日本が韓国に稲作文化を伝えた!3

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1日本@名無史さん
前スレ

日本が韓国に稲作文化を伝えた!2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255202697/

(定説)
・朝鮮半島で確認された炭化米は紀元前2000年が最古であり、畑作米の確認しか取れない。
・遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからない。
・日本の最古の水田址は縄文時代晩期水田址で、約2800年前である。
・極東アジアにおける温帯ジャポニカ種/熱帯ジャポニカ種の遺伝分析において、
  一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない。

(仮説)
・近年になって水稲である温帯ジャポニカは縄文晩期には導入されていたことが判明しつつある。
・近年の放射性炭素年代測定により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前10世紀まで遡る可能性出て来た。
・従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性がある。

(最新情報)
2007年6月23日(土)朝日新聞大阪版第一面より
「大陸稲作 直行ルート証明」 「弥生の炭化米 DNAを分析 大阪・奈良の遺跡」
(概略)大阪・奈良の遺跡両方の遺跡から出た弥生時代の水稲の炭化米のDNA(遺伝子情報)を分析したところ
朝鮮半島出土の米とは一致せず、中国の米と一致した。
2日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:33:07

!!!!!!「石鋤」をご存知ない方はユックリご覧下さい!!!!!!

遼寧,興隆窪文化(約7000〜8000年前)の打製石鋤,鍬,石包丁(1〜5 石鋤・鍬)
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2e.gif
東北アジアにおける先史文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm
興隆窪文化と黄河中・下流域の新石器文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-3b.gif

打製石器-石鋤 農具 (台湾)大馬?文化 新石器時代?期
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd054&ParentID=0b000001801bd054
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd056&ParentID=0b000001801bd054&Type=archeology&Part=2-1

縄文農耕論発祥の地・井戸尻 縄文中期の石器群
http://tonko.photo-web.cc/11gatukara/lolipopfc2/hujimi/toukai/noukoutosiyoku/noukou/1/clip_image002.jpg
3日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:35:15
4日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:37:22

南九州・上野原遺跡  縄文時代早期前葉(約9500年前〜7000年前)の後半期。

上野原遺跡第3工区では、平成4年度から平成6年度までの3年間にわたり発掘調査が行われ、
約90000汀fの範囲に縄文時代早 期 ... その中で、約 10万点の土器や石器が出土した
縄文時代早期後半の時期が特に注目される。 この時期に造られた施設の中では、壷 ...
http://inoues.net/ruins/uenohara_sekki.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara029.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara030.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara_isiono.jpg
http://inoues.net/ruins/uenohara_museum.html
5日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:39:53
鋤先骨耜「骨製の鋤,骨耜」 日本にも時代は下るが全国に有ったのでは西日本、関東では火山灰ローム層の酸性土壌の為、
骨製の物は大部分消滅したと思われるが一部東北,北海道の貝塚等で出土する、地方なので土器同様時代がかなり下る。

北海道根室(弁天貝塚) 骨鍬,骨耜
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-2.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-6.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/zurokuimage/main/42/n024-3.jpg
http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/koukogaku/zuroku/zurokudb/index28.html

「骨製の鋤,骨耜」 7000〜5000年前 長江,河姆渡遺跡出土 浙江省博物館蔵
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_24_04.jpg
http://www.geocities.jp/room_fai/s-kouko-china.html稲作農業
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-24.html
6日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:42:00

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館[常設展示案内/縄文時代]
http://www.kashikoken.jp/museum/permanent/jomon/image/kashihara-ishiguwa.jpg
騎西町の遺跡 −縄文時代 道上(みちかみ)遺跡
http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/9910/img/ph0510.jpg
打製石斧,水口遺跡採集(折橋町),縄文時代
http://edu.city.hitachiota.ibaraki.jp/museum/gallerypro/gallery.cgi?no=2
7日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:44:50

!!!!!!「石鋤」をご存知ない方はユックリご覧下さい!!!!!!

遼寧,興隆窪文化(約7000〜8000年前)の打製石鋤,鍬,石包丁(1〜5 石鋤・鍬)
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2e.gif
東北アジアにおける先史文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm
興隆窪文化と黄河中・下流域の新石器文化
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-3b.gif

打製石器-石鋤 農具 (台湾)大馬?文化 新石器時代?期
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd054&ParentID=0b000001801bd054
http://emuseap.nmns.edu.tw/DigiMuse/NewModule.aspx?ObjectId=0b000001801bd056&ParentID=0b000001801bd054&Type=archeology&Part=2-1

縄文農耕論発祥の地・井戸尻 縄文中期の石器群
http://tonko.photo-web.cc/11gatukara/lolipopfc2/hujimi/toukai/noukoutosiyoku/noukou/1/clip_image002.jpg
8日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:47:57

>>>朝鮮南部は元もと縄文,倭人文化圏<<<

「東アジアのゴホウラやイモガイ,オオツタノハ製品,その他の南海産貝製品出土圏」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_06/kai448.jpg
日本と韓国の結合式釣針の分布
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/11nihonnkaibunnkakenn/nihontokankokunoketugousikituribari_Rnobunpu.jpg
「朝鮮半島南部の勾玉文化圏」
http://yamatai.cside.com/katudou/image/241-5.gif
南式支石墓文化圏,前方後円墳分布図
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/shisekibo_hantou.png
韓国全羅南道の前方後円墳分布図
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/img_1583928_39577794_21.jpg
半島南西部の甕棺文化圏
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/01/74/b0017474_20213019.jpg
1七岩里古墳2月桂1号墳3古城里古墳4月桂洞2号墳5月里古墳6月桂洞1号墳7明花洞古墳8新徳1号墳9咸平長鼓山古墳10杓山古墳11チャランポン古墳12龍頭里古墳13海南長鼓山古墳

縄文,弥生「土器,石匙(携行ナイフ)」文化圏
9日本@名無史さん:2010/03/26(金) 23:59:32
稲作が陸伝いに伝播したわけもないから、日本経由半島へというのは不思議ではない。
日本や半島の事情で稲作が伝来したわけではないので、伝わった時期は紀元前2千年頃か。
その頃は海岸線が現在とは全然違うであろうからどの辺に遺跡を探すのか、それが問題だ。
暇があったら前スレも見てみることにしよう。
10日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:11:41
趙:  光州新昌洞遺跡から出土した炭化米を、1996年佐藤先生に分析依頼しました。その中に熱帯ジャポニカ
    の資料があって驚きました。韓国は温帯ジャポニカしかないと思っていたので。その辺り佐藤先生に。

佐藤: えーっと、ひどく困っています。

金関: なぜでしょうか?

佐藤: 私も韓国に熱帯ジャポニカがあるなんて、考えもしなかったんですね。

金関: これがでた意義は?

佐藤: 1粒でしたので、もっと慎重に考えないといけませんが、我々は稲が中国や韓国から来たとばかり
     思っているが、反対方向を向いていったやつもいたかもしれない。

金関: むしろ日本の熱帯ジャポニカが向こうへ行った可能性もあると。

佐藤: あり得るでしょうね。

金関: 王先生、渡来ルートについて。

王:  特に、Bのルート。長江下流域ではたくさんの稲作遺跡が見つかっています。
    日本の古代を考える場合、やはり長江下流域のものが多く伝わっているということは言えると思います。
    唯一ではないですが、主要なルートだと思います。
11日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:27:58
12日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:29:28
江南から稲作が南西諸島を通って列島に伝播したなら、

何で平安期になるまで南西諸島に稲作遺構がない?

何で最初から水田稲作も石鋤も石包丁も伝わらない?

何で九州南部に稲作開始の遺構がない?

DNAの多様性も、日本にはSSR多型がa、b、cと3種類しかないが、
朝鮮半島にはbを除く7種類があって朝鮮半島の方が多いだろうが。

それにいつ日本から朝鮮半島よりも古い炭化米が出たんだ?

台湾ゴキブリはウソしか言わねえな。
13日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:30:04
水稲が江南→日本なら、

何で九州北部の最古水田に江南稲作の主役農耕具の石鋤を真っ先に伝えない?

何で江南に無い木鍬なんか真っ先に伝えてしまうんだ?

何で江南の炊飯器である陶鼎や陶釜を伝えない?

SSR多型のbの問題にしても、日本に水田稲作が伝わるBC10C以前の
朝鮮の炭化米で調査してないだろうが。

朝鮮半島に稲作が伝わったのが4〜5000年くらい前だと分かるのは
炭化米が出土するからだぞ。
14日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:30:14
明らかに歪んだ反日教育を行っている韓国、中国の実態をまず知れ!

韓国の小中学校での反日教育の実態
http://www.youtube.com/watch?v=BZHy2NDU9R8&feature=related

中国での反日教育の実態
http://www.youtube.com/watch?v=8Db4vorG0ug&feature=related

韓国にも冷静な知識人(ソウル大学教授)がいるようだが、微妙
http://www.youtube.com/watch?v=Dt8PRoWh1eU&feature=related
15日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:33:10
だいたい日本で6000年以上も前から稲作も小麦作もしておいてだ、
何で3千数百年以上前に遡れる炭化米も弥生期以前に遡れる炭化小麦も
一切出土しない?

その間、2500年以上も空いてしまうんだぞ。

弓山里遺跡も智塔里遺跡もBC40〜35C頃の朝鮮北部の遺跡であって
朝鮮南部の遺跡ではない。

朝鮮南部で農耕社会が成立するのは無文土器時代(BC13C〜)に
入った頃なんだから、それまでの農耕具もないに決まってるだろうが。

ただ朝鮮南部で農耕社会が成立した頃の農耕具もまだそんなには
見つかっていないらしいが、石刀や石鍬の出土はあるようだがな。
16日本@名無史さん:2010/03/28(日) 23:34:24
>>2-7
おらおら、早く答えろよこの豚クセエ台湾ツブレ鼻ギョロ目褐色土人がwwww



炭化小麦はどうした?w  何で炭化小麦が弥生以降しかねえんだ?w



で、いつ稲作開始地の九州北部に江南農耕具の代表「石鋤」を伝えてくれたの?w



で、何で日本の最古級炭化米は長江江南のインディカみたいな長細いジャポニカじゃないの?w

17日本@名無史さん:2010/03/29(月) 21:03:22
>>13
それ、この前の研究発表でチョン学者が同じ事言ってたわw
チョン学者は「韓国ルートだけ!」と電波を発していたが、
日本は「中国からのルートもある。どちらでもありうる」と言って認めてなかった。
18日本@名無史さん:2010/04/02(金) 02:05:56
798 名前: 日本@名無史さん Mail: 投稿日: 2010/03/05(金) 14:03:29
>だいたい日本で6000年以上も前から稲作も小麦作もしておいてだ、
>何で3千数百年以上前に遡れる炭化米や炭化小麦が一切出土しない?

コピペ荒らしウザイな。ちゃんと反論しろよ。

6000年以上前のプラントオパールが出土してるんだから、証拠としては充分だろ。
炭化米が出土しないからって、日本に稲作がなかった・韓半島から伝播した反論になっていないな。

じゃあ約6500万年前から化石が見つかっていないシーラカンスが、現代になって発見されたからって、白亜期末に絶滅しなかった証拠にはならないとか言い張るのか?

炭化米が発見されていない期間の何万倍もシーラカンスの化石が発見されないことがあっても、点と点が繋がれば線になるんだよアホ。
それとも原生のシーラカンスは絶滅種とは別に6500万年以降に発生した相似種だとでも言うつもりか?
19日本@名無史さん:2010/04/02(金) 02:07:12
プラントオパールについてはやっぱり逃亡か。

>炭化小麦はどうした?w  何で炭化小麦が弥生以降しかねえんだよ?w

プラントオパールは?

>で、いつ稲作開始地の九州北部に江南農耕具の代表「石鋤」を伝えてくれたの?w

あほか。
例えばイースター島のモアイを作った連中は遺伝的にもポリネシア系。
近くで見たらわかるが、モアイは褌をつけて正座する姿で、これまた東アジアからポリネシアの共通文化で、ポリネシア系の人間が伝えたのがわかってる。
で、モアイの石切場から見つかっている石のノミは、これまたポリネシアの物にそっくり。

しかしながら、ポリネシアの道具が全部共通するわけではなく、
文化が移植された先の環境や地理的条件によって、道具は伝わったり伝わらなかったりする。
実際、イースター島ではノミぐらいだったりする。
モアイを運搬する方法も、割と短期間で伝承が失われたり混乱したりするもの。

そもそも、日本と韓半島は縄文時代から交易があったことぐらいは知ってるだろうな。
隠岐や佐賀の腰岳の黒曜石など、農耕伝播以前から交易品として流通していたんだ。
日本に伝来した稲作が韓半島に伝播し、そこで日本との交流の過程で韓半島の農機具が主流になっても、
それは韓半島から稲作が伝播した証拠にはなりえない。

ジャガイモやサツマイモの伝播で、原産地の南米の農具や、それを世界に持ち込んだヨーロッパの農具、
日本(沖縄)に直接持ち込んだ中国の農具が、日本に伝播しているか?
鹿児島や長崎の栽培方法ですら、残っていない地域があるぐらいだ。

>で、何で日本の最古級炭化米は長江江南のインディカのような長細いジャポニカじゃないの?w

外形的な物は決定的な証拠にはならんよ。
外見がインディカのように長細くても、遺伝的にジャポニカだったらジャポニカ。
ジャポニカ種には長粒品種と短粒品種が混在してることも知らんのか?
20日本@名無史さん:2010/04/02(金) 02:09:15
807 名前: 日本@名無史さん Mail: 投稿日: 2010/03/06(土) 21:49:41
>>806
>全然答えになってねえから

でもどこが答になっていないか、一言も反論できませんってか?
おまえがまずなすべきことは、

1)残りやすいプラントオパールではなく、残りにくい炭化米・小麦の出土にこだわるのか?
2)石鋤が伝わっていないことが、なぜ江南伝来説否定の論拠になると思い込んでいるのか?
3)ジャポニカ種の長粒品種はインディカ米と遺伝子的に別種だと、なぜ認められないのか?

について自問することだな。
21日本@名無史さん:2010/04/10(土) 03:13:03
現在、炭素14による日本最古の水田稲作遺跡は2800〜3000年前とされるのに対し
炭素14による朝鮮最古の水田稲作遺跡は2800年前とされている。
22日本@名無史さん:2010/04/13(火) 23:42:19
遥か古代に中国揚子江下流域において稲作が始まりました。
陸稲種の熱帯ジャポニカは縄文期に先行して南島経由で日本に渡来し、青森まで到達していました。
この熱帯ジャポニカ種は日本経由で半島に渡った可能性があります。


縄文時代に栽培されていた稲は現在の温帯ジャポニカではなく、
この熱帯ジャポニカといわれる種類のものだったと考えられるようになりました。
青森県・高樋V遺跡などから出土した炭化米のDNA鑑定で、
それが熱帯ジャポニカに特徴的な「7C6A」という配列を示していたのです。

水稲250品種(温帯ジャポニカ)のDNA分析からは、
MR1a〜MR1hという8つの変形版(全て「中立遺伝子」)が発見されました。
中国大陸にはこのMR1aからMR1hまでの8つの種類が全部存在し、
朝鮮半島にはMR1bを除く7つの種類が存在します。そして日本には、MR1aおよびMR1bの2種類しか存在しません。

従来、稲の伝わってきたルートは朝鮮半島経由だというのが考古学の結果から推論されていました。
しかしMR1b遺伝子が中国と日本では高い割合で分布し、朝鮮半島の在来品種の中に見つからないという点から、
この遺伝子を持つ水稲が、中国大陸から直接日本へ到達するモノの流れのルートを経てきたものと想定できるのです。
23日本@名無史さん:2010/04/14(水) 00:50:02
プラントオパールてのは状況証拠でしかない。
耕作後が全く発見されてない。
24日本@名無史さん:2010/04/14(水) 11:05:32
高橋護・元ノートルダム清心女子大教授(考古学)は
「稲のプラント・オパールが見つかっただけでも稲の栽培は裏付けられるが、
他の植物のものも確認され、栽培リスクを分散していたとみられる。
縄文人が農耕に生活を委ねていた証拠」としている。(2005年2月19日)
25日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:34:19

日韓がタブーにする半島の歴史  室谷克実/著
http://www.shinchosha.co.jp/book/610360/

「文明は半島から来た」なんて大ウソ! 古代史の常識がひっくり返る。

古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきた――
という〈定説〉は大嘘である。半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは
倭人・倭種、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記
されているのだ。

日韓古代史の「常識」に異議を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに
自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。
26日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:41:41
分からなければ

「稲作は日本起源」

でいいや

27日本@名無史さん:2010/04/16(金) 19:49:04
ウルサンには16000年前の水田跡があり
中国のものより古いことから
稲作は大韓民族により発明したと判断できるであろう
28日本@名無史さん:2010/04/17(土) 11:16:55
>>25
面白そうだから買う
29日本@名無史さん:2010/04/17(土) 20:10:14
ちなみに意外かもしれないけど
中国では昔から「米食は日本から伝わった」と言い伝えられており
中国人は今でもそう主張する人が多いのだが
科学的にそれが証明されてきたということだな
30日本@名無史さん:2010/04/26(月) 07:13:13
>>29
北部は麦食だったんだっけ?長江より上に水田はまず無かっただろうな
31日本@名無史さん:2010/04/26(月) 17:18:08
>>18-20
見事

できればコレまとめてほしい
32日本@名無史さん:2010/05/02(日) 03:17:14
論破されたとたんおとなしくなったな
33日本@名無史さん:2010/05/02(日) 04:05:48
簡単30ステップで学ぶ半島の2000年史!

【朝鮮”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】

1.檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない
2.箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。
  唯一その存在をまともに確認できるのは12世紀に成立した『三国遺事』
3.衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家
4.朝鮮は燕の全盛期その配下に入っていたが、燕が秦に滅ぼされて後は国外の属国という状態にあった。
5.衛氏朝鮮は燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権
6.もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない
『史記』・朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也」
         「朝鮮王、満は燕国人である」
7・その燕国人の作った、朝鮮もBC108年に漢に支配され滅亡してしまう
8・百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない
9・高句麗も扶余系民族だから、今の朝鮮人とは関係ない、
 扶餘→高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)

10.では今の朝鮮人は何処からきたか?
 『後漢書』辰韓伝
  「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。」
  (辰韓は、老人がいうには、秦国から苦しい労働を避け韓国に逃げてきた人だ馬韓の土地東に
  分けてもらっている)
  ↑韓国人のご先祖、発見w
34日本@名無史さん:2010/05/02(日) 04:07:26
11.結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖
 でも・・・悲しいことに
12.その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。
  金氏王統の始祖瓠公は日本人
 (瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物)
 『三国史記』新羅本紀
「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」
   (瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。
  初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。)
昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人
 『三国史記』新羅本紀 
 「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」
 (脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
13.それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした
 『隋書倭人伝』
 新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
 (新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として
 敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
広開土王碑文
 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
 そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
14.倭国=日本国である
 『三国史記』「新羅本紀」文武王十年十二月
  670年 十二月
 「倭國更號日本 自言近日所出以爲名」
 (倭国が国号を日本と改めた。自ら言うところでは、
 日の出る所に近いから、これをもって名としたとの事である)



35日本@名無史さん:2010/05/02(日) 04:08:54
15.ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が
 「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。

16.元朝になり忠烈王が日本侵攻を執拗に要請し蒙古襲来→鎌倉武士によって撃退
17.高麗王は代々モンゴル人の后をもらい蒙古名を名乗りモンゴル装束着てモンゴル人化
18.李朝も実は、朝鮮人の王朝では無かった
19.李成桂の四代前の李安社は元朝に仕える地方官吏(地域の統治官・行政長官)だった
20.例外はあってもモンゴルか女真(満州人)との血縁が無ければ地域の統治官・行政長官にはなれない
21.李朝開祖の李成桂はウルス-ブハと言うモンゴル名があったの。
22.そればかりか、伯父も、 親せきもみーんなモンゴル名があった
23.それなのに女真人をオランケと呼び差別していた
24.被征服民族が征服民族を怨むのが半島の伝統w
25.大清帝国成立、明の滅亡
 1637年、清国がホンタイジの皇帝即位を認めない朝鮮を征伐し完全属国化
26.日清戦争により冊封体制から朝鮮は独立
  大韓帝国を名乗る
  属国から開放させて貰った恩を忘れ親ロシア派が台頭→閔妃暗殺
27.日露戦争→日本勝利保護国化  
28. 日韓併合条約によって併合、当時の国際法的にも合法
29.大日本帝国連合軍に敗れる→ソ連、アメリカによる38度線分割統治→独立


30. 北朝鮮建国、韓国建国
   ※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません
36日本@名無史さん:2010/05/12(水) 01:40:37
京都上里遺跡の炭化米は調べ終えたものだけでも紀元前5世紀の炭化米だったね。

九州で計算するともっと時代を巡る可能性があるとか
37日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:44:00
121:名無しのひみつ:2009/12/13(日) 06:44:03 ID:x3q1Hxd8
今主流の学説では、伽耶地区の金官国(532年新羅に降伏して滅亡)は実質的に倭国の属国ではあったけど、
百済・新羅は宋の冊封下にある独立国で、時に倭国大和朝廷と結ぶことはあっても、隙あらば裏切り、機を見てまた結ぶという関係だった。
新羅・百済は支那王朝の冊封を受けていて、倭が冊封を受けていた時代に叙された官爵より常に上だったことから、
倭を南海の蛮族で、騙して利用しやすい相手と見ていた節がある。下に見ていたのは間違いない。
百済にしろ新羅にしろ、軍事的には倭国の方が遥かに優位だったので、高句麗の圧迫を受ける度に軍事支援を要請した。
これが広開土王碑に言う百済・新羅を破り、以て臣民と為す云々の下りに相当すると考えられている。
大和朝廷は6世紀に半島政策に挫折するまでは一定の影響力を朝鮮半島に持ち、伽耶地域の小国家のうちの幾つかは
属国としていたが、それ以上のものではなかったと、今では考えられている。
そういうわけで、倭人が伽耶地域をはじめとして朝鮮半島南部に多く居住していたのは事実だけれども、朝鮮半島南部を支配していたというのは誤り。

125:名無しのひみつ:2009/12/13(日) 18:28:37 ID:9KlrnopV
>>121
使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王って何?
格下だった倭の五王が将軍になれるの?
38日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:45:11
130:名無しのひみつ:2009/12/13(日) 19:30:30 ID:xq3mEWke
>>125
都督というのは、民政権、将軍は軍事権。支那は身分階級が厳密に定められていて、将軍位であれば
四征(四=東西南北)将軍→四鎮将軍→四安将軍が第三品に位置づけられ、
倭の五王のうち最後の武以前は安東将軍を授けられていたのが、倭王武の上表文によってはじめて安東大将軍に叙された。
安東大将軍は第二品の階級で、車騎将軍→四征大将軍→四鎮大将軍→四安大将軍の順。
高句麗が征東大将軍または車騎将軍、百済が鎮東大将軍であるのに対し、大和朝廷倭王は安東将軍で格下だった。
朝鮮半島および高句麗の征討を企図していた倭王武にとっては、この点は問題だった。
ところでこの時期は、倭国内の政情不安はありつつも、大和朝廷が統一国家への道を歩み始め、日の出の勢いがあった。
しかしながら盤石の体制とは言えず、超大国・宋の機嫌を損ねる危険は冒せるはずもなかった。
そこで倭王武は、宋に入貢し、開府儀同三司(=高句麗と同等の地位)、朝鮮半島南部の各国の民政権・軍政権の
保持者である倭国王を自称し、その除正(正式な任命)を求めた。
しかるに、宋の外交政策上、その全てを認めるわけにはいかず、わずかに安東大将軍・倭国王のみが認められた。
もっとも倭王武としてはこれは想定の範囲内であり、元々冊封体制下から逃れる意図があったとも考えられる。
上表文が、これらが認められなければ倭国は独自の判断で行動するというニュアンスを含んでいるため。
何?と聞かれた部分に対する回答はこれで良いかな?
こういう官爵が欲しいんだけど認めてくれよ、という意味であって、倭王が既にその地位にあったわけではない。

131:名無しのひみつ:2009/12/13(日) 20:12:21 ID:hjY3lIKI
>>130
で、最終的に征東大将軍になるわけだ。

479年 南斉の高帝、王朝樹立に伴い、倭王の武を鎮東大将軍(征東将軍)に進号。(『南斉書』倭国伝)
502年 4月、梁の武帝、王朝樹立に伴い、倭王武を征東大将軍に進号する。(『梁書』武帝紀)
39日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:00:54
age
40日本@名無史さん:2010/06/08(火) 02:36:19
>ウルサンには16000年前の水田跡があり

ねえよw
稲作は、南中国→日本→朝鮮半島というルート。
41日本@名無史さん:2010/06/09(水) 00:30:43
稲の伝来ルートについても従来は朝鮮半島ルートが有力視されていましたが、これには疑問点が多くあります。

・中国遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと
・朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しか取れない点
・極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)の遺伝分析において、
朝鮮半島を含む中国東北部(満州)から当該遺伝子の存在が確認されない

 ことなどの複数の証左から、水稲は大陸からの直接伝来ルート
(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)による伝来である学説が有力視されつつあります。
従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性も考えられています。
弥生米のDNA(SSR多型)分析によって、朝鮮半島には存在しない水稲の品種が確認されており、
朝鮮半島経由のルートとは異なる、中国中南部から直接渡来したルートが提唱されています。
後述の青銅器の伝来も古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用されたとされることと重なります。
42日本@名無史さん:2010/06/10(木) 01:43:01
>・中国遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと

明らかに古代のものと判明している水田跡が見つかってる範囲って、
山東半島南岸〜東端ぐらいまでだったっけ?
たしか山東半島北岸には見つかってないんだったよな。

ただ、山東半島と遼東半島や韓半島との間に往来ルート(水上交通路)は、かなり古くからあったらしいが。
43日本@名無史さん:2010/06/10(木) 09:14:16
稲作は鳥の糞が育てる訳じゃないからよ。

半島血統系は朝鮮から来た言いたいなら、大和民族に稲作の民俗学的な
側面で説得しろよw血にかかわる重要な部分だ。
44日本@名無史さん:2010/06/10(木) 22:14:45
日本のコメは南方渡来!? 熱帯種平安期まで混在 都城市教委分析 炭化米DNAで裏付け(西日本新聞)
http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/296.html
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/news021.html

宮崎県都城市教委は十四日、市内から出土した弥生から江戸時代まで
約千八百年間の多年代にわたる炭化米をDNA分析した、と発表した。
弥生中期後半(約二千年前)から平安時代末(十二世紀)の炭化米には、
東南アジアなどに残る原始的なイネ「熱帯ジャポニカ」と、
現代の日本で広く主食にされている「温帯ジャポニカ」が混在していた。
だが、室町時代後期(十六世紀)以降は、温帯ジャポニカしか確認されなかった。

炭化米のDNA分析に詳しい総合地球環境学研究所(京都市)の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)は
「弥生時代、南九州に熱帯ジャポニカが存在していたことがDNAで裏付けられた。
稲作の南方渡来説を補強する考古学的証拠の一つになる」と話している。

分析したのは、都城市南横市町の平田遺跡など、市内四遺跡から出土した炭化米。
大きさは長さ五ミリ、幅三ミリほどで、最も古い弥生時代の炭化米は、
炭素年代測定法により二千五十―千九百七十年前のものと判明。サンプル十三粒中、
四粒が熱帯、七粒が温帯、二粒が雑種と判定された。

四遺跡に近い同市の坂元A遺跡(縄文時代晩期後半)からは、国内最古級の水田跡も見つかっている。
同市教委は「一地域の多年代の炭化米をDNA分析したのは国内でも初めてで、
国内のイネの栽培の変遷を知る貴重な資料」と話している
45日本@名無史さん:2010/06/10(木) 22:20:49
山東→半島南
江南→半島南

江南→九州

半島と日本のコメDNAが一致してないからこう考えるのが普通かな。
46日本@名無史さん:2010/06/10(木) 23:01:01



韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ。
趙現鐘・国立済州博物館長と佐藤洋一郎・静岡大学助教授が
大阪府和泉市のシンポジウムで発表。[共同通信]
http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/2001xc.html
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ
韓国の遺跡で出土した炭化米にも熱帯ジャポニカ


47日本@名無史さん:2010/06/10(木) 23:35:07
趙:  光州新昌洞遺跡から出土した炭化米を、1996年佐藤先生に分析依頼しました。その中に熱帯ジャポニカ
    の資料があって驚きました。韓国は温帯ジャポニカしかないと思っていたので。その辺り佐藤先生に。

佐藤: えーっと、ひどく困っています。

金関: なぜでしょうか?

佐藤: 私も韓国に熱帯ジャポニカがあるなんて、考えもしなかったんですね。

金関: これがでた意義は?

佐藤: 1粒でしたので、もっと慎重に考えないといけませんが、我々は稲が中国や韓国から来たとばかり
     思っているが、反対方向を向いていったやつもいたかもしれない。

金関: むしろ日本の熱帯ジャポニカが向こうへ行った可能性もあると。

佐藤: あり得るでしょうね。

金関: 王先生、渡来ルートについて。

王:  特に、Bのルート。長江下流域ではたくさんの稲作遺跡が見つかっています。
    日本の古代を考える場合、やはり長江下流域のものが多く伝わっているということは言えると思います。
    唯一ではないですが、主要なルートだと思います。
48日本@名無史さん:2010/06/11(金) 00:46:36
反対方向を向いていったやつもいたかもしれないと言いながら、
その証拠を何一つ出せない自称科学者の詐欺師ってどーなの?

反対方向を向いていったやつもいたかもしれないと言いながら、
4〜5000年前の韓国の最古級炭化米での熱帯ジャポニカの割合を
調べようともしねえ自称科学者の詐欺師ってどーなの?

だいたい科学者の分際でだ、何の証拠もなく「かもしれない」なんて
自分の願望を語ってる事自体が終わっとるだろ。
49日本@名無史さん:2010/07/24(土) 22:09:03
一粒だけ…
どっかからパクってきたんだろ。

終了!
50日本@名無史さん:2010/07/25(日) 03:30:07
>>48
稲は自然科学者や鳥の糞が育てる訳じゃない人間だ。
当然稲作にまつわる祈り恐れ感謝祭りがある。だから半島からその稲作に
纏わる民俗を持って来いよ。

物なんて異民族間で簡単に移動する。
51日本@名無史さん:2010/07/25(日) 04:03:55
朝鮮説を言ってる人って、中国の古代遺跡の事とか全然知らないで言ってる
気がする。紀元前5000年〜6000年位に、華中(揚子江中域)の、
彭頭山遺跡、磁山遺跡、裴李崗遺跡など、
稲籾、稲殻、貯蔵された粟、稗など大規模農業の痕跡が発見されていて、
出てくる遺物が日本の縄文時代と似てる。日本は、縄文時代から稲作の基本があり、
弥生時代(春秋時代)に爆発的に技術が発展してる。
日本の農業は明らかに紀元前5000年〜6000年位に、華中(揚子江中域)で発展した農業の
流れに存在してる。朝鮮の農業は明らかに、後世どこかから伝えられたもの。
発祥地だとか、中継地としても絶対有り得ない。
>>50
日本の稲作の祭祀の充実度は、彭頭山遺跡とかの遺構と共通してる。
伊勢神宮の稲作神事とか。
朝鮮は稲作重視の祭祀は皆無だし、遺構も無いんで、文化が違う。
52日本@名無史さん:2010/07/25(日) 05:19:29
本当に日本が伝えたのか?
我々の先祖も馬鹿なことしたもんだな。
53無双立花宗茂:2010/07/25(日) 07:38:23
三国史に倭国の方が文化が優れてたと
倭人が朝鮮王に任命されたと
国史に騎馬記載の無い天皇は日本固有なもの農林省ニイナメのお伊勢様に出席しなくワイハにいた赤松氏は高千穂の高低役の祟りが下った
JALは羽田大鳥居の祟り
54日本@名無史さん:2010/08/05(木) 22:24:42
こんな台湾中華土人の大法螺スレ見て何か楽しいの?
55日本@名無史さん
奈文研飛鳥 資料館で企画展 出土品語る、旧石器時代

細石核は「クサビ形」「角錐(かくすい)状」「舟形」に分類でき、
中国での最近の発掘成果などもまとめて分布を調べた結果、
クサビ形は中国東北部から当時は地続きの北海道を通じて東日本を中心に広がり、
角錐状や船形は中国南部から直接九州に伝わってきたらしいことが明らかになったという。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/nara/100727/nar1007270256001-n1.htm