんどありませんのでね。

でも長江流域は中粒種以上が半分以上ですんで。

残念でしたwwww
958日本@名無史さん:2013/09/22(日) 08:07:57.69
>>957
いいから論文こさえて学会に殴りこんで>>893論破してこいや
引き篭もりド素人鮮人がw
959日本@名無史さん:2013/09/22(日) 10:15:52.07
ぴーの ぴーな 
960日本@名無史さん:2013/09/22(日) 10:29:22.79
ちーの ちーな
961日本@名無史さん:2013/09/22(日) 11:22:48.79
  ピーノ♪
      , - 、, - 、 ピーナ♪
   , - 、i'・e・ ヽ,,・ァ, - 、
  4 ・   ゝ - 、i'e・ ヽ、・ァ
  ゝ   i e・  ヽ、 ,,.-''´|
 |`"''-,,_i   ,,.-''´    |
 |    "'''i"    ,,.-'"
 `"''-,,_.  |  ,,.-''"
     "'''--'''"
962日本@名無史さん:2013/09/22(日) 13:26:34.82
はやく>>893論破してこい、ド素人鮮人w
963日本@名無史さん:2013/09/22(日) 14:13:44.84
>>957
嘘を吐いちゃ駄目だよ捏造情報を連投コピペして
南チョンお得意の声闘しても、日本じゃ根拠の無い妄想は真実と認めない。

>>868図2、銭山漾遺跡の短粒米は6割を超え
河姆渡遺跡では2種類の品種のうち粳の方は短粒が過半数
ッ沢遺跡の粳に至ってはほぼ全てが短粒

また年代が下る毎に、1000年につき長短比は0.15づつ下がっている
実際、西周時代江南の遺跡には、ほぼ短粒米で占められる遺跡が複数ある

前1000年より前の江南には
短粒種のみを栽培していた地域が複数あった、それが史実
964日本@名無史さん:2013/09/22(日) 14:41:47.81
> 粳の方は短粒が過半数
あたりめぇだ 粳米とは短粒のことだ。短粒が発現する確率は高い。
もうひとつの杣米は、中長粒のことだからな。短粒が発現する確率は低い。
965日本@名無史さん:2013/09/22(日) 15:39:33.36
半分以上が中粒種以上なのに短粒種だけ持ってくるなんて
不自然極まりないわな。

鑑真のように混合した状態、選別していたなら二種類とも
持ってくるのが普通。
966日本@名無史さん:2013/09/22(日) 15:52:30.88
短粒種のみ栽培していた地域の人が持ち込んだ
とかいろいろ考えられる罠

しかも現実は>>893
967日本@名無史さん:2013/09/22(日) 16:24:14.55
混合で作っていた場所の方が遥かに多いんだから不自然過ぎ。

だいたい短粒種だけ作っていた遺跡の証拠を出してみな。
968日本@名無史さん:2013/09/22(日) 16:30:06.48
>>967
いや、>>893に反対する証拠ソースも出さずに妄想だけで喚いてるおまえに
証拠証拠いわれても・・・
969日本@名無史さん:2013/09/22(日) 16:43:25.89
>>967
おいおい、オマエは目が見えないのか?
それとも南チョン特有の都合が悪い事は見え無い病か?

>>868のッ沢遺跡から発掘された米粒群を見てみよう
西周時代の焦庄、連雲港遺跡の物もだ
この三遺跡の稲の痕跡は殆どが短粒米に該当する
970日本@名無史さん:2013/09/22(日) 17:56:06.50
BC1000の吉野ヶ里ならどうよ?

ああいうのは短粒米に該当するんか?
中粒米や長粒米に該当しないか?
971日本@名無史さん:2013/09/22(日) 18:39:58.05
吉野ヶ里の東側に隣接した「瀬ノ尾遺跡」からこのほど「長粒系」の炭化米(弥生中期)が出土した
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/miracle.html
972日本@名無史さん:2013/09/22(日) 19:30:28.05
江南で栽培されていた品種のうち
短粒系が玄界灘周辺に
中粒系が有明海沿岸に
全て合致するな
973日本@名無史さん:2013/09/22(日) 20:15:45.38
> 瀬ノ尾遺跡の炭化米はそれより更に大きく、
> 徐福伝説で知られる−徐福のふるさと、
> 中国江蘇省連雲港市の焦庄遺跡の
> 長粒系炭化米に近づく大きさである
974日本@名無史さん:2013/09/22(日) 20:29:24.44
西周時代の焦庄遺跡から出土した米は平均値1.63
完全な短粒種な、捏造しないように。
直ぐ近くの連雲港遺跡が平均値1.95
975日本@名無史さん:2013/09/22(日) 20:44:33.39
ソースは?
976日本@名無史さん:2013/09/22(日) 21:13:34.70
>>975
いいから他人にソースを要求する前に
>>893を論破するソースだせやおまえはw
977日本@名無史さん:2013/09/22(日) 21:30:22.05
>>975
オマエは何度同じソース>>868出されれば気が済むんだよww
978日本@名無史さん:2013/09/22(日) 22:10:59.75
弥生開始時の最古水田は炭化米は短粒種がほとんどですんでね。

吉野ヶ里は弥生中期〜晩期。

貨幣などの楽浪文物が出てるから吉野ヶ里の中粒種は楽浪と
交流した際に入っただけだな。
979日本@名無史さん:2013/09/22(日) 22:14:39.67
>>978
てめえの妄想はどうでもいいから
はやく>>893論破してこい
980日本@名無史さん:2013/09/22(日) 22:15:15.37
下戸遺伝子の分布図
http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg

弥生人は江南起源
981日本@名無史さん:2013/09/22(日) 22:57:10.23
遺伝子は移動と経年で著しく頻度を変える。

頻度だけでどこから伝わったなんて全く推測不可能。

聞いたところによると最初から縄文人が持っていたらしいがな。
982日本@名無史さん:2013/09/22(日) 23:01:22.33
また出た、ド素人の遺伝子は経年劣化スルーwww
983日本@名無史さん:2013/09/23(月) 00:40:50.09
経年だけじゃなくて、移動しても頻度は著しく変わる。

だから、朝鮮から伝わったとも言えるし、モンゴルから伝わったとも言えるし、
弥生人の故郷、沿海州から伝わったとも言えるわな。
984日本@名無史さん:2013/09/23(月) 00:52:19.87
というド素人の妄想www

いいから学会いって>>893論破してこい、トンデモ論文こさえてな
DNA調査や放射線測定も全否定の朝鮮人www
985日本@名無史さん:2013/09/23(月) 00:57:05.29
>>984
移動する理由は書かないんだよな馬鹿チョンはw
986日本@名無史さん:2013/09/23(月) 00:58:03.64
>>978
>>868のッ沢遺跡から発掘された米粒群を見てみよう
西周時代の焦庄、連雲港遺跡の物もだ
この三遺跡の稲の痕跡は殆どが短粒米に該当する
987日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:02:17.57
日本人だボケ湾ピーノ!

朝鮮人ウソレッテルばっかり貼りやがって。

遺伝子を否定している訳じゃなくて、移動や経年で著しく増えたり、
減って消滅したりする運命である遺伝子の頻度による故郷探しは
無意味だと言っとるの。

分かるかタイワピーノw

土人には分からんかもなwwww
988日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:04:49.58
>>987
いいからそのトンデモ理論を学会で発表して来い、ド素人鮮人がw
989日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:06:50.61
>>986
口頭だけでは信用しませんので。

タイワピーノの口から出た言葉なんて誰が信用するんです?w
990日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:07:49.86
>>989
おまえのトンデモ論こそ誰も信用してないというか
誰も唱えてないワケで・・・
現実は>>893
991日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:09:03.10
分子生物学も全否定の未開鮮人がいると聞いて
992日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:09:46.50
>>988
トンデモじゃなくて遺伝学の常識だろうが。

まさか知らなかったんですか?w

知らなかったんですか?w
993日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:10:58.51
>>992
はああ???
日本人のルーツ探しには遺伝学も使われてますが、なにか?w
994日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:13:11.38
精度のすこぶる悪い副材料としてなw
995日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:15:26.37
という科学のかの字も知らない朝鮮人の妄想でつね
996日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:16:15.87
おまいらいったい何とたたかっているんだ!
997日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:21:58.19
科学を知らないのはおまえら湾ピーノのじゃねーかw

そのハプロタイプがあれば、どこからも来たと言えてしまうし、
仮に今ないところでも過去にあれば、そこも候補に入ってしまう
998日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:36:52.60
疑似科学
999日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:39:42.61
考古学というか日本人起源探しで現在メインなのは
集団遺伝学や分子生物学を使った分析
で、学会の結論は>>893

電子顕微鏡すら触ったことのないド素人の妄想が>>994>>997
1000日本@名無史さん:2013/09/23(月) 01:40:10.25
おかると
10011001
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