952 :
”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)へ”:2009/08/04(火) 19:00:35
>>950 そう言う現代における環境は九州もならも同じ事だなw
山林の伐採が水害をもたらしたなら
元々九州も保水能力ギリギリのところでバランスを保っていた地域が多々あった事の証左。
東遷説を成り立たせたいが為
奈良盆地のみを水害の頻繁な土地で
人の住めなかった土地にしたいんだろうが
まあ、あまりにも幼稚な立論と言うか妄想だなwwwwwwwwww
>>946 倭人伝を読んでも投馬と邪馬台国は九州内にはありません。
ないと思って読めばない、あると思って読めばある
議論しても無駄
955 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 20:13:42
観測者の主観で粒子であったり波であったりみたいな?wwwwwwww
956 :
縦目仮面:2009/08/04(火) 20:16:48
それはわれわれから見える事象であり、実際はひもの振動です。
色即是空 空即是色
弱肉強食 焼肉定食
959 :
縦目仮面:2009/08/04(火) 20:25:10
超ひも理論(superstring theory)は、邪馬台国問題に似ているかもしれません。研究者に
とっては間違ったことに一生を捧げる可能性があります。しかも早々に結論は出ない。
相対性理論のいうところの時空の歪みの影響も無視できない。
未来が一つ出ないように過去も一つではない。
邪馬台国は九州にもあったし同時に畿内のもあったのです。
961 :
縦目仮面:2009/08/04(火) 20:43:30
エヴェレットの多世界解釈は尊重しています。スレ違いスマソ。
962 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 20:45:09
>>960 >邪馬台国は九州にもあったし同時に畿内のもあったのです。
まあ似たような説は実際に出てるしwwwwwwwwww
(『邪馬台国は二ヵ所あった』by 大和岩雄 …だったかな?)
963 :
縄文人:2009/08/04(火) 21:02:23
>>952 出て来たな チンピラ君。
俺は祖末な反論に相応の挨拶をしたまでだ。べつに水害を論点にする書き込みでないことぐらい 分るよね。
相変わらず頓珍漢だね。君は進歩という言葉を知っとるかね。
964 :
”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)へ”:2009/08/04(火) 21:14:07
まあ奈良盆地の人間が水害に苦しんだとしても
じゃあ、そのリスクは他地域の人間は関係なく
奈良盆地の人間のみが背負っていたのかって?話でw
東遷厨にかかれば纏向は無人都市
それ以前の集落は水中集落になってしまうw
酷い話です、ハイwwwwwwwwwwwwwwww
965 :
縄文人:2009/08/04(火) 21:19:01
吉野ヶ里を邪馬台国などと言う人がおるんか?
環濠集落は集落(村邑あるいは都邑)に過ぎん。國とは集落の集合体で、領域内の集落を統合支配する組織機構を持つものだ。
吉野ヶ里に卑弥呼の宮殿を思わせる施設跡や戦死者と思われる人骨が出土して倭国大乱の名残と見られないこともないが、水行
陸行には条件が整わないではないか。
966 :
”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)へ”:2009/08/04(火) 21:21:17
ついでに言うと・・・
>>932の縄文人のレスはこいつのアホさ加減をよく表しているw
(まあそれでもこの板の九州説の平均レベルぐらいなのかな?)
そもそも仮に纏向が巨大霊園の如き遺跡であっても
それはそもそも年代論に関係がない話で
とりあえず畿内説の言ってる事に反対したら
それで自分の言っていることが全て証明できたかのように勘違いする
厨房の発想wwwwwwww
纏向が巨大霊園なら同時代にそれを造り得る勢力が
畿内にはいたと言う話で、益々その畿内の王権が巨大だったと言うだけの話w
967 :
縄文人:2009/08/04(火) 21:28:56
>>964 俺に相手をして貰いたいみたいだな。よっぽど寂しいんだな。
あのな、奈良盆地の古代人は水害の恐ろしさを代々身にしみて感じていたから、大和川の浚渫や河岸の整備に努力した
だろうと まあ、褒めてやったんだ。最初はな。
それに食いついてきて、頓珍漢ぶりを発揮しているのがおまえだ。鏡を見てみろ。間抜け面が映っている筈だぞ。
968 :
サガミハラハラ:2009/08/04(火) 22:06:12
969 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 22:23:20
>>968 そんな読み方をするから、畿内説論者に馬鹿にされるんだよ。
970 :
縄文人:2009/08/04(火) 22:24:11
>>968 水行10日陸行1月を郡から邪馬台国までの総所要日数とすれば可能である。
だが、
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月
の記述から、投馬國は郡から舟で直行できる(海岸の)國で、邪馬台国とは相当離れた場所にあることになる。ある地点から
同じ南の方角にありながらである。これを説明できるのかな?
971 :
縄文人:2009/08/04(火) 22:40:30
>>966 おまえのアホさが如実にでているのがこの書き込みだ。
<そもそも仮に纏向が巨大霊園の如き遺跡であっても それはそもそも年代論に関係がない話で>
巨大前方後円墳をほぼ同じ時期に何基も築造できる巨大権力が確立する時期が問題なのだ。
おまえらがさんざん主張してきた7万戸誇大表現説によれば邪馬台国にそのような労働力動員能力
はない筈だな。そのおまえらの気まぐれな説が邪馬台国畿内説を否定しているんだぞ。アホか。
巻向地域の巨大古墳群を築造できるのは4世紀の大和王権でなければ説明がつかぬのだ。アホか。
972 :
日本@名無史さん:2009/08/04(火) 22:47:52
>>971 >巻向地域の巨大古墳群
石塚、矢塚、勝山、ホケノなんかも「巨大古墳」に含めるつもりなのか。
973 :
縄文人:2009/08/04(火) 23:07:41
>>972 あまりも馬鹿馬鹿しい書き込みについ口が滑ったというか舌足らずであった。石塚、矢塚、勝山、ホケノなんかは
箸墓古墳に比べれば巨大とは言えんかも知らんが、それでもそれらの築造には巨大な労力を要した筈だ。
箸墓も含めて、短期間内にこれだけの労働力を動かした権力は邪馬台国(狗奴国と抗争中という状況もある)には
なかったろうという話だ。特に、畿内説派がしつこく戸数誇大論や弥生時代人口100万人論を主張していたから、そ
れらの論は自縄自縛に陥るものだと言ったのだ。要旨を汲み取れよ。
974 :
”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)へ”:2009/08/04(火) 23:10:34
>>971 >おまえらがさんざん主張してきた7万戸誇大表現説によれば
>邪馬台国にそのような労働力動員能力はない筈だな。
はて?
どうしてそう言う理屈になるのかな?
馬鹿の理屈にはついていけんわwww
まあ視野狭窄で九州しか見ていない縄文人のような
九州説のアホには関係のない話だろうが・・・
岡山の楯築、島根なら西谷3号とかホケノと比肩しうるような大型首長墓というのはヤマト以外にもある。
(この時期の大型首長墓による首長霊信仰に乗り遅れた(orあえて乗らなかった)のが九州wwww)
七万戸の人口がなければそのような大型首長墓を築けないなんて何処の馬鹿が言ってるんだ?
七万戸の誇張の話と大型首長墓が造営できたか否かは
全然別のお話、アタマ冷やせカスwwwwwww
975 :
縄文人:2009/08/04(火) 23:43:56
>>974 おまえは何時まで経っても成長せぬ奴だな。
岡山の楯築、島根の西谷3号などが巻向地域と同じに扱えるか?馬鹿を言うのもほどほどにしろ。
いいか、おまえら 箸墓の築造が3世紀半ばで確定というアホな考古学者の発表に狂喜しただろ。古墳時代を遡らせよう
という意図から出た勇み足の発表であったが、巻向地区の古墳群は3世紀末から4世紀にかけて築造されたと俺は見てい
るが、ほぼ半世紀の短期間に幾つもの古墳を築造するのは容易なことではないぞ。箸墓などは5千人がかりで月に20日働
いても2年はかかるぞ。これだけの労働力を養うのに要する食料や用品の手当、駆り出された人夫は自分の家族のための
生産活動を休まなければならないのだからその手当も莫大なものになるぞ。強制労働で働かせたのであれば、不満を押さ
え込む手段、方策もなければならぬ。
ただ1基の古墳の造営とは訳が違うのだ。
<七万戸の人口がなければそのような大型首長墓を築けないなんて何処の馬鹿が言ってるんだ?>
馬鹿でなくてもそのように考えるだろ?おまえはカスだから頭が働かないのだ。ドアホ
976 :
”アホの縄文人ブラザーズ(一人二役?w)へ”:2009/08/05(水) 00:03:15
>>975 ひょっとして…
山陰の四隅は西谷3号だけ
吉備の大型首長墓は楯築だけとか思ってるのか?アホw
じゃあ工事跡じゃなくても
ヤマトの人口が4世紀に入って急激に伸びたって根拠を出せクズw
ここで
「巨大古墳が続けて造営されたのがその証拠」
なんて馬鹿を言うなよ?w
人口の急激な伸びを証明できなければ
元々その地力がヤマトにあったとみなしても良い
(無論、盆地の外から労力を集められる権力も既にあったことの可能性も含めて)
「謎の巨大工事の痕跡もありません」
「4世紀に人口が急増した証拠もありません」
「でも、九州からの東征勢力が工事やったおかげで
人口が急増して巨大古墳を築けるようになったんです!」
一体何をもってこのお話を信じろと?wwwwwwwwww
977 :
”アホの縄文人兄弟(一人二役?w)へ”:2009/08/05(水) 00:14:05
>>975 >おまえら 箸墓の築造が3世紀半ばで確定というアホな考古学者の発表に狂喜しただろ。
あ、これについて言っておいてやるが・・・
この板の畿内説の連中、意外と冷静だぞ?
まあ、ある程度は予想の範疇の出来事だったと言う事もあろうがw
別にその年代測定に頼らなければ畿内説が成り立たない。
現在の優勢がひっくり返る…ようなものでもないしなw
逆に言えば特に「邪馬台国東遷説」にとっては死刑宣告に等しいからな
お前みたいな火病を起こす馬鹿をヲチできるって点では
面白がっているのかもしれんがwwwwwwwwwwwwwwwwwww
978 :
ローガン:2009/08/05(水) 00:14:33
>>975 >おまえはカスだから頭が働かないのだ。ドアホ
いいかげんにしなさい。情けない。声高に罵倒しても、マイナー説が浮かび上がる訳ではないでしょう。
「四世紀お引っ越し」と言うなら、ピンポイントにその根拠を明示すれば済む話でしょう。
979 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:18:32
大きな古墳がなぜ作られるようになったか。
これは余剰人員の存在があるかもしれないなあ。つまりは奴隷ということ。
奴隷は戦乱で生まれるものだから、大きな古墳が作られる時代というのは
それほど安定していなかったと言えるかも。
これが安定してくると力のある天皇の古墳でも小さくなる。
たとえば、天武天皇陵なんてかなり小さい。
980 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:27:04
大きな古墳は、威厳を保つためのもの、さらに民に服従を強いるためのものと
考えるとうまく説明が出来るような気がする。
よそから征服者がやってきた場合などがそれに該当する。
981 :
縄文人:2009/08/05(水) 00:30:59
ローガン殿
声だかに罵倒してきたのはどちらか?ネームからしてふざけているではないか。
おぬしも畿内説派であるから俺の言い分が気に食わない、つまり、俺の主張をマイナーと切って落とすしか
ないのだろ?
<「四世紀お引っ越し」と言うなら、ピンポイントにその根拠を明示すれば済む話でしょう。>
俺は4世紀お引っ越しなんて言っとらんぞ。4世紀に大和王権が(崇神によって)確立したとは考えているけどね。
古墳公共事業説
巻向や古墳の建設に当たって、東海方面から労力が多く寄せられている点をどう思う?
984 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:34:47
>>980 それより地域連合体のシンボルって意味も強い。
つまり墓上で首長らが一同に会し祭祀を行い
また同じ埋葬文化を共有する事で連帯感を高めると・・・
とかく「墓」と言う事で中の埋葬主体部ばかり注視しがちだが
古墳の機能はむしろ”墓の上”にあるかもしれないwwwwwwwww
985 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 00:39:55
結局
「3世紀までヤマトは人影もまばらな過疎地域
4世紀になって人が急増し王権らしきものが生まれる」
・・・って話だと、何故に4世紀に入って人口が急増したか?と考えた場合
(1)縄文人の言うように巨大干拓工事等で盆地の開発がなされたから
(2)クニレベルでの人口移動、入植があった
と言う話だろうか?wwwww
まあ何れにせ裏づけの考古学的資料はないよなあ…
>>981 >ネームからしてふざけているではないか。
そもそもアタマに”アホの”と付けるのは、てめえの発案だろうがwwwwww
987 :
縄文人:2009/08/05(水) 00:56:42
>>976 あのな、墓の形式が全く違うだろ。しかも楯築や西谷3号は自然の地形を利用して作った比較的小さな労力で
造営できるものだ。おまけに何人も合葬されていて、弥生時代の首長の代々の墓場だ。巻向地域の古墳は大量
の土を盛って作られたもので、比較にならぬ労力と費用を要したのだ。
>>984 >>墓上で首長らが一同に会し祭祀を行い
その原理が解らんのよ
大王を神格化して祭るのかい?
弔問外交?
989 :
ローガン:2009/08/05(水) 01:06:27
>>981 > 俺は4世紀お引っ越しなんて言っとらんぞ。
てっきりそうかと。それは失礼しました。
990 :
縦目仮面:2009/08/05(水) 01:06:34
991 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:08:03
>>985 神武東征のような出来事を想定すると説明できる。
大きな権力集団が入ってくる。途中滞在した吉備から人を連れてくる。
東海地域まで足を伸ばし、やはり人を連れてくる。
これで、畿内説お得意の搬入土器も説明できる。
大きな古墳の築造も説明できる。
墓制の急変も説明できる。
銅鐸の消滅も説明できる。
992 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:15:48
993 :
ローガン:2009/08/05(水) 01:19:26
>>984 > 古墳の機能はむしろ”墓の上”にあるかもしれないwwwwwwwww
玉手山祭祀のような所謂「壇」ですかな?
994 :
縄文人:2009/08/05(水) 01:23:33
>>985 俺は明日(もう今日か)休みだから今まで付合ってきたが、もういい加減飽きてきた。だから手短に済ます。
奈良湖の排水事業は水田の開発につながり人々の生活向上に寄与するものだから住民は進んで協力する筈だ。九州方面から
進出してきた勢力は当初抵抗を受けたであろうが武力で押さえつけるとともにこの排水事業に力を入れ、次第に土着住民の
支持を得るようになった。水田が広がり生産力が高まるにつれて九州方面はもとより他地域からも人が入り込んだ。こうし
て4世紀に崇神が大和王権を確立できるほどに成長した。大和王権が確立したのを機に巻向地域に大型古墳が築造されるよ
うになった。あらすじだけを言えばこのようになる。考古学的資料は箸墓等の築造年代だが、これはまだ確定していないか
ら証拠として出せない。箸墓の築造年代の解明待ち と言えば気が済むか?
古代の國の跡が全て発見されてはいない。古代人の生活の跡も発見されたものは極めて稀である。考古学資料で全てを語れ
ないのは自明の理である。だから推理するのだ。推理が勝負なのだ。
995 :
縦目仮面:2009/08/05(水) 01:24:33
まあ、異論はあるだろうが大ざっぱにいえば、縄文時代の精霊信仰(万物に霊が宿ると考
えるアニミズム)から、弥生時代には、穀霊信仰(稲作の開始により、穀物の精霊を特別視
する)→祖霊信仰(祖先の霊が自然物の精霊に働きかけ、天候支配や豊穣をもたらす)→
首長霊信仰(大王が神が同一化し、人々を支配する)といったところかな。実際は、これほど
単純ではないが。
「祖霊」に対する信仰が人々の階層分化に伴って首長制と結びつき、新たな支配原理として
発展していった。「首長霊」を祖霊として祀り、特別な聖性を付加することでその霊力を背景とし
た支配者の支配の正統化や力の保持が図られたのだろう。天皇の即位式である大嘗祭なども
形は変化したがこの一例。共食儀礼は、死した大王の霊から霊性を分かち合い、次代に受け
継がれていくといったものかな。
996 :
縦目仮面:2009/08/05(水) 01:27:16
大王が神が同一化し→大王と神が同一化し
しかし、縄文人は一つも根拠のないことをいつまで続ける気だ?空しくはないか?
997 :
縦目仮面:2009/08/05(水) 01:33:15
この首長霊による支配原理がなければ、サル山のサルと同じで力によってボスが次々と替
わっていくことになるのではないかな。
998 :
縦目仮面:2009/08/05(水) 01:40:12
「ゆるやかな首長連合」が卑弥呼を共立した背景には、このような支配原理の確立があった
と考えるのは、うがちすぎだろうか?
999 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:41:30
>>991 で、結局そのような大規模な人口移動だと
「じゃあなんでその足跡を残さなかったのか?」
と言うツッコミが来るとw
現在東遷説がはっきり言って ト 扱いなのは
ヤマトにその痕跡を残していないと言うのが第一の理由だろうが
これを回避するためにはヤマト入りした神武御一行は
極々少数で奈良盆地の隅っこで、祟神の代まで啼かず飛ばず
・・・でしたと言う筋書きにするしかないと思うが?wwwww
1000 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 01:52:33
1000の風になって九州説撲滅
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。