1 :
日本@名無史さん:
横井小楠
ジョン万次郎に比べて知名度低い音吉
>>1 いきなり微妙なのを挙げたな
高校の教科書には出てるが、実際の業績はイマイチ不明。
老年に近くなってから学問の積み重ねと温和な人柄が認められ、有名人と交流があったぐらいだろ?
吉川人物業書読んでも具体的な実績が分からなかったな。
岡本大八とか小物はNG?
5 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 10:55:13
北条時宗
6 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 11:36:24
7 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 11:46:59
>>2 日本に戻らなかったんだから仕方ない。
アメリカ系では彦蔵も万に比べて無名に近いな。
長宗我部って教科書に出てたっけ
9 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 12:27:35
>>6 教科書には載ってるけど一般的にあまり目立ってないと思う。歴史上唯一といってもいい外国からの侵略を退けた最高指導者なんだから(たとえ神風が勝因としても)鎌倉武士も含むてもっと目立ってていいと思う。
10年くらいまえに和泉元彌主演で大河になったけど全然いけてなかった。
現在だと楠正成なんかも知名度低いんじゃない?
11 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 14:25:36
楠正成は現代から見れば分裂王朝の負け組についた一武将でしかないし。
むしろ名前を知られてるほうが異常。
何故か知名度が低いと思うのは星亨だな。
良いも悪いも現代日本の政党政治家の祖だろう。
原敬も星の作った基盤の上で首相になったわけだし。
>>9 学校で先生に、各執権・将軍の初代、三代、八代は必ず覚えなさいって言われたっちゃ
範頼とか時々かわいそうな気がするわな。兄と弟の知名度と差がありすぎて。
>>12 十五代と二代も、
覚えておいた方が良いと思う
16 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/11(土) 16:45:01
古代
徳一(著作が現存しないせいか)
金剛三昧(経歴不詳とはいえ、行動範囲は偉大。インドまで行ったとされる)
歓喜(空也に比して)
赤染衛門(清少納言、紫式部、和泉式部に比して。確定される著作がないせいか)
中世
慈円、明恵(法然に比して、とはいえ宗祖でないので致し方ないか)
九条兼実(この辺を無視すると、いきなり鎌倉幕府が朝廷に代った様に見える)
北条時頼(息子に比して)
宥快(立川流は有名)
木沢長政(信長より前で、家が続かなかったせいか)
近世
呉春、岸駒(応挙、山陽、蕭白らに比して)
近代
下村観山、菱田春草(大観に比して)
17 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/11(土) 16:52:08
徳一の著作ですが、最澄との論争ばかり頭に浮かんで、全く現存しないかの
様な書きぶりでした。訂正致します。
源為憲(慶滋保胤に比して。この時代の俗人では、比較的現存する著作が多い)
山野野衾さんは御本名で知名度が高いのか低いのか。
19 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 19:33:44
>>15 えっ、北条貞顕も日本史頻出人物でしたか。
20 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 20:28:19
平安時代の学者文人のほとんどでしょ。女性だけが文学を
やってたかのようなイメージが出来てしまったから。
21 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 20:35:02
ペトロ岐部
>>20 「紫式部の父」扱いでしかない藤原為時が不憫です。
「菅原孝標女」の父と兄も。
それを言っていたら本名の伝わらない女性はどうかという女性がたまにいます
が、そもそも本名が今ほど必出の時代ではありませんでしたからね。
鈴木大拙
24 :
日本@名無史さん:2010/09/11(土) 23:24:58
>>15 3代目で全盛、8代目で転換期、15代目で滅亡という法則にしたいのに
16代執権北条守時が崩しているので困るんだよね。
25 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 00:03:33
「逆説の日本史」に影響されてますが藤原隆家をもっと目立たせてほしい。刀伊の入冦を退けた救国の英雄。貴族なのによく頑張った!感動した!
>>13 駅のホームでの乗り降りに気をつけて云々というアナウンスを聞くたびに、乗り降りが範頼と聞こえてしまう俺の様なヤツもいるw
27 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 00:49:14
謎解き紀行シリーズで有名な関裕二先生、
高名な学者ではないし、松本清張のような大作家でもないけれど、
そういう権威を背負っておらず、自説に誤りがあればいつでもひっこめられるエッセイリストという自由な地位は大胆な仮説を唱えるのには非常に有利です。
自ら作ったシナリオ通りに史料を集め、村井局長を起訴した東京地検特捜部のような過ちを九州はも畿内派の人も犯しているのではないでしょうか?
>>19 金沢貞顕は執権在任期間十一日間
日本史上、最短政権記録保持者
在任中行った仕事は辞任だけ
北条一族による支配体制崩壊の
象徴的出来事だった
歴史好きには知ってて当然でも一般にはってことだと、
古代だと継体天皇
中世だと八幡太郎義家、悪左府頼長
室町の義教
戦国の今川義元
近代•現代の鈴木貫太郎、米内光政
この辺は重要人物の割りに知られてないかと。
悪府と米内は教科書に名前乗ってるし、やった事を学校の授業で教えるにも難しいだろ
33 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 06:11:02
八幡太郎義家は超有名。イマイチなのは親父のほう。
細川頼之も一般的にはどうだろう。
吉良義央に知名度を奪われた高師直
道元は有名ですが、道元の父親はあまり有名ではありませんね。
後、本人は有名でも禅以外の功績(勧進や祈祷)が知られていないのが栄西。
栄西の功績で最も有名なのはお茶
38 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 10:33:05
京極為兼
39 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 10:41:53
悪神香香背男
経津主神・武甕槌命に討たれるまでは関東の大王だったのだ!
40 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 11:08:03
神様ではニギハヤヒノミコトだろう。神武が来るまで大和、河内の
王だったんだから。
41 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 12:54:06
征夷大将軍坂上田村麻呂。
幕末もの、戦国ものはもうおなかいっぱいだし、そろそろ大河ドラマにどうだろう?
42 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 13:54:43
坂上田村麻呂を入れたら、
「東北独立を求めたアテルイを謀殺した大和朝廷許すまじ」になっちゃうじゃん。
日本国の統合に反する題材なんだよ。
それに文藝春秋が数十年間執拗に、アテルイと同郷の小沢一郎を金権横暴と唱えて叩いて回る(しかも証拠なし)のと
比較され、NHKを含む文藝春秋連合の行為の方が不正なのでは、と国民に疑念を抱かせてしまう。
>>42 小沢一郎を彷彿させる蝦夷の悪路王アテルイを菅総理と同じ済州島出身の田村麻呂が討取って、
蝦夷のマツロワヌ者どもを王化するというストーリーでいいじゃないですか。
愛だの何だのともったいぶった思想を持ち出すより、
戦わずして降伏するのではなく、アテルイ達が蝦夷としての矜持を見せて散っていったことが、
蝦夷は恐るべしという印象を後の世に残し、奥州藤原氏や伊達氏、そして現在の東北地方の繁栄につながっているのです。
どの時代も、武将に比べると公家や僧(宗派の祖は除く)の知名度は低いね
45 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 20:04:22
ペリーの前任者ビッドル
そりゃ現代だって閣僚や国会議員は知ってても
僧侶なんて一人も知らんからな
48 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 20:54:03
>>46 インゲンさんやタクアンさんだって美味いぞ
天海は知られてるだろ
崇伝とセットですね
しかしそれは徳川光圀と同様、実在の人物とかけ離れた姿での知名度。
宇宙戦艦ヤマトと戦艦大和を同一視するようなレベルかも・・・
大伴部博麻
長崎円喜
子供の方は、小学館のまんが日本史に登場していたが、
実際のところどっちが大物だったのだろう?
道鏡
道鏡の 正座はひざが 三つあり
奈良のラスプーチンとしてけっこう知名度はあるんでないの
58 :
日本@名無史さん:2010/09/12(日) 23:56:37
>9
少なくとも「神風に助けられた」は、ほとんどフィクションに近いレベルの話だろ?
1回目は「これぐらいで勘弁してやるわ」(T_T) とはいえ、いちおうは脅し目的であって侵略そのものを目的とはしていない時期だし、
だいたい、このときには台風そのものが来ていない。
海岸部で膠着状態に陥ったと思ったら、ある日いきなり退却してていなくなってただけの話。
二回目は、海岸部で粘って守り通して2ヶ月ほど戦い続けたら台風シーズンだから順当に台風が来ただけだろ?
いわば「いつものように台風が来るまで粘り抜いた」わけで、
粘ったこと自体、軍事的に評価するべきであって、幸運にも台風が来たということの意味が過大評価されてただけな気がする
あのときの幕府の頑張りはスゴいよな。
>6
ちょうど朝廷で両統迭立が始まった時期そのもので、極めて重大な事件だったのに、
両統迭立関係の話題が完全省略の問題ドラマだったなあ。
>12
鎌倉幕府の8代将軍だけは覚えなくていい
>15
2代目は覚えなくていい人の方が多くないか?
59 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:04:24
>16
木沢は活動範囲が少し狭すぎた。
いちおう、戦国時代の主要大名たちと互角ぐらいの影響力はあった気はするが、
主君に成り代わって国主となることがなかったのが原因かも。
>26
範頼は急いで願います
>27
何冊か読んでみたことはあるけどさ。
むしろフィクション作家のような気がするな。
テーマが違う著作どうしで整合性がとれてなかったりもするだろ?
>29
神戸福原(旧・福原京)攻略の総司令官までは勤め上げただろうに。
むしろ、別働隊に過ぎない義経に手柄をとられすぎてる気がする
範頼の手柄まで、後には義経の功績に化けてしまったという意味で。
>>9 日本が神国であるという内容は都合の悪い人たちが居ますからね
中学校の歴史の授業でやたら神風を強調するのもそういう心理でしょ
俺の時は「高麗の人々が手抜き工事をしたから台風で沈んだ。高麗のおかげで日本は救われた」
「日本は高麗の救援要請を断った」とか必死で朝鮮人持ち上げてた赤教師居たけどw
高麗王が日本攻撃をフビライに執拗に要請してた事実は無視なのなw
>>57 一般には巨根の話が知られていないって事かと
まあ高校の授業で巨根エピソードを教える必要は皆無だけどw
ボウズは基本的に文化の分野に登場するし寺や宗派とセットで覚えて終わりになりがちだな
道鏡の巨根話は、そもそも『続日本紀』に出て参りませんし。
下世話な話の始まりは『日本霊異記』ですが、巨根ネタは無かった筈。
『水鏡』からじゃありませんか。
『日本霊異記』で確認してみると、薦槌とありますね。それなりに大きそうです。
『水鏡』には、直接的な描写はなし。
張り型の記述が出て来るのは、『日本紀略』や『古事談』。
『古事談』では、道鏡のものをなお不足におぼしめされて、山芋をつっこまれた
のが、女帝の死因とされています。
なお不足にというからには、それなりの大きさがあると考えていたものか。
>61
そもそも、世界中どこを見渡しても、神国でない国など無い。
日本だけが神国だなどと奇怪なことをいうのはよくない。
という見解もあるな。
たしか戦前の有名な政治家の言葉じゃなかったっけ?
坊さんの知名度ナンバーワンは御大師様だろ。
行基とか鑑真の方が有名
中国の詩人に喩えると
行基=曹植
空海=杜甫
最澄=李白
こんな感じだろう
69 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 18:05:19
>66
いや、やっぱり一休さんだろ
主にアニメの作用で。
御大師様は若年層への浸透がいまいちだから。
(逆に一休さんは中年以下じゃないと知らない人が多いのかもしれんから、大差ないか)
>>69 中年(35〜45)こそ一休さん世代かと。
71 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 19:22:36
アニメ以前から一休とんち話は、子ども向けの伝記物でよく読まれたわけだが。
アニメ以前はとんちといえば彦一だった
今の子に一休さんって言っても通じるかどうか
30代以上の人向けじゃね?
まあ20代以下が一休以外の僧を一休以上に知っているかといえば
アレだが
>70
「より下」じゃなく「以下」なんで、中年までは含む。
オレも中年だし。
>73
たまに再放送もあったから、知名度ゼロではないと思う。
まあ、ほかに面白い子供向け番組が多いから、見てない子供の方が多いかもしれんけど。
>>66 地域によるでしょうね。うちの田舎では、幼児でも知っていますが。
大師堂があちこちにあるので。
76 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 21:37:00
ニニギに責められて、ニギハヤヒに裏切られて殺された大和の王「登美彦」。
登美彦は、十三彦、意富彦(大彦)、もしくは鳥見彦ともいい、渡来系騎馬民族に滅ぼされるまでは日本を広く支配していた。
稲荷山鉄剣銘文で有名な意富彦も彼のこと。
前方後円墳が一挙に東北南部まで広がったのは、ニニギが意富彦に従っていた諸王の地盤を受け継いだからだ。
>>76 騎馬民族渡来説って
昭和時代に消えた説じゃないか
78 :
日本@名無史さん:2010/09/13(月) 23:13:48
>>77歴史は繰り返す。
ニギハヤヒとニニギは同じシュメール系の王族だし、
揚子江流域から東シナ海を渡って直接日本に渡来したニギハヤヒの作った国出雲を
朝鮮半島を経由して騎馬民族である扶余族を従えて後から渡来したニニギに譲ったという話が記紀にも載っている。
ニギハヤヒはニニギの持っていたヤホウェを見て実の兄だと知る。
そして、居候していた登美彦を裏切って兄ニニギとともにヤハウェの国邪馬台国建国に命をかけるのです。
なんだか書いていて感動してしまいました。
ニニギ命、山幸彦、神武天皇にくらべてとても知名度の低い
ウガヤフキアエズ命
81 :
80:2010/09/14(火) 06:39:41
訂正:神武はニニギのひ孫だ。
ウガヤフキアエズは事跡がないから知られていなくて当たり前。
大和の王はトミヒコではなくてニギハヤヒだった。記紀はごまかしている。
古代の婚姻制度を考えるならニギハヤヒはトミヒコの族の居候ではない。
ニニギも隼人の酋の入り婿になっている。
82 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 14:54:41
豊田佐吉
苗字のとおり、あの企業の創業者。
でも影薄い・・・
本田とかは輝いているのに。
83 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 16:08:55
西郷と一緒に入水した月照
>>82 織機屋だからしかたないな。
渋沢よりも知名度低いな。
渋沢さんも功績の割に知名度低いよなぁ
86 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 19:42:49
寅吉
新田義貞
幕府を滅ぼした人のなかで一番知名度が低い
88 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 20:38:54
俺の暴れん坊チンぽ
89 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 21:36:55
中岡慎太郎が竜馬とのかかわりでしか知られていないのは残念だ。
90 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 21:41:12
山名も赤松も京極も個人名が出てくるのに
誰がいたか思い出せない一色
91 :
日本@名無史さん:2010/09/14(火) 22:30:07
黒田官兵衛
>>22 菅原孝標女の父は菅原孝標じゃん。小学生でも解るじゃん。
94 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 07:14:46
>>92 一色紗英の本名は畠山紗英なのでから、一色は無関係だろ
本名は三管領家なのに
芸名は格下の四職とはたまげたなあ
97 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 15:09:44
江戸時代の学者文人詩人も平安時代ほどではないにしても
知られなすぎる。一茶や川柳のほうが著名だなんて異常だね。
>>97 その辺りの文化人は明確なジャンル訳そのものが無理だろw
林大学頭は有名だな。
問題は大学頭になってない羅山以外の個人名が出てこないことだw
100 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 17:01:12
藤田東湖
>>99 幕末から戦前にかけて外交で活躍した人に林という姓が多いけど、この一門と関係はあるんだろうか?
>>97 文人画家として優れた人々も多かったのに、無名ですね。
おかげで一部の雲上人を除いて書画が安く買えますが。
大墓公阿弖利爲(アテルイ)は有名だけれど、アテルイといっしょに戦った盤具公母礼(モレ)のほうは記憶から漏れてはいませんか?
しかし、大バカ公とはよくもまあひどい名前を付けたものですね。
蘇我 馬子
蘇我入鹿
と同じように、大和の人間は、人を食ったような戯言(ざれごと)が大好きだったことがわかります。
林子平なんかはなんで林なの?
中国大陸沿海州の靺鞨族には林さんが多いようです。
大和朝廷が坂上田村麻呂を送り込むまでは、東北地方は靺鞨族の支配する国だったのです。
多賀城碑にも靺鞨のことが書いてあります。「去靺鞨国界三千里」
靺鞨国のあったあたりは、今では吉林省と呼ばれています。
106 :
日本@名無史さん:2010/09/15(水) 22:31:30
広沢真臣
>>106 どっかで傷跡を再現した人形見たのがトラウマだわ
たしか東大のコレクション
医学部とか理学部とかが持っていたものをまとめて博物館を作ったときに、展示されていたような感じ
大正デモクラシーの思想家では吉野作造に比べて福田徳三とか。
当時においては吉野よりも福田の方がずっと知名度高かったって話だが
いま福田を顕彰してる人って一橋のお弟子さん筋だけのような気がする。
あと日本資本主義論争の口火を切った高橋亀吉も汁人ぞ汁って
感じになってるような。
カワイソス(´・ω・)
111 :
日本@名無史さん:2010/09/16(木) 22:17:18
融通念仏宗の開祖、良忍。
一応オーソドックスな仏教13派のひとつの開祖だよ。
教科書に名前くらいあってもいい。
真如法親王
>>111 その基準で教科書を作っていくと歴史はますます「覚える科目」になっていくぞw
114 :
日本@名無史さん:2010/09/17(金) 21:24:05
賀茂真淵
加茂氏の直系をいわゆる谷津に好んで澄んだ加茂氏、
生業は、河川交通の利権の管理でしょう。
かもねかもね、そ〜ぉかもねっ
116 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 00:11:51
紅音ほたる
>>101 君が代を作曲した林廣守は代々朝廷に仕えた人物だな
119 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 07:12:57
真淵は宣長の師匠としてまあまあ知られてる。もっと知られるべきは契沖だね。
ところで、真淵の著作で今でも思想史の資料として以外の価値があるものってある?
契沖の万葉注釈や仮名遣い論は研究者必読だけどね。
120 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 13:42:24
井上毅
121 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 14:10:03
伊東巳代治も憲法制定に携わったり
枢密院のラスボスと呼ばれた明治の大物政治家なのに
知名度がいまひとつ
122 :
日本@名無史さん:2010/09/18(土) 23:34:03
>>120 だいたい名前が正しく読める人がどんだけいるかw
大久保一翁も活躍の割に知名度低い人物かと思う。
勝海舟や篤姫にならぶ幕末幕府のキーパーソンなんだが。
あーよかった
こわしで合ってた
劉秀
グスタフ・アドルフ
ケマル・パシャ
この辺世界史上数指のチート人物なのに知名度低すぎ
125 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 00:30:36
>>120 明治14年の政変、裏で糸引いてたとは
こわし
126 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 00:44:21
俺
>>124 20年くらい前の高校世界史では花形だったような。
指導要領が変わるとスターも変わりますね。カワイソス(´・ω・)
128 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 08:14:28
契沖が既に上がってるとは・・・
しかしその系譜で一番有名な本居宣長にしても
普通の人は何をした人か知っているものかね?
思想系の人全般が軽んぜられていると思うのは俺だけか・・・
水戸黄門
漫遊していたのは確かだけれど、それは世直しのためではなく歴史研究のためだったし、
むしろ、幕府や他家のお家事情には一切介入せず、ひたすら大日本史の編纂に生涯をかけた。
水戸黄門の偉業は、『史記』の著者・司馬遷や『三国史』の著者・陳寿を超えるものだった。
130 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/19(日) 10:08:37
>>120-121 まだ出ていない金子堅太郎。
無駄に(?)長生き。
三条公美や西園寺公望も、存在感が今一つですね。
>>129 そうなのか? あれは北条時頼をモデルにしたフィクションだと思ってた。
132 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/19(日) 10:37:25
>>130 三条実美だし。書いた方も間違えるとは。
公美は息子だわさ。
134 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 12:55:52
黄門様は旅してなくてスケさんカクさんが史料集めの旅したんじゃなかったけ?
とにかく黄門様は講談浪曲映画テレビのおかげで知名度が高すぎる。
135 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 13:02:41
尼子経久が知られてないな。
136 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/19(日) 13:42:32
>>135 北条早雲は有名(でも伊勢盛時は無名に近い)なのですが。
清浦奎吾は、書はよく見かけるのですが、本人の知名度は低いですね。
短命内閣で、一般人には総理以外の経歴は無視されるので、仕方が無いですが。
スクールデイズの登場人物の元ネタでは、一番マイナーかもしれません。
>>124 劉秀は、光武帝の方が有名だろ
金印のお陰で
138 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 16:14:21
>129
>漫遊していたのは確かだけれど
藩主の時代には江戸に常駐だし藩主を退いてからは水戸藩から出ていないだろ、
どこを漫遊していたんだ?
それと、大日本史の編纂事業は結果的に徳川家の威信を打破する結果をもたらした、ある意味では大失策。
139 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 18:01:34
山片蟠桃
鈴木内閣即岡田内閣と言われていた岡田啓介
142 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 19:39:43
原田実
143 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 20:49:24
頭山満先生
荒木又右衛門
145 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 21:25:31
日本人じゃないけどチャンドラボース。
147 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 21:33:57
大久保彦左衛門より知名度が低い大久保忠隣とか・・・
譜代名門の嫡男で数々の武勲を上げて老中首座に近い立場にあったのに。
やっぱり四天王でなかったのが知名度に響いてるか?
148 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 22:11:18
長尾為景。
信玄や信長のお父さんほどには知られていない。
苗字が変わったからかな。
大久保一族は長安・忠輝の問題で一気に没落させられちゃったからな
150 :
日本@名無史さん:2010/09/19(日) 23:24:25
>>138 栃木県大田原市にある那須国造碑(笠石)は自ら視察に訪れたみたいですよ。
侍塚古墳なども自ら調査いている。
もっとも、大田原は水戸藩の領地だったらしいけれど。
>>147 個々の武勲まで気にして学校で歴史を勉強できるわけがw
こういうピントのズレた人間にはなりたくないと歴史は敬遠されるんだろうなwww
「その当時においてはかなりの知名度を誇っていたのに
現時点では知る人ぞ知るみたいな感じになってる人物」ってのを
縛りにしておけばもうちょっと内容のある書き込みが出てくるんじゃない?
レスの数は確実に減ると思うけど。
ということで丸山真男に対する清水幾太郎。
153 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 03:56:59
んじゃ、哲学者の井上哲次郎
当時日本の言論界でそれなりに注目を集めていた宗教に関する大舌戦があったそうだが
論戦相手の内村鑑三に比べると大分印象薄い
戦時中政府側に立った人で、その後も評価されてるのって和辻哲郎と小林秀雄くらいじゃないかね
他は皆忘れ去られた
そういう立場を撮ったにもかかわらず戦後も注目され続けたのは
この二人がそれだけ軒並み外れた才能があったって事だろうが
彼ら以外にも色々見るべき人はいたと思うのよね
154 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 04:52:02
新渡戸稲造。
お札になったとき「誰この人」だったもんね。
155 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 08:39:37
>>152 その当時の知名度なんてどうやってわかるんだよ。
学校で習わなくても知名度ある人物もいるわけで、個々の活躍がどうとかいちいち指摘するのもどうですかね。
中江藤樹
157 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 09:59:44
>>156 それを言うなら儒学者の全部。国学系と蘭学系ばかりが
知られてるのは変だ。画家でも応挙を別にすれば浮世絵
画家ばかりが知られすぎだ。
158 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 12:49:08
二輪の日本人世界GPライダー。世界チャンプを多数輩出してるし、欧州では知らない人が
いないくらい。スノボの国母選手は海外で名前を知ってるのは、関係者くらいでしょ。
お前は「歴史」を勘違いしてるんじゃないか?w
お前はギネスブックやつまらん蘊蓄サイトでも見てれば良いwww
160 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 15:22:04
↑いや〜偉そうな奴がいるな〜!
さぞや立派な御仁なのだろうが、初めて今このスレ覗いてみて呆れた!
>>160 もう少し上手に煽ってくれよ…
文章にリズム感がなくてイラっとこないよ(・ω・`)
162 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/20(月) 16:10:44
>>157 浮世絵師、それも版画絵師ばかりが知られていると知ったら、江戸期の画家
の多くは唖然とするでしょうね。
文人画家に至ってはほとんど無名。今や大雅も怪しい。
>>161 いや、イラッ!と来たのは、こちらの方なのでスルーで結構ですよ。
164 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 19:09:26
>>162 確かに現在著名な画家は版画家が大半ですね。
一つには、海外で発見され逆輸入したなどのエピソードが後押ししているのでしょうか。
また、そもそもある程度大量にマスメディアで当時からよく普及していたからでしょうか…
当時のメインカルチャーは漢籍なんかの教養がないと分かりにくいってのもあるのかな
日本人に印象派が受けがいいのと同じで、浮世絵はパッと見て分かりやすいという
でも日本では版画家よりも、狩野永徳や長谷川等伯や雪舟や円山応挙や尾形光琳の方が有名だと思う
167 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/20(月) 19:41:13
>>164 とどのつまり、欧米に評価されていないと駄目な様な。
>>165 若冲や蕭白も、そんなところでしょうね。分かりやすい。
江戸期には、甘とか、邪とか言われていた画ですが。
狩野派好みの武家、土佐派好みの公家も、南画好みの文人も今は無し。
国民全員が町人になって、その目で絵を評価する様になった。
現代の江戸絵画への評価は、奇想とか個性に偏っていて、気韻とか格式とか
言った、当時の観点はなおざりにされていますね。
江戸時代に描かれた絵でも、現代美術と同じ目線で評価されている。
失礼、甘ではなく甜で、若冲ではなく応挙への評価でした。
応挙は鳥取の御用絵師であった土方稲嶺にも甘いと批判されていますが、京
都の町人を中心に愛された絵には、鋭さよりも華やかさ、温和さが求められ、
一方、稲嶺の場合は相応の重厚さが必要とされたもので、畢竟、両者の違い
は優劣ではなく、需要と環境の違いであったと思います。
日本最初の近代詩集『新体詩抄』を出したのに
詩人としてほとんど評価されてない外山正一・井上哲次郎・谷田部良吉。
171 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 23:05:25
十辺舎一九
172 :
日本@名無史さん:2010/09/20(月) 23:16:31
美術でそれなら日本の江戸以前の音楽史は悲惨そのものだなw
八橋検校っていちおう学校でも名前は習うはずだが
知名度はゼロに近いだろw
173 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 10:32:08
>>154 新渡戸稲造で「誰それ?」だったら
日本の著名な思想家は福沢のおっちゃん以外全部アウトなんじゃないか
そんな事言ったら山鹿素行も荻生徂徠も林羅山も全員だれそれだろう
儒学者は雨森芳州以外は全滅だな
山崎闇斎は名前の厨二っぽさで記憶に残ってる
176 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 12:55:00
林羅山は知られてるだろ。新井白石は菅原道真と同じで
政治家として知られてる。その他は全滅だ。
昔愛読していた漫画日本の歴史の影響で荻生徂徠はおから好きのイメージがある
178 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 13:11:15
>>175 あの人は一応、垂加神道ちゅうものを創りだして
後の国学や維新志士にも影響が強く
日本思想語る上では絶対外せないはずなんだが
そもそも日本思想語ることがそんなにないから問題にもならんのだな
西郷従道の政党活動もおながいしまつ。
180 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 16:34:12
>154,173
まあ、新渡戸の武士道とかは、
「ソースが無い」レベルのシロモノであって、実態とか中身が欠け落ちてたしな。
あくまでも、欧米人のキリスト教的立場で「じゃあ、日本ではどういう道徳規範があるんだよ」
という疑念に対する回答例として対応づけられただけの物であって、武士の実態とはかけ離れている。
だから日本では知られていなかったわけ。
181 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 16:57:06
松下村塾の創設者 玉木文乃進
182 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 17:03:59
本阿弥 光悦
刀剣・陶器好きしか分からない人物。 イメージが意外に掴め難い点も問題かもしれない。
宮武外骨
ジャーナリストとしては重要。でも、オナニ−研究家の方が有名かもしれない。
183 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 17:26:26
吉田司家の先祖、志賀清林
>>182 光悦は資料集とか副読本では沢山作品が掲載されてたと思う
大まかな流れを追う歴史の授業では文化人は名前と作品名をセットで暗記して終わりになってる事が多いかもな
>>182 >刀剣・陶器好きしか分からない人物。
お茶や書が好きな人にも有名でしょう。
>宮武外骨
水木しげる先生の様な変人マニアには有名。
幕末生まれの有名人としては最後尾で、本人の生涯も面白い。
博打の研究では、故網野善彦先生にも賞賛されていましたね。
186 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2010/09/21(火) 18:57:44
松平忠明
義淵
奈良時代初期の僧正であり、玄ムや行基の師匠なのですが
智光
『日本霊異記』では行基のかませ犬だが、日本仏教の教学書執筆の黎明期に属する人物。
189 :
日本@名無史さん:2010/09/21(火) 22:17:22
>>180 じゃあ山本常朝の方が新渡戸より知名度あるかって言ったら
実際はそんな事無いと思うんだがなあ
坂本竜馬にしてからが、死後ず〜〜〜〜〜っと忘れられてて、
日清戦争のころ、厄払いに担ぎ出されて・・・・
司馬遼太郎のおかげで、超有名人でしょ
学問的にキチンと評価されたことが有るのだろうか。
千葉さなえとかいう行けず後家、そんなことで有名になって恥ずかしくないのか?
それじゃあんまりだということで、実は結婚していたという記録をねつ造してリークした。
あまりにもかわいそす。
>>190 学問的かどうかは知らんが戦前に出版された陸奥宗光の評伝などでは海援隊での龍馬とのエピソードが色々出ている。
維新後、陸奥が長州閥と土佐閥の間を取り持って政友会設立の影の立役者になれたのも海援隊で龍馬の秘書的な役割をしていたからこそだという評価だったと思う。
無論陸奥の観察眼や弁舌があったればこそそのツテが活かされた訳だが。
東京の市民や東北のお百姓の誰もが知っているような有名人ではなかっただろうが、維新史の立役者だった元老達の間で知らない人はいなかったって感じでは?
>>190 ジョン・マンだって井伏の小説がヒットしたおかげで
スターダムにのし上がったてのはあるな。
弟、平敦盛にくらべてなぜか知名度低い平経正。
美形の琵琶の名手にして、「平家物語」「源平盛衰記」
にも一項目起こして紹介されている人物なのに。
194 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 00:16:49
蜂須賀小六
客観的に考えれば、両兵衛の上の地位にいたのに、
二人より知名度は低いし、知っていても盗賊の親玉扱い
これはあまりにも不幸だ
>>193 誰もが知る「歴史上のヒーロー」になるには有名な娯楽作品の主人公になるのが手っ取り早いな
>>194 それをネタに子孫が明治天皇にイヤミを言われたほどだから、
十分有名人かと
197 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 05:15:33
南北朝時代に熱い視線を!
198 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 06:56:51
>>180 新渡戸稲造は農政、植民地政策、外交の分野で活動した人で、
国際連盟事務局次長を務め、戦間期協調外交を象徴する人物だ。
エスペラントの支持者としても有名だ。
199 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 08:26:30
さて「旧石器捏造」から今年で10年になる。2000年の11/5のことだった。
「藤村新一」こいつが何で無名なんだ?
日本考古学会初の「と人」だったのに。
>198
だから、晩年になってから、武士道という著作が問題作だったと反省したんだろ
それにしても、
>国際連盟事務局次長を務め、戦間期協調外交を象徴する人物
現在/現代でさえ、国連(連盟ではなく連合だが)で働いてる日本人の知名度が低いんだからなあ。
過去、歴史上となると、もっと厳しいよな。
エスペラントも過去の物となってしまい、完全に廃れてしまっているし。
>199
発掘じゃなかったら捏造なんて珍しくないからじゃないか?
発掘でも壮絶な捏造物は過去に数多く存在するけど。
どうせ贋造するなら思い切って生きた原人を掘り出してくれたら
よかったのにね。笑えるから。
203 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:13:28
足利義輝
歴代の征夷大将軍の中でも最強の剣豪なのに・・
死に様も壮絶にカッコイイし
辞世の句も素晴らしい
映画や大河ドラマの主役級のキャラなのになぜ扱い悪いのか・・
見苦しくてイヤね
とか
武士たるもの潔く
とか
さんざん叩かれた御仁 でそ
将軍なんぞより、叡山の僧兵の元締めデモしていた方が、
幸せだったような・・・
205 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:24:47
過去レスみたけど有名人ばかりな気がする。
>>203 波乱万丈すぎてドラマに向いてないんだよw
52回のドラマで何回敵が入れ替わるか、その敵も数人ってレベルじゃないし。
視聴者にしてみれば名前を覚えた頃には登場しなくなる人物が多すぎてストーリーについていけない。
207 :
日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:08:25
新渡戸稲造が千葉氏の末裔だというのなら、
千葉胤造を名乗るべきだし、
そうでないなら、いい加減なことは言うなと思いますね。
大体ここでの無名というのは
一般に無名なのかその分野を専攻してる人の中にとっても無名なのか
209 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 05:08:04
実際に知名度を調査したわけじゃないんだし。
もともと自分自身が知らなくて
へーこんな人いたんだ、って思った人物について語るスレだろ。
210 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 07:14:02
児島高徳。
無名で当然だけど、戦前との落差がひどすぎる。『太平記』の作者に
擬せられているが、それが証明されたら知名度がまた上がるだろう。
中浦ジュリアン、原マルチノ、千々和ミゲル
213 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/23(木) 09:22:58
>>208 重要度の割に、一般に無名な人についてかと。
>>210 >『太平記』の作者に擬せられているが、
しかし、南朝方であれだけ活躍した人物について記したものと考えると、武将
としての活躍は一顧だにしていない洞院公定の記述が、おかしくありませんか。
名匠としての誉れのみを記していますし、どうも京都にいた様ですが。
『太平記』も、後醍醐院を必ずしも認めている訳ではありませんし。
落差が酷すぎるは事実ですが、これは『平家物語』、『太平記』の登場人物、歌
舞伎や講談の主人公もですね。
戦前から「今の大学生は『小督局』が読めない」という、嘆きの声も聞かれまし
たが。
214 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:13:04
児島高徳は唱歌になったから歴史や物語での
活躍に比べてずっと知名度が高かったですよ。
広瀬中佐や橘中佐も今はダメですね。
215 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/09/23(木) 11:07:24
>広瀬中佐
『花と蛇』に、静子夫人に広瀬中佐のポーズを真似させる場面がありましたが、
あの時代の成年相手なら、普通に通じたのでしょうね。
『戦国自衛隊』で、「鞭声粛々」を朗詠していた隊員がいて、別の隊員も頼山陽
の作だと分かっていましたが、これも時代ですね。
相対的な知名度の比較ってことでもいいんじゃね?
217 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:38:38
>213
太平記の作者が絶賛してるのは楠木正成だけだったような。
後醍醐帝は少なからず批判されているだけじゃなく、怨霊になって戦乱の世を長引かせようとしたりしてて、けっこう悪い扱いのように思える。
あ
219 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:05:43
チャンドラボース
220 :
日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:07:17
赤橋登子なんか、ねねやお江の知名度考えたら
同じくらい有名でもいいんだが。
太平記における後醍醐帝の扱いは悪帝そのもの。
タイトルと正反対の動乱の世を現出したのだから。
>>217 崇徳院や後鳥羽院と同席ですからね。仲の宜しいことで。
しかし、崇徳院の恨みなくんば後鳥羽院の登極なく、後鳥羽院の恨みなくんば
後醍醐院の登極なしと考えると、立場が対立しそうですが。
ついでに淡路廃帝も。
第1次近衛内閣から第2次近衛内閣の間の総理大臣。
重要度はそれほど高くないからなぁ(´・ω・`)
>>219 中村屋のボース(ラース・ビハーリー・ボース)と比べてどっちが知名度高いかびみょー。
日本史じゃなくて申し訳ないけど
マックス・ヴェーバーと比較してヴェルナー・ゾンバルト。
出尽くしちゃったか
うん。
>>225 >>222の四帝は、『太平記』に怨霊として出て来られる面々ですよ。
井上皇后も登場しますが。
祟道天皇や安徳天皇は未登場ですね。
229 :
日本@名無史さん:2010/09/24(金) 21:46:57
白隠禅師
山川出版用語集の頻度値ゼロってどうよ。
チョット逆説的だけど
聖徳太子 って実在したのかね
皇を取って民とし民を皇となさん、という割には魔の世界も皇が上席なんだよね・・・
232 :
日本@名無史さん:2010/09/24(金) 23:57:11
235 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 01:47:32
土方久元、田中光顕
土佐=リベラル民権イメージによって排除されがちな
薩長藩閥以上の超保守派な元郷士って面白いんだけど。
星亨 は明治の政界で薩長藩閥打破の先頭を走っていたのだが、
元幕臣の剣豪(当時は東京農大学園長)を怒らせて斬死させられてしまったので、
佐幕派の作家達は決まりが悪いのか、みんなスルーしてしまう。
>>236 与党の幹事長クラスの人が東京都の教育委員?に頃されたんだよね。
dでもないスキャンダルだよね。
殺されなければ、原敬より前に江戸出身平民宰相の座も夢ではなかった。
陸奥宗光も期待して取り立てた人間だったのに。
実力者だったから党首にはなれた可能性は高いだろうな
でもあまりにもスキャンダルの種が多いから明治天皇が健在のうちは首相にはなれなかっただろうな
やはり日本で思想家が陰が薄いのは
実際に行動する事を重んじる武士道の影響かね・・・
北一輝とか吉田松陰とか実際に自分で行動した人は名前が知られているし
やはりそういう事なのだろうか
そういう意味では純粋に思想活動だけで有名な本居宣長は稀有な存在かもしれない
241 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 10:01:58
近世以前の思想なんて、全く別の文明体系なんであって
易だの朱子学だの唯識だの倶舎だの有職故実だの
上辺だけならともかく本格的に学んで
魅力に取付かれでもしたら、奥が深すぎて人生おわる。
人文学的教養なんて範疇には全く収まりきらない。
教育上よくないから意図的に排除してあると聞いたことがある。
近世以前はひっくるめて
みんなゼンとかブシドーなんて感じにしとくのが無難。
香川敬三
243 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 10:52:51
蟹江照之、という名がネガとして浮かぶ
244 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 10:59:59
平貞盛。
子孫が振るわなかった藤太秀郷のほうが有名なのが解せん。
245 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 13:03:27
>>241 なるほどと思うところもあるが
ただ明治期以降の思想家も知名度がいまいち低いというのは
やはり日本では実際に動いた人間だけが評価されて
思想家が評価される土壌が無いからなんじゃないかという気がしてくるよ
246 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 20:04:38
明治以降の思想家で超有名なは福沢諭吉と丸山真男だな。
丸山信者は福沢諭吉をひっぱたきたかっただろうけど。
247 :
日本@名無史さん:2010/09/25(土) 20:19:10
徳田球一。
占領時代の共産党そのものだったから、70代、60代では知らない者は
ないが、その後の世代では知ってるほうが少ない。
野坂参三も忘れられて久しい。
248 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 01:09:41
大石恵三
小渕内蔵助、という名がネガとして浮かぶ
251 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:28:05
石田正澄(三成に兄がいたなんて、最近知った)
織田信広(信長の腹違いの兄、弟があまりに凄すぎた…)
253 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:35:04
新宮十郎
>>245 中江兆民みたいな思想家としては殆ど省みる価値のない人が
あれだけ知られてる辺りからして、やはり活動家じゃないといかんのかね
>>254 議員になってエキセントリックに去ったからだろ
近代史ではジャーナリスト的要素を持った人物は過大評価され易い傾向にあると思う
「なぜか知名度が高い人物」のスレになっちゃった。
>>253 行家は義経物のドラマでセットで出てくるから
小物なりに知名度があるほうだと思うが。
それよりは志田三郎先生のほうが、当時の存在感の割りに無名に近い。
258 :
日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:48:19
鎌倉悪源太
>>246 「信者」ってことで言えば丸山自身が福沢信者でしょ。
260 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 00:51:28
公暁
実朝を殺し、自らも討ち取られて短い生涯をとじたけれど・・
一説では鶴岡八幡に出向いてさえいない、という話。
暗がりの中で実朝と朝廷から派遣されていた人々が刺され、
公暁が犯人だということになって、その日のうちに屋敷ごと潰され抗弁の余地もなかった。
まちがいなく公暁が犯人だが、その黒幕が定説のとおり
義時だったかどうか。実朝と義時を狙ったフシがある。
とにかく、一般に暗殺者の名前は記憶されないものだ。
最大の例外はオズワルド。
知名度が低い・・・
時の最高権力者で、なおかつ歴史のターニングポイントを作ったのにも関わらず・・・
という意味ならば
細川政元あたりかなぁ
264 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 06:35:57
くぎょうなんて単なる暗殺者の名前なのに
小学生でも漢字まで覚させられる超有名人じゃねーか。
入宋時代の道元に弟子入りした中国人の
正体がそいつでした、なんて映画があったが
公曉が超有名人だって前提じゃなきゃ
そんな話つくらんだろ。
出尽くしたんじゃないの?
>>236 テロで思い出しました。塙保己一(息子が某人に殺されている)。
ヘレン・ケラーが彼を知っていたという話がありますが、日本では無名。
ケネディが知っていたという上杉鷹山は、ローカルな人なので必須とすべき
かは微妙ですが(でも記者には必要)、塙保己一は知っておくべきです。
下手をしたら、上田重安に討ち取られた塙の方が、知名度が高いやも。
彼と、近代なら高楠順次郎には、いくら感謝してもしきれません。
ヘレンケラーが世界の知覚障害者の情報を集めてたのか?
それはそれで驚きだが。
山田孝雄
時枝誠記
まあここの住人だったらみんな知ってるんだろうけれども
業績の割に知られて無すぎなんじゃないかと
いやだって他に並ぶ業績ある人いないでしょ?
270 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 20:41:51
網野善彦。
左翼的言辞を控えたらもっと受け入れられて
知名度も上がっただろう。
271 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 20:50:31
つ知名度ないかアミノ酸?
272 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 20:51:20
源(悪元太)義平
頼朝、範頼、義経の長兄。
平清盛暗殺が成功して長生きしてたら歴史は変わった…か…?
274 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:03:33
豊臣政権の三中老
織豊ドラマ腐るほど目にしてるのに
ロンブー淳と生瀬しか顔が浮かばない。
あと一人は知らん。
大江匡衡・赤染衛門夫妻
紫式部、清少納言、和泉式部に比べて妻の知名度は低く、漢文を残した夫の
知名度は、それより更に低い。
曾孫の大江匡房も低い。
そこそこ知名度があるのは、養子だが匡房の曾孫にあたる大江広元。
更に有名なのは、その子孫の大江(毛利)元就。
277 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:36:18
ふつう百人一首でみんな知ってるわ。広元より有名。
278 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:44:01
蘇我赤兄は?
有間皇子を謀殺し出世、壬申の乱では近江朝側の将軍だけど戦わずに逃げて結局大友皇子は自害。
自分は二三日してからノコノコ出てきて子供と共に遠流(場所不明)というみっともない奴。
279 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:52:19
行基上人。
行基菩薩とも言われ、スンゴイ業績、事績の割に余り取り上げ崇拝されて居ないとオモ。
十一面観音さまを数多くお作りになり各地のご本尊と為さっています。
国家仏教であった仏教を民間に初めて?広めた御方。
強大だ教団を背景に
奈良の大仏も、あちらこちらの大寺の建立も、橋や溜め池、潅漑施設、道路建設など元来国家がやるべき社会インフラなど八面六臂の大活躍。
役行者や弘法大師。その後のスーパーマン的な教祖の雛型。
なんだか、もう充分有名な業績のある人か、
業績のない、無名で当然な人を挙げているような感じ
281 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:06:57
だよな。
行基しらねー日本人なんて乳幼児じゃなかったら
池沼か認知症だし。
田中吉政って大大名の割りに知名度低くね?
283 :
日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:17:40
大内善興
>>136 亀だけど。
他のNice boat.な方々は元老だしねえ、やはり知名度ではどうしても劣るのかな。
清浦奎吾の玄孫がささめきことのOPEDとかを歌った清浦夏実なんだよね。
教科書に載せたら?ってレベルとお話として知っているかどうかは違うしな
田口卯吉が医学を学んでいた時に標本にする死刑囚の生首を茶店に置き忘れ、その封を解いた主人が腰を抜かした話なんかは同時の医学の社会的妊娠と時代の呑気さが知れて面白い。
が、知ったからといって受験の約には立たないし仕事上でも約には立たない。
>>279 日本の寺院の三大開祖=聖徳太子、行基、弘法大師
当人は絶対行ったことないはずの場所に、この3聖人は
たくさんの寺院を建立している。
西村茂樹は宗教を世教、世外教に分類したりして
割とわかりやすいが感覚的に鋭い分析をして結構面白いし
後世への影響も結構あるはずなんだが
明六社作ったうちの一人程度の認識くらいしかない気がする
>>276 大江匡房は源義家?とのエピでちょっと知られてるくらいかなぁ。
「あいつは兵法を知らん」と腐された義家が腹立ちを堪えて匡房に弟子入りして
勉強の甲斐があって前九年の役?で雁の乱れから敵方の伏兵を見破る話。
昔は修身教科書の定番教材だったって聞いたことあるけど。
あと『江談抄』の著者も匡房だよね?
>>288 中村正直も。当時の超ベストセラーの著者(訳者?)なのに
あそこら辺は全部福沢の陰に隠されてちゃってるような。
290 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 01:56:33
学問のすすめと西国立志編はセット暗記だから中村も有名。
西周や森有礼は国語で習うから有名。
福沢が彼らより知られている部分は肖像だけ。
291 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 02:34:15
伊達宗広
伊達綱村
アニメキャラの名をもじって自分の通り名にしたリア中
一応伊達騒動にも名前だけ出てる。
おおとり けいすけ
さいとう たかお
はしば ひでよし
295 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 14:14:55
豊臣秀長
この人がなぜ今まで出なかったのかな。
>>294 おおとり けいすけ 漫才師
さいとう たかお 漫画家
はしば ひでよし 実業家(フルネームは"はしば せいぞう ひでよし")
全員著名人だね。
296 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 16:20:06
田沼意次
297 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 19:23:26
秀長?超有名じゃん秀長知らねー奴とかどんな低学歴よバカなの死ぬの?
なんて所感は抜きにして、やはり完璧な補佐役
なんて評で有名なキャラで
だからこそ日本史の概略を知る上で捨象しても問題のない人物。
足利直義を捨象は出来ないが、秀長なら出来る。
知名度がないからこそ最強なのが秀長。
羽柴秀長は昔は無名だったんだけど、小説で一気に有名になったから、
現時点で知名度が低いとは言いがたい
>>277 名前を聞いても、憶えはしないというか、他の面々と同程度の認識かと。
「権中納言匡房」=大江匡房と認識するかも怪しい。
前大僧正慈円=『越天楽今様』の慈鎮和尚と知らないままの人も多い筈。
>>285 モーニング娘。の道重さゆみさんも、意外なつながりですね。
道重信教の子孫だと聞きましたが。
子孫が女子高生満載の漫画を描いている赤松円心や、性器を露出した少年天
使が主役の漫画を描いている小栗忠順もイメージが違う。
(赤松健先生と小栗かずまた先生。但し前者は赤松氏研究家からの仄聞)
>>289 南北朝時代に成立した、『奥州後三年記』に出て来る話です。
『孫子』にも出て来る伏兵への警戒で、『平家物語』では、平家軍が富士川
の合戦で、算を乱して逃走したことになっていますが、『吉記』の記述です
と、水鳥の様子から、背後に敵兵がいると判断して撤退した様です。
>あと『江談抄』の著者も匡房だよね?
著者と言いますか、大「江」匡房の「談」話を「抄」録したのがそうです。
301 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 20:13:46
今西錦司
>>302 堺屋太一の小説でしょ?
「皇国史観」論者になる前の平泉澄(てのは反則か)。
佐久間象山
305 :
日本@名無史さん:2010/09/28(火) 23:27:34
塙 保己一
埼玉の生んだ偉人ですね。
詳しい業績は俺も知らない。w
>>295 秀長に比べりゃ織田秀信は知名度低いんじゃね。
いや、「三法師」つうたら有名といえるんだが。
>>305 >詳しい業績
1、『群書類従』を編纂。
2、印刷には、一枚につき四百字を版刻することを提案。四百字詰め原稿用紙の原型ともいう。
3、幼くして失明したが、『太平記』40巻を暗誦して生計を立てている人がいると知って
「そんなことで生活出来るのなら、自分でも」と安堵したという。
4、按摩や音曲といった盲人の芸には不得手であったが、記憶力は抜群であった。
5、盲目だったため、蔵書6万冊を暗記し、何も見ずに講義した。
灯火が消えて再び点すまで弟子がテキストを読めないので講義が中断した際
には、「目明きの人は不自由だ」と笑ってみせたという。
6、参加した歌会では、その日詠まれた数十首を毎回暗記して帰宅した。
7、
>>266-268
>>304 あの人でもマイナーになるのか・・・
思想家としてはかなりメジャーだと思っていたんだが・・・
日本史の登場人物として見るとそんなものなのかね
>>307 伊沢修二って人物について俺まったく知らなかった。
あんたの書き込みで初めて知った。
教科書に載るぐらいの有名人だし、勝や坂本が出てくるようなドラマにはほぼ登場してるよな
思想家というより蘭学に基づいた技術者、技術者官僚っぽい扱いだし多分本人もそのつもりっぽいけど
>>307 群書類従は受験勉強で覚えたような気がするけど、どんなモノか全く知らんなぁ
全国に散らばる色んな書物を集めて整理しなおしたような書名だけど実際にはどんな本なんだろう?
>>310 まあドラマや小説だとそういう扱いかもしれんけど
あの人は徳川斉昭との関係が深く、あの人に対する思想的影響も強く
尊王思想を突き詰めた結果の開国論者としての思想家としての評価もあるんだよ
>>311 要するに叢書でしょ。
岩波日本古典文学大系が大規模になったような感じの。
高島秋帆、江川英龍
その二人と高野長英を挙げると、幕末の幕府はこんなに愚劣だったのか、と
佐幕派作家や自称研究家に分が悪いんだよ
316 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 01:49:17
手代木直右衛門
佐竹義重=坂東太郎
その人は坂本龍馬暗殺=実行犯は京都見廻組=命令者は一会桑 の決定証言をした会津藩重役で、
それ以外では小物扱いだから
>>299 小栗かずまたの祖父(忠順の外孫)は絵が好きで自らかなり描いてもいたとか。
祖父の絵を見る機会はあったでしょうし、まあその血筋なのではないかと。
321 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:18:53
>>319 今でも渋谷の温故学会で、希望に応じて当時の版木を実際に刷って、頒布もしているはず。
授業のテキストに使う方もいるとか。
322 :
日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:33:53
佐久間象山は今回の大河には出てなかったんだっけ?
横井小楠はいたけど何か違う。
まあドラマでの龍馬殺害は松平容保指令の見廻組実行らしいから
今後は会津戦争自業自得論が日本人全体の常識になるんだろうな。
>>320 >>321 成る程。どうもありがとうございます。
絵というのは、洋画でしょうか。
祖父の祖父と考えると、江戸時代は近いですね。
しかし、当時の版木がよく残っていたものです。
震災と戦災で、どれだけの版木が焼けたものか。
324 :
日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:54:48
藤岡市助
朝鮮派兵で活躍した武将をもっと扱っても良い気がする
日本の数少ない国外での戦いなんだし
富永仲基
「阿含経」という単語から説明するのがまず大変でしょうが、それにしても
発想からして物凄いですよ。
荻生徂徠が、儒典にほとんど孔子の言葉がないと言って、清国の学者から
も反響があったというのも凄いですが。
328 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/01(金) 22:31:36
>>325 関ヶ原での豊臣恩顧の大名の内部分裂を考察する場合は
必須だよねあのあたりは。
牧口常三郎、戸田城聖、池田大作
問題だらけの連中だけど公明党が与党になってる時代もあったりと、
事実上、日本の政治に大きな影響力を有しちゃってる宗教である以上は、
現代の政治を理解するって意味でも知られた方がいいかもしれん。
>325,328
もともと、戦場で戦って手柄を立てることを生き甲斐としていたような大名連中、
特に豊臣恩顧大名のような家臣から出世した連中には、戦う場所、戦場がないと謀反を起こしそうだから
& 大名達の力を削ぐため という目的での「唐入り」--朝鮮出兵だから、
秀吉自身の指揮で無茶な戦いを要求したわけだが、それに対する大名達の反感、怨みが秀吉自身ではなく
督戦を担当した奉行達に向けられたことで分裂したんだっけ?
>329
そもそも公明党という名前はどういう由来があって決めたんだろうな。
オレの予想では、水滸伝の主人公で梁山泊の首魁である宋江の字(あざな)が公明なんだが、そこから採ってるんじゃないかと予想。
だって、創価学会の日本国内での立ち位置が、水滸伝における梁山泊と似てるだろ。
>>330 いえいえ、豊臣秀吉は朝鮮出兵で勝利を確信していました。
出兵した将兵は西日本、それも秀吉の覚え目出度き人々が中心で、
徳川や東北の武将などほとんど参加しておりません。
秀吉にとっては、朝鮮半島は新領地であり、
出兵した将兵は将来の大大名及びその家臣であったというわけです。
現実に起こったことは消耗と撤退でしたが。
秀吉にとって勝利を確信した戦いではかばかしくない経過をたどって、
秀吉のいる名護屋城の奉行と、戦地の加藤・福島あたりがうまくいくわけがありません。
つまり石田の讒言ではなく、秀吉の事実誤認が武断派と文治派を裂いた要因ということです。
大野東人
東人と名のつく古代の豪族は多く、たとえば、大伴東人、小野東人。
大彦の子孫といわれる大野氏、和邇氏の子孫の小野氏、
関東を支配した毛野氏も大彦の子孫だし、
東国は、○野氏の支配する大きな国だったのではないかと思うのです。
333 :
こいつら最悪:2010/10/02(土) 02:26:12
小栗上野介
小栗判官
335 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 13:58:38
>>8 普通に出てるだろ
分国法の一覧でここら辺は高確率で載ってるはず
長宗我部元親百箇条
今川仮名目録
伊達稙宗の塵芥集
というか富永仲基は山片蟠桃・三浦梅園あたりとセットで必ず高校教科書に出てくるでしょ。
337 :
日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:46:44
小栗上野介とかそんなに知名度ないかな。
岸谷が演じて国民的有名人になったと思ったが。
栗本鋤雲よりは知名度高いよな
339 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 08:55:08
小栗は高校の日本史で習うよ。
たしか不平等条約(改税約書)を結んだ幕府延命派の代表で
フランスの援助で改革派雄藩を圧殺するため
公議政体論に反発して戊辰戦争を引き起こし
新政府に処刑されたお騒がせ者、みたいな紹介だった。
面白いことに、説明自体には誤りはないなあ。
問題は、幕府が倒れるまではどちらの陣営が正しいのかなんて判断のし様がなかった、ということ。
341 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/10/03(日) 10:09:52
>>334 日本に悲劇の英雄物語は無いと思い込んでいたが、ヤマトタケルがいたのを
思い出したという作家がいましたが。
ちゃんと百合若大臣とか、甲賀三郎とか、小栗判官がいますからね。
創作上の人物ですが、もっと知られてもいい筈です。
甲賀三郎の場合、神仏分離後の感覚だと、分かりにくいかもしれませんが、
自分が小学生の頃に読んだ際には、違和感はありませんでした。
>>336 何が「というか」なのかは分かりませんが、どうもありがとうございます。
資料集には出て来たと思いますが、教科書にも出て来ましたか。
三者ともに重要ですね。
>>340 確かに、お騒がせ者と言えばそうでしょうからね。
とはいえ、仰る通り一方的な評価は結果論でしょうし、私は好きです。
幕府が続くなんて、明治からしばらくは夢想だにされなかったでしょうから、
愚か者、馬鹿者扱いされたでしょうが。今なら擁護も出来る。
342 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 10:57:45
小栗の面白いところは
一会桑勢力とは完全に考えの違う対朝廷強硬派でもあって
孝明天皇と幕府の最大の対立点だった兵庫開港問題で
開港の障害は全て除去されるであろう、と外国公使らに断言しており
あのタイミングでの天皇の急死を予め知っていた
かのような怖さがあるところだな。
ミクロな宮廷政局視点からは
幕府側の失点としか語られない孝明天皇急死だが
外交問題も含めた全体としてみると
少なくともその時点においては最大の受益者が徳川慶喜で
はなっから急死前提で仕事してる小栗のような幕府官僚もいるわけだ。
343 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 11:01:46
実際の授業ではどうかしらんけど、教科書の記述内容に関しては、
小栗は遣米使節の写真のキャプションに名前が出るくらいで、
本文には出てこないんじゃないか?
幕仏提携についてもナポレオン3世とロッシュと慶喜しか名前は出てこないし、
横須賀製鉄所建設についても小栗の名前まで記述はしていない。
幕末史に思い入れのある先生の授業でもなければ、小栗なんてスルーだろ。
344 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 11:35:06
小栗横須賀では郷土の偉人として習う。
あと一人はヤマトタケル。
シントクマルとかイシドウマルとか、みんなが知っていたのに
誰も知らなくなった。ズシオウマルが知られているのは森鴎外のおかげ。
話がそれるけど、百合若はユリシーズの翻案らしい。
>>343 その辺りは個々の先生のさじ加減でどの程度教えるかだと思う
>>345 >話がそれるけど、百合若はユリシーズの翻案らしい。
宣教師が戦国時代に伝えたという説ですね。
提唱者は坪内逍遥で、南方熊楠も支持していましたが、宣教師の影響がまだ
薄い時期に書かれた『言継卿記』に百合若という演目が見られたことから反論
が出されており、その後宣教師渡来・鉄炮伝来よりも早い1520年代には
百合若が演じられたことが判明し、現代では否定されています。
大久保一翁(忠寛)
海舟の陰に隠れ杉
349 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 21:23:52
新門辰五郎
生きてたときの知名度と比べて現在はほとんど「知る人ぞ知る」状態の人
といえば斎藤緑雨かな。
緑雨が見いだした樋口一葉とは正反対だな。
352 :
日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:47:17
近畿は京都・奈良の延長って感じで
けっこう有名所が散らばってるんだよな
>>351 警句は今でも面白いものが多いのですが。
両国の邸宅跡に何も無かったのには、がっかりしました。
昔有名で今無名と言えば、山田美妙もそうですね。
『断腸亭日乗』にも特に説明なく触れられていましたが、これほど知名度が
落ちた人物というのも珍しい。
お孫さん(加納一朗氏)の方が、まだ有名ではないかというぐらいです。
島田清次郎とか倉田百蔵とか
>>351 幸徳秋水をめぐる人物の中で最も重要な人だと思うが、
プロ文に興味のある人以外は知られてないな。
356 :
日本@名無史さん:2010/10/04(月) 11:20:16
小栗上野介は徳川埋蔵金での印象がある
糸井重里w
>>347 百合若物語がオデュッセイスになったのだとしたら、南蛮人渡来前の日本に
百合若物語があったとしてもおかしくない。そういうことにしましょう。いや、
きっとそうだ。
>>354 「出家とその弟子」は、ちょっと昔の少年文学全集の定番だったから
まだ知ってる人はいるだろうけど(小説家として彼は長く生き過ぎたと思う)。
島清の方は…カワイソス(´・ω・)
茂呂遺跡。岩宿遺跡に次ぐ旧石器時代の遺跡です。
しかも、この石神井川や茂呂という地名、御諸山の大物主との関係がありそうだし、
旧石器時代から繋がる東京の歴史の原点じゃないですか?
東京都板橋区の茂呂遺跡、地元の人にすら見はなされているのではないか?
地名まで小茂根にしてしまったし、一体お前らは歴史というものを何と心得ておるのだ?
と、激しくシャウトするわたしであった。w
>>359 『出家とその弟子』は、李登輝元台湾総統の愛読書でもありますね。
当時の仏教界(真宗や浄土宗)からは、宗派の像と違うというので批判が多かったですが。
『出家とその弟子』は自分は文学者ではないから詳しくは解らないけど、
軽く読んだ感じだと、「隣人を愛しなさい」とか親鸞に言わせてる辺り、
著者はキリスト教を強く意識して書いた作品なんじゃないかな。
真宗の教義とは色々とズレた言動も目立つし。
「知名度」のわりに「評価」の低い人物といえば菊池寛とか。
志賀直哉も生前は批判がされにくいぐらい随一の評判だったが
今は良作家くらいの評価のような
365 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 11:17:26
逆に生前今ほど評価なかったのは、
宮沢賢治、中原中也。
宮沢賢治は天才だけど、中原中也は過大評価。
366 :
日本@名無史さん:2010/10/05(火) 14:46:33
大岡忠光って小物?
奇特な人物としてもうちょい知られていてもいいような。
俺って2ちゃんでは結構有名人 (´β`)
利用者も多い2ちゃんで有名人なんだからもっと大きく扱っても良いのでは?
ぐらいアホな発言だ
もう歴史上の存在だからいいと思うけど
河合奈保子って同じ80年デビューの松田聖子や柏原芳恵に比べて
当時の数字の割に現在の知名度が低すぎです(´・ω・`)
流行なんて所詮そんなもん
柏原芳恵も知られてないよ。
>>370 脱ぐ脱ぐ詐欺で10年引っ張られた( p_q)エ-ン
郷 誠之助だGO
>>362 近代の浄土教信者には、仏典よりも寧ろキリスト教の影響を受けた様な人がいましたからね。
今でも無いとは言い切れませんし。
作家の描く○○教は、結局作家の元あった世界観に沿う形になるという事もある。
>>363 彼の書いた様な話は、現在は流行らないのでしょうか。
彼が大嫌いだった永井荷風の方が好きですが、菊池も好きですね。
付き合いやすそうで、下品で(よくも悪くも)田舎漢だったのが菊池。
明らかにつきあいにくく、遊んだが染まらない都会人だったのが永井。
といった印象です。
>>364 日本の国語をフランス語にせよと言われた様な方ですが。
言語に対する造詣自体が浅かったのではないかとか、威光が薄れて言われていますね。
375 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/05(火) 23:55:21
>>351 斎藤緑雨は全集出ている。
未だに全集すら出てない明治の著名作家がいる以上、それほどに忘れられた存在とはいえない(君が知らないだけの話だろう)。
それから一葉は緑雨一人が見いだしたわけではない。
緑雨がこの世にいようがいまいが、一葉の声価はそれほど変わらないとみるべきだ(確かに緑雨の批評は一葉の同時代の高評価の一助にはなったが)。
>>355 幸徳秋水はプロレタリア文学ではない。
また緑雨にとって秋水は重要人物だが、秋水にとっては緑雨は
秋水の多彩な人間関係の一人にすぎない。
いいかげんウィキペディアやネットの切り貼りは止せ。
秋水にも緑雨にも一葉にも
非常に失礼千万だ。
幸徳秋水が一番世話になったのは黒岩涙香
>>375 wwまたでたなww
ネットの切り貼りかw
緑雨を知ったのは第何次だったか忘れたが『早稲田文学』誌上の
短い文章だった。お前さんのレス見て、Wikipediaを初めて見てみたよw
378 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 00:43:09
>>353 >昔有名で今無名と言えば、山田美妙もそうですね。
これほど知名度が
落ちた人物というのも珍しい。 お孫さん(加納一朗氏)の方が、まだ有名ではないかというぐらいです。
↑
はあ?
あなた何いってんですか?
山田美妙有名でしよ。
近代文学で言文一致を論じる際は必須です。文学史では当然名前が出てきます。
もしかしたら文壇からのけ者になって晩年落ちぶれた逸話をオーヴァーラップさせて言ってるんでしょうか?
それとこれと(晩年落ちぶれた事実と現代での評判)は別な話ですよ。
よしんば百歩譲って
“これほど知名度が落ちた人物というのも珍しい。”というあなたの評言を認めたとしましょう。
それでも反証はいくらでも出てきます。
明治時代の有名作家である村井弦斎、村上浪六は今では名前すらほとんど知られていないでしょう(村井は先年岩波文庫で出ましたが…)。
はっきりいって明治時代における読者数の総量でいったら美妙などより桁違いに多いです。
でも今では高校程度の文学史にすら触れられない(通俗小説だからですね)。
それから山田美妙の孫が加納一郎というのは、出典は何からでしょうか?
ウィキペディアでしょうか?
私は美妙については、いくつも本は読んでいますが加納一郎云々は初耳でした。
嵐山光三郎のしょーもない美妙について書いた本がありますが、あれにもたしか加納一郎の孫云々の件はありませんでした。ぜひ出典教えてください(ウィキペディア云々じゃ泣きますよw)。
あと美妙の孫話より
村井浪六の孫が社会党浅沼委員長刺殺事件の犯人であるY少年であるほうがインパクトがあるでしょう。
Y少年のほうがどう考えても村井浪六より有名で、かつ加納一郎以上に有名だからですw
山田美妙と加納一郎の祖父と孫関係よりよほど例えとしたらマシではありませんか?
追伸:美妙の作品、ちゃんと読んでくださいね。
あと明治文学なんてほとんどみなさん知らないし読んでませんよ(教科書に載ってるのは別)。
荷風の“師匠”ともいうべき広津柳浪も一般(あなたみたいな)には今では美妙以上に知られていないでしょう。素晴らしい小説家ですよ。ご一読ください。
379 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 00:47:16
>>377 それでもダメだよ。
明治文学で緑雨程度に“現代はしられていない文学者”なんて山ほどいる。
だいたい緑雨は全集出ているだけ幸せだよ。
どうでもいいけど匿名批評のたぐいは緑雨が書いたかどうか分からないのがあって
全集収録はその辺でも大変だったらしい(緑雨の書いたものか否かは灰色の作物がある)。
380 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 01:03:13
明治時代のベストセラー作家を語りたいのか今でも評価されるような文学者を語りたいのかで違うけど。
381 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 01:03:26
>>374 あなた何様なんですか?志賀直哉ちゃんと読んだことあんでしょうか?
永井荷風好きみたいですが、
私には骨董いじりしてりゃあ朝昼晩苦労知らず生きてける楽隠居の心性が
親の遺産でのうのうと暮らす荷風のような作家の作風と合致してっから好きなんじゃないか?って思いますよ(荷風はいい作家だが、荷風好きはのんきなバカが多いと思うなw)。
志賀直哉も親がかりの楽隠居といえばそうですが、その文業は神経すり減らすような研ぎ澄まされた営為の賜物なのです。
フランス語云々発言は確かに志賀の汚点ですが、それをもって志賀直哉の評価を低く見積もるのは言語道断です。
そもそも明治文学についても風馬牛のあなたに文学をあげつらってもらいたくねえっす(`へ´)
専門外のことを得々と書き込みしてくんなら
私も毒筆鋒でもってぶったたくんでよろしく〜o(_ _*)o
382 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 01:05:18
383 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 01:08:53
最近はやりの坂本龍馬とかは明治期に坂崎紫瀾の小説「汗血千里の駒」とやらが売れに売れたそうだけど。
坂崎紫欄なんて、しらん。
384 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 01:09:52
>>380 今でも評価される作家じゃないよ
山田美妙は。
緑雨だってくだらねえよ。
明治文学の大半は壮大なる挫折なんだよ。特に言文一致時はそう。
二葉亭四迷だってはっきりいって作品は二流だし。
一葉とかのぞいて、明治後期になるまでは現代では評価できない作品ばっかだよ。
私は読むけどね。
385 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 01:11:27
言文一致以前の小説と以降の違いを語りたいのか?
386 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 01:13:42
言文一致が山田美妙発案みたいな言い方されているけど、それは正解なの?
387 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 01:18:49
>>383 あれは政治小説でしょう?
その時期の読者層は階層レベルが高いよ。
山野のバカは円本以降の大衆読者のいる社会とか念頭においてるんじゃねえかな?
まあそれはともかく、とりあえず柳田泉先生の政治小説研究読んでから発言してくれ(私は少ししか読んでない)。
ところで村上浪六や村井弦斎が活躍した頃は政治小説の時代に比べたら識字層読者層がはるかに拡大してる。
それから美妙は言文一致の頃人気があるとはいえ、読者の絶対数が少ない頃だ。それくらい勘案してくれ。
あばよ。
388 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 01:20:37
百年たっても古くならない文章を書いていた啄木って男のほうがよっぽど妙だよ。
スレタイの意味は「もっと知られてしかるべき人物」だろう。
斎藤緑雨は該当すると思う。
話題が近現代に偏りすぎ
てか、文学での評価が高いのと日本史での評価が高いのはまた違うだろ
よそへ行け
392 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 21:00:38
武陽隠士って人はかなり頭の言い方ですね。
もっと社会的に知られるべきなのではないでしょうか。
高橋紹運
島津と戦って結構強かった、というだけで
島津を叩きたい人間にしか取り上げられず、しかも中身が大抵島津罵倒で埋め尽くされる、かわいそうな人
高橋名人
実はハドソンの社員だったりする
三善為康
著名な割に創建当初の事情が今ひとつ明らかでない六波羅蜜寺の縁起を執筆し、
空也から中信へと移行していく様子を明らかにした。
『拾遺往生伝』、『後拾遺往生伝』、『朝野群載』なども重要。
注を加えられたところ、省略されたところ、それぞれ考察の対象となっている。
越中国射水郡(現存する地名)が産んだ、富山県史上に輝く逸材。
397 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 21:26:09
評価と知名度は違うでしょ。
高場乱
玄洋社自体が取り上げにくいからな。
斎藤隆夫が取り上げられるなら中野正剛とかも面白いがな。
後は副島種臣とか
角隈石宗
(大友宗麟の軍学の師。大友家を全盛期へと導いた道学兼備の名軍師。)
九州制覇に焦る大友宗麟が、角隈石宗の諫言を聞き入れていれば耳川の戦いは回避できた。
石宗の諫言が聞き入られていれば、大友家は明治まで大名として続いていただろう。
明治政府の中核となった薩長藩閥の影響で、角隈石宗に限らず大友家臣団は過小評価される傾向が強い。
401 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/10/06(水) 22:07:11
もっともぼくに肖(あやか)って息子に正剛という名をつけたいと言ってき
た大胆不敵の読者が少なくとも2人はいて、その2人ともが中野正剛のことを
ほとんど知らなかったので、あるいは字面で正剛という名がついた諸君もい
ないわけではないのだろう。by松岡正剛
低いですね。
副島は、書の世界での評価が非常に高い。名ぐらいは知られていそうですが。
402 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 22:29:19
>>401 副島はともかく中野正剛は止めた方がいいんじゃないかな?
お得意の骨董趣味話以外の近現代関連は墓穴掘ると思うぜw前近代にしときなよ
イライラしてるとアラ探してたたくからさ私w
それから知名度云々は階層レベル考慮しなくちゃ話にならない。
山野のような四六時中鼻ちょうちん膨らませてる骨董オタクの楽隠居の知見と
ネットとアマゾンで読書体験を完了させてる2ちゃんねらー、
単なる一般人、
人文系教養をそれなりにそなえてる知識人(ここで私の踏まえいるのは主としてこうした階層レベル)、
とかじゃそれぞれ全然違うだろう?
だいたい幸徳秋水がプロレタリア文学とかぬかしてるバカがいたりする
スレじゃ“知名度”の意味合いは
再検討しなくちゃいけない(まあ面白いからしなくてもいいかなw)
副島の書はかなり印象に残ると思う
漢文の素養においても中国人顔負け
書と漢文の素養で思い出しましたが、安岡正篤先生は、現時点なら晩年に入籍
があった際のお相手(安岡先生の伝記では黒歴史扱いで一切言及が無いものも
ある)の方が、圧倒的に知名度が高いでしょうね。
1世紀、2世紀後にも人類が続いていれば、逆転していると思いますが。
榊莫山先生には、もう少し生きて頂きたかった。
405 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 23:22:18
>>404 ありゃりゃ(笑)
美妙の孫が加納一郎という逸話の出典の弁明はなしかよw
やっぱりウィキペディアなんだなw美妙に関する知見もそんなとこなんだろうね。
美妙の作品自体読んじゃいねーんだろうな。
それから安岡正篤だけど、埼玉県の東武線武蔵嵐山駅から徒歩で18分くらいのところに、
安岡正篤記念館がある。
そこ行けば係員(学芸員?私にレクチャーしてくれた人は学芸員っぼくはなかった。そこそこ若い女性。いまだに謎だけど。遺族関係者とか?)が、その例の細木なんたらの話もしてくれるよ。
婚姻は裁判で無効になった旨(ほんとうかどうかは私は調べてはいないけど)とかも
普通にレクチャーしてくる(してくれた)。
黒歴史とか鬼の首でも穫ったように得々と抜かすのは止めたほうがいいんじゃねえの?
記念館に来てとりあえずレクチャー受けろバカ。調べが足りないぜw
本庄栄治郎
幸徳秋水がプロレタリア文学だって、武陽ってよっぽど馬鹿だな。
こいつが日本語を読めないことはよくわかった。
408 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 05:44:05
斎藤隆夫、中野正剛が出たなら永井柳太郎も出してあげようね。
409 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 11:15:50
藤原忠平。
摂関政治を確立した。
菅原道真と親しかったため、時平の死後、道真の名誉回復に尽力すると共に、
時平だけを悪者にして藤原氏の権力失墜を防ぐ。
唐、渤海、新羅などの東アジアの律令国家が次々と崩壊していく中で、
班田制停止、農地の私有化を進め、
律令制からの完全脱却という体制転換で王朝を存続させた。
将門純友の乱も地方武士団を活用して鎮圧。
次々と危機を乗り越えた忠平だが
良房、時平、道長に比べて扱いが地味。
地味な古代史のなかでもこのあたりの中央政界人物はとりわけ地味なんだよな。
411 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 17:14:10
平賀朝雅
有力御所家人
三日平氏の乱を鎮圧。畠山重忠の乱では幕府に讒言し敵対していた重忠を追い落とす
源実朝を廃嫡するクーデター起こそうとして討たれたような
412 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 17:24:10
>>409 巨人黄金期でいうと末次外野手みたいな人だよな。
いや、道真は実力で名誉回復したんだろ。
讃岐院より実力行使は強烈だったからなw
角隈石宗ってどのように読むの?
かくすみいしむね???
角隈石宗は津軽家の兵法家で「かどずみせきしゅう」が正解
416 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 20:34:21
大村益次郎
417 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 20:38:19
有名杉。まともな人間ならみな知ってる。
>>415 津軽家?
大友だったような気がするのだが
419 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 21:05:19
>>417 まともじゃない人間にも知られて当然の人物だ。
420 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 21:12:44
421 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/10/07(木) 21:53:46
>>418 沼田祐光とお間違えになったのでしょうか。
422 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/07(木) 22:26:26
>>407 アホはオマエだよw
>355はオマエだろw
↓
355:日本@名無史さん :2010/10/04(月) 00:00:50 [sage]
>>351 幸徳秋水をめぐる人物の中で最も重要な人だと思うが、
プロ文に興味のある人以外は知られてないな。
375:武陽隠士◆UCfK2Lx59s :2010/10/05(火) 23:55:21
>>355 幸徳秋水はプロレタリア文学ではない。
また緑雨にとって秋水は重要人物だが、秋水にとっては緑雨は
秋水の多多彩な人間関係の一人にすぎない。
いいかげんウィキペディアやネットの切り貼りは止せ。
秋水にも緑雨にも一葉にも
非常に失礼千万だ。
政治、学問、芸術、文学、技術、生活など自分がどの分野にはまってるかによって
このスレで挙げる人物も変わるんだろうなぁ。
一般的にマイナーな人物でも自分が興味ある分野でほれ込んでる人物なら
「知名度低すぎ」と思うだろうし、周りは「知らん」と思うだろう。
そういう人物に光を当てるのはとても良い事だと思うしこのスレでは色々勉強させて貰ってるので、
唯我独尊な感じの喧嘩腰のレスは出来れば勘弁願いたいな。
角隈石宗
大友宗麟は島津氏との対決を前にして軍師、角隈石宗に出兵に
適した日付を占ってもらった。すると石宗は出兵を中止すべきと
言い出した。その理由は三つあった。
「第一に宗麟様は今年、四十九歳で厄年にあたります。
第二に未申の方角に出兵するのは、方角がよろしくありません。
第三に去年より彗星があらわれ、その光の尾が西に靡いているのは
不吉なことがおこる兆候であります。」
石宗はそう忠告したのだが、宗麟は自分の意思を曲げずに出兵した。
そして宗麟は耳川の戦いで取り返しのつかない敗北をきっしてしまう。
もし石宗の忠告通りにしていたら、大友氏の歴史は変わっていたかもしれない・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E9%9A%88%E7%9F%B3%E5%AE%97 角隈石宗(つのくま せきそう)
425 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/10/07(木) 23:26:42
江戸期の藩主は名君でもいちいち記憶していたらきりがありませんが、二人。
前田綱紀
→アンサイクロペディアでも独立して扱われている「東寺百合文書」の保存や
『三宝絵』などの古典籍の書写は、地方に留まらず後代の「日本史」研究を支
えた偉業。
徳川光友
→絵が巧い。宮本武蔵は師事したと伝えられる海北友松をある意味で越えた
と言われることがあるが、光友の作品ニも探幽を越えた部分がある。
「踊布袋」は、日本絵画史上における傑作と言ってよい。
426 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/07(木) 23:58:22
>>423 >政治、学問、芸術、文学、技術、生活など自分がどの分野にはまってるかによって
このスレで挙げる人物も変わるんだろうなぁ。
↑
はあ?
このスレじゃ逆のパターン多いでしょ?
よく知らない人物のくせに挙げてるじゃん、山田美妙、幸徳秋水、斎藤緑雨etc.
>一般的にマイナーな人物でも自分が興味ある分野でほれ込んでる人物なら
「知名度度低すぎ」と思うだろうし、周りは「知らん」と思うだろう。
↑
秋水も緑雨も美妙も志賀直哉(これはハナからけなしだが)も、
み〜んなこのスレの住人はよく知りもしないで挙げてるじゃん(笑)
ほれ込んでいるようには、とても思えないけどなw
>唯我独尊な感じの喧嘩腰のレスは出来れば勘弁願いたいな。
↑
だったら調べもしないで挙げるなよ。
学問は命かけなくちゃいけねーんだ。
なあんちって(笑)きゃははは
427 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 01:22:51
山田美妙の小説を読んでみたいのですが、なにかお奨めを教えてください。
428 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 05:32:19
龍造寺家の重臣って九州以外では無名だよな。
429 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 10:29:12
>>413 藤原忠平は菅原道真を師と仰ぎ、
道真を左遷させた兄の時平と鋭く対立した。
まもなく、時平は早死にし、道真は怨霊となって醍醐天皇を苦しめる。
結果、忠平が実権を掌握し、道真の名誉回復となり、
摂関家系は忠平の子孫へと受け継がれる。
道真怨霊の噂は忠平の策謀という仮説も成立する。
たぶん、
醍醐天皇−-藤原時平路線が律令制回帰志向だったのに対し、
菅原道真−>藤原忠平は唐文明を完全に見限り、いわゆる王朝国家へ進む現実路線。
だったのでは?
430 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 11:17:12
宇多法皇ー道真ー忠平のラインだな。
ところで武陽隠士さんのお勧めの「なぜか知名度が低い人物」は
誰だろう?御本人かな?
431 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 13:22:36
>429
道真の遣唐使廃止建言って、
「もう不要」って意味じゃなくて、「今回は止めよう」って意味だったんでそ
それ以後、いちども派遣されていないという結果から見てる我々の目には、
まるで「もう止めよう、今後は不要」という意味に見えてるだけで。
だがそれは結果論。
井上馨
明治の元老の中でも特に目立たない。首相経験無いしね。
433 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 15:25:43
首相経験なしで元老になった人は他に誰かいる?
大山元帥は事実上の元老待遇だったようだけど。
>>432 ちなみに井上は鹿鳴館でそれなりの知名度あるでしょ。
西郷や大久保の後継者と目されながら西南戦争で死んだ村田新八なんかは
能力の割りに知名度が低いかと。
435 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 16:04:22
>431
だが、長く途絶えていた遣唐使を復活させようとするのを止めたわけで、
ひょっとすると、もう二度と復活しないかもしれない。という状態ではあったのか。
すでに唐は滅亡寸前だったしな。
437 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:55:36
西郷従道はもうちょい長生きしたら正式に元老になっていたと思う。
438 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:58:23
それにしても西郷従道は陸軍大臣から海軍元帥に転じたってのは凄いなあ。
439 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/10/08(金) 21:54:10
>>431 中国文明自体の摂取が否定された訳ではありませんね。
それでも、安易に派遣に乗らなかったのは流石ですが。
しかし、渡唐した小野篁や菅原道真も見たかったと思います。
>>432 古美術コレクションが(古文書も含めて)凄い人でしたね。
お孫さん(井上光貞)も有名でしたが、今は論文の引用も減って影が薄いか。
欧化とは言っても、鹿鳴館という名称は、『詩経』に取材したものでしょう。
安易に横文字を使った施設を建てる現代人は、なかなか笑えないと思います。
とはいえ、
いまや、日本中に鴻臚館がw
川上操六
あと江藤新平はもう少し知られても
443 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 05:28:15
>>441 川上操六は若くして死んだのが痛い。
江藤新平はそれなりに有名かと。
むしろ司法卿の大木タカトーが高官としては無名。
444 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 05:45:42
武陽隠士さんは確実に「俺は本名のほうでもっと知られてしかるべきだ」と
思ってるよw
446 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 08:25:54
尼子経久
447 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 08:27:09
山名宗前も歴史好き以外の人には知名度低いよな。
>>266 「ケネディが知っていたという上杉鷹山」
何の典拠もないガセです。
>>450 新聞記者が取材した事になっている話が多いが、
であれば、記事になっているはず。
当然日時、場所等も明確のはずだが、
そんな話は見つからなかった。
ぜひ記事を探して下さいな。
452 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 19:13:39
>>447 歴史好きのお前が間違えてるぐらいだからな
今村均、斎藤隆夫。
455 :
日本@名無史さん:2010/10/11(月) 03:41:33
楠葉西忍
賀川豊彦
神戸辺りでは知られてるかもしれんが
え?賀川豊彦って「生協運動の父」としては十分知名度高いでしょ?
むしろなぜ低いって思ったのかと。
賀川は知名度低いかも知れんが、ローカルな存在ではないよ。
福祉系学生なら必須で出てくるし、キリスト教関係でも知られている。
戦後日本社会党の結成にも首突っ込んでるし。
かろうじて「死線を越えて」の著者くらいの
知名度しか一般には無いかという気がしてた。
ついでで、山座円次郎とか
460 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 04:01:15
山座円次郎は業績の割りに知名度かなり低いよな。
賀川浩のほうが有名かもしんない
462 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 07:27:10
河上源之助
463 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 13:56:53
>>456 幼い頃から「賀川記念館」の人、って神戸っ子としては有名な人物と記憶しています。
生協か
465 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 16:50:29
明石元二郎
466 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 17:00:34
空也
467 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 21:58:25
上毛野形名(かみつけのの かたな)
飛鳥(あすか)時代の武人。
舒明(じょめい)天皇9年(637)将軍として反乱した蝦夷(えみし)を攻めにむかったが敗北。
逃げようとした際、妻から酒をあたえられ、祖先以来の武名をけがさぬようにという励ましに奮起し、蝦夷をやぶったという。
なんとも情けない話ではあるけれど、人間的ではないか。
群馬のかかあ天下はこのころからの伝統だべ?
>>460 同時期の外交官で言えば埴原正直は一度の失敗で名を残す。
カワイソス(´・ω・)
469 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:44:25
土方久元
詳しく知りたいんだけど、伝記とかないのかなぁ
470 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:46:52
青砥藤綱
>>470 はした金を探すために大金を費やしたエピソードだけの人にしては
よく知られてると思いますが。
473 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 01:41:27
仁木頼章
平群広成
>>469 巨人黄金期にたとえると末次みたいな人だ。
476 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 04:24:36
平群氏とか和爾氏とか息長氏は全盛期のパワーの割りに知名度が低いよな。
477 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 07:50:35
佐野常世
479 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 13:53:34
>>476 そもそも全盛期があったのかも疑わしくないか?
平群はともかく、和邇、息長の本宗で全盛期って誰がいた?
和珥(春日)や息長は大王家の外戚ってだけだよね。
481 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 21:34:39
赤松円心
482 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 22:00:25
鼠小僧次郎吉
赤城忠治
最近、名月赤城山なんて言っても、若い奴は全く知らないべ?
484 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:51:22
和珥氏は水軍や河川交易に関係していたとの説がある。
記録に残らなくても、意外と重要な役割だったのかも。
>>483 赤城忠治?そんな奴は知らん
国定忠治なら知ってるが
486 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:57:46
>>483 40年くらい前の漫画
「夕焼け番長」の主人公じゃねえ〜?
487 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 00:09:58
アカギだろ?
まだ連載中だ
488 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 17:00:03
赤城山か、赤城山と言えば徳川埋蔵金
徳川埋蔵金の歴史を振り返ると小栗上野介と水野さん
音楽は喜太郎の古事記
でライターの糸井と建設会社のオヤジ
VTR開けに石坂浩二と巨泉
たまに笑うセールスマン
ドーン!ドーン!ドーン!・・・
489 :
日本@名無史さん:2010/10/15(金) 18:59:26
くまぐす
NHKの制作者が知らない福岡孝梯
呂布
呂氏は、日本にも渡来していてますね。
風呂に入る習慣は呂氏が伝えたものです。
>>484-485 同じ番長漫画の主人公でも赤城忠治(@夕やけ番長)は
石田国松(@国松さまのお通りだい)と比べてなぜか知名度が低い。
ということを
>>483は言いたかったんじゃないかな。カワイソス(´・ω・)
>>489 30年くらい前ならともかく、現在では南方熊楠の知名度は
抜群に高いと思う。
>>490 このままだと由利公正も華麗にスルーされそうな悪寒(´・ω・`)
493 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 08:28:49
由利公正は途中で改名したのもマイナス
渤海国王 大欽茂
渤海は日本と同じ天孫族の作った国だったにもかかわらず、その実態はほとんど知られていませんね。
満洲国はその焼き直しで、沿海州まで領土を取戻そうとしてソ連を刺激したのがまずかったようです。
>>493 長生きしてたら松方首相や渋沢会長は誕生しなかったかもな。
>>492 その赤城忠治は赤城の山がなんとかとかいうのか?
つか本人弁明乙だなw
497 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 16:11:38
渤海国の首都は上京竜泉府。地名がかっこいいな。
498 :
日本@名無史さん:2010/10/16(土) 16:11:57
豊臣秀吉
>>496 本人弁明じゃなくて単にこじつけてネタにしただけなんですが。
カワイソス(´・ω・)
>>492 石田国松の場合は、「ハリスの旋風」の方が有名でないかい
羽柴秀吉誠三郎。教科書には出てこんし。
502 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 13:36:27
小学校の社会科の副教材で○○県の歴史ってのがあるだろう?
地元の人しか知らない地元の偉人は、そうやって県民の常識になるのですよ。
503 :
日本@名無史さん:2010/10/17(日) 19:31:07
>>501 間違えてる
正式名・三上羽柴誠三秀吉
選挙に出るときは適宜省略している。城持ち大名であることも有名。
>>503 蘇我倉山田石川麻呂みたいなもんですかね
>>505 こいつはどこから姓でどこから名前かわからん
507 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 07:13:56
沖縄県の仲井真知事もそんな感じの姓名だな。
エセ開国派の井伊直弼に比較してなぜか知名度の低い真の開国派・岩瀬忠震。
509 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 19:40:53
岩瀬は家格が低いからだろうか。知名度低いよな。
510 :
日本@名無史さん:2010/10/21(木) 22:13:58
楠木正儀
511 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 20:22:53
松下大三郎。
山田、橋本、時枝に差が付いた。さらに今では三上章のほうが有名。
512 :
日本@名無史さん:2010/10/22(金) 23:29:16
>>509 安政条約以降は、朝幕関係や倒佐幕関係だけが取り上げられて
対外交渉史はほとんど歴史では習わないからじゃないかな。
513 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 00:17:40
井上穀
クラッシャーの方はかおるちゃんに比べて面白いエピソードが少ないというか
井上毅は度々名前が挙がるね。
まあ明治政府の黒幕筆頭だからね
516 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 00:54:43
お札に印刷されていた事もある。岩倉 具視
517 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 01:24:54
>>508 岩瀬は知名度は低くてもいいと思う。
安政条約が不平等条約になったのも、
朝幕対立の原因になったのも、岩瀬のせいなんだけど
歴史的には上司の井伊直弼が責任者として
非難をあび汚名を着せられている。
その裏返しとして、開国の功績が
岩瀬を差し置いて井伊に帰されるのも仕方ない。
518 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 01:37:04
ウィキ見たけど岩瀬って普通の幕臣
>>515 美味しいところは全部元田永孚に持って行かれました。
小ナポレオン山田顕義
「日本のリスト」って地味すぎだろ大島貞益
520 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 02:45:00
>>517 岩瀬は頑張ったほうじゃないかな。不平等条約というけど、
関税については協定税率という形で、引き上げ交渉権も勝ち取れたし、
“オランダカード”を使ってアヘン禁輸も認めさせた功績もある。
小栗上野とどっちが知名度が上かな?
522 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 08:47:56
>>519 > 小ナポレオン山田顕義
日大で有名
> 「日本のリスト」って地味すぎだろ大島貞益
こっちは確かに地味すぎ。
523 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 10:09:13
小栗上野介なんて一般人は誰も知らんだろ。
524 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 10:30:40
小栗が高句麗のことだったことははっきりしている。
高句麗は滅びるとその末裔が建てた国が渤海であり、
実は日本にも高句麗族の子孫は渡ってきており、
東海(日本海)を挟んで日本と渤海は阿吽の関係にあった。
高句麗こそ日本のふるさとでもあるのだ。
525 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 11:04:14
アテルイ
>>524 小栗って、大本たどれば、常陸の豪族だろ。
説経節で有名な小栗判官とか。
527 :
日本@名無史さん:2010/10/23(土) 13:41:45
>>524 高句麗は 扶余からの別れであり 故郷とは言えないのではないか?
高句麗や扶余は基本的に 女性の神官にも力があった。
女性の神官に吉凶を占うという歴史観がある。
日本で言えば 沖縄のウタキ(御嶽)がもっとも古いと思う。
与那国島には海底神殿の遺跡が眠っているから。
>>523 小栗上野介のレベルで無名だと
田辺太一(タイチと呼ばないで)とか栗本鋤雲の立場は…
与那国島の海底遺跡ってまだ信じてる人間いたのか
漏れこないだまで草戸千軒って洪水で水没したんだと思ってたよ
531 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 11:32:11
鎌倉幕府が衰退したのも、熱海にあった港が、
地震による地盤沈下で水没したからではないかと言われており、
港の構築跡が海底遺跡となって残っている。
地震の多いわが国では、地殻変動による水没はそれほど珍しい現象ではないのです。
532 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 12:00:17
そういえば津軽の安東水軍が津波で滅んだんだよね
533 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 12:29:03
>>528 残念ながら、小栗も田辺も栗本も、一般人では知らない人が多数派だろ。
どの人物も勝海舟ほどの知名度はないよ。
西周
>>532 十三湊は津波後も発展していますので、水軍自体が存在していなかったという説の方が現在では有力です。
536 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 12:43:21
志田重男
537 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 14:28:12
>>535 十三湊は高知の土佐(十三)とも繋がっていたし、大阪の十三にも拠点があった。
それどころか、神奈備型の三角山、たとえば富山、戸神山、尖山・・といった文字が充てられた山は、
津軽(とがり)安東氏の支配した山だし、航海の道しるべ(山あて)に使われていたのだ。
このように安東氏の拠点は、日本全国に広がっていることが分かる。
津軽が津波でやられたので、別の拠点に本拠を移したのです。
538 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 14:40:26
嘘話論法
・反証には回答せず、別の話を始める
>530-532
古代・中世ごろまでは、数百年程度で集落が衰退し、
別の場所にできた新しい集落と交替する事例が大半のようですね。
特に古い時期の方が交替頻度が高い模様?
1000年を超えて長期間にわたって継続している集落は極めて珍しいようです。
都市の場合は少し状況が違うかもしれませんが。
>532,535他
陸奥の十三湊の最盛期は問題の津波より後のことと判ったため、
いまでは津波で滅亡したわけではないと考えられている。
今でも津波説を信じてるのは、もはやツガル外三郡誌信者だけじゃないかとまで言われる状況のようだ。
渤海の滅亡により、日本海の交易で利益を上げてきた村が寂れて
そのころ、津波が襲って村そのものがなくなった。
という話を誇張して書けばそうなると思うが…
なるもんか、隆盛衰退が逆だぜ
543 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 17:30:53
>541
時間軸というか順番を間違ってる人が書かないと、あんな記述にはならないよ
津波が襲ったのは十三湊の発達途上というか、最盛期より百年単位で古い時期。
津波復興より後に大きく発達して最盛期を迎えたのであって、
衰退が始まる前後やそれ以後には目立った津波はない。
知名度が低い「人物」を語るスレで、
十三湊の歴史を長々と語るのは、そろそろウザくなってきた。
うちの田舎(徳島)に赤澤信濃守入道宗伝の居城板西城跡があって、
その地区は古城という地区なのだが、近くに古町と呼ばれる地区がある。
いまは町と呼ぶ程でもない小さな集落なのだが、
道路整備の時行われた発掘調査で奈良〜室町時代の集落跡が見つかった。
吉野川の氾濫や流れの変化などの要因が有るのかも知れないが、
同じ地点で町が繁栄し続けるというのは難しいのかなあと思いました。
その徳島でも庄内式の土器が使われていた事が有るようです。
結論
・十三湊は津波の数百年後が最盛期、しかも地方主要港レベルであり、世界に覇を競ったというのは妄想
・東日流外三郡誌は全くの偽書、中身を信じるなかれ
547 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:38:04
安東将軍倭王とは、津軽安東氏の祖先ことです。
と言っても、大和の勢力に国譲りというか領地を奪われていって、最後に残ったのが津軽ということですが。
代々安東将軍を継ぐ家柄ということで安東氏を名乗ったのでしょう。
548 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:53:20
スマン、スレチな話題を振ってたせいで三郡誌厨を呼び込んでしまったみたいだ。
あんなデタラメ記事の盛り合わせの偽書を信じる「蓼食う虫」も世の中には少なくないことを思うと、
「知名度が低い人物」たちも、浮かばれんわな。
あんなデタラメにすら劣るのか、と。
549 :
日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:56:25
ニニギが天下る以前、十和田八幡平にあったツングースの国「津軽」が日本を支配していました。
そのニニギも無名に近い存在ではないのか?
語る歴史もない地域が北東北なので、彼等が荒らしたくなるのも分かるが
だが、偽書は最低だ。
>>550 本当に最低なのはその偽書に太鼓判を押した
似非歴史学者とその尻馬に乗った作家どもだがな
>>536 同じ元党員の志賀義雄と名前が似てるせいか混同され気味でカワイソス(´・ω・)
党資金横領→逃亡の人生は十分にドラマティックなのですが。
>>534 人名の方は少なくとも高校日本史教科書では十分に知名度高いだろ。
あと中国史で王朝名の「西周」を知らない香具師は大学受けない人だろうし。
古墳期〜平安前期までの武将や武官の知名度が低い
時には数万の軍を率いた連中なんだが
坂上田村麻呂くらいか知られていないな。
奈良・平安だけでも
多賀城築城で初代鎮守将軍、藤原広嗣の乱で活躍した大野東人
田村麻呂の後を継ぎ征夷を終わらせた文室綿麻呂
元慶の乱、新羅海賊問題で活躍した小野春風
とか、最高にカッコイイのにNE
554 :
日本@名無史さん:2010/10/26(火) 02:01:01
>>552 > あと中国史で王朝名の「西周」を知らない香具師は大学受けない人だろうし。
Fランク大学ならOKだろ。
坂上苅田麻呂
中国の後漢の霊帝の流れを汲むという東漢氏に繋がる渡来人
仲麻呂の乱で功をなし出世していくのだよね
田村麻呂の親父殿ですね。功があったのになぜ多賀城に左遷されたのは謎ですね。
まあ、多賀城は陸奥の中心地として、太宰府の次に重視される特別の土地だったらしいから、
多賀城の長官(のような立場)だったとしたら、そこらのこくしよりか格は高いだろうが、
太宰権率でも左遷と見なされる例はあるしな。
558 :
日本@名無史さん:2010/10/28(木) 02:01:54
>>556 左遷でなく、多賀城防衛のための実務的な人事でしょう。
多賀城は城と名乗っているが、防御力が低かったから。
城と言っても高い塀に囲まれただけの中央政権のお役所ですから。
多賀城は築かれた時代の蝦夷対策最前線はもう少し先。
宮城県北部の桃生城や伊治(これはる≒栗原)城だからね。
伊治公呰麻呂の乱などがあったけれど、行政府としての役割は九州の太宰府に近かった。
その呰麻呂(あざまろ)も朝敵ということで知名度の低い人物ですね。
561 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 11:32:04
>>559 復元図みると、塀ではなく木柵で囲ってあったらしいが。
562 :
日本@名無史さん:2010/11/03(水) 19:57:51
第一回遣唐使も知られていない。
多分犬上御田鍬
564 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 13:58:21
いぬがみのみたすき
は小5で習う。
中学受験した日本人は全員知ってる名前。
大伴家持
歌人としては有名だけれども、軍人としての業績はほとんど知られていないのではないでしょうか?
566 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:00:24
阿部比羅夫は、火の鳥のおかげで地味に名前が知れているような気がする。
ただ、うちの母ちゃんは架空の人物だと思っていたようだが。
568 :
日本@名無史さん:2010/11/07(日) 22:17:17
北海道の ニセコ国際ひらふスキー場のある比羅夫の地名は、阿倍比羅夫と何か関係があるのでしょうか?
>>565 父親の大伴旅人も軍を率いてたんだっけ?
大塔宮護良親王
赤松満祐
絶海中津
以上、教科書に載ってるのに一向にメジャーにならない室町時代の人。
赤松さんちのみっちゃんなんか、石田三成並みに面白いと思うんだが。
政治家としての藤原定家なんてのもマイナーだ。
574 :
日本@名無史さん:2010/11/08(月) 15:06:17
>>569 大伴旅人は名前がかっこいいので、その分、知名度がある。
長曾我部みたいに名前で有名になるパターンもある。
575 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 21:14:21
玉木文之進なんてどうだろう。
地方の役人として最高の一人と思うが。
現代の木っ端役人どもに見習ってもらいたいなあ。
576 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 22:28:27
玉木は乃木将軍の師としてあまりにも有名
577 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 23:39:10
玉木文之進は司馬本に出てくるからそれなりの知名度ある。
578 :
日本@名無史さん:2010/11/10(水) 23:40:04
古代の和爾氏は勢威あったわりに知名度低いかも。
579 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 00:24:58
580 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 03:58:36
梅津美次郎
581 :
日本@名無史さん:2010/11/11(木) 22:11:18
都井睦雄
582 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 00:31:56
吉田茂(戦前の元厚生大臣)
同姓同名の元総理のせいで、たまに混同される。
583 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 00:37:06
建川美次
敵中横断三百里
584 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 09:51:56
ウンチくん
武甕槌・建御雷之男神・タケミカヅチ
葦原中国の荒ぶる神々を制圧し、葦原中国を平定した武神
まあ、なんていうか、関東の熟蝦夷ということでしょうか?
大和朝廷による関東平定の歴史はほとんど史料が残っていません。
586 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 14:07:48
>>585 > 大和朝廷による関東平定の歴史はほとんど史料が残っていません。
婚姻とかによる懐柔や取り込み策も併用したはずだから
外国みたいに皆殺し戦争とかにはならなかった。
587 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 15:36:06
永田鉄山
四道将軍の四人。
なにげに出土した鉄剣から実在した可能性が高い。
589 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 13:10:55
八条院あき子
女帝になったかも知れない皇女。そしてそれよりも南北朝時代のはるか遠因となった
日本史上の重要人物ともいえるが、人となりはほとんど知られてない。
>>585 古墳時代の武具・馬具の遺物は関東・信濃に多いので
軍事面はむしろ東国に優位性があった
先進文化の受容を通した緩い支配関係を築いていったものと思われる
591 :
日本@名無史さん:2010/11/14(日) 13:26:40
>>590 > 軍事面はむしろ東国に優位性があった
鉄剣などの武器の性能はどうだったのか?だな。
矢作(やはぎ)とは、ヤホウェ、つまりエホバの神の名だ。
神武に従って大和建国に協力した物部氏とはイスラエルからの移民集団だった。
>>591 鉄器は酸化して土にかえり易いから考古学的に物証とるのは難しいという話を聞いたが。
革や繊維をメイン材料に作られた防具や馬具は比較的残り易い。
だから牧の多かった東日本では西日本よりこれらの出土品も多くなり東日本の軍備の方が充実していたという話になり易いとか。
牧で飼われていた馬は軍馬としてのみ利用されていたとは思えないし、鉄器の脆さと量産の難しさを考えると東日本優位はかなり眉唾モノっぽい。
594 :
日本@名無史さん:2010/11/18(木) 23:34:22
鉄器も精動機も革製品も木製品も髪もすべて土に帰ります。
土に還らず残るのは石碑と粘土版。
邪馬台国の日は必ずあるはずです。
だれか早く見つけ出してください。
軍事探偵 横川省三
596 :
日本@名無史さん:2010/11/22(月) 00:01:05
三好十郎
597 :
日本@名無史さん:2010/11/26(金) 21:53:36
くすばさいにん
>>596 「斬られの仙太」「炎の人」だけではまだ不満か。
>>597 初めて日本に定住したムスリムってことが知られてるだけで
十分な知名度だと思うが。
599 :
日本@名無史さん:2010/11/28(日) 07:20:44
徳川継友
某ドラマのせいで将軍位を争ったのは宗春ということになっているからか
600 :
日本@名無史さん:2010/11/28(日) 07:36:09
吉備由利
称徳天皇の晩年は天皇自身はしゃべれず由利が作文して伝えていた
601 :
日本@名無史さん:2010/11/28(日) 11:10:31
内山里奈が演じて有名になったはずだが
602 :
日本@名無史さん:2010/11/28(日) 21:47:02
araihakuseki
604 :
日本@名無史さん:2010/11/30(火) 16:56:19
小西行長
加藤清正ばっかり
605 :
日本@名無史さん:2010/12/01(水) 00:25:37
いくらなんでも、まともな教育うけた日本人で
新井白石や小西行長知らないはありえん。
脳がぶっ壊れてない限り名前くらい知ってるよ。
あらいしろいし?
こにしこうちょうち?
はて・・?
皆の者、存じておるか?
新井白石は松平定信よりも経済で有能だったから、福島県では無視されがちです。
>>605 「加藤清正に比べて小西行長は」って比較論なら理解できる。
所詮「知名度が低い」なんてのは相対的な問題だから。
結局のところ「ライバルのあいつは知名度高いのに」とか
「当時はものすごくメジャーだったのに」みたいな感じでしか語れないんじゃないかな。
609 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 01:58:54
知名度とは違うのだが、こういう話題で
一つの指標となる山川用語集の格付けだと
加藤G < 小西H
で小西の勝ち。
石田三成のJ(=最強値)には及ばないものの、
前田利家や浅野長政と同格だから
なかなかのものだ。
>605
高校の日本史は選択科目で、習わない人が半分以上のはずでは?
新井白石はともかく、小西は中学の「歴史」では習わないはずだから、
習ったことがない人の方が多いんじゃないのかなあ。
新井白石を習ったことがなかったらモグリかもしれないが。
611 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 09:30:17
西郷隆盛、坂本竜馬、徳川家康、豊臣秀吉がなぜか知名度が低い。
>>605 知らないんじゃなくて忘れちゃうんじゃないの?
613 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 19:18:58
>>611 山川の日本史用語集ではすべて最強値です。
とゆうか小学校で習います。
ドラマ漫画ゲーム等
あらゆるコンテンツで取り上げられる
超有名人であって、いかなる池沼白痴ですら
知らない者はいないでしょう
614 :
日本@名無史さん:2010/12/02(木) 22:05:51
>>611 そのラインナップに坂本が並ぶ感覚というのは
現代人特有のバイアスなんだろうな。
今世紀半ばくらいの未来になっても、
西郷や家康や秀吉などは
現代における知名度とほとんど変わらないと思うが
坂本なんて誰も知らないと思う。
坂本龍馬って知ってるひといる?
司馬遼太郎の本で読んでびっくり。
街道をゆくと同じで、また、妄想話ですか?
と思ったぜよ。
宗義智
秀吉がぶち壊した日朝関係を国交回復にまで改善させた対馬初代藩主
児玉源太郎
もう少し生きていれば総理大臣になれたのにと惜しまれた名軍人
森鴎外(軍医として)
脚気は病原菌が原因だという自説に執着し洋食や麦飯の導入に猛反対した結果
日清・日露戦争で合わせて3万を超える兵が脚気で死亡するという大惨事を招く
亀レス
>>200 >現在/現代でさえ、国連(連盟ではなく連合だが)で働いてる日本人の知名度が低いんだからなあ。
知名度ある関係者は明石康さん、緒方貞子さん、小和田恒さんくらいだろうな
それも小和田さんは娘が皇太子妃にならなかったら無名
木村昌福
キスカ島撤退に向かい米軍に全く気付かれることなく全員を救出した名将
田中頼三
「陸の牛島、海の田中」とむしろ米国で評価が高い名将
少数兵力で輸送作戦中に多勢の米軍に襲われるが返り討ちにする(ルンガ沖夜戦)
辻政信
ノモンハン事件で責任転嫁と口封じのため関係した部下を大勢処刑
各地へ転戦してマレー侵攻成功に寄与するがガダルカナル戦では惨敗の一因
終戦後は確実に戦犯にされそうだったため東南アジアに潜伏
戦犯指定解除後に帰国して事もあろうに国会議員になる
牟田口廉也
悪名高いインパール作戦を強行した愚将
自身はちゃっかり敵前逃亡して戦後まで生き延びる
618 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 18:37:38
木戸孝允。
西郷、坂本に比べて
遅レス
>>134 佐々十竹(助さんのモデル)が史料集めの旅に出たのが事実
安積澹泊(格さんのモデル)は主にデスクワーク担当
もちろん光圀は旅に出ていない
620 :
日本@名無史さん:2010/12/05(日) 19:06:04
坂本竜馬
田中智学だろうな。
622 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 01:42:14
陸奥の親父
623 :
日本@名無史さん:2010/12/06(月) 21:26:51
西郷隆盛
>>622 陸奥の弟(正確には義弟)。
令の伊達騒動の時の伊達兵部の子(兵部が後継者として擁立しようとした)
と同名だったりするからますますややこしい。
626 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 19:35:38
隠居後も力があった光圀と全国を珍道中した佐々は分かるが
デスクワーク要員の一人に過ぎない安積がどうして有名になったのかは謎だな
627 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 20:44:53
藤原安子(村上天皇皇后)
628 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 22:04:07
井上馨
629 :
日本@名無史さん:2010/12/08(水) 22:09:47
浅草団左衛門
今まで大河ドラマになることのなかった最後のスターではないだろうか?
市川團十郎との抗争をメインに、車善七と絡めてドラマにすれば、高視聴率が狙える。
弾左衛門じゃないの?
原作は塩見鮮一郎?
嵯峨天皇と後白河院は大河ドラマの主人公クラスと思うがな。
佐々十竹は変わり者で行く先々で時々史料収集と関係ない騒動を起こしたことがあったらしいね
それが黄門様漫遊の話が生まれる元になったとも言われてる
633 :
日本@名無史さん:2010/12/09(木) 18:44:50
>>631 NHKが「天皇(上皇)同士が相争う」のをメインにする
ドラマを制作するのは、保守派やウヨが怖くてできない。
634 :
日本@名無史さん:2010/12/09(木) 23:28:44
そういや、北条時宗の大河ドラマの時にも、
時代的には大覚寺統と持明院統との争いが本格化した頃だってのに、
「両統」の「り」の字も触れてなかったもんな。
幕末もので孝明天皇が登場することも珍しくない
637 :
日本@名無史さん:2010/12/10(金) 02:39:57
>635
太平記の大河って、北朝側は尊氏に引きずられるだけの存在にしてなかったっけ?
天皇同士の争いじゃなく後醍醐対尊氏みたいな感じだったのでは?
あんまり記憶がないが。
南北朝は足利尊氏VS後醍醐天皇
宮崎滔天は知らないだろ、お前らも
孫文の支援者としてはむしろ梅屋庄吉の方が無名。
滔天は中国同盟会の仲介者として名前を残してるからな。
641 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:34:44
伊藤博文
千円札の人だから誰もが知っているようで実はその実態は殆ど知られていない。
日韓併合に反対する朝鮮人朝鮮人安重根の暗殺テロによって絶命したから、生臭くて大河ドラマにはならなかった。
しかし、日韓関係が成熟しつつある今、そして龍馬伝の続きである明治維新を語るには、伊藤博文以外になかろう。
しかし、伊藤博文役を香川照之にやらせるのだけはやめてくれよ!>NHK
>>641 朝鮮併合を重視すると、
伊藤は当初は反対派、閣議後は消極的ながら容認派。
安重根は、併合に関する本心が分かりにくい。
テロを重視すると、
若い頃に暗殺や放火を行った伊藤が、暗殺に倒れた話。
因果応報の様になってしまう。
あと女癖もあるし、色々作りにくい人物だろう。
お前なら、どんな話にするんだ?
>>642 力量のある作家にかかせれば、龍馬だって世紀の英雄になったように、伊藤だってそういう書き方は可能。
渡辺淳一先生に頼んで官能小説にしてもらうというのはどうだ?
>>633 最近の大河ドラマの傾向として朝廷、朝廷方は悪役的
描かれ方が多いと思うが?
山田少年
646 :
日本@名無史さん:2010/12/11(土) 20:48:08
海老蔵暴行事件と同じで、
こういう時に役に立つのは渡来系との混血児ですよ。
調子こいている奴を叩きのめして一旗揚げようとした。
ダルビッシュや室伏を見ればわかるように、日本人離れした身体能力。
無防備な龍馬では太刀打ちできまい。
>>644 そういえば幕末の中川宮(久邇宮)ってどう考えても薩長・倒幕史観的には
ヒールなはずなのにあまりクローズアップされないね。
輪王寺宮(北白川宮)もあまり取り上げられないし。
そりゃあそれぞれ天皇陛下とJOC会長殿のひいじいさんだからなwww
649 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 17:03:34
中川宮はけっこう大河ドラマや民放幕末ドラマに
登場してるんだけどな。
名前がころころ変わってた人だからわかりづらい。
650 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 19:57:15
石原裕次郎、美空ひばり、北野武
651 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 21:07:50
井上馨
652 :
日本@名無史さん:2010/12/12(日) 22:33:41
井上馨は特に知名度が低いとも思えない。
鹿鳴館時代・欧化政策の代表として
中学受験でも習う名前だから
伊藤や山縣と並ぶ知名度はあるはず。
653 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 14:53:00
知名度は伊藤ほどじゃない
山縣より少し劣る程度
654 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 16:05:35
仙石秀久
655 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 16:34:57
顕如光佐
656 :
日本@名無史さん:2010/12/13(月) 23:09:09
ほぼ全ての歴代天皇な。
人格じゃなく「血統」だから当然だが。
657 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 00:22:33
日本人なら歴代天皇くらいそらんじるだろ。
125代をスラスラーッと暗唱するんだが
息継ぎの置き方にも作法があって
平安院政鎌倉室町江戸と時代の切れ目に合わせる。
後亀山と後小松では区切らないとか
でも部列と携帯の間は区切るとか
いろいろある。
658 :
日本@名無史さん:2010/12/14(火) 21:17:30
暗記するなら元号だろ。
資料等で見掛けたとき、いつ頃かパッとイメージできると便利だ。
>>657 そこで区切るとはけしからん!
って抗議が来たりして。
日本人なら漢風諡号でなく和名で言ってみろw
嵯峨とかは和名ないけどな。
和風諡号って奈良時代の天皇で終わりじゃないの?
桓武天皇はあったの?
誰が最後?
>>661 54代仁明天皇が最後。
ただし孝謙(称徳)・淳仁・嵯峨には無い。
>>617 ノモンハンはソ連に日本の実戦力を把握されてしまったのが最も痛い
あのせいで「日本恐るるに足らず」と自信を付けたスターリンがヤルタ会談で強気に出たり
日本降伏後も満州・樺太・北海道・千島で戦闘が続いたのもノモンハンが遠因だと思う
辻と牟田口は「悪名高い」って感じだが…。
インパール何で失敗したの?って話が出ると必ずその二人の名前が出るような。
奈良の大仏の製造に関わった坊さんでは、
行基、重源は確か教科書にも載ってるが、
江戸時代に現在の大仏を再建した公慶は載ってないんだよね。
インパール作戦を語る上で牟田口の存在は抜きにできないが
辻はインパール作戦自体にはあまり関係ないのでは?
>>665 2回目に大仏を燃やした松永久秀もセットで
まあ松永弾正を知らないのは戦国マニアじゃないというほどの有名人だが
辻と牟田口の共通点
・敵の力量を見る目が致命的に欠けていた
・責任を全部部下に押しつけた
・部下には自決や犬死にを押しつけたくせに自身は逃げ回って戦後まで生き延びた
669 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 20:36:46
奈良の大仏を作ったのは新羅からの渡来人
670 :
日本@名無史さん:2010/12/18(土) 21:05:59
松本喜三郎
個人的にはロダンよりも優れている造形師だと思う。
>>670 おまけにロダンには欠けている「生々しいエロ」も兼ね備えている(*´Д`)
>>657 すべてのカソリックは歴代法王を全て諳んじれるのだろうか?
疑問だ。
673 :
日本@名無史さん:2011/01/01(土) 19:57:34
八田與一
日本統治時代の台湾で活躍した土木技師。
烏山頭ダムを造るだけでなく水路建設にも関わり台湾の農業発展に大貢献した。
重松@修
日本統治時代の朝鮮で活躍した朝鮮金融組合理事。
私財を投げうって寒村で養鶏を指導し
さらにそれで得た貯金を家畜購入、農地購入、就学の費用に充てた。
終戦後逮捕されたものの重松のお陰で進学できた朝鮮人検事が
重松が無事に日本帰国できるように手引きしたという話もある。
八田與一は最近知名度急上昇中じゃん。
675 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 01:38:05
菊池大吉
ガチで知名度低い
浅井長政なんて知っているのは歴史通だった
677 :
日本@名無史さん:2011/01/02(日) 17:56:29
浅井長政はなんで「あざいながまさ」なのだろう。昔はあさいながまさと読んでいたような気がするが。
>>677 うん
護良親王をもりなが、と習ったんだが、、
正しい読み方が分からなくて適当に読んでた頃は「あさい」
古文書で正しい読み方が判明して訂正されたから「あざい」
だと聞いた気がするが...
「もりなが」も、なにかそういう経緯があったらしいが、誰だったか解説してくれてたなー
地名とかでもよくある、濁音だったのがそうでなくなるの。
681 :
日本@名無史さん:2011/01/05(水) 13:13:18
日柳 燕石
地元でもほとんど無名だと思う
682 :
日本@名無史さん:2011/01/06(木) 12:24:56
>>677 津田宗及も「つだそうきゅう」って言ってしまいがち
683 :
日本@名無史さん:2011/01/06(木) 19:38:26
アイドルなのになぜか「カズヤ」と呼ばれてしまう
二宮和也
>>679 Wikipediaの「後醍醐天皇」に詳しい事情が書いてある。
損得抜きで貧民救済に一生を捧げた二宮尊徳。
農民のくせに姓があることにいぶかしがる人もあろうが、
実は苗字帯刀を許された名主の分家出身なのだ。
しかも、身長が180cmを越える大男だったというではないか。
どこの小学校にもその像がありながら、その実態は殆ど知られていないことに驚く。
来年の大河ドラマあたりにちょうどいい素材ではないかな?
二宮尊徳本人もだいぶ借金してたらしいな。
>>685 小田原の豪農といえば二宮家とともに、河野家ね、
政治家系
大原幽学
箕作阮甫
当時はかなり有名な洋学者だったにもかかわらず
「(江戸っ子だからという理由で)勝海舟の入門を断った学者」という
エピソードが歴史ヲタにちょっと知られてる程度。
690 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 23:49:42
石田博英
石橋湛山総理・総裁誕生の立役者
最近は 三宅☆自演乙☆雪子 の祖父としてプチブレイク
691 :
日本@名無史さん:2011/01/20(木) 20:30:40
農林1号作ったおっさんだよ
違うと思うなら一回コシヒカリ系以外の米食ってみな
徳川秀忠は、あの親父と息子に挟まれちゃあなあ……
知名度はともかく
「家光優秀、秀忠は無能」発言する人って昔に比べたら減った気がするのでそれはいいことだ
義務教育の歴史しか知らない一般人はともかくとして、研究者や歴オタの評価は低くないしな、秀忠
江戸幕府の基板固めたってだけで、充分優秀だと分かるよね秀忠
クソ真面目すぎて融通きかない所もあるけど
この人がいたからこそ幕府が出来上がったのに
家康・家光は知ってるけど、二代目将軍って誰だっけ? が現実だし
知っていても話に上がるのは、関ヶ原の遅刻や、嫁に弱いばかりで悲惨すぎる
秀忠は大河ドラマでさらに知名度上がりそうだね
足利義詮と違ってね…
田中正造
坂の上の雲の富国強兵の陰で、古河財閥による無理な銅山開発によって渡良瀬川流域は鉱毒の被害が広がる。
日本初の公害被害民救済のため、田中正造翁は毅然として立ち上がったのだった。命がけの天皇への直訴!!
乃木大将や秋山某よりずっとえらい人だとは思いませんか?
ネタだと思うがマジレス
>>696 小6の教科書にも載る有名人だろ
乃木より偉大なことだけは同意
だったら、次の大河ドラマの主人公にどうだ?
戦争バンザイみたいなドラマばかりじゃつまらなかろう?
主演は香川照之にきまりじゃ
北条綱成は知名度低い方なのかな
>>699 多分、地黄八幡が大河ドラマに出ることなんて、もう無いと思うぐらいマイナー
しかし、風林火山は冒険しすぎだった、いまさらながらに思う
>>700 ちくしょう…大河はもっと堅実にやろうぜ
御三家の初代:徳川義直・頼宣・頼房
703 :
日本@名無史さん:2011/01/23(日) 10:35:56
今度の大河では豊臣秀保はスルー?
蒲生君平はどうだ?
司祭場付き円墳を前方後円墳と名付けたがために、古墳時代の歴史の見方を大きく歪めてしまった張本人。
同時代の仙台の林子平・上州の高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられるとかで、面白いエピソードは盛り沢山。
705 :
日本@名無史さん:2011/01/24(月) 20:55:46
>>703 秀保は知らんが秀勝は当然出るだろ。
完子も
706 :
日本@名無史さん:2011/01/24(月) 23:30:38
>>704 普通に教科書に載ってるからメジャーだよ
>>706 授業でスルーされる確率は林子平よりも遥かに高い
少なくともセンター試験に出るような人物ではないな。
709 :
日本@名無史さん:2011/01/25(火) 13:56:31
安藤昌益
710 :
日本@名無史さん:2011/01/25(火) 15:23:37
彼に関しては、捏造文献を山のように特定の集団が製造保有しているので、
下手に言及できない。
711 :
日本@名無史さん:2011/01/25(火) 21:17:49
尾張の徳川慶勝
牧野伸顕
近代史、昭和史を知るなら、聞かない名前じゃないが、
それ以外の人での知名度は、ゼロに近いんじゃなかろうか。
713 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 08:16:57
松平益親
一次史料に見える実在性のある松平氏の一人なのに
系譜関係がはっきりしないためか、いまいち知名度が低い。
地頭職でもあるし、三河から近江まで兵を動員する実力もあるし
裏松家にも顔がきいたらしいし。
714 :
日本@名無史さん:2011/01/26(水) 11:09:30
>>710 「特定の集団」の名前を聞かせてください。
>>712 たぶんパリ講和会議に西園寺と一緒に全権で参加したのが
彼の人生の華だったのだろうが(でももう第一線引いてた後だよね)
そもそもその会議で牧野が一体何をしたのかとか
すぐに思い浮かんでこないところがカワイソス(´・ω・)
>>704 多くの歴史ヲタはみなもと太郎センセの漫画で林と高山を認識しただろうが
蒲生だけはほとんどスルーでイマイチ影が薄いね。
やはり「ナイナイづくしの狂歌」とか「三条大橋で土下座」みたいな
絵になる印象的エピソードに欠けるのが拙いのでしょうか。
うちの近くに住んでたのになぁ。
716 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 20:16:52
>>715 現代まで尾を引く仕事を残したのは蒲生だけなのにね
717 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:29:00
桂川補習
718 :
日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:35:53
鬼室 福信と鬼室集斯
二人とも韓国からの帰化人ということであまり有名ではないが、
白村江の戦のキーマンであり、この二人を抜きにして大化の改新までのわが国の歴史は語れない。
鬼室の子孫だと思われる木村拓哉主演で、大河ドラマ「白村江の戦」をやれば、
日韓友好の新たな一ページとなるであろう。
719 :
日本@名無史さん:2011/01/28(金) 00:03:42
10年くらい前だけど蒲生君平センターで出題されてたよ
>>35 高師直ってば、例の騎馬像がそうなら、物凄い面構えなんだよね。
実物にあったら、ヒエッと叫んでひれ伏してしまいそう。
>>709 業績など絶無なのに知名度だけ異常に高い人物のトップね。
>>702 頼宣って正雪の影で糸を引いた疑惑のおっさんだっけ?
ガセだと思うけど。
>>685 でかい声で音読しながら歩いてたから「きじるしきんちゃん」と呼ばれたとかいうけど、ホントかな?
>>617 源田実
戦闘機無用論で戦闘機乗りの育成を妨害した、実際の空戦を経験したことがない素人曲芸飛行士。
とかさ。
725 :
日本@名無史さん:2011/01/28(金) 20:17:36
村井貞勝って戦国物のドラマにほとんど登場しないよね?
>>725 利家とまつに準メインキャストで出てなかったっけ。
>725
まあ、あんまり出てこないな。
おそらく信秀が若かった頃からの古い家臣(信秀じゃなく信貞に一文字をもらってる?)だろうし、
年齢的に信秀と同世代ぐらいだろ。信長とは親子ほど年が離れてるんじゃないの?
それに、戦場に出ることのない行政官僚だし、ドラマ的には華がないからかも。
古くからの重臣の出番は平手・柴田・林・佐久間に取られるもんなあ
>>729 まぁドラマは視聴者が混乱しないようなるべく登場人物を整理して
分かりやすいキャラ付けで描き分けることが求められるから
どうしても歴史上の役割が被ると片一方はドラマから割愛されちゃうけどね。
(前田利家を主人公にするとたいてい豊臣秀長がアボーンされてしまうように)
信長時代の行政官僚ってどうしても秀吉時代の官僚と比べると
時代の雰囲気・イメージからして脚光が当たりにくい。
つまり歴史と物語の違いか。
歴史へ残すに値するが物語では扱いにくいというわけだな。
平姓武家が関白や征夷大将軍になれたか否かの
信長最大のミステリー「三職推任」の場面での
キーマンが村井なのにな。確かに知名度低いわ。
村井貞勝は物語では扱いにくくても歴史シミュレーションゲームによっては扱いやすい
逆に物語では扱いやすいけどゲームでは扱いにくい人物に
(スレ趣旨から脱線するが)毛利勢力にいた井上元兼が思い浮かんだ
歴史的には毛利家が豪族連合の代表から主君へ体勢を変えた転換点で討たれたという意味で重要
大河ドラマでも片岡鶴太郎が演じた大役だった
そのわりにゲームでは見かけない
毛利隆元も知名度低いよな
実際は戦場でも活躍してるし、内政手腕にも長けた人で、彼が死んだ後は毛利家の財政大ダメージ被ったくらいなのに
知ってても手紙内のネガティブイメージしかもたれていないのが何とも
彼の主役の小説もあまり見かけなくて悲しい
735 :
日本@名無史さん:2011/02/03(木) 20:34:16
毛利隆元は、おやじより先に死んで当主になっていないから仕方ない
服部小平太、毛利新助はどうよ。
この二人がいなければ、歴史は変わったかもしれないぞ
>隆元
厳密には形式上は家督を継いでいたのでは?
>服部小平太、毛利新助
その二人よりも褒美が多かったという、
義元の居場所を知らせた人の方が歴史への寄与が大きいかと
737 :
日本@名無史さん:2011/02/06(日) 17:20:51
稗田阿礼
>>736 簗田かな? その話はガセみたい。って、Wikiにも書いてある。
既出だと思うが
幕末の長州では高杉・木戸と比較したときの広沢真臣
薩摩では西郷・大久保と比較したときの小松帯刀
ってのが、両者とも早死にしたせいか、当時の存在感を考えれば
現時点の知名度は恐ろしく低いような。
小松の場合、最近ちょっとスポットが当たってるけど、西郷大久保を
中心にしたドラマではほとんど小者扱いだし
広沢に至っては彼が登場する幕末ものの大河ってこれまであったのかと。
>>739 その話しの真偽はともかく、
>って、Wikiにも書いてある。
Wikiこそガセネタの山だろ…
Wikiで信頼できるのは自分が加筆編集した記事だけ
>742
そうか...
オレだったら、自分が加筆訂正した部分でさえ信じられないな。
すでに知っている事柄について、自分の知識と一致した場合だけは信じられるだろうが...
>>743 自分が加筆した箇所ならどのあたりが確実で
どのあたりが適当に書いたか分かるからね
って意味で。
745 :
日本@名無史さん:2011/02/10(木) 14:07:25
おれも、わざとあいまいな情報で編集し、
別の加筆者を誘っておいて、自分のもってる情報と
つき合わせることがあるな。
ただ、ここに出てくるマイナー人物の場合
加筆者は現れず、結局自分で再編集することもある。
妹尾義郎もその一人。
自分の持ってる資料は、他人のほとんど著作物なので、
再編集できずにいるが。
>>741 真偽のほうが肝心であって、他がどうかなど何も関係ないのだが?
君は、Wikiに書いてあることを鵜呑みにしたり、逆に、間違ったことが
書いてあったら、全く何も考えないで他も一律に扱うタイプの、世間に
ありふれている薄ら馬鹿かね?
>>745 それ、Wikiにかぎらないインターネットの本来の目的みたいなものね。
世界レベルでそういうことをできる方法が、従来は存在してなかったんだよね。
みんな、この板ではWiki=Wikipediaで通用するが
他の板では別のWikiサービスと紛らわしいから
なるべく略さない方がいいと思うぞ。
(知ってるとは思うけど)
>748
そうだな。wikileaksも略したらwikiだもんな。
話の流れでわかるだろタコ。
タコじゃイカんでゲソ と。
Wikipediaは本質的に情報の信頼性が確かめにくいから
Wikiで調べる→他の情報で確認する
よりも
最初から信頼性が高い情報で確認する
の方が手間が少なくて済む
753 :
日本@名無史さん:2011/02/14(月) 21:56:49
外山修造
阪神電鉄やアサヒビールの創設者
ガトリング家老でお馴染みの河井継之助の弟子
もろにTVドラマに影響されたレスですが
勝海舟と、山岡鉄舟とあともう一人誰だっけ?「幕末の三舟」。
カワイソス(´・ω・)
756 :
日本@名無史さん:2011/02/27(日) 22:41:01.62
平知度(清盛七男)の
知名度が低い
757 :
日本@名無史さん:2011/02/27(日) 22:54:48.10
島義勇
758 :
日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:55:11.08
勝海舟の陰に隠れた大久保一翁の知名度の低さは異常
760 :
日本@名無史さん:2011/03/03(木) 06:16:14.83
すぐれた能力を持ちながらも結果的にたいしたことができずに死んだ人かなあ?
それだったら、函館戦争で大鳥圭介や板倉勝静・松平定敬あたりと並ぶ大物だったのに、
明治以降は
・新政府出仕要請? 働いてやるもんか→ろくに仕事もしないで退職
・地元で事業をする、産業王になるのだ→大失敗
・シベリアで事業をする、大産業王だ→大失敗
・結局、渋沢に生活費を貰ってその後を生きました
という松平太郎という例があるのですが。
>>754 「文政の三蔵」の間宮林蔵と近藤重蔵とあともう一人、あれだよ。えーと。
>>760 それなら、「なぜか」ではないんじゃない?
織田信成
そいつの名声は三重野康と竹中平蔵が滅茶苦茶にしちゃったね
特にバブル退治のバカ鬼兵衛がいけなかった。
藪甘草
鼠小僧
葵小僧こと徳川家光
かわいそうなぞう
しょとくばいぞう
777 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 14:51:49.98
778 :
日本@名無史さん:2011/03/14(月) 14:52:11.22
すまんwミスった
780 :
日本@名無史さん:2011/03/21(月) 22:33:26.28
蒲生氏郷はオタのなかではメジャー級だが
一般的には知られてないよな
鳥山石燕
妖怪画で有名
喜多川歌麿の師匠
783 :
日本@名無史さん:2011/03/30(水) 14:00:20.16
敦康親王
近衛前久はマイナーかな
凄い出奔率を誇る流浪関白で面白いのに
殺生関白九条政基
786 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 16:40:23.05
>>785 九条家は他の摂家に比べて地位を低下させることになる。
二条教頼
公卿補任にはもちろん、尊卑分脈にも名が見えないため、
大正時代に新史料が見つかるまで存在すら忘れられていた南朝の関白
788 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 19:48:35.95
西郷隆盛、坂本龍馬、土方歳三
789 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 20:29:32.78
古代豪族だと和邇氏が勢力の割にはマイナー。
ワニ
791 :
日本@名無史さん:2011/04/01(金) 21:07:28.57
和気清麻呂
>787
そりゃ、公卿補任や尊卑分脈が作られた当時には南朝は正統じゃない(正統は北朝)と考えられていたからだろう。
さわきよしゆき
794 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:00:55.60
福島の原発をタコな設計にした奴
デール・ブライデンバーっていっても地震前に知ってた人ってほとんど居ないと思う
796 :
日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:39:27.26
結城秀康
今日の大河見た?
結城秀康は知名度低くないだろ むしろ秀忠よりあるだろ
三条西実隆
>>797 秀康と秀忠と御三家初代(義宣・頼宣・頼房だっけ?)を除く兄弟が知名度低いな。
石田琢人
山本宣治
>結城秀康は知名度低くないだろ むしろ秀忠よりあるだろ
さすがにそれはないだろ・・・・
803 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 15:28:28.51
徳田球一
804 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 15:51:08.92
>>803 共産党幹部に知名度が高く、
末端党員に低い渡辺政之輔
春澄善縄
日野資朝
>>799 5男の武田信吉はよく存在を忘れられるよね
>>807 武田家として存続してたら違ってたかもね
福田徳三
赤松要
山田盛太郎
宇野弘蔵
宇野は日本独自のマルクス経済学を開拓したし、
赤松の雁行形態論は世界的に有名で、
軍属で中将待遇になってたりするのもすごい
>>804 日本共産党行動派(所感派の直系)では神の如く祀られている渡政。
山懸とか知名度低そうだよな。
卜部兼方
812 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 11:42:39.99
千葉さな子の妹二人
千葉りき子
千葉きく子
813 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 17:42:45.28
千葉佐那には梅尾という姉、りき、きく、はまという3人の妹がいた
しかし千葉佐那自身何をしたのかよくわからん人物
ましてや更に何したのか分からん妹達など知名度低くて当たり前だが・・
千葉周作。
出身は、大津波で滅んだ陸前高田市気仙町という説もある。
周作の父が意を決して上京、周作を佐々木道場に入門させて、めきめきと頭角を表した。
元々千葉氏は、千葉県の大豪族、鎌倉幕府の御家人千葉常胤の子孫。
千葉常胤は、平将門の叔父平良文の流れをくむ桓武平氏。
桓武平氏とは、高望王、つまり高句麗王の子孫を称する渡来人集団。
2mを越える長身だったというし、大耳。後漢中山靖王劉勝の流れをくむ劉備玄徳とも同族か?
鎌倉幕府が崩壊すると千葉氏は東北に追いやられ、帰農させられることになる。
そういう千葉一族の2千年の興亡を時空を超えて描けば凄いドラマができると思うのだが。
815 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 20:49:52.51
一方の坂本龍馬も、坂本とは、酒本、つまり秦酒公の流れをくむ秦の始皇帝の子孫だったわけだから、二人が出会ったのも偶然ではなかったのだろう。
816 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 20:56:04.07
817 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 21:06:13.32
手塚治虫先生の「火の鳥」のように、時空を超えたSF大河ドラマに仕立ててくれ。
>>814 千葉周作一代記としては無理だな
さすがに2千年もの時を隔てた大河ドラマって無理だろ
819 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 14:51:03.60
カツカレーの生みの親 千葉茂
820 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 20:18:25.10
横井小楠
岩瀬忠震
川路左衛門尉
大原幽学
羽倉簡堂
>>820 その中では横井小楠は十分知名度高いだろ…
823 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 03:48:08.44
岩瀬忠震と川路聖謨は開国の父とは言えるが、その条約が不平等なので困る。
川路聖謨は江戸城無血開城時に自殺し、幕府に殉じたのではあるが、
同時に京都の一会桑の横暴と悪評を記しており、会津マンセーの馬鹿小説家が目の仇にする傾向がある。
岩瀬忠震は復権することもなく死んでしまった。
関係ないけど、今年産まれた子供に「忠震」って名前つけたらカッコいい。
825 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 16:29:03.34
かっこよくない 不謹慎 センス無し
3冠王です
そういうことをするやつは
ホームラン級の馬鹿
であると。
827 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 08:37:20.16
井上清直も
板倉勝重
解決に定評のある京都所司代
大岡越前に食われちゃってるけど、この人もいいと思うんだ
岩瀬忠震を挙げるのなら断然に阿部正弘だな。
阿部正弘が居なければ、江川英龍も勝海舟も世に出ることはなかっただろう。
かなり有名な筈なのに名前間違えられてる阿部正弘はやはり無名
確かに幕末の幕閣では井伊直弼よりは無名だろうが
堀田正睦とか安藤信正よりは有名じゃね?>阿部正弘
徳川将軍家の御典医一族の半井安立軒元成
幕末の項で老中阿部正弘が乗ってない教科書などないやね
たまたま最近のドラマで出番が少ないとかそんなのが「知名度が低い」と
いう基準なのかな
835 :
日本@名無史さん:2011/04/19(火) 22:19:00.77
俺が高校の頃は「安政の改革」なんて習わなかった。
いまは、かなり知名度上がってるだろ。
よくよく考えれば、「天保の改革」の水野忠邦は
実績の割りに知名度が高すぎるような気がする。
>>835 安政の改革? そんなのあったっけ?の世界。
安政の改革と文久の改革
どっちが知名度高い?
文明堂のカステラ
839 :
日本@名無史さん:2011/04/20(水) 12:18:50.60
文久の改革はしらん
840 :
日本@名無史さん:2011/04/20(水) 13:06:20.58
川路利良
るろうに剣心で左之助に「デコッパゲ」呼ばわりされるけど
実際の写真を見ると本当にその通りで吹いたわw
ただのアニメのキャラだろそれwwwwwwwwwww
843 :
日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:21:51.13
頼山陽
日本外史の著者として教科書には当然載っている大物なのだが何故か一般ウケしてない印象
貞観の大震災を描いたドラマが受けるんじゃないかな?
>>840 山田風太郎の「警視庁草紙」のボスキャラだった気がする
>>840 日本警察の父と言われる一方で
元々は西郷隆盛に取り立てられたのに
西南戦争では官軍だったせいか不人気な気がする
汽車の窓からウンコすてた人だったっけ?
>>843 頼山陽は微妙だろう。
著書で北条氏と北条義時を批判したため、福沢諭吉や勝海舟などはまったく評価しなかった。
>>843 あれの詩はダレていて嫌みだ(漱石談
演歌の歌手とかで、思い入れたっぷりのつもりか何かしらんけど、
テンポを遅らせる気色の悪いのがいるけど、要するにそういう感じということね。
るろうに剣心では大久保利通は持ち上げてる一方で
川路利良はあまり良い人には描かれてなかったな
裏取引を持ちかけて特に恵と左之助を怒らせてる
その時に「デコッパゲ」発言が飛び出す
つーか山田風太郎とるろうに剣心がこんな所で繋がってたのかw
足利義詮
評価低すぎ
まだ火種をあちこちに残してた室町幕府を義満まで繋げただけでも大したものだよな
>>854 違うのは義詮は実在確定、綏靖天皇は欠史八代の最初
綏靖天皇には即位前紀に華々しい活躍があります。
足利義詮は将軍任官以前の活躍に乏しい。
それ言ったら将軍任官以前の活躍がむしろマイナスの徳川秀忠の立場は…
あれはもしもの際の兵力温存でむしろGJだろ
工藤忠
溥儀の側近なのに知名度低すぎだろ
>>857 秀忠は10代の頃から家康不在の関八州を円滑に治めているという
政治手腕は評価されていいと思うんだが、やはり内政は華がないのかな…
ある程度政権が安定したら軍事能力が卓越してる必要ないからな
実際に秀忠は家康死後は軍事能力を要する状況に遭ってない
むしろそういう状況の芽を摘む能力に優れてた
さすがに秀忠死後に起きた島原の乱だけは防げなかったが
義詮は長生きしてたら義満のやったことを出来たかもしれない
実際は1367年に38歳で死去した一方で南北朝合体はその25年後の1392年
サントリーのおっさん
知名度だけでなく民度までが低い
>>861 足利自体が南朝についたり北朝についたりしてた時代を生きた義詮では
北朝だけを皇統に残すと言う義満のやった南北朝合一は無理だったろう
足利義満は後円融天皇と母親同士が姉妹という北朝の一員のような顔をして
成長した坊ちゃんだったからこそあれがやれただけで
864 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 10:51:42.53
北輝次郎は知らないだろ
濱田彌兵衛はもっと知らないだろ
865 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 20:15:38.35
安達秋田城ノ介安盛
中高の日本史の授業では勿論、日本史の受験勉強ではお馴染みなはずだが意外に知らない人が多いよ。
泰盛
867 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 20:19:18.19
幡随院長兵衛
868 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 21:23:28.07
鬼平捕物帳読破。
霜月騒動はドラマにならないから
知ってる人は少ないね。
870 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 22:25:44.67
小西行長
871 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 23:00:59.77
北条時行の小説があるなら読みたいな。
鎌倉炎上からの脱出、再起して一度は鎌倉を落とし、敗戦後は南朝に。望むは尊氏の首のみ!
高時、尊氏、義貞、後醍醐、顕家らとの絡みなども描けば秀作が出来そう。
>>858 どうなのかな? 可能な限り急げという指示はなかったに違いないだろうけど、
上田で引っかかったのはやはりミスということでいいんじゃね?
兵力温存といったって、家康がやられてからでは意味がないに近いし。
それにしても、連絡が取りにくいに決まってるほうに兵力を大迂回させる形で
分散したというのが、何か良く分からん。全く単純な家康の判断ミスだったりして。
秀忠率いる徳川主力部隊が関ヶ原に遅れたから家康は
豊臣恩顧の大名に頼らざるを得ず、その結果豊臣を
滅ぼすまで15年もかかった。家康は秀忠の遅参を怒って
対面を拒んだ。
874 :
日本@名無史さん:2011/04/28(木) 10:13:53.52
徳川家達
875 :
日本@名無史さん:2011/04/28(木) 11:28:51.80
徳川いえさと のことだろ
判っていってるんだろうが
徳川家光る
徳川家継いだ
大村益次郎って昔の大河ドラマ(と、その原作になった司馬の小説)ぐらいでしか
語られてないと思うのは気のせいか?
藤原不比等
一体どこから来て、なにをやった人か詳しく知っている人はいるのか?
日本書紀を鵜呑みにしている人でも、その実態は知るまい。
882 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 13:47:11.63
なぜか知名度の低い藤原さんといったら、摂関政治を始めた良房だろうな
藤原氏で実績の割に低いのは藤原実頼だな
>>869 つ大河ドラマ「北条政宗」。
つい十年前の作品なのに…ギバちゃんが泰盛役ね。
>>867 昔「幡随院長兵衛お待ちなせえ」ってドラマがあったな。
平幹二郎が長兵衛役だった。
幡随院長兵衛とか国定忠治とか清水次郎長とか、30年、40年前はすげーメジャーだったよ
今の若い子供さんたちが知らないだけだね
887 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 11:50:52.85
888 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 12:44:50.24
>>886 時代劇の衰退のせいだな。
昭和30年代までは映画、40年代以降はTVで江戸時代のヤクザはメジャーだった。
889 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:03:29.94
広瀬淡窓や帆足万里とか学者系は地元でこそ有名だが世間的に無名すぎる
890 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 13:57:12.39
>>888 戦前の浪曲もヤクザの知名度に貢献してるな。
891 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 15:40:00.54
>>889 地元でも彼らより村山富市や三重野康の方が知名度がある。
やはり、重要なのにいつもスルーされる歴史上の人物といえば、星亨。
激怒した東京農大学長(元幕府剣術指南役)に斬殺される最期さえなければ、
藩閥政治打破に生涯を捧げた東京の偉人として、佐幕小説家から神のように書かれていただろうに。
892 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 19:38:19.67
所郁太郎
893 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 19:40:14.22
帆足万里って家老なのに70歳過ぎてから脱藩ってスゲーな
非人頭 車善七
映画「男はつらいよ」の主役を車寅次郎と名づけた山田監督は、なかなかシャレのわかる人で
士農工商という枠に収まらないエタや非人と呼ばれた人たちも、実はたくましく人生を楽しんでいたのだと伝えたかったのだ。
895 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 22:00:09.11
ハイキングウォーキング
896 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 23:02:05.98
>>892 彼は30年くらい前、小学校か中学校の国語の教科書に出てて、
ちょっとした有名人だったこともある。
井上聞多をタタミ針で手術した話で。
897 :
日本@名無史さん:2011/05/01(日) 20:18:36.18
>>892 この人は出番ないまま死んじゃったよな。
司馬の小説で読んだ以外、まったく話を聞かない
899 :
日本@名無史さん:2011/05/01(日) 21:33:59.37
野球で言うと、ブルペンでいいたまを投げていたが、登板しないままでゲームセットになったようなもんだからな。
>>887 素で間違えてたスマソ。何で変換されないのかとw
>>891 星亨は明治版小沢一郎。異論はあるだろうけど。
金には汚いが強引で政治的手腕があってなぜかカリスマ的魅力がある。
ちょっと前に最後の仇討ちのドラマやってたが、臼井六郎の出獄祝いに
星と彼を暗殺することになる伊庭想太郎が同席してたのを知ってビクーリ。
>>896 そのエピは昔の修身の教科書の定番だったらしいな。
ただし所が、ではなく「息子を救ってくれ」と懇願した井上の母をメインにした話で。
901 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 17:28:58.53
記憶を頼りにググッてみたら、中学の国語の教科書にのってた所郁太郎の話は、
司馬遼太郎の「無名の人」(原題「美濃浪人)というエッセイだった。
戦前の修身教科書に出てくる話が、戦後の教科書にも採用されるなんて珍しいな。
902 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 17:31:46.04
>>901を訂正
× 「無名の人」(原題「美濃浪人)
○ 「無名の人」(原題「美濃浪人」)
903 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 20:07:01.39
美濃浪人所郁太郎って狐が化けた女とセックスした緒方塾の無名志士か
中村天風
905 :
日本@名無史さん:2011/05/04(水) 18:12:50.30
那須金吾はどうだろ?
906 :
日本@名無史さん:2011/05/04(水) 21:56:12.61
那須しんごなら知ってる
楽しんごはそうよ?
宇都宮頼綱
白村江の戦では5万の兵士を送った東国の豪族、毛野氏の子孫とも
平将門の野望を阻止した藤原秀郷の末とも言われる関東の名門中の名門。
前九年の役で安倍氏追討の功により二荒山の別当となり下野を支配していた。
二荒山の名でもわかるように南朝鮮にあった伽耶諸国のひとつ阿羅とのつながりの深い渡来人集団。
その5代目当主 宇都宮頼綱は、源頼朝に謀反の疑いをかけられ出家。歌人として宇都宮花壇を創世。
宇都宮氏はやがて衰退し、徳川大名に列せられることもなく歴史の表舞台から消えてしまったため
知名度はあまりにも低いが、関東の歴史を語る上で欠かせない存在。
910 :
日本@名無史さん:2011/05/17(火) 22:24:10.98
田中土佐
名古屋高知ん
912 :
日本@名無史さん:2011/05/20(金) 02:07:33.65
小野梓
坂本龍馬
伊達順之助
もっと厨二病・歴女・歴史作家が食いつきそうな人物なのに
915 :
日本@名無史さん:2011/05/25(水) 18:39:50.35
水野信元
信長と家康の関係を語る上では外せないキーパーソンなのに
大河ドラマでもゲームでも無視されてる
水野氏は地味だな
家康の母の里で、なかなか興味深い土豪だけど>忠政とか
話題になるの、勝成と江戸期ぐらいがほとんど
917 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 03:27:49.53
剣豪将軍足利義輝
歴代の征夷大将軍の中でも
純粋な個人の戦闘力では最強なのになぜか地味
918 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 11:48:58.72
>>729 亀だけどその四人の中でも
平手柴田>>>>>>林佐久間といった格差がついてるような気がするが
山科言継はマイナーか?
公家自体がやはりマイナーかな こんなに万能公家でいいキャラなのに
東常縁
921 :
日本@名無史さん:2011/05/27(金) 15:50:22.46
>>915 大河だと「徳川家康」では出てたから許したって
>>919 人物そのものより言継卿記のが有名なイメージ
>>917 毎度お馴染み流浪の将軍・義材(義稙)よりずっと知名度が高いと思うが…
くじ引き将軍には負けるけどモミアゲ将軍(義持)よりずっと知名度高いでしょ。
まぁそもそも足利将軍自体が知名度が低いけどね。カワイソス(´・ω・)
鴻池新六
山中鹿之介の息子で清酒の発明者・鴻池財閥の祖なのに
テレビで清酒発明の逸話が出ても「とある酒屋」とだけしか触れられないことも
>>919 ゲームだと朝廷へ貢がせに大名へ金をせびる公家として登場することが多い
927 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:29:38.89
道鏡
>>927 知名度全然低くないです。
道鏡は座れば膝が三つ出来
塙保己一先生を推します。
塙保己一(1746〜1821)
武蔵の人。5歳で失明。江戸で賀茂真淵の門に入り、和漢の学に通ず。
1793年和学講談所を設立し「類書群集」を編纂。
「類書群集」
古代から江戸初期に至る国書を25項に分類し、合冊して刊行した叢書。
正編530巻は1819年に完成。続編1150巻は塙保己一の死後1822年に完成。
これにより多くの古書が失われずに現存している。
つまり我々がこうやって議論できるのも塙先生の遺した偉業のおかげなんですなぁ。
幼いうちから失明して、苦難を乗り越えて偉業を達成した経歴には恐れ入る所存です。
ついでにもう一つ
「和学講談所」
塙保己一創立の学問所。1793年幕府の許可を得て江戸麹町に設け、林家の監督の下に
国史講習と史料編纂に従事。「群書類従」もここで編纂された。
ああ、そうか。すまんね。
すでに既出でしたか。
既出だけど官僚から井上毅
海軍から坪井航三
陸軍から田村怡与造
みんな長生きしてれば頂点を極めたはず。
934 :
日本@名無史さん:2011/06/08(水) 21:25:20.40
ここまで榎本対馬守なし
椎名康胤
936 :
日本@名無史さん:2011/06/09(木) 03:32:23.71
藤原不比等
細川頼之
金地院崇伝
木村摂津守兵庫頭はまだ挙がってないか。
池田長発
川路聖謨
清河八郎
>>937 >>929の者です。ご指摘ありがとう。こっぱずかしい^^;。
勿論分かってらっしゃると思いますが・・・
× 類書群集
○ 群書類従
943 :
日本@名無史さん:2011/06/10(金) 21:13:34.65
篤姫の妹の桜姫
945 :
日本@名無史さん:2011/06/10(金) 23:17:21.42
どうなんだろ?
946 :
日本@名無史さん:2011/06/12(日) 22:56:36.60
新島八重
元々重要度の低い人間を挙げられても困る
948 :
日本@名無史さん:2011/06/13(月) 16:45:51.97
>>946 福島県民にとっても、誰それ?な人物だよな。
マイナーすぎて震災復興に逆効果になりそう。
どうせマイナーなら浜通りから、安藤正信とか
相馬義胤とか、動乱期の人物を選んだ方がよかった。
官僚では鳥尾小弥太と品川弥次郎。
政治家では星亨。
新島臭也
952 :
日本@名無史さん:2011/06/14(火) 16:13:52.51
なんで震災復興で、会津になっちゃうんだろう?
他に良い題材無かったんじゃないの?
原発問題へのエールもこめて福島にしたんだと思うが、
話題が多い会津に比べて浜通りの歴史上人物はマイナーすぎるし
東北なら
震災復興の後藤新平
原敬あたりでも良かったな。
954 :
日本@名無史さん:2011/06/14(火) 23:39:37.04
伊達政宗愛姫夫婦をやればいいのにな
>>951 幕末時代の幕政首班の知名度って
井伊直弼>阿部正弘>堀田正睦>安藤信正
のように思う。
幕臣の岩瀬・川路なんて
誰それ?レベルだろうな
川路はピストル自殺したからインパクトはある
958 :
日本@名無史さん:2011/06/15(水) 18:17:53.02
>>952 現実イベントでのの福島県代表を見ると、
どれも袴を穿いて、おのれ薩長俺達が正義なんて叫んでいる。
本当に被害を受けた地域を押しのけて出て来る。復興乗っ取りさ。
959 :
日本@名無史さん:2011/06/15(水) 18:54:37.59
相馬年代記とかやったら面白そうだけどな。
それなりに勢力図の入れ替わりガ激しい東北で数少ない土着の名門だし。
知名度低すぎてマニアしか見ないかもしれんけどw
川路は一目見ただけで一週間は恐怖でうなされそうな、あの顔のインパクトが強いよ。
岩瀬は名前覚えにくのがな
忠震
これ読めんだろ
提案!
今年生まれた男の子には
「鎮震」「治震」と命名しよう
川路聖謨、これも読みにくいな。
名前で今一覚えられない人物も多そう
>>962 「鎮震」これ大友家の家臣に普通にいそうw
北海道まで北方探検やった阿倍比羅夫
オホーツク文化人か靺鞨と戦う
>>962 「しずなり」「はるなり」って読むの?
雷も人名では強引に「なり」って読ませるみたいだ。
>>962 波平はどうだ? 波を平たくするっての。
967 :
日本@名無史さん:2011/06/17(金) 08:49:01.66
佐々木愛次郎
>>966 ひでえw
俺的に足利直義とか徳川家綱とか小野篁
家族親戚とか友達とかに聞いて誰一人正確に解答しなかった
>>968 小野篁はファンタジー系とかオカルト系では妙に知名度高いような。
家綱は徳川15将軍キャラが薄いランキングで間違いなく3位以内にランクインしそう。
下馬将軍の方がインパクトあるしね
将軍二代目と四代目は影が薄いの法則
一代目は言わずもがな、その後三代目が目立ってそして四代目は薄い
鎌倉は成り立ってんのか成り立ってないのか微妙だが
小野篁は隠岐でならそこそこ知名度がある
973 :
日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:15:35.62
貞観の大津波で疲弊した東北経済の活性化と再開発に力を尽くし、
水戸から仙台まで納豆文化を広げた平良文流相馬氏、
今回の津波で大きな被害を受けた彼らを応援するため、
千葉常胤の次男で初代相馬氏を名乗った相馬師常で行こうではないか。
亀だが
>>856 綏靖天皇とは別の人物(後の別の天皇の可能性ならある)が活躍したことが
綏靖天皇の功績になってしまった可能性もある
975 :
日本@名無史さん:2011/06/19(日) 17:49:05.29
今では首相経験者でも有名じゃないやつがいる現実
>>975 首相経験者が健在の中曽根以降は
中曽根・知らなきゃ恥ずかしい
竹下・知らなきゃ恥ずかしい
宇野・知らなくても恥ずかしくないほど無名
海部・後に新進党党首になったこともありそこそこ有名
宮澤・知らないなら政治に疎い、閣僚経験も豊富
細川・知らなきゃ恥ずかしい
羽田・首相以外での活躍でほどほど有名
村山・知らないなら政治に疎いというかあの眉毛はインパクトあるだろ
橋本・知らないなら政治に疎い
小渕・知らないなら政治に疎い、新元号「平成」を発表した竹下政権官房長官としても知名度高い
森・失言多くダメな首相として逆に有名
小泉・知らない奴を探す方が難しい
安倍・小泉政権下で活躍、そういえば首相になってたね
福田・森&小泉政権下で活躍、そういえば首相になってたね
麻生・小泉政権下で活躍、知らないなら政治に疎い
鳩山・知らないなら政治に疎い
>>976 宇野は知っていたら恥ずかしいことが有名
>海部・後に新進党党首になったこともありそこそこ有名
米の戦争のために増税した唯一の宰相
>安倍・小泉政権下で活躍、そういえば首相になってたね
歴代宰相が塩漬けにしていた数数の法案を通す→民主党政権により無力化が進行中
>鳩山・知らないなら政治に疎い
口にすることすら疎まれるどうでもいい宰相
979 :
日本@名無史さん:2011/06/20(月) 03:25:04.98
吉川元春
>>977 指三本で後世に消しがたい汚名を残した。
スマソ必要とは思うが修業不足とかでスレが立てられん
985 :
日本@名無史さん:2011/06/22(水) 09:24:17.53
石橋湛山
加藤高明
村田新八
木越安綱
山川大蔵
赤松円心
長尾景春
吉岡長増
島村速雄
篠原長房
保科正之
池田光政
濱口雄幸
柳川平助
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