1 :
日本@名無史さん:
源義経
2 :
日本@名無史さん:2010/10/01(金) 06:34:41
↑ 過大評価?過小評価?
まあ常識的に有名人だから過大評価だというつもりか…
特にどちらにも取れる人物については過大評価か過小評価か自分の意見を明確にお願いします。
中岡慎太郎は過小評価気味。
有名だが語られる時には竜馬の影に隠れがちになってしまう印象
4 :
日本@名無史さん:2010/10/01(金) 10:48:19
過小評価 篤姫
下手したら江戸が壊滅してたかも
過小評価:木戸孝允(桂小五郎)
版籍奉還、廃藩置県をはじめ、藩閥に囚われない人材登用や
軍人を政府の中枢に入れることを危険視するなど、考え方ややることが
幕末・明治初期の人物の中でも傑出してる。
6 :
日本@名無史さん:2010/10/01(金) 18:52:16
中江兆民と幸徳秋水は過大評価されてる気がする。
確かに人生は壮絶だったかもしれんけど、
思想家としてそれほど偉大だっとは思えん。
源実朝は過小評価というか馬鹿にされすぎている気がする
儀式に新調した鎧を持っていこうとしていた御家人を武士の精神に反すると叱った話なんて武士の棟梁らしいと思うのだが
過大評価の最たるものは野口英世。実績が何もない。
>>8 あれはハンディを背負った人間でもここまで「頑張った」んですよーってモデルだもの
業績云々じゃなくて、「頑張った」ことを見習え、って類の
ヘレン・ケラーとか、まぁそんなんだ
10 :
日本@名無史さん:2010/10/01(金) 21:01:14
ノーベル平和賞の受賞者なんか努力賞みたいな奴けっこういるわな
11 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/01(金) 22:22:23
>>6 その二人のレベルがダメなら同時代だと誰になるの?
文学者?
福沢諭吉?
誰?
12 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:38:43
過大評価
柳生宗厳
そもそも大和国一国一人印可であって、上泉の一番弟子ではない。
剣術の技量そのものは、同門の疋田、丸目より劣っていたと思われる。
宗矩のおかげで、柳生庄を回復、それで悠々な隠遁生活。
将軍家指南役、宗矩無くば、新陰流自体が世に出ていたかどうかわからない。
13 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 12:30:54
ジョン万次郎。それほど役にたってない。
西郷隆盛。
過大評価でもあり、過小評価でもある。
15 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 13:41:44
過大評価
本田宗一郎
過小評価
中村良夫 ホンダ技術者
>>15 劉邦や豊臣秀吉みたいな人だったんだろうからそんなもんだと思う。
17 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 17:25:53
織田信長の過大評価は比肩するものなし。
最近は落ち着いたけどね。
18 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 17:32:09
>>17 いや、過大評価じゃないよ。古代的中世的権威と秩序を
根底から否定した天才的革命児だよ。秀吉、家康は信長の
遺産を相続しただけ。
19 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 18:24:32
まだこんなこと恥ずかしくもなく言えるノブヲタがいるのか。
20 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:11:32
21 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:14:19
元々の歴史的な評価は高いのにファンみたいな人が必要以上に持ち上げて、
過大評価みたいになってる人はいるかもね。
戦国大名はそんな人が多い印象。
22 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:27:37
武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いだって、小学生も知ってるほど名高いけど、
日本史の流れ、また戦国史の中で「中原に鹿を追う」という意味で考えると、
何一つとして小学生にも知られるような要素はないんだよな。
中央の政治に無関係なのにテレビに出てくる回数が多い東国原みたいなものだ。
23 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 09:51:41
室町最後期は中央政局なんかどーでもよくて
徳川勃興に深く関わる武田や北条や今川といった東国情勢が
日本史の本流であるかの如く扱われるは
江戸時代以来の伝統です。
24 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 09:51:44
美空ひばり、石原裕次郎
25 :
24:2010/10/03(日) 09:52:31
↑過大評価の例
26 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:12:43
後醍醐天皇は過小評価されてると思う、
歴代天皇の中では優秀な部類じゃないだろうかあの人。
それなら光格天皇も過小評価。
幕末における朝廷権威勃興の礎を築いた天皇なのに
教科書レベルじゃ登場しないんじゃないかな?
後水尾天皇も
29 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 19:09:03
過大…坂本
過小…高杉
30 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 19:22:29
過小評価: 木戸孝允
31 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 19:55:14
高杉と木戸は、かなり評価されてるだろ。
過小評価は久坂ゲンズイ。
32 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 20:13:44
竜馬伝の後藤象二郎と岩崎弥太郎の描かれ方はひどいと思わないか?
大河なんてとうの昔にひどい作品ばかりになってますが、なにか?
って、フィクションまで対象に入れちゃうの?
34 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 04:21:04
幕末のクーデター主犯は全部過大評価…
人物っていうか、長州藩。
坂本龍馬土佐とか、大久保西郷篤姫の薩摩におんぶしてただけ。
倒幕の成功は薩摩藩あってこそ可能だったけど、
明治政府での薩摩閥は西郷大久保の横死が祟って
ぱっとしなくなるからなぁ。
37 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 10:16:07
小早川秀秋
過大評価されすぎ。
38 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 14:39:48
坂本龍馬は過大評価。
ただの薩長の仲介役だし。
日本初の会社設立っていうのも、そんなに重要かな?
まあ真偽はともかくとして船中八策くらいかな、評価されるのは。
39 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 16:37:26
徳川家康は過大評価されすぎ。
あんなやついなくても天下は治まったよな。
40 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:31:45
それを証明してくれたらありがたい。
三成ヲタの俺には最高の話題だ。
戦国の終焉ということではたいした役割は残して無いけど、
幕府設置と将軍、大御所としての決定、施策がその後の歴史に
与えた影響がデカイ(当たり前)ので特筆されるのは当然かと。
42 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 21:35:20
司馬と加来は大の家康嫌い
43 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 22:01:32
凄いから天下取ったのか、天下取ったから凄いのかは
ほとんど確かめようがないことだから仕方がない。
44 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 00:03:18
>>37 そのとおり。
あんなやつがいなくても西軍は崩れていたに違いない。
45 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 05:52:00
秀吉。信長の功績を横取りしただけ。
家康に到っては信長の重商主義路線を農本封建制に
逆転させた反革命家。
46 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 08:45:25
とゆーか天下を取るだの言ってる奴は
みんな最初から横取り目当てだろw
47 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 09:56:56
マッカーサー元帥。
あんなやついなくても日本は無条件降伏したし、降伏後もおとなしくして、
反乱なんかしなかったよな。
48 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:51:38
信長を過大評価してるやつがいるなw
過大評価 豊臣秀長
過少評価 豊臣秀次
司馬史観でやたらと過小評価されてるのは乃木希典。
世界史に残る将星なのに。
51 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 09:48:32
禿ネズミ秀吉猿なんぞは国を疲弊させただけの
ただの殺戮DQNじゃないか
52 :
↑:2010/10/10(日) 11:37:06
すみません
ウツケ信長のことでした
53 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 20:23:01
乃木は過大評価だな。講談浪曲の中だけでの英雄だ。
旅順を落としたのは児玉源太郎。乃木の唯一の"功績"は
配下の兵で死体の山を築いたこと。
乃木は確かに海外での評価は高いんよ。
どこの士官学校でもジェネラル・ノギを教えてた(現在は知らんけど)ほど。
ただしこれは、その軍才や実績を評価してのことじゃないんだわな。
西南戦争で軍旗を奪われたのを恥じ、自刃を企てるも阻止されたが、
後に明治帝の死に殉じることでお詫びとしたその責任感を、
「いいか、お前らも将校なら、国や自分たちの掲げる旗に、ノギくらいの気概を持て」
っつー教訓話として。
55 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 21:39:31
乃木は軍学校長としては名称の部類に入るのでは。
日露戦争では、黒木と奥の「二枚看板」はもっと評価されてもいいと思う
(過小評価とまではいえないかもしれないが)
つーか、歩兵の時代の英雄なんだろ
57 :
日本@名無史さん:2010/10/11(月) 02:22:37
最初にホモ・サピエンスになったやつ。
あんなやついなくても、俺は一人前の2ちゃんねらーになれたさ。
58 :
日本@名無史さん:2010/10/11(月) 02:37:00
59 :
日本@名無史さん:2010/10/11(月) 03:31:12
松川敏胤
こいつも過小評価だな。
>>53 それ司馬w
浸透戦術が開発される前の大規模構築陣地攻略に
多大な損害を伴うのは、ソンムの戦いでも証明されている。
乃木は戦史に特筆すべき程の名将ではないが、無能と
非難されるような無能でもない。むしろよく指揮した。
なんと言っても過大評価は吉田松陰
マジで功績がない
長州藩を倒幕に向かわせた中心人物だろ。
評価は過大だとは思うが。
いつ松陰が倒幕の指揮なんて取ったんだ
倒幕の動きなんて起こる前に
勝手に無意味な行動してとっとと死んじまっただろ
向かわせたってことは、指揮をしたってことじゃねえよ。
そりゃ紆余曲折はあったが、
革命に向けて実践して、その途上で死んだが、
弟子たちに、革命をたくして死んだんだよ。
そして弟子たちがよくも悪くも歴史の中心に結果を残した。
松陰は長州の北一輝。直接関与していないが母体作る契機を作った。
革命に向けて実践w
拙いテロ一回やって失敗しただけだろ
認識を深めるためにいろんな行動を自ら実践をし、
弟子たちを育てた。
激動の時代だから情勢もこくこくと変わり認識
も変わる。
だけど、松蔭イズムは弟子たちに多大な影響を及ぼし、
長州藩を動かすまでになった。
長州藩の英雄ではあるが日本の英雄ではないので
そこで評価に矛盾が生まれる。
ソースのない話はやめようぜ
評価はともかく、
吉田松陰やその弟子たちの資料は腐るほど残ってるし、研究されまくってる。
吉田が多大な影響を及ぼしたなんてソースはない
重箱の隅突っついてやっと出てくるレベル
吉田松陰は、松下村塾という塾で、倒幕派の中心となった久坂とか高杉を教えてたんだよ。
吉田松陰は、筆まめでいろいろな手紙が残ってる。
なんと死ぬ間際の手記まで残っている。
弟子たちに向けたメッセージでもあるが、暇があったら読んでみるといい。
そんなチラシ裏な手紙の話とかどうでもいい
それが長州の連中に影響を与えたなんて過大解釈するなと
資料をどうでもいいとかいってたら歴史の話なんてできないよ。
ちゃんと影響を受けたという実証があって初めてソースだから
吉田の行動は高杉も久坂も桂も皆反対していたのは今更言うまでもないことだ
こいつについていったの金子だけ
高杉晋作が松蔭を読んだ詩。お師匠さんだよ。
真箇関西志士魁
英風鼓舞我邦来
霊魂可識多遺憾
猛気猶餘十八回
いや高杉と吉田が知り合いなのは知ってるから
知り合いなら葬式くらいやるわ
で結局探したけどロクなソースなかったろ
あと桂が日記のちょっと出てくるくらいしかないから
高杉晋作だけじゃなく、
松蔭が主催する松下村塾の弟子たちが、長州藩の中心となった。
これは事実だよね。
で吉田の思想が全然門下生に支持されてたなかったのも事実
あと松下村塾の連中ってテロリストだらけでこれ自体が過大評価だな
伊藤山縣あたりはもう吉田に会ってないに等しいレベルだし弟子筋というには無理
命がけの戦いだから(松蔭は実際に処刑されてるし、松下村塾の
連中もたくさん死んでる)、なんでもかんでも松蔭についていくってこともないだろう。
長州藩の尊命がかかってるんだから。
だけど、だれかが実践しないと、革命は起こらない。
松蔭は実践した。そして失敗し死んだが、あらたな認識が生まれる。
その生き様さえ弟子たちの教育にした。
高杉たちは実際松蔭の死でさらに奮い立った。
孫弟子
>>79 高杉や久坂はその後の行動を見てもわかるようにテロ自体は否定してないんだよ
ただ吉田のやり方はあまりにも稚拙なので付いて行かなかった
このへんで吉田はむしろ高杉らの教えをこうべき立場だったのがわかる
むしろ俺は、一連の松蔭の行動、さらに松蔭の遺言や処刑されたことによって、革命への認識が深まったと思っている。
全然失敗じゃなかった。それどころか、
高杉晋作たちの倒幕への象徴となったんだよ。
という妄想な
いまでも長州はそういうマンガを本気で子供に話すから困る
来島又兵衛をもっと評価してくれ
歴史上最大の過大評価は坂本竜馬
あくまで物語の中での英雄に過ぎん
坂本を過大評価し、乃木を貶めた司馬の罪は重い。
こんなの保守系を自負する産経までOBだからと一押し
しているもんなぁ。嘆かわしい。
産経が一押しする瀬島龍三
瀬島龍三と対談して須見大佐にフラレてノモンハンの小説書き損なった司馬
>>86 龍馬はひどいね。10代前半の頃のヒーローだっただけに、大人になって
知れば知るほどショックだった。てか功績から実力からほとんど嘘やん。
安政6年(1859年)11月26日、高杉晋作の周布政之助宛ての手紙
「松陰先生の仇は必ず取ります」
仇を取ったが結核で倒れた。
マンガなんかより事実のほうがよっぽど劇的。
あれは防長の恥辱って言ったんだよ
要は長州が舐められたからムカついた話
しかもその後仇なんて討てる状況でもないから
剣や読書に励むことにしようとか書いてる
高杉にとって吉田なんて読書以下の存在
94 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 19:56:47
いやいや、幕府と戦ってるじゃんw
それは別に吉田のためじゃない
吉田が居なかったら誰も維新思想持たなかったとでも言うのか
96 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 20:14:03
少なくとも、高杉晋作や久坂は松蔭と
師弟関係を結んで強い影響をうけたのは間違いない。
そもそも高杉や久坂自体が過大評価だしな
久坂は無茶なテロリスト
高杉はちょっと戦の上手いテロリスト
98 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 20:42:16
長州のローカルヒーローであるべき存在だからなw
沖縄奄美人の先祖。
彼らの作る砂糖が無ければ明治維新は無く、歴史は変わっていた。
ウザイと思うがこの時期だからこそ、敢えて書いておく。
>>53 >旅順を落としたのは児玉源太郎。
これが単なる幻想。試行錯誤の上に旅順を落としたのは乃木。
その「試行錯誤」の作戦レベルと犠牲レベルが酷過ぎるな。
当時の日本の司令官・将官で機関銃の火力を経験したことがあるのは長岡藩と戦った官軍か、回天に斬り込んだ幕府軍くらい。
まして掩蓋を被せた機関銃に斜射・側射・背射・十字射撃などをされたことがある奴などいない。
黒溝台の露軍、ソンムの英軍、シャンパーニュの仏軍、マルヌ・ベルダンの独軍、皆乃木みたいに正面突撃を繰り返した。
じゃま凡百の将軍だったってことで
105 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 11:09:02
過小評価 新撰組
過大評価 吉田松陰 高杉晋作 伊藤博文
106 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 18:36:57
>101
あれだけの要塞を攻撃するのは世界史上で最初の事。
あと20年遅くアレがあれば、乃木は「少ない犠牲で大要塞を陥落させた名将」と言われていただろうな。
ちょっと乃木が気の毒であったりする。
107 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 18:43:50
乃木は凡将だけど、凡将であることは自分が思い知ってただろう。
東郷は自分がただの運が良い男なのを理解してただろうか?
108 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 19:53:33
東郷は世界史上に輝く名将だ。西のネルソン、東の東郷。
乃木は機関銃に白襷突撃を掛ける愚将。
名将といっても色々あるわけで、東郷は能力によって名将になったわけじゃないからなあ。
陸戦で言えばマンシュタインとかナポレオンなんかはほんとに名将だと思うけど
東郷の場合、第二太平洋艦隊を完全に捕捉したこと、逃亡を許さない艦隊行動、
この辺は参謀の優秀さに負うところが大きい。
第二太平洋艦隊はボロボロで戦えば勝てる状況だったし。
艦隊司令官としては日本海海戦までは旅順港閉塞失敗や主力艦の触雷喪失とか
あんまり良いとこないし。
世界半周、度重なる故障、異国での困難な補給、本国との連絡の不手際、
そして完全に疲れきったところで東郷率いる連合艦隊に止めを刺される。
様々な困難を乗り越え世界半周という偉業を成し遂げたバルチック艦隊の勇敢さを称えるべきだろう。
ロジェストヴェンスキー自身、最初から負けを覚悟していた。
ロジェストヴェンスキー提督の手紙は苦難の連続でマジ泣けてくるな。
東郷程度の凡将をネルソンと一緒にするな。
>>113 「何でも自分で調べてみることは大事だと思う」って結論を出してる所をもってくるのは・・・
まあ、その内容自体さほど調べて書いてあるとは思わないけど
伊達(笑)
真田(笑)
石田(笑)
毛利(笑)
立花(笑)
島津(笑)
長宗我部(笑)
116 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:24:54
個人的には乃木さんの方が好きですね。
確かに東郷さんは
東洋のネルソン
って外国でも評価が高いですね
乃木さんは敗戦の記録しか残ってない
東郷さんはただ一回の記録しか残ってない
日本人的には乃木さんの敗戦があったから児玉さんの勝利があったんじゃ〜って思いたいなぁ〜
司馬遼太郎は確か陸軍に召集されていましたよね。
そこで上官にいじめられたんじゃねぇのかなぁ〜
司馬さんごめんなさい。
明治天皇は過大評価
治世下で色々とありはしたが別にこの人の功績でもなんでもない
>>15 過大評価
聖徳太子
過小評価
法隆寺建てた大工
一般的にいう英雄よりも
それを支えた周囲の方が偉大なことってあるわな
指導者によっては「こういうのやりたい」って頼んで後は
腹心や知識人に丸投げするような奴もいるし
>>117 そもそも明治帝マンセーって、よく日本をしらない外人が適当に書いたものか
日本の庶民が功績でなく地位を理由にゆるいマンセーしてるものしか知らんが
明らかに学問というよりも大衆文化の中で過大評価されてるような人も、
このスレで何度か名前が出て来てるし別にいいんでね?
122 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 01:49:12
>>118 法隆寺建てた大工さん
会社として残っていますよね。
今は高松建設の傘下に入ってますな>金剛組
大仏工事で手抜きをして建設途中で他の一族に工事を変えられた会社か
>>106 それだけの要塞を攻めるのに、当時「正攻法」と呼ばれた塹壕を掘りながら進むやり方すらせずに
身体をさらけ出して突っ込ませたのは名将とは言えないな。
この時点で世界の常識より劣っている。
この突撃(失敗)による第三軍の戦傷者数はほぼ一個師団分の兵力。
5,6スレならともかくあんまり続くようなら、
専用スレあるような話題や人物は各スレで話で欲しいね。
訂正
× 5,6スレならともかくあんまり続くようなら
○ 5,6レスならともかくあんまり続くようなら
129 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 07:27:30
過大評価 松平容保
過小評価 毛利敬親&元徳
130 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 07:34:38
過大評価 幕末の志士
過小評価 幕臣
藤原純友ってどうなん?
同時期に反乱起こした平将門は有名だけど、
こっちは歴史の教科書に必ずと言っていいほど名前が出る割にはあまり話題にならない
132 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 12:30:18
「将門」
巨人ー阪神戦
「純友」
ロッテー南海戦
将門は関東出身で自ら
「新皇」と名乗った。
独立を考えたんじゃねぇのかなぁ〜。
私は南北朝時代と並ぶ大事件と思います。
純友は京の出身で地方で暴れたってイメージ。
将門の乱が無ければ、歴史の舞台に上がる事も無かったかもしれない。
ただ伝承を聞いたり小説を読んだりするとなかなかロマンが、ありますね。
過大評価 喜多川歌麿
大衆受けのポンチ絵をたくさん描いただけの俗物
134 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 16:44:22
りぼんちゃんでちゅわ
135 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 21:43:17
過大評価 織田信長
過小評価 豊臣秀吉
137 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 07:00:10
信長は過大評価じゃない。過小評価だ。古代的中世的秩序に挑戦し、天皇や
宗教の権威をものともしなかった天才的革命児。。信長の天下統一が成功して
いたら日本は17世紀には同時代のイギリス、フランスに披見する重商主義
国家として世界に雄飛していただろう。もちろん徳川の農本封建制や鎖国は
なかっただろう。
>>116 >乃木さんは敗戦の記録しか残ってない
旅順をおとしたのは乃木ですが
>>125 乃木以前の誰が旅順みたいな大要塞を塹壕戦でおとしたの?
後世の人間が「僕が考えた短期で犠牲を最小に抑えられる華麗な旅順攻略法」
を元に乃木を凡将どころか愚将扱いにする風潮は嘆かわしい
139 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 08:15:23
140 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 10:03:58
信長は政権維持すら出来なかったのに、世界へ飛躍もないもんだ。
141 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 10:30:41
>>137 信長が生きてたら、あっさりスペインの植民地になってたさ。
信長は、スペインと貿易して財を成して勢力を伸ばした武将でバテレンに非常に甘かった。
そんな信長に対して「やつらは腹黒い。気を許してはなりませぬ。」と常に忠告・警告をしてたのが秀吉。
秀吉は、当時の国際情勢にも明るかったしな。
歴史にもしもはない以上、
明智光秀に討たれたのが信長の限界だろ。
143 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 15:52:30
信長は軍事の天才だ。鉄砲三段射ち戦術を考案して、
向かうところ敵なかった武田騎馬隊を薙ぎ倒したんだよ。
世界史に残る名将だ。
144 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 18:36:15
過大 大村益次郎 児玉源太郎
戦国期より武装の差が開いた幕末期の黒船ですら、欧米列強は山間の国土と人口密度
何より白兵戦に優れた武士との内陸戦を恐れて、海岸の砲台を一時的に占拠することしか
出来なかったんだよな。
日本は鉄砲伝来のわずか数ヵ月後には国産化し、戦国期の鉄砲保有率は
世界トップクラス。信長時代に地球の裏側から兵員を帆船で輸送して日本植民地化は無理。
長篠の戦は1575年。世界史的にはどうなのだろう?
1503年「テリニョーラの戦」
イタリア、ナポリ郊外
スペイン軍が豪を堀り、その土で土手を築き陣を構え鉄砲で待ち構え、フランス騎兵を撃破。
1514年「チャルディラーンの戦」
カスピ海西南タブリーズ南方110キロ
オスマントルコ軍が大砲の砲車を鎖でつなぎあわせ即席の防壁をつくり、
大砲と小銃でサファビー朝ペルシャ騎兵を迎撃し、撃破する。
1526年「モハーチの戦」
ハンガリーのモハーチ平原
オスマン軍がハンガリー騎士軍を火砲隊で破る
オスマンの戦場画には最前列に大砲、その後ろに二列になって二段撃ちする銃砲隊がはっきり書かれている。
戦場のモチーフ画なので実際には必要に応じて何段にもなったのだろう。
こうして世界史の観点から史実をみると長篠の戦での鉄砲戦術が世界初だとはとうてい思えないのである。
>>145の続き
また信長と言えば宗教弾圧てくらい宗教弾圧してる。キリスト教には既存宗教勢力の牽制や
先進文明の取り込みという利用価値が有るから使っていただけで
利用価値が低くなったものに対する信長の冷酷さは御覧の通り。
>>146 むしろそのくらいの差しかなかった事に驚愕した。
反対意見は全員司馬厨に違いない
151 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 10:32:04
信長が天下人ですらないことは事実だから反対も賛成もないだろ
妄想を語りたいなら板違いだ
文学板の時代小説スレ逝け
義経、信長、竜馬みたいな連中は結局、時代の移り目の中で消えていっちゃうから
もしも生きてたら別の時代があったんじゃないかって盛り上がれるんだろうな
別に時代の移り目で消えていった有力者なんて沢山いると思うんだがね
153 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 16:44:58
その三人では義経ヲタが一番まともだ。
信長と龍馬のヲタは現実より妄想を語り、
反論されると暴れるから手に負えない。
明治だと井上馨かな。
維新三傑や第二世代の伊藤や山縣の陰に隠れがちで、
政治家、軍人に比べ経済畑の人は地味に映るのかもしれないが、
財政という面で果たした役割は大きいと思う。
伊藤博文も、大久保がおぜん立てしてくれたからだということで低いのかもしれないが、
世界史的観点から見れば、ビスマルク、李鴻章と並ぶ、
19世紀後半を代表する政治家だと思う。
伊藤博文はお札の人だぞ。
どうしても中学生くらいだと義経、信長、龍馬をヒーローものとして一緒に考えようとするよな。
賛否両方で。
まあ三人とも物語の中でのキャラクターと
歴史をゴッチャにする人がけっこういる人物ではあるね
学者でも素でそういう視点で評価しちゃってる人もときたまいるし
過大評価:真田幸村
オヤジ>>兄貴>>>>>>>>>>>>幸村
過小評価:大隈重信
159 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 14:52:49
過大評価 小泉純一郎・菅直人
過小評価 安倍晋三・小沢一郎
160 :
日本@名無史さん:2010/10/18(月) 19:47:37
義経や幸村は「人気がある」で、評価が高いのとは違う。
龍馬と信長は仮想の実績で評価されているから過大評価の名にふさわしい。
学術的な話ではそうかもしれんが、
少なくとも
>>1で源義経の名前が出てくるんだから、
大衆イメージの話でいいんだろうさ。
過大評価 坂本竜馬 西郷隆盛 勝海舟
過小評価 大久保利通 山縣有朋 岩倉具視
過大評価:菅原道真
日本でもトップクラスの規模の神にまで祭り上げられた
神道の歴史において最も過大評価された男。
>>163 神として語るなら、神としての業績を考えるべき。
祟り神として、これほど鮮やかに実力を見せた例は少ない。
菅原氏が堂上として生き残ったのもそのおかげだし。
165 :
日本@名無史さん:2010/10/20(水) 10:05:54
>>162 勝海舟は過小評価の代表だろ。坂本龍馬が過大評価なのは認めるが。
そもそも勝海舟は、幕府⇒明治政府樹立 の立役者だ。
明治政府でやった事と維新までの道のりは別々に判断するべき。
勝海舟が居なけりゃ、あの時点で総力戦にでもなれば
西日本は英国に制圧され、東日本はフランスに制圧されて、みんな奴隷さ。
明治政府もへったれも無い。西郷は勝海舟の考えに同意したまで。
明治政府で貢献した人間は、その功績で判断すべきであって、
しかしながら維新の本当の功労者ではない。
過大 紫式部、清少納言、巴御前、北条政子
過小 持統天皇、光明皇后、日野富子、細川洞松院
評価ゼロ 淀殿、春日局、篤姫、和宮
>>166 いや、北条政子はいいんじゃないかな
あそこであの号令(って言うかなんと言うか)がなければ
武家が多数、天皇側に寝返ってたぜ
もちろん天皇側に、最終的に武家を納得させる政策を
打ち出すことなどできなかっただろうから
歴史の流れ自体は変わらなかっただろうけど
無駄な停滞を生むくらいはあったかも知れぬよ
>>165 維新後の人物はテクノクラート型だよね。
勝は政治家らしい政治家。
>>160 龍馬の仮想実績は列挙出来るが、それに匹敵する信長の仮想実績て何?
過小評価されてるのは、
蘇我馬子。仏教の受け入れは日本の方向性を決め。
それは今でも続いている。
頼朝も、義経のことで悪役視されているが、700年も続く武家政権を始めた事実は大きい。
信長の功績は、中世を終わらせたことでしょう。
>>105 新撰組のどこが過小評価なのかみんなに解るように説明してもらおうか
>>105 新撰組のどこが過小評価なのかみんなに解るように説明してもらおうか
173 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 11:18:50
新撰組は尊攘派のテロから京都市民を守った功労者だよ。
テロとの闘いが国際社会の最重要課題となった今日、
テロ対策特殊部隊の先駆としての新撰組はもっと
評価されていい。
174 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 11:50:22
織田信長の評価
将(武将)・・・・・・・・優秀
為政者・・・・・・・・・・疑問が残る。
>>173 新撰組は、考えてた事が小さいんだよ。
それでも今の政治家達より立派だけどな、命をかけてたんだから。
新撰組は、幕府の中枢に入るのが最終目的。
176 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 22:23:01
>>169 「天下をとっていたら」と過去にこのスレで熱くなったバカがいただろ。
信長がいつ天下をとった?
>>176 1573年の義昭追放。
信長は義昭に代わる公方を擁立しなかった。
室町将軍が追放されるのはいつものこととしても、今度ばかりは代役すら立てられなかった。
幕府を滅ぼしたというより、見限ったといった感じ。
>>162 山縣とか勘弁してくれ
まさか昭和天皇が名前出したとかしょうもないこと頼みに言ってるんじゃあるまいな
もしも秀吉が本当に明やインドを支配していたら〜
なんて前提で秀吉を高評価するようなもんだな。
180 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 03:51:33
181 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 17:56:37
過小評価 横井小楠・勝海舟
182 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 18:40:37
過大 島津久光
過小 鍋島閑叟
島津久光はむしろ過小評価
薩摩からの上洛、江戸幕府への干渉から鳥羽・伏見の戦いまで、
徳川慶喜を復権させ、常に徳川慶喜の政争相手として政局を動かし、最後には慶喜を葬ってしまった
(ついでに薩摩の下級武士に自らも棚上げされてしまったが)
184 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 22:26:01
久光は廃藩置県後も重要人物で、
その気があれば政局に与える影響力はかなりあった。
旧大名階級の代表的立場である彼の、
左大臣として政府中枢にありながらの韜晦が、
旧下級藩士層へのスムーズな権力移行ひいては
実質的な階級消滅に与えた影響は大きい。。
↑
なんてのは過大評価かね
185 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 22:52:47
信長が天下統一したら世界に雄飛とか言う奴はバカだな。
世界に進出するほどなら天下統一くらい楽だろ。
国内も治められないのに世界とか、過大評価を通り越してる。
。
〉
○ノ イヤッホォォォォォォ!
<ヽ |
i!i/, |i!ii ガタン
 ̄ ̄ ̄ ̄
187 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 06:43:34
もし本能寺の変がなかったら…
信長は遅くとも1582年の秋までに、
毛利長曾我部上杉を殲滅。天下統一を達成します。
琉球と朝鮮も服属しますね。
1583年の正月には渡海して北京を攻略。
東北部のヌルハチらも従いますね。
春から大攻勢をかけ、半年間で
華北からインドシナまで一気に制圧。
年末にはムガール朝と決戦に及び大勝利。
1584年初頭にインダス渡河。
サファビー朝オスマン朝を消滅させ、
夏までには北アフリカから大西洋岸に到達。
片手間に諸汗国やロシアも占領しますね。
1585年春、イベリア半島、バルカン、黒海北岸の
三方からヨーロッパに侵攻しフルボッコ
新大陸も接収し世界統一を達成することになります。
いろんな意味で大久保利通かなあ?
昔は過小評価で、昨今は過大評価気味かと。
西郷のほうは一貫して過大評価もいいとこだと思うが。
189 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 13:58:15
>>187はどんな文献を使っているのか興味があります。
大学の卒論に書いて教授をうならせてみたい。
191 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 17:51:54
一次史料はないかね
192 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 22:36:37
浅田真央が過大評価されていたことが証明された
>>188 大久保はまだまだ過小評価でしょう
幕末明治を代表する人物の一人としてクローズアップされてもいいのに
未だに西郷坂本ばかり強調されている
明治時代の過小評価の典型例
→青木周蔵、井上毅
大久保の評価は微妙に上がってきてる気もしないでもないが
大久保とともに明治初期の代表的政治家木戸孝允は、時代が下れば
下るほど過小評価されていってないか?
大隈重信が「大久保と木戸は維新の二大英傑」と絶賛してるほどなのに。
196 :
日本@名無史さん:2010/10/25(月) 14:34:47
三好長慶さんを過小評価しすぎだろ・・・
三好政権こそ至高也!
木戸孝允=小うるさい半隠居ジジイという印象しかないw
過大評価 神武天皇
実在しないのに実在するとか墓があると政府が未だに言ってたり、
一部の学者でもモチーフになった人物が云々でこじつけたりと、
いないのにいる扱いされるという最大の過大評価されてる存在。
199 :
日本@名無史さん:2010/10/25(月) 19:56:42
いまでこそ、幕末の志士といえば坂本龍馬ってことになってるけど、
ブームがくるまえは、幕末の志士の人気頭は桂小五郎だったらしい。
その前の維新のヒーローといえば鞍馬天狗=月型半平太、
つまり武市半平太がモデルの小説だったわけで
201 :
日本@名無史さん:2010/10/25(月) 22:33:31
過大評価 楠木正成
ゲリラ的戦闘に長じているだけ。
軍事の才能では足利尊氏のほうが上だと思うなあ。
大衆イメージの「正しい幕末の志士」といえば、病死、暗殺で
明治までに死んでいるが条件になるんじゃないかな?w
明治維新以降の生存者も含まれるなら、戦前においては
西郷隆盛じゃなかろうかと思う。
偉すぎて、ヒーロー扱いされてなかったのかな?
そういえば、戦前で西郷を扱った映画作品ってあったけか?
龍馬や新撰組はあるのに。
>>201 尊氏は小説のせいで異常な強運の持ち主ってイメージがある
204 :
日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:01:09
正成は武士の棟梁になれないから尊氏とは勝負にならない。
戦前の西郷の神格化は国策でもあったからなぁ
西郷は早々に政府高官の座から離れて在野(被支配者側)にいた分だけ大衆の
受けも良かったし、この点大久保はずっと政府首脳(支配者側)であり続けた
から戦前も政治家や官僚の世界では英雄視されていても大衆受けは全く無かっただろうな。
西郷の神格化が国策だったなんて聞いたことないぞw
鹿児島限定の話しじゃないのか。
神格化といえば、大山巌や東郷平八郎のほうが国策として神格化する誘導があったと思う。
まあ、いずれも過大評価組ですが。
大久保は有司専制を唱えたりして、おれたちエリートにまかせときゃいいんだという態度があからさまだったからなあ。
それがそのまま日本の官僚主義の伝統になっちゃった感がある。
大久保が、ポーズでもいいから民主主義重視の姿勢を見せていたら、もうちょっと違った国になっていたかも・・・
西郷隆盛の人気者化は、国策というよりは、自由民権派やその後の在野勢力が自らの主張を通すときに
西郷先生の意思ということにしたせいだったと思う。
そのせいで上野にも、旧幕府系の榎本武揚や大鳥圭介らが銅像を立ててしまった。
209 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 08:42:36
>>201 楠は過小評価の代表だろ。
劣勢下で裏切る奴は多数、なぜなら当時は死を意味してる。今の時代感覚で考えるのは間違い。
劣勢で苦境な状態で裏切らないのが真の偉人。
210 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 08:47:30
維新で早死に・暗殺・自害・戦闘で怪我をしてそれがもとで死ぬと・・・・
同情や「生きてたらな〜もっと○○だったろううな」とか思われて評価が上がりすぎる。
>>207 大久保は有司専制なんて唱えてないんだけど。
>>210 坂本龍馬なんて典型だよな。本当にあそこで死んで良かったと思う。
213 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 10:04:10
>>212 つい最近、どこかのアンケートで幕末維新の人気ランキングベスト10が発表されて
10人中9人が、早死に・暗殺・自刃だった。
天寿をまっとうしたのが、人気NO5の勝海舟の一人のみ。
214 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 12:26:05
信長人気もそれだよな
箱さえ開けなければ1/2の確率で中にはかっこいい竜馬や信長がいるんですね。
信長が統一以降も長生きしていれば、確実に今ほどの人気は
なかったろうね。晩年は全国制覇以後を意識して重臣の粛清
をボツボツ始めだしていたし。
>>213 そりゃ幕末の人物は長生きした人間自体が少ないんだから当たり前
218 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 02:45:50
春日局の父の斎藤利三は課題評価されすぎ。
たまたま娘が出世したから利三が立派だったと言われるが、
単なる偶然だ。
それなのに昨今の利三ブームは異常だ。
219 :
日本@名無史さん:2010/10/27(水) 09:49:33
マンダム
利三ブームってほんとか?
221 :
日本@名無史さん:2010/10/28(木) 09:16:40
222 :
日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:14:01
元のねつ造事件すら
さらに捏造のうわぬりされてるからね
南京までの道のりで何度かあるであろう戦闘時白兵になった時二人のうちどっちが先に
敵兵100人倒すか競争しようという話をした
何度かの戦闘で日本刀を用いて白兵戦になり
述べ100人(概算)の敵兵を倒した(これが新聞記事になるが実はこれも嘘)
↓
南京で100人の支那兵を日本刀で斬り殺した(嘘)
↓
南京で100人の捕虜を日本刀で試し切りした(嘘)
↓
南京で100人の無抵抗の民間人を日本刀で試し切りした(嘘)
223 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 02:30:53
過小評価 徳川吉宗
224 :
日本@名無史さん:2010/10/29(金) 12:48:41
1.当初の報道では「百人斬り」の対象はあくまで戦闘中の支那側の将兵だったが、後の本多勝一氏らの報道ではいつのまにか、一般住民にまで広げられた(戦争で敵の将兵を殺すことは犯罪ではない)
2.当初の記事の筆者浅海記者らは二人の将校が実際に殺すところなどを見たことはないと証言している
その「嘘」にのって講演活動して回っただろw
自業自得としか思えんが。
>>218 過大評価も何も評価する価値もないよ親子そろって
過大評価 市川房枝
婦人参政権はGHQが与えたものなのに
こいつが実現させたみたいに誤解されてる
市川房枝が婦人参政権に貢献したなんて話は聞かないけどね
売春防止法の制定に尽力したというイメージがあるが結果的にアングラ化しただけだし
売春防止法により管理売春の禁止→特殊浴場による事実上の管理売春の継続
憲法9条により軍隊の否定→自衛隊と名を変え軍事力の保持の継続
戦後の政治とは左翼勢力の台頭によりいかに本音と建前を使い分けることに駆使した歴史と言っていい
スレ違いとは言わんけど、空気読めよw
230 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 20:17:10
いやいや近代史もおもしろいと思うよ
イデオロギーはなしで
近代史は、文明開化とかモボ・モガとか、文化史や社会史は面白いと思う。
でも政治史は、労働運動だの社会主義運動だのファシズムだのテロだの戦争だの、
暗くて陰惨だから嫌い。
232 :
日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:17:22
233 :
日本@名無しさん:2010/11/01(月) 17:57:53
>>231 前近代だとね、どうしようもない面もあったが、品位と開放感もあった。
近代ではそれが失われ、20世紀になると、徹底的にスポイルされてしまった。
いろいろ理由はあるけれど、何と言っても「暗くて陰惨なもの」を商売にしてる人が世界中にいるから。
それがいけない。彼らがいる限り、過去は歴史になれない。
234 :
日本@名無史さん:2010/11/02(火) 01:01:29
宮本武蔵 過大評価に一票
少年時代は度を越したケンカ好き。
そしてさぶらいびととしては使えない男となった。
武士道の祖にあらず。
宮本武蔵なんて俺でも10人いれば倒せる。
俺10人分じゃ大したことないな。
武蔵は世の中が平和になってからしゃしゃり出たあたり武士としてはねぇ
過小評価 西郷
過大評価 坂本
239 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 08:55:01
西郷が過小評価は無いなw
むしろ西郷は生前から、過大評価されることがその役割にとって意味があった、という人物なわけでしょ。
当時の薩摩人だってウドさあ(ウドの大木)と呼んでいて、そこが西郷の存在意義なわけで。
240 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 09:14:03
>>239 >ウドの大木
相変わらず会津は歴史捏造ばっかりだね。巨眼という意味なのに。
241 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 09:25:09
文章に中傷意図で嘘を混入させるのは、星亮一がよく使う話法だね。
もっとも星亮一の場合、その嘘が毎回増える上に本人が真実と信じ込む傾向があるので、
会津の関係者の間でも、彼の発言は全く信用できないということになっている。
虚言癖のある人間と付き合うのは、よくありませんよ。
信長や坂本の人気に共通するのは当時の常識を打ち破る強烈な発想力と行動力
で社会を動かしたという点にあると思うのだが、よくよく見ると信長も坂本も
単に西洋文明にかぶれただけで、西洋文物を拝借して自己の創作物であるかの
ごとくふるまっているが、決して彼らのオリジナリティーではないし、猿真似
の域を出ていない。ましてや信長や坂本も死後には何ら社会的影響を残していない。
信長や坂本が人気あるのは、そんな西洋うんぬんじゃなくて、
信長だったら、将軍や朝廷という既成の権威を屁とも思ってないところだし、
坂本も同様、幕府はもちろん、自藩や薩長に対しても、お前ら群れてるから強いだけだろと思ってそうなところだろうな。
社会的影響を残しているとすれば、藤原不比等、最澄、源頼朝、徳川家康、大久保利通あたりかな
藤原不比等→明治まで連綿と続く律令制度を作った
最澄→天台宗の開祖にとどまらず現代の伝統仏教の多くの宗派は比叡山を起源としている
源頼朝→武家700年の開祖
徳川家康→世界にも類をみない強力な幕藩体制を築き現代日本の文化・日本人の精神構造に多大の影響を与えた
大久保利通→現代まで続く強力な官僚機構の構築者
>>241 >虚言癖のある人間
勝海舟のことですか?
そういって、
>>239で嘘をついたことに反省をしないのが、会津
薩長同盟
過大:坂本龍馬
過小:土方久元、中岡慎太郎、月形洗蔵、早川勇、桂小五郎
大政奉還
過大:坂本龍馬
過小:後藤象ニ郎、徳川慶喜、小松帯刀、大久保一翁、横井小楠
248 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 01:19:36
なんだか鹿児島人あたりによる龍馬ブームへの嫉妬が凄いねw
むしろこの板では会津人が、坂本龍馬を叩こうとして自滅している
250 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 09:51:09
過小評価の最たるものは織田信長と坂本竜馬だ
坂本竜馬なんて「歴史的に大した功績がない」の一言で終わるのに
下手にこきおろそうとするから変になる
252 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 15:43:55
勝海舟
「薩長同盟も大政奉還も坂本のやったことだよ」
253 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 17:25:02
勝は明治以降はほら吹き生活、というか明らかなうそを含んでいるので評価しにくい
254 :
日本@名無史さん:2010/11/04(木) 22:43:52
鹿児島人の歴史捏造よりかましw
255 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 00:16:44
坂井政尚は過小評価されすぎ。
いつの日か、すべての日本国民が坂井政尚の偉大さに気付き、涙を流してひれ伏すに違いない。
会津の歴史捏造なら星の数ほどあるが、他はそれほどでもないだろうに
257 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 06:23:28
過大評価・猿飛び佐助
過小評価・俵星玄蕃
258 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 08:34:34
過小評価: 吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、乃木希典
過大評価: 西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎
259 :
日本@名無史さん:2010/11/05(金) 08:43:49
過小評価: 板垣退助
過大評価: 大隈重信
理由も書かず、過小過大だと言ってる奴はクズだな。
友好使節で行ったのによくわからない
理由で怒られて帰って来た妹子は不憫。
妹子と馬子。
264 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 17:45:20
徳川慶勝は過小評価
265 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 19:59:35
「臣茂」発言やらキャラとか好きなんだが、戦後一時期の吉田茂への評価
は、残念だが過大評価と言わざるを得ん。
「吉田ドクトリン(軽武装路線)が高度経済成長を用意した」という
理解で高度経済成長以降吉田の評価はうなぎ上りだったが、
取り立てて軽武装と言えない国でも高度成長しつつある現状を見ると
軽武装路線は経済発展の前提条件とはいえないと思う。
それに1930年代の大陸進出への軍備拡大、軍需産業の発展こそが日本
の重化学工業の基礎を築いたと知ればなお更。
266 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 20:46:57
吉田は占領時代のように、絶対権力者のGHQの権威と権力を後ろ盾にしてたときは、
持ち前のワンマンさと相まって最強だったが、講和独立で後ろ盾のGHQがなくなると、
ボロが出てきた感じ。
もともと貴族趣味でエリート主義だから、政党政治家やマスコミと性が合わなかったが、
そのせいで末期は世間から総スカンを食って野垂れ死に状態で退陣した。
吉田は戦前の外交官時代の経歴(田中内閣で東方会議に参加、外務次官)からも、
本来はバリバリのタカ派外交官で帝国主義者。
その上、貴族趣味で天皇中心主義とくれば、民主的な政党政治家でもなんでもない。
だから、占領時代みたいに、天皇に代わる絶対的権力者マッカーサーの下でなら、
宰相として手腕を発揮できたが、民主政治での政党指導者としては落第だった。
過大
伊達政宗(戦下手のヘタレ、騎馬鉄砲とかw)
過小
源範頼 (平氏を追い詰めたのは実際はコイツ)
足利義詮(混乱する室町幕府の守成を成功させた)
足利義教(剛腕で室町幕府を一時的に再建。教科書に載せろ)
三好長慶(瞬間風速だが信長以前の事実上の天下人)
268 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 21:11:02
通常の選挙に関してのGHQはとりあえず中立だったから、
後ろ盾という程の効果はなかったろう。
仮にあったとするなら、第一次内閣で選挙に負けるはず無いじゃないか。
むしろ民政局から保守的過ぎると白眼視されていたくらいだし。
貴族趣味(むしろイギリス趣味か在任時に白足袋愛用が貴族趣味として新聞
に批判されたそうだが、「白足袋=貴族趣味」という理屈がいまだに分からない)
エリート主義、官僚主義はそうだね。
吉田の「タカ派」は、あくまでも列強、英米が主導する国際秩序を通じて日本の
国益の伸張を目指すものであって、「世界新秩序」を標榜する「タカ派」と異なる
というのは、言わないと。
天皇中心主義と民主は必ずしも対立するものでは無いように思う。
少なくとも今の民主党が民主を名乗れる程度には、折り合いつくものであろうw
269 :
日本@名無史さん:2010/11/06(土) 21:12:30
訂正、国益は権益といったほうが適切か。
270 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 13:48:06
実際1962年や1983年に半分くらいの確率で核戦争回避されたけど
実際に起きて日本も攻撃されてしまった
パラレルワールドでの吉田茂の評価は
日本史他のどんな人物をも凌ぐ最悪のものだと思う。
271 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 14:27:01
>1983年
何かあったか?
272 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 14:30:39
中川一郎自害
中曽根「浮沈空母」発言
大韓航空機事件
ラングーン爆破テロ事件
田中角栄有罪判決
キューバ危機に比べるとチンマイ事件ばかりのようですが。
274 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 22:15:42
過大評価 真田幸村
過小評価 真田信之
275 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 23:40:10
古代〜室町
過大評価:小野妹子・中臣鎌足・鑑真・菅原道真・小野小町・後醍醐天皇
過小評価:蘇我馬子・道鏡・藤原不比等・北条時政・二条良基・以仁王
戦国時代
過大評価:真田幸村・宮本武蔵・服部半蔵
過小評価:今川義元・石田光成・村上義清・豊臣秀頼
幕末
過大評価:坂本竜馬・板垣退助・沖田総司・白虎隊
過小評価:榎本武揚・井伊直弼・小松帯刀・副島種臣・一橋慶喜
明治〜昭和
過大評価:樋口一葉・宮沢賢治・伊藤博文・石川啄木・野口英世・松下幸之助・石橋湛山
過小評価:若槻礼次郎・山縣有朋
眠い…
伊藤博文だけ過小に異論
明治開闢以来、ダントツ1位の宰相ですよ
まあ山縣有朋は過小評価の典型例だろうな
山県が死んだら一気に東北の軍閥が暴走し始めた
278 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 01:31:52
西尾宗次は過小評価されすぎ。
真田幸村を討ち取ったのは彼です。
幸村が戦い疲れて休んでいるところを討ち取ったのです。
幸村が休んでいるところに出くわした彼の運の良さ。運も実力のうち。
それがあまり評価されていない。
彼がいなかったら、休憩を取って体力回復した幸村のことだから、
家康も秀忠もイチコロだったに違いない。
西尾宗次こそ、天下泰平をもたらした日本史上最高の英雄です。
279 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 03:55:14
280 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 19:00:34
>>277 山縣が死ぬ前から結構やらかしてるけどな。
軍部使って倒閣運動したりとか。
まあ、結局なにも得るものもないまま国民の支持を失い、
政党勢力を勢いづかせただけだったけど。
山縣は危ない道を一切渡らなかっただけ
竹下登みたいなもん
やってみなきゃ分からないことはやらない、というのがプロです。
山県はプロの軍人だよ。
この時代にボヤボヤする余裕のある人間とかいないはずだが
おかげで昭和にツケが回る訳だ
>>283 >この時代にボヤボヤする余裕のある人間
長岡の虚星こと山本五十六とか
山縣が生涯を賭して護ったのは
国体ではなく長州閥
286 :
日本@名無史さん:2010/11/12(金) 13:11:28
山本五十六は日本どころか空襲で出身地の長岡すら守れず、河井継之助に匹敵する被害を地元に与えた人
そんな馬鹿を半藤一利は、薩長からの解放者といって持ち上げ続ける
>>285 正確には長州閥に率いられた陸軍だろう。
政軍関係の問題について一番責任があるのが山縣だと思う。
>>287 >>政軍関係の問題について一番責任があるのが山縣だと思う。
責任というのはいつ,どの時点での責任を言ってるの?
昭和の軍部独走と敗戦の責任を言っているのなら,山縣にはその原因の一端
はあるだろうが責任となるとやはり当事者が負うべき。
山縣が陸軍を政治から切り離して我が物にしようとし始めたのはだいたい大久保
という重石が取れた後辺りから始まったけど,それは山縣なりの救国の意志の表れ
だし,山縣が存命中はマガイなりにも政府と軍部のバランスはだいたい取れていたし
むしろ統帥権の独立を悪用したのは山縣死後の軍部の影響が大きい。
山縣は組織が腐るのを認識しながら
自己保身のために臭いものに蓋をし続けた
その人事のバランスの悪さが軍部のストレスとなり後の大暴走を招いた
290 :
日本@名無史さん:2010/11/12(金) 21:01:08
過少評価 江川太郎左衛門をはじめとする蛮社「尚歯会」のメンバーたち。
日本が一気に近代化できたのも、この人たちの蘭学研究があればこそ。
291 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 14:07:11
過大評価:織田信長
過小評価:足利義教
長州の核廃棄物・山縣が最後まで残っちゃった日本の不幸
あんなものでも、山本五十六あたりと比べれば数段まともな目を持っていた
西郷桐野ラインが陸軍牛耳っていたら、日本は日露以前に列強の植民地になってるよ
そこでIFを語るのは大村益次郎だろ
桐野なんて問題外だし
西郷も人望しか取り得ない政治オンチなんだから
遅かれ早かれ下野するから考えないでいい
むしろ谷干城や鳥尾小弥太が陸軍主流になったら面白かったかも。
>>295 逆に大村は人望無さ過ぎて遅かれ早かれ突き上げ食らって暗殺されてたか
保守派のクーデターが起きていたよ。
大村は類まれなる軍略家で近代陸軍創設の青写真を描くことは彼以外でき
なかっただろうが、およそ人づきあいの苦手な偏屈な医者&学者上がりで
人の上に立って人心掌握をしながら新組織を構築していく能力は山縣には及ばない
西郷が己を殺して、大村をサポートすれば神だったが、
現実に西郷がとった態度は、大村への不満の声をあえて抑えることをせず、暗殺の後押しをするという性質の悪さ。
どこが敬天愛人なんだか。
299 :
日本@名無史さん:2010/11/15(月) 07:01:44
この際郷への罵倒は根拠がないなあ、小説を事実として広めようとしている。
現代の名宰相小泉純一郎はもっと評価されてもよい
301 :
日本@名無史さん:2010/11/16(火) 20:13:42
小泉は30年後には自民党だけではなく、日本の中流層を破壊した
デストロイヤーとして名を残すだろう。
302 :
日本@名無史さん:2010/11/17(水) 11:50:23
>>300 日本を壊滅に導いた馬鹿宰相として評価されるよ。
303 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 00:29:50
>>275 過大・過小評価っていうのとはちょっと違うけど、榎本が函館で生き恥晒さずに戦死してたら
ちょっと小粒だけど義経や楠正成みたいな英雄に祭り上げられてたかもねw
>>301-302が氷河期世代だったら滑稽な話だよな〜
資本の強制注入による不良債権処理って
もっと早く断行すべきだったんだけどね
村山(武村正義・伊東正義)・橋本(加藤紘一)のバブル退治によって、
名義上の財が不動産も株も消し飛んだから、それを穴埋めする必要があった。
小泉は、国民に負わせただけのこと。
悪いのは、武村正義・伊東正義・加藤紘一と当時の日銀総裁三重野康ということになる。
質実剛健論者が政権を握るとろくなことにならない。菅の後ろにいる渡部や玄葉には要注意だ。
306 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 10:39:01
>304
凡人・軍人・変人の内で軍人がそれをやるつもりだったがアボーン
その時の変人は盟友と目されていた連中からも裏切られ総裁選惨敗
冷めたピザが総理になって失われた二十年への道筋が完成
凡人・軍人は道半ばで死んじゃったから評価しづらいんだけどね
307 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 11:05:23
軍人で言うと石原莞爾がもっと評価されていい人物だと思う。
308 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 11:24:31
石原は没落したからしょうがないよ
309 :
日本@名無史さん:2010/11/19(金) 11:30:25
でも先見の明はあったでしょう。
当時の陸軍では希に見る天才だよ。
当時の軍備で両面作戦考えた時点で…
お話を作るのが上手いだけで現状を認識する力やそれから堅実な計画を立てる力はゼロ
奇抜な思い付きは同人レベルのオナニーでしかない
ぼくのかんがえたせんりゃく
>>306 意味分からん。
小渕は積極的財政支出と不良債権処理を行った訳だから、
失われた二十年の道筋作ったというのは違うのではないか?
まぁ、国債残高を積み重ねた責任はあると思うが。
質実剛健を唱え、株や不動産の価格を斬って、
俺は平成の鬼兵だ、と武士道好きの喝采を浴びた人間が
政界では伊東正義、武村正義、加藤紘一
論壇では半藤一利とか高野良とか中村彰彦とかいたけれど、
価格を下げるということは、価格差を誰かが働いて返さなければならないということなのさ。
この頃の文藝春秋などをにぎわせた、会津武士道・清貧武士道に喝采を浴びせた人間は、馬鹿だった。
本人どころか未来の世代にも株や不動産の値下がり分のツケを負わせ、後の世代が子孫すら作れない状況を作り上げてしまった。
ぼくのかんがえたうらげんだいし
正しいと思うが、スレ違いだ
バブル退治と武士道をあの時期語っていた連中は国賊で間違いない
315 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 01:47:15
>311
>305も君?
君が理解できないのは総裁選での↓程度の図式も知らないから
http://ichigo-up.com/cgi/up/qqq/nm27882.jpg 2chのコピペを読み齧っただけで何かを知ったつもりでいるんだろうね
>意味分からん
俺は君の友人でも責任を負う立場にあるわけでもない
分かんないなら分かんないで良いんじゃねぃ?
懇切丁寧に説明したところで俺の話の半分も理解できないだろうし(苦笑
で、間違えた認識のママ、別の所で知識のある人間から見れば意味不明な
御高説を語って俺様はなんと物知りなんだと満足する
そういうバカには一一付き合ってられんよ
316 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 02:03:29
石原より永田鉄山だろうね
畑中健二
>>315 このような人間が、馬鹿なのだろう。
伊東正義や武士道が景気を悪くした元凶としてなじられるのが、そんなにいやかね
彼らの武士道にはまともな精神が、これっぽっちも存在していなかった
319 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 19:40:13
武士道は過小評価されてるね。
むしろ武士道は、、戦前の軍国主義と絡めて礼賛され、
バブル退治の時期にも過大評価されて、日本を二回暗闇に突き落とした。
321 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 20:45:15
武士道の復興が日本を救う
322 :
日本@名無史さん:2010/11/20(土) 21:05:19
武士=人殺し奉公、死に役
323 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 02:13:18
>>318 武士道が景気を悪くしたとか、馬鹿が経済を語るなよ。
お前は単なるアンチ会津なだけであって、伊東正義を叩きたいだけだろ。
324 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 16:03:54
>>323 このように論理のないことを書いて、武士道が経済を悪くしているという
事実を隠そうとする。
伊東正義は質素を社会に押し付けたが、以来経済は回らない。
昭和の終わりに声高に論じられた武士道は、日本を悪い方向に変えた。
325 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 16:07:11
そもそも武士道って何のことだ?
老人の戯言
嫉妬心
功名心
要するに、理不尽な押し付けへの美名
押し付ける本人は、清らかなものだと言うが、中身は酷い
327 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 16:45:03
三条実美(黒田内閣)
内田康哉(原内閣)
後藤文夫(岡田内閣)
伊東正義(大平内閣)
青木幹雄(小渕内閣)
臨時でも首相の座に座れた幸運児たち
328 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 16:49:29
武士道をけなすヤツは日本の敵。
329 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 17:06:46
武士道を称える人間は日本の敵。
ここ数十年を見てみろ、武士道倹約で日本は後退しっぱなしだ。
330 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 17:19:31
武士なんて日本人の僅か5%程度しかいなかったのに、
その武士道とやらを絶賛して日本を語るバカは何とかして欲しい。
武士道賛美するやつって中身が無いおっさんに多いよね。
近所に、自警団みたいなことやってる老人たちがいるけど、ほとんどが元公務員だね。
子供集めて、挨拶の大切さや武士道的な話をするんだが、ほんと内容が薄っぺらくて反吐が出る。
商人でも挨拶は大切じゃないのか?
明治維新を成し遂げたのは武士だろ。
333 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 17:39:27
・・・・・・山県有朋は、大の武士嫌いでしたが?
それに戦前も現在も武士道を吹いているのは、どちらかというと東北系の連中だし
経験上、こいつは中身があるという人間から、挨拶がどうこういう話しが出たことは一度も無いね。
挨拶にこだわる老人って中身の無さをごまかすために、武士道的な形式のみを悪用してるんだよ。
どちらかというと宦官タイプのじじいに限って
戦国武将をサラリーマンになぞらえるのとか好きだよね
336 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 19:19:00
本当だ。元警官とか元公務員の語る武士道って宦官道に近いよな。
何とか自分より強い人間を見つけてゴマをすり、自分より弱そうな奴を見つけて俺を敬えみたいな。
いくら何でもそれは美徳じゃないよっていうか。
>>333 山県有朋は武士だし、山県が武士が嫌いだからといって、
明治維新を成し遂げたのは武士である、という事実を否定でもするつもりかな?
逆に、明治維新で活躍した人物で、士分じゃない人の方が少ないだろう。
そして、東北系が武士道を唱えたら日本の経済が悪くなる訳ですか?
馬鹿馬鹿しい。
338 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 21:42:51
>>337 ここ数十年の東北武士道論と消費害悪説は、日本を根底から破壊した邪悪な言説であった。
節制といいながら、他人の生活を破壊してはこれこそ質実剛健と喜んでいた。
現在武士道を謳う者に、まともな人間を見たことがない。
339 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 22:17:41
東北武士道って何だ?東北って言っても広いぞ。
けっこう仲悪い地域とかあるしな。
たんに東北を悪く言いたいだけのやつが独りいるってだけ。
341 :
日本@名無史さん:2010/11/21(日) 22:33:47
またそういってごまかす。
文芸春秋や週刊東洋経済は、東北武士道・質実剛健・消費は悪と連呼し続けているじゃないか、現在でも。
そして、景気が悪くなったことについては、もっと消費を減らせばよいと叫んでいる。
福島市も郡山市も商業は破綻しちゃった。
342 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 11:33:49
会津武士道と東北武士道ってなにが違うの?
東北で武士道うんぬん語ってるのって新渡戸と会津
しか知らんが、新渡戸のは海外向けに書いただけで
国内では新渡戸自身がもう古いと否定してるでしょ。
343 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 13:14:46
奥州藤原氏は?
344 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 16:32:56
>>342 会津は将軍家正統なんだよ
所詮外様の他藩はもとより
傍流に乗っ取られた偽宗家とも覚悟が違う
346 :
日本@名無史さん:2010/11/23(火) 23:39:12
>>327 三條は臨時兼任ではなく正式な兼任。
従って、「三條暫定内閣」と、
事実上、歴代内閣と同様に扱われることもある
347 :
日本@名無史さん:2010/11/24(水) 01:35:14
>会津は将軍家正統
何と!さすが、8代藩主以降水戸家のお血筋の会津殿。
慶喜公のご親族の言うことは違う。
容保公も高須藩からの養子ですし、血統云々で他藩を馬鹿にするのはおかしいと思います。
特に江戸時代は、他藩からの養子は普通にありました。
養子が入っているから他藩は格が落ちる、ということは会津藩は口には出せないことでしょう。
その言い草が正しいなら、養子の松平容保より先代と同じ血統の西郷頼母の方が上位ということになってしまいます。
血縁の話じゃなく
家風が乗っ取られるかどうかが肝
元々御三家は尊王教育だからダメ
紀伊が尊王なんて聞いたことがありません
尾張は吉宗の仕打ち以降の反宗家ですので、もともとの姿ではありません
尾張は初代から宗家と仲悪いだろ
今言われてるような武士道は、江戸時代に一割にも満たない武士階級のものだった武士道を
薩長政権が徴兵制と共に農民町人など全国民に強制したものだと理解してるけど。
ひな祭りも端午の節句も上層階級の催しだったが、時代が下るにつれ
下の身分にも広まった。
これと同じように、ある特定身分の規範、モラル、意識も拡散するという
事はあり得るだろ。また、統計的に言えば、婚姻などで非武士階級との
関係がなかった筈は無いし、武士そのものも改易などで非武士階級に
入ってしまった例もある。
以上から、一割未満という単純な人口比だけで「日本国民の歴史的体験」として
武士階級の規範、意識が排除されるべきとは思わない。
まぁ、「武士道」そのものの中身は問われるべきだろう。
今言われる武士道が全国、全期間の武士が採用していたと限らんからね。
>>352 正確にいうと陸海軍(特に陸軍)が軍の規律を保つために明治風にアレンジして軍人に強制したんだけどね。
それが時代が進むにつれて軍部が台頭してくると徴兵制とあいまって一般国民にも浸透していくんだけど
現代人がイメージしているほど庶民は武士道にはかぶれていない。
明治政府と言っても政策官庁や現業官庁なんかは近代実学を実行しなければならないからかなり合理主義的
な人間を育成しかつ求めていたし、文部省も儒教道徳は採用しても決して武士道精神を義務教育で教えていた
訳ではなく、かなり自由で合理的な教育をしていた。
それもこれもが全て破壊されて軍国主義・全体主義的な社会に突入していくのはだいたい昭和10年以降
>>354 昭和の軍国主義・全体主義って、何かモデルのようなものがあったのかね?
どこかに先例があって参考にしたとか。
それともしばしば語られるように、ドイツと同じく資源の乏しい日本が大国アメリカに対抗するには、
社会全体で軍を支える体制しか選択の余地が無かったってこと?
あ
358 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 16:47:20
過大評価:聖徳太子(廐戸皇子)、坂本龍馬
過小評価:春日局、斎藤道三
過大評価:坂本龍馬、西郷隆盛、武士道集団としての新撰組
過小評価:小松帯刀、木戸孝允、山縣有朋、井上馨、新撰組や見廻り組の政治的思想
西郷さんは過大というより、評価されている部分がなんかズレてるんじゃないかなぁという感じ
維新後の人格者イメージばかりが強調されてるけど
維新前の幕府サイドから倒幕派に鞍替えした流れの中の立ち回りの巧さの方が見るものがあると思うんだが
過小の山縣・井上は凄いは凄いんだけど龍馬レベルで評価されるべきとかそういうんじゃなくて
ここまで蔑まれる程しょーもない奴でもないだろという意味の過小
360 :
日本@名無史さん:2010/12/10(金) 16:34:02
過小評価: 乃木希典
過大評価: 東郷平八郎
>過小評価:春日局
・次男を尾張藩に仕官させたが、千石。
・三男を徳川忠長に仕官させたが、改易のとばっちりで連座して流罪。
・実兄を徳川家光に仕官させたが、5千石しかもらえなかった。
・徳川実紀の評価「まことらしからぬことばかりで益なし」。
>>360 乃木はむしろ過大だろう。神社が建つとか殉死しなかったらありえない。
あの頃の軍人で過小なのは児玉源太郎あたりじゃないか?
363 :
日本@名無史さん:2010/12/10(金) 23:32:03
過小評価:今川氏真
飯尾連竜や井伊直親(直政の父)を暗殺している
直親暗殺は大局的に見て意味があったのか疑問は残るが…
上杉謙信が「敵に塩を送る」事になった武田への塩止めも
始めたのは氏真
>>358 春日局のどこが過小評価なんだ?
評価されることなんて何もしてないだろw
365 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 15:06:38
>>364 徳川家が血筋を絶やさず長期政権を保てたのは、
春日局による大奥設営でしょう。案外重要なのよ。
封建制の世襲政権を維持するためには。
>>365 評価されてるじゃん
これ以上評価してほしいのか?
367 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 18:13:18
いい世継ぎがいないから、
紀州から来てもらったんじゃなかったっけ
過大:藤原道長
この人政治的に何もして無い
>>365 大奥法度が制定された時点でお江は健在。
大奥設営に功績があるというなら、それは秀忠&お江のコンビ。
もちろん、男色の家光にお世継ぎを作らせるまでのお福の苦労には同情できるけれども。
徳川十五代の将軍交替のうち
直系が絶えたための傍系相続が6度もある。
父子間の直系の世襲相続は家康〜家綱の4代が最長。
徳川家が血筋を絶やさず長期政権を保ったことに貢献したというなら
御三家や御三卿の創設の方がずっと大きい。
それから春日局の名誉のためにいわせてもらうと
大奥が奢侈が流れたり
公家の風俗や様式をさらにエスカレートさせる方向で取り入れるようになったのは
春日局がいなくなって、お万の方が威張るようになってからだ。
大奥の風俗はお万の方から始まり、天英院が完成させたようなもの。
おかげで家光の子どもの代までは普通に育つ子供が多くいたのに
家綱・綱吉・家宣以降は虚弱体質や障害持ちの子どもばかりでまともに育たなくなってしまった。
正直、春日局は過大評価や過小評価というより
ヘンな方向へズレた評価が定着してしまったという感じ。
370 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 03:23:00
>>368 一応やったそうだよ。
Wikipediaでこんな1行みつけた。
「長保元年(999年)に新制(長保元年令)を発令し、過差(贅沢)の禁止による社会秩序の引締や估価法の整備などの物価対策などにも取り組んだ。」
それ以外は陰謀と権力争いに明け暮れていたみたいだね。
小沢さんのようなもんかw
>>369 まあ、どっちにしろ春日局は評価される器じゃないってことだね
大奥制度なんて財政破綻の原因の一角っていっても過言じゃないし
過大評価:坂本竜馬
別に坂本竜馬がいなくてもいずれ薩長同盟は成し遂げてただろう
>>372 春日局はただの家光の世話係ってことか
お江も気が強いわけでもなんでもない意外と普通の女性だったと言う人もいるし
幕府創成期に最高権力者周辺にいた女性だから注目度が高いのはわかるけど、変なキャラ付けはやめてほしいわ
374 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 20:00:32
乃木さんは過小評価だよ。今の若い者は乃木さんを
知らないもん。
>>373 秀忠はお江に頭が上がらなくて、戦国武将には珍しく正規の側室を持たなかったといわれるが
側室を持たなかった戦国武将がいったいどんだけいるんだよ。
明智光秀、細川幽斎、黒田父子、石田三成、山内一豊・・・・
春日局はやっぱり御所参内のおかげで名前が上がったことで
なんでもかんでも大奥に関係あることは全部この人のせいにされてしまったんだろうな。
補足。
春日局の功績の大半は孫の稲葉正則が編纂した『春日局略譜』なんだが
その当時、正則は綱吉に睨まれて失脚していた。
『春日局略譜』には家光の乳母だった祖母の功績をアピールすることで
家光の子の綱吉に優遇してもらおうとする意図が感じられる。
○春日局の功績の大半は孫の稲葉正則が編纂した『春日局略譜』がでどころなんだが
×春日局の功績の大半は孫の稲葉正則が編纂した『春日局略譜』なんだが
春日局がこれだけ有名なのに
同じく徳川関係者の女性でキャリアウーマン的要素のある阿茶局が無名なのが疑問だ
本来なら春日局も阿茶局程度の知名度なのが普通なんだろうな
過大評価されすぎ有名になりすぎ
ほら、
春日局の父親は本能寺の変で不滅の名を残した裏切りくん光秀の側近の斎藤利三だし
春日局の亭主は関ヶ原で不滅の名を残した裏切りくん秀秋の側近の稲葉正成だし。
いかにもあくどくてダークっぽい設定じゃない。
>>368 政治的には確かにろくな事績はないけどね。
しかし文化的には、紫式部らのパトロンとして平安女流文学の大成に大貢献したし、
「この世をば〜」の歌は、自分の絶頂感を表明することを目的とした歌としては、
1000年後の今も他者の追随を許さぬ最高の完成度を誇る。
文人としては評価されて然るべき。
381 :
日本@名無史さん:2010/12/17(金) 22:51:18
過大評価:坂本龍馬、西郷隆盛、武士道集団としての新撰組
過小評価:常高院 徳川秀忠 徳川綱吉 大久保一扇 小松帯刀 木戸孝允 榎本武揚
むしろ西郷隆盛は過小評価だ。
西南戦争でケチが付いたが、明治維新は彼がいてこそ初めて成り立った。
あと、大久保利通は完全なる過小評価。
彼ほど不当な評価を受けている人はいないと思う。
彼こそが近代日本の基礎を作った人物。
彼がいなければ日本は欧米列強の植民地になっていたかも知れない。
383 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 09:53:21
と、鹿児島人が叫んでおりますw
384 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 09:59:28
大久保はもっと長生きしていれば業績は違って評価されたのかも知れないが、
暗殺されちゃってるから今くらいの評価で良いと思う。
385 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 11:24:38
大久保は後ろ盾だった小松が長生きしていれば
また別の人生が開けた気がする。
西郷はともかく江藤を抹殺したのは
木戸、岩倉、三条らも批判した…
>>384 長生きしたらしたで、山縣みたいにウザがられたかも知れないがな。
江藤の一件からも分かるが、大久保は自分とキャラがかぶる奴は大嫌いみたいだから。
387 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 12:13:10
大久保は優秀だけど人格者ではなかったみたいだから
勝海舟は憤り暗殺された大久保の葬儀に参列していない。
過大:乃木希典
軍事上の功績と言えば日露戦争時の旅順攻略戦だが
それもあまりに犠牲ばかり出すから見かねた児玉源太郎に助けられて
やっと旅順を落とせたというのが実態
本人と妻が明治天皇に殉死したり旅順攻略戦で息子二人が戦死したりと
同情や注目を集める要素が多いから名が残ってるようなもの
389 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 23:00:51
乃木は軍人としては普通に酷評扱いだろ
乃木は、凛とした外見からくるオーラだけで司令官やってたようなもんでしょう。
海軍の東郷も似たようなもんだと思うが。
>>387 でも、あの混乱していた時代に大久保がいなければ、
日本は欧米列強の植民地になっていた可能性が高いと思う。
それくらい冷徹に指揮した人だ。
392 :
日本@名無史さん:2010/12/19(日) 10:44:43
393 :
日本@名無史さん:2010/12/19(日) 10:49:01
乃木さんは史上に類なき慈将、仁将、聖将。まさに軍神です。
むしろ児玉源太郎が過小評価。
第二次世界大戦の日本軍と違って情報戦の重要さが分かってて、
日本海海戦も児玉が主導した日本独自の海底ケーブル網整備が勝利の背景にある。
さらに最も日本の国益になるような講和のタイミングを常に探っていた。
児玉源太郎の最大の失敗は乃木希典を持ち上げすぎたことかもな
そのせいで昭和の軍人は児玉よりも乃木を手本にしてしまった
謙虚すぎるのも考え物だな…
乃木は殉死したから株上がったんだろ
乃木は児玉が居なかったら殉死しても目立たなかっただろうさ
ヤブ医学者・森林太郎(鴎外)を陸軍から追い出さなかったのも良くなかった
児玉にそんな権限は無かったのかもしれないが
当時の戦術水準では順当な指揮で無能と謗りを受けるほどじゃない。
だな
児玉≧乃木
って所だろう
教科書以上のことは出来てそれ以上のことも出来た軍人が児玉
教科書通りのことなら出来た軍人が乃木
ちなみに時代は少し違うが
教科書通りのことすら出来なかった軍人が牟田口
対極だが、勝海舟、大久保利通
↑過小評価という意味でね
ここまで田中頼三なし
先の大戦で「陸の牛島、海の田中」と米軍が恐れたほどの軍人だが
なぜか無名なのを水木翁も嘆いている
過小評価:隆光
当時はまだ奈良にいたのに
まったく面識がない綱吉と桂昌院をたぶらかして
生類憐みの令をけしかけたという超能力はもっと評価されていい。
過小評価:天英院
実家の近衛家と尾張徳川家が姻戚なのに
紀州藩主として十年間の倹約政治の実績があり
大奥の人員整理や規模縮小に手をつけないなんてことはあり得ない吉宗を
あえて八代将軍に就任させた度量はもっと評価されていい。
・・・生類憐みの令が隆光の発案なのも天英院のおかげで吉宗が将軍になれたのも事実でしょう?
大奥の本に書いてあったし。
406 :
日本@名無史さん:2011/01/12(水) 19:01:58
【台湾】馬英九総統「日本には謝罪責任がある」…従軍慰安婦問題で日本は自国の「恥部」を隠すべきではない [12/27]
台湾の馬英九総統は26日、台北市文化局や台湾婦女救援基金会が主催した、台湾の
元従軍慰安婦らの対日訴訟に関する特別展に出席し、「日本政府は歴史の過ちに対して
謝罪する責任を持つ」と発言。注目を集めている。環球網が台湾の報道を受けて伝えた。
主催者となる台湾の元従軍慰安婦らが対日訴訟を求めた2000年から、同基金会の活動
は今年で10周年を迎える。展示会では、元従軍慰安婦らによる日本への賠償要求や、
従軍慰安婦問題の教科書記載などを求める運動などが紹介された。
馬総統はこれまでも元慰安婦の名誉回復活動に積極的に参与しており、同基金会が制作
した台湾人元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動などに関わった。
また、2008年には、元従軍慰安婦8人と会談し、同問題への関心の高さを示している。
馬総統は、特別展開会のあいさつで「日本は歴史で犯した過ちと向き合うべき」と述べ、
日本は自国の「恥部」を隠すべきでなく、また、謝罪責任を逃れるべきではないとの見解を
示した。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1293436105/
他のスレにあったぞこれ
408 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 21:17:16
>>372-373 ぶっちゃけ大奥がまともに機能していたのは
お江と春日局の時代だけなんだから
「大奥の中で」誰が評価できるかとなったら
この2人しかいない。
つーか、大奥のことを調べれば調べるほど
(他がひどすぎるせいで)お江も春日局もまともな常識人にしか思えなくなってくるんだが・・・
お江や春日局がいなくなった後の大奥は
みんな白粉ぬりたくって鉛中毒でまともにお世継ぎを育てることもできないありさま
世襲制度の維持にはまったく役に立ってない。
409 :
大奥:2011/01/14(金) 23:01:40
子供を産み育てる場所としては、全く酷いムチャクチャだったんだろうねぇ。
科学的な知識のない当時とは言え、ああいう生活様式が身体に良くないとは思わなかったんだろうか。
お江が大河ドラマの主人公になって過大評価の傾向になるんだろうな
てか大奥関係自体過大評価
411 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 21:22:37
大奥は
過大評価とか
過小評価とかじゃなくて
フィクション
と呼ぶのがしっくりくる。
>>408 将軍様が鉛中毒で病弱だったからこそ270年も幕藩体制が続いたんだよ
トップはお飾りの方が体制維持には都合良い
過小評価:後醍醐天皇
あの時代を考慮すれば十分過ぎるほど頑張ったんじゃないだろうかこの人は
414 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 08:21:22
後醍醐天皇は過小評価されてるんじゃなく、
勘違いした人という評価なんだと思うが。
415 :
日本@名無史さん:2011/01/18(火) 22:03:25
大奥の諸悪の根源はお万の方。
416 :
日本@名無史さん:2011/01/19(水) 06:51:27
過大評価=高杉晋作
過小評価=久坂玄瑞
>>416 高杉晋作に関しては超同意。
倒幕テロリストとか理想を実現するための闘士なんかじゃない。
ただの妄執野郎じゃないか。
早い話がガキのわがままを大の大人がやってるだけ。
418 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 17:25:14
>>416 久坂玄瑞はむしろ過大評価でしょ
あと、武市半平太も
この二人こそガキのわがまま
過大評価 真田信繁
過小評価 真田信之
420 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 21:06:59
過大評価 秀吉正室・おね
過小評価 家康正室・築山殿
>>420 おねねさん、どういう意味で過大評価になってるのん?
422 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 02:32:13
三好長慶、足利義昭なんかは過小評価な気がする
423 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 07:51:18
過小評価 三条夫人(信玄正室)
424 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 18:23:02
>>408 白粉ぬりたくる化粧法を定めたのは春日だよ・・・
しかも跡取りの家光を女に興味の持てないホモに育ててしまい
危うく大奥最悪の権力者になるところだった>春日
まあ最大の過大評価は坂本竜馬で最大の過小評価は大久保利通だろうな
>>424 >白粉ぬりたくる化粧法を定めたのは春日だよ・・・
そうなの?
なんでそんな化粧法定めたんだろう
アバタを隠すためか?
427 :
日本@名無史さん:2011/01/31(月) 00:31:41
大奥で一番の過小評価はお美代の方。
大奥史上でこの人ほど好き放題にやった人はいないのに影薄い。
家斉が死んで、いっきに力をなくしちゃったからかな。
428 :
日本@名無史さん:2011/01/31(月) 08:44:23
過大 後藤象二郎
過小 乾退助
過大評価
大奥、坂本竜馬、西郷隆盛、新撰組、赤穂浪士、白虎隊
431 :
日本@名無史さん:2011/02/20(日) 21:50:51.69
戦国時代と幕末は過大評価な奴が多いこと多いこと
動乱期だから「何かやってくれたかも」って期待持ちたい人が多いんだろうけど
物語での扱いやすさとゲームでの扱いやすさは違うみたいだからなあ
・物語で扱いにくいがゲームで扱いやすい
三好長慶、足利義昭、村井貞勝
・物語で扱いやすいがゲームで扱いにくい
井上元兼
なぜか知名度が低い人物スレからの受け売りだが
434 :
日本@名無史さん:2011/02/21(月) 10:14:24.47
織田信長と坂本龍馬は過小評価の双璧だな。
>>433 井上って誰それ?
義昭はまだネタにはなるね
>>435 毛利元就に粛正された武将
大河ドラマで片岡鶴太郎が演じてた
毛利家が弱小勢力だったときに死んだ武将はゲームに出てこない傾向がある
>>436 ほぉー、毛利一族?
家康の異父兄弟も野望に登場しないね
信長の兄信広も登場したことないかな
松平忠輝を登場さすなら伊達秀宗も欲しいが
井上家は別に毛利一族ではないっぽい
元兼と一緒に井上一族はかなりが誅殺されたけど
中には毛利家と姻戚関係があって粛正を免れた者もちらほらいた
あと明治時代の井上馨はこの一族
信長の野望みたいな戦略シミュレーションゲームで家康の異父兄弟や織田信広あたりまで出してしまうと
まだ強豪勢力でなかった頃の松平や織田が全盛期の今川よりも人材が多くなってしまって
ゲームバランス的によろしくないから結局削られてしまうんだと思う
躍進前の人物は阿部定吉や平手政秀を登場させるのが精一杯なんだろう
>>325 新渡戸稲造が外人相手にテキトーに語った道徳体系。
「欧州人にはキリスト教を根底とする道徳観があるが、日本はどうなの?」と聞かれたのが発端だとか。
この馬鹿は儒学を知らなかったらしい。
儒学じゃ新渡戸が信仰してたキリスト教的な倫理観は出せないし
武士道を改造するしかなかったんだろ
過大評価 東郷平八郎 山本五十六
過小評価 山本権兵衛 加藤友三郎 米内光政 井上成美
あと大将じゃないけど小沢治三郎も過小評価
443 :
日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:22:56.78
過大評価 坂本龍馬 高杉晋作
過小評価 大久保利通 久坂玄随
過大評価 宮沢賢治
過小評価 新美南吉
坂本龍馬と織田信長は過小評価の双璧
447 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:40:21.40
織田信長は偏見入りすぎ
448 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 12:52:02.56
過大評価:上杉謙信、上杉景勝、上杉鷹山、赤穂浪士
過小評価:豊臣秀吉、豊臣秀次、山本覚馬
山本覚馬公は失明後に薩摩潘邸を買い占め、それを新島壌先生に譲渡して同志社大学の基礎を作り、
豊臣秀次公は近江八幡を繁栄させて近江商人を育成した。
豊臣秀吉公の朝鮮出兵(文録)は決して老妄からでは無く少なくとも陸上では強力な鉄砲隊を前面に出して成功したが、
秀長公を失い、代行として九州に送り込む人物が無かった為に指揮系統の不備で敗れたが、
作戦そのものは妥当だった事は後に清国樹立で証明されている。
因みに清国は秀吉軍残置の鉄砲を入手していた可能性がある。
449 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 12:58:35.23
ちなみに信長に関しては江戸時代の新井白石が
「比叡山焼き討ちこそ最大の功績」と言う評価が有りますし、
後には武での支配では無く、
安土宗論では言論の力で法華宗を弾圧したり、
安土城自体現代のテーマパークにしていた節が有ります。
450 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 13:09:48.64
過大評価
1.上杉謙信
偽の人どころか佐竹氏を裏切り、生臭坊主に加勢してキリスト教弾圧の為に織田家との約束を破って能登に攻め込んだ!
2.上杉景勝
徳川家康軍が会津から引き返す際に薩摩戦法(敵の中央を突破する。石田軍と連携して後ろから関ヶ原で家康軍に襲いかかる釣り野伏戦法)での襲撃を怠ったばかりか、
自分の不始末を詫びる為に秀頼公に味方すべき大坂城攻防戦で家康の腰巾着としてのこのこ参陣して家名に泥を塗った。
謙信公同様の「義」の人ならば、
言い掛かりをつけた家康では無く、例え全滅しようと秀頼に味方すべきであり、
養父謙信共々偽の人なのは明白。
451 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 13:11:46.96
過大評価
1.上杉謙信
義の人どころか佐竹氏を裏切り、無駄な戦を重ねて民百姓を疲弊させ、
生臭坊主に加勢してキリスト教弾圧の為に織田家との約束を破って能登に攻め込んだ偽と我欲の人!
2.上杉景勝
徳川家康軍が会津から引き返す際に薩摩戦法(敵の中央を突破する。石田軍と連携して後ろから関ヶ原で家康軍に襲いかかる釣り野伏戦法)での襲撃を怠ったばかりか、
自分の不始末を詫びる為に秀頼公に味方すべき大坂城攻防戦で家康の腰巾着としてのこのこ参陣して家名に泥を塗った。
謙信公同様の「義」の人ならば、
言い掛かりをつけた家康では無く、例え全滅しようと秀頼に味方すべきであり、
養父謙信共々偽の人なのは明白。
452 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 13:43:26.20
過大評価
3.赤穂浪士
善政を敷いていた吉良上野介をテロ行為で殺害して家康による系図詐称を葬り去り、諸悪の根源たる上杉家を打ち漏らした!
4.上杉鷹山
殖産興業失敗で天明の飢饉では大量の餓死者を出した。
その後の善政は他家ならば評価出来るが、これも本来景勝の代に滅ぶべき上杉家を平成の世まで存続させた件では大罪である!
又、柴田勝家も本能寺の際、上杉を滅ぼす事で亡き信長公の恩に酬い、
秀吉軍には筆頭家老名代として凡庸な柴田勝豊を送って名目上の総司令官にすべきをしなかった事で1582年6月5日に永遠に消滅すべき上杉家を存続させた罪、赦し難し!!
されど翌年潔く滅びた事は情状酌量の余地あり。
だね。
自称テレビウォッチャー、その実単なるゴロツキ上杉純也並びにインチキ週刊誌週刊大衆、週刊実話全編集員に告げる!!
直ちに自らの手で上杉家墓所を全て素手にて破壊し、
流れ出る己が血にて認めたる記事訂正書、自筆始末書と断筆宣言書、廃刊宣言書を各4通作成し、
霞ヶ関の外務省に赴いて秋元儀典長に土下座して上記書類各1通を提出し赦しを得た旨の直筆署名書を頂き、
次に虎ノ門のテレビ東京で秋元玲奈アナに同様の事を行ない、
然るべき後にお台場のフジテレビに赴いて秋元優里アナ以下フジテレビ全社員の前でテレビ中継付で土下座して同様の事を行ない、
更に当該編集部は記事訂正だけで構成された廃刊号、当該出版社が発行する他誌の休刊号の発売価格0円での発行を行ない、
最後に
・リビア反政府軍の人間の盾
・福島第一原発放射能汚染水除去作業に素手私服で不眠不休で従事する。
・内閣官邸前で割腹自殺する
いずれかを選択の上実行せよ!
453 :
最高裁判所:2011/04/02(土) 13:55:28.05
判決を言い渡す。
自称テレビウォッチャー、その実単なるゴロツキ上杉純也並びにインチキ週刊誌週刊大衆、週刊実話全編集員!
そのもの達、
己達が犯した菅直人による救援物資隠匿擁護、
並びに政治主導がもたらした未曽有の人災である福島第一原発事故隠しによる政権延命策荷担とそれへの批判回避、
ロシアや韓国、中国への自国領譲渡ならびに民財産簒奪最大の障害になる秋元儀典長排除の為に
枝野官房長官以上の不眠不休で任務に従事する秋元優里嬢の名誉を貶め、人権を侵害してに秋元儀典長や秋元優里嬢の職務を妨害した罪は極刑に値する。
直ちに菅直人を引き連れて自らの手で上杉家墓所を全て素手で破壊し、
流れ出る己が血にて認めたる記事訂正書、自筆始末書と断筆宣言書、廃刊宣言書を各4通作成し、
霞ヶ関の外務省に赴いて秋元儀典長に土下座して上記書類各1通を提出し赦しを得た旨の直筆署名書を頂き、
次に虎ノ門のテレビ東京で秋元玲奈アナに同様の事を行ない、
然るべき後にお台場のフジテレビに赴いて秋元優里アナ以下フジテレビ全社員の前でテレビ中継付で土下座して同様の事を行ない、
更に当該編集部は記事訂正だけで構成された廃刊号、当該出版社が発行する他誌の休刊号の発売価格0円での発行を行ない、
最後に
・リビア反政府軍の人間の盾
・福島第一原発放射能汚染水除去作業に素手私服で不眠不休で従事する。
・内閣官邸前で割腹自殺する
いずれかを選択の上に実行せよ!
454 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 13:58:49.74
歴史を学ぶ醍醐味は、
えっと言う真実が出て来る事、
一見関係ない事象が繋がる事を知る事
かな。
野口英世は過小評価
457 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 17:18:48.50
過大評価「坂本龍馬」
過小評価「清河八郎」
458 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 18:30:02.20
過大 お龍
過小 武市富子
459 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 19:20:58.64
武田信玄
上杉謙信
両者過大
特に武田
過小
蘆名盛氏 三好長慶 尼子晴久
過大
伊達政宗 大友宗麟 長宗我部元親
461 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 23:40:37.57
真田信之は過小評価
462 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 00:28:16.48
のぎまれすけ 過大評価
463 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 00:29:39.92
乃木は過大評価されてないよ
むしろ哀れみを感じる
乃木は戦前までは軍神、忠臣として祀り上げられていたが
戦後は教科書や道徳からも一切消えてしまった
戦後はほとんど評価されてないんじゃないかな
465 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 10:34:16.20
過大評価
小林一茶、十返舎一九
過小評価
鶴屋南北、河竹黙阿弥
466 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 10:35:50.83
過大評価
歌舞伎、能
過小評価
文楽
467 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 19:40:40.12
マスコミの広告板はほとんど箸にも棒にもかからない過大評価で祭り上げ
よく知らんやつがそれにのせられて過大評価
たとえば立花隆。ありえねえww
乃木希典は戦前での評価が極端に過大で
今でもそれを引きずってる感じがする
過大
天智天皇 後鳥羽上皇
過小
継体天皇 正親町天皇
470 :
日本@名無史さん:2011/04/16(土) 18:23:43.58
過小
織田信長、坂本龍馬
過大
AKB48
過大
宇多天皇
過小
舒明天皇 後花園天皇
テスト
>>373 >お江も気が強いわけでもなんでもない意外と普通の女性だったと言う人もいるし
その「普通の女性」に何で熱狂的なヲタが付くかな?
よく「私は史実のお江のファン」って自称する人がいるみたいだけど、実際のところは江って本当はどういう性格の女性だったか全然わからないのに
確かなことは「信長の姪+秀吉の養女+家康の息子の嫁」という、時の権力者と近親関係にあったことぐらい
474 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 10:24:19.49
義経とか龍馬は凄く過大評価
475 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 15:04:25.42
>>473 長らくあの時代は春日局の側からしか描かれることがなくて
春日局+お静の祈願文などから江悪女説が根強かった
江がどんな女性か分からないのならば江悪女説も根拠がないわけで
いろんな意見がある(江の味方をする人もいる)って程度じゃないのか
476 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 15:51:15.71
少し前まで篤姫も意地悪女説が流布してた
幕末期の大奥の歴史も和宮の側から描かれることが殆どだったから
>>473 実際どんなヤツかわからないのにファンがいる、というのはお江だけじゃないと思うけどな
中世以前の人物とか女性とかほとんどそうじゃん
自分もお江好きだが
なんて言えばいいのかな・・・
経歴がすごくて俗説で悪女イメージがあるにも関わらず
実際どんな性格かわからないなんて
すごい興味深いと思うけどな
しかも数少ない史料からわかるお江の言動が(例えば家光嫁探しの様子や初宛ての手紙の内容)俗説の悪女イメージのお江とは正反対のように感じられて
それがまた面白いと思っている
結局どんな人が具体的にわかるわけじゃないから
それで「史実の〇〇が好き」と言うのはおかしいと思われるかもしれんけど
478 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 17:00:49.88
>>421 賢夫人と言われている
でも、よく考えてみれば良妻でも何でもないわな
秀吉死後は家康に尻尾振ったからな
むしろ、家康に最期まで立ち向かった淀殿の方が立派だろ
479 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:03:55.90
いや、北マンは当初アンチ家康だが
480 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:31:44.17
>>478 ルイス・フロイスが「秀吉の妻(ねね)は賢夫人で頼めば叶わないことはない」
と書いてたな豊臣家内では発言力があった
関ヶ原の時には家康はねねが住む豊臣家の京都新城を破壊しているし
別にねねは家康に尻尾振ったわけじゃないと思うんだがな
481 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:36:22.30
>>481 この時代の養女・養子は仲が悪い者同士の人質に近いから
北政所が明智に味方してたから娘を養女にしたともいえないけどね
三成の娘は関ヶ原の時には実兄と一緒に石田の居城から東北へ脱走
北政所とは一緒に住んでおらず実態はなかったみたいだ
483 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 23:31:25.27
過小
足利直義 高師直
過大
足利尊氏
過大
本居宣長
過小
塙保己一
485 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 07:00:51.00
過大
赤穂浪士
過小
徳川綱吉
486 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 19:59:28.66
過大=上杉鷹山
過少=山田方谷
487 :
日本@名無史さん:2011/04/24(日) 19:25:06.12
過大 直江兼続
過小 藤田信吉
488 :
日本@名無史さん:2011/04/24(日) 22:47:31.65
過小: 坂本龍馬、織田信長、野口英世
489 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 11:44:26.74
過大
武田信玄
過小
武田信虎 武田勝頼
490 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 11:55:20.89
過大 坂本龍馬
過小 武田勝頼
491 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 12:22:13.54
>>174 >織田信長の評価
>将(武将)・・・・・・・・優秀
>為政者・・・・・・・・・・疑問が残る。
知らないならわざわざ書くなよ。
将としての信長にとりたてて功績などない。
政治家としてはなかなか優れたところを見せている。
昔々、パンキョーで日本史を1コマ取って1年間かけて
いかに信長が経済政策で有能であったか、天下をとったのは
決して武勇の面だけではないことを習った
493 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 12:12:07.18
信長は戦は下手くそだけど政治家としては有能。
494 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 13:52:12.76
信長は政治家としては最高かも知れんが、上司としては最低最悪のパワハラ野郎。
495 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 20:34:46.71
過大 原辰徳
過小 堀内恒夫
監督として
496 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 20:56:48.29
過大:ノムさん
過小:落合
監督として
497 :
日本@名無史さん:2011/05/03(火) 07:03:29.31
>>424-426 白粉ぬりたくる化粧法を広めたのは春日局じゃなくて
春日局の死後、大奥で権力を握った家光の側室・お万の方だよ
公家出身の彼女の代になってから大奥が急速に華美になったと聞いたけど、違ったっけ?
>>477 >自分もお江好きだが
一部のマナーの悪い江オタのせいで「お江好き」と言う人に遭うと妙に嫌悪感を覚える俺がいる
偏見は良くないのはわかっているつもりなんだが・・・
過大 土方
過小 鴨
ディック・ミネの「ひよこが3匹乗る」ってのはホラだと思うんだ、俺は。
>>498 べつに江オタが嫌いなだけならいいじゃないか
「江オタが嫌な連中だから史実の江も嫌いだ」というのはどうかと思うけど
江アンチの人も恐ろしかったな
強烈なオタクやアンチは恐い
実際に会うわけじゃないからどうでもいいけど
>>497 そういえば
春日局やら崇源院はキツイ性格だったとか、黒い俗説だとかが流布していたりするが
「浪費家だった」みたいな話は聞かないな
なんだかんだで武家娘だったということかな
まあ大奥自体全く評価しないけどね
実績なんて世継ぎを生む以外に皆無だからね
財政圧迫、騒動の原因だしね
504 :
日本@名無史さん:2011/05/21(土) 22:38:25.47
過大 松平清康
清康てそんな評価されてるかね?
むしろ過小な気が
戦強すぎ
506 :
日本@名無史さん:2011/05/22(日) 01:35:13.83
清康が家督を継いだのはたった13歳で最初は実権なんて無かっただろうし、
祖父の長親も健在だったから、三河統一はどこまで清康の功績かわからない。
507 :
日本@名無史さん:2011/05/22(日) 12:16:40.23
>>497 家光側室のお万の方が春日局の死後大奥で権力を握ったなんて、民放のテレビドラマの話。
家綱の時代には矢島局・川崎・岡山(以上3名は家綱の乳母)・お梅といった老女が大奥に実在していたのですが、
このうちお梅はお万が名を変えたもの、という伝説によってドラマが作られたそうです。実話ではありません。
>>507 家綱に複数乳母がいるなら家光にも春日以外に乳母がいるのかね
そうなると話が違ってくる
509 :
日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:16:01.55
織田信長のライバルの朝倉義景だろうな。
510 :
日本@名無史さん:2011/05/22(日) 15:43:19.94
>>501-502 母・崇源院も乳母・春日局もどちらも家光にとっては「大切な人」には違いなかった
そもそも、この二人が仲が悪かったなんて話自体が後世の創作だろ
511 :
日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:15:57.29
仲がよかったのか悪かったのかは
史料の裏付けがないから何ともいえない。
伝春日局の願文くらいか? いちおう史料価値がありそうなのは。
春日局は三男を忠長に仕官させているし
忠長の家老の娘と老中井上正就(秀忠の側近)の息子の縁組を取り持っているから
崇源院はともかく忠長に敵意は持ってなかったはず。
織田信長と坂本龍馬は過小評価の双璧だな。
513 :
日本@名無史さん:2011/05/24(火) 10:28:10.00
>>508 家光には春日局以外にも桃園局という乳母がいたことが分かっている。
この桃園局は家光の父である徳川秀忠の乳母岡部局(大姥局とも)の娘。
母娘で秀忠家光親子の乳母を勤めていたらしい。
尚、秀忠や家綱には3人の乳母の存在が知られており、家光にもこれ以外にもう一人、
3人目の乳母がいたかどうかは不詳。
>>513 その桃園局というのは
秀忠乳母(大姥とは別人)の娘の梅園局とは違う人?
515 :
日本@名無史さん:2011/05/24(火) 15:36:43.69
>>511 春日局の願文って江ではなく家光正室の鷹司孝子を攻撃したものじゃなかったっけ?
お静が願文で江のことを御台は嫉妬の心が深く大守(将軍秀忠)の篤い寵愛を受けた私を大奥から追い出したと
恨みがましく書いたのは知ってるけど春日局が何か関与してたっけ?
>>515 東照大権現祝詞のことじゃないの?
春日局が書いた可能性が高いだけで
春日筆と確定してるわけじゃないけど
>お静が恨みがましく書いた願文
・・・・過敏な人がいるから
そういう言い方はしないほうがいいと思うよ
一般的にはそういう解釈はされてないしさ
517 :
日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:24:35.31
>>515-516 おっしゃる通り
『東照大権現祝詞』です。伝春日局。
春日局と江の不仲を伝える文献で
ある程度史料価値が認められているのはこれくらいしか見当たらないんだよね。
『徳川実紀』では「実話だとしたらたぶんこの頃」と断りつきの俗説扱いだし
『藩翰譜』ではいい加減な俗説だと決めつけられているし。
もっとも『東照大権現祝詞』の内容は
あんまり俗説そのままなんで信用しづらい。
老中の井上はろくでもない奴だから刃傷で死んだとか書いてあるし。
井上正就は当時健在だった秀忠の乳母の子、
まだ春日局ですらないお福が威張れるような相手じゃないんだがなあ
対決に言及した他の文献は
みんな属所
518 :
日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:52:20.66
スマン、下2行は削除し忘れ
517 :日本@名無史さん:2011/05/24(火) 20:24:35.31
>>515-516 おっしゃる通り
『東照大権現祝詞』です。伝春日局。
春日局と江の不仲を伝える文献で
ある程度史料価値が認められているのはこれくらいしか見当たらないんだよね。
『徳川実紀』では「実話だとしたらたぶんこの頃」と断りつきの俗説扱いだし
『藩翰譜』ではいい加減な俗説だと決めつけられているし。
もっとも『東照大権現祝詞』の内容は
あんまり俗説そのままなんで信用しづらい。
老中の井上はろくでもない奴だから刃傷で死んだとか書いてあるし。
井上正就は当時健在だった秀忠の乳母の子、
まだ春日局ですらないお福が威張れるような相手じゃないんだがなあ
519 :
516:2011/05/24(火) 21:08:41.63
やっぱり東照大権現祝詞だったか
それしかないもんな
よく言われる家康の訓戒状は忠長への寵愛のことが記されているだけで
家光や福との関係は言及されてないんだよね
細かな説明ありがとう
520 :
日本@名無史さん:2011/05/25(水) 07:59:45.01
>>512 その二人ほど過大評価の人物もいないと思われry
ワロタw 定期的に出るよなギャグかなんかだろうけど
ギャグなのか
523 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 07:48:53.63
>>511 >春日局は三男を忠長に仕官させているし
稲葉正利って三男だったっけ?
春日局には実子が四人いたらしいから、末っ子の正利は四男のはずでは???
524 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 10:56:27.75
>>523 稲葉正利は稲葉正成の子としては四男だな。
春日局の第3子。
春日局は稲葉正成の後妻で、嫁いだときにすでに、
正成が先妻との間に設けていた長男正次がいた(正次は春日局の継子で、実子ではない)。
正次は正成の長男であるにもかかわらず、継母春日局の大出世により、
異母弟に嫡子の地位を譲っている。
525 :
511:2011/05/26(木) 22:59:32.76
スマン
春日局の実子は正勝・正定・正利の3人だと思っていたんだが
調べてみたら幼児の頃に夭逝した岩松というのがいたわ。
正利は正しくは4男だね。
ついでに春日局のおかげで出世したといわれている人たち
過大評価:夫が他の女に産ませた娘の息子堀田正盛(十万石級の譜代大名)
過小評価:実子の正定(尾張藩士で知行千石)
>>525 福と血のつながらない子が出世しているのがポイントだよね
福は「明智の縁者」ではなく「稲葉の妻」という縁故で出世できたんだろう
あと公家さん(三条西家)とのつながり
527 :
日本@名無史さん:2011/05/27(金) 11:11:36.20
>>525 堀田正盛は家光と男色の関係にあって異例の出世をしたらしいね。
一番最初家光の近衆に取り立てられたのは春日局の口添えだったかもしれないが、
その後の出世は家光の篤い寵愛の賜物だったらしい
528 :
日本@名無史さん:2011/05/27(金) 19:56:25.49
>>527 うん、それがホントのところだと思う。
ただそこらへんの大奥本では
一から十まで春日局のおかげで出世できたことにされてしまっているからw
そうすると実子の正定・正利の扱いの説明が苦しくなるのにねえ。
>>526 >福は「明智の縁者」ではなく「稲葉の妻」という縁故で出世できたんだろう
「明智の縁者」だから厚遇されたと主張するのなら
福の兄や姉たちの立場はどう説明すればいいんだw
529 :
日本@名無史さん:2011/05/28(土) 10:53:55.21
稲葉正定って何年生まれだっけ?
兄の正勝が慶長二年で、弟の正利が慶長九年だから
少なくとも、慶長三年〜慶長八年の生まれということになるんだろうけど・・・
530 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 06:45:06.52
信長の息子達は父よりも随分と過小評価
531 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 08:23:46.59
父が過大評価ですから
信長は過小評価の代表。
533 :
日本@名無史さん:2011/06/02(木) 23:51:20.74
過大評価
上杉景勝
謙信時代の領土を悉く喪失(能登、越中全域、東上野、出羽庄内)
越後一国さえ独力で統一できず、
秀吉に臣従する事でやっと新発田重家を滅ぼし、越後を統一。
景勝の剛直な精神には異論は無いが、戦国大名としての力量は低いとみる。
勢力範囲について
景勝が新たに得た領土、北信4郡12万石
喪失した領土、能登一国20~25万石、越中一国40~50万石、東上野20~30万石、出羽庄内15~20万石(後に回復)
家臣登用について
同族や有力家臣を排除してできた景勝政権。
その結果、直江兼続のみ突出した形となって、攻勢をとるには人材不足が否めない。
てか織田信秀こそ過小評価
尾張最強の戦国武将に成り上がったのに
息子・信長があまりに目立ちすぎて「信長・市の父」の立場だけ
酷いと木下弥右衛門や松平広忠と同レベルの扱い
それを言うなら信玄だってそうだよ
有力部下はほとんど、親父の信虎が手なずけた連中ばっかりだ
そういう観点からすると
村長レベルから独力で成り上がって中国の主となった毛利元就なんて
ホントに凄いと思うんだけど、どこまでも「地方の雄」扱い・・・
「評価」って難しいわね
536 :
日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:55:34.76
織田信秀は、同時代の斎藤道三、雪斎和尚、三河勢などの他国勢に、
合戦にて後れを取った印象が植え付けられた感じ。
守護代の奉行人の身分でありながら、尾張の広範囲に勢力範囲(軍事指揮権)を有した。
御所造営に功ありとして、従五位下に叙せられている(守護大名級と遜色なし)。
熱田の港湾事業など経済感覚に優れていて、後継者の信長に多額の金銀や、名物を残した。
だが、信秀は尾張一国を統一したわけではないし、
他国への攻勢もうまくいったとは言えないところが、ちょっと不足分かな。
537 :
日本@名無史さん:2011/06/05(日) 00:16:33.11
>>535 >有力部下はほとんど、親父の信虎が手なずけた連中ばっかりだ
人物眼は優秀だったと思うが、皮肉な事に、その家臣たちの手で追放されてしまったんで、評価落ちますね。
毛利元就...同感です。
3本の矢ばっかりで・・・・彼はそんな一発屋じゃないんですが・・
元就の凄さは、息子たち(側室の息子も)が皆、優秀というところ
539 :
日本@名無史さん:2011/06/05(日) 19:08:16.63
>>538 豊臣秀吉曰く、
毛利元就は、隆元・元春・隆景らを存分に操って天下に名をあげた。
吉川元春も元長・広家を使って、武名を轟かせた。
この秀吉は、弓矢を取れば、彼らより10倍も優れているが、役に立つ子をなす事は彼らに劣っている(大笑)
540 :
日本@名無史さん:2011/06/05(日) 19:45:59.18
過小評価
徳川斉昭
このおっさんがいなければ、だらだらと幕府は1900年頃まで延命した
541 :
日本@名無史:2011/06/07(火) 10:35:27.15
織田信長は評価が高くて良いが
美化し過ぎなんだ
カッコ良すぎ、でも平凡な俳優では物足りない
ドラマだと
『人生地理學』を著した小学校校長
我が国有数の画期的な社会・地理学の著作。
生徒の大多数が貧困家庭の子女である小学校に赴任し、自費で給食を施した教育者でもある。
教育者というのは比較的過小評価される場合も多い。
本来、基本地味だしコマーシャルベースにも乗らない世界だからな。
かなり後になってポツポツその業績が気づかれるケースが多々ある。
過小評価
★大多鬼丸
阿武隈地方で力を発揮し中央権力に反抗して、猛将鬼五郎を従えて坂上田村麻呂と戦った豪族。
小学校の国語教科書にも名前は出たことがあり、地元では大滝根山(?)など地名にも残されている。
しかし、一般的には無名というか、解られていないと思う。
545 :
日本@名無史さん:2011/06/09(木) 07:50:53.67
女性で過大評価は細川ガラシャ
過小
福島正則
西軍大名オタからは嫌われて強烈なアンチがいるが
秀吉の親戚・子飼い武将中では、優秀な方
好き嫌いはともかく武将としての実績や能力を疑う人がいるのか?
至極まっとうに評価されてると思うが
>>547 前に戦国板で見た時は
三成・宇喜多オタにボロ糞に言われてたぞ
安藤昌益は過小評価から過大評価への振り幅が大きい
>>549 安藤昌益の研究者って今いる?
すでに"忘れられた思想家"wでしょ。
>>548 2chの西軍オタが異端だと考えた方が良いかと
清正じゃない方の加藤
>>554 加藤嘉明か
良将、名君という評価は受けているが確かに知名度では清正らに劣るな
地味だったのかねぇ?
清正は朝鮮でも奮戦したり熊本城建てたりとわりと派手な功績があるが
嘉明はそういう派手な話はあまり聞かないよな
ついでにどっちも跡継ぎが暗愚で改易になってる
加藤嘉明、「松山」の命名者にして、松山城の建築者ね(完成は見てないかも知らんが)
決して主役ではなかったけれど、それなりに舞台を飾った渋い脇役だったなぁと、
通好みの観客に受けのいい、そんな役回りだわな
豊臣恩顧系は、どうしても江戸期に影が薄くなってしまうから不憫だねー
水軍将軍加藤嘉明
家臣には名将佃十成がいる
そんな奴は知らん
562 :
日本@名無史さん:2011/06/12(日) 23:35:53.53
過小 本多政重
563 :
日本@名無史さん:2011/06/13(月) 03:07:18.54
加藤家からはかなりの家臣が大阪に入城してるからな
564 :
日本@名無史さん:2011/06/13(月) 03:45:09.94
伴団右衛門とか?
後鳥羽上皇-過小評価
今の教科書でも中学までの教科書なら負けた天皇かせいぜい歌集を出したってくらいしか載ってないと思う 実際俺はそれだけしかやらなかった
高校はもうちょっと詳しくやるが、それでも結構な「幕府に歯向かって負けた馬鹿な敗戦者」扱い 俺のやってた(ry。
実際歌にも武芸にも優れてて、天皇の中じゃ勇敢な人だったと思うんだけどなあ
追加
あと足利義勝とか ヒステリーですぐキレる独裁者っていうイメージ強いと思う
でも実際為政者としては有能だった
何度もごめん あと中世ばっかですまん
過小で足利直義 一行しか教科書に載って無かった 高校じゃ観応の擾乱少しは詳しくやるけど
躁鬱病の気のあった尊氏を支え続けた人なのにね
頭も良くて為政者としても有能だし(戦の腕はアレらしいけど)、重病にかかったら民衆が「直義様が死んだらこの国は終わりだ」と噂したほど(太平記より)
>>566 義勝じゃなくて義教じゃね?
確かに政治能力は優れてたけど人格が無さ過ぎたんだったっけ
足利義詮が過小評価され過ぎなのはガチ
幕府一の名君なのに
まあ二代目というのは地味なもんだ
源頼家しかり徳川秀忠しかり
海外の王朝でも似たようなもん
例外は唐の二代皇帝李世民くらいか?
>>565 歌人としても過小評価だろ。
新古今歌人は式子内親王と西行以外全員が過小評価。
>>568 大河ドラマでも義詮公の扱い酷かったな
闘鶏すきのえなりって感じだった
>>568 素で間違えたごめん
15代覚える為に暗唱する時も間違えるというね
573 :
日本@名無史さん:2011/06/18(土) 11:45:18.87
戦国だと過小評価の典型は朝倉義景だと思う。
彼がバカ殿扱いされてる原因をざっと挙げると
足利義昭を放置した。信長の上洛命令を断った。姉川での体たらく。
信玄上洛時の対応のマズさ。だけど
まず足利義昭の放置ははっきり言って賢明。越前若狭70万石程度の朝倉では
上洛してもその後京で政権を維持するのは国力的に困難。
信長の上洛命令は元々織田家と朝倉家は同じ斯波家家臣だったが朝倉の方が
格上。しかも信長はその織田家の分家出身。大体その頃の織田家はまだ
細川や三好とやってる事に大差はないので上洛命令の無視くらいなら
やっても良いという判断はまあ妥当。
姉川に至っては出陣もせずしかも朝倉はあの時援軍の立場。大体姉川自体が
局地戦でその後信長を滅亡寸前まで追い詰めた志賀の陣とかは一切無視。
信玄なんてそれまで外交一切無い上実際武田軍は途中で撤退している。
ベストがどうかは別としてその場その場でそれなりにベターな判断を下してる
何故かそれがいつも裏目に出るけど。
あと維新期だと高杉晋作と武市半平太は過大評価。特に武市は長生きしてたら
土佐閥のリーダーとして・・・とか言われてるけどありえない。二人とも
テロリストで汚れ役。特に武市に関しては人殺し過ぎ。あんだけやったら
むしろ維新政府に入ることすら困難な気がする。
あとこの2人程ではないが小松帯刀と大村益次郎。
小松は大河で名前は売れたけど維新時の賞典禄では西郷の半分で大久保にも
大差が付き板垣当たりと同じ扱い。そもそも彼は武士の中でも家柄が突出
してるので久光の様に棚上げされた可能性が高い。大村はあちこち敵だらけ
で子分さえいない。あれは政治家じゃなくて学者。いずれ失脚していたのは
明白。
575 :
日本@名無史さん:2011/06/18(土) 12:17:51.13
武将としての伊達政宗は過大ぎみだとは思うけれど
料理人としてはもっと評価されても良いと思う。
大村について追記すると彼のやろうとした事はほぼ山県が引き継いだので
陸軍の形もほぼ変わらんと思う。天才だとは思うけど人の上に立つ素質も
カリスマ性もないなあ。
逆に過小評価なのは西郷と広沢。特に広沢は賞典禄的に生きてりゃ長州閥の
リーダーになってる可能性は十分あるし、西郷は西南戦争さえ無けりゃ
いずれ大久保以上の独裁者として明治政府に返り咲いてたはず。
偉大な父のために過小評価されている典型、織田信忠
>>573 >信長の上洛命令は元々織田家と朝倉家は同じ斯波家家臣だったが朝倉の方が
>格上。しかも信長はその織田家の分家出身。大体その頃の織田家はまだ
>細川や三好とやってる事に大差はないので上洛命令の無視くらいなら
>やっても良いという判断はまあ妥当。
いや、既に細川や三好がぶち壊していた古い常識から抜け出せなかったわけで
そこがマイナス評価になるのは仕方ないかと
常識が無意味とおもっても
それを破ったら摩擦を生むのだから
常に不合理なものをやめればいいというもんでなし
朝倉で思ったけど宗滴って明らかに過大評価だよな。彼の存命中別に朝倉家
が領土を広げたわけでも躍進したわけでもないし、一向一揆なんて信長
みてりゃわかるけど守備力は鬼だけど遠征力とかは微妙なんだから
別に防いだとしてもそこまで凄いわけじゃないし、しかも兵数は明らかに
誤魔化してるし。
過大 千利休
過小 足利義政
582 :
日本@名無史さん:2011/06/21(火) 08:39:43.28
坂本龍馬。
有名になりすぎたせいで叩かれまくり、過小評価になってると思うw
583 :
日本@名無史さん:2011/06/21(火) 16:55:43.24
過小
月形潜蔵
野村望東尼
過大
平野国臣
過小
月形半平太
倉田典膳
過小
洪思翊中将
過小
吉野作造
過大
美濃部達吉
587 :
日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:16:59.32
過大
新井白石
過小
荻原重秀
過小 田沼意次 竹下登
過大 鳥羽天皇 大隈重信
小渕の有能さはびびった
笑顔うかべながら人を殺すタイプ
591 :
日本@名無史さん:2011/06/24(金) 21:40:14.59
>>573 戦国大名の本分たる領国拡大という点で、攻勢すらほとんど取る気がなかったような人物。
生まれながらに越前一国の太守でありながら、他国への野心が全く見えず、その結果として、有能な家臣も育たず、織田信長に飲み込まれてしまった。
もし、の話しだが、伊達政宗のような者が代わりに生まれていたなら、畿内・北陸の様相は、大幅に変わっていただろう。
一乗谷が、当時でも有数の文化都市として栄えた事
奉行人制度など、吏僚を揃えて、安定した領国経営をした
義景自身に、強欲・酒色・などの愚かな部分は見られない
戦を好まず、和歌・蹴鞠・漢詩・弓馬の道など、学ぶ姿勢は常にあった
などなど、豊臣期、あるいは太平の世に義景があったなら、
名君として歴史に名を残したかもしれない。
戦国の世に大国一国保つのはそれなりに力量必要だモンね
593 :
日本@名無史さん:2011/06/24(金) 22:21:07.75
>>580 宗滴は、朝倉家の越前統一・将軍家への合力戦・加越国境封鎖・美濃や近江の合戦など、半世紀以上に渡って、当主の陣代として出陣し、敗北した事がない。
彼は朝倉家臣であるから、もし、当主(朝倉孝景)から、手伝い合戦の地を領国化せよと下知があれば、速やかにできたと思われる。
しかし、当時の朝倉家は将軍家奉公衆であり、隣国は加賀を除いて全て将軍家に奉公する者の守護領国(若狭武田・土岐・六角など)のため、当主にその気は無かった。
特筆すべきは、一向一揆を追い返した後、加越国境封鎖を完成(そのせいで越中方面は一向一揆が盛んとなり長尾家が苦労した)、他国へ大軍出征を可能にした。
上洛して、将軍、足利義晴をほぼ単独で守護し(三好、細川らの大軍を破る)、将軍家・朝倉当主・管領なども激賞した。
また、朝倉孝景は、驚く事に、戦国大名でありながら、一度も出陣した記録が無い。同じく、義景も宗滴存命中は出陣した記録がない。
戦国大名・朝倉家を支えたのは、まぎれもなく朝倉宗滴であって、名将と呼ばれてふさわしいと思われる。
新聞で昭和に比べて平成の首相は小泉以外は簡単に辞めすぎると嘆いてる評論家がいたが
小渕は許してやれよって思った
同じ人間・同じ新聞社が政権与党に自民党が復すると
又もや鵜の目・鷹の目で議員・大臣・総理に止めろの大合唱を
はじめるであろうことは予言でもなんでもない確定している事項だけどな
>>593 そりゃ近隣数カ国としか戦ってないんだから無敗もあるだろ
相手も大したのいないし
>>594 阿倍もな。本人が嘘の説明をして政治を混乱させた罪は重いが。
>>597 ねーよ。あれだってもし参院選で勝ってたらやめてないだろ。
むしろ本人はまだやる気まんまんだったけど安倍の負の遺産のせいで
あんな終わり方になった麻生が一番不憫だ。安倍とかネトウヨ以外なら
マジ菅以下だ。
>>596 だよな。基本的に一向宗以外とはせいぜい小競り合いしかしてないし。
柴田・前田・佐々が散々手を焼いた一向宗相手に負けなかった宗滴が猛将なのか
一向宗が宗滴と戦った経験があったから柴田達が手こずったのかは分からんな
>>599 織田家の北陸方面軍は一向一揆に攻め込んでた。一方宗滴は
攻め込まれる側。一向一揆は守りは鬼のような強さだが攻め込むには
あんまり強くないから端から状況が違う。
いくら規模が大きくても
しょせん一揆は農民相手のいざこざに過ぎんからなあ
家康が三河時代にちまちまやってた程度のことを
合戦扱いすること自体が疑問
602 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 01:27:55.76
みんな戦国好きだと仮定してレス
>>596 >そりゃ近隣数カ国としか戦ってないんだから無敗もあるだろ
宗滴は天文24年死没だが、同時代の武将で隣国以外と合戦した武将の方が珍しい。
>相手も大したのいないし
有名どころでは...当時の三好元長・細川晴元・浅井亮政・加賀一向宗などを相手にしている。
>>598 >基本的に一向宗以外とはせいぜい小競り合いしかしてないし
史書を読まれたし。
永正の一向一揆来襲は、門徒勢、書物の10分の一としても3万の大軍、
1500年当時で、3万の兵数というのは他に見られない。
対する朝倉勢は1万で、約2ヶ月間戦って、一揆勢は総崩れで退却。
ちなみに、一揆勢に九頭竜川を越えさせなかったため、本領はほぼ無傷であった。
享禄の加賀攻めでも、2ヶ月戦い、手取川を越えたが、
連携する手筈の能登・越中勢が一揆勢に敗れたため、
戦況をそのままにして退却した。この時は宗滴勢8千であった
1530年当時、8千の兵を持って2ヶ月の間、他国へ攻め入るというのは、相当大規模である。
603 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 01:28:48.33
>>600 根本的に勘違いしている。
織田家の北陸方面軍・・・織田信長が石山本願寺を降伏させ、光佐による服従命令が下され、大規模な加賀一向一揆とは合戦していない。
光寿に従う一部の者たちを、なで切りにしただけである。
>一方宗滴は攻め込まれる側
上に記述したので見てください。
>一向一揆は守りは鬼のような強さだが攻め込むにはあんまり強くないから端から状況が違う
長尾能景・長尾為景・上杉謙信は一向一揆と越中の支配を巡って戦っている。
当時の加賀一向一揆は能登半国・越中西部にまで勢力を伸ばしていた。
織田信長と朝倉宗滴では、50才以上も年が離れているから、織田軍団や、その時代と比較するのは難しいです。
宗滴は鉄砲伝来の10年過ぎ後には死没するので、もし彼が元亀・天正時代の織田軍団の数千もの鉄砲隊の轟音を聞いたら、さぞ驚くことでしょう。
>>602 農民の3万と武士(兵農分離されてないとはいえ)の1万なら
武士の1万の方が普通に強いだろ
605 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 01:34:45.35
戦国時代は民衆が苦しんだ暗黒の時代
秀吉家康以外の戦国大名らはみんな過小評価で良い
宗滴の時代は戦国時代というよりまだ室町時代だからな
この時代の合戦はのんびりしたもんで結果だいたい勝負なしになる
だいたい出自の怪しくないもの同士の政治力の戦い
607 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 05:44:35.69
>>604 加賀一向一揆が農民の烏合の衆と思ったら大間違い。
加賀の国人領主や、朝倉に越前を追われた、守護代甲斐氏の残党及び大野郡司二宮氏の残党などが士であり、卒は一向門徒。
後の世で一向門徒の代名詞である鉄砲がない時代、弓と槍で長尾氏、畠山氏の領国を奪った。
朝倉氏とて、大半を占める卒(足軽や又若党)は農民であり、これは秀吉の時代になるまで変わらない。
608 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 06:07:49.78
>>606 >宗滴の時代は戦国時代というよりまだ室町時代だからな
一応、日本史学会の見解としては、北条早雲の伊豆討ち入り(明応2〜7年1490年代)を持って、戦国時代の始まりとされている。
じゃあ何か?もし宗滴孝景コンビなら信長に勝ってたってか?
>>608 だから俗にはそうだろうが
気風的にはまだまだってことだろ
九頭竜川の戦いとか
川挟んでるんだから堀のある城で守ってるようなもん
一度に攻められないんだから寡兵の守りでも工夫次第でなんとかなる
だいたい一向一揆の兵って女老人子供とか加えての陣容だろ
>>611 言い過ぎ。当時兵農分離はされてないから他の大名家でも大部分は
農民兵だし、将校クラスは一揆と言えども地侍。ただやっぱり領国拡大の
面では戦国大名に比較すると大きく劣るから防ぎ続けただけでは名将とは
言えんわな。
連レスになるけど宗滴擁護してる人も結局他の大名家とのガチ戦は
提示できてない。宗滴が無敗だった事は事実だけど
vs一向宗では攻めの面では他の大名家と比較しても大きく劣るから
防いだだけでは名将とは言えない。一方攻めの点でも負けてはいないが
領土も全く増えてない。
vs他の大名家は大部分が小競り合いの延長かそうでないなら他大名への援軍
これで名将の評価はちとキツイよなあ。松平清康と同じで宗滴さえ生きていたら
信長なんぞに負けなかったのにという朝倉残党の願望が今の妙な評価を
生み出している気がする。
614 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 12:22:07.80
兵農分離されてない?
鎌倉時代に兵と農は分離されてたけど?
616 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 14:23:38.73
>>615 百姓を戦地に連れ出したら田畠は荒れて自滅するよ
農閑期
なかなか面白い
宗滴には詳しくないが、傍から見てると擁護レスのほうが
根拠の提示が具体的で説得力がある
619 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 17:55:27.33
>>613 >連レスになるけど宗滴擁護してる人も結局他の大名家とのガチ戦は
提示できてない。
大永5年 対浅井亮政、5ヶ月間小谷城を包囲して、美濃から浅井を引き離し、更に浅井久政を味方に引き入れて和睦。朝倉・浅井同盟の基礎を作った。
大永7年 対細川晴元、三好元長、畠山義堯(管領・河内守護) 将軍義晴守護のため、1万を率いて入京。
幕府勢 公方衆七千、六角定頼、細川高国勢二万、朝倉勢1万
足利義維方 阿波・細川勢、河内畠山勢、丹波波多野勢ら3〜4万
の軍勢が京に集まった。
朝倉勢 桂川の戦い 宗滴、渡河して阿波勢に突撃敢行、散々に打ち破った。
西院口の戦い 将軍義晴の本陣である東寺を河内勢が攻撃、朝倉はこれを迎え撃って、遊佐ら重臣共々、千人を討ち取って勝利。
陪臣であるが、将軍足利義晴から感状を下された。
約5ヶ月ほど在京したが、このころ、名物九十九茄子を手に入れた。
620 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 18:27:51.16
続き
>>613 天文13年 対斎藤道三 稲葉山城下まで攻め寄せ、井口を焼き払う。道三篭城、包囲後に和睦
>vs一向宗では攻めの面では他の大名家と比較しても大きく劣るから
>防いだだけでは名将とは言えない。一方攻めの点でも負けてはいないが
これも全くの勘違い
攻めの場合 宗滴は2度ほど大規模な加賀遠征を行ったが、合戦においては連勝しつづけている。敗北して撤退した事はない
防いだというのは、永正の一揆だが、これ以降一揆勢の襲来はない。逆に一揆勢は能登、越中方面へ侵攻した。
これは、朝倉>長尾>畠山と一揆勢が見ていた証左ともなる。
>領土も全く増えてない。
時代背景と宗滴の立場を考えて下さい
この時代に、越前一国の安定支配(自国に他国勢を入れない含)を行い、他国へ大軍を動員して、手伝い戦をした。だが、越前ではなんら内乱等おきていない。朝倉の統治力は高評価できる。
朝倉孝景は、将軍から御相伴衆(三管領、四職家に続く家格)に任ぜられた
当時として、これは異例の事である。
畿内近国の守護大名家で朝倉ほど強固な統治力を持った勢力は、信長の登場まで無かった。
621 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 18:40:49.67
>>610 >気風的にはまだまだってことだろ
曖昧すぎてるし、そもそも下克上の時代、管領が将軍を交代させ、守護代や国人が土地を乗っ取るなど、実力で領土を支配しなければならない時代を戦国時代と呼ぶ。
622 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 18:50:42.20
>>611 >川挟んでるんだから堀のある城で守ってるようなもん
その戦いの直接の勝因...敵の油断を衝いて、宗滴が中丿郷口から一気に渡河し突撃敢行、不意を突かれた一揆勢は総崩れとなり壊滅状態、それを聞いた他の一揆勢が浮き足立ち、総退却したが、朝倉勢の追撃を受けたため、大損害を受けた。これ以降、一揆勢の越前侵攻は無い。
一揆農民なんて組織化されてないからその程度で崩れるもんなんだよ
要はゲリラ兵だから崩してもまたワラワラでてくるから何回か追い払ったとか実に意味が無い
謙信みたいに丸め込むか信長みたいに殲滅してやっと評価の対象に登る
624 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 19:04:09.95
>>613 >これで名将の評価はちとキツイよなあ。松平清康と同じで宗滴さえ生きていたら
>信長なんぞに負けなかったのにという朝倉残党の願望が今の妙な評価を
>生み出している気がする。
世代の違う戦国大名・個人と比較対象してはいない。
また、宗滴の時代に、何度も他国へ長期間大軍を送った大名家は少ない。
大内氏、今川氏、関東管領家、三好氏ぐらいであろう
>信長なんぞに負けなかったのにという朝倉残党の願望が今の妙な評価を
生み出している気がする。
そんな話しは聞いたことがないが・・・
>>618 無駄に資料引っ張ってきてるだけだけどな
要はただ百姓にてこずったって話でしかない
マジレスすると一揆をただの農民兵だと思ってはいけない。
ただ戦国大名の争いは確かに規模は年々大きくなりつつあったけど
総力戦化したのは多分信長が最初だ。慣れ合いの延長戦にあったのを
信長が変えたというべき。それに宗滴だって死ぬまで現役だったし
死んだのは1550年代中盤で一概に信長と世代が違うとは言いきれんとおもうがな
627 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 19:18:42.65
>>625 では、そいつらに追い払われた長尾能景・為景・景虎は、もっと弱い
>>627 ゲリラだから戦いづらくて本気でやってないだけ
アメリカよりベトナムが強いとか言うようなもん
>>627 上にも書いたが一向一揆は守りは鬼だが攻めは弱い。
長尾家は攻める側。朝倉家は守る側。条件が違いすぎる。
一揆平定ってのは戦闘ではなく治安行為だからそもそも勝ちが無い
大将首取ったとかそういう合戦の流儀が通用しないから
信長みたいに老若男女皆殺しという下策を取るしかない
>>624 >また、宗滴の時代に、何度も他国へ長期間大軍を送った大名家は少ない。
>大内氏、今川氏、関東管領家、三好氏ぐらいであろう
そういうのをこの時代は合戦がのんびりしてるって言うんだよ
史料には史料で返さないと。
否定派は今のところ印象論でしかない。
一向一揆の攻めが弱いってのも一切根拠を示せていない。
擁護君の勝ちだね。
見てて面白い流れだがそろそろ飽きてきた
あくまで当時としてだが無敗だし名将と呼んで差し支えない
そんな大名が信長たちと世代が違うためにあまり広く名前を知られておらず
むしろ滅ぼされた息子の方が知名度が高い
これは明らかに過小評価である
そういうことでしょ?
農民相手に勝ちまくって名将なら
タイ人相手に勝ちまくった亀田も名ボクサーだな
じゃあ農民相手に部下を多数失った信長は愚将ということに
…ならねえよw
>無敗だし名将
名将であることは間違いないけど無敗ではないよ
只、俺も朝倉はもっと評価されるべきだと思っているから
知識もないのに思い込みだけで否定したがっている側に立つ気になれんw
あと、桑田忠親氏監修『戦国武将100話』の冒頭で、朝倉敏景を取り上げている
著者の姿勢を桑田氏は高く評価している
朝倉家全体が過小評価だと俺は思う
思うだけの奴は無視で
>>636 同じ織田家に滅ぼされた勢力でも浅井家は豊臣・徳川に血が入ってたり
武田家は一部の家臣が徳川譜代になったりしたが
朝倉家は織田以降の政権に一門も家臣も入り込めなかったのが
過小評価の元凶かな
ちゃんと一揆以外にも相手をしているのに一向宗徒・農民兵しか相手してないっていってるやつってなんなの?
そっちはただの小競り合いだから
「相手してる」のレベルじゃダメだろ
だいたい一揆一揆言ってるのは推してるやつだ
小競り合いっつうより援軍だがな。決して弱かったわけではないが
宗滴も末期になってくると戦国時代ももろ領土の取り合いになってきてたけど
朝倉家は領土を全く増やして無いわけで、これは名将扱いするには致命的。
前期は確かにまだ領土紛争はあまり活発ではなかったからと言い訳できるんだけど。
あの時代に生きた人はみんな領土増やして天下統一する事が目標ってかw
根本的に、一揆を百姓がしていたと思っている人が多い気がする。
江戸時代以降とは違って平安〜戦国時代の僧侶は
経典だけじゃなくて兵学を含む様々な学問にも明るかったんだよな
だから僧兵なる存在があってしかも組織的に動いてた
そんな僧侶達が煽った一向一揆はもはやただの暴徒ではない
僧侶が軍事から切り離されたのは秀吉や家康の兵農分離策
弘法大師が唐の土木技術を日本で実践したことは地味に有名だが
僧侶が軍事に詳しかったことがあまり知られてないのはこのスレを見ても分かる
なになに農民が陣形組んだりしたんか
だから戦国大名も末期の織田軍以外は主力はあぶれた農民達で武士じゃ
ありません。そんなに大勢武士がいるわけないだろ。
しかも一向一揆も戦闘を指揮してる連中は地元の国人や地侍達も大勢いるから
軍の質としてはそんなに大名家と比較して遜色ない。石山合戦や長島一向一揆を
見ろよ。散々信長を苦しめている。だから問題はそこじゃない。
他の大名家に対してはともかく宗滴はほぼ武将生命の一生を対北陸一揆に
費やしてかなりのガチンコの争いをしてるのに、戦局は一進一退のまま。
越前を一揆がはに侵される事こそ無かったものの加賀侵攻もほとんど進んで
無い。これでは名将扱いはできんだろ。
>加賀侵攻もほとんど進んで無い
>>642 どのみち加賀は畿内とは逆方向
領土拡大させないと名将じゃないってんなら長野業正とかどうなんすかね
存命中は領内によその兵を入らせなかった(多少の誇張はあるだろうが)という甲斐宗雲も
650 :
日本@名無史さん:2011/06/29(水) 23:27:09.62
大義が何かを考えないで評価しようとしてるのが問題じゃ・・・
>>649 薩摩と敵対する一方で、大友の内政干渉は食らいまくりじゃん
>>648 対信玄に関しては軍記物の創作。まあ丹波の赤鬼ってのはあるけど
こう防ぎ続けた人ってのは元々小領主が自身の何倍もの大勢力を撃退するからスゲーって
なるのよ。甲斐宗運は阿蘇氏の一家老に過ぎないしその阿蘇氏にしたって
弱小ではないけど大勢力でもない。長野氏も上野半分弱くらいの大名だから
その勢力は20万石ちょっと。対する武田家はこの時点で50万石を越えてる。
赤井直正に至っては丹波三郡の豪族に過ぎないのにあの織田家の光秀を
撃退し存命中は織田家も丹波に手が出せなかった。親の代から大国越前一国の
国持大名で自身も一族の中で特別な地位にあった宗滴とは状況が違う
>>654 単純に領土拡大だけが名将の条件とは言い難いけどじゃあ他に
何か宗滴が功績を残したのか?これで朝倉が小勢力だったとかいうなら
まだわかるけど元々その性質上領土欲も薄く、集団指導体制を取ったが上に
内部分裂も多く更に勢力もそこまで変わらない一向衆を一生かけて防いだだけ
他の戦は他勢力への援軍かさもなくば小競り合いでほとんど戦果も無い。
こんな人物が名将と言えるとでも?最低限対一向衆への優位の確立くらい
やらなきゃ話にもならんでしょう。
>元々その性質上領土欲も薄く
自分が1行目で否定したことを蒸し返されても
>集団指導体制を取ったが上に内部分裂も多く
宗滴存命中にそこまであったか?
>勢力もそこまで変わらない一向衆を一生かけて防いだだけ
その防戦の見事さが評価対象
>>622にある通り一揆勢が越前侵攻する戦意を失うというのは半端じゃない
>他の戦は他勢力への援軍かさもなくば小競り合いでほとんど戦果も無い
援軍を出す余裕があったことを含め援軍での戦果自体の価値を過小評価しすぎ
武をもって主家の威を高める行為って評価に値しないって考えみたいだからな
いくらいっても平行線だろう
次のネタに行った方が建設的かもな
コーエーのゲームで数値が高い→名将
コーエーのゲームで数値が低い→雑魚
これ以外で判断する材料がねぃんだろ
60年間他国から攻め込まれない武威より
領地を広げることの方が国力が上がると本気で信じ込んでいるッポイ
宗滴擁護派のあまりに強引過ぎる解釈に笑った。
よりによって一度も他国から攻められなかったから凄いとか抜かしやがった。
その状況を作ったのは宗滴の父の先代孝景のおかげじゃないか。
そもそも朝倉が領土を直接接しているのは若狭、飛騨、加賀、近江、美濃しか
ないが美濃は最初から論外なのは後の歴史が証明してる。
越前美濃間は険しい山地で大軍による行軍は難しい。これは後の信長と
義景の戦いを見ればわかる。若狭と飛騨も完全に論外だわなあ。
小国故に大国越前に喧嘩売る度胸なんて無い。北近江もこれに近い。
結局周囲が自分より格下かさもなきゃ六角土岐みたいに越前に興味の
無い奴しかいなかったが故に攻め込まれなかっただけだろ。
そしてこの状況は宗滴の戦術や戦略、外交で作り出されたものではなく
周辺国を圧倒する所領を用意してくれた父親のおかげ。
状況的に武田信玄にそっくりだ。ただ一応その周辺国を併合していった信玄と
比較もできない。
>>658 宗滴はノブヤボでも不自然に数値が高かったはずだがな。
オイオイこのゲーム脳の御仁
朝倉が美濃に攻め込んだ事実も知らないと自分で認めちゃったよw
リアルな領国経営のゲームでもでない限り永遠に理解してくれなさそう…
領地拡大のみが戦国武将のイキルミチ〜♪
ここまで言われて
>状況的に武田信玄にそっくりだ。ただ一応その周辺国を併合していった信玄と
>比較もできない。
と領土拡張至上主義を捨てられないのか
もう同じ話の繰り返しになるし相手するのは疲れた
傍目にどっちの主張に分があるかはもう明らかだろうし
662 :
日本@名無史さん:2011/07/01(金) 06:55:43.79
659は朝倉氏について引いては宗滴について、戦国時代について、あまりにも勉強不足でありもっと「学術書」を読んで勉強しなさい。
>その状況を作ったのは宗滴の父の先代孝景のおかげじゃないか。
初代英林孝景の時代は、越前一国を統一してません。
守護斯波氏・守護代甲斐氏らを全て追い出し、
同族の反対派(管領細川政元・加賀国の一向一揆及び斯波氏、甲斐氏と結ぶ)を倒して越前一国を統一したのは、三代貞景(孝景の孫)の時代で、
完全に安定支配が行えるようになったのは、四代宗淳孝景の時代
>そもそも朝倉が領土を直接接しているのは若狭、飛騨、加賀、近江、美濃しか
??? 書き込みの意図が不明です。甲斐も相模も尾張も安芸も・・・etc
>ないが美濃は最初から論外なのは後の歴史が証明してる。・・以下の文章
全く持ってデタラメで、知識不足
宗滴の最後の戦となった加州征伐だが、きっかけは長尾景虎からの「宗滴宛」
挟撃作戦の要請。
>>663 そこは
もうやめて!宗滴低評価派の兵糧はもうゼロよ!
だろ
まあ確かに宗滴も領土拡張に興味が無かった割には対外出兵が
多すぎる事も事実だよな。
>>638 徳川家光や豊臣秀頼の曾祖父に当たるのに
ボンクラ扱いされてる浅井久政はある意味凄いかも
家光も秀頼もボンクラだからなぁw
でも徳川将軍の能力って高い方から順に
家康>慶喜(天才の壁)>>綱吉>吉宗>家斉>>家宣>秀忠(将軍主導政治の壁)
>>家慶>家治(ボンクラの壁)>>家光>家綱(池沼の壁)>>家重>家定>家継って
感じだと思うけど世間だと吉宗が家康と同格で綱吉と家光の場所が逆なんだよな
669 :
666:2011/07/02(土) 00:10:43.54
徳川将軍自体の評価も別にスレ違いじゃないから止める気はないが
浅井長政が評価高めなのは徳川将軍になった子孫がいるのが一因っぽいのに
久政にはそういう上乗せはないなあと思ったんだ
>>669 そりゃそうだろ。武将としての経歴が全然ちがうもん。多分日本史に
織田信長というある意味怪物が現われなかったら俺は長政はあの勢いなら
六角を滅ぼして、畿内の覇権を松永久秀と争ってたと思う。
秀忠>家宣じゃないかなぁ
秀忠って家康死後も精力的に地盤固めに貢献しててもっと評価高くてもいいと思うが
(武将としてはろくでもないが)
小栗厨の妄想は見ててうんざりする
徳川家宣は過小評価。
約50年間、徳川時代の5分の1にわたって
やりたい放題のちゃらんぽらん政治を続け
規制ゆるゆるで勝手に化政文化が盛り上がって葛飾北斎や曲亭馬琴が活躍したことや
蘭癖ブーム野放しで勝手に開明派大名が増えてしまったことが
日本史に与えた影響は清濁合わせてもっと評価されるべきだ。
特に現在の大奥のイメージなんて
この人のおかげで出来上がったみたいなものだろ。
674 :
673:2011/07/02(土) 10:04:53.17
徳川家宣じゃなくて
家斉だった。スマソ。
家康死後の秀忠は孫子が言う
戦はずして人の兵を屈するは善の善なるものなり
を実践したって感じがする
戦に至る前に勝っちゃうから戦での働きは
関ヶ原の失態か家康に手柄を取られた大坂の陣しかない
676 :
668:2011/07/02(土) 15:33:03.49
家斉と家宣の間に名君の壁を付けるのを忘れた。あと家宣と秀忠を逆にすれば
けっこう良い線いってると思うんだけどどう思う?
家宣というか
間部詮房と新井白石の側近ズも
過小評価と過大評価のかけもちだな。
家宣や月光院の御機嫌取りなイメージが先行してしまって
個々の政策についてちゃんと評価されていない。
失脚したのは家継が風邪をこじらせて夭逝したからで
本人たちに致命的な失政があったわけではないんだが。
絵島事件なんか、大奥の勢力争いでもなんでもなくて
政治主導の大奥緊縮政策だろうに。
綱吉時代の経済政策を改悪したのと
白石の性格だけは擁護できないけれどな。
話は変るが篠原長房って過大・過小というよりちょっと可哀想なくらい
地味じゃね。能吏としてはありえない優秀さだしあの久秀も頭上がらなかった
らしい。実際久秀を何度も追いつめてるしな。三人衆の親玉的な存在と言っても
過言ではないし。信さんいなかったら自ら本格的に上洛して久秀滅ぼして
阿波公方家の誰かを傀儡に再度三好の天下を構築してた気がするけどな。
>>668 有名人の子供というのは損な立場だが
孫の場合は得、という例だな
>>668 世間の人が見たら「はああ!!??」って言いそうな図だな
とりあえず綱吉と家斉について勉強してくる
>>681 異議あり。決して無能では無いけども隣国の斎藤道三や今川義元の方が
優秀だし経歴も派手。むしろ信長がいなければ完全に埋もれてたと思う。
子が活躍しなかったら完全に埋もれてたっていうのは松平広忠くらいでないと
信秀に対しては言い過ぎじゃね
信長の存在抜きで道三・義元と比べると見劣りするのは否定しきれないが
家継って池沼だっけ?
11歳で死んだから能力があるかないかも判断できんな
違った8歳だった・・・・
687 :
668:2011/07/03(日) 00:21:49.91
8歳も大人の池沼もそう変らんだろうと思って同じ枠にした。異論は認める
>>682 チャンピオンが信秀ってのは
>>552のリンク先ではチャンピオン扱いになってるって意味じゃね?
北条早雲や斎藤道三は過大評価
優秀ではあったことは疑いようがないけど後世でサクセスストーリーにされすぎた。
道三は婿が有名だからしょうがないな
織田信秀は戦上手としてはそこそこ評価されてるけど
内政面や策略面は過小に思える
松平竹千代誘拐の主犯は信秀なのに
過小評価 山本権兵衛、後藤新平
今の管内閣を体たらくさを比べてもマジで過小評価されてるな
過小評価 頭山満
ただの右翼だとおもってたら朝鮮併合とか日中戦争に反対してたのは意外
ボースを保護してたのは知ってたが。
過小評価:一休宗純
ただの頓知話や奇行伝説で知られているのは過小評価と言っていいだろう。
嘘か本当かわからんような逸話がその人のすべてのように語られるのは
一休に限らずほとんどの人物そうだと思う
島津の初代゛家久゛って過大評価なの?過小評価なの?
>>694 一休は偉人として語られることはないだろう
ただの昔話のモデルになっただけ
>>696 どの家久?
義弘から見て息子の家久("初代"薩摩藩主)か
弟の家久(義弘子は2代という意味で"初代")か
それとも別の家久がいるのか
>>695 でも史実でない逸話でもその人物像を的確に表してることもある
例えば毛利元就の三矢の訓は敵同士の不和を利用しまくった元就が
壊滅的ではない程度に不和があった子や孫に語った話だからこそもっともらしい話になるのであって
子らが骨肉の殺し合いをやらかした織田信長・長曽我部元親あたりなら
三矢の訓なんて話は最初から出てこない
三本の矢の元ネタってイソップ物語という話もあるけどどうなんだろ?
日本にも伝わってるし題材として使った可能性はあるだろうけど
島津家は一人一人の知名度自体が低い
後北条家・伊達家(政宗以外)・徳川御三家(光圀・吉宗・慶喜以外)にも通じるが
そうかな
義久、義弘、家久はそれなりにあるよーな(歳久はともかくw)
幕藩体制になってからの知名度が島津に限らずどこも低い
島津斉宣とか結構面白そうなんだが・・・
戦国時代と幕末の間は一般の人は興味ない
>戦国時代と幕末の間は一般の人は興味ない
大奥と暴れん坊将軍と水戸黄門くらいにしか興味ないだろうな
時代劇好き程度だと島津家自体は知ってるが戦国時代の当主が誰かまでは知らない
受験勉強で日本史に詳しい奴なら義弘を知ってる(文祿慶長の役・関ヶ原関係)
ゲームやる奴なら加えて忠良・貴久・義久は知ってて「ついでに」家久・歳久も知ってる
って所かと
これ以上詳しかったら戦国マニア
最近になって平野耕太(「諸君、私は戦争が好きだ」の元ネタになった『HELLSING』の作者)が
豊久を主人公にした漫画を描いてて回想場面で豊久父の家久がちらっと出るから知名度上がりそうだが
ひろゆき
過小、徳川御三家の初代
秀忠もそうだが、やっぱり有名人の息子は損だわ
孫は得
同じ息子でも信康と頼房で44歳も違うのかw
家康すげぇ
>>707 でも子供の方が有名になると
先代が「〜の親」って言われるようになってしまう
徳川斉昭みたいに
大名とかたまに有名人の息子だけを
世襲世襲と批判する人がいるけど
アホなのか
日本語でおk
なんか糞スレになったな
715 :
日本@名無史さん:2011/07/23(土) 21:29:15.87
過大評価 徳川光圀
重税を敷いた暴君
716 :
日本@名無史さん:2011/07/23(土) 22:36:28.17
世界最強の城を築城した加藤清正公
世界史ではそうでもないんだが
日本史では過大評価される男 チャーチル
そうなの? 普通に凄いと思うけどなー
ただホントに凄いのはチャーチル自身じゃなくて、
粘り強い戦争指導で英国を負けずに済ませた英雄チャーチルを、
欧州大戦が終わると同時(正確には2ヶ月後)に、「お疲れ、もういいよ」と
放り出した英国民なんだけどもねー
これでアトリー後に再登板しなければ完璧だったんだが
過小評価は織田信長、坂本龍馬
過大が将門で過小が純友
すみともは妥当だとおもうが
将門て有名な武将だし
さぞ高名があるかと思ってたけど
結構あっさり鎮圧されたんだな
名前だけが一人してる感じ
天皇制への明確な反逆だからインパクトでかいんだろ。
昭和天皇は過大評価
右からも左からも脚色されて逸話が増え続ける男
>>722 追い詰められたんで暴れてみたら、なんだか大騒ぎになってきちゃったよ・・・
うーん、どうしようかなぁ、やれるだけやってみっかぁ?
って決意したとたんに討たれちゃった感じだね。
ブレインにいい人材がいれば、もう少し長続きしたんかも知れんけど
世間知らずの公家崩れが参謀じゃあ、どうにもならんわねぇ。
とか言いつつ。
地方を実際に支配してるのは武士なんだから、中央の公家のご機嫌なんか伺わずに、
武士がやりたいようにやって、何が悪いのよ? という
ひとつの未来図を提示して見せたのは確かなわけで。
早すぎた存在っていうか、歴史にこういう人材がいてもいいと思うの。
>718
>ホントに凄いのはチャーチル自身じゃなくて、英国民なんだけどもねー
20数年前にも全く同じ文章を見かけたのだがネタモト何?
過大評価 織田信長
過小評価 平将門
728 :
日本@名無史さん:2011/07/27(水) 17:41:28.16
>>727 いや、むしろ平将門は過小評価だよ
自分で「新皇」と名乗って朝廷に謀反を起こしたのはいいが
あっという間に鎮圧されてるから
729 :
日本@名無史さん:2011/07/27(水) 17:42:30.31
平将門は過小評価→過大評価
坂東三将の強さ比較
平将門>藤原秀郷>平貞盛
美味しいとこ持ってたのは貞盛の子孫
731 :
日本@名無史さん:2011/07/27(水) 21:18:26.58
おいしいとこ持って行ったのは六孫王経基の子孫
武蔵武芝ら郡司クラスの子孫はたいしたことなかった
>>728 将門自身は別に謀反を起こしたり京へ侵略したりする気はなかったらしいよ
自分らの土地は自分らのやり方で治めさせてほしかっただけ
最初は小さく済ませるはずだったのにどんどんことが思ったよりも大きくなって
最終的に引けなくなって自滅しただけだしな
武市半平太はよく分からん
あんなん過激派テロリストの親玉でたいしたことねぇよwという評価と
あいつが勤皇志士のコミュニティを作ったんだから維新の大功労者という評価とか
混在してぐちゃぐちゃ
735 :
日本@名無史さん:2011/07/28(木) 06:31:31.37
過大評価
福沢諭吉
慶應の創立者ってだけ
政に携わったわけでもなく、学者として功績があったわけでもない
ただ口が巧く、文筆達者なだけで紙幣に画を残すとは・・・・
天は人の上に云々・・・本音は権威主義・拝金主義の塊
福沢諭吉は一万円札の顔になっていることで
有名人なだけだろ?
>>735 現代に例えるなら、ネットでカリスマ扱いされてるブロガーだよね
738 :
日本@名無史さん:2011/07/28(木) 16:40:35.13
>>735 複式簿記・保険・新聞導入して近代化に貢献
慶応創設後その慶応出身者が財界で活躍
(具体的には新聞社や保険会社・鉄道会社などの創設)
あと役人を辞めた北里柴三郎に援助して研究所を作らせたりしてる
慶応出身者の業績に関しては直接本人がやったことではないけれど
これだけでもかなりの功績があるとおもう
ただ福沢諭吉に限らず学校やら会社やら現代に続くような組織を作った人は
総じて評価が高くなる傾向はある気がするけど
あと個人的には脱亜論だけでも一万円札になるくらいの功績があると思う
福沢の一番の業績は現在の韓国語(ハングル)を考案したことだろう。
740 :
日本@名無史さん:2011/07/28(木) 19:10:27.73
>>738 >複式簿記・保険・新聞導入して近代化に貢献
確かに紹介したのはそうだけど、実際に庶民レベルで使えるようにしたのは彼ではないのでは?
口は安し・行うは難し
>慶応創設後その慶応出身者が財界で活躍
(具体的には新聞社や保険会社・鉄道会社などの創設)
当時からして金持ちを集めてるのだから、結果的に経営陣がそうなっても不思議ではない。
>あと個人的には脱亜論だけでも一万円札になるくらいの功績があると思う
とにかく口だけで、なんら実務的に世の為人の為になにかしたわけではない。
本人は庶民派を謳いながら、その実は、
華族以外とは縁組みせん(最低士族)
慶應には貧乏人はいれん(せめて紹介者をよこせ)
と、いうか慶應義塾は元々は中津藩の蘭学所が母体だぞ。
福澤は確かに過大評価だな
大隈が過小評価なだけかもしれんが
もうどうしようもないから燃やしてしまおう…というくだりが好き
743 :
日本@名無史さん:2011/07/28(木) 23:01:50.96
>>742 大隈は二回総理やってるけど、史上初の政党内閣だった第一次内閣はは自由党系との
内輪もめでわずか4ヶ月で総辞職、第二次内閣では対華21か条要求で中国はもちろん、
英米との関係も悪化させるなど、首相としては大隈はイイトコなしだよ。
もちろん江藤新平や島義勇のように鍋島直正からは評価されずに、佐賀には帰らずに東京で薩長の乞食を続けたカスみてえな人物だが。
ハングルが言語名だと思ってるようなやつが学問板に平然といるなんてな
野口英世は過大評価
過大評価 安重根、李舜臣
過小評価 李完用
一応日本史絡みの人物って事で
西園公望は過小評価
歴代首相で最も過小評価なのは山本権兵衛、加藤友三郎、斎藤実、鈴木貫太郎
なんか海軍出身の首相って影が薄い気がするなぁ・・・
徳川秀忠は、結構評価高くなってきて嬉しいんだが、一般人の歴史知識ではまだまだ低いのかな
今期の大河で更にそのイメージが強まってしまったような気がするが
知名度や評価が上がるのはいいんだけど
その理由が「お江の夫だから」というのは如何なものか
大河が終われば一般にはまた忘れ去られて徳川二代将軍の肩書きだけが残るのでは
忠長に肩入れしておいて高評価とは。
上の方の宗滴の話は
最終的になぜか宗滴が領国経営してるみたいな話になってるのは笑うところか
755 :
日本@名無史さん:2011/08/16(火) 22:35:12.89
>>754 >最終的になぜか宗滴が領国経営してるみたいな話になってるのは笑うところか
具体的にどの部分なのか示してください。
越前朝倉氏の支配体制
一乗谷宗家・敦賀郡司・大野郡司の三つに大別される
宗家は越前一国の軍事統帥権をもつが、敦賀郡と大野郡は一族の者を郡司として分割統治させた(徴税権・検断権含)
宗滴は敦賀郡司
自領内に三条西家の家領があり、宗滴はそれを保護し(当時公家領は押領される事が多かった)、上洛した時には色紙や短冊、扇面詩歌など文芸交流が盛んに行われた(実隆卿記)
享禄の錯乱で領地を失った加賀の山田光教坊・加賀四郡の有力国人(仇敵であったが)らを受け入れ、
彼らに二千貫の領地を与え庇護した。
連歌師宗祇の高弟・宗長を自領に招いて諸国の動静諮問
盛んに寺領を安堵し、門前町などの発展を図った(永厳寺文書)
永正十四年将軍家の命により若狭武田氏を救援 丹後守護代延永春信勢・武田家重臣逸見勢を討ち、
進んで丹後国倉梯城を落として台慮に見事応えたが、この軍事行動は敦賀兵のみで行っている。
宗滴の郡司時代、土一揆、僧兵などの決起の記録は無い
無論、他国からの敦賀侵攻は皆無である
一国の戦国大名としてではないが、自領をもつ武将として領地の経営にあたり、
その手腕も又評価できる。
全部軍事関係だろそれ
>>751-753 近年の大河で歴史上の人物のイメージが美化する方向で描きかえられるのは
史実や研究に沿った人物像の修正じゃなくて
視聴者ウケすることが狙いの捏造だぞ。
天地人の直江兼継なんて史実や俗説の上の功績がほとんどスルーされて
デタラメな創作で塗り固められて偉人あつかいされて気の毒だった。
直江じゃなくて、架空の武将でもまったく問題ないだろ。あの内容なら。
あと、忠長に肩入れしたのは俗説。
坂本病魔。
碌でもない奴はだいたいコイツが好き。
坂本龍馬が薩長同盟の立役者扱いされてるけど
実際は同盟を潤滑に事を運ぶパイプであってそれほど重要な人物ではない
船中八策とか考えたのはすごいよな
いや「坂本龍馬」の事じゃなくて「『坂本龍馬が船中八策を作った』って話を作った人」
坂本龍馬の先見性を実によく表現しているイベントだ
薩長同盟の時京都に行ったのが龍馬以外の人でも、同じように同盟は成ってたかな?
>薩長同盟の時京都に行ったのが龍馬以外の人でも、同じように同盟は成ってたかな?
つーか、
たまたま別件で上京した龍馬くらいしか
薩長同盟の立会人として動ける状況ではなかった。
初めから同盟実現のため尽力していた筑前勤皇党は直前に弾圧されて壊滅
そのとばっちりで中岡慎太郎他の有力者連中は筑前から動けなくなったから。
芸州藩の動きはもっと評価されてもいい
芸州の浅野家って浅野長政の家系?
歴史にちょくちょく名前が出てくるけど、最初見たときには浅井長政と間違えた記憶がある
>>763 レスありがとう。別件だったんだっけ
中岡も筑前の志士たちも、もっと評価されていいのにな・・・
薩長同盟は大村藩の渡辺昇も動いていたような
中岡慎太郎は
龍馬よりも早く大政奉還の建白を
土佐藩上層部に提出していたりもする。
時期尚早過ぎて相手にされなかったけれども。
つくづく間が悪いといおうか、運がないといおうか・・・
龍馬の腰ぎんちゃくみたいなイメージがついちゃっているけれども
実際にはほとんど接点がないんだよね。
たまたま近江屋でいっしょに殺されただけで。
徳川家光は過大評価されている。
器量があるなら忠長の増長も招かなかったろう。
弟に死を賜う時点で弟が競争相手と化している。
770 :
日本@名無史さん:2011/08/25(木) 08:13:34.51
>>769 足利尊氏、織田信長、武田信玄、伊達政宗、
同母弟がいる大名はほとんど弟と争ってるが
皆器量がなかったせいなのか
徳川秀忠は過大評価だな。豊臣家滅亡の前に家康が死んだら
徳川幕府はその時点で終わりだった。
>>770 弟を諸侯として封じているのは家光だけだな。
つまり諸侯として支配体制に組み込むことに失敗しているわけだ。
773 :
日本@名無史さん:2011/08/25(木) 11:20:52.90
>>772 家光は同母弟を殺害してるじゃん
他家に養子に行された保科なんて将軍になれるはずもなく問題外だろ
他の大名たちでも殺しているのはたいてい同母弟で初めから
異母弟なんて比較の対象になっていない
過小評価 鈴木貫太郎
歴史教科書で終戦当時の首相だったってことのみで簡単に取り上げられてるのが残念
>>770 足利尊氏は弟のほうが能力高そうだけどなw
政治担当だろ直義は
過小:佐々十竹と安積澹泊
それぞれ大日本史の史料収集と編集の中心人物なのに
せいぜい「助さんと格さん」のモデルということくらいしか知られてない
ましてや佐々十竹が史料収集のために全国を旅したのが
黄門様漫遊の元ネタの一つだという事はなおさら知られてない
778 :
日本@名無史さん:2011/08/26(金) 19:02:17.90
過大 松岡正海
過小 吉田隼人
779 :
日本@名無史さん:2011/08/27(土) 19:32:23.23
>>773 意外に春日局(当時はお福だが)は忠長に好意的だったようで
すり寄ろうとした気配があるんだよな。
自分が育てた子供だし
やっぱり家光がやばいことに気づいていたんだろうか。
家光は男色家であった。これだけを見ても暗君であることが分かる。
両刀使いじゃなくて男色一本だから。事実、家光の直系は50年で絶える。
若いころにもっと励んでいればね。
781 :
日本@名無史さん:2011/08/28(日) 10:30:01.26
過大 源義経
過小 源範頼
783 :
日本@名無史さん:2011/08/29(月) 02:06:19.98
2002年2月18日 韓国人 金大漢 地下鉄にガソリンを撒いて放火 192人殺す
785 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 15:43:52.43
>>779 春日局の息子の一人が忠長の小姓になってる件か
しかし春日局本人はあくまでも家光に忠実だったと思うよ
でなければ家光が春日の長男を破格の大名に取り立てたり姻戚強化したり
春日に朝廷へのお使いを頼んだりしないだろ
786 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 18:01:23.52
「フリーメーソンの人類支配計画」
フリーメーソンが世界経済を崩壊させる。
貨幣経済が崩壊し、コンピューターの点数で、食料を売ったり
買ったりするようになる。
フリーメーソンが世界規模の食料危機をひきおこす。
邪悪な支配者があらわれ、食料を平等に配分し、権力の座につく。
邪悪な支配者は、人類に番号をつけて、コンピューターで
全人類を支配する。
フリーメーソンが「世界統一政府」をつくる。
政府に逆らった人間は、全財産をとりあげられ、
食料を売り買いできないようにされ、殺される。
イスラエルでフリーメーソンは,核戦争をひきおこし
イスラム教徒を虐殺する。
フリーメーソンが、恐怖政治をしき、邪神を拝まない人間は、
皆殺しにされる。
787 :
日本@名無史さん:2011/08/30(火) 19:42:34.73
ただ単に春日局の力量が抜きん出てただけだよ
春日局の権力の源泉は家光なんだから家光を切ることはできんでしょ。
忠長にも手を打ったのは万一の時の保身だろう。
戦国時代にはもう物心ついとったからな
母方の実家&嫁ぎ先の稲葉家は秀吉派と勝家派の対立でも関が原でも常に
両勢力に二股かけてた
その家訓を守ってたんだろ
過大評価 春日局
>>785 それだけじゃなくて
徳川秀忠の乳兄弟で当時老中の井上正就の息子と
徳川忠長の附家老の鳥居成次の娘の
縁組を取り持ったりもしているんだよ。春日局というか、春日局になる前のお福。
まあ俗説では
井上正就が秀忠の乳母の子供だってことも
鳥居成次が忠長の家老だってことも
そもそも当時秀忠は大御所として健在だってこともきれいにスルーされて
老中相手でも思いとおりに縁組をゴリ押しできるお福すげー
みたいなとんでもエピソード扱いなんだが。
この人の場合は過大評価や過小評価というより
水戸黄門や遠山の金さん並みに
フィクションがひとり歩きしているといった方が正しいような。
綱吉の場合における桂昌院と同じで
家光が母親代わりの春日局を慕って
箔付けに熱心だっただけで
本人にホントに政治力や権力があったかといわれると
かなり疑問だわ>春日局
尾張藩に仕官して千石止まりの次男とか
忠長に連座して配流人生の末っ子とか
ろくに恩恵にありつけなかった実の兄たちや姉たちとか。
春日局の縁故で出世できたといわれる人たちもよく見るとダンナの縁者ばっかり。
永井路子先生が
ホントに偉かったのは旦那と長男で
春日局はおまけだと書いていた。たぶん、これが正解。
でも旦那って稲葉正成だろ?
槍働きはそこそこだったようだけど政治的には小早川家家老時代に失策ばかりしてるぞ
春日局は幕府の害ということは揺ぎ無い事実
春日局は幕府権力が固まって行く過程で権力を握っていたので、何もせずにい立場。
1630年から1680年の50年間の為政者は無能で務まった。家光・家綱の二代のことだ。
家光の正室が本丸から追い出されたので
事実上の大奥筆頭にあったのが春日なのは事実だろ?
そんな馬鹿を家光が後水尾天皇に幕府代表として
お目にかけるとも思えん
旦那も春日出仕のときには失業してた
旦那がそんなに優秀なら自力で大名に取り立てられるだろ
春日局は所詮小賢い成り上がりだけに過ぎん
春日局が大奥のトップにつけたのは
将軍の乳母だったからで
本人の能力を認められて出世したわけではないだろう。
(実際、春日局の大奥運営はうまくいっていない。
春日局が死んだ時点で家光の男子は2歳の家綱だけだった)
これは忠長の場合を考えたら分かる。
もしも家光が男色に励み過ぎて腎虚で死んでしまい
代わりに忠長が将軍になっていたら
大奥のトップには朝倉宣正(忠長の家老)の嫁さんが就いていたのは確実。
この場合、
なぜかお福の存在はなかったことにされて
江が自分で家光を育てたことになっているかもしれないが。
忠長
はあんまり関係
最後の2行は削除し忘れね
>>771 嗚呼〜、徳川信康が長生きしてれば・・・
802 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 00:15:11.61
信康や秀康こそ過大評価だろ
こいつら血の気多いDQN気質だし
秀忠みたいな温厚で真面目な人物が2代目に適任
803 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 00:24:59.78
秀忠なら
たとえ滅ぼせなくても
大幅に権限奪って豊臣家を一諸侯ぐらいに落ち着かせる事ぐらい出来るはず(福島みたいにな)
804 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 07:23:16.74
>>769-799 忠長ヲタうざい
変に賢すぎるのも為政者としてどうかと思うがな
下手すりゃ独裁者になってたかも知れんし
やはり、多少は凡庸でも3代目は家光で正解だったんじゃね?
前から思ってたんだけどこの忠長周辺アンチの人はなぜsageを入れないんだ
806 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 11:58:20.49
>>799 忠長が将軍になっていたら忠長乳母が後水尾天皇に対面して
従三位になっていたとか妄想しすぎだろ
家光は朝廷に強硬姿勢を貫いた家康・秀忠時代とは異なり
朝廷との仲も穏やかだし歴史的な評価でも賢君
忠長ヲタがなぜ故意に家光・春日を落とすのかわからん
自分は忠長ヲタではないけど、家光や春日局は本来評価される器じゃないからじゃね?
特に春日局は歴史小説や学習漫画に多く取り上げられてマンセーされてるし
家光貶したら忠長ヲタって
単純な思考回路だと人生楽しそうでうらやましいよw
809 :
日本@名無史さん:2011/09/01(木) 14:12:32.96
>>808 歴史学者の評価を棚上げして家光上げの奴を忠長アンチとか勝手にあだ名付けて
忠長ヲタって本当に単純思考で人生本当に楽しそうだよな
馬鹿兄弟
家光の政策は全部土井利勝の入れ知恵だろう。
最後まで操られていたと言う点では名君だ。
春日局が実子を徳川忠長や尾張藩主に仕官させたのも
徳川忠長には朝倉清秀尼という乳母がちゃんと存在したのも
徳川秀忠の乳母の子が井上正就だってのも
春日局の縁故で出世できたといわれている人たちがほとんど稲葉関係者だってのも
春日局が七人兄妹の末っ子で姉たちや兄たちが大して引き立てられていないのも
ついでに徳川宗家の世襲の維持のために大奥はほとんど役に立たなかったことも
家光や忠長の評価とは関係なしに存在する歴史的事実なんだが。
事実を並べるだけで
貶めることになるなんて
どこがまともな評価なんだよw
俗説鵜呑みにして
権力亡者の陰険ばあさんあつかいの方が
よっぽど貶めてるよな
>>809 このスレで「忠長アンチ」なんて言葉を発してるのはお前のレスだけなんだがw
815 :
日本@名無史さん:2011/09/02(金) 18:08:21.97
それって家光上げのやつを忠長アンチ呼ばわりしてるんじゃなくて
明確に忠長に悪意持ったレスに対して言ってるレスだろ
少なくとも家光下げたら忠長ヲタ扱い、なんて池沼と同列に扱えねえよw
IDが出ない所でそんなやり取りしてどうする
人物に対する批判は全部アンチと敵方のオタの発言に聞こえるというやつか
アンチじゃなくても変に持ち上げられてるヤツは批判したくなるけど
818 :
日本@名無史さん:2011/09/02(金) 19:12:30.77
まあまあ
後世の俗説や創作の印象をもとにあれこれ並べても仕方がない。
ここは日本史板らしく
きちんとした文献をもとに語ろうじゃないか。
つ徳川実紀
「この局が忠誠のことゞも、世に傳ふること多けれども、まことらしからぬことのみ多く傳へて、益なきに似たり」
反論出来なくなるとそれかw
恥ずかしいのうw
史料や文献に書いてあることや
史実をないがしろにして
思いこみを並べるだけなら
どんなアホな話でも通っちゃうからね。
>>809 あなたがいう歴史学者って誰のこと?
因みに家光は学界でも賛否両論あるけど
>>822 あなたのいう家光暗君説ってどの学者が言っていること?
ここの粘着質が言ってる「男色専門だから」なんて
阿呆な回答はやめてねw
>>816 明確に忠長に対して悪意を持ってるレスってどれ?
忠長が将軍になってたら〜と妄想している人に対して
厳しい意見突きつけたら言い返せずにそれかよw
明らかに家光に悪意を持っているレスは見られるけど
朝倉嫁は土井利勝の実妹
忠長将軍が実現していたら
春日局以下の扱いということはないわ。
つーか
実際の春日局の扱い自体
徳川実紀で「俗説はデタラメだから本気にするな」と書かれる程度だし、ハードル低いじゃん。
827 :
826:2011/09/03(土) 12:39:29.04
海音寺潮五郎は下手な学者よりも歴史に詳しいが
世間的な肩書は小説家だしな。
せめて三田村鳶魚くらいにしとけ。
過大小泉純一郎。これに尽きる。
海音寺潮五郎はいくら歴史を調べても
それよりも自分の思い込みを優先する人間だから困るw
小説家なんてみんなそんな感じだぞ
学者だって信用できない
>>830 それが小説家という生き物。
>>831 学者も新説または新発見をしない限り食えないからな。
牽強付会になるのも止むを得ない側面がある。
学者は理詰めが甘いと致命的だが
作家はそこがいい加減でも売れたら食ってけるから
理詰めを粗末にする作家が現れうる(全員がそうだというわけではない)
そういう作家は学会に抵抗したいが学者を取り込めない輩に狙われて利用されるなんてことも
歴史に限らず他の分野でも起こることだけどね
今は原発でそういう作家が野放し状態
>>833 放射能は安全ですと連呼する学者は、貴殿に言わせると作家なわけか。こりゃ面白い比喩だ。
>学者も新説または新発見をしない限り食えない
これまじでか
本当だとしたら終わってる
注目を浴びるために適当なこというヤツもいるってことだろ?
>>835 たとえ注目浴びても論理的・科学的批判に耐え抜ける中身でないとムダだから
小説家と比べていいかげんなことは言いづらい
>>836 一般向けの本とかで奇妙なことを書いてる人とかいるな
あれは金儲けのためなの?
自作の論文を出してない、つまり学者としての実績が無い分野なのに、
学者の地位を前面に出してその分野の専門家を装って
一般向けの本を出したりメディアに出たりする学者はモラルを問われる。
論文を出す、専門の学者じゃないと断った上で語る、
または断らなくても専門家じゃないのはすぐ分かるなら話は別。
>>837 学者が金目当てで書いた一般向けの本の傾向
・やたら奇をてらった中身
・態度がとにかく攻撃的
・異説そのものよりも異説を言う人への攻撃に力が入っている
純粋に実績や知識を提供するために書かれた一般向けの本はまず儲からないらしい
儲からないのに事務作業増えるのは嫌だから最初から印税放棄する事さえある
>>835 ここの住民の記憶にあるか分からないけど、20年くらい前に
「朝鮮語で万葉集が読める」説が提唱されたことがあった。
僕は中身は読んでいないけど、丁度パソコンが一般に浸透してきた頃で
(普及じゃなくて浸透。つまり言語とかのツールを個人でも使える人が増えてきた)
パソコンで万葉集を機械的に解析しただけの説だったみたい。
>>840 自己レス失礼。
後日、反対する立場の人から「朝鮮語で万葉集は読めなかった」
というタイトルの本が出ていたと思う。
まず史実通りのお堅い検証本を書いても
初めからそっち系の専門出版社でもない限り
出版社が出版してくれない。
出版社が求めているのは
読者が興味を持って手にとってくれそうな話題
史実としてどうかなんてことはどうでもいい。
その結果、本能寺の変の黒幕探しや大奥の女の戦いみたいな
アホな与太話ばかりがもてはやされる。
しかし本能寺の変の真相が謎であることは未だに変わらないからな
江戸時代以来の怨恨説は全部出鱈目
近年はやった朝廷黒幕説も根拠なし
変の直前まで信長−光秀はもっとも堅固なラインだったことが調べれば
調べるほどわかってますます謎が深まる
>>840 しかもその説が提唱された時も売れたのは読み物風の軽いやつで、
硬めの(と言ってもやっぱり中身はトンデモ)はあんまり売れなかった
反論本というか検証本はやっぱりベストセラーの足元にも及ばなかった
まあ世の中はこんなもん
あと、パソコン解析は検証本の方で、特に万葉集ってわけじゃなくて
変化しづらい基礎語彙の比較
>>843 鈴木眞哉が面白いことを書いていた。
実行犯の光秀がなんで信長を殺したかはwhyの問題で、
黒幕や共犯が本能寺の変に関与できたかどうかはhowの問題だ。
黒幕説を唱える人たちはここのところを区別できてない。
まあ鈴木氏もかなりヘンなことを書いている人なんだが
「俗説なんか本気にするな! でたらめばっかりだからな! ちゃんと史実を受け入れろ!」
を売り物に本を出せるのは原田実とこの人くらいか。
whyの問題に理由付けしようとしてでっちあげられたのが怨恨説なんだろうな
そういえば学校教科書では光秀が信長を殺した理由には触れないし入試にも出ないんだな
地形学の先生が本出してやたら売れたのは
活断層の地図出した直後に阪神大震災が起きた時だけだったと言ってた
>>843 >>847 四国問題説は最近出てきた説のように思われがちだが
実際にはもう半世紀も前に
高柳光寿(野心説)・桑田忠親(怨恨説)・八切止夫(陰謀説)が揃って採用していたんだぜ。
高柳→四国問題で愛想をつかして、光秀は自分で天下を取ることを決めたんです。
桑田→四国問題で面子をつぶされたことを恨んで、光秀は信長を殺すことを決めたんです。
八切→四国問題で愛想をつかして、光秀というか、明智家臣団は信長謀殺の陰謀に加担したのです。
真相探しのはてに一周まわってもとに戻ってきたといおうか
この五十年間にどんだけ過小評価されてきたんだ
高柳・桑田・八切
八切止夫はマジに過小評価
トンデモ歴史の真相のパイオニアにして最高峰
上杉謙信女性説や徳川家康入れ替わり説も有名だが
何といっても本能寺の変の解釈がすごい。
黒幕説や陰謀説の全てのパターンがこの人の時点で出尽くしている。
黒幕説・陰謀説で本能寺の変を読み説く試みは
すべて八切の劣化コピー
八切からまったく進歩していない。
黒幕説・陰謀説は八切本だけを読んでいれば事足りる。
>近年はやった朝廷黒幕説も根拠なし
これを考えると今谷明先生は偉大だったな。
初めて信長vs天皇の公武対立説に学術的にとりくんで
長年にわたる虚虚実実の駆け引きや暗闘の数々を
こまごま(是非はともかく)実証を重ねていった先に待っていた驚愕のオチ・・・!
____
/_ノ ヽ、_\
o゚((●)) ((●))゚o 本能寺の変?
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 明智光秀が勝手に謀反起こしたんだよ!
| |r┬-| | (⌒) 朝廷も天皇も関係ねーよ!!!
| | | | | ノ ~.レ-r┐、
| | | | | ノ__ | .| | |
\ `ー'´ /〈 ̄ `-Lλ_レレ
 ̄`ー‐---‐‐´
やっぱり第一線までいった学者は凄いぜ。
立花京子や藤田達生のような
凡百のトンデモ研究者と並べちゃいかんわ。
>>851 この人の書いた「室町の王権」は面白い。
天皇家の権威が失われていく過程が見える。
>>838-839 専門は建築材料なのに生物・原子力・気候で専門家を詐称する武田邦彦先生のことですね分かります
>>853 東大卒の学歴だから許容されている部分と、
周囲に利用されている部分があると思うよ。
明智光秀は課外評価ってことだな
で結局本能寺の変はどの説が有力なん?
四国問題説って説得力あるような気ガするんだけど。
>>850 ノストラダムス研究における五島勉のような人だな
確かに五島との知名度や扱いと比べれば過小評価かもしれん
そういえばトンデモ学説といえば義経=チンギス説って誰が提唱したんだろ
江戸時代にはもう存在していたらしいが
とりあえずお前らスレタイみろw
八切説は色々と穴が大きすぎるんだよ
ただ丹波方面軍=明智軍ではないという示唆は鋭いと思う
寄騎武将が勝手にやったことでも最終的には光秀の責任になるからな
「謀反第一」と記された斉藤利三が光秀の家臣だったのか、寄騎だったのかが争点となる
美濃から丹波に領地換えになった時点で光秀の家臣になったと見るべきなのか
大名級と姻戚結んでるから陪臣ではないと見るべきなのか
朝廷黒幕説には、信長が帝位簒奪あるいは皇室の廃止を狙っていたという根拠不明の
思い込みが影響してる
実際には信長が狙ったのは自分の息のかかった誠仁親王を即位させ、さらに皇太子と
して立てた邦慶親王を自分の手元で養育して自分と信忠のロボットとすることだからな
後に秀吉が邦慶親王を智仁親王に変えてやったことと同じ
もっとも秀吉は誠仁親王に反抗されたから智仁親王を放り出したが、信長も同じ局面に
あったらどう反応したかは謎
しかし猿も木から落ちるとは言うけど光秀って実際は怪物みたいな人物なんだよね。
前半生は全く不明なのにあの織田家臣団で短期間で急速に伸し上がってる。
出世のスピードも実績も秀吉より上だ。
そんな経歴の持ち主だもの。主君の信長が土岐や三好より怖かったから表面上大人しい振りを
していただけで実際は腹の中は松永や道三と同レベルの黒さだったとしても
全然おかしくないような。
松永や道三は過大評価。
凄い人物だったとは思うが信長と関わったせいで尾鰭つき過ぎた。
道三はともかく松永は妥当では
松永は一般知名度そのものが案外低いし
むしろ松永について知ってるかどうかで戦国に詳しいかが分かる
>>851 普通の出版社なら
書き直しを指示されるか
編集者が怒って本を出してもらえなくレベル
創作だと光秀がどうして謀反起こしたかを曖昧にしたままでは読者等がスッキリしないんだよね
善政も悪行もいろいろやった信長が殺される理由が分からないままだと“物語としては”片手落ち
逆に史実がよく分からないこそ物語独自の理由を作る余地がある
>>853-854 武田先生とうとうやっちまったな
これを機にメディアから干された方がいい
大河ドラマの「江」なんて
本能寺の謀反の理由を
光秀の口から「わかりませぬ」と説明させて片づけたんだぜ
というか野望説以外完全に説明つくものがあるの?
信長親子抹殺後の動きが泥縄的で知将光秀というよりは池沼光秀()って感じで
稚拙すぎるのが野望説の難点。
特に秀吉に対する備えが杜撰すぎて「大返しが予想以上に早かった」なんて理由
で説明つくレベルじゃないから秀吉も共犯者で光秀殺して口封じしたって説が出る
余地を与えてる。
最初から謀反する気で用意周到だったわけじゃなく、今ならまとめて倒せるかもと
いう状況に魔がさしたなら辻褄が合うな。
潜在的な野心が好機によって突発的に噴出したと。
>>868 信長は戦術指揮能力とかはあまり高い方じゃない。
むしろ一戦一戦みてくと信長も織田軍も強いとは言い難い。
それなのに天下人になれた所以は負けても負けてもどこからか金と兵を調達する
内政能力と金ヶ崎や信玄の死亡時に代表される情報収集能力が大きい。
あの情報網がある以上謀反の根回しなんぞをやった日にゃ一発でばれる。
事前準備がほとんどできない以上しょうがなかったのでは?と思うがね。
信長が天下を目前に功臣の粛清を始めていたので
自分もそうなるのではという危機感が原因という話を何かの本で読んだことありますが、
それもトンデモ説なのでしょうか?
高柳光寿先生が半世紀前に指摘しているように
本能寺の変の時点では北陸・東海方面に重点を置いて対処するのが現実的で
秀吉に対する備えが杜撰だったことを責めるのは
歴史を結果から見た論だわ。
極端な話
秀吉よりもずっと京都に近いところにいた柴田勝家や織田信孝が
もう少し巧妙にたちまわって光秀をやっつけていたら
秀吉黒幕説を唱える人間なんて一人もいない。
光秀の真意が野心か怨恨かはともかく
謀反そのものは絶好のチャンスが目の前に転がり込んできたことのよる突発的な性質のもので
正味三日くらいでやっつけで準備したものだったと思う。
>>870 厳密に言うと信長は100人程度の小規模な軍勢による高機動戦は上手だよ
それで敵対勢力を各個撃破して尾張を統一したわけだから
数千人単位の戦術級・数万人単位の戦略級の指揮になると苦手
その上の政略になるとまた得意になる
>>872 その北陸・東海方面への備えも全然なってないんだが
京都周辺をウロウロしてるだけで
874 :
日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:44:37.24
徳川時代に創作された姉川合戦だけで
信長の戦術能力を語るスレはココですか?
個人的な見解ですが「旧石器遺跡捏造事件」で責任を一切取らなかった考古学者全員が「過大評価」されてるんでしょう。
藤村新一や梶原洋や鎌田俊昭は当たり前ですが、文化庁記念物課・岡村道雄主任文化財調査官
佐倉朔札幌学院大教授(人類学)馬場悠男(ひさお)国立科学博物館人類研究部長 鶴丸俊明札幌学院大人文学部助教授
中野益男@脂肪酸 戸沢充則明治大教授 渡辺誠名古屋大学教授 甘粕健・日本考古学協会会長(新潟大学名誉教授)等々
教授というイスを捨てて責任とったヒトが誰一人居なかったそうですね。税金で営業してたのに。
過小
鍋島直茂
佐賀藩の始祖で武将としても一流なのに
今一地味で人気内ないのは周りに大友(立花)島津に囲まれてたから
過小評価
織田信長、坂本龍馬、
>>872 秀吉だけが毛利に信長の死が敵にばれないうちに自己判断で毛利と講和を結び
京へ引き返すことを可能にした
柴田勝家は主君の命に逆らって勝手に講和を結ぶことはできないと
上杉と交戦中で北陸を離れることができなかったし
織田信孝のところは先に率いる軍隊に信長の死が伝わってしまったため
軍隊(ほとんど徴兵した歩兵の農民)が動揺してほうぼうへ逃げ出し軍が崩壊していた
秀吉と勝家の立場が逆でも秀吉勢だけが引き返すことになったのでは
880 :
日本@名無史さん:2011/09/24(土) 23:26:21.31
>>878 それは結果論
中国大返しの時点で
京都の近くにいた勝家や信孝がポカやらかして光秀手つかずなんて
秀吉が予想できるはずがない。
まあ秀吉が黒幕で
勝家・信孝。信雄あたりは忍者の工作で封じ込んでいたなら
別だが。
秀吉が戻ってくるまで大きな合戦もなく
881 :
日本@名無史さん:2011/09/24(土) 23:26:39.02
最後の一行
消し忘れ
一方、光秀が娘婿の信澄になんの連絡もしてなかったのは謎だな
他の婿の家(細川・筒井)にも事後連絡だし
883 :
日本@名無史さん:2011/09/25(日) 19:13:55.92
>>880 秀吉だって毛利との講和に失敗していれば中国大返しは不可能
たとえ勝家や信孝がうまく京都へ駆けつけても光秀を討てたかどうかは分からず
その軍に加わることは後々大きなメリットになるからどのみち駆け付けただろう
秀吉陰謀論を言うなら秀吉と毛利はもともと味方同士で
毛利も秀吉の作戦に乗ったから成功したということになるが
毛利にその形跡はなく光秀没後大きな勢力拡大もしていない
過大評価 東条英機 永田鉄山 石原莞爾(ネットウヨに持ち上げられすぎ)
過小評価 阿南惟幾 今村均 山下奉文 本間雅晴 岡村寧次
今村なんて「聖将」とまで言われてるだろ
山下は「マレーの虎」
岡村は「黄土不敗」
どこが過小評価なんだ
過小評価 田中頼三
田中頼三は日本海軍の曖昧な指揮系統を理解しない米海軍戦史編纂委員会によって
過大評価されただけだろ
指揮下の駆逐隊司令が個々にやったことを田中の指揮と勘違いしただけ
>>885 今村均は聖将と言われてる割には知名度がいまいち低い気がする
阿南惟幾は研究が進むと評価が180度変わるかもな。
最近では鈴木首相や宮中と結託してて腹芸で自決したとも言われてるね。
米内を嫌ってたのは確実だろうけどw
まあ会議での米内の発言読んでると俺も米内を嫌いになるwww
東條英機が過大評価なのはガチだな
戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」を記しておきながら自分は自殺に失敗するんだもんな
ジュネーヴ条約の捕虜関連の部分を特に東條が徹底無視したから
日本人(他民族含む)が相次いで自決したり捕虜虐待がまかり通ったりした
東條一人だけのせいじゃないとはいえ
戦陣訓が誇張抜きで万単位の人を殺したわけで
それだけでも東條は万死に値するどころじゃ済まないな
東郷平八郎は過大評価。
無能だったとは思わないが大物にされすぎ。
>>893 逆に山本権兵衛と加藤友三郎と秋山真之は過小評価だよな
加藤友三郎(大カトー)
加藤寛治(中カトー)
加藤隆義(小カトー)
国益ではなく海軍の利権をゴリ押ししただけのゴンベエは過大評価
過大評価 拉致被害者の方々
いろんな文献に登場してるし、日朝外交のキーパーソンに讃えられてるが
政治手腕はどうみても一般人
>>898 そいつら自身の政治手腕評価してる奴いるのか?
拉致問題が解決して一番困るのは、拉致被害者家族が便りにしている安倍晋三
だからな。解決するわけがない。
スパイダー根本
評価なんて好き嫌いと運が全てだと思う。
嫌われたら何をやってもだめ。乏しい人生経験からそう思う。
903 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 00:53:58.16
過小評価は近衛文麿
彼は日本史上始まって以来の名総理
904 :
道鏡:2011/10/25(火) 01:19:22.82
坐れば膝が三つなどと、過大評価も甚だしい。
905 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 01:26:30.34
押尾学
906 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 02:34:15.43
故人だが戦横山ノック先生は見事なものをお持ちだったそうだ。ノック以外だったらキー坊
その逆でお粗末なのが紳助
>>136>>448 豊臣秀吉が過小評価とか絶対ないわ
晩年の暴挙の数々はマジキチとしか言いようがない
大石内蔵助
テロリストの頭目
>>908 そんなもん評価基準次第だろ
人格最悪で伝記になるような「偉人」としては過大評価
武将としては戦わずして勝つチートイメージが強く広まっていて過小評価
>>903 近衛文麿が過小評価はないわw
東条英機や広田弘毅より戦争責任がずっと重い
鳩山、管と並んで歴代最低の総理大臣だよ
>>908 具体的には何のことなんだ?晩年の暴挙
こういう事言う人は家康が人格者のように言うんだけど
単に徳川御用史観で秀吉の悪事は残り家康は消されてる可能性も考えないと
この板で文祿慶長の役と秀次粛清を知らない奴がいるとは
それ暴挙って言うか?
秀次粛清は完全にやりすぎで失敗ではあるけど
日本史では無いかもしれないけど過大と言えば梶山静六。
小沢の元ライバルみたいに言われてるけど全然。平成研割ろうとしたのに
二人しかついてこなかった。40人以上ひきつれた小沢とエライ違いだ。
元自民党職員の暴露本では小心者と評されてるし、軍人とか大乱世とか
言葉だけが一人歩きしてしまった感が強い。
梶山のハードランディング論が正しかったという事実は誰にも覆せないけどね
失われた20年を回避できた唯一の政治化
まぁ人がいなかったことのもとを糺せばリクルートが悪いんだが
七本槍がでしゃばらなきゃなぁ
>>916 まあでも口で言うだけなら誰でもできる。
人望の無さが露呈している梶山が首相になったとして各省庁や党内
下手すりゃ経世会の内部ですりゃまとめれなかったと思うから
実際ハードランディングなんて荒業が出来たかと言われると疑問符がつく
まして執行部の力が今よりずっと弱いころだし。
政局面でも対小沢の指揮官として幹事長任されたのに歯が立って無かった。
あんなのが七奉行でも有力な方に入るんだから金丸が小沢を偏愛理由がよくわかる。
梶山は政策は賛否両論あるにせよ権力闘争は弱かったな
地元茨城でも死ぬまで主導権を山口武平県議に取られてたみたいだし
そすいう意味では七奉行とか言いながらも小沢の実力は他の6人を凌駕してる感が強いな。
何で同列に語られてたのかわからん。まあ金竹小という言い方もあったが
自民党の税調に代表される各部が機能していた頃を指して執行部が弱いとか何の冗談だよ(苦笑
小泉以降衰えていく一方であったのは事実だが結局梶山を叩きたいだけなんだよな
雑誌か何かの特集記事を読んだというだけのそれが全ての浅薄な梶山叩きか…
民主党のオママゴト政権と同じ感覚で昔の自民党を語る915は自分が何を書いているのかも全く理解できていないだろ
>まあでも口で言うだけなら誰でもできる
政治に興味をもったのは最近で自公時代も知らなさそう…
七奉行で小沢が突出してることは同意だが
さらに 橋本&小渕&渡部 > 梶山&羽田&奥田
に思える
橋本&小渕の(後に森&小泉ら清和会がぶち壊しにした)地道な政策実現は
自民嫌いの俺でもけなす気になれない
一方で渡部は権力闘争での立ち回りが上手い
たとえ敗れても完敗は回避して再起の足がかりを残してるのが今も残ってる秘訣では
過小評価 上杉家
俗説ばかりで可哀想だ
>>897 山本権兵衛本人は私利私欲があまりない人物だし
ロンドンの海軍軍縮の際には黙って軍縮にOKしたぞ
利権ってより世界情勢が不安なために国防として海軍拡張したって見方もあるし
過大評価 徳川吉通 徳川宗春
過小評価 徳川継友
藩主レベルで考えても継友が一番有能だったんだが
将軍争いで吉宗に負けたせいで過小評価。
特に吉通なんて「継友でなかったら勝てたのに…」的な負け惜しみで
美化されているだけだろ。
『元禄御畳奉行の日記』でスキャンダルバラされまくり
こっちの方が実情に近いと思われ。
>>924 継友さんは、先代(五郎太)が亡くなって尾張家を継ぐことになり、市谷へ移ることに
なった前夜にどんちゃん騒ぎをやって顰蹙を買った、と鸚鵡籠中記に書かれているね。
側近だけでなく、尾張家の諸大夫家老(竹腰壱岐守や大道寺駿河守)まで呼んで酒を
出したんで、家老たちも呆れ返ったとか。
乃木は昔は過大評価だったが
司馬の影響で最近は過小評価になってるな
良くも悪くも凡将でしょあの人
というか神格化されてた乃木を低評価した司馬は勇敢かも
乃木希典は妥当評価
東郷平八郎は過大評価
野津道貫と奥保鞏と山本権兵衛と島村速雄が過小評価
乃木を評価するなら児玉がそれ以上に評価されるべき
もっとも児玉本人が乃木が評価されるように仕向けてたわけだが
過大評価 高野長英
逃亡劇が面白いので話題になるがこれといった功績はない
翻訳が上手かっただけ
過大評価 中浜万次郎
過小評価 中村正直
何を翻訳するかって結構重要
英会話がネイティブレベルでも中身が伴わないとダメ
過小評価・徳川斉昭
まあ織田信秀や黒柳守綱らと同じく
子供があそこまで派手な活躍するとどうしてもね
>>932 つーか、何か実績ってあったか?
せいぜい話を混ぜるぐらいしかやってなかったような気がするが。
全体的に戦国時代は関東の大名が過大評価される
いくらなんでも中央の政局がここまで軽んじられる時代も珍しい
そうか?
佐竹とか里見とかそんなに評価されてるとは思わんが
前に売ってた佐竹の小説で「家康が恐れた男」ってキャッチコピーだったのはあったな
家康はどんだけ恐れてんだよ
征夷大将軍にまで登りつめた男に恐れられるって
いい箔付けだよな
過小評価:新渡戸稲造
ほとんどの国民が五千円になんで選ばれたのかもよく知られないまま消えて行った
関東の戦国武将は太田道灌以外は過大とは思えない
北条系・里見義尭・里見義弘・佐竹義重・足利義明・長野業正・上泉信綱は適度
北条氏政と氏直親子がやや過小ってとこじゃね?
長野業正は信玄の過大評価に引きずられる形でやや過大のような。
太田道灌は、最初は過大な気もしたが、知れば知るほど妥当な気もする。
もっと悪く評価されるべきという意味で過小:辻政信
こいつがノモンハン事件で暴走した結果、
戦場での日本の手の内がソ連へだいぶ知られてしまい
ソ連にとって対日作戦を立てやすくさせてしまったことはもっと叩かれるべき。
おまけにソ連と交戦した現場の将官は
辻の責任逃れのためにことごとく自決に追いやられてしまったから
実際のソ連の戦術について日本はほとんど得るものがなかった。
辻の「功績」を世間に知ってもらうためにも
NHKで大河化してもらうのもいいかもしれんな
もちろん脚本家は今年のを担当した田淵女史でw
シンガポール華僑虐殺で日本が無用な恨み買ったのも辻の言動が大きい
辻の独断だと気付いてた城朝龍は自分の担当する華僑を殺さず解放したとか
944 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 11:08:20.93
暗い軍国時代の大河なんていらんわw
945 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 12:00:32.29
誰か個人にすべてをかぶせて悪者にしてしまうのは、
日本男子として卑怯ではいか
戦争での蛮行は国、そして国民の責任だと思う
ドイツもすべてヒトラーのせいにしているが、
追従した国民がいるし、抑えなかった不作為の責は免れえないと思う
国民の責任とか戦争の責任とかそういう話するスレではないんで
東條や辻がのさばってしまう環境が出来てたこと自体も問題だな
ついでに辻は戦後よりにもよって国会議員になってしまった
つまり辻の蛮行が知られてなかったとはいえ残念なことに
そんな奴に投票する国民が戦後も少なくなかった
948 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:08:14.30
民主に失望した有権者が、また自公に戻ろうとしとる今と変わらんなw
自民よりは友愛さんのほうがマシだった。
>>948 ずっと危険な方(石原・橋下・・・)へも流れてるぞ
選挙で選んだ以上は東京都民と大阪市民は言い訳できない
950 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 23:20:58.31
橋下って文化や福祉を切り捨てるタイプだろ。
財政立て直しも大事だけど、文化や福祉の切り捨てはよくない。
東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
(『甲陽軍鑑』)
コピペ貼り付けるしか能のない人間未満の存在は逝ってよし
辻の評価が難しいのは戦後の国会議員歴が要因だろうな
他の旧日本軍関係者は戦前の人物として過去の人扱いできるけど
辻は戦後の政治家(しかも与党)としての扱いが不可避
954 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 18:54:47.77
A級戦犯として服役してた人物が出所してすぐに野党党首に迎えられ、
数年後には副総理格外務大臣になって、外交の主役になるような国だぞ。
終身刑になってたA級戦犯が仮釈で出所して数年後には与党の国会議員になって、
よりにもよって法務大臣になってるのは、もう喜劇だろw
A級容疑で収監されてた奴も首相になって、逮捕した国の大統領と親密にゴルフなんかしてるしw
砂川捨丸師
生涯吉本の禄を食むことのなかったこの大漫才師は
よしもと史観演芸史が巾をきかす状況で過小評価されている
956 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 23:17:18.92
華岡青洲
957 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 17:13:43.10
牟田口は部下から慕われていた
>>957 源田実は。
後年坂井三郎が露骨に呼び捨てにして語るなど嫌われていたな。
>>957 牟田口じゃなくて辻だろ
牟田口は帰還出来た部下の将兵からかなり嫌われてたらしい
牟田口は生き残った兵士に
「インパール作戦での日本人の敵は第一に軍司令官、
第二がマラリアと雨、第三が飢餓、英国軍は最後の敵だ」
とまで言わせた愚将
辻は辻本人をを直接知らない人から人気を得ることに関しては実力不相応に天才的だった
戦前は東條をはじめとする上官もバカだったから実力以上の権力を握ってしまい
戦後も直接接するわけじゃない有権者の支持を得て国会議員になった
ところで
>>943がちらっと触れた城朝龍はもっと評価されて良いような
本人も人数は把握してなかったようだが千人単位の華僑の命を救ったわけだし
戦前に愚将が台頭したのはなぜか、どうすればそれを防げるか
そういう観点からの歴史探究が今の日本に足りないのかもしれない
まあそういうのを探られると困る奴が都庁を支配してたりするんだが
米英軍にも愚将はいるが戦争に勝ったから誰も注目しないがな
作戦中の師団長を更迭して師団全体を本国に呼び戻すというのは
勝っている戦争だからできることだがそんな無能な師団長は後にも先にも
WWU中の米国陸軍だけじゃねぃ?
チャーチルは第1次世界大戦の結果だけ見れば
ダーダネルス海峡突破作戦を強行した愚将だったかもしれない
もっとも相手がよりにもよって後のケマル=アタテュルクというのは
不運としか言いようがないが
平田篤胤は過大評価
あいつの流れをくむ神道解釈は後の明治政府では全く採用されなかった
>>963 チャーチルは第二次大戦でもドレスデン空爆とか正気とは思えないことやってるぞ。
知能指数や教養は高かったかもしれんが、英雄気取りの狂人が本質だと思う。
966 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 00:18:44.76
>>964 ということは明治以降はすでに”評価されてない”状態
にあるじゃないか・
>>966 いんにゃ、「国家神道の思想=平田神学」という嘘が振りまかれて定着してるからね。
とくに本居の弟子に師事したわけでもなく
本居の本を個人的に集めて研究しただけで本居の門下を名乗って弟子を募るとか
色々と当時でも詐欺師くさい言動が多い平田は
過大評価 手塚治虫
漫画の歴史は手塚とそれに影響をうけたトキワ荘グループによってのみ
形成されたものではない。
「漫画の歴史は手塚とそれに影響をうけたトキワ荘グループによってのみ形成された」
なんて、誰か言ってるのか?
>>968 宣長の弟子の弟子だったんだけど夢で宣長に逢って直弟子にしてもらったと吹聴したから
総スカンを食った。
972 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 22:39:25.84
湯川秀樹(計算間違い)
江崎玲於奈(東京の助手の成果のパクリ)
力士隊
>>972 過小は
坂田昌一だな
湯川の初期のいくつかの仕事は坂田の寄与大。
また坂田あればこそ後のクォーク論もあった。
思想的な傾向から
レッドパージの風潮が強い時代、
”アホの坂田 ではなく アカの坂田には何もやるな”
みたいな流れで湯川朝永ほどの栄光を手にできなかった。
21世紀に弟子の小川益川がノーベル賞をとったことで
チャラとすべきかもしれないが。
ありがとさーん
976 :
日本@名無史さん:2012/01/05(木) 22:46:11.08
過大評価 平賀源内
実用性のあるものは特に発明してない
>>976 土用の丑の日にウナギを食う風習
全国のウナギ産業関係者にどれほど役にたっているか。
過大評価:平将門
将門の登場がその後に来る武士の社会の萌芽であったかのように書かれることがあるが
それほどの影響力がある人物でもなかった
979 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 19:56:17.59
過大評価:道鏡
それほどでもなかったらしい。とにかくテクニシャンだった。
過小評価:脇坂安治
七本槍の一人で3石から大名に成り上がった男
981 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 20:28:58.11
982 :
日本@名無史さん: