1 :
日本@名無史さん :
2010/09/22(水) 14:37:06 日本の刀剣、鎧兜、装束などを語りましょう。 複数の関連スレが先日の騒ぎで落ちてしまいましたので、一応のスレ立てです。
2 :
日本@名無史さん :2010/09/24(金) 12:07:57
>>1 スレ立て 乙です。 ここに詳しき人々や愛好家らが集まり、色々開けて行くかもしれませんね。 因みに、うちには江戸時代の先祖の錆びた儀礼用の脇差しがヒトフリあるのみ。
3 :
日本@名無史さん :2010/09/25(土) 12:52:39
学研が出してる甲冑、刀剣なんかのビジュアル本も、愛好者の増加には大分 寄与してるように思えるけどどうだろう?
4 :
日本@名無史さん :2010/09/25(土) 16:28:03
甲冑関係の本の多くは、いつまでたっても啓蒙のレベルを越えない。写真一つとっても、何十年も前に取られた、正面もしくは斜めからの公式写真ばかり。甲冑を理解するには最低でも前、後、両側の4枚は必要なのに。 いろいろいちゃもんはついているが、学研本にあった蘭丸鎧の個々の部品を写したものは、鎧の紹介方法としては評価できる。 重量、サイズ等も示されないことが多い。甲冑の基礎的データを記録する基準が必要だと思う。
6 :
日本@名無史さん :2010/09/27(月) 10:51:30
初心者向けの甲冑本で手に入れやすいものからいくつか。 まずビジュアル面からで、学研の下記のシリーズと、武将のイラスト集です。 図説・戦国甲冑集―決定版 (歴史群像シリーズ) [単行本] 伊沢 昭二 武将 [大型本] 白井 成樹 (著) それから、日本甲冑の歴史、用語などではこちらをお勧めします。 すぐわかる日本の甲冑・武具 [単行本] 棟方 武城 (著), 笹間 良彦 (監修) 図説 甲冑のすべて (PHPエル新書) (新書) 笹間 良彦 (著) 総合的にはこのシリーズが一番ですね。同作者の「日本の軍装」シリーズでは、明治維新から第2次大戦までの軍装も扱っています。 (イラストがぼかしたタッチなので、好き嫌いが分かれる) 日本甲冑史〈上巻〉弥生時代から室町時代 [大型本] 中西 立太 (著) なお、笹間良彦(故人)は著名な甲冑研究家で弟子も多く、上記のそれぞれの著作でも考証イラストに似たようなものがつかわれていることが良くあります。 それぞれ値段も手ごろですので、amazonで検索してみてください。地元の図書館にあるならそちらで。
伊予札は最初に作られたのはいつ頃なんでしょうか? ネットで検索すると「室町時代に流行」とか出てきますが・・・
9 :
日本@名無史さん :2010/09/30(木) 10:15:54
伊予札は鎌倉末期にはじまって室町に流行ということのようです。
甲冑の流行に地域差ってあったんですか?
11 :
日本@名無史さん :2010/10/02(土) 12:49:56
戦国期の兜については、関東系と上方系で一部つくりが違っていました。 秀吉の統一以降は、関東が上方にあわせるような形で統一されていきます。
12 :
日本@名無史さん :2010/10/02(土) 13:49:49
ほ〜面白い形の立て物だな
14 :
日本@名無史さん :2010/10/03(日) 19:13:52
鎧の方は薩摩式の胴丸なんだったよな当時の琉球王国。 薩摩式というのは、肩に大鎧と同じ障子の板がついているものだそうだ。
15 :
日本@名無史さん :2010/10/08(金) 20:51:32
16 :
日本@名無史さん :2010/10/08(金) 21:27:34
室町後期以後、鎧は「具足」と呼ばれることが多いが、これ沖縄方言の「グスク(城)」とは関係ないんだろうか。」
もともと仏教の言葉じゃなかったっけ?
18 :
日本@名無史さん :2010/10/09(土) 10:54:55
具足は、十分に備わっている、という意味から、兜・鎧・籠手・脛当などがセットで揃ってる甲冑の意味に使われた。
具足という言葉の元は、仏教用語(具足戒とか)でいいと思った。
沖縄のグスクは諸説あるみたい。
ttp://www.rik.ne.jp/oki-byou/sub20.html 「御宿(グスク)」(チェンバレン)、「小城(ゴシキ)」(奥里将建)、「御塞(グソク)」(宮良當壮、伊波普猷)、「石磯城(ゴシキ)」(仲松弥秀)、
「碁敷(ゴシキ)」(久手堅憲夫)、「城シキ・城スク(グシキ)〈シキ・スクは北部イラン語の「里」の意〉」(松竹秀雄)、
「グ=敬称、スク=シキ〈朝鮮語の城と同義〉」(金沢庄三郎)、「グ=石、シキ=聖所」(仲原善忠、外間守善)、
「スク=底〈すべてのものが寄りつく所〉」(平田嗣全)などがある。
19 :
日本@名無史さん :2010/10/09(土) 19:12:17
湯島天神の宝物館に展示の「太刀(たち)」と説明しキャプションもそうなっているから 「大刀(たち)」=直刀、、、反りの無い大陸や半島から伝来の非日本刀 の誤字と指摘したら神主の野郎が「確かに間違いですね」と納得したそぶりだったが、、、 5年たった今もそのまま、、、 国家神道の馬鹿おシャカ神主の罰当たりが!www
??
21 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 16:25:29
大鎧って本当に30kg前後も重量があったんですか? 小具足が揃った当世具足の方がよっぽど重そうに見えるんですけど。
23 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 01:30:45
故郷の城で歴代藩主の甲冑を見てきたが、小学校6年生くらいの体格で驚いた。 何かで江戸時代の平均身長は157センチくらいと読んだが、実際もっと小さかったんじゃないか? 特にその家系、200年後の最後の藩主は明治、大正の頃に六尺と言う信憑性あるデータが残ってるから、形質的に小柄な家系では無いはずだが…
>>22 国宝の赤韋威鎧で25キロくらいあるから
フル装備なら30いくだろうな
25 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:38:22
>>22 平安末から鎌倉初期にかけての戦いは、馬上での騎射戦が中心。敵の矢が当たることは想定の範囲内で、それを跳ね返す強さが求められた。
小札は鉄製と革製があり、弓を構えた時に敵に向かう左側には特に鉄製を多く用いた。ただ、漆で仕上げられるため外見からは鉄、革は判断できない。
国宝クラスの鎧でも矢傷を負ったものがある。
重量からだけいうならば、すべて鉄で作られた古墳時代の桂甲のほうが重かったと思われるが、錆ついた形でしか出土しないため当初の重さはわからない。
そういや片刃の直刀ってどういう経緯で発生したんですか? 諸刃の直剣や片刃の湾刀ならまだしも……
推測で、なおかつ細かい事は省くけど。 突くための竹槍・木槍が金属穂の槍になり、斬る機能を付加するため大身になる。 で、柄が短くなって諸刃の剣(直刀)が出来た。 一方棍棒から進化した片刃の曲刀があり、直刀も「斬る為なら片刃でも良いんじゃね!?」 「作るのも手間が掛かるし」」と片刃になった。 最終的に剣は廃れ、日本刀全盛に。
>>25 >>敵の矢が当たることは想定の範囲内で、それを跳ね返す強さが求められた。
>>小札は鉄製と革製があり、弓を構えた時に敵に向かう左側には特に鉄製を多く用いた。ただ、漆で仕上げられるため外見からは鉄、革は判断できない。
でもそれは小札を使った胴丸や当世具足でも同じ事ですよね?
胴、大袖、草摺だけの大鎧が当世具足より10kg重いというのがどうも解せません。
小札の厚さが違ったんでしょうか?
>>27 日本的な槍ができたのは、室町時代だったかと
30 :
日本@名無史さん :2010/10/17(日) 07:53:50
>>28 当世具足でも軽いものは12キロ程度、重いものは30キロ近くとかなり幅がある。構造的に重量が決まるのではなく、甲冑師は注文に応えて重いものから軽いものまで作り分ける技術があったと見るべきだろう。
平安末から鎌倉の大鎧使用者は、騎乗で敵の攻撃を体でかわすことが難しいため、矢の直撃に耐えられる重くても丈夫なものを求め、室町以後は多少防備を犠牲にしても、体の動きによって被害から逃れる方を選び、軽いものを求める者が多かった、ということだろう。
大鎧は三つ目札の鉄と革とを交互に使うと、鉄札を革札でサンドイッチにする三段重ねの構造になる。この場合は軽く作ることは不可能。
31 :
日本@名無史さん :2010/10/17(日) 09:39:07
>>30 (続き)愛媛県大山祇神社に残る沢潟縅鎧(国宝)は、現存最古の大鎧の遺物で、一領分の小札の大半が残るが、縅糸、金物はなく鎧の形をしていない。
この小札はすべて革製で、鉄の札はない。小札の重量が公表されていないので分らないが、鎧の形に仕上げたとしても、重量はかなり軽くなると思われる。
余談だが、この鎧残欠に付属する兜の鉢は、その形状から見て、時代が下るものとする説があり、それが正しいと思われる。
32 :
日本@名無史さん :2010/10/23(土) 21:08:20
歴史上の名刀で、 小烏丸のような切先両刃造の太刀は、 小烏丸以外にあるのでしょうか?
33 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 18:48:53
今岡崎公園内の三河武士の館家康館で「本多忠勝没後400年 本多家の遺宝」展をやっている。(12月8日まで) 忠勝所用の鹿角の兜の具足、あの有名な肖像の原本、伝狩野永徳筆の鐘馗の旗印(軸装)などを展示。 あまり展示されることがないので必見。写真では分りにくかったが、胴周りはかなり大きい。背もかなり高かったと思われる。 面頬は何故かこれまで写真で紹介されている錆地の下がとがったものではなく、黒漆塗りのものがついていた。 漆の色が本体とはやや異なるので、当初から一体で作られたものではないらしい。入場料350円図録200円
鈴木眞哉の『戦国史への挑戦』を読んだ 戦における日本刀の不利について書いてあったが、日本刀の構造に欠陥があるという氏の理論はあんまり納得いかなかった 目釘で固定する方式だと故障が多いから欠陥、という理論は無知の極みだと思う
35 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 11:24:08
36 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 15:49:44
おーこれはおもすろそう
37 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 18:01:39
甲冑のとことか見てるけど すげえみにくいな この手の資料ネット公開してるとは大抵そうだけど 小窓の中でしか拡大できないから拡大して全体を見るってことが出来ない 画像ファイルのURLもわからんし
.pdf ファイルだからダウンロードすれば良いんじゃまいか。 一括ダウンもメニューに入れてほしい・・・
39 :
日本@名無史さん :2010/10/30(土) 07:14:27
描き込みがこまかいな いい史料
>>2 >因みに、うちには江戸時代の先祖の錆びた儀礼用の脇差しがヒトフリあるのみ。
それっていわゆる、葬儀の時に使うアレじゃないの?
41 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 19:13:33
アホ固定発見
42 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 19:20:21
奈良時代の仏像で甲冑姿の神将像があるが、 あの甲冑は奈良時代の甲冑の様式と考えていいの?
44 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 19:33:59
桜田門外の変で彦根藩士は刀の柄袋を付けたまま戦ったらしいけど、柄袋付きで叩かれても重傷負うの?
45 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 19:44:14
46 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 21:51:10
朝鮮の役での明・朝鮮軍の軍装の復元写真・イラスト集って、何かいい本はないですかね? 日本側はまあ、ある程度はわかりますが、敵側も合わせた説明イラストが見たいんですが。
明については倭寇図巻の明側の将兵の軍装でいいんじゃないの? 倭寇討伐の正規軍の兵士でしょ。 朝鮮は・・・韓流時代劇で、どうぞ。
48 :
日本@名無史さん :2010/11/01(月) 10:29:31
>朝鮮は・・・韓流時代劇で、どうぞ。 ゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':, ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ またまたご冗談を
49 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 06:46:31
あーあの セイント聖矢みたいなやつかw
清帝国初期の膨張を扱った本なら複数あると思う。 あれなら明朝の武装は書いてあるはず。朝鮮はないかもしれない。
51 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 10:02:19
韓国時代劇も李朝時代はわりとまともなんだけど、李朝後期とごっちゃになってるからなあ。 李朝ドラマではおなじみの、武官の幅広のフェルト帽なんか「不滅の李舜臣」にも出てくるけど、 実際は朝鮮全土に広まったの1627年だしw まあそこらはNHK大河でも武将の甲冑でそういうとこがあるけどね。
52 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 12:49:14
ドラマ「大仏開眼」で藤原仲麻呂の甲冑姿があったが、 カブトがずっと後世の源平時代風だった。 雑兵のヨロイも、戦国時代みたいだった。 東大寺の四天王像なんかの、仏像のヨロイの方が奈良時代の甲冑に近いのでは?
仏像の造像の仕方ってルールがあるから 仏像のヨロイって日本のものではなく 中国あるいはインドのものだと思うよ 明らかに平安時代に造られた仏像が 大鎧を着てることなんてないし
54 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 14:54:46
四天王・神将像の甲冑は、唐代の明光鎧でしょ。 その甲冑の現物が日本にもあったというよりは、仏像そのものか画像が伝わって 様式とされたんだと思うけど。
>>52 NHKといえば、大河ドラマの風林火山で景虎役のガクトが着てた鎧がビザンチン風だったのウケタ。
西洋具足なら有ったかも知れないが、双頭鷲の紋章が描かれていた。
水戸黄門で八平に黄門様が「サボっておったな?」と言った時ぐらいの衝撃です。
56 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 11:53:36
朝鮮ドラマって ガスコンロが出てきたり ちょっと日本の時代劇とはレベルが違うチョンボが多い
57 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 18:36:30
ん〜ここでいいのかな? 破邪の御太刀(刃長345.5cm、全長465.5cm、75kg)と、熊本の本妙寺所蔵の大太刀(長さ4・17メートル、38・77キロ) ってどっちが長いの?
58 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 18:49:17
↑破邪の御太刀の刃長345.5cmの刃長って刀身の長さとはまた別なんだよね? 全長になると柄とかも入るんだろうし。 本妙寺所蔵の大太刀の方は刀身の長さみたい。
59 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 18:54:35
>>55 「サボる」って、いまでは完全に日本語として違和感ないけど、
もともとは「ナウい」とかいうのと同じような造語なんだよねえ。
60 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 23:48:15
サボタージュというフランス語起源のことばを日本語化したもの。
61 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 13:50:42
大太刀では、重ねを薄くしたり、鎬地に棒樋を彫るなどの重量軽減化が計られている点はすでに指摘した。 さらに、著者は、平成六年(一九九四)一月に愛知・熱田神宮で開催された 『大太刀と小道具』展の展示と撤収のお手伝いをさせていただいたり、またその他の機会で、 前掲の古刀期最長の長船法光や飯野八幡宮の長船盛景大太刀・大長刀を何振りも実際に手に取っている。 その経験から言えることだが、長寸な太刀でも反り具合や柄の状態などの微妙な調整で手持ちは良くなるものである。 法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四`近いものの、 実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。 『騎兵と歩兵の中世史』 近藤好和
>>55 あの甲冑はもともと「利家とまつ」で唐沢寿明が着けてたものの使い回しだったけど
ガクトはデザインをいたく気に入って買い取ってしまったんだよ
つまり上越の謙信公祭で披露してる甲冑は借り物じゃなくてガクトの私物
63 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 14:50:18
大河でも去年の天地人は(主に脚本が)酷かったけど、今年の竜馬は結構頑張ってるじゃん 細かいとこだけど、新撰組が抜き身のまま狭い小路へ入っていくシーンで、ちゃんと肩に刀を 担いでいたのは良かったとおも
64 :
日本@名無史さん :2010/11/07(日) 07:12:58
65 :
日本@名無史さん :2010/11/07(日) 21:58:09
66 :
日本@名無史さん :2010/11/08(月) 04:18:51
日本の刀剣武具甲冑について語る
67 :
日本@名無史さん :2010/11/08(月) 04:35:12
日本刀の玉鋼や反りや研ぎは百済刀の影響が大きいってのは本当です?知りたいです
百済刀って何?
69 :
日本@名無史さん :2010/11/08(月) 19:02:01
そもそも朝鮮には蹈鞴の発達が無かったじゃんハイ朝鮮無関係 反りは不明ながら蕨手刀説が一番主流だから朝鮮無関係 研ぎもまるで朝鮮には残ってない のちに支那ですら日本刀の研ぎのすさまじさに舌を巻いているが朝鮮はノー眼中
倭刀は韓国のパクりだよ
71 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 01:04:17
朝鮮半島は伝統的に腋の下から体温計みたく直剣をぶら下げる文化 ちなみに倭寇や文禄慶長において日本刀でさんざんな目にあった 支那朝鮮はその威力に驚き日本刀をパクって使うようになった それら日本刀コピーは苗刀・倭刀等と呼ばれていた 「武藝圖譜通志」 「倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。 我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、 槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである」 何良臣「陣記」 日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、 往々にして防ぎきれない。 彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。 「宣祖修正実録」 天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、 道険しく、泥深くして駆けること能はず。 賊(日本軍)長刀(大太刀)を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし 「懲秘録」 賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。 賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。 全くその勢いには抗すべき道がなかった。 日本人はよく刀槍を用いる。 我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。 そこで厚鉄を用い全身鎧を作り この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。 取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、 これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
>>71 「苗刀」は日本剣術が発祥の中国刀術という意味で異彩を放ってるな
習った人等は日本発祥だとは考えもしなかっただろうけどね
73 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 13:17:54
なんで両刃の剣が生産されなくなったのですか?
74 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 15:06:07
日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、 刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、 両手をもってこれを扱ふゆえに、 一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり パードレ・フランシスコ・カリヤン
76 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 18:38:33
なんで中国から青竜刀を輸入して使用しなかったのですか? 明が輸出禁止していたとしても密輸できたはずなのに? 重量で骨ごと相手をぶった切って殺せる武器で便利なのに。
77 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 19:05:17
日本刀のほうが殺傷能力が高かったから
>>71 を参照
78 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 19:06:16
日本刀のほうが殺傷能力が高かったから
>>45 を参照
79 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 19:09:50
逆に明のほうが日本刀を求めている様子 長刀解 此自倭犯中國始有之。 彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。 倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。 我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。 今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、 如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。 況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。
80 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 22:22:52
日本刀、室町時代にはすでに中華への輸出品だったぞ。
81 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 22:45:28
数打ちだけどな
82 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 01:25:38
数打ちでも使えたから売れたんだろ
83 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 01:57:39
武器としてではなく、良質な鉄原料にするためだったとおもう。
原料にするには費用対効果悪すぎないか?w 唐人に物を六七千疋が程借るとて、太刀を十腰ぞ質に置きける。(宇治拾遺物語 巻第十四・六「玉の価はかりなきこと」より) (疋とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて用いられた銭貨の数え方(通貨単位ではない)で、100疋をもって1貫とした(この方式によると1疋=10銭(文)となるが、疋と銭(文)を併用する慣例はなかったとされている)。 また、初期の頃には1疋に換算する銭貨の数は定まっておらず、『徒然草』には1疋=30文とされている。1疋=10銭(文)とされたのは犬追物に使う犬1疋(匹)の値段が10銭(文)だったからという伝説がある(『奇異雑談集』・『貞丈雑記』など)。 ) “一把刀在日本售價八百文以至一千文,而明朝給價?五千文,可見當時利潤竟達四五倍。” 「日本刀の値一本八百文或は一貫文、明土に携えれば別ち五貫文」
85 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 03:03:57
美術品としの輸出だよ
86 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 04:46:16
日本刀はフェラーリみたいなもん。 確かに美術品みたいな扱いのもあるがそれは鋭利な刃という機能美を愛されて。 なまくらだったらだれが欲しがるものか。 日本刀歌でググれ
87 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 09:06:46
88 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 12:02:20
>>86 欧楊修「日本刀歌」には、佩服可以禳妖凶とあるので美術品というよりは魔除の御守りとでも言った方が適切かと。
>なまくらだったらだれが欲しがるものか。
については同意。
迷信が大手を振って歩いていた時代でもあり、大金を支払って手に入れたのだから本気でそういうものに命を預けていたのであろう。
今風にいうならば魔除の効果を持ったマジックアイテムとでもすればいいのかも。
フェラーリ云々は、買った人間が自慢気に見せびらかしたというのもあったかも知れないが、必ずしも適切な表現とは言い難いかと。
90 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 18:53:45
欧楊修「日本刀歌」は中国で散逸した書物が日本で残ってることを唄ったもの。
91 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 18:55:45
マジレスすると現在は超合金で正宗なんかめじゃないリアル斬鉄剣がつくれる。所持は許可されないけど。
92 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 20:08:01
合金なの?
93 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 20:21:48
岡山は真庭郡にあるアロイ工業の作る超硬合金。 ほぼダイヤモンドに匹敵する硬度。
マジレスすると現代の鋼や超硬合金は現代工業の用途に特化した
合金なので、刀向きではないw
>>86 西洋で言うところのダマスカス刀的な存在だったんだと思う。
美観も良くて、使える武器。
95 :
日本@名無史さん :2010/11/12(金) 18:17:08
リアル斬鉄剣は自動車のドアーを23センチ切れたとか。備前長船は5センチで刃こぼれしたが。 もちろん、生身の人間殺すのに適切かどうかは分からんが。
96 :
日本@名無史さん :2010/11/12(金) 19:22:01
ダマスカス鋼の製法も17世紀に途絶えて完全には再現できないらしい。
>>95 比較用の刀が備前長船で、刃毀れ5センチしたなんて言ってたっけ?
刃毀れはしてたがw
で超硬合金だけど、、これは硬いけど脆いから刃物には向かないというのが
一般的な常識だったと思うんだが…
98 :
日本@名無史さん :2010/11/12(金) 23:43:29
この番組で、通常の日本刀と超硬合金製の刀の切れ味を調べるために、藤岡弘、が車のドアを斬った実験の結果。 通常の日本刀(価格60万円前後の習作)- 6cm (折れなかったが、刃こぼれが起きて鞘に入らないぐらいに曲がる) 超硬合金製の刀 - 22cm (折れず、曲がらず、刃こぼれも傷も無し) これを体験した藤岡は、超硬合金製の刀を「リアル斬鉄剣」と名付けた。
99 :
日本@名無史さん :2010/11/12(金) 23:57:57
試し物が何故か車で藤岡が太刀取りの時点で単なる見世物だな。
100 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 17:36:20
ジュラルミン製の時代劇用刀のほうが護身用には役立つと思う。軽くて丈夫。
101 :
日本@名無史さん :2010/11/14(日) 04:54:18
戚継光 「紀効新書・長刀解」 此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。 彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。 日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。 これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。 こちらもただやられてばかりではない。 武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い その勢いを止められない 武士の刀捌きは軽くて長く 接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
102 :
日本@名無史さん :2010/11/15(月) 07:38:09
アーノルダス・モンタヌス「日本誌」 戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。 彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。 刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。
103 :
日本@名無史さん :2010/11/15(月) 07:58:27
実際は室町期の刀は軟らかいけどな
104 :
日本@名無史さん :2010/11/15(月) 10:04:20
靭性が高いのと柔らかいのは 似て非なる状態だと思うがな
105 :
日本@名無史さん :2010/11/15(月) 21:11:22
自分で研いでみるといいよ 新々刀などにくらべると格段に軟らかくて研ぎやすいよ
106 :
日本@名無史さん :2010/11/16(火) 02:18:26
「揮刀如~」 「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。 我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。 刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。 弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。 本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。 それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。 日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。 であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。 日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、 その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。
>>105 研ぎ師の方ですか?それとも居合いをやられてる方ですか?
普通、素人が刀を研ぐ事なんて無いと思いますがw
ましてや、古刀と新々刀とを研ぎ比べるなんてその後の出費考えたら
やる人なんて皆無だと思いますwww
108 :
日本@名無史さん :2010/11/16(火) 08:45:10
錆身を用意すれば出費なんて10万くらいでおさまりますよ 裁断された刀身なら一万円くらいで用意できます
倭寇が冒険する様を描いた津本陽の「天駆ける倭寇」は面白い。 氏の著作のなかで実は密かに一番好き。 日本人倭寇(真倭)、唐人倭寇(偽倭)、明兵、明国の民、 自分が思い描いていたそれぞれの性格が表現されていていちばんしっくりきた。
110 :
日本@名無史さん :2010/11/16(火) 15:49:16
つもっちーとはあんま縁が無かったなぁ
あの人、時々資料まる写し!?という小説もあったりするから、 最近はあまり読まないんだけどw 「天駆ける倭寇」は面白いから読んでみてくださいね。 戚継光の軍も出てきたり、狼筅という武器も出てきたり、なかなか武器に詳しい小説。 倭寇の暴れっぷりが堪能できます。
112 :
日本@名無史さん :2010/11/17(水) 03:55:53
まさかりかこいい
狼筅は対日本刀用に特化した槍だよな。
114 :
日本@名無史さん :2010/11/18(木) 08:13:24
笹みたいなやつだっけ? あーあれだけだと何の役にも立たない アレを持った兵二人で大盾だけもった兵を挟み その後ろに日本刀コピー刀もった兵士が二人隠れる この五人一組で日本人一人と戦う 笹持った二人掛かりで日本人の機動力を封じてから盾の後ろに隠れた二人が回りこんで左右から斬り殺し またすぐ盾の後ろに隠れる それで初めて日本人に対抗できた
本当に役にたったのそれ?
116 :
日本@名無史さん :2010/11/18(木) 18:18:01
他に比べたら効果はあったようだけど、威継光の精鋭部隊だからかろうじて日本刀に対抗できたとも言える。 倭寇に限らず日本勢と当たった明兵は総崩れがデフォルト・・・。
117 :
日本@名無史さん :2010/11/19(金) 08:41:32
ある程度有効だったみたいだよ ただこの方法は事前に長時間の訓練が必要で 他の連中はめんどくさがってまったく広まらなかった そのうち勘合貿易が始まって 倭寇のほうが勝手にいなくなっちゃった(中の人は同じだけどただの商人になっても稼げるようになったので暴れるのやめた) でその後は倭寇の名前を使うとみんなビビるのを利用した地元民中心の後期倭寇のお出ましになる
118 :
日本@名無史さん :2010/11/19(金) 09:01:26
日本で言えば戦国期になると倭寇も一部の精鋭部隊を除いて日本人ではなくなっていたし、 威家の軍も実際には明国人倭寇相手の戦が大半だと思う。 兵を小部隊に散開して進み、伏兵を用いてよく寡兵で大軍を破る戦や、海戦より陸戦が得意、などなど日本人(真倭)がやらかしたぽい部分は確かにあるがw、倭寇の全体と見るのは違いますな。
119 :
日本@名無史さん :2010/11/19(金) 13:12:20
イエズス会ジャン・クラッセ(1618-1692)「日本西教史」 日本人の特に習練するものは武術なり。 男子はすべて十二歳にして刀剣を侃び、 これより後は夜間休憩する時の外は腰間の秋水を脱せず、 寝に就くの時と錐も、尚枕頭にこれを安置して、 睡眠中と難も、曾つて武事を忘れざるを示す。 武器は湾曲剣、短剣、小銃、弓箭あり。 その剣は精練を極めて鋭利なること、 これを以ってヨーロッパの剣を両断するとも刀口なお疵痕を残さずと云う程なり。
120 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 13:40:49
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。 ルイス・フロイス「日本史」 日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、 太刀の威力をもって散々に襲撃したので、 朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。 ルイス・フロイス「日本史」
121 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 14:29:14
>>118 というか、後期倭寇の場合、頭目(親分)自体が中国人だ。
王直なんか五島や平戸に拠点を置いてたようだが、中国人主体の海賊集団に
日本の港や離島が占拠されてたと考えられなくもない。
平戸の松浦氏や五島の宇久氏なんかも、王直の子分だったんじゃないのか?
122 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 14:32:52
海賊集団の大ボスだった王直は自ら「徽王」と称していたそうだが、 平戸の松浦氏などの肥前沿海部の武士や博多商人なんかも、王直の臣下になって、 官位とかもらってたかもしれんな。
123 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 23:28:15
後期倭寇は親玉は中国人で、その傘下に日本人が傭兵として加わっている。 一応、王直は彼の地の大名に許可を貰って住まわせて貰っている形。 どちらにとっても利益があるしね。
124 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 23:36:21
まあ倭寇だけでなく、あぶれた浪人は海の向こうで今で言う傭兵としてオランダに付いたり、自分たちで町を作ったり、色々やっている時期。 日本刀と日本人部隊は怖い存在
125 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 02:40:05
前期倭寇は日本人が仕切ってた 初期倭寇は南京にも行ってる。 彼らの目的は貿易。 日本が相場の4倍の値で金を売り付け、絹等を現地価格の1/20で買漁るという超不権衡貿易。 断ればたちまち倭寇になって暴れ出す。 仕方なく明は足利義満に懇願し貿易船は公認の勘合印章を持ってなきゃ駄目ということで話をつけたが 勘合印章を司っていた大内氏が実は倭寇の大本締だったというオチ。 その後、段々と倭寇たちも経済的に恵まれてきて大陸で悪さをしなくなっていく。 幕府の取り締まりもきつくなり普通に貿易だけするようになる。 そのかわり当の大陸の人間や朝鮮人が倭寇を騙って略奪行為をするようになる。 それだけ日本人=恐ろしく強いっていうイメージが定着していたわけだね。 「ウリは日本人ニダ!」ってハッタリかますだけで勝手に相手が降伏してくれるんだからこんな楽なことは無い。 前期倭寇が海や川沿いなど水路のあるところで活動しているのに対し後期倭寇は現地人なので内陸で暴れている。
126 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 08:41:43
ただ後期倭寇といえども、日本人なしで寡兵では官兵に勝てないだろうな。 記述にある戦の仕方が正しければ、大陸の軍法ではない。 軍事的な協力関係にあった日本人の海賊がいたはず。 松浦や大隅はじめ
127 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 13:34:53
日本人はあんまり認めたがらないけど、 要するに中国人がボスの海賊集団に日本人が子分として従ってたってことだろ。 東シナ海をまたにかけて暴れてた海賊どもの大半は、和装した中国人海賊。 平戸や五島は、中国マフィアの支配下にあり、制海権も中国マフィアに牛耳られてた。 簡単に言うと、そういうことだよね。
>>120 ルイス・フロイスの「日本史」を読むと、言われてるほど唐入りって失敗でもなかった印象は受ける。
秀吉が唐入りを決断したのは、中国が弱いという情報を倭寇から得ていたってのもあるんだよな。
129 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 16:09:27
>>127 後期はね
前期は
>>125 初期倭寇は南京にも行ってる。
彼らの目的は貿易。
日本が相場の4倍の値で金を売り付け、絹等を現地価格の1/20で買漁るという超不権衡貿易。
断ればたちまち倭寇になって暴れ出す。
仕方なく明は足利義満に懇願し貿易船は公認の勘合印章を持ってなきゃ駄目ということで話をつけたが
勘合印章を司っていた大内氏が実は倭寇の大本締だったというオチ。
130 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 16:18:54
ルイス・フロイス 『日本史』西九州編第二六章(第一部一〇〇章) 「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」 かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、 いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。
131 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 17:21:58
『日本史』西九州編第五三章(第二部五二章) 「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」 彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。 すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、 長槍と短い太刀を持っていたのに反し、 薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。 そして戦闘が開始された。 それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、 手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。 薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、 その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める 間がないので射つのをやめてしまった。
132 :
日本@名無史さん :2010/11/22(月) 10:52:30
単刀法選 程宗猷 その日本の武器を我々は単刀と呼ぶ。 両手で一振りの刀を用いる。 日本人独自の技だ。 その技はよく鍛錬されており精密で堅固だ。 日本刀は扱いやすく、柄や鞘等の拵えにいたるまでそれぞれが理にかなっている。 その他の刀剣で日本刀に並ぶものはない。 さらによく研磨された日本刀は、日の光を反射して我々の目を射る。 我々はその光に心寒する。 日本の剣術は、左右への変化が奇抜で神秘的であり常人に予測できるものではない。 ゆえに槍などの長柄武器を用いても常に日本刀に敗れてしまう。
この延々とコピペし続ける人は何がしたいんだろう
134 :
日本@名無史さん :2010/11/22(月) 17:23:03
日本の刀剣武具甲冑について書きこんでるんじゃない?
素人の妄想よりは一億倍マシだけど、もうちょっとなんかw
136 :
日本@名無史さん :2010/11/22(月) 23:01:42
国内だと当たり前のことは記録されないからね。 外から見た記録ではじめて分かることもある。
なぜか俺が見るスレにはだいたい貼ってあるんだよなー もう10回くらい読んだわー
前々から疑問すぎて、今日もそれが原因で眠れないのですが 弥生〜鎌倉中期まで盛んに用いられていた「矛」が姿を消し 変わって槍になったのは何故でしょうか?
139 :
日本@名無史さん :2010/11/23(火) 13:19:46
単刀法選 程宗猷 日本刀を右肩前によこたえて手は左に垂らす。 左手と脇腹の内側を露出して我々の槍を誘う。 突いてくれば左肘で槍をさばき、 左右両足を飛び違えて入り、両手で斬り込む。 この片手で肩に担いで近寄る構えは日本人が偽って誘う術である。 しかし、我々の兵はこの隙だらけの構えを侮り、 多くは槍に力をこめ術中に陥る。
140 :
日本@名無史さん :2010/11/23(火) 18:54:51
>>32 小烏丸のように切っ先部分が諸刃となった刀、太刀ではないが脇差ならば存在する。
所蔵 犬山城白帝文庫
長さ 一尺七寸一分 無銘 則重
伝来 徳川秀忠が大坂の陣の陣中で差していたもの。
初代犬山城主、尾張藩家老成瀬正成が元和2年(1616)に拝領。
以上平成八年に名古屋徳川美術館で行われた犬山城特別展「初代正成と秀吉・家康展」パンフレットより。
古い話なので、見たはずだが記憶はない。パンフレットの写真を見ると切っ先諸刃の小烏丸様式。宮内庁蔵のそれとは異なり樋はない。
根本部分に倶梨伽羅の剣と思しき彫り物があるが、かなり摩耗している。
あるいは長刀を仕立て直したものかも知れない。
141 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 10:44:14
両刃にしちゃうと 峰に手を当てたりできなくなるから逆に使い勝手悪くなるな
142 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 13:14:21
豊臣秀吉が持っていた名刀、骨嚙籐四郎(ほねがみとうしろう)も、切っ先諸刃。これは長刀を太刀に転用したもの。 古い時代の長刀は、身幅が狭く、反りも大きくないので太刀への仕立て直しもできたようだ。 この藤四郎は大坂落城の時に焼け身になったが、焼き直して現在でもどこかにあるはず。
143 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 13:33:38
骨喰藤四郎は太刀って言うほど長かったっけ?
>>141 でも単純に考えて攻撃できる方向が二倍になるからメリットもあると思う
片方の刃が鈍ったら裏がえして使えるしな
>>144 直刀ならそうだろうけど、曲刀が両刃でも意味なくね?
147 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 20:32:38
ヨーロッパ騎兵の一部が用いたサーベル、湾曲した刀身に切っ先部分が諸刃で、小烏丸と同じ形式。鎬作りではないけれど。 馬上から斬り下ろすための反りと、突き刺すための切っ先諸刃。 ちなみにサーベルはオスマントルコからの影響で生まれたもので、ヨーロッパオリジナルではない。
148 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 02:57:39
>>144 攻撃の連続性にかんしてそのメリットが無いとは言わないんだけど
剣術やるとそのへん言葉で説明できないデメリットの部分もわかっていただけるかと
たとえば左右に斬り返すときに
両刃で両方の刃を一回づつ使う(刃を返さない)のと
日本式に刃を返して斬り返すのとどっちがいいかというと実は後者なんだよね
剣術で「刃を返す動作」ってのは体全体の入れ替えで行うから結果自分の立ち位置をごっそり入れ替えちゃうんだよね
そうすると相手からすると刃を返す直前に(カウンター的な)合わせようって言う行為が非常に難しく危険になる
両刃の剣を普通に左右や上下に振る相手に合わせるより数段危険
(こっちからすれば数段安全に二太刀目三太刀目を繰り出せるってことになる
感覚的に自分の剣の後ろにずっと隠れたまま攻撃を連続させることになるから)
ただ体の位置を変えないで斬り返す技や流派もあるからそういう場合は両刃とさして変わんないかもしれないが
149 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 12:22:22
骨喰藤四郎はせいぜい脇差じゃないかなぁ
150 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 17:13:48
チェンバレン「日本事物誌」 ・日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。 刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
>>150 出典として使いたいので、原文とページ番号も載せて欲しい
152 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 07:10:37
常寸の打刀で 一番重ねが厚いのってどれぐらい? 現代刀除いて
1センチくらいまでなら見たことある もちろん元幅だけど
訂正 ×元幅 ○元重ね
155 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 15:20:21
銘はわからんよね
>>151 それが原文だよ。230ページから232まで「刀剣(swords)」という項目があり
そのいずれかのページにあるが詳細は自分で確かめろ。訳者は高梨健吉。
『日本事物誌』がどこから出てるかくらい検索すれば出る。出典として
使いたいならちゃんと調べて自分で確認したうえで使えよ。
157 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 17:56:25
158 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 18:25:48
元反りと鳥居反り どっちがスキ? 俺はチョイ前までは鳥居反りが好きだったんだが 最近は元反りのほうが手にしっくりくるようになった
>>157 ヒントを小出しにして調べる楽しみを教えてあげてるんだよ。
イライラw
160 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 10:43:16
鳥居反りは見ため美しいんだけど 美しすぎてなんとなくかっこつけてる感が出ちゃうな
161 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 13:12:28
162 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 18:27:20
163 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 01:25:49
鳥居反りだと柄より刀身が前に出ている感じがして 違和感があるかも
164 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 03:50:24
佩いたときにおさまりがいいってことではないかな?
166 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 03:11:31
すでにって いつを基準にした話?
>161 Sir! yes! sri!
168 :
日本@名無史さん :2010/12/07(火) 09:20:49
169 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 20:13:12
デアゴスティーニ・ジャパン(東京都中央区)は来年1月18日、
「週刊 戦国甲冑(かっちゅう)をつくる」を創刊する。
特定分野に関する知識や情報を、週刊・隔週刊形式で提供する同社のマガジンシリーズ。
これまで歴史・映画・音楽・人物・乗り物・アニメなどで135タイトルを展開し、
累計4億冊を売り上げる。数年前からは戦国時代ブームに着目し、「週刊 安土城をつくる」
「週刊戦国武将データファイル」を発売。「好評を得たことから今回の企画に至った」という。
今回発売するのは、パーツ付き「本格甲冑模型」クラフトマガジン。
毎号付属のパーツを組み立てることで、伊達政宗公所用の甲冑「黒漆五枚胴具足」を
2分の1スケールで再現できる。「戦国時代に関連した模型として、特に人気が高く
特徴的な甲冑である伊達政宗公所有の甲冑模型を作ろうということになった」(同社広報担当者)。
完成品の大きさは高さ約80センチ・幅約38センチ。パーツ素材には、
金属・皮革・麻布・正絹・組みひも・馬毛など、当時の素材に近いものを使用。
組み立て方も本物の甲冑の工法を元にした。「詳細な調査と研究を重ね、全国でも
数名しかいない甲冑師の協力を得て完全再現した」(同)。
A4変形判13ページ。価格は、創刊号=790円、2号以降=1,990円。全55号。
以下ソースである
http://sendai.keizai.biz/headline/820/ http://images.keizai.biz/sendai_keizai/photonews/1291797572_b.jpg
170 :
日本@名無史さん :2010/12/10(金) 02:49:44
1/2かー 着れないじゃん
>>34 つ「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」
173 :
日本@名無史さん :2010/12/10(金) 17:23:44
「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」(キリッ!) そうだよな。日本の鎧兜なんて平安時代から戦国までまったく変化ないし、 鉄砲なんてものが日本に持ち込まれても普及しなかったもんな。
174 :
日本@名無史さん :2010/12/12(日) 18:48:50
刀だって時代によって長く作られたり反り方が変わったり 佩帯方法が変わったり変化してるじゃんw 戦国なんて打刀が広まったよね。軍人どもがなんだって?
175 :
日本@名無史さん :2010/12/15(水) 13:54:18
176 :
日本@名無史さん :2010/12/17(金) 18:03:01
177 :
日本@名無史さん :2010/12/18(土) 03:58:46
テレ東で兜割り パッカリいっちゃってました まぁ両断じゃなかったけど 中身が無事に済むほど浅くもなかった
178 :
日本@名無史さん :2010/12/18(土) 21:34:04
>>158 「新藤五国光」のような、鎌倉期の上品な短刀の姿
179 :
日本@名無史さん :2010/12/19(日) 00:39:23
>>177 よりによって井伊の赤備の兜を割るとは
井伊直政の等身大甲冑のレプリカを所有する
赤備マニアとしては複雑な心境だった・・・
180 :
日本@名無史さん :2010/12/19(日) 01:55:01
>>179 てことは頭形兜か
あれは構造上兜割りがやりやすいから選んだんだろう
182 :
日本@名無史さん :2010/12/20(月) 04:48:28
西洋兜と近いしな
大河ドラマ「炎立つ」の奥州安倍氏の甲冑や兜が源氏や平氏の陰陽の鎧より古い形なのは、 大陸の直接貿易していたからなのか、元軍の鎧兜に近い・・歴史ドラマ「大仏開眼」の時代のに近いですね。
大仏開眼の鎧はなんかドラマ聖徳太子で使った短甲・挂甲の頸甲・肩甲パーツや、 中世の甲冑のパーツのごちゃ混ぜ再利用っぽかったね。 はたしてあの頃にすでに吹き返しは誕生していたのだろうか、 もう100年後ならまだしも、740年だよな・・・
185 :
日本@名無史さん :2010/12/20(月) 13:35:55
186 :
日本@名無史さん :2010/12/20(月) 17:58:55
頑丈さで言えば当世具足の兜より 星兜のほうが上だからなぁ まあ脳天に穴開いてるけど
187 :
日本@名無史さん :2010/12/20(月) 21:05:58
まあ南蛮具足が最強だろうけど。
188 :
日本@名無史さん :2010/12/20(月) 21:06:46
質問なのですが、 何故、手鉾が廃れたのでしょうかね? 非常に合理的な武器なのに。
もっと簡単に作れて効果の高い武器が生まれたから
手鉾の方が太刀よりも簡単に作れて効果の高い武器だろ。
比較対象は太刀じゃなくて槍だろ
太刀よりも強度面で弱いし馬上で使いにくいだろ
まぁ手鉾と同じような武器はその後も作られてるけどね
鎌倉とか南北朝の歩兵が全員手鉾装備で 戦国時代の足軽鑓組に向かっていっても負けそうな感じはするな
>>191 手鉾の比較対象は太刀だろ。大きさから見て。
そもそも鑓と手鉾では戦場での使用状況が違う。
196 :
日本@名無史さん :2010/12/21(火) 01:37:03
>>187 兜の話してたんじゃないの?
基本的に頭形兜と同質の西洋の兜より星兜のほうが頑丈だよね
南蛮胴具足は基本おしゃれアイテムだからなぁ
弾避けとしての実用性はあるけど
まあでも手足を和式の具足に換装してるだけ西洋甲冑よりははるかに実用に堪え得るか
>>188 手鉾ってどの辺が合理的なの?
刃の部分が湾曲してるのがよく分からない。
槍や長巻のほうが作りやすそうだし使いやすそう。
198 :
日本@名無史さん :2010/12/21(火) 20:51:43
>>198 >ククリナイフのような形状
それにはどのような合理性があるの?
遠距離からの斬撃なら薙刀や長巻、刺突なら槍のほうが適しているし、
近距離なら刀や脇差がある。
ククリナイフのような形状を見れば自明。
202 :
日本@名無史さん :2010/12/21(火) 21:31:45
だからククリナイフの優位性を挙げろって。 「簡単に作れて」「効果の高い」の二点も証明が必要。
>>202 ククリナイフを見て分からないようじゃ、
君の知能じゃ無理だよ。
内反りになってるから、 近接戦闘では有利だな。
手鉾は内反りという前提が分からないがまずククリはなぞれないだろ。ならポイントを先端に置く
>>190 の言うところの簡易性だろ。もし柄を差し込む部分が貫通した環なら袋槍以上の運用しやすさがある
適当に細くした樫を突っ込むだけでいいからな。ただ環タイプはねじれ易いしなおさら太刀用途には使えんな
外した時に鉈同様の使い道はあったろうが。運用しやすいってだけでそれぞれの用途に特化はしてないな
槍と小太刀持った方が合理的だな
208 :
日本@名無史さん :2010/12/21(火) 23:55:19
>>204 いや、訳分からないし…
英語版読んだらかろうじて特長が書いてあったが、
「刃を敵に突き刺した際に、手首で角度を作る(=捻る動作?)必要が無いので直刀より使いやすい」。
(しかし文法と語彙がめちゃくちゃ…)
これってそんなに大きな優位性だと思えないんだが。
まあまあ厨房が思いつきで書いたんだろう深く突っ込むな
>>208 の厨房の思いつきで語っているのが面白いwwwww
抜けが悪いから内反りは戦闘用としては合理的じゃないよ
212 :
日本@名無史さん :2010/12/22(水) 18:24:52
ナイフぐらいの小回りのきくものなら まあ鉈の亜種みたいな感じで内反りもいいのかもしれん またファルクスみたく動きの少ない薄い木盾破りに使うなら大型の内反りもありはありなのかもしれない どっちにしろこれらは小回りを犠牲にえげつない一発を狙うだけの武装で、相手が鈍重であることが条件 であることに変わりはない 奇襲をかけて準備不足の敵を暗殺するか盾のような死物を破壊するには有効でも 平安末期から鎌倉時代以降の日本でそれが有効か 少なくとも太刀や薙刀に勝るかと言えばまるで及ばないだろうな 奇襲ならべつに内反りの武器で無くてもできるわけだし そもそもククリナイフは手鉾ではないしな
誰だよククリとか言い出したの。ちょっと説明しろ
>>212 手鉾はククリを太刀クラスに大きくさせたものだろう。
そしてククリの携帯性利便性が失われた
つまり太刀に携帯性利便性が無いのですねw
そもそもククリの前提がおかしい。何を以てククリなのか。どこの地域のククリなのか。どの形状のククリなのか 適当な煽りでククリの用途を明確化させてから論じないから馬鹿にしか見えない。ククリの使用方法を明示しろ
クリクリは鉈方面のものだな
手鉾はククリには似ているが、クリトリスには似ていないね。
手鉾の画像くれ
>>218 みたいなこと聞いてるんだよ。振り下ろす、掻っ切る、突く、の、どれに特化しているのか。
説明してもらおう。オールマイティなはずが無いからな。
>>222 お前は自分のペニスを一種類の方法でしか使用できないのか?
オールマイティなはずだろう。
それと同じことだ。
ほらな。ククリと同一視できないことがこの馬鹿な煽りで分かったろう
ほらな。ククリと同一視できることがこのキチガイな質問で分かったろう
手鉾
ククリ厨って本当に厨房同然だな。
ククリとナギナタは誰もが通る道なんじゃないだろうかとおもう今日この頃であった
戚継光 「紀効新書・長刀解」 此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。 彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。 日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。 これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。 こちらもただやられてばかりではない。 武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い その勢いを止められない 武士の刀捌きは軽くて長く 接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
「揮刀如~」 「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。 我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。 刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。 弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。 本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。 それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。 日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。 であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。 日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、 その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。
無理に話題変えなくてもいいのに
234 :
日本@名無史さん :2010/12/23(木) 18:35:22
まとめ、手鉾は合理的ではないでOK
まとめ、手鉾は非常に合理的でOK
236 :
日本@名無史さん :2010/12/23(木) 20:30:25
城スレの基地外?
以下スルー推奨
句読点をみると、ほとんどが自演かもしれない。そんなスレ
242 :
日本@名無史さん :2010/12/24(金) 04:32:27
鳥居反りは太刀としても合理的形状なんだっけ?
244 :
日本@名無史さん :2010/12/24(金) 17:48:57
鍔元まで有効に使うなら元反り
もとぞりだってw
246 :
日本@名無史さん :2010/12/24(金) 18:52:34
腰反りの別名やね 勉強になってよかったな
247 :
日本@名無史さん :2010/12/24(金) 18:53:49
備前反りって言っても笑われる流れ?
248 :
日本@名無史さん :2010/12/24(金) 22:06:42
手鉾やククリのように内反りが最高かな。 太刀レベルの長さの武器ではね。
両刃にしときゃ内外両反りの利点が使えて最強じゃね?
250 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 03:47:19
251 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 03:48:57
両刃じゃ日本剣術お得意の刀身に手や肩を添えて受け流しながら 詰め寄る技が生まれなかったろうな
252 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 11:49:39
趣味で短刀集めてるけど幕末作の無銘切先両刃造りや鵜首造りの7〜8寸の短刀は安価なものが多くやたら手元にある。
253 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 16:54:35
幕末の武士の打刀って、 直刀というのは本当ですか?
全部じゃないけど反りの浅いものは多かったよ
255 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 17:53:02
257 :
日本@名無史さん :2010/12/25(土) 23:16:16
>>252 ええなぁ〜資力のある方は・・・
自分は知り合いの刀鍛冶さんに造ってもらった短刀が一口あるだけです。
258 :
日本@名無史さん :2010/12/26(日) 15:05:01
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、 自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、 日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、 人々は信じることができなかった。 したがって真実を知る一部の者が、 例え支那軍は数の上で勝っていても、 日本軍と戦うことは不可能であると言っても、 これを聞こうとする者はいなかった。 ルイス・フロイス「日本史」
259 :
日本@名無史さん :2010/12/27(月) 19:23:37
小札 対衝撃△ 対斬撃○ 対刺撃○ 桶側 対衝撃○ 対斬撃○ 対刺撃△ 鎖帷 対衝撃× 対斬撃○ 対刺撃× ってことでおk?
260 :
日本@名無史さん :2010/12/27(月) 19:38:09
手鉾
蒲鉾
262 :
日本@名無史さん :2010/12/28(火) 07:16:06
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 明代このように大量に日本可が流入した以外に、政府は模造にも力を注ぎ、
太祖洪武年間には「軍器局」制作の各種の刀の中に「倭滾刀」という名目が
みえる。明の武宗正徳年間、智臣江彬が「兵杖局」に命じて「倭腰刀一万二千本、
長柄倭滾刀二千本」(22)を作らせた。嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、
戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の
一つになった。このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、
主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、中国兵器史上、
明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)
この論断は歴史的事実と確かに一致している。
長柄倭滾刀って長巻かなんかだろうか
265 :
日本@名無史さん :2011/01/01(土) 06:23:33
大太刀の柄は長いよ
267 :
日本@名無史さん :2011/01/02(日) 18:19:22
おまいらデアゴの伊達政宗甲冑買うか? 鎌倉時代や南北朝頃の、袖の着いた威鎧なら即ポチッたのになー。
269 :
日本@名無史さん :2011/01/04(火) 16:49:49
売る方も作る方も、大鎧や腹巻じゃパーツ数が多すぎてやってらんないだろw
たしかに。小札を何枚も作るのは飽きるかも。
その時代の鎧が手間かかってたことを実感させる教材として売るかw
威し方とか横縫いとか、写真や文章だけではよく分からない部分もあるので 一度は実際に見てみたい気もする。
柄が長いと簡単に人くらい切断できるからなあ
274 :
日本@名無史さん :2011/01/07(金) 07:46:24
横には連結してあって 後は縦につなぐだけとかなら
うさぎ塾で作ったらいいんじゃね?
276 :
日本@名無史さん :2011/01/09(日) 19:53:39
山口、成人式会場近くで模造刀 銃刀法違反容疑で逮捕
9日午後0時半ごろ、山口県下関市の成人式会場「海峡メッセ下関」(同市豊前田町)から「刀を振り回している男がいる」と110番があり、
駆け付けた下関署員が模造刀を持ったアルバイト少年(19)を発見、銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した。式典は既に終了しており、
けが人もなかった。
逮捕容疑は、同時刻ごろ、海峡メッセ内で、日本刀のような模造刀(刃渡り約70センチ)を所持した疑い。
少年は羽織はかま姿で、下関署によると「羽織はかまなら刀も必要だと思った。持って写真を撮らないと格好が付かない」と話している。
少年は下関市在住で、施設内のロビーで写真を撮ろうと、模造刀をさやから抜いてポーズをとっていたという。式典には出席せず、その後に
開かれた懇親会に参加した後だった
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010901000206.html
>「羽織はかまなら刀も必要だと思った。持って写真を撮らないと格好が付かない」と話している。 近藤好和氏のような有職故実の専門家のコメントが欲しいところだな
袴を脱がせてふんどしもしくはふるちんなら無罪 パンツトランクス等だったら有罪
>>277 「実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい」
近藤好和(談)
羽織袴に必要なのは刀ではなくて白扇子だな
282 :
日本@名無史さん :2011/01/11(火) 14:20:34
最近、各地の城下町で甲冑姿の案内人が評判になってるけど、江戸時代のことを 考えれば本来は裃姿が妥当なんだろうなあ。 でもそっちじゃ観光客受けが悪かろう。
283 :
日本@名無史さん :2011/01/11(火) 21:46:26
日本刀の刃文を白く際立たせる「砥ぎ」、あれは何時頃から有ったのだろう?
284 :
日本@名無史さん :2011/01/12(水) 11:07:28
>>97 超硬合金なんて硬い岩盤でも砕けるのに、
人間の骨や肉でどうにかなるわけなかろう。
つーか激しく高価な超硬合金までいかなくても、
自動車の板バネに使われてるような特殊鋼で、
かつての日本刀を凌駕する粘りと切れ味を実現可能。
そもそも硬くて脆いのは玉鋼のことだよ。
それをカバーするために軟鉄を挟む構造が発達した。
玉鋼は、たたら製鉄で大量生産でき、
刀剣のコストを下げて安くできるから使われるようになっただけ。
>>283 刃取りが始まったのは明治くらいかららしいぞ
286 :
283 :2011/01/12(水) 21:14:27
287 :
日本@名無史さん :2011/01/13(木) 13:30:01
韓国ドラマ「近肖古王」
ttp://www.kbsworld.ne.jp/drama/detail.php?cno=361 偉大なる百済の大王の生涯がKBS WORLDで明日から日本でも放映開始!
近肖古王は346〜375年に在位した百済の第13代王。ドラマは近肖古王が宮殿から中国・遼西地方に追われた
王子時代から始まり、曲折を経て王位を継ぎ百済の全盛期を率いてゆく過程を描く。百済が遼西に進出した
という百済遼西経略説も、ドラマならではの想像力を加味して扱う予定だ。
-----------------------------------------------------
近肖古王といえば日本に七支刀を贈ったことで知られてますが・・
通常日本の学界では「良心派」の人以外は軍事援助への礼物、東晋への入貢への誘いといったところですが、
韓国ではあくまでも下賜したことになってますよね。
ウリナラファンタジーでの倭国の扱いが今から楽しみとでも言うしかないw
こうやって歴史をコリエイトしていくんですね
289 :
日本@名無史さん :2011/01/15(土) 10:41:33
>>280 近藤さんのは大太刀の話でしょ
大太刀では、重ねを薄くしたり、鎬地に棒樋を彫るなどの重量軽減化が計られている点はすでに指摘した。
さらに、著者は、平成六年(一九九四)一月に愛知・熱田神宮で開催された
『大太刀と小道具』展の展示と撤収のお手伝いをさせていただいたり、またその他の機会で、
前掲の古刀期最長の長船法光や飯野八幡宮の長船盛景大太刀・大長刀を何振りも実際に手に取っている。
その経験から言えることだが、長寸な太刀でも反り具合や柄の状態などの微妙な調整で手持ちは良くなるものである。
法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四`近いものの、
実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。
>>290 本人だなw
ウェイトリフティングやってるってあとがきとかで書いてた
292 :
日本@名無史さん :2011/01/15(土) 21:02:28
>>291 ウェイトリフティングとパワーリフティングとは別競技
ウェイトの方はスナッチとかジャークのクイックリフト種目で
こっちはスクワット・ベンチ・デッドリフトだよ。
で、三土手さんのジムか。
http://www.nolimits-gym.com/menbarkondo.html 私はパワーリフティングをはじめて23年が経つ。また、今年で49歳になるが、
曲がりなりにもまだ記録は伸びており、幸いにも全日本に出場し続けることができている。
それもこれも、NLで練習ができているからである。自宅からNLまで往復で4時間以上掛かるが、
今後も通い続けるつもりである。あと、大太刀は実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、
意外と持ちやすい。
293 :
日本@名無史さん :2011/01/16(日) 07:24:00
そりゃ戦国時代や南北朝時代の武士で 大太刀このんで使うような連中は膂力あるだろ むしろ近藤さんなんかでは比較にならん位に もっと軽々と大太刀使った可能性の方が高いな
295 :
日本@名無史さん :2011/01/16(日) 09:40:39
>>293 夢見すぎ。
近代的なウェイトで体作ってる近藤さんに勝てるわけねーだろ。
骨格も近藤のほうがでかいし。
おまえら近藤センセー大好きなのなw
297 :
日本@名無史さん :2011/01/16(日) 19:08:46
いや、事実だから。 持久力は年中歩いてる昔の人のほうが高いだろうが、 筋力で現代の本格的なトレーニーに勝てるわけないよ。
たしかに中世の絵画史料の武士や歩卒とか見ても ガチムチ体型のはあまり見たことないかも 中世人の膂力についてのデータってあるんだろうか?
299 :
日本@名無史さん :2011/01/17(月) 04:03:40
筆で書いてるからガチムチに見えないってのはあるな だぶついた服も多いし ウェイトで計れるパワーは最初から「もちあげやすく出来ている重量物」をただ思い切り「持ち上げればいい」だけの筋力の指標 高橋秀樹が「若い俳優は体格がいい連中でも駕籠かきが出来ない」って言った話があるけど 単純に筋力があるのとその身体資源を有効利用できるかどうかは別 米俵運べない若者の話とか、 林業のベテランのじいさんが丸太を抱えてほぼ全力疾走で山を駆け下りるとか 大太刀の扱いってのはどっちかって言うとそういう方面のパワーで使うもんだろ
パワーというよりバランスとか重心の取り方だなそりは
301 :
日本@名無史さん :2011/01/17(月) 07:50:46
実用的な力ってのはそれらを含めたもののわけで。
とりあえず力石でも持ち上げてろ
303 :
日本@名無史さん :2011/01/17(月) 13:58:34
結局のとこ近藤さんじゃなくても 戦国時代や鎌倉時代の猛者なら大太刀軽々使っただろうな ってはなしになるわな
304 :
日本@名無史さん :2011/01/17(月) 23:46:48
>>293 >>299 経験上ただ単に振るだけならウェイトで鍛えたとかは関係なく
筋力があった方が振れると思う。まあやっている種目にもよるけど。
自分の場合は剣道と居合を止めてからウェイトを始めたんだけど
ウェイトを始めてからのほうが素振り用の木刀、刀も軽く振れるように
なったし大ハンマーの一番下を持って振って止めるという剣道時代には
不可能なことも出来るようになった。
305 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 00:06:00
>>289 中央刀剣会の故山田氏と日刀保の寒山氏は大包平の樋について絶賛している。
大包平は重ねも比較的薄いけど樋の彫り方が特別に上手なので全く重く感じないとか。
>>293 >>303 戦国時代は大太刀を使っていた人は少なかったんじゃないかな。
南北朝の大太刀は勿論のこと平安、鎌倉期の2尺5寸〜2尺7寸位の
太刀まで磨上げて使っていたくらいだから。
上杉家では戦国時代も大太刀を好んで使っていたようだけど。
関東や九州みたいな田舎だと戦国時代になってもまだ大太刀使ってなかったか
307 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 00:22:24
>>306 殆ど使っていないと思うよ。大太刀自体極端に現存数が少ない。
使われたとしてもほんのごく一部の武士が使っていただけだと思う。
>戦国時代は大太刀を使っていた人は少なかったんじゃないかな。 室町時代のどこかで使われなくなっていったということか いつ頃だろう
足軽の比重が高くなった頃だろう
310 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 08:27:35
家康は槍に当てて使うという大太刀の使い方を若い侍に教えている。
『東照宮御実紀附録』
・汝(※注:三尺五寸の大太刀を帯びた伏見彦太夫某)は尺の延べたる刀の利を知るかとあれば。
ただのべかけて敵を一討ちに仕るばかりにて。外に心得候はずと申せば。いやとよ寸の延べたる刀は。
鎗にあてて用ひんが為なり。向後忘れまじと教へ給ひしなり。
>>307 江戸時代に摺り上げられたと考えることもできるな。
311 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 16:20:08
姉川の戦いの真柄直隆なんかも 直隆だけが大太刀使ってたわけじゃなくて 真柄全体が大太刀スキーだったわけだしな 全体としての比率で南北朝に劣ると言っても 戦国時代も大太刀使われてるな
312 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 17:23:47
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社) ・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、 ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、 その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと 衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、 敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 朝鮮人が報告する日本刀は江戸の定寸よりも長い。
>>312 長さの単位は同じに見えるけど、実際は違うんじゃなかったか。
時代によっても違うけど、確か15センチ〜25センチくらいだったかと。
315 :
日本@名無史さん :2011/01/18(火) 20:25:53
>>310 古刀の磨上げの大半が室町後期〜安土桃山だよ。
伝来の確かな名刀だと磨上げの記録も残っている。
まあ慶長新刀の磨上げとかもたまに見るので皆無だったとは言えないけど。
316 :
日本@名無史さん :2011/01/19(水) 17:00:25
大太刀の一番の欠点は重量だな。 戦国期になるといろいろ規模が大きくなったから、 かついで移動するのが面倒になったんじゃないか。
317 :
日本@名無史さん :2011/01/19(水) 18:13:29
戚継光 「紀効新書・長刀解」 此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。 彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。 日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。 これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。 こちらもただやられてばかりではない。 日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い その勢いを止められない 日本人の刀捌きは軽くて長く 接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
デアゴの伊達政宗甲冑を買うてきた。 表面処理はまぁ漆に見えない事はないかな・・・ この模型の実物大ポスターが付いてたのだけど、実際見るとでかい。 想像以上に迫力があるし、黄色い威糸がお洒落。 これから草摺の板札6段11間で66枚、 はいだての筏札が6段11列、これが左右一対で132枚を威すのかと思うと おら、ワクワクするぞ・・・orz
あれ買っちゃったのかよw 完成するまで何年かかるんだ
全55号という事だから、1年ちょいですね。 来年の五月には飾れるよん。
321 :
日本@名無史さん :2011/01/21(金) 19:39:34
胴丸や腹巻に付属することが多い喉輪、鎧を飾る時には前に垂らしてあるが、着用する時は胴の下に入る。 これは考えてみれば当然で、袖が付いた胴を着用してしまえば、腕を首の後ろへ回すこともむずかしく、装着は困難。 前もって身につけて置けば話は簡単。胴の内側と喉輪がすれる可能性もあるが、あまり大きな問題ではなかったのだろう。 以上、狩野元信(永徳の祖父)筆細川澄元騎馬出陣図を見て気が付いた。
>>320 おお意外と早く出来るんだ。
完成したら見せてちょ
>>321 あの絵は武装が細かく書き込まれてていいね
乗馬が牡馬だとすぐわかるのもいい
あの絵で手に持ってるのは長巻?薙刀? まあ、その両者の区別自体が曖昧なんだろうけど。
324 :
日本@名無史さん :2011/01/22(土) 21:10:43
>>323 狩野派決定版(平凡社刊)の図版解説では長巻となっている。甲冑方面の人の筆ではないが、これでいいんじゃないだろか。
長刀は先端部分が諸刃になっているのものを言うんじゃないだろうか。この絵のものは通常の日本刀と同じ切っ先になっている。反りは先の部分で大きく、普通の日本刀の身とは違った感じだが。
325 :
日本@名無史さん :2011/01/22(土) 22:53:43
マンガのカムイ伝で打刀にみせかけた長巻でリーチの長い 不意打ちをかける侍が出てきたが、あれはどっちかというと手鉾か
330 :
日本@名無史さん :2011/01/23(日) 13:51:11
長刀は歩兵用、長巻は騎乗用ということなんだろうか。澄元が手にする長巻は普通の刀より長く、80センチ以上はありそうだ。 かつて足利尊氏像といわれた騎馬武者像が肩にかついでいる大太刀の進化したもの、と考えれば納得がいくんだが。 ところで長巻の実物はどこかに残っているんだろうか。それとも実用的な武器として用いられなくなった時点で潰されるか磨り上げられてしまったんだろうか。 上杉神社の宝物館で見たような記憶もあるんだが、なにぶん大昔のことではっきりしない。
ウィキペディアの長巻の項目にある写真がそれじゃないかな?
332 :
日本@名無史さん :2011/01/23(日) 22:43:05
333 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 01:41:04
>>332 かなり現存しているよ。
真田家の旧蔵品が少し前に160万くらいで売りに出ているのを見た。
しかし二度と作れないものだから試すのは勿体無い。
清麿に比べると大分安いんだな。荒試しの件が広く知られるようになればもっと上がりそうだけど。
335 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 02:40:40
適正価格は80〜90万くらいだな
336 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 02:43:46
>>334 >清麿に比べると大分安いんだな。
値段では清麿の五分の一以下。傑作同士を比べると十分の一以下になる。
>荒試しの件が広く知られるようになればもっと上がりそうだけど。
愛刀家はみんな知っているけど今の価格だからこの先、値上がりはしないだろう。
337 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 02:49:46
清麿の贋作のほうがいいね
338 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 02:54:16
>>337 >清麿の贋作のほうがいいね
清人が作ったであろう偽銘がある。
しかし清麿の値段の高さは異常だね。
かなり酷い清麿でも国広とか重国、助広の傑作と同等の値段なんて・・・
>>336 そりゃ愛刀家は知ってるだろw
広くってのは一般層にってこと。
340 :
日本@名無史さん :2011/01/24(月) 10:25:51
菊池槍を磨上げした短刀がよくあるけど、あれは槍としてどうなんだ?
短刀にしちゃったら槍としては遣い辛いんじゃないかな。
菊池槍の槍としての性能がどうなんだってこと?
文意からしてその解釈は出来ないだろう
できないこともないが。そうじゃないとむしろ意味がわからない。
短刀に長い柄つけたら俺TUEEEEEEEEEEEEってことでつけてみたけど よく考えたら突くのに片刃は扱いにくかったんで両刃にしますた
346 :
日本@名無史さん :2011/01/25(火) 21:37:07
単にそれ以前からあった片刃の刺突武器である手鉾の柄を伸ばしたのが 菊池槍なんじゃないかと思うんだが。
347 :
日本@名無史さん :2011/01/25(火) 23:34:17
現存のうぶの菊池槍って見たこと無い
348 :
日本@名無史さん :2011/01/26(水) 14:29:36
二人張りとか三人張りの弓って張力にすれば何ポンドくらいなんでしょうか?
世界史板の弓矢スレより
431 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/06/29(月) 12:11:46 0
>>430 弓を張るときに必要な力の方が引くときに必要な力より大きいのはその通り。
それも弓力に単純に比例するわけじゃなくて、ちょっと弓力が強くなるととたんに張りにくくなる感じではある。
というわけで、江戸期には弓力は何人張とかいう不正確なことは言わないで、弓の厚さで六分五厘とか七分とか言っていた。
それも正確じゃないけど、何人張とかいうよりは相当マシではある。
さて、江戸期の方がはるかに進んだ技術で弓は作成されているわけだが、仮に江戸期の技術で250kg重の弓を作るとする。
厚さ七分でだいたい30kg重と言われるが、張力は厚さの3乗に比例するので、およそ一寸四分の厚さが必要になる。
およそ4.25cm(ちなみに弓の幅は約一寸=3.0cm)。
弓を引いたことがある人ならわかると思うが、人間の手の大きさ的にそんなもん扱えるはずがない。
432 名前: 431 [sage] 投稿日: 2009/06/29(月) 12:20:07 0
ところで、俺は都内のある弓具店で60kg重の弓を見せてもらったことがあるが、
見た目はほぼ角材という感じで厚さは九分くらい。
店主曰く、ちょっと二人じゃ張れないということだったので、これくらいで
ぎりぎり二人張〜三人張ということになるんじゃないだろうか。
351 :
日本@名無史さん :2011/01/28(金) 21:16:49
南北朝〜戦国時代の金撮棒って現存してますか?
352 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 07:02:09
353 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 09:08:18
>西洋剣の唯一の優位性だった鎧の上からなら日本刀に勝てるという話 コピペにレスするのもなんだけど、そもそもこんな話はどこから出てきたのかなあ。
だいたい戦国時代だって鎧ごと切ったりはしないし(介者剣術と素肌剣術の違い) 西洋剣術でも甲冑相手なら装甲の隙間を狙う(股間、腋の下、内冑など)
狙うのめんどくさいから叩く方向で
357 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 12:51:49
>>355 具足の上は片手斬りでは切れない、という記述が雑兵物語にある。
甲冑と言っても相手によりけりだと思う。
>>356 太平記あたりの一騎打ちだったらそんな感じだな。
実際に動いてる相手の隙間なんか狙ってられんからな 重装甲な相手なら叩いて転ばした方が手っ取り早い
360 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 16:33:14
隙間を狙うというよりは防御の薄いところを狙う技法だろ。 真っ向唐竹割はやらずに袈裟で切りかかる、手足を狙う(雑兵物語にある)、等。
361 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 16:34:09
甲冑相手には槍や長刀でいいよ
362 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 16:53:04
乱戦になると槍は使い難いです。スイス傭兵ゆずりのパイク戦術で知られる ランツクネヒトもパイクが役に立たない局面の為にカッツバルゲルという 剣を装備していました。
363 :
日本@名無史さん :2011/01/29(土) 16:59:08
槍も折れるからね。折れたときのことを色々考えておいたようだよ。 その選択肢には腰の刀で戦えとか従者に長い刀を持たせろってのもあるみたいだね。 『武道初心集』 ・小身なる武士は、不慮の変有之刻も、人多く召し連候義無之ゆゑ、鑓一本より外には、持する義 成らず候。もし其鑓折損じ候に於ては、持鑓に事を欠は定り事に候。去るに依て、兼て袋鑓の身を支度仕り、 柄には竹を仕すげ候てなり共、当用の間に合せ候心掛尤に候。且又、少々疵有之候ても、作り丈夫 にして、 寸の延たる刀を用意して、下人共にささせ、 『御家中武芸はしり廻り』 ・一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、士として是 を嗜まんは あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。もし弦切れ、矛折たる時は 腰物を抜て向ふが、猶、速成は 組討をする意也。武士たるものは棒にて一つ二つ折れ(打たれ)たりとて 死べきものに非ず。 当の敵は必ず仕留むべし。
>>353 そもそも刀剣の質なんてピンキリなんだからたった一振同士を比べてもねえ
365 :
日本@名無史さん :2011/01/30(日) 00:02:26
>>364 で、西洋剣の唯一の優位性だった鎧の上からなら日本刀に勝てるという話について何か知ってます?
>>352 そもそも、当時品の全体的傾向に関しては来航した外国人がこう報告してるしねえ。
チェンバレン
・日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
ゴロウニン
・鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。
鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いてゐる。
彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に立派に反射するのである。
われわれは日本の指物や大工道具をたびたび見たが、それは丈夫さから云つても、
仕上げの美事さから云つても、イギリス製に劣らない。
>>366 そのコピペよく見るけど、チェンバレンはダマスコ剣やトレドの剣について
比較できるほどの見聞を持ってたの?
チェンバレンの頃だともう剣差して歩く時代じゃないだろうし
軍刀も大量生産のミリタリー・イシューを使ってると思うけど。
>>365 知らんよそんな事。基本的に鎧を切り裂くなんて不可能だろうがね。特に金属製は。
>>366 ゴローニンは海軍軍人だしチェンバレンに至っちゃ英語教師だろ。
刀剣なんて物が日常の場から消えて久しい時代の、専門家でもない人間の発言をやたらと持ち上げる理由が解らん。
この手の議論で「なぜ」日本刀の方が優れているのか科学的な観点から検証してる奴は見た事が無い。
例えば両者の物理的な構造な違いとはなんだ?よく言われる心鉄構造やら折り返し鍛錬は別に日本独自じゃないありふれた技術だ。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_033.htm 仮に彼らの発言が事実だとして、じゃあ何が日本刀をそんなに優れた物にしてるのかというとオレには解らん。
>>369 >基本的に鎧を切り裂くなんて不可能だろうがね。特に金属製は。
甲冑じゃないが、イギリスの一五世紀タウトンの戦場跡では
兜ごと頭蓋骨を唐竹割りにされた遺骸が出土してるそうだ。
まあ詳しいデータが手元にないのでどんな武器でやられたのかは
不明だけど。
371 :
日本@名無史さん :2011/01/30(日) 11:54:41
>>369 古刀期については未熟な製鉄技術が砂鉄中の不純物であるチタンを除去できなかったという
副産物の結果という面もあるな。
天田昭次『鉄と日本刀』
・平安時代中期以前の製鉄は火力が低いため、鉄もチタンも溶融点に達せず、
チタンは鉄粒の間に鉄滓とともに介在している。鍛錬によって鉄滓とともにチタンも
幾分除去されるが、鋼中にはいまだ相当のチタンを含有している。チタンのある量は
炭素と融合してフェライト結晶中に固溶し、残りのチタンと炭素は炭化チタンとして
鋼を形成する。その結果、肌は多少粗く、ところどころに鉄滓を含み、疲れのように
見えるものもあるが、総じて光沢があり、高貴の感がある。
・初期の日本刀の地鉄が青い光を伴って、いかにも特殊金属と見えるのは、
チタンを過剰に含んでいるためである。
・製鉄法が進歩し、錬鋼の手法が採用されると、鋼中の鉄滓や
炭化チタンは著しく減少した。鎌倉・南北朝時代はチタン鋼として
最も理想的である。
・室町時代以降は製鉄法が著しく発達し、鉱石は溶融し、チタンも鉱滓とともに
排除されるところとなった。わずかに残留するチタンはフェライト中に炭素と固溶し、
炭化チタンも減少し、チタンの支配力は微弱である。一方、炭化鉄が台頭し、
一般的な鋼材としては理想に近い製品になったが、鍛刀上からは大きな後退であった。
>>370 切り裂くというよりは重量と勢いで押し切ったって感じじゃね?
西洋剣、日本刀をランダムに数百口ずつ集めて同じ条件で強度実験を繰り返せば平均的にどちらの方が優れているかはある程度解るだろうが、やるのは無理だろうな。
374 :
日本@名無史さん :2011/01/30(日) 19:45:54
刀に関しては日本側がマンセーしてるというよりは西洋側が驚きをもって紹介しているって 感じだな。 『鉄砲を捨てた日本人』 ・武器については、もしロジャーズ艦長が『大英百科辞典』を読んでいたならば、一八五五年当時の日本では 「刀が主要にして最上の武器であり、日本刀は、ヨーロッパで殊のほか貴ばれるスペイン製の剣よりも格段に勝れ、 日本刀をもってすれば、相当太い釘でも刃先を寸毫も傷つけることなく簡単に真二つに切れる」ということを識りえた であろう。 ・一五六○年代のこと、イエズス会の神父が、好戦的なことこの上もない石山本願寺を訪れたことがあった。 神父は本願寺の僧はすべて刀をもっているものと予想はしていた。だが刀自体が恐ろしい武器だとは思って いなかった。ところがその同じ神父が、「鋭利なナイフでやわらかい肉を切るのがさしも容易なごとくに」日本刀で 鎧を切り通すことができた、と報告する破目となった。もう一人オランダ人アーノルド・モンタナスも(略)。しかし、 先のモンタナスの話は検証できるものであって、実際検証されたことがある。傑出した今世紀の 武器収集家ジョージ・キャメロン・ストーンが、十六世紀の日本刀によって近代ヨーロッパ製の剣を真二つに 切る実験に立ち合ったのがそれだし、
375 :
日本@名無史さん :2011/01/30(日) 19:49:19
切れた。「それだし、」の続き↓ また十五世紀の名工兼元(二代目)の作になる日本刀によって機関銃の銃身が真二つに切り裂かれるのを映したフィルムが日本にある。 ・同じ報告で彼(ツンベルグ)はまた、「強靭性・良質性においていかなる国の制作品にもまさる」見事な出来映えの刀剣を 数限りなく見たとも述べているのである。
376 :
日本@名無史さん :2011/01/30(日) 20:54:51
当時の甲冑ってどういう風に斬るん? 戦国時代の当世具足とか見ても袈裟切りでどうにかなりそうな気がしない
378 :
日本@名無史さん :2011/01/31(月) 10:37:49
「鋭利なナイフでやわらかい肉を切るのがさしも容易なごとくに」日本刀で 鎧を切り通すことができたらしいから
>>377 相手動かないように固定して刃筋がぶれない様集中してスイング
動きまわってる敵には?
381 :
日本@名無史さん :2011/01/31(月) 16:38:24
よく武装していたのに一刀で切り殺されて甲冑奪われちゃいました、テヘ。 「一五六六年十月二十日付、イルマン・ルイス・ダルメイダが志岐島より耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」 ・二十五歳の青年のキリシタン諸人に先登し、謀反人の側より一人よく武装して出でたる者と戦ひ、シストXisto(青年はかくのごとく称せり) 一刀に彼を切殺し、敵の進み来たりし前その甲冑を奪ひ取りたり。
382 :
日本@名無史さん :2011/01/31(月) 16:41:10
>>377 あまりいい刀を差してない足軽の場合は手足を狙うようだ。
『雑兵物語』
・刀を抜て敵の手足をねらつて切りめされい。
・刀でも脇差でも、勝手次第にひん抜て、手かあしをねらつて切れよ。
日本刀は切れないよ 良く斬れるけど
>>381 鹵獲されたってことは、甲冑を傷つけずに介者剣術的な技で殺したのか。
>>374-375 そういう逸話的な証拠だけじゃ決め手としては弱いな。
特に19世紀のはオリエンタリズムの全盛期だから、「神秘的な東洋」を演出する為に誇張して伝えられた可能性が高いし。
ストーンの実験だが
http://www.thehaca.com/essays/knightvs.htm によればストーンは実験に関わったわけではないし真っ二つにされたのが西洋剣だとも書かれてはいないそうだ。
アーノルド・モンタナスの証言も、刀が切断したのは割れやすいスモールソードであって刀の優位を示す物ではない。
例えば1689年のキリークランキーの戦いではブロードソードや斧がスモールソードやマスケトット銃を易々と両断した事が報告されている。
>例えば1689年のキリークランキーの戦いではブロードソードや斧がスモールソードやマスケトット銃を易々と両断した事が報告されている。 で、出典は?
ああ、リンク先にあったね。 An account of the battle between English and Scots at Killiecrankie in 1689 described how "pikes and smallswords were cut like willows" by broadswords as well as how "pikes, smallswords and muskets" had been "snapt asunder by the athletic blows of the Lochaber axe and broadsword. " (Thomas C. Jack, History of the Highland Regiments, Highland Clans, etc. from Official and Authentic Sources, Vol. I, Edinburgh. 1887, p. 105). って200年後に書かれた本じゃんwww こんなの軍記物の類じゃないのかな? つか、モンタナスの文を「証言」といってる時点で分かってない人だなって思うよ。
現代にナポレオン戦争について書かれた本も軍記物になるのか? 題名からして歴史書だろ。
お前ら軍記物を馬鹿にしすぎ 近藤センセの「中世戦闘史料としての軍記物語の位置」でも読んでこい
391 :
日本@名無史さん :2011/02/04(金) 14:50:33
>>389 少なくとも200年後に書かれた本でしか読めないオーバーなエピソードを事実として
引くのはどうかと思う。もっと確実で適切な例はないのかよ。
>題名からして歴史書だろ。
『関八州古戦録』なんかも英訳するとそれらしい記録集に見えそうだなw
唐突なんだが 一万円以上する『日本甲冑大図鑑』の内容ってどんな感じ? 買おうか迷っているんだが・・・
393 :
日本@名無史さん :2011/02/06(日) 20:08:40
カラーページはほとんどなかったと思うが写真は結構ある。 ただ、笹間氏の他の著作の焼き直し、というか集大成なのかわからんが どこかで見た内容。大きめの図書館なら置いてあると思うので 確認してから買ったらどうだろう?
394 :
日本@名無史さん :2011/02/07(月) 09:08:24
395 :
日本@名無史さん :2011/02/07(月) 13:30:51
目に刺さった矢を抜く場面のは『図巻 雑兵物語』のP74〜75にあるのを確認した。 『雑兵物語』の挿絵。具足を着ている図も同書の『足軽中間具足着様』のもの(P131など)。 そこしか見てないけどこれがニンジャソードって言ってるの?
396 :
日本@名無史さん :2011/02/07(月) 13:32:08
398 :
日本@名無史さん :2011/02/08(火) 20:48:32
日本では槍を投げるのは「犬槍」として嫌われながらも実際には合戦で使われたと 聞くんだけど記録にはあるのかな? 高野佐三郎の著作集読んでたら山形有朋と林友幸(子爵)がやった槍の仕合で 一回目は山形が胸を突いて一本、次は林が投げ槍で突いて一本取ったってのが あったんで、一応有効打扱いではあったようだけど。
日本刀は柄に目釘で支えられてる構造になっている 全ての力が目釘にかかる これが日本刀の弱点で 十数回も打ち合うと目釘がダメになる 素振りを三十回くらいすると目釘が緩んでくる 刃こぼれがどうとかの以前に日本刀は実戦に向かないのだ
400 :
日本@名無史さん :2011/02/10(木) 20:38:13
刀剣の柄の構造には有茎式と無茎式がある。
目釘を用いない無茎式は、構造が単純で扱いやすい反面、
衝撃がモロに手に伝わるので痺れたり疲れたりしやすい。
目釘を用いる有茎式は衝撃が緩衝され、
疲れにくい代わりに、手入れが面倒。
目釘の材質にも注意が必要。
一般的には竹を使うが、丈夫な根っこのほうを使わないと、
>>399 のようにすぐにダメになってしまう。
なお、鉄を使うと固すぎて逆に刀身が割れる。
また、江戸期の新刀には目釘穴が一つしかないものもあるが論外である。
当たり前だが一個では刀身を支えきれない。
史上最高の拵えである95式軍刀では、
真鍮の目釘を使い、つばのすぐ下とカブトがねの二箇所に目釘穴をあけ、
テコの原理を利用して刀身をしっかり固定している。
401 :
日本@名無史さん :2011/02/10(木) 23:24:43
二つ目釘も危ないよ
402 :
日本@名無史さん :2011/02/10(木) 23:27:31
目釘穴が一つが普通だよ
あほくせえ。十数回打ち合って無事な刃物があったら見てみたいぜ
404 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 00:04:56
そもそも打ち合うものじゃない
405 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 06:03:02
>>403-404 刃こぼれのある刀はいくらでも残ってるし、
普通に打ち合ってるよ。
打ち合わないってのは妄想武術の類で、
それが理想だけど、実際には刀で受けるしかない場合や、
相手が鎖着込んでる場合も腐るほどあるから。
硬いものに激突したときに刃こぼれするのは仕方ないけど
そんなんでいちいち目釘が折れてたら、棍棒にもならない。
到底実戦には役立たないね。
406 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 06:06:22
>>401 目釘穴が二つでも、真ん中に並べてるものもあるからね。
95式は位置も考えられてるから、
全く支障ないね。
407 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 06:21:06
そもそも(流派によるけども・後述)日本刀は構造上、 物を切るときてこの原理的な負荷が柄や目釘に直撃するような斬りかたをしないことを 基本的には想定してる ただこの日本刀の規格は現代一般人には時に理解の範疇を越えていることも多いため 普及を第一目的にする流派や会においては意図的に規格外の凡庸な振り方扱い方を 基本とする場合も多い。 上で述べたような負荷や衝撃を手や柄で正面から受ける流派は 特徴としては両手の間隔が狭い、 ナカゴの長さ分で握る、 柄以外をもったりしない、 という特徴があり要するに斬ってる最中も斬る対象に生の力で刀を押し付け続けようとするため、 物理的に目釘が破損しないように柄の中部の「ナカゴを」しっかり握るわけだ 逆に多くの古流の場合は手に伝わる衝撃というのは主に刀身全体の「振動」のみで実質存在しない。 なので斬る瞬間に力を入れるとかそういうことはしない。 絞るだけである。柄に支点と作用点を作らないようにする。 ふんわりくるむように握る、両手の間隔が広い、 左片手打ちをためらわない、 柄を離して刀身に添えて受けたり突いたり比較的太刀の扱い方、持ち方が多数ある。 なにがなんでも両断してやろうといったような「我」がない、 斬れる斬り方になってれば勝手に斬れるだろうという軽いノリ、 といった傾向がある。 斬ったあと技で止め切れなかった太刀を止めるために仕方なく「力をいれ」止めることはある。 斬ってる最中の太刀は空中に刃筋が立ち続けている状態で飛行しているようなもので それをわざわざ腕力で押し込むことはしないというわけだ。
408 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 09:39:37
>>492 目釘穴が二つ以上あるのは、磨り上げたり刀装を作り替えたりで、目釘の位置が変わったため開けなおしたもの。
実際に刀を使用する時は、目釘を湿らせてから使った、と聞いている。木は湿らせれば柔軟性がでるから突然割れたり折れたりすることが少なくなる。
湿らせる時には、唾を用いた。古い時代劇などでその所作をするのを見た記憶もあるが、現代のものはどうなんだろう。
現代では、汚らしく感じられるし、後の手入れも大変なのでやらない。
409 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 10:46:39
侍が柄に口に含んだ酒をぶっかけて湿らせたりする演出は今でもあるな
十数回打ち合ってるとか書いてるのに。刃毀れがある(笑)全部妄想なんだよこいつの文章は そもそも刃毀れは打ち合った場合のみに出来るものじゃないんだよ
411 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:16:52
>>407 >そもそも(流派によるけども・後述)日本刀は構造上、
>物を切るときてこの原理的な負荷が柄や目釘に直撃するような斬りかたをしない
それは完全な妄想だよ。
今どき「武術」の能書きを信じてる人がいるとは・・・
道場と実戦とは全然違う。
相手は抵抗するし、激しく運動するし、鎖も着込んでる。
刃にかかる衝撃をいちいち気にしてたら戦えない。
そもそも打刀の起源は刺刀にあり、
非常時には片手でも振り回せるのが条件。
>>410 実際、つばもとに大きな刃こぼれのある刀はいくらでもあるからね。
つばぜり合いも普通にやってたよ。
この目釘根拠で日本刀は実戦に向かないって人あちこちで見るね
413 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:21:50
そもそも負荷が柄にかからない斬り方を 実戦でも実行しうるなら、 ソケット式にする意味が全くない。 ソケット式の意義はそういう負荷を軽減する点にあるわけだからね。 それがないなら、単に手入れが面倒なだけ。 無茎式で充分。
414 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:24:34
室町に流行った片手打ちのナカゴが短い打刀って安いの多いよな 程よく腰反りな具合が好きなんだけど
415 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:27:52
>>411 ハバキ元に大きな刃毀れがあったら危なすぎてその刀は使い物にならないよ
刃切も同様だけど折れるからね
416 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:30:21
>>412 実際、目釘は竹でも根っこのほうの丈夫なところを使わないと、
すぐダメになってしまうからね。
すえもの斬りの居合いではクローズアップされない問題点だけど。
そういう半端な手入れの日本刀で練習やってる居合い家が、
誤った認識を広めてるだけ。
柄に負荷がかからないように斬るのが正しい、とかさ。
居合いの流派の基準で実戦語られちゃ困るんだけどね。
あの人たち、竹刀でスパーやったらお話にならない弱さだから。
そうすると実戦では云々と言い訳するんだけど、
別にこっちは木刀、向こうは真剣でも余裕で殺せるよ。
反応が素人並みに遅いから。
>>441 だーから刃が先にへたってるじゃねえか。京国博の試し切り程度の郷でも欠けてんぞ
うちの兼則なんか物打ちボロボロだ。刃が甘い実戦向けのもんについちゃタッチアップしすぎで
見事にフラットグラインドじゃねえか。これは丁寧な研摩が不可能な戦場で刃がへたるまで戦った証拠だ
418 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:41:05
>>414 打刀は基本的に安物だよ。
メジャーになったから高いのも作られるようになっただけで。
つーか玉鋼の採用自体がコスト削減の努力の結果。
今は貴重品扱いだけど、
15世紀くらいかな?
たたら製鉄でようやく大量生産できるようになった鋼が玉鋼。
強い負荷がかかる人きり包丁用には硬すぎるんだけど、
構造で工夫すればカバーできるから使われるようになった。
それまでは刀匠が自分の村のショボい炉でちまちま製鋼してた。
419 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:45:07
>>417 それは私と完全に同意見だけど?
何か勘違いしてない?
鎖だろうが刀だろうが鎧だろうが、
本来斬れないものでも、
必要があればブン殴る。
それが当たり前。
柄に負荷がかからないように斬るとか、
到底実行不可能だし、
日本刀はそんなヤワじゃないよ。
そういう能書き垂れる奴は、
竹の中ほどからとった弱い目釘を使ってるんだろうね。
420 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 15:52:30
>>407 >逆に多くの古流の場合は手に伝わる衝撃というのは主に刀身全体の「振動」のみで実質存在しない。
剣に限らず古流と名乗る流派で、
まともに戦える流派って見たことないんだよねwww
口では不思議な理論をおっしゃるけど。
徒手格闘技の分野では、古流なんて妄想に過ぎないのは
はっきりしてるわけだが、
俺は剣術流派にも同じ認識を当てはめていいんじゃないかと思うよ。
421 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:12:20
>>417 あなた、試し割りの瓦割り見て真に受けるクチ?
試し割りで瓦は割れても、実戦では毛細血管すら破れないよ。
実戦では相手は固定されてないし、
試し斬りみたいにフルパワーでフルスイングしてたら
永遠に当たらないよ。
想像で師範顔ですか
423 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:19:29
なんか妄想武道ヲタがキモいんだが
424 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:34:16
426 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:38:10
俺は事実を述べてるだけだがな。 古流とか持ち出すほうがよっぽど妄想。 古流つっても、江戸時代に習い事として形成されたものがほとんどで、 実戦の裏づけなんてないよ。 江戸時代末期に緊張が高まってくると、 みんなスパーやりまくってます。 つーか実戦では誰も「武術」なんてやらないから。 基本動作さえ覚えれば、 仲間との連携、地形への注意のほうがよっぽど重要。 相手が複数だったり、不意打ち喰らったらどんな「達人」でも勝てない。
427 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:40:31
>>424 刀の存在目的は、
活発に動いて、抵抗もしてくる、
鎖も着てるかもしれない相手を切ることで、
すえもの斬りはただのパフォーマンス、練習の域を出ない。
目的とは程遠いです。
>>421 じゃなくて
>>419 だったwww
>鎖だろうが刀だろうが鎧だろうが、
>本来斬れないものでも、
>必要があればブン殴る。
>それが当たり前。
そうじゃなくて肉か衣を切るだけですごく鈍るよ
429 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:49:13
>>428 それは深さにもよるし、
肉や衣を都合よく斬れるわけがない。
斉藤一の話
「どうも三四度刀が自分のからだにさわったように思うが痛くもないので、
(中略)自分は傷一つ負わなかった。これも鎖帷子のおかげで、あれは実にいいものです。」
また、永倉新八は、「新撰組顛末記」の中で、
池田屋事件での立会いで、途中親指を深く斬られたが、
全く気づかず、相手を斬り殺して終わった後にようやく気づいたと述べている。
430 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 16:52:58
また、永倉新八は、同じ立会い中、 相手がかなりの達人で、 相手の刃を間一髪で交わし続けたため、 刃が衣に触れてズタズタにされたと述べているが、 永倉の動きは別ににぶってもいない。 斉藤一の話 「あなたは刃と刃とを合せた斬合をしたことはないそうだが、 実際刀を抜き合って、「さあ来い」となると、 敵が、こう来たからこう避けて、こう斬る----なんて うまい事が出来るもんじゃない、ただ夢中で斬ったり突いたりする、 敵がばったり倒れて、はじめて、「まァよかった」と思うくらいのものである。 剣術なんてものは要するに、刀を早く振廻すことさえ知っていればいいので、 そういう時は、ただ早いとこ勝負だから。天満屋の一件でも、 私は、相手のどこをどう斬ったのか突いたのか一切わからない、 第一相手が何人くらいいたのかさえわからなかった。」
431 :
3 :2011/02/11(金) 16:58:02
ちょっと誤魔化しすぎだろ。そもそも新撰組の刀折れまくっとるがな 1、刀の目釘には構造的欠陥がある 2、そもそも刀は目釘に力が掛からないように扱うもの 3、目釘がへたる前に刀身がへたる このどれかを前提に話してくれや。俺は3について話しているわけだが。そもそも実戦で用いられた鉄目釘では茎にダメージがある と上でだれか言っていたがそれはない。茎焼き入ってないし。錆は落ちて鑑賞上実に醜くはなるという、そういう損傷はあるが
432 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 17:03:52
また、複数の米軍兵士は、 5.56mm弾を命中させて、 パスン、という服に当たる音も聞いてるのに、 当たってこけた兵士がすぐ立ち上がって逃げていく、 という光景を報告している。 (その後、5.56mm弾は威力がないという話に続く) こういったことからも、肉や服をちょっと障害した程度で、 相手の動きがにぶるというのは机上の空論に過ぎないのが分かる。
433 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 17:08:41
>>431 何故、私があなたの持論を基礎に話をしなければならないの?
私はどれもとっくに論破してるけど。
そもそも近藤勇の報告では「永倉新八の刀は折れ、沖田総司の帽子折れ、
藤堂平助は刃切出さゝらの如く、枠周平は槍を斬り折られ」
ということで折れた刀はたったの二本。
折れまくったなどとは程遠い。
あなたの話には根拠がない。
ちなみに永倉新八本人は折れたとは述べていない。
434 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 17:23:44
また、刀が折れたことについて述べる近藤書簡では 池田屋に乗り込んだのは近藤、沖田、永倉、藤堂、近藤周平の五名だが、 永倉の「新撰組顛末記」や褒章者名簿が一致する見解では、 近藤、沖田、永倉、藤堂、奥沢、安藤、新田、谷万太郎、武田観柳斎、浅野薫 の10名で、近藤書簡は信頼性が甚だ薄い。 近藤書簡の記述を真に受けるとしても、10人中折れた刀はたった2本で、 折れまくったなどという表現とは現実は程遠い。
失礼しました。使い物にならなくなりましたに訂正します。というかすでに論破されているのでもういいです
436 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 17:41:52
>>435 あなたがそういう根拠が分からないんだよねぇ・・・
近藤書簡の信頼性の低さは既に論証したし。
他に史料があるなら呈示してほしいわ。俺も知りたい。
437 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 17:47:41
>>431 の持論
0.そもそも新撰組の刀折れまくっとるがな
→根拠なし。近藤書簡でも折れたのは2本だけ。
1、刀の目釘には構造的欠陥がある
→根拠のない妄想
2、そもそも刀は目釘に力が掛からないように扱うもの
→非現実的な妄想。反論
>>411 、
>>413 3、目釘がへたる前に刀身がへたる
→根拠の無い妄想。
妄想ばっかり
一本の目釘を支点に挟み込んだ柄に力が分散するようになってるんだろ
439 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 18:36:48
目釘を真鍮などの金属製にして頑丈にすると柄の故障、破損を起こす恐れがある 毛抜き型太刀のような刀身から柄まで総鉄製にするといくら毛抜き型に穴を開けても扱いにくくまた衝撃が重い 個人的には竹の目釘に革を巻いたものが良いと思う
440 :
日本@名無史さん :2011/02/11(金) 18:56:19
>>439 それはただの先入観。
真鍮は展延性が高いことで知られるのをご存知ないと思われる。
95式は実戦からの要求を吟味して作られたもので、
あなたが考え付くことは全て検討されている。
その結果が、真鍮の目釘に、木の柄、
それに皮ではなく、一体整形のアルミの筒を被せる。
これで有茎式の欠点である損傷の危険は
ほぼ完全に排除できる。
>>407 実戦でそんな器用なことできるはずないじゃん
だいたい世界の剣は柄まで一体が普通だし、それは意味があるわけ
日本刀は目釘が構造上の弱点なのだ
日本刀を最強兵器のよう思い込むのは信仰でしかないよ
現実に武士が 「矢尽き目釘の折れるまで」って言ってるじゃん。
>>438 実際に素振りしてみるといい
30回くらいで目釘が緩んでくる
>世界の剣は柄まで一体が普通だし 時代が下るごとに共柄式から分離式へ移行していくのは世界的な傾向ですよ。
>>443 実際に出来る人なら目釘折れるまで頑張ってみてくれ
446 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 01:51:12
95式にこだわってる妄想君は実戦経験してるの? ていうか下士官用の急造品で油焼だろ
前に見た実戦的流派の動画だと目釘が折れた時は、すでに刀身も曲がってたから 目釘自体の耐久性に問題はないのでは
目釘システムに問題があるならどっかで改良されてるだろ
449 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 18:33:41
健全な目釘が折れるほどの衝撃を受けたなら、もはや刀身も使い物にならないだろうな あまり頑丈だとナカゴが折れるし
450 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 18:59:19
鎗の場合、突いたり抜いたりの激しい動きでナカゴ折れを防ぐために目釘穴を長く長方形に空けたものが多い。
451 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 20:34:17
>>446 お前の発言こそ完全な妄想だよ。
油焼きはコストがかかるが、
刀身に柔らかさが生まれ、粘りが出る。
水焼きは安くて手軽な方法だが、
急冷されるため硬くなりすぎ、
切れ味はよくなるが折れやすい。
限られた予算と技術で、
結果を出さなければならなかった昔の刀匠ならまだしも、
現代で水焼きを称揚するのは美術を実戦と混同してるアホだけだよ。
452 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 20:50:10
つーか特殊鋼を使えば、 鍛造して刃をつけるだけで、 伝統的な日本刀なんぞ比較にならない切れ味と粘りが実現できるから。 実際に自動車の板バネを利用した刀が満州で作られ、 評判を呼んでる。 戦国時代の刀匠が特殊鋼を利用できるなら、 確実に同じことをしてたよ。 彼らが作ってたのは美術品ではなく、 コストと性能の兼ね合いから生まれる工業製品だから。 玉鋼の採用自体がコスト削減の結果。 玉鋼は当時、大量生産できる唯一の鋼材だった。 玉鋼は硬すぎるので、その刀は、鎌倉時代の玉鋼不使用の刀より粘りが落ちる。 しかし構造を工夫することで実用上問題ない範囲に収まるから採用した。
453 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 21:08:59
いま油焼の刀を作って登録できるの?
454 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 21:25:13
油焼や板バネで刀作ったら登録はできないでしょう。 今の時代の話しをしたら刀剣より銃器だろ。 戦中の油焼の軍刀が戦闘において銃器や砲弾・爆弾や航空機よりもどれだけ有効だったのかは知らんけどね。
455 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 21:40:34
現代戦でも、至近距離の刀剣を銃でストップするのは困難だよ。 また、サイレントウェポンとして日本刀を活用した例が 「8月17日、ソ連軍上陸す」に紹介されている。 WWIIではイタリア兵がサーベルを用いた騎兵突撃を成功させているし、 イラクではイギリス兵が銃剣突撃を成功させている。 相対的に地位は低下したとはいえ、刀剣は未だ重要な武器だよ。
456 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 21:45:28
>ていうか下士官用の急造品で油焼だろ まあそもそも↑この発言は登録できるか否かというのは基準にしてないけどね。 打刀も、刀匠が鉄を卸すところから行っていた太刀に比べれば、 充分に急造品だよね。 手間をかければいいものができるという考えは、 ただの間抜けとしか言いようがないな。
457 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 23:42:10
今の話しをするなら登録できない違法な刃物の話しはやめにしましょう
458 :
日本@名無史さん :2011/02/12(土) 23:43:24
バヨネットは刀剣か?
459 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 00:58:46
登録できる刃物の話しかできないなら、 工芸品の話しかできないことになる。 一 姿、鍛え、刃文、彫り物等に美しさが認められ、又は各派の伝統的特色が明らかに示されているもの 二 銘文が資料として価値のあるもの 三 ゆい緒、伝来が史料的価値のあるもの 四 前各号に掲げるものに準ずる刀剣類で、その外装が工芸品として価値のあるもの
460 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 01:44:43
ていうか軍刀はスレ違いなんじゃね?
461 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 01:46:45
あと現在の特殊鋼材で刀作ったらどうとかいう妄想話しはマジイラネーよ!
463 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:19:14
現在の特殊鋼材で作った刀がどうとかを日本史に当て嵌めるのは妄想だよばか
まあ現在の技術でとかいっても日本刀は現在では無用だわな
465 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:22:58
自動車のスプリングとか、昔の軍刀に使われてるのは全て特殊鋼だよ。 希少金属を配合して、所期の硬さは粘りを得てる。
466 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:30:11
>>464 WWIIまでは、日本刀の形状や拵えを受け継ぎ、
発展させた刀が実用されてたけどね。
それは普通に日本刀だと思うよ。
文部科学省の定義は、取り締まりのための方便で、
現実を反映してない。
>伝統的な鍛えが見られたら
というけど、これは玉鋼以降の多層構造の打刀の鍛えのことで、
古刀は明らかにこれらとは製法が違うんだよね。
日本刀の「伝統」自体が実際にはあやふや。
日本刀は人を殺すという一つの目的に貫かれた工業製品で、
工業水準が飛躍するごとに、中身は大きく変わってる。
467 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:41:59
先の大戦時での主に下士官用に作られた特殊鋼製の粗製軍刀は航空機や銃器より有効だったの? はっきり言うと指揮刀レベルだと思うんだけどな。
468 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:44:06
古刀にも思いっ切り鍛え肌あるけど?
弾無し銃よりは有効だったんじゃないw
470 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 02:46:43
軍刀なんて儀仗用だよ
471 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 03:12:12
先の戦国時代に作られた、玉鋼製の粗製打刀は、 大太刀や槍や火縄銃より有効だったの? はっきり言うと指揮刀レベルだと思うんだけどな。
472 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 03:17:44
>>468 古刀の鍛え肌は、新刀や新新刀とは全然違うよ。
既成の鋼を、鍛造の段階で組み合わせた後者では、
鍛え肌は秩序だったものになるけど、
古刀の鍛え肌は、低温の炉で、クズ鉄を混ぜて卸した際、
温度が低すぎて混ぜきらずに現れたもので、
まだらの大肌になって見られる。
473 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 03:20:52
474 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 05:36:40
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、 世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。 それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。 鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いてゐる。 彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に立派に反射するのである。 われわれは日本の指物や大工道具をたびたび見たが、それは丈夫さから云つても、 仕上げの美事さから云つても、イギリス製に劣らない。 ゴロウニン
475 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 12:35:13
第二次大戦の話し出してるバカがいるけど、旧陸海軍の将校・士官と一部の下士官の軍刀は表象として帯刀してただけで、陸海軍の圧倒的大多数は帯刀してないよな。
476 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 18:11:56
>>475 戦国末期には、
圧倒的大多数は弓矢なんて持ってなかったけど、
それにも関わらず、弓矢は鉄砲の発射速度を補う重要な武器だった。
装備率の多寡は実用性とは何の関係もないよ。
キミってとんでもないバカだね。
477 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 18:15:55
軍刀実用の例: 「停戦の軍使に長島大尉が出た8月18日の深夜から19日未明にかけて、 四嶺山に踏みとどまった戦車第三中隊の内田弘少尉は、負傷した片目に 包帯を巻いて山麓を警戒していたところ、 数名のソ連軍斥候が陣地へ侵入してきたのを発見した。 これを拳銃で撃てば戦闘が再開すると見た彼は、 即座に軍刀で全員を斬り捨て、後続を断つのである」 「8月17日、ソ連軍上陸す」P351より
478 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 18:47:06
で、その軍刀は特殊鋼製の刀だったの?
479 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 19:00:08
95式ではないのは確実
まぁ般兵は軍刀じゃなく銃剣装備だわな
481 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 20:30:44
482 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 20:37:57
>古岡大尉の軍刀に関心があって、佩用軍刀をお尋ねした。 >「満鉄刀を使っていました」とのお答えに少し意表を突かれた思いであった。(中略) >大変失礼乍ら、思わず「性能は如何でしたか」と、我ながら愚問を発っして仕舞った。 >「切れ味が良く、大変良い刀でした」とのお答えであった。
483 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 20:39:11
興亜一心刀 通称は満鉄刀。満州産の鉄鉱石を低温精錬して得られたスポンジ鉄を 再度溶解、成分調整して炭素量の多い鋼と炭素量の少ない純鉄を製造。 これをパイプ状に加工したのち日本刀に整形したものであり、 古来の日本刀製法にはよらないものの寒冷地で使用しても 折れず曲がらずよく切れるとの評判となり、 終戦までに約5万振りが生産された。開発・生産ともに南満州鉄道。
484 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 20:50:03
軍刀の性能が優れていても戦争の勝敗、大勢には影響はないよ
>>449 日本刀ら素振りで目釘が緩んでくる。
日本刀は目釘の限界が戦闘の限界。
日本刀は最強ウエポンではなく、戦場で使い捨てで戦闘したのが事実。
486 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 23:17:49
>>448 目釘システムは実際に改良されてるよ。
95式軍刀の柄として。
つーか問題のない技術なんてないから。
物事には常に長所と短所があり、
長所のほうが大きければ採用される。
目釘には手入れが面倒という欠点があるが、
手を無駄に疲れさせることなく、
刀を叩きつけることができる、
という長所には変えられない。
玉鋼には硬すぎる、という欠点があるが、
心金を通せばカバーできるし、
大量生産される安い鋼材であるという点や、
これを用いれば一定品質の刀を大量生産できる、
という長所には変えがたい。
487 :
日本@名無史さん :2011/02/13(日) 23:21:08
>>485 古刀に比べれば、制作費は大幅に削減できたとは言え、
刀って鋼のカタマリだよ?
原材料費だけでも相当するわ。
使い捨てなんて不可能。非現実的。
489 :
日本@名無史さん :2011/02/21(月) 21:51:33.58
どぉわっ!
そもそも(流派によるけども・後述)日本刀は構造上、 物を切るときてこの原理的な負荷が柄や目釘に直撃するような斬りかたをしないことを 基本的には想定してる ただこの日本刀の規格は現代一般人には時に理解の範疇を越えていることも多いため 普及を第一目的にする流派や会においては意図的に規格外の凡庸な振り方扱い方を 基本とする場合も多い。 上で述べたような負荷や衝撃を手や柄で正面から受ける流派は 特徴としては両手の間隔が狭い、 ナカゴの長さ分で握る、 柄以外をもったりしない、 という特徴があり要するに斬ってる最中も斬る対象に生の力で刀を押し付け続けようとするため、 物理的に目釘が破損しないように柄の中部の「ナカゴを」しっかり握るわけだ 逆に多くの古流の場合は手に伝わる衝撃というのは主に刀身全体の「振動」のみで実質存在しない。 なので斬る瞬間に力を入れるとかそういうことはしない。 絞るだけである。柄に支点と作用点を作らないようにする。 ふんわりくるむように握る、両手の間隔が広い、 左片手打ちをためらわない、 柄を離して刀身に添えて受けたり突いたり比較的太刀の扱い方、持ち方が多数ある。 なにがなんでも両断してやろうといったような「我」がない、 斬れる斬り方になってれば勝手に斬れるだろうという軽いノリ、 といった傾向がある。 斬ったあと技で止め切れなかった太刀を止めるために仕方なく「力をいれ」止めることはある。 斬ってる最中の太刀は空中に刃筋が立ち続けている状態で飛行しているようなもので それをわざわざ腕力で押し込むことはしないというわけだ。
491 :
日本@名無史さん :2011/03/06(日) 01:38:57.11
貼る前に同じレスが無いかCtrl+Fで確認してレスアンカーで指定しろよ萎えるから
このスレだけでも3度目だぞ
>>45 >>352 >>491
金撮棒は甲冑にどの程度損傷を与えるんだろうか? 頭に当たれば兜を被っていてもひとたまりもないだろうが、それ以外の部位、 例えば身体の場合はどうだろう?
>>493 漆で塗り固めたとはいえ日本の小札鎧では金砕棒を受け止めることはできないんじゃないかと思う
革や鉄の細かくて薄い板を紐でつないだものなので刺突や打撃に弱い印象がある
鉄製桶側胴くらいでもまだ防ぐには厳しいかもしれない
胴がへこむまでしたたか打ち込まれたら行動できなくなる気がする
495 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 04:26:17.00
日本刀でも打撃力が充分あるぐらいだしな
496 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 05:04:29.50
日本の場合半分づつ重なり合うように威したものをさらに半分づつ重なるように縦に威してあるわけで 実は一か所につき2〜4枚重ねになってるから威してある部分の方が刺突には強い そうじゃなきゃ矢でハリネズミみたいになっても中の武士がピンピンしてるなんて凄まじい防御性能にならんわな 威し糸自体がぶっとい繊維の塊だしそれ使って漆塗った板金や革が折り重なってるわけでクッション性も高い ただ同時に日本の鎧は壊れること前提で防御性を上げてる面があるのは確か 戦車の複合装甲的な考え方だね まあだからといってさすがに金砕棒がまともに当たったら厳しいだろうけど へこむとか以前に転倒の危険の方が… というか日本の鎧だからって言う以前に 板金鎧も同様に金砕棒はまともにはしのげないでしょ
497 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 10:29:29.93
金撮棒があまり普及しなかったのはやっぱ使う人を選ぶからかな?
刀より耐久性は高いからガンガン行くには良いんだろうけど 重量があるし効果のある打撃与えるにはムキムキ体じゃないと 厳しいだろうね
499 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 16:12:11.87
まあ鉄輪や鉄板で補強した樫の棒なわけだから 鉄の塊である大太刀よりは強度は劣るような… でも逆にただの棒きれと割り切って使うわけだから一回の戦闘でもてばいいんで もともと耐久性はあまり気にしてないかも
>>499 初期はそういう物だったけど、後には鋳物製の大重量の物も出現したらしい。
501 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 18:03:31.73
ますます使い手を選ぶ武器じゃねーかw
鋳物だとぽっきり行くけど大丈夫か?
書き込む前に少しは調べてみてはいかがか。
504 :
日本@名無史さん :2011/03/07(月) 20:12:08.31
樫の木に鉄芯いれた棒で適の兜ごと銅にめり込ませた太田資康が有名だよね
刀は鉄の塊じゃなく鉄の板、横からの力で簡単に曲がる
508 :
日本@名無史さん :2011/03/08(火) 03:47:10.28
まあ日本刀が曲がるほどの力が加わったら西洋剣はおれちゃうわけでしょw 折れるくらいなら 曲がっても柱や門に打ちつけて伸ばしてまた使うなんていう記述がある日本刀のほうがまだいいんじゃないの
金砕棒と刀の話してるのになんで西洋剣?
510 :
日本@名無史さん :2011/03/08(火) 08:03:47.86
日本にフレイルみたいな武器が現われなかったのはどうしてですか?
脱穀農具としてあったが武器として伸びるほど流行らなかったからじゃねかな お仲間に鎖鎌というのがあるけど
分銅の付いた乳切木もあるけど合戦道具として使われたのかどうか? 大規模な使用は聞かないなあ。
フレイルも大規模な使用例はほとんどないよ
>>514 大規模って言い方がまずかったな。主力とかそういうのではなくて
中世の戦争に散見されるってだけで十分でしょ。
乳切木は金撮棒のように軍記物にすら出てこない。
西洋と違って日本は鎌倉期にはすでに脱穀に千歯扱きが使われだしてたしなぁ (まあ回転体つけた棒で叩いて脱穀ってのもあったにはあったけど) 西洋とは農具の発達の方向性が違ってた(武器として流用される機会が少なかった)ってことだろうね 一方日本で武器として流用し易い農具である鋤鍬は槍、薙刀、太刀に並べるほどでは無かったんだろう
千歯こきって、脱穀の前段階の工程で穂に付いた籾をすき落とす道具じゃない?
518 :
517 :2011/03/08(火) 15:38:31.40
ああ、すまない。脱穀でよかったんだ。 忘れてくれ。
農具発祥の武器って日本では意外に少ないような。薙鎌は一見それらしいけど 落馬させるためや海戦で船を引き寄せたりするために古い時代からあったようだし。
薙鎌の別名に藻外しってのがあるらしいのでルーツは船の方かもしれない。
>>519 あれって刃先?をピンポイントで標的に引っ掻けて踏ん張って引っ張るからすぐ傷んでしまいそうだよな。
耐久性を持たせるために太刀や槍とは違う配合や製鉄をしたんだろうが実用性は限られた場面でしか発揮できなさそう。
転ばせる係が専用に使ってたんじゃない? 転ばせたら、太刀を持ったフルボッコ係が寄ってたかって仕留めるみたいな。
農民武器といえば竹槍だな、
524 :
日本@名無史さん :2011/03/10(木) 02:21:58.82
絵巻みてるとそんな印象受けるよね 春日野権現とか ひっかけ役1薙刀1太刀2みたいなチームプレー感がある印象 熊手とかもそういう役目っぽいし
実は日本の農民の武装率はバカにできんものがあるので 本当のところ農民武器といえば太刀&槍、薙刀だったりするw
一家に一振り日本刀を地で行ってたからな
>>524 引っ掛け役も騎馬武者でそれなりの上級武士なのが面白いところだよな。
そもそも農具を武器に転用するのって他国では一般的だったのか?
529 :
日本@名無史さん :2011/03/10(木) 17:48:10.06
農具に限らず仕事道具が武器へは一般的だろう
531 :
日本@名無史さん :2011/03/12(土) 01:33:27.93
算盤で顔ジャージャーされると降参するしかないな。
534 :
日本@名無史さん :2011/03/15(火) 02:02:35.41
槍鉋なら多少曲がってるが 足切りに特化した槍として使えそう
便所タワシで死ぬまで擦りつづけられるのは嫌だな
536 :
日本@名無史さん :2011/03/15(火) 04:04:41.40
たぶんその前に一発も当たらずに返り討ちにあうな→便所タワシ 平時護身用の短め軽めの打ち刀でも簡単にあしらわれそう
じゃぁあれだ。 ズッポンだかガッポンだか・・・
538 :
日本@名無史さん :2011/03/15(火) 14:45:12.99
>>525 にもあるが基本日本の中世じゃ
わざわざ武器以外の用途の道具を使うまでもなく
日本刀が身近にあった
代用品を使わなきゃいけない土壌が江戸後期までなかった
539 :
日本@名無史さん :2011/03/16(水) 14:45:58.16
この国は鉄砲に満ちあふれ、
どんな寒村でも少なくとも百挺の鉄砲の出ないような村や部落はなく、
立派な町や村では何千挺という単位で語られているのである。
このことから、この国民がどんな人たちか、
生来どんなに武事を好んでいるかがわかるであろう。
メンデス・ピント『東洋遍歴記』
>>525-526 一家にひとふり日本刀〜
に加え鉄砲も士農共にだいすきだった日本人
540 :
日本@名無史さん :2011/03/16(水) 21:05:06.13
江戸期の農村では鉄砲は農具として必要だったので改めてはあっても所持と実弾の発砲は許されていた 百姓一揆では百姓も武家も鉄砲は使わないのが原則的な作法だったらしい
>>508 日本刀は横からの力に弱くて、実際に使用すると簡単に横に曲がる。
横に曲がるともう鞘に納まらないから、事実上、無価値になってしまう。
曲がったら自分で力をかけて元に戻します。無価値になりません。
>>542 藤木の『刀狩り』には
>>540 のようなことが書いてあったな。
544 :
日本@名無史さん :2011/03/17(木) 08:13:52.88
>541 「鎬(しのぎ)を削る」って言葉聞いたことないですか? 鎬って刀の側面のことです。 日本刀は、側面で打撃を受けるのが、基本で横からの力にも結構強かったんです。 (もっとも、戦国時代までの実戦用の刀で、江戸時代以降の物とは厚みから違うみたいです)
545 :
日本@名無史さん :2011/03/17(木) 09:34:37.37
>>541 お前自分がアンカーつけてるレスまともに読んでないの?
>>544 鎬造は平造よりは当然強い。
それと江戸以前は材質や作り方も異なる。
>>543 >曲がったら自分で力をかけて元に戻します
それやると波をうってしまって、それこそ価値がなくなる。
本職の鍛治師でなければ治すのは無理。
>>544 >戦国時代までの実戦用の刀で
戦国時代も主力兵器は弓と槍と、後期に鉄砲
刀は使用されなかったから進歩しなかった
消耗品なのに価値とか力説されてもねぇ
>>548 日本においては、刀は消耗品じゃなくて家伝来の家宝だよ。
だから戦場では使用されなかった。武士の装飾品だ。
>>549 江戸期限定で話をするんなら、最初からそう言えばいいのに。
551 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 07:27:13.11
>>547 >戦国時代も主力兵器は弓と槍と、後期に鉄砲
遠距離用の主力兵器が
弓→鉄砲
近接用の主力兵器が
大刀→槍
だと思います。
戦国末期だと、清正や忠勝など槍を使う人が多いけど、謙信や義元、信長などは刀で戦っていたみたいです。
ついでに言うと、信長が義元の大刀を短くして普通の長さの刀にしたように、戦国末期に刀の長さに大きな変化が見られますよね?
これも用いていたから起きる、ひとつの進歩だと思います。
552 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 09:51:35.08
そもそもが 「同じ力が加わったら折れてしまう西洋剣よりは曲がってもまた伸ばせば実用に耐える日本刀の方がマシ」 って話してんのになんで美術的価値の話にすり替えてんだか もちろん金属疲労があるから曲げ伸ばしを何度もやってれれば刀としてちょっとまずいが それにしても「一回目で折れてしまうよりはマシだろ」って話だからなぁ 鈴木信者はほんとによくわからん噛みつき方してくるな
553 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 15:22:19.90
>>551 ○遠距離用の主力兵器が弓→鉄砲
×近接用の主力兵器が大刀→槍
日本刀は武器として使用されなかったから、武器として進歩しなかったと同時に
美術品として進歩した。実際に使用されていたら、片手で使えるようになるなど
もっと武器として進歩していた。
中国の青龍刀やブッシュナイフなど、実戦で使用された刀は、
馬に乗って片手で使える、刀身とグリップが一体化している
曲がらないように肉厚、などの工夫がされているが、
日本刀は片手で使えないし、刀身と柄が一体化していないし、消耗しやすい。
戦闘では全く使えない、ただの飾りだ。
戦闘で使用されなかったから、武器としての進歩が行われなかった。
554 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 16:24:24.11
戦国じゃないけど、頼朝が馬の鞍で何度も曲がりを直してどうとかって何かであった。 戦場には磨ぎ師が同行した例もあるし、心得のある人は自分で直したり磨いだりしてた。末古刀を今まで数百本見たけど、磨ぎ減りが凄くて疲れたのが非常に多い。どう考えても頻繁に使ってたよね。 鈴木さんって刀をどれくらい見た上で使わなかったと言ってんだろうか。
555 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 18:03:24.87
モンゴル軍の戦士が遠征で必ず持たなければならない軍需品に砥石とヤスリがあった。 モンゴル軍は馬上で実際に刀を使用していたからね。砥石とヤスリがなければ 戦闘後に刀を修理して再使用する事が出来ない。モンゴル軍では砥石とヤスリを もし持ち忘れたら軍令違反で罰せられた。 日本では戦に行く時に砥石とヤスリを持って行った武士なんていない。 刀は戦闘で使わなかったから、砥石もヤスリも持つ必要がなかった。
見つけた。 『卜伝百首』 ・武士のいつも身に添へ持つべきは刃つくる為の砥石なるべし
>>557 バカバカしい。
砥石で日本刀を研ぐのは大変な技術だぞ。
どこの武士の家に「先祖が戦場に持って行った砥石」が残っているんだ?
日本刀はすぐ横に曲がる。武士のシンボルだが戦場の武器じゃない。
長槍に比べて、日本刀なんて戦闘力はほとんどなし。
まともなオツムがあれば、戦闘員は弓か槍を持って行く。
絵巻物に描かれた武者の腰に刀らしき物が差されているのをよく見かけるけど、 あれは何? 戦場に持っていかなかったのなら描かれないと思うけど。 砥石で「上等に」砥ぐのは、洋の東西を問わず大変な熟練を要する。 現場で応急に砥ぐには砥石とちょっとした知識があればよい。
あれは棒だ
>>560 それでは、あれがことごとく棒であるというソースを求める。
皆さんお忘れかもしれませんが、[春休み]ですよ。
>>559 頭の悪い奴だな。
日本に研師なんて職業が存在する事自体が、日本刀は武器ではなく美術品という
事を表している。中国やモンゴルでは、ごつい青龍刀を各人がヤスリと砥石で
治してしまうから、そもそも研師なんて存在しない。
室町時代に大量の日本刀が中国に輸出されたが、中国にただの一本も残っていない。
中国人は日本刀を武器だと思って青龍刀のように使用したら、ことごとく
ぶっ壊れてしまったんだよ。日本人は日本刀は美術品である事を知っているから
戦闘では使用せずに、ちゃんと日本刀は残っている。
研ぎにもいろいろある事を知らない御仁が迷い込まれたようですね。 あ、お気になさらず続けてください。
>中国やモンゴルでは、ごつい青龍刀を各人がヤスリと砥石で 治してしまうから、そもそも研師なんて存在しない。 室町時代に大量の日本刀が中国に輸出されたが、中国にただの一本も残っていない。 中国人は日本刀を武器だと思って青龍刀のように使用したら、ことごとく ぶっ壊れてしまったんだよ。 このくだり、何か文献に記されてるの?
なんだか面白そうなのでageておきますね^^
567 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 19:51:47.74
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ∧( /////)< あがってなかった・・・ ( ⊂ ⊃ \____ ( つ ノ ノ |(__)_) (__)_)
568 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 20:38:56.20
当時の携帯用砥石も、それを入れる物も余裕で現存してる。 それから今から10年以上前だが、中国の軍倉庫に十数万振りの刀がある事が判明し、当時の橋本総理が日本に返してもらった事があったんだが、満州時の軍刀が殆どだったその中に確実に室町期の刀剣があった。 その事業に携わったので学術員や刀剣の先生方と一緒に現物を見たよ。
旧軍の誰かが持ち込んだものが押収されて混じってたと見るのが妥当だな
570 :
日本@名無史さん :2011/03/18(金) 23:07:21.24
軍刀の刀身が室町期のものでも珍しくないし
ああごめん、刀剣を格納した軍の倉庫は合計8つあって、その中の1倉庫分だけ旧軍の軍刀とは素性や経路が明らかに違う刀剣が別保管になっていたんだよ。 中国政府の説明もあって、それが旧軍とは関係のない事も分かっていた。 残り7倉庫も全体の9割以上が軍刀拵だったが、勿論そっちにも古刀や新刀も多数あった。 まあ大半が現法では輸入不可のスプリング軍刀だったんでそれらは置き去りにされていた。 別保管の刀に関してはその後の顛末に裏が物凄くあるんで、これ以上は書けないから勘弁してね。
春休みだねぇ
日宋貿易で、日本の輸出品の主力が日本刀だったけど 中国には全く残ってないらしいね。 日本は肉食の習慣がなかったから刀が神聖化したけど 肉食の中国では刀を神聖化する事などなかったから 普通に荒っぽく使ったんだろうな。 荒く使うと刀が曲がる→鞘に入らない→猛烈に錆びる→オシマイ これの繰り返しだろ。 日本人は日本刀を神聖化して使用する事はまずなかったから名刀が残った。
どうやら同じ人
最近質問スレに出没してる人じゃないか? いつも十字砲火喰らってるよ。
577 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 02:34:00.39
本物の日本刀は、中国では宝物扱いだったので、けっこう残っているよ。もっとも、古い文化物自体が文化大革命でほとんど残っていないけどね。 中国人は、苗刀と言っている日本刀のコピーをわざわざ作って実戦で使っているよ。
578 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 03:03:22.44
又法勝寺の中へ引篭らんとしける処を、丹波国の住人佐治孫五郎と云ける兵、 西門の前に馬を横たへ、其比会てなかりし五尺三寸の太刀を以て、 敵三人不懸筒切て、太刀の少仰たるを門の扉に当て推直し、 猶も敵を相待て、西頭に馬をぞ扣たる。山徒是を見て、其勢にや辟易しけん。
日本刀が曲がるような過度の力が加われば 日本刀と同様に鍛えられた槍や薙刀も同じように「曲がる」わけだが… そして日本刀が曲がるような力が加われば 他国の刀剣も曲がるか折れるわけだが…
580 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 05:50:36.15
朝鮮系の人かな? 韓国系の人は日本刀の実戦における優秀さを認めているし…(日本刀の起源は韓国なんておまけ付きだが) 中国系の人なら中国武術の競技種目の一つ、苗刀のことを知っているし…
581 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 09:19:55.00
少数の日本軍が刀を抜いて大暴れすると、恐慌状態に陥り武器を捨てて逃げ惑う明や朝鮮の兵こそ武器なんて「飾り」だったと思うのだが。。
582 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 13:24:55.14
古刀は新刀より軟らかいけどね
肉を斬るには充分すぎるほど硬いけどね。
584 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 13:44:36.67
新刀は慶長からだが、長大な両手スタイルが特徴。 その直前時期は片手討ち刀全盛なんだよな。 鉄砲の波及の過程で乱戦実用の結晶片手打が廃れて行き、慶長頃には刀が用無しになった。で正しい?
585 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 14:13:31.28
古刀は粘りはあるが研ぎやすい 新刀や新々刀は硬くて研ぎにくいな
586 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 14:15:27.40
片手打ち特有の茎の短い脇差しは人気がないのか安い印象
>>584 用なしになったならなんで前の時代に比してマイナーチェンジされてんだよ?
588 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 21:13:14.22
>>587 南北朝期は最大級に大きかった刀が室町に入り戦乱規模と兵力の拡大に伴いどんどん進化した結果が短く軽い片手打刀。
片手打はかつてとは比較にならない程頻繁に起こる戦闘とその乱戦中に振り回す事を重視した実用最重視の形。
一方鉄砲の大量波及と並行して慶長新刀はそれまでの進化とは逆行して大きくなって行った。
あなたは何故だと思いますか?
私はある意味刀の兵器としての終焉と考えましたが。
だんだん刃物板向きの流れになってきたな。 日本刀の変遷については刃物板で知識豊富な人が深く考察してるから、そちらの方に移動するのがいいかも。
>>588 鉄砲の普及が重武装化をもたらし、片手打ちでは効果が薄くなった。
『雑兵物語』
・脇差で片手切にすれば、具足の上は片手では切れないよつて
片手では具足は切れないとさ。両手でも同じく切れないならこうは書かないな。
その片手打ちが実用最重要視というのが勝手な思い込みだということ。
591 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 22:10:45.92
>>589 有名コテハンが案外知ったかだったりするからどうだろうな?
剣なんとかとかいう有名固定が薙刀は大太刀より後に生まれたとか
素人でも言わないようなことをほざいてたよ。
592 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 22:18:26.96
>>588 終焉を迎えたんなら片手打ちから変化せずにそのまま形骸化していくだろ。
時代が両手使用を求めた。
>>588 戦場での兵の大部分は胴丸だけの足軽衆だから、重武装化と言っても限りがあるんでない?
篭手やら脛当てを装備してても露出部分は多いわけだから、刃物は十分有効な武器であったと考えられるけど。
594 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 22:20:31.53
片手打ちの刀は樋入れされてる場合が多いな
595 :
日本@名無史さん :2011/03/19(土) 22:26:20.54
片手で切れる鎧と両手じゃないと切れない鎧って、どう違ってたんだろう。
>>593 足軽の防具は基本的に飛び道具(弓、鉄砲)対策っぽいな。
胴丸に関しては和紙を固めたタイプのモノもあったぐらいなんで、これで刀・槍みたいな体重をのせられたら胴丸の上からでも相当ダメージ受ける。
さらに密集白兵戦ともなれば中途半端な防具つけるよりは、頭・胴体に致命傷を受けない事を目的にした装備になったと思われる。
597 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 08:15:01.50
剣道ならいざ知らず、徒武者集団戦闘における究極の進化である片手打から前時代的な実戦上の両手刀のニーズ移行など有り得ない。 鉄砲のせいで鎧も刀も槍も全て意味無しになってもいたのだし。 慶長期は侍の鎧兜も実用性より派手な方向に行くし、刀の長大化もそんな感じだろ?実用面ではなく精神面的な理由。 だからこそ後に江戸幕府は定寸を制度として刀の長さを定めたのだし、長大な刀は戦国風土的な意味合い。 武器防具の本来のあり方からの逸脱は形骸化と変わらんよ。用無しだった証拠。 慶長刀をもって戦場実用武器としての刀の終焉で間違っていない。
598 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 08:46:23.40
>>597 刀槍は意味なしになんてなってないからその思い込みがまず間違い。
西洋でも銃剣が発明されるまでパイクは現役だし、鉄砲の時代になって
抜刀突撃が盛んになってるんだわ。
599 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 08:50:16.80
朝鮮の役で刀大活躍だし。 柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社) ・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて 大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、 みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。 ・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら 突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。 打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。 ・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、 みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。 ・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、 四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、 仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、 ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように 斬り倒し、死者は数しれなかった。 ・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、 ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、 その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと 衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、 敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 ・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、 やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が 明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
600 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 10:26:10.01
>>598 そもそも外国の軍容歴と同一視してはいけない。国民性、習慣、歴史、戦争規模と全ての相違が大き過ぎる。日本の戦国末期は特殊過ぎて世界のどの国の武装とも比較する事は不可能。
>>599 その文の通りです。
火器なく、ナイフのような武器を主力とする前時代的な軍隊相手なら日本刀は脅威に他ならない。
問題は同等の火力を持つ日本人同士の場合。
慶長新刀って京大坂で生まれた様式だべ? あのへん惣無事令で20年くらい合戦がないから素肌用に進化した結果じゃねえの?
602 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 18:36:17.89
日本人同士の場合ならそれこそ「状況次第、どっちが強いとかじゃなく運用次第」 ってすでに何度も出てんじゃん ---------------------------------------------------------------- 西九州編第二六章(第一部一〇〇章) 「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」 かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、 いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。 西九州編第五三章(第二部五二章) 「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」 彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。 すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、 長槍と短い太刀を持っていたのに反し、 薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。 そして戦闘が開始された。 それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、 手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。 薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、 その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める 間がないので射つのをやめてしまった。 「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」 ・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら 鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。 というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、 鉄砲など目にもくれなかったからである。
603 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 18:42:08.66
日本人同士の場合ならそれこそ「状況次第、どっちが強いとかじゃなく運用次第」
ってすでに何度も出てんじゃん
----------------------------------------------------------------
>>602 プラス↓
パードレ・ガスパル・ビレラ
この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。
邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
604 :
日本@名無史さん :2011/03/20(日) 18:51:46.60
武具要説 鑓之事 一 横田備中守申分 長刀など持たる敵を 九尺一丈の鑓にて突事は相打に罷成候 三尺二三寸の刀にても相打になり候 日本人同士の場合、ほぼ三倍の長さの槍と日本刀で相打ちだそうですよ 明や朝鮮相手の時は「槍を持ってしても日本刀に勝てない」と言わしめてますから それに比べれば日本人同士の方が「若干槍が有利になった(棒)」といったところでしょうかね
605 :
日本@名無史さん :2011/03/21(月) 00:42:40.48
西南戦争において、弾薬の補給に苦しんだ西郷軍はしばしば刀を振るっての切り込みを行い、政府軍を悩ませた。 農民上がりの政府軍の徴兵では、それに対抗できなかった。そこで政府は警視庁の警官の中で剣術を得意とする者を選んで部隊を組織、これを抜刀隊と名付けて戦線に投入し大きな成果をあげた。 もちろん政府軍の兵士は全員が小銃で武装していたが、それでも刀に圧倒されることがあった、ということだ。 刀の攻撃を完全に無力化できるようになるのは、軽機関銃、あるいは小銃の装填の自動化が実現してからではないか。
宣教師は、鋭さだけでなく両手で扱うから日本刀に威力があると分析しているようだな。 日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、 刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、 両手をもってこれを扱ふゆえに、 一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり パードレ・フランシスコ・カリヤン
>>599 すぐに逃げ出す士気が低い相手なら刀も有効だが、士気の高い相手なら
刀は戦場で役に立たない。弓矢や槍の餌食。
>>605 >政府軍の兵士は全員が小銃で武装していたが、それでも刀に圧倒されることがあった
政府軍の鎮台兵は、徴兵された農民兵だったから、薩摩示現流の怪鳥音にビビって逃げ出した
が正解だな。士族出身の近衛兵は互角に戦っているんだから。
>刀の攻撃を完全に無力化できるようになるのは、軽機関銃、あるいは小銃の装填の自動化
そんな単純なモノではない。1950年から始まった朝鮮戦争では中国兵のチャルメラを聞くと、
韓国兵が一斉に逃げ出してしまって収拾がつかなかったのは有名。
士気の低い兵なら銃で武装していても、敵の発する音でビビってしまうんだよ。
>両手で扱うから日本刀に威力があると分析しているようだな。
両手で扱うと威力はあるが、馬上では使えないし、地上では槍に負けるし、
戦場では使い道がない。刀は平和な時の武器に過ぎない。
揉みくちゃの乱戦時にはどう考えても刀だろ、取り回し的に考えて
>>608 現代でも銃剣は有効な武器だが、銃剣で切る馬鹿はいない。
銃剣は槍として突くもの。
日露戦争時の日本陸軍の騎兵も武器は騎兵銃とサーベルだった。
日本刀なんか役に立たないから使わない。
片手打が最後の実用型日本刀。戦国末期の乱戦時において両手打はもはやお飾りです。「新刀」は皆そう。 島津は戦国でも幕末においても他家とは武に対する気風が違い過ぎて基準に出来ないな。たとえ機銃が相手でも抜刀突撃しそうな連中でしょう。
>>609 見当外れな返しだな
現代の戦闘で銃剣持った歩兵が出てくるのは陣地確保や掃討レベルの段階
塹壕から突くとかそりゃ便利だろうが、平野でお互いが銃剣持って突撃しあうとかありえない
銃剣は合理的な武器で射撃、刺突、殴打とレンジの違う用途を備え、近代戦における歩兵装備として用いられたわけで、
銃剣と比較して日本刀が役に立たないとか、なんの意味も無い勝利宣言だわ
さらに揉みくちゃの乱戦時という前提の相手に、なんで騎兵を持ち出したのかも分からん
前提を無視するからお互いの想定してる状況が全く違って噛み合ってない
>>611 かなりIQが低いようだが、608が「揉みくちゃの乱戦時」と言うから
白兵戦での槍の有利を言ったまで。意味不明な言いがかりは止めよう。
騎兵を持ち出したのは、騎兵が突撃による乱戦を前提とした兵種だからだが、
そんな事も判らないのか?ww
608「揉みくちゃの乱戦時にはどう考えても刀だろ、取り回し的に考えて」 609「銃剣は突きに使うから槍が有利」 「日露戦争時の騎兵はサーベルだから日本刀は役に立たない 610「銃剣と日本刀比べちゃう人って・・・なんで騎馬出てきた」 なにこれ
614 :
日本@名無史さん :2011/03/21(月) 21:11:56.33
話の通じない片手バカのせいですっかりクソスレと化したな。
自説以外は認めない人が今日も呼ばれてないのにチョチョチョチョーン。
616 :
日本@名無史さん :2011/03/21(月) 21:29:33.42
ガンダムに影響されてマシンガン相手にしてもビームサーベルで勝てそうな気になる。 俺達にとってリアルな戦闘シーンとは時代劇の殺陣とリアルなアニメの戦闘シーン。
617 :
日本@名無史さん :2011/03/21(月) 21:31:49.68
あと、無双のゲームやってると 「飛び道具つかえねぇ〜」と思うのは俺だけじゃないはずだ。
馬上からは馬上槍が一番理に適っている。 太刀は長大だが、腰反り、鳥居反りであれば馬上片手でも扱える。 一部南北朝期刀と慶長新刀は反りが浅く長大な両手仕様なので全く馬上に適さない。徒歩戦でも取り回し上、殺傷能力的にも最終進化型の片手打に大きく劣る。 鎧ごとぶった斬るとでも思っているのだろうか、刀を殆ど見た事もない皆さんは戦国時代に慶長新刀を頻繁に使ったと言い張って聞かない。 あれほど実戦に不向きな刀はないと言うのに。 あれはもはや飾りだよ。。
620 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 01:36:32.62
馬上で大太刀両手で使ってるじゃん 姉川に例を見るまでもなく
621 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 02:29:20.08
そんなごく一部の手だれしか使えないような特殊兵器の話すんなw 騎馬侍は基本槍。
622 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 02:41:30.32
>>620 姉川の真柄親子は徒歩だよ。後世に描かれた合戦屏風では馬上姿だけれど、これは想像。
討たれるまで一か所にとどまってかなり長時間戦ったようだ。現地までの移動は馬だったかもしれないが、戦場では明らかに下馬している。
ある地点にとどまっているのに騎乗する意味がない。
623 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 03:50:13.13
徒歩でも槍使うよ
624 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 03:52:21.46
編成次第のところはあるが、普通は槍だけ、太刀だけ持ってるって奴はいないからな。 揃え具足なんていうのもあるが基本的に個人個人で用意したものを持参するんだから
626 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 09:20:38.53
日本刀は大昔からあったのに弓の家、槍働きの家の表現しかない不思議。 太刀の家って聞いた事がない。
太刀は基本護身のための武器だからね 槍は攻撃にはいいが、防御には扱いづらいもんだよ、長いし
628 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 11:53:13.51
単刀法選 程宗猷 日本刀を右肩前によこたえて手は左に垂らす。 左手と脇腹の内側を露出して我々の槍を誘う。 突いてくれば左肘で槍をさばき、 左右両足を飛び違えて入り、両手で斬り込む。 この片手で肩に担いで近寄る構えは日本人が偽って誘う術である。 しかし、我々の兵はこの隙だらけの構えを侮り、 多くは槍に力をこめ術中に陥る。
刀は武士の護身と象徴。 戦場では槍が圧倒的に有利。 賤ヶ岳の七本槍、一番槍とか戦場では弓や槍が主役。 剣道は戦国時代は普及しなかった。戦国時代に戦闘員が学んだのは 小具足という実戦的な戦場格闘技。徳川の太平の世になって たるんだ武士を鍛え直すために剣道が流行り出す。 槍や銃だと平和な時代には不穏当だったので、 戦場では役に立たない刀の鍛錬が平和時には丁度良かった。 ただその副産物で、刀が神聖なものになってしまった。
631 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 12:49:31.27
西九州編第二六章(第一部一〇〇章) 「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」 かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、 いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。 西九州編第五三章(第二部五二章) 「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」 彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。 すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、 長槍と短い太刀を持っていたのに反し、 薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。 そして戦闘が開始された。 それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、 手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。 薩摩勢は、敵の槍など眼中にないかのように、 その中に身を投じ、鉄砲も弾を込める 間がないので射つのをやめてしまった。 「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」 ・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら 鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。 というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、 鉄砲など目にもくれなかったからである。 へー戦国時代って平和だったんだねしらなかったよ
632 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 13:05:28.41
ヤクザの戦いの場合、間合いが近ければ、ピストルより刀の方がはるかに有利、と何かの本で読んだ記憶がある。 刀を振りかざして自分に向かってくる相手に対して、冷静に狙いをつけてピストルを撃てる者はほとんどいないそうだ。 弾が命中したとしても即死するとは限らないし。
633 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 13:06:25.42
単刀法選 程宗猷 その日本の武器を我々は単刀と呼ぶ。 両手で一振りの刀を用いる。 日本人独自の技だ。 その技はよく鍛錬されており精密で堅固だ。 日本刀は扱いやすく、柄や鞘等の拵えにいたるまでそれぞれが理にかなっている。 その他の刀剣で日本刀に並ぶものはない。 さらによく研磨された日本刀は、日の光を反射して我々の目を射る。 我々はその光に心寒する。 日本の剣術は、左右への変化が奇抜で神秘的であり常人に予測できるものではない。 ゆえに槍などの長柄武器を用いても常に日本刀に敗れてしまう。
634 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 14:43:49.81
石ころと棒と鍋のふたがあれば十分なのにね
635 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 14:51:42.27
>>632 日本には民間人用のピストル実弾練習場が存在しないから
ピストルの名手なんてまずいないからなあ。
グアムで実弾撃った事あるけど、かなり練習をしないと15フィート先の的にも当たらない
銃を保有していても、腕がないのでは意味がない
>>633 ←日本刀神話にどっぷり騙されてしまったバカの典型
実際の日本刀は使用すればすぐ曲がってしまう、武器としての欠陥品
>>635 そろそろ「刀がすぐ曲がって使い物にならない」ってソース出そうよ。
質問スレはコテンパンにされて居心地悪いからって、こっちに居座られても迷惑。
638 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 18:09:55.84
刀は上手い人が使用すれば滅多には曲がらない。 が、上手い人がそんなに居ない。鎧を着た相手を映画のように切り掛かれば一発で切れなくなるし、恐らく若干は曲がる。 生身の相手であっても一本の刀での連続殺傷出来た記録は確か柳生だかの12、3人だったっけな。それも喉や手首だけを狙って。 鎧武者相手に両手用の重たい刀で首や腕だけを狙うのは難しい。 つまり連続使用を前提にしても先反り片手打の刀が一番理想的で合理的なので、そのように進化した。 両手持ちに戻った時点で刀の実用性は終焉している。
639 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 19:00:33.57
>>619-
>>612 馬に長物積むとしたら槍より薙刀の方がよくないか?
槍だと一回ぶっ刺したらそのままはまって手放さなくならないハメになりそう
薙刀や刀は美術品とか飾りの類い。武器じゃない。 薙刀や刀が旋回する様子がとても美しいから神秘さが付加した。 槍で刺したり、ぶん殴る様子は美しくないから、神秘さは生まれなかった
641 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 19:27:35.37
頬骨が来たぜ頬骨がw
>>639 20世紀になるまで世界中の騎兵が馬上で槍を使っていたという事実から考えて
突いたあと素早く引けば対応可能な問題だったのだろう。
643 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 21:59:42.19
薙刀はもともと純粋な武士の獲物ではなく、家の子郎党、徒の者の武器で騎乗しないのが前提。 回転運動の薙払が使用法なので、馬の首やら手綱やら制約がある場合はかえって不利。巴御前は異常。 三國志なんかの重量級武器は似た型だが全く違う用途で、それに近いのはむしろ太刀の方です。 しかし直進的な馬の突撃には刺突が出来る槍が最良でしょうね。
644 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 22:22:02.39
>>642 馬を停止させた状態では問題ないだろうけど加速に乗ってる時はどうするんだ?
腕力で強引に持ち上げて後ろに放り投げるとかw
世界最強と言われたロシア軍のコサック騎兵団も長槍だった。 日露戦争では、日本騎兵団はフランス流にサーベルで、ロシア騎兵団は長槍
646 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 22:39:49.02
長槍積んだら拳銃が使いにくくなるな
槍は突く以外にぶん殴る武器だとどこかで聞いた事があるけど、 騎乗で速度が乗ってる時だったら、抜けなくなって槍を失うよりはぶん殴る様に使ったのかも。 西洋の騎乗槍試合では速度をつけて突きにいくけど、あれはあくまでも競技としての方式だし、 実際の戦場では騎上から至近の敵兵に向けて投げつけて使用したらしい。
648 :
日本@名無史さん :2011/03/22(火) 22:58:49.09
足を掛けて引き抜く、倒れた敵をそのままに馬を進めて抜く。
>>638 腱を切るだけで勝負は決したと見ていいよね
あとは組合で首刈ればいい
そう考えると戦場で死者がでるのは拮抗した戦闘場面では少なかったのではないかと思う
一人が戦術的に役に立たなくなったとしても代わりが入ると同時に
負傷者のお持ち帰りが可能だから
死傷者がでるような負け戦というのは、伍そのものが負けてしまうような敗北でしか
ありえなかったのかも
すんなり抜けたらいいけど、そのまま馬を進めると敵と自分との角度によっては手首や肘を酷く痛めそうだ。 速度がのってたら落馬してしまいそう。
>>647 殴るとなると相当な強度と重量が必要だな。
薙刀だと突き難いは殴るにしても相当な強度が必要なのは槍と変わらないわで 結局製造コストが安い槍になっちゃうわな
紀効新書・長刀解 此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。 彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。 日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。 これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。 こちらもただやられてばかりではない。 武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い その勢いを止められない 武士の刀捌きは軽くて長く 接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
655 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 09:09:33.37
無能で無様な負けっぷりの言い訳文章はあてにならないな。日本人は刀を持っていたから勝てませんでしたとか、どんだけヘタれなんだよw 定寸の両手刀で鍔柄込みで850グラム。刃渡り5尺の長刀だと重さは3キロに達する位重い。槍の方が遅いって余程のダメ兵かど素人だろ。支那朝鮮は本当にどうしようもねーな。。
656 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 11:40:54.52
単刀法選 程宗猷 日本刀を右肩前によこたえて手は左に垂らす。 左手と脇腹の内側を露出して我々の槍を誘う。 突いてくれば左肘で槍をさばき、 左右両足を飛び違えて入り、両手で斬り込む。 この片手で肩に担いで近寄る構えは日本人が偽って誘う術である。 しかし、我々の兵はこの隙だらけの構えを侮り、 多くは槍に力をこめ術中に陥る。
個人の武芸より集団としての力を主としてた大陸と、個人の武芸にも力を注いでいた日本との差だろう。 また明兵といえども辺境派遣軍を構成してたのは強制的に狩り出された少数民族が大半だったので、 その士気はすこぶる低かったのではないだろうか。
日本人は支那人よりも勇敢で、 武器ならびに戦術の点で優れており、数々の面で支那軍の劣勢は疑えない。 明軍遊撃・沈惟敬の発言の引用
659 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 12:36:29.76
「ピンからキリ」 良質な刀だから、後世に伝わり。勇猛な人間だから後世に記録が残る。 25世紀の博物館をみただけでは、現在の人間はみなロールスロイスに乗ってたのかと思うだろう。
660 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 12:39:33.34
立木を相手にぶったたく示現流は別格でも、本格的な防具な無かった時代に撃剣の訓練が遠慮なくできたわけない。死ぬか障害者になるかを覚悟しないとできない。
>>660 逆に、満足な練習用防具が無かったからこそ体捌きや刀身による受けかわしの技が発展し、
それが個々人の武芸の高さに繋がったとも考えられないだろうか?
現代のスポーツ全否定だなw 極意のようなものとちがって、奥義みたいな誰にも見せないからこそ意味のある、コンビネーションなんかは 現代スポーツでは解析、対策が可能。 逆に言えば、練習ができないということはそれだけ極度の予測脳力の発達や消極的な中にも いかに勝てるかという、ある意味卑怯な戦法が発達する。
>>662 練習が全くできないわけではないんじゃない?体捌きや受けの研究や練習は真剣でなくてもいいし、速度を落としてもいいわけだし。
考える前に体が動くように、或は正確に動かせる、素早く動けるようにする為の反復練習は大切だよ。
スポーツも武術も。
664 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 13:28:07.16
だから、そーゆー奥義みたいな技芸は―いかに命の値段の安い時代とはいえ―大勢の人間が習得可能な大衆的な軍事技術とはいえなかったのでは。
>>664 奥義にこだわる必要は無いでしょう?居合じゃないんだから。
上から打ち込まれたらこうする、突かれてきたらこう受けるってレベルでも十分だと思うよ。
いろいろ研究するのは教える立場の人間がすればいい事だし、その技をいかに兵に叩き込む(訓練する)かはその集団とか国の考え方次第かもな。
667 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 13:46:46.28
奥義かどうかは知らんが
>>654 や
>>656 みたいな記述は
一人二人の日本人や一振り二振りの日本刀を見ての話じゃなく
「集団」「軍隊」としての不特定多数の無名の武士たちや数打ちの日本刀の話なわけで
高度な技術かそうでないかはともかく当時の日本人にとってはさほど特別なことはしてなかった・
特別高価な日本刀の話では無かったってことでしょうね
それが海を渡ってみて他国と比べてみたらなんかしらんが強かったと
>我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
>これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
668 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:01:34.94
漢文史料は誇張表現がお約束じゃん
670 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:04:39.66
日本人はスズキの中古車のつもりで雑に太刀使ってたけど 海外から見たらロールスロイス並みの武器でしたってオチか
671 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:05:32.67
木刀でも本気で撃たれたら、防具無しでは死ぬか障害者になるかを覚悟しないといけないぞ。
672 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:08:24.14
本気ったって"威力"と"機や間の取り合い"は別個のものだけどな
673 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:11:12.36
>>668 朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、
太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、
自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、
人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、
例え支那軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、
これを聞こうとする者はいなかった。
ルイス・フロイス「日本史」
674 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:14:16.68
大陸の軍が弱かったのは指揮官が腐敗してて兵站物資のピンはねで、最低限度の武器さえ持っていない兵士が多かったから。和人の勇猛さと武器の鋭さを(責任逃れという動機で)誇張したもの。
675 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:15:20.26
>>674 そういうケースもあった可能性は否定しないけど、全ての戦場に於いて全ての将軍がそうであったと断言もできないよね。
677 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:18:00.13
ひいじいちゃん(武漢に行ってた陸軍大佐)の話
678 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:21:23.99
日本人は大体たくましくて、我慢強く、戦争の苦労に慣れている。 空腹、枯渇、寒さ、猛暑、不眠その他の苦しみに対する忍耐力は信じられないほどである。 あまりにも親切、行儀正しく、真剣、敏感、好奇心があって、 はっきりとものを理解する傾向があり、賢明にして話すより聴くことをましとする。 彼らの言語は重々しくて、品があり、豊かであり、単語の数や、表現の可能性と柔軟性の観点から、 紛れもなくラテン語とギリシャ語より水準が高い。 彼らの最も強い感情は名誉であり、天下のどの国民よりも野心的で傲慢である。 人間として名誉の意識を以って立ち、それによって支配される。 手柄を立てて地位を固め、出世する。 主として武芸に長じる。 十二歳の時分から武器を使い、寝るときまで手から離さないで、寝るときも枕元に置く、 寝ながらも武士であることを示すように。 ダニエーロ・バルトリ
>>677 それ明治とか大正とかの清朝末期の話だよね?
680 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:26:17.18
>>677 脳内じいちゃんの話は匿名掲示板ではなくチラシの裏でどうぞ
つうかソレ戦国時代の話ですらないのねw
681 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:34:22.95
倭寇のほとんどは大陸人やんけw
682 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 14:46:35.69
つうかさ、普通に考えて支那が弱すぎるってだけじゃん。烏銃があると言いながら役に立てられず、槍を持ちながら役に立てられず、剣も抜けず、刀で簡単に細切れにされて泣きながら逃げるとか、もはや軍隊じゃねーだろww この記述そのものが動く竹藁、試し切りだっつの。 戦国時代の日本の百姓は農具やら竹槍やらでこいつら侍に向かって行ったと言うのにちょんちゃんときたらもう。。
683 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 15:03:53.51
戦国時代の百姓なら 普通に武装し放題だから農具や竹槍より 日本刀や槍薙刀持ち出す奴の方が多いよ
684 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 15:09:51.09
初期倭寇は名前の通り日本人。もちろん構成する下っ端の中に支那人が一人もいないという意味ではないよ。 初期倭寇は南京にも行ってる。 実は彼らの目的は貿易。 日本が相場の4倍の値で金を売り付け、絹等を現地価格の1/20で買漁るという超不権衡貿易。 断ればたちまち倭寇になって暴れ出す。 仕方なく明は足利義満に懇願し貿易船は公認の勘合印章を持ってなきゃ駄目ということで話をつけたが 勘合印章を司っていた大内氏が実は倭寇の大本締だったというオチ。 その後、段々と倭寇たちも経済的に恵まれてきて大陸で悪さをしなくなっていく。 幕府の取り締まりもきつくなり普通に貿易だけするようになる。 そのかわり当の大陸の人間や朝鮮人が倭寇を騙って略奪行為をするようになる。 それだけ日本人=恐ろしく強いっていうイメージが定着していたわけだね。 「ウリは日本人ニダ!」ってハッタリかますだけで勝手に相手が降伏してくれるんだからこんな楽なことは無い。 前期倭寇が海や川沿いなど水路のあるところで活動しているのに対し後期倭寇は現地人なので内陸で暴れている。
日本刀で切られても大半は即死はしない。 据え首切り落とすのさえ難しい。 人体にダメージを与えるためには体の内側にダメージを与える必要がある。 だから日本刀できりつけられるよりも包丁で刺されたほうが致死率が高い。
合気にふれるていどはしたことあるが危険はなくともある程度まで鍛えることはできるよ 合気道は、あるいは剣道、柔道もある程度近代化されているが、 基本、昔ながらの、型を体が覚えてるまで反復練習し、技が相手に決まるように体を作っていく やり方はしているね。 柔道もほとんど技術といったほうがいいと思う。素人なので大きなこと言えないけど。 体つくってないと親指が2、3cm離れただけで力が入れられないし それを相手が防御態勢とる前に瞬発力だけでもっていくとなると意識的に体を操るなんて無理で 感覚の世界になってく。 ブルースリーは日本の型を個性のない大量生産物と否定したが、守破離という言葉もあるわけで 格闘能力の国民的な底上げにはやくだっているとは思われる。 だが、その型武道が、いったいいつごろまでさかのぼれるものなのか、 戦国時代に実戦でどれほどやくだっていたのか、どれほど普及していたのかは不明。 国民体育の一環としてはじまった近代スポーツは西洋に淵源をもち 日本では、明治期に富国強兵としてとりいれられた。 柔道が日本兵の身体能力向上に役立ったとは言えるが、それが 伝統的なものなのか、近代からはじまったものなのか分からない。
687 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 15:49:11.82
昔背中を斬られたよ。ヤクザに。とにかく冷たくなる。何の感覚も無くなって斬られてない手足も痺れて力が入らなくなる。だから立っていられない。 しかし痛くはない。背中一面氷のように冷たく感じて全身の力が抜けるだけ。浅手だったから縫うだけで助かったけど。 深かったらきっと死んでたな。鎧着てなかったしな(笑)
688 :
686 :2011/03/23(水) 15:59:18.72
柔術系は稽古に苦労しないだろうけど 江戸時代に発達した防具つけ剣道以外の武術について まったく参考になってないな すまん
>>685 浅野内匠守も吉良上野介に斬りかかった事で「士道不覚悟」と言われたんだっけ。
武士たる者、抜刀するからには必ず殺さねばならず、確実に殺すには斬るのではなく突かないといけないとか。
まぁ戦場ではその一撃で殺さなきゃならんわけではないから リスクのでかい突きより斬ったほうがええわな
691 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 18:35:59.63
>>689 短刀はそりゃ突いた方がよかろう
二尺三寸とかそれ以上長い「普通の刀」なら斬った方がいいだろうな
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。
小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。
たったの一突きで相手に致命傷を与える。
大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
ラザフォード・オールコック「大君の都」
日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、
刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、
両手をもってこれを扱ふゆえに、
一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり
パードレ・フランシスコ・カリヤン
外人の文献って見世物の口上みたいだな
693 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 18:45:15.67
くやしそうですね
694 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 18:56:12.39
>>648 >>650 槍の穂先が地面に触れるのはまずいだろw
軽く棒高跳びならぬ棒幅跳びの新記録樹立しそう
ヨーロッパのランサーなんかはどうやってたんだろうな
>>694 欧州や中近東の槍の一部は日本の物より柄が折れやすく穂も小さかったようです。
木製の楯や体に突き立って折れる事で相手の動きを制限したり、楯を放棄せざるをえなくさせたのだとか。
特に欧州の騎馬兵は高貴な身分の人なので従者が複数の替えの槍を持って待っていて、騎馬兵は槍を取りに後方へ引き返しては突入を繰り返したとの話もあります。
その槍ってランスではなくて?
>>697 いや、ランスは長く丈夫な突撃槍でしょう?それじゃなくて、一部の槍のお話です。
そういえば元々はランサーはどうしてたんだろうかと言う話でしたね。すいません、勘違いして余計なレスをしてしまったようです。
699 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 20:44:41.42
日本刀、特に平安〜鎌倉期の強く腰が反れた太刀は駆けながら馬上より斬撃する場合に向いている
700 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 22:18:09.06
古太刀は良いよねー。 腰反りは馬の速度をある程度保ちつつ平行かつ直線的に切り付けた際に衝撃を逃がす為にあったらしいね。基本的に片手である事から衝撃を逃がさねばならない。それでも落としてしまう事があるから、柄の房紐を手首に巻き付けた。 腰反り太刀はもれなく小切先なのだが、実際には斬撃ではなく隙間を狙った刺突を重要視した為なんだってね。鎌倉期の鳥居反り太刀は斬撃強化の進化だね。先反りと蛤刃が追加された訳だし。
突くなら日本刀より槍だろうな。 沖田総司のような奴は例外。
702 :
日本@名無史さん :2011/03/23(水) 23:31:11.95
>>696 なるほど
ところで向こうの騎士は馬上弓とかはやらなかったのかな
あんまり聞いたためしがないが・・・
「騎士」「身代金」これで検索すると答えが出る。 飛び道具で相手が死んでしまったら意味が無い。
騎馬兵でなく騎士(騎士階級)ということになると、「飛び道具は騎士として相応しくない」という思想のもとに弓は投げ槍と共に次第に使われなくなったようです。 そろそろ板違いなので、これ以上は世界史板で。
十字槍や片鎌槍なら抜けぬ程深く刺さり過ぎない。 しかも横手に持って叩いても刺さる。相手の剣先を捌く事も可能。
>>691 >ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう
ラーメン屋でバイトしてた時に、スープ作るために牛の骨を割った事あるけど
手や足の頑丈な骨を刀で断ち切るなんて、物理的に絶対に無理。
生の骨はハンパじゃなくもの凄く固いぞ。しかも服や筋肉も付いているんだろ。
剣術の達人は、剣で戦う時には相手の頸動脈や首、手首など
骨に当たらない所を狙ったそうだが、当然だと思うよ。
手や足を一刀両断なんて、マンガの世界。
牛のクソ頑丈な骨と人間の骨を較べるのはどうかと思うけど。 牛の骨の厚さは半端じゃないでしょ。
>>706 人の骨で一番頑丈と言われるのは大腿骨だけど、その次に頑丈なのが頭骨。
その二番目に頑丈な頭骨に鋭利な刃物で切られた疵のある骨は割と発掘されてる。
それは日本に限らず中国や欧州を含めたいろんな所で。
坂本龍馬も頭を斬られて脳が見えるほどの深手を負ったって話だよな。
>>708 調べたら斬られた痕跡って大抵が陥没痕じゃん。
断ち切ってないよ。
712 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 09:19:42.12
まあ試し切りに四ッ胴斬りとか阿呆みたいな試みがあった訳だから人骨が斬れない訳はないわな。 しかも石の灯籠やら兜やら有り得ない物を切ってる訳で。 ただ実戦では敢えて刃に損傷をきたすような頑丈な部分や鎧は避けてしかるべきで、手首、喉の動脈を狙ったのは間違いないわな。 四肢と言っても足首手首や間接なら容易に分断したろうけどさ。因みに竹は骨、藁は肉を想定して竹藁切るらしい。
713 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 09:35:24.23
戦闘技量で言ったらラーメン屋のバイト>>>>戦国武士だからな。 そのラーメン屋のバイトが言うんだから間違いないのだろう。
714 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 12:49:38.86
ttp://sorceress.raindrop.jp/blog/2005/06/ Q:人を一人斬ると刀身に膏がべっとりと付いて、二人目からは斬り難くなるという話がありますが、本当でしょうか?
A:以前、肉屋から豚の頭をそっくり買って来まして、真正面から頭蓋骨ごと(ただし牙だけは避けて)
スパリ、スパリと何度も斬撃を試みたことがありますが、スライス・ハム状になるまで、何回でも抵抗感なく
骨ごと断ち斬ることができました。どうも、膏のせいで日本刀が切れなくなることはないのではないか、
というのが、現在の心証です。
至近距離で専門の包丁を使い、骨だけを切る作業のラーメン屋のバイトの方が 骨の硬さについては戦国武士より詳しいのは当たり前。 石の灯篭を切るとか兜割りとかのオカルトは要らない。 説得力の無い落書きのような資料を鵜呑みにする奴だから変なんだろう。
716 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 12:54:20.34
>>705 馬に乗って鉤槍を持つ馬の目を突くこともあると『雑兵物語』とあるから
それらの槍も同じ危険があるな。
誰だったか立ち合いでは十文字槍だが、合戦に持っていくのは直槍が一番いいと
言っている人もいたな。槍としての機能は十分だし、物に引っかかったり
しないのがいいという判断。
>>714 は戸山流抜刀道の先生だね。ラーメン屋とどっちがくわしいか?
で、体重の多い大型動物の骨と人間の骨では強さがまったく異なるんだが
ラーメン屋のバイトさんは人骨でも試しているのかな?
718 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 12:58:28.55
殺す=即死じゃなくても、医療技術の無い時代で数日から半月の間に死ぬということ
719 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 12:59:37.62
肉体労働も少ない時代と、ハングリーで重労働な時代の人間の骨では強さがまったく異なる
>>715 最強のラーメンマン(バイト)は切ってないぞ。
牛の骨は割るのに苦労する位堅いから人の骨は刀では切れないだろうと、根拠と結論が繋がりにくい話をしてるだけ。
721 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 13:52:52.83
>>ラーメン屋 極論すると象の骨は切れなかったから人間も切れないって理屈ww お前の中では牛と人が同じに見えるの?人骨で出汁とった事あるの?馬鹿なの?
>>719 それはそのまま刀を扱う人の膂力も現代人よりも遥かに強かったという事にもなるよね。
724 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 14:53:46.81
首を平気で落としたり鼻を削いだり指を詰めたりする時代に、人間の骨を斬れない刀を作る方が不自然ではないのかい? 研究用の遺体はゴロゴロ、生きてる人間だって激しく安い時代だよ? それこそ人骨出汁とってても不思議ない時代だよ? それに実戦からのフィードバックも半端じゃないと思うんだけど?
中途半端に斬れると抜けなくなって大変だな
726 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 15:37:43.05
手の汚れる仕事は、当時も身分ある人間はしなかっただろう。 本物の殺人技は刑吏獄卒のような被差別アンタッチャブルな人間が伝承していたはずで、それは記録には残されなかったはずだ。
727 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 15:39:22.52
えらいさんに教えられる剣術は、コヅカなんかを使った護身技だったと思われる。
>>726 その「当時」ってのがどの時代のどの時期を指して言ってるのかによって話の方向が変わってくる。
室町?戦国?江戸?
729 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 16:23:23.46
>>726 戦国時代ならば処刑が終わった後は試し切りを希望する人間が集まってきて
死体は見る影もなくなってしまうようだが。
平和な時代だった江戸期ですら大名には打刀を持った御側小姓が付き従っていて、いざという時には大名がその打刀を使えるようにしていたよ。 小柄での護身術しか教わらないなら、御側小姓も打刀もいらないよね。
>>727 どうせ小柄がなんだかもわかってないんだろうなw
>>726 >それは記録には残されなかったはずだ。
なら何故あなたが知っているの? 空想だからじゃない?
小柄って短刀の付録みたいなちっちゃい刃物だろ?あれで護身って、伝説の忍者でも無理だと思う。
>>733 打刀の鞘についてる日用品の小刀だよ。確かにあれで護身なんて逆にハードル高いわw
人の嗜好は様々なんだから、ここで日本刀マニアの彼を虐めるのは可哀想な気持ちになる。 みんなはサンタクロースを信じている子に不存在の現実を突きつける行為を残酷だと思わないのだろうか。 UFOや宇宙人や怪獣の話を嬉々として語る人に科学を提示しても仕方が無いだろうに。 怪獣図鑑を読んで夢を膨らませ「こんなすごい怪獣がいるんだよ」と純粋に語る人に「そんなの資料じゃない。落書きだ。」 もっと他人の嗜好を尊重すべきじゃないかと思う。
>>735 さりげなくおとしめる貴方は2ちゃん玄人。さすがですな。
738 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 17:33:22.10
小柄があるから刀なんて飾り。 刀なんて小柄の鞘に過ぎないよね。 斬新だわ。
739 :
日本@名無史さん :2011/03/24(木) 20:52:22.06
小柄は耳かき、ひげそり、ふだんの小刀につかうため。
耳かきがついてるのは笄だろ
741 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 00:05:10.91
こうがいと小柄と馬針の区別もできない奴がいるんだな
馬針が馬刺しに見えた。 腹減った… 茶漬けでも食べて寝るか。
743 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 00:59:31.20
馬針なんか今は高価でも買いにくい
744 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 01:03:49.55
馬針とはまたマニアックだな〜 さる藩のお抱え馬医者の持ち物だったという中身が馬針の豪奢な脇差しが骨董屋で売ってたけど購買意欲湧かなかった
745 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 07:09:20.10
また随分凄い方向に話が転がったもんだね。昨日まで牛の骨がどうとかーからのまさかの小柄最強論。 日本刀否定派の自由度を何とかしろww
そのてん肯定派はコピペだけで済むという気楽さ
コピペだろうがなんだろうが歴とした文献からの引用だしな。 最初にタイプした人間程度の手間はかけて反論してほしいね。 脳内電波を文章化とかは結構だけど。
>>741 そもそもは小太刀と小柄の区別もできないヤツが発端だからwww
749 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 08:39:54.03
足利義輝公が最期の時、大量の小柄を畳に刺立てる絵が思い浮かび萎えた
義輝公なら本当に小柄で護身できそうだから困る
金星人とかネッシーとか宇宙人とか幽霊とか 「ほらこの資料を見て下さい。元NASA職員の文書です。」 「決定的な写真です。」「存在間違いなし。確証となる映像です。」 信じちゃってる人は一点しか見ない。 日本刀フェチの痛々しさは一般人から見ればこれと同じ。 手品師に日本刀での兜割りを依頼したとする。 できて当然。 俺に日本刀での兜割り依頼が来たとする。 俺が指定する兜を用意してくれるなら俺でもできる。 論理的になぜできるのかを考えることだ。
だいぶ壊れてきたな。
あいかわらず自由奔放フリーダムファイターだな。 それって、絶対に割ることはできないと主張する人がなまくら刀と分厚い鉄兜を用意して、「ほら兜なんて割れないでしょ」とする事だってできる道理だよな。 とは言え、鉄兜を一般的な打刀で誰もが割れるかと問うならば、ほとんど不可能だろう。業物を使って刀の扱いに秀でた巧者によるならば、あるかも知れない。 だから稀な例を取り上げて日本刀はあらゆる刀剣と比べても最高と言うのは、少し短絡的すぎるきらいはある。 時代とその使い方と戦場をアジアの一地域に限定すれば、優秀な刃物であったとは思う。
>>753 ヨーロッパ人も認めてるけどな。というか連中の方こそ
日本刀を賛美してる。
755 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 18:26:13.71
>>704 騎士って馬上弓やってなかったのか?
どうりでモンゴルにあっさりやられるわけだな
>>754 忍者、侍、日本刀だな。
彼らが称賛してるのは、ミステリアス、エキゾチックな代物としてる部分が大きい。
つまり中国人や朝鮮人やヨーロッパ人が賛美し驚嘆するだけでは 不足ということですか。 では誰に聞くべきか。
758 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 19:03:34.57
>>756 ああ、日本でも一部の洋剣が人気あるのと同じ感じかもね。
ククリナイフとかバスタードソードとか。
中国でもエキゾチックに大人気
戚継光『紀効新書・長刀解』
武士には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
武士の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
>>757 支那朝鮮が驚嘆した事も時代と使い方と地域に限っての話だろう?
刀剣に限った事ではないけど、彼我の相対的なものでその評価は決まるものだから、その時代とその地域に限っては日本刀を使う日本人と相対した支那人朝鮮人にとっては非常に脅威であったというだけで、
同時代の中東欧州ではすでに個人装備の楯、東アジアより豊富な鉄とその加工技術を基とした防御具に占める鉄の使用割合は高かったのだから、
そんな戦場では日本刀はさして有効な武器にはなりえなかったと考えられる。
東アジアという、世界の一部の地域に於いては優秀な刃物だっただろうというのはそういう事だよ。
日本人が朝鮮兵やら支那兵やらより強かったのは武器の質もあったけど、なによりその戦い方にあったとも思えるわな。 あちらさんの驚いた様の記述のコピペはたくさん貼られてるけど、注意深く読んでみると日本人の素早さとか勇猛さを一番に書いてるみたいに感じる。 それに加えて長く鋭い刃物を使いこなすんだから手のつけようがないと嘆いてるのか。 そう思うと日本人が使ったのが日本刀じゃなくても、やっぱり日本人が勝ってた気もするな。
逆に向こうの装備はどんなだったか知りたいな
でも兜割りが達人じゃなきゃ不可能だとすれば、 鎧武者相手には剥き出しの箇所を突く方が良いとなる。 その場合ならば鑓の方が上だろう。
764 :
日本@名無史さん :2011/03/25(金) 22:30:21.34
数人の日本人が刀を抜いて暴れただけなのに逃亡してしまうオランダ人兵士。 『バタヴィア城日誌』 ここにおいて彼等(日本人)は咆哮するライオンのごとく、彼(長官)に跳び懸り、 頭を押え手足を縛し、長き布をもって頚を巻き、もし声を発すれば 直ちに首を斬るべしと脅したり。商務員ヤコブ・ホーマンは、事の 起こる前のその室を出で、長官に尋ぬべき事ありて立戻りしが、 この騒ぎを聞きて引き返し、兵士に対かい、長官殺されんとするがゆえに 武器を取るべしと叫びたり。これによりてはじめて大騒擾を起こし、 広間の外に在りし日本人数人もまたこの事を聞き、剣を抜きて 広間またはその付近を守りし兵士を襲いたり。彼等は不意を襲われ、 かつ銃器を有せざりしがゆえに、まず逃げたり。よってその辺には、 日本人に敵する者一人もなかりき。
まあ、あくまで当時のその人がすごいのであって 今の日本人がそこまで鍛えられているかというと・・・。 日本人はだめだと思い込む必要がない前例としてはいいかもな
記述者によって同じ事柄についての感想も違うからなぁ 蒙古襲来絵詞なんかだと士気の低い寄せ集めの軍に武士が圧倒されてるし…
おれは釣られないからな
| | | | し
769 :
日本@名無史さん :2011/03/26(土) 07:55:51.93
>日本人はだめだと思い込む必要がない前例としてはいいかもな 来航者たちの報告を見るとだめだと思い込む必要がないどころか 日本人スゲーになるけど。
770 :
日本@名無史さん :2011/03/26(土) 08:46:45.84
国語苦手でしょ?
771 :
日本@名無史さん :2011/03/26(土) 08:59:07.80
>>770 読解力がないってよく言われるでしょ。そんな「前例」など見るまでもなく
外国人による日本人賛美の報告なんて山ほどあるってこと。
772 :
日本@名無史さん :2011/03/26(土) 20:26:51.88
まあ、伝統+百年も野蛮な内乱やってて世界一の武装率じゃ強くもなるわな。 むしろ当時は世界的に見ても日本人が異常だったんじゃないか?好戦的過ぎて。オランダ支那朝鮮のヘタれっぷりのが人間らしい。 当時日本人は殺人鬼ぽい。キチガイに刃物だ。
日本刀が銃に勝つならヤクザは拳銃より日本刀を使うんだ。
お前はなにを言っているんだ?
775 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 00:33:34.59
>>772 まあそういうことだな・・・
てなわけで武士=当時最強ってことで
礼儀ただしかったり狂暴だったり、ご先祖様はなかなかミステリアスな奴らだったんだな。 さて日本刀の話はひとまず置いといて、上のほうでチラリと出てた個人装備の楯なんだけど、欧州や中近東では紀元前から使われていたのに日本では何故使われなかったのだろう? 矢を防ぐ為に陣の前に板切れを立てて使用してたりしてたけど、個人が持つ物は無かったor発達しなかったよね。
火縄銃やマスケット銃はぜんぜんあたらねんだよ 三千丁も用意すりゃかならず当たるのかもしれんし 島津みたいに釣り野伏せでもすりゃ有効な射撃ができるのかもしれん だが、騎馬隊が数百騎突撃して来たら、二三人肩や足に当たっても あとの百人でも陣中に入って戦線をぐちゃぐちゃにすりゃ陣形なんてあったもんじゃないだろ 弾に当たるのを恐れるより武功をあげて誉れをとれっつうのは 精神論じゃなくて現実的な判断なわけだよ 日本刀を用いた剣技にも、剣術とは別に抜刀術というものが別立されているが これは槍や弓、鉄砲とはちがって刀は初動が早い利点があるからだろう ここに抜刀突撃の意味もある。弾が切れたり、込め直している瞬間に果断に討ち入る だから、一瞬の躊躇も命取りになるところに、これをいましめる精神論が発達する下地があるんだろうよ
778 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 09:03:41.12
埴輪で盾持ってるの居たっけ。武士は騎射重視だから邪魔な盾を捨てて大鎧になるんだろうけど、歩兵は持ってても良さげだね。 もしかしたら盾は臆病者の道具みたいな得意の面倒臭い概念だったり。鎧のパーツにも臆病板だのあるくらいだし。
779 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 09:25:57.01
正倉院に隼人が使ってた楯ってなかったっけ
既出すぎる話題なわけだが。 まず主についていくのに盾はじゃまだったんじゃまいか 垣盾は多様な用途で使うものだから、下僕同然の徒士は使えたかどうか・・・。 ありきたりなもんで矢をふせぐていどのものはつくったんじゃないかな? 室町から足軽が活躍しだすが、彼らにしてももってるのは薙刀、長巻でしょ 両手はふさがってたろうね そもそも日本で重装歩兵が育ったことがあったか?
まともな甲冑がある。 戦闘は散兵戦がメイン。 この二つの理由により持ち盾は隆盛しなかったのだろう
782 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 11:42:39.92
防具:陣笠、胴、草摺、手甲、脛宛(オプションとして袖、長手甲) メイン武器:長槍or弓or鉄砲 サブ武器:打刀 オプション:鎧通し 十分重装だな、盾なんか不要。
よく小説とかにある、寄せ手が矢を防ぐ木の盾や鉄砲の弾を防ぐ竹の盾は無かったのか…。
784 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 11:57:45.75
戦国時代あたりは鉄砲の威力が微妙だから手盾でもあれば多少違うんじゃないのか?と素朴に思うのだが。。木製に革貼って金属で補強した盾と鎧着てれば胴を貫通出来ない気がする。 まあ、無いって事は役に立たないって事なんだろけどさ。
誤解があるみたいだけど楯を装備してたのは重装歩兵の限ったわけじゃないよ。 また、日本の物よりはるかにまともというか防御力の高い鎧を身につけてる上に楯を使ってる。 防御と攻撃の比率の考え方が洋の東西で違っていたのかな? それが武器の形態にも大きく影響して、切れる刃物が発展した東アジアと高防御でもダメージを与えられる切れは悪いが重量のある刃物が発展した欧州中近東の違いとなったのか・・・・。
786 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 12:48:57.46
はるかにまともな鎧って鎖帷子のことか?
787 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 13:37:28.62
おそらく 相手の飛び道具さえ十分防げれる防御力さえあればいい とりあえず両手持ちの長槍持たせとけば接近戦で打ち負けることは無い って考えだったんじゃね 結果盾なし装備がテンプレになったと
788 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 14:03:56.25
そう言えばWWUも零戦と米戦闘機の装甲が桁違いだったらしいけど防御に関する考え方が違うんだね。伝統的に日本は生きて帰らない勇猛果敢な戦いを推奨だから防御なんて二の次だったのかも。 矢弾飛びかう中を盾も無く槍で突撃とか嫌過ぎる。
789 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 14:11:08.91
盾は無いが装甲はある 弾丸はきついけど矢はある程度防げたんじゃね
大鎧も元々は矢傷を防ぐ目的で作られたんだっけ?
>>788 いや、単にエンジンの性能が悪かったので軽量化せざるを得なかっただけ
戦国時代に関してはすでに竹束の話がでてるから盾議論は済んでるだろ ゼロ戦の話と同列にするのはナンセンスだと思われ 陳腐な結論になりすぎる 日本刀は日本だけの武器だから支那は関係ない 盾をつかう軽装歩兵なんていないと思うが。そんなの剣奴か民兵なのでは? ファランクスといった陣形を組む、盤上に類似した平原での戦いを想定したものは 盾は個人間の闘争を超えて、戦術と深く結びついているから 主に個人の武を意識していた侍たちにそのまま適応するのは誤りでは? 西洋では掻盾なんぞ存在しない。個別に携帯可能な矢を防ぐ盾が必要だったのは肯けると思うが。
793 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 16:41:59.72
地形とか個人の武とかじゃなくて盾持たせたら片手塞がって両手用の長大な武器が扱えなくなるのが問題なんじゃね?槍も片手用の短いヤツしか持てなくなる 盾でうまく飛び道具防いで接敵しても相手が長槍持ってて一方的にボコられてしまっては意味無いし
795 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 17:01:16.86
だから?
796 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 17:02:22.31
>>793 映画の話しだからアレだけど、トロイ、300や白人の作る歴史映画って矢の雨を盾で凌ぎながら前進したり迎撃してるのが非常に多いので、事実無根では無いと思うのね。
で、接近したら盾使ったり、捨てたりで乱戦やる感じのパターンだけど。槍も持ってたし。。んー、あれはやっぱり嘘なんかなぁ。。
797 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 17:14:00.77
軍隊では楯ってないけどリアルで楯見たのは機動隊だけだな
798 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 17:19:46.70
>>796 相手も盾持ち装備ならアレで十分いけるんじゃない
799 :
日本@名無史さん :2011/03/27(日) 17:21:00.87
機動隊も鎧と長柄にすればいいのに。
盾の壁で押し込んでバラけた所をタコ殴りのほうが市民相手にはええんじゃないの
>>799 機動隊が身につけてるプロテクターは現代の鎧と言ってもいい物だと思うよ。
昔々全学連だか全共闘だかで機動隊とガチンコやりあってた爺さんたちの話だと、 機動隊の盾は立派な武器らしい。 アレでぶん殴ったり、足元に振り下ろしたりして使ってたとか。 そういう使い方をしていても武器に見えない武器ってことらしい。
残念ながら中世や古代にはジェラルミンはなかった
804 :
日本@名無史さん :2011/03/28(月) 14:18:19.13
>>796 言いたいことはわかるけど映画がソースってのがバカっぽい
805 :
日本@名無史さん :2011/03/28(月) 16:03:20.58
985 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 09:35:48 0
>>982 そんな小手先の話じゃないんだよ。
広大ローマの時代では弓矢の威力もお遊びみたいなものだから
重装歩兵のもつ大盾スクトゥムは無茶苦茶薄いわけ。
木製の2mmの薄板を3枚重ねて作っただけなんだからな。
あんだけ巨大なのに1kg〜2kgという軽さなんだから矢に対する防護なんてほとんど考えられてない。
短槍を投げて貫通されたレベル。
長弓は鉄の矢尻なら鉄板で5mm、木の板で1cm〜2cmくらいは普通に貫通できるんだから
話にならないんだよな。
>>805 「スクトゥム」で検索したところ、重量は1kgから10kgくらいまでと様々であるのと、矢や槍を防ぐ目的で用いられたがその大きさと重量のために次第に使われなくなったと言う事はわかった。
その引用した過去レスのような記述は見つからないから信憑性には欠けるかな。
古代に厚さ2mmの木板を作れたのかどうかも疑わしい。現代の工作機械を使えば簡単だろうけど、手作業でそれをするとなるとほとんど神業ではないかと。
>>807 知識ゼロの甲冑好きな素人が作りました的な感じが全面に出てるな
伊達・徳川・酒井・榊原あたりはそれなりの完成度だが
大体は威毛すら満足に描けていないレベルのものばかりだ
これを組み立てた何も知らない一般人に間違った甲冑のイメージを植えつけないか心配だが
そのうちの誰かが正確な甲冑研究を志す糸口になれれば御の字といったところ
片倉小十郎の雪ノ下具足のペーパークラフトはこのクオリティで500円とるそうだが
正直無料公開でも絶対作る気にならんわ
>>806 つまり引用のレス以上に実際のスクトム?は重くて
もっと扱いづらいってことか…
日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、 刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、 両手をもってこれを扱ふゆえに、 一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり パードレ・フランシスコ・カリヤン
811 :
日本@名無史さん :2011/03/30(水) 21:08:31.02
西洋剣よりも重いってことか。
812 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 12:50:49.11
威力もあるわけだ
西洋剣の方がはるかに重い。だからこのパードレの言う事は信用出来ない。 出典も無いしね。 西洋剣も日本刀と同じく騎士のシンボルで、戦場の武器ではなかった。 サーベルや青龍刀は戦場の武器だけどね。
814 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:21:19.95
チェンバレン「日本事物誌」 ・日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。 刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
西洋刀剣も日本刀剣もピンキリだから、どれもこれもを一括りにして結論付けるのは短絡的。
816 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:24:09.98
818 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:29:39.82
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。 日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、 太刀の威力をもって散々に襲撃したので、 朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。 ところで支那人たちは、日本人らが用いる武具は、 自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、 日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、 人々は信じることができなかった。 したがって真実を知る一部の者が、 例え支那軍は数の上で勝っていても、 日本軍と戦うことは不可能であると言っても、 これを聞こうとする者はいなかった。 ルイス・フロイス「日本史」 戦場で使われてるなぁ ピンキリったって数打ちクラスでもこの性能維持できてたってことだよなぁ
>>813 そういや思い出した。
初心者質問スレで兜割ができる刀と刀が打ち合えば脆い方が砕けるとあった。
さらに業物同士でも脆い方が砕けるそうだ。
なら、打ち合いができない刀は戦場で武器として使えないんじゃないか?
刀しか武器を持っていなかったら刀砕けたらおしまいじゃん。
だからといって、打ち合わないようにするなら戦場に持って出る意味がない。
刺したり突いたりするなら槍の方がいいだろうし。
最近主張されだした刀が戦場で使えないって説には納得出来る点が多い。
820 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:35:38.06
打ち合いで剣が折れる可能性は西洋剣の方が高いけどな
剣はつつく 刀は切る
出展がないってどういうこと? 俺は読んだことないんだけど、書いてなかったってこと? 耶蘇会士日本通信 一五七九年十二月十日付、パードレ・フランシスコ・カリヤンが口ノ津より耶蘇会の総会長に贈りし書翰
>>818 ピンキリってのは日本刀には野太刀や打刀、脇差などとその長さや重量、使用用途の違いがあるし、
西洋剣にも両手剣、片手剣、刺突剣などとその長さ、重量、使用用途の違いがあるってこと。
824 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:39:57.63
刀剣類はなるべく戟剣しないように使う、これ常識 叩いたり、殴ったりは棍棒やマサカリの類でやる こういったものの殴撃に対して剣でうけるバカもいない
>>824 散々既出だけど、使用目的に起因する違い。
レイピアは主に突き刺す為の剣なので柄から剣先方向への強度が求められたものだから、
横方向からの力に弱いというだけ。
827 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:46:20.96
技法としては東西ともに剣での受けは習得するけどね 特に日本の剣術の受けは防御というよりは誘いになってて ガッチリ両者が打ち合う前に次の応じ手に変化しちゃってるわけだが
敵の攻撃を受ける事ができない武器じゃ白兵戦闘に使えないんじゃないの?
829 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 14:49:44.82
レピアの場合横方向からとか以前に全体的に日本刀より弱かっただけだな まあ儀式的な決闘用だしちょこっとささればそれでいい武器なんだからいいんじゃね?
合戦に刀を持ってく場合制約が多すぎるんじゃないかな。 打ち合えないし、受けれないし、折れやすい。 相手が鎧武者だと斬るのも難しい。 それでいて間合いからして接近しなくちゃダメだし。
>>827 まあ、型の中に受けは入ってるな
でも、あれ戦の作法じゃないよね
>>828 なるべくな
どんな白兵戦を考えてるのか知らんが、大刀で討ち取ることなんて稀だったと思うぞ
たいてい大刀で手傷を負ったら、柔術にもちこんで首をとってたと思うぞ
混戦なら、まずは長物振り回してから、それが折れて、最終護身具が大刀だし
意図的に話題をループさせてるとしか思えない小春日和の午後。
>>831 主たる武器じゃないって事ね。
刀以外にも武器をもっているのなら問題ないな。
この時間のこの伸びは春休みって感じがするわ
835 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 15:03:20.52
槍と日本刀でどちらかが一方的に上っていうことは無い。状況によって変わる話。 実戦では槍が刀に負けている例が多数ある。 武藝圖譜通志 倭軍と対陣すると、倭軍はたちまち死に物狂いで突進してくる。 我が軍は、手に槍を持ち、剣を帯びていても、その剣は鞘を出る暇も無く、 槍は矛先を交えることもできずに、凶刃のもとにやられてしまうのである 程宗猷 単刀法選 日本刀法は神秘的だ。 左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。 そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。 紀効新書・長刀解 彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。 日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。 我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される
>>834 だな。半期に一度くらいでのぞいてるがたいてい同じ話題だわ
838 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 15:32:37.82
ループというよりどんどんバカになってるな。自分の主張を裏付ける史料を 探すこともできないヤツが相手方の文献を身勝手に貶めて泥試合に 持ち込もうとしている。
しかも時代が中世だし
なめてんのか
845 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 17:33:09.86
>>842 >>843 >>844 線で囲まれてるやつがパヴィスだけどこれが攻城兵器かい?
西洋では掻盾なんぞ存在しないという断言が間違っている教えてあげただけだが。
というか短文をわざわざ分けてレスする意味なんてまったくないのに
何やってるんだお前?
ジェットストリームアタックだよ
Paviseでグーグル画像検索してみたが Paviseなんて日本人はまず使わないだろうから、向こうさんのイメージがだいたい検索されると思われ 概観だが、やはり時代は中世、クロスボウをもった軽装兵が持ち歩き、陣を構えたときに置くという感じだね 反対に剣をもった歩兵がもってるのはシールド。
849 :
日本@名無史さん :2011/03/31(木) 19:07:37.59
鬼の金棒のようなのが最強なのでは?
>>849 スレを最初から読んでみれ。ちょろっと話題出てるから。
>>849 金撮棒は強いかもしれないが重すぎて使い手を選ぶので
あまり使われてない。
Paviseってなんなんだよw
置き楯に対する手盾ってことなんだろうけどややこしいなw
Paviseの概念が分からなくなってきた 四角ければいいのか?
英語のウィキよんできた ギリシャ神話にもでてくるものでかなり昔までさかのぼれるらしいが、 やっぱ中世のアーチャーによって使われたらしい 全身を守る盾だが、小さいバージョンもあるってよ コンベックスシールド、凸状盾?らしい
手盾サイズの場合は腕を通す凸部がないとPaviseではないが、 置き盾の場合凸部の有無は関係ないってことかな。言葉というのは面倒臭い。 海外の人も「日本刀は片刃なのに、なぜ両刃の刀剣を表す「剣」とも呼ばれるのか?間違ってないか?」 みたいな議論は散々やってるんだろうね。
漢字表記の問題なんだろうけど 剣のつくりの部分が刀になってるのは曲刀をあらわしてて りっとうがまっすぐなのが直刀だとおも けんというのは偏の音を表してて、意味はつくりを意味してると思われ もともとけんという音が先にあって、文字が後でつくられたタイプの形声文字なんじゃないかね
りっとうて立刀なんだな刀が変化したものらしいや ということはやはり、けんという言葉の範囲は直刀限定ということなんだろうか 切とか利とか、表記は別なものがあるのにね、りっとう
まさかの漢字のなりたちへシフトw でも好きだな、こういうの。
今度はそっちに行くのかよw こうなると甲骨文字関係の文献とか見てみたいな。被災地だから 図書館復旧未定なんだけど。
村正ってゲームの脚本家は、甲冑についてよく勉強してるよね
直刀曲刀以前に、剣は両刃、刀は片刃というのが基本だったはずだが。
中国では太古から一貫してそうなのかな? その辺はまったく知らんので漢字の成り立ちに詳しい人に聞きたい。
>>863 剣という字の左側が両刃の物を、右側が片刃の物を表してんのかな?
だったら剣という字は元々は両刃片刃双方を含めた刃物を表す字だったのかな?
と言う話をしてるわけ。
実戦感覚でやってるんだろうけどそろ〜りそろ〜りで強いのか弱いのかまるで分からんな
868 :
日本@名無史さん :2011/04/02(土) 02:09:27.62
869 :
日本@名無史さん :2011/04/02(土) 02:12:11.89
中国製の武器は日本に輸入されなかったの?
870 :
日本@名無史さん :2011/04/02(土) 02:12:47.03
古代の弩くらいか。
871 :
日本@名無史さん :2011/04/02(土) 06:03:11.79
日宋貿易で大量の日本刀が輸出されて、それをつぶして中華鍋が出来たんだっけ
>>871 よそのスレだか板だかでも同じ事書いてたよね?
与太をこじらせた人の話を鵜呑みにしちゃダメ。
873 :
日本@名無史さん :2011/04/02(土) 18:00:58.28
歴史上初めて日本刀という言葉を使った人は宋代の政治家だったが 中華鍋の原料を中国では作れない宝刀とか言ってありがたがってたのか。 そりゃあ滑稽だな。
874 :
日本@名無史さん :2011/04/03(日) 16:37:01.54
韓国時代劇見ると 日本刀そっくりな刀を 振り回しているが 実際にそのような刀が 発掘されたり伝わっているのでしょうか?
フロイス『日本史』 ・(朝鮮人の) その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
876 :
日本@名無史さん :2011/04/03(日) 22:37:26.23
鯰尾兜
877 :
日本@名無史さん :2011/04/03(日) 23:23:51.91
日本刀じゃバックラーを持った相手には厳しいと思う。
878 :
日本@名無史さん :2011/04/03(日) 23:54:34.45
何良臣『陣記』 ・盾と剣を持って戦う我が軍に対して 日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、 往々にして防ぎきれない。 彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
>>877 バックラーは元々は矢を防ぐ為の楯で、両手剣には破砕されてたみたいです。
880 :
日本@名無史さん :2011/04/04(月) 03:11:58.59
片鎌槍
>>879 日本刀は両手剣じゃないし何の話をしているんだお前は
日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、 刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、 両手をもってこれを扱ふゆえに、 一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり
盾をはたき落とすのかな?
日本刀で介錯をする時は両手で持つよな
小さな盾で長い刀の連続攻撃を受けるのは大変だと思う
887 :
日本@名無史さん :2011/04/12(火) 15:45:34.23
888 :
日本@名無史さん :2011/04/14(木) 14:45:23.40
熊本城といえば昔読んだ刀剣関係の書籍で、城に常備された数百振りの刀は、刀身を漆で塗り固めて防錆し、いざという時は研いで使うのが細川家のしきたりで、ほとんどが胴田貫だったとか
清正の遺産をそのまま受け継いだ? 清正の軍勢は足軽の数打刀も胴田貫だそうで 強そうだな。
892 :
日本@名無史さん :2011/04/15(金) 08:13:25.45
>>889 加藤家改易のおりに城の付属物として受城使を経て細川家へ引き渡されたのだと思う
893 :
日本@名無史さん :2011/04/15(金) 10:38:29.03
南蛮具足
足軽の長巻の用法を記した文献ってないですかね?できれば戦国〜江戸初期で。
足軽って長巻なんか使うの?
896 :
日本@名無史さん :2011/04/15(金) 23:44:21.49
897 :
日本@名無史さん :2011/04/17(日) 09:16:12.84
戦国以降に盾なんか使ってた?
898 :
日本@名無史さん :2011/04/17(日) 10:31:27.68
警視庁機動隊がジュラルミン盾を採用するまでは無いです
掻盾もあったし、銃弾をも防ぐ竹束もありました。
900 :
日本@名無史さん :2011/04/17(日) 13:52:13.45
日本は足軽雑兵の命なんか軽かったので、ろくな盾なんかつくられていない。
西洋のパイク兵は人命尊重で盾もってるんでしょうか?
だからこそ永世中立になったわけだな
904 :
日本@名無史さん :2011/04/18(月) 00:46:43.24
魂が宿っているから 存在しているのですね 見返り求めるのは失敗します 失敗を恐れては何事もじゅうじ しません 無心になることです わたしは「無心教」を提唱したいと思います
>>892 最近読んだ甲冑ムックにそんな話が出てたわ。
清正着用の鎧兜と息子の鎧兜は細川家が預かったたとか何とか。
意外に多かったのが神社とか寺に寄進された儀礼用の鎧兜。
これは実戦用のものをベースに派手なアレンジがされて本当に工芸品と言えるようなものが多いみたいだが、重かったり素材の耐久性に問題があったりするとか。
『渡辺美術館所蔵「変わり兜」英語で紹介 カナダのトレボーさんが出版』
カナダ在住の日本甲冑(かっちゅう)研究家、トレボー・アブソロンさん(40)が
渡辺美術館(鳥取市覚寺)所蔵の甲冑を紹介する「サムライアーマーコレクション1」を刊行した。
トレボーさんが20日、同館を訪れ、完成した本を贈った。
渡辺美術館の甲冑コレクションは全国屈指の質と量を誇る。特に、動物などで装飾した「変わり兜」では貴重な品が多い。
本は、特に芸術的価値の高い約80点を厳選。カラー写真を添え、
装飾や造形の意味などを1点ごと2ページほどを使って詳細に説明している。
日本の甲冑について英語で書かれた本は珍しく、海外の甲冑コレクターには待望の1冊といえそう。
カナダで経営する日本甲冑専門の骨董店から刊行した。
A4判280ページ。1000冊発行。100ドル(約8300円)。
軍配や小物などを紹介する「2」も年内に刊行する。
(毎日)
ttp://mainichi.jp/area/tottori/news/20110421ddlk31040564000c.html
909 :
日本@名無史さん :2011/04/29(金) 16:35:11.76
伝統的な日本刀の製造方法と、バイキングの剣の製造方法はかなり似てると思うんですが、何か関係があるのでしょうか? 品質の違いがあるとすればどういうところになるんでしょうか? 質問ばかりですいません
バイキングの剣の製造方法とか、かなり知らない
てめえマルチすんなカスバイキング野郎
あんまり違いはないような気がする
どこがどう似てるかの具体的な話がないし
今伝わる作刀法が古刀期に遡れる伝統的な製造方法なのかどうか。
916 :
日本@名無史さん :2011/05/06(金) 12:37:53.35
>>910 バイキングの作刀の具体的なとこ教えてよ
917 :
日本@名無史さん :2011/05/06(金) 16:20:40.88
俺も具体的な話が聞きたい。ふらっとやってきて 思いつきだけ語ってバイバイじゃ話にならん。
そりゃあ熱した鉄を叩いて鍛えるところとか共通点はあるだろうなw
鋳物でなく打ち延べて作るとか 複数の鉄棒をねじり合わせて打ち延べるんだっけか? 出土した物によると出来は粗悪だったり不安定だったらしいが 古刀に通じる失われた鍛鉄伝説とかありそうな気がする。
でもその程度だとするとそれほど日本刀の作刀法とは共通点がなさそうなんだが。
日本刀の最上作は輸入鉄も使用していた時代の古刀であり 玉鋼のみ使用した新刀や現代刀は劣るとされている。 しかし法律上、玉鋼を使用しないと日本刀扱いできないため 現代刀工が古刀の製法を見出し作刀しても日本刀を名乗れない。 コールドスチール辺りに水をあけられた原因じゃないだろうか?
どこが?具体的に言ってみろよ
923 :
日本@名無史さん :2011/05/22(日) 18:52:14.58
コールドスチールは実験的な作刀の自由があるという意味で書いた。 日本刀も元来そうであっていいんじゃないの。 水心子の製法がその上で優れている事が証明されれば言うことなしだろ。
何も知らねーなら下手な事かくなタコ
今後外国人とか刀剣好きが日本刀を買う事を考えるとき 頑丈で良く切れる品がコールドスチール辺りで安く買えると思い浮かぶようになるんじゃないか。 日本刀の魅力が一段減じる時代がすぐそこまで来てる気がする。 古刀だけでなく斬鉄剣の実験や軍刀の事跡等、皆日本刀で良いんじゃないかと思うんだがな。
伝統がすたれてしまってる現代じゃ正式な日本刀はアンティークしかないんじゃないの? 刀剣好きっつってもそれなりの知識階級が買うもんじゃないとねー 見る目があるやつにしか買ってほしくない
>>925 中国人が簡単に日本刀売り出すだろ。そんなの間抜けもいいとこ
928 :
日本@名無史さん :2011/05/22(日) 22:15:07.02
コールドスチールのおかげでアメリカ人の刀剣類の武装率半端無いだろうな
929 :
日本@名無史さん :2011/05/22(日) 23:12:32.32
日本刀の魅力は実用性と分かち難いから見る目がある人間から先に見限る気がするが。 世界最高の刀剣は日本刀だと言う物語が生き続けることが大事に思う。 そこで古刀がオーパーツじみた伝説なのを利用して新素材も含めた挑戦的作刀を 現代古刀様式として伝統ライン上にある日本刀扱いしてはどうか。 中国はどうあってもバッタモン作るだろ。 怖いのは第二第三のコールドスチールが中国他から出る事と文化背景その物を剽窃される事。
>>930 魅力っていってもいろいろだろ
刃紋だとか、何時代の誰の銘だとか、美術品として一級なのだから
実用品としての日本刀はもうとっくに終わってる
日常携帯できるわけでもなし、銃器がはばをきかす戦場には大きすぎるし
竹刀木刀とは使い方がちがって扱いも特殊ときてる
斬鉄剣みたいなもし戦国時代これがあったら最強だったな的なしろもんつくっても
実用とはかけはなれてる
>>931 美術品としては揺るがないだろうけど一人でも多くの刀工が食える方策として。
思いつく実用性といえば居合いなど試し切りだが、他者に安くて実用性の高い剣として実績を積まれるのは良くない。
古刀を永遠に届かない高みにおいて常に追求し、
コールドスチール的な現代刀剣に負けない古刀の実在を信じさせる物語を編む。
居合い者も本物の刀を手に取る気持ちで買えるし、食える刀工も維持できるんじゃないか。
実用面でこちらがやらなければ必ず空いた隙に他が入り込んでくると思う。
まともな時代劇の数も減ってるし、物語ごと割り込まれたりしたら大変だ。
いつからコルスチ信者増えたんだろうか。海外フォーラムじゃあんなのHRC53前後しかないとか言われてたのに それに現代刀って上位を覗いてほとんどが実用一辺倒じゃん。制作方法も工業的で鋼材も?だし 申し訳程度に刃文つけたやる気のない段平ばっかで辟易するわ
そんなもん刀買ってる奴らの頭が悪すぎるからに決まってんだろ。 HRCもわからんし、粘りと硬さの区別もついてないかもなw
コルスチ信者って通販番組の穴空き包丁セットの実演とか 素直に信じ込んで買っちゃうタイプだろ。
936 :
日本@名無史さん :2011/05/29(日) 21:41:34.15
足軽の陣笠や胴を販売してるとこってありませんか? 丸武のサイトにも載って無かったんで。 まあ個人の甲冑コスプレイヤーがわざわざ雑兵の格好はせんでしょうから、お祭り・イベントでの 大口リースか販売オンリーなのかもしれませんけど。
937 :
日本@名無史さん :2011/05/29(日) 22:38:20.06
骨董屋廻れば陣笠は割とあるよ
938 :
日本@名無史さん :2011/05/30(月) 17:16:11.26
そういうのって値段は安いと思うんだけど、本物を汚したり使いつぶすのは勿体ない気がして・・ レプリカならその心配ないですし(値段はこっちのが高かったり?w)
939 :
日本@名無史さん :2011/05/30(月) 20:43:01.81
本物の陣笠でなくていいなら竹ひご(巡礼用の出来合えの網笠でもok)と和紙(黒漆で塗り固めるなら新聞紙でもok)と漆(カシュー漆でok)を買って自作した方がいいよ。 こだわるなら東急ハンズで安い牛革を買って三角に切り放射状に貼ってカシュー漆で塗り固めて好きな定紋入れれば完璧だよ。 たぶん4000〜6000円くらいでできるはず。
940 :
日本@名無史さん :2011/05/31(火) 13:31:52.93
>>935 >コルスチ信者って通販番組の穴空き包丁セットの実演とか
信者と言うより、合理的判断。
新技術で刀を作れば強いけど、日本では武器なので許可が出ない。
古い工法で作れば、伝統物として特別に許可。
だから不純物の多い玉鋼を、叩いて精練する様な、無駄でコスト高な物になる。
海外では自由に新素材が使える。
こんなに曲げても元通りなスーパー実戦刀に。
http://www.youtube.com/watch?v=u3nAuowwqhI 実用性では規制のない海外物が勝ち、ロマンでは古い日本物が勝つ。
942 :
日本@名無史さん :2011/05/31(火) 15:03:41.39
わざわざ現代の「工業製品」持ち出して ようやく中世の武器に「勝ち」とはねぇ… なんか戦国自衛隊観終わった時の気恥ずかしい気持ちに似てるな
943 :
日本@名無史さん :2011/05/31(火) 16:00:32.33
話変わるけど撃剣興行(長塚節)っていうのに 「神代鎌」「南蠻鐵の割棒」って武器が出てきてたんだけど他では聞いたことがないんだよね だれか何か知ってたら教えて
944 :
日本@名無史さん :2011/06/01(水) 13:09:16.44
>>941 おいヌケサク。新技術、新素材のいずれかでも説明できるか?無知はレスするなってこった
コルスチって合金工具鋼なのだろうな日立さんとかの 削り出しってところか
>>929 〈朝鮮歴史民俗の旅〉 弓述(1)
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/06/0406j0703-00001.htm 弓術は軍人や士大夫の独占物ではなかった。村ごとに射亭が置かれ、何時、誰もが来て楽しんだ。
身分の差もなく男女の区別もなかった。がんじがらめの身分制度のもとでも、弓術に限っては公平・
無差別であった。まさに国民的スポーツであったと言わねばなるまい。
武士といえば日本では刀である。これに比べて朝鮮民族は剣に対する思いが少ない。剣の達人と
言われる者が歴史の記録になく、名刀と呼ばれる刀も存在しなかった。その代わり、弓に対する思いは
強く、達人も多かった。朝鮮では弓の名手を善射と呼んだ。朝鮮の英雄・豪傑は剣士でなく善射であった。
-----------------------------
朝鮮学校教師の文章だが、根底にウリナラチェゴがあるのは南北共通にしても、韓国よりはよっぽど
ものを見る目というのがしっかりしてるな。
948 :
日本@名無史さん :2011/06/03(金) 12:43:25.98
>>947 弓の隆盛はやっぱり儒教によるものなのかな
www
>>941 の動画が信用出来たとして、
海外在住の日本人剣術家は弟子の試し切りにコルスチの刀を薦めたりしてるんだろうか?
本物だからと日本製のみを薦めるのは少し体裁悪い気がする。
でも合理的判断だけなら鉄砲持つよなw
953 :
日本@名無史さん :2011/06/09(木) 00:46:23.11
だろうな あと、科挙の試験に弓は必要だったから、文官でも弓は得意のやついたせいもあるかもな 文官が許容できる風紀だったっつう
955 :
日本@名無史さん :2011/06/09(木) 15:03:59.59
白兵戦は有効ではあるが確かに蛮族的でもあるもんな。 ローマも文化が成熟するにつれて剣が長くなり勇猛な兵士が 肉薄して敵をズタズタにするようなスタイルではなくなっていったようだし。
日本の剣術は帯刀をゆるされた江戸時代から一般化し発展したから 今でいう拳銃のようなものだよ 弓は普段持ち歩くわけにはいかないからな 用意するのに時間もかかる 蛮族とかはあまり関係ない
957 :
日本@名無史さん :2011/06/09(木) 23:10:39.43
958 :
日本@名無史さん :2011/06/09(木) 23:35:20.35
帯刀を許された江戸時代? 戦国時代は庶民ですら両刀差してたんだが。
皮肉だと思うけど分かりづらい
ああ上の上のか。意味分かんなかったわ
961 :
日本@名無史さん :2011/06/10(金) 08:26:38.53
剣術伝書は戦国が始まるか始まらないかの時期に見られるようになり 戦国後期〜安土桃山にかけて一気に増加するので江戸時代から一般化なんて ウソだよ。
236 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/09(木) 08:10:34.37 ID:NKhYL/geO
名刀持ってりゃ、素人でも七人くらい切り捨てるのも容易だというのを現在でも証明した加藤の乱
刃が欠けたり、人間の脂で切れなくなるとか言ってた社会教諭ザマァ(´・ω・`)三寸斬り込みゃ人は殺れるんだよ。
(´・ω・`)でも犯罪はイクナイ
242 :名無しでいいとも!:2011/06/09(木) 14:17:31.77 ID:Qzs1JhiJ0
>>236 加藤は斬ってない。一尺あるかないかのナイフで刺した。
因みに余談だが『雑兵物語』に、俺たちの刀は侍が持ってるのと違って切れ味が悪いから
敵に深手を負わせる時は刀の背を左手で押す様にして突き刺せとの記述がある。
質の悪い数打ち刀でも刺すことぐらいは出来たものと考えられる。
244 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/09(木) 16:11:49.63 ID:NKhYL/geO
>>242 斬り込むって言ってるじゃん(´・ω・`)切っ先で三寸切っても死なんがな。
276 :名無しでいいとも!:2011/06/10(金) 18:52:07.41 ID:O+/8/tb20
>>244 だから加藤はナイフで刺してんの
斬りつけてはいない
277 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/10(金) 20:19:44.27 ID:Vfi+QDe8O
>>276 三寸は深さな(´・ω・`)斬り込むであって斬りつけるとは言ってないじゃん。
サバイバルナイフは刺して真っ直ぐ引き抜く構造じゃないでしょ?抜く時に刺し口が広がって切れるよう抜きやすいようになってるじゃん。
279 :名無しでいいとも!:2011/06/10(金) 21:14:25.79 ID:O+/8/tb20
>>277 ああ、認識よりも言葉の使い方に問題があったか
ナイフで刺されることで負った傷口は世間一般では「刺し傷」というんだよ
斬り込みという表現を使った場合は刃物で切られた傷口のことを指す
↓
きり‐こ・む【切(り)込む/斬り込む】
[動マ五(四)]
1 刃物で深く切る。「肩先深く―・まれる」
>抜く時に刺し口が広がって切れるよう抜きやすいようになってるじゃん。
サバイバルナイフについてどんな認識を持ってるのか知らんけど意味がわからん
それに加藤が使用したのは両刃のダガーナイフな
282 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/10(金) 22:46:51.83 ID:Vfi+QDe8O
>>279 加藤が使った形状のナイフをサバイバルナイフorダガーナイフと呼ぶのにどう違いがあるのか知らんけど
内臓傷付けて引き裂く為にギザギザ付いてんでしょ(´・ω・`)?対象の抵抗と手首の返りで抜く時に傷口ひろげてすんなり抜ける構造になってる
包丁とか通常のナイフの刺し傷とは明らかに違うから
枕か布団で試すといい
通常の刺し傷じゃああも殺せない
283 :名無しでいいとも!:2011/06/10(金) 23:36:19.45 ID:O+/8/tb20
>>282 ダガーとサバイバルはまったくの別物だよ?
その証拠に事件後ダガーは刺傷を与える武器として以外の使用途が無いとの理由で発禁になったけど
サバイバルはアウトドアグッズとしても普通に売られてる
それとサバイバルの背のギザギザのことならあれノコギリだよ?
内臓傷つけるってどこの誰情報なんだ?
もう止めときな、あんた色々詰んでるからw
284 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/10(金) 23:47:28.95 ID:Vfi+QDe8O
>>283 アホか?(´・ω・`)
日本刀の形状云々でいちいち細かく議論してんのお前?
必死で検索してまんま言葉の意味だけとか(´;ω;`)アホすぐる。
サバイバルナイフこの事件のせいで形状で規制の対象になってるものがあるんだけど?
加藤は刺して上下に切り裂いて抜いてんの(´・ω・`)
切腹も刺し傷とか言いかねないレベルのアフォだな。
286 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:09:42.82 ID:y3P4yv7t0
>>284 >日本刀の形状云々でいちいち細かく議論してんのお前?
???
ナイフの形状の話してんのに意味不明w
>サバイバルナイフこの事件のせいで形状で規制の対象になってるものがあるんだけど?
ダガーと違いサバイバルナイフそのもののジャンルは発禁になんかなってないぞw
その証拠にあんたの言う傷口を広げるためのギザギザ(ノコギリも知らないでやんのw)付きのもなw
>加藤は刺して上下に切り裂いて抜いてんの(´・ω・`)
はいソース
仮にそうだったとして抜き方どうこう以前に世間一般では刺し傷か刺傷には変わらんけどw
>切腹も刺し傷とか言いかねないレベルのアフォだな。
切腹は書いて字の如く『腹を切る』行為なんだけどw
287 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:24:53.55 ID:h8WxQ61FO
>>286 日本刀の形状でもいちいち議論してんのかって言ってんだよ(´・ω・`)ほんとアホだな。
288 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:31:19.54 ID:y3P4yv7t0
>>287 ???
日本刀の形状「でも」と付け加えたところで意味不明だわなw
>>282 の
>加藤が使った形状のナイフをサバイバルナイフorダガーナイフと呼ぶのにどう違いがあるのか知らんけど
を論理的に否定乃至、ナイフの違いを懇切丁寧に判り易く説明して差し上げたんだけど理解できなかった
どころかトンチンカンなところに話を飛ばすとか既に詰んでるよあんたw
289 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:34:08.65 ID:h8WxQ61FO
>>286 マジでお前がアホすぎて…(´;ω;`)
カッターナイフで人殺したらカッターナイフ規制されんのかよと
汎用性高いサバイバルナイフそのものが規制されるワケないだろ(´・ω・`)ハンズでも売ってるわ
全てノコギリだと思ってるアホらしい
アーミーショップ行って聞いてこいよあの事件でサバイバルナイフの種類は一切規制されてないんですよねと
290 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:40:40.29 ID:h8WxQ61FO
>>288 両刃と諸刃の違いを懇切丁寧に定義付けを余すところなく説明して見ろよ(´・ω・`)アホが
こんな認識なんだからダガーなんて規制しなくてもよかったのに。ハットリさん・・・
くせえもん貼ってんじゃねえ豚が。どうでもいんだよ
291 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:43:00.47 ID:y3P4yv7t0
>>289 >カッターナイフで人殺したらカッターナイフ規制されんのかよと
おいおい今度は極論ですかw
規制されたダガーは刺傷を与える武器として以外の使用途が無いとの理由で発禁になったと説明してるw
>汎用性高いサバイバルナイフそのものが規制されるワケないだろ(´・ω・`)ハンズでも売ってるわ
???
こちらのレスのどこにサバイバルナイフが規制されたなんて書いてありますか?w
>全てノコギリだと思ってるアホらしい
ノコギリ用途以外があるのならソースをお願いしますねw
>アーミーショップ行って聞いてこいよあの事件でサバイバルナイフの種類は一切規制されてないんですよねと
サバイバルとダガーが別物だというこちらの主張と一部が規制されたことを結び付けてもあんたの主張とは無関係だよw
ダガーというジャンルそのものは規制されサバイバル(傷口を広げるギザギザ付きもw)は今も売られて
いるという事実があるんでねw
292 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:47:15.38 ID:h8WxQ61FO
>>288 詰んでると思ってる相手にあれこれ長文とか(´・ω・`)
詰んでると思ってるのに延々と駄レス続けるのって意味あんの?
293 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:47:31.42 ID:y3P4yv7t0
>>290 両刃はダガーのことだけどまさかあんたは背にノコギリ刃が付いていれば使用途を同じくする
刃物として同義だとか言わないよね?
そこまでバカじゃないよね?w
294 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:48:24.73 ID:y3P4yv7t0
>>292 詰んでるのに素直に認められないあんたよりはマシだよw
969 :
日本@名無史さん :2011/06/11(土) 01:15:30.09
ガキのケンカワロタw
ファビョったオタクの典型例ですな
296 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:52:06.45 ID:h8WxQ61FO
>>293 日本刀の両刃と諸刃も定義付けで説明出来ないのに
何が懇切丁寧になんだろ(´・ω・`)
駄レス繰り返してるんでちったぁスレに役立てや(´・ω・`)
297 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:53:45.82 ID:y3P4yv7t0
そもそも
>>236 からしておかしいんだよな
ナイフで数名を刺傷させた加藤を例に挙げて日本刀の「切れ味」についての証明とするのがもえねえw
刺傷の証明なら刃こぼれや脂関係ないことになるw
298 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 00:54:18.80 ID:h8WxQ61FO
>>293 飛躍し過ぎて意味が分からない(´・ω・`)???
諸刃と両刃の違いと同ずる部分早く余すところなく説明しろよ
299 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 00:57:23.88 ID:y3P4yv7t0
>>296 はい論点ぼかしのミスリードねw
ダガーとサバイバルナイフの相違点について説明してあげてんのに日本刀の両刃について
定義しろとは意味不明、というかレスに窮してる証拠だわなw
んで加藤は刺して上下に切り裂いて抜いたのソースはまだですか?w
301 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 01:00:00.41 ID:y3P4yv7t0
>>298 この程度のこと指摘されて飛躍かよw
早く加藤は刺して上下に切り裂いたのソースをお先にどうぞw
304 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 01:08:23.50 ID:h8WxQ61FO
余りにスレチなので戦国交えて例えてやる
お前みたいなのがあの有名な本多だったら
家康が『この刀傷一つ一つが三河武士の鏡だ』と感謝しても
『これは槍で突かれてたので刀傷ではありませぬ』『これも矢で射られたので刀傷ではありませぬ』
『………。』
とかなるんだろうな
油揚げで頭打って死ねばいいのに(´・ω・`)
305 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 01:12:29.69 ID:y3P4yv7t0
>>304 三河武士の鏡だ ×
三河武士の鑑だ ○
>>279 でも指摘したけど結局日本語不自由な人ってだけでしたね
アホ臭w
306 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 01:13:48.57 ID:h8WxQ61FO
>>299 両刃と諸刃も説明出来ないのに(´・ω・`)ぷっ
サバイバルナイフとダガーの相違点?じゃあそれだけで完璧なんだな?
ソース?自分で探せよ暇なんだろ?
307 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 01:17:23.64 ID:h8WxQ61FO
>>305 2chで返還ミスっただけでなんなの?(´・ω・`)
詰んでるって言っときながら延々相手してる矛盾は感じないの?
死ねばいいのに
310 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2011/06/11(土) 01:23:39.92 ID:h8WxQ61FO
>規制されたダガーは刺傷を与える武器として以外の使用途が無いとの理由で発禁になったと説明してるw
発禁でなく販売禁止ですね(´・ω・`)ダサッ
脳と五体不自由ですか?
311 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 01:25:01.61 ID:y3P4yv7t0
>>306 そこに活路を見い出してる様だからそろそろバカ潰すかw
いいかい、日本刀の中には諸刃造というものも存在する
一方、両刃はというと日本刀以外のあらゆる刀剣を包括して使われることが多いので
ダガーもこれに該当すると考えより適切な言葉として
>>279 で両刃と表現した
んで、これとダガーサバイバルの相違点となんか関係あるわけ?w
言葉の用法としては日本刀でも概ね両刃/諸刃で通用するけどw
312 :名無しでいいとも!:2011/06/11(土) 01:26:12.34 ID:y3P4yv7t0
>>310 www
発売禁止の略なんだけど日本語知らなかったかw
974 :
日本@名無史さん :2011/06/16(木) 13:39:24.26
975 :
日本@名無史さん :2011/06/20(月) 03:27:40.68
蜻蛉斬り
南相馬へボランティアに行って津波で汚れた遺留品の洗浄作業したんだが こんな所に真剣まである南相馬すげぇ(;´Д`)
いったいどれだけの武具甲冑が失われたのか。
979 :
日本@名無史さん :2011/07/28(木) 17:05:47.08
そうしてみると、関東大震災や戦災で失われたものってのは・・・
第2次大戦では城ごとあぼーんが多数あっただろうな
982 :
977 :
2011/08/20(土) 00:03:11.75 ちなみに小高区(福島第1原発20km圏内)のも 自衛隊の方々が最大限回収されたので 回収されずに放置されてるのはあっても一握りのはず