952 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:14:55
畠山重忠は庶孫が伊地知姓もらって伊地知家の嫡流になり、一時期、秩父姓を名乗ったが秩父崩れ(近思録崩れ)で
伊地知に戻した。その後、この次男家が島津貞久から島津姓賜って、こちらが栄えた。嫡流は川上から養子が入り
この次男家が畠山伊地知の嫡流扱いになった。
953 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:21:11
ちなみに畠山伊地知の十六代当主季平(すえひら)が嫡流の意識からか幕末に「秩父家帳」を編纂し
次男正治は精忠組の剣士として活躍、明治になって伯爵になった。
954 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:31:22
やっぱ・・・すごいじゃん・・・・。
955 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:44:28
さらに伊地知季平の孫娘・伊地知マスは自顕流の当主、薬丸兼文の妻で曾孫娘・伊地知ナカは家老の
調所家四代当主調所彦丸の妻。共に子宝に恵まれ現在の薬丸・調所家も畠山重忠の子孫。
956 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:47:49
名門中の名門じゃん・・・
うわ・・・
イタイスレになったな・・・
958 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 14:58:08
面白い流れじゃん。
>>957 畠山重忠のことを田舎の土豪といってた奴は涙目だろうけどさ・・・
畠山重忠の乱は、所謂だまし討ちに遭ったようはものだから、
傍流書流がしっかり残ったわけだね。
これが本当に一族あげての謀反だったら、完全滅亡してるところだろうけど。
精忠組とか伯爵とか、全然知らなかった。
960 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:06:40
田舎の土豪であることに間違いはないぞ。
その弟の子孫なんてのはそれよりはるか格下。
ご先祖を貶されて涙目になってるやつが必死になってるようだけどw
961 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:08:45
訂正。秩父崩れの伊地知(秩父)季保自身が川上家からの養子で島津重豪から切腹に追い詰められたあと
嫡流扱いが廃され、次男家の島津姓賜ってた伊地知家が嫡流扱いになったのでした。
962 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:14:41
だから畠山伊地知は重忠の弟の長野でなく重忠の子供重季の庶子・季時(すえとき)の嫡流なんですよ。
通字で分かるだろうけど。
うんうん。そりゃそうだろう。
>>962 でも畠山氏子孫がこれほど薩摩で活躍だったとは嬉しいことだな。
長野三郎重清にしたって、初代忠久室の叔父なんだし、しかもその縁組は頼朝の命で、
供入国って立場も立派なもんだよ。
種子島とつながる長野家というと、どういう家なのかはわかんないが
それ相当の家なんだろうよ。
>>960 どうしてそんなに必死になるんだ?
別に先祖じゃなくても、解明することくらい普通にあるだろうに。
>>904にしたら母方先祖かもしれないが、鹿児島にはそんなに長野姓ってないだろ?
自分としたら、重忠の庶孫つながりより、一の谷で戦った重清本人が薩摩入国ってのがちょっと感動物。
964 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 15:52:18
長野家が意外に凄かったから、元ニワカ武士にとっては口惜しかったんだろう。
田舎の土豪なんて言ってるところを見ると、もしかしたら畠山重忠のことも初めて知ったのかも。
965 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 16:06:11
島津家がわざわざ弟の長野重清以外に重忠本人の血筋を招き、畠山氏の本姓秩父を名乗らせたのは
それだけ畠山重忠に敬意を払っていたのだろう。しかし秩父崩れを起こしたり、お由良騒動(高崎崩れ)
関係の家に嫁いだり、家系図から歴史を見るとおもしろい。
長野三郎重清は、信濃に城持ってたし、
兄が非業の死を遂げた後、その娘を支える役目&島津家杜役。
本人の血筋が残ってるんだったら、それを継承させるのが役目みたいなものだろうし。
戦でも兄を支え続けてたらしいし。
あの猜疑心の塊の頼朝の信頼を得てた重忠は、そりゃまた別格だろう。
忠久を匿ったのは重忠だという説もあるわけだから。
畠山ってあっさり滅ぼされたよね?
残った財産もなんかよく分からない理由で足利のものになっちゃってるし。
>>967 そう。ただし、本家のほうははるかに格上の足利に継承されて室町幕府の管領にまで成り上がる。
いわゆる源姓畠山氏。
庶家の一つの成れの果てが今話題の長野。
969 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:19:07
長野厨のなにが哀れだって、長野じゃなくって兄貴の重忠を持ち出さなきゃならんとこだな。
その重忠つーのも虚名の人であるが。
日中の怒涛のようなカキコは一体なんだったんだw
いやいや、何がみっともないって、ただ長野家のルーツを掘り下げてるだけなのに、必死になって落とそうと連投してるやつだろうw
いくら薩摩がニワカ武士が多いからって、ココまでやっかみが多いとは驚いた。
平家物語に載るなんて、それこそ土豪やニワカ武士にはないことだから、嫉妬もやむなしだろうが品がない罠w
重忠は「すわ、鎌倉!」そのまんまだし、教養も高かったし、人望があった分、薩摩の田舎武士達にとっては口惜しいんだろうな。
家格が高い家の人達は、別にうらやんだりしないだろうが、元士族というだけで無名の末裔ともなればそういうものなんだろう。
972 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 22:59:08
>>970 ちょっと珍しい家の話して盛り上がってたら、妬みをかってしまっただけ。
多分、長野という響にトラウマでもあるんじゃないか?
苦手な上司がいるとか、フラれたことがあるとか。成績で勝てなかったとか。
横からすまん。上がってたもんで面白そうで覗いてみた。畠山の話で驚いた。
>>969 鹿児島大学図書館に文書収蔵されてるだけでも、少なくとも君の家よりは凄いんじゃないかと。
>>965 畠山は関東武士団だから、気に障るのはわからなくもないが、武士の鑑として今尚語り継がれてる英雄だよ。
滅亡したが、その滅亡の潔さがまた武士の誉れなんだよ。
神奈川あたりだと、畠山の評価はかなり高い。埼玉でも。
ちょっと鹿児島から出て、見聞を広めてみてはどうだろうか。
そうすると、あまり恥ずかしいレスをせずに済む。
974 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 00:06:51
965は畠山を評価してるレスじゃね?
975 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 01:26:02
多分、旅の御仁がうっかりレス番違いしてるんだろうww
レス内容からして(滅亡とか)
>>967あたりを狙ってたはずww
マジでわかりやすいな。
自称畠山にやっかみとか発想が自由すぎて
某所で笑いものになってるよw
977 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 09:15:19
しかし奄美ネタ以外で、こんなにスレ進むとは、久し振り。
つか長野が名門とか言ってるやつ、
ほんとは畠山が名門じゃないことわかってるだろ。
だからやたらと重忠の名に頼るんだよ。
979 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 13:30:47
鹿児島の名門 = 中央の雑魚
980 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:33:23
まだ粘着してるのか?畠山叩きの奴はw
いくら関東武士団へのコンプがあるからって、かえってみっともない状態になってるから
もし鹿児島人なら、恥ずかしいからいい加減にしてくれ。無知を晒して恥ずかしい。
どう考えても、全くの無名のニワカ武士より、キチンと平家物語に登場して
京のしきたりに精通している畠山のほうが、格上だろうよw
薩摩は歴史が長いんだから、今になってわかることなんて普通にあるんだから
いちいちうろたえたり、必死にならずに知識を増やせばいいじゃないかw
なんか言ってることが田舎臭プンプンだぞw
981 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:50:10
奄美ネタで堂々めぐりより、よっぽど面白い罠w
>>977 実際のところ、長野家以外にも思いがけない由緒がある家はあるだろうし、
いつも出てくるメジャー家ばかりじゃない家を掘り下げてみたいもんだ。
でもやっぱちょっと裏山。
自分の爺さんちなんて、半農半武の郷士だったみたいだから、
島津の殿様になんて会ったこともないだろう。
初代の正室の叔父だったりして、初代の供での入国が記録に残ってるんだから。
>>926によると、やっぱり名家だよな。
982 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:52:01
↑
そもそも畠山たたきじゃなくて畠山末流の長野(w
を異常にありがたがってるやつがバカにされてるだけなんだけどね。
まあダ薩摩の下民にとってはそんなのもありがたくて仕方のない存在なんだろうけどw
もちろん畠山はただの田舎武者で名門などではありえないがw
こちらは本題ではないw
983 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 15:53:22
>>982 お前のそういうところがズレてるんだよ。
長野三郎重清は畠山重忠の弟で、しかも一の谷、奥州攻めも戦ってんだから。
どうでもいい田舎武士なら、頼朝の命を受けるわけないし、そもそも姪が忠久の正室になることもない。
・・・・とまあ、何度も言ってもわかんない奴だから、とうとう、ただの嫉妬粘着って言われ始めたんじゃないか?
>>984 お前の言ってることが頓珍漢なんだよ。
長野は畠山の分家に過ぎないし、一の谷や奥州征伐に参加した武士など腐るほどいる。
頼朝の命を受けた武士たちのほとんどは大した家柄もない田舎武士たち。
考えても見ろよ。当時は頼朝自身がただの中級貴族(流刑中)だったんだから。
主君の忠久にしたって大した家柄でもない。姪が忠久の正室になったっていっても、
畠山重忠の娘が正室になったのであって、長野某の姪だったから正室になれたのではない。
こんな単純なことも理解できないで暴れてるからバカにされてるんだよ。
986 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:31:46
あの〜、そもそも名家の定義が違うから噛み合わないような。
島津家は一般的に名家だから、その初代との関わりあった畠山(つまり伊地知嫡流)や長野は
そこそこ名家でいいような気がするんだけど。
まぁ島津、西郷、大久保と家老の家以外は名家じゃない!とか言う人もいていいけどさ。
あはは!お前、とりあえず年表でも見直してみろよwwww
>>985 無知通り越して、間違った覚え方してないか?社会科は何点もらってた?
時系列むちゃくちゃじゃんwwww もう腹イテ〜ww
一の谷、奥州に参加した武将は山ほどいるに決まってるじゃん。何万騎とかの単位で。
でもきちんと平家物語、吾妻鏡に列記された主要武将で、なおかつ薩摩入国してる奴は少ないって話だろ。
いくら妬ましいからって、トンチンカン過ぎ。みっともねえ。
988 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 16:57:18
畠山所領地である信濃国の長野家といえば、それはそれで名門中の名門・・・という件。
びっくり歴史認識が現れた!
長野は頼朝傘下の主要武将だった!!
田舎土豪の分家が没落して薩摩に流れていきました。
ちゃんちゃん。
ただそれだけのこと。
990 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 17:22:02
信濃国の長野三郎重清でググってみたか?
畠山三郎重清なんだよ。元は。重忠の右腕。
理解できないと言うより、認めたくないんだろうが、現実。
郷士とは全く違う家格。
畠山・・・家格なし
長野・・・その分家(家格なし以下)
長野・・・orz
993 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:24:16
>>991 ずっと読んでたが、君が無知で粘着質だということだけがヒシヒシ伝わってくる。
>>986同意。名家というのは地味でも名家だよな。
994 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:48:33
名家じゃないのは派手でも名家じゃないけどな
派手でもないならなおさら
鹿児島は御一門家以外にも、由緒ある家が多いよ。
長野家も、いろんな長野家の流れがあると思うけど、
その殆どがそれなりの由緒がある。
高岡の長野家は目付、槍指南役。
谷山の長野家は元の伊集院家だった。
それと今話題の畠山氏系。こちらは本田、伊地知、種子島と縁戚。
>>926参照。
阿久根の長野家は郷士だが、それなりの役目があったらしくて、既出だが寺島宗則生家。
鹿大図書館の文書は貴重文書の類だと思うが、
目録だけみても、それなりの重役だったことが伺える。
日本全国どこでもそうだが、戦後の農地解放で影が薄くなった家は多い。
特に生粋の武家で誰も農業に関わってなかった家ほど、全部持ってかれる。
うちの母の実家がまさにそう。
別の県だが、家老格だったが雑木林以外は全て小作してた領民の物になった。
有名じゃないから名家じゃないとかは可笑しな話。
逆に西郷、大久保の家あたりは、名門とは言わないな。
>>986の意見に概ね同意。
由緒って結構大事なファクターだな。
渋谷氏の子孫(入来院)だけど、畠山は名門だろ?
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