1 :
日本@名無史さん:
3 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 12:12:25
鍵屋の辻の教訓は衆道は悪。
池田光仲は終生女しか愛さなかった
4 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 17:20:06
鳥取藩、郡山藩、津藩、旗本、幕府とどんだけ迷惑かけてんだよ鍵屋の辻事件は
5 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 17:30:52
戦乱から太平へと移行する間で起きた
からこそのゴタゴタかと
6 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:27:53
>>3 池田光仲は年齢的に関わっていないと思う。
従って鳥取に引き取ったのも光仲の意思ではない
藤堂家って柳沢にべったりしすぎてどこかの大名と喧嘩寸前にならなかったっけ?
石高少なく屋敷が広い藩
美濃郡上藩48000石 青山墓地10万坪
信濃高遠藩3300石 新宿御苑66000坪余
9 :
日本@名無史さん:2009/11/25(水) 19:12:37
>>8 もはや江戸とも呼べない僻地に屋敷地を貰った代償ってことで。
美濃郡上藩48000石
上屋敷 文京区本郷1 7839坪
下屋敷 青山 105704坪
下屋敷 三田 1000坪?
信濃高遠藩33000石
上屋敷 神田小川町 3630坪
下屋敷 木場 1792坪
下屋敷 恵比寿 4570坪
下屋敷 新宿御苑 66815坪
井伊が豪徳寺のあたりに土地持ってたそうだが、あれって領地?
屋敷じゃないよね?
>>11 2代井伊直孝の時に世田谷20ヶ村を拝領した
今も代官屋敷が残ってる
世田谷に貰うというのは、江戸に滞在するための賄い領・・・とか?
14 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:09:40
世田谷一万石。江戸藩邸の経費を賄う。
世田谷は2306石
16 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:38:14
良スレ
>>4 津藩は巻き込まれたのか、自分から首を突っ込んだのかわからんなあ。
しかし池田藤堂といった徳川と仲良しの大藩に家康の養子の郡山藩だったからたいした事にならなかったけど
適当な外様大名だったら三藩とも取り潰しとか、関係者全員切腹とかだよな。
18 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:43:39
世田谷は藩邸への薪炭の供給と普請の労役でしょ
19 :
日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:14:22
井伊家は関東だと世田谷と佐野に采地があった
世田谷みたいな一等地に館を構えるってすごいな。
やっぱり小藩は多摩川超えた先に屋敷を造るの?
21 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 04:12:17
思いっきり郊外じゃねーか
>>20 江戸の頃の世田谷は在所、つまり片田舎
一等地でも何でもねえよ
23 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:54:40
俺の大叔父が世田谷に住んでいて普通の広い家程度なのに
土地評価額が5億とやらで相続税が大変だった
資産は増えても借金まみれになった
24 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:58:45
土地を物納して残りを売れば済む話だろうが。
25 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 10:01:59
庭の分割はできるが屋敷の分割はできんしな。
26 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 11:04:45
屋敷も年季が入った古いものじゃないのか。一等地なんだからそのまま買って入る奴なんていないだろ。
更地にすりゃいい。
27 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:24:54
>>23 結局は更地にしてマンション建てました
家賃は税金と銀行と建設会社に吸い上げられています
完納したころには次の相続がおこるでしょう
28 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 17:11:23
>>27 マンションよりも法人にしてラブホの方が効率よかったかも?
>>27 でも不満がありつつも相続放棄しなかったんだろ?
30 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 19:03:12
放棄する必要はないだろ。とっとと金に替えてもよかったんだし。
土地はそんな簡単に売れないだろ
大名屋敷も、空き屋敷が出ると複数の大名が所望して倍率高かったらしいな
32 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 19:35:11
簡単に売れないから相続放棄って発想は、普通ありえんだろ。
そうか?
うちは大叔母の相続人の一人だったが、がめつい親族と揉めるのが嫌だから相続
放棄したけどな。直系尊属なら放棄はしないが、大叔母だし相続人が複数いたからな。
庶民だから額は一桁少ないけど。
面倒だから相続放棄ってのは世の中結構多いと思うぞ。
34 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 19:45:18
不動産処分の面倒さと一族の骨肉の争いを同列に語ってどうするんだ。
骨肉の争いってw
うちも不動産が複数あって簡単に売却できないのも一要因だったんだよ
簡単に売却出来ない、手持ちの現金で相続税払えないなら相続放棄する奴も結構いると思うぞ
詳しくはないが物納を認めてもらえない場合もあるみたいだし
まあ完全にスレチだから江戸三百諸侯の話に戻そうぜw
>>4 結末がイマイチすっきりしないよな、鍵屋の辻は
しかし島津や毛利ならまだしも鳥取池田は外様とはいえ家康の孫なのに、
よく旗本も公然と拒否したよな
37 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 21:57:40
松平忠直の乱行と徳川忠長の乱行は
どうも幕府のでっち上げだと思う
忠直の子どもの仙千代に福井を継がせなかったのも謎 母親は将軍家の娘なのに
38 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:07:17
そもそも仙千代は結城秀康の孫、しかも忠直の嫡男なんだから
れっきとした将軍後継者のはず。しかも結城秀康は秀忠の兄だ。
水戸の光圀が、兄を不憫に思い、兄の子に水戸を継がせたように
秀忠も兄の子孫を不憫に思い、将軍家を別格にした際の御三家の一つに加えることくらいできたはず。
なのに何故仙千代に福井を継がせ、御三家の一つに立てなかったのか。
水戸黄門の影響で「御三家=水戸」って思ってる人が多いけど、
家康は水戸を御三家に入れろなんて一言も言ってないはずだから、仙千代を福井の藩主に立てて
福井を御三家にしてもよかったわけだ。
尾張62万石、紀伊55万石、福井50万石でもいいじゃないか
>>36 それ不思議なんだよな
ほかの大名ならともかく神君の孫にけんか売って
40 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:15:36
>>38 水戸を入れろと言っていないが尾張紀伊が御三家だとも言っていない。
越前の場合、結城落ちして松平になったのが致命的。
将軍継承の道が閉ざされた代わりに石高は御三家と比べて優遇されている。
大きく出遅れてから、必死の慈円かw
ただ、結城秀康が梅毒末期で子供作れたのが謎
普通性器が使い物にならなくなる。
それでも死ぬ前まで出来ていたのを考えると毒殺説が・・・
>>39 ただ単に鳥取藩を敵に回したということじゃなくて、よりによって藩主(しかも家康の外孫)の
寵臣を討って脱藩・・・・という話だから尚更だよなぁ
>>41 荒らしさん毎回ご苦労なことだな
44 :
日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:38:07
端本が、遠回しに幕府に対しての嫌がらせか?
忠長の場合残しておくデメリットとしては
・領地が政治、経済、軍事の要所を押さえすぎている
・家康&信玄ゆかりの地で権威ありまくり
・二大街道を押さえているので、諸大名が通るたびに挨拶しなくてはならず「もう一つの幕府」状態
・織田家が外戚としてしゃしゃり出てくる可能性が十分に考えられた
まぁ秀忠も後々のこと考えてもうちょっと地味なところにすればよかったのに
お江与がうるさかったのだろうね
忠長、忠直は4代将軍争いに巻き込まれたって側面もある
当時既に家光の男色女嫌いは公然の秘密で、さぁどこの家から養子を向かい入れるかという
レースが既に始まっていた。
二大将軍の兄筋であり本来将軍になれた越前、神君ゆかりの地を拝し正室の子であり
浅井長政・織田家の血も流れるサラブレッドな駿河。
尾張や紀州よりこちらのほうに行く可能性も十分あった。もし家光が嫡男をもうけても
一門の中で越前や駿河が格上になる可能性もあった。
こういう状況だと、いろいろ誹謗中傷合戦が起きたのは当然なわけで
光長は球姫の子だからな
秀忠と秀康の両方の血が入っていてある意味理想な養子だった。
ただ何故か養子レースに前田光高もいたというのが謎
なぜ分知によって一円領有していない加賀藩や福岡藩が
大身国持ではなく本国持のままなのかよく分からんな
ジャイアニズムで、支藩の領地も俺(本家)の物ってことかw
>45
奥州あたりで30万石与えて浅井の名跡たててやったら明治まで持つたと思うけどねぇ・・。
忠長卿は。
忠長の議論になると大抵浅井の話が出るが、浅井ってそんな継承しなきゃいけない名族か?
浅井に拘る意味が分からん。
忠長が浅井家の名跡を継げば、家格は御三家並みで大廊下席、官位も
大中納言か宰相ということになるだろうからな。
母親の実家とはいえ、突如浅井が御三家に次ぐ家柄になるのはち違和感あるな。
信吉の甲州武田家だと納得なんだが・・・
52 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 12:32:48
基地外w
54 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 14:15:38
>>48 しかも、福岡藩(筑前国)には支藩の秋月藩領以外にも西端の唐津藩との境に、
江戸初期に秀吉時代に公領だった博多と交換されて幕領になった村々やら、
そこから分割されて対馬藩や中津藩の飛び地になった村があってややこしい。
加賀藩の場合も、支藩以外に加賀国の南端に本保領という幕領がある。
55 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 14:22:50
能登にも旗本領から幕領になった村々があるだろ。
56 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 14:31:34
そんな虫食い状態なのに、「本国持」なんて詐称もいいとこだな>福岡・加賀
57 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:38:00
志摩の稲垣、若狭の酒井、隠岐の松平、対馬の宗、壱岐の松浦あたりも本国持
58 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:56:32
しかし福井藩は忠直以降も藩主の自殺や発狂など呪われていますね。
それ以前に、出雲と対馬以外は家格としての国持大名ではないから本国持とは言わない
そもそも本国持という呼称に違和感がある
柳営秘鑑にはそんな呼称はない
どんな国持だろうと家格に差はないし
62 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 21:48:47
まあ、100%丸々でなくても8割から9割程度、その国を領有してたら、
四捨五入的に「本国持」なんだろうな。
陸奥の仙台藩とかは、さすがにそんな四捨五入は無理なのは明らかだから、
「大身国持」なんだろう。
でもそうなると細川越中が・・・
64 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 22:08:23
石高的には肥後藩細川氏が人吉藩相良氏を圧倒しているが、
面積的には肥後の南部の山間部はほとんど人吉藩領だからなあ。
やっぱり細川氏を本国持と呼ぶのはためらわれたんだろうな。
面積広すぎ、家臣多すぎ>人吉相良
俗に
相良に小南部>裕福大名
67 :
日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:28:11
>>51 忠長が浅井の名跡を継げば越前並みの大廊下下の間、官位も従四位下少将、稀に従四位上中将で御三家とは
比較にならない、並の国持ち大名待遇になるだけだと思うが違うか?
普通は会津松平家と同格になると考えるだろ。
越前は自滅して何度も家格を下げまくってるだけだろ
それでも豊後に配流された忠直の子の光長ですら三位中将、弟の忠昌も宰相
ここで踏みとどまっていれば並みの国持大名になることはなかっただろうし
名跡を継ぐと言っても、実態は浅井という名の新たな一門創設にすぎないだろう
家臣も重臣は幕臣から付せられるはず、駿河家の創設とそう大きな差はないと思う
家光と同腹である以上、保科正之の会津藩より家格が下がることは考えられないし、
(名跡を継ぐ分割り引いて、)御三家に准じて大廊下上之部屋、極官も従三位権中納言
と想像する。タラレバを言ってもしょうがないけどw
まあ忠長が浅井の名跡を継ぐなどあり得ないとは思うが、いくら他家の名跡を継いだ
としても、二代将軍の子の家が並みの国持大名になるとは考えられない。
必死の自演乙w
後例で見たら綱吉、綱重の2人が極官中納言で二五万石、紀伊尾張以下、水戸並みの待遇だな
72 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 01:20:51
ぼくのこともたまにはおもいだしてください。
きよたけ
越智家の名跡継いだからヒラ大名扱いですねwww
清武は将軍の子ではないし、甲府藩の一家臣の家督を継いだから仕方ない
75 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 11:18:18
僕のことも思い出してください
しげよし
失速したこのスレの現状に逆上した自演厨が
やたらと「語ろう」スレを立てているな
やめとけ、板汚しは
>>76 自演認定の次はスレ汚しか・・・どんどん被害妄想が悪化していってるな。
自分が一番の荒らしだということに気がついた方がいいと思うぞマジで。
他人事ながら心配だ。
78 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:54:56
将軍御台所が生んだ男子は
家光と忠長だけ。
五摂家の姫ってのはよほど生殖能力が欠けておったんだな
公家に影響力を持たれたくないから、譜代の家臣が殺して回ったんだろ。
81 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 20:24:57
逆に朝廷もごみ頭脳天皇の中宮になった和子に最後まで後継男子に皇位継承させなかったね
女性天皇なんてウルトラCまで使って(女性天皇なんてその前は900年前だからな)
82 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 20:47:28
足利藩を忘れないで
83 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:39:25
一瞬で消えた藩だと、最短記録ってどこでしょうか?
84 :
日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:47:42
幕末の川成島藩とか船形藩あたりじゃないかな。
維新後まで入れていいなら、交代寄合や付家老から立藩したとことか。
85 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:22:44
>>79 でも皇族・公家・他の大名に嫁いだ者は子供産んだ姫も多い
86 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:29:59
ガキのころから鉛中毒ではひ弱になって当然。
>>85 むしろ、武家(とくに大名)の子女が一番病弱というか、早世している割合などが
高いような。
江戸期以前に比べて、早世した子の記録が残り易いとはいえ、戦国〜江戸初期までは
けっこうの数の大名が正室の子だけど、中期以降は一気に「母は某氏」が増えているように思う
88 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 11:09:09
朝から必死だな
89 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 11:43:34
松平忠輝とか宇喜多秀家は無駄に長命だな
社会的に抹殺されていたのに
絵島も配流されてから長く生きた。
長生きというほどではないけど。
江戸での生活ってのは健康的ではないのかもしれんね。
庶民レベルでは江戸は人口消費が大きくて再生産能力が低い。
外部からの人口流入によって都市が支えられてたという話もあるが。
>>89 ・規則正しい生活
・超健康食
・隔離(伝染病の可能性が低くなる)
そりゃ長生きするわな
結論は白米食を辞めて麦を食え
93 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:40:33
>>91 宇喜田秀家が流された八丈島は飢えと隣り合わせの島だろ。
前田家から支援があったとはいえ、そんなに充実した食生活を送っていなかっただろう
>>93 八丈島は昔から伊豆七島で一番農作物が作りやすく豊かな島
95 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:43:49
豊かではない
ストレスがない
粗食
これが一番長生きする
>>93-95 江戸時代に一回大飢饉に襲われて
千両箱(貯金箱?)抱えて死んだ家康の末裔がいたはず
といっても伊豆7島の中では確かにましな方だったかも
島流しでも八丈島と佐渡では天国と地獄
八丈島では現地妻を持った流人も少なくない。
魚は獲れるし何より暖かい。
99 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:55:17
佐渡って魚いないの?
100 :
日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:29:05
金山労働が過酷って事なんでは?
金山はじん肺で五年くらいで死んじゃうし。
江島や忠輝は粗食だけどかなり健康にいい食事だったのだろうね
八丈島には何度か行って、町営の民俗資料館にも行ったが、宇喜田秀家はじめ
流人の生活にも触れられていた。江戸から船に乗せられた流人たちは風待ちの
ために三宅島に2ヶ月かそこら滞在するが、そこでは大歓迎されるが島を離れる
時に法外な金を請求される。八丈島に着くと流人たちは各集落に割り当てられるが
三宅島での記憶から心を開かないが、村人は温かく迎え、そのうち嫁の世話まで
するようになる。やがて子供もできたころ赦免の知らせが来ると家族泣き別れに
なる場合もあったが、一度故郷に帰った後妻と子を引き取りに再び島に行った者も
多い。それが民俗資料館の解説で、一方的記述かと思ったが後で三宅島にも行って
三宅島のぼったくり体質は本当だったことを実感。その数ヵ月後火山噴火。
ぼったくり体質kwsk!
104 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:04:32
伊豆七島で一番豊かなのは御蔵島。
ただし流人はいない
参勤交代中に船が沈没してしまった藩ってありませんでしたっけ?
来島って言えば泣く子も黙る海の漢だぜ!!!
岡水軍テラワロスwwwww
108 :
日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:43:10
加賀藩と仙台藩って本当はどっちが実際上だったんですか
三百藩の中で一番は加賀と仙台どっちなんですか
2000年3月ごろ三宅島へ行った。島でレンタカーを借りる。ガソリンスタンドを
兼ねたレンタカー屋なので返却時にそこで満タンにする。リッター165円ぐらい
請求された。小さい島なので自分たちは軽を借りたのでガソリン価格は大した
金額にはないが、別グループのもっと大きな車を借りた奴は怒ってた。
当時は都内の杉並・世田谷あたりではリッター100円前後で、八丈島でも10円高い
程度だった。噴火はその約4ヵ月後。
>>110 ありがとう。
いくら離島とはいえ、165円は高いなー
八丈と三宅島でそんなに値段違うのか・・・
112 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:43:34
八丈は諸手当の額が違うんだよ。
113 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 07:34:44
地元の人間が別料金というわけでもなかろうに。
114 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 08:14:03
単なる塩水の交換をケチってクサヤ汁にするだけのことはあるな。
三池藩、三池郡を全て領有していたら2万石くらいはいきそうだ
>>113 いや、レンタカー屋がガススタを兼ねてるんでそ。なら、地元の人間は
使わないだろうから、実質別料金ってことでそ。
117 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 19:58:22
同じ島流しでも種子島は食物も豊富で楽な暮らしができたらしい。
大坂からは薩摩藩の役人が護送を担当。
どうせなら種子島とか八丈島とか南の島がいいな。
という俺の先祖も土佐へ流罪か。
石高・領地が多い割に陣屋大名というと何処がありますかね?
>>119 支藩とかなら鍋島の鹿島藩とか小城藩、毛利の長府藩や徳山藩では
誤三京
123 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 14:51:05
井伊家は、越前松平家の格式と同じ扱いになる事を求めて、
幕府に運動していたそうだが、
越前松平家の格式って、どんなものだったの?
譜代筆頭の井伊家が、越前松平家の格式と同じ扱いになるように、
幕府に運動していたくらいだから、
越前松平家は、井伊家よりもかなり良い扱いをされていたんだろうか?
124 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 15:11:42
越前松平って結城秀康の系譜じゃなかったったけ?
だから松平の中でもそんなに格が高くないとかなんとか聞いたきがする
125 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 15:15:38
御三家御三卿に次ぐ家。
126 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 15:31:21
家門筆頭
127 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 18:36:23
極位極官は、井伊家は正四位上近衛中将、
越前松平家は従四位上近衛中将で、
官位でいえば、井伊家の方が上になるが…。
また、江戸城の詰所は、井伊家は黒書院溜之間、
越前松平家は大廊下下部屋だから、
こちらの方は、両家とも遜色ないな…。
官位や詰所以外の待遇とか処遇を求めていたのだろうか?
>>124 越前系松平自体は元々は相当に優遇されていた
それを早世・配流・自殺・御家騒動などで自滅しまくって、
その度に石高も家格も下げまくって当初より格も低くなった
国持・城主の差とか、参暇上使の差とかそんな感じか?
井伊って松平?
131 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 21:31:52
>>130 井伊家は、赤鬼直政の時に、
家康から「そなたに松平姓を与えよう。」と言われたが、
直政は、「井伊は、由緒ある姓だから、折角ながらお断り申し上げる。」と辞退している。
また、諱の方も、井伊家の通字である「直」を代々受け継いでいるから、
将軍家から偏諱を賜る事も特に無いな。
>>119 石高が多い陣屋大名には
肥前小城藩鍋島家は、73000石
柳間の外様大名
家格が高い陣屋大名には
伊予西条藩松平家は、30000石
大広間の親藩大名
がいる。
133 :
日本@名無史さん:2009/12/03(木) 23:49:18
蜂須賀が最強
134 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 00:11:42
>>123 それは知らなかったな。出典は?
松平越前守家 ( )は中期の家格低下時
伺候席大廊下下之部屋(大広間)
官位
初立ち正四位下少将(従四位下侍従) 極官正四位下中将(従四位下少将)
井伊掃部頭家
伺候席 溜間(定溜)
官位
初立ち従四位下侍従 極官正四位上中将
定溜三家は国持大名上位なので家格低下の時は逆転している。
136 :
135:2009/12/04(金) 00:36:49
因みに越前守家がなぜ正四位下かというと、
初期に従三位に昇っている先例があるから。
慣例として正四位上に昇ると従三位にはなれない。
松平光長の従三位中将という微妙な位置づけが面白い
138 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 02:11:32
まあ大聖寺十万石が最高の陣屋大名なんだがな
ところで大身の陪臣で官位持ってるのはいたの?
いくら大身でも小身の大名より地位は下?
自分で答えろw
大阪の陣頃の浅野家と木下家の日記を読んでみたい
>>138 大聖寺藩前田家は初叙任後家督数年後には4品昇任が認められた家
但し、在所の居宅が外形的な「城」ではなく「陣屋」であった。
よって300諸候最大の陣屋大名ともいわれたらしい。
しかし、119も132も「家格」としての陣屋のことを説明している。
国主⇒城主⇒城主格⇒陣屋という家格としての「陣屋」
まぎらわしい。
143 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 06:32:06
>>135 「江戸に学ぶ日本のかたち」(山本博文著)の[第二章 武士のかたち]の中に、
「井伊家は、譜代大名としては唯一少将に上る家である。
このため、親藩である越前家とほぼ同等となり、越前家の格式と同じ扱いになることを求めて運動した。」
と載っていたが…。
井伊家代々の藩主は将軍世子の元服式での加冠役を務めまた、将軍家の名代として
日光東照宮に参詣する日光名代を務めている。
さらに京都御所に対し将軍家の上使となるなど特に家格をあげておく必要があった
のではないかと・・
国主格、10万石格、老中格・・
今の人間からしたら格式は多少低くても経済力があった方がって思うが
やっぱり当時の人からすると逆なのかな
5万石程度のの老中(譜代)が50万石もの外様大名に「・・その方・・」
と言い、丁重にお辞儀をして貰える。さぞや気分がよかっただろう。
147 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 07:35:21
100、70万石の譜代を作らなかったから幕末に幕府は薩長に負けたんだよ。
148 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 09:14:19
その場合は、4代が終わった時点くらいにその譜代が執権とか呼ばれちゃってるかもしれないけどね。
御三家ですら頼りにならなかったんだから、大身譜代がいても同じことだよ。
149 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 09:28:49
100万石の譜代大名がいて大老になったら
他家には地位を渡さず天下人になってしまうかもしれない
150 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 09:30:56
>譜代大名がいて大老になったら
>他家には地位を渡さず
それなんて井伊家?
>>149 >100万石の譜代大名がいて大老になったら
>他家には地位を渡さず天下人になってしまうかもしれない
譜代じゃ無かったけど、徳川家自体が豊臣家の大老から
天下人になったしな。
>>139 陪臣で諸大夫に叙任されたのは、初期を除けば御三家と前田家のみ。公卿相当の
官位に昇る家格だからではないかとされる。(豊臣期も、公卿に補された大名の陪臣が
多数諸大夫に任じられた。武家清華家ともなれば供が無位無官というわけにも・・・)
尾張家・紀伊家は付家老のほか6人の家老が従五位下に叙された。水戸は5人。
前田家は元禄15年以降、加賀八家のうち4人が諸大夫になった。
吉川家(岩国領主・6万石)だろうと、本多家(加賀八家・5万石)だろうと陪臣は陪臣。
石高に関わらず大名と陪臣には決定的な差があり、陪臣である以上、城主であろうと
6万石であろうと、比較するまでもなく1万石の陣屋大名以下の扱い。
>>143 玄関式台に刀番が上がれるかどうか、とかそんな感じなのかな。
>>145 経済力より格式の方が遥かに重要だろうね、御家にとっては。
わずか3万石の御連枝が大大名と肩を並べ、たった5、6万石の長府毛利家が准国主時代には
賜諱・殿上元服・侍従の家格で国主クラスの家と姻戚関係にあるのに、並みの大名に転落後は
国持大名との縁戚は皆無だし・・・
154 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 12:32:41
>>144 京都上使ならば、井伊家に限らず、溜間詰大名ならば起用されるチャンスがあるな。
この役目を無事に務め上げると、
官位昇進が待ってるからな。
…もっとも、井伊家は、京都上使だけで無く、
将軍若君(世子)の宮参りの時(宮参り後に、井伊家上屋敷に立ち寄る。)や、
将軍世子の元服加冠の時、
節目となる家康の回忌(五十回忌、百回忌、百五十回忌、二百回忌、二百五十回忌)での日光東照宮参拝(無論、将軍名代として)
の役目等を無事に務め上げると、
官位昇進が待ってるがな…。
155 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 14:29:48
>>154 溜間詰大名は、将軍の政治顧問の役割を担っていたそうだが、
幕府初期や幕末期を除いた幕府の安定期に、
幕閣(或いは将軍)が、溜間詰大名に諮問するような政治的なネタはあったんかな?
156 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 15:47:42
>>153 刀番の侍は、
御三家の刀番は、大広間溜で待機。
前田家・島津家・伊達家・毛利家と、
越前松平家・津山松平家・松江松平家及び、
溜間詰大名の刀番は、玄関を上がって遠侍次之間の前のあたりで控えていた。
それ以外の面々は、玄関に上がれないから、
主人が退出するまで玄関の外で刀を持って立っていなければならなかった。(「江戸城」 村井益男著による。)
これに関してみると、井伊家と越前松平家との差は無いな…。
ちょっと質問なんだが、京都の細見美術館でやってる江戸琳派
展の展示物の解説文で、変なことを書いてやがったんだが、林田藩
建部家は姫路藩酒井雅楽頭家の分家だそうな。取り敢えず手元にある
『城郭・陣屋・要害・台場辞典』と『西日本の城・陣屋』を当たったんだが
そんな事実は載っていない。ネットで調べてももちろんそんな事実はない。
何処にそんな資料があるんだ?
酒井雅楽頭家から養子でも取ったのを言うのなら、蜂須賀家は徳川家の
分家になっちまうわなあ。
美術館の学芸員なんてそんなもんかもしれないけどな。専門外だし。
160 :
158:2009/12/04(金) 18:38:10
>>159 回答ありがとうございます。
とても支藩とか分家なんて言えた間柄では無いですね。
藩祖・建部政長と酒井忠勝娘の系統が途絶えることなく幕末に至ってるようだけど、
吉井松平が紀州の準分家扱いだったり、長州毛利が越前一門とされることがあるから
そんな感じなのかな?
あるいは、徳川家と鳥取池田や広島浅野みたいな?
でももしそういう繋がりがあったとしても、分家とは言わないよね・・・
162 :
158:2009/12/04(金) 18:48:30
しかし、林田藩の分家の旗本は和算で有名なんだね
>>158 酒井忠勝の長女ってのまではぐぐって判明
猶子とかでもないようだ
ホントに勘違いみたい
164 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 19:47:36
大藩のそばの外様小藩という関係もあって、林田藩は江戸期を通じて姫路藩とは親しくやってたようだけどね。
酒井雅楽頭家が姫路に移封されてからは更に仲良くなったのかもね。
165 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 20:43:06
鳥取藩の荒尾は家老の分際で、天守のある城も持っていて15000石。
他の大名家にこんな家臣はいない?
格で思い出したけど、新興の柳沢が称松平を許されて
久松や奥平以外の譜代大名は反発しなかったのだろうか?それこそ
筆頭の井伊すら名乗れないのに
あと、御所号を許され歴史の長い佐竹・上杉・細川は称松平を逆に辞退したのに
島津が松平を辞退しなかったのが疑問。毛利は初期に嫁を送り込まれたから仕方ないが
167 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:35:09
越前松平って、本家の格は御三家よりはるかに下だけど、
一門の総石高は御三家(水戸には高松を加算しても)より、
多くなるんだよな。
168 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 22:13:08
>>167 一外様だと一族そろっての石高って味方もあるだろうが
あえて言うなら徳川の分家である越前家単位での総石高って意味があるモノなのだろうか?
おい!Googleで津藩と検索してみろ!
>>169 確かに越前家の流れを汲む大名家旗本家にどれだけのまとまりがあったのか疑問だな。
越前流と言えるような一門とらしきものを形成していたのだろうか?
その辺りは,御三家とその連技との関係と違う印象だな。
172 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:17:47
>>171 福井と津山で越前本家を争って犬猿の仲ですが
2ちゃんやWikipediaにはな、
有名な津山厨ってのがいて・・・というか今でもいるけど
「越前家の”宗家”は津山藩だ。異論は認めない」
と延々と叫び続けるので、越前家の話題はこれくらいにしといたほうがいい。
>>166 薩摩藩の初代藩主・家久(某板では同名の叔父と区別するためdqnとかいわれる香具師)が
幕府へのごますり野郎だったから。
参勤交代も薩摩藩が始めたと薩摩藩側の文書には明言されているがこれはどうなのかな。
それ以前から江戸への人質とか参勤は他藩でも行っていると思うのだが。
>>172 津山「本家はウリニダ!誇らしいニダ」
福井「(無関心)」
津山と越前の本宗争いは,その成立と経過からある意味必然だと思うが
その他の秀康系の各家は,どのような関係はどうだったのだろう。
秀康流としての一門意識があったのだろうか?
177 :
日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:44:40
>>165 伊達藩の片倉とか、前田藩の長とか
万石取り・実質上城主の家臣って、大藩には結構いるね
こんなに不自然なレスが続くのなら自演と書かれても
>>173 「柳営秘鑑」によると
福井は本家、津山は嫡家。
名乗りの越後守、三河守は津山独占。
この辺の優位を言いたいんだろね。
郷土愛だよ。
>>165 城持ち陪臣は結構いるな。附家老は除くと
紀伊大納言家
伊勢国田丸城 久野氏
松平加賀守家
能登国七尾城 本多氏
能登国穴溝城 長氏
松平薩摩守家
日向国都城城 島津氏
松平陸奥守家
陸奥国岩出山城 伊達氏
陸奥国白石城 片倉氏
細川越中守家
肥後国八代城 長岡氏
松平安芸守家
備後国三原城 浅野氏
松平大膳大夫家
周防国岩国城 吉川氏
松平因幡守家
因幡国米子城 荒尾氏
松平阿波守家
淡路国洲本城 稲田氏
越前は,忠直,光長と下手を打って家を没落させたのに。
水戸は,家も家格をよく守りとおしたな。
182 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:26:42
水戸は定府ってのが大きいと思う。
183 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 02:10:29
薩長連合って武家諸法度に違反するのか?
自身が擁立した綱吉と反目になった光圀、藩政改革失敗で将軍候補失格の綱條
越前家並に幕府から因縁付けられたらヤバかったかも・・・
186 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 08:45:53
>>184 越前家は、
藩祖が秀忠の実の兄貴だぞ。
二代目は、秀忠の娘婿で、家光のいとこで義兄
まあ、秀頼の義兄になるのだけど。
187 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 09:47:51
>>185 ある程度体制が固まった後だから問題ない。
尾張宗春なんてもっとマジやばかったが、結局尾張家の家格には影響しなかった
188 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 09:53:27
大名行列で下に、下に
と言うのは御三家のみだったらしいけど、
歴史の授業では未だに、
下に、下にで通行人は全員土下座なんて教えてるの?
>>188 自演の上に以前出た話の永遠の繰り返し
何のためにスレやってんの?
190 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:09:55
>>188 自分は教えられなかったけどな
先生本人の問題じゃないかな?きっと。
歴史の授業というよりかは、時代劇とかの問題かな
192 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:47:02
三百諸侯っていうけどさ、
この日本に300はどう考えても大杉だよね。
豊臣時代はもっと大名の数はずっと少なかったわけだし
勢力分断して幕府の力を安定させようとしてたんだね。
その代り日本の発展を阻害してた気がする。
>>192 ずっと少ないということはないと思う。
今、手元の角川日本史辞典の織豊大名表の、
関が原直前の大名のリストを数えてみたら、
240もあった。
それに、家康の下に、三十以上の万石越えの家臣がいるから、
それほど変わらないと思う。
市町村っていうけどさ、
この日本に1800弱ってどう考えても多過ぎだよね。
江戸時代は、三百諸候だったはずだし
勢力分断して中央政府の力を安定させようとしていたんだね。
その代わり日本の発展を阻害している気がする。
195 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 11:37:33
240って意外に多いな。
地方は徳川、前田、毛利等の大大名で占められていたが
畿内には小大名が分立してたのかね
>>186 頼房の場合、家光から仲の悪い弟より、そなたを頼りにしておるぞという書状を
送られたという話が伝わっているね。
「兄弟これあり候ても役に立たず候間 このうえは其方を兄弟同前に思い候まま
いよいよ万時その心得あるべく候 謹言」だそうな。
198 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:27:35
>>196 市町村って一括りにしてるけど
例えば横浜市の財政規模は一兆円を軽く越え
職員数は77000人にものぼる。
旗本八万旗なんていう江戸幕府とたいして変らない。
まぁ、面積その他は全然違うけど
199 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:29:06
八万騎と八万人の区別がつかない馬鹿がまた出てきましたな。
200 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:39:08
ネタにマジレスされてなんとも困った
201 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 12:52:33
井伊家以外の譜代大名が少将に昇進するには、
やはり、大老職か大老職に準じる役目に就く以外に無いんかな?
立花も加藤も元々は他所の大名なのに地元で人気があるのはなぜだろう
強いから?
203 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 13:01:17
将軍家や御三家、前田、越前と言った別格くらい高い所から
当主や嫡男の姉が格下大名に嫁いだりした場合、嫁ぎ先を義兄として
扱かったのだろうか?
逆に格下大名から嫁に来るケースの方がさらに義兄として扱うケースが多いかな
と思ったら上の大名は大抵、公家か宮家から正室呼んでいるのだな。
>>201 大老に就くしかない。
大老は少将職だから。
206 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 21:55:47
成り上がりの
柳沢や田沼はともかく、
土井や酒井は、
自分の権力の絶頂期に、
井伊の力を削ごうとしなかったのかな?
本多と大久保は争ったのにな。
井伊の力なんて存在しないから削る必要がない。
井伊にあるのは譜代筆頭の家格と大老になる特権だけ。
井伊出身の大老は普通は何の実権も持ってない。
結局床の間の飾り物にすぎないからね。
本多と大久保はどちらも強大な権勢を持ってたわけで状況が違う。
本当に自演丸出しだなw
209 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 01:10:48
>>206 幕藩体制が固まってからでは、よほどの失態がない限り
減知とか家格を落とすことはできないだろ
ってことで、幕藩体制が揺らいだ幕末は、藩主が暗殺されるという
失態を犯した井伊家をどかんと減封。
知ったかを披歴するだけのスレはここでつか?
>>211 いえ、基地外粘着が一人いるスレです
みんなわかっているので無視しています
よくワカタw
一人を除いて知ったかなんだw
参勤交代時
あんまり仲の良くない大名の城下町を通る場合があるとしたら
やっぱり極力宿を使わないようにしたりしたのだろうか?
仲の良くない大名という訳ではないが、諸侯の中で最小の喜連川氏は
領地に奥州街道が通っていて宿場の稼ぎも収入源だったらしい。
仙台伊達氏などが喜連川を素通りして江戸に向かうと、喜連川氏も
急遽江戸へ向けて出発し、城中でいやみを言ったとか。
喜連川の当主の仕事は釣りをすることだったらしい。
217 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 09:51:30
明石松平が尾張領内通行禁止になってたけどこういうのも有りなんでしか?
農民に化ける話?
もしの話だが義昭にちゃんとした子供がいたら
幕府はどう扱かったのだろうか?
三百諸侯で源氏・藤原氏以外ってどれぐらいいるの?
223 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 18:16:48
秋田・木下・毛利ぐらいかな?でかいとこは
224 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 19:09:05
10万石台の大名は封土の連綿とした領有がほとんど許されず、通常は城下一円と藩が所在する国の内外に多くの飛び地領を持った。極端な場合には、一つの村を他の領主と分割領有することもあった(相給)。
↑
どんな例がありますか?
225 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 19:38:38
すべての藩について列記させる気かよ。調べれば簡単に分かることだから自分で調べろ。
226 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 20:31:19
>>201 井伊家以外に少将に昇進した者。
☆ 大老(大老格)就任による少将昇進者。
・酒井忠勝(若狭守系)、土井利勝、酒井忠清(雅楽頭系)、堀田正俊、柳沢吉保、酒井忠績(雅楽頭系)。[ただし、大老職就任以前に少将に昇進している者も含む。]
☆ それ以外での少将昇進者。
・板倉重宗、小笠原忠固、酒井忠器(左衛門尉系)、酒井忠挙(雅楽頭系)、酒井忠恭(雅楽頭系)、酒井忠実(雅楽頭系)、酒井忠学(雅楽頭系)、酒井忠顕(雅楽頭系)、酒井忠義(若狭守系)。
これでみると、井伊家以外の少将昇進者は、酒井家が圧倒的に多いな。
227 :
日本@名無史さん:2009/12/06(日) 21:43:40
>>224 たとえば摂津国の北部なんて淀藩・高槻藩などの譜代大名領に幕領、旗本領が錯綜してる。
彦根藩のある南近江ですら、幕領、旗本領、譜代大名領などが入り交じっててややこしい。
畿内、東海、関東なんて、たいがいそんなもんだ。
>>223 「うちの先祖は、誰だかよくわかりません」
と、素直に申告した藩があったような。
>>227 山城や大和ではそれに寺社領・公家領・朝廷御料まで混じるからな、
複雑極まりない。
前田 菅原朝臣
毛利 大江朝臣
藤堂 中原朝臣
織田 宗 平朝臣
田村 坂上大宿禰
木下 豊臣朝臣
232 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 00:47:50
池田氏 ただの池田さん
蜂須賀氏 ただの蜂須賀さん
上杉は藤原朝臣?
熊本では清正が神格化されてしまい
細川家は熊本に移封後しばらくは、「清正公の先例に従って」という形で
とにかく清正の威を借りるしかなかった。
名門家としては屈辱だっただろうに
名門だからこそ、先例に倣うのは慣れていたんじゃないの?
忠興は清正と仲悪い逸話もあったのに
宗教で揉めたやつ
池田岡山藩と池田鳥取藩どっちが宗家なの?
>>237 備前だよ。
鳥取は家康の娘の子の系統だから
家格的に優遇されていただけ。
239 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 10:34:05
家康の娘の子でも親藩ではないんだな、松平ももらっているのに
将軍の男子でも他家に養子に行けば外様だから当然か
>>238 元々鳥取池田は家康外孫の新規取立てだから、岡山池田の分家という
感覚はないでしょう。岡山池田を宗家、本家と見ていた形跡も無いし。
豊臣姓をもらった上杉や細川がなぜ松平姓は拒否したのかよく分からん。
百姓上がりだと割り切って臣従できるが、豪族上がりの大名には頭は下げられん!とか?
>>215 喜連川の石高と格式のアンバランスさから来る財政難考えると嫌味のひとつもいっても良いような気がする。
イメージ的にバイトで生計立ててるのに愛車はフェラーリみたいなもんかな?
>>241 豊臣姓と松平姓では格が違う。
細川も徳川姓なら貰ってやるって言ってる。
まあ細川は羽柴姓を先に受けてるから、そういう理由ではないけどw
あれか、よそからきた上司だったら別に従えるが
同じ部署の後輩が上司になるのはどうも腑に落ちない心理と一緒か
245 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:22:44
「豊臣朝臣」と「松平」とでは(「徳川」でも)、格が全然違うよね。
あと、羽柴の頃はまだ時代が安定していなかったから、細川も必死だった
っていうのもあるんじゃないかな?あくまでも想像だが。
徳川の世になって戦国が昔となり、安定してきはじめたら、
古来の体面を気にする余裕も出てきた、と。
246 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:24:40
a
豊臣姓は朝廷から賜ってるんじゃねーの?松平と一緒にするなよw
秀吉が豊臣氏長者として官途推挙するから官位叙任される大名はおのずと豊臣姓に
限られることになった、と何かで読んだ気がする。
248 :
日本@名無史さん:2009/12/07(月) 23:47:36
例えば毛利が松平をもらう時には、
大江姓のまま松平だったんだよね?何か奇妙だ。
輝元は豊臣輝元として参議に補任されてる
小早川隆景、吉川広家も豊臣姓で侍従成
輝元・隆景・広家と一緒に諸太夫成した毛利の重臣8人も豊臣姓を給わってる
確認はしてないが、家康・秀忠も豊臣家康、秀忠で内府、中納言になってるはず
今回は低調だからかなり焦っているようだな
まあ平日昼夜を問わず必死になって体壊すなよ
自 演 乙w
自演じゃなくて補足レスで連続投稿(248・249・250)になっただけだが。
その区別もつかないのか、さすが荒らしw
誤記訂正
>連続投稿(248・249・250)
247・249・250
しっかし、よくもまあここまで病的に荒らせるものだ。他のスレでは湧いていないようだし。
前々スレぐらいから常時スレに粘着して見境なしに「自演」を連呼してるからな
理解をはるかに越えてるしw
スルーしろって意見はわかるが、レスしても気を削がれるんだよな
それが荒らしの思う壺なんだろうが・・・
>>256 なーに、定期保守作業して貰って思えばいいさw
松平は「御称号」
豊臣賜姓とは趣を異にする
正解
>>243 >細川も徳川姓なら貰ってやるって言ってる。
そんな事いえる訳がない。ソースは?
関ヶ原前
羽柴忠興
長岡光(のちの忠利)
関ヶ原後
羽柴忠興
細川忠利(家康より本姓の細川を名乗ることを許され、秀忠より一字拝領)
大坂の陣後
細川忠興
この時、土井利勝が忠興に松平の御称号を請えと言ったが、先に忠利が家康に本姓を
名乗ることを許されているので、こちらが本意だと断った。
261 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 09:47:52
松平忠興とか家康の祖先にいそうだな
尼崎藩最後の藩主が松平忠興だね。
263 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 17:57:39
そもそも幽斎、忠興父子はなんで名門細川の姓を惜しげもなく捨て去り、
長岡なんてなんのありがたみのない名字を名乗ったりしたのだろう。
普通に細川姓をずっと名乗り続けるか、どうせなら足利姓を要求すればよかったのに。
264 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:03:00
>>258 秀吉が豊臣姓を与えたのは、徳川でいえば源氏の本姓を与えるようなもので、
秀吉が羽柴名字を与えたのが松平の称号授与に相当する。
主君が重臣に自分の名字を与えるのは、伊達・黒田・鍋島のような外様の大藩に例が多く、
こうした門閥の家老・重臣が主家から拝領した名字を名乗っている。
明らかに織田をしのぐ貴姓ゆえ憚ったとか、主君信長の実力主義に
賛同することを示すため、あえて捨てたとか・・・。
266 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 18:12:00
「坂の上の雲」の秋山好古は、旧主の久松定謨のお付きとしてフランスに留学しているが、
その久松家は家康の異父弟の家柄で、最後の藩主は幕府史上最年少で老中までつとめたのに、
なんで惜しげもなく松平の名字を捨て去ったのだろう?
新政府の顔色をうかがってのことだとしたら、恩知らずにもほどがある。
>>260 原典が書いてないので弱いんだけど
岩波新書の今谷明著「武家と天皇」の63ページに、細川忠興の言として
徳川ならば御願いなさるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。
と書いてある。
上にも書いたけど原典不明。
まあ忠興の話ならおそらく大量に残ってる書簡が原典だろうけど。
269 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 19:25:35
侍はずっと威張っていたくせに、土佐藩兵が来たら刀も抜かずに
白旗を上げて城を明け渡した。
270 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 19:40:03
そして侍の子は町人の子に300年来の恨みで、さんざん虐められましたとさ。
271 :
日本@名無史さん:2009/12/08(火) 21:27:53
>>264 藤堂もそうだね。
譜代だと奥平はそんな感じがする(浄瑠璃坂の仇討ち)
>>263 元々末葉もいいところで、本来なら細川なんてとても名乗れない家でしょう?
和泉半国守護の系統だからな
自演というよりくだらねえ知ったかレスばかりなのが食傷だな
>>274 そういうおまえのレスが一番くだらない件wwwww
>>274 ならばまずはおまえが値打ちのあるレスしてみろよ
277 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:02:41
>>272 細川は普通に名乗れるだろ?
しかし「足利」は絶対無理ww
278 :
258:2009/12/09(水) 00:08:00
>>263 細川となるのは260氏の通り
以前は長岡
勘違いなきよう
>>264 俺に言っても・・・
279 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 01:28:03
長岡護美はいつ長岡姓になったんだろう
喜連川の養子になってまた実家に戻ったんだよね
分家して男爵から子爵って相当な出世だが
280 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 02:42:31
別に出世ではない
281 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 03:10:18
>>278 もともと細川で、信長時代に細川捨てて長岡になってたのでは?
283 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 16:11:13
>>279 長岡護美は相当優秀。
自分でも喜連川みたいな狭い器じゃないと自覚していたから、逃げ出して倒幕運動に加わったのだろう。
285 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:02:43
>>282 だから、なんで名門「細川」の姓を惜しげもなく、ボロ雑巾のように捨て去って、
「長岡」なんて、なんの有り難みもない、当時の所領の地名を名字にしたのさ。
これじゃあ、羽柴みたいな適当にでっち上げた新姓とどっこいどっこいだろ。
286 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:28:49
五摂家を筆頭に公家が藤原その他を名字にしてないのと同じ理由だろ。
287 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 18:32:06
藤原ってカバネじゃないんだっけ?
源氏でも新田とか足利を名乗るのと同じだろ
氏や姓を全部捨て去って、天皇と同等!と言い張ったやつはいないのか。
290 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:16:29
平将門?
291 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:22:50
細川と言ったって元は和泉半国の守護じゃないか
それを言ってしまえば名門上杉も元は長尾じゃないかという話になる
293 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 20:30:28
細川も長岡も地名だが、田舎の細川より千年前長岡京として都だった方が華麗で美しい。
そう考えたのです。
294 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 22:28:45
葛城・蘇我・平群・巨勢・紀・大伴・物部を名乗る武士はいないのか?
族譜のない大名ってちょっと恥ずかしいよね。
荒らしの来ない日って読んでて退屈だね。
17世紀厨藩までならともかく18世紀位になると
外様も親藩も譜代も関係なく婚姻関係が入り乱れて
殿様にはもう○○家!っていうアイデンティティがあったのか疑問
家臣にはあったとは思うが
名族・名家ってのは所詮は伝統と実績が作るもの。
大本の出自がどうであれ、百年、二百年領主をやって
いれば立派な名族だよ。
江戸中期以降になるとある意味名家じゃない大名ってないよな
そりゃ、大名であること自体が「名家」だからね。
>>300 柳沢 「いや、ウチは武田ゆかりだしぃ松平もらっているしぃ」
>>300 柳澤とか、甲斐源氏一門のむっちゃ名家だろ。
古来の名家が一度身分をやや落として、ふたたび側用人として世に現れた。
当時の感覚はそんなもんだとおもうよ。
柳沢は名家かもしらんが、真部はどう見ても名家じゃないな
間部は下手したら秀吉以上の出世だろアレどう見ても
家継があのまま存命したら北条執権になれたかもしれん
それにしても徳川は武田家が好きだよな。
何か間違えてたら滅ぼされていた相手なのに
>>294 巨勢は吉宗の母系にいたし
紀州藩とその後の旗本にちらほら
山内は意外と名家
309 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 10:20:05
>>308 でも鎌倉の山内首藤とは無関係なんだろ?
まさかソースは司馬遼太郎とかいうんではあるまいな
312 :
日本@名無史さん:2009/12/10(木) 13:00:16
>>292 山内上杉家のことを言ってるのだと思うけど、上杉家は鎌倉期より関東管領職を務めた超名門。
長尾景虎が上杉家へ養子へ入り上杉家を継ぎました。
長尾家は上杉家の前身ではなく、全く無関係でし。
>>312 そういう意味じゃなくて、江戸大名・肥後細川家、米沢上杉家の出自の話だから。
前身ではないけど、謙信は身一つで上杉家の養子となったわけじゃないからね。
>>306 好きというより状況がそうなっただけ。
武田は早い時期に滅びて、武田領を徳川が侵食した過程で譜代として取り込んだ。
武田領の有力国人は武田が滅んでも大部分温存されてたし。
信吉に武田の名跡つがせてるから、少なくとも好意的な感情を持っていたんだろうけどな
山内家は初期の名前は大体山内○豊だけど
幕末に近づくと山内豊○っていう風に名乗ってるのは何故
317 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 00:51:47
>>313 出自?
米沢上杉家とは、つまり足利宗家外戚にあたる関東管領山内上杉家にあたるのだが。
長尾家は上杉家の家来格の守護代。
長尾景虎は、上杉家家督と関東管領を継いだから上杉姓になったんだよ。
これが史実。
謙信は長尾出身だが、名門上杉が元は長尾ではありません。
念の為。
>>317 おまえもしつこいな。
そんな分かりきったことを言ってるんじゃないと言ってるだろうが。
流れを読めよ。
山内上杉家が謙信を養子にしたという形式面で捉えてるんじゃなくて、
滅亡寸前の上杉憲政が上杉家家督・関東管領を既に有力大々名であった謙信にすべてを禅譲した、
江戸大名・米沢上杉家の藩祖は景勝であり、その養父・謙信という実質面で話してるわけだ。
重要なのは謙信が上杉家を継いでも、重臣・家臣団や領地の中核は長尾時代の連中のままということで、
「元」というのはそういう実質面の話だ。謙信は「身一つ」で上杉家に養子入りしたわけじゃないだろう、逆に
憲政が身一つで謙信を頼り上杉を譲ったわけだ。謙信の山内上杉家継承の正当性など百も承知。
320 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 09:41:50
旗本には今川・北条家臣も多い
321 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 11:25:02
>>319 君は近現代史専攻なのかな
まあ、他の人に迷惑かけたら悪いからこれで失礼します
>>316 歴代16人のうち、一豊、忠義、忠豊以外は全部豊○じゃない?
将軍から偏諱受けない家だし、通字を前にもってきたのかもね
上杉厨は何を言いたいんだ?
@米沢上杉家は関東管領上杉家と血縁が無く謙信が長尾出だから名門ではない
A一応関東管領上杉家の正式な養子だから上杉の正統といえる
他にも言いたい事あるだろうが結論だけ述べろよ
324 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 15:08:49
兄弟で片や米沢藩主、片や高家吉良、断絶配流先で病死
落差ありすぎ
327 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 22:35:33
>>326 高島藩は忠輝と違い罪人として冷遇したからね
>>326 浅野DQN団がいなければ、高家筆頭な吉良はそれなりのよい身分。
浅野DQN団がいなければ・・・
そういえばそろそろ、DQN団のブッ込み記念日ですね。
高家を優遇しすぎたのもどうかと思うけどね。
五位侍従で十分だろ。
大老・老中や所司代、国持より上の従四位上少将なんて
扱いをするからおかしなことにもなる。
浅野浪士が相馬大作なみにDQNなのは同意。
330 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:34:20
職業柄昇殿するから4位は必要だろ
そういう仕事を高家がやらなければ大大名がやるのか?
侍従なら昇殿できるんじゃ?
332 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:40:10
吉良義周、同母兄に米沢藩主の上杉吉憲 異母弟に初代新田藩主上杉勝周、他に部屋住みみたいなのが2人
333 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 01:42:27
確かに侍従は昇殿出来るけど石高がない名門武家と10万石以下の大名との差が侍従付きかどうかだけというのはなあ
確か朝廷と接点のある京都所司代とかも4位じゃなかった?
所司代は従四位下侍従、御附武士は五位諸太夫だね
でも五位侍従でも四品諸太夫よりは上だから結構な高位だよ
従四位上少将なんて並の国持ちよりも上だろ?
並は従四位下侍従位で老年で少将、従四位上、中将に昇れるのは伊達島津位でしょ
島津とか毛利とか伊達とかを宮中との取次ぎに使ってたら、討幕の綸旨出されて
つるまれても困るからじゃ?
位だけ高い小録の高家のほうがはるかに安全。高家と大名が張り合ってくれたら
なお良し。
喜連川を高家にせず10万石大名格にした理由って何だろうね
高家って旗本でしょ。赤穂事件って将軍の直臣が外様の陪臣に討たれたのに、
何か外様同士の喧嘩のように取られているよな。
>>336 外様が取次はあり得ないにしても、
だからといって奥高家が老中・所司代と同官位だったり、肝煎にいたっては大老より高位
なのはどうなんだろうな。別にそこまで高くする必要は全然なかったと思うけどな
職掌上は従五位下侍従(奥高家の初官)で十分なんだし・・・
従五位下侍従ですら、従四位下の側用人・大坂城代や10万石級の大名より
官位高いわけだし
>>337 喜連川は家来筋ではないからじゃない?
また荒らしが騒ぎそうな流れになってるな
やれやれw
>>338 旗本御家人は万石以下の将軍家の家臣 ⇒ 直参
(外様系・譜代系ともに)
譜代大名は万石以上の将軍家の家臣 ⇒ 直参
外様大名は万石以上の将軍家の客分 ⇒ 直参
外様・譜代の家臣 ⇒ 陪臣
>>340 だから、
赤穂浪士 = 浅野の家臣で陪臣
吉良上野介 = 高家旗本で直参
だろ。
明治になってからのことだけどね、蜂須賀の子女は授業で矢作川のエピソード
が出てくると恥ずかしくてたまらないので後にはそのあたりになると
学校を休すむようになったとか聞いたことがあるけど足利に復姓した
喜連川なんかはどうしてたんだろね。
アメリカの小学校に通う日本人の子供が真珠湾攻撃の下りになると
居心地悪くて学校に行きたくなくなるという話があるが
悪を倒した正義の戦争ということでアメちゃんの戦争観は単純明快
蜂須賀といえばタバコ
345 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 09:13:29
アメ公は基本的に、日本を開国させて文明に浴させてやった教師的存在なんて思ってやがるからな。
346 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 09:18:58
>>344 葉巻だろ。葉巻といえば蜂須賀かマッカーサーかビル・クリントン。
蜂須賀侯爵が明治天皇から失敬したのはタバコだったような。
349 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 14:37:43
戦前、戦中の足利家の子弟は朝敵の子孫としてイジメられたと言う。特に軍事教練では配属将校からひどくやられたそうだ。
350 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 14:58:24
血筋は隠せんなぁwとか明治天皇に煽られたらその場で泣いてしまいそうだ
お約束の突っ込みだが。
明治大帝のころの蜂須賀は、もう養子で家系を繋いだなれの果てで、藩祖と血はつながってないだろ。
家を受け継ぐとはそういうもの
蜂須賀が失敬したのは銀食器って説もあるね
遂に大名諸侯のネタも尽きたな
そのようだな。
次スレ立てるなら三百諸侯(=大名)に限定せず、三百藩の方がいいかもな。
358 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 21:34:32
守谷藩細川家って熊本藩の支藩じゃないよね?
従五位下侍従>従四位下というのは柳営内だけのお約束だったような。
朝廷内の序列はあくまで官位基準で、従四位下>従五位下侍従
だから参内では、従四位下少将の高家よりも、従四位下侍従の老中方が下座だったとか。
高家は将軍の名代なのだから、従五位下程度の者を名代とするのでは将軍の対面が憚られたのではないですか。
将軍はあくまで正二位内大臣で、摂関家相当なのですから。
同じ公卿でも従四位下参議>従三位非参議じゃなかったっけ?
勘違いかな
>従四位下少将の高家よりも、従四位下侍従の老中方が下座
その辺は武家の座順でも少将の国持>少将の高家>侍従の老中となるはずだよ
官が優先で、同格の官なら位の順ということじゃないかな。
摂家の諸大夫も四位五位程度だし、従五位下侍従で低すぎるということはないと思うけどね
364 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:50:05
>>363 そりゃ、摂家の諸大夫よりは威厳をもたせたかっただろう。
江戸時代の幕府は力の上からは朝廷を統制する立場で、
摂家というのはいわば、その朝廷の中の臣下だからな
366 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 23:23:41
2009年 小沢幕府成立
これ歴史の試験に出るから覚えておくように。
覚え方はファックOZAWA!
高家は、幕府の意を朝廷・摂家に伝えるのが役目だから、余り身分の低い者では公家に軽んじられたのでしょうね。
従五位下では昇殿できるぎりぎりの官位ですし、御附武士や町奉行と同格では軽すぎたでしょうね。
さぁ、そろそろ大石DQN団がアップを始めた時間ですよ。
従五位下と従五位下侍従を同列に語るのはおかしい
>>358 忠興の弟が谷田部に封じられたことはある
忠臣蔵の主役は垣見五郎兵衛でいいと思う。
373 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 08:16:05
谷田部は忠興の弟を徳川の家来にしててそっちで加増の結果だったか
井伊家の当主を追われた井伊直勝の子孫は出来の悪いのが続いて減知されたらしいけど、
明治まで続いたからには、一人くらいはまともなのが出たのか?
376 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 22:13:35
しかも、井伊家の当主はもはや井伊の血統でも武家でも旧華族でもないからなあw
377 :
日本@名無史さん:2009/12/13(日) 22:17:13
井伊家って本家の先代までは、旧藩主が国元で市長やってる、旧大名家では勝ち組の部類だったのに、
いまや本家分家ともに、縁もゆかりもない一般人に乗っ取られたんだよねw
乗っ取られたってw
>>377 婿養子でしょ。とくにトラブルも無いのにそういう表現はよせよ
華族制度がなくなった時点で、血統の保持なんかをする義務は彼らにはもうないし、
したくたって事情によってできないこともあるんだよ。わかってやれよ。
近衛家が外孫の細川から養子をとったことさえ、
「なんたること!自分の家の歴史の重さがわかっていない!!」とか真面目に言いだす奴がこの板にはいるが、
アホも休み休み言えって思う。
自分の家柄の重さなんて、本人が一番強く感じてるものだろ。
何の事情も知らない他人がいい加減なこと言うもんじゃないよ。
佐竹の蕗のエピソードはほほえましい
ベトナム人と結婚するのはいいのか?
384 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 15:33:01
江戸初期に殿様結いを出来る家柄ってどの辺り?
時代劇で浅野、加藤、福島を初めとする豊臣系大名は茶筅だし、伊達、上杉は殿様カット、やはり戦国大名系で30万石以上とかいった基準があったの?
でも殿様結いの象徴とも言える織田信長は肖像を見るとみすぼらしい丁髷だったけど信長はハゲだったの?
385 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 15:35:38
>>384 確定している殿様カットは
伊達 佐竹 最上 上杉 前田 徳川 毛利 細川 島津位
例外はあるけど元々戦国大名であった所が確かに多いですね
って言うか殿様カットなんか本当にあったの?
肖像画を見る限り皆丁髷じゃない?
387 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 18:52:03
殿様カットとか殿様結いって、どういう髪型をさして言ってるんだ?
志村のバカ殿みたいな、直立してるマゲのことか?
(リアルでなら、岩倉使節団の記念写真のときの岩倉具視みたいなやつ)
ああいうのは、衣冠装束で冠をかぶるとき専用の髪型だろ。
当時の冠は、いまの天皇・皇族みたいに帽子式にスポッとかぶるやつじゃなくて、
ちっこい冠を頭の上にのっけて、上に直立してる部分にマゲを差し込んで、
カンザシで固定してたから。
388 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 18:55:41
幕末の大名の写真を見る限り、月代剃ってるか総髪にしてるかのちがいはあっても、
ほとんど普通の丁髷だよな。
まあ、時代劇に比べると、髷が細かったり、人によって月代が広すぎたり、狭すぎたり、
多種多様だけど。
>>383 それも時代の趨勢だろうな
今のままだと日本も移民不可避だし・・・
390 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 20:51:40
大河ドラマとかで家康や信長、秀吉がやっている髪型でしょ>殿様カット
391 :
日本@名無史さん:2009/12/14(月) 21:48:14
でも、教科書とかの肖像画での信長のマゲは、文字通りのチョンと結わえたマゲで、
ショボショボなチョンマゲだけどな。
オーラ!野郎ども!討ち入るぞ!
ぇぃ ぇぃ ぉー !
394 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 02:39:26
吉良?吉良ドコー!?
なんか隣家から提灯つけられてるし!
395 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 08:31:58
通報しました。
旧暦と新暦を間違えるんじゃない!
>>394 講談の脚色かと思ったらそうでもないみたいね
土屋さんも吉良上野介が嫌いだったのかなw
>>395 忠臣蔵=12月14日って刷り込まれてたw
そうだよな、そりゃ旧暦のことだよな
>>382 殿中でも大名同士、自慢話とかいろいろ歓談してたんだね
特に名産品がない小大名カワイソスw
398 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 18:16:00
大分経ってから赤穂浅野も吉良も名跡が復活いたしました。閉門の浅野大学が五百石の旗本で。吉良は分家の東条が本家の姓を継承する事が許されました。
大石の息子も芸州藩で1500石で取り立てられてるしな。
大学は直参とはいえ500石、単純に石高では主従逆転という皮肉。
400 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 19:42:13
と言う事は浅野も大石も吉良も子孫がいるわけですね。何でテレビで紹介されないんだろ?吉良は顔が知れたら全国から抗議文とか嫌がらせの手紙とか来そうですね。
大抵の改易大名の子孫って旗本になってるんだよね。
皇籍離脱した宮家の方がよっぽど不遇だ。
402 :
日本@名無史さん:2009/12/15(火) 20:48:01
浅野大学→悪役俳優の関根大学(太秦の大部屋)
土曜日の江戸博の「若狭野浅野家資料」のフォーラムは面白かったな
スレ乱発が裏目に出てこのスレはますます凋落していくなあ
いいかげんネタも尽きてるんだろうな
荒らしが荒らしまくって人減ってるし
地味大名決定戦の頃が懐かしい…
中堅大名決定戦しようじゃないか
408 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 06:03:51
吉原の女郎身請けして藩は越後高田に転封。本人は隠居押し込めになったのは榊原式部大夫だったっけ?
知ったかを書いて、さっさと自演して答ろや
なんかもう見てていやになってきた・・・・・・・・
>>409 荒らしに飽き足らず自演の助長かよ
いいかげんにしろ!
あんた言ってることがムチャクチャや
ならもういっそのこと、住人全員フシアナさんするかw
>>411 ムチャクチャなのは何でもかんでも自演に結びつける荒らしの方だけどな
「疑わしきはすべて黒」で冤罪多発ですよ、まったく困ったもんだ
これほど長期に渡って粘着して荒らされたらクソスレ化するのも当然だし
このスレID導入出来ないの?
シベリア板みたいにIP強制開示でもいいぐらいだよ
ID導入を話し合うスレを立てて、住民の意見をまとめれば導入申請ができるよ
ついでにBE_TYPE2も導入する?
417 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 10:46:33
このスレでは自演認定厨を受け入れてる奴がいるのか。むしろ自演認定厨自身が自演してんじゃねーの?
自演認定、自演の両方の対策の為に、IP表示かID導入って話になってるんだろ。
その話をこのスレでしても無意味だよ
420 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 13:57:41
自演認定厨さえいなければ、この板で自演なんてものがそこまで問題になることもないだろうにな。
これだけひどいと自演認定厨を越えてただの荒らしだけどな。
話の通じる相手じゃないし、荒らすのを楽しんでるとしか思えない。
マジでいい加減ID導入を考えたほうがいいんじゃねーか?
NGであぼーん推奨
荒らしに反応するのも荒らしです
>>422 もうスルーやNG登録で対応できないところまできてるからIDの話になってるんだと思うが?
ぬれぎぬで自演認定されて住人はどんどん去っていくし、こんな荒れたスレには新規住人も来ないだろ。
スルーしとけとか住人が甘いから荒らしが調子に乗ってるんじゃないか?
2chの普遍的なルールとして荒らしはスルーですから
話し合いたいならば、このスレではなく、別なスレに誘導すべきでしょう
ふさわしいスレがなければ、テンプレを書いていただければ私が立てますよ
>>424 そうだね、話し合うなら別スレの方がいいよね。
>>416さんの言ってる導入申請って板全体の住人の意見の話なのかな?
このスレの住人に限れば、ID導入に反対する住人はいないだろうけどね。
もう少し他の住人の意見も聞いてみて、スレ立ての必要がありそうならお願いします。
426 :
日本@名無史さん:2009/12/16(水) 15:54:08
お前らはスレだけの都合で板全体に迷惑をかける気かよ。
427 :
424:2009/12/16(水) 15:57:04 BE:165150465-PLT(16666)
416も私です
運営板やID導入、BE_TYPE2などぐぐってみることをお勧めします
他の板でのIDやBE_TYPE2の導入の過程が参考になるでしょう
あ、1でもありました
>>426 IP導入ならまだしもID導入迷惑かな?
むしろ他のスレの住人も歓迎だと思うが。
少なくとも、導入の是非を論じるぐらいは良いんじゃない?
>>427 そうでしたか、失礼しました。
ぐぐってみます。
遅ればせながら、>>1乙!です。
429 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 01:43:27
>>374 桂昌院の実家・本庄資昌は松平姓を与えられているが、宝樹院の実家の増山河内守は
どうして松平姓を与えられなかったのですか?
430 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 01:59:34
このスレが、
「自作自演をするあいつ」と「それを指摘する俺」しかいない、と思っているのなら、
それ、心の病ですから。
かわいそうに。
431 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 02:04:07
432 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 09:54:36
ネットで探した知識を貼る程度のレベルだから荒らされるんだろうな。
高校知識レベルなのにしったかで知識上級者へ批評評論するから住人がアホらしくて消える。
自作自演厨は、ここでしゃかりきになって高校日本史ラインを論じ合う奴らよりレベル高いんじゃないのかな。
本来的に日本史板にいるべき学びと知識の住人は、皆さんここからおまえらの活躍で撤収したようだね。
おまえらが運営者を気取るならば、運営に問題があるのでしょうよ。
歴史を修めるとは人間を学び続けること。
おまえら客観的に見て浅いんだよ。
>>432 論旨も理解できず、上級者気取るあなたが一番浅い。
>>432にも一理あるとは思うけどね
9スレ目は良くて各種事典に載ってるレベルのレスばかりだし、史料や論文等に親しんでる
上級者がいなくなったのは事実だろう
しかしながら高校日本史ラインというのはそれはちょっと言葉が過ぎる
ネットから引っ張ってきたレベルというのは同意だがな
言ってる内容はあながち間違いじゃないのに、
>>432みたいな物言いを上から目線でするから
反発を招いて誰も耳を傾けないんだよ。残念なことだ。
レスのレベルと荒らしを結びつけているのもひどい。荒らすような上級者ならスレに必要ない。
436 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 11:20:36
>>433 いつも見てるけど、おまえはワンパターンなんだよ(笑)
論旨?論旨ってなんだよ?何の論旨?おまえの何の書き込みの論旨のことか?
結論、おまえが文字で表現したことしか誰もわからない。
おまえの論旨を無理やり察すると、おまえを中心に周囲から「そうだね、凄いね」と言ってちょうだいねってことだろか?
どこの大学かしらないが…ちょっと厳しいな。まさかヒキちゃん高校生じゃないよね?
元々いた住人達は、みんな学問板らしからぬスレ実態に嫌気がさして消えたこと忘れない方がいい。
安心しろ、俺もこれが最後の書き込みだ。
バイバイ。
437 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 11:24:41
438 :
435:2009/12/17(木) 11:28:50
439 :
435:2009/12/17(木) 11:30:28
書き間違えた
俺は435だが433とは別人だから
勝手に自演認定すんな
440 :
435:2009/12/17(木) 11:35:16
>>436 あなたもね、今まで鬱積していたものを吐き出したいのは分かるが
相手を中傷する文章には何の説得力ないよ
せっかくまともな意見でもその点がすごく残念だよ
>>436 お前、馬鹿丸出しだなw
つまらぬ下種の勘繰りしかできないなら
とっとと敗走したほうが賢明だw
442 :
435:2009/12/17(木) 11:40:29
>>441 437はいつもの自演認定厨だろうけど、432は言い方はともなく内容には一理あると思うぞ
中傷合戦は止めとこうぜ
言いたい事言って逃げたのか?
まるで子供じゃないか。
444 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 12:29:06
なんだかんだ言いながら、皆で和気あいあいだな。
ほのぼの感が伝わるぞ
432って、別に特徴のない、普通の中二病だよね。
重症の。
446 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 18:24:34
IDなんか導入しても、自演する奴はPCと携帯でせっせと自演するだけだからな。
お国自慢板あたりではそんな感じのようだ。
>>432の言うことは一理あるけど、もともとスレッドの趣旨からして浅く広くが正しい姿だと思う。
深く語るのは江戸時代の大名を全部ひとくくりにしたこのスレには似合わんと思うんだが・・・
それぞれに特化したスレはあるんだから、そちらでやったほうがいいんでは?
>>446 それでもIDの末尾で携帯かPCか判別できるし
投稿時間が近接していても、IDの異なるPC同士のやり取りで単発IDじゃなければ
自演じゃないと一応言えるんじゃないかな?
一番の問題は実際に自演があるのかどうかじゃなくて、ぬれぎぬで無関係のレスが
自演認定されて荒らされてる惨状の方だよ。
古参住人が去った主な理由は、432のいうレスのレベルの問題と自演認定厨が荒らし続けてることの両方だと思う。
スレの現状に不満な住人は他にもいるだろうし、この際いろいろ話し合ってみるのも良いんじゃないかな。
449 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 18:58:19
自演認定厨を無視できずに一緒に荒らしている奴らが多いなら、無視できる忍耐力を付ければいいだけの話では。
>>447 その辺はなかなか難しいところかもね。
日本史板全体が過疎気味だからなー
452 :
451:2009/12/17(木) 19:37:16
>>447 それと、他の学問板ならその分野を専攻している研究者、学生ばかりだろうけど、
日本史板に限っては、史学専攻の住人以外にも一般の歴史オタも多く混在してる
というこの板の特殊性も大きいのかもね。
>>432の意見にも絡んでくるけどその辺の共存、住み分けはなかなか難しいと思う。
453 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 21:57:21
まぁ、そんなに肩肘はらんとおだやかにいきまひょ
しょせん2chやおまへんか
自 演 乙
これはもう終わりかもわからんね
456 :
日本@名無史さん:2009/12/17(木) 23:17:14
>>455 ではニー速から応援呼んで、スレの後始末を手助けしてもらいましょう。
浅野の叔父は、なんでキレたの?
458 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 10:19:57
家康の幼名は竹千代だったっけ?いいんだよな。
459 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 11:07:14
確かに住人の質は落ちた気がするなあ。
前スレなんか有識者にくってかかったり、
教えてもらってお礼の一言も言えないヤツなんかひどかった。
461 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 19:50:01
他の板で無知な奴が戦前日本での華族と貴族の法制上の区別を知らなかったな。華族=日本人有爵者。貴族=朝鮮人有爵者。ついでに貴族院の貴族は勅任、勅選程度の広い意味であり、有爵者のみを限定しない。平民でも勅選で任命された。
かといって2ちゃんでマナーを強要するのもかなり白ける
倣岸不遜な奴にはレスしなきゃ済む話だし
所詮匿名の場なのに上から目線の上級者()笑も散見される
話の取っ掛かりの為にまず疑問形でレスする場合もあるだろうし
過度の質問者、回答者の区分けは柔軟な流れを大いに阻害する
要するにどっちもどっちだ
どうしても貴族=朝鮮人ということにしたいキチガイがここにも湧いたか。
華族令が制定されたり、貴族院が開設された頃、日本に「朝鮮貴族」なんて存在しなかった。
日韓併合後、新たに朝鮮人の貴族制度をつくった際に、華族と区別するために別の名称・制度にしただけ。
「貴族」という語は、華族を中心に貴族階級一般をさした名称だろ。
歴史に『もし』は禁物なのは充分承知の上だが、大内氏が大名として明治まで残っていれば朝鮮系華族の出来上がり。
それとも系図をいじって祖を天皇家に変更したかな?
実際は朝鮮系王族ってのは眉唾のようだが。
残ってたじゃん。
大名時代も多々良朝臣として任官してたし、子爵にもなってる。
あ…、そっか。山口家があったか。すっかり忘れてた。失礼。
それにしても大内氏は最盛期と比べたら随分小さくなったもんだな。
>>464 もし内鮮一致体制が成功したとすれば、朝鮮貴族は
UKにおけるスコットランド爵位や連合王国爵位のような
立場になれたのでしょうか?
469 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 01:15:54
それはない。
おーい、俺は
>>465、
>>467だがスレ違いの流れを自然な感じでスレタイ通りの話題に戻そうとしてるのに、何故気付かない?
チョンの事なんぞ、どうでもいい、他でやってくれ、と思うのは俺だけか?
>>466氏には協力感謝。
471 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 01:31:54
琉球王国の尚家を侯爵にできたんだから、やってやれないことは無かったのでは?
でも、朝鮮半島・台湾を含んだ大日本帝国が続いて、今に至ってたら、現代の人権
感覚で政治をするわけだから、国政も全国民(朝鮮半島を含む)が対等に権利と義
務を有するようになっていた可能性が高いわけで、文化的にもかなり変わってしま
ったんだろうなあ…。
472 :
日本@名無史さん:2009/12/20(日) 10:40:21
すでに江戸時代ですらないのなw
脱線するにも保土ケ谷駅
旗本スレの揉め事をこっちに持ち込むなって話だよな
そもそも向こうでもスレチだがw
自演の果てがこれじゃなあ
475 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 00:50:44
桂昌院の実家・本庄資昌は松平姓を与えられているが、宝樹院の実家の増山河内守は
どうして松平姓を与えられなかったのですか?
ググレカス
477 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 11:31:40
紀州藩の伊勢領で田丸城と松坂城ってどちらも城扱いだったんだな。
松坂が伊勢統治の中心だったようだけど、松坂城代は和歌山から派遣されるのに対して田丸城代は世襲。
田丸の地元郷土史では「田丸城主は幕府から直接任命されたもので附家老だが、和歌山藩の重臣が新政府に
石高を万石以下と申告したため田辺新宮のように立藩できなかった」とか書いてたけど。
478 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 12:33:02
>幕府から直接任命されたもので附家老
という田丸の皆さんの主張はちょっと理解できないな。
479 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 13:17:59
徳島藩淡路洲本城の稲田氏や、鳥取藩伯耆米子城の荒尾氏などのように、幕府が支城の城主を指名することは
行われていたようだけどね。それと附家老は別の話だけど。
御附家老という呼び方もいろんな意味で使われてるから地元ではそういう受け取り方もあるんだろうな。
481 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 18:31:40
483 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 19:35:44
wikiはあてにならないね。いったい何を参考にして書いてるのやら。
城や陣屋といった拠点守備のために、大藩の家老クラスを支城や陣屋に配置して、その家老の知行地を
拠点周辺に置くのは一般的に行われているけど、田丸城の久野家は8500石の知行に過ぎないし、
基本的に城主という番方の役職に就いた人間が地方知行関係の役職を兼務することはまずない。
田丸領代官は松坂に常駐の勢州奉行の指揮のもとで業務を遂行していた。田丸城守備とは全く別系統だ。
久野も和歌山にいたしな
485 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 19:49:44
久野の一族が城代をやっていたから、久野の本家が城主ではあったんだろうけどね。
>>480 まあ、元々家康が三子に付けた家老の中で、五家と他の
家との間に決定的な相違があったわけじゃないしね。
いくら必死に自演してもスレ勢い10位前後で涙目wwww
488 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 07:40:22
>>486 五家が特別扱いになった経緯ってどうなってんの?
489 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 10:07:43
前田にも付け家老がいたよな、鳥取池田や会津・高松にはいないのかな
490 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 12:49:14
鳥取池田は筆頭と次席の家老が荒尾。池田輝政の外祖父の系統だ。
前田の本多家は附家老じゃ無いだろ?
富山藩主前田家の末裔当主が亡くなったな
493 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 01:20:45
付家老かいたのは、徳川家の子供たちの家だけじゃね?
なにせ「徳川家、つまり幕府から付けられた家老」なんだし。
例外的な感じで秀康を含む。
494 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 15:14:32
御三家の万石最上級家臣と付家老って付家老の方が格式は上だというのが一般認識だが
理由は石高を除けば直参と陪臣の差だけ?
495 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 15:18:42
尾張家老の渡辺半蔵家って付家老じゃないのか?
知行は幕府より貰って幕府から配属されたと思うのだが
496 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 17:10:40
付家老って有名な5家だけじゃないからなw
>>489 会津にはいなかったぜと先祖が会津藩の御典医だったおれが言ってみる
>>497 保科は甲斐出身だっけか?
家来も武田遺臣が多いの?
五十万石が二十五万石になっちゃった越前家って家臣をどうしたのよ。
高田藩も潰されたし、路頭に迷う家臣が多すぎやしないかね
>>498 保科は信濃の豪族だよ。
武田に臣従してたけど。
501 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 19:27:56
保科は信州高遠だよ!
西郷頼母やソニ−の井深一族なんかは高遠から一緒に来た家臣団だよ!
502 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 21:33:13
西郷隆盛と西郷頼母は同族?
大石内蔵助の親族が東北あたりにいたよな
503 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 21:54:17
名字は一緒だけど同族なんかな?
会津藩家臣の中には、
木村重成や七本槍の
加須屋助兵衛の子孫がいる、
意外と豊臣色が強かったりw
504 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 22:04:02
>>503 山形、会津で次々新規採用したから、
時代的に豊臣な人達ひっかかるべ。
>>502-503 隆盛が、西郷氏の系譜に繋がるのかがかなり怪しい気もするが、
同族って事で、頼母、隆盛の両者間で手紙のやり取りをしてたって話がある。
506 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 11:37:55
西郷隆盛と西郷頼母、同時代で薩摩と会津。意識はしていただろうな
年末時代劇ではどちらも里見浩太朗がやっていたもちろん主役
薩摩出身で警視総監の川路利良と幕臣の川路 聖謨もよくにた名前
507 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 13:41:12
彦根藩の家老にも西郷がいたはず、大手門入ってすぐのところが西郷屋敷跡。
509 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 15:49:53
>>498 亀レスすまん
しかも他の人答えてくれた通り武田氏臣従で武田氏滅亡後徳川家康に仕えた家です
西郷さんの話題がでてることで補足で西郷さんの先祖は藩祖保科正之の養父の一族の保科民部という人で家老でした
ただ殿様と同じ姓は憚りがあるということで西郷姓にしましたが戊辰戦争後保科姓に戻したと聞いてます
高遠3万石から山形20万石に加増移封された際には、高遠譜代の家臣の家禄も大幅に加増されたんでしょうね・・・
511 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 22:08:39
うちの先祖は会津に寛永4年に家を
建ててるけど保科氏とは関係
なさそうだね…
512 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:07:20
保科の本家は飯野藩主家。養子が会津保科に入った後に、勘当されていた息子が旗本を経て大名になり、
会津保科は名跡と家宝を全て飯野保科に譲り渡した。
保科氏との関係が欲しいな。
514 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:19:48
>>512 養子って・・・二代将軍秀忠公の実子幸松様だぞ。後の保科正之候を保科の養子書きしたのはおまえくらいだw
515 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:24:43
>>510 そんなに加増してない。
家臣のギャラを低く抑えたのが、
新規の家である会津の特徴。
>>501自刃した白虎隊の井深なんとかって人はソニーの人の親戚なん?
517 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:29:15
>>499 家臣オール半減。
筆頭家老の本多家も、四万が二万になっている。
>>503 「家柄を問わず能力で採用」したので、
豊臣系浪人も引っかかった。
518 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 02:41:40
>>514 巨額な持参金があったわけでもなく、
ただの養子だよ。それもむしろ危険な養子。
大人になって、家光のムシの居所がよかったお蔭で
「家光の異母兄弟」
って事実が改めて脚光浴びただけ。
そのあとは確かに本人の器量だけど、
養子入りした段階ではただの「面倒くさい養子」
519 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 09:39:36
>>514 養子でなければなんて表現するんだよ。自治体史の類にもごく普通に養子と書いているが、
会津はそんな点まで特殊なのか?
自滅乙
521 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 10:10:26
なんだ会津厨か。
523 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 17:06:40
ソニーの創業者井深大の
祖父井深基(会津藩士)の
兄弟が白虎隊士中二番隊の
井深茂太郎だったはず!?
間違ってたらスマン。。
スレ勢い13位にまで転落
自演人が帰省か何かしていなくなったらこのザマw
>>523ありがとうございます。勉強になりました。
525が必死に冷や水を浴びせてスレ勢い低下を狙う
返り討ちにいたさねば
どっちもくだらねえ
つかこの年末過疎期に誰かがスレを乱発しているからこのスレの勢い順位が下がっている希ガス
スレタイがこのスレに似ているのが多いような
政権交代したから乗り代わりを買うよ
____
/ \
/ ─ ─\
/ (●) (●) \ もうこのスレいらないな
| (__人__) |
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
533 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 03:17:41
あのね、子供にはわからないだろうけれど、
大人の皆さんはね、
年末年始ってのは忙しいものなのですよ。
かくいうオラは実験中のまま新年へ、、、
大人だが年末年始暇だー
535 :
日本@名無史さん:2010/01/01(金) 18:51:46
お年玉のせいで貧乏になっていく、、、
本家の長男も楽じゃないよ。
なんか、
家斉の子供たちの養子嫁入りの諸費用で貧乏になっていく幕府、な気分。
536 :
日本@名無史さん:2010/01/02(土) 02:23:22
そして幕府崩壊へ。
537 :
日本@名無史さん:2010/01/03(日) 01:48:04
先祖が祀られちゃっている旧大名家はやっぱり、
ご先祖の神社に初詣行くのかね。
>>537 長い期間一カ所を治め続けたような大名の城下町だと、
今も市内に旧臣の子孫が在住してるけど、そういう人も
主家ゆかりの神社とかなのかな?
話の内容がどんどんつまらなくなっていくなあ
>>539 だったら何か建設的に話題の一つでも出せよ。
541 :
日本@名無史さん:2010/01/04(月) 01:34:56
>>538 家臣団の子孫の会とかがあって、
その年始会合で参拝したりするらしいけど。
平成時代じゃ、どんどん廃れていくだろうね。
島津斉彬が祭神の照国神社は立地が繁華街(天文館)のすぐ隣という事もあって
初詣の参拝者数はずっと県内一位だったと思った。
まだ自演厨は帰ってきてないのか?
冬休みの宿題追い込みだろ
545 :
日本@名無史さん:2010/01/04(月) 21:28:39
ほんとに好きなら呼び捨てにしないだろ
547 :
日本@名無史さん:2010/01/05(火) 14:28:26
じゃあロミオはジュリエットを愛していなかったのか。
548 :
日本@名無史さん:2010/01/05(火) 15:48:54
本当は肝属だって名家なのに・・・・
549 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 02:06:02
肝付って江戸時代に残れなかったの?
島津の重臣として残ったよ。
小松タテワキの実家は肝付家。
但し分家 本家は100石鳥の藩士に没落
もっとも5石とか無石とかの藩士がごろごろいる薩摩藩じゃ100石取ってるだけでもかなりましな方ではあるが。
スレ違いなんでこれにて
テスト
☺ ☻ ☼ ☽ ☾ ☿ ♀ ♁ ♂ ♃ ♄
☹ ☸ ☷ ☶ ☵ ☴ ☳ ☲ ☱ ☰ ☯
☮ ☭ ☬ ☫ ☪ ☩ ☨ ☧ ☦ ☥ ☤ なんだか無償にコピペしたくなる
☣ ☢ ☡ ☠ ☟ ☞ ☝ ☜ ☛ ☚ ☂
♅ ♆ ♇ ♈ ♉ ♊ ♋ ♌ ♍ ♎ ♏ なのに初心者にはコピペできない
♐ ♑ ♒ ♓ ♔ ♕ ♖ ♗ ♘ ♙ ♚
☁ ☗ ☖ ☀ ☃ ☓ ☒ ☑ ☐ ☏ ☎
島津って家老級の家でも2百石とか珍しくないらしいね。
554 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 14:08:55
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
555 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 14:18:55
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
556 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 14:20:11
島津は日本の金正日
極悪非道な重税で百姓を苦しめた
そして自分は贅沢三昧
八公二民だもんな。
驚愕の税率。
558 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:13:03
極端な税率の場合は、農民は徴税対象以外の収入が多かったりするんだけどな。畑地が多くて
米は大部分持って行かれるけど麦が残るとか、町家で商売をやってるとか。
559 :
日本@名無史さん:2010/01/07(木) 17:18:22
八公二民でも藩の財政は借金まみれ
よく明治維新を起こせたな
>>559 は?
調所笑左衛門が立て直しただろ
借金踏み倒し、密貿易、贋金作りで
国元、江戸、大阪に各百万両ずつ蓄えたぞ
薩州も長州も財政再建が出来なかったら
維新回天は無理だったろうな。
薩摩は不思議な土地柄で、どう仕様も無い極貧の侍でも、威張ってたらしいな。
他藩では、下士なんかは庶民とほとんど同化してしまってるところが多いようだが。
(裕福な農民・町民には仕事や金を貰っているので頭が上がらない)
久しぶりに酷い自作自演を見た。
光圀の頃の水戸藩も八公二民の税率だったと何かで見たことがあるが
ほんとうか
564 :
560:2010/01/07(木) 19:40:42
>>563 お前、俺の事言ってんならそれは違うぞ
下種の勘繰りは見苦しいだけ
自作自演を指摘される
↓
直後に必死になって否定する香具師が出てくる
このスレのお約束
薩摩は浄土真宗が禁教だったんだろ
自作自演を指摘するカス
輪の中に入れない残念な子
568 :
日本@名無史さん:2010/01/08(金) 00:02:04
ってか鹿児島ってそんなに米取れたの?
家格を高くするため、石高過剰申告してない?
569 :
日本@名無史さん:2010/01/08(金) 07:24:23
シラス台地は水を使うとどんどん崩れていくからね。過剰申告は間違いない。
琉球貿易や砂糖生産などで帳尻はあっていたかもしれないけど。
>>568 籾九斗六升を一石と計算しているので
実高約三十五万石
なんでこんな水増しがまかり通ったのか
572 :
日本@名無史さん:2010/01/08(金) 11:55:14
ただでさえ枯れているスレで、スレチでもないのに誘導しようとするな、馬鹿め。
573 :
日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:46:56
その弊害が、鹿児島の領民に転嫁されたわけやね
鹿児島人はもっと恨んでもいいはずなんだけどね
574 :
日本@名無史さん:2010/01/08(金) 22:55:52
575 :
日本@名無史さん:2010/01/09(土) 01:14:09
いや違ってないだろそれ
576 :
日本@名無史さん:2010/01/09(土) 04:58:05
鹿児島の住民は西郷びいきではあっても島津家びいきではないと聞くけど。久光が西郷を追放したかららしい。
保科氏は会津藩が松平氏になった後も他に保科氏が大名として残ったようですが
結城氏は結城秀康の後は松平氏になってるけど松平氏に吸収されてなくなっちゃったんでしょうか?
なくなっちゃったとしたらこの場合は結城氏は滅んだってことになってしまうんでしょうか?
578 :
日本@名無史さん:2010/01/09(土) 19:19:51
>>577 秀康の五男の直基が、結城晴朝の養子という形で結城姓を名乗って、
そのまま領地を継承して分家している。
ただし当初だけ。その後、松平に復帰。
だけど祭祀は継承している。
俗に前橋松平と言われる子孫の家は、家紋が葵系ではなく結城の巴紋。
プラス、太閤桐を使っていた。徳川政権下でよーやる…。
あと枝葉ならどっかに子孫が藩士やってるんじゃない?
さすがに一族絶滅ってことはないんじゃない?
水戸徳川家が小山氏とか結城氏とか、名族の末裔を雇ってたよね
物好きな収集癖というか。
>>579 水戸徳川、佐竹、伊達、細川あたりはしくじった感のある名門の溜まり場みたいな感じだしな
581 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 02:23:18
>>579 水戸がその辺雇うのは、統治上利便がいいんでね?
あとからやって来た支配者としては、
旧来の勢力を飲み込むというは「義務を果たしている」という部分もあるし。
582 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 02:26:39
収集癖なら細川、前田、越前が。
ただ、大領主としての義務もあるし、
利便性のいい即戦力中間管理職を沢山雇った結果、とも言える部分もある。
山内がもう少し長宗我部旧臣に寛大だったらなー
584 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 10:23:51
武ばった人間は安定を迎えようとする時期にはむしろ邪魔になるからな。いわば長曽我部の旧臣は
人殺ししか能のないDQNしかいなかったんだよ。
司馬遼の小説に振り回されるバカ以外の一致した意見としてね。
人殺し集団、夜盗集団なのは長宗我部や蜂須賀に限ったことではなく、どこもそう
586 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 11:58:13
蜂須賀は武ばっていようと人間のことを長曽我部よりは理解していたかもな。毛利くらいには。
島津は運がよかったから次の機会に上手く切り抜けられたのかもしれない。
587 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 14:47:46
人殺し集団て言ったら大名全部そうだしね。
588 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 18:50:24
大名の前(さき)は野に伏し山に伏しって川柳がある
系図を買って何々氏なんて言ってても祖先は野武士強盗の類
誰もがそう思ってた
その点、天皇から出ている源氏平氏ってとっても偉いんだな〜
590 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 22:05:35
長宗我部の旧家臣は、
藤堂などの各所に人材ハンティングされて再就職していますよ。
「地元動きたくない!」の中にも、まだ使える連中は残っていたはず。
単に山内の領国経営の手法、でしかないでしょうね。
「他所から入ってきた神のごとき支配者の山内家臣団>被支配地元民」
という確固たる構図を崩さない、原始的だけど安定策。
591 :
日本@名無史さん:2010/01/10(日) 23:04:02
対馬の宗氏はもともと筑前国宗像郡の土豪
家臣団は地元民とは一切通婚しなかったそうで
発掘された骨の比較では武士は2センチ農民より背か高い
嫁さんを家臣団内部や九州本土に求めた結果ですね
>>590 そのヘッドハンティングされた家臣は豊臣大名になっての家臣では
有名なのはあの一休さんで有名な蜷川なんぞ、裏切って旗本になったそうだよ。
宗氏は韓国の豪族だったはず。
なわけねーよwww
半島土民はシナ様に女献上してコビコビしてな。
595 :
日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:44:58
>>592 関ヶ原以降です。他家にも行っているけど、
藤堂には結構行っている。
で、
大坂の陣では旧主長曽我部vs藤堂移籍組の悲しい対戦がありました。
596 :
日本@名無史さん:2010/01/11(月) 01:59:17
>>592 蜷川は元々、室町幕府勤め。あえて言うなら足利家臣じゃね?
公式作法に通じている家なので、
豊臣も徳川も超越して重宝したはず。
>>596 蜷川は伊勢氏の家臣じゃなかったけ?
実質的に幕府の中の人ではあろうが。
柳川の立花は、何故外様大名なのでしょうか?
書院番頭という旗本から大名に進んでいるだから、譜代大名になると思うのですが。
同じように元大名から浪人になり大名になった稲葉氏は譜代大名なのに・・・
それとも後世の人が勝手に譜代と外様と色分けしているのでしょうか?
601 :
日本@名無史さん:2010/01/11(月) 20:49:44
二本松の丹羽は敗戦後、伽衆、側衆、相伴衆をへて、外様・御国主格。
>>593 惟宗も宗氏?
となると島津もか?
島津が源氏ってのは嘘だよな
603 :
日本@名無史さん:2010/01/11(月) 21:47:06
>>599 稲葉は春日の局の縁者だから譜代なのかな?
立花は大名浪人大名を宗茂一代でやっているので譜代とは言いにくいだろうな
最上と北条が大名に復帰した場合はどうなるのだろうか?
>>603 氏直が大名に復帰してたら、家康の婿だし、もうすこし所領は少ないだろうが、池田あたりの
ようなポジションになってたかもしれんかな。
稲葉、堀田などは春日局の縁者であり、しかも正盛や正利が家光の側近に収まっているからじゃないか?
605 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 01:31:40
狭山の北条は外様?
旗本から一瞬だけ大名になった綱成の子孫は?
606 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 01:38:57
>>598 親長一代漂流記、なんだなw
芸があってよかったな、この人。
越中に本貫があったはずなんだが、どうなったのかね。
加藤嘉明の家って改易されて消滅してたと思ったけど、続いてたんだね。
びっくり。
奏者番なんかもやったりしてたみたいだから新規取立てで譜代扱いかね?
608 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 16:21:09
外様のち譜代格。加藤、脇坂、秋田、相馬、朽木
609 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 16:53:56
今川や吉良が加増されて大名になれば譜代なのかな?
主従が逆だが
松前も交代寄合から大名(格)になったが、外様だな。
でも松前崇広は老中になってるから、ここも願譜代(格)なのかな?
611 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:39:23
崇広は西洋の機械や食べ物に興味を持つ開明派大名で、それをバッカクに注目されたようだ
薬物マニアから見るとバッカクは麦角で、LSDはこれから作られた。
親王が臣籍降下して武士になったら2万石ぐらい貰える?
614 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:34:59
<参考>
公家の鷹司信房の場合、江戸についていって上野国吉井1万石。親藩格。
615 :
日本@名無史さん:2010/01/12(火) 23:35:04
武士になること自体が無理だろうな。宮家に滑り込めなければどこかの門跡に入って終わりだろ。
広幡家の祖忠幸が尾張義直の猶子となって武家になりかけたが、2万石も貰ってないな。
617 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 00:59:46
「宮将軍」って話もあったじゃないか。
あと、高家のほうの前田家や戸田も公家から上手く潜り込んだ。
>>607 二万石ぽっちだけど立派な城を持ってたもんね
619 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 01:26:37
鷹司松平が何故大廊下のしかも上の間だったのか皆目見当もつかない
622 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 23:59:35
>>614 ×鷹司信房
○鷹司信房、の庶子(松平信平)
庶子でも五摂家鷹司の出で、
将軍正室の兄弟で、紀州家から嫁貰って、
しまいには紀州家から養子とってるから、家格が高くてもしょうがないかと。
>>617 「高家は戦国の名門名族の末裔」と言われるけれど、公家出身がいっぱいなのですよ。
戸田(高家)
公家六条有純の子だが、母方が大垣藩主一族だったので居候して戸田氏を名乗る。
姉が徳川家光の側室になったので旗本取立て。のち高家。ラッキー。
前田(高家)
初代は前田玄長
三条西実条(右大臣)の子の押小路公音(大納言)の次男。
おじいちゃんである三条西実条の正室、つまりおばあちゃんが前田玄以の娘。
なので"前田玄"長を名乗ってみた。
おじいちゃんである三条西実条の縁戚に春日局がいる。なにかとラッキー。
別の前田(高家)
公家高辻長量の次男が、綱吉に取り立てられる。
なぜ取り立てられたかなぜ「前田」なのか不明。高辻氏→菅原氏→前田氏、ということ?
いわゆる綱吉マジック。
六角(高家)
近江の六角とは関係ない。烏丸光広権大納言の次男。
輪王寺門跡になった後水尾天皇の皇子について関東下向、そのまま帰京せず。六角院を名乗る。
正妻が桂昌院の縁者でラッキー。
日野(高家)
京都で政争に負けて、家康のブレーンとなった日野輝資の孫がそのまま高家。
中条(高家)
参議樋口信孝の次男が、姉らが大奥に勤めていた縁で採用。
祖母の家が後北条氏家臣の中条氏だったため、中条を名乗る。ラッキー。
長沢(高家)
権大納言外山光顕の次男がなんとなく採用。綱吉マジック。
あと有馬と大沢も公家出身。
みんな割と「コネと運」だな。
625 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 01:50:32
ダメ貴族の溜まり場かよwww
626 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 05:10:27
宮内庁職員のようなものか。あるいは霞会館職員。
家光と綱吉の縁故採用度は異常
>>627 綱吉の場合縁故ですらないような・・・
ああっ、菊門つながりの採用なんですね!
629 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 13:55:26
家光の場合は、平時に移行する政府を固める必要があったわけだから当然。綱吉も長期安定のために
人材は必要な時期だっただろう。増山とかはともかく、柳沢は幕府の安定化に随分と貢献したようだし。
援助肛際
>>624 その辺の人達は明治になってどんな爵位を貰えたの?
高家は官位は高くても所領が万石に達してないから士族止まり
大沢家は石高水増しして爵位もらって問題になった
有名なのは大沢の石高詐称
明治期の旗本の没落は思いっきり激しいからな。
戦後期の華族の没落は、お嬢様から女中、金持ちの妾になる程度の落ち方だが、
明治期の旗本は、子息は車夫、娘は遊女に落ちるのが典型的だったようだ。
旗本の子孫と名乗る人間があまりいないのもそんなところに原因があるようだ。
先祖が旗本だと名乗ると、周りは明治期の没落イメージをすぐ連想してしまう。
悪かったな
まあ
>>635は単なる一事例。そういうのもいたって新聞種になるくらいの話。
旗本にも色々あって、早期帰順した連中はそれなりに上手くやってることが多いし、これが多数派。
一部の帰順が遅れた者は大幅な家禄の削減を受けたけど、下級士族程度のレベルに落とされただけで
堅実に生活してればどうにか生きていけた。
農民に比べれば教育水準が高かったので、下級役人なんかに潜り込んだのも多い。
一番哀れなのは元旗本で静岡藩までついていった連中。
数千石の旗本が十石とかまで削減されてたりする。
もちろん何か事業始めて失敗して貧乏になる旗本も多かったし、世間ではそういうイメージを持たれてたのは事実。
旗本ではないけど、中藩の藩士の生活レベルを調査した資料を見たけど、平均的な生活レベルは庶民よりは高いようだ。
>>637 そう聞くと明治維新って革命だったんだな
革命なのに革命と言わないところが日本らしい
>>637 俺んちのひいばあさんの家は藩士、父方は郷士。
父方の方が明治維新後ははるかに裕福だったらしいが、ばあさんは
「うちの方が身分が上なのに」とよくこぼしていたとかいなかったとか。
うちの祖母もそんな感じ。
戦前生まれの人は家柄にこだわりが強い。
642 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:12:17
>>629 生まれながら、な家光は旧勢力を潰しまくりつつ、
副産物的に土地が余るので、
″徳川家″に都合のいい奴をインフレ的に採用。
綱吉はよそからやってきたようなものなので、
アンチ自分なそれまでの体制を粉砕しつつ、
自分にとって都合のいい奴をガンガン採用でオレ体制作り。
家宣はよそからやってきて改革スタート、
そんな混乱した幕府の状態を修復しつつ、
自分のブレーンを幕府中枢に抜擢登用。
吉宗はよそからやってきて改革スタート、
さすがに懲りたのか、身内にあまり高禄与えなかった。
以降の将軍は、
体制が良くも悪くも安定したのと、あげる領地がない感じw
643 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 02:17:43
大沢なめんなよ。
その出自とか面白過ぎるよ。
よく戦国時代を生き抜いたな、と。
>>605 狭山藩主家は外様。氏規・氏盛は秀吉に取り立てられてるしな。
氏勝系は小田原合戦後に家康に仕え、氏重は保科からの養子なので譜代。
>>637 明治期に活躍した幕臣ってのは、幕末あたりで取り立てられたクチが多いんだよね。こういう
タイプは実力もあるので、わりとすんなり官吏や技術者なんかに収まっている。
でも、大体の旗本は何かしらの形で新時代に対応しているんだよね。よくいう没落ってのは、
当主(=稼ぎ頭)の父親が死んで・・・・みたいなケースが大半だよね。蜷川新だって、
もともと静岡移住していた家の子とはいえ、親父が死んだのがきっかけで母方の縁者を
頼り、朝比奈氏出身の養子が実家へ戻ったことがきっかけで朝比奈家の援助がなくなって
家財や文書を売っているわけだし。
>>643 今川方で徳川相手に頑張ったりもしてるんだよね
大沢って吉良とかよりも家格は上だったんでしょ?
少なくても同じ位の肝煎だったと思う
646 :
日本@名無史さん:2010/01/15(金) 10:27:33
大沢は大覚寺統の嫡流?
>>646 大覚寺統嫡流と室町時代に見なされていたのは常磐井宮家だね
木寺宮家系列の大沢は確かに後宇多天皇の末裔とは言えるが大覚寺統の嫡流ではないっぽい
大沢基宿の母は木寺宮流だけど大沢家自体は藤姓北家中御門流じゃないの
質問
親藩や譜代から養子もらって願い譜代になった家はあるけど
反対に外様から養子もらって降格した例はある?
大沢の子供って持明院家継がなかった?
高家とは言っても大名ですら無い元は武家で公家社会に入るのって馬鹿にされるだろうしやりずらいんじゃないかな?
酷い自演スレ
>>649 将軍の名代だから馬鹿にはされることはないだろう
御付武士ですらすごい権勢だったわけだし
652 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 02:35:07
>649
元々その系統な上に、縁組もしてる。
朝廷としても空きができるのは落ち着かない。
というわけで養子に行ったら、
官位だけは本家どころか、そこいらの藩主を軽く超えましたw
ってか家康、大沢にもうすこし領地やれよ、、、
大沢の家禄は分相応だろ、名家には名声だけ与えとけば十分
654 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:17:26
持明院家なら禄高は下級旗本並でも中納言、良ければ大納言とか行くんじゃね?
将軍以外の全ての武家よりも上じゃん。
実際200石程度の公卿って上級武家の事、どう思っていたんだろう。
655 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:21:21
おまえらって200石の公家と無位無冠3000石の旗本とか財政逼迫1万石の大名、どっちになりたい?
俺は3000石の武家、遊んで暮らしているとは言わないが領地経営の苦労は大名程じゃ無さそうだし江戸定府だし美味しい所取りまくり
運が良ければ幕閣に入って歴史に名を残せる。
幕末維新時以降なら公家、華族になって爵位貰えるから。
656 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:21:48
娘を嫁として送り込んで大金ふんだくる金蔓。
657 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 14:30:42
旗本も幕末近くではどこも財政は破綻しているぞ。維新後は高家だろうが大身旗本だろうが
末路は悲惨なのが多いしな。
江戸時代の京都の町での位階ってどのくらいの価値があったのかな。
遠国の大大名よりも、その辺の商家に頭を下げて金を借りてるおっさんの方が
形式的には位が上だったりするわけだろ。
公家の次男坊三男坊は裕福な商家に婿入りしたがってる訳だし。
おそらく、町民の方がより現実的な見方をしていたと思うけどな。
明治維新後は都市部の士族は壊滅的に没落したが(旗本などその典型)、
田舎住まいの士族は、教育にしろしつけにしろ明治の中盤までは士族らしさを保ってたみたいだな。
折れの知り合いの話だが、そいつの曾祖母は明治維新後に士族の家に生まれ、15で商家に嫁ぎ、
昭和20年前後まで生きていたそうだが、ずっと商家暮らしだったにもかかわらず死ぬまで武家言葉のままだったそうだ。
病床でも何かを頼むときは「〜してたもれ」って言ってたことが伝説のように語り継がれているらしい。
また、旦那が外から帰ってくると、直前まで家族と笑い転げていたときでも、居ずまいをきりっと正し、
玄関で三つ指をついてうやうやしく武家風に迎えたそうだ。
都市部の士族はそんな美風はあっという間に途絶えたようだが、田舎では昭和まで続いていたようだ。
士族って下っ端の公務員とか教員とか職業軍人とかで半分くらい吸収出来たのかと
思ってた。はいからさんが通るでは(マンガだけど)主人公の父親は旗本出身の陸軍将校
という設定だったよね。
661 :
ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2010/01/16(土) 19:31:51
>>660 それ正解。
半分くらいは公的に雇用されたはず。
663 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 21:58:49
軍人・・・藩閥系武士 警察官・・下級武士か非藩閥系武士
教員・・・武士か名主層のインテリ
664 :
日本@名無史さん:2010/01/16(土) 22:29:44
戦前の鹿児島は警官、教員は士族じゃないとなるのが難しかったって本当?
スレ違いにも程がある
666 :
日本@名無史さん:2010/01/17(日) 01:29:59
神主になった大名も多かったね。
戦国時代とかってさ、
出家する当主や隠居って結構いましたよね。
江戸時代の藩主は?
,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i <今は垂れ流してますか><
'、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄
神主って官位だけは高いもんね
669 :
日本@名無史さん:2010/01/18(月) 02:21:57
先祖の神社じゃねーの?
江戸時代の大名の子孫がことごとく没落してしまったのを見ると、やっぱり血統なんて意味がないんだなと
つくづく思ってしまう。
671 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 02:03:09
朝鮮人か日本人か、は大きな問題だけどね。
672 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 02:05:56
朝鮮人か日本人か、は大きな問題だけどね。
そんなものは教育の問題だけだ。
まともな教育を受ければ、人間はまともになる。
逆に「我々の先祖は○○にひどい目に合わされて」と嘘を覚えこまされると、
生涯相手に危害を遭わせるようになる。
675 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 06:03:19
>「我々の先祖は○○にひどい目に合わされて」
長州に? 本当は薩摩なのに?
676 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 02:01:29
前田と丹羽は、江戸城内で遭わないように配慮
遠い親戚の子が大沢という家に養子に行って大沢基○という名前になってるんだけど、
これって高家の大沢家と何か関係あるのでしょうか。
場所としては愛知県で家紋は二つ引き両のようです。
678 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 06:18:22
高家の大沢は知行地が遠江で藤原氏。家紋は丸に花杏葉だとさ。後は自分で調べて判断しろ。
>>677 どう考えても大沢嫡流だね。
それ以外ありえない。
680 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 08:05:51
681 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 01:36:04
家によっては代々同じ官職を名乗ってるところがあるけど、酒井歌の紙とかだとまだ良いが、カモンの紙
なんて年中掃除当番みたいで厭じゃなかったのかな?
大名も一応武士なんだから、もっと武張った官職が欲しかったんじゃないだろうか?
683 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 16:30:45
>>682 掃除当番や歌の紙は名乗りで官職じゃないよ
酒井の官職は少将
井伊は中将
浅野内匠頭とかは朝廷から従五位下の位階を貰っているだけで内匠頭は名乗り
五位の武家は朝散大夫で職は無い
最近は、官職の名乗りを持ってる人少ないけど、法律で禁止でもしてるのかな。
欧米でよくあるミドルネーム風に名乗ったら結構素敵じゃないだろうか?
小沢 刑部卿 一郎 とか 迫力ありそうだし、
鳩山 陰陽頭 由紀夫なんかもいい感じだ。
宮内省も官職をオークションで売官したらどうだろうか?
>>685 国土交通大臣は修理大夫を名乗れたりとかw
レベルが低くなったなあ
688 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 20:18:06
豊竹山城少掾は秩父宮に貰ったんだな
皇族が積極的に民間の有能者に律令の官職を授ければいい
百官名というDQN制度もありまして。
土建屋じゃん
国会議員は参議でおk?
>>683 掃部頭にせよ内匠頭にせよ、正式に口宣案を出してもらっているはず。
>>693 大杉w
正仁親王が常陸太守だから、橋本昌は常陸介だな。
696 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 02:27:26
江戸と関係ないけどね。
猪木はさきの参議というわけですね
698 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 15:02:53
>>637 後半の見解は同意だけど、「徳川慶喜と幕臣たち」によると、大多数が静岡に移住
した模様。早期帰順が多数派だというのは違うんじゃないの。
699 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 15:49:48
早期帰順のためには知行地が近畿以西にあるなどして早くに新政府の鎮撫総督に接触できなくてはならないからな。
旗本の三分の二以上は関東にのみ知行地を持っていたから、まず多数派にはなりえないだろう。寄合以上の大身旗本なら
職豊系の生き残りや大名の分家、徳川の初期からの中堅の家臣が多いために西国に若干偏るから、比率は変わってくるけどね。
700 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 07:11:18
ドラマの坂の上の雲では、秋山好古の嫁(松たか子)は結婚前、
旗本のおひい様として馬に乗って外出したりして、かなり裕福そうだった。
っていうか屋敷の門構えもかなりのものだったが、史実ではどうだったのかね?
701 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 03:08:10
専用スレでやってるよ、それ。
自 演 乙
>>702 妄想が激しすぎ
都民なら都立松沢病院あたりがおすすめ
704 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:16:17
「発狂した」扱いのお殿様って結構例があるけど、
本当に発症していたお殿様っているのかね。
705 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 13:47:41
乱心ってのは大抵ヒステリーだからな。我を忘れて刃物を振り回すパターンだから、統合失調症などのパターンとは少し違う。
人口の1%弱という発症率を考えれば、いたのはまず間違いないだろうけど。
江戸時代じゃないけど、相馬の殿様が狂ったとか狂ってないとかの騒動が
あったと思うけど。
あと、浅野内匠頭って、ドラマでは「この遺恨〜」って叫んでるけど、
梶川日記の改竄されてないほうによれば、わけわからんこと叫んで
とびかかってるみたい。
その他でも殿中で刃傷に及んだ殿様って
今風に言えば心身喪失・心神耗弱の人が多かったんでしょう。
水野忠恒の刃傷沙汰は?
709 :
日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:58:20
水野忠恒は浅野と違って日頃から奇行を繰り返していたらしいからガチ。
710 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 02:31:30
浅野も火事場で陣頭指揮で大活躍大興奮するのが好きで、
大名火消し係を喜んでやってたらしいし、
叔父筋も斬りつけ事件起こしている、つまり「血筋」だし。
711 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 05:17:38
>浅野も火事場で陣頭指揮で大活躍大興奮するのが好きで、
浅野も家来と一緒に討ち入りたかったことだろう。
712 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 11:22:46
三代将軍の時代までは殺人なんか殺される方が悪かった
水戸黄門も若い頃はホームレス殺し競争に参加している
戦国時代に人殺し競争の勝利者が大名になったのだから当然だ
庄内の酒井の殿さまだったかな。
ある寺にそいつがみずから手打ちした人びとの
名前を書いたものが残ってるそうだけど、
その数二百人以上とか。
恐ろしや〜w
715 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 11:17:19
ウィキで酒井忠重見たらなんなんだ、この御騒がせ人生
酒井忠重は1000人近く餓死者だしたらしいが
それと混同してないよな
酒井忠重って旗本だからスレ違いだろ
300人手打ちしたっていうのは、忠重の兄の庄内藩主忠勝だよ。
短期で我が儘で農民にも苛政をしいたから、農民の逃散が相次いだ。
忠重とは似た者兄弟で気があったらしいけど。
初期の庄内藩主にはろくなのいねえな。
やっぱり、その頃は戦国の気風が残ってたから藩主も荒々しかったのか?
2万両で義絶?
酒田藩にとって2万両ってどれくらいのものなの?
>>720 きっと
これくらいじゃないかな
│ _、_
│ ヽ( ,_ノ`)ノ
│ へノ /
└→ ω ノ
>
>>720 石高が近い松代13万石(沼田込み)の真田信之が遺産として
数十万両を遺したそうだからねぇ
財政の悪化する前の庄内藩ならそれほど堪えなかったと思われ
723 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:45:32
>>717 寄合はギリギリ諸侯じゃない?
それに、
大名である兄の本家乗っ取りの陰謀犯だから話題としてはおk
725 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 22:50:01
庄内藩にとって2万両は大きいだろ。義絶しても酒井長門は相変わらず庄内本家
にたかろうとしていた。そんなとき、長門守に刺客が
726 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 00:28:09
727 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 02:09:36
なんで?
728 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 02:43:04
>>727 正確には万石以上の直臣と喜連川(5千石だが10万石格)
華族令により旧諸侯たりし者が華族に列せられた
後に万石以上の陪臣でも男爵を授けられる例が出たが
寄合にそのような例はない
喜連川は扱いが難しいよな。家格もイマイチよく分からん。
足利一族って、全体にぱっとしない奴ばっかりだけど、結構一族は生き延びてるな。
武士と言うよりも、ほとんど公家さん的な生き残り方だが。
交代寄合は何家か男爵になっていますね。
732 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 08:11:12
交代寄合のうち、新政府に高直しが認められて1万石を超えた家のみだけどね。
あと、米良氏は維新の功労やら名門菊池氏の誉やらで男爵
734 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:38:15
米良は無高だけど、広大な山地を領有していて実際には大名なみの収入があったからな。それと男爵位とは別だろうけど。
薩摩と仲が良かったのが効を奏したか。
大沢は広大な浜名湖を領有していて、1万石以上に高直しをしたらしいね。
当然子爵くらいにはなれたのかな?
736 :
元駿河島藩主本郷出羽守:2010/02/01(月) 10:20:05
幕末に諸侯に列せられたのに、旗本に降格されました
737 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 11:19:47
新政府の高官にウナギの蒲焼を付け届けしておかなかったせいだろうな。食い物の恨みは恐ろしい。
なんか混乱してるなw
武家華族の叙爵基準は江戸時代から諸侯(大名)だったものが子爵以上
明治期に新規立藩したものが男爵。
交代寄合や諸侯の家老で実高が1万石以上のものは原則として立藩が認められた。
上記の例外は請西藩林家(廃藩のち男爵)と早まって廃藩した池田かどっかの支藩だけ。
会津(斗南)松平家ですら一応子爵。
ついでに石高に応じて叙されるのは侯爵まで。
公爵になるには何らかの事情が必要だった。島津、毛利、徳川宗家。
石高による基準は維新での行動になんら関係なく機械的に叙爵された。
それ以外に維新勲功によって上昇した大名家はいくつかある。
朝敵藩の場合は削減された石高(仙台なら28万石等)を算定基準にした。
739 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 18:58:06
>上記の例外は請西藩林家(廃藩のち男爵)と早まって廃藩した池田かどっかの支藩だけ。
岡山藩支藩の鴨方・生坂にしろ、鳥取藩支藩の鹿野・若桜にしろ子爵になってたと思うけど。
もと交代寄合で鳥取藩支藩の福本藩は男爵。支藩で男爵ってあったっけ? 岩国の吉川のことかな?
学術書じゃないけど「日本一小さな大大名」読むと喜連川の家格は10万石格どころの
待遇じゃないっぽいけど、実際どうだったんだろ・・・
741 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 19:08:16
>交代寄合や諸侯の家老で実高が1万石以上のものは原則として立藩が認められた。
別に交代寄合に限定されていたわけじゃないんだよな。旗本でも万石以上なら対象になった。
普通の寄合や高家旗本なら当主が定府であるせいで領地経営の自由が効かず、結果的に交代寄合ばかりが
万石以上になったようだけど。
例外としては寄合の蒔田氏が幕府から高直しを認められて幕末に滑り込みで浅尾藩を立藩。のち子爵。
幕府の番方の職に就いたせいで、せっかく新たに整備した浅尾陣屋は幕府の倉敷代官所とともに第二奇兵隊の
残党に焼かれているけどね。
>>739 悪いw
池田じゃなくて浅野だった。
広島新田藩が早まって廃藩されたせいで子爵を逃してる。
743 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 19:13:29
安芸吉田の浅野家は爵位を辞退したんじゃなかったっけ。
>>743 すまんw
俺ボロボロだな。
その辺の事情は知らない。
叙爵されなかったってことだけ。
745 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 21:00:14
備中浅尾の蒔田、越後三根山の牧野、三河西端の酒井あたりは、
幕末に高直しで旗本から万石以上に列せられたケース。
これらはギリギリ維新前の立藩なので、明治の華族令では子爵になった。
駿河川成島の本郷、安房船形の平岡は、間部、加納、田沼、林などと同じで、
将軍の近臣から大名に取り立てられたケース。
もっとも本郷は、安政の大獄で一橋派寄りとみなされて減封、元の旗本に降格。
平岡は幕府瓦解時に領地を朝廷に返上、宗家家老として静岡藩士になっている。
だからそれは「明治政府が華族令を適用するために設けた基準」でしょ?
「江戸時代基準の諸侯」の話なんだよ、ここは。
>>730 義教公を「ぱっとしない」とか言い切るあたり、太い神経だなおまいさん。
それに立派に武士として生き延びている足利一門だっているだろう?熊本藩主家とか。
尊氏、義満もぱっとしないのか
義政は文化的にぱっとしていた
義輝は死に様がぱっとしていた
公家さん的っていうのは高家になった吉良、品川、畠山とかを言ってるんだろうけど
諸侯に列した細川、板倉、寄合に列した最上、一色、
幕臣、陪臣を含めれば武家っぽい方が多いと思うが
750 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 16:38:30
>>746 江戸時代の基準で言えば武鑑だわな
寄合は交代寄合も含めて旗本扱い
厳密な定義にこだわる姿勢がなんだかなー
交代寄合も大名に近い性格を持っていたわけだし、話題に上るくらいはいいんじゃないか?
752 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 18:37:41
定義は厳密にすればいいけど、スレの話題がちょっと脱線しただけで批判する奴は、単に自分の興味のない話題を
排除する方便として持ち出しているだけじゃないのか。
そっちの方が目障りだ。各スレの境界部分の話題はどこでもできないということになってしまいかねない。
脱線しておいて何をぬかす
754 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 19:37:09
仕切り厨はお前か。愚か者め。
大した知識でもないくせに脱線するんだもんな
救いがたいわ
756 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 19:58:19
大して知識もないくせに仕切りたがるんだもんな
救いがたいわ
そうそう
お前には猿真似がよく似合うわ
758 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 20:22:10
この猿は猿のまねをする人間を喜ぶらしい。仲間だと勘違いするんだろうか。
なんなんだ、このあげてる馬鹿は
>>759 知識もない上に脱線まですると言われて
顔真っ赤にして逆上している人
761 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 22:41:18
>>742 広島新田藩は最後の藩主が跡取りのいない本藩を継いだために吸収された
762 :
日本@名無史さん:2010/02/03(水) 02:03:47
五位以上とその子供は諸候、でいいじゃん。
まろも諸侯でおじゃるか?
>>762 いいわけねーだろー
旗本は諸侯じゃないだろ
765 :
日本@名無史さん:2010/02/03(水) 07:27:11
また自演認定厨
松沢病院逝け
旧諸侯への爵位の授与はかなり形式的な基準でやったようだな。
一部情実で基準を上回ってもらった奴もいたみたいだが、基準を満たしている輩は
一律に賊軍官軍関係なく扱っている。
明治新政府としては、幕藩体制や賊軍官軍のしがらみを早急に排除したかったんだろうな。
仙台伊達が伯爵で宇和島が侯爵とか
>>768 賊軍だろうが官軍だろうが、中央集権の邪魔であることに代わりが無かった。
すでに立ち行かなくなった小藩主は廃藩に同調、雄藩は版籍奉還と「華族」という身分保障で骨抜きにされた。
一方、旧賊軍を蔑視する傾向はその後も続いている。
>>764 殿上人とそうじゃない、の違いは大きい。
五位以上が諸侯なら高家も入るから違うんじゃないの
スレタイが全て
以上。
旗本で官位貰える乗ってどれ位?
世襲で貰えるのは100家も無いだろう
>>774 万石未満で無条件で諸大夫になる家はない。
諸大夫職に就く必要がある。
>>776 山名であっても交代寄合だから基本無位。
幕初の豊国は例外。
矩豊は琴の名手として叡聞に達し、参内して披露している。
この後、従五位下に叙されている。
豊就は大番頭になって従五位下。
上記の当主をのぞけば全員無位。ウィキは出鱈目だから。
778 :
424:2010/02/03(水) 21:13:54
>>777 義済は?
叙任は高直しの前じゃなかったっけ?
780 :
777:2010/02/03(水) 21:32:48
>>778 すまない。幕末は補完していない。
山名家は『寛政譜』見ながら書き込んだから。
藩史大辞典見とくわ。
>>778 喜連川も無位無官。
>従五位下左馬頭になった
征夷大将軍コース!
783 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 01:34:05
>>777 wikiで悪いが山名の全当主は従五位に叙されているよ
人によっては従五位上という武家官位序列から外れた当主もいる
寛政重修諸家譜でも見に行かないといけないかな、
区の中央図書館にはある
785 :
777:2010/02/04(木) 08:23:40
>>783 君はウィキを信じればいいと思うよ。
私は『寛政譜』で調べただけだから。
山名氏のウィキもめちゃくちゃだなあw
従五位上という位階は
近世武家官位だと幕末に将軍家茂上洛の際
従った諸侯が叙されたのが最初で最後
武家官位をちょっとでも知っているのなら
ウィキ信じるヤツいねえわな
787 :
777:2010/02/04(木) 09:57:15
済まない。訂正。
万石未満で無条件で諸大夫になる家はあった。
交代寄合表御礼衆 駿河国久能千八百石 榊原家
当主代々従五位下叙位
叙位以後は交代寄合を離れ譜代大名嫡子に准ず
交代寄合では久能山警衛を任された久能榊原家が唯一の例外だな。
無条件かは微妙だが、旗本の林大学頭や半井・今大路典薬頭も世襲で諸大夫かな。
789 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 14:28:22
喜連川は代々左馬頭、左兵衛督を名乗っているけどこれは口宜案貰っていない私称に過ぎない官位?
武家の僭称なら左馬、兵衛、陸奥、外記等と末尾を略した名乗りしか出来ないはずだがおかしいよね。
だから喜連川は別格だと何度言えば・・・
791 :
777:2010/02/04(木) 15:12:05
>>788 そうだね。
林大学頭、典薬頭や高家は幕府の職制の序列に
入っているから外しておいた。
>>788 喜連川は足利氏の後裔だから幕府の手続きを経ないで
左馬頭、左(右)兵衛督を自称する唯一例外の家。
いつの時代でもそうだが、原則があれば例外もある。
792 :
777:2010/02/04(木) 15:17:00
793 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 16:42:25
高家は、役についてる奥高家以外、すなわち表高家は官職を持たないのでは。
794 :
777:2010/02/04(木) 18:43:04
>>793 その通り。
ここでいう高家とは表高家衆ではないし、一緒にしてもいけない。
武鑑でも御高家衆と表御高家衆と分けている。
まあ、格も伺候席も違うのだから当然なのだが。
795 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 18:55:22
家としての高家と個人としての奥高家を区別する必要がある。ずっと語られているのは家のほうだから。
796 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 03:57:31
役についた高家は諸大夫、諸候ってことで。
>>796 役についた高家は諸大夫だが諸候では無いってことで。
侯の字間違っとる奴大杉
猴の字もあるよ
801 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 14:38:35
もう一個のスレで、一人、信成擁護をしてる奴がいる。
フルボコにされてもされてもゾンビのようにやってくる。
もう、アホらしくて、誰も反論する気もおこらん。
日本史スレの精鋭たちよ、下記の質問に、誰か答えたってやってくれ・・・・。
344 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2010/02/01(月) 16:04:33 ID:WyR8tKhg0
歴史に詳しい方がいましたらご教示ください。
織田信長は天皇家とは微妙な関係だったのでしょうか?
もし今回のオリンピックで織田信成選手が金メダルでも獲るようなことがあれば、
園遊会に招待されますよね?
もしそうなったら天皇陛下と織田選手はどんな会話をするんだろう…
■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/344
>>796-797 奥高家の初官は従五位下侍従だけど、侍従成してるのに諸大夫というのはどういう意味?
803 :
777:2010/02/05(金) 18:30:59
>>802 高家は初官五位侍従だから諸大夫ではない。以上。
奥高家って呼称は出典どこよ?
武鑑にも古事類苑官位部にもそんな記載ないんだけど。
805 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 18:51:11
その話は前にもあったが出典は出なかったな。
非役の表高家と区別する為に通俗的に使われてるんじゃないの?
単に「高家」だとダブルミーニングで家柄と御役どっちのことか分かりにくいし。
どうしても「高家は諸侯ではない」としたいんだな。
わかった。
俺は寝る。お前は吊れ。
普通に考えて諸侯は大名、高家は大名でない
普通w
高家が諸侯なんて、裏長屋を豪邸って豪語するようなもんで実質が全く伴っていない。
本人たちも草場の蔭で恥ずかしいからやめてクレって嘆いているぞ。
こういうのを恥の上塗りって言うんだ、みんな覚えとけ。
大人になって、恥を描くことが一回減って、良かったな。
じゃあな
わかったから早く吊れ
公平に見て、高家は諸侯でない派の圧勝みたいですね。
813 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 01:53:06
だから単に高家は下級諸侯よりも高い官位を持つこともある旗本だろう
>>803 「幕末の武家」所収の「高家の話(大沢基輔)」に、
「高家には表と奥の二つがあり、奥高家は抜擢せられた者です」とあるね。
815 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 02:23:39
結局は伝聞の類か
816 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 02:32:35
高家には単に高家と呼ぶものと表高家と称するものとの別あり、
官位を有するもの之を高家と云ひ、然らざるものを表高家と称す、
高家を別に奥高家と称するは、ただ表高家の名義に對するなり、
>>815 大沢基輔の談を「伝聞の類」と言うなら、「伝聞の類」で無いものは
ほとんど存在しないね。
それはともかく、「幻の堀江藩」のエピソードは、「高家は諸侯でない」
事の端的な証拠だね。虚偽の申告をしてまで諸侯になりたがった
なんていう話は、「高家が諸侯」であればそもそも生じようがない。
818 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 07:11:10
>>817 大沢が大名になりたかったというのは分かるが、高家が諸侯かどうかを話しているときなんだから、
大沢がなりたかったのが「諸侯」であるという明確な史料があるのか?
なければ大名が諸侯であるという主張を押し付けているだけの話で、証拠でもなんでもない。
論理的におかしいという指摘だから、俺が高家を諸侯と思ってるなんて勘違いはやめておけと
先に指摘しておくけど。
>>818 そもそも「諸侯」なんていう定義は華族云々のときに明確化されたんだし、
そのときに大沢家は粉飾して「大名ではなかったが諸侯だ」とやろうと
したんだが。
で、「高家が諸侯かどうか」というなら、万石以上の主張が認められた
ら諸侯だし、そうでなければ諸侯でないという明確な話だよ。
>>819氏のおっしゃる通りで
そもそも「諸侯」とは明治政府の呼称であって
旧幕では武家諸法度、寛政譜等にも記載はないし
当然そう呼ばれてもいない。
幕末にはちらほら出てきて、王政復古の大号令
には記載がある。
明治政府のいう「諸侯」が万石以上である限り
旧幕の高家が「諸侯」であるのか否かはいわずもがな。
そもそも旧幕時代に「諸侯」という呼称があり得ない。
議論自体がばかばかしい。
反論、反証受け付けます。高家を諸侯とする根拠を示してください。
821 :
820:2010/02/06(土) 21:37:29
勘違いしてた。
×王政復古の大号令
○大政奉還上奏文
訂正します。
大名は、領地をとって「白河侯」とかよばれてたのではなかったっけ?
それなら、大名を総称して諸侯と呼ぶのに不都合はないと思いますが。
そして旗本でも敬称が「○×侯」と呼ばれる者が存すれば、その旗本も諸侯だと思う。
不毛すぎてワロタ
みんな自演だからな
無理もない
>>820 バカバカしいのに、なんで鼻から湯気噴出してんの?
世界の中心で君が叫ぶのね
諸侯=大名を漢語風に表記したもの。
大名未満の高家が諸侯である筈がない
>>824 また自演認定厨
松沢病院から出てくるな
828 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 07:46:00
>>826 旗本に対応する漢語風表現は諸侯以外にあるのか?
麾下とかがそれに当たるのか?
829 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 12:03:53
幕下士
830 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 12:34:33
武家諸法度とかで見る限り、諸侯のことは「大名小名」とか「万石以上」とか、
表現されてる。
もっとも、この「小名」が具体的に何をさすのかが、また問題だが。
また、幕府の各種法令では知行取りの旗本のことは「地頭」と表現している。
831 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 12:53:18
武家諸法度での諸侯を表す言葉だが、「大名小名」という使い方と、
「国主、城主、壱万石以上」という使い方が、それぞれ別の条文にみられるので、
大名=国主、城主 小名=(その他の)壱万石以上
と解釈していいのだろうか?
それとも、この二つの使い方はそれほど厳密に対応しておらず、
「小名」というのは漠然と1〜数万石ていどの小大名をさしてるだけだろうか?
このスレもつまらなくなったな
833 :
820:2010/02/07(日) 17:25:03
>>832 だったら問題提起ぐらいしたらどうだ。
単なる中傷なら幼児でもできるわ。
元々自演スレなのだから仕方がないな
また出た自演認定厨
複数いるみたいだな
これで自演スレであることは明白w
自演とか言ってないで
大名の話をしたらどうだ。
知識がなさすぎて輪に入れないのか?
情けない。
839 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 01:49:33
よし、高家畠山の話をするぞ
840 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 01:53:00
>>839 がんばってしてみてくれ。
きっと10レスもしないうちに終ると思うがw
841 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 04:09:56
スレタイ読めるか?
842 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 16:37:49
>>841 自分が読めないからといって、人にカマをかけて読ませようとするのはみっともないぞ。
・・・スレ枯れしました
高家は認めない!がスレを粉砕しました。
じゃあ牛久藩山口家でひとつ
山口氏
【在所】常陸国牛久
【石高】一万石
【格式】譜代 無城
【官位】諸大夫
【伺候席】菊間縁頬詰
【姓】多々良
847 :
日本@名無史さん:2010/02/13(土) 21:57:35
大内なめんなよ
って、この山口氏の自称大内って、信憑性あるの?
もう面白くねえよ
849 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 03:09:47
>>847 さすがに同時代だから、エセ名乗りもできないんじゃね?
信成じゃないんだし
850 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 09:09:09
戦国時代に尾張の一土豪にすぎなかった時点で、かなり怪しいけどな。
大内の分家が、遠く離れた尾張で斯波の守護代の家来の信長の家臣って、
よく考えたらおかしくないか?
山口という苗字から考えついた仮冒なんじゃないの?
先祖が東北出身で九州にいる奴だって結構いたのに珍しくもねぇだろ
大内の分家じゃなくて家督争いに負けた大内一族の子孫ってことだから
どこまで流浪してても不思議はない。
信成は本人が信じてそうなとこがなw
NHKがそれに乗っかるとか正気とは思えないけど
いやあいつは直系じゃないけど一応織田じゃないの
いくら必死に自演してももう終わってるぞこのスレ
終るまでにはあと150レスほどある
857 :
日本@名無史さん:2010/02/17(水) 02:16:45
信成さんdisってんのコラァ
858 :
日本@名無史さん:2010/02/18(木) 22:04:57
さすがにネタ尽きたか
とっくに尽きてるよ
いつまでも堂々めぐりしていただけ
860 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 00:22:58
自分にそぐわぬレスがあるとムキになって否定してた輩がいたからな
過疎るはずだよな
この伝統あるスレタイも見納めなのかな
もう次スレはいらないだろ
862 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 01:11:56
高家は認めない
863 :
日本@名無史さん:2010/02/19(金) 07:10:15
鳥取新田藩って明治に鹿野藩若桜藩として立藩してるけど、それぞれ鹿野と若桜の町に陣屋を置かなかったって本当だろうか。
若桜の地元の歴史資料館の類の郷土史家の人がHPで若桜陣屋を否定していたから問い合わせたけど、いくら聞き取り調査をしても
存在したという証言が得られず、世間の説の場所も根拠が薄く、設置されなかったものと結論付けたんだとさ。また、世間に
流布している若桜陣屋の情報は、江戸初期の若桜藩山崎氏の居館跡と混同しているのではないかという話だった。
史料などで、鳥取城下に邸宅を置いていた新田藩2家が鹿野や若桜に居館を移した、あるいは鳥取城下に継続して居住していた
ことを示す記述はあるだろうか。
もういいかげん釣りは止めろ
荒らしはスルーでレスキボンヌ。
じょうさい藩はやし家はいいの?
868 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 01:12:38
「日本一小さな大大名」(たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代)
という本を買って読んでみた。内容はまあまあだったが、まとまった資料に乏しい喜連川氏を知るには
格好の入門書かもしれない
「徳川将軍家と肩を並べた」は言い過ぎだろ?
10万石格だけどあくまでも将軍の臣下
実際は臣下だろうが一応名目は客分らしい
将軍代替わりの時には誓紙を出していたのかな
「自演」「自演」って言っている人は遠い昔、いったい
どういう小事件があってこのスレにいつくようになってしまったんだろう
ってたまに思うけど、ネット上ではそういうことは、決してわからないよね。
世界には小さな謎があふれている。
874 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 02:45:16
>>868 wikipediaの喜連川の項目には、
ちょっと怖い人が住んでいるよ、、、
自演までしてこのスレをたて続ける人は遠い昔、いったい
どういう小事件があってこのスレを立てるようになってしまったのだろう
ってたまに思うけど、ネット上ではクソスレなのは誰の目にも明らかだよな
意味のないクソスレが最近あふれている
ちょっと気持ち悪い人だな
自演認定厨しね
>>875 早く入院しろ、出てくるな
追加処置:病院内からのアクセス禁止
まあほどんとのレスが自演なのは確かだとは思うが
それは妄想というもの
検査してもらえ
881 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 11:08:08 BE:99090263-PLT(22222)
自演のためにスレ立てするならBE出さないだろうよ
次スレを立てるのは習性です
882 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 11:53:22
このスレタイは、学問板の役割を全うした。
やみくもに次スレをたてるなかれ。
意味なきスレは荒れる。
荒れ出すと他スレへも悪影響が及び板全体が迷惑する。
長き間ご苦労さまでした。
他の過疎スレを見習えないなら、もう次スレは要らないだろうな。
次スレ立てるなら、学問板じゃなくて歴史難民板の方が良いかもなw
偉そうな有識者(笑)と空気読めない歴史オタ(笑)じゃ水と油だしな。
というあなたは何様ですか?
>>884 思ったままを書いたまでの古参の一住人です。
マジな話、共存できないなら学問板と歴史難民板に並立させた方が良いんじゃないかと。
>>885 マジな話しなら、適切な板への移転をテンプレ案と共に提示すべきでしょう
三百諸侯の270年間が対象なのにネタ切れか。不思議な話だ。問題は他にあるんだろうな。
ここに限らず他のスレも過疎りまくってるけどな
2ちゃんねる離れじゃないか?
かつて2ちゃんねるがマイナーな存在だった時代の人間はもういなくなってるし、
嵐ですらワンパターン化してきてるからな。
自演もワンパターン化してるしな
891 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 21:16:47
とりあえずビールでも飲んで落ち着こうや
>>891 ビールはスレチだろ
越後さむらい飲んでる
893 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 22:55:51
んじゃ加賀前田の八家語ろうぜ〜
本多家五万石てぇええええええええ
前田の連枝はどんな禄を貰ってたの?
>>895 連枝とは御三家支流の事。
憶えておくがいい。
897 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 12:07:42
898 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 12:15:48
>>895 御連枝じゃないのか。
御直参なら大名旗本を指すし、直参なら大名の直臣とか。
899 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 13:20:06
連枝や家門とは、徳川一族に対する尊称などではなく、普通に使う日本語だ。
春になると、中学を卒業した若者が毎年増殖するが消毒される。
今年も始まった訳だがw
と、スレタイすら読めない者が
したり顔でレスしました。
901 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 16:47:09
あと100だな
テスト
903 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 17:18:39
三つ葉葵を許された大名家はいくつ?
うちも戦後は三つ葉葵を裏紋に使ってる。家紋なんて、途中で変えたりする家も多いけど、江戸時代は
変えられなかったのかな?
別に役所に届けるわけじゃないんだから、好きなのつければいいんじゃない?
905 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 20:50:03
>別に役所に届けるわけじゃないんだから、好きなのつければいいんじゃない?
目上の者に礼を失せず、下の者に侮られなければなんでもいい。ころころ替えるのはいかにもDQNだが、
大名家ならいくつも紋を持ってる。
906 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 20:57:29
松平以外で葵貰ったのは鳥取池田位じゃね?
>>906 鳥取池田も松平、国持ち外様の大部分も松平だろw
慈円で炎上
>>903 松平(池田)鳥取 文化十四
松平(越智)浜田 文政六
松平(奥平)忍 文政
松平(越前)前橋 文政十
松平(越前)明石 文政十
松平(久松)松山 天保五
松平(蜂須賀)徳島 天保十四
松平(越前)糸魚川 嘉永
松平(越前)広瀬 嘉永
松平(越前)母里 嘉永
松平(戸田)松本 文久
松平(能見)杵築 慶応
松平(久松)多古 慶応
910 :
909:2010/02/23(火) 00:34:33
万石未満にもいるが、スレ違いなので割愛した。
このようにちゃんとレスしてくれる人も少なくなったなあ
912 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 10:27:23
既に何度も出た話だからな。また質問自体、あまり発展性のない単発的な話だし。なぜ質問者はググろうとしないのか。
単に単発的な雑談が続くだけならスレ自体の必要性も議論されなきゃならないだろ。
と、ググッただけでは結論が出ない
>>863のカキコをスルーされた俺様が腹立ち混じりに書き込んでおく。
このスレの抱える問題の根は深いからな、今まで挙がったのは↓こんなところか。
・スレ全体・住人のレベル低下
・長期間常駐しているアラシの存在とスルースキル
・既出・の話題が繰り返される
・質問の際のマナー・態度が良くない、お礼も言わない
・逆に上級者?がマナーを強要、上から目線で偉そう
・単発の質問をする教えて君が多い
・確信的にふざけたレス・流れが続く
・雑談・脱線・揚げ足取りが多い
・このスレに限らず、日本史板全体が過疎
・ID非表示
など
大事なのを忘れてた
・
>>913全般を理由とする上級者の退去
あとは、
・2ちゃんねるに飽きてきたねらーが多いってレスもあったか。
ブログやHP運営でもよくあることではあるよな。
住民がいなくなればDAT落ちして終了でいいんじゃないの?
面白いスレだったから、落ちない限りは次スレを立てるつもりだけど
>>915 もし次スレ立てるのなら、「江戸三百藩について語ろう10」の方がより良いかもね。
「諸侯」限定だと家老(家老スレあるし)とか諸侯の周辺部の話が大っぴらにはしづらいから。
自演の話し合いは終わったかな?
918 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 13:18:16
確かに、スレのテーマの範囲をぼかしておいた方が自治厨による流れのせき止めも防げていいかもね。
970を超えたら次スレ立てるんで、てきとーに話し合いましょう
920 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 13:32:16
いっそ江戸時代の領主とでも括るか。旗本や知行地を持つ陪臣、公家や寺社なども入るけど。
ついでにタイトルに【自演】【歓迎】も入れておいて欲しい。
>>917みたいなアホがうるさい。
自演する者の方がアホだと俺でも思うけど
もう何でもありにするのか?
それならいっそのこと
江戸時代の武家についてにしたら?
俺は大名だけのほうがいいんだけど。
タイトルに【自演】【歓迎】なんて入れたって、自演認定厨さんは退去してくれないし、
妙なタイトルでネタスレ扱いされて、荒れるだけだよ。
でもまあ、
>>1の本文あたりに「自演認定厨さんは書きこまないでください」と書いてみてもいい。
(無駄かとは思うが)
「三百諸侯」っていう語は成句みたいなものだから、これもこのままでいいんじゃないかな、っていうのが自分の意見。
(強くは主張しないが)
これも
>>1の本文あたりに、大藩家老等の話もある程度は可、とか書いておけば自治したがる人も減るんじゃないかな
だれかテンプレの草案作ってくれ
後は話し合って煮詰めよう
スレタイ:江戸三百諸侯について語ろう10
>>1:三百諸侯(藩主)の話題を中心に、江戸時代の大名家(藩)について語りましょう。
(スレの趣旨を大きく逸脱しない範囲で、同時期の領主・幕臣の話題も多少は可です。)
自演認定厨その他一切の荒らしは完全スルー厳守で。反応する人も荒らしと一緒です。
質問する人も答える人も節度あるレスを心がけましょう。
>>2:過去スレURL
草案の叩き台、こんな感じでどう?
既出の意見を適当にまとめてみた。
927 :
926:2010/02/24(水) 01:29:10
スレタイは、江戸三百諸侯・藩について語ろう10、の方が良かったかな?
あくまで叩き台の一案だけど。検討よろ。
推奨NGワード【自演】も追加で
929 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 07:28:04 BE:198181049-PLT(22222)
次スレへの案は970まで、と仕切ってみる
930 :
926:2010/02/24(水) 15:46:03
スレタイ:江戸三百諸侯と藩について語ろう10
>>1:三百諸侯(藩主)の話題を中心に、江戸時代の大名家(藩)について語りましょう。
(スレの趣旨を大きく逸脱しない範囲で、同時期の領主・幕臣の話題も多少は可です。)
自演認定厨その他一切の荒らしは完全スルー厳守で。反応する人も荒らしと一緒です。
推奨NGワード【自演】
質問する人も答える人も節度あるレスを心がけましょう。
>>2:過去スレURL
他にも加除したほうがいい部分があったらお願いします。
931 :
926:2010/02/24(水) 15:56:35
>>930のスレタイだと諸侯と(藩について)語るみたいなニュアンスにもなるから
今までどおり「江戸三百諸侯について語ろう10」の方が良いか・・・
個人的には三百諸侯と藩だと明治の匂いが強い。
江戸大名家と諸大名がいいと思う。
後は特にないよ。
933 :
926:2010/02/24(水) 17:13:08
>>932 では1行目を
:諸大名の話題を中心に、江戸時代の大名家について語りましょう。
でどうでしょうか?
スレタイ案については「三百諸侯」のままが良いという意見もあるので
とりあえず今のままで保留ということで他の人の意見もお願いします。
もう終わりでええやん
違うスレタイで立てたい奴は勝手に立てろや
スレタイが変わった例だと、旗本・御家人スレ→幕臣スレとかあるね
「旗本」と「御家人」もタイトルに残ってるけどね。
大名 諸侯 藩主 江戸
検索に使われそうな単語が入ってるし、今のスレタイに特に不満は無い。
「三百諸侯」を残すのには賛成だが、「大名」を外すのは反対。
937 :
926:2010/02/25(木) 07:19:50
>>936 たしかにスレタイから検索されそうな語句を削らない方が良いでしょうね。
では今のままでいくなら、
【大名】江戸三百諸侯について語ろう10【藩主】ということで。
938 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 22:03:03
暖かいスープと毛布を下さい
液体窒素と針のムシロをあげませう
940 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 21:21:51
幕末期の全藩地図が有ると面白いのだが。
例えば
◆○×藩◆
藩主:○○家
藩都:○○城(○○市)
石高:○○万石
藩領:○○県一帯の本領及び××県××郡の藩領
藩領図:〜以下、○○藩領域地図
みたいな。
んで、日本地図に分かりやすく全藩の領地図を記載して欲しい。
それやると京都、大阪、近江近辺は村単位どころか
300石とか500石みたいな感じで色が混在して訳分からなくなるぞ・・。
942 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:47:41
譜代大名の領地って、
ひと固まりでなく、
飛び地が多いから
地図にするとまだら模様になるんだよな。
943 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 19:40:56
人吉藩て二万石ぽっちなのに領地は広いね
>>943 それ言ったら、松前なんて蝦夷島の島主ですよ
しかし、米のとれない山深い地区なんて自領の認識があったのだろうか?
檜とか商品になる木材でもあれば、経営のし甲斐もあるのだろうけど・・・
人吉藩の闇は深い・・・
より慈円が際立つようになったなw
948 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 22:26:00
人吉藩て藩主が別荘で休暇中に射殺されたり、藩主入れ替えたり結構おもしろい歴史があるよね
今は血筋的にどこの大名家なんだろ?
>>948 岡山藩の池田家。幕末には相良氏から池田の当主が出ている
950 :
926:2010/03/06(土) 00:33:42
他にスレタイ・テンプレへの意見も出ないようなのでこの辺でまとめてみます。
スレタイ:【大名】江戸三百諸侯について語ろう10【藩主】
>>1:諸大名の話題を中心に、江戸時代の大名家について語りましょう。
(スレの趣旨を大きく逸脱しない範囲で、同時期の領主・幕臣の話題も多少は可です。)
自演認定厨その他一切の荒らしは完全スルー厳守で。反応する人も荒らしと一緒です。
質問する人も答える人も節度あるレスを心がけましょう。
>>2:過去スレURL
>>スレ立てをされる方
一案としてこのようになりましたのでよろしくお願いします。
他に案が出た場合はお任せします。
>>950 特に問題ありませんね。
職人さん、お願いいたします。
953 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 13:17:09
300諸侯の内、100以上が陣屋大名
陣屋は堀、石垣、櫓を作ることが禁じられている。
ってことは、
幕府の許しが出て、陣屋に堀、石垣、櫓の一つでも作ったら城とみなされ
城主大名となれたのか。
>>953 城主、城主格、無城は格式
規模は関係ない
956 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 16:31:10
通りががりの歴史厨です。
スレを読むと直ぐに気付く事がありました。
今までお一人でAさん役Bさん役Cさん役やってたのでしょうか?
凄い努力だと思います!なかなかどうしてできませんよね。
でもあたまのほうは大丈夫ですか?
残りわずかです。頑張って梅てくださいね!
>>956 精密検査の必要があります。
隔離病棟へ入ってろ。
958 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 18:08:00
>>957 仮に複数人の住人が当スレにいるならば、あなたがそのような稚拙なハレーションを起こす必要がありません。
しかし、あなた一人しかいないならば、あなたが過剰反応を示すことについて論理的説明がつきます。
頑張って梅てください。
>>957 荒らしはスルーで。
寂しいから構ってほしいのよ。
961 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 19:14:39
>>959 もしかしておまえさ〜1日中レス待ちしてんの?
スルーしないから
糞レスするやつばかり増える
963 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 20:16:35
図星のようだな☆
いや、下種というよりも頭のおかしい人だと思う。
触らずに放置しとくのが一番だと思うんだけど、あんましつこく粘着されると
相手が神経症患ってると分かっててもうんざりするなあ・・・
966 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 21:27:01
はいはい☆
そうだなごもっとも
967 :
1:2010/03/06(土) 21:38:53 BE:396360498-PLT(22223)
すみません。先日の2ch全鯖落ち当たりからBEポイントによるスレ立て優待が使えないようです
●をお持ちの方など、立てられる方がおりましたらば、よろしくお願いします
968 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 22:21:09
梅の紋所
969 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 22:39:53
よし!おいらがきたぞ
970 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 23:14:06
城付一円知行なんて少数派だよ
971 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:05:09
城付一円知行との用語は存在しないけどどこかの学会で使ってるの?
しょうもないことに突っ込んで
察しろ
973 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:21:07
城付地 一円知行
だな
>943
山山山・・・。
山の木が高く売れるので問題なし・・。
不作、凶作がない分米で年貢取り立てるより効率が良いらしい。
975 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:37:50
976 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 02:17:54
977 :
885:2010/03/07(日) 02:47:58
>>976 板を移動するなら事前に提案・論議した上でしないと。勝手に他板に立てても誰も使わなかったら意味ないぞ。
俺が
>>885で提案しても賛同者ゼロだったんだしw
このスレをなくしたい人が勝手に隔離板に立てただけだろ。
気にせず、誰か次スレ立ててくれないかな
979 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 11:25:45
歴史難民とはえらい降格したもんだな
まあ、そっちで変わった価値観の人達と新たに頑張ってください
ご存知の通り日本史板は学問板です
もう来なくていいから
あっちの世界で強く生きろよ
次スレからは三百藩全体についても語れるようになったのはいいことだな
984 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 14:30:45
985 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 14:31:23
986 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:05:52
別の板に同スレが立ったら重複なのか?
板ごとに住人がいるんだから重複なわけがねーだろと思うんだけど。
987 :
885:2010/03/07(日) 16:11:43
住人の了解なしに無断で全く同じスレを別の板で立てても、普通それを次スレとは言わないだろうけどな。
重複かどうかは運営が判断することだろうけど、板を変えるといった重要事項を議論もなしに独断で他板に
立てるのは荒らし行為とみていいんじゃないか?
988 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:16:48
住人の話し合いレスが残っているこのスレでそれを主張するかね。
989 :
988:2010/03/07(日) 16:19:50
>>988 板を変えるべきかどうかは一度も話し合われてないだろ、結論も出てない。
俺が
>>988で上級者用と初心者用に分けるのを提案したが、賛同者ゼロ人。
安価ミス。
>俺が
>>988で上級者用と初心者用に分けるのを提案したが、賛同者ゼロ人。
>>885で
いずれにせよ、分割案・移転案が議論すらされていない以上、学問板で続けるのが妥当だな。
それ以前に板を移っても誰も移動しないだろw
991 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:50:38
運営者きどりのコミュニケーションスキルほぼ0のおバカが出現してから過疎った現実を注視しよう
結果的にこいつの行動は荒らし行為になるわけだ
一人で何人もの人格を演じるなど正気の沙汰ではない
誹謗中傷しながら根拠なく決めつける方が常軌を逸してるかとw
次スレは
>>980でいいんじゃない?
993 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 17:06:49
板を移る住人はほとんどいないだろうからな。自然にこの板の新スレの方が主流になるよ。
だろうな
他に板でも独断で立てられたスレは誰も使わないし。
995 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 18:08:20
一人で何人分を書けば気が済むのでしょうか?
恥ずかしいよりこわい
見えない敵と戦いすぎだろw
997 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 18:22:52
統合失調症か解離性障害かってところだな。
999 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 18:32:22
埋め
1000 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 18:33:57
埋め。
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