謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!41

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1神奈川県民
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼
事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛

女王卑彌呼とは誰だったのか?
又、邪馬壹國とは何処にあったのか? 古代最大の謎に挑む!

【前スレ】http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1255870802/
【アク禁時用のスレ】http://www1.atchs.jp/most/
2日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:06:17
乙と言わざる聞かざる
3日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:38:08

イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは? 



イヨタン・・・・・・・・・・
4日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:51:58
漢志
古者建歩立畝 六尺為歩 歩百為畝 畝百為丈 丈三為屋 屋三為井 井方一里

東大寺山古墳、「中平刀」
5日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:58:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
6日本@名無史さん:2009/11/16(月) 23:59:24
>>720
>皇室が祭っていた鏡は、初めは木の国(紀伊)で作られたのか?
>八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥(イシコリドメ)命が作ったというが、
>書紀の一書では「石凝戸邊(イシコリトベ)」となっている。
>「古語拾遺」によると、イシコリドメが最初に作った鏡は出来が悪く、紀伊国の日前(ひのくま)神で、
>次に作った鏡は美麗で、これが伊勢大神だという。
>神武天皇は東征の時、紀伊国で丹敷戸畔(ニシキトベ)、名草戸畔(ナクサトベ)を殺している。
>天照大神を宮中の外で祭った豊鍬入姫命の母は紀伊国の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘という。

>>264
>十種神寶の鏡は「沖津鏡・辺津鏡」剣は「八握剣」。
>因みに神夏磯媛は「八握剣」も差し出している。
>確かに『勘注系図』の六世孫、「建田背命」に
>「古記云、此命以天御蔭之鏡・天村雲之刀、為二璽神寶」とある。

愛知県民サンはどのような考えでいるんでしょうか。
7日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:01:36
『豊後国風土記』
豊後国総記・・・豊国直等
日田郡・・・久津媛、五馬媛、日下部君等
玖珠郡・・・※
直入郡・・・打サル、八田、国麻呂等
大野郡・・・小竹鹿奥、小竹鹿臣
海部郡・・・※
大分郡・・・※
速見郡・・・速津媛、青、白、打サル、八田、国麻呂等
国崎郡・・・※

『肥前国風土記』
肥前国総記・・・打サル等二人、健緒組(火君健緒鉈)、たけるども
基肄郡・・・※
養父郡・・・※
三根郡・・・物部経津主の神(神名)
神崎郡・・・※
佐嘉郡・・・大山田女、狭山田女
小城郡・・・※
松浦郡・・・日姫子、弟日姫子、狭手彦、海松かし媛、垂耳、大耳等
杵島郡・・・※
藤津郡・・・大白、中白、少白、陪従紀直等、わか日子、
彼杵郡・・・速来津姫(←なぜか媛ではなく姫)、健津三間、浮穴沫媛、石コモル比袁麻呂
高来郡・・・高来津座(神名)
8日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:02:14
『豊後国風土記』
豊後国総記 ...天皇、ここに歓喜び有す。即ち、ウナテに勅して云ひたまはく、
「天の瑞物、地の豊草なり。汝が治むる国は、豊国と謂ふべし」といひたまふ。
重ねて姓を賜ひて、豊国直と曰ひき。因りて豊国と曰ひき。後に両つの国に分ちて、豊後国を以て名とす。

日田郡 ...筑後の生葉行宮を発ちて、此の郡に幸でたまふに、神有す。
名をば久津媛と曰ふ。化きて、人と為りて参迎へ、国の消息を弁へ申しき。
これを因りて、久津媛の郡と曰ひき。今、日田郡と謂ふは、訛れるなり。

玖珠郡 ...昔者、此の村に洪きなる樟樹有りき。因りて玖珠郡と曰ふ。

直入郡 ...昔者、郡の東にある垂氷村に、桑生有りき。其の高さ極めて陵く、枝も幹も直く美しくあれば、
俗、直桑村と曰ひき。後の人、改めて直入郡と曰ふは、是なり。

大野郡 大野郡。郷は肆所、「里は一十一なり。」駅は弐所、烽は壱所なり。
此の郡の部ぶる所は、悉皆原野なり。斯に因りて、名づけて大野郡と曰ふ。

海部郡 此の郡の百姓は、並、海辺の白水郎なり。因りて海部郡と曰ふ。

大分郡 昔者、纏向日代 宮 御 宇  天皇 豊 前 国の京都行宮より、此の郡に幸でましき。
地形を遊覧して、嘆きて曰ひたまひしく、「広く大きなるかも、此の郡は。
碩田国「碩田は大分と謂ふ。」と名づくべし」といひまひき。今、大分と謂ふは、
斯れ其の緑なり。大分。

速見郡 ...天皇兵を遣り、其の要害を遮へて、悉に誅ひ滅ぼしたまひき。
斯れに因りて、名づけて速津媛国と曰ひき。後の人、改めて速見郡と曰ふ。

国崎郡 昔者、纏向日代 宮 御 宇  天皇の御船、周防国の佐婆津より発ちて度りたまひき。
遥かに此の国を覧たまひて、勅して曰ひたまひしく、「彼の見ゆるは、若し国の埼かも」
といひたまひき。因りて国崎郡といふ。
9日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:49:22
皆、里を何メートルと考えてるのか?
古田氏は76メートル、サガミさんは68メートルかな?
一日の進む距離を考えた場合どれだけ進むのか?等答えてください。
じゃないと分からない。
10日本@名無史さん:2009/11/17(火) 00:50:23
三国分立時代(魏・呉・蜀)、倭と繋がりのある、
遼東太守の「公孫淵」は「呉」と組み「魏」を滅ぼそうと考える。

それがばれて魏から狙われる羽目に・・・

公孫淵は「燕王」を名乗って魏に対抗する。
魏の「明帝」は司馬懿を遣わし公孫淵を撃討つ(公孫淵死す)。

景初二年六月、倭女王は大夫難升米等を遣わし
帯方郡太守の劉夏に詣でて天子への献上を求める。

明帝、詔して倭へ使いを送る。
翌年、明帝死す。
幼い皇帝が立つも、司馬懿によって魏は司馬一族のもとへと・・・。
11日本@名無史さん:2009/11/17(火) 01:04:19
俺ここを立てたんだがほか板の立てるの誰かここの住人でできないか?
12日本@名無史さん:2009/11/17(火) 02:05:32
纒向遺跡中枢域は“水の宮殿” 3方に河川と人工水路
11月16日20時27分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091116-00000591-san-soci

邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、
河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。
“水の宮殿”を想起させる構造で、
約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。
13日本@名無史さん:2009/11/17(火) 02:46:55
【卑弥呼】 邪馬台国が奈良でほぼ確定したっぽいけど、九州厨はこれからどーすんのよw
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1258185763/
14日本@名無史さん:2009/11/17(火) 03:34:46
九州厨って
殆どが九州に土地勘の無い
関東人や関西人が多数なんじゃないの?

九州人の俺は邪馬台国の本体は畿内だとしか思えないし
あくまで記紀、倭人伝をしっかりみて
知能がIQ100以上の常人の話でだがなw
15サガミハラハラ:2009/11/17(火) 03:35:10
>>9 私の考えている1里は67.5mです。
16日本@名無史さん:2009/11/17(火) 06:55:55
その昔、西日本は魏の封柵を受けていた。この地図が証拠。
中国は、高齢化で国力が衰えた日本に派兵し、2050年までのに
領土を回復しようとしている。白村江の戦、元寇に次ぐ我が国存亡の危機です。

ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/74/9acb2195ebe7f0cbe9f3aee7936f8b48.jpg
17日本@名無史さん:2009/11/17(火) 18:31:39
age ここでする?
18日本@名無史さん:2009/11/17(火) 19:52:49
>>9
一日2000里ぐらいじゃないか
19日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:01:37
この山を越えれば1500里
20日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:31:42
>>14
九州出身で畿内説派の馬鹿俳優・苅谷俊介みたいなやつだな
今回の発見をまさに卑弥呼の宮殿とか言ってるやつ

奴は工業高校卒の偏差値25ぐらいだから
君と気が合いそうだな。
21日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:38:08
偏差値25なんか白紙で全部提出してもならんぞ
アホと違うか
22日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:42:17
偏差値が少しあれば>>14のような白紙に近い
低脳コメントではなく記紀と倭人伝のどこが畿内としか思えないか
一つや2つ抜粋して書くぐらいのことはできるはずだがね。

それに畿内説とはイコール、倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼説なんだが。
そんなこと言われたって偏差値低すぎて答えきれないだろうがねえ
23日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:44:52
俺の偏差値は34だけど、邪馬台国は畿内だと確信しているよ。
24日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:45:40
あまりいい加減なことを書くので先生も怒ってマイナス100点とか付けたのかもしれない。
このスレの書き込みを読んで怒り出す人もいますよね?
しかし、こと邪馬台国の問題に関しては、どちらが間違っているのか・・疑問だらけです。
25日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:04:05
>>20
九州説の君はどこ出身なの?
どうせ九州に土地勘ゼロの関東か東北か近畿あたりの人間だろw
26日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:15:17
どうせアホのチョンだろ
27日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:39:16
>>25
それより記紀と倭人伝のどこが畿内説としか思えないか
一言でいいから言えないの?

抜粋でも 一つか二つでいいんだけど。自称IQ100の高卒に出来ますか?
28日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:43:27
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
29日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:47:36
アホレスのあとには
狙ったかのように
爆笑ニュースのコピペ貼られるな…
30日本@名無史さん:2009/11/17(火) 21:51:18
>>27
倭迹迹日百襲姫は,倭の大乱を見事収拾し,双方から望まれて,大物主神の妻になったという。
大物主神(ニギハヤヒ)は大和最高の神であるから,倭迹迹日百襲姫はそれとほぼ同等の地位
に着いたことになり,天皇や斎主よりも高い地位で,大和朝廷の最高権力者である。

「日本上代の実年代」によると、崇神天皇の即位は246年となっている
238年倭王が魏に朝貢した返事が240年で、243年に朝貢した返事は245年に行っている。
247年の朝貢に関する返事の年代は記録されていないが、過去2回の朝貢の返事が共に2年後であることから
249年が返事ではないかと思われる。

張政等を倭に派遣することであるから更に準備に時間がかかることが予想され、250年が使者が倭に行った
年ではないかと考えられる。その250年が崇神9年と崇神10年になり,この年に日本書紀では,武埴安彦の
乱が起き、倭迹迹日百襲姫も,卑弥呼も,それぞれの戦いの直後に死亡している。251年(崇神11年・崇神12年)

日本書紀では四道将軍を派遣し,倭人伝では国中争うとなっている。続いて,日本書紀に外国人が多数やって
きたとなっており,倭人伝では,魏の使者張政が卑弥呼の死亡直後に倭国を訪問したとなっている。
さらに,日本書紀では課役を課すとなっていて,倭人伝では,租税を納め,賦役に従うと記されている
明らかに崇神10年の武埴安彦の乱以外は倭人伝と日本書紀は,すべて,一致するのである。
31日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:03:20
わるい。説明ありがとー。
アホには長文で脳内麻痺させるのが一番なんだよな。。
考える知能がないからw
32日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:07:37
大物主ニギハヤヒは太陽神としての性格を持つ。ヒミコを古代和語として解釈すると,「ヒ」は「太陽」,
ミ」は「霊」,「コ」は「小さいもの」とか「従うもの」といった意味であるので「ヒミコ」は「太陽神に仕
える者」といった意味になり,倭迹迹日百襲姫はまさに「日霊女」である。
33日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:12:27
アホは断片的知識と経験則と鵜呑みで出来てる原生動物だからな・・
まぁぱっと見は倭人伝、記紀みると九州に邪馬台国がありそうだけど、
小学生・中学生レベルの知能での話だもんな・・・w
34日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:12:55
倭が隋に使節を送った年が、大陸の記録と書紀の記録で1年のズレがあるのは

日本側が大陸の記録を見ながら、それに合うように歴史書を書きあげていく際に
暦の計算を間違えたんだろな。

という説を思い出した。
35日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:14:56
何が間違えで何が真実か、
科学的に検証する知能と能力がないと
学問を語ってはいけない。学問とは世の中を良くする
最大のツールだ。学問があるから発展があり平和があり
安定が保たれるのである。
36日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:21:19
37日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:27:25
まったく終止符が付かないわけだが…
38日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:37:01
雲南省のイ族の生活をBSで見たが、
日本もこんなんだったんだろなーって思ったな…

そいや、ベトナムに戦乱を逃れるために
船に乗って姿を消した
ワ族っていたよな。まさか、日本人の先祖か…?
39日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:38:33
>>30
倭面土国の王帥升
は記紀の誰だと思いますか?
全く別の人物ですか。
40日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:42:24
IQは最底だが、 日曜日のエリザベス女王杯で単勝1万買って
自動払戻機から771,000円出しきた奴が来ました。
41日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:45:21
日本的というとやぶさめ、袴、十二単という感じだけど
倭人伝の九州の描写みると南方民族としか思えないし
古墳時代なんかは中央アジアの騎馬民族みたいだし
イメージするのが困難。
42日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:53:20
南方誘致のワンコロ
43日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:09:47
>>4

>六尺為歩 歩百為畝 畝百為丈 丈三為屋 屋三為井 井方一里

こういうことか?
・井とは、一辺が一里の正方形の事を言い
・その正方形「井」とは、「屋」という面積が三つ集まったもの
・その「屋」とは「丈」とい面積が三つ集まったもの
・その「丈」とは「畝」という面積が百集まったもの。
・その「畝」とは「歩」という面積が百集まったもの
・その「歩」という面積は 一辺が六尺の正方形(つまり、三十六平方尺が歩)
44日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:16:30
おいおい。今酒のんで戻ったらやってるね。>>30
突っ込みどころ満載なのに他に突っ込むやつがいないというのが(ry

最初の三行と3段落目どうみてもおかしいよ。君の論理では反乱(大乱)沈静と大物主との結婚により
地位の上昇とあるが、その後に自害してるし、倭人伝では戦争か殺戮が続き男王と台与をたてて収まる。
ここまで書いといて崇神天皇の完全無視とするのは無理があるので。

45日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:28:44
古代日本人は自分のことをワーと言ったらしい。だからワの国なんだね
(ノ><)ノ
46日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:32:32
南方誘致のワンコロ
47日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:32:53
倭人伝での天皇無視の記述という拠り所が、戦争(反乱)後の大物主神との結婚、
そして自害しているのに倭人伝では台与の登場まで続いており女王の結婚も触れられてない。
御付の男は触れられてるのに天皇の存在は無視。

台与は誰か、男王は誰か。何で倭人伝では天皇の存在に気づかないのか。

ここの矛盾に気づきながら(少しIQがあればね)倭の大乱以外すべて一致とか
「ここまで一致」とはいえないところに詭弁性(ry
48日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:38:08
>>47
俺もそこは気になってるんだよな。
だからまだ宇佐ー畿内の二重権力状態を捨て切れないんだ。
ところでその点でいくと君はどういう解釈なんだ?
49日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:38:11
>>30

大物主とニギハヤヒが同一ってどういう根拠からなの?
ときどきそういう珍説を見かけるけども。

大物主とニギハヤヒの神格は全然別のものだよ。
大物主は大国主と同一であり、ニギハヤヒは天神の子というのは日本書紀に明記してあること。
どうして、それらが同一になるのかわからない。
根拠があるなら聞きたいものだ。
50日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:39:09
天神は菅原道真。関西の人。
51日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:46:43
>>47
同じ疑問を持ちました。卑弥呼の時代に天皇制が果たしてあったのかなあ。わからんけどw
52日本@名無史さん:2009/11/17(火) 23:59:40
倭人伝の時代、単に天皇の呼称がなかっただけじゃないか。
53日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:08:08



504 :何語で名無しますか?:2009/11/13(金) 13:44:42
ここらあたりから出発で
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E9%9F%BB%E5%AD%A6

先月の放送にあった唐代音なら周辺国に残る発音も参考になるけど
漢代以前の上古音になると文献資料が主体になるらしい
54日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:09:13
昔は出雲から銅鐸を貰って巫女さんを崇めていた豪族たちが決起して天皇制に移行したんだよ
神話の時代から剣の時代へ・・・・世界各国でよくある話
55日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:13:59
「邪馬台国の卑弥呼」は誰かとしても
当時の普通に女王兼巫女はあったのは確実。
だから、モモソみたいなのが、あちこち周辺国の王の娘なんかに居て
日姫みたいに呼ばれていたのは何人もいたはず。

実際、隋書では倭は30数国あってそれぞれが王と名乗るって書いてある。
つまりね、当時の天皇(畿内とその周辺の畿内王とでも呼ぶか)の範囲の及ぶところは
すでに大きくなっていると思うけど。特に崇神天皇の時代ならね。

でも中国側からみると交流の多い九州側からみると、まだ30数国
散らばっていて王と名乗ってるやつが一杯。統一されてない感じ。わかる? 

56日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:17:51
卑弥呼もトヨも女性で天皇は男系。そこが腑に落ちない。書記の初めに女系だと国が作れないという意味の記述がある。ヤマタイを滅ぼしたのが天皇勢力では?だからキキに卑弥呼もトヨも曖昧なんだよw
57日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:21:22
邪馬台国時代の実話を装飾して由緒ある家柄っぽくしたのが欠史八代の捏造ってことですね
58日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:25:18
>>56
台与は卑弥呼の「宗女」とあり、
「宗女」の解釈にはおもに、
「一族の娘」、「長女・嫡女(あとつぎの娘)」があるが、
もし「一族の娘」だとしたら、
卑弥呼と台与の関係は「男系」の範疇で捉えられるよ?
59日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:40:07
>>58
うーん、卑弥呼もトヨも中継ぎってことね。なるほど一理あるなw
60日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:42:39
孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇 ←モモソ姫の父親
孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇 ←モモソ姫の異母兄弟
この2人は根の国出雲の出身っぽい

おそらく倭国大乱でもめた後に出雲の巫女さんを連れてきて
倭の連合国の盟主に祀り上げられたのが卑弥呼だな
で、台与の後にまたもめて、それを武力で統一したのが崇神天皇

崇神は簒奪者だから邪馬台国のことは黒歴史になったんだよ
61日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:55:33
崇神の大叔母(叔母)・百襲姫が卑弥呼、崇神の娘・豊鍬入姫が台与、
という比定はやはり興味深いね。
中国書的には卑弥呼・台与といった「女王」の存在が目立つわけだけど、
国内的には「ポスト魏志倭人伝時代」である3世紀後半がミソなんだよね。
つまり「布留」時代の到来。これを成し遂げたのがハツクニシラス=崇神なんだろう。
豊鍬入姫を廃した上、次代の斎女王である倭姫からヤマトを離れるという伝承も、
「共立女王の時代」から「大王の時代」への変革期を示唆していて興味深い。
62日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:58:06
神功皇后はあまりにも天皇無視の女王扱いで妊娠疑惑もおおいにあるのに
堂々と書いてる。だから記紀の編纂者は卑弥呼=神功皇后としたのだと思われ
63日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:08:11
4年前に読んでた時よりかなり信憑性あるな。
終止符とまでは行かないけどかなりゴールに近いとみた。
これも一重にネットの力だ。
怪しげな騎馬民族説とか完全消滅してるもんんな・・
64日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:29:13
もう殆んど正解は出てると思うけどね。
今度の建物に出雲との類似性もあった?
65日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:30:59

やはり海部氏の江戸時代に作成された国宝・家系図は偽物臭いな。
2000年前の鏡とやらはあるのに原書がない。
卑弥呼・台与の名と世代が奇妙にも一致してやってくる日女命と天豊姫の
江戸時代の家系図。

卑弥呼・台与説はこれから百襲姫・豊鍬入姫説と海部の日女命・天豊姫説に
わかれると思うw
66日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:43:13
>>64
まだ、諦めの悪い九州説論者が無駄な人生掛けて
勝負してくるとみた。
でも俺の中ではほぼ完全に結論は出た、これで十分。

あとは神武の東征と天孫降臨あたりを知りたいところ。
67日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:49:11
>>64
あった。昨日のNHKで詳しくやってたけどな。

俺はたまたま以前の出雲大社の特集で初めてカメラが入ったやつも
見てたんでわかったが、昨日NHKで再現してた巻向宮の内部の部屋の構図と
柱の位置は今の出雲とも全く一緒。

出雲は奥の祭祀の部屋の右に八雲の天井画の部屋があるわけ。
68日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:58:54
俺なりの天孫降臨と神武東征3行。

出雲の父系(天孫)を継ぐ神武が九州でフラフラしていたが
こりゃ埒あかんと思って奈良に引っ越しした。
最初は奈良のちんぴらに過ぎなかったが徐々に力付け勢力拡大。
69日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:05:18
>>67
そうなの?やっぱりね。
あの辺りなら出雲系という予想はしていたが。
70日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:43:20
君ら、出雲系っていってるけど、
島根県の出雲のことじゃないよね?

出雲系=大国主信仰勢力ってことだよな?
日神教が流行る前に、西日本全域に定着してた宗教を祀る集団ってことでいいね?
71日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:51:46
さすがに出雲大社より古くしようとしても無理だと思うが。
72日本@名無史さん:2009/11/18(水) 02:54:39
>>71

ちょっとまて、マキムクより出雲大社のほうが古いっていう意味の発言かい?

違うよな?
73日本@名無史さん:2009/11/18(水) 03:07:33

島根件の出雲大社は、古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたが、
明治4年(1871年)に出雲大社と改称した。

それまで、出雲神社といえば、丹波の一宮・出雲大神宮のこと。
吉田兼好が徒然草の第236段で記した「丹波に出雲と云ふ処あり」の「出雲」とはこの神社のことである。
当社の由緒書きには、『丹波国風土記』に「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述があるとしている。




74日本@名無史さん:2009/11/18(水) 03:10:39
丹波国風土記に、大国主命御一柱のみを島根の杵築(現出雲大社)に移したということは、
それ以前の島根では大国主命は祀られてなかったことになる。
では、島根では何を祀ってたのか?
ということを知りたい。
75日本@名無史さん:2009/11/18(水) 03:24:34
崇神紀に、出雲大神宮の神宝の話がある。

ずっと、出雲大神宮とは島根の出雲大社のことと思い込んでたけど、
どうも他の史料とあわせると、丹波の出雲大神宮のことみたいなんだ。
出雲大社は、出雲大神宮と呼ばれたことは無いし、明治まで杵築大社だった。

この件で誰か何か情報ない?
76日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:19:30
>>56
だから今、その呪縛でてんやわんやしてるじゃんw
77日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:29:11
>>32
そのまま読んじゃってるしw
現代の感覚でなんでそのまま読むの?
78日本@名無史さん:2009/11/18(水) 05:33:37
>>75
状況にあわせて
社格も名称も変わります
変える必要があるからですw
79日本@名無史さん:2009/11/18(水) 06:28:59
>>77
あれであってるよ。
80愛知県民:2009/11/18(水) 07:42:27
纏向は出雲服属後の崇神ではないか?
81日本@名無史さん:2009/11/18(水) 09:17:06
弥生時代後期の墓を見ると近畿は方形低墳丘墓(大和)、山陰〜北陸は四隅突出墳丘墓(出雲)、瀬戸内は大型墳丘墓(吉備)
これに北九州を加えたのが当時の4大勢力圏

青銅器の時代は大陸→北九州→出雲→大和という流れで文化が流れていたため大和は出雲の神を崇めていたが
鉄器の時代に入り大陸→北九州→吉備→大和という流れに変わり、出雲は大和に見限られたんだよ
そして大和は島根〜北陸にかけて勢力を誇っていた出雲を平定し、さらに吉備、九州、東の国々・・・と全国を統一を果たした
82日本@名無史さん:2009/11/18(水) 13:39:02
>>81
それだと、出雲系の大物主を祭るのはおかしいでしょ?
祟りを鎮めるにしては規模がでかすぎでは?
83日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:17:24
おまえら、馬鹿ばっか。

なぜ、ヤマトが、出雲の神を祭るのかというと
ヤマトの王が倭王として君臨できる正当性は
前の覇者である出雲の王から天下を譲られたから。
この出雲国譲りは、
卑弥呼擁立のきっかけになった倭国大乱や
それ以前の神武東征よりも、更にずっと前の話です。
おそらく、出雲国譲りは紀元前1世紀ぐらい、
神武東征は紀元1世紀、
倭国大乱は紀元2世紀中頃から後半でしょうな。

三輪山のことを大物主神といって、
出雲の大国主の和魂として祀ったもので
大国主は実在する人物だったが、
大物主は三輪山のことで実在しないもの。
だから、大物主というのは、記紀には、何代にも渡って登場し、
その正体が蛇だというおち。

84日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:27:02
>>83
>おそらく、出雲国譲りは紀元前1世紀ぐらい

中途半端だな。
国ゆずりは弥生時代始めじゃないかい?

稲作を広めたのは天孫族で、
大国主が全国をまわって稲作を広めたという話は無かったと思う。


85日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:43:13
卑弥呼って名も諸国の官職(なしもりとか)も記紀読む限りでてこない。
もちろん当て字だろうけど、そんな名前でてこない。

それにヤマトだとトップは王だろ。記紀のどこにシャーマンが治めたなんて書いてあるんだ?
だからヤマトと違う勢力じゃないかと思うのが普通。

無理やり記紀の誰かに当てはめようとするからややこしくなるんだ。


…と思うんだけどだめかなこれ。

86日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:45:03
>>82
紀記に書いてある
87日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:52:50
>>85
当然「卑弥呼」はあて字だから、ひみことかひめことか呼ばれていた
人物だろうな。
88日本@名無史さん:2009/11/18(水) 14:58:15
>>85
30 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/11/17(火) 21:51:18
>>27
倭迹迹日百襲姫は,倭の大乱を見事収拾し,双方から望まれて,大物主神の妻になったという。
大物主神(ニギハヤヒ)は大和最高の神であるから,倭迹迹日百襲姫はそれとほぼ同等の地位
に着いたことになり,天皇や斎主よりも高い地位で,大和朝廷の最高権力者である。

「日本上代の実年代」によると、崇神天皇の即位は246年となっている
238年倭王が魏に朝貢した返事が240年で、243年に朝貢した返事は245年に行っている。
247年の朝貢に関する返事の年代は記録されていないが、過去2回の朝貢の返事が共に2年後であることから
249年が返事ではないかと思われる。

張政等を倭に派遣することであるから更に準備に時間がかかることが予想され、250年が使者が倭に行った
年ではないかと考えられる。その250年が崇神9年と崇神10年になり,この年に日本書紀では,武埴安彦の
乱が起き、倭迹迹日百襲姫も,卑弥呼も,それぞれの戦いの直後に死亡している。251年(崇神11年・崇神12年)

日本書紀では四道将軍を派遣し,倭人伝では国中争うとなっている。続いて,日本書紀に外国人が多数やって
きたとなっており,倭人伝では,魏の使者張政が卑弥呼の死亡直後に倭国を訪問したとなっている。
さらに,日本書紀では課役を課すとなっていて,倭人伝では,租税を納め,賦役に従うと記されている
明らかに崇神10年の武埴安彦の乱以外は倭人伝と日本書紀は,すべて,一致するのである。
89日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:13:51
「海部氏系図」に出てくる天造日女命が卑弥呼だな。
天造日女命の甥の建諸隅命(由碁理)の娘、天豊姫命(竹野姫)が台与。
竹野姫は第9代開化天皇の嫁。

倭迹迹日百襲姫は第7代孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊)の娘で第8代孝元天皇(大日本根子彦国牽尊)の異母兄弟。
ちなみに天造日女命・天豊姫命はともに大倭姫命の異称も持つ。
(大日本=ダイヤマト=大倭)
90日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:19:41

トヨタン・・・・・・・・・・
91日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:20:08
>>88
「やまとととひももそひめ」が「ひみこ」とか「ひめみこ」とかって呼称で呼ばれてたってこと?
てかそれだと「ニギハヤヒ」の当て字が出てくるほうがしっくりくるんだけど。
モモソ姫のシャーマン的な事柄は書いてあってもさ、王じゃないしから外交文書に「トップです」みたいに出てくるのってどうなの?
中国や朝鮮側の資料だと「女王国」だとか「卑弥呼と外交した」的なこと書いてあるしさ。
けどモモソ姫にそんな大それた特権があったとも思えない。
朝貢は黒歴史だから記紀に載ってなくても納得できるんだけど。

ああそうか、黒歴史だから朝貢の際に「女がボスです」って嘘ついたのか。


…なんだかだめだな。さっぱりわかんね。
92日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:22:36
>>88
>大物主神(ニギハヤヒ)

どうして、大物主神とニギハヤヒを同一視してるの?
ときどき、そういう珍説をみかけるけど、
大物主神とニギハヤヒの神格は全く違うものだよ。

大物主は国津神の大国主系統。
ニギハヤヒは神武と同じく天孫系統。
記紀に明記してあるのに、
どうして大物主神=ニギハヤヒになるのか、まったく理解できない。

土台から文献を誤解していては、その後の検証作業も、砂上の楼閣で。
まったく信じるに値しないものになる。
93日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:27:22
>>91
古代和語の一つ一つの音はすべて意味をもっているのが特徴。たとえば「ア」は「出っ張り」,「タ」は「上」,「マ」は
「まとまり」とか「丸い」とか言った意味で,これにより「アタマ」は「上に突き出た丸いもの」という意味となる。
「ヒ」は「太陽」,「ミ」は「霊」,「コ」は「小さいもの」とか「従うもの」といった意味であるので「ヒミコ」は「太陽神に仕
える者」といった意味になり,まさに「日霊女」。「古代日本正史」によると真の天照大神はニギハヤヒのこと。
実際、 「日本書紀」では崇神天皇が宮廷に祀っていたアマテラスと倭大国魂の神を宮廷外に祀ることにした。 とある。
マキムクの発掘された遺跡は東西を向く。やまとととひももそひめは太陽神の妻となった。つまり人であって神扱い。
日霊の女ということで「日霊女」と呼ばれたのではないだろうか。
また大日霊女貴尊の尊称を取り除くと「日霊女」となり,「ヒミコ」と読める
94日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:33:10
天孫族の意味もを履き違えているやつがいる。

高天原とは、葛城の高天のことで
現在の奈良県御所市高天地方。
奈良県西南部=葛城、高天
奈良県東南部=大和(山処)、三輪

天孫とか天神とは、この葛城地方の高天発祥の豪族。
つまり、纏向遺跡のヤマト王朝も祖先も
元々は、その隣の葛城地方(高天原)の出自。

この葛城(高天)の王朝が、出雲国譲りを実現させ
ヤマト王朝の前身の初期近畿王朝を建設した。およそ、紀元前1世紀くらいのこと。

それで、この高天王朝は、全国統治をするために、地方に司令官を配置する。
なかでも、熊襲との最前線だった九州南部には、
高天王家の一族のものを配置した。
それが、ニニギ命(神武天皇の曽祖父)。

つまり、現在の天皇家の先祖は、この高天王朝からみたら
九州で分家していた傍系家系だった。
江戸の将軍家に対する、紀州徳川家みたいなもん。
95日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:33:23
>>93
レスありがとう。

けどそれって「ひるこ」とか「ひるめ」みたいな読みじゃなかったっけ?
中国側が聞き間違えたのかな。それとも当時は「卑弥呼」と書いてそう発音したのかな。
96日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:33:49
卑弥呼が日本語で「ヒミコ」と発音したとかいうのは、誤解も甚だしい。

いまだに、卑弥呼を「ヒミコ」と発音してたと思ってるなんて恥ずかしいと思わないのか?
97日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:36:39
>>92
ニギハヤヒが天孫だという説は、物部氏がそう主張しているが
皇室やら尾張氏の見解では、ニギハヤヒは
天火明命とは別物で、
ニギハヤヒは、天孫ではなく、ただの天神ということになっている。
98日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:37:29
>>96
いや、そう思ってるわけじゃないけど
昔の中国人がどうして「卑弥呼」を当てたのか、その元が気になるもんで。
99日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:39:25
>>92
176項までで、重要人物で諡号がない人=大国主、諡号があるのに業績が解らない人=
ニギハヤヒ命の二人が残っている。両者を見比べてみますと、どちらも「王朝の天子の政治的補佐」
しかも二人の物語が一緒。別にトンでもなんでもない

蛇とは三輪山の大物主のことに他ならない。従って、ここの主祭神ニギハヤヒとは大物主の
顕現した実体だったと考えていいだろう。実際マキムクには三輪山信仰が伺える。
やまとととひももそひめは記紀では大国主=大物主大神の妻になったとある。

崇神は天照大神と大物主を祭っていた。太陽神連合と考えていい
100日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:39:42
倭国大乱とは、葛城の高天王朝の後継者の正当性をかけて争われた
東西王朝戦争。
古代の南北朝時代みたいなもん。
101日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:48:45
卑弥呼(ヤマトトトヒモモソ媛命)や崇神天皇(イニエ命)が祀っていたのは、
三輪山の大物主と、大和王朝の祖先伸である天照御魂神社の両方だ。
大物主とは、大国主の和魂を祭ったものだが
この天照とは、実は女神のアマテラスではなく、男神のアマテルだったことが分かる。

天照御魂神社は、天照国照彦(天火明命)を祀ったものだ。

つまり、崇神天皇が、祟りを恐れて宮中の外に祭りなおした天照とは
この天照国照彦(天火明命)だったことになる。

天照国照彦とは、天津と国津の両方の統治者という意味であり
つまり、この天火明命が、出雲国譲りを実現させて
はじめて、高天王朝による全国統一を成し遂げた人物だと分かる。

ちなみに、現在の皇室、神武天皇〜崇神天皇〜秋篠宮殿下の流れは
この天火明命の弟(兄という説もある)のニニギ命の系統である。

このことから何が分かるかなw
102日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:50:11
おもしろくなってきたな。
103日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:52:47
二つの争いをとめ統一した象徴である倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼ってこと?そんな感じもしてきた
104日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:58:55
>>103
その二つの王統の争いとは
天火明命の後胤(尾張氏、海部氏の先祖)とニニギ命の後胤(神武皇統)
の戦いだろう?

ニニギ命の後胤は、最初は日向で知事を任されていたが
近畿本国で内乱があったから、
若御毛沼命(神武天皇)が近畿に舞い戻って
天火明命の後胤たちを補佐していたんじゃないのかな?

おそらく、祭祀の継承(正統な倭王の継承)は、
そのまま天火明命の後胤が受け継ぎ、
実際の政治は、ニニギ命の後胤たちが受けついだのだろう?

しかし、途中、ニニギ命の後胤が、祭祀の継承のほうも
奪おうとした。それで、倭国大乱が勃発。
それが、あまり触れたがらない欠史八代の時代。
その欠史八代の系図のところで、
卑弥呼と噂されるヤマトトトヒモモソ媛命が登場する。
105日本@名無史さん:2009/11/18(水) 16:05:01
やっぱりヤマタノオロチ=ヤマトノオロチは正解っぽいな。
106日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:43:11
>>94
凄い、俺の説とピッタリ。
おまえどっからその説仕入れた?
107日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:49:14
>>99



[二人の物語が一緒]って何がどう同じなんだよ?
解釈が逆転しそうな説を唱えるなら、もっと説得力のある話を聞きたいものだ。

108日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:53:11
あのさ、古代日本は当時漢字使っていないわけでしょ
109日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:13:50
高天原は葛城にあるのは常識なのに、
九州だとか言い出すやつがいて困るよな。
110日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:34:50
「たかま」って元々場所じゃないよ
その時代以前からあった祭りや考えを方をまとめ、整理し
噛み砕いて民衆に示し実行するというようなことだよ
111日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:41:27
>>106
2年位前から、そこらじゅうの掲示板やサイトなどで。
112日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:51:16
思い込みの激しいヤシがわいてくるスレだな・・

このスレはサイエンスエンターティナーの
独り言スレになりました。

ムーに投稿した方が、金になるぞ?
113日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:59:05
114日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:01:39
葛城からは祭祀王、
三輪からは俗世王

これで和平が成立したと思う。

後の蘇我や建内や平群が
天皇並の権力を持っていたのは
葛木日女命(モモソ)の血筋だから。
日女命の妹は祟神の嫁。
つまり日女命は義姉
115日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:03:09
安本さんの心境を知りたい...w
116日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:19:58
心境も何も、彼は詐欺師だから。
平然としてるだろ、詐欺師なんてそんなもの。
さすがに自分の説が大間違いという事に
気づかないほど知能が低いとは思えないし。
117日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:27:23
>>116
オマエは名誉毀損だ
118日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:28:30
>>116
オマエは名誉毀損のプレ犯罪者
119日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:30:07
中世以降、
天皇と征夷大将軍の関係も、祭祀王と世俗王の関係。
この場合、形式上は、祭祀王>世俗王という地位になる。
120日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:31:19
事実を書いたらダメだろう。
121日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:32:22
某九州説の学者さんは、実は近畿説だけど
上司から「おまえ、邪馬台国論争を盛り上げるために
九州説の立場にたって盛り上げてくれないか?」
って頼まれたらしいw
そのほうが、発掘資金も捻出できるとか。
122日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:44:03
>>110
高天(タカアマ→タカマ)は現在の金剛山の旧名が高天山のこと。
高天には造化三神の1人、最初に高天原に降り立ったとされる、
高御産巣日神(高皇産霊神または高木神)を奉る高天彦神社がある。

この神社は延喜式では最高の社格とされた名神大社である。
123日本@名無史さん:2009/11/18(水) 19:54:05
>>116
だよなぁ。九州で皆既日食見られなかったなのに「完全皆既日食」が見られたとかいってるしね。
124日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:11:40
月刊ムーを本にした超能力捜査官、マクモニーグルの「邪馬台国発見」
を買ってみたが、すごい。
沖縄、奄美説と九州説・東遷説と畿内説をごたまぜにして
最後は奈良県桜井市にまで落とし込む荒業だが、
自分にはマクモニーグル説の欠点が見つけられない。
125日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:14:58
統計で天皇の在位期間を算出する手法なんか、ひどいもんだ。

古代の天皇の実在と系譜は完全に正しいとみなして、年代は干支表記も含めて全く違うと言ってるわけだから。
で、アマテラスが卑弥呼だなんて笑わすな。

126日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:16:55
魏志倭人伝は書いている本人が日本の位置が沖縄あたりに位置してる認識であるという
お粗末振り。
127日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:17:39
>>123

古天文学の計算でΔtの取り方しだいで、見えることにもなりうるらしいよ。

http://library.nao.ac.jp/naoreport/11-34-1.pdf
128127:2009/11/18(水) 20:19:49
ごめん、論文間違った
http://library.nao.ac.jp/naoreport/p145.pdf
129日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:22:23
>>124
どうみても、月刊ムーによくあるトンデモ。
130127:2009/11/18(水) 20:24:58
地球回転に対する補正として,TT−UT=3000sec
並びに月の黄経の潮汐項の現行数値に更に
   一2,00”/cy2の補正を付け加えた場合.
131日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:25:51
マクモニーグル説を一応書いとく。
4つの花びらをシンボルマークにもち、
シャーマンであるユタの伝統を持つヤマト族が奄美をでて
高千穂で禊しならがら吉野ヶ里を通って、北九州を攻略。
山口、出雲に進出して畿内勢力と激突。
卑弥呼は、九州ヤマト族の父、山口の母、出雲の族長を大伯父に、
長門に生まれユタとして成長。

出雲ヤマトの族長が北陸進出と卑弥呼の連合王国の女王就任を条件に
和平成立させた。
以後、卑弥呼は、奈良県桜井市と山口県長門市を往復、
巡幸しつつ連合王国を統治。
出雲のおじちゃんのために三輪山麓で私的な祭礼を行なっていた。
132日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:28:45
>>129
その無知っぷりはもん太か河童だな?

133日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:28:54
>>131

なんだその良いとこどりの説は。
134日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:33:20
ムーがマクモニーグルにどうやって透視依頼したか知ってるか?
文章で、「himiko」と書いて、himiokという人物について透視させたんだぜ?

卑弥呼が、明治時代のローマ字表記でhimikoと発音するわけが無いのにだ。
それなのに、透視に成功したマクモニーグルもエスパー極まれりだけどな。
135日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:35:32
こういう角度の説はどうでしょ?

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E6%97%8F
136日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:39:03
Japanese ruler,Himiko's,tomb location=日本の指導者'卑弥呼の墓の場所」
だよ
著者は邪馬台国九州説(宮崎)
137日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:42:06
>>135
雲南省か。ありえるね。
倭人のルーツはそこかも。高床住居といい金印といい・・一緒

中々面白いですね。ベトナムにも明日香村にある亀石や猿石が至る所にあるしね。
138124,131:2009/11/18(水) 20:51:09
何度もかいてなんだが、マクモニーグル説に感心した理由。
いろんな説を全部ごちゃ混ぜにしてわりには矛盾が少ない。
出雲大社と伊勢神宮の紋章が4つの花で似ている。
若狭湾で発見された古文書と出雲、三輪、モモソと相性がいい。
魏志倭人伝のおかしな所である風俗、方角が沖縄、
貢物が北九州、距離が畿内という矛盾が分かりやすくなる。
こんなところかな。
139日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:00:38
>>83
馬鹿ばっかと言う以上、その説明が関裕二さんののまんま受け売りであることにも気づけ
と思いました。
三輪山については、まだまだ、謎ですぞ。
140日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:02:43
>>91
その人以外にも普通に「ヒメミコ」と呼べてしまう人がいるよね
141日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:02:53
マクモニーグルはイン○キって
誰かに言われていただろう?
そもそも、FBIに透視云々のなんてないそうだからw

卑弥呼が南方系だってw?

卑弥呼は、百襲媛命のこと。
142河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/18(水) 21:05:00
河童ファンの皆さん今晩は(^-^)ご無沙汰です。
オバマの厳戒警備をくぐり抜け、河童が日本に無事帰国。
成田は寒かった(ブルブル)
143日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:05:04
>>139
関は歴史学者じゃなくて
ただのオカルト作家。
関は渡来系がなんたらとか、トンデモいっている人だろう?
あと、彼は邪馬台国九州説じゃなかったか?
144日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:05:31
>>93
例が少ないしガセっぽいとも思うけど・・・
特にまとまりについての限定的説明がどうもね
145日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:06:27
>>139
おまえ、関の説、知らないだろう?
146日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:11:05
>その人以外にも普通に「ヒメミコ」と呼べてしまう人がいるよね

>140氏はなかなか勉強してますね。

>>142はなぜだか分かる?
147日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:20:15
>>143
渡来系なんたらというのは蘇我氏と藤原氏の出所についての商品で出ていたな
ただ根付いた連中の歴史的位置づけについては、奴がオカルトなら歴史学者さんも
オカルトということになるのが健康的な判断では
148日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:21:57
>>145
統一されたものが何もない以上、説とやらを知ることはできないよ。
ただ藤原憎しの人だろうw
149河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/18(水) 21:22:17
>>146
知らんがな
それよりも、帰りのCX便のCAは当たりだった。
150140:2009/11/18(水) 21:23:54
>>146

ろくに勉強なんかしてないけど、さらに河童なんてしらねへよですすみませんでした
151日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:30:44
モモソはホトを突いて亡くなった後に贈られた名。
生前は 葛木日女命と言う名前で呼ばれてた。
152日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:40:38
宇佐八幡のヒメの扱いはどうなるの?
153日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:45:46
宗像三神
154日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:58:10
宗像 > 住吉 > 宇佐 > 伊勢
左から神社の古い順番。
155日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:02:36
高天彦をディスるな(笑)
156日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:17:33
>>152
比売大神は宇佐神宮の真ん中の神殿に祭られている。つまり一番えらい神様とされている。
比売=姫子=卑弥呼だとすると、卑弥呼は宗像三女神のことか。
157日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:22:56
>>156
関さん、こんばんは
158日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:28:41
大体、八幡は応神の事だしな
159日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:31:55
>>142>>149
お疲れ
席はビジネスクラス?ファーストクラス?
160日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:34:31
>>156
ヒメ大神は、姫島のヒメ=アカルヒメだよ。
161日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:39:31
>>159
エコノミ
162日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:39:50
な〜んかしょぼいレスが続いてるな
コテさんみたいにバシッと書き込みできない?
163日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:45:52
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
164日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:57:34
アホなレスの後は必ずコピペ(笑)
165日本@名無史さん:2009/11/18(水) 22:58:47
>>161>>164
最低4行
無駄なレスはするな
166日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:10:14
宗像の三女神は、航海の神様だな。
宇佐神宮、宗像大社、厳島神社がこの神様を祀っている。
面白いことに、神武天皇が東征の折、立ち寄ったところばかり。
167日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:13:50
>>165






168日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:18:20
>>166
あと江ノ島神社もそうだよ。
それどころか東北さらには北海道まである。南は沖縄も。
北九州が本拠の神社が全国津々浦々まであるのはなぜかだかわかるかね?
169日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:19:34
>>166
ってことは、卑弥呼より以前で
宇佐は関係ないって事かな?
170日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:20:52
桜井茶臼山古墳の脇にも宗像神社がある。
もしここが台与の墓なら、三女神との関連も考えられる。
171日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:23:27
>>169
日本書紀に宗像大神を宇佐嶋に下らせたとあるし、そもそも宇佐神宮内部の伝承でも比売大神は宗像大神としている。
無関係ではないだろう。
172日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:23:37
それはない。

レベルが低すぎてうんざりする、
根拠のない、思いつきのタレ流しばかり。
173日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:27:51
>>172
大根拠ありだろう。
宗像の海人が全国に広がっていった痕跡が宗像系神社のルートに現れていると見ればな。
海人はいうまでもなくアマ=天津神であり、事実、大「海人」皇子である天武天皇は宗像徳善の娘をもらっている。
宗像は大和とも深くつながっている。
174日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:30:17
>>172 は大和朝廷の史書である日本書紀すらまともに読んだことがないと見える。
175日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:30:30
>>173

宗像が全国に広がった年代の根拠を先に述べなければ、ただの空想。
7世紀に成立した文献で何がわかるのだ?

まったく根拠の無い妄想は、百害あって一利なしだ。
176日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:32:56
>>173

「アマ」を出すなら、先に丹後の海部氏を出すべきだな。
海部氏は、宗像氏と何かつながりがあるのか?どうなんだ?

それに、宗像はスサノオの系譜だろうに。記紀のどこを読んでるんだか。
177日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:35:14
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E6%B0%8F

ほれ。宗像氏は大国主の末裔だコラ。

もっと基礎から勉強しろ。
178日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:40:30
>>175
宗像信仰が遅くとも4世紀後半まで遡ることは沖ノ島の祭祀遺物により論証済み。
これが国家的祭祀であることを疑う邪馬台国畿内説論者はいない。
実際に沖ノ島では縄文・弥生時代の祭祀も確認されているけどな。
記紀において神話の部にどちらも宗像神社のみ宮の名前が3つとも語られる(宇佐も伊勢も地名のみ)が、
なぜそんなにあがめられているか、その理由が考古学的出土物でも確認されたのだ。
179日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:45:32
>>176
海部氏は宗像系海人族の一氏族。

>>176
wikipediaを根拠にしてはいかんな。
それと私は「宗像氏」の話をしているのではなく「宗像系海人族」の
ことをいっているんだよ。
その定義は羽原又吉「日本古代漁業経済史」を参照。
180日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:48:15
>>179

海人族ときたか。
それなら、宗像も海部もないな。

宗像という言い方だけはやめろ。海人族で何が悪い?

宗像系って何だ?系って?
航海技術もなんでもかんでも九州発祥にしたいのかよ?
181日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:51:39
どうしても宗像系にしたいなら、
その発祥は縄文時代からってことだよな。

「縄文時代から。宗像発祥の宗像系海人は、日本全土に進出したました」
これでいいだろ?

糸魚川のヒスイは海を渡って交易されてるからな。
182日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:53:00
>>180
「海人族」だと、綿津見系すなわち家船を本拠として生活した民もおったからな。
宗像系は潜水業を営んだ海人であり、魏志倭人伝に書かれている倭人の風俗を
とりわけよく示す人々だったと考えられている。
183日本@名無史さん:2009/11/18(水) 23:57:54
>>182

だからねえ。
「綿津見系」とか、「宗像系」ってのは何なのよ?

綿津見神社のある漁村では家船を本拠とか、
宗像神社のある漁村では潜水が得意だったとか、
そういう民俗学的な裏づけがちゃんとあるわけ?
ってことだよ。
ないでしょ。全部空想でしょ。


184日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:01:09
>>183
だから、「日本古代漁業経済史」を読めって。
そういう民俗学的裏づけが書いてあるんだから。
中学校くらいでてれば本くらい読めるだろ。
185日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:05:11
ぎょぎょぎょ
186日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:14:07
>>184
で、君の結論としては、九州の東征を4世紀にしたいってことなんだろ?

結論を言えよ。
187日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:14:49
ぶっちゃけると、卑弥呼は森光子
188河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/19(木) 00:25:59
>>159
会社がしみったれていて、香港往復エコノミーでした。
しっかし、あの甲高く早口な広東語は何とかならんかなぁー 言ってる事がチンプンカンだわ
こっちは気をきかせて親切丁寧に、茨城弁で話してやってるのに
広州の奴ら、あら根本的に馬鹿だね


来月行ったら
今度は片言の英語も一切使わず、最後まで茨城弁でまくしたててやる
189日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:36:37
>>188

中国いってたのか?
そりゃご苦労。
日本を離れてる間に、邪馬台国は奈良できまりましたから。
ご愁傷さまでしたね。
190日本@名無史さん:2009/11/19(木) 00:50:19
>>189
奈良とかいくのめんどくせえから大阪ってことにしといてよ。名古屋でもいいけど。
191日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:23:05
実際、日本の中国化以前の文明っていったら

太陽神信仰、文字無し口伝、生贄習慣(倭人伝に出てくる嵐のときの叩き殺し)
刺青(倭人伝と記紀に明記)

環太平洋に散らばってる原住民どもと何も違わないね。
やはり秦氏やら中国から逃げてきた奴らなんかが(叙福とか?)
原住民を上から目線で感化していったのでは。
192日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:27:26
巻向が崇神天皇の宮として実際卑弥呼の時代の3世紀ってのも。。。
まあ、昔から言われて足しそれが証明されたようなもんなんだが

崇神天皇と伊勢神宮建立って3世紀から4世紀なわけ。
わかってはいたけど、いざ発見されると
よくもまあ、日本国民は記紀の誇張された皇紀2600年なんかにだまされてきたなって思うよ。
実にたかが知れた天皇家の歴史。
まあ、記紀のとおりだったってことは感心感心
193日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:42:17
>>192
権力者のすることだからね。
まあけど年代はあれだけど記述は結構あってるほうじゃない?
ダン君とかのに比べればwww
194日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:42:55
卑弥呼のいた邪馬台国は、纏向遺跡に決定だろう。

むしろ、東遷する前の旧邪馬台国が、九州の吉武高木遺跡とかだろう。
纒向で見つかった大型建物と構造が似ている南北に長い大型建物も
最古例は紀元前2世紀の吉武高木遺跡。これなんか見ると、紀元2669年もあながち
ウソではないかもね。

だれか、室見川の銘板(銘版)の写真upしてくれ



195日本@名無史さん:2009/11/19(木) 02:46:40
>>194
古田にうpしてもらいなさいww
196日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:07:54
それよか、なぜいきなり巻向遺跡みたいなものが急にできたか。
系譜みてもわかるとおりだな、崇神以前なんてしょぼいもんだし
居たか居ないかもわからん。
俺は記紀いちおう信じるから居たと思う。しかしショボイやつらがね。

なぜ、いきなり日本席捲できたんや?それが気になるね。
神武の日向ー畿内への東征も当然あったと思うが、数人の個人移動なんで
崇神天皇時代の隆盛や、巻向とは何ら関係ないし意味もない。

つまりね、なんかあった。景行天皇時代までは九州制覇できてない。
何がいきなり神武の子孫に大和朝廷を建てさせたのか。ここが気になるね。
197日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:21:09
唐子・鍵遺跡は弥生時代に数百年も続いてたわけでしょ?

全然、突然じゃないよ。
198日本@名無史さん:2009/11/19(木) 03:42:30
開化天皇 春日率川宮 で奈良市本子守町が比定地だけど。

199日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:18:25
唐子・鍵遺跡のあるところは、孝霊天皇の宮があったところで、
モモソヒメもそこで産まれてるよ。
200日本@名無史さん:2009/11/19(木) 04:57:31
孝霊天皇2年にモモソヒメが産まれて、
崇神天皇10年に死んでいる。
201日本@名無史さん:2009/11/19(木) 05:23:26
巻向で見つかったのは神社のような形?
本殿とか拝殿とかみたい。
中で暮らしていたのか怪しい。

202日本@名無史さん:2009/11/19(木) 05:43:09
卑弥呼は竪穴式住居で暮らしてました↓
203日本@名無史さん:2009/11/19(木) 06:22:04
邪馬台国が巻向で、記紀の価値が再評価されるとして、
不思議なのが、日向のど田舎の神武達がなぜわざわざ奈良を目指したのかという点。
戦争をして奈良に勝ち上ってきたからには、大義なりないと不可能だと思う。
204日本@名無史さん:2009/11/19(木) 06:55:30
>>9
資料見ながら倭人伝書いた陳寿自身が
「これだと会稽の東治の沖合と考えられる」
と沖縄諸島から台湾ぐらいの場所予想してる
から明らかに方向も距離も間違ってるのだが…
205日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:01:30
>>196
しょぼい国であんな墳墓はたてられない。
206日本@名無史さん:2009/11/19(木) 07:27:45
邪馬台国がブームになる理由って
なんですかね?
このブームで儲かる人たちって、どういう人たちですか?
纏向遺跡の説明会にいっても
年寄りとか、子供連れの家族ぐらいしかいませんでしたが...

あと、安本氏って、邪馬台国の件で商売になっているんですかね?
あんな本を売ったところで、さほど儲かっていないと思うんですけど...
207日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:06:13
>>203
水銀鉱脈目当てだろう、宇陀にまず立ち寄っているし。
貨幣や金の無い時代なんだから。
208日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:17:43
神武は元々天孫で奈良の出だからだろう。
実際、神武はナガスネヒコという親類を奈良で
討ってるんだろう。
神武は九州の海人との混血だけど奈良へは出戻り。
209日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:28:38
その理由なら要請板向けですが


history:日本史[レス削除]
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338:m 09/11/19 09:39 HOST:softbank218117064013.bbtec.net<8080><3128><8000><1080> []
削除対象アドレス: http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258380299/116
削除理由・詳細・その他: 個人を誹謗中傷するものですので削除をお願い致します。
210日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:35:42
>>209
>>116じゃないけど無理だと思う
211日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:36:44
安本は『万葉集は韓国語で読める』などを痛快に論破したのは見事だった
まあそこでやめておれば良かったんだけどね
それだけだね
212日本@名無史さん:2009/11/19(木) 10:40:38
安本は功罪極端だな。日食の件もちょっといたい
213日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:59
畿内に地名移植とか、高天原論は少し強引過ぎたね。
ちょっと根拠が弱かったのに。
214日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:20:15
畿内に地名移植は、俺も厨房の頃はコロっと騙された。
大人になって、サギ師によくある手法だと気づいた。

都合の良い箇所だけ抜き取って、「ほら似てるでしょ」ってやつ。
都合の悪い箇所は、伏せておく。
215日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:48:44
確かにセールストークの手法だね。
比較検討して良い点を強調。

畿内なんて出雲、吉備、丹波等
全国各地の地名が集まってるのにw
216日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:34:46
>>214
あれは偶然じゃないぞ
九州→畿内ではなく畿内→九州という流れだが
217日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:35:00
魏志倭人伝に書かれた地名がほとんどわからなくなってるのに、
その頃の地名が九州から畿内に移動して双方とも現代まで残ってるとか都合が良すぎる。

大宰府の頃に、畿内から九州に移植された地名だろう。
218日本@名無史さん:2009/11/19(木) 14:39:01
>>216
そういうことをいってると思うよ
219日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:11:44
>>206
人間て、ある程度の資産があると、お金のために仕事をするわけではなくなるよ。
まあ、俺を含めた貧乏人には理解しにくいことだけどもね。






220日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:11:28
人は年収の一桁上の貯蓄があると
今までとは違った視点でモノを見つめる事が出来るし、
考え方も一変する。
221日本@名無史さん:2009/11/19(木) 18:18:22
貧しい生活環境の者が、もし大金を手にしたら
仕事なんて馬鹿らしくてやってられないと考えるが
実際はそうじゃない。
仕事に対して今までとは違った接し方を考えられるようになり
今までには味わった事の無い仕事を体験できる。
同じ仕事なのに…。
222日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:05:01
>>217
それは浅はかな考え。九州の地名は音読み漢字の当て字で
残っているところが多いうえ、熊本や大分など考古学でも
中国のものが多く出土するところほどその傾向が強い。

倭人伝も風土が九州としか思えないものばかり。
つまり中国人と漢字は九州のほうから先に伝わり、地名も大和言葉で残っている
ものは先とみる。
223日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:09:02
>>208
記紀よんだこともないだろ。
出戻りどころか親も祖父母も日向にいるのだが。
ナガスネヒコが先に東征して奈良に住み着いているというだけ。

224日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:22:22
>ナガスネヒコが先に東征

記紀のどこに書いてあるのやら。
捏造というにもレベルが低すぎ。
225日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:34:54
>>184
うらやましいと言っておこうテメェうらやましいです
226日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:41:05
>>207
クニを据える強さを求めれば当時の位置づけは奈良がよかったつーかベスト
でクニを続ける強さを求めれば当時も議論や時間の早さについてゆけない問題があって、
結果的に日向発の貴種が東に向かって結果的にベスト

227日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:04:03
>>223
ピリピリしないでもいいでしょう。一行目。
228日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:42:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
229日本@名無史さん:2009/11/19(木) 20:48:16
三足ドキ、うざいなw
230日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:18:29
ヒミコにしろトヨにしろそんな人物は日本にいなかった
当然でしょ
日本のどこにも記録されていない人物を探しても見つかる
わけがないでしょうがw
231日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:26:53
記録になければ存在しなかったというのは早計。
あほじゃない?
232日本@名無史さん:2009/11/19(木) 22:51:10
いない人に判子贈るほどかの国はバカじゃない
233日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:02:00
宗像とは胸型・・言うまでもなくおっぱい型の形の良い山や島を海の道しるべとしていた。
男が船なら女は港。どどどどどっと入港だい。
234日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:20:34
>>233
だとするなら東京は芝・高輪のなだらかちっぱいに胸型神社がないのはおかしい。
きみの論理は破綻した。
235日本@名無史さん:2009/11/19(木) 23:20:52
箸墓はモモソの墓じゃない。適当に比定されただけ。
何掘っても無駄。

どうせ掘らせはしないし、他の比定地も永遠に変わらない。
236日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:00:57
今日は>>235を笑ってから寝るとしよう
237日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:44:32
>>236
んじゃ、巻向遺跡は何? 比定地ぴったりだった?

馬鹿なやつww 寝たら起きれなくなったりしてwww
238日本@名無史さん:2009/11/20(金) 00:45:39
崇神天皇の磯城端籬宮の比定地は全然違うところです。
それを知らないお馬鹿さんが一杯いますねw

 
239日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:40:03
近畿派がスネてどんとこい次スレが立たない件w
240日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:41:35
橿考研もおバカさんですね。
わかります。
241日本@名無史さん:2009/11/20(金) 01:44:25
 寺澤薫・橿考研総務企画部長は「纒向遺跡の中枢域は清らかな水が流れる神聖な空間だったと想像でき、瑞籬宮の言葉の意味とも重なる」と話している。
242日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:19:50
卑弥呼って刺青してたんだろ?
243日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:33:18
>>242
九州の南方系渡来の民族の情報しか魏は仕入れてない。
服装や風俗、食事が大和とは違う。
244日本@名無史さん:2009/11/20(金) 03:47:28
大和地方の人は刺青してなかったの?
九州はほとんどしてたんだろう。
倭人伝は全て刺青してるような事書いてるから
もし大和の人が刺青してなければ
奈良大和には行ってない事になるね。
245日本@名無史さん:2009/11/20(金) 04:27:38
鯨面土器は日本各地で見つかっているから
刺青は日本列島共通の文化だっただろうな。
246日本@名無史さん:2009/11/20(金) 08:08:19
文身をしているのは九州人だけだろう。
247日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:06:29
南方の越・粤系諸族は刺青をする風習があって、
日本列島にいた縄文人も同じだった。だから倭人に分類された。
漢の頃の倭人とは越・粤系諸族のこと。
しかし越・粤系諸族が後漢のころに文明化が進むと、
その風習はなくなり、残ったのは列島周辺になってしまったため、
逆に語源であるはずの越・粤系諸族は倭でなくなり、
あと付けされた日本のほうが倭になってしまった。
248日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:26:00
>>242
文身は男子だけでは?
249日本@名無史さん:2009/11/20(金) 09:47:05
だから大和民族に半島と違って倭呼称で土人呼ばわりしてこんだろw

半島の遥か斜め上行く頭のいい国だw
250日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:01:02
>>244
奴隷は入れ墨してたんじゃね?
251日本@名無史さん:2009/11/20(金) 13:56:17
>>244
瀬戸内〜関東まで鯨面文身を示すような土器とか土偶は出てるよ。
むしろそういった土器、土偶を九州で出てる情報を聞かないんだが
あるのなら教えてくれないか?
252日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:07:15
埴輪や土偶が神としての偶像崇拝ならば自分たちが人と知ってるなら作る必要もない
253日本@名無史さん:2009/11/20(金) 15:24:42
中国には
刺青=南方の刷り込みがあったかも知れないね
2541262:2009/11/20(金) 16:26:49
当時の魏の人が、邪馬台国の漢字をヤマタイコク、卑弥呼をヒミコと発音していたとは
いたとは、とうてい考えられないのですが。 sage
255日本@名無史さん:2009/11/20(金) 16:43:07
>>252
256日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:41:06
>>254
唐以前の漢字の読みは不明。
研究では日本に伝わってる呉音や漢音といったものがことばの化石ではといわれてる。
257日本@名無史さん:2009/11/20(金) 17:59:26
邪馬台国は韓王朝? 竹島から「親魏倭王」の金印出土

http://kyoko-np.net/2006072601.html
258日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:56:32
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
259日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:57:05
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
260日本@名無史さん:2009/11/20(金) 19:57:39



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


261日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:07:21
なんだよそれは
バカバカしさを通り越して眠気がすおやすみなさ
262日本@名無史さん:2009/11/21(土) 12:21:17
>>234増上寺や芝公園一帯は、昔は東京湾に突き出た岬の突端だったらしいですね。
海のほうからみると、ゆるやかな胸型の岬だったのではないでしょうか?
いまは土は削られて、胸型ではなくなってしまったけれど、東京タワーをおっ立てました。
263日本@名無史さん:2009/11/21(土) 13:56:35
>>33
>アホは断片的知識と経験則と鵜呑みで出来てる原生動物だからな・・
>まぁぱっと見は倭人伝、記紀みると九州に邪馬台国がありそうだけど、
>小学生・中学生レベルの知能での話だもんな・・・w

まだ決着がついていない→しかし畿内説だろう(近畿の学校)。
まだ決着がついていない→おそらく九州説だろう(近畿以外の学校)
だった?
264日本@名無史さん:2009/11/21(土) 14:10:38
今、九州説が有力なんて教えたらPTAの怒りを買うよ。
265改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/21(土) 14:28:31
阿蘇神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE
石上神宮
http://homepage2.nifty.com/tntm/yamanobenomiti/isonokami.html
高千穂神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8D%83%E7%A9%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE

石上神宮は有名だけど「高千穂神社」とか「阿蘇神社」とか知らない人が多いんじゃない?
266:2009/11/21(土) 14:38:01
>>264
しかし、九州説だろうと思っていた人は多い。
学校でもそんなニュアンスだったという記憶がある。

267:2009/11/21(土) 14:42:49
あと、大和神社とか三輪神社も紹介したい
大和神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE
三輪神社
http://kamnavi.jp/as/hikitamiwa.htm

年末もうすぐだし、みなさんはどこの神社に初詣行くのかな?
268:2009/11/21(土) 15:10:53
関東での初詣は「明治神宮」、「寒川神社」とかお薦め。
東海、近畿地方に住んでいる人は「多賀大社」、「伊勢神宮」、九州地方の人は「宇佐神宮」とか「太宰府天満宮」。

あ、これらの神社は私も現地に行っている所でどれもお薦めできる。
まあ、K氏みたいに机上でガタガタ述べてるのではないということだww
さて、落ち〜また夜でも・・・
269日本@名無史さん:2009/11/21(土) 15:17:04
>>267
ノースククィ通りチャイナタウン近くにある、出雲大社に
当日の気温と天候が気になりますが和装で初詣する予定です。
270河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 15:40:18
>>268
K氏って俺か?

確かに多額大社は行った事ないなあ
他はあるけどね

どうやら飛行機の空席次第で年末出張。初日の出は上海のホテルから見る事になりそう。
そうなった時、誰か上海の神社知りませんか?


>>267

チャイナタウン近くの出雲大社なら一度行った事有るよ
まさかホノルルに神社あると思わなかったので、見かけた時驚いて、
面白半分で行ってみた。
晴れていると日中の和装はしんどいから、早朝か夕方の方がいいかも
ハワイの年末年始は軽い雨期だから
雨にならないと良いね
ま、殆ど一時的なスコールだから心配ないけど
271河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 15:54:28
改め君

年末三日間の中国出張(今の所予定)中に休日出来たら、現地のスタッフに案内してもらい故宮博物館まで
足のばしてくるよ
行ったらしっかり中国四千年の歴史を見てくるから


中国の正月はずっと先だけど、年末年始に博物館開いてるかが心配だ。
272日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:23:15
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
273日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:42:44
横道にそれるが、調査されてないものをどうやって公表するというのか。
あったかもしれない→あったはずだ→あったのに隠しやがった
愚民の考えることは理解できんw
274日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:45:10
>>268
住吉大社忘れるなよ
275日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:01:26
>>271
関係ない話すんなら出て行けよ。クソコテが、甘えんな
276日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:09:31
>>275
関係なくないだろう
故宮博物館の話しをしているんだ

>甘えるな

何緊張してんだよ タコさん。
277河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 17:16:01
>>275
自分で関係ないレスしたら、人を注意する資格0だぜ。

今日は指導と言う事で。
以後気をつけるように。
278日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:26:29
>>277
出て行けよう、出てってくれよう。いなくなれよう。
279日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:29:29
>>277
さあ今、宇宙に、さあ今、銀河の向こうに、飛んでゆけ。
280日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:50:29
>>277
いやだよう、いやだよう、河童いやだよう、別スレいってくれよう、うえぇぇぇぇぇぇん。
281日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:29:16
>>271
方位磁針あったらレポよろ。
282河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 18:42:16
>>281
了解。
俺も記里鼓車と指南のスプーンが見たい。
でも、故宮に展示してあるだろうか?
そこが不安。


>>278
全く合理的じゃないな
人を追い出すにはなかなかのエネルギーが必要だ
そんな無駄なエネルギーを使うくらいなら、自分が退席すれば
何の苦労もせずに、>>278の前から河童は姿を消す。な、合理的だろう?
283日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:46:33
>>273
有無を調査し、その結果を国民に公表せよ

と書いてあるじゃないの。

読解力大丈夫か?
284日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:53:46
>>282
ひ〜〜、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、
285河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 18:54:19
>>279
飛んでってやるから資金出せ。
286:2009/11/21(土) 19:04:59
>>270
>K氏って俺か?

君しかいないだろww

>確かに多額大社は行った事ないなあ 他はあるけどね

へぇ、
阿蘇神社、石上神宮、高千穂神社、大和神社、三輪神社 とかいつ行ったの?
どうせいつものデタラメだろw

>どうやら飛行機の空席次第で年末出張。初日の出は上海のホテルから見る事になりそう。
>そうなった時、誰か上海の神社知りませんか?

その前に上海になんか神社は無いだろww

>>271
>年末三日間の中国出張(今の所予定)中に休日出来たら、現地のスタッフに案内してもらい故宮博物館まで
>足のばしてくるよ 行ったらしっかり中国四千年の歴史を見てくるから
>中国の正月はずっと先だけど、年末年始に博物館開いてるかが心配だ。

「無知」という汚名返上したいわけだなww 頑張ってw
287:2009/11/21(土) 19:06:51
>>285
>飛んでってやるから資金出せ。

それじゃ学生の縦目氏と同じではないかw
大人だったら飛行機代ぐらい、いつでもサイフの中に入れてるだろw〜たく
288日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:15:32
メ さん、がんばって河童をコキたおしてください。河童は世の中を舐めています。
289日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:18:29
>>287
本当の大人なら財布の飛行機代くらい若い奴らのために使ってやってる
最近は子供オトナが増え過ぎたぜ
290:2009/11/21(土) 19:18:39
>>274
>住吉大社忘れるなよ

↑意味不明・・・
わたしの上のレスは、「私が行ったところで初詣にお薦めの神社」を書き込んだんだよ。
君の頭の中では「住吉大社」しか知らないってことかな?
どんだけ「無知」なんだよwww

あ〜っと、東海地区で熱田神宮を忘れてとった!
「熱田神宮」というのは名古屋市の熱田区にあり「草薙剣」がご神体。
鳥居も大きいし、参道も広いくてお薦めできる。
291:2009/11/21(土) 19:20:20
>>289
意味不明 何が言いたいのかさっぱりわからんw
「お子ちゃま」てのがバレバレなレスだなw
292河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 19:25:14
>>287
おたんこなす。

どんな価値観しているんだ?
「銀河の向こうに飛んでいけ」
だぞ

君はB‐777 で銀河を脱出するつもりだったのか?
293日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:27:31
>>287
そんな奴いねえよ
294河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 19:32:19
>>286
生きている内に一度くらいは、故宮と洛陽ぐらいは見ておきたいだけだよ。
出来れば来年、中国出張があるうちに洛陽に挑戦したい
295:2009/11/21(土) 19:32:49
>>293
〜たく おめーらボンビーだなw
学生じゃないんだぞww

アハハ 今日の私はさえまくってるな
ちと話変わるが、畿内説のやつで「年輪年代と炭素年代」に自信有るやつは
ここへ行ってこいよ。http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=39&summary=on
鷲崎さんがどうやら暇してるみたいで・・・
296:2009/11/21(土) 19:36:05
>>294
中国上海のどこの神社にいくんだよ?wwwww
297河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 19:40:38
>>296
上海の神社知らないから尋ねている。
ハワイの神社なら一度行ったけど


>>295
三十越えれば、嫁や子供が居るから、自ずと手持ち資金が淋しくなるのが普通だ。
298日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:41:42
改めさん、河童はあなたを蔑んで、嘲笑してるようです。いや、このスレの住人みんなを小馬鹿にして
いるようです。論難してください。論破してください。筆誅を加えてください。お願いします。
299河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 19:52:16
>>286
酔っ払ってるのか?
誰が何時そんな神社行ったって?

少しは読解力つけろよ
君の書いた「明治、寒川、伊勢、多賀、天満宮」の内で、多賀以外は行ったと言ってるの。


それに、上海にも神社は存在するし
もう少しグローバルな視野や知識身につけろよ。
情けないぞ。 タクー
300河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 20:01:01
>>298
情けない奴だな―
301愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/21(土) 20:02:32
>>6
いや、勘注系図の信頼性にかなり疑問を持っていますので。

上海の神社か・・・
道教と神道の関係は大きなテーマになりますが、
近代に日本人が建てた神社にはあまり興味が無い。
302ローガン:2009/11/21(土) 20:06:49
故宮…展示品は台湾の方が素晴らしい。しかし、3日間の工程で上海から故宮へ廻る余裕あるんですかね。
あ、いや、余計な心配ですね。失礼。
303日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:17:52
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery1123_2.html

― けれどそれがすぐ=邪馬台国とは断言できない… ―

そうなんですよ(笑)。「魏志倭人伝」には、‘邪馬台国出身の卑弥呼’というニュアンスで記述があるのです。
有名な金印が発見されたのは九州ですし、纏向が邪馬台国なのかはまだ特定できていません。
九州で生まれた卑弥呼が後に纏向へ来て、そこで女王として君臨した可能性もあります。
そうなると邪馬台国は九州で、纏向はそれと別の政治的中心地だったかもしれない。
「魏志倭人伝」では、日本のことを「倭」と記しています。邪馬台国=日本ではないんです。
304河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 20:36:40
>>303
やっぱり三日間じゃ無理ですよね
平日なら間に休み貰って五日くらいまでなら引き伸ばせるけど
年末年始にそれやったら
空席失くなるから、やっぱり無理かな?

>台湾

お〜っ
貴重な情報サンクスです。今週香港・広州行ったんですよ。それを知ってれば、自腹ぶったししても帰りに台北経由も有りだった。
305河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 20:49:21
上海神社は現在軍の関係施設敷地内で、一般の人は立ち入る事が出来ないって

トホホ。
折角旧日本軍の足跡を見ようとしたのに
306:2009/11/21(土) 20:55:03
>>301
>上海の神社か・・・
>道教と神道の関係は大きなテーマになりますが、
>近代に日本人が建てた神社にはあまり興味が無い。

へぇ、上海にも近代建てた神社はあるんだ〜これは知らなかった。
>道教
愛知県民さんいろいろ知ってますね。
もしかして宇佐神宮内の北辰神社からきてるのでしょうか。
307日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:59:33
実況スレはこちら。21:00−

日立 世界ふしぎ発見! 「卑弥呼殺人事件!」★1
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livetbs/1258803927/
308:2009/11/21(土) 21:12:26
一つ宇佐ネタでも書きこむか。

宇佐神宮に詳しい人は知ってると思うんですが、
神宮の上宮付近には「南楼門」というのがあり、この楼門の左右(東西)には
「善神王」という祭神が祀られている。
んで、託宣集によるとこの東の善神王は大兄豊後国高知尾明神(神八井耳命)、
次兄肥後阿蘇権現(神武天皇(磐余彦)の皇子)、最弟八幡(応仁天皇)と記載がある。

なんで応仁天皇の兄が神武天皇(磐余彦)の皇子なの?ていう謎もあり
宇佐神宮は謎が多い神社だ。
ここらへん詳しく調べた人はいるかな?
309:2009/11/21(土) 21:17:23
寒いね、寒いね

>>299
「明治、寒川、伊勢、多賀、天満宮」の内で、明治、寒川、伊勢、天満宮は行ったことがあり、
多賀は行ったことがないということね。

明治、寒川、伊勢、天満宮っていつ行ったの?子供の時?w
それに、天満宮ってどこにでもあるだろw 私が言ってるのは「太宰府天満宮」なんですけどww

それと、みなさんへ
たまにはこっちも書き込んでねhttp://www1.atchs.jp/most/
310河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 21:44:29
>>309
関東の有名な神社は殆ど行った。(関係する仕事しているから)

伊勢は、団子偽装が発覚する少し前 九月十五日
確かその日は朝から台風の影響で、朝から土砂降りの雨だった記憶が
太宰府天満宮は新幹線が博多まで開業した年に、日帰りで行ったよ
(目的は新幹線乗車)
帰りは今はなき寝台特急「さくら」でトンボ帰り。


仕事柄、多分日本の百以上の神社は訪れている
311日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:48:40
>>310
神社回りしたということは奈良に足を運んだのかね?

伊勢神社に行く時に雨が降る・・しかもどしゃぶりというのは不吉の前兆だぞw
何もおきなかったかw?
312:2009/11/21(土) 21:51:54
>>310
へえ でもそれにしては神社のことを語らないよね
百以上の神社に行ってるんならおおい方じゃないかな(少し関心)。
んで初詣にいくんならどこがお薦め?
313河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 22:12:55
>>312
>初詣にいくんならどこがお薦め?

日本三大稲荷の一つ、地元の笠間稲荷を


長野の諏訪大社なんかもいいかも
下諏訪神社では、境内に温泉がでているところがあったり、上諏訪神社には
御柱や、神社前の資料館の庭には足湯があったりと、
寒い正月にはもってこいだ
山梨まで足をのばせば、「ほったらかし温泉」で冨士を見ながら露天風呂を楽しむことができ
夜になったら、温泉に入りながら甲府盆地の夜景や、早朝には初日の出が
風呂にひたりながら拝める。  ただし、混雑すると思うが
314河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 22:24:22
>>311

>神社回りしたということは奈良に足を運んだのかね?

奈良は春日大社ぐらいしか記憶にない。京都なら沢山あるけど

>伊勢神社に行く時に雨が降る・・しかもどしゃぶりというのは不吉の前兆だぞw
何もおきなかったかw?

別に変わりないよ


>>312

>でもそれにしては神社のことを語らないよね

詳しくないから





315日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:25:37
河童は石屋のセールスマン
316:2009/11/21(土) 22:25:42
諏訪大社http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%99%E7%8B%A9%E7%A5%9E%E4%BA%8B
笠間稲荷神社http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E9%96%93%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
地元ではなかなか人気がありそうなですね。
諏訪大社とか聞いたことがあるし。
河童氏の「百以上の神社参拝」発言は意外だったな。
おれも神社巡りはいろいろ行ってきたが、末社を含めていいのならそれぐらいかもしれん。
317縦目仮面:2009/11/21(土) 22:27:36
コテのみなさんそろってますね。上で俺の名前が出てると思ったら、金のない人の例としてですか。ww
俺は初詣、今年は靖国神社に行きました。元日の昼で、けっこう込んでました。
318日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:30:03
なにが謎だよ
魏が適当に書いたものだろ
関係ねーだろそんなの
日本にその記述があれば、まだしも何もないのにアホちゃうか
魏だってな、三国時代なんだぞ
呉とか蜀とかと争っていた時代だろ
319:2009/11/21(土) 22:34:55
>>314
いや、それにしても「百」という数値は凄いね(少し河童氏を見直してしまったw)。

>>317
靖国神社行った〜それにしても参拝者が多い(平日でも)。
ちなみに自分は今年(初詣)は伊勢神宮だったかな(その前が宇佐神宮)。
320:2009/11/21(土) 22:39:47
有名な神社をまわるのもいいんだが、そのついでというか
温泉とかその付近の観光名所をまわるのも楽しい。
古代史とは関係のないモノでも楽しむのが大切。
321河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 22:42:33
>>315
今は営業じゃないよ
今回たまたま営業が入院しちゃったから、臨時で代役しているけど。

神社は百ぐらいだけど、お寺なら数えきれないかな(笑)
322日本@名無史さん:2009/11/21(土) 22:50:43
出世したな
323:2009/11/21(土) 22:51:41
愛知県民氏はどこいったんだろう・・・
それにしても、愛知県民さんは、八咫鏡とか十種神寶を調べてるようだ・・・。
みんな、よく勉強してるよね><
324:2009/11/21(土) 23:03:03
で、他の人は今度の初詣どこへいくんだろう?
やっぱり〜車持ってる人は伊勢神宮まで足を運んでほしい(まだ行ってない人)。
その付近にも神社があるし(月読神社、サルタヒコ神社とか)
325河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/21(土) 23:08:49
>>319

仕事だから仕方ない。

数は多いけど、神社には余り興味ないから全然詳しくないし
それよりも、お寺の方がいい。
都内の墓地の墓誌を見ると、江戸時代の旗本の墓や、有名著名人の墓に行き当たったり
地方なら、大名の墓巡り


老後は有名人墓マップでも作るか?(笑)
326ローガン:2009/11/21(土) 23:57:13
宇佐八幡…宇佐氏は豊前下毛の海人族。下毛郡の安曇社では 豊日別を祀る。又、精銅の神、田川香春神社は別名新羅名神。半島からの渡来氏族の代表株は辛嶋氏。
辛嶋氏の祖スサノオは半島から豊前に来て比大神に仕えた。巫女子を出す氏族。
海人…あまびとの豊国、あまとよ国が邪馬臺国! という九州説いかが?

福島さんと云う人の九州方言説よりましかなあと思うんですけどねぇ。
327日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:57:52
>>314
高天彦神社ぐらいは抑えとくべきだろう。
最上級神社だし。近くに高天原があってハイキングしたら気持ちいいよ!
328日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:02:19
ふしぎ発見の話題がないということはここは九州説論者の最後の逃亡先かいw?
329日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:14:53
>>326
宇佐氏が海人族、辛島の祖がスサノオって一体全体どこがソース?

辛島氏が秦氏の一族って知ってるの?

海人って誰?記紀に出てくる海部一族(あまべ)のこと言ってるの?
記紀の海部王(あまべおう)は確かに大分県中部ぐらいだが
宇佐氏と関連などどこにも書かれたことはないが。

330:2009/11/22(日) 00:15:15
あら、よく勉強されてるみたいですね。
辛嶋氏という氏族の祖は素戔嗚尊。

古代辛嶋氏之系図には、
素戔嗚尊----五十猛尊----豊都彦----豊津彦 とあり、
「豊」の名が冠する、初めの氏族と知られている。
風土記にも香春岳神は新羅の国神とあり、ここから辛嶋氏族は半島出身といわれている。
331愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/22(日) 00:21:45
>>306
>北辰神社

日本古来の神道では、北極星信仰がほとんど見られない。
というより星辰信仰全体がきわめて希薄。
高句麗では「霊星」を祭っているのに、やはり気候の違いか・・・
332日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:26:58
辛島氏が半島から来たのなんか前提だろ。
隼人と八幡争いした秦氏族の一派の辛島が
素戔嗚尊が祖、だから何?ってレベルじゃん。邪馬台国とは何も関係がない。 

大体、卑弥呼は3世紀。巻向遺跡が本当に崇神天皇の宮だとすると、天皇10代目。
記紀の神代に出てくる話とごっちゃにしても、もう説得力に完全に欠ける。
333:2009/11/22(日) 00:30:23
>>329さん よこですが、
それはたぶん「八幡宇佐宮縁起」っすね。
ちなみに、この縁起書の複写版は大分県立博物館(風土記の丘)に保存されてます。
内容を、いま、ここに書き込むのはめんどうなのでご自分で調べてみてくださいね。
334日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:31:57
>>330
あと宇佐氏と海部王は全く別物だろ。ごっちゃにすんなよ。

景行記を素直に読めば、宇佐で景行天皇に投降した土着の女王が
豊後の海部一族も配下に居いてたようだが。

巻向に、崇神〜景行天皇の宮のどれかがある邪馬台国時代、宇佐以南が
女王の支配下に居たのは間違いないね。
335日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:34:55
>>333
いや、調べる必要なんかないけど。
俺はお前がソースもないうえ邪馬台国時代と神代を滅茶苦茶にしたり
出てくる氏族を適当に繋げて妄想勝手にしてるのが気持ち悪いんだよ。

何か書きたいなら、ちゃんとソースだしてもっとマシなの書けっていってんだよ。
おれ自身はスルーしたいけど、読んでて恥ずかしすぎるからな。
336日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:35:49
大体、辛島氏の八幡争いなど、邪馬台国に全く関係がないし。
337縦目仮面:2009/11/22(日) 00:36:38
俺は、日本で星辰神話がほとんどないのは、暦を独自開発することができなかったことと関わりが
あると思ってます。占星術のようなものもほとんどない。この点でいつも、太国、唐松山両氏とは議論
になるんですけどね。

八百万も神々など、シャーマニズムの色濃い古神道と、神仙となって長命を得ることを最終目的とする
道教はやはり成り立ちが違うものであるという気がしますね。あと、伊勢神宮の太一信仰などは、天武期
の導入かもしれません。
338:2009/11/22(日) 00:44:43
>>331
うーん、北極星のヘンゲに関してはもう少し詳しく調べてみないと分からない...。

ただ、北辰神社の「御躰」ですが御躰というのは神像であり、一説には
今の若宮神社御神像の一体ではないかという説もあるようです。
若宮神社といえば応仁天皇の皇子ですね。
となれば、もともと亀山に住む先住の神はヒメ大神ではなく、応仁天皇の皇子となる。
ここらへん、愛知県民さんはどのように考えてるのだろうか。
339:2009/11/22(日) 00:55:22
>>334
日本書紀ダケ眺めるんではなく、日本書紀とプラスアルファというか、
「縁起」とか「宇佐氏系図」とか調べてレスをした方がいいのではなかろうか?

>>335
何を言ってるのかサッパリだわw
調べる必要無いって・・・調べてみないと何も変わらないでしょww
340日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:57:35
>>336
邪馬台国に全く関係がないし。

や、十分関係がある、検討する課題だ。
341日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:00:36
>>339 >>340

必死なのはわかるけど、中身がないね。説明できないからだろ。

な ら  書 く な
342日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:02:33
>>340
8世紀の話だよ。馬鹿?
343日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:10:42
>>338
その一説の出所は何?
344:2009/11/22(日) 01:14:30
>>343
宇佐研究書の十三書といえば分かります?
あ〜もう一から十まで聞くなって!めんどくさい
自分で調べてくださいな〜!
345日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:18:57
畿内や吉備の勢力は呉との結びつきが強いので、
邪馬台国は吉備と対抗するため魏へ使いを送ったのだから、
邪馬台国が畿内にあったなどということはあり得ない。
なぜ、そんなこと側からいのか不思議でなりません。
346改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 08:06:16
>日女命さん

日女命イコール「勘注系図」・「海部系図」の日女命さん?
いや、いや、日女命と呼ばれた人はもっと〜おっぱいおるじゃんw
あと「葛城日女命さん?がいるだろ!」って?いや、いや、まだまだおるってw
こんな奴しかいないのか? こりゃ〜マイッタww
347改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 08:15:46
あ、日女命さん は他スレでで、

>「日女命さん は勘注系図」
>>「海部系図の葛城日女命さんもいるぞ」

みたいなレスがあり、「お前ら他にも知らないのか〜?」
と思ったわけだw
けっして、ここの人に対して言ったのではないからww
348改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 08:19:56
基本的にアレだね・・・レスを読んでいると
@名無史さんよりコテさんのが知識がアルようだねw
あ、おれじゃなく他のコテさん〜という意味で〜〜
349日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:20:31
>>344
めんどくさいと感じるなら、個人的な夏休みの自由研究を一説などともちあげるな。
350日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:31:07
>>348
あなたのオリジナルな考えはないのかな?
351日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:50:11
九州説諸氏は、纒向遺跡からは建物がない、絹がないと頑張って
いましたが、やはり今回出てきました。これで本当に終止符にしませんか?
352改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 08:55:45
それは佐原さんの対戦相手だろww

わたしは九州説ではありませんが、そんなの言ったやつに言えよとか思ってしまうw
353日本@名無史さん:2009/11/22(日) 08:57:38
>>351
生きろー
どうしても終止符打ちたいなら、人に迷惑のかからない太平洋のど真ん中で逝って下さい。
なお、休日明けの電車を利用する事は止めて下さい。
354改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 08:59:43
さてさて、ワンコの散歩行った後、カフェでもしてくるかな
てことで落ち・・・
355愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/22(日) 09:39:37
>>338
「応仁天皇」は変ですね。応仁の乱なら知ってますが・・・
北辰神社は明らかに道教の出自と思われ、天御中主神=北極星であろうか。
仏教に入って北辰妙見菩薩ともなった。
356ローガン:2009/11/22(日) 10:03:07
>>329
>>326は、中野幡能氏の説ですよ。もっとも私は畿内説なんでアマトヨ国なんて支持しませんがね。

>宇佐氏と関連などどこにも書かれたことはないが。

氏の著作から抜粋…
「宇佐大宮司家『宇佐氏系図』を分析すると奈良時代以前の系図は、豊前国下毛、宇佐、豊後国国東の三郡にわたる部落国家統合のあとを伝え、それぞれ祭祀遺跡を有する。
そして宇佐氏本宗を代表する氏族は下毛の海人氏族(安曇氏)に関わる氏族がついでいる。海氏は下毛、上毛の安曇社を祖神とする氏族の族長で、豊前海岸に多くの海社を有している。

357改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 11:25:32
>中野幡能氏

お〜勉強してるようですね。
宇佐に関しては中野教授はもちろんですが、酒井氏、それから豊前史の渡辺重春氏とかもお薦め。
358ローガン:2009/11/22(日) 11:37:46
>>357
> お〜勉強してるようですね。

いや、お恥ずかしい…学生時代に少し読んでただけですよ。「昭和」です。
359日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:39:09
まあ宇佐から紀伊半島にかけてが女王国なのは間違いない。
距離の問題とも一致するし。
360日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:50:03
>>359
漢代にはすでに長里だったそうだぜw
361改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 11:52:09
>>355
>「応仁天皇」は変ですね。応仁の乱なら知ってますが・・・

これは失礼^^ 「おうじん天皇」です。

>北辰神社は明らかに道教の出自と思われ、天御中主神=北極星であろうか。
>仏教に入って北辰妙見菩薩ともなった。

いえ、天御中主神というのは「現在」の祀神。
むかしはどうだったのか分かりませんよ。

<託宣集 巻十三>
読み下し文によると、
若宮御躰は、大神蘊麻呂が託宣によって造顕し奉ったのである。
私伝。若宮四所は旧記に明らかである。
御躰は坐像であり、よって御供えは四善を備え、宮幣は四本を献ぜられ、
神事の呪文にいう。若宮、若姫、久礼の四所の御門。
己上。而して今五体というのは、前からの掟を尋ねてみねばなるまい。
とあり、
そして託宣に「五体のうちの一所は北辰ではあるまいか」とあります。

よって、若宮はおうじん天皇の皇子ですから、この皇子とも何か関係があるのではないか?
もしかすると北辰もおうじん天皇の皇子だったのではなかろうかと考えたんです。
362改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 11:55:01
でも、託宣集の何処か忘れたが八幡神は日本人という記述もあったな。
もう少ししらべてみないと分かりません・・・
363日本@名無史さん:2009/11/22(日) 11:55:52
つうか短里・長里なんぞいう語彙は本国の中国にはない。邪馬台国=吉田は例の吉田(笑)
が言い出したこと。吉田は東日流外三郡誌といい、九州王朝説といい、まぁそんな人だw
364改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 11:59:25
愛知県民さんじゃないけど・・・ おれも挙げ足とりになるが
吉田(よしだ)じゃなく古田(ふるた)ねw
365日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:01:42
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
366改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 12:09:02
御躰は坐像というのは今私が開いてる本をみると、
風土記の丘でみた「八幡三神像」みたいな木像ですね。
この一体多い若宮の「御躰は坐像」の正体が天御中主神だとしても
イコール、ヒメ大神にはならないと思う。

亀山に祀られた順で言うと、
北辰神社の神(先住の神)→八幡大神→ヒメ大神→息長帯姫 となる。
367日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:13:25
アマテラスとスサノオ
倭姫と倭建命
卑弥呼と狗古智卑狗
構造から見ても同じことを多様な方面から言っていると考えないんだろうか
纒向遺跡の出土品で考えられることは会盟行為が行われたことを意味する
女王の神殿の前に、高天原を考えるべき
368改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 12:23:20
>361の
若宮、若姫、久礼の四所の御門。ていうところ「宇礼」というのを書き忘れてたな。
若宮、若姫、宇礼、久礼の四所の御門。 が正解。

若宮(仁徳)・若姫(稚郎子)・宇礼姫・久礼姫の四所のはずなのに、五体あるらしいよ。
369改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 12:39:07
K師匠が「おっぱい。(⌒ε⌒) 」と言ったら、
河童氏も「おっぱい、おっぱい」て言いだすよw

いつか、河童氏が「おっぱい、おっぱい」うるさくって〜w 参った参ったw
なんで下ネタばかり言うんだ!とか思って、K師匠の部屋を覗きいったんだけど
そうしたらレスに「おっぱい。(⌒ε⌒) 」とあってさwwww

マネするんだから、お前黙っとけよ〜〜!てマジで腹立ったことあるw
370改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/22(日) 12:44:14
学生の縦目氏へはチト刺激的な言葉だったかな?w
彼、思春期だろうしww
371日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:49:38
世界ふしぎ発見見損ねた・・・。

また日食とか電波飛ばしてたの?www
372日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:52:33
私は、邪馬台国は九州にあったと思う。
考古学、文献のいずれもがそれを示しているように思える。
以前は安本教授の「甘木朝倉説」に感動して、邪馬台国東遷説を信奉していた。
いまでも教授の視点には教わる事大である。しかし、私は邪馬台国は東遷していないと思う。
大和朝廷にもなっていない。

373日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:56:14
>>372
どこの馬の骨かわからないやつの書き込みよりも、実際の史学と考古学の先生方
のほとんどが畿内説であるという事実を俺は信じるね。
374日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:56:15
>>372
おでん屋さん?
375日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:57:24
>>373
考古学者は大半が畿内説だが、歴史学者はいまでも多くが九州説だべ
376日本@名無史さん:2009/11/22(日) 12:59:16
>>375
いや、歴史学者も畿内に移っちゃってるよ
377縦目仮面:2009/11/22(日) 13:11:38
>>370
稽古から戻ったら、また妙な話で名前が出てる。俺は「おっっぱい」という言葉を見ただけで鼻血を
出すような人・・・ということですか。
378日本@名無史さん:2009/11/22(日) 13:12:21
>>371
どこかの関東?の科学研究館みたいなところで
日食の年代、見え方などをコンピューターで算出して画像で表示して見せていたよ。

>>375
整地された宮殿がみつかったんならって、大半が畿内説に移っちゃったみたいです。
九州から何か見つかるといいんですがね
379縦目仮面:2009/11/22(日) 13:18:25
間違えた。「おっぱい」ですね。w しかしネットやってれば、そんなのいくらでも・・・・。

文献史学のほうでも倭人伝解読の論文というのは、ほんとに見なくなりました。「放射説で読むと・・・」
とかやってるのは、ネットの掲示板と個人のHPくらいですね。
380日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:14:50
今後はまきむく(三輪)とイワレの関係が焦点じゃないかね。
記紀もあながち嘘じゃないってのが最近の実感です。
381日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:17:06
>>372
確かにこの地名の酷似は説得力があるな。
もっとも大和政権が朝倉辺りを征服してつけたのかもしれんけど。
382日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:17:59
>>380
葛城王朝探しじゃない?
もしくは、大和王権成立過程の実体解明。
383381:2009/11/22(日) 15:18:23
>>381
あURL書き忘れた。これね。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm
384日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:31:58
>382
あ、はい。葛城王朝説、欠史8代や神武の辺もですね。
ヤマト成立過程の実体が解明がされれば、
いずれヤマト(台)国→ヤマト王権の継続性も炙り出されて来ると期待。
385日本@名無史さん:2009/11/22(日) 15:36:33
しかし、長吏が後の世に被差別民となったのか不思議だ。
386日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:20:56
>>385
北朝鮮の出身成分的なアレじゃね?w
387愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/22(日) 16:44:54
考古学も直接証拠は無いし、文献は日本・中国ともに九州説を支持している。
崇神・垂仁紀には中国との外交はおろか、北九州の経営記事すら存在しない。
畿内には女王はおらず、九州には女首長がいた。
「畿内」という表現も3世紀に妥当かという問題はあるが・・・
他人が言うから畿内というのではなく、自分で考えてみるべき。
388日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:46:39
電波登場w
389日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:50:58
鏡のことで文句言われただけなのに「九州説支持」ってか?
それより「短里」何ぞという言葉発明して、中国史学会から「漢の時代からは今と同じ(長里)を使っていた」と
いわれた九州説はそれだけで崩壊
390日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:53:01
>文献は日本・中国ともに九州説を支持している。
このバカ10年前から冬眠して目が覚めたばかりだから温かく見守ってやって。
391日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:58:29
>>379
縦目仮面って、長江文明の三星堆遺跡で出た青銅器だろ。

>>389
短里は江戸時代の日本でも使ってたろ。
392日本@名無史さん:2009/11/22(日) 16:59:54
>>381邪馬台国東征説に賛成。
    しかし、卑弥呼が魏に使いを送った時代に邪馬台国は東征していたのかどうかという問題は残る。
    両方とも邪馬台国だったということも考えられる。ワケ王朝とは、国を別けてできた王朝という意味。
    ちなみに、その前は中国山東半島に住んでいたのではないかと考える。山東はヤマトと読むのだ。
    
393日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:00:59
九州、特に伊都国が畿内三輪政権の統治下にあった証拠とか
畿内政権の影響を思わせる物とかは発掘されてるのか?
伊都国に一大卒があったのなら、そこには三輪政権の高官が派遣されていたはず。
今回発見された卑弥呼宮殿(?)と近しい構造の異物とか畿内系の異物
あるいはその高官が葬られた前方後円墳に準じる墳丘墓があってふしぎではないと思うんだが
394日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:01:17
>>391
日本ではな。中国には短里という言葉はない。魏志倭人伝は中国の史書。
395日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:08:25
>>387
俺は九州説だけど畿内でもナクサトベとか女首長は数人ほど居たハズだよ?
396日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:13:07
>>387
箸墓に葬られた女性を女王と外国人が考えるのは別にふしぎじゃない。
当時の庶民も、恐らく箸墓を王墓と認知した筈。

ただ、疑問に思うのは、何故記紀がモモソ姫を天皇とせず
大物主に仕える巫女としたのかだ。
仮に本当に大王に従属する巫女であったとするならば箸墓はあまりに巨大すぎる
また、大王の上位に上げられる人物であったなら、なぜ記紀が天皇としなかったか判らない。

このあたり何か解釈はあるの?
397日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:15:32
>>396
モモちゃんは神扱いだろ。大国主の嫁なんだから。そして天皇の諡な崇神だ
398愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/22(日) 17:22:23
>>395
いや、八咫鏡などを持っていた一國之魁帥、神夏磯媛のことです。
のちにその子孫と伝わる夏羽と田油津媛が山門県で抵抗します。
399日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:23:16
涙目仮面さん、がんばってください。
400日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:24:38
>>394
倭国の水先案内人が○○里って言ったから
そのまま書いたんだろ?
倭国側は短里を使ったとしても
短里の存在を知らなければ魏国は長里として理解しちゃうよ
401日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:34:28
>>400
隋書倭国伝に曰く「夷人里数を知らず、ただ計るに日を以ってす」

だから、倭人の話鵜呑み説だと水行10日陸行30日だけしか見るべきものはない。
402愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/22(日) 17:38:41
>>396
箸墓が現在の箸中山古墳(大市墓)であるかどうかが問題。
寧ろハツクニシラス崇神の陵墓であり、百襲媛が葬られたのは西殿塚ではないかとする意見もあります。
垂仁の皇后・ヒバスヒメの墓も大きかったようです。
403日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:40:36
>>402
タージマハルを思い出した。まぁどうでもいいけど。
404日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:40:57
これで決まりですか?
卑弥呼≒倭迹々日百襲姫≒天照大神
弟王 ≒祟神天皇 ≒須佐之男命
壹與 ≒豊鍬入姫 ≒天照大神(岩戸から復活)
405日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:41:36
 当時の人が朝鮮半島からやってきて九州北部の海岸線にたどり着くと、陸地が東西方向に連なっている、
と勘違いしてもおかしくないかも。
406日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:49:02
>>401
里数って面積の事です。
何か勘違いしていますよ。
407日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:52:31
>>405
初めてたどり着いた人ならそう感じるかもしれないが、
文章になるまでには
確認や検証と言う作業が入る 感想文やブログではないから
408日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:54:51
>>406
日を持って図る面積ってなんだよ。
文脈的には距離以外考えられんだろ。
409日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:09:29
>>400
他国の使者ほったらかしにするわけないだろ?現地民とのトラブルも考えられるし。。。
倭国のものが同行したのに決まってるだろ
410日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:19:20
>>408

>日を持って図る面積ってなんだよ。

当然大陸では存在しない面積の表し方だろう
大陸では面積は畝や井、里などで表しているのだから
日で表す面積の方法とは 東西○○日、南北○○日とする事で規模を表しているわけで
この場合、大陸のように方形という概念では表わすことが無いということ


>文脈的には距離以外考えられんだろ。

だから文脈的に言ったら当然面積のことだろう
区間距離に用いる面積からの応用「里」ならば、区間距離を表す起点と着点が示される
ここの文章で東西○○日だけで文章が終了しているのなら
東西が起点と着点の代用となり、ここに示された里数が区間距離で使用される里であることも否定できないが
ここは東西と南北という縦と横で構成されている
411日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:34:24
大体千数百年前の中国人が日本周辺について正しい地理感を持っていたって考える事じたいがおかしい。

距離も方向も間違っている。と、何故誰も言わないのか判らん。
412日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:39:57
>>411
何故おかしいと考えているのかな?
ガキじゃないなら自分の考えをここで、建設的に述べてはいかがかな?
413日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:43:59
>>412
例えば里。古代においては移動時間から類推するしかない。
正確に計算する手段が存在しない。故に、それを根拠としてもあまり意味が無い。
414日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:48:51
>>413
その移動時間から推移しなければならなかった事を
想像ではなく論証してみてくれと言ってるんだ。
415日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:50:39
>>414訂正します。

推移→類推
416日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:50:59
>>414
残念ながら、「出来ない」事を証明するのは不可能なのだよ。
これを即ち悪魔の証明と言う。

出来る事を証明できるのならば聞きましょう。
417日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:53:24
伊能忠敬も距離は徒歩で測ってたんだっけ。
418日本@名無史さん:2009/11/22(日) 18:58:48
>>417
エラトステネスが紀元前に歩数から2都市間の距離を概ね正確に計算し
地球の大きさを測定したって話もある。

同じ事を古代の魏の使者がやった可能性を否定する事は出来ない。
「やらなかっただろう」としか言えない。
ある可能性が否定されている事を証明するのが不可能である、
いわゆる悪魔の証明の1例だな。

だからこの場合、なんらかの史料や考古学的事実を元に
里数を正確に測定していたと証明する責任は、
「あった」と主張する側に帰される。
419日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:00:58
>>416
類推としながらも、移動時間という手段を特定しているのだから証明方法がないとする
発言は成り立たない
推測での発言ならその限りではないが、
移動時間は>>413が出した手段だ
420日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:02:46
>>413
>古代
すこしアバウトすぎませんか?
421日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:03:39
実は、これは邪馬台国論争にも応用できる話だ。

距離誤認説・方向誤認説を「否定」する事は事実上不可能と見なしてよい。
よって、対立説を否定するよりも、自説が正しい事を証明するのが基本的には正しい。
判り易く言うと、自分の解釈で邪馬台国が存在すると推定した場所からズバリ
古墳時代初期(弥生時代末期)の大規模遺跡を発掘するとかしなければいけない。
422日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:07:01
卑弥呼を知りたいなら、卑弥呼よりも、もう一人の女王台与に注目すべき。
423日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:13:13
>>422
なに言っているのかわからん。卑弥呼自身を調べないと卑弥呼はわからないよ。
424日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:23:14
確かに馬鹿には分からんだろうな。
425日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:39:06
>>421
そのとおおりだね。纏向、箸墓が、宮城と墳墓とされることが多い畿内説と違って、九州説は筑後川
流域とか、甘木周辺とか漠然としたものが多い。そっからもうひと頑張りして、ぜひ宮城や墳墓の候補
地も推定して、自費で発掘してほしいものだ。なに、地中レーダー調査だけならそんなに金はかからん
よ。その説が十分納得できるものなら、観光振興のために自治体も協力してくれるかもしれないしね。
426日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:42:15
そうね。安本なんか印税貯めてやればいいのに。
427日本@名無史さん:2009/11/22(日) 19:48:52
>>425
個人でやるにはかなりなリスクを伴うぞ
個人発掘を推奨するなら、見本を自ら示し、概算的な予算ぐらい提示してあげなよ
市街地なら土地を買収し、さら地にしてから調査しなければならなし
商業地ならば、商店に対する休業保証もしなければならない
428日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:02:36
>>427
www上レスは冗談で、市街地や商店街なら発掘は無理なんだな。これは金がかかるのはもちろん
なんだが、現在の人々の暮らしが最優先されるからだ。だから、発掘できるのは野原や、自然丘陵、
今回の纏向のように駐車場とかに限られてしまう。しかし、候補地の一つで発掘できそうなところが
ある。コテのサガミハラハラが比定する小城公園。ここなら市がOKを出せばすぐできると思われる。
レーダー調査からピンポイントで掘れば、数百万でできるだろう。
429日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:16:24
西部警察でおなじみ俳優・苅谷さん「卑弥呼の宮殿」予言が的中
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091112-00000530-san-soci

このオッチャンを見習えって事やね、早い話。
430日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:23:05
テレビつけろ
金印が発見されたぞ
431日本@名無史さん:2009/11/22(日) 20:55:36
「卑弥呼と邪馬台国の謎に迫る」−専門家招きシンポジウム開催 /奈良
奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西、TEL 0742-34-2111)の交流ホールで12月13日、
シンポジウム「魏志倭人伝を読む・纒向遺跡を掘る」が開催される。(奈良経済新聞)

 大型建物跡が見つかり、「卑弥呼の宮殿なのでは」と注目を集めている桜井市の纒向遺跡。
その発掘の最新成果や意義を踏まえた専門家によるシンポジウムで、卑弥呼と邪馬台国の謎に迫る。
平成21年12月13日(日) 13:00 〜 17:30 (開場 12:00)
http://eventinformation.blog116.fc2.com/blog-entry-302.html
432日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:05:14
甘木から親魏倭王印が出たそうだ
おめでとう
433日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:05:38
>>428
それをやってしまうとサガミハラハラの師匠が大恥をかく可能性が高いので止めてあげて。
434日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:11:04
>>432
煽るのはやめろ
435サガミハラハラ:2009/11/22(日) 21:12:12
>>428桜岡の発掘ですか?
数百万どころかスコップ1丁でできますよ。許可さえあれば。
ところは松田男爵記念碑周りです。この日碑を作るとき大量の土器や鉄刀がでています。
周りをもうチョイひろげて掘れば、まだ残っているものがでてくる可能性がかなりあります。
436日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:18:46
>>435

当然、過去に何度も発掘許可申請出してるんだろうね?
で、ことごとく相手にされてないと、そういうことですか。

かわいそうだね。
437日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:23:55
纒向遺跡中枢域は“水の宮殿”http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091116-00000591-san-soci
託宣(泡吹くらしいよww)http://www.freeml.com/search/wiki/%C2%F7%C0%EB

>>435
>日碑を作るとき大量の土器や鉄刀がでています

江戸時代の土器とか?
438日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:24:09
>>432
うそー
439日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:39:10
>>435
夜中に一人で行ってやっちゃえば?ほら、学校の先生やめた頃を思い出してさ。日本のシュリーマンに
なれるよ。
440日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:51:19
>>418

>同じ事を古代の魏の使者がやった可能性を否定する事は出来ない。
「やらなかっただろう」としか言えない。

否定するどころか、それを行ったとする記録がない以上
現時点ではそれが行われた事実がないと言うしかないし、過去を推測するならいざしらず、過ぎ去ったものに可能性を求めるのは間違っている。
可能性を求めるのはまだ結果がわからない未来に対して行うものであり、実際は結果が出ている過去に対して求めるものではないということではないでしょうか。
と、いうことから
「やらなかっただろう」或いは「やったかもしれない」という推測であり、「やったかもしれない」という可能性ではないと考えます。

>ある可能性が否定されている事を証明するのが不可能である、
いわゆる悪魔の証明の1例だな。

よって悪魔の証明にはあてはまらない。
441日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:54:18
>>439
犯罪者になったら教え子に顔向けできんだろ。
442日本@名無史さん:2009/11/22(日) 21:57:29
>>441
いや、自分の夢に人生を賭けることの尊さを実地で教えることになるんじゃねの?
443日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:01:15
>>439

貴方は先ほどの書き込みにより、犯罪者となってしまう可能性があります。
刑法61条(教唆犯)

★犯罪を行う意思がないところに、犯罪をそそのかして実行する気にさせる事を「教唆犯」と言います。


444日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:09:14
>>439 の投稿は、明らかに犯罪行為を勧めている形になっているから
二次的な犯罪者が出ないうちに

http://www.npa.go.jp/cyber/

ここに通報しておくべきだろうか?
明らかな犯罪教唆行為と思われるから、知らんぷりも出来ないだろう?
445日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:16:49
>>443-444
それぐらいで通報てw
おたくは2chに慣れてないな。
もっとひどいのがいるのでその時は通報してやってください
446日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:20:04
>>439はサガミハラハラ氏に、くれぐれも犯罪行為をしないようにお願いしておいたほうがいい。

教唆には、刑法61条に自分がしないでも、人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科すると記載されてる。教唆された人が犯罪を思いとどまった場合は教唆罪にはならない。冗談でそそのかしても実行されてしまえば教唆犯罪者になる。
447日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:24:35
箸中山古墳という名称こそが邪馬台国畿内説を否定する決定的な証拠です。
畿内勢力は魏ではなく、魏と対立する蜀の劉備玄徳(前漢の中山靖王の末裔)の封柵を受けていたということです。
魏が蜀と関係のある中山というの名称を使うわけがないのです。
ちなみに、吉備に呉(くれ)があることでわかるように呉と関係が深かった。
つまり、三国志時代の魏・蜀・呉は日本で代理戦争をしていたということです。

魏の封柵を受けていたのは、ほかでもない、九州の筑紫だったということが理解できましたでしょうか?

これですべての謎が解けた!!
448日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:27:58
>>445

>それぐらいで通報てw
おたくは2chに慣れてないな。
もっとひどいのがいるのでその時は通報してやってください

なるほど
しかし、これは犯罪の可能性を持った投稿ですので
行為の重い軽いで判断するのではなく、犯罪の可能性を持ったものか、そうではないかで判断すべき性質のものです。
罪の重軽は一般市民が判断するのではなく、検事と裁判官が判断するものであり
送検するか厳重注意にするかの判断は、各警察署長に委ねられていると考えます。
よって
あなたのその判断は見当違いではないでしょうか?
449日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:35:38
>>447

>魏と対立する蜀の劉備玄徳(前漢の中山靖王の末裔)の封柵を受けていたということです。

妄想もここまでくると、ある意味芸術の領域だな
450日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:41:05
>>447
>箸中山古墳という名称こそが邪馬台国畿内説を否定する決定的な証拠です。
>畿内勢力は魏ではなく、魏と対立する蜀の劉備玄徳(前漢の中山靖王の末裔)の封柵を受けていたということです。
>魏が蜀と関係のある中山というの名称を使うわけがないのです。

そうだったのですか?!目からうろこ
やっと理解できました
451日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:43:48
>>450

自演 乙


そこまでしてアピールしたいとは、涙ぐましい話しやなぁ
452サガミハラハラ:2009/11/22(日) 22:47:40
違法にやったとたら、何が出てきても相手にされません。
やはりルールどおりにやらないと。
453日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:49:47
447はジョークだと思うが。
454日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:56:39
いや、あながちジョークとはいえない。
新しい仮説になるかもしれない。
455日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:57:37
>>452

発掘許可おりなくて残念だね。
相手されなくて残念だね。
人生賭けたのに残念だね。
456日本@名無史さん:2009/11/22(日) 22:59:22
考古学的方法と知識の無い発掘はただの遺跡破壊。無届だと犯罪になる可能性あり。地主の許可と埋蔵文化財包蔵地なら発掘届が必要。
周知の包蔵地以外なら、地主の許可があれば、発掘はできるだろうが、仮に遺跡らしきものを発見したら、その場で不時発見届が必要。そのまま訳も分からず掘り進めたら、考古学的状況(コンテクスト)や遺構を破壊するだけ。
遺物が出ても、どういう層位でどういう遺構や状況で出たかが重要な情報。
しかし、考古学的方法や経験の無い素人が発掘したら、多くの遺構は分からないし(甕棺は分かっても墓坑が分からないとか、切り合う遺構は掘り飛ばすとか)、層の違いもよほど明確なもの以外は気にもしない。
「曲学の徒」という人が、自身が卑弥呼の墓と考えた丘陵の小山を発掘した。周知の包蔵地でなかったところで遺跡を見つけ出したのはいいが、鉄鏃かなんかの鉄器の束を見つけて掘り上げたようだ。
多分、古墳中期あたりの木棺直葬を結果的に破壊してしまったと見える。鉄器が出た時点でそのままにして届け出したら良かったが。
その後に届け出したからまだいいが、時代の違うものだったにも関わらず、自説は曲げてないみたいだ。
その小山は山側と丘陵裾側の高さが違い過ぎて、全体が古墳とかあり得ないのにね。丘陵頂上に時代の違う小古墳があっただけ。
サガミ氏も、桜が岡で江戸時代に土器や刀が出たからっていつの時代のものか分からないのに、いきなり卑弥呼の墓とか飛躍し過ぎ。遺跡はあるんだろうがね。
九州説に限らず、アマチュアの邪馬台国説は、自分の比定地を先に決めて、そこに何でも遺跡があれば、その時代や遺跡の質を無視して自説の根拠とする人が多いよね。困ったもんだ。
457日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:00:18
>>453
たとえ本人はジョークのつもりでも、サガミ氏が投稿に影響され違法な行為をしてしまったら
犯罪は成立します。しかも正犯として
こういう性質のものは、本人の意思とは関係なく進行するものです。

よくwebサイトの掲示板に、面白半分で犯罪予告する輩がいますが
それと全く同じかと思います。


http://yokoku.in/
458日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:03:59
>>457はアンカーミス

>>447>>445へのミスです。
459日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:04:13
ジョークかどうかはっきりさせるには、運営にIPの開示を求めるしかない。
しかし、持ち単なる勘違いだとわかったら、なんと弁明するつもりだ?
460日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:04:20
>>457
そうじゃなくて、447だよ。>これですべての謎が解けた!!・・・のレス。
461日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:05:08
>>458
了解。
462サガミハラハラ:2009/11/22(日) 23:08:29
わたくし現在日本書紀紀年法の解読に没頭しております。
邪馬台国のほうは一区切りつき、あとは誰かが発掘するのをまっているだけです。
どなたか、高島さんなんかを焚きつけて発掘させてみてはいかがでしょう。
463日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:15:13
妄想にとりつかれる人生ってどんなだろう?

他人からみたら、つまらん人生だな。
464日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:17:04
せめて礎石でも見つかれば・・教育委員会をけしかけて発掘できるのだけれど・・
465日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:19:54
サガミハラハラさん。どうせ掘るなら、
福岡県甘木市にある金毘羅宮の岡を掘ってください。
466日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:21:24
>>465
ありえない。
神功記みたことあるwwww
467日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:21:49
ある意味、九州説は一人一人が「まぼろしの邪馬台国」の宮ア康平氏のようなものだからな。
468日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:23:23
>>463

F田T彦…
469日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:26:02
>>467
そう、自分の主張する邪馬台国比定地は無かった=邪馬台国無かったwww
論理の飛躍wwww

たぶん小学生の時、割り算出来なかったと思われるwwww
470日本@名無史さん:2009/11/22(日) 23:28:56
吉永小百合と結婚できるなら
それも良い人生じゃないだろうか。
471日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:02:33
>>447
あんたすごいね。文章は下手だけれど、結果は正しい。
瀬戸内海の海上交通を支配していた吉備が呉と通じていたとしたら、畿内の勢力が瀬戸内海を通って魏に使いを送ることはできない。
となると、畿内勢力は若狭湾から日本海ルートで魏に使いを送っていたことになり、その場合、対馬、松浦半島を経由する必要性がなくなる。
いずれにせよ、邪馬台国が畿内にあったという説はかなり怪しいことがわかる。
472日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:08:46
>>471,>>447
畿内にある鏡の景初三年は?魏の年号ですが???
473:2009/11/23(月) 00:09:02
>>471
箸中山古墳という名は後代に出来た名称。
どっちかっていうと「大市墓」を崩さないと〜ていうかどいつも甘すぎるww
474日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:18:20
>>473
あなたはどういう説の人だったけ?
475日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:22:55
>>474
その人は悔い改めた人です。十
476:2009/11/23(月) 00:24:44
あ、畿内説ですが、「どっちかっていうと「大市墓」を崩さないと〜」というレスは
余裕から言葉でしょうww
477:2009/11/23(月) 00:27:01
きた
478日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:28:46
>>475

悔い改めたって?前科者だったの?
479日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:32:10
>>478
いや前科はおそらくないでしょうが、悔恨のうちにある人です。ドツボともいいます。
480:2009/11/23(月) 00:32:16
いや、九州説→畿内説に改めたということだろう
んで、その人は九州説だから〜アーメンと・・・
481日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:36:29
こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも

気高く白き マリア様 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
482日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:55:08
>>479
ドツボってwww自分から肥溜に落ちるとは
また風流な
483日本@名無史さん:2009/11/23(月) 00:59:34
>>482
過去スレを見ることができれば、何度も肥溜めに転げ落ちる様が楽しめます。
484:2009/11/23(月) 01:07:28
>>483
いや、そんなことはない。
というか、ビビってコテ付けも出来ない人に言われたくないねww
485日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:17:55
重訳納貢  けけけけ。
486:2009/11/23(月) 01:25:38
>>485
意味が分かりません、証拠出せ、しょうこをー
487重訳納貢:2009/11/23(月) 01:32:44
>>486
>意味が分かりません   んじゃ、過去ログ倉庫から、あちこちにコピペするよ。
488:2009/11/23(月) 01:41:03
>>487
君は何がしたいのかわけがわかりませんww
ただ単にムカツイタというだけで反論になってないよw
もう少しましなレスをしてくだされw
489重訳納貢:2009/11/23(月) 01:42:40
反論ではありません。強いて言えば 嫌がらせかな。
490日本@名無史さん:2009/11/23(月) 01:47:39
>>489
【誘導】
●固定ハンドル叩き→最悪板
http://mamono.2ch.net/tubo/

こちらへどうぞ。
491日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:20:58
age
492日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:42:58
こっちも書き込みよろしく
ネタかきこんで
493日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:49:45
>>476
纒向も大市もふるい地名なんだが、大市はとくにひみつがある。
民俗学者柳田邦男によると、市とは市場の意味の他に巫女の意味もあるとのこと。
東北にいる民間信仰の巫女みたいなのの感じらしいけれど。
だから大市と小市があるとするならそれは卑弥呼と台与に違いないし、
現地民はむかしから大市墓こそ、と思っていたようだ。
494愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/23(月) 12:09:27
>>493
>民俗学者柳田邦男によると

間違い。
ノンフィクション作家の柳田邦男、民俗学者の柳田國男は別人です。
495日本@名無史さん:2009/11/23(月) 12:22:28
ジャーナリストというやつはとんでもないやつで、
とにかくある決められた取材期間中に分ったことをまとめて記事にすればそれで終了。
次の仕事があるから、それ以上の突っ込みはしない。
柳田邦夫とて同じです。ジャーナリストしては優秀ですが、それ以上ではない。
496縦目仮面:2009/11/23(月) 12:27:44
>>494
県民さん細かいなあ、といいつつ、この間、伊勢県民などといってしまったことを思い出したりして。
あらためて深謝。これは 大市=大斎(おおいつき)ということなんでしょう。まあその可能性もある
かも。柳田國男は「ヤナギタ」と正しく読まれないと怒ったという話もありますね。
497愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/23(月) 12:33:09
>>493 さんは民俗学者の柳田國男を言っているのでしょうね。
>>495 さんは鳩山邦夫の邦夫になったようです。
将棋界には内藤國雄と米長邦雄がいたりする。
498愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/23(月) 14:34:53
市=斎といえば、宗像三女神の「市杵島姫命」もそれに該当しそうである。
市杵島姫命は神仏習合で弁才天と同一視される。
弁才天は「才」が「財」の音に通じるから財宝神になったというが「市」とも通じそう?
信長の妹・お市の方は関係ないねw
499日本@名無史さん:2009/11/23(月) 14:47:01
九州説諸氏は、たとえ纒向から金印がでてきても後で持ち込まれたものだと
言うんだろう。

纒向から絹や建物跡は出てこないと言っていたが、出てくればまた、ああだ
こうだと・・


500日本@名無史さん:2009/11/23(月) 15:11:30
市○容疑者も「市」、邪馬台国と関係ありそうですね。
逮捕以来10日以上も断食するというのはタダ者ではない。
密告した会社のタンカーを沈めるほどの神通力、
しかも死者やけが人は一人も出していない。
外人殺しも宗教的儀式だったのかもしれませんね。
501日本@名無史さん:2009/11/23(月) 15:14:29
>>499
やっぱり金印の注文、田中貴金属に発注したのか?
それで心配になって
先回りレスかな?

心配するなら発注するなよ
502日本@名無史さん:2009/11/23(月) 15:24:22
アマテラスて、卑弥呼がモデルなんですか?
503日本@名無史さん:2009/11/23(月) 15:34:01
>>498
>市=斎といえば、宗像三女神の「市杵島姫命」もそれに該当しそうである。

字面は気にしないでいいいのでは。
おそらく

  いちき島 ← いつく島 (厳島)

なんだと思う。

いつく(厳く/斎く)とは、「いつきまつる」の意だろう。
すなわち

  市杵島姫命 = いつきまつる島の女神

安芸の宮島、厳島神社とおんなじ。

・厳島神社(ウィキ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
504日本@名無史さん:2009/11/23(月) 15:53:12
>>503
どうやらサイトで見つけたものをコピペしているように見えるが
念のために、その「いつきまつる」の意とは
いったいどのような意なのであろうか?
505日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:04:28
中身を伴わないサイトからの受け売りがみえみえだな。
>いつく「厳く/齋く」

「齋く」は動詞であり、傳くと同じ

「厳く」は「厳し」であって「厳くし」ではない。
因みに「厳し」は形容詞、“美し”や“慈し”と同じ。

だから
「厳く/齋く」なんて肩を並べる事はない。
506日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:10:14
>市杵島姫命

杵島だけなら、佐賀県にそういう郡名があるが
507日本@名無史さん:2009/11/23(月) 16:26:03
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
508うましか:2009/11/23(月) 16:39:44
>>505

横から失礼。

>「厳く」は「厳し」であって「厳くし」ではない。
>因みに「厳し」は形容詞、“美し”や“慈し”と同じ。

でも、厳島神社の「厳」は、厳しい島と言うのでは無く、
単に「いつく」と言う音に当てただけでしょう。
分かってらしゃると思いますが、本来は「斎島」ですよね。

509うましか:2009/11/23(月) 16:52:38
>>505

ちなみに。形容詞「厳し」は、万葉集の山上憶良の歌にもありますが、
もともとは「おごそか」とか「いかめしい」と言うのが本義で、
「斎く」と同源の言葉ではないでしょうか?

神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 「伊都久志吉」國・・・
510日本@名無史さん:2009/11/23(月) 17:06:12
「そらみつ 倭(やまと)の国は皇神(すめかみ)の 
伊都志吉(いつくしき)国 言霊の幸はふ国と語り継ぎ」
511日本@名無史さん:2009/11/23(月) 17:22:23
>>508
はい、単なる当て字です。だから肩を並べるものではないと言ってるのです。

厳島の厳を“いつく”と読ませるには、厳と島が揃う事で「いつくししま→いつくしま」となります。
だから「厳と“いつく”」に直接的な関係はありません。
512うましか:2009/11/23(月) 19:39:58
>>511

> だから「厳と“いつく”」に直接的な関係はありません。

そう、「直接的」にはですね。
513縦目仮面:2009/11/23(月) 19:43:57
それにしても「宗像三女神」も、宇佐神宮の「比売大神」もよくわからんものだよなあ。この間かなり調べた
んだけど、やっぱわからない。邪馬台国宇佐説のHPなんかを見ると、この比売大神を○○媛で卑弥呼と
同一とかしてるのも多いんだけど、確かな根拠があるとも思えなかった。愛知県民さんは、これどう思いま
すか? もちろん記紀の誓約の場面は知ってます。
514日本@名無史さん:2009/11/23(月) 19:56:23
>>513
わかるわけがない。
記紀を遡る記録は国内には存在しないのだから
515日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:00:48
厳島とは居付く島。神にとって住みやすい土地なので、すっと住みますという意味。
516日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:01:16
宗像も宇佐も畿内にとっての要所、九州にとっては重要性が低い。
517日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:04:44
なぜ、宗像か?なぜ松浦や博多ではないのか?
なぜ宇佐か?なぜ太宰府や博多、伊都ではないのか?
518日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:12:14
ようは、畿内にとって重要拠点だったから
大和の庇護に置いたって事だろ、理由なんか殆どないだろう。
519日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:15:44
仮に、太宰府のように重要性が後回しにされた
地域だったとする。すると大和の九州支配は遅れた筈だ。
520日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:37:59
宇佐は瀬戸内海の領域で、北九州とはまったく地勢が違うよ。
521日本@名無史さん:2009/11/23(月) 20:44:40
>>520
雲の上から眺めても、何も収穫ないぞ
522うましか:2009/11/23(月) 20:59:09
>>516-519

宇佐と宗像では発展時期に時代差がありませんか
宇佐では3世紀に遡れそうですが、宗像は津屋崎古墳群の伸長からみると
ヤマト王権との関係が確立するのは早くても5世紀、
唐津や博多湾岸よりかえって遅いと思います。
523愛知県民:2009/11/23(月) 21:17:25
宗像沖ノ島は縄文から聖地だったのでは?
ヤマト王権の沖ノ島祭りも4世紀からとされる。
524日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:31:19
ではなぜ、宗像3女神はスサノオの娘?
525うましか:2009/11/23(月) 21:34:36
>>523

宗像の場合、古墳の様式だけで言うと4世紀に遡れそうなものは無いでしょう。
消失してしまった古墳が多いので、古いものは全て失われていると言われればそれまでですが。
一方、宇佐、博多、唐津には古いものがあります。

逆の見方をすると宗像の祭祀集団(海賊ですね)は、それだけ長く自立できた勢力だったのだと思います。
526日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:39:45
大和王権、大和朝廷

どっちが、言い方としては正しいの?
527日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:40:13
宗像の東郷高塚は4世紀後半、田久瓜ヶ坂は4世紀中頃、さらに古いのもあったはず。
528愛知県民:2009/11/23(月) 21:48:34
私も辺津宮と大島は行ったが、沖ノ島は便が無く行けなかった。
一年に一度チャンスがあるらしいので若い諸君は挑戦してみては?
かなりハードらしい。
529日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:49:10
伊都など大国は一大率置いて、大和の高官が赴任。
宗像についてはもっと古くから大陸と本州を繋ぐ要。
大和にとっても巫女の祭祀のみが重要で
これに変わるものが無い、
政治・経済の重要性は低いという事で
存続が許された。
3女神は単なる地元の巫女とみた。
530日本@名無史さん:2009/11/23(月) 21:50:08
>>528宗像大社 沖津宮
この写真を見れば、宗像とは胸型、宗像三女神とは男が大好きなおっぱいの神だったことが分かる。

http://www.hesoname.com/okitumiya01.jpg
531日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:00:47
おっぱい大きい人が多いって事かな。
宗像。
532縦目仮面:2009/11/23(月) 22:02:51
>>523
沖の島自体は縄文期の遺物もたくさん出ていますね。あと、俺が調べた感じでは、3〜4世紀頃の倭国の
地政学的状況と、神社の勢力進展の歴史はかなり別物だってことで、ここらを意識的にか、無意識にか
混同しているHPが多かったような。

宇佐神宮の理解については、神功・応仁伝説や、大神比義の宇佐入りなどいくつかポイントがあるようです
が、一つのキーになるのが、記紀成立前後の8世紀前半の時代かと思います。つまりは、大隅八幡
の創建、宇佐の官幣社化、そして隼人の乱。しかし、文献派ではないのでなかなかまとまりません。
533愛知県民:2009/11/23(月) 22:03:06
なるほど、それで女人禁制なのか、現代でも。
534うましか:2009/11/23(月) 22:05:25
>>527

その二つは、津屋崎古墳群とは、少し離れた内陸部の古墳ですよね。
単発で継続性も無いし、宗像の祭祀集団とは別の勢力に属するように見えますが。
535日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:52:10
>>528
25年前に行った。
船酔いして吐く人もいたし楽とはいえないが、若かったせいか俺はとくにダメージは受けなかった。
日本海の孤島だが、民族宗教たる神道ののもっとも古い祭祀形態を今に伝える聖なる島の体験はいまでも忘れがたい。
536日本@名無史さん:2009/11/23(月) 22:58:40
>>529
>政治・経済の重要性は低いという事で
これは全くの誤りというか単なる無知だと断言できる。
沖ノ島の祭祀物は当時王権が手に入れられる最高級のもので地方の豪族の扱えるレベルではない。
新羅の王族の古墳からのみ見つかる金の指環、中国では天子しか所有できないはずの金銅製龍頭、
隋書にも記載のあるタイ国(倭国)の五弦琴など、当時の政治・経済の最重要物が奉献されている。
537日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:30:46
沖の島の祭祀は四世紀後葉からといわれてるのに
なんか邪馬台国と関係あるのか?
538日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:32:06
沖の島の祭祀は四世紀後葉からといわれてるのに
なんか邪馬台国と関係あるのか?
539日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:37:42
540日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:42:28
>>537
縄文・弥生の遺跡も沖ノ島にはあるが、国家的祭祀の開始時期は4世紀後半とされているがこれは
昭和40年代までの土器を基にした古い編年に基づくもの。今後3世紀に繰り上がる可能性がある。
北九州の編年は100-150年くらい繰り上がってきているからね、歴史民俗博物館のC14法の取入れで。
541日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:45:03
なんかこうパッとしないレスが続いてないか?それとも俺の気のせいか?
たぶん住人からは大ブーイングが起こるかもしれないが、こんなパッとしないレスが続くようなら
刺激強すぎる河童の降臨を望みたいが、やっぱりブーイングだよな。 聞き流してくれ
542日本@名無史さん:2009/11/23(月) 23:50:20
>>541
氏ね
543日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:19:39
>>542
それは犯罪ですよ。

自殺教唆、又は殺人予告として
犯罪成立のおそれがあるものです。
544日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:21:50
>>543
そう思ってるのなら通報しろよ
おれなんか「死ね!」と100万回ぐらい書いたけどね
545日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:30:47
>>544みたいな馬鹿がいるから
2ちゃんからの逮捕者が続くんだな。
>>543は、犯罪だって教えているだけだろう。文の読解も出来ないで
学問板とはおそれいったよ。
しかもそんなの自慢してどうすんだよ馬鹿が。
546日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:32:13
言葉良くないけど、これまで偽書まで作って
犯罪には問われまいまでも世間を騒がしてきた人たちって
誰かといえば、市ねなんて言葉も正直言いたくなりますよね。。
世間のいざこざってこういうのに限らずそういう行為から
鬱憤が溜まるもんですし。素直に謝罪すべきですよ。

547日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:32:47
>>545
他人を馬鹿だの罵倒するのも侮辱罪の恐れがありますよ。
548日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:38:49
>>547
確かにごもっとも
私の軽率な発言は陳謝します。
549日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:45:08
確か侮辱罪は申告罪だから、相手が告発しない限り犯罪は成立しないが
殺人予告は申告罪じゃないよね?
発言した瞬間にアウトというやつだったかな?
550日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:54:44
>>1
卑弥呼は誰かといわれても卑弥呼であるとしかいえないわな
551日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:57:18
>>550

正解。

模範回答です。
552日本@名無史さん:2009/11/24(火) 01:03:06
>>549
親告罪だろ。二度も間違えやがって。
553日本@名無史さん:2009/11/24(火) 01:28:16
【日本国家の成立】
【日本民族の統一】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマト:マキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【聖武】平城京
【桓武】平安京
*【幕府体制】
【明治】維新近代化
【現在】125代今上
(各王朝内は「男系」で繋がり各王朝間は実質「女系」で維持。王朝内に女帝は置かれたが女系は認められなかった)
554日本@名無史さん:2009/11/24(火) 14:30:32
『隋書倭国伝』。冒頭に近い個所に、有名な次の記述がある。

「其の地勢は東高西下、邪靡堆に都す、則ち『魏志』に云うところの邪馬臺なり」

『隋書』は「邪靡堆」(ヤミトゥイ)に都を置く、と音を表記し、『魏志』のいう「邪馬臺」(ヤマト)と同じだと解説している。
いいかえれば『魏志倭人伝』では「邪馬臺」と表記されているが、これは「邪靡堆」と表記してもよい、と説明した形であり、「邪馬臺」も「邪靡堆」もヤマト側の自称を音で表記したことを示唆している。
<矢吹 晋氏;横浜市立大学名誉教授>
555日本@名無史さん:2009/11/25(水) 14:35:38
宇佐、比売大神は卑弥呼か?パートT

【縁起】(広辞苑 第六版)
(因縁生起の意)
@[仏]一切の事物は固定的な実体を持たず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が
寄り集まって成立しているということ。仏教の根本思想。因縁、因果。
A事物の起源・沿革・由来。
B社寺などの由来または霊験などの伝説。また、それを記したもの。
C吉凶の前兆。きざし。「縁起絵巻」社寺の縁起を絵巻に描いたもの。

【託宣】(広辞苑 第六版)
神が人にのりうつり、または夢などにあらわれて、その意思を告げ知らせること。
神に祈って受けたおつげ。神託。御託宣。

【巫女、神子】(広辞苑 第六版)
神に仕えて神楽・祈禱を行い、または神意をうかがって神託を告げる者。
未婚の少女が多い。かんなぎ。シャマン。

【シャマン[shaman]】(広辞苑 第六版)
自らをトランス状態に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて
託宣・予言・治病などを行う宗教的職能者。シベリアのツングース系諸族の例が早くから
注目された。シャーマン。巫覡・巫女。

【シャマニズム[shamanism]】(広辞苑 第六版)
シャマンを媒介とした霊的存在との交渉を中心とする宗教様式。
極北・シベリア・中央アジア、北米の先住民に一般的で、類似の現象は
南アジア・東南アジア・オセアニアなどにも見られる。
中国・朝鮮・日本では巫術・巫俗等の名で知られる。シャーマニズム。
556日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:19:11
【傀儡】(広辞苑 第六版)
@歌に合わせて舞わせるあやつり人形。また、それを操る芸人。でく。てくぐつ。かいらい。
A(くぐつの女たちが売色もしたところから)遊女。あそびめ。いかれめ。くぐつめ。
「傀儡師」くぐつを操る芸人。くぐつまわし。「傀儡女」くぐつに同じ。

【巫・覡(カンナギ)】(広辞苑 第六版)
(古くはカムナギ。神なぎの意)神に仕え、神楽を秦して神虜をなだめ、また、神意を伺い、
神おろしを行いなどする人。男を「おかんなぎ(覡)」女を「めかんなぎ(巫)」という。

【法師】(広辞苑 第六版)
@仏法によく通じてその教法の師となる者。僧。出家。ほっし。
A(昔は男児は頭髪をそったから)男の子供。ぼう。
B法体した俗人男子。
Cある語に添えて「人」の意を表す。多くボウシと濁る。

「豊国奇巫」、「豊国法師」が有名。
少しは勉強になったかな?ww
557日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:24:42
おっと、時間だ・・・落ち・・・夜また(忙しい)。
558日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:29:32
>>934
>「以朱丹塗其身體」・・・体に塗るのだから水銀朱ではなくベンガラだろう。

www
559日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:32:10
>>934に期待。
560日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:33:59
>>558
真性バカ発見w
561ローガン:2009/11/25(水) 16:45:10
ドンこい909さんへ
勿論想像ですよ。でもね、六年に詔はあったが黄幢は届いていない。八年以降、黄幢、詔書の移動はあるが詔が出たとは書いてない。
六年と八年以降の黄幢、同じものと考えるのが自然でしょ?ところが「訟相攻撃状」は八年。なら六年詔はそれに起因したものではない。
では黄幢を下賜するという行為が何を意味するか?旗を渡すという行為…
呉志周ほう伝「乞請幢キ数十以為表織使山兵吏民」曹休を欺く為に書いた手紙の第七です。
兵を集めるので旗を数十授けて欲しいと。 つまり旗を下賜するというのは渡す側の集兵作戦であるという事です。
又「檄告諭」と出てきます。檄…「檄書 急いで軍隊や同志を集める為のふれぶみ(類)檄文」 (藤堂明保編漢和大字典)
「檄文 兵隊を召集する回状 めしぶみ」(阿部吉雄編漢和辞典) 上記「集兵作戦」と同意と考えるのが自然だと思いますがね。
倭人伝に於いては唐突な感じがしますが、前条である韓伝に韓地における戦いの様子を書いており、前条から続けて読む読者には決して唐突ではないでしょう。
しかし、この出兵要請の詔に対し、倭兵が動いた記述無し。八年の新太守に出兵しない理由として「国内の緊張状態」を述べているのです。
外交上のエクスキューズと捉えれば、狗奴国との戦争なんてなかったと考えて不自然じゃないでしょ?
しかし、郡としては、既出の詔の施行を粛々と実施した…という流れだと思います。
562日本@名無史さん:2009/11/25(水) 19:39:38
>>561
>八年の新太守に出兵しない理由として「国内の緊張状態」を述べているのです。
>外交上のエクスキューズと捉えれば、狗奴国との戦争なんてなかったと考えて不自然じゃないでしょ?

上下で矛盾してない?
563日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:24:08
狗奴国との戦争はあったとしても小規模で、むしろ邪馬台国は魏が後ろ盾してくれる威力を見せたかった
んじゃね。ところが、来たのはなんと黄幢一本。

張政 作歌 「黄幢一本、さらしに巻いて、旅に出るのも、掾史の修行・・・」
564日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:36:46
狗奴国は鬼怒国、つまり関東だから、狗奴国と戦争をするためには領土が接していなければならない。
しかし、狗奴国を紀の国とすれば、畿内勢力との間で戦争があったとしてもおかしくない。
狗奴国とはどこなのか?その辺が邪馬台国の謎を解くカギになると思います。
565日本@名無史さん:2009/11/25(水) 20:52:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
566日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:39:16
>>561
レスありがとうございます。

>六年と八年以降の黄幢、同じものと考えるのが自然でしょ?

そう考える人をあまり見かけたことがありませんよ。むしろ斬新に感じました。
救援の要請に応えた、という意見が多いですね。

>旗を下賜するというのは渡す側の集兵作戦

「ときどき突飛なことを言い出す」(ドン来い60 >300)とか言われてますよ。
周魴の件が引かれているのは、さすがですね。
正直、最初は(いまでも少々)同意しかねましたが。

高句麗・ワイ討伐、馬韓の反乱、とあって、その後、続いて(つまり統制力が緩んだ)
「倭が狗奴国と相攻撃する状を説」いてきた。そこで黄幢(錦の御旗)を授けた。
魏が現政権支持を鮮明にしたので、利あらずと狗奴国は矛を収めた。
別に記録するほどのことはありませんでした。っていうのはどうですか?

それと、「檄を以て台与に告喻す」るのは? 招集ではないと思いますが?
567日本@名無史さん:2009/11/25(水) 23:50:21
これしかし、実効力のあるほどの数の兵を倭国が海を渡って出せたんだろうか。また、倭人の軍備や
戦闘力(兵法なども含めて)で、言葉の問題もあるだろうし、戦力になると魏側は見たんだろうか?

三国志演義などでは、黄巾討伐の檄を見て劉備が立ったなどの話があるが、やはり中国とは社会の
進展度がちがう気がするが。
568二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/26(木) 00:05:28
>>566
>>>六年と八年以降の黄幢、同じものと考えるのが自然でしょ?
>>そう考える人をあまり見かけたことがありませんよ。むしろ斬新に感じました。

私も最初斬新に感じましたが、太守の記事などを合わせて考えると同じものと考えたほうが整合性がとれる記事なのです。
特に八年の記事の「太守王[斤頁]到官」の唐突な記述がキーです。
(詳しくは http://yamat-2007.blogspot.com/ の「卑弥呼の没年 244年死亡説」を読んでみてください。)

ところで、多くの方が間違えている部分がありますが、それは同じ八年の記事の
「卑彌呼以死。大作冢。徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王、國中遂定。」
は、八年のことではなく、梯儁が倭に来て以降の出来事を説明している文章です。
これらの情報が八年に書かれているのは、張政がこの年に倭に来てこれらを報告したために、このように書かれているのです。
569日本@名無史さん:2009/11/26(木) 00:44:55
>>568
どうも。二ルートさんのお話はおもしろいんだけど、正直ちょっと読みづらいです。
省略が多くて。人のことは言えないかも知れないけど。

卑弥呼の死から台与の擁立までは、張政の来倭より以前の出来事だった。というのですね。
その理由は、・・・「以死」をすでに死す、と読むことと「檄告喻壹與」ですか?

でも、「烏越等詣郡」は卑弥呼の遣使じゃないんですか? つまり烏越等の出発時には
卑弥呼は健在だった。その後のごたごたが張政の来倭時に終わっていたというのは
時間的にはどうなんですか?
570ローガン:2009/11/26(木) 00:54:24
>>566
>そう考える人をあまり見かけたことがありませんよ。むしろ斬新に感じました。

この件についてはこのサイトも参考にしました。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Eyw8a-kndu/html/inuyama_1_yamatai_kunakoku.html
> 救援の要請に応えた、という意見が多いですね。

それが通説ですね。
>「ときどき突飛なことを言い出す」(ドン来い60 >300)とか言われてますよ。

いいじゃないですか(笑)

>高句麗・ワイ討伐、馬韓の反乱、とあって、その後、続いて(つまり統制力が緩んだ)

王キは毋丘倹と高句麗攻めの同志でしょう?

>ていうのはどうですか?

旗を渡す事が援軍要請に対する回答と思えるような用例があればと思うんです。見つけられないので…
それに、もしそうならもっと皇帝の権威の顕彰があっても良さそうなと。まあ書いてないのでなんとも言えないかも知れないが。

> それと、「檄を以て台与に告す」るのは? 招集ではないと思いますが?

直接の対象は自軍の中郎将ですが率善ゆえ、倭王に対してもも同様のアピールを行ったものと思います。
さておき来倭時の王は、すでに台与であったことが読み取れます。
571日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:15:55
>>567
魏は東には楽浪郡の不安、高句麗、洛陽の北にはきょうど、北部全体に鮮卑、
南部には呉、南西部には蜀の脅威を抱えていた。
中国は分割されており、日本は思うほど小さい国ではない。
東部の侵攻を背後から牽制できる倭は遠交近攻の考えからしても大月氏同様の価値があったはず。
572日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:45:44
今からみるとそうだが、当時はそのように認識されていたかどうか。
第一大陸まで大軍を送るという輸送力がなければ。
倭国に行くのに半島を経由していくとみられるから、そこから遼東に出てとなると、
全然脅威とならないのでは。
573日本@名無史さん:2009/11/26(木) 07:57:26
>>572
輸送力がなかったとは言えないと思うよ。海洋民族だし。そうでなくても魏の水軍が倭の港を使える
574二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/26(木) 08:07:11
>>569
分かりやすく書いているつもりなのですが、すみません。

「檄告喩壹與」から張政が倭に来た時にはすでに壹與が倭王となっていたことが分かります。
これを男王が王でその失脚を待ってから壹與に告喩したと考えると、張政が未来視のできる超能力者ということになってしまいます。
その上で八年の記事をもう一度読むと、使いを使わしたのが誰かわからないようにボカして書かれていることに気がつきます。
つまり「男王か壹與か分からないが倭王卑弥呼ではない」、あるいは有名な卑弥呼の死をその後の説明文(卑彌呼以死のことです)で
ドラマチックな演出にするためにわざと避けた、そのような文章であることが分かると思います。
「以死」の読みはあまり重視していません。

>>烏越等の出発時には卑弥呼は健在だった。その後のごたごたが張政の来倭時に終わっていた
使いを5月、張政が8月に来たとしても3ヶ月しかありません。この間に卑弥呼の死から男王、内紛、壹與の共立があったとすると、
かなり劇的な展開だったでしょうが、その激動の最中に卑弥呼の冢を作っているというのは違和感がありませんか?

とはいえ私もそのように考えていたので、決してそうではないとは言い切れません。小説より奇なりとも言いますからね。
575日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:28:27
輸送力については倭人の丸木舟や準構造船程度ではまにあいません。少なくとも映画レッドクリフにでてくるような船舶でないと。
魏の水軍が魏の港をつかえるのであれば、やはり脅威ではないでしょう。
576日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:31:53
しかし、現に239年の6月に皇帝への朝貢を願い出た卑弥呼の使いが、生口らを従えて都に到着したのが6ヶ月後の12月だからな。
そんなに時間がかかるようでは援軍も送れまい。
577日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:41:43
魏にとってのマイナスがない。
578日本@名無史さん:2009/11/26(木) 08:47:19
>>576
そもそも都にまで行く必要がないのでは?
579ローガン:2009/11/26(木) 16:41:47
>>574
>その上で八年の記事をもう一度読むと、使いを使わしたのが誰かわからないようにボカして書かれていることに気がつきます。

横、失礼。その文の主語は卑弥呼ですよ。使を送る際はまだ生きていたのでしょう。
張政等が来倭したのがいつかは書いていません。台与の遣使の年も記載なし。
東夷伝全体でも正始八年以降の年表示は無いんですよ。
580日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:19:00
西暦3世紀の中国の魏王朝が、倭国に使いをよこした理由の一つに
親魏倭王のあかしに、
朝鮮半島へ、魏の藩王国として援軍として出兵せよという
やや命令口調のものもあるだろう?

だから、倭の大夫の難升米(なしみ=ナシトミ命?)に
魏の将軍の地位を与えたりしているんだろう?
581日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:22:28
>>566
狗奴国を過大評価するべきではないと思う。
青木慶一の説によると
武埴安彦命であって、親族である卑弥呼(モモソ媛命)とは
個人的に仲が悪かったみたいだしな。
だから、狗奴国とは、倭国連合の一構成国家だったが、
そこの君主が、身分が高く、影響が大きかっただけ。
582日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:28:26
なんだかすごくやばい感じ
いや、現代の人間のせいじゃないけどさ
卑弥呼が誰かだって
女王だろうが!
583日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:26:40
強権を握った女王か、事実上単なる巫女に過ぎなかったのかよく判らない。



584日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:35:02
そういう話に既になっていない
記紀に卑弥呼に相当する人物は載っていないのに延々と
探し出している
つまり、魏の文献を拠り所に出発している話だ
だから、探しているのは女王であり、大規模古墳であり、柵であり
鏡だったりだ
そこから、単なる巫女が発見されるわけがない
585日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:37:20
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
586日本@名無史さん:2009/11/26(木) 20:38:46
>>570
対狗奴国非開戦説はローガンさんを筆頭に犬山サイトで3つめです。

>それが通説ですね。

同様に想像ならば、状況証拠が多い方を採用です。救援要請は俗説となります。
ググると赤幢というのが出てきます。刺史には赤幢なので錦の御旗も不採用です。

>率善ゆえ、倭王に対しても同様のアピール

再アピールで最後の疑問も氷解です。ありがとうございました。
ところで、「率善」の意味をご存知ですか? 聞いたことがあるのは、
善を率いる、という特に意味のない、外臣に与える官名。
外人部隊の司令官を指す。という2つなのですが。教えてください。

さて、

> 六年と八年以降の黄幢、同じものと考えるのが自然でしょ?

黄幢下賜が、東夷侵攻作戦の一環としての毋丘倹自身の要請ならより自然ですね。
この作戦が、曹爽の蜀討伐作戦に対抗した司馬懿の政策だったという、
まあ、岡田説なわけですが、この解釈はどう思われますか?
587神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/26(木) 20:46:34
>>579
「倭姫命世記」「日本書紀」に垂仁26年丁巳とあるそうですが、西暦297年と解釈して
いいのでしょうか?天照大神を伊勢国渡遇宮に遷し祀ったとある年です。
垂仁25年に祠を伊勢に建てたとあり、斎宮を五十鈴の川上に建てたとあります。
つまり、垂仁25年に建てたのは天照大神を祀る伊勢神宮内宮で垂仁26年に建てたのが
豊受大神を祀る伊勢神宮外宮と言うことになります。
さらに、豊受姫命である台与が崩御したのが297年と推測されますが、どう思いますか?
588:2009/11/26(木) 21:11:04
≪翰苑≫
臺與幼齒 方諧衆望

翻訳文は、
臺與は幼齒にして、まさに衆望にかなう

十三歳で「幼齒」てことはないよな。
「幼くして」と訳したほうがいいのかな・・・
分かりやすくすると、
臺與は幼くして、まさしく今、衆の要望を調和する でいいのかな?
589日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:12:51
>>574
ローガンさん同様、
「遣倭載斯烏越等詣郡」「説相攻撃状」したのは「倭女王卑彌呼」と読めますねえ、やっぱり。
ところで
「更相誅殺」。誅殺だから、内紛までいかない政争だろう、という意見もありますよ。

卑弥呼の墓造りは、後継政権としてはむしろ積極的に“盛大に”やりたがっただろう、と思います。
590:2009/11/26(木) 21:27:03
≪翰苑≫
卑弥娥惑翻叶群情

翻訳文は、
卑弥娥は惑翻して群情に叶う

卑弥娥は惑わし、翻して群衆を叶える でいいのかな?
「卑弥娥」さんというのは、卑弥呼さんの間違いではなかろうか?
皆さんどう思う?
591日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:34:45
幼き歯は何時か抜け落ち、その後永久なる歯が
592:2009/11/26(木) 21:38:23
>>591
それは分かってますが、魏志倭人伝・後漢書の記述と合いませんよね。
臺與は十三歳で王の位についたはずですから、「幼き歯は抜け落ちる前」というのは
間違いではなかろうか?それぐらい幼い時にということではなかろうか。
593日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:39:36
>>590

間違いだったら、相当ずさんな百科事典という事になる。
594日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:39:44
上で記紀に相当する人物がいないとか言っているヤツが
まだいるのだが...

箸墓古墳=卑弥呼の墓説というのは
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛命という説を前提に
そういう説を導き出しているわけだから
邪馬台国畿内説というのは、おのずと
崇神紀の記述と、魏志倭人伝の記述との関連をみる傾向が強いんだよ。
595日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:40:44
両親が実の子でないことを隠して育て、
いつかその子が自分の両親は本当の両親でないかもしれないと
思い始めたら、事実をつきとめるのは単なる時間の問題となる
そして二度と以前のような家族に戻ることはない
596日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:40:53
削除板から(ry
597:2009/11/26(木) 21:42:11
>相当ずさんな百科事典という事になる

百科事典とよく御存じで・・・^^
そういう事でしょうね。
ま、すべて間違いとは言えないが抜け落ちてる箇所や間違えてる部分もあるかと。
598日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:42:11
>>587
日本書紀の細かな年代は、あんまり重要視していない。
なぜなら、あれは、中国との外交に使うために
無理に編年体で書こうと、具体的な年代を書こうとしたものだから。

おそらく、記紀編纂時に残っていた年代というのは
古事記のような、天皇の干支没年ぐらいの曖昧な年代ぐらいだろう。
599日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:44:59
>>592

人それぞれとらえ方があろうから、あまり突っ込んだことは遠慮しておくが
乳歯が抜け、永久歯になる様子をその臺與に重ねていると考えるのじゃが
600日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:47:38
>>594

3世紀の日本の女王は誰に相当しますか?
601:2009/11/26(木) 21:47:40
>>599
えええ!それってどういう事でしょうw
「乳歯が抜け、永久歯になる様子」を記して何になるんですか?ww

「」ぐらい幼い時に〜衆を・・・という文でしょう。
あなたが翻訳、現在語訳したらどうなるんでしょうね。
602日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:48:39
>>597

>ま、すべて間違いとは言えないが抜け落ちてる箇所や間違えてる部分もあるかと。

書物として世に出るのに、ミスを見落とすほど杜撰なものなのかね?
603日本@名無史さん:2009/11/26(木) 21:54:38
>>601

>あなたが翻訳、現在語訳したらどうなるんでしょうね。

無知な通りすがりの者ゆえ遠慮しておく
「重ね合わせて何になるか」は、其あとに続く註文に書かれているから、自ずと見えてくるだろう
ではこのへんで失礼します。一時のふれあいでしたが楽しませてもらいました。
604:2009/11/26(木) 21:59:30
>>602
翰苑の記述に関しては「抜け落ち」や「誤記」が多いというのは多くの人が指摘しています。
こういう古代史スレで皆さんのレスを読んでいるとそのうち分かってきますよ。

>>603
いえいえ、百科事典とかよく知ってるじゃないですか。
こちらこそ、また宜しくです。
605:2009/11/26(木) 22:15:17
正治六年、八年記事の『黄幢』はローガンさんの言うとおりかもしれない。
二年も掛かり過ぎなかんはあるが、そのほうがシックリくる。
606:2009/11/26(木) 22:17:23
あ、「文章的に」シックリくる という事ですね。
607日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:19:47
>>600
西暦2世紀後半から西暦3世紀中頃までの
長期間にわたって倭国の祭祀を継承していた正統な倭の女王は、
ヤマトトトヒモモソ媛命だったと思われ。
その後、豊鍬入姫命が新たな倭国の祭祀を継承する女王になったと思うが
この豊鍬入姫命の父親のイニエ命(崇神天皇)が
その間、政治制度を抜本的に変えてしまったんだろう?
608日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:25:09
>>604

そうそう、お付き合い下さったお礼に一つ

「卑彌娥惑翻叶群情臺與幼齒方諧衆望」
この文章の中には三人の登場人物が出てきます。先ずはそれを見つけることから始められてはいかがでしょうかな。


>翰苑の記述に関しては「抜け落ち」や「誤記」が多いというのは多くの人が指摘しています。

いえいえ私が拝読したところ、一切の誤字脱字は確認できませんでしたし、感服したほどの出来栄えでした。


では、おいとまさせていただきます。
609:2009/11/26(木) 22:38:52
>いえいえ私が拝読したところ、一切の誤字脱字は確認できませんでしたし、感服したほどの出来栄えでした。

貴方の翻訳がオカシイのかと・・・
まだ、古代史を始めたばかりの人みたいですが、他のコテハンさんにも訪ねてみては如何だろうか。
たぶん貴方にとって「勉強になる」と思いますよ。
610日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:54:42
>>608
>この文章の中には三人の登場人物が出てきます。先ずはそれを見つけることから始められてはいかがでしょうかな。

どうせひまだし、まんざら出鱈目でもなさそうだから少し付き合ってみるか
611日本@名無史さん:2009/11/26(木) 22:56:34
私もまだまだ未熟者ですが、古代史を何年かやってる内に
相手のレスを少し読んだだけで、その『実力』というんですか、
初心者級なのか、どうなのか、分かるところまで来ました。
まあ、もっと勉強しないといけない箇所はたくさんあるんですけどね。
612:2009/11/26(木) 22:59:58
>>610
デタラメだよw
初心者級って事なのかな?ww
613:2009/11/26(木) 23:06:30
>>610
↓(下の)このレスのどこが、「まんざら出鱈目でもなさそう」なんだよ?ww 
これ読んで分からないってwwwwww 笑ったw

>そうそう、お付き合い下さったお礼に一つ
>「卑彌娥惑翻叶群情臺與幼齒方諧衆望」
>この文章の中には三人の登場人物が出てきます。先ずはそれを見つけることから始められてはいかがでしょうかな。
>いえいえ私が拝読したところ、一切の誤字脱字は確認できませんでしたし、感服したほどの出来栄えでした。

一発で分かるレスだろwwwwwwww
614日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:14:45
>>613
俺も出鱈目とは決め付ける根拠ないし
>>612
お前根拠あんのか?
615日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:15:01
いつもの自演厨でつw
616:2009/11/26(木) 23:17:39
>>614
ほら、翻訳してみろよ

卑彌娥惑翻叶群情臺與幼齒方諧衆望

どこが>608のようになるんだよ、それが根拠。
617日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:24:34
メ、わかったからそんなに剥きになるなな。ショートコントはこれにて終了終了。
解散しようぜ。
618日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:32:15
>>616 >>608ですが
私の投稿でなにやら揉めているようですが、止めてください。
私が翻訳を投稿することで解決するなら投稿しましょう

つたない読み下しものですが

卑弥娥惑翻して群情に叶う。 臺與は幼齒にして、方に衆望に諧う。
619日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:38:03
>>618
議論だから、揉めるていうか、多少は言い合う事もあるでしょう。
古文について言い合うことは有りといいますか、当人も分かっててやってることでしょうから。
620日本@名無史さん:2009/11/26(木) 23:42:01
邪馬台国や卑弥呼に関係することは、オッパイ言い争いをしてもいいと思うぞ。
逆に、関係のない話で言い争いをするのはやめるべきと思いますけど。

ガンガンやりあえていう事だな
621日本@名無史さん:2009/11/27(金) 00:18:42
「幼齒」を強調すると倍暦親おやじが・・・、アク禁中でなにより。
622ローガン:2009/11/27(金) 00:51:09
>>586
想像を書き連ねてるだけなので、「教えてください」は勘弁してください。

> この作戦が、曹爽の蜀討伐作戦に対抗した司馬懿の政策だったという、
> まあ、岡田説なわけですが、この解釈はどう思われますか?

岡田説を知らないのでこの貴レスのみについてと云う事で…
毋丘倹は曹爽サイドかなあと思うのでその説とは逆ですね。曹爽が政権からおわれると毋丘倹は豫州へ転勤なっているし、
のち、挙兵するし… 陳寿が東夷伝での実年を把握できたのも曹爽→毋ラインがあったからかなあと思いますが。
623ローガン:2009/11/27(金) 01:01:36
翰苑って、注記で本文を理解するものです。
624二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/27(金) 01:02:59
>>579
>>574
>>横、失礼。その文の主語は卑弥呼ですよ。使を送る際はまだ生きていたのでしょう。
いえいえ、もう一度私の言っていることを念頭に八年の記事を読んでみてください。

太守王[斤頁]到官、これは後ろの黄幢拜假難升米に掛かる文で六年の記事を受けたものですが、今回パス。
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、これは梯儁が来る以前からの状態を表しています。
遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状、ここで載斯・烏越を遣わしたのは八年のことですので、1つ前の文とは別の年・時間範囲を指しています。
倭女王卑彌呼がここの主語とは簡単に言えないことに注意してください。後の文から、壹與が遣わした可能性が高いのです。

遣塞曹掾史張政等〜とあり、ここまでが八年に張政を派遣する経緯の話で、それ以降は張政によってもたらされた梯儁以降の倭の話になります。
略しますが、政等以檄告喩壹與、までで張政が(卑弥呼ではなく)壹與に告喩したことの経緯が書かれています。
残りは同八年に張政が帰る時の話です。別の年の話ではなくここは八年の記事で、卑弥呼が死んだとかの倭の話が別の年の話なのです。

このように八年の記事は、その後の話が書かれているのではなく、そこに至るまでの話が書かれているのです。


>>「更相誅殺」。誅殺だから、内紛までいかない政争だろう、という意見もありますよ。
誅殺が当時の中国語でどのような意味だったのかなどは知りませんが、卑彌弓呼が卑彌呼と近い音なので、他の国との戦いではなく、
同盟国などの内部の政争だろうという話も聞いたことはあります。このような話は面白いと思いますし、考えてみる価値があると思っています。

そういえば卑彌呼は「pimiho」、卑彌弓呼は「pimikoho」という発音だったらしいですね。ヒミコはむしろ・・
625日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:45:22
「太守王キ到官倭」
この内容が太守の着任記事ならば、普通三少帝紀に掲載される可きもの
それが、三国志の末端に位置する倭人伝に掲載されている不思議に
誰も注目しないのはなぜ?
626日本@名無史さん:2009/11/27(金) 10:13:45
普通こう言う場合、太守王キを登場させるなら
張政を派遣した時に、太守の仕事内容とし登場させるのがこれまでの流れ
なのに、記事の冒頭に登場させたということは、正始八年に書かれた記事は
単に着任ではなく、全て太守王キに掛かる
太守王キの仕事内容となる。
627日本@名無史さん:2009/11/27(金) 11:22:59
正始六年の黄幢假授に至る要因は、それ以前にあるわけで
正始五年の帝紀を参照すればいい。しかし正始五年の帝紀に
そこに結び付く内容がない場合は、正始四年の帝紀又は倭人伝記事が、正始六年
に至った要因となる。
628日本@名無史さん:2009/11/27(金) 12:16:14
>>624
伝言ゲームの推論をもとにあらたな仮定を立てられても困ります。第一次史料下さい
629日本@名無史さん:2009/11/27(金) 12:37:24
フジコ
630ローガン:2009/11/27(金) 15:48:56
>>624
>太守王[斤頁]到官、これは後ろの黄幢拜假難升米に掛かる文で六年の記事を受けたものですが、今回パス。

韓伝から順に読んだら、帯方太守不在のままになるので、新担当者名を記述しただけでしょう。

> 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、これは梯儁が来る以前からの状態を表しています。
> 遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状、ここで載斯・烏越を遣わしたのは八年のことですので、1つ前の文とは別の年・時間範囲を指しています。

いや、「別の年」ではないでしょ。当然八年も含まれる。

> 倭女王卑彌呼がここの主語とは簡単に言えないことに注意してください。後の文から、壹與が遣わした可能性が高いのです。

では台与が、まだ文に登場していない段階での「遣倭載斯烏越等」の主語は何?
地誌である行程表記を覗き、主語が割愛されているのは「天子」だけでしょう?

631日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:16:25
100年頃 倭国王帥升(スサノオ)連立政権樹立
スサノオ系から男王 世俗王を出し
アマテラス系から女王 祭祀王を出す

協定終結後にスサノオ系は銅鐸祭祀を捨てアマテラス系が鏡祭祀開始

倭国大乱
倭王位をめぐって世俗王と祭祀王が争い、祭祀王が勝利する

248年頃 協定を破り崇神が世俗王位を簒奪

前方後円墳 祭祀王系の墓
前方後方墳 世俗王系の墓

邪馬台国 大和     祭祀王の首都
狗奴国   東海地方 世俗王の首都
632日本@名無史さん:2009/11/27(金) 22:55:11
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
633日本@名無史さん:2009/11/27(金) 23:08:00
元はと言えば、前方後円司祭場。
墓にしてしまったのは征服者たる異民族によるものではないか?
634銀河 秋彩:2009/11/28(土) 00:58:38
  【倭国・九州筑紫王朝・物部系<夏>】側
  【▲矛圏】
『魏志倭人伝(通称)』に記載は、明帝と司馬懿(→晋・中国南朝)が支持した、
(▲傍流)太伯後の、共立された女王・卑弥呼(物部系)の「邪馬壹(連合国)」
=《筑紫平野・久留米高良山(神籠石あり)》

西暦247年崩壊【西暦247年3月24日の日の入り時の日蝕(卑弥呼=壹与の死を揶揄)】
「伊都国(いづら)」=《佐賀県小城市牛津町》、東行百里の「不彌国」=【魏の城塞都市(木柵)・吉野ヶ里】
「其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。」=『魏志倭人伝(通称)』
 「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩jun葬者奴婢百餘人」
=【ガラス管と剣が副葬の「1002号墳」が卑弥呼(難升米)の墓・径百歩】
卑弥呼の都【魏使が来るに及んで、久留米から遷都、隼人町が記載されている】・「★倭国は極南界」
635二 ◆.L.MXSPOgc :2009/11/28(土) 01:06:40
>>630
>>では台与が、まだ文に登場していない段階での「遣倭載斯烏越等」の主語は何?

八年に卑弥呼が使いを送って、その後に急逝、男王が立つも大内戦が起こり3ヶ月で失脚し台与が立つ、
そこに張政がやってきて台与に告喩した。
と読むことも勿論できることは私もわかっています。それでも、八年の使いを送ったのが台与だったとして
もう一度八年の記事を読んでみてください、そうすれば非常にすっきりと八年の記事を読むことが出来るのですよ。
というのが私の主張です。
まー読んですっきりするかどうかは主観もありますから難しいところかもしれませんが、3ヶ月という短い間に
大激変があったという訳ではなく、その激動のさなかに卑弥呼の冢を作ったのでもなく、そのように書かれていたというのは
私にとっては納得のできるものなのです。

主語といえば、卑彌呼以死大作冢、の作冢の主語は誰でしょうか?
636銀河 秋彩:2009/11/28(土) 03:14:54
  ▲卑弥呼の都・直接統治国「壹国(薩摩)」=「周旋可五千餘里(275km余)」=「55m/倭人里」
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.dnm=ac0e.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
【▲矛(→▲剣)圏・倭国(九州筑紫王朝)・物部氏】、「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、一旦滅亡。
「「日出處天子(南朝の後継を名乗った、泉蓋蘇文=天武)致書日没處天子(北朝・隋の煬帝)無恙〜」
倭王・多利思比孤・【『万葉集』の「軍王」、のちに、天武天皇】は、こちら側。
天武は、(復活)倭国王。

▲卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」=「周旋可五千餘里(275km余)」=「55m/倭人里」
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.dnm=ac0e.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t

以下・卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」の都は、現鹿児島県姶良郡隼人町姫城。
  《加治木 義博説》を支持。
「55m/倭人里」を使用。卑弥呼の「邪馬壹(やまい)(連合国)」は、【筑紫平野】。
637銀河 秋彩:2009/11/28(土) 03:16:56
  七〇〇〇里 帯方郡治〜狗邪韓国
  一〇〇〇里 狗邪韓国〜対海国《対馬》
  一〇〇〇里 対海国〜一大国【壱岐・魏の直接支配地】
  一〇〇〇里 一大国〜末盧国《唐津湾界隈》
   五〇〇里 末盧国《唐津湾》(東南陸行)〜★伊都国(いづら)《佐賀県小城市牛津町・港でもある・魏使常駐》
  《万五百里》=「伊都国(いづら)」。
《不彌国、奴国、投馬(国)、卑弥呼の都などは、伊都国(牛津)からの★放射状説を採る》
  一五〇〇里 伊都国(牛津)〜水行十日《有明海を倭人が小舟で南下・「接女王国(女王国の国境)」の現八代市まで
《計・万二千里》……【八代市以北(「奴国・なら」の南・玉名市か熊本市以南)は、……
…… …… …… ……通行不可の、不仲の卑弥弓呼の狗奴国(旧奴国→百済)ゆえの「水行十日」】
   「余(国内)」……「接女王国(国境)」の八代市から球磨川沿いを遡り、山越えして南下、
        卑弥呼の直接統治国「壹国(薩摩)」の都、隼人町姫城までが「余=陸行一ヶ月」=倭人の歩み。

水行二十日・投馬(国)……伊都国(いづら)から、有明海を水行二十日南下し、「トカラ列島の宝島」に。
この「トカラ列島の宝島」の生まれ……「宝皇女=斉明太上天皇」。
「イザナキ」&「イザナミ」は、《伊是名島》から。
http://www.ocvb.or.jp/card/ja/0600001514.html
638銀河 秋彩:2009/11/28(土) 03:18:14
 【大倭(臺倭)国・九州近江(&)豊国王朝・蘇我系〔秋〕
=(臺倭→大倭→)大和朝廷】側
  【●鏡圏】
『万葉集』に記載は、斉王 芳(魏の少帝・中国北朝)が支持した、
 (●本流)季歴後の、臺与(=台与・蘇我系)の「邪馬臺(連合国)」
=【台与(→豊)国・大分県(&福岡県)】
西暦248年成立【西暦248年9月5日の、日の出時の日蝕(天照大神=台与→豊の出現を揶揄)】
  ●当時の臺与の邪馬臺国の都は、京都(みやこ)郡香春=現京都郡みやこ町御所ケ谷(推古天皇代に神籠石を築く)
http://www.yado.co.jp/tiiki/tikuhou/gosyogatani/gosyogatani.htm

幻の邪馬台国」と言われる所以は、三国時代の魏の第3代皇帝・曹芳(斉王 芳の在位:239年 −254年)の在位が短く、
晋側の(邪馬壹→)倭国(山の井)に再び覇権が戻った為、邪馬台国の覇権も短かった。
以降、「白村江(はくすきのえ)の戦い」が終わるまで、倭国側に覇権。

【鏡圏・イ妥国(臺国・九州台与(→豊)国&九州近江王朝)→大倭(臺倭)国・蘇我系】
『隋書』「イ妥国(臺国)伝」の、「小野妹子」=「蘇我卑弥呼」。
「小野妹子」は「蘇因高」=【蘇(我)の卑弥呼(「ピぃもこ」のピ音が欠落して「ぃもこ」)】
「東の天皇敬みて西の皇帝に白す、〜」・推古天皇(額田王・太田皇女=小野妹子)
こちらが、皇祖神が天照大(御)神=(天照近江神)の【大和朝廷】側。
九州近江王朝、斉明太上天皇の都は、不知火海(近江)の「御所ケ浦島」。
  大后(おほきさき)=【斉明太上天皇(安見児・鏡王女・吹黄刀自)】の御歌一首
鯨魚(いさな)取り 近江の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る船 〜(巻2・153)
639銀河 秋彩:2009/11/28(土) 03:20:00
  【(裏は)大倭国・九州近江(&豊国)王朝・蘇我大王家(秋)聖武天皇の勅撰史書】=『万葉集』より
☆ 大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる (巻3・420)
☆ 豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず (巻3・421)
☆ 岩戸破らむ手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく (巻3・422)
☆ 豊国の香春(かわら)は我家【(わぎへ)わが皇統家】
  紐【皇緒】児(ひものこ)にいつがり居れば香春は我家 (巻9・1771)
なお、『万葉集』の巻五には、【斉王 芳(魏の少帝、・中国北朝)】の、
☆「芳命を奉(うけたま)はらむ」、☆芳音(ほういん)、☆芳旨(ほうし)、☆芳藻(ほうそう)、
☆芳席(ほうせき)等々が記載されている。
これらの「芳〜」は、【(斉王)芳・魏の少帝(曹芳)・中国北朝】を下に曳いている。

曹芳(そう ほう、ピン音;Cao F?ng、232年 - 274年)は、字は蘭卿。
三国時代の魏の第3代皇帝(在位:239年 - 254年)で、通常は「斉王芳」と呼ばれる。

━…‥‥…━…‥‥…━…‥‥…━…‥…━…‥…━…‥…━…‥

  「燕・公孫氏】側
【■銅鐸圏】……東[魚是]人=【畿内(〜山陰)】の、銅鐸族・燕・公孫氏
そもそもの纒向遺跡は、公孫氏の都と思われる。
朝鮮半島の帯方郡まで勢力を伸ばすも、卑弥呼の裏切りがあり、司馬懿に依り、滅亡。

━…‥‥…━…‥‥…━…‥‥…━…‥…━…‥…━…‥…━…‥
640日本@名無史さん:2009/11/28(土) 05:50:59
>>638
イ妥国=倭国です。
641日本@名無史さん:2009/11/28(土) 09:03:51
>>622
> 「教えてください」は勘弁してください。

どうして? 「対狗奴国非開戦説」も「末盧伊都国魏使水行説」も、
そして「祭典誇大宣伝説」も教えてもいましたよ。突飛どころか目からウロコです。

>曹爽→毋ライン

あ、やっぱり。
曹爽失脚以降、対倭外交の詳細が消えることから疑問が湧いたんです。
どうも司馬懿顕彰説は怪しいですね。
親魏大月氏王と対になる親魏倭王を授けた主体は明帝か曹爽のどちらかでしょう。
642日本@名無史さん:2009/11/28(土) 10:07:32
>>586
自己レス。「率善」

「魏率善羌邑長(ぎそつぜんきょうゆうちょう)」の駝鈕(だちゅう)銅印
魏の国に善(よし)みを通じて率(したが)う羌族(きょうぞく)の村長(むらおさ)と云う意味です。
(小林義彦)

晋率善羌中郎将
ラクダの鈕をもつ銀印 大阪府指定有形文化財・歴史資料
643日本@名無史さん:2009/11/28(土) 18:07:33
こっちも宜しくお願いします。

↓ここにも
http://www1.atchs.jp/most/
644愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 18:11:15
>>532
>3〜4世紀頃の倭国の地政学的状況と、神社の勢力進展の歴史はかなり別物

縦目さん
宇佐神宮の信仰史については多く研究されていますが、どうしても卑彌呼に結びつかない気がしますね。
比売大神は謎の神で、一人の実在人物の反映とは言い難いように思われる。
宇佐に埋まっているという石棺を開けたら、何か分かるだろうか?

>>535
行った人もいるんですね。
現代も女人禁制は流石にどうかとも思うがw
645:2009/11/28(土) 18:46:55
ほう、縦目さんは宇佐神宮の研究してるんですか、

わたしや、愛知県民さんは以前、現地にも行ってますし、
何か分からないことがあれば、少しぐらい答えれるかもしれません。
646:2009/11/28(土) 18:53:02
ここにも一人か二人ぐらい来ないのかな?
一箇所のスレに肩寄xっつえるかんじがする・・・
647日本@名無史さん:2009/11/28(土) 18:59:05
宇佐神宮なんて八世紀以降の汚物だろ?
648愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 18:59:58
個人的には、比売大神=「神」夏磯「媛」と考えたいところ。
「女神」八女津媛を初め、それまでの九州女王国の歴代とも考えられる。
それがいつかの時点で、宗像三女神と同一とされたのか?
宇佐神宮自身が、比売大神の正体に自信を持っていないのだから(ホームページ参照)
容易に分かるとは思われない。

北辰神社については、日本に星辰信仰が乏しいとは言え、
航海者にとって方角が大事なことを考えれば、北極星は神聖視されただろう。
(この時代の北極星は歳差のため現在とは異なり、小熊座のコカブ)
住吉三神についても野尻抱影氏らは、これをオリオン座の三ツ星ではないかとしている。
常に真東から上って真西に沈むという。
649:2009/11/28(土) 19:01:25
河童くん、イジケてないでこっちおいでよw

「おれは無知ではないぞ」て反抗をみな期待してる。

650ローガン:2009/11/28(土) 19:07:40
>>641
>「末盧伊都国魏使水行説」も、

あ、あの時の方、覚えてます。

> そして「祭典誇大宣伝説」も教えてもいましたよ。

どんな話でしたっけ?
>曹爽失脚以降、対倭外交の詳細が消えることから疑問が湧いたんです。

私も同じです。

> 親魏大月氏王と対になる親魏倭王を授けた主体は明帝か曹爽のどちらかでしょう。

私は三年だと思うので明帝はないと思う。
率善…禄無しという意味合いでは?(笑)
651神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/28(土) 19:09:53
宇佐神宮と出雲大社は「2礼4拍手1礼」ですから邪馬台国とか卑弥呼とか皇室とは
関係がないでしょう。地元の神様を奥に押し込んで祀って皇室の神様を前の方に祀って
結界をつくってます。あげくに「4拍手」で死の呪いを掛けています。
652日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:11:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
653:2009/11/28(土) 19:13:36
北辰神社の神様といえば造化三神(ぞうかさんしん) 天御中主神. 高御産巣日神. 神産日神ですね。

この前、天御中主神と言われて「そんなの聞いたことないぞ〜?」と思い
ピンと来なかったが、神宮の案内にも、本にも「造化三神」とあるハズ。
まあ、これぐらいは勘弁してほしいw
654縦目仮面:2009/11/28(土) 19:15:00
>>644
女人禁制が現代でも解けないのは、裸での禊が一つのネックになってるんでないかな。
宇佐に関しては、卑弥呼とはやはりつながらない気がします。ただ辛嶋氏渡来以前は資料少ない
ですね。

>>646
あっちのスレで名無史でくだらないレス書いてました、こんなの。もちろんジョークで鼻血は出しません。
三輪山には登りました。

>今、宗像大社についてすげえくだらない仮説を思いついた。辺津宮(市杵島姫神)宗像=胸形=おっぱい
 であるなら、筑前大島の中津宮( 湍津姫神)=へそ、沖の島の沖津宮( 田心姫神)=・・・いやこれは書くまい。
 しかし、市杵島姫神が神仏習合して弁財天なら、裸弁天などというのもあるし。

 http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/c7de4ee8900eec3980543af9b22ca7e0

あと儒教の神主(しんしゅ)は仏教の位牌のようなものでは?


655愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 19:16:16
>>651
>邪馬台国とか卑弥呼とか皇室とは関係がないでしょう。

神無月さんは邪馬台国=皇室=畿内説でしたっけ?
邪馬台国=九州≠皇室説なら全く不自然ではありませんが。
656:2009/11/28(土) 19:20:37
>>654
ああ、縦目さんもドンコイに居たんだw 
私も昼ぐらい書き込んでたんですけどねw

>神主(しんしゅ)

「神主」に関してはわたしがあっちに書き込んだとおりでしょう。
しんしゅ?「かんぬし」と呼んだほうがいいかもしれません。
たとえば、ここにも書いてるし、
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A5%9E%E4%B8%BB/
657日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:22:56
邪馬台国=皇室=畿内説と
邪馬台国=九州≠皇室説は
3世紀の東遷、東征否定では共闘できるんだよなwww

しかし畿内説同士は学問、科学がバックボーンにあるから
多少の意見の違いがあっても共存できるのだが
九州説は対畿内では共通してるが内部では
比定地、東征の考え方、解釈もてんでバラバラ
畿内説が抜けたら全く一枚岩じゃないんだよなwww
658日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:25:16
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
邪馬台国が久留米で南部の熊本と対決してた説は
無理ですw

久留米と熊本は同じ縄文人種ですから・・
日本で最も縄文形質を残してる地域です。
さらに鼻まで狭くなってるからかなり美人の形質ですね。
659神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2009/11/28(土) 19:26:34
>>655
エ〜〜〜ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。
660愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 19:27:06
>>654
>女人禁制が現代でも解けないのは、裸での禊が一つのネックになってるんでないかな。

昔は女性の登山も許されなかったわけで、海も解禁しては駄目なのかね。
大相撲も今は外国人ばかりで薬物騒ぎだしw
661:2009/11/28(土) 19:40:32
>>654
>三輪山には登りました

たしか愛知県民さんだったような・・・

>あと儒教の神主(しんしゅ)は仏教の位牌のようなものでは?

位牌はないでしょうw
ありゃ〜死んだ人の名前がのってるものだしww

>>659
>エ〜〜〜ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。

www
662:2009/11/28(土) 19:42:09
661は「も」が抜けてたww

「訂正前」
たしか愛知県民さんだったような・・・

「訂正後」
たしか愛知県民さんも言ってたような・・・
663日本@名無史さん:2009/11/28(土) 19:52:46
神主(しんしゅ)とは
儒教の葬礼で、生前の官位、名前を記す位牌のようなもの
664縦目仮面:2009/11/28(土) 19:54:40
>>661
>位牌はないでしょうw
  ありゃ〜死んだ人の名前がのってるものだしww

でもWikiの「位牌」のところに、
>儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)
と載ってて、現物も見たことあります。ま、向こうのスレの人がこの意味で言ったのではないかもしれ
ないけど。
665:2009/11/28(土) 19:58:20
>>663
へえ、しか今何の話をしてるのかな?
宇佐神宮の話でしょ?宇佐神宮の関係者に
「神主」て何て読むんですか?って聞いてごらん。
100人居て100人とも「かんぬし」と答えますからwwwwww
ていうか、「神主(かんぬし)」という言葉は、以前宇佐神宮に行ったとき
神は我々は「かん」と呼んでいます。
「神主は「かんぬし」と呼びますと 現地で聞いたんですけどねww
666:2009/11/28(土) 20:01:47
「位牌」ってww 縦目仮面さん 何の話をしてるんですか。
もしかしてカッパムシさんみたいにお笑いでも目指すようになったのでしょうか?w
667縦目仮面:2009/11/28(土) 20:06:20
>>666 ま、「ドンと来い」のこのレス(俺じゃないですよ)

>あんたその程度の知識で自慢してたのかい?
 あんたが出したお題では「神主」
 「神主」なら先ずは儒教の話しからして頂こうか。

からは何のことだかわからないけど、儒教の 「神主」というからには上レスのもののことでないかな。
まあ、霊の依りしろで、この方が仏教より早いという気がします。儒教では、現世利益を享受しつつも
君子をめざすために招魂再生観(慰霊)が重視されてるんでないですかね。

668愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 20:06:51
>>659
>エ〜〜〜ッ!邪馬台国=九州???あなたに柿ぶつけたい。

では、その柿を頂きます。
むしゃむしゃ

>>662
十年ほど前になるかな?
白いたすきをかけられて登りました。
道中このたすきを外すことは禁止されているのですが、外れてしまったような記憶が・・・
いや、今のオフレコで。
頂上付近にイワクラがあったのを覚えています。
669日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:07:07
>>654
女人禁制について理由は明確に文章化されているものはない。
しかし、裸での禊が理由ではないだろう。女だけで入れば離島でもあるし問題ない。
理由は記紀の神話に求められる。「ドンと来い」のスレでも書いていた人がいるが、
沖ノ島と天岩屋神話の関連性は考えられる。天岩屋に集まった神々は一人を除いて男神ばかり。
例外は天鈿女命。この天鈿女命が天岩屋前で裸踊りを踊って「あなたより尊い神が生まれた」と
言って天照がでてきたところを引っ張り出されたわけだが、天照にとって尊い神がいるだの裸で
踊るだのは嫉妬の原因でしかないのだろう。
女神が女に嫉妬するというのは宗像神社の伝承でもあるが、それはこのような理由だと思う。

670縦目仮面:2009/11/28(土) 20:11:31
>>669
なるほど説得力ありますね。「山は女神で嫉妬深い」というのもよく聞く話で。
671日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:13:49
水戸徳川家は儒教の家柄、瑞竜山に葬られている歴代藩主や夫人、連枝藩主には
仏教で言う戒名にあたる諡号が
あの徳川光圀の諡号は義公。
以前は入山出来たのですが、現在は残念ながら入山できません。 入山出来れば
全ての墓を見るのに半日以上用します(軽い山登り感覚)。


神主=かんぬし は「かむぬし」の転訛
672:2009/11/28(土) 20:15:36
いえ、669の「嫉妬する」というのはは一般の人でも知ってる知識でしょう。

宗像神社は行ったことがありませんが、案内板かなにかに書いてるのではなかろうか?
愛知県民さんがなにか知ってるかもしれません。
673日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:19:55
>>671の漢字訂正

用する→要する
674:2009/11/28(土) 20:21:28
>>668
自分は登ったことがないので羨ましい、
まあ、三輪山のフモトまでは行きましたけどね、
三輪神社付近で三輪そうめんを食べた。

675日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:21:33
今の時代、男尊女卑だと受け取られかねないしきたりについては本当の理由はいいたくても言えないわな。
言ったが最後、フェミニスト連中からの攻撃の矢となってしまう。
沖ノ島にたどり着くのに昔の船ならいまの何倍もの時間をかけてあの荒い日本海流をくぐっていくわけだろ。
だから女体には厳しいので女人禁制になった、というのは多分方便なんだよ。
676縦目仮面:2009/11/28(土) 20:22:57
「女人禁制」ですか。変なテーマだなあ。神道による月経による血の穢れを嫌うというのはよく聞くし、
あとは、修験道の聖地で、修験者が性欲に惑わされることなく修行するため禁足にされたとか?しかし
これは後代の話かな?
677日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:24:04
かんぬし(かむぬし)の意味は、
・「か」でないものを司るグループのリーダー。
678愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 20:26:05
>>672
宗像大社のパンフレットによると・・・

現在も沖ノ島では、一木一草といえども島外に持ち出さないという昔からの堅い掟が守られています。
また沖ノ島のことを「お言わず様」とも言い、この島のことは軽々しく話さないし、
また島内だけの独特のことばがあって、神の島としての信仰と禁忌が守られて現在に至っています。

ということで、私も貝になります。
679:2009/11/28(土) 20:29:28
>>678
>宗像大社のパンフレット

さすがですねw
私も、古代史旅行で現地に行ったら、必ずパンフレット、
又はそこで販売されてる本を買い集めますw
680日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:31:36
>>678
「お言わず様」ってアナグラムだよ。
「いわ」という言葉が含まれているじゃん。
小さいほうの島は「小屋島」だし。
その昔は「お岩屋様」でそれを変化させたんだね。
681日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:33:09
私は地元の図書館に行って郷土の本を探す。
682日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:33:14
ワロタw
683日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:43:48
>>650
>>650
あのときの方、ではないかも知れません。横から

>使者が訪れてないからでしょう。

と言われただけですから。

>どんな話でしたっけ?

「如淳注 在帯方東南萬里」から導けます。これ結構おもしろい話です。
岡田誇張説をあきらめても、万二千余里の説明がつきます。

>三年だと思うので

明帝だと面白いと思うので残念です。
詳細については(教えてと言わずに)また検討してみます。

無給で板挟みの率善中郎将はつらいでしょうね。
684縦目仮面:2009/11/28(土) 20:45:00
>>678
「お言わず様」ですか・・・俺は沖の島はWiki程度の知識しかないけど、「ドンと来い」のこれも俺の
レスで、女体説は99%冗談なんだけど、この山の形には何か感じるものがある。

http://uproda.2ch-library.com/192155j3c/lib192155.jpg

>しかし、湯殿山ご神体の例もあるし・・・「言わず語らず。語らば聞くな、聞かば語るな」 また、芭蕉の俳句に、
 >語られぬ湯殿にぬらす袂かな・・・何のことだかわからない人はググってくれ。
  ま、しかしこれは時代もだいぶ違うし、ジョークだよ。

685日本@名無史さん:2009/11/28(土) 20:54:01
沖ノ島第三次調査隊のメンバーとして皇室の方が含まれていたことを知る人は多くない。
宗像大社辺津宮に碑も建っているが、三笠宮崇仁殿下がその方である。
三笠宮さまが、毎日新聞社刊の「海の正倉院 沖ノ島」の巻頭序文に寄せられた記事から。

『沖ノ島は「神の島」である。そして20世紀の奇跡がおこった島である。私はこの奇跡を現地で
まのあたりみることができた。一生涯忘れ得ぬ感激であった。(以下略)』
686:2009/11/28(土) 20:54:40
縦目さん
>「豊国法師」は有名で、前者は雄略帝の病気の際に豊の国から呼ばれた、
>新羅系のシャーマン?

豊国法師というのは豊国の僧で男性です。
この豊国の中心地といわれてるのが福岡側の豊国北部で、
辛嶋氏・秦氏もここらへんを拠点としてたようです。
豊国法師=辛嶋氏・秦氏になるのかどうかは分かりません。

>で、後者は用明天皇の病気の際、同じように召し出された、
>前者に仏教が融合したもの?

融合したのは八幡神でしょう。
上のほうで愛知県民さんのレスがあったとおり。

>どちらもルーツは同じで、医療技術を持つ?で、この流れの先
>に医術者である「宇佐氏の法蓮」がある?・・・・・「?」ばかりですまんが、
>考古学仮面には苦手な分野なんで、間違ってたら指摘しておくれ。

古代日本の「巫女さん」、「カンナギさん」といえばシャーマンといわれています。
「神宣」や「治病」をしたといわれています。

>ただ、いろいろ調べてみたが素戔男尊を祖とするとはいうものの、辛嶋氏の渡来は
>5世紀前後あたりというような感じなんだけどね。で、辛嶋氏の祭神「辛国息長大
>姫大目命」はどう考えても、神功皇后(気長足姫尊)と関わりがあるだろう。

秦氏、辛嶋氏は渡来系といわれています。
気長足姫は「辛嶋氏の祭神」と関係があるようで、
辛嶋氏の祖先は、託宣集によるとスサノオの子孫だったと思う。
687:2009/11/28(土) 20:59:34
>八世紀初め、四十町の未開墾地の開墾を認めたり(703)、三等以上の親に宇佐君
>の姓を与える(721)など、宇佐の法蓮を朝廷が別格的に優遇していたのは、法蓮
>の医術が人民を救済したというのがその表向きの理由だったが、この優遇の時期は、
>宇佐大神(比売大神)ではなく八幡大神の新たな祭祀が大々的に進められた時期と重
>なっていて、おそらく朝廷の意向はそこにあるんだろう。

勉強してるようですねw
愛知県民さんにも聞いてみたら如何だろうか。
688縦目仮面:2009/11/28(土) 21:02:29
そうですね。>豊国法師=辛嶋氏・秦氏になるのかどうかは分かりません。
この確証はなかなかとれないです。ただ辛嶋氏が九州内で急速に浸透していったのは、医療技術
といった何らかの大陸系の文化があったからかも。

>託宣集によるとスサノオの子孫だったと思う。・・・これはそうですが、大陸から渡来してきて後付で
そう名乗ったのかもしれません。俺的には、スサノオ実在およびその年代観に対するハードルは高い
です。
689:2009/11/28(土) 21:04:09
≪686を訂正≫
「神宣」・・・×
「神託」・・・○
690:2009/11/28(土) 21:13:11
>>688
いや、「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン? 」とありましたから
豊国法師の「豊国」は、福岡の一部〜大分県全域で範囲が広く、
よく分からないんですけど、「豊国」というのはもっと細かくして、宇佐よりも北のほうが
言われてたような感じがする。
宇佐氏は「宇佐市」や「安心院周辺」、大神氏もその周辺で宇佐市、
又は別府の隣にある「オオガ町」。
辛嶋氏、秦氏は「宇佐よりも北」だったと思うから、そこから連想して
「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン?としたのではないのかな?
691:2009/11/28(土) 21:16:18
ちと説明が分かりづらかったかな・・・w

「豊国」→「宇佐よりも北」→辛嶋氏、秦氏の拠点
として、
「豊国法師」は・・・新羅系のシャーマン? と考えたの?てことw
692愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 21:19:08
>>686
>秦氏、辛嶋氏は渡来系といわれています。

秦氏は日本書紀では百済系とあるが、新羅系と見る説が有力なようです。
(新羅=辰韓=秦韓)
神功皇后は戦後、神武天皇と並んでタブーとなってしまった感があるが、
倭と新羅の関係上避けることはできない。
惜しむらくは、新羅本紀も日本書紀に負けず劣らず年代に疑問があること。
新羅については、新羅文献と中国文献が全く合わないのも問題である。
693:2009/11/28(土) 21:28:00
辛嶋氏、秦氏の拠点ってどこでしたっけ?!w
宇佐よりも北だったのは覚えてるが忘れてしまったなww

海部氏は京都府のコノ神社周辺で、大分県の海部郡にも拠点がある。
宇佐氏は、上で書いたとおり、宇佐市と安心院なんですが・・・。
694縦目仮面:2009/11/28(土) 21:28:02
>>692
そうですね。俺も新羅系と見ます。現在は辛嶋氏の日向、大隅八幡宮入りと隼人の乱の関係あたりを
やってます。豊の国の秦一族、中でも辛島勝姓を名乗らなかった辛嶋氏の一部が「稲積城」を築いた
周辺です。まったく畑違いの分野で、益もないんですが、乗りかかった船で。
695:2009/11/28(土) 21:30:35
大神氏は、上で書いたとおり、
別府の隣のオオガ町と宇佐市周辺(どこだっけw)。

誰か、他のスレで書いてたと思うんだがここにも書き込んでほしい。
696縦目仮面:2009/11/28(土) 21:33:16
ただまあ、調べて見ると文献の人は大変だなあという観を強く持ちますね。100読んで、実になるのは
1つか2つ・・・知識は増えますが、時間もえらくかかる。よい勉強になります。
697:2009/11/28(土) 21:35:11
>>692
>秦氏は日本書紀では百済系とあるが、新羅系と見る説が有力なようです。
>(新羅=辰韓=秦韓)

新羅ですか、んで新羅から福岡のどこへ行ったかご存知でしょうか。

>神功皇后は戦後、神武天皇と並んでタブーとなってしまった感があるが、
>倭と新羅の関係上避けることはできない。
>惜しむらくは、新羅本紀も日本書紀に負けず劣らず年代に疑問があること。
>新羅については、新羅文献と中国文献が全く合わないのも問題である。

新羅文献には「秦氏」に関してなんて書いてるんです?
698日本@名無史さん:2009/11/28(土) 21:43:51
>>692
四世紀から五世紀にかけて、楽浪帯方系移民が増えたと高校時代に担任が言っていました。
古墳時代はとりわけ移民の数が増えた時期でもあり、日本列島の人口は大いに増加したと。
楽浪帯方難民は南へ逃げ、またそこから日本へも渡って来たのではないかと思います。
秦氏集団が亡命して来たのもその頃ですよね?
治水、製鉄等の技術を持っての集団移民ですが、彼らは単なる半島南部土着の韓人だったのですか?
それとも、わけありの集団だったのですか?
699河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/28(土) 21:44:24
では、私に課せられた課題の一つ「祝(はふり)」

結論から先に申せば、漢語「祝」と和語「はふり」には直接的な意味はありません。
和語「はふり」は「はふる(放る)」という動詞が名詞化したもので、「はふる」の意味は
捨て去る、落ちぶれる
下級神職が行っていた穢れ払いの行為を「はふる」という言葉に掛け合わせ名詞化し、下級神職を「はふり」と称した。
その時に神職によって読み上げられる「のりと」は、同じ台詞の繰り返えし
この台詞の繰返しを「いわい」といい、漢語「祝」の訓にもあてられています。

つまり、「はふり」が「はふる」為に「のりと」を「いわい」から 祝=はふり と読まれるようになりました。

★いわい=い・うあ・い→「言う・合う(同じ)・範囲(台詞)」


では、失礼します。
700愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 21:45:13
豊国奇巫とか豊国法師ですが、允恭天皇も新羅から医者を呼んでいますね。
古事記では「金波鎮漢紀武」姓は金、波鎮漢紀は波珍干岐、名は武でしょうか。
これも気になる記事です。
701:2009/11/28(土) 21:48:24
今、本開いたけど
大神氏は奈良の三輪周辺の一族だったね、
辛嶋氏は大分県宇佐郡辛国・・・
半島→秦氏は滋賀県えら郡・・・・こりゃ失礼w

>>699
お、来た、来た!
まあ、周りからいろいろ言われても気にしないことだな。
河童虫はこの2chの中では詳しい部類に入るんだし
702:2009/11/28(土) 21:59:15
>気にしないこと

っておれが言ってるのか ガハハハッ(高笑)

ゲンコムシならゲンコムシでいいんでないの。
しかし、「もっと勉強しろ」って葉っぱかけてると思えばいいじゃん

>>696
>文献の人

私はどれが自分の専門なんて考えてない。
なんでもといいますか・・・。
703愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 22:01:54
>>697
>新羅ですか、んで新羅から福岡のどこへ行ったかご存知でしょうか。

秦氏の近畿地方の本拠は「太秦(うずまさ)」で山背国や河内国にありますが、九州の本拠は?
大和岩雄氏は「香春(かわら)」としています。
律令時代の戸籍帳によれば実に90パーセント以上が秦姓とのこと。
隋書の「秦王国」もここかもしれない。

>新羅文献には「秦氏」に関してなんて書いてるんです?

私は知らないのですが、もしあれば教えて欲しいものです。
704河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/28(土) 22:01:59
>>701

>まあ、周りからいろいろ言われても気にしないことだな。

以前みたいに気にするほどの余裕がほしい。
最近は日本と中国の往復と国内短期出張の繰り返しで、掲示板なんて余裕ぜんぜんありません。
家に帰れば家の用事や個人的な用事がやまずみだし、広東語と北京語と日本語と英語が
頭の中で錯綜しているは 中国の郊外のトイレの汚さには愕然とするわ(中国では野糞が一番清潔)
705縦目仮面:2009/11/28(土) 22:11:04
大神比義(おおがのひき)は、奈良大神(おおみわ)の強力なシャーマンで、蘇我馬子が仏教と融合
した原始八幡と帰化人勢力を利用するために宇佐に下した・・・このあたりもけっこう疑問がありますが、
ちょっとマニアックすぎるんで、もっと一般的な話をしましょう。
706:2009/11/28(土) 22:12:40
>>703
>秦氏の近畿地方の本拠は「太秦(うずまさ)」で山背国や河内国にありますが、九州の本拠は?

いま、本を開いてますが、「秦氏は山城(京都府)を拠点に...」とありますね。
一族は近江ンお愛智郡、摂津などに分住...」
以前、九州中津市の「三角池」を少し調べたのですが、この近辺に住みついていたよう。
707:2009/11/28(土) 22:15:55
>>704
へえ 忙しいんですね。
中国のトイレってそんなに汚いんだ・・・。
んで、トイレを使わなかったと・・・w
708:2009/11/28(土) 22:20:01
>大和岩雄氏は「香春(かわら)」としています。
>律令時代の戸籍帳によれば実に90パーセント以上が秦姓とのこと。
>隋書の「秦王国」もここかもしれない。

ああ、思い出した。
以前(前前スレらへん)で誰か書き込んでましたね。
秦氏とは新羅で多いとか・・・
709日本@名無史さん:2009/11/28(土) 22:23:26
やまずみ

710愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 22:30:16
>>706
九州中津市の「三角池」

宇佐神宮の元宮といわれる大貞八幡(薦神社)のご神体ですか・・
「宇佐神宮の元宮」というのは幾つもあるようで、香春神社もその一つ。
しかし原八幡は迷路に入りそうで怖い。
711縦目仮面:2009/11/28(土) 22:30:45
>>704
中国の「厠所」ですか。ww 日本とは向きが逆だし、まったくなじめないし落ち着かない。
712河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/28(土) 22:33:26
>>707

大都市部の外人観光客が訪れる所は綺麗に整備されてるけど、汚いのは郊外の田園地域と
山間部。
扉なんか付いていない所沢山あったし、何時掃除したかも確認できない状態
最初のころはなるべく我慢していたけど、最近は畑や田んぼでOK
小川をまたげば即席水洗トイレの出来上がりだし、機会があったら一度中国の山間部や田園地帯に行ってみるといいよ。 一部の川なんて、たぶん農薬?で色が変わっているところがあるから
713日本@名無史さん:2009/11/28(土) 22:40:08
>>701
>大神氏は奈良の三輪周辺の一族だったね、

どうした?
おまえがそんな間違ったことを言い出すとは。

大神氏=三輪氏は大田田根子の子孫だぞ。
714縦目仮面:2009/11/28(土) 22:40:47
環境面では工場廃液なども最悪で、奇形の生き物がたくさん生まれてるようですね。
715:2009/11/28(土) 22:44:15
>>710
そうです、そうです、よく御存じですね。
御池の中に三つの嶋があり、宗像の三女神が祀られている。
八幡神が現れた伝承があり、宇佐神宮の元宮といえばそうなりますね。
716愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 22:44:19
>>698
後漢書や魏志の辰韓伝によれば、辰韓は苦役を避けて秦から韓国に逃げ、
馬韓から東界の地を分けてもらって住み着いた人々とありますが・・
717:2009/11/28(土) 22:46:32
>>713
ありゃしまった・・・こりゃ失礼w
わたしもたまには間違えますってw
詳しく知ってるようでしたら、書き込んでくださいな。
718:2009/11/28(土) 22:48:41
ん・・まてよ

「元宮」という表現は相応しくないのかもしれません。
あくまでも「八幡神が現れた伝承がある地」のほうが相応しく思います。
719河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/28(土) 22:56:15
>>714
日本でも、三十年前の隅田川の臭いは最悪だったから、余り批難出来る事ではありませんが
霞ヶ浦も一時よりは綺麗になった。(笑)

高度成長故やむなしかな
720:2009/11/28(土) 22:57:02
大田田根子はチヌノアガタのスエムラ・・・はあ、どこでしょう?w
721愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/11/28(土) 23:02:34
>>720
堺市の陶荒田神社付近らしいです。
722:2009/11/28(土) 23:03:26
チヌノアガタのスエムラは大阪府堺市か、なるほど、なるほど!
>705の大神比義と話がゴッチャになっていたようです(笑)
723日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:04:41
ゾンビがいる!
724:2009/11/28(土) 23:08:22
では、少し疲れたので落ちます・・・また明日〜
725縦目仮面:2009/11/28(土) 23:21:40
大田田根子の母、活玉依媛は河内の陶津耳の娘で、大物主が夜這いしてくるので着物に糸をつけたら
それが三輪山の神社にまで繋がってて、糸が三重に残ってたんでミワと名付けられたとかなんとかです
よね。この人が確かホツマを完成させたはずで、唐松山さんが詳しいんじゃないですか。
726日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:25:00
18 日本@名無史さん [] 2009/04/14(火) 11:38:53 ID: Be:
父曰大物主大神。母曰活玉依媛。陶津耳之女。
亦云。奇日方天日方。武茅渟祇之女也。

父は大物主
母は陶津耳の娘の活玉依媛
奇日方天日方の末裔、武茅渟祇の娘とも言う

*奇日方天日方 父事代主 母活玉依姫
727日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:25:02
【福岡】 「邪馬台国は筑後地区から熊本県にかけてが有力だ」九州大学名誉教授 飯塚市で邪馬台国をテーマにしたシンポジウム
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259405413/

          /ニYニヽ
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728改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:29:16
大田田根子の母?
大田田根子の父を遡っていくと物部氏の祖の「宇麻志麻遅」に当たるはずです。
ていうことは、奈良の三輪周辺でよかったのかもしれませんね。
729ローガン:2009/11/28(土) 23:37:54
>>683
>「如淳注 在帯方東南萬里」から導けます。これ結構おもしろい話です。

その面白い話教えていただけますか?

730日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:41:06
>>728

違います。
大田田根子の祖は大国主

もしかして、大国主とニギハヤヒを同一だと信じてる人ですか?
それも間違いですから。
731改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:41:07
唐松山さんていうか、
大物主に関しては「事代主」と「饒速日」の二説があります。
ホツマで有名な池田氏によるとその正体は「事代主」としていますが、
これじゃ〜三輪山の「祭神」が説明できなくなるので、
わたしは「饒速日」としましょうか。
饒速日といえば、九州→三輪周辺?!というイメージがあるんですが、
もとはといえば「大神氏」に関する事なので、ここは「高宮系図」にある
大神比義で考えるべきでしょうね(これ以上上はない)。
と、思いますが・・・いかがかな?
732改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:43:03
>>730
二説があります

どっちかは分かれるところでしょうね。
733日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:43:10
>>731
>饒速日といえば、九州→三輪周辺?!というイメージがあるんですが、

間違いです。

饒速日を天火明命と同一だと主張してるのは当の物部氏ですが、
天火明命は丹波から降臨してきました(海部氏系図)



734日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:44:42
>>732

他方を否定するなら、相応の根拠が必要です。
物部氏も、ニギハヤヒが九州から来たなどとは、明記してませんよ?

あなたの勝手な思い込みでしょう。
735改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:45:43
>この人が確かホツマを完成させたはずで、

そうです、そうです。
続きから書いたといわれてますよね。
736日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:47:24
せめて、
大物主=饒速日としている文献を一つでも挙げてください。

勝手な憶測では議論になりませんよ。
737改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:49:34
>>734
あ〜もう、めんどくさいなww

自分の読んだ本が正しいという考えではなく、
君の周りの人は、君以上に本を読んでるはずだから、そういう知識もあるのではなかろうか。

俺から言えることは「もっと勉強しなよ」としか言えんww
738縦目仮面:2009/11/28(土) 23:53:18
あと畿内説では、この大田田根子を卑弥呼の後の男王に比定する人がいますね。卑弥呼の男弟
が崇神天皇で、卑弥呼が倭迹迹日百襲姫、そして大田田根子のあとが、豊鍬入姫命でこれが台与。
まあ、俺はこのような考え方はしないんですが。
739日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:55:21
>>737

あなたが人より多くの本を読んでると豪語されるなら、
大物主=饒速日としている文献を一つでも挙げてください。

無ければ、ただの「憶測」です。
740改め ◆qexCkQtLcY :2009/11/28(土) 23:58:40
www

さて、さて、>739さんは縦目さんに任せてw
私は逃げましょうかねww 怖い、怖いwwww
741日本@名無史さん:2009/11/29(日) 00:00:38
サイトを見ていても、大物主=饒速日として立論してる人を時々みかけて、
混乱しながら自分でも調べてみたけど、
結局、大物主=饒速日とした具体的な文献はひとつも見つけられなかった。

どうやら、三輪山で、大物主と饒速日が祀られてることが論拠らしいが、
一つの斎場に複数のカミが祀られてるのは、どこの神社でも普通に見られることです。
742日本@名無史さん:2009/11/29(日) 00:03:13
>>740

>さて、さて、>739さんは縦目さんに任せてw

縦目さんも、大物主=饒速日説なんですか?
それなら、とことん食い下がりますよ?

おそらく、あなた方は大物主=饒速日ということを自説の基礎にしてると思いますが、
前提が間違っていたら、論そのものが成立しません。
砂上の楼閣です。九州説と同じ過ちをおかしています。

743メ(寝る前):2009/11/29(日) 00:06:51
>大物主=饒速日

原付ムシさんは「香具山 」だってよw(ヘルプかな・・・?)

>739さんは人に教えて貰うんではなく、いろいろ自分で調べてみるべきだね。
んじゃ〜ホント落ち 寝ますね zzsz・・・
744縦目仮面:2009/11/29(日) 00:09:54
>>742
違います。大物主は大国主の和魂で、つまりは別人格ということかな?俺は考古学専門(今日の
上からのレスを読んでるとそうは思えないかもしれないが)で、実は系図や神社はよくわかりません。
改めさんは、こうやって人に押しつけて逃げるのが得意なんですよ。ww
745日本@名無史さん:2009/11/29(日) 00:13:35
>>744

失礼しました。
日本書紀には、大物主は大国主の幸魂・奇魂とあります。

ニギハヤヒとは当然、別人格と見るのが妥当でしょう。
746日本@名無史さん:2009/11/29(日) 00:22:22
大物主=饒速日だとすると
出雲=天孫じゃんねーwwww

それで正解なんじゃないの?
俺は出雲と天孫大差ないとみてるけど
単なる出雲系民族の流行でしょ。
747縦目仮面:2009/11/29(日) 00:26:34
ええと、後代に神道の「一霊四魂」と呼ばれるようになった、なんというか精神分析のようなものがあっ
て、人間の心は四つの魂から成り立ち、それらをさらに上位の「霊」がコントロールしているとされる。
で、それぞれの魂は、荒魂、和魂、幸魂、奇魂という名前で呼ばれ、それらを統括するのが直霊(なお
ひ)。幸魂・奇魂は和魂に含まれるともされます。

だから神道的には、大物主は大国主の別人格、それ以上はわからないです。


748日本@名無史さん:2009/11/29(日) 01:05:58
>>729
そもそもの原因は「 自郡至女王國萬二千餘里」にあります。
実際の地形に合わない記述から起こる邪馬台国論争。
岡田英弘氏はこれを司馬懿顕彰のための誇張だとしました。

如淳の注が書かれた頃、倭は「在帯方東南萬里」と認識されていたのです。
それがなぜかはわかりませんが、王莽伝の
「黄支自三萬里貢生犀」のような蛮夷朝貢を誇示する
修辞的表現のためではないでしょうか。
王莽の東夷、光武の奴、安帝の帥升。
想像だけど、卑弥呼朝貢の公式発表にもあったのかも知れない。

卑弥呼朝貢より以前の倭国は北九州のことであり、
七、一、一、一 でちょうど郡より一万里です。
残り二千里は梯雋の報告でしょう。魏の尺で。
749日本@名無史さん:2009/11/29(日) 02:18:48
卑弥呼の弟が崇神天皇ってのは決まりだろうな
750日本@名無史さん:2009/11/29(日) 02:26:50
原文に「邪馬壹国」と書かれているのになぜ「邪馬台国」と言われているのだろう。
751日本@名無史さん:2009/11/29(日) 07:08:47
>>750
その原文は日本書紀よりも新しいから
752日本@名無史さん:2009/11/29(日) 07:36:57
>>751
原文の意味を把握してから書いてくれ。
今回は見なかった事にするから
753日本@名無史さん:2009/11/29(日) 07:49:05
>>750
お前古田だろ?
その説はもう論破されてるんだよボケ!!
754ローガン:2009/11/29(日) 07:55:18
>>748
>修辞的表現のためではないでしょうか。

それを「祭典誇大宣伝説」というんですか。知りませんでした。

>卑弥呼朝貢より以前の倭国は北九州のことであり、
> 七、一、一、一 でちょうど郡より一万里です。
> 残り二千里は梯雋の報告でしょう。魏の尺で。

はい。そうですね。
ただ、司馬懿顕彰はどうかなあと思いますがね。陳寿は「じゅんきょく」とは上手く行かなかった様だし…
755日本@名無史さん:2009/11/29(日) 07:58:09
>>750昭和50年代ころ発売されたばかりのワープロで扱えない外字は蹴られたんだよ。

756日本@名無史さん:2009/11/29(日) 09:44:13
>>754
ちょっと無理矢理なネーミングでした。
如淳注はローガンさんが紹介されていたんですよ。

武帝は張華より「じゅんきょく」の言を採用なんですね。なるほど。
このとき幽州に左遷された張華の報告書によって、
幽州、馬韓が四千里だと知られていることがわかり(晋書張華伝)、
方可四千里が誇張だということになります(岡田説)。

ところで「 其六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授」について思いつきました。
唐突に理由もなく假授された黄幢。やはり毋丘倹の作戦の一環でしょう。

公孫淵討伐で明帝に訊かれた司馬懿が
「淵棄城預走,上計也」
と答えています。奥地に逃げ込み、持久戦に持ち込まれるのが最悪だと。

対高句麗も同じことで、毋丘倹は背後を押さえるため、
事前の外交戦略を展開しようとしたのでしょう。
757日本@名無史さん:2009/11/29(日) 11:02:08
>>754
岡田誇張説は却下ですよ。念のため。
758日本@名無史さん:2009/11/29(日) 11:05:02
>>754
訂正。司馬懿顕彰説却下です。無駄レスすいません。
759日本@名無史さん:2009/11/29(日) 12:50:57
痘痕も笑窪。
痘痕も一度笑窪に見え出したら、もうその笑窪は二度と痘痕には見えない。
だから痘痕が笑窪に見える前に、物事は処理しよう。
760日本@名無史さん:2009/11/29(日) 12:57:42
誇張説を考え出すまでには大変な苦労を経たのだろう。
その苦労の末やがて誇張と言う笑窪に見えてきた。
もう戻れない痘痕である現実に。
761日本@名無史さん:2009/11/29(日) 15:58:53
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
762ローガン:2009/11/29(日) 16:39:46
縦目さん、居てる?曲学さんが、昨日から吼えているんだけど。
何か情報有りますか?
763縦目仮面:2009/11/29(日) 17:27:14
うーん、御所市秋津の建物遺構ですか。布留1とかいう。このことなら情報はないです。ただ、曲学
さんが、何か性急な行動に出ないか心配ではありますね。
764日本@名無史さん:2009/11/29(日) 17:31:42
>>763
何何何?銀行強盗の計画かいな?
765日本@名無史さん:2009/11/29(日) 18:44:27
>>763
事件にならないように通報しますか?
766日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:01:10
どこで吼えてるの?
767日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:06:03
九州スレの情報では、
畿内説の敗北宣言が近いらしい。
今回の甘木での発掘結果を受けて、当地では熱くなっているようです。
768日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:07:04
やすもとさんこんばんは。朝から大変ですね。
769日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:11:44
いやあ、朝から各種の報道陣に追われて参りましたよ。
でも気分は最高!!
770日本@名無史さん:2009/11/29(日) 19:46:23
>>769
それはそれはご苦労様です。
で、今回の容疑は?
任意同行に応じたわけですね?
771日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:28:40
亀田興毅が内藤を破り新チャンピョン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091129-00000017-maiall-spo
772日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:31:57
甘木でマスコミのインタビューに答える安本先生。
http://www.tutibutai.com/images/archeology/20090416/DSC02212.jpg

やはり甘木だった・・・安本先生の予言的中。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091112-00000530-san-soci
773日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:35:10
度が過ぎるのはやめとこう。
774ローガン:2009/11/29(日) 21:37:24
>>763
そうですか。ありがとうございます。
775日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:46:51
>>738
>大田田根子を卑弥呼の後の男王に比定する人がいますね
モモソ媛=卑弥呼とすると
この説は一番しっくりくるとおもうんだけどな
卑弥呼の後の男王は血縁がなさそうだし
結局宗女 台与がたって治まったってのも
卑弥呼の出身宗族がこの男王の共立に賛成しなかったからと見れば自然だし
776日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:55:27
>>775
Wikipediaによると大田田根子は女

>神の娘大田田根子

>紀元前92年に崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占うと、
>三輪山の大物主神が神懸かりして、我を祀れば国は治まるといった。
>そこで崇神は、神の娘大田田根子を大神神社の神主にすると、平和になったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E8%BF%B9%E8%BF%B9%E6%97%A5%E7%99%BE%E8%A5%B2%E5%AA%9B%E5%91%BD
777日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:03:26
終止符スレで議論する人へ

ハイ!
三国志全文:http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/menu01.html#MOKJI
778日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:03:31
>>776
それ間違い
大田田根子は男のはず
日本書紀には特に性別に対しての表記がないけど
女性と思われるような表記はないから
男と考えられる
779日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:05:02
纏向が水垣宮とすると卑弥呼の弟は崇神天皇でほぼ間違いないだろうな
780日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:11:51
終止符スレで議論する人へ

ハイ!
影印(紹熙本):http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-02.html
ハイ!
影印(紹興本) :http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-03.html
ハイ!
漢書:http://chinese.dsturgeon.net/index_gb.html

 
781日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:14:10
>>779
弟は吉備津彦で
次次官といわれてる彌馬獲支が崇神天皇かも
782日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:33:39
大田田根子なんて人ほんとにいたのかな?出身である陶邑が須恵器生産拠点になるのは5世紀から
なんだけどね。
783日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:37:12
>>776
ひどいな。どこのバカが編集したんだ?
784日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:41:09
>>779
卑弥呼の行った鬼道というのは神道だろうし(夫を持たないと言う巫女の処女性はこの頃から?)
後の皇室が神道の祭祀を行うというのも、こういう密接した関係があったんだろうね
785日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:41:55
しかしWikiはそんなものだよ。記紀に性別は書いてないから、一時資料では不明。・・・ただし、「大神
神社成立前後史」で、>大田田根子は出雲の名族、神門臣の娘、美気姫を妻とし、大御気持命を生ん
でいる  との記述があるようだ。
786日本@名無史さん:2009/11/29(日) 22:43:35
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈
もっと、とっておきの武器が欲しいって〜?仕方ないな><

ハイ!
漢籍電子文献
http://hanji.sinica.edu.tw/index.html?
787日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:07:38
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈

ハイ!
日本書紀:http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/05/fr.htm

>>785
<日本書紀 祟神天皇条>
父曰大物主大~ 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也
788河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/29(日) 23:11:08
>>786

それ最近使いずらくなった。以前のバージョンの方が使いやすかったよ
789日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:11:39
大田田根子とは大きな根っ子つまり男性自身が大きい種馬のことだった。
それにたいして大物主の方は、明るいところで見たら皮をかぶった小さな蛇だったので恥をかかされたとあります。
大田田根子の子孫は、東国に移り住んで群馬県太田辺りで今も暮らしています。
一方、大物主の方は繁殖力が弱いので、その子孫が生き残っているとしても少数でしょう。
790日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:12:16
顔に刺青して水潜りしてる奴が奈良盆地にいるとは到底思えないのだが。
791日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:13:45
>>788 乙

さ・す・が・で・す・ね
792日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:14:35
>>787
>父曰大物主大~ 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也
大田田根子の父が大物主神 母が活玉依媛(陶津耳の娘もしくは奇日方天日方武茅渟祗の娘)
ってことだよね?
どこに大田田根子の性別が?
793日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:19:06
>>792
ハイ!
而問大田田根子曰 汝其誰子 對曰 父曰大物主大~ 母曰活玉依媛 陶津耳之女
亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也

現在語訳するもは、そちらでお願いしますm(__)m 
794日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:20:06
>>790
なぜ思えないんだ?
795河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/29(日) 23:22:38
>>791

その電子文献も文字をかなり弄ってあるから、出来る限り影印にて再度確認することを
忘れずに。

だね
796日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:35:28
ま、イレズミに関しては九州有利かもしれない。、「古事記」神武天皇東征の「皇后選定」の項に、家
来の大久米命が神武天皇の命を受けて畿内の女性に会ったとき、大久米命の「黥利目」(目尻のイ
レズミか)を見ておおいに驚かれたという記述があり、つまり畿内の女性はイレズミを見たことがなか
ったともとれる。
797日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:37:36
>>795

↓これ河童さん?
>>748>>683>>641
798日本@名無史さん:2009/11/29(日) 23:54:53
暇な人はここを読むのもいいかもしれない(お薦めではないけどw)

古田氏ホームページ
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
さて、寝よっとw
799河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/30(月) 00:23:30
>>797

違う。
800日本@名無史さん:2009/11/30(月) 03:49:49
ちょっと門外漢ですが失礼します。

考古学?になるのかな。邪馬台国や卑弥呼は。
奈良で邪馬台国はほぼ9割がたの学会の趨勢とのことですね?
そうだとしたら、考古学者は有能な人間がいないのでしょうね。
これで、研究っていえるんですからヌルイ世界ですね。

魏志倭人伝に出てくる位置・距離を示す記述が明らかに近畿ではないことは
どう処理してるのですか?
はじめから「奈良に遺跡がたくさんあるし、ヤマタイコクとヤマトだもんね」
っていうふうにしかみえないです。
特に、位置・距離・範囲を無視して、はじめから答えありきでもっていく
乱暴な手法にしか思えませんよ。

まあ、私の研究分野でも近畿(京大)の大先生絶対なとこがありましたから
正面切って反論しづらいのかなとか思いますけどね。
それか、「俺の生きているうちは正解は出ないから、多数に乗ろう」
で奈良なのかな。

まあ、この分野は金にもならないし、優秀な人間が集まるわけはないのは
わかりますがね。
ただあまりにも、乱暴で、それがまかり通る、甘い世界だなーと。

801日本@名無史さん:2009/11/30(月) 04:26:14
卑弥呼ってかわいかったのかね。超絶美少女なら興味も湧く。
復顔術ってあるでしょ?
骨格から生前の人相を復元する技術。
箸墓掘ってなんか頭の骨出たら卑弥呼の超リアル復顔模型作れ。
肌の質感もきっちり作って義眼も入れた生々しいみずみずしいやつ。
ただ出土した頭骨は当然死亡時のものだから復顔作業に当たっては
それよりさかのぼった女王即位当時の若い頃ので頼む。
802日本@名無史さん:2009/11/30(月) 05:52:25
邪馬台国「四国・徳島」説
http://www.youtube.com/watch?v=O3fHE7Kn4Qc
803日本@名無史さん:2009/11/30(月) 10:03:35
>>801
たぶんこんな感じだよ

古墳時代の巫女
ttp://www.iz2.or.jp/fukushoku/fukusei_img/008-a.gif
804日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:09:17
なんとなく、纒向で見つかった3世紀前半の大型建物跡は、
初期大和政権の崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だった、
って証拠が出て、邪馬台国は奈良ではないことが確定するような気がする。

崇神天皇は、記紀で初めて国家体制を具体的に記述されている天皇。
奈良の瑞籬宮から、大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、
従わないものを討伐させて、それらの地域に及ぶまで戸口を調査し、課役を科してもいる。

もしも、纒向で見つかった3世紀前半の大型建物跡が「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」だったら、
そんな天皇の都のすぐ至近に、同時期に、卑弥呼・壱与と2代続いた都・邪馬台国を主国とする独立勢力があるわけがないし、
もしもあったとしたら、力の差が有りすぎで、卑弥呼や壱与はルートが作れず、そもそも魏に朝献すら出来ない・・・・。
結局、畿内説の学者は、自らの発掘成果で、自らの説の間違いが証明されたりして・・・・・・・。
805日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:21:15
卑弥呼とかトヨって後の斎王でしょ。
トヨがもし豊鍬入姫だとすると崇神天皇の娘だし
806日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:32:56
>>804
>そんな天皇の都のすぐ至近に、同時期に、卑弥呼・壱与と2代続いた都・邪馬台国を主国
とする独立勢力があるわけがないし、

単に畿内を舞台に政権争いが行われてただけでしょ。
807日本@名無史さん:2009/11/30(月) 16:46:47
>>804
何を言ってるんだ?
纒向が水垣宮なら卑弥呼の弟が崇神天皇に決まってるだろ
卑弥呼はあくまで象徴としてのトップで神道の祭祀を行っていた巫女。
古代の戦乱を女がトップで収められる訳ないんだから当然実権は弟が握っていたに決まってるだろ
そしてその崇神天皇の事績はあきらかに倭国大乱を収めたとみれるものだ。

はっきりいって九州説はもう出る幕ないよ
808ローガン:2009/11/30(月) 16:59:40
>>756
>対高句麗も同じことで、毋丘倹は背後を押さえるため、事前の外交戦略を展開しようとしたのでしょう。

位宮の首級を挙げるのに協力しろ…かな? まあ、このあたりは想像するしかないですね。
私は韓地への参戦要請だと思いますがね。まあ、いずれにしても張政等の来倭は六年詔に端をはっしたものであり、
台与の代に短期間滞在し、その折、徑百余歩の墓作りを目の当たりにしたのでしょう。
809日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:34:52
>>804

トヨ=豊鍬入姫は初代斎宮。
マキムクは邪馬台国であると同時に、崇神天皇の都・斎場でもある。

記紀と符号が強まってるのに、崇神天皇の話題がテレビで聞かれないのが不思議なくらい。
天皇の話は放送倫理規定に抵触するのかなあ?
考古学の現場では、思ってても言わないという暗黙の了解があるのかな?



810日本@名無史さん:2009/11/30(月) 17:47:22
>>809
マスコミが売国奴の巣窟だから
811日本@名無史さん:2009/11/30(月) 18:01:13
>>807
卑弥呼は御真津比売命だと?????

まず、倭国大乱は卑弥呼が女王になる前に起こった出来事で、
卑弥呼が魏に朝貢した239年には既に収まっている。

崇神天皇の即位の前には戦の記述はなく、
また邪馬台国には税もあり、納めた税を、入れる倉庫もある。
そして、卑弥呼の死後には一度は男王を立てたが、結局、
壱与という一族の娘を王としており、
壱与が最後に文献に現れるのは、266年だ。

即位後の崇神天皇10年の四道将軍の派遣を倭国大乱だとするならば、
崇神天皇11年4月、四道将軍が地方の賊軍を平定させて帰参、その様を奏上した後に
卑弥呼は女王となったことになり、のちの壱与が女王になった際の混乱の経緯が
何も記されていないのはおかしい。

畿内説を提唱している学者はほぼ全て、卑弥呼は邪馬台国の女王ではなく、
大和王権の女王であったという仮説の元に理論を展開しているが、
記紀によれば、纒向に遷都したのは垂仁天皇であり、
もしも纒向が水垣宮なら垂仁天皇が遷都したのはどこだ?って話になる。

邪馬台国と大和王権が一体のモノであったとすると、
最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。
812日本@名無史さん:2009/11/30(月) 18:04:20
>>809
卑弥呼ネタなら視聴率が上がるし卑弥呼まんじゅうも売れるけど、
崇神天皇じゃ扱いが難しすぎるし、視聴率も取れないから
813日本@名無史さん:2009/11/30(月) 18:11:22
崇神天皇の記述がある程度史実に近いとすると、
崇神天皇は倭大国魂神を祭ろうとして失敗している。
これはどう解釈するんだろう?

少なくとも卑弥呼=モモソヒメ、崇神=弟王は有り得ないかな。
814日本@名無史さん:2009/11/30(月) 18:16:05
>>811
壹與が最後に文献に登場するのが266年って
それトンデモだから。
815日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:17:03
>>799 河童虫 ◆EY2wfgakAQ さん

君ら九州説のボスだよ
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
816日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:34:51
まぁ、それだけではなく、もしも纒向が水垣宮だったということになると、
魏志倭人伝で記されている邪馬台国の様子=崇神天皇の時代の様子ということになる。
つまり卑弥呼を崇神天皇と置き換えて考えても良いことになり、崇神天皇の時には、

・男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いていて、朱丹を体に塗る化粧をする。
・男は髪をお下げにして束ねて結んだだけで縫わず、木綿の布を頭からからかぶり冠はかぶらない。
・みんな裸足で、一重の布を真ん中に穴をあけて首から通した服を着ている。

・稲と麻など繊維をとる植物を栽培したり、蚕をに桑を与えて糸を紡いで、絹糸や綿糸などを作る。
・真珠や青玉がとれる。
・山は赤土。
・牛、馬、虎、豹、羊、鵲などはいない。
・温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。
・ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどもあるが食べない。
・酒を飲み、食事は竹の器を使い、手で食べる。
・会合の時、席次には、父子、男女の区別がない。
・家には部屋があり、父母、兄弟、別々に寝る。

・国ごとに市があり、身分の高い倭人が監督して、お互い、あるものないものを交換し合う。
・大人に敬意をあらわすときは、手を打ってから、ひざまずく。

・武器には、矛、楯、上が長く、下は短く、鉄の矢じりを使う木弓などをもちいる。
・税を徴収し、納められた税を、入れる倉庫もある。
・北に、一大率という指令官を置いて、諸国を監視させている。
・一大率は王の使いが魏の都、洛陽や帯方郡や韓国から帰還した時、
 また、郡の使節が倭国へ行く時に、文書とか送り物とかを点検し、
 不足や食い違いがないようにもしている。

こととなる。
817日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:45:26
つまり、纒向周辺の発掘が進めば進むほど、邪馬台国よりも近代的な都市構造の様相が強くなり、
倭人伝で記されている邪馬台国の様子とは、どんどんかけ離れていくと思うのだが・・・・。

それが卑弥呼と同じ3世紀前半という時期であることから、
3世紀前半に纒向周辺に大型の建物を複数有する都があったのは事実だけど、
それは倭人伝に記されている邪馬台国には収まりきれないほど近代的で大きいモノであるから、
卑弥呼の時代にあった邪馬台国とは別の国の都

・・・という結論になると思うよ。
818日本@名無史さん:2009/11/30(月) 19:50:34
卑弥呼って本当に人だったのかね?
819日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:02:34
>>818
卑弥呼=天照大神 だよ。
820日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:42:51
アマゾン奥地で暮らす旧モンゴロイドの子孫ヤノマミ属。
彼らこそ、邪馬台国の風俗と同じ起源の風俗、習慣を色濃く残していると見て間違えない。

http://guide.travel.goo.ne.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/01/69/lrg_10016973.jpg
821日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:53:14
>>811

>最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。

狗奴国=毛野国は、崇神のときに降伏した。
822河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/11/30(月) 20:53:28
>>815

>君ら九州説のボスだよ

いらない。君にあげるよ
823日本@名無史さん:2009/11/30(月) 20:59:31
>>820
間違えない でね

824日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:22:15
>>800
>魏志倭人伝に出てくる位置・距離を示す記述が
>明らかに近畿ではないことはどう処理してるのですか?

明らかに九州でも、その他の日本のどこかでもないな。
畿内説も九州説もそれなりに処理してるんだよ。
825日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:24:52
魏志は途中まで距離やら方角やら詳細なのに、途中からいきなりいいかげんになるな
826日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:31:59
距離と方位について言えば、
四国・徳島説が最有力。
827日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:38:31
>>825
参照した一次資料が別物なんだよ。
途中からは、いいかげんなやつが書いたものしかなかったんだ。
828日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:40:08
魏使の報告書なんて本当にあったの?
829日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:45:39
これはマジで卑弥呼の弟=崇神天皇は間違いないな
卑弥呼はやはり倭迹迹日百襲姫命、台与は倭姫命か
当然系図はいくらか誤記があるとみるが
崇神天皇から突然詳しく記述されるのも、倭国大乱を収めた人間なら当然だな
830日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:53:16
>>811
>最大のライバルである狗奴国との闘争が記紀に出ていないのはおかしい。

だから、なかったんだって。そんな闘争。

>のちの壱与が女王になった際の混乱の経緯が何も記されていないのはおかしい。

ついでに言えば、卑弥呼と壱与についても知らん顔してるのさ。
中国への朝貢はなかったことにする。のちの五王についても同じだろ?
831日本@名無史さん:2009/11/30(月) 21:58:23
>>828
さあね。そんな証拠は残ってないからね。でも、報告書ぐらい書くのが普通だろう。
それに、外交記録の記述は何をもとにしたのかって考えてごらんよ。
832日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:05:49
狗奴国は毛野国だろう
中国への朝貢はなかったことにするってのはそのとおりだな、見事なくらい一貫してる
記紀を編纂した人間、時代の人はいったいどのくらい昔まで歴史としてきっちり把握してたんだろうな
833日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:12:02
>>831
外交記録は中国に残ってるもの。おそらく魏ー晋とそのまま受け継がれた。魏使の報告書はそうではない。
834日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:30:51
魏志倭人伝にも「邪馬登国」と書かれているのに誰が邪馬台国と書き直した?
本居宣長か
魏志倭人伝には「邪馬登国」と書いてあるじゃん。
835日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:31:59
>>832
記紀を編纂した時代は白村江から立ち直り、中国に対抗できる主権国家をつくるのに必死だったろうね。
836日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:33:55
>>833
だからその外交記録は何をもとにして書かれたか考えてごらんよ。
837日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:36:40
始まりました。スペシャルドラマ 「坂の上の雲」 (2009年放送開始・全13回・各回90分)
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1259587241/
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1259543409/l50
当時の日露戦争の報道
http://www.youtube.com/watch?v=sF52fmUMW_o
838日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:42:46
>>836
倭人が中国内で行動した記録、魏朝が倭王に出した文書、難升米らを任官した文書。魏朝が郡に
使の派遣を指示した文書等々・・・これらすべて魏の朝廷内に写しが残ってると考えられる。しかし、
魏使の報告書なるものがあって、魏の朝廷まで届いたという確率はそれよりずっと低いだろう。
839日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:48:10
>>838
ふむ。では「卑彌呼以死」から「政等以檄告喻壹與」までは、
なにをもとにして書かれたんだろう?
840日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:48:45
そんな事いくら考えても答は永久に出ない。
無駄骨だよ
841愛知県民:2009/11/30(月) 22:50:58
応神・仁徳・雄略は呉と通交したとある。
書紀は南朝への遣使を隠していない。
842日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:58:58
>>839
単なる郡からの伝送かもしれない、「張政はうまくやったようです」とか。それは魏帝証書のような引用
ではないから。しかも倭人伝または魏略が書かれたのはずっと後代のこと、伝聞を総合したのかもしれない。
843日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:04:41
>>841
朝貢して柵封されたって話じゃないでしょ。
844日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:13:21
>>842
張政は「詔書、黄幢を齎し」ているんだから、一応勅使だよ。

>「張政はうまくやったようです」

でいいのか? 郡の長官として。

まあ、確かに答えは出ないけどな。好きでやってんだからいいんじゃね。
845日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:25:32
>>844
いや、魏使の報告書が絶対なかったとはいってない。ただ、伊都国に常駐するという郡使でもわかる
範囲内は詳細で、投馬国以降が漠然としてるのはやはり疑問で、ここに様々な解釈が入り込む余地が
できてしまう。
846日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:33:46
>>845

詳細とか漠然なんて、所詮貴方の主観的なもの
個人的な主観を用いても、何も解決出来ません。
書のどこに詳細とか漠然とか書いてあるのですか?
847日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:37:45
>>846
書いてないけど、各クニに関する記述の字数を比べるなどはできる。それを言うなら魏使の報告書を
含めて、書いてないことはすべて主観になってしまう。
848日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:57:00
>>847

違うだろう。
字数が多いとか少ないとかは関係ない。

「郡使がわかる範囲」とか勝手に範囲の想定したらり、「投馬以降が漠然」なんて
一体投馬の何をどう書けば漠然という文字から詳細に変更できるんだね?
投馬も情報は漠然ではなく、あれ以上あれ以下のない情報なんだよ

書いていないことを述べることを主観というのではなく、自分だけが持ってるモノサシ
を用いているから主観と指摘したんだよ
849日本@名無史さん:2009/11/30(月) 23:59:07
>>845
その疑問は当然だ。その解答として、
伊都国の前後で参照した一次資料が異なるってのが一つの解釈として成り立ちうるわけだ。
850日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:02:04
>>808
ローガンさん。ありがとうございました。
また、よろしくお願いします。
851日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:07:46
>>848
>一体投馬の何をどう書けば漠然という文字から詳細に変更できるんだね?
  投馬も情報は漠然ではなく、あれ以上あれ以下のない情報なんだよ

意味がわからないな。陳寿は(あるいは魚豢は)持ってる情報しか書けないし、投馬国に関しては
方角、日数、官名、戸数くらいしかわからない。これを漠然としていないと言い張るのはそれこそそ
ちらの主観ではないのかな。
852日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:10:07
伊都国についてはあの文字数を使わなければ100%ではないし、投馬国はあの字数で100%なんだよ
だからどちらが詳細でどちらが漠然なんていう比較はできない。
どちらも100%の情報なのさ

それとも>>847
貴方は投馬に関して何か他に情報を持っているのかな?
他に情報を持っているから「漠然」という言葉を用いたのだったら、
貴方の発言を理解することが出来るが
853日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:18:35
>>851

>陳寿は(あるいは魚豢は)持ってる情報しか書けないし

持っている情報だけを書けばいいんだよ
他にこのようなデータがあるにもかかわらず、これだけしか書かなかったというのなら
漠然と書かれたとか、簡略化して書かれたという表現を使う事が出来るが
そのデータが無い以上、持ってるものを最大限使用した。
最大限使用したのだから「漠然」ではないだろう。
つまり、貴方の頭の中で勝手のモノサシ用意しちゃうから、詳細とか漠然という比較するような表現が使用されてしまうんだよ
854日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:24:35
>>851

>投馬国に関しては 方角、日数、官名、戸数くらいしかわからない。

あなたは「〜ぐらいしか」と言ってるようだけど
他に何が必要なわけ? これとこれが抜けているとか、具体的に示せるの?
855二 ◆.L.MXSPOgc :2009/12/01(火) 00:56:14
>>沖ノ島
女人禁制だったのですね。
でも神功皇后はこれを通ったのではなかったでしたっけ?

>>845
>>投馬国以降が漠然としてる
そんなこともないと思うのですが。
私の説では、けっこうちゃんと書いてあることになります。

↓久しぶりの宣伝w
http://yamat-2007.blogspot.com/
856日本@名無史さん:2009/12/01(火) 01:02:32
>>855
沖ノ島に上陸したの?横を通るだけなら問題ないけど。
つーか、神功皇后の頃から禁忌があったのか?
857日本@名無史さん:2009/12/01(火) 03:50:30
>>821 >>832
毛野国・・・つまり、3世紀の関東に、邪馬台国と張り合えるほどの強大国の存在について考古学会はきわめて否定的だよ。

858日本@名無史さん:2009/12/01(火) 03:55:14
>>829
倭迹迹日百襲姫命は崇神天皇のひいじいちゃんの孝霊天皇の娘だぞ?
崇神天皇にはねえちゃんも妹もおらんよ。
859日本@名無史さん:2009/12/01(火) 05:04:31
>>857

テレビ東京の歴史ミステリーって番組で、古代関東の王国の特集やってたよ。
860日本@名無史さん:2009/12/01(火) 06:59:50
test
861愛知県民:2009/12/01(火) 07:50:30
崇神が中国に朝貢したなら、仁徳のように逆にするか、
雄略のように交易記事として書けばよい。
そんな記録が無かったのでしょう。
862日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:33:17
>>858
系図はいくらか誤記があるとみるといってるだろ
魏志の記述が間違ってるか系図が間違ってるか・・
いずれにしろ纒向=水垣宮=邪馬台国、崇神=倭国大乱を鎮めたってのは間違いないんじゃないかな?
863日本@名無史さん:2009/12/01(火) 08:42:23
卑弥呼が君臨すれども統治せずの象徴国王か、宗教指導者であり、
実質的な王が別に居て、その王が後に天皇認定されている可能性もあるのでは?
864日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:00:09
>>863
もちろんそうだろう
常識で考えて戦乱の古代社会で女がトップに立ってリーダーシップを発揮し戦乱を収めるなんて不可能だ
ましてや卑弥呼はただの巫女なんだし
初めは象徴としてのトップである卑弥呼や台与が行っていた神道の祭祀をそのうち天皇が兼ねるようになったんだろうな
実権は一貫して弟が握っていたが魏の使者が巫女というものを理解できず女王としてしまったと、そんなとこか
865日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:20:37
>>858
百襲媛が巫女の長のような地位に着いたときは弟の孝元天皇が政務を執っていたのかも
卑弥呼は年長大にしてとあるから 死んだときは執政していたのはその弟の子孫の崇神天皇だったのかも
866日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:22:20
色んな可能性があるということだね。
867日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:44:11
>>855見たけど、いろいろ変な情報が錯綜した結果があの行程記事だ、というわけですね。
しかし、出てきた結論を見ると、首を傾げざるを得ません。
郡から邪馬台国までが水行10日、陸行1月だとのことですが、
実際に、郡から洛陽まで卑弥呼の使いが、239年6月から12月までの6ヶ月かけて行ってるんですよ。
水行6ヶ月が2400kmだということは、水行10日はわずか130kmです。
これに陸行1月を加えても、これを現在のソウルにあった郡から邪馬台国までの距離だとすれば、
邪馬台国は朝鮮半島の外に出られなくなってしまいますよ。
868日本@名無史さん:2009/12/01(火) 09:57:23
>>855
かなり恣意的ですね。持説に甘すぎ
869日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:24:51
畿内説だとしても、「女王国連合の南限」にクナ国があるんだから
クナ=熊襲ではいかんのですか?
女王国の元々のお膝元で貿易の要所である北部九州が圧迫されてるとか
870日本@名無史さん:2009/12/01(火) 10:35:29
>>869
たとえば昔の日本地図なんかをみてみるとみごとに九州が一番北で本州が南に向かって伸びてる
倭人伝を編纂したとき当時の地図に従って行程を記述したとすれば畿内の南が関東になる
地図ってのは時代が下るにつれて正確になることはあっても狂っていくことはないから当時の地理感覚
は今の地理感覚とはまったく違ったものだったはず
871日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:15:35
>>870が言ってる昔の地図が、何時の時代の地図かはわからないが
時代を遡れば遡るほど
位置がズレてくるなら、今と同じ感覚の時代が存在してもいいことになる。
方位なんて、最大ズレても359度以上ズレる事はない。
360度ズレてたら、ズレてる事すら気付かない。
872日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:23:21
しかし、崇神天皇の時代って、昔はもっと後(4世紀半ば?)のことって
話になってなかったっけか
873日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:32:42
>>871
>今と同じ感覚の時代が存在してもいいことになる

なぜそうなるw
もしその地図が完璧な整合性をもってればそこから変わることなんかないだろ
改善の余地があるから変わっていくんだよ
874日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:46:34
>>873
改善の余地なんて現代感覚だよ
改善の余地で修正された地図が90度ズレてる場合は、それ以前はもっとズレているわけだよ
875日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:49:49
http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/kotizu/nihonzu/d_nihonzu01.html
これは奈良時代の地図の写本だが確かにさかさまだな
時代がさかのぼってこれより正確になるなんてことはないだろうから
今の地理感覚で議論しても永遠に答えなんて出るわけないわな
876日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:56:22
>>874
君は時代が下るにつれ日本の地図が一回転したとでも言うのかい?
どんなにずれても180度以上ずれようがないだろうがw
3世紀の人間が今とほぼ同じ日本地図を皆頭に描いていたと思ってるのかい?
877日本@名無史さん:2009/12/01(火) 11:57:33
>>375
その認識は違うよ

古代に於いて、現代に近い近い地図認識があっても、次の世代にそれを否定する考えが生まれれば
現代から見て間違った地図が描かれる。しかし、その時代はそれが正しい見方だった。
そしてまた次の世代が、次の世代の認識で地図を描く。

答の用意されていない時代とはそういう世界だよ
878日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:05:05
>>877
否定した考えってなんだ?
測量技術なんて進歩することはあっても後退することなんてないはずだが、そういう例を教えてくれるか?

で、君は3世紀の人間が今とほぼ同じ日本地図を皆頭に描いていたと思ってるのか
879日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:06:35
どう考えてもあの時代に正確な地理が分かるわけがない。
あのころに車が走っていたというようなもんだ
880日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:08:59
中国の地理測量技術が飛躍的に発達したのはヨーロッパからの技術輸入。ずいぶんあと。
881日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:14:20
おれもこの辺はいつも疑問に思っていた
倭人伝に書かれている行程をなぜ現代の地図でああでもないこうでもないと言ってるのか?
そしてそのまま計算すれば九州越えて海の上だってのに解釈がどうのと・・
当時の地図が今と違ってたと見るほうが合理的だよな
>>875の地図を見てなんか納得できたわ
882日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:15:11
何をトンチンカンな事を言ってるんだ
今見比べられてる地図が、全て測量技術の進歩に平行して書かれた地図と言う保証があるのか?
ある地図は、当時の最新技術で描かれたかも知れないし
あるものは、何かの文献から読み取った地図かも知れない
そんな根本的な統一性もない地図を、ただ年代順に並べる事に何の意味があるのかな?
正史のように、王朝交代毎に書かれたものではないだろう。
比較の仕方が間違っているんだよ
883日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:18:51
>>882
あの時代に地理的な測量技術もってるはずがない。地理測量は建物とか
墳墓とかの設計とはくらべものにならない
884日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:27:18
>>883
だったら尚更地図を年代順に並べる作業は愚かしい。
885日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:30:07
>>884
魏時代はさらにいいかげんなものであることは間違いない
886日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:32:24
>>875
この地図、上が北だって書いてあるの ?
887日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:34:36
まあ当時の人間の頭に現代の地図が浮かんでるなんてことはありえないわな
当時の地図は当時の常識。
仮に倭の部分が想像で描かれたようなレベルだったとしても歴史書に
そのまま進んだら海に出てしまうような記述は書けるはずがないからな
まあ>>875に近かったんだろうなぁ
888日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:35:36
889日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:38:13
書いてない。
890日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:39:58
>>886
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/75/KangnidoMap.jpg
この日本部分は>>875の元の行基図を参考にして書かれた地図らしい
891日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:40:42
しかし、この度の宮殿の復元模型は、あまりにも伊勢神宮内宮を意識し過ぎてはいないかね?
892日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:50:21
>>886
古いものは北をさし、新しいものは東西になってる。つまりあとの時代の方が正確だ

893日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:53:05
>>892
どちらも正確です。
書かれた時は、それが正しいと信じて書いたものですから
894日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:55:46
>>892
それは後の時代に方角を調整しただけの話だよ
当時は>>875という認識だったろう
895日本@名無史さん:2009/12/01(火) 12:57:00
んじゃ、おもいっきり畿内じゃねーか!
896日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:16:41
はじめから、畿内だという話だったが?
897日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:32:03
行基の時代に東西と南北の認識がズレてたみたいな説を出してるけど、五畿七道制度はどう考えるのさ?
九州は西海道だぜ?
関東は東海道だぜ?
898日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:33:14
三角測量の技術なかったら正確な2点間の距離なんて無理
899日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:36:49
>>897
中国との位置関係はそれとは関係ないのでは?
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2008/05-1.jpg


900日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:39:40
古代の日本では地図は西を上に書くのが普通だった。
古代の中国では地図は北を上に書くのが普通だった。
古代中国人は日本から送られた地図を見て、
西と北を誤認して中国の地図に写し取った。

と、いうこと?
901日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:49:18

2点間のまともな距離と方角わかるようになったのは昼も夜も包囲が分かる
コンパスと三角測量が行われるように
なってからだろ。それまでは「道」中心
902日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:55:22
>>862
うーん・・・・、いくらなんでも、ひいじいちゃんの娘を姉とか間違うかなぁ・・・・・。
医療が進んで寿命が延びた現代ですら、ひいじいちゃんが生きている人なんて、
そうそういないし、時間がズレ過ぎているんじゃないだろうか・・・・。

そして倭国大乱だけど、倭国大乱はそれまで代々男王が納めていた倭が、
女子を王にすることで収まったという話だから、それがもし、崇神天皇なら、
崇神は負けて王位を降りたという話になる。
そして卑弥呼の死後、再び男王が復活しようとしたけど、誰も従わずに、
結局、王はその後、女子の壱与にも引き継がれている。
そして、その誕生の経緯には、魏も深く関わっている。

崇神の四道将軍派遣は、天皇勝利・福島から北九州までに及ぶ、広範囲を勢力下に措いたという、
天皇の完全勝利のストーリーだから、倭国大乱とオーバーラップするのはどうかなぁ・・・・。
むしろ、出雲神話の国譲りのほうがしっくりくるんだけど・・・・。
903日本@名無史さん:2009/12/01(火) 13:57:17
つまり、
天皇が出現する神武東征前までの出来事は、
北九州から畿内までの当時の日本=倭を納めていた出雲の衰退と、
その後の実権を握ろうとする畿内・北九州勢の覇権争いを描いたモノ。

覇権争いは、畿内勢力が大国主命を取り込み、改革の名の下に組織を変更しようとしたことから表面化し、
その後、それに対抗して北九州勢が大国主命の息子を取り込んで、北九州勢が勝利し、
卑弥呼の孫を派遣することで出雲を手中に収め、倭の実権を握る。
これが倭国の争乱。

そして北九州勢の女王・卑弥呼の死後、再び、畿内勢と北九州勢で倭の覇権の綱引きが始まる。
しかし畿内勢が出雲を蔑ろにしたのが原因で、肝心の出雲のカムヤマトイワレヒコが北九州側になり、
近畿勢は逆賊とされて討伐され、再び近畿勢が勢力をぶり返さないよう、
神武天皇となった出雲のカムヤマトイワレヒコが畿内に留まった。
これが神武東征。

そして神武天皇の死後、今度は、出雲の血を引く神武以後の畿内勢と、邪馬台国の血を引く北九州勢の覇権争いとなり、
最終的には出雲の血を引く畿内勢が勝利し、倭の国の実権を握り、倭から日本へと変化する。
これがタギシミミの反逆。

なんじゃないかな。
904日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:05:02
>>901
地図に関して言えば、当時は道具はほぼ、なにもなかったろうから、
東西南北の感覚は、移動の際に最も重要で、よりいっそう優れていたんじゃないだろうか。
倭国への行程のみならず、どんな移動でも、
距離感は間違っても、目的地には着くけど、南を東と間違えば、目的地には一生着かないからねぇ。
つまり、「ここから東に行け」と言われたら、万人が万人、全て同じ方向に向かって歩き出す
現代の東西南北とあっているかどうかは別として、ある方向を指して、
これは東西南北のどちらの方角か、と訪ねると、みんな同じ答えを言う。
みたいに、東西南北の感覚は、共通のモノだったと思うよ。

905日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:07:10
>>904
中国には南を知る道具が存在した。
906日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:10:52
>>904
>南を東と間違えば、目的地には一生着かないからねぇ。
いくら200Kmで走れといわれても新幹線がないと無理だろ?
技術ってそういうもんだと思う。

外国の場合は案内役がつくからあまり関係はないかと。魏にとって倭は直接の脅威はないし。
何百回も往来してたわけじゃないだろう。
907日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:12:51
陳寿の三国志って地理志ないし、ほとんどが出来事とか人口とか歴史中心で地理には
無頓着だったのかも。
908日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:20:03
>>892
男王が納めていた倭が、女子を王にすることで収まったというのはあくまで魏の認識だろ?
一方日本側の記録ではその時代に女が王になった記録などない
卑弥呼は神道の祭祀を行う巫女であくまで形式的なトップで大王は一貫して崇神天皇だったんだろう
魏の使者が巫女というものを理解できず女王と判断してしまったとみるべきだと思うが
909日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:20:25
>>906
だからそれは、距離の話だろっての。
方向は、新幹線が無くても、200キロで走らなくても、目指すことは出来る。
そして、当時は、東に行けといわれれば東に、西にと言われれば西に、
皆があっちだと同じ方向に向かって歩き出す東西南北が並列感覚が当たり前だった。

その感覚をもって行程を歩く?行くんだから、距離は?だけど、方角はほぼ正しい・・というか、
ある一定の閾値で書かれていると思うよ。
910908:2009/12/01(火) 14:21:08
アンカーミス
上のは>>902宛ね
911日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:23:32
>>908
それならば、卑弥呼に対する記述より、その弟に対する記述が多く書かれているはずだよ。
現代でも、日本に来る外国の使節は、もちろん天皇にも拝謁するけど、
実務を話し合うのは総理大臣だし。
912日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:25:28
>>904
古代のほうが地図が正確とかないわ
正確な地図があるならそこからズラす必要なんかないんだから
913日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:26:30
>>911
それは現代の常識でしょ?
914日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:31:35
>>911
だから政治の補佐は弟が行っていたと書いてあるだろう
魏が卑弥呼をトップと認識したなら卑弥呼をメインで書いてもおかしくない
ってかマジで戦乱真っ只中の古代国家で卑弥呼が指揮を執り倭国大乱を収めたと思えるか?
しかも卑弥呼はただの巫女だぞ?それなら当然実権は別にあったと見るべきで纒向が水垣宮なら
当然崇神がでてきておかしくない、それどころか崇神の功績を考えればまさに倭国大乱の平定と
大和王権の確立ときてぴったりだと思うが
915日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:32:04
>>913
いやいや、倭人伝でも、同じだよ。
たとえば伊都国。
ここは、伊都国の王と、卑弥呼が派遣している役人がいることが記述されているが、
役人に対しては、官・副官の氏名が書かれているけど、
伊都国の王に関しては、代々いるけど邪馬台国に属しているとしてしか書かれていない。

もしも邪馬台国が伊都国と同じような二重構造で有れば、実権のない女王に対しての記述よりも、
実権があり、全面に出てくる弟の記述が多くなってしかるべきだよ。
916日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:33:51
>>914
自分の変わりに卑弥呼を王にすることが、大和王権の確立とは思えないよ。
917日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:37:15
>>916
卑弥呼を王としたなんて誰が言ってるの?
卑弥呼は神道の祭祀を行う象徴的な存在だろ
918日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:42:52
女子を王とすることで平定したというストーリーから、
倭国争乱が伝聞されているとすれば、それは、大国主命がアマテラスに国を譲ったという、
出雲神話のほうがピッタリ来るよ。
919日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:45:09
>>912
君の正確な地図とは、現代の地図と比べているのだろう?
そんな未来の地図と比べて何か意味があるのかね?
当時書かれた地図は、当時あれが最高に正確な地図なのよ。
今の地図が現在知る限りでは正確な地図のように。
920日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:46:26
>>917
その年の十二月、皇帝から倭の女王に詔が下される。

倭・邪馬台国・崇神が、卑弥呼を王だとしていなければ、
魏も卑弥呼のことを女王とは呼ばんだろ(笑)
921日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:46:30
>>9
中国のサイトでは三国志中の1里を298.65mて書いてたし、
こういう論争と無関係な日本人は600mと書いてたな。
922日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:48:22
>>920
ひめこさまとでも呼んでたと思うけどな
923日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:52:08
当時は実務をこなす男王より神事を司る女王のほうが
重要視される、王権<神の時代だったのでしょう
924日本@名無史さん:2009/12/01(火) 14:57:47
>>875の地図を見るとおおむね日本の形はよさそうなので、この地図を紹介した人が間違えたんだね。
だって、昔から太陽は東からでて、西に沈むんだから、東西方向は間違えないでしょう。
925日本@名無史さん:2009/12/01(火) 15:02:56
まだ中央集権体制がしっかりしてなくて連合政権の形が
不安定だったのかもな。
で、象徴としての卑弥呼が必要になった。
926日本@名無史さん:2009/12/01(火) 15:18:39
>>924
日本にいるかぎり、太陽が真東から昇ることはありえない。

日中、時計が無い状態で、東西南北を正確に言い当てるのも不可能。
927日本@名無史さん:2009/12/01(火) 15:38:31
>926
定点観測すれば、ほぼ正確に出るよ。
移動しながらでは難しいだろがね。
ただ、人間の感覚は馬鹿にならないと思う。
現代のように機器に頼り切った人類と、
古代のような何も無い時代の人々では、
方向感覚、距離間隔もかなり差があると思う。
928日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:11:58
女王卑彌呼とは誰だったのか?
又、邪馬壹國とは何処にあったのか? 古代最大の謎に挑む!
929日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:45:17
>>915
その必然性は全くないと思う。中国の歴史なんて帝紀なんだから位が高い倭国の代表者
である王が中心になるのが当たり前。陪臣よりは王の皇帝に対する振る舞い方が中心になる。
クナ国でも王のことしかかいてないでしょ
930日本@名無史さん:2009/12/01(火) 16:45:28
あなたが今いる場所も邪馬台国と言える!
ただ卑弥呼がいた場所の特定。この最大の謎に挑む!!
931日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:44:48
>>919
あのね、君の主張をみんなに認めさせたいならその正確な古代地図とやらを出さなくちゃ話にならないだろう
測量技術がない時代は正確な地図があったwとかいうトンデモ論なんてよ
932日本@名無史さん:2009/12/01(火) 17:59:37
>>920
だから象徴としてのトップだといってるだろ
象徴でも邪馬台国がそういえば魏は卑弥呼を女王と呼んでも不思議はないわ
巫女が本気で国家運営してたと思ってるのか?
現実に日本側の記録にその時代に女王はいないんだぞ?
933日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:28:59
904は古代人が距離は間違って方角は正しいと言ってるのに
いつのまにか古代人が正確な地図を持ってたかのような主張にすりかえられてるな。
さすが畿内説論者はやることが汚い。
934日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:39:08
んじゃ、それより古い方角のあってる地図を出せればいいんじゃね?
935日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:40:45
近所に邪馬台国ってソープランドあるんだけど・・・
936日本@名無史さん:2009/12/01(火) 18:51:16
てか地図ってのは一番の大元はまずだれかが想像で描く物だろ?
その実際とは似ても似つかないものを必要にせまられ測量によって段々と正確になっていくものだろ
島の数をあわせていき方角をあわせて、、と、で>>875の地図はその途中段階なわけじゃん
魏の頃の倭の地図なんて想像で描かれた段階みたいなもんだろうからもし古代人が東西南北わかってようが
当時の地図にあわせて行程を記述すれば方角だって変わるのが当たり前だよな
937日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:01:59
そもそも南が暖かいという概念さえ無かったんじゃないか?
地球が丸い事も知らないんだしw
938日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:06:03
>>933
だからその正確とは、一体何と比較してるの?
939日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:29:48
そもそも九州が西海道で畿内南部が南海道って
おかしいだろう。
明らかに九州の方が緯度で南にあるし
ごく近代まで方角多少ずれてたって事だろう。
940日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:38:59
そろそろ終止符に終止符を打ったらどうだ?
シナ歴史書の以下のことが日本と完全に符合するとでも本気で思ってんの?

建武中元二年(57年) - 倭奴国が金印を授与される。『後漢書』
永初元年(107年) - 倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
倭国、男性を王とした七、八十年
桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。『後漢書』
光和年間(178年 - 184年) - 卑弥呼が共立され、倭を治め始める。『梁書』
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
正始四年(243年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
正始六年(245年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
正始八年(247年)、またはその直後
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千余人が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹與」を十三歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
女王位についた壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
泰始元年(265年 - ) - 倭の遣使が重ねて入貢。『晋書』邪馬台国からの最後の入貢。
941日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:42:01
>>937
てか「方角」の概念を持ってる日本人(と便宜的に言うが)がいたかどうか。
942日本@名無史さん:2009/12/01(火) 20:54:04
>>940
中国の古文書も日本の古文書も鵜呑みにしてはならないでしょう。
卑弥呼が90歳まで生きたというのは、さすがに嘘ではないかと思うし、
古代の天皇が、100歳以上の長命を誇っているのもどうだろうか。
宮内庁が陵墓にしている箸墓古墳などを全面調査して、仮に決定的なものが出土した場合は、
日本の古代史が大きく姿を変える可能性もある。
でも、その日は来ないかも・・・。
943942:2009/12/01(火) 20:55:54
している×
指定している○
944日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:03:27
>>942

この話は永久に符合しませんよ(永久にわからないまま)
なぜなら、卑弥呼擁立の元が倭国大乱だからです
日本史上最大の内乱は壬申の乱
672年ですよ
卑弥呼以前に、この倭国大乱の事実が日本側にないですよ
945日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:27:08
記紀の時代には、数百年前の卑弥呼時代には斎王の権威が
大王より強かったとは想像できなくなってたんでしょう。
946日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:31:09
>>942
倍年暦なら当時の常識的な寿命だろ。
逆に百数十歳以上の記録もないわけだし。
でたらめな寿命なら500歳、1000歳もあってもいいはずだがそれはない。
947日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:43:16
>>929
クナ国は、王が実権を握っていたと考えるのが自然。
伊都国の例でもわかるとおり、卑弥呼が象徴で、交渉や渉外は別の者を通さなければ
何も出来ないので有れば、弟の記述が必ずあるはず。
ただ、政治を助けているという話しか出てこないのは、弟は邪馬台国で、
それぐらいの存在だったと言うことに他ならないよ。

>>932
だから、崇神天皇が自分の変わりに卑弥呼を王にすることが、大和王権の確立とは思えないと言っている。
948日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:49:25
>>946
それはどうだろうか?
記紀が書かれたときに、90歳とか、100歳とかっていうのは、
ほぼあり得ない寿命だと思うんだけどな。
今の時代で言えば、「ウチのご先祖様は200歳まで生きてた」と言うようなもんじゃないかな?
かなりデタラメというか、あり得ないのを承知で書かれていると思うよ。
949日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:56:19
もう一度言うぞ
(146年 - 189年) の倭国大乱と
(178年 - 184年) の卑弥呼共立と後の13歳の女王誕生を日本史に符合
させよ
切り離しは認められない、シナの歴史書を元にした話のなのだから
(答え)それは無い
950日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:57:33
この異様な長寿は、神からだんだんに人に近づいていく過程を表してるのだと思うけどね。旧約聖書でも
アブラハム175歳、イサク180歳、ヤコブ147歳。ちなみにエデンを追放されたアダムは930歳で亡くな
てる。初期の天皇たちも、いまだ神としての属性を強く残してるのではないかな。
951日本@名無史さん:2009/12/01(火) 21:58:09
>>949
出雲神話の大国主命のアマテラスへの国譲り。
952日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:05:40
記紀は歴史書だから伝わったとおり書くだろ。そうじゃなければ海に棒を突っ込んでまわすとクニができたり
剣を叩き割って水を吹き付ければ女の子が生まれたり、なんていくら記紀の時代だって書くわけがない。
すこしは考えてものを書け。
953日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:09:01
中国の正史である『三国志』や『後漢書』によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、古代日本は、出雲を中心とした、
九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。

何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。

結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣して出雲を手中に収め、「葦原中津国」=日本の権力を握る。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。

アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王としたため、再び北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。

このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
954日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:09:09

ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)が育てる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに畿内攻略に乗り出す。
畿内勢力が果敢に抵抗し苦戦するが、結局勝ち、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征・天皇の誕生

神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆・大和王権の始まり・日本の誕生。
955日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:16:22
>>952
記起は、中国の伝統的な創世神話の影響を強く受けており、
日本が国家としての体裁を整えるに当たり、急ぎ編集する必要があった事が窺える。
956955:2009/12/01(火) 22:18:04
記紀○

957日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:19:47
>>955
kwsk
958日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:25:38
アマテラス?
それはシナ歴史書にないですよ
神話を実在として持ち出すのですか?
なら、アマテラスの両親はイサナキ・イサナミですよ
彼らの実在の位置づけは?
959日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:40:54
>>957
例えば、イザナギが左の目を洗うと天照大神、右の目を洗うと月読尊、、というのと、
中国の創世神盤古が死んだ時、左目が日に、右目が月となったとか。
960日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:50:57
>>959

そんな話、日本の記紀にはない
961日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:52:27
つうか、日本から中国に神話が伝播した可能性も考えるべきである。
962日本@名無史さん:2009/12/01(火) 22:56:47
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!42
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1259674044/
963日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:07:56
イザナギとイザナミ、フクギとジョカが、何れも柱の周りをグルグル回って結婚する点が共通。

ある一定のパターン(中国の神話)に従って神話を作った可能性が高い。
964日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:07:59
>>867
>実際に、郡から洛陽まで卑弥呼の使いが、239年6月から12月までの6ヶ月かけて行ってるんですよ。
>水行6ヶ月が2400kmだということは、水行10日はわずか130kmです。
>これに陸行1月を加えても、これを現在のソウルにあった郡から邪馬台国までの距離だとすれば、
>邪馬台国は朝鮮半島の外に出られなくなってしまいますよ。

これは正論だね
二さんの反論が楽しみ♪
965日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:13:23
>>899
その地図は最近のだーw
966日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:14:04
記紀は慎重に扱え九州説のカス共!
アマテラスなんて神代は伝説だ
後で幾らでも作り話にしてる可能性がある
実在の根拠もなにもない。

ダブスタ変態、九州妄がw
967日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:27:01
二 対 卑狗摸古(本物)やりあってるのは分かるが
レス読むのめんどいよ〜w

誰か代わりに・・・ww
http://www1.atchs.jp/most/
968日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:27:33
>>964
結果見えてね? 二さんの反論待つまでもない。
969日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:28:46
美濃もん太くん見てる?

↓どう思うよ?コメント宜しく
http://www1.atchs.jp/most/
970日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:32:08
>>967

卑狗摸古(本物)というコテさんに見覚えありませんか?
たぶんこのコテさんは、別のコテにてあっちこっちに顔を出していますね
971日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:32:25
ジャッジの3人を呼ぶしかないかな(改め、太国、愛知県民)

972日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:39:45
>>966
磐座学会の論文↓

ttp://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/miwayama.html

> 私の考えでは、神話や伝承はまったくの空想の産物ではなく、ある実態をベースにして創作されている。

このような考え方は造作史観の津田左右吉を根本的に批判しているものであり、
田中卓、上垣外憲一らが展開しているものでむしろ現在の主流となりつつある。
973日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:42:12
>>947
なぜ思えない?現に今の天皇は神道の祭祀の長なんだがそれは神道の巫女が形式的に大王の上にいてその役割が天皇に
吸収されていった証拠だろう?
974日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:42:50
>>971そんなことするなよ

もし卑狗摸古(本物)というコテさんに不利な判定下ったら
絶対にファビョりだすから
それじゃなくてもプライド高いコテさんなんだから
そっと見守っててあげなよ
975日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:51:16
>>974
その発言がすでにプライドを・・・

キミがお守りしてあげなよ。あそこは、
ファンタジーの三重奏を聴きながら発掘に取り組むキミのサロンじゃないか。
976日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:54:59
なになに・・・http://www1.atchs.jp/most/

卑狗摸古(本物)> 君には気の毒だが、私の検討はまだまだ続く。

ニ       >これだけを考えても、まったくの空想の産物、机上の論にすらなっていない、出来そこない
         
卑狗摸古(本物)>書いてないことを(幻を)見ているのではないか?

ニ       >それは縄文人のほうでしょう。

卑狗摸古(本物)>うわっははは。ひ〜っひひひ。君がそれを言うか?笑いが止まらん。くっくっく。

ニ       >とことんバカですね。あなた。頭の悪い方と話していると気分が悪くなってくるのですよ。

卑狗摸古(本物)>もとより私の相手になれる器ではなかった。
         君と私では役者が違うのだ。相撲で言えば君は新弟子で私は横綱だ。

ニ       >低知能な人間だということが良くわかりました。

改・太・愛   >うーん・・・・
977日本@名無史さん:2009/12/01(火) 23:58:33
>>976
・・・中身で判定してあげなさいよ。
978日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:51:15
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!42
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1259674044/
979日本@名無史さん:2009/12/02(水) 00:58:38
まずはこちらのスレからお願いします
1000まで使い終わってから新スレに書き込みましょう
980日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:04:47
畿内自生説さんに質問

根拠とかあるの?
ただ想像でいってるだけ?
981謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 01:08:31
>>979
書き込みの順番間違えました。すみません。
982日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:13:02
>>981
了解
それより貴方の持説をきかせてください

983日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:17:32
帯方郡に関する仮説

つまり 邪馬台国は四国徳島と?
984日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:23:16
あと残り16
誰かさん片づけ宜しくーおれねる

985日本@名無史さん:2009/12/02(水) 01:29:48
イザナギが左の目を洗うと天照大神、右の目を洗うと月読尊、、というのと、
中国の創世神盤古が死んだ時、左目が日に、右目が月となったとか。

日本神話?
986謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 01:39:40
>>982
私の考えは畿内説を中心とするものです。
それがマキムクか或いは、それ以外の場所なのか分かりません。
しかし魏志倭人伝に登場する一大率が北九州地域を監督
する立場にある以上、邪馬台国九州説は無理があると思うのです。
そこで九州説の根拠となる帯方郡から女王国まで1万2000余里ある。
が朝鮮の帯方郡からの計算では北九州以外に考えられないのですが、
一方水行10日と陸行1月の記載と今度は矛盾するので、
矛盾しないような解釈はできないかと考えたわけです。
987謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 01:45:53
>>983
福岡、徳島間が12000里の計算と合致するなら
可能性はあると思います。
988日本@名無史さん:2009/12/02(水) 03:15:28
測量技術のない古代人が適当に里数を決めただけ。

里数を考えることに意味はないと思うね。

989日本@名無史さん:2009/12/02(水) 03:19:25
で、これが確たる証拠!
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
出雲を中心に本州の渡来形質が広がっている。
九州中南部は日本でもっとも縄文系の形質。

古墳時代で比較せよ。
渡来人が出雲を中心に関東東北に広がっている
だが九州では筑前、豊前以南には殆ど広がってない。
日本で唯一縄文形質が残されている地域。

990謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 03:56:57
問題の箇所の原文をもう一度確認してみた。

其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國萬二千餘里

これまでの和訳:その南に狗奴国がある。男子を王としていて、狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。
          女王国には属していない。帯方郡から女王国にまで一万二千余里ある。

しかし、問題の帯方郡の箇所は自郡と記載されているだけで、自郡=朝鮮の帯方郡と解釈できるのだろうか?
自郡=女王国自身の郡と解釈できないのだろうか?
991謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 04:02:38
>>988
測量技術がないとなぜ断定できる?
万が一測量技術が無くても一里塚のような
距離の目安となるものが存在したかもしれない。
992日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:06:56
>>991
あのねえ。
だったら、どういう測量技術があったと思ってるわけよ?
993日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:10:05
>>990
自郡は、「郡より」(郡から)ということだろう。
994日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:11:20
>>803
服の模様がオサレ過ぎる
勝手に考えただろと、なぜか不愉快
995謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 04:17:23
>>992
まず可能性の問題だろう。
何の根拠も無いに勝手に無いと決め付けるのは
判断を誤らせるから聞いているんだ。
私は自分で判断できる材料が無いから。あるとも無いとも言っていない。
996日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:23:36
>>995

測量技術が無いってことを素直に認めたらどうだ?

いくら調べても、測量技術なんて見つからないぞ。
あって、歩数だな。それも海上では無理だ。
大雑把な距離感でしかないんだよ。


997日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:25:19
だいたい、自分で
>私は自分で判断できる材料が無いから。あるとも無いとも言っていない。
こんな考えでいて、里数を論じようなんてバカげてる。

というか、ただのバカだ。



998日本@名無史さん:2009/12/02(水) 04:29:33
>>995
可能性の問題なら、その後もブサイクな日本地図ばかり続いてきたことを考えろよ
山地ならともかく、海岸線の形、半島の形。測量技術の保有の是非がもっとも反映される部位であれだ。
これが根拠基準にならないなら、お前が池沼かどうかの可能性を検討した方が早いよな。
そゆこと。
999謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 04:31:08
>>998
ちょうどレス消化には良かったな。ありがとう。
1000謎を解く ◆tiaKq1jLgw :2009/12/02(水) 04:32:22
>>999
今後はスルーするけどな。
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