史実ではないのに史実のように語られがちなこと

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1日本@名無史さん
司馬の創作とか
2日本@名無史さん:2010/12/13(月) 20:22:05
日本海海戦のT字戦法とか。
3日本@名無史さん:2010/12/13(月) 20:30:09
新撰組は仲良しイケメン集団ではない。
ゴロツキだらけで地域の人にもビビられ厳しい規律を敷いても治まらず粛正の嵐。
結果殺した浪士より粛正で死んだ隊員の方が多い。
4日本@名無史さん:2010/12/13(月) 21:01:29
旅順での児玉源太郎
5日本@名無史さん:2010/12/13(月) 21:06:05
道鏡の巨根
6日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:01:14
「坂本龍馬は剣豪なのに人を一人も殺さなかった」
7日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:41:01
万世一系
8日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:51:13
桂小五郎は人を斬ったことがない
9日本@名無史さん:2010/12/13(月) 23:49:19
刀で切られて即死 切腹でも即死

失血死は時間がかかる。
甲冑を纏っているのに斬殺されるのは難しい。
切腹なんて介錯がいなければ悶え苦しみのた打ち回る。でもなかなか死なない。
10日本@名無史さん:2010/12/14(火) 00:45:56
新選組は尊王攘夷派じゃないぞー
なんて説明してる先生もいるしな。
11日本@名無史さん:2010/12/14(火) 02:36:57
甲冑を着ていると極端な裂傷を負うことはまずないが
相手は普通に斬り倒すつもりで撃ちこんでくる
斬りは普通の打撃より相手にかかる力が複雑でバランスを奪われやすいため
いきなり鎧の隙間を突くより、まずは斬る(結果的な打撃&崩しになる)
12日本@名無史さん:2010/12/14(火) 07:40:24
三国志演義
13日本@名無史さん:2010/12/14(火) 10:55:26
一休のとんち
14日本@名無史さん:2010/12/14(火) 11:06:30
聖徳太子の功績
→大半は蘇我馬子が行ったモノ

権門体制論
→それほどはっきりした体制ではなかった

昭和天皇の戦争責任
→各種の史料から軍部に実権を握られていたというのは嘘
15日本@名無史さん:2010/12/14(火) 11:12:57
司馬の創作した坂本龍馬の全て
16日本@名無史さん:2010/12/14(火) 12:29:07
>>14
電波が来た
17日本@名無史さん:2010/12/14(火) 12:44:28
大河ドラマ龍馬伝
18日本@名無史さん:2010/12/14(火) 13:42:00
>>16
史学的に間違ったことは書いてないが?
19日本@名無史さん:2010/12/14(火) 13:49:44
>>18
史学的に間違ってはいなくとも、教団の教えと食い違うんだよ。

科学・家・協会が教える天皇観は街宣車やネットで喧伝されている。
20日本@名無史さん:2010/12/14(火) 14:51:55
教団?
意味が分からないな。
21日本@名無史さん:2010/12/14(火) 15:28:27
どこの史学だよ。一部の人間がほざいてるだけだろう
22日本@名無史さん:2010/12/14(火) 18:31:01
関さんですか^^
23日本@名無史さん:2010/12/14(火) 18:35:45
司馬は酷い捏造

小説だと分かってても ハァ?ばかり
24日本@名無史さん:2010/12/14(火) 18:48:20
老人 水戸黄門や大岡越前を史実と勘違い  +大河ドラマ
大人 歴史小説や歴史漫画を史実と勘違い  +大河ドラマ
子供 戦国無双や戦国バサラを史実と勘違い +大河ドラマ
25日本@名無史さん:2010/12/14(火) 23:41:58
徳川家康は豊臣秀頼を殺したくなかった。
山岡荘八の影響強すぎるな。大ヒット大河のこの傾向。
26日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:05:30
上杉謙信
石田三成

義の人(笑)
27日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:15:42
史実では203高地陥落前に旅順艦隊は壊滅状態にあった
28日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:20:50
史実ではそうかも知れないが、それを日本側が確認できて安心できるのと、できないのでは正反対。
29日本@名無史さん:2010/12/15(水) 02:36:27
赤穂浪士討入が雪の日だったというのも創作
30日本@名無史さん:2010/12/15(水) 08:06:42
吉良上野介完全悪もなんやそんな感じだね。
31日本@名無史さん:2010/12/15(水) 08:26:48
今の忠臣蔵のイメージは歌舞伎の演目がベースになってるから
勧善懲悪のストーリーを描くためには吉良は悪人でなければならない。
ということで、浅野は名君扱い。
32日本@名無史さん:2010/12/15(水) 13:17:48
西郷隆盛

人格者wwwwwwwwwww
33日本@名無史さん:2010/12/15(水) 20:06:24
「義経はイケメン」
34日本@名無史さん:2010/12/15(水) 22:16:24
孝明天皇の暗殺。

もしあのタイミングで暗殺があったとしたら
犯人は孝明天皇が消えて大助かりだった徳川慶喜かも。
35日本@名無史さん:2010/12/15(水) 22:49:23
佐幕の孝明天皇が消えて慶喜が喜ぶ?
36日本@名無史さん:2010/12/16(木) 00:04:52
月面着陸
37日本@名無史さん:2010/12/16(木) 00:23:14
>>35
それがあの時点で孝明天皇の死で利益を得たのは、一会桑(徳川慶喜・松平容保・松平定敬)なんです。

1.孝明天皇+一会桑の再鎖国・兵庫開港拒絶要求に、開国維持の立場の幕府(徳川家茂)と諸侯は苦悶
2.徳川家茂、長州征伐実行中に大阪で病死。徳川慶喜が後継者に指名される(将軍就任は固辞)
3.孝明天皇急死
4.徳川慶喜、急に将軍就任を受諾
5.一会桑、一転して兵庫開港へ。諸侯は孝明天皇の遺志を持ち出すも既に天皇は代わっており、徳川慶喜の意思貫徹

ですから。
38日本@名無史さん:2010/12/16(木) 00:24:10
戦国最強武田信玄wwww
39日本@名無史さん:2010/12/16(木) 02:48:42
坂本龍馬暗殺薩摩黒幕説
40日本@名無史さん:2010/12/16(木) 02:55:45
先の大戦で実は海軍はあんまり戦争したくなかったんだよ的な話
41日本@名無史さん:2010/12/16(木) 15:31:50
アメリカに戦争売ったのは、海軍だよな!
42日本@名無史さん:2010/12/16(木) 15:39:57
明治天皇がそれまで「朝敵」であった長州と維新後手を組み親不孝ものの天皇であったこと
43日本@名無史さん:2010/12/16(木) 16:36:24
>>42
それは史実通りでないの?
44日本@名無史さん:2010/12/16(木) 17:10:50
長篠三段射ち
45日本@名無史さん:2010/12/16(木) 19:04:34
尖閣諸島が日本領ということ
46日本@名無史さん:2010/12/16(木) 19:25:45
白虎隊はわずか数人を除いて全滅的な話
47日本@名無史さん:2010/12/16(木) 20:26:16
徳川信康潔白説
48日本@名無史さん:2010/12/16(木) 20:50:03
>>15
司馬は坂本龍馬に限らず全てだろ。
49日本@名無史さん:2010/12/16(木) 21:01:19
>>3だって司馬のせいで広まったイメージだしな
50日本@名無史さん:2010/12/17(金) 00:22:28
>>43
親不孝といえば、その前の攘夷方針撤廃(一会桑)への賛同からなので、
薩長・佐幕のどちらを支持しても、孝明天皇の方針を厳守は出来なかったものと思われます。
51日本@名無史さん:2010/12/17(金) 17:30:10
毛利元就が臨終の際に
息子達に言い聞かせた「三本の矢」は創作。
52日本@名無史さん:2010/12/17(金) 18:00:55
日本史じゃないけど三国志演義
53日本@名無史さん:2010/12/17(金) 20:29:02
竹中半兵衛は秀吉の股肱の臣
54日本@名無史さん:2010/12/17(金) 20:48:48
竹中工務店は、半ベイの流れでいいのか?
55日本@名無史さん:2010/12/17(金) 21:35:24
さあ、鳥羽伏見の戦いでボロ負けした竹中重固は竹中半兵衛の子孫だったというけど。
同じく瀧川具知は瀧川一益の子孫だった。両方とも先祖の勇名と軍略家ぶりで鼻息が荒かったが。

徳川家康は名門家系を雇用するのが大好きだった。
56日本@名無史さん:2010/12/17(金) 22:31:43
直江の「愛」はLOVEじゃない。
謙信の「毘」と同じく信仰する明王から。
57日本@名無史さん:2010/12/17(金) 22:48:53
あれは愛宕権現だと何度言えばわかるんだ
58日本@名無史さん:2010/12/17(金) 23:10:46
「義経の新戦術@壇ノ浦」ですな。

舟の漕ぎ手たちは勝敗が決した後でついでに殺されたのであり、漕ぎ手を殺したことが源氏の勝利に繋がったのではない。
59日本@名無史さん:2010/12/17(金) 23:16:03

最たるものは「騎馬民族征服説」だな
60日本@名無史さん:2010/12/18(土) 00:20:27
漫画などで乙巳の変(蘇我入鹿の暗殺)が行われたのは
宮中とする描写が多いが、実際は野外(いわゆる朝庭)。
61日本@名無史さん:2010/12/18(土) 06:05:14
>>60
漫画のことは知らないが、NHKのドラマ「大化の改新」では
ちゃんと屋外として描かれているし、教科書に載ってる『多武峰縁起絵巻』も
屋外だと分かる絵だから「史実のように語られがち」ではないと思うが。
62日本@名無史さん:2010/12/19(日) 01:01:08
弥生人は朝鮮人
63日本@名無史さん:2010/12/19(日) 01:30:26
弥生人じゃなくて天皇一味が朝鮮系

ほとんどの人は天皇より遥か昔から日本に住んでいて日本人なんだから。
64日本@名無史さん:2010/12/19(日) 04:44:15
朝鮮系という証拠は?
65日本@名無史さん:2010/12/20(月) 14:56:22
BP3000ころの朝鮮半島では、チベット・縄文類型のY-D1系と粛慎Y-C3系北ツングースの狩猟民族がうろつく程度であった。

そこに亡国の長江文明人の一派が南方の海上から渡ってきた。
長江文明人の多くは南下してきた華北夏王朝の侵略から、海路東へ陸路南へ逃れていったともいわれている。
朝鮮半島に渡ったのはそのうちの、インドネシアで一番多く見られるY-O2b*と日本で一番多く見られるY-O2b1弥生人であった。

それまでの朝鮮半島はまだ狩猟社会で、南方から黒潮で流れついた陸稲(熱帯ジャポニカ)は撒きっぱなしか自生採取の段階だった。
そこに農耕文明を伝えたのは長江文明人、殊に日本で低温耐性が付いた水稲(温帯ジャポニカ)を伝えた弥生人と言われている。

後に彼らの国は中国の最前線遼東の地より辰の方角の国として「辰国」と呼ばれるようになった。
さらに中国は、朝鮮半島及び周辺の先住民(海洋民化した長江文明人)をまとめて「倭人」と呼んだ。

Y-O3系の華北人が朝鮮北部に進入したのはそれ以降で、そこは南下してきた粛慎Y-C3系北ツングース後裔の穢(ワイ)族(エヴェンキの親戚)との激しい戦場となった。
戦乱は徐々に朝鮮南部に及ぶようになり、それ以降温厚な倭人は両者に隷属するようになったのである。

ちなみにもう一方の(戦国中国のいう)倭人・長江文明人・弥生人は平和裏に縄文人Y-D2と混血し大和民族となっていったのだった。
66日本@名無史さん:2010/12/20(月) 16:02:19
南村梅軒
67日本@名無史さん:2010/12/20(月) 19:47:03
白虎隊の悲劇
68日本@名無史さん:2010/12/20(月) 20:07:49
今更だが真田十勇士
69日本@名無史さん:2010/12/20(月) 21:07:19
春日局の駿府抜け詣り
お江が自分の乳で国松を育てた
70日本@名無史さん:2010/12/20(月) 21:44:54
人斬り以蔵
71日本@名無史さん:2010/12/21(火) 23:48:19
竜馬が行く
最近では竜馬伝
創作よりも史実の部分が多いと思っている人多数
72日本@名無史さん:2010/12/21(火) 23:58:08
慶安の御触書
73日本@名無史さん:2010/12/22(水) 02:22:58
一騎打ちガ〜
とか刀は三人ガ〜とかいう鈴木信者ってここ数年で激減したね
74日本@名無史さん:2010/12/22(水) 02:30:04
池田屋で発病して喀血
75日本@名無史さん:2010/12/22(水) 09:53:15
武蔵坊弁慶
76日本@名無史さん:2010/12/22(水) 10:20:30
弁慶は実在したけど人物像はかなり脚色されてるね。
77日本@名無史さん:2010/12/22(水) 15:08:42
桶狭間の迂回奇襲説
78日本@名無史さん:2010/12/22(水) 16:39:15
悲劇の会津(笑)
身から出たサビです
79日本@名無史さん:2010/12/22(水) 19:00:46
>>73
「武藝圖譜通志」
「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。
我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、
槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」

何良臣「陣記」
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。

「宣祖修正実録」
天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、
道険しく、泥深くして駆けること能はず。
賊(日本軍)長刀(大太刀)を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
80日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:10:56
天下御免の傾き者、前田慶次
81日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:22:29
>>60
質問あり
何で野外だとわかるの?
当日は大雨が降っていたと記録されているが・・・
82日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:24:18
公暁の隠れ銀杏
83日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:44:37
岩倉具視の考明天皇毒殺。
動機と状況的に不可能犯罪だよ。
84日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:55:29
動機もあったし状況的にも可能だったから疑われているんだよ。
岩倉の妹が天皇に薬を与えていたから。
85日本@名無史さん:2010/12/22(水) 21:27:32
それ本当ですか?
86日本@名無史さん:2010/12/22(水) 23:23:52
>>84
その動機って何だw
当時は具視の妹も寺で蟄居中だったんだが?
考明天皇の寵愛を受け具視の妹は皇女を2人も産んでるんだが
具視が天皇と姻戚関係でいられるコネを潰すメリットが無いな。
87日本@名無史さん:2010/12/23(木) 07:50:07
>>84
一会桑には動機(兵庫開港問題)と手段(御所警備の任務)があったようですが。
それに比べると、君の主張する人間は蟄居中で孝明天皇に接近できない。

もし暗殺があったとしても、犯人は松平容保あたりでしょうね。薩長系ではない。
88日本@名無史さん:2010/12/23(木) 08:05:15
>>84
ここにもトンデモ説の犠牲者がいたか
89日本@名無史さん:2010/12/23(木) 08:07:03
トンデモ説じゃないよ。
まだ暗殺説を否定できる定説はないから。
90日本@名無史さん:2010/12/23(木) 08:18:43
暗殺説そのものじゃなく岩倉の妹がかんでたって話さ
91日本@名無史さん:2010/12/23(木) 08:53:22
>>90
だから具視の妹にも無理なんだってばw
「何で」具視ルートで暗殺があったと思ってるんだ?
92日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:21:43
あれ? 俺は>>88>>90だが、
>>89の「トンデモ説じゃない暗殺説」ってのは岩倉妹のこと言ってんの?
93日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:31:03
動機
岩倉具視:▼ 彼の妹は孝明天皇の子供を生んでいる
一会桑:○ 攘夷の立場から兵庫開港へ転じる際、孝明天皇との提携が邪魔になった

手段
岩倉具視:× 妹も含め蟄居中で孝明天皇に接近できない
一会桑:◎ 天皇の身辺の警備役で食料の納入なども行っていた

死因
暗殺:▼ 天然痘の症状をはみ出すものではない
天然痘:○ 現在のところの定説


というわけで、順当なところは天然痘による自然死、
暗殺を主張する場合は第一容疑者は一会桑、その中でも松平容保が疑わしいということになる。
94日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:36:34
坂本竜馬の事跡すべて
明治維新の立役者みたいに思われがちだが
司馬の創作。
実際は、ただの使い走り。
95日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:50:43
孝明天皇毒殺説については、賛成反対いずれも可能性がある
従ってトンデモ説だと一笑に付すのもどうかと思う
遺骸を法医学的に調査するしか確認する手段はない
96日本@名無史さん:2010/12/23(木) 09:56:51
>>95
だが、それにかこつけて薩長陰謀説を言いふらす痴呆がいるのは大問題。
暗殺の場合でも第一容疑者は一会桑なのだから。
97日本@名無史さん:2010/12/23(木) 10:24:39
>>95
それでもおそらく堀河紀子は無いだろ?
98日本@名無史さん:2010/12/23(木) 10:39:19
95だが、仮に遺骸を調査できたとして、毒殺説を証明したとしても
誰が殺したかまでは、証明できんわな
あるいは、孝明天皇が自分で毒を飲んだのだ、とか・・・
そんなことを言いだす奴まで出てくるかもしれんし。
99日本@名無史さん:2010/12/23(木) 11:14:09
薩長犯人話は状況から見ると、一会桑犯人説よりはかなり可能性が低い。
一番可能性が高いのは天然痘、次いで一会桑犯人説を挙げるべきだろう。

一部の小説家が根拠もなく触れ回っている薩長説は、あれほど有害なものはない。

















100日本@名無史さん:2010/12/23(木) 11:59:28
じゃあ岩倉がひとに言えない悪事ってなんだよw
101日本@名無史さん:2010/12/23(木) 12:09:51
暗殺説・毒殺説にちょっと不利なのは、
孝明天皇が崩じた後、ほぼ半月で入棺、その半月後に葬儀、というように、
光格天皇や仁孝天皇と同じスケジュールで事が運んでるってとこかな。
102日本@名無史さん:2010/12/23(木) 13:25:41
黄表紙とかで創作された物語
真田十勇士とか石川五右衛門とか
今なら時代小説やドラマ
坂本竜馬とか宮本武蔵とか
103日本@名無史さん:2010/12/23(木) 14:56:03
>>69
そもそも、お江が家光を嫌っていたこと自体がウソ臭い
5人目にしてやっと生まれた「待望の嫡男」
可愛くないわけがなかろうに。
104日本@名無史さん:2010/12/23(木) 14:56:23
小沢一郎も
105日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:27:33
ながしのの鉄砲三段打ちは既出?
106日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:31:14
鉄砲乱射されて目の前で味方がバンバン撃ち殺されてる中で、突撃を繰り返すなんて何処の馬鹿?
107日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:33:00
とりあえずここは議論するスレじゃないんだからさ
史実かどうかでもめるのはよそうぜ
せっかくいい流れだったのに
108日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:44:07
史実かもしれんのに、史実ではないと決めつけている奴がいたら、反論は出てくる

109日本@名無史さん:2010/12/23(木) 15:52:30
>鉄砲乱射されて目の前で味方がバンバン撃ち殺されてる中で、突撃を繰り返すなんて何処の馬鹿?
203高地
これも史実かどうかわからんけどな。
110日本@名無史さん:2010/12/23(木) 16:33:09
「史実ではないのに史実のように語られがちなこと」
一番わかりやすいのは、後世のおとぎ話とか、小説、物語で広まってしまった話だな
牛若丸、ルソン助左衛門みたいな・・・
111日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:05:56
>>29
その前日が雪じゃないの?
112日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:12:10
ペリー来航の時の黒船は鉄製である。
113日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:20:10
乙巳の変
当時の人は「朝鮮人がテロを起こした。」って書き残してる。
蘇我大王家の存在も見えてきているし、宮内庁が認めれば古代史はかなり覆されそう。
114日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:34:59
史実と言うのではないが、肖像画を、本人を目の前にして書いたものと勘違いしている人が
結構たくさんいる
115日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:00:13
>>112
違うの?
116日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:13:31
>>108
松平容保が一番犯人としての状況証拠が揃っているのに、
その支持者が、あれが犯人だこいつが犯人だ、と他人を指差して罵っているのだから、
怒られて当然。

会津が好きと言っている人は、反省した方が良い。
117日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:16:51
西郷隆盛肖像(キヨソネ作)は、西郷従道と大山巌との合成と証言採取の結果
大村益次郎肖像(キヨソネ作)も証言に沿って描かれたもの。

直接見たわけではない。
118日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:26:40
まあ会津が好きと言っている人は、我田引水が多いというか
他人を貶めれば自分達が浮かばれると感じているのか

会津に不利な事実は全て隠そうとして他人を罵る
あれは汚いし、史実でないことが流布する
119日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:37:41
史実では孝謙天皇は会津贔屓の佐幕。
長州と長州贔屓の公卿を嫌っていた。

会津が孝謙天皇を暗殺する意味がわからん。
長州は御所に砲弾をぶち込んだり、孝謙天皇を拉致して京の都に火を放とうとしたけど
孝謙天皇を心底憎んでいたのは長州じゃないの?
120日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:42:57
あれ?孝謙天皇って奈良時代の女帝じゃなかったっけ?
121日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:50:24
これはひどい w
122日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:51:57
それが会津には暗殺理由がありまくり


孝明天皇が病の床につくと、
徳川慶喜はなぜか徳川家茂の後任の将軍の座を辞退するのを突然止め、征夷大将軍へ就任。

同時に孝明天皇と共に推進してきた攘夷路線を即座に放棄し、

散々孝明天皇の勅許を振りかざして家茂を苦しめた、兵庫開港へ自ら邁進。
123日本@名無史さん:2010/12/23(木) 19:58:06
京都守護職始末や会津系の小説では、兵庫開港における一会桑の心変わりについては絶対触れないよね。
孝明天皇の死が一会桑にとって都合が良かったということが判明すると、
当時孝明天皇の身辺にいた一会桑が怪しいとばれてしまう。
124日本@名無史さん:2010/12/23(木) 21:12:49
>>119
考 謙 天 皇w
恥ずかしいから知ったかぶりはやめろ
125日本@名無史さん:2010/12/23(木) 21:35:53
一番得したのは朝敵だった長州藩。
126日本@名無史さん:2010/12/23(木) 21:46:00
■■■悪の王者『創価学会』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■

@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
支那人が日本に文化を伝えたと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
127日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:00:42
会津の人も、次々にウソがばれて大変だね
128日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:07:49
山口県でしょ。統一の基盤、半島の入り口。
元総理も統一の賛同者でしょ。

会津叩きの人は統一系じゃないよね?
129日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:10:43
会津といっても会津史談会とかの真面目な研究グループもあるんだよ。
戊辰戦争研究会と悲劇ネタで売らんかなの観光史学グループがタチ悪いのであって。
一般人が史料批判の知識がないのにつけ込んで
出典の怪しい元ネタ根拠に妙な主張ばっかすんなやワレと言いたい。
130日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:38:42
出典が怪しいといえば、
明治新政府による「賊軍遺体埋葬禁止令」なんかも史実のように語られがちだな
131日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:46:49
あれもね、

新政府は埋葬を認めなかった!
→埋葬記録が出てきました
→新政府は終戦から半年も埋葬を認めなかった!しかも官軍と我々を差別した!
→差別した記録は出てきませんし、農民が死体から金品を略奪するのを禁じた命令なら出てきました
→でも半年も埋葬させなかった!
→両軍の生死身元確認をやったんですよ
→知るか!

という経過を辿り、現在では果てしなく会津側の言いがかりとして扱われています。
132日本@名無史さん:2010/12/23(木) 23:30:36
慰霊碑だかに遺体確認作業中のため「彼我の埋葬を禁じた」とか書いてあるのを
根拠にファビョってたんだっけ?
133日本@名無史さん:2010/12/23(木) 23:55:17
>>115
船体は木製
黒いのは防水のためにピッチというものを塗ってるからなんだって

ピッチじゃなくてタールだと思ってた
134日本@名無史さん:2010/12/24(金) 00:41:34
猿から進化したのが人間
135日本@名無史さん:2010/12/24(金) 01:27:04
人間から退化したのが猿
136日本@名無史さん:2010/12/24(金) 04:28:39
そーかの流す支那人が祖先云々ってのの内容は知らんが
弥生人や稲作の経路が長江流域から直接北九州へっていうのが気に入らない朝鮮人がいるのか?

もしその話のことなら
支那人っていっても現在中共の中核にいる連中は黄河文明圏の連中だろ
長江文明圏の人間が大陸から流れてきましたっていってもちっとも中共に利のある話じゃないと思うが


137日本@名無史さん:2010/12/24(金) 09:15:34
今日はクリスマスイブだね
みんな、楽しい予定は入っているのかな?
ところで、日本史ではないが、世界中の人々が思い違いをしている史実をひとつ

「キリストの誕生日は12月25日」
そんなこと、聖書のどこにも書いてないし、誕生日はわかっていませんから
138日本@名無史さん:2010/12/24(金) 10:49:32
キリストって救世主という意味で、イエス=ジーザスというのが
固有名詞なんだよね。勘違いしている人が多いけど。
139日本@名無史さん:2010/12/24(金) 17:23:26
>>138
ジーザスはイエスの英語読みではないか?
140日本@名無史さん:2010/12/24(金) 17:55:23
>>73
侍の日本刀 対 騎士の幅広剣 Samurai sword VS Knight Broadsword
■氷のブロック斬り比較
日本刀…成功
西洋剣…失敗

■革張り胴人形斬り対決
日本刀…革を斬り裂き内部も破壊
西洋剣…革に相当めり込むが切り裂けず

■板金鎧斬り対決
日本刀…胴鎧にめり込む
西洋剣…無傷で弾き返される

■板金鎧貫通対決
日本刀…易々と貫通する
西洋剣…たわんで貫通できず

西洋剣の唯一の優位性だった鎧の上からなら日本刀に勝てるという話が疑わしくなってまいりました
http://gazo2.fbbs.jp/s7_upload_files/71825.jpg
http://gazo2.fbbs.jp/s7_upload_files/71826.jpg
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141日本@名無史さん:2010/12/24(金) 18:57:58
ロングソードがぺらぺらすぎじゃね?
142日本@名無史さん:2010/12/24(金) 19:10:14
>>139
そうだよ。
それが何か?
143日本@名無史さん:2010/12/25(土) 02:44:45
>>141
同程度の重ねしかないペラペラの日本刀に負けてるんじゃ言い訳として弱いな
144日本@名無史さん:2010/12/25(土) 03:55:39
薩長同盟が坂本龍馬の仲介によってなされたとする珍説。

薩長同盟の際に、ただ横に座っていただけちゃうんか、と。
薩摩の使いっ走りとして使われてただけちゃうんか、と。

坂本龍馬のあらゆることが過大評価されているのは、
日本史を愚弄するものだと思う。
145日本@名無史さん:2010/12/25(土) 09:14:24
仲介者なんて見方によってはみんな使いっぱだろう
ある意味長州は狂信者集団だからな
そこで使いっぱをやり遂げたのなら立派な功績
薩長同盟は必然みたいに言う人がいるけど
同盟締結の成否って結構微妙なとこで決まると思うがなぁ
146日本@名無史さん:2010/12/25(土) 09:39:15
龍馬に限らず、後世の小説、テレビドラマなどで、過大評価、歪曲されることは
どの人物にも有り得る
その点は注意すべきことだろうな
147日本@名無史さん:2010/12/25(土) 09:46:14
当時すでに薩長が同盟を結ぶ機運はあって、関与した者も大勢いたし
もちろん西郷・桂らの意思決定抜きに同盟は成立し得ないが
あの時点で成立したのは龍馬の周旋による所が大きい。

この薩長同盟が本格的な幕府のケチのつき始め。
148日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:09:09
小野妹子は国書を紛失した
→本当は国書には日本の悪口が書いてあったから捨てた
149日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:12:25
山上憶良は農民の悲惨な生活を「貧窮問答歌」に詠んだ
→元ネタ「王梵志詩集」の漢詩を手本にして書いた
150日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:16:21
小野小町は美人だった
→紀貫之が小野小町の歌を「衣通姫」と称したために流布した俗説
151日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:19:38
清少納言と紫式部は仲が悪かった
→キャラが対照的だった為に流布した俗説で二人の活動時期が異なっており
 顔を合わせた可能性は限りなく低い
152日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:20:32
それは、美人ではなかったとする根拠もないからなあ。
153日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:21:11
王梵志って、8世紀後半の人物だろ
何で、その人物の詩集を山上憶良が見れるんだよ?
154日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:24:56
源頼朝は落馬が原因で死んだ
→落馬の事実が「吾妻鏡」にあるだけで病没の可能性が高い
 有力な説は糖尿病(近衛家実)
155日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:29:29
弁慶の話も
弁慶の名前以外はみな創作
156日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:34:17
処女千人斬の話は嘘なのか?
157日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:43:32
小野妹子の国書紛失について

書紀には、紛失し、それは百済人に奪われたと釈明したことが載っている
小野妹子が内容を読み勝手に処分したと言うのは、ただの憶測にすぎない
158日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:44:21
>>153
山上憶良は遣唐使として唐に渡って「遊仙窟」を読み、
そこに出ていた「王梵志詩集」の漢詩をヒントに「貧窮問答歌」を詠んだ。
(吉田孝『飛鳥・奈良時代』参照のこと)
159日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:44:48
美人かどうかは主観の問題である
160日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:46:10
>>157
それは日本書紀の解釈であって史実であるという決め手にはならない。
161日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:47:55
>>152
紀貫之の評価以前には小野小町を美人だったという評価は無かった。
162日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:52:37
源頼朝の死因は諸説あることは確か
しかし、だからと言って、落馬説を全面否定するものではない
163日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:54:29
>>155
「吾妻鏡」などによれば義経の護衛を務めたことまでは事実で、
「勧進帳」などに見られる活躍は「義経記」の創作であったらしい。
164日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:54:47
>>160
だから、俺が言いたいことは
「小野野妹子が内容を読み勝手に処分したと言うのは、ただの憶測にすぎない」ということ
これを史実だとする根拠がどこにある??
165日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:57:08
>>162
落馬説は「吾妻鏡」を大幅に解釈した俗説。
166日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:59:53
>>165
そんなこと言うのなら、他の死因説もみな、俗説や伝聞みたいなものばかりだろ
167日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:01:40
何かネタ本から拾ってるんだろ。わからないことはわからないとするのが正しい態度。
小野妹子国書紛失の真相も、頼朝の死因も資料不足のため未確定。
小野小町にいたっては実在の確証もないだろ。
168日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:04:51
>>164
憶測ではなく学者による類推解釈。
日本書紀と隋書の違いを比較して調べて、また、妹子に対する
処置(推古天皇は紛失を不問としている)などを勘案して導き出された。
169日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:06:49
>>166
死因説が俗説として流布しているケースでは
田沼意次による家治・家基暗殺説がある。
170日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:08:23
>>168
学者による類推解釈などは、史実の根拠にならないだろ
反論だって、当然あるんだからな
171日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:12:08
>>167
>小野小町にいたっては実在の確証もないだろ。
それ言い出したら、聖徳太子虚構説や喜多川歌麿不在説など、
業績と実在を疑われる人物が日本史では少なからず存在する。
172日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:13:03
>>170
どっちが有力な学説かという話だよ。
173日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:14:58
>>172
だから、そんな話なら、書紀の記載通り、実際に紛失していたということも有り得るだろ
174日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:19:39
>>171
だから、わからないものはわからないんだよ。
あと、喜多川歌麿と小野小町は実在の信憑性のレベルが違うぞ。

ま、山上億良の話は可能性がかなり高い。小野妹子の隋の国書もおそらく
日本を指導するような内容になっていただろうことは推測でき、有力説。
頼朝の死因は、糖尿病説は根拠が弱いと感じる。
小野小町は、古今集の歌の数々の実作者である確証はない。
175日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:33:55
大岡越前の名奉行裁き
→有名な「大岡政談」は「包公案」などの中国の書物をもとにした創作
176日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:36:35
水戸光圀は天下の副将軍
→俗称に過ぎず、江戸幕府に副将軍職はなかった
177日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:40:13
千姫は男好き
→千姫に振られた坂崎出羽守直盛が腹いせに暴れてお家取りつぶしになり
 俗説として流布した
178日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:49:19
水戸光圀若い頃に辻斬りよる殺人を犯してるな。
179日本@名無史さん:2010/12/25(土) 12:42:52
今川義元は上洛しようとして桶狭間で織田軍に負けた
→上洛しようとした事実はどこにもなく西尾張奪取説が有力
180日本@名無史さん:2010/12/25(土) 12:44:59
上杉謙信は武田信玄に塩を送った
→義塩を送った事実はない
181日本@名無史さん:2010/12/25(土) 12:47:47
川中島の戦いで信玄と謙信が直接戦った
→謙信が直接太刀を持って戦ったのは事実だが信玄と直接戦った記録はない
182日本@名無史さん:2010/12/25(土) 14:41:09
説明バカが出てきて糞スレ化
183日本@名無史さん:2010/12/25(土) 14:41:24
四大公害病の発端は高度経済成長期ではなく戦前。
184日本@名無史さん:2010/12/25(土) 14:52:36
水俣は戦前は日本窒素の忘れられた故地でしたが?
あの会社は戦前は北朝鮮の興南化学コンビナートを中心に、半島・満州へ拠点を広げていました。

日本の拠点に手を加えるのは、戦後の大陸資産没収と財閥解体からでした。
185日本@名無史さん:2010/12/25(土) 15:40:24
間違いはちゃんと正してやる必要がある
186日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:05:40
平等院鳳凰堂は鳳凰が羽を広げた姿に似ていることからその名が付けられた
→左右に広がる翼楼は後から付け加えられたもの
187日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:08:27
教科書にもよく載っている「伝足利尊氏像」
→実は足利尊氏を描いたものではない
188日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:11:42
原稿を描いた絵巻物として有名な「蒙古襲来絵詞」
→江戸時代に蒙古兵が書き加えられるなど後世の加筆がある
189日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:21:03
訂正

元寇を描いた絵巻物として有名な「蒙古襲来絵詞」
→江戸時代に蒙古兵が書き加えられるなど後世の加筆がある
190日本@名無史さん:2010/12/25(土) 19:07:29
>>186
翼楼はいつ付け加えられたの?
そして、その出典は?
191日本@名無史さん:2010/12/26(日) 11:46:19
>>78
そもそも悲劇の○○って詳しく調べると大体ただの自業自得だよな。
192日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:17:18
吉良上野介義央は浅野内匠頭長矩をイジメていた。

はぁ?証拠は?って感じw
193日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:26:10
歌舞伎や浄瑠璃、講談になってるものはほとんど誤解されてる。
194日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:29:56
>>192
アフォなの?
事実なんてどうでもよくて、虐めが無かったら討ち入りはただのテロになっちゃうだろ
それじゃ話として面白くないんだが
195日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:36:25
史料を追う限り、勅使接待のために吉良は各地を飛び回り、江戸城に着任するのは事件直前のこととなる。
虐める時間がない。

当時の証言では、浅野の神経症に基づく錯乱として認識されており、精神異常を本人が認めていれば
藩への処分も考慮された可能性がある。

しかし浅野本人の証言は一貫して私は正常というものだった。このため厳罰が下った。
196日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:37:12
>>193
義経がその最たるもんだな。
尽くしたのに利用されて裏切られた〜
ってのは日本人の涙腺直撃パターンだがそんな単純な話じゃないよと。
197日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:42:33
>>194
忠臣蔵ヲタは時代劇板へカエレ!
198日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:42:42
浅野は背後、正面と2度のチャンスがありながら、斬りつけるだけで
刺すことをしなかった。特に固い額を斬りつけるなど、脇差の使い方
も知らないバカ殿。
199日本@名無史さん:2010/12/26(日) 13:48:27
要するに浅野はキ○ガイだった。
200日本@名無史さん:2010/12/26(日) 14:17:42
秀吉以外の戦国武将は皆ホモだった。
201日本@名無史さん:2010/12/26(日) 14:29:32
ペリーは太平洋を横断して日本にやってきた
史実のように〜というか、勘違いしてる人が多いだけだけど
202日本@名無史さん:2010/12/26(日) 17:55:20
>>196
岡田以蔵が正にそのパターンで腐女子に美化されてるな。
「武市は以蔵を利用して捨てたんですか!?愛していなかったんですか!?」とかきめえええ
ドラマや司馬の小説みたいな気色悪い師弟関係が実在するかよ。
実際の以蔵なんてただのDQNじゃねーか。
203日本@名無史さん:2010/12/26(日) 18:23:46
まあわかりやすい上にドラマチックではあるけど
美化しすぎて自業自得な面があったことをまるで認めないのはなんだかな
204日本@名無史さん:2010/12/26(日) 19:53:37
キチガイは、自分のことをキチガイとは思っていないだろ
自分のことをキチガイとわかっていたら、それもある意味、大変怖い・・・
205日本@名無史さん:2010/12/26(日) 19:56:32
「吉良上野介は浅野内匠頭をイジメていた」
これの真偽はわからない。
ただし、仮名手本忠臣蔵以来、
「吉良上野介は浅野内匠頭をイジメていた、とみんなが信じるようになった」のは史実である
206日本@名無史さん:2010/12/26(日) 20:14:38
>>201
よくわからない。世間じゃ別のルートだと思われているってこと?
207日本@名無史さん:2010/12/26(日) 20:20:13
ペリー一回目は東南アジア経由で来ただろ
208日本@名無史さん:2010/12/26(日) 20:22:23
つうか一回目は大西洋回ってきたから太平洋渡ってきたわけではないんだが
209日本@名無史さん:2010/12/26(日) 20:27:53
2回目もそうじやないの?
210日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:03:45
二回目は香港から来た
211日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:05:00
学研あたりが出してるまんが日本史なんかはかなり俗説を流布させるのに貢献してるな
212日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:09:26
学研は理系の方もトンデモを延々垂れ流し続けている出版社だから、仕方ない。
213日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:13:37
ま、「ムー」出してるとこだから。
214日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:18:25
>>202
いわゆる悲劇的なイメージを持ってたけど
大河ドラマで気になって調べてみたら色々とアレな人だったよ>以蔵
所謂「毒殺を恨んで自白」の部分は創作で拷問でアッサリ吐いてたし…
耐えるどころか泣き喚いて仲間に呆れられてるし…
215日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:21:12
志士とかじゃなく、ただの殺人狂だよ。
216日本@名無史さん:2010/12/26(日) 22:18:13
幕末4大人斬りっていうけど
河上彦斎とかもアレるろうに剣心のモデルで格好いいイメージあるけど
本当は全然格好よくないからね。
勝海舟の師匠を勘違いで殺しちゃっただけだからね。
217日本@名無史さん:2010/12/27(月) 00:32:10
新撰組と人斬り○○が好きです!
とかいうマンガ脳の輩は自分の好きな人物の逸話ばかり知りたがり
その他の関係者や時代背景には無関心だから困る。
218日本@名無史さん:2010/12/27(月) 00:40:12
新撰組はともかく、人斬り=果し合い的なイメージを持ってはダメだと思う。
あれはテロルだから、どんな方法でも最終的に目的を達成すればよい。
219日本@名無史さん:2010/12/27(月) 01:27:32
剣豪スレとかで幕末のテロリストどもがでてくると笑える
220日本@名無史さん:2010/12/27(月) 11:22:33
秀頼の実父は大野治長
221日本@名無史さん:2010/12/27(月) 11:39:53
新撰組全般
面白そうな話はだいたい創作
222日本@名無史さん:2010/12/27(月) 11:48:36
沖田総司がイケメンというのも。
223日本@名無史さん:2010/12/27(月) 12:46:27
信長の鉄甲船
224日本@名無史さん:2010/12/27(月) 13:36:02
家康と最初の正室(築山殿)は仲が悪かった

実際はどうか知らん



 
225日本@名無史さん:2010/12/27(月) 15:20:45
漢字の伝来は、応神天皇時代、王仁より、論語十巻・千字文一巻の献上とされている
が、実際はもっと早く日本に伝わっていた
226日本@名無史さん:2010/12/27(月) 15:30:17
南北朝の合一は1392年だが、そのときの約束は結果的に反故にされた
227日本@名無史さん:2010/12/27(月) 15:32:48
もはや一般の人はどっちにしても知らない細部に問題は移ってきてるようだな。www
228日本@名無史さん:2010/12/27(月) 15:46:17
うーん、それなら・・・
現存法隆寺は聖徳太子の建立ではない
229日本@名無史さん:2010/12/27(月) 16:10:45
そもそも聖徳太子自体はかなりの創作が入り込んだ人物。
230日本@名無史さん:2010/12/27(月) 16:13:29
福沢諭吉しか使ったことない奴には聖徳太子のありがたみはわかるまい
231日本@名無史さん:2010/12/27(月) 16:15:39
今や1万円と言えば諭吉だもんなw
昔は聖徳太子だったけど。
232日本@名無史さん:2010/12/27(月) 16:21:34
最初の肖像入り紙幣が、確か神功皇后だったか・・。
233日本@名無しさん:2010/12/27(月) 17:04:10
>>225
そこは「仏教公伝」と似たようなもんだ。
234日本@名無史さん:2010/12/27(月) 17:30:41
>>229
創作が入り込んでるのと聖徳太子はいなかったは全然違うと思うんだがな
235日本@名無史さん:2010/12/27(月) 17:36:03
南北朝合一の際、南朝・後亀山天皇から北朝・後小松天皇へ
三種の神器が直接引き渡されたように語られることがあるが、
実際の2人は一度も対面すらしたことがない。
236日本@名無史さん:2010/12/27(月) 17:41:39
聖徳太子虚構説をとる人でも厩戸皇子の実在は認めているからねえ。
「いなかった」というのは仏教守護者としてのスーパーマン的な「聖徳太子」
が虚像である、という意味で、難しい立場の中で生きた厩戸の存在はもちろん
消すことはできないだろうね。
237日本@名無史さん:2010/12/27(月) 17:51:45
聖徳太子はいなかったなんて言葉だけ独り歩きしちゃうと完全に架空の人物ととる人がいそうだからこういう言い回しはやめてほしい
238日本@名無史さん:2010/12/27(月) 18:43:17
だから今の教科書では聖徳太子ではなく厩戸皇子と書いてるんでしょう。
239日本@名無史さん:2010/12/27(月) 19:17:24
厩戸王だよ
240日本@名無史さん:2010/12/27(月) 19:43:14
キリスト再来と言われたらしい!
241日本@名無史さん:2010/12/27(月) 19:46:47
俺そんなこと言ってないよ
242日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:07:30
まったく、バカバカしい
聖徳太子は厩戸皇子の諡号で、実在の人物に決まっている
もちろん、書紀等に記載されている事績がすべて太子のものという意味ではないぞ

創作説なんてものは、自分の本を売りたいがための売名行為に過ぎない
変わった説を取り上げて、注目を浴びたかっただけなのだろう
243日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:11:28
北条早雲は、自分では北条早雲とは名乗っていない
244日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:12:32
鼠小僧次郎吉はいわゆる義賊ではない
実在だが、貧乏人にお金を配ったりしていない
245日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:14:19
>>240
梅原説ね。
隠された十字架は結構面白かった。
景教が中国まで渡ってる事実があったから
トンデモでは片付けられないんだよな。
246日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:20:12
1543年に鉄砲が伝来したというが、日明貿易の交易品として実際はもっと早くから伝わっていた
247日本@名無史さん:2010/12/27(月) 20:55:17
三千世界の烏を殺しの作者が高杉
248日本@名無史さん:2010/12/27(月) 21:05:31
「ペリーは、蒸気船4隻からなる艦隊を率いて浦賀に来航した」
(実際は蒸気船2隻、帆船2隻)

まあ「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」の狂歌のせいで、誤解されるのも仕方ない
249日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:00:03
外国船は頻繁に来てたからね
250日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:11:54
天皇家は日本人
251日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:14:06
アフォか
純然たる日本人っていったい誰なのよ?
252日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:42:17
江戸時代の武士は、町民とか斬り放題だった
253日本@名無史さん:2010/12/28(火) 10:16:22
豊臣秀吉の幼名とされる日吉丸は、絵本太閤記の作り話である
254日本@名無史さん:2010/12/28(火) 12:59:17
一休さんのとんち話
255日本@名無史さん:2010/12/28(火) 13:08:53
一休さんはエロ坊主だった
256日本@名無史さん:2010/12/28(火) 14:44:29
雪舟が自分の涙で鼠も絵を描いたとか言うのもどうなの実際
257日本@名無史さん:2010/12/28(火) 19:28:36
その話は江戸時代になってから出てきたらしい
作り話でしょ
258日本@名無史さん:2010/12/29(水) 00:27:15
過小評価:
生類憐みの令は
隆光が綱吉と桂昌院をたぶらかしたせい。




当時はまだ奈良の長谷寺にいて
まったく面識がない綱吉と桂昌院をたぶらかしてしまうなんて
どんだけ超能力者扱いなんだよ、隆光。
259日本@名無史さん:2010/12/29(水) 09:27:50
隆光は1686年、すでに綱吉の命により将軍家の祈祷寺である筑波山知足院の住職となっている
生類憐みの令は1687年に最初の御触れが出た

隆光が生類憐みの令にどれだけ関与していたのかはともかく、
その時点で面識が無かったと考えるのは無理だろう
260日本@名無史さん:2010/12/29(水) 18:17:37
江戸時代に日本は鎖国した
261日本@名無史さん:2010/12/29(水) 20:33:42
薩長同盟も大政奉還も新政府の構想も明治維新の殆どは坂本竜馬一人がやったこと
262日本@名無史さん:2010/12/29(水) 20:37:40
戦国時代には全国の全ての大名が天下目指してたみたいに言われるけどそんなことないよな
263日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:04:45
>>262
そもそもそんなふうに言われてないだろ
264日本@名無史さん:2010/12/30(木) 09:11:04
>>255
それは史実
265日本@名無史さん:2010/12/30(木) 09:38:07
>>262
それ、興味あるな。オレの知る限り、戦国武将の大半は自分の領地を
守るのに必死で、天下を目指す有力大名なんて一握りだったという認識なんだ。
学校の日本史でも「全国の全ての大名が天下目指してた」という内容を
教わった記憶もないし、大体が天下人を目指す大名は上洛しようとしていた。
上洛するには幾つかの危険が伴うから、兵力や資源がないと出来ない。
だから、当然それだけパワーがあった大名は限られてくる。

で、「全国の全ての大名が天下目指してた」というのは誰が語ってんの?
266日本@名無史さん:2010/12/30(木) 09:40:01
俺の先祖
267日本@名無史さん:2010/12/30(木) 14:08:26
言葉がたらんかったな、すまんすまん
要するに「戦国時代は力があれば誰でも上を目指せるロマン溢れる時代」
と漫画や小説などで言われることがあるが実際どうなのと
268日本@名無史さん:2010/12/30(木) 22:55:23
>>154
糖尿病の患者って免疫力や治癒力が極端に落ちてるから、落馬の傷を拗らせて死んだのでは。
269日本@名無史さん:2010/12/31(金) 02:44:19
>>183-184
その前は鹿児島の会社で水俣に工場があったんだろ。
270日本@名無史さん:2010/12/31(金) 16:21:20
そこまで遡れば、日本の公害は全て横須賀造船所が発端と言っても良いことになる
271日本@名無史さん:2010/12/31(金) 19:12:50
日本人が韓国文化に憧れ熱中してること
272日本@名無史さん:2010/12/31(金) 21:48:40
チッソの話してるんでしょ?大陸での特需見込んで進出するまでは水俣に工場あったんでしょ
273日本@名無史さん:2011/01/01(土) 01:12:15
喜多方と会津若松の有機水銀中毒問題か。
274日本@名無史さん:2011/01/01(土) 10:32:35
新春にふさわしいのを一つ
お正月と言えば、かるたで楽しんでいる人も多いことでしょう
そして、かるたと言えば百人一首ですね

さて、その百人一首ですが、現在伝わっている百首は、
定家が撰したものと同一ではなく、順徳後鳥羽院の歌などが、
あとで入れ替えられたというのが有力な見解です
275日本@名無史さん:2011/01/02(日) 01:02:47
石上神宮七支刀表面の銘文は、泰「和」四年(369年)ではなく、やはり
泰「始」四年(468年)ではないでしょうか?
276日本@名無史さん:2011/01/05(水) 07:58:27
歴史小説や歴史ドラマは史実じゃないのに史実と思われやすい。
277日本@名無史さん:2011/01/05(水) 15:42:32
特に、涙を流してこれこそ真実と告げられると、小説家あたりはころりと騙されるし読者は更に酷いことになる。
会津は土地を奪われたのです、と力説されて魚沼に赴くと、
そこでの農民の話では、奪っていったのは会津ということだし、史料でもそうなっている。

会津の涙は汚い。
278日本@名無史さん:2011/01/05(水) 19:59:32
「江戸時代の庶民には名字が無かった」というのは誤りである
279日本@名無史さん:2011/01/05(水) 20:17:39
では、ここで最大級(?)のネタをひとつ、

太平洋戦争で、京都や奈良は空襲されていないなどと、まったく史実に反していることを
いまだに信じている日本人が多数いることである
京都や奈良は現実に空襲に遭っている

これは、いわゆるウォーナー伝説(詳しくは検索して調べてほしい)というでっち上げのせいである。
もし、まだこのことを君が知らなかったのなら、
何かの機会に、是非知人や友人に話してくれたまえ!!
ウォーナー伝説を信じているなど、日本人としてお人好しにもほどがある
バカバカしい話なのである・・・
280日本@名無史さん:2011/01/05(水) 20:58:19
菊水作戦の時の戦艦大和には片道分の燃料しか積んでなかった。
281網野善彦:2011/01/05(水) 21:37:09
日本は島国。
282日本@名無史さん:2011/01/06(木) 00:47:39
江戸時代には庶民に名字はなかったが戦後左翼の学者が名字はあったとでっち上げた。
柳田国男が明治時代に名字のない庶民が妙な名字を付けた事例を書き残している。
283日本@名無史さん:2011/01/06(木) 07:46:05
>>282
その左翼の学者とは誰のこと?
284日本@名無史さん:2011/01/06(木) 08:52:15
名字については、wikipediaを参照のこと、
どちらの言うことが正しいかを各自判断してほしい
285日本@名無史さん:2011/01/06(木) 09:36:35
>>284
いや、ちゃんとここで書いてよ。
286日本@名無史さん:2011/01/06(木) 09:49:02
>>285
お前なぁ、自分の頭を使って考える癖付けろよ!!
287日本@名無史さん:2011/01/06(木) 10:09:06
大阪城って、夏の陣で焼失した後、徳川氏が再建したことはあまり知られていないようだ
今の天守閣は、徳川氏が築いた天守閣(それも雷で間もなく焼失した)の土台の上に、昭和初期に
建造されたものである
秀吉当時の建造物は、石垣(それも地下深く)が残っている程度である


288日本@名無史さん:2011/01/06(木) 10:23:08
>>286
ちゃんと書けないと言うことは、君が言っている「左翼の学者」という存在が
実は存在してないと理解するけどいいね?
289日本@名無史さん:2011/01/06(木) 16:17:05
>>288
おれは282じゃないし、そんなものには興味ないよ
290日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:08:57
>>287
で、大阪空襲では無傷?
291日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:14:43
戦後の食糧不足

…都市だけの話な
292日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:20:47
>>289
答えられない、興味がない
というならレスするなよw
293日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:56:13
>>288
洞富雄だよ。南京大虐殺20万人以上を主張した学者。
こいつと島崎藤村や柳田國男とどっちを信じる?

島崎藤村
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/4709_14364.html
二七 お百姓(ひやくしやう)の苗字(めうじ)

父(とう)さんの田舍(ゐなか)の方(はう)には働(はたら)くことの好(す)きなお百姓(ひやくしやう)が
住(す)んで居(ゐ)ます。今(いま)でこそあの人達(ひとたち)に苗字(めうじ)の無(な)い人(ひと)はあ
りませんが、昔(むかし)は庄吉(しやうきち)とか、春吉(はるきち)とかの名前(なまへ)ばかりで、苗字
(めうじ)の無(な)い人達(ひとたち)が澤山(たくさん)あつたさうです。明治(めいぢ)のはじめを御
維新(ごゐつしん)の時(とき)と言(い)ひまして、あの御維新(ごゐつしん)の時(とき)から、どんなお
百姓(ひやくしやう)でも立派(りつぱ)な苗字(めうじ)をつけることに成(な)つたさうです。

山下惣一
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/sato/0705/sa_705_070531.htm
名字を巡るミステリー
明治維新のとき「名字」を持った家は全体の6%(家族の法と歴史・井戸田博史著、世界思
想社)。明治新政府は主に徴兵と徴税の必要から1870年(同3年)「平民苗字(みょうじ)
許容令」を出すが、庶民は「八つぁん」「熊さん」で十分なわけで名字を名乗らないため75年
(同8年)「平民苗字必称令」と改めて強制する。全国てんやわんやの騒ぎとなり、この騒動の
中の面白い事例として役場の職員が一村ことごとく名字を魚の名にした話は「柳田国男全集
20(ちくま文庫)」に入っている。
294日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:57:59
>>292
ふざけるな、お前が勝手に誤解して、別人にレスしたんだろが。
295日本@名無史さん:2011/01/06(木) 20:01:04
>>290
天守閣は何とか無事だったが、他の建造物は被害を受けてるよ


296日本@名無史さん:2011/01/06(木) 20:02:51
江戸時代の農民は名字を使っていなかった
http://mimizun.com/log/2ch/history/1224597444/
297日本@名無史さん:2011/01/06(木) 20:13:38
要するに、農民の一部は名字を持っていたが、公に使わなかった
そして、大半の農民は名字を持ってすらいなかった・・・
あるいは祖先が持っていたとしても、語り継がれることなく忘れてしまっていた
こういうことだろう


298日本@名無史さん:2011/01/06(木) 20:20:57
洞か、
そいつの言ったことは、まさに名字そのものだなwww
299日本@名無史さん:2011/01/06(木) 20:47:02
なんか豊臣期の石垣調査するとかいう話でてたからそのあたりの認知度あがりそう
300日本@名無史さん:2011/01/06(木) 21:21:40
いっそのこと森之宮公園に名前変えちゃえよ
301網野善彦:2011/01/06(木) 21:46:48
>>296
日本の庶民はすべて農民。
302日本@名無史さん:2011/01/06(木) 21:49:55
>>297
ウチは東北北部だが、ウチの近くの大抵の農民には名字があったようだ。

なにせ、戦争で負けて寒冷地に逃げて来た人が大半だからね。
俺の名字も、戦国時代に負けてこの地に来たあの人とやはり関係があるのかと勘ぐってしまう。
303日本@名無史さん:2011/01/06(木) 22:05:19
>>293
洞富雄だけ?
洞富雄ってそんなに影響力あったっけ?
それ以前に洞富雄って左翼か?

304日本@名無史さん:2011/01/06(木) 22:25:23
朝鮮戦争は韓国の攻撃から始まったと主張していたらしい。60歳で教授になってるのな。
305日本@名無史さん:2011/01/06(木) 22:29:14
>>304
それと江戸期の名字とどう関係あるんだ?
306日本@名無史さん:2011/01/06(木) 23:31:26
>>106

そりゃガダルカナルの一木少将に失礼だぞ。
307日本@名無史さん:2011/01/06(木) 23:58:52
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku355.html
朝鮮戦争の時に金日成は南から先に攻めてきたので反撃した(南先攻論)をいい、それに同調
して(乗せられて)洞富雄氏は南先攻論の旗振り役となり、一部マスコミはそれを書き立てました。
それで長い間、一般では南先攻論が幅を効かせていました。
さて不思議なことにその南先攻論のウソが決定的になったころから、洞氏はこんどは南京大虐殺
20万〜30万の旗振り役となりました。
著書
『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社、1986年)
『日中戦争 南京大残虐事件資料集』第1巻・第2巻(青木書店、1985年)
『南京事件を考える』(藤原彰・本多勝一と共同編集、大月書店、1987年)
308日本@名無史さん:2011/01/07(金) 00:12:54
大阪第八連隊は弱かった!
309日本@名無史さん:2011/01/07(金) 02:32:12
八連隊は一応記録じゃ負け無しみたいだな
310日本@名無史さん:2011/01/07(金) 06:35:19
そら一桁台の連隊が弱いわけ無いさー。
ただ、やばくなると適当に撤退するから突っ込むしか知らない連隊と違って「負けない」って説もある。

どっちかというと気の毒なのは語呂合わせだけで付き合わされてる九連隊。
311日本@名無史さん:2011/01/07(金) 08:00:11
南京大虐殺20万人以上というのでデマでも何でもないでしょう。
312日本@名無史さん:2011/01/07(金) 09:14:55
南京大虐殺のことについて
不明なら不明と言えばいいんだよ
それが正しい主張というものだ

ろくすっぽわかりもしない癖に、さもわかったような顔をして
デタラメな数字を憶測で物を言う
学者にあるまじき態度だな

もし、30万20万だと主張するのなら、どうやってそんな多数の死体の数を
いちいち数えることが出来たのか、根拠を説明するべきだろう
313日本@名無史さん:2011/01/07(金) 10:41:56
>>312
>デタラメな数字を憶測で物を言う
デタラメではないだろう。
集計の範囲の違いによって20万から数万までの違いがあるだけ。
314日本@名無史さん:2011/01/07(金) 13:13:01
だから、どうやって数えたんだ?
数万も差があるようなら、そんなものはデタラメと言うべきである
315日本@名無史さん:2011/01/07(金) 13:35:30
江戸城天守閣は1657年焼失し、その後は再建されていない
従って、忠臣蔵や暴れん坊将軍など、それ以降の時代を設定とする時代劇で
天守閣が映っていても(姫路城のケースが多い)、それはドラマ上の演出である
316日本@名無史さん:2011/01/07(金) 13:42:59
>>293
島崎藤村の小説自体が史実の根拠にはならない
そのことは、このスレの基本である

このスレにも書かれているとおり、小説やドラマ、芝居が、
本当は史実でないにもかかわらず、史実として誤解されてしまうのである
317日本@名無史さん:2011/01/07(金) 17:49:42
庶民も苗字を持っていた

・講の名簿に苗字を発見

豊臣秀吉の刀狩り以来、兵農分離が進む。中世の終わりとともに農民・町人は苗字を名乗ることはなくなった。
敗戦後潜居した人は意図的に苗字を隠したこともあろう。さらに封建体制が確立するに従って庶民の苗字は許されなくなる。
徳川11代将軍家斉(いえなり)のとき享和元年(1801)7月、百姓町人が苗字帯刀することを御触書で禁止した。ただし、

(1)郷士など由緒ある家柄 (2)役職(町年寄・庄屋・名主・用達商人) (3)学問・道徳・治政の功労者

は特例として苗字帯刀を許された。
苗字は階級のシンボルになったが、果たして庶民は苗字を持たなかったのだろうか。
最近、県史や市町村史の編纂事業が盛んだが、その過程でさまざまな古文書が解読されている。
また歴史学者や姓氏・郷土史研究家からも庶民の苗字発見の事例が報告されており史料も多くなった。
これによれば神社寺院の寄付関係の記録、講の名簿、寺子屋などの門人帳、庚申塔や石碑などの金石文(きんせきぶん)に
一般庶民の苗字が見出される。封建体制のゆるんだ幕末になると下級農民にまで及んでいるようだ。

河内国錦部(にしきべ)郡上田村の元禄2年10月の講中名前控には田中・畠中・小西・北野・木綿屋・立花屋など25人の苗字と
名前が記されている。同地区の小字(こあざ)および屋号によっているのが特徴。とにかく普段は使用しないが神事などの際に
苗字を私称していたケースがある。天領や諸藩によって地域差はあるが帰農組には隠し伝えた苗字があろうし、村落内での通称もあるのだから、
庶民も苗字がなかったわけでない。ただ全国的に見た場合、一部の本百姓に限られた地域もあり、地域格差も見られるようである。

中央区郷土史同好会 講演会 第82回

日 時   平成15年1月18日(土) 午後6時30分〜8時
場 所   中央区立女性センター 「ブーケ21」 3階
テーマ   「名字(苗字)と家系 〜我が家の先祖の調べ方〜」
講 師    武田 光弘 先生(姓氏研究家)

http://homepage2.nifty.com/makibuchi-2/kyodoshi/82kai.html
318日本@名無史さん:2011/01/07(金) 18:02:23
明治維新の後「廃仏毀釈」運動が行われて寺が破壊されてしまってその時に過去帳も散逸、消失してしまったのではないか?
寺には過去帳があり、それによって先祖を辿ることが出来る家系もある。
319日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:15:35
>>317
>苗字創設には(1)祖先からの伝承 (2)家系上記念すべき事項 (3)屋号・職業・村落内での通称 
>(4)居住地または発祥地の地名 (5)本分家間の区別 (6)瑞祥性 (7)有力者からの賜苗などが
>要因と思われる。

職業・居住地などは現代の感覚ではまったく名字ではない。
「ぷろぐらま」さんだとか「みどりが丘」さんみたいなものだ。

愛媛の件は史実。
>なかには例外がないわけではない。明治の新聞は珍談としてこの種の記事を掲載しているが、新しく
>苗字をつける相談を受けた村の有識者が『太閤記』をそばにおいて賤ヶ岳七本槍の加藤・福島・片桐・
>脇坂などの苗字をつけたという話もある。愛媛県の漁村ではタコ(多古)、イワシ(岩志)、ヒラメ(平目)、
>スズキ(鱸)など魚の名前をつけたとか、静岡では徳川四天王(酒井・榊原・井伊・本多)にしたとか
>エピソードには事欠かない。ただし、どこまでが本当か真偽のほどはうけあえない。

http://mimizun.com/log/2ch/history/1224597444/

47 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:26:53
>>46
その話は本当だよ。漏れのご先祖様の本家の人の話だから。
もう少し細かく言うと、集落ごとに「海沿いは魚や漁具の名」「山沿いは野菜の名前」とかだったかな。
直系の子孫が没落して絶えちゃってるので、中央ではエピソードだけがおもしろおかしく一人歩きしているわけだ。
南宇和郡内海村(現:愛南市)では後にも先にもこの人を越える著名人は出ていない。

浦和盛三郎
http://sentakukokugo.hp.infoseek.co.jp/uchiumi/ajiro.html
320網野善彦:2011/01/07(金) 23:27:20
日本は単一民族
321日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:51:52
http://ito-no-kai.la.coocan.jp/300_index/311_national-park/13_ashizuri-uwakai.html

 いささか余談にわたるが、この時鉄腸に対抗して敗れた、南宇和郡網代の大網元浦和盛三郎は、
改進党の大隈重信にくどかれての出場だったが、面白い逸話を持っている。明治3年(1870) 9
月18日に、政府は「平民も苗字を称するべし」という大政官令を出したので、多くは文字の読めない
網代の村民はとまどって網元の旦那である盛三郎に名付け親をたのんできた。そこで太古*タコ、浜地
*ハマチ、鈴木*スズキ、鱒*マス、岩志*イワシの魚類から始まって、麦田*バクダ、稗野*ヒエノ、粟野*アワノ、
大根*オオネ、真菜*マナ、根深*ネブカの野菜まで動員して、片っぱしから苗字として届け出たものである。
途中で気が付いたり、注意されたりして訂正されたものはよいが、放っておいた人は未だにそのままである。

 このことはもちろん『浦和盛三郎伝』にも書かれていますが、ニュアンスは違います。網代の3集落のうち、
荒樫集落の人々には野菜名、本網代の人々には魚名、そして本谷の人々には大目、木綱、目関、立目、
松綱、有請など、これは漁具からとった名をつけたというのです。
322日本@名無史さん:2011/01/08(土) 00:00:13
・江戸時代の農村の大半は100人ほどの閉じた共同体なので、名字があったら結婚でどんどん種類が減っていくはず。
 中国(漢民族)はあれだけ人口が多いのに300-500程度の名字しかない。
・明治、大正の人が農民に名字がなかったと「勘違い」するはずがない。
・現代人は名字のない生活が理解できず、当然あったに違いないと思い込む。
・江戸時代の農民の8割程度は文盲。かなり読み書きができたというのは武士と商人が集まった江戸での話。
 農村に残る文書の多くは限られた富農(名字がある)に関するもの。
323日本@名無史さん:2011/01/08(土) 00:06:20
>>322
地区によるんじゃないの?ウチのような戦争で負けた人がどんどん集まってくるようなトコだと、大抵の農民に
名字があったよ。
324日本@名無史さん:2011/01/08(土) 02:47:01
>>322
農村識字率はそれこそ地域格差が大きいから一概に言えないよ。
325日本@名無史さん:2011/01/08(土) 09:54:20
確かにそうだが明治時代の徴兵検査で自分の名前を書けた人は半分もいなかったと思う。
326日本@名無史さん:2011/01/08(土) 09:59:24
>>322
>現代人は名字のない生活が理解できず、当然あったに違いないと思い込む。

逆だろ
時代劇を見ている現代人は、それらを単純に信じ込んでいる人が多いから、
「江戸時代の農民には名字はなかった」と思い込んでいるんだよ
327日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:16:47
柳田国男が思い込むかよw
328日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:28:31
江戸時代の識字率が高い低いといふのには注意深くあるべきだとしか思つてゐないのだが、『横書き登場』において、屋名池誠が、ただ單に識字率が低かったと書くのは、無用心だと思ふ。
その根據は徴兵のときの學力檢査の結果(「京都府徴兵學力試驗成績表」『大日本教育會雜誌』92號)なのだが、そのころはすでに学制にもとづく近代教育を受けることができた世代であり、
それも京都府という先進地の、しかも男性という好条件が三拍子揃っているにもかかわらず、受験者7205名中、自分の姓名の書ける者は51.3%しかおらず、文字をまったく知らないものがまだ13.6%もいたといふ。
329日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:37:24
あなたの見たもの
あなたの習ったこと
あなたが人に話したこと
あなたが感じたつもりのこと

330日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:43:45
戦前までは大人でも漢字が読めない人が多くて、一般向けの主な出版物には
大抵はルビが振ってあったんだよね。
331日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:45:20
想像してごらん。
一切の書物が読めずテレビもラジオもない世界を。
332日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:52:49
識字率と名字の存在は別だろ
自分の姓名が文字で書けないからと言って、
そいつが名無しの権兵衛だったという理屈には当然ならない
実際に(今で言う)下の名前はみんな持っていたんだからな
333日本@名無史さん:2011/01/08(土) 15:21:47
名字が生活に必要ないものだったから幕府は下々の者に禁止したんだろ。
いくら幕府でも名字を禁止して農民のモチベーションが凄く落ちるような
ことをするわけがない。
今の感覚なら「家紋禁止」くらいにあたるんじゃないか。大半の人は家紋
があることさえ意識していないから、「家紋必須令」みたいなものが出たら
有名な家紋を自分の家紋にしたり、新しいデザインを作ったりする人で
あふれるだろう。
334日本@名無史さん:2011/01/08(土) 16:58:52
>戦前までは大人でも漢字が読めない人が多くて、一般向けの主な出版物には大抵はルビが振ってあったんだよね。

手元にある戦時中発行の一般向け書籍。
当たり前のことだが旧態字で書かれてある。
http://www.age2.tv/rd05/src/up13469.jpg
http://www.age2.tv/rd05/src/up13470.jpg

335日本@名無史さん:2011/01/08(土) 17:20:54
神戸大学 新聞データベースを見れば一目瞭然。
336日本@名無史さん:2011/01/08(土) 17:38:01
337日本@名無史さん:2011/01/08(土) 17:44:30
そのサイトで「日米開戦」を検索してみたけどルビの無い方が多いが
338日本@名無史さん:2011/01/08(土) 18:55:58
多い少ないではなく、対象が誰かで判断しなくては。
339日本@名無史さん:2011/01/08(土) 19:00:31
>>1 古代史の朝鮮関係すべてがそうだろう。
340日本@名無史さん:2011/01/08(土) 19:37:42
大奥の縁故で出世できたとか
大奥に嫌われて失脚したとか
そういう話の全般

将軍の愛妾の実家(娘の縁故で旗本に取り立ててもらえた程度)に賄賂送ったから
大幅加増でウン万石の大名に出世できたとか
そんな話ばっかり。
341日本@名無史さん:2011/01/08(土) 21:06:52
以前各地の小学校にあった、二宮尊徳が薪を背負って本を読んで歩く姿の銅像だが、
あの姿で実際に歩いていたという事実はないとされている。

実際に、本読みながら歩いていたら、つまずいたり、物にぶつかったりして危ない・・・。
342日本@名無史さん:2011/01/08(土) 21:10:39
元寇は、文永と弘安年間に2回来襲があったが、
1回目の文永の役のとき、当時の日本の記録では、暴風雨が吹いたことは確認されていない
343日本@名無史さん:2011/01/08(土) 21:12:39
通学時に駅で乗り換える際、通いなれた道だからと文庫を読みつつ歩いていて
大階段で一大パフォーマンスを遣り遂げたオイラが通りますよっと
344日本@名無史さん:2011/01/08(土) 21:43:25
秀吉は源氏じゃないから
将軍になりたくてもなれなかった。


徳川の子孫の人が書いた本で
あっさり「徳川時代になってから将軍職に箔つけるために創作された話」扱いだったから
フイタ。
345日本@名無史さん:2011/01/08(土) 21:47:51
そういや秀吉はなんで将軍にならなかったんだ?
346日本@名無史さん:2011/01/08(土) 22:53:24
・足利義昭がみっともなかったから
・新機軸が好きだったから
347日本@名無史さん:2011/01/08(土) 22:59:11
秀吉はたん白だったからな
348日本@名無史さん:2011/01/08(土) 23:09:38
最末期の足利将軍は毛利の手下に成り下がっていたから。
そんな位はいやだった。
349日本@名無史さん:2011/01/08(土) 23:40:28
>>343
お前みたいなアホアピールしたいだけの奴は
階段から転落して頭かち割って脳味噌こぼしながら逝っていいですよっと
350日本@名無史さん:2011/01/09(日) 00:25:47
>>345
いいじゃんか、関白になったんだし。
近衛の養子から、、というルートが篤姫と同じだな
351日本@名無史さん:2011/01/09(日) 00:36:04
つまりこれまでの幕府体制に代わる新しい秩序を目指したわけだな
まあ失敗したけど
352日本@名無史さん:2011/01/09(日) 01:20:22
江戸時代の幼児の生命の価値と名字の価値は現代人とかけ離れているな。
353日本@名無史さん:2011/01/09(日) 01:40:14
>>349
そんな言い方しなくたっていいじゃん

…ってスレもあったな(遠い目
354日本@名無史さん:2011/01/09(日) 01:52:15
>>345
関白太政大臣の方が征夷大将軍より格上だから
355日本@名無史さん:2011/01/09(日) 09:46:18
個人的想像だが、秀吉の頭の中で「幕府」といえば
鎌倉・室町幕府だった訳で、あんな末路をたどるくらいなら、
衰えたとはいえ、いまだに名門に列している藤原系摂関家を
目指した方が正解だろ。
356日本@名無史さん:2011/01/09(日) 09:50:21
秀吉は元々武士出身ではないのだから、征夷大将軍は頭の中になかったのと違うかな

357日本@名無史さん:2011/01/09(日) 10:15:24
今回の大河ドラマでは、是非、秀吉の右手が6本指であったことを
表現してほしい
これは珍説でも俗説でもない、ちゃんとした史実である
家重の言語障害と同じ

どんなにエライ天下人であっても、生身の人間なんだから、
そのような病状であったとしても、何も不自然ではないのである
358日本@名無史さん:2011/01/09(日) 10:23:43
個人的には、綱吉の遺骸調査をやってほしい
それはなぜか?
わかる人にはわかるよね・・・
359日本@名無史さん:2011/01/09(日) 10:35:50
>>357
こういう指だな。
http://www.absurdintellectual.com/2009/01/31/the-possibility-of-superheroes/

かつてバビロニアでは6指の人が多い時代があり、その頃に12進法(両手で
12指だから)が生まれたのではないかと言っていた人がいた。
360日本@名無史さん:2011/01/09(日) 10:51:40
361日本@名無史さん:2011/01/09(日) 11:55:02
>>358
墓の高さから想定される身長だろ?
362日本@名無史さん:2011/01/09(日) 13:42:27
徳川将軍の中で綱吉だけまともな肖像画が残っていないのも不審。
363日本@名無史さん:2011/01/09(日) 13:51:06
>>362
心中か、、
正室の墓に編みかけが長いこと、、
364日本@名無史さん:2011/01/09(日) 14:53:42

>>362
日本画的デフォルメされてるけ肖像画はあるよ。
365日本@名無史さん:2011/01/09(日) 19:15:40
>>361
その通り
正確に言うと、位牌の高さ
調査さえすればすぐにわかることだけに、興味あるね
現実には難しいだろうけど
366日本@名無史さん:2011/01/09(日) 20:07:57
しょ、しょ、しょじょじ、で始まる童謡『証城寺の狸囃子』は、
木更津市に実在するお寺「證誠寺」の狸囃子伝説を元としている
証城寺という名のお寺が実在しているわけではない
367日本@名無史さん:2011/01/09(日) 20:15:56
処女時かとおもつてますた
368日本@名無史さん:2011/01/09(日) 20:21:06
>>214
個人的には、むしろそっちの以蔵の方が人間的で好きだけど、
少数派だろうなw
369日本@名無史さん:2011/01/10(月) 07:30:37
>>323
申し訳ないけど先祖からの伝承がウソの場合も多い。
ただの農民が明治新姓の時に、地域の名家の苗字を
自称した。
本人は後ろめたさから子供に、
「ウチは戦国時代に戦に負けて没落し帰農したけど・・・」
とウソを付き、代々継承されるうちに真実と思いこむ。

こういうケース多いんです。
本当の子孫であれば菩提寺があるし、菩提寺があれば
過去帳があるはず。
それを見れば豪族の子孫であるかどうかくらいは解かる。
そういう証明するものがなければ心にとどめて置くだけにするべきです。
他人に「XXの子孫」なんて言わないほうが良い。

ちなみに系図は何のあてにもなりません。
系図はたいてい捏造されています。
昔は系図屋という系図を捏造する商売がありましたし、そもそも
江戸時代の将軍家・大名家自体が家系捏造してますんで。


370日本@名無史さん:2011/01/10(月) 09:48:53
農村は文盲だらけだし。
今でさえ祖母の旧姓なんて知ってる人はほとんどいないでしょう。せいぜい男系の姓しか引き継げないから伝承される姓はかなり減るはず。それなのに馬鹿みたいに日本の姓は多い。
371日本@名無史さん:2011/01/10(月) 10:10:32
>男系の姓しか引き継げないから伝承される姓はかなり減るはず

ほとんど減らないよ
女性の田中さんや山本さんが結婚して姓を変えたからと言って、減らない
減るのは、稀少な変わった姓のみ
だから、現実にはほとんど減っていないだろ
372日本@名無史さん:2011/01/10(月) 10:19:49
現在の日本は姓が多過ぎて世界的には希少姓だらけ。統計学者の研究では過去2世代で15000もの姓が消滅したと推定されるそうだ。
373日本@名無史さん:2011/01/10(月) 12:20:00
>>370
それは娘しか生まれなくて、しかも全員が嫁に行った場合だけだろ。
昔は子沢山が当たり前なんだから、家を継ぐのが誰もいないなんてかなりレアケース。
娘しかいなくても、家に田畑があるなら相続させるために養子取るだろうし。
374日本@名無史さん:2011/01/10(月) 19:41:17
ところで、昨日の大河ドラマ。
浅井長政には、お市のほかにも側室はいたし、3人姉妹以外の男の子もいたんだが、
それらについては何も触れていなかった
まぁ、ドラマの本筋とは関係ないんだから仕方ないか・・・
375日本@名無史さん:2011/01/10(月) 19:46:18
あれは無理やりラブストーリーに仕立てようとしてて萎えた
376日本@名無史さん:2011/01/10(月) 19:52:40
上野樹里さんは可愛い!!
この1年は絶対に見るぞ!!
377日本@名無史さん:2011/01/10(月) 20:27:50
>>374
あれ?赤子生まれてなかった?
378日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:58:02
皇紀(笑)
379日本@名無史さん:2011/01/11(火) 07:35:55
>>373
こっちでやってる。

農民を語る
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294554003/

http://ci.nii.ac.jp/naid/110003502725
日本人の名字の統計解析 東京工業大学大学院情報理工学研究科

明治8年当時から現在に至るおおよそ3〜5世代の経過のうちで失われた希少姓の数が、
相当なものであったことを強く示唆する。シミュレーション結果を単純に過去に3次スプライン
補間すれば、例えば過去1世代および2世代の間にそれぞれ6,300種類、15,000種類あまり
の名字が失われたという結果を示す。
380日本@名無史さん:2011/01/11(火) 09:46:58
>>1 奈良、ハナ、ワッショイが朝鮮語由来というような俗説
381日本@名無史さん:2011/01/11(火) 10:12:41
>>377
書いてることの意味がよくわからないんだけど。
江については、赤ちゃんとして出ていたよ
382日本@名無史さん:2011/01/11(火) 10:14:45
>>381
自分もよく分からないんだけど、
後に信長に殺される長政の長男のことじゃないか?
383日本@名無史さん:2011/01/11(火) 17:39:07
文盲だらけなのに数学の問題を神社に奉納とかが
農村でも大流行

あれ?なんかおかしいな
384日本@名無史さん:2011/01/11(火) 19:06:21
樹里、、喋り方が、、のだめだわ
385日本@名無史さん:2011/01/11(火) 19:07:48
大河、三姉妹をみてると
とんねるず、医龍、のだめカンタービレ
を思い出す
386日本@名無史さん:2011/01/12(水) 00:13:30
>>383
日本よりずっと文盲が多かったイギリスで数学や物理学が発達・・
なんかおかしいか?
387日本@名無史さん:2011/01/12(水) 00:26:26
テスト
388日本@名無史さん:2011/01/12(水) 04:34:12
>>328の京都市民のなかには被差別職業従事者が多くいたのだろう。
だからそういう結果になった。
京都に被差別職業従事者が多いのは
有名。
389日本@名無史さん:2011/01/12(水) 20:47:15
>>388
近世の識字に関する真面目な研究な。ショック受けた?

http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/8186/1/70(4)_524-535.pdf
近世社会と識字 八鍬友広

文部省年報掲載の調査報告 自分の名前が書ける人の割合(%)

滋賀県 1877年 男子 89.23 女子 39.31 全体 64.13
群馬県 1880年 男子 79.13 女子 23.41 全体 52.00
青森県 1881年 男子 37.39 女子  2.71 全体 19.94
鹿児島県 1884年 男子 33.43 女子 4.00 全体 18.33
岡山県 1887年 男子 65.64 女子 42.05 全体 54.38
390日本@名無史さん:2011/01/13(木) 00:16:15
論文に農業と自署率(名前が書ける人の割合)の関係の表があり、
農村では男女あわせて12.99%の人しか名前がかけない地域さえ
あったことが示されている。論文の筆者は以下のようにコメントしている。


以上のように,近世において人口の大部分が従事していた農業は,
識字を普及させる要因とはなりに《いものであった.これは農業という労働が,
必ずしも読み書きを必須のものとはしていなかったということを示していよう.
もちろん各村にはかなり高い水準の読み書き能力を有する人が必ず存在した
はずである.近世の村請制は,このような能力の存在を前提としているからである.
しかしながらこれは,行政にかかわる労働能力であって,農業そのものに由来する
ものとは言えないだろう.
391日本@名無史さん:2011/01/13(木) 02:16:28
>>389
やはり隼人、毛人が多いと言われる鹿児島、青森で識字率が低い。
神輿の日本史上初出は今の鹿児島における隼人の乱。それ以前に神輿に関する日本語による記述はない。

--------
文献上での初出は、奈良時代の元正天皇の御世、養老4年(720年)九州で起こった「隼人の乱」にあるという。
同年2月九州南部の大隅・日向に住む隼人族は、大隅国守を殺害して反乱を起こした。朝廷は万葉歌人でも
有名な大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、1万を超す軍隊を派兵した。この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、
国家鎮護と隼人討伐を祈願した。当時は、今の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神は、
この願いに応じ、「われ征きて降し伏すべし。みずから神軍を率いて隼人討伐に赴く」と託宣を下した。
朝廷は豊前国司(ぶぜんこくし)宇努首男人(うぬのおびとおひと)に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、「豊前国司に仰せつけられ、初めて神輿を作らしむ」とある。
--------
ねぷたにしてもそれは同族への踏み鳴らし行為が起源という説もある。
日本人とは異質で被差別民とされている人々の識字率が低かったという事実に変わりはなさそうだ。
武士階級以外の人々で男子において鹿児島、青森において3割以上の人々が読み書きできたというのはやはり
まともな日本人の農民層が各地方に3割は居住していたことがわかる。

結論:被差別民は読み書きが出来なかった。まともな日本人の農民なら読み書きは普通に出来た。
392日本@名無史さん:2011/01/13(木) 06:56:25
>>391
…おまえの理屈だと、日本の農村の7割は被差別階級ってことになるのか?
馬鹿じゃねえの、お前
393日本@名無史さん:2011/01/13(木) 07:25:54
江戸という武士と商人が異常に多い場所で識字率が高くても農村は違うってなぜ分からんのかね。
大手町勤務者を調査すれば今だって異常に学歴高いだろ。
394日本@名無史さん:2011/01/13(木) 14:07:48
他所のスレでやってくんねぇかなぁ
395日本@名無史さん:2011/01/13(木) 17:33:21
秀頼は秀吉の子供。
実は秀吉は種なしだった。
396日本@名無史さん:2011/01/13(木) 20:07:22
秀頼が秀吉の子供と言うのは、確かに可能性はほとんどないと思う。
しかし、長浜城時代には、男の子と女の子がおり、種なしとまでは言えない
397日本@名無史さん:2011/01/13(木) 20:09:25
>>394
そんなつまらん書き込みするぐらいだったら、何か面白いネタ提供しろ!!
スレ地スレ地といちいちウザイわ
398日本@名無史さん:2011/01/13(木) 20:37:57
>>389
さすが江戸時代の北朝鮮だった
(鎖国内鎖国、突出して厳しい身分制度、違法経済活動)
薩摩だなw
399日本@名無史さん:2011/01/13(木) 20:47:55
大正天皇も種無しらしくて昭和天皇は近衛と瓜二つ。まるで兄弟みたい。
400日本@名無史さん:2011/01/13(木) 21:41:37
嘘を語ってるのかマジレスで応酬してるのかよくわからんスレだなw
401日本@名無史さん:2011/01/13(木) 22:15:34
>>397
延々とスレ違いな話題を続けるお前みたいなバカが悪い
402日本@名無史さん:2011/01/13(木) 23:34:14
>>389
識字率の低い地域(九州とトーホグ)の出身者が、後々、
ド根性論一辺倒の武士道をふりかざして政府と軍部を牛耳って、
やぶれかぶれの日中・太平洋戦争に突入して
日本を焼け野原にさせたんだよな。
403日本の名無史@:2011/01/14(金) 00:03:38
吉良上野介は根性悪
404日本@名無史さん:2011/01/14(金) 00:55:04
ジーコはセレクター型の監督
405日本@名無史さん:2011/01/14(金) 01:05:29
>>402
つーか近畿地方が突出して文明的な地域だったということで、それ以外は
江戸の狭い範囲が文明的だっただけってことでしょ。

406日本@名無史さん:2011/01/14(金) 02:40:49
>>399
数多く残されている写真なんかを見ると、文麿はやはり篤麿と似ている所が多い。
しかし昭和帝は篤麿とはそれほど似ていないが、大正帝の面影はやはりあって、
その面影は今上にも伝わっている。
それでも確かに昭和帝兄弟と文麿兄弟は似ているが、
まあ先祖を遡れば双方とも後陽成帝に行き着くし、
近衛家は江戸時代に幾度か皇女や女王と婚姻関係を結んでるから、
似ていても当然とも言えるし、恐るべし遺伝の妙とも言えるかな。
407日本@名無史さん:2011/01/14(金) 06:33:19
仙台藩校
http://www.yorozubp.com/0211/021114.htm
 大槻磐渓一家が帰郷した当時の仙台藩校養賢堂は幕末の日本で屈指の洋学研究機関だった。
『言葉の海へ』によれば、養賢堂の財政基礎は学田1万2000石に置き、その敷地は現在の宮城県庁と仙台市役所一帯を占める広大なものだった。
 「教授法の改革、蘭学など諸講座の増設、教員登用試験制度の新設、学生への文房具の官給、他藩からの留学生寮の設置、聖廟の建設、印刷所と図書館の付設。
また、江戸に住む大槻玄沢の協力を得て、医学館と施薬所を藩校から独立させてもいる。いまの大学の医学部と付属病院にあたるもので、
内科外科を持つ総合西洋医学校は当時仙台藩だけのものだった。」さらに、「兵学講座に鋳砲、操銃、造船の各科を置いて西洋式訓練とゲーベル銃を採用、ロシア語講座を新設、
工学部にあたる開物方を設け技術の研究指導機関とし、産業の開発をいそがせている。」こうした成果が、松島湾内の造船所で進水した日本で初めての洋式軍艦「開成丸」に結実している。

「同時に庶民教育にも力をそそいでいる。養賢堂内に商人や農民の教育機関日講所を設けるほか、養賢堂分校の形で、仙台市内に小学校を試みに開設している。
藩の富国強兵には、まず教育の底辺の拡充が、長期計画として立てられなければならぬという考えである。」

萬晩報index
http://www.yorozubp.com/index.html


408日本@名無史さん:2011/01/14(金) 06:34:34
明倫養賢堂(めいりんようけんどう)は仙台藩の藩校。単に養賢堂と略されて呼ばれることが多い。

沿革
養賢堂
1736年(元文元年) 5代目藩主・伊達吉村のとき、藩の子弟を教育するために仙台城下の細横丁北三番丁の武家屋敷に開設。
1760年(宝暦10年)7月 医学教育を開始。
1761年(宝暦11年)3月 勾当台通り北一番丁(現在の宮城県庁)に移転。
1772年(安永元年) 養賢堂に改称。
1817年(文化14年)の頃、校舎の大幅な拡張工事が行われた。また、養賢堂から仙台藩医学校を分離して、百騎丁(現東二番丁)に設置した。
1822年(文政5) 仙台藩学校蘭科を開設し、わが国初の西洋医学講座を実施した[1]。
1871年(明治4年)、廃藩置県により、仙台藩医学校施薬所(仙台医学館とも呼ばれた)が廃止された。

後身

東北大学
1871年(明治4年)の仙台医学館廃止の翌1872年、仙台藩医学校出身者が南町に私立仙台共立社病院を開設した。
これが改組・改称を繰り返して、医学教育部門が1912年に東北帝国大学医学専門部として包摂された。
現在は、東北大学医学部となっている。他方、病院部門は、現在東北大学病院となっている。

仙台一高
1871年(明治4年)、仙台医学館跡に英語専門学校として辛未館が設置された。これが改組・改称を繰り返して東華学校となり、
1892年4月1日に宮城県尋常中学校となって、現在の宮城県仙台第一高等学校に繋がっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%80%AB%E9%A4%8A%E8%B3%A2%E5%A0%82
409日本@名無史さん:2011/01/14(金) 06:35:30
萬晩報とは
http://www.yorozubp.com/link/about2.htm

 萬晩報(よろずばんぽう)は通信社の現役記者である主筆を中心に内外に65人の通信員を抱え、分野を超えたコラムを発信するジャーナリズムです。
題字は、明治時代末期に日本最大の発行部数を誇った黒岩涙香の「萬朝報」(よろずちょうほう)にあやかりました。萬晩報の「晩報」は中国語で「夕刊」の意味です。
 1998年1月9日、京都で創刊しました。手元にあったたった20あまりのメールアドレスに向けて感動と怒り、その他よろず諸事を送信し始めました。いま流行りの「めるまが」の先駆けです。
 新聞記者は筆をもってはじめて成り立つ商売ですが、既存のマスコミでは一定の年齢に到達するとデスクといって後輩記者の面倒をみる立場に回ります。
つまり筆を奪われるに等しいことになります。個人的にそのうっぷんを晴らそうとしたのが当初の目的です。主筆の体力と気力が続く限り、萬晩報は発信します。投稿はいつでも歓迎です。
410日本@名無史さん:2011/01/14(金) 08:37:30
>>401
その延々としたスレを、おれが書いたと勝手に勘違いしているお前は
ウルトラバカww
411日本@名無史さん:2011/01/14(金) 08:41:11
大正天皇の話が出てるからついでに話そう

大正天皇が議場で詔書を丸めて、望遠鏡みたいにして周りを覗き見た、
というエピソードが伝わっているが、あれはホントだろう
412日本@名無史さん:2011/01/14(金) 08:48:31
戦前生まれの方から聞きましたが、当時から大正天皇は
精神障害者という認識が一般的だったみたいですね。
事実かどうかはともかく。
413日本@名無史さん:2011/01/14(金) 09:01:02
「精神障害者」という表現は微妙に誤解を招きそうだが、
病気で職務に困難を来たしていたのは、間違いのない事実
414日本@名無史さん:2011/01/14(金) 09:42:56
>>413
いえ、私が言いたいのは精神障害が事実かどうかではなく、
その様な認識が広く一般に浸透していたということ。
415日本@名無史さん:2011/01/14(金) 10:47:21
大正天皇が岩谷堂箪笥を見に、江刺までご行幸なさったことがあるそうだ。
その時、マスコミを通じて日本中にその事実が広まって、岩谷堂箪笥が全国区になったのだそうだ。

以下ソース
--------
明治・大正の南部鉄器
水沢、盛岡とも、仙台藩、盛岡藩の庇護の下、発展してきたが、この後ろ盾が明治維新により消え去り、衰退を余儀なくされる。
しかし、生産と流通の体制が整い、展覧会にて入賞するなど名声を高まると、各地からの注文が増える。
さらには、1890年(明治23年)の東北本線開通と相まって(水沢、盛岡とも、これに接していた)一気に販路拡大となった。

明治末には、再び停滞気味になるが、1908年(明治41年)の皇太子(後の大正天皇)東北行啓の際、
八代小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演して見せて話題を呼んだことをきっかけに、県や市を挙げての取り組みが始まる。

1914年(大正3年)には、旧盛岡藩主南部利淳が「南部鋳金研究所」を開所。人材育成にも貢献した。

南部鉄とは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%89%84
-------

↑この文面を見る限り、大正天皇は精神的にまともであったと考えられる。
当時の人たちも大正天皇がまともであると知っていただろう。
416日本@名無史さん:2011/01/14(金) 11:04:20
それ、皇太子時代の話だから。
417412:2011/01/14(金) 11:25:22
どうも分かってない人がいるみたいだから、少し諄くなるとは思いますが
ここは「史実ではないのに史実のように語られがちなこと」というテーマのスレです。
大正天皇に精神障害があったという噂は戦前から広く一般に言われており、
現在でもそれを信じている人がいるわけです。実際には体が弱いだけで精神障害は
持っていなかった様ですが、史実通りに理解されていないケースとして取り上げました。

歴史上の史実と一般的に流布しているイメージとの乖離があるケースは良くあることで、
だからこそこのスレが出来たののでしょう。
418日本@名無史さん:2011/01/14(金) 12:51:34
平安時代は所謂引き目鉤鼻のあの絵が美人だったという話
むしろ本当は鈴のように大きな目という表現があったように大きい目が好まれていた
419日本@名無史さん:2011/01/14(金) 17:50:48
本当?だって眉は目を細く見せるために太く描いてたんだろ?
420日本@名無史さん:2011/01/14(金) 18:55:45
>>410
なら面白いネタとやらを提供できないお前がケチを付ける意味が分からない
引っ込んでろタコスケ
421日本@名無史さん:2011/01/14(金) 19:06:21
>>420
俺の名を呼び捨てにするお前はいったい何様だい?
422日本@名無史さん:2011/01/14(金) 19:53:06
>>420
うるさい、このタコ野郎!!
お前はホントに思い込みの激しい奴だな
オレはもう10回以上は優にネタを提供しているがな
423日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:48:12

大正帝と昭和帝は西園寺公望公から英国式立憲君主制を叩き込まれており、「君臨すれど統治せず」を新しいこれからの民主王制と理解し実践されていたという。
特に大正帝は自ら大正デモクラシーに傾倒してしまった。
あまりにリベラルにかぶれてしまった大正帝に業を煮やした保守派が帝をご病気と称して幽閉してしまった、という話もあるな。
424日本@名無史さん:2011/01/16(日) 00:28:11
そのデモクラシーで良かったのに…。

それじゃ、自分が思ったコトできんって人も多かったんだろうな。
425日本@名無史さん:2011/01/16(日) 09:52:13
病気は疑いようもない事実
426日本@名無史さん:2011/01/16(日) 19:32:08
ヒロヒトの親父は近衛ってことか
427日本@名無史さん:2011/01/16(日) 20:26:00
9歳で父親か。早熟だな。
428日本@名無史さん:2011/01/17(月) 01:21:26
神功皇后の不倫
429日本@名無史さん:2011/01/17(月) 01:27:01
ヒロシマ原爆投下紹介のキノコ雲の映像や写真が
たいてい長崎のそれであるという件
430日本@名無史さん:2011/01/17(月) 02:02:00
44 :日本@名無史さん:2010/12/16(木) 17:10:50
長篠三段射ち

なんで、屏風図みてもきっちり3段打ち)やてるじゃん。一段目は川原付近に
さくを設けて、2段目は川の土手に柵を創ら、最後は高知のでねらいうち。
平面で一斉射撃が常識のとき近代戦術の砲戦の集中、風雨は黒煙の煙で連蔵発射
できないのに、正面から、左右から、高台から一斉に打たれたら大変だよ。
431日本@名無史さん:2011/01/17(月) 09:46:48
本日は、阪神淡路大震災の日
ところで、「天災は忘れた頃にやって来る」だが、
これは寺田寅彦の言葉とされている

しかし、同趣旨のことを書きとめているが、そっくりそのままの言葉を言った
わけではない
弟子の一人が、その言葉に置き換えたのである
432日本@名無史さん:2011/01/17(月) 10:16:39
皇国史観
記紀は史実じゃない。
433日本@名無史さん:2011/01/17(月) 10:46:54
それはただの決め付け、思い込み
434日本@名無史さん:2011/01/17(月) 12:52:36
直江兼続が革籠原決戦をしようとしたこと。
435日本@名無史さん:2011/01/17(月) 13:07:10
家康が来たら平謝りするつもりだったのかな?
436日本@名無史さん:2011/01/17(月) 13:55:12
意味がよく分からんけど?
家康が上杉討伐に向かったのは事実だし、実際に北上侵攻していたら、
決戦しないわけにはいかないだろ
437日本@名無史さん:2011/01/17(月) 21:24:20
南紀派=開国派 VS 一橋派=攘夷派
という構図。
(つまり南紀派が負けたら開国はなかった)


概説本などでたまに見かける誤謬。
これがホントなら井伊直弼は
維新時から神扱いされてる。
438日本@名無史さん:2011/01/18(火) 16:21:06
>>429
広島のは撮影一枚なんだよ、、米軍は
439日本@名無史さん:2011/01/19(水) 07:45:49
>>438
え、どの写真が広島?
440日本@名無史さん:2011/01/19(水) 08:15:58
>>439
広島は白黒
長崎はカラー
441日本@名無史さん:2011/01/19(水) 20:30:03
>>440
ありがとう。そうなのかー
442日本@名無史さん:2011/01/21(金) 13:42:59
日本史では、そろそろネタが尽きてきたかな
とりあえず、中国でひとつ。
万里の長城は、以前は「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われたが、
実際には見えないとのことだ。
443日本@名無史さん:2011/01/21(金) 14:06:01
ピラミッドは見えるじゃなかった?
444日本@名無史さん:2011/01/21(金) 17:20:45
ググルアースで確認してきなさい
445日本@名無史さん:2011/01/21(金) 17:37:12
ピラミッドはでかいけど色的に辛そう
446日本@名無史さん:2011/01/21(金) 20:32:52
ピラミッドなんて見えるわけないでしょ
あくまでも、上空から見た面積だからね
447日本@名無史さん:2011/01/21(金) 22:03:06
>>444
俺の家にある車まで写ってるぞ。
448日本@名無史さん:2011/01/21(金) 23:12:35
小説を史実と思っているやつ多すぎ
「御前が好きなのは歴史じゃねえ、小説だよ」って思う
449日本@名無史さん:2011/01/22(土) 08:53:56
>>444
「宇宙から肉眼で見える」が条件だから、ググルアスで見えてもしかたない
450日本@名無史さん:2011/01/22(土) 09:21:22
目のいい宇宙人なら俺の顔も判別できるぞ
451日本@名無史さん:2011/01/22(土) 09:40:47
宇宙のどこから見るかによるが、クフ王のピラミッドなら海抜100kmから余裕で見えるであろう。
100km離れた230m四方の構造物は1km先から2.3m四方の物体に相当する
その大きさの看板なら1km先からでも肉眼で十分に確認できる。
452日本@名無史さん:2011/01/23(日) 04:10:40
会津の悲劇
453日本@名無史さん:2011/01/23(日) 16:33:19
信長がホモだった
454日本@名無史さん:2011/01/23(日) 16:38:27
>>383
将軍吉宗は文盲といわれてた
和歌などのたしなみがなかったからで
天文学とかの本はむちゃくちゃ読んでた
455日本@名無史さん:2011/01/23(日) 18:48:32
>>383
ネトウヨかな。
農村で大流行とかマジでアホ。
456日本@名無史さん:2011/01/23(日) 19:04:45
>>453
ホモじゃないが両刀だな。当時の慣習に染まれる程度に
男(今だとショタ・若専の類にしても)OKだった訳だし。
457日本@名無史さん:2011/01/24(月) 00:06:18
江戸幕府の滅亡が西暦1867年。

458日本@名無史さん:2011/01/24(月) 00:46:58
>>455
算額が農村でも流行っていたのは事実。だが、全面的な流行じゃないだろうなあ。
459日本@名無史さん:2011/01/24(月) 13:37:13
沖田総司の黒猫斬り
460日本@名無史さん:2011/01/24(月) 23:36:47
サツマイモは青木混用
461日本@名無史さん:2011/01/25(火) 02:31:49
墨俣一夜城
462日本@名無史さん:2011/01/25(火) 03:47:33
徳川家康は男性
463日本@名無史さん:2011/01/25(火) 19:06:18
>>456
ソースは全くない。両刀だったかもという推測ならまだわかるけど
明らかな史実かのように語られている。
464日本@名無史さん:2011/01/25(火) 22:40:39
>>463
つ 亜相公御夜話(現物読んで無いw)

宴会の席で信長が利家に「お前とは、若いころに床を暖めた仲よな」
などと述べたと記録されとるそうだ。
当時の慣習からしても特異なことでもないし、否定する理由は無いだろう。

信長が男とセクロスしていては不都合あるの?
あなたは、おそらく「奇異、変態」と感じるのだろうが、
自分そう思わん。私事だが、可愛げある中高生男子に出くわすと
「カワイイな・・」と思ってしまうくらいだからw
もちろんホモじゃないつもり。(自分年食ったせいかも)
465日本@名無史さん:2011/01/25(火) 22:42:19
自分「が」年食った
466日本@名無史さん:2011/01/26(水) 00:39:26
実母に育てられなかったことや結婚が早く女に不自由しなかったことなどの影響があるのかな?
467日本@名無史さん:2011/01/26(水) 06:11:26
>>466
実母に育てられるほうが珍しいのでは?
468日本@名無史さん:2011/01/26(水) 12:10:02
>>464
そんな記録は無い
信長の「秘蔵」ってあるだけ
証拠があるのかっていってんの
つか日本史板の住民の方々に問いたいんだけど
不都合だとか不都合じゃないとかで
史実って決まるもんなの?
469日本@名無史さん:2011/01/26(水) 17:29:51
家光より忠長の方が信長に似ていた
470日本@名無史さん:2011/01/26(水) 18:52:42
>不都合や不都合じゃないとかで史実って決まるもんなの?

人の考えなんて様々なんだから、皆に聞かれても答えようがない。

>>1
江戸東京博物館よ、糞大河と連動しての特別展で
集客を狙っているのはわかるが、
「醍醐の花見の杯争い」を史実のように展示するなよ。
学芸員としての見識ってのを少しは持ってだな・・・
471日本@名無史さん:2011/01/26(水) 20:21:12
>>470
人の考えなんて様々なんだから、皆に聞かれても答えようがないのなら
お前の言ってる「醍醐の花見の杯争いも人によっては
史実ってことじゃねーかよ
472日本@名無史さん:2011/01/26(水) 20:25:42
楠木正成の桜井の別れとかいうのも史実なの?
473日本@名無史さん:2011/01/26(水) 21:17:05
>>472
もちろん史実。小学唱歌にもなってるし、桜井には碑と銅像がある。
474日本@名無史さん:2011/01/27(木) 10:33:48
日曜の大河ドラマを注意深く見ていた人は覚えていると思うが、
信長の部屋に地球儀が置いてあるシーンがあった

天正8年(1580)には、すでに織田信長が地球儀を所有していたことが
ルイス・フロイスの『日本史』に書かれている。
ただ、だからと言って、信長が地球が丸いことを信じていたかどうかは別問題である
475日本@名無史さん:2011/01/27(木) 10:40:05
>>472
その話は、軍記物語である「太平記」に書かれてある話
太平記は史書ではなく、あくまでも小説なので、
史実との即断はできない
476日本@名無史さん:2011/01/27(木) 10:48:47
醍醐の花見の杯争いについては、前田家家臣の文書に掲載されているという
わざわざウソ書く動機がないと思うから、史実と考えても不都合なし
477日本@名無史さん:2011/01/27(木) 13:35:13
新撰組の局中法度
478日本@名無史さん:2011/01/27(木) 15:27:49
秀頼は秀吉の子ではない
479日本@名無史さん:2011/01/27(木) 20:02:09
大岡裁き、水戸黄門漫遊
480日本@名無史さん:2011/01/27(木) 20:52:47
>>476
村井がそのことを「伝聞」のまま書き留めた「覚書」であり、
また他にその件を記した史料が見当たらない。
信憑性の低い逸話である。
481日本@名無史さん:2011/01/27(木) 21:25:52
>>477
文書では存在しなかったようだが、同じような内容の内規が存在したのは事実のようなので、完全に史実じゃない
と言ってしまうのもどうかと思う。
482日本@名無史さん:2011/01/27(木) 21:27:59
「日本は江戸時代に鎖国していた」
483日本@名無史さん:2011/01/28(金) 08:03:16
春日局とお江の対立

お江は秀忠に側室を持たせないようにしていた
484日本@名無史さん:2011/01/28(金) 13:57:56
家光とお江の母子不仲説

家光と忠長の兄弟不仲説
485日本@名無史さん:2011/01/29(土) 01:18:34
NHKのお江ちゃん日記の影響で、ニワカ厨の崇源院ネタが多いな
486日本@名無史さん:2011/01/29(土) 06:10:19
>>485
ドラマに影響されただけのニワカだったら何の疑いも無く俗説鵜呑みにしとるわ
487日本@名無史さん:2011/01/29(土) 15:36:37
>>482
最近、こういうこと言ってる馬鹿がおりますな。
例外的に幕府が許可した一部の国と限定的な貿易があるというだけ。
海外から入ることも海外へと出て行くことも禁止。
たとえ、それが暴風雨によって漂流した結果であっても、見つかれば死罪という社会の
どこが自由貿易・開放社会なのか理解に苦しむ。
488日本@名無史さん:2011/01/29(土) 17:00:02
最近は海禁政策とか言ってるな。
489日本@名無史さん:2011/01/29(土) 22:24:58
ここは歴史板
大河ドラマや小説は板違い
490日本@名無史さん:2011/01/30(日) 00:33:52
藤原頼長は信西が密かに依頼していた呉瑠五十三に射られた
491日本@名無史さん:2011/01/30(日) 01:49:51
ワーオモシローイ(棒読み)
492日本@名無史さん:2011/01/30(日) 12:59:56
暴風で異国に流された人で幕府により死罪にされた人なんているか?
493日本@名無史さん:2011/01/30(日) 13:16:56
瑞龍は死罪
494日本@名無史さん:2011/01/30(日) 13:52:41
大黒屋光太夫は優遇
495日本@名無史さん:2011/01/30(日) 20:47:53
鎖国とか藩とか生類憐みの令という言葉は当時からあった
496日本@名無史さん:2011/01/31(月) 15:57:11
上杉謙信は女性
497日本@名無史さん:2011/01/31(月) 20:26:36
お元はキリシタン
498日本@名無史さん:2011/01/31(月) 20:29:47
大塩平八郎の乱

実は大したこと無かった。最後は密告に利自爆。
499日本@名無史さん:2011/01/31(月) 22:17:32
「江戸時代の日本は鎖国ではなかった」
500日本@名無史さん:2011/01/31(月) 23:41:21
>>442
それずっと突っ込みたかったことだw
そりゃ長さこそ長大だが、幅がせいぜい数メートルしかないもん細すぎて宇宙から見えるわけねー!w
501日本@名無史さん:2011/01/31(月) 23:57:14
忍者装束を着た忍者
水蜘蛛とかの忍法
502日本@名無史さん:2011/02/01(火) 08:51:19
>>442は日本でもなく歴史でもなく、
世界の現代の話なのに、
いまさら突っ込むバカがいるんだな。
503日本@名無史さん:2011/02/01(火) 09:01:04
馬鹿はどこにでもいるからな。
504日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:10:44
てか、以前言われてたことなんだから、当然歴史じゃないのかね?
「歴史」の解釈が根本的に解っていないな
505日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:12:35
宇宙から地球を見て・・・なんて歴史じゃないから。
506日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:15:38
江戸時代は封建時代だった。
507日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:26:05
それは史実
508日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:31:15
邪馬台国は畿内に有った。
509日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:38:45
義経はジンギスカンだった。
510日本@名無史さん:2011/02/01(火) 11:51:12
じゃ、シーボルトはオランダ人
511日本@名無史さん:2011/02/01(火) 12:10:33
それはシーボルトが詐称しただけ
512日本@名無史さん:2011/02/01(火) 12:25:10
義経はジンギスカンだったってシーボルトはだれから聞いたの?
513日本@名無史さん:2011/02/01(火) 19:53:45
秋田孝季
514日本@名無史さん:2011/02/01(火) 21:15:28
>>511 わしのは山の手のオランダ語だとごまかしたそうな。
515日本@名無史さん:2011/02/01(火) 21:43:07
「日本文明」「縄文文明」
516日本@名無史さん :2011/02/01(火) 21:57:28
R大学のM平ゼミ(元公共放送アナウンサー)で語られる内容と論文指導

とても不安。特に講義の内容と言葉遣い。M平氏の趣味に振り回されるだけで、

得られるものはないと思う。M平氏は世間では「歴史に造詣が深い」とされていますからね
517日本@名無史さん:2011/02/02(水) 01:07:41
>>516
そのM平氏は
T川I康の叔父だか弟だかの、傍系のM平氏の出身だってね
518日本@名無史さん:2011/02/02(水) 01:17:37
おまえら短足キック食らうぞ。
519日本@名無史さん:2011/02/02(水) 01:50:48
日本史のソースは後世都合のいいように書き換えまくりの文献
もうほとんど史実ではないような気がしてきた
520日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:18:36
古事記や日本書紀を一字一句正確だとして信じるのは馬鹿らしいが、
しかしこれしか文献はない。

中国の史書も、結局は次の帝国の都合の良いように書かれている。

朝鮮にいたっては焚書が続き、古代あったことへの当時の記録は一切なく、
後代の妄想聞き書きに頼っている。

というより、世界中がそんな程度のものだ。

日本はまだ整っている方だろう。自称古代書物(実際は後代の捏造品)を掲げることは馬鹿らしい。
検証の結果嘘だらけと判断された文書には、根拠もなく接近すべきではない。
521日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:21:28
>検証の結果嘘だらけと判断された文書には、根拠もなく接近すべきではない。

なんか、本当の事が隠されてる匂いプンプンしますね!!
522日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:22:47
東つがるなんとかですか?
ホツマツタエですか?
両方ですか?
523日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:27:49
何故嘘文書と判断されたのか、その経緯や根拠をきちんと知った上で
異論があるのならその論理まで明記して唱えればよい。

しかし、文中で遊星戦隊とか書いてある自称戦国時代の書には、拾うべき部分は見当たらなかった。
明治の河川改修の結果や昭和の開拓集落が記載してある自称戦国の書も、語るのは馬鹿らしい。
524日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:34:25
>>523
東つがるなんとかは、

偽書派が、文書発見者の自宅に押し入り、尿の入ったビンを押収した

ので、偽書ということで決着がついたらしいwww
おかしすぎるだろwwwww
525日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:44:02
それ以前に現代用語が混じり過ぎだし
526日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:49:15
サンフランシスコ条約の前に、アメリカンドック平和条約がある。
この条約ではアメリカへの賠償としてアメリカンドック3本と、おにぎりの三ヶ月間の運用停止が明記されていた。
当時の日本政府はこれを黙殺。
結局、ポツダム宣言→サンフランシスコ条約の流れとなる。
527日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:54:28
>>525
邪馬台国のうさんくさい説の人とつるんでたっていうじゃん
絶対そいつ噛んでると思うなー

そそのかして偽書を出させてハシゴを外す みたいなさー
528日本@名無史さん:2011/02/02(水) 05:01:18
古田武彦か。
九州王朝説にせよ、外三郡誌にせよ、天皇という存在を否定したいという戦後的空気とよく馴染んだので、
一時期はマスコミを中心に持て囃された。
その意味では騎馬民族王朝説で一世を風靡した江上波夫と同じ。
古田の場合は、それに加えて自身が東北生まれなせいで、東北に皇室とは違う王朝があって
それは大和政権より遙かに進んだ文明だった、という話に反応して、本能的に飛びついちゃったんだな。
529日本@名無史さん:2011/02/02(水) 05:16:01
>>528
要するに胡散臭い人物なんだね?
530日本@名無史さん:2011/02/02(水) 05:34:38
安本美典を真に受けて古田武彦を誹謗中傷か・・・
胡散臭い人物はどっちなんだか。
531日本@名無史さん:2011/02/02(水) 05:38:22
なんか両方アヤシゲなイメージ
532日本@名無史さん:2011/02/02(水) 16:38:23
1192作ろう鎌倉幕府
533日本@名無史さん:2011/02/02(水) 16:51:09
安本美典もなかなか胡散臭い説を唱え続けてきた山師だが、
古田武彦と東日流を叩くときは非常に実証的で、やれば出来るじゃないかという印象。

逆に古田は、証拠もない強弁を始めたりして見苦しいことこの上ない。
まるで優等生が万引きを見つかって、発見者にお前は劣等生じゃないかと騒いでいるようなもので、
お前が万引きした証拠は見えているじゃないか、と言わざるを得ない。
534日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:24:33
両方胡散臭いのはよく分かった
535日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:28:27
>>533
>古田は、証拠もない強弁を始めたりして見苦しい
んなあことはないw
安本美典が古田武彦に噛みついた「東日流外三郡誌」は、古田自身が史学上の通説では
評価されてないことを前提にして、「本当にそうなのか?」という史料批判をしただけで、
ちゃんと史学の作法を守って「分からないことについては分からない」という態度で
臨んで研究している。寧ろ安本の方がケチの付け方が学問的姿勢ではなく、誹謗中傷に
満ちあふれており悪質だろう。
536日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:29:03
東日流に関しては美典大勝利だね
537日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:33:39
特化してやり取りしたないなら別スレ立てなよ
538日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:51:08
【寛政原本】東日流外三郡誌界隈2【古田史学】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1288318667/l50

これ?


>>536 両者のマッチポンプくさいけどね〜
539日本@名無史さん:2011/02/02(水) 19:51:45
「東日流外三郡誌」がインチキなのは確かだけど
十三湊の存在まで信じてないやつがいたな
日本海の主要港として普通に史書に記されてるのに
540日本@名無史さん:2011/02/02(水) 21:43:51
島津久光は最後の薩摩藩主
541日本@名無史さん:2011/02/02(水) 21:51:51
司馬遼太郎で歴史を学ぶアホ。
勘違いしたまま司馬の創造した竜馬を語る。
542日本@名無史さん:2011/02/02(水) 21:54:00
陰謀系、オカルト系は頭が悪い証拠だ
543日本@名無史さん:2011/02/02(水) 23:44:32
桃の種をあがめてたとかいうアレか。>オカルト
544日本@名無史さん:2011/02/02(水) 23:47:38
家定は阿呆様
545日本@名無史さん:2011/02/03(木) 01:11:25
川淵がJリーグを作った。
546日本@名無史さん:2011/02/03(木) 10:16:01
文化財が多く残る京都は、最初から原爆投下候補地に上がらなかった。
これはアメリカの良識である。
547日本@名無史さん:2011/02/03(木) 10:16:35
大久保利通と西郷隆盛は、幼い頃、家が近所だった。
548日本@名無史さん:2011/02/03(木) 10:30:26
つまらんツリが出てきたな
549日本@名無史さん:2011/02/03(木) 10:59:15
>>547
加治屋町はそんなにでかいのか?
550日本@名無史さん:2011/02/03(木) 17:46:25
頼朝は平安時代初以来途絶えていた征夷大将軍に任命された。
→木曽義仲が先。

徳川幕府は戊辰戦争で打倒された。
→大政奉還と王政復古の大号令で終わっている。
551日本@名無史さん:2011/02/03(木) 20:22:38
日本精鋼など軍事工場がたくさんあったのに、藤沢市が空襲候補地から外された理由
552日本@名無史さん:2011/02/04(金) 00:37:18
>>550
義仲は征東大将軍
頼朝のとは違う
553日本@名無史さん:2011/02/04(金) 06:15:26
旭将軍じゃなかったっけ?
554日本@名無史さん:2011/02/04(金) 09:09:33
木曽義仲が征夷大将軍に任命されたとしても、
それはまだ平安時代だな。
555日本@名無史さん:2011/02/04(金) 10:07:46
いや、木曽義仲は征夷大将軍ではなく征東大将軍で正解だよ。
櫻井陽子が論文で明らかにしているから。
556日本@名無史さん:2011/02/04(金) 10:54:15
田中上奏文は偽書である  ×
ほんものである         ○
557日本@名無史さん:2011/02/04(金) 11:21:39
京都は寺社仏閣等の文化財保護目的で本格的な空襲をまのがれた
558日本@名無史さん:2011/02/04(金) 18:07:29
「まのがれた」
559日本@名無史さん:2011/02/05(土) 01:23:30
日食で卑弥呼がアボーンされた
560日本@名無史さん:2011/02/05(土) 01:29:05
従軍慰安婦の存在。
561日本@名無史さん:2011/02/05(土) 08:23:03
それは史実
562日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:02:44
強制はウソ
もちろん、本人らも同意の上
今になって、お金目当てと、同意していたと言うのがカッコ悪いので、強制されたと
言い繕っている
563日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:06:27
従軍慰安婦って日本軍から給料もらってたんだっけ?
もらってなかったから問題なってるんじゃないの?
(金をもらっている=売春ならば規制はない)
564日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:11:33
まあ、悪徳業者のせいにしているけど、だまして売春やらせたわけだし…ちょっとね。
日本じゃ今でも、一部悪徳業者のせいにして、異様にチェック体制が甘いつーか、そんな事例が
あるような気がするんですが。
565日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:12:44
今川義元は麻呂だった
566日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:18:05
歴史すべて
567日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:33:28
報酬はちゃんと貰っていましたよ
つまり、食うためにやむなく応募したと言うのもあるでしょうね
貧しかったら、当然、そういう募集にも応じるでしょう
それを今頃、強制だ強制だと騒ぎたてているのです

それに慰安婦は別に、日本軍だけにいたわけではありませんから
戦後の駐留軍にもいましたよ
日本は戦争に負けたから、何でもかんでも旧軍部を悪者にしたいわけです


568日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:36:02
ダマしていたという点は完全無視?

ま、戦後の駐留軍での慰安婦採用でも、ダマして慰安婦にした悪徳業者もいただろうけどね。
そういうのは、「業者の責任」なんて単純に切り捨てることできないでしょ。
569日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:40:35
騙していたとする証拠は?
そんなもの、本人が言ってるだけでしょ
570日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:42:00
検証は他所でやれ
その話題だけでスレが埋まる
571日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:43:04
強制じゃなく、単に騙されたのなら、さっさと帰ればいいんだよ
何でいつまでもそこに居座るのかね?
572日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:46:13
バカか?
間違ったことを書き込んでいるんだから、検証するのは当然必要だろ
573日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:51:17
>567
日本軍は従軍慰安婦をどこで募集していたの?
張り紙を張って募集したの?
それとも広告をまいたとか?
従来言われているのは日本軍が襲ってきて、
男は殺されるか捕虜、女は慰安婦にされたということですよね。
女の側が自主的に応募してきて自主的に帰ることができたのか、
というのが問題でしょうね。
574日本@名無史さん:2011/02/05(土) 09:56:09
>>572
専門家でも意見が分かれてんだろ。
現代史板で専用スレ立ててやれ。
バカはお前。
575日本@名無史さん:2011/02/05(土) 11:25:26
>>571
戦地では輸送手段も軍に頼らなければならないんだよ。
軍の許可なしに自由に帰れない。

>>573
募集のチラシも残ってるよ。しかし、すべての慰安婦がそのようにして
募集されたとは限らない。

別のスレできめ細かくやってください。

576日本@名無史さん:2011/02/05(土) 12:22:11
だな。どちらの陣営の論もほぼ言い尽くされてるし。近代史板でやれや。
577日本@名無史さん:2011/02/05(土) 12:43:35
刀狩り=農民の武装解除
578日本@名無史さん:2011/02/05(土) 22:30:49
戦後の日本でも極貧の生活から駐留米軍相手に「パンパン」が沸いた。
性欲はどうにもならんわ。
武士も戦に勝つと略奪強姦は当然の権利としてやった。
木曽義仲が京で行った事や金山の資金で用兵を雇っていた武田・上杉・毛利の軍団の略奪や強姦や人攫いは凄惨だったし。
命を奪い合う戦争で勝つのと負けるのでは天地の差。
579日本@名無史さん:2011/02/06(日) 03:44:51
南京大虐殺
580日本@名無史さん:2011/02/06(日) 08:41:34
それは史実
581日本@名無史さん:2011/02/06(日) 09:52:04
東京マドンナの存在
582名無しさん@お腹いっぱい:2011/02/06(日) 10:31:01
大河ドラマこそがまさに史実を「作る」オンパレードだろ
江が織田信長から薫陶を受けたことを史実だと思ってるやつが2千万人は生まれたぞ
583日本@名無史さん:2011/02/06(日) 10:35:04
>>582
さすがにそりゃないよw

それを言い出したら大阪城から千姫を救い出したのは直江兼続、
お市は江を流産させるつもりだった、なんでもありだろ。
584名無しさん@お腹いっぱい:2011/02/06(日) 10:38:45
腐女子「徳川秀忠の指南役は妻夫木君・・じゃなかった直江兼続(キリツ」
585日本@名無史さん:2011/02/06(日) 10:50:46
ドラマスレでやれよ。
586日本@名無史さん:2011/02/06(日) 12:23:48
去年、福岡空港で偶然妻夫木を見たけどいいやつっぽかったぞ!
587日本@名無史さん:2011/02/06(日) 17:18:58
>>580
ああ、1947の中共の人民解放軍が中華民国首都南京市民を虐殺した事件(総数隠蔽、数万とも)ね。

あと1935の南京虐殺もある、中華民国軍が外国市民を殺害した事件だ。
1937に2万人の中華民国兵捕虜が殺された南京捕虜虐殺事件というのもあった。
588日本@名無史さん:2011/02/06(日) 20:37:45
学の無い右翼は変な思想の集団に教えられたことを声高に叫ぶ。

歴史を知れば戦争に略奪や虐殺が付き物だって事は知っているだろう。
信長も秀吉も家康も略奪や虐殺をしている。
それが人間の歴史。それを受け入れ学ぶのも同じ人間。

右翼は戦争を美化しすぎ。美しい戦争なんて現実逃避の賜物。
歴史を学ぶ事は現実を直視する事。そして未来を創る事。
589日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:02:40
確かに中国はチベットで、朝鮮はベトナムでいろいろした事忘れちゃいけないよね。
590日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:05:12
倭寇は日本人
591日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:10:35
ザパニーズの走りですね。
592日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:21:23
成長しない家の信者は人類や世界について一般論を述べても、理解できない。
教祖が彼らに教えてるのは狭く小さな世界観。
総てをその狭く小さなものさしでしか図れない。
>>589 中国は有名なとこでも曹操の徐州大虐殺や文革等を行っている。
日本もアメリカも世界中の国は虐殺の歴史をもっているんだよ。
それなのに教祖に教えられたチベットだけしか知識が無い。
教祖の説く世界が非現実的な世界だと気付く事が人類の歴史を学ぶ前提になる。
593日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:34:07
チベットは現実ではなかったんですね
あと一般論をただ受け入れることになんの意味があるのでしょう
一般論なんて真実の探求から最も遠いものではないですか
594日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:43:05
日本史板だっつーの
595日本@名無史さん:2011/02/06(日) 21:49:18
薩長同盟の発案者は坂本龍馬である。
596日本@名無史さん:2011/02/06(日) 22:00:38
>>592
知名度的にはチベットの方が断然高いんだが。
で、朝鮮人の方は触れないのはなんで?
597日本@名無史さん:2011/02/06(日) 22:33:55
>>590
初期倭寇は間違いなく日本人だし、後期倭寇にも日本人が混ざってないこともないので、全部間違いってのもどうかと
598日本@名無史さん:2011/02/07(月) 06:58:18
北条早雲は一介の素浪人だった。
599日本@名無史さん:2011/02/07(月) 07:01:10
秀吉の下積み時代のエピソードはほとんど嘘。
600日本@名無史さん:2011/02/07(月) 10:08:56
明智光秀の「敵は本能寺にあり」だが、
これは、頼山陽の七言律詩「本能寺」の中の
「吾敵正在本能寺」
からとったもの。

この言葉は、元禄時代の「明智軍記」が初出だが、資料としての信ぴょう性は低い。
ただし、光秀(あるいは側近の重臣)が、これから攻めるべき敵の正体や居場所を
兵卒たちに知らせる必要は当然あるから、実際に、似たような言葉を発した可能性は十分にある

601日本@名無史さん:2011/02/07(月) 10:44:28
川端康成のガス自殺。
実際は、遺書はなく、事故死か自殺かは不明
602日本@名無史さん:2011/02/07(月) 11:18:33
>>600
川角太閤記が初出じゃないか?
603日本@名無史さん:2011/02/07(月) 11:48:59
会津観光史学に決まってるだろ。
どんだけ嘘八百並べて情弱騙してんだ。
604日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:47:27
>>603
「情弱」って何?
605日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:51:05
>>604
スルーしてあげてください
606日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:52:55
もしかして「惰弱」のこと?
607日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:54:00
会津出身の友人はイジケルとすぐ
「どうせ賊軍出身だからな」という
608日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:58:25
情報弱者の略らしい
609日本@名無史さん:2011/02/07(月) 20:01:13
仁徳天皇陵

あ、今は大仙陵古墳って呼ぶのか。
あそこに仁徳天皇が埋葬されてるって言ってるのはもはや宮内庁だけか。
何気に外堀を埋められていってる宮内庁。
610日本@名無史さん:2011/02/07(月) 20:59:18
学術的には大仙古墳、通称「仁徳天皇陵」見たいな感じだが、
これはむかしっからではないか?
ちなみにグーグルの地図では、「仁徳陵」と記載されてる。

宮内庁は指定を変えないだろう。一つ変えると皆再指定しなければ
なら無い可能性がでてくるし、長官の個人的意見としてだろうが、
「異なっていても陵の御霊はそこに移っている」と言い切ってるからね。
611日本@名無史さん:2011/02/07(月) 21:11:02
めちゃくちゃだなw
他人の墓にお前の先祖はいるんだよて言われてもへいきなのかな。
612日本@名無史さん:2011/02/07(月) 21:34:15
宮内庁は学者に発掘調査させない理由を「現存する天皇家の先祖の墓だから」
みたいな言い訳をしてるけど、かなり無理のある理由だよね。
613日本@名無史さん:2011/02/07(月) 21:35:40
調査の機会は設けていたはず。多くは無いし発掘は無かったと思うが。
614日本@名無史さん:2011/02/07(月) 22:00:45
天皇家の墓としている割に天皇が古墳に墓参りに来たこと無いよな。
615日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:35:33
田沼の腐敗政治
616日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:49:19
在任時から金権ぶりを風刺画にされていたからなぁ。
成り上がりだけにそういったイメージが強かったということなのかも。
617日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:34:36
去年平城遷都1300年のからみで、
天皇皇后両陛下が奈良訪問の折、
元明天皇陵と光仁天皇陵に参拝してたね。
けど、光仁天皇陵は治定間違いらしい。
618日本@名無史さん:2011/02/08(火) 05:23:05
大室天皇 長州人のお国自慢のトンデモ神がかり皇国陰謀史観にすぎず、他県人から見ると
排他的独善的オナニー的言いがかりの不遜をただ冷笑するのみだ。
619日本@名無史さん:2011/02/08(火) 06:13:39
>>618
と会津人が主張している、ところまで全部含めて俗説かな
620日本@名無史さん:2011/02/08(火) 09:09:12
太閤は豊臣秀吉だけ
水戸黄門は徳川光圀だけ
621日本@名無史さん:2011/02/08(火) 09:39:41
そんなの言われてないでしょ。
622日本@名無史さん:2011/02/08(火) 10:02:09
水戸黄門はトリビアの泉で採用されてたね。
番組のレベルが低いって書き込みが多かった。
623日本@名無史さん:2011/02/08(火) 10:05:54
だから「だけ」なんて誰が言ってんの?
って話だろう。

誰も言ってないんだから。
624日本@名無史さん:2011/02/08(火) 15:34:54
ついでに、北の政所、大の政所もそう
625日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:13:31
大の政所wwwww
626日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:22:46
小沢一郎は戦後最大の政治家www
627日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:34:01
誰も語ってないから却下。
つうより史実でも何でもないし。
628日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:47:21
>>614
してるよ。ほとんど報道されないから知らないだろうが。
629日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:57:02
龍馬の姉の栄が自刃
630日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:55:24
>>628
一部の古墳だけだろ
631日本@名無史さん:2011/02/10(木) 00:01:52
>>563
君は何を言ってるのかね。
日本軍でもないのに軍が給料など払うわけないであろう。
慰安婦は民間の売春業者に雇われてる売春婦なので給与は売春宿の親父が払ってる。
軍は、今の風俗店に対する都道府県警の、企業の設立廃止に対する法務省の、
日本相撲協会に対する文科省と同じ立場で、売春業者に規制をかけたり
許可・不許可の決定をする官庁。
たとえば文科省は相撲協会に殺人暴行を禁じてる。
でも相撲協会や相撲部屋は法や命令を無視して勝手にリンチ殺人をやってしまった。
犯罪者として逮捕されるべきは、暴行殺人を行った親方や兄弟弟子か、
監督官庁の文科大臣かという話。
雪印や不二家が起こした不正行為で監督官庁の農水大臣が、船場吉兆の偽装事件で
知事が起訴されるのかという話。
632日本@名無史さん:2011/02/10(木) 00:09:53
言い忘れたが、日本軍は慰安所の売春宿に対して、本人(売春婦)の意思に反する売春行為はするなと何度も通達を出してる。
それでも法や政府の命令を無視してやる奴はいる。
それは今の風俗店も同じ。
刑法でどれほど詐欺を禁じても詐欺師は人を騙しても金を儲けようとするし、
殺人を禁じても人を殺す人間はやっぱり殺す。
その責任は誰にあるのかということ。
633日本@名無史さん:2011/02/12(土) 19:14:02
まだやってるw
634日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:58:43
歴史的に観て、軍は大概略奪や暴行はするなと軍令を出している。
それでも軍令や上官を無視して略奪や暴行をするやつはいる。
それはいつの時代どこの国でも同じ。
その責任は誰にあるかという事。
635日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:35:14
龍馬の「乳などいらん!」発言
636日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:44:30
ネトウヨは戦争=大東亜戦争
歴史板住民は戦争=歴史全般の戦

略奪や強姦は当たり前に対して
ネトウヨ=大日本帝国軍
歴史板住民=歴史全般の戦
637日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:19:31
豊臣秀吉は非男色家
638日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:23:26
本能寺に江の幻影が現れたこと
639日本@名無史さん:2011/02/13(日) 19:00:37
>>637
そうじゃないの?ネタ元しらないが、近臣が気を回して
美童のお小姓さんをつけたけど全然興味をしめさなかったとか。
640日本@名無史さん:2011/02/13(日) 22:02:04
>>634
軍内部で私的制裁はやるなって軍令出しているが、組織的私的制裁は止まなかった。
悲劇的な私的制裁も多数経験談として報告されている。軍令は全く全然完全に効果が無かった訳だ。

軍令一つで対処しようとして、根本を見直さなかった軍の責任だろ。これは。
641日本@名無史さん:2011/02/13(日) 22:16:05
まあどっかの相撲協会も上の方では八百長するなと指導、八百長の事実はないって言ってても
実際はばっちり八百長してたからな
642日本@名無史さん:2011/02/13(日) 23:17:30
桂小五郎は吉田松陰の弟子
643日本@名無史さん:2011/02/13(日) 23:20:21
そんなこと司馬遼太郎でも書いてないだろ
644日本@名無史さん:2011/02/14(月) 07:02:59
>>642
藩校、明倫館で教授を受けたことはあるので、弟子といって全く間違いではない。
松下村塾の塾生と言うと間違いだけど。
645日本@名無史さん:2011/02/14(月) 08:12:14
ttp://www.japanforum.com/forum/japanese-language-help/36099-japanese-scroll-translation.html
外人の掲示板みたいなトコでたまたま見かけたんだけど誰か読める?
元和元年五月五日、神君くらいしか分からない
646日本@名無史さん:2011/02/14(月) 08:17:34
>>645
精神なら読める(キリッ

実際パチモンとかじゃねーのか?
元和元年って今から400年くらい昔なのに綺麗杉ねーか?
647日本@名無史さん:2011/02/14(月) 10:19:27
細川忠興は織田信長のご落胤
648日本@名無史さん:2011/02/14(月) 12:15:25
本能寺の変の後に明智光秀に森蘭丸からの手紙が届いたこと
649日本@名無史さん:2011/02/14(月) 17:58:04
>>645
昔の漢字読めないから分からんな
神君御駒って徳川からでも送られた馬かと思ったけど絵が普通に松だもんなぁ
繁之松とかググッても出ねぇし適当に無名の作家とかが描いたもんかパチもんじゃね

二枚目の精神はそのまま読めるけど左下のが全然分からんな
漢詩にしちゃ文字数変だしそもそも俺芸術分からんからもうシラネ
650日本@名無史さん:2011/02/16(水) 09:45:09
上杉謙信という名前だった

諱は輝虎、謙信は法号
651日本@名無史さん:2011/02/16(水) 16:58:09
戦時中、英語は敵性語として、一般国民には教えられることも使用されることはなかった
しかし、完全に排除されたわけではない
工業や商業学校、軍エリート、海兵学校、陸軍工兵学校などでは、
必要な語学として学んでいた
652日本@名無史さん:2011/02/16(水) 23:14:02
日本の偏狭さみたいな逸話の一つになってるけど、第一次大戦中は
アメリカでドイツ語追放運動他があったはず。
653日本@名無史さん:2011/02/17(木) 02:45:12
日本は先進世界の優等生、つまり適用過剰なんだと思う。従軍慰安婦も欧米から教えを受けたし。
654日本@名無史さん:2011/02/17(木) 14:09:26
>>639
その話、いかにも後世の作り話っぽい
秀吉の性癖は本当のところはわからない。
655日本@名無史さん:2011/02/17(木) 14:16:07
源氏でなければ征夷大将軍になれない
656日本@名無史さん:2011/02/17(木) 14:26:05
徳川家光は妾腹の子
657日本@名無史さん:2011/02/17(木) 16:16:29
友達が「歴史とか勉強する意味ねぇよ。過去じゃん」と言ってきた。
僕は迷わず彼の右頬をぶん殴った。友達は半泣きになりながら「何すんだよ!」
と叫んだ。
僕はもう一度拳を振り上げる。咄嗟に防御の姿勢をとる友達。拳を下ろしながら
僕は言った
「そうやって防御できるのも過去を学んだおかげだろうが!」
ハッと何かに気付いたように、友達は涙を流し謝ってきた。
僕はテキトーな事を言ったのに何コイツ泣いてるんだと思った
658日本@名無史さん:2011/02/17(木) 16:48:54
いい友達じゃないか
659日本@名無史さん:2011/02/17(木) 18:07:04
「何すんだよ!」 と言いつつ、とりあえず一発殴りかえさないのか、不思議だ。
660日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:02:12
>>657 はスレ名に沿った話だよwwww
661日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:03:52
ドイツのビスマルクの言葉
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」

賢い人は他人の失敗を教訓にするけど、バカは自分が痛い目に遭わないとわからない・・・
ホント、その通りだね
オレオレ詐欺やねずみ講に引っ掛かるなんて、まさにそれ
事件の被害に遭っているのも、よく新聞記事を読めば、その被害者も不用意な
行動を取っている
662日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:48:22
てか、拾ったコピペ貼っただけなんだが・・
そんなマジメに捉えられるとは・・
オマイらいいやつだな・・
スマンかった・・
663日本@名無史さん:2011/02/17(木) 21:42:48
>>661
その言葉ってさ、要約すると「先に2chで評判調べとけ」ってこと。

新作ゲーム買う時とかは身に染みる言葉だわな。
買ってクソゲーつかまされた、ってなる前に2ch辺りで評価見といた方がいい。
ただ、何でもかんでも誰かがやったことを見聞きしてからでないと行動しないようだと
単なる頭でっかちな臆病者になってしまう。
偉大な先駆者というのは、失敗を恐れずに誰もやらなかったことに挑戦したからこそ成功を得られたのだから。
664日本@名無史さん:2011/02/18(金) 16:12:26
バイアスがかかった評価から真実を見分ける能力がある人間なら
他人の評価をあてにしなくてもなんとかなりそうな気がするが
665日本@名無史さん:2011/02/18(金) 20:41:12
>>663
最近は、ゲームでもネガキャンや業者の書き込みがあまりにも酷くて2chでは正常に判断できない
気がかなーーーりするんですが。
666日本@名無史さん:2011/02/18(金) 23:37:33
>>665
某管理人曰く「嘘を嘘と見抜ける人でないと掲示板の利用は難しい」

って何年も前に言ってるんだが。
667日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:38:44
>>666
それは管理を放棄するための言い訳。
超能力者でもないかぎり、数度の書き込み内容を信用できるか信用できないか判断はできない。

そして、普通の人間は超能力なんて持っていない。
668日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:55:59
まあクソゲーかどうかの簡単な判別方法として、
攻略スレが立ってる→良ゲー
反省スレが立ってる→糞ゲー
って感じでいいんでないかね。
669日本@名無史さん:2011/02/19(土) 02:08:29
>>668
ところが、業者含めた強烈なネガキャンがあるから、その判断では俺は判別できないと思う。
既に2chはそういうトコに成り下がっている。

それは、ずいぶん前からだと思うけどね。
670日本@名無史さん:2011/02/19(土) 02:10:29
>667
それ。webの書き込みを信じる奴はバカだと遠まわしに言っているんだと思われ
671日本@名無史さん:2011/02/19(土) 05:43:25
てか思いっきりスレチ
672日本@名無史さん:2011/02/19(土) 08:35:32
ゲハってどこにでも沸くんだよな
673日本@名無史さん:2011/02/19(土) 09:40:20
2ちゃんに限らず、人の書き込みを真に受けるなよ
どんなことでも、それが正しいかどうか自分で確認することだ
確認できなければ、迂闊に信用してはいけない
674日本@名無史さん:2011/02/19(土) 10:34:24
ゲームだけじゃなく、デジカメや家電、書籍など皆ファンやアンチと業者のせめぎ合いが
あって、2chの評価が信用できない状況にある。
675日本@名無史さん:2011/02/19(土) 11:35:42
まるで最近に限った様な書き方をするけど昔っからだろ
飽くまで「便所のラクガキ」
むしろ真に受けてる人が増えた印象
676日本@名無史さん:2011/02/19(土) 14:57:09
いや、パソコン通信の頃は大手ネットでもそれなりに、信用できた。
草の根ならさらに信用できた。インターネットでも初期なら信用できた。
677日本@名無史さん:2011/02/19(土) 15:12:14
パソ通ってw
いま何歳なんだよ?いくつまで2チャンネラーやってるの?w
678日本@名無史さん:2011/02/19(土) 16:10:29
はあ、2chの平均年齢はやたら高いのは周知の事実だろw
679日本@名無史さん:2011/02/19(土) 16:25:38
ナッちゃんと山野は55歳
680日本@名無史さん:2011/02/19(土) 16:39:31
>>676
10年以上前の事を今更何言ってんだよ
他所の板でやれ
681日本@名無史さん:2011/02/19(土) 16:43:43
はあ?話の流れに沿っていて問題ないだろ。
ま、スレ違いなのは認めるケドなw
682日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:20:40
ハードがそれなりの価格で、ソフトは日々のメンテが必要で、通信費が時間制だった頃は
ネットワークの情報は善意を前提としても問題なかった

誰でも使えるようになって嘘が大半になった
683日本@名無史さん:2011/02/19(土) 20:35:51.02
いつも思うんだが、スレ地スレ地とほざく奴は、
話を元に戻せるような話題を提供しろよ
何も話題がないから、過疎らんように話を続けているんだからな
それぐらい理解しろよな
684日本@名無史さん:2011/02/19(土) 20:57:57.38
過疎って何か問題でも?
685日本@名無史さん:2011/02/19(土) 21:16:59.49
社会性のある人は、日頃自分の意見を主張できないから
掲示板やブログで吐き出すんだよ

掲示板なんてチラ裏でいいんだ
686日本@名無史さん:2011/02/19(土) 22:04:26.42
>>683
自分を正当化するためならなんでもありのお子ちゃまか?
適当なネタがないなら過疎らせておけばいいだけ。
687 冒険の書【Lv=1,xxxP】 :2011/02/19(土) 22:44:44.06
今川氏真は凡愚
688 冒険の書【Lv=6,xxxPT】 :2011/02/19(土) 23:42:10.66
tes
689日本@名無史さん:2011/02/20(日) 05:27:10.06
>>640
慰安婦と関係ない。
あんたが言ってるのは軍という組織内部の不祥事。
軍という組織で起きた犯罪・不祥事に対して軍が責任を負うのは当たり前。
上官の不条理な暴行で兵士が負傷したらその責任は軍にある。
同様に慰安所の不祥事は経営者に責任があるのはいうまでもない。

簡単な話なのにわからんかなあ。
現在の日本でも風営法の枠内で営業してる風俗店がある。
監督官庁は各地の都道府県警。
大部分の経営者はその指導に従って適法に営業してる。
でも、中にはクズの経営者もいて、法律や条例を無視して契約通りの賃金を払わなかったり、
借金のカタに売春させたり、未成年者を働かせたりしてる。
その不法行為の賠償責任は風俗店の経営者にあるのか、日本政府や都道府県にあるのかということ。
あんたは、政府や都道府県が経営者に代って風俗嬢に「不当な労働を強いてすまなかった」と謝罪し、
経営者がピンハネした賃金の分まで肩代わりすべきだと言いたいのか?

自動車メーカーに一方的に解雇された労働者には監督官庁の経産省が、
タクシーの運転手の過労死に対しては国交省が、テレビ局の報道被害に対しては総務省が
会社や経営者に代って賠償すべきであるという、極めて無責任な話になってしまうな。
690日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:18:48.66
>>686
お前バカか?
どうせ過疎っているんなら、何でも書き込んでも不都合はないだろ
頭の固い奴め
691日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:35:30.43
江が光秀に説教した
692日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:38:45.13
武士の戦場での振舞いを美化しすぎ

戦闘力を無くした相手を捕虜にするのではなく、首を狩る。
首狩りは手柄の証明。
そして狩った首を晒し者にする。
武士は首狩り族と実は同じ。
693日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:43:59.90
>>692
> 武士は首狩り族と実は同じ。
誇り高き首狩り族の儀式と武士の蛮行を一緒にすんな。
知恵遅れの知ったかぶり見苦しい。
694日本@名無史さん:2011/02/20(日) 10:53:29.10
首は邪魔になるから鼻か耳だぜ
695日本@名無史さん:2011/02/20(日) 11:09:15.31
耳塚とか鼻塚とかあるね
696日本@名無史さん:2011/02/20(日) 11:14:53.52
晒し耳とか晒し鼻より晒し首のほうがいいな
697日本@名無史さん:2011/02/20(日) 12:15:35.37
下っ端は耳か鼻。大将はクビだね。
クビは検分され認められれば報償にありつける。
698日本@名無史さん:2011/02/20(日) 12:36:51.36
鼻や耳を切り取られても生きられる。敵を討ち取った証明には
首が最適。
699日本@名無史さん:2011/02/20(日) 13:06:08.49
兜首や敵方の大剛の士の御首級ならば恩賞確定
大将級のミシルシならば恩賞は計り知れず
700日本@名無史さん:2011/02/20(日) 13:53:05.00
マラ狩りのほうがエロい
701日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:04:17.12
>>700
阿部定は褒賞されるべきだった。
702日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:40:52.93
>>690
2ちゃんねるのルールすら守れない低能です宣言ですか、
そうですか
703日本@名無史さん:2011/02/20(日) 17:51:19.08
>>702
2チャンネルのルールだと、笑わせるなww
この引き篭もり坊やww
704日本@名無史さん:2011/02/20(日) 17:54:11.56
ま、無駄に板を増やしたくせにろくに管理せず厨が荒らし回ってても野放しな2chで
ルールもへったくれもないわな。
705日本@名無史さん:2011/02/20(日) 19:58:49.70
首狩りや耳そぎ鼻そぎが手柄の証明ってのは日本だけじゃない。

同国人どうしでの戦でなら残虐行為と言われないのに異国間の戦闘では残虐行為となる。
命を奪い合う戦争行為そのものを正当化して、戦闘行為から派生する命以外の収奪を断罪すると矛盾が生まれる。
706日本@名無史さん:2011/02/20(日) 20:54:09.43
>>703
ねえねえ、なにがおかしくて笑うの?
バカなの?
707日本@名無史さん:2011/02/20(日) 21:19:33.53
江姫が清洲会議に出席し発言もした。
708日本@名無史さん:2011/02/20(日) 21:20:26.73
南京虐殺なんて証拠無しで言ってる時点でもうね、話しにならない。
709日本@名無史さん:2011/02/20(日) 21:25:44.85
>>707
大河ドラマシエちゃんは全編ネタだから、
書き始めるとキリがない。
710日本@名無史さん:2011/02/20(日) 23:42:13.83
>>651
> 戦時中、英語は敵性語として、一般国民には教えられることも使用されることはなかった

この時点で間違いなんだが…
授業だって行われてましたよ、白い目で見られてましたが。
711日本@名無史さん:2011/02/21(月) 09:58:16.06
>>710
ちなみに、その根拠と言うか、出典は?

昨日の大河ドラマで、安土城消失が、織田信雄のせいだとするシーンがあったが、
それは説の一つに過ぎず、真相は不明
それと、天守閣は確かに焼失したが、二の丸部分は残っており2年ほどは居住用に使用されていた
712日本@名無史さん:2011/02/21(月) 12:49:50.00
>>711
出展はたくさんありすぎるんで、まあこれでも見てくれ。
http://www.nhk.or.jp/etv22/tue/summary.html#vol3
713日本@名無史さん:2011/02/21(月) 16:35:58.64
先見性のある信長は書物をあつかう店も開店したようだ、まぁこれでも見てくれ

http://www.youtube.com/watch?v=m37jFUz72Ts
714日本@名無史さん:2011/02/21(月) 19:41:42.89
鼻そぎは欧州にもあるな
715日本@名無史さん:2011/02/21(月) 22:40:36.99
在日は、被害者

716日本@名無史さん:2011/02/21(月) 22:47:15.28
空気読めない金王朝の被害者なんだろう
717日本@名無史さん:2011/02/21(月) 22:49:06.40
ある部分での被害者としての側面は否定しないが、
日本への移住は自ら進んで行ったことだし、
まして犯罪行為をする権利などはない。

犯罪は日本の抑圧ゆえの我らの当然の権利だ、という意見を認めることは出来ない。
718日本@名無史さん:2011/02/22(火) 09:55:16.48
在日が被害者だと言うなら、いつでも韓国に帰ればいいんだよ
なぜ帰らないんだ?
どうせ、徴兵制がイヤだからだろ
719日本@名無史さん:2011/02/22(火) 11:25:48.81
天孫降臨、神武東征、三韓征伐
720日本@名無史さん:2011/02/22(火) 11:58:46.38
それはそもそも神話なんだから怪しいのは当たり前
ただ天皇勢力が東方からきたことや、朝鮮に日本列島の影響が及んでたことはほぼ間違いないだろう
721日本@名無史さん:2011/02/22(火) 12:04:13.69
>>718
帰るに帰れないんだろ
だいたい移民なんて国を捨ててきてるんだから帰る場所なんてない
帰ったらパンチョッパリだろ


もう少し謙虚に生活したら文句言われないのに……
722日本@名無史さん:2011/02/22(火) 19:24:55.37
リアル世間では、戦後長らく差別はあったけど、政治上や論壇やマスコミの
論調などでは「虐げられた民族」、「被害者(=正義)」などの立場とされたからね。
これは今もそうだろ?
今いる在日のほとんどは徴用によって日本に来た人々の末裔という神話
がなんの批判も無く流布してるし、義務教育段階じゃそう教えている。
これじゃ一部の在日に変な選民意識が宿ったとしても当然のように思える。
723日本@名無史さん:2011/02/22(火) 19:28:11.62
>>721
とりあえずごり押しが有効だった成功体験あるから無理

イタイネット右翼に頑張ってもらって、ごり押しは反感呼ぶことをまなんでもらうのを願おう
724日本@名無史さん:2011/02/22(火) 19:39:10.50
龍馬の姉の栄が自刃
725日本@名無史さん:2011/02/23(水) 23:01:45.88
時代劇や江戸村にある椅子、テーブル、カウンターまである居酒屋。
726日本@名無史さん :2011/02/24(木) 00:34:57.20
陰陽師の実態。学者でさえも(陰陽道研究の第一人者とされる学者)、陰陽師を魔法使いのように扱う。
727日本@名無史さん:2011/02/24(木) 13:03:24.34
そんなにもてないような風貌だったのか

やっぱ恋愛の話は意図的に避けたり気を使うんだろうな
728日本@名無史さん:2011/02/24(木) 21:16:20.37
いみふ
729日本@名無史さん:2011/02/24(木) 22:49:10.79
陰陽師は30歳まで童貞だったってことだよ。
730日本@名無史さん:2011/02/24(木) 23:08:25.43
今年の某大河ドラマで演じられているコメディ全般
731日本@名無史さん:2011/02/25(金) 00:04:46.67
本能寺の変時点で茶々こと淀君がすでにアラフォーだというのも史実に反している
732日本@名無史さん:2011/02/25(金) 08:49:20.65
それぐらいどうってことない
古い話だが、40歳の佐久間良子が14歳のねねを演じたこともある
733日本@名無史さん:2011/02/25(金) 08:56:03.03
「淀君」や「淀殿」の呼称は、本人存命中の同時代の史料にはなく、
実際は「淀の方」などと呼ばれていたらしい
734日本@名無史さん:2011/02/25(金) 21:02:40.97
子供の頃、野球アニメ「巨人の星」で星飛雄馬が
「坂本龍馬のように死ぬ時は溝の中でも前のめりに・・・」
とか言ってたんで、てっきり龍馬は屋外で襲われて死んだと思ってた。

735日本@名無史さん:2011/02/25(金) 22:13:05.28
敬称として「〜殿」と「〜の方」だとどっちが格上だろう?
「淀の方」とはいうけど「加賀の方」とか「三の丸の方」って呼ばれたんだろうか?
736日本@名無史さん:2011/02/26(土) 10:25:21.20
宮本武蔵には、お通というじょのかーがいた
737日本@名無史さん:2011/02/27(日) 01:16:38.74
>>733
> 実際は「淀の方」などと呼ばれていたらしい

「など」って何だよ。他に何があったんだよ?
738日本@名無史さん:2011/02/27(日) 09:45:17.53
そんな程度のことすら、自分で調べる能力もなし??
739日本@名無史さん:2011/02/27(日) 10:36:08.14
>>737
茶々の呼称
大阪城側室時代「三の丸殿」
淀城側室時代「淀の方」
伏見城側室時代「二の丸殿」
大阪城秀頼母時代「お袋様」「かか様」「母公」
茶々の呼称が淀君となったのは江戸時代中期。
その後、昭和になって井上靖が「淀どの日記」を書いて
「淀殿」の呼称が定着する。
740日本@名無史さん:2011/02/27(日) 11:20:50.16
>>739
なんだ、実際には淀殿とは呼ばれてないのか?
今年の大河では、淀殿とか呼ばれそうだなぁ
741日本@名無史さん:2011/02/27(日) 15:08:38.84
もうすぐ聖徳太子は渡来系だったという事になります
捏造工作が進行中です

742日本@名無史さん:2011/02/27(日) 21:29:39.02
聖徳太子は日本古来の神を排斥して日本を仏教の国にした人だからな。
寺を建立し、三法を(仏法僧)尊び、外国の政治制度や文化を日本に導入した人。
その後明治になるまで仏教が日本を支配する事となる。
743日本@名無史さん:2011/02/27(日) 21:51:44.20
聖徳太子って、景教の影響をも受けていないか?

あの流行碑とはちょい年代は違うケドさ。
744日本@名無史さん:2011/02/27(日) 22:07:28.05
蘇我氏と組んで物部ら日本的な勢力を排除して渡来系を要職につけたし、
想像上の人物だとしても仏教(渡来系勢力)の影響が窺えるな。
745日本@名無史さん:2011/02/28(月) 01:30:34.60
幕府代官の暴政と女色
746日本@名無史さん:2011/02/28(月) 02:41:27.15
大正天皇がアレ

そして受け継がれたアレ
747日本@名無史さん:2011/02/28(月) 03:04:45.10
大名行列に土下座
748日本@名無史さん:2011/02/28(月) 08:42:04.57
御三家の行列だけには土下座だよね
749日本@名無史さん:2011/02/28(月) 09:52:44.57
その人物が誰なのか、昔と見解が異なっている肖像画

聖徳太子像
足利尊氏の騎馬武者像
武田信玄の坊主像
神護寺三像(源頼朝、平重盛、藤原光能)
750日本@名無史さん:2011/02/28(月) 09:55:28.17
フランシスコ・ザビエルはトンスラ(中剃り)をしていた。
751日本@名無史さん:2011/02/28(月) 09:57:30.65
最近は教科書でも単独で聖徳太子と記載することが少なくなってるね。
752日本@名無史さん:2011/02/28(月) 10:06:27.64
西郷どんも挙げろや
753日本@名無史さん:2011/02/28(月) 10:11:53.51
西郷さんは弟の写真という説が有力だね。
754日本@名無史さん:2011/02/28(月) 10:15:01.41
西郷の写真はまったく存在しない。
西郷隆永が正しい名前。
755日本@名無史さん:2011/02/28(月) 11:32:51.36
>>749
武田信玄の場合は「坊主じゃない」から別人説が出た。
756日本@名無史さん:2011/02/28(月) 12:38:18.62
有名な西郷隆盛の肖像画は、キヨソーネが描いたものだが、
あくまでも西郷隆盛の肖像画として描いたものであることは事実。
それが本人に似ているかどうかとは、まったくの別問題
757日本@名無史さん:2011/02/28(月) 12:49:36.78
西郷の写真はまったく存在しない
or
どこかに存在しているが未発見である、あるいは本人とは断定できない
758日本@名無史さん:2011/02/28(月) 12:54:04.53
前に何かの番組で西郷さんの写真を探すというのをやってたけど、
写真嫌いだったから探すのも苦労するって話だったな。
で、それらしい写真が出てきたんだけど、確証はないってことで決着が付いてた。
759日本@名無史さん:2011/02/28(月) 18:09:52.75
http://kids.gakken.co.jp/rekishi/news/0401_18.html
西郷隆盛が生きていた時代に(明治9年)描かれた肖像画。
幕末〜明治の日本人水墨画家、平野五岳の作。
上野の銅像の西郷さんなんかは若い頃なんだろうね。
こっちの肖像画だと結構なお年。
760日本@名無史さん:2011/02/28(月) 23:04:51.52
>>753
あれは、西郷隆盛没後に、弟をベースに複数の近親者を参考にキヨソーネが描いた
西郷の肖像画の写真。
「弟」の肖像画ではなく、あくまで隆盛の肖像画。
説も何も、最初からそういうものだと分かっている。
761日本@名無史さん:2011/02/28(月) 23:17:56.75
>>749
騎馬武者像は戦前から違う違う言われたのにな。
762日本@名無史さん:2011/03/01(火) 02:20:28.83
かの北条時宗像も実際は甥の北条定宗像と言われてる。

あと、等持院に歴代足利将軍の木像があるのは有名だが、
義満像と義持像が取り違えられたままになっていることは
あまり知られていない。京博の出展でも説明がなかった。
763日本@名無史さん:2011/03/01(火) 04:09:46.57
キヨソーネが描いた時点で、西郷を知る人間は山のように存命していた。
似てねぇなら似てねぇと、批判が出るよ。
モデルにした従道も親類の大山巌も、似てたからモデルにしただけ。
ま、耳の形は違ったようだけど、キヨソーネの絵は似てるってことで。

あと、上野の銅像に未亡人が似てないと言ったというバカ説があるが。
あれは、あんなラフな格好で人前に出るような礼儀知らずではないという意味。
実際、鹿児島の西郷像は正装している。
賊軍の将として正装させられなかった事を残念に思った未亡人の無念を知れ。
764日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:16:15.88
未亡人の発言の真意だが、そんなことは言った本人にしか分からない
本人に確認したとでも??
他人がさもわかったような決め付けをする方が、よほどバカ

肖像画についても、そもそも「本人に似せて描くハズだ」と言うのもただの思い込み
写真がない以上、似ているかどうかは、会ったことのないオレたちには断定できない
そのことは朱元璋や伊達政宗の肖像画を見ればわかる

765日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:22:09.32
またクレーマーか
766日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:29:22.34
上野の西郷隆盛像は高村光雲作だぞ。(知らないヤツにはその価値が分からんかw)
あと、下野していた時期に岩倉市悦団派遣のため留守を頼むために西郷のところに行くと
着物一枚しか持って無くて、それを洗うとふんどし姿で過ごしたという証言もあるから、
奥さんの感想は別として印象としては外れてないんじゃないの?
767日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:34:53.33
>>766
> 着物一枚しか持って無くて、それを洗うとふんどし姿で過ごしたという証言もあるから、

司馬作品は「証言」とは言わん
768日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:35:58.56
司馬作品じゃないけど。
769日本@名無史さん:2011/03/01(火) 09:36:40.31
光雲にしたって、自分の意志だけで、あの格好の銅像を製作したわけではない
あれは近親者や関係者の同意を得て、製作に取りかかったものだ
奥さんの無念って言われても、それは光雲の責任ではないし、
奥さんの思いをそんなに尊重するのなら、撤去すればいいだけの話

それよか、戦時中の金属回収令から、よくも逃れたもんだな
770日本@名無史さん:2011/03/01(火) 10:44:06.08
秀吉がお市の方に惚れていた

真っ赤な嘘っぽい

771日本@名無史さん:2011/03/01(火) 14:25:20.68
ミッドウェー海戦で日本空母3隻がアメリカの艦載機の急降下爆撃を受けた時、
日本側も攻撃隊を発艦させるところだった。

真っ赤なウソ。

攻撃隊は、まだ全機、格納庫内で出撃準備をしていた。戦史叢書でさえ通説を
否定している。
772日本@名無史さん:2011/03/01(火) 17:44:57.86
じゃ、5分もあれば反撃体勢が整ったなんて大嘘なんだねw
773日本@名無史さん:2011/03/01(火) 19:38:46.86
そう、大嘘。
もしそうなら、3空母被弾と同時に飛龍から攻撃隊が発艦していなければなら
ないが、まだ準備ができていなかった。
被弾時に赤城から飛び立っていたのは、上空直援機。
「運命の5分間」は全くのウソ。
774日本@名無史さん:2011/03/01(火) 23:55:43.96
いや、それはじいちゃんが本当だった言ってたが。。。
775日本@名無史さん:2011/03/02(水) 00:01:18.74
人間年とりゃ耄碌するさ
776日本@名無史さん:2011/03/02(水) 01:49:25.30
なんか、西郷のことについても、高村光雲についても
みな説明不足で乱暴な書き方だよなー。

他人の書き込みの言葉尻をつかまえて「バカ」と書き込むのが
一番の大馬鹿だけど
777日本@名無史さん:2011/03/02(水) 02:14:05.43

×上野の西郷像の顔は似ていない
 当時生前の西郷を知る者は多数いた
 妻が「あの人はこんな人じゃない」と言ったのは、人前にだらしない格好で出てくる人ではないという説がある
 岩倉が来たとき着流しだったのは、西郷が出席を拒否していたから

 ×肖像画についても、そもそも「本人に似せて描くハズだ」と言うのもただの思い込み
 ×奥さんの感想は別として印象としては外れてないんじゃないの?
  この2つの意見は根拠なし
778日本@名無史さん:2011/03/02(水) 09:47:20.46
肖像画なんて、本人死んでから何十年もあとに描かれたものがたくさんあるのに、
そういったものは、似せられるハズがない


779日本@名無史さん:2011/03/02(水) 09:56:07.51
780日本@名無史さん:2011/03/02(水) 10:36:24.37
美術史分野だと、似ているか否か(肖似性)はあまり問題にされず、
作者が誰を描こうとしたのかという意識のほうに重点が置かれがち。
781日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:31:19.27
小学校や中学校でなんで、西郷隆永とか真田信繁とか、
明確に間違いがわかっているものは訂正して教えないの
源頼朝の肖像画も平重盛ですよとか

子供達に間違いを教えてもいいの?
782日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:46:20.11
学校がというか、教科書会社が。
783日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:49:08.26
ピラミッドは大勢の奴隷を働かせて建てられましたって教わったよ
784日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:50:03.27
日本史板でピラミッドw
永遠に信じてなさい
785日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:55:29.82
新聞も読んでない情弱が居着いてるみたいだが、
最近の教科書では頼朝像(とされる)絵は載せない傾向になってるぞ。
786日本@名無史さん:2011/03/02(水) 17:18:10.51
頼朝像とされるって、三人のうち誰かわかんないのを、
源氏の棟梁っぽくね?っていい加減に決めつけてきただけじゃん
学問なんだから「伝頼朝像」とかごまかさず、
「おことわり」って顛末をコラムできちんと書いといてほしいものだ
787日本@名無史さん:2011/03/02(水) 19:32:36.82
頼朝像は甲斐善光寺の木像でも載せておけばいい
788日本@名無史さん:2011/03/03(木) 06:16:09.03
浅井の方とか君とかじゃないかな?

ちなみに、君とか方は、後に遊女をそう呼んだから、淀君は無礼とか、だれかがネガってるが
多分違うと思う
大体正室じゃないんだし
789日本@名無史さん:2011/03/03(木) 09:37:57.07
源氏でなければ征夷大将軍になれない

歴史小説では当然のように書かれている。
鎌倉幕府には公家将軍や宮将軍がいたし、その次も後醍醐天皇の皇子がなった。
江戸幕府でも四代家綱の後に有栖川宮を迎えようという意見があった。
790日本@名無史さん:2011/03/03(木) 22:47:35.20
>>788
平安時代でも〜君とか呼ばれていたんじゃなかったっけ
だから淀君でも何の問題もないと思う
なんで〜君は無礼だとかいう人が増えたんだろう
791日本@名無史さん:2011/03/04(金) 00:45:22.04
日本の夜明けぜよ
792日本@名無史さん:2011/03/04(金) 09:24:12.83
>>791
このフレーズの元ネタは何?
793日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:24:56.37
鞍馬天狗の決め台詞を土佐弁にしただけ
794日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:41:27.66
「脱藩」
かっこよく思っている人が多いみたいだけど、
人員整理でリストラされた人が多い

「京に上って天下を語る」
職を失った人が京都や江戸で職探し

「天誅」
職にありつけず強盗
795日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:44:25.50
茶々の「淀君」の君はどーたらこーたらって、
もう昔から聞き飽きたことだが
今年の大河の「江」にもちなみ
これからも偉そうに言い出す厨房君が増えるのであろう
796日本@名無史さん:2011/03/04(金) 20:00:17.49
脱藩系で明治で一番成功した志士って誰?
797日本@名無史さん:2011/03/04(金) 21:25:53.87
板垣退助ぜよ
798日本@名無史さん:2011/03/05(土) 03:01:15.72
じゃあさ、じゃあさ
脱糞系で一番成功したのは?
799日本@名無史さん:2011/03/05(土) 03:06:51.26
権現様を叩いてもね
あれは仕方ないし、正直じゃないですか

正義を騙る会津の嘘つき子孫なんぞに比べれば、はるかにまともな逸話です
800日本@名無史さん:2011/03/05(土) 07:40:45.89
>>796
陸奥陽之助じゃね?
801日本@名無史さん:2011/03/05(土) 10:12:35.91
まあ、フセイン大統領、フセイン元大統領をサダム・フセインと呼んでるようなもんだしなあ>淀君論

で、スレタイに戻って
各地の天皇陵と呼ばれる古墳群。産経ウゼー
802日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:43:51.32
>>798
近衛府官人連中は願い空しく貧乏人のまま終わったか
803日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:59:20.60
>>790

「君」は身分の高い女性に付けられる称。
「御」は身分の低い者に付けられる。


女房名も、一条<二条と名前によってランク付けがあった。
804日本@名無史さん:2011/03/05(土) 13:05:40.16
二条が上なの?
805日本@名無史さん:2011/03/05(土) 13:31:08.82
えーと九条流の序列は
1.一条か九条(論争が尽きない)
2.九条か一条(論争が尽きない)
3.二条
806日本@名無史さん:2011/03/05(土) 14:12:36.80
>>804

間違えた!一条が上です。
807日本@名無史さん:2011/03/05(土) 17:24:18.59
>>764
> 未亡人の発言の真意だが、そんなことは言った本人にしか分からない
> 本人に確認したとでも??
> 他人がさもわかったような決め付けをする方が、よほどバカ

黎明館に行って、配ってる冊子読め無学の決めつけバカ。

> 肖像画についても、そもそも「本人に似せて描くハズだ」と言うのもただの思い込み

本人に会ったことがある明治天皇に見せるものが似てなくてどうする。
おまえこそ思い込みで物をいうな。

> 写真がない以上、似ているかどうかは、会ったことのないオレたちには断定できない

お前が断定できなくても同時代人には断定できるっての、カス。

> そのことは朱元璋や伊達政宗の肖像画を見ればわかる

遠近法も伝わってなかった時代の絵画技術と比べてどうするアホ。
少しは絵の歴史を調べて物を言えアホ。
808日本@名無史さん:2011/03/05(土) 17:29:28.45
>>769
> 光雲にしたって、自分の意志だけで、あの格好の銅像を製作したわけではない
> あれは近親者や関係者の同意を得て、製作に取りかかったものだ

製作には同意しても、どんな像かは序幕まで伏せられていたのも知らないバカ。
皇居近くに置くのも反対され、けっきょく上野、それも官服でない物になった歴史も知らないカス。

> 奥さんの無念って言われても、それは光雲の責任ではないし、

誰が光雲の責任とか言い出してるんだ妄想野郎。

> 奥さんの思いをそんなに尊重するのなら、撤去すればいいだけの話

賊軍の将が間接的にも赦されて像を作ってくれたんだ。
撤去なんて言えるはずもねぇだろ、無学。

> それよか、戦時中の金属回収令から、よくも逃れたもんだな

そうだね。
809日本@名無史さん:2011/03/05(土) 18:14:25.24
なにカッカしてんだ?
810日本@名無史さん:2011/03/05(土) 19:15:35.33
そうです、閣下
811日本@名無史さん:2011/03/05(土) 20:05:59.59
>>807
肖像画の本人との類似度の議論に、さすがに遠近法は関係ないかとw
812日本@名無史さん:2011/03/05(土) 20:11:01.37
>>798
脱糞系と言えば川路利良しかおらん
813日本@名無史さん:2011/03/05(土) 20:14:46.86
うんちんぐクイーンのことを言ってるのでは?
814日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:02:06.10
忘れた頃にキチガイの反論ww
アホ草ww
815日本@名無史さん:2011/03/05(土) 23:15:10.99
>>807
何だお前、からかわれてカッカしたのか??
まぁ、そう怒るな
サル並みの知能にしてはよく出来た文章だww
816日本@名無史さん:2011/03/06(日) 01:48:19.88
なぜか朝鮮と日本が戦争したみたいに言いふらされていること
817日本@名無史さん:2011/03/06(日) 01:53:55.30
>>788
淀「も」正室
818日本@名無史さん:2011/03/06(日) 03:11:45.85
> それよか、戦時中の金属回収令から、よくも逃れたもんだな

そうだね。



なんでここだけ冷静ww
819日本@名無史さん:2011/03/06(日) 07:08:44.55
上野の銅像には、西郷隆永って書いてあるの?
820日本@名無史さん:2011/03/06(日) 10:55:03.14
明治政府の公文書では西郷「隆盛」でしょ?
本人が「間違ってるけど、訂正するのもなんだしそれでいいかー」って認めてるんだから。
新政府に入った後は「隆盛」が正式な名前と考えていいと思う。
明治の元勲はみんな改名しまくってるんだし。
821日本@名無史さん:2011/03/06(日) 11:18:33.03
>>820
ありがとうございます
822日本@名無史さん:2011/03/06(日) 11:45:38.84
西郷従道も、本当の名は西郷隆興なのに、
「オイの名前はじゅうどうだ」(本人はりゅうこうと言ったつもり)と言ったために
今に伝わる名前を当て字されてしまった
823日本@名無史さん:2011/03/06(日) 16:24:09.71
名前変えて当たり前の時代だから抵抗ないんでしょうね。
824日本@名無史さん:2011/03/06(日) 17:01:43.01
戸籍スレで庶民が大事に名字を伝えたと言ってる馬鹿をどうにかしてくれ。
名前すらこのざまなのに。
825日本@名無史さん:2011/03/06(日) 17:40:30.36
でも「さいごうつぐみち」っていい響きだよね
826日本@名無史さん:2011/03/06(日) 17:42:44.95
みっちーと呼んでね。
827日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:54:08.10
「おんな聞き書き 徳川慶喜残照」を読むと
昔のひとがほんとに普通に「ケイキさん」「ジュウドウさん」って
呼んでたのがわかるな。
828日本@名無史さん:2011/03/06(日) 20:42:24.94
関ヶ原での東軍勝利で家康の天下が確定した
829日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:06:38.25
でも当確だべよ?
830日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:44:07.00
>>828
こういうのは結局言葉の定義を争うだけになるからつまらん。
831日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:54:26.69
>>828
「関ヶ原での東軍勝利で家康の天下が確定した」が史実でないというのは、
1.関ヶ原前にすでに天下は実質的に家康の物
2.関ヶ原時点ではまだ天下は定まっていない
のどちらだと言いたいの?

>>824
苗字と名前を比較したら、家制度から考えれば苗字の方が重いだろ、常識的に考えて。
明治の元勲は名前はひょこひょこ変えてるけど、苗字を変えるのは君命で別の家を立てたり、
継いだりしたケースしか無い。
832日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:55:21.78
豊臣秀吉は?
833日本@名無史さん:2011/03/06(日) 22:59:13.74
江戸時代は武士以外「刀」を持てなかった
834日本@名無史さん:2011/03/06(日) 23:38:18.05
そんなこと史実のように語られてないよw
国定忠治や清水の次郎長ってみんな知ってるじゃん。
835日本@名無史さん:2011/03/06(日) 23:46:02.99
豪商、豪農が苗字帯刀って言うくらいだし。
836日本@名無史さん:2011/03/07(月) 09:11:47.29
みんな脇差のイメージだけどね

西洋の護身刀はどんなもんだったのかな
837日本@名無史さん:2011/03/07(月) 10:44:10.08
マスコミの正体
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/20.html
海外の反日マスコミと一心同体。業務提携・住所一致
838日本@名無史さん:2011/03/07(月) 13:15:10.80
やっぱり弁慶だな
いまだに本当に実在した人物なのか確定すらしていないという・・
839日本@名無史さん:2011/03/07(月) 13:43:49.36
弁慶は歌舞伎なんかで描かれたキャラクターは創作だけど、
吾妻鏡でもちゃんと存在が確認されてるよ。
840日本@名無史さん:2011/03/07(月) 17:27:05.26
まさか本当に立ちながら死んだなんて思ってる奴はいねーよな
841日本@名無史さん:2011/03/07(月) 17:38:05.22
僧形の家来くらいはいたんじゃないか、というレベルの話だろ。
842日本@名無史さん:2011/03/07(月) 17:40:42.44
「いたんじゃないか」ではなく「いた」という記録があるということだよ。
843日本@名無史さん:2011/03/07(月) 19:14:51.31
吾妻鏡は虚実織り交ぜてるからな、
静御前とか吾妻鏡にしか登場しない人物がいるし。
当時の貴族や僧侶が多くの日記を綴っているんだけど、それらと検証してゆく作業がいるな。
844日本@名無史さん:2011/03/07(月) 19:15:13.21
佐野源左衛門常世
845日本@名無史さん:2011/03/07(月) 20:08:03.73
やっぱり静御前の鶴岡八幡宮での舞もフィクション?
846日本@名無史さん:2011/03/07(月) 21:33:19.07
>>845
どちらとも断言はできないと思うよ。
鎧をつけての八艘跳び、断崖を馬で駆け下りる、
物理的に無理なことはフィクションと言い切れるけど
静御前とか弁慶の実在は裏付けとなる資料、できれば同時代人の手による物がほしいよね。
ちなみに各地にある弁慶や静御前ゆかりの名所・旧跡は跡付けされたものが多く、伝承も当てにならない。
当てにならないって言い切るのも本当は駄目だと思うけどね。
847日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:27:22.19
吾妻鏡を史実とするのは問題あるよね。有綱=義経の婿とか。
弁慶の名があるからといって鵜呑みには出来ない。
848日本@名無史さん:2011/03/08(火) 02:13:17.95
>>846
断崖ではないだろ。
険しい山
849日本@名無史さん:2011/03/08(火) 08:53:47.22
>>847
吾妻鏡だけではない。平家物語にも弁慶は登場する。
義経記にも謡曲にも。
850日本@名無史さん:2011/03/08(火) 09:22:59.47
弁慶も静御前も浦島太郎も、正史の歴史書にちょこっとだけ名前が載ってて、
それを後世の人物が肉付けして、いろんなエピソードが語られるようになったんだな
ルソン助左衛門も「黄金の日々」でそんな感じになってしまった




851日本@名無史さん:2011/03/08(火) 09:51:33.34
吾妻鏡より百錬抄や増鏡・五代帝王物語の方が正確なのかな。
852日本@名無史さん:2011/03/08(火) 09:56:17.98
高尚なお話でなくていいから、
もっと俗っぽいネタはないの?
853日本@名無史さん:2011/03/08(火) 11:34:09.20
道鏡の巨根伝説。元ネタは江戸時代の狂歌だったはず。
854日本@名無史さん:2011/03/08(火) 11:36:31.11
ラスプーチン巨根はマジ。ググると画像が出てくる。
855日本@名無史さん:2011/03/08(火) 11:36:56.21
道鏡が皇位を狙ってその旨宇佐八幡にお伺いを立てたなんて
なんか茶番劇、皇位の権威を示すためだけの称徳天皇のブック(自作自演)
という気がしないでも無い。坊主が神社にお伺い立てるというのも変な話だろ
856日本@名無史さん:2011/03/08(火) 11:54:05.82
2054位 弓削 約7,300名 高皇産霊神裔の弓削連、弓削朝臣。ほか饒速日命裔の弓削宿禰も、道鏡が有名。

↑弓削氏は道鏡だけではないから。元が神道系らしいから。」
857日本@名無史さん:2011/03/08(火) 14:18:11.54
>>855
> 坊主が神社にお伺い立てるというのも変な話だろ

だって天皇が仏教に帰依しちゃうんだぜ?
858日本@名無史さん:2011/03/08(火) 14:23:24.66
つまり聖徳太子より物部守屋が正しいわけですね
859日本@名無史さん:2011/03/08(火) 14:24:35.41
神仏習合が分離されたのは明治以降からだから。
それまで結構曖昧。神宮寺なんて当たり前の世界。
860日本@名無史さん:2011/03/08(火) 14:35:43.42
静御前は今も存在しているよ
これ、何のことかすぐに分かった人は、とても物知り!
861日本@名無史さん:2011/03/08(火) 15:09:13.08
>>853
古事談
862日本@名無史さん:2011/03/08(火) 17:21:30.64
上司「鹿がおりられるなら、馬でも可能だ。」
部下「鹿の足は山に適応できるように跳躍力があり、柔らかいのです。」
部下「武者を乗せては鹿でも馬でも降れません。」

馬と鹿の違いが判らない上司には困っただろう。
863日本@名無史さん:2011/03/08(火) 17:32:15.44
「秀吉が市に惚れてた」
「清正や正則はねねを母と慕ってた」
「一方で三成は淀君派」
この辺りは歴史関係者すらまるで史実のように語ってることが多いな
864日本@名無史さん:2011/03/08(火) 17:47:18.85
>>863
武功夜話?司馬遼太郎?
865日本@名無史さん:2011/03/08(火) 22:25:41.39
>>862
近藤好和氏によると十分可能とのこと
866日本@名無史さん:2011/03/09(水) 00:05:20.02
アンデスかヒマラヤで観光客を馬に乗せて上がっていく光景が有名だよね。
こう、「馬」というとデリケートなサラブレッドを念頭においてる人が多いように思う。
867日本@名無史さん:2011/03/09(水) 00:51:50.05
当時の馬はサラブレッドの半分くらいのサイズ
868日本@名無史さん:2011/03/09(水) 07:00:20.64
木曽馬で画像検索したら一発だろ
869日本@名無史さん:2011/03/10(木) 20:46:57.22
そろそろ甲斐姫の生涯は後世の楽しい創作だと注意書きをいれたほうがいい。
地元も町起こしの材料だからといって、稗史をばら撒きすきだ
870日本@名無史さん:2011/03/11(金) 10:05:04.33
都は、
長岡京→平安京→東京
871日本@名無史さん:2011/03/11(金) 11:11:45.20
加賀100万石の藩祖は前田利家
872日本@名無史さん:2011/03/11(金) 15:36:48.50
面白かったのが巨大馬「松風」信じていた奴がいたこと。

花の慶次のエピソードが100年後には史実として語られているかも。
873日本@名無史さん:2011/03/11(金) 16:06:23.88
>>864
司馬以外でも「歴史街道」とかに寄稿してる自称歴史作家連中あたりは
小説じゃなく歴史に関しての文章依頼されてるのに平気でそのあたりの
ヨタ史観前提で書いてるなw
874日本@名無史さん:2011/03/11(金) 17:54:22.74
>>873
「歴史街道」なんか学会の論文でも大学の史料でもない
単なる一般人向けの「読み物」。
歴史小説も載せているし別に確定した史実を語る場じゃないだろ。
学者ではなく作家に原稿を依頼しているあたり、
「自分はこう思う」と書いてまったくおkな雑誌。
「歴史街道」を読んであれに書かれていることが全部
一次史料に基づいた史実だと思うほうが問題あり。
875日本@名無史さん:2011/03/11(金) 19:23:54.70
>>一次史料に基づいた史実だと思うほうが問題あり。

残念だが日本人はそう思ってしまうんだな
876日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:13:11.63
読み物だから、小説だから、飛ばしでも妄想炸裂でも構わない
というのはあまり賛成しない。
877日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:25:30.92
想像はありうる。
しかし明らかに逆のことをさせて、これこそ真実、と書いては、後々迷惑になる。

例えば鳥羽伏見の戦いの後、松平容保が神保修理を助けようとして、別の家来が容保の名で切腹をさせて容保が号泣するシーンは、
元々敗戦責任は松平容保にかけられていたということ、松平容保が自分の責任を回避するために神保に死を言い渡したことに
反する。事実に反する賛美は加害者を被害者に変えようとする試みであり、腐臭が漂う。
878日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:41:33.02
>>877
それは貴方の主観だと思います。
貴方の歴史観は一般的な歴史観と相容れない感じがします。
でもみんなが同じ意見でなければならないとは限りません。
貴方は貴方の意見を大事にしてください。
879日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:53:06.22
史料からいうと、松平容保は自分の罪を他人に着せて殺した悪党でしかないのですが?
彼を称えるのはとてもおかしい
880日本@名無史さん:2011/03/11(金) 22:59:16.91
第一次長州征伐も同じだな
毛利のそうせい公は悪党
881日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:10:27.98
何を聞いても「そうせい」公と、
止戦を聞き入れずに旧幕府軍を率いて出て行った主犯の松平容保を同じと言い張るとは

被害には哀悼の意を表する
ただし他人を騙り悪事を行い、他人に罪を着せようとした、この会津人ほど卑劣な人間を私は他に知らない
882日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:15:49.10
なんだキチガイか
家中のトップが責任を取らないことでは同じだ。
アンチ会津は自分に都合のいい解釈しかできない。
883日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:17:53.02
藩主が責任取る世界がどこにある?
884日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:21:36.26
やっぱりキチガイだw
学問板にいて恥ずかしいという感性すらない。
885日本@名無史さん:2011/03/13(日) 22:06:43.55
だれが言い出そうが、
社長が決裁したら社長の功績であり社長の責任でもあることは、
世の中の常識
886日本@名無史さん:2011/03/15(火) 20:39:55.75
>>885
開戦の御聖断を下した昭和天皇に戦争責任があると言いたいのか?
887日本@名無史さん:2011/03/20(日) 10:28:36.62
当然だろ
888日本@名無史さん:2011/03/20(日) 12:34:24.09
責任ないわけないじゃん。
889日本@名無史さん:2011/03/20(日) 12:37:31.65
不敬だばkぁ
890日本@名無史さん:2011/03/20(日) 18:14:04.39
例えば原発で事故があった場合、トップが責任をとらなあかんのんか?
利益配当に与っていた株主は責任はないんか?
891日本@名無史さん:2011/03/20(日) 18:49:47.16
事故が収まっても、莫大な損害賠償、補償が待っている
経営陣や株主は実質的に責任取らされる
原発は恐い
関電や他の電力会社は大丈夫なの?
892日本@名無史さん:2011/03/20(日) 19:09:06.42
株主は経営者じゃないから。
もちろん、株を持ってる経営者は別。
893日本@名無史さん:2011/03/20(日) 20:11:48.68
株主は有限責任だからな
894日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:38:42.72
経営者は過失がある場合は莫大な個人賠償をさせられる。
895日本@名無史さん:2011/03/21(月) 08:14:48.88
隠れキリシタンがいたこと
896日本@名無史さん:2011/03/21(月) 08:52:30.97
いたけど?
897日本@名無史さん:2011/03/21(月) 12:28:55.69
逆にどういう意味でいなかったと言えるのか興味あるわw
898日本@名無史さん:2011/03/21(月) 22:38:48.42
隠れキリシタンの存在なんて講談のなかだけでしょ。

水戸黄門レベルでは
899日本@名無史さん:2011/03/22(火) 00:18:21.44
オラショもしらないのか....
900日本@名無史さん:2011/03/22(火) 00:42:15.91
>>898
ちょっと検索してみ?
末裔の人が取材受けた記事が出てくるから。
901日本@名無史さん:2011/03/22(火) 06:58:49.47
水戸黄門の末裔がか?
902日本@名無史さん:2011/03/22(火) 07:10:32.27
庶民のほとんどに名字があったとか、隠れキリシタンはいなかったとか、最近のゆとりはすごいな。
903日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:11:03.14
浦上崩れとかしらんのか?
904日本@名無史さん:2011/03/26(土) 18:59:11.04
>>875
同意
漫画とかゲームならともかく
作家センセイが文章で書いてるなら史実なんだろうと思われちゃうんだよね
905日本@名無史さん:2011/03/26(土) 20:22:17.45
そんなもの嘆いても始まらん。
906日本@名無史さん:2011/03/27(日) 04:47:06.80
「そのとき歴史は」「知ってるつもり」とかテレビでも研究者じゃなく作家をゲストに呼ぶのが多かったな。
907日本@名無史さん:2011/03/27(日) 06:00:22.09
水戸黄門が諸国漫遊した。
遠山景元が白洲でもろ肌脱いだ。
908日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:02:04.50
瀬戸内の島出身の奴が、先祖からうちは隠れキリシタンだよ、っていって、
古い十字架と、マリア様(っぽいもの)みせてくれたことがあるが。
夢だったのかい?>>895
909日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:32:11.33
切り捨て御免
910日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:41:14.65
隠れキリシタンは鎖国時代にヨーロッパで生まれた伝説だよ。
プレスタージョン伝説の同類だ。
明治になって日本に輸入されて小説、講談、映画等で庶民に
広まった。史実と思い込んでる人も多いが、まともな歴史家は
一笑に付している。
911日本@名無史さん:2011/03/27(日) 10:41:22.03
>>910
お前がなんと言おうと、実際に隠れキリシタンの末裔は現在でも存在するし、
幕末に発見されたキリシタンが弾圧を受けた歴史的事実もある。
少なくとも事実を無視するような奴らは「まともな歴史家」じゃねーよ。
912日本@名無史さん:2011/03/27(日) 11:18:53.33
>>911
"隠れキリシタン"が"発見"されたのは開国して西洋人が日本に来た後じゃな
いか。西洋人の神父が長崎周辺でこっそり布教しだんだよ。見つかると、
隠れキリシタン伝説に仮託して責任逃れをした。これが真実。
913日本@名無史さん:2011/03/27(日) 12:37:09.99
邪宗門令を、無かったことにしたいのかい?
914日本@名無史さん:2011/03/27(日) 12:42:04.04
末裔と名乗るものがいたからといって
実際に江戸時代を通してコソコソ信仰が
続けられていたという証拠にはならない。
915日本@名無史さん:2011/03/27(日) 12:57:19.43
>>914 ふむ。確かに邪宗門令への対応は、どっかの寺の檀家に入ることしか
なかったから、その文章は正しいな。
 俺はおまえさんが某日蓮宗徒かなんかで、ムキになって邪宗門令を否定しよう
としてる、と思ってた。誤解してたな。多くの藩が、邪宗門令への対応として、
領内のキリスト教徒を日蓮宗の寺の籍にしたんでな。素朴な質問だ。
 ただ、コソコソした人の心の中を証拠として出すのは、無理だと思うぞ。
 あとは>>911とよろしくやってくれや。ちょくちょく見るから。
916日本@名無史さん:2011/03/27(日) 15:16:44.48
島原の乱は宗教関係なし?
917日本@名無史さん:2011/03/27(日) 17:15:32.48
>>916
半カトリック半重税
918日本@名無史さん:2011/03/27(日) 17:35:22.22
>>912
「隠れキリシタン」はカトリックじゃないぞ?
数百年伝えられてるうちにすっかり独自の宗派となってしまっていて、
儀式とかも「え?これキリスト教?」って感じになってる。
君の主張が正しいとすると、幕末に伝えられてあっという間に変質しまくった
事になるわけだが、どう反論する?
あと、開国後入ってきた宣教師が布教したというのは、10年足らず、禁教令のある中で
捕まっただけで数百人という膨大な布教に成功したわけか?
919日本@名無史さん:2011/03/27(日) 18:56:22.39
>>916
島原の乱の場合、幕府方が豊臣の残党への恐怖心を増幅させたために
苛烈な弾圧になったという説もあるみたいよ。
920日本@名無史さん:2011/03/27(日) 19:58:08.93
>>918
君は隠れキリシタン伝説をそのまま信じてるね。
何が真実かを確かな史料に由って見極めなさい。
921日本@名無史さん:2011/03/27(日) 20:53:52.23
>>920
とりあえず、幕末のキリシタン弾圧については、津和野に記念館があるな。
あなたの主張だと、あれは存在しない事件のために作られた記念館なわけだ。

隠れキリシタンの人へのインタビュー記事はちょっとぐぐれば出てくる。

君が幻想だと思い込んでいるものが真実だよ。君が真実だと思い込んでいるものは幻想に過ぎない。
922日本@名無史さん:2011/03/28(月) 16:10:57.68
史実のように語られがちなこと(かの国限定)

宇宙の起源は「かの国」
923日本@名無史さん:2011/03/28(月) 16:14:21.83
生類憐みの令は天下の悪法
924日本@名無史さん:2011/03/28(月) 17:46:18.28
とりあえず隠れキリシタンはいなかった君、君の詳しい歴史観を聞かせてくれ
これじゃ、ただの揚げ足取り君だ
925日本@名無史さん:2011/03/28(月) 22:34:00.74
いたの?いなかったの? どっち?
926日本@名無史さん:2011/03/29(火) 00:46:27.90
いたよ、
お袋、五島の出だけど、子供の頃よく聞かされた
927日本@名無史さん:2011/03/29(火) 08:26:18.32
>>926
伝説を聞かされたんだろ。隠れ里のようなものだね。
928日本@名無史さん:2011/03/29(火) 08:42:21.72
>>924
隠れキリシタンの話が庶民の間で史実として定着した背景は
1,鎖国時代に西洋で生まれた伝説
2,開国後に入信した日本人信徒の発覚
3,僻村の奇祭を面白おかしくキリスト教に結びつけた素人"郷土史家"
4,通俗小説、映画、講談、浪曲等大衆娯楽を通じての普及

大河ドラマを史実と混同するレベルの大衆が信じてしまうのも無理ないね。
929日本@名無史さん:2011/03/29(火) 10:08:41.00
ところで、いなかったっていう論文とか文献とかあるの?
ここまで「隠れキリシタンがいた」通説を否定するんだから根拠はあるんだよね?
930日本@名無史さん:2011/03/29(火) 11:24:03.96
>>928
いなかった主張は幕末から明治限定みたいですねえ。
931日本@名無史さん:2011/03/29(火) 13:56:56.06
>>928
もう少しその考え方のもとになったものが知りたい。それだけしゃ、
大河ドラマの史実とどっこいどっこい。
932日本@名無史さん:2011/03/29(火) 14:05:16.76
隠れは、いたんだよ、バチカンも認めてる
933日本@名無史さん:2011/03/29(火) 17:00:54.68
船宗門御番所
1613から本格的な宗門捜査がはじまった、秀忠による邪宗門令捜査用の番所。
置かれていたのは各藩の港。陸上に大八車しかない時代、港は各藩の物流拠点で
あった。←決して僻地じゃない
934日本@名無史さん:2011/03/29(火) 17:15:52.21
踏み絵とかは捏造の話なのか?
935日本@名無史さん:2011/03/29(火) 17:31:45.83
>>934 んなわけねえよな
備前国の迷走
天文〜慶長年間にかけてをピークに、キリシタンは西日本で増え続けた。
秀吉の懐刀・宇喜多秀家は家臣が法華派・キリシタン派で対立した際、法華派に
キリシタンに改宗せよ、と迫った。
その後、関ヶ原を経ての邪宗門令発布である。今度は、とりあえず宗門を!と、
池田家が庶民に迫った。振り回された格好である。このような事態は、各国で
あったと思うのが筋だ。なぜなら、邪宗門令(1613)から宗門改め(1664)ま
で、じつに51年もの歳月がかかっているのだから。
この間に、為政者の手をすりぬけた人物が皆無である、という方が、おかしい。
936日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:59:11.47
よし。


平家の落ち武者伝説が史実である可能性

=江戸時代に隠れキリシタンがいた可能性


これでいいな。


937日本@名無史さん:2011/03/29(火) 21:23:01.44
>>936
平家落ち武者伝説なんてホラが多すぎるし…
938日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:00:22.70
一度、平戸、五島行ってみればわかる、
隠れはいたよ
939日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:16:53.20
どちらも、末裔を自称する者の証言のみが
唯一の根拠という点で同じじゃないか。
940日本@名無史さん:2011/03/30(水) 00:12:35.00
一の疑問 >>929
二の疑問 >>935 →一体何時キリシタンは全滅したのか
941日本@名無史さん:2011/03/30(水) 01:13:46.62
君は全国に残るキリシタン灯篭を知らないのか?
都内にもあるよ
見に行けよ、
942日本@名無史さん:2011/03/30(水) 06:11:48.73
>>938
村おこしで観光客向けの演出やってるの知らないのかw

>>941
十字のデザインがキリシタンの証なら島津家はキリシタンかよw
聖母子像とされている物も実は慈母観音像だということで専門家の間では
決着済み。
943日本@名無史さん:2011/03/30(水) 08:42:33.42
>>942
島津は轡の形を紋にしたんだよ
君は、隠れキリシタンが存在していたということが史実だと、何か不都合なのか?
944日本@名無史さん:2011/03/30(水) 09:42:10.72
ここでまさかの日蓮宗不受布施派告白→>>915 激怒、の流れは、むごいな(笑)
945日本@名無史さん:2011/03/30(水) 09:55:02.72
>>944
不受、、、と創価と大石寺と、どれが一番
日蓮原理主義?
946日本@名無史さん:2011/03/30(水) 10:11:51.34
>>945 知らない。俺はただの歴史ファンだよ。
 >>935 みたいなことがあって、キリシタン弾圧があった。その際、日蓮宗は
 ここぞ、という挽回のチャンスだった。檀家を増やせる、その一心で、藩から
 キリシタンを受け入れたんだと思う。あるいは、藩が、形だけの改宗をしたく
 て、日蓮宗の寺と、形だけの檀家籍にしたことも、あったんじゃないか?
 不受布施派の台頭が、それに対する信者の答えだとすると、皮肉だな、と。
947日本@名無史さん:2011/03/30(水) 10:33:51.70
日蓮上人は法華経主義
他の宗派を許さない
日蓮は立正安国論で念仏を否定し、鎌倉幕府に弾圧された

南北朝・室町時代になって日蓮宗は発展し、
法華一揆により山科本願寺を焼き討ちし、一向宗徒を京から追い出す
天文法華の乱で延暦寺の僧兵が洛中の日蓮宗寺院を焼き討ちし、法華宗徒を京から追い出した

その他の宗派との関わりを断つ事を徹底したのが不受不施派
他の宗派の信者に施しを一切せず、江戸幕府に弾圧された

創価学会は政治団体だが創始者二人が日蓮宗の信者だったため日蓮宗に沿った考えを持っていた
宗教団体化したのは戦後
そして、日蓮正宗から破門された
948日本@名無史さん:2011/03/30(水) 10:41:41.64
>>947 GJ。
となると、まさかの一向宗告白、ってこともありうるなあ(笑)
西日本なんでそのへん、よく知らないのよ。勉強になった。ありがとね。
949日本@名無史さん:2011/03/30(水) 13:39:18.38
隠れキリシタンの話題はオカルト板でやってくれ「
950日本@名無史さん:2011/03/30(水) 13:54:40.54
じゃあ、日本の韓国併合は悪っていう説について
951日本@名無史さん:2011/03/30(水) 14:57:44.45
>>950
それは韓国の人たちが判断することだろ。
952日本@名無史さん:2011/03/30(水) 15:13:27.12
>>949 …この台無し野郎
953日本@名無史さん:2011/03/30(水) 15:18:51.52
>>951
韓国内で意見が分かれてるからこの板で語ろう
954日本@名無史さん:2011/03/30(水) 16:31:12.55
創氏改名、日本語強制や侮蔑が無ければうまくいったかも
955日本@名無史さん:2011/03/30(水) 18:21:01.89
被害者である韓国の人たちが日韓併合は悪であると言ってるのだから
日韓併合は絶対悪だ。加害者である日本人は謝罪しなければ
ならない。
956日本@名無史さん:2011/03/30(水) 18:34:03.93
>>955
金完燮先生は韓国人ではないと?
957日本@名無史さん:2011/03/30(水) 18:39:54.45
も一回やってやればいいんじゃね。
958日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:16:11.53
隠れキリシタンを信じてるやつがいるとは・・・
959日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:53:02.10
>>958
自演乙。しつこいぞ、お前。
960日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:43:22.79
いたのか、いなかったのか。
961日本@名無史さん:2011/03/31(木) 09:03:46.21
隠れキリシタンは長崎の出島にいた
クリスマスが祝えないから次の月をオランダ正月といって御馳走を食べていた
オランダ人だけどね
962日本@名無史さん:2011/03/31(木) 09:08:15.22
前野良沢はクリスマスパーティーをやっていたようだが
963日本@名無史さん:2011/03/31(木) 10:18:23.18
>>962
前野良沢が隠れキリシタンか?
964日本@名無史さん:2011/03/31(木) 10:30:45.87
>>963
間違ったかもしれん
1794年に蘭学者大槻玄沢の江戸の私塾で太陽暦の正月を祝ったらしい その時に前野良沢が参加していた可能性はある それを勘違いしたかも
すまん
日本で最初のクリスマスパーティーは、
1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において宣教師コメス・デ・トルレスたちが日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行った
やつらしいよ
965日本@名無史さん:2011/03/31(木) 10:37:59.74
1622年に長崎で55人の宣教師・信者が火刑、斬首されたらしいけど、なんか少ない気がする
↑いわゆる元和の大殉教
島原の乱も全員がキリシタンだったわけじゃないだろうから、隠れキリシタンはいたとしても、大した数じゃなかっただろうね
江戸時代は宣教師が日本に入って来なかった訳だし
966日本@名無史さん:2011/03/31(木) 13:00:27.82
当時キリスト教は侵略の道具
1588年にキリシタン禁止令を発布した豊臣秀吉が、
フィリピン総督フランシスコ・テーリョに送った書状。

往年、バテレンが日本国に来て、異国の宗教を説き、
我が国の下賤男女をひきつけ、国風を乱し、
国政を害したので、予は堅くそれを禁じた。
しかるに貴国より来た僧侶たちは帰国せず、
各地に赴き、賤しい人々に異国の法を説いてやまぬので、
予はそれを聞いて忍ぶことができず、
誅戮せしめたのである。

聞くところによれば貴国は布教をもって謀略的に外国を征服しようと欲しているということだが、
もし我が国から教師や俗人が貴国に入り、神道を説いて人民を惑乱することがあれば、
国主たる卿は歓びはしまい。
これを思え。
けだし卿らは、そのような手段をもってその地の旧主を退けて新たな君主となったように、
予に背き、我が国を支配せんと企てたのであろう。

967日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:37:48.96
>>955
台湾人は感謝してるのに、朝鮮人は恨んでいるほどだ
創氏改名はヨーロッパの植民地でも行われていたって言うと言い訳になってしまいますが、学校をたくさん作ったのですしね
かなりの人々は自分の名前さえ書けなかった訳だしな
968日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:42:43.48
>>967
それってアメリカ人が日本人に民主主義と文化を与えた系
969日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:43:35.16
>>968
民主主義って具体的に何だろうな
970日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:55:21.04
民主主義
構成員が個々の立場で意見を出して最終決定も構成員自身が行う事でしょ。
国なら国民が意思を表明する場→議会
最終決定権者も国民→審議・評決
971日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:58:08.93
簡単に言うと天皇とか国王に決定権があれば民主主義ではない。
972日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:09:02.76
>>971
戦前の日本でも天皇に決定権は通常無かった
昭和天皇も自分自身で決定したのは、二二六事件の鎮圧命令とポツダム宣言の受諾だけだったと語られている
日米開戦も詳細が決定してから奏上されたらしい
973日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:16:55.90
民主主義って何?で戦前の日本が民主主義かどうかは関係ないじゃん。
今の日本で天皇に決定権があったら民主主義にならないよってことなんだから。
974日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:19:52.91
なんか967の人に軽く聞いてみたらディープにつきまとわれるってやだな。
変に意識過剰すぎ。
975日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:20:37.68
>>973
戦前の日本が民主主義だったなら
アメリカが日本に民主主義を伝えた
ということは成り立たない
と言いたかったのです
976日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:28:07.18
契約じゃないんだから与えたと思う側の理解と与えられたとされる側の理解は共通しないって事じゃん。
977日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:30:51.20
戦前の日本は民主主義だった。
自由主義ではなかった。
978日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:33:28.86
同一人格じゃなければ相手の真意を代弁する事はできない。
「救援物資として古着を送ってやったんだから相手は感謝している。」
その系統。
979日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:45:06.27
>>955
韓国ネタは反則。

>>956
金完燮だけでなく、「植民地近代化論者」は同じようなことを言ってる。
しかし、表だって言ったら命が危ういので、インテリの間だけでひっそりと言われてる。
金完燮は本にしちゃったので大問題になり、裁判に訴えられ大変なことに…
お気の毒に…
980日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:46:09.09
台湾と朝鮮の差はどこから
981日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:59:35.36
>>968
当時の朝鮮には姓のない人がいっぱいいたんですよ。
奴隷とか白丁とか。
「創氏改姓」って、日本で言えば「国民皆姓」。
つまり普通は恨まれることではない。むしろ善政。

ちなみに、公的奴隷を解放したのは日本。
両班が持ってた私的奴隷は両班が財産権を主張したので、解放しなかった。
私的奴隷が解放されたのは終戦直後。
982日本@名無史さん:2011/04/01(金) 00:00:41.40
>>980
李承晩、朴正煕など歴代大統領の反日教育の成果。
983日本@名無史さん:2011/04/01(金) 00:02:35.30
>>982
アメ公が反日系の人間をボスに仕立て上げたからな
984日本@名無史さん:2011/04/01(金) 02:10:57.72
アメリカが仕立てたのは李承晩だけで、朴正煕はクーデター政権だよ。

ちなみに朴正煕本人は反日ではない。反日教育も積極的に進めたわけじゃなく
既に反日が根付いていたために続けざるを得なかっただけ。
985日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:02:16.06
>>977
立憲政体だったが民主主義とは言えない。民主化へ少し歩んだ(普選等)が
とまってしまった。
986日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:30:03.58
日本の戦前の場合、
普通選挙を実現した時点で為政者(加藤・浜口ら)が失政を重ね、
一方で山県有朋が死亡して、陸軍が関東東北閥の占領下に入ったから
政府は薩長藩閥財閥利権主義として脇に退けられ、
東北出身者中心の軍部と彼らのお気に入りの新興財閥が満州殖民を指導してゆく。

国民が政府より軍部を支持してしまったのは不幸であった。
しかもその軍部は東北地方の貧困を満州殖民で解消しようとし、侵略主義へ傾斜した。
987日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:45:11.21
>>986
日本が満州に国を立てなかったら溥儀は殺されてただろう
988日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:45:32.95
二・二六も終戦も軍の統制に関することだった。張作霖爆殺事件で
天皇が首相を辞任させただけではなく断固として軍の統制に
動いたらよかったのかもしれないが、逆に、天皇は自分の個人的言動が
首相辞任を引き起こしたことを反省して抑制的になってしまった。
989日本@名無史さん:2011/04/02(土) 03:30:57.87
>>988
それは浜口内閣の時に統帥権干犯を海軍が指摘した段階でやってないと無理。

天皇が任じた内閣が天皇の全権委任を受けて結んだ軍縮条約の法的根拠を海軍によって揺るがされた。
この時点で天皇が海軍大臣と軍令部長を呼び「朕の信任を得た内閣による条約締結に関し統帥権干犯とは何事ぞ!」と糾弾し軍令部長の首を取ってしまえば良かった。
そうなれば内閣の決定に関し軍(特に編成権)からの横槍は難しくなっていた。
それをしなかったからなし崩しに編成権、統帥権をことある毎に持ち出され人員と古い装備ばかりの軍拡が止まらなかった。

西園寺の書簡を見てもこの時の昭和天皇の動きの鈍さに対する憤懣は見てとれる。
990日本@名無史さん:2011/04/02(土) 22:24:37.43
近代史ネタは荒れるな
それをあえて持ち出すバカが不思議だ
991日本@名無史さん:2011/04/02(土) 22:30:12.17
「イチローは天才」
992日本@名無史さん:2011/04/02(土) 22:34:43.42
事実として語られている
が、史実として語っている奴がいるのか?
993日本@名無史さん:2011/04/02(土) 22:51:13.42
魏志倭人伝って歴史書だけど、邪馬台国には牛・馬がいないって書いてあるんだから、邪馬台国って日本じゃなくね?
994日本@名無史さん:2011/04/03(日) 00:08:14.21
戦後は民主主義、戦前は民主主義じゃない、なんて言えないとこは確かにあるよね
大正デモクラシーって言葉もあるし
幕末、アメリカに渡った福沢諭吉が、ワシントン閣下のご子息は?と聞いて、
「さあ?」と言われて驚いたりしてる
大体、西郷も、大久保も、龍馬も、岩倉も、身分は低かった
国難に直面したら、実力主義に変わる
明治、大正、昭和は、より完成した民主主義への道程だったのではないだろうか?
995日本@名無史さん:2011/04/03(日) 00:10:48.12
いいスレタイなのに
クソスレになってしもうた
996日本@名無史さん
次スレた、ててよ