謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!33

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1神奈川県民
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

謎の文献 魏志倭人伝に記された、
女王卑弥呼とは誰だったのか、邪馬壹國とは何だったのか。
天皇家の祖、日本建国、魏志倭人伝について語ろう。
2神奈川県民:2009/07/18(土) 21:13:49
<前スレ>
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!32
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1246892726/

スレ32が終了次第、書き込んで下さい。
3日本@名無史さん:2009/07/19(日) 01:36:49

なんで、改めドツボって神奈川県民とHN使い分けているんだ?


4日本@名無史さん:2009/07/19(日) 19:34:01

トヨタンは? トヨタンは? トヨタンは?



トヨタン・・・・・・・・・・
5日本@名無史さん:2009/07/19(日) 21:01:50
>>3
淋しい二重人格のネットヲタだからじゃね?
6改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 21:59:21
>>5
>ネットヲタ

お前もだろwwww

>>991-992
九州、奈良、両方とも観光したことないのかな?
お互い、自分たちの町が邪馬台国と思ってるような雰囲気といえばわかり易いか。

>>993
正解、どこも、自分たちの町が、邪馬台国といいたげ。

>>994
>はっきりいって先輩から九州説の役目を押し付けられたのは
>プチいじめだったのではないかと疑っているwwwww

九州説は、確かに苦しいな。
7改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 22:10:53
一昨年だったかな、奈良の桜井市にある、桜井市埋蔵文化センターへ
いってきました。この時、「木製の仮面」があったはずなんだが、
この桜井市埋蔵文化センターにある仮面ってどうゆう結論になっているの?
誰か、この仮面の使い方について知ってる人がいましたら書き込み宜しくです。
そして、卑弥呼の鬼道に関係するのか。
ここらへんも書き込んでほしい。
http://inoues.net/museum/sakurai.html?
8日本@名無史さん:2009/07/19(日) 22:12:48
>>6

>お前もだろ

認めてるんかよ!
9日本@名無史さん:2009/07/19(日) 22:18:08
>>4
トヨタンはね、魏志倭人伝には「宗女トヨ」として登場してくるの。
そして、記紀には「神武天皇のおばあちゃん豊玉姫」として登場してるの。(ちなみに神武のママはトヨタンの妹)
記紀のトヨタン(豊玉姫)が出てくる舞台はどうみても九州だから、邪馬台国はやっぱり九州なの。
10日本@名無史さん:2009/07/19(日) 22:18:12
>>7
回りに振るな、人を巻き込むな、自分の疑問は自分で考え解決しろ。

wwwwそれが大人だwwww
11日本@名無史さん:2009/07/19(日) 22:21:38
>>7
仮面なんて使うのは、乱交パーティーの時だろう?
12改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 22:23:46
>>11
>仮面なんて使うのは、乱交パーティーの時だろう?

だよね?私も同じこと考えてたんだけど〜これって証明されてるのかな?

>>10
黙ってネタ出しに協力するのも大人だぞ?
13改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/19(日) 22:47:30
「吉野ヶ里遺跡」 http://www.yoshinogari.jp/
わたしは、今回、初めていってきたんだが、
思ってたより公園内が広い。
すべての遺跡をまわるまで、時間がかかってビックリしましたわ。

コース:「入り口広場」→「出土品展示室」→「南内郭」→「北内郭」→
「北墳丘墓」→「中の村」→「倉と市」→「南の村」 時間的には2〜3時間ぐらいか。

7/18(土)奥野正男氏による「邪馬台国を考える会の講座」がある日、
又は、7/22(水)日食観察イベントの日に行きたかったのだが日程合わず諦め。、
かわりにここへも行ってきましたわ。
「佐賀県立博物館」
http://inoues.net/museum/saga_museum.html
「県立佐賀城歴史本丸会館」
http://www.sagajou.jp/  

大分県埋蔵文化財センター主催の展示会もあり、
そこで、アノ有名な大分県下郡桑苗遺跡から出土した
「弥生時代のブタの頭骨」、「柄付の石斧」をみて、考古学講座にも参加。

盆休みにどこか出かける予定の人〜いる??
14河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/19(日) 23:50:52
あれれれれ〜?
ちょっと目を離した隙に、もう新しいスレかい。

またもん太君でも呼んで来て、賑やかにしますか。


お祭りワッショイ、ワッショイ、ワッショイ。
賑やかは楽しいなぁ〜
15ローガン:2009/07/19(日) 23:57:19
>>12

ん〜仮面ねえ。仮面って顔を隠すものかそれとももう一つの別の顔を表現したものか?
ジャングルの民は猛獣避けに後頭部に仮面を着けたようですね。
16日本@名無史さん:2009/07/19(日) 23:58:45
>>7
古代の巫女は顔や頭部を変形させてた
素顔は他人に見せなかった
そういう話は聞いたことがある
17河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/20(月) 00:07:21
>>7
仮面だって〜? 赤影か?

それとも「高砂」でも舞ったか?


♪ げにさまざまな 舞姫の。声も澄むなり住の江の。松かげもうつるなる。
青海波とはこれやらむ。
神と君との道すぐに。都の春にゆくべくは
それぞ還城楽の舞。さて萬才の、小忌ころも


でも、この場面は能面なしか?
18改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 00:59:18
この夏は、九州が面白そう。
「7/22の皆既日食」で、九州の宮崎・鹿児島方面へ行く人は、宮崎県立美術館へも行くと良い。
7/18〜8/30「海の幸」、「大穴牟知命」、「わだつみいろこの宮」 で有名な
青木繁の展示会やってる。
http://www.ake-s.com/aokisigeru.html

それと、今日のTVで「たかじんの委員会」だったかな、
邪馬台国の特集やってたね〜「畿内説の春成」VS「九州説の高島」。
「鯨面埴輪」が出土されてるともいっていた〜六世紀頃の?!
和歌山市岩橋千塚古墳群出土
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/kenmin/web/200702/hitokoma.html
http://wbs-radio.com/yorimichi/index.php?ID=60
奈良県三宅町石見出土
http://www.kashikoken.jp/museum/permanent/kofun/kofun-top.html
奈良県香芝市下田東3丁目の下田東遺跡
http://obito1.web.fc2.com/simoda.html
19改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 01:07:19
>>15
>ん〜仮面ねえ。仮面って顔を隠すものかそれとももう一つの別の顔を表現したものか?
>ジャングルの民は猛獣避けに後頭部に仮面を着けたようですね。

魔除けっていう考えもできる。
それか、本当に乱交パーティーだったりして・・・。

>>16
>古代の巫女は顔や頭部を変形させてた 素顔は他人に見せなかった
>そういう話は聞いたことがある

鬼追いとかいってるところもありますよね。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200709260062.html

>>17
さて、河童さんはこの仮面をなんと思います?
20河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/20(月) 01:15:09
>>19

その前に、本当に仮面なのか?

当時の人が「仮面」だと記録していたのか?
21改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 01:20:11
「墳丘墓と古墳の違い」
あるホームページでみつけたんだが、

>墳丘墓とは、簡単に言うと塚を大きくしたもので位の高い人や権力者の墓です
>古墳とは、基本的な意味では墳丘墓と同じなのですが
>弥生時代中期を境に規模が一気に大きくなり、それと区別するために
>墳丘墓の大規模なものを「古墳」と呼んでいます
>また、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼び、
>それ以外の時代につくられた墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んで区別している。

まさにそのとおりで〜拍手をおくりたくなるw
22河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/20(月) 01:20:57
考古出土物に対する一番怖い一面。
仮面なような物が何も語っていないにもかかわらず、仮面が独り歩きするころ
23改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 01:34:18
「其死有棺無槨封土作冢」
これは、一般人の墓のことだろう。

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
女王の墓は、やけに大きい。
徇葬者=殉葬者 とし、卑弥呼の墓の周りに埋められた。
これが古代の慣わしだったんだろうね。
それにしても〜想像しただけでも不気味、目を覆いたくなるような光景だったであろう。
24改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 01:41:33
>>20
>当時の人が「仮面」だと記録していたのか?
>>22
>考古出土物に対する一番怖い一面。
>仮面なような物が何も語っていないにもかかわらず、仮面が独り歩きするころ

そりゃ〜文献じゃないんだから、記録がないものもあるだろうw
何に使うのかを考えるのは、私らなわけで・・・。
ローガンさんがいい言葉を言ってたよね。
河童さん宛へのレスは、ローガンさんからお願いしましょうか。
25改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/20(月) 01:55:33
>>22
「古代史旅行」吉野ヶ里いってきましたわ。
河童さんも〜たまには、どこかへ出かけてみては如何だろう。
誰でも、行ってみたい所とかみんなあると思うんですけどね・・・。

わたしも〜まだまだ行きたい所ばっかで、
東京国立博物館、奈良国立博物館、埼玉県立さきたま史跡の博物館、
日本最大の仁徳天皇稜、いいだしたらキリがないw

では、そろそろ寝ましょうかね・・・・Good night zzzz
26doontakukaの弟子:2009/07/20(月) 05:40:08
@天照大御神
A天忍穂耳命
B瓊瓊杵尊
C火遠理命
D彦波瀲武??草葺不合命
E神武天皇

@は弟に出雲の制圧を命じた。
@はAを出雲の国主にしようとしたがAは恐れてBを指名した。
BCDは日向三代と呼ばれている。
Eは日向から筑紫経由山陽道で東征している。
@〜Dの時代に日向〜筑紫〜山陰出雲は既に制圧済みである。
Eは広島安芸、吉備の投馬制圧に数年を要し畿内制圧では兄を失っている。
Eの東征時に山陽道〜畿内には既に協力な抵抗勢力があった。
であるならば、天武が滅ぼした山陽道の国々と畿内こそが卑弥呼の邪馬壹國である。
27doontakukaの弟子:2009/07/20(月) 05:50:15
親魏倭王などと言う魏の属国邪馬壹國を
初代天皇神武が滅ぼしたと、天武は言いたいのである。
28doontakukaの弟子:2009/07/20(月) 05:55:49
×天武が滅ぼした山陽道の国々と畿内こそが卑弥呼の邪馬壹國である。
○神武が滅ぼした山陽道の国々と畿内こそが卑弥呼の邪馬壹國である。
29日本@名無史さん:2009/07/20(月) 06:00:40
なろほど
ヤマトを滅ぼしたのがヤマトタケルノミコトか
30doontakukaの弟子:2009/07/20(月) 06:15:46
>>29
日本武尊は仲哀天皇のお父ちゃんですがな。神武の一世紀後の人物です。
31日本@名無史さん:2009/07/20(月) 06:19:35
神武って架空の人物でしょ?
32doontakukaの弟子:2009/07/20(月) 06:29:01
>>31
古代小説の最初期作品竹取物語でさえ10世紀半ばの成立ですよ。
記紀の成立時代に神武東征物語など描ける訳が無いのです。
神武東征は事実です。
33日本@名無史さん:2009/07/20(月) 06:56:28
でもイザナギイザナミは架空の人物でしょ
34日本@名無史さん:2009/07/20(月) 07:09:21
神生み国生みは人のすることじゃないからね。
イザナギイザナミを実在の人物と考える意味がない。
征服戦争は人がすることだから、
東征をした人物が実在してもおかしくはない。
神武という号は後世のものではあってもね。
35河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/20(月) 07:58:38
>>23

なんで「其死有棺無槨封土作冢」が、一般の人の墓とわかるのかな?

想像で夢を膨らましちゃダメだよ。
36日本@名無史さん:2009/07/20(月) 10:07:21
イザナミイザナギって
アダムとイブを連想するよね。

どっちも原因は女なんだけど(笑)
37日本@名無史さん:2009/07/20(月) 10:30:49
>>32
記紀でも人間の時代に移る前の描写は荒唐無稽な物語ですが
38doontakuka:2009/07/20(月) 11:24:41
>>28
神武が滅ぼした山陽道の国々と畿内こそが卑弥呼の邪馬壹國である。

國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國
邪馬臺國の領域は
 『樂浪郡徼 去其國萬二千里』が北の境界で
『去其西北界拘邪韓國七千餘里』が南の境界。
であるが、『邪馬臺國』としての文化圏は
 『其地大較在會稽・東冶之東』で北緯30度から北緯39度迄を云う
と、ことわりを入れている。

魏志倭人伝では、
其北岸狗邪韓國 七千余里  自郡至女王國萬二千余里 の内の『邪馬壹國』の領域を
北の境界が『南至邪馬壹【臺】國 / 其南有狗奴國』で表記し、
南の境界を『計其道里當在会稽東治【冶】之東』と
『北緯30度から北緯31度』領域を確保し、
『邪馬壹【臺】國の壹』の『小字の一』で『一大国』と表記した。

『邪馬壹國の壹』・『一大国の一』とone の大文字・小文字で邪馬臺國を
括ってある。
39日本@名無史さん:2009/07/20(月) 14:13:14
>>35
>なんで「其死有棺無槨封土作冢」が、一般の人の墓とわかるのかな?
>想像で夢を膨らましちゃダメだよ。

この人なにもしらないんだな・・・。
その時代の王墓が有槨なのはなぜ?無槨なのはそれ以前なのよ。
40doontakuka:2009/07/20(月) 15:30:29
倭地温暖冬夏食生菜
其死有棺無槨封土作冢 
の記述は、
北緯24度〜北緯30度迄のことであるし、
沖縄からも同じ墓が出土しているが、
種子島広田遺跡の墓は、
http://www14.synapse.ne.jp/minamita/hirotaiseki/chosa/heisei17.html

有棺だけなら『一般の人の墓』とすることに異議がある。

奄美から南には再葬の慣習もあるからね。
41日本@名無史さん:2009/07/20(月) 15:43:39
其死有棺無槨封土作冢 は一般的な風俗だろう。
魏志倭人伝の風俗編に記載されている。
42donntakuka:2009/07/20(月) 15:54:10
倭地温暖冬夏食生菜
の連続として記述されている其死有棺無槨封土作冢。

冬夏食生菜 も
一般的という事になりますが。
43日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:10:51
夏も冬も生菜は食うだろう

44donntakuka:2009/07/20(月) 16:18:53
夏も冬も生菜は食うだろう

冬夏食生菜 も
一般的という事になりますが。


配はどちらに挙がるか?
45日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:24:25
配てなぁ〜に?

どっち?
配合・・・混ぜ合わせること。
配・・・配ること      
46日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:28:50
至と到
深読みしなきゃいけない理由は何?

至は至るであってこれ以上に深読みする必要性はゼロ
到は到るであってこれ以上に深読みする必要性はゼロ
47日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:33:53
>>46
誤爆?
48donntakuka:2009/07/20(月) 16:35:44

ならどうか?
49日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:45:11
>>48

魏志倭人伝の風俗編は一般的な風俗だろう
50dontakuka:2009/07/20(月) 16:55:29
倭地温暖冬夏食生菜
の倭地の領域明確にしてください。
その上で
『一般的な風俗』の意を解釈しましょうね。
51日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:56:11
>>325 唐松山 ◆V0F34EbmQA
人骨というのは、土の質、温度、湿度、空気の割合によって
溶けやすい・溶け難いが決まる。
年寄りとか、若いとかあまり関係ないのではないかな。
52日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:56:45
伊都國だろ
53doontakuka:2009/07/20(月) 16:59:14
伊都國

日本列島の何処ですか?
54日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:00:18
>>50
この日本列島全体、或は一部分の風俗 てことだよ。
55doontakuka:2009/07/20(月) 17:02:00
一部分の風俗

『一般的な風俗』
とは云わないでしょう。
56日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:21:05
現在日本列島全体といえば北海道から九州・沖縄までの範囲をいう。
仮に魏志倭人伝に記載ある倭の風俗が、青森〜九州を指しているのであれば、
日本列島全体とは言えないだろう。
日本列島全体より一部分・部分的という言葉のほうがふさわしい。
この結果、
日本列島全体、或は一部分の風俗 という言葉を使ったまで。
57日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:34:24
殉葬
基本的に殉葬があったといえる例はいまだ発見されてない。
しかし、教科書に記載できるような殉葬例はまだ見つかってないというだけで、
日本書紀、古事記、魏志倭人伝にそのような記述があり、考古学的にも
殉葬があったような例は見つかっている。
たとえば、平原弥生古墳(ぞくに言う1号墳)周溝にある穴に埋葬された
人骨とか調べてみると良い。
この平原弥生古墳以外にも、殉葬と思われる「人骨が埋葬された穴」は
発見されてるんだけど、なんていう墓だったかな。
今、暗記してるわけではないので後ほど書き込んでやろう。
58日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:39:24
>>784
>可能性と言う事で言えば「ゼロではない」と言うしか無いんだがw
>しかし前方後円墳の全てが宮内庁の管理下にあるわけじゃない。
>宅地等に丸々削られたり鉄道や道路が横切ったり・・・
>無論考古学者の調査が入っているものもある。
>それでも殉葬の跡が出てきたなんて話は聞かない。
>もしあったらレアケース中のレアケースだろうなwwwww

お前が何も知らないというだけだろうw
59日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:44:31
百体が埋葬された墓は、もうこの時代に探しようがないわな。
人骨ていうのは、もうすでに消滅・土にかわってる状態がほとんどで
どうして確認出来ようか。
運が良くて歯とか人骨の一部分が発見されてる例がある。
もっと運がよくて、すべての人骨が残ってる場合もあるが、
ごくわずかしかないだろう?
60日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:48:46
ヒミコちぁん・・・・・・・・・・・・

61日本@名無史さん:2009/07/20(月) 18:05:32
いつの間に、徇葬が殉葬にすりかわり
論じられるようになったんだ?

徇は殉なら、最初から殉葬って書いてあるよ
殉葬じゃないから徇葬なんだよな
62日本@名無史さん:2009/07/20(月) 18:13:37
>>61
河童乙
63河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/20(月) 18:34:11
>>62

あっ!コテ入ってなかったね ま、どうでもいいか
64唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/20(月) 18:43:25
>>59 百体が埋葬された墓は、もうこの時代に探しようがないわな。

探したければ、土中の脂肪酸を調べる。
65日本@名無史さん:2009/07/20(月) 18:45:09
1700年前の脂肪酸ですか。
66日本@名無史さん:2009/07/20(月) 19:05:49
100体がまとめて葬られたのなら、脂肪酸、リン酸分析はおそらく有効でしょう。
67日本@名無史さん:2009/07/20(月) 19:11:01
リンは地質によってはすぐに分離してしまい、自然発火して
人魂としてさまよっていたと思われます。
その場合、地中にはリンのはあまり残りません。
68日本@名無史さん:2009/07/20(月) 20:08:59
明治まで古墳や塚が野原しだったのは痛いよね。
天武と嫁の墓は盗っ人のお陰で確定したらしいけど
69日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:19:57
この全国の大雨災害の中、
奈良はまたもや、曇ってただけでした。
少し北の京都山城は大雨洪水警報なのに…
古代の人みたく、紀伊山地の山の神に感謝です。
70ローガン:2009/07/20(月) 22:31:17
>>69

> この全国の大雨災害の中、奈良はまたもや、曇ってただけでした。

へえ、そうなんですか。当方は八尾ですが 昨夜は雨と雷で夏祭りも中止になりました。
71日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:43:56
河童君、ソフトバンクの規制が取りあえずなくなったよ。

>>70
そうなんですよ。奈良はちょろっと小雨が降っただけでした。
古代の人も奈良のこの地形による恩恵を受けて神に感謝していたんでしょうね。
72日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:57:29
てすと

73日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:58:58
河童君、PCでの書き込み解禁だねw
74日本@名無史さん:2009/07/20(月) 23:00:34
>>71 教えてくれてありがとう。

うお〜  実に3ヶ月ぶりのPC書き込み(長かった)

でも、こんどは永久悪禁だろうな
75日本@名無史さん:2009/07/20(月) 23:18:43
記紀は殉死があったことを伝えている。近畿で巡視の形跡が認められない?
記紀は嘘を書いていると言うことになるかな? 何でありもしなかった殉死を
書くのだろう? 倭人伝に殉死の話が出てくるから、記紀に殉死の話をでっち
あげたのかな?
76日本@名無史さん:2009/07/20(月) 23:27:43
江戸時代まで城建てるときに人埋めてたんだから、そりゃ、バンバン殺して埋めてだろう
77日本@名無史さん:2009/07/20(月) 23:41:43
>>75
卑弥呼の殉葬はあったと思う。
というのは、当時の中国では薄葬が主流で、殉葬をするような習慣は
なかったらしい。中国にないような習慣を、嘘で卑弥呼の墓に引用することは
ありえないと思うから。

当時の中国で薄葬が主流だったのは、どうも盗掘や墓発きが流行したので
それを嫌ったためらしい。

たとえば、曹操は、一人の男に72の棺を準備させ、その中に一つに葬られた。
棺を用意した男は息子に殺させた。だから、曹操の墓は不明らしい。

曹丕も「木を植えたり立派な墓を作らず、寝殿を建てず、園邑を造らず、
神道を通さないようにしろ」とか「棺桶は骨を朽ちさせるのに足り、衣類は
肉を朽ちさせるのに足れば良い」などの薄葬の詔を出している。

司馬懿も、冢も作るな、木も植えるな、との遺言を残した。やはり現在、
司馬懿の墓は存在しないとされる。
78日本@名無史さん:2009/07/20(月) 23:56:20
>>77
だから殉葬なんかじゃなく徇葬だって
徇葬を殉葬にすり替えたらいかんだろう。
79改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/21(火) 00:04:18
>>61>>63>>78

<太平御覧>
女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人

徇葬ではなく、「殉葬」と明記されていますよ?
80改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/21(火) 00:18:42
マクモニーグルいわく、
山口県に卑弥呼の墓があるらしい。

本当かどうか知らないが〜ここ調べた人おる?
http://www.youtube.com/watch?v=ljtZcM7aufE&feature=related
81改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/21(火) 00:22:23
>>64
>探したければ、土中の脂肪酸を調べる。

唐の松っちゃん〜調べて下さいよ。
おれ?!おれは嫌だな〜っww 屍の脂肪酸なんて、とても、とても、ww
82改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/21(火) 00:27:35
卑弥呼の鏡=三角縁神獣鏡 らしいよ。

http://www.youtube.com/watch?v=nA6gdNbjAUE

さて、寝ようかなw 
ネタ投下しにきただけなので〜後はみなさんに任せますw Good night
83河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 06:12:12
>>79

>太平御覧

本当に? ちゃんと影印確かめた?

「殉葬」なんて
間違っても書くはずないけど

もう一度影印確認してみてちょ
84河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 08:57:17
>>79改め君へ

>>83のレスは取り消します。
確か太平御覧は「卑彌呼以死」ではなく
「女王死」だったよね
だったら“殉葬”でOK
「卑彌呼以死」じゃ、間違っても殉葬にはならないから


失礼しました。


m(__)m
85河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 11:26:17
>>79改め君

折角御覧に注目したのなら
〈魏志倭人伝〉

卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人


〈太平御覧〉

女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人


じっくり比べてみてよ
卑弥呼が女王に変わると、徇葬者が殉葬者に変わり、奴婢が無くなっちゃう辺りの変化を
86日本@名無史さん:2009/07/21(火) 12:02:05
太平御覧は外交も考えて、卑、奴婢、徇葬を省いて作成されたんだろうな。
魏志倭人伝の「徇葬」が実際にはあった、と思われる。
87河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 12:16:05
>>86

「卑」文字は使われてるよ
88日本@名無史さん:2009/07/21(火) 13:33:26
結局奴婢百餘人を墓の周りに葬ったってことすね
89河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 13:51:04
>>88

はい。

だから「徑」
卑弥呼の墓の周りに、沢山の墓を作りました。
90河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 14:50:40
「徑」=複数の中の一つ(最短)。
91日本@名無史さん:2009/07/21(火) 15:03:40
殉葬者は卑弥呼の大冢の一部に葬られたのか、それとも別の墳墓に葬られた
のか、そこから考える必要があるな。
92河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 15:16:09
>>91
「徑」と書かれてあるから、卑弥呼の墓は
多くの奴婢の墓の中の一つが卑弥呼の墓。

奴婢百餘人は徑に掛かり、だから大いに(沢山)冢を作る(大仕事)


★沢山作られた冢の一つが卑弥呼の墓。彼女墓は外周百餘歩の規模
93日本@名無史さん:2009/07/21(火) 15:19:37
じゃあ箸墓だな
94河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 15:25:44
>>93

それは何処でも個人の自由だから構わないけど
95河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 15:33:34
>>91

大冢ではなく、大作冢

意味が全く違ってしまう。
96日本@名無史さん:2009/07/21(火) 15:47:05
徑とは直径?円周?面積で9倍位になってしまうのだが。
徑路とは近道の事じゃないか?
97日本@名無史さん:2009/07/21(火) 15:55:48
殉葬の風習は古墳時代にも残ってる。
百余人はどこかに埋葬されてるだろうね。
まあ、それがいつ見つかるのかはわからんが。
98日本@名無史さん:2009/07/21(火) 15:58:27
>>97
日本書紀の垂仁紀にも恐ろしい事が書かれてるね。
99河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 16:12:22
>>96

>>90を参照

徑路=近道

近道と言う表現は、道が複数存在し初めて表現出来るもの
100日本@名無史さん:2009/07/21(火) 16:21:30
>>99
現代の都市なら複数の道を選択できるだろうが、
当時そんなに道は無かったと思われる。
ましてこの場合は墓のサイズに関する記述なんで直径じゃないのかな?
円周だとすると、144m位? 卑弥呼の墓の周り全てに生き埋めしたのかな?
101河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 16:48:48
>>100
たった一本の道には、近道や遠回りは存在しません。
それから
墓のサイズは、

墓が出来てから測るものだから、直径はありえません。
墓が出来る前の基礎段階のサイズは墓のサイズではなく、土木工事のサイズ
墓は、死者を葬りはじめて墓です。
だから、規模は
墓の周りを計測する、
方〇〇、東西〇〇、周〇〇しか存在しないのです。
102日本@名無史さん:2009/07/21(火) 17:04:22
墓の周りを計測するならば周○○はいいが、方○○、東西○○はだめだよ。
径○○は円の直径をいう場合もあるが、必ずしも円である必要はない。
前方後円墳の長さも径、幅も径だ。
103日本@名無史さん:2009/07/21(火) 17:16:58
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org265250.jpg
直径45mの墓ってこの位です。近くの家の集合体の方が大きそうです。
104日本@名無史さん:2009/07/21(火) 17:17:44

邪馬台国は出雲だろ!

105河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 17:17:57
>>102

自分の言ってること
今一度時間掛けて読み直してみな?

何故 方〇〇や東西(東南)〇〇はダメなのか?
土盛りの墓の規模だよ
直径なんてありえんだろう?
基礎工事や図面は、墓や冢ではないよ

前方後円墳なら
サイズは長さか周囲。
106河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 17:21:29
>>103

前方後円墳に直径なんてないよ。
107日本@名無史さん:2009/07/21(火) 17:30:32
>>106
私は卑弥呼の墓はまだ円墳だったと考えているのです。
108河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 17:40:12
>>107
考えるのは自由だけど

形は考えない方がいいんじゃない。形に関する書き込みは、皆無なんだから
109日本@名無史さん:2009/07/21(火) 17:47:47
>>108
魏志倭人伝は卑弥呼の墓を円墳として表現しているんだよ。
径が円周と言う意味であろうが、直径の意味であろうが円のことでしょ?
110河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:11:42
>>109

全く理解できてない。

「徑」には、直径や円周の意味もなく
ましてや形の意味もない。

「徑」=複数の内の一つ
と、言う意味。
111河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:19:01
平面上正円の差し渡しは無数に存在するが、中心点を通過する差し渡し(或は最短コース)はたった
一つ
だから「徑」を用いる事が出来るの


直径とはそういう事です。
112日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:21:09
普通に読んで円だろ
113日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:21:56
>>110
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人

徑は百餘歩に掛かるのではなく、奴婢百餘人が徑に掛かるのでしたねw

>彼女墓は外周百餘歩の規模
これはどう介錯したらいい?
114日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:25:36
>>113
>これはどう介錯したらいい?

河童虫は、いくら介錯しても、何度も生き返る。
115日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:28:53
>>114
(笑)  外周百餘歩の前方後円墳なら俺ん家の方が大きいや
116河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:35:44
>>114

お前らの 硬直した脳には受け付けられないものだから
もう、おしまい。


へんな先入観は取り除いた方がいいよ
117河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:40:18
>>115
卑弥呼の墓の形なんて、文献ではわからないよ

(周囲)百餘歩

これだけしか書いてないから

円かも知れないし、楕円かもしれない、瓢箪型かもしれない
118日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:42:44
>>116
話は変わるが、巨大古墳ってピラミッドと同じく
農閑期の公共事業だったのではと考えてるんだけど、どう思う?
119日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:47:36
>>116
脳が硬直化して受け付けられないって、
ある説を信じるあまり、他の説が正しいと理解できなくなる状態だよね。
君のこと。
120河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:48:58
>>118

当時の支配層が、工事に携わった民をどう見ていたかで
公共性云々の考え方が左右されるとおもう。
121河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 18:54:17
>>119
ハイハイ
私の事でOKOK。

(^O^)/
122日本@名無史さん:2009/07/21(火) 18:55:44
>>120
>>103は須山古墳だけど作られた当時は木など無く土を盛ったのだろう?
ピラミッド建設と同様以上に大変な事業だよね。
多くの農民を無料で働かせたとは思えないのだが
123河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/21(火) 19:01:43
>>122
確かにただ働きは考えにくいよね
でも、時代は違うが
幕府が大名の力を削ぐ為に、普請事業を課した経緯があるから
時代背景によっては
様々なパターンをそうていしなければならないかも。
124日本@名無史さん:2009/07/21(火) 19:24:33
別に大したことは無い。
125日本@名無史さん:2009/07/21(火) 22:27:05
百餘歩て周囲なの?
歴博の人が昨日だか一昨日テレビで直径って言ってた
126日本@名無史さん:2009/07/21(火) 22:41:12
>>111
>中心点を通過する差し渡し(或は最短コース)はたった一つ
たったひとつなもんか。東西の直径、南北の直径、いくらでもあるじゃないか。
あほかいな。
127日本@名無史さん:2009/07/21(火) 22:52:04
>>125
テレビの方が正しい。ただし、径という言葉から、対象が円だと思い込んでは
いけない。方墳でも前方後円墳でも径はある。
径というのは図形の差し渡し。径にはまっすぐな道という意味があるだろ。図
形を一刀両断すればまっすぐに切れる。その長さが径だ。前方後円墳の場合は
長さは長径、幅は短径ということになるが、卑弥呼の墓についてはそれが大き
いということを伝えようとしているんだから、もしそれが前方後円墳ならば当
然長さを言っていると考えるべきだ。
128河童虫 ◆l5VkvJO3Rk :2009/07/21(火) 22:56:34
>>126

逝っていいよ(時間かけたわりにはそんなギャグしかだせないのか?)


>>125

>歴博の人が昨日だか一昨日テレビで直径って言ってた

折角のブランドがだいなしだな




129日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:03:30
>>127
その可能性がゼロだとは言わないが
普通、径と書かれてたのなら円だろ
130河童虫:2009/07/21(火) 23:11:11
>>127

>テレビの方が正しい

どんな判断能力してんだよ?

>径にはまっすぐな道という意味があるだろ

それってギャグ? 意味に真っ直ぐな道というのがあれば、直径なんて言葉は
未来永劫生まれない



どうしたんだよ
今年も夏休みはこんなのばっかなの?
131日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:17:52
>>129
現代では円に使われることが多いから、そんな感じをもつんだろうが、そうでも
ないんだよ。楕円の場合にも、長径、短径という言葉があるだろ。学者は方墳な
どの大きさを表すときにも径を使っているよ。

>>130
少なくとも辞書ぐらいみてから意見を書き込むことだな。
132河童虫:2009/07/21(火) 23:18:19
>>129

>普通、径と書かれてたのなら円だろ

それを思いこみというんだよ
「徑」に、形を表す意味なんてこれっぽちもない
133河童虫:2009/07/21(火) 23:26:20
>>131

>少なくとも辞書ぐらいみてから意見を書き込むことだな。

そんなこと書いてある辞書を持ってるなら
使い物にならないから捨てちゃえよ
どこに「徑」がまっすぐな道なんて書いてあるんだい?

類義語と間違っているんじゃないのかい?
そのばあい、徑は蹊と対で使い

蹊の(曲がりくねった小道)に対して徑の(真っ直ぐな小道)と使い分けるんだよ
単独で徑を(まっすぐ)なんて訳し方は絶対しない
134日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:37:09
君が使っている辞書こそ、捨てた方が良さそうだな。
まあ、君の辞書にも「近道」という意味ぐらいは載ってるだろ。
直線こそが最高の近道なんだ。頭があればそのぐらいは理解できるはずなんだが。
135河童虫:2009/07/21(火) 23:37:39
それに、倭人伝の中に出てくる徑百餘歩の「徑」は、複数の中の一つを表す「さま」だ
136日本@名無史さん:2009/07/21(火) 23:47:45
とりあえず、みんなどの辞書使ってるか公表しろよ。
俺は「漢字源」。
「まっすぐに通じた近みち」ってのは載ってた。
137河童虫:2009/07/21(火) 23:58:46
>>134

>直線こそが最高の近道なんだ。頭があればそのぐらいは理解できるはずなんだが。

それってギャグ?
言葉をちゃんと道理にかなって理解されていますか?

直線こそが最高の近道という言葉は成立しないの
近道というのは複数の道が存在し、その選択幅の中で最も近い道だから「近道」という言葉があり、その対には必ず「遠回り」という道が存在するからこその近道
で、その近道をひも解いていった結果「直線」とい解を得られるわけ

だから、そのプロセスが存在しない限り
「直線こそが最高の近道」なんて言葉は誕生しないんだよ

君の回答は不合格だけど、参加の勇気を加算して不合格だけは勘弁してあげますね

もう少し物事の道理をだいじにしようね
138日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:04:01
塚で径と言えば、円だろ
139河童虫:2009/07/22(水) 00:08:16
>>138
違うよ。
徑には形の意味はないから
140日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:11:42
改めが名無しで参加したが、河童に完封負けワロタw
141日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:18:21
>>137
河童から合格証書を貰う気はないよ。
合格証書にはなにがしかの権威がないとね。
142河童虫:2009/07/22(水) 00:21:22
>>141

>合格証書にはなにがしかの権威がないとね。

それは言えてる。確かに権威はないわな
143日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:22:14
口径には砲の内径と砲身長のふたつの意味があるんだ
見たいな感じ?
144日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:27:02
>>135
倭人伝の径はさしわたし。複数の中のひとつを表す「さま」?
自分で何を言ってるのか、理解できてるのかな?

>>136
旺文社の「漢和中辞典」。使いやすいし、なかなかいい辞典だよ。
145日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:27:28
史記 五帝本紀 の注
蔡ヨウ云:「玉衡長八尺,孔徑一寸,下端望之,以視星宿,並縣(王+幾)以象天,而以衡望之,
轉(王+幾)窺衡,以知星宿.(王+幾)徑八尺,圓周二丈五尺而強也.」

(王+幾)徑八尺,圓周二丈五尺而強也.とあるよね。
径と円周を並び記しているんだから、径が周囲の長さというのは無いね。
ちなみに蔡ヨウは後漢の人。
146河童虫:2009/07/22(水) 00:37:55
漢字の本当の意味(本義)というのは、大部分の漢字が物事のプロセスの部分であって
辞書に掲載されている
大部分が、そのプロセスから得られた結果だけを掲載しているから
今のような頓珍漢な回答が次から次へと飛び出してくる
147日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:39:31
>>145
この例では明らかに円の直径だなあ。
二丈五尺÷八尺=3.125で円周率に近いし。
148河童虫:2009/07/22(水) 00:49:40
>>145

>径が周囲の長さというのは無いね。

無いよ

徑はさっきから言ってるように  複数の中の一つという意味だから

もしかして
私が書いた(周囲)百餘歩を見て誤解した?

あれね、徑を周囲と訳したわけではないから
「奴婢百餘人」が「徑」に掛るから


>(王+幾)徑八尺,圓周二丈五尺而強也

これって今まで私が説明してきた事にどんぴしゃりだよね

楕円のさしわたしの最短の長さが八尺、その楕円の円周は二丈五尺強だと
149日本@名無史さん:2009/07/22(水) 00:54:21
>近道というのは複数の道が存在し、その選択幅の中で最も近い道だから「近道」という言
  葉があり、その対には必ず「遠回り」という道が存在するからこその近道

ある意味あたっていますよ。二点間を結ぶ経路は無数にかつ大域的に分布しています。つ
まり、ピッチャーの投げた球は、一度宇宙の果てまでいってから戻ってきてミットに収まる経
路もあるわけです。しかし無数の経路を合成すると互いに打ち消しあって、結局は常識的な
球筋となります。このことは、リチャード・P・ファインマンが発見しました。
150河童虫:2009/07/22(水) 00:58:26
>>147

>二丈五尺÷八尺=3.125で円周率に近いし。

なに頓珍漢な計算しているの?

あの文章は
楕円の円周が二丈五尺強と言っているんだよ
つまり楕円の最短の長さが八尺という事は、他のさしわたしは全て八尺より長いということ
よって
最短の八尺×円周率で導かれる、正円の円周よりも「王+幾」の円周は「強」だと言っているんだよ
151河童虫:2009/07/22(水) 01:00:52
>>149

>リチャード・P・ファインマンが発見しました。

この人がもっと早く生まれていたら
当時のモノの考え方も変わっていたでしょうね?
152大笑い:2009/07/22(水) 01:01:03
>>92
冢の一つが卑弥呼の墓。彼女墓は外周百餘歩の規模

だと。 ちょっと突っ込まれただけで言う事がスグ変わるね。
153日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:10:35
154日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:15:07
ファインマンの方法は、経歴総和法または経路積分と呼ばれています。シュレディンガー
の波動方程式とは数学的に同一といえるものです。ただし、ピッチャーの投球の例は厳密
には正しくありません。

ところで、俺がよく見る中国Wiki(百度百科)には、

>死後大作冢,四周長百余歩,殉葬奴婢百人。   とありますが、これはどうでしょうか?
http://baike.baidu.com/view/89745.htm
155河童虫:2009/07/22(水) 01:16:55
>>152

自らすすんで阿保晒すなよ

★卑弥呼の冢は、沢山作られた冢の一つなの
だから「徑」
その規模は、周囲百餘歩
卑弥呼の冢の周りには、奴婢の墓が沢山あるのよ


全然理解できないくせに、横ヤリだけはいっちょ前か?
少しは勉強しろよ。


悲しくなってくるぜ
156日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:19:00
>>144

「径」の意味の一つに「こみち、ちかみち」と言うものもはある。
それ以外では、ある図形の外周上にある2点間の差し渡しの意味もある。
更に数学的用法では、中点を通る必要があり、方形には使用しない。

「径」を図形上の「差し渡し」の意味で使用する場合、「径」自体は対象である図形の大きさを定義する言葉であるので、
小池径十歩也、小池(対象)は径(定義)十歩(距離)也と言うふうに続けて長さを表す言葉を付けられる。

これが「みち」の意味で使用される場合では、「径」自体は対象であり、距離を示す定義では無いので、
小径長十歩也、小径(対象)は長さ(定義)十歩(距離)也と何らかの定義をした上で距離を綴らないと落ち着かない。

ゆえに「卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩」の「徑」がこみち、ちかみちの意味で使われていないことは明白で、
いくら字引で一字の意味を調べても、その文字が使われている生きた文章を読みこなさなければ、字引が泣くというものである。
157日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:32:30
>>152
「すぐ変わる」んじゃないのよ。
プ助は、もともと日本語ベタだから、何を言っているのか、他人には伝わらないんだよ。
御本人の脳内を直接覗かせてもらえれば少しは理解できるかもしれんが、文章で説明されてもわかりようが無い。
聞き返しているうちに、全く逆にとれるような言い方に変わることはあるが、御本人的には同じこといっているつもりなのだ。
158日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:34:17
>>156
で、結局、あなたはどう解釈するのかな。
159157:2009/07/22(水) 01:46:35
格好の例がこれだな。

 ★卑弥呼の冢は、沢山作られた冢の一つなの
 だから「徑」
 その規模は、周囲百餘歩

 「だから」、本来は次に結論がくることを示すことばであるが、
 なぜか、元に戻って主題であるべき「徑」がきてしまう。
説明しなくてはならないことは「徑」が「奴婢百餘人」を受ける理由であるのに、
 それを一切行わず、「徑」(主題)とは、「卑弥呼の冢〜一つなの」(理由)だから「「徑」(結論)である。
 と取られておかしくない文章をメンメンと垂れ流しつづけるのである。
160日本@名無史さん:2009/07/22(水) 01:58:56
>>158
「径」の二つある意味の内の一つを否定しているんだから結論はわかりきってるだろうが。
そんなことも読み取れないのか、オマエはwwww
161日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:08:22
>>159
本当に、その通りだね。
137でも、何かを論証しているつもりなんだろうけど、論理になってない。
まず、「近道をひも解く」なんていう日本語ないから、意味が解らんし。

>だから、そのプロセスが存在しない限り
>「直線こそが最高の近道」なんて言葉は誕生しないんだよ

プロセスというのが「近道をひも解く」ということなんだろうけど。

プロセスというのが複数ある道から最短の道を選ぶということなのか?
仮にそうだとすれば、複数の道が存在しないということを論証してないから、
「誕生してないんだよ」なんて言われても、
何の論証にもなってないんだよね。
162日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:28:15
結局、河童の辞書はわからず仕舞いか。

河童の主張している、「徑は複数の中の一つという意味」
の出典を是非知りたかった。
163日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:40:08
>>150
えーっと、円周率を3って習った世代なの?
164日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:40:50
説明力もないが日本語の基本的読解もできない

>直線こそが最高の近道という言葉は成立しないの

「こそ」、この場合は、「直線」を強調する助詞として使用されているわけだが、
何ゆえに「強調」表現が必要なのか、それが理解できないらしい。
この「こそ」の存在により、直線以外の選択肢が有り、それらの中で「直線」が一番であることが認知されるわけだが、
河童虫は「こそ」と言う言葉を認知できない。
おそらく「直線が最高」と「直線こそが最高」と言う二つの文章にあまり違いは感じていないようである。
これが理解できないがために

>近道というのは複数の道が存在し、その選択幅の中で最も近い道だから「近道」という言葉があり、
その対には必ず「遠回り」という道が存在するからこその近道で、その近道をひも解いていった結果「直線」とい解を得られるわけ

「直線こそが」と言う端的な文章だけで表現できることをこのようにまどろっこしい言い回しで繰返そうとす。

>だから、そのプロセスが存在しない限り「直線こそが最高の近道」なんて言葉は誕生しないんだよ

で、「結論」がこれだ。
冒頭で全否定していることを最終的には肯定している(本人的には否定しているつもりなわけだがw)。
165日本@名無史さん:2009/07/22(水) 02:41:57
>>162

出典は脳内辞書だろw
166日本@名無史さん:2009/07/22(水) 05:07:12
>>165
出血は脳内血管だろw
167日本@名無史さん:2009/07/22(水) 06:27:10


考古学的に邪馬台国が畿内に決定したからって、
漢字の細かいことを言い合っても無駄なんだけど。


暇だな。おまえら。

168河童虫:2009/07/22(水) 07:00:17
夜中の連中面白過ぎだよ


どうにか一矢報いようと必死にレスしているようだけど
誰一人
内容に触れる事なく
説明ベタや揚げ足取りに夢中か?
169河童虫:2009/07/22(水) 07:46:09
おまえらはつべこべ言ってないで暗記してればいいの。

★「徑」は、複数のなかの一つ。


これさえ暗記していれば
「徑」が使われる文章を把握出来るから
170日本@名無史さん:2009/07/22(水) 07:56:21
>>168

「内容に触れる事無く」

その内容の説明がないから誰も触れられないのでは?
「径」の解釈なら>>156で誰も異論は無いし。
多分、それで河童説の大前提は否定されてるだろうし。

今回の失敗の原因は結論部分のトンデモ性ではない。
結論に到る論証部分が全く理解できないところだよ。
171日本@名無史さん:2009/07/22(水) 08:03:16
★「徑」は、複数のなかの一つ。

この主張についての根拠あるいは
そう結論付けるに至った経緯の説明が全く無いからな。
172日本@名無史さん:2009/07/22(水) 08:14:44
河童はキーワードだけを提示すれば、他はなくても説明になっていると思ってるんだろう。

1○2○3=5の○の計算記号を表示しないで答えは5だと言ってるようなものだね。
この場合、答えが合っていれば、○の中身を推定できるが、
答えが誤りであれば、永久に○の中身はわからない。
ちなみに上記の式の答えは合ってるぞ。
173日本@名無史さん:2009/07/22(水) 08:17:29
經 機織り機に縦糸を張った形。垂直に上下の力が保たれている様を言い、人体では頸、脛。
草木では茎(莖)、道路では径(徑)、逕(どちらも、こみち。みち。回りみちをしないようまっすぐに通じた近みち。)。
剄は刀で首をかき切るの意。説文解字では「織りの從絲(たていと)なり」とある。
またを字形から地下水脈とするともあるが、金文の字形からしてもそれは誤りである。
横糸を意味する緯と合わせて経緯(いきさつ)といい、経過や過程の意味に用いる。
徑(たていと)を中心とした交織(まぜおり:質のちがう糸をまぜて織ること。)の様から、
多様な物を上下の力によりひとまとめにするという義を見て、
経綸(けいりん:国家を治め統括すること。その方策。)という言葉が生まれる。
綸とは絹糸十本をきちんとよりあわせたひも。
174河童虫:2009/07/22(水) 08:53:42
つべこべ言わずに
ただ言われた事を暗記してればいいんだよ

五十音や九九を暗記したように


暗記するのは得意だろ?
175河童虫:2009/07/22(水) 09:04:46
>>171
上手な説明は、説明の上手な人が後の世してくれればいい。
私はただ足掛かりを提示するだけ
一から十まで一人が担当しなくても、こうして記録に残す事によって
私の意志を受け継いでくれる人が出て来るのよ

「未来に繋げる学問」
176日本@名無史さん:2009/07/22(水) 09:09:59
ホントにコミュニケーションがとれないやつだな。
それを暗記してもお前の答えには辿り着けないんだよ。
暗記しろと言うなら径は直線ではない、つーところだろw
それでもまだ論証過程の半分だが。
それと、自分で説明放棄してたら、内容に対する食いつきが無いのは当然だろう。
泣き言言ってる暇があったらちゃんと日本語を勉強したまえ。
177河童虫:2009/07/22(水) 09:17:12
世の中とは実に面白いもんで、あんたらみたいに
否定的な人もいる反面、肯定的な人もいる。
確かに十分納得する説明は、私からは受ける事は出来ないかも知れないが
後に必ず、十分な説明の出来る人が現れ説明してくれるよ。

私はその為の布石。
新しい学問の布石なんだよ
178河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/22(水) 09:22:24
>>176
それをそっくり
高島屋の薔薇の包装紙に包んで、お中元。
宅配便で贈ります。


>コミュニケーション

知らんよそんなの
179河童虫:2009/07/22(水) 09:33:14
>>176

それはあなたの思考能力の範囲での判断だ
180日本@名無史さん:2009/07/22(水) 10:37:53
河童は相変わらず元気良すぎにワロタw





河童ガンバwwwww
181日本@名無史さん:2009/07/22(水) 11:04:14
182河童虫:2009/07/22(水) 11:12:54
いま、
三日月の太陽が雲の隙間から


@茨城
183河童虫:2009/07/22(水) 11:29:18
>>182訂正


三日月の………×


三日月型の……〇
184愛知県民:2009/07/22(水) 12:05:53
愛知でも雲間から見えました。ラッキー!
185日本@名無史さん:2009/07/22(水) 12:13:53
涙目で眺める日蝕か、
風情があってよいな。
186河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/22(水) 12:21:30
>>185
誰が涙目やねん?
187日本@名無史さん:2009/07/22(水) 12:25:57
日蝕を 眺める河童虫の 目に涙 
              
                  芭蕉  
188日本@名無史さん:2009/07/22(水) 12:29:34
やれ打つな 河童虫が 手を擦る足を擦る

                      字余り
189日本@名無史さん:2009/07/22(水) 12:33:14
河童虫 七七の返歌を 下さいねw
190河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/22(水) 12:56:11
>>187

我心境を 未来に未来に託す。


>>188

板の荒れ地に 一輪の花。

河童虫
191日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:00:44
>>190
  「羊腸の小徑は苔滑らか」 ・・・  徑は細く曲がりくねってますよね。
192日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:05:38
往時の武士はその意気です。
193河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/22(水) 13:14:42
>>191

細く曲がりくねっているのは 腸です。
194日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:15:14
>>193
ちょうですか
195日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:25:16
>>193
小徑が羊腸の様に曲がりくねっているのであって
目の前に羊腸がある訳ではありません。目の前にあるのは小徑です。
つまり曲がりくねっているのは、小徑です。日本語勉強してね。
196河童虫:2009/07/22(水) 13:28:11
小径とは、大(太)径或は基準と セットになることで表現出来る言葉
腸全体を眺め渡し、今表現されている部分が小径にあたる部分なのでしょう。

その部分は、比較したものより細く曲がりくねった部分。

だから
小径を、細く曲がりくねると
197日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:31:10
>>196

レスすんな 墓穴を掘るぞ 河童虫
     
                   一茶
198河童虫:2009/07/22(水) 13:33:52
>>195

あなたこそ日本語はおろか物事全般を勉強してください。

目の前にあるものが例え腸でなくても、
腸のようだと表現した人の脳内には
腸の様子を浮かび上がらせる認識があるからこその表現です。
腸を知らない者が表現出来るものではありません。


浅はかすぎます。
199河童虫:2009/07/22(水) 13:39:10
>>197

大丈夫です。
私は完璧ですから

赤坂見附に物事を考えてる人に崩されることのない
完璧さがありますから

後は言葉尻を捉えて崩しに掛かる以外に方法はないでしょう。
200日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:50:48
完璧でなくともよいから、他人が理解できる程度の文章を書いて欲しいな。
201河童虫:2009/07/22(水) 13:55:51
>>200

それは諦めて下さい。
いつの日か必ずわかりやすい説明をしてくれる人が現れますから。
学問は何も一人で担当しなくても
必ず受け継いでくれる人がいるものです。
202日本@名無史さん:2009/07/22(水) 13:58:43
>>200
>皆既日食が無事に終わったのを見て、卑弥呼の力だとありがたがった連中が
>多かったかも知れないな。やっぱり我らの卑弥呼様だとか。

その通り、日食なんて直ぐ終わる、後でなんとでも言い訳できるのが祈祷師です。
203日本@名無史さん:2009/07/22(水) 14:04:00
河童お前何者だ?
一般素人ではないキガスw
204河童虫:2009/07/22(水) 14:25:26
>>203

ごく普通の素人です。
205ローガン:2009/07/22(水) 15:21:43
>>101

> それから 墓のサイズは、墓が出来てから測るものだから、直径はありえません。
> 墓が出来る前の基礎段階のサイズは墓のサイズではなく、土木工事のサイズ
> 墓は、死者を葬りはじめて墓です。だから、規模は 墓の周りを計測する、方〇〇、東西〇〇、周〇〇しか存在しないのです。

河童さん、こんにちは。以前 伊作さんとも少し議論したのですが、中国で墓の規模を記録する際はおしなべて、「高」が記載されてますね。
しかし、件の卑弥呼の墓については高さに言及していません。使者来倭時、まだ高さを知り得る状況にはなかった。
しかし作冢工事の始まって間もない時期なら「徑」(さしわたし)は把握可能でしょう。使者としては判る範囲で規模を記録したものと考えます。
206日本@名無史さん:2009/07/22(水) 15:39:59
>>205
其八年(247年)太守王?到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
遣倭載斯 烏越等詣郡説相攻撃状
遣塞曹掾史張政等因齎詔書 黄幢 拜假難升米為檄告之 

張政が卑弥呼の墓の土木工事を記録したのでしょう。
207河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/22(水) 15:58:20
>>205ローガンさん


土木工事段階のものは冢でも墓でもありません。
それに墓の形は様々だし、見た目平地から若干盛り上がった程度でも土盛りであり冢です。
そういうものに関しては、高さの記載は不要でしょうし
意図的に高さを記載しない事が、貧弱さを強調する事の効果もありますし
208日本@名無史さん:2009/07/22(水) 16:05:17
>>207
>しかし作冢工事の始まって間もない時期なら「徑」(さしわたし)は把握可能でしょう。
>使者としては判る範囲で規模を記録したものと考えます。

ローガンさんのレスの本意は↑です。
なのに君のレスの頓珍漢な事と言ったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!
209河童虫:2009/07/22(水) 16:28:04
>>208

倭人伝には冢の規模が百餘歩と書かれてあって
冢予定の工事規模が百餘歩と書いてあるわけじゃないのよ

だから
いくら工事段階の差し渡しを測量しても
永久に冢の規模にはならないの
冢は、死人が埋葬されてるから墓だし
冢に死人が埋葬されていなければ、冢じゃないんだよ。それはただの土盛り。
210日本@名無史さん:2009/07/22(水) 16:34:00
>>209
じゃあ、寿陵って何ですか?墓じゃないのですか。
服はハンガーに掛かってるときは服じゃないのですか。
人が着てはじめて服になるわけで、人が着てないと、ただの布切れですか。
食べ物は皿に盛られているだけでは食べ物ではないのですか。
人が食べてはじめて食べ物になるということですかか。
冢の差渡しを測らせまいとして、必死に屁理屈を捏ねてる感じですな。
211ローガン:2009/07/22(水) 16:36:50
>>207

> そういうものに関しては、高さの記載は不要でしょうし

そうでしょうか…
穆帝永平陵は「周四十歩高一丈六尺」と。4mにみたない土盛であるのに記録されてます。
又、時代は下りますが明の喪礼考証では身分により墳高の規定があります。
一概に言えないかも知れませんが、墳高は墓について述べる際の最大関心事だと考えて差し支えないと思います。
> 意図的に高さを記載しない事が、貧弱さを強調する事の効果もありますし

倭人伝では貧弱さをアピールしているとは思えませんが…

>>208さん、私の書き方が悪かったのかも?
212doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 16:45:00
39度といい。

諡号といい。

方可、徑、參問倭地といい、本当に暇つぶしには楽しいスレですわww
213河童虫:2009/07/22(水) 16:54:40
>>210
逝っていいよ

バイバイ
214日本@名無史さん:2009/07/22(水) 16:58:59
>>212
暇つぶしこそ、このスレの存在意義だからね。
215河童虫:2009/07/22(水) 17:00:53
「冢」は「冢」として完成されているもの

「冢の工事現場は」
冢予定地であって、墓でも冢でもありません。


私にはそれしか言えません。

工事現場の規模を測って、完成冢の規模とする事は、何時の時代にも許されるものではありません。
216日本@名無史さん:2009/07/22(水) 17:03:26
>>213
反論放棄?
河童説によれば、

>いくら工事段階の差し渡しを測量しても
>永久に冢の規模にはならないの
>冢は、死人が埋葬されてるから墓だし
>冢に死人が埋葬されていなければ、冢じゃないんだよ。それはただの土盛り。

だから、皇帝が葬られる前にいくら高さを測っても、それは単なる土盛りの高さで、
永久に穆帝永平陵の高さにならないんだよね。
穆帝永平陵の高さを記録するには、皇帝が葬られて、
土盛りが陵になってから測らなければならないわけだ。
だから、穆帝永平陵の記録が残っている限り、
皇帝が葬られた後に、だれかが高さを測ったと、そういうことだね。

本当に信じてるの?
217河童虫:2009/07/22(水) 17:11:14
>>216

自分で「寿陵」と言った事に

早く気付け〜

レスを返すに及ばない。


君からは何も得るものはないし、レベル下げるだけだから
早く逝っていいよ
218日本@名無史さん:2009/07/22(水) 17:18:11
>>217
寿陵は陵ではないの?
穆帝永平陵の高さは、皇帝埋葬後に測ったの?
219doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 17:33:41
doontakuka師匠 
御存命なら御教授お願い致します。

投國馬 侏儒國 裸國 K齒國の所在がまだ特定されていません。
なにとぞ、なにとぞ御教授をよろしくお願い致します。
220doontakuka:2009/07/22(水) 17:43:28
投國馬は畿内
侏儒國はフィリピン
裸國・K齒國はオーストラリア・ニュージーランド。
221doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 17:49:49
>>220
「方位はどうするの」とか、ふざけた事をぬかす野郎がいました。
返事ができませんでした。師匠、言い返してやって下さい。お願いします。
222河童虫:2009/07/22(水) 17:52:22
>>218

寿陵は死者が埋葬されていれば陵だよ
ただし、死者が埋葬されていなければ
何時まで経っても予定陵であるし、ただの建造物


建造物は、基本的に
建造前の工事測量と完成後の建造物確認測量の二つ存在するよ
しかし、死者が埋葬されない限り
永久に、墓所予定建造物
223河童虫:2009/07/22(水) 18:02:30
>>218

永平陵の高さは、皇帝が埋葬されない限り
測量する事は出来ないよ


ただし、永平陵予定建造物の高さなら
皇帝が埋葬される前に測量可能だけど
224doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 18:11:08
張政

三国時代の魏国の役人。正始8年(247年)に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際
魏から派遣された役人(塞曹掾史)。
その後、20年近くを邪馬台国で過ごして泰始2年(266年)に帰国した

張政は卑弥呼の墓の初期工事から見学可能だろ? 墓の徑も歩測出来るのよ。
その後、魏志の倭人伝が完成しました。
225doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 18:24:10
少なくと泰始2年(266年)までは卑弥呼の国は存在したのです。
では3世紀後期に筑紫から山陽道経由で畿内へと東征したのは誰でしょう?
226河童虫:2009/07/22(水) 18:28:38
>>224
あなたの言う「徑」を直径と捉えた場合、

墓が冢である限り、墓の直径を歩測することは不可能です。
227doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 18:35:17
第四十代天武天皇 在位673年 - 686年 壬申の乱672年
天皇の平均的在位期間を十年とすると。673−(40×10)=西暦273年です。
まさに神武天皇が邪馬台国を滅ぼしたのです。
228日本@名無史さん:2009/07/22(水) 19:01:58
>>227神武こそ邪馬台国の男王。
東遷した張本人だとみた方が話がわかりやすい。
歴史というものは、唐突に動くものではなく連続しているのだ。
229doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 19:05:28
>>228
貴殿は邪馬台国九州説支持ですか?
230日本@名無史さん:2009/07/22(水) 19:33:04
>>222
寿陵は生前墓だから寿陵なんであって、死者が埋葬されれば寿陵じゃなくなるわな。
河童説によれば、寿陵である限り陵ではありえないことになる。
陵ではないのに陵という漢字を当てるのは、漢字にうるさい河童的には許されるのか。

河童説によれば、永平陵予定建造物の高さは永久に予定建造物の高さであって、
これを永平陵の高さとして記述することはできないよね。
永平陵の高さが記録されているという事は、
皇帝埋葬後に高さが実測されたと。
河童説は、そういう事で良いのかい。
231doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 20:02:22
>>228
神武が邪馬台国の男王なら伊邪那岐命の子孫である綿津見神の娘豊玉姫(卑弥呼の宗女)
が神武の後に共立された事になってしまう。
豊玉姫は神武のお祖母さんなのにw
232日本@名無史さん:2009/07/22(水) 20:04:46
>>229邪馬台国は、魏志倭人伝の書かれたちょうどそのころ
九州から畿内に移ったとする説です。だから、ある記述は九州
の邪馬台国のことであり、別の記述は畿内に移ってからの邪馬
台国のことを書いていると見ています。
神武=邪馬台国の弟王で、卑弥呼が死んですぐ東遷したとす
れば、卑弥呼の墓は九州にあったとしても畿内に移ってから
造ったとしても説明がつく。
それで、どこか問題はありますか?
233doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 20:11:11
>>232
ほとんど賛成できますが魏志倭人伝の成立は280年-290年と言うのが定説です。

魏志倭人伝完成時には邪馬台国は滅んでいます。
234doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 20:18:54
神武は日向の国の四男(三男)です。跡目を継げなかったら兄弟に殺されるしかありません。
いやいやでも東征にでない訳にはいかなかったでしょう。
235日本@名無史さん:2009/07/22(水) 20:28:40
日食と言えば、天の岩戸伝説ですね。
236河童虫:2009/07/22(水) 20:39:12
>>230

>>222ではわからなかったかな?
もう一度説明すれば

寿陵は、埋葬行為が行われれば陵であり、陵と確定されたと同時に
生前墓所造成が寿陵と確定します。
つまり、陵も寿陵も
埋葬行為があればこそのもの。

埋葬が行われなければ
寿陵予定建造物であるし、陵予定建造物です。

これで理解できるでしょうか?


永平陵の高さですが
永平陵の高さという想定で有る限り、埋葬後の測量です。
237日本@名無史さん:2009/07/22(水) 20:50:37
>>235
祟神の皇子の豊城入彦、
景行の皇子のヤマトタケル、
継体の皇子のオオヒコ、
天皇の地位を継承しない皇子が東国に行くのは、
古代からの伝統だったとすれば、
神武も九州王朝を継がなかった皇子だとわかるし、東遷して
畿内に勢力を伸ばそうとした理由が理解できます。
そして、神武が東征した後で、何かの事情で九州にあった
邪馬台国(本家)が滅んだ。そういうことだと思います。
238doontakukaの弟子:2009/07/22(水) 21:15:41
>>237
うんうん良く理解できます。
天照大御神
天忍穂耳尊
神武天皇
崇神天皇
応神天皇
天智天皇
天武天皇

天武以前に天と神の文字を与えられたのはこの七人です。神功皇后は除いてね。
とくに天照だけは、天の文字も神の文字も与えられています。天照が卑弥呼の訳がないですか?
239日本@名無史さん:2009/07/22(水) 21:56:26
>>232

全然ダメ。

卑弥呼は魏志倭人伝の記述。時代は3世紀。
神武は記紀の記述。時代は紀元前。

別の文献の時代も一致して無い事象を結びつけるべきでない。
240日本@名無史さん:2009/07/22(水) 22:38:03
>>236
>寿陵は、埋葬行為が行われれば陵であり、陵と確定されたと同時に
>生前墓所造成が寿陵と確定します。

これって、

皿に盛られていようと、食べるまでは、まだ食べ物ではありません。
食べられて初めて食べ物と確定します。
ハンガーに服が掛かっていても、人が着るまでは服ではありません。
人に着られて初めて服であると確定します。

っていうのと同じことですね。
服屋で売れずにそのまま捨てられた商品は、服ではないわけですね。
それは一体何なんでしょうね。

それから、寿陵は、埋葬予定の陵ですよね。寿陵予定建造物ってどういうことですか。

>永平陵の高さという想定で有る限り、埋葬後の測量です。

ということは、皇帝を埋葬した後に、はじめて陵と確定したので、
それからやっと高さを測って記録したと。そういうことですか。
皇帝が埋葬された土地の上を歩きまわって測量するわけですか。
それって、埋葬された皇帝に対して失礼じゃないですか。
皇帝の眠りを妨げないように、埋葬前に測って記録するのが普通だと思うんですが。
河童の国ではおかしな事をするんですね。
241改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/22(水) 22:44:19
>>61>>63>>78
>>>だから殉葬なんかじゃなく徇葬だって
>>>徇葬を殉葬にすり替えたらいかんだろう。

>>徇葬ではなく、「殉葬」と明記されていますよ?
と私が注意をした。

>>83-85
>改め君 折角御覧に注目したのなら
>〈魏志倭人伝〉 卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人
>〈太平御覧〉 女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人
>じっくり比べてみてよ
>卑弥呼が女王に変わると、徇葬者が殉葬者に変わり、奴婢が無くなっちゃう辺りの変化を

意味わからん、ていうか、反論になっていません。
だから、わたしの主張は、太平御覧にも書いてあるとおり、
「徇葬者」というのは「殉葬者」だろ?て言いたい。
242改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/22(水) 22:53:47
わっしょい!わっしょい! 

夏〜てことで、祭りの季節になってきたよね。
御神輿(おみこし)を担ぐ予定の人は、
みこしの下敷きにならないように&足をくじかないように〜!w
私もやったことあるんですけど、アレって肩が凄い赤くなる!!
まあ、怪我のないようにして下さい。
それにしても、スサノオを祭ってる神社って多いよね。
以前、群馬県前橋市の祭りに参加したんだけど、
御神輿(おみこし)の上にスサノオの人形を載せているのを見かけた。
全国にどれだけ〜スサノオを祭る神社があるんだ?!てかんじるw

今日は、本当はくるつもりじゃなかったんだけど、少しぐらいは
遊んでも撥が当たらないだろう〜なんせスサノオだもんね(謎 ww
243日本@名無史さん:2009/07/22(水) 23:44:47
明治時代に神楽が全国の農村で流行った
その神楽では八岐大蛇の物語が一番うけた
そういうことだ
244改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/22(水) 23:50:35
>明治時代に神楽が全国の農村で流行った
>その神楽では八岐大蛇の物語が一番うけた
>そういうことだ

「神楽」
ビデオをセットし、始めから〜終わりまでじっくり見たことあるけど、
つまんなかったなww
暇すぎて、近くにいる女の子のスカートみてたわっw

あれって明治時代に流行ったの?〜

245改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/22(水) 23:54:20
>なにをきっかけに畿内説に転向したんだよ?
>その話をしたほうが早いだろ。

ここをちゃんと読んでないから、そうゆうことを言い出すんだよ。
私の言ったこと、一つ、一つ、読んでたのならそんな質問はしないんじゃないかな?
246河童虫:2009/07/23(木) 00:00:45
>>240

>皿に盛られていようと、食べるまでは、まだ食べ物ではありません。
食べられて初めて食べ物と確定します。
ハンガーに服が掛かっていても、人が着るまでは服ではありません。
人に着られて初めて服であると確定します。

っていうのと同じことですね。
服屋で売れずにそのまま捨てられた商品は、服ではないわけですね。
それは一体何なんでしょうね。


なんでしょうね?
貴方の頭の中の問題ですから、私には関係ありません


>埋葬された皇帝に対して失礼じゃないですか。

皇帝に聞いてみないことには


>皇帝の眠りを妨げないように、埋葬前に測って記録するのが普通だと思うんですが。

そう記録に書いてあるなら
貴方のいうとうりでしょう。私はいまだにそういう記録を見つけていないので
そう記載しました

>河童の国ではおかしな事をするんですね。

それは私に聞かれてもね〜
貴方の感じることですから
247ローガン:2009/07/23(木) 00:02:00
なんか、改めさん、以前と変わってませんか?
あまり話す機会がないので具体的にどうとか言えないんだけど、なんか前と違うような気が。
248日本@名無史さん:2009/07/23(木) 00:04:38
>>247
何かに憑依されていると?何かが神憑きしていると?何かが・・・。
249河童虫:2009/07/23(木) 00:06:16
>>241

>太平御覧にも書いてあるとおり

「女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人」
ですね?
この文章なら殉葬でいいとおもいますよ

でも、

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
この文章に殉葬は変でしょう
ということです。


>「徇葬者」というのは「殉葬者」だろ?て言いたい。

違うから文字が違う
250改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/23(木) 00:30:07
>>247
>なんか、改めさん、以前と変わってませんか?
>あまり話す機会がないので具体的にどうとか言えないんだけど、
>なんか前と違うような気が。

ローガンさんお久しぶり。
何か違いますか?自分ではいつもどおりにレスしてるつもりですが・・・。

>>249
魏志倭人伝の
「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
という記事は、太平御覧の「女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人」に当たる。

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」=「女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人」
ということょ。

河童氏の主張する、「後漢書」、「魏志倭人伝」に卑彌呼が一人づつ、女王が一人づつ
「晋書」、「梁書」、「北史」、「太平御覧」にも別人の卑弥呼が居て、
卑弥呼も、女王もいっぱい居てそれぞれが違う別人〜という河童さんの主張は明らかにオカシイと思いますよ。
251改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/23(木) 00:36:59
河童さんは、「徇葬」は「培塚」て言いたいわけ?

「女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人」
すなわち、
「殉葬」とは明記されてるいるが、「培塚」という記載はないのが現実です。
以上、いつまでも妄想を膨らませて、楽しむのも良いかもしれませんが、
もっと現実をみて答えを出すべきと思います。
252河童虫:2009/07/23(木) 00:50:04
>>250

>河童氏の主張する、「後漢書」、「魏志倭人伝」に卑彌呼が一人づつ、女王が一人づつ
「晋書」、「梁書」、「北史」、「太平御覧」にも別人の卑弥呼が居て、
卑弥呼も、女王もいっぱい居てそれぞれが違う別人〜という河童さんの主張は明らかにオカシイと思いますよ。


私が一言も言っていない事を
頭の中で勝手に膨らませて遊ばないでください。
ぜんぜん違う事をあなたは言っています
253河童虫:2009/07/23(木) 00:52:11
>>251

>河童さんは、「徇葬」は「培塚」て言いたいわけ?

どっから倍塚なんて言葉持ち出してきたの?
私が何時そんなこと言いましたか?
254改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/23(木) 00:53:46
あれ?改めたんですか?まあいいが

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」=「女王死大作冢徑百餘歩殉葬者百餘人」
ではないという理由をお願いします。

ちなみに、わたしはイコールと考えています。
255改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/23(木) 00:57:27
どっから倍塚なんて言葉持ち出してきたの?

ドンコイw

>私が何時そんなこと言いましたか?

ただ、首をふるだけではなく、河童論を書き込んで下さい。
256日本@名無史さん:2009/07/23(木) 01:16:16
河童くんはまた逃げた?!
都合が悪くなるといつもだもんねw

257日本@名無史さん:2009/07/23(木) 01:28:25
>>247

改めさんは、九州説から畿内説に転向したそうですから。
258日本@名無史さん:2009/07/23(木) 01:32:31
>>246
反論できなくなったのですか?
では、ちょっと論法を変えてみましょう。あらためて暇つぶしに御付き合いくだされば幸いです。

皇帝が埋葬されるという未来の事象によって、
生前の建造物の性格という過去の事柄が初めて確定するなどということは、日常生活では起こりえません。
量子力学の観測問題ではないのですから。

人が食べようが食べまいが、八宝菜を作ったらそれは食べ物です。
人が着ようが着まいが、服として縫製されたものは服です。
それと同じことです。
結果的に埋葬が実行されようがされまいが、
皇帝が自分の寿陵と決めて築造したものは、
皇帝が取り消すか、崩御するまでは寿陵です。
皇帝の決断によって、それが寿陵であることは既に確定しております。

未来の事象によって、過去の出来事の分岐が確定するというアイデアはSF小説ですね。
259日本@名無史さん:2009/07/23(木) 07:06:41
海部氏系図に卑弥呼がちゃんと載ってる、卑弥呼は卑弥呼と言う実在の人物。
260河童虫:2009/07/23(木) 07:50:33
>>258
はじめから反論する気持ちなどありませんから、あなたの「反論云々」には
当て嵌まらないと思います。

で、皇帝が寿陵の築造を命じたと言う話しですが
寿陵の築造を命じたのであれば、それは寿陵ですよ
私も同意します。
しかし、皇帝が墓所築造を命じたのであれば、それは寿陵ではありません。
それは私が説明したように寿陵予定建造物であり、皇帝が命じた墓所です。
私は最初から皇帝が命じるなどという設定を設けずに説明していますから
皇帝の命令と言う飛び道具をだされて話しを進められては
私の道理は崩れます。
道理云々で物事を説明しても、皇帝の言葉には道理は平伏します。
皇帝が赤いと言えば、黒いものも赤くなりますから
261河童虫:2009/07/23(木) 07:57:49
>>256

私にはあの後、「睡眠」という大事な用事がありましたので
逃げますよ。

これでいいですか?
これで貴方の私に対する「逃げた」と判断したメンツは立ちますね?
262日本@名無史さん:2009/07/23(木) 08:44:47
日食と岩戸の神話は関係あるのだろうか
3世紀の日食とは関係ないと思うが
263日本@名無史さん:2009/07/23(木) 08:56:35
>>259
大倭姫命が卑弥呼すか?
記紀が各地の豪族の伝承をぐちゃぐちゃにしちゃったから
誰が卑弥呼なのかを確定するのは難しいと思うけどねえ
264doontakukaの弟子:2009/07/23(木) 09:57:29
>>232
182〜228(推定) イワレヒコ
197〜238(推定) タギシミミの反逆
212〜248(推定)
227〜258(推定)
242〜268(推定)
257〜278(推定)
272〜288(推定)
287〜298(推定) クニクル王
302〜308(推定)
戊寅 318        ミマキイリヒコ
乙卯 355   ワカタラシヒコ
壬戌 362        タラシナカツヒコ
甲午 394    ホムダワケ王
丁卯 427   オオサザキ王
壬申 432   イザホワケ王
丁丑 437   ミズハワケ王
甲午 454   ワクゴノスクネ王

古事記より天皇の崩御年を推定して見ました。 イワレヒコやタギシミミが倭国大乱の張本人ですね。
欠史八代の内、三代〜四代の頃が卑弥呼・・四代〜五代の頃が壱与ですね?
265日本@名無史さん:2009/07/23(木) 12:23:12
>>264
わりと同意できる年代ですなぁ
266日本@名無史さん:2009/07/23(木) 12:37:26
東遷があったとしたら1c後半というのなら納得だな。
でも卑弥呼は丹波(出雲)=ヤマトの媛だとは思うけど。
267日本@名無史さん:2009/07/23(木) 13:06:14
東遷は2世紀後半だと思う。
倭国大乱と何らかの関係があるのではないかと。
268日本@名無史さん:2009/07/23(木) 13:08:28
東遷がいつだとかいう前に、倭人伝が伝える邪馬台国の位置を確定した方が
いいだろう。
269日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:10:56
>>259
卑弥呼ではなくて日女子だとおもったけどな
たしかに他とは違う記述があって興味深いがあとから推考
したのか系図に関してはどうかな
たしかクニクルとか孝元天皇が火明命の系統とも読みうるような資料
でしょ
270日本@名無史さん:2009/07/23(木) 14:44:35
邪馬台国の位置は100年経っても確定しないと思う
箸墓古墳から私は239年に魏に朝貢してって書いたものが出てこない限り無理だろ
271269:2009/07/23(木) 14:53:30
日女子ではなく日女命か
いずれにしても「一云」「亦云」「亦名」といった具合に
非常に錯綜している
272ローガン:2009/07/23(木) 15:54:08
河童さん。土木工事にもそれぞれ目的があるでしょう。完成時に墓としての使用目的を持つものを構築する場合、
どのような工程、作業中であっても「墓を造る」つまり「作冢」と記載されてなんら問題はありませんね。
問「君たち、何を作っているの?」
答「はい、冢を作っています。」


さておき、私は以前にも書きましたが、張政等の来倭目的は六年の詔によるものだと考えていますので、短期滞在だろうと思います。
そして卑弥呼の死後間もない頃の来倭であるゆえ、始まったばかりの作冢工事を目の当たりにし、「大作冢徑百餘歩」と記録されたものだと考えます。
273日本@名無史さん:2009/07/23(木) 16:02:36
神武東遷といってもな、別に大王が移動したとは思えない。
せいぜい武将クラスか親戚クラスだろう。

いままでに作り上げてきた王都の方が暮らしやすいはずだし
政治の中枢やごく近隣には自分の子供や信頼できる人間を置くはずだ。

九州勢力の人材かもしれないが、重要人物が東遷するとは思えない。
下手したら島流しに近い境遇だったのかもしれない。
274doontakukaの弟子:2009/07/23(木) 16:16:44
>>272
政等以檄告?壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還

壹與が率善中郎将等二十人に、政等を送らせたのです。

政は壹與の時代まで邪馬壹國に滞在したのです。
当然卑弥呼の墓の完成も見ています。
275doontakuka:2009/07/23(木) 16:18:12
@.魏郡の領城 は 15 あった。
その一つに魏がある。
その魏の緯度と出雲大社の緯度が近似である。

魏北緯: 35.290度で出雲大社(伊都国)の緯度は: 35.402度。
又、松江(奴国)の緯度は35.464度。

213年、曹操は十州を持って魏公に封じられた。
216年、さらに曹操は魏王に封じられた。
220年、曹操が死ぬとともに、曹操の子である曹丕が魏王と後漢の丞相の地位を継いだ。
この年、曹丕は、後漢最後の皇帝の献帝から禅譲を受け、
洛陽を都とし、魏の皇帝となった。

A.会稽郡の領城 は14あった。
その領域は北緯32.5度から北緯26度迄。

@. とA.の数字は大変興味深い。(@は今回は割愛する)
北緯32.5度が文明国の中央でその南限が北緯26度と置くなら北限は39度となる。

この北緯32.5度は列島では神武東遷の日向市である。
日向市の緯度は北緯32.422です。

 其地大較在會稽・東冶之東の
會稽が会稽郡であるなら、
北緯32.5度から北緯26度迄が邪馬臺國の領域との解釈も可能だろう。

これは、邪馬壹國とは別。
魏国の発祥魏郡は会稽郡の北にあった。
276doontakukaの弟子:2009/07/23(木) 16:21:35
>>273
神武が東征軍の大将じゃないんだよ。
一緒に行軍し途中で死んじゃった長兄が大将です。
それなら、神武も長兄も実際に動いたってことでしょ?
277日本@名無史さん:2009/07/23(木) 17:08:29
>>270
箸墓からそんなものは絶対にでないよ。しかし、倭人伝があれだけ詳しい記録を
残しているんだ。正しい解釈が広まれば、邪馬台国の位置は確定されるよ。
278河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/23(木) 17:09:15
>>272ローガンさん

では、工事中の冢であるなら、冢の中に卑弥呼を埋葬しなかった可能性も残りますね

それに工事中の確認であるならば、完成は見届けなかった事になりますね?
完成を見届け、卑弥呼の埋葬を見届けているなら
作冢は完了となり、進行形ではない事になりますから
冢は当然
卑弥呼の墓と確認された完成冢となり、そこに記された値は
完成されたものに対する値と判断するのが道理です。
値は工事段階をもって記載するとでも
注意書されていましたか?

想像を挟んだら
なんでも有りになりますから
279日本@名無史さん:2009/07/23(木) 17:25:44
>>260
二点ほど勘違いしているようなので、先ずは一点。
寿陵ということばは、一般庶民には使わないから、皇帝と言っただけで、
現代でも生前墓といえば同じ事。
皇帝の命令なんて関係ない。
一般庶民でも、作った本人が、これは自分の生前墓だと決めればそれで確定する。
280河童虫:2009/07/23(木) 17:29:34
>>272ローガンさん

>造る=工程、工事中

であるなら

食べる=まだ食していない食する為の行動
寝る=睡眠する為の睡眠行動

至る=到着していない移動中

走る=まだ走っていない走るための準備行動

帰る=まだ帰っていない、帰る為の準備行動


等のように
捉えてもいいですね?


それとも、作冢 だけは
特別語句で、恣意的に解釈を工事中に限定する事が出来るのでしょうか?
281doontakukaの弟子:2009/07/23(木) 17:37:34
張政の帰国は266年です。
壹與以後に神武東征があったとすると
崇神天皇の崩御、戊寅 318年と神武東征が近すぎます。
やはり、神武が倭国大乱の張本人です。
282河童虫:2009/07/23(木) 17:38:18
>>279

貴方の方こそ勘違いしていますよ

皇帝の命令と言ったのは私では有りません。
私は私に宛てられたレスの内容に基づいて、レスに設定された内容の範囲で話しているので
一般云々は関係ありません。
283doontakuka:2009/07/23(木) 17:46:02
>>275

会稽東治之東の
東治は



秦の征服後、秦の支配下にあった閔越国は、漢代になってから、
漢の服属化で、前202年から110年までの間独立を維持していた。
この時代、現在の福建省省都である福州に都があったとされている。
前110年、漢に征服されて、会稽郡の東治県となり、治所が置かれた。(http://heartland.geocities.jp/zae06141/fukusyuu.htm

福建省省都である福州は緯度: 26.0742度、東経: 119.296度であるから、
その東(列島)は、那覇で北緯: 26.212度、東経: 127.679度となる。

会稽東治之東の領域は
沖縄本島から北緯32.50度線上の八代〜日向
となる。





284日本@名無史さん:2009/07/23(木) 17:46:25
>>280
横からだけど、それ違うじゃん。

>食べる=まだ食していない食する為の行動

なら、

造る=まだ工程、工事に入っていない、造るための行為

になるだろう。
285doontakuka:2009/07/23(木) 17:49:55
286河童虫:2009/07/23(木) 17:54:34
>>284

それなら

食べるに対して工事中に相当する部分はどこですか?
食べるの完了を消化と解釈しているなら
貴方の指摘は正しいですが、私は口の中にものを入れた段階を食べるの完了としていたもので

その辺の捉え方の行き違いはあるかと
287日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:00:44
>>286
>食べるの完了を消化と解釈しているなら
>貴方の指摘は正しいですが、私は口の中にものを入れた段階を食べるの完了としていたもので

ここの意味が解らない。
なんで食べるの完了を消化と解釈したら、私の指摘が正しくなるの?
288doontakukaの弟子:2009/07/23(木) 18:02:40
神武が倭国大乱の張本人だとすると。
安寧天皇
懿徳天皇
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇  このあたりに卑弥呼と壹與が、天武により隠されています。
289河童虫:2009/07/23(木) 18:08:12
>>287

工事中にあたるのが、消化をする為の
口の中〜消化前段階の作業に当たるからです。
290日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:08:21
>>282
では、一般庶民でもOKの生前墓という言葉を使いましょう。

Aさんが生きているうちに自分が埋葬される施設を作った。
これが墓か墓ではないか。当然、Aさんが葬られる前から、それは墓です。
だから生前墓という名前が付けられています。
Aさんが埋葬されるという未来の事象によって、
Aさんが生存中に建てた建造物の性格という過去の事柄が
初めて確定するなどということは、日常生活では起こりえません。
量子力学の観測問題ではないのですから。

人が食べようが食べまいが、八宝菜を作ったらそれは食べ物です。
人が着ようが着まいが、服として縫製されたものは服です。
それと同じことです。
結果的に埋葬が実行されようがされまいが、
本人が自分の生前墓と決めて建てたものは、
本人が取り消すか、死去するまでは生前墓です。
本人の決断によって、それが生前墓であることは既に確定しております。

未来の事象によって、過去の出来事の分岐が確定するというアイデアはSF小説ですね。

これで皇帝の命令は関係なくなりました。
291河童虫:2009/07/23(木) 18:13:46
>>290

いいえ墓ではありません。
生前墓です。生前墓は墓ではなく
墓所予定建造物です。
292河童虫:2009/07/23(木) 18:29:23
生前墓は墓ではなく、予定墓です。
予定墓を
293日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:44:38
>>291
墓ではないのに墓という漢字を当てるのは、河童漢字学的にはOKなの?
294日本@名無史さん:2009/07/23(木) 18:46:18
まあ、きょうはこの位にしときましょう。
河童さん。暇つぶしに付き合っていただいてありがとう。
では、また遊びましょう。
295河童虫:2009/07/23(木) 19:04:23
>>294

はい、また遊んでください。


>>293

ぜんぜんOkですよ
生前墓は築造時予定墓で、墓ではありませんから
296日本@名無史さん:2009/07/23(木) 20:41:06
最近、家にもお墓の業者さんから何度も電話がかかってくるんですよ。
まだ死なないからお墓はその時になったらお願いしますと、
丁寧に、しかしきっぱりとお断りお断りしているのですが、
閻魔帳に私の名前が既に載っているのでしょうか?
その日のために、生前墓を用意し自分の好みの前方後円墳が完成してから
死にたいと、当時の豪族は考えていたのではないでしょうか?
したがって、卑弥呼の墓も卑弥呼が死ぬ前にできていないとおかしいし、
だとすると箸向では新しすぎる。、
297サガミハラハラ:2009/07/23(木) 21:32:35
今博多にいます。昨日は宮崎で日食をみていました。明日佐賀に移動する予定です。
298日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:38:08
サガミハラとは、佐賀見原のことだった。
これでまた一つ謎が解けた!
299日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:42:03
相模原と思ってた
300日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:48:59
後藤さんだと思ってた。
301愛知県民:2009/07/23(木) 22:21:48
改めさんは鹿児島で日食見たのかな?
302日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:38:58
改めとは、荒田別の女のことだった。
これでまた一つ謎が解けた!
303日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:54:37
>>302
だんだんつまらなくなっていくぞ。
304日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:07:44
お二人にとっては最後の皆既日食ですし、九州を心ゆくまで堪能してきてくださいね。
305日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:10:57
インドネシアとかオーストラリアとか行けばいいじゃん。
306日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:17:24
そんなお金持なの?
307ローガン:2009/07/23(木) 23:57:58
>>280
返信乙
呑んでて遅くなりました…何を言ってるんですか? 「造る」と「食べる」の定義の異同に論点なんて求めてませんよ。
何を造る工事なのか?って事ですよ。もし私が誤解してなければ、貴方の論では「 完成するまでは完成型の呼称を使用すら出来ない」って事ですね?
308河童虫:2009/07/24(金) 00:28:06
>>307
いいえ
どんどん使用してください。

ただし、一度文字にて表記する場合は
言葉とは違い、受け手は文字しか頼るものがなく
ましてや記録として著者よりも長く後世に残るもの
妥協する事の出来ないものです。
受け手が頼るのは文字だけです。

顔の表情やニュアンスのない世界
言葉とは違う表現世界です。
309ローガン:2009/07/24(金) 00:30:11
>>297

> 今博多にいます。昨日は宮崎で日食をみていました。明日佐賀に移動する予定です。

それはお疲れ様です。又、現地情報を宜しく。 疲れたと言えどご同伴の女性の期待を裏切らないように…
310河童虫:2009/07/24(金) 00:36:49
時間の経過を考えてください。
工事の段階を書けば、その時完成建造物は
未来の出来事、決して書く事の出来ない事象
完成建造物を書けば、工事は過去の出来事で
冢と書かれたものは完成築造物であり、完成築造物を目の前にし
わざわざ工事中の予定物を取り上げると言う
摩訶不思議な事がまかり通る事になります。
311ローガン:2009/07/24(金) 00:48:09
>>308

> 受け手が頼るのは文字だけです。

なるほど。つまり、書き手とは不特定多数の読者の読み方を念頭においているものであると…
読み手に誤解されにくい解釈の別れる余地の少ない文が優れた文であると言う意味だと承知しました。
312日本@名無史さん:2009/07/24(金) 00:51:41
倭人伝は魏代の倭国の出来事を時間軸を定めず網羅的にまとめたものだから、魏滅亡
の265年の時点で完成している卑弥呼の冢 は、造築途中の描写ではないだろ。
313日本@名無史さん:2009/07/24(金) 01:10:37
>>311
河童の文とはほど遠い文の話だね。
314ローガン:2009/07/24(金) 01:11:42
>>310

> わざわざ工事中の予定物を取り上げると言う摩訶不思議な事がまかり通る事になります。

工事とは必ず目的があります。そしてそれを達成するための計画は当然着工以前にたてられます。
つまり計画段階から完成型は当然、当事者の視野に入っています。
完成するまでなにが出来るか誰にもわからないなんて考えるのはどうかしてますよ。
315日本@名無史さん:2009/07/24(金) 03:47:57
>>273
私も大王クラスではなかったと思います。
傍系の王族とかの可能性はあると思いますけどね。

神武が畿内に移動してからも何代かは大和盆地南部から
出ていないようですし、まずは豪族としてスタートしたのでしょう。
後の時代の北条早雲に近いのかもしれないと思っています。
316河童虫:2009/07/24(金) 06:29:48
>>314ローガンさん

「視野に」「計画」「思い描く」

だから
想像を挟んだら、なんでも有りになります。
「視野に」って、誰がどの様に視野に入っていると書かれていますか?
平面の縄張りで建造物をどのように思い描くのです?

ちょっと主観が入りすぎです

縄張りは何処までいっても縄張りで、縄張りだけを提出することで
住宅取得税が算定されるなんて甘い世界ではありませんよ
お役所仕事は


ま、とにかく主観だけは省いて下さい。
317doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 07:52:06
若御毛沼命と五瀬命が倭国大乱の張本人ならば、欠史八代は修羅場である。
イワレヒコの子孫と尾張の卑弥弓呼の子孫、そして周辺の豪族との戦国時代である。
決史八代は日本書記に描けない殺し合いの時代である。
年代的には孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命が壱與と思われるが、
そうとすると、卑弥呼が誰なのか特定できない(笑)  
綏靖天皇以後孝霊天皇までの内に卑弥呼が隠されていると思うのだが・・・・
318doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 08:02:28
その欠史八代を乗り越えて西日本を制圧したのが崇神天皇(みまきいりひこ)である。
神武と崇神の国風諡号に神の文字を天武が与えたのはそういう意味である。
319日本@名無史さん:2009/07/24(金) 09:20:28
いやそれ説明になってねーから
なんで神の字なのか確固とした関連を証明できてないでしょ
320doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 09:31:38
>>319
doontakuka師匠がその関連を証明してくれます。しばし待たれよ!!
321doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 10:30:11
崇神天皇・垂仁天皇の2代の後
景行天皇の時代に日本武尊が出て、九州・出雲・関東に遠征します。
その後、仲哀の皇后神功が朝鮮半島にまで兵を進め、その神功皇后の子の
応神天皇が畿内で安定政権の樹立に成功します。
だからこそ応神天皇は、神武、崇神に続いて神の国風諡号を持つのです。
322doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 10:36:03
×神の国風諡号を持つのです。
○神の漢風諡号を持つのです。
323日本@名無史さん:2009/07/24(金) 11:26:01
doontakuka=doontakukaの弟子で
一人漫才?
324doontakuka:2009/07/24(金) 11:27:53
>>320

五瀬の命・倭迹迹日百襲媛命・壹與を繋ぐ赤い糸は『月』である。

倭迹迹日百襲媛命・其大官曰卑狗の『迹迹と狗』は同時間帯の可能性が高い。

神はGot 以外に kam又は kan と読み替えて使われる場合がる。
神武・崇神・応神の神はGot ではなくkam (…を変える, 改める;…を(…に)変える)
の意であろう。
325日本@名無史さん:2009/07/24(金) 11:48:16
あのな、神はgotじゃなくてgodな
326河童虫:2009/07/24(金) 11:56:58
カムイ(カミ)は、カムと言う動詞に
母音「i」を付ける事で静止し、名詞になる。
327doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 11:57:56
>>319
どうだ、どうだ、どうですか?  我師匠doontakuka様がその関連を証明して下さった。
>>325
師匠は英語には弱いので許してあげねばならないぞよw
328日本@名無史さん:2009/07/24(金) 11:59:29
got‥w
329doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 11:59:33
>>326
御前様レスすんと又泣かすぞ!!!!!!!!
330河童虫:2009/07/24(金) 12:13:01
>>329

バーチャで意気がっていてもつまんないだろう?
いつでもリアルで付き合うよ。
331doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 12:14:36
>>330
僕はまだ小学生だい、エヘンww
332河童虫:2009/07/24(金) 12:20:31
>>331
関係ねえよ
333doontakuka:2009/07/24(金) 12:21:10
>>325
あのな、神はgotじゃなくてgodな

あっはあはあ〜〜〜〜!
神は、God ですか?
現代の神はget の過去形のGot かと思った。
『神は死んだ!』・・・・・だから。
334doontakuka:2009/07/24(金) 12:26:27
>>326
カムイ(カミ)は、カムと言う動詞に
母音「i」を付ける事で静止し、名詞になる。

この『カムと言う動詞』は日本語ですか?

此処での、〔母音「i」〕に、hang on a string の意が有りますか?
335河童虫:2009/07/24(金) 12:40:57
>>334

蜘蛛の糸と訳していいですか?

それとも単純に
糸にしがみつく
336doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 12:44:11
>>335
今更質問してどうする?
337doontakuka:2009/07/24(金) 12:53:42
>>335

蜘蛛の糸であろうが蛇であろうが問題ないと思います。

基本的な物の固定方は方法は、
蛇が絡んで固定される方法と
楔を打ち込んで固定する方法がある。


338日本@名無史さん:2009/07/24(金) 13:01:03
>>333
神は死んだはGott ist totな
339doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 13:01:20
神威岬(かむいみさき)は、北海道積丹郡積丹町大字神威岬にある岬
神威(カムイ)とはアイヌ語で「神」を意味する。
なにが名詞だ動詞だ?
340河童虫:2009/07/24(金) 13:01:36
>>336

わかった わかった
大人しくいい子にしててね
341河童虫:2009/07/24(金) 13:07:25
>>337
母音「イ=i」
は、
範囲であり、静止させる働きです。
342河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/24(金) 13:14:15
>>339

カミはカムイが転訛した言葉。

何が「神威」だ
343doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 13:20:59
>>342
なるほど、なるほど、そうすると大和朝廷は
アイヌ語のカムイから神を借用したねですね?
344河童虫:2009/07/24(金) 13:29:57
>>343

借用ではなく転訛
アイヌ語はカミと転訛する事なく、古来の言語が存続した。
345doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 13:43:46
>カムイ(カミ)は、カムと言う動詞に
>母音「i」を付ける事で静止し、名詞になる。

カムが動詞で「カムイ」が名詞と言うわけですか?
動詞が先で名詞が後なの?  名詞のカムイが先だろって事でんがな。
346doontakuka:2009/07/24(金) 14:05:58
>>338
神は死んだ〜Gott ist tot
http://j-ken.com/category/all/data/625712/
347河童虫:2009/07/24(金) 14:41:15
>>365
道理としては
「カム(動詞)」が先だよ
★ものをカム
348河童虫:2009/07/24(金) 14:43:17
アンカーミス
>>345 です
349doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 14:53:40
>>348
言語ってのは名詞が先に誕生すんだよw
動詞なんて複雑なもんはそのずっと後に発生するのよw
350ローガン:2009/07/24(金) 14:55:17
>>316

> 平面の縄張りで建造物をどのように思い描くのです?

「河童邸新築工事」…
平屋?三階建て?木造?S?RC? 誰も完成型を知らない状況で工事なんて一切始まりませんよ。
それこそ柱も刻めない。
351doontakukaの弟子:2009/07/24(金) 15:07:19
>>347
山に登る

山(名詞)+登る(動詞)

登ると山ではどっちが先に誕生したと思いますか?
登るが先ですか?山が先ですか?
352河童虫:2009/07/24(金) 15:27:21
>>350
そういう問題ではないと思う。

論点ズレてる
353河童虫:2009/07/24(金) 15:28:22
>>351

論外。 話しにもならない
354日本@名無史さん:2009/07/24(金) 15:32:26
河童虫 早々に 逃亡図る

          字足らずw
355日本@名無史さん:2009/07/24(金) 15:34:02
>>354
河童虫  逃亡図る  早々に

              でおk?
356河童虫:2009/07/24(金) 15:35:35
「登る」という動作が静止する事によって、「登り」と名詞化される。


「山に登る」だって
話しにもならない。な
357河童虫:2009/07/24(金) 15:39:15
>>354
だから
バーチャで息巻いていないで
リアルでナシつけよう。
358日本@名無史さん:2009/07/24(金) 15:41:49
>>356
「登る」という動作が静止する事によって、「休憩」と名詞化される。
「登り」という名詞は登る前に存在するのではないか?
359河童虫:2009/07/24(金) 15:48:59
>>358
ならないよ

登らなければ登りは体験出来ないし、存在しない。
登る前に認知するのは「坂」或は「斜」とか「壁」とか
360doontakuka:2009/07/24(金) 16:00:26
kaku+i = kamui
なら
noboru +i=noborui



カムはkamu ではなくkam です。
だから、
カムは噛む、咬むではない。
だろう。
361日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:00:27
>>359
>生前墓は墓ではなく
>墓所予定建造物です。

人が「埋葬」されなければ墓ではない
人が登らなければ山ではない
山は人が登る前は、斜や坂や壁ってことでいい?
362ローガン:2009/07/24(金) 16:10:49
>>352

論点はずらしていないですよ。貴方のレス
>>310> 時間の経過を考えてください。工事の段階を書けば、その時完成建造物は 未来の出来事、決して書く事の出来ない事象

に対するものです。作冢中に誰も完成型が把握出来ていないなんて事はない、という事を建築工事にたとえただけです。
つまり「決して書く事の出来ない事象」ではないと言う事です。
363河童虫:2009/07/24(金) 16:20:54
>>362

縄張りがそのまま完成物にいかされているかどうかは、完成物を計測比較して
初めてわかるものです。
寸面だけ工事用を使用したのであれば
それは永遠に未完成な建造物になることは理解できますよね?
縄張り百餘歩は、完成物百餘歩ではありませんよ
364河童虫:2009/07/24(金) 16:22:48
>>361
山は人が登らなくても山ですよ
365日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:24:06
河童虫  論破されても  屁の河童

                    蝉丸
366ローガン:2009/07/24(金) 16:32:03
>>363

> 縄張りがそのまま完成物にいかされているかどうかは、完成物を計測比較して初めてわかるものです。

違いますよ。「縄張り」は設計図に基づいたものです。
367日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:34:02
望月の  我世とぞ思ふ  河童虫

                   道長
368日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:38:48
イレブンの  昔懐かし  河童文文

                   巨泉
369河童虫:2009/07/24(金) 16:39:20
>>366

それじゃあ
お役所仕事できないよ
370河童虫:2009/07/24(金) 16:41:10
>>365
今時論破なんて死語つかってるの

貴方と改め君ぐらいだよ

つまり
同レベル乙
371日本@名無史さん:2009/07/24(金) 16:49:19
河童 カッピ カップ カッペ 闊歩
実在しないのは、ど〜れ? 
372河童虫:2009/07/24(金) 16:52:54
>>366
その縄張りは、設計図に基づき
寸分違わず執行されたものですか?
373河童虫:2009/07/24(金) 16:56:30
>>371
スレを荒らす目的ならば、そんな事するよりも、VIP連中呼んで
賑やかに荒らした方が、手っ取り早いですよ
374河童虫:2009/07/24(金) 16:59:49
>>366
あと想像領域でないのなら、当時の設計図提出を希望します。
375ローガン:2009/07/24(金) 17:06:33
>>372

> その縄張りは、設計図に基づき 寸分違わず執行されたものですか?

「その」は何を指しますか? 質問の意味がわかりません。
376河童虫:2009/07/24(金) 17:25:42
>>375

倭人伝の冢でどうですか?

剣道の稽古に行ってきます
377縦目仮面:2009/07/24(金) 20:13:55
えーっ。河童さん剣道やってるんですか???知らなかった。どちらのほうで?
378日本@名無史さん:2009/07/24(金) 20:50:27
もしかして、薩摩示現流ではないでしょうか?
「一の太刀を疑わず」つまり一撃必殺の豪剣。
河童虫さんの生き方そのものではありませんか。
379改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 20:59:30
>>370
>貴方と改め君ぐらいだよ
>つまり 同レベル乙

ていうか古代史レベル〜もん太くん並(初心者クラス)の人に言われても・・・。

↓古代史が初心者クラスといえる証拠
たとえば、古代史にかかわってる人なら誰でも知っている
「倍塚」という用語も知らなかったりする。
こっちが恥ずかしくなる・・・。
>>251-255)私が、「ドンコイw」と言って〜
河童氏をフォローしてるのも気付いてないのだろね〜この人は・・w
380日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:08:51
>>378
いやいや「タイ捨流」に一票www

大(事なところを)捨(ててしまった、オレサマ)流

ってことでwwwwwwwwwwwwwww
381縦目仮面:2009/07/24(金) 21:14:37
俺の実家は常陸で、古流の道場(副業というか、持ち出しのほうが多い)をやってます。
382日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:19:48
柔道/剣道/弓道/なぎなた →伝統武術(仮)@2ch掲示板
http://www2.2ch.net/2ch.html
383愛知県民:2009/07/24(金) 21:34:08
あれ?縦さんと河童さんは親子?
384縦目仮面:2009/07/24(金) 21:44:59
???河童さんって茨城??
385日本@名無史さん:2009/07/24(金) 21:59:46
ネットエチケットを守ろうぜ
386河童虫:2009/07/24(金) 22:09:29
>>377

>えーっ。河童さん剣道やってるんですか

私の剣道は高校時代からです。
学校にバレー部がなかったので引きずられるように入部し、3年間でなんとか二段
それからというもの数十年間一度も竹刀を握ることなく時が過ぎ、3年前ちょっとしたきっかけがもとで再び竹刀を、今では小学生スポーツ少年団の
指導員や、日曜などは中学生の部活の相手ををする傍ら
自分も昇段を心がけています。
昨年秋、なんとか3段に一発合格し、来年は年齢特例を利用して4段に挑戦しようかと考えてる 取敢えず現役です。


>>379

>「倍塚」という用語も知らなかったりする。

一応知っていますよ 倍塚の発掘には携わってはいませんが
前方後円墳の発掘調査なら、樹木の伐採から破壊まで
地主特権を利用し、有給などを使い発掘の手伝いと
夜間の出土物の仕分け作業の手伝いにたずさわりました。

現場の苦労を知ってるだけに、私は一切掲示板では考古学にはふれないし、今後も触れる事はないでしょうう。


土の中から鏡が顔を覗かせた時の
あの何とも言えないブルー   それが空気に触れた瞬間からみるみる色が変化してくる
387日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:17:28
石碑の発掘が待たれるところです。
388河童虫:2009/07/24(金) 22:22:26
>>379

>↓古代史が初心者クラスといえる証拠
たとえば、古代史にかかわってる人なら誰でも知っている
「倍塚」という用語も知らなかったりする。


私から言わせてもらえば
考古学語るのなら、一度でもいいからせめて現場ぐらい踏んでから語れやと言いたい。
脳内考古学なんて
一円の値打もねえぞと    私はあのとき実感した。
389日本@名無史さん:2009/07/24(金) 22:29:05
陪塚
390改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 22:35:13
>>386>>388
河童虫くんがムキになってるw
わたしは、発掘調査に携わったことはないが、
君はその北関東の古墳しか知らないじゃん。
関係のない言葉遊びするぐらいなら、もう少し、古代史の勉強したほうがよいてことだよ。
みんな、君より詳しいよ?
>>389
間違えてたね〜正解w
391改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 22:42:43
>>259
>海部氏系図に卑弥呼がちゃんと載ってる、卑弥呼は卑弥呼と言う実在の人物。
>大倭姫命が卑弥呼すか?
>記紀が各地の豪族の伝承をぐちゃぐちゃにしちゃったから
>誰が卑弥呼なのかを確定するのは難しいと思うけどねえ

丹波は、ハッキリいって面白い。
椿井大塚古墳だっけ?!
しかし、箸墓のあるマキムクと比べたら、どうしてもマキムクのほうがふさわしく思える。

>>297 サガミハラハラさん
>今博多にいます。昨日は宮崎で日食をみていました。明日佐賀に移動する予定です。

今はどこにいるんでしょうか?w

>>301
>改めさんは鹿児島で日食見たのかな?

いえ、いえ、さすが、鹿児島までは・・・。
392河童虫:2009/07/24(金) 22:43:05
>関係のない言葉遊びするぐらいなら

どう関係がないのか詳しく説明してもらいましょうか

>君はその北関東の古墳しか知らないじゃん。

一つで十分だよ
少なくとも脳内考古学ではなくなるから

>みんな、君より詳しいよ?

そらそうだろう
で、どこがどのように詳しいのかも、単に張ったりではなく説明してもらいたい


さぁどうぞ
393改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 23:04:22
>どう関係がないのか詳しく説明してもらいましょうか

言語学を覚えても意味ナシ〜それで邪馬台国が分かれば世話ないわw

>一つで十分だよ
>少なくとも脳内考古学ではなくなるから

君の経験値はその一つしかない。
あとは机の上でガタガタ言ってるだけ。

>そらそうだろう
>で、どこがどのように詳しいのかも、単に張ったりではなく説明してもらいたい

君のレスは、何を言ってるのか、何の主張をしてるのか〜サッパリなんです。
読んでる側からみれば、「?!」てかんじかな。
それに比べて、他の人のレスを読んでいると、勉強したなーて思うことが多い。
以上
394日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:26:26
>>391
つか海部氏系図では丹波は卑弥呼の故郷、即位前にいた場所だから
箸墓のほうがそれらしくても問題ないでしょ
395河童虫:2009/07/24(金) 23:26:43
>>393

だからさ〜、そんな能書きはどうでもいいから
早く

「どのように関係がないのか」 詳しく説明してよ

「どこがどのように詳しいのか」
「他の人のレスを読んでいると、勉強したなーて思うことが多い」

詳しく説明してくれ〜
で、どこがどのように勉強したな〜ってかんじたわけ?


能書き抜きで説明キボン

396改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 23:39:50
>>394
後漢時代後期(二世紀末)、丹波から列島を支配するような女王を出したわりには、
丹波の巨大な古墳ってどれも四世紀〜五世紀ですね。

>>395
なんでも、かんでも、「説明して、説明して」と言えば書き込んでもらえると思ってない?
まずは、自分の考えを述べてからにしよう。
397日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:42:02
どうせ、すぐ逃げるw
398日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:43:40
まあ大勢力だから女王に選ばれたってわけじゃないですからね
て言うか私は別に>>259に賛同してるわけではないので絡まないでください
399日本@名無史さん:2009/07/24(金) 23:49:13
>>396
>丹波の巨大な古墳ってどれも四世紀〜五世紀ですね。
丹波の前に大和にいたんだから、むしろその方が正解でしょう。
400改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/24(金) 23:51:09
言語学なんて、覚えたところで何になるんだい?
ハタからみれば、
「河童氏は、言語学を覚えれば古代史に強くなる」と勘違いしてるしかみえない。
せいぜい、言葉遊びの万葉集ぐらいに関係するのか?てかんじw

自分自身のレスをみてごらん、早く、言語学なんて関係ないてことに気付くことダネ。
401河童虫:2009/07/24(金) 23:59:20
>>400
だから能書きはどうでもいいんだよ

何処がどのように関係しないのか
関係ないと公言した
本人が、具体的にきちんと説明してくれなくては ね

それとも
ただの張ったり?
402改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:01:07
>丹波の前に大和にいたんだから、むしろその方が正解でしょう。

なるほど、そうゆう考えですか。
なかなかですね。
ん〜どうなんでしょうね。
丹波否定派の人〜の意見も聞いてみたい。
403改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:08:29
うるさい人だな。
君のレスを読んでごらん。
>>326
>カムイ(カミ)は、カムと言う動詞に母音「i」を付ける事で静止し、名詞になる。
>>341
>母音「イ=i」 は、 範囲であり、静止させる働きです。
>>342
>カミはカムイが転訛した言葉。 何が「神威」だ
>>344
>借用ではなく転訛 アイヌ語はカミと転訛する事なく、古来の言語が存続した。
>>347
>道理としては 「カム(動詞)」が先だよ ★ものをカム
>>356
>「登る」という動作が静止する事によって、「登り」と名詞化される。
>「山に登る」だって 話しにもならない。な
>>359
>ならないよ
>登らなければ登りは体験出来ないし、存在しない。
>登る前に認知するのは「坂」或は「斜」とか「壁」とか

どれも、古代史とは関係ナシ。
せいぜい、万葉集解析だろう
404日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:13:20
そもそも河童虫のやっている事って「 言語学 」なのか?

まあ言語学と言えば フェルディナン・ド・ソシュール ぐらいの名前しか知らないが
(本当に名前だけでその内容は授業中の睡眠学習では習得できませんですたwwwwwwwww)




405河童虫:2009/07/25(土) 00:15:23
>>396

>なんでも、かんでも、「説明して、説明して」と言えば書き込んでもらえると思ってない?
まずは、自分の考えを述べてからにしよう。


おいおい勘違いするなよ
自分で関係ないと曖昧なな表現しているから、受けてとしては具体的な説明を求めたんだぜ
これは受け手としての当然の権利だし要求だ
君はそれをはぐらかし、その場を自分には非がないと逃げ通すつもりかね?

君が最初から具体的に説明さえしていれば
こういう要求は発生しないことがわからないのかね?
全く自覚がないようだから、再三再四要求されるんだよ
自分のまいた種ぐらい責任を持ちなよ

そして自分が問題発生源であることを自覚しなよ

さ〜説明よろしく
406日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:16:47
>>391ドツボ(改め)へ

>丹波は、ハッキリいって面白い。
>椿井大塚古墳だっけ?!

お・ま・え・は・ア・ホ・か!
407改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:22:42
>>404-405
↓言語学デス
http://www2.2ch.net/2ch.html

これのどこがどのように関係するのか?
関係するとしても、ほんの僅かだろう。
これを覚えても意味ナイ てことよ。

河童くんいいかい?
このhttp://www2.2ch.net/2ch.htmlが
これがわたしの説明する〜

これを覚えても古代は強くならないという〜「関係ナイ」という理由だよ。
そして、これが説明だよ、納得できたかな?
408日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:24:18
>>406
俺も爆笑したwwwwwwwwwwww

多分ドン来いスレで木津に勢力を伸ばしたヤマト王権の一派?と丹波の結びつきの話を
脳内で消化できなくてかかるストーリーになったんだと予想wwwwwww
409河童虫:2009/07/25(土) 00:25:21
>>403

>どれも、古代史とは関係ナシ

話しの内容をちょん切って、一部分を掲載する事によって
関係ないとする行為は実に不十分なせつめいであり、あるいみ意図的にある一方への
誘導にもとれる
説明するのであるならば、一部分ではなく
全体の流れを掲載し、せつめいすべきではないのかね?

それともなにかい
一部分を掲載し、意図的に事を進めていかないと否定できないほど
短絡的な判断だったのかい?

そうであったなら、大変遺憾だな

それに、>>344>>347なんて 抜き取った部分だけでも十分古代史だと思うが
410改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:28:28
>>406
>お・ま・え・は・ア・ホ・か!

あら、面白いと思ったらいけないんですか?
わたしは、「丹波派」ではなく「マキムク派」なんですが、
「丹波」というのは、卑弥呼が活躍した時代(二世紀〜三世紀)
天皇家から重要な扱いをされてるんです。
たといえば、記紀にみる、天皇の妻、いわゆる、皇后が丹波から出されてるんです。
だから、「おもしろい」ておもわないほうが変なわけで・・・。
411日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:30:16
>>394
勘注系図のどこに卑弥呼が書いてあるんだよ
どの海部氏の世代の並びに書いてある誰のことなんだよ
頁でもいいよ
おしえてほしい
412河童虫:2009/07/25(土) 00:31:51
>>407

リンク先を提示した(ヒットできないけど)という事は
そこに書かれている内容を把握しているということだから、かいつまんで説明してくれ
ただ、ものぐさもしくわ安易にリンク先を提示したのではないだろうから

それともリンク先の内容も理解せずに貼り付けたのかい?
そうじゃないよね
説明ぐらいいとも簡単にできるぐらいに把握しているから
その内容と比較して私の行為を否定したんだよね?
413改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:33:51
>>408
お前のほうが爆笑だよ。
わたしが、いつ、「卑弥呼=丹波の娘」いったんだよ?
マキムク(大和)の次の候補ていえば、河内、丹波、筑紫とかだろう?
どっか〜青森とかから出したって発言より〜面白いと思うけどな。
414改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 00:36:57
>>409>>412
わたしは否定する、理由は>>407で述べた。
ハッキリいって「言語学」なんて覚えても意味ナシ。

ゴチャゴチゃ言ってないで、なんで関係あるのか?
君こそ、説明してくれ。
415日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:43:38
改めドツボのアホへ

椿井大塚古墳が何処にあるのか調べろカス!w
丹波ってどの地域をさすのか調べろドアホ!www
416河童虫:2009/07/25(土) 00:50:59
>>414

>わたしは否定する、理由は>>407で述べた。
ハッキリいって「言語学」なんて覚えても意味ナシ。

全然述べてない。ヒットできないリンク先を貼り付けて
何がどう説明なんだね?
そんな説明の仕方が通るのは、君の脳内だけの話だよ

>覚えても意味なし

だからどう意味がないんだね?
意味がないと判断するには、意味のあるものと比較して初めて意味がないと表現できるものだ
だから君が発した「意味がない」と判断した材料がどうであるかこちら側としては知りたい

>ゴチャゴチゃ言ってないで、なんで関係あるのか?
君こそ、説明してくれ。

言葉は人が古来から使用している伝達手段だからだよ
十分古代史、いや歴史だよ


でも、君が否定してるのはそんなことではない「内容」だよね?
だから「内容」のどのような部分が、否定されなければならないのかと
説明を求めているんだよ   当然の要求だよね?
だから、>>407みたいな説明モドキではダメなんだよ
しかもリンクを貼り付けた当の本人が全然把握していないんじゃ、シャレにもならない。
とんだ茶番劇だ
417河童虫:2009/07/25(土) 00:53:53
ま、今直ぐ説明しろと言っても突然のことで
内容がまとまらないだろうから、一晩考えて説明の内容をまとめることだね
418改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:02:58
>>416
>ヒットできないリンク先を貼り付けて
>何がどう説明なんだね?

http://c.2ch.net/test/-/gengo/i

>だからどう意味がないんだね?

わたしが「言語学スレ」をみたかぎり、「古代史」というより
「方言」のほうが近いのではなかろうか、と感じた。

>言葉は人が古来から使用している伝達手段だからだよ
>十分古代史、いや歴史だよ

我々は、中国二十四史の通称 魏志倭人伝に記された
「卑弥呼や邪馬壹國」を調べてるんですよ。
日本人の言葉、「言語学」なんて直接関係ナイわけで、
そんなのを覚えたところで、極わずかしか意味をなさない。

>でも、君が否定してるのはそんなことではない「内容」だよね?
>だから「内容」のどのような部分が、否定されなければならないのかと
>説明を求めているんだよ   当然の要求だよね?
>だから、>>407みたいな説明モドキではダメなんだよ
>しかもリンクを貼り付けた当の本人が全然把握していないんじゃ、シャレにもならない。
>とんだ茶番劇だ

君が「古代史=言語学」と勘違いしてしまってるだけ。
いつか教えただろう? もう忘れたのか?
言語学なんて覚えても古代史に強くなりません。
古代史というのは、「文献史学」と「考古学」なんですよ。
ハイ〜くだらん話はもうおしまい。 単なる〜君の勘違いてことよ。
419改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:09:31
河童くん

太国氏が有りもしない「倍暦」を一生懸命調べてただろう?
本人は一生懸命調べて、覚えたつもりだろうが、ハタからみたら「時間お無駄」にしか
見えなかっただろう?君は、あれと同じで、
「勘違いして一生懸命覚えてしまった・意味のなさないことを学んだ」
てことだよ。

大体、
>言葉は人が古来から使用している伝達手段だからだよ
>十分古代史、いや歴史だよ
なんて、いうじたいオカシイよ。
君が調べてるのはなんなんだい?中国文献の「倭人伝」ではないのか?
日本語の言葉じゃないんだぞ?君が調べてるのは「万葉集」なのか?

420日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:11:54
卑弥呼 の字を 日本人がどう発言したのか? 

これぐらいしか「言語学」の活躍する場はありませんね。
421日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:12:30
>>326
>母音「i」を付ける事で静止し、名詞になる。

これだと、四段動詞・上二段動詞の名詞化は説明できるけれど、
他の動詞は説明できない。

下二段「流る」は「流る+i」で「流り」にはならない。名詞化は「流れ」
e音にも静止させる働きがあるのだろうか。
下二段は他にも、投ぐ→投げ 寄す→寄せ 教ふ→教へ など

下一段「蹴る」は足蹴(あしげ)というように、名詞化すれば「け」

上一段「着る」は「着る+i」で「着り」とはならない。名詞化すれば普段着などの「き」
他に、似る→似 見る→見 射る→射 などがある。
i音に静止させる働きがあるのなら、kにiが付いて「着」になって、「る」が付いて動詞化したのだろうか。
それでは、「動詞が先という道理」に反する。

「登る」が「登り」と名詞化することをi音の働きとして説明しようとすると、
下一・下二・上一それぞれに、別個の名詞化の説明が必要になる。
422河童虫:2009/07/25(土) 01:16:08
>>418

>わたしが「言語学スレ」をみたかぎり、「古代史」というより
「方言」のほうが近いのではなかろうか、と感じた。

ここも詳しく説明よ惜しく
君が感じた事なんて私には分からないので  で、どのように方言に近いのか?


>日本人の言葉、「言語学」なんて直接関係ナイわけで、
そんなのを覚えたところで、極わずかしか意味をなさない。

学問とは、その極わずかな可能性を追求するものだよ
で、その極わずかと判断した部分はどの部分  簡単だろう
直接関係ないと前文で否定してからの「極わずか」に修正なんだから

>君が「古代史=言語学」と勘違いしてしまってるだけ。
いつか教えただろう? もう忘れたのか?
言語学なんて覚えても古代史に強くなりません。

別に強くなりたくて学んでいるのではないので見当違いもいいところ


>古代史というのは、「文献史学」と「考古学」なんですよ。
ハイ〜くだらん話はもうおしまい。 単なる〜君の勘違いてことよ。

さ〜て限定しちゃったよ
で、どうしてそう限定できるのか説明よろしく
私はそう限定できる材料を持っていないので、限定断言できる根拠はなにか説明してくれ
423改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:16:23
ほら〜バカが寄ってきたw

せいぜい、ヒミファ、ヒミカ、ビミファ、ビミコ とか言って遊ぶことだねw
424421:2009/07/25(土) 01:20:18
>>421のつづき

ところで、「蹴」「流れ」「見」「登り」などなど、すべて「たり」が続きうる。
「蹴たり」「流れたり」「見たり」「登りたり」
つまり、これらは連用形に分類される。
動詞の名詞化を連用形の性質とすれば、四段だろうが上一だろうが、
活用の種類に係わらず、一つの理屈で説明がつく。
活用の種類ごとに別の理屈を用意しなければならない理論より、
統一的説明の方が優れていると考えるのが道理ではなかろうか。

科学は、より少ない法則、より少ない原理に基づいた理論を優れた理論とするわけで、
物理学の理論も、そのように評価される。
ただし、物理学のように実験で理論の正当性を実証できないので、
i音の働きで名詞化したんだと言い張ることはできる。
425411:2009/07/25(土) 01:20:32
>>423
>>411に答えてくれよ
426411:2009/07/25(土) 01:21:46
今日は無理だが勘注系図pdfで保存してあるから上げようか?
427日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:23:21
>>426
横からだけど、それ欲しい。
先日から、ネットで探してたけど、見つからなかった。
でも、著作権的に大丈夫なの。
428411:2009/07/25(土) 01:24:39
>>426
もちろん引っかかるよ
だから時間区切って短い間だけ上げるつもり
429改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:25:34
>>424
スレ違い
http://c.2ch.net/test/-/gengo/i
卑弥呼、邪馬台国に関係するか?

>>425
>>394は私ではない。

>>426
お好きなように〜。
430日本@名無史さん:2009/07/25(土) 01:27:28
>>429
ああそうかこちらのミスであった。
431改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:31:31
おまえら〜もう1度、
スレの「タイトル」と「サブタイトル」を
よく嫁っっ!

は〜〜疲れるな・・・さて、寝ようかな。
ドンコイを見習うことだな。
432河童虫:2009/07/25(土) 01:34:53
>>421

私は母音「u」についての名詞化を説明したのであって
その他の母音はまだ何も触れていませんが

それに、似る→似 見る→見 射る→射や着るなどは

似(に)、見(み)、射(い)、着(き)という 母音「i」で終了し、最初から短音で成立し、
母音「u」からの静止の必要性のないもの
逆に静止から動にするために母音「u」を必要とするものです。
433改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/25(土) 01:36:52
>>432
スレ違い

少しは、周りの迷惑も考えたら?
では、あとは愛知県民さんに・・・zzzzzzzz
434縦目仮面:2009/07/25(土) 01:45:27
連用化機能より名詞化機能のはうが先に成立してると思うけど、この議論は難しい。しかし
古代史ではないが、十分学問になってますよ。
435河童虫:2009/07/25(土) 01:53:37
>>419

>太国氏が有りもしない「倍暦」を一生懸命調べてただろう?
本人は一生懸命調べて、覚えたつもりだろうが、ハタからみたら「時間お無駄」にしか
見えなかっただろう?君は、あれと同じで、
「勘違いして一生懸命覚えてしまった・意味のなさないことを学んだ」
てことだよ。

いや、太国氏の倍暦を否定するつもりもないし
否定できるほどの材料も持ち合わせていない。だから否定などできない
という理屈です。
それともあなたは否定できる材料を持ち合わせて否定しているのですか?
それだったら後ほど太国氏に伝えておきます。


>「勘違いして一生懸命覚えてしまった・意味のなさないことを学んだ」
てことだよ。

こんな抽象的なつっこみどころ満載の言葉をを安易に使うから
容赦なく突っ込まれるのです。
人の研究を否定するのなら、それなりの覚悟をもって否定することです。
ま、ここは場末の2ちゃんですから


でも太国氏の研究とそれに関連する知識は
尊敬するものがありますよ 並みの集中力では成し遂げられないものを感じます。
一芸に秀でてるというんですか?
人というものは、一度生をを受けたからにはそうありたいものです。
広く浅くではなく、
436日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:29:01
>>432
理屈は何とでもつけられるわけで、ならば、どちらが優れた理論かという評価になります。
より少ない法則、より少ない原理に基づいた理論を優れた理論とするというのが科学の道理です。
実験によって理論の正当性が立証できない以上、科学の道理に従うのが道理でしょうw
どちらが優れた理論か明白です。
437日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:43:16
>>432
>私は母音「u」についての名詞化を説明したのであって
>その他の母音はまだ何も触れていませんが

「流る」「投ぐ」「寄す」「蹴る」は母音「u」ですが。
438日本@名無史さん:2009/07/25(土) 05:11:09
439美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 05:22:27
>>432
この説明は良く解る

あ、え、う、い、お


んで、確か母音の本当の並びはこうだったはず
んで古代日本には言霊とかいう観念がある
440美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 05:33:34
ふ→う
フ→ウ

ヰ→イ

ヂ→ジ

あま→アマ
にこ→ニコ
ふう→フウ
ぬめ→ヌメ
しつ→シツ
441美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 05:46:01
日本語を正しく理解しないから「天照は太陽神だ」なんて話になるんだよな

アマテラス→アマをテふ
だよ
×アマ=空・宇宙
○アマ=水・雨・雲・海
アマテラスは太陽じゃなく、むしろ雨乞いの神様だよ

ちなみに太陽は「日(ヒ)」だから、「お日さま」て言うんだよ
【別天つ神(アマテラスより以前の神)】
高御産巣日神
神産巣日神
これらが太陽神
太陽神はいわゆる「別天神」だよ

442美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 05:59:10
>>437
流る→ナ・ガル
「ナ」は、流、菜、長、とかそういう意味
「ケ」は、気、怪、着とかだよ


「投げる」に関しては、本来の日本語は「放る(ほうる)」だから
443日本@名無史さん:2009/07/25(土) 07:20:37
>>438
いただきました。ありがとう。
444河童虫:2009/07/25(土) 07:31:50
>>437
なぜ、文語体を持ち出してまで反論しなければならないのか?
貴方の真意が理解出来かねます。

このへんが
掲示板の嫌らしいところですか?

私は言語を語っているのです。
普段から
「投ぐ」なんて使用し会話されていますか?
445doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 08:27:01
倭迹迹日百襲媛命と孝元は腹違いの兄妹であり百襲媛命は考霊の皇女。
伊香色謎命は孝元の妃であり開化の后でもある。
伊香色謎命は崇神の母であり崇神即位と同時に皇太后となる。
どうも、倭迹迹日百襲媛命より伊香色謎命のほうが大物で長生きしたようだ。
倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼で、伊香色謎命が壱與であるように思えてきた。
446日本@名無史さん:2009/07/25(土) 08:47:36
>>444
え?

君の主張が正しければ、カムにi音が付いてカムイになったのは、
アイヌ語と日本語が分化する前の古代ということになる。
なら、できるだけ古い時代の言葉を素材にして議論しなければならないと思ったんだけど。
河童言語学では、現代語の研究で、神という言葉が誕生するより前の言語状況がわかるというのか。
447doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 08:58:29
>>426
勘注系図では、天豊姫=台与=由碁理(建諸隅)の子=開化妃ですね。
448日本@名無史さん:2009/07/25(土) 09:59:05
鳥居=鴨居=かもい=カモイ=カムイ=カミ

ですよ。

神社の「鳥居」は、本来「鴨居」と呼ばれていたはず。
構造が同じなんだから。
449河童虫:2009/07/25(土) 10:13:04
>>446
「投ぐ(なぐ)や」「投げる」に、新しいも古いもありません。
「投ぐ」とするから違和感があるので
「なぐ(なく)」で話しを進めればいいのかと

「なく」の静止形は「なき」
450doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 10:21:13
伊香色謎命は自分と孝元との間の子である、彦太忍信命を天皇にする事ができず
孝元と欝色謎命の間に生まれた開化に第九代天皇の座を奪われてしまう。
すると、伊香色謎命はすかさず開化とHして第十代崇神を生んでしまった。
たいした珠だぜw
451河童虫:2009/07/25(土) 10:31:44
>>446
全てではありませんが、人が存在するかぎり歴史はわかりますよ。

例えば「カムイやカミ」
これは昨日説明したように、カムと言う動詞が名詞化したもの
カムを漢字にて表現すれば、代表的なものに「噛む」という、生物の基本行動が存在します
言語は人が使うもの、人が使うものであるいじょう。基本は人となり、人の行動は最優先されるべき言葉発生優先順位です。

これは道理に叶うはずです。

カムイやカミが、カムと言う言葉からの発生であるのならば、当然
カムの言語としての基本構造は、カミやカムイにも受け継がれているということです。
452doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 10:51:03
第四代懿徳天皇と天豊津媛命は四親等である。その子が第五代孝昭でありアッパラパーである。
第六代考安とその后押姫とは三親等である。その子第七代孝霊天皇はアンポンタンである。
第八代も第九代も凸助なら、女が実権を持たされたのだろう。
453日本@名無史さん:2009/07/25(土) 10:59:53
>>444

> なぜ、文語体を持ち出してまで反論しなければならないのか?
> 貴方の真意が理解出来かねます。

横ですが、
貴方の言う「文語体」とは、近世以降に言文分離が生じた結果、残された古語のことでしょう?
ならば、それは古くは口語として使用されていたものです。

> 私は言語を語っているのです。
> 普段から
> 「投ぐ」なんて使用し会話されていますか?

つまり、貴方の言う「言語」とは昔の人の口語には適用できないもの。
貴方の「理論」とは、現代口語にしか適用できないもの。
そうのように自認されたということでよろしいでしょうか?

ちなみに、「止(や)む」と言う言葉は古語でも現代語でも、意味も音価も変わっていません。
なので、お暇なら虫理論で解釈してみて下さい。
454河童虫:2009/07/25(土) 11:01:49
鳥居と鴨居は
形は似ていても、似て非なるもの
全く違うものです。

だから「とりい」であり「カモイ」なんです。
455日本@名無史さん:2009/07/25(土) 11:05:10
葛城系天皇なのか、
二代から雄略までの大王、特に『考』は
葛城側に古墳が集中し、葛城側に伝聞も多い
456doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 11:11:10
武埴安彦命は孝元の後継者争いに破れた命ですね。かわいそです。
勝ったのが百襲媛命や伊香色謎命です。
457doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 11:14:39
>>455
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇
は近親相姦の末の土手南瓜です。
458日本@名無史さん:2009/07/25(土) 11:15:51
>>451 ちょっと違うな。
カムとは英語の「come」と同じ。
イとは、英語の「i」と同じ。
カムイとはやってきた人。渡来人のことだ。
ちなみに、アイヌとは「I am」。
現地人の自称がそのまま民族名になったケースは実に多い。
459河童虫:2009/07/25(土) 11:19:45
>>453 お安い御用です。

現代も古代「投ぐ」なんて言葉は存在しません。
それを言うなら
「なぐ」です。

「なぐ」の基本構造は「なく」てあり、
漢字で意味を表現すれば
泣く、鳴く……
その静止形は「なき」

「なぐ」の濁音を崩さず表現されたのが
「なぐ」+ラ行」です。

「投」ぐ、に 当用された投の文字には、本来「な」と言う表現は存在せず
投げると言う意味の漢字を当用した結果「投ぐ」と言う漢字と平仮名を組合せたものが出来たのです。

だから音表現にはせず、文字表現にだけ存在する結果に。

これは
言語言意を学ばなければ現代の私達にはわからない分野。
過去に置いてきてしまった、大事なもの
460河童虫:2009/07/25(土) 11:49:35
>>453
「止む」でしたね  これも先ほど同様「止む」という言葉は存在せず、「やむ」です

「止む」もそうなんですが、最初に>>437で提示された「流る」「投ぐ」「寄す」「蹴る」
というのも文章表現上にしか存在できないもので、音の世界では
「ながれる」「なげる」「よせ」「ける」で表現されるものです。
本来「流」はリュウ、「投」はトウ、「寄」はキ、「止」はシという音が存在するので

流れる、投げる、投げる、寄せるなどという意味で分析する事は
無意味な行為と考えます。

つまり、現代人が大きく勘違いしているのは
漢字使用による混用を分別せずに使用しているところにあるのです。

コツさえわかれば誰でも手軽に言葉の分別ぐらいはできるはずです。

「止」という文字は「と」ではなく、 とまる、とめる という音とは違う意味なのです。
461453:2009/07/25(土) 12:05:23
>>459

> >>453 お安い御用です。

すいません、このレスの意味がわかりません。

「お安い御用」って、普通は相手の要求が、比較的簡単にこなせるときに受けてが使用する言葉でしょう?

>貴方の言う「言語」とは昔の人の口語には適用できないもの。
>貴方の「理論」とは、現代口語にしか適用できないもの。
>そうのように自認されたということでよろしいでしょうか?

全く応えてないじゃないですか。
そう言うときに使うのであれば、「お安い御用ですが簡単には返事はいたしません」とかじゃないですかw

462453:2009/07/25(土) 12:10:16
>>460

すいません、このレスの意味もわかりません。

私は「止(や)む」と書いているんですから、括弧の中の「やむ」で解釈してください(お暇なら)。
漢字の訓当ての解釈をお願いしているのではありません。
463河童虫:2009/07/25(土) 12:17:48
>>462

「やむ」の静止は「やみ」  漢字で表現すると 「闇」なんかもそうだよね

応用で、「やまい」という表現があるが
これは「やま」と形容されたものに母音「i」を付けることにより
「やまい」とい名詞が誕生する
464453:2009/07/25(土) 12:37:54
>>463

> 「やむ」の静止は「やみ」  漢字で表現すると 「闇」なんかもそうだよね

「やむ」自体に「静止」の意味はないのでしょうか?
 例えば「雨が止む」「雨が止まない」「雨が止み傘をたたむ」「雨が止めば好い」

> 応用で、「やまい」という表現があるが
> これは「やま」と形容されたものに母音「i」を付けることにより
> 「やまい」とい名詞が誕生する

「形容」ってどういう意味ですか?
学校文法で言うところの「活用」の意味でしょうか。
違うなら説明は結構です、長くなるでしょうから。

で、古語に関する問いについての御見解は、やはりいただけないのでしょうか?
465453:2009/07/25(土) 12:41:17
>>463

「お願い」ばかりしていますが、必ずお返事いただけるものとは期待していませんのお気にせずに。
このあと所用がありまして、ここで落ちます。
では。
466河童虫:2009/07/25(土) 13:28:47
>>464

>「やむ」自体に「静止」の意味はないのでしょうか?
 例えば「雨が止む」「雨が止まない」「雨が止み傘をたたむ」「雨が止めば好い」

動詞「u」は静止と区別する事がない、内からの視点で外から内に向かう動きです。
つまり、「やみ」と静止するまでの動きを母音「u」でひょうげんしているのです。
だから静止が含まれるという分類はしません。

>「形容」ってどういう意味ですか?
学校文法で言うところの「活用」の意味でしょうか。
違うなら説明は結構です、長くなるでしょうから。

「(やま)にたとえられた」と言った方が分かりやすいですか?


>古語に関する問いについての御見解は、やはりいただけないのでしょうか?

いいえ、
それではあなたは古語を何で知りましたか?という私の問いに対して
「古代の人から直接聞きました」という答えが返ってくるのであれば
私も内容を変更せざる追えませんが
多分100%文章表記にての知識かと
それだと当然、先ほどのように漢字とのかかわり合いからの説明になります。

現代において、分別するという行為をせずに
古語をそのまま言語にての表現とすることはできません。
古典にてこう書かれているからと、ダイレクトに音表現化することは
私は感心しないと判断しています。
467河童虫:2009/07/25(土) 13:32:42
では 私もこのあとお祭りがありますので
そろそろ  電源を落とします。
468愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 13:47:13
>>457
孝昭皇帝 在位期間 前86年 - 前74年
孝安皇帝 在位期間 106年 - 125年
孝霊皇帝 在位期間 167年 - 189年
孝元皇帝 在位期間 前48年 - 前33年
すべて漢の皇帝の諡号です。
初代「神武天皇」の諡号は、淡海三船が後漢書倭伝の57年「漢倭奴国王」=イワレヒコと見なして考案したか。
32年、倭奴国王と同様に光武帝から王号を受けた高句麗の「大武神王」を参考にしたと思われる。
二代「綏靖天皇」は、107年の倭国王「帥升」と、帥升らを迎えた摂政のケ太后「綏」に因んだ名だろう。
高句麗の太祖大王・宮の次の「次大王・遂成」も「二代天皇・綏靖」に似ている。
三代「安寧天皇」は、帥升らが会いたいと願った安帝(孝安皇帝)に因んだ名だろう。
四代「懿徳天皇」は、安帝の次に125年に即位・すぐ崩御した少帝「懿」に因んだ名だろう。

実際には倭奴国王=ニニギ、帥升=スソリ(スセリ)=海幸彦であり
スソリの弟がヒコホホデミ=山幸彦=神武ではないか?
469愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 14:01:51
女神・八女津媛と神夏磯媛
景行紀に出てくる九州の女酋で、この二人が「神」とされている。
神功紀には山門県の土蜘蛛・田油津媛が登場するが、山門は八女に近い。
また、田油津媛の兄・夏羽は地元の伝承では神夏磯媛の子孫とされている。
八女津媛=卑彌呼、神夏磯媛=壹與(又はその後継者)とする考えも成立しうるように思う。
470日本@名無史さん:2009/07/25(土) 14:35:27
>>459
現代語の「投げる」なら、どうなる。
名詞化すれば「投げ」だけど。
471doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 14:43:51
>>468
第二十一代雄略天皇の没年が己巳 489
第十五代 応神天皇の没年が甲午 394
第十代 崇神天皇の没年が戊寅 318
初代     神武天皇の没年は?  二世紀でしょう?
472doontakuka:2009/07/25(土) 14:44:28
@.吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上 此者坐御諸山上~也
A.此之鏡者專爲我御魂而 如拜吾前伊都岐奉
の、
伊都とは『月』のことである。

@ は月信仰の押し売り
で、
A では、月のポジションに鏡(太陽)を据える。

御諸山は現在の三輪山、三輪山の緯度は北緯34.531度。
この緯度は女王国の領域、北緯30度と北緯39度の中央にあたる。
南至投馬國水行二十日 官曰彌彌

彌彌とは『夜の意』である。
投馬國が畿内なのだ。
473愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 15:19:42
>>471
応神天皇の没年が413(高句麗・東晋への遣使)
甲午 394は神功皇后の没年
崇神天皇の没年が戊寅 258
神武天皇の没年は二世紀前半と考えています。
474太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 15:31:50
>>468 プラムさんが19年1月に書きこんでいるのが想起される。
  綏に関して

 惟元始五年(A.D.5年)5月 庚寅太皇太后・・・(中略)
 ・・・有"綏"宗廟社稷之大動・・・

         (新校本漢書/列等/巻九十九上王莽傳巻六十九上)
475doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 15:35:25
>>473
応神と神功の没年に関してはほぼ、私の意見と近似値ですね。
なのに応神の僅か五代前の崇神天皇の没年が戊寅 258ですか?
応神天皇の没年を413年とするなら崇神の没年は戊寅 318でなければおかしいのです。
476太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 15:41:05
倍暦計算にて

 崇神崩御=259年
 應神即位=376年
477河童虫:2009/07/25(土) 15:57:21
>>470祭中につき短めに。

現代語であろうと古代語であろうと
「投げる」は
文章表記の世界でしか表現出来ません。
言葉の表記は「なげる」であり「なける」或は「トウ」

後はこれまで説明したのでご自分で。
478doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 15:59:19
崇神の没年が戊寅 318である事が理解できれば
神武の没年が二世紀中頃である事がわかります。
三世紀の欠史八代のなかの女傑が卑弥呼であり壱與です。
479愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 16:21:29
>>474
おや、これは元始五年(A.D.5年)海を渡って国珍を奉じた東夷の王に関連しそうですね。
太国さん、プラム(河童)さんありがとうございます。
綏の実年代に結びつくかどうかは微妙?
480日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:41:17
>>477
それで、文語体は言語ではないの?
もしかして、君のいう言語とは、口に出してしゃべっている音のみを指してるの?
文字で書かれたものは言語ではないの?
源氏物語も枕草子も言語ではないの?言語なの?
481愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 16:47:54
>>475
>応神天皇の没年を413年とするなら崇神の没年は戊寅 318でなければおかしいのです。

應神〜雄略は六代と言っても、三世代ですよ?
崇神〜應神が五世代であれば不自然とはいえない。
纏向の年代推定から見ても、258年が妥当と思われる。

>>478
>三世紀の欠史八代のなかの女傑が卑弥呼であり壱與です。

三世紀に大和政権の基礎が築かれつつあったのは確かだが、それは狗奴國と考えられる。
劣勢の九州は、北朝・室町幕府に相対した南朝の懐良親王のように大陸に接近したのだろう。
482日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:48:06
冷静に見て、文法の議論に関しては河童負けのようだな。「寿陵」のようなこじつけは
きかない。
483日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:04:30
>>482
寿陵にしても、生前墓は墓ではないって、「白馬は馬ではない」っていうのと同じ事いってるんだけどね。
白馬非馬説って、詭弁の代表格だし。
484日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:10:39
「寿陵」は論題自体がきわめて馬鹿馬鹿しい。「動詞が名詞化すると連用形をとる」というのは
きちんとした学問だろうが。
485doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 17:16:21
>>481
崇神の没年を戊寅 258すると、孝元、開化はまさに卑弥呼と同世代となります。
すると、壱與は崇神以降に没となりますが?そう理解してよろしいですか?
486日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:21:46

イヨタン・・・・・・・・・・
487愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 17:26:08
>>485
>壱與は崇神以降に没

壹與が長生きしたかどうかは、史料が無いので不明です。
長生きしたなら、景行西征を迎えた可能性もあるでしょう。
488日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:32:10
狗奴国は南九州の一部と四国だろ
国というより、倭寇に近かった可能性がある
489doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 17:37:31
>>487
壱與は266年に張政等を送り返した。 と、魏志倭人伝に書いてあるので
崇神没を戊寅 258年とするならば、壱與は崇神没後も生きていたと考えねばならない。
490doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 17:52:25
魏志倭人伝には卑弥呼と壱與の事が書かれているのに
なぜ、その中間の崇神の事に触れていないのでしょう?
前提の崇神没戊寅 258年が間違っているからではないですか?
491太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 17:59:47
258年はほぼ正解だ。
書かれてないのは、卑弥呼の国が紀無いに存在しないからだ。
ということは、九州にあったということだ。畿内に女王国があったん
なら、金印は天皇のほうがもらうはずだ。これで畿内か九州かの
判別がハッキリできるのだ。畿内説は間違いだ。
492愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 18:00:08
>>489
>壱與は266年に張政等を送り返した。 と、魏志倭人伝に書いてある

違います。魏志倭人伝にそんな年は書いてありません。
266年というのは晋書の武帝紀の泰始二年でしょうが、「倭人來獻方物」とあるだけ。
日本書紀には「晉起居注云。武帝泰初二年十月。倭女王遣重貢獻」とありますが
年号が間違っていますし、「女王」としか書いてありません。



493太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 18:14:47
>>479
A.D.5年は倍暦計算にて神武即位5年。

この前王莽伝のその記録からA.D.5年を神武即位2年と書きこんだことが
あったが、これはそれがしの照合で間違いであったことが後で分かったので、
ここに慎んで訂正します。

綏の誕生は同計算でA.D.10年を得ており、これはA.D.5年の5年後である。
天皇の諡号を命名した者は、だいたいの実年代を知っていたようだ?
494doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 18:19:08
>>492
泰始2年(266年)の朝貢までの17年間、外交(朝貢)は途絶しています。
張政の帰国を266年と考えるのが、自然ではありませんか?
495愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 18:32:15
>>494
>泰始2年(266年)の朝貢までの17年間、外交(朝貢)は途絶しています。
>張政の帰国を266年と考えるのが、自然ではありませんか?

晋書倭人伝
宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帶方朝見、其後貢聘不絶。及文帝作相、又數至。泰始初、遣使重譯入貢。
宣帝(司馬懿)が公孫氏を平定すると、その女王は使者を帯方郡に送って朝見。その後貢献は絶えなかった。文帝(司馬昭)が相となると、また数回やって来た。
泰始の初め、使者を送り訳を重ねて入貢した。
496doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 18:41:12
>>495
晋書648年は評価が低い。
そもそも、卑弥呼没後倭国は乱です。乱の後に壱與の共立です。
そして張政の帰国です。倭国は乱ですので頻繁な朝貢など無理 
497日本@名無史さん:2009/07/25(土) 18:46:01
てか毎日毎日邪馬台国はどこかとかはたからみてればキモいんだよ。
自分らは気付いてないかもしれんが。
498美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 18:48:44
>>446
アイヌのカムイは「霊」の意味だよ

つか君がまず本来の日本語の「カミ」の意味を理解してないんじゃないかな?
例えば、アマテラス、スサノオ、イワレビコ、オオクニヌシ、、、
コレラは「カミ」じゃなく「ミコト」だよ?
「オカミの決めた事には逆らえない」とか言う言葉あるでしょ?
それが「カミ」だよ
漢字で書くと「示(しめす)・申(もうす)」で「神」だよ
「上(カミ)」と同じ意味
「上様(かみさま・うえさま)」
人に対しては地位や位が高いとか、そういう意味だよ
499愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 18:53:12
>>496
「亂」という字は卑彌呼共立の前しか出てきませんが?
卑彌呼共立の前は「歴年」とありますが、壹與の場合はないので
混乱の期間は数ヶ月程度か。
500美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 19:05:09
>>446
あと日本は仏教の国であって、大和朝廷(公家)の人達も、江戸時代までは寺の檀家に入ってて、檀家の寺に代々埋葬されてたんだよ
死んだら仏になる訳だからさ
この「ホトケ」ってのがいわゆる「ミコト(命・ミタマ(御霊)」と同じ意味だよ
アイヌの「カムイ」ってのもコレの意味だよ
仏教伝来だなんだ言うけど、日本の仏教は「日本仏教」って言って、釈迦や仏陀が伝えてた仏教とは違うものだよ
釈迦や仏陀や空海ってのは、そもそも仏教じゃなくいわゆる密教の方の人だし
日本に伝来して来たのは仏教ってより、要は偶像崇拝だよ


てか、俺も話してて何か意味解んなくなってきた
501愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 19:08:46
>>496
>晋書648年は評価が低い。

それなら、266年という年次も怪しいですね。
日本書紀にも出ていますが、書紀は720年だからもっと怪しいですね?
502愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 19:15:25
美濃もん太氏のレスはなるほどと思うところもありますが、
このスレの主題から離れているのではないでしょうか。
503日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:24:33
もん太や太国が一々スレの主題なんか考えると思っているのか?
504日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:28:29
この人は常にそうだよ。合ってることも間違ってることも含めてどんどん話がとぶ。
悪夢の万華鏡というか、地獄のメリーゴーラウンドというか。
505日本@名無史さん:2009/07/25(土) 19:36:04
>>504
「恐怖の回転寿司」と言うのはどうだろうか?wwwwwww
506504=縦目仮面:2009/07/25(土) 19:44:09
こっちがやっと反論を書き終えた頃には、もう別の話題に移ってるんだから怖ろしい。
507美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 20:02:05
>>451
つか方言の違いなのかも知れないけど、河童さんの言ってる「カムイ」ってのは、「カンナ」とは別の意味?

カンナガワ(神流川)、カンナビ(神縻、神摩)、カンナヅギ(神奈月・神有月・神無月)、イカスリのミカンナギ(坐摩巫)
例えば「神道」てのもさ、単に漢発音すれば「シントウ」だけど
これちゃんと「カンナガラ」て言う日本語の発音もあるんだよ(方言の違いによりカンナと発音しない地域も有り)
今の教科書とかでも使われる標準語て言われてる言葉って、確か九州の方言を採用したって話も聞いた事あるよ
標準語てのはさ、江戸弁(いわゆる江戸っ子言葉)の話言葉とは違う言葉使いらしいよ
標準語「冷たい」「寒い」「〜する」「大きい」
江戸っ子「冷てー」「寒みー」「〜やる」「でけー」


書物とかもさ明治時代の前後では、まるで書き方って言うか日本語の表記の仕方が違うし、漢字の発音の仕方も変わっちゃってるしさ
武士=もののふ
○○大社=おーやしろ
今の日本語表記と自分の話してる話し言葉とどれだけ違うのか比べてみると解るかもだよ
例えば「大きい」は「オオキイ」なんて発音しないでしょ?
発音すると「オーキィー」だし
508doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 20:09:12
>>501
では、卑弥呼の没後13歳で共立された壱與と
戊寅 258年に没した崇神では、どちらが年長だと、考えますか?

飯食ってたんで亀ごめん
509美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 20:11:07
>>453
「やむ」てのが古代でも使われてた日本語だとしたら
じゃあ同じ意味の「とまる」てのは、どの地方の方言なの?
後、例えば「終い(しまい)」と「終わり」てのも、これ方言の違いでしょ?
510愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 20:16:35
>>508
崇神と壹與? おそらく崇神が年長でしょう。
畿内と九州で別々と考えますが。
511doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 20:22:42
>>510
ですね、崇神没戊寅 258年説をとると、壱與九州説を採らない訳にいきませんからね。
512日本@名無史さん:2009/07/25(土) 20:31:52
河童虫 & 美濃もん太 ◆hF.jG29Cew ヘ

スレ違いだよ、言語学はこちらで!
http://c.2ch.net/test/-/gengo/i

それか、ここへドンコイ行ってヨシ!
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 48
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1248356456/

>看板力

アホか 周りの迷惑も考えろよ
513美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 20:39:33
>>491
太国さんの悪い所は、すぐそうやって根拠も示さずに年号を特定する所
西暦258年と決めつけるのは、それなりの根拠があってからでしょ?
魏志倭人伝には確か「景初2年」てあるんだっけ?
これで解るのは「卑弥呼や邪馬壹國は景初2年頃の出来事」てだけだよ
この「景初2年」が西暦で何年の事なのかなんてのは、魏志倭人伝の記述だけでは解らないんだし、年号は決め付けない方が良いですよ


あとちなみに「中国の朝廷を中心とした封冊制度」ってのは、明治時代(昭和だったかも)の歴史学者が唱えた説で
「封冊」なんてのも、その学者が「中国の朝廷を中心とした社会だったに違いない。これを封冊制度と呼ぼう」って事で作られた言葉でしかないよ

何がいいたいかと言うと、この歴史学者が「中国の朝廷を中心とした封冊社会説」を唱える以前までは、「封冊社会」なんて歴史認識は世界中の何処にも存在して無かったって事
こんなのはさ、西暦1500年〜1900年頃まで支那にあった清朝廷見れば解る事じゃん
清朝はマンチュリア民族以外の他域の他民族を「属国、属民」としてた王朝だよ
だから南方民が結束して中華民国が清から共和国として独立したんだよ
で、卑弥呼や邪馬壹國にある「倭国・倭人」てのは、他朝の属民属国であるのかどうかを良く考えた方が良いですよ
倭てのが中国の朝廷に従ってたってのなら、倭は元々は中国の朝廷の支配領土だったって事だよ
514doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 20:46:36
>>510
崇神以前、四道将軍の内の一人により武埴安彦命は殺され
四道将軍は国内制覇を成し遂げています。崇神が倭の広範囲を統一した王です。
その頃壱與が共立されるのですか?おかしいと思いませんか?

崇神没は318年と考えるのが常識です。
515太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 20:56:46
>>513
>決めつける

鷲崎弘朋さんの邪馬台国の掲示板の過去スレに、1回目から50余回に
渡って倍暦計算の詳細を書きこんである。なにもトタンに決めこん
でいるわけではない。
516美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 21:01:56
つか「卑弥呼は西暦○○年」とか、やたら年号を特定したがる人には違和感がある
・関ヶ原の戦い
・明治維新
・孝明天皇初年
・源平合戦
これらの歴史の正しい年号を、いちいち気にしてたり把握してる人とかいます?
神武天皇や東征もだけど
卑弥呼や邪馬壹國も、やたら年号の特定だけに固執してる人が多すぎる気がするよ
祟神天皇だの景行天皇だの、いちいち西暦何年に天皇になっただの死んだだのどうでも良くないか?
源頼朝や徳川家康の死んだ年号なんて別にどうでも良いでしょ?
江戸時代に使われてた玄武6年やら、改新10年やらが西暦何年だろうがどうでも良いでしょ?
その時代の天皇が誰だとかいつ死んだとかどうでも良いでしょ?

それとも卑弥呼が238年じゃなきゃ都合が悪い理由でもあるんか?
517doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 21:07:43
>>516
このスレは卑弥呼スレなんでしょ?
唯一の手掛かりは崇神の没年なんです。これが258年か318年かで
壱與と卑弥呼が推定されるのです。
518愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 21:11:21
>>514
>四道将軍は国内制覇を成し遂げています。

九州は制覇していませんよ?
九州が制覇されるのは景行・仲哀・神功時代です。
519愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 21:14:52
>>514
>その頃壱與が共立されるのですか?

卑彌呼は「共立」ですが、壹與は共立とは書かれていません。
520doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 21:22:18
>>518
九州なんてどうでも良いのです。
広開土王碑によれば、391年に倭が百済、新羅を破り、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)と戦ったとある。
景行・仲哀・神功時代の話はその頃です、 四世紀末の話です。
>>519
松本伊予はまだ16だから〜〜〜、壱與はまだ13です、自立の訳がないのだが・・・・
521愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 21:35:09
>>520
>九州なんてどうでも良いのです。

私はいいですが、九州出身の改めさん、何かご意見を。

>景行・仲哀・神功時代の話はその頃です、 四世紀末の話です。

景行と朝鮮半島とはどういう関係が・・・?
仲哀没は362年。
広開土王碑の391年は、書紀の應神三年の記事と考えられます。
是歳百濟辰斯王立之失禮於貴國天皇。故遣紀角宿禰。羽田矢代宿禰。石川宿禰。木菟宿禰。嘖譲其无禮状。
由是。百濟國殺辰斯王以謝之。紀角宿禰等便立阿花爲王而歸。


>壱與はまだ13です、自立の訳がないのだが

「共立」の意味を勉強してください。
壹與は卑彌呼の宗女だから、共立ではないのです。
522美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 21:35:49
>>515
倍暦とか関係無いってば
じゃあ聞くけどさ、景初2年てのは、何から2年って事なの?



あと100年前まで中国を統治してた、マンチュ民族のマンチュリア朝(漢字表記では清)の、初代皇帝のヌルハチ・ギョロが即位した時に「中国で使われてた元号」は何?


ちなみにヌルハチ・ギョロがマンチュリア朝の初代皇帝に即位したのは西暦1616年
この時代、マンチュリア朝の南の遼東には明朝の総指令大将で朝鮮民族の李氏
西大陸側には中国大陸のほぼ全土を統治してたモンゴル帝国のハーン氏
西暦1616年
中国には少なくとも李氏(明)、マンチュリア朝(清)、モンゴル帝国(元)がある
この時代、秀吉は明を倒しに朝鮮へ征伐にも出掛けてる
1616年、明、清、元では同じ元号が使われてたの?
つか誰が「中国の元号」てのを決めてたの?

明の総指令官である朝鮮民族の李氏
モンゴル帝国の皇帝であるモンゴル民族のハーン氏
マンチュリア朝のマンチュ民族であるギョロ氏
彼らも「中国の朝廷」てのに朝貢をして、漢字や暦や元号を与えられてたの?
523453:2009/07/25(土) 21:36:23
>>466

> 動詞「u」は静止と区別する事がない、内からの視点で外から内に向かう動きです。

これは意味が判りかねますが、

> つまり、「やみ」と静止するまでの動きを母音「u」でひょうげんしているのです。
> だから静止が含まれるという分類はしません。

貴方の使う「静止」と言う言葉は、私達が使う動詞の名詞形(連用形)と概ね同じ概念ですね。
多分、下一の扱いなどは一致しないでしょうが(現代語では終止形でさえ名詞化できるのです)。

> 「(やま)にたとえられた」と言った方が分かりやすいですか?

説明は御辞退したところですがお答えいただいたのですね。
「これは「やまにたとえられた」ものに母音「i」を付けることにより、と言う説明ですか?
とりあえず、「活用」とは違う意味なのですね。まあ、全くもって意味不明ですが。

> 多分100%文章表記にての知識かと、それだと当然、先ほどのように漢字とのかかわり合いからの説明になります。

何故、漢字の訓当ての話に拘るのか、全くわかりません。
口語[yam-u]と文章語「止む」、漢字「止」の定義の違いなどは認識していますので説明は不要です。
私は、文字として記録されたものは全て口語の姿を表すものとは認めない無いと、貴方が主張をしているのか思い、その確認を求めているのです。
見当違いの説明をされるよりは、ただ、YESかNOかで応えてくれた方が話は通じやすいですが、如何でしょうか?

> 古典にてこう書かれているからと、ダイレクトに音表現化することは、私は感心しないと判断しています。

「感心しない」と言われても文字資料しか残っていないので、皆已むを得ず利用しているのですね。
それも「ダイレクト」になど使用しません。万葉仮名や古歌謡とか漢字音の韻書や韻図など、複数の資料を参照して音価を推定しています。
要するに「文語体」とは、近世の「文章語」ではありますが、口語の古い形の記録でもあります。
逆に貴方の言語理論の方が現代の文字表記(かな書)に頼った概念にしか見えないのですがね。
まあ、今回は、文字資料だからと言って口語の性格を全て否定できるものではありません、と言いたかっただけですけどね。
524doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 21:47:21
>>521
少し調子に乗り過ぎました(中川・酒)。神功と応神が四世紀末と訂正します。

卑彌呼没後、乱の後の宗女共立で、おかしくないと思うが。
525doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 21:58:03
>>521
復立卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定

壹與が立ったから、國中遂定されたのではないでしょう。

壹與を担いだ者達が勝ったから、壱與が立てられたのでしょう?

でも話がどんどんと離れていきますね? 私は崇神の没年を特定したいのですが。
526美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 22:01:45
>>520
まずさ、今使ってる「グレゴリオ暦」ってのは、1545年から開かれてたオリエント公会議で作られたんだよ

このオリエント公会議が定めたグレゴリオ暦をローマ教皇が1573年(だっけかな?)に、ローマ帝国の国暦に採用したのが始まり
ちなみにオリエント公会議ってのは、カトリック教徒達によるカトリック集会だよ
グレゴリオってのは、この暦をローマ国暦と制定した教皇の名前

ローマの教皇であるグレゴリオ教皇が、カトリック教会が定めた『A.D.(主の年数の意味)』の暦を採用したから「グレゴリオ暦」って名前だよ



で、どこの石碑に「西暦391年に倭が、、」って書いてあるんですか?
えっとグレゴリオ暦が作られたのは1545年だから、西暦391年なんて掘ってある石碑があったなら、その石碑が作られたのはどんなに古くても、、、、



「百済時代の石碑に391年て彫ってある。だから○○は西暦391年だ」
って時点で、矛盾してるんだから、その話はオカシイって事に気付いた方が良いですよ
527日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:06:59
>>513
もん太くんが、まともなことを言って他人を諌めているのに驚きまくった。
最初の二行だけだけど。
あとは、いつものもん太くんだね。
528日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:10:30
卑弥呼の死はしばらくは隠されたってことはないでしょうか
他国に正確に伝えているものなんでしょうか
529太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 22:14:19
別におかしくはないだろう。

それは中国の年号と西欧からのグレゴリオ暦との突合せを長い間
学者がつき合わせ研究をして矛盾不合理がないから、君は別だが殆ど
の世界の連中が承認信じているわけだよ。君の不信論よりよっぽど
信用があるぜ。しかし古代がもっと古くなったり地域によっては
年代が定まらない個所も当然あるわけで、258年か318年かとか色々
論争になっているわけだよ。大陸の場合は日本の古文献がせいぜい
記紀とちょっとの少しと違ってうんとあるんだろうから、突合せで
不合理がなければまず信用できる。半島はだいぶ不合理が
あるだろうからまだまだだが、景初2年が238年は動かないだろう。
しかしそれが当時の日本のどの天皇の代だったかでこれも論争に
なってるわけだ。
530愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 22:19:14
>>525
話を戻しますか。
崇神没が318年だとすると、纏向遺跡の3世紀の古墳の被葬者は誰になるのか?

>>528
そうですね、張政たちが来て、初めて卑彌呼の死を知ったのはありそうなことです。
張政は難升米と壹與だけを告喩していて、卑彌呼も男王も告喩していない。
すでに壹與女王の時代であった・・・?
531日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:20:12
>>527
俺は支持するよ
中国の文化、特に文字を当時に積極的に輸入しなかったのは事実
恐らく当時は七世紀より宗教的色彩が強いため、それを阻んだと思われる
532美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 22:23:10
>>517
ほら、結局、卑弥呼だ邪馬壹國だの話は、こうして記紀に飛ぶ

「祟神68年12月崩、垂任元年1月、いくめいりびこいさちのみこと、太子即位」

これが「258年か358年」になる根拠は?
神武元年から計算した結果ですか?

じゃあタコスさんが「神武元年=前667年」とする根拠はそもそも何なんですか?
533doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 22:26:40
>>530
昔DNA鑑定が完璧と言われ、それが原因で冤罪事件が発生しています。
現在のDNA鑑定精度も次代の鑑定精度には及びません。

まして古墳の製造年など判るわけがないと考えています。
534美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/25(土) 22:39:01
1つ良いこと教えますよ

記紀では人が死んだら「死」って書いてます
たらしなかつひこが死んだ時も、ヤマトタケルが死んだ時も、おおけつひめの神がスサノオに殺された時も「死」て書いてますよ
で、国を治める時は「○○が○○を治めた」って書き方をしてます
あと、「崩」の時は必ず「元号(?)」が変わり、新しく「○○元年」って言う元号(?)が制定されてますよ
即位って年は、即○○元年って言う新しい位(?)が制定されてます
そもそも記紀を読んで「中つ国を治めたのは神武天皇だ」って解釈してる人は、本当に記紀を読んだこと有りますか?
記紀にはカムヤマトイワレビコ以前に、アマテラスやスサノオやオオクニヌシらが国を治めてく様子がちゃんと書いてあるんだけどなあ
535縦目仮面:2009/07/25(土) 22:41:17
太国氏VSもん太君は、ゴジラ対キングギドラのレベル。すごいなあ。
536日本@名無史さん:2009/07/25(土) 22:44:51
いや縦目も縄文人も同レベルかと
537河童虫:2009/07/25(土) 22:45:58
>>523
言いたかった事があるのなら、人のネタを待たずにご自身で積極的に主張したらどうですか?
私に等に質問する前に自信の考えの主張を
既に話しの内容がどの方向に向かっているのかは判断できるはすですから?

それとも
誰かがお膳立てしないと、掲示板に、書き込みすら出来ないのでしょうか?
538河童虫:2009/07/25(土) 22:54:04
ま、掲示板の特性なのかもしれないが
掲示板の中には必ず、反論行為だけを楽しんでる人がいる。
この行為がいけないと言うわけではないが


参加しているのなら

たまには率先してネタ振りぐらいしたって
罰は当たらないと思う。


ネチネチと反論してやるからさ。
539doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 23:02:13
>>530
崇神天皇戊寅 258
垂仁天皇
景行天皇
成務天皇乙卯 355
仲哀天皇壬戌 362

成務と崇神の没年が100年も離れるのですか?
古事記の示す没年は日本書記のそれより信頼できますよね。
540太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/25(土) 23:15:50
信頼に関してはいずれがいいかとは絶対言い切れない。
しかし紀は記よりも後に出来ているんだから、丁度自動車会社が
旧車から数年後に新車を出す如く、改正的紀のほうが原則として信頼
おけると観ている。記の記述に逆らってまでの記述となるわけ
だから、自信があったと考えてよい。しかも紀は多数の原書群から
最も信頼おける内容を摘出しての記述が主であろうから、やはり紀を
優先したほうがいい。しかしこれも絶対にしてもいけない。記のも
相当参考になる。
541453:2009/07/25(土) 23:19:12
>>537

> 言いたかった事があるのなら、

>なぜ、文語体を持ち出してまで反論しなければならないのか?
>貴方の真意が理解出来かねます。
>このへんが掲示板の嫌らしいところですか?
>私は言語を語っているのです。

「文語体」の解釈を通して御理解いただけたかと思うのですが、
「相手の真意が出来ない」のはどう見ても貴方の方でしょう?
言いたかったことを貴方に御理解いただくには「手順」が必要なんですよ。
542日本@名無史さん:2009/07/25(土) 23:27:46
新しい方が技術が進んでいるというのは、実は嘘です。
例えば、トヨタセルシオ。初代は一番コストがかかっていて上質でした。
2代目は、不評個所の小修整でしかなく、コストダウンにばかり目が行って、
碌なものにはならなかった。世襲政治家、社長も同じですね。
543doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 23:31:30
>>540
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/2-1hougyo.htm

日本書紀と古事記での崩御年の違いです。どっちを信用しますか?
544愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 23:34:13
>>539
>成務と崇神の没年が100年も離れるのですか?

3世代97年と37年、どちらが自然だろうか?
545doontakukaの弟子:2009/07/25(土) 23:41:14
>>544
37年です。
三世代97年って十五世代で485年ですよ?
>>543の表を良く見て下さい。お願いします。
546日本@名無史さん:2009/07/25(土) 23:58:13
>>543古事記の方が信用できそうですね。
    日本書紀は歴史のねつ造。
    古事記を抹殺できなかったのは時の政権が与野党伯仲状態だったからだろう。
547河童虫:2009/07/25(土) 23:58:41
>>541
手順を踏まえて説かなければならないことでもあるのですか?

私は文語体である「投ぐ」は、文字としての文章表現の世界でしか存在しない
と、述べてるだけです。
548愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/25(土) 23:59:25
>>545
代数と世代数を区別してください。
成務は崇神の曾孫(ひ孫)37年はありえません。
新しい時代は兄弟継承が多いが、古い時代は父子継承が多いのです。
549doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 00:06:22
>>548
そう来ると思っていましたw
崇神天皇

垂仁天皇

景行天皇

成務天皇

間隔は三つです。現代と違い当時は早婚です。十五〜六で子持ちです。
550愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 00:13:38
>>549
>現代と違い当時は早婚です。十五〜六で子持ちです。

明治時代に那珂通世が計算しています。
繼體天皇即位(507年)から明治天皇即位(1867年)まで50世代、1360年。
1世代では27.2年となります。
551doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 00:17:17
>>550

病院が無い、平均寿命が大きく異なるんだが・・・・
継体以後と以前を同列に扱うのですか?
552日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:17:37
>>549
以前に天皇の継体天皇以後の世代数の平均値をプロットしたことがあるが
それだと平均28-30よ
その時期だけ半分近く早まるなんてのは無理すぎ
ちなみに現天皇は73世代目だとおもったな
553日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:19:02
>>550
自分で数えたところそれとはちがったよ
554日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:21:59
平安時代に若干早婚化傾向が見られる倉でそれでも28
くらいだったな
555河童虫:2009/07/26(日) 00:24:33
>>483
人の意見を否定した以上、詳しく説明しろや
556doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 00:26:41
「  天皇 平均在位  」でググって、トップヒットを参照して下さい。
557日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:28:34
【宗像大社沖津宮】 沖ノ島 【世界遺産暫定リスト】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1248535280/l50
558日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:28:52
>>556
在位数じゃあてにならんから世代数で数えたんだよ
世代数は生殖可能時期で生理的に動かしようがないからな
559日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:29:33
もういい加減やめたら?
コミュニケーション能力低いキモヲタっぽいよ。
邪馬台国がどこかなんて延々議論してるのはさ。
560日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:31:49
>>559
おまえが一番キモイ。
561日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:32:29
2ちゃんねらーって時点で(ry
562愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 00:38:36
>>556
安本美典氏の平均在位十年説は、正しいとはいえない。
中国の前漢・後漢の例、朝鮮の高句麗・百済・新羅の例など、多くの反証をあげることができる。
563doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 00:43:59
>>558
一人の天皇の没から次の天皇の没までが在位年数です。そして一世代でもあります。
>>559
私の常駐先はニュー議の犯人未逮捕殺人事件スレです。
事件が起こったらここから居なくなりますから、それまでいさせてねw
564日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:52:34
>>563
兄弟間での同一世代間で使い回しがあるだろう
それらをいちいち一世代などとはしないつかできない
565日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:52:54
>>547

> 手順を踏まえて説かなければならないことでもあるのですか?

そうしないと貴方には通じない、と言うだけ。

> 私は文語体である「投ぐ」は、文字としての文章表現の世界でしか存在しない
> と、述べてるだけです。

貴方が表記する「なく」だってそれ自体は、文字でしょう。
文語体が口語で語られていた時代には文字なんて関係ないはず。
文字「投ぐ」と言う表記は、口語の古語「nag-u」をこの掲示板で伝えるための表現法の一つでしょう。
貴方は、それを漢字訓当てを持ち出すことで論点に触れまいとしますが、つまりは古語を論じるのは嫌なんでしょうかね?
566doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 00:54:03
>>564
そうでした。一世代ではなく一代です。
567美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 02:18:50
>>543
>>543
タコスさんは「神武元年を前660年とする根拠」は理解してるんですか?
那呵の唱えた説を「そうだ!そうだ!」って鵜呑みにしてるんすか?

古事記も日本書記も先代旧事記も各地の風土記も、、、
別に嘘や間違いなんて書いてないすよ
嘘や間違いがあるとしたら、それは「読み手の解釈の方」に間違いが有るんですよ



例えば「崩御年の違い」すよね?
これは「崩御=天皇の死の意味。また祟神○○年などは、天皇の名前」って言う解釈をしてる訳でしょ?
その解釈を前提にすると、タコスさんの言うように古事記と日本書記では天皇の死んだ年が違う事となり、どちらが正しいかなんて話になる

×崩御=天皇の死
×○○6年の○○は天皇の名前
×記紀は歴代天皇が何年に天皇になったかなど、初代から天皇の歴史を記述してる書物

↑まずはこの「勝手な思い込み」を疑って下さい
古事記や日本書記を偽書だなんだと疑う前に


568日本@名無史さん:2009/07/26(日) 02:29:26
このスレに書いている人の大半は現代語対訳の記紀
すら読んだことがないと見て間違いなさそうです。
そういう人に反論すること自体無意味。
引用には出典を明らかにするなど、最低限の約束ごと
を守らせないと、学問板として体を成さない。
まあ、2ちゃんねるにそれを望むこと自体、無駄ですが・・・
569美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 02:30:07
古事記→祟神さんが天皇と成り、祟神天皇となりました。祟神天皇は西暦258年に死にました。祟神天皇が天皇を務めてた期間は○○年から○○年の間です
日本書記→祟神さんが天皇と成り、祟神天皇となりました。祟神天皇は西暦388年に死にました。。祟神天皇が天皇を務めてた期間は○○年から○○年の間です


もしこう書いてあれば「日本書記と古事記では○○天皇が死んだ年が違う事が書いてある」って、どっちの内容が正しいかどうかを論じるなら解る


ただそもそも古事記にも日本書記にも
「○○天皇が○○年に天皇になり、○○年に死んで、次は○○が天皇に成りました」
なんて事は書いて無いよ



アマテラスがどうしたとか、ヤマサチヒコがどうしたとか、イワレビコがどうしたとか、ナカツネヒコがどうしたとか、、、
そういう事が書いてあるんだよ

例えばカムヤマトイワレビコの事を殆んどの人が「神武天皇」って呼ぶでしょ?
じゃあ本当に日本書記や古事記に「神武天皇が東征して、、」なんて書いてあるのか原文を見てみ?


そう「解釈」されてるだけで、実際にはそんな話は書いてないんだよ
570美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 03:00:36
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki0.html

実際に読んで来てみ?
カムヤマトイワレビコは天下を治めたとも書いてないから
天下を治めたのは神沼河耳の命とか是以扶汝の命とかって書いてあるだけだよ

571日本@名無史さん:2009/07/26(日) 03:10:04
>>570
読み方はいろいろ意見があるだろうが
「辛酉年春正月庚辰朔」条に「而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彦火々出見天皇焉」
とあるだろう

ついでに
崇神天皇 〇秋九月甲辰朔己丑条には「故稱謂御肇國天皇也」とあるな
岩波とか同じに訓じているがそれはともかく
572日本@名無史さん:2009/07/26(日) 03:28:35
ああ古事記か
なら「坐畝火之白梼原宮、治天下也」 〜 神武天皇
「故、稱其御世、謂所知初國之御眞木天皇也。」 〜 崇神天皇
573美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 03:54:44
>>572
そうやって
「〜神武天皇」
とか書いてない言葉を付け足すのやめようよw

そもそも「天皇」を「テンノウ」って読んでるでしょ?
「天下」を「テンカ」って読んでます?

古事記な日本書記には日本語の発音の読みが振ってあって、もし「テンノウ」とか「テンカ」って読んでるとしたら、その発音は間違いですよ

574日本@名無史さん:2009/07/26(日) 03:57:06
>>573
それ以前に>>570はただしいのかね
575美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 04:20:16
>>574
まずオオクニヌシの国譲りの話を読みました?
国譲りを受けた天つ御子は「誰に何処を治めさせるか」って立場なんすよ


天皇って天下を治めた人って意味で解釈してるんですか?
小さな国も大きな国も天下の中にあるんでしょ?
これを統一しようってのが天下統一って奴で

天皇(あまのすめら)って天下を治めた人って意味で解釈してるんですか?
だったら信長も家康も松平もクマソ王も、、、天下を治めた人はみな天皇すね
576日本@名無史さん:2009/07/26(日) 04:23:04
>>575
馬鹿馬鹿しいな
苦しくなるとそんないいわけしかできないのか
577美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 04:32:51
>>576
言い訳?
古事記や日本書記になんて書いて有りますか読みました?

つかヤマサチヒコやウガヤやイワレビコは天つ御子なんですか?
それともオオクニヌシから国譲りを受けた天つ御子を倒して日本を統治した人がイワレビコなんですか?


古事記や日本書記をどう読んだら「イワレビコ以降が日本の歴史。それ以前は日本の歴史じゃない」となるんですか?

イワレビコは「遷都」した人でしょ?
これは元々あった都を移しただけすよ
578美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 04:40:44
あと「公家(大和朝廷)」と「皇室」って、全く別のものだって事とか理解してますか?
公家社会、武家社会を滅ぼして、政府によって作られたのが今の皇室って奴ですよ
ちなみに公家(大和朝廷)のトップは天皇じゃなく関白だよ
それで孝明天皇は苦労したんだから
つか苦労した末に公家は滅んでしまった訳だけど
579日本@名無史さん:2009/07/26(日) 04:47:22
>>578
馬鹿馬鹿しいがもう一回書くぞ
>>570はただしいのか?
yes か no でこたえればいいだけの話なんだぞ
580美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 04:58:52
>>579
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki0.html

見てきてみ?
で、もし>>570が間違いだとしても、それは古事記や日本書記が嘘を書いてる訳じゃなく、読み手側の俺の解釈が間違ってるってだけだよ
その時は俺が自分の解釈の間違いを認めて、自分のしてた勝手な解釈を改めればいいだけ

それが出来ない人は「古事記は信憑性が低い」とか「日本書記は偽書だ」とか言い出すんだよ
581日本@名無史さん:2009/07/26(日) 05:01:41
>>580
そうそう間違いを認めれば足りる話なのに
だらだら関係ない話するのがわるいんだろ
582美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 05:12:59
>>581
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki0.html
ちょい原文見てきてよ
俺、読み方間違ってました?
読み方にしろ解釈にしろ間違ってるならちゃんと間違いを認めて改めますよ


つかさ元々は「イワレビコやヤマサチヒコが○○したとか言う話は書いてあるけど、神武天皇が○○したとかなんて書いてない」って話ですよ

この点に付いては、俺の言ってた事が正しいでしょ?

間違ってる人は俺を含め、まず自分の解釈の間違いを認め、改めるべきですよ

読み手側が勝手に間違った解釈しちゃうと、書いた当時の人からしたら「そんな事は書いてねーよw」ってなりますよ
せっかく先代の人が伝えて来てくれてる歴史があるのに、間違った解釈をしちゃダメすよ
それは間違った歴史でしかなくなるんだし
583日本@名無史さん:2009/07/26(日) 05:16:22
>>582
もういいよ
あとはかって考えてください
584日本@名無史さん:2009/07/26(日) 05:17:35
引用した部分「」内に神武天皇なんて書いてないだろ
585美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 05:46:39
>>583
いや、君はめちゃくちゃ大切な事を言ってたじゃん
俺の漢文よんだ自分なりの解釈に対して
「本当にそんな事が書いてあるのかよ?それ正しいのかよ?」
って言ってくれてたんでしょ?
あなたの言うように「本当にそんな事が書いてあるのかよ?」ってのが一番大事な事と思うよ
一番大事なのは何が書いてあるのかであって、それが俺ら日本民族の日本民族たる由来の伝承であり歴史な訳だから
ちなみに初めて日本に降り立ったのは国之常立命だよ
586美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 06:57:48
まずさ基本的に「神武天皇」とか「神功皇后」なんて呼び方が本来は違和感あるんだよ
イワレビコやオキナガタラシヒメっていう、ちゃんとした日本語の名前があって、記紀にもそう書かれてるんだから、イワレビコやアマテラスやスサノオやニギハヤヒって呼ぶのが当たり前でしょ?
それに発音に関しても例えば「神武」とあれば、これを日本語読みしたら「シンブ」じゃなく「かんなたける」だよ。
当時の人は神武を「シンブ」なんて発音しないよ
「シンブ」なんてのは日本語じゃ無いし
(ちなみに中国語でもない。そもそも元々漢字に付けられた一字一音は発音には何の意味もない。)

例えば日本の神社にはさ「○○天皇。○○皇后」が祀られてたり合祀されてる神社も沢山あるけどさ、それら全て調べてみ?
神武天皇を祀る橿原神宮。これは明治維新後に明治政府により建てられた神社
同じく神武天皇が祀られてる宮崎神宮。ここは元々は大室氏か誰かの氏神を祀ってた社
明治維新後に明治政府により「宮崎神宮」と名を改め、新たに「神武天皇」を祀った神社
同じように「○○天皇、○○皇后」の名で祀られてる神社神宮を調べてみ?
「○○天皇」なんて名前の神が祀られてる神社ってのは、全て明治になってから「○○天皇」って名前の神が合祀されたりしてるんだよ
何が言いたいかと言うと、明治維新前までは「○○天皇」なんて呼び方はしてないって事だよ
記紀に神武天皇とか仲哀天皇なんて人物は登場しないのと同じ
明治時代まではイワレビコならイワレビコとして、ナガタラシヒメならナガタラシヒメとして呼ばれ祀られてるよ
記紀に「○○氏の祖氏、○○大王の祖氏」とかって書かれてる神様はみんな氏神な訳でしょ?

つか江戸時代までは全ての日本人は自分の氏神が誰かとか解ってて自分の祖の氏神を信仰してたんだから、自分の氏神とか調べてみた方が良いよ
587美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 07:27:32
つか記紀の内容からさなんか必死に「初代天皇が○○年で、次は○○天皇で、次は○○天皇で、、」て解釈しようとしてる人が多いけど
要は「日本の歴史=天皇の歴史。日本の歴史を伝える記紀には天皇の歴史が書かれている」って言う固定観念があるからでしょ?
そういう人は一度この固定観念を外して記紀を読んで見て欲しいすよ
記紀にはさ「○○が○○氏や○○大君の祖」って記述が多いでしょ?
日本人てのは江戸時代までは全ての日本人が自分の祖である氏神が誰か解ってて、祖や祖先である氏神を信仰してたんだよ
いわゆる先祖崇拝って奴
公家(大和朝廷)も、幕府や大名も一般庶民の日本人に至るまで、全て氏神を持つ家系なんだよ(江戸時代までだけど)
記紀ってのはさ天皇の歴史じゃなく日本民族の民族史だよ
で、日本人てのは明治政府が廃止するまで、記紀に出てくる人物と同じように「自分の祖(氏神)は○○で、自分の家系は○○の家系」て、ちゃんと記紀時代まで家系や血統が遡れてたんだよ
588美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 07:58:43
で、天皇にしろ公家(大和朝廷)にしろ大名にしろ百姓にしろ農民にしろ
「自分の祖氏氏神、家系(他家系との交配など含む)」だけ解ってれば良いんだよ
いちいち自分の血統を氏神まで、一人一人並べる必要無いんだよ
つか日本人ならさ、自分の氏神が誰でどの氏族の流れを組む家系で檀家の寺が何処なのかとか、、、今でも調べれば檀家に戸籍が残ってたりで調べられたりするよ
あと家紋や名字てのも、それらを表してるものの1つだよ
最低でも自分の家紋を調べてみるぐらいはしてみた方がいいすよ
で、天皇すよ
歴代天皇がああだこうだより、まず「氏神は誰で祖氏は誰でどの血統の氏族なのか」ってのがちゃんと解ってるの?
初代がイワレビコて事でいいんかあ?
イワレビコを氏神とした氏族て事になるとアマテラスやスサノオの本家からはかなり離れた分家て事になるんだけどなあ

まあ、今の天皇は江戸時代まであった公家(大和朝廷)の家系では無いんだけど
589日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:03:07
神武をシンブって読んでるのか?
590日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:25:07
あめのみなかぬしのかみ
たかみむすひのかみ
かみむすひのかみ
うましあしかびひこぢのかみ
あめのとこたちのかみ
くにのとこたちのかみ
とよぐもぬのかみ
うひぢにのかみ・すひぢにのかみ
つぬぐいのかみ・いくぐいのかみ
おおとのじのかみ・ おおとのべのかみ
おもだるのかみ ・あやかしこねのかみ
いざなぎのかみ・いざなみのかみ
いわれびこ   てな感じなのか?
591愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 08:25:22
>>493
「綏」は日本ではあまり使いませんが中国では一般的で、「国民党徐州綏靖公署第二綏靖区副司令官李仙洲」
(毛沢東選集)などと出てきます。
時代の特定は難しいのでは?
592美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 08:28:27
>>589
俺?
「シンブ」とも「ジンブ」とも読んでないよ
そもそも記紀の中に「神武天皇が○○して、、」なんて、神武なんて人物は出て来ないじゃん
神武○年とか祟神○年とかってのは別に「○○から何年目(何年後)」てのを表してるだけでしょ?
天武6年(あまの戦いから6年目)は、別に祟神3年(疫病から3年目)と同じ年であっても別に問題無いし
つかむしろ「天武○年」とか「仲哀○年」てのを、一直線に年数毎に並べなきゃいけない見たいな解釈が良く解らん
「○○から何年目(何年後)」の事なのかとか、こうして書けば解りやすいでしょ?
その為に書いてるだけでしょ?

「○○から○年目」ってのは、今でもいろんな所で誰もが使うでしょ?
結婚10周年とかデビューから3年とか、入団5年目とかさ
キリスト生誕から○○年とかさ


つかそうじゃないならむしろ「神武○年」とか「景行○年」とかって、なんの年数だって思ってるんです?
593日本@名無史さん:2009/07/26(日) 08:33:36
なんでもん太に構うんだよ・・・
594日本@名無史さん:2009/07/26(日) 09:01:45
>>494
張政が十数年も倭国に滞在していたというのは不自然。別の話と考えるべきだろう。
595美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 09:06:49
>>590
うん。それに同じ意味の漢字を当ててるだけだよ
日本語があっての漢字だよ
例えば「ヒメ」や「ヒコ」
これ現代や日本書紀(では確かそうだったと思う)では「姫」や「彦」って漢字が当てられてるけど、その字が当てられる前は「比売」「比瞽」とかって
とりあえず意味に合う適当な漢字がまだ定められて無かったからだと思うけど、同じ意味の適切な漢字が無い(思い付かない?)ときは、意味関係なく、とりあえず日本語と同じ発音が出来るように漢字を当ててる
結局、漢字だけでは日本語を表記出来ない事が解って漢字かな混じり文字にしたんだと思うよ
つかひらがなやカタカナのような表音文字は漢字より先だよ
そもそもさ、書いても日本語読みが出来なかったら字なんて文字として使えないでしょ?
「おはよう!」って漢字の音読みだけで書いてみ? これすら書けない文字が漢字だよ
「今日朝晴夜雨」これを音読みだけしかなければ「コン、ジツ、チョウ、セイ、ヤア、ウゥ」だよ

日本見たいに日本語の発音を付けて、尚且つかなも交えて初めて言葉を表せる文字
漢字をそういう使い方が出来れば「言葉も意味も表せる文字」と言うスゲー優れた文字となるのが漢字


ちなみに中国では漢字はそういう使い方がいまだに出来て無いんだよね
中国人に中国語を漢字で書けって言っても書けないし、漢字を中国語で読めって言っても読めないんだよ
あれでよく中国は「漢字は中国人が作った」って言い張れると思うよ
596日本@名無史さん:2009/07/26(日) 09:45:53
>>594
239 卑弥呼が魏の明帝より金印(親魏倭王)を贈られる
240 魏が帯方郡の建忠校尉・梯儁らを倭国に派遣
243 卑弥呼が魏に使いを派遣
247 魏が塞曹掾史・張政を倭国に派遣
248 卑弥呼、没す
263 蜀が滅びる。
265 西晋が魏を滅ぼす
266 倭国が西晋に使節団を派遣、張政 帰国
280 西晋、呉を倒して中国全土を統一

だいたいこんな流れですね。張政は大役を命じられている訳です。
壱與が立って倭国がどんな状態なのか報告しなければなりません。
ところが、報告すべき魏は 西晋との交戦で滅びます。(265)

張政は266年の倭国の西晋使節団に便乗するしか、
帰国の機会はないのです。  証拠はありませんが。
597太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/26(日) 10:04:14
>>542
それじゃぁ君はこれから車を買うにはなるべく古い車にでもしたらいい。

こちらは傾向を言ってるんだよ。まず新車のが性能がいいだろう。しかしコスト
削減等特殊が事情があればそれは中古のほうがいい場合もある。ウインドウズ・
ビスタよりウインドウズXPのほうがいい時もあるが、製作会社は前OSの欠点を
受けてよりいい製品のOSを作ろうとして企画したんだろうと考えるのがメイン
ではあるまいか。これを考えたとき暦年に関しては記より紀を優先させたほうが
紀が多数の原書群から合理的安全なものを摘出して暦年をやったから記とは
そこんところが合わないわけで、記を読んでいて成った紀を採用したほうが無難
だと言える。↑>>543

しかし記は崇神の没年干支に関しては正確に近いとの結論に達した。
倍暦計算では259年を得たが、記からは258年が浮上し、両者は1年の差である。
それに崇神は12/5崩御だから、暦法の関係で1ヶ月前後先送りがありうる。
となれば258年12/5は翌259年始めころの時となり、両者の年は259年にて合致
する。これが真であろう。
598日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:07:46
阿倍仲麻呂のように故郷を偲びつつ死んでいったのですね?
599doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 10:20:17
266年の西晋使節団以前に大陸に使節を送ると思えますか?
国内では卑弥呼没後争いが起こっている。
大陸では魏、呉、蜀が西晋と戦い何処が勝つのか判っていない。
壱與はずる賢く、勝った西晋に直ぐ使節団を送ったのでしょう。
600日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:20:30
張政は卑弥呼が葬られたところは目撃した。その後継者として男王が立ち、倭国が
乱れ、臺与が立って治まった。それが250年前後かせいぜい250年代前半の出
来事なのではないかな。もちろん、そのときに張政は帰った。
266年は臺与が西晋の成立を知って挨拶をしただけのことと考えた方がよい。
601doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 10:46:48
>>600
それでも、張政は5〜6年は滞在した事になります。
九州滞在壱與九州説を採って見ても、
当然張政は同時代の大王 崇神の事を聞き出してるでしょ?
なぜ張政は西晋の陳寿に崇神の事を報告しない?
西晋の陳寿はなぜ倭人伝に記載しない?
崇神没258年が間違っているからですよ。
602日本@名無史さん:2009/07/26(日) 10:52:20
>>601
簡単なこと、『弟王』が祟神だからだ。
そして義姉の日女命こと倭迹迹日百襲媛命が魏志倭人伝のいう卑弥呼
603日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:00:03
なぜ、箸墓の古墳が他の古墳に比べて大きいのか?
しかも大王の位でもない皇女の墓が。

卑弥呼だからです。
604doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 11:01:58
>>602
倭迹迹日百襲媛命は孝霊天皇の皇女で孝元とは姉妹
孝元の子が開化でその子が崇神だよww
605日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:06:55
箸墓とは張政自身の墓だった。
張政は卑弥呼を操って日本を支配しようとした。
祟神とは張政のことだったとすれば、すべて辻褄が合う。
これで古代史の全ての謎が解けた!
606愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 11:12:41
>>601
>なぜ張政は西晋の陳寿に崇神の事を報告しない?
>西晋の陳寿はなぜ倭人伝に記載しない?

記載されています。
狗奴國の男王、卑彌弓呼です。
607日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:13:19
>>605
デンパ過ぎw
張政だという物的証拠が出たら認めてやるよwwwww
608日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:16:20
>>604
その解釈は長年議論されててね。その系図が正しいとは言えないんですよ。
日巫女から神託を受けた大王は跪きその神託に従う。
中国人がその話を聞けば、大王の位の上に日巫女がいることになる。
609日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:16:55
古事記を良く読んでいないからそんなことを考えるんだよ。
崇神なんぞは架空の人物、考えるだけ無駄というものだ。
610日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:18:34
>>609>>601へのレス
611doontakukaの弟子:2009/07/26(日) 11:19:14
>>606
驚きました〜〜卑彌弓呼は愛知県知事だとばかり考えていました。
卑彌弓呼=祟神ってことで考えて見ます。
612日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:19:24
>>608
>中国人がその話を聞けば、大王の位の上に日巫女がいることになる。
えっ?そうだったのではないの?
天皇という名称や地位が確立したのは、7世紀後半の天武天皇の時代
だといわれている。
613日本@名無史さん:2009/07/26(日) 11:35:11
>>612
今の形態と似てるんだよ
象徴の今上天皇は政治に介入できなくて実権は無いが、
世界から国民からは一番トップ。
日巫女もそんな感じだったんじゃないかな。
まぁ、神託という形で政治介入は出来ただろうけどね。

いまの総理大臣的な立場が大王だったと。
614doontakuka:2009/07/26(日) 11:53:22
>>606

西晋の礎を築いた司馬 懿は河内郡温県孝敬里出身。
西晋は、265年、司馬炎によって建てられ、建康に遷都。
河内郡温県は北緯: 26.528度で東経が: 99.906度。
建康は、  北緯: 39.344度で東経が: 99.657度。
凄いね、経度を同じにして遷都している。
司馬氏は夷でしょうね。
其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人

大夫伊聲耆も夷でしょう。

建康の列島同緯度は岩手県北上: 39.282度で、平泉⇒奥州⇒北上だ。
岩手県北上: 39.282度は魏志倭人伝の狗奴國になる。

崇神=狗奴國の男王、卑彌弓呼
なら、・・・・・・・・・・・・・。
615日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:01:44
経度緯度など全く一切関係ない。
アホも度が過ぎるとデンパになり小説を書いたりする。

君の名前は『ドンクサ』に決定。
弟子は・・・『ドンクサ子』
616日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:04:05
>>614東遷というのは、それほど難しいことではないのです。
    ∠(緯度)の角度を決めた原器を水平な台の上に置いて北辰を観測ればいい。
    天文博士といった日読み星読みの専門官を従えていれば、
    何千キロ離れていても正確に東遷できる。
     
617日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:23:39
>>616
日本の島の形状見れば、アホでも東にいける
618美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 12:26:14
中国人にとって漢字は発音も表せない表意文字でしかない

人名、地名、朝廷名、発音、言葉、中国語、日本語、会話、文法、、、
中国大陸における漢字は「意味を表す文字」ってだけ

じゃあそんな中国大陸では、自民族語や人名や言葉や発音を表す時はどうしてたかって言えば
モンゴル人ならモンゴル文字、マンチュ人ならマンチュリア文字、韓国人ならハングル文字を使ってたんだよ
魏志倭人伝にしろ他の漢籍書にしろ、あれは何語で書かれてる訳でも無いよ

「卑弥呼、邪馬壹國が倭人の誰でどこの事なのか?」
これと同じように「明帝とは何民族の誰の事なのか?魏とは何民族で、世界の何処の場所を表してるのか?」ってのも考えるのが普通だよ
元はモンゴル。その帝と言えば帝国を治めてたモンゴル人のハーン氏族の事
清はマンチュリア朝。その帝と言えばマンチュ人のギョロ氏族の事
ちなみに今の中国が標準語と定めてる北京語ってのは、タンバリン語と呼ばれてたマンチュ民族の言葉
チャイナドレスもマンチュ人の民族衣装であって、大陸の他の民族が使用してた衣装じゃない
619日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:27:57
>>615

其地大較在會稽・東冶之東 
計其道里當在会稽東治【冶】之東

箍が緩んでるどころか外れてるようだね。
多賀城のtaga は起源の意だか、tanga は間抜けの意。
君の場合は tanga のほうですね。
620日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:34:09
倭迹迹日百襲媛命=卑弥呼だとすると
微妙に年代が合わない気がするんだよね
621日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:41:06
卑彌弓呼=孝霊天皇かもしれない
はじめて奈良県中央部に進出した大王であると考えられるから
激しい戦いがあったのは間違いない
622美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 12:46:22
1600年頃に、大陸には元、清、明の3つの朝廷が存在してる
この3つの朝廷、それぞれが何民族の朝廷で何処にあって、王朝や帝の氏族の名前(発音)とか解る
日本人は漢字以外に日本語以外にも多国語やその発音も表せるヒラガナやカタカナって文字も使いこなせる民族
だから、元、清、明なんて書かずに、ちゃんと正しい呼び名でも書けるでしょ?

例えば「清」をそのまま「キヨシ・セイ」って読んでる人が多いでしょ?
「キヨシ朝廷」って呼んだら間違いだよ。そんな朝廷は中国には無いよ
漢字で「清朝」と表されてた朝廷があっただけで、その字を漢音で発音すりゃ「セイチョウ」って発音になるだけ

正しくはキヨシでもセイでも無く「マンチュリア朝」だよ
同じように、元朝と明朝を、カタカナで正しい発音表記できる人いる?
623日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:53:10
>>622
漢字を省略簡略したのがひらがななのだが。
日本の学校出てますか?
624日本@名無史さん:2009/07/26(日) 12:59:07
最近は、テレビでは金正日からキム・ジョンイルに統一されつつあります。
現地での発音に近いカナを当てるというのは建前で、実は、NHKは
朝鮮人に乗っ取られるるあるということです。
同じように、渡来氏族が中央で権力をふるうようになるとそういうことが起きるのです。
625日本@名無史さん:2009/07/26(日) 13:08:17
>>624
そういうわしも渡来人か?と自分を疑うことも多いです。
626日本@名無史さん:2009/07/26(日) 13:38:24
もん太は清が好きだよな
何かというと彼らを引き合いに出してくる
627美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 13:47:48
>>623
学校では確かにそう教わったよ
日本には文字が無かったとかなんとかさ
けどさ、漢字ってのはさ、今の中国人でさえ、中国語を書いたり、中国語で読んだりすら出来ないような文字
ようは言葉や日本語や中国語ですら書けないような字
よくよく考えればさ、表音文字も無いのに表意文字ってのは作ったり文字として取り入れたりは無理だと思わない?

学校で教えてる事は全てそのまま鵜呑みにすれば良いの?
じゃあ学校で「アメリカも中国も元々は日本の領土です」って教えればそれが正しい歴史なの?


「ヒラガナ、カタカナは漢字を簡略化し作られた文字です」
江→エ だっけ?
ちなみに江の音は「コウ」だから江は「江」にはならないよ
阿からアとかって無理やりじゃんw

マアメヌ。まあぬめ
うふ。ウフ

ヒラガナやカタカナは元々あった文字で、漢字から作った訳じゃないよ
これ以外にも神代文字と呼ばれるいわゆるシュメール文字も持ってたよ
母音の並びも確か正しくは、あえいうお
とかだったはず

安→あ
以→い
右→う
衣→え
尾→お

なんねーよw
628愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 13:54:55
隋書[イ妥]国伝
無文字、唯刻木結繩。

不思議な記事である。文字が無い、と書きながら「木を刻み、繩を結ぶ」と続く。
木に何を刻んでいたのか?
629美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 13:55:13
>>624
愛親覚羅

これ人名だけどなんて読むか解る?
630愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 14:02:20
>>629
調べたら、満洲語でアイシンギョロかな。文字は「愛新覚羅」
631日本@名無史さん:2009/07/26(日) 14:05:16
中国のような多民族国家では、言葉を統一するのは不可能。
けれど、日本語で漢文を読む時のように返り点(レ)を入れれば
あとは漢字と意味を合わせるだけで、言葉の違う複数の民族と意志の
疎通ができるという利点があった。
だからこそ、言語によって異なる助詞や助動詞、名詞の変化などは
あえて取り入れなかったとすれば、いかに漢字が中国という国のあり方
を体現しているかがわかるというものです。
632doontakuka:2009/07/26(日) 14:09:07
>>628
無文字、唯刻木結繩。


http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-43500-storytopic-121.html

かな?

633日本@名無しさん:2009/07/26(日) 14:10:17
>>628
それは文字を持たないことを示す常套的修辞に過ぎないんだよ。
634美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 14:16:21
>>628
漢文って句読点も改行も無いから、どこで区切るかによって丸で意味が変わってくるよ

あと中国には(近年は使われるようになったけど)熟語ってのは無いよ
熟語が無いって言うか、漢字を見ればわかると思うけど、漢字二文字を使って熟語を作るんじゃなく、だったらその2つの漢字を合体させて新たに1つの字としちゃうんだよ
それが漢字だよ
魚辺の漢字とかアホ見たいに沢山あるでしょ?
日本は次々に新たな漢字が無数に増えるのを嫌って、早くから確か「1000字」ぐらいに定めて、新たな字が必要になった場合は二文字以上の熟語で表すようにしたんだよ
つかこれは古事記にも書いてあるよ
つか古事記では梁や晋に、そうして纏めた漢字を日本人が伝えてる様子も書かれてるよ
確か百済が日本の朝廷に送った文書だかに書かれてるらしいよ
ちなみに百済王て朝廷が国造りに向かわせた日本人だよ

そこで
「この乾国には儒教や漢字などの素晴らしい文化が有ったので日本に届けさせます。そして早速これらを梁や晋にも伝えさせました」
見たいな文書

635愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 14:23:46
>>632
いや、結縄はいいんですよ。刻木ですよ。

>>633
常套的修辞かねえ?
636美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 14:25:46
>>628
木を刻み縄を結ぶ
これは俺意味解るよ
これ和紙の造り方だよ
紙造りは日本が発祥なんて言う意味じゃないよ
紙ってのは別に世界中で造られてるものなんだし
ただその製造方法は様々なんだよ
その中で和紙ってのは最も優れた紙なんだよ
あとその和紙は文字を書く以外に障子とか日本はいろんな使い方をしてるんだよ
637doontakuka:2009/07/26(日) 14:26:29
638日本@名無史さん:2009/07/26(日) 14:32:14
結縄は、神社の注連縄としてその風習が残っていますね。
日本人はみんな記憶力がいいし、どの村にも伝承を伝える古老がいて、
代々引き継がれていったので、文字は必要なかったのです。
639doontakuka:2009/07/26(日) 14:35:06
殷の貝幣は沖縄産のキイロタカラでした。
この時代の殷では、馬という漢字が使われていました。
紀元前1500年〜紀元前1100年頃です。
沖縄で、この馬という文字の刻まれた石が出土しています。(ロゼット・ストーン) ...

石に刻まず木に刻んだ。
640愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 14:44:09
>>637
ふうん、象形文字ですか。
そういえば銅鐸の文様も絵文字という説もありましたね。
641美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 14:47:36
>>630
まあ漢字で書けば満州語
マンチュに「満州」って漢字を当てる以前は漢字では「真女語」とか「真女族」って書かれてた民族
朝鮮民族の李氏を倒して明を滅ぼした民族だよ
漢籍書にも出てくる民族
英語では「マンダリン」て呼ばれてて、マンチュリアってのが一般的な呼び名だよ
後に満州国を建国する際に、このマンチュから「満州」て言う漢字表記に改めたんだよ
まあ朝鮮民族やモンゴル民族もだけど、マンチュリア民族ってのも、漢字とマンチュリア文字の両方を使ってた民族
日本への文書などは意味が通じる漢字を使って書いたりしてるけど、普段はマンチュリア文字だよ
ちなみに漢字ってのは日本では元々は真女字て呼ばれてたんだよ

漢籍書てのもさ、漢や明や晋や秦とかっていうのは、真女族、朝鮮族、モンゴル族、扶節族、倭族、鮮卑族、とか漢籍書の中に記述のある民族達の氏族なり朝の事だよ
中国大陸にある満州や朝鮮やモンゴルを中国と言ってしまえば、まあ中国の歴史という言い方も出来なくは無いけど、俺は大陸の他数の民族の歴史をひとくくりに「中国の歴史」って言い方にはなんか違和感があるよ


642美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 15:09:46
>>639
つか琉球は琉球文字、アイヌはアイヌ文字を持ってたよ
サンカはサンカ文字を持ってたし

文字文字言うけど、文字なんてのは造るのは簡単だってば
文字なんてのは単なる決め事なんだから日本語の発音が60種類なら60種類の記号作って「これは【あ】ね」ってお互いが了解すりゃそれが文字だよ
これをもっと簡潔にしたけりゃハングル文字(いわゆるシュメール文字)みたいに、母音と子音を組み合わせれば言い
それが神代文字なんだし
だから神代文字が何種類もあるように日本国内だけでも沢山の文字があるのが当然なんだよ
文字を作るのなんて俺でも出来るよ
ただそれを日本語の表記文字として統一し普及させれるかって言えば無理だよ
それが出来るのは権力者であり統治者だし


あと文字文字言うけど、別にヒラガナカタカナじゃなくても日本語は表せるんだよ
例えばローマを使って日本語を表す事も出来るよ
母音と子音だけ定めればローマ字でも日本語は書ける
つか文字に関しては中国に言われたく無いっての
643愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/07/26(日) 15:18:06
>>641
もん太さん、真女って「女真」ですか?
それもいいですが、卑彌呼関連でお願いします。
644doontakuka:2009/07/26(日) 15:19:01
>>642

ハングル文字(いわゆるシュメール文字)
は、
ハングル文字=シュメール文字
と云うこどですくァ。

645日本@名無史さん:2009/07/26(日) 15:23:15
木はどうしても朽ちるから
残らないよな
646美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 15:26:04
欧米はいわゆるキリスト文化圏
中東はイスラム文化圏
で、日本を含むアジア文化圏
これはインド、チベット、支那、モンゴル、朝鮮、日本、東南アジア辺りの共有文化

・漢字、凡字
・仏教、密教
・寺院、山岳信仰、血統信仰、先祖崇拝
・旧暦、稲作、麦作、黄色人種、、、

どこが発祥も糞も無いよ
アジアの文化は、キリスト文化見たいに他文化を滅ぼして普及させたような文化じゃないんだし
つか中国はまず「民族統一」なんてやめて、ちゃんと国内の多数の民族の歴史や文化をそれぞれ尊重すべきなんだよ
元はモンゴル民族の朝廷
清はマンチュリア民族の朝廷
明は李氏族の朝廷(てか要は明て李氏朝鮮でしょ?)

つか中央政府と合衆制や連邦国って形をとりゃいいのに
元も清も言わばそうしてたんだし
647美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 15:58:32
>>643
つかさ「卑弥呼」て名前じゃないと思うけどな
漢字てのは名前なんて書けない字だし
チンギスハーン、フビライハーン、オロゴンギョロ、ヌルハチギョロ
ただ「○○王」てのは倭女王以外にも沢山出てきてるから、それらは歴史上にいた誰かの事なんだろうね


そもそも「ヒミコは誰か?」なんて言い方するからおかしいんで
「この倭女王とは誰の事か?」てだけでしょ?
倭の女王なんて呼べる女性はそんな何人も居ないんだし、とにかくその中の誰かだよ
何度も言うけどこんなの別に謎でもなんでも無いすよ


648日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:09:37
もん太の言ってる事って、以前河童が言ってた事に凄く似てるんだが?
649日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:25:21
こっちでもん太、あっちで縄文人。ハァー。
650日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:31:40
>>649
二つ合わせて縄文太
651日本@名無史さん:2009/07/26(日) 16:34:36
なんで、こうなった。
652日本@名無史さん:2009/07/26(日) 17:22:38
>>651
誰も反論出来ないからだろ
653日本@名無史さん:2009/07/26(日) 17:26:00
もん太に丸一日張り付いたのは河童虫だけだからなww
654日本@名無史さん:2009/07/26(日) 17:44:41
>>652
もん太と河童って、与太話の双璧だよな。
なのに、河童は弄ろうかって気になるのに、もん太はそんな気が起きない。
なぜだろう。不思議。
655日本@名無史さん:2009/07/26(日) 17:46:33
この板に長くいると、自分の説とここで読んだ他人の説の区別がつかなくなって、
過去に誰かが書いた説をあたかも自説のような顔で書き込むる人も出てきます。
全くあきれてしまいますね。
656日本@名無史さん:2009/07/26(日) 18:04:24
>この板に長くいると

いるなよwww
657日本@名無史さん:2009/07/26(日) 21:28:34
もん太は間違いを指摘されても黙殺だからなー
たまに着眼点が面白い気がするけどそれも検証する気なしだし
658日本@名無史さん:2009/07/26(日) 21:32:04
倍歴太国vs干支もん太で記紀の年代勝負したら面白そう
659日本@名無史さん:2009/07/26(日) 21:55:29
蓑虫の世話は新参の鈍臭やその弟子より
ドツボや梅毒がやるべき。
660日本@名無史さん:2009/07/26(日) 22:11:23
>>659
固定に振らずに、時にはアンタがやりなよ。
661美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 22:34:04
>>658
前にやった
もう面倒臭いから嫌だ
太国さんは「倍暦」って言い張るけど、一年が今の半分の暦なら「1/2暦」なんすよ

結局、太国さんは「だからイワレビコの年齢はこの半分だ」って事で、神武天皇の解釈の辻褄を合わせたいだけだよ

つかその解釈だと辻褄が合わないって事がある場合は、暦や記紀を疑うより、解釈の方の間違いを疑わなきゃダメだよ

「カムヤマトイワレビコ。天皇御年壺佰参拾漆歳」ってのでしょ?
×神武天皇は136歳で死んだ
漢文は「カムヤマトイワレビコ天皇」と「カムヤマトイワレビコ。天皇御年」って、何処で区切るかによって全く違う解釈になるんだし
そもそも神武天皇なんて天皇は何処にも書いてないっての

なんでイワレビコをそんなに「神武天皇」って呼びたがるんだろ?
アマテラスやスサノオやヤマサチヒコは書かれてるまま呼ぶ癖にさ
662縦目仮面:2009/07/26(日) 22:42:26
5つか6つくらい前のスレで、太国対もん太やってたね。俺も見てたけど、天体の運行とか
持ち出して大変だった。www あれで1スレつぶれたようなもんだったな。
663日本@名無史さん:2009/07/26(日) 22:45:17
日付が15日までに偏っているのは、上月と下月の関係か?
664美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 22:57:32
つか俺、日本が江戸時代まで使ってた24節期の旧暦は、成り立ちとかを自分なりに色々調べて見たけどさ
色々調べてみると、それまで知らない事ばかりだったから面白かったよ

今使ってるグレゴリオ暦も調べて見たけど、グレゴリオ暦って天文学的な根拠とか全く無い暦だったよ
ローマを支配したカトリック教徒らが「主(キリスト)の年暦」って事で適当に作っただけだよ


つか例えばさ「1日」ってのは「甲子刻(深夜12時)→甲子刻(深夜12時)」を表した単位だけど
「一ヶ月」ってのは何の単位かとか知ってます?

つかこういう事とかも、俺旧暦の成り立ちとか調べるまで全く知らなかったすよ
なぜ1日の始まりを甲子刻としたのかとかもちゃんと意味があるよ
665太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/26(日) 23:15:08
>>661
そういうことは、オマエがなぜ神武が127歳とか128歳も生きたのかを
合理的に説明してからモノを言え。

当初から2倍暦という名でやってるんだから、それを使えば
いいことだ。オマエは余計なことを考え過ぎる。
666美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 23:20:38
暦の成り立ちの話はまあとりあえずいいや


とりあえずさ、日本では記紀で既に24節期の和暦が使われてる訳だから、少なくとも記紀が書かれた時代には、既に和暦が使われてたって事すよ(これはそう解釈しちゃって良いでしょ?)

まあ別に、暦を使い始めたのがいつからだろうがどうでもいいんだけど、
えっととりあえず言いたいのは
「暦を使ってる=て事は毎年年始前までに翌年の暦を紙に書いて作ってた」
って事が言いたいんすよ
いま俺らってめちゃくちゃ適当に作られたグレゴリオ暦使ってるから、暦を造るにしても12枚の紙にカレンダー書けば作れるでしょ?
それに比べて和暦は「本」だよ
667日本@名無史さん:2009/07/26(日) 23:24:57
>>661
>例えばカムヤマトイワレビコの事を殆んどの人が「神武天皇」って呼ぶでしょ?
>じゃあ本当に日本書記や古事記に「神武天皇が東征して、、」なんて書いてあるのか原文を見てみ?

だって、古事記、日本書紀が出来た後、
そこに書いてあるカムヤマトイワレヒコノミコトのことを神武天皇と呼びましょうと決めたから。
668美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 23:35:58
例えば江戸時代の時は幕府が一括で沢山作って、毎年、各藩に配るってやり方してたみたいだよ
和暦ってのはこの一冊の暦で、その年の潮の満ち引きから、太歳の位置から、明けの明星から燭の日から節句から、、、とにかく毎年暦を造るのは大変な作業
これ以外にも日本は仏暦から伊勢暦から赤金星とかを表す奴から、複数の暦も使ってるし
例えば来年の和暦の暦を作ろうってもさ、ちゃんと和暦の成り立ちを理解した上で、また天文学的な知識も無ければ作れないし

紙も作らないと行けないし、記紀には「○年○月○日」なんて詳しい日付まで書いてあるって事は、ちゃんと過去の出来事などは日付まで正確に記録されてたて事だし
もちろん字も持ってなきゃ行けないし、あと多少は行き届かない部分があったとしても、ある程度は統一した日本の暦として国内に普及、共有されて無きゃ行けない
669日本@名無史さん:2009/07/26(日) 23:56:02
>>668

記紀の古代の日付は創作だってことは考えないの?
670美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/26(日) 23:57:56
>>667
いや明治時代になってからだよ
「○○天皇」とか「○○皇后」って名前の神が祀られてる神社を全部調べてみ?
「○○天皇」なんて名前の神が祀られてる神社は全て明治時代以降に新たに建築されたり、新たに「○○天皇」って名前の神を合祀してるよ
これはさ、別にスゲー昔の事を調べなくても、100年ぐらい前の事を調べれば解る事で、調べれば簡単に解る事だよ

明治時代の以前と以降じゃ、日本や天皇の歴史の認識はまるで違うから気を付けた方が良いですよ

公家と武家の違いとか解りますか?
大和朝廷ってのはいわゆる京の公家(おおやけ)ですよ
朝廷の公家は確か9氏族家系ぐらいの祖氏の本家であって、また公家の中でもそれぞれの家系によって、付けるポスト、付けないポストとかも定められてるよ

ちなみに公家を取り仕切る最高位は天皇じゃないよ?
公家の最高位は「関白」で、関白が公家の治政を行ってるんだよ
ちなみに天皇の家系は関白には付けない家系だよ
天皇は儀式などで祭司を行ういわゆるシャーマンの家系だよ
神からの祝詞を聞いたり、雨乞いをしたり、占ったり、、、、いわゆる神主だよ
ちなみにこの祭司である天皇てのは天皇の家系の人しか付けないよ
天皇は良く出雲大社と比べられるけど、要は出雲大社の神主と同じだよ
出雲大社の神主もずっと同じ家系でいまだに続いてる家系だから
671日本@名無史さん:2009/07/27(月) 00:07:11
美濃もん太式理論。

みんなは、1たす1を2と思ってるけど、そうじゃないよ。
自然数とか足し算というものを人間が勝手につくって、1+1=2って表記してるだけ。
そんなの確立が支配する量子力学では何の役にもたたないよ。


672美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 00:23:49
>>669
でた
「記紀の内容は創作」「○○は偽書」「あんなの全部ウソ」

あのさ「歴史を調べる」ってもさ、過去に何があったのかなんて調べて解る事じゃ無いんだよ?
日本には飛鳥朝廷があって、源氏や平家がいてアマテラスやスサノオがいて、、、
「歴史」って言うのはさ、こうして先代が伝えて来てくれてるから「歴史」なんだよ


例えばさ、ペルーって国知ってる?
ペルーってか、南米はさ400年ぐらい前にスペインのカトリック教徒が大量に入植、移民して、キリスト教以外の信仰や文化を滅ぼしてキリスト教を布教させた土地
インカやマヤも、この時に滅ぼされてる

でさ、その後入植した移民達がペルーで見つけたのが「マチュピチュ」とか「ナスカの地上絵」
マヤのピラミッドもそうだけど、これらの遺跡はここ100年ぐらいに発見された遺跡なんだよ
そら「いったいいつ頃、誰が何のために、、」ってなる
結局は南米なんて移民達が支配した土地で、それらの遺跡を築いた民族は滅ぼされてるから何も伝えられて無いんだよ
673日本@名無史さん:2009/07/27(月) 00:23:57
>>670
>いや明治時代になってからだよ

古語拾遺に「逮于神武天皇東征之年」とあるのはなんだ。
神皇正統記に「人皇第一代神日本磐余彦天皇と申。後に神武となづけたてまつる。」とあるのはなんだ。
明治時代に神武天皇と名付けられることを予言した予言書か。
674美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 00:37:53
マチュピチュやナスカの遺跡をいくら調べた所で、過去の事なんて今さら調べて解るようなもんじゃないよ

もしその遺跡を築いた民族がその時代に残した書物が発見されたとしても、その民族の言葉が滅んじゃってれば、何が書いてあるのかなんて解らないよ
イースター島とかもそうだし
ペルーとかの遺跡ってのは要は遺跡があるだけで、それらの歴史なんての何も残されて無いんだよ

けど日本はそうじゃないでしょ?
歴史がある民族で歴史がある国なんだから
で「歴史を調べる」ってのはさ
俺は「他に昔の時代の人達がいい伝えたり、書き残した資料や伝承がないかな?」って調べる事だと思ってるよ
古事記だけじゃ解んないなら、他の先代旧事記や風土記や、、沢山の資料はあるんだしさ
675美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 01:02:36
過去の書物や伝承に対して「創作」やら「捏造」はまず考え無くて良いよ

もし辻褄が合わない所なんかがあれば記紀や魏志倭人伝を疑うんじゃなく
むしろ「いやー、昔の日本はこうで、中国はこうで、、」って言われてる現代の認識を疑うべきなんだよ

「記紀は創作じゃないの?」なんて疑った所で創作なのかどうか調べようが無いでしょ?
けどさ、例えば明治政府が行った、天皇史観の歴史の創作や捏造
これは100年ぐらい前の事でしかないから、明治政府がやたら歴史を創作しようとしてる事は調べられるよ
橿原神宮立てたり、古墳を自ら作って「天皇陵」と指定したりとかさ
あと明治時代以前の書物や伝承から、明治時代以降の歴史や天皇に対する認識の違いとかも解るよ

大和朝廷てもあれ「天皇家」じゃないんだよ?
公家(おおやけ)って呼ばれる主要な氏族の本家の確か9家系ぐらいが公家だよ
天皇はその家系の中の祭祀の家系の人だよ


蘇我氏、物部氏、大判氏、阿蘇氏、筑紫三連、吉備氏、、、
とかかな?
まあ違うかもだけど、記紀の遷都の話の記述から判断すれば、これらの氏族らが公家(大和朝廷)だよ

で、公家のトップは天皇じゃなく関白だよ

そもそも天皇てさ「アマのすめらぎ」て読むんだよ
これって記紀では別に地位やポストを差す言葉じゃ無いと思うんだけどなあ
676日本@名無史さん:2009/07/27(月) 01:08:42
>>675
それで、「創作」やら「捏造」を考えなくて良い、古語拾遺に「逮于神武天皇東征之年」とあって、
神皇正統記に「人皇第一代神日本磐余彦天皇と申。後に神武となづけたてまつる。」
「神武は中古となりて、もろこしの詞によりてさだめたてまつる御名なり。」とあるのはどうなってるんだ。
677美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 01:20:15
>>673
漢文は何処で区切って読むかによって、色んな解釈が出来るよ

おそらく必死で探しても「神武天皇」て、表記はそれと、後日本書記の2ヶ所ぐらいでしょ?
ちなみに漢籍書の新羅記の何処かにも「神武天皇」て書いてはあるのを俺前に見付けたよw
帝紀だったけな?
「○○神、武天皇子、次、武光、次、、」
見たいな所w
原文には句読点は入らないから読み手が「神武天皇」で区切れば新羅の王の中にも神武天皇はいるんだよね

でさ、古語捨に書いてある「神武天皇東征之年」ってのを「ジンブテンノウ、トウセイのトシ」って読んでませんか?
これだと日本語読みしてない読み方ですよ

「かむいたける、あまのすめらぎのひがしを、、」
つか書いてて思ったけど、イワレビコじゃなくヤマトタケルの方じゃないの?

イワレビコは東遷(都を移す)だよ
東征(東の荒ぶる神々を制する)はヤマトタケルだよ
ヤマトタケルは恵那山を登り、東の関東とかあっちを征した人だよ
まあ別にどちらも神武(カムイタケル)って言い方は出来るけどさあ
678美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 01:30:07
>>676
あとごめん「神皇正統記」って何?

これ明治政府が皇室典範とか時に一緒に作った奴じゃ無いの?


つかさ明治政府は、大和朝廷と幕府を倒したあと、過去の北朝の血統系譜を排除して、歴代の北朝の天皇達も系譜から排除し
新たに南朝血統を正統とした系譜を作り「こっちの俺らが作った南系譜の方が歴代天皇ね」ってやってる事とかって知らないですか?
そうする事で南朝の大室氏も正統となるからですよ
679美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 01:58:06
まあイワレビコにしろナカツネヒコにしろ、「神武天皇」とか「仲哀天皇」でも別に構わないとは思うけどね

たださ、イワレビコやナガタラシ彦が本当に天皇になったのかどうかは解らないよ

天皇は国を治める人って意味じゃなく、あくまでも血統だからさ
国を治めてなくても天皇は天皇なんだよ

国を治めた人を天皇と呼ぶならアマテラスもスサノオもオオクニヌシも天皇って事になるし
そもそもさ、イワレビコが東遷(都を移す)する以前に既に天つ神がオオクニヌシから国譲りを受けてるんだから
イワレビコ以前に既に日本は天つ神の氏族が治めてる国だよ
680日本@名無史さん:2009/07/27(月) 02:01:16
>>678
古事記・日本書紀は捏造を疑うなと言っといて、神皇正統記は捏造ですか。

國學院大學図書館に室町時代の写本があるってさ。
ttp://k-aiser.kokugakuin.ac.jp/digital/diglib/jinnoshoto77-1/mag3/pages/page026.html
これも捏造ですか。

>おそらく必死で探しても「神武天皇」て、表記はそれと、後日本書記の2ヶ所ぐらいでしょ?

ちょっと見てみた大鏡にも神武天皇とうい表記がでてくるぞ。他にもなんぼでもあるだろう。
681美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 02:16:09
>>676
神皇正統記、とりあえず少し調べて来ました

これ南北朝時代に南朝が自らの正統制を主張する為に書いた本らしいすね(その後、南朝は正統争いに負け南北朝時代は終わった)

ただこの神皇正統記の原文がまだ探せてないっす

神皇正統記ってのはさ明治時代になって「神皇正統記、現代解釈版」ってなんとか言う学者が解釈版を発行してる
あなたの言ってる「神武天皇が、、って書いてある」ってのは、明治時代に解釈して出版された、いわば明治政府の解釈版、神皇正統記って本に書いてあるだけですよ

他人の解釈なんかどうでもいい
神皇正統記になんて書いてあるのかをまず自分で見て見なきゃ解らん

明治時代以降の歴史認識に関しては、書いても無いことを勝手に解釈して「○○と書いてある」とかいうのが多すぎる
682日本@名無史さん:2009/07/27(月) 02:29:41
神皇正統記は江戸時代によく読まれたよ
うちの蔵からもでてきた
683美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 02:31:46
>>676
まあとりあえず神皇正統記って本は、明治時代になって解釈版が発行され、その中に「イワレビコが初代天皇だ。そしてイワレビコは後に神武天皇と名付けられた」って書いてあるって事は解ったっす
あとは神皇正統記の原文を探して、本当にそう書いてあるのかどうか確かめるだけすね
もし原文に書いてなければ、明治時代になって勝手にそう解釈されてるだけってのがはっきりするし


書いても無いことを勝手に解釈して、本来書いてある内容と違う歴史観を植え付ける
明治時代以降はこれが凄い多いよ

そんな事するから調べられて「決史八代」とかの矛盾点を指摘されるんだよ
で、日本書記や古事記まで偽書扱いされたり、今の天皇の血統の正統制を問われたりするんだよ

矛盾があるのは日本書記や古事記の内容に創作や捏造があるからじゃないよ
神武 前660年とか、明治時代以降になされてる解釈が間違ってるだけで、歴史を創作したり捏造したのは近代の明治政府だよ

つかさ、途中でこうして捏造し創作した歴史観にすり替えようとするバカが出てくるから
本来の日本の歴史が解んなくなるし創作扱いされる
684日本@名無史さん:2009/07/27(月) 02:41:03
>>681
わざわざ原文の写真のリンクを貼ってるだろう。
明治の学者の解釈版なんかじゃなくて、室町期の写本。
漢字仮名交じりの日本語で書いてある。
リンク先の左のページの後ろから五行目からがカムヤマトイワレヒコノミコトの条。
次のページも読める。
685日本@名無史さん:2009/07/27(月) 02:51:37
さっき紹介したように、神武天皇は大鏡にも出てくる。
検索してみたら、高野本平家物語には五回出てくる。
686美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 03:03:23
>>682
そら薩長や坂本龍馬達が、大和朝廷や幕府を倒そうと企てたのが江戸時代なんだから当たり前じゃん
つか南北朝時代に南朝が自らの正統性を神皇正統記として書いてたってのは解るよ
ただその後、南朝は正統争いに敗れたよ
もう800年ぐらい前の事でしょ?


明治政府は大和朝廷を滅ぼして、南朝の末裔の大室家を江戸に連れてきて、それを新たに皇室として、系譜も新たに南朝系の系譜に書き直して、歴代の北朝の天皇が天皇じゃなかったって事にしちゃってるけど、、、

歴史の捏造ってこういう行為の事を言うんでしょ?

てか戦後の日本の歴史観とかはマジでクソ。
今なされてるアホ見たいな歴史観教育なんかしてたらダメだよ
ちゃんと元通り、本来の本当の日本の歴史を伝えて行くべきと思うよ


ただ「本来の本当の日本の歴史」ってのは明治時代以降の天皇史観の歴史の事じゃないよ
さすがに戦後の歴史教育よりマシとは言え、明治政府の歴史の捏造や創作も酷いよ
歴史の捏造ってか、日本書記の解釈の創作って言うかさ


つか歴史だなんだ言っても別に記紀に書いてある通りの事だけで良いんだし
神武が建国しただの天皇は九州から東征して日本を治めただの
薩長の奴らが勝手
687美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 03:06:46
>>680
おれ携帯だから見えないや



688日本@名無史さん:2009/07/27(月) 03:14:39
神皇正統記を明治政府がどう利用したかなんて、関係ありません。
室町期に既に神武という記述をした者がいた。
大鏡や平家物語に神武天皇という記述がある。
>>586の君の説

>何が言いたいかと言うと、明治維新前までは「○○天皇」なんて呼び方はしてないって事だよ

これは誤りだということ。

>>687
ちょうどいい教材じゃないか。
ホームページに限らず、いろいろなことで、君が見えないことを見ている人は沢山いる。
689美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 03:29:05
>>685
高野本、平家物語の翻刻版、昭和48年に発刊
この発刊した奴らの翻刻やら注釈やらが入るのがウザイ
原本はどっかの大学にあるみたいだね
あと俺、神皇正統記が偽書とかウソなんて言って無いよ
俺が疑ったり注意してるのは、本当にそう書いてあるのか、誰かがそう解釈してるだけなのかって所だけすよ

まあ全てを全部ちゃんとそこまで調べてるかと言えば、まあある程度しか出来てないから俺ももっとちゃんと調べなきゃダメなんだけどさ

おれ自身が勝手な解釈しちゃってる場合もあるし
690美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 03:38:01
>>688
神皇正統記の原本に書かれてるのは「神武」なの?
「神武天皇」じゃなくて?
別に「神武」だけなら記紀にも書いてあるよ


平家物語に「神武天皇」て書いてあるかどうかは知らん。まだちゃんと調べてない
つかね俺の持ってる古事記や日本書記にもさ「神武天皇」ってのは沢山出て来てるよ

「神武天皇(カムヤマトイワレビコ)」て、もう勝手に神武天皇て呼び方にされてるもん
ただ記紀の原本には「神武天皇が○○して」なんて書いてないよ

691日本@名無史さん:2009/07/27(月) 04:14:12
もん太はなんで明治に神皇正統記が新しい解釈を施されたとか
歴史が捏造されたとか言うのに記紀だけは解釈の仕方が間違ってるだけで
その記述は正しいといえちゃうの?
そこに書かれてる内容が正しいかどうか考古学者が
いろいろ発掘してる成果とかまるっきり無視しちゃってるけどさあ
692日本@名無史さん:2009/07/27(月) 04:25:13
>>690
神皇正統記の最初のページに「神武天皇東征ヨリ代々ノ皇都也」とある。
神皇正統記に限らず、江戸以前の複数の資料に神武天皇を始め、○○天皇という記述が沢山ある。

>ただ記紀の原本には「神武天皇が○○して」なんて書いてないよ

記紀が出来た後に、中国風の諡号を付けようということになって、
それでカムヤマトイワレヒコノミコトには神武天皇という号が付けられた。
だから記紀に神武天皇という号が無いのは当たりまえ。あったらおかしい。

神皇正統記には、
「神日本磐余彦ト申ハ神代ヨリノヤマトコトハナリ 
 神武ハ中古ニナリテモロコシノ詞ニヨリテサタメタテマツル御名也」
と書いてある。注釈ではなく本文に。

それから、神武という号は漢風諡号と言われるもの。
漢語を真似て付けた号だから、ヤマト言葉風にカムイタケルなどと読むのは間違い。
そう読んでは、わざわざヤマト言葉の名前の別に諡号を付けた意味がない。
693美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 04:44:09
>>691
あのさ、別に記紀だけじゃなく、神皇正統記でも古史古伝でもいいんだよ
特に記紀なんて漢文で書かれてて、読み手によっては同じ文章でも異なる解釈が出来ちゃうんだよ

例えば記紀に「崩年」ってあれば、「天皇が死んだ事」って解釈がされてるけど
俺は別に天皇が死んだって意味じゃないだろって思ってるし


どっちの解釈が正しいのかは解んないけどさ、要は記紀にしろなんにしろ、書いてある内容を正確に読み取れた上でないと書かれてる内容が間違ってるかどうかなんて解らないでしょ?


例えば「天皇御年壹佰惨拾漆歳」って記述がある
これは「神武天皇は136歳で死んだ」って解釈すれば
「136歳まで生きねーよ。思いっきりウソ書いてるじゃん」ってなるのは解るよ


たださ、これ別に「神武天皇が136歳で死んだ」って事を書いてる訳じゃないんじゃね?
って思うしさ

そもそもどの天皇が何歳で死んだとかどうでもいい話じゃん

つか読み手側がなんでもかんでも天皇に結び付けてるだけな気がするしさ
694日本@名無史さん:2009/07/27(月) 04:48:43
もん太くんさ、きみには言いたいことがたくさんあるのはわかるんだけど、
もうちょっと謙虚にいこうよ。
695美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 05:15:11
>>692
ありがとう
「カムヤマトイワレビコは初代の天皇で、後に神武天皇と名付けられた」
なんて、やっぱ書いてねーじゃん

「カムヤマトイワレビコと言い、神代からの言葉です。神武は中いにしえの頃にもたらされた詞により定めた名です」

まあ同じような意味か


>記紀が出来たとき中国風の謚を、、
これは違うでしょ
つか神皇正統記に書いてあるじゃん
「カムヤマトイワレビコは昔からの大和言葉
神武は途中にもたらされた詞で表す時に書く名前」
見たいな事じゃん

中国風、中国風て言うけど、モンゴル帝国のチンギスハーン、マンチュリ王朝のヌルムチギョロ、明の李氏朝鮮
中国風の意味がまず解らん


つか中国風のとか贈り名とか言うのは、勝手にそう誰かが解釈してるだけの話だよ
神皇正統記に書いてあるじゃん
「神武」って表記の意味がさ

>中国風の、、
って解釈の方が間違ってるんだよ
696日本@名無史さん:2009/07/27(月) 05:42:46
>神皇正統記に書いてあるじゃん
>「神武」って表記の意味がさ
北畠の解釈が書いてあるんだろ? それは信用とするのか?
697美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 05:48:05
>>696
あれ?
北鼻の解釈なの?
じゃあダメだ。
原本にそうあるのかと思った

698日本@名無史さん:2009/07/27(月) 05:59:00
>>697
神皇正統記の著者が北畠親房。

北鼻ではない。北畠。
699美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/27(月) 06:04:45
>>698
そっかあ。えっと昔の人なんです?
近代の学者かと思った

700河童虫:2009/07/27(月) 07:48:06
私は大まか“もん太”君に一票だな。

「カムヤマトイワレヒコ」これは個人の固有名詞ではなく

神代のヤマト言葉と後世言われているように
「カムヤマトイワレヒコ」と言う意味。
簡単に言えば、本文に対する“お題”
漢風に表現すれば、「神武天皇」
ただそれだけの事。

「カムヤマトイワレヒコ」と言う事象を書き連ねたのが
本編なんだよ


ただたんに「カムヤマトイワレヒコ」と書かれた意味を現代人は理解出来る知恵を失っているだけ

「カム」「ヤマト」「イワレ」「ヒコ」 と、ぶつ切りにすると
わかりやすいかもね
701日本@名無史さん:2009/07/27(月) 08:37:02
どういういみなの?
702日本@名無史さん:2009/07/27(月) 08:40:57
>>701
トマトを噛むと言われた人
703河童虫:2009/07/27(月) 08:46:08
>>701
簡単じゃん

単純に「ヤマトのいわれ」を題材に書きました。
そう 単純に解しておくだけでも、内容を見る目が変わります。


「いわれ」を中心的な地名のように解釈しているものもあるけれど
言葉としての「いわれ」で解釈した方が混乱しない。
704河童虫:2009/07/27(月) 08:57:43
「カム」とは

カミやカムイと名詞化する前の動詞的な意味。

簡単に言えば
「触れた」後の行動。


「ものを噛む」と考えれば、噛むとは
歯がものに触れた後におきる行動を噛むと表現しているけど
それと一緒

「ヒコ」が「ヤマト」に「カム」した「イワレ」を題材に書いた
705日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:05:55
で結局どういう意味なの?
706河童虫:2009/07/27(月) 09:08:16
>>705
後は自分で勝手気ままに解釈しろよ

私はそこまで親切じゃない。
707日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:21:29
綏靖 「みみ」が「ぬなかわ」(沼河比売?)に「かむ」した?
安寧 「しきつ」(磯城の支配を任されていた?)の「ひこ」が「たまで」を「み」た?
懿徳 「おおやまと」(本家?)の「ひこ」が「すき」(農具?)を「とも」した?
孝昭 「みまつ」の「ひこ」が「いね」を「かえし」た?
孝安 「やまと」を「たらし」た(領土を増やした?)「ひこ」は「くに」を「おし」た「ひと」
崇神 「みまき」(纏向遺跡?)に「いり」した「ひこ」が「いにえ」?
708日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:25:47
>>706

勝手気ままにだと?

なめてんのか?掲示板のリソースを日記につかいやがって。
709日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:28:28
だがしかし、俺もカムヤマトイワレヒコ120歳というのは、
イワレの首長が何世代かで120年栄えたという意味に解釈できるとは思う。
個人名じゃなくてね。
710河童虫:2009/07/27(月) 09:29:00
>>707

そんな感じだよ。
ただ、句の切り方がそれで良いのかは別問題。

本当なら、一音ずつくぎりたいけど
それじゃチンプンカンだろうし。
711日本@名無史さん:2009/07/27(月) 09:36:08
大倭根子天之広野日女尊なんかは明確に事跡ではなく諡号だと思うのだが
河童やもん太はどう考えてるの?
712河童虫:2009/07/27(月) 09:51:00
>>711

それがたとえ和風諡号であれなんであれ
「おおやまとねこあめのひろのひめ」
と 言われれば
それは意味だよ。
713日本@名無史さん:2009/07/27(月) 10:11:30
高天原広野姫天皇は?
714河童虫:2009/07/27(月) 10:18:42
>>713
自分でどうぞ
715日本@名無史さん:2009/07/27(月) 10:45:45
河童虫逃げすぎだろ
716河童虫:2009/07/27(月) 10:51:26
>>715
キッカケだけ提示すれば
君達は本来優秀だから
後はスラスラと

私の拙い説明なんか役にたちません。

君達の未来にかけてみるよ
717日本@名無史さん:2009/07/27(月) 10:51:53
おおやまとねこあめのひろのひめが諡号であり意味であるというのなら
それは結局のところ持統天皇の事跡に対する記述、ということになるのでないの?
718日本@名無史さん:2009/07/27(月) 10:54:01
で、それ意味あるのかね
719河童虫:2009/07/27(月) 11:03:47
>>717
持統帝なんて神代じゃないからね
リアル日本書紀であり古事記なんだから

神代と同じに考えちゃだめだよ
720日本@名無史さん:2009/07/27(月) 11:24:06
時代によって記紀の解釈の仕方変えちゃうのかよ
721河童虫:2009/07/27(月) 11:29:24
>>720
同じだよ
722河童虫:2009/07/27(月) 11:40:05
>>720

例えばだ
記紀が編纂された時を基点に物事を眺めれば

神武の事象は、天智の事象よりも遥かに長い時間が経過しているわけだよ
だから
言葉の持つ意味も、時間が下り、編纂時期にリアルに対象すれば
対象人物の事跡と重なるわけだよ
すなわち神武なんて事跡は、建国から編纂まで
全てかかわりがあると言っても過言じゃないの
723doontakuka:2009/07/27(月) 12:50:27
>>722

と言うことは、

~-倭 伊-波-禮 毘-古 命
の『禮』と
伊都國 官曰爾支
の『爾』は
同義として使われている。
と、
解釈することも可能ということか?

『禮』、『爾』は
"perfect plural stem of gen[to go]"
の義也。

であるが、
『禮』と『爾』では、plural stemの要素多少違いはある。

724河童虫:2009/07/27(月) 13:14:39
>>723

音借と表意なら
当然扱いは違うでしょう。
725doontakuka:2009/07/27(月) 13:24:29
>>675
天皇はその家系の中の祭祀の家系の人だよ

~-倭 伊-波-禮 毘-古 命
の場合はそのように云えるが、
 ~日本磐余彦天皇
の場合は『祭祀の家系』の因を何処に求めるか?
天皇=すめらみことのsume にそれをみいだすなか?
sume とは "cypress" の義也、卑弥呼のようなスタイルですよ。
726doontakuka:2009/07/27(月) 13:29:08
>>724

『禮』を re と読み 、『爾』を er と読むなら、

文字は違うが re=er なのです。

それは、
明日と明日の違いのようなものです。


727日本@名無史さん:2009/07/27(月) 13:30:26
>>725

祭祀を司るのは天皇じゃなくて「みこ」

「み」を「司る」から「みこ(みかほ)」と言うんだよ
728doontakuka:2009/07/27(月) 13:31:01
×明日と明日の違いのようなものです。
◎明日(アス)と明日(ミョウニチ)の違いのようなものです。
729河童虫:2009/07/27(月) 13:37:48
今でもその名残は残っていて、
天皇といえども、神主から手渡されない限り、榊一本たりとも
神に供える事が出来ない。
730河童虫:2009/07/27(月) 13:45:55
天皇なんて
藤原でも蘇我でも物部でもいいのよ
政を担当する権力者なんだし

肝心なのは大君の存在。
彼女の息がかからないかぎり、天皇にはなれないし
民がついてこない。
731doontakuka:2009/07/27(月) 13:50:34
>>729

現代の天皇は 、
『すめら-みこ-と』
では、ないということか?

732河童虫:2009/07/27(月) 13:57:34
>>731
現代の天皇と古代の天皇とでは
存在そのものの意味が違うから


比較する事自体間違いだと思う。
733doontakuka:2009/07/27(月) 13:58:32
>>730

それは、北緯34度30分 奈良・大阪を中央とした場合でしょう。

京都、東京の場合はそうとはいえない。

女王国が崩壊しているから。
734河童虫:2009/07/27(月) 14:04:22
今でも天皇は、伊勢神宮に参内するけれど
伊勢神宮の使者が天皇の参内よりも先に御所に出向く事はない。

ハッキリと目に見える上下関係。
735河童虫:2009/07/27(月) 14:14:47
>>733

意味が理解出来ません
736doontakuka:2009/07/27(月) 14:16:29
>>732

有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼~道 能以妖惑衆 於是共立爲王 侍婢千人 少有見者 唯有男子一人給飲食 傳辭語 居處宮室・樓觀・城柵 皆持兵守衞 法俗嚴峻
と言う行為の義が sumera (スメラ) です。
卑彌呼の彌呼がmiko(ミコ)で
to(ト)とは、聖職者です。

つまり、
卑彌呼は天皇=すめらみこと sumera mik-to
で、あったと言うことになる。


737河童虫:2009/07/27(月) 14:28:29
>>736

何故「ト」が聖職者なんですか?

では

トリ
ヒト
トモダチ
トカイ
マト
セト

なんかも皆聖職者なんですか?
738日本@名無史さん:2009/07/27(月) 14:28:33
>>736
toが聖職者とはなにが根拠よ
739日本@名無史さん:2009/07/27(月) 14:56:29
>>687
蓑虫よ
明治新政府は朝廷を倒そうとはしていない
大半は尊皇攘夷派だというのにアホか。

大体、『大和』朝廷?
一体、いつの時代に明治新政府はタイムスリップしてんだ(笑)
740日本@名無史さん:2009/07/27(月) 14:57:32
>>738
「ヤマ」+「ト」  邪馬の「聖職者」の事。
ヤマトとは、山の巫女の事。
741doontakuka:2009/07/27(月) 15:11:50
>>737
本来、to は tu の変異形で、
mik-toは五穀豊穣の聖職者の意である。
熱田のa-tu、佐賀のsagaも聖職者の意であろう。
mikを辿れば、伊邪那岐に行き着く。
伊邪那岐はアッカド系で伊邪那伎がインド系である。
だから、アッカド語のmikの連結語を探すと、
mikru(irrigated lan), miksu(a share of the yield of a field)がある。

不思議なものだ。
742doontakuka:2009/07/27(月) 15:15:25
×(irrigated lan),

◎"irrigated land"
743日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:17:00
UFOが出てきそうな雰囲気にwww
744河童虫:2009/07/27(月) 15:17:52
俺、パス
745日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:20:03
>>741
>佐賀のsagaも聖職者の意であろう。

sagaはsageの変異形である。
不思議ものだ。
746日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:32:24
>>745


ageは? 群馬の上野の意味か?あるいはパンダの上野の意味か?
それとも忍者の伊賀上野か?
747doontakuka:2009/07/27(月) 15:36:54
.>>735

長岡京(ながおかきょう)は、784年(延暦3年)から794年(延暦13年)まで
山城国乙訓郡に存在した日本の首都。

『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命が合流した場所が会津であるとされている。(会津の地名由来説話)。

会津若松の緯度は北緯37度30分、此れは北緯30度と北緯45度の中央に当たる。
北緯30度から北緯39度までが、女王国の領域で北緯39度から北緯45度は男王の領域である。男女王の両国に跨る中央が北緯37度30分の会津若松である。
会津若松と同緯度の地に新潟県長岡市がある。
本来、長岡京は北緯37度30分になければならないが、その長岡を北緯37度30分に残し、8年間の遷都で京都に長岡京を造営した。
長岡京は平城京の門なのである。
だから、桓武天皇は東北侵攻をやったのだ。

肝心なのは大君の存在。
といのは、
北緯30度から北緯39度内のこと。
748日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:39:03
>>746
薩摩ageを知らぬのか?
749日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:42:37
>>746は馬鹿だなあ

ageはhageの予防形、agaった時に予防しないから
hageの終止形になる。
750日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:47:28
>>747
ロンドンは北海道よりも北にあるのに、女王陛下の国だぞ
751doontakuka:2009/07/27(月) 15:49:34
>>750

ロンドンは日本列島の何処にありますか?
教えて!
752日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:53:45
エジプトのピラミッドはいいけれど、イギリスは駄目なの?
753日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:56:05
ロンドンなんて昔あちこちにあった
754日本@名無史さん:2009/07/27(月) 15:57:09
>>753
側にハリウッドも
755doontakuka:2009/07/27(月) 15:57:47
>>752

エジプト・クフ王のピラミッドは北緯45度が北限なんだよね。
北緯51度のロンドンは除外じゃyo.
756日本@名無史さん:2009/07/27(月) 21:14:47
>>753俺もよくお世話になりました。あはは。
757改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 21:43:07
後ろのお姉さん綺麗だw
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/070926/acd0709262031004-p1.htm

「邪馬台国時代 最古の木製仮面出土」
三世紀前半といわれる集落から、祭祀のなにかで使われたといわれる
木製の仮面が出土された。長さ26センチ、幅21.5センチ、厚さ0.6センチ。
鍬を再利用したアカガシ製といわれ、裏面はひもを通す穴もないため、
顔に装着したのではなく、手で持って顔を覆ったとみられる。
使い方としては、乱交みたいな集会があったのか。いやらしいよねw
758改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 21:49:17
「倭人伝」
其會同坐起父子男女無別人性嗜酒

ここの記事かな。
「集会」というのは、親子、男女 差別なく、行われてたらしく、
やはりここでも、酒を嗜(たしな)む とある。
この木製の仮面が、この魏志倭人伝のいう集会で、用いられたものか?
まあ、可能性はないことはないかもしれない。
759改め:2009/07/27(月) 22:02:44
それにしても、このスレが立ち上がったのが、
「7/18(土) 夜」〜
そこから約十日で「759」?早すぎる。

ていうか、もっと詰めて書き込むようにいない?
最低でも4行は書き込んでほしいよね・・・・。

>>748-756 >>742-746 この辺・・だよ。
760日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:08:08
>>759
もんちゃんにもっと長ーいレスお願いしたら?
761日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:08:44
>>575
あの口の穴がエロい。邪馬台国の南極2号ではないのか?
762日本@名無史さん:2009/07/27(月) 22:17:24
後ろの姉ちゃん結構澄まして写真に写ってるけど
結構ヤリマンだったりして?
763改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 22:26:29
「ホケノ山古墳は、墳丘墓?!ホケノ山を古墳と呼んでいいのか?」

弥生墳丘墓と古墳時代の違いについては、
わたしが>>21で書き込んだとおり、「墓の規模が一気に大きくなり、
それと区別するために古墳というのをもうけた」と書き込んだ。
この考えに沿って考えると、ホケノ山を古墳でいいのか?て思う人もいるだろう。
んで、少し、ホケノ山古墳を調べてみたが、全長約80m、後円部径60m、前方部長20mの前方後円形で
出土品に時代的にも「布留式」より古い「庄内式」があり、箸墓より古い古墳というのが一般的。
この、ホケノ山古墳→箸墓をみるかぎり、ここを弥生時代→古墳時代の境目として考えるという意見はどうだろうか?
わたしは、ホケノ山古墳について余り詳しくないが〜この議論について詳しい人いないのかな?
ついでに言わせてもらうと、わたしは「卑弥呼の墓=箸墓」と考えている。
卑弥呼の死をもって、古墳時代が始まる〜〜としたいんですが・・・ほかの人の意見も聞いてみよう。
764日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:07:19
>>763
ドツボはいつから畿内説派になったの?
765日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:15:47
>>763
形が鍵穴型ではなくホタテ型。
前方後円墳の形がまだちゃんと決まってない頃の古墳ですね。
橿原考古学研究所では邪馬台国時代の墓だそうです。

埋葬された人物は農耕具が数多く一緒に埋葬されてることから、
農業に関係する・・つまり太陽神天照になんらかに関与してた人物だと思われます。
大神神社によると、豊鍬入姫命の墓とされているね。
766改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 23:16:52
>>144
>旺文社の「漢和中辞典」。使いやすいし、なかなかいい辞典だよ。
・漢和辞典w 漢字源を使いなされww

>>156
>「径」の意味の一つに「こみち、ちかみち」と言うものもはある。
>それ以外では、ある図形の外周上にある2点間の差し渡しの意味もある。
>更に数学的用法では、中点を通る必要があり、方形には使用しない。
・正解

>>162
>結局、河童の辞書はわからず仕舞いか。
>河童の主張している、「徑は複数の中の一つという意味」の出典を是非知りたかった。
・そんなの聞かなくてもわかる。トンデモ読みしかだろうwww
767改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 23:30:19
>>764
>ドツボはいつから畿内説派になったの?
・少し前かな?みんなから言われるが〜何か都合が悪いのかな?
魏志倭人伝に、卑弥呼の墓は
「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」と明記されている。
円の直径が144メートルクラスとあるのに〜そんな規模の、円墳や前方後円墳は
九州にあるかい?ナイでしょう、ていうことで、卑弥呼の墓=箸墓 ということが分かる。
九州説では、「徑百餘歩」を「24メートルクラスの墓」という考えがあるが、
トンデモとしか言えないんだよね。卑弥呼の墓がまだどこかに埋もれてて
発見されてないだけって見方もできるが現実的ではないというか、それは、
卑弥呼の墓が「144メートルクラス」ということが分かってないだけの解釈としか思えません。

>>763
前方後円墳ではなくホタテ型ですか?
たしか、初期の古墳に多くみられるやつですよね・・・・。

>大神神社によると、豊鍬入姫命の墓とされているね。
・わたしは、豊鍬入姫命の墓の墓とは思っていません。
箸墓より古いんであれば、それはないだろうと思います。
768縦目仮面:2009/07/27(月) 23:39:06
俺も仮面なんでごあいさつ。こんなのもあります。唐子・鍵遺跡の絵画土器から推定復元。
・・・しかしこんな明るい雰囲気ではなく、もっとおどろおどろしいものだったという気がしますが。
http://chiu610430.hp.infoseek.co.jp/2yayoi/karakokagi/karako11.jpg
769日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:45:44
>>767
豊鍬入姫命の墓だとすれば、
崇神天皇の皇女の豊鍬入姫命が台与で、
崇神天皇の叔母の葛城族の倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼となる。

倭人伝は台与の時代に物だからそれ以降はない。
伝によると豊鍬入姫命の次の日巫女は倭姫命。

神功皇后も巫女だとすると、
この時代まで引退もしくは死ぬまで巫女として祭祀を続けたと考えられますね。

ひょっとすれば神功と仲哀が結婚した瞬間、
人間天皇が神格化し巫女の存在は薄らいで行ったのかも知れませんね。

卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命だとすると、
故郷の葛城氏領内高天は高天原となるのではないか?
すると神話とも辻褄が合う
770日本@名無史さん:2009/07/27(月) 23:48:09
>>769
読み返す前にEnterを押してしまいました。。日本語でおk状態ですね。。

すまんです。
771改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/27(月) 23:59:16
>>232
>邪馬台国は、魏志倭人伝の書かれたちょうどそのころ
>九州から畿内に移ったとする説です。
・われわれは、「アメリカ人」でもなければ、「ヨーロッパの人」でもないのだから〜
日本の歴史は、よその外国人より詳しいハズ。
ようは、日本人は日本の歴史のことをよく知っているということ。

九州に居た、天皇家の祖先が、初代天皇といわれる神武の頃「一大事業」を成し遂げた。
その「一大事業」というのは、「神武東征」であり、それを期に天皇家というのは、
奈良を中心に大和朝廷を開き、九州には一度も都を持ってきていない。
記紀とか読んだことがあるなら、君のような発言はしないはずなんだけどね〜・・・。
そして、魏志倭人伝に記された”邪馬壹國”の時代は、祟神天皇の時代に当たる。

その頃の列島の首都といえば、九州ではなく、奈良ということが分かるハズ。

「都」
九州→神武東征以後、→奈良→大阪(難波京)→京都(平安京)→滋賀(ここだったかな?間違えてるぽい)
近代だったら、京都→東京 と都が移され、本当は、みな、歴史のこと知ってるハズ。
772改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 00:08:40
「卑弥呼、台与は誰か?」
卑弥呼の本命は、倭迹迹日百襲媛命。
台与の本命、豊鍬入姫命、というのが一般的だろう。
わたしも、この本命といわれたこの二人を支持しています。

「高天原」に関しては、「天上」を指す言葉で、どこが高天原か?とした議論には
チト賛同しかねる。
しいて、高天原はどこか?を決めなくてはいけないのでしたら、
天皇の祖先がいた場所なんじゃない?としか私はいえませんね。

>>768
・・・・・・・ソレと、木製の仮面がどのような関係があるのでしょうか。
773河童虫:2009/07/28(火) 00:12:26
>>767 これだけ提示しとくよ

・行不由徑    

・莫徑由礼

・粛徑迎之

・不過一斗徑酔矣

・有直情而徑行者

・自西山道口徑北

・夜徑沢中

これら全てに共通する意味は  選択された一つ(複数の内の一つ)

とか言っても理解できるオツムはないみたいだから
無駄レスになるかな?
774河童虫:2009/07/28(火) 00:13:41
あと、>>773に対するレスは無用だから
775改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 00:26:50
「斎王」
トヨスキイリヒメ、ヤマトヒメの時代には、この「斎王」という贈り名はなく、
記紀にもその「天照大神を奉った巫女」のようなことしか載ってない。
ヤマトトヒモモソヒメに関しては、天照大神ではなく、「大物主を奉った巫女」として、
この斎王としては、扱われてないハズ。
斎王というのは、だいぶん経ってからで、その始まりとして、この二人の巫女の名が載る。
今、ホームページ読んでるんだけど〜約700年も続いたっていうのが驚きだね。

斎宮跡、斎宮歴史博物館に一度、言ってみるのもいいかもしれない(古代史旅行で)。
http://www.pref.mie.jp/saiku/hp/
776改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 00:43:38
「卑弥呼、台与は誰か?」
本命(何を基準に本命にするかだけど、ここでは一般的な考えの多さで私が勝手に決める)、
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛、台与=豊鍬入姫 に対して、
卑弥呼=豊鍬入姫、台与=倭姫、
卑弥呼=倭姫、台与=神功皇后
卑弥呼=天照大神、台与=豊玉姫 という考えの人もいるだろう。

卑弥呼=筑紫君の祖甕依姫(みかよりひめ)説とか、
卑弥呼=海部氏勘注系図に記される日女命とかは、大穴にしか見えないのは私だけだろうか?
777日本@名無史さん:2009/07/28(火) 00:50:19
>>772
考霊が葛城大王だから、故郷は高天彦神社のある奈良県御所市高天

葛城は元々、鹿などを捕まえていた狩猟民族で
陰陽道の鴨氏を併呑し急速に勢力を伸ばした豪族。

葛城氏は大王であった時代がある。それが欠史8代の時代
※これは葛城領内に集中する古墳の分布や伝聞などで推測

雄略死後、三輪と王をめぐり対立。これが倭国大乱

その後、和解し葛城氏からは祭祀王、三輪からは俗世王を立てる事で連合が成立した。
卑弥呼死後、俗世王祟神が山城の武埴安彦が王位を狙い反乱。木津祝園でこれを討伐。

さらにそれに乗じて葛城は反乱を起こしたが惨敗。葛城の地位は失墜
※このことは相撲のいわれである野見宿弥と当麻ケハヤで表されている。
三輪氏の豊鍬入姫命が巫女になり三輪の独占になる。
※鎌足の息子藤原不比等は葛城氏のかつての地位をも陥れるために
 大王であるにも拘らずバカな大王だったと記述させる。

葛城はこれで死んだわけではなく武内宿禰や蘇我氏と続いていく。
彼らの地位が大王に近い存在だったのも頷ける。
778改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 00:56:23
>>772は、>>769へのレスね

>>769さんへ追加レス
>豊鍬入姫命の墓だとすれば、崇神天皇の皇女の豊鍬入姫命が台与で、
>崇神天皇の叔母の葛城族の倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼となる。
・箸墓よりホケノ山古墳のが古いのでは?土器のわずかな形状によって
その時代が先か?後なのか?区別されるんですわ。

>倭人伝は台与の時代に物だからそれ以降はない。
>伝によると豊鍬入姫命の次の日巫女は倭姫命。
・266年の記事に関する考えでしょうか?
266年、大陸に献上した巫女さんは、「倭姫命の可能性あり」としかいえませんね。

>神功皇后も巫女だとすると、
>この時代まで引退もしくは死ぬまで巫女として祭祀を続けたと考えられますね。
>ひょっとすれば神功と仲哀が結婚した瞬間、
>人間天皇が神格化し巫女の存在は薄らいで行ったのかも知れませんね。
・わたしは、神功皇后は巫女と見てません、巫女というのは、一生涯独身なのです。
「斎宮」で調べてみると良い。
779日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:00:11
>>778
>わたしは、神功皇后は巫女と見てません、巫女というのは、一生涯独身なのです

この概念がなくなった瞬間、
つまり、天皇が神として崇められるようになったのが仲哀と神功の結婚だと考えています。
780改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 01:14:28
>>773-774のレスは無視ねwww
どうせ、師匠から出された宿題を書き込んだダケだろうからw

>>777
>考霊が葛城大王だから、故郷は高天彦神社のある奈良県御所市高天
>葛城は元々、鹿などを捕まえていた狩猟民族で陰陽道の鴨氏を併呑し急速に勢力を伸ばした豪族。
・ 考霊=葛城大王というのは、よく知らないのですが、
「狩猟民族」というのは、日本列島に住む人、皆、田植えを始める前、
又は、田植えをしながら、鹿や、猪、鳥、海産物、まれに犬とかを捕まえて食していた。
「春」、「夏」、「秋」、「冬」、男性はその季節によって仕事の仕方が変わる。
たとえば、「春」と「秋」は田植え、「夏」は木の実など山に生える物を採っていた、
「冬」は、狩猟がメインというのを学校でも習ってきたはず。
一概に、「考霊(葛城大王)=狩猟民族」と決め付けるのはどうかと思う。

>雄略死後、三輪と王をめぐり対立。これが倭国大乱
・これは意味不明、もっと〜分かり易く説明よろしくデス。

>その後、和解し葛城氏から〜
>さらにそれに乗じて葛城は反乱を起こしたが惨敗〜
>このことは相撲のいわれである野見宿弥と当麻ケハヤで表されている。
>三輪氏の豊鍬入姫命が巫女になり〜バカな大王だったと記述させる。
>葛城はこれで死んだわけではなく〜〜大王に近い存在だったのも頷ける。
・コレラは貴方の想像ですね、誰か、私の代わりにレスお願いします。
781日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:15:56
妄想もいいかげんにしろよ
782改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 01:19:19
>妄想もいいかげんにしろよ

わたしも同意。
>>781さんのレスは私に対してではなく、>>777さんへだろう。
妄想ばかり、言ってても意味がないというか、
自分の考えたことを、何かと照らし合わせて言うのならまだマシなんですが・・。
783日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:21:31
おまえもだよ
784日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:24:01
こいつの書いてることは
これは単なる妄想じゃないな。
奈良の神社でも回ったんだろ。

俺も高天彦神社や一言主は無視できないと考える
785日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:24:39
>>783
>おまえもだよ

批判するだけではなく、自分の考えを書き込んでから批判するべきでは?
なんでも、かんでも、レスした人を批判するのは誰でもできる。
786日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:30:35
葛城っていえば
御所市の室ってとこに
大きい古墳が見つかったらしいね。
あの辺はまだ何かありそう

たしかに妄想ですね。
なんか無理矢理、日本書紀に神社のいわれを押し付けたみたいな
787日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:37:13
>>777ですが。
う〜ん妄想ですか。。
wikiや自分で歩いて回って出た答えを書いてみたんですが。。
そう思われるとは残念です。

改めさんも奈良・・特に一度マキムクや葛城を回ってみてはいかがですか?
両方ともピクニックコースにもなってるようです。
秋は彼岸花が咲いてきれいですよ。
歩くのは健康に良いですし山みたいに危険でもないので。
788改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 01:40:01
>>473 愛知県民さん〜
>崇神天皇の没年が戊寅 258
>神武天皇の没年は二世紀前半と考えています。
・神武天皇から崇神天皇までの九名の天皇が158年以内というのはきつ過ぎませんか?
天皇の長男が即位したとしても、16,17才で父親になったとなり、その考えは少し無理があると思います。

>>489
>壱與は266年に張政等を送り返した。 と、魏志倭人伝に書いてあるので
>崇神没を戊寅 258年とするならば、壱與は崇神没後も生きていた
・その前にそんなこと書いてないしww

今週の土日は、愛知県民さんとdoontakukaの弟子さん、
美濃もん太さんと日本@名無史さん とで議論してた間があるね。
んで、お互い、少しは結果はでたのかな?
789日本@名無史さん:2009/07/28(火) 01:42:02
ドツボに『さん』付けは不要。
おっちゃん、ここは破綻寸前とは言え、
九州説論者も居るんで罵声を浴びせられるぜ。
あんたは2chに触れちゃなんねぇ
790改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 01:57:00
>>787
>改めさんも奈良・・特に一度マキムクや葛城を回ってみてはいかがですか?
・奈良のマキムクならまわりましたね〜奈良国立博物館に向かってる途中、タイムオーバーでしたが・・・。
目的のヤマトトヒモモソヒメの箸墓が観れたので、少しは満足しています(古代史旅行)。
<コース>
石上神宮http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E5%AE%AE
大和神社http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大神神社http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
狭井神社http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/sai_jinja.htm
箸墓http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3
現崇神天皇陵(柳本行燈山古墳)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E7%87%88%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
現垂仁天皇稜(宝来山古墳)http://www.bell.jp/pancho/travel/nisinokyo/suinintenno_ryo.htm
桜井市埋蔵文化センターhttp://www.city.sakurai.nara.jp/shisetsu/shisetsu07.html
奈良国立博物館http://www.narahaku.go.jp/
791改め ◆PWTcGEfp1s :2009/07/28(火) 02:04:05
>>789
>ドツボに『さん』付け
・他の人は、君と「質」が違ってるてことでは?w
>九州説論者も居るんで
わたしは、畿内説、九州説なんてどうでも良いと思っている。
議論するうえで、畿内説、九州説に分かれて、楽しめれば良いのでは?てかんじかな。

では、深夜2時〜てことで、そろそろ落ち。Good night〜〜☆
792日本@名無史さん:2009/07/28(火) 02:04:11
宮内庁の巻向調査許可後の
九州説の旗色の悪さは異常
793日本@名無史さん:2009/07/28(火) 02:08:27
邪馬台国ヲタは気持ち悪い。答えがでないことを毎日延々ループの議論してて、
はたからみてるとひくわ。
794日本@名無史さん:2009/07/28(火) 02:08:39
もうちょっときちんと根拠を書けよw
795日本@名無史さん:2009/07/28(火) 02:22:34
>>793
畿内で答え出てます。
今は希少生物の九州説論者の残党狩り中
796日本@名無史さん:2009/07/28(火) 02:33:21
>>795
絶滅危惧種なら保護すべきw
797河童虫:2009/07/28(火) 06:36:21
>>780

なんだあ

常日頃、辞書辞書と言ってる割には
辞書なんてチョコチョコって眺めるだけで 全く書かれている内容なんて把握してないんだ

あれは品詞別に分け並べた辞書で使われている用例なんだけど


いかに普段
上辺だけのやり取りをしているか これでわかったよ


普段やたらと辞書辞書とこだわっているようだから試して見たんだけどね
798日本@名無史さん:2009/07/28(火) 07:59:37
774 名前:河童虫[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:13:41
あと、>>773に対するレスは無用だから
799河童虫:2009/07/28(火) 08:30:07
>>798

と、書いたんだが
一応コメントもらったから
コメントもらえばどんな理由があれ
返信するのが礼儀。



と、小さい頃から
厳しく言われて来た事。
800日本@名無史さん:2009/07/28(火) 08:40:22
いやお前の家庭の話とかここに書き込まなくていいから
801河童虫:2009/07/28(火) 08:46:30
と、無駄レスしなくてもいいから


「化け名無しさん」
802太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/07/28(火) 08:58:12
改めの説は去年とは違いまたまたこちらの説に近似してきたところ
がある。ww

女王国が崇神の代でそのころが卑弥呼の活躍年代だとあれほど説明
してたのにこれに反対して、改めは八代の中間頃あたりに決めこんで
こちらの説に逆らっていた。それ以前もっと古い時代に卑弥呼を設定
していたはずだが、途中奴は説を文字通り改め八代の中間ころに矯正
していてこれが正だと頑張っていたが、またまた文字通り改めて、
今はこちらの説同然に近いことを言い出している。訂正したなんぞ
あれ以来言っていないだろう? ふざけた野郎だ。w
803日本@名無史さん:2009/07/28(火) 09:14:18
>>802
風見鶏に怒りをぶつけても
804河童虫:2009/07/28(火) 11:02:25
「卑弥呼は誰か」と言う疑問を持つ前に
纏めておかなければならない事がある

それは三人の卑弥呼

魏志倭人伝の中だけでも三人の卑弥呼が登場し、その内二人が魏朝とかかわりをもった。

一人が「自爲王以來」と書かれた「自」

そして二人目が「親魏倭王」

三人目が 「宗女壹與」

ここを把握出来ない限り、卑弥呼は誰?なんて
805doontakuka:2009/07/28(火) 11:24:52
末廬國を下関とし、下関から六百里≒259.2kmの地点は、松江となる。
下関(末廬國)〜松江(奴国)間は
262.22km≒606.988里と六百里との誤差は1.15%である。

東南陸行五百里 到伊都國
東南至奴國百里
と、方位に難を抱く様に見えるが何も問題はない。

出雲の国譲りは紀元前720年頃か?
と言う
史実が方位のズレに沈めてある。
先ず、歳差を理解することから始めなければならないのだ。
806doontakuka:2009/07/28(火) 12:01:52
出雲の国譲りは紀元前720年頃か?
と言う
史実が方位のズレに沈めてある。
先ず、歳差を理解することから始めなければならないのだ。
は、冗談だが、
先ず南北の180度のズレは、72年×180度=12960年
で、始まり
至對海【馬】國・ 又南渡一海 至一大國
の方位のズレは北に対して30度であるから、30度×72年=2160年

至末廬國・東南陸行五百里 到伊都國・東南至奴國百里
の方位のズレは北東に対して10度、10度×72年=720年
と成っている。

對海【馬】國(那覇)・一大國(種屋久島)の面積、距離の正確さから推測してしても、
方位がずらしてあるのは其れなりの重要な意味があるからである。

807doontakuka:2009/07/28(火) 12:19:22
>806

勿論、
末廬國とは下関を刺し、奴國とは松江を刺してのことである。

808doontakuka:2009/07/28(火) 12:29:14
>>806

否定できる人はいますか?

3か条に渡って歳差の数値を沈めてある、を。

そろそろ、
壱岐対馬論は崩壊だな。^^;
809河童虫:2009/07/28(火) 13:04:31
「以婢千人自侍」の「自」とは
自爲王以来の自と同じで

初代卑弥呼の事

「侍」(さむらい)とは
“さぶらふ(そうろう)”と言う動詞が名詞化したもの

意味解釈は「女官」


★卑弥呼には、初代から女官千人が使えていた。
810日本@名無史さん:2009/07/28(火) 13:12:27
>>808
鈍臭さん、
否定も何も『…何言ってんの?』としか思われてませんよ。
811河童虫:2009/07/28(火) 13:20:18
当時の「侍」を
現代のイメージで解釈描いてはいけない。

訓読みされた“さむらい”が“さぶらう”の名詞形であるように
女性を対象にする言葉
ましてや「婢」と書かれてあるので

高貴な人に使える召使を「侍」と 解釈します。
812日本@名無史さん:2009/07/28(火) 13:50:03
以とは          以往・以下・以外・以後・以降・以上・以西・以前・以東・以内・以来

自とは          自衛・自覚・自決・自己・自国・自主・自信・自宅・自治・自転・自分

以婢千人自侍とは   婢千人以上が自ら侍る
813doontakuka:2009/07/28(火) 13:50:32
>>810
貴方じゃ無理だ。


神功皇后が卑弥呼の可能性は何%あるか?

神功皇后(じんぐうこうごう、
成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))

ja.wikipediaにあるが、
これは正しいのか?
814日本@名無史さん:2009/07/28(火) 13:58:10
>>809
そういう読み方は無理なんじゃないかな
後漢書なら無理だし
「有一女子名曰卑彌呼,年長不嫁,事鬼神道,能以妖惑衆,於是共立為王。侍婢千人,少有見者,
唯有男子一人給飲食,傳辭語。居處宮室樓觀城柵,皆持兵守衛。法俗嚴峻。」
http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/new_kan/wa.htm
815日本@名無史さん:2009/07/28(火) 14:06:35
神功摂政は仲哀崩御壬戌 362以降。
崩御年は古事記を信用すべし。
>神功皇后が卑弥呼の可能性は何%あるか?

答え 0%
816河童虫:2009/07/28(火) 14:07:11
>>814
あれ、後漢書じゃないし
後漢書は初代卑弥呼を書き、
魏志倭人伝は
初代を「自」とし
初代、三代を描いたものだから
817河童虫:2009/07/28(火) 14:10:31
初代・三代は共立
次代は世襲というか禅譲というか(共立に非ず)
818日本@名無史さん:2009/07/28(火) 14:16:00
自為王以来とは  自らを王と為して以来、と読む。

中国語はどの国の人にも字を見て意味が伝わるように成っているのだ。

不思議なものだ。   
819河童虫:2009/07/28(火) 14:23:07
「自」と言う漢字は

「口=範囲」と「口=範囲」が一つの「口=範囲」に収まり「、=効果する」


だから
「目」と言う文字は

「左のマ」と「右のマ」が顔に収まり「メ」になる
メは片方だとマ
820河童虫:2009/07/28(火) 14:28:48
>>818
何をトンチンカンなことを
自ら王となったら共立じゃないわい
821日本@名無史さん:2009/07/28(火) 14:29:13
1 みずから。自分の。自分で。
2 ひとりでに。おのずから。
3 起点を示す語。…より。…から

倭人伝に「自」として用いられているのである。
口も左のマも目も関係ないw関係ないw関係
822日本@名無史さん:2009/07/28(火) 14:32:16
卑弥呼は共立女子大卒である。
よって自薦他薦推薦入学に係わらず共立である。
823河童虫:2009/07/28(火) 14:37:48
>>821
関係あるから提示したんであって
脊髄反応しないで
一年ぐらいじっくり考えてくなんしょ
824河童虫:2009/07/28(火) 15:15:08
>>822

なんだか貴方の気持ちが痛いほどわかる。

とにかくなんでもいいから反対したい訳ね。


因みに
三代目イヨは共立女子大ではなく、共立女子短期大学ね
825日本@名無史さん:2009/07/28(火) 15:39:42
>>813
誰も貴方の相手をしないってことは
そういうことでしょ。鈍臭さん
826河童虫:2009/07/28(火) 15:47:56
>>812

「自ら侍る」ってなんだよ?

婢千人が、求職活動でもしてるのか?
827日本@名無史さん:2009/07/28(火) 16:07:55
>>826
「以婢千人」とは、  中国語で「大勢の」と言う意味です。
「自ら侍る」とは、 卑弥呼教の信者が自主的に働いている。って意味です。
828日本@名無史さん:2009/07/28(火) 16:37:30
婢千人の食事を毎日用意するなんてw
兵隊雇ったほうがましでしょう?

精々3〜40人の信者がいたのです。
しかし多くの指導者達が、卑弥呼の居所に参拝するのを見て
郡使は、ただの教祖である卑弥呼を、倭国王と思い込んだのです。
大陸の人には倭国のシステムが理解出来なかったようです。
829河童虫:2009/07/28(火) 16:53:42
>>827

「千人」を「大勢」と訳す事には反対しませんが
「侍」を「信者」とは無理です。

「侍」とは
高貴な人の傍で控えている者で
「婢」とは
女子爲婢 とあるように
女の使用人です。


大勢の女の使用人が、卑弥呼のそばにいた。
つまり
高貴な宗教的指導者のそばに、大勢の女官


です。
830河童虫:2009/07/28(火) 16:55:23
>>828

恣意的に事を進めたら
なんでも有りになっちゃう。
831日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:20:40
>>829
「侍婢」とは  「貴人の身近に仕える女性」の意味です。

「婢」が「侍る」事もあるのです。
832日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:27:37
>>830
ところで壱與もまた卑弥呼の根拠ってどこに書いてあるんだ?
番号教えてくれ
833日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:37:06
>>829
「侍」を「信者」と訳している訳ではないぞよ。
「侍」っているのが「信者」である。と申しておるのでおじゃる。
834河童虫:2009/07/28(火) 17:42:32
>>832

本文に、卑弥呼宗女壹與と書いてあるだろう。

壹與は卑弥呼に選ばれたんだよ
卑弥呼は弥呼の親玉だ
835河童虫:2009/07/28(火) 17:44:54
>>833
信者なら誰でも侍れたの?
違うだろ
836日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:51:19
>>834
「卑彌呼以死,大作家,徑百餘歩,●葬者奴婢百餘人。更立男王,國中不服,
更相誅殺,當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與,年十三為王,國中遂定。」
卑弥呼が死んで、男王立てて、『復立卑彌呼宗女壹與』とあるんだろ
どうして先に死んだ者が選べるんだよ
『卑彌呼宗女壹與』は卑彌呼の宗女壹與だろう
837日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:52:35
ああごめんごめん「どうして先に死んだ者が選べるんだよ」は誤読だ
838日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:52:53
>>835
>信者なら誰でも侍れたの?

侍れません。   城柵嚴設、常有人持兵守衛なので
守衛さんに止められます。
839日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:53:28
うむ、誤読でもないか まあいいや
840河童虫:2009/07/28(火) 17:54:17
>>836

親魏倭王卑弥呼が壹與を選んだら共立じゃないだろう。
841日本@名無史さん:2009/07/28(火) 17:56:56
>>840
だったらその後卑弥呼と書けばいいものをあえて壹與を
主語としているのがわからん
842河童虫:2009/07/28(火) 17:59:37
壹與は、親魏倭王卑弥呼が選んだのではなく、選ばれて卑弥呼に昇格したの

卑弥呼とは

弥呼の親玉。
843日本@名無史さん:2009/07/28(火) 18:03:01
>>842
> 壹與は、親魏倭王卑弥呼が選んだのではなく、選ばれて卑弥呼に昇格したの
それには異をとなえてない
>>834
> 壹與は卑弥呼に選ばれたんだよ
の「に」がby なのか to なのか両義的だったのでbyの意で書いたのかと思った
次第だ
844日本@名無史さん:2009/07/28(火) 18:04:36
前にシナの王がヤマトの庶民の王様であるキン・マンコに会ったでしょ?
シナ人から見れば日本の閣僚よりも、キン・マンコが王に見えるんです。
キン・マンコが崩御したら、あそこは乱ですw次の教祖が壱與って事です。
>>839
正読。
845河童虫:2009/07/28(火) 18:04:44
>>841

最初から順を追っていけば後でわかるよ
卑弥呼と書かなかった理由が。

書かなかったけど
卑弥呼だよ。

日本の歴史を変えてしまうほどの重要な人物「壹與」でも、大陸の王朝から見れば「使えない奴」
846河童虫:2009/07/28(火) 18:18:55
それに、「宗女」とは本家の娘とか、親戚の娘とか言う意味じゃないよ

宗女=選ばれし女
今で言う代表かな?
847日本@名無史さん:2009/07/28(火) 18:24:23
>>846
「宗」とは   〈シュウ〉一派をなす教義。また、それを奉ずる団体。
「宗教・宗派/改宗・邪宗・禅宗・他宗・八宗」

つまり  「宗女」とは「宗派の女」です。

選ばれた女なら、「徑女」となりまする(笑
848河童虫:2009/07/28(火) 18:42:56
>>847

「宗」とは廟の中に魂を集約すると言う本義があるけど これも
始祖から選ばれ集約された零だけが、廟に収まるからだよ


この文字は訓読みからも解析かのうで
「宗」の訓、“むね”や“むな”の静止形は「むに=無二」
意味は、同じものが二つとない事

つまり 選別選択されたただ一つ
849日本@名無史さん:2009/07/28(火) 18:48:18
>>848
宗ですか。
850河童虫:2009/07/28(火) 18:48:24
>>847
一々辞書の引用なんて掲示しなくても、私の頭の中にだいたいは詰まっているから大丈夫。

以前にも言ったけど
既に何度も漢和辞典の完読はしているから
簡単な文字は暗記している

それらを踏まえて述べています。
851河童虫:2009/07/28(火) 18:57:55
>>848訂正

静止形……×

連用………〇


m(__)m
852日本@名無史さん:2009/07/28(火) 19:00:39
>>850
シナ大陸には言語の異なる部族が沢山あるそうです。
それらの部族間で意思の疎通が図れる様に漢字が使用されているそうです。
従って難しく読むと、かえって意味を取り違える恐れが出てきます。
853日本@名無史さん:2009/07/28(火) 19:03:35
>>848
和語の「むね」の連用が漢語の「無二」とは、もう無茶苦茶ですねw
万葉集はハングルで読めるなみのおはなし。
854河童虫:2009/07/28(火) 19:11:29
>>853

わかったわかった
貴方の難癖は十分わかったから
貴方の考えを今まで私が述べた範囲で説明してください。

たまには突っ込まれる立場も悪くないかも


はい、どうぞ。
855日本@名無史さん:2009/07/28(火) 19:41:20
>>854
まともな批判が難癖ですかw

宗女は、同族の娘です。何の奇を衒う必要もありません。
856河童虫:2009/07/28(火) 20:04:15
>>855

同族と限定する事は出来ません。
宗家を継承するのは何も同族とは限りませんし、
同族と紹介しても、卑弥呼に同族が存在している事すら何も記載されていない
それに、私が難癖と言ったのは「無二」です。
確かに無二は漢語ですが

私は「むに」と、先に仮名をふっていますので
漢語と決め付ける事はできません。
857河童虫:2009/07/28(火) 20:07:46
>>852

難しいと判断したのは誰ですか?
当時の人がそう判断したのでしょうか?

現代の感覚を基準にしている訳ではありませんから
難しいと判断することは
妥当ではないと考えます。
858日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:12:05
『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、
宗とは「胸」、そうおっぱいのことだったことがわかる。宗像三女神の信仰とは、ようするに
おっぱい信仰であり、男が船なら女は港、どどどどどっと入港したいたのです。

こんなことは常識中の常識ですよ。
859日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:17:21
>>857
>難しいと判断したのは誰ですか?

当時も今も、誰も難しいとは判断していません。
当時も今も、誰もが簡単に読めるように書かれているからです。
860河童虫:2009/07/28(火) 20:38:17
>>858
それは「むね」ですか「むな」ですか?
861日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:43:26
>>858
「君」とは 王侯。「君王・君主・君臨・・・・・・・・・幼君」

胸形尼子娘 とは
7世紀の地方豪族の娘。父は胸形君徳善といい筑前国(福岡県)宗像郡の豪族である。

胸形君とは「筑前国(福岡県)宗像郡」の君主の意味らしいぞ。
862河童虫:2009/07/28(火) 20:43:31
>>859

難しいとか簡単と言う表現には、必ず基準を伴わないと
人それぞれ感じ方が異なるのではないでしょうか?
863河童虫:2009/07/28(火) 20:46:06
宗像に、オッパイなんて意味ありませんよ
空想です。
864日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:48:46
「宗像」=「胸型」、つまり「おっぱい」のことだった。
これで宗像に関する全ての謎が解けた。
865日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:49:04
>>862
>難しいとか簡単と言う表現には、必ず基準を伴わないと
>人それぞれ感じ方が異なるのではないでしょうか?

人それぞれ感じ方が異なるので、,難しいとか簡単には基準は、ありません。
866九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/07/28(火) 20:54:08
>>863
「宗像」は後世の表現方法。
本来は「胸形」。
>>858の言うことは空想とは言えない。
867河童虫:2009/07/28(火) 20:54:58
>>865

いいえ
人それぞれの基準は存在します。
何も共通の基準は必要ありません
難しいと表現した人の基準が存在すれば良いだけで、その基準を提示するだけで周りは判断出来ますから
必要なのは表現者の基準です。
868河童虫:2009/07/28(火) 20:58:49
>>866

それを言うなら「むなかた」
「むな」にオッパイの意味はありません。
「胸」形は単なる当て字、
869日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:06:40
>>863宗像氏の子孫でもあるタモリが「おっぱい星人」を自称していた。
これは偶然ではなく、宗像を中心とする福岡県民の多くはおっぱい信者
だったことがわかる。
井上陽水もアルバム「もどり道」の中で、濡れてブラジャーが浮き上った
胸に感動してクラスメイトに交際を申し込んだと書いている。
武田鉄矢は、「母に捧げるバラード」の中で「乳バンドの中にクラゲの頭を
いれて男をたぶらかす女ばっかりぞ!」と戒めている。
あのチューリップでさえ、「夢中さ君に」のなかで、「君の素敵な胸のふくら
みが揺れ動くだけで、ぼくは狂いそう♪」と歌っている。

これは、もう、単なる偶然ではありませんね。
宗像とは胸形、ただし、タモリは巨乳好きではないようです。
870日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:08:22
>>867
和歌蘭子だな〜〜w1700年後の異国人の我々でさえ、ある程度の意味はつかめるのです。
誰も難しいなどと、表現していません。
871日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:15:26
>>867
君の今日の晩御飯は美味しかったか不味かったか。
君が美味しい不味いと表現するその基準は、
どうやって他人に提示するんだ。
872日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:26:30
>>606愛知県民 さん

崇神=卑彌弓呼とすると、卑弥呼の国と卑彌弓呼は近いわけですから

卑弥呼も卑彌弓呼(崇神)も九州に居たのなら、畿内には誰が居たのですか?
卑弥呼も卑彌弓呼(崇神)も畿内に居たのなら、九州には誰が居たのですか?
873日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:29:21
破綻してしまった九州説論者が発狂して、
おっぱいがどうとか言い出したぞ(笑)
874日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:36:19
任那(みまな)=み・まな(御・まな)=むな=むな方=宗像


任那の方へ向かう港だから、宗像な。

875愛知県民:2009/07/28(火) 21:40:07
邪馬台国と狗奴国は遠いです。21か国が間にある。
876日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:43:46
おっぱい好きな、宗像の皆さん、お元気ですかー?
877日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:52:03
>>875
(笑) なるほど、21か国が邪馬台国の周辺に存在するものと勘違いしていました。
一番南の奴國が狗奴国と接している訳ですね?
878日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:57:12
しまったw  >>875は偽者であったw 迂闊であったw
879愛知県民:2009/07/28(火) 22:34:36
奴国が一番南とは書いてない。狗奴国が奴国の南とあるだけ。
880河童虫:2009/07/28(火) 22:45:07
>>871

貴方が美味しいと表現したいのは、文学の世界の話
今こうして目の前にしているのは記録書です。

間違わないでください
881日本@名無史さん:2009/07/28(火) 23:01:18
>>880
へえー、記録書だと、それを読んだ人がどの程度難しいと感じるのか、
その基準を他人に示せるんだ。
へえー、知らなかった。
その基準というのは、どういうものなのですか。
どうやって示すんですか。
聞いたこともないし、やりかたを知らないので、是非教えてください。
882日本@名無史さん:2009/07/28(火) 23:05:37
お前に教えたって理解できないだろう。
883河童虫:2009/07/28(火) 23:44:27
>>882
の言う通り、そんな質問しているようでは説明したところで理解できないだろうから
時間と労力の無駄になる
884日本@名無史さん:2009/07/29(水) 00:39:06
伊波礼毘古 かむやまといはれびこ
沼河耳 かむぬなかはみみ
玉手見 しきつひこたまでみ
鋤友 おほやまとひこすきとも
訶恵志泥 みまつひこかゑしね
国押人 おほやまとたらしひこくらおしひと
賦斗邇 おほやまとねこひこふとに
国玖琉 おほやまとねこひこくにくる
大毘々 わかやまとねこひこおほびび
印恵        みまきいりひこいにゑ

暇なので、神武から崇神までの名前を調べて見た。

崇神は 「御真木入日子」 じゃなくて 「印恵 」だろ?
885doontakukaの弟子:2009/07/29(水) 01:23:15
いくめいりひこいさち
おほたらしひこおしろわけ
わかたらしひこ
たらしなかつひこ
ほむだわけ
おほさざき
おほえのいざほわけ
たぢひのみづはわけ
をあさつまわくご
あなほ
おほはつせ

これが印恵(崇神)以後の垂仁からの名である。
見事に 「おほやまと」 や 「ねこひこ」 が消滅している。
やはり、印恵が 「大邪馬台」 を滅ぼし自らは318年に没したのである。
886日本@名無史さん:2009/07/29(水) 09:51:30
>>825
kam-donjyu donjyu-kan
は、どちらが好きですか?

君の能力テストですよ?
問題:
始度一海千余里 至對海【馬】國
又渡一海千余里 至末廬國
と、
この2箇所で方位が記述されていないのは何故か?
887doontakukaの弟子:2009/07/29(水) 10:15:13
>>886
御待ち申して居りました。
「至對海【馬】國」  と表記するのは 「doontakuka師匠」 だけでげす。
出雲が伊都國ならば、その南水行二十日とは
南を北と読み返し、 「南至、水行二十日」 とは、ウラジオストック=投馬國でしょうか?
888日本@名無史さん:2009/07/29(水) 10:23:03
>>886
また方位がマリアナ海溝にでも沈め
られているとでも言いたいのかwwww
889日本@名無史さん:2009/07/29(水) 10:34:50
>>888

あら〜〜〜!
入れ食いか〜〜〜。 ^^;
890doontakuka:2009/07/29(水) 11:27:38
>>887
>南を北と読み返し、 「南至、水行二十日」 とは、ウラジオストック=投馬國でしょうか?

投馬國は畿内です。

>南を北と読み返し、
去其西北界拘邪韓國七千餘里
の拘邪韓國を与那国島とするなら、
与那国島は列島の西南界である西北界とあるのは、南北が180度反転していることになる。ところが、列島を180度反転させると、与那国島は列島の東北界となる。
東北界の与那国島を鏡に映すと南北はそのままで、東西が180度反転し、西北界の与那国島を表記可能となる。

到其北岸狗邪韓國
の狗邪韓國を波照間島とするなら、列島の南岸であるから南北180度反転でよい。
が、
東南陸行五百里 到伊都國
の東南の方位は東西南北を180度反転させた後其れを鏡に映して初めて表記可能になる。もし、鏡に映しこまなければ、下関(末廬國)から海に向かって陸行と言うことになる。

銅鏡百枚真珠チ丹各五十斤 皆装封付難一升米牛利

銅鏡ですよ。
891日本@名無史さん:2009/07/29(水) 11:43:28
>>890
しかし鏡は百枚だから、一枚目で北西界に反転しても、百枚目は北東界に戻ります。
892doontakukaの弟子:2009/07/29(水) 11:47:00
>>890
微かに理解が進みました。
東南の方位は東西南北を180度反転させ、さらに銅鏡に移せば元の東南。
米子の東南は畿内でした。 有り難う御座いました。
893doontakuka:2009/07/29(水) 12:01:33
>>891

卑弥呼も貴殿ほど暇じゃないから
百回も鏡を変えて映し込むことはしないだろうNe.
894日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:15:13
>>893
暇か忙しいかは、当事者に聞いてみない事にはわからないだろう?
895日本@名無史さん:2009/07/29(水) 12:54:44
久しぶりに北
最近どーよ?
エロイ人、産業たのむ
896日本@名無史さん:2009/07/29(水) 13:44:30
>>895


897doontakuka:2009/07/29(水) 14:11:06
>>890
南を北と読み返し、 「南至、水行二十日」 とは、ウラジオストック=投馬國でしょうか?

南至投馬國水行二十日
の起点は、
会稽の東である一大国(口之島・種屋久島)でしょう。
で、
投馬國は一大国(口之島・種屋久島)から瀬戸内海を縫って大阪。

南至邪馬壹【臺】國 女王之所都 水行十日陸行一月
の到着点の邪馬壹【臺】國は (酒井・平泉)。

このと一大国(口之島・種屋久島)・投馬國(大阪)
そして邪馬壹【臺】國(酒井・平泉)はホボ一直線上にある。

さらに驚かされることは、
クフ王のピラミッドの位置が北緯30度で女王室の換気抗の角度39度、
この換気抗から女王星のsirius が見えるわけだが。
一大国(口之島・種屋久島)は北緯30度であり、
一大国(口之島・種屋久島)のtan 39°の 延長線上に酒井之市が位置している。
此処が、『女王之所都』の所以である。 
898doontakuka:2009/07/29(水) 14:25:56
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹【臺】國 女王之所都 水行十日陸行一月
の『南』は、
クフ王のピラミッドの南面をイメージさせている。
投馬國が一大国(口之島)のtan 39°線上にあると言うことは、

卑弥呼は投馬國(大阪)に居た。

宣言しておきます。
899日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:29:36
>>897
換気孔から一日中シリウスが見られるわけじゃないでしょ?それに、家からもシリウスは見えますよ。
900doontakuka:2009/07/29(水) 14:40:30
>>899

家からもシリウスは見えますよ。

残念ながらそのシリウス見える角度は39°ではないじゃろうYo.
901日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:48:21
>>900

クフ王のピラミッドと、日本の出来事が
何処でどう繋がるのよ?

適当に単語の寄せ集めしてるにすぎないでしょ
902日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:55:05
ピラミッドは何もクフ王のピラミッドだけじゃないでしょ。
なんでクフ王なの?

部屋のなか換気したら?
903日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:56:52
>>1

おれおれ
904doontakuka:2009/07/29(水) 14:58:57
905日本@名無史さん:2009/07/29(水) 15:04:54
>>902
別にリンク先の紹介を依頼したわけじゃなくて
貴方の説明を要望しているのよ
リンク先の記事にしろ
誰かの解釈なんだし、意味ない。
906日本@名無史さん:2009/07/29(水) 15:12:24
>>904へのアンカーな
907doontakuka:2009/07/29(水) 15:13:26
>>905

クフ王のピラミッドの内部構造が理解できてから
スレいれてね。

小学校の教師じゃないから。
先ずは自助努力ね。
908日本@名無史さん:2009/07/29(水) 15:36:12
>>907

クフ王のピラミッドの内部構造を言う前に
病院行った方がいいわ

そして診断書うPが皆に理解される早道だわな
909doontakukaの弟子:2009/07/29(水) 16:01:13
方形のピット(井戸)は北緯24度を、示唆していませんか?>>907
その先は行き詰まった北緯26度の文明である事が理解できます。
私は未逮捕殺人犯の捜索が得意なのです。師匠は「t○m○oさん」ですね?
910doontakuka:2009/07/29(水) 16:08:05
>>909

大当たりです。
911美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/29(水) 16:38:26
>>884
その中では確か『神沼耳命』が、蘇我氏、筑紫三連、大伴氏、吉備氏、、、
などの『祖』と書かれてたはず
912doontakukaの弟子:2009/07/29(水) 17:59:53
>>910
心苦しいのですが、逮捕します。   逃亡すれば射○します(笑
師匠は私が検挙した十代目印恵 です。今後は容赦しません(笑
913日本@名無史さん:2009/07/29(水) 21:23:26
ソースプリーズ

914スイーツ王子:2009/07/29(水) 21:44:40
やあ、みんな今晩わ。僕はスイーツ王子。よろしくね。ちなみに僕は王子なので、白いタイツ
をはいて、股間はもっこりなんだな。夏休みになって、また妙なやつが来たって思わないで
くれよ。
クフ王ピラミッドの南面シャフトからは、こぐま座のベータ星、おおいぬ座のアルファ星・シリ
ウス、りゅう座のアルファ星、オリオン座の3つ星のひとつアルニタクが覘ける。これは有名な
スフインクスの謎、「朝は4本足・・・?」とリンクしてるんだ。
915スイーツ王子:2009/07/29(水) 21:58:56
このスレは「河童虫さん」というひとが、統率・支配しているようだけど、「doontakuka」さん
という人はそうとうわかってる人だね。ところで、僕の故郷では、河童は兵主部(ひょうすべ)
というんだ。
なんでも紙人形が河童にばけて悪さしたので、奉行・兵部大輔島田丸という人がそれを退治
して、それでひょうすべと呼ばれるようになったんだ。きっと河童虫さんもこんな顔なんだよ。
http://tradebbs.web.fc2.com/image_review/daihyakkai04/daihyakkai04_06a.jpg
916河童虫:2009/07/29(水) 22:03:17
>>915

>このスレは「河童虫さん」というひとが、統率・支配しているようだけど

ないない


>きっと河童虫さんもこんな顔なんだよ。

それ何処で売ってますか?  猛烈に欲しくなった
917日本@名無史さん:2009/07/29(水) 22:10:31
>>915
鈍臭よ。くだらん程度の低い自演で
スレ消費するんなら、消えてくれ
918スイーツ王子:2009/07/29(水) 22:18:05
僕は「鈍臭」という人ではないです。
これは、「水木しげる 妖怪フィギュア大百怪 第四巻」のセットでもう売ってないよ。
http://tradebbs.web.fc2.com/review/daihyakkai04.html
下のほうに出てくる変身後の猫娘は傑作です。ところで、ここは邪馬台国のスレのようだから
僕の説をいっておきます。卑弥呼の墓は「佐賀県小城市小城公園」だと思います。
919神奈川県民:2009/07/29(水) 22:27:27
次スレです
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!34
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1248873785/

ここが終了しだい、書き込んで下さい。
920スイーツ王子:2009/07/29(水) 22:29:08
理由は、僕が初めて呼んだ邪馬台国関係の本で、後藤幸彦氏がそういっていたからです。
ものすごく説得力のある説だと思うな。僕は、夏休みの社会科新聞に邪馬台国のことを書こう
と思っていますが、皆さんは邪馬台国が奈良県なあるとお考えですか?
921日本@名無史さん:2009/07/29(水) 22:44:39
>>920
後藤なんか信じるな。
関という小説家と同レベルだ
922スイーツ王子:2009/07/29(水) 22:57:23
関という人の本は、本屋でよく見かけるけど読んだことはないです。後藤幸彦氏の本はちょう
ど僕の住んでるところが邪馬台国になっていたのでびっくりした。最初は2012年世界滅亡
説にちて書こうと思ったんだけど、お母さんがやめなさいっていったのでこれにしました。もし、
世界が滅亡するんだったら、僕はケーキを3000円分買ってずっと食べてるんだ。
923河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/29(水) 22:57:24
>>920
邪馬台国なんて
今で言う関東地方と同じ、当時でいう勢力区割り的なイメージで捉えていた方がいい。
だから大陸の歴史書には登場するけど
日本の歴史書には登場しない。
924日本@名無史さん:2009/07/29(水) 23:42:45
なんでその場合だと日本の歴史書には出てないの?
925河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 00:16:04
>>924

>なんでその場合だと日本の歴史書には出てないの?

邪馬台国なんて固有名詞が存在しないから出てないんだよ
邪馬台国なんて 大陸の歴史書の中だけでしか存在できないから
926サガミハラハラ:2009/07/30(木) 00:18:03
私の著書読んでくださったようですね。誠に持ってありがとうございます。
おそらく「倭国歴訪」でしょう。最近の著書の「神功皇后は実在した」の付録の「メジャーで辿る邪馬台国」はさらに深く掘り下げたないようですので、
図書館にリクエストして購入してもらい借りてよむのがよいでしょう。
博多の駅前の紀伊国屋においてありました。古本屋では、宮崎市(東公園近く)のブックオフと、小倉市タンカのブックオフでおいてあります。
927日本@名無史さん:2009/07/30(木) 00:21:51
元祖邪馬台国小城説といえばこの人。

佐賀県小城市三日月町三ヵ島説

邪馬台国とは何だろうか
著者 眞木 林太郎
http://www.adthree.com/publ/etc/yamataikoku/index.htm
928日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:03:07
後藤幸彦が元祖
929日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:35:30
ほらよ

10/10兵庫:シンポジウム (仮題)邪馬台国論争への新視点
http://shigakuorc.nc.otemae.ac.jp/activity/data/5/
12/13東京:トンボの眼4周年記念シンポジウム『邪馬台国・九州説を考える』
http://www.tonbonome.net/event/091213.html
930日本@名無史さん:2009/07/30(木) 01:44:08
ほら 福岡にも

8/8(土曜日)アクロス福岡 6F
高島忠平(佐賀女子短期大学教授・学長)
第11期「よくわかる福岡の歴史」講座 テーマ「邪馬台国時代の国々」
海を渡ること千余里、皆倭種の「国々}
http://www.geocities.jp/fukureki05/index.html
931日本@名無史さん:2009/07/30(木) 03:19:59
うわあ、まだ邪馬台国九州説の学者がいたんだ。
932日本@名無史さん:2009/07/30(木) 04:20:05

高島忠平はガチ

933日本@名無史さん:2009/07/30(木) 07:45:44
高島は元々畿内説派だけど、
九州説の学者が召集できず、対話形式の議論が出来なくて
上司に命令されて
仕方なしに九州説をやらされた学者。
934サガミハラハラ:2009/07/30(木) 10:58:47
眞木林太郎は2008年は発表で後藤幸彦は1999年発表です。
後藤幸彦の邪馬台国到達は1991年です。

考えてみれば発見して18年、発表してからも10年は経過しているのにさっぱり流布しないのはどうしてだろう。

935河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 11:06:36
>>934サガミさん

総合的に受け入れにくいからではないでしょうか?
936河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 11:15:03
サガミさんの売りは「小城」
しかし、そのシンボルでもある小城に
なんらインパクトを感じさせるものがなければ
商品は売れません。

きつい言い方をすれば
プレゼンの失敗。

サガミさんのキャッチフレーズでもある「小城」を蔑ろにし、広角的になっていませんか?
937日本@名無史さん:2009/07/30(木) 11:53:59
>>934
他人から見れば、トンデモ読みだからですね。
938サガミハラハラ:2009/07/30(木) 12:10:22
元祖小城羊羹だけではだめでしょうか。
確かに発掘で耳目を集めるようなこともないし、卑弥呼の墓もただの公園内の丘にしかみえないし、
何にもでてない(未発掘)し、書物の上でのみの話ですからね。一般の人にとっては。
しかし、古代史研究者にとっては、華々しいマスコミ報道に左右されるところのみ研究対象ではないと思うのであるが。
939河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 12:36:02
>>938サガミさん

マスコミ云々によるアピールではなく
「小城」と言うブランドをどうしてもっと集中して掘り下げないのか?
という事です。
「小城」に関してなら
右に並ぶ者がいないくらいに掘り下げてから
アピールすべきではないでしょうか?

サガミさんの場合は、小城を否定されているのではなく、外堀を埋めら崩れているのです。
940河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 12:39:02
>>938

私が小城に踏み込んだ事が、一度でもありましたか?
そういう事です。
941doontakuka:2009/07/30(木) 13:15:55
平泉中尊寺と一大国(口之島)との角度は39度である
『平泉中尊寺と一大国(口之島)を結ぶ直線』と『北緯34.500度』の交点に
仲哀天皇陵がある。

この陵の処に卑弥呼の墓があったのではないか。
942doontakuka:2009/07/30(木) 13:29:27
仲哀天皇陵の
北との傾きは何度あるか?

39°の傾きに見えるが誰か測量した人はいるだろうか?

惠我長野西陵(ちゅうあいてんのう えがのながののにしのみささぎ).

misa-sagi と言う言葉は実に意味深だNe.

943doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 14:16:11
>>757
広テレ  旬感テレビ派ッ!でレポートを担当の女性である事を掴みました。
同じ服装で、「カビを防ぐ為の、赤ちゃん用ストローの洗い方」なぞを26日に放送しておりました。
>>942
北北東の角度でした。グーグルアース利用 「大阪府藤井寺市藤井寺4丁目」で検索しました。
944河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 15:45:52
>>942 「参考までに」

「みささぎ」とは

「み‐ささぐ」「み‐ささげ」の連用で
「み‐ささぐ」の静止形です。
945日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:01:24
「卑弥呼」は、たぐいまれなサイキックな女性で、美しく聡明で、
圧倒的なカリスマ性で、古代日本を統治していたそうです。
各地方のリーダーは、誰もが「卑弥呼」を自分の、または自分の息子の嫁にと、
熱望しましたが、「卑弥呼」は生涯を独身で過ごしました。
ジョーマクモニーグルが、「卑弥呼」と関わるようになったのは、学研「ムー」
のプロジェクトへの参加がきっかけです。

数年前に、初めて「卑弥呼」をリモート・ヴューイングしたときに、彼女の
あまりの美しさに驚いたそうです。

「卑弥呼」が生まれたのは、九州(天孫降臨の地と呼ばれている土地)です。
少女のころ、伯父の要請で現在の奈良に移り、両方を行き来しました。
ですから、「邪馬台国」は、九州説も畿内説も、両方正しいのです。
この論争に明け暮れている学者の皆さま、もう争わなくていいですよ。
946doontakuka:2009/07/30(木) 16:14:20
「みささぎ」が missa + sagi = missasagi
と、云う
造語の可能性もあるでしょう。

sagiは儀式の為の葡萄酒の運び手、又は動詞なら
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=prepare&stype=0&dtype=1
ですね。

惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ).
から彷彿できる金属は、錫と鉛だよ。

錫と鉛と言えば銅鐸といことになる。






947doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 16:21:10
み‐ささぎ【陵】

《古くは「みさざき」》天皇・皇后などの墓所。御陵。みはか。

「身を奉げた場所」の意ではないでしょうか?
「 mi+ssasagi 」 であると思われます。
948doontakuka:2009/07/30(木) 16:24:18
>>「身を奉げた場所」の意ではないでしょうか?
なら

えがのながののにしの

意が消えてしまう。
949doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 16:30:48
>>948
「惠我の長野の西にある御陵」であると考えてしまいました。
申し訳ありません。
950河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 16:38:50
>>948

「み」に「捧げ」たものが「みささぎ」というモノでした。
951河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 16:49:45
「彌」に対し、目に見えない精神的な表現
“ささげ”“ささぐ(ささげる)”
を、目に見える形に表し表現したものが
名詞表現の“彌ささぎ”

と、私は考えています。
952doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 16:53:16
両先生にお尋ね致します。
前方後円墳の向きが一定でない理由を教えて貰えませんか?
953doontakuka:2009/07/30(木) 17:06:25
>>「み」に「捧げ」たものが「みささぎ」というモノでした。

納得ですね。

「みささぎ」は神を賞賛し神のエネルギーを増幅させるネット
ぐらいの規模が有るかも。
954doontakuka:2009/07/30(木) 17:25:32
>>943
北北東の角度でした。

有難う。
北北東なら22.5度のズレですか。
此れを歳差のズレと見るなら22.5度×72年=1620年。
仲哀陵は五世紀の造営なら、1620年−400年=1200年
これが紀元前1200年と言うことになれば、
モーゼのエジプト脱出に一致している。
笑える笑える。
955河童虫:2009/07/30(木) 17:30:53
>>952

形に方向を求める意味がないからでは ありませんか。
956doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 17:53:02
>>955
仲哀や応神を含め、周辺の古墳の円部分は全てが川の方向を向いています。
それも、氾濫しそうな川の曲がっている場所を向いているのです。
氾濫した水の受け皿でしょう。そして、雨季と台風の季節以外は農業用水の確保が目的です。
古墳作成の半分以上の目的はこれです。公共事業です。
グーグルアースで確認して見て下さい。  お願い致します。
957河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 17:56:35
因みに「陵」と言う漢字に“みささぎ”と言う言葉が訓じられているが
“みささぎ”と言う国内特殊事情が
漢字「陵」に“みささぎ”と言う意味がないことを裏付けている。


……河童の漢字学習 ……
958河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 18:00:15
>>956

古墳築造が土木工事を伴う以上、それを否定する事は私にはできません。
ただし、肯定もしませんが
959唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/07/30(木) 18:18:43
>>952
ホ28349      ときにまた カガミのトミを
ホ28350      うやまうが のこるノリぞと
ホ28351      カミとなる キサラギソヒカ
ホ28352      ヲシクモは ヨソヤモにいり
ホ28353      ヤマシロの ヲシホにをさむ
ホ28354      ヒガシむき これヒメガミの
ホ28355      まかるとき ギはヤマシロに
ホ28356      いますゆえ イキスノミヤの
ホ28357      ニシむきぞ 

古墳の方向には意味があるが、まだ誰もその謎を解いていません。
960縦目仮面:2009/07/30(木) 18:37:07
まあ、周濠のある古墳は河川等からの水の取り入れをしなくてはならず、そのことと古墳の
向きは関係あると思う。また、濠の水はおそらく956のいうように灌漑用水としても用いられた
だろうから、前方部分が灌漑する田地に向いていて、後円部分は水を取り入れる河川側と
なることが多いようだが、必ずそうともいえない。
961美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/30(木) 19:11:56
>>956
アレを「歴代天皇の墓だ」として、土を盛り立派な古墳として作り上げたのは明治政府だよ


つか掘ってみなよ
あれ墓なんかじゃねーから
962美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/07/30(木) 19:21:23
陵→ミササギ
ミササギ→御陵、山陵

国之常命なら御嶽山
豊姫なら白山
イザナミなら恵那山
天照なら皆神山


古来の日本は山岳信仰だよ
963doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 19:53:46
>>958
魏にも就かず、西晋にも就かず、否定もせず、肯定もせず、まことに壱與は利巧です。
>>962
皆、夜盗の頭目ですから。 壬申の乱以前に天皇なんて居ません。
働きたくない奴が夜盗になり、農民から搾取したのです。その代りに命を掛けて戦いました。

夜盗の頭目にとって、農地と農民の確保が最重要でした。
964doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 20:29:27
>>757
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から、木面が発掘ですか?
?いかに、アカガシ製とはいえ、深さ1.4メートルから見つかった暑さ6mmの木面です。
面の右半分は割れていたのを復元した跡が伺えます。口の形は最近くり貫いたように角が立っています。
1700年も前の木面があんなに綺麗に残る訳がありません。読売の捏造です(笑)
965河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 20:51:54
>>964

>口の形は最近くり貫いたように角が立っています。

あまりにも見事な切り口だという事は私も感じました
やけに目立つんですよ  あの口の部分が
966doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 20:57:43
>>965
河童虫さんが西日本の住人ならば「広テレ  旬感テレビ派ッ!」を録画してみて下さい。
面を持っていたあの姉さんを発見できます(笑)
967日本@名無史さん:2009/07/30(木) 21:20:15
>>965
そ、そんなの、ね、捏造だ!

ですね。わかります
968河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 21:26:47
>>967

>河童虫さんが西日本の住人ならば

残念ながら「いかっぺ・よかっぺ ぺっぺっぺ〜の茨城県人です」


>>965

>そ、そんなの、ね、捏造だ!

何とも言えません。
969日本@名無史さん:2009/07/30(木) 21:31:54
バッファリンの半分は優しさでできています。
邪馬台国スレの半分以上はねつ造でできています。
おだいじに。ピンポーーーン。
970河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 21:38:20
>>969

>邪馬台国スレの半分以上はねつ造でできています。


捏造なんてハイレベルなことではなく、半分以上が「無知」によるレスです。
971日本@名無史さん:2009/07/30(木) 21:50:45
>>970
確かに。
sageをsageにして下げてると勘違いしてるバカとかね。
972doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 21:55:47
>>970
調べて見ました。   茨城最大古墳は愛宕山古墳ですか?
近くには那珂川がありました。曲がりくねって川の形が変わったように見えます。
愛宕神社の巫女に訊ねれば何かわかるかもしれませんね。
私なら弁当持参して巫女に会いに行きます。
973河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 22:21:58
>>972

>茨城最大古墳は愛宕山古墳ですか?


いいえ、 石岡市(旧府中)にある舟塚山古墳です


http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%88%9F%E5%A1%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&aq=f&oq=
974日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:24:03
その巫女がうら若い女で、気があるようだったら、
そのまま泊まってもいいかな。
那珂郡は、大中臣氏の支配地。藤原鎌足の出身地
ですね。
975doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 22:47:19
>>973
やっと、どうにか二つとも見つかりました。
どちらも恋瀬川方向を向いていませんね。
那珂川近くの愛宕神社のほうが面白そうです(笑。
976日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:58:13
馬頭町の那珂川沿いに、水戸黄門もびっくりの奇岩がある。

http://image.blog.livedoor.jp/yasushita/imgs/f/0/f0866014.jpg
977河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/30(木) 22:59:54
>>975

舟塚山も、水戸愛宕山も
ともに河川からはかなり高台にあります。

面白い事に、舟塚山古墳の北側には
府中愛宕舟塚古墳が
978doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 23:10:46
>>976
おらのマラはもっとでっかいぞ。
>>977
高台ですか・・・・古墳にも古墳なりの事情があると言う事がわかりました。
979日本@名無史さん:2009/07/30(木) 23:30:25
これは仮定の話なんだが、
もし投馬國の「水行二十日」、邪馬壹【臺】國の「水行十日陸行一月」
この2カ所の記事が無かった場合、畿内説を唱える奴なんかいるのだろうか?

全員、この2カ所の旅程記事に惑わされているだけなんじゃ・・・?
980doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 23:39:21
>>979
方向、目的地、距離、官、戸数の順に規則正しく記述されているのだから、
どうにも変更しようが無い様に思われるような気がします。
981979:2009/07/30(木) 23:47:38
>>980
仮定の話、と書いているんだが・・・。

まあ、いいや。国名、方角、距離(あるいはかかった日数)の順序が
伊都国までのAグループ内は同じ、奴国以降のBグループ内は同じ
だけどAグループとBグループとでは並びが違うよね。
陳寿がそれぞれ別のソースから情報を引っ張ってきた可能性を考えてみたまで。
982doontakukaの弟子:2009/07/30(木) 23:55:37
>>981
>陳寿がそれぞれ別のソースから情報を引っ張ってきた可能性を考えてみたまで。

同意です。
魏志倭人伝にある記述を
ある一時期の倭国の姿と考える訳にはいきませんね。
983河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2009/07/31(金) 00:05:40
>>982

>同意です。
魏志倭人伝にある記述を
ある一時期の倭国の姿と考える訳にはいきませんね。


ある
一時期というのはいったいどのくらいの範囲を想定されての表現ですか?
984979:2009/07/31(金) 00:12:48
>>982
うーん。一応、少なくとも三世紀の資料がソースではあると思うけどね。
特定のある年の倭国の姿であるかどうかは別として。

で、まあBグループの情報を追加したのが、仮に陳寿の錯誤であった場合、
当然、2カ所の旅程記事も自動的に消えるわけだ。
さて、「水行二十日」、「水行十日陸行一月」。これらの記事がなかったとしたら、
畿内説を唱える人はいるのだろうか?
いたとして、現在のような畿内説の盛り上がりはあったのだろうか?
そこらへんを是非知りたいものだ。
985doontakukaの弟子:2009/07/31(金) 00:15:28
>>983
或百年、或八九十年相攻伐歴年
景初二年六月   正治元年   其四年其六年   其八年
卑彌呼以死、
大作家壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還

長期に渡る倭国の歴史情報ですから。
986日本@名無史さん:2009/07/31(金) 06:53:59
>>970 sage
>>971 皮肉入りで指摘
>>973 sage

クソワロタwww
987doontakukaの弟子:2009/07/31(金) 09:11:32
>>984
漢時有朝見者から正治八年まで郡使往來ですから、陳寿の手元には各時期の情報があったでしょう。
陳寿はそれらの情報をまとめただけだと思います。方位が60度ほどずれている以外は正確な情報です。
しかし 「自郡至女王國萬二千餘里」 と  「當在會稽、東治之東」の二つは
倭国に来た事も無い陳寿が手元の情報を纏め、自分の判断を書き込んだものです。
無視すべきは 「この二つ」 ではないでしょうか?  チキン料理好きでしょ?
988doontakukaの弟子:2009/07/31(金) 09:38:23
陳寿は、情報が60度ほどずれている事に気付いていません。
そのまま、情報を信じてしまい、邪馬台国は「會稽、東治之東」沖縄付近と考えたのです。
で、沖縄から郡までが「萬二千餘里」です。この場合の郡とは西晋の郡なのかも知れません。
989doontakuka:2009/07/31(金) 11:26:17
>>973
舟塚山古墳は北緯 36.167度、泰山が北緯36.192度か。
面白いね。
990doontakuka:2009/07/31(金) 11:52:58
>>984
「水行二十日」、「水行十日陸行一月」。

倭の領域を表記する為には、北限、南限と中央の2点は必須でしょう。
「水行十日陸行一月」が北限で「水行二十日」は中央、これらの起点が南限となっている。
正確には倭地ではなく女王国の領域で時間軸は魏。
二重に表記されている女王国の北限は自郡至女王國萬二千余里で
南限は計其道里當在会稽東治【冶】之東
である。
991doontakuka:2009/07/31(金) 12:10:19
>>988
陳寿は、
凄い!
黙示録を読んでごらん。
一年は365日で4年に一度の閏年があり、
東の位置が2160年で30度ズレ、一度ズレルに要する年数は72年。
これを知る物は幸福です。と書かれていたがな〜〜〜

狗邪韓國=波照間島、
對海【馬】國 =那覇、一大國=口之島・種屋久、
末廬國=下関、奴國=松江、
投馬國=畿内、邪馬壹【臺】國=平泉

狗邪韓國=波照間島と對海【馬】國 =那覇の方位不明。
一大國=口之島・種屋久と末廬國=下関、の方位不明。
992日本@名無史さん:2009/07/31(金) 13:03:23
>>987
陳寿は自分の判断で「自郡至女王國萬二千餘里」や「當在會稽、東治之東」と
書き込んだわけではない。原資料にあったんだよ。
すなわち、原資料の作成者(使者)が計算した結果なんだ。
993doontakuka:2009/07/31(金) 13:18:47
>>992

「自郡至女王國萬二千餘里」

原資料の作成者(使者)が計算した結果
といえそうですが、
計其道里當在会稽東治【冶】之東

時間軸を考慮すると陳寿自身の表記の可能性高いと思います。
計其道里當在会稽東治【冶】之東

『北緯26度の東治』と『北緯30度の会稽』と置いた場合。
この表記法は二重構造相のように表記してある。

この表記で国譲り後の女王国の変化を読み取ることが出来るのです。
だから
自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

刺史の記述を挿入してあるのです。
994doontakuka:2009/07/31(金) 13:34:58
「自郡至女王國萬二千餘里」

北限を固定しています。北緯39度です。

@『北緯26度の東治』と『北緯39度』の中央は北緯32.5度です。

狗邪韓國=波照島で北緯24度、
A『北緯24度』と『北緯39度』の中央は31.5度。

@とAを融合させた中央は北緯32度で神武東征の起点です。
995doontakuka:2009/07/31(金) 13:36:57
自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

刺史 は北緯26度から北緯30度間に居た。
996日本@名無史さん:2009/07/31(金) 13:52:33
もう少し、他人に意味が通じるように書いたらどうだ?
997doontakukaの弟子:2009/07/31(金) 14:12:01
>>996
日向が北緯32度であること。
凹面鏡に映すと東西と南北が入れ替わる事
それを、平面鏡を通すと東西は元に戻るが南北は反転したままであること。
クフ王のピラミッドが北緯30度にあること。
南限の30度と北限の39度の中間34、5度が仲哀天皇の陵です。これをまず理解してからです。
998doontakuka:2009/07/31(金) 14:12:50
>>996

m(__)m
999doontakuka:2009/07/31(金) 14:15:15
>>997

凹面鏡に映すと東西と南北が入れ替わる事

此れは、2年半前に書き込んだ記憶があるが。 ^^;

1000日本@名無史さん:2009/07/31(金) 14:16:00
>>997
> 凹面鏡に映すと東西と南北が入れ替わる事

なにゆえ凸面鏡かでてくるのよ
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