謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!38

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1神奈川県民
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

神秘的な女王、卑弥呼とはどのような人物か?
そして、邪馬壹國とはどこにあったのか?
日本建国と天皇家との関わり合い、日本古代史最大の謎に挑もう!
2日本@名無史さん:2009/09/19(土) 14:32:22
>>1

  __
  夕ヒ  木艮


3日本@名無史さん:2009/09/19(土) 20:59:01
>>989
黒曜石の産地では「姫島」が有名で、古代九州全土に広がった黒曜石は、
ほとんどがこの姫島伝説をもつ大分県北東部にある離島、姫島から出土されたもの
て知ってましたか?

そして、この姫島伝説をもつ「姫」を愛知県民さんは魏志倭人伝のトヨに当ててるんでしたっけ?(間違ってたらすいません)。
4愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/19(土) 21:17:45
後漢書 卷八十五 東夷列傳第七十五(倭)
桓、靈閨A倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。
有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁、事鬼神道、能以妖惑衆。
於是共立爲王。侍婢千人、少有見者、唯有男子一人給飮食、傳辭語。
居處宮室樓觀城柵、皆持兵守衞、法俗嚴峻。

後漢書倭伝の卑彌呼。年代から見て、魏志の卑彌呼とは別人と思われます。
履中から大正まで1500年間、在位50年以上の天皇は皆無であるし、
漢の倭國大亂と魏の倭國亂は別なのであろう。
七八十年は「桓、靈閨vの中央(167〜168)と魏志の年代記事(238〜247)の差でしょう。
後漢書の卑彌呼は魏志の卑彌呼より若いようだが、壹與よりは年長か。男弟はいない。

>>3
>そして、この姫島伝説をもつ「姫」を愛知県民さんは魏志倭人伝のトヨに当ててるんでしたっけ?

壹與(臺與)については分かりませんが、豊国・伊予国、狗古智卑狗=河野越智彦?の関連を考え中です。
5縦目仮面:2009/09/19(土) 21:23:22
>>999
星糞峠は確かに黒曜石産地でしたが、 >星=穿る(ほじる)から転嫁 
はどうですかね?河童さんのようです。

改めさんの、「百体神社」の書き込みはとてもよかったですよ。
6河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/19(土) 21:37:42
>>4県民さん

後漢書の卑弥呼と魏志の卑弥呼が別人説は、以前私と王朝さんが散々主張していたけど
相手にもされないほど罵倒されたネタ。
ここでは主張しない方がいいですよ

そのネタは、プライベートで組み立てた方がベストです。
7河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/19(土) 21:40:54
>>5縦目さん

「ほし」と「ほじる」の関係はありません。


「ほし」の対語は「いし」
8唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 21:44:47
ホ28106 シナノより ヨシナアガタの ヌシきたり アマテルカミの タメシあり エナこふときに
ミコトのり ハニシナヌシは ヱナガタケ ハヱシナをよび サラシナと ツマシナヌシら

上記は、孝霊時代
伊那と長野は、非常に近い関係にあった。
9日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:45:43
>>1000
>シカは豊作をもたらす霊力を持つという説があり

今ググりましたけど、いろいろと知ってますな。
シカを描いた絵画土器は奈良県でよく出土されてるんですか。
しかし、なんでシカと豊作が結びつくの?って思う。
そこのところはどうなんでしょうか。

>>4
後漢書倭伝の卑彌呼:ヒミコ様
魏志の卑彌呼:ヒミコ様とトヨ様の二人。

あれっ〜愛知県民さんは壹與(臺與)を誰にしてるんです?
以前何か言ってましたよね?

>>5
褒められたwww



10日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:48:51
>近年、炭素14年代測定法という最新の年代測定法の成果で
>朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきている。
>日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。

ここのホームページに書いてあるんだが・・・。
これらどこの遺跡のことをいってるんだろーね。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html

それと、みなさん
弥生早期と前期はどこに当ててるんでしょうか。
いつからが弥生早期?
いつから弥生前期?



中野市の柳沢遺跡は、東日本で唯一、銅鐸(5)と銅戈(8)がともに出土したことで知られて
いますが、この銅戈も畿内型と九州型が混在しており、複雑な文化背景があることが伺えま
す。つい最近この遺跡から、前1世紀と推定される、シカを描いた絵画土器が出土し、話題に
なりました。シカは豊作をもたらす霊力を持つという説があり、西日本型の農耕祭祀といえま
す。従来のシカ絵土器の分布の東端は石川県でしたが、近畿地方からおそらく北陸経由で
この地に伝わったものではないかと考えられます。



http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html

11唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/19(土) 21:55:37
河童虫 さん
>>969 の流れです
http://www.imaken.biz/sakuhin.html 
12日本@名無史さん:2009/09/19(土) 21:56:45
>>10は しっぱいw
中野市の記事は>>9に使うつもりでコピーして置いてただけW

>>6
後漢書倭伝の卑彌呼:ヒミコ様
魏志の卑彌呼:ヒミコ様とトヨ様の二人。
卑彌呼なる人物は、基本的に一人なんですよ。
当時は、今のインターネット時代とは違い
情報の電波が発信されて、届くまでに何十年か遅れたと考えられます。
魏が卑彌呼宛てに送った、詔文にしてもですが、倭の女王は卑彌呼だと思っていただけで、
実際、その詔文を送ったときの女王は、カリスマ性のある卑彌呼ではなく、
人付き合いが得意な壹與(臺與)の方です。
13縦目仮面:2009/09/19(土) 22:03:16
>>9
シカは、まあ土器やら銅鐸の絵画にたくさん出てきてますが、昔から豊作祈願といわれる
ことが多いようです。これは シカの角の生え替わる時期が稲作のサイクルと一致すること
と関連があると見るむきが多いようですね。ま、本で読んだだけです。

百体神社が卑弥呼と何か関係があるとは俺も思いません。ただ、改めさんが金銀錯嵌珠龍
文鉄鏡を紹介した、大分県日田市の(別の)遺跡からは成人用甕棺も出てますね。まあ、当
時県境などないんですがね。
 
他スレでもん太君が登場して目が離せない。ww
14日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:16:20
>>13
シカの角の生え替わる時期が稲作のサイクルと一致すること ですか。
ていうか、シカの角なんて生え変わるんですねww シカの生態なんてよくしらんw

成人用甕棺墓は「吹上遺跡」ですね。
ここらへんは、大分県中津・宇佐とか別府湾岸とは少し文化が違ってるようですね。
どっちかというと、福岡県甘木・朝倉のほうと一緒というか。
15日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:29:48
鷲崎さんのホームページ「百体神社」ですが、
彼が言うのに、社殿のすぐ裏手から甕棺墓が出土され、それが魏志倭人伝の「殉葬」と結びつくそうです。
たぶん、大分県のアノ場所から出土される甕棺墓は全て乳児用だろう。
しかも、土こう墓の成人月で家族と思われる墓場の可能性が高い。
あきらかに、結びつくわけないと思うんですけどねwww
もし、かりに、成人用男性のみの甕棺墓が集中して出土されたんなら、
歴史を塗り替えるというか、快挙と思う。
大体、何でそんなに有名になってないのかを考えたほうが良いと思うんだが・・・。
16日本@名無史さん:2009/09/19(土) 22:34:20
鹿の角は1年毎には生え変わらないだろ。年ごとに成長して、大きくなりすぎると折れたりする。
17河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/19(土) 22:42:01
>>11

了解
18縦目仮面:2009/09/19(土) 22:44:02
>>16
そうですか。シカの角は骨でなく皮膚の一部で毎年生え替わると思ってました。

>>15
百体神社という言葉自体が、なんとなくロマンがあって、オカルト仮面としてはそそられるこ
とは確かですが・・・ないと思います。
19愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/19(土) 22:59:06
>>6
河童さん
なるほど、ここでは主張しないほうがいいですか・・・

>>9
改めさん?
神夏磯媛の名を挙げましたが、壹與本人ではなく後継者の可能性もあると考え直しました。

>>12
>当時は、今のインターネット時代とは違い
>情報の電波が発信されて、届くまでに何十年か遅れたと考えられます。

意味不明。
使者が往復するのにどうして何十年もかかるのですか?
国際情勢が変化して捕まったりとか、特段の事情があれば別ですが。
20河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/19(土) 23:05:10
>>19

>なるほど、ここでは主張しないほうがいいですか・・・

はい。疲れるだけで自分にメリットはありません。
21縦目仮面:2009/09/19(土) 23:05:38
のろし実験では、北部九州から畿内まで情報は数時間で届いたとなってます。まあ、複雑な
情報はムリだし、九州ー畿内間の のろしネットワークがあったということではないんですが。
22日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:06:39
>>19
>意味不明。 使者が往復するのにどうして何十年もかかるのですか?
>国際情勢が変化して捕まったりとか、特段の事情があれば別ですが。

何十年かどうかは分かりませんが長い時間がかかるといいたかったのです。
「往復」ですが、使者や役人は海を渡ったことでしょう。
しかし、情報というのは皇帝やその周辺の耳にはいるまで時間がかかったであろうということです。
23日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:09:07
>>20
言い返せない貴方も悪いのでは?

>>21
試したようですね。
なんという実験名か忘れましたが・・・

24河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/19(土) 23:19:11
>>23
言い返す必要性なんてありません。
最初の反論内容を見れば、大概の相手の思考は把握出来るので、後はお茶濁しで十分です。
25愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/19(土) 23:28:03
>>12
>魏が卑彌呼宛てに送った、詔文にしてもですが、倭の女王は卑彌呼だと思っていただけで、
>実際、その詔文を送ったときの女王は、カリスマ性のある卑彌呼ではなく、
>人付き合いが得意な壹與(臺與)の方です。

壹與が「人付き合いが得意でカリスマ性が無い」と何処に書いてあるのでしょうか。
壹與も戦乱を終わらせるカリスマ性があったようです。
それに「人付き合いが得意でカリスマ性が無い」から「その詔文を送ったときの女王」だとどうして言えるのでしょうか。
26日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:45:35
>壹與が「人付き合いが得意でカリスマ性が無い」と何処に書いてあるのでしょうか。
>壹與も戦乱を終わらせるカリスマ性があったようです。
>それに「人付き合いが得意でカリスマ性が無い」から「その詔文を送ったときの女王」だとどうして言えるのでしょうか。

自為王以來少有見者
以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入

どうみても人づきあいが得意そうにはみえません。

しかし、三国時代の「銅鏡」といわれる三角縁神獣鏡が多く各地より出土されている。
これは、列島と大陸との関係が友好であっただろうと予想できるんですよ。
そして、
景初二年以降の外交記事でもその深い関係が記載されてます。
この当時の女王と上で書いた卑彌呼とは別人であろうことが予想されます。

「卑彌呼以死」とあるように張政等が駆け付けた時には既に亡くなってた。
これらをふまえると、景初二年以降の外交記事での魏が卑彌呼と呼んだ人物は
実際は卑彌呼宗女壹與だった。

そうしてみると、
卑彌呼さんの記事「自為王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入」
イコール、カリスマ性がうかがえる。

卑彌呼宗女壹與の外交記事
景初二年六月〜以降全てとして考えると、「人付き合いが得意」であったことが予想されます。

「壹與も戦乱を終わらせるカリスマ性があったようです。 」ですが、それはあくまでも
”壹與の血統”いわば、卑彌呼さんのカリスマ性が効いてるという見方が出来る。
27日本@名無史さん:2009/09/19(土) 23:48:13
もんたくん

河童虫さんとの議論はどうなったの?
もうおしまい?
28日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:15:22
愛知県民さん
宇佐神宮の亀山は卑彌呼の墓でしょうか。
卑彌呼の墓と主張する人もいるんですが、貴方はどう思ってるのでしょう。
29愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 00:15:33
>>26
自為王以來少有見者
以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入

これは即位後のことで、即位前は「能惑衆」とあり大衆的人気があったようです。
男子一人にのみ会ったのは倭国の統治システム上の話でしょう。
それに卑彌呼は男子一人にしか会わなくても、彼や男弟が外交を行なえばよいわけです。

>「卑彌呼以死」とあるように張政等が駆け付けた時には既に亡くなってた。
>これらをふまえると、景初二年以降の外交記事での魏が卑彌呼と呼んだ人物は
>実際は卑彌呼宗女壹與だった。

張政はそうかもしれませんが、正始元年に「拜假倭王」した梯儁らはどうなのですか?
30愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 00:22:27
>>28
私は卑彌呼は八女・山門方面にいたと考えているので、宇佐神宮の亀山は卑彌呼の墓とは考えません。
壹與の墓である可能性はあります。
ZZZ・・・
31日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:33:30
>これは即位後のことで、即位前は「能惑衆」とあり大衆的人気があったようです。
>男子一人にのみ会ったのは倭国の統治システム上の話でしょう。
>それに卑彌呼は男子一人にしか会わなくても、彼や男弟が外交を行なえばよいわけです。

「能惑衆」はそうでしょうが、「以婢千人自侍」などからは
かなりのカリスマ性が伺えるし「唯有男子一人給飲食」、「無夫婿」からは一人ぼっちというか、
人付き合いが旨いようには見えません(旨くなるはずがない)。
男弟はたんなる側近の王であり、君臨しているのはあくまでも
女王ですから、庶民もこの女王様をみてるわけです。
女王が外交上手なら大衆もそれにならってといいますか、たんなる側近の王でありが外交がうまくても
きねん名鏡がよく発見されますね、それぐらいの影響力があったか議論です。

>張政はそうかもしれませんが、正始元年に「拜假倭王」した梯儁らはどうなのですか?

梯儁らもおんなじです。
そのときは、側近の王が対応したと考えられます。
32日本@名無史さん:2009/09/20(日) 01:14:23
>>24
>言い返す必要性なんてありません。
>最初の反論内容を見れば、大概の相手の思考は把握出来るので、後はお茶濁しで十分です。

それも少しウケウリが入ってる
最近、彼が書き込んだ言葉に↓というのがある(それを少し真似して書いただけ)w

もぉー、七年になる。
一〜二回ハナシしただけで
相手のレベルと“人格”が
分るよぉーなった。

(⌒ε⌒)  wwwwwwwwww
33河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 06:57:41
>>32

返事があるだけでも有り難いと思え。
34プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 07:08:03
>>32

どうやら受け売りが嫌いなようだから
この新しいスレでは、未公開のオリジナルネタを出してやる

有り難く拝め。
35日本@名無史さん:2009/09/20(日) 07:23:00
>>33-34
おはよう
おお 頼もしいかぎりだな
しかし、内容が薄かったり、ホームページを読んだほうが早いとか言われたら
その一つ、一つのレスの価値が下がる。
いかに一つのレスにつき内容が豊富で、読んでいる人をうなずかせるというか
勉強になるといわれるようなレスを期待しているよ。
36プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 07:41:18
>>35
そんなのは知った事じゃない。
37プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:00:20
>>35
先ずは、卑弥呼と関係する人物の説明だ。

@名詞王

この王は人物や事物の名称を示す普通名詞王と、
人名、地名などを示す固有名詞王の兄弟が居て、本文にあっては主語や目的語の官職を歴任する。
中には副詞関係の役を歴任する
時間詞や方位詞の職もある。
38日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:09:31
>名詞王

魏志倭人伝には「名詞王」なる人物は登場しません。
どこをみて、卑弥呼と関係する人物したのでしょうか。
まずは、そこから説明してくれませんと始まりません。
以上、宜しくお願いします。
39プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:10:01
まだまだ関係する王は沢山いる。

名詞王の他には、動詞王、助詞王、形容詞王、数詞王、量詞王、代詞王、副詞王、前置詞王、接続詞王、助詞王、嘆詞王
等が関係する。

その他には主語職、述語職、目的語職などの役人が絡むので、これらを君の為に具体的に紹介しよう。
40プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:15:01
>>38

倭人在帯方

ほら、この中には既に名詞王が二人も登場する
「倭人王」と「帯方王」
41プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:21:17
>>38
それにこれはオリジナルだ。君の知らない世界が沢山登場するんだよ

ワハハハハHAHAHA
42縦目仮面:2009/09/20(日) 08:32:25
朝からご苦労さんです。不思議の国のアリスの、トランプの王、女王が連想されますね俺は。
43日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:35:32
>>39-40
その王がなぜ邪馬台国やら卑弥呼と関係する人物なのでしょうか?
関係のない王を持ち出しても意味がないんですよ。
ちゃんと邪馬台国やら卑弥呼に関係する人物を上げてください(たとえば伊支馬)。

>>41
>それにこれはオリジナルだ。君の知らない世界が沢山登場するんだよ

無駄な知識をつけてもムダでしかない(たとえば言語学と漢字学)
44日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:45:27
>>42
おはようさん

何かワケの分からないことをプラムさんが言ってるんですが
縦目仮面さん〜どうします?相手お願いできますか。
(わたしはヤフーやら鷲崎さんのとことかで忙しいので・・・)
45プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:50:38
>>42
>不思議な国のアリス

それはいい。
タキシードを着た兎や、ドゥードも登場させますか。最後は、木の下で居眠りをしていた卑弥呼が卑弥弓呼に起こされエンディング。
46縦目仮面:2009/09/20(日) 08:51:21
>>44
あ、おはようございます。漢文の文法ですか・・・。
47日本@名無史さん:2009/09/20(日) 08:52:39
>>39-41 プラム ◆TOfHBAKZgM さん
ほら、縦目さんきたよ。
震えてるんじゃね?ww

>>30
>私は卑彌呼は八女・山門方面にいたと考えているので、宇佐神宮の亀山は卑彌呼の墓とは考えません。
>壹與の墓である可能性はあります。 ZZZ・・・

愛知県民さんの卑彌呼、壹與説 もういちど詳しく聞きたいですね。
よかったらもう一度、書き込んで頂けませんか。

48プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 08:54:40
>>43

何を勝手な事を言ってる。君が望んでるのはオリジナルだ。
そのオリジナルに対して文句を言うな

君の役にたつかどうかなんて知ったこっちゃない。

馬鹿者めが
49改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/20(日) 08:57:37
唐さん

天照大神だけではなく、豊受大神も女神という噂がある。
たとえば、天の羽衣伝説。
古代はすべて女性が高い位にいたのか
ほつまを信じる唐さんの意見を聞きたいですね。

50改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/20(日) 09:00:26
>>48
それよりも東京国立博物館で身につけた考古学を縦目さんの前で披露してみろよw
あと、発掘に立ち会ったんだよね?w

51プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 09:04:51
動詞王とは

人物や事物の動作や行為、思慮や意志、感覚などの心理活動や
状況、存在、事物の変化や状態、類似や比較等を司る。
ここでは述語職を歴任
卑弥呼とかかわる
52プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 09:10:41
>>50
おまえは馬鹿か?阿保か?
東京国立博物館で考古学だって?
あそこはその前の噴水で鳩と戯れ、ホームレスの愛猫達を見学する場所だ。
53プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 09:24:10
>>50
古墳の発掘なんて、検索すればいくらでも見られるだろう。
そんなの一々人に聞くなボケ!
54縦目仮面:2009/09/20(日) 09:36:06
>>49
羽衣伝説はおそらく後付けですよ。Wikiには、神名の「ウケ」は食物のことで、元々食物・穀
物を司る、オオゲツヒメ・ウケモチ同様の食物神であったが、中国風の羽衣伝説が加わり、
外宮祭神の神格を変更しようとした意図が伺える・・・というようなことが書いてあって、内宮・
外宮の対立でもあったんですかね。

しかし、改めVSプラムは完全にこのスレの売りになってますね。
55日本@名無史さん:2009/09/20(日) 10:41:19
梅毒はどーしようもねーな(笑)アホ丸出し
56愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 11:00:54
>>47
八女津媛=卑彌呼。改葬前の童男山古墳か、または八女津媛神社周辺に葬られた。
神夏磯媛=壹與またはその後継者。豊前国京都郡に都し、景行に降った。
壹與以後、魏・晋と倭が疎遠になったのは狗古智卑狗=越智皇子(河野氏祖、彦狭島命=伊予皇子の子)
との和解が成立したからではないか?
57日本@名無史さん:2009/09/20(日) 11:21:56
批判され過ぎたのか、プラム=河童虫が壊れた。
58縦目仮面:2009/09/20(日) 11:59:57
プラムさんには、ぜひ「名詞王」シリーズを続けてほしいですね。上に出てきたアリスは、誰
でも知ってるように、英国の伝承童謡マザーグースを下敷きにして、多様な言葉遊びがちり
ばめられてる。実際ルイス・キャロルがのちのジェームズ・ジョイスらに与えた影響は非常に
大きい。プラムさんも倭人伝を下敷きにして、途切れ途切れでも、これを最後までやってみ
のは意義のあることと思いますよ。ww
59唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/20(日) 15:06:35
>天照大神だけではなく、豊受大神も女神という噂がある。

私はどちらも初代は男と考えていますから。この二人を別けて考えると

天照大神=伊勢、志摩
かな?

糸島郡はイト郡と志摩郡の合体であり、神功に出てくる斯摩宿禰は元は此所の王では無かったか?
天照大神の系譜を考えると、神武がアビラ媛を娶る事により筑紫を継ぐはずであったが(天照の血統ではアビラ媛
が神武より上)畿内大和に移動する事により、筑紫は大物主の系統が大王となる。

豊受大神ねえ…此方は思兼の系譜か?
孝霊時代 思兼、手力男は、共同して太子の「えな」を天照として祀る
この時手力男は、生島足島(豊受の分身?)を祀る。

私にとって「イヨ」は五百野姫以外いない。
60太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 16:22:11
いずれも女性です。男という奴は盲象。w
61日本@名無史さん:2009/09/20(日) 18:04:44
>>56
血統の系譜ってさ、凄い誤解されてるでしょ?
まず、誰かを系譜の初代として、そこからトーナメントの表の様に枝分かれしてく図がよく使われてる

あれを思い浮かべてたら、血統は遡れないよ

「血統を遡る」って考えたとき、あのトーナメント表とかまったくの図なんだよ


まず、自分の血統を遡ってみればわかりやすいかな?
まず、自分の血統は父と母の両方の血統を引いてる、その上にはそれぞれに、さらに母と父がいて、
昔は16歳とかで出産してたらしいけど、とりあえずそれぞれ、両親が20才の時の子供として考えて、その子が20歳になったとしたら
自分(20才)
1代遡れば2人(両親40歳)
2代遡れば4人(じいちゃんばあちゃん60歳)
3代遡れば8人(ひいじいちゃんばあちゃん80歳)
4代遡れば16人(100歳)
5代遡れば32人(120歳)
6代遡れば64人(140歳)

140年〜200年の間の6代遡るだけで、64+32+16+8+4+2の148人もの血統の混血がある

血統ってのは、一本では遡れないんだよ
アマテラスにしろ神武天皇にしろ現代の日本人にしろ、沢山の過去の日本人の血統を引いてる日本民族だよ
とうぜん、このなかには渡来人の血統がひとつや二つあってもおかしくはないよ
だからといって、渡来系の血統とはならないよ
6代前の祖先の一人が渡来人だったとしたら、その渡来人の血統は64分の1、148人の先祖のうちの一人が渡来人だってだけにしかならない




62愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 18:31:40
>>61
もん太氏のようですが、いつものように分かりにくい。
いや、言っている内容は分かるが、だから何なのかが分からない。
63プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 18:46:47
>>47

>ほら、縦目さんきたよ。
震えてるんじゃね?ww

なぜ震えなければならない? 彼も三段、俺も三段
長時間の勝負なら、体力の差で彼が断然有利だろうけど
短時間勝負なら、いい勝負出来るはず
64プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 18:58:06
縦目さん居るかい?

質問したいんだが

人を斬るには居合が一番効率いいかな?
居合で胴を割るには相当の瞬発力と右手の腕力が必要ではないかと思うんだが
やはり刀を瞬時に抜いてから、一足で突く方が確実かな?

最近濡れ藁を奇麗に切れるようになりました。
今度真竹に藁を巻いてみようと思うのだが、刃こぼれが心配。(無名の刀だから)
65日本@名無史さん:2009/09/20(日) 19:20:44
>>64
刺す方が良いに決まってるだろjk
銃刀の許可はあるんだろうねぇ?梅毒ちゃん
66二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/20(日) 19:23:03
>>61
そうそう、その理論で30代くらい遡ってみれば、
30代x20年=600年
2人^30代〜10^3人x3=10億人
1400年くらいには日本人皆親戚です♪
67二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/20(日) 19:27:00
10^3x3は10^(3x3)の間違い
単純計算だから分かるか・・
68日本@名無史さん:2009/09/20(日) 19:32:28
男系の血統、Y遺伝子については
そうはならんと思うがな。
69プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 20:03:00
>>65

>刺す方が良いに決まってるだろjk

それがそうとも限らないんだよ、日本刀には反りがあるから
相当日本刀を扱いなれていないと
抜きから一足で突きには移行できないし、真っ直ぐに突くことは出来ない。
扱いなれていないと、突く瞬間に右手に力が入って
刀は自然と左にそれてしまう。これは竹刀を真っ直ぐ振ることが出来ない初心者と同じ理屈
それに、抜き太刀を外された時に来るのが、相手からの振り下ろし
突く場合は、必ず相手の間合いに入ることも計算しなければならず
突く時は失敗は許されない。そう考えると、必ずしも突きが最良とは限らないんだ
うまくいった時の確実性は突きだけど

>銃刀の許可はあるんだろうねぇ

もちろん 警察の講習会にも参加している。
70プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 20:06:14
>>65

一つ言い忘れたが、日本刀の所持には許可が必要だけど
人を斬るのは無許可でOKだよ
そのへん勘違いしないでね
71縦目仮面:2009/09/20(日) 20:50:47
>>64
居合いは難しいと思います。抜いた相手に居合いで勝てますかねえ?
軽い面打ちから、ひるんだところを二の太刀でしとめるのがよいのでは。「斬りつけ」「斬り
おろし」とか研究してる人がいますね。
http://www.hakudoh.com/pc/page06_0202.html#
しかし、これは武板でやる内容ですよ。
72日本@名無史さん:2009/09/20(日) 20:52:30
梅毒くん、卑弥呼と日本刀の関連はなに?

関係ない話するなら来ないでくれますか?
73プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 20:58:21
>>72
なんだよ基地外?
関係有るから無いかは、俺のレスが全て終ってから判断しろ タコ。
74プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 21:06:32
>>71 サンクス。

歴史は人を殺しながら今日に至っているので
自らもその領域を知らずして歴史を語れないと考えているからこその質問です。
75日本@名無史さん:2009/09/20(日) 21:09:30
梅毒のザコっぷりにフイタ
九州説が終了したことを悟ったのか(笑)
76プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 21:15:00
アリスと卑弥呼の関係はアリスではなく、最初と最後に登場するアリスの姉と卑弥呼がダブるのでは
ないだろうか?
姉は絵のない本を読んでいるだけで、隣にいるアリスを眠りの世界に導き
その眠りの中では、アリスに不思議な世界を体験させる。
これは正に「事鬼道能惑衆」に通じるのではないだろうか?
77プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 21:18:42
>>75

>九州説が終了したことを悟ったのか(笑)

なんだよその「九州説」って?  アホか?顔洗ってチンチンのカス取ってから出直せや
78縦目仮面:2009/09/20(日) 21:25:11
アリスの話は、単なる童話のようにも思われていますが、なかなか普通の大人には書けない
内容ですよね。あの「かばん語」に代表される言葉遊びの数々は、彼が生涯、吃音という障害
を背負っていたから、といわれることもあるようです。まあ、歴史に残る言語厨の一人でしょう。
・・・なんか、俺も出て行けといわれそうだ。
79太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 21:28:18
縦目仮面さん
アリス・イン・ナイトメアというPCゲームが秋葉当たり探せばまだ
見つかるから、好きなら入手してやってみるといいよ。
えらい面白いから!
80プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 21:29:20
助動詞王

可能や願望などを表し、能願動詞王ともいわれる特殊な動詞王
81日本@名無史さん:2009/09/20(日) 21:31:58
>>79

太国らしからぬネタ振りだな。
ちょっとビックリ!
82プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 21:32:30
>>78

>かばん語

よく「鏡の国」の方の紹介はありますが、「不思議」の方にも使用されていますか?
83太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 21:35:07
あのゲームに鏡の国があったな。w あそこはえらく化け物ロボット
出て来てキツかったな。随分前のことだが・・・。
84縦目仮面:2009/09/20(日) 21:52:15
>>79
悪夢の国のアリスですか、面白そうですね。ありがとうございます、探してみます。

まあ、雑談だけでもなんなんで、考古学専攻の俺がいうのも変なんですが、現在の史学は、
宗教的・呪術的側面が軽視されすぎていると思います。卑弥呼の鬼道にしても、おそらく現
代の理詰めの常識では推し量れない異常な発想があるような気がします。何度も書いたん
ですが、平安時代の物忌み・方違えなどを見ても、非合理なことを極めて真面目にやってい
る。少しでも近ずいてみたいですね。


85太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 22:02:18
>>84
もし入手できなければ、来年の「アリス」の映画をやるとき、大きな
映画館なら即売する可能性はあるだろうね? どうかな?
ただ秋葉でも少なくなったから、ゲーム店回りをせねばなら
ないかな? でもまだちょっとはあるだろう。これの
エンディングのBGMがよかったな。もう一度聞きたいが、最初から
やらねばならないな。w とくに良かったのはアリスと蟻、サソリの
戦闘シーンだった。

アリスで思い出したが、このごろTV4CHのバンキシャに出演して
いる菊川さんは以前より神々しく益々その美貌が著しい。今もし
「日本誕生」という映画をやるなら、アマテラスは彼女が適役だね。
本物には似てるというものではないが、ちょっと雰囲気だけでも
かもし出しているな。アマテラスを男だとかいう奴はデンパ。ww
86日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:06:43
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
87日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:12:28
梅毒の芸風が河童の時とあまり変わらない件。
88縦目仮面:2009/09/20(日) 22:19:15
しかし、もん太君のパワーはすごいな。倭人伝読みが始まった。
89河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 22:40:15
>梅毒の芸風が河童の時とあまり変わらない件

芸風なんてどうでもいいんだよ
河童虫とプラムでは、その目的が違う。
90日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:42:14
>>89
いや、あんまり変わらないから
91河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/20(日) 22:46:59
>>90

>いや、あんまり変わらないから

それならそれでいいよ  俺の目的は俺だけにしかわからないから
92日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:54:39
>>91

> 俺の目的は

そんなものは皆さん気づいてるよ。
知らぬはドツボだけw
93愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 22:58:51
>>84
>非合理なことを極めて真面目にやっている。

現代でも公共の電波で星占いが流されている。
古代と大して変わらない。
94日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:59:34
>>91
他人迷惑だろ。
梅毒の目的何ぞ、どーでもいいわ。糞喰らえだ(笑)

スレタイに関連しない話するなら、
周りを巻き添えにしてないで
チラシの裏にでも書いてオナってろや。
95太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/20(日) 23:00:22
96愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/20(日) 23:33:56
上宮聖徳法王帝説では、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女を「鬼前大后」と呼んでいる。
鬼前大后者 即聖王母穴太部間人王也 云鬼前者此神前也 
何故言神前皇后者 此皇后同母弟 長谷部天皇 石寸神前宮治天下 
若疑其姉穴太部王 即其宮坐故 稱神前皇后也
ふうん、鬼道=神道でよいのか・・・?

関係ないが、バンドのアリスは不思議の国のアリスとは全く関係ない!と
谷村新司が言っていた気がする。
97プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 23:43:14
>>94

>他人迷惑だろ。
梅毒の目的何ぞ、どーでもいいわ。糞喰らえだ(笑)

スレタイに関連しない話するなら、
周りを巻き添えにしてないで
チラシの裏にでも書いてオナってろや。


な〜んて、自分でスレとは関係ない話しておいて
人の批難は超一流ですか?  どんだけ自分可愛さのナルシストなんだよ
自分は許せても、他人は許せないってか?

>他人に迷惑だろう

人の心配している暇があったら、自分の足元をまずは確認しろよ


>チラシの裏にでも書いてオナってろや。

アンタはチラシの裏どころか「書くな」  いいから何処にも「書くな」
 
98プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/20(日) 23:51:18
>>94

俺は誰になんと言われようと、ここに存在するぜ
例えここに俺だけしか居なくなったとしてもここに粘着するぜ
それがプラム復活の目的だから
99日本@名無史さん:2009/09/20(日) 23:56:22
な〜る♪

そう言うことか!
100日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:04:08
とろ

101河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 00:05:00
>>97

>関係ないが、バンドのアリスは不思議の国のアリスとは全く関係ない!と
谷村新司が言っていた気がする。

確か(記憶ですみませんが)陰陽道に関係するとか、セイヤングでチンぺイさんが話していた記憶が
ギターに夢中だった高校時代、部活さぼって売れない頃のアリスをよく見に行ってました(♪走っておいで恋人よ)
102日本@名無史さん:2009/09/21(月) 00:37:40
また関係ない話してるな〜
スレ違いなんで、出てって欲しいんだけど…

取り敢えずプラムは荒らしに認定していいよね
103愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 01:16:23
>>101
セイヤングだって! 私は田舎者なので今シャラとかミッドナイト東海ですわ(笑)
ブレイクが「冬の稲妻」でしたが、それ以前から一部で知られていましたね。
陰陽道関係というのは初耳ですね。
陰陽道とか修験道はいわば「裏の神道」と言われるようですが・・・まさに鬼道か?
では、そろそろZZZ・・・
104プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 01:21:21
>取り敢えずプラムは荒らしに認定していいよね

この間抜け野郎
そんな判断ぐらい自分で処理することも出来ねーのか?
おまえは小さい頃からトイレに行く時は、必ず誰かを誘わないとトイレにも行けなかったタイプだったろ

それに>>98のレスが読めないのか?

この根性無しが
105神奈川県民:2009/09/21(月) 01:32:56
>>104
>>104
ヨソ行け プラム
もう来なくてでいいぞ

ていうか、レベルがどうの言ってるだろ お前のことだって
最近、まじで、きらわれてるのぐらい気づけ
106河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 01:39:11
>>103
アリス全盛時代の1970年後半、アリスにNHKから紅白の出場依頼があったけど
以前、NHKのコンクールで予選落ちしたことに対する
反発から、頑として紅白には出場しなかったというエピソードがあります。

そういえば、売れない頃のアリスのコンサートは悲惨でしたよ
年間300回というステージはこなすものの小さな田舎の市民会館が埋まることは皆無
私が見に行った時には、500人規模の会場に50人いなかった事が多々ありました
107プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 01:47:13
>>105

これからじっくり料理してやるからな  楽しみにしとけよ坊や
108プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 01:52:05
>>105

>>98よめ   俺一人じゃつまんなければお友達よぼうか?(楽しいぞ〜)
109プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 02:01:11
>>105

>ていうか、レベルがどうの言ってるだろ お前のことだって
最近、まじで、きらわれてるのぐらい気づけ


お前小さい時に虐められっ子だったろう?
「きらわれる」という言葉がトラウマとなっているのか?
よっぽど嫌われることに対する恐怖心があるんだろうな?

よく学校で「レベル」が低いとかいわれたんだろう?
椅子の上に画びょうなんて毎日置かれなかったか?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
110プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 02:25:35
どれ、基地外がいなくなったようだから  寝るか

明日も貴重なためになるレスいれてやるからな(楽しみに
寂しかったら寂しいと言えよ  コンパニオン用意してやるから
111美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 03:14:03
>>68
それを言ったら母系の染色体はX染色体だし
てかXとYって、男か女かでしょ?

男 XY→精子XorY
女 XX→卵子X

例えば神武天皇(男性)を血統の元始とした場合、男系(Y染色体)を継承すればYを継承してる事となる
この場合は男系を継承すべき
けどアマテラス(女性)を血統の元始とした場合、アマテラスのX染色体を継承するには、女系で継承する必要がある
この場合は血統は女系で継承すべき

ちなみに現在の天皇ってのは男系を継承してるんだからアマテラスの血統じゃないから本当は天皇(あまのすめらぎ)じよないよ

本来の天皇てのは女系でアマテラスに辿れる血統が天皇でしょ?
アマテラスに辿り着きたいなら男系を継承しても意味無いんだし
112日本@名無史さん:2009/09/21(月) 03:23:08
>>111
だからイワレビコを氏神としたんでないの?
イワレビコを初代としたことで解消された。
113美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 03:33:04
家紋ってのもさ、あれは血統を表すもので、例えば女性ってのは嫁に行ったからって、嫁いだ先の家紋は付けないよ
女性は自分を産んだ母方の家紋を持ってるんだし
信長が家紋を2つ持ってて「裏家紋」なんて呼ばれてるけど、母方と父方の2つの家紋があるのは当たり前だよ
で、男性の場合、自分の子供は自分の父方の家紋と、妻の家紋を持つ
女性の場合、自分の子供は自分の母方の家紋と夫の家紋の2つを受け継ぐ
日本ってのは決して男尊女卑の文化の国じゃないよ
男系も女系もどちらの血統も辿れるように戸籍とかも付けられてた訳だし
あと元始や氏神を女性としてる場合、女性が養子を貰い家系を継いでたんだよ
白山や恵那山などの信仰の対象の山の神様は女性なんだし

今の天皇は男系男子で継承してるけど、あれは明治天皇からで、それ以前の天皇(あまのすめらぎ)は女系で遡れる女系継承らしいよ

明治以前の天皇が自分の氏族以外の血統から妻を招いた事はそれまで無いんだし
女系男子って奴だね

アマテラスの血統を受け継ぐには女系を継承してなきゃいけないんだし
114美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 03:43:39
>>112
記紀を読むとね、アマテラスが「我々の氏族が国を治める」って言って、大国主から国を譲り受けて中つ国原を治めるようになってるんすよ
アマテラスを氏神としたこの血統が天皇(あまのすめらぎ)の事と解釈してたんだけどなあ?
天皇の母方って苗字が無い頃は良く知らないけど、母方は藤原や源だったと思うよ
家紋も12菊じゃなく本来は六亡星だし
確か陰陽師らも天皇を名乗ってた訳では無いけどこれと同じ家系

儀式を行う巫女の家系だよ
115美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 03:56:53
>>112
イワレビコが天皇の元始とされたのも明治天皇からだしね

だいたい御所の大和廷にいた人達は「公家」って呼ばれてたんだけど、あれ北朝の系譜の家系の氏族なんだよ
今の皇室の人達は、自称、南朝系の人達だしさ

南朝系って遥か昔に覇権争いに負けた氏族で天皇じゃない人達なのにね
イワレビコまで辿れないよ
歴代の天皇は北朝廷なんだしさ
まあ歴代の天皇の系譜を南朝系と書き換える事で、まるで今までずっと南朝系の氏族が天皇やってた事としちゃってるけどさ
それにしても天皇を名乗るなら、アメリカに留学し、常にスーツを着て、、、なんて辞めて欲しいわ
神子としての儀式なんて何一つやって無いし
今の皇室は天皇を名乗ってるだけのただの一般人だよ

まあ彼らが悪い訳じゃないけどさ
116美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 04:16:46
「天子」とか「天孫」とか「天皇」てのは、国譲りを受けた天国原のアマテラスの氏族の人達の事じゃないの?
藤原氏も源氏も大和朝廷も母方でアマテラスに辿れる血統なんだと思うけどなあ
対してスサノオの氏族は男系継承だったはず

まあアマテラスの氏族が国譲りを受けたっても記紀には、平安時代までの事しか書いてないから、江戸時代の大和朝廷とかは、それ以降にアマテラスの氏族から実権を奪った別の氏族なのかも知れないけどさ
けどだとしたら「天皇」なんて名乗る必要なかったと思うんだけどなあ

117日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:00:42
相変わらずデンパだが、
梅毒よりよっぽどましなミノムシ(笑)
118日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:05:45
注意も無視して集団で意図的にスレ違い荒らしを続ける河童軍団(ブラム、太国、縦目)には、
もうアクセス禁止申請しかないね。
119日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:19:39
あと、愛知県民も指摘された後もネタ違いレスに付き合ってので同罪だな。
120日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:28:21
>>113
どこかの本にかいてあったね
ひな人形をみてもそうだし男女平等てきに扱われてきた。

>>116
あちゃ、江戸時代は大和朝廷とよんじゃだめかな
大和朝廷というのは奈良にあった古代の政権のみ該当するらしいよ
失敗したねw
121日本@名無史さん:2009/09/21(月) 08:30:16

X遺伝子はどっちを受け継ぐかわからんだろ。
男系のXと女系のXで、女XX

だから、次に渡すXは、父親からもらったXか母親のXか、わからん。
122唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 09:07:56
続き
『地名考古学』 ⒈ 島と岬の名称 7ページより
表に現われたように、峠の分布密度は西日本が圧倒的にたかく、平均(偏差値:50)を大きくこえる東日本の
都県は「山梨県」だけである事実が浮上する。前巻でふれたように、山梨県の東京都県境では西日本流の
「タワ、タルミ、タニ」が多用されて、弥生〜古墳時代に西日本地方と特別な関係があったように
見えるところと関連するのであろうが、理由が解らないのは残念である。

ホツマより 孝霊時代(145〜163年)
ホ32074 ハラミヤマえと ミユキなる そのミチなりて クロダより カグヤマカモや
タガのミヤ スワサカヨリの タケヒテル ミアエしてまつ ヤマのぼり
ホ32102 イヅアサマミコ ヤマヅミの ヨカミうつして ヤスガワラ トキタケヒテル
タマカワの カンタカラフミ たてまつる
ホ32109 キミゑみて このタケトメを トミにこふ タケヅツクサの マツリつぐ 
タケダのオヤぞ カンタカラ イツモにをさむ

この時代、甲州郡内(富士吉田〜都留地方)等に入植。
景行日本武尊時代(255〜260年)秩父方面に入植。
武田、諸角は甲州の名字でもある。
123日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:15:51
傳え言う、秦の始皇、方士徐福を遣し、童男女數千人を将いて海に入り蓬莱・~仙を求むれども得ず。
徐福、誅を畏れ敢て還らず。
遂に此の洲に止まる。丗丗相い承け、數萬家有り。
人民、時に會稽に至り市す。
會稽・東冶の縣人、海に入りて行くに風に遭い、流移してセン洲に至る者有り。
所在、絶遠にして往來すべからず。

後漢書のこの記事ですが
セン洲とはどこに当たるのか知ってる人います?


124唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 09:28:56
>>74
古墳時代までは、剣、刀は片手で握るもの、
両手で握るほど柄は大きいですか?
125プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 09:33:56
さて、今日も元気にスレを盛り上げよう。
126改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 09:35:52
>>125

お前トロくさいのぅ

あっち池ょ ニート
127日本@名無史さん:2009/09/21(月) 09:46:36
壱与=五百野姫なら倭人伝の己百支国は
五百野周辺(三重県亀山周辺)なのかな?

それだと斯馬国=志摩で隣接しているのと
合致するけど。
128改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 09:57:57
誰か相手宜しく〜!

今、わたしが話したいのは

・邪馬台国宇佐説
・宇佐に伝わる百体神社伝承(百体神社とか知ってるかな?)
・倭人伝の里、歩、尺、どれがおかしいか?
わたしは、
尺は24センチメートル
歩は1.44メートル
里に関しては、倭人伝の記述と現在の対馬などをみて、70〜80kmぐらいではないかとみてる。
・弥生時代の九州では大まかにわけて、
弥生系(朝鮮)
縄文系、
混血(弥生系&縄文) とにわかれてる。
北部九州型、西南部九州型、南九州型といわれる人骨についてぐらいかな。
129改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 10:03:02
>>127
唐さんって一発で分かるレスだねw

>壱与=五百野姫

んじゃ、梁書の「卑彌呼宗女臺與」は誰と考えてるるのでしょうか?
それとも、壱与=臺與として、それも五百野姫さん?
130プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 10:05:02
>>126
お前は口臭い。
だから喋るなよ


>ニート

虐められっ子だけじゃなくてニートだったのか?
最悪じゃん。
131改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 10:13:42
>>96
「鬼道」

広辞苑では、
@【仏】六道の一つ、餓鬼道、鬼趣、著聞十三「成佐ーにありといへども」
A幻術、妖術、魏志倭人伝「−に事へ、能く衆を惑はす」

とある。
分かりずらいですな・・・。
132唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 10:15:11
>斯馬国=志摩
イト、シマの志摩郡(筑紫)
神功紀に登場する「斯馬宿禰」の出身地。
九州の地名は、畿内に移植されているので難しいが、
倭人伝の国名羅列は、壱与が筑紫に下向後、大倭建国後の
関東までを含む地域と考えています。
133改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 10:20:35
>イト、シマの志摩郡(筑紫)
>神功紀に登場する「斯馬宿禰」の出身地。

そう、そう
「シマ」の歴史はかなり古く四世紀末ぐいらいまで遡れる。
それが日本書紀神功皇后の条にでてくる「斯馬宿禰」。
邪馬台国の広がりについて、わたしの考えでは、唐氏と少しちがう。
134日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:26:06
代郡、秦置。莽曰厭狄。有五原關,常山關。屬幽州。【應劭曰:「故代國。」】戸五萬六千七百七十一、口二十七萬八千七百五十四。縣十八:桑乾、莽曰安徳。【孟康曰:「乾音干。」】道人、莽曰道仁。【師古曰:「本有仙人遊其地、因以爲名。」】當城、
【師古曰:「[門構中敢][馬因]云當桓都城、故曰當城。」】高柳、西部都尉治。馬城、東部都尉治。班氏、秦地圖書班氏。莽曰班副。延陵、ken[扁犬旁示]氏、莽曰[扁犬旁示]聚。【孟康曰:「[扁犬旁示]音權。氏音精。」】且如、于延水出塞外、東至寧入沽。
中部都尉治。【師古曰:「本有仙人遊其地、因以爲名。」】平邑、莽曰平胡。陽原,東安陽、莽曰竟安。【師古曰:「[門構中敢][馬因]云五原有安陽、故此加東也。」】參合,平舒,祈夷水北至桑乾入沽。莽曰平葆。代、莽曰厭狄亭。【應劭曰:「故代國。」】
靈丘、[シ寇]河東至文安入大河、過郡五、行九百四十里。并州川。【應劭曰:「武靈王葬此、因氏焉。」臣[王贊]曰:「靈丘之號在趙武靈王之前也。」師古曰:「[王贊]説是也。[シ寇]音寇、又音苦侯反。其下並同。」】廣昌、[シ來]水東南至容城入河、過郡三、
行五百里、并州sin[冠穴脚[シ帚]]。莽曰廣屏。【師古曰:「[シ來]音來。」】鹵城。ko[虍中乎]池河東至參(合)〔戸〕入ko[虍中乎]池別、過郡九、行千三百四十里、并州川。從河東至文安入海、過郡六、行千三百七十里。莽曰魯盾。【師古曰:「ko[虍中乎]音呼。
池音徒河反。」】
135日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:28:46
上谷郡、秦置。莽曰朔調。屬幽州。戸三萬六千八、口十一萬七千七百六十二。縣十五:沮陽、莽曰沮陰。【孟康曰:「音俎。」】泉上、莽曰塞泉。潘、莽曰樹武。【師古曰:「音普半反。」】軍都、温餘水東至路、南入沽。
居庸、有關。kau[句隹]bau[冠[矛攵]脚目]、【孟康曰:「音句無。」】夷輿、莽曰朔調亭。寧、西部都尉治。莽曰博康。昌平、莽曰長昌。廣寧、莽曰廣康。tak[シ豕]鹿、莽曰[手布]陸。【應劭曰:「黄帝與蚩尤戰于tak[シ豕]鹿之野。」】
且居、(樂陽)〔陽樂〕水出東、(東)〔南〕入(海)〔沽〕。莽曰久居。茹、莽曰穀武。女祈、東部都尉治。莽曰祈。下落。莽曰下忠。

 漁陽郡、秦置。莽曰(北順)〔通路〕。屬幽州。戸六萬八千八百二、口二十六萬四千一百一十六。縣十二:漁陽、沽水出塞外、東南至泉州入海、行七百五十里。有鐵官。莽曰得漁。狐奴、莽曰舉符。路、莽曰通路亭。雍奴、泉州、有鹽官。
莽曰泉調。平谷,安樂,tei[厂中辛]奚、莽曰敦徳。【孟康曰:「[厂中辛]音題、字或作蹄。」】_平、莽曰平。【服虔曰:「_音鞏。」師古曰:「音九永反、又音[禾廣]。」】要陽、都尉治。莽曰要術。【師古曰:「音一妙反。」】白檀、洫水出北蠻夷。
【師古曰:「洫音呼[貝鳥]反。(kyok)」】滑鹽。莽曰匡徳。【應劭曰:「明帝改名鹽。」】
136日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:33:05
右北平郡、秦置。莽曰北順。屬幽州。戸六萬六千六百八十九、口三十二萬七百八十。縣十六:平剛,無終、故無終子國、[シ更]水西至雍奴入海、過郡二、行六百五十里。【師古曰:「[シ更]音庚。即下所云入庚者同一水也。」】
石成,廷陵、莽曰鋪武。俊靡,[シ壘]水南至無終東入庚。莽曰俊麻。
【師古曰:「[シ壘]」音力水反、又音郎賄反。】si[冠艸脚資]、都尉治。莽曰hau[衣中臼]睦。【師古曰:「音才私反。」】徐無、莽曰北順亭。字、楡水出東。土垠【垠音銀。】,白狼、莽曰伏狄。
【師古曰:「有白狼山、故以名縣。」】夕陽、有鐵官。莽曰夕陰。昌城、莽曰淑武。驪成、大[手曷]石山在縣西南。莽曰[手曷]石。【師古曰:「[手曷]音桀。」】廣成、莽曰平虜。聚陽、莽曰篤睦。平明。莽曰平陽。

 遼西郡、秦置。有小水四十八、并行三千四十六里。屬幽州。戸七萬二千六百五十四、口三十五萬二千三百二十五。縣十四:且慮、有高廟。莽曰[金且]慮。【師古曰:「且音子余反。慮音廬。」】
海陽、龍鮮水東入封大水。封大水,綏虚水皆南入海。有鹽官。新安平、夷水東入塞外。柳城、馬首山在西南。參柳水北入海。西部都尉治。
令支、有孤竹城。莽曰令氏亭。【應劭曰:「故伯夷國、今有孤竹城。令音鈴。」孟康曰:「支音[扁禾旁右低。]」師古曰:「令又音子郎定反。」】肥如、玄水東入濡水。濡水南入海陽。
又有盧水、南入玄。莽曰肥而。【應劭曰:「肥子奔燕、燕封於此也。」師古曰:「濡音乃官反。」】賓從、莽曰勉武。交黎、渝水首受塞外、南入海。
東部都尉治。莽曰禽虜。【應劭曰:「今昌黎。」師古曰:「渝音喩。其下並同。」】陽樂、狐蘇、唐就水至徒河入海。徒河、莽曰河福。文成、莽曰言虜。臨渝、渝水首受白狼、東入塞外。
又有侯水、北入渝。莽曰馮徳。【師古曰:「馮讀曰憑。」】[冠上參脚糸]。下官水南入海。又有[手曷]石水,賓水、皆南入官。莽曰選武。
【師古曰:「[冠上參脚糸]音力追反。」】

137縄文人:2009/09/21(月) 10:33:30
神功皇后=息長帶比賣命=五百野姫命=宮簀姫命、これが古代史の真実です。
138改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 10:33:47
あとは、投馬國、狗奴國を何処にあてるか。
他にも、華奴蘇奴國を今の佐賀県神崎(吉野ヶ里)、
鬼國を大分県にあてる人(サガミハラハラさん?)もいる。

鬼國=大分県といえば、大分県宇佐に「鬼のミイラ」とかあったはず。
これと何か関係してるのか?!
http://www.k2.dion.ne.jp/~mistery/tan40oni.html

投馬國に関しては、九州説ではツマとか宮崎南部にしてる人がいる。
畿内説では岡山。出雲、東海にわかれるのかな。
139唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 10:33:53
>>133
私の設定は、
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下
都市牛利=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王←タリヒコ =景行
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
狗奴國=狗古智卑狗?
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向
ついでに書紀より
倭女王卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、
伊支馬=イクメ=垂仁
彌馬升=ヤマシロ=タタネコ
 ホ37048 ミワのタタネコ ヤマシロが 
彌馬獲支?

これが私の設定ですから。
140日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:37:38
遼東郡。秦置。屬幽州。戸五萬五千九百七十二、口二十七萬二千五百三十九。縣十八。:襄平、有牧師官。莽曰昌平。新昌,無慮、西部都尉治。【應劭曰:「慮音閭。」師古曰:「即所謂醫巫閭。」】望平、大遼水出塞外、南至安市入海。行千二百五十里。莽曰長説。
【師古曰:「説讀曰(イ兌)〔悦〕。】房,候城、中部都尉治。遼隊、莽曰順睦【師古曰、隊音遂。】遼陽、大遼水西南至遼陽入遼。莽曰遼陰。險涜【應劭曰:「朝鮮王滿都也。依水險、故曰險涜。臣[王贊]曰:「王險城在樂浪郡[シ貝]水之東。此自是險涜也。」
師古曰:「[王贊]説是也。[シ貝]音普大反。】居就、室僞山、室僞水所出、北至襄平入梁也。高顯,安市,武次、東部都尉治。莽曰桓次。平郭、有鐵官,鹽官。西安平、莽曰北安平。文、莽曰文亭。番汗、沛水出塞外、西南入海。
【應劭曰:「汗水出塞外、西南入海。番音盤。」師古曰:「沛音普蓋反。汗音寒。」】沓氏。【應劭曰:「氏水也。音長答反。」師古曰:「凡言氏者、皆謂因之而立名。」】

 玄菟郡、武帝元封四年開。高句驪、莽曰下句驪。屬幽州。【應劭曰:「故眞番、朝鮮胡國。」】戸四萬五千六、口二十二萬一千八百四十五。縣三:高句驪。遼山、遼水所出、西南至遼隊入大遼水。又有南蘇水。西北經塞外.
【應劭曰:「故句驪胡。」】上殷台、莽曰下殷。【如淳曰:「台音[魚台]。師古曰:「音胎。」】西蓋馬。馬si[冠此脚言]水西北入鹽難水。西南至西安平入海。過郡二、行二千一百里。莽曰玄菟亭。

樂浪郡、武帝元封三年開。莽曰樂鮮。屬幽州。【應劭曰:「故朝鮮國也。」師古曰:「樂音洛。浪音狼。」】戸六萬二千八百一十二、口四十萬六千七百四十八。有雲seu[扁章旁右郊]。縣二十五:朝鮮【應劭曰:「武王封箕子於朝鮮。」】nan[言○]邯。
【孟康曰:「[言○]音男。」師古曰:「[言○]音乃甘反。邯音酣。」】[シ貝]水、水西至増地入海。莽曰樂鮮亭。【師古曰:「[シ貝]音普大反。】含資、帶水西至帶方入海。黏[虫單]、【服虔曰:「[虫單]音提。」】
遂成,増地、莽曰増土,帶方,駟望,海冥、莽曰海桓。列口,長岑,屯有,昭明、南部都尉治。鏤方,提奚,渾彌【師古曰:「渾音下毘反。」】,呑列、分黎山、列水所出。西至黏蝉入海。行八百二十里。東[目施]
【應劭曰:「音移。」】,不而、東部都尉治。蠶台【師古曰:「台音胎。」】,華麗,邪頭昧【孟康曰:「昧音妹。」】,前莫,夫租。

141日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:45:00
【司馬法】

古者以仁爲本、以義治之。之謂正。正不獲意則權。權出於戰。不出於中人。是故殺人安人、殺之可也。攻其國、愛其民、攻之可也。以戰止戰、雖戰可也。
故仁見親、義見説、智見恃、勇見方、信見信。内得愛焉、所以守也。外得威焉、所以戰也。

【古(いにしえ)は仁をもって本(もと)となし、義(ぎ)をもってこれを治(おさ)む。これを正(せい)と謂う。正(せい)、意を獲(え)ざればすなわち権(けん)す。
権(けん)は戦いに出ず。中人(ちゅうじん)に出でず。
このゆえに人を殺して人を安(やす)んずれば、これを殺して可(か)なり。その国を攻(せ)めて、その民を愛せば、これを攻めて可(か)なり。
戦いをもって戦いを止(とど)むれば、戦うといえども可(か)なり。
ゆえに仁は親(した)しまれ、義(ぎ)は説(よろこ)ばれ、智(ち)は恃(たの)まれ、勇(ゆう)は方(むか)われ、信は信ぜらる。
内(うち)、愛を得(う)るは、守るゆえんなり。外(そと)、威(い)を得(う)るは、戦(たたか)うゆえんなり。】
142改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 10:45:53
>>137
>神功皇后=息長帶比賣命=五百野姫命=宮簀姫命、これが古代史の真実です。

どうしてそうなるのか、説明よろしくです。

>>139
>私の設定は

倭人伝の「音」を日本書紀などで登場する人物の「音」とにあわせて
誰に当てるのか、誰にするのか、ですが、ハッキリわたしには分からない。
しかし、女王の時代はその辺りなので唐さんのいう人物が当たっているところもあれば
外れてるところもあるのではなかろうか。
143日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:47:23
【司馬法】

戦道、不違時、不歴民病、所以愛吾民也。不加喪、不因凶、所以愛夫其民也。冬夏不興師、所以兼愛民也。故国雖大、好戦必亡。
天下雖安、忘戦必危。天下既平、天子大ト、春蒐秋獮、諸侯春振旅、秋治兵、所以不忘戦也。


【戦いの道、時に違(たが)わず、民(たみ)を病(やまい)に歴(へ)ざるは、わが民を愛するゆえんなり。
喪(そう)に加えず、凶(きょう)に因(よ)らざるは、かのその民を愛するゆえんなり。冬夏(とうか)に師を興(おこ)さざるは、民を兼愛(けんあい)するゆえんなり。
ゆえに国(くに)大なりといえども、戦いを好(この)めば必ず亡(ほろ)ぶ。天下安(やす)しといえども、戦いを忘るれば必ず危(あや)うし。
天下すでに平(たいら)ぎ、天子(てんし)大いにト(たの)しめども、
春は蒐(しゅう)し秋は獮(せん)し、諸侯、春に振旅(しんりょ)し、秋に治兵(ちへい)するは、戦いを忘(わす)れざるゆえんなり。】
144唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 10:47:54
>>122 を何故掲載したか?
http://www.imaken.biz/sakuhin.html   より歴史を見たときホツマでこの疑問が解ける?

星糞峠の「星」は「穿る」(ほじる)
「鼻の穴をホジホジするな」のホジであり、古代語では言葉は”濁らない”から
ホジ=ほし=星となる。
145日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:52:38
【司馬法】

古者逐奔、不過百歩。縱綏不過三舎。是以明其禮也。不窮不能、而哀憐傷病。是以明其仁也。成列而皷。是以明其信也。爭義不爭利。是以明其義也。
又能舎服。是以明其勇也。知終知始。是以明其智也。六徳以時合教、以爲民紀之道也。自古之政也。


【古(いにしえ)は奔(はし)るを逐(お)うこと、百歩(ひゃっぽ)に過(す)ぎず。綏(しりぞ)くを縦(お)うこと三舎(さんしゃ)に過ぎず。ここをもってその礼を明らかにするなり。
不能を窮(きわ)めず、傷病(しょうびょう)を哀憐(あいりん)す。ここをもってその仁を明らかにするなり。列(れつ)を成して鼓(こ)す。ここをもってその信を明らかにするなり。
義(ぎ)を争い利(り)を争わず。ここをもってその義を明らかにするなり。またよく服するを舎(ゆる)す。ここをもってその勇(ゆう)を明らかにするなり。終わりを知り始めを知る。
ここをもってその智(ち)を明らかにするなり。六徳(ろくとく)時をもって合(あ)わせ教え、もって民紀(みんき)の道となすなり。古(いにしえ)よりの政(まつりごと)なり。】
146日本@名無史さん:2009/09/21(月) 10:53:31
唐松山さん 鼻の穴をホジホジしちゃ駄目じゃんw

147美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 10:56:39
>>121
アホか
染色体って同じものをそのまま渡してる訳じゃ無いっての
染色体の理屈にしたって単に「Y染色体の方がオリジナル部分が残りやすいはずだ」ってだけで、実際の医学はまだそこまでDNAの仕組みとかをわかってる訳じゃないよ

まあとにかく血統を辿るっても、父方だけ辿るなんて事は無いよ
父方だけ辿っても8代で6人しか居ないんだし
母方も辿れるから8代で148人(だったかな?)とか言う数になるんだよ
たった6代遡るだけで
148人で74回の交配
実際にそれだけ多くの血統が交わってるんだよ
日本人の歴史が少なくとも1400年続いてるとして、君の先祖が何になるのか考えてみ?

記紀の中に出てくる人の血統を実際に君は継いでるんだよ
家紋とか調べてみ?
148日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:03:47
【司馬法】

 先王之治、順天之道、設地之宜、官民之徳、而正名治物、立國辨職、以爵分禄。諸侯説懷、海外來服、獄弭而兵寢。聖徳之至也。

【先王(せんのう)の治(ち)は、天の道に順(したが)い、地の宜(よろ)しきを設(もう)け、民の徳を官(かん)にして、名を正し物を治め、
国を立て職を弁じ、爵(しゃく)をもって禄(ろく)を分かつ。
諸侯説(よろこ)び懐(なつ)き、海外来服(らいふく)し、獄(ごく)弭(や)みて兵寝(や)む。聖徳(せいとく)の至(いた)りなり。 】



149日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:05:45
>>138
>>127は私だが、唐さんではないです。
畿内説だが投馬を丹波(多婆=田庭)に比定しますね。
150日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:11:35
【司馬法】

 其次賢王、制禮樂法度、乃作五刑、興甲兵、以討不義、巡狩省方、會諸侯考不同。其有失命亂常背徳、逆天之時、而危有功之君、徧告于諸侯。
彰明有罪、乃告于皇天上帝、日月星辰、禱于后土、四海神祇、山川冢社、乃造于先王。然後冢宰徴師于諸侯曰、某國爲不道、征之。
以某年月日、師至于某國、會天子正刑。冢宰與百官、布令於軍曰、入罪人之地、無暴神祇。無行田獵。無毀土功。無燔牆屋。無伐林木。
無取六畜、禾黍、器械。見其老幼、奉歸勿傷。雖遇壯者、不校勿敵。敵若傷之、醫藥歸之。既誅有罪、王及諸侯、修正其國、舉賢立明、正復厥職。


151美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 11:12:23
>>120
いや天皇に政権が無いのは知ってる
鎌倉幕府、室町幕府、信長、関白秀吉、江戸幕府
国を治めてたのは元々天皇じゃないし、記紀にだって別に天皇が治めてたなんて書いてない
アマテラスの御子が国譲りを受けたけど、そのなんとか命も別に天皇じゃないんだし


血統がどうなのかなって思ってさ
出雲はスサノオ系
天皇はアマテラス系
なんて良く言われるでしょ?

今の天皇は単なる九州の大室氏だから関係無いのは分かるけど、江戸時代まで御所にいた公家の天皇ってのは、記紀の天皇(あまのすめら)の血統が続いてたのかな? って思ってさ
152日本@名無史さん:2009/09/21(月) 11:12:49
>>150の訳文

【 その次の賢王(けんおう)は、礼楽(れいがく)法度を制し、すなわち五刑(ごけい)を作り、甲兵(こうへい)を興(おこ)し、
もって不義(ふぎ)を討(う)ち、巡狩(じゅんしゅ)して方(ほう)を省(せい)し、
諸侯を会して不同(ふどう)を考(かんが)う。その命を失い常(じょう)を乱し徳に背(そむ)き、天の時に逆(さから)いて、
有功(ゆうこう)の君(きみ)を危うくするものあれば、あまねく諸侯に告(つ)ぐ。有罪を彰明(しょうめい)し、
すなわち皇天(こうてん)上帝(じょうてい)、日月(じつげつ)星辰(せいしん)に告げ、后土(こうど)、四海の神祇(しんぎ)、
山川(さんせん)の冢社(ちょうしゃ)に禱(いの)り、すなわち先王に造(いた)る。しかるのちに、冢宰(ちょうさい)、
師を諸侯に徴(ちょう)して曰く、某国(ぼうこく)、不道をなす、これを征(せい)す。某年月日(ぼうねんがっぴ)をもって、
師、某国(ぼうこく)に至り、天子に会(かい)して刑を正(ただ)す、と。冢宰(ちょうさい)、
百官とともに令(れい)を軍に布(し)きて曰く、罪人の地に入りて、神祇(しんぎ)を暴(あら)すことなかれ。田猟(でんりょう)
を行なうことなかれ。土功(どこう)を毀(こぼ)つことなかれ。牆屋(しょうおく)を燔(や)くことなかれ。林木を伐(き)ることなかれ。
六畜(ろくちく)、禾黍(かしょ)、器械を取ることなかれ。その老幼(ろうよう)を見ば、奉帰(ほうき)して傷(そこな)うことなかれ。
壮者(そうしゃ)に遇(あ)うといえども、校(こう)
せずんば敵することなかれ。敵もしこれを傷(そこな)わば、医薬(いやく)してこれを帰せ、と。すでに有罪を誅(ちゅう)せば、王および諸侯、
その国を修正し、賢(けん)を挙(あ)げ明(めい)を立てて、その職を正復(せいふく)す。】
153唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 11:28:47
>>152 までの書き込みは、倭国大乱を収めた思考でもある、だから
曰神夏磯媛。其徒衆甚多。一國之魁帥也。
一国の”魁帥”である神夏磯媛は、滅ぼされる側で国を治める側の「イヨ」にはなり得ない。
154唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 11:52:41
縄文人さん 登場ころの覇気が無くなりましたね。
>神功皇后=息長帶比賣命=五百野姫命=宮簀姫命、これが古代史の真実です。

息長帶比賣命は、田道間守から見ると孫の代にあたります、そして
日本武尊、五百野姫から見ると、子供の代にあたる。
日本武尊の子供の嫁さんですよ。
155日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:32:01
>>149
>畿内説だが投馬を丹波(多婆=田庭)に比定しますね。

詳しく書き込んで下さい


156日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:39:03
>>151
昔の大王(おおきみ)、いまでいう天皇は政治にも関与していた。
四道将軍とか、ここらへんbnみてみ。

>>153
倭国大乱はどこでやったと思う?
157日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:40:30
美濃もん太まで、あっち行ったのか・・・彼はいるんだけどな

158日本@名無史さん:2009/09/21(月) 12:41:31
【司馬法】

王覇之所以治諸侯者六。以土地形諸侯、以政令平諸侯、以禮信親諸侯、以材力説諸侯、以謀人維諸侯、以兵革服諸侯。同患同利、以合諸侯、比小事大、以和諸侯。


【王覇(おうは)の諸侯を治むるゆえんの者は六あり。土地をもって諸侯を形(かたち)し、政令(せいれい)をもって諸侯を平(たい)らかにし、
礼信(れいしん)をもって諸侯を親しみ、材力(ざいりょく)をもって諸侯を説(よろこ)ばし、謀人(ぼうじん)をもって諸侯を維(つな)ぎ、
兵革(へいかく)をもって諸侯を服(ふく)す。患(かん)を同じくし利(り)を同じくして、
もって諸侯を合(がっ)し、小に比(ひ)し大に事(つか)えて、もって諸侯を和(わ)す。】
159愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 13:07:32
>>153
壹與と倭国大乱は全く関係ないですが?
160日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:20:51
>>159
倭国大乱はなかった・・・

そんな証拠すらない事件を信じるか、信じないか
真っ二つに意見がわかれてる
161プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 13:27:13
さて、また始めるか。
162日本@名無史さん:2009/09/21(月) 13:28:11
>>155
まず丹波地方(丹後と但馬を含む)が弥生後期時代に
栄えていたのは、古墳の様子や出土品や
鉄の量からも確認できます。

半島や大陸との交流が盛んであった事も
出土品の内容からも実証されてますしね。

だとすると魏志倭人伝に記述が無い事は考えられません。
その中で丹波をどの国に当てはめるかというと、
邪馬台国とセットで語られる投馬国しかないという推測です。

記紀や各種伝承、新羅本記の記述でも丹波(多婆那)国は
当時の大国で、ヤマト政権と関連深かった事は
まず間違いないでしょう。
163神奈川県民:2009/09/21(月) 13:28:26
>>161

よそ行って下さい
164唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 13:39:51
>>159
筑紫男王の隣り橿日に居たのが一國之魁帥、神夏磯媛と見ています。
この状態では、三十国を治められない。最初に征伐されその地は、大和景行の地となる。
次に豊後へまわり(この頃卑弥呼死亡)、日向、隼人を収める。男王の死亡。
次 筑紫から南方へ転戦、狗奴国を従える、次に仕上げの松浦半島西の「諸県」(諸津)でほぼ終了。
この後景行は大和に帰り、五百野姫を軍隊付きで筑紫に送り込む。
165唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 13:53:16
続き
五百野姫(この時13才か十四才)を送り込んだ翌年(一〜二年後)また熊襲が背く、
日本武尊(十六才)の登場。
これとほぼ平行して武内宿禰を関東、東北の偵察に出す。
武内宿禰が大和に帰る。日本武尊が大和に帰る。
そこへ諏訪酒折のタケヒテルが(関東平定の)準備が出来た事を知らせる。
日本武尊の関東平定にはいる。

この流れから見ると大倭国統一は、魏国の意向に沿った行動とみられる。

166美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 14:07:51
>>156
今で言う天皇っても、今の天皇が何を持って天皇なのか全く解らんし

・治世を行う者が天皇→じゃあ信長や家康が天皇です
・イワレビコを元始とした血統家系が天皇→じゃあそれ以前のアマテラスやスサノオは天皇とは関係ないですね
・大和朝廷のトップで、、→朝廷のトップは関白です
何が天皇なの?
天皇を名乗れば天皇って訳じゃないでしょ?
それに別に天皇って日本を治めて無きゃいけないものなの?

そもそも記紀を天皇の歴史だと思って読んでないよ
あれ系譜とかみると近い時代に天皇沢山いすぎでしょ?
同じ時代に何人かいたんじゃ無いの?
実際に南北朝なんてのがそうだし
あと三種の神器を受け継ぐものが天皇てのなら、ニニギも天皇だよ
167太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/21(月) 14:21:51
>>139
伊支馬≠垂仁

デタラメ垂れ流し御苦労!ww

縄文人さん
あんたも唐松山に次いで、妄想ひどいよ。>|<
168プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 14:26:02
>>163
嫌です。
169唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/21(月) 14:33:06
>>166
>今の天皇が何を持って天皇なのか全く解らんし

天皇の元は、天照大神。
暦を持って、筑紫に入る、大物主は、暦を持っている天照大神だから受け入れた。
暦の編纂権は、天皇にある。
倍暦の編纂権は、天皇に無い。だから間違い。
暦が大物主の手に渡るのは、考昭時代。
依って、192,193年の事態に対処出来なくなった大物主は崇神を頼る。
170美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 15:03:26
>>169
なんで中津川の阿木で産まれた天照が筑紫に行くんだよ
その後、神坂峠を超え高天原に行って皆神山の天戸に祀られたのがアマテラスだろ?

てか「天皇」てのは
・なんらかしらの権力があるポストの役職名
・ある血統を継承してる者を差す称号

どっちなの?
あとアマテラスを継承してると言うなら母系で継承しないとアマテラスの血統継承にならないでしょ?

171美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 15:28:51
あとそうだ、國之常立命が任命された者が天皇って話もある
つか記紀読むと「治世を任命する側」と「任命される側」ってのがいるんだよね
スサノオやアマテラスは、イザナミやイザナキに治めるように任命されて高天原を治めたりしてたし

けど天皇ってのはイワレビコとかが天皇てのなら任命される側だね
て、任命されるっても治世を任命されるって訳じゃなく、司祭の方じゃ無いのかな?

武家と公家で言えば天皇は公家でしょ?
けどイワレビコやヤマトタケルとかって武家のイメージしかないし
つかさ日本の歴史上、いつ誰が天皇だったのかって、どうでもいい話じゃない?

統治してきたのは鎌倉幕府や室町幕府でしょ?
國譲りを受けたのも別に天皇じゃないし、國を譲った大國主も別に天皇じゃないし


172美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 15:43:07
「天皇」って言われても、江戸時代も戦国時代も、天皇なんか全く出てこないし
ただ日本って儀式の國のイメージがあって、神功がやってたように、アマテラスや高木の神などの祝詞や神言などを聞いたりする祭祀がいたわけでしょ?
神社や寺や社や地蔵など、とにかくこんなに沢山ある國は日本以外には無いよ
氏子達が毎年あつまって氏神への儀式をしてて、それがお祭りな訳だし
雨乞いをしたりとか、そういうパワーを持ってる人が天皇じゃないの? 巫女の血統と思ってたけど違うんか?
公家はそういう家系で、武家は治世を行うもの見たいな事じゃないの?

天皇は神言や五穀豊穣の儀式を行う最高司祭の血統の継承者
てのなら、なんとなく解るんだけどな
統治者が変わっても天皇がいるかぎり日本の文化や信仰心は変わらない。天皇がいるからこそ日本
って事であれば公家が幕府に大切に扱われてた理由もなんとなく解るし
173愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 16:46:02
>>164
何故卑彌呼や男王を石や木として描くのですか?
そういう伝承だったのか、何かの意図があり隠したのか。
どちらにしても不自然。

>>165
武内宿禰と日本武尊は平行していません。
武内宿禰が東国から帰った後、日本武尊が西に出発しています。
(いろいろな記事から、この二人は同一人物かもしれない)
武内宿禰は三国史記・列伝于老に見える倭の将軍「于道朱君」(ウチスクネ?)と思われる。
于老は神功紀の「新羅王宇流助富利智干」であろう。
174日本@名無史さん:2009/09/21(月) 16:46:43
呉地、斗分ya[冠楙脚土]也。今之會稽、九江、丹陽、豫章、廬江、廣陵、六安、臨淮郡、盡呉分也。

 殷道既衰、周大王亶父興[扁支旁右郊]梁之地、長子大伯、次曰仲雍、少曰公季。公季有聖子昌、大王欲傳國焉。大伯、仲雍辭行采藥、遂奔荊蠻。
公季嗣位、至昌為西伯、受命而王。故孔子美而稱曰:「大伯、可謂至[冠直脚心]也已矣!三以天下讓、民無得而稱焉。」
謂「虞仲夷逸、隱居放言、身中清、廢中權。」【師古曰:「皆論語載孔子之言也。虞仲、即仲雍也。夷逸、言竄於蠻夷而遁逸也。隱居而不言、故其身清潔、所廢中於權道。」】
大伯初奔荊蠻、荊蠻歸之、號曰句呉。【師古曰:「句音鉤、夷俗語之發聲也、亦猶越為于越也。」】
大伯卒、仲雍立、至曾孫周章、而武王克殷、因而封之。又封周章弟中於河北、是為北呉、【師古曰:「中讀曰仲。」】
後世謂之虞、十二世為晉所滅。後二世而荊蠻之呉子壽夢盛大稱王。其少子則季札、有賢材。兄弟欲傳國、札讓而不受。
自壽夢稱王六世、闔廬舉伍子胥、孫武為將、戰勝攻取、興伯名於諸侯。【師古曰:「伯讀曰覇仲。」】至子夫差、誅子胥、用宰[喜否]、【師古曰:「[喜否]音披美反。」】為粤王句踐所滅。
175日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:11:31
>>172
天皇は戦国時代にも江戸時代にも話が出てくるぜ。
戦国時代は各大名に官位を与えていたし(明智に命じて織田信長を殺させた説に使われたり)
江戸時代、特に幕末は尊皇攘夷派に担ぎ上げられていた。

>>173
へぇ、同一人物なら京都南部木津の祝園で日本武命とモモソ・祟神は戦ったことになりますね。
敵の将を後世に神話で英雄扱いするとは思えませんがね。
176愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 17:25:14
>>173
>へぇ、同一人物なら京都南部木津の祝園で日本武命とモモソ・祟神は戦ったことになりますね。

なぜ? 武埴安彦のことは何も言ってませんよ。
177日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:31:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
178日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:45:13
【不思議な国のアリス】

丘の上で、お姉さんのとなりに座っていたアリスは、何もすることがなくて退屈していました。アリスは何回か、お姉さんが読んでいる本をのぞいて見たのですが、
その本には絵も会話もありません。アリスは思いました。「絵も会話もない本なんて、いったいどこが面白いのかしら」

 アリスは退屈しのぎに『ヒナギクの花で首飾りを作るのは楽しいかな。でもわざわざ立ち上がってヒナギクをつむのは面倒くさいか』などと考えていました。
アリスはとても眠かったので、考えがまとまらずにぼーっとしています。
 そのとき突然、ピンクの目をした白いウサギが、アリスの方へ走って来るではありませんか。

 白いウサギが「うわーっ!遅刻だあっ!」と言っているのを聞いても、アリスは、それほどびっくりすることでも風変わりなことでもないと思いました。
(しばらく後で考えると、それはとてもびっくりするような奇妙な出来事だったのですが、そのときのアリスには普通のことのように思えたのです)

 でも、ウサギがチョッキのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認して、慌てているのを見て、アリスは思わず立ち上がりました。チョッキを着たウサギとか、
ウサギがチョッキから時計を取り出すとか、そんな不思議なものを、今まで一度も見たことがなかったことを急に思い出したのです。
 アリスはもう好奇心のかたまりです。ウサギを追って野原を横切り、そして、ウサギが生け垣の向こうの大きなウサギの穴に飛び込むのを目にしました。
179日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:46:54
建内な。
蘇我の始祖。葛城族。

葛城氏は欠史時代の大王だという説もあるね。
さらにモモソの実家は葛城だとか。
日女命=モモソであるためだとか。

前に誰か書いてたな。妙に辻ツマがあってて
面白い説だったんだけど
180日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:49:05
【不思議な国のアリス】A

次の瞬間、アリスもウサギに続いて穴に飛び込みました。その穴からどうやって戻って来るか、なんてことは全く考えていません。
ウサギの穴はしばらくの間はトンネルのようにまっすぐでしたが、突然、がくんと下りになっていました。アリスは、
どうやったら自分が止まれるかということを考える余裕もなく、とっても深い井戸のような所を落ちて行きました。
井戸がとても深かったのでしょうか。それともアリスがゆっくりゆっくり落ちて行ったのでしょうか。アリスには、穴を落ちながら辺りを見回したり、
「次はどんなことが起こるんだろう」なんて考える余裕があったのです。

 まず、アリスは下の方を見て、自分がどこへ行こうとしているのかを知ろうとしました。だけど下の方は真っ暗で何も見えません。
そこで、今度は井戸の壁を見てみることにしました。周りには戸棚や本棚がたくさん並んでいました。釘にぶら下げられた地図や絵があちこちにあります。

 アリスは落ちながら、戸棚の上に置いてあったツボを手に取りました。そのツボには「オレンジ・マーマレード」と書かれたラベルが貼ってありましたが、
残念ながら、中身はからっぽでした。アリスはがっかりしましたが、下にいる誰かを殺してしまうといけないので、ツボを投げるのはやめ、通り過ぎる戸棚の中に何とかツボを置きました。


181日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:52:45
【不思議な国のアリス】B

 「さーて」アリスは思いました。「こんなに落ちたんだから、もう家の階段から転がり落ちるのなんてへっちゃらね。みんな『アリスは何て凄いんでしょう』って思うわ。
家の屋根から落っこちたって、このことは誰にも言わないもん」(うーん。確かに)
ぴゅーーーーーっ....。アリスはどんどんどんどん落ちて行きます。いったいどこまで落ちて行くのでしょうか。「何マイルぐらい落ちたのかなあ」アリスは声に出して言いました。
「きっと地球の真ん中に近付いているんだわ。そうね....。きっと4000マイルぐらい落ちたんだわ」(アリスは学校の授業でこんなことを勉強したのです。今は知識をひけらかすのに良い機会でもないし、
アリスの言うことを聞く人もいません。でも学校で習ったことを声に出して言うのは、とても良い勉強になりますね)「そうよ。きっとそれくらい落ちてるわ。だけど....今の緯度と経度はどのくらいなんだろう」
(アリスは「緯度」とか「経度」がどういうものかさっぱり分かりませんでしたが、そういう難しい言葉を知っていることが自慢だったのです)

 やがて、アリスはまたしゃべり始めました。「このまま落ちたら、もしかして、地球の反対側に出ちゃうのかな。頭を下にして歩いている人たちの所にあたしがひょっこり出て来たら、きっと面白いだろうな。
地球の反対側かあ。えーと....確か....反感地だったっけ?」(この時ばかりは誰も聞いていなくて良かった、とアリスは思いました。どうやら“反感地”という言葉は間違っているようです)「でも、
そうなったら、その人たちに国の名前をきかなきゃいけないわ。『奥様、こちらはニュージーランドざますか?それともオーストラリアでございますか?』なーんちゃって」(アリスはそう言いながら
、お辞儀をしようとしました。でも、考えてもみてください。宙に浮いたままお辞儀ができると思いますか?)「だめだめ。そんなこときいたら『この子は何て無知なのかしら』
って思われるだけだわ。絶対そんなこときけない。どこかに国名が書いてあるかもしれないし」


182日本@名無史さん:2009/09/21(月) 17:59:18
【不思議な国のアリス】C

ぴゅーーーーーっ....。アリスはまだまだ、どんどんどんどん落ちて行きます。他にすることがないので、アリスはまたまたしゃべり始めました。「あーあ。あたしがいないんで、夜になったらダイナが寂しがるだろうなあ」
(ダイナは、アリスが飼っている仔猫です)「お茶の時間になったら、誰かダイナにミルクをやってくれるかなあ。ダ・イ・ナー。お前がここにいて一緒に落っこちていたらなあ。ここにはネズミがいないけど、
お前はコウモリを食べるんでしょうね。だってコウモリってネズミにそっくりだもん。でも、猫ってコウモリを食べるのかしら」

 ここでアリスは眠くなって、寝言のようにしゃべり続けるのでした。「猫はコウモリを食べるか。猫はコウモリを食べるか」ときどき間違えて「コウモリは猫を食べるか」と言うこともありましたが、
いずれにしても、アリスはその質問に答えることができませんでしたので、どう言おうと同じことなのでした。アリスは自分がうとうとしているのが分かりました。そして、ダイナと手をつないで歩きながら、
「ねえダイナ。お前は今までコウモリを食べたことがあるの」と熱心にきいている夢を見始めました。

  と、その瞬間、どしーんという音がして、アリスは木の枝と葉っぱの山の上に落っこちました。これでようやく落ちるのが終わりました。
183プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 18:01:03
アリスと卑弥呼は実によく重なる。
アリスは卑弥呼の再来か?
184愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 18:19:11
時間の国のアリス
ttp://www.youtube.com/watch?v=5FQa_ioHVJg

松田聖子は久留米、酒井法子は福岡市出身。
高良大社は芸能の神としての信仰もある。
185河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 18:34:05
>>184
確か作曲はユーミン

松本、呉田コンビの曲に聖子の声は最高です。

変わったところで、小室のKIMONOもいいですよ
186日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:36:30
そんなにアク禁にされたいのか?
187縦目仮面:2009/09/21(月) 18:37:17
A Mad Tea-Party のようなスレになってしまいましたが、責任の一端は俺にもあるかな。
アリスのジョン・テニエルによる挿絵は、怒った顔が怖い。たしかカードのハートの女王に
ぶち切れたときだったか・・・。
188美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 18:46:46
>>175
俺も同じ話知ってるけど、君は勘違いしてるでしょ?
各大名にとか信長の、、とかで出てくるのは天皇じゃなく「朝廷」だよ

朝廷ってのは公家13家て、公家の治世を行うのは関白だよ
ちなみに後に秀吉が関白になったけど、秀吉は百の性(さがね)を持つ公家の血統氏族だったって事だよ

つか天皇の威厳って権力者って事だと思うの?
日本人は世界一信仰深い民族で、今はやらないけど毎日ご先祖に手を合わしたり、食べもしないご飯上げたり、そこら中に神社や寺や地蔵があったり、、大木や巨石があれば祭ったり、、、

天皇はそうした儀式の國の最高祭祀の立場でしょ?
天皇が戦国武将と同じように国内を統治する権力を手に入れようなんて立場であったなら、江戸幕府や鎌倉幕府のようにとっくに滅んでるよ
出雲大社の氏族や天皇はいまだにつづいてる
189日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:00:38
秀吉は、百姓兼足軽の身分の低い生まれで、おそらく名字もなかった。秀吉が後にサル
と呼ばれたのは、容貌が似ているからというより、落書のサル関白からきているという説
があって、ここでのサルは「生まれがどこともしれない身分の低いもの」というような意味
だよ。
190縦目仮面:2009/09/21(月) 19:01:46
そういえば唐松山さんが、平城京からの遷都は大仏造像時の鍍金に用いられた水銀公害
が原因との説をあげてましたが(けっこうありえるか)、A Mad Tea-Partyに登場する帽子屋
(The Hatter)は、フェルト加工に水銀を使用していたため、気が狂った人の代名詞となった、
ともいわれますね。
191日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:06:48
実に無秩序なスレになった。これも河童=プラムのせいだ。他のコテももはやスレタイになんの
意識もないじゃないか。
192プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 19:08:06
アク禁が怖くて2ちゃんが出来るかー バカタレ。


アリスと言えばサンドピアリス。
今から20年前のエリザベス女王杯。一番人気のシャダイカグラがこけて、最下位人気のアリスが

笑った笑った。
193日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:15:01
>>192
>アリスと言えばサンドピアリス   ハイセイコー産駒でしたね。
194改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 19:15:22
>>168>>185 プラム ◆TOfHBAKZgM くん
グラウンド三周、又は大きな公園三周してから来い。

それなら、くたくたに帰ってきた人達の気持ちも分かるだろう。
せっかくの時間、みんな関係ない話なんてしたくないんだよ。

195美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 19:20:28
>>189
関白にしろ天皇にしろ他の血統の人ではなれないよ

幕府の大将にしたって、公家の源や藤原氏なんかの同じ血統じゃなきゃ無理だし
まあ同じ血統だっても、大名くらすは遡れば公家にたどり着くだろうけどさ
もし本当に血統が違うなら、秀吉は関白はやってないよ
関白に裏で命令して好きなように出来たって事なのかもね

けどもし血統が違うなら関白じゃなくセイイ大将軍やりゃいいと思うけどな
関白なんてやっても自分の幕府が持てる訳じゃないのにさ
196改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 19:29:05
>>127
>壱与=五百野姫なら倭人伝の己百支国は五百野周辺(三重県亀山周辺)なのかな?
>それだと斯馬国=志摩で隣接しているのと 合致するけど。

ヨコですが、
己百支国=三重県亀山周辺としたのはどうしてですか?

ちなみに三重県亀山といえばヤマトタケルノミコトの伝承地
能褒野御墓、能褒野神社があるところ。
本当にここがヤマトタケルノミコトの墓なのか、議論の対象となっているが
その候補地の一つということ。
他にも、この付近では、三重県鈴鹿市にある白鳥陵、加佐登神社もある。
ここも」ヤマトタケルノミコトの墓の候補地。

壱与、五百野姫、己百支国が関係するのかな?
197美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 19:32:08
実際には血統に身分も糞も無いんだけどね
ただ関白とか天皇ていうのは、出雲の祭祀なんかと同じだよ

祭祀とかなんだのっても、天皇にしろ出雲にしろ祀ってる神様の氏子だから祭祀をやってるだけであって、わざわざ血統の違う奴が他人の氏神の祭祀の地位を欲しがる理由が解らんし
それなら新しく自分の氏神を祀る大社でもたてて自分の氏神を立派に祀るよ

まあ秀吉が関白をやったとあるなら、とにかく秀吉は公家13家の中の公家の治世をとりおこなう関白の血統だったて事
アマテラスや源や藤原鎌足と同じだよ

そうじゃなきゃ、秀吉関白の時点で大和朝廷は、百姓の秀吉朝廷へと血統が変わってるて事
そういや江戸時代は「大和朝廷」なんて言い方しないから、秀吉以後は秀吉朝廷だったかもよ?
198日本@名無史さん:2009/09/21(月) 19:32:41
秀吉は近衛前久の猶子として関白宣下を受けたんだよ。猶子ってわかる?
199改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 19:35:52
>>149
>畿内説だが投馬を丹波(多婆=田庭)に比定しますね。

貴方はいつか話した人ですよね。
投馬=丹波は面白いと思うけど、倭人伝の記述からどのようになるんでしょうか。
たぶん、投馬=丹波にするぐらいだから邪馬台国=奈良で考古学重視な考えなのかな、

倭人伝に記載されてるのは、「水行二十日」と「水行十日、陸行一月」ですから
それ相当の”差”があってもいいと思う。
この辺はどのように考えてるのでしょうか?
200プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 19:37:35
「煽るな!」そう何度も警告した筈だ。
それを無視し今更何をユー、早見優

このオトシマエだけはきっちりつけさせてもらう

ドラマは始まったばかりだぜ。ドラマはワンクルー三ヶ月が相場だ。
201改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 19:45:18
>>198
>>197
>>195 おい、おい 関係ない話はよそでしろ。

>>162
やはり、「古墳」や「鉄」からですか
しかし、分権側の倭人伝の記述も考えないといけない。

>>164
>五百野姫

わたしは、五百野姫なる人物をあまりよく知らないんだが、
景行天皇が遣わした人物らしいね。
しかし、何故、貴方は「五百野姫」にそんなにこだわるんです?
貴方が、五百野姫を壹與とする理由はなんなんです?
ただ、たんに名前の一部がにているだけだから?
他に、その姫が倭人伝に記載される壹與に相応しい根拠みたいなのはあるんでしょうか。
202改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 19:52:02
>>166 美濃もん太 ◆hF.jG29Cew くん
>今で言う天皇っても、今の天皇が何を持って天皇なのか全く解らんし
>・治世を行う者が天皇→じゃあ信長や家康が天皇です
>・イワレビコを元始とした血統家系が天皇→じゃあそれ以前のアマテラスやスサノオは天皇とは関係ないですね
>・大和朝廷のトップで、、→朝廷のトップは関白です
>何が天皇なの? 天皇を名乗れば天皇って訳じゃないでしょ?
>それに別に天皇って日本を治めて無きゃいけないものなの?
>そもそも記紀を天皇の歴史だと思って読んでないよ
>あれ系譜とかみると近い時代に天皇沢山いすぎでしょ?
>同じ時代に何人かいたんじゃ無いの? 実際に南北朝なんてのがそうだし
>あと三種の神器を受け継ぐものが天皇てのなら、ニニギも天皇だよ

これも横だが・・・
上のもん太さんのレスについては貴方がもっと勉強すればいいことではなかろうか?
全員が天皇のことを何もかも知ってるとはいえないかもしれないけど、
だいたい、皆、知ってるのではなかろうか...、もん太さんももっと勉強しないとだな。
203縦目仮面:2009/09/21(月) 19:53:03
>>191 すんませんね。もん太嵐が吹き止むまではかんべん。

古代から奈良や京都への人的・物的流入は北九州から瀬戸内海を抜けるルートが有名で
すが、実際は内陸ルートもよく活用されていたと考えられます。これは、若狭湾から琵琶湖
を経由して淀川へ抜けるもので、若狭湾で荷揚げをして船を換える。

内海で海流のない瀬戸内より対馬海流に乗ったこのルートの方が早い場合もあったと思い
ます。後代、大和朝廷が南朝鮮の覇権を新羅と争って負けた白村江の戦いの後、新羅・唐連
合軍の若狭湾からの来襲に備えて琵琶湖西岸に古代山城を築いたともいわれていますね。
204改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 20:02:03
はあ・・・もんたくんパワー炸裂だなw

誰かさん〜知ってる人レスお願いします。

武埴安彦は、卑弥呼=モモソヒメとし、交戦相手とされる人物。
ところで、武埴安彦てどこ出身の人なんですか?
東海?話を聞いてると畿内付近ぽいんですが・・・。
205プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 20:10:48
【不思議な国のアリス】D

アリスはどこもケガをしていませんでしたので、すぐに立ち上がりました。上を見上げてみましたが、やはり真っ暗で何も見えません。アリスの目の前には長い長い通路があって、
白ウサギが慌てて駆けて行くのが見えました。ぐずぐずしている暇はありません。アリスは突風のように白ウサギを追いかけました。そして、白ウサギが角を曲がりながら
「なんてこった! こんなに遅くなっちゃった!」と言うのが聞こえました。アリスが角を曲がったときには、もう白ウサギに追いつくところだったのです。ところが、
すでに白ウサギの姿はどこにも見当たりませんでした。アリスは、細長く天井の低い広間にたどり着きました。広間は天井からぶら下げられた一列のランプに照らし出されていました。

 広間のすべての壁にドアがありましたが、どれも鍵がかかっています。アリスは広間の壁に沿って歩き、別の壁の方も歩いてみて、すべてのドアを開けてみようとしました。しかし、
ドアにはすべて鍵がかかっています。アリスは悲しそうに広間の真ん中まで歩いて行って、どうやったらここから出られるか考えました。
突然、アリスは3本脚のテーブルにぶつかりました。それはかたいガラスだけで作られたものでした。机の上には小さな金色の鍵が乗っていました。アリスはまず、
この鍵が広間のドアのどれかに合うんじゃないかな、と思いました。ところが、あーあ、鍵穴が大きすぎるのか、それとも鍵が小さすぎるのか、とにかくこれではどのドアも開きそうにありません。
ところが、念のために改めて広間の壁に沿って歩いてみたところ、さっきは気が付かなかった低いカーテンがあることにアリスは気が付きました。そしてそのカーテンの陰には、
15インチ(約40センチ)くらいの小さなドアがあったのです。アリスは小さな金色の鍵を鍵穴に入れてみました。やった! ぴったりです。
206改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 20:12:22
●荒らし・煽りは『完全無視』+削除依頼しましょう。
   煽りにはsageでもレスしないこと。無視できない貴方も荒らしです。

荒らしはスルーにかぎるwwwwww
取り合ってほしいんだよw
207プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 20:15:24
【不思議な国のアリス】E

アリスがドアを開けてみると、その先には、ネズミの穴ほどの大きさしかない細く小さな廊下がありました。
アリスは膝をついてドアの向こうを見てみました。廊下の先には、今まで誰も見たことのないようなきれいなきれいな庭園が広がっているではありませんか。

 アリスは、この暗い広間を抜け出て、色鮮やかな花壇や冷たい噴水の周りをぶらぶら歩きたいと、どんなに願ったことでしょう。
だけど、ドアが小さすぎて、頭を通すことさえできません。「もし頭が通ったとしても」かわいそうなアリスは思いました。
「肩がひっかかったら、どうにもならないな。あーあ。体を望遠鏡みたく小さくできたらいいのに! もし縮み方の最初の部分が分かれば
、できるような気がするんだけど」これまでたくさん変なことが起こっていたため、アリスは、
自分にできないことなんかいくつもないんじゃないかな、と考え始めていたのです。
小さなドアの前に立っているだけじゃ何も起こりません。アリスはさっきのテーブルに戻って、他の鍵がないか、あるいは望遠鏡のように人間が縮む方法について書かれた本がないか
、探してみました。そして、今度は、テーブルの上に小さなビンがあるのに気が付きました(「さっきはこんなの無かったはずだわ」とアリスは言いました)。
ビンの口の近くには紙のラベルが貼ってあって、ラベルには「飲んでね」と大きな字で美しく印刷されていました。
208縦目仮面:2009/09/21(月) 20:16:24
>>204
武埴安彦命は孝元天皇の皇子で、彼が謀反を起こした相手の崇神天皇の叔父に当たり
ますね、で、倭迹迹日百襲媛命の甥になるのかな。彼はもちろん皇族となります。彼の生
母は、埴安媛(河内青玉繋の女)であり、河内に関係の深い人物であって、実際に河内に
は彼の伝承が多く残っています。

このことを元に、魏志の狗古智卑狗、魏略の拘右智卑弥狗(コウチヒク?)を、河内彦(カ
ワチヒコ)と考える説もありますね。
209改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 20:23:58
河内に関係の深い人物か〜

そうすると、狗古智卑狗は狗奴國なので
狗奴國の位置は大阪らへん?
う〜ん あの文章から、狗奴國は大阪とするのには少し無理があると思います。
こりゃ、文献無視するしかありませんなw

ところでこの荒らし、何歳か知ってます?
とても40歳過ぎのおっさんには見えないでしょ?w
210プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 20:24:59
【不思議な国のアリス】F

「飲んでね」は良いのですが、かしこいアリスはすぐには飲みませんでした。「とりあえず、よーく見てみなくちゃ」アリスは言いました。
「まず、『毒薬』って書いてないか見なきゃね」なぜならアリスは、やけどをしたり、野獣に食べられたり、その他のいやな出来事にあった
子供たちのお話を読んだことがあったらからです。子供たちがそういう目にあうのは、せっかく教えてもらったとても
単純なルールを思い出さなかったからです。例えば「真っ赤に熱した火かき棒を長いこと持っているとやけどをするよ」とか
「ナイフで指を深く傷付けると血が出るよ」とか。だけどアリスは、『毒薬』と書いてあるビンの中身をごくごくと飲み干すと、
遅「変なの! なーんて変てこりんな気分なんでしょ!」アリスは言いました。「きっとあたし、
望遠鏡みたいに縮んでるんだわ!」まさしくその通りでした。アリスは身長が10インチ(約25センチ)になっていました。
アリスの顔は喜びにパッと輝きました。だって、今ならあの小さなドアをくぐりぬけて、さっきの素敵な庭園に行けるのですから。
まずアリスは、自分がどのくらい縮むのかを見るために、何分か待ってみました。アリスはちょっと不安だったのです。
「このまま小さくなったら」アリスは言いました。「ロウソクみたいに消えてなくなっちゃうのかなあ。
そうしたらどうなっちゃうんだろう」そこでアリスは、ロウソクが消えた後、炎がどう見えるかを一生懸命に考えてみました。だってそんなもの、
今まで一度だって見たことがなかったのですからかれ早かれ体がおかしくなることを、決して忘れていなかったのです。


 だけどこのビンには、どこにも『毒薬』と書かれていませんでした。アリスはビンの中身を思い切り飲んでみました。
それは、意外にも、とても美味しかったのです。(それは、チェリータルトとカスタードとパイナップルとロー
ストターキーとタフィーとバターつきトーストを混ぜたような味がしました)アリスはすぐにそれを飲み干してしまいました。
211日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:25:46
オイ、改め。
相手は、はっきりと荒らし目的と自認した上で、スレと無関係な文字列をコピぺしたり、
後3ヶ月も粘着すると宣言してるんだ。
運営に申し立てれば一発で排除できる条件は揃っている。
ここでブラムを始末出来れば、お前は日本史板の英雄になれるぞ。
212改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/21(月) 20:27:20
>>211
荒らしは始末するべき。
手続きお願いできますか。
213縦目仮面:2009/09/21(月) 20:27:29
俺は倭人伝も、もちろん記紀も懐疑的に読んでます。狗奴国はやはり東海かな。ま、理由は
おいおい。
214日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:27:54
>>209

>ところでこの荒らし、何歳か知ってます?
とても40歳過ぎのおっさんには見えないでしょ?w

自分がどうして荒らされていのかすらも自覚ないから荒らされてるに
一票。
215日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:35:24
プラムは改めとの同時削除を狙っているのか?

216美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:38:44
>>198
いや解んない
そもそも近衛って九州の近衛?

関白をやってないって事ですか?
関白から任命された見たいな意味?

そういや信長って幕府を開く前に死んだっけ?
なんで近江に城なんか建てたのかも解らん
217縦目仮面:2009/09/21(月) 20:39:39
wwwww
あっちのスレは、人類ー恐竜同時生存説らしいし、こっちは河童さんがプラム化してアリス
語り(これは俺の >>42 が悪かったのか?)だし・・・。
218プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 20:43:30
>>217
そんな事はありません。
縦目さんには一切関係ない事です。


私は自らの意志で、アリスと卑弥呼の共通性を探りだしています。
219日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:44:47
頭おかしい人は怖いよね...
220日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:45:57
>>216
近衛前久は京都の近衛家の当主、猶子いうのは、他人の子供を自分の子として親子関係
を結ぶこと。養子とは違い契約関係によって成立し、子供の姓は変わらないことも多い。
221愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/21(月) 20:55:49
>>209
>う〜ん あの文章から、狗奴國は大阪とするのには少し無理があると思います。

そうかな?
私はぴったりだと思いますよ。
222日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:56:15
>>215
改めも叩けば埃の出る身体と計算した上での行動と考えるよ。
プラムだって昨日今日参加した住人ではないんだし、過去に何度も荒らしを体験してきた
当事者だ。
どこまでやると削除に抵触するかぐらい心得ていると俺は考える。
223美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:56:20
>>220
調べたらあった。つか近衛って摂関の家系なんだね

http://yomi.mobi/wgate/%E7%A6%81%E4%B8%AD%E4%B8%A6%E5%85%AC%E5%AE%B6%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6/
あとこれ見つけた
江戸時代に定められたらしい

「血統の違うものを摂関にはご法度であり」
これって秀吉の事かな?
だから徳川はこういう決まりを作ったのかもね
224日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:58:35
関白の就任資格は藤原北家の嫡流たる基経の子孫に限られていたが、平安時代中期の
藤原道長以後はその子孫がこれを継承して摂関家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹
司家)と呼ばれるようになった。このことから、秀吉は近衛家の猶子となったんだよ。
225日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:01:06
>>224
縦目さんはどうしてまた名無しで書いているの。
226縦目仮面:2009/09/21(月) 21:05:05
>>225
夜遅くまで、どこに飛ぶかわからない議論に巻き込まれたくないからだよ。・・・今度から
改行スタイル変える。
227プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 21:06:09
【不思議な国のアリス】G(アリスは卑弥呼をモデルにした作品か?)

しばらくたって、もう何も起こらないことが分かると、アリスはすぐに庭園に入ることを決心しました。だけど、ああ、かわいそうなアリス。
ドアの前に立ったとき、アリスは、自分が小さな金色の鍵を忘れたことに気が付きました。

 アリスは鍵を取りにテーブルに戻りましたが、どうやっても鍵に手が届きそうにありません。鍵はガラスのテーブルの
上に乗っています。テーブルがガラス製なので、下からでも鍵がはっきりと見えるのです。アリスはテーブルの脚の1つにし
がみついて、一生懸命よじ登ってみましたが、それはとてもツルツルして滑りやすかったのです。アリスは一生懸命テーブル
の脚をよじ登ろうとしましたが、とうとう疲れてしまい、かわいそうに、その場にしゃがみこんで泣き出してしまいました。

「何よ。こんなことで泣いたりして」アリスは鋭く自分に言い聞かせました。「今すぐ泣きやみなさい!」アリスはよく
自分自身に良い忠告をしました(だけどあまりその忠告を聞かなかったのも事実ですが....)。

ときどきアリスは自分を厳しく叱り過ぎて、泣きそうになることもありました。そう。忘れもしません。前に一度、ひとりでクロー
ケーゲームをしているときに、アリスは、自分をだまそうとしたもう1人の自分の耳を、思い切りぶん殴ろうとしたことがあったの
でした。だってこのおかしな女の子は、1人で2人遊びをするのが大好きだったのですから。「でも今は、何の役にも立たないわ」
かわいそうなアリスは思いました。「2人の人間のフリをしたって、あたし、ちゃんとした1人前の人間の大きさもないんですもの!」


228美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 21:11:49
>>223
これ読んでふと思ったけど
「天皇ご法度なんたら」
1、天子は学問に努めよ
2、なんとか大臣、なんとか大臣
3、関白は、、




1の「天子」って公家の事?

天子や関白やなんとか大臣の総称として「天皇」ってのを使ってる気がする
「あまのすめら」って、まあそういう意味でもあるかもだけど

だとしたら1の天子が俺らが思ってる天皇?
なんか良く解らん

天皇ってのは天子である公家全体の総称だったりするのかな?

229河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 21:19:48
>>228

>天皇ってのは天子である公家全体の総称だったりするのかな?

天皇に家が存在するなら公家の一部であり、天皇には家が存在しないのであれば
公家とは一線を引かなければならない。
230縦目仮面:2009/09/21(月) 21:23:34
天子というのは、天帝の子であり天命により天下を治める者というのが元々の意味だと思うが、
これでもん太君が納得するはずもなく・・・。
231日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:24:00
梅毒はもはやアリス過ぎて
ビートルズのLUCY IN THESKY WITH DIAMONSの
状態だ。

こいつ、シャブ漬けではなかろうか?

取り敢えずこんな奴のせいで、
SoftBankが規制されるのはごめんだ
232日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:27:21
>>199
魏志倭人伝では投馬=丹波(出雲)、邪馬台国=ヤマトは
セットで語られてると前提してますから。

南云々は帯方郡からの、もしくは半島からの
行程を語っているのではという推測です。

役人は現実には伊都へ寄る必要があるのでしょうが、
国の位置を記すなら、別に伊都へ寄る必要もない、
海流に乗れば勝手に出雲辺りに着きますからね。

水行20日は出雲か豊岡辺りの位置、そこから水行なら10日、
陸なら1月でヤマトと解釈してます。

233日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:29:57
>>222

ブラムの行為は単発荒らしじゃない。
意図的なスレ潰しなんだから「削除」なんかじゃすまない。
アクセス禁止対象だよ。
234美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 21:33:33
>>229
天皇家なんて呼び方しないよ

つか公家って「おおやけ」ってだけだよ
「天子は、、」
って有るけど記紀だと天子は天つ國の御子で、アマテラス血統の事だよ
公家って13家ぐらいあったと思うけど(関白に付ける家系は5家系ぐらい)、それら全てアマテラスの血統だから、天子を統べる呼称が「天皇(あまのすめら)」な気もする
だとすると記紀の天皇の書き方もなんとなく解るし
神武天皇ってのはイワレビコが活躍した天皇の代
次の○○天皇てのは、○○が関白だかで活躍してる時代
みたいな気がする
天子の血統はニニギもイワレビコもニギハやも天子なんだしさ

それとも公家以外に天子を統べる天皇て血統があるのかな?
けどだとしたら天皇に「天子は学問に、、」なんておかしいしなあ
235プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 21:40:04
>>233

>アクセス禁止対象だよ。

6月に3か月くらったから今度は永久禁止対象だな
236プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 21:42:19
>>231

>こいつ、シャブ漬けではなかろうか?

流石現役。現在進行形で漬かってるみたいだね   早く足抜けな
237日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:42:53
>>235
特定の人間だけをアク禁に出来ないのかな。
巻き込まれる方はたまったもんじゃない
238日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:42:54
928 名前:昔の名無しで出ています[sage] 投稿日:2009/09/21(月) 17:06:07 ID:???
岩崎家は東京で輸入材の社長やってる裕福な家庭
九州の片田舎の中流家庭を捨て娘の稼ぎ目立てにホイホイ出てきた爺婆とちがいます(娘のデビューに反対してたくせにね)

952 名前:昔の名無しで出ています[age] 投稿日:2009/09/21(月) 20:22:01 ID:???
>>946
江戸どころか鎌倉時代まで遡る筑後屈指の大名の血筋。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E6%B1%A0%E6%B0%8F

世が世なら本物の聖子姫(^^)
で、聖子はそれをただの一度も自慢したことがない。←ココ大事
239美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 21:43:25
>>224
うん。理解出来ました
てかこの法みると家康は怒ってるしねw
>能力の無いバカを関白にするな
秀吉を子としてしまった近衛関白で
>血族以外を関白にするなんてもっての他だ!
秀吉やねw
つか良く秀吉に乗っ取られなかったなあ
家康も秀吉倒そうとしても秀吉が関白だと、公家と戦うて事になるもんなあー
けどそれが秀吉の作戦だったかもだし

そうなると秀吉はやっぱ頭いいわ
つか良く百姓からここまで上りつめたよな
スゲー
多分、天子血統以外で初めて関白までやった人間だよ


家康もヤキモキしただろなw
信長には公家を狙われるわ、その後、秀吉が関白になっちまうわでw

この時代はちょうどキリスト教が世界中の王朝を滅ぼしてた時代だし、キリスト教は信長を利用して日本を滅ぼそうとしてたなんて話もあるし
日本やっぱ危なかったんじゃんw


そら家康は天皇を叱るわ
240河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 21:46:32
>>234

公家の中で唯一個人として認められるのが天皇で、あとの連中は
すべて家の一員としての存在にしか過ぎないから「公家」
241縦目仮面:2009/09/21(月) 21:50:54
ちょっと詳しく書くと、天命というのは、天から人間に与えられた一生をかけて行うべき命令
のことであり、基本的に特別な人にのみ与えられる。この特別な人を天帝の子、天子とみな
すというのが受命思想。

これは、殷から周へと王朝交代するときに成立したと考えられることが多い。殷王は上帝とい
われる最高神の直系子孫であると称しており、王は占いによって上帝の助力を得る資格があ
るとされ、貞人といわれる神官が甲骨文字で卜占して吉凶を占い、その結果により生贄を捧げ
たりしていた。


242日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:52:01
どうして河童さん壊れたの?わかる人説明して下さい。
>>240河童虫さんどうして?
243縦目仮面:2009/09/21(月) 21:53:47
続き
周が武力によって殷を滅ぼしたとき、その正当性を示すため殷とは別の考え方を示す必要が
あった。そこで、周は天空を自然神すなわち天として崇拝し、それが人格化されたものが天帝。
天の意思は占いなどでは知ることができず、天命によって示されるとした。天命は多くの人に幸
せをもたらす徳のある者に下されるというのが受命思想であり易姓革命にもつながる。

だから隋書に出てくる、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す・・・」というのは変な
話なんだよな。
244河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 21:56:28
>>242

壊れてないよ
245日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:57:34
各各が勝手なことをバラバラに書くスレ。
246河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/21(月) 22:02:58
蒲池家といえば、天下に知られた難攻不落の平城(柳川城)の基礎を造った


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E5%9F%8E
247日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:07:31
>>245
「河童コケたら皆コケた」という具合でして。
248プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/21(月) 22:14:00
【不思議な国のアリス】H(アリスは卑弥呼をモデルにした作品か?)

まもなくアリスの目は、テーブルの下にある小さなガラスの箱にとまりました。箱を開けてみると、中にはとても小さなケーキが入っていました。
ケーキの表面には干しブドウで「食べてね」と美しく記されています。「よし、これを食べてみよう」アリスは言いました。「これを食べて大きく
なったら鍵を取れるし、小さくなったらドアの下をくぐり抜けられるもん。どっちにしたって、あの庭園に行けるんだわ。大きくなろうが小さく
なろうが、どっちでも良いわ」

 アリスはとりあえず少しだけかじり、大きくなるのか小さくなるのかを感じるために頭のてっぺんに手をやりながら、「どっちかな、どっちかな」
と心配そうに言いました。でも、驚いたことにアリスの身長は大きくも小さくもなりませんでした。人がケーキを食べても、大きくなったり小さく
なったりしないのは当然のことです。ところがアリスは、変わったことばかり起こるのにすっかり慣れてしまっていたので、人生がごくごく普通の
法で進んで行くのが、とってもまぬけでとっても馬鹿らしいことに思えたのです。

 アリスはさっそく仕事にとりかかりました。そして、あっという間にケーキを食べ終えたのでした。


・・・・第一章 ウサギの穴に落ちちゃった 了・・・・・・


249日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:28:25
>>237
スレごと削除すれば誰も無傷。
250美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 22:33:14
>>241
「帝」てのは「みかど」だよ

あと思うんだけど「天」ってのを神格化し過ぎでしょ?
天上天下唯我独尊
天下布武
天井
天狗
天草
天変地異
天婦羅


天って「神」とかの意味では無いよ?
日本ではさ、人間って死んだらどうなるって思ってたか解る?

251日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:48:03
>>237

個別規制はプロバイダー側の対応だね。
252縦目仮面:2009/09/21(月) 22:52:56
もちろん世界各地の神話では、世界は混沌とした固まりから、軽く澄んだものが上に上って
天になり、重く濁ったものが下に沈んで地になったという類型が見られる。そういう意味の
天もあるだろう。
万葉集の山部赤人の有名な富士山を詠んだ長歌は、「天地(あめつち)の分かれし時ゆ・・・」
で始まってる。
253美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:07:22
>>252
上にツーっと上がってつっかえた所が天(てん)ですよ
あとちなみに天照とか天草って「アマ」でしょ?
日本語で「あま・あめ」ってのは「てん」って意味では無いですよ

てか富士山で「天地(てんち)」でしょ?
「中国原」と「高天原」
これ高天原が「神々が住まう天空の、、」なんて違いますよ
諏訪湖がある信濃高原が高天原なだけですよ
天戸のあった皆神山もここにあります
あそこは日本アルプスの高原地域で、昔は信濃へ行くには険しい神坂峠を越えなきゃ行けなかったんですよ
天とか高って字には対した意味無いですよ
254日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:22:17
>>249スレごと削除もいいかもね。
僕は賛成
255縦目仮面:2009/09/21(月) 23:25:34
北アルプスの高天原峠のこと?神坂峠は天照大神の恵那山のことか?しかし、人が住める
場所かな?
256縦目仮面:2009/09/21(月) 23:29:56
>>254
もん太君が来てる間は邪馬台国やろうとしてもムリなんだよ。
257日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:32:31
蒲池法子に近い時代の映像

http://www.youtube.com/watch?v=h1ZW0-rGk48&feature=related

中世の蒲池家にもこんな感じの人がいたのかな?
258日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:38:19
259美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:43:00
>>255
神坂峠を越えたら信濃高原ですよ
この先に扶桑の木があった阿智や諏訪や皆神山がありますよ


http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E5%A4%A9%E7%85%A7+%E9%98%BF%E6%9C%A8&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=Ko23StD8L4iI6wPlyuk6&cd=3&resnum=3&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.ja-higashimino.or.jp%2Fhiroba%2Fstory%2Fn%2Fagihuro.html

神坂峠を挟んで中つ国と高天原ですよ
昔は日本アルプスを越えるにも、越へ行くにもこの東山道の神坂峠を越えるしか無かったですよ
260日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:45:24
261日本@名無史さん:2009/09/21(月) 23:51:05
亀井静香とは何者か?そのルーツを探るべく筆者は亀井氏の出身地広島県庄原市へ飛んだ。
そこで筆者が見たものは、日本のピラミッド葦嶽山(あしたけやま)だった!

http://www5c.biglobe.ne.jp/~piyotrek/AshidakeyamaTop.jpg

この葦嶽山は神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)、つまり、神武天皇の墓だ
ったといわれている。つまり、亀井とは「カムイ(=神)」が訛化したものであり、亀井静香氏は
神武天皇の子孫ではないだろうか?
262美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:52:31
あとは奥三河の伊勢神峠を越えるルートもあります
猿田彦が皆神山の岩戸まで案内したルートです

この伊勢神付近には猿田彦が川に投げられて死んでしまった猿投岩や、和仁氏に騙され川を渡る途中で舟を転覆させられた、稲葉の王の兎足を祀る兎足神社も有ります
イワレビコがナガツネ彦を「日の昇る方向から倒そう」と言って東に回り込んだルートもこの伊勢神ルートです
ちなみにニギハヤヒは諏訪大社で諏訪大明神として祀られてます
263美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:58:27
ちなみに奥三河には昔は海と呼ばれる湖がありました(現在は地名だけ残ってます)

この伊勢神峠のルートは舟で湖を渡るルートです
この湖は対岸の阿智村の伝承によれば龍神が住んでたがある日の地震で一晩で水が抜けたと有ります
下流にあたる山岡町では「山奥の龍神様が『早く逃げろ』と教えてくれて助かった。村がまるまる1つ飲まれた」との伝承もあります
264改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/22(火) 00:01:39
荒らし報告してきました。
規制にしてもらいましょう。
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1253122856/

265美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 00:06:16
http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E4%B8%8A%E7%9F%A2%E4%BD%9C%E7%94%BA+%E6%B5%B7&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=qZS3SojWGpWA7QO78NY6&cd=2&resnum=2&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.nendai.nagoya-u.ac.jp%2Fmedia%2Fmisc%2FUmiV2.pdf

とりあえず湖があった事は調べられてるんですが、この調査は山古志村で起きた地震の際に山崩れで起きた自然のダムが、過去にもあったんじゃないか?
と言う調査を目的としてなされた調査なのでこういう解釈がなされてます

あとこのすぐ下流に当たる地域では、5メートルも埋まってた鳥居だか石碑が見つかった事もあるそうです
266美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 00:12:00
267改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/22(火) 00:17:28
>>248 プラム ◆TOfHBAKZgM

すぐには規制にならないがじきになると思う
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1251365277/

「荒らし報告の仕方」
http://info.2ch.net/wiki/index.php?%B9%D3%A4%E9%A4%B7%CA%F3%B9%F0#content_1_3
268縦目仮面:2009/09/22(火) 00:17:56
うーん、わからん。高天原は天上界で、人が住むとされる葦原中国や、地中にあるとされ
る死者の領域である根の国・黄泉とは対比される概念なんだと思いますけどね。

一般に高天原と信じられていたのは、葛城地域、奈良県御所市のあたりかな。あとは、宮
崎県の高千穂、熊本県阿蘇・蘇陽、岡山県蒜山高原、茨城県多賀郡とかいろいろあって、
それぞれ天の岩戸があったりして・・・なんともいえんなあ。
神坂峠の祭祀遺跡は出土品を見るかぎり古墳時代という感じかな。

>>258>>260 どうもです。このあたりは土地勘なく、よくわかりませんでした。

269縦目仮面:2009/09/22(火) 00:25:36
>荒らし報告してきました。
 規制にしてもらいましょう。

あーあ、改めさんと河童さんのバトルもここまで来ちゃいましたか。
270美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 00:31:32
>>268
天の岩戸がある山は沢山有りますよ
特にこの恵那山周辺の美濃飛騨信濃あたりに多いです
磐座(イワクラ)って言う奴です

山の入り口には鳥居変わりの2つの巨石が置かれ、チンコやマンコの岩などがあり、中腹に岩戸があり岩戸の前には雨乞い岩と言う祭壇が置かれ、付近に神鳴り岩が置かれ、昔は山頂に小さな社が置かれてたそうです
元々日本は山岳信仰の国で、恵那山や御岳山や白山の様に、山その物を神社(かみやしろ)として祀ってたそうです
神社の原形とも言われてますし、中腹の岩戸にその神様が入ってるからとも言われます



http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%A9&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=Wpq3SugHj_rrA-Og6jo&cd=6&resnum=6&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.vill.yamazoe.nara.jp%2Fiwakura%2Fiwakura.htm


「恵那 磐座」でくぐってみると沢山出てきますよ

昔はこうした信仰の対象の山は入山も固く禁じられてたそうです
271日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:32:29
>>269

実はいま警察にも相談しとるw
272日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:33:53
運営が動いてくれるみたいだから規制確実だね
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sec2chd/1252234207/787

787 名前:名無しの報告[sage] 投稿日:2009/09/22(火) 00:27:25 ID:yvxJYjBT0
>>781
わかった。報告できるようならそのうち、報告する。(但し規制が止まっているので様子見)
ただし、本スレには正義板だの、規制だのなんたらかんたらのカキコは止めてくれ。
273日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:34:48
こうゆうインターネット専門の警察だが

やり方難しい・・・
274美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 00:42:10
沢山ある磐座の中で皆神山が天照の岩戸とする根拠は、まず記紀にアマテラスは高天原を納めてたとあるため、高天原の信濃の磐座を中心に調べてみると、岩戸が開けられて磐座が荒らされてしまってる山が皆神山でした
その近くに戸隠山には皆神山の岩戸を隠したとあり、また以前から伝承では天照の墓だと言われてた見たいです
猿田彦が案内した伊勢神ルートの記紀の内容とも合いますし、恐らく皆神山だと思いますよ

付近にはインドやチベットの聖典で「三日月とひし形と台形と四角形の嶋からなりその中心にあるシュメール山」とも書かれて神聖な山とされてるシュメール山もあります
275縦目仮面:2009/09/22(火) 00:42:46
三輪山の奥津磐座は登って見学してきました。入山にはいろいろ決まりがありましたね。
276河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/22(火) 00:51:50
インターネットに関する犯罪報告はこちらへ

http://www.npa.go.jp/cyber/
277美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 00:56:15
278縦目仮面:2009/09/22(火) 00:59:41
皆神山は今ググって見ましたが、30〜35万年前の溶岩ドームか。確かに異様な山容で
古代人には神聖視されただろうという感じがします。にしてもいろいろ本やビデオが出てる
んですね。この手のは秋田県の黒又山(クロマンタ)は知ってましたが、なるほど面白そう
です。
279日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:01:21
今日は縦目がよく相手してるな。
280日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:06:27
多分規制無しだな。
281美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 01:06:40
皆神山の社紋もカゴメすね

御岳山が亀甲

恵那山は社紋は知らないけど神器は八本の鎌
この辺りは弁慶や義経や良弁などの陰陽師などの修試場だった大船山や、良弁杉や、大仙人の東王父仙人とか
なんかやっぱ古代って面白いすね

あと飛騨には艮の神の国常立命
記紀の話は別に神話じゃないと思いますよ

特に現実的じゃない話が書いてある訳でも無いですし、こうして実際に辿れるんだし
282日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:12:47
河童が規制される時って、過去ログ調べるから改めも同時規制だな。馬鹿なヤツ
283日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:18:40
規制議論板を荒らすな屑
284縦目仮面:2009/09/22(火) 01:19:44
秋田県の黒又山は、大湯環状列石(ストーンサークル)にも近く、ある方向から見れば三角
錐のピラミッド型をしていて、環太平洋学会(だったかな)の発掘で、縄文晩期(だったかな)
の土器が出ていたはず。まあ、山岳祭祀というのは目を引く山の形の山の近辺には全国的
にあったんでしょうね。

これはムー的ですが、四国剣山にはミイラとかソロモンの秘宝とか不思議な逸話がありま
したよね。にしてももん太君は物知りですね。
285美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 01:28:56
http://www.google.co.jp/gwt/x?site=universal&q=%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B1%B1&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=K6a3StCMAZXc7AOQ6ek6&cd=14&resnum=4&start
=10&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.manohra.gr.jp%2Fthailandquest%2Fculture%2Fculture03.html


http://www.google.co.jp/gwt/x?site=universal&q=%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B1%B1&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=C
KW3SqDgFI_66wPjoOo6&cd=1&resnum=1&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E9%25A0%2588%25E5%25BC%25A5%25E5%25B1%25B1

http://thoth.blog33.fc2.com/blog-entry-203.html

あとこれ皆神山付近にある妙高山(須弥山)で、インドやチベットの聖典によれば、三日月の嶋の中心にある宇宙の中心の地らしいです
もちろんインドでは単なる神話とされてるけど、周辺の地理とか神話に書かれてる周辺の山とかあればある程度特定出来る気がしますよ

286縦目仮面:2009/09/22(火) 01:37:06
須弥山はサンスクリット語でSumeru、スメール山といって古代インドの世界観の中心にあ
る山。メソポタミアのシュメールと何らかの関連があるとも考えられている。俺の知ってる
のはこれくらいすね。もう寝ます。もん太君またね。
287美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 01:57:48
>>284
うん。てか世界中に色々なこういう古代遺跡ってあるじゃないですか?
けど色々見たけど日本ほどこうしたものが沢山ある国は無いですよ
密教の修験寺や妖怪の話や仙人や天狗やこうした山や磐座や、、


仏教や神道だとかじゃなく、日本人の信仰心は古代の神話時代の頃から続く純粋な信仰なんだと思うよ
日本人の信仰心ってのは別に宗教とは違うものだと思うし
これだけ沢山、色んな伝承があり、実際に昔から祀られてたりすると、本当に天狗や妖怪なんかが沢山いて、陰陽師なんかが退治してたんじゃないかとか思えてくるような国だよ
今の日本でさえそう思えるぐらいだから昔はもっとそんな感覚があったんだろうと思うよ
で、うちのばあちゃんも未だに毎朝仏壇に手を合わしたり地蔵に物をしんぜたりしてるけど、ああいうのって本当に昔から自然にやってたんだと思う
余り言うとオカルトチックになるからアレだけど、古代からの日本人の信仰心は全てが全てオカルトな訳じゃない気がするよ
山岳信仰や先祖崇拝なんて、宗教でやらされてる訳じゃなく本当に自然にやってるだけな気がする
古代は山自体を神社(かみやしろ)として拝んでたなら、そっちが本来の信仰の姿な気がするし
日本アルプス周辺にある沢山の磐座も、実際にあの岩戸の前で儀式を行ってたものだと思うよ

卑弥呼の鬼道ってのも、そうしたものの1つなんだと思うよ
古代の日本はそういう儀式や信仰の国だった気がする
288日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:11:51
曹丕、曹叡の頃の司空は仲達だっけ?ちゃんと記録しないからこんなことになる

どうしてこうなった!
289美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 02:14:54
http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E7%9A%86%E7%A5%9E+%E5%A4%A9%E7%85%A7&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=G7K3SuDEMoiI6wPlyuk6&cd=7&resnum=7&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fbqspot.hp.infoseek.co.jp%2Fminakamii.html

http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E7%9A%86%E7%A5%9E+%E5%A4%A9%E7%85%A7&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=G7K3SuDEMoiI6wPlyuk6&cd=2&resnum=2&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.interq.or.jp%2Fjazz%2Fharrygws%2Fminakamiyamanknazo%2F027fushigi.html


皆神山ってマジで完全に岩戸が開けられてるんだね
初めてみた
この岩戸の前には祭壇の雨乞い岩とかあるのかな?

古史古伝によると、古来の神社(かみやしろ)は、山の中腹に横穴を掘り岩戸をしめ、山頂に社を置いたもので、そうした山そのものを神社(かみやしろ)としてた
ってあるけど、これが本当に天照の神社だったらマジでここに入ってたんだと思う

けどヒルメ達はなんでワザワザ開けて岩戸まで隠したんだろ?
それやる事にどんな意味があるのかなあ?
290日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:16:18
古代古代といっても曹操、劉備の頃だろ。
五斗米道の一派だった可能性もあるし
291日本@名無史さん:2009/09/22(火) 02:20:10
岩戸ってのは要塞だったんだろ

その頃、孫権あたりが日本に相当の影響力があって
曹操の魏がちょっかいだしていたころ

ちなみに呉服等、日本語の漢字の読みはその頃の呉の
江南系の読み

神秘主義より政戦両略の観点のほうから分析のほうが
読み解きやすかったりする
292美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 02:35:33
>>291
いや岩戸は沢山あるよ
その前には雨乞い岩と神鳴り岩が置かれ山岳の入り口には2対の巨石がおかれてる
これが基本的な形かな?
んで、あとはストーンサークルがあったり御神岩があったり、、

てかまだこうして探索ルートとか儲けてくれてるから良いけど、なーんも整備してなかったりとか、日本は昔しめちゃくちゃ植林したけど、その時に一度山を焼くから、磐座や城跡があろうが平気でやっちゃってたりしてる所ばかりだしさ


「磐座」で調べてみ? それでもまだ沢山あるよ
美濃とか信濃に特に多いよ
293美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 02:45:52
294美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 03:09:51
>>290
いつ頃かは良く解らないけど、まあそんなに昔じゃないとは思うよ

国常立命→位山
イザナキ→?
イザナミ(天照のエナ)→恵那山
天照→皆神山(岩戸開けられてる)→??
スサナオ→??

沢山磐座はあるけど、神社見たいに文献とかがある訳じゃないから良く解んないし

あと岩戸の中に本当は入って無いかもしれないし
あんま整備されてる所少ないしさ
国常立命やイザナミは古くから信仰の対象の山だから解るってだけて、国常立命は御岳山の方かもだし


ただ日本人の山岳信仰を考えると、山岳信仰てそう言う意味があって山岳自体を社として信仰してたような気がする
それが今の神社って形に変わって来ただけでさ
磐座を置くなんて何時頃までやってたんかな?
てかあれ相当重いけどどうやって置いてるんだろ?
なんか岩のまんま置いてて意味があるのかないのか解らんものもあるしさ
295美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 06:07:42
つか岩戸の話て「これは太陽が隠れてしまったと言
296美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 06:09:15
つか岩戸の話て「これは太陽が隠れてしまったと言う意味で日食の事だ、当時は大パニックで、それを表す、、」
とか言ってた学者って誰なの?


「昔の人は妄想癖があるから、実際にあった事をファンタジーな神話として、、」
逆だろっての

実際に書いてある事をファンタジーな空想にすり替えてるのはどっただよなあ
297唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 09:10:17
もん太君 >>8 の書き込みが読めていない。
弥生人は君よりズッと合理的な考えをしていた。
298ドラえもん:2009/09/22(火) 09:28:39
プラムはお咎めなしだって。
「くやしいのぅ、くやしいのぅ」







((ミ゚o゚ミ))
299唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 09:33:10
もん太君
皆神山の古墳を「天の岩戸」に仕立てて、金儲けを企んでいるのですか?
300日本@名無史さん:2009/09/22(火) 11:01:56
梅毒、ビビり過ぎだろw
301日本@名無史さん:2009/09/22(火) 12:17:35
>>300
多分ビビってるから刺客放すと思う。
302日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:02:20
Yahoo!BBユーザーとしては
巻き添えだけは勘弁。

糞コテは取り敢えず。
スレ住民全員がNG指定すれば良いのではないか?

プラムが何書こうと『あぼ〜ん』としか表示しなくなる
303美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 13:03:30
>>297
>>8にも恵那って書いてあるじゃんよw

恵那から記紀でもホツマでもいいから辿ってみ?
304日本@名無史さん:2009/09/22(火) 13:11:01
>>302
無駄じゃね?
固定付けてれば可能だけど、名無しだったら意味ねえし。
それよっか、糞固定がいるの分かってて寄り付く方も寄り付く方じゃね?
305美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 13:23:40
>>297
唐松さん、ホツマって人によって解釈違うの?
昨日、違うスレで話した人もホツマ教えてくれて、天照の恵那の事いろいろ教えてくれたよ?
306太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 13:40:23
もん太どの
ホツマは自ら研究するか、疑問での質問をしたければ、他の方に
聞いたほうがいい。そうしないと唐松山カルト盲象教に君の正常な
頭脳がますますイカレてしまい、治療困難になる。あたかも大麻、
覚醒剤に毒されて、脳内の正常な機能が壊滅に追いやられる如くだ。

そうでないとラトレッジ精神病院に入らねばならないほどの、ひどい
盲象が固まってしまう。w 恐ろしいものだ。あいつの脳内はかように
盲象ばかりだから、アマテラスが男だとか、ま〜だデタラメを宣言
している。あいつに騙されるなよ。
307美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 13:47:36
>>306
つまり読み手によっては複数の解釈がなされてるって事ですね?

いや俺はホツマも記紀も間違った事を書いてある訳じゃないと思ってる
同じ日本の歴史を書いてあって、書き方が違うだけと思うし

それが読み手の解釈によってまたいろいろな読み方をされるから、良く解らなくなっちゃうだけな気がするよ

308唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 13:48:32
天照の「えな」と書いてあるが、時代が違うだろう。
ホツマに書かれている時代は、孝霊時代。
天照の系譜は、考昭の太子孝安から復活するの、だから其の系譜復活を永遠に
続く事を願って孝霊の太子の「えな」を貰って祀る。
ここには、時間の経過があるから「数字を入れろ」と注意したの。

6,7世紀の横穴古墳を持ち出してもダメなんだ。
309唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 13:55:09
続き
天照大神 紀元前2〜4世紀の人間
孝霊   紀元2世紀の人間
岩戸   紀元6〜7世紀の古墳

これらを一つに纏めた話になってる。
310美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 13:56:37
>>308
ってのが唐松さんの解釈でしょ?
ホツマや記紀にそう書かれてる訳じゃない


http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E5%A4%A9%E7%85%A7+%E9%98%BF%E6%9C%A8&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=m1e4Sqi8LYq86APogvA6&cd=3&resnum=3&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.ja-higashimino.or.jp%2Fhiroba%2Fstory%2Fn%2Fagihuro.html

とりあえずエナって書いてあるんだからエナで探せば見つかるよ

年代やなんかは特に特定出来るものがなければ、無理やり特定する必要も無いし

311唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 14:07:33
天照大神を研究するなら、戦国時代武将等の「誓詞」
この誓詞に出てくるのは、午頭天王以下各地の神様が登場するが
唯一例外として「天照大神」が登場しない。何故か?

此方の方が面白いぞ。
312美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 14:12:20
>>309
それも記紀やホツマにそう書いてある訳じゃ無いでしょ?
年代も読み手の解釈によって全然違う解釈が出来ちゃうしさ

ただそれらの年代も解釈でしか無いんだから先に年代を固定して考えないほうが良いよ

そういや1192年鎌倉幕府でさえ「年代が違うんじゃないか?」って話も出てきてるみたいだよ

ただあんなもんも大事なのは過去に何があったかって事で、それが500年前だろうが1000年前だろうがどうでもいいよ


なんか年代を古ければ古いほどスゲー見たいな感じて、とにかく古い事にしたがる傾向はあるしね
313美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 14:20:34
>>311
牛頭天王ってスサノオでしょ?
だとしたらそれはスサノオの歴史を調べる資料として参考にしないと

別に天照が登場しなかろうがどうでもいいじゃん
別に天照が偉いとも思ってないし
まずは昔そう呼ばれる人がいたんだなって話だよ

つかスサノオはスサノオでちゃんと調べたいね
天照や国常立命は地元の伝承なんかである程度辿ったり出来るけど、スサノオがなんかいまいち調べられないよ
ヤマタのオロチの場所とか芦原中国とかさ
スサノオはスサノオで色々な呼び方されてるし、それこそ全国各地で祀られてるし
スサの王で渡来人て話もあるし
314美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 14:31:27
スサノオが祀られて地元から山岳信仰の対象とされてるような山とか無いのかな?
いや別に信仰の対象とされてなくてもかまわいけど

そんな伝承がある場所とか山とかさ
例えばヤマタノオロチは「川上に行くと」だから、どこかの上流とは思うけど、、
まず高天原を追放されて何処に向かったんかな?
高天原が信濃として神坂を下れば中つ川だし、確か古道としては安雲を開拓して越へ抜けるなんとか道もあったはず
あと東の地域の可能性もあるんだし

ただめちゃくちゃ沢山道があった訳じゃないから、どちらに向かったにせよ古道のルートが特定出来ればある程度は辿った道が解るよ

越の方の気はするけどなあ
スサノオの子孫の大国主は渡来人と国造りを始めてる
渡来人との交易の港は越にあるし
和仁氏や秦(幡多)氏とかさ
315美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 14:37:13
まだちゃんと調べて無いけど、記紀には多分「酒を飲ませて酔っぱらったヤマタノオロチの腹を裂き、、」なんて書いてある訳じゃないと思うよ
そう解釈されてるだけでさ


スゲー前に確か「川上に向かい若い娘に会い、竜神と呼ばれる仙人の家にお世話にになり酒をのみかわし、船で帰る際に、船頭のワニ氏から剣を貰った」
見たいな伝承を読んだ記憶はあるんだけど、、
越の方だったかな?

また調べるのなんか面倒くさいw
316美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 14:53:31
http://www.google.co.jp/
gwt/x?site=universal&q=%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E9%AB%98%E5%BF%97&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=RWW4SuDoJonq6APzzeI6&cd=11&resnum=1&start=10&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Flib.city.kashiwazaki.niigata.jp%2Fsiraberu%2Fzenmokuji%2Fkosiji_mokuji.html


http://www.google.co.jp/gwt/x?site=universal&q=%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE+%E9%AB%98%E5%BF%97&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=1GS4SsiyEYns7AP2neI6&cd=5&resnum=5&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.dai3gen.net%2Fkosi01.htm

なんか良く解らんなあ

記紀にはやっぱ、高志のヤマタノオロチてあるから高志で探したけど、、
籠神社辺りな気はするけどなあ
317日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:00:41
>>296
そういえば卑弥呼の時代に日食があった
同時期に孔明が暦を計算して日食を利用した戦いが
あったきがする。
318唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 15:11:25
ホツマには、オロチとは人の心に住む邪悪と書かれている。
>>309 に書いた数字を信じなくとも良いが、君の書き込みは、
あのくらい数字を混同している。

一応ここは歴史の分野を扱っていますから、数字も一緒に考えること。

数字を無視している君の書き込みは、昔話の域を出ない。
319日本@名無史さん:2009/09/22(火) 15:17:56
ミノムシの妄想昔話より
まんが日本昔ばなしの方が信憑性があるわww
320美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 15:28:08
>>317
卑弥呼の時代ってもね
景初2年が何時の時代かとかをとにかく先に特定して考えてるでしょ?
特定は出来ないよ

ちなみに旧暦には「朔」ってあるんだけど、この前後3日間は日食の日だよ

日食なんて実際は毎月あるんだし、日食も知らないような人は旧暦のような大陰暦は作れないよ
その日の天気もあるし
日食が起きたからってよってたかって騒いでるのはむしろ現代人じゃん
321美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 15:38:06
>>318
いやそう唐松さんが解釈をしてるだけ
「頭が8つに別れたオロチが、、」
こんなのもメルヘンな奴がそう解釈してるだけ
それらの解釈が正しいかどうかは俺は知らない
ただもしそんな化け物がいたなら、それこそ詳しい伝承が残るだろうし

ただもっと現実的な話が書いてあるだけだと思うよ
龍神やオロチと呼ばれてた山奥の仙人の話とかは高志以外にもあるし
昨日書いた伊勢神峠にかつてあった湖にもそういう人がいたとあるし
貯水地や高台の湖付近に多いよ
日本は水田の国だから水路の確保や水は大切なんだし
322唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 15:43:52
ホツマのオロチ
ホ16227 ゆえもなし メはヒトミチに をもえとも ねたみわつらふ
ムネのホが ヲロチとなリて コタネかむ

景初2年が何時の時代か解らない人間は、「日本昔話」方面への転身を進める。
景初2年は、大陸の暦、大陸の年代は、日々の干支をつなぎ合わせれば行き着くことが出来る。
王朝が変わろうが、暦法が変わろうが、日々の干支だけは変わらない。
例外として漢以前は、干支の変更がある。

君が王朝や暦法の変遷で数字は繋がらない、は間違い。
これを否定したければ、日々の干支が2重に成るところが有るはず。
日々の干支が重ならないことを日食の記事が証明している。

323美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 15:46:29
>>318
うん?
平安時代より前と考えてるから1000年以上前とは思ってるよ
時代を明確に特定出来る根拠があれば特定はするさ
まだその段階でも無いのに先に時代を特定して考えたりしないよ
あと時代特定に対して興味も無いし
時代を調べてる訳じゃ無いんだから

てか昔にあった出来事を調べたり話してるんだから昔話でしょ?

記紀やその地元に伝承されて来てる昔話も無い事を調べようとしてるの?
マチュピチュやナスカのような?
あれは民族が滅びてるからなんの伝承もない
324唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 15:58:50
>伊勢神峠
この名前が付けられた年代は何時ですか?
http://www.imaken.biz/sakuhin.html 

『地名考古学』から見れば、天照大神の時代では無い事は確か。
325美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:02:28
>>322
って唐松さんは解釈してるだけでしょ?
つか実際には自分でそれを調べて弾きだした数字でもないくせに


そもそも旧暦の成り立ちとかちゃんと自分で理解してるんですか?
俺は旧暦の成り立ちからちゃんと調べて見たよ
だいたい一年は365日じゃないし
魏志倭人伝の暦が大陰暦として、干支は60年周期でずれる
日付の干支から逆算するにはそれぞれの年の日数を月の運行から逆算しなきゃいけない
閏月を何時にしてたのかも調べなければいけない


こんな面倒臭い事は俺はやらん
実際に唐松さんも年代を特定してる人もそんな面倒臭い事はしてないじゃん

暦を逆算するならすればいいけど、ちゃんと逆算出来るだけの資料があって逆算してるかどうかだよ
帝紀を見たけどそれだけの資料は無かったよ
つか何度も言うけど自分でやってみれば?

それと新暦が作られたのは約400年前
旧暦とは既に40日間ぐらいずれがある

1000年前の旧暦の6月15日は、西暦の1009年6月15日じゃないよ
326太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 16:09:01
もん太どの >>322
つなぎあわせても日数から行きつかない。空白日がうんとあったんだから、そんな
の出きっこない。奴の盲象だよ。その方法は古文献が超多量に出てくれば、それ
は可能になるが。現今では絶対無理に近い。それで奴は恣意的に合わせて、こう
だと編年表を出してるだけで、勝手に奴の脳内で決めた恣意的なデタラメなのだ。
327美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:09:26
>>324
今ある伊勢神峠って新しく作られた道路だもん
旧伊勢神峠もある
けどこれも近代に作られた交通網だよ
昔そのルートの道がなんて呼ばれてたのかは調べてないや

ただ伊勢神峠てのは道路を通した時にその地域の字伊勢から付けられたものだよ
神坂峠て呼ばれる道路も、昔の神坂峠を整備した道路じゃなく新しく作って付けられた名前

中馬街道とかまだ残ってる古道も田舎の方にはあるけどね
今は交通網が発達して使う人は居ないよ
328日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:10:01
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
329唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 16:14:03
>>8 を書いたのは、伊那谷を北に抜ける「善知鳥峠」(ウトウ峠)
を考える為 トウは弥生時代に九州、四国方面で使われていた”峠”にあたる。
そうするとこの時代、九州、四国方面の言葉を持った人間が名付けた、
それは、何時誰か?を考えた時出てきた私なりの答えとして、諏訪に建御名方が流された時
になり、思兼、手力男 もちろんこの二人は、初代では無い。
330太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 16:18:02
もん太どの
あんたの言い分がほぼ正解だ。奴の方法は現今では理想論で、要領が
悪い方法なのだ。奴はそれを永年やって来たから、手放すことが
おさみしくて出来ないんだよ。しかしこの方法は超大量の古文献が
見つかるまで保留とせざるを得ないわけで、お蔵の奥にでもしまって
おくべきものだ。だから奴の方法は不採用が妥当なのだ。耳に
しないほうがいい。まるでエンパイヤー・ステート・ビルディングを
蟻群が建造するようなもので、とても不可能事なのだ。
331美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:19:53
神坂峠を越える古道は東山道じゃなかったかな?
ヤマトタケルが通った古道
で、山梨の方へ行けると思った
信濃から高志へ行くには安雲を開拓して通したと言われる古道があったはず
後は中馬街道や信濃と三河を繋ぐ塩の道
信濃には岩塩を採掘した後が沢山ある
つか塩水が涌き出る井戸とかあるし。てかクソ山奥で塩水が涌き出る意味が解らんけど今でも実際にある


確か伊勢を通り阿智村へ行く古道は塩の道って奴じゃないかな?
過去に崩壊した海って名前の湖を渡るルート
正式な街道の名前は知らない
静岡に行くには岐阜や尾張からは東海道が有名じゃない?
332唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 16:25:31
>実際に唐松さんも年代を特定してる人もそんな面倒臭い事はしてないじゃん

私は、実際に神武以前からの、”朔”単位で数字を作り、使用しています。

春正月庚辰朔。天皇即帝位 庚辰朔を8777日とし、
欽明天皇 元年春正月,庚戌朔甲子は 446687日となる。
333美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:25:43
>>329
だからそれは唐松さんの解釈でしょ?

伊奈は恵那から神坂峠を越えた信濃に今でもある地名だよ
昔の地名も調べたけど辺り一帯を伊那郡とか伊州とかの時代もあったみたいだし

ウトウ峠ってのは知らないや。初めて聞いた
信濃や伊那で調べて見てあげよか?
334美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:27:35
335美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:33:50
>>332
唐松さんはまず、神武元年を2600年前として、そっから何日後かって計算してるだけじゃん
まずは現在から逆算して神武元年の辛酉年かを出しなよ
ちなみに旧暦では今は9月22日じゃないし、あと一年は365日じゃないぞ?
336美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:40:13
>>329
もっとホツマに書かれてる事とか教えてよ^^
ウトウ峠なんて記紀しか見てない俺は知らなかったよ
これ飯田街道みたいだね
恵那から神坂、伊那谷でウトウ峠
ホツマでも記紀でもやっぱ同じルートで辿れるや

つか国常立命が位山や御岳山って有名なんじゃないの?
なんで四国や九州から辿ろうとしてるのか俺には良く解らないよ
337美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:47:41
>>326
うん。まあ唐松さんの計算の仕方は知ってる
計算ってもイワレビコの神武元年を2600年前を決めつけて、そこを0日として365日を1年として日数を足してるるだけだし
逆算とは言わない

これを歴史とか年代とか言われても困る
唐松さんの計算の仕方では、神武元年を1600年前と定めればその100年後は1500年前だし
神武元年を5500年前と定めれば、その100年後は5400年前ってだけ

こんな計算では年代は割り出せない事を気付いて欲しいんだけどなあ
338唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 16:48:25
太陰暦は朔を基本とし、19年7閏を1章として数える。
書紀が朔で書かれている限り朔を優先して考えると、
各天皇紀は、19*n年の”加増”がある。
例外は、皇暦から西暦(太陰暦だが)に繋ぐとき位か。
計算結果は、「日本書紀の年代を考える」に記載してある。
339美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 16:59:34
>>338
旧暦の閏は「閏月」だよ
閏月を含んだ13か月
また閏年には何月を閏月としてたのかは時代によって違う(つかその年の節句によって定めたり)

大陰の運行は365日じゃないし、朔〜朔は30日や31日じゃない


そもそも唐松さんの計算方法は「イワレビコが即位したと言われる神武元年の辛酉を2600年前」と決めつける所から始まる

これでは年代は計算出来ないよ
年代を決めつける事が出来るだけ
340日本@名無史さん:2009/09/22(火) 17:00:46
そんなことよりも!
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1253603749/
このスレへの応援をお願いします!
341唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 17:05:08
>>337
逆だろ欽明天皇の数字を正しいとして、書紀に書かれた数字をたどれば、
神武にたどり着く、朔と日数に錯誤は無い。
365日を重ねても24節気の書かれていない書紀では意味をなさない。

>なんで四国や九州から辿ろうとしてるのか俺には良く解らないよ
これが歴史の流れなのだから、仕方ない。
ウトウだけで峠を意味するのに更に峠を加えるのが歴史。
ウトウだけでは峠と解釈されなくなった時代。

342美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 17:20:29
だいたい記紀時代から使われてる旧暦は江戸時代まで日本では使われてた暦なんだけど、そんな単純な暦じゃないよ

例えば江戸時代は暦は毎年、幕府が作成し各大名に配布してた
で、その作成した暦てのは一冊の暦本なんだよ
日本人が使ってきた旧暦てのは、それだけ詳細で、それだけ複雑で、けどそれだけ正確な暦なんだよ

カレンダー一枚で表せるような単純な暦じゃない
つか相当な天文学知識がなければ旧暦のような正確な暦は作れないよ
天文学知識の無いやつが作ったのが今の西暦だし(キリスト教の教会の会議で作られた暦)

日本は少なくとも記紀時代に既にこの正確な暦を表す和暦を使ってる国

少なくとも唐松さんより、記紀時代の人の方が天文学的な知識がある
例えばこれだけ正確な暦は唐松さんの今の知識だけでは作れないから
それだけの知識がある人達が書いた書物が記紀でありホツマなどの歴史書だよ


頭の悪い奴が神話で伝えてる訳じゃないと思うよ
343美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 17:27:56
>>341
だから記紀の何処に江戸時代や鎌倉時代の年代が乗ってるんです?
まずどこかを○○年て決めつけなければ無理
あと「神武○○年」とか「仲哀○○年」て何?
元号? 天皇の在籍年数?

つか年代なんて干支から割り出せば良いだけだよ
ただ60年おきでズレルから特定はしないほうがいいよ
解釈によっては600年とかずれるから


あとウトウ峠の由来はさっきのサイトに書いてあったよ
344太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 17:35:21
もん太どの
唐松山の言う「加増」っていうのは、奴の計算での不一致をいい
くるめるのに奴にとっては絶好の言い分なわけで、こんなんなら
他の連中ま紀年をやって、会わない分だけ「加増」だと言えることに
なり、奴と別のその主張者らとがピタリと「加増」の前段階で
数字が合うんならそれは可能性という意味で正の範囲内に一応あると
いうことになるが、まぁ他の倍暦でない紀年を試みる者らとのその
数字は合うことはあるまい。つまり、奴の計算不合致の単なるいい訳
に過ぎないわけで、大した動機も説明できず、借り物動機で凌いで
いるいい加減な論なのである。騙されてはいけない。
345美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 17:40:30
欽明天皇の年代にしろそうやってまず決め付けない方がいいよ

じゃあ問題
欽明天皇の年代をさっきの計算方法でまずは出して下さい


どういう計算をするのか教えてよ
346唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 17:51:40
紀は六国史の一部だから日本三代実録888年迄繋がる。
この辺は日本の歴史だけでなく、唐の歴史ででも繋げられる

>あと「神武○○年」とか「仲哀○○年」て何?
>元号? 天皇の在籍年数?
元号と同じ物と捉えて差し支えないと思います、正しい天皇の在籍年数
とは限りませんから、
○○天皇元年は、元号では誤魔化せないので、一応正しいとしたとき○○天皇60年
は伸びすぎ、圧縮する必要が有るが「月の満ち欠け」は誤魔化せない。
60年の誤魔化しは、「月の満ち欠け」が許さない。

>あとウトウ峠の由来はさっきのサイトに書いてあったよ
それは現代解釈か言語解釈か又はアイヌ語による解釈かいろいろある。
347太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 17:57:57
もん太どの
奴は月の満ち欠けは動かない旨言ってるが、あれは紀の編者らの
後付けだよ。観測ではないな。観測なら、重要な月食記事が至る所
に記載がある。それが佛伝以前は全く記述が無い。彼等の計算は
極めて正確だと想う。特殊な朔たる月食の記事がまるでそのころ
無いのだ。
348美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 17:59:48
>>341
>朔と日数に誤差はない
どういう意味?
つか朔の意味理解してます?

例えば
8月甲子
8月丑牛

これ何日間あるか解る?
つか正確は1つダケじゃ無いこと理解出来てますか?

同じように
甲子年
乙丑年
正確は1つダケじゃ無いよ?


だいたい、その日にちの干支が何年の日にちを表してるのかは、唐松さんには解らないよ
閏月がいつで、その間の一ヶ月(朔〜朔)がそれぞれ何日間あって、その年の一年(正月朔〜正月朔)が何日間あるのかが解らなければ無理


つか唐松さんは旧暦の成り立ちを理解してない
349美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:05:21
500年前の旧暦の8月1日

これは
×西暦1509年8月1日


旧暦は今の暦とは違うんだよ
350唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 18:14:35
>>345
まず「干支」の計算式を作る
計算したい最も古い記事の干支(朔)に数字を振る
朔の間隔は、29.5306日であるから余りが出る。この処置も式に導入
書紀の「朔」全てを拾い出し数字順に並べる。
計算式とは必ず何処かで狂う時が有るが誤差と云う事で調整するが
この誤差がふくらんでも1日程度です。
欽明まで全てを計算しても”朔”に狂いの出ない事を確認しました。
446687-8777=437939日
437939/29.5306=14830.00684月


351美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:23:27
>>350
だからそれ何の計算ですか?

352美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:28:45
唐松さんってもしかして、2重に決めつけてない?


とりあえずこれは西暦の365日計算でいいですよ
例えば
1、甲子年 8月1日
2、乙丑年 8月1日



甲子年を西暦1000年として、2は西暦何年の事だか解りますか?
353美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:31:01
唐松さん、その計算で>>352の西暦年を特定して見てください


もし特定出来ればその計算で割り出せるって事だし
もし特定出来なければその計算では特定出来ない事を理解して下さい

354唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 18:36:06
14830月を年数に直す、19年235ヶ月が基本ですから
14830/235=63.1  63×235=14805余り25月
63×19=1197年と余りで2年
合計1199年
355唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 18:42:23
欽明元年が540年ならば
540−1199=−659
西暦に直すと−660年が神武元年
356美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:46:08
>>354
違いますよ

1000年が甲子な訳だから

正確は
1001年 乙丑年8月1日
1061年 乙丑年8月1日
1121年 乙丑年8月1日
1181年 乙丑年8月1日
1241年 乙丑年8月1日
1321年 乙丑年8月1日
1401年 乙丑年8月1日
1461年 乙丑年8月1日



正確はもっと沢山ある
つか「14830」とかって何の数字ですか?
何を計算してるんですか?
357美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 18:56:56
実際の干支と西暦でやってみますか?
日付は共に1月1日で良いですよ

西暦540年の干支は庚申です
西暦540年=庚申


では、辛酉 1月1日 は西暦何年の事だか解りますか?
358唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 19:05:33
西暦で同じ干支の年を並べても仕方ないんだ 当時は太陰暦だから
 以下60年ごとの辛酉年正月朔です。
庚辰 8777
壬辰 30689
甲辰 52601
丙辰 74513
丁卯 96424
戊寅 118335

数字は日数です。
359美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:05:37
先に正確書いて置きますよ

[正確]
西暦481年 1月1日
西暦481年 1月1日
西暦421年 1月1日
西暦381年 1月1日
西暦321年 1月1日
西暦281年 1月1日



正確はまだまだ沢山あります
何をどう計算したら答えは1つになるんですか?

辛酉が西暦何年なのかすら計算出来ないんです?
360美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:07:28
>>358
だから何の日数です?
その日数って何?
マジで何を数えてるんですか?
361唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 19:13:05
もん太君よ 西暦の使われていない時代の太陽暦1月1日をどう使うの?

西暦の辛酉年と書紀の辛酉年とは何の関係もない数字ですから。
私の書き込みは書紀の数字から拾い出し。
362唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 19:17:03
>>360
>>358 の日数は太陰暦で数えた60年の日数である。
数える年により同じ60年が別の日数に成る。
363美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:21:15
>>361
だから何を言ってるんですか?
唐松さんが、欽明天皇の庚申年を西暦540年と言ってたから、
じゃあ庚申とある欽明天皇の干支を、西暦の540年として計算して見ましょうよってやってるんですよ?


で、庚申正月朔が、西暦の540年の場合

辛酉 正月朔
これは西暦の何年になりますか?


24節句省いた旧暦で書きましたよ
これなら解るんですか?
364美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:29:46
>>362
全く意味が解らない

旧暦では一年の日数なんて決まって無いですよ?

例えば旧暦の 庚申 8月朔
これの1年後ってのは何を指すんですか?

つか日付の干支から60年後の8月朔までの日数を数えてるって意味?
365唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 19:32:33
月の単位は19年7閏を基本とする
干支の単位は60を基本とする

この数字は、相性が良くないから使われたのであって、
相性が良かったら、使われることはなかったでしょう。

年の干支さえ合えば良い、なんぞ最悪の思考だね。
366美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:34:43
>>358
これ教えて下さい

日数の日付の左の干支ってなんですか?
367美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:45:34
>>365
>干支の単位は60

そうですよ
だから辛酉 正月朔 は旧暦では60年周期に有るんですよ?

イワレビコが橿原に都を遷都した時の暦が旧暦の辛酉

これの年代を得るとき、どう計算してるんですか?
まず辛酉の60年間の日数を数える?

368唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 19:47:54
推古天皇なら信じているか?
推古天皇元年593癸丑年春正月,壬寅朔 466059日 先ほどの日数の続きです。
干支が合うかどうかは、下記の式で検証してくれ、数字とズレは、あるかも?
=CHOOSE(MOD((E49+69+57),10)+2," ","甲","乙","丙","丁","戊","己","庚","辛","壬","癸")
&CHOOSE(MOD((E49+71+57),12)+2," ","子","丑","寅","卯","辰","巳","午","未","申","酉","戌","亥")
369美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:52:10
>>365
唐松さんの計算ってもしかして干支年は無視したものなんですか?

月の単位を19年7閏としてるなら、19年=19×12+7で、19年で28か月ですよね?
で、一ヶ月が約28日(朔〜朔)

19年間の日数は約28×28ですよね?
で、同じように還暦の60年間の日数を数えるんですか?
370美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 19:54:17
>>368
だからその日数はなんなんですか?

何をスタートとして数えてるんですか?

371唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:01:22
>壬寅朔 466059日 ←数字は神武元年1月朔を8777日として数えてあるから
466059を式に投入すると答えが干支で表示される
その数字が日々の数字なら日々の干支、年の干支なら年の干支で使える。
ただし数字をスライドする必要があるかも。

>>358 は60年の1例と捉えて下さい。
神武から推古まで全ての”朔”を並べた内の一部です。

372唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:10:09
>何をスタートとして数えてるんですか?
地球が動いている限り その初めを決めるのに理由はいらない
何処から数えようと勝手だ、
神武からかぞえようとしたら、神武が生まれた年あたりまで数えられればよい。
神武元年正月朔=8777日より 推古元年正月朔なら 466059日
373美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:12:38
>>368
唐松さんの計算って
「神武元年を紀元前600年とした場合、そこからの日数を数えればそれが神武元年から何年後なのか解る」
って言ってるだけでしょ?

その推古天皇も「西暦593年」って事を前提に
「神武元年の前660年から、推古の593年までは旧暦だと○○日数がある」
って言ってるだけでしょ?


前600年〜西暦593年は1193年間
1193年×365=○○○日間
○○○日間÷365日=約1193
つまり推古593年は神武元年より1193年後の西暦593年

年代が得られた!


って、やってるだけでしょ?
374美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:27:14
>>372
つかそれ別に西暦の年約365日で計算しても一緒じゃん

[目的]
西暦○○年が紀元前600年から何日後かを求める
[方法]
・まず西暦○○年が紀元前600年から何日間あるのか求める※一年365日、一ヶ月30日として
・その日数を365で割る
・得られた数字が前600年からの年数


計算式
@前600年〜西暦○○年の年数を「年数」

365×年数÷365=

「これで年代が特定出来る」

これでやってみ?
どんな計算でも合うから

だって年代の特定もクソも、初めから年代を特定した上で計算してるだけだもん
こんな計算意味あるの?
375唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:27:28
>年代が得られた!
でも良いけど
この年数、日数が無ければ、日々の干支まで正しいと出来ない数字です。



376美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:32:41
>>372
なるほど
じゃあ唐松さんと全く同じ計算で、今度は僕がやってみますよ


ちなみに唐松さんは紀元前600年を神武元年として、そっから計算してるけど
僕は西暦元年を神武元年として、そこから日数を数えてやって見ますよ


で、593年が神武元年の西暦元年から何年後なのかを唐松さんの計算でやってみたら、、

「593」でした!
て事は、推古の593年は神武元年の紀元前0年から数えて593年後で年代が確定しましたね!

つまり推古は西暦593年
神武天皇は西暦元年の出来事です

377唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:34:29
>>374
>つかそれ別に西暦の年約365日で計算しても一緒じゃん
太陰暦の計算が正しいことを証明しているとも言う。
378唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:36:50
>>376
日数を何故誤魔化す。
379美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:39:13
唐松さん、この計算式自分で考えたの?

これ初めから年代を特定した上で計算する訳だから、一旦日数にバラシテ、その日数が何年間あるのかを再び求めてるだけなんだから
そら求めたい年数が出るでしょ?


それを理解して計算式作ったの?
てかこれ自分で考えたの?

前600年からの日数がサッと出てきたけど、またアホな学者が「これで計算できる」って言ってたんじゃないの?
380唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:43:50
>>376
日数を何故誤魔化す。
神武元年から推古元年まで457282日間で書かれた書物が書紀なんだ。

381美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:48:01
>>378
は?
数える必要がないからですよ
新暦 約365日
旧暦 平均約365日
※旧暦は一年の日数は決まって居ないが、平均すると約365日
※新暦と旧暦とのズレは400年で約35日ぐらいあります



神武元年を西暦520年の辛酉 正月 朔
として、西暦593年の推古まで何年間あるのか計算出しましょうか?

てか、これいちいち計算しなきゃダメですか?

もしこれで計算が合えば神武元年は西暦520年の辛酉年と確定された事でいいんでしょ?
382太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 20:49:00
欽明までは空白日がまぁ無かったのかも知れない。だからこの天皇までは唐松山
の計算はほぼ合うだろう。しかしそこまでだよ。それ以前はその手ではダメな
わけさ。倉西女史もあやつに紀年と直接関連が薄いとして、奴に暦の別の分野で
当人の研究を伸ばす旨話したことがある。まさにそのとおりだと思う。

欽明より古くなって来ると、空白日がうんとありそれも不規則的存在のよう
だから、その手では神武即位年まで求められないのさ。以前は奴もそのとおり
だと回答して来たわけで、それを今の今まで名残り惜しいか猿のオナニーの如く
諦められず、止めようとしないで来たわけ。w
383唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/22(火) 20:54:16
=CHOOSE(MOD((E1359+69+57),10)+2," ","甲","乙","丙","丁","戊","己","庚","辛","壬","癸")
&CHOOSE(MOD((E1359+71+57),12)+2," ","子","丑","寅","卯","辰","巳","午","未","申","酉","戌","亥")

たとえば (E1359+69+57)是だけで 適当に数字を決めていることがわかる。
ホツマの干支も数字になおせるで。
384美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 20:55:05
>>380
唐松され、本当に旧暦理解してます?

新暦 約365日
旧暦 平均約365日
※旧暦は一年の日数は決まって居ないが、平均すると約365日
※新暦と旧暦とのズレは400年で約35日ぐらいあります

まずこれはオッケーですよね?
唐松さんの認識と違う所あれば指摘ください


で、今度は神武元年を西暦何年とした上で計算しましょうか?
西暦1500年として、西暦2000年まで、日数にして何日あるか求めましょうか?
その日数が何年間か解れば西暦2000年が西暦1500年から何年後なのか特定できるよね?


てかこれ計算しなくても解るよね?
385日本@名無史さん:2009/09/22(火) 20:55:34
唐松山は猿オナニーの人なんだな。
386美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:04:13
>>382
いや唐松さんの計算すれば、どんな年数だろうが計算出来るよ

だって「西暦○○年から西暦○○年が何年間あるのか」って事をややこしく計算してるだけだもん

て言うか唐松さんの計算使わなくても暗算で出来るよ


[目的]
西暦○○年〜西暦○○年が何年間あるのかを求める
[方法]
面倒くさいから日数は数えなくていい


【問題】
西暦400年を神武元年とした場合
西暦593年の推古天皇元年まで何年ありますか?



得られた年数が合えば、推古元年は593年、神武元年は400年との年代が得られた事にして良いみたいですよ

唐松さん見たいに日数を数えても、暗算で出しても答えは同じですよ
387太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 21:06:46
>>386
不規則にうんと空白日があって、どうしてそれが出来るというのだ?w
388美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:12:37
>>383
唐松さんにもっと簡単な計算式教えて挙げるよ
@ 西暦○○年
A 西暦○○年

@〜Aまでの年数を得る場合の公式はこれです
【@ーA=年数】

ちなみに
新暦 約365日
旧暦 平均約365日
※旧暦は一年の日数は決まって居ないが、平均すると約365日
※新暦と旧暦とのズレは400年で約35日ぐらいあります
なんだから、わざわざ日数を数える必要は無いよ
ただ400年で30日ぐらいずれるから気をつけてね



てか唐松さん、本当に自分がどんな計算してるだけなのか理解してないの?
初めから西暦○○年って決めた上で年数を得ようとしてるだけなんだから、引き算すれば良いだけですよ?
こんなのみんな暗算で求めてますよ?


389太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 21:14:33
それは、計算は確かにできるだろう。しかしそれが真の年代〜例えば
神武即位年に合うとは言えないぜ。安閑以の年代の真を求め
るのがいかに難しいかということだよ。奴もやり方では失敗確実。

奴は倍暦を否定してるから絶対的に真に辿れないと想うぜ。君も
そうだったな? 今はそうでないのかな?w
390太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 21:17:09
>>389 訂正
× 安閑以の年代
○ 安閑以前の年代
391美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:19:12
>>387
だって初めから勝手に自分で年代を決めてるんだもん
つか唐松さんの計算使わなくても、暗算で出来る
太国さんも自分のやりやすい方法で計算して見てください


【問題】
西暦50年から、西暦150年までは何年間ありますか?

これを日数を数えなきゃ解らない人は数えればいいだけ

こんなの暗算で出来る
100年だよ



これをやって「答えがあってる。年代が特定出来た」って言ってるだけだよ
唐松さんは
392美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:21:12
>>389
うん
だからずっと「こんな計算した所で年代が特定出来た事にはならない」って説明してるんだけどさあ

これぐらい普通わかるよね?
393美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:25:26
>>383
もういいやw

こんな無駄な計算したけりゃずっとしてて下さい
ただし何度も言うけど、いくらこんな計算してても年代は得られないよ

計算がどうこうより
「これで年代が得られる」
って思ってる事が間違いだって教えたかったんですけど、、
どうやら無理かな?
唐松さんには伝わらないや
394太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 21:29:13
>>391 あいつは〜
だから奴は年だけでなく、年月日全部が奴のやり方で求められると
以前はそう考えていたんだろう? とりわけ神武即位の年月日総てが
その計算により、たやすいくらいに求まると考えていたんだろう?

ところがどっこい欽明あたりまでの逆算ではだいたい奴の言い分は
合ってると想うが(←君はそれも信じていないようだが?)、それ
以前は問屋が卸してくれないわけさ。だからその方法を止めて、他の
研究方法を取り入れるよう忠告したのだが、一向にサルのオナニーの
如く奴は止める気配がないわけ。
395日本@名無史さん:2009/09/22(火) 21:37:35
唐松山は猿のオナニーに決定。
396美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 21:58:28
>>394
てかなんでアレで求められると思ってるんだろ?

「神武元年を前600年として西暦1529年はその何年後か?」
て、どちらも自分で勝手に設定した年代を勝手に特定されたって言ってるだけだしさ
俺が西暦年数書かずに干支で出した問題には全く答え違ってたし

てかあの計算ってどっかの学者がなんかが言ってた奴なの?
あれさ、結局は神武元年 前600年ってのの正統性を主張したい
って目的でもなけりゃ、普通は思い付かないよ

「な?日数まで計算合うだろ?だから神武は前600年で間違い無いだろ?」
って為のものでしょ?
いかにも天皇史観者が前600年の正統性を主張する為に作ったみたいな感じしか受けなかった
397日本@名無史さん:2009/09/22(火) 22:12:49
てか、これって記紀の天皇の代数やら在位年が全部正しいと仮定しての話だろう。しかし実際は
まずありえない。だから、どうしてこんなことを一生懸命やってるのかよくわからないな。
398美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 22:15:54
>>394
年代に関しては信用しないと言うか決めつけて考えたくないたけだよ
つか最近それを特に思ったのが、なんか鎌倉幕府の1192年も違うかも知れないって言われ始めてるって話を聞いたしさ

おれよくよく考えたら、時代すっ飛ばして記紀とか読んでるから、鎌倉時代とか戦後時代とかって、自分で調べもせずに一般的な年代を鵜呑みにしてるだけの人間だしさ
それに始めから特に別に年代なんか気にして無いし
アマテラスが500年前だろうが、5000年前だろうがどうでもいいし
古ければ古いほど偉いとも思わないし


エジプトや中国の言ってる年代とかも信用はしてないよ
基本的には「んだけの資料しか無いくせに、先に年代だけ確定させようなんて方がおかしい」って考えもある

遺跡が見つかってもとにかく先に「○○年以上前のもの」とか言うでしょ?
炭素14で調べようがそれはその物質の炭素が崩壊した年数でしか無いんだしさ
つか年代なんか記録にでも残ってなければ解らないに決まってるんたし解らないってしとけばいいんだよ
進化論や化石とかの年代なんて更に酷いし
399太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 22:20:02
>>391>>394
>391の計算話は唐松山のやり方の要領の悪いのを、実直に君は説明
しているな。w あいつはもう治らないかも知れないが、もし
治るったら、その落胆は極めて奴の心にダメージを与えるだろうな?
「何でこんな効率の悪く、しかも正解に到達できない計算を捨てずに
 いまのいままでやってたんだろう。」と、とことん目が覚めて愕然
とすることだろう。目が覚めないより、ずっとマシなわけだが。

>396
前660年でないのか?
400美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 22:35:02
けどまあ記紀に関してはちゃんと干支が書いてあるからある程度年代は特定は出来るのは出来るよ

例えば神武即位と言われてるイワレビコの藤原宮への遷都

これは干支の辛酉年
て事は60年おきにある辛酉年の何れかだよ

けど俺は特定しない方がいいと思う
記紀には平安京以前までの事が書いてある
で、平安京は794年て教わった
だから794年前の出来事である事は間違いない、、、、
って思ってたけど、俺よくよく考えたら何を根拠に平安京が794年なのか全く知らない人間
鵜呑みにしてそう思ってるだけ

794年て1200年前
1200年たら相当古い時代だよ
ここ100年の文明の発展を考えたらそんなに古い時代だと文明の発展と合わない気もしてきたし

もしピラミッドが3000年前なら、3000年前にアレだけの文明を持ちながら人類は何千年も文明が停滞してた事になる
停滞してた理由でもなければなんかオカシイ気がする

だから文明は一度滅んで、ピラミッドはその文明時代のものだって言う話も文明の発展のスピードを考えたらあり得ない話じゃないと思ったりもする
現にピラミッドを築いた文明人は滅んでしまって、現代には残って無いわけだし


まあ年代とかんなるととにかく色々考えちゃうよ
だからあんま気にしない
「昔の事」でいいし
401美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 22:57:21
一回、自分がどれだけ日本の歴史を知ってるか遡ってみよかな?

約100年前 明治維新

約450年前 戦国時代(信長、家康、秀吉)

約900年前 鎌倉幕府建立(源義経、弁慶、平氏)

約1200年前 平安京
約1300年前 平城京
約1400年前 飛鳥(蘇我氏、聖徳太子)


やっぱ部分部分しか理解してない
江戸時代の350年は安定した治世が続いて来たとして、戦国時代以前が解らん
ここでまず数百年も空く
で、いきなり義経とかだよ
平安京とかもよくわからんし
次にいきなり聖徳太子とか蘇我氏とかになる

あと室町幕府とかもあったよね?
あとそれに、鎌倉幕府以前の時代になると、良く考えたら東日本の歴史を全く知らんくなる
てか間が埋まらないからら、記紀時代はもっと最近の事かもしれない


中国なんて24史見てみりゃ更に最近の事だし
百済とかの三国時代以前の事は書いてないし
24史を時代毎に並べてるけど倭の記述だけを抜き取って見ても、同じ卑弥呼の時代の事が書いてあるだけ
アレを書物毎に違う年代としちゃうと、倭は何十回も大乱があった国になる

卑弥呼を調べる際に、中国の歴史の年代なんかは前提なんかには出来ないよ
402太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 23:01:53
??397
あんたの言ってることは〜交通事故が実際起こってるから車には
乗らないよと言ってるようなもので、事故を起こしてない方々も
結構いるだろう? だからそういう主張はわからんわけではないが、
誤の事例はあるも重々気をつけて取捨する以外にないね。

足利事件でも、哀れなご当人がどうやら誤認逮捕で人生を台無しに
されたらしい。だから君の言い分は大事な教訓なわけだが、慎重を
帰して正否の判断をして行くのがよかろう。それしかうまい方法は
見当たらんので・・・。

唐松山は空白日の多大なことで真の神武即位年月日には奴のやり方
では至れないことをそれがしの忠告から一時肯定したことが
あったが、どうやらそれを翻し、今の今まで奴はやり方を捨てないで
今日まで来てしまったということだ。
何故かというに、奴はだいたいこのへんが正解だろうという正当な
根拠もなしに、編年推定の自信があったようで、当初から恣意的に
景行こそが卑弥呼の年代だと過信していたようである。
その過信から景行年代の上下に半島百姓千人渡海と神功紀からの日食
を接着させ、これが不合理あからさまであることを警告したのだが、
改める気配がなく、景行編年を強行して来た。その因は奴が元々
カルト・ホツマ狂絶対視の奴の脳内思想が頑な屈強に根付いていて、
これが奴の盲象の失敗に至らしめたということなのだ。
403美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 23:04:06
>>399
うん。気付かないよりまし

てか気付いてるのか、本当に理解してないのか、人の話を聞かないのか、認めたくないだけなのか、、
正直、全く解んない

てか俺的には、あれじゃ時代は特定出来ないって事は、誰でもすぐ解る事と思ったからずっと説明してたけど、、
説明が下手だったかなあ?
404太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 23:19:42
>>402
このカルト・ホツマというのは、他のホツマ信奉者にも根強く
あるらしく、このことを原田実氏は歴史読本8月号で痛烈にホツマ
傾倒者の陥りやすいホツマ絶対視の信念を批判していた。それがし
も成る程だと、唐松山の論説態度を頭に浮かべてそう思ったものだ。

その要点は奴の脳内盲象の中枢が景行絶対視だということだ。これを
進展させて、卑弥呼は景行年代だと強く思いこんでいたということ
だ。それには景行九州行幸と奴の女王国畿内兼九州説がからんで
いることは確かなようだ。

それで奴の計算では空白日のうんとあることから神武まで正確に
至れないことをおおまかにそうだなと思いこんでいたが、景行が
卑弥呼の年代だと恣意的なんだが決められれば、後は奴の言う日食
が数日間起こらないし、また天皇が大臣であるわけもないし、さら
には渡海未経験で船も畿内にない時代に千人も大海の荒波を空腹の
まま乗り切って半島に全員到達しうるのは困難だと、編年に間違いの
ある可能性が強いことを百も承知で、その編年を強行しても、景行
が卑弥呼の年代さえ合ってれば後は間違ってても面子が立つとかで〜
構わないという、錯誤承知の未必の故意的な編年ゴリ押し強行を
やってのけようと、頑強な意思を持ち、デタラメ編年を気ままに
やって来たということなのだ。
405日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:22:26
>>404
唐松山さんて、日食が何日も続くって考えてた非科学的な人なんでしょう?
406太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/22(火) 23:34:07
>>405
奴も冷静に考えればありえなことを知ってたと思うが、その間違い
の強い可能性を強引に押し切って自己の編年を強行した理由は、
やはりカルト・ホツマに脳内が占領されているからで、通常の人
ならこれは引っこめるのが正常な頭だ。

それを改めないのがカルトの本領であり、さらには天皇が臣だとか、
先述の不可能に近い百姓渡海だとか、七支刀の銘文の年号がノギヘン
なのにそうでない漢字の年号を使用して編年をやったこととか、
通常人ならばこんなことは取り下げるのがまともの頭脳であると
いうわけで、それがカルト脳内だと、こんなことまで平然と不合理
を強行するということだな。だから奴の脳内はマトモじゃぁないと
いうことになる。奴の頭はカルト・秀真の景行絶対ご本尊となって
るから、不合理でも検問突破のように〜カルト暴走を止めようと
しないわけだ。また明日に〜

zzzzzzzzzzzz・・・・・・・
407美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 00:23:35
>>404
俺、おととい他のスレで違う人にホツマの話聞いたけど、唐松さん見たいな内容じゃなかったよ

つかホツマに関しては記紀はもう九州発祥説や天皇史観の解釈でガチガチに成されてるから、それに嫌気がさした人が、他の解釈が許される書物を読むだけだよ

俺もその気持ちはなんとなく解るよ
記紀って漢文を自分なりの解釈で読んでも、勝手に内容を変えるな見たいに言われるし

俺が少し見た分には記紀もホツマも書き方が違うだけで同じ事が書いてあるよ
違うのは内容じゃなくそれぞれになされてる解釈だよ
ホツマはホツマでそう解釈する文じゃ無いだろってのはあったし

まあだからと言って俺の解釈が正しいとは限らないけどさ
けどまあどのみち間違った事を言ってる人がいるとしたら、それは書物でなく、読み手の解釈が間違ってるだけだよ
408日本@名無史さん:2009/09/23(水) 00:48:53
>>407
>俺の解釈が正しいとは限らない

その通りだ。君の解釈はすべて間違っている。
信州や美濃には何もない。郡所と事代主の兄弟が諏訪に逃げてきただけ
409美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 01:53:30
>>408
美濃や信州に何も無かったとして、じゃあアマテラスや高天原はどこの話なの?
410日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:01:16
何だ神田言っても「河童様様」か?


「もとの濁りの 田沼恋しき」
411日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:08:06
このレスの流れが「清い」か?もはや普通人には近づくこともできない。
412日本@名無史さん:2009/09/23(水) 02:27:49
>>409
日女命(モモソ姫)の出身地は葛城地方。
葛城には高天原がある。俺はここを比定する。
卑弥呼が先祖なら建内や蘇我、巨勢、平群が一大勢力を築いたもの頷ける。

アマテラスはモモソであると考える。
理由は死因。驚いてホトを突いて死んでいる。
めずらしい死に方なのか、箸中(または墓)という名前まで付けられている。
因みにモモソは山城での反乱を祟神に神託で伝えて鎮圧をさせている。
413美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 02:52:59
>>412
名前が違う、、、

なんて言いたい所だけど、名前なんて地域や書物によって様々な呼び方される訳だから、名前なんかで探してたら見付からない場合もあるしね
記紀みたいに同じ書物でも一人を複数の呼び方してるしさ
(あとあれは3部作じゃなくそもそもが同じ内容の3つの書物を書き写してるだけな気がするし)
あと地名もさ別に記紀と同じ地名である必要ないんだよね
時代により呼び方が変わってたりするしさ

とりあえず俺は美濃付近で探しただけであって、他にもそう言う話があればそっちが記紀にある話の舞台かも知れないよ

とにかくいろいろ探して行けばちゃんと特定は出来る気がする
ヤマタノオロチの話も、まだ原文見てないけど、あれ腹を切った中から剣なんて事が書いてある訳じゃ無いと思うし

こう言うメルヘンな解釈されてる話は、本当はもっと現実的な話があるんだと思うよ
414日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:00:16
もんたくんは
黄泉の国は何処だと考える?

あの世って普通は考えるけど、
イザナギ、イザナミは帰って来たりしてるよね(笑)
俺は出雲か平泉かな…?って思ってるんだけど。
415美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 03:09:07
>>412
天香久山命、天道日女命
ちょい調べるだけでやっぱ沢山名前あるね
尾張氏や物部氏の祖ともある
これ血統も天照系て事だよね?


あとそういや蘇我って言えば、俺飛鳥って記紀に書いてあるように近つ飛鳥と遠つ飛鳥の2つあると思うよ
そもそも伊吹山の東は奈良じゃないんだもん
けど伊吹山の東にはちゃんと入鹿池から蘇我原から大和川、飛鳥川(今は支流名)もあったしさ
416日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:17:32
>>415
飛鳥云々は すぐに諦めがつくでしょ

『物的証拠』が圧倒的に奈良の飛鳥。
奈良にしかないと言っていい。
因みに天武の墓は盗掘によって確定してる。
まさか盗掘が裏付けになるとはね(笑)
417美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 03:20:58
>>414
まず実際に黄泉の國て書いてあるかどうか見てないと解んない
記紀って実際には原文に書いてない事が解釈されてたりするからさあ


「黄泉の國へ行ったら死んでウジだらけのイザナミが追いかけて来たから桃を投げて、、」
だっけ?
まずこう言う現実的じゃ無い話は単にそう解釈されてるだけだと思ってるよ
だからこう言うのは実際の原文にはちゃんとした現実的な話なんだと思うよ

つかね、こう言うのは明らかに解釈する側がおかしいんだよ
「神武以前は神話」って事にしたくてわざとメルヘンやオカルトな非現実的な解釈してるんじゃ無いかって思えるぐらい
イワレビコ以降と以前では、ガラッと解釈の仕方が違うよ
あれわざとな気がしてきた
418美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 03:23:57
>>414
ちなみに黄泉國は原文見てみなきゃ解らないけど実際は違う漢字で「よみの國」てあるなら
美濃の國と思うよ
神坂峠を下った場所だって言ってるしさ
神坂峠を挟んで黄泉と天界とか言う解釈じゃなかったですっけ?
419日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:24:55
アマテラスが国譲りで大物主に黄泉の国を与えた

とかあるよね。普通は殺したと解釈するけど、

殺したんじゃなくて、出雲の統治を任せたのなら、
因幡の話や出雲大社も説明つくんじゃない?
420日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:28:41
>>418
なーんでも美濃なんだね(笑)
おかしいとおもわない?

地名だけなら、どこだってあるよ。
和歌山に『伊都』あるし(笑)
421美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 03:36:04
>>416
何を持って物的証拠とするのか解らないけど、蘇我飛鳥から奈良へ遷都されたと有るでしょ?
移設に必要な物は持っててるさ

あと機内の寺院は移設物って良く言われるけど、あれも遷都の際に寺社も移設させてるんだから当たり前だと思うよ
平城京も平安京も風水にならってきちんと網の目に都市が計画的に作られてるじゃん?

例えば今の東京にそれやろうとしても無理だよ
要は開拓時に計画的に作られてるのが平安京平城京だよ
畿内にある寺社とかって移設される前の元の寺社があるよ
もう覚えてないけどいくつかは調べたし
てかさ、場所を変えたりする時に分祀とかで祀られてる神様とかを持ってっても良いんだし普通は庶民でも場所を変える時はそうやって自分の氏神は移したりしてたよ
422日本@名無史さん:2009/09/23(水) 03:46:21
バカだな。
平城京以前はその時々の状況で宮は場所を替えてるんだよ。
寺院も単に再利用したと言えば説明はつくし、移動させた証拠はない。
入鹿が殺された板葺宮は
石舞台の近く、飛鳥役場の近くにある。
蘇我は君が何と言おうと葛城氏。
この事は蘇我の資料、日本書紀、古事記、全てに該当しているし、
最近、甘樫丘の豊浦で
蘇我の瓦が発掘され、裏付けがなされてます。



因みに入鹿は葛城に愛人がいたらしい(笑)
423美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 03:51:12
>>420
てかそれは仕方ないよ
神坂峠が違う場所なら美濃じゃないだろうけどイザナキだけじゃなくヤマトタケルにしろとにかくこの峠は出てくるからさ
ただおれ別に美濃を発祥に考えて無いよ?
一番最初の国常立命から辿って来てるんだよ
あれがまず位山って解釈して、そこが日玉の国だった所と思ってる

あとさ、やっぱ飛鳥の場所
伊吹山の東、東の昇る場所(扶桑の木)の西側
飛鳥は記紀では2つの飛鳥が書かれてるけど、倒された蘇我氏の飛鳥側が伊吹山の東ならそこがもう一つの飛鳥だよ
王任の乱だっけ?関ヶ原だし

飛鳥てのは2つの川に囲まれて海から船で物資を運んでた、なんとか山からは湾が見渡せた
だっけ?
犬山から見た場景のまんまらしいしさ
明日香村ももう一つの方の飛鳥だろうけど、まず船で海から物資って時点で無理だしさ
424日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:01:39
海から物資は難波京だろ。
王任の乱?なんじゃそりゃ(笑)
細川と山名宗全の応仁の乱なら室町時代だぜ(笑)
任(ニンベンなし)申の乱なら
天智死後の跡目争いだから、蘇我は関係なし。

ちゃんと歴史の勉強しないから
そういう恥ずかしいことを書くんだよ。
425美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 04:03:15
>>422
神社や寺に「○○年移設」ってあれば移設だってば
移設物ばかりだから畿内の寺社は移設物って呼ばれてるんだよ
朝廷がそれだけ権力があって中央集権を行ったからじゃないかってねが一般的な説
つか良い意味で言ってるんだよ
現に中央集権の地で、ここからまた全国に稲荷神社や住吉神社とか分権してってるじゃん
まさに畿内が中心の地なんだってば
だから神主の天皇は本当はちゃんと御所にいるべきなんだよ

入鹿が殺されたのは入鹿池
つか別に犬山以外も調べたよ
んで橿原にもあるよ
橿原には入鹿神社もあったんだよ


つかさ蘇我がどっちだとか飛鳥がどっちだじゃなく、記紀に2つの飛鳥が書いてある用に、飛鳥てのは探せばもいひとつあるって話
近つ飛鳥と遠つ飛鳥

俺がどうこうじゃなく、記紀には確かに2つの飛鳥が書いてあるんだよ
「近つ飛鳥から飛び立った白鳥が、遠つ飛鳥に、、」みたいなさ

ただこれもメルヘンな解釈されて特に意味のない話どされてるよ
426日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:08:21
>>423
神坂がよく出て来るのは
当時の国境だったから、そこから東は毛人や魔物が住むと信じられていた。
実際、木曽路は道が険しく、古くから盗賊が多く住み、
神隠しや追いはぎ、強カンに合いやすいと言われていた。
427美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 04:11:02
>>424
なんか蘇我に拘るけど、蘇我縁の物を出せって事?
http://www.google.co.jp/m/search?ie=Shift_JIS&ct=fsh&q=%91h%89%e4%20%94%fc%94Z

はい
つか蘇我氏縁だけで良いなら奈良よりよっぽど出てきちゃうよ?
平城京も平安京も蘇我氏じゃないんだから

あと木曽川と揖斐川の昔の川名とか調べてみ?
飛鳥川と大和川が出てくるよ(現在も支流では名前が付いたまま)


王任の乱じゃなくなんだったっけ? 大化の改心の奴
関ヶ原の戦いって戦国時代の戦いが有名だけど、あれ関ヶ原にとって二回目の戦いだよ
428日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:16:14
>>425
移設は後世鎌倉や室町の復元作業でのこと。
飛鳥時代の建物なんぞない。
仏像ならある、奈良に。

遠つ飛鳥とは、役人が僻地に異動を命ぜられた際に
自分を鳥に見立てて歌ったもの。


入鹿はあらゆる資料や歴史的観点、証拠などから、
板葺の宮で首を跳ねられ、埋葬されています。
429日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:22:21
>>427
奈良には両川ともありますがな(笑)

平城なんか蘇我どころか
天智、天武より後世だろ(笑)

平城と飛鳥、同じとこだと思ってないか?
全く別の場所。
飛鳥京→藤原京→平城京→長岡京→平安京

因みに藤原京は平城京より発掘調査でさらにデカいことがわかったみたい。
430日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:24:41
>>427
関ヶ原の戦いは戦国時代じゃなく、安土桃山時代の末期の戦い。
431美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 04:27:51
別に奈良に飛鳥はあったって言ってるのに
記紀に書いてあるように、2つあったかどうかって話だよ

あまり蘇我蘇我言わない方が良いよ
蘇我縁の物は負けた側の飛鳥の方が多いんだから
蘇我が負けて勝った人らが遷都したのが平城京だか藤原京じよん
蘇我氏が遷都したんじゃないってば
あと飛鳥朝廷は天皇は名乗って無いよ
大和朝廷の天子の血統でない天皇では無い蘇我氏の飛鳥が畿内にいたとしたら、逆におかしな話になるんじゃないの?
蘇我の血統が美濃王や尾張王とかだぞ?

美濃や尾張成立が今の朝廷て事にしたいんかあ?
432日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:35:34
>>431
歴史が苦手な君に教えてやろう

天智が改革するまでは飛鳥朝廷は合議制。寄り合い政治。
これは卑弥呼時代の連合国家の踏襲。
実質の寄り合いのリーダーは建内スクネの血統の蘇我一族。

蘇我は大王の血筋と結婚させ縁戚である。
433美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 04:50:30
>>428
寺社には建立年と移設年が社本に書いてあるってば。調べてみなよ
平安京や平城京の開拓と一緒に立てられたと言うなら、畿内の寺社てその時代のものでしか無くなるよ?
例えばじゃあ住吉神社なんてのは、その時代に立ててスサノオを祀ったてだけの神社て事で良いの?
勝手にアレだけの寺社を立てて何の縁も無いのに平安京より前の神様を祀ってる訳ですか?
移設じゃないなら聖徳太子が立てた寺社なんて京都や奈良には無くなるぞ?
その時代には聖徳太子は存在しないんだから

てか入鹿はさ記紀のイワレビコの話にも出てくるじゃん
イルカが血に染まり池で死んだとかあるでしょ?
あとエミシも出てくるし

「記紀には2つの飛鳥が出てきますが、単に鳥に見立てて歌ったもので2つある訳じゃありません」
って解釈は知ってるってば
「魂は近い飛鳥からこうして遠い飛鳥に」
とか言う奴でしょ?
むしろそうやってメルヘンな解釈されてる部分はなんかあると思ってるってさっきから言ってるじゃん

イルカだって「海のイルカが血に濡れてるのをみたイワレビコは、、」とか全く現実的な話じゃない
こんな意味の不明な事を歴史書には書かないでしょ?
単にメルヘン話と解釈されてるだけと思うよ
434美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 05:03:34
>>432
つか良く解らんけど飛鳥が2つあったらなんかまずいの?
飛鳥は1つだった事としておきたい見たいに聞こえる

俺別に大したこと言ってるつもりはないんだけど、、
記紀に2つの飛鳥が書いてある
伊吹山の東、イルカ池付近などに、蘇我氏由来の物や地名などが沢山あるから、ここがもう一つの飛鳥だとしたら記紀の記述と合致する

ってだけだよ
仮に飛鳥が2つになったらどうなるっけ?
別にそれ以前の解釈も変えなきゃ行けなくなるような事にはならないでしょ?

てかナガツネヒコがいた場所ってどこだって解釈されてたっけ?
俺、伊吹山の東だから美濃と思ってたけど一般的な解釈と違ったっけ?
もし2つ飛鳥があると、そこら変の解釈が違う人には都合悪い話な気がしてきた
435美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 05:16:20
つかそもそも天皇て大和朝廷でしょ?

蘇我氏は飛鳥朝廷だよ?

大和朝廷が何時からあった事としてるのか良く解らないけど(俺は飛鳥以降て解釈)、畿内は蘇我氏の飛鳥朝廷だったとした方が記紀の一般的な解釈はおかしくならない?
推古天皇は蘇我氏の飛鳥朝廷の人じゃないでしょ?
飛鳥までは蘇我氏朝廷が天皇やってたて事でいいんかあ?

イワレビコの東制を飛鳥朝廷以前の事とした場合、飛鳥が滅ぶまでは蘇我氏が天皇やってた事となる
イワレビコ天皇は蘇我氏て事になるんじゃないのかな?
436日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:43:28
>>435
ああ、わかった。
君は 大和朝廷と飛鳥朝廷を別だと考えてるんだね。
同じものです。便宜上、時代名に併せて書き分けられてるだけ。
日本の朝廷とは天皇(大王)がいて
政治形態があるところを朝廷といいます。
幕府は朝廷から任命され代わりに政治を行う特殊機関。
437日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:48:53
>>434
都合が悪いんじゃなくて
んなもんはない。
単に地名ってだけならどこにだってある。そんなものは屁の突っ張りにもならない。

信貴山か生駒山。
ここから入れなかった神武は和歌山から熊野古道を通って吉野に潜入。
438日本@名無史さん:2009/09/23(水) 06:59:36
>>433
池で殺され…?なんだそれ(笑)

大化の改新、イッシの変で入鹿は板葺宮で首を跳ねられ、
一山飛び越え飛鳥寺近くに落ちた
とある。飛んだのは嘘として、後世にそれを描いた絵もある。
エミシは入鹿の父で
息子の死後、甘樫丘に立て篭もったが
火を放ち自害。その時に天智に天皇紀などの書物は燃やされ、
父、馬子の墓は壊され、石室のみが残された。
石舞台のことだろうと言われてる。
439日本@名無史さん:2009/09/23(水) 07:06:45
因みに蘇我『入鹿』は正式名じゃない。
蘇我大朗
入鹿や馬子、エミシはフヒトが勝手に付けた忌み名。
440日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:01:16
大郎ってのは、蘇我の長男ってことだろ。

イルカとかエミシとかウマコは、古代の豪族の人名としては普通。
動物名とか「エミシ」とか使った人名は、他の豪族にもいくらでもある。
441日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:05:15
全部卑下呼称なんだろ
442美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/23(水) 10:05:16
>>437
ああそっか
やっぱ俺の思うルートと違うや

あとおれの解釈だと吉野はナガスネヒコ倒した後だもん
都を移した場所が橿原

443日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:19:21
三本足の烏やたがらすは
杖をついた山伏でおk?
444日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:35:23
>>863
玉璧は中国の皇帝が諸侯に授ける「権威」「権力」を象徴する宝器らしいね。

紀元前二世紀
江戸時代末期・串間から国内唯一の玉璧が出土
http://www.geocities.jp/kusimayoshibo/rekishi001.html

445日本@名無史さん:2009/09/23(水) 10:59:26
>>433
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5

ミノムシの解釈は違うようだ。
446日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:03:28
>>442
それだと態々 和歌山まで南進した意味がなくね?
447日本@名無史さん:2009/09/23(水) 11:25:35
>>442
ドントコイのアホより君のがましww
448日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:26:24
>>>441卑下呼称といえば、卑弥呼の名がそうではないか。
陳寿から東夷の卑しい国の巫女と呼ばれていたのをそれが本名だ信じてしまうとはあきれるばかり。
本当の名前は、倭迹迹日百襲媛命。
449日本@名無史さん:2009/09/23(水) 13:59:38
そしてモモソはまたの名を日女命。
妹は祟神の嫁。すなわち、モモソは祟神の義姉

弟王は祟神だ。その証拠に祟神はなんども
神託を受けにモモソの元に足を運んでいる。

山城の反乱もモモソが神託したもの。
450太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 14:05:20
崇神なら金印は天皇の崇神がもらうだろうが。w 
卑弥呼は皇統譜にない。 盲象だな。
451日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:13:12
箸墓はすでに発掘されている。
宮内庁は重大な事実を隠してはいないか?
452日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:15:39
卑弥呼が実際に受け取ったとは書かれてないし、
受け取ったとしても
祭祀王と俗世王がいたのだから、
モモソが貰ってもおかしくはない。
今のように大王が絶対的ではないからだ。
絶対的になったのは天武もしくは天智以降だ
453日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:20:15
>>451
発掘を『始めた』だけ。
今はまだ堀が二層の思ってる以上の規模だったことがわかったところ。

それより葛城地方の発掘やれよ
まぁ御所は破綻寸前の市だから
余裕はないのだろうけど…宝庫なのに
454日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:22:33
御所周辺は何かあるよね。
高天原だって金剛・葛城山一帯なんだし。
455太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 14:26:10
当時も天皇が親分だよ。その頃天皇という語はないから、オオキミ
だとか言うことになろうがね。卑弥呼が金印をもらえて朝廷の女なら
崇神前後に女天皇が系譜に存在する。そういう皇統譜に金印を
もらった卑弥呼がないということはだ、朝廷の国の女ではなく、
別の地域の女だからだよ。ならば卑弥呼は九州の女で九州で女帝
だったから金印がもらえたわけさ。これが畿内の女で天皇がもらえ
ずに、下っ端の女が金印をもらえっこない。祭祀王なんて地味で
朝廷の女親分ではない。名は王の字をあんたがつけたのか〜
王字をつけて天皇と同格的に扱うのが間違いだってことだぜ。
天皇以下では当然金印なんてもらえる身分ではない。
それが九州ならば、朝廷とは別の国なわけで、これで女帝の身分なら
金印をもらえるということだ。
456日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:28:00
なんどかハイキングで行ったけど、
高天は下からは見えないけど、めちゃくちゃ広い台地になっててビックリした。
なんと言っても、タカムスビを祭る 最上級に指定されてる高天彦神社。
457日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:31:31
>>455
『朝廷』はない。
当時は上にも名無しが書いてるが、
豪族の寄り合いで政治をしていた連合国家。
大王は議長のようなもの。
合議で決めた事柄を巫女神に神託をお願いして
可か不可かを決めていた。
458太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 14:44:00
朝廷の語は仮に使ってるわけ。それそれがしの言いたいことが
それで分かるだろう。

君の話ぶりじゃぁ、随分天皇(当時はオオキミか?)が兵隊くらいに
地味ではないか? 親分は天皇だよ。霊能者は大当たりすれば当然
天皇らに喜ばれるが、霊能者が祭祀なら、大陸から来た者らは
政治関係だから霊能者よりも天皇に金印を渡す。それが政治上の
付き合いだろうが。いずれにしても、祭祀王とかいう王字をつけて
天皇と同格に考えるのが間違いの元だ。それは霊能で大当たりして
それが戦いに勝つきっかけとなったなら、天皇はよろこんで霊能女に
ご褒美が行くだろうが、大陸から彼女に金印のご褒美が行くわけが
あるまいが。w
459日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:46:36

504 名前:可愛い奥様 投稿日:2009/09/23(水) 08:01:41 ID:QG012+TX0

02年実家広島当時福岡暮らしの「ディルレヴァンガー」こと松原潤 (27)無職(当時)2chで実況しながら猫惨殺画像うpのアホ行為→タイーホ!

<参考URL>http://tmp.2ch.net/cat/kako/1020/10206/1020694216.html
http://www.tanteifile.com/diary/special/kiji.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/福岡猫虐待事件


事件報道
http://gekiteki.ld.infoseek.co.jp/image-xxx21/0815/ab06.jpg

<今回の事件>
13日午前10時50分ごろ、広島市南区仁保南1丁目(-17?)の松原正顕さん(62)方で
爆発音がし、玄関に血だらけの男性が倒れていると、近所の人から119番があった。
広島南署の調べによると、けがをしたのは松原さんの長男で会社員の潤さん(34)。
潤さんは全身に切り傷を負う重傷という。
広島南署は、潤さんが2階の部屋で、金属を抽出しようとして薬品を熱するか、
火を使うかし、何らかの爆発につながったとみている。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200909130322.html
・氏名が一致
・年齢が一致
・広島が一致
・父親の名前が一致
・工学部物質科学工学科機能物質化学クラス ←関連性→ 金属を抽出しようとする(爆弾説あり)
→バカは直らない



683 名前: ノイズs(東日本) 投稿日:2009/09/23(水) 00:14:55.85 ID:CzaKxMfK
次の競馬は1−17−12で大丈夫かな?
460日本@名無史さん:2009/09/23(水) 14:47:07
魏の国の使者が、当時の邪馬台国の政治制度を十分理解していたとは思えない。
行程もあいまいな記述だし、卑弥呼の名前も卑下呼称にすぎないなのだから。
しかし、この時代に、邪馬台国の記述にふさわしい規模の墓や国があったのは、
畿内だけなのだから、南九州にそういった遺跡が発見されたというのなら話は別だが、
現状では畿内こそ邪馬台国の最有力候補地とする意見に反証の余地はない。
そしてその時代に魏に使いを送れるほどの権力をもった女王といえば、倭迹迹日百襲媛命
以外に考えられない。

消去法による消極的な証拠の集積にすぎないが、こういう結論が最も妥当。
461太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 14:54:01
ふさわしいだと〜。wwwwww
え〜、それらは現代まで一系無窮で続いて来た莫大な権力たる朝廷
の関係の墓だろうが。だいたい遺跡っていうのは雲散消霧するのが
当然だ。むしろ2000年近く経過して残っているのが不思議なくらい
だ。おまけにビルの下敷きだったらちょっとやそっとじゃぁ見つかり
はしまい。目先の表見的考えで判断しちゃぁいかんぜ。
462日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:03:00
はて?九州に卑弥呼の墓を下敷きにするほどビルがあるのでしょうか?
463太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 15:21:05
>>462
本当のオマエは揚げ足取りが上手だな。これから外出だから後で
真面目な反論を考えて書きこんでおけ。

九州にはビルがないのか?南極大陸のようなのか?
どこに南極のような九州の地域があるのか? ビルは例示的に挙げ
ただけで、じゃぁ揚げ足取るなら言い回しを変えて建物だとか
道路工事で潰されたとかに鞍替えるか?

さてしっかり考えてくれよ。君はビルがあるのでしょうかと挙げ足を
取ってきたから聞くが、崇神の頃、畿内のどの辺に記紀の当時の条に
記述のない女王の国が存在してたのでしょうかね? 記紀は当時
男王国(天皇国)しか記述してないぜ。
当時すでに古墳の下敷きになってたんですかねぇ?wwwww

夜でも反論に応じるからここに書きこんでおけ。外出だ。
464日本@名無史さん:2009/09/23(水) 15:43:57
>>461
雲散消霧にちょっと笑っちまったよ。
四字熟語は正しく覚えような。
465日本@名無史さん:2009/09/23(水) 16:25:33
>>458
地味とか地味じゃないとか(笑)
おい、デブ国 話に付いていけないんだから、
首突っ込んでくるなよ(笑)
466日本@名無史さん:2009/09/23(水) 17:48:19
>>463
八ツ場ダムのニュースを見ながら考えたのだけれど、邪馬台国はビルの
下敷きになったのではなく、ダムの底に沈められたのではないだろうか?
それで調べてみた。宮崎県日向の上椎葉ダム。ここは平家の落人部落と
しても有名だけれど、実はこのダムは神武天皇の東遷出発地として知ら
れる耳川の上流にあるのだ。
つまり、邪馬台国の遺跡は自民党の陰謀によってダムの底に沈められて
しまったのではないだろうか?

とでも書けば満足かい?>太国殿
467太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 18:10:59
>>465
盲象がひどけりゃぁ、つっこむのもしようがあるまいが・・・。w
オマエの盲象を早めに覚醒してやるんだから、有難く思え。分かったか?

>>466
まぁそういうこともありうるだろう? どれだか、ビルだか他の建造物か〜
それとも君の言うダムの下なのか? それは何ともだ? とにかくさっきビルと
言ったのは例示的列挙の一を上げただけであって、その他の建造物等を含んで
言ってるわけだ。君ならそのくらいはわかるだろうが? それがビルの字から
どうのこうの突いて来るということは、正規の論じゃぁあいつは勝てないから
そういう揚げ足で文句を垂れて来てるわけだよ。 ああいうのは上げ足で好ま
しい反論ではないぞ。要するに勝てないから、あんな言い草をあいつは言って来
るわけだよ。どうせ無コテでどこの誰かは分からんだろうが。だからそんな口
を叩いてくるなということだよ。
468日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:38:41
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
469日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:12:01
>>466
ダムを作るような山奥に、主要な邑はない。
470日本@名無史さん:2009/09/23(水) 19:40:04
ヤフーのザラさん相手に一本入ったかな?


471太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 19:44:11
卑弥呼の女王国の情報が畿内にないということは、九州の奥地だっ
た可能性があるのだ。それがたまたま大陸に情報が行ったという
ことだ。勿論女王国にたどり着いてのことだとも言える。
阿蘇の盆地も可能性が多いんではないのか?
472縦目仮面:2009/09/23(水) 19:58:46
>>471
「まぼろしの邪馬台国」の影響ですか?あの映画には確か、阿蘇の中道古墳群の長目塚
と車塚が出ていましたかね。

ところで、http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1252808886/
が寂しいので、ちょっとご意見をいただきたいのですが・・・九州での倍暦使用は不明でし
たっけ。

>>470 改めさんですか?2ch代表としてがんばってください。期待していますよ.。
いや、マジで。ww

473日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:55:45
>>471
可能性って(笑)
可能性だけなら、どこでもいけるな(笑)
474太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 21:00:23
>>473
行けないのもある。極端に言えば卑弥呼の国が火星にあるなどと
言ったって、これは可能性は0に等しい。下らんことを書きこむな。
475日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:09:52
>>474
火星も0じゃないのかw
どーしようもないなw
476太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 21:14:37
まだ言ってるのか。
火星なんて可能性はないだろう。オマエあると思うのか?
可能性のない地域だってうんとあるはずだず。いい加減にしろ。
477日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:26:17
>>476
ビルの下敷きといい火星といい、太国氏の比喩は突っ込みどころ満載。(笑う)
ついつい突っ込みを入れたくなってしまうのです。
478日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:16:27
>>476
>可能性は0に等しい
>可能性は0に等しい
>可能性は0に等しい
>可能性は0に等しい

絶対無いって言い切らないところがデブクオリティww
479日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:22:08
>>470

>ヤフーのザラさん相手に一本入ったかな?

いまyahooを覗いてきたが、いったい何が一本なんだかわけが解らねえ
お前が一本取られているように見えたんだがどういうことなんだ?話が違うんじゃないか?
相手は鼻からお前を相手にしてないような、書き込みはあったが
480縦目仮面:2009/09/23(水) 22:25:38
まあ、トンデモと思って読んでもらえればいいが、量子力学に経歴総和法(経路積分)という
のがあって、リチャード・P・ファインマンという人が考案したんだが、 素粒子などの運動にお
いて、A点からB点への移動経路は無数かつ大域的に分布していると考え、それら無数の経
路の合成が一つの経路として収斂されるという考え方。

これは、キャッチボールの例で考えると、投げたボールの経路は無数に存在する。つまり、
地球を一周してからグローブに収まるものや、いったん宇宙の果てにいってから返ってくる
ボールもある。そしてそれらを波と考えた総和が普通のボールの軌跡。つまり波の干渉に
より無数ルートが打ち消しあって結果的に一つになるということ。

もちろんボールのような巨視的なものには適用されないんだが、これを多世界解釈と関連ず
けて、SFでは火星に邪馬台国があった世界も存在する、という論拠に用いられることがある。
・・・だれか物理学に詳しい人、間違いがあったら直しておくれ。


481太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 22:28:37
火星に卑弥呼の国があろうわけがない。可能性は0.ww
482縦目仮面:2009/09/23(水) 22:39:22
キ(足+圭)が半歩で、歩が一歩という話ですね。改めさん合ってると思いますよ。
483日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:44:08
九州に邪馬台国があるわけない!可能性は0%!もちろん卑弥呼もいない!
484日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:53:45
中1女子ですが、連休最終日なので、全裸をぅPします

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/bread/1253241889/
485日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:04:36
>>482
いわゆる類語というやつですね?
しかし
>キ(足+圭)が半歩で、歩が一歩
という話は、キ(足+圭)というのは「師古曰」にて理解できますが、歩は歩であり一歩は一歩ではないのでしょうか?
歩は一歩でもあるし二歩でもあるのではないでしょうか?
486太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/23(水) 23:08:24
>483 盲象ご苦労。
オマエがいくら頑張っても、卑弥呼の女王国は九州だ。
487日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:08:44
>>480
だいたいあってると思います。波動方程式の別解法でしょう。
488日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:17:03
>>480
それは以前河童さんの提示に対して出た考え方かと記憶しています。
「経歴総和法」懐かしい響きです。
489縦目仮面:2009/09/23(水) 23:18:37
>>485
うーん、「キ(足+圭)歩」という熟語もあるようで、辞書的な意味では合ってるといえるんじゃない
ですかね。ただ、すべての時代・場所でそのような用いられ方をしていたかはなんとも言えませんが。




490縦目仮面:2009/09/23(水) 23:24:12
>>488
それたぶん俺が名無しで書いたレスだと思う。あとこれ系はM理論のメンブレーンとか結構
書いてるんだが、もちろん素人解釈なんで物理板ではすぐやられる。
491日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:37:52
>>489
簡単に言えばこういうことです。
[足圭]が半歩という意味で、歩が一歩という意味だったと想定した場合
熟語(キ歩)が何故半歩になるのかということです。
[足圭]だけで半歩という意味があるという想定ですので、改めて(キ歩)という熟語を作り出す理由がありません。
492日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:39:56
伊都國が女王國の都です。
女王國=邪馬壹國です。
伊が卑彌呼(又は壹與)を指し、伊都とは卑彌呼の都の意味です。
邪馬台国問題に終止符しましょう。
493縦目仮面:2009/09/23(水) 23:42:10
>>491
すんません。そこまでわかりません。
494日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:52:17
>>493
縦目さんにそれ以上突っ込むつもりはありませんので
お付き合いありがとうございました。

>>488

よく覚えていたね

>>490

あの時の名無しさんは縦目さんでしたか(笑)



参考までに、「歩」に一歩という特定する意味はありません。
「歩」という文字は「止」と「少」の合字であり
★行動が瞬時に停止する(止まる)という意味です。


では。
495縦目仮面:2009/09/24(木) 00:31:01
おや河童さんでしたか。んじゃスレ違いにならない程度に蘊蓄を一つ。

歩といって俺が連想するのは「七歩詩」の故事。これは、三国志演義のほうに出てくるんだから
史実として疑わしいが、文帝となった兄・曹丕と曹植とはともに曹操の息子で兄弟であるものの、
詩の才能その他のことで仲が悪かった。で、兄が「七歩進むうちに詩を一つ作れ」との難題を出し、
できなければ処刑しようとした。で、すったもんだがあって曹植が一声のうちに作った詩が、

煮豆持作羹  漉?以為汁  ?在釜下燃  豆在釜中泣  本是同根生  相煎何太急
(豆を煮て豆乳を作り、醗酵した豆を漉して汁にする。豆の殻は釜の下で燃え、豆は釜の中で泣い
て言うには、もとは同じ根から育った(豆と豆殻)なのに、なぜこんなに急に強く煎るのか?)

つまり、兄弟なのにあまりにひどい仕打ちという意味。ま、詩の作風は曹植とは違うともいわれてる。
ところで、この故事の一歩はどうなんでしょうかね。

496縦目仮面:2009/09/24(木) 00:35:30
あらら、詩の?の部分、興味ある人はここ見てね。 http://shomon.net/kansi/sansou3.htm
497日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:38:04
>>495
面白い話し有難うございました。

早速ですが「七歩」の歩は、単位です。
七つの歩幅を記録した。と言う事です。
498日本@名無史さん:2009/09/24(木) 00:46:04
>>495
別な言い方をすれば、
七度歩幅にて着点を求めた。
499日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:32:18
>>498
日本語でOK?
500日本@名無史さん:2009/09/24(木) 11:08:47
河童の場合、
名無しにしても河童とわかる。
特殊な主観になっているからだ。
やっぱり氏のいう事は普通じゃない。浮いている。
501九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/24(木) 11:52:03
>>492
>伊都國が女王國の都です。
>女王國=邪馬壹國です。
>伊が卑彌呼(又は壹與)を指し、伊都とは卑彌呼の都の意味です。
>邪馬台国問題に終止符しましょう。

伊都國が帥升の倭國の都です。
女王國=邪馬壹國+投馬國+不彌國+奴國です。
「伊」が「倭」を指し、伊都とは倭都の意味です。
邪馬台国問題に終止符は打てません。
502二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/24(木) 11:54:37
>>480
>>つまり波の干渉により無数ルートが打ち消しあって結果的に一つになるということ。

干渉で打ち消しあう部分はあるが1つにはならない。
B点で結果1つになるのは「観測」などによって収束が起こるから、と考えられている。

AからBに粒子が行くのに、可能性のある経路のどの経路を通ったかということは意味がない。
全ての経路がそれらが起こりうる可能性分だけ、その経路を通った可能性があると考える程度。
経路が1つになると考えるのではない。

ちなみにB点で収束しないといけないということはないので、A点の粒子は本来宇宙のどこにでも行く可能性がある。
これがトンネル効果などといわれて、本来超えられないエネルギーギャップを飛び越えて(トンネルして)移動が起こること。
503二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/24(木) 12:20:30
>>480
一番大切なところを指摘し忘れていました。
「打ち消しあう」のは計算上のテクニックで、想定した経路が消えていったりするわけではないです。
504日本@名無史さん:2009/09/24(木) 12:29:12
>>502-503
そんな事は物理板でやれよ。
505日本@名無史さん:2009/09/24(木) 13:05:22
[足圭]:凡人一舉足也

まるで王 貞治
506縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/24(木) 13:22:19
スレ違いで申し訳ないが、私に以下の問いかけをした人がこのスレを見ているかも知れないと思ってレスします。

>>991>1里=約430mでは実際の3〜5倍の距離になってしまう
・なぜそのようになっているかお考えがありますか?推測でもあればお聞きしたいです。
・このような公式以外の基準が用いられていたことを、陳寿または魚豢らは知っていたと
 お考えですか? 」

なぜそのようになっているのか。理由を書いた文献を(私は)見出せませんので、推測で言えば次のようなことでは
ないでしょうか。
東夷関係の記録は東夷出身の官吏が書いたのではないか。つまり、魏志東夷伝で言えば、帯方郡の官吏には現地人が
多く採用されていて、東夷に関する文書等はこれらの現地人官吏が書いていた。そして、この現地ではいわゆる魏の
公式尺度とは異なる尺度(魏の公式里の1/3〜1/5の距離の里)が用いられていた。恐らく、公孫氏の時代にはこの距
離の短い里が郡(楽浪郡、帯方郡)の公式尺度であったのだろう。

「陳寿または魚豢らは知っていたと お考えですか?」と聞かれても本人達に聞くこともできないので、これも推測する
他はないのですが、私は知らなかったと考えます。もし、陳寿が里数記事が実際と異なることを知っていれば訂正したで
しょう。陳寿は実際に東夷の国に行ったことはないようですし、漢にしても魏にしてもあるいは晋にしても中央の役所の
人間は現地からの報告を記録していただけで自分で現地を見て来たわけではないでしょう。だから、陳寿らは魏の公式尺
度が使われているものと思って、「差計其道里當在會稽東治之東」と、倭国の位置をはるか南にあると推定しているので
しょう。
507日本@名無史さん:2009/09/24(木) 13:26:37
>>501
>伊都國が帥升の倭國の都です。

そうです、伊都國は古の倭奴國です。
「倭」を「伊」に改めたのは、女王の卑弥呼が居たからです。
漢字の「伊」には霊能力を持った聖職者の意味があります。
霊能力を持った聖職者とは卑弥呼のことです。
女王國とは邪馬壹國のこです。
倭を代表する国が邪馬壹國=女王國です。
邪馬壹國は伊都國他25カ国の連合国です。
形式的には倭の30カ国を統属していたのです。
508日本@名無史さん:2009/09/24(木) 13:31:27
>>507
伊にそんな意味はない。
509日本@名無史さん:2009/09/24(木) 13:47:23
>>506
公孫も中央官庁の役人です。
510九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/24(木) 14:10:18
>>507
>伊都國は古の倭奴國です。
倭奴國は帥升の倭面土國に滅ぼされ、
倭の大部分は帥升が統一し、
帥升は倭國王となったのです。
(狗奴國地域は除く)

>倭を代表する国が邪馬壹國=女王國です。
>邪馬壹國は伊都國他25カ国の連合国です。
>形式的には倭の30カ国を統属していたのです。

倭>30ヶ国連合>女王國>邪馬壹國
511日本@名無史さん:2009/09/24(木) 14:44:45
>>506
「陳寿または魚豢らは知っていたと お考えですか?」という問題は、知っていたと考える
べきだろう。倭人伝は、帯方郡から女王国までは万二千余里であると明記している。倭人
伝が書いている行程をみれば、そのほとんどは南へ進むものだ。違うのは半島の南を東へ
向かうことぐらいだな。となれば、郡から南へ一万里ぐらいは行くと女王国だということは
すぐに読み取れるはずだ。
次に、中国人にとって帯方郡が山東半島の東に位置することは常識だろう。となれば、山東
半島から南へ一万里行ったらどこになるか、430で計算すれば、赤道あたりまで行くはずだ。
それを倭人伝は、会稽東冶の東と明記しているわけだ。山東半島から会稽までは約800キロ、
430で計算すればせいぜい1900里にすぎない。そんな距離なのに、万二千余里なんてあるわけ
だから、陳寿らがこれは430ではないなと気づくのはあたりまえだ。
512九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/24(木) 15:47:38
>>506
>>511
短里1里が約70mであることを承知していたのは、陳寿だけではない。
隋書までに書かれた史書の著者編者の全員が、
東夷伝は短里で書いて事を認識していた。

その証明のスタートは、
『其南海行三月 有[身冉]牟羅國 南北千餘里 東西數百里』隋書百濟伝
である。

513日本@名無史さん:2009/09/24(木) 16:11:49
>>512
沖縄ですね。
514日本@名無史さん:2009/09/24(木) 16:33:12
台湾だろう。
515縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/24(木) 16:36:37
>>509
公孫度は漢の役人でしたが、その息子の公孫庚の時代になると漢から独立します。魏の司馬懿に滅ぼされる
前には呉と結ぼうとさえします。そのような公孫氏政権は東夷人によって支えられていた(軍事的には北方
騎馬民族の兵に支えられていた)わけですから、度量衡についても東夷人のものを取り入れていたとしても
不思議ではないでしょう。

>>511
>>509
公孫度は漢の役人でしたが、その息子の公孫庚の時代になると漢から独立します。魏の司馬懿に滅ぼされる
前には呉と結ぼうとさえします。そのような公孫氏政権は東夷人によって支えられていた(軍事的には北方
騎馬民族の兵に支えられていた)わけですから、度量衡についても東夷人のものを取り入れていたとしても
不思議ではないでしょう。

>>511
問題は半島の経路でしょう。海岸沿いに作(にんべん無し)南作(にんべん無し)東して狗邪韓国まで七千
餘里です。万二千餘里の半分以上の距離です。南に進んだ距離がどれだけで東へ行った距離がいくらかは分
りません。つまり、郡から南の方向にどれだけ進んだかは分りません。いま仮に半島の南岸が大陸の
徐州とほぼ同じ緯度にあることを陳寿らが知っていたとすれば、それから南に五千里です。1里430mとす
れば2150kmとなり、これではフィリッピン辺りの緯度まで南下することになります。この場合、會稽東治
は海南島あたりかベトナム辺りにないと話が合いません。會稽東治については福建省の福州辺りあるいは紹
興市辺りだとする説があるそうですが、本当は何処でしょうか。陳寿らが1里を約430mだと思っていたと
したら以上のようなことになるだろうと思います。
私は陳寿らが1里を430mとしない里が用いられていることを知っていた可能性もあると思いますが、その
場合東夷の国々以外の記述で用いられている里と違うならばなぜ統一しなかったのか?という疑問への解答
を見出せていないからです。
516縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/24(木) 16:45:00
515は急いだので文章が乱れています。申し訳ありません。
訂正
私は陳寿らが1里を430mとしない里が用いられていることを知っていた可能性もあると思いますが、その
場合東夷の国々以外の記述で用いられている里と違うならばなぜ統一しなかったのか?という疑問への解答
を見出せていないので、その可能性を主張するのに躊躇します。
517九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/24(木) 17:02:18
>>512
>沖縄ですね。
>>513
>台湾だろう。

[身冉]牟羅國は済州島です。
それは隋書俀國伝で証明されます。
518日本@名無史さん:2009/09/24(木) 17:15:20
>>517
証明なんてされていないだろう?
ただ証明されたと思い込んでるだけじゃないの?
519日本@名無史さん:2009/09/24(木) 17:57:20
>>515

>度量衡についても東夷人のものを取り入れていたとしても
不思議ではないでしょう。

東夷人の度量衡とはどのようなものですか?
520日本@名無史さん:2009/09/24(木) 18:03:51
耽羅(済州島)は古代から日本固有の領土です。508年に薄汚い朝鮮人に侵略されました。
韓国は今すぐ済州島を日本に返還しなさい!外国人参政権断固反対!在日特権は許さないぞ!
521縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/24(木) 18:58:28
>>519
それが分れば苦労はない。たぶん度については1里を約430mとするものではなかったでしょう。
522日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:01:22
>>508
平凡社「字統」白川静著にあります。
523日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:03:05
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
524日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:18:53
>>516
魚豢や陳寿は短里を知らなかったと思います。
魚豢や陳寿が使っていたのは魏、晋の1里430m。
魚豢や陳寿は公孫氏からの資料を基に記事を正確に書いただけ。
公孫氏の里が通常自分達が使っている里とは違う事に気づいていても
短里の一里がどのくらいの長さか分からなかったので換算出来ず
そのまま書き写すことしか出来なかったと思う。
だから里の単位を統一出来なかった。
525縦目仮面:2009/09/24(木) 19:29:06
>>506 の991は俺が名無しで書いたレスなんだけど、予想どおり縄文人が、陳寿知らなかっ
た説を唱え、それに対して文献派からの反論が来ているね。まあ、ここは「東夷伝は短里で書
かれる慣習があった」とか昔からいわれるところだけど、たとえそうだとしてもその理由がわか
らないのは縄文人のいうとおり。

>>502 どうもです。まあ、物理の本を読めば世界観が変わってきますよね。二さんの説は、実
は、二重スリット実験で、量子が波と粒子の二面性を持つというのに似てると思ってるんですけ
ど。




526縦目仮面:2009/09/24(木) 19:43:52
ま、晋朝の高祖とされる司馬懿の功績(公孫子討伐→卑弥呼朝貢)を高めるため、倭地を
ことさら遠隔の地に見せようとしたなどという説もあるんだけど、ちょっとどうだか。
527日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:46:32
>>526
それは現代人(日本人)がそうしたいだけの話しです。戯れ事
528日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:53:32
>>524
公孫氏の里ってなんですか?好き勝手に創らないでくださいませませ。
529日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:01:20
公孫氏の度量衡が認められるなら、對馬の度量衡、一大の度量衡、末廬の度量衡、伊都の度量衡があってもいいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
いいじゃないか
530日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:40:43
>>526
いや、以外ともっともな説だと思いますよ。
司馬懿と曹爽の関係から、
そこに政治的意図・配慮を読み取るのは
興味深いです。
531日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:40:53
>>528
短里のこと。
魏略、魏志倭人伝に使われ、隋書などにも見られる。
>>529
公孫氏は独立状態にあったから、
独自の度量衡があってもおかしくない。
532日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:51:04
>>531
空想のなかで公孫独自の度量衡が存在したと言う事でしょうか?
533縦目仮面:2009/09/24(木) 21:01:15
>>530
しかし・・・こんな細部に陳寿らが政治的目的で恣意的な記述を入れてるとは、俺的には
ちょっと考えにくい。
534日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:02:46
>>530
政治的な意図なら尚更史料にそうべきです。
読み人が読み人ごとに勝手に想像する小説なら話しは別ですが。これは小説でない事は百も承知の筈ではありませんか?
歴史と歴史小説を区別しましょう。
535縦目仮面:2009/09/24(木) 21:20:21
ただ、Wikiには陳寿について、

>陳寿本人については、「三国志」を書くに際して、私怨による曲筆を疑う話が伝わってい
 る。たとえば、かつての魏の丁儀一族の子孫達に、当人の伝記について「貴方のお父上の
 ことを、今、私が書いている歴史書で高く評価しようと思うが、つきましては、米千石を頂きた
 い」と、原稿料を要求し、それが断られると、その人物の伝記を書かなかったという話。

>また、かつて諸葛亮が自分の父を処罰し、自身が亮の子の諸葛瞻に疎まれたことを恨ん
 で、諸葛亮の伝記で「臨機応変の軍略は、彼の得手ではなかったからであろうか」と彼を低 
  く評価し、瞻を「書画に巧みで、名声が実質以上でさえあった」等書いたのだといった話が
伝わっている。

これは晋書の「陳寿伝」に載ってる逸話で、ことの真偽はわからないが、けっこう恣意的な面
もあった人ということだろうかね。
536日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:27:12
>>530
陳寿には政治的目的などないでしょう。
司馬政権への配慮はあったでしょうけど。

彼は、親魏倭王授与の公報を、そのまま引用したのでしょう。
537日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:30:42
すいません。
アンカーミスです。536は
>>533
縦目仮面さんへのレスです。
538日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:45:05
>>532
独自の度量衡を定めるのは自立の証ですから、
独立状態にあった公孫氏に独自の度量衡があってもおかしくない。
公孫氏が魏の定めた里を使用する義理は無い。
539日本@名無史さん:2009/09/24(木) 21:46:23
>>531
度量衡を変更するには相当の権力が必要だと思うので
それは無いと考えるのが妥当じゃないか?
また、公孫氏に度量衡を変更する積極的な理由も無い。
公孫氏が王を名乗ったとも聞かないし、一地方軍閥だぜ?
540日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:00:05
>>539
>公孫氏が王を名乗ったとも聞かないし
調べたら燕王と名乗ってた。スマね。訂正する。

でも他の群雄や魏と抗争中に度量衡の変更のような
政治的に混乱するような事はしないと思うね。
541縦目仮面:2009/09/24(木) 22:01:35
公孫淵は孫権とよしみを通じ、孫権は燕王に封じたが、のちに孫権の使者を斬り首を魏へ
送り大司馬となった。その後自立して再び燕王を名のり、百官有司を置き、年号をたてて紹
漢元年と称した。鮮卑の単于に玉璽を与え、辺境の民衆を支配させるなど、少なくとも表面
的にはかなりの権力を誇示しているね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B9%E6%BC%A2
542日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:04:50
>>534
すいません。意味がよくわかりません。

政治的な意図があるのは、当然、司馬懿もしくは曹爽です。
私が勝手な想像をしてるのは間違いないですけど。
543日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:12:36
>>541
そう。まさに呉を意識して、
倭国の位置をずっと南方(=呉の後背地)に
設定したということですよ。
もっともらしいでしょ。
544縦目仮面:2009/09/24(木) 22:22:33
>>536
うーん、しかし東夷伝倭人の条の行程距離なんて、多くの中国人読者に対してはあまりに
細部だという気がするんだよね。

あと話は変わるけど、>親魏倭王卑弥呼に制詔す〜故に鄭重に汝に好物を賜うなり
の部分は魏帝詔書の全文掲載で、はっきり資料が残ってたとわかる部分。しかしこれに比
べて、行程記事、特に邪馬台国内部の箇所はあまりにあっさりしすぎているという気がする。
いったいどんな原資料に基ずいたのか、俺はかなり疑問。まあ、普段は倭人伝の読みは水
かけ論になりやすいんでやらないので、よくはわからないんだけどね。
545日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:36:44
魏志倭人伝の原資料は少なくとも二つある。
@一つは魏略もしくは魏略の原資料で女王国までの里数などが記載されていた。
Aもう一つは卑弥呼が帯方郡に使者を派遣し壹與が立つまでを記録した資料。
@は公孫氏が残した資料で、Aは魏が残した資料。

546うましか:2009/09/24(木) 22:42:23
>>543

横から失礼します。
私も「意図的」な読み手の部類ですが、東夷伝序を見る限り、書き手の方も「意図的」かなと思いますね。
態々東夷伝を起した理由は、司馬懿の顕彰のため、単に先史の欠落を補うとかでは無いでしょう。
ただ、韓地が方四千里とか、倭地が万二千里の彼方とかであることは、それだけでも司馬懿の事績には有益ですので、
さらに対呉関連まで考えなくてもよいかなとかも思います。


>>544-545

「行程記事」については、伊都の前後で文体にい変化が見られることから、複数の資料を誰かが合成したものではと思います。
ここで複数資料説と言うと「ニ」さんが「高名」ですが、私にはもっと古い漢代の資料とかも入っていないと都合が悪いのですが。


東夷伝序
> 而公孫淵仍父祖三世有遼東天子為其絶域委以海外之事遂隔斷東夷不得通於諸夏。
> 景初中大興師旅誅淵又潛軍浮海收樂浪帶方之郡而後海表謐然東夷屈服。

> 而るに公孫淵父祖に仍ること三世遼東に有り、天子其の絶域の為に以て海外の事を委ね、遂に東夷隔斷し諸夏と通ずを得ず。
> 景初中、大いに師旅を興し淵を誅す、又潛かに軍海に浮かべ樂浪帶方の郡を收め、而る後海謐然を表はし、東夷は屈服す。
547日本@名無史さん:2009/09/24(木) 22:56:42
>>544
なーに、史書なんて一般人向けに書かれたものではないですよ。
皇帝とそれに関わる政治的な事柄を書くのが史書ですから、
司馬懿の功績を持ち上げるために書かれたとするのは自然なことです。
東夷伝はあるけど西域伝はないですからね。
原資料は、・・・わかりませんね、やっぱり。

ところで、考古学に詳しい縦目仮面さんに甘えたいのですが、

卑弥呼が推戴された契機になった倭国大乱の原因が後漢の衰退だとしたら、
西晋が滅んだ4世紀初頭頃に、倭国が乱れた形跡ってあるんでしょうか。

あったら邪馬台国に代わって別な政権ができた(九州説)。
なかったら邪馬台国が継続的に発展した(畿内説)。

これで決めようかと思うんですけど。
548縦目仮面:2009/09/24(木) 23:06:43
うーん、まあ手に入る資料は集めたんでしょうが、古い情報の他に新しい情報も入ってるん
でないかな。特に倭国の地理的記述に関しては、陳寿が三国志を書いた280年代までの
情報も入ってると思うんですけどね。歴史的記述に関しては、魏史なんで魏滅亡時点で筆
を止めなくちゃならないけど、240年代と280年代頃で(東遷でもないかぎり)倭国の地理は
そんなに変わらないと思うんです。

>>547 まあ一般民衆が読むということではなく、晋代の知識人が読むということでしょう。で、
陳寿はそれらの人の評価を何より恐れたでしょう。実際、父親の喪中に病になり、女中に薬を
作らせたりして、さんざん悪い評判を立てられたりしてますからね。だから、晋代当時の認識
と異なることは書けなかったと思うんです・
549日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:09:49
>>546
そうですね。まあ、とにかく、そう考えれば
短里なんて気にしなくてもよくなる、
ってことですよ。
550縦目仮面:2009/09/24(木) 23:14:49
>>547 あとは和国乱ですか。もちろん戦闘はあったでしょうが、大乱という感じではないで
しょうね。環濠が解体されていく時期です。記紀の四道将軍の記述はそれなりに根拠がある
らしく、4世紀には会津あたりに早期古墳ができます。
551日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:26:48
>>548
>晋代当時の認識
だけど本当に陳寿が倭国のことを知らなかったと思いますか?
陳寿のタニマチの張華は北京の出身で、
282〜287年はその北京で都督幽州諸軍事をやっていたんですよ。
そのときに半島の開拓やって、馬韓の朝献があったそうです。
方四千里とかウソだってわかるんじゃないですか?

まあ、魏って言ったって司馬政権なわけで、
現代史書いてるわけですから。
552日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:34:43
>>550
ありがとうございました。
553縦目仮面:2009/09/24(木) 23:36:53
>>551
うーん半島の情報はもちろん多かったとは思うんですがね。
554日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:37:40
>>546
>態々東夷伝を起した理由は、司馬懿の顕彰のため、単に先史の欠落を補うとかでは無いでしょう。
>韓地が方四千里とか、倭地が万二千里の彼方とかであることは、それだけでも司馬懿の事績には有益
いわゆる短里は、倭人伝だけが採用したものではない。倭人伝よりも魏略が先だよ。魚豢が司馬懿の業
績を持ち上げようとして誇大表示をし、陳寿もそれに追随したというのかな?
また、倭国をとんでもない遠い国だとみせかけたというのならば、何で会稽東冶の東なんて書いたのか
な? 誇大表示説からすれば、万二千里は倭国を赤道付近の国に見せかけるもののはず。それを会稽東
冶の東と書いたのでは完全なぶちこわしだね。
555日本@名無史さん:2009/09/24(木) 23:53:43
>>554
魏略は司馬昭を文王と記している。
これは咸煕二年(=晋の泰始元年)に送られた諡号。
魏略も倭人伝も同じくらいに出来たらしいですよ。
556日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:24:17
魏略の著者魚豢は208年に死亡した劉表と面識があったとウィキペディアにある。
208年には魚豢は成人だっただろうから57年後の咸煕二年(265年)は魚豢の晩年になるな。
557縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/25(金) 00:33:22
>>544  「倭国大乱の原因が後漢の衰退だとしたら、」
倭国大乱の原因について書かれた史書でもありますか?
戦乱の原因として最も考えやすいのは、古代においては飢饉時の食料の奪い合いでしょう。我が国の戦国時代
も寒冷化による食料不足が根本の原因であるとも考えられます。温暖な時代に増えた人口を寒冷化が過剰な人
口へと変えたのです。義を掲げて戦ったとされる上杉謙信でも関東管領の名分を利用して関東に軍勢を出して
食料を持ち帰り本国の飢えをしのいだとも言われる。腹が減っては戦ができぬと言うが、それは戦闘時のこと
で、飢え(飢えそうな事態)は戦争を引き起こすのである。
漢の衰退という政治的な原因が倭国大乱の原因というより、大陸においても寒冷化による食料不足で戦乱の世
になり、時期を同じくして列島でも同じように飢饉で戦乱状態になったと見る方がリアリテイがある。
558うましか:2009/09/25(金) 00:40:09
>>554

> いわゆる短里は、倭人伝だけが採用したものではない。倭人伝よりも魏略が先だよ。
> 績魚豢が司馬懿の業を持ち上げようとして誇大表示をし、陳寿もそれに追随したというのかな?

いや、倭人伝の路程部の骨格は、魚豢が、陳寿がと言う話じゃないでしょう。
魏略と魏志の先後関係は、まだ結論のでていない事項らしいですね。
何れにしろ編纂時期は近接しているのだと思いますが、その両書に同じような表現があるわけです。
恣意的に考えれば、先行者の文章を拝借したと言うのもありますが、ディティール部分まで「拝借」し
たとするのは如何なものかと思います。
普通に考えれば共通の基礎資料(公文書)が存在したと言うことだと思います。
私説では景初遣使を取り次いだ帶方太守劉夏の上申書をそれに当てています。

> また、倭国をとんでもない遠い国だとみせかけたというのならば、何で会稽東冶の東なんて書いたのか
> な? 誇大表示説からすれば、万二千里は倭国を赤道付近の国に見せかけるもののはず。それを会稽東
> 冶の東と書いたのでは完全なぶちこわしだね。

 「万二千里」については、虚数と言う考え方もできますが、それはひとまず考えないこととして、
純粋に数字を分析知ると12000里の内、南方向への移動距離は7400里程度かと思います。
起点である帯方郡治をどこに置くかにもよりますが、1里430mなら7400里は3200km弱では無いですか?
緯度1度が111kmとすると赤道までは行けません、それでも北緯11度付近までは行くかと思いますけどw
559日本@名無史さん:2009/09/25(金) 00:44:20
後漢の衰退なんぞと結びつけるのは机上の論。食料の問題の方が実際だろうな。
それと、北九州の拡大政策、それに対する反撃もあったかな。
560縦目仮面:2009/09/25(金) 00:52:23
>>557
なんかアンカーを間違えてますよ。まあ、後漢の帝の徳が下がったから、蛮夷の国にも乱
が起きたと言いたい気分が、中国史書の編者にはあるのかもしれませんが、実際はそうで
もない感じがしますね。倭国社会の発展段階に関係があるという気がします。
561日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:00:39
>>558
>私説では景初遣使を取り次いだ帶方太守劉夏の上申書をそれに当てています。
では、劉夏が司馬懿の業績を持ち上げようとして誇大表示をし、陳寿らがそれに
追随したというのかな?いずれにしろ、陳寿が云々とは言えなくなるな。

>12000里の内、南方向への移動距離は7400里程度かと思います
どうゆう計算かな。万二千余里のうち、南へ進まないのは、朝鮮半島の
南側の乍東と末盧国から伊都国への東南のみだよ。乍東はせいぜい2、3
千里、東南陸行の分はほとんど考慮する必要はないだろう。
郡から南へ九千里から一万里程度は進んだ計算になると思うがね。
つまり、約四千キロとみるべきところだ。赤道付近だろ。
562日本@名無史さん:2009/09/25(金) 01:17:51
>>557
私的にはどちらでもいいんだけど、
倭国大乱の原因について書かれた
気象学者の論文でもお持ちですか?

男子を持って為された王の権威の源泉が、
後漢によって与えられた貿易独占の特権、
とみなして不都合なことでもあるのかな?

卑弥呼が共立されて乱が治まったのなら、
政治的な原因の方がリアリティがある、
と思ったんですけど。
563うましか:2009/09/25(金) 01:55:55
>>561

> では、劉夏が司馬懿の業績を持ち上げようとして誇大表示をし、陳寿らがそれに
> 追随したというのかな?いずれにしろ、陳寿が云々とは言えなくなるな。

卑弥呼が親魏倭王になったのは、梯儁や張政の報告に基づくところではありません。
劉夏の上申書に基づき決定されたのです。全くの創作で上晋書を作ったとは考えませんが、
東夷を服属させた司馬懿や朝貢を取り付けた自己の功績に都合の好い内容となるのも
いたしかたないかと思いますが。

> どうゆう計算かな。万二千余里のうち、南へ進まないのは、朝鮮半島の
> 南側の乍東と末盧国から伊都国への東南のみだよ。乍東はせいぜい2、3
> 千里、東南陸行の分はほとんど考慮する必要はないだろう。

韓地は4000里、渡海部が計3000里、南東表記部分はピタゴラスの定理とかを思い出しつつ400里、
残り邪馬台国までの路程不明部は1300里、全部足すと8700里、ああ、確かに計算が合わないですね。
路程不明部を足し忘れました、再計算すると3741km、北緯5度付近まで南下しますね。

564唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/25(金) 10:40:59
新羅192年 九年  三月(太陽暦5月) 京都雪 深三尺 夏五月 大水 山崩十餘所
新羅193年 十年 春正月甲寅朔(太陽暦2月19日) 日有食之 六月 倭人大饑 來求食者千餘人

この出来事を何処に置くか?
崇神5,6年に置くと、2世紀末巻向に各地の土器(四道将軍の結果)まで説明出来る。

金官伽耶の王族は、扶余系 これが天日槍です。
5世紀の初めで、王墓は作られなくなる。
565太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/25(金) 10:50:47
盲造ご苦労。ww
566唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/25(金) 11:13:59
複数年を1年とする不都合
これは太国3倍年に限ったことではないが、太国さんは主張はするが、主張した
倍数で、書記を纏めないので代りに纏めました 違っていたら訂正よろしく。
237〜240年 崇神治世時代
元年春正月壬午朔甲午皇太子即天皇位。
四年冬十月庚申朔壬午。詔曰。
五年。國内多疾疫。民有死亡者。且大半矣。
六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。
七年春二月丁丑朔辛卯。詔曰。大田田根子。令祭吾者則立平矣。
   十一月丁卯朔己卯 國内漸謐五穀既成。百姓饒之。
八年夏四月庚子朔乙卯。以高橋邑人活日爲大神之掌酒
  冬十二月丙申朔乙卯。天皇以大田田根子令祭大神。是日活日自擧神酒。獻天皇
九年春三月甲子朔戊寅。天皇夢有神人。誨之曰。
十年秋七月丙戌朔己酉。詔群卿曰。導民之本。在於教化也。
   九月丙戌朔甲午。以大彦命遣北陸。武渟川別遣東海。吉備津彦遣西道。        壬子。大彦命到於和珥坂上。
  冬十月乙卯朔。今返者悉伏誅。唯海外荒俗。騷動未止。其四道將軍等今急發之。
十一年夏四月壬子朔己卯。四道將軍以平戎夷之状奏焉。是歳。異俗多歸。國内安寧。
十二年春三月丁丑朔丁亥。詔曰。
   秋九月甲辰朔己丑。始校人民。是以。天神地祇共和享。而風雨順時。百穀用成。

1年目に問題は無い
◎ 2年目 5,6,7,8月國内多疾疫。これはこれ以降の記事から「飢えの病」と
思われるが、夏から初秋に架けての飢えは、考えられない。
9,10,11,12月 百姓流離。
◎ これは食料を求めて民が離散する、病人が徘徊したり、病の家族を残して、健康な
者が逃出すことは無い。
◎ 3年目1,2,3,4月 春。五穀既成。百姓饒之。秋じゃ無いぞ。
5,6,7,8月 飢饉の翌年、米の収穫前に 酒盛。春が豊作でもビールは無い。
4年目 1,2,3,4月 田仕事を放り出して男衆は戦へかり出される。

妄想ご苦労さま。
567太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/25(金) 11:35:21
TVの放送で
この前も夏に不定者がうんと愛知県だったか、役場の待遇がいいんで
そっちへ行ってるんだよ。夏だって喰えないやつは結構いるという
ことだ。なにを言ってるんだね。ppp
568縦目仮面:2009/09/25(金) 13:38:33
>>557
むろん食糧問題は重要だと思うが、社会発展段階において、散在していた集落がだんだん
大きなマスになっていく過程なのではないかな。E・サービスが新社会進化主義にいう、血族
(バンド)社会→氏族社会→首長制社会→国家社会という過程において乱の必要性があっ
たのかもしれない。
569日本@名無史さん:2009/09/25(金) 14:58:49
ドンこいスレが無いのに、河童虫プラムの名前が消えてからといもの、大分スレが寂しくなりましたな。
いよいよ寂しい秋ですかな?
570日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:00:53
>>563
韓地を四千里としてますね。方四千里からそうしたのでしょうが、実際の地形を考えれば
五千里という考え方もできます。となると、私が言った約一万里ということも理解できる
でしょう。それを倭人伝は、会稽の東という。
郡のある緯度から会稽の緯度まで、距離にすれば約八百キロ、それが一万里となれば、1里
=80メートルになりますね。ここでも、実は短里が使用されているということです。
571日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:31:40
チンプンカンプンでパズルを解くような感じ、、、、関西説、エジプト説、琉球その他説
判っていて幼児相手に説明に苦慮している、、、、九州説

こんな感じだね。

572ローガン:2009/09/25(金) 15:31:55
>>563
そうでしょうか?
洛陽から交シ[足+止]まで南萬千里。洛陽から楽浪までは東北五千里。
それから寸法取れば、帯方から南へ万二千では台湾ぐらいでは? 会稽東冶の東でちょうどいい。
573日本@名無史さん:2009/09/25(金) 15:41:02
誰か活気よく、テンポよく、スレを引っ張る住人はいないのか?
切れの悪い年寄りの小便はもううんざりだ。
574日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:19:20
邪馬台国は当然畿内でしょ、

今更論ずるまでも無いのに。
575日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:36:26
畿内説の人って何度論破されても
しばらくすると何事も無かったの如く
「邪馬台国は当然畿内でしょ」と言える狂人な神経の持ち主。
576日本@名無史さん:2009/09/25(金) 16:45:31
畿内説に有効な証拠が何もないしな
証拠を出せずに断定するいつもの手法
577日本@名無史さん:2009/09/25(金) 17:55:48
九州説に有力な候補地が何もないしな
証拠以前の問題です。
578日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:14:24
何度も否定されているマキムクを候補にするしかない畿内説
捏造だけが頼り。
579日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:21:22
古墳時代の九州には地面に穴を掘って住んでいる土蜘蛛や人食い人種の熊襲しかいなかった。
580日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:22:11
>>577
伊都国が女王国(馬壹國)の都ですから
伊都国の遺跡とされる平原遺跡が有力な候補地。
581日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:24:39
根拠もなしに「捏造だ」と、
連呼するしか手段のないのが九州説だね。
582日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:26:17
マキムクは掘っ立て柱だったっけ
583日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:31:25
九州の場合候補地がありすぎて絞れない
まあ、30カ国共立の傍証ではあるが
584日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:31:26
>>574 
>邪馬台国は当然畿内でしょ

短里では畿内まで届きません。
残念ね
585日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:31:43
>>579
古墳時代の九州には既に大宰府を首都とする九州王朝が成立していた。
586日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:34:58
九州説の候補というと
糸島、佐賀、久留米、八女、宇佐、日向、熊本、太宰府、吉野ヶ里
どれにする?
587日本@名無史さん:2009/09/25(金) 18:38:59
甘木も追加
太宰府と甘木には条坊制の痕跡があるそうだ。
588縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/25(金) 19:02:26
>>581
巻向地域の遺跡を3世紀のものだとする根拠は庄内式・布留式あるいは纏向1-3式と呼ばれる土器の存在
であろう。これらの土器を2〜3世紀のものだとする根拠に問題がある。土器編年は研究者の間で違いが
あるし、実年代測定法とされる年輪年代測定法やC14年代測定法にも問題がある。これらの問題をクリア
しないうちは土器で年代を語ることはできないのだ。畿内説派の中でもその点を理解している者もいると
思うが、581のような論者は未だ事態を認識していないようだ。
589日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:24:51
アホか、581は論者ではなく、ただの煽り。
590日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:25:14
>>587
条坊制の痕跡が邪馬台国の候補地の根拠になるなら、全国各地に
邪馬台国の候補地があるということだな。
591日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:27:39
>>588
年寄りの小便
592日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:32:09
大宰府の条坊制はおそらく8世紀のもの。曲水の宴のあるところが都であるとするような
古田論法には根拠がない。
593日本@名無史さん:2009/09/25(金) 19:38:42
>>1
いきなりですが、姉妹スレッド(トピック)ということで良いですか?

姉妹スレッド(トピック)邪馬台国はどこにあったのか? オープン
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=bcygobf9qa4oa4ia43a4ka4a2a4ca4bfa4na4aba1a9&sid=1835208&mid=1&type=date&first=1

こちらにも来て下さいね。
594日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:06:28
>>586
邪馬壹國は糸島だな。
久留米、八女、甘木、熊本、太宰府には後の時代に都が置かれた可能性はある。
>>592
大宰府の条坊制は7世紀にはあった。
学習院大学年代測定室の放射性炭素年代測定によれば、
大宰府遺跡の竹内焼土層は1600年ほど前の物である。
つまり西暦400年ごろのもの。
4世紀の漢城5世紀の平壌城には条坊まであったとされるから
西暦400年の大宰府に条坊制があるには当然か。
595日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:11:00
>竹内焼土層 ぎゃははははははははははは。You sold out
596うましか:2009/09/25(金) 20:14:18
>>570

韓地の南端までで五千里ですか?
帯方郡内の移動で千里くらい加算するんですかね。
その手を使えば見事に赤道まで到達しそうですね。

ただ、私は実際には万二千里は虚数扱いで考えておりまして、
赤道到達くらいでは、貴説には同意しかねるのです。
ちなみに戸七万も虚数かと考えます。
597縦目仮面:2009/09/25(金) 20:34:05
>ちなみに戸七万も虚数かと考えます。

これも、上で出てきた里数同様に、倭を大国に見せるための作為という説がありますね。
598日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:40:42
「可七萬餘戸」と「可」が付いている。
「七萬餘戸」は実数ではなく推測値。
599日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:42:14
>>597
280年当時の晋の河南郡は十一万四千四百戸。
600日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:47:33
>>584
万二千里は女王国への距離です。

女王国は西日本各地の共立国の総称ですから、
畿内に邪馬台国があってもなんの問題もないですよ。
601日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:50:52
久しぶりに日本史に来たのだが、「ドンと来い」はどうなった??
602日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:53:51
>>601
河童に尻子玉を抜かれたんだよ。
603日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:54:15
>>601
スレ主(トヨタン・・・とかいう自演自作男)が忙しいらしく
まだ立ってないようです。
604日本@名無史さん:2009/09/25(金) 20:59:33
>>603
立てられたら立ててもいいけど、前スレのURLがわからなくなったなあ。
605日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:03:35
>>594
アホ・馬鹿の九州説の人、条坊制の1里は何メートルか答えろ。
606縦目仮面:2009/09/25(金) 21:04:01
>>599
まあ、これは数えたといえる数字ですね。ちなみに「漢書地理志」による、中国の全国的な
戸籍登録人口の最古の記録は、前漢の平帝の元始2年(西暦2年)の数字で、人口59,5
94,978人、戸数12,233,062戸、というのが残ってる。この数字には課税の対象外だ
った少数民族や奴婢が含まれず、また、相当数の遺漏があると見込まれるので、実人口は
約7千万から8千万くらいだったと推定されていますね。
607日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:04:46
>>604
やはり立てられなかった。最近、スレ立て規制が厳しすぎるなあ。
608日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:06:43
やっぱり河童いねえと盛り上がんねえな。
醤油のない刺身食ってるようだぜ。
609日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:07:39
太宰府の場合、長年の改築や整地のせいか
紀元前後から8世紀くらいまでの出土物が
混在するというわけわからん状態になっとる。
土器編年を信じればの話だが。
610日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:08:49
「可」は推測を示す。
推測が可能の「可」意味。
611日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:12:34
>>604
おめえさん、「ドンと来い」のスレ主さん?
又の名をトヨタン・・・とかいう自演自作男ともいうw
おめえ居ないほうがスレの人気でるんじゃない?w
終止符スレの愛知県民氏より人気はあるのは確かだな。
皆おめえさんと一緒住みたいんだってさw
612日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:15:55
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
613日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:19:57
>>610
漢文の読み下しで「ばかり」じゃね?
「〜ぐらい」の意味で、おおよその範囲や程度を表す、
・・・と思ってるんだが。
614縦目仮面:2009/09/25(金) 21:19:58
ところが、これが後漢になるとやや減少して、人口47,892,413人、戸数:9、336,665戸
(中国人口通史)となってます。さらに、三国時代になると、戸籍調査の数値は、
魏・・・4,432,881(263年)、呉・・・2,300,000人(280年) 蜀・・・940,000人(263年)で
三国総計の戸籍登録人口は767万人に激減しています。

しかし、いくら戦乱が続いたからといってこの数字はあんまりなんで、魏の屯田兵制度など、戸籍
外のからくりその他を考慮して、魏・・・1800万人、呉:・・・700万人、蜀・・・400万人といったあた
りでないかと推定してます。あまり自信はありませんが。
615縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/25(金) 21:20:46
>>568
見逃していた。縦目仮面はよく考えているし知識も豊富だ。君は学生とか言っていたように思うが、嘘じゃないか?
レスの多くにかなりの経験を感じさせるものがある。少なくとも50歳くらいには見えるよ。畿内説派にいるのは惜し
い逸材だ。
さて本題だが、戦争の発生原因には君の言うようなこともあったかも知れない。原因は一つとは限らないからね。だ
が、倭国大乱の当時(2世紀末)に倭国の国々はどのような発達段階にあったのだろう。首長制社会→国家社会への
移行段階であっただろうか?私は史書の倭国に関する記述から判断して、1世紀の漢委奴国王の時代から卑弥呼の時
代にかけて政治情勢には変化があったものの社会構造的には基本的な変化はなかったと見ている。
弥生時代は縄文時代後期の寒冷化時代から温暖化へと向かっていた時代とされるが、小さな寒冷化と温暖化は6〜7
百年毎に繰り返しており、より短い期間での寒冷化や温暖化はしばしば起っている。気象学者による過去の気温変化
の推定もなされているが、これも実年代の測定法の問題があり、大略の傾向は信じてもよいと思われるが、紀元190
年の平均気温が何度であったかなどはそのまま受け入れることはできない。やはり、記録されたものが頼りである。
唐松山氏が示された新羅本紀の記事>>564は2世紀末に列島に飢饉が起ったことを示唆しており、半島でも異常気象
が起ったことを示している。このことから私は倭国大乱は食料の奪い合いが基になって起ったと推定するのである。
もっとも、新羅本紀の信頼性が無いということになればこの話は保留しなければならない。
616日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:24:04
>>596
乍南と乍東の割合をどうみるかですね。4・3とみるか5・2とみるか。
それに、赤道に到達するか、しないかは、それほど重要な話ではありません。
いずれにしろ、会稽とはとんでもなく離れているわけですからね。
都合が悪い数字を虚数とか作為とかいうのは、行程記事を読めなかったという
に等しいですね。私は行程記事は正しい、何も問題はないと考えてます。
617縦目仮面:2009/09/25(金) 21:27:51
>少なくとも50歳くらいには見えるよ

なんということを・・・もちろんこの名前ではないが、武道・武芸板のオフ会(技術交流等)に
はたまに出てますよ。

まあ、人口増加があれば当然食糧問題はつきまとう。食えなくなればリーダーの責任が問
われるわけだし、そういうすったもんだもあったでしょう。
618日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:30:36
>>600
>万二千里は女王国への距離です。女王国は西日本各地の共立国の総称ですから、
>畿内に邪馬台国があってもなんの問題もないですよ。
万二千里はそうも考えられるでしょうが、周旋五千里はそうはいきませんね。
倭の地は周旋五千里で終わり。唐津から計っても、せいぜい岡山あたりでしょう。
大和は倭の地の外になってしまいます。


619日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:32:08
>>613
正しい読み方だと思いますね。
620縦目仮面:2009/09/25(金) 21:35:29
>>615
>1世紀の漢委奴国王の時代から卑弥呼の時代にかけて政治情勢には変化があったも
  のの社会構造的には基本的な変化はなかったと見ている

うーん、渡来人等の影響もあり、北部九州の社会体制は進んでいたんだと思いますよ。しかし
瀬戸内などは高地性集落の実態を見ても、それとは違いますね。
621日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:40:36
>>613
何処がおおよそ?

可七万余戸って、七万までは確実に把握しているから七万よりも少し余ると書いてある。
だったら全然大まかじゃないじゃん。
かなり正確に把握されてる。
622日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:41:23
河童が戻ってくるのは皆さんに謝ってからだな
荒らしといて一言も謝罪なしなんて皆さんが許してくれない
623日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:45:38
>>619
「可」は推測を示す。
推測が可能の「可」意味。
だから日本語に訳す場合には「〜ぐらい」や「ほど」などが当てられるが
本来の意味を押さえておかないと。

624日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:48:48
「七万余戸と推定が可能である」が厳密な訳だか硬すぎるので
「七万余戸ほど」「七万余戸ぐらい」
625日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:51:01
>>618
>倭の地は周旋五千里
どの倭の地を指すのか判りませんからね、
倭国なのか、倭種なのかもはっきりしない。

遠すぎて判らないと言ってる以上、
概算としか捉えようがないですな。
626日本@名無史さん:2009/09/25(金) 21:58:47
>>625
短里での周旋五千里は丁度北部九州を周った距離に等しい。
627日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:04:56
>>626
倭人は北部九州にしか居なかったのか?
海を渡った場所にも倭種がいるしね。

まあ可能性としては、五千里は古い情報だったと
判断するしかないな。

3世紀後半
628日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:05:29
対馬は実際は南北82km、東西18kmだが、倭人伝では方四百余里。
壱岐は実際は南北17km、東西15kmだが、倭人伝では方三百里。

古代人の感覚なんていいかげんなもんだ。
629日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:09:02
627続き‥3世紀後半の情報ではなかったんじゃないの?
倭国のエリアが変動していたと考えるのが無難でしょ。

五千里は九州説、畿内説を問わず矛盾するからね。
630日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:11:31
>>625
倭の地は倭国+狗奴国がある島のことだな。東の倭種の人々が住む所は含まない。
631日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:11:39
>>622

>河童が戻ってくるのは皆さんに謝ってからだな
荒らしといて一言も謝罪なしなんて皆さんが許してくれない

ウチは謝罪なんていらない。河童さんが従来通りテンポよくスレを活性化させてくれれば
それで十分
632うましか:2009/09/25(金) 22:14:31
吉野ヶ里や唐古などで環濠は消える時期が社会体制の変革期かなと思います。
これは弥生期の集落単位の自衛体制から、クニ単位の防衛体制へ変化したことの顕われでは無いでしょうかね。
倭人伝を引くのも何なんですが、当時の倭には租賦があったわけですので、社会的剰余が税として集約され、
それまで集落単位で集積されていた生産物などが、クニ単位の倉庫で一括管理されるようになったのでは無いでしょうか。
このため、自衛設備も変化し、小規模な集積集落は廃棄又は一般集落へ変化し、環濠も埋められることとなった。
クニ単位の集積施設に環濠が有ってはいけないわけでも無いので、例えば纏向に環濠が無いことの理由にはなりませんが。

633日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:14:38
>>628
これも「方可四百餘里」「方可三百餘里」と「可」が付いていて
推測値の断りがある、「〜ぐらい」や「ほど」ですね。
>>629
五千里は九州説では矛盾しませんよ。
634日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:16:10
>>628
君は対馬国、一支国に旅したことがあるかな? 島の形をみただけで、南北82km、東西18kmだとか、
南北17km、東西15kmだとか、見きわめることができるかな?
635日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:17:19
>>630
倭種の人が住むのに倭の地ではないのは矛盾でしょ。
636日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:18:17
>>629 >>633
九州の場合、周旋五千里にぴったりだね。
637日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:20:14
>>633
なら五千里も可が付いているので推定値ですね。
誤差があっても不思議ではない。
638日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:21:31
>>636
周旋がわかるのなら、邪馬台国への里数が書かれない点で
説明つかないですよ。
639日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:22:22
>>635
朝鮮半島にも倭種の人が住んでいたんじゃないかな?
倭種の人が住んでる所の全部を倭の地と言っているわけではない。
640日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:22:33
河童さんはどうしてコテ付けたまま堂々と荒らしたの?普通は名無しで荒らすのが常識だろう?
そのへん意味が分かんないんだよ。
641日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:23:53
>>635
倭の地以外に倭種の人が住んでも矛盾ではない。
韓地にも倭種の人が住んでいたかもしれない。
642日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:25:51
>>638
邪馬台国(女王国)への里数は万二千里と書かれている。
643日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:27:34
>>641
じゃあ倭種が住んでる東に海を渡った所は誰の地?
という単純な疑問が残るけど。
644日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:27:58
>>636
日数で表示することと里数で表示することは矛盾することではないな。
645日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:30:37
>>643
魏と通交がなかった倭種の人々が住んでいたんだな。
646日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:30:59
>>643
山口県あたりでしょう。
647日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:31:19
>>642
邪馬台国=女王国なんて何処にも書かれてませんが。
邪馬台国は女王が都する国です。
648縦目仮面:2009/09/25(金) 22:34:13
>>632
まあ、細かいことはわかりませんが広域を治める強力な首長体制になったということですかね。
649日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:34:55
>>645
本州西部から大陸の物が出土する矛盾がありますね。
特に丹波なんて倭人伝も頃以前から関係あったのは間違いないでしょ。
650日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:35:52
「参問倭地〜周旋可五千餘里」台湾の謝銘仁教授の日本語訳。
「倭の地とくらべあわせて聞いてみると、この2カ国(裸国・黒歯国)は
 遠い海の彼方に孤立してよこたわり、ある国土は海洋によって隔てられ
 また、ある部分は、陸続きになっている。
 その両国のまわりいわば海岸線をめぐりまわると、おおよそ五千里余り
 あるとのことである。」
*つまり、日本ことではなく台湾のことが書いてあるわけです。
651日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:36:45
>>647
邪馬台国は女王が都する国です。
つまり女王の都がある国が邪馬台国だ。
邪馬台国=女王国。
652日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:38:41
>>649
魏に通交していたかどうかと大陸の物が入っていたかどうかは、まったく別の話だよ。
魏と通交するということは、魏の朝廷に使者を出すということだ。単に魏の国内から物
を手に入れたことがあるかどうかではない。
653日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:39:48
>>650
倭人伝の記述は土地、方角、距離については
相当混乱しているとしか解釈しようがないですね。

なんでもきっちり正確に解釈しようとするのは
日本人の悪い癖でしょう。
654日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:39:50
>>649
交易によって九州を中継してもたらされた物でしょう。
655日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:41:37
>>653
混乱しているのは653さんの頭の方です。
656日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:42:12
周旋可五千里って一辺ではなくて、ぐるりってことだよな?
という事は仮に正方形として一辺1250里。
九州説の主張する短里では100kmにも満たない。
これでは九州の4分の1程度。
鹿児島県ぐらいの大きさしかカバーできない。
657日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:43:24
>>650
謝銘仁の解釈には、いろいろ問題があるな。
周旋五千里が裸国・黒歯国の話だなんて説に賛同する人はまずいないだろう。
658日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:43:35
>>652
北部九州と同等な物でも?

相応の知識や流通ルート、
それを実現できる権力者がいないと
相応のものなんて手に入りませんよ。
659日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:44:08
伊都国の一大卒で検閲して
瀬戸内海航路で丹波から陸路、大和に運ぶ。
660日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:46:26
>>656
北部九州内の国邑の中心地を結んだ距離でしょう。
661日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:49:53
>>656
>周旋可五千里って一辺ではなくて、ぐるりってことだよな?
それが大きなまちがいだな。
倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離。
榎一雄「邪馬台国」には、そのように解説してある。北九州説の榎は「領域」
といって海までいれ、狗邪韓国から女王国までの距離だと解釈してしまったが
それはまちがい。「倭の地」とあるように陸地の話。九州の島に上陸した唐津
から南九州の尽きるところまでが廻っていくと五千里(約四百キロ)というこ
とだ。

662日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:50:19
>>659
大和に運ぶのに丹波で陸揚げの必要はない。
河内から陸揚する方が輸送には楽です。
まあ、伊都国が女王国の都ですから大和に運ぶ必要もありませんが。
663日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:52:48
どうして同じIPの人が一人芝居しているの?
664日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:03:46
>>663
>どうして同じIPの人が一人芝居しているの?

ここの掲示板では固定ハンドル(名前欄に入力する)さんと
非固定ハンドル(日本@名無史さん)さんとがあって、
みんな一人芝居をしてるのではありませんよ。
一人芝居にみえるのは、非固定ハンドル(日本@名無史さん)さんが書き込んでるので
そうみえるのでしょう。
又、E-mail (省略可) 欄にローマ字を入力すると色が付きます。
665日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:04:53
>>661
「周旋可五千里」にも「可」が付いているからだいたいの距離ですね。
「旋」には「かえる」の意味があるから南九州に行きっぱなしではおかしい。
廻って元に戻らないと。
666日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:05:33
>>661
スゲー自己中な解釈w
667日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:12:04
>>664
(笑)そうじゃなくて(笑)固定認識番号が同じなんです。(笑)
同じ固定認識番号同士でアンカー付けて会話したり(笑)名無しとかじゃなくて(笑)固定認識番号。

何故そんな事するのかな?あって。(笑)
668日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:13:15
女王國(邪馬壹國)を北部九州の国邑の連合体と考えると
何の矛盾も無いですね。
669日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:18:17
>>667
固定認識番号?

このスレでそんなもの出るのか?
運営とかじゃなければ分からないようになっているはずだが

さてはお前クラッカーだな。運営に対する挑戦だな。
670日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:19:43
671日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:21:58
自演はごく基本的な論述テクニックだよ。www
672日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:23:16
>>669
ちょっとした機械取り付けるだけで見れますよ。
そんな事より、一人芝居なんてしなければいいだけじゃないの?
いろいろ事情があるとは思うけど
673日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:23:23
>>665
常識的にはあなたのように解釈したくなるところだが、周旋という言葉はそうゆう
意味ではないそうだ。良く調べてみな。山田孝雄という学者もそんなことを言って
いたよ。「周旋なる語は、本来他を纏繞する意にあらず」とかね。
674日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:26:06
>672
どんな機械か教えてほしいなあ
さわりだけでいいから

そんなものがあればの話だけど。
675日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:27:35
そしてまた話はもとにもどっちゃうんだけど

河童さんはどうしてコテ付けたまま堂々と荒らしたの?普通は名無しで荒らすのが常識だろう?
そのへん意味が分かんないんだよ。
676日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:27:47
周旋の元来の意味は戦闘する。
次に世話をするの意味もあるな。
677日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:33:02
>>669-672
>>674
>>675

関係ない話は余所でやれ
周りの迷惑になるだろ
678日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:34:41
>>674

そんな機械なんてないないない(笑)うそうそうそ(笑)
だからもう忘れてね(笑)   そんな機械なんてあるわけないよ(笑)
679日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:36:05
>>675
>>678

スレ違い
680日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:36:32
>>677

関係なりレスは余所に貼れ
周りの迷惑になるだろう
681 ◆SehNU6yn4s :2009/09/25(金) 23:37:53
>>672

面白そうな話だな。
オレは何時もはコテなんだけど、試しに誰だか当ててみてよ。
答えはトリップの中に書いておいた。
682日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:40:48
ついでに言えば、門脇禎二氏の本にも「周旋は、周囲ではなく、島々や岬を周り回っての意と解されてきた」とある。
周囲という解釈は、学者の間ではあまり取られていないようだな。
683日本@名無史さん:2009/09/25(金) 23:58:35
誰も周旋を周囲と解している人ここにはいない。
周・・・周り回って
旋・・・かえる
「周旋可五千餘里」は倭の中に在る国邑の中心部から次の国邑の中心部へ
廻って元に戻るのが「五千餘里ばかりか」の意味。
奴國から斯馬國、已百支國・・・烏奴國、奴國と廻るのが「五千餘里」
684日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:05:16
>>683
使者は旁国を全部歩いたという解釈ですか?
685日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:09:58
>>684
「周旋可五千餘里」と「可」が付いていますから
「五千餘里」は推測値です
使者は「五千餘里」を体験しておらず
「五千餘里」は倭人から聞いた話から推測したものです
使者は旁国を歩いていないという解釈です。
686日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:13:41
>>681

だからそんな機械なんて無いと>>678に書いといたじゃない(笑)
そんなことわかるはずがないってば(笑)
ないないない(笑) すべて出まかせだよ(笑)だからこの話はおしまい(笑)
687日本@名無史さん:2009/09/26(土) 00:42:55
>>679
あんたもスレ違い。
他所様のスレ違いは許せないが、自分のスレ違いは見てみぬふりか?
688二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/26(土) 00:53:02
>>533
誇大数値説に対して私も同感です。
魏略にも同等の里数が見られることから、陳寿がその様な誇大な数値を意図的に記述したというのは苦しいでしょうし、
東夷伝の序(かな?)を読むと、書いた理由が中國失禮求之四夷猶信であり、距離には大して関心がないように感じること、
および訪ねて来たのは倭人の方なので、遠い=倭人が偉い、となってしまいます。

ただ、数値自体が誇大化されたものではないと、まだ言い切れないものがあります。
サガミハラハラ氏が主張するように当時の韓でそのような里が使われていることが分かれば、私もこの説を支持していますので嬉しいのですが、
どうも簡単ではないらしい。文献などで確定できれば一発(否定も一発?)なのですけどね。
理由はともかく、東夷伝では魏の里の5倍程度の数値で統一的に書かれているというのは否定できないことでしょう。

>>535
どこかのサイトで魏略との対比をしていた方が居られましたが、それで感じたのは陳寿が魏略よりもより元資料に忠実な記述を
しているということです。例えば魏略では一支国で置官与對同としていますが、陳寿は同じ名前を繰り返し書いています。
これは元資料では同じ名前が繰り返し書かれていたものを、陳寿はそのまま書き、魏略の魚豢は同じ(人物)と自分の解釈を入れて
書かれていることを表しています。(元資料が置官与對同から同じ名前を繰り返し書くような書替えは想定し難いため)

こういった文章から見える陳寿の人物像と、その陳寿伝に書かれている人物像には、かなりのギャップを感じます。
おそらく数百年前の有名人である陳寿に対して、ワイドショー的な想像の逸話がその当時あった、という事ではないでしょうか。

>>551
上記のような理由から、陳寿が東夷伝の里数に疑問を感じていたとしても、元資料の数値を尊重しそのまま記している可能性が
高いと私は判断しています。
689九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/26(土) 01:03:40
>>683
>誰も周旋を周囲と解している人ここにはいない。
>周・・・周り回って
>旋・・・かえる
>「周旋可五千餘里」は倭の中に在る国邑の中心部から次の国邑の中心部へ
>廻って元に戻るのが「五千餘里ばかりか」の意味。

上記は「周旋」を誤解している。上記は「周匝」についての解説。

周旋:往路のみ片道
周匝:往復
690縦目仮面:2009/09/26(土) 01:45:53
>>688
俺は考古学仮面なので、普段は倭人伝の読みには参加しないんですが、たまにやってみると
これが難しい。根拠となるようなものはまず見つからない。
691日本@名無史さん:2009/09/26(土) 09:33:59
>>689

周旋が往路のみの片道という考えのようだが、それなら「往」の一字で済む話しではないか?
692日本@名無史さん:2009/09/26(土) 09:42:40
>>691
言い換え可能な言葉はいくらでもあるから、それを言ってもな。
それに、往はこの場合、適切な文字ではないね。
693日本@名無史さん:2009/09/26(土) 09:49:53
>>692
ではその言い換え出来る文字と、「往」が適切でない理由を述べてもらおう。
694日本@名無史さん :2009/09/26(土) 09:58:49
黒歯国と裸国は海の中の島って書いてありますよね。
その2つの島の周りをくっ付いたり離れたりして巡るとという意味なのに、
なんでそんなに複雑に考えるの?

695日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:00:30
>>689
周・・・ゆきとどく、転じて「めぐる」・・・至の意味。
旋・・・足をめぐらして帰る、ひいて「めぐる」・・・かえるの意味。
周旋・・・至ってかえる。往復。
でしょう?
696日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:00:32
確定しました。やっぱり来るみたい。今回は10月1日までは警戒が必要。
千葉神奈川静岡東京茨城や他の関東が危険

(重要事項につき会員同時公開) 2009/09/25

(5) なお、HAARPに誘引されて、関東地方ではM5前後の中規模地震が発生するだろう。

(3) HAARPの影響は大気イオンのみならず、気象現象や通信、動物の狂乱状況をも生み出し、
疑似宏観異常現象を発現させる。いわば環境テロである。
(2) HAARPは電磁波を宇宙に向けて放出、電離層を刺激し、反射して地表付近の大気イオンに影響を与えるものと聞いている。
HAARPの運用状況と大気イオン濃度変動を見比べると、明らかに同期しているとの指摘を多数頂戴した
大気イオン地震予測研究会e-PISCO
理事長 弘原海 清 大阪市立大学名誉教授
http://www.e-★pi★sco.jp/r_i★on/at★tention/090925weekly_z.html
http://s01.megalodon.jp/2009-0925-1414-33/www.e-★pisco.jp/r_i★on/attention/090925weekly_z.html
http://s02.megalodon.jp/2009-0926-0102-46/www.e-★pisco.jp/r_i★on/attention/090924weekly_e.html

HAARPの動きを四川地震のパターンに今回に当てはめると9月27日が危険
http://gol★den★tamat★ama.bl★og8★4.fc2.com/blo★g-date-20090922.html
http://s03.megalodon.jp/2009-0926-0114-47/goldentamatama.bl★og8★4.fc2.com/bl★og-date-20090922.html

世界的科学者がハープは地球の気候や人の脳を損傷させる兵器の疑いがあると
http://www.yo★utube.com/wat★ch?v=8A★MlqRsHUXI&feature=player_embe★dded#t=51★1

2ちゃんねる地震情報 
http://li★ve2★4.2ch.net/eq/

9.11事件、破壊されたWTCで働くユダヤ人は1名も死んでいませんでした。
http://da★mhantaikanuma.we★b.infoseek.co.jp/Sonota/91★1dead.html

地震来たら権力者達が犯人。・・・ユダヤ人は大量に人を殺しています。
697日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:05:00
>>691
「周」には 巡る という意味もあって
つまり 倭国の国々を巡って邪馬壱国につきました と解釈できます。
698日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:05:34
>>695
それなら周旋じゃなく往復じゃありませんか?
699日本@名無史さん :2009/09/26(土) 10:06:39
>>897
倭国とは関係ないよ。
黒歯国と裸国。あたりまえでしょう。
5千里は350キロだよ。
700日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:08:06
>>697

意味を複数使う事はないと思います。
701日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:24:30
>>698
往復じゃあ同じ道を行って帰ったことになる。
行きと帰りで違う道を通るので周旋。
702日本@名無史さん :2009/09/26(土) 10:36:14
往復は直線、
周旋は輪。
普通に周旋はまわりをめぐるという意味。
703日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:36:38
>>697
倭の地(邪馬壱国内)を巡ると5千里であると書いてあるの。
704日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:38:53
>>702
この場合、周旋はまわりをめぐるという意味ではなく
中をめぐるという意味でしょう。
705日本@名無史さん :2009/09/26(土) 10:42:54
>>704

なんで中?
周旋というのは、旋回の意味。海の中に在る二つの島の周りを船で巡ると言う意味。
706日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:45:55
>>661
>狗邪韓国から女王国までの距離だと解釈してしまったが それはまちがい

帯方郡→狗邪韓国 7000里 狗邪韓国→邪馬壱国 5000里  
あわせて 12000里であっていると思いますね。
707日本@名無史さん :2009/09/26(土) 10:52:46
榎一雄「邪馬台国」でそんなこと言っているんですか?
学者なのに。信じられない。

倭の地をいろいろ質問すると、、、黒歯国と裸国は海の中の島じまの中に絶在していて
その二つの島の周りをめぐると5000里(350キロ)という意味。

使者は黒歯国の方まで行っていないから、質問して聞いたことを書いているわけ。
708日本@名無史さん:2009/09/26(土) 10:56:29
>>705
>海の中に在る二つの島の周りを船で巡ると言う意味

この周旋という言葉は「直線的にA・B間を直行するのではなく、その実地の地形を
実状にしたがって、それらを次々と沿い巡る」と言う意味です
だから、対海国を『方四百余里』、一大国を『方三百里』と、一辺が「四百余里」
「三百里」の方形と考えています。邪馬壱国へ行く途中にそこを周旋するということは
島を半周するので、二辺ということですから、それぞれの行程は、対海国は八百余里、
一大国は六百里ということになります。
709日本@名無史さん :2009/09/26(土) 10:57:15
周旋というのは出発点から輪の形にまた出発地点にもどること。
710日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:01:06
>>702

それは「行」


>>709


それは「周」
711日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:02:26
>>705
周も旋もめぐるの意味。
周が行き、旋が帰り。
周りの意味ではない。
周旋はめぐり(行き)めぐって(帰り)の意味。
712日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:02:57
>>710
ばかじゃないの?
周旋の意味は輪の形にもどること。
出発地点に戻るの、わかった?
713日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:05:57
>>711
周りを旋回するっていう意味でしょうが。
周はまわりといういみですよ。行きという意味などありません。
行は行き
714日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:08:59
>>712
愚か者!
715日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:12:20
>>713
周が周りを旋回するっていう意味なら
旋は何の意味?
漢字の辞書にも下記の事が載っていますよ。
周・・・ゆきとどく、転じて「めぐる」・・・至の意味。
旋・・・足をめぐらして帰る、ひいて「めぐる」・・・かえるの意味。
716日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:13:55
>>714
周旋の意味もわからないの?
往復とは違うでしょう。
周りを旋回すると言う意味。
それに5000里で倭の地をカバーできますか?
できないでしょう?
この倭の地というのは黒歯国と裸国も倭の地なんですよ。
すなわち倭人の住む地なの。
船で一年と書いてあるから勘違いするんだろうけど。
717日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:15:41
>>715
漢字字典のとおりでいい。同じ意味。
それが何か。
718日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:24:20
>>717
周りを旋回すると言う意味ではなく
単に旋回や、輪の形にもどる出発地点に戻るの意味。
周りをでは周の意味を2度使っている。
719日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:28:24
>>718
2回使ったって意味がわかればいいでしょ。
普通周りを旋回というでしょ。
周はまわりと言う意味。辞書にあるでしょ。動きがないの。
旋は動詞。
720日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:40:54
榎が言った「倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離」という解釈
自体は正しいんだよ。問題はそれをどこに適用するかということ。狗邪韓国→女王国 5000里
という数字に飛びついてはいけない。女王国と邪馬台国とはイコールではない。
しかも、倭人伝は「倭の地」と明記しており、海を渡って回ることを言っているわけではない。
周旋というのは、あくまでも九州島の大きさを表そうという表現なのだ(東南大海之中・・山島
旧百余国と書きながら、その島の大きさを書かないはずはないだろ)。
つまり、唐津から南九州の尽きるところまでを島のまわりを回っていきと五千余里だということ
だよ。
721日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:50:09
>>719
周の意味は一つではない。
周は、ゆきとどく、転じて「めぐる」の意味となり、そこから周りの意味も出た。
旋は、足をめぐらして帰る、ひいて「めぐる」の意味となった。
旋回とは向きを変えることで旋だけでは元へは戻れない。
旋回を続けてやっと元へ戻れる。
周と旋で元へ戻れる。
周も旋も動詞です。
周りを旋すると言う意味ではなく(これだと元へ戻ったことにならない)
周旋すると言う意味です。
722日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:52:51
帯方郡の使者はぐるっと一回りしたことになる。
まあ、なんていうか、あっちこっちを見ながわ漫遊したということです。
723日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:53:20
周は周り、旋は動詞、その熟語でしょ。
周旋は。
なんで?そんなに複雑に考えるの?意味は普通に通じるでしょう。
724日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:54:48
>>719

「周り」は「まわる」動詞の結果だから、改めて動詞を付ける必要がありませんよ
だからその回答は間違いです。
725日本@名無史さん :2009/09/26(土) 11:58:17
>>724
なんでそんなに複雑に解釈するの?間違ってたっていいででょ。
意味が通れば。
それじゃ、単なる論点そらしの荒らし。
重箱の隅をつつく様な、みみっちい考えっていったい何。
726日本@名無史さん:2009/09/26(土) 11:59:20
>>723
複雑と考えるのは、貴方が単純過ぎるからで、貴方が複雑と考える事は
極あたりまえな事です。
727日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:00:58
>>725それが嫌なら去ればいい。ここは学問板だ。
728日本@名無史さん :2009/09/26(土) 12:02:08
>>726
複雑に考えると分裂症になるよ。
言葉っていうのは複雑に考えてはだめ。
普通に考えればいいの。
729日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:05:43
>>722
前を読んでいないのか?
「周旋可五千餘里」には「可」が付いているから
この文は倭人からの伝聞です。

周旋は「めるりめぐって」一周するの意味です
周を「周りを」と訳すのは誤り。
730日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:08:17
>>729
前に一周する意味ではないと何度も説明したんだが・・・
前を読んでいないのか?
731日本@名無史さん :2009/09/26(土) 12:11:19
>>727
とにかく漢字辞典で意味調べればいいでしょ。
二つを並べてどういう意味かってこと。
一つ一つ切り離したら変な意味になるよ。
周りを巡るという意味だから
形にしてみれば輪でしょ?
島の周りを巡るって5000里あったということ。
其の島とは黒歯国と裸国。
黒歯国も裸国も海の中の島。
ここも倭の地。(倭人の住む地)

倭人は広い範囲に住み着いて国を形成しているだろうから、北部九州の倭人に聞いた話で
一番遠い倭人の地の情報だ。
732日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:12:57
「周旋」とは
周する事と、折り返す事が熟した熟語で、
「周する為の折り返し場所」となります。
733日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:13:10
>>728
普通はそうだよな。
対馬や壱岐の大きさも間違って記されているのだから
現実の正しい距離や大きさに記述の数値を当てはめるために
解釈を捻じ曲げる必要なんて無い。
734日本@名無史さん :2009/09/26(土) 12:15:35
>>729
周りをでいい。島のまわりだから。
なんで倭の地が邪馬台国にならなくちゃならないの。
そうじゃないでしょ。邪馬台国他30カ国連合のほかにも
倭の地はある。
735日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:18:48
>>732
それじゃ意味が通じん。
>>733
怪しい数字には「可」が付けてある。
736日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:21:53
>>734
まわりが五千里(350〜400km)の島とは何処?
737日本@名無史さん :2009/09/26(土) 12:24:24
屋久島と種子島。
二つ他の小島より大きく絶在しているでしょ。
周りを船でめぐったら5000里(350キロ)ほとんどぴったりだよ。
738日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:27:16
>>737
ww。
739日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:35:25
>>731
>其の島とは黒歯国と裸国。
これらの国に行くには、船で1年かかるってことは知ってるんだろうな。
そんなところが倭の地だと思ってるのか?
740日本@名無史さん :2009/09/26(土) 12:40:47
>>739
もちろんのろんですよ。
船で一年かかるのは古代の人間の常識的数値なの。
現代人が何いってもだめ。それは妄想でしかない。
741日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:50:37
>>739
船で1年かかるは何かの間違いだろ。
一年=十二月、
十二日を十二月と見間違えて一年と書いた、
そんなところでしょう。
「去女王四千餘里」ですから
四千餘里(300km)を12日なら現実的。
742日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:51:30
>>740
なるほど。大東亜共栄圏を考えるわけだね。
743日本@名無史さん:2009/09/26(土) 12:52:38
>>737はバカだよな
「參問倭地」とあるのに屋久島と種子島だって。
744日本@名無史さん :2009/09/26(土) 13:00:08
>>741
漢書地理志では、海南からベトナムの地を沿岸沿いに巡るのを一日平均2キロで進んでいるよ。
この場合視察も兼ねてだからのろのろ運行したとは思うけど。

漢の船より、倭人の和船は木っ葉のような船で、進むから一日平均1.3キロ位。
視察は無いけど、のんびり進むと思う。食料も調達したければならないし。
内訳は女王国は福岡山門(ヤマト)郡から距離にして500キロ位÷365=1・3キロ
745日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:04:58
>>744
一日たった1・3キロのはずなかろ。
小学生の通学路でもっと長い距離を歩く子はざらにいる。
746日本@名無史さん :2009/09/26(土) 13:06:49
>>745
古代人の常識だもの、しょうがないでしょう。
そう書いてあるんだから。
それを曲げて考えるからトンでも説が出るわけ。
747日本@名無史さん :2009/09/26(土) 13:09:11
>>746
つづき
でもこれは今簡単に計った距離だから、実際進む距離は道程にしてその2倍位
になるんじゃないかな。だから一日平均2.6キロ。
748日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:23:16
>>737>>747を見ると
やはり伊都国が女王国の都と考えるのが
一番矛盾がないようですね。
749日本@名無史さん :2009/09/26(土) 13:27:47
>>748
邪馬台国=女王国でしょう。
万二千里(840キロ)、だいたい福岡山門(ヤマト)郡。
750日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:31:54
>>748
日蓮大小便なみの「馬〜〜〜〜〜鹿!」
751日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:34:14
>>749
奴国よりもずいぶん貧弱な国だったのだな。
752日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:35:15
伊都国が和歌山県の伊都郡だったとすれば、邪馬台国はその南、熊野にあったとするのが正しい。
ここなら方向も山道を歩くわけだから陸行1月の記述にも一致する。
牟婁こそ邪馬台国の地。
753日本@名無史さん :2009/09/26(土) 13:35:37
>>751
いえいえ奴国より3倍程度大きいでしょ。
広い地域を領有している。
754日本@名無史さん:2009/09/26(土) 13:50:37
伊都国も奴国も邪馬壱国を構成する国邑の一つ。
伊都国に女王が居て、奴国が邪馬壱国の経済の中心地。
福岡山門(ヤマト)郡も邪馬壱国の構成する国邑の一つかもしれないが、
傍らの国の中のどれかでしょう。
755日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:01:18
この中に、どうしても伊都国に女王を置きたい顔無しがいるな?
756日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:01:37
邪馬台国紀伊半島説に賛成です。
伊都国は畿内にあったのではないでしょうか?
箸墓は伊都国の王の墓だと思います。
卑弥呼の弟王が祟神だとすると
卑弥呼は荒河戸畔の女だったとするのが正しいと思われます。
757日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:04:03
>>755
「世有王 皆統屬女王國」について論議したのを読んでないのかな?
758日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:18:08
>>757
それがなに?
あんたが一人ヨガリしただけでしょ?
759日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:22:54
>>757
魏略の記述で、勝手に結論が出たとか決めてた人かw
760日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:43:03
景初3年6月 倭の使者難升米ら→帯方郡 皇帝との謁見を願い出る
   12月 難升米ら→洛陽 詔を受ける (卑弥呼は親魏倭王) 
正始元年   帯方郡の建中校尉梯儁ら→倭国 卑弥呼の手元に詔書・印綬を届ける
    4年 大夫伊声耆、掖邪狗ら八人→洛陽 掖邪狗ら率善中郎将の印綬を受ける
    6年 難升米→詔が出て黄幢を賜い、帯方郡より受取る
    7年 帯方郡太守弓遵、韓族の反乱で戦死
    8年 後任の太守王?が帯方郡に到着
    同年 載斯烏越ら→帯方郡 狗奴国との戦況を報告
        帯方郡の張政→倭国 詔書、黄幢を難升米にさずけ、檄をもってこれを告喩

この流れ見ると、使節の往来はおよそ半年を要する旅の様だね
761日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:46:57
>>579
彼はたぶんスールーを知らないんだよ。自分の意見に反論がない場合はすべて認め
たと理解しているようだし。
762日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:47:18
>>759
反論らしい反論もなく否定ですか?
763日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:55:18
>>757って、あの美濃もん太や河童虫へのレスの多さに、愚痴零しながらやきもち妬いていた人でしょ。
764日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:57:40
>>762
反論するに値するものなら、反論が来るでしょう。


と、いうことは
わかりますよねえ?
765日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:02:26
>>762
ドン来いできっちり否定されてたじゃん。
他人がスルーすると反論は無いとみなして、
自分への反論はスルーするのかと。
766日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:06:57
>>765
嘘いうなよ、
ドン来のどこで否定されたんだ?
767日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:08:49
>>764
自らの無能さを示しているだけだな。
765も否定したと言うなら否定の要約を示してみろ。
768日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:19:46
>>766
自分で探せ
769日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:20:38
>>768
無いものは探せん。
770日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:20:54
>>767結局そういうレスをする人と、見透かされているから
誰からもレスが来なかったんじゃないの?
他の人の無能を嘆く前に、自分の無能さを知り、そして己の掌を見つめなおしたら?
771日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:20:56

ドン来いの継続スレ、立てますた。

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 55
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1253945166/

よろすく。
772日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:20:58
自説を肯定するのに必死で、他人の説を検討する余裕がないと思われるよ。
773日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:22:02
>>772
常に他人の説も検討していますよ。
774日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:23:41
>>773
常に他人の説も検討していながら、ドン来いの反論は目に入らなかったと。
775日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:29:26
>>774
ドン来いの反論???
776日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:31:19
>>773
だったら否定やるから、億劫がらずに論を述べてみろ。
777日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:34:03
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
778日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:36:31
またかい?
3〜4回目だよ。
779日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:42:47
お‐い皆。ドンこいスレ始まったようだから、あっちに移動しようぜ。
780日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:50:13
なんだよ、論すら出せないんじゃ誰も反論できないよ。
正に恐るべし最強の相手だな。
781日本@名無史さん:2009/09/26(土) 16:10:58
>>688
陳寿についてはそうだろうと思いますね。

しかし、二さんは確か九州説で
具体的な提案もなさっていたと思いますが。
短里などに依らなくても
論は揺らがないということですか。

改めてサイトを読み直してみたいです。
782日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:40:53
このスレは、終了するまでドンこいスレのメモ用紙として使おうね。
783日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:52:32

奴國王墓(写真右下)
http://chikushi.fku.ed.jp/tanbou/nakoku.html
784日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:19:58
>>783
奴国王墓ではなく、昔奴国と言われた地にあった王墓ではありませんか?
785783:2009/09/26(土) 19:31:13
>>784

素人さんが騒いでるほうではなく
本物の奴国王墓です。
786783:2009/09/26(土) 19:42:00
ガキ共ムカツクーww


787日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:00:29
>>785

>本物の奴国王墓です

墓にそう書いてあったのでしょうか?  書いてあったのなら仕方ありません。当方の間違えでした
788日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:02:38
「奴国」と書いてましたよ
・・・たく

789日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:02:46
>>786

>ガキ共ムカツクーww

ガキ共にムカツクお前が一番の『ガキんちょ確定の赤ランプ』
790日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:04:32
>>788

>「奴国」と書いてましたよ

その文字はいつ頃書かれたものでしょうか?やはり弥生時代と言われている時期?
791783:2009/09/26(土) 20:04:37
>>789

大人の対応しますね(^0^)
792日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:06:49
>その文字はいつ頃書かれたものでしょうか?やはり弥生時代と言われている時期?

時代に関しては、当方分かりかねますが・・・

793日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:13:26
>>792

その奴国と書かれた文字をNETで見たいのですが、見られますか?
弥生時代に書かれたものなら世紀の発見ですので
794日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:19:41
>>792

その「奴国」の文字は、墓石に刻まれたものですか? それとも甕に書かれたものですか?
795日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:22:09
>>793
いンターネットでみてどうする(笑)
現地へ行って下さい 飛行機で行くぐらい根性あればの話ですが・・・

796日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:23:20
>>794
>その「奴国」の文字は、墓石に刻まれたものですか? それとも甕に書かれたものですか?

現地へ観にいって下さい
話はそれから

797日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:31:23
世紀の大発見と聞いて飛んできましたよ。
その大発見は、どこに行けば見れるのですか!!
798日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:34:36
九州島へ行ったこともないくせに
机の上で、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、言ってる人多いな(笑)
飛行機でトンボ帰りするぐれーっ根性あるやついないのか?
799日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:38:35
なんだよここは、嘘吐きのスレ確定の赤ランプ


全国のみなさーん
>>795が福岡までの交通費負担してくれるそうだよ
800日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:40:21
「奴国」は「奴國」の表記ミスだろうな。
弥生時代にも慌てんぼさんは居たのだ。
801日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:44:08
あとレンタカーも必要

お金ぐらい持ってないのかwww
さすが小学生w
802日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:46:16
>>798
アモイやシャンハイのとんぼ返りなら何度か経験ありますが、九州は精神的にかなり遠い国に感じて
とんぼ返りは難しいです。
803日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:48:19
>>801

はい、貧乏人ですので交通費の負担よろしくお願いいたします。
出来れば往復ビジネスクラスでお願いできれば幸いです。
804日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:51:40
その「奴国」は明治32年以降に書かれたものだよ。多分。
805日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:57:05
お金がないなら・・・机の上でガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ヌカシとけw

九州島へ行ったこともないくせに
九州のことをヌカスなちゅーねんw へそが茶ぁ〜〜沸かすワイww
806日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:01:45
「妄想ですみませんが・・・」

↑今度からレスする前にこれつけろw
807日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:06:46
メモ用紙の落書きと化したか・・・
808日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:08:18
>>795
私は仙台です。10月の連休にお願いできますでしょうか。
格安航空券でも構いませんのでよろしくお願いします。
連休だから航空券が無理なら、新幹線の自由席でも大丈夫です。

仙台発8:00 ANA798便はどうでしょうか?
809日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:10:48
810日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:11:23


>786 名前:783[] 投稿日:2009/09/26(土) 19:42:00
>ガキ共ムカツクーww


ところでこのレスは、どういう意味なんだろうか?
>>786が吉野家で夕飯でも食ってる最中にバイトの女子高生から変態扱いでもされたのか?
はたまた、帰りにブツブツ独り言を呟きながら歩く姿を近所の小学生にでも冷やかされたのか?

811日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:13:27
>>805

>お金がないなら・・・机の上でガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ、ヌカシとけw

金がないから交通費負担しろと言ってんだよ   以下
812日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:17:53
「妄想ですみません・・・」

↑これつけろw
813日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:36:34
>>805

「妄想ではありません」

俺は羽田から航空券往復で頼む。マジで行ってやるから
出来ればANAのスーパーシートプレミアムで
マイルはお前が金払うんだから当然お前のものだ
814日本@名無史さん:2009/09/26(土) 21:44:06
>>805

あと、福岡空港からのレンタカーの手配も頼む
出来ればトヨタレンタカーのクラウンマジェスタでいいや 半日で26000円ぐらいだ
よろしく頼む
815日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:08:21
金出すの嫌で逃げたなw
816日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:21:29
817日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:28:49
こいつらアホだろ(笑)
梅毒いなくなったら次から次へと…
818日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:35:15
>>817
アホはないよ

タダで九州行けるんだよ。しかもスーパープレミアムシートだよ 俺は夢中だ-。
大名旅行じゃん キャホー
819日本@名無史さん:2009/09/26(土) 22:47:46
>>817

> 梅毒いなくなったら

つい先ほどまで御戯れを為さっていた方を何方と存じ上げるか?
820日本@名無史さん:2009/09/26(土) 23:30:38
卑弥呼たん・・・ 

誰も居ない?_;)

821日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:25:35
>>328
>岡山市のプラントオパールが見つかった
>約6000年前に「米作り」が行なわれていたとする発見で、
>稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。

「米作り」を弥生の初めとする学説があるが、私は反対する。
あくまでも、「米作り」と「土器」が揃う、BC4000年ぐらいを弥生の初め考える。

>>412
>日女命(モモソ姫)の出身地は葛城地方。
>葛城には高天原がある。俺はここを比定する。
>卑弥呼が先祖なら建内や蘇我、巨勢、平群が一大勢力を築いたもの頷ける。

どうして日女命=モモソ姫になるのか説明宜しく。

>アマテラスはモモソであると考える。
>理由は死因。驚いてホトを突いて死んでいる。
>めずらしい死に方なのか、箸中(または墓)という名前まで付けられている。
>因みにモモソは山城での反乱を祟神に神託で伝えて鎮圧をさせている。

あのう、人物間違えてません?W
822日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:39:23
>>798
九州行った事を自慢するって、普段どんだけ貧しいんだよ?
823日本@名無史さん:2009/09/27(日) 00:59:44
何か急にレベルが落ちたな。
824日本@名無史さん:2009/09/27(日) 01:38:37
>>823

ここはスレ主さえも見捨てた世捨てスレ
今やドンこいの落書きコーナーです。
825改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 02:02:05
>>632 うましかさん
>吉野ヶ里や唐古などで環濠は消える時期が社会体制の変革期かなと思います。
>これは弥生期の集落単位の自衛体制から、クニ単位の防衛体制へ変化したことの顕われでは無いでしょうかね。
>倭人伝を引くのも何なんですが、当時の倭には租賦があったわけですので、社会的剰余が税として集約され、
>それまで集落単位で集積されていた生産物などが、クニ単位の倉庫で一括管理されるようになったのでは無いでしょうか。
>このため、自衛設備も変化し、小規模な集積集落は廃棄又は一般集落へ変化し、環濠も埋められることとなった。
>クニ単位の集積施設に環濠が有ってはいけないわけでも無いので、例えば纏向に環濠が無いことの理由にはなりませんが。

ご存じのとおり、吉野ヶ里の環濠は「3世紀」頃までと言われている。
そして、その3世紀といえば、奈良で巨大な古墳が造られるようになり、
それに合わせて、この時期を国家誕生とみる学者が多いようです。
この考えに同意する人もいれば、雄略天皇が記されてるといわれる、
稲荷山古墳、江田船山古墳で見つかった 鉄刀(剣)に合わせて
国家誕生は「五世紀」とする人もいるようです。

うましかさん〜はいつ頃がふさわしいと考えてるんですか?
826改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 02:08:13
>>656 周旋可五千里って一辺ではなくて、ぐるりってこと
>>661 倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離

>周旋可五千里

>>656>>661で意見がわかれてる。
さて、どっちだろうね。
分かる人レスしてください。
827改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 02:09:15
おれ?分かってるけど、みなさんに任せますわw
では、落ち・・・・zzzzzzz
828日本@名無史さん:2009/09/27(日) 11:58:25
対馬(つしま)、一支(いき)、末盧(まつろ)、伊都(いと)、奴(な)、不弥(ふみ)、投馬(とうま)、
斯馬(しま)、巳百支(しはき)、伊邪(いや)、都支(とき)、弥奴(みな)、
好古都(ここと)、不呼(ふこ)、姐奴(そな)、対蘇(つそ)、蘇奴(そな)、呼邑(こお)、
華奴蘇奴(かなそな)、鬼(き)、為吾(いご)、鬼奴(きな)、邪馬(やま)、躬臣(くし)、巴利(はり)、
支惟(きい)、烏奴(うな)、奴(な)

投馬の読みはとうま?奴はヌとよむべき?
829日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:01:13
魏志倭人伝の刊本には邪馬壹国とみえるが、
定説どおり邪馬台国とするのが妥当では
830日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:03:10
>スサノオは天照に向かって「姉ちゃん」って言ってる。

言ってないよ〜
831日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:12:43
>>282
読みが単純すぎだろ。
832九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/27(日) 12:18:01

>>826
周匝五千里:>>656 周旋可五千里って一辺ではなくて、ぐるりっとまわる距離が五千里。
周旋五千里:>>661 倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離が五千里。
833九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/27(日) 12:24:30
間違い修正

>>826
周匝五千里:>>656 ぐるりっとまわる距離が五千里。
周旋五千里:>>661 倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離が五千里。
834日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:29:41
>>821
>どうして日女命=モモソ姫になるのか説明宜しく。

→「海部氏勘注系図」によると9世孫、日女命は倭迹迹日百襲姫命です


>あのう、人物間違えてません?

→古事記では同様の部分に、特定の神名は出てこず、
天の機織女が驚いて梭で陰部(ホト)を突いて死んでしまうという記述になっている。
棚機姫命とは、全国的に天之棚機姫命という御名で祀られている事が多い。
おそらく正体は、この古事記に記載された天の機織女(天衣織女)のことであろう。
実際に、全国に棚機姫命を祀っている数多くの神社の解説には、
神衣を織って天照大神に仕えたという神と書かれている事が多い。

これが正解ならば、岩走神社では、
同一の神様を、日本書紀と古事記のそれぞれの名前で祀っているという訳だ。
また、この機織の女神は、天照大御神御自身であらせられるという説もある。
835日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:31:06
>>832
つーか、周旋可五千餘里じゃなくて

「…周旋、可五千餘里」で可五千餘里は舟行一年の順次続きだろ。
836日本@名無史さん:2009/09/27(日) 13:29:54
邪馬台国とは、紀伊半島にあった

帯方郡=平壌付近
狗奴韓国=北朝鮮の港湾都市興南(フンナム)、ここで船に乗る
対馬国=現在のウルルン島、ここは倭寇の隠れ家としても有名
一支国=隠岐、この島も日本海航路の中継地として栄えていた。
末廬国=舞鶴、ここで下船。

終戦後、満州から命かながな引き揚げてきた兵隊や開拓民のたどったルートと同じです。
魏は外洋を航海できる大型帆船を所有していたから、このルートをたどったはずです。
837日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:14:07
>>412
卑弥呼ではないが、神功皇后の母方も
葛城地方出身だからね。

葛城高額姫‥奈良県の北部葛城(現香芝市)には太古「高額」の地名もある。
繊維産業や染物業が盛んだった土地で、現在も「畑」なんて地名も。

但馬〜当麻の地名由来からも判るように、丹波地方と葛城地方に
深い関係があったのは明白です。
838日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:49:39
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
839愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/09/27(日) 14:49:57
国家誕生は昔は7世紀頃とされていたが、纏向遺跡の調査などにより、
寺沢薫氏なども3世紀まで遡るとされている。
840:2009/09/27(日) 15:46:56
いや、もっと古いかも知れませんよ
紀元前一世紀とか。

明治政府なんて紀元前七世紀ですもんね
841:2009/09/27(日) 15:56:50
月が出た〜月が出た!の歌をお持ちの、九州王朝大好きさんの登場。

>周匝五千里:>>656 ぐるりっとまわる距離が五千里。
>周旋五千里:>>661 倭の領域の始まる地点から、その領域の尽きるまでの距離が五千里。

これについてどう思う?誰か

>>834
だから別人だてw

>>838
たまには違うネタも入れてくれ
842:2009/09/27(日) 16:00:48
イ「ワラヤリミゾがなんだって?
843日本@名無史さん:2009/09/27(日) 16:28:59
>>839
国家誕生は文献で知るもので、大まかな数字ではありません。
文献から読み取る数字が国家誕生の時です。
844日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:39:53
文献どうでもよか
845日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:54:20
>>837
僕は葛城には見つかっていない遺跡等が
まだまだたくさんあると思います。
悲しいかな御所市は財政難らしく、
発掘などの調査が全くなされていません。。

国規模での調査をしてほしいものです。
846日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:44:06
箸墓から三角縁神獣鏡が出たらしいぞ
847日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:49:03
月が出た出た 月が出た ヨイヨイ

九州王朝の 上に出た

あんまり古田さんが 偉いので

さぞや畿内説は けむたかろ サノヨイヨイ


一山 二山 三山 堀り ヨイヨイ

マキ向 邪馬台国というけれど

なんぼ色よく ねつ造しても

古田さんが認めにゃ 仇の花 サノヨイヨイ


あなたが畿内説を 云うのなら ヨイヨイ
 
思い切ります 別れます

邪馬壱国を 読む前に

返してくれたら よいけれど サノヨイヨイ


九州王朝は偉大なり
848日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:52:15
九州説派が
最近さらに頭がおかしくなってる件について
849日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:57:12
>>848
畿内説なら九州説相手にしてもしょうがないだろ?
畿内は畿内のトンデモ連中相手にしなよ
畿内の中にもトンデモが沢山いるだろう?

九州説にちょっかい出すなよ
850日本@名無史さん:2009/09/27(日) 18:59:28
>>849
出さないよ、九州説は電波ばかりだし。
851日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:07:47
>>850
それはいい心掛けだ

畿内は畿内だけで

九州は九州だけで論ずればいい。
852日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:09:55
たまに
畿内と言いながら九州にちょっかい出す 淋しがり屋がいてな
853日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:14:31
九州説の人は邪馬台国が九州にあれば満足みたいで
九州説同士では議論しないのが不思議。
854日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:18:57
>>853
畿内説者が相手しなければ、自然と納まるべき場所に納まる。
だからお互いスルーすればいい。
855日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:34:01
レスの前に「畿内説」「九州説」と書けば、わざわざ考え方の違うレスに、レスしないで済むし
変な煽りも最小限に押さえられる。

煽り対策にも効果あり。
856日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:34:26
九州説の人があまりに無知すぎて可哀想になる
857日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:37:44
>>856
淋しいんだろ?
858日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:47:28
確かに寂しいね(笑)

もう何か出て来る度に畿内説が有利になる現状。
859日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:52:25
まさに
まぼろしの邪馬台国(笑)

単なる妄想の類だったと理解
860日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:55:58
うましかさんは九州説だろ
861日本@名無史さん:2009/09/27(日) 19:59:14
もう少し住人募集しようよ。
862日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:00:27
>>860
たしか釣が好きな
863日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:19:48
すでに終止符が打たれた説。
864日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:20:56
よし、議論大会を開くぞ
カードは私が組む。

第一試合 うましかさんと縦目仮面さんの大学生対決
第二試合 太国さんと縄文人さんのド迫力肉段戦
第三試合 サガミハラハラさんと二さんのド妄想議論対決
第四試合 ローガンさんと愛知県民さんの勉強してる対決
第五試合 河童虫さんと美濃もん太さんの因縁のライバル対決
第六試合 九州王朝大好きさんとwwwさんの異次元対決
第七試合 日本@名無史さんと日本@名無史さんの誰やねん対決
あらためがあまった・・・審判ということでw
865日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:22:40
カード組まれた人は「会った瞬間」に議論を始めろ
会場はここでもいいし、どんと来いでもよか。

よ〜い はじめ
866日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:24:02
終了
867二 ◆.L.MXSPOgc :2009/09/27(日) 20:25:33
>>781
>>短里などに依らなくても
私の説は、記述された里程をいわゆる短里の距離として、その記述に間違いといえるほどの
現実との大きな違いはなかった、とするものですので、
短里に依らなくても成立する説、というわけではありません。

あまり期待されて読まれると、がっかりするかもです(汗


上の話は、なぜ”魏の里”の5倍程度の数値が里程として記述されているのか、という理由はわからなくても、
5倍程度の数値で里程が書かれていることは否定できないことでしょう、という意味の書き込みです。
868日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:26:14
あ、ごめん 唐松山さん忘れとったww
唐松山さん少し影薄いよww
869日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:28:00
ほらっ、サガミハラハラさん
二 ◆.L.MXSPOgc さんが登場したぞ 噛みつけwww

870日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:38:23
>>869

It is a project fall.
It was the hardship externals.
871日本@名無史さん:2009/09/27(日) 20:43:07
>>870
そんなに私が組んだカードに不満?
カード変更って・・・おまえさんは誰をかみつきたいんだ?
872唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/27(日) 20:45:57
時間はいくらでもある、様子見だ。
873畿内説改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 20:55:39
>>867 二 ◆.L.MXSPOgc さん

「国の規模」
国の大きさに関しましては、現代の郡を二、三つ足したぐらいの規模でしょう。
たとえば、伊都国ならば福岡平野一帯ぐらいの規模というか、
1国に対する「国」の大きさは、九州説さんがいう大きさとあまり変わりうありません。
わたしは畿内説ですが、ほとんど九州説よりの考えをとっています。
874畿内説改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 20:57:23
<873を部分訂正>

現代→現在
伊都国→奴国
875日本@名無史さん:2009/09/27(日) 21:24:27
>>871
カード変更なんて何処に書いてあるんだ?
876日本@名無史さん:2009/09/27(日) 21:28:24
>>875
Card という言葉はないが、不満を表してるというのは分かるよね?
だから〜そうゆうこっちゃ
877日本@名無史さん:2009/09/27(日) 21:35:07
企画倒れって書いてあったわ
878縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/09/27(日) 21:44:53
私と太国ちゃんでは議論にならんだろう。二人とも邪馬台国に関しては九州説だし、彼は阿蘇の辺りに女王の都
を比定しているし、私は熊本県内のどこかと思っているしね。細かい違いはあるだろうが、ここで議論する気に
はならない。神武や崇神の年代については見解が随分と異なるが、彼は私の見解の正しさを死んでも認めないだ
ろうから、これも盛り上がらないな。
879太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/27(日) 21:47:39
縄文人どの
あんたも唐松山同様の丸薬、金丹が必要なのか?w
880日本@名無史さん:2009/09/27(日) 21:57:40
>>878
畿内説 VS 九州説
邪馬台国はどこにあったのか?????

畿内説の人
改め、ローガン、縦目仮面、www、うましか

九州説の人
縄文人、二、愛知県民、太国、サガミハラハラ、唐松山、河童虫、

その他
美濃もん太
881日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:00:38
お〜と 太国氏が、縄文人どのに噛み付いたかw

ボケっとしてたら噛みつかれるよ 縄文人さんw
882日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:04:40
会った瞬間に議論開始!
ボケっとしてたらやられるぞw

第一試合 うましかさんと縦目仮面さんの大学生対決
第二試合 太国さんと縄文人さんのド迫力肉段戦
第三試合 サガミハラハラさんと二さんのド妄想議論対決
第四試合 ローガンさんと愛知県民さんの勉強してる対決
第五試合 河童虫さんと美濃もん太さんの因縁のライバル対決
第六試合 九州王朝大好きさんとwwwさんの異次元対決
第七試合 日本@名無史さんと日本@名無史さんの誰やねん対決
改めは審判ということでw
883太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/09/27(日) 22:05:17
>>880
唐松山は蝙蝠だよ。やつは二枚舌の畿内九州説だそうだ。ww
いつでも逃げのアナグマの穴を作っているというよりバットマンも
驚く、逃げのシェルターのバット洞窟を容易している。ww
884河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/27(日) 22:05:28
変な煽りは御免だから私もパスします。
885日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:07:23
>>884
お前が言うなとだけ、言っておくよ。

さようなら、梅毒。
886唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/27(日) 22:09:06
私の、邪馬台国=大和です、
ただし卑弥呼は九州だけど。
887日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:26:02

(畿内説) 畿内説 VS 九州説 邪馬台国はどこにあったのか?????
改め・・・東征説
ローガン・・・自称、考古学博士w
縦目仮面・・・貧乏な考古学専門家w
www・・・畿内自発説
うましか・・・王道説、しかし面白みゼロw
唐松山・・・邪馬台国=大和、卑弥呼は九州説(なんじゃそりゃw)

(九州説)
縄文人・・・縄文海進説、しかしその知識は浅いww
二・・・二つのルート説(自画自賛なところがサガミと似てるw)
愛知県民・・・筑紫説、この方は最近勉強してるよ
太国・・・熊本説、どこの掲示板でも顔を出すベテラン
サガミハラハラ・・・佐賀県小城説、みんなよりは知識あるかもしれん
河童虫・・・師匠に騙されてるのにも関わらず、未だに気付かない人w

(その他)
美濃もん太・・・ノーコメントww
888日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:35:44
お前ら、濃いのぉ〜 笑いがとまらんwww

889日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:44:37
>>887
観察眼がないのお。他人の批評をするならもっとよく見ることだ。
890河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/27(日) 22:44:42
>>885

はい  さようなら
891プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/27(日) 22:48:22
最後に一つ提案があります。

メインイベントに

改め  vs  ニュー速+住人   

という企画はどうでしょうか?
892日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:55:51
却下。そしてさようなら
893日本@名無史さん:2009/09/27(日) 22:59:37
「足圭」(武)と「歩」の違い

ここがわかってないから卑弥呼の墓は九州なんて言うんだよ

894改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:05:04
>はい  さようなら

あら、反省してるなら許そうと思ってたのに残念・・・

そして、卑弥呼の墓についてだが、徑百餘歩 とある。
これは、円(又は円形)部が百歩あまりということを指している。

1里=300歩=1800尺
倭人伝に記された卑弥呼の墓の大きさは「144メートルクラス」というのが分かる。

895プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/27(日) 23:05:37
>>892

遠慮するなよ  プロデュースしてあげるよ


>>893

>「足圭」(武)と「歩」の違い

武道に縁のないお前が「足圭」(武)だなんて100年早いわwwwww
896改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:08:11
>>895
素直に勉強になりました だろ?

〜ったく 強がりしか言えねーのか
897プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/27(日) 23:13:14
>>896

お前のは辞書の丸写しで、全然役にたたない。
つまり、内容を把握していないから
上辺だけの中身なし

お前の頭の中と同じだわ。ガキが扱うネタじゃないんだよ 以外。
898縦目仮面:2009/09/27(日) 23:18:35
また、始まったか。ww しかし、上のVersusはしょうもない。金がないのはそのとおりだが、
俺が戦うのは九州説ではなく、根拠のないレスに対してなんだが、そこが理解されないのは
残念。
899改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:20:04
君は、私が本を読んで、必死に努力してるのが分からないのか?

「足圭」だって初めっから知っていたわけではない。
調べた結果、周・春秋・戦国時代の度量衡に行きつく事を知った。

あんたの師匠の言ってることおかしいだろ?
900改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:22:37
>>898
>根拠のないレスに対して

イジメっ子てことねw
901改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:24:57
〜ったく 何も努力もしてないで、言うことだけは一人前な奴から
いわれたくないよな〜!
902改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:35:28
武道だってよ、全然話してることがかみ合わんwww
単なる寸法・距離だてw

903プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/27(日) 23:38:43
>>899
>君は、私が本を読んで、必死に努力してるのが分からないのか?

で、知ったところでなんなのよ? ここは学問板だよ、幼稚園生が東大生と互角に張り合わなければ
ならない学問板だよ
無知な奴が努力しなければ東大卒の奴らと互角で張り合うことなんてできねーべ普通
努力することなんて当たり前の世界なんだよ
なにを今さら甘ったれてんだよ     ここに一人でも学者がいれば、その学者以上の知識で
張り合う世界だ 

> 「足圭」だって初めっから知っていたわけではない。

いや、いろんな人が出入りするここは、初めから知っていて当たり前な世界だ 

>調べた結果、周・春秋・戦国時代の度量衡に行きつく事を知った。

そんなところまで行き着く史料なんてあるのか?
もう一度調べなおした方がいいかもな


>あんたの師匠の言ってることおかしいだろ?

人をとやかく言えるほど、最高レベルにまでたどり着けたのか?
人の説を批判している暇があったら、自分の足元をまずはじっくり見ることだな
904プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/27(日) 23:43:26
>>902

>武道だってよ、全然話してることがかみ合わんwww

だから無知といわれるんだよ
さっき「武」という文字を出したろ、あの「武」がどうして半歩の意味で使われるか調べたことがあるのか?
そしてどうして 歩武という熟語が出来上がったのかわかるか?
武道の心得のあるもの、この歩武とは切っても切り離せないものがあるんだよ
905改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/27(日) 23:52:20
>>904
私が言ってるのは、そっちじゃないてwww

「武」という字は=「足圭」という意味があるようですが、
私が言ってるのは「足圭」のほう。
906プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 00:02:19
>>905

>「武」という字は=「足圭」という意味があるようですが、

ない

「足圭」 舉一足也

 「武」  跡也

まったく性質の違うものだよ

907日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:03:11
八段とか、全日本上位とかだったら、十分尊敬に値するのですが。
しかし、そこまで極めた人は、自分から武道の心得とか自慢げに書かないと思うのです。
908プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 00:17:31
>>907

>八段とか、全日本上位とかだったら、十分尊敬に値するのですが。
しかし、そこまで極めた人は、自分から武道の心得とか自慢げに書かないと思うのです。


それはあなたの考え 
この世界は言った者勝ちのところがあるからね  紳士的に振舞いたい人はそうすればいいだけの話ですよ
909改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/28(月) 00:21:04
陳寿さんの三国志、ようは通称魏志倭人伝には「歩」とあるのみ。
ということで、「歩」、六尺×百 と明記されてるんです。
一尺といえば約24センチメートルですね。
よって、卑弥呼の墓の円(円形)部は144メートルという事実なんです。

24メートルとか60メートルとか言う人は論外。
「歩」という字が見えないのか、或いは倭人伝を読んだことがない人だと思う。
910改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/28(月) 00:22:51
>>908

倭人伝読んだことあるの?w
911日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:30:11
>>908
武というのは、「戈」を「止む」ではないんですか。
912プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 00:35:46
>>911

解字はそうなってるよ  楚庄王曰,夫文止戈为武(文字化け失礼)
913日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:39:51
>>911
春秋左氏伝ではそうだね。
本当は止は足の形を表す象形文字で、
武は矛を持って前進することらしい。
914プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 00:41:36
>>910

>倭人伝読んだことあるの?w

そんな馬鹿なレス入れると、またもん太君に長々と講釈流されるから
915改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/28(月) 00:43:20
歩=六尺
キ(足圭)=三尺
武=三尺

「歩」と「キ」は、卑弥呼の時代よりずっと前の、
周・春秋・戦国時代の度量衡に基づくが、「歩武」はいつ頃から三尺と言われ出したんだろうね・・・。
916九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/28(月) 00:44:48
>>909
>24メートルとか60メートルとか言う人は論外。

あなたの硬直頭が論外。

1歩は歩くときの足の長さ、
古代モンゴロイド成人男子のfootの長さは約23cm。
1歩=23cmだから、
径百歩=Φ23m

参考
1尺は身の回りの物の大きさの基準となる腕の長さ。
古代モンゴロイド成人男子のarmの長さは約24cm。
本来の歩と尺はそれぞれ全く別の長さの基準なのだ。
917改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/28(月) 00:51:07
>>916

私は卑弥呼、陳寿が生きた三世紀の話をしてるんです。

「寸」は10本指÷10、「尺」は手(指)を広げた尺取り虫、
「歩」は二足踏み出した長さ、里は田んぼの片面。

918縦目仮面:2009/09/28(月) 00:55:29
周の武王は、殷を滅ぼし武を止めた。そして「武」という舞楽を作った。ということで、舞=武(足跡)
=半歩・・・・これは違うな。ww
919改め ◆qexCkQtLcY :2009/09/28(月) 00:55:45
どうやら、九州王朝大好きさんは、目が見えないらしい。
もっと目を開いて、倭人伝を読んでください。
「歩」と記載されてるでしょ?

見えますか?w
920日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:04:37
>>916
歩くときの足の長さというのが分かりません。
23cmというと、足の寸法(現代の靴のサイズ)と思われますが、
それならば、歩こうとも、座っていようとも同じではないですか?
921日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:05:46
後で、九州説論者のみなさんが、
「やっぱり144メートルでした」と言うだろうw改めるにきまってるww

さて、さて、ぐっすり寝ましょうかねwww
922プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 01:06:31
>>917

>「歩」は二足踏み出した長さ

そんなのどこに掲載されてるの?
俺は以前からず〜と「漢漢」で探しているんだけど いまだに見つからないんだけど
923日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:10:00
>>922
考古のほうは調べたのかい?
魏の遺跡とかからんでるんじゃないかな。
縦目さんにきいてみ。
924プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 01:10:05
>>920

足は 脚でもあり   膝下至跖之总名也(膝元から足の裏にかけての総括的な)
925プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 01:13:07
>>923

「歩」でも落ちているのかな? 家の引き出しの中なら 「歩」だけじゃなくて「王将」もあったよ

考古で>「歩」は二足踏み出した長さなんてわかるのかね?
926日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:16:13
>>916
中国出土品による魏の骨尺の寸法は23・8センチ。漢代は23・29〜23・72センチ。
「伝世古尺図録」の実物大の図による魏正始の奴弓機尺の寸法は24・1センチ。
銅尺は24・9センチ。そして1歩は6尺である。
つまり、九州説のお前はアホ・馬鹿・間抜け・愚か者だというわけだ。
927日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:17:13
>>925
いや、いや、総合的な判断だよ
たとえばの話になるが、全ての田んぼが1.44メートル×300とかだったらどうする。
ほかにも、いろいろあるだろう。
今は眠いので頭がまわらんw
928九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/28(月) 01:19:23
足≠脚 (漢字の語源ではないよ。)
あし(足)≠あし(脚) 
足はfoot
脚はleg
929927:2009/09/28(月) 01:19:31
>>925
縦目氏にきいてみ

おれは中国の考古学とかあまりしらん
930九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/09/28(月) 01:25:19

1尺≒1歩+1cm
931日本@名無史さん:2009/09/28(月) 01:32:49
考古学って、総合的とか例えばの世界なんだ?
932縦目仮面:2009/09/28(月) 02:01:39
中国の水田は、後漢代の稲田模型(素焼きの副葬品)を見ても、不定形としかいいようが
ないですね。地形に合わせて水田を作り、曲線や斜めの畦が入っている。まあ、現在の日
本の水田をイメージしてもしょうがないんですが。
http://www.chikyu.ac.jp/sato-project/news_letter/news_letter_24.pdf
933日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:22:45
【司馬法】凡人一舉足曰(足圭)。(足圭),三尺也。兩舉足曰歩。歩,六尺也。
934プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 07:42:13
一般の人が一足あげる。これを[足圭]といい、[足圭]は三尺

右足をあげれば左足が地面に残る。すると
残った左足の一般人の長さが三尺か?それとも次に両足をあげるために
一度あげた足を下ろすのか? 足を下ろしたところで、三尺が何なのかわからない。
足の長さなのか?下ろした足と残った足の間に出来る間隔が三尺なのか?
935プラム ◆TOfHBAKZgM :2009/09/28(月) 08:00:19
でもまてよ、残った左足と下ろした右足の間に出来た両足の間隔なら
[足圭]三尺也。じゃなくて幅三尺也だよな?
もう一つ考えられるのは、片足をあげた時に発生する、地面とあげた足裏までの間隔が往復で、三尺か?
それだと[足圭]の「圭」に対して理由付けができる。
土に付いた足裏を、今一度土に重ねる。

一般の人が足をあげると、大体残った足の膝辺りまで挙がるから
これも「足」文字をカバー出来る。
936プラム ◆EY2wfgakAQ :2009/09/28(月) 08:41:53
[足圭]や「武」の半歩と言う意味は、たぶん後付けだろう。
半歩は歩の定義が出来上がらないと発生しない概念だから
937日本@名無史さん:2009/09/28(月) 11:18:28
>>311
牛頭天王
の言葉を見て、思い出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/東湖八坂神社
奇祭「蜘蛛舞」「牛乗り」
938唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/28(月) 22:15:59
♪♪行進曲は二拍子♪♪
939日本@名無史さん:2009/09/28(月) 22:26:25
>>938

>♪♪行進曲は二拍子♪♪

そうとは限らない。
速いテンポの行進曲は主に二拍子で書かれているけど、遅いテンポの行進曲は
四拍子で書かれているものも多数見かける
940唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/28(月) 22:59:29
装備を背負った軍隊だぞ。

この行進曲1曲で、何歩、何里がわかる。
941愛知県民:2009/09/29(火) 12:48:42
騎馬民族は三拍子と聞いたが本当?
942日本@名無史さん:2009/09/29(火) 14:13:25
っていうか、バカ達なの?
943愛知県民:2009/09/29(火) 18:25:31
亡き民族音楽学者、小泉文夫氏の説だったかな。
確かに半島は三拍子が多いようだ。
944唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/29(火) 19:08:41
三拍子で歩いたら調子が狂うだろう

そこでだ 大陸の平坦地を軍隊が行進する、1曲で100里としよう、
倭国の細くて曲がりくねった凹凸の道を、1曲分行進する。
さて何里進んだでしょう?
945日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:38:00
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
946日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:54:16
「足圭」と「走圭」同じ意味があるらしい・・・
947日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:58:24
1里=600足圭=300歩=1800尺=18000寸

これでいうと女王卑弥呼の埋葬された墓は1400メートルとなる。
しかし、歩は二脚なんだが、一脚という説もある。
しかも、周とか戦国時代だったかな。
948日本@名無史さん:2009/09/29(火) 20:00:49
失礼・・・
947を訂正する

女王卑弥呼の埋葬された墓は140メートルとなる。

1里=300歩=600足圭=1800尺=18000寸

949日本@名無史さん:2009/09/29(火) 20:46:21
テスト

くぁw世drftgyふじこlp;@:「」
950 ◆P6rBQWtf4. :2009/09/29(火) 20:47:26
てすと 
951日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:00:18
無意味な議論が続いていますね。
そろそろ方向転換をしてみては?
952日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:07:35
九州説は卑弥呼の墓を小さくしたいんだろうから、歩=尺などというが、同じ長さに二つの
単位名はいらないと思うね。それなら、どっちかが一般的に用いられなくなるだろう。歩が
重要視されたのは、中国の面積単位の畝(ムー)が古来10歩四方などと用いられていたか
ら。だんだん尺を単位とするように変わっていったけど。
953日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:16:34
歩=尺?ないない

単なる古田教徒の妄想としか思えない
954日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:50:08
河童ムシ

955日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:52:40
>>948

>600足圭

出鱈目を書いてはいけない。

[足圭]に 量詞(序数詞)は存在しないので、(数詞)+足圭  はない。
956日本@名無史さん:2009/09/29(火) 22:01:16
>>943
小泉文夫氏は反対の意見だったと思う、私が間違っているかもしれないが。

手元に資料がないのでウロ覚えなんだが、
アリランやトラジなど3拍子の有名民謡が昔から日本でも知られていたので
小泉文夫氏もてっきりそう思いかけていたらしい。

ところが実際に小泉氏が韓国で実地調査をしてみると古老が歌う労働歌やわらべ唄など、本来の
意味での民謡には3拍子系が見あたrず、ほとんどが2拍子系だったそうだ。

>>941
騎馬民族は三拍子ということを盛んに言ったのは演出家で演劇評論家の武智鉄二氏。
古代史・邪馬台国論も書いているが(九州説)、私は武智氏はマユツバだと思っている。
筑紫舞の件で古田武彦の九州王朝説と接点がある。
957:2009/09/29(火) 23:04:45
>>955
それはきみw
もっぺん勉強してこいww
958日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:15:52
無意味な議論が続いていますね。
そろそろ方向転換をしてみては?
959唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/09/29(火) 23:22:30
   裨離國在肅愼西北、馬行可二百日、領戸二萬。
養雲國去裨離馬行又五十日、領戸二萬。
寇莫汗國去養雲國又百日行、領戸五萬餘。
一羣國去莫汗又百五十日、計去肅愼五萬餘里。其風俗土壤並未詳。

馬行500日で五萬餘里。
其風俗土壤並未詳。←この部分を倭人伝では「倭国に文字、暦なし」と読む輩が多いが如何な物か。
960愛知県民:2009/09/29(火) 23:28:53
956さん、ご教示ありがとうございます。
961:2009/09/29(火) 23:40:33
>>958
みんな君より知ってるだろ?
だから〜おれが何度も、何度も、勉強しろ言うてるんじゃないか。
962河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/30(水) 01:10:51
>>957

>それはきみw
もっぺん勉強してこいww


という言葉は 数詞+足圭 を探し出してから言うセリフだよ
さっさと探してくるんだな
見つからないと思うけど。wwwwwwwwwwww

それともただの野次馬に成り下がったか?
963:2009/09/30(水) 01:29:09
>>962
あ〜そりゃアホだ。
そんなセリフいうぐらいだから見つからなかったのだろうね〜この人は・・・。
964日本@名無史さん:2009/09/30(水) 03:17:49
965日本@名無史さん:2009/09/30(水) 05:13:09
はっきり言おう。

この議論は無意味。
966河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/30(水) 06:41:11
あるなら私のミスだ。

改め君に失礼な事を言ったな



「改め君。失礼な事を言ってすまなかった。」
967河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/09/30(水) 09:06:54
>>964

でも、それって古代漢籍ではなくみんな現代の解釈っぽいね


でも、時代はいつであれ あったことには違いないので  陳謝します。
968日本@名無史さん:2009/09/30(水) 20:32:22
気持ち悪いわ
969日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:18:24
寒いね
970縦目仮面:2009/09/30(水) 23:21:00
虫が鳴いてるね。
971日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:32:27
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
972日本@名無史さん:2009/09/30(水) 23:59:10
草野心平

さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
973日本@名無史さん:2009/10/01(木) 09:34:31
【開催場所】
アクロス福岡シンフォニーホール
福岡市中央区天神1−1−1
電話092−725−9112

【開催日時】
平成21年10月13日(火)
11:00〜19:30(開場)10:30
〈第一部〉11:00〜16:30安本美典氏ほかによる基調講演・シンポジウム
〈第二部〉18:00〜19:30創作ミュージカル「よみがえる卑弥呼」
 
【入場料】
第一部 1,000円
第二部 一般 1,000円 高中 500円(小学生以下無料)

http://www.kenbunsai-fukuoka.jp/index.php?type=event&id=298
974日本@名無史さん:2009/10/01(木) 09:51:27
>>967
失検くらい誰にでもある。気にするな。

古漢籍では確かに数は少ないが、
一舉足謂之?再舉足謂之??射者履物不過一?故知以三尺為限也
こういうのもある。
数+足圭の用例が少ない理由は、
百歩と書けばすむものを、二百足圭と書く必要はないというあたりだろう。
足圭でなければならないのは、歩より短い場合。
だから一足圭の用例がいくつか残っているのだろう。
975日本@名無史さん:2009/10/01(木) 09:53:43
974文字化けしてた

一舉足謂之足圭再舉足謂之歩歩射者履物不過一足圭故知以三尺為限也
976日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:13:04
>>974-975
自演乙


977日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:35:49
あら〜レス進んでないな・・・・
ドンコイの高いレベルのはついていけんしw
俺もヤフーに移転しようかな
978日本@名無史さん:2009/10/01(木) 19:41:26
>>970
>虫が鳴いてるね。

ん?意味ありげなレスだね
虫クン泣いてるの?w
979日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:32:13
静けさや 岩にしみいる 虫のこえ 
 
                   河 童
980日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:38:55
>>979
君の場合
また「至」「到」の違いから始めたいと思う?w
981日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:45:12
>私の会社は女性が多くて、年中生理の独特の生臭さが漂っています
>夏になってくると特に酷いんです
>それに加えて、便所の芳香剤をさらに強烈にしたような(安物?)香水
>をつけてくるのがいて、それら合成した臭いに吐き気をもよおします。
>上司に相談しましたが、デリケートな問題なのか動く気配はありません
>女性の方って生理中って臭い対策しているのでしょうか?

↑これはウソだろ?w
パンツはいてるんだし臭うわけがない
982縦目仮面:2009/10/01(木) 20:49:19
>>978
いやいや、単に「寒いね」で草野心平の詩を思い出しただけです。
ちなみに、>>972 はカエルの話で、「もうすぐ土の中だね」は冬眠するってことでしょう。
983日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:50:07
誤爆すいません

ビジネス関係の板とここロムしてたので・・・
984日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:51:42
>>982
ネタだし宜しく
ていうかここ最近元気ないのでまわして行って欲しいな
985日本@名無史さん:2009/10/01(木) 20:58:30
スレを立てた日:2009/09/18(金) 23:56:23 か・・・

ペース的には遅くはないんんだけど縄文海進さんと二ルートさんが
あっちに新加入して圧倒されてる。
986愛知県民:2009/10/01(木) 21:11:06
森浩一さんは、他の考古学者と一味違うね。
987日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:16:12
森浩一さん
よく名前は聞きますね
しかし、彼を本はいまだ読んだことがない
988縦目仮面:2009/10/01(木) 21:17:01
森氏は、何度か尊顔を拝しwてるんだけど、他の考古学者と違うとこの一つは記紀が読める
ことだと思います。それもかなりdeep に。
989縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2009/10/01(木) 21:21:08
寂しいようだからネタ振ってあげよう。
卑弥呼の冢の徑百餘歩は卑弥呼の墓本体のものか、それとも徇葬者達の墓も含めた(墓群)のものか。
大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人 という文章では何れとも決められない。

なお、縄文海進は私とは無関係。縄文時代は海進だけでなく海退の時期が長く続いた。それでも弥生時代
に入っても海面は現在より高かったと見られる。
990愛知県民:2009/10/01(木) 21:33:45
大いにチョウを作る。
大きなチョウにあらず!
森さんが記紀の考古学で述べている。
河童さんだけじゃなかった。
991:2009/10/01(木) 21:38:02
>>989
ん〜そんなこと言ってるのは君と河童氏だけと思われ・・・
もっと、全体で読んでごらん

>>988
おお〜羨ましい
しかし、記紀が読めるってみんな読めるんじゃない?あれ漢字だしw
992日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:42:15
次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254400875/
993日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:42:25
>>984

> ネタだし

じゃ、「国家論」でもやりますか?
女王卑弥呼とは如何なる体制のもとに立てられた存在か、とかですね。
当時の倭人社会の状況を整理しておくと

1 倭人の国々は、ある程度まとまった政治体制を構築し、中国王朝へ朝貢まで出来る社会であった。
  例えば、これは同時期の馬韓諸国などよりは政治的統合の進んだ社会と見られる。

2 「尊卑有差」 当然、尊卑の差も発生しており、「大人」と記された権力層から「財物」扱いの生口まで存在している。

3 「收租賦」 税のような制度が存在し、富の集積、再分配システムが存在している。

4 「倭王」の立場は脆弱で、共立される存在。

と、こんなところでしょうか。

「倭王」の「支配」領域は、邪馬台国の所在地をどこと考えるかによって変わってしまいますが、
最小でも北部九州、最大でも瀬戸内をコアとした西日本レベルかと思われます。

都出比呂志等伝統史学の重鎮層の考えでは、前方後円墳体制の確立をもって国家が成立したとし、
卑弥呼の時代は、弥生的首長制度から古代国家制度への過渡期とされる。

他方、弥生後期の大規模集落をコアとした地域集団に擁立され、特別な葬送儀礼の対象となるような首長の存在をもって
国家、地方王権の成立とするような考えもありますね。

卑弥呼は、いったいどちらのタイプの「女王」だったのでしょうかね?
994愛知県民:2009/10/01(木) 21:44:48
昭和天皇のように、墓づくりの行事が大がかりであった。
995九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/10/01(木) 21:49:23
>>988
何十年前か忘れたが、
森浩一氏は、とある大学予備校で予備校生に言っていた。
日本で考古学研究の道に入りたいなら、
大学入学後先ず漢文を深く読み解く力を身につけなさい。
996:2009/10/01(木) 21:51:38
>>993
面白そうですね
今、答えるともったいないので次スレてことでw

>>995
おお〜くわしいですね
わたしはその人、あまり詳しくしらないんですよ
今読んでいる本に、何度か登場してますけどねwww
997:2009/10/01(木) 21:57:20
ところで、九州王朝大好きさんは
>>989の墓の規模についてどのように読んでるんですか?
もちろん小規模な霊園ですよね?
998日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:57:40
>>989

> 卑弥呼の冢の徑百餘歩は卑弥呼の墓本体のものか、それとも徇葬者達の墓も含めた(墓群)のものか。
> 大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人 という文章では何れとも決められない。

単独葬か複数葬(一つの墓域に埋葬主体が複数)かは決められないかもしれないが、
「卑弥呼の冢」が「徑百餘歩」であることに変わりは無い。
「徇葬者達の墓も含めた(墓群)」であれば、複数の「冢」が存在したか、一つの冢と複数の平墓があったことになる。
999河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/10/01(木) 22:07:51
大=副詞(大いに)

作=動詞

冢=名詞

大は作を修飾している。 だから 大いに


では  失礼。
1000日本@名無史さん:2009/10/01(木) 22:11:31
>>999
おまえ、僞河童だな。
まともなこと書いてる。

それはさておき、1000ゲト
10011001
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