1 :
日本@名無史さん :
2009/11/22(日) 16:19:13 「ノ\ \ ',
ノ/ニ、 ', ハ __l l l
〈 |⌒ 〉/l //」⊥__ l l / l
卜\,⊥、′イヒl ト l l /川
l\_〉イヒノ 从/// //川
\,从 ` _ _ ///// ///川 九州も畿内も四国も朝鮮も
, n \` /// /// l l | エジプトもコテハンも
イ| l ト、 >‐┐ / /// l l l ドンと来い!
/トl┼|//⌒ /,∠、⌒ヽ| |
ノ丿 _」ノ// // \ ∨
// / ////l 〈_》 ',
出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。 煽り、粘着禁止。荒しはスルー
■前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪59
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258673045/
2ゲト
3 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:21:28
4 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:23:09
前スレの後半の九州説の発狂ワロタ
どうみても畿内説が発狂してたわけだがw というかまともな議論が出来ない奴はここに来るな
6 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:27:58
まともな議論て(笑) まともな議論したら九州説が空気どころの騒ぎじゃなくなるだろ(笑)
実際九州説は他説貶してる場合じゃないだろ。 さっさと候補地絞る位はしないとな。
九州以外ならどこでもいいよ
9 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:43:18
国民の7割が九州説であることに脅威を感じた畿内説者は 研究よりマスコミを使ってガセネタを流す宣伝活動に力を入れているな。
10 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:45:14
畿内説は他力本願だから気楽なもんだな 何でも学者が用意してくれる 新婚旅行の初夜に、ママが腰を後押ししてくれるそうだな? たいしたもんだよ畿内説者は 説にも嫁にも乗っかるだけとは
前スレに出てた昨日の不思議発見の内容だと ・鏡の文化が始まったから銅鐸を叩き割りましたな内容→九州説視聴者は歓喜、畿内説視聴者もドン引き ・岩戸伝説→言うに及ばず ・卑弥呼時代付近で気候が悪かったが、卑弥呼の頃だけは気候が良かった内容→九州説レスは歓喜、畿内説スルー ・果肉のあるメロンが見つかった内容→九州説レスは好意的。畿内説レスは特になし ・鯉の養殖な内容→九州説レスは大喜び、畿内説レスはスルー ・各地域の土器の出土な内容→九州でも出てるしで両者ゆずらず な感じだったかなと
>>11 番組内では巻向でほぼ決定と言ってたじゃんw
卑弥呼の眠る箸墓とも言ってたし。
13 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 16:51:45
>>12 主任とかいう奴が勝手に言ってただけじゃん、必死だな、おい(笑)
>>15 お前、見てないだろう?畿内説派なら、めっちゃドン引きするわ。
17 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:02:20
>>13 いいえ、分家は大和の方です。
ワケ王朝とは、九州の邪馬台国の分家という意味です。
18 :
11 :2009/11/22(日) 17:02:25
>>12 番組を見た後の前スレの流れを書いただけだが?
番組がどう言ってたかと、そこで与えられた情報から受けた印象は別だったてこと
あと番組内でも「断定を欲しがる」リポーターに研究者の方は「可能性が高まった」くらいな表現に留めてなかったか?
>>16 日食をはじめ、メロンやらカエルとかクイズばっかりだろ?普通に見てたけどw
元々巻向遺跡に関する事メインだから、別に九州に関する事なんて、
高千穂以外大して取り上げてないし。
どん引きも何も、〜説とかに関する番組ではないんだからね。
21 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:10:38
巻向うんぬんより古墳の話多くなかった?はっきりと箸塚古墳に卑弥呼が埋められたといってたなw
>>10 九州がもはや相手にされて無いってことは認めてるんだなw
>>17 和気清麻呂涙目
>>18 あの番組では何も考えてない視聴者なら「ここが卑弥呼の宮殿なんだ」と思うよ。
確かに畿内説論者でもあんな単純な刷り込みは困るけどな。
これはバラエティという構成の辛い所だろう。
24 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:11:13
26 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:14:30
>元々巻向遺跡に関する事メインだから そこであえて九州の高千穂を挙げたり、 まさかの銅鐸割りでドン引きさせたりw 思い出すだけで腹痛い
27 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:16:02
まさかの銅鐸割りwwww
>>26 しかし、銅鐸から鏡への信仰の変化はあっただろうな。
それが大国主→天照への変化なのだろうということでもありそうだ。
>>26 まぁ所詮バラエティ。
で、一般人には「巻向」=「卑弥呼の宮殿のある場所」
こんな刷り込みは吉野が里で十分なのに。
>>29 吉野ヶ里が邪馬台国だって言う決定的な
物は何もないのにあの刷り込みは酷かったw
31 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:20:29
巻向の地名入来なのですが、祟神天皇つまり御間城入彦が向かったところという意味ではないでしょうか? 住むのによいところが住吉。古代人はわかりやすい地名をつけますね。
32 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:22:18
やべ、俺も思い出した、腹イテェ〜 巻向意味ね、プッ 災害で1700年間パックしたウリでも食べとけよ
35 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:26:05
DNAではウリよりメロンに近いっていってたな。 卑弥呼の時代は暖く、奈良でさえ南国のようだった というニュアンスだと受け取ってた。
畿内説の人に質問 どうして銅鐸を叩き割ったの?w
昔メロンとされていたマクワウリだと、二世紀頃に 美濃で栽培されてたんじゃなかった?
39 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:30:46
>>36 神がかわる時に割ったとかいってたな。
番組では日食と関連させて、卑弥呼がなくなり台与が新しい神になった。
とかいってたからその流れだと。
まあちょっと賛同しかねるが。
40 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:32:37
>>38 いや俺がそうおもってるわけじゃなくて、番組の意図の話
まああの番組では卑弥呼の時大は温暖だったというニュアンスだな。
九州ならもっと暖かいだろうね、年間通して裸で過ごせそうだね
44 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:38:29
>>41 そういや鏡もちって割るよね。
新しい年を迎えるからかな?
45 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:41:44
>>42 そうそうコンピューターシミュレーションだして
「卑弥呼の生きていた時代だけ暖かった」ってやっていたよね。
>>44 割らなきゃ食えないから。切ると力いるし、包丁いたむ。
>>45 そうしなければ畿内説は破綻や
あの畿内論学者も、なんだかんだで魏志倭人伝を気にしとる証拠やで
48 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 17:56:55
>>46 いや、今調べたら昔はやはり割ったらしい。
割ることを「開く」といったらしい。切ることは厳禁だったとか。なんでも大正月がどうの
コウの…
今外で携帯厨だしそっちで改めて調べてくり。
ありゃw とまったw
51 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 18:24:25
>>36 銅鐸は豊穣を祈願し共同体を守護するためのマツリの祭器だ。
弥生人は穀霊と地霊が豊穣をもたらしてくれると考え、
また、祖先の霊が共同体を守護してくれるとも考えた。
この精霊と祖霊のマツリが銅鐸祭祀である。
やがて祭祀を主催する首長の権威が増大してくると
精霊と祖霊が融合し、首長自身がそれを身に帯びて
共同体を守り発展させるという信仰が生まれた。
これが首長霊信仰である。
首長霊祭祀のシンボルは首長の墓そのものとなり、
銅鐸は破棄されたのである。
53 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 19:33:38
今後のスケジュールとしては 「割れた鏡が見つかります」
>>53 鏡は割れて発見される方が多いのを知らない人?
55 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 19:41:23
そろそろ卑弥呼の名札が出てくるんじゃないかな
56 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 19:44:08
前スレにあった卑弥呼が丹波系の女性で 政権交代があったというのが一番しっくりくるな 俺の中では
57 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:00:03
粘着キモい
>>51 例えば石上なんかは社殿とかじゃなく山が御神体だとか
山が御神体の神社の例なんて腐るほどあるし
そこから神奈備信仰(祖霊信仰)の名残というか、山そのものが今でも信仰の対象ってのも腐るほどある。
古墳をご先祖様の墓とした民話は聞いたことがあるけど、古墳を信仰の対象ってのは一般的ではないんじゃないか?
59 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:01:51
60 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:09:22
狗奴国=武埴安彦の国だろう 丹波から見れば河内は南にあるしね 代を重ねるごとに勢力を増すかつて九州からやってきた一族と それに反発する連合内の他の豪族 連合を維持するために編み出されたのが 丹波という後進地域の女王を推戴することなのでは?
>>59 残念、ずっと丹波が重要と言ってたのは俺だよ。
で、大分辺りから紀伊半島伊勢(美濃)辺りまでが女王国の範囲とも
主張してたのも俺。
狗奴国は九州南部だな。
63 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:15:49
武埴安彦の乱を収めたことで 完全に邪馬台国連合を掌握した崇神 各地で崇神による簒奪に反対する勢力が連合から離れたが それを撃ったのが四道将軍 四道将軍に東海、北陸、吉備と並んで丹波があるのは かつての女王のお膝元である丹波では特に反発が強かったからかもしれない
64 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:19:16
>>61 残念、本物はオレだよ。オレ。
勝手にオレになりすますなよ。
65 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:21:00
丹波人はオレオレ詐欺師であることがよくわかりました。
>>64 じゃ、コテ名乗ってねw
九州説の皆さんと遊んでもらえるよ。
68 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:24:52
69 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:25:52
記紀に卑弥呼の記述がないのは当たり前だろうな 大王家から見たら卑弥呼なんて他人なんだからね 当時邪馬台国連合の最有力だったであろう 崇神のお膝元、纏向遺跡が栄えているのも当然の話だ おそらく6、7世代ほど前に九州からやってきた 崇神の一族が銅鐸を叩き割ったのも納得できる これで全部繋がるな
>>58 古墳が信仰の対象っていうと、ちょっと違うな。
新たな信仰(首長霊信仰)祭祀のシンボルといったところだ。
銅鐸はそれ以前の信仰のシンボル(呪器)ね。
信仰対象(カミ)が代わったから銅鐸(祭祀装置)が放棄されたの。
構って貰おうと必死なのが一人・・・
ざっと呼んで思うんだが・・・ずいぶん人の人生を無駄にさせるシロモノだな。 魏志倭人伝って。 おまえら自分の人生を大昔のおっさんの本で無駄にするなよな。
73 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:34:05
>>72 おっさんの本だがその後1700年にわたり累計数億人の日本人に影響を与えてきた書物だ。
かれらと一緒の道をたどると考えれば人生の無駄ではない。
>>72 老後の楽しみとしては結構有意義かもしれないぞw
>>73 所詮おまえら中途半端なんだろ?たいそうに言うなよ。ざこのくせに。誇大妄想が過ぎるw
ざこが一匹吠えてますねw
>>68 畿内説(しかも自己の考えに近いものに限る)しか聞きたく無いからって
九州スレとか丹波スレとか乱立させるくらいなら
自分のHP作ってそっちに誘導したら?
俺は基本が九州信者だけど畿内はもちろん吉備・出雲・丹波でも聞いてて楽しいから
キミがソコまで畿内説の人達の意見しか聞きたくないのに、2chなんて場所にこだわるのが不思議でならんよ
しかも、自分達用の新スレ立てるんでなく「新スレ立ててやったからオマイラ出てけ」とかw
それにしたって『場所が2ch』である以上は他説信者が割り込んで行くと思うけどね
まぁそんなだから畿内説以外は受け付けない。それ以外が活気ずくと荒らすスタンスなのは解った。
79 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:49:24
>>67 おまいこそコテ名乗れよw
九州説の連中が遊んでくれるぞ。
80 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:51:11
タンタン タンバで ルンバッ♪
>>78 そいつは単に構って欲しくて荒らしてるだけだから。
82 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:54:04
丹波説っていうのは邪馬台国が丹波にあったっていう事? ソースはあるの?
>>79 じゃ、俺は徳島人になろうかなw
実は俺、丹波が重要と言ってるが、邪馬台国=四国説なんだよ。
84 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:57:13
85 :
78 :2009/11/22(日) 20:59:01
>>81 納得。普通に論理的な思考が出来たら
「その気もない他人を移動させる」のと「自分が移動する」
のどちらが確実で早くて現実的かは自明だもんなw
86 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 20:59:50
>>84 丹波説論者のレベルって(笑)
っていうか、丹波説って何???
>>82 丹波が邪馬台国なんて誰も主張してなかったと思うよ。
ただ九州説では丹波の存在が説明出来ないのでは?という話だろう。
前スレも水銀の「ス」の字もでないのかよ
水銀の話題なら最近散々出てたよ。 最近はスレが早すぎて直ぐ流されてるしw
90 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:12:30
>>84 九州信者は欲してなかった九州スレが立ててあるのに?w
>>83 それは九州信者な俺も考えたことがある。
イザナミ神社の存在とか淡路島とか山幸に助力した勢力(=塩土翁≒住吉?)とか
四国からだと日向(=高千穂)に行きやすいし
海幸山幸含めて九州を治めてから東征するのに四国を抑えてないと
遠征中に本国の安全が保証されないだろうし、近畿を攻めてる時にも背後が危険なのに
そこまでの過程で四国をどうこうした記載がないし…
とか考えたら合理的に整合性をとって考えるに不自然だなぁ〜ってね
91 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:19:04
邪馬台国が大和にあったなんて証明は絶対に出来ませんよ。 この先、未来永劫にね。 魏志倭人伝、素直に読んで大和なんて主張する奴、バカ。 畿内でこれからどんな遺跡が発掘されようが、邪馬台国と直接結びつけるものなんて絶対出てこない。 金印でも、銅鏡でもね。 そんなものは邪馬台国の子孫や泥棒が畿内に運んできたに過ぎないと言われればおしまい。 箸墓が仮に発掘されたところで、被葬者が卑弥呼の墓である断定なんて出来るはずもないしね。 大和論者の諸君、せいぜい、これからも無駄なアガキを続けてくれたまえ。
>>87 そう言い続けてたのは畿内信者、九州・出雲な人は「日本海の交易を考えたら別に不自然じゃないし」みたいに流してた。
流してたのを逃げたと感じるなら、日本海側には交易ルート(海上交通)が無かった。て誰も反論出来ない説を出してみたら?
俺は水銀が重要になるのは金を延ばす≒金メッキが多用された時代。と思うけどね
93 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:21:45
まずね、倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼と同一人物だという証明をしてください。 話はそれからだ。
94 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:21:46
卑弥呼=丹波の日女命説を要約すると、こうなるね。 弥生時代、若狭湾に天孫降臨したとされる天火明命がいた。 そのご、海部氏、尾張氏の祖となる。 天火明命から8代後の日女命は、大和で葛城氏と婚姻関係を結び生まれた。 この女性が卑弥呼であり、モモソヒメ 記紀では孝霊天皇の娘とされているが、そは誤りで、丹波系の血族だった。 卑弥呼(丹波の日女命)は、マキムクで祭祀を行い、魏に朝貢した。 この場合、丹波に影響力が強いので日本海ルートということになる? その後卑弥呼が死ぬと、なんらかの政権交代劇があり男王が立つ。 今の天皇家による権力奪取と思われる。つまり崇神天皇だ。 大物主の祟りを恐れる信仰の流れから、卑弥呼の祟りを恐れ箸墓古墳を作る。 斎宮としてトヨスキイリヒメが任命される。つまり台与。 天皇家は、丹波の家系を封印し、卑弥呼の存在を記紀から消し去った。 これが、邪馬台国の真相。
95 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:25:19
丹後地域は弥生中期後葉から後期(前一世紀〜後二世紀)にかけて、 日本列島のなかでもこれら大陸の先進素材をもっとも多く集積した地域の一つであることが明らかになってきた。 まず衝撃的だったのは、中期後葉の弥栄町奈具岡遺跡において、 小さな谷に面した建物址から八sをこえる鉄片が出土したことである。 この時期の遺跡の中では日本でもっとも多い量だ。
96 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:27:40
97 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:28:16
永遠に解らぬ問題を、毎日妄想してあれこれ言ってるやつはバカだけ。
98 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:28:19
天火明命が、直接丹波に降りたという話は重い。 ニニギが天孫降臨して、神武が東征するよりずっとまえに、 天火明命が、近畿を支配していたということだからだ。 これは、日本書紀にも明記してある。 ニギハヤヒの国を奪うために、神武は東征に出たのだと。 それは、紀元前660年のことである。
99 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:29:20
>>94 解りやすい解説をどうもありがとう!
この話はどこに伝わる話なの?
100 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:30:51
天火明命は九州北岸の海人族の首長。 対馬海流にのって日本海を北上した。 日本海交易の一端。
101 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:32:12
歴史を消し去る…と言う説明はよく読むけど…そんな社会性って異常ですね。
丹波人の自演に皆ドン引きしておるな
103 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:32:38
丹波の天火明命の子孫が、 丹後一宮・籠神社の海部氏。東海の尾張氏。物部氏となる。 このうち、日本書紀に明記されているのは、 天火明命の子孫の尾張氏、ニギハヤヒの子孫の物部氏のみで、 海部氏は出てこない。海部氏は記紀で黙殺されているのだ。 アマという名前からして、もともと、王族だったのはアマを名乗る海部氏だった可能性大。 これは、記紀がある目的で海部氏の歴史を封印したといってよい。 卑弥呼や邪馬台国が記紀に出てこないことも、これが原因である。
>>97 それを思うなら邪馬台国を考えるのやめとけ
105 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:35:08
丹波人とかはコピペうぜーんだよ。 2chのリソースの無駄遣いだろ。 とっとと失せろ、この赤子が。
106 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:35:46
>>99 丹後一宮・籠神社に伝わる話。
「海部氏勘注系図」でググれば出てくる。
系図そのものの古さから国宝指定されている。
最近まで、宮司が秘蔵していたもの。
昔なら公表すれば、天皇に対して不敬になるからだ。
それだけ、重要な文書なのだ。
推奨NGワード: 丹波 天火明命
>>92 ちょっと意味がわからん。
丹波が重要では、というのは天孫降臨の話があるからでしょ?
それがあると九州説には都合悪いのではという話。
水銀はこの時代でも重要でしょう、古墳内での使われ方を見ても。
>>99 海部氏系図でしょう、相当脚色はあるけど。
丹波だの丹後ってやってるけど 丹求めて東へ移動していったんだよな
やっぱり九州説では丹波の存在が邪魔なんだなw
111 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:42:25
丹波丹後の話題は 九州説論者にとっちゃ アーアーキコエナイキコエナイだからな(笑) 許してやれよw
112 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:42:39
丹後一宮・籠神社には、日本最古の伝世鏡が伝わる。 日本最古の鏡を祀る神社なのだ。 その祭神が天火明命。 正式名を、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という。 「天照」という称号を持つ神は、他には天照大神しかいない。 むしろ、天照大神と天火明命が同一といってもいいくらい。 直系の天津神なのだ。 その偉大なる天火明命を祀る神社は、 丹後一宮・籠神社と尾張一宮・真清田神社であり、本拠地は近畿。 九州には無い。
113 :
メ :2009/11/22(日) 21:46:44
さいきん、邪馬台国スレがやたらと賑やか、第二の邪馬台国ブーム到来てか〜? 従 来の常連さんの姿がみえないが、新入りのパワーに押されてる感じ。 それと、自分の考えと違う人を「剥離スレ」とか言って、 追い出そうとする人もいるようだけど、ハッキリいってその行為には引くわw まあ、マナーを守りながらやっていくことだね。
114 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:47:55
火といえばカグツチ イザナミを殺した(?)神だね
>>107 それをNGにしなけりゃ九州説は終了だからなw
ある意味踏み絵みたいなもんか。
116 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:48:57
天照の原型は対馬の阿麻氏*留神社。 天照や天火明を祭る神社はその末社となる。
117 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:53:26
>>112 海部系譜で始祖が天火明命だったかな?
でも、これは天照大神とは関係ない。
日本書紀によると、高皇産霊尊と他の女の間に生まれた子だろう。
118 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:54:35
大和の支配者だったニギハヤヒは、海部氏系図でも天火明命と同一だとしてる。 その八代後の日女命が、ヤマトトトヒモモソヒメ=箸墓の被葬者なのだという。 神武がニギハヤヒから大和国を奪った後も、どうやら丹後系のニギハヤヒの祭祀は行われていたようだ。 いや、王と女王の2体制だったのかもしれない。 ヤマトトトヒモモソヒメが死んだ後、王統は崇神天皇の系譜に一本化され、 海部氏の系譜は抹殺されたのだった。
>>113 人は増えたが、自演さんもたくさんいるな。ww
海部氏系図ってのが最近よく出てくるね 畿内説最期の砦なの?w
121 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:57:46
歴史の話しはロマンを感じるが、 九州と奈良がけなし合ってる図はドン引きするわ
123 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:58:26
>>93 俺は畿内説よりだが同一人物じゃないと思う
ていうかあまりにも強引すぎるよ
そんなこじつけが可能なら何とでも言えるようになる
125 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:59:00
>>117 神武天皇は、橿原で即位したとき、高皇産霊尊は祀ったが、
天照大神は祀ってない。
神武の頃はまだ天照大神を祖神としてなかったのではないか?
天照大神(天火明)を祖神とする丹波の豪族と婚姻することで、
丹波の天照大神の系譜を奪ったのではないだろうか?
開化天皇の頃に、多くの丹波の姫を娶っているのだ。
126 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 21:59:40
>>98 実際にはそれより800年ほど後の時代だろうな
ホント自演が増えたな
128 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:01:03
>>120 九州説にも欲しいよね、物的証拠(笑)
このままじゃ、単なる妄想説だもんねー
例えば明確な書物とか…あーないかー、燃えちゃったんだっけw?
海部氏系図とやらが、どうして九州説に不利になるの? 説明してごらん 聞いてあげるから
130 :
メ :2009/11/22(日) 22:02:46
私のハンドルネームは「あらため」ですが、
今は事情があって「メ」。
大体、ハンドルネームを付けるのは半年経ってからかな。
なんで?て声が聞こえてきそうだが、ハンドルネームを付けたとたん
論破されたらイタイし、見っとも無い。
>>119 自演さん?そう見えるだけじゃないの?
131 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:02:55
古代天皇の妃の出身地は 大きな手がかりになりそうだな。
>>121 その出雲の範囲が不明なんだよ。
例えば本来の出雲神社が丹波の亀岡に在ったりするのは何故?
133 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:04:03
九州出身の后いる?
134 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:04:13
近畿派、九州派どもよ、全力で潰し合え。 相手をはめろ、捏造地雷をばら撒け! その容赦のない戦いに勝利した者に、ゴッドハンドは微笑みかけるだろう。
136 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:07:46
>>129 じゃ純粋に聞くけど、モモソ姫の別名に「日女命・日神」とあるけど。
姫に「日女命」は兎も角「日神」は変じゃないですか?
139 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:10:54
>>137 質問を質問で返されても困るんだけど
海部氏系図ってなに?
それのなにが九州説不利になるの?
>>139 田舎モンが出雲に憧れて適当な由緒を書いたんだろ
142 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:12:54
全国にあるのは稲荷様のあれを除けば、八幡の宇佐神宮とか弁天様の宗像神社など九州が主流。
143 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:13:39
奈良県立図書館創立100周年・ライブラリー オブ ザ イヤー 2009 優秀賞受賞記念
■特別企画 「魏志倭人伝を読む・纒向遺跡を掘る」 12月13日(日)
今年11月、桜井市の纒向遺跡で、卑弥呼の宮殿に関連すると思われる大型の建物遺跡が確認されました。図書情報館では、纒向遺跡発掘の最新の成果とその意義をふまえ、専門家によるシンポジウムを通じて、卑弥呼と邪馬台国の謎に迫ります。
主催 奈良県立図書情報館 協賛 フロンティア エイジ
日時 平成21年12月13日(日) 13:00 〜 17:30 (開場 12:00)
場所 1F 交流ホール (奈良県立図書情報館 奈良市大安寺西1丁目1000番地)
プログラム
○基調講演 「邪馬台国と纒向遺跡」 上田正昭氏
○基調報告1「纒向遺跡発掘の成果」 橋本輝彦氏
○基調報告2「纒向遺跡調査の意義」 石野博信氏
○シンポジウム「邪馬台国と纒向遺跡をめぐって」
(パネラー) 上田正昭氏、石野博信氏、辰巳和弘氏、橋本輝彦氏、千田 稔館長 (コーディネーター) 高橋 徹氏
講師
上田正昭(京都大学名誉教授)
石野博信(兵庫県立考古博物館・香芝市立二上山博物館 館長)
辰巳和弘(同志社大学教授)
橋本輝彦(桜井市教育委員会文化財課主査)
高橋 徹(朝日新聞社元編集委員)
千田 稔(奈良県立図書情報館 館長)
定員 300名(申込み多数の場合は抽選。)・入場無料
申込み 往復はがき、FAX、メール(
[email protected] )、または来館による申込みもできます。(2階貸出・返却カウンターにて受け付けます。)なお、当館ホームページ「申込みフォーム」からの申込みもできます。
※@郵便番号・住所Aお名前(ふりがな)B年齢C連絡先電話番号(FAXでのお申込みの場合は、必ずFAX番号もお書きください。)を記入し、奈良県立図書情報館特別企画」担当あて。折り返しご案内を送付します。
往復はがきで申込みの場合は、返信にも送付先の郵便番号、住所、氏名を必ず記入してください。
※1通に付き、2名までのお申込みとします。
http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-302.html
144 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:14:40
俺は丹波じゃなくて京都に邪馬台国があったと思うよ
145 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:14:57
島根で祭られていたのは、スサノオのみだろう。 もともと大国主が祀られてたのは丹波だった。 そこにニギハヤヒが登場し、国譲りが行われたのである。 国譲りの舞台の本当の主体は、丹波なのだ。 大国主→ニギハヤヒ→神武と、少なくとも三段階の変化が近畿であったはずだ。
>>140 簡単にいうと天孫降臨が高千穂の前に丹波にあったと解釈出来るから。
つまり神武東征のニュアンスも相当変わる。
147 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:19:22
>>146 解釈できる部類なら家系図どころか全国の史書に無数にあるんだが。
丹波の場合は単に九州の海人が丹波を手中に収めたという歴史を述べているだけ。
148 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:21:43
四隅突出型墳丘墓が、島根と越にある。 どういうわけか、間の丹波には無い。 これは、西日本が大国主信仰の勢力範囲だったのが、丹波に天火明が降り、 大国主信仰が東西に分断されたからではなかろうか? そうなると、銅鐸を巨大化させたのは、天火明信仰ということになる。 丹波、尾張と、その信仰の範囲が共通する。 後に、天火明信仰は、ヤマトトトヒモモソヒメの死と共に排除され、 銅鐸は失われたのだ。
>>146 なるほど。その海部氏系図とやらによれば、天孫降臨の地は丹波だと書いてあるんだな
なるほど。じゃあ古事記も日本書紀も信用できないと。海部氏系図とやらを信用すべきだ
ということだな。ふーん。支持を得られるかは知らんが、そういう考えもアリなのかもね。
その程度で九州説が不利になったとは思えないが、まあそういう考えもあるんだな。
150 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:26:14
>>146 神武東征の前に大和にいた饒速日命も高天原族となっている。
まあ、天神の子というわけで神武天皇と同族。
しかし、天神が本当に気にかけているのは、天孫の系統である神武ということ
を饒速日命は知っていたから、忠誠を誓ったということになっている。
151 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:30:51
>>150 神武に忠誠を誓ったニギハヤヒはその後どうなったか?
いつ死んだとか、何をしたかとか、
そういう記録は一切無い。
実は、神武の後のニギハヤヒは一定の権力を持って、天皇家を押さえつけていたと考えれば辻褄があう。
モモソヒメも、ニギハヤヒ系の姫だったが、
モモソヒメが死んだ後に、崇神が政権を奪ったのだ。
だから、天皇家の系譜には、神武〜崇神までの事跡が書けなかったのだ。
152 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:31:37
なんか、九州説は他説の 重箱の隅を突くだけで、 自論は全くないよなw 物的証拠で証明できて、 納得が出来るのをやってみてよ(笑)
153 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:32:46
>>149 150の続きだが、神武(神日本磐余彦)は、天神の子はたくさんいると長髄彦に
語っている。饒速日命は当然その一人だが、出雲の国譲りで出雲に派遣された
神たちもその一員と言えなくもない。
日向に天下った瓊瓊杵尊もその一人の可能性もある。
となると、全方位的に勢力の拡大が行われた可能性がある。
154 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:34:07
>>151 饒速日命は物部氏の祖となったと書かれている。
155 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:34:23
>>135 同意。
泉、和泉、出水、伊豆、・・すべて出雲にちなんだ地名だとすれば、日本中が出雲だったことが分かる。
モモソヒメ=卑弥呼と銅鐸は結びつかんなあ。
157 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:36:33
>>151 それが葛城王の時代だね。
三輪王朝が雄略等を悪王として
記していたのはそういう理由でしょうね。
蘇我が生きてればそんなことは書かせなかっただろうけど、
宗家が滅んだ後だからな
>>147 どこをどう読めばそんな電波な解釈できるんだw
>>149 あと系図にはモモソ姫についての記述もあるからね。
それによると箸墓はモモソ姫の物である事を裏づけてるし、
「日女命/日神」といった別名が記されているから。
159 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:39:06
丹波を掘り下げて文献を読み込むと、もっともっと面白い事実が目に付くよ。 畿内にあった邪馬台国が、どうやって大和朝廷に移り変わっていったか、氏族同士の争いがどのようなものだったか、 誰が味方で誰が敵だったか、全部見えてくる。 九州説だけにしがみついてても何も得られないよ。 袋小路にはまるしかないよ。
160 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:39:16
>天神の子はたくさんいる たくさんいたよ。天神はあまつかみ=海人だからな。 海神ネットワークを持つ宇佐神宮や宗像大社の末社が全国津々浦々あることを見ても わかるが、これはDNA鑑定で人間が九州北部からから本州や四国に広がっている いう科学的根拠とも合致している。 すなわち丹波は九州海人の子孫でありそれが天火明の天孫降臨話として伝えられているのだ。
>>151 書けねえことはねえんじゃね?
だって王朝交替説を採る人って、関係の無い先王朝を記紀はつなぎ合わせて書いた、ってんでしょ?
なら、ニギハヤヒ朝なり何なりの歴史があれば、繋げちゃえばいいだけの話。
162 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:40:38
丹波は、出雲勢力が畿内マキムク入りした時の通り道だっただけだろ? まあ、どんな神社も自己を高く評価したいもの。
>>158 たしかモモソ姫に使われてた漢字って日本書紀のものと同じ字じゃなかった?
164 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:46:07
>>159 いまさらだが、系図をそのまま信じるのはどうかと思う。
徳川家康は、どこの馬の骨だかわからない出自だが、清和源氏につながらないと
将軍になれないと聞いて、源頼朝に繋がる系図を作ったと言われているし。
166 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/22(日) 22:46:55
「海部氏勘注系図」に書いてある10世孫、大原足尼は筑紫豊国の国造ですから 卑弥呼である9世孫、日女命と台与である11世孫、日女命の時代に邪馬台国によって 侵略されて占領されたことになります。
【結論】 河童さんの師匠はバカだ これさえ、みなさんの頭の中にインプットされたら おれは何も文句なっし(笑)
>>164 でも籠神社の伝承を裏付ける話が半島にもあるからな。
新羅建国の倭人関与話は籠神社の伝承とも一致してるし。
>>118 つまり神武に仮託される集団より先行した九州集団が居た。
そして他所から来たってこと(降臨したってこと)が、なぜ九州説の邪魔になるのか解らん。
初代天皇になるはずの神武の記紀の話だって、先行した天孫がいたこともニギハヤヒも認めてるし…
九州説と丹波説が競り合ってるうちに整合性をもってまとまるのを
畿内説の方が本能的に警戒してんじゃないか?
172 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:53:39
>>169 そんな伝承は籠神社だけじゃなく各地にいくらでもある。
173 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 22:53:54
宝賀寿男氏は、海部氏系図についてこんなことを言っている。 国宝・重文に指定されている貴重な系図は少ないが、そのなかでも国宝指定の 「海部氏系図」は著名である。 その国宝指定の経緯を見るところ、検討や指定の過程は拙速であり、問題点が ないとはいえない。 加えて、この系図の基礎的な問題点が多くあることを捨象して、「国宝指定」 という事情だけで、記事内容に史実性があると考える論及が多く見られる。 それどころか、海部氏系図やその関連系図を基に妄論を展開する書や論考も かなり見られる状況でもある。 こうした風潮に対しては、冷静な検討と系譜利用の限界を考える必要がある。
>>170 「丹波説」なんて誰も主張してないってw
175 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/22(日) 22:54:06
>>168 邪馬台国は全てのテレビ局と新聞社が認めている奈良県纏向遺跡にありました。
>>169 それは裏付けになるのか?
新羅建国の話をもっともらしく取り入れたとも考えられるが。
>>172 じゃ、例をどうぞ。
他国のものと一致しなきゃダメだよ。
後生大事に記紀や天皇の系譜やら信じたいみたいだし畿内説でいいんやない。 昔から邪馬台国が奈良にあったでね。 しかし白村江の戦いからの回復はすごいよね。まるで別の国だよ。しかも明からの都督がなんで奈良にいないんですかね?明朝に反旗を翻えしたんだし二万の兵がいなくなって弱体化した相手は徹底的に潰しにくるでしょうに
181 :
メ :2009/11/22(日) 23:00:24
>>175 へえ、君は畿内説だったのか・・・
で、その根拠は?もちろん考古的にということかな?
>>177 >新羅建国の話をもっともらしく取り入れたとも考えられるが。
それはそれで何の為にそんな事を記述するのかという
疑問でもあるけど。
>>165 これは私の印象なんだけど、
日本書紀って皇子女の名前を、ほとんど故意と言っていいくらいに
訓読みの漢字で統一しているんですよ。
で、私も詳しいわけじゃないんだけど、
古事記のモモソって、「母母曾」って書かれていて、
この「母」は「百襲」の「モ」とは本来異なる音らしいんだよね。
それをおそらく日本書紀編纂者は、訓字で統一する際、
「モモ」の部分を「百」で代用させたのでは?ってのが私の意見。
ところが、勘注系図って、これも私詳しくはないんだけど、
確か古事記のように、訓と音とがごっちゃになって人名が記されてなかった?
ってことは、勘注系図の百襲姫の記載は(実物見たこと無いんですが)、
日本書紀を参考にしたんじゃないかと思いましてね。
>>173 畿内説も困ったもんだね
不利だからといって、系図を無理矢理に国宝にしてもらったのか
インチキはやめてほしいね
185 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:08:39
九州で出雲と関係するところって何処? 宇佐の近くの杵築、宗像あたりかな・・ あの辺は九州の中立地帯だしな・・
186 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:11:39
>>160 たぶん、海人は宗像と宇佐は関係ないと思う。
海人の母系をもつ父系天孫の神武が東征したのだから
どうみても即論理が破綻する。
小学生の足し算引き算水準。
187 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/22(日) 23:12:59
>>181 考古学的発掘の成果を参考にしています。また古墳時代の皇后に九州出身者が1人も
いないこと、欠史八代の皇后の父が奇怪な磯城県主葉江であることなどです。
189 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:13:29
九州説の人はこう近畿説を落胆させるような 反論もってこいよ。 子供の遊びじゃねーんだぞwww
190 :
メ :2009/11/22(日) 23:14:57
>九州で出雲と関係するところって何処? 出雲といえばスサノオだべ スサノオといえば九州北部、東部だべ スサノオで検索するとでてくるでしょ うーん、たとえば大分県安心院の妻垣神社とか
191 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:15:23
>>186 DNA鑑定という科学的根拠や神社の日本各地の広がりを見ようとしない低脳がいるようだな。
192 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:17:22
>>190 宇佐周辺の豊前、豊後は出雲との関係は深いと
何度もこのスレで主張されてるよ。
これは出雲(畿内)との密接な関係性からのものかなと思ってる。
他の九州地域で出雲の影響が強いとこってあるのかな。。
193 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:17:56
>>183 モモソはおそらく他の読みでしょう。
日本書紀を参考にしたのか、他の資料なのかは
正直そこまでは判断できませんね。
195 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:18:32
>>192 古事記の因幡の白兎の神話は、宇佐=兎と関係していると見られる。
196 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:18:36
>>191 DNA鑑定のどの部分がどう影響してるってこと?
一般論じゃないからよく説明してみて。
朝鮮系遺伝子が東日本で強いことと関係あり?
197 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:19:52
朝鮮系遺伝子が強いのは関西だろ。
198 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:20:20
199 :
メ :2009/11/22(日) 23:20:30
>187 >考古学的発掘の成果を参考にしています。また古墳時代の皇后に九州出身者が1人も >いないこと、欠史八代の皇后の父が奇怪な磯城県主葉江であることなどです。 はあ、具体的には? それに九州説の中にはヒミコは「地方の巫女様」という人もいまして まずは、天皇家なのか?そこらへんはどのように考えてるんでしょうか。
200 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:21:59
>>198 宇佐神宮の神官がそもそも自分たちが兎族だといっているんだが。
202 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:22:57
>>198 なーんだ、そういうだじゃれだったのwww
ピンとこなかったw
九州説ってもはやこの水準wwwwwwww
兎といえば月。月といえば月読。
204 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:26:21
>>200 兎族を「うぞく」と発音するなら、中世以後の作り話だな。
205 :
メ :2009/11/22(日) 23:28:48
九州で出雲と関係〜 九州各地で出土されるモノにゴホウラガイ・イモガイの腕輪ていうのがあるんですけど これも出雲で出土されてる あと、銅製のリングもそうだし、繋がりはあったようですね。
206 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:29:54
>>199 >それに九州説の中にはヒミコは「地方の巫女様」という人もいまして
187じゃないけど、一般的九州説の人は
九州にあった邪馬台国は天孫族の元となり近畿に移転し天皇家のルーツに
なったという立場じゃないの?
少数説はこの際、後回しで。
207 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:31:42
>>205 そういう交易品については出雲の祭祀と直では繋がらない。
肥前中心の日本海交易ルートは北海道から沖縄に及ぶ。
208 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:33:45
ここは90%の自演行為で存続する ブログです。
209 :
メ :2009/11/22(日) 23:35:41
>>187 >欠史八代の皇后の父が奇怪な磯城県主葉江であることなどです。
しかし、母方の父を遡ると「事代主」や「大物主」が多い。
いわば良血といいますか、それほど変とは個人的には思いませんが。
>>206 地方の巫女様という人も多いですよ。
210 :
メ :2009/11/22(日) 23:38:46
>>207 ほう、よくご存じで。
しかし、九州と出雲につながりがあった「証拠」ともいえるでしょうね。
211 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/22(日) 23:40:44
>>199 卑弥呼である9世孫、日女命は海人族系の祭祀王で、男弟である崇神天皇は磯城県主系の
政治王と考えられます。崇神天皇・垂仁天皇が政教分離を実施して海人族から政権を強奪
したわけです。つまり、海人族系の祭祀王は伊勢神宮に斎宮として放り出されたわけです。
212 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:43:29
214 :
メ :2009/11/22(日) 23:44:36
>>192 >他の九州地域で出雲の影響が強いとこってあるのかな。。
ありますよ、ありますよ
出雲の神スサノオ(大国主という見方もあるが)は九州の各地にその伝承があります。
「筑紫平野」らへん〜だったかな、今すぐには出てきませんが、
本を開き書き込むのもめんどうなのでご自分で探してくださいね。
215 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:44:52
九州説じゃ、伊勢神宮が伊勢にある理由は説明できないもんなあ。
216 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:46:37
高天原は葛城だから、 そこを追い出されたスサノオが出雲〜九州に逃げるのは当然だよ、 朝鮮まで行ったらしいが。
>>210 肥前の弥生時代の交易の広さは誰も知ってる事でしょう。
しかし出雲祭祀の影響は薄い。
218 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:49:51
伊勢は九州北岸の海人の子孫が流れ着いて築いた土地。 伊勢神宝の原型である機織機や五弦琴が宗像沖ノ島の6-7世紀の出土物として発見されている。
219 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:51:41
>>214 筑紫神社がそうです。
でもあれは四道将軍の後の後日下部氏、筑紫氏を祀ってるものですから。
当然出雲(近畿)の影響がある。でもそれは所詮近畿西征の証拠でしかない。
220 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:52:13
>>218 はい、破綻。
天照が伊勢に行く前に、丹後や吉備や紀伊を巡っている。
内陸の伊賀にも行ってるのはなぜ?
221 :
メ :2009/11/22(日) 23:53:46
>九州説じゃ、伊勢神宮が伊勢にある理由は説明できないもんなあ。 甘いな〜ヒミコが地方の巫女様で天皇家とは関係がないと言われればそれまでじゃない? いままでどんな九州説の人と議論してきたのやらw
222 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:55:27
>>220 天照は実在の人物なのか?
考古学的出土物のタイムフレームを覆すような話なのか?
223 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:55:36
>>211 >日女命は海人族系の祭祀王
神武の母系が海人なのに天孫系のルーツでもあるという事?
224 :
メ :2009/11/22(日) 23:55:52
>>211 貴方の考えは分かりました。
しかしソレのどこが考古学的なんでしょうか。
225 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:56:36
>>213 鵜呑み、請け売り乙。
しっかりと自分の言葉で説明しなさい。じいさん。
226 :
日本@名無史さん :2009/11/22(日) 23:59:14
227 :
メ :2009/11/23(月) 00:00:23
あのね、さっきから海人、海人て言ってるが、日本中、海人だらけだよww 何を持って「海人」として扱うのか決めたほうがいい。 たとえば海神といえば「わたつみ、豊玉姫」ですよね。 それの子孫とか。
228 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:01:53
青森の縄文人だってクジラやマグロとってたのに、 海人が九州発祥ってそら無いわ。
229 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:05:17
>>227 もとは海人だが、広がった後に農業その他にかかわるようになった。
その分布は九州北岸を元として、日本海側はもちろんのこと、瀬戸内(宗像系の厳島神社)や諏訪地方(安曇族)、
太平洋側は伊勢、伊豆半島、江ノ島や印旛沼付近(こちらも宗像系)から松嶋まで届いている。
確か第1号が、怪奇蜘蛛男。
231 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:06:16
縄文時代の話を古墳時代初頭にもってくるな。
232 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:07:47
>>231 縄文時代から始まっているが、その後も続いているよ。
233 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:08:52
>>232 縄文時代から続く海人が九州起源なんて関係ないだろって話。
234 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:12:00
記紀の海人は原住民の総称に過ぎないでしょ。 宗像、宇佐は九州でも極めて特殊な位置づけにあるし あのあたりは九州ではなく、出雲(近畿)と九州とか大陸とかの 中立地帯。
235 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/23(月) 00:13:02
>>223 神武天皇=崇神天皇で同一人物だと思われます。もしかして崇神天皇の母は
「海部氏勘注系図」に書いてある大比毘命妃、竹野姫命かも知れません。
大比毘命=偽天皇の開化天皇(稚日本根子彦大日日尊)。
236 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:16:31
卑弥呼が畿内にいたのは、ゆるぎない事実だからなあ。 あとは文献の読み方だけか。
237 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:16:34
>>235 >神武天皇=崇神天皇で同一人物だと思われます。
崇神天皇はいきなり畿内で涌いてきて、突如四道将軍を全国に派遣し
各地の大王を征服したと???
断片的知識は凄いけど、それはない。
238 :
メ :2009/11/23(月) 00:18:02
>>229 意味不明・・・
海なんてどこにでもあるしw
239 :
メ :2009/11/23(月) 00:21:08
神無月巫女さんのレスはおもしろいですね。 >神武天皇=崇神天皇で同一人物だと思われます。 どこをみてそう思ったのですか?
240 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/23(月) 00:29:12
>>237 崇神天皇がいきなり飛び出して来ません。崇神天皇は磯城県主の子孫で卑弥呼である
9世孫、日女命の実妹の9世孫、葛木高千名姫命と結婚して男弟となり政治的権力を
握ったわけです。
241 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:31:21
242 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:35:00
>>240 失礼しました。前レスに書いてありましたね。
だとすればおかしくありません。
記紀にある神武ー開化あたりの時代の話をもう少し
聞かせてください。
243 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:36:25
>>241 海は後から作るから、完成するまてまは暖かく見守ろう
244 :
メ :2009/11/23(月) 00:37:29
245 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/23(月) 00:37:41
>>239 神武天皇をはじめ、欠史八代の天皇の古墳が全部偽物でした。あとは定番の「ハツクニシラス」。
246 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:38:16
>>241 九州説の人は、奈良に湖があったといってたね。
むしろ湖があったほうが魏志倭人伝と一致するんだけど。
247 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:45:19
>>245 >神武天皇をはじめ、欠史八代の天皇の古墳が全部偽物でした。
仮に全くの偽物でその元になるものさえ残ってないとすればの話。
その偽物とする古墳の下に原始的は墓があるかもしれないですよ。
それに
古墳時代到来前だったとすればおかしくないのでは?
それと「ハツクニシラス」だけでは弱い気がします。
八代と密接に関わりある四道将軍を実在と私はみてますから
開化天皇以前が存在しないとは思えない。
しかし崇神とは直接血縁がないと
いう可能性は否定していません。
248 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:49:26
いま気づいた。 仮に、崇神前の天皇の墓が偽物だとすると 崇神の亡くなった前後が古墳時代の到来という事になる。 それ以前の古墳を調べるとなんか有意義な事が わかりそう。 考古学詳しい人なんかデータください。 俺が判定するからw
249 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 00:56:20
論理的にいうと @古墳時代到来と天皇陵が古墳を採用した時期と同時期 A古墳時代到来と天皇陵が古墳を採用した時期と同時期ではない。 (古墳時代到来は天皇が古墳を採用する以前である) @でもAだとしたら開化以前が偽物だとしても決しておかしくない。 問題はAだとするとなんか新しい説が生まれて来そうである。 でも俺にはそんな詳しいデータがない。おまえらデータだせ。
250 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/23(月) 00:56:31
>>242 「記・紀」に書いてある欠史八代の皇后・妃に磯城県主の娘が多数登場します。
「古事記」は5人、「日本書紀」9人も皇后・妃が磯城県主の娘です。あげく
神武東征に兄磯城・弟磯城の登場でとどめの一撃です。これは天皇家の先祖が
磯城県主である証拠だと思います。
251 :
メ :2009/11/23(月) 01:00:35
>>245 欠史八代の天皇が実在したのか?を考えたとき、
実在したという記録(文献)が残ってます(まあ諸説ありますけど...)。
あきらかにそれが否定できる新たな証拠が無いと崩すのは難しい。
そして「古墳が全部偽物」という情報源はどこからでしょうか?
記録(文献)を覆すような発見はいまはまだありまん。
よって、貴方の考えは想像で言ってるふうに思えてしまう。
>>248 考古学にうといですがw
そんなの本を読めばかいてるでしょw
252 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:01:23
>>249 その仮定はおかしい。
天皇陵が古墳を採用した時期を古墳時代到来と呼ぶのだが。
253 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:03:20
>>250 はあ、女性とはいえお見それしました。
今度よく調べてみます。
私もこのスレは4年前から覗いておりますが
これほど関心したレスはありません。
254 :
メ :2009/11/23(月) 01:05:32
>>250 自分は天皇家と物部家の二大柱とみています。
神武とニギハヤヒ、いわば二王朝から統一へと国家の形が形成されていったのかと^^
255 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:07:42
>>252 訂正。
論理的にいうと
@日本最初の古墳と天皇陵が古墳を採用した時期が同じ
A日本最初の古墳と天皇陵が古墳を採用した時期が同じではない。
(日本最初の古墳は天皇が古墳を採用する以前である)
@でもAでも開化以前が偽物だとしても決しておかしくない。
問題はAだとするとなんか新しい説が生まれて来そうである。
でも俺にはそんな詳しいデータがない。おまえらデータだせ。
256 :
メ :2009/11/23(月) 01:08:55
>>253 そうなの?いや〜けっこう穴だらけと思うんだけどな・・・・w
257 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:12:11
258 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:12:52
259 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:17:43
神無月巫女さんのレス抽出して拾い読みしたけど >卑弥呼である9世孫、日女命は海人族系の祭祀王 の海人族っていうのがちょっと分からないな。
他意見の重箱の隅をつつく 質問を質問で返す 下品な下ネタでやり返す ほんと九州説の方にはイラってきます
261 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:23:16
262 :
メ :2009/11/23(月) 01:23:19
>「記・紀」に書いてある欠史八代の皇后・妃に磯城県主の娘が多数登場します。
事代主、物部系の血が入ったということでは?
>「古事記」は5人、「日本書紀」9人も皇后・妃が磯城県主の娘です。あげく
>神武東征に兄磯城・弟磯城の登場でとどめの一撃です。これは天皇家の先祖が
>磯城県主である証拠だと思います。
天皇家の先祖というのは天照大神、または高木の神を指してるのか分かりませんが
天照大神、高木の神の子孫は多い。
といわれたら何て答えるのでしょう?
>>257 さん
263 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:27:10
というか、神無月なんちゃらは畿内説なんだから、海人族というキーワードについて説明する義務があると思うが。 ただ、海人が土着の勢力で天孫が弥生期に入ってきた渡来勢力という2分法で考えないほうがいいと思う。
264 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:32:37
>>262 >天照大神、高木の神の子孫は多い。
天照大神の子孫は、天皇と、天火明系の海部氏・尾張氏の系統のみ。
これに、ニギハヤヒを含めれば膨大な数になる。
ニギハヤヒは、天神の子孫を名乗りたいための創作かもしれないね。
高木の神の子孫は、大伴・忌部の系統だけに見える。
違ってたら訂正してくれ。
265 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:33:32
>>262 >事代主、物部系の血が入ったということでは?
それはメさんと神無月巫女さんとの説で違いはないと思います。
>天皇家の先祖というのは天照大神、または高木の神を指してるのか分かりませんが
>天照大神、高木の神の子孫は多い。
やや漠然としすぎです。各子孫の系譜をみて具体的に言って下さい。
兄磯城・弟磯城の記載は当時の神武の家系に磯城県主の血筋が入ってないのに
不自然な話です。記紀が編纂時に家系図の修正をし致命的な
誤りをしたようにも思われます。
266 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:41:54
>>264 海部氏の先祖に多氏がいる件。
ただ、多氏については資料が少ない。
判断は各自に任せます。
267 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:50:30
>>221 九州説とすればそれしかない
神武東遷は卑弥呼の時代以降にはありえない
後の時代との整合性や高地性集落の分布などを考えても
268 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:51:42
>>266 海部氏の先祖に多氏がいるって、どこにそんなソースがある?
多氏はカムヤイミミの子孫としてるわけだが。
269 :
メ :2009/11/23(月) 01:52:33
250 >「記・紀」に書いてある欠史八代の皇后・妃に磯城県主の娘が多数登場します。 >「古事記」は5人、「日本書紀」9人も皇后・妃が磯城県主の娘です。あげく >神武東征に兄磯城・弟磯城の登場でとどめの一撃です。これは天皇家の先祖が >磯城県主である証拠だと思います。 253 >今度よく調べてみます。 >私もこのスレは4年前から覗いておりますが >これほど関心したレスはありません。 256 >そうなの?いや〜けっこう穴だらけと思うんだけどな・・・・w 262-266←みてみろよ、穴だらけだろ?「これほど関心したレスはありません」てか?ww
270 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 01:57:10
天皇家の子孫は複雑すぎるなあ。 神武天皇の三男?の神八井耳命を祖とする氏は非常に多い。 阿蘇氏、多君・小子部連・坂合部連・火君・豊君・雀部臣・小長谷造・ 伊予国造・金刺舎人・石城国造・丹羽臣・茨田連・嶋田臣等がそうらしい。 それにしても、神武天皇が日向から連れて行った長男(手研耳命)は、 思いっきり悪者になっている。
271 :
メ :2009/11/23(月) 01:59:24
同意 穴が広がってますww これがどうして、穴だらけではないのか? >「これほど関心したレスはありません」てw4年間何しとったん?て言いたくなるww
272 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:00:20
神武が磯城県主家に入り婿したんじゃないの? そうすることで九州出身の神武が畿内に基盤を得た 欠史八代が全て存在しないというのは信じがたい
273 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:00:35
>>270 >それにしても、神武天皇が日向から連れて行った長男(手研耳命)は、
>思いっきり悪者になっている。
それはね、九州勢力が畿内に根付かなかった=邪馬台国東遷は無かったということだよ。
274 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:02:42
欠史八代=ヤマトタケル
>>274 意味わからん
もう少し勉強してからくることだな
276 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:04:19
欠史八代の天皇の宮を調べてみなよ。 奈良盆地の各地に分散してるだろ? それぞれの土地の豪族が、婚姻関係を結ぶうちに欠史八代として系譜がまとまったんだよ。
もうどう考えても邪馬台国は畿内でしょ。 東遷なんて物が仮にあったとしても それは3世紀以前でしか無理な事ですよ。
278 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:08:12
東遷説の主流は、卑弥呼と台与を天照大神に比定する。 従って、当然、神武東征に相当する出来事は、天照大神の後すなわち 卑弥呼の後になる。実年代で言えば、早くても3世紀後半以降。 これは、邪馬台国東遷の時期と言ってもいいかもしれない。 畿内説が纏向を三世紀の卑弥呼時代とするのは、これを阻止するためでもある。 神武東征に相当する出来事で大和は激変するわけだから、その前に古墳などが 出来ていたら、東遷はありえないことになる。
279 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:09:38
>>278 >神武東征に相当する出来事で大和は激変するわけだから
しないっての。
勝手に仮定するな。
280 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:10:31
>>275 おまえもなーw
ヤマトタケルは実在してない。
欠史八代を引っくるめてヤマトタケルという架空の人物を作り上げてる。
281 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:12:26
>>279 東遷説を前提とすればということ。
ただ、纏向誕生の頃、大和あるいは畿内の様子が激変しているのは明らか。
古墳なんかを見ればわかるだろう。
282 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:13:41
九州説の中の東遷説だけが否定されるだけですがね
283 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:13:46
>>277 確かにな。
もう九州説はオカルトとみなしていいと思う。
ここの議論も既に畿内説同士の論争になってるし。
>>280 いや、貴方ほどは勉強しなくていいのかもしれない・・・
それになんども、なんども、言わせるな。
少しは先輩の言う言葉に耳を傾けたほうがいいぞとか言われたことないか?
ヤマトタケルが実在したということは、「記録(文献)」、いわば、証拠だ。
証拠としてソノ記録が残っており、これを覆すことは新発見でも出てこない限り難しい。
285 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:16:42
>>278 2009年時点でその人達が何歳なのか
一覧表つくってみてw
286 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:17:50
メ君へ。 神武の東征が仮にあったとして磯城県主家との同盟が有力では? この発見だけで凄い威力だよ。
287 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:19:22
>>284 やめとけ九州説をまともに相手するのは
60年代小学生向け特撮映画の水準だ。
288 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:19:40
>>283 たぶん、九州説派はロムってると思う。
あまりに、次元の違う話だから割り込めないのさ。
やつらは、行程とか距離とか神武東征しか興味ないから。
磯城県主との婚姻関係とかって聞いても、まあ半年はロムらないと理解できんだろうな。
>>286 はあ、私に何が言いたいのかサッパリです。
もぅっと分かり易くお願いします。
291 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:22:56
>>289 神無月さんの神武と磯城県主との姻族関係の指摘です。
確かに他に穴あるがこれだけで結構な威力だと思った。
292 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:27:56
ちなみに、「新撰姓氏録」では、 志貴連はニギハヤヒの後裔なんだぜ。 神武と磯城県主との姻族関係は、つまり、神武とニギハヤヒとの和睦が何代か続いたってことなんだぜ。
293 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:28:29
歴代大王の妃の出身地はだんだん広がっていくんだよな これは神武以来徐々に勢力を拡大した証拠で実在したんだと思う 作為的にそのようにしたってのはちょっと考えにくい というかそこまで考えてるなら欠史にしないだろ
「磯城県主家との同盟」というよりも「とぐさのかんだから」「三種の神器」に分かれた 二王朝の統一、すなわち「ニギハヤヒ家との婚姻」という言葉のが正しいのではないかと思います。 今日は、もう遅いのでそろそろ落ち。 またです、zzz・・
295 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:43:31
>>293 >作為的にそのようにしたってのはちょっと考えにくい
そうなんだよ。
俺は欠史8代は実在だと信じてる。ただそれが直接今の
天皇家に繋がるかどうかまでは確かではない。
欠史の子孫は結構多い。俺もその家系、先祖の足跡みると
ピッタリ動きがあうんだ。こんなのとても創作で出来る筈がない。
そんな天才があの時代に居たとは到底考えられないと思ってるわけ。
だから基本的に言い伝えをそのまま記載したと思ってる。
でも九州説の奴らは自分たちの目で見ない限り絶対に認めないから
相手にしないようにしてる。
そもそも都合の悪い話は聞こえないふりしてるから。
欠史八代は実在しないかもしれないが、神武=磯城の関係のように読み解くこともできる。一例をあげ れば、第八代の孝元天皇は、后と妃の三人とも大和北部ならびに河内国を統べていた物部氏系の娘。 第九代の開化天皇では大和平野の北端に都をおいているが、これらは実際に初期の大和勢力が、河 内や木津川方面に勢力を伸ばしていったことを表しているのかもしれない。
297 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:55:45
>>296 そういうことでしょ。
7世紀の人がそんな計算で創作できるわけない。
安本とか、欠史八代は、十年で一代だったとか笑わせるし。
そんな短期間で周囲の国と関係を築けるかっての。
丹波とか吉備とかも関係も、考古学上から最近明らかになってきたことなのだし。
わかってる人は、何年も前から東遷説が破綻してることを知ってるよ。
九州説がうるさいから遊んであげてたけどね。
そろそろトドメを挿したいね。
298 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 02:59:20
欠史8代は崇神が全国制覇を果たす下地として存在をする。 この頃は神武の家系は畿内の出雲政権の一地方官に 過ぎなかったかもしれない。 その後卑弥呼をして魏使いを向かわせた。崇神の畿内王朝が 全国政権となるその拡大期に繋がる。 畿内で起こった政変によって神武の家系が畿内を掌握した これが崇神政権だろう。
このスレも相当人が増えたので、少し各コテを紹介。 メ・・・・・・「改め」ともいうが、ドツボの通り名が有名。九州説から畿内説へ変節した。以前は倭人伝読み に夢中で他の分野の無知を指摘されることも多かったが、最近猛勉強して力をつけた。どこに でも顔を出してスレを回そうとする。 太国・・・・アク禁中かこのところ姿を見せない。九州説・・・というか記紀の紀年を読み解くのが本業。自称 古神道の大家。倍暦・3倍暦を駆使する。粘着・罵倒の迫力には定評がある。 唐松山・・記紀紀年のもう一方の雄。こちらは「秀真伝」を駆使し、独特なレスを打つ。九州説。太国とは仇 敵で各スレで泥沼の戦いを展開中。 河童虫・・師匠言語虫ゆずりの言意学の大家。言意学とは・・・漢文の独自解釈としか傍からは見えないが 本人には確たる根拠があるらしい。けっこう人気がある。
縄文人・・九州説。大和盆地湖説、九州弥生人口100万人説など鬼面人を驚かす長レスが得意。また罵倒の センスも太国とは対を張る。そのためか敵も多いようだ。 ローガン・畿内説。考古学博士らしい。深い知識に裏付けられた正確なレスには定評があるが、黄幢が魏から 倭国への出兵要請などと、時々突飛なことも言う。 愛知県民・九州説。記紀・漢籍・氏族・神道などの分野に詳しい。しかしそのレスは時にマニアックすぎて、一般 の住人には理解されないこともある。 二・・・・・・ここ最近、魏使2ルート説をひっさげて現れた九州説。自説を解説するレスが多いが、実はいろいろな 知識が豊富。 美濃もん太・・コテの中では最も特異で壊れた(失礼)存在。その破壊的パワーに立ち向かえる者はいないため、 隔離スレに囲い込みされている。出現は不定期だが、いったん出ると10数時間長レスが続くこともある。
301 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 04:02:36
4年前俺がいたころの住人は太国さんだけか、 あの頃は中卒とか、茨城のなんとかって人とか 居たよ。サガミさんは今でもいるけど。 彼らどこ消えた?
サガミ・・・重鎮・御大と呼ぶべき存在。古代史を題材とした著述業。おそらくコテの中では唯一の ハラハラ プロ。九州説、卑弥呼の墓の比定地は小城甘木。学校の教師を辞めてこの道に入った らしい。 縦目仮面・・剣道部所属の大学生らしい。悪ふざけが好きで過去に様々な事件を引き起こした。ただ しレスには根拠をつけようとする姿勢を堅持している。畿内説、考古学専攻。 九州王朝・・その名のとおり九州王朝説。自分のスレを持つが、各スレに出張って布教中。しかし、相手 大好き にされないことも多い。名無史の古田批判にはキツイものもあるが、めげない精神力がある。 うましか・・王道畿内説。ただし、あまりに王道すぎて面白みがないという声も。きわめて常識人のようだが、 他コテのようなアクの強さを欠く。 www・・・・・厳密にはコテではないのだが、うましか氏とは逆にアクの強さですぐわかる。畿内説。考古学は よく勉強している。最近、草を植える=植草=ミラーマンという名を付けられた。 神無月巫女・・女性なのかな?現在観察中。
303 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 04:21:20
>>298 出雲政権の下で九州出身の神武が地方官に抜擢されて
現地の豪族と通婚を重ねて土着化
出雲政権の弱体化に乗じて勢力を拡大していく
みたいな感じなのかなあ
出雲政権というのがよく分からないし
そのころ地方官を派遣するということがあったのかも分からないが
304 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 04:43:36
その辺よくわからんので感覚的なもの。 出雲系の神社って本州四国全域に広がってるんでしょ。 出雲を中心とした国はあるていど九州以外に広がっていたと思うんだが 思うんだがっていうのも何だと思うがw 出雲神話にみられるような創作ストーリーからみて なんらかの地方司令官を各地に派遣してそれこそ神無月に首脳会議するような システムあったんだろうw
305 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 04:53:26
>>246 畿内説の人も湖があったと認識してる
というか実際あったから。
しかし九州説の電波なところは奈良全部が水の中で住めなかった思ってるところ。
306 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 05:04:28
出雲に多い四隅突出墓は朝鮮北部と一致する墓というのは 以前から指摘されてる事。出雲神話のスクナヒコナも半島との繋がりを 持ってるから国津神が土着神で天津神が渡来神という図式は 成り立たない。 俺はこの件については極東アジアの宗教的流行と重なってると 思ってる。つまり国津神=土着、天津神=渡来 二元論はナンセンスって事。どちらも渡来の宗教観に基づいてるからだ。 ちなみに出雲地方が日本でもっとも一番渡来形質残してるからね。
307 :
304 :2009/11/23(月) 05:10:45
記紀の神代の部分については真剣に議論する価値の無いものだ。 各々が各時代に符合する内容を当てはめて理論の傍証みたいな ものを得る目的以外使えない。 現代人には神代のどの部分が何に値するかなんて全く想像出来ないからだ。
308 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 05:22:40
高句麗とのつながりか
309 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 08:28:57
直接今の天皇家に繋がる これは大室家、大室寅之祐の子孫
310 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 08:38:11
邪馬台国が大和朝廷に移行したと考えると、何かまずいことでもあるのか? 邪馬台国→大和朝廷など、バカでも考え付くだろう。
よく出てくる九州の海人宗像氏だって、神話上の健御名方と推定されてるんだろ? でもその話じゃ国譲りに際して負けて諏訪に逃げてたはず。 つまり中央(出雲)からは撤退したと認識しなきゃダメなんじゃないか?
312 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 09:52:52
>>310 邪馬台国=やまと=大和だろうに。
やまとという言葉はいつも中国では当て字だ
313 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 10:15:36
314 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 10:16:23
>>293 >作為的にそのようにしたってのはちょっと考えにくい
そうなんだよ。
俺は欠史8代は実在だと信じてる。ただそれが直接今の
天皇家に繋がるかどうかまでは確かではない。
欠史の子孫は結構多い。俺もその家系、先祖の足跡みると
ピッタリ動きがあうんだ。こんなのとても創作で出来る筈がない。
そんな天才があの時代に居たとは到底考えられないと思ってるわけ。
だから基本的に言い伝えをそのまま記載したと思ってる。
でも畿内説の奴らは自分たちの目で見ない限り絶対に認めないから
相手にしないようにしてる。
そもそも都合の悪い話は聞こえないふりしてるから。
>>312 いいえ違います。
漢字「大和」の読みは「やまと」。「やまと」とは大和の意味であり
意味がそのまま大和の読みとして当用されているだけです。
漢字「大和」とは、漢語「大倭」の日本的な音読みダイワに対し
日本で漢字が充てられたのが「大和」ということ
つまり
「大倭」→「大和(ダイワ)」→「大和(ヤマト)」という流れです。
だから日本書紀などで「倭」に対し「やまと」という読みをあてているのです。
316 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 10:17:06
>>311 健御名方が祖だと見るのはむしろマイナーな意見だろう。
通常考えて、記紀にいう田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神の三女神
つまり天照とスサノオの誓約で生まれた姫たちを祖とする
(西海道風土記がこの説)と考えたほうが斎き祭る理由として正しいと考えられる。
彼女らは明らかに天照の系統も次いでおり、女性神であることや、最高神
(道主貴)であることにも伺える。
日本人の民俗宗教たる神道遺跡である沖の島祭祀が日本のみならず
東アジアあるいは大場磐雄の言を借りれば世界に類例のない祭祀である
ことからみても古墳・飛鳥・奈良時代を通じて最高最大の信仰と崇敬を
獲ていたことは疑いようがない。天武天皇との深い関係、宗像徳善の墓と
される宮地嶽古墳の規模と豪華さをみても宗像族の特権的立場を理解できるだろう。
大和も当て字だろ
>>316 風土記をもとに書かれた部分が記紀にはあるしね
>>315 結局同じ意味でしょ?日本の読み方も「やまと」と呼ぶんだし。
>>307 それは今の人に限らず当時編纂した人たちにも同じこと
わからない神代をどうして作らなければならないかを考えないとね
ただの時代の引き延ばしだったら
神は一人で永遠の命にし、他は神とせず人として年を刻んでいけばいいだけのこと
それを何柱も登場させるにはそれなりの理由があったからだろう
しかも目立つ冒頭におかなければならない理由が
つまり、その神代を無視しては本編が見えないということではないかな?
いきなり神武が登場しては本編が成り立たない何かが
321 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 10:33:03
>>318 沖ノ島祭祀は4世紀後半にすでに始まっており、最初期の岩上祭祀で鏡21面を
一箇所に奉献していることあるいは剣や勾玉つまり三種の神器が揃って出土している
ことなど最高最大規模の国家的祭祀が天武天皇の世すでに300年前に始まっている。
ただし近年の北九州編年繰上げを沖ノ島にも取り入れれば、開始は3世紀に遡ること
さえありうる。もしそうなら古墳時代初期からの奉献になる。
現行の4世紀後半祭祀開始としても、7世紀に宗像が天武に取り入って記紀に宗像
よりの記事を書かせたなどということは完全に否定される。
それ以前から信仰が強大だったということだ。
>>319 違いますよ
「やまと」に転訛するのは「やまたい」ではなく(やまたお)や(やまたほ)
つまり
日本であてられた漢字「大和」の意味は(やまと)或いは(やまたお・やまたほ)
そして漢語から日本で漢字に変換するのは、当時音を利用していたわけだから
「大和」の漢字音ダイワ が漢語と共通するものとなるんだよ
漢語・邪馬台をダイワと音するかい?しないよな
だから 邪馬台を「ヤマト」に結び付けることはありえないんだ
ようするに 「大和=やまと」は、純粋に日本人だけで作った地域ではないという言葉の証拠 大陸と日本の合作が「大和=やまと」であるという言葉の証言かな?
325 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:05:28
違う
>>323 >「やまと」に転訛するのは「やまたい」ではなく(やまたお)や(やまたほ)
違うよ。 何いってるの?普通に読み方日本書紀にかいてやるでしょ?
先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。此云耶麻騰。下皆效此。
豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。
次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是始起大八洲國之號焉。
>廼生大日本日本。此云耶麻騰。
>耶麻騰。
327 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:08:01
ヤマト→倭の字が当てられる→好字に変えて和(ヤマト)となる →大をつけて大和となるが読みはやまとのまま。ってだけだろ。
音が持ってた本質的な意味を漢字を当てる事により 時がたてば漢字の支配力が強くなり忘れる。
329 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:08:50
当然大和には古来から人が住み文化は存在した。 しかし その当時から大和ではなく、当時は「ヤマトやヤマタホ」と言われていたのであろう。 しかしそんな暮らしに、ある時期から異文化が入り(実質文化の侵略) それからは現在大和と言われる地域へと変化した。 だから、漢語の名残「大和」は消えないんだよ 「大和魂」は、実に笑える吉本並の笑いかな ほんとうなら「やまと魂」だよな
大和王朝と交流した隋書の倭国伝にも。 其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。 >都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺
>>327 そう。日本書紀もはじめは大倭。それが大和という字にかきかわる
332 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:14:27
魏志倭人伝、隋書、後漢書、梁書、 各風土記、日本書紀、古事記、新撰姓氏録、海部氏勘注系図 参考に出来る書物は他にありますか? 私はこれ以外にも私の地方に伝わってる 古文書を参考にしてます。
中国王朝はなんの疑いもなく、大和=魏志の邪馬台国としてるよな。
倭国の中心は筑後国府だよ。畿内説や記紀で説明がつかない発見があったのに無視されてしまってるけどね。
>説明がつかない、それ以外には考えられない、100%ありえない これって思考停止以上に、その言葉を使う人の能力の限界示しているよね。 または原理主義に基づく陰謀論とか。
>説明がつかない、それ以外には考えられない、100%ありえない そういやアポロとか911の陰謀論でもその言葉散々聞いたわ。 Xファイルでもw
337 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:22:00
邪馬台国はどこに消えたのか? それは山田に書き換えられたのではないだろうか? 宮崎県都城市山田町山田、 高知県香美市土佐山田、 奈良県桜井市山田三重県宇治市の宇治山田、 日本全国にある山田、あまりにも身近すぎるために気がつかなかったです。 山田氏こそ邪馬台国の正体だったのです。
338 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:23:38
>>337 山田さんは会社の隣の席に座っているが、卑弥呼の子孫なのか?
邪馬台(やまと)=大和。邪馬台国はただの当て字。中華思想。倭国にある他の国でも自分で酷い 名前つけるわけないでしょ?一番自然。
これが私の説です。ツッコミどころ満載かもしれませんが; 欠史八代の時代は葛城氏が大王になった時代。 八代の古墳とされる比定地は葛城側に造られている。 葛城の血族、蘇我が滅んだあと、 天武・不比等が必死に悪王として書き綴ったのも葛城の大王であるため。 彼らは完全に葛城の威光を断ち切ろうとした。 葛城は陰陽師で有名な鴨氏を併呑し一気に力をつけた豪族。 悪霊や怨霊を祟り神として奉りあげ鎮めるという風習を根付かせたのは彼らだ。 倭国大乱、これは葛城と三輪の戦いである。 祭祀王を葛城の日女命(モモソ)、俗世王を祟神とすることで和平がなった 日女命は親族のタケハニヤスの反乱を俗世王、祟神に神託した。 四道将軍派兵の後の手薄を狙ったタケハヤスであったが、オオヒコに殺される。 男王が立つが倭国再び乱れ・・これはサホヒメとサホヒコの反乱のこと。 サホヒメは垂仁天皇の后。 宗女の台代・・・ここはまだ調べる必要があります。 垂仁以後の有名な女性として、伊勢神宮建立のヤマトヒメやトヨススキ、 神功などがいますがいやはや
341 :
330 :2009/11/23(月) 11:38:40
倭名抄も追記。
330× 332○
343 :
332 :2009/11/23(月) 11:44:25
数々の古文書は実に見事に重なってるんだよね。 ある一つのものを基準に書かれてるものではないから それぞれに古文書と遺跡、地形、科学を綜合して 説を練り上げる感じだな。
344 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:48:25
>>340 おお、その説賛成です。
コテ名乗られては?
葛城なら高天原も領地ですしね。
345 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 11:52:21
>>302 白馬青牛も忘れちゃいかん。
奴も最近は人種板に引っ越ししてるようだが
もう現れないで欲しい。広島至上主義じいさん。
もう単純な邪馬台国東還説は100%有り得ない話。 特に3世紀以降にあったなんて主張するのは妄想でしかない。
東遷はない奈良にいた勢力が唐の後ろ立てで倭国から主権を奪いとっただけ
348 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 12:01:05
>>340 このスレで指摘のあった磯城県主の件も考慮して欲しい。
俺はほぼ確定だと思ってる。
349 :
340 :2009/11/23(月) 12:01:58
>>344 いえ、コテはつけません。まだ自分の説は完全には固まってないですし、
コテにはあまりいい印象はないもので(笑)
葛城は鍵となる豪族だと思いますので、是非とも調査して欲しいです。
東征は東征でも九州からではなく吉備から東征した。 大和とは呉の孫権の子孫が打ち立てた国。
351 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 12:12:32
もともと東遷は朝鮮系の渡来人が九州に上陸をして 東に広がったという小学生の時に先生に習った 幼稚な社会科を元にしたに過ぎない。 しかし、元々、出雲の四隅突出墓、出雲風土記の高句麗のスクナビコナ 、常和信仰、出雲の新羅に渡ったスサノオ、 秋田の新羅出身の金氏、逆に新羅の丹波出身の昔氏、丹波の鉄、 ヒボコの件、天火明命の件 山口の土井が浜の弥生人が新羅を頭にして埋葬されていた件、 弥生時代の人骨が出雲を中心に渡来形質になっていた件と 本州の渡来文化は九州を経由せずに日本海独自で交流していた 可能性の方が強い。というより本州四国と九州と朝鮮との文化的距離って 同程度だったんじゃないかと思う。
352 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 12:15:48
>>351 出雲の新羅?
そんな記述ある?
それに国生みで朝鮮半島は含まれていないでしょ
353 :
340 :2009/11/23(月) 12:38:05
>>348 磯城は桜井市の喉元にあるところですね
葛城と磯城が婚姻で結びつくことによって
三輪の力を押さえ込むことが出来たのでしょう。
三輪は尾張との連携を強め、葛城は出雲と結び、
50年に及ぶ倭国大乱を引き起こしたんだと考えます。
因みに
相撲の発祥話
葛城側の当麻ケハヤと三輪側は尾張の野見スクネ。
結果は・・・三輪の勝ちですね。。
355 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:22:59
>>316 素人が勘違いしたり間違えないように指摘するが、
宗像の宮司家の始祖は大国主だ。
356 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:25:15
磯城も葛城も三輪もほんと半径10k圏内にあるんだよな。 こんな小さな地域が福島の会津から福岡の三毛まで 制覇してたなんてやはり巨大な後背地を擁さないと 無理だよな。出雲の国譲りの物語は出雲から奈良に祭祀の中心が 移った事と国津神から天津神に移った事と両方ダブらせてるように思う。 奈良が軍事で全国を支配したのではなく祭祀とか合意に基づいてるというのは 明らかだ。 東京やワシントンDCがミサイルで日本やアメリカの地方を抑えてないのと同じだ。
357 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:33:53
>>356 そう。当時まだ日本は完全に一つの国ではない。
毛人や土蜘蛛、隼人、熊ソ、エミシ
たくさんの氏族や派閥があった。
358 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:35:01
>>353 =340
磯城氏について、基礎知識を与えておくよ。
日本書紀
神武天皇二年二月二日条に、弟磯城(名は黒速)を磯城県主とした。
弟磯城は、ニギハヤヒの家臣だったはずだが、神武東征の時に、神武の側についた。
新撰姓氏録
大和国神別に志貴連は神饒速日命の孫日子湯支命の後裔とする。
磯城氏は、ニギハヤヒと関係が深く、現在の磯城郡もまたニギハヤヒの領地だったはず。
これは、西の葛城郡と、奈良を東西に2分する。
その中間にあるのが、橿原で、神武が即位した土地だよ。
「三輪」という地名は、神武東征の頃には存在しないはず。
三輪氏は、大国主〜大田田根子(三河)の子孫で、崇神天皇の代から登場したはず。
359 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:37:43
>>358 訂正
×三輪氏は、大国主〜大田田根子(三河)の子孫で、崇神天皇の代から登場したはず。
○三輪氏は、大国主〜大田田根子(河内)の子孫で、崇神天皇の代から登場したはず。
360 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 13:45:26
>>340 >男王が立つが倭国再び乱れ・・これはサホヒメとサホヒコの反乱のこと サホヒメは垂仁天皇の后。
垂仁天皇が99才まで生きたとしても
その年は西暦70年(皇紀730年)なんですが?
酷い自演をみた
磯城神話崩れるw
363 :
メ :2009/11/23(月) 13:54:55
なるほどな・・・、>340さんがコテを付けない理由がわかったような気がする。 突っ込みどころ満載で自信がないってことねw それに「あまりいい印象」てどういう印象だろうねw @名無史さんは自分の発言したことに責任を取らなくていいけど、コテのほうはその点ちがう。 あきらかに不利な状態なのに〜「コテは印象悪いって」←これは無いよな・・・ どっちかっていうと、コテのほうが褒められるべきと思うぞ。
364 :
340 :2009/11/23(月) 13:57:12
>>358 なるほど、神武の代はそういう流れなのですか。
私が「三輪」というのは葛城に対抗する東の勢力を総称するという意味で
「糸巻きの麻糸を・・・」の三輪と名付けられた後の三輪の話のことではありません。
違和感があるのなら『御諸』とか二ニギ氏でもいいですね
365 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:00:25
366 :
340 :2009/11/23(月) 14:01:31
>>360 垂仁は11代天皇(大王というべきか?)ですよ。
祟神の代にモモソが居た。モモソの死後の反乱は
サホヒメサホヒコの反乱です。サホヒメは11代垂仁の嫁さんです。
>>363 印象を悪くした元凶がキタ
340さんがんばれ
368 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:06:48
>>366 在位:垂仁天皇元年(紀元前29年)1月2日 - 同99年(紀元後70年)7月14日
369 :
340 :2009/11/23(月) 14:07:22
>>363 あ、これはこれはドツボさんw
私は貴方が『ドツボ』と名付けられた時から知っていますよw
当時貴方は九州説だったですね。たかじんの番組から畿内に鞍替えされたんですよね?
今は〆なんですか?よろしくお願いします。
くけけけけ
371 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:08:27
>>358 根本的な質問があるのだが、イワレヒコ=神武天皇とみなして
いるわけですよね?
そしてそれは実在の人物だと
そうなると日本書紀に照らせば、イワレヒコ=神武天皇の両親は
玉依姫とウガヤということになる。
さらにそのウガヤの両親は豊玉姫と山幸彦となり
その山幸彦の両親はニニギとコノハナサクヤ姫ということになり
そのニニギの両親はオシホとアツキ姫ということになり
そしてそのオシオはスサノオ(男、アマテラスの弟)
から物語上単独で生み出されている。
このことについてあなたはどう思うか?
372 :
340 :2009/11/23(月) 14:09:05
>>368 10代祟神が3世紀なのに次の大王が紀元前なのですか?う〜む・・・
近畿説を紀元前の話にもっていこうとしてるのか?
374 :
メ :2009/11/23(月) 14:10:28
おっぱい? あぁ、終止符スレのほうで縦目仮面さんだったかな、 「おっぱい、おっぱい」て連呼してたね(欲求不満なのかな・・).
375 :
340 :2009/11/23(月) 14:12:44
紀元前の話はちょっと眼中になかったですねw キリスト以前の日本はムラがあって貝や魚、小麦で生活し、 縄で模様をつけたツボを作ってるイメージしかありません。。。
376 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:16:06
バカ
377 :
メ :2009/11/23(月) 14:17:01
>>369 へぇ 貴方は以前から、私を知ってたってことね。
でもすみません、私は貴方のことを知らない・・・
378 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:17:06
>>372 出生 紀元前148年
死去 紀元前29年1月9日
↑どのへんが3世紀?
379 :
340 :2009/11/23(月) 14:17:48
>>376 すみません、バカですね
しかし、紀元前の日本は卑弥呼と関係ないと思うのですが・・・
380 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:18:17
日本書紀によると、神日本磐余彦(神武天皇)が日向にいて、大和行きを決意 したとき、このようなことを言っている。 高天原から天磐舟に乗ってきて大和に飛び降りたものがいる。饒速日という。 そこに行って、都を作ろうと思う。 日本書紀によると、大和への進出は二段階になっていることがわかる。 饒速日命と神日本磐余彦(神武天皇)。
381 :
340 :2009/11/23(月) 14:20:09
>>378 妙ですね。
魏はそんな紀元前にはまだ無いですよ?三国時代でもない。
あの著書は中国は秦の時代ですかw?
382 :
メ :2009/11/23(月) 14:20:36
さて、ワンワンの散歩でもしてくるか〜 おち
383 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:21:33
>>375 皇紀を知らない?
キリスト関係ないしw
384 :
340 :2009/11/23(月) 14:22:01
>>380 造化三神はどう考えられますか?高木神は高天に奉られてますよ?
385 :
340 :2009/11/23(月) 14:24:33
>>383 西暦ではないのですねw
これは失礼しました。しかし元年を神武即位とするのに、
祟神が紀元前とするのはどういう意図が・・・?
386 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:25:47
皇紀紀元前と西暦紀元前がごっちゃになってる馬鹿がいると聞いて(ry
387 :
メ :2009/11/23(月) 14:25:51
>340さん、おめー もう一ぺん図書館行ってこいww 〜たく、突っ込みどころ満載だなwww
388 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:26:39
>>371 神武が実在かどうかは不明。
しかし、神武東征の伝承を、神武の子孫の天皇家や多氏(太安万侶)が持っていたから、
記紀に記載されることとなったのだろう。
祖先が遠い九州からきた、という伝承そのものは信じてよいかもしれないが、
天孫降臨までは信じる必要が無い。
自分が神の子孫だと騙ることは、王位についた人間の特権だからだ。世界中そうだ。
389 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:27:08
神武即位は紀元前660ねん〜♪
390 :
340 :2009/11/23(月) 14:29:11
>>386 すみません、
第二次大戦ごろの人間ではないので、皇紀には全く馴染みがありません。
西暦2000年が皇紀2660年でしたっけ?なんかそういうのを西暦2000年に見た記憶があります
391 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:29:27
>>384 もっと具体的に言ってもらわないと意味不明。
高皇産霊尊は、多分、天照大神に匹敵するほど重要な存在。
活躍の場は、出雲の国譲りと天孫降臨のあたりになる。
この時代の人物ということになるだろうね。
皇室にとって最も重要な存在だから、天地が開けたときに生まれたことに
したんだろうなあ。
392 :
メ :2009/11/23(月) 14:31:59
ダメだこりゃwww みんな年寄りではないが、それぐらいは知ってるんだよw 「無知」くんに構ってたらたら、こっちもそうなりそうだww おち・・・
393 :
360=389 :2009/11/23(月) 14:32:02
>>387 散歩いけ。
なんで神武の名前が頻繁に登場するのかと思ってさぐってたら
そwうwいwうwこwとwかwww
394 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:32:11
>>380 日本書紀によれば、高天原とは天界のことですよね
そしてホツマツタエによれば、「たかま」とは以前からある
色々な教えを合わせて祀るという語義です。
395 :
340 :2009/11/23(月) 14:32:19
>>391 饒速日命と高木神の関係ですよ。
最初に高天原に降り立ったというタカヒムスビと饒速日命の関係
396 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:33:36
>>384 高木神は、名前からして、「高い木の神」だろう。
諏訪の御柱を見ても、古代人が木を崇めていたことがわかる。
高い木を切り出して立てる技術は、縄文時代からあった。
高木神の信仰は古いものであり、葛城に高天原があったとしても、関係ないとみるべき。
397 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:34:55
神武の父系がニニギとスサノオと出雲神話の登場人物とみると やはり天孫降臨って出雲勢力の圏内で起こった事件だと思う。 でも宗像の存在だけはもう少しよく詳しくみていきたいと思う。
>>393 なるほど、紀元前云々言ってる人は特殊な説をお持ちの人なのですね。
納得しました。しかし、十人十色いろんな説があって楽しいですねw
古代史はこれだからとても面白い。
既成概念が無いというか解釈の違いでいろんな説が出来る
なんか『340』がコテハンみたいになってますんで、この辺で名無しに戻りますw
399 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:37:35
>>395 神話上では、
饒速日命とは天火明命のことで、
天照大神の子供と高木神の子供の子孫です。
天照大神系神話と、高木神系神話が合わさった後で登場したと見るべきでしょう。
>紀元前云々言ってる人は特殊な説 >紀元前云々言ってる人は特殊な説 >紀元前云々言ってる人は特殊な説 これはひどいw
402 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:41:51
>>395 天照大神が岩戸から出た後に、高皇産霊尊は登場する。
まずやったことは出雲の平定。
何段階にも渡って使者を派遣し、経津主神と武甕槌神がついに出雲を
平定する。
出雲の事代主神は国を譲ることを約束して姿を消す。
次に瓊瓊杵尊を日向に降ろす。
日向への派遣とも考えられるが、この一族がやがて覇権を握ると考える
ことができる。だから、記紀の舞台がこの日向に移る。
このように見てみると、高皇産霊尊(と天照大神)は、各地に神々を派遣した
と見ることができる。饒速日命はそのうちの一人だと思う。
403 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:42:46
>>398 コテにすると色々と叩かれるから名無しがいいよな。
俺もまだまだ勉強する事一杯でとてもコテなのれんw
>>398 皇紀ね〜あまり馴染みが無いもので、
自分を賢くみせたい人は使いたがりますよねw皇紀使う俺カコイイみたいなwwww
いまや一般的じゃないから俺もあまり意味が無いと思ってみてますけどww
例えば倭国大乱が180年ごろとすると皇紀では840年です。
405 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:47:43
>>402 >まずやったことは出雲の平定。
出雲の平定のためにさしむけた、アメワカヒコの墓が、
美濃(岐阜県)の喪山にあることを忘れてはいけない。
日本書紀・古事記ともにわざわざ明記してある。
高天原のアメワカヒコの墓が岐阜県にあると、美濃に住む人が伝承していたということ。
日本全国さがしても、高天原の神の墓があるのは、美濃だけだ。
安易に、高天原と出雲の位置関係を論ずるべきではない。
406 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:50:26
皇紀無視して欠史八代を語る馬鹿www
これはひどい(≧ω≦)
>>340 です
>>404 さんありがとうございます。
なるほど^^ややこしいですね〜皇紀使って意味があるんでしょうかw?
西暦に直した方がイメージが付き易いと思うんですけどねw
>>340 に書いた説が一番しっくりくるといってもらえたので満足してますw
人間の関係や起きた事件などいろんな事柄があの時期でないと一致しません。
やはり卑弥呼はモモソヒメだと思います。
410 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:55:42
邪馬台国が魏に使者を送ったのは邪馬台国も渡来人の国だからです。 呉や蜀ではなく、魏に使いを送ったというのがみそ。 そこで気になるのが、景初3年(239)に邪馬台国女王卑弥呼の使者が洛陽において魏の皇帝に拝謁しているが、この皇帝が曹芳「斉王」であったことです。 先代の皇帝・明帝(曹叡)の子が相次いで夭折したために、親族の秦王詢と斉王芳の兄弟を養子に迎えて、皇太子候補として養育していたとあるように、魏の皇帝「曹芳」は斉王の子孫。 つまり磐井(斉い=いわい)と同族が魏の皇帝になったことを祝うために卑弥呼は使いを送ったのだと考えれば、邪馬台国が筑紫にあったという説を裏付けるものになる。
411 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:55:59
>>405 まあねえ。
それは、美濃にばかり注目しているからとも言えるな。
天孫族である瓊瓊杵尊の墓は日向にある。
宮内庁は、鹿児島の可愛山陵を指定しているが、西都原の男狭穂塚古墳にも
そういう伝説があるし。
413 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 14:59:22
ホツマツタエによれば、「たかま」とは以前からある 色々な教えを合わせて祀るという語義です 従って、その場所はどこでもいいということになります。 そして一つである必要は全然ない。 しかし、日本書紀によれば高天原とは天界を指しているんですよね・・ ここですよ
>>402 その確信的記載はアマテラスが最初に出雲を支配
次に日向を支配した事とみる。
これは記紀がそう書いてるだけで出雲の次に日向以外にも
各地に神々を派遣した可能性も否定できない。
その中の日向に下ったニニギの子孫神武が最終的に政権を取ったという事。
話変えて
どこか(高天原)からきたアマテラス(高皇産霊尊)が出雲を支配した。
これを天津神の支配だとみると実際には神武が東征した後の畿内は
磯城の国津神が支配してたようにみえる。
これはどういう事か????
416 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:07:12
>>414 支配しているのは、やはり天孫系だろう。
だからこそ、高天原や日向、あるいは神武東征の記述に意味がある。
それが皇統だとしているわけだから。
国つ神が支配していくことになれば、神武東征自然の記述が意味をなさない
ことになる。
417 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:08:11
>>414 自己レス。
一旦は出雲や畿内は天津神の支配になったが
ニニギが日向に下った後、畿内では国津神の政権奪還が
起きてたって事かな?でナガスネヒコがその首長だった。
で再奪還したのが神武東征か。。なら理解できる。
418 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:08:41
419 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:10:15
神武の即位が五世紀末だから、…… 神武と天武の間は約二百年。
420 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:11:51
421 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:19:30
>>419 神武即位の時期はともかくとして、天武天皇の時代の意識が記紀に現れて
いることになる。
422 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:21:47
じゃ、スルーでw
424 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:24:35
>>416 >支配しているのは、やはり天孫系だろう。
神武以降の記載みるとそうはみえない。
425 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:29:02
>>417 ナガスネヒコが天孫を意識してるのをみると
やはり以前から畿内全体は意識される存在であったと
捉える事が可能。さらに、天つ神支援者と国つ神不満分子が
畿内にもいたから畿内に地を下ろしているナガスネヒコにも
勝てたように思う。
426 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:35:54
>>424 神武天皇が日向から連れて行った長男の手研耳命が悪者にされていて、
大和で娶った五十鈴媛命の子があとを継ぐということもあるね。
天つ神と国つ神の融合とも言われるなあ。
427 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:36:04
日本書紀・古事記は決定的な間違いを犯したんですよ 神話化のために足元を掬われたのです そう、神なら単独で物事を生成できる しかし、そのため決して天皇につながることはない、断絶する それをやってしまったのです その核心はスサノオ(男)の子オシオ(男)の単独生成です 天皇家がオシオにつながる万世一系であるなら、 なおさらそれはどこから来たのかということになります また、天皇家がそれとは別物であるなら神話系譜と天皇系譜を切り離した ものにしなければなりません この場合も神とは何の関係もなくなり、お前は誰かということになるわけですが どっちにしろ、こういうことをするほど国内が分裂状態だったのでしょう 各豪族たちが何らかの神を信奉していれば、別の神を立てて抱合する必要も あったことでしょうが・・・
428 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:42:58
>>426 >天つ神と国つ神の融合とも言われるなあ。
そうみると、神代の記載は凄く信憑性増す。
一旦は天つ神に敗れた国つ神ではあったが
畿内を含めた出雲では日向にニニギが下った後も
大きな影響力を持ち続けた。
天つ神の子孫である神武が畿内に根を下ろすに
至っても国つ神の一族と融合する必要があった
その融合した国つ神はナガスネヒコ不満勢力という点では
共通していた。
429 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:46:51
>>427 恐らく、天照大神は実在の人物の反映だろうと思う。
強い伝承が残っていた。だから、はずすことは出来なかった。
皇祖とされたのもそういう理由だと思う。
しかし、倭人伝からもわかるように古代は世襲ではない。
忍穂耳命も子というよりも一族あるいはあとを継いだものという感じだった
のではなかろうか。
皇統というのは、少なくとも古代は世襲というよりも権力の継承という
意味の方が強かったのだろうと思う。
どこから世襲制になったのかも謎ということになるなあ。
430 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 15:54:42
>>429 >しかし、倭人伝からもわかるように古代は世襲ではない。
そうともかぎらん。
マルクスの言葉を思い出して欲しい。
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
階級の固定化があったとしてその階級が世襲であったとすれば
どこかで血縁が繋がる。
例えば、ニニギではなく東北に派遣された他の天つ神の人物が
畿内に移りすんで政権を取ったとしてもそれは世襲となる。
431 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:01:03
>>430 しかし、天照大神は独身の女性であり、子ができる状態ではない。
物語としては不自然で、こういう設定には無理がある。
無理な設定だからこそ、真実味があるわけではあるが。
そういえば、卑弥呼も独身の女性で子はいない。
男王が立ったが、認められず台与が王になる。
梁書などによれば、その後また男王が立つことになる。
トヨタン・・・・・・・・・・
ここは邪馬台国のスレだろ? おまえらいつまでスレ違いの話してるの? 記紀に邪馬台国なんか出てくるのかよ どうせ畿内説の奴らだとは思うけど 論争に勝てないからといってスレ違いの話ばかりするなよw
434 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:10:38
キリスト教が「神の子」というようなものと 同じ類で、宗教的な同族かあるいは別の所から来たと民族か そういうもののように思う。天つ神。 天照大神の話が血縁関係を詳しく記載してないのは そういう意図を感じる。 それに実際、記紀編纂者もより古い記憶で戦乱時期の記憶だから 主観性や推測が多くなった部分が多いと思う。 そのあたり踏まえてみる必要があるかな。
435 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:11:00
>>431 私には考えられる一つの回答を持っています
それには文字が発見されなければならないのです
しかし、現代に至るまで日本書紀・古事記が継続している理由と
文字(漢字でもない、ひらがなでもない)が発見されない理由は
相関関係があるのではないかと恐れているのです
436 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:12:31
437 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:22:13
>>423 一人で黙って行動することができないのかね?
一々レスしなくても各々が判断するし
判断出来るだけの器量もってるから
それともなにか?
ここに居る住人は、一々指導しなければなにひとつ出来ない池沼だと言いたいのか?
住人ナメるのも程々にしとけよ
438 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:24:23
>>436 やまと=大和だが
やまと=大和=邪馬台ではない。
439 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:24:44
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
440 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:26:50
このスレみたら 九州人ってメンタリティ的に 大陸や半島に似ててビックリ やっぱり九州と本州(=日本)とは違うんだねぇ
441 :
ローガン :2009/11/23(月) 16:30:35
>>314 >その家系、先祖の足跡みるとピッタリ動きがあうんだ。こんなのとても創作で出来る筈がない。
私は見解が違います。記の序文に拠ると諸家には様々な帝紀があったと。それらを「削偽定實」し、あらたに帝紀旧辞を撰録しようという事ですね。
紀天武十年「令記定帝紀及上古諸事」とあります。これは、3年後の八色の姓に繋がるものでしょう。
天皇家と諸家の血縁の遠近の記定だと思います。ここでうまれたものが書紀や諸家系譜のテキストではないかと考えています。
この天皇の葬儀では、「諸臣が先祖たちの仕え奉れる状を挙げて互いに進みて誅」しています。
ここで述べられた奉事の状が以前からある虚為を多く含む旧辞とは考え難いでしょう。
天武十年の詔により記定されたものに沿った内容になっていると考えるのが自然だと思います。
つまり遅くとも持統二年には撰録された「帝紀及上古諸事」と諸家系譜とは整合しています。勿論、書紀成立以前です。
書紀と諸家系譜又、諸家同士の系譜が皇統を介する整合が見られるのはこういう経緯に拠るものではないかなあと。
よって系譜が合う事を指して、欠史八代を実在とする根拠にはなりえないと思うんです。
442 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:30:54
>>440 九州説の人は関東周辺が多いと思うよ。
殆ど九州の事知らないから。
九州で九州説の人は地域経済振興目的、要するに金目当てでドライ。
443 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:36:56
>>442 なるほど関東の田舎者が
畿内に対しふぁびょってんだね・・・
歴史関係の板やスレでは良くあること
一緒になってレス付けてると、こっちまで下品になりそうだし
東海の人間は遠巻きに観察するだけにしときます
>>438 晋書武帝紀泰始2年(266年) 倭人が来てその産物を献上した。南北の郊外で円丘
(皇帝が冬至に天を祀る丘)と方丘(皇帝が夏至に地を祀る丘)とを合し、
冬至の祭祀と夏至の祭祀とを南北の郊外で合した。
前項後円墳の臭いですな。畿内で決まり。大和=邪靡堆(隋書)=日本書記耶麻騰=邪馬台
445 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:47:16
ただ、日本書紀・古事記でよいのは天皇に関係しない部分の記述で(これは何の文字で書かれていたのだろうか) 天地創造と国生みを分けているとこです。 これは現代ではその通りで、天地(地球)が出来た時には日本列島は存在しないわけです。 われわれは、大陸沿岸部にいた頃は何人でもなかった。 しかし、数千万年前に大陸から田太平洋プレートの動きにより切り離され、伊豆半島が押し寄せ 日本列島が出来たわけです。人はそのまま乗っていて分離されて 日本住民になっていった。 移住したのではなく、切り離されたのですから。
446 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 16:48:05
>>443 俺は九州だから直ぐわかる。
九州人なら絶対に間違えない地名や
区別する地名がある。
それで九州と九州以外の人を区別する事が概ね可能。
リトマス試験紙みたいなもの。
九州説、東遷説を力説する人はだいたい区別できてない。
簡単な事だが人の癖は抜けないもの。
土地勘の無さでも判断可能。
>>445 その部分に入らない方がいい、ドツボにはまる。
邪馬台国スレである事も忘れずに。
>>441 書紀と整合性保たれるように作られたという事ですか・・
ローガンさんのように詳しくないのでとても反論できませんが
全国で作られた諸家系譜の編纂過程とかも良く
知りたいと思いました。
449 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 17:04:47
古代の倭族には、通い婚の風習があって、年頃の娘は 家族とは離れて下の階に寝る。 そうすると男が夜な夜な通って来て子供ができれば、嫁の家で育てる。 真っ暗闇だとは言え、相手がだれかは女の方はわかっているけれど何も言わない。 どの男ははわからないけれど、精力の強い男の血が残る仕組み。 それが種族繁栄をもたらすと信じられていたのです。
450 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 17:19:14
>>447 そうなんですけどね
古代は私にとっては皆同じ問題のように見えるんです
邪馬台国はおそらく魏の当て字なのでしょう
しかし、当時の日本の記録といえば全編当て字のオンパレードなわけですよ
(まともに意味がとれない)
邪馬台国が謎なのではなく、日本語の意味(ないことになっている)
を廃して当て字満載の記述そのものが謎なのです
そしてこれでは何もわかりっこないじゃないですか
452 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 17:35:09
>>450 ここで日本語に意味を持たせると、河童みたいに罵倒の集中砲火の対象になるから
注意しろ
>>453 そんなことは無いから。
大和言葉には一音一音には或る種意味(と言うか音感から得られるイメージ)が有るのは事実。
河童が弄られてるのは、その説明に論理性が全くないことと、このスレでのご当人の今までの行状に起因すること。
いやだああ。その名前出すなよ。河童いやだよう。河童くんなよう。ひっ、ひっ、ひっく。
456 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 18:56:54
客観的にこのスレ見て 九州説の人たちは感情的になってる感じ なんか怖い・・・
457 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 18:57:00
やまとコトバはね、、、 まぁいいや。 続けて続けてw
458 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 18:59:08
葛城氏はどーなったん?
459 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 19:16:12
>>456 ああ、いつもソースソース言ってる人ねwww
460 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 19:19:47
>>456 アンタ2ちゃんを客観的に覗いているのか?
どんだけ目出鯛人なんだよwww
461 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 19:23:50
www
>>455 俺がコテ付けて河童の代役して弄ってやるから安心しろ。
464 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 20:00:29
>>441 いやいや、海部氏系図を忘れてる。
あれは中央から黙殺された系図だけど、中央の系図ともよく符号するよ。
一音一意て程じゃないがレス見てて面白い発想した(笑) ア(私)マ(本当)ツ(の)カ(上・上から覆う)ミ(者) 注:カ・ミ部分はアイヌ語のカムイて言葉の構成を参考に書きました。 まぁ国津神があるから天津神は天で正解ですけどねw スレ汚しでスマン
466 :
ローガン :2009/11/23(月) 21:05:24
>>444 >南北の郊外で円丘 (皇帝が冬至に天を祀る丘)と方丘(皇帝が夏至に地を祀る丘)とを合し、
> 冬至の祭祀と夏至の祭祀とを南北の郊外で合した。前項後円墳の臭いですな。
古者丘郊不異宜併(にんべん無し)円丘方丘於南北郊だから…
円丘と方丘を合わせるとは読めないように思いますが?
初期前方後円墳の前方部とは築造時の仮設通路、兼墓道でしょう。あくまでも付帯設備。墓は後円部。
風土記の記述からも古代の人がそう認識した事が読み取れます。「前方後円墳」とは現代の感覚でしょう。
>畿内で決まり。
それはそうだと思います。
467 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 21:16:57
468 :
465 :2009/11/23(月) 21:19:09
でもヤマト言葉は一音一意とか言ってる方は、もっと興味の対象や幅を広げた方が良いですよ。 例えば「梅」のことを「うめ」といった時代から「むめ」といった時代になって また「うめ」に戻ったりしてます。 コレは古事記の真贋の是非が問われた事例を調べて貰えば解る話です。 ことほど左様に音は変わる物だとご留意くださいませ。
>>467 前方後円墳の話を出しといて、じゃあ各地の円墳・方墳・前方後円墳の作られた時代を比べよう
て、なったらどうしよう?
と気づいて予防線を張ったんじゃないか?w
470 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 21:35:20
倭人伝の最も重要なところは、邪馬台国や卑弥呼の存在が示されていることも さることながら、その年代が明示されているところにある。 一般的には、卑弥呼は、2世紀の終わり頃に女王に共立され、3世紀半ばに 死んでいる。 卑弥呼が帯方郡に使者を送ったのは、景初三年(西暦239年)というような こともわかる。 倭人伝と照らし合わせることで日本の歴史が明確になるはずの記紀は その点で困った状態にある。この年代の修正が確実に出来れば良いのだが、 そのネックになっているのが邪馬台国の所在地の問題と言えるかもしれない。
>>466 十一月己卯,倭人來獻方物。並圜丘、方丘于南、北郊,二至之祀合於二郊。
で「合わせる」という意味のようですね
>>467 そのころの前方後円墳は畿内から発達してる
>>469 君のカキコそのものが「予防線」に見えるがw
ここには、たまに歴史シミュレーションゲームをやる人居ない? 海があるから本州(主に、出雲・吉備・畿内)・四国・九州に分けてみたら、どこから始めるのが簡単だと思う? 信長みたいに背後を他勢力(徳川)に任せるならともかく 諏訪大社や伊豆(事代主の転生)やら現代に至るまでの後の時代も 「天孫と戦があった神を祀ってるような地域」を背後に抱えた畿内が西に西に攻め出すってのは 縛りプレイと思わないか?
邪馬台国は畿内って事は確定で あとは細かいところの論議なんだけど、 九州説論者の生き残りが何しに来るのか分からないんだけど 邪魔だな。もう一個のスレでオナってればいいのに・・・
475 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 21:48:02
>>471 前方後円墳が畿内で発達するのは誰もが認めるところ。
しかし、卑弥呼時代にあったかどうかは疑問。
少なくとも、倭人伝に、前方後円墳をうかがわせるような記述はないし。
それに、前方後円墳の発生も畿内とは断定できないかもしれない。
>>471 >南北で円丘と方丘を合し
を都合よく捉えすぎじゃね?
477 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 21:50:09
>>474 確定、確定と念仏のように唱えるもいいが、たまにはその根拠を示して欲しい
ものだと思う。根拠がないのは、学問ではなく宗教だから。
478 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 21:51:33
>>477 根拠なんて、ググればいくらでも出てくるだろ。
自分の不勉強さをたなに上げるな。
>>468 うめ→むめ→うめ
という発音の変化ですが、これはいまだに疑問符が付き纏うものとされ、
確定されたものではありません。
僅か千年の間に、発音が目まぐるしく変わり
それが一々定着しながら変化したのか?という素朴な疑問が残るからです。
>>478 確かに今の時代、ググッたり調べる事が可能なものは、敢えて
出す必要性のない事かもしれない。
時代は常に変化しているのだし、十年前の常識が
今も常識とはならない事もある。
ましてやここは学問板。相手の発言の根拠を受け手が見付けるのも学問向上の
一つかもしれない。
>>466 ほう。これ思い出した。
659 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/11/16(月) 01:54:35
どうやら箸墓,景行天皇陵とこの神殿の軸線は同じ角度のようなので,これはワンセットの施設の
ようです。朝日の記事には軸線を延ばすと巻向山に向かうと書いてるけど,そんなことはなさそう。
この角度は何を意味するのか?
近くにある崇神天皇陵は,明らかに巻向山と結びつけられています。軸線がまっすぐ巻向山山頂に
向いている。なおかつ,これはいわゆる「夏至線」です。冬至の日の日の出と夏至の日の日没を
結んだ角度に設定されている。冬至の日の朝に崇神天皇陵から太陽を遥拝すると,ちょうど軸線
上に巻向山山頂から太陽が昇ってくるのが見える。
興味深いのは,この神殿は,軸線を無視して三輪山の方を見ると,ちょうど三輪山山頂が「夏至線」
に乗ってるんですね。だからこれは崇神天皇陵と平行施設?であり,冬至の朝の太陽遥拝をやると,
神殿からは三輪山山頂から,崇神天皇陵からは巻向山山頂からの朝日が拝める。だからたぶん崇神陵
ともセットになってると思います。
>>467 晋の時代に倭人がいって、その倭人が巻向の倭人の考え方と似ているということは言えるな。
>>480 それは表記と発音のギャップからくるものかもしれない。
表記は「うめ→むめ→うめ」へと 変化をしたが、発音はずっと「うめ」だったとか。
484 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:11:04
南北に合し…が、東西に合した方が凄いのか?
これからの学問板は、相手の根拠を受け手が率先して見つけて来るくらいの 前向きで活気ある学問板が理想の形だと思う。そういう形になれば、へんな煽りや罵倒もなくなるし 全体のレベルアップすること間違いなしなんだが それを率先してやらなければならない学者たちが、罵倒や足の引っ張り合いの見本をみせているので、絶対にあり得ない理想だろうけど
>>485 あんたはそもそも意味がわかってないと思われ。
>>355 それは一説でしかない。
また大宮司家は宗像徳善の直系であると断定できない。傍系だったとの説もある。
ただし宗像徳善の娘は天武天皇の妃であり、その間に生まれたのが第一皇子である武市皇子であることははっきりしている。
また天武天皇の幼名が大海人皇子であることも事実であり、海人の影響が天皇家に直接及んでいることを指摘したい。
489 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:26:00
>>482 意味がわからん。
神殿か何か知らないが、建物跡に神秘的な意味を持たせようと
必死なのだけがわかる。
490 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:26:05
>>480 わずか千年(笑)なら平安〜現代までを調べてみたら?
飽くまでも貴方の説の補強の為にね。
491 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:27:37
>>489 わかってから書いた方がいいよ。それかロムるか。
>>489 都合に合わない古墳はスッ飛ばかしたオカルトだろw
>>482 なるほど、初日の出ではなく冬至日の出であったと。
494 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:33:48
バカはほっとけ
そして卑弥呼は神殿様堀立柱建物の窓辺に立ち、鏡をヒカヒカと輝かせる、と。
496 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:38:12
>>495 はて、その光は誰が見るんだろ?
夕日にかざさないと、神殿の外から見えないよね?
でも、マツリゴトは朝にするものだが。
>>482 冬至の日が雨や曇りでも朝日が拝めるの?
天候の事だから、冬至の日に限っていつも天候が悪いという事も想定できる。
流石にそこまで頭がまわらなかったかな?
498 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:39:44
この時代に倭国のエリートが中国の技術もちかえったんだろうな。 大量のベニバナ花粉といい、夏至線をもちいた信仰など、巻向はかなり有力だな 中国から技術を手に入れたものが当然この時代以後においては力を持ったろう。 そしてそれが畿内勢力であったのが史実。
499 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:42:33
銅の鏡ってピカピカするもんなの? ふしぎ発見のはやたらピカピカしてたけどw そもそも用法は合ってる?
>>482 へー 三輪王朝もなかなか文明が発達してたんだね。すごいね
で、邪馬台国となんの関係があるの?
501 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:43:37
瞬殺では
>>482 があまりにも可哀そうです。
せめて一日ぐらい泳がせる慈悲というものも、必要ではありませんか?
504 :
日本@名無史さん :2009/11/23(月) 22:46:28
>>499 鏡はもともと化粧道具で、顔を映すものだから光っている。
ただ、作者がうまいか下手かで映り具合は違っていただろうな。
>>505 それがまともなやつ。畿内説派のいってることが正しいと思われます。
>>505 それがまともなやつ。畿内説派のいってることが正しいと思われます。
皆さんの議論は素人の私には非常に勉強になります。 しかし議論からイマイチ見えてこないのは、邪馬台国時代の「国」の規模です。 伊都や奴の地理的感覚からいくと、 当時の国≒現在の市町村 みたいな感覚なんですが、どうなんでしょう? 九州〜畿内までの規模の連合国家が、魏の後ろ盾が必要になるほど深刻な敵対勢力ってどの規模?
>>510 >「国」の規模
大きいのから小さいのまで、いろいろだな。
>魏の後ろ盾が必要になるほど深刻な敵対勢力
狗奴国のことか? 張政が来てからなんも記事がないんだから、
深刻でもなかったのさ。
512 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:18:11
合わせ 祀れば 名も 高天(たかま) 諸 集まりて 故 請えば (by ミカサフミ)
513 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:18:57
>>507 これ検証せずに畿内を確信したよ。天才だろが。
514 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:32:21
>>514 そんくらい前レスみながら調べろよ。甘えるな。
>>510 「戸」で表されている。
一戸は中国の郷里制では100戸で一里
1里はおよそ0.18平方キロ(430m×430m)
戸を住人と考える説をおれはとらない。
軍隊の記録なら軍の展開できる平地の情報が重要だから。
517 :
調べますた :2009/11/24(火) 00:38:57
『晋書』は東晋滅亡後、200年が経過して編纂された史書であることから 不正確な記述が多いと評価される。 また『世説新語』のような虚実不明の資料や 『捜神記』なる小説からの引用もある点も史料価値としての問題点を内包している。 また編纂事業自体が唐王朝の正当化を目的としたものとも考えられ、 更に太宗自身も史書粉飾をしばしば行っており、 『晋書』に対する曲筆も疑われるところである。 既存の史書と比較するとそれまで個人が執筆・編纂していたものに対し、 複数の編者が存在することで前後矛盾する内容となっている箇所もある。 例示すれば「李重伝」の中に 「見百官志」(百官志に見える)と記述されるにも関わらず 『晋書』の中には「百官志」が存在しないなどが上げられる。 上記の理由により『晋書』は史書としての評価は低いものであるが、 『三国志』に「地理志」が存在しないことから、 三国時代の研究等において「地理志」に限っては『晋書』の記録が多用される傾向がある
518 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:40:49
www
519 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:42:01
これかね? -------------------------------------------------- 泰始二年(266年) 十一月己卯、倭人が来てその産物を献上した。 南北の郊外で円丘と方丘とを合し、冬至の祭祀と夏至の祭祀とを南北の郊外で合した。 -------------------------------------------------- う〜ん、この難解な記述を読み解くのは素人には難しいな。
520 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:42:55
まさかの瞬殺w
521 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:45:19
>史書粉飾をしばしば行っており、 これか?
葛城氏はどうなったの?
どれもこれも史書は100%ではないんだから、 綜合判断だよ。
524 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:59:21
一部の史料にすらてこずっているのに、総合判断とはおそれいったぜ
525 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 00:59:46
>>510 日本には古くから「郡」という単位があって、10世紀の倭名類聚抄とか
あるいは延喜式にも書かれている。意外にも、現代でも十分に通じる地名と
して残っている。
例えば、肥前の場合は、基肄郡 養父郡 三根郡 神埼郡 佐嘉郡 小城郡 松浦郡
杵島郡 藤津郡 彼杵郡 高來郡という具合。
これはけっこう古代の国の単位に通じるかもしれない。
これを九州全体で数えてみると、100くらいになる。
いくつかの郡が合わさって一つの国になっている可能性もあるが、こんな
ものではないかと思う。
国の範囲は、邪馬台国の勢力の範囲にも直結するので、けっこう異論も多い
だろうが。例えば、九州に100くらいの国があったとすれば、30カ国と
言われる邪馬台国連合は九州の一部ということになる。
粉飾された史書を総合判断=畿内説 あれ? 何かとリンクしちゃう。
527 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:06:00
まるで魏志倭人伝は粉飾されてないような言い草だな。
528 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:11:08
>>510 もう一つあったな。
確かに、卑弥呼と狗奴国は交戦状態にあった。
倭人伝にもちゃんと書かれている。
「遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状」
自分で解決できるなら、使者を送り説明する必要はないから、苦戦していたと
考えられる。だから、張政がやってきて調停することになる。
邪馬台国が畿内にあり、九州まで支配する大連合ならば、このようなことは
考えにくい。そう考えるのが普通。
まあ、畿内説は、狗奴国とは戦争していなかったなどと言い逃れるだろうが。
50000〜70000戸もの国があるから規模なんてピンきり。 それは現代と変わらない事でしょう。
530 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:14:42
>>528 大和王権は、平安時代も東北のエミシに苦戦してましたよ。
531 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:15:59
>>530 弥生末期にも東北の蝦夷に苦戦していたのか?
邪馬台国の時代の話だぞ。
532 :
のんびりひまじん :2009/11/24(火) 01:17:03
>>519 山尾幸久さんの『魏志倭人伝』(講談社現代新書)1983年に出ていたと記憶します。
この儀式に参列した倭使が見覚えて帰って、前方後円墳の起源になったであろうと言いたかったらしい。
が、このタイミングでは、卑弥呼の墓には間に合わない。
533 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:18:57
>>530 でも、よその国に行って、戦っているから何とかして欲しいなどと言って
恥を晒したりはしないだろう。
帯方郡の太守・王頎は、わざわざ都に行って伺いを立てている。援軍を要請したから
と言われる。でも、援軍は来なかった。代わりに黄幢を持った張政がやってきた。
534 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:18:58
>>531 卑弥呼の居た頃は、オオヒコが越で戦っていた頃ですよ。
536 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:25:36
崇神と卑弥呼が一致したことって大きいね。
537 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:26:21
縄文時代の環状列石(ストーンサークル)遺跡である秋田県の大湯環状列石では、 二箇所の環状列石の中に立つ「日時計」と呼ばれる立石と環状列石を結んだ線が 、夏至の太陽の日没線と一致することが指摘されています。 また、吉野ヶ里遺跡の北内郭はその中軸線が夏至の日出、冬至の日入と一致します 主祭殿の中軸線は北墳丘墓と南祭壇を結んだ線と一致することが確認されています。 祖霊の象徴である北墳丘墓と、太陽の運行に関連する夏至と冬至の線が交わる場所が北内郭です そして新天皇が天皇霊を継承して即位する大嘗祭は、旧暦の冬至の頃に行なわれます
538 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:26:49
オオヒコのことを考えれば、 自動的にクナ国は毛野国になるよな。
539 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:27:23
>>534 女王がオオヒコを越に使わしたという史書があるの?
540 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:29:41
>>539 越にオオヒコを派遣したのは崇神天皇だが、
崇神天皇の時代にモモソヒメ=卑弥呼がいる。
>>519 並圜丘方丘于南北郊,二至之祀合於二郊。
円丘方丘を南北郊に併せ、二至(冬至と夏至)の祀りを二郊に合わす。
郊祀のこと。前漢末にできあがった天地の祭祀。
魏の明帝のとき二丘二郊に分けたのを
晋の武帝のとき再び合わせた。
こいつを台与の使者は見たかも知れないな。
543 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:31:27
>>539 逆に聞く、倭国大乱を平定したのはどの政権だ。
544 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:31:58
崇神天皇と卑弥呼の時代が一致するとしたら、崇神天皇より前の天皇たちは どこに住んでいた? 畿内説によると、纏向は、卑弥呼が女王になった頃に出来たと言われるのだが。 また、九州説にすれば、纏向は、卑弥呼時代のずっと後にできたことになる。
545 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:34:39
546 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:35:51
>>544 崇神天皇より前の天皇たち?
橿原とか黒田とか磯城とか、いろいろ天皇の宮はあるけど?
547 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:36:19
>>532 卑弥呼の墓は円墳もしくは方墳って事になるんですね?
548 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:40:08
>>546 卑弥呼の時代は、2世紀の終わり頃から3世紀の中頃まで。
それより前の遺跡は、大和には唐古・鍵遺跡しかない。
掘って掘って堀まくって、何も出てこず、畿内説の考古学者からも見捨てられた
唐古・鍵遺跡しかないな。
>>528 張政が調停しに来たって・・・想像だろ?
郷里制のこともカン違いしてるようだし。
550 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:44:17
ちょっとスレチの質問。 弥生時代の人口の分布の推定だけど 甕棺文化の残ってる九州北部が過剰に 上乗せ計算されてる可能性って補正されてる んですか?
>>543 ほっとけよ。
乃共立一女子為王 とある。
平定、なんかないんだよ。
552 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:49:48
>>544 それまでの欠史8代の天皇の多くが、葛城山の麓にその皇宮を構えているのに対し、この天皇は初めて三輪の地にその足跡を残す。三輪王朝発祥の祖といわれる所以だ。
地元の豪族を欠史八代としてすり替えてるようです。
553 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:52:03
葛城山の麓にその皇宮を構えている=土蜘蛛
554 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:57:31
>>552 唐古・鍵遺跡があるってのに、バカなの?
孝霊天皇の宮があったところだよ?
555 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 01:57:49
崇神以降は記紀と比定地は一致するのに、 なぜ、それ以前は一致しないのか、または見つからないのか? 誰かおすえて。
欠史8代の王って出雲にあるような四隅突出墳ではないんだよな。 だったら一つくらい見つかってもいいよな。
557 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:04:35
>>555 説明はできるが、君は理解できないだろう。
558 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:05:04
孝霊天皇 別名 大日本根子彦太瓊尊 大倭根子日子賦斗邇命 出生 紀元前342年 死去 紀元前215年3月27日 陵墓 片丘馬坂陵 后 倭迹迹日百襲媛命
560 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:06:24
崇神天皇在位 紀元前97年2月17日 - 紀元前29年1月9日
561 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:09:01
>>559 1行で説明するなら
葛城王朝から三輪王朝になったってことだよ。
ちゃんと説明するなら本が1冊書ける。
562 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:10:35
崇神天皇陵は考古学上いつ頃のものかを置き換えると 日本神話は崩れてしまう。
563 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:12:10
葛城王朝とか三輪王朝とかって、 もちろん、たとえ話だけどね。 小学生に、電気が流れるしくみを教えろって言っても、 便宜上、プラスからマイナスに流れるとしか教えられないでしょ。
564 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:19:11
だからモモソ姫は卑弥呼じゃねーって
565 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 02:22:59
畿内説って面白いね 魏志倭人伝などの中国の文献はデタラメだの大げさだの言うくせに 記紀は頑なに信じるんだw よくわかんない人たちだ
567 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 03:17:26
>>555 そもそも崇神天皇の時代と卑弥呼の時代を同じとする仮定そのものが間違っているから。
畿内説は自己矛盾の塊だな。
568 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 03:21:24
それがね、 崇神天皇を3世紀に実在したとすると 面白い事になるんだよw 九州説支持者だけど
>>566 卑弥呼と同時代と思われる古墳などがでてるよね?
記紀を信じるってか、誇張された時代や逸話、政治的意図などを読みといていけば
当時の貴重な資料になることは確かだと思うんだけど。
そしたら魏志倭人伝と照らし合わせていける。
あなたは畿内説はみんな天孫降臨を実話だと思ってるとでも?
570 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 03:46:53
>>568 なに、なにその思わせぶりな負け惜しみw
571 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 04:38:20
天孫降臨は実話ではないが 欠史八代は実話だと思ってる これを否定する畿内説は九州説以上にありえないね 東遷説ほどじゃないが
572 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 05:38:52
今まで辻褄合わせをどれだけしてきて歴史を間違った方向へミスリードしてきたのかよくわかりました。
当時魏に使者を送り、倭王の称号と援軍を求めたのが事実なら、 そこまで邪馬台国を追い詰めてた狗奴国の存在を無視してはいかんよな 畿内説はそこをハッキリしてほしい
574 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 06:29:21
>>517 「倭人が方と円を合して、冬至と夏至を祭った」
ということを「その時代」に書いているという事実とどう関係があるの?
ごまかさないように。
575 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 06:35:58
>>573 邪馬台国が九州の連合国家で魏に使者を送っていたとしよう。
じゃあなぜ畿内を中心とした広大な版図(遺跡の発掘状況から推定される文化圏)の大和中心の勢力のことが
魏志倭人伝に載っていないのか。出雲、吉備、近江、東四国に跨る強大な文化圏を黒歯国や裸国のようなものと思ってたのか?
九州説はそこをハッキリしてほしい。
畿内説は狗奴国をシカトしてない。
少なくとも俺は濃尾平野あたりの勢力だと思っている。
577 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 06:48:17
九州説ってほんとなくなっちゃったのな。
>>576 そこなんだよな
九州説は同時期の畿内勢力をどう解釈するか
畿内説は狗奴国をどう解釈するか
おもしれぇ
当時の連合国家観ってどうだったんだろうな。想像するしかないんだろうけど
579 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 07:23:29
前「方」後「円」墳
580 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 07:40:03
普通に「やまと」と呼ばれて権力の中心地は当て字が複数あれど、 近畿なんだから何の議論の余地もないんだけどな。 いつまで本居宣長にひっぱられてんだ。
>>576 たしかに。てか狗奴国よりそっちのほうがよっぽど脅威だしね。
俺が九州王朝なら魏に「東にもっとやばいのがいるんでコワイっす」とか言ってるかもしれないしな。
あと、九州説論者にもよるけど、中には畿内まで九州邪馬台国の領土だったとか連合してるとか言い出すやつもいたなあ。。
地雷踏みまくりだよね。そこまでわかってるなら「ずっと東まで支配国(もしくは同盟国)があって、けっこうヤバいんすよ」とか魏に伝えてるだろうし。
>>581 そこまで行くと畿内説と大差なくなるしね。俺はその延長で九州説から転向したし。
今は四国、岡山勢力が奈良に勢力拡大した状態が
倭人伝に記述された時の状態だと思ってる。
で、出雲の姫が巻向に君臨している。
583 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 08:06:58
>>573 武埴安彦
>>576 詳しいことが載ってなくても不思議じゃないと思うが
倭種ありとは書かれてるし
>>583 >>576 ではありませんが、個人的に思うのはもっと大陸との往来があったはずなので
その巨大な政権を魏という当時の先進国が知らないってのはどうも納得できませんね。
「情報が少ない時代」って先入観を取っ払ってもいいのではないでしょうか。
別に逆説的に「情報が盛んだった」という意味でもありませんが。
魏など、もと三国志の戦乱で情報の大切さは承知だと思いますし…。
585 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 08:53:29
>>576 ハッキリさせてもシカトしているだけだろう。
>>584 情報が必要なのと、その情報が正確であったというのは別問題。
587 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:04:05
>>574 あんた馬鹿ぁ?
都合のいいように解釈しないようにwww
588 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:06:03
>>576 書いていないのではなく、書く必要がないから書かない。
魏王朝の正式な外交相手地域だけが、晋王朝にとって必要事項だから
魏皇帝の預かり知らぬものまで禅譲することはない。
>>586 正確じゃないのと、まったく情報を得ていない、もしくは得ようとしていないのもまた別問題だと思いますけどね。
大体倭人伝からは邪馬台国が遠方としか解釈出来ないしな。 12000里?あれは女王国までの距離だし。
591 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:15:31
>>588 はああああああ??wwww
東夷伝以外の読んだことある?
全部正式な外交相手のことにしか言及してないって?
すごい決め付けだな。資料を読まない妄想厨の九州論者の悪いくせだ。
てか九州論者は相手にしてほしくて必死だなwwww
もうね、ごめん。世間じゃおたくらの妄想はもう無理なの。
わかるよね?だから身内だけで仲良くやってくれ。
古田先生にでも話相手になってもらってくれ。
>>588 >書いていないのではなく、書く必要がないから書かない。
>魏王朝の正式な外交相手地域だけが、晋王朝にとって必要事項だから
>魏皇帝の預かり知らぬものまで禅譲することはない。
意味不明な黒歯国やら裸国やらは書く必要があって
絶対的存在の大和の勢力は書く必要がない?
おまえ常識で考えろよ。
なんか利権でも絡んでんのか?
どう考えても地雷踏んでんだろ。
593 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:35:06
594 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:36:58
>>591-592 お前らの態度でわかるように、議論しようとする態度ではない。
最初から攻撃的な態度の議論なんて何処の世界にある?
畿内説者ってこんな奴らばかりなんだろう。
お里が知れてる奴らしかいないのか。
こんな態度じゃ、荒らされてもしかたない。
俺は降りるよ。
>>594 そりゃ反論なんてできないから降りるしかないよな。
妄想、決め付け、論点すり替え、逃走
おまえらの得意なことは俺からしたら「こんな奴らしかいない」になる。
妄言でも優しくかまってくれる場所にいけ。
そんでもうここには来るなよな。
これは酷い。同じ畿内説を論じる者として恥ずかしい。
倭人伝で東西と南北を間違ったとして 倭人の住む地域=大倭、で 北から 伊都 ↓ 邪馬台国 ↓ 狗奴国 ↓ 黒歯、裸 と考えりゃいいんじゃね? で伊都〜邪馬台までが倭、と まぁマキムクであれだけ東西線がどーとか言ってるのに方角90度ズレるってのも不思議だが。
599 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 09:54:52
>>597 残念だが的外れだ。
学問上の意見の違いだけで初っ端からあの対応、どう考えても
非がどちらにあるかは明白だから書き込んだまでだ。
彼等と同じに見られたくないから、私もこのような乱暴なスレッドへの書き込みは暫く自粛する事にする。
>>600 また自演って言われそうだけど、俺も貴方の意見に賛成
>>576 俺が聞いた話では、魏に親しい邪馬台国30カ国と、呉に親しい大和朝廷配下90カ国とが対立していて、
魏としては、呉に親しいものはすべて無視するという方針だったらしい。
だから、魏志には南方諸民族の記載は一切ないし、呉志が散逸しているせいでこの時代の南方はどこも欠史になっている。
狗奴国があれだけ強いのも、大和朝廷の援助があったからだが、そういう理由で魏志には書けなかったらしい。
しかし日本の古事記をみれば、天孫が笠沙の岬の勢力と協力して「からくに」を討つために高千穂に降臨したことが書かれている。
603 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:10:42
俺も畿内説よりだが 以前から一部の畿内説派の 乱暴なレスはちょっと引くわ 見てて気分が悪くなるだけなんで たかが2chのスレで何でそこまでむきになるんだか
606 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:18:49
>>532 新版の前書きで取り消しているかも知れないよ。ちょっと記憶があいまいだが。
607 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:24:48
>>576 本州が倭国ではなかったからだね。倭人伝は倭国のことを書いているんだ。倭人全不の
ことを書いているわけではない。
倭国の植民地ともいうべき奥地のことは詳説する必要はないと判断したんだろう。
609 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:29:26
>>603 カレらにしたら2ちゃんはたかがではなく
生活そのものだからじゃない?
だから世間の常識なんて通用しない。
>>607 九州王朝(笑)こういうやつが九州説にいるからうさんくさい
611 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:39:32
>>502 大陸では数年の間に日食が何度も起こってて
その度に王が死んでる?
大陸の文化なのかねぇ・・・
俺も叩かれるのは嫌だけど、
>>588 が言うように
詳しく書く必要がないから書かないと思う。
613 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 10:59:03
>「倭人が方と円を合して、冬至と夏至を祭った」 これは酷いwww
614 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:00:14
ってか九州説スレは他にあるんだからそっちいけばいいんじゃね? なんでわざわざ荒らすようなマネするんだろ 九州説なんて学会じゃまともに扱われるレベルじゃねーんだから仕方ないべ
スルーも何も傍国で本州の事書いてるしな。 山城、播磨、吉備、穴戸、奴国と瀬戸内は順番もピッタリ。
617 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:12:36
駄目だこりゃw 中学生がまざってるな
>>611 卑弥呼の時代に2年続けて日食があったことは確か。
>>613 中学生がこんなところでさぼってちゃだめ
620 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:14:08
のちに言う 「スルーでぉk?」 である。
621 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:18:20
>>576 文化権があっても統一した政治勢力は無かったので
脅威は感じられなかったのでしょう。
軍事的には鉄の材料を朝鮮半島に求めていた時代なので
兵器の量からも問題にしていなかったと考える。
宇佐が女王国の境界線で瀬戸内沿岸諸国が主勢力だろう。 で、その連中が東へ進んで邪馬台国はやはり畿内。 巻向は旧出雲族との境界で、国譲りに際して出雲族の姫である モモソを卑弥呼として立てた場所だな。 これは出雲大神宮の伝承とも一致している事だろう。
623 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:24:21
>>576 上で何人かが書いているが、ほぼ同意見。
魏の国にとっては、倭の中でチマチマした戦いなんてはっきり言って関心がなかっただけのことなんだと思う。
自分たちは、大陸で呉や蜀と覇権を争っている。
その中で遠い島国で、味方にも敵にもならんような国のことにいちいち強い関心を持つはずがなかろう。
邪馬台国が使者を送ってきたので、ちょっと国情視察に行ってみた、その程度だろう。
まぁどちらにして邪馬台国は北部九州にはない。 あるのは伊都国だから。邪馬台国は遠いのは確実。 だから行程が倭人の伝聞情報で大雑把な訳だから。
貨銭の流れ、丹波の鉄とガラス、畿内の丹の存在。 全て本州志向なのは証明されてるしな。
626 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:46:57
>>618 で?っていう。
それが晋書と何の関係があるの?あるの?
もしかして晋書って倭の事書いてるって思ってるのー?
この当時、 半島南部ー北部九州 南部九州 瀬戸内海 日本海 畿内 濃尾 といくつかの政治圏が存在してて、文化的交流を行いつつ それぞれがある程度の政治的独立性を持っていたのでは? 後世でも吉備やクマソ、磐井や継体とか色々あるわけだし 邪馬台国の所在地も気になるが、そこら辺のパワーバランスが知りたいな
628 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:49:51
モモソ=卑弥呼ってなっちゃうと 日本神話(天孫降臨)は崩壊しちゃうのな。 連続性がなくなるから。
248年の日食は北陸日本海側だったんだろ? モモソが丹波出身の日の巫女ならやっぱり責任とらされたかもな。
630 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:53:49
欠史八代でうやむやにできたことが、 モモソが登場した事で 欠史八代を否定した事になる。
631 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 11:54:32
>>624 伝聞だから大雑把なわけではない。分かりやすい行程だから簡単に書いているんだよ。
使者が邪馬台国へ行っていないはずはないよ。
632 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:02:24
これどういう意味? 170:日本@名無史さん :2009/11/24(火) 03:16:59 じゃあ、ちょっと疑問点。 近畿の人は 大和=おおやまと って読めるのは知ってるのに そこには絶対触れないよね 何でだろw
633 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:02:29
>>593 その地図を見ると
日本列島を
90度時計回りに回転させれば
魏志倭人伝の言う陸地にある邪馬台国にたどり着くか
>>631 しかし随書に倭人は里を知らないと記述されてるからな。
636 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:18:12
倭→大倭→大和 大和でヤマトと呼ぶようになったのは、かなり後の時代だね 邪馬台国論争に関係ねえw
637 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:18:49
639 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:25:34
魏志倭人伝の指し示す邪馬台国は 方角が正しければ海の上 方角が誤ってれば畿内 で、九州説って何?
>>636 >大和でヤマトと呼ぶようになったのは、かなり後の時代だね
wiki書き換えてこいよw 大先生
元々は大和王朝の本拠地である奈良盆地の東南地域が、大和(やまと)と呼称されていた。
その後、大和王朝が奈良盆地一帯や河内方面までを支配するようになると、その地域(後の
近畿・畿内)もまた大和とよばれるようになった。さらに支配・制圧が日本列島の大半(東北地
方南部から九州南部まで)にまで及ぶに至り、それらを総称して大和と呼ばれるようになった。
元々は山人じゃないか? 対義ははえ人南人隼人=海
643 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:42:14
>>636 おおやまとっていうのはいつ頃から?>大先生
644 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:47:22
>>640 元々って何時の話しで、wikiのソースはいったいなんなんだ?
645 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:48:38
>>641 晋書によると4〜5回起こっるね
倭国じゃないから関係ないけど。
その度に争い事が起きてる。
大陸の文化なんだねぇ・・・
646 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:51:44
>>639 里数と日数を続けて読むから
海の上とか方角が誤とか矛盾が生まれる
同じ行程を里数と日数で2度説明していると読めば
北部九州説となり何の矛盾も無い。
【日本国家の成立】 【日本民族の統一】 @神武朝(神話) A崇神朝(ヤマト:マキムク) B応神仁徳朝(筑紫朝) C顕宗仁賢朝(播磨朝 D継体欽明朝(越近江朝) 【天智・天武】律令体制 【聖武】平城京 【桓武】平安京 **【幕府体制】 【明治】維新近代化 【現在】125代今上 (各王朝内は「男系」で繋がり各王朝間は実質「女系」で維持。王朝内に女帝は置かれたが女系は認められなかった)
648 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 12:58:54
>>646 コテ付けたり名無しになったりと
大変な事だな。
>>646 結局、曲解しなきゃ九州にならんのな。。。
それ以前に古田さん(藁)の里数ってあやしげだなぁ
650 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:02:57
そもそも邪馬台国の時代に日本に漢字なんてねえよ ヤマトは「ヤマト」と呼ぶだけで 倭は中国が勝手につけた名前だよ それを後に日本も「ヤマト」のあて字として「倭」を使っただけ
651 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:03:28
>>592 >絶対的存在の大和の勢力
その認識がそもそも間違っている。
弥生後期の畿内は後進地。大陸との交流の痕跡はほとんど見られない。
国力の目安となる鉄の絶対量が少ない。しかも、その利用技術は稚拙。
もともと畿内説は自生説を取っていた。
大和朝廷は、大和で生まれ、その前身が邪馬台国と言うわけ。
その期待をこめて掘られ続けたのが、唐古・鍵遺跡。
でも、何も出てこない。根拠なしに纏向を邪馬台国だと言い張る畿内説の
考古学者でさえ、あきらめざるを得ないような状況だった。
だから、連合説なんていうのが出てきた。各地の勢力が大和に集まって
卑弥呼を共立したなんていう説。そんな仮説を立てなくてはならないほど
畿内のあるいは大和の状況はひどかった。
邪馬台国が九州にあったとすれば、畿内はほとんど無視されてしかるべき
存在だったと言える。
652 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:08:07
邪馬台国の名も 日本側が「ヤマト、ヤマト」と言うから 中国側がそこからつけたあて字だな
>>651 いくらでも大陸との交流の痕跡見つかってるけど?
655 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:12:35
>>639 >>646 里数と日数を続けて読むから、海の上とかいうことになる。
放射式に読めば、九州内部で何の矛盾も無い。
同じ行程を里数と日数で二度説明ってのはおかしいな。
放射式(笑)
657 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:17:00
>>653 何があったかな? 銅鐸は大陸にはないよ。貨泉なんてのは朝鮮半島から入ってきた
だけだろう。大陸に直接結びつくような痕跡は見あたらないね。
658 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:18:11
反論ができず、笑ってごまかすしかないのかな。
659 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:30:33
で、九州だけで100余国も国があったのかw その南にも対立する国があってw
660 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:34:37
畿内説は矛盾が多い。 考古学者は、各地の勢力が大和に集まり卑弥呼を共立し、新しい都すなわち 纏向を築いたと言う。 一方で、文献派は、卑弥呼と崇神天皇が同じ時代だと言う。これを取ると、 大和で崇神天皇以前の歴代天皇が暮らしていたことになる。 大和の歴史観が大きく食い違う。整合性が見つからない。
神功皇后のことだろ。 「卑彌呼」は、「姫皇子」(女の王様)か、「日の巫女」(天照大神の祭祀を行う巫女)だ。 邪馬台国は、大和国。九州説は香椎行宮だ。 「年已長大無夫壻」は仲哀天皇の崩御の後長く政務を行ったこと。 「有男弟佐治國」は、大臣・武内宿禰。 同じように筑紫に下り新羅攻を指揮したのに領地を失った女帝・斉明天皇へのあてつけが、 ちょっとあるかもしれん。
662 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 13:35:55
旧百余国だからね。もとは郡とか村とか程度の国がたくさんあったんだろう。 三世紀にはそれが三十カ国に統合されていたということだな。 南の狗奴国って大した国ではないんだよ。官だって1人しか書いてない、戸数道里 も書いてないよな。単なる旁国の一つだ。
>>651 >邪馬台国が九州にあったとすれば、畿内はほとんど無視されてしかるべき
存在だったと言える。
つまり文献、出土品、遺跡でも畿内は無視出来ないから
邪馬台国は九州に無いって事ですよw
>>657 丹波のガラスは中国からとされてるけど。
しかも鉄も弥生後期には北部九州以上だし。
これらは九州経由だというなら、その時点で
大半の九州説の主張も崩壊です。
鉄が重要なら関連の薄い小国には回さないし。
>>651 おまえのギミックはそこにだけ着目して他をシカトする
それでおk?
てか遺跡の出土地の分布図を見てみなよ。
どことどこが連帯してたかわかるから。
666 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:14:30
>>604 悪意があるかどうかより
「議論しようとする態度ではない」とか言ってるやつが
この畿内説の巣窟で根拠の無い持論をあたかも史実のように決め付けてレスする。
で、反論できないと相手を悪として逃げる。
なんだこれ。そっちのほうが最初っから議論する気がないじゃないか。
嫌なら九州論者のスレに戻ればいいだけの話。
互いに不安定な部分はあるんだし、九州、畿内互いに議論を交わせばいいだろ。
あえてここで相手に持論を押し付けるから叩かれるんだ。
ここで議論したいならせめて「こういう意見もあるんだけど、そっちの説の考えではどうかな」みたいに聞かないと。
今更叩くだのなんだの、この手のスレはいつものことだし。
だから九州説は分けたんじゃないのか?
667 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:18:24
あれ、ここは畿内説の巣窟なのか? 畿内説は荒らしかと思ったが。
668 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:20:17
>>656 放射式の様な分かり難い説明はないと思うよ。
連続読みも里数、日数と単位が途中で変わって分かり難い。
同じ行程を里数と日数で二度説明していると考えるのが一番目的地が分かり易い。
669 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:20:51
672 :
サガミハラハラ :2009/11/24(火) 14:27:42
>>668 現代の我々でも、路を教えるときに、距離的なことの後に、時間を付け加えることが
ありますね。
>>669 弥生後期に限れば圧倒的とはいえないでしょ?
出雲や丹波の鉄は最近注目され始めたばかりだからね。
丹波は畿内への鉄の供給ルートの可能性が高いのだから、
当然注目します。逆に九州説だはこの地方の説明で
マトモな解釈を今まで聞いたこともないしね。
その鉄の出土の仕方等を調べるうちに、俺は
九州説から畿内説へ転換したし。
674 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:34:35
>>674 例えば垣内遺跡のようにごく最近になって発見されたりしてるからね。
特に山陰なんてまだまだ何が出るかわからんでしょ?
676 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:43:18
>>669 出土した数じゃなくて、
製鐵した場所が問題なんだよね。
それとその年代ね。
熊本には鉱脈があるから不思議じゃないんだよね。
橿原なんかには
各地から銅鐸が集められて、
土器を各地にばらまいたって説があるくらいだし。
鉱脈無いのに不自然に物だけは集まるw
動かない証拠が大事だと思う。
大事な所なんでもう一度、
橿原なんかには
各地から銅鐸が集められて、
土器を各地にばらまいたって説があるくらいだし。
677 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:47:54
>>675 それは九州も同じ。遺跡が調査されると大量に出てくる。
絶対量が違う。
678 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:54:17
>>660 祟神天皇以前の天皇稜も近畿に集中してるのかな?
>>677 山陰の方がはるかに未開だという事を忘れてるね。
680 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 14:59:37
例えば、熊本の西弥護免遺跡が調査されたときに出てきた鉄器は、それまで 日本全土で発掘された鉄器の数をしのぐ量だった。 阿蘇にはたくさんの鍛冶遺跡があるが、小野原遺跡だけでも1200点出ている。 阿蘇以外でも、第一級の鍛冶遺跡がたくさんある。 普通の集落遺跡からでも大量の鉄器が出てくるのは当たり前の状態。 一方で、奈良県から出土した鉄器は全部でたったの13点。
681 :
ローガン :2009/11/24(火) 15:01:49
>>672 >現代の我々でも、路を教えるときに、距離的なことの後に、時間を付け加えることがありますね。
先生。という事は邪馬台国への道程は「教えて貰ったもの」と解釈されるんですか?
>>677 別に北部九州から鉄器が出土するのは何の疑問もないですよ。
半島、大陸に近いのだから当然の事です。
倭人伝にも代々王がいると書かれてますし、
栄えていたピークが早いのだから。
それに大して倭人伝の邪馬台国は、西日本や東国他が
一部九州勢力や丹波等と組んで、徐々に力を
つけて来た状態の事を書かれているのだと思うけどね。
畿内説は基本この考え方でしょう。
>>680 でも奈良南部には一番規模の大きい水銀鉱山があるからね。
弥生時代の鉄器出土率が九州に次いで多い香川は何で無視なの? その文化圏はどこだったの?大学んとき見た徳島香川の古墳時代の文化圏は全部近畿よりですけど、、 俺、地元関東だから九州でも畿内でもなんでもいいんだけど不思議でさ。 古代ってなにがあったの?スレのえろい人、専門の人も多いなら詳しいの教えてよ! 記紀と魏志倭人伝、ぜんぶ意味わかんねえ だいたい卑弥呼なんて名前あるわけねえし、九州に王朝?それも意味わからん。 おまえら得意だろ推理とか。なんとかそれらしい答えだしてください。 なんかこれ関係のスレばっか立っててもよくわからん。 とりあえず初心者の俺からすると以下疑問です @卑弥呼 これ中国語なの?むかしってもっと長い名前じゃなかったけ?日本人? A邪馬台国 ヤマトじゃないの?ヤマタイってこじつけっぽくね? B魏志倭人伝 これ記紀とどっちが信じれるの?他の「〜伝」とかあってるの?距離感とか。 C刺青とか漁業ってそれ沖縄ってか江南じゃね? Dトヨだかイヨだかわかんないけど、おまえらぶっちゃけ卑弥呼とどっちが萌えるの? E天皇っていきなし九州から来てなんであんないきなし強くなったの?平定とかすごすぎない? うまいことやった経緯を三行で知りたいです たのむぜ優しいエロい人!!!!!
685 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:17:24
>>682 問題はその時期ですね。
3世紀にはまだ畿内が九州を上回るのは早すぎると思うんですよ。
>>684 @昔の中国語は正直今と違うかわからん。
Aすまん、それも今は謎すぎる。
B2つを以って整合する考えもあるし、九州論者は独自の展開。他の伝とそこまで距離感おかしくないけど、おかしいのもある。
Cたぶん使節が来た九州の風俗。近畿はまた別物だった。
D俺は卑弥呼。名前が萌える。
Eごめん三行で考えようとしても無理。たぶん「いきなし強く」はなってない。
D以外は中途半端だけどこれ以上言うと、「〜論者」と呼ばれてしまうのだ。
>>685 俺はそう思いませんね。高地性集落の時期や
垣内遺跡の年代からすると。
やっぱりこれが倭国大乱の痕跡だと思いますから。
北部九州とは違う鉄の供給源、山陰諸国と、鉄が欲しくて
たまらなかった東海、畿内、瀬戸内東部が結託したのだと
思います。
688 :
ローガン :2009/11/24(火) 15:33:45
>>573 >そこまで邪馬台国を追い詰めてた狗奴国の存在を無視してはいかんよな
> 畿内説はそこをハッキリしてほしい
狗奴国と戦争してたなんて書いてないし。張政等が来たのは六年の詔に拠るものですよ。
詔は相攻撃の状の訴え以前に出されたもの。だいいち、張政等が来倭時にとった行動に「調停」や「援軍」と読める記述ないでしょ。どう解決したかも書いてないし。
東海の狗奴国との戦争なんてなかったんですよ。 まあ、共立に参加しなかったのは、倭王の覇権を競ったかもね。
80年の調査で見つかった搬入土器、圧倒的に東海が多い。
しかし02年の箸墓付近の調査ででた布留期の土器では播磨、讃岐、吉備よりはるかに少ない。
マキムク造営には積極的に参加したものの、盟主になれなかった。ゆえ、その後の運営については外様。
>>685 なんでですか?
初期の古墳や出土品はやまほど出ておりますけど。
けど最近のは知らないので、何かすごい遺跡が九州で出たのでしょうか?
690 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:36:49
>>687 東海、畿内、瀬戸内東部が結託とはどのようなものでしょう?
統一されたと考えているのでしょうか?
それとも同盟?
691 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:39:47
>>684 ゆっくり自分で勉強したほうがいいんじゃないかな。
@だけ答えてみると、その頃の倭人が、あちらの人に我々の女王は○○だ、と
言ったんだろう。なるほど○○か、文字にすると卑弥呼がいいだろうな。
という具合だったんじゃなかろうか。
例えば、アメリカ人がAmericaと言った。それを聴いた日本人が亜米利加と
漢字で書いた、という具合かな。
ただ、卑弥呼は名前でない可能性が高いかもしれない。日本では目上の人を
あんまり名前では呼ばないから。
江戸時代に徳川家康を呼ぶときは、大御所様とか、後の時代だったら
東照権現様とか言うのが普通だから。
そういう意味じゃ、卑弥呼は「日の御子」とかじゃなかったのかな。
692 :
ローガン :2009/11/24(火) 15:41:38
>>680 > 一方で、奈良県から出土した鉄器は全部でたったの13点。
? その出典は何ですか?
>>690 >>687 さんではありませんが、
考古学的にいいますと、
瀬戸内東部、阿波、山陰東部、近江、伊勢西部は
出土品の関連性が深い。(すごくざっくばらんですけど)
同盟…といいますか連合王国…のようなものだったかと。
694 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:44:46
>>684 過去の文献って、信じるとか信じないの世界じゃなく、
書かれた内容が、後世に伝えられた。
そういうものです。その真偽を問うのは歴史を知る事とは別な世界のお話です。
695 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:46:26
>>688 相攻撃する状・・・って、これ戦争じゃんか。
どうひねくれて読んだら、戦争してないって、へんちくりんな解釈になるのよ。
>>690 統一までには至らない、卑弥呼(畿内説前提なので)が
死んでまた揉めるわけですから。あくまで連合でしょう。
後に紆余曲折しながら大和朝廷に至るのだと思います。
698 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:52:00
単なるいざこざもあるからね。
699 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 15:59:08
3世紀の日本で東海、畿内、瀬戸内東部までの広域同盟なんて 可能だったのかな? これだけの広さになると文字を使える官僚機構が必要じゃないかな。 同盟結ぶにしても文字が使えないと口約束しか出来ないし・・・???
>>688 は真面目だから河童の妖術にたぶらかされたんだろう。
>>686 「論者」ってどういう感覚でしょうか。
南北朝のどっち派みたいな正統論みたいなことですか?
けどなんかCについては納得しました。あとは正直よくわからないだらけですね。。
>>691 家康の外交文書においての名乗りは「源家康」で「大御所様」とかは臣下の儀礼であり、そこは違うもではないかと。。
つまり「日の御子様」と仮に読んでらしたにせよ、外交文書でそれってありえるのでしょうか?
武田信玄を「オヤカタサマ」として外交文書にするようなものでは…?
すいません時代全然違いますど。。
>>699 それは九州、畿内説問わずに言える事でしょ。
大体それより昔でも遠距離で交易してるのだから、
コミュニケーションは取れなきゃ変です。
704 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:08:51
>>696 戦争してるにしてはおかしいと思わないのかな。卑弥呼→男王→内乱→台与
となるが、その内乱のときに狗奴国が暴れたという話はない。
邪馬台国と狗奴国が戦争していたにしては千載一遇のチャンスだったはずだが。
705 :
ローガン :2009/11/24(火) 16:13:37
>>695 ですから、張政等の来倭目的が「紛争解決」では無いという事です。現に行方については何も書いていない。
張政等は相攻撃の訴え以前の、六年の詔に従って黄幢を持参して檄を為しただけですよ。
旗を下賜すると云う行為は、味方として出陣せよという意味でしょう。又、檄も同意。魏はその時、韓で戦っています。
戦死による太守交替で詔の施行が遅れ、その間に新太守に対し、倭国内のゴタゴタを理由に、出兵出来ない言い訳としたと思います。
>>699 政略結婚で血縁関係ができれば、広域同盟も可能なんじゃない。
707 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:21:02
>>703 北部九州程度なら2〜3日で各地の首長が集まれますが、
東海、畿内、瀬戸内東部となると1週間くらいは掛かるでしょう、
簡単には会合出来ませんよね。
ある程度以上の大きさの国は文字での意思の疎通が必要だと思います。
708 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:26:41
>>706 血縁による同盟も考えられますが
頻繁に会わないと代を重ねると疎遠になり直ぐに分裂してしまいます。
卑弥呼は未婚であり子もないので血縁同盟は?
>>707 おまえ肝心なことはスルーだな。
なんでこのスレ来たの?
俺は少なくとも畿内に九州より矛盾があればそっちにつく。
このスレで問われてることぐらい答えてくれよ。
それぐらいいいだろ?自演厨さん。
710 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:34:38
711 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:37:08
>>699 の言ってる「広域同盟」の定義がわからんから答えられないよ。
712 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:45:05
>>711 畿内説の立場に立てば畿内は九州まの西日本を
何らかの方法で支配したか同盟によって纏めていたことになる。
この方法。
713 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:48:52
>>684 香川は少し待ってなさいよw
奈良に都ができた理由に、ちゃんと接点があるよ。
714 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:51:38
九州の勢力圏が極めて小さいのは明らか。 香川とか地名みてみ、八幡か出雲系の地名ばっかりだろ。 八幡、宇佐って基本九州じゃないんだぜ。 知ってた?
715 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 16:56:35
九州の勢力圏は博多、唐津、久留米、鳥栖、佐賀、菊池、熊本 東だと飯塚、日田あたり。 南だと八代、薩摩、大隅、種子島。 九州住んでると分かるけど同系統の神社とか地名、方言が分布してるから 同一文化圏なんだなって感覚で分かる。 逆に宗像、宇佐あたりになると瀬戸内風になってきて山口とか香川とか 完全に九州とは孤絶した地域なのは明らか。
716 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 17:05:34
717 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 17:08:38
>>716 ppp
いや、感覚的なもんだからな、でも感覚って大事なんだぜppp
>>699 古代は人そのものが少ないから、それが可能。
首長どうし、連絡どうし、みんな顔見知りのような状態で、
且つ、首長は配下の村長クラスの中ボスはみんな顔見知り、
中ボスは村民とみんな顔見知りというふうに。
面積としての広さよりも、相手をする人の数が顔見知りの
範囲に収まるかどうかが効いてくる。
720 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 17:22:12
>>684 香川県は話題のモモソ姫が娘時代にいたそうで
神社に名前残してるしょ?
最近やったらスレを回そうとする自演厨が 潜り込んでいないか? しかも内容は幼稚そのもので。
>>721 おれかwwww
>>684 >@卑弥呼 これ中国語なの?むかしってもっと長い名前じゃなかったけ?日本人?
ひみこかひみこの当て字でしょう。人々が呼んだ敬称でしょう。「姫!」とか「殿!」みたいな
>A邪馬台国 ヤマトじゃないの?ヤマタイってこじつけっぽくね?
ヤマタイと読むと言い出したのは本居宣長です。それ以外はヤマト
>B魏志倭人伝 これ記紀とどっちが信じれるの?他の「〜伝」とかあってるの?距離感とか。
いずれにしろ、発掘や他の史料と照らし合わせなければ事実は見えてきません.
>C刺青とか漁業ってそれ沖縄ってか江南じゃね?
いれずみは土偶なんか見ると結構全国から入れ墨したっぽいのでてきますね。
黥面はアイヌもしていますし。つーか今の私たちの感覚で古代人を見てはいけないと思います
Dトヨだかイヨだかわかんないけど、おまえらぶっちゃけ卑弥呼とどっちが萌えるの?
AVになったぶん卑弥呼様ですかね
E天皇っていきなし九州から来てなんであんないきなし強くなったの?平定とかすごすぎない?
うまいことやった経緯を三行で知りたいです
Bの質問同様、事実であるかも含めて色々な検証が必要かと思われます。
>>722 のwwwwwなんて、何とかの一つ覚えでしょ。
今日の歴史ロマンおもしろそう。出雲&伊勢 関西だけだろうけど
726 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 18:29:42
>>699 文字がなくても
広範囲の諸国を降伏させたりすることは可能みたいだよ
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」
秦を滅亡させ漢の劉邦と覇を競った楚の項羽も読み書きはできなかったというし。
>>699 隋書倭国伝に
「文字なし ただ木を刻み縄を結ぶのみ」ってあるけど、この文中の文字は漢字をさすと思われ。
これと非常によく似てるのがインカ帝国。文字がなかった代わりに
キープという紐に結び目を付けて数を記述する方法で人民の統治に必要な情報
(総人口や兵士の数、納税品の量)などを記録していた。
最近このキープには言語情報を伝える役目があったということがわかっている。
日本の気候じゃその頃の縄なんて残ってないだろうな。縄文土器の暗号でも解くかw
730 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 19:12:28
>>726 倭の五王は九州の王と考えておりますし
倭の五王の時代九州では文字が使われていたと考えております。
>>729 キープが日本にあったんですかね・・・・。
731 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 19:31:34
沖縄にありますが?
>>730 あの文章では倭の五王が九州とはとてもとれないと思うが。
734 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:15:39
まだそんな説をいう人いるんですね
735 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:36:39
伝統文化ニュース ◆奴国の拠点・那珂遺跡群 巴形銅器の鋳型出土 伊都国王墓副葬品に類似 2009年11月22日 出土した巴形銅器鋳型の石片。 下に描かれているのは銅器の復元予想図 福岡市教委は、古代中国の史書「魏志倭人伝」に記された 奴国(なこく)の拠点と言われる那珂遺跡群の一部(博多区竹下5丁目)から、 弥生時代後期(紀元前後−200年ごろ)のものと推定される石製の巴形(ともえがた)銅器鋳型が出土した、と発表した。 吉野ケ里遺跡(佐賀県)、九州大春日キャンパス内遺跡に次いで、全国3例目。 出土した鋳型が、伊都国王墓の一つと考えられる 井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡(前原市)から出土した銅器と極めて似ていることから、 市教委は「奴国で製造された銅器が、伊都国王墓に副葬された可能性が高く、貴重な発見」としている。
736 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:41:46
「倭の五王」の在位年と『日本書紀』での各天皇の在位年とが全く合わない。 また、ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など1字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しない、 中国側が勝手に東夷の王に中国風の名を付けることなども例が無く考えられないので、「倭の五王」はヤマト王権の大王ではない。 『宋書』478年の倭王武の上表文で、「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国」とあるが、 倭王武は自らを東夷であると認識しており、通説のように倭を畿内とすると 「東の毛人」=中部・関東、「西の衆夷」=畿内・中国・四国・九州、「渡りて海北」=???、となり、比定地を特定することができない。 しかし倭を九州とすると、「東の毛人」=中国・四国・畿内、「西の衆夷」=九州、「渡りて海北」=朝鮮半島南部となり、比定地の特定が可能である。
737 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:45:00
畿内地方に多くの巨大古墳が造営されたが、同一の王権が大規模な対外戦争を継続しつつ同時にこのような大規模な土木事業を多数行うことは考えられないので、 畿内地方に多くの巨大古墳を造ったのは、朝鮮半島で活発に軍事活動を行っていた「倭」からはある程度独立した勢力だったと見られる。 また、古墳文化の広がりをもってヤマト王権勢力の拡大と見なす意見があるが、宗教文化の広がりと権力の広がりとは必ずしも一致するものではない。 古墳文化の広がりは宗教儀礼の広がりでもあり、これとヤマト王権が結びつくとの意見もあるが根拠は明確にされておらず古墳文化の広がりを以てヤマト王権勢力の拡大とするには無理がある。 古墳は豪族の墓であり、これが各地で造られことは中央からは独立した地方勢力の存在を示すものであり、ヤマト王権勢力の支配力が拡大したとする説とも矛盾する。 また、この時代は古墳の形態も地域によって特色があり、出雲や吉備等にも独立した勢力が存在したことを示している。
738 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:53:50
九州がここまでキモイとは ドン引きするわ
739 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:55:46
九州王朝説って、まだ真顔で信じてる人がいるの? どこのじいさんだよ。
きもいというかそのころの遺跡というか現物の圧倒的な証拠が畿内に残りすぎ
741 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:56:58
九州王朝説って、まだ真顔で信じてる人がいるの? どこのじいさんだよ。 ワカタケル大王の鉄剣の話なんて知らないんだろうね。
742 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:57:49
九州に邪馬台国をなんとかして 持って来ようと必死過ぎる(笑)
難波宮とか堤とか畿内には残りまくりだし、ほんとバカとしか思えん。 これだから九州説は相手あれなくなる
744 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 20:59:02
前方後円墳って、いわゆる古代文字の「□」と「○」を合わせた 形まんまだね
蘇我氏も北九州といいだしかねん
746 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:07:15
>>740 数じゃないのよ、
鋳型ってのに意味があるの。
鋳型はわざわざ近畿に持ち込まないでしょ?
大和朝廷は各地から銅鐸や銅器をかき集めてたんだってねw
蘇我氏は百済人だから、九州ではないな。
749 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:10:01
時代がね・・・
751 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:12:25
前方後円墳ってどこの国の人が作ったの? なんで説明記録がないの?
752 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:13:43
>>746 そう。各地の特産を集めることが出来るのは
畿内しかない。
753 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:20:38
卑弥呼以て死す。 大いに冢を作る。 径百余歩。 徇葬する者、奴婢百余人。 前方後円墳を作ったんだね 魏の人たちにはこの塚の形の意味がわかっただろうか?
おいおいマジでいってるのか?九州王朝(笑)
特産を集めるには財がいるしな。 そのため巻向には丹、水銀がある。 東国にも出やすい場所で、尚且つ 敵に攻められ難い場所という、 都の条件を全部備えてるからな。
756 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:29:26
>>741 稲荷山古墳の「獲加多支鹵大王」と江田船山古墳の「犭□□□歯大王」の話?
この二つが大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)天皇・・・雄略天皇を指すって説ね。
根拠が薄弱過ぎるでしょ。
余りにも非科学的。
758 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:32:08
広開土王碑、『三国史記』等の倭・倭人関連の朝鮮文献、『日本書紀』によれば、 倭は百済と同盟した366年から「白村江の戦い(663年)」までの約300年間、ほぼ4年に1回の割合で頻繁に朝鮮半島に出兵している。 ヤマト王権にはこれらの軍事活動に対応する記録は存在せず、ヤマト王権の大王が畿内を動いた形跡もない。 通信手段が未発達な古代にあって朝鮮半島で戦うには、司令部は前線近くの北部九州に置かなければ戦闘に間に合う適切な判断や指示は下せない。 政治、祭事、軍事が未分化の時代、必然的に王は司令部のある北部九州に常駐することとなる。 つまりヤマト王権とは別の倭王が北部九州に常駐し、そこに倭の首都があったことになる。
760 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:35:40
>>756 これを信じてるヤツの知能が疑われる。
全く何も根拠が示されていないではないか。
私はこう思うレベルのものだよこれは。
762 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:38:26
鏡はもともと宗教儀式に使う道具で秋分の日と春分の日の2回、 御諸山から昇る太陽光線を反射させ、鏡に刻印されている文字や模様が映し出されるといった、 魔術的な演出の道具として使われていたと思う。 もちろん、型を取って作った国産の摸造鏡にはそういった仕掛けは施されてはいない。
>>758 任那の記述などいくらでも日本書紀にあるだろが
『日本書紀』巻五崇神天皇六五年(戊子前三三)七月
六十五年秋七月。任那國遣蘇那曷叱知令朝貢也。任那者。去筑紫國二千餘里。北阻海以在鷄林之西南。
筑紫國(九州)を通ってな 崇神天皇はどこにいたか知ってるよな
『日本書紀』巻十四雄略天皇七年(癸卯四六三)是歳
是歳。吉備上道臣田狹侍於殿側。盛稱稚媛於朋友曰。天下麗人莫若吾婦。茂矣綽矣。諸好備矣。曄矣温矣。
種相足矣。鉛花弗御。蘭澤無加。曠世罕儔。當時獨秀者也。天皇傾耳。遥聽而心悦焉。便欲自求稚媛爲女御。
拜田狹爲任那國司
吉備から出発して国司になってるし。
適当にウソばらまくなよ
764 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 21:43:08
あめつちの ひらけし ときに ふたかみの とはこに をさむ たみ まして あまてるかみの みかがみお たして みさくの みたからお さつく みまこの とみ たみも み やすけれはや
任那が登場する日本書紀の記述の場所
『日本書紀』巻五崇神天皇六五年(戊子前三三)七月
『日本書紀』巻六垂仁天皇二年(壬辰前二八)是歳
『日本書紀』巻十応神天皇七年(丙申二七六)九月
『日本書紀』巻十応神天皇二五年(甲寅二九四)
『日本書紀』巻十四雄略天皇七年(癸卯四六三)是歳
『日本書紀』巻十四雄略天皇八年(甲辰四六四)二月
『日本書紀』巻十四雄略天皇二一年(丁巳四七七)三月
『日本書紀』巻十五顕宗天皇三年(丁卯四八七)二月丁巳朔
『日本書紀』巻十五顕宗天皇三年(丁卯四八七)是歳
『日本書紀』巻十七継体天皇三年(癸丑五〇九)二月
『日本書紀』巻十七継体天皇二一年(丁未五二七)九月甲午三
『日本書紀』巻十七継体天皇二三年(己酉五二九)四月戊子七
『日本書紀』巻十七継体天皇二三年(己酉五二九)四月是月
『日本書紀』巻十七継体天皇二四年(庚戌五三〇)九月
あーまだまだあるわー.兵も出してるし。
>>758 はバカなのかうそつきなのか
『日本書紀』巻十七継体天皇二四年(庚戌五三〇)十月
『日本書紀』巻十七継体天皇二四年(庚戌五三〇)是歳
『日本書紀』巻十八宣化天皇二年(乙卯五三七)十月壬辰朔
『日本書紀』巻十九欽明天皇元年(五四〇)八月
『日本書紀』巻十九欽明天皇元年(五四〇)九月己卯五
『日本書紀』巻十九欽明天皇二年(五四一)四月
『日本書紀』巻十九欽明天皇二年(五四一)七月
『日本書紀』巻十九欽明天皇二年(五四一)七月
『日本書紀』巻十九欽明天皇四年(五四三)十一月甲午八
『日本書紀』巻十九欽明天皇四年(五四三)十二月
『日本書紀』巻十九欽明天皇四年(五四三)十二月是月
『日本書紀』巻十九欽明天皇五年(五四四)正月
『日本書紀』巻十九欽明天皇五年(五四四)二月
『日本書紀』巻十九欽明天皇五年(五四四)三月
『日本書紀』巻十九欽明天皇五年(五四四)十一月
今まで書いたのでも半分もいっていない。兵も出してるし
>>758 はもうでてくるな
767 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 22:10:26
なんだやっぱり朝鮮人があらしてたのか。
769 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 22:24:49
↑邪魔な日本人にすぐにセン人狂言をする悪の王者、ワン人 台湾人部隊は朝鮮煙幕を操縦して工作しまくる真の大ワル。 朝鮮煙幕の釣り竿を握り手を見たら悪魔の台湾人。
きっと前方後円墳も朝鮮半島の自然環境に適応できず消滅したんでしょう、プっ
>>770 4年前くらいに韓国で、
『航空写真から世界最古・最大の前方後円墳を発見!』
ってニュースが出た。
自然の双子山の形を前方後円墳に見立てて有力者が埋葬されているにちがいない!、
自然物を利用した一番古い形で前方後円墳が韓国発祥なのは間違いない!韓国が日本に伝えた!!
って内容だった。
結局すぐに2chネラーが捜し出し、単なる双子山だと論破したうえで半島の墳墓史をとうとうと説いたのは言うまでもない。
772 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 22:35:36
銅鏡は古墳時代においては、神仙界へ死者の魂を導く光を放つものとして副葬された それがアマテラスの神体として伊勢の神宮で使われるなど、依り代として用いられる(祭られる)対象となったという点に興味がある
ええっ、古墳副葬の鏡は、「辟邪」鏡面を棺の外に向け、邪なものから遺骸を守る。「辟崇」鏡面を 棺内に向け、被葬者の魂を封じる・・・のどちらかじゃないの?
>>735 九州はちょっと調査したらザクザク出てくるな
奈良なんていくら掘っても掘っ立て柱の跡としょぼい土器しか出ないのに
先程から頻繁に都って言葉が出てくるが、 大王が代わるたび宮を移してたり一人で何箇所も移転繰り返してた訳でしょ? それこそ平安京完成まで。 3世紀の都の概念って何なんだ?? 都=大王の住む場所、であるなら、九州から畿内まで統一された国家であったなら、 畿内も九州も邪馬台国の都が存在した可能性があり、どちらも邪馬台国という結論でいいじゃん。
>>746 言っとくが、この鋳型で鋳造されたモンが畿内から見つかると
畿内説を強化するだけだぞ
778 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 22:50:47
>>775 それさ奈良をしらんだけ。
飛鳥から桜井までどこ掘ってもでてくる感覚。
大量の大古墳群
>>773 古墳時代にすでに副葬品でなく依り代として用いられた最古の例は前にも出ていたが沖ノ島の銅鏡。
巨岩の上に21面も並べて奉献するなど類例がない大規模なもの。
実用品にはならない質の鏡の奉献は極めて信仰の高度な祭祀を意味している。
>>776 九州から畿内まで統一された国家ではなかったからな
旧唐書にも倭国と日本国は別だと書いてある
>>780 嘘をつくな。別かもしれないがわからん、同じかもしれないと書いてる。
783 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 22:59:19
>>780 書いてない。倭の別種という記述をいってるんだろうけど。
あまりに幼稚な嘘ばかり垂れながすのやめとけよ
784 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 23:00:13
>>778 奈良は今でも田んぼに普通に古墳があったり、
いつのかわからん壷が出てきたりするし、
土木工事の際は考古学研究所が調査に来る。
785 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 23:02:12
>>778 量・大きさ・密度
現地を見ないと体感出来ないだろうね
786 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 23:02:22
>>781 箸墓なんぞそうだし。奈良は継続性があるんだよ。
史学好きなら、奈良市ではなく、桜井とかの南部きたら感動する。
桜井から伊勢まですくだし遊んでかえれ。
>>779 鏡もそうだし、銅剣もばらばらに折れて大量に発掘されている。
折れた銅剣と宗像三女神といえば、天照と素戔男尊の誓約で十束剣に天真名井を降り注いだ神話が思い出される。
益田勝実は「秘儀の島」で沖ノ島で古墳時代に誓約生みのシーンが実際に再現されたと想定している。
>>787 倭は悪字だから日本に改名するといってますやん。つまり同じ
>>789 だから別々に分かれてますやん
同じだったら分けることないですやん
>>776 平安京にも、当初は代替わりごとに内裏(内郭)を移し変えることを想定したと思われる空き地があるよ
宮城内の官衙群の中にある「宴の松原」とよばれる空間で、内裏と鏡面対称な位置にある不思議な空き地だ
旧唐書日本国の条 冒頭部分。 日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。 あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。 あるいはいう、日本はもと小国、倭国の地を併せたりと。 その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対こたえず。故に中国これを疑う。 またいう、其の国の界、東西南北各々数千里あり、西界南界はみな大海に至り、東界北界は大山 ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり、と。
少し書き下しミスった。792の5行目の「対」はとってくれ。
九州説がすたれかけているのはこういったバカが中に混じってるからだな
>>787 そうなんだよな
奈良の文化的継続性からして
畿内=日本
は間違いない。
>>791 そうなんだ〜
古代日本人にはそういう文化的特質があるのかもね。
中華的文化とは違うのかも。
倭国は古くから朝貢してるし中華的だったのかな?
畿内説が不利になると
>>794 のような奴が出てくる
そしてバカだの死ねだの罵倒して、議論をぐちゃぐちゃにする
毎度のパターンよ
九州王朝説は現在のところ、日本古代史の学界からは「批判・検証を受ける段階に無い」 と見られ黙殺されている。それは以下のような理由による。 史料批判など歴史学の基礎手続きを尊重していない。 考古学の資料分析の成果に合わない。 漢文の読み方が恣意的である。 九州王朝の歴史を記録した一次史料が存在しない。 したがって説の論拠となる史料は、記紀や中国や韓国の歴史書等に散見される 間接的な記事、九州年号(逸年号が九州年号である証明は無い)や大宰府など僅かに 残されたものに止まっている。この直接的記録が無いことが、九州王朝否定論の論拠と なっており、また多くの亜流を生む原因ともなっている
>>796 議論も何も根拠のないものを根拠にしてるからバカにされてるだけだよ
>>798 旧唐書はなにも根拠がないものなのか?
じゃあ根拠があるものってなに?
古田は所詮、漢語がわからない人。基本的に資格がないのです 東日流外三郡誌での経緯を見ても信用がなりません。 張明澄「誤読だらけの邪馬台国 中国人が記紀と倭人伝を読めば』久保書店 を読んでください。古田の中国に関する知識なんて噴飯物です。
>>799 いやね。漢語の意味が分からない人が旧唐書の記述がどうのこうのいってるだけで
相手するのもあほらしいということ
802 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 23:34:51
>>774 黒塚古墳の場合は、ほとんどの鏡は、光る方を内側に向けているらしい。
他の古墳の場合はどうなんだろう。
個人的には、これは、中国の「抱朴子」の影響を受けているように感じる。
「明鏡の九寸以上なるを用いて自ら照らし、思存する所有ること七日七夕
なれば、則ち神仙を見るべし」、というやつ。
>758のカキコ見ても九州王朝(笑)説の人は他人が書いたウソを信じ込んで 自分で検証したことがないようなマヌケ揃い
そういや古田も他人の書いたウソ信じ込んで喧伝するような痛い人だったよね。 ウソの伝言ゲームは傍目から見ると笑えるが、それもあまり真剣だと狂気さえ感じるわ。
畿内説は不利になると必ず東日流外三郡誌を持ち出すよな 九州説=古田説ではないんだぞ
古田紙学は学問ではないでしょ。
>>805 実際客観的に見るとそうだよ。東日流外三郡誌みたいな大騒動は無視できないな。
麻原が同意してサリン事件のもとになった。
あと邪馬台国=九州説=九州王朝説でもないしな
809 :
日本@名無史さん :2009/11/24(火) 23:48:02
>>796 畿内説の論客はいなくなったねえ。
これはYahooも同じかな。
鳴り物を鳴らして騒ぎ立てるようなタイプの者ばかりになったな。
まあ、仕方がないかな。
あれは捏造事件だしな、こういった論争には当然影響しますよ。
ちょっとまて。邪馬台国九州説が九州王朝を肯定してるわけではないぞ
古田は宝剣額ねつ造疑惑、寛政原本偽書作成未遂事件に自ら加わってる。
814 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 00:09:16
捏造だの偽書作成だの言っている人は、2ちゃんでもひろゆきはIPを差し出すことを忘れずにね。 裁判になっても勝ち目ないよ。 古田が誰だか関心ないが、老婆心で言っておくよ。
>>814 アホか? 古田スレ似たことないのか? 俺が書いてるのはマイルドな部類。
816 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 00:15:00
>>815 マイルドな部類?自信があるのなら通報しとくわ。
>>814 古田信者なの?可愛そうに。頭がピョンなのね
819 :
のんびりひまじん :2009/11/25(水) 00:36:11
>>765 >>766 任那関係記事があるのに出さない事情をお尋ねしたい。
神功62(262)年
欽明23(562)年
任那はこの二回滅亡している。
間隔が三百年から分かるように、同一干支(壬午)年。
日本書紀という書物は、記事のウソを見抜くことのできるキイが出ることがある。
このようなことを知らないのか?
知っていて、外して並べたのか?
>>816 あれは捏造事件ですよ、現在は偽書扱いだし。
古田武彦はそれに加担(利用された)したのは事実です。
そしてそれがオウムのサリン事件に利用されたのも
また事実ですしね。
偽書じゃないと主張するなら、貴方も本腰入れてやればよい。
821 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 00:47:55
>>821 こいつ最高のバカ。おや、侮辱罪かなwww
823 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 00:53:49
824 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 00:59:48
最近ニー速と間違えて、学問板に舞い込んでる奴がいるね
自説のために脅迫までするの?大変だねw
826 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 01:10:35
安本?
>>819 ああ欽明23(562)年はあと半分以上あるのでうんざりするので貼ってない中。
神功紀もその中にあるのかも。
検索の結果で別に意図ないよ?
それよりこんなウソ書いたいいわけにもなってないよ?
↓
>倭は百済と同盟した366年から「白村江の戦い(663年)」までの約300年間、ほぼ4年に1回の割合で
頻繁に朝鮮半島に出兵している。
>ヤマト王権にはこれらの軍事活動に対応する記録は存在せず、ヤマト王権の大王が畿内を動いた形跡もない。
828 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 01:25:10
>>814 言論の自由の方が勝つんだよ。 こういう公の書物を出してる人には。
>>814 おまえあっちこっちで「訴えてやる」はみっともないからやめろ。他スレにもいたが
同一人物かい?
で、そうと仮定してそうならば実際訴えたのか?
あと古田さん本人じゃなくておまえが訴えてどうするw
>>814 名誉毀損罪というのは告訴権者は、原則として被害者(刑事訴訟法230条)。そのほかに、
被害者の法定代理人(同法231条1項)
おまえは何の権利あってそういうことをいうわけ?古田か古田の法定代理人か?どうなんだ?
答えろ。
気をつけないとおまえの方が危ないぞ
831 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 01:38:09
あとことさらに訴訟をするとかいうのは脅迫に取られる可能性もあるよ。 古田さんとかは書物を出してる公の人、政治家とある種同じ立場にある んだ。そういう立場の人は有る程度批判される事は受忍する必要がある はず。じゃないと言論の自由って何の為にあるんだ。
832 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 01:42:25
「九州説は即九州王朝説ではない、一緒にすんな!」 …と言っても結局そのよって立つところを倭人伝の「南」と言う方向の一字に頼るなら 理論的帰結wとして隋使が訪れた場所も九州の何処か…と言う事になり 結局は九州王朝説と何ら変わらない。 まあ結局古田センセイと芸風が同じになってしまってると言うことやねwwwww …それにしても、ここんとこスレの消化が異常に早い。 NHKやTBSの番組で燃料投下になってしまったんかな? 個人的にはこの間の「不思議発見」みたいな”ゲテモノ畿内説”やるんだったら 九州説にスポットを当てた番組の方が面白いと思うw 真面目な話、九州説も学術史を総括するべきところに来ているんじゃないのかな? 『結局南極放送局、九州説とはなんだったのか?〜邪馬台国論争百年の歴史』民明書房刊 みたいな?wwwwwwwww
833 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 01:45:37
執拗な個人批判は問題あるけど、公の人なんだから有る程度は 大目にみてほしい。そんなんでいちいち事件にしてたら どうなるんだよ。 あと公になってる事実を批判したりするのは無問題だったはず。 公になってない事実の公表とかそういうのが問題になるんだよ。
「九州説論者にみる思考回路」とか医学的観点から迫るのもおもしろいかもw
835 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 02:01:38
>旧唐書にも倭国と日本国は別だと書いてある この板の九州説のドグマの一つとして 「倭国とは九州、九州以東は倭地」 と言うのがあってその根拠として上記の引用がされるのがしょっちゅうだが そもそも頭冷やして考えれば倭国から使者が来て 「これからは国号を日本にするんでヨロw」 と自己申告しているんだから そのまま考えれば九州が本州を併合して あるいは畿内にでも遷都してかかる申告になったと言う事になり これまた九州王朝説にならざるを得ないwww 以下の事は板違いと言うか歴史の話でもないのでチラ裏だが ある中国ヲチャー(と言っても軍事アナリストだがw)に言わせると 中国と言うのは自国の国境線と言うものを認識してこなかった民族で 中華の勢いが増せば外に膨らみ衰えばしぼむ 風船のような認識だったとかw(まあ領土が広大すぎるし) 古代中国人が日本の地理に関して関門海峡できちんと線引きをした 明確な地理観を持っていたとするのは傍目噴飯モノなのかもwwwwwwwwww
836 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 02:03:33
>>834 つうか安本センセイ本職は心理学者のはずだったんだがwwwwwww
え、なに裁判? あほすぎる古田信者www そんなだから教え子の原田に見放されるんだよwwwww
838 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 02:26:22
原田も九州説にしがみついてるかぎり、同じ穴だよ。
839 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 02:27:23
古田に騙され安本に騙され、 学習能力が無いところは、原田の自己責任でもあるが。
日本列島を代表して使者を送ったのではなく、 一地方国家が倭王を騙って中国の力を得ようとした、という可能性はないのだろうか? 奴国や磐井がしたように。 文化的には北部九州は半島と濃厚に繋がっており、南部九州と畿内は繋がっている 瀬戸内海の吉備等や日本海の出雲等も独自性を持っているようで 倭人伝の旁国記述からすると邪馬台国は畿内にあるほうがしっくりくるんだが、 どうも3世紀の畿内が中国まで使者を送るメリットやそれだけの国力があったのかが見えんのよ、個人的に 交易なら独自文化を持つ倭国各地域で十分だろうし そもそも朝貢したのなら記紀に誇らしく記載されてそうなもんだし
いいとこ目つけるね。畿内説は自己説でも客観的にみるのが信頼できる。 俺もその点は疑問に思ってたのだが、畿内から偽物でも景初三年の鏡が出ると いう事は中国に認められる事が大和にとっても一つの誇りだったのだろう。 記紀の頃はそうではないにしても。
>>840 朝貢が記紀に誇らしく…だと…?
ありえねえ…それはありえねえよ…
鉄や鏡はあくまで技術力として必要でも、
その経緯は必要なかったから記紀に書かれてないんじゃないのか?
あの手この手を使って皇室を最強に輝かせようとしてる歴史書に
「中国様に金品贈って王様って認めてもらったお」
とか書くか普通…?
843 :
841 :2009/11/25(水) 03:55:35
それに、周囲に外敵がまだ沢山いた状態、九州奴国から 鏡奪って周囲に中国様の印籠として見せびらかす 価値は十分あったろう。
844 :
842 :2009/11/25(水) 04:21:10
>>843 いや、ちょっと話の論点変わってる。
確かに朝貢した当時は虎の威を借りたと思うんだけど
記紀にはそれ書かないでしょって言いたいんですよ。
「当時は中国様に金品貢いで王様と認めてもらい、かつ鏡とかいっぱいもらって
中国様の威光をもって周りはビビりまくり。ぶっちゃけホクホクでした」
それ皇室かっこわるいじゃん。
だから記紀には書かなかったんだと思う。
845 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 08:55:01
>>792 旧唐書は倭という国名が載ってる最後の中国史書だね
(それ以前から倭が国名を日本に変えたと表明してたけど)
それまでは倭で、その後は日本
その両方載ってるのが旧唐書
846 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 09:01:15
倭と日本はまったくの同じだよ 隋の皇帝が 「日出づる処の天使、書を日没する処の天使に致す」 この文が気に入らなくて、日本国という国名を認めなかった で、唐に変わってしぶしぶ容認しだしたのが旧唐書
中国まで行くことは後の世でも命懸け ある種使者は英雄視?かどうかは知らんが記紀に名を残してる 朝貢って事実は隠しても、政権の正統性、強大さを誇るなら、 ○○の御世、魏に使者を遣わす って記述を残すんじゃね? 後の使者は記述してんだし それがないのは、魏には送ってないのでは?
848 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 09:46:22
つうか
>>792 は何が言いたいの
中国がようやく倭から日本へ国名を変えたことを認めただけじゃん
それとも
この倭は大和政権じゃなく、九州王朝とでも主張したいのかな
旧唐書より古い宋書です
↓
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」
849 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 09:50:09
隋もしくは唐の時代あたりに 大和政権が倭(九州王朝)を吸収して日本が出来たのかw
850 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 10:14:19
>>849 それだったら倭は自然消滅し、改めて記事にする必要はないよ。
851 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 10:30:17
邪馬台国は最後どうなったのでしょう? 1.自然消滅 2.他国に征服され滅ぼされた。(クナ国や大和王朝に?) 3.他地域に移住。(もし、そうだとしたら、なぜわざわざ?)
852 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 10:44:07
>>851 互いが政治家の場合は、最終的に戦でどちらかが滅び決着がつくが
片方が宗教家、もう片方が政治家
だったら
男女の関係みたいに融合するのに、たいした争いにはならない。
男が女の家に転がり込むか、女が男に近付き色仕掛けで男を制服したりと
853 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 10:46:40
絶対に検索してはいけないワード 「花弁状住居跡」
854 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 10:53:32
仁徳天皇陵とか あんな馬鹿でかい古墳を作る勢力なのに 大和政権は九州王朝(倭)の陰に隠れて 中国に認知されてなかったのか
855 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:00:27
近畿の水銀鉱脈の話が出てたけど最初はどうやって見つけたの? やっぱり掘削とか?
856 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:03:33
都を転々とする理由って 水銀公害? それが魔物の仕業って誤解した結果?
857 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:06:08
>>854 定員一名の部屋には、先客が居れば入れないだろ
>>857 足を引っ張るような書き込みはやめてくれないか
859 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:21:54
宋書の倭王武を雄略と考えるのが大きな間違いだ。
860 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:24:14
九州王朝だと 倭王武は誰に当たるのか? 九州王朝には歴史書とか残ってないの?
861 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:29:24
大和政権には 天皇記とかの書物が7世紀にはすでに出来上がってたからな 文化レベルでも九州王朝を上回ってたな
862 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:31:41
863 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:32:21
倭王武の上表文には周辺諸国を攻略して勢力を拡張した様子が表現されており、 熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘や 埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘を「獲加多支鹵大王」と解しその証とする説が有力である。
864 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:34:26
そもそも九州王朝なんてあったのか?って話しで 存在していないものを話ししたところでファンタジーにしかならない。
>>855 最初は地表や河底で発見されるがそのうち枯渇。
それを繰り返すうちに鉱脈発見〜掘削開始という流れでしょう。
弥生初期からの掘削跡があるのは今のところ
徳島、紀伊半島の伊勢、宇陀のみ。
866 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:42:37
実は 大化の改新や壬申の乱とかも 一地方勢力の内紛だったんだな
867 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:43:04
仮に九州王朝があるのなら、出雲、丹後王朝だって当然ある。
869 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:46:17
>>867 >倭人伝、宋書、隋書などに記録がある。
それは推測の域を出ないですね。
倭人伝では伊都には王がいても、はっきり女王に従属と書かれてます。
871 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:49:32
倭って 奈良の大和政権を指してたんじゃないんだ
872 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 11:57:00
>>871 倭は漢語で表意
だから意味は文章の内容によって様々に変化する。
>>865 その付近の豪族は水銀中毒から一族の血を守るために長男を出家させるという習わしがありますか?
九州でそのような習わしがあったらしいのですが、関連があるかと思いまして。
874 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:12:35
国、であれば王がいたでしょ 伊都王、奴王、吉備王も存在したかと 国という単語の規模や概念をどうとるかにもよるが、前にスレで出てた葛城王家が 倭王家と同時期に存在しててもおかしくないのかもね
875 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:13:17
876 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:14:18
また瞬殺されたいのか?w
神武が大和に入る時、わざわざ宇陀へ寄るのも 水銀鉱山絡みだという話もあるしな。 竜田すら超えれないのに、紀伊半島南からなんて 絶対無理ですから。
878 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:31:55
879 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:35:42
先日からこのウザイ水銀厨、何とかしろよ。
881 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:41:44
大和に水銀鉱山があるのは事実。 甘木や宇佐や日向の近くに水銀鉱山があるか?
882 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:47:45
883 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 12:50:20
>>877 延々と個人の感想文書かれても、周りは萎えるだけだぞ
>>880 そりゃマズいからうざいんだろうw
でも倭人伝にもわざわざ「丹あり」と書かれてるように
実際この時代の水銀鉱脈は物凄く重要のはず。
おまけに別種だが卑弥呼の嗜好品とも書かれてるしな。
スルーしてる奴は倭人伝ちゃんと読んでないんじゃないの?
>>883 スレの大半が個人の感想文書だよw
というより2ch辞めたら?
887 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:17:04
>近畿から丹の大量出土は常識だろう 丹の大量出土www ヤバイなそれは
888 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:18:32
>>886 じゃ、邪馬台国は畿内でいいんじゃないか。
890 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:24:39
朱塗りの鳥居は岩盤信仰の赤って事だね。 水銀鉱脈付近の地名に赤がついたりするのもその表れかな。 なんで赤かというと鉱石の成分が化学変化でにじみでるから。
丹の大量出土w
892 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:28:47
奈良で決まりだね
もう解っただろ?邪馬台国は九州。 と、昨日まで近畿説支持者だった俺が通りますよ。
倭人伝の真珠とは朱丹の事だしな。 水銀は薬でもあり防腐剤でもあるので、船を使う 海人にも必需品だろう。 貨幣や金がないんだから重要な財源には違いない。
895 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:32:47
もう、マキムクで決まったから、書く事なくなったよね。
897 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:33:59
ググってみたら佐賀辺りでも取れてたっぽいな水銀
898 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:34:08
邪馬台国時代のずっとずっと前から、九州では棺の中を朱で染める習慣がある。 吉野ケ里の始祖王(弥生中期)の甕棺もそうだった。 自前でずっと調達してきているのに、近畿にしか丹がないような言い方は おかしいだろう。
899 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:37:40
3世紀 九州に100余国の国があり、その中心に邪馬台国があった 奈良に巻向の勢力があった 4,5世紀 九州に倭王を名乗る九州王朝が実在した 奈良に謎の巨大古墳を作る勢力が存在した(巻向の子孫?) これでOKかな
>>897 でも掘削跡が確認できないからね。
表面上を採取して終了だったのかも。
>>898 ベンガラじゃないの?
それに辰砂自体は比較的あちこちある。でも鉱脈は限られてるから。
身分の高い連中は中国のモノを使ってたはず。
901 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:39:38
近畿では丹が出土されているが、九州では出土されていない、邪馬台国だと主張するには、まずは大量の丹の出土がなければならない ただし魏志倭人伝を信用していなければ、別の問題であーる
902 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:42:48
九州王朝は 「東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した」 畿内は制圧されて無いみたいなので 奈良は九州王朝に完全に包囲された陸の孤島だったんだな
903 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:43:10
>>898 やり方が解らないので、阿蘇のピンク石を注文したらしいです。
卑弥呼が王になられてから40年間は温暖が続いたらしいが、しかしなぜ温暖を強調したがるのか?この辺が胡散臭いとは感じるんだろう
905 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:46:48
宋書の文から 倭の五王が九州王朝って無理ありすぎるだろw
九州の西に六十六国? 九州王朝は海底人を征服したんだなw
908 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:50:36
>>705 >張政等が来たのは六年の詔に拠るもの
>言い訳としたと思います。
想像でしょ? ローガンさんがそう言う根拠が知りたい。
張政は調停に来た、と想像する人もいるし。
六年の詔はカン丘倹の作戦の一環だと思われますか?
910 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:51:42
めしうまw
911 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 13:54:20
近畿説っていつも後だしじゃんけんで勝ったつもりになってない?w 「奈良には水銀鉱脈あります!」 みたいにwww
913 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:00:23
もともと水銀採掘してたのは 土蜘蛛扱いされた地元の人達ね
914 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:00:45
卑弥呼亡き後の戦乱で倭の主導権が畿内に渡ったと妄想すれば、 五王は畿内でも問題ないかな 記紀に記載がない理由は知らん
915 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:01:04
九州は貧乏で何の資源も無いから、 畿内から丹を輸入するしかない。
>>915 それは逆だろう(笑)
畿内は貧乏だったから各地の国から食料や物資の支援を受けていた。その証拠に各地の物が出土されている(笑)
917 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:26:21
>>915 間に合ってますwww
貧乏と地下資源豊富なのとなんか関係あるの?
貧乏なら貧乏なりに掘る暇なら沢山ある訳だし。
貧乏暇無しでも構わんよ?
>>912 後だしジャンケンというより
九州説が今までスルーしてただけなんだがな。
>>916 要するに九州王朝は貧乏な勢力に負けた訳ですねw
919 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:36:06
丹を古くから使っていたのは九州。 畿内で使われるようになるのは古墳が出来てから。
920 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:41:51
>>918 簡単ですよ、九州にも皇族がいたわけですよwww
>>919 伊勢の丹生鉱山は縄文期から、徳島の水井鉱山は弥生期からの
採取跡が確認されてますけど?
だから畿内は、獣の解体屋が沢山いるのか?
畿内論者は、ハッタリばかり言ってないで、こっそり箸墓を掘ったらどうですか?
一生懸命発掘しますから、日当下さいよ
925 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 14:55:06
九州にも仁徳天皇陵に匹敵する古墳があるんだよ 俺らがまだ知らないだけでw
当時鉄と同じ位は重要だからね、水銀は。 何しろ貨幣の代わりだから。 中国からしか入手出来なかったものが、 国内にでも取れると解ると、そこに人が集まるのは 当然の事なんだけどね。 宇陀鉱山の入り口に都を設ける必要性は解るでしょ?
927 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:00:18
で、九州王朝の痕跡はどこに行ったら見られるの?
928 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:03:03
930 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:06:47
なんだよ。また畿内説者の創り話しか? この手のもうあきあきだ!
931 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:07:11
>>901 丹が大量に出土って
塊でもでてきたの?
932 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:10:08
>>919 畿内では丹が大量に出土してるくらいだから
銅に目がくらんでそっちは捨ててたんじゃないの?
豆腐を作ってオカラ捨ててた
みたいな。
933 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:22:25
>>906 倭王武の上表文は、中国史書をみて書いているんだよ。旧百余国、それが30国に統合されたんだ。
差し引き70国は征服されたんだよ。邪馬台国は九州の東にあったから、70のうち66国は西の諸国
ということだ。
>>905 無理なもんか。卑弥呼→5王→タリシヒコ
みんな、九州だからつじつまが合うんだ。5王が大和だったら、タリシヒコに
相当する人物はいなくなってしまう。
天皇ではなかったなんていうんだろうが、そんなのはごまかしだ。
934 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:22:53
「以朱丹塗其身體」・・・体に塗るのだから水銀朱ではなくベンガラだろう。
>>933 九州の東は本州か四国だろ‥
九州脳に侵されすぎです。
>>934 「真珠、青玉を出す。その山に丹あり」
この文からは辰砂、水銀としか採れませんが。
937 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:41:08
>>935 まるで小学生だな。九州の東も西も九州の中の話だ。
倭国の話をしてるんだよ。植民地は関係ない。
>>937 一生九州王朝で遊んでたら?
それじゃまともな解釈はとても無理だわ。
939 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:47:22
「辰砂」は、朱色の顔料、漢方薬として用いられる他、主に水銀をとる為に使用されます。 別に塗っててもおかしくない。 有機水銀とごっちゃになってない? 水銀鉱脈と言っても水銀そのものが埋まってる訳じゃないからw
940 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:49:45
941 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 15:56:39
>>938 九州王朝説とまちがえてるようじゃ話にならんな。
我が国の全土を支配する王朝が九州にあったと言ってるんだよ。
真珠、青玉なんだから、丹は紀伊半島か徳島の山を指すのは確実だろう。 何より紀伊半島が最大の算出地だし。 九州にも南部等勿論あったのだが、採掘跡がないと 証拠にはならないからな。
943 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:00:05
それで、九州の邪馬台国の遺跡はどこなの? こんど纒向と比較検証するために見学申し込みたいから。
945 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:05:22
「鉄丹」の丹、古代の朱(アカ)のキーワード。 「字訓」(白川静著、平凡社)に、 「に【丹】」:土を意味する古語であるが、特に赤土のことをいいとある。 丹が朱色顔料の総称であったと考えられる。 古代の朱色顔料には、真っ赤な硫化水銀朱砂とやや黒ずんだ酸化第二鉄の2種類があったが当時の人にはその成分を区別する術はなかった。
946 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:12:10
>>939 有機水銀でなくとも水銀は有機水銀になりやすく
容易に水銀中毒を引き起こすのでは。
947 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:14:20
中国の貴人が飲んでたらしいからな。 亡骸が発見されても防腐剤の役目をして 体が残ってのはその為とか。
949 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:30:45
>>944 君らの方こそ大和の妄想にとりつかれているんだよ。旧唐書をみろ。
倭国は明らかに九州だ。
950 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:44:08
阿蘇では、住居跡からも大量のベンガラが見つかる。 東北の方角に特に厚く撒かれていたらしいので、魔よけの意味があるらしい。 棺からも大量に出てくる。調査のとき、棺から流れ出た朱で川が真っ赤に 染まったといわれるくらいだから。 丹を水銀朱と特定するのは難しい。 むしろ、ベンガラの方が合っているような気がする。 「その山に丹あり」。阿蘇はベンガラの大供給地でもあったから、 こちらの方が可能性は高いな。
>>949 じゃ、頑張って証明していけば?
倭国の範囲なんて、年代によって結構曖昧だと思うけど。
偏った文献解釈だけではなく、出土品等物証も勿論必要だから、
現実はとても厳しいと思うけどね。
952 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:47:01
魏にも献上品として丹を送っているから 大量に取れるベンガラでしょう。
953 :
ローガン :2009/11/25(水) 16:47:49
>>909 >想像でしょ? ローガンさんがそう言う根拠が知りたい。
ここ終わりそうなんで、終止符スレに書きました。
真珠と青玉はどう間違ってもベンガラじゃないですよw
955 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:51:53
>>943 邪馬台国の遺跡って、一体どんな遺跡なんだい?
それを教えてくれないと答えようがない。
>>952 ベンガラなんて献上したら突き返されるぞw
957 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:55:43
958 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:58:07
>>952 志村ぁ〜〜逆、逆
丹を輸入してたのは倭国。
銅の精製に必要だったから。
959 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 16:58:21
>>957 むしゃんよか、というのがどういう意味かわかるか?
960 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:01:30
真珠は分かるが青玉はサファイヤのことじゃないよな。
961 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:04:17
962 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:04:47
>>951 証明しているよ。倭人伝の行程のとおりで九州だ。遺跡もいろいろ十分にある。
畿内なんぞ、行程は合わない、遺跡もあわない。めちゃくちゃだろうが。
理解できない奴はいつまでたっても理解できないんだよ。どれだけの証拠を突
きつけてもな。
963 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:05:46
964 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:09:40
>>961 子供の頃、凧を上げる時にベンガラで赤く塗ったりしていなかったか。
まあ、住居跡にベンガラを撒くのは、古代の話だが。
棺から朱が流れ出たと言うのは、長目塚古墳だが、知らないか。
965 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:21:36
>>962 誰も納得しなければただの妄想です。
>>960 記述の真珠は海の真珠じゃないのは明らかで、
青玉は奈良の枕言葉「あおによし」の由来という説もある、
奈良の「青丹」という可能性もあると思う。
967 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 17:38:31
枕言葉っておかしいよね なんで意味もわからない言葉を入れる? 音だけ残って、意味がわからなくなったのかも・・・
>>967 確かに意味が解り難いものがあるね。
「あおによし」の青丹も諸説あるし。
倭人伝の青玉は普通に翡翠だと思っていたが、
文脈からは真珠も丹の一種だとすると、
「青い丹」の事かな?とも思ってしまう。
969 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 18:10:31
「あをによし」の意味は「あをによし」 意味を忘れたのではなく、言葉を忘れました。 「おはよう」の意味は「おはよう」 「またあした」の意味は「またあした」
970 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 18:13:01
「出真珠 青玉 其山有丹」だから 真珠は天草当たりの真珠、青玉は熊本県産の白雲母(含クロム白雲母片岩)、 丹は阿蘇産のベンガラ 何の問題もない。
972 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 18:32:09
>>970 山で真珠はとれないよw
真珠は水銀朱、今の真珠は白珠。
奈良が邪馬台国?そんなわけないやろう、頭おかしいんちゃうか
>>974 河内南部も邪馬台国だよ。
よかったな君は末裔かもしれないぞ。
976 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 19:08:40
青玉は糸魚川産のヒスイ。白珠は丹後産の水晶。
なーんだ 邪馬台国は熊本だったんかい そう言えばスザンヌって卑弥呼ぽいな
978 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 19:27:07
「出真珠 青玉 其山有丹」の真珠は海の真珠だろう。 「銅鏡百枚 真珠 鉛丹各五十斤」真珠は水銀の朱だろう。 「出真珠」も水銀の朱とすると、水銀の朱が特産品の国に水銀の朱を送ったことになり 可笑しい。
979 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 19:45:45
西日本は日本書紀の神代に現存する地名や海峡が出てきちゃうし、 神社はいっぱいあるわ、降臨しちゃうわでそりゃあ ここは国の成立に全然関係ないとか今更無理でしょ 100年200年レベルの話じゃないのだから まあ、ほんとの話日本はどこを掘っても古墳も縄文遺跡も出てきちゃう ような国なんですけどね
>>978 文章的に海の真珠ではないですよ。
その後の説明も全部山の物ですから。
水銀朱と言っても顔料、薬等種類も多い訳ですからね。
981 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 20:09:37
>>978 珠はたまとか真珠の意味で朱の意味はないから「銅鏡百枚 真珠 鉛丹各五十斤」の珠は朱の誤植だな。
「出真珠 青玉 其山有丹」に真珠とあったので真朱を真珠と間違えたんだろう。
982 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 20:21:18
>>980 文章的にも「其山有丹」の前にあるから山の物ではないでしょう。
>>982 そうか?真珠、青玉を産する、その山に(総称として)丹があるともとれるけど。
陳寿が陳情を聞いて、神授の神樹と新種の真珠と珍種の珍獣をを邪馬台国の鎮守の神様に送った。♪とってもきれいな牧真珠、 だけどあいつの頭の中は、真珠どころかパールだよ。
玉といえば翡翠だな
986 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 20:42:01
>>983 倭地の説明文ですから「其」は倭地を指しますよ。
「出真珠 青玉」を山と判断する文字はありません。
中国人に聞けばいい。漢文の恣意的解釈多すぎ
988 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 20:51:34
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
>>986 その文章では海産物は他に一点も記述されてないからね。
それに真珠は白珠だと思うけど。
990 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 20:55:55
>>987 中国人でも古い漢文は読めないよ。
白川静とかの方がよく研究している。
真珠は水銀朱の粉末状にされたものでしょう。
和舟漕がれてたけど何か意味があったのでしょうか?
993 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:04:54
>>987 北京語でも広東語でもないから、中国人に聞いてもいみない。
994 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:13:52
>>991 調べても珠に朱の意味は無いよ。
後の真珠は真朱の誤植で水銀朱でしょう。
>>990 >>993 でもあんたらも適当でしょ?近畿説にしても九州説にしても
自説に都合の解釈しかしないし。中国古書の研究は中国の方が進んでると思うわ。
996 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:19:45
新しいスレ立てようと思ったが、また ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。 またの機会にどうぞ。。。 と出た。もう一年くらいこればっかり。
997 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:20:11
>>991 珠を粉末状のたまと解釈したら水銀が無くなるよ。
>>989 珠だけで真珠の意味があるよ。
998 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:27:10
出眞珠、青玉。其山有丹 真珠、青玉を産出する。その山に丹あり。 「その山」はやはり「倭国の山」と解釈すべきだろうな。 そうでなかったら、其山有眞珠、青玉、丹 あるいは、其山出眞珠、青玉、丹 でいいわけだし。
999 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:42:01
>>998 でしょう。真珠と青玉は山の物ではないと思いますよね。
1000 :
日本@名無史さん :2009/11/25(水) 21:43:13
九州説で決まり
1001 :
1001 :
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