♪邪馬台国 ドンと来い♪ 70

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1日本@名無史さん
 九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
『♪邪馬台国 ドンと来い♪ 69』
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1272079714/
2日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:13:47
           ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ
3日本@名無史さん:2010/05/04(火) 05:19:05
邪馬台国=畿内説の三角鏡について

魏の元号が改正されて存在しない
「景初四年」銘の三角鏡2枚が発見されているのはどうしてですか?

これは魏年号の改元を知らなかった
海外=日本で製作された鏡であることを示していのではないでしょうか?

中国社会科学院の発表からは、
この三角鏡は、卑弥呼が魏王朝より下賜された「銅鏡百枚」ではないとのことです。

それでも、

邪馬台国=畿内説を唱え続ける学者達からは、
今後、魏王朝の陵墓が発見されて、そこから三角鏡が発見されるとのことです。

(答え)

河南省安陽県の魏武王の陵墓から三角鏡は発見されませんでした。
4日本@名無史さん:2010/05/04(火) 05:19:57
このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

※尚、棺桶から這い上がろうとするゾンビ(畿内厨)が確認されてるので注意されたし。
5日本@名無史さん:2010/05/04(火) 05:46:50
邪馬台国=畿内説の卑弥呼の鏡について

1.
6世紀の墓にも埋められている。使用された様子(磨耗痕)が無い。
青銅の中でも三角縁に使用された銅は、鈴の含有量が多くやわらかい銅なので磨耗がしやすい。
出来が悪い。墓からしか出土しない。(神社のご神体になっている鏡を除く)
※つまり、三角縁は葬具としての需要だった。
勿論、権威付けとして墓に埋めたことは間違いないが、使わない物だし出来栄えなんかどうでも良かった。
※つまり、魏鏡である必要はないと言う事だ。

2.
魏や帯方郡では薄葬令の為、鏡を埋葬する事は少なく、鏡の需要は日本ほどなかった。
魏や帯方郡に日本の需要を満たす為に鏡職人がいたのだろうか?
畿内と洛陽を往復するのに二年以上、帯方と畿内でも一年以上、半島情勢の不安定さを
考えると来るかこないか判らない倭人が鏡を買い付けに来るのを鏡職人達は待っていたのだろうか?
※半島では高句麗などが度々反乱をしていた。

3.
黒塚古墳の埋葬状況を見ると棺の外に立てかけてあったので、画文帯が棺の内側の死者の胸の
あたりに置いてあったのに比べると粗末な扱いと言わざるを得ない。
黒塚古墳の一見大切に扱われた画文帯でさえどうも踏み返しのようだ。
踏み返しより粗末に扱われる三角縁は本当に魏鏡でありうるのだろうか?

4.
中国社会科学院の発表では、この出来が悪い三角鏡は、卑弥呼が魏王朝より下賜された
「銅鏡百枚」ではないと発表されている。
※倭国で作られたとも発表。

要するに、三角鏡を魏鏡だと信じるのは勝手だが、中国の特注でも1〜4の状況からして無理。
三角鏡は倭国のオリジナルではなく劣化コピーで、画文帯をアレンジして三角の縁を追加して大きくしただけ。
当然、これには中国人も関わっている。しかし、それは魏が晋に取って代わられた後だろう。
そうでなければ銘文など記入できなかっただろうからな。
6日本@名無史さん:2010/05/04(火) 07:27:57
>>5
>それは魏が晋に取って代わられた後だろう。
>そうでなければ銘文など記入できなかっただろうからな。

三角が中国産であろうと日本産であろうと畿内説には痛くも痒くもないが
上記の意味が良く分からんな。

むしろ「銘文」で考えれば晋代では難しくなるんだがw

「師」は景帝の諱でこれを使うのは憚られた
「昭」は文帝の諱で以下同文

これもほぼ万年ループネタ。

どうせしばらくしたらリセットして同じ事を繰り返すんだろうがw



7日本@名無史さん:2010/05/04(火) 08:28:40

萌える日本史講座】(上)卑弥呼は古代の“おひとりさま”

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091228/acd0912281801002-n1.htm
8日本@名無史さん:2010/05/04(火) 09:35:21
>>6
そもそも、邪馬台国=畿内説と云うのは、
魏王朝より下賜された卑弥呼の鏡(銅鏡百枚)が出土するのが畿内=邪馬台国としています。

つまり、畿内説の根拠が卑弥呼の鏡(銅鏡百枚)であることから、
三角鏡が魏王朝より下賜された鏡でないとすれば邪馬台国=畿内説は成立しないわけです。

邪馬台国=畿内説は、今まで散々騒いで、中国社会科学院まで巻き込んでおいて、
中国側の科学的調査の結果、三角鏡は魏鏡ではなかったと判断されていますよね。

南省安陽県の魏武王の陵墓からも、畿内に見られるような粗製鏡は発見されませんでした。

つまり、畿内説そのものが誤っていたのは周知の通りで、
これ以上、根拠不明な妄想を繰り返しても相手にされないと云うことです。
9日本@名無史さん:2010/05/04(火) 10:21:36
>>8
>つまり、畿内説の根拠が卑弥呼の鏡(銅鏡百枚)であることから、
>三角鏡が魏王朝より下賜された鏡でないとすれば邪馬台国=畿内説は成立しないわけです。

違うな。

三角が魏からの下賜品であれば九州説が即死。
それ以外であればとりあえず延命できるってだけの話し。

そもそも現在三角魏鏡説で畿内が成り立っていると言うのが
如何に自分が無知かを晒しているだけ。

もう少し基本から学んで来た方が良い。

手っ取り早く、とある学者の発言w
http://www.saga-s.co.jp/news/koremade/sonotanotokusyu/sin_yoshinogari/yoshi_sympo/yoshi_sympo4.html
>石野
>私は邪馬台国ヤマト説だが、女王卑弥呼が中国からもらったのは、三角縁神獣鏡だとは考えていない。


・・・で、年代について晋代だと言う根拠は??
10日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:58:22
>>8
王仲殊説を持ち出して三角縁を魏の鏡でないと主張するのであれば、
当然三角縁は3世紀の鏡という事も受け入れなければならないよね。
そうすると東遷厨と九州王朝も詐欺師だねwww

さらに畿内説の主張してた実年代も正しいことになり、それに噛み付いてた
九州説も詐欺師だねwww
11日本@名無史さん:2010/05/04(火) 12:22:13
「邪馬台国畿内説」は、科学的方法によっているだろうか。
あまりにも事実を無視し、推論が恣意的である。

関係のない考古学的事実を、「畿内説」に結びつけ、マスコミ報道にもちこめば成功、
という方法をくりかえしている。「検証」がぬけている。

この方法は「旧石器捏造事件」で懲りたはずではなかったか。

事実を、冷厳に直視すれば、邪馬台国時代の畿内は、なお「扁平鈕式銅鐸」の時代である。
「邪馬台国畿内説」は「はじめに畿内説ありき」の思いこみにもとづく共同幻想である。
12日本@名無史さん:2010/05/04(火) 12:24:52
古田がどうしたって?
13図解:2010/05/04(火) 12:32:54
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      / 
         _ |ヽ■伊都国        ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水路 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ ' 卑弥呼  ノ           ┃ ↓ / 
    /        /           ┃ ↓|フクイ
   丿 水路  / ̄              ┗━━━━━━━━━━━
  |_    → / ̄
  /  _/ヘ/●投馬国          伊都国・・・旧伊香郡
  | |      \                      (古保利古墳群)
 /  >    天 \            奴国  ・・・長浜市
/  /      安 \                 (国友鉄砲村)
\ |         川            不弥国・・・米原市
  ∨            ☆呼邑国          (息長稜)
                        投馬国・・・野洲市・近江盆地
            天                 (日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
           岩   ☆為吾国    呼邑国・・・甲賀市(忍者・手裏剣=鉄?)
         戸             為吾国・・・伊賀市(同上)
                        巴利国・・・名張市(同上)
           ☆巴利国      烏奴国・・・宇陀市(辰砂・丹の産地)
     ☆烏奴国
 ★邪馬台国               邪馬台国・・・奈
14図解:2010/05/04(火) 12:40:04
あっ切れた^^;

邪馬台国・・・奈良盆地
15日本@名無史さん:2010/05/04(火) 12:49:29
某唐松のように、都市牛利がタジマモリとか本気で言ってる奴は、
伝説やおとぎ話と現実の見分けがつかないんじゃないのか。
記紀に書いてある人物が全部実在とか思ってるのなら、救いがたいな。
16神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/04(火) 12:55:13
三角縁神獣鏡の複製が多数存在すると言うことはオリジナルの三角縁神獣鏡も存在するわけで
当然、三角縁神獣鏡は魏鏡で卑弥呼が魏からもらった鏡ということになります。
その証拠に景初とか正始とか魏の年号が入ってます。もし国産鏡だったらこのような手の込んだ
偽装をしますか?するわけないでしょう。
17日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:13:15
>>9
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡であれば、どうして畿内説が成立するのか。
畿内を中心に分布するからということになるのだろうが、そのあたりの関連性も
今一つしっくりこない。

今となっては、畿内を中心に分布する鏡を卑弥呼の鏡にしたかったということに
なってしまったなあ。

18日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:20:48
>>16
正始元年太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國

正始元年にやってきた梯儁の持ってきた鏡に、景初四年の銘があるはずはない。
三角縁神獣鏡の出来たのが、景初、正始に近い年代だったら、このような間違いは
するはずがないと思うので、かなり後に作られたんだろう。
19日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:23:09
卑弥呼以前から交流があったんでしょ

ねー三角の鏡ってそんなにありがたいもんなの?
20日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:23:49
風土・建築物・出土物から考えて、成り立つはずのない邪馬台国畿内説。
畿内説を一気に勝利に持ち込むための詐欺理論は

   「三角縁神獣鏡=卑弥呼の魏鏡」
   「箸墓=卑弥呼の墓」

どちらも荒唐無稽なんだが、嘘も百回唱えれば本当になるはずだと、
詐欺が繰り返されている。
21日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:31:09
>>18

> 三角縁神獣鏡の出来たのが、景初、正始に近い年代だったら、このような間違いは
> するはずがないと思うので、かなり後に作られたんだろう。

この発想自体が理解不能。
逆だろ普通。
22日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:32:42
「モモソ=卑弥呼」なんてのは、一人の学者が個人レベルで唱える程度の仮説。
これを多くの学者が是認している、日本の古代史学者のレヴェルやいかに?
23日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:35:25
>>20
アレ?
前は「地理的条件から考えて畿内説はない」って言ってなかった?
行程の図解は効果あったんだなあ^^

24日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:36:35
ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼でしょ。

記紀に書かれてる古墳の被葬者で巫女なのはモモソヒメだけ。
しかも古墳出現期の最大級。

邪馬台国が畿内でなければ、魏は弱小の九州に間違って金印を贈ったことになるな。
それはそれで面白いが。
25日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:39:47
つーか魏ってそんなにありがたい国なの?
26日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:53:53
>>21
景初四年は実在しない年号なので、年代が近いほどわかりやすい。
例えば、もう20年以上たつが、昭和65年が存在しないというのは比較的わかりやすい。
しかし、大正15年が存在したかどうかはわかりにくい。
明治46年が存在したかどうかもわかりにくい。
慶応4年があったかどうかはもっとわかりにくい。
27日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:02:31
>>26
つまりですよ!!
三角縁神獣鏡を作った人は、
「景初」という年号が始まった事は知っていたが
3年で終わった事は知らなかった。

景初 元年 2年 3年
西暦 237年 238年 239年

そして、公孫氏滅亡は238年。

どうなのこれ。
28日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:03:22
>>26

うろ覚えで、分かりにくかったら、調べるな普通w

調べるのが嫌だと言う横着モンだったら
記憶にある確実な年号を入れておけば良い

元年二年あたりなら確実w

話しのレベルを下げないでくれww
29日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:20:30
邪馬台国は九州北部でしょう
そして狗奴国が九州南部にあり
その抗争に敗れた邪馬台国は歴史から消え去ったのです
卑弥呼と皇室に直接のつながりはなくとも
何らかのかたちで卑弥呼の系譜が皇室に関わっているのは確かでしょう

邪馬台国の時代、出雲、吉備、そして畿内などにもさまざまな国々があったでしょう
出てくるものから考えてもそれらは地域ごとに素晴らしい文化を栄えさせていたように思われます
おそらくはこれらの小国家連合群を一気に統一できる力を持った外部からの侵入者によって
大和朝廷がたてられ、おそらく最後までそれに抵抗したのが出雲なのでしょう

邪馬台国ももちろんですが、女王国の東の海を渡ったところにあったという「倭種の国」
邪馬台国とは別の、吉備や出雲がどういう国であり他の地域とどう関わりがあるのか
とくに私の住む河内、そして摂津、大和や近江にあったであろう古代国家(銅鐸国家?)に非常に興味があります
その中心はあるいは滋賀県野洲市付近にあったのかもしれません
30日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:21:46
紀年鏡の話になると大抵、九州説の連中は

「(かなり)後世に日本側にとって由緒のある年号をいれた」

…と言うニュアンスで語るが

じゃあ魏の年号でも「景初」より前の「青龍」はどういう意味なのか?
「赤烏」なんて年号は呉の年号だ。

…で、説明に詰まってしまうと言うのがパターンw

まあ学者でもその説をとる人間は現在いないんじゃないのか?
31日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:22:21
>>5
これと同じ、前スレ>957、についたレスが
>長レスご苦労。で、年代は?

その返事がこれ
>6世紀以降の劣化コピーと見てよい

自身で書いている黒塚古墳ほか初期前方後円墳が
>6世紀以降
に繰り下がってしまうというお説。そうなると、

> 1. 6世紀の墓にも埋められている。

ものがまたさらに繰り下がり、以下延々と・・・
32日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:27:08
>>31
「狂っている!」と言うのが煽りでもなんでもないレベルw

もはや邪馬台国九州説・畿内説とかと別次元の話www
33神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/04(火) 14:31:45
>>18
正始元年に魏の使節が日本に持って来た鏡に景初四年の年号があるのは当然のことです。
魏の鏡職人は景初3年12月31日の翌日がまさか景初3年後の12月1日とは夢にも
思っていなかったはずです。12月が2回もあるとは鏡職人のだれも知らなかった。
つまり、景初四年銘の鏡を作ってから「しまった!間違えた!」というわけです。
34日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:45:07
>>33
そいうのは現代日本人の感覚。
このころは改元は日常茶飯だったのよ。
そんくらい常識で知ってるの。
35日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:46:10
>>29
そう、卑弥呼つまりビワコの系譜は皇室に関わって・・・いるんか?

近江盆地は、自然災害が少なく水が豊かで、米が安定して採れる土地。
これは弥生期においては、圧倒的に有利な条件だったはず。

銅鐸というのは、米を他の集落に分け与える際に、
対価として受け取った物じゃないでしょうかね?
例えば奈良盆地の唐古・鍵遺跡あたりの住民から。
36日本@名無史さん:2010/05/04(火) 14:55:48
>>30
平縁神獣鏡には、元康の年号の入ったものもあるからねえ。
これはどんなに早くても西暦291年以降になる。
37日本@名無史さん:2010/05/04(火) 15:02:02
>>36
続きだが、年号の入った平縁神獣鏡は、四面ほど見つかっている。
その年号は、景初三年、赤烏元年、赤烏七年、元康○○年。
同じ時期に作られたとすれば、全部4世紀になってからと考えられる。
38神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/04(火) 15:26:57
>>34
改元ではなく改暦のことですよ。魏書の景初三年十二月の条に
「永く忌日の哀をおもい、そこで復夏正を用いる」とあります。改暦はめったにないので
鏡職人が元号を間違えても当然のことです。だから景初四年の鏡が存在するわけです。
また、アホの朝鮮人が日本に贈った七支刀は完全に元号を間違えています。
39日本@名無史さん:2010/05/04(火) 16:08:00
七支刀もメイドインジャパンとちゃうん
40日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:00:49
ここは馬鹿の国であり、放屁スレとしかいいようがない。名無史をいいことに屁をたれまくる。ぶびびびび。
41地球防衛隊員:2010/05/04(火) 17:04:50
生還は期しません。あとの家族を頼みます。ぶおっ。
42日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:11:21
>>23
アレ?
地理的条件で畿内説を信じてる馬鹿を相手にする必要って、あるの?
43日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:18:08
>>30
紀年鏡は、事前に「景初四年」なんて未来の年をフライングで入れた鏡があったんだろう。
後世になっても景初年号鏡の劣化コピーを作って墓に入れていただけじゃないか。
44憂国:2010/05/04(火) 17:19:35
街宣車まわすぞ、コラ。ぶびびっ。
45日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:23:45
>>37
>同じ時期に作られたとすれば、全部4世紀になってからと考えられる。

「同じ時期に作られた」と言う根拠が無い。

「異なる年号の鏡はそれぞれ異なる時期に作られた」
と言うのと、どっちが蓋然性が高いのかって話しだな。

どの道、後世に呉の年号のものまで作らねばならない理由の説明もできていない。

ついでに言うと中国では魏年号の神獣鏡は出ている。

がそれらは呉の領域(湖北省)であって
なんでもかんでも4世紀で無いと都合の悪いw東遷厨的には

それらは呉が滅ぶまで、ついに魏の領域に流入する事は無く
そこから日本にくる事も無かったという解釈になる。

46日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:38:42
>>30
それ以前に△は全部国産で完全かつ永久的に解決済み。
現実を直視しろ。

世界中の笑い物>舶載説
47日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:48:33
万年ループネタばかりじゃ飽きるので
少しはお利口になる為教えを請いたい。

まあ以下の質問は初歩の初歩的なレベルなんだろうが

ここの九州説どもの馬鹿連中によると畿内説の陰謀によって
無理やり歪められた今の年代観は

元々九州の考古学との”すり合わせ”に負うところが大きいのだろうが
そもそも「弥生後期」が近畿と九州で併行しているって言うのは何で担保されるんだろう?

(近畿弥生第X様式 と 北部九州原の辻上層式 と言う事になるのかな?)

そこがイマイチ分からない。

弥生後期が近畿と九州で200年以上離れているわけが無く
ほぼ同時期とする理由と言うか…
48日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:53:17
>>46
何を言ってるんだお前は?

こっちは製作地が何処でも良いと言っているのに
「国産で決着済みだああああっ!」とヒステリックに叫ばれてもなあ(呆

つうかお前がもはや三角の製作地論争が
邪馬台国論争とは関係が無くなっていると言う現実を直視しろアホw

49何度もゴメンね:2010/05/04(火) 18:57:05
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      / 
         _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
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       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ ' 卑弥呼  ノ           ┃ ↓ / 
    /        /           ┃ ↓|フクイ
   丿 水路  / ̄              ┗━━━━━━━━━━━
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  | |      \                      (古保利古墳群)
 /  >    天 \            奴国  ・・・長浜市
/  /      安 \                 (国友鉄砲村)
\ |         川            不弥国・・・米原市
  ∨            ☆呼邑国          (息長稜)
                       投馬国・・・野洲市・近江盆地
            天                 (日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
           岩   ☆為吾国    呼邑国・・・甲賀市(忍者・手裏剣=鉄?)
         戸              為吾国・・・伊賀市(同上)
                        巴利国・・・名張市(同上)
           ☆巴利国      烏奴国・・・宇陀市(辰砂・丹の産地)
     ☆烏奴国
 ★邪馬台国               邪馬台国・・・奈良盆地
5049:2010/05/04(火) 19:17:58
旧伊香郡出身、スポーツクラブ経営者
ttp://www.ocn.ne.jp/sports/bjleague/images/bj090122_01.jpg

長浜市出身、バスケ選手
ttp://www.lakestars.net/img/roster_img/2009/roster_05.jpg

野洲市の隣・近江八幡市出身、サッカー選手
ttp://www.pia.co.jp/kansai/ent/sports/img/09063011.jpg
51日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:45:53
>>20
>>49

嘘も百回唱えれば本当になるのが日本考古学会の原則です。
52日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:46:26
畿内の土器編年を駆使して、九州の遺跡・遺物を、
何とかして畿内より新しいものに年代判定する、
この手口が毎度おなじみの畿内説の詐欺手法です。
53日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:50:30
>>52
>何とかして畿内より新しいものに年代判定する

はあああ?
実際にそう判定された実例を二三挙げてもらえないかな?
54日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:50:44
>>52
屁こき猿。
55日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:54:33
52はたんに日常的にいじめられてる憂さをこのスレで晴らしてるだけだろ。おそらく毎日。泣いて家に帰っては
コンピュータに向かうんだろう。あるいは、ホームレス転落直前の派遣か?人格破綻者であり社会の底辺層。
カメヌシのような人間。
56日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:55:20
しかし年代観ということで言えばむしろ九州説の連中から

「わはは〜、ようやく近畿の考古学者も九州に追いついてきたようじゃのw」

…と言う台詞が出てきてもよさそうなもんなんだがwww
57日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:55:26
×カメヌシ  ○カメムシ  
58日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:58:10
>>55
そういえば、インターネットを解約されて家族を殺した事件があったよな。
59日本@名無史さん:2010/05/04(火) 19:58:14
>>55
>>52は多分サイキバ君、サイキバ君本人でなくても分類名としてののサイキバ君でおkw

恐らく近畿の土器編年も九州の土器編年も分かっていないと思うがwww
60日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:01:55
>>58
厨坊のイジメは陰湿化してるらしいな。パンツを脱がされた画像を携帯メールでまわされるとかな。
61日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:06:45
>>53
すべての畿内説全部。
62日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:08:11
>>56

「わはは〜、畿内説の考古学者は、いつまでたっても詐欺師のようじゃのw」
63日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:09:03
>>59
詐欺師の自己紹介、乙!
64金土日:2010/05/04(火) 20:09:29
>>61
おまえがパンツ君か?ぷぎゃはははははははははあああああああああ。
65日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:11:19
>>61
ハイ、やり直しましょねサイキバ君。

九州の年代観が近畿のものによって
新しく書き換えられた実例って意味が分からないんだなw

近畿も九州も土器編年なんて何も分からないくせに
知ったかぶりで適当に書くからだクズww

まあ俺もよく分かってないがそこまでの墓穴は
よう掘らんわwww

66日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:12:11
九州の年代観?考古学の話をしろよ。
67日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:16:17
>>66
これは人格破綻者、考古学知識ゼロのパンツ君のレスです。
68日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:18:09
>>66
これはハードないじめられ、または社会の底辺層であるパンツ君のレスです。
69日本@名無史さん:2010/05/04(火) 20:58:57
やはり、対馬から壱岐ではなく隠岐に渡って末盧国、つまり、今の舞鶴に上陸。ここまで10日。
更に陸行で20日、当時の道路事情を考えれば、東山道を通って関東に抜けたとするのがいいでしょう。
そして、稲荷山鉄剣に書かれている斯鬼宮(しぎのみや)にたどり着いたのだ。
斯鬼宮に「鬼」という文字が入っていることも鬼道を操り人々を惑わす卑弥呼の宮にふさわしい。
邪馬台国は関東にあったとすれば謎は簡単に解けるのだ。
70日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:10:39
>>51
>嘘も百回唱えれば本当になる

朝鮮人のやりかたじゃないですか!?
71日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:21:07
>>70
自民党が嫉妬しますから、それは止めてください。
72日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:28:16
>>70
また人格攻撃されたいのかクズ人間? お前が何の知識もなく畿内説の揶揄だけ書いてるのはもう
知れ渡っている。お前がクズなのは事実だろう?パンツ君。
73日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:33:35
けどさあ、三角縁が全部国産というのはいまや素人でも常識のように考えている。

しかし、この点で譲歩すると、地すべり的に畿内説が崩壊する。

というか本気で畿内説を信じている学者なんているのかなあ。

本気だったら、不都合なことに沈黙しないよね。

なにかとタブーが多いのが畿内説。
74日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:39:17
>>73
>この点で譲歩すると、地すべり的に畿内説が崩壊する。
お前の主張はこれだけなんか?パンツ君。普通にしないだろアホ。学会でもそうだし、このスレでもそう。
何十年前の話だ?小林行雄の頃かよ。お前はただ嫌な日常生活のウサ晴らしに書いてるだけなんだろ。
自分に正直になれよ。
75日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:48:39
>>3
>1「景初四年」銘の三角鏡2枚が発見されているのはどうしてですか?


景初四年銘鏡は斜縁盤龍鏡だ。三角縁神獣鏡ではない。
 
76日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:49:06

「三角縁が舶載だなんて恥ずかしいことは止めてくれ。」と思っている学者の方が圧倒的大多数だろ。
けど、それを言い出すと他の地雷源の人からも猛反発を喰らいそうだ。
77日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:54:01
「満州国は日本の傀儡国家じゃありません」
「張作霖爆殺事件は中国人の犯行です」
「邪馬台国は畿内にありました」
・・・これらは同レベルの詐欺です。

考古学者はなかなか学問だけでは食っていけません。
そこで大学・博物館・地方自治体専門職など、
大本営畿内説を唱えないと就職口がありません。

考古学界のうさんくささは、戦時中と変わりません。
78日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:54:48
猿まね国日本のほうが、良質の鏡を量産できたことは間違いありませんよ。
しかし、最近は中国のほうが猿まね国になってきましたね。
79日本@名無史さん:2010/05/04(火) 21:56:37
漢代の中国人は漢民族だったが、今の中国人は混血で、すでに
漢代の漢民族ではない。
80日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:41:36
畿内説、追い詰められてますね
もっと頑張らないと
81日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:59:52
>>80
このレスはパンツ君かその仲間のいじめられっ子です。今日も女子の前でパンツを下げられました。
82日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:08:15
畿内説の年代観の批判が出ると、それに対する感情的な反論がわんさかと出て
来るが、根拠を示したものは一つもない。
いまだかつて、一度も根拠を聞いたことがない。

これは畿内説の考古学者が言わないからじゃないのかな。
石野博信さんも、以前は吉野ケ里は卑弥呼の時代に重なると言っていたのに
今は重ならないというのなら、その根拠を示さなくてはならないはずだが。
83人格攻撃者:2010/05/04(火) 23:16:26
>>82
根拠をいってないのはお前も同じ、ひっこめクズ野郎。
84日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:20:02
畿内説は弱いところを突かれると、パンツだサイキバだ捨て台詞。
>>83も同様だ。
これな態度が学問ををダメにしている。
85日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:28:27
>>82
畿内説の痛いところはそこなんだよねえ。
古墳時代が100年早まったとしながら、その根拠を言えない。
一方で弥生時代は九州のほうが優位だったという事実も明言しない。

マスコミ相手に結論だけわめいている。根拠は誰も言わない。
86人格攻撃者:2010/05/04(火) 23:29:26
>>84
このレスはパンツ君によるものです。これほど人格攻撃されてもなかなかメゲないのは、日常的な
イジメにより耐性が高いものと思われ。

>これな態度が学問ををダメにしている。
ここは2chだよ、カメムシ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
87日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:33:41
畿内説のヒトたちが冷静に論じるのはあんまり見ないよね。
九州説に対して馬鹿だアホだと汚い言葉でののしるばかりでさ。
もっと普通に冷静に自分たちの意見を堂々と言えばいいのに。
水銀のヒトはいいよね。論理的だし面白いし一聴の価値がある。>>29の意見も面白い。
別に誰かを馬鹿にしたり人格攻撃したりしなくても議論はできると思うけどなあ。
88日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:36:47
畿内説は、平安時代四百年間に刷り込まれた「都=奈良京都」という思い込みと、
唐と敵対した九州国家の系譜をぼかして、記紀が書かれていることを併せて、
「邪馬台国は畿内であらねばならない」という詐欺論証ばかりやっているから、
信用ならないわけです。
89人格攻撃者:2010/05/04(火) 23:48:25
>>87
九州説はまず九州説内できちんと邪馬台国を統一してから、畿内説の批判をすべき。このスレが永遠ループ
なのは、九州説の自説を明らかにしないままの纏向説批判が最大の原因。それに嫌気をさして去っていった
人も多い。お前がパンツ君なら、上で出てた宿題(九州と畿内の弥生時代の年代観の対比)をまず一説やっ
たらどうだ?無学だからできないだろう、クソ虫。
90日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:49:58
>>85
根拠ねえ…

・弥生時代後期の土器が前期中期に比べて異常に多かった。
 後期に入って爆発的人口増加という説明もいまいち根拠が無かった。
・竪穴式住居の増改築数も年代幅からすると多かった。
・70年代以降の開発ブームで九州以東からも貨泉が出てきた。
 近畿の場合共伴土器はX様式。
・後期初頭の土器に「ドラゴン絵画土器」が出る。
 元ネタは中国鏡か?
 後漢の内行花紋や方格規矩四神の鏡片もボツボツとは出てきた。
・そもそも後期始まりが九州と比較すると200年遅れていたと言うのに疑問の声が上がり
 ”すり合わせ”の必要性が考えられるようになった。

・そもそも「古墳時代は4世紀から」と言う年代観は小林・佐原の説を定説としたものだが
 小林説は三角舶載が揺らぎ根拠が希薄になる。
 佐原説は弥生Wの高地性集落を「倭国大乱」に当てたものだったが
 Xの時代にも高地性集落ができている事も分かりこれも根拠が希薄になる。

…etc まあ俺が知っているのはこれぐらいかな?

つまり年輪年代などと言うものが出てこなくても
もはや年代の繰り上げは時間の問題だった。
むしろ旧説・権威によっていた風潮こそ批判されるべき。

ついでに言うとここの九州説と言うか東遷厨は
そのお家の事情から何故か畿内説が捨て去ってしまった
旧説にしがみついていると言う不思議な現象wwwwwwwwwww

で、「年代遡上許すまじ!」とファビョっている連中の” 自前の ”年代観の根拠は?
91日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:54:09
記 者「九州邪馬台国は結局何処にあるんでしょうか?」
九州説「腹案はありますが今は申し上げられません
    しかし最低でも九州内です」
記 者「じゃあいつになったら発表できますか?」
九州説「タイムリミットなんてありません」

…結局ゴメンした鳩より劣るかもwwwwwww
92日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:57:32
>>90
何一つ根拠になっていませんが、もしかしてネタでしょうか?
93日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:01:23
>>92
まあ一つ一つはそれだけで決定打になるようなものじゃないが
旧説から年代を変えるには十分だろう。

で、>>90なんかより余程蓋然性のある年代観の根拠は示してもらえないのかな?

94日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:04:02
>>93
ネタじゃなかったのか?
95人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:05:29
www パンツ君は知らんだろうが、むしろ師の説に反するため、年代遡上を言い出せなかった若手研究者が
多かった。○○先生の死が契機となって(以下ヤバイので略)wwwwww
96日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:10:07
>九州説はまず九州説内できちんと邪馬台国を統一してから、畿内説の批判をすべき。
説得力がない。
・別に九州勢対畿内勢の戦争をしてるワケではない。
・畿内説自身も、決して統一されているワケではない。
・九州説を唱える人びとが何か団体を結成してるワケでもなし。
97人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:10:43
>>94
で、お前の邪馬台国比定地は? 卑弥呼の冢の候補は? まずこれを明らかにしないと公平な議論に
ならないし、卑怯な態度だということは穴あき頭でもわかるだろう?パンツ君。
98日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:12:05
>>5
>それは魏が晋に取って代わられた後だろう。
>そうでなければ銘文など記入できなかっただろうからな。

結局説明も無くいつものようにトンズラなのかも知れんが

三角の製作地論争とは別に年代は東遷厨の言うような4世紀半ばなんて話しは出てこない。
>>6でも一部言ったが銘文の使用文字を考えると魏代の確率が高い(例外があって100%ではない)

…等々、三角の出現時期については3世紀が妥当
少なくとも先行する画文も加えて卑弥呼の時代に届かないと言う方が難しい。

これも年代の材料になるかな?w
99人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:12:15
>>96
だから、お前の比定地論だ、クソ虫。もう少しわかることを言え。
100日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:12:36
九州は発掘も進んでいないし、九州各地の神籠石の性格判定もまだまだだ。
熊本を中心に東北にまで広がる装飾古墳について、整合性のある九州政権論もいまだ
確立していない。
こんな状況で、九州説を完全構築していくのは困難だが、九州説同士でインチキな
「申し合わせ」などはしないのである。
それに比べて、畿内説の胡散臭さといったらない。
101日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:15:30
>>97
△が国産というだけで、年代遡上はアウト。

魏は極度の銅不足で貨幣鋳造も滞り、物々交換となっていた。
魏の銅の流通が回復するのは、呉を滅ぼして呉の領域の銅山を接収してから。

その後、日本に数千枚と予想される三角縁やその他の鏡の原料として銅が
回ってくるようになるのは、4C以降と考えるのが穏健。
つまり、△は4C以降と考えるのが、普通の見方。

これだけで、畿内説は崩壊ですよ。
102日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:15:56
畿内説は
とにかく「三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
とにかく「箸墓は卑弥呼の墓」
・・・と断定する。

こんなチャチで信用できない考古学はない。
九州説にはマネのできない詐欺論証である。
103日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:18:03
畿内説のヒトってやっぱり口汚いね。
自分は畿内でも九州でも関東でもどこでもいいんだけど
このままじゃ畿内説はダメになっていくんじゃない?
104日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:19:15
邪馬台国をピンポイントで場所比定するまえに、アバウトで地域を絞るのも一つの方法。
畿内説みたいに「箸墓は卑弥呼の墓だ」と鬼の首を捕ったような騒ぎは、学問ではない。
105日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:19:52
>>101
馬鹿だなあ。国内の青銅器を鋳潰して用いたものも多いだろう。それだけ畿内に強大な権力があった証拠。
106日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:21:02
吉野ケ里以降、畿内説の考古学者は箸墓に注目し始めた。
何とか、卑弥呼の時代に持っていけないものかと。
思えば、箸墓の年代もいろいろ揺り動いたな。
107人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:21:14
102、103、104 はパンツ君のレスです。学問的な内容はありません。単なる批判のための批判。
108日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:22:28
漢魏の薄葬の風に、畿内が染まっていないのは、関係が薄かった証拠でしょう。
109日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:22:47
>>105
銅鐸とかの弥生時代の青銅器とは鉛の同位対比が全然違うよ。
110人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:23:13
>>106
これは何だろう?「昔はよかった」の恨み節かな?憐れなり、残り寿命もわずかだろうに。
111日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:24:25
>>106

いつもの恨み節の東遷厨だろうが…

ちょっと教えてほしいんだが、お前の比定地は九州の何処よ?
今まで聞いた記憶が無いんだよなあ…

あと九州の弥生後期の始まりは何時におく?

112日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:24:40
吉野ヶ里自体は邪馬台国でないとして、畿内に吉野ヶ里の風景以上に、
魏志倭人伝の記述に合う景色を持った場所などない。
前方後円墳の記述もない。畿内説には相当無理がある。
113日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:27:27
畿内説が統一されている(ように見える)のは、奈良文研等の巻向箸墓を掘っている連中の、
予算獲得トークに引きずられているのかもしれない。

これが逆に畿内説の自由な議論を妨げているように見える。

それについてはぼつぼつ気づいている人も出てきているが、いままで自分で考えず
予算獲得トークをそのまま流用していたため、まだ自分で論を組み立てる訓練が
できていないのではないだろうか。
114日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:28:06
>>109
馬鹿だなあ。新井さんの本、ちゃんと読んだのか?朝鮮半島産の鉛原料は青銅器
の溶解に際して副次的に添加され使用されたんだよ。氏は国産説派だが、畿内説は
それでなんの問題もないのは上に出ているとおり。
115日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:29:57
吉野ヶ里遺跡は邪馬台連合30か国のひとつ、弥奴国の遺跡にすぎませんよ
116日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:30:54
>>106

いつもの恨み節の東遷厨だろうが…

ちょっと教えてほしいんだが、お前の比定地は九州の何処よ?
今まで聞いた記憶が無いんだよなあ…

あと九州の弥生後期の始まりは何時におく?


117日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:32:24
>>108
馬鹿だなあ。卑弥呼の鬼道と書いているだろう。魏の薄葬とは宗教観念そのものが違うんだよ。
そもそも東夷伝の半島の葬制自体、中国とは違う。読んでないだろう。
118日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:36:21
>>114

鉛添加?それ以前に原料の銅が違うのだが。
ある時期以降の鏡の同位対比がことなるというのはそういうこと。

あと三次元解析で見れば、添加による移動の範囲が限定されるので
(まあ二次元グラフでも明らかだが)、これによっても原料がことなることは
容易に理解できる。
119日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:37:14
>>116
多分、人違いだろう。
120日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:37:44
>>116
ピンポイントの問題は、さして重要ではないと思うぞ。
全体として九州のどの地方が蓋然性が高い、という程度の話。
弥生時代を突然繰り上げた学界の愚論をここで繰り返すことに、
意味があるのだろうかという疑問もある。
121日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:40:34
>>116
ついでに言っておくと、箸墓の話題を振ったのに、全く違う方向に持ち込もうと
するんだな。
122日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:41:30
>>118
馬鹿だなあ。銅自体はなんともいえないんだよ。いずれ新井さんの研究では非魏鏡。これだけでも>>101説は
不可。
123日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:41:44
>>117
魏の元号を使用している属国なら、天子に従うのが国王の使命。
鬼道であろうとなかろうと、魏より盛大な葬儀など許されるはずもない。
124人格攻撃者:2010/05/05(水) 00:43:20
>>123
典型的な歴史を知らない馬鹿論。縄文人だろ?wwww
125日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:44:48
>>120
>弥生時代を突然繰り上げた学界の愚論をここで繰り返すことに

先に述べたようにむしろそれは「遅きに失した」感すらある事だ。

その年代観の変化が都合悪いと言う連中もいるだろうが
そんな連中に構ってやる義理は無いだろうwwww

年代の繰上げが間違っていると言うのなら
それ以上の根拠を持って説明しろ。
126日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:45:09
>>113

畿内説同士で議論が始まったら、話についてこれない九州説の方々がまた騒ぐだろうw
127日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:47:54
>>126

と言うか
「畿内説の根拠は箸墓と三角」
なんて言っている時点でもはや2ちゃん流に言えば情弱w

もしくは自分たちが批判しているマスコミに踊らされている馬鹿www
128日本@名無史さん:2010/05/05(水) 00:56:27
しかしこの板の邪馬台関連スレでは三角=魏鏡説はローガン氏だけと思うが。しかも全部といってるわけじゃない。
129日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:05:27
>>128
老眼翁にヒヨルわけではないがwwww
三角=魏鏡説は現時点で100%排除できない。

ここの九州説の馬鹿どものように
「100%国産で決まり」
と言う事に根拠は無い。

あいつらがマントラの様に唱えている「500対0」なんか意味も無い。

この問題がややこしいと思うのは
中国で製作されたと言う場合、魏からの下賜品と言う言わば「官製」なのか?
それとも「市販品?」なのかという問題があると思う。
130人格攻撃者:2010/05/05(水) 01:06:13
面白いよなあ。結局恨み節なんかは近年のマスコミ論調に腹を立ててるのだろうし、それはわからんでも
ないが、このスレで「東遷、東遷、また東遷」とやって何かが変わるものか?これが生きがいなら空しいなあ。ww
131人格攻撃者:2010/05/05(水) 01:09:56
いちおう新井氏の著書では、

>漢代の鉛と後漢鏡・魏晋鏡の鉛を混合すれば、三角縁神獣鏡の組成を作り出せることである。したがって、
 漢鏡六期や七期の製作地とは別の中国のどこかで製作された可能性を完全に否定することはできない。

結論として、
>大部分の三角縁神獣鏡は国産である。しかしオリジナル鏡など魏鏡の存在を排除するものではない。

ただこの研究も理化学畑からの批判はある。
132日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:18:03
>>122
銅のなかにも鉛が含まれていますよ。
その同位対比が鉛の添加によりどのように変化するのかを述べたのが新井の論文。
んで、弥生時代とは銅そのものに変化があるというのが結論。
これは鉛の添加とは別の話。

>>131
新井は、日本でしか出土しないという事実とは別に、同位対比の面からのみ述べたに過ぎない。
要するに日本固有の銅や鉛と断定できないということに過ぎない。



それ以前に、三角縁は舶載というのはすでにトンデモの域に達している。
133日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:21:46
>>132
>それ以前に、三角縁は舶載というのはすでにトンデモの域に達している。

馬鹿だなあ。この板の畿内説自身がそういってんじゃないか。お前知能あるの?
134日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:22:36
>>132
>それ以前に、三角縁は舶載というのはすでにトンデモの域に達している。

そこまで言い切れるような

マトモな根拠を聞いた記憶が無いんだがw
135日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:27:10
>>134
畿内説の考古学者自身が、三角縁神獣鏡は葬具だといっているわけだが。
つまり、葬式の道具というわけで、棺に入れるために作ったもの。
136日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:27:39
>>132
>日本固有の銅や鉛と断定できない

当たり前だろ馬鹿。弥生時代の国産銅か?
137日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:35:02
>>135
そりゃ大半はコピーだからな…って話しだがw

卑弥呼がもらった鏡が100枚ポッキリだったら
オリジナルが1枚あったら上出来って話。

その鏡のデザインが「三角縁神獣鏡」であったか否か?と言う問題なら
オリジナルが1枚も無いという事でも問題ない。

結局「卑弥呼の鏡はこれだ」と言うものが出てこなければラチがあかない。



138137:2010/05/05(水) 01:42:30
むしろ状況的に魏の銅鏡製作組織がまだ立ち直っていない時期の方が
呉地のカラーの強い鏡が洛陽周辺に出てくる確率が高いわな。

(魏年号の鏡は魏から呉へアウトソーシングされたものと言っていたのは
 王じゃなかったか?)

ただ、どうも問題の「景初」あたりが立ち直った境目の年代っぽいw

139日本@名無史さん:2010/05/05(水) 01:46:00
仏教の像をアウトソーシングしても十字架のキリストを納品しないだろ。
140zzz:2010/05/05(水) 01:50:18
そもそも魏の銅鏡製作環境が良く分からない現時点で
よくもここの九州説は
「三角は100%国産で決まり」
なんてことが言えると思う。

もっとも畿内説にも同調する奴がいるみたいだが…

このネタで溜飲を下さないと九州説なんてやってられないのかもしれんがw





141人格攻撃者:2010/05/05(水) 02:14:47
2chだから当然まともな議論にはならない。九州説はすべてを九州に結び付けて、畿内説に有力と考えられる
情報を全否定する。それはかまわないんだが、不愉快なのは知識もなく単にチャチャを入れるだけの存在。連
休が終われば消えてくれるといいが。

>>120 レスはこの板の典型で、安本なんかでも自身の比定地がまずきちんとある。そうでなければ、結局世に
認められる(本が売れる)ことはないからだ。自説をきちんと立てることにはリスクもあるが、ただ他説を批判す
るだけというのは、人としての限界を感じざるを得ない。もっともその程度だからこそ、こんなところに巣くっている
んだろうが。

2chだから何を書いてもいいんだけどね。
2ちゃんねるは党一京会の世▲論工作所として作られてる。あとI▲P集めが目的。

今年の7月から東京にあるネ▲ットカフェはすべて会員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警▲察が、ユダヤ(統一京会)やサッ長連合のためにインターネ▲ットカフェ規制をする。

【池田整治 (著)  マインドコントロール】↓
・第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
・アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。
・上九一色村のオウム強制捜査前に、警察幹部が池田に「最初の機動隊員が50名から150名が死ぬかも」といった。
──裏の支配者グループが「資本主義」と「共産主義」を作り出した──
東のアジアで、太平洋を越えて大陸共産圏と直接「対峙」でき、かつ強大な軍の「拠点」となり得るのは、
日本列島しかなかった。このための具体的な占領施策が、次の四つだった。
1.一方的なやらせ裁判である極東軍事裁判(東京裁判) 2.GHQ作成の日本憲法の押しつけ
3.約7000冊にものぼる歴史・戦略等図書の焚書  4.完璧な検閲体制
江藤淳氏はこれを「戦争犯罪情報プログラム(戦争犯罪周知宣伝計画)に基づいた占領政策」と指摘している。
http://megalodon.jp/2010-0402-0207-39/jb▲bs.li▲vedoor.jp/b▲bs/read.cgi/study/368/1▲074780696/156-163

■いま日本の支配者はサッ長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍たちです。日本はいまだに武家社会です■

・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、
佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。国策捜査はサッ長連合やアメリカのための捜査です。
詳細 http://megalodon.jp/2010-0406-1616-37/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1270526809/2-4
閨 閥http://www.kyudan.com/column/keibatu.htm
新2ちゃんねる
http://megalodon.jp/2010-0505-0028-11/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/school/1381/1248878879/746
143日本@名無史さん:2010/05/05(水) 02:56:11
>>120
>ピンポイントの問題は、さして重要ではないと思うぞ。
>全体として九州のどの地方が蓋然性が高い、という程度の話。

では、ピンポイントでなくてもいいからさ、
君が考えている邪馬台国は、九州のどの地方が蓋然性が高いの?
144日本@名無史さん:2010/05/05(水) 03:03:18
>>141
九州説もみんな邪馬台国の比定地を持っているだろう。

ここでも、時折登場する。糸島郡あたりとか、福岡平野とか、甘木もある
だろうし、山門郡もある。八女あたりもある。宇佐もある。吉野ケ里もある。
菊池・山鹿平野もあれば、阿蘇もある。宮崎もある。

バラバラといえば、バラバラだが。

畿内説がなくなれば、当然、九州同士で争うことになるが、それよりも先に
畿内説を叩いておかないと話にならない。その方が気が楽ということもある。
さりげなく、自分ところの主張を入れながらということになるが。
145日本@名無史さん:2010/05/05(水) 03:46:57
>>144
>畿内説がなくなれば、当然、九州同士で争うことになるが、それよりも先に
>畿内説を叩いておかないと話にならない。

べつに、「先に畿内説を叩いてお」く必要なんか、少しも無いのでは?
九州某地域=邪馬台国、とする自説が正しいと信じるなら、畿内説でも、九州の他地域説でも、相容れない筈。

しかし、九州の他地域説批判は後回しとし、先に畿内説叩きをする、というのは、何か別の理由があると思われ。
おそらく、日本近現代史に関する何らかの政治イデオロギー的な心理がかぶさっているのでは?
146日本@名無史さん:2010/05/05(水) 04:17:28
九州内の比定地はいろいろあって、それぞれの説に説得力があるのだが、
「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」
なんていう詐欺的理論を、みんなで一斉に展開する畿内説を駆逐しないと
学問にならない。
147日本@名無史さん:2010/05/05(水) 04:27:46
>>146
今や学者の殆どと言って良い「畿内説」が

>「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
>「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」

…で一枚岩と言うのはお前の妄想。

脳内の仮想敵国と戦っていなさいW
148日本@名無史さん:2010/05/05(水) 04:35:13
>>147
根本精神は同じだと思うが。じゃ、どんな方向?
149日本@名無史さん:2010/05/05(水) 04:40:58
畿内説は
・日本の古都といえば畿内に決まってるという思い込みがあり
・論理飛躍的に卑弥呼や邪馬台国の証拠だと騒ぎたてる癖があり
・就職に有利という理由で畿内説を政治的に支持する風潮がある


150日本@名無史さん:2010/05/05(水) 05:56:51
>>146
>九州内の比定地はいろいろあって、それぞれの説に説得力がある

邪馬台国=筑後山門説はどうよ?
  「正しそうだな」

邪馬台国=宇佐説は?
 「うむ。これも正しいかも」

邪馬台国=博多説は?
 「おお、それも正しいと思われ」
151日本@名無史さん:2010/05/05(水) 06:00:33
>>144
バラバラすぎるしどれも希薄
一くくりするのもおかしい

>>146,148-149
そんな基地外じみたレスするからダメなんですよ
まぁ「当選厨」、「恨み武士」で煽る人もしょーもなと思うし
正直別スレでも立てて二人?でやってもらいたいw
152日本@名無史さん:2010/05/05(水) 06:20:36
>>146
>>49

嘘も百回唱えれば本当になるのが日本考古学会の原則です。
153日本@名無史さん:2010/05/05(水) 07:37:14
>>149
う〜ん、就職というよりこの業界では畿内説でないとメシ食っていけないんですよ。
そこのところ理解してください。
154人格攻撃者:2010/05/05(水) 07:57:53
>>142
マジやめろ。また規制になっるじゃないか。

>>153
この説でもなんでもないしつこい煽りはパンツ君です。おそらく前世はゴキブリかと。さあパンツ君
明日から中学校だよ。激しいイジメが待ってるぜ。
155人格攻撃者:2010/05/05(水) 08:00:52
>>152
これもパンツ君だな。パンツ君は早起き。今日一日のお休みを楽しみなさい。
明日からはまた生き地獄。
156人格攻撃者:2010/05/05(水) 08:05:25
>>146
>それぞれの説に説得力がある

つまり倭人伝はどうとでも読めてしまうということだな。実際文献史学はギブ・アップの状態。
「素直に読んだら」どこにでも行き着く、と。
157日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:20:10
>>146
> 九州内の比定地はいろいろあって、それぞれの説に説得力があるのだが、

え?なに?自分で考えてないの?他人の説に乗っかるだけ?
ゆとり脳なんだね。
自分で考えられないな、邪馬台国論に参加すんなよ。
158日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:21:05
かつて、旧石器捏造事件というのがあった。

教科書にまでのった旧石器遺跡が、アマチュア考古学研究家による捏造であったというのだ。

この旧石器捏造事件から学んで、マスコミは、すこしだけ軌道修正しているようである。
しかし、マスコミ便乗派の考古学研究家たちは、なにも学ぶことはなかったようである。

残念なことに、同じような事件が再び繰り返されている。それが邪馬台国=畿内説>>49である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
159日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:27:01
>>146
> 「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
> 「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」

倭人伝すら読んでないで、マスコミ的注目を浴びてる部分だけ必死になるんだね。
残念な脳みそだね。
160日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:41:21
>>146
邪馬台国=畿内説は、旧石器摸造と同じ類の共同幻想でしかありませんよ。

奈良県は、大和朝廷成立の後、数百年にわたって王城の地でありました。
後の時代の遺跡・遺物は、豊富である反面、
確実に邪馬台国時代のものといえる奈良県の遺跡・遺物は、あまりにも乏しいのです。

邪馬台国=畿内説の考古学研究家たちは、後の時代の遺跡・遺物の年代を捏造して、
マスコミでの大宣伝を繰り返すことによって邪馬台国論争に決着がつくと思い込んでいます。

しかし、邪馬台国=畿内説は、旧石器摸造と同じ類の共同幻想であり事実を見ていないから、
大宣伝と捏造を繰り返しても、旧石器捏造事件同様に必ず破綻が訪れるでしょう。
161日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:44:28
>>160
で、君の説は?何も提示できないんだろうね。
批判だけ。左巻きと同じだ。
162日本@名無史さん:2010/05/05(水) 08:48:31
163日本@名無史さん:2010/05/05(水) 09:17:35
>>146

>「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
>「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」

畿内説のそれは、解釈論であって、西欧中世の神学同様に説明体系にはなっていても、
客観世界に問いかけて、「真」か「偽」かを決定しようとする姿勢が著しく乏しい。

マスコミ便乗派の考古学研究家たちの「利権」を担いでいるのが畿内説の現状かと。
164日本@名無史さん:2010/05/05(水) 09:43:06
>「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
>「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」

石野博信はそんな主張はしとらんよ。
しかし彼は畿内説だろうが。

畿内説批判したかったらもっと緻密にやれよ。ww
165日本@名無史さん:2010/05/05(水) 10:19:59
>>146
初めから三角縁神獣鏡に「卑弥呼さん江」と文字を入れてもらうんだったよ。
箸墓にも石碑を立てて、持ち物にも名前を入れておけばよかったのだ。

166日本@名無史さん:2010/05/05(水) 12:14:19
邪馬台国が九州であろうと畿内であろうと、一般民衆の大部分は困らない
困るのは
それに携わる人と、引きこもって邪馬台国ネタで時間をつぶす奴だけさ
どっちでもいいじゃん。
労働もせずに毎日古代史にのめりこんでる暇があったら
少しは世の為に、街に出てゴミ拾いでもしたほうがいいんじゃないの?
167日本@名無史さん:2010/05/05(水) 12:30:21
邪馬台国論争のHPの傾向

九州説論者 畿内説への批判から始まり、批判で終わる。
研究者への人格否定もやってる。
>>凄く気持ち悪い感覚しか残らない。

畿内説論者 自分の見解をすらすら書いている。
>>自説の展開は面白いね。

結論:キモ〜九州説論者!!!

あっ、俺、中立な人だから。倭人伝では両論妄想だわ。
168日本@名無史さん:2010/05/05(水) 12:38:32
>>164
>石野博信はそんな主張はしとらんよ。

…だなw

http://www.saga-s.co.jp/news/koremade/sonotanotokusyu/sin_yoshinogari/yoshi_sympo/yoshi_sympo4.html

>【基調講演】卑弥呼の鏡と邪馬台国ヤマト説―石野博信(徳島文理大学教授)
>私は邪馬台国ヤマト説だが、女王卑弥呼が中国からもらったのは、三角縁神獣鏡だとは考えていない

ここの九州説はもはや九州説と言うより単なる「アンチ畿内説」

別に批判するだけでも構わないが
批判するならするで、その対象を正しく把握すべきだがそれもしない。

マスコミがセンセーショナルに伝える部分に反応するか
昔の今や誰も省みない構造を引っ張り出して
あさっての方向を向いてシャドーボクシングしているだけ。

恐らく自分達がしがみついている昔の年代観が畿内説によって組み立てられていたと言う事すら知らないのだろうw
169日本@名無史さん:2010/05/05(水) 13:14:52
石野博信も箸墓は絶対、卑弥呼の墓と信じてるんだろう?
詐欺の論証は同じじゃないか。
170人格攻撃者:2010/05/05(水) 13:22:16
>>158>>160
これは同じパンツ君だと思うが、頭おかしいんじゃないか?マジで。東遷厨もかなりおかしいけど、やつは
まだ議論できるネタを放り込む。こいつはただの否定のための否定。人間がこのような精神構造になるには
よほど実生活に困難があるんだろう。でもってこのスレに来て憂さ晴らしをする。ま、文献も考古学も知識が
ないからこれしか書けないんだろうが。

171日本@名無史さん:2010/05/05(水) 13:23:13
三角縁神獣鏡が100枚以上出てきちゃったので、辻褄が合わなくなって、石野博信はそこから逃げ出したが、
嘘をついて邪馬台国は畿内だと言いくるめられれば、何でもよかったわけだ。
172人格攻撃者:2010/05/05(水) 13:25:14
>>169
「詐欺」?お前は欲求不満が解消できて満足だろうが、完全な荒らしだな。パンツ君。知識ないやつは
家の前のドブ川でもかきまわしていろよ。
173日本@名無史さん:2010/05/05(水) 13:28:19
結局、石野博信も箸墓=卑弥呼墓詐欺師だったな
174人格攻撃者:2010/05/05(水) 13:31:26
>>173
いいか、話はもはや石野や三角ではない。お前の精神状態だな。学校や家族、近所の人たちに
どう思われてるんだ。カウンセリングに行ったほうがいいんじゃないのか?
175日本@名無史さん:2010/05/05(水) 13:35:46
>>173
もはや「利権」のためだけに右往左往しているだけかと。
176日本@名無史さん:2010/05/05(水) 13:57:14
>>168
以前は、三角縁神獣鏡が魏鏡か仿製かが邪馬台国論争のメインテーマだったの
だが、今となっては、仿製宣言は畿内説の全面敗北ということになるだろうな。

しかし、敗北宣言ですむ問題でもない。短期間に大量に作られたとされるが、
その意味付けが良くわからない。特に、三角縁神獣鏡の年代は重要になる。

以前は、三角縁神獣鏡が出てきた古墳は、卑弥呼の年代に近いとされたが、
それも通用しなくなる。古墳の年代から三角縁神獣鏡の年代をさぐることに
なるんだろう。

今までも出してきたが、景初三年銘の三角縁神獣鏡が出てきた神原神社古墳は
四世紀中頃とされるので、これも考える必要がある。
http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm
177日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:07:37
>>176
>四世紀中頃とされるので、

根拠は?

そもそも副葬品の鏡の年代は古墳の年代を探るため手段であったのが
古墳の年代が先にありきでは本末転倒。

紀年鏡を出した古墳もこれからその築造年代が新たに問われるようになるだろうなw

無論個々によって相当な時間伝世された後副葬された。
相当な後世に作られた。
…と言うケースはあるだろうが

軒並み100年はずれていると言うのは
疑いをもって然るべき。





178日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:17:20
あと…

>>176
>倣製宣言は畿内説の全面敗北ということになるだろうな。

そもそも石野一人、あるいは何人かの学者で畿内説を
代表して「宣言」なんかできるのかって話で馬鹿を言うなとw

それに三角魏鏡説に囚われなくなったのは畿内説の前進。

学問である以上常に漸進する。

九州説にとってはそこで鬼の首をとったかのように喧伝して
溜飲を下すネタにしたいのだろうが

時代に取り残されてルサンチマンを爆発させ
恨み節を唸っているだけの馬鹿w
179日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:20:02
×それに三角魏鏡説に囚われなくなったのは畿内説の前進。
○三角魏鏡説(詐欺)がバレて破綻したのは畿内説詐欺の後退。
180日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:22:13
次は、箸墓を卑弥呼の墓だという詐欺論理がバレないよう、力を入れている最中
181日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:37:06
三角縁神獣鏡の詐欺的理論について考古学的に検証してみると、

銘文中の「景初」は中国三国時代の魏の年号で、
年号だけを見れば、景初三年は邪馬台国の卑弥呼が魏に貢献した年(西暦239年)にあたる。

但し、中国の詩や銘は韻文であり、原則として韻を踏なければならない。
後漢の方格規矩四神鏡の代表的な銘文を見ると、音符と四声による平仄の法則が確立してる。

神原神社古墳出土の景初三年鏡に関して言えば、
かすかに押韻の跡が見られるところが一箇所あるが、平仄の韻律は全く無視されている。

卑弥呼が使者を遣わした魏の明帝の時代は、まさに詩文全盛の時代で、
押韻の意識すら持たない拙劣な銘を刻んだ鏡など、中華皇帝の権威を傷つけるものであり、
魏の明帝自ら権威を傷つける銘文の鏡を特鋳して賜わることなどあり得ない。

中国詩文の韻律からも、三角縁神獣鏡=魏朝特鋳説が成り立たないことは明確。
182人格攻撃者:2010/05/05(水) 14:43:50
>>181
森説だな。安本HPコピペ乙。
183人格攻撃者:2010/05/05(水) 14:47:53
>>181
結局こいつも、人のHPjからしか話題をとってこれない馬鹿さらし。自分で考える力のかけらもない。
>>176
の 神原神社古墳は、小型特殊壷が吉備編年で10−d期〜10ーe期あたり。3世紀末から4世紀初頃でもおかしくない。
184日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:48:45
>>179
嘘を嘘で塗り固めるのが畿内説ですね。わかります
185人格攻撃者:2010/05/05(水) 14:51:56
ただ紀年鏡の出てる古墳は新しいので、何らかの特殊事情が疑われるのは確か。

自分で考えると「まばら理論」のような、畿内説はおろか九州説でも主張しない(してるなら教えてくれ)
奇妙なものが出てくる腐れ脳。
186日本@名無史さん:2010/05/05(水) 14:58:23
>>182
それは、神原神社古墳のサイトにあるものだろう。
http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm
神原神社古墳の年代についてもここに書かれている。
187人格攻撃者:2010/05/05(水) 15:04:05
>>186
だから4世紀中ごろの根拠は?ぼくちゃん。
188日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:05:41
>>183
兵庫県豊岡市の森尾古墳からは、正始元年の三角縁神獣鏡が出ており、年代は
一応、3世紀末から4世紀初めとなっているが、この古墳のサイトでは、
この古墳にはもっと新しい要素のあることが指摘されています、とある。

三角縁神獣鏡の論争の頃、この鏡の出てくる古墳は一様に古くなった。
そういうある種の力が働いたものと思われるが、今となっては、全面的な
見直しが必要かも。
189日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:12:16
>>187
根拠はそのサイトに書かれてあること。
発掘調査した人がそのように言っているんだろうから信じるしかない。
実物を見たことのない人間があれこれ言っても、空想に過ぎない。

根拠のない畿内説は空想するしかないから、言っても無駄なのだろうけど。
190人格攻撃者:2010/05/05(水) 15:14:51
>>189
>発掘調査した人がそのように言っているんだろうから信じるしかない。

馬鹿丸出しの中学生。んじゃ畿内の古墳についても発掘成果を信じれば?こんなサイトじゃなく調査報告書
読んで。www



191日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:20:01
>>190
一応、年代の根拠の部分をコピペしておこう。

三角縁神獣鏡以外に、素環頭大刀・木装大刀・剣・槍・鉄鏃などの鉄製品や、
鋤・鍬・鎌などの農耕具農耕具、土器 、玉類(ヒスイの勾玉・碧玉の管玉・
滑石製臼玉など)なども、この古墳から出土している。石室の構造に、
これらの副葬品の組み合わせや出土土器の形式を勘案して、
この方墳の築造時期は4世紀中頃と推定されている。
192人格攻撃者:2010/05/05(水) 15:28:49
>>191
あーあ、中学生とは話がまったく噛み合わない。だから、九州説に有利なHPは丸ごと
信じて、畿内説に近い発表は正式な調査報告でも信じないってことなんだろ。
193日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:36:47
>>192
それはあるな。畿内説の発表は疑ってかかるところがある。
なんせ畿内説だから、それを前提にしているようなところがある。
神原神社古墳の場合のように、それと無関係なところには客観性がある。
194日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:39:06
あははは、根拠不明な空想、妄想ばかりの畿内説では、
三角縁神獣鏡 = 魏朝特鋳説の詐欺理論を国内外から考古学的に捏造だと立証されてしまい
畿内説研究家たちは自分らの利権を守るために必死なんですね。(笑)

三角縁神獣鏡 = 魏朝特鋳説の詐欺理論で切羽詰まった畿内説研究家たちは、
やまとととひももそひめのみことの墓として管理されている箸墓を卑弥呼の墓だと吹いてるけど、
もう、ここまで来ると腹抱えて笑うしかありません。(爆笑)
195日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:40:09
>>181
よく言われる

「韻を踏んでいない、銘文が稚拙」

と、言う事に関しては『下賜品』か否か?については検証の材料にはなりうるだろうな。

ただ個人的には果たして銅鏡の銘文にまで魏がそれこそ「魏朝責任編集!」をうたってw
神経を使う必要があるのかどうかについては疑問。

「魏から冊封国に下賜された青銅品の銘文は全てきちんと韻を踏んだもの」
と言う事を立証する材料が無い限り
「まあそういう見方もあるんだろうな」程度に留めておくのが無難w

また、それとは別に下賜品ではなくて
市場に出回った鏡であればそれも問題ない。

年代を4世紀以降に限定できる話しでもないw
196日本@名無史さん:2010/05/05(水) 15:45:07
>>194
畿内説の学者が群がっている『 利権 』って何かな?

具体的に教えてくれないか?

それはかつて邪馬台国ブーム華やかりし頃
九州説をセンセーショナリズムにのってとなえた人間にもたらされた物より
はるかに大きなものなのかな?w

まあ畿内説一色といわれる現状を陰謀論に逃げたくなる
気持ちは分からないでもない事も無いがwww
197日本@名無史さん:2010/05/05(水) 16:02:53
>>196
はあ?邪馬台国と言う利権が絡むから畿内説研究家が蛆虫みたいに涌いてるだけじゃん
だいたい、畿内説一色とか半島起源説みたいなこと言われても理解に苦しむわ

おまえさ、●層臭くて気持ち悪いからコテ付けろよ。人格攻撃者みたいにあぼ〜んできるから
198日本@名無史さん:2010/05/05(水) 16:27:49
>>197
この馬鹿が何を言っているのか良く分からないなw
蛆虫みたいに涌いてる『畿内説研究家』とは一体誰の事なのかな?

邪馬台国ブームの頃には市井のマニアまで
それこそ百家争鳴の状態だったと思うがwww

「利権」と威勢良くほざいても
じゃあその利権は具体的になんだと聞かれれば答えられない。

この手の九州説は本当ゴミクズ以下だなw

まあ陰謀論に逃避していると言うより
その陰謀論を基地外のようにほざきまくる事自体が目的っぽいがwwww


199日本@名無史さん:2010/05/05(水) 16:38:36
それとこのサイキバっぽい馬鹿が鬼の首をとったかのごとく
喜んで取り上げるゴッドハンド事件www

これは考古学全体の信用を失う話しで
九州説も蚊帳の外の話しではない。

むしろ在野の研究家が多い九州説こそ
危機感を持つべきもの。

学統学閥に属さないアマチュア出身のMrゴッドハンドを見れば一般人は

「ああ、やっぱりアマチュアは名を上げる事に必死なんだな」

と思いかねない。
日本人はどうしても公的な権威権力に弱い側面があるのは事実だし。

まあ馬鹿にとってはわめき散らす材料があれば何でも良いんだろうがwww
200日本@名無史さん:2010/05/05(水) 16:52:25
ハエになれない蛆虫とは畿内厨のことですね。可愛そうに
201日本@名無史さん:2010/05/05(水) 17:25:22
お前らの学歴ってどれ位?
202日本@名無史さん:2010/05/05(水) 17:40:44
>>169
>石野博信も箸墓は絶対、卑弥呼の墓と信じてるんだろう?
>詐欺の論証は同じじゃないか。
>>173
>結局、石野博信も箸墓=卑弥呼墓詐欺師だったな

きみらは石野博信の著書に全然目を通していないね。
それでいて詐欺師呼ばわりか、まったく呆れたものだ。w

石野は、箸墓が卑弥呼の墓である可能性は低い、という意見だよ。
ただ台与の墓である可能性はかなり高いとしている。

ちゃんと著書を読んでからレスしろ。
203日本@名無史さん:2010/05/05(水) 17:48:55
>>194
>畿内説では、三角縁神獣鏡 = 魏朝特鋳説の詐欺理論
>畿内説研究家たちは、やまとととひももそひめのみことの墓として管理されている箸墓を卑弥呼の墓だと

だからな、石野博信はべつに三角縁神獣鏡= 魏朝特鋳説でもないし、箸墓=卑弥呼の墓説でもない。
でも邪馬台国所在地に関しては畿内説を採っているわけ。

学者も色々な立場、意見があるわけだよ。もっと勉強してからレスしろ。
204日本@名無史さん:2010/05/05(水) 17:52:17
畿内厨って何ですか?
205日本@名無史さん:2010/05/05(水) 18:52:59
何が台与の墓だよ。まったく根拠なしじゃないか
206日本@名無史さん:2010/05/05(水) 18:55:15

トヨタン・・・・・・・・・・
 
207日本@名無史さん:2010/05/05(水) 18:59:22
石野博信のご都合的詐欺理論は考古学以前の問題で参考にもならない
208日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:28:43
>>206
ほら、おまいの大好きなトヨタンだよw

つ http://love6.2ch.net/test/read.cgi/aasaloon/1226045199/
209日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:30:37
足利冤罪事件みたいに、これが卑弥呼の鏡です、これが卑弥呼の墓ですと、
次々にDNAの詐欺鑑定を出してくる畿内説。

日本の考古学で一番大事なのは、まずこの詐欺行為をやめさせることだ。
210日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:37:33
しかしね、ここの九州説の馬鹿って
自分は畿内説を批判し野次って皮肉の一つでも
言っているつもりなんだろうが…

それが全部、的ハズレw

ここの九州説のレベルの低さは一体何なんだろう?



211日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:40:05
>>210
畿内説派閥で飯を食っている用心棒、乙!
212日本@名無史さん:2010/05/05(水) 19:53:11
古代の匂いに憧れる素人から言わせて貰えば、
九州説は夢が無い、現代にそれらしい痕跡が残ってないから夢を追えない、吉野ヶ里程度では侘し過ぎで夢見れない
畿内説なら巨大前方後円墳などが残っているし、誰が見てもそれらしい夢の題材には事欠かない
もっと別の東国(首都は別としても領域として)とかだったなら、今までの歴史教科書を覆しそうなオカルトめいた謎を楽しめる
学者が飯を食えるかどうかは言うに及ばず、一般人に夢を見せられるかどうかが求められるんじゃないかな?
213日本@名無史さん:2010/05/05(水) 20:19:13
>>211
なんだ、いつもの半島の犬かw
214日本@名無史さん:2010/05/05(水) 20:29:54
奈良の者で考古学に興味がある者で、邪馬台国にも興味があります。
我が郷土に中国の歴史書に残るような国があったとすればそれはそれで誇らしいことですが、
小さい頃から古墳を見たり、そこで遊んだりして育ってきた者のひとりとしては、
邪馬台国はどうも奈良にはなかったのではないかという気持ちがするんです。

どなたか書かれておったように、邪馬台国は狗奴国と戦争していたわけで、
あまり強い国じゃなかったんじゃないかと思うんです。
山に囲まれた盆地にある国が戦争に困って魏に助け舟を出してもらおうとするなら、
それは相当弱い国だったということじゃないかと。どうもイメージが合わないんですよ。
これもどなたか書かれておったように魏志倭人伝の記事と気候なんかも合いません。
冬に野菜が食べられるような気候じゃないですよ。方角も合いませんしね。邪馬台国は南にあるんでしょう?。

このスレの方たちもどうぞ一度奈良の古墳や遺跡を見に来てみてください。
聞くと見るとは大違い。新しいアイディアも浮かぶかもしれませんよ。
215日本@名無史さん:2010/05/05(水) 20:33:45
>>214
そんな取るに足らない小国だったなら、魏も助け舟は出さないと思うんです
しかも倭国の王として冊封しているんですよ
助けるだけのメリットが期待できる国だったという事です
216日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:14:27
奈良県は、昔から昼寝をする風習がある。全国でもここだけではないだろうか。
卑弥呼・壱与より後の時代、戦乱に明け暮れるようになる国家としては、あり得ない風習。
217日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:14:37
>>214

> どなたか書かれておったように、邪馬台国は狗奴国と戦争していたわけで、
> あまり強い国じゃなかったんじゃないかと思うんです。

狗奴国が戦争していた相手は女王国ですよ。
218日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:16:36
邪馬台国は小国どころか、日本だけではなく百済や新羅をも支配していた大国だったんですよ。
219日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:23:02
女王国が西日本勢+日本海勢力
狗奴国が東日本を中心とした太平洋側勢力
220日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:35:15
199   名前:  ローガン   2010/05/05(水) 20:58:19   ID:htH1Re4k

>>163:日本@名無史さん 2010/05/05(水) 09:17:35 AA
>>「とにかく絶対、三角縁神獣鏡は卑弥呼の魏鏡」
>>「とにかく絶対、箸墓は卑弥呼の墓」
>畿内説のそれは、解釈論であって、西欧中世の神学同様に説明体系にはなっていても、
>客観世界に問いかけて、「真」か「偽」かを決定しようとする姿勢が著しく乏しい。
>マスコミ便乗派の考古学研究家たちの「利権」を担いでいるのが畿内説の現状かと。

批判しか出来ないの?まあ、その批判すらも幼稚なんだけど
まあ、時間潰しに、良ければお相手してもいんだけど。生憎規制で…
取り敢えず、君が言う所の「客観世界の真」を結論まで書いておきなさい。


お手空きの方、申し訳ないが表に貼り付けお願いします。
中学生相手にどうかとは思うが、あまりにも幼稚なレスでスレを汚しすぎゆえ。
221日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:44:32
三角縁神獣鏡が舶載とか舶載が含まれているとか、本気で信じている学者が
いるとも思えない。
いたとしても50年前の話だろ。それ以降は政治的な問題。
222日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:51:36
>>216
>奈良県は、昔から昼寝をする風習がある。

昼寝の風習を書き留めている大和の史料は何?
また最も古く遡る古文書は?
223日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:02:50
>>222
戦争続きの国で、昼寝の習慣がある国ってあげてごらん。
224日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:04:57
奈良の習慣は事大、演出、密告くらいしか思い浮かばない。
あと、言葉使いが高知と並んで醜いくらいか?
225九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/05(水) 22:09:09
>>216
>奈良県は、昔から昼寝をする風習がある。全国でもここだけではないだろうか。

年中昼寝をしていたわけではない。
夏の暑い間だけの風習で合理的な生活姿勢だ。
早朝野良に出る、昼前暑くなったら昼飯を食いに帰る。
昼食後が昼寝の時間だ。
昼寝が終わったたら、スイカ等の水分の多いものを食べる。
それこれしている間に、昼の盛りの暑さが少し和らぎだすので、
又野良に出て夕方まで働く。
夜明けから日没までの労働可能時間が長いので、
日中の高温時間帯を休息時間とし、
無駄な体力の消耗をしないようにする良い習慣だ。

戦後の僕が子供の頃のこんな記憶です。
226日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:13:45
畿内説を守ることで、自分の食い扶持や出世、利権に支障が出る人がいる。
しかも学者や研究者・公的業務従事者はそういう人のほうが多数派である。
だから、詐欺的論証を使って畿内説を守り抜こうとする。

邪馬台国の地を比定する前に、畿内説の詐欺行為を封じておかないと、
ソ連のオリンピック審判員が、ソ連選手にだけ異常な高得点をつけるたのと同様、
初めから議論が成り立たないのである。
227日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:26:46
森博達教授は述べる。

そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、「建安詩」「正始詩」の時代として文学史上高く評価されている。
詩は銘と同じく韻文であり、音韻の知識も深まっていた。
卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、まさにこのような詩文隆盛の時代である。

そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、次のように詔した。
「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。
それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」

この荘重な詔書とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、魏鏡論者は主張する。
魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。

森博達教授の研究に対する考古学からの説得カある反論はまだ出ていないようだ。
228日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:37:13
しかし三角国産説が多数派で支配的になるのは
まあ、ある程度は分かるが

「100%国産、下賜品である事は絶対ありえない」

…なんて話しに畿内説の人間でさえ同調する奴がいるのは失望を禁じえないw


そもそも魏代の洛陽周辺の鏡事情が良く分かっていない。

これで十分な資料がありその中に殆ど神獣鏡が無く
魏代でも洛陽周辺は方格規矩や内行花紋が主流だったと言う事が分かっているなら
俺もその立場に立つだろうが…

なんと言うか長らく支配的だった小林説に対する反動か?
中国の王の論文で黒船襲来のようなインパクト受けてそれがまだ尾を引いているのか?

普通に考えても無条件に後漢時と同じような銅鏡の製作環境で無かった事は明らかなのに…

将来、三角の製作地の問題がどう転ぶかは知らないが
現時点で舶載下賜品の可能性を完全に廃するのは
とてもじゃないが学問として理論的な考察だとは思えない。


229日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:38:44
>>223

ベトナム
230日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:38:46
>>227
コピペには引用のマークをつけろや。
231日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:47:26
>三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。

そもそもこの扇動的な台詞が良く分からないんだよなw

100枚の銅鏡を種々の鏡のアソート=詰め合わせ(贈答用のクッキーとか海苔とかのアレなw)と考えるのか
それとも100枚きっちり揃えて同じものとするのか?

後者の場合、そのデザインが何であれ、下賜した先が九州邪馬台国であれ畿内ヤマトであれ
『特鋳』になると考えるのが普通なのではないか?

それとも潤沢にストックがあったのか?

で、もし銅鏡製作組織が立ち直っていなければ外注するかしなければならない
それが呉地で神獣鏡を作っていた地域であれば三角魏鏡も成り立つと思うが?w

「韻」の問題とて銘文が稚拙なのは間違いないだろうが
そもそも冊封国の王に下賜する銅鏡にまでメンツをかける必要があるのかと・・・
232日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:51:05
>>231
その当時魏は極度の銅不足で貨幣の鋳造さえも滞っていたんだな。
この状況で日本向けに大型鏡を数千枚も特鋳で作ったとか、カルトでも言わんよww
恥ずかしいからもう止めてほしい。マジで。
233日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:53:39
>>231
わざわざ特別に作っておいて、銘文が幼稚というのは矛盾するな。

特別製なのに、年号が景初三年、景初四年、正始元年とバラバラなのもおかしい。
特に、景初四年はいただけない。
234日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:54:31
>>232
うんざりするようなレベルの突っ込みだな…
当然大半のものはコピー。

卑弥呼の鏡が100枚ポッキリだったらオリジナルが1枚も出ていない可能性もある。

何か問題でもあるのか?

235日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:00:14
>>234
100枚だけがオリジナルであとの数千枚は日本製のコピーってことか?

となると、三角縁の初期のものだけがオリジナルだから、明らかに後半期の
文様である紀年鏡は全部コピーってことで決まりだな。

これまでは紀年鏡が文様の変化の後半期であることから、7〜8割が舶載と
して紀年鏡も舶載とするのが、舶載説の主流だったが、「100枚だけ舶載説」では、
紀年鏡が全部国産になって、舶載説の意味がないよね。

これじゃあ、全部が国産と認めるより惨めだな。
236日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:04:23
>>233
首都洛陽にあった「尚方」で作られたなら
当然そこまでの配慮がなされていたろうが

じゃあ魏年号の神獣鏡が出ている荊州なら?と思うんだよなあ

(ちなみに「尚方」の銘があって河南省北部で作られた大弓が知られている)

…と言えば魏と呉が敵対していた時に
そんなお取り寄せはないと言うツッコミが予想されるが
魏や呉は蜀と対立していたときに蜀の特産品の錦を買い付けていたりするから

 戦争=二国間の文物の流通は完全に絶える

と言う図式があまりにも一面的杉

237日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:07:35
>>235
>これじゃあ、全部が国産と認めるより惨めだな。

何が言いたいのか良く分からないが

恨み節で溜飲を下げたいだけならレスよこさんでくれwww

238日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:12:04
>>232へ横

ちょっと君に聞きたいんだが、銅鏡100枚の内訳(鏡種)の問題は一応置いといて、
そんなに当時、魏が銅不足だったら女王卑弥呼の宛て銅鏡100枚は新鋳じゃなかったってことかい?
言い換えると、中古品だったろうと?
239日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:14:46
>>238訂正スマソ
女王卑弥呼の宛て銅鏡100枚 ×
→女王卑弥呼宛ての銅鏡100枚 〇
240日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:15:57
DNA鑑定詐欺=△魏鏡説が、
いよいよ完全に破綻してまいりました。
241日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:16:49
>>240
サイキバ君、野次将軍は止めて自分の考えをきちんと書いたらどうかな?w
242日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:23:44
>>241
自己紹介、乙。
243日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:27:17
三角縁神獣鏡が全部国産だとするとその最も古い鏡はどれですか?
国産鏡説の方に回答キボンヌ。
244日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:38:30
>>238
横だが。
内行花文鏡や方格規矩鏡を魏の時代に作っても不思議ではないわけだが。
245日本@名無史さん:2010/05/05(水) 23:52:12
あのな、銅鏡100枚くらい何でもないよ。1ヶ月もあればすぐ特製の鏡を製造できる。
鏡なんてのは、当事の中国では日常品で普通に女性が使っていたもの。
そんなチンケな国家じゃない。いやしくも中国大陸を支配している王朝だからな。
246日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:03:40
>>244
いや鏡種が何かは置いといていいんだ
要するに>>232の意見だと当時の魏は極度の銅不足だと、自国の貨幣も滞ってたと
それほどだったらわざわざ東夷への贈り物として新鋳なんかするのか?ってこと
247日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:09:34
>>245
きみは銅不足なんか関係ないっす派だね
248日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:19:06
>>243  ネットで探したけど、適当なHPがなかったので・・・以下説明します。

三角縁の変遷には、@デザインの変遷とA表現(文様)の2つあります。

@のデザインは、2神2獣とか3神3獣とかで、新しいものほど神と獣が増えて複雑化します。
Aの表現(文様)は、内区・外区の模様が具体的なものから抽象的なものになったり、
  当初とは別のもの(笠松文様など)に変化していきます。

学説により小さな違いはあるものの概ねの方向性は、上記のとおりです(でした、かな?)。
ただ、最近は紀年鏡がこの区分でいくと表現(文様)の変化の後半期になることがネックになり、
この議論は舶載説の学者も言わなくなってきました。

代わって、一部では「同向式が原初鏡」という説が出てきました。
紀年鏡はすべて同向式で、同向式三角縁神獣鏡は数が10数面と少ないので、ほかの三角縁から
切り離して「卑弥呼の100面」にするという説です。
数量的に画文帯などの紀年鏡も「卑弥呼の100面」にする余裕もあります。

この説は外区文様があきらかに三角縁の変遷のなかで後半期であることを無視する必要があります。
そこで、最近は文様の変化を言わない学者が増えてきました。
まあお笑い種の小ネタですが。
249日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:21:22
>>247
あのな、現在中国では“石油不足”なんだけどな、
遠い国からやって来た派遣団のメンバーの車100台を満タンにするぐらいのサービスはすぐにやるぞ。
(実際にはこんなプレゼントを要求する国はないだろうが)

国家の規模を個人の感覚でとらえちゃいかんな。
250日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:22:03
>>246
それは失礼しました!
251日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:25:54
魏は、すでに作り置いてあった、コンパクトな実用品の鏡を百枚贈ったんだろう。
畿内から出る鏡はデカすぎるて、あれを急いで百枚作るのは、銅不足のおり、躊躇すると思う。
252日本@名無史さん:2010/05/06(木) 00:27:11
>>248 
ちなみ、この「原初鏡説」は不評です。
鏡を専門にしている学者は、それまでの議論を無視して同向式を最古にする説に賛成するほど
落ちぶれていなかったということでしょうか。

しかし、デザインや文様の変化を論文に書かない傾向ははっきりと出ています。
これは紀年鏡の表現が変遷の後半期ということだけではなく、景初3年鏡より景初4年鏡の
方が表現が古かったりするという矛盾があることにも関連しているようです。

まあ、最近は議論そのものが停滞気味なので、そっとしておいてあげたほうが良さそうですね。
253日本@名無史さん:2010/05/06(木) 01:18:25
三角縁神獣鏡以外で卑弥呼の鏡の最有力候補は何?
254日本@名無史さん:2010/05/06(木) 01:25:30
>>253
内行花文鏡や方格規矩四神鏡だろうなあ。
明らかに中国製だし、年代的にも無理がない。
しかし、この鏡は畿内中心には分布していないんだなあ。
255日本@名無史さん:2010/05/06(木) 01:34:02
>>253
画文帯神獣鏡。
256うましか:2010/05/06(木) 03:37:00
>>253

100枚の鏡は詔書では、前段の答礼品とは別に「又特賜」と記された第二グループの下賜品ですね。

前段が正規の(公的)賜物だとしたら、後段はそれと異なる性格の贈答品(私的:表現がマズいですが)でしょう。
であれば、魏帝が太っ腹であることを知らしめればよいので、尚方製などでは無くてもよいのかと。
なので、鏡種はハテナですが、市井の品をかき集めたような雑多なものであった可能性もあります。

まあ、尚方作を100枚得鋳しても太っ腹なことに違いはないのでそれでも構いませんが、
三角縁にも画紋帯にも、銘文(「位至三公」とか庶民好み銘があったりして)そう言う風格は感じられませんね。
もし、100枚の中に入れるならどちらも「市井の品」グループの鏡です。
257日本@名無史さん:2010/05/06(木) 06:44:29
纒向遺跡の発掘調査をされた考古学者・清水真一氏は「真実」を語る

「大和には"巨大ムラ”がない 私は20年間、大和の中央部・桜井市で、
『邪馬台国は何処』とのテーマを持って、発掘調査に従事してきた。
その結果として、邪馬台国が成立して、女王卑弥呼を擁立するまでの弥生時代中・後期に、
大和には他地域を圧倒するような『ムラ』や『墓』が見られないことに気付いた。
代表的なムラである唐古・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上曾根遺跡や田能遺跡などと比較して、
飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。逆に、墓に関しては、
西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
であれば、その次の古墳時代に入って、纒向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
なぜ突如として築造されるのか。
これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと考えざるを得ない状況であるとみた。
では、誰が何処からきたのか? 考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。
となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。」

『佐賀新聞』2005年9月26日「新・吉野ケ里シンポジウム=邪馬台国への遺・九州説に理あり」より抜粋

※考古学者・清水真一氏は奈良県桜井市教育委員会文化財課長をされていた人物
258日本@名無史さん:2010/05/06(木) 08:38:06
魏志倭人伝を読むと、銅鏡100枚の「特賜」について、
「何だおまいら、そんなもんが欲しいのか。こんなチンケなプレゼントする
のは皇帝の沽券にかかわるのだが、おまいらのたっての希望だからな
さしあげようぞ」
っていう感じだよな?
259日本@名無史さん:2010/05/06(木) 08:51:58
三角縁神獣鏡魏朝特鋳説の捏造について

森博達教授は述べる。

そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、
「建安詩」「正始詩」の時代として文学史上高く評価されている。
詩は銘と同じく韻文であり、音韻の知識も深まっていた。
卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、まさにこのような詩文隆盛の時代である。

そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、次のように詔した。
「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。
それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」

この荘重な詔書とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、魏鏡論者は主張する。
魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。
260水銀厨:2010/05/06(木) 10:24:38
△鏡は勿論国産。
邪馬台国のエリアは瀬戸内東部、畿内から阿波にかけてでしょう。
70000戸というのは少なくともそれ位の広さが必要です。

261日本@名無史さん:2010/05/06(木) 10:44:44
相変わらず邪馬台国畿内説の大宣伝が必死なんだけど、
考古学者自身が考古学を無視しているのが現状じゃ困るよね。

魏志倭人伝の倭人は鉄の鏃を使うと書いてあるんだけど、
弥生時代の遺跡からは福岡県だけでも171個が出土してる。

で、奈良県から出土したのはたったの2個。

邪馬台国畿内説は魏志倭人伝を無視して空想を議論したい訳?
262日本@名無史さん:2010/05/06(木) 10:58:15
誰か魏朝特鋳説の考古学者のリスト晒して
263日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:17:16
>>261
畿内説を捏造するにはまず方角を南から東にねじ曲げるところから始めねばなりません。
魏志倭人伝などハナから無視しておかないと成り立たないのですよ。
264日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:19:52
>>261
福岡だったら、魏志倭人伝まるまる無視じゃないかw
265日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:22:41
マジで魏朝特鋳説の考古学者のブラックリスト晒して欲しい
266日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:24:11
>>257
全然ダメ。

巻向は出雲勢力の参加で唐古・鍵遺跡より繁栄したのだよ。
九州なんて関係ない。
267日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:34:46
このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

※尚、棺桶から這い上がろうとするゾンビ(畿内厨)が確認されてるので注意されたし。
268日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:39:37
>>261
>魏志倭人伝の倭人は鉄の鏃を使うと書いてあるんだけど、
>弥生時代の遺跡からは福岡県だけでも171個が出土してる。

福岡県も倭だったわけで、それで何か?
269日本@名無史さん:2010/05/06(木) 11:48:42
>>261
このスレのどこを読んで「邪馬台国畿内説の大宣伝が必死」なんだ?
九州説信者のキチガイじみたレスの方が圧倒的に多いだろ。

頭がおかしいのか?
270水銀厨:2010/05/06(木) 11:56:01
>>261
>邪馬台国畿内説は魏志倭人伝を無視して空想を議論したい訳?

私は畿内説ですが倭人伝重視してますよ?

少なくとも北部九州には「丹の山」がありません。
九州中南部や佐賀に水銀鉱床は存在しますが
弥生時代における採取跡や精製跡が確認されてません。

徳島と紀伊半島には縄文末期からの精製跡と
採掘跡も既に存在が証明されてます。

>>268
畿内説では北部九州が大陸・半島の中継点なのだから
最新の技術が集まりやすいのは当然の事ですからね。
271日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:00:22
北部九州は出雲勢力によって支配されています。
根拠は自分で調べてね。
272日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:12:56
>>268
それで奈良県から出土したの鉄の鏃については?
273日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:19:08
>>271
宗像郡、遠賀郡、企救郡、嘉穂郡、穂波郡あたりは
たしかに出雲の影響下にあったのかもしれませんね
南の邪馬台国が次々と影響下に置いていった小国家群と
出雲との境にあったのが不弥国=粕屋郡だったのかもしれません
274日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:25:24
晴れていれば伊都国付近(今宿)からまっすぐ東の方角に不弥国(香椎)が見えます
東行百里至不弥国、伊都から不弥に向かう船は1日がかりで潮の流れを読み
良い風を選んで一気に博多湾を横断していったことでしょう
275日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:36:02
宗像は、かなり古い時代の海洋民族が興した独自の文化圏じゃない?
宗像以南は邪馬台国連合側の文化圏と見て間違いないでしょう。
276日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:38:28
>>271
>北部九州は出雲勢力によって支配されています。
>根拠は自分で調べてね。

客観的根拠は無い
根拠は君の脳の中
即ち君の妄想に過ぎない
277日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:03:11
>>264
>福岡だったら、魏志倭人伝まるまる無視じゃないかw

客観的根拠は無い
根拠は君の脳の中
即ち君の妄想に過ぎない
278日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:45:54
>>270
九州で大量にベンガラが採れるので、丹の採取は他の地より有利です。
鉄の鏃も中国絹も倭絹も、圧倒的に九州から出るわけです。

これらの事実を如何にして無視し、詐欺理論を構築するかが、
畿内説の見せどころです。
279日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:56:06
>>275
>宗像は、かなり古い時代の海洋民族が興した独自の文化圏じゃない?
>宗像以南は邪馬台国連合側の文化圏と見て間違いないでしょう。

宗像以東、豊前北部と遠賀川流域は、4世紀までは筑紫(筑紫平野・福岡平野)とは異なる文化圏とみなして差し支えない。
280日本@名無史さん:2010/05/06(木) 14:03:57
>>279
記紀にあるとおり、北部九州の在来民に、押し掛け征服民が重層した状態が、実態だったんだろうと思う。
281太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/06(木) 14:09:22
>>15
厳しく、デ○○の調教をよろしく願いたい。
282日本@名無史さん:2010/05/06(木) 15:17:24
ヤマタノオロチの伝説などからすると
邪馬台国はその配下になった国々から若い娘を差し出させ
卑弥呼にかしづく奴婢にしていったのかもしれませんね
誰も逆らえずに戦々恐々としていたなか
スサノオ(狗古智卑狗?卑弥弓呼?)によって邪馬台国は倒されるわけです
283日本@名無史さん:2010/05/06(木) 15:33:27
記紀は毛人の酋長ホオドらの血族による偽書

倭国大乱についてナニも触れていないから参考にもならない
284水銀厨:2010/05/06(木) 16:32:00
>>278
>九州で大量にベンガラが採れるので、丹の採取は他の地より有利です。

ベンガラなんて何処にでもあります。
それに酸化鉄なので丹ではないですよ。
残念ながらたんに貴重な丹の代用品でしかありません。

「丹とは硫化水銀の事」と当時の中国側の文献資料で
明記されています。
285日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:45:34
ベンガラは鉄原料ですな。
鉄にするにはちと難易度が高いですが。
286日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:53:21
>>284
どこにでもあると言うけれど、どこかで作っていた形跡があるのかな。
九州でも、阿蘇だけで作られていて、九州全体に配られていたらしいが。
287水銀厨:2010/05/06(木) 16:54:24
ベンガラは基本的に塗料としての使用が主でしょう。
丹とは煉丹術に使えないと意味ありません。
288日本@名無史さん:2010/05/06(木) 18:22:40
>>264
>福岡だったら、魏志倭人伝まるまる無視じゃないかw

つまり福岡平野は通説なら倭人伝の行程記事で言うところの「奴国」と言う事だなw

結局、九州説の基本的なジレンマとして
考古学的資料を持って語るなら、北部−それも玄界灘周辺地域が有利で

行程記事で語るなら距離が稼げるぶん中部南部が有利と言う話になる。

だから九州説というのは畿内説を否定するときは『九州』と言う
ゆる〜い枠組みで語る事となる。

そこら辺のご都合主義が(少なくとも)現時点での九州説の限界www



289日本@名無史さん:2010/05/06(木) 18:56:26
三角について東遷厨(怨)らが言う話しで良く分からないのは…

魏代には銅不足がどん底まできていて
晋代になり呉地の銅を接収する事により
日本側にも銅が流入してきてそれが三角の大量生産に繋がった…というシナリオだが

じゃあ九州邪馬台国は晋代にも存在したのだから
それまで減少の一途を辿っていた銅鏡も増加に転じているはず。

そんな推移を見て取れる編年モデルが存在するのか?

鏡種について言うなら晋が呉地の銅資源を得た時点で
神獣鏡が華北に流入したと言うシナリオなのだから
画文であれ三角であれ神獣鏡も、先ず九州中心に分布していなければならないと思うが

…考えれば考えるほど良く分からない話しだwww


290日本@名無史さん:2010/05/06(木) 20:40:07
>>289
>日本側にも銅が流入してきてそれが三角の大量生産に繋がった

銅は銅鐸以来日本産。
5世紀においても扶桑國(播磨)で銅を産出し続けている。
播磨では古いタイプの銅鐸の石製鋳型が出土している。
なお、播磨では458年に佛法が宋から伝わり、その後それが畿内へと伝わった。
又、播磨の王「乙祁」が畿内を支配した。
291日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:04:07
三角縁神獣鏡が国産かどうか論じる上で欠かせない論点が、鏡として実用に耐えるものだったかどうかということなのです。
現在発掘される鏡といえば、すべて青錆に覆われて鏡としては役に立たない状態かと思います。
しかし、魏が卑弥呼に贈った鏡は、一点も曇りもなく、美しい人はより美しく写る鏡であったはず。
その点についてきちっと検証した資料がないのは嘆かわしい限りです。
292太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/06(木) 22:15:40
>>290
乙祁は顯宗天皇だね。
293太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/06(木) 22:25:32
>>267
紀無い節破綻 同意!
294日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:30:51
>>291
同じくそう思っていた。鏡の表の面の方が作り手の巧拙がよりはっきりと出る
ものだと思う。鏡というと話題はいつも裏面で、表が全く問題視されないのは
どうかと思う。
295日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:37:59
三角は鋳放しで研磨されていないものがかなりあることは確か。
296日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:44:06
>>287などは、主観を振り回す、結論先にありきの畿内詐欺理論の一例です。
297日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:50:14
つまり三角縁神獣鏡は、非実用鏡ですね。
磨いてないので、太陽光の反射を崇拝する道具ですらない。
「神秘の神獣世界観を表現したキンピカの縁起もの宝飾品」といったところか。
298日本@名無史さん:2010/05/06(木) 22:59:29
>>297
>縁起もの宝飾品

おそらくそうでしょうね。そう考えたほうがしっくりきます。
299295:2010/05/06(木) 23:00:22
三角は、レーザー測定により厚さ1ミリ程度までに研磨された跡の見つかった事例もある。一概にはいえない。
300日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:03:07
>>299
それは静岡出土のやつだろ。畿内の三角は葬具として鋳放しでもよかったんだろうが、
地方のはもらったほうで研磨したのかもしれない。
301日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:17:28
三角の文様は、当時畿内の前方後円墳祭祀と関わりがあるんだろう。
いずれ太陽信仰ではない。
おそらく被葬者の霊性を高めるとか、魂を封じるとかのための葬具。
302日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:26:55
>>183
>神原神社古墳は、小型特殊壷が吉備編年で10−d期〜10ーe期あたり。3世紀末から4世紀初頃でもおかしくない。

神原神社古墳から吉備の土器が出てたのは知ってたけど、まさか10期の物とは思わなかった

権現山51号墳
神原神社古墳
備前車塚

これはひょっとしたら、三角縁は畿内より先に吉備で用いられてたのかな?

謎が謎をよぶなw
303日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:37:52
>>267
とうとう畿内説も逝ったのか〜  (-∧-;) ナムナム 

学者としてみっともない姿をこれ以上晒すことに耐えられなくなったんだろうな。
もともと学者と呼べない人たちが多かった気もするが。

304日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:43:19
>>302
先にあげた『邪馬台国の会』で柳田と安本の対話のところでも確認できるが
九州じゃあ庄内(併行)期から三角が出ているとの事なのでこれも謎w

ここの九州説の連中が今度は
「三角は九州発祥」
とか言い出しそうだがwww
305日本@名無史さん:2010/05/06(木) 23:59:48
>>301
「後円」部分が死者の霊が眠る場所で、「前方」部分が弔い等の儀式をやる場所だと思う。

文献では平安ぐらいまでしか遡れないけど、人が死ぬとその霊魂は生前にその人が見ていた
丘や山に昇っていき、遺体が土に還ったころに祖先霊という霊魂集合体に合一するという、
死後の世界観があったとされる。ただし、腐乱した死体のように「穢れた魂」はちゃんと
浄霊(供養)しないと、祖先霊(守護霊)には合体せずに、祟りをもたらす個人霊としてさまよう。
ただし供養は、死体が完全に土に還る33年〜50年という期間をもって終了する。守護霊
になってしまえば、必死に供養する必要はない。だから古墳は2〜3百年で埋葬者が不明に
なる。今のお盆の風習は、この伝統の系譜。

鏡は、個人霊が浄化されて、数10年後にみごと現生の我々を守ってくれるように、祈る思いで
死後の世界に思いを寄せて、古墳に納めたものだと思う。
306日本@名無史さん:2010/05/07(金) 00:11:01
ありていに言えば、三角の西王母は卑弥呼−台与だろう。ある種の系統の三角では、西王母は新しい鏡ほど
大きくなり傘松文様を圧して消し去ってしまう。
307日本@名無史さん:2010/05/07(金) 00:23:31
>>304
多分、那珂八幡古墳の事だと思うけど、ウィキペディアにも「現在のところ布留式土器より古い土器が伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を・・
」の部分引用されてたと思うけど、今見たらなかったw
308日本@名無史さん:2010/05/07(金) 00:23:34
畿内=三角縁神獣鏡文化圏は、丘陵や古墳に霊をまつり、
祖先霊が我々を守ってくれるように祈る文化圏でしょう。

卑弥呼の文化圏は祈祷で政治を行い、死者は屈葬させて
甕棺にしっかり封じ、黄泉の世界から出てこないようにする
だけの文化圏。

だから、全く違う文化圏。
309日本@名無史さん:2010/05/07(金) 00:30:53
>>307
柳田のまとめた九州の初期前方後円墳一覧のだと
早期前方後円墳で三角を副葬するものに
安本との対話の中でも出てきていたが甘木の神蔵
それに宇佐の赤塚があるみたいだ。

宇佐(大分)と言うのはちょっと面白いかな?wwww
310日本@名無史さん:2010/05/07(金) 01:07:48
>>308
>卑弥呼の文化圏は祈祷で政治を行い、死者は屈葬させて
>甕棺にしっかり封じ、黄泉の世界から出てこないようにする
>だけの文化圏。

邪馬台国のころ九州の成人用甕棺はほとんど廃れてるんじゃないかな?
それに九州の甕棺はずーっと昔から(紀元前から)やってた風習だよ。
俺には卑弥呼にはなんか新興宗教の教祖みたいな印象があるんで、
どうも甕棺とは結びつけられないなあ。
倭人伝の卑弥呼の墓(卑弥呼以死 大作冢 径百余歩)もちっとも甕棺らしくないしね。
311水銀厨:2010/05/07(金) 01:34:31
>>296
丹=水銀朱でベンガラではないという主張に対して
反論があるならいつでもどうぞ。

九州説は文献解釈を主にすると聞くのに
丹についてのまともな解釈を
聞いた事がないので是非聞きたい物です。
著名な先生方も殆どスルーですしね。

312日本@名無史さん:2010/05/07(金) 01:41:47
>>311
ベンガラは丹じゃないという根拠が、邪馬台国は畿内だから、というわけだね。
詐欺理論など相手にしないのが、非畿内説。
313日本@名無史さん:2010/05/07(金) 01:46:43
>>312
三〜四世紀の中国で、ベンガラを「丹」以外の何と呼んでいたかを証明してくれ。
314水銀厨:2010/05/07(金) 01:49:14
>>312
文献上ではそう記述されてるからね。
九州説では説明出来ないのなら今の所
スルーしかないのが現状でしょう。

最近の桜井茶臼山での報告でも解るように
考古学上で水銀朱の存在が今後重視されるように
なりますから。
315日本@名無史さん:2010/05/07(金) 01:55:49
>>314
ベンガラの供給地が阿蘇以外のどこにあるのか答えていないようだが…。
316水銀厨:2010/05/07(金) 02:11:23
>>315
通常辰砂を産出する周囲なら採取できる場所が多いはずですが。
弥生時代なら徳島周辺、吉備周辺でしょう。

317日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:17:05
ヨコだが…

「丹=阿蘇のベンガラ」と言うのは「九州説」なんて漠然としたものでなく

『邪馬台国阿蘇説』でいいのかな?
(その昔、藤井甚太郎なる人物が邪馬台国は阿蘇の麓にあったと唱えたらしいが…)

318日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:31:25
阿蘇山に行けない古代九州人って、どんな人たち?
九州のどこからでも行けると思うが。
319日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:34:33
>>314
三〜四世紀に中国でベンガラを、丹と呼ばなかったのではなく、
314が勝手に丹と呼ばないでいるだけなんだが。
320日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:37:47
>>318
じゃあ近くにベンガラを産する場所があれば何処でも良いし

九州のベンガラを本州地域が交易で入手したってものありだなw
321日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:44:08
>>320
いや、違う。
魏から金印を貰えるほどの力ある国家が、阿蘇まで行って殺されたりしないことが
当然の条件だが、畿内からは不可能だ。
322日本@名無史さん:2010/05/07(金) 02:47:11
>>321
九州なら何処から行っても殺されないんだろう?w
殺される地域・殺されない地域の根拠・線引きをきちんと説明してもらえないかな?

畿内説を否定するときには「漠然と九州」なんて甘えるなよとwwww
323日本@名無史さん:2010/05/07(金) 03:07:37
>>322
そうだよ。畿内説じゃ無理だよね。
線引きする前に、畿内説という詐欺理論を先に封じておかないと、学問以前に戻っちゃうからね。
324日本@名無史さん:2010/05/07(金) 03:33:40
>>323
で、結局

「九州の何処からなら阿蘇に行っても殺されずにすむのか?」

…なんて聞かれたら答える事もできない(まあ聞く方も聞く方なんだがw

適当な事ほざく前にきちんと辻褄合わせとけっちゅう話しだなwwww

畿内説を否定するときは「漠然と九州」
そのくせ「九州説」で一括りにされると自説のオリジナリティを認めろと言う。

「畿内説を先に封じておかないと不味い」…確かにそうなんだろうなとw
325日本@名無史さん:2010/05/07(金) 05:53:29
阿蘇=蘇奴国、対蘇国でしょう
阿蘇は非常に古くから拓けており
阿蘇津彦や阿蘇津媛が景行紀には他の地域と違って「神」として出てくることなどからも
九州島内の他の地域とは一線を画した独特の文化を持っていたように思われます
326水銀厨:2010/05/07(金) 06:45:13
>>319
では当時中国側の文献資料でベンガラを丹と記述されている
物を示してください。
少なくとも当時の鉱産物をまとめてある抱朴子には
そのような記述は無いはずですが‥
327日本@名無史さん:2010/05/07(金) 08:10:17
関なんとかって人の本よむと、邪馬台国は近畿にはないと確信できるのは俺だけか?
328日本@名無史さん:2010/05/07(金) 09:12:09
>>327
ここは本を読んで賛意を表明する場ではありません。
329日本@名無史さん:2010/05/07(金) 09:29:55
>>327
本など読むまでもなく
まともな感覚さえ持っていれば
近畿説などはじめからありえない
珍説、奇説の類であることは
だれにでもわかることです
330日本@名無史さん:2010/05/07(金) 09:36:37
>>329
朝から電波を撒かないでください。
331日本@名無史さん:2010/05/07(金) 09:51:38
>>329
いま、九州説そんなにピンチなの?
こないだから、この手の書き込みが多いけど。
332日本@名無史さん:2010/05/07(金) 09:56:38
丹生氏について調べていると
各地に丹生神社があり、その氏族もかなり多い。

丹を求めて各地を探し回っている有様が感じられるが
丹生氏の移ろいはいわゆる鉄や銅よりも執拗に追い求めているような
印象を受けた。

せいぜい墓に塗る程度のものが、どうしてそんなに必要だったのだろうか。
薬用と言っても、重金属による殺菌作用はあるが、毒性も高い。

軍事的、あるいは生活に必須の何かが無ければ、ここまで執拗に
追い求めはしないと思うが、何に必要だったのだろうか。
333日本@名無史さん:2010/05/07(金) 10:49:19
>>331
俺は畿内説だが、
前スレからの九州説の必死さは見てて笑える。
反論する気にもならないからスルーしてるが。

丁寧に反論したところで、この九州説信者は、畿内説否定を吹聴するのが目的だから意味がないんだよね。
このスレ開いた初心者が九州説が正しい、畿内説はインチキと思い込んでも、
それは初心者の通る道と思えば、もうどうでもしい。
こっちは、畿内説で答えが固まってるわけだし。

ただ、九州説に対して、少しだけ反論しておこう。

1、九州に邪馬台国があったなら、その遺跡の場所は?卑弥呼のもらった鏡は何なの?
2、卑弥呼が70年間、平和的に九州を治めてたのに、九州が畿内を傘下に入れなかったり、畿内が九州と連合しなかったのは何故?

明確な回答望む。

334日本@名無史さん:2010/05/07(金) 10:54:21
>こっちは、畿内説で答えが固まってるわけだし

こういうのを畿内厨といいます。皆さん、よく覚えてね。
335水銀厨:2010/05/07(金) 11:14:08
>>332
丹を何に使うのかは、やはり当時中国における
煉丹術の影響が大きいと考えるしか無いと思いますよ。

大和天神山古墳なんて、水銀朱自体が多くの鏡に守られて
墓主にされている点も見逃せません。

当時の煉丹術について体系だててまとめられた
抱朴子が記されたのが317年。倭人伝の年代とも
近接している点も無視できないでしょう。

倭人伝にその山に丹があると記述されるようなら
それを求めて人が殺到する事は考えられるでしょう。
畿内に有力豪族が集中しだす年代とも一致します。
336日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:29:33
>>333
断末魔の悲鳴なんだから、相手にしなさんな。
337日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:43:08
>>333
>>4

明確な回答
338日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:55:51
邪馬台国=畿内説は、学問的、科学的証明よりも、
まず、広報活動(マスコミ便乗)を最優先とするのが大事とされる。

邪馬台国利権に絡む助成金を獲得するためなのか?調査費を獲得するためなのか?
あるいは、その両方なのか?

この連中は、旧石器捏造事件からナニも学ばなかったらしい。
339日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:56:59
ルーピー並みの回答だなw
340日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:58:01
だいたい今どき何で九州説なんかにこだわってるのか。
正しいのは畿内説のみ。畿内説こそ最高の教え。
畿内説信じてれば食いっぱぐれもないし有りがたいご利益もあるし。
さあ、九州説の諸君。君も今日から畿内説だ。今すぐ改宗するのだ。
341日本@名無史さん:2010/05/07(金) 11:58:47
>まず、広報活動(マスコミ便乗)を最優先とするのが大事とされる。

社歌にまで卑弥呼を入れてしまったのがJR九州だよ‥

342日本@名無史さん:2010/05/07(金) 12:21:39
>>333
>>257

そもそも、邪馬台国=畿内説は、調査結果を捏造しない限り成立しない。
邪馬台国利権に群がる連中が調査費や助成金目当てで広報活動しているのが現状。
343日本@名無史さん:2010/05/07(金) 12:22:20
ベンガラは水銀朱と違って無害。
仁丹という薬があるが、あれは以前ベンガラを使っていたことからその名前がある。
ベンガラを丹というほうが妥当かもしれないな。
344太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 13:08:47
改宗なんかしないな。倭人伝に言う卑弥呼の女王(女天皇)が畿内にいたというん
ならそれは畿内での崇神前後の時代に相当するものであり、そのころ記紀を読ん
でも女王(女天皇)が即位したことは記されていない。これは当時畿内に即位
した女王(女天皇)が存在しなかったことを物語っている。女王(女天皇)が畿内
に現れるのは、後代の推古の世であるからして、卑弥呼女王は遠回しに九州に
存在したことを意味して来る。もしも記紀が都合悪いので卑弥呼を隠匿したと
言うなら、隠匿するよりも朝廷が卑弥呼を戦いで下したと記載できるわけ
だから、隠匿する事由はあるとは言えない。つまりこのことは隠匿説がインチキ
であって、記紀に女王卑弥呼の記事が伝からの借り物(神功39年等)以外ないと
いうことは、遠回しに卑弥呼が九州所在だということを確信させる。畿内節は
成立しないね。
345日本@名無史さん:2010/05/07(金) 13:10:27
で、誰も>>333に明確な回答を出せないわけだ。

九州に邪馬台国があったとしたら?

1、九州に邪馬台国があったなら、その遺跡の場所は?卑弥呼のもらった鏡は何なの?
2、卑弥呼が70年間、平和的に九州を治めてたのに、九州が畿内を傘下に入れなかったり、畿内が九州と連合しなかったのは何故?

その後、4世紀に畿内に大和王権ができる理由は?

A、九州と無縁だった畿内に大和王権が興り、一気に九州を傘下におさめた。
B、九州は卑弥呼の統治時代の70年間、畿内を無視してたのに、4世紀に東征し、急激に近畿を制圧した。

A,Bどちらも考え難い御伽噺ですね。



346日本@名無史さん:2010/05/07(金) 13:24:06
>>335
>大和天神山古墳なんて、水銀朱自体が多くの鏡に守られて
>墓主にされている点も見逃せません。

それ自体は、いわゆる水銀朱をオブジェと見立てていることになり
実用的な価値が高いのか低いのか不明だ。

国内で墳墓の塗料程度にしか使われていないならば
そこまで追い求める必要はない。

糸魚川の翡翠のような扱いかも知れないが
それは国力が上がれば、宝石は増えてくるだろうが
翡翠があったからと言って、国力が上がるわけではない。

中国に対しての輸出財に使ったとすれば、国力増大の手がかり
になるかも知れないが、日本産水銀朱が中国で見つかった
という情報は、今のところ自分は知らない。
347太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 13:34:40
>>333
1 だから遺跡の場所は九州以内だよ。これだけは確かだぜ。それより詳しくは
  今後の研究によればいい。卑弥呼のもらった鏡は金属製の鏡だろ。それだけ
  のことよ。
2 当時の畿内と九州は別国だよ。しかも日本の中国地方の距離にて交易が朝廷
  と卑弥呼の国との間でなかったということだ。当時半島から畿内に遣使の
  行き来はあったであろうから、卑弥呼の女王国は九州でもあまり交通の少な
  い隔絶された地域にあったということ。となれば、北九州は考えにくい。
  しかし北九州でも遣使等の通りにくい行き来の少ない場所はないわけでは
  ないから、少しばかり北九州も可能性は残ろう。

鏡がどうのこうの言ってるようだが、△は日本製となればなおさら卑弥呼のもら
った鏡とは言い難い。畿内あたりの△はおおむね朝廷関係の鏡である。倍暦の
逆算から

 紀の崇神即位七年〜九年=崇神即位3年=239年=景初3年

が実年代となる。これは 紀の崇神六年=238年 の天皇の同床共殿での摸疑の
別鏡の祭祀による畿内人民への右へ習え的で造った鏡が畿内出土の△だという
ことだ。その翌年が239年に相当する。これは唐松山の 景行元年=239年 として
は別鏡殿内奉安が紀の崇神六年のことだから、奴の論では△の説明が出来えない。
つまり奴の論はデタラメで整合していない。
348水銀厨:2010/05/07(金) 13:35:25
>>343
仁丹は明治になってからの製品ですよ。
少なくとも江戸時代以降の日本では丹といえば
ベンガラや辰砂といった「赤土」の総称の意で
丹になっています。

言うまでも無く倭人伝の時代、中国で丹とは
辰砂(硫化水銀)の事です。
349太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 13:38:37
大和朝廷が出来た神武の代は1世紀だよ。4世紀は300年代だから、景行の代の
初期のころ以後だぜ。
350サガミハラハラ:2010/05/07(金) 13:42:40
>>333邪馬台国は、佐賀県小城市甘木ですよ。卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。
ただし邪馬台国は230年代に遷都しており、小城甘木以前の都は同県吉野ケ里です。
卑弥呼の鏡については、各国に分与されたものとおもわれます。ただし、卑弥呼の墓は未発掘のため
どのくらい卑弥呼の手元に残されたかは不明です。
邪馬台国は倭を代表する国ですが、倭全体を支配していたわけではありません。
南の熊本県北部にあった狗奴国にすらてこずるくらいの軍事力ですから。
連合しなかったわけは、連合しなければならない理由がないからですよ。

邪馬台国小城甘木説については当スレの邪馬台国小城甘木説に詳しく説明してあります。

351水銀厨:2010/05/07(金) 13:45:35
>>346
>それ自体は、いわゆる水銀朱をオブジェと見立てていることになり
実用的な価値が高いのか低いのか不明だ。

少なくとも並みの鏡や人間以上の扱いをされているのには
間違いない事です。

水銀朱の精製した後を追っかけるのは困難でしょう。

古墳に使われるのなら兎も角、金メッキや飲用といった
用途なら追跡不可能でしょう。

仁丹で思い出したのだが、倭人伝に出てくる倭の産物である
真珠というのは、辰砂の表面についている自然水銀の結晶の事
というのが持論なんでね。
それこそ仙薬扱いなんじゃないの?

352日本@名無史さん:2010/05/07(金) 13:47:49
>>350
>連合しなかったわけは、連合しなければならない理由がないからですよ。

九州は、畿内と連合する理由はないかもしれないが、
畿内は鉄が欲しいから交易をもとめて、九州と仲良くしようとするのではないかね?
しかも、卑弥呼は平和的に九州を支配してたそうだから、畿内を拒む理由はないし、
クナ国と抗争してたなら、なおさら同盟国が多いほうが良いにこしたことはない。

卑弥呼の時代に、九州と畿内が同盟してなかったというのは考え難いわけだよ。
353日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:15:20
>>345
あのな、おまえは考え違いしとるぞ。
九州説にしろ、まだ完全解決したわけではないぞ。
なんでもかんでも解説を求める方がおかしい。
354日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:24:32
>>350
>邪馬台国は、佐賀県小城市甘木ですよ。卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。

他の九州説の方へ。これ(↑)は正しいですか?
355サガミハラハラ:2010/05/07(金) 14:26:58
交易には見返りが必要です(朝貢とは違います)。畿内からは提供するものがありますか?
それよりも、どうやら瀬戸内海は通行ができがたかったようです。つまり海賊まがいの連中が跋扈していたようなのです。
よって、日本海ルートとなりますが、畿内大和が日本海へのルートをおさえたのは、3世紀後半スジン天皇のじだい、四道将軍
の活躍までまたなければなりませんでした。
ようするに同盟云々以前に通行できたいなかったということになります。瀬戸内海の豪族をおしのけながら九州まで達し、狗奴国と戦えるなどとてもとても。
また狗奴国との抗争に、当時の大和は武力も弱くやくにたたなかったでしょう。同盟は相互に利がなければ成り立たないものです。
356日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:35:12
>>355
>交易には見返りが必要です(朝貢とは違います)。畿内からは提供するものがありますか?

そんなに畿内が弱小であれば、どうして4世紀に畿内王権ができて九州を凌駕したんだい?
サガミハラハラは東遷説じゃないはずだろ?

九州の邪馬台国は、勝手に自滅したとでもいうのかな?
357日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:41:54
358水銀厨:2010/05/07(金) 14:43:04
>>355
>畿内からは提供するものがありますか?

それが辰砂、水銀朱ですよw
大陸勢力の勢力が一番欲しがる物といえば。
倭人伝の記述で知られるようになると
畿内に集中するようになるのはその為です。

日本海側にも丹のルートがあったのは
丹波という地名やお水送りの作法をみても明白でしょう。
359太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 14:43:05
4世紀に畿内が九州を凌駕なんかに至ってないでしょう。それは確かに景行九州
行幸とか日本武尊の熊襲征伐なんかあったわけだが、このくらいですよ。この
とき畿内が九州を支配したものではないですな。景行と日本武尊の件は一時的な
ものですよ。畿内が九州を完全的に支配したのは記紀成立の直前頃ですよ。神功
が北九州へ出向いたのは三韓に問題があったからで、この時代に九州支配までは
至ってないですね。
360日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:44:53
水銀厨の丹=水銀説は本人の妄想で、ベンガラも水銀も丹なわけだが。
畿内説らしい詐欺論証。根拠なし。
サガミさんの九州説も立派な九州説。
そんなことより、詐欺理論の畿内説を排除することがまず先決。
361水銀厨:2010/05/07(金) 14:47:42
>>360
>ベンガラも水銀も丹なわけだが。

ではその根拠をどうぞ。
どうせ釣りだろうが反論ならもう少しまともにね。
362日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:48:04
>>29

>おそらくはこれらの小国家連合群を一気に統一できる力を持った外部からの侵入者によって大和朝廷がたてられ

勝手に「外部からの侵入者」を想定するなよ。
その「外部からの侵入者」はどこなんだい?
363日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:49:56
>>360
>そんなことより、詐欺理論の畿内説を排除することがまず先決。

連休中からずっと吼えてますな。

なにかそんなに九州説に危機感を覚える出来事でもあったの?wwwwwwwww
364日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:54:40
>詐欺理論の畿内説を排除することがまず先決。

とうとうこんな事しか主張できなくなったんだね‥
20年前とは時代が変わったんだよ。
365日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:55:56
>>29
つまり景行や神功が外部からの侵入者ってわけ?
朝鮮半島南部から九州に上陸して北部九州をあらかた平定したあと
神功が九州で産んだ応神がそのまま畿内に東進したと?
う〜む・・・
366日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:57:32
神功って葛城の媛のはずだけど。
367日本@名無史さん:2010/05/07(金) 14:58:20
>>361

「丹」は水銀を意味すると、
抱朴子に書いてあると言ってたのは君だったかな?

で、岩波の抱朴子を入手して調べてるんだけど、どのへんに書いてありますか?

368太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 14:59:58
畿内に卑弥呼の女王国があったと仮定すると、後代の日本の南北朝の如く
畿内に朝廷の男王国(男の天皇国)と卑弥呼女王国の二極支配が畿内の中
にあったことになり、男王国の朝廷側と卑弥呼の女王国の間で何らかの
交易とか戦争だとか結婚だとかの交流、葛藤があったことが記紀の崇神の
ころあたりに記述があってしかるべきであるが、これが無い。

ということは畿内に卑弥呼の女王国がなかったからこれらの関係たる記事
がないわけであり、畿内に卑弥呼の女王国が男王国(天皇国)と肩を寄せ
あって畿内に並行して存立していたのではないことを物語っている。

ということは、遠回しに卑弥呼の国が畿内とは別地域の九州に存在して
たことを意味してるのだ。だから記紀に卑弥呼の国の記事がないわけ
である。
369日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:04:43
>詐欺理論の畿内説を排除することがまず先決

正しい九州説を正々堂々と理論的に述べることの方が先決だ。
370日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:06:28
>>362
>>257

古墳時代のは外部からの勢力。
371水銀厨:2010/05/07(金) 15:14:36
>>367
手元に現物が無いので詳細はわからないが、
内篇の仙薬の項目。
丹紗は金にならなければいけないはずです。
つまり硫化水銀を含む辰砂の事です。
372日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:14:52
>>367
抱朴子
岩波文庫p70

「丹砂を焼くと水銀に成る」

ベンガラとは区別してるようだな。
373水銀厨:2010/05/07(金) 15:32:12
何度もいいますが抱朴子の編纂年が317年で
正に倭人伝の直後くらいに書かれている書物です。

当時の神仙思想、道教思想についてまとめられた本であり、
また中国の鉱産物における認識の基本です。
余談ですがこの本の鉱産物に関する記述が
後の爆薬の発明に繋がると言われています。

当時の中国目線で文献資料を語るなら
この本位は目を通しておくのは基本だと思いますよ。
374日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:44:15
中国皇帝は、水銀を不老不死の薬と信じて飲んでたらしい。

魏志倭人伝に「丹」と特記してあるなら、ベンガラなのか水銀なのかどっちつかずの意味ではなく、
「丹=水銀」という意味で記載したと見るべきだろな。

375日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:46:58
で、弥生時代に水銀が採れた場所はどこだって?

376水銀厨:2010/05/07(金) 15:55:14
>>375
採掘跡が現在確認できているのが徳島と紀伊半島です。
最新の調査で水銀朱精製跡なら紀伊半島の吉野で
縄文末期のものも見つかっていますよ。
377日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:58:35
>>376

具体的に、どこの遺跡ですか?
後でもいいので、教えてください。
378水銀厨:2010/05/07(金) 16:18:20
>>377
有名な所では徳島の若杉山遺跡、紀伊半島は多気郡勢和の丹生鉱山。
宇陀にある大和水銀もおそらく弥生時代には採掘されていた
形跡があるとされています。

水銀朱精製跡で最古なのは吉野郡川上村迫にある宮の平遺跡。
丹生川上神社の境内から縄文期の石皿が出土しています。
379サガミハラハラ:2010/05/07(金) 17:07:27
>>356始めは一部落ぐらいであったが、次第に勢力を拡大し有る時期から周辺に対抗できる勢力がなくなったことから、九州まで一気に拡大したわけです。
その次第に勢力を拡大している最中はさしたる遺跡遺物がなく、一気に拡大したあたりから遺跡遺跡がみられたことから、この時期に外部から新勢力がやってきたと
世間知らずの学者は考えたわけです。この勢力の一気の拡大は現代の会社でもみられ、ダイエーやヤオハンなどは、一軒の小さな店から始まり、有る程度大きくなると、一挙に
全国展開をしたことはよくしられています。最初のころの建物ナゾはもうとりこわしたり建て替えたりしてもうないでしょう。
大和朝廷が九州に達したとき、九州の邪馬台国連合はかつての強力な統制力はなく(邪馬台国は自滅していたとでもいえましょうか)、大和朝廷とは武力による征服ではなく、連衡という形をもって統一されたようです。
やがて、九州勢から話が違うという反発がおき、景行天皇の代に反乱がおきたわけです。
380日本@名無史さん:2010/05/07(金) 17:28:44
>>327
関裕二か

今、古代史邪馬台国関連で一番本を売っている人間かもしれない
本屋に行けば文庫本やムック以外にもハードカバーの本も結構置いてあるからなあ…

もっとも九州説といってもこの板じゃあ
同じ九州説の連中からも相当嫌われているみたいだ。
(いやむしろ同じ九州説だからこそか?w)

はたから見ればどちらも「オレサマ・ストーリー」を語ると言う事では同じ
ストーリー・テーラーとしては関の方が何枚も上(まあプロなんだから当たり前だがw)

関のスタンスはここの九州説の大方と違って
現在の考古学の成果を肯定的に捕らえ
(むしろ自説を補強する材料のように見せかけて)
そこから物語に入っていくw

いきなり何処かからかポンと切り替わると言うより
グラデーションを描くように気がついたら関ワールドのストーリーの中とwww

しかし本を閉じて冷静に考えれば
「畿内ヤマトのトヨによる九州邪馬台国のヒミコ殺し?お前はその目で見たんかい!」
となるもんだがw
381380:2010/05/07(金) 17:40:59
武光なる人物も関と同じく文庫やムックを多く書いているみたいだが
こっちも邪馬台国に関しては考古学を積極的に取り入れていると言うか
ここの九州説のように年代観で争うなんて事はしていないようだ。

今の九州説も実際には、ここと違ってもはや九州邪馬台国と纏向が
併行していたことを前提と言うのが主流なんだろう。

ついでに言うと東遷説も奠都説にシフトしていると…

九州王朝説は考古学全体が初期ヤマト王権が「ゆるやかな連合体」であったと言う認識になって
その存在意義を失ったとw

ガチガチのヤマト中心主義に対してこそ一種アンチテーゼとしての存在価値があったんだと思うwwww

結論としてはここの九州説の傾向はチョット異常。
この板の九州説を見てリアルの九州説と重ね見たらとんでもない事になるだろうwwwwww
382日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:11:47
>>380
>畿内ヤマトのトヨによる九州邪馬台国のヒミコ殺し

へ〜、そんな説あるんかw
383日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:14:52

トヨタン・・・・・・・・・・
 
384日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:16:45
トヨは炉利だからヒミコ殺しやってないでしょwww
385日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:24:31
>>369
そうだな。北九州説はどうみても行程記事と合致しない。
行程記事どおりに進んで伊都国=佐賀であることに気づくことだ。
それに気づきさえすれば、あとは問題ない。放射説で投馬国は薩摩、
邪馬台国は日向だよ。
最近の遺跡の状況もそれを裏付けている。
386日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:52:24
>>385
>投馬国は薩摩、邪馬台国は日向だよ。

薩摩は日向より南になるわけだが、
その説の場合、
「 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」
の記述をどのように解釈するの?
387日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:59:32
>>381
邪馬台国と伊都国のダブル首都か
388日本@名無史さん:2010/05/07(金) 19:09:43
謎が多い狗奴国

魏志倭人伝では、邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。その名称から奴国の分国か?

「男王の卑弥弓呼がおり、官を狗古智卑狗と言った。
邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼は戦闘状態にあったが、この戦いの最中に卑弥呼が死去した。」

その後裔は、邪馬台国に敗れ滅んだのか?
逆に邪馬台国を滅ぼし、東征してヤマト王権の母体となったのか謎のまま〜

で、後の倭の五王の時代に入ると、
記紀神話に登場するヤマト王権に抵抗した熊襲の土地から、金銅の装身具類や大王の銘の入った鉄剣が見つかってる。
嫌味なくらい派手な中国製、朝鮮製の副葬品にびっくり。これが本当にヤマト王権に抵抗した蛮族の酋長かよ?

http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/kumamoto/kumamoto_k3.html
江田船山古墳
389日本@名無史さん:2010/05/07(金) 19:13:01
207   名前:  ローガン   2010/05/07(金) 15:18:59   ID:z1ok9YjQ

>>227:日本@名無史さん 2010/05/05(水) 22:26:46 AA
>森博達教授は述べる。
>そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、「建安詩」「正始詩」の時代として文学史上高く評価されている。
>詩は銘と同じく韻文であり、音韻の知識も深まっていた。
>卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、まさにこのような詩文隆盛の時代である。
>そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、次のように詔した。
>「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。
> それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」
>この荘重な詔書とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、魏鏡論者は主張する。
>魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
>「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
>こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。
>三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。森博達教授の研究に対する考古学からの説得カある反論はまだ出ていないようだ。

しかし幼稚だなあ。君、下でも同様の書き込みしてるだろ。
自分のレス内容、検証した? 某サイト鵜呑みにしてるだけじゃない?
じゃあ聞くが、貴レスの論調でいけば(つまり押韻の件だ)下記のどちらが君の云う所の「アホ」だ?

1 張是作鏡甚大好 上有仙人不知老 渇飲礼泉飢食棗 保子宜孫位至侯 王買鏡者富且昌

2 太歳在丁酉時加未 師鄭豫作明竟 幽凍三章乃而清眼 服者大得高遠 宜官位為侯王 家□□□ 家吏居已□□□孫子也

さあ、どう? 君に返答出来るかな? 因みに1は黒塚の13号鏡、2は紹興出土建安廿二年重列神獣鏡
390日本@名無史さん:2010/05/07(金) 19:24:14
>>389
で、チミの森博達に対する説得カある反論はまだ?
391日本@名無史さん:2010/05/07(金) 20:12:21
水銀朱って、古墳のいくつかに撒いただけで
枯渇するくらい希少な物なの?

中央構造線沿いに鉱脈はけっこうあるし
最初は露頭した鉱脈を見つけるところから
はじまるだろうから、それを取り尽くすほど
大量に必要だったのか?
それとも、殆どの鉱脈は非常にわずかしか採掘できず
たまたま畿内の鉱脈が大きかったのか?

あと、水銀朱は朱顔料として使ったのか、
それとも金属水銀にして使ったのか?
392まけまけ:2010/05/07(金) 20:29:56
あ、豊年万作、よーいとな。はっ。
393スポロン:2010/05/07(金) 20:30:48
はっ。
394日本@名無史さん:2010/05/07(金) 21:49:09
公孫氏と交流のあった伊都国王は、魏による公孫一族大虐殺を目の当たりにし、
自分達も同じ目に合うのではないかと恐れた。そこで、伊都国王が立てた政略とは―

1.魏へ朝貢し、敵意がない事を示す
2.亡命先の用意(吉備や伊勢に協力を仰ぎ、畿内に副都を建設)
3.魏の目を欺く(距離や方角を偽る、仮想大国を作る、など)

伊都国王が倭国の盟主であるなら、魏の攻撃目標は伊都国となるであろう。
それを避けるため、邪馬台国という架空の大国が倭国の盟主であるかのような情報を流し、
万一魏が攻めてきても、ありもしない邪馬台国を目指して南に進軍している間に、
伊都国王一族は東の副都に逃亡するという策略である。
さらに、九州南部の狗奴国と魏が交戦すれば、伊都国にとっては好都合。
こうして邪馬台国伝説が生まれたのであった。

ところが、伊都国にとって大誤算だったのは、魏に倭国侵略の意思がなかったことと、
亡命用の副都だったはずが、吉備・伊勢などがヤマト連合国を作ってしまったことである。
そうして時代は新たな幕を開けるのであった - 完 -
395日本@名無史さん:2010/05/07(金) 21:58:59
>>372
「丹」の解説じゃなくて、たった一言「丹砂」の話だけだね。
「丹砂」なんかどうでもいいんだよ。
ベンガラを中国人に見せれば丹以外に表現できない。

以上、畿内詐欺の証明は破綻しました。
396日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:05:10
出雲についてなのですが・・
出雲の本拠地が島根を中心とする山陰地方であったことは疑い余地がありません。
しかし、出雲の支配地域は出雲地方だけだったのでしょうか?
出雲はベネチアのような海商国家だったため、多くの海湾都市に拠点があったはずです。
出雲、鳥取、舞鶴、敦賀、加賀、珠洲岬、出雲先、阿賀野川、鶴岡、仁賀保、男鹿(賀)、鳥海山、津軽(都賀留)・・
出雲と類似の地名、「鳥」、「鶴」、「賀」を含む地名は出雲と関係がありそうです。
日本海側の主要な港湾都市を手中に納るとともに、太平洋側にも、たとえば伊豆や大阪の和泉といった拠点があったのです。
397日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:16:51
>>395
>以上、畿内詐欺の証明は破綻しました。

それじゃ自分で負けを認めてる事になるぞ‥


398日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:21:33
399日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:34:12
>>398
お前、>>397の意味解ってないだろ。
相当な馬鹿だなwww
400日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:39:37
>>398
君に文献の解釈は無理だよ‥
401日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:44:33
このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

※尚、棺桶から這い上がろうとするゾンビ(畿内厨)が確認されてるので注意されたし。
402日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:45:15
とうとう狂ったかw
403日本@名無史さん:2010/05/07(金) 22:48:08
>>396
どこかで読んだのだが、出雲は近江が本拠地で、大和地方も元は出雲系だったが、
国譲りで今の出雲に移ったとか。
(真偽はわかりません)
404日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:08:52
>>403畿内を神武に譲ったのも、出雲には国内に拠点が他にもたくさんあったからだ。
神武の率いる勢力は、出雲よりも優れた技術や文化をもっていたので畿内を居住地として与えたということだ。
当時、出雲が日本を統一していたわけではなく、あくまで港湾都市だけの点の支配でしかなかった。
それを鉄の文化や漢字という文字、律令制度といったすぐれた支配制度をもつ神武の一族を利用することで、
出雲族がこれまで支配できなかった内陸部まで支配地域を広げようとしたのだろうと思います。

神武は出雲に利用されたのだ。
405日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:14:53
大体ここのところ「詐欺」だの「利権」だのわめいているアホはサイキバだろw

ローガンも物好きと言うか
こんな馬鹿からまともな反論来るわけないのは分かっているだろうにwww


406太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 23:22:13
何だろ? サイキバって? よくこの書きこみあるが分からんな?
サイキック・バカという意味なのかな?」
407日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:26:27
このスレでサイキバ、サイキバって吠えてる馬鹿はなんなの?
この書き込みの意味が不明なんだが?
408祭器場君誕生:2010/05/07(金) 23:27:37
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)
409日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:33:38
>>408
何時までも誰も知らない昔の話をして楽しいのか?
お前相当知能が低いな。
410日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:36:36
邪馬台国=畿内説を支持する人々

「日本書紀」の編者たち

・邪馬台国は神功皇后の時代
・女王卑弥呼=神功皇后
・神功皇后は畿内大和にいた。

北畠親房(南北朝時代)

「神皇正統記」卑弥呼=神功皇后、邪馬台国=畿内大和説。

内藤湖南(京都大学)※魏志倭人伝の「南」を「東」とする黒幕

京都大学系のマスコミ便乗派研究者、マスコミ便乗派考古学者、新聞・マスコミ
奈良国立文化財研究所、マスコミ便乗派考古学主導の邪馬台国=畿内説
411日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:43:00
>>408
馬鹿っぽいwwwを、毎日欠かさずにおまえがサイキック・バカかと
412日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:43:49
>>408

そんな事件があったのかwwww

考古学もろくに知らずに畿内説に噛み付く能天気な九州説の典型なんだろうな。
413日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:47:35
>>412
自分の書き込みにレスを入れるのが
wwwでお馴染みのサイキック・バカ
414日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:47:45
ここの九州説が心底ゴミクズなのは自説が不利なのを
>>410のような一種の陰謀論に逃げるところだなwww

利権?一体何の話だ?

先に出てきた関にしても邪馬台国ネタで稼ぐ作家と言えば
今も昔も九州説。

「名を売る」と言うのなら安本や古田なんか邪馬台国ブームの産物の双璧と言っても良いだろうw
ブームの火付け役、松本清張は古代史の本でどれくらい稼いだのか?

…と言えば「作家や学者がその著作で利益を得て何が悪い」
と言う反論があろうが、その通りで、それは今の畿内説の学者がタッチしている出版物にも言えること。

もっとも邪馬台国ブームの頃に比べれば市場規模は比べるべくも無く萎んだんだろうがwww


415日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:50:14
サイキック・バカは今後無視だな。
416太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/07(金) 23:52:15
卑弥呼が神功の時代でないことは確かですね。

〜〜そうすると内藤湖東の名がよかったのかね?w〜〜

卑弥呼の時代は崇神の代で、倍暦の逆算から

 崇神即位元年=237年=景初元年

です。このことは崇神没年が258年との説をとった橋本増吉、菅政友
の説がほぼ正しかったことを意味しており、同じく倍暦逆算にて
崇神没年=259年 を算出しています。

だから△の景初3年の年号は、倍暦から239年で紀の崇神七〜九年に
相当し、前年の238年=紀の崇神六年 に崇神の模擬鏡奉安の祭祀が
あったことから鏡に翌年の年号があり、朝廷の取り巻きが右へ習え
式に模擬鏡を各自祭祀した延長が、△が畿内の古墳から出る理由で
して、これらは卑弥呼の鏡ではないですよ。

このことは景行が模擬鏡奉安をしてませんから、唐松山の言う
景初3年=239年=景行元年 の主張は嘘で完全にデタラメですよ。
417日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:53:12
>>410
そこの馬鹿に聞きたいんだが…

今の邪馬台国論争の状況は畿内説の学者とマスコミの結託によるものだと言いたそうだが…

その昔、邪馬台国ブーム華やかりし頃にはマスコミは九州説の心強い味方だったと思うのだが
(それこそ漫画・小説に至るまで九州説が主役だったと思うが)

仲たがいした原因は何なのかな?


418日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:54:50
サイキック・バカは、毎日張り付いてwww付けるガチキチ。
419日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:58:12
佐伯場とは何か?という問題ですね。
霞ヶ浦の北に佐伯の手鹿(タガ)、疏弥比古(ソネビコ)が住む ・佐伯の鳥日子(トリヒコ)をヤマトタケルが滅ぼす <常陸風土記>
つまり、関東の蝦夷です。
420二 ◆.L.MXSPOgc :2010/05/07(金) 23:58:38
>>214
今年は平城京遷都1300年記念で、なにやらイベントやっているらしいですね。
行きたいのですが、おそらく無理だろうな。

私は九州説ですが、よければ私説をご覧ください。
http://yamat-2007.blogspot.com/
421日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:59:22
>>417
サイキック・バカは白鳥庫吉と内藤湖南の邪馬台国論争も知らないのか。
無知で馬鹿で底辺なのは分かったから氏んでいいよ。まじで
422日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:04:30
211   名前:  ローガン   2010/05/07(金) 23:08:51   ID:z1ok9YjQ

>>390:日本@名無史さん 2010/05/07(金) 19:24:14 AA

>で、チミの森博達に対する説得カある反論はまだ?

うわ〜 せっかく貼ってもらったのに… レス、読めないのねえ。
つまり、押韻云々が中国鏡かどうかの根拠には使えないって事。
と言っても理解出来ないだろうなあ。

その後の九州説派の書き込み見ても酷すぎ。規制解除になったら取り敢えず、九州説応援にまわります。
畿内説、覚悟!
423日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:09:33
>>421
うーん「サイキバ君」に敏感に反応しているところを見るとサイキバ君本人かな?w

で、なんでブーム以降の話をしているのに

ここで白鳥庫吉と内藤湖南のお話しが出てくるんだ?

一体お前の脳内の論争史の時系列ってどうなってるんだ?
言えば言うほどドツボにはまるサイキバ君であったwwww

マスコミが大衆の興味を引くために
面白おかしく紙面に古代史のネタを取り上げるのは
今も昔も同じ。

今のマスコミの報道姿勢の批判をするのは結構だが
それにより畿内説が成り立っているだのいないだのの幼稚な陰謀論の如きは

じゃあブームの頃の九州説はどうだったんだよ?
って突っ込まれて終わり。

アホの自爆芸そのものwwww
424日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:10:50
>>421
白鳥庫吉と内藤湖南だって???
そんな大昔の論争が現代に何の役に立つのかね?

425日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:11:45
考古学で飯を食っていくのは難しい。
大学で考古学をやっても、地位を築くには学閥がある。
博物館に勤務したくてもやはり閥がある。
公務員として考古学をやる専門職に就こうとしても、派閥がある。

どの場合でも、畿内説論者だと、非常に有利である。
しかし、その説は唐の手前、畿内説で九州倭国の系譜を隠した
記紀の隠ぺいが原因であり、学問的な根拠は全くない。

だから、畿内説を擁護するために、詐欺理論が使われる。
426日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:13:26
=====================================================================
=====================================================================

このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

※棺桶から這い上がろうとするwwwでお馴染みのサイキック・バカが貼りついているので注意されたし。

=====================================================================
=====================================================================
427日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:14:56
すぐに陰謀論を語る人は、被害妄想、統合失調症の疑いがあるみたいよ。

あ、人格攻撃じゃないよ。事実を指摘したまでで。
428日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:16:27
>>426

連休前から、一日中張り付いてるのかよ?wwwwwwwwww

他になにかすることないの?
429日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:20:22
>>425
>畿内説で九州倭国の系譜を隠した

…って、そりゃいわゆる「九州王朝説」だよな?w

これも基本・九州王朝説論者のサイキバ君の芸風。

こいつの言う「畿内説」と言うのは単に「邪馬台国畿内説」にとどまらない
九州王朝説に対立する通説・常識、全てが畿内説wwwww



430日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:24:00
>>425
考古学界では畿内説だと有利で九州説だと不利なんですか?
本当にそんなことがあるんですか?
そんなの科学でも学問でもなくただの思想統制じゃないですか。
そんなことがあるなんてちょっと信じられませんね。
431日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:30:30
>>421

で、なんで邪馬台国ブーム以降のお話に
白鳥庫吉と内藤湖南の論争が絡んでくるのか?

自身の脳内で完結しているのかもしれんが
こっちもテレパシストじゃないんで説明してもらえないか?w

いくらなんでも、まさかとは思うが慌てて邪馬台国ブームや白鳥・内藤の年代を調べてる
…なんてことは無いよな?
432日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:33:45
透明あぼ〜ん推薦「w」「w」

サイキック・バカの書き込みが浄化されます。
433日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:39:57
=====================================================================
=====================================================================

このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

尚、棺桶から這い上がろうとするwwwでお馴染みのサイキック・バカが貼りついているので注意されたし。

(対処法)

NGWordに「w」「w」を追加。(透明あぼ〜ん推薦。)

これにより、棺桶から這い上がろうとするサイキック・バカが綺麗に浄化されます。

=====================================================================
=====================================================================
434日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:42:01
サイキバの由来って初めて知ったけど
確かにあれじゃまともな文献解釈は出来ないよな。
誹謗中傷しか出来ないのもある意味可哀想だ。
435日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:42:08
レスを上の方からざっと読んだ。二つ感想を。

(1)三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡かそれとも国産かが話題になってるが
それは邪馬台国所在地論争にはほとんど関係ない。
所在地に関係するのは三角縁神獣鏡の制作年代だ。

(2)「丹」がベンガラかそれとも水銀朱なのかは興味深い論点だが
もしベンガラならこれも邪馬台国の所在地論争にはさほど影響ない。
しかし水銀朱ということなら畿内説有利で九州説は不利になるだろう。
436日本@名無史さん:2010/05/08(土) 00:49:33
>>435
サイキック・バカさん、こんにちは!

△が国産となると地すべり的に畿内説は崩壊するよ。
だからサイキック君は必死。

水銀朱については、日本全国の多数の地点で採取可能性があるので、
畿内説に有利というのも無理。
437435ではないが:2010/05/08(土) 00:59:51
こらこら火病起こして誰彼構わず噛み付くなサイキバ

>>436
>△が国産となると地すべり的に畿内説は崩壊するよ。

どうやって崩壊するのかな?
具体的にそのプロセスを言ってみ?

「三角は国産です。それは3世紀畿内ヤマト=邪馬台国がばら撒いた鏡です」

で終わる話。

無論、魏からの下賜品でないのなら直接的な証拠からは一歩後退するが
(それは即ち九州説が即死を免れること)
既にヤマトが九州も含め鏡をばら撒いていると言う事実は
状況証拠としては有利には働いても不利になる事は無い。

と言うか畿内説を否定する材料にしたかったら

 「先行する画文も含めて3世紀邪馬台国の時代に届かない」

・・・と言う事を立証して見せよだよサイキバ君?
438日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:02:05
>>436
早く死ね。
439水銀厨:2010/05/08(土) 01:05:33
>>435
丹について興味を持ってくれるのは嬉しいです。
丹=辰砂という事は、当時の文献資料を見る限り
間違いない事だと思いますね。

あと真珠、倭人伝の記述にもありますが、抱朴子にも
はっきり仙薬の項で記載されています。

大きさが一寸以上(約3cm)以上の物を用いよ、とありますから
海の真珠の事ではないのは明白です。
これは水銀の結晶を含んだ辰砂の塊の事でしょう。
辰砂で拳位の塊が取れると皆大喜びしたという話とも一致します。

>>436
君の主張だと鉄についても各地で発掘可能性があるので
九州説有利の材料にならない、という事ですよ。

それに私は△鏡国産説ですが。
440日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:22:33
福岡県糸島郡二丈町に、一貴山銚子塚古墳というのがある。
築造年代は4世紀後半となっている。

鏡は10枚出てきており、2枚は中国鏡とされる。方格規矩鏡と内行花文鏡で、
頭の部分におかれていた。この2枚は手擦れがひどく、2世紀ほど使用して棺に
納められたらしい。

あとの8枚は三角縁神獣鏡で、4枚づつ両脇の部分に添えられていた。
やはり、三角縁神獣鏡の3世紀代はかなり無理があると思う。

http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/iseki/tyosizka.htm
441435:2010/05/08(土) 01:26:52
>>437
>「三角は国産です。それは3世紀畿内ヤマト=邪馬台国がばら撒いた鏡です」
>で終わる話。

そういうことだ。
国産説の王仲殊氏は制作年代を古く見ておりほぼその意見だ。

>>436
人違いだ。
それから古代水銀朱は南武志氏のイオウ同位体比分析による産地同定が進んでいる。
現九州国立博物館・博物館科学課長本田光子さんの優れた研究もある。
人を煙に巻くような「日本全国の多数の地点で採取可能性がある」は素人誤魔化しだ。
442日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:36:19
>>440
>やはり、三角縁神獣鏡の3世紀代はかなり無理があると思う。

この行より上はOKだが、この部分は恣意的。鏡好きの伊都国のヤマト王権協力者に4世紀になっても作ってやった
と見るべき。

>>441
イオウ同位体比分析は現段階では精密には生産地は特定できないだろう。今後の研究に期待。いうように、鉱床がある
ことと、生産していたことはまったく別の話。
443435:2010/05/08(土) 01:40:42
>>440
最後の一行

>やはり、三角縁神獣鏡の3世紀代はかなり無理があると思う。

がひどく飛躍した結論だと自分で思わないか。
方格規矩鏡と内行花文鏡に伝世を認めるなら
三角縁神獣鏡にも伝世の可能性を考慮してみてもよいではないか。
或いは踏み返し鏡の可能性もあるかもしれない。
444日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:43:52
水銀朱が”ある”ことと”採掘加工”しているのは別の話
中国所には、丹あり、としか書かれていない。
445日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:46:52
>>439
水銀朱は大変貴重だと言うけれど、何を根拠にそう言っているのかわからない。

畿内説の人は、畿内から出たものは非常に高く評価するが、そうでない場合は
ほとんど無視というケースが良くある。

例えば、下池山古墳から仿製の大型内行花文鏡が出たとき、下池山古墳の
調査概報は「それは当時のハイテク技術の勝利であり、奈良時代の大仏鋳造
に匹敵するぐらいの国家的大事業であったと言えよう。」と最大級の賛辞を
贈ったといわれるが、それより大型の平原の大型仿製内行花文鏡については
あまり語らない。国宝になったと言うのに。

淡路島で見つかった鍛冶遺跡についても、「国内最大級」という表現には、
若干の疑問がある。数点かそこらの鉄器しか出てこない遺跡を国内最大級と
言っては、数百点、あるいは千点を越える鉄器の出て来る九州の鍛冶遺跡は
どうなるのだろうか。

畿内説の発表する形容詞には、十分気をつける必要があると思う。
446日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:49:13
>>444
普通「丹あり」と書けば、その存在を知ってて使用していると考えるのが普通だ。うすら馬鹿。
447日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:49:53
>>443
方格規矩四神鏡と内行花文鏡には、伝世の痕跡があると書かれているが、
三角縁神獣鏡にはそのようなことが書かれていない。もし、そのような痕跡が
あったら、中国鏡について書かれているわけだから、三角縁についても
書かれているはず。
448日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:54:47
>>445
公平に見てこの意見はうなずけるけどね。ただ九州説にも、平原の大型国産内行花文鏡を下池山古墳鏡と不自然に結びつけ
る説があり、俺から見ればトンデモそのもの。

大和水銀鉱床の水銀朱が使用されているという事実は、実際は未検証だな。
449日本@名無史さん:2010/05/08(土) 01:57:21
しかし今日まで三角出現をそれこそ4世紀半ば以降
…にするような有力な説って出てるのかね?

藪田嘉一郎なる人物が1952年に
和泉黄金塚の「景初三年銘鏡」を
「仁徳朝のころ日本にとって由緒ある年号をとって造られた」
と言う説を出してたらしいが
呉の年号のものまで出るとそれも説得力がないし…

下記のサイトに岡村編年と中国科学研究所のものとを比較したものがあるが…

http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/8-4gamonntaisinnzyuukyo.htm

無論、三角を倭鏡とするなら漢鏡のどの時期に位置するものでもないが
それでも7期と併行時期のものとするなら年代的には問題なし?

三角の意匠に中国で4世紀を待たねば登場しないものがあるとか
もしくは4世紀以降でないと日本に伝来し得なかった特別な理由があったかとか…

…何かあるのか?www


450435:2010/05/08(土) 02:08:04
>>442
>今後の研究に期待。

私も同感だ。
最近は本田光子さんのような優れた女流考古学者がどんどん育ってきている。
玉の産地同定なども女性若手研究者が頑張っており期待したいものだ。

南武志先生の次の論文はウエブ閲覧可なのでリンクしておこう。

南武志「遺跡出土朱の起源」、『地学雑誌』117号 p948-952  2008年
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf117-5/p948-952.pdf
451日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:11:11
中国科学院の編年は洛陽焼溝漢墓出土の鏡群のみから編んだもので、今となっては資料は古いが、今でも画文が
2世紀後半の製作開始でまったく不自然はない。画文ー公孫氏説は十分成り立つ。
452日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:31:59
魏は、鉛丹を産出するが、水銀含有量ゼロだ。
水銀厨だけがそれを知らないw
453日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:36:10
>>445
>淡路島

たしかにあれは噴飯物だな。
過大評価に年代繰上げのやりたい放題。

じゃあ、その最大級の製鉄所で作った鉄がどこから出土したのかと聞きたいね。
畿内説というご本尊のために見境なさ杉だよ。

454日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:41:44
>>453
お前が噴飯物。製鉄所ではなく鍛冶遺跡であるのは445の書いているとおりで、お前のいってる意味が不明。もともとの
鉄の産地は九州も淡路島も半島・大陸だろう。お前はどこだと思ってるんだ?うすら馬鹿。
455日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:44:41
>>445
>下池山古墳から?製の大型内行花文鏡

これも最近は畿内説もあまり取り上げなくなったな。
噴飯物だが平原の超大型鏡にしても、舶載という説も出てきた。

△と同時期にそれと同じレベルの国産鏡の存在を認めて、両者が並存して、
一方(舶載)のみが長期の伝世という理屈があまりにも不自然なので、
国産鏡のことは無視する傾向が強い。

畿内説の存在そのものが学問をえせ学問にしているといった感が最近は
特に強くなってきた。
もはや学者のモラルやプライドも信用できない。
発掘報告にも疑いを持ってしまう。
456日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:45:14
うすらバカは早く死ね。
457435:2010/05/08(土) 02:47:02
>>445
>淡路島で見つかった鍛冶遺跡についても、「国内最大級」という表現には、
>若干の疑問がある。数点かそこらの鉄器しか出てこない遺跡を国内最大級と
>言っては、数百点、あるいは千点を越える鉄器の出て来る九州の鍛冶遺跡は
>どうなるのだろうか。

夜も更けたので寝ようと思ったが上記レスを目にしてもう一言する。
活発な議論は結構だ。だが修辞──レトリックを弄してウエブ閲覧者を誤認に
導くようなレスはいかがなものか。

「数点」──淡路島で見つかった鍛冶遺跡
「数百点、あるいは千点を越える」──九州の鍛冶遺跡

よく読めば学問とは程遠い欺瞞に満ちたレトリックがあることに気付かれよう。
458日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:50:31
>>455
そうかな。三角にしても中国製であるとして押し通そうとするスタンスは最近は多くないと思うが。大型内行花文ーアマ
テラスー八咫鏡ー伊勢神宮などを説く九州説のほうが俺は電波だと思うがねえ。これはマスコミには取り上げられない
からいいんだが、そういう不満があるのかな?
459日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:55:17
>>457
どこがレトリックなの?

レトリックという言葉を使うレトリックかな?
460日本@名無史さん:2010/05/08(土) 02:55:42
>>457
それ書いてる人は、こんな2chで九州説を優位に導こうと残り少ない人生を捧げてる人で、不気味というか気の毒
というか、俺はそんな目で見てる。手段を選ばないミス・リードはもうすっかり身についてしまって抜け出すことはで
きない。学問ではないし、病理学的な対象。
461日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:05:54
>>459
甕棺から鉄器が出るだろ、北部九州なら。
あれらも1点、2点、3点・・・と合計してそれが「鍛冶遺跡」かよwww
462日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:19:38
九州説を優位に導く必要など、さらさらない。真実は自然に明らかになる。
ただ、畿内説の詐欺理論だけを排除して、正しく学問をやっていれば、
どうしても邪馬台国は九州になってしまう。
463日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:24:08
>>462
だったら九州のどこなんだ?それを語らないからこのスレは永遠にループし続けるんだろう。少しでも考古学をやった
ものなら、九州でも地域によってまるで違うことを知っている。すべてひっくるめての九州説という言い方こそがミス・リ
ードだと俺は思うね。
464日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:27:43
畿内・纏向説はまだまだ穴だらけで、批判をするのはたやすい。だからそのレスが多いのはしかたない面があるが、
畿内説は攻撃対象がしぼれない。縄文人のようにある程度具体的なことを言えばぼこぼこにされるからな。ww



465日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:40:01
攻撃対象を九州王朝説と東遷説にしぼったら、九州説の人間がぶっ壊れたw
466日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:42:56
>>464
畿内説というか元々邪馬台国論争の持つ限界なんじゃないかな?

こう考えたことはないだろうか?

もし今の畿内説と九州説が立場が逆で
九州に「これが邪馬台国に最も近い遺跡」なるものが出ていたとしたら

魏志倭人伝との”答えあわせ”で畿内説のほうから
「ここが違う」「あそこも違う」と文句が出ていたろうとwww

そりゃ想像だけならなんでもありで
そんなものと比べられてもいい迷惑としか言いようがないw

ここの九州説の連中の脳内じゃあ人口七万戸の超々々巨大環濠集落が邪馬台国なんだろうからw


467日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:45:16
逆に、今の情報量程度で
箸墓巻向と決めてしまう方がアホなんだよ。

決められるほどの決定的な証拠もない状況で
堂々と巻向箸墓と言い切れる面の皮の厚さは
どうにかして欲しいものだ
468日本@名無史さん:2010/05/08(土) 03:49:44
別に箸墓の被葬者が誰かなんてどうでも良い。
(仮に宮内庁が内部の調査を許しても殆ど盗掘されているだろう)

それは別に畿内説のよって立つものでもなんでもない。

マスコミの報道に敏感に反応してくれる九州説は
ある意味マスコミに踊らされている鴨www


469日本@名無史さん:2010/05/08(土) 06:29:46
伊都国の領域に入るのでしょうが
福岡市西区の元岡遺跡群(弥生中期〜)からも28基の製鉄炉が発見されていますね
海岸砂鉄を使ったようですが、この遺跡もあまり知られてないようです
470日本@名無史さん:2010/05/08(土) 06:50:19
>>446>>454は九州説の工作員。
低劣な書き込みの仕方で畿内説論者の人間性が幼稚であると印象づけようとしている。

>>464
じゃあその穴とやらを聞こうじゃないか。

471水銀厨:2010/05/08(土) 06:57:27
>>455
>水銀朱は大変貴重だと言うけれど、何を根拠にそう言っているのかわからない。

何度も当時の中国の神仙思想が根拠だと言ってきたはずですけど。

それをまとめたものが抱朴子、倭人伝以上に重要な書物ですよ。
それに当時国内での使用状況を見れば理解できるはずですが。
通常水銀朱の使用は古墳でも埋葬者の頭部付近に一握り。
後はベンガラで代用という状況です。
更に大和天神山では埋蔵主が人間ではなく水銀朱そのものです。
472日本@名無史さん:2010/05/08(土) 07:45:30
>>470
お前がうすら馬鹿。お前の頭は穴だらけ。もっと勉強して来い。w
473日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:10:29
>>469
九大伊都キャンパス内で見つかったやつだが
製鉄跡は5世紀頃とか。
これはかなり大規模な製鉄跡で
ここを握った勢力は軍事的にかなり優位になっただろう。

これが弥生期なら、伊都が首都であってもおかしくないくらいのもの。
474日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:26:05
>>472
低能のうすら馬鹿に畿内説の穴を教えてやってください。
475日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:39:45
畿内説の穴というか、ひとつだけはっきりしているのは
別にマキムクが邪馬台国でなく、仮に九州のどこかにあったにせよ
ゆるやかな連合という基本概念に変わりはなく
これを前提にしないと、畿内説も九州説も成立しないってことだな
476日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:46:30
このゆるやかな連合説をとれば
倭国連合の首都である邪馬台国はどこにあったかという
単にそれだけの問題となるので
別に東海だろうが四国だろうが、たいした話ではなくなる

要するに邪馬台国論争というのは、もう昔と違って
さして重要ではなくなっているんだよな
ここの自称九州説さん達は、それに全く気づいていない
時代に取り残されているんだわ
477日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:53:24
纏向が出てきたときはこれで畿内に決まったと喜んだもんなんだけど
実際調査が進めば進むほど怪しくなってきたんだよな。
学者の先生たちも最近は纏向に触れなくなってきたし。
478日本@名無史さん:2010/05/08(土) 08:59:01
>>477
おいおい、マキムクはすでに戦後すぐあたりには確認されてたんだぞwww
最近の発掘結果から、3世紀の有力遺跡だと判明しただけでね
ただ実際にここが倭国連合の首都たる邪馬台国(魏志倭人伝にいう)かどうかについては
学者の間でもまだ議論はあるというのは事実
だが、だからといって九州説なんてのは、もうひとりもいないといっても過言ではない
高島忠平すら、本気で九州説を唱えているわけではない
479日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:18:06
その通り。
邪馬台国は高島平にあったのだ。
高天原とは高島平のことだった。
480日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:37:21
「今使譯所通三十國」

これを「今、交流がある国は30国ある」と解釈すると、
邪馬台国以外に29ヶ国が中国と交流してるって事だよね。
日向、出雲、越、吉備、阿波、伊勢など、ほとんど全ての国が
交流していたと考えられるよね。

邪馬台国が最初に朝貢したのと、女王国が珍しかったから
魏書に名を残したけど、実は何の変哲もない国だったという
可能性もあるんじゃないかな?

7万戸は倭人伝に登場する中では最大だけど、
そもそもこの当時の数字は適当だろうしね。
481日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:38:09
纏向箸墓は奈良文研や考古研の金づる。
毎年掘り続けて、166回を超える。
安定した仕事があるっていいよね。

ときどき邪馬台国を匂わせておけば
予算下りやすくなるからねえ。
482日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:43:10
>>481
奈良の者としては九州や出雲や関東の遺跡にも興味津々なんですよ。
とくに九州はまだまだ手付かずのものが多いんでしょう?。
上に書かれてある遺跡みたいに製鉄跡が最近見つかったものもありますしね。
吉野ヶ里みたいなのが九州のあちこちにまだまだ一杯眠ってるんじゃないかと思うんです。
483日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:44:55
>>481
だから九州説も頑張れよwww
まともな九州説がいないから、九州の発掘事例はどんどん減ってるじゃないか
いつまでも倭人伝解読ごっこや東征妄想やってるから
一般人が引いてしまってるじゃんwww
484日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:45:20
>>452
>魏は、鉛丹を産出するが、水銀含有量ゼロだ。
>水銀厨だけがそれを知らないw

それ本当?

中国で水銀が採れないとすると、水銀の採れる日本は注目されるな。
魏志倭人伝の「丹」は水銀に間違いなかろう。



485日本@名無史さん:2010/05/08(土) 09:51:39
「郡使往來常所駐」
「帯方郡の使者の往来では常に駐在する所」
頻繁に往来があったようだから、
邪馬台国だけが特別ってわけじゃないんだよ。
486日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:03:28
サイキック・バカの自演が酷すぎ。
いつものことだけど。

このスレでバカに同意する畿内説なんて、バカ本人しか見たことがないぞ。
487比定してみた:2010/05/08(土) 10:19:17
斯馬国 = 志摩   巳百支国 = 小牧?玉城町?
伊邪国 = 伊勢   都支国 = 土岐
弥奴国 = 美濃   好古都国 = 各務原
不呼国 = 不破   姐奴国 = 志賀(“シャガ”の花?)
対蘇国 = ?     蘇奴国 = 彦根市(“ソネ”の木)
呼邑国 = 甲賀
華奴蘇奴国 = 高島市(砂鉄“かねすな”産地)
鬼国 = 栗太郡(栗)     為吾国 = 伊賀
鬼奴国 = 橋本市(クヌギ)  邪馬国 = 信楽・・・??
躬臣国 = 「櫛」→柘植町?櫛田川? 
巴利国 = 名張 「針」?   支惟国 = 紀伊
烏奴国 = 宇陀        奴国 = 奈良盆地??

伊勢から「東に海を渡る」と、渥美半島を経て遠州に至る。
この調子だと、狗奴国=河内かなあ^^;
488日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:21:46
>>486
自演てか、書き込みが執拗だしおまけにレベル低いし
そういうのに限って居すわるんだよな
だからまともなひとが逃げていく

君の事なんだけど、自覚ある?
489日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:28:27
>>487
クナ国は毛野国だと思う。

崇神のときに、平定されたんだっけか。
490日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:33:04
491日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:35:39
棺桶から這い上がろうとするサイキック・バカに餌を与えないで下さい。
透明あぼ〜んにすると快適です。
492日本@名無史さん:2010/05/08(土) 10:48:24
ということは、ここは既に死滅した九州説の最後のよりどころなのか?
493比定してみた:2010/05/08(土) 10:51:39
>>489
まだ、神武も来てないですよ〜

邪馬台国とは、日本まんなか共和国feat.寝倒れ。
ヘタリア顔負けのまったり共和国だったんですな

狗奴国が河内だったとすると、
争いの最前線である奈良盆地に「王」を置くとは思えず。
その場合は信楽辺りが卑弥呼の居所かも・・・
494日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:03:11
九州は今でこそ島全体が過疎地だけれど、弥生時代には、もっと人口が多かったのです。
495日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:25:13
>>494
そんなデータないよ
ちなみに弥生集落がもっとも多い都道府県ってどこか知ってる?
奈良でも福岡でもないんだけど
496日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:34:00
=====================================================================
=====================================================================

このスレは、邪馬台国=畿内説の詐欺理論が、
どうして破綻してしまったのかを多角的に見つめる邪馬台国=畿内説の葬儀会場です。

ご参列の皆様は、ご焼香もお忘れ無いようお願い致します。

尚、棺桶から這い上がろうとするwwwでお馴染みのサイキック・バカが貼りついているので注意されたし。

(対処法)

NGWordに「w」「w」を追加。(透明あぼ〜ん推薦。)

これにより、棺桶から這い上がろうとするサイキック・バカが綺麗に浄化されます。

=====================================================================
=====================================================================
497日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:38:38
集落数っていうか面積で考えないと分からないんじゃないか。
福岡だと、福岡空港の山沿いから、春日市のあたりまで
ずーっと弥生時代の出土物があるぞ。
多分筑紫野まで続く。

佐賀は基山から吉野ヶ里を経由して、佐賀大和までの山沿いも
なかなか途切れない。

佐賀在住の俺の家の地所も調べたら住居跡があった。
おかげで家立てるのに制限受けた。
498日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:40:10
>>495
興味ある、教えてください。
499日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:40:32
>>482
福岡の今宿五郎江遺跡は吉野ヶ里まではいきませんが相当大きな環濠集落跡ですよ
これも伊都国の領域にあります
500日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:56:30
前原も筑前高校から南側の山沿いと
瑞梅寺川、雷山川の間は
遺跡ばかりだね。

周船寺から今宿方面の丘陵地帯も
かなりいろいろと出ていたはずだ。
501日本@名無史さん:2010/05/08(土) 11:58:49
>>497-498
流石だね、こういうレトリックに惑わされないというのは
まあ種は同時に明かすつもりだったんで勘弁してくれ

答えは高知県。その数は日本中の弥生遺跡のほぼ半数にも上る

ただそのほとんどが10人規模と見られる小さなムラであるが
弥生後期後半、つまり各クニというか経済圏が相互に活性化する時期に一気に増加する
この時期にすでに同一ブロック内や隣国同士だけでなく、遠隔地との多角的な交易が一般化しているとの見方の傍証には成るだろう
502日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:04:49
福岡佐賀だと、何か出土して、その都度名前を付けていけば
いくらでも見かけ上の数字は増やせるからなあ。

XX一丁目遺跡、XX2丁目遺跡とか。

めんどくさいので、そんなこと誰もしてないが。
503日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:07:49
>>501
高知とはちょっと驚きだな。
504日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:10:10
>>502
そんなことしたら体系立てて考えることが出来なくなっちゃうからwww

でもって、今度はこれ
弥生遺跡の発掘調査の数が一番多い都道府県はどこだと思う?
これも奈良でも福岡でもないんだ
これは例えばマキムクだったら166回としてカウントして考えてね
505日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:11:25
>>504
適当に愛媛w
506日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:13:26
これでだんだんわかってきましたね。
坂本龍馬は黒潮に乗ってやってきた弥生人の子せがれだったです。
507日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:14:43
>504
工事で発見されて、ちょっと調査されて、おしまい
というのも計算に入れるのかな?
508日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:16:32
>>505 愛媛は少ないほうです
>>507 はい、それも入れてね。とりあえず発掘総数で
509日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:17:19
佐賀市在住の自分の家の庭も、家を建てる際に”調査”されたが
これもはいるのか?
510日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:18:12
>>504
予算でいえば東京都?
511日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:19:13
>>509
調査は入りません。何らかの発掘成果があった場合のみに限ります
512日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:19:25
弥生痕跡の絶対量と、工事の多さで決まりそうだな。
513日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:20:46
調査中に、家の庭からは弥生住居跡と土器のかけら出たよ。
土器のかけら、捨ててなければまだどこかにあるはず。
514日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:20:49
じゃ、大阪
515日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:23:04
>>510
正解です。こんなに早く当てられるとは思わなかったwww

これは公共工事の多さと私有地であっても企業所有地が多いということ
また関東大震災や空襲の後などの、大規模な再開発がなされていることなどが主な理由です
それと本郷弥生遺跡が千回以上に渡って掘られているというのもあります
516日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:25:38
>>515

わぁい。当たったw

弥生時代の人口が多いのは関東、というデータがあったと思うけど、
それは発掘調査が多いという事情を差し引く必要がアリですか?
517日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:25:47
じゃあ最後のトリビアwww

弥生遺跡(集落だけに限らず)の合計総面積が一番広い都道府県は?
これもマキムクを例に出すと、未調査部分も含めてこの範囲であると推定された面積で計算してください
518日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:28:39
>>516
必要アリだと思います
ただ関東というようにエリアを広げれば、かなりの数になるので
九州や畿内や東海と比べても遜色はないとは言っていいでしょう
519日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:29:40
>>517
ここで大都会岡山w
520日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:30:00
よくわからんが、熊本
弥生時代には海だった平地が結構あるが
熊本は大地が多く標高が高いから。

関東も北の方だと標高高そうだな。
521日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:32:29
ヒント忘れてたwww
もちろん奈良でも福岡でもありません
ついでに言うなら高知県でも東京都でもありません

詰りあいはちょっと休憩して、クイズでマターリしてくださいな
522日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:37:17
文体的に、あのお方が半年ぶりに光臨っぽい。。。
523日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:38:25
>>522
そうか?俺は縦目っぽい感じがするけど
524日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:39:38
しかしちょっと待ってください。
稲作は一人当たりの田んぼの面積が少ないと豊かな暮らしはできません。
人口が集中しているということは、稲作以外で生活していたということです。
都のように支配層である貴族が多く住んでいるところには水田跡はありません。

むしろ、糸島の元岡遺跡の製鉄炉跡のほうが気になりますね。
邪馬台国を守るための前線基地でしょう。
その背後に邪馬台国があったのでしょう。
525日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:40:38
>>521
愛知だろ?
でないと、今までの大和の発掘成果に意味がなくなるぜ。
526日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:41:58
>>525
なんで?
527日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:43:26
>>501
俺も高知とは意外だったなあ
まあ高知は別の方面でも興味あるが…

瀬戸内は昔から注目をあび、次に山陰側の発掘成果に伴い日本海が注視されてきた。
多分、その次は太平洋側だとw
(豊予海峡超えて銅矛の分布域というのは意外に知られていない?)

しかし、大型拠点集落に目を奪われがちだけど、そう言った小規模の集落も拾って人口を推定していくと
現在知られているようなモデルになるんだろうか?

「畿内VS九州」で脳味噌沸きかえっている
ここの九州説は置いて行かれるばかりなり、南無www



528日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:43:47
>>536
あてずっぽうだが、奈良に東海系土器が多いからでは?
529日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:46:22
元岡の製鉄遺跡はいまのところ5世紀と比定されている。
その前身として鉄器加工が行なわれていてもおかしくない。

製鉄が出来ない時代でも、あそこなら大陸との交易で
鉄地金が手に入る可能性は高いだろう。

弥生期に製鉄が行なわれていれば
九州説論者としては、喜ばしい限りだが。
530日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:47:33
>>526
一行にも満たない糞レスすんなよ。
531日本@名無史さん:2010/05/08(土) 12:48:54
>>527

>「畿内VS九州」で脳味噌沸きかえっている
>ここの九州説は置いて行かれるばかりなり、南無www

つまりは、そういうことなんだよね。

俺もそういう恥ずかしい人にならないように、
日本全国の弥生時代の様相を知りたいと思うが、なかなかそういう視点の資料本がないんだよなあ。
532日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:02:02
九州説の連中は「鉄」を語るなら
それが邪馬台国とどう関係してくるのか?をきちんと語れと。

そして弥生時代通しての話じゃなくて、できるだけ弥生に絞り
地域遺跡も絞る。

でないと、漠然と弥生時代、漠然と九州じゃあ話が見えてこない。

これはミスター吉野ヶ里の高島が言っているんだが

>青銅器の鋳造は弥生前期に始まる。
>不思議なことに、青銅器の故である朝鮮半島と直面する玄界灘沿岸地域には
>古い時期の鋳型の出土はきわめて少ない。
>地理的にまわりこんだ場所にある有明海に面した佐賀平野にかえって古い鋳型がある。
>これは佐賀平野の農耕社会が、
>青銅器鋳造を専門工人層におこなわせるまでに分業体制が成長・成熟していることをしめしている。

銅と鉄で異なった傾向でなければ鉄も末期には玄界灘周辺地域に集中していくんじゃないのか?
銅やガラスの工房を持った吉野ヶ里の衰退がその象徴かとwww


…しかし今、弥生時代のクイズ出してる人は「白書」見たいなものから出してるんだろうか?w
533日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:15:35
えーと、答えです
これまた早々に当てられました

>>525さん、愛知県で大正解です

とにかく中規模集落の多さに加えて、農耕遺跡がダントツに多い
東海地方は弥生中期以降は一大食料生産地帯だったと考えられます
濃尾平野などは、とにかくどこでも掘れば農耕遺跡があったりして
どこの集落が管理していたのかの方がわかっていないほど
534日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:16:34
>>532 訂正

誤)できるだけ弥生に絞り

正)できるだけ後期・末期に絞り
535日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:22:29
>>533
うーむ、愛知県か・・・

すると邪馬台国=愛知県説もありかな?
536日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:35:59
北部九州系の人たちが、高知や和歌山、愛知〜千葉〜岩手の海岸に
ずいぶん移住していることが、民族学で分かっている。
独特な奇病があるのもこの地域。
これは、邪馬台国・倭国を構成してきた人たちだろう。
537日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:43:02
>>533
だから、神武の東征神話が嘘くさいんだよね。
なんで奈良なんか?ってね。
奈良ありきで、記紀が書かれたからだろうね。
俺なら東海を支配するために、近江なり、その近辺に進出するわ。
538日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:43:15
この間とあるバーで客で来てた霊能力者と話す機会があった。
邪馬台国が沖縄、天孫も沖縄から来たと言ってたぞ。


因にテレビの放送はテレビを観てなくても電波を通して脳の中に入ってるとかヌカしてたw
539日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:49:55
クイズ面白かった
こんなデーターがわんさかあるのなら
そりゃ考古学者は九州説はおろか倭人伝も記紀も否定する罠
またやってください、ありがとう
540日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:57:54
レスが飛びまくっているが、またサイキック・バカが棺桶から這い上がろうとしているのか?
541日本@名無史さん:2010/05/08(土) 13:59:57
>>538
日本書紀なんかには、四方を山で囲まれているところが好きだ!と書かれている。

もともとそういうところに住んでいたのか、それともなんかの理由があって海が
嫌いになり、海から離れたところにすみたいと思ったのか。

文字通り、神武天皇の出身が日向だとしたら、南海地震あるいは日向灘地震に
よる津波に襲われたのかも知れない。
それなら、大きな津波の痕跡があれば、東征の時期もわかるんじゃないかと
ずっと前から調べようとしているが、これがなかなかわからない。
542日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:01:30
>>541
間違えた。>>538ではなく>>537
543日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:11:07
>>541

> 日本書紀なんかには、四方を山で囲まれているところが好きだ!と書かれている。

だから、奈良ありきで書かれているって言ってるだろ。
544日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:27:48
ちなみに、記紀の日向時代に海幸彦、山幸彦の兄弟の物語がある。
弟の山幸彦は、神武天皇のおじいさんに当たる。

海幸彦は、釣り針を持っていて海で魚を取る。山幸彦は、弓と矢を使って
山で狩りをする。あるとき、それぞれの持ち物を交換して狩りをしようという
ことになった。どちらもうまく行かなかったのだが、山幸彦は、兄の釣り針を
なくしてしまった。

大切な剣をつぶしてたくさんの釣り針を作り、兄に返そうとしたが、兄は
元の釣り針を返せと聞かない。

山幸彦は、釣り針を探して海に行く。ちょうど浦島太郎の竜宮城のような
話になる。楽しい時間をすごして帰るとき、釣り針と共に、豊玉彦は、
山幸彦に潮満玉と潮干玉という二つの玉を渡す。

兄が怒ってきたら、潮満玉を使っておぼれさせてやりなさい。謝ってきたら
潮干玉で助けてあげなさい、と。

兄は、山に逃げ、高い木に登ったが、潮満玉を使うと、その山も木も潮が
飲み込んでしまった。兄は、未来永劫、山幸彦に仕えることを約束した。

なんとなく、津波を連想させるし、こういう物語は大和では絶対に生まれない
話だと思う。
545日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:34:08
>>544
それはたぶん、天武系(大海人皇子)が持ってきたストーリーだーね
山幸彦が神武の祖先っていうのはダウト。
546日本@名無史さん:2010/05/08(土) 14:57:38
やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるわし

ヤマトタケルもそう詠んでいるように、倭人とはそういう感性の持ち主なのです。
野蛮な海人や弥生系の渡来人には決して理解できないでしょうね。
古代文明は盆地で生まれたのです。
547日本@名無史さん:2010/05/08(土) 15:42:03
神武さんって、公孫氏または帯方郡辺りの満州系の人だと思うんだ
で、元々使者の行き来があって、倭の国の概要は知ってた。
そしてこう思った。
倭の国ステキやん!俺、あそこの王になりたい!
でもいきなり行っても相手にしてもらえへんなあ
そや、倭の国と敵対してる国を降伏させて、それを手土産にしよやないか!

というわけで神武さんは、伊都国の王から聞いた、
水行二十日とか陸行一月っていうハッタリを鵜呑みにして、島の南端に上陸。
がんばって東征しましたとさ。ちゃんちゃん。
548日本@名無史さん:2010/05/08(土) 15:52:58
>>546
それは真逆。倭人は海洋民族であって、海と無縁の民族ではない。
神武は海洋民族の勢力が無縁の領土をゲットした。
しかし、神武自身はわずかな領土しか占領できなかった。
記紀で神武を始祖のように書いたのは、現畿内政権が、
かつて唐に歯向かった九州軍国政権の王統ではないかのように、
偽装するため。
しかし中国側はその「王統理論はおかしい」と再三、大和政権に問いただしている。
549日本@名無史さん:2010/05/08(土) 15:55:20
>しかし中国側はその「王統理論はおかしい」と再三、大和政権に問いただしている。
kwsk
550日本@名無史さん:2010/05/08(土) 16:18:14
>>549
『旧唐書』に併記された、「倭国と日本国」をなんとか、
始祖神武の王統を頂く日本国1本のみにさせるため、
日本の僧、「然が984年に日本書紀(王年代紀)を献じて、
苦しい説得をした。
その後もいろいろ説得工作があった模様。

1060年に旧唐書の改訂版(新唐書)をやっと出してもらえて、
倭国伝を消してもらうことができた。中国の正史から、
九州軍国倭国の系譜が消された瞬間である。
551日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:18:33
>>550
ここでも藤原不比等による国史改変計画が役だっていますね。
もし、宋の国がそのまま続いていたとしたら、中国の資料からも倭の存在が消し去られていたはず。

 倭國者 古倭奴國也 去京師一萬四千里 在新羅東南大海中
 依山島而居 東西五月行 南北三月行 世與中國通

この南北三月行というのが気になります。
552日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:31:56
>>544
>なんとなく、津波を連想させるし、こういう物語は大和では絶対に生まれない
>話だと思う。

山と海の二大原理の対立によって高潮や洪水が起こるという観念は
中国の江南地方からアッサムにかけて分布する。

…と言う話を持ち出す前に

そもそも地震なんて日本の何処に言っても避けられない。
津波の被害が怖いなら九州で内陸部に引っ越せば良いわけで

奈良盆地だと今度は盆地を南北に走る川の氾濫に悩まされる。
低地での稲作をやっている限り水害からは逃れられない。

何れにせよなんでわざわざ瀬戸内を横断して奈良盆地まで?

…と言う根本的疑問の解決にもならないと思うがw

553日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:46:11
畿内からは良質の丹が採れたのです。
たったそれだけのことと思うかもしれませんが、
当時の邪馬台国の人々にとっては、丹の価値は金以上、
まさにゴールドラッシュだったのです。
554552:2010/05/08(土) 17:50:23
ちなみにこの「山と海の対立」
中国では「海の呉と山の越」と言う構図に見る事もできるとかw

で、呉の伝説上の祖が太伯で倭人伝の記事にもつながる話とwww
555日本@名無史さん:2010/05/08(土) 18:00:05
アメリカの西部開拓時代といっしょで、一獲千金を夢見た荒くれどもがどっと畿内に押し寄せて
畿内はまさにゴールドラッシュならぬ丹ラッシュ!
利権をめぐって血みどろの争いがあって、
それを制したのが騎馬民族の傭兵を大量に要した神武会。
そういう図式が見えてきましたね。
556日本@名無史さん:2010/05/08(土) 18:37:38
丹集めに必死なのって、不老不死の薬だっていうデマに騙された、
秦とか唐の関係者だけじゃないんですか?

畿内が他の古代国家より魅力的だったのは、
呉から来た稲作民と、金属加工と戦闘に秀でた匈奴?が共存し、
分業することによって、それぞれ質の高い物を作り、豊かだった点。
そして、優能な外交官である漢人出身の伊都国の王が仕切っていた。
(この頃から既に「関白」政治だったんでしょうねー)

ちなみに近江は「畿内」ではないんですけどね。まあいっか。
557日本@名無史さん:2010/05/08(土) 18:55:12
>>547
神武天皇の曽祖父はニニギ命といって
どうみても、近畿地方出身でしょうが...
神武天皇の本名は、若御毛沼命といって、日向の豪族。

では、神武天皇による東征が何だったのか、誰でもわかるでしょうに。
558日本@名無史さん:2010/05/08(土) 18:58:40
>>550
それ読んだけど、
要するに、日本は、かつての倭国という名称が嫌だったので
変えてほしいがために、いろいろ言い訳している感じだよ。
別に、九州王朝があったとか、近畿王朝があったとか
そんなところは、どこにも書いていない。
559日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:07:48
>>533

やっぱり、濃尾平野は農耕が盛んで人口が多かったんだね。

昔、九州説の人と議論したことあるけど、
その九州説の人は、農地を開拓するには鉄器が必要で、鉄器が無いと農地が開墾できないから、
鉄器の量が農地の広さ、人口の多さと比例するとか主張してたな。
だから、弥生時代は、九州が農地も人口もどこよりも勝ってたはずなんだと。

で、俺は、弥生期の濃尾平野の人口が多かったという話を知ってたから、
鉄器が無くても濃尾平野では農業が盛んだったんじゃないか?と反論したわけ。

ところが、九州説の人のいうことには、鉄器が無いと水田が作れないから稲作なんて出来ないと言い張るわけ。
加えて、弥生期の濃尾平野はほとんど海(これは事実)で、少ない農地でも川の氾濫が酷くて、農業なんて出来ないと言い張ってたな。

じゃ、どうして、濃尾平野に人口が多かったのか?と問うと、データは捏造だとか、とにかく、
九州より優れてる地方があることを絶対的に認めない人だった。
九州説の人って、そういう人ばっかりなんで、話がし難いんだよね。
560日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:21:47
>>355
>交易には見返りが必要です(朝貢とは違います)。畿内からは提供するものがありますか?

実は近畿から九州に提供する物資はある。

まず。「食料」
>>533のように、濃尾平野は農業が盛んで人口も多く、人口過多で東海の人は外に出て行くほどだった。(東海系土器の拡散)
食料も輸出できるほどだったとすれば、食料を交易品としていたことはありえる。

その頃の九州は、人口が減っているというデータがある。
気候が寒冷化してた事実があり、飢饉に陥っていたことが考えられ、大乱も食料の奪い合いではないかと見る。
そうした状況であれば、近畿勢力が兵糧攻めで九州を傘下に入れることは、実は容易だったのではないか?

九州説の人は、こんなシナリオは絶対認めないだろうけどね。独り言だと思ってくれ。



561日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:24:11
九州、特に北九州が圧倒的に優位な部分ってのは
要するに半島経由の交易品に限られるんだよね
でもって、それが弥生時代の北九州隆盛の原動力になっている
半島情勢の混乱や、公孫氏の滅亡などでそいつが揺らぐと
やはり他の地域に主導権を取って代わられる
それに畿内や日本海側の各クニが、直接半島と取引を始めだしたってのが衰退の原因かな
562日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:27:52
丹よりはるかに大事にされたのは、絹でできた錦。弥生時代の倭錦や中国錦は、
ほとんど福岡県から出土する。
その時代の鉄器の出土も、畿内は非常に少ない。
563日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:29:49
九州で丹がほしければ、いくらでもベンガラを使えばいい。
神獣鏡の世界にとりつかれた一部畿内の道士は、勝手に仙薬をつかえばよろし。
564日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:33:17
>>562
繊維の出土が北九州に多いのは、甕棺墓という極めて密封性の高いものが使われていたからだよ
その証拠に、甕棺が廃れてからは、北九州でも出土しなくなる
まさか墓制の変化とともに、繊維がなくなった訳でもないだろうからね
565日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:35:28
>>562

鉄器鉄器というけど、鉄器の重要性ってなんなの?

すでに、農業に、鉄器量が無関係なことは証明されてます。

566日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:38:37
だいたい、交易品が多い、鉄が多いとか、
それを前近代の国力の要素として
あまりにも過大評価し過ぎなんじゃないのかな?と思う。

この時代の国力は、結局、人口が多い=動員兵力が大きい
ってのが、ものをいう。
それは、ずっと昔から近畿。
567日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:42:42
>>565
魏志倭人伝の記述に応じたものが重要。
たとえば、三角縁神獣鏡や前方後円墳なんか、出てこないから無意味。
海に潜って海産物を捕るような環境は大事だが、内陸地は失格。
568日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:43:59
水銀の大量消費や水銀交易などしていない邪馬台国に、水銀などあまり関係ない。
569日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:44:45
農業や前方後円墳などいくらあっても、邪馬台国とは関係ない。
570日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:57:05
>>567
その魏志倭人伝の記述に従って、邪馬台国を見つけたものなど誰もいないのだが。
自称発見者は腐るほどいるけど。
しかも前方後円墳がダメなら、九州もダメってことになるんだけど?
571日本@名無史さん:2010/05/08(土) 19:57:21
墓はともかく、メシは要るんじゃね?
572日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:12:01
>>562の、九州は○○が多いってのは
無自覚だろうけど安本美典の手法のパクリだな

多いってのは、それ自体は嘘じゃないけど
じゃあどういう出土状況なのか、その理由はなにかについては
知っているくせに絶対に語らずに、だから九州は栄えていたとかの
2段3段飛ばしをやってくる

その手法については一度新書の「邪馬台国畿内説を撃破する」という
勇ましいタイトルの本を読んでみればいい

奥野正男の「鉄の考古学」から鉄器出土数を引いておきながら
その次の章でホケノ山で出土した大量の鉄器については一言も書いていない
奥野さんの本はホケノ山以前のデータだから、出土総数というデータはもう使えないことを知ってるくせに
こういうことを平気でやるんだよな
573日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:28:13
>>572

へー。
淡路島の鉄器関連遺跡もスルーしてるんだろうな。

自説に都合の良いデータだけつまんできて煙に巻く手法だな。
574日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:29:32
あと寺澤や石野や柳田なんかが、東遷説を支持しているかのような
恣意的な引用も目立つ

この板でもそれに騙されて、そういった書き込みをしていた人もいたな

彼らが三角縁舶載説を批判しているのを引用して
だから畿内説は間違いだと、彼らも言ってるような書き方をする

さすがにこの本があまりにもトンデモだったので
安本さんは、この後は本を出していない
かわりに邪馬台国の会に力を入れて、会員からのお布施を集める方向にシフトした
そのあたりは会員の間でも賛否両論があって
かなりの人が安本さんから距離を置くようになっちゃったけど

古田さんといい安本さんといい、初期論文は素晴らしいのに
なんで晩節をこうも汚すんだろうねえ
575日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:36:47
>>574

>古田さんといい安本さんといい、初期論文は素晴らしいのに
>なんで晩節をこうも汚すんだろうねえ

自説を飛躍させすぎ、強弁させすぎなんだよ。

現実的には、九州説はまだ芽がある。
九州の邪馬台国と畿内王権が並立しててもおかしくないわけだし。
でも、東遷説とか王朝説は、もう通じない時代なんだ。
考古資料が出揃ってきたからな。

あとは、関みたいに、考古学重視で妄想を膨らませるかだが、
卑弥呼をトヨ(神功)が殺したってのもねえ。
文献上、まったく整合性のない空論をいつまで強弁できるやら。




576日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:44:53
関裕二なんかは、あれもわかっててやってるんだろうと思うよ
あの人は歴史家というより、歴史フィクション作家だから
まずセンセーショナルな結論を考えてから
それに考古学を引用して、読み物をつくっているみたいな

例えるなら、オカルトにおける矢追さんみたいなものだ
あのひとは、UFOとか実は全く信じていないから

その例えが酷いなら、火坂雅史の「天地人」みたいなものか?
直江兼続の性格や事跡まで変更しちゃってるからね
というより、やっぱ「花の慶次」だな
577日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:50:02
何をどう言おうが、記紀に「邪馬台国」が出てこない時点で、畿内説はペケ。
ヤマト王権自身が「邪馬台国」「卑弥呼」に触れていない以上、
それを踏み外すことはできない。
578日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:50:08
いくらなんでも神功が卑弥呼を殺したなんて説を
マトモでは主張は出来ないでしょう。
579日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:54:05
それを面白がる読者は一定数いるみたいね。

考古学には興味があるけど、畿内説は信じたくないという層かな?
580日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:55:35
>>576
>というより、やっぱ「花の慶次」だな

…で、ふと思ったんだが
「パチンコ邪馬台国論争 」と言うのはどうだろうか?wwww


581日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:56:27
卑弥呼=モモソ媛命で
おおかた、つじつまがあう。
582日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:58:52
>>577
えっ?神功のとこに出てるよ、はっきりと
たぶん魏志にいう卑弥呼とは、彼女じゃないかって説をすでに日本書紀は打ちだしている
まあそんなことはありえないんだけどね
583日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:03:09
なんか今日の九州説のレスは、どれもこれも瞬殺だなwwwwww
584日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:12:12
6世紀の人も、卑弥呼は誰だ?って思ってたんだろうな。
モモソヒメを卑弥呼にすると、天皇・皇后以外が女王になったということで都合が悪かったんだろう。

箸墓の大きさからいって、モモソヒメが女王だったのは間違いない。卑弥呼かはともかくとしても。
585日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:28:22
>>584
まあ天武・持統ラインが恣意的な記述をしたってこともあるだろうけど
基本的には同意見で、もう邪馬台国のことなんかわからなくなってたんだろうね
もしかすると継体より前の記憶は、かなり曖昧になってたのかもしれない
それだけ大和朝廷内で、権力主体者が変遷しているんだろう
586太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/08(土) 21:38:17
都合わるけりゃぁ、紀はモモソヒメの名まで消しちまうよ。それが
あるということは、君の考えは成り立たないな。
587日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:40:53
いやいや、本当に都合の悪いところはかなり消しているよ
私市古墳群に大王墓がないところなんか、まさにそう

あとは例の倭の五王の血族関係とか
武烈のエピソードとか、かなり脚色されている
588日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:40:53
しかし、魏志倭人伝には、卑弥呼には夫がいないと書いてあったわけだから、
この時点で神功ではないということになる。
そうすると、女王に相当するのはモモソヒメしかいないわけで。

589日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:48:58
>>587
私市円山古墳って、前方後円墳じゃないのに、巨大なんですね?

ということは、ヤマト王権に服属しない勢力がまだ近畿にいたということでしょうか?
590日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:49:19
そこはやっぱりアマテラスでしょ
591日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:50:31
卑弥呼=アマテラスね
592水銀厨:2010/05/08(土) 21:53:46
ヤマトトヒモモソ媛という名前は
いかにも呪術、というか霊力を使う巫女的名前ですからね。
仮に邪馬台国と言われる場所が瀬戸内東部だとすると、
モモソ媛が吉備・讃岐と縁が深いのも符号します。
593日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:56:52
なんか皆さん、さりげなく自分の地元を混ぜ込もうとしてませんか?
594太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/08(土) 22:00:50
>>587
倭の五王は当時の各天皇に非ず。朝廷と五王とは無関係。
595日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:01:58
>>589
>ヤマト王権に服属しない勢力がまだ近畿にいたということでしょうか?

というかヤマト王権がとりあえず一枚岩になるのは
天武まで待たなければいけないんじゃなかろうか
前方後円墳なんてやだよってのが、連合内にもいたのかもしれないし
少なくとも後方墳が消えるまで相当の時間がかかってるし
だからといって東海が畿内に支配されたわけでもないし
596日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:03:34
>>594
なんだ、そっち方面のひとかwww
レスして損した
597日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:06:33
>>563
>九州で丹がほしければ、いくらでもベンガラを使えばいい。

そう言えばベンガラって食えるんだっけ?

以前TVでベンガラで着色されたこんにゃくってのを見た記憶がある。
見た目鮮やかなオレンジ色のレバーって感じだったがwww
598日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:09:53
私市円山古墳って、1988年発見だったんだ。
70mもある円墳が未発見だったということは、
まだ未発見の古墳が眠ってるかもわからんね。
もしも私市円山古墳が3世紀だったら卑弥呼の墓と言われたことだろうな。
599日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:13:23
魏志倭人伝に描かれている建築物は、畿内説には全く符合しない。
吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国と同一文化圏であることは明らか。

畿内から発掘される建築物の風景は、魏志倭人伝の記述と乖離している。
600日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:15:12
>>597
それは近江八幡市の名物・赤こんにゃく。
ベンガラと同じ「三二酸化鉄」を使用。
派手好きの織田信長が作らせたと言われてる。
601日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:15:41
魏志倭人伝には、巨大古墳がたくさんあるなどとは一切書かれていない。
むしろ円墳らしき卑弥呼の墓一つだけが、目立っている。
大型古墳がたくさんあるような地域に、邪馬台国はなかったということだ。
602日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:17:39
>>598
うん、まだあると思うし、あって欲しいね
百舌鳥古墳群なんか、未調査のまま破壊された古墳が100基以上あるって話だから
しかも戦後の住宅建設ラッシュのときに
集落遺跡と違って、墳墓は基底部しか残らないから
もう今ではどうしようもない

でも平城京遷都のときも、相当な数の前方後円墳をつぶしているんだし
そのなかには天武紀にある神武陵と目される四条古墳すらある
始祖の墓までつぶしているんだから、皇族家もたいがいだね
603日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:19:20
ベンガラ食べたがったってことは、
信長って、唐人=鮮卑=チョンだったのかなー
604日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:20:57
>>599
じゃあ他の九州の弥生遺跡から、なんで倭人伝の建築物と一致するものが出ないの?
吉野ヶ里だけが同一文化圏ってわけかい?
しかも邪馬台国の時代と目される3世紀には
その吉野ヶ里の大方の建築物は放棄されて
違う形式のものが建っているんだけど、吉野ヶ里は裏切っちゃったのかい?
605日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:21:16
血縁があっても対立すれば容赦がないという事でしょう。
だから記紀の辻褄あわせ、改変に苦労したという事だな。
606日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:21:52
>>585
あのな、日本書紀の編者は「邪馬台国」も「卑弥呼」も知っているの。
神功紀に倭人伝を引用しとるんだがや。
失われた過去で、描けなかったんじゃない。
知ってて描けないってことは、ヤマト王権と無縁だから。
607日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:23:58
>>601
じゃあ九州でもないじゃん
巨大とまではいかずとも、相当に目立つ円墳は九州にないんだけど
壊されたってのがありなら、日本中どこでもありになるよ
それともフィリピンかマカオ説なの?
608日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:25:30
ヤマト王権と無縁といっても、政権交代の舞台が
ヤマトだって事ですよ。
609日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:27:02
>>565
後漢書には、辰韓では鉄が出ていて、倭もそれを取っていると書かれている。
鉄が重要でなかったら、どうしてわざわざあんなところまで行って取ってくる
必要があるのかということになる。

石器よりも、青銅器が有用だから、青銅器が出たら石器はなくなる。
鉄器が出てきたら、青銅器も廃れる。これが世界の常識。

畿内説は、鉄器は重要でないなどと世界の常識を変えてくれるから困る。

カンボジアのアンコールワットには、周囲20kmほどの巨大な人工池がある。
鉄器があったからこのような池が出来たとされるし、それによって農業用水
が確保され国は飛躍的に発展した。
寺院の石の建物も、鉄器があったから出来たとされる。
610日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:29:27
>>606
それは魏志や魏略その他を、資料として読んでるからとも解釈できるよな
実際、明らかにエピソードを借用したり、中国史書との年代のつじつまあわせをしたりしてるからね

もういちど神功紀をよく読んでごらん
何を根拠に彼女をその時代に持ってきて、そしてどこでボロを出してしまったかがよく判るから
611日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:30:07
>>609
>畿内説は、鉄器は重要でないなどと世界の常識を変えてくれるから困る

だから鉄の民ともいえるヒッタイトがだなついにエジプトを征服することなく

それどころか何処の馬の骨ともわからん民族に滅ぼされたと言うのがそれこそ常識なのだが
612日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:30:19
>>601
書いてないからといって、事実でないということにはなりません。
書き忘れたか、書く必要がないと判断したかどちらかです。
613日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:32:16
>>609
>鉄器が出てきたら、青銅器も廃れる。これが世界の常識

そんな常識この地球にはないんだけど
ひとつだけでいいから、鉄器の登場で青銅器が廃れた例を出してくれないか?
もちろん鍛冶技術が進んで、鋼鉄が発明された中世以降は除いてね
614太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/08(土) 22:36:39
古代史やってる奴は、紀に載ってないと、都合が悪いから消しただとか
隠匿したとかの弁に毎回直行する癖がある。これは妄想に直結しやすいぞ。
615日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:38:37
ちなみに青銅の小刀って、江戸時代の地層からでも出土するって知ってる?
鉄製武器が威力を発揮するのは、思いっきり早く見て平安後期だよ
616日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:41:42
つーかアンコールワットでも、直接鉄器で掘ってるわけじゃないのにな
当時の鉄器は木製器の加工道具としての使い方がもっとも有効なんだよな
617日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:43:28
>>613
そんなことは自分で調べてくれ。
鉄器・青銅器で検索すればいくらでも出てくるだろう。
そして、鉄器が登場しても、青銅器の方がいいから鉄器なんかいらないと
いったような例があるなら挙げてくれ。
618日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:44:21
>>609
>カンボジアのアンコールワットには

そう言えばこの話ちょっと前に「世界ふしき発見」でやってたっけ?

世界ふしぎ発見!『謎の民クーイが明かす!密林の大国 アンコールの新事実』
http://tv.yahoo.co.jp/meta/?minnaid=237345

ただ日本と違うのは鉄鉱石が近くで採れて
番組でもその採取跡を映していたと思うが

それに世界基準(w)で見るなら、だったら中南米の古代文明はどうなんだって話で
鉄と言うマテリアル一つで文明を飛躍させるかのごとき考え方は頂けないなwwwwwww
619日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:48:30
>>617
そんなのぐぐってっも、基地外サイトしかヒットしないって
そして例なら、>>615をどうぞ
鉄製武器に移行しはじめたのは、日本では大体この時期なんだけど
それまでも普通に鉄器はあるよね
620日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:48:36
k
621日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:50:04
「世界ふしき発見」が元ネタだなんて
どんだけ浅いんだこのひと
日本史板にあるまじきレベルだな
622618:2010/05/08(土) 22:53:17
>>621

そうか?つか俺もあの番組見ていたんだスマンw

ただあの手の番組はどうしてもセンセーショナルな取り上げ方をするんで
そこら辺差っ引いて見る必要はあると思うなww

そう言えば同番組で「卑弥呼の日食」もやっていたようなwwww
623日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:56:54
いや低いってのは>>609のことで
あなたじゃないです
なんつーか誤解を招く表現、ごめんなさい
624太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/08(土) 23:00:26
歯を見せてる開いた口の女神のレリーフを放映した番組だったよな?
625日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:03:43
俺にしてみればまだ鉄が最強とか言ってる奴がいるのが不思議だ
626日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:09:18
先ず鉄器が稲作の生産性にどれくらいの寄与するのかを検証してみる必要があるし

その前に古代において食料における米の比率も考えてみる必要がある。
(米以外の雑穀や堅果類…等のウェイト)

そうやって考えていくのなら、
なるほど鉄器の出土量と推定される人口が比例しないと言うのは
当たり前の話だとwwww

627日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:15:12
>>625
それが畿内説の最終的な判断ということになるのかな。

思えば、畿内説の考古学者は、鉄を探して遺跡を一生懸命掘った。
唐古・鍵では、かけらのようなのが出てきても大騒ぎをした。
でも、それすら極めて珍しい出来事だった。ほとんど出てこない。

やがて、畿内の鉄は廃品回収が徹底していたために出て来ないということに
なった。畿内の土壌では、鉄は溶けてなくなるという話も聞いた。

どちらもおかしな話なんだが、大真面目にこんなことが語られた。それくらい
畿内説にとって鉄が出てこないと言うのは致命的だったのだが、いまでは
鉄は重要ではないと言うことになったらしい。

畿内説とは都合のいい説だと思う。

>>623
レベルが低くて悪かったな。
628日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:22:31
>>627
>畿内説にとって鉄が出てこないと言うのは致命的だったのだが、いまでは
>鉄は重要ではないと言うことになったらしい。

すまんなそれが漸進するをよしとする学問と言うもんだろうw

いや、やっぱり鉄は重要だ、その評価は間違っていると言うのなら
根拠をあげて反論すれば良いだけの話。

それもできず「昔は畿内説も…」と言うだけなら単なる恨み節www
629日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:26:41
>>627
畿内説の最終判断などというちんけな話じゃなくて
九州在住の考古学者も含めた一般的な仮説だよ

だいたいまず九州説を否定したのは、九州の考古学者たちなんだよ
というか圧倒的に鉄器出土量が多いはずの九州より大規模な遺跡が
どうして畿内や東海に出現するんだい?

それに学説は変遷するのが当たり前
ありえなくなった話に固執するあなたのほうがおかしいのであってね

物理学でもエーテル宇宙論が主流だった時代もあるんだし
そっちのほうが整合性が高いと見られていた。相対性理論の登場までは
この例えでいうと、あなたはまだエーテル論を唱えていて
相対性理論は間違っているとかのトンデモを繰り返しているってことなんだけどね
630日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:35:17
ところで
卑弥呼より後に、神武東征なりなんなりで政権が変わったんだとしたら
卑弥呼の墓は前方後円墳じゃない可能性は高いよね?
631日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:36:24
>>629
鉄を出土する九州の遺跡と、鉄を出土しない本州の遺跡の
どちらが大陸や朝鮮半島と交流していたかは明らかでは?

鉄が出ないことで開き直って、「本州の農業生産力の向上による集落の大規模化により
権力構造の組織的変革が自覚的な権力組織の変化を自生的に促し〜」というような
無意味に学問的な雰囲気を醸し出す文章が好きな人が多いね。
これが本当のえせ学問。

畿内説は50年前に敗北宣言をしておくべきだった。
632日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:37:45
>>628
それが前進かあ。
畿内説の場合は、立てた仮説が破綻しただけのこと。
新しく立てた仮説はまだ破綻していないと言うだけのことだろう。
そりゃあ、畿内説にしてみれば、新しい方がいいだろうな。

また、破綻したら次の仮説を立てる。破綻したことを追及されると、それは
古いと言って逃げるということだろう。
633日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:41:27
>>627

「鉄器が王権に必要だ」というのは、ただの仮説。
畿内から大量に鉄器が出てきたという事実の無い時代に立てられた、根拠の無い論=初めから間違った論なんだよ。

現実として、ヤマト王権成立に鉄器がそれほど重要でなかったという事実がわかれば、
仮説は修正されなければならない。

そして、事実とつき合わせて、新しい「ヤマト王権成立のプロセス」を考えることになる。
新しい仮説が「ゆるやかな連合国」なんだよ。
これは搬入土器の様子から導かれた事実に基づいた論。
634日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:42:04
前進と漸進の違いが分からない人が紛れ込んでるね
635日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:44:10
>>632

そうだよ。それが科学。
宗教じゃないんだから。

>また、破綻したら次の仮説を立てる。破綻したことを追及されると、それは
>古いと言って逃げるということだろう。

光は粒子だとか波だとか、近代になっても物理学は仮説を変更させてきた。
今でも、新しい論が登場すれば、それに乗り換えるまで。

636日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:44:41
>>632
まあ宗教なら
「開祖のお言葉をそのまま伝えるのが絶対」・・・と言うのもありだろうがw

別に「逃げた」と恨み節言うのは勝手だが
都合の良い人間、悪い人間のそれぞれの事情なんか一切省みる必要なしwww



637日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:45:17
>>631
いやさ、鉄の優位性に基づく九州説の何が問題かっていうとね
そんなに強いのに、鉄も持たない畿内になんで負けちゃったの?って話なのよ

じゃあ東遷や東征してきたのかというと
これまた鉄も持ち込んでないし、吉備や出雲や東海にも勝る形跡もない
九州軍ってそんなに無能なのか?そりゃあまりにも失礼だろう

しかも君はあまり考古学どころか古代史にも詳しくないようだし
もういちど安本さんあたりの本でも読んで、最低限の知識を身につけてから煽ったほうがいいよ
安本さんの煽りは上手だよ
638日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:55:14
>>635
物理学と考古学は違う。物理学の場合は仮説は仮説のままでいいし、それが
仮説であることをみんな知っている。
仮説は検証するものということになる。

しかし、考古学の場合、特に畿内説の場合は、その仮説が次の結論を導いて
しまう。

例えば、三角縁神獣鏡が魏鏡という仮説を立てるだけならまだしも、だから
三角縁神獣鏡の多く出る畿内が邪馬台国だしてしまう。
639日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:57:28
>>637
なんで畿内に負けたっていうことが、議論の前提になるのかな?
さすが畿内脳
640日本@名無史さん:2010/05/08(土) 23:59:28
>>633
出た!サイキック・バカさんの持ちネタ。  

  ゆ る や か な 連 合

これって連合の中身がないよね。
思考回路がゆるゆる過ぎるよ。
641日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:00:01
>>638
いやさあ・・・それ自爆だよ、君
畿内説を九州説、三角縁神獣鏡を鉄器の優位性に置き換えてごらん

君もその古臭い九州説を一刻も早く捨てて
もっと説得力のある九州説を考えたほうが楽しいと思うんだけどなー
642日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:01:08

■花の邪馬台国まつり(動画あり)/福岡県朝倉市

http://news.rkb.ne.jp/rkb_news/archives/015366.html
RKB毎日放送 05/08

 絶好の行楽日和となったきょう、福岡県朝倉市では「花の邪馬台国まつり」が開かれていて、多くの人でにぎわっています。

 朝倉市民祭『花の邪馬台国まつり』は、朝倉市の甘木公園で開かれています。
朝倉市の平塚川遺跡は弥生時代の大規模な環濠集落の跡地で、「かつての邪馬台国は朝倉地区にあった」との説もあることから、邪馬台国の名をとった祭りとなっています。

 会場では、さまざまなイベントが行われていて、朝から多くの家族連れなどが詰め掛けています。
また、午後には邪馬台国にちなんだ「女王卑弥呼コンテスト」も実施されることになっています。

 絶好の行楽日和に恵まれたこともあり、主催者側は祭り期間中の明日までの2日間で2万人の人出を見込んでいます。


※参考: 朝倉市サイト

・第5回朝倉市民祭『花の邪馬台国まつり』
http://www.city.asakura.lg.jp/topic/2010/shoko_kanko/citizen_festival.html

■第28代女王卑弥呼選出(8日)■卑弥呼よさこい踊り(9日)■ステージ披露(8日・9日)
■邪馬台国物産展(8日・9日)■NHKふれあい放送体験(8日・9日)■オリエンテーリング
(9日/無料)■勾玉づくり・こま回し体験(有料)■竹細工体験(無料■ベイブレード邪
馬台国選手権■古代五種競技選手権(8日)■津屋崎漁連直売(9日)■足湯コーナー(8日
・9日)■葛きりぜんざい試食(8日)■花壁画(8日・9日■花壁画の花販売
643日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:04:05
このスレで畿内説で頑張っているのは1人だけだよね。
1人で自演しながら一生懸命に反論している人を、みんなでよってたかって
ボコボコにして楽しむスレなの?

サイキック・バカさんが可哀想だよ。
644日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:05:16
>>639
九州王朝とか、もういいって
とりあえず脊髄反射するより先に、古代史を好きになってくれ
>>640
ゆるやかな連合ってのは、今や主流説であって彼だけの持ちネタじゃないよ
九州説だって今ではこの連合説を前提として展開されるのが普通
まわりに古代史マニアの人とかがいたら、聞いてみるといいよ
鉄器軍団が東征とか、九州王朝とかがいかに特異な存在かがわかるから
645日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:10:01
>>643
逆じゃない?今のところ九州説それもとびきり未熟なのがひとりで
たぶん他の九州説の人は一緒にされちゃたまらんとばかりに
君との共闘はお断りって感じなんだけど

それにしても自演も下手だなあ、君・・・
2chでやっていけるレベルでもないぞ
646日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:12:43
>>630
卑弥呼を共立した段階で新王権が誕生したと考えることもできるが、
現段階では前方後円墳じゃない可能性が高いに賛成。
647日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:13:56
ゆるやかな連合説でも、九州説は成り立つんですよ。

九州は畿内と仲良くしつつも、
魏の使者には、「倭王は九州の王だ」と自薦すればいい。
昔からある偽僭説だ。

これには、文献的根拠があって、
山口県にあったクニの王が、「倭王は俺だ」と名乗ってたと垂仁紀にある。
でね、景行天皇が、九州征伐にいくとき、山口県の神夏磯媛が降伏してくるわけ。

これでどうして、「邪馬台国は山口県だ」という説が出てこないのか不思議なのよ。

648日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:14:31
>>640
おーいサイキバ君。

>>633を誰かと勘違いしていないか?
ファビョって誰彼構わず噛み付くなアホwww

「ゆるやかな連合」なんて俺の造語でも>>633の造語でも
この板の畿内説の造語でもないぞドアホウwww

>>638
俺みたいなのが言うのもなんだがお前理論的な物言いってあまり慣れてないだろう?w
三角が魏鏡であったなら邪馬台国が畿内であるのは殆ど論を待たないと思うぞwww

どの道今の畿内説は三角魏鏡の仮説の上になりたっているものではないので問題なし。

恨み節は何処ぞの赤提灯で酒でも飲みながら吐いてくれwww
649日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:17:55

m(-_-m)〜 ウラメシヤー
 
650日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:19:10
>>644
んで「ゆるやかな連合」って何なのよ?

弥生時代は、各地で環濠集落が作られていたのが、古墳時代になると
各地の環濠が解体・放棄されたというのが、考古学的事実。

連合とかで地域主権が残っていたのであれば、何で環濠がなくなったのかな?
各地の環濠がなくなったのは、広域権力が成立したと考えるのが普通だよね。

でも、「それを認めると王権の成立が早くなって、天皇の権威を高めるからダメ」
というのが、左翼支配の学界の共通認識。

左翼学者は、王朝交代とか連合とかのトンデモ説を言いたがるけど、そんな電波の
発信機として人生を終えるのも悲しいものがあるね。

電波をゆるめにして「ゆるやかな連合」としても、電波はやっぱり電波だよ。
651日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:21:19
>>650

おまえは東遷説か?

東遷説って、最左翼じゃねえの?
652日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:23:13
サイキック・バカさんって、畿内説の年代の根拠は言わないんだよね。

根拠なんてないから。
653日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:24:28
>>650
いや環濠なんて、弥生時代の頃から何の役にも立ってない
埋まるまで放置しておいて、ごみ捨て場になってる
そして埋まったら仕方なく、前のよりちゃちなのを掘っているに過ぎない

これが考古学的事実
君のは間違いだよ
654日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:28:06
>>647
その「偽僭説」の枠組みからさらに進んで
九州以東の勢力が承認の下に九州邪馬台国が魏に朝貢した
…という筋書きも理論的にある得ると思っているwww

九州以東にすればどの道、半島・大陸との外交実務を行うのは北部九州(玄界灘周辺)で
だったら「流すもん流してくれれば良い」と「名より実をとった」って感じでwww

まあ九州卑弥呼が「親魏倭王」になったら、おいそれと手を出すこともできなくなった
…というのもあったかもしれないw

で時代が下り魏・晋の威光がなくなると用済みとばかりに消し去ったか
それとも連合体の中での地位が低下して自然消滅したか・・・

655日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:29:25
>>651
最近の東遷説には、右翼もいるらしい
といっても安本一派なんだけどね

ほらアマテラスを絡めて語る例のアレなんだけどwww
656日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:32:56
>>647>>654
こういうのがいわゆる普通の九州説で
アマチュアのマニアでやっぱ古代史に詳しい人で
なおかつ九州説主張派が唱える考えだね
657日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:34:20
>>650
>弥生時代は、各地で環濠集落が作られていたのが、古墳時代になると
>各地の環濠が解体・放棄されたというのが、考古学的事実。

普通、環濠集落の解体なんて弥生の中期ごろから始まったとするのが一般的だなw
(無論例外はあるが)

たとえば近畿なら池上曽根は古墳時代直前まで続いていたなんて誰か言ってるのか?



658日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:34:49
九州での人口の減少は阿蘇の大爆発によるものではないでしょうか
記紀にもスサノオがヒゲを伸ばし放題にしてワンワン泣いていたというような描写がありますが
これはあるいは火山の噴火による国土の荒廃を暗示しているのではとも感じます
そしてこの火山の噴火、国土の荒廃も「倭国大乱」の遠因でもあったのではないか、と
659日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:37:30
>>658
こっちのほうがそのサイキバ君とやらより
まだまともに見えるから不思議だw

でも阿蘇山が大噴火したら、おそらく火山灰による気候の変化によって
日本列島すべてと半島にまで影響が及ぶと思うけど
660日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:43:17
>>653
みっともないねえ。
じゃあなんで何重にもなった環濠を作ったりしたのかな。

他の地域との争いがあったから、だよねえ。
それすらも否定しないといけないなんて、畿内説は本当にダメだね。
661日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:48:01
>>660
もしかして甘木の平塚川添環壕遺跡のことをいってるの?
なんだ、あれに騙されちゃったのか
罪作りだねえ、安本さんもwww

あそこの濠ってば、同じ時代に存在したものじゃないんだよ
古いのが埋まったらまた新しいのを造ったり
また水害にやられて、水の逃げ道として掘ったりとか、そんなのだよ
662654:2010/05/09(日) 00:50:27
正直、現在において九州説が成り立つとしたら>>654のような枠組みかとは思うが・・・

(尚、この枠組みだと九州卑弥呼のお墓も場合によっては
 九州の初期前方後円墳の中からチョイスできる特典もありますwww)

その場合九州邪馬台国の玄界灘周辺地域に限定され
この板の九州説論者にとっての魅力の一つ「自由度の高さ」が制限されるのはやむ得まいwwww

あとは肯定記事とのすり合わせで通説なら伊都国奴国とされるのをどうするか?って話だろうw
663日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:51:11
>>661
多重環濠はそこしか知らないのかな?

さすが畿内脳。畿内のことも知らないなんて。
664日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:53:36
それと、俺も誤字ってしまったけど
あそこは環「壕」であって「濠」ではない
幾重にも水の防衛線に守られた集落というイメージは、大間違い

実際は河川の氾濫から集落を守るための、水の逃がし溝兼ゴミ捨て場
第一、平塚川添はどこと戦ってたのよ
まわりに強敵となるような環濠遺跡なんてあったっけ?
665日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:55:52
サイキックは早く、畿内説の年代の根拠を答えろよ。

いつも逃げ回ってばかりだな。クズ。
666日本@名無史さん:2010/05/09(日) 00:57:22
>>663
いや多重環濠なんて概念そのものが、もう古い
同時期に複数の濠や壕を持つ集落遺跡は、全国的にけっこうあるけど
それも防衛のためなんかじゃないし
667日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:00:47
と言うか古墳時代直前まであるいは古墳時代に入っても暫くは続いていた
環濠集落遺跡って言うと何処だ?

池上曽根はそんな話聞いたことも無いし
吉野ヶ里も少なくとも庄内併行期には濠も廃棄土器で埋まってるんじゃなかったのかな?
668日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:04:49
やっぱりサイキックは無視ということでFAだな。
669日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:06:56
>>662
まあ伊都国奴国は通説どおりでいいんじゃないかな
あとは魏使や郡使は伊都国止まりってことにして
邪馬台国には行ったことがないと・・・

だいたい三国志っていうのは、行程ガイドブックじゃないんだから
おおまかな情報だけでおkだったはずだよね、文書の性格上からして

実際に往来してる連中は、あんなものに頼ったりしないし第一読まない
もっと詳細な渡航マニュアルというか、精査な地理知識があったんじゃないかな
それは三国志には載ってないというだけで

そもそも対馬から松浦半島に行くのがおかしいのであって
なんで近いからといって、あんな何もないところに上陸して歩かなきゃならんのかと思うんだよね
とりあえず対馬から一番近い末蘆国を書きましたってだけなんだと思う

実際は加布里湾に相当な港湾遺跡があることが判明しているから
そこに上陸して伊都国まで陸路南下というのが、通常ルートだったと思うよ
670日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:09:01
サイキック・バカというのは絶妙なネーミングだな。
ひたすらウソで塗り固めた畿内説で自演を繰り返す奴の行動を見ていると、
精神的にちょっと普通と違うと思う。
671日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:13:09
>>670
本当に自演が下手だねえ・・・おじさん溜息が出るよ

いま君では出来ないような、普通の九州説をわざわざ連合説論者で作っている最中だから
ちょっとROMって参考にしてみたらどうかな
672日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:18:07
>トンズラ、ピンポンダッシュが十八番のサイキバ君へ

年がら年中トンズラこいているアホに「逃げている」呼ばわりはされたくないな。
(近々のトンズラは邪馬台国ブームの話で内藤と白鳥の話が何で出てくるんだ?だったかな?w)

このスレか前スレに恨み節に「年代遡上の根拠」とか聞かれて答えているからそれを探せクズ。

2行3行じゃないから十分だろう。

年輪年代の登場を待つまでも無く
年代の繰上げはもはや必然で
むしろ小林・佐原のビッグネームの威光でズルズル旧説を引っ張った体質こそ批判されるべき
・・・と言う旨の書き込みをしている。

それを見た上で批判しろカス。

それとお前の年代間の根拠も沿えてな(現時点ではどの道蓋然性の比較にしかならない
673日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:21:45
>>672
前スレに書いたなら、じゃあそれを又書けばよいだけだよね。

それとももう書きたくないような代物なのかな?
もしかして何も書いていないのかな?

サイキバ君をいじるのって楽しいね。
674日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:24:24
>>672
一応だけど、佐原さんは遡上もありだと主張していたと付け加えさせてね
同じ時代のビッグネームで、小林年代観にこだわってたのは
狗奴国東遷説を唱えた井上光貞とかで、どっちかというと古い九州説が多い
675日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:27:12
まあ、うすら馬鹿だクズだと畿内脳とかいうのは
汚い言葉でののしることにかけては九州説に勝っていますな。
そう感情的にならんでもうちっとマシな言葉でやりあってくれんかのう。
よそのスレから見にきたが、これじゃ畿内説が馬鹿に見えて悲しいわい。
わしも畿内説じゃがこんなんといっしょにされたくはないのう。
676654:2010/05/09(日) 01:27:51
>>662の続きとして・・・

九州邪馬台国を外交でイニシアチブを取れた玄界灘周辺地域とした場合の
行程記事とのすり合わせ…について実はアイデアがあります。
聞いてください先生www

そもそもあの行程記事(と考えられているもの)は邪馬台国までの行程でもなんでもなかった。

当時、畿内に誕生していたヤマトへの行程が誤って九州邪馬台国のそれと書かれてしまった。

どうでせうか?w

まあ「行程記事まるまる抹殺」みたいな話だろうが
短里だの膨大な日数は郡からのトータル所要時間・・・なんてものよりは分かり易いと思うのだがwwwww
677日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:28:53

■「珍しい」古墳期土器片に人物絵 敦賀・大町田遺跡から出土 

福井新聞 2010年5月8日
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=21331&storytopic=1

 福井県敦賀市羽織町の大町田遺跡で、絵が描かれた古墳時代初頭(約1750年前)の土器破片が見つかった。同市教委が7日発表した。
土器に絵を描くのは、さらに古い弥生時代の出土品に多く見られるが、古墳時代では珍しいという。同市教委では「当時の敦賀人は、かたくなに伝統を守っていたのだろうか」と推測している。

 発見された土器片は、かめの一部で縦14センチ、横8・5センチ、厚さ7ミリのほぼ長方形。敦賀市内によく見られる鉄分が多い赤土の粘土で作り、下部がすすけていることから煮炊きに使用されたとみられる。
水田地表面から約30センチ掘り下げた同遺跡の深さ30センチの穴から、古墳時代の原型を保つつぼやかめなどとともに見つかった。

 描かれているのは、2人の人物像で、一人はかさをかぶり、もう一人は鳥の格好をしているように見える。
土器片の上部に描かれており、大きさはそれぞれ縦4センチ、横2センチ程度。粘土が軟らかいうちにヘラ状の工具で描いたとみられる。

 絵が描かれた土器は弥生時代中期(約2000年前)に多く製作され、農耕祭事に使われたと考えられている。同後期(約1800年前)になると、記号が描かれるようになり、古墳時代には絵や記号は描かれなくなっている。
県内では同遺跡から約500メートル離れた吉河(よしこ)遺跡で、シカが描かれた弥生時代の土器2点が見つかっているが、古墳時代のものはないという。

 かめの形状からも、発見された土器片は古墳時代のものと推測される。同市教委では「なぜ、古墳時代の土器に絵が描かれたのか分からない」とし、専門家に鑑定を依頼している。

 同遺跡は、中郷公民館建設に伴い2008年から、約2500平方メートルを発掘調査していた。同公民館は09年完成予定だったが、調査のため建設が遅れて今年10月の開館を目指している。


※参考: 広報つるが 平成21年2月号 P8〜9

■敦賀で初めて 弥生末期〜古墳初期の集落跡を発見
http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/open_imgs/info/0000009931.pdf
678日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:30:20
>>674
と言うか佐原って自説の年代間には「考古学的根拠は無い」って言ってたんじゃなかったっけ?

だからこそ年代がきちんと確定できる年輪年代に着手したわけでw
679日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:32:47
>>675
いや自演の腕を磨くより、まじめに勉強して
みんなについていけるようになろうよ

おじさんもというか、だいたいアマチュアは九州説から入って
そのうちあれこれ勉強して、どうしても成立不可だとわかってしまい
転向した人って多いんだよ

どんな本を読めばいいかとかなら助言するし
サイトにしても電波ばかりじゃなく、かなりイケてる九州説だってあるんだし
学ぶ方法はいくらでもあるのだからね
680日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:37:46
>>646
どもども^^

滋賀に神郷亀塚古墳というのがありまして。
3世紀前半の前方後方墳で、被葬者は「夫婦」だと推定されるそうで。
でも、権力者が亡くなったから妻も葬るというのは他には例がないですね?

卑弥呼が亡くなった時、世話役の男子はどうなっただろうと考えると。
一緒に葬られた、というのはあり得る話じゃないでしょうか。
681日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:39:53
>>676
なるほど、それいいと思います
それと九州邪馬台国と畿内ヤマトを混同してしまい
距離や方角がわやくちゃになったとか

この場合、狗奴国は畿内ヤマト&東海でもおkだし
投馬国でもおkになる

まあ行程記事全否定というのは、文献重視派からしたら噴飯ものなのだろうけど
実際に倭国はおろか朝鮮半島にも行ったことのない陳寿が
方々の断片的な情報を集めて記録したものだからね

そういえば西域伝にしても、あれ行程も距離も間違いだらけだったよね
東夷伝だけぴったんこかんかんというのは考えにくいってことで勘弁してもらいましょうよ
682日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:41:11
>>672
ようするに根拠はない、願望だけってことだよね。

石野さんも、結論だけを叫んでいるね。
683日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:48:25
>>682
たぶんみんなも同じことを言ってるはずなんだけど
要は蓋然性の問題なんだよ

遡上しない年代観では、古墳時代が短すぎて
それこそ畿内の大集団が日本全国に征服戦をやらかして
前方後円墳を造りまくったってことになってしまうわけ
そんなことありえないでしょ?
その場合、北九州なんて真っ先に滅ぼされたことになっちゃうから
これはもう九州説からしても、今では受け入れがたいのよ

別に年代遡上しても、今の九州説には影響ないんだよ
困るのは古い九州説だけで、そいつは今やもう提唱者はいないんだ
684日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:51:38
>>683
>古墳時代が短すぎて    →意味不明

>日本全国に征服戦争   →論旨不明


それはともかく一般的には、年輪年代とC14を根拠にする人が多いみたいだけど、
その人たちはクズということでFAなんだね。
685654:2010/05/09(日) 01:55:26
>>681
>この場合、狗奴国は畿内ヤマト&東海でもおkだし

いい指摘です!(池上彰風に)

邪馬台国にプレッシャー与える悪役には十分w

ひょっとして当時こんな展開が…

畿内ヤマトおよび九州以東の首長連合
「おいおい、わしらを代表して朝貢してええとは言うだけど
 おまえんとこの卑弥呼婆さんが親魏倭王って、どう言うことやねん?
 話ちゃうやろ、ああ?」

九州邪馬台国若い衆
「あねさんマジヤバイっすよ!連中こっちに仕掛けてくるかもしれませんぜ!」

九州邪馬台国卑弥呼
「落ち着けや!魏に書状だしとき!」」
686日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:55:34
>>684
なんかあれだねえ・・・化学とか不得意だった?
今や九州説も年輪年代とC14に準拠しているんだから
総ての九州説もクズになっちゃうんだけど、大丈夫?
687日本@名無史さん:2010/05/09(日) 01:56:11
>>684
いま現在、年輪年代を正面から擁護する人はもう居ないだろう。
C14にしても批判の包囲網の最中にあり、北條があそこまできつく批判してしまったのでは
あれを正面から擁護することは逆に勇気がいる。
688日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:00:25
>>686
じゃあ年輪とC14が根拠ってことかな?
じゃあなんで、上では書かなかったの?それって正しくないって分かっていたってことだよね。
689日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:03:05
>>685
でもって卑弥呼姉さんは、狗奴国のヒットマンによって命を落とし
幹部会が浮き足立って、烏合の衆と貸したその時!

台与「あたしが二代目をついでやる!」

幹部「お嬢!」

しかし狗奴国の卑怯かつ執拗な攻撃の前に九州邪馬台国は風前の灯に・・・

そこに颯爽と現れた、ギターを持った魏の軍隊がwww
690日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:05:11
>>688
君、煽りじゃなくて本当に一人で自演してると思っているの?
それ、おじさんじゃないよ
今だってたぶん畿内説の人は5〜6人くらいいるみたいだし
691日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:13:00
>>680
もし卑弥呼の墓だとしたら、補佐役の弟の可能性が高いと思います。
692日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:17:17
C14を信用できないといわれるのは心外
INTCAL98などはそれなりに根拠がある校正曲線である。

歴博(だったか?)が出した勝手な弥生時代の校正曲線で
当てはめるのはやめてもらいたいものだ。

693日本@名無史さん:2010/05/09(日) 02:31:30
C14炭素年代法国際基準校正曲線はINTCAL04が最新ですね。
これを使うと古く出過ぎるという意見があるが
案外それが事実じゃないですかね。

縄文末期とか弥生初期が2500年以上前だったりして
神武の話が微妙にかぶってきそう。
694日本@名無史さん:2010/05/09(日) 03:09:00
>>693ヨコレス
>これを使うと古く出過ぎるという意見があるが
>案外それが事実じゃないですかね。

日本語があいまいだよ〜
解釈@ 「古く出過ぎ」との批判意見はその通りで、本当の年代はもっと新しい
解釈A 「古く出過ぎ」との批判意見があるが、いや、その年代でいいのだ、批判意見の方がおかしいのだ
どっち?
たぶんAだとは思うけど^^;>
695日本@名無史さん:2010/05/09(日) 03:14:20
>>694
正直言ってどちらが事実かはわかりかねますが
自分の意見はAです。

8世紀以降の記録が残っている年代では
概ね近い値が出ることからしても
古く出る年代にはなにかの事実があると思っています。

100年程度なら、木材の中心部と外周部で変わってきますし
696日本@名無史さん:2010/05/09(日) 04:29:37
>>685

面白いね。
だいたい、そんなところだと思うね。(卑弥呼が九州にいた場合)

もっとも、3世紀に、「ゆるやかな連合」を組んだ場合、
誰が倭王を名乗るか?
実は、どのクニが倭王を名乗っても、他のクニにばれなきゃ、お咎め無しだったはず。
北九州あたりなら、いくらでも倭王を名乗れたはずだから、
勝手に魏に朝貢していたことはありうるだろ。

そうさせないために、畿内が九州に「一大率」を置いていた、とも考えられるがな。
そうしたクニ同士のつながりがどこまで深かったか?を、さぐるのが、これからのテーマじゃないのか?
鉄器や土器の流通を細かく見ていけば、明瞭な回答が得られる気がする。

とりあえず、東遷説、王朝説には引退してもらうと。




697日本@名無史さん:2010/05/09(日) 07:04:19
>>679
自演?何じゃそりゃ。
あんた昔九州説なんぞを信じとったんかのう。
わしゃ最初から畿内説じゃ。
だいたい自信のないもんが馬鹿だのクズだの人を揶揄するもんじゃ。
ここの畿内説は焦っとるんか何か知らんが醜い書き込みが多いんが気になるのう。
畿内説は不滅なんじゃけえ何も焦らんでええよ。

698日本@名無史さん:2010/05/09(日) 09:36:47
>>696
『後漢書』倭人伝で「國皆稱王 世世傳統」とあるから
漢代までは漢と通じている三十国ほどの倭の国々は皆王を称していたが
魏代になると王を称するのは邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑彌弓呼の二人だけとなり
勝手に朝貢していたとしても、朝貢していたのはこの二人だけ。
「一大率」は邪馬台国の通商路を管理する機関でしょう。
699日本@名無史さん:2010/05/09(日) 09:45:41
現段階で発掘された遺跡の数をもって人口の多い少ないを論じている人がいるが
これは誤った思考であり止めた方がよい
遺跡の数は発掘は今後も増えていき変化していく、
現状でも地域によって発掘の進展具合はまちまちである
また遺跡として残る率も地域によってまちまちであり
遺跡の数での人口推計は問題がある。
700日本@名無史さん:2010/05/09(日) 11:08:30
卑弥呼が死んだ時、使えていた女子は殉死させられて塚の周りに埋められたんだよね?
箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だとすると、その墳丘に(土師氏の始祖・野見宿禰の献策であり、殉死の代替としての)埴輪が並んでいたことをどう説明するんだろう?
701日本@名無史さん:2010/05/09(日) 11:17:26
>>699
そういう短絡的な考察ではないのではないか?
>>677の記事転載からも推し量れるように
弥生後期ともなれば、列島内にはすでに文化的格差はほとんどなく
複数の経済ブロックが連立していたというモデルが推測されるようになる
いわば畿内一極集中や、北九州優位といった過去の見解が成立しがたくなったという
新たな枠組みを考察せねばならないことの手助けになるのだから
702九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 11:35:28
>>700
>卑弥呼が死んだ時、使えていた女子は殉死させられて塚の周りに埋められたんだよね?

違います。誰も殉死していません。
卑彌呼は「徇葬」されたのです。「殉葬」ではありません。

記紀によると、畿内では「殉死」があったので、卑彌呼を畿内の人物とする為、
原文の「徇葬」を「殉葬」と改変する人がいたのです。
九州では殉死の風習はなかったのでしょう。
だから魏志倭人伝原文では「徇葬者」ではなく「殉葬者」としているのです。


魏志倭人伝原文『卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者 奴婢百餘人』
703九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 11:41:38
>>702の間違い修正

×:だから魏志倭人伝原文では「徇葬者」ではなく「殉葬者」としているのです。

○:だから魏志倭人伝原文では「殉葬者」ではなく「徇葬者」としているのです。
704日本@名無史さん:2010/05/09(日) 11:52:59
サイキック・バカさんはアク禁なのかな?
畿内説が5、6人いるとか弁解しているけど、いつも同時に出てくるのでは
下手な自演ですね。
705日本@名無史さん:2010/05/09(日) 11:54:50
>>699
遺跡というのは、使用されなくなった時点で「遺跡」になるわけですしね
現役の田畑が、いつから田畑だったかなんて分からない。
706日本@名無史さん:2010/05/09(日) 11:58:12
>>704
サイキック・バカ如きに「さん」付けする必要も、餌を与える必要もないかと。
あれは、都合が悪くなると自演を始めてキャンキャン吠えるだけですわ。
707日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:01:15
さすがご都合主義の九州説らしい思考能力だわw
708日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:02:51
>>704>>706
まあ頑張って下手な自作自演を続けてくれwww
709日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:09:45
箸墓についてはあまり触れないほうが良いでしょう。
710日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:09:47
>>704

俺も畿内説ですが、何か?

普通の一般人は、一日中2ちゃんなんてしてないだろ。
711日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:12:01
畿内説は洞察力が劣ってるから、
相手が自分と同じ畿内説なのか自分の敵九州説なのかさえ見抜けないみたい。
712日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:16:05
九州説はもはや敵に値する存在ではないからなあ

議論はすでに畿内説のなかで、連合の実態や成立過程にシフトしている
713九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 12:19:19
>>700

卑彌呼は人徳が高かったようだ。
卑彌呼の葬儀に参列する奴隷が100人余りもいたのだね。
彼等も奴隷にも関わらず卑彌呼に大事にされて、卑彌呼を慕っていたのだろう。
卑彌呼は、自分の死後も、自分の葬儀に男女の奴隷を参列させるだけの威厳を持っていたのだろう。
714日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:36:09
しかし鉄器軍団とか九州王朝とかばかりで
普通の九州説は本当にいないんだな、ここ
715日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:45:36
>>714
邪馬台国の名が欲しいのではなく、大和王権の方が欲しい連中しかいないもん。
716日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:45:54
>>710
>普通の一般人は、一日中2ちゃんなんてしてないだろ。

基地外のサイキック・バカが一日中張り付いているじゃん
717神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/09(日) 12:59:49
邪馬台国の卑弥呼は三角縁神獣鏡で腐った古代九州を買い叩いたわけですよ。
718日本@名無史さん:2010/05/09(日) 12:59:58
普通の九州説って言うが

魏志倭人伝の行程記事の独善的解釈の禁止
記紀からの恣意的な引用の禁止
考古学成果に基づく比定地の絞り込み
3世紀における倭国の実態についての言及

こうやって電波要素を禁則事項にしていくと
どうしても九州の中に収められないんだよなあ

逆に平塚川添はどうか?方保田東原ならいけるか?いっそうてなは?と言うように
個別に検討したほうが実のある議論が出来そうな気がする
719日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:03:58
>>711

> 自分の敵九州説

敵になってないよ。
720日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:12:53
>>704
いつも同時に出てくるのはサイキック・バカだから
721日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:19:12
>>718

面白そうだな

ただもう少し縛りを緩くして

方保田東原遺跡が対象ならその周辺にあったとしてもよいくらいの範囲で

候補地を具体的に検討していくというのはどうだろうか
722日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:19:44
>>708
サイキック・バカ乙
723日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:21:09
>>711
敵というよりもまず人間として見ていませんよ。
畿内厨が九州説の人たちに浴びせている罵詈雑言を見ればわかるでしょう?
畿内厨というのは平然と人を差別して平然と貶めて悦に浸っている気の毒な方々なのです。
いたわってあげてください。
724日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:29:27
あー。
巳百支国 = 御牧藩(京都府久世郡)
これだ。

崇神天皇・御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
そしてモモソ姫の蛇夫とは・・・
725日本@名無史さん:2010/05/09(日) 13:31:35
サイキック・バカが意味もなく罵詈雑言を浴びせているのは、
現実社会で凄い差別を受けているトラウマなのでしょう。
726太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/09(日) 14:03:09
サイキバっていうのは、やはりサイキック・バカっていう意味ですか?
どうなんだろ?
727日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:05:23
>>726
 
>>408 祭器場君誕生 参照されたし
728日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:09:24
=====================================================================
=====================================================================

サイキック・バカ 対策

【対処法】

NGWordに「www」「www」を追加。(透明あぼ〜ん推薦。)

これにより、棺桶から這い上がろうとするサイキック・バカが成仏されます。南無〜

=====================================================================
=====================================================================
729太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/09(日) 14:10:51
はは〜ん。「祭器場」なんですな。w
730日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:14:12
太国にさえバカにされるサイキバ君哀れ。

731日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:20:40
崇神天皇(みまきいりびこ)が“みまき”出身なら、次の
垂仁天皇(いくめいりびこ)も“いくめ”出身じゃないですか

検索したら、日向国にありましたよ!「生目古墳群」ってのが。
732日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:46:16
733日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:52:28
サイキック・バカは、橿原から金もらってる工作員なのか?
1日中、張り付いているから、職業荒らしとしか思えん。
734日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:56:10
>>732
おー。日高氏すげー。

>畿内にある古墳が、大きさが縮小した形ですべてそろっている。
このへんはちょっと恣意的?な表現ですけどw

これ、どうしてもっと取り上げられないんですか?
「日向」って、モロに日本神話に登場する土地なのに。
735日本@名無史さん:2010/05/09(日) 14:58:40
>>733

連休中から張り付いてるのはおまえじゃん。
736日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:03:42
畿内説によると、神武天皇の時期はいつ頃になるんだろうな。
九州王朝説の場合はどうなんだろう。
東遷説の場合は、卑弥呼の後だから、だいたい4世紀に入ってからということに
なるわけだが。
737日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:04:23
>>732

>その結果、笠置山墳丘墓周辺から数多く見つかった庄内式土器や瓶の破片から、
>出土物は2世紀後半から3世紀中ごろの物である可能性が出てきたのだ。
>一般的に、前方後円墳が作られ始めたのは、4世紀だとされている。
>最新の研究では、畿内の箸墓古墳などは、3世紀の半ば頃まで遡れるかも知れないとされている。
>だとすると笠置山墳丘墓は、史上最古級・最大級の前方後円墳である可能性がでてきたのだ。

さりげなくレトリックが挿入されてるな。
安本と違って本人は無自覚だろうが。

738日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:08:09
雉の鳴女=躬臣の難升米
739太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/09(日) 15:11:02
>>736
九州説だが、神武の代は1世紀だね。
740日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:11:02
>>738
よし、雉の生息地を探すのじゃw
741740:2010/05/09(日) 15:24:59
躬臣=雉=和歌山市辺りかなー
ttp://homepage3.nifty.com/rokujigen/syoukiji.html
語源が岸なのか雉なのかよく分からんけど

支惟=紀伊とは別なのか・・
742日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:30:58
>>739
大体の一致が見られる?
それともけっこうバラバラ?
743日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:31:32
>>736
畿内説の場合、架空の人物と見る人がほとんど
崇神以降の実在を主張する人がちらほらで
いや応神以降だろうってのも、またちらほら
たいていは継体以降が実在で、その前は居たにせよ同族かどうか妖しいと言う見解
744太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/09(日) 15:37:12
>>736
あぁそうそう〜言い忘れたが、九州王朝は崇神の前後ころからで、このころ
に九州に王朝の始まりの卑弥呼の国があったということさ。しかも
倍暦計算から

 (紀の崇神即位元年=)崇神即位元年=237年=景初元年

になる。ところが同計算から

 紀の崇神6年=崇神即位2年=238年

になり、このとき崇神天皇は同床共殿策にて模擬鏡を殿内に奉安した。

その翌年の 崇神即位3年=239年 にこれの右へならえ式のことにより
幾多の製造された模擬相当の鏡が朝廷の取り巻きに伝達されたもので、
これが畿内古墳から出て来る239年銘文のある△である。

だから唐松山の言う 239年=景初3年 では△の出土するべき事由が
あるわけがなく、即興の言い分で奴は繕うだろうが、239年=崇神3年 と
するとこの模擬鏡の同床共殿策の紀の記述と年代が合致するし、それ以上
の△が景行元年にすべき直接的事由は見当たらないことから、奴の主張が
デタラメであることが判明する。しかも 崇神6年=193年 では半島に
餓鬼人百姓が千人も渡れないことが船舶のまだ無い時代であるから肯定は
出来ず、インチキであることが紀の崇神17年に始めて船舶を造ったことの
記事から自明に判明する。
745日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:41:06
>>743
つまり、継体天皇以降が大和朝廷で、それ以前はヤマト王権というわけなのかな?
最近良く聞く、ヤマト王権というのもあいまいな感じがするけど。
746日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:45:04
      【畿内説詐欺】

学閥で生き抜くため、就職のため、出世のために、
畿内説を死守する使命を背負った人たちはプロに多く、
畿内特有のものにはこれぞ邪馬台国の証拠と屁理屈をつけ、
真実より自己都合に合わせて勝手に年代判定を操作改ざんし、
魏志倭人伝に符合しない自説の矛盾は黙殺し、
あるいはは魏志倭人伝を誤解釈&改変して矛盾を解消し、
三角縁神獣鏡や箸墓や纏向は邪馬台国の証拠と言い張る。

この手法なら、南極にも月にも邪馬台国を動かせる。
普通の人には、この詐欺理論がバレバレなので、
考古学のプロだけが、畿内説にしがみついて生活している。

これが畿内説詐欺の実態です。
747日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:46:05
>>733
サイキック・バカが職業荒らしなのは誰でも知ってるが黒幕がなんなのかは不明。
つーか、サイキック・バカに餌を与えるなよ。
748日本@名無史さん:2010/05/09(日) 15:47:11
>>745
いやヤマト王権というのは便宜的につけられた名前で
どこから大和朝廷として機能し始めたのかというのは、正直なところわからんという話
なんせ史料が記紀くらいしかないものだから、その信憑性を検討のしようがない
実際にかなりまとまった政府になったのは、天智か天武天皇あたりじゃないかというくらいの見解にとどめている
749太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/09(日) 16:01:21
>>744 訂正
× 取り巻きに伝達されたもので
○ 取り巻きに祭祀するよう伝言されたもので
750日本@名無史さん:2010/05/09(日) 16:03:39
=====================================================================
=====================================================================

邪馬台国=畿内説を支持する人々

「日本書紀」の編者たち

・邪馬台国は神功皇后の時代
・女王卑弥呼=神功皇后
・神功皇后は畿内大和にいた。

北畠親房(南北朝時代)

「神皇正統記」卑弥呼=神功皇后、邪馬台国=畿内大和説。

内藤湖南(京都大学)※魏志倭人伝の「南」を「東」とする黒幕

京都大学系のマスコミ便乗派研究者、マスコミ便乗派考古学者、新聞・マスコミ
奈良国立文化財研究所、マスコミ便乗派考古学主導の邪馬台国=畿内説

=====================================================================
=====================================================================
751日本@名無史さん:2010/05/09(日) 16:05:09
もうサイキバ君はコピペするしか能がなくなっちゃったんだな…
752日本@名無史さん:2010/05/09(日) 16:44:06
wとサイキバは隔離スレでもたててそっちでやってほしいぞ
サイキバがファビョッて完全に荒らしと化した責任は多少感じろよ>wよ
753日本@名無史さん:2010/05/09(日) 16:55:28
サイキバって最初から荒らし専門だったような・・
754日本@名無史さん:2010/05/09(日) 17:01:08
もともとこの「ドン来い」そのものが荒らしの隔離板なのだが・・・
755日本@名無史さん:2010/05/09(日) 17:11:27
サイキック・バカage
756日本@名無史さん:2010/05/09(日) 17:37:38
サイキック・バカは職業荒らし
757日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:03:26
サイキバくんとサイキック・バカって、別人を指してるの?
758九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 18:10:36
>>700さんへ

原文を読めないようだから、原文の解説をしますね。

『卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者 奴婢百餘人』魏志倭人伝原文

卑彌呼は死んだので、
大きな墳丘(冢)を作った。
[古墳のような墓]

その墳丘の差し渡し(徑)は、凡そ23m余り(百餘歩)である。
[円墳か方墳か変形楕円墳は解らない]

祈りを奉げる合唱隊(徇葬者)は、
[合唱葬? キリスト教の聖歌隊のようなものか?]

男女の奴隷(奴婢)で100人余りであった。
759日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:10:50
>>757

サイキバ君→>>408 祭器場君誕生 参照されたし、九州(王朝)説

サイキック・バカ→通称ww(語尾によくwをつける)、ジョーカー 畿内説
760日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:10:58
バカにかまってないで推論出し合おうぜ♪

ミマキ国=山城と信楽は、山道を介して隣り合っています。
山に囲まれた信楽が邪馬台国の「宮」だったとしたら。。

台与=モモソ姫暗殺現場に残された、三巻きだけ残された糸・・・
犯人は、・・・ミマキ・・・!!
761日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:23:49
>>758
大作冢 の大は冢に掛かる形容詞じゃなくて、作に掛かる副詞だよw
「大きな」冢を作る。じゃなく、「大いに」冢を作る。
762日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:30:20
>>759
サイキック・バカってのは、ここ数年、毎日張り付いては比喩中傷を続けるマスコミ便乗派。
(語尾にwwwを付ける)

その正体は、マスコミ便乗派の職業荒らしとも、単なる引きこもりとも言われている。
763日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:30:45
>>758
いいね、この解釈。さすがだね。
764日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:34:39
大作塚‥なるほど、箸墓の場所は大市ですな。
つまり大市に墓を造るという事。
765九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 18:36:08
>>761
>大作冢 の大は冢に掛かる形容詞じゃなくて、作に掛かる副詞だよ
>「大きな」冢を作る。じゃなく、「大いに」冢を作る。

そうですね。
うっかりミスってしまいました。
差し渡し23mの墳丘は大きくはありませんね。
766日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:41:38
先にいつもの恨み節の物と思われるカキコに
まるで全ての環濠集落が弥生から古墳時代への変わり目で
一斉に解体されたかの内容の物があったが
(不勉強な俺はそんな話はここ以外では聞いたことが無いんだがwwww)

ある本に環濠集落がやがて構造が複雑化していく事例として
横浜の大塚遺跡と池上曽根遺跡をあげていたので画像に重きを置いてググって見た

 大塚遺跡
 http://www.yoshinogari.jp/ym/episode02/feature02.html

一般的な環濠集落のイメージと言うと↑これあたりなんだろうが…
西日本のものは構造が複雑化

 池上曽根
 http://www.ioctv.zaq.ne.jp/ikegamisone/5ikesone/5_01.html

特に集落北部の濠は複雑でもはや防衛のためとも思えないw

そもそも
そこに櫓みたいなものを築くならともかく、単純に濠のすぐ外に濠を作っていく
それって防衛戦術的に意味があるのか?
もし戦国ヲタで城の構造に詳しいやつがいたら聞きたいwwwwwwww
767日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:44:44
治水・土木の技術を持った人達が渡来したから
環濠集落の必要がなくなったのかも
768日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:45:12
>>765
ちょ、ちょっと、しっかりしぃや…
畿内説に足元見られてしまうぜよ。九州説論者より
769日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:47:39
>>768
そんな揚げ足取りせえへんよ
770日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:53:39
>>766
戦国ヲタじゃないけど、弥生期の環濠にはもともとたいした防衛機能はない
どちらかというと、集落の中と外を分ける境界線のようなもので
土砂やゴミで埋まったら、また掘るみたいな感じのところが多い
中には治水というか、雨水の逃げ道(側溝のようなもの)の役割も果たしていたところもあるが

あと>>767の指摘は正しいと思う
直接に渡来せずとも、進んだ治水技術の導入によって
環濠という効率の悪い逃がし溝が不必要になったというのが考えられる
マキムクの水路などがまさにそうで、あれは水路としてだけでなく
造成時の水はけや運搬水路、のちに下水路という複合機能がある
771日本@名無史さん:2010/05/09(日) 18:59:35
それと俺も恨み節クンじゃないけど
古墳黎明期あたりから、全国的に環濠集落が放棄され始めるのは事実
残ったところも急激に形態を変え、少なくとも新たな環濠を掘るところは極端に減る
そのほとんどが放置でなく、計画的な放棄だと見られている理由は
その環濠をわざわざ埋め立てて更地にしているため
772日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:03:26
透視能力者のマクモニーグルが卑弥呼の墓は
山口下関にあると言ってるがどう思う?
ちょいと長いけど見てくれ
http://www.youtube.com/watch?v=bS_Lq5i0cwY&feature=related
773日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:03:45
>>771
>古墳黎明期あたりから、全国的に環濠集落が放棄され始めるのは事実

弥生中期ごろからと認識していたが・・・

むしろ畿内においては唐古鍵なんかは環濠集落としては後発だったと思うが・・・
774日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:08:21
>>770
>環濠という効率の悪い逃がし溝が不必要になったというのが考えられる

どういうこと?

くわしく。
775日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:09:32
>>773 訂正

誤)弥生中期ごろからと認識していたが・・・
正)弥生後期中葉ごろからと認識していたが・・・
776日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:09:48
>>773
中期における放棄は、いわば本当の意味での放棄で
住めなくなったとかもっといい場所に動いたとか
人の営みとしてごく自然な放棄で、それは中期ごろからあちこちには見られる
いわば、集落の寿命みたいなものかな

古墳黎明期や弥生終末期のは
おそらく交易形態の大きな変化による集落の再編成によるものと考えられている
この放棄を説明する理屈のひとつが、ゆるやかな連合化が進んだというものですよ
777日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:11:28
>>776
おk。

廃棄の意味についてもう少し峻別して考えてみることにする
ご教示サンクスwwww
778日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:13:09
>>775
弥生後期中葉の放棄も古墳黎明期の理屈と同じで
過去の有力なクニが求心力を失い始めた萌芽じゃないかな
いわばリーマンショックみたいなかんじで
779日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:16:03
>>774
いや、もっと効率的な水の逃がし方の技術がもたらされたので
使い勝手の悪い環濠なんかに頼る必要がなくなったってこと
780日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:19:48
>>779
環濠だと、何がどう使い勝手が悪いの?
781日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:25:27
>>780
基本的に水が流れない(河川に繋がってない)ところが多いから
すぐ埋まったり、ひどいところになると土砂崩れで集落内に被害がでたりする
河川に繋がっていて流れるようにしたところもあるけど
大雨のときに逆に鉄砲水の標的になって、これまた被害が出る

弥生環濠集落ってのは、大体この繰り返しで結局廃棄されるってのが多かった
あと伝染病の温床にもなったろうしね
糞尿なども環濠に捨てていたから
782日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:30:12
さっきマキムクを例に出したけど、環濠よりはずっと機能的にはましなんだけど
堰の技術がまだまだ稚拙だったから、やはり大水の際には水が溢れ出して
集落を侵食したりもしている

一番わかりやすい例が平安京
水量コントロールが当時の技術では不十分だったため
早々に右京部分が湿地化してしまい、かなり後の時代までほっとかれた
鴨川もよく氾濫したようだしね
783日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:32:15
「戦乱の跡」と言うくくりでもう一つネタを振ってみる。

環濠集落とともに防衛的機能を言われるものに「高地性集落」があるわけだが
あれって本当に戦乱の中で必要性に迫られて出来た物なのか?

目の前が海の瀬戸内で生存圏を拡大しようとしたら高地・微高地にも集落を作らなければならなかったとか?
農耕の多様性(低地での田から高地での畑)と言う事で捉えることは出来ないものか?

あれを無条件に倭国大乱の跡と見ることで結構色々と支障があったと思うがwwwwwwwww
784日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:33:20
江戸城だって一種の環濠集落だし、前方後円墳の亜種といえないこともない。
倭人とは囲まれた土地が大好きなのです。
785日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:41:56
>>783
まあ投石用にわざわざ下の河川から丸石を大量に持ってきているのだから
防衛としての目的は一応あったのだろうが
ほかに狼煙の跡とみられる焼土痕もけっこうあることから
連絡中継地点としても機能していたようだ
ただまわりに開墾の跡がある高地性集落がほとんどないことから
低地からの移住とかは今のところ考えにくい
どこも2,3戸程度の広さだし

だけど畿内の生駒山地にあった高地性集落は
もう集落といっていいほどの面積を持っている
東大寺遺跡などがそうだね

だから倭国大乱の対策のみで造られたとはいい難い
高地性集落には破壊されたり焼かれた跡なんてのが、どこにもないのだから
786日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:44:56
ごめん東大寺遺跡じゃなくて
東大寺山遺跡だった
787日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:49:12
>>785
狼煙台の(摂津からヤマトに至るような)ネットワークの話も
正直「ホンマかいな?」と思わないでもないw

「そこまで脅威を与える侵入者って何処の誰やねん」とwww

788日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:53:10
iいや狼煙ってのは軍事用だけでなく
たとえば「船がきたぞー」とかの積荷到着合図なんかにも使えるし
まあそんな使い方のほうが多かったと思うよ
789日本@名無史さん:2010/05/09(日) 19:56:56
>>788
なるほど、古代における遠距離コミュニケーションのツールとw

これまたご教示サンクス。
790日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:02:06
あと高地性集落が海からの脅威に備えたものとは考えにくいのは
肝心の海が見えない位置に造られているところも多いから
山間からの侵入者対策の場合もあるのだろうけど
それにしては逆に規模が小さすぎる
791日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:30:20
環濠は山で穴居してるやつらが襲ってくるので、そいつらからの防衛かな?
792日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:43:44
水をためてる環濠と、水の無いのとあるけど、
どっちが多いの?効果的なの?



793日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:49:42
紀元前110年、福建省の「ビン越」滅亡
これかな・・・
794日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:50:31
竪穴式住居だと湿地帯にあった場合は
家の中に水がわきかねないから
水抜きのために環濠を作ったのかなと思ってた。
795日本@名無史さん:2010/05/09(日) 20:54:41
>>794
縄文時代は?
796日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:01:28
そういえば大体住居跡ってのは微高地にあるってのが
定説だな。
797日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:01:58
しかし高地性集落の軍事的側面を、従来過大に評価していたとしたら
西日本瀬戸内の連合体形成への原動力・背景として
「長く続いた戦乱の収拾の動き」
と言う見方も難しいのかな?www




798日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:06:58
狩猟採集生活の縄文時代
住居は湿気の心配がない
山麓の洞窟、竪穴式住居

水田耕作生活の弥生時代
住居は水田湿地に近い微高地
湿気から逃れるため高床式も開発される。

こんな図式かしらん。
799日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:21:08
高地性集落=倭国大乱
は都市伝説かもな
800日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:39:14
>>758
>その墳丘の差し渡し(徑)は、凡そ23m余り(百餘歩)である。

そんな馬鹿な!小さ過ぎる!!
歩は大人の人間が1完歩で達する長さだから1メートル数十センチはある。
「百餘歩」と書かれていれば、魏晋代の中国人なら当然100メートルを大幅に超える長さと認識する筈。
801日本@名無史さん:2010/05/09(日) 21:51:59
高地性集落ってさ、越から来た人々が瀬戸内海に上陸して、
広い土地を探しながら東へ行った跡なんじゃないかな。
のろしで「こっちこいよ!」って合図しあった、とかね。
面白いのは岡山だけ避けているように見えること。
ttp://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/5-5koutiseisyuuraku.htm
吉備の勢力がしっかり陣取ってたんでしょうねえ^^;

倭国大乱は、匈奴(と私は思う)が上陸した時に起きたじゃないかな
高地性集落とは関係なく。
まあ、根も葉もない仮説ですけど〜
802日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:06:57
一里が60m〜80mなら、100余歩23mでそんなもんだろ。
少なくとも帯方郡から松浦までは、その里程で
合っているわけだし。
803日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:08:40
だから、巨大古墳がたくさんある場所こそ邪馬台国、
なんていう詐欺理論に注意しましょう。
804日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:15:11
逆に、共立の王で、ショボイ貢物しか送れなかった卑弥呼の墓は
大きいはずがないとまで言えそうだ。

大きい古墳はヒミコの墓ではないといえるのではないか。
805日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:23:45
漢魏の薄葬を守らず、中国皇帝より盛大な墓をもし作ったら、
たいへんな非礼になる。それでは金印は貰えない。
806日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:43:59
>>770
>どちらかというと、集落の中と外を分ける境界線のようなもので

基本的に同意なんだけど、念のために。
よく引き合いに出される、朝日遺跡の逆茂木とかはどう位置づけるのかな?

環壕・濠の性格は一概に言えず、その時々の情勢によって変化した場合もある、
ぐらいでオケ?
807日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:50:55

朝貢

すら、知らないのか・・・
だめだこりゃ。
808日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:52:02
それがどこであれ
卑弥呼は名も無い忘れ去られた丘陵地帯の小さな塚にひっそりと埋葬されているのでしょう
その塚は表土が崩れもはやその形を残していないのかもしれません
あるいは長い年月の経つうちに埋もれてしまったのかもしれません
809日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:52:02
>>785
>まわりに開墾の跡がある高地性集落がほとんどないことから
>低地からの移住とかは今のところ考えにくい

環濠集落・高地性集落についての考え方が、ひとむかし前とは変わってきているのかな?

安満遺跡の衰退→古曽部・芝谷遺跡の出現。
池上曽根遺跡の衰退→観音寺山遺跡の出現。
などが関連づけられて語られていたんだけど、どうなんですか?
810日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:53:38
>>805
九州の副葬品じゃぶじゃぶの墓の方が厚葬だろ
811日本@名無史さん:2010/05/09(日) 22:54:39
>>805
>漢魏の薄葬

なんだ? 漢の薄葬って?
812日本@名無史さん:2010/05/09(日) 23:21:06
>>786

東大寺山遺跡は、天理市で、生駒山じゃないよね?
813九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2010/05/09(日) 23:57:17
>>800
又を広げて歩く1歩の長さは個人差や場面差が大きく基準単位には出来ない。
1歩の長さは踵からつま先までの素足の長さ。
つま先に他方の足の踵を隙間無くつけて歩いたときの1歩の長さは、
踵からつま先までの素足の長さとなる。
モンゴロイド成人男子の素足の1歩は23〜24cmとなる。
この方法での10歩は、2.3〜2.4mとなる。

この1歩の測り方(歩測)は現代日本にもまだ残っています。
814日本@名無史さん:2010/05/10(月) 01:19:15
しかし環濠集落も高地性集落も防衛施設的な意味合いが薄いとしたら…

戦乱に明け暮れる九州を尻目に比較的
平和な九州以東の西日本は巨大首長墓文化が芽生え
やがて纏向に繋がると…なんて話だったら大笑いかな?w

そう言えば武光センセイは何処かで
「平和都市纏向」と言う言い方をしてたっけwwwww

815日本@名無史さん:2010/05/10(月) 01:40:29
>>814
国と国との統合が進むためには戦いが必須。その中から強い権力を持った王が
出現する。それが世界の、日本の常識。

まあ、畿内説は常識のないところで成立するわけなのだが。
816日本@名無史さん:2010/05/10(月) 01:49:55
>>815
しっ、しっ、脊髄反射で噛み付いてくんなアホw

だからその戦いの痕跡が希薄になるって話だよwww

それともお前がより確実な戦乱の痕跡を示してくれるのか?
817日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:17:57
吉野ヶ里だとかなり戦いの痕跡は
露骨ですけどねえ。
818日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:38:53
相手を皆殺しにして財産や食料奪っても、消費したら終了
それより血を流さず提携した方がいいでしょ
そういう発想だから大和に属する国は増えたのよ

まあ、そういう発想だから
詐欺だけが取り柄のヒトモドキに侵食されたりもするわけだけど
819日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:43:06
>>814-816
近接するクニ同士が戦争というか小競り合いしたというのはあったろうけど
大規模な征服戦争や殲滅戦争をやらかしたという痕跡はないんだったけ?

妄想だけど、ヤマトタケルの暗殺戦略というかテロ攻撃なんかは
当時の戦闘を示唆しているような気がしてならない
こっそり忍び込んで、トップを暗殺するといった
一種姑息なやり口こそが、最も有効な手段だったんじゃないだろうか
820日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:45:48
女装して忍び込んで酒で酔わせて…だからなあw
821日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:47:58
>>819
あー大和朝廷もテロは多かったっぽいねw
都を移すたびに天災が、って。そりゃ人災ですよ。
822日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:50:13
まあ、そういう形で民衆が政治に対して意義申し立てをするシステムだったとw
823日本@名無史さん:2010/05/10(月) 02:58:53
戦いの痕跡と言うことで「青谷上寺地遺跡」ググったら…

http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=45937
>これまで調査した範囲内では住居跡や墓は見つかっておらず、遺跡の全体像については不明な点も残されています。

ここも東遷厨言うところの「無人都市」なんだろうか?w

824日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:13:45
>青谷上寺地遺跡

発掘調査が進む前に埋め戻しされてしまったからね
元々老朽化した市民病院の移転地だったから、急を要したんだろう
だから本当にごく一部しか調査がなされていない

でも面白い仮説があって、青谷上寺地の住民は
死体を環濠に捨てていたんじゃないかという見解が考えられていたりする
ヒンズーにおける魂の抜け殻はただの肉塊に過ぎないみたいなものかな
弥生人は、先の指摘にあったように環壕をごみ捨て場にしていたというのはおそらく事実だからね
825日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:36:43
青谷上寺地遺跡じゃあ水田跡も見つかっていて相当な面積が想定されているみたいだし
「無人都市」はないかw

でも、>>823のリンク先で区画のための溝に使われた矢板の写真が見られるが
なんとなく纏向の大溝を髣髴させる。

土木技術に完成しては日本海側が進んでいたって印象だな…。
826日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:43:28
>825
×土木技術に完成しては → ○土木技術に関しては 
827日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:48:00
標高が低い湿地帯で、実質ゴミ捨て場だったんじゃないかな。
近くの微高地を掘ってみるといいかもね。

完全に整地された都会だと難しいかもしれないが
丘陵地形が残っているようなところだと
少し歩いてみれば、その場所が住居に向いているかどうか
直感でわかる場合がある。
828日本@名無史さん:2010/05/10(月) 03:52:21
>>825
だね、急激な征服や渡来人の集結なんかじゃなく
纏向で花咲いた技術は、すでにどこかの地方で実用化されていた
万博会場よろしく、各地が競うように最新技術を見せびらかし
その結果、ハイブリッドとも捉えられるような異文化融合が急激に進んだのかもしれない

こおういうシナリオのほうが、纏向の特異性をうまく説明できるような気がする

これから調査が進めば、纏向のプロトタイプ技術を示唆する遺跡が見つかるんじゃないかな
だって今のままじゃあ
纏向はうちゅーじんがつくりましたというくらい
それまでの弥生遺跡からかけ離れた技術が使われているということになるから
829日本@名無史さん:2010/05/10(月) 04:13:41
縄文時代の高床式建物が出てきたと言う富山の桜町遺跡とか(アレって間違いないんか?w)
俺の中では纏向の技術のルーツは日本海発祥が一番人気www

あとヤマタノオロチの神話にしても治水事業の隠喩とも思えるし
時代はずっと下るが継体も越の地での土木事業の実績あげたって伝承が無かったっけ?

830日本@名無史さん:2010/05/10(月) 04:21:14
しかし話が「邪馬台国畿内説」と言うより纏向遺跡に偏りすぎか?
スレを変えたほうがいいかな?w
831日本@名無史さん:2010/05/10(月) 06:42:48
九州にあったのを知らないのかねえ。
832日本@名無史さん:2010/05/10(月) 06:46:08
>>831
九州になにかあったのか?
833日本@名無史さん:2010/05/10(月) 07:43:36
纏向を遺した畿内の文化は丹後や越など日本海側から入ってきたものでしょうね
834日本@名無史さん:2010/05/10(月) 09:27:27
>>832
豚の伝染病じゃないの?
835日本@名無史さん:2010/05/10(月) 10:11:29
>>832
九州に邪馬台国があったんだよ。倭人伝の行程記事のとおりだろ。
836日本@名無史さん:2010/05/10(月) 10:15:52
>>835
ムー大陸だろJK
837日本@名無史さん:2010/05/10(月) 10:18:55
>>386
>投馬国は薩摩、邪馬台国は日向だよ。
>>薩摩は日向より南になるわけだが、その説の場合、「 自女王國以北
>> 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」の記述をどのように解釈するの?
投馬国は戸数5万の大国だ。旁国ではないよ。旁国というのは大国の傍らにある
小国のことだ。
838日本@名無史さん:2010/05/10(月) 13:20:06
狗奴国ってカガ国つまり越人=「安曇族」の国、じゃないかな
で、彼らが高地性集落を作った集団でもある、と。
狗奴国の官「狗古智卑狗」はかがつひこ、安曇族の男の意。

そして狗奴国王「卑弥弓呼」の「卑弥」も種族名、当然「卑弥呼」も。
839日本@名無史さん:2010/05/10(月) 13:44:03
>>837
引用マークが逆だけど、言ってること理解できてるかな?

>投馬国は戸数5万の大国だ。旁国ではないよ。

だから、(邪馬台国の)北に位置するはずだろ。倭人伝の記載に依るならば。
840日本@名無史さん:2010/05/10(月) 16:23:01
>>839
どうして? 投馬国が北に位置するはずだということにはならんよ。
倭人伝の記事は「其の余の大国」が南にないとは記載していない。
其の余の旁国について略載できないと書いているだけだから、大国については
略載できるんだよ。投馬国は大国だから、いくら南にあっても略載できる。
そうゆうことだ。
841日本@名無史さん:2010/05/10(月) 17:33:22
女王国は伊都国から千五百里、大した距離ではない。
水行二十日の投馬国が、女王国以北にないことは明白だな。
842日本@名無史さん:2010/05/10(月) 17:56:13
物分かりの悪い事言ってると、図解しちゃうよ?
843図解:2010/05/10(月) 18:05:09
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水路 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ           ┃ ↓ /
    /        /           ┃ ↓|フクイ
   丿 水路  / ̄              ┗━━━━━━━━━━━
  |_    → / ̄
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |      \               末盧国・・・敦賀市 (気比の松原)
 /  >    天 \            伊都国・・・旧伊香郡 (古保利古墳群)
/  /      安 \           奴国  ・・・長浜市 (国友鉄砲村)
\ |         川            不弥国・・・米原市 (息長稜)
  ∨            ☆呼邑国  投馬国・・・野洲市・近江盆地
                              (日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
      ▲邪馬国 天
              岩 ☆為吾国  邪馬国・・・旧信楽町
            戸           呼邑国・・・甲賀市 (手裏剣=鉄?)
                        為吾国・・・伊賀市 (同上)
           ☆巴利国      巴利国・・・名張市 (同上)
     ☆烏奴国             烏奴国・・・宇陀市 (辰砂・丹の産地)
 ☆奴国                  奴国 ・・・奈良盆地
844日本@名無史さん:2010/05/10(月) 18:25:42
そういえば、本州が島か大陸の一部か分かったのは
平安時代以降という話があったな。

蝦夷というか本州日本海側北部は
大陸側と交易して、独自の文化圏だったようだし。

西から見れば未知の世界だったようだ。
845日本@名無史さん:2010/05/10(月) 18:39:13
琵琶湖を有明海
佐渡島周辺を対馬、壱岐とすれば
結構位置関係は似通っているのな。
ふむ。
846日本@名無史さん:2010/05/10(月) 22:45:57
環濠集落や高地性集落は、倭大乱が終結した後は東海や関東で見られるようになり、
9世紀、10世紀には、東北や北海道南部でも高地性集落が見られます。
つまり、倭大乱の時代に瀬戸内海にいた蝦夷の集団は、追われ追われて最後は北海道にまで
逃げ延びて、そこで果てたということでしょうか?
847日本@名無史さん:2010/05/10(月) 23:36:20

■知的情熱、自説も覆す 梅原猛さん

(2010年5月10日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20100510bk10.htm?from=navlk

  新著「葬られた王朝」

 発表した学説を自ら批判することほど、研究者にとって難しいものはない。それを文化勲章受章者である哲学者の梅原猛さん(85)が、新著『葬られた王朝』(新潮社)でやってのけた。
自らの古代学の集大成と位置づける書は、古代出雲王国の実在を、現地調査から得た知見を盛り込みながら、大胆に、スリリングに説いている。(西田朋子)

  古代史3部作完結

 法隆寺を聖徳太子一族の怨霊(おんりょう)鎮魂の寺と論じた『隠された十字架』(1972年)、万葉歌人・柿本人麻呂の刑死説を唱えた『水底の歌』(73年)に続く古代史3部作の完結編。
「過去50年間に及ぶ諸学問の経験を総合して、思想上の冒険ができたのは大変幸せ」と語る。

 この中で梅原さんが自説を方向転換したのは、ヤマタノオロチ退治などの出雲神話。
70年に発表した「神々の流竄(るざん)」では、出雲で成立した神話ではなく、「大和の先住民の伝承が、8世紀の律令国家形成期に、ある政治的意図をもって出雲に置き換えられ、古事記・日本書紀に収録された」と論じている。

 しかし、84年に島根県・荒神谷遺跡で銅剣358本が、96年には加茂岩倉遺跡で銅鐸(どうたく)39個などが出土。出雲周辺に一大文化圏が存在したことを示す遺物が次々と見つかった。

 梅原さんは2年前、出雲を訪れたのを機に「自説が間違いなら、生きているうちに正さんといかん」と意を決し、現地を再訪。遺跡や出土品の調査だけでなく、古い神社をくまなく歩いた。
「神事や奇祭は文献上、隠された事実を冷凍保存していることが多い」からだ。その結果、「アマテラスを開祖とするヤマト王朝以前に、スサノオを開祖とする出雲王朝が数百年にわたり日本を支配していた」と、記紀神話を読み解いた。
(つづく)
848日本@名無史さん:2010/05/10(月) 23:37:02
(つづき)

 韓国(からくに)から渡来したスサノオは、圧政で人々を苦しめる豪族=ヤマタノオロチを退治し、出雲平野に豊かな王国を築く。
6代目の大王オオクニヌシの時代には因幡(現・鳥取県東部)や越(北陸〜新潟県)、南進して近畿まで支配するがやがて衰亡。南九州から東征してきた天孫族に「国譲り」を迫られ、稲佐の海に隠れた――。

 「弥生時代、日本列島の文化的中心は日本海沿岸にあった」などとする梅原さんの推論は、終章でさらに熱を帯びる。
「日本に律令制を導入した藤原不比等こそが記紀編纂(へんさん)の実務者であり、藤原氏が権力の中枢を占め続ける布石として建国神話を改竄した。そして闇に葬った前政権の神々を鎮魂するため、出雲大社に巨大本殿を建造した」

 戦前は皇国史観に支配され、戦後はその反動から長らく記紀神話の歴史的解釈はタブー視されてきた。「うぬぼれず自棄に陥らず、このようなかたちで国をつくった日本の姿を、冷静に見つめなければならない」

 年齢と共に、「学説は過激さを増している」。
自説も含め通説を覆し続ける知的好奇心、精神の柔軟さの源とは? そう尋ねると、しばし沈黙して
 「青年だった僕らを『死ね』と戦場に駆り立てた祖国への怒りと、それでも消えない愛情。相反する強い気持ちが、私をさらなる日本研究に駆り立てる」
と答えた。

 90歳までに近年最大のテーマである世阿弥論と親鸞論を完成させ、「最終解答として、西洋近代思想批判と自然回帰の思想を書く。それから人麻呂論、アイヌ言語論……。120歳まで生きないとなぁ」。知的活火山は健在である。

・「まだまだ新説を世に問うつもり」と意気盛んな梅原猛さん(京都市で)=奥村宗洋撮影
http://www.yomiuri.co.jp/book/photo/BK20100510103040213L1.jpg


※梅原猛『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―』新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/book/303023/
849日本@名無史さん:2010/05/10(月) 23:50:13
梅原猛が学者だと思ったことはないなあ〜
どちらかというと、作家でしょ。
850日本@名無史さん:2010/05/11(火) 00:08:48
哲学者梅原猛、違いのわからん男
851日本@名無史さん:2010/05/11(火) 00:29:14
梅原猛といえど、「ボクの考えた古代史像」だからなあ。

スサノオから始まる出雲王朝って何だよ?
出雲風土記も読んでないのか?
852日本@名無史さん:2010/05/11(火) 00:47:58
で、神社の伝承を調べるのはいいが、自説に都合の良い話は信じて、
都合の悪い話は藤原氏の陰謀による捏造とかって、オレサマルールを敷いてるわけでしょ。
そんな恣意的な調査は、百害あって一利なし。

自説に都合の悪い伝承を、かえって埋もれさせるだけなんだ。
いまこうしてる間にも、古い伝承が、恣意的な研究によって葬られていくのは耐えられない。

853日本@名無史さん:2010/05/11(火) 13:53:24
連休中のキチガイは去ったようだね。
やれやれ・・・
854日本@名無史さん:2010/05/11(火) 17:38:20
ちゅうがくせいにっき by www
855日本@名無史さん:2010/05/12(水) 03:32:08
wwwwww






856日本@名無史さん:2010/05/12(水) 05:37:17
>>843
渡海千里でどうやって、末盧国・・・敦賀市へ行くのかなあ?
この質問一発で吹っ飛んでしまう、これが畿内説だ。
857日本@名無史さん:2010/05/12(水) 07:04:44
>>856
はっきり対馬と書いてあるのに佐渡に到着する不思議

って突っ込みはないのか
858日本@名無史さん:2010/05/12(水) 07:53:57
>>856
しーっ!
みんな知ってて黙ってあげてるんだから。
859日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:08:07
>>858
なんでだよw
矛盾を指摘して反撃しなくていいのか?
860日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:18:11
>>856
スミマセン、俺も書いたとたんに大人げなかったかなと反省したよ。
861日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:20:21
↑ 訂正
>>856>>858
862日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:33:52
どうして魏志倭人伝には、一支国・・・壱岐が島だと書いてないんだろうね?
863日本@名無史さん:2010/05/12(水) 08:57:26
あんまりちゃんと説明すると
学者の人が公に発表しにくくなりそうだから書かないね♪
2ちゃんねるからパクったとか言われるもんね。
早いとこ決着つけてくれろ〜
864日本@名無史さん:2010/05/12(水) 09:00:50
裸國、K齒國、東南船行一年って、どんだけ遠いんだよ。
妄想全開、中南米あたりか?
865日本@名無史さん:2010/05/12(水) 09:01:13
ヒント

522 名前:日本@名無史さん :2010/05/11(火) 00:49:01
呉が滅亡したのが280年。
陳寿によって魏志倭人伝が書かれたのは280年-290年間。
結局は、呉史と魏史(旧)を編纂したものが宋書なんじゃないかな?
そうなると、呉史由来の部分と魏史(旧)由来の部分をきちんと見分けることが大切になってくると思うんだ。

ちなみに魏史(新)は東魏の正史で、魏の正史とは別物だからややこしい話しになる。
866日本@名無史さん:2010/05/12(水) 09:32:57
>>860
畿内説においては末盧国=敦賀といった程度の歪曲はまだまだかわいいほうですよ。
867日本@名無史さん:2010/05/12(水) 09:34:23
>>866
どんどん具体的に指摘すればいいのに〜
868日本@名無史さん:2010/05/12(水) 10:08:32
伊都国か不弥国から対馬海流に乗って日本海を進み、
投馬国(出雲)に寄って、若狭湾から陸行一ヶ月で、
近畿もしくは東海、または関東へ…
というルートが一番しっくり来るんだよね。
869日本@名無史さん:2010/05/12(水) 14:05:59
>>868

丹後半島を船で回り込むより、但馬で上陸したほうが早いかも?
870日本@名無史さん:2010/05/12(水) 14:06:24
邪馬台国論なんて自分で妄想するのが楽しいのであって、
他人の妄想なんて”どうでもいい”んだよ。
遺跡なんかの情報を収集するのがWeb徘徊の目的なんだよ。

お前ら、他人の主張に賛同すんのか?
871日本@名無史さん:2010/05/12(水) 14:15:09
考古学って、昔の地層を発掘してその遺跡で研究するんだろうけど
それって、使われなくなって埋まるからだろうけど
ということは、一度埋まるから遺跡が出るのであって

もしある地域は同じ地層、地表を2000年使い続けてたら
ほんとは2000年前から集落があるのにその下には何も無いから
遺跡は出ない、わからないってことでしょうか?


872日本@名無史さん:2010/05/12(水) 15:09:21
>>871
ある場所で、平安時代に遺跡が出てきて、その下から弥生時代に遺跡が出てきて、
さらにその下から縄文時代に遺跡が出てくると言うことは良くあるけどね。
873日本@名無史さん:2010/05/12(水) 15:29:31
>>870
よく調査したうえで知見のある意見は、自説の補強・修正におおいに参考になる。

自説だけに凝り固まってるやつは一人でやってればいい。



874日本@名無史さん:2010/05/12(水) 17:15:18
>>862
読めば分かるように書いてあるからだよ。
875日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:08:12
>>871
いや逆に同じ場所に何千年も住んでいたら
必ずそこには地層が出来る
履物に付着していた土が溜まったり、建物を建てたり溝を掘ったりした後の残土とかね
特に道路として整備された箇所など、1200年ほどで2メートルを越す地層が出来てしまう
何度も小石を強いて基礎を作り直したりするからだね
いい例が京都市内で、平安遷都の頃から見たら町全体が今では当時より
1から3メートルほど堆積して高くなっている

一番残りにくいというか、やっかいなのが人為的な開発や破壊がなされたところ
それは町ではなく、河川改修や統合などで
そっくりそのまま土が消滅してしまうので、本当に何があったのかなかったのかすらわからなくなる
876日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:12:26
だからもし、ある遺跡を完全に破壊しようとするならば
その遺跡があったのより下の地層ごと、ごっそり掘りぬいて
そこで出た残土をどこか別の場所に捨てればいい

ただしそういう行為をしたという跡は残るので
これは何らかの理由でごっそりやっちゃったな、というのは判る
877日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:41:58
>>874
異国の地の情報を、読者の予備知識に依存して記述するかな?
878日本@名無史さん:2010/05/12(水) 18:55:03
>>862
対馬国に「所居絶島 方可四百餘里」とあり、一支国に「方可三百里」とある。
この「方可」があるのは、この2国だけ。

「方可」の正確な意味はわからないけど、対馬に続いて一支が書かれているし、
海を渡ることからも島を連想できるので、省略したのだろう。
879日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:01:31
>>875
地層ができるにしても、年代を確定するのは出土物に頼るわけでしょう?
農地でも工業施設でも住居でも。
終わった時期、人が去った時期は分かっても、始まりの時期は探れないのでは?
880日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:16:49
>>879
元からあった地層で判断できるよ
たとえばある遺跡においてどこから作られたかとか
その手がかりは遺跡のまわりの地層にあるわけなのだけど
だいたいどの集落にも井戸があるから、ここを調べれば遺跡発生以前の地層がわかる
あとはどういう風に堆積していったかを、発掘の際に土を分別しておいて調べると・・・

だから埋め戻しのときも掘る前の地層と同じ状態にしてもどすわけよ
881日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:24:49
>>878
水辺と言えば黄河・長江がデフォルトの大陸の人間にとって、
「人が住んでいる島」が常識レベルのものでしょうか?

到其北岸狗邪韓国。という一文がありますね。
わたしたちは「北岸」と言えば陸地の「北の端」を考えますが
これは朝鮮半島の南端と思われますね?水辺の「北の端」です。
「島」より「河」が基準になっています。

島国の住人が思うより、「人が住む島」は珍しいものだったはずです。
882日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:29:59
>>880
>埋め戻しのときも掘る前の地層と同じ状態にしてもどす
誰がですか?
臨時雇用の作業員がですか?
あなたはそんなことができるんですか?
いやムリwサイエンスフィクションだわw
883日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:44:22
>>882
いやそんなの常識だよ、知らなかったの?
マキムクの大型建物跡も、もう今では元の水田に戻っているけど
確かこのスレでもその記事のコピペがあって
どういう風に埋め戻したかも書いていたのだけど、読んでなかったの?
884日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:46:53
出来るのっていうけど、それが出来なきゃ発掘の仕事には就けないよ
請け負い業者にしても、みなそのノウハウがあるところと随意契約している
たまに一般競争入札もやるけど
885日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:47:50
>>883
知らんよ、自分が雇われ作業員だったら、
「ああ、公的にはそういうことにしなきゃいけないのねハイハイ」
ってうなづいて適当にしとくけど。

コピペ張って。読んでないよ。ただの2ちゃんねらだ
886日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:54:04
>>885
そんな適当な奴、現場にはいないよ
逐一写真とって監督者の了解を得てから作業に取り掛かるのに
もしコンテナ間違えでもしたら、依頼主が飛んできて
そこで埋め戻し中断、再度除去、その間日当も出ず次の依頼なしみたいになる

というか君、仕事したことある?
したにせよその態度じゃろくな事してなかったんだろうけど
887日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:54:38
>>881
うん、そうだね。
一大国は島じゃない可能性もあるね。
888日本@名無史さん:2010/05/12(水) 19:58:25
>>886
発掘の仕事はしたことないよ。
でも発掘現場の写真で、その辺の農家ファッションのばーちゃんが写ってるのみたw
なにそんなにすごいオーディションしてるの?土掘りに?
889日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:00:17
>>887
うん。
一大国は島じゃない可能性があるし、
どう見ても島なのに島と書かない可能性は低いんだ。
890日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:02:24
>>888
いまいちギャグが面白くないのは仕方ないがw
遺跡だけでなく、どこの土木や建築でも、今は写真取りまくりだよ
特に公共工事は厳しくて
最近になってやっと、小規模の補完工事程度なら
デジカメでもおkになった
普通はフィルムカメラのみで、これは改竄防止のため
だから発掘ってものすごく予算がかかって、自治体の財政を圧迫するんだけどね
891日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:12:53
>>890
もういいから。元の地層と同じように埋め戻す、はどう見てもウソだから。
写真取ろうが取らなかろうが
明らかに年代が特定できるような出土物がない限り、
その遺跡が埋もれ始めた年代は特定できないでしょ。
892日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:16:15
>>891
嘘も何も・・・こっちがびっくりするわw
どこでも誰でもいいから考古関係の人に聞いてみ

話はそれからだね
遺跡について語ろうとするのは、君にはまだ早すぎるよ
893日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:16:28
>>890
つーかフィルム代と称して税金くすねてたんだろうがクソどもが
894日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:18:53
なんだ、サイキバのアホだったのかwww

途中から、こんなアホがまだいたんだなーって思ってたがwwww
895日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:22:18
あ、それより埋め戻しについての教示ありがと

参考になったよ

そいつはスレに常駐している狂人で

ろくな知識もないのにやたら吠えてくる負け犬だから気にしないで欲しい
896日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:26:38
>>892
え、本当にできると思うんですか?
>だから埋め戻しのときも掘る前の地層と同じ状態にしてもどすわけよ
これを?

土に関してよほど見識があるだろう、農家や陶芸家も、そんなことができるとは思えません。
「発掘遺跡の土戻し」を専門とする職人の方がいらっしゃるなら話は別ですが。
897日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:33:32
>>896
出来ると思うのではなく、出来ると断言しているわけなのだがw
まあ2chのレスを鵜呑みにしないというのは基本なのだが
さすがに地球は太陽の周りを回ってるレベルの話に嘘はないだろw
とりあえず書いたように、現実世界の考古関係者か土木関係
またはその辺を専攻する学生にでも話を聞いてみ

誰に聞いても同じ答えが返ってくるから
ということでこの話は終了ね
逃げるわけでなく、誰に聞いてもいいと自身もっていえるから
898日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:41:02
>>897
え、なんで終了?利害関係者以外に話が及ぶとヤバイから?

>だから埋め戻しのときも掘る前の地層と同じ状態にしてもどすわけよ
これは出来ると思うだけでなく出来ると断言する人がいる時点で出来ることなのですね!?
つまりその人は神ですか!?
まあ、私は太陽が地球の周りを周るくらいムリがあると思いますけどね。
家庭菜園程度の知識ですけどね。
899日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:47:43
家庭菜園レベルにクソワロタ
900日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:56:38
通りすがりだが、一度掘り返した土を同じ場所に埋め戻したところで、
完全に元の状態にもどるわけないと思うが。
901日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:57:57
2chって本出してんだな…しらんかったし
http://ace.coolinc.info/press/alone/t88.html
902日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:58:47
えっ。土掘りすらしたことなくて古代遺跡が騙れますか!?
903日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:00:06
同じ場所に異なる時代の遺跡が重なって存在している場合、
下の層の遺跡を掘り出すためには上の層の遺跡を壊して掘るしかないわけだが、
たとえ掘った土を元の場所に戻したところで、原状回復は不可能だろう。
904日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:01:27
と言うか遺跡なんて、何かしらめぼしいものが発掘されても
その場所が保存される事の方がレアだろうに…
大抵の物は埋め戻されている。

一体何を言ってるんだお前は…

遺跡を紹介する写真で埋め戻される前の姿で写されているものや
極々まれに構造物が復元されかなりの面積を史跡として保存されたものが
頭の中にあってそれで語ってしまっているんだろうなwww
905日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:25:02
ま、遺跡の推定年代なんてあてにならないってことですね
906日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:31:30
掘る前の地層と同じようにというならムリだけど、後代に掘り返せば前の
遺構はわかる。だいたいが他人の土地だから、地権者の意向で埋め戻す
場合が多い。工事に伴う緊急調査で、ぶち壊されてなくなるものも多い。
907日本@名無史さん:2010/05/12(水) 21:53:04
やはり邪馬台国は関東にあった。
吉美侯氏(吉彦氏)は、元来君子と表記されたが、天平勝宝9年(757年)に「吉美侯部」に改められた。
平安時代の文書には俘囚の多くが吉美侯部、吉弥侯部姓で現れる。
古代毛野氏の部民に公子部・君子部を名乗る者が多いことから、ヤマト王権の東北地方への伸張に伴い毛野氏の部民化した蝦夷の一族と推定されうる。

吉美侯(吉彦=きみこ)とは、卑弥呼のことだ。鼻をつまんで読んでみろ。

もうわかっただろう?
豊城入彦とその子孫の御諸別、その末裔である毛野氏が関東を支配する前に関東を支配していた吉彦のことだった。
大彦、吉備彦、安日彦との関係についても明らかにしていきたいと思います。
908日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:41:42
毛の国では潜水漁ができませんね。
909日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:42:45
冬も生菜を食べるのが、邪馬台国の特徴。関東じゃ無理。
910日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:45:25
>>908 >>909

プッ
911日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:46:35
末盧国から東南五百里、伊都国は佐賀だ。
そこから南と言うんだから、本州なんてことはありえんよ。
近畿も関東も五十歩、百歩だ。
912日本@名無史さん:2010/05/12(水) 22:55:35
私がまだ幼少の頃、倭人伝は宝の地図だった。紐解くたびに胸が躍り、遠い古代を夢見ていた。

わが故郷の大九州、国のまほろば、卑弥呼の里。

ああ、私の夢を妨げる畿内説が憎い。呪ってやる、恨んでやる、復讐してやる。

化石となっても私はここに留まり、東遷を説き続ける。

913日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:06:12

m(-_-m)〜 ウラメシヤー
 
914日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:11:54
>>912
畿内説論者だろう。本当の九州説論者は畿内説など問題にして
ないぜ。
915日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:16:08
問題にしてないというか

虚勢を張らないと現実に引き戻されるからね

こんな悲しい人生嫌だなあ
916日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:16:40
>>914
また、wwwの自演が始まるだけなのでレスを入れる必要すらないかと。
917日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:23:35
♪ 東遷説を 否定された この悔しさは 忘れはしない

 2chを 旅して 目についた このスレ 必ず 支配する ♪

元歌わかるかな?
918日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:34:14
畿内説はオカルトだから、相手にしても始まらない。
919日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:37:38
>>917
>私は科学者 宇宙猿人ゴリなのだ wwwwwwww
920日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:44:29
ほら、レス入れて相手にするからwwwが荒らすんだってば
スルーできないならNG指定であぼ〜んすればいいんだよ
921日本@名無史さん:2010/05/12(水) 23:54:45
当初は、東征ではなく西征ではないだろうか?
邪馬台国は関東にあり、東海、尾張、伊勢、近江を征服して、やがて吉備に辿り着いた。
それから少し戻って奈良盆地に入る。

後三年の役で活躍する吉彦秀武(きみこ の ひでたけ)は、その名前からして吉備津彦の子孫だとすぐわかる。
またの名を「荒川太郎」を称するところから、荒川流域を支配していた関東の豪族だったこともうかがえる。
生母は妃倭国香媛(やまとのくにかひめ)とも、意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)(安寧天皇の皇曾孫)とも伝えられ、
稲荷山徹剣で有名になった意冨比こ(大彦=おほびこ)と姻戚関係にあったことがはっきりした。

東北に追われた俘囚主と自称する王族は、のちに奥州藤原師ともつながる東国の王なのです。
922日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:01:10
wwwバカ=サイキック・バカの、お出まし〜お出まし〜〜〜〜
923日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:11:04
在野の研究者や作家とかの邪馬台国本って、九州その他説+畿内説批判のが多いと思うんだけど
同じノリで畿内説+九州説批判やってる面白い本ってありませんか?多少トンデモ入ってても可。
924日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:21:41
>>923

無いねえ・・・
なんで九州説による畿内説攻撃本が多いかと言うと
畿内説というのは基本的にアカデミズムが唱える説で
九州説はアマチュアが唱えるから
これは大昔は除いて、ここ30年ほどの話だけど

アマがプロを貶めることはあっても、プロがアマをくさす本はないってことだね
925日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:37:40
>>924
>ここ30年ほどの話だけど

邪馬台国ブームが巻き起こってから半世紀以上は過ぎたんだろうけど
ブームから暫くは九州説も畿内説の批判なんかよりは
自説を発展させて行く方向にエネルギーが注がれていたんだろう
(まだ”まとも”だったと言うことやねw)

それが徐々に畿内説を批判すること自体が目的と化してきたとwwww

926日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:37:48
ちなみに琉球説とか福井説とか岡山説なんかのサイトは
ちらほらあったような気がする

「邪馬台国○○説」でググれば出てくる

ただ多少どころか、どこも電波ゆんゆんなので
グロ画像や精神的ブラクラを開く心構えだけはしててね
927日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:43:52
まあ「邪馬台国関東説」は別にしても3世紀4世紀の古代日本の国家形成において
東海関東の東日本はこれからクローズアップされてくるだろうなあ。

以前茶臼山の鏡片と関東の紀年鏡が一致と言うのもそれにつながる話だろうし…

何れにせよ「九州vs畿内」で頭イッパイイッパイのここの九州説見たいな連中は
前世紀の遺物に成り果てるしかないとwwwwwww
928日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:49:19
>>925
宝の地図よろしく魏志倭人伝の解読に必死だったんだろうけど
結局九州のどこを候補にしても、そこに何も無いことが
嫌でも判っちゃったんで、途方にくれているんだろうね

だからそれを暴いてしまったアカデミズムに恨み節ってとこかな

でも何も無いことが判るくらい、九州を調査できたのは
吉野ヶ里ブームのおかげだからね
その頃はもう九州の人たちは、「邪馬台国かもしれません」とリップサービスしたら
もう議員やら地元の名士やら市長やらが
菓子折りもって喜びいさんでやってきたという話だからwww

今は不況もあいまってというか、さすがに冷静になって
仮に邪馬台国があったにせよ、そんなもの史跡公園にする予算もない
でもやらざるを得ないだろうから、結局吉野ヶ里や平城京跡の二の舞になって
各自治体の財政を圧迫するのだから、あっても掘って欲しくないという人さえいる始末

まあそんなこんなで、実際に九州の発掘に関わった考古学者や埋文が
九州に邪馬台国らしき遺跡はないってこぞって言い出したもんだから
さすがにみんなしらけちゃって、最近ではどこも非協力的になっている
929日本@名無史さん:2010/05/13(木) 00:51:46
サイキック・バカの自演は華麗にスルーかと
930日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:09:34
>>925訂正、フライングしちゃったなwww

誤)半世紀以上は過ぎたんだろうけど

正)半世紀にならんとするが

ブーム元年を松本清張が古代史に本格的に参戦するきっかけとなった
短編「陸行水行」を発表した年とするなら、それが1963年なのでもう少しで半世紀と…
931日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:16:15
>>924
畿内説批判は仕方がないな。
年代観の問題になってきたから、東遷説としては見過ごすわけにはいかない。
932日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:18:26
>>930
陸行水行では確か水行を川くだりだとの説を取ってたんだよね
古代史疑では、まったく違う考え方になってるけど
あれは或る小倉日記伝とよく似た雰囲気で
清張のなかでも好きなほうだなあ
933日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:19:33
九州説なんてもう朽ち果てたでしょw
ここの必死な九州説論者は偽者で、みんな成りすましですよ。
スレを消費するために暇な連中がやってること。
934日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:26:11
>>923
アマでも少し勉強すれば畿内説がダメってのはすぐに分かる。

個人的趣味で純粋に歴史を追求するのが楽しいのに、何が悲しくて
利権や思想にまみれた畿内説を支持しなくちゃならないんだ?

畿内説を主張している学者だって本気で信じている人なんて居ないだろ。
本気なら、批判に誠実に答えるし、無視などという最低の行為もあり得ない。
935日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:29:41
とある畿内説HPの掲示板に乱入してる九州説信者のカキコミを見れば、
誰も九州説なんて相手にしなくなるよ。
936日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:32:32
石野さんなんて、昔は「考古学的には邪馬台国は存在しない。だから私は
邪馬台国について語ったことはほとんどない」なんて言っていたのに、最近は
邪馬台国に入り浸っている感じがあるな。

だいたい、邪馬台国は倭人伝に書かれている国の名前なのに、倭人伝は信頼
出来ないなんていうのが間違っている。考古学的には畿内なんてのも
おかしい。

考古学で国の名前がわかるんだったら、いろんな遺跡が何という国だったか
考古学で決めて欲しいものだ。
937日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:45:35
>>935
相手にしたくても、書ける頭を持ってる奴はいないってことだな。
938日本@名無史さん:2010/05/13(木) 02:20:29
>>935
KYサガミのことかw
なんか相手してもらってたみたいだが、
迷惑この上なさそうだったなw単なる構ってちゃんwww

>>937
ああそうだねーははは、そうだそうだ。君は正しい(棒)
939日本@名無史さん:2010/05/13(木) 09:08:44
>>918
オカルト?
宗教ですよ、アレは。
940日本@名無史さん:2010/05/13(木) 13:12:19
>>939
かわいそうに。自覚症状ないので、自ら、病院に行くこともないだろうし・・・
ほんと、かわいそうだ・・・
941日本@名無史さん:2010/05/13(木) 14:04:58
>>939
畿内説のことを宗教や何やとボロクソ言うてからに
じゃあその狂祖はいったい誰や!?言うてみい
942唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/13(木) 17:14:02
九州に邪馬台国を探しても、倭国乱の跡と卑弥呼まで、
畿内に卑弥呼を探しても、邪馬台国しか無い。平和なものだ。
943日本@名無史さん:2010/05/13(木) 18:16:49
邪馬台国は関西にあった
卑弥呼も関西人

関西は日本の中心
944日本@名無史さん:2010/05/13(木) 18:38:44
>>941
最初から邪馬台国の場所を決めていて、その後、何があっても変える気がない
のが宗教だろうなあ。

普通は、白紙から始まり、いろんな資料を総合的に考えて場所を決める。
何か重要な変化があれば、邪馬台国の場所を変更することも厭わないと
いうことになるわけだが。
945日本@名無史さん:2010/05/13(木) 18:47:51
畿内説は近いうちに「近畿説」になるよ。
946唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/13(木) 18:52:32
卑弥呼は乱国にたてられる。
関西は>>943氏の頭の中と一緒、平和そのもの。

だから無主歴年を無主数年と読み替える。読み替えても乱は無い。
乱とは下克上を伴う。
947日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:01:45
>>945
畿内説は近いうちに「関西説」になるよ。
948日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:12:50
>>947
そこは「近畿」ですわ〜
949日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:13:35
畿内説の場合、狗奴国はどこなんだろう?
自分は畿内説が正しいと思うが、その場合、狗奴国の位置がわからない。

九州説なら、狗奴国=熊襲と非常にわかりやすいのだが。
950日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:14:19
なにか大きな勘違いをしている人が多いようだが
>>944の言うとおりで、畿内説の人ってのは別に今後
マキムクが邪馬台国で無いとなってもあまり問題ないんだな
というのは、畿内説だから支持するというのではなく
今のところ様々な資料から考えて、一番蓋然性が高い説を採用している
それがたまたま畿内説と呼ばれるものであったというだけなんだよ

それが、アカデミズムが提唱している説とほぼ同じになるのは
やはり最近の考古資料に基づくからで
言うなれば学説が変遷するのは当たり前だという話

新資料が出ているのに未だに九州とか言ってるほうが不思議なんで
俺からしてみれば資料を無視しなければ成立しない説なわけ

だから宗教にふさわしいのはどっちなんだろうね
俺はまた決定的な新資料が出れば、場所なんてすぐに乗り換えるよ
951日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:14:55
毛野国が狗奴国なのだろうか?
それなら、わからないこともないが、東海地方とかに想定している説は、よくわからない。
952日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:18:31
>>949
まあ現代の畿内説は、魏志倭人伝の記述は正確さを欠くと考えているから
狗奴国が本当に対立していた大国なのかも疑っている
もちろん行程も方角も、正しく書かれたものなのか疑問

ただ考古学的に考えれば、東海から関東にかけての経済圏のことだろうね
畿内説という立場で仮定するなら
953日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:48:19
なにか大きな勘違いをしている人が多いようだが
利権にしがみついた畿内説関係者ってのは別に今後
マキムクが邪馬台国で無いとなってもあまり問題ないんだな
だが、橿原が纏向に固執しているからそれに従って職を得、出世してるだけ。
要するに、畿内説だから支持するというのではなく
今のところ様々な利権から考えて、一番利益性が高い派閥に盲従している、
それがたまたま畿内説と呼ばれるものであったというだけなんだよ
954日本@名無史さん:2010/05/13(木) 19:57:41
ここにカキコしてる畿内説の人がどんな利権を得ているのやら?

いったい、畿内説だとどういう方法で儲けられるんだろう?

九州説なら、畿内説を罵倒するだけで本が売れるみたいだが?
955日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:02:43
まあこの板じゃあ少数派なんだろうが畿内説における
狗奴国は別に熊本の菊池あたりで良いんじゃないのか?

倭国領域の南に位置すれば良いという解釈で
北部九州が既に倭国=首長連合の傘下にあり、その南と衝突していたと言うことで

卑弥呼が狗奴国の事を魏に報告した時も、あくまで「親魏倭王」としての資格でしていることだろう?

先ず関東・東海説に違和感を覚えるのは衝突すべき理由が見つからない。
仮に関東・東海が西に侵攻を目論んだにしては纏向に緊張の色が見て取れないwww

首長連合の範囲をいわゆる纏向方前方後円墳の広がりに見るとするなら
関東なら千葉、北限は会津あたりまであるのだからそこからも考えにくい。

もっとも「遠交近攻」で東海あたりを”挟み撃ち”にしたと言うシナリオも成り立つのかもしれんが…

逆に九州なら熊本あたりには纏向型は無かったはず(ただ東側の日向にはあるが)
また衝突の原因は新しい交易体制においてハブられた九州中部の連中が反発したとw
956日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:04:22
>>953
こういうレスは、もう学問じゃないよね。
見苦しいから、いい加減やめたら。
957日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:06:09
>>950
んとに、マキムクは畿内説の堕落の象徴だな。
集落遺跡が出土していないのに、「古代都市マキムク」とかのデンパまで流している。

三角縁の舶載説は、腫れ物扱いのレベルなのに、批判はされない。

学問としての議論の基盤が完全に崩壊しているね。
自由な議論など到底望めない。
958日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:10:32
魏志倭人伝に倭人は鉄の鏃を使うと書いてあるのは、これは戦闘を有利に展開する上で重要だし、
倭国大乱の時期に大量の鉄器を用いて戦闘を展開していた北部九州の倭人勢力を意味するのだろうね。

あと、平原一号墳のように捏造しなくても確実に邪馬台国時代に遡れる墳墓が普通にあるし、
この地域からは、確実に魏鏡であることが確かな蝙蝠鈕座内行花紋鏡が大量に発見されているよ。

後漢の光武帝が倭国王帥升に下賜した志賀島叶崎出土の漢委奴国王印の様に、
魏の文帝が倭国女王卑弥呼に下賜した金印が伊都国遺跡群から発見されればいいのに・・。
下賜の金印は王朝交代の度に、新王朝へ返還するのが中国の習慣だけどロマンがあっていい。
959日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:12:25
まあここの九州説が心底ゴミクズだと思うのは
畿内説は利権の囲い込みで持っていると言う
厨丸出しの陰謀論の如きものにしがみつかなければやっていけないところだなwww

別に考古学者とてシャバに生きているわけだから、いろんなしがらみ欲まみれであるのは当然だが
(そう言えば小林は自分の学説を批判したものを訴えて裁判沙汰にしたんだっけ?w)
それは畿内説云々とは関係ない。

こう言う言い方は「官尊民卑」に繋がるような言い方で自分でも不本意だが…

むしろ既に何処かの大学で教鞭をとっているような学者は名を売ったり
本を売って利益を上げる必要に駆られる事は少ないとさえ考えられるだろう
在野の研究家の多い九州説に比べればwww

「利権」とかほざいている九州説はそれがどんなものか
具体的に言えアホどもwwww
960日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:17:26
>>949
狗奴国=熊襲でなんか問題でもあんのか?
961日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:18:55
>>959
www厨丸出し乙

で、おまえは背後団体から幾ら貰って荒らしてるんだ?
おまえは畿内説に都合の悪い展開になると必ず荒らすよな。
962日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:19:03
マキムクから集落跡がぼこぼこ出てくるほうがおかしいのだがwww
出てきてしまったら単なる集落でしか過ぎ無くなるということもわからんのだろうか
963日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:20:36
>>961
で、その背後団体ってどこよ?
当然知っているんだろうから、具体的に書いてくれ

イルミナティか?ショッカーか?死ね死ね団か?
964日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:24:00
www馬鹿丸出しは●層関西人を装った職業荒らし
965日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:24:51
>>961
たかだか2ちゃんのこんなスレに書き込んで金がもらえるのか?
おめでたい馬鹿だな。

流石ゴミクズwww

この板の邪馬台国スレを全て畿内説で埋めようが
九州説で埋めようがリアルの学問の世界には影響ないだろうよwww

まあ九州説は今後その主戦場をネットにシフトしていきそうな予感はするがwwwwww
966日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:26:21
>>963
「フリーメーソン」と「ローゼンクロイツ」もヨロwwww
967日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:29:18
【 統合失調症 】

統合失調症(とうごうしっちょうしょう、de:Schizophrenie、en:schizophrenia)とは、
妄想や幻覚などの多様な症状を示す症候群で精神疾患の一つ。

幻覚や妄想などの症状を呈し生活能力が失われる病である。双極性障害とならび、二大精神疾患とされている。

1950年代にフランスでクロルプロマジンという薬物が一部の患者に効果があることが発見され、
これを契機に抗精神病薬による薬物治療が広く行われるようになった。
現在は、高血圧などと同様に薬物で症状を抑えるのが治療の主流である。
1990年代後半からの非定型抗精神病薬の使用や、効果的な急性期治療、
社会復帰のため福祉施設や法制度の整備などの成果により、患者の入院期間は短縮されている。

その一方で、薬物療法が部分的にしか効果を示さずに、
病棟内で長期に生活を継続している患者も少数であるが存在することも事実である。
968日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:30:39
>>965
あ、もうシフトしているというかせざるを得なくなったみたいだよ

出版関係に知り合いが居るんだけど
ごくごく一部を除いて、邪馬台国本はもう売れないんだって
特に九州説とか持ち込まれても、絶対に売れないから出さない
かといってアカデミズム説やシンポジウムまとめ本は
もう購入層が限られているから、学生社とか位からしか出ない

もう大手でも火の車だから、そんな余裕無いんだろうね
あとは自費出版で、逆にお金払って本を出すくらい
969日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:32:17
はいはい、自演自演。
970日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:33:52
>>955
> まあこの板じゃあ少数派なんだろうが畿内説における
> 狗奴国は別に熊本の菊池あたりで良いんじゃないのか?
>
> 倭国領域の南に位置すれば良いという解釈で
> 北部九州が既に倭国=首長連合の傘下にあり、その南と衝突していたと言うことで
>
> 卑弥呼が狗奴国の事を魏に報告した時も、あくまで「親魏倭王」としての資格でしていることだろう?

俺、賛同。
971日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:36:21
そもそも、考古学界で邪馬台国って、どの程度メジャーな論点なの?
新聞なんかは、他に書くことがないから邪馬台国とか卑弥呼と書きたがるだろうけど、
プロの考古学者は、どの程度気にしてんのかね。
アマチュアの邪馬台国好きが騒いでるだけなんじゃないの。
正直、マキムクとか、邪馬台国であろうがなかろうが、
遺跡としての価値は揺らがないと思うんだけど。
972日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:40:36
有明海に近い熊本の菊池でもいいし、有明海に面した佐賀でもよい
潜水漁もできるし、冬の生菜も食べられる
973日本@名無史さん:2010/05/13(木) 20:53:15
>>971
ぶっちゃけていうと、邪馬台国の名はエサみたいなもの
この名前を出すと、九州の人はもとより
遺跡にうんざりしている奈良の人でも協力してくれるから

プロの学者は、とっくの昔に邪馬台国に興味をなくしている
どこにあったにせよ、当時の倭国像が先に判ってしまったのだから
もはやどうでもいい話しになっている
974日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:03:17
種々の条件から自前での水稲耕作規模を縮小し、鍛冶や玉造り、青銅器製作(むろん海産物などもそうだが)
などに特化した拠点集落があちこちにあり、広範囲の交易によって結ばれているといった図式だよなあ。
975日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:10:09
>>974
同意。当時の倭国は米を通貨的存在として、物流が大きく巡っているような
状況だろう。そんな中で九州邪馬台国といわれてもね。
976日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:14:56
九州邪馬台国といわれてもね
977日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:21:12
>>973
やっぱりそうか。漢学の方でも、邪馬台国問題なんて話題にもならない。
本当にプロの間でホットなテーマって、
素人には良く解らないから新聞記事にはなりにくいよね。
978日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:38:08
しかし、いまだに何かのしがらみか、
教科書には邪馬台国は位置不明のままなんだろ?

邪馬台国はともかく、
ヤマト王権は3世紀から登場した、ってことだけは書かれてあるのかな?
979日本@名無史さん:2010/05/13(木) 21:59:13
>>978
その先に判明した倭国の実像に対し
魏志倭人伝の記述がかけ離れているところが大きいから
本当に女王とか居たのか?という話しなので
980日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:06:15
アイヌ語地名の「ぺっ」、「別」・・・
もしかしたら、古代の部民制の「部」戸はアイヌ語の「ぺっ」と同じ、先端、岬という意味ではないだろうか?
健部(たけるべ)・伊福部(いふきべ)・宇治部(うじべ)・額田部(ぬかたべ)・日下部(くさかべ)・矢田部(やたべ)・
丹比部(たじひべ)・刑部(おさかべ)・軽部(かるべ)・白髪部(しらかべ)・石上部(いそのかみべ)・小長谷部(おはつせべ)・
私部(きさいべ)・壬生部(みぶべ)・・・多くのアイヌや蝦夷が大和朝廷に仕えたようです。
981日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:33:54
九州説の場合、女王卑弥呼がいた都は一体どこなんだ?
そしてそこは周辺の発掘調査で、それらしい遺物が出ているのか?
答えられる人だけでいいんだが、この問いに答えてほしい。
982日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:35:24
次のスレ立てた。
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 71
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1273757541/l50
983日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:37:15
どんなにいじられても自演を繰り返すサイキックは人気者だお。

けど、唯一の畿内説妄信者なんだから、自演しても意味ないお。

自演するならコテでやってくれないとつまんないお。
984日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:39:27
どうみても複数の人間が書いていると思うが
どうやったらひとりの自演だと思えるのか・・・

このレスも自演だと思うのかねえ・・・
985日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:48:04
>>980
蝦夷の人達がどうなってたかは気になりますね

奈良県十津川村の方言は関東アクセントだそうで
蝦夷の居住区なのかなーと思います
986日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:48:08
人口増加中の弥生時代にあって、食料は最重要だろう。ただし、天候等による不作などもあるだろうから、それだけ
に頼るのはリスクが大きい。水利などの条件のよい平野部などでは米の備蓄もあったろうから、集落の特産を作って
それらの米と交易する。これはリスク分散ということだと思う。そうした交易拠点集落の連合が、纏向を宗教特化地域
と定めて建設したのだと思う。まあ、宗教によるまとまりを求めたということじゃないかな。
987日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:48:29
テスト
988日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:49:23
蝦夷はええぞ
蝦夷は江戸でもある。
989日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:49:59
> お。馬鹿さん。
990日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:53:46
>>984
そうだよね。複数居るようにしか見えないよね(棒読み)。
991日本@名無史さん:2010/05/13(木) 22:56:55
自演基地外のサイキック・バカはコテ付けろ。

992日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:10:53
>>982
993日本@名無史さん:2010/05/13(木) 23:18:10
>>985
標準語は、三河弁かなんかじゃなかったっけ?
994日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:19:04
それにしても、この板でこのスレだけが突出して勢いあるよね。
他はほとんど1桁で、多くても12〜13なのに、ここだけ3桁。
みんな邪馬台国が好きなんだね。
995日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:31:29
論争だから盛り上がるんだろうね。
996日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:31:33
>>994
三桁って・・・・・・
いつから70は百の位になったんだwww

それにここは本来、基地外隔離スレだから
狂った人が一日中張り付いてどうしようもなかったから作られたスレで
それにふさわしい人が連投やらコピペしてるだろwww
997日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:33:16
それとサイキバ君は、自演の際は句読点をもっと意識すること

文体というかその癖でバレバレだからwwww
998日本@名無史さん:2010/05/14(金) 00:41:37
↓九州説が1000を取りたくてウズウズしてます。w
999日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:41:18
サイキック・バカ乙
1000日本@名無史さん:2010/05/14(金) 01:41:59
1000ならサイキック・バカ死亡
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