邪馬台国畿内説?w

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1日本@名無史さん
なんでそんなに必死なのかね?
2日本@名無史さん:2008/07/21(月) 07:30:12
ローガンが準備運動をはじめたようです
3日本@名無史さん:2008/07/21(月) 10:21:51
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
4ローガン:2008/07/22(火) 23:29:06
>>2

1.2.3〜2.2.3…と!準備体操中。

で。何を書けば?
何かネタが有れば


5夏祭:2008/07/28(月) 16:24:35
>>4
2世紀頃からの北九州弥生文化の衰退について
優しく教えてやったらどうです?
6ローガン:2008/07/29(火) 15:39:32
夏祭さん。こんにちは。週末に交通事故にあい、「サッパリわや」です。
邪馬台国論争…やはり家にありました。若いころ古田さんが好きで、その流れで「一応」読んではいました。(笑)
アンチアカデミアに惹かれてましたね。
ぼちぼち読んでみます。又議論しましょう。
7夏祭:2008/07/29(火) 21:59:44
>>6
交通事故…またえらい目に合いましたな。
ほう、古田武彦を。確かに「面白い」ですわな。
彼は「多元的古代」を唱えたわけですわ。
畿内以外にも色々な王権や王朝が存在した。
畿内一辺倒ではなく、様々な王朝に目を向けよう。
そういう史観を提唱したわけで。
しかし、今の九州王朝論者に頭にあるのは
「北九州皇国史観」なわけです。
普通、九州に存在した国家で、大和朝廷に反逆したと言えば
熊襲勢力を連想しますが、彼等はそれを無視して北九州に妄想の王朝を。
(彼等が得意になって主張する「九州元号」も鶴峰茂申(本当は茂の草冠は無いです)が
「熊襲の元号」として発表したものですから。
というようなことを九州王朝スレに書き込んだら、
「夏祭の熊襲王朝説」として電波扱いされてましたわw
「熊襲王朝説」言うたところで、
景行天皇&ヤマトタケルか、雄略天皇の時代まで
南九州には熊襲の勢力(これを王朝と言っとるわけですが、実際は「王権」ぐらいなモンでしょう。)
が存在していた、と言うだけの話。
何も日本列島の主権は大和朝廷ではなく熊襲王朝にあり、
大和朝廷の歴史として記紀に記録されたのは本当は熊襲の歴史、何て言ってるわけじゃありません。
これ、何かおかしいですか?
少なくとも九州王朝説よりはマシでしょうが?(苦笑)
8日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:50:48
>大和朝廷の歴史として記紀に記録されたのは本当は熊襲の歴史、何て言ってるわけじゃありません。
ひょうたんから駒かも。熊襲って何も悪いことしてないね。記紀が書いているのは、大和が一方的に攻撃したとか、天皇の恥ずかしい逸話ばかり。
9ローガン:2008/07/30(水) 01:05:14
>>7

>>6
> 交通事故…またえらい目に合いましたな。

有難うございます。お恥ずかしい話で…

> ほう、古田武彦を。確かに「面白い」ですわな。

ええ、好きでした。氏の考え方の基本として「陳寿は決して間違った事は書かなかったとして論をすすめる。」だったと思います。
「魏志倭人伝を徹底して読む」の前書きに「陳寿を信じとおした。−ただそれだけだ。」とあります。
自分の立つ位置を明確にされていた。
ただ、山尾幸久先生による古田説への反論に応じた山田〇〇氏が、「古田が言っている。証明した。間違いない。なぜなら、古田が言っているからだ。」
という記事を読んでからは、距離をおくようになりましたね。(記憶でかいているので出典を書けません)


> しかし、今の九州王朝論者に頭にあるのは
> 「北九州皇国史観」なわけです。

確かに貴殿や私とは違った考え方を持っている人々ですね。
ただいろんな考え方があってもいいかなあなんて思うようになりました。先日名無しさんに「問い詰めている」と云われてw
たいしてものも知らないクセに「自説を吹聴したい。論破したい」なんて知らず知らずに思ってたのでしょうね!お恥ずかしい限りです。


> (彼等が得意になって主張する「九州元号」も鶴峰茂申(本当は茂の草冠は無いです)が
> 「熊襲の元号」として発表したものですから。
> というようなことを九州王朝スレに書き込んだら、
> 「夏祭の熊襲王朝説」として電波扱いされてましたわw

読みました。言葉じりを捕まえてって感じの、まあ相手さんも、ジョークでしょうね。

又、明日にします。zzz…
10日本@名無史さん:2008/07/30(水) 07:50:34
>>9
>ただいろんな考え方があっても〜
確かにそうなんですが、相手はそのいろんな考え方を許容してませんからね。
九州王朝説こそ真理。逆らうものは皆電波。私も変質者w
>まあ相手さんも、ジョークでしょうね。
ジョークなんて高尚なものじゃないでしょう、アレは。
「熊襲の王朝があった証拠は?」て、
その前に熊襲勢力が実在しなかった証拠上げてみいw
11夏祭:2008/07/30(水) 21:26:55
>>9は自分です。
連中、自分が熊襲「王朝」言うたのを利用して
「熊襲勢力と熊襲王朝は違う。熊襲王朝の根拠、根拠!」と騒いでますわ。
それやったら
「ヤマト政権と大和朝廷は違う。大和朝廷存在の根拠を述べよ。」
てことも言えますがな。

その前に自分等が九州王朝の痕跡述べてみいw
て言いたくなりますわ。

太国は、金石文に九州王朝の存在が記されてないことを
「当時は木造建築が多かった」
で済ましとります。
ならどこにでも王朝や王権や政権や勢力を作れますがなw
12太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/30(水) 22:40:11
>>11
何だお前は〜? 広開土王碑文に金石文とやらがあるだろう。そこに
確か倭兵に攻められたとかあるはずだ。それが九州王朝関係の兵だ。
13ローガン:2008/07/30(水) 23:40:03
>>11
今晩は!
誰かが書いてましたね。国≠王朝って。王朝とは古田さんは「中国と通交が認められた政権」て言ってたように思います。(違ってたら訂正よろしく)

政権≒王権≒代表勢力かもしれないが、「王朝」は別物だぞって述べているのだと思います。


「絶対九州王朝説!100%間違いない!」と考えているとすれば、こんなお気楽掲示板など無用でしょう?

夏祭さん。貴方を、トンデモ扱いは誰にも難しいように思います。
あえてそのような書き込みされる方は、反論を糧にしようと、つまり自説の強化に利用しよう…。

そんな感じがしました。
立場はちがえど同じ歴史好き。罵倒、中傷、結論の連呼ではない議論が掲示板での楽しみ方のような気が…
当然、自戒を込めてです。

又、リハビリすんだら参加します。是非お仲間に。
14夏祭:2008/07/31(木) 13:45:50
>>12
「当時は木造建築があったのだから、金石文がほとんど、全く無くても九州王朝は否定できない」
といったのはどこのどなただったかな?

何故広開土王碑が九州王朝の記録と分かるのかな?
九州の方が近いから、だけでは誰も納得しないよ。
15太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 14:37:12
>>14
お前、よく忘れるのが早いな。他の誰なのか? 半島が九州かぁ〜〜?
よく考えろ。半島の金石文は金石文以外の何だと言うんだ? これは金石文だぞ。
そこに書かれてあれば九州でなくても金石文だよ。九州は木製の造りばかり
だとすれば九州時代に金石文がなくてもおかしくはない。だいたい金石文が
ないことが九州王朝の否定になれるわけがない。
倭兵の攻めてきたのは391年のはずだ。この年は畿内は倍暦の関係で実年代は
仁徳即位元年だ。記紀に大雀兵が半島に攻め入ったとは書かれていない。即位
の関係で半島まで行ってるヒマがないから、さらに記載ないことから畿内兵
だとするのは無理の極みであり、畿内の兵力ではない。それとも沖縄兵だとでも
言うのか〜? 極論なら、女王国がエジプトだとかいうのも肯定に加えなけ
ればならず、お前でもそこまで言い出さないだろうがねぇ〜??ww

それとも何か〜大雀兵半島行きの記述がなくてもいい、九州には金石文の記述が
なくてはならないとでも言うのか? あ〜ん、これは恣意的すぎるぞ。
倭兵の攻めは九州だ。まさか青森兵とかはお前は抜かすのかね? Pu!ww
16日本@名無史さん:2008/07/31(木) 16:36:46
邪馬台国は神話×文献×遺跡からして畿内です。
いずれか一つの渡来勢力が船→九州→畿内侵攻の可能性に加えて、九州が当時の権力者の流刑の地だった可能性はあります。
これらの土地って守りの要所なんですよね。
権力者には必ず雇われている使用人や傭兵部隊がいますね。
外部勢力が攻め込みやすい地に都を作りますか?
邪馬台国が九州である可能性は低いです。
九州は貿易関係の出先機関であり、それゆえ外部勢力を入れないために後の時代に防人や太宰府が置かれたと思います。
また、九州の古墳群の多さが外敵と戦って殉職した流刑された権力者についていった戦士の墓だとしたらどうでしょうか?
敵国侵入防止のための機関が九州としたら、都より小降りの古墳群の多さも理解できます!
17太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 16:42:19
女王国は3世紀には畿内にはない。畿内に女王国ができるのは6世紀末の推古の
時代からだ。記紀に独立して女王国が畿内にあったとする記述は推古以前には
ない。すなわち卑弥呼の国は九州にあったというのが正解である。
18日本@名無史さん:2008/07/31(木) 16:47:32
九州に都があったとしたら、山上憶良の歌は生まれない
ただし、あれを私は教科書と違う読み方で読んでますけどね
防人に行く人間ではなく、防人に行かせる人間が二人きりの時かうちうちで詠んだ歌
権力者の手前、生きて帰れとも行くなとも言えない
あなたが大切ですとの親の思いを詠んだ歌を、あの場で山上憶良が自分の歌として詠むことで
「わかっていますよ。必ず生きて帰るから、待っていてください。妻と子供たちをお願いします」
との心を伝えた歌ではないかと思っています。
19日本@名無史さん:2008/07/31(木) 16:52:22
万葉集のあの歌が悲劇であるため、菅原道真の左遷が悲劇であるためには九州が栄えた地域ではなく、国の最果て、僻地、豊かではない土地という条件が必要です。
奈良は3世紀から5世紀にかけて栄えていたであろうことは飛鳥の発達した文明が証明しています。
富士山は火山です。
20太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 16:52:30
女王国と時代が違う人物だろう? それで都がないは早計の結論。
どんな歌か?
21日本@名無史さん:2008/07/31(木) 16:53:56
邪馬台国が九州にあり、九州が三世紀から五世紀にかけて栄えていたなら、万葉集に九州の栄えを歌う歌があってもおかしくありません!
22日本@名無史さん:2008/07/31(木) 16:56:43
『くろがねも』って知ってますか?
万葉集に登場する讚を伴う地こそ、古来のまつりごとや八百万の神々に通じる地域、すなわち古来の日本の都市国家群のある地域ですよ。
23太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:02:55
柿本人麻呂は九州の朝廷を『遠の朝廷』(とおのみかど)と言っているそうだ。
24太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:12:16
「大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門と見れば神代し思ほゆ」
25日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:17:07
過去に都があり、外交で栄えた国に僻地、辺鄙、国の最果てのイメージはないと思いますよ。
まず、海外からの文化の影響(飛鳥)や経済的発展(〇〇宮跡)、環豪集落跡等、いわゆる財力を伴う豪族とそれに沿った文化や交通網(当時なら道路)の整備が必要です。
ぎと日本の協力の必要性が歴史的にあるなら、中国を襲っていた外国の敵国が日本も襲っていて同じ敵国だった可能性です。
いわゆるもっとも古い連合軍です。
きょうどと戦うための連合軍と考えると自然です。
中国にきょうどが行かないように、中国と日本できょうどを挟みうちにするわけです。
するときょうどは九州に行くしかなくなる。
九州を通じて北に向うわけです。これを守るために邪馬台国の兵が南下する。
この時に大切な要所となるのは、愛媛や岡山です。
ここで追っ払われたら次に和歌山に向います。
つまり、下関辺りと北九州と和歌山から挟みうちで大和(奈良)に攻め込まれたら、逃げていくのは奈良→京都→滋賀になりますですね。
三大勢力とは九州の海辺りからの外国勢、和歌山を中心とした勢力、吉備国です。
古代の大和朝廷とは吉備国を指し、邪馬台国とはその中の中心地域(首府)を指す
こう考えるのが自然です。
26日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:20:13
遠の朝廷とは太宰府のような機関です。
遠の朝廷とは朝廷の出先機関のこと、朝廷の一施設です。
27太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:22:07
だから都がないと言ってるやつがいるからだよ。都があるだろう。
28日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:22:19
というより、遠の朝廷を九州といえるのかな?
29太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:24:41
だいたい古史古伝にウガヤ朝70数代とか、九州王朝存在の記述がある。
おまけに多数の九州年号があるし、逆らったって詮無いね。
30日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:35:46
遠の朝廷を九州とするのは早計では?
まず、遠は『猿』に通じますし、中国古典には遠交近交(戦国策)という表記があります。
島流しの正式名称は『遠島』です。
遠の朝廷は遠国(中国か流刑の地から見る海を挟んだ朝廷)
島門は遠島(島流し)になった時にくぐった門です。
31日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:47:12
ここで歌われている『遠の朝廷』というのは都から離れたところにある役所や諸国の国府、太宰府、任那(みまな)におかれたという日本府を指します。
従って朝廷そのものは指しません。
「大君の遠の朝廷(みかど)としらぬひ筑紫の国に(万5 794)」
あくまで出先機関です。
加えて『遠し』には距離が遠い以外に、気が進まないとか関心がないという意味もありますよ。
32日本@名無史さん:2008/07/31(木) 17:48:47
遠の朝廷というのは朝廷の出先機関を意味するもので、都を意味しません。
33太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:54:08
当時日本はおおまかで二国あったということだ。それは大陸半島が多国に分立
していたように、日本も多国に分かれていた。実際倭人伝には女王国以外に種々の
国が記載されていることからもこれがうなづける。大まかには九州には女王国が
あり畿内は統一性が強く一国的支配に近く、順次周囲に勢力を拡大して行った。
女王国の後釜的国が九州王朝であり、まだ完全には王朝とは言えない状況は
あったろうが、次第に王朝の気配が出てきて九州王朝となったが、結局文武の
時代前後に九州王朝は滅んだということだ。日本の畿内一国的支配が神武から
日本全土近くにわたって支配してたとかいうのは間違い。九州には神武以前に
ウガヤフキアヘズ朝70数代の記述もあるし、神武にころから九州には小国が多々
あったということだ。その後倭国大乱の状況に至り、九州は結局女王国が統率的
立場になって行ったのだ。こういうことだ。
34太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 17:56:34
朝廷はミカドだから都でよい。
35太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 18:03:32
こういうことから、古代日本が一国支配であったなどとは妄想であり、
ちゃーんと九州に別国があってそこに卑弥呼の国があったわけだ。畿内
に女王国が出来るのは推古の時代からだ。それは記紀に独立した女王国
卑弥呼の記事が全く無い。これは畿内から【遠】方の海を隔てて奥九州に
女王国があったことから畿内に卑弥呼の情報が来ないため記載できなかっ
たということを物語っているのであ〜る。みんな、畿内に卑弥呼の女王国
があったとの妄想は早急に捨てたほうがいい。w
36日本@名無史さん:2008/07/31(木) 19:08:32
>>34
じゃあ「遠の」は何?
37太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 22:09:44
だから畿内から遠くに朝廷があったんだよ。
38夏祭:2008/07/31(木) 22:21:48
>>15
落ち着け、自分を見失うんじゃない。
>>29
ウ、ウガヤ朝wwwwwwwww
九州王朝説論者でも何を信用すれば良いかぐらい分かってると思ってたが。
古田支持者の古史古伝信奉は東日流外三郡誌にとどまらないのか?
そいでから、九州王朝論者は偉そうに「九州年号だ!北九州王朝の年号だ!」と騒ぐが、
これが元々熊襲の年号として発表(というか拾い出されて)来たことを忘れないように。
何故鶴峯戊申の「熊襲元号説」が間違いで、北九州の元号であるといえるんだ?
(そもそも、何故「海東諸国記」とかの後世の著作に書かれている元号を本物だと言えるんだ?)
39太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/31(木) 22:34:22
>>38
落ち着いてないのは頭が踊りを踊ってるらしいお前だろ。w
余は北九州年号とは言ってないぞ。別の九州王朝論者だろうが。
古史古伝でもそういうのと一緒にしては困る。竹内文献とかと接着
させるなよ。熊襲〜? お前のうっちゃりたいがための言い訳だよ。

40日本@名無史さん:2008/07/31(木) 22:59:29
水行十日陸行一月を誇張と捉えれば邪馬台国は北九州で決まりでしょ。
いや、誇張というより案内役がわざと遠回りして女王国まで案内した可能性もある。
それでも魏志を読むかぎりでは女王国は北九州以外ありえんよ。
41日本@名無史さん:2008/07/31(木) 23:16:04
>>40
そんなことないな。南九州が正解だよ。
42日本@名無史さん:2008/07/31(木) 23:33:25
倭人伝には甕棺の話などは出てこない。径百余歩。古墳のはしりだろう。
北九州は古墳の習慣はない。それよりは、南九州がぴったりだ。
南九州ならば、水行十日、陸行一月も誇張だとか、遠回りだとか、不自然な弁解をする必要はない。
43日本@名無史さん:2008/08/01(金) 00:52:13
水行10日
陸行一月でしょう
水行で下関から陸行で岡山→兵庫→大阪→奈良でぴったりですよ。

44日本@名無史さん:2008/08/01(金) 03:35:44
みんな魏志をよく読めよ。女王国の北に関しては里数や戸数を記載でき、
傍国は交渉がなく不明なんだぜ。つまりこれらは女王国の南にあるわけ。
女王国の東に関してはまた違う国があるという記述があるしね。
これらの配置を考えれば女王国は北九州だよ。問題なのは何故水行十日陸行一月なのか?
45日本@名無史さん:2008/08/01(金) 06:54:55
>>44
>つまりこれらは女王国の南にあるわけ。
良く読むべきはあなた。旁国を書いた最後に、「これ女王の境界の尽きる所」とあるよ。旁国は女王国に入って居るんだ。女王国の南に旁国があるわけではない。
46(・へ・):2008/08/01(金) 08:06:38
>>43
郡より女王国に至る一万二千余里、と『三国志魏書』倭人伝には書かれている。
郡から伊都國まで単純に合計して10,500里。
残り1,500里。
末盧國から伊都國まで500里。
1,500里は末盧國から伊都國までの3倍の距離。
女王国は北九州だ。
つまり「水行二十日」「水行十日、陸行一月」は書き違いか、一万二千余里の行程を日数で説明しなおしたもの。
47日本@名無史さん:2008/08/01(金) 11:33:45
万二千里は確かにかなり北。しかし、それは女王国の北の境界。>45に書いたように女王国の南の境界は旁国の尽きる所。
その女王国の中に邪馬台国があるのです。従って、邪馬台国までの距離は伊都国から水行十日陸行一月でいいのです。
48日本@名無史さん:2008/08/01(金) 12:41:45
女王国の中に邪馬台国があるとか、とんでも説もいいとこだろ。
傍国は遠方にあり詳細不明なんだし、邪馬台国が傍国より南にあれば詳細不明なわけがない。
傍国を通過するはずだし。つまり邪馬台国は傍国よりは北にある。万二千余里もそれを裏付けている。
ちなみに女王国は邪馬台国のこと。そう読むのが明らかに自然だろう。
49日本@名無史さん:2008/08/01(金) 12:56:55
>>48
>女王国の中に邪馬台国があるとか、とんでも説もいいとこだろ。
牧健二とかいう人が言い出した説だが、倭人伝を丁寧に読んでいけばそれが正しいと分かる。
女王国と邪馬台国、同じ国ならば何で別の表示にしたのか?しかも、「女王の尽きる所」がどうしても解釈できない。
邪馬台国までの水行十日、陸行一月。これも女王国=邪馬台国では到底理解不可能。
50日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:11:32
遠州と遠江国+西近江路と若狭街道(鯖街道)を考えるとそうでもないよ
北陸⇔静岡⇔滋賀⇔京都⇔兵庫・大阪⇔奈良
きれいにつながるし、弥生時代の水行を証明するものも見つかってるし。
だから、琵琶湖は大事って言ったのよね。
遠の朝廷は九州ではなく、遠州の朝廷の可能性もあるということで九州と断定はできないって言ったのよね。
51あめのうづめ:2008/08/01(金) 13:26:27
中華人民万歳
52日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:59:12
他に畿内とつながる因幡街道ってのがあって、出雲で鉄を造ってた。史跡がある。
53日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:07:21
女王国より北は里数戸数は説明可能で、傍国は説明不可能だと書いてあるし、
女王国と傍国は別物として扱われてるよ。つまり女王国は邪馬台国なのが正解。あたりまえの話だが。
54日本@名無史さん:2008/08/01(金) 16:37:31
女王国というのは、邪馬台国と投馬国、旁国とを合わせた連合体。旁国というのは、主要国の傍らにある国、つまり邪馬台国や投馬国の周辺にある小さな国々のことだ。
だいたい、邪馬台国までが北九州で、そのほか旁国ばかりが連なっているなどというのはおかしいでしょう。女王の尽きる所をどう読んでいるのですか?
それに女王国まで万二千里(伊都国から千五百里)というのに、それが水行十日陸行一月というのは、不自然ですよね。その意味を十分考える必要がありますよ。
55日本@名無史さん:2008/08/01(金) 16:40:54
女王国以北というのは不弥国までです。女王国まで万二千里ということを考えればそれは当然のこと。
以北以外、すなわち女王国の領域に入ってからは、投馬国や邪馬台国など主要国は戸数道里が分かっているがその周辺の小国は確かめていないということですね、
56日本@名無史さん:2008/08/01(金) 19:30:20
どう考えてもそれも無理がありますよ。伊都国から邪馬台国まで投馬国を経由して水行三十日陸行一月。
往復すれば四ヶ月もかかってしまいますよ。いくら古代は街道が整備されてはいないとはいえ、
九州内を四ヶ月かけて往復はないでしょ。
57(・へ・):2008/08/01(金) 19:38:14
水行三十日陸行一月は伊都国から邪馬台国ではなく、古田が言っているように帯方郡から邪馬台国(女王国)と考えるのが一番自然な考え。
伊都国からの残り千五百里に水行三十日陸行一月を当てるのは不可能。

58日本@名無史さん:2008/08/01(金) 19:53:20
それも無理がありますよ。郡から水行三十日陸行一月ならじゃあ投馬国はどこにあったのですか?
59日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:03:59
奴国が二度登場してることに着目してください。
別の国なら表記する漢字を変えて区別するはずなので二万戸の奴国が、女王の権力の尽きる国の最後に再び登場します。
つまり女王の権力の尽きる国というのが女王国であり、奴国までで万二千余里なのではないでしょうか?
女王の都のある邪馬台国は郡から別ルートで大和へ向かった記事を挿入しているのでしょう。
こう解釈するしかつじつまが合わないと思いますが?
60(・へ・):2008/08/01(金) 20:40:09
>>58
投馬国は狗邪韓國を含む朝鮮半島南部。

>>59
奴国までが万二千余里です。

郡−−→狗邪韓國−−−→ 対馬国  −−−−−→ 一支国  −−−−→  末盧国 −→ 伊都国−→奴国
100余里+1000余里+(800里)+1000余里+(600里)+1000余里+500里+100里 =12000余里
    方400里         方300里


61日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:57:31
さすがにその投馬国の位置付けは無理があるでしょうw
投馬国=出雲で、そこから水行十日陸行一月で大和が一番しっくりきます。
62夏祭:2008/08/01(金) 22:01:03
>>40
結局「誇張」「遠回り」で済ましちゃうのね。
63日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:28:34
投馬国を経由して邪馬台国へ行くのではありません。
放射説が正しいのです。伊都国から南へ水行十日陸行一月。それだけです。
60氏の説はぜんぜん駄目。投馬国が朝鮮半島南部とは、トンデモ説以外の何ものでもありません。
64日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:32:32
まず倭人伝で熊本や鹿児島はずすわけないだろ。あそこが
一番、古代中国と交流があったんだから。

倭人伝とは九州一周だろ、どうみても。

記紀にも載ってない女王の国を天皇家の祖先だとか言って無理やり
大和朝廷に結びつけるのは馬鹿至極。巫女が女王なら血縁ブッチギレテるぞww
65日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:34:23
>>61
日本海を行くのは方向が東北。南水行とは到底言えません。で、アウト。
それに、大和へ行くのならば、安全面からしても瀬戸内海を通るに決まってます。
66日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:54:26
日本海を北上しながら南下www  頭がおかしいぞ、>>61
67(・へ・):2008/08/02(土) 08:23:29
>>63
投馬国が朝鮮半島南部に在ったとするのが何故トンデモ説なの、根拠は?

>伊都国から南へ水行十日陸行一月。それだけです
  ↑
  この説がトンデモ説。1,500里は末盧國から伊都國までの3倍の距離。たった末盧國から伊都國までの3倍の距離を水行十日陸行一月もかかる?
68日本@名無史さん:2008/08/02(土) 08:40:29
里数表記してない時点で相当遠いからだということでしょうね。

そもそも投馬、邪馬台、両国合わせただけでも12万戸。
少なくとも50万人以上。九州のみでおさまる人口ではないでしょ
69日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:34:30
九州の人口が本当はどれだけだったのか、誰にも分からない。
70日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:46:17
>>67
>投馬国が朝鮮半島南部に在ったとするのが何故トンデモ説なの、根拠は?
投馬国は、帯方郡からみて伊都国や不弥国よりも南、遠隔地にある。そのことは行程記事で明らかであり、朝鮮半島南部などと読む余地はない。

>1,500里は末盧國から伊都國までの3倍の距離。たった末盧國から伊都國までの3倍の距離を水行十日陸行一月もかかる?
千五百里は女王国の北の境界までの距離。水行十日陸行一月は邪馬台国までの距離。全く別の話。
邪馬台国と女王国を混同してはいけない。女王国というのは、邪馬台国や投馬国、旁国などの国家連合体なのだ。
71日本@名無史さん:2008/08/02(土) 10:03:28
>>68
現代における対馬、壱岐の人口は3万から5万。倭人伝が伝える対馬は千余戸、一支(壱岐)は三千。人口にすれば対馬五千、壱岐一万五千か。
その割合からすれば、九州全体の今の人口は一千万を超えるのだから、3世紀当時でも人口百万から二百万ぐらいと考えてよさそう。
72日本@名無史さん:2008/08/02(土) 18:38:54
傍国の最後に奴国が登場するのをどう考えます?
73日本@名無史さん:2008/08/02(土) 20:14:07
74日本@名無史さん:2008/08/02(土) 20:19:46
>>72
常識的だけど同じ名前の国がもう一つあったか、書写の過程で文字が一つ落ちた(○奴国とか)かであろう。
先の奴国は戸数二万、最後の奴国は旁国(小国)だから別の国であることはまちがいなし。
75日本@名無史さん:2008/08/03(日) 06:05:31
>>68
>里数表記してない時点で相当遠いからだということでしょうね。
これは正しいでしょうね。つまり、投馬国や邪馬台国は北九州ではないということ。
ただ、だから近畿かというとそれでは方角が説明できませんし、末盧国で下船した理由も説明できません。
76(・へ・):2008/08/03(日) 08:12:28
>>70
>投馬国は、帯方郡からみて伊都国や不弥国よりも南、遠隔地にある。

いえ投馬国は、伊都国や不弥国よりも北にありました、遠隔地ではありません。
何故なら、投馬国は『可五萬餘戸』と戸数が記され『自女王國以北其戸數道里可得略載
』の中の国です、『其餘旁國遠絶不可得詳』の国ではありません。

>邪馬台国と女王国を混同してはいけない。女王国というのは、邪馬台国や投馬国、旁国などの国家連合体なのだ。

女王国というのは、地理的な説明の場合は邪馬台国の中心的な国を指す、また邪馬台国全体を広義の女王国とも呼んでいる。
邪馬台国の中心の女王国居住する国を女王国とよんだり、女王の支配権の及ぶ邪馬台国全体を女王国とよんだりしている。
77(・へ・):2008/08/03(日) 08:24:00
>>75
>末盧国で下船した理由も説明できません。

その通り、畿内説では末盧国で下船した理由も説明できません。
畿内まで行くなら末盧国で下船する必要はないです、そのまま海路を船で行った方が便利です。
畿内まで行くのに末盧国で下船理由がありません。
末盧国で下船したのは既に目的地の近くに着いたことを指しています、だから上陸したのです。
誤解の原因は丁寧に、里数表記した行程を再び日数で表記した為に起こったのです。


78日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:12:51
>>76
>投馬国は『可五萬餘戸』と戸数が記され『自女王國以北其戸數道里可得略載』の中の国です
投馬国が「女王国より以北である」とはどこにも記載されていませんよ。

>邪馬台国の中心的な国
意味不明。邪馬台国は複数の国と考えるのですか?
79日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:05:23
>誤解の原因は丁寧に、里数表記した行程を再び日数で表記した為に起こったのです。
里数表記したのを日数で記載するならば、「狗邪韓国に至る、七千余里、水行三十日」とか書くはずでしょう。
倭人伝の投馬国記載を朝鮮半島と読むのは非常識以外の何ものでもありません。
80(・へ・):2008/08/03(日) 10:59:34
>>78
『自女王國以北其戸數道里可得略載』「女王国より以北は、その戸数、道里を略載し得た」
投馬国は戸数が記されている、即ち「女王国より以北である」。
邪馬台国は對馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国の連合国家。

>>79
『到其北岸狗邪韓國』と『到伊都國』には『至』ではなく『到』が使われている。
狗邪韓國と伊都國が旅の目的地であり、それぞれ投馬国と邪馬台国に対応していることを示している。
「狗邪韓国に至る、七千余里、水行三十日」と書く必要は全くない。
81日本@名無史さん:2008/08/03(日) 18:25:59
大宰府が飛鳥京と同じか大きいぐらいなんだから
勢力の強さが十分わかってんのに、なんだろうな。
82日本@名無史さん:2008/08/03(日) 19:59:18
>>80
邪馬台国は、戸数道里を略載できた国に入るのですか、入らないのですか?
83(・へ・):2008/08/03(日) 21:33:25
>>82
『可七萬餘戸』と記された邪馬台国は当然、戸数道里を略載できた国に入る。
ただし、『可』と七萬餘戸が実際に確かめた数ではなく推測値であるこを示している。
従って邪馬台国の国々全てが『其戸數道里可得略載』ではなく『其餘旁國遠絶不可得詳』の国々をも含んでいる。
邪馬台国は對馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国の連合国家。
84日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:25:14
邪馬台国は女王国以北の国の中に入るのですか、入らないのですか?
85日本@名無史さん:2008/08/04(月) 04:41:45
邪馬台国は九州にあったのならヤマトタケルのクマソ征伐が
「大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした」という出来事になると思うのだが…
(…で万が一出雲なら「スサノオ、ヤマタノオロチを退治」がそれにあたると…)
86(・へ・):2008/08/04(月) 08:12:39
>>84
女王国とは邪馬台国全体を指す場合と、邪馬台国の中心的な国(伊都国、奴国)を指す場合がある。
女王国以北の場合は邪馬台国の中心的な国から以北。
邪馬台国の内、對馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、斯馬国は以北の国、
斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国は南の国。
邪馬台国は一部女王国以北の国、一部女王国南の国、それで『可七萬餘戸』と記された。
87日本@名無史さん:2008/08/04(月) 12:33:38
めちゃくちゃですなぁ。
88(・へ・):2008/08/04(月) 13:36:45
┏┛∵∵帯方郡∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┗━┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗━┓▲帯方郡庁∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏┓┣━━━━┓∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃┗┛∵∵∵∵┗┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵馬韓55国∵┏┛∵∵∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗┓10万余戸∵┃辰韓12国┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵┏┛弁辰12国┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵┏━┛∵4〜5万戸┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓海
海〜┏┛∵∵┃(投馬國) ┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┗━
海〜┃∵∵∵狗邪韓國○┛〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵
海〜┃∵∵┏┻━┛〜〜〜〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵
海〜┗━━┛〜〜〜〜〜〜┏┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┏┓∵┏━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜┃∵∵倭種∵┃┗━┛海
海〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜┏━━┓━━━━━┛〜┏━┓
海〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵┗━┓〜〜〜〜┏┛∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜伊都國○◎奴國(女王国)〜〜┏┛侏儒國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵┏┓∵邪馬壹國┗┓〜〜┗┓∵∵┏
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┃┗┓∵26国∵∵┃〜〜〜┗┓┏┛
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┏┛7万余戸┏┛〜〜〜〜┗┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┣━━━━┳┛〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┏┛狗奴國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┏┓∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┃┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
89日本@名無史さん:2008/08/04(月) 14:52:48
以北の国は女王直轄ではなく、一大卒が検察する国々。以北にあなたの言う邪馬台国の中心的国々(伊都国、奴国)が入るとなると、女王と一大卒の関係はどうなるのですか?
女王国で一番偉いのは一大卒ですか?
90日本@名無史さん:2008/08/04(月) 16:26:21
ホントめちゃくちゃだね
邪馬台国は無かった!
91日本@名無史さん:2008/08/04(月) 21:54:10
関東にあった日本王国は巨大でした
92夏祭:2008/08/04(月) 22:22:34
>>91
それは普通毛野王権と呼ぶ。
「日本ミステリー」はいい加減だから、さも自分達が新発見したように見せたいだけで、
関東に大和に匹敵する王権が存在したのは昔から知られている。
そしてそれこそ狗奴国。
93(・へ・):2008/08/04(月) 23:13:00
一大率は刺史(監察官)の様なものと書かれている。
女王国より北の国々には一大率(監察官)がそれぞれ居て検察している。
女王国より北の国々とは對馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国。
女王国の南の国にも一大率は居たかもしれないが、魏使が確認していないので書いてない。
一大率は監察官のことなので女王の直臣。
各国の官、副は地の長で女王に服従している者であろう。
94日本@名無史さん:2008/08/05(火) 09:54:10
刺史は単なる監察官ではなく、州の長官、地方長官などでかなり広い地域の支配権を持ちます。ですから、一大卒と女王が同じところにいるなどということはありません。
それに、「一大卒がそれぞれ居て」と言われますが、一大卒は「以北」に一人、それが「伊都国に治す」とあるように伊都国にいるのです。けして国々に一大卒がいるわけではありません。
伊都国に一大卒がいたということは、女王はそこからかなり離れたところにいたということなのです。
95(・へ・):2008/08/05(火) 10:07:55
『常治伊都國』は女王が一大率を伊都国で常に治めていたのであって、伊都国に一大卒がいたのではない。
刺史はもともと単なる監察官で、州の長官、地方長官などの支配権を持つようになったのは後のこと。
各国には官、副がいるので刺史が長官、地方長官では意味が通じない。
96(・へ・):2008/08/05(火) 10:34:35
『檢察諸國』と一大率の仕事が諸国の検察と書かれており、長官、地方長官などの支配権とは書かれていない。
97日本@名無史さん:2008/08/05(火) 10:42:42
>>95
>刺史はもともと単なる監察官で、州の長官、地方長官などの支配権を持つようになったのは後のこと。
確かに前漢時代は単なる監察官として始まったようですが、後漢、魏の時代はすでに州の長官というべきものでした。
98日本@名無史さん:2008/08/05(火) 12:38:44
佐渡島の北の現在大和堆と地図上に記載されてる所、そこは邪馬台国時代は人が住める島だった。粛慎人がこの島を経由して直で北陸東北日本海側に上陸、南下して関東日本王国をつくった。
99(・へ・):2008/08/05(火) 13:14:44
>>97
『於國中有如刺史』
「如く」と書かれ一大率=刺史ではない。
刺史は本来は監察官、『檢察諸國』と書かれている一大率も監察官であろう。
100日本@名無史さん:2008/08/05(火) 13:46:03
ほう、で、あなたは以北の国々にそれぞれ刺史がいたと考えてるの?
101日本@名無史さん:2008/08/05(火) 13:50:08
99の訂正
刺史→一大卒
102(・へ・):2008/08/05(火) 14:08:38
『常治伊都國』と書かれているから一大率は伊都国と以北の国々を頻繁に往来、検察して伊都国に居る女王に以北の国々の情勢を報告していたと考える。
103日本@名無史さん:2008/08/05(火) 21:23:53
自分もいろいろ思索したものの中に伊都国に卑弥呼がいたというのがあったが、
すぐ捨てた。少し考えればすぐわかるが、伊都国は千余戸。女王の世話をしてるのが千人余り。
明らかに人口の面からみておかしいのです。卑弥呼は邪馬台国にいたと考えるのがやはり自然だし妥当。
104(・へ・) :2008/08/05(火) 21:35:30
平凡社 白川静著『字統』によると伊の字は「・・・。尹は神杖をもつ形で、神意を媒介する聖職の人をいう。・・・伊は神の憑りつくその呪杖をもつ人」を意味したとある。
つまり、伊都とは「呪杖をもつ人の都」「『事鬼道能惑衆』卑弥呼の都」の意味なのである。
105(・へ・) :2008/08/05(火) 21:36:56
『世有王 皆統屬女王國』の意味は「魏の治世の時代、伊都国には女王がいた、倭の国々は皆、女王国(伊都国)の統治に属してきた。」である。
106日本@名無史さん:2008/08/06(水) 06:59:13
>>105
文章の読み方が無茶苦茶。「世有王」が伊都国の話ならば、「皆」も伊都国の話でしょう。
107日本@名無史さん:2008/08/06(水) 07:14:12
>>104
もしそうならば、伊都国のところで「到伊都国女王之所都」と書いたはず。
邪馬台国(卑弥呼の支配する国々?)を「女王之所都」といってみたところで、どこに都を置いていたのかまったく分からないことになると思いますが。
108(・へ・) :2008/08/06(水) 08:08:33
>>106
「世有王」は伊都国に魏から倭の王に任命された者が一人居たとの意味です、
「皆」は複数をさしますから伊都国の王のことではありません。
文章の流れから「皆」は倭の国々を指している以外は考えられない。

>>107
『世有王 皆統屬女王國』「魏の治世の時代、伊都国には女王がいた、倭の国々は皆、女王国(伊都国)の統治に属してきた。」
と書いて、次に
『南至邪馬壹國 女王之所都』「南に邪馬壹国の女王の都に至る」
と書いてあるのだから邪馬壹国の中に女王の都の伊都国があったと分かる。
109日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:29:36
(・へ・)は誤読
110(・へ・) :2008/08/06(水) 11:31:24
何処を誤読しているんでしょうか?
111日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:12:00
112日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:38:17
>>109

(・へ・)はプ

113日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:00:52
>>110
倭人伝が使う倭国、女王国、邪馬台国の意味を完全に誤解しています。
倭国は卑弥呼の勢力圏(狗奴国のみ除かれる)。
女王国は倭国から以北の国々を除いた国々。すなわち、邪馬台国、投馬国、旁国。
邪馬台国は女王国の中枢たる国。これは単一の国。卑弥呼の都があった国。
114日本@名無史さん:2008/08/07(木) 06:24:41
>>113さんは
『女王』と『女王國』と『自女王國』違いを理解してませんね。
頭が混乱してますよ。
115日本@名無史さん:2008/08/07(木) 12:38:00
どのような違いがあるのですか?
116(・へ・):2008/08/07(木) 16:52:46
『自女王國以北』『自郡至女王國萬二千餘里』など
『自』が付く場合は「女王國の中心地より以北」や「郡の中心地から女王國の中心地までが萬二千餘里である」などの意味です
『自』が付く場合は女王國全体ではなく中心地からのことです。
『自』は「より」と訳されますが、『自』はもともと「鼻」を意味した文字で、中心を指します。
117日本@名無史さん:2008/08/07(木) 19:13:40
それで、女王と女王国は?
118(・へ・):2008/08/07(木) 20:55:35
『倭女王卑彌呼』と書かれており卑弥呼は倭女王である。
つまり女王国とは倭の事である。
また『南至邪馬壹國 女王之所都』とあり邪馬壹國に女王の都はあった。
倭≒女王国≒邪馬壹國
女王國の中心地は邪馬壹國中最大の国の奴国。
女王國の都は伊都国。
119日本@名無史さん:2008/08/08(金) 00:30:06
>>118
>女王国とは倭の事
狗奴国も倭ですね。卑弥呼は狗奴国の女王でもあったということですか?
>女王國の中心地は邪馬壹國中最大の国の奴国。
投馬国は倭ではないのですか? 最大の国は5万戸の投馬国になりませんか?
120(・へ・):2008/08/08(金) 06:52:53
>>119
『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』と狗奴国は倭とは区別されているので、狗奴国は倭には属していない。
投馬国も倭ではない、投馬国は邪馬壹国(倭)に行く途中の国。
狗奴国も投馬国も倭ではなく、倭種の国。>>88の図を見よ。
正式な倭は邪馬壹國だけ。
121日本@名無史さん:2008/08/08(金) 13:05:09
>>118
>卑弥呼は倭女王である。つまり女王国とは倭の事である。
そうとは限りません。女王国とA国、B国で倭を構成することも考えられます。
>邪馬壹國に女王の都はあった。倭≒女王国≒邪馬壹國
これもそうとは限りません。邪馬壹國とC国、D国で女王国を構成することも考えられます。



122(・へ・):2008/08/08(金) 15:52:55
>>121
>>卑弥呼は倭女王である。つまり女王国とは倭の事である。
>そうとは限りません。女王国とA国、B国で倭を構成することも考えられます。
『皆統屬女王國』「倭の国々は皆、女王国に統屬されている」とあり、女王国の下に倭の全て国は統合されていました。

>>邪馬壹國に女王の都はあった。倭≒女王国≒邪馬壹國
>これもそうとは限りません。邪馬壹國とC国、D国で女王国を構成することも考えられます。
『南至邪馬壹國 女王之所都』ですから邪馬壹國とC国、D国で女王国が構成されていたとは考えられないでしょ、
邪馬壹國以外のC国、D国はどこからでてくるの?
123日本@名無史さん:2008/08/08(金) 16:46:59
>>122
あなたの思考力はその程度のものですか?>>113を眺めつつじっくり考えましょう。
124日本@名無史さん:2008/08/08(金) 16:54:22
125(・へ・):2008/08/08(金) 16:55:43
>>113
は完全なる誤読。
126日本@名無史さん:2008/08/08(金) 17:38:45
別に113に賛同しろといっているわけではありません。ご自分の論理の欠陥を理解するために、113を参考に考えなさいといっているだけです。
こんな簡単な論理が分からないようでは、倭人伝を解釈しようなどとおこがましい、と言わざるを得ません。
127(・へ・):2008/08/08(金) 18:18:06
>>126
113のどこが参考になる?
113は意味不明。
論理が分かるもなにも113には論理がない、結論のみ。
妄想と言っても過言ではない。
128日本@名無史さん:2008/08/09(土) 03:56:57
論理は121に示しています。
129(・へ・) :2008/08/09(土) 08:34:19
>>128
『ことも考えられます。』???
かもしれないでは・・・。
これは論理ではないです、論理は根拠のある証拠を揚げて、それに基づく理論展開がないと。
113も121も役にたたない。
130日本@名無史さん:2008/08/09(土) 10:28:32
あなたは論理というものが分かってないですね。あなたは「卑弥呼は倭女王だ」ということから、ストレートに「つまり女王国とは倭の事だ」と結論づけました。
ですから、私は「そうとは限らない、女王国とA国、B国で倭を構成することもある」と、ほかの可能性があることを指摘したのです。
ストレートに断定できないということは、あなたの論理は崩れたということです。
131(・へ・) :2008/08/09(土) 18:47:30
>>130
論理が崩れた?
論理を崩すためには「そうとは限らない、女王国とA国、B国で倭を構成することもある」の可能性を指摘するだけでなく
女王国とA国、B国で倭を構成を論証しなければならない。

『倭女王卑彌呼』と書かれており卑弥呼は倭女王である。
つまり女王国とは倭の事だ。
『皆統屬女王國』「倭の国々は皆、女王国に統屬されている」←女王国とA国、B国で倭を構成する可能性を否定している。
132日本@名無史さん:2008/08/10(日) 05:02:17
>>131
>可能性を指摘するだけでなく、女王国とA国、B国で倭を構成を論証しなければならない。
可能性があることは誰だって分かること。証明を要するような話ではありません。

> 『皆統屬女王國』←女王国とA国、B国で倭を構成する可能性を否定している。
「倭の国々は皆、女王国に統屬されている」などというのはあなたの誤読。誰かが言ってたら教えて下さい。
倭国に女王国と女王国に従う国々(これは女王国ではない)があったことは通説です。
北九州の諸国は、万二千里(伊都国から千五百里)から明らかなように、女王国ではなく、女王国に従っていた国々。
古田の変な読み方に従っているようではとてもとてもですな。


133(・へ・) :2008/08/10(日) 08:07:58
>倭国に女王国と女王国に従う国々(これは女王国ではない)があったことは通説です。
そんな通説知りませんし、通説とは仮説の一つに過ぎず正しいとは限りません。
134(・へ・) :2008/08/10(日) 08:08:54
『世有王 皆統屬女王國』は「代々王がおり 皆 女王国の統治下に属す」と訳される事が多いが、
「代々」には漢籍では「世世」が用いられるのが普通で、二つの「世」は「前の世」と「今の世」を表す、つまり「代々」と解されるのである。
「三国志魏書」でも
東沃沮 『戸五千 無大君王 世世邑落 各有長帥』
弁辰伝 『辰王常用馬韓人作之 世世相繼』
のように陳寿は「よよ。代々」の意味には「世世」を使っている。
史書において説明なしに単に「世」一文字だけ記されていたら、通常は記されている史書の時代を指す。
「三国志魏書」なら魏の時代を指すのである。
従って「魏志倭人伝」の場合の『世有王』も普通は「魏の治世、伊都国には王がいた」の意味に訳されるのである。
『世』一文字だけで「魏の治世」とせず「代々」に意訳してあるのは、次にくる「皆」が『世有王』を指すとし、「世」を複数と見なした特殊な解釈なのである。
「皆」が『世有王』のことを指すことを前提に、「世」一文字を「世世」と同じと見なして「代々」と訳したのであるから、「皆」が『世有王』のことを指さない場合は、「世」一文字だけで「代々」は訳せないのである。
では「皆」は本当に「世」を指しているのであろうか。
「皆」が何を指しているのか理解するためには、『世有王』と『皆統屬女王國』の文の関係を把握する必要がある。
『皆統屬女王國』は、よく「(伊都国の代々の王は)皆、女王国の統治に属してきた。」と訳されているが、これでは、「王」が「女王国」の「統治に属してきた。」となり、「王」の下に「王」がいることとなり、大変おかしな解釈となる。
また、「人間が国の統治に属してきた。」となり、人間が国の一部のような変な解釈である。
135(・へ・) :2008/08/10(日) 08:09:55
中国では「王」を家臣に持つものは「皇帝」だけである。「王」が従うのは「皇帝」以外にいない。
中華的秩序では「王」の下に「王」はいないし、「王」の上にも「王」はいない、王国に王は一人だけしかいないのである。
女王国にも王は一人だけしかいない、つまり『世有王』の王は『皆統屬女王國』の女王国の女王のことなのである。

『世有王』の王が『皆統屬女王國』の女王国の女王で、伊都国には女王一人しかいなかったとすると、「皆」は何を指すのであろうか。
まず、第一に「国」に「統屬」されるのは「国」である。
弟二に「皆」とは複数の意味である。
この二つの条件を満たしているのは、文頭にあげた「魏志倭人伝」の出だしの『今使譯所通三十國』だけである。
「皆」とは『今使譯所通三十國』の国々のことなのである。
136日本@名無史さん:2008/08/10(日) 10:08:48
>>133
>そんな通説しりません
あなたは、次の>134で「皆 女王国の統治下に属す」と訳される事が多い、と述べているではありませんか。
そのことなのですよ。あなたは、ご自分が何を述べているのか、意味を理解していないのかな?
137日本@名無史さん:2008/08/10(日) 10:43:03
>>134
「よよ。代々」の意味に「世世」を使うことがあるのはそのとおりですが、「世」一字でも「代々」を意味します。
そのことは、漢和辞典などをみれば明らか。もし、一字では代々の意味はないという資料があるならばお教え下さい。

>>135
>女王国にも王は一人だけしかいない
それは間違い。国とは王が支配する所です。国という以上、そこには王がいたのです。つまり倭には三十人の王がいたということです。
書いてない国にはいなかった、などという学者もいますが、それは国というものを理解していない恥ずかしい説。
>第一に「国」に「統屬」されるのは「国」である。弟二に「皆」とは複数の意味である。
これは結構。
>この二つの条件を満たしているのは、・・『今使譯所通三十國』だけである。
そうではありません。文章が行程記事の中間に置かれていることに留意すべきです。対馬国から伊都国までの国々をさしているのです。
4か国が皆女王国に統属していたということなのですよ。30国ではありません。30には狗奴国も入ります。



138(・へ・) :2008/08/10(日) 16:19:55
>一字では代々の意味はないという資料があるならばお教え下さい。

ないとわ言っていない、陳寿は「よよ。代々」の意味に「世世」を使っていおり、魏の歴史書で「世」一字では「魏の治世」の意味が適切であり、「よよ。代々」の意味は不適切であると言っているのだ。

>国という以上、そこには王がいたのです。つまり倭には三十人の王がいたということです。

中国では春秋時代には周王室を助けるとの名目で諸侯が覇者争いを行った、
戦国時代となると七つの残った国々は「公」を改め、周と同格であるとして「王」を名乗った。
秦の始皇帝が他の王国を滅ぼして統一、「皇帝」を名乗って以後、「王」とは「皇帝」の家臣を指すようになった。
以後、中国では「王」を家臣に持つものは「皇帝」だけである。
「王」が従うのは「皇帝」以外にいない。
中華的秩序では「王」の下に「王」はいないし、「王」の上にも「王」はいない、王国に王は一人だけしかいないのである。
「魏志倭人伝」の国とは都市国家のことです、元は一つ一つが独立した王国だったが、邪馬台国の時代には官、副官がいる。
王は倭の女王卑弥呼と倭王に従わない狗奴国の王だけです。
「王」が如何なるものか理解していない恥ずかしいのは貴方です。


139日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:44:11
>魏の歴史書で「世」一字では「魏の治世」の意味が適切であり、「よよ。代々」の意味は不適切であると言っているのだ。
あなた1人の解釈ですか。「魏の治世」は不適切ですね。「世有王」は世々に王有り、王は世襲だという意味に解すべき言葉です。
> 中華的秩序では「王」の下に「王」はいないし、「王」の上にも「王」はいない、王国に王は一人だけしかいないのである。
倭は中国ではありません。それに、倭の国を都市国家だといったところで、王がいなかったなどということにはなりません。
倭国は国家連合であり、それを構成する国々には王がいた、その上に、連合の首長たる王がいた、それだけのことですね。
>「皆」とは『今使譯所通三十國』の国々のことなのである。
狗奴国も邪馬台国に統属していたという解釈を維持するのですか?
ちょっと恥ずかしいのでは?

140日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:38:01
141(・へ・) :2008/08/10(日) 21:04:58
>「魏の治世」は不適切ですね。「世有王」は世々に王有り、王は世襲だという意味に解すべき言葉です。

根拠も無くすべきといわれても?

>倭は中国ではありません。

中国人が書いた中国の書物の中に書いてあるのですよ。
倭についても中国人の常識、考え方に沿って中華的秩序に基づいて書かれています。
したがって「王」の下に「王」はいないし、「王」の上にも「王」はいない、王国に王は一人だけしか書いてありません。
倭国は国家連合で王は倭王一人です、それを構成する国々には王はいません。
狗奴国は邪馬台国にも倭にも統属していません。
142日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:12:21
>>141
>根拠も無くすべきといわれても?
根拠は前に言いました。文章として、世有王と皆以下は同じものについて書いたと読むべきもの。すなわち、4か国に関する記事。
世有王を伊都国だけに関する記事と読むのは誤りだということです。
>中国人が書いた中国の書物の中に書いてあるのですよ。
だったら、中国人の書いた後漢書も参考にしましょう。「国皆称王」とあります。
本当は、倭人伝の中にも、王が複数であることは示されていますがね。
>狗奴国は邪馬台国にも倭にも統属していません。
では、30国との関係はどうなるのですか?前の話と矛盾するように思いますが。



143(・へ・) :2008/08/11(月) 08:50:52
>文章として、世有王と皆以下は同じものについて書いたと読むべきもの。すなわち、4か国に関する記事。

日本語として意味が判らない?根拠は??

>後漢書も参考にしましょう。「国皆称王」とあります。

後漢書をよく読みましょう。前漢代は倭は未統一で多くの自称王がいた。
後漢の光武帝から倭奴國が印綬を賜って以来、倭に王は一人。
144日本@名無史さん:2008/08/11(月) 09:45:45
で、狗奴国の話は?
145(・へ・) :2008/08/11(月) 11:34:26
>狗奴国の話は?

倭人の国で今、国交あるのは三十国。
狗奴国は倭人の国で、国交ある三十国には入る。
しかし倭人の国だが倭ではない。
『「皆」とは『今使譯所通三十國』の国々のことなのである。』だが
正確には倭人の三十国の中で倭に属している国々が「皆」。

『べきもの』では説明にならんよ。


146日本@名無史さん:2008/08/11(月) 22:13:22
>「皆」とは「今使譯所通三十國」の国々だが正確には倭人の三十国の中で倭に属している国々が「皆」。
辻褄が合わないからといって「倭人伝が不正確」と逃げてはいけません。あなたが間違っているのです。
既に述べたように、皆とはそれまでに出てきた4か国を指しています。
>日本語として意味が判らない?
「世有王」と「皆」以下は一連の文章。「世有王」が伊都国で「皆」以下が諸国などと話がコロコロと変わるはずはない。
一連の文章は、同じ対象について書いているに決まってます。つまり、「世有王」も4か国の問題なのです。
伊都国にしか王がいないなどと考えるから妙な読み方をすることになるのですね。
>前漢代は倭は未統一で多くの自称王がいた。後漢の光武帝から倭奴國が印綬を賜って以来、倭に王は一人。
「自武帝滅朝鮮」とあるように「それ以降」という意味。けして前漢代だけではありません。
後漢書ですから、中心は後漢代。それに、続いて「大倭王」とあります。
「30国皆称王」と「大倭王」は同じ時代。つまり、大倭王の下に30王がいたのです。
隋書もみておくこと。魏時代のこととして「30余国皆自称王」とあります。
中国史書は、よく読んでくださいね。



147日本@名無史さん:2008/08/12(火) 02:21:29
大体、記紀の編纂が6世紀だと言うのが非常に怪。
飛鳥京6世紀なんじゃこりゃw

3世紀に大和朝廷があれば、とっくに倭人伝と同時期に
編纂できてるはず。記紀までないのは、それ以前の支配者層が
違うからだよ。理論的に考えればそうだろ。
148(・へ・):2008/08/12(火) 12:29:59
>>146
>辻褄が合わないからといって「倭人伝が不正確」と逃げてはいけません

「倭人伝が不正確」なんて言ってない、正確には「皆」とは「今使譯所通三十國」の内倭に属している国々のことだと言っている。

>皆とはそれまでに出てきた4か国を指しています。

何の証拠も根拠もないのに、どうして4か国になるの?皆はALLでしょ。

>「世有王」と「皆」以下は一連の文章。「世有王」が伊都国で「皆」以下が諸国などと話がコロコロと変わるはずはない。

『皆統屬女王國』ですから伊都国を女王国の王都と考えれば話は変わっていない一連の文章。

>「30国皆称王」と「大倭王」は同じ時代。

いえ違います、「30国皆称王」は前漢、後漢の光武帝の建武中元二年(57年)まで。「大倭王」は印を贈った以後。
後漢書では倭奴國≒邪馬臺國の認識である。

>隋書もみておくこと。

隋書は7世紀に完成したもの、漢代の記録は『後漢書』や『三国志』からの転載。
漢代の情報は役にはたたない。
149日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:08:33
>正確には「皆」とは「今使譯所通三十國」の内倭に属している国々のことだと言っている。
倭人伝には「倭に属している国々」とは書いてありません。狗奴国が除かれるならば、そのことが書いてないのは不正確ということになるのでは?
>何の証拠も根拠もないのに、どうして4か国になるの?
文章は前から後ろへ読むものです。対馬国、一支国、マツロ国、伊都国を書いて「皆」とあれば、当然、その4か国を指すと解釈すべきです。
>『皆統屬女王國』ですから伊都国を女王国の王都と考えれば話は変わっていない
あなたの読み方では、「世有王」の主語は伊都国、「皆」以下の主語は倭の諸国、ちがってます。
>「30国皆称王」は前漢、後漢の光武帝の建武中元二年(57年)まで。「大倭王」は印を贈った以後。
そんなことはどこにも書いてありません。はい、勉強のし直し。
150(・へ・):2008/08/12(火) 17:26:00
>狗奴国が除かれるならば、そのことが書いてないのは不正確ということになるのでは?

『倭人在帶方東南大海之中・・・今使譯所通三十國』と30国は倭人の国と判る。
『皆統屬女王國』と皆は女王国に従っている国に限定。
『其南有狗奴國・・・不屬女王』で狗奴国は除かれる。
151(・へ・):2008/08/12(火) 17:33:20
>その4か国を指すと解釈すべきです。

『皆統屬女王國』が対馬国、一支国、マツロ国、伊都国なら他の国は女王國に統屬していないんですか!?
152(・へ・):2008/08/12(火) 17:36:09
>「世有王」の主語は伊都国、「皆」以下の主語は倭の諸国、ちがってます。

主語が違っていても、女王国(伊都国)のことについて述べているので問題ない。
153(・へ・):2008/08/12(火) 19:09:53
>そんなことはどこにも書いてありません。はい、勉強のし直し。

『使驛通於漢者三十許國 國皆稱王 世世傳統 其大倭王居邪馬臺國』
では一見すると『其大倭王居邪馬臺國』も『使驛通於漢者三十許國』の時代のようにも思えるが
『桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主 有一女子名曰卑彌呼年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆 於是共立為王』とあり
大倭王の時代がが桓霊間よりあとの時代であることが判り、三国志魏書の記述とも一致する。
『使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統』前漢から後漢初めこと。
『其大倭王居邪馬臺國』は後漢末から魏代のこと。
154日本@名無史さん:2008/08/12(火) 22:54:14
>>150
あの高校、生徒は皆、男子ばかりなんだってさ。
嘘つけ、あそこは共学だよ。
皆と言ったのは、男子に限った話さ。
何だ、それ???
155(・へ・):2008/08/12(火) 23:17:53
>>154
あのクラス、生徒は30人ばかりなんだってさ。
皆、クラブに入っているんだってさ。←一般的に
A君だけはクラブに入っていないんだってさ。←例外
156日本@名無史さん:2008/08/13(水) 07:06:54
>>150 >>155
あの高校、生徒は皆、男子ばかりなんだってさ。
嘘つけ、あそこは共学だよ。
皆と言ったのは、一般的な話さ。
ふーん、で、男子生徒はどのくらいいるの?
700人くらいだな。
で、女子生徒は?
1000人くらいだな。
何だ、それ、例外の方が多いのか???


157(・へ・):2008/08/13(水) 08:08:31
>>156
あの高校、生徒は皆、男子ばかりなんだってさ。
嘘つけ、あそこは共学だよ。
皆と言ったのは、一般的な話さ。
ふーん、で、男子生徒はどのくらいいるの?
700人くらいだな。
で、女子生徒は?
狗奴子1人だな。
そうか。
158日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:10:35
マジ馬鹿馬鹿しい議論をよく毎日毎日できるなw
頭おかしいんじゃないか?
159日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:17:50
おかしいんじないかとは、まだおかしいと確信はしていないということかな?
160日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:31:11
>>158
真理の追究を止め、物事に何の疑問も持たなくなったら人間お終い。
痴呆性老人症の畿内説の学者と同じ。
161日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:50:12
6世紀後半、大和国は隣の播磨国すら支配できていなかった。
畿内説、全然駄目じゃん。
162日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:55:04
隋書によれば、邪馬台国の後継国はイ妥国であり、
イ妥国には阿蘇山があって、
煬帝に向け「日没するところの天子」と国書を遣している。

これ、ズバリ九州しかありません。
夏祭とローガンは敗北しました(笑
163日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:10:28
>>162
阿蘇山?

ああ、あの名所案内の記事ねw

それが何か?www
164日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:13:28
名所案内じゃなくて、イ妥国の国儀案内ですが何か?
米国というものを人に教えるのに、アラスカインディアンの家だけ見せて、
これが米国ですっていう国家正式文書などありません。
165日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:15:22
>>164
前後の文章を読みなさいなw
166日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:16:09
唯一出てくる山が、阿蘇山なんですが、何で大和三山が出ていないんでしょうか?(笑
167日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:17:05
記紀のどこに、阿蘇山の国家儀礼が出てくるの?
ねえねえ、おせ〜〜ておせ〜〜て!!
168日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:17:29
>>166
いいんじゃない?

世界最大級のカルデラの阿蘇、名所としても十分だw

169日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:18:10
ねえ、ねえ、記紀のどこに、阿蘇山の儀礼が出てくるの?
おせ〜〜て、おせ〜〜て!!
170日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:19:57
ねえねえ、記紀には、山といえば阿蘇山しかでてこないの?
ヤマトには一つも山が無かったの?
おせ〜〜て、おせ〜〜て!!
171日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:22:52
大和三山って、漢書・魏志・隋書のどこに出てるの?
おせ〜〜て、おせ〜〜て!!
172日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:34:39
>>171
で、何故それが即北九州になるの?
173日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:41:34
951 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 05:56:52
古事記 崇神崩御=258年
太国説 崇神崩御=259年
サガミ 崇神崩御=288年

いずれも、3世紀末に、ハツクニシラスと称えられた大和の王が崩御したという認識では一致してる。
「3世紀末に、偉大な大和の王がいた」という認識こそが大事なのであって、
倍暦の存在うんぬんはあまり重要でない。
系譜では、崇神の叔父にオオヒコがいる。
稲荷山鉄剣の銘でも、オオヒコが刀杖人(王の臣下)の上祖と認識されている。

3世紀末にヤマトで画期があったことは、文献から認定された。
そして、ヤマトの考古学的画期は、マキムク遺跡。

よって、マキムク遺跡は大和の王が君臨した3世紀中頃の遺物と考えてよい。
異論を述べたい人は、表明をすべし。
174日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:55:11
なるほど。邪馬台国では卑弥呼が250年ころに死亡。その後を襲った台与は若年。
その中間の258年前後に、大和では崇神が死亡というわけですね。
畿内説の誤りは、まず間違いないといえるのかな?
175(・へ・):2008/08/13(水) 16:05:55
マキムク遺跡が大和の王が君臨した3世紀中頃の遺物かどうか分からないが、
邪馬台国とは無縁であることは間違いない。
176(・へ・):2008/08/13(水) 16:23:46
伊都国が邪馬台国の王都に異議はもうありませんね。
177日本@名無史さん:2008/08/13(水) 17:35:46
>>174

誤りなのは「東遷説」です。

邪馬台国は九州で結構ですが、安本厨は死亡ということですね。
178日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:13:29
>>172

当時、中国以外で絹織物を生産していたのは、邪馬壱(台)国だけ。
日本で古代の絹織物が圧倒的に出土するのは福岡県だけ。
179日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:35:35
>>178
畿内説なら
お取り寄せで無問題ですが何か?
180日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:04:50
学者も素人も、誰も相手にしない説=お取り寄せ説だから、妄想にふけってろ。
181日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:18:05
>>177
安本厨より前に古田厨も滅んでることをお忘れなく。
>>180
「取り寄せなんて絶対にない!」
と判断する根拠は?
(ま、どうせ「畿内説じゃないから」程度なんだろうけど。)
182日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:25:38
最高権力が畿内にあったなら、世界最高水準の絹織物が
畿内ではほとんど所有されていなかった、なんていう道理がないでしょ。
もっとがんばりましょー!
183日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:36:00
>>182
> 最高権力が畿内にあったなら

畿内説は、そんなことは前提としていない。
もう少し勉強して。

> 世界最高水準の絹織物が

それ、キミの独断。

> もっとがんばりましょー!

それ、キミ自身に言いたまえ。
184日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:42:09
絹織物が世界最高の織物でしたが何か?
畿内に最低権力があったなら、絹織物なんてあるはずが無く、
畿内説ももちろんありえませんね。納得!(笑
185日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:50:37
>>184

○絹織物が世界最高の織物 > 世界最高なのは「絹製の織物」

○世界最高水準の絹織物 >  世界最高なのは「正始4年の献上品の絹織物」

意味が全く違うよ。
「笑々」してる暇があったら、もう少し日本語の基礎から勉強しなおしなさい。
夏はまだ長い、頑張れ!
186日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:25:28
>>180
まあアホの九州説論者には何の事か分からないだろうなw

ところで邪馬台国は具体的には福岡のどの遺跡なんだい?www


187日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:30:02
そもそも福岡ならほぼ奴国近辺(つか奴国そのもの?)であって
あんな行程記事になるはずも無いw


アホの九州説論者による自爆芸
笑い話ですか?wwwwwww
188日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:33:20
残念でした。とうじ、世界最高の織物は絹織物でした。
しかも世界中で、中国と邪馬壱(台)国でしか絹織物は生産していませんでした。
その絹織物は、畿内ではほとんど出ない(笑
出土のほとんどは福岡県から(笑
邪馬壱(台)国は福岡県に決まりです。
畿内説は無理だってことですなあ。
189日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:35:25
>>188
畿内説なら
お取り寄せで無問題ですが何か?

九州説ダメじゃん
190日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:40:01
>>184

おまい たのむからもう書くな! 迷惑だ!
鬼内派の糞連中に論破されてばかりだ。何も知らないのなら書くな!
っていっただろう。オレや九州王朝大好きさんが考える説をおまいらのような妄想と同じように扱われたくないんだよ!
191日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:40:55
>>184

おまい たのむからもう書くな! 迷惑だ!
鬼内派の糞連中に論破されてばかりだ。何も知らないのなら書くな!
っていっただろう。オレや九州王朝大好きさんが考える説をおまいらのような妄想と同じように扱われたくないんだよ!
192日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:41:31
>>180
ちなみにね、、
今アカデミズムを席巻している畿内説と言うのは
朝貢において九州をパシリwにしないとそもそも成り立たないと言って良いんだよwww

まあ九州王朝説のトンデモ本しか読んでいない
(本すら読んでいなくてネットだけか?w)
アホにはなんの事か分からないだろうけど。

分かったなら「絹」なんてネタの一転突破なんて情けないことをせずに
もう少し厚みのあるお話が出きるんじゃないのかな?wwww

193日本@名無史さん:2008/08/13(水) 23:58:48
邪馬台国と狗奴国の間には海がある件について
194日本@名無史さん:2008/08/14(木) 00:06:59
まあどうせローテーションで「金印」「阿蘇」「薄葬」「装飾古墳」・・・と繰り返すんだろうなw

どれもこれもお笑いネタにしかならないのにw

まあ話の膨らまし方によっては、それなりのお話にもなるんだろうが
このアホには到底無理な芸当www

因みに老婆心ながら忠告しておくと
九州王朝説で「薄葬」云々は使用しない方が良いんじゃないのかな?

邪馬台国以後、九州王朝は大陸の薄葬に習ったとすると
後に九州にも多く築かれる前方後円墳のある地域は
九州王朝の領域から外れる事になるんじゃないのかね?

そうすると結構大変な事にならないかな?w

そうそう「装飾古墳」で有名なチブサンも前方後円墳でしたっけ?www

なんでも行き当たりばったりで言えばええっちゅうもんでないとwwwwwwwwwww



195日本@名無史さん:2008/08/14(木) 01:17:02
結局すべての畿内説が論破された件について
196日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:33:30
でも結局、九州王朝説の妄想に関らず
現実では畿内説圧倒的優位な件について
197日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:34:21
お笑いネタと言う全てが決定的な件
198日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:42:23
畿内説が100%妄想だった件について
199日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:59:27
妄想で長い事やってきちゃったからね
もう後には引けないし言い切っちゃうしか手がないんであろう
掘立小屋で大騒ぎだしね
200日本@名無史さん:2008/08/14(木) 03:48:14
金印!
阿蘇山!
装飾飾古墳!

・・・数々の一撃で畿内説を葬り去るはずの必殺技を放ったのに
結局現実じゃあ畿内説が隆盛しw

邪馬台国九州説が下火になっているわけで

え?
九州王朝説?
そんなもん「ムー」にでも載せておけとwww




201日本@名無史さん:2008/08/14(木) 03:55:26
邪馬台国九州説 の検索結果 約 423,000 件中 1 - 100 件目 (0.76 秒)
邪馬台国畿内説 の検索結果 約 172,000 件中 1 - 100 件目 (0.16 秒)

202日本@名無史さん:2008/08/14(木) 05:42:21
九州説は追い詰められてるなあ。昔はもっと差が開いてたのにwww
203日本@名無史さん:2008/08/14(木) 05:58:15
204日本@名無史さん:2008/08/14(木) 08:41:52
連投タンです。
邪馬台国畿内説の鍵となり得るあまり有名ではない古墳を旅行板で紹介しておきました。
205日本@名無史さん:2008/08/14(木) 08:57:57
>>203

このコピペが何をいいたいのかさっぱりわからん。
206日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:49:23
こればかりは時間が解決する問題、俺もお前らも必ず死ぬ、もうじき死ぬ
お前も俺も皆死んだ後に真実が残る
ガリレオ天動説が20世紀になってやっとローマの宗教家に認められたように
宗教に勝てる真実は無い、宗教とは洗脳そのものだから心の奥底から畿内説を信じているのだ
凝り固まった自我に新しい発掘だの学説だの事実は消し飛ぶほど軽い
畿内説を宗教とはあえて言わないで置こう
彼らの洗脳された脳は彼らの死をもって開放されるからだ

300年後の友人へ
207日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:51:12
>>205
日本とは違う食器だ。
従って、米は長江流域から伝わってきたのではない。
と言いたいんだ、>>203は。
まあ、一部の渡来人が米を伝えてきても、日本人は従来の食器で食べた、
と言う説明で足りるけど。
208日本@名無史さん:2008/08/14(木) 11:55:37
長江流域から伝わってきたのではないから、どうだと言うのですか?
209日本@名無史さん:2008/08/14(木) 13:57:13
>>202
畿内説の人は論破されても、何事も無かったかの様に
「九州説は追い詰められてるなあ」なんて書き込めるな。
少しは九州説に対抗できる説明を書き込んだらどうなのだろう。
210日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:16:17
>>209

・・・2ちゃんねるで「論破」と言う単語を聞くと「厨臭え!」と思うのは俺だけだろうか?w

まあ、よしんばこの板で九州悦が畿内説を鮮やかに「論破」したとしても
現実の趨勢は何も変わらないw

じゃあその理論をもって現実の畿内説の学者を「論破」し
九州説に昔日の栄光を取り戻して来いよと言うお話だなwww

まあリアリティの伴わない机上の議論ゴッコなら九州説は有利かもしれんw
その人口七万戸のクニも
奴婢百余人の殉葬された墓も
卑弥呼に仕えた千人の奴婢を擁する集落も
・・・九州の何処かにありました。と言うのなら魏志倭人伝を金科玉条に唱えていれば無敵だろうなwwwwww


もっともこの板でさえ九州説が畿内説を「論破」したと言うのはどう言うネタか?思いつかないんだがwwwwwww

211日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:31:50
>>209

すこし昔なら、9:1で九州説優勢だったはずだが?

九州説も凋落したものだねえ。
212日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:52:20
>>211
まあ、ある時期までは九州説が邪馬台国論争の主役だったんだろうね。

特に松本清張がブームを起こし
古田や安本と言ったタレントが現れドツキ漫才を演じw
市井のマニアによる本もわんさか出て・・・
恐らく吉野ヶ里ブームが最期の輝きだったのか?

正直、九州説が昔日の栄光を取り戻す事がこの先あるんだろうか?www



213日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:00:26
NHKのアンケートのよると7:3で今でも九州説有利は変わっていない。
214(・へ・):2008/08/14(木) 16:19:28
┏┛∵∵帯方郡∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┗━┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗━┓▲帯方郡庁∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏┓┣━━━━┓∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃┗┛∵∵∵∵┗┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵馬韓55国∵┏┛∵∵∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗┓10万余戸∵┃辰韓12国┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵┏┛弁辰12国┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵┏━┛∵4〜5万戸┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓海
海〜┏┛∵∵┃(投馬國) ┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┗━
海〜┃∵∵∵狗邪韓國○┛〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵
海〜┃∵∵┏┻━┛〜〜〜〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵
海〜┗━━┛〜〜〜〜〜〜┏┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜┏━┛∵∵∵┏┓∵┏━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜┃∵∵倭種∵┃┗━┛海
海〜┏━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜┏━━┓━━━━━┛〜┏━┓
海〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵┗━┓〜〜〜〜┏┛∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜伊都國○◎奴國(女王国)〜〜┏┛侏儒國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵┏┓∵邪馬壹國┗┓〜〜┗┓∵∵┏
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┃┗┓∵26国∵∵┃〜〜〜┗┓┏┛
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┏┛7万余戸┏┛〜〜〜〜┗┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┣━━━━┳┛〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┏┛狗奴國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓┏┓∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛┃┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
215日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:20:24
このままフェードアウトしていく、畿内説・・・
C14で断末魔か・・・
216日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:25:24
なんの説明も無しに畿内説優勢だとか言われてもねえ…
217日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:45:23
>>209
そもそも、君等が論破するために言ったことそのものが
我々に論破されてるんじゃないの。
>>216
なんの説明もなしに>>215みたいなこと言われてもねえ…
我々は充分に君等の相手をしてあげたよ?
まだ分からない?
結局、遺跡の年代が古くなればなるほど畿内説に有利なの。
九州の没落と畿内の隆盛がそれだけ速くなるから。
九州の遺跡のみ古く見せようったってそうはいかない。
218日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:58:43
>>216

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/ronkyo_ronten.htm

>片岡宏ニ
>今、九州内外を問わず著名な考古学者はほとんど畿内説である。
>考古学の世界では畿内説が九州説を圧倒している。

吉野ヶ里のシンポに出席した
「福岡県小郡市埋蔵文化財センター技師」の肩書きの人間ですらこうですよ?wwwwwwww
219日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:59:51
6世紀後半、隣の播磨国をも支配できていなかった大和国。
畿内の隆盛って、バチカン市国程度なんですね。
九州装飾古墳は、東北にまで広がってましたがね。
220日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:06:21
>>219
”古墳”ねえ・・・

アホですか?w
221日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:14:08
>>217
>九州の遺跡のみ古く見せようったってそうはいかない。

いや、もう>>215は病気だからw

九州版ウリナラ起源説=九州王朝説 に取り憑かれて
もう何がなんだか分かっていないんだよw

ぶっちゃけ、九州の遺跡の年代だけが古くなっても
畿内説の有利になる。

九州にも初期型前方後円墳があるからねw
畿内の影響力の浸透がそれだけ早い年代に始まったと言う事になる。

まあ、九州版ウリナラ起源説=九州王朝説 の病気の人に何言っても無駄だろうけどwwww

222日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:58:09
鉄の無い畿内が、極東を支配した大将軍号をもらえるか・・・妄想の中でだけ可能ですね。
223日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:07:25
鉄の多い朝鮮が倭国を支配できなかったのはなぜ?w
224日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:14:26
>>222
「ヒッタイト」でググれカスwwwwwwww
225日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:50:15
鉄の多い朝鮮が唐と倭と百済をやってけましたが何か?>223
226日本@名無史さん:2008/08/15(金) 03:27:41
朝鮮半島も九州も細かく小国に分かれていたんだから大和統一王朝は無理でしょ7世紀でも怪しいぞ
227日本@名無史さん:2008/08/15(金) 08:15:46
>>217
漢籍についての議論で畿内説の筋の通った意見は見た事がないけど。
全部、中国人はバカ、漢籍の間違いで済ませている。
畿内説は邪馬台国とは結びつける証拠の無い遺跡で誤魔化してる。
228日本@名無史さん:2008/08/18(月) 18:52:20
そのとおり。つまりは思い込みだけ。
229日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:09:46
>>228
君の目の前に鏡を置いてあるのが分からないか?
230日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:23:00
229が、ガマの油を出している。
231日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:20:10
では、畿内説の立場から、倭人伝を合理的に読んでみて下さい。畿内説がまちがいないならば、必ず読めるはずなのです。
232日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:21:06
↑229さんへね。
233日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:34:59
畿内説の立場から、倭人伝を合理的に読めない箇所なんてあるか?

あるなら、列挙してみ。そこだけ合理的に読んでやるから。
234日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:40:52
畿内説って、倭人伝を解読するさい、
「ここは誤り」と断定して自由に改変してるでしょ。
改変しないと読めないんでしょ、畿内説は?
235日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:08:45
>>233
合理的に読める部分を探す方が難しいのですが。
@邪馬台国は、北九州から南に行った所にあるはず。
A大和ならば陸行一月は不自然。
B東に千里、倭種の国とは?
C周旋五千里とは? 郡から狗邪韓国までが七千里ですからね。
D倭地温暖、冬夏生菜を食す。大和はそんな所?
E大海中の山島。旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。
236日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:16:25
@邪馬台国は、北九州から南に行った所にあるはず。

邪馬台国は、九州と近畿をふくめた連合国です。
若狭湾から南へ行けば大和につきます。

A大和ならば陸行一月は不自然。

若狭湾から陸行で南へ一月はそう不自然ではありません。

B東に千里、倭種の国とは?

東の海とは、東海道のことです。
倭種の国とは、関東のことです。関東平野には倭人がいっぱい住んでます。

C周旋五千里とは? 郡から狗邪韓国までが七千里ですからね。

「周旋」とあるので、九州島のみの話。

D倭地温暖、冬夏生菜を食す。大和はそんな所?

九州は大和よりどれほど南国なんですか?

E大海中の山島。旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。

根拠の無い設問をしないこと。
237日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:50:13
大和国のどこで

 「好捕魚鯨水無深浅皆沈没取之」するの?

奈良県では鯨が取れるんですか?
それ自体が、矛盾なんですが。
238日本@名無史さん:2008/08/19(火) 06:19:13
倭地のことと邪馬台国のことの区別がつかないのは、バカだからか?
239日本@名無史さん:2008/08/19(火) 07:05:13
>邪馬台国は、九州と近畿をふくめた連合国です。
そんな説があるとは知りませんでした。とにかく、南水行の出発点は伊都国か不弥国のはず、若狭湾はそのどちらなのですか?
>若狭湾から陸行で南へ一月
大和へ行くのに若狭湾経由は不自然。しかも、若狭湾へ向かうことは倭人伝からは出てこないはず。
>東の海とは、東海道のことです。
初めて聞く珍説ですね。どなたの説か教えて下さい。
倭種の国は女王国から海を隔てているはずですが、関東は陸続きですね。
>「周旋」とあるので、九州島のみの話。
倭地が九州ならば、邪馬台国も九州の中のはずですが?邪馬台国は倭地以外にあった?
>九州は大和よりどれほど南国なんですか?
自分で調べれば簡単に分かります。大和の冬は寒いこともね。
>根拠の無い設問をしないこと。
屁理屈も思い浮かばなかったですか?旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。
これは誰がみてもそうでしょう?島だと分からなければ、大海中の山島とは書けない、当然の話ですよ。

全体的にみて、大見得切った割には支離滅裂、畿内説論者の人もがっかりした答案では。
240日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:36:11
>>234
「西北」を「西」に変えやがった古田武彦、
距離は五行思想に則ったデタラメだから無視して良いと言った松本清張、
「水行十日陸行一月」を切り抜いて帯方郡からの距離にしてしまう連中、
屁理屈こねて無茶苦茶に短い里を妄想する連中…
忘れんぞ。
241日本@名無史さん:2008/08/19(火) 09:46:59
>>239

>そんな説があるとは知りませんでした。とにかく、南水行の出発点は伊都国か不弥国のはず、若狭湾はそのどちらなのですか?

九州に邪馬台国があったとしたなら、水行・陸行の説明がつくんですか?

>大和へ行くのに若狭湾経由は不自然。しかも、若狭湾へ向かうことは倭人伝からは出てこないはず。

丹後は、九州に劣らぬ先進地域です。

>倭種の国は女王国から海を隔てているはずですが、関東は陸続きですね。

陸上は、まだ道が整備されていません。普通、古代人は船をつかって移動します。

>倭地が九州ならば、邪馬台国も九州の中のはずですが?邪馬台国は倭地以外にあった?

邪馬台国は九州〜近畿の連合国です。九州は邪馬台国の島のひとつです。

>自分で調べれば簡単に分かります。大和の冬は寒いこともね。

九州の冬は雪が降ります。
邪馬台国時代は小氷河期と言われ、九州も温暖ではありません。 植生から明らかです。

>屁理屈も思い浮かばなかったですか?旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。
>これは誰がみてもそうでしょう?島だと分からなければ、大海中の山島とは書けない、当然の話ですよ。

おまえが勝手に九州が邪馬台国で、中国人は九州しか認識してないと思い込んでるからでしょ?

242太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/19(火) 10:52:26
卑弥呼女王国の活躍時代は崇神天皇の御世。そのころは畿内朝廷の
勢力は畿内とちょっとだよ。この時代九州まで朝廷の勢力は拡大して
はいない。九州まで触手が伸びるのは雄略天皇のころだ。それでも
まだ九州併呑ではなく、雄略の勢力が伝わっている程度だ。屯倉の
造りと江田船山の鉄刀で察しがつく。だから女王国が九州〜近畿の
連合なんて、ありっこない。それは間違い。女王国が畿内にでき
るのは推古の御世だよ。

水行陸行も軽く説明がつく。大陸の遣使は遊覧旅行を兼ねての冒険
の行程である。海賊とか台風とか、オリンピックではないが、何が
起こるかわからない。また山賊もいるだろうし、地理的にもよく
分かっていない奥九州は奥運のごとく鬼が出るか蛇が出るか、
険しい山谷の蜘蛛の巣のまとわりつく準密林を、何が起こるかわか
らん状態で右往左往して探検して、困難辛苦に打ち勝ち、やっと
女王国に到達できたということよ。
だから1ヶ月くらいはかかっても当然であり、女王国で滞在すれば
2,3ヶ月かかってもおかしくはない。
243日本@名無史さん:2008/08/19(火) 11:39:32
>九州に邪馬台国があったとしたなら、水行・陸行の説明がつくんですか?
当然です。何の不具合もなく、整合します。
>丹後は、九州に劣らぬ先進地域です。
先進地域だからといって、必要がないところを経由するはずはありません。日本海は危険、歩くところも少ない、大和へ行くなら瀬戸内海を通航するのが合理的です。
>古代人は船をつかって移動します。
勝手なこじつけ。それに、渡海千里、沿岸航行ではありません。
> 九州は邪馬台国の島のひとつです。
倭地周旋は倭の地の大きさを示したもの。倭の地の一部の島だけの話とは何たるこじつけ。
> 九州も温暖ではありません。
では、大和はもっと寒かったでしょう。倭地温暖とは到底言えませんね。
>中国人は九州しか認識してないと思い込んでるからでしょ?
旧唐書をみれば、そう考えるのが当然でしょう。普通の読解力があればね。


244(・へ・):2008/08/19(火) 12:50:28
>>233
行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
郡より女王国に至るには12000余里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
これでどうやって畿内までたどり着くの?
245日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:41:24


九州説の最後のあがきか。

もはやこじつけでしか説明できない九州説。

246太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/19(火) 14:48:09
>>245
論説をしてくれ。それが無いよ。
247(・へ・):2008/08/19(火) 14:55:55
>もはやこじつけでしか説明できない九州説。

何処がこじつけなのか指摘してくれよ。
こじつけの説明もできない畿内説くん。
248日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:08:09
太国と(・へ・)でさえ意見が合わないのによく言うな。

249日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:20:23

簡単に論破される九州説www

250太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/19(火) 15:30:28
卑弥呼の記事は伝からの少しの借り物以外、記紀にない。つまり畿内に女王国
がないからだよ。あれば天皇と卑弥呼の会見等記事が記紀に伝以上に満載される。
そうでないから女王国は紀無いにはない。九州にあったっていうことが正。
251訂正:2008/08/19(火) 15:42:35
>>249
論破の意味さえ分からぬ馬鹿者。
252(・へ・):2008/08/19(火) 15:47:49
>>248
250には同意見。
多少の意見の相違は、基となる資料が少ないので致し方なし。
一応自分の意見が一番矛盾がなく真実に近いと考えている。
253日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:30:58
>>244
それでは陸一月の意味が通らなくなるので却下
使節は邪馬台国本国の奈良まで陸一月かかると書いておる
邪馬台国の辺境の福岡付近までの距離が12000里
254日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:19:28

太国は、九州王朝説、
(・へ・)は、東遷説だったよな?

水と油じゃん。
まず、お互いの意見をすり合わせたらどうよ?
255(・へ・):2008/08/19(火) 18:52:48
>>253
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
ついでに『自女王國以北』も「女王國の王都より以北は」の意味です。

>>254
自分も九州王朝説です。

256日本@名無史さん:2008/08/19(火) 18:59:20
>>253
>邪馬台国の辺境の福岡付近までの距離が12000里
邪馬台国は大和を中心として福岡付近までを領域としていた?
それはちと苦しいな。伊都国に一大率を置いているんだよ。
大和中心ならば、九州はすべて一大率任せのはず。福岡付近まで直轄とは中途半端。
257日本@名無史さん:2008/08/19(火) 18:59:24


九州王朝説が、畿内説を「こじつけだ」と言ってるわけですね。



以上で、論証を終わります。
258日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:02:07
>>257
日本語分かってんのかなあ?
259(・へ・):2008/08/19(火) 19:08:23
>>57-157に自分の説の説明あり。
260日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:12:50

九州王朝説(笑
261(・へ・):2008/08/19(火) 19:22:20
畿内説から反論らしい反論がないな。
262日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:34:28
畿内説・・・駄目だこりゃ。反論が反論になっていない。説得力ゼロ。
もうこれは、畿内説が自爆したといっていいでしょう。
畿内信仰まっしぐらの夏祭とローガンも、この程度だったし、
「松下見林の畿内信仰は2008年に破滅した」と記憶しておきます。
263日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:28:53

九州王朝説(笑


264日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:34:40


   妄想畿内説 ・・・ 江戸の非科学的信仰を今日も墨守してます(笑
265日本@名無史さん:2008/08/19(火) 22:50:57
>>262
どうぞどうぞご勝手に。
自分に都合の悪いものには全て目をつぶれば「反論が反論に」ならないし、「説得力ゼロ」にもなるでしょう。
「2ちゃんねるにおいて、真面目に学問をしようとする九州論者は潰えた」と記憶しておくよ。

…皆知っているか?
ものみの塔信者から見たら、キリスト教はカルトなんだぜ。
266日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:12:54
九州説のアホはほっといて、畿内説視点の話をしようよ。

最近だとクナ国はどこが有力?
紀伊か、美濃か、関東のどれかだと思うんだけど。
267日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:17:22
えーーーー!
だって、ここって古田な人(>>1)の立てたネタスレだろう。
でもって、皆で>>1の馬鹿さ加減を楽しむスレだよ。
268日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:19:43
>>266
九州説のここは駄目ってところを整理してみたら?
269日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:26:52
クナ国は関東
クナ⇒ケナ⇒ケヌ⇒ケノ⇒毛野国
クナ⇒エソ⇒エゾ⇒蝦夷
270日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:31:00
ちなみに紀伊は鬼国として邪馬台国領内にある
美濃もクナの範囲だ美濃から関東東北にかけてクナ
271日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:51:44
6世紀後半ですら、畿内大和は播磨すら支配できていなかった。
畿内大和が7世紀に、西日本全部を支配するなど不可能です。
272日本@名無史さん:2008/08/20(水) 03:18:54
秦漢の広大な領土を考えたら西日本全体なんて猫の額
それに邪馬台国は連合国家なんであって支配まではいってない
播磨はその時代大和の姫巫女を擁立していたと考えれんか?
273日本@名無史さん:2008/08/20(水) 04:37:53
その猫の額で、異文化が対立していた、日本列島。
九州と畿内ははっきりと異文化圏。甕棺、三角縁神獣鏡、
倭錦、装飾古墳など、排他的に存在している。
274日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:07:11
>>266
>九州説のアホはほっといて、畿内説視点の話をしようよ。

畿内説が論破されたWW。
なかなかこれまで完璧な論破はめずらしい。
275日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:33:41
もう九州アホと論破厨はほっといていいでしょ九州説話してるのは2ちゃんだけなんだからw
まともな学者は九州説なんて相手にもしてないしね。
つか邪馬台をヤマタイなんて呼ぶなよ無知が、ヤマト=大和と言えよな。
邪馬台国の読みは大和国。
276日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:45:44
>まともな学者

学者も「漢籍を読む限りでは邪馬台国は九州に在ったと考えるしかない」のような事を言っています。
277日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:51:39
>>273
快調だなあ。
甕棺、三角縁に装飾古墳かー。
いいよ、いいよ。
もっと翔ばしていこう。
何世紀の話をしてんだかわからんけど。
そのネタ、祭器場以上のヒット作になるかなあw
278太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/20(水) 08:13:44
>>275
古代、ヤマトというのは畿内のみの限定的意味の場合と日本全体の
意味の場合、九州のみに絞っての場合も考えられるもので、時代と
状況によって三者の考えがあるわけで、その等式をまともに信じちゃ
うと畿内説に凝り固まり脱却できなくなる妄想の始まりの根幹。
ローガン氏がその典型みたい。
それがしも最初のころはそう考えていた。しかし考察、研究して行く
に従い、どうしても不合理が目立ち、その考えを捨てざるを得なく
なって行った。その等式にはまると畿内説の強信に行き着き、多々
ある不合理を恣意に何らかの論、説を牽強付会して不合理を突破して
畿内説を暖めてしまう妄想の増幅に至ってもう抜けられなくなる。
畿内説の不合理と九州説の不合理とを検討していくと、後者の場合は
一見不合理に見えてるだけで、合理的説明が不合理突破ではなく、
自然にありうるべき状況にいたる。が、畿内説の場合は致命的にそれ
が回復できない不合理として残存する。それ故九州説の選択が動か
なくなるのだ。
当時「邪馬」のつく国名が少ないながら複数個あったのだ。その事例
が伝に「邪馬国」として残っている。人名もその傾向があるようで、
やはり上位二字が同名の人名がけっこうあるのだ。弥弥と弥弥那利
とか卑弥呼と卑弥弓呼とか、弥馬升と弥馬獲支とか、上位二字が同じ
人名がかようにあるのだ。国名も上位二字が同名たる国が当時あっ
たと考えるべきで、ヤマト国と邪馬○国とは別物と観るのが正解で
あるのだ。ならば女王国名は「邪馬壹国」とするのが相当である。
279日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:25:33
>>269

やっぱ、関東か。
垂仁天皇の兄が関東の統治をしてるからな。

九州王朝とやらは、九州しか統治できなかったみたいだが。w
280日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:37:52
邪馬台国が九州だと仮定した場合、
4世紀の大和王権があっというまに関東・東北まで支配するほど強大化してることと整合性がつかなくなる。

ましてや大和王権と同時に九州王朝が存在できた可能性なんてゼロ。
281(・へ・):2008/08/20(水) 08:42:50
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
これでどうやって畿内までたどり着くの?
282日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:48:47

4世紀には、大和王権の前方後円墳墓は東北まで広がるのに、
九州王朝は九州しか支配できませんでしたとさ。wwww

ねえ、鉄器の優位性はどこにいったの?wwwww
283(・へ・):2008/08/20(水) 08:51:40
大和王権の前方後円墳墓って何のこと?
前方後円墳墓が大和王権と何か関係しているんですか?
284日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:52:34
今のところ8対2で畿内説優勢ですな。
285日本@名無史さん:2008/08/20(水) 09:40:01
>>284
何の反論もなしに畿内説優勢ですかWW
286日本@名無史さん:2008/08/20(水) 10:03:37
>>282
大和王権と前方後円墳墓の関係は何も解明されていない。
願望は根拠としては使えません。
287日本@名無史さん:2008/08/20(水) 11:27:12


大和王権と前方後円墳が関係ないとは、さすがに安本も古田も言わぬことを平気で言う2ちゃん九州説(笑
288日本@名無史さん:2008/08/20(水) 11:58:36
>>287は低能だな
大和王権と前方後円墳の関係は解明されていない。
前方後円墳墓の広がりを大和王権の勢力の拡大と見る仮説はありますが、あくまで仮説。
証明もされていないし、当然根拠にはならない。
289日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:12:43
>>271

>6世紀後半ですら、畿内大和は播磨すら支配できていなかった。

なんどもコピペされてるけど
根拠は何なの?
290(・へ・):2008/08/20(水) 12:26:52
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
これでどうやって畿内までたどり着くの?
291日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:56:23
>>289
仏教初伝は6世紀後半、播磨国から。
その時代、大和国から播磨国に逃亡すると、逃避成功(別な国だからね)。

ようするに、6世紀後半、大和国は隣の播磨国すら支配できていなかった。
えっ?前方後円墳が大和国の全西日本支配の証拠だって?
ああ、あれは吉備と九州の古墳のパクリでしょ。国家を超えた流行。
むしろ、九州西〜北部が中心である装飾古墳が、東北にまで広がっていますが?
292日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:56:40
>>291
>仏教初伝は6世紀後半、播磨国から。
>その時代、大和国から播磨国に逃亡すると、逃避成功(別な国だからね)。

具体的に、どの文献に書いてるの?

293日本@名無史さん:2008/08/20(水) 14:26:31
日本書紀だね。
294日本@名無史さん:2008/08/20(水) 14:34:28
>>285
何の反論もなしに畿内説消滅を叫ばれても困るね。

九州王朝説=北九州皇国史観
原田実の言葉が身にしみる。
295日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:18:28
296日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:40:27
>>294
反論してないのは畿内説でしょ。
ちゃんと反論してよ。
297日本@名無史さん:2008/08/20(水) 18:12:42
>>293

日本書紀の何年?
298日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:37:01
播磨絡みなら敏達紀13年(584年)条に蘇我馬子の請により、司馬達等らに仏師探索のため諸国を巡らせて、
漸く播磨国で還俗僧の高麗人恵便を獲たという記事があるが、これのことだろうか?

>>敏達天皇十三年是歳蘇我馬子宿禰請其仏像二躯乃遣鞍部村主司馬達等池辺直氷田使於四方訪覓修行者。
>>於是唯於播磨国得僧還俗者名高麗恵便大臣乃以為師。

仏教普及のために適当な指導者を捜したら、たまたま播磨の国で見つけたと言うだけのこと。

このことが「大和国は隣の播磨国(オイオイ隣かよw)すら支配できていなかった」ことの論証には全くならないと思うが、
まさか、>>291は、この記事のことを言っているのでは無いよな・・・
299日本@名無史さん:2008/08/20(水) 22:06:39
ってことは、大和国と播磨国とは、支配・被支配関係のない、別な国ですね。
300日本@名無史さん:2008/08/20(水) 22:48:58
>>299
> ってことは、大和国と播磨国とは、支配・被支配関係のない、別な国ですね。

ハァ?
301日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:11:14
別な国同士なら、一方が他方を支配してませんね。
302日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:11:25
>>291はサイキバ君。
303日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:16:44
>>301
> 別な国同士なら、一方が他方を支配してませんね。

ハァ?
304日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:17:53
はあじゃないんだよ。別な国なんだよ。
305日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:19:06
>>304
> はあじゃないんだよ。別な国なんだよ。

何が言いたいのか ワ・カ・ラ・ン
306日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:31:03
畿内大和国は、6世紀後半、播磨国すら支配していなかった。
全西日本支配など、夢のまた夢。
近隣地域も支配領有できていませんでした、ということ。
307日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:59:15
>>306
> 畿内大和国は、6世紀後半、播磨国すら支配していなかった。
> 全西日本支配など、夢のまた夢。
> 近隣地域も支配領有できていませんでした、ということ。

何を根拠に?
308日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:12:39
すぐ上も読めないのか
309日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:13:55
>>308
> すぐ上も読めないのか

何番のレス
310日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:39:59
>>291
>ようするに、6世紀後半、大和国は隣の播磨国すら支配できていなかった。

の根拠が、>>298ということを、>>299は認めたうえで、

>ってことは、大和国と播磨国とは、支配・被支配関係のない、別な国ですね。
と、言ってるわけか。

バカ?バカなの?ねえ、きみってバカなの?ねえ?バカ?ほんとのバカ?




311日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:49:47
>装飾古墳
この四文字中の「古墳」と言う部分に何か気付かないのか九州王朝説のアホのサイキバ君は?
九州発の装飾が全国的にヒットしても、元々の古墳が畿内発生(と言うか合成されたと言うべきか?)

デコトラで言えばトラック自体が「メイド・イン・畿内」じゃあねえwww

ちなみに装飾古墳の出現の前提として横穴石室が出てこなきゃならないんだが・・・
その横穴石室にも九州式と畿内式があって、九州でもやがて畿内式になっていくんだとwwwwww

312日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:02:20
>>308
> すぐ上も読めないのか

ネエネエ、何番のレスをどう縦読みすればいいのさー、
早く教えろ。
313日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:17:42
>>291

> 仏教初伝は6世紀後半、播磨国から。

えー、それって何処に書いてあるの?

> その時代、大和国から播磨国に逃亡すると、逃避成功(別な国だからね)。

これも何処にかいてあるの?

> ようするに、6世紀後半、大和国は隣の播磨国すら支配できていなかった。

何が「ようするに」なの?
「要するに」と言う日本語の意味理解してますか?

> えっ?前方後円墳が大和国の全西日本支配の証拠だって?

キミがよく使う「大和国」ってことばの定義がわからないのだが。

> ああ、あれは吉備と九州の古墳のパクリでしょ。国家を超えた流行。

古墳ってな〜に?吉備や九州って言うと石人山とか造山、作山のこと?
それをパクって出来たのが箸墓とか行灯山ってことですか?

> 国家を超えた流行。

この「国家」ってことばも定義しておいて欲しいな。
何せ、3世紀の話だからさ。

> むしろ、九州西〜北部が中心である装飾古墳が、東北にまで広がっていますが?

東北に? どの古墳のことですか?ちゃんと古墳名を呈示してくださいなw
314日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:22:27
>>296

> 反論してないのは畿内説でしょ。
> ちゃんと反論してよ。

老婆心から申し上げるが・・・
「反論してない」んじゃなくて、
貴方の論旨が理解できない(説明が無い)ので反論しようがないだけなのだと思いたまえ。
315日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:26:57
まあアホの九州王朝説サイキバ君理論で
幕藩体制の徳川も天下をとっていなかったと言う事でwwwwwww

しかし日本の歴史の中で少なくとも明治より前
強固な中央集権国家ってあまり無かったような???
316日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:41:14
日本書紀に書いてある事実も、あっさり否定する畿内説。
こりゃもう救いがたいな。
317日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:52:09
まあアホの九州説のサイキバ君は
どんなに懇切丁寧な説明を受けても
聞く耳持たず

・・・てか理解する脳味噌が無い?w

毎回毎回同じ事を念仏だかお題目だかしらんが繰り返すだけwww


318日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:40:46
妄想に浸る畿内説。
溶けた脳味噌には、もう打つ手なし。
319日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:50:44
>>318
お前恥ずかしくないの?
320日本@名無史さん:2008/08/21(木) 07:02:09
というか播磨が支配されてたとかどうでもいいよ
当時邪馬台国は大和を中心とした推戴された連合国家だったから支配されてないのが当然ジャン
誰も邪馬台国(初期大和朝廷)が西日本から全て統一とは言ってなんだし

だから6世紀にもなって播磨支配云々は九州説の反論にはならない
321日本@名無史さん:2008/08/21(木) 07:06:36
むしろ播磨が6世紀にもなって大和に服属してないなら
議事倭人伝の不安定な邪馬台国を髣髴とさせる
畿内説の補強になる
322日本@名無史さん:2008/08/21(木) 07:40:40
>>316

とぼけて通して誤魔化すつもりなのかな?

日本書記のどの記事を根拠にしているのか、はっきり言い給え。

このままじゃ、キミが望んいるらしい「議論」が始まらない。

キミは日本書記のどの記事をどう読んで
大和朝廷と播磨の関係がどうだと言いいたいのか?

まさか、播磨国って書いてあるから独立した「国」だとか
言いたい訳じゃあるまい。
自分ね言葉で説明できないのら、
キミが覗いている古田系サイトからコピーしてきてもいいぞ。
323(@0@):2008/08/21(木) 07:54:36
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
これでどうやって畿内までたどり着くの?

これへの反論は?
324日本@名無史さん:2008/08/21(木) 08:12:04
女王国の隅っこが12000里
辺境でもたどり着いた事になる
八王子でも皇居でも東京
皇居に行かなくとも東京に着いたことになる
 ハイ終了
325(@0@):2008/08/21(木) 08:17:48
>>324
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。

>女王国の隅っこが12000里

は誤まった解釈です。
326(@0@):2008/08/21(木) 08:25:14
『自』は元々は鼻を意味する文字でした、鼻を指して自分として使用されるので現在の意味になった。
「自○○以北」「自○○至××」などの場合、鼻は顔の中心にあるので隅っこではなく、中心からの意味として用いられる。
327(@0@):2008/08/21(木) 09:02:24
畿内説は漢籍の誤読によって発生した幻。
漢籍を正確に読めば女王國の位置は直ぐに解る。
328日本@名無史さん:2008/08/21(木) 09:32:23
正確に読むと海の中。
ムー大陸か?
329(@0@):2008/08/21(木) 09:46:53
>>328
>正確に読むと海の中。

それが誤読。
330日本@名無史さん:2008/08/21(木) 09:56:38
>>325
>「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。

さすがに、そんなことは倭人伝のどこにも書いて無いね。
331(@0@):2008/08/21(木) 10:31:44
>さすがに、そんなことは倭人伝のどこにも書いて無いね。

分かりの悪いひとですね。
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
帯方郡の中心は帯方郡庁です、女王國の中心地は王都です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
帯方郡の端から女王國端に至るはの意味ではありません。
332日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:31:19
[中心地]とか、勝手に解釈すんなよ。

日本からアメリカ行くのに、ロスじゃなくてワシントンまでの距離を考えろってのか?
古代人でもそこまでアホじゃない。

333日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:45:00
実際旅人はわざわざ中心地まで行かなくても領域につけば「たどり着いた」ってなる
旅人の立場になって考えればわかる
日本人がアメリカに行くとなればワシントンまでの距離より西海岸とかハワイとかに着けば「アメリカに着いた」ってなる
334日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:54:50
さあ九州説苦しくなってきました
勝手に自を鼻って言ったりしてるけどそれも解釈の一つで自説に良いように歪曲している
修交乏しい使節が女王に謁見していると考えるよりイト国あたりで倭国の情報を収集していると考えれば
12000里は女王の端、つまり最終的に使節がたどり着いたところ
現地の人から「ここから邪馬台国(大和)まで歩いて一月はかかるよ〜」てな感じ
335日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:55:08
しかし、投馬国が島根か吉備かと考えると、
日本海ルートで考えれば島根なんだろうけど、
吉備もそれなりに有力な国だから、投馬国と言われてもおかしくないんだよな。

瀬戸内海ルートだと、吉備で上陸して、大和まで歩いたのかもしれん。
鳴門海峡を避けたとか?
鳴門海峡って古代船で渡れるの?
336日本@名無史さん:2008/08/21(木) 13:01:11
那国(福岡付近)2万戸なのに5万・7万など考えられるのは九州内では考えにくい
素直に考えたら吉備やら大和やらなってくる
337(−〜−;):2008/08/21(木) 13:43:53
>>332-334

こいつら完全に狂ってやがる。
「自○○至××」の用例を調べてみろ。
自分勝手な解釈は通用しないよ。
338日本@名無史さん:2008/08/21(木) 14:10:51
>>337
九州王朝スレでお呼びですよ
339日本@名無史さん:2008/08/21(木) 14:22:17
>>337
「〜狂ってやがる」

ハイ中傷ですね、反論とは言えません。
困った時にはいつもこれだ
これだからあなたのような九州説論者は馬鹿にされるんだと気付け!
気付かなくてもいいけど笑われてるんですよ、あなたが
340日本@名無史さん:2008/08/21(木) 14:27:46
そもそも文献をいいように解釈しているのは九州説ではないのか?
文献を忠実に解釈すれば邪馬台国は遠く離れた南海になる
ここから
自説に都合の良い様に文献だけ歪曲解釈したのが素人九州説
古跡と合わせて多角的に古代日本を見ているのが畿内説

341(−〜−;):2008/08/21(木) 15:20:18
意味を歪曲していけません。
「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
帯方郡の中心は帯方郡庁です、女王國の中心地は王都です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
帯方郡の端から女王國端に至るはの意味ではありません。
漢文で「自○○至××」が「○○の端から××の端に至」の用例がれば紹介して。
文献をいいように解釈しているのは畿内説です。
342日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:45:33
さあ九州説苦しくなってきました
勝手に自を鼻って言ったりしてるけどそれも解釈の一つで自説に良いように歪曲している
修交乏しい使節が女王に謁見していると考えるよりイト国あたりで倭国の情報を収集していると考えれば
12000里は女王の端、つまり最終的に使節がたどり着いたところ
現地の人から「ここから邪馬台国(大和)まで歩いて一月はかかるよ〜」てな感じ
343日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:50:44
そんなに九州説が好きならmixiで遊んでろよ。
原田実が邪馬台国コミュやってるからさ。
みんな妄想爆裂で楽しいぞ。
344日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:57:22
畿内説だけ、ダメダメじゃん。
漢籍も考古学的事実も無視しちゃいます、ってのが畿内説。
畿内説って、江戸初期からある妄想説を、400年間墨守してる世界の笑いもの。
345日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:06:25
>>344
考古学的事実を無視する人間には、周りの人間がそうであるように見える。
カルト信者にとってまともな宗教がカルトなのと同じ原理。
346日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:07:40
>>342
確かに(−〜−;)の説はまちがっていますが、それはそれだけのこと。九州説自体は正しいのです。
使者が伊都国あたりでストップなどということはありません。
もし、近畿大和説が正しいと思うならば、次の問題にすっきりと答えましょう。
@邪馬台国は、北九州から南に行った所にあるはず。
A大和ならば陸行一月は不自然。
B東に千里、倭種の国とは?
C周旋五千里とは? 郡から狗邪韓国までが七千里ですからね。
D倭地温暖、冬夏生菜を食す。大和はそんな所?
E大海中の山島。旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。
347345:2008/08/21(木) 16:08:01
>>344
勘違いするなよ。
まさにお前のことだから。
348日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:16:52
>>346
すでに論破済みだよ。

@邪馬台国は、北九州から南に行った所にあるはず。

邪馬台国は、九州と近畿をふくめた連合国です。
若狭湾から南へ行けば大和につきます。

A大和ならば陸行一月は不自然。

若狭湾から陸行で南へ一月はそう不自然ではありません。

B東に千里、倭種の国とは?

東の海とは、東海道のことです。
倭種の国とは、関東のことです。関東平野には倭人がいっぱい住んでます。

C周旋五千里とは? 郡から狗邪韓国までが七千里ですからね。

「周旋」とあるので、九州島のみの話。

D倭地温暖、冬夏生菜を食す。大和はそんな所?

九州も小氷河期であり、温暖とは言えません。

E大海中の山島。旧唐書によれば、当時はまだ、本州が島だという認識はないはず。

根拠の無い設問をしないこと。

349日本@名無史さん:2008/08/21(木) 18:45:35
>>346
さあ畿内説は論理建てて反論しているぞ→>>348
今ボールはそちら側(九州説)にある
ボールを投げ返す(反論)できないなら九州説論破。
350日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:17:54
>>348は落第答案だから、誰かもう少しまともなのがいないかと思って再度出したんだよ。
351(−〜−;):2008/08/21(木) 21:53:10
>>342
>勝手に自を鼻って言ったりしてるけど

辞書にも載ってるんですけど。

>12000里は女王の端、つまり最終的に使節がたどり着いたところ

女王の端なんて恥かしい事を何時までも言わないように。
君たちは『自女王國以北』と『女王國以北』の意味の違いも分からないだろうな。


352日本@名無史さん:2008/08/21(木) 22:09:05
>>351
意味w自説誘導歪曲はもういいよ。
353日本@名無史さん:2008/08/21(木) 22:19:22
>>348は読むに値しないから(論理以前)、別な畿内説はないのか?
354太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/21(木) 23:05:08
>>348
景初3年=239年 のころは、畿内は倍暦にて崇神天皇の時代に入っ
た頃だから、大和朝廷の勢力はまだまだ畿内とチョッピリくらいの
範囲しかなく、九州と近畿に跨っているなどとはなっていない。

九州に同朝廷の勢力が及び始めるのは雄略天皇の御世であり、屯倉
の造りとか江田船山鉄刀の銘文でそれを知りえる。しかしそれは
勢力が及ぶ始めであるから、まだまだ朝廷は九州を傘下にはできて
いない。こういうことが君の説の間違い。
355日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:33:21
判定基準が九州説ってのはどうか思うが
356日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:19:08
卑弥呼のころ、ろくなムラの無い畿内。
九州支配など、月面着陸並みに困難。
357日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:57:24
九州王朝大好き厨と太国の奴、どっちも同じくらいヴァカだな・・・

358日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:03:59
夏祭とローガンは、脳が溶けてると思うが。
359(−〜−;):2008/08/22(金) 09:05:31
>>352
『自女王國以北』と『女王國以北』の違を説明出来ないくせに。
360日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:29:17
>>359

何が違うの?
361日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:57:31
(・へ・)と(−〜−;)は同一人?
362日本@名無史さん:2008/08/22(金) 12:36:26
363日本@名無史さん:2008/08/22(金) 13:29:31
このスレの九州論者の何割が九州王朝論者なのか確証が持てなかったが、
古田武彦「ここに古代王朝ありき」を読んで思った。
このスレの九州論者の大半が九州王朝論者である可能性が高い。
364日本@名無史さん:2008/08/22(金) 16:29:19
東遷説が消えたのは、それなりの成長かもな。

東遷説ときたら、畿内説からも九州王朝説からも論破されまくりだった。


365日本@名無史さん:2008/08/22(金) 16:44:24
東遷説は東遷の理由の説明がつかない。
366日本@名無史さん:2008/08/22(金) 16:51:34
>>363
九州王朝患者である可能性が高い?なるほど。
367日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:19:37
狂信的畿内説教徒と論理的九州王朝論者か。
368日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:24:26
3年あれば無知な学生なら狂信的畿内説教徒に洗脳してみせると狂信的畿内説教徒が言っていた。
怖〜い。
369日本@名無史さん:2008/08/22(金) 19:51:34
>>16
>外部勢力が攻め込みやすい地に都を作りますか?
面白い指摘ですじゃ。

>>364
>東遷説が消えたのは、それなりの成長かもな。
>東遷説ときたら、畿内説からも九州王朝説からも論破されまくりだった。

☆予言します。
九州王朝説者たちが、もうすぐ、東遷説モドキを始める。

(論拠)
683(天武12)年、凡そ都城宮室は一処に限定せず、2〜3箇所に造る。まず難波に都する
と、日本書紀におかしな記載がある。
すでに、難波京は、孝徳天皇の652(白雉3)年に寛政しておるから、おかしいのだ。(日本書紀のおかしい記述は、いっぱいあるのですが・・・)

よって、この記事は、九州王朝が、首都倭京(=太宰府)に、不都合を感じて複都制を、652年以前に宣言したものに違いない。(論拠は意外にある。)
そして、652年、九州以外に、第2の都を造ったというのじゃ。(第3の都は科野)

さあ、九州王朝説で未詳だった、関西への移転の実相を説明し始めるであろう。
370のんびりひまじん:2008/08/22(金) 20:21:51
>>369
補足しよう。

日本書紀は、ヒドイ文書なもので、こればっかり読んでおった先人たちは、チャイナの古代文書についても同じようなものと思い込んで、
南→東だの誇大数値だのだの言うておった。実は魏志倭人伝だけ読んで、分からなかったので、魏志東夷伝全体を読んでおったなら
短里の存在に気付いたはずなのに、三品彰英先生が邪馬台国研究総覧(昭和43)で、指摘したのち、東夷伝全部読むようになって、
邪馬台国論争が変化した。(これホントだ。)その当時の生き残り、植木孝次郎さんとか山尾幸久さんとか佐伯有清さんなどは
過去のゆきがかりじゃろうが、近畿説を唱え続けておる。その後継者たちが存在しないことに諸君も承知したまえ。

日本列島で、首都が九州から関西へ移動するのは、7世紀末から8世紀初頭の数十年の間であった。
その事情として、中央の権力者たちの間で、不当な事情があって、関西で権力奪取した人びと(=現天皇のご先祖および取り巻き貴族たち)が
偽装の歴史書:日本書紀をこさえて後世の凡人たちをだました。

だまされまいぞえ。諸君!

日本書紀は実にデタラメな書物じゃ。
難波遷都完了後に、難波に都造りする宣言なんてのもデタラメの証拠のひとつなのじゃ。  
371日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:56:18
>>367
少〜し違うね。
正解は「結論罵倒終始九州王朝論者と弱点指摘畿内論者」だ。
自分達の結論と畿内説への罵倒に終始する九州王朝論者と、
上記の九州王朝論者の弱点を指摘する畿内論者だよ。
>>364
筑紫の衰退と畿内の隆盛を無理矢理邪馬台国以後に持ってきてるわけだからね。
東遷と言えるような出来事が仮にあったとしたら、2世紀後半ぐらいになるのかね。
高地性集落の遺跡の分布から推察すると。
無理矢理邪馬台国以降に持ってくる理由がどこにもないのよ。
…まあ、正直言うと、東遷説より先に九州王朝説の方に消えて欲しかった。
まだ東遷説の方がトンデモ度が少ない。
372日本@名無史さん:2008/08/22(金) 22:37:38
九州の衰退も何も、卑弥呼の時代はヤマトにたいした街など無かった。
畿内は衰退以前ですが何か?
373日本@名無史さん:2008/08/22(金) 22:42:24
記紀の東遷説話に書いてあるのは、

国家も東遷していない。
国王も東遷していない。
国民も東遷していない。
為政者一族も東遷していない。
国家連合も東遷していない。

東遷したのは、久米一族だけ。

それを
国家も東遷し
国王も東遷し
国民も東遷し
為政者一族も東遷し
国家連合も東遷してたかのように思い込んでいるのが、今の東遷説。学問的にもはっきりと誤りです。
374ローガン:2008/08/22(金) 22:55:49
>>358

> 夏祭とローガンは、脳が溶けてると思うが。


あのう〜 私に対する中傷は構いませんし。恐らく私の未熟故の罵倒なんでしょう。
甘受します。ただ脳の溶けてる私と同列に、夏祭さんを中傷するのは私的には辛いものが有ります。

貴方も同じ古代史好きなら、中傷等ではなく説は違えどワクワクするような且つ勉強になるような議論が貴殿と出来たらなあ?
なんて勝手に思います。
まあ、一瞬で論破されても自説が未熟な事が学習出来ますし。
せっかくの掲示板なんだから…
375日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:00:11
>>374
慇懃無礼なご自身の言動を、すこし反省されたほうがいいですよ。
376日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:02:59
>>373
>東遷したのは、久米一族だけ。

久米(くめ)は、クマソだったんじゃないかな〜?どうだろ?

377夏祭:2008/08/22(金) 23:06:50
>>374
お久しぶりです。
いやいや、そんな中傷をそこまで気にすることもないですよ。
貴方に対する中傷は、貴方の未熟故の罵倒ではなく、彼等の未熟故の罵倒なんですよ。
もう不利になった古田武彦支持者(畿内説への執拗な罵倒をする人間の大半はそうです)は、
罵倒という精神攻撃に頼っています。と言うより、もうそれしか出来なくなっています。
名無しの古田支持者には「説は違えどワクワクするような且つ勉強になるような議論」は出来ないのではないでしょうか。
彼等は最早「古代史好き」ではありません。「古田説好き」でしかありません。
原田実は九州王朝説を「皇国史観の裏返し」と呼びましたが、今まさにそれを実感しておる所です。
(まあ、流石にコテをつけるような九州王朝論者(太国氏等)は論争が出来る頭を持っていますが。)
彼等は怖いわけです。論争を行って、自分達が敗れることが。
だから名無しのままで結論の連呼と別の説に対する誹謗中傷を行っているわけで。

まあ、2ちゃんねると言うのはその匿名性ゆえに馬鹿も多く集まる所ですから。
誹謗中傷は気にしないのが利口ですね。
まあ、九州王朝説が崩壊しているのは自明の理ですから、
頑張りましょう。
378夏祭:2008/08/22(金) 23:08:51
あと言わせて貰うと、
謙虚で人のいう事を素直に受け取れるのは貴方の素晴らしい所ですが、
たまには反骨精神も持たないと、ね。
>>375
結論と罵倒だけの人間と比べればはるかにマシだよ。
>>376
ありうるかもね。
案外本当に日向から東遷していて、なおかつそれは熊襲勢力。
379日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:12:11
ローガンさんと夏祭さんにアンケートしたいのですが、ご意見を聞かせてもらえますか?

邪馬台国時代の、筑紫の衰退と畿内の隆盛を認め、
考古学的には大和王権の存在は確かなものであったとして、

なおかつ、

九州に邪馬台国があった可能性はゼロだと思いますか?



380日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:32:40
>>379さん、無駄ですから、お止めになったらいかが?
夏祭氏とローガン氏の信仰心は、変わりません。
学問をやろう、事実に素直になろうという考えなど、ないのです。

卑弥呼の時代、ヤマトには淋しいムラしかありませんでした。
時代の下る「馬具」が出る箸墓が、卑弥呼の墓であるわけがありません。
古来からヤマトでは海で潜水漁もできませんし、冬は温暖じゃありません。
しかし、両氏の信仰は、そんな事実を粉砕してしまいます。
これは、そもそも学問をやるという基本的な思想がバッサリないのです。

夏祭氏とローガン氏の信仰心は、学問を捻じ曲げて、排斥してしまいます。
無駄ですから、諦められてはいかが?
381のんびりひまじん:2008/08/22(金) 23:35:19
日本人が指導して台湾の特産品となった、樟脳(しょうのう)とは樟=楠くすのきから抽出する古来の衣服用防虫剤。
伝えたいのは、樟 は魏志倭人伝に出てきます。つまり、倭人は樟の育つ日本列島の暖地にいた。
奈良県の寒さでは、樟(くすのき)は天然自然には育たない。
382日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:42:04
>>381
確かに、倭人伝の書く産物が我が国のどこに自生しているのか、検討すべきだと思いますが、学者連中はそうゆう頭ないんでしょうかね。
383日本@名無史さん:2008/08/22(金) 23:44:39
>>380
>卑弥呼の時代、ヤマトには淋しいムラしかありませんでした。


悪いが、俺は君ほど九州説信者ではない。
邪馬台国時代の畿内の大和王権は確かなものだよ。
しかも、勢力は九州より強大。
ここまでは事実だ。

なおかつ、九州が独自性を保てたかどうかについて、意見を聞きたいだけだよ。



384ローガン:2008/08/22(金) 23:45:56
>>378
夏祭さん、恐れ入ります。

>>379
> 邪馬台国時代の、筑紫の衰退と畿内の隆盛を認め、
> 考古学的には大和王権の存在は確かなものであったとして、

> なおかつ、

> 九州に邪馬台国があった可能性はゼロだと思いますか?

ゼロだと言い切れるとは思いませんが、その前提であれば、九州に邪馬台国を私は求めようとは思いません。
385379:2008/08/22(金) 23:55:34
>>384

ローガンさん、お答えありがとう。

>ゼロだと言い切れるとは思いませんが、その前提であれば、九州に邪馬台国を私は求めようとは思いません。

ゼロだと言い切れないのに、九州に邪馬台国をもとめない、ということは、
邪馬台国は大和王権だという、「願望」に近い仮説をお持ちであることは認めますね?

あなたや他の畿内説の「隙」はここにあるんですよ。
だから九州説側から、信仰だのなんだと言われる。
もちろん、九州説も同レベルの信仰だと思いますけどね。

今のままでは平行線であり、議論も時間の無駄だと思うわけです。
もっと別の、何かしらの「答え」が必要なのではないでしょうか?
たとえば、九州が独自性を保てた可能性はゼロであるという論拠が欲しいわけです。




386日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:04:27
古墳時代より前に先進の遺物の大半が九州から出土する時代があることを
否定する学者は今はほとんどいないだろ。

権力や人の移動があったかどうかは別にして、発展した地域が移ったという
意味での「東遷」はすでに通説。

「神武東征を認めるのは皇国史観だ。」と叫び、いかなる「東遷」も認めない
長老もいるが、それ以外ではこの点に争いはない。
387日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:04:36
畿内説は、畿内の遺跡や出土物を、精一杯古い時代に判定して、
ここぞ邪馬台国という無理な結論を導いているのです。

初めに「畿内説ありき」なのです。
邪馬台国、邪馬壱国など、どこにあってもかまわない、
論理の導く先ならどこでもかまわない、という考えでなければいけません。

夏祭氏とローガン氏は、ここで根源的な過ちを犯しています。
「初めに畿内説ありき」ではまったく学問とはいえません。
しかしご両人が改心することは、一切ないでしょう。
ですから、諦めたほうがいいでしょう。
388379:2008/08/23(土) 00:08:23
>>387

そういうごたくを並べるおまえは九州説信者だろ。

能書きは聞き飽きた。

389日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:16:44
倭は四国。
なぜなら、倭の祭事を取り仕切っていた倭大国魂神社は四国にしかない。
あとの大国魂神社は分社。
390379:2008/08/23(土) 00:20:43
たとえば、俺の頭では、こういう仮説がある。

魏からもたらされた威信財Aが、
九州の古墳に埋納され、かつ、畿内の古墳にも埋納されていたとしたら、
邪馬台国時代は、九州と畿内は同一国家、邪馬台国連合だったと考える。

魏からもたらされた威信財Aが、
九州の古墳に埋納され、かつ、畿内の古墳から出土しないとなれば、
魏と通じていた邪馬台国は九州だったと考える。

魏からもたらされた威信財Aが、
九州の古墳に埋納されず、畿内からのみ出土すれば、
魏と通じていた邪馬台国は畿内だったと考える。

ここで、「威信財A」を考古学では「鏡」だと考えているわけだろう。
しかし鏡は伝世もあるので、確かな論拠とするにはツッコミ所が多すぎる。
他に「威信財B」とかは、無いのか? ということを伺いたい。


391日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:23:22
>>387  年代遡上の問題ですね。

20年前までの畿内説は、卑弥呼の時代は弥生時代で環濠集落の時期としていた。
しかし、
この時期の遺物は、福岡と奈良を比較すると、50対1以上の大差で奈良が劣る。
環濠集落のなかの墓から鏡が出土した例が、奈良では0で畿内でも皆無。
鉄器の出土量も奈良は100対1くらいの大差で福岡に劣っていた。
絹の出土量は300対1くらいの大差で劣っていた。

その出土状況を徹底的に無視、封殺してしてきたのが、20年前までの畿内説。
出土状況をグラフや図で発表することがタブーとされる時代が数十年も続いてきた。
しかし、
学界生え抜き以外を中心とする九州説が図やグラフで明快に主張してきたので
その出土状況を認めざるを得なくなったのが、90年前後のこと。

そこで、畿内説は、コペルニクス的転換を余儀なくされ、卑弥呼の時代は
古墳時代であるという年代遡上に転じた。        ←今ココ
392日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:31:35
>>390
昔の畿内説は、卑弥呼の時代を弥生時代としていたから、ほぼ全部が
古墳から出土する三角縁は「伝世」としていたね。

水野正好なんかはいまでも、王が蔵で一括管理して後世に配ったという
伝世を主張している。

今は年代遡上をして、伝世も1、2世代とするのだが、4世紀終末とされる
末期の三角縁までの流れを説明できない(魏は3世紀に滅んだから)。
393379:2008/08/23(土) 00:39:38
>>391
>そこで、畿内説は、コペルニクス的転換を余儀なくされ、卑弥呼の時代は
>古墳時代であるという年代遡上に転じた。        ←今ココ

べつに疑問点は無い。
文献からも、崇神天皇の時代に箸墓がつくられており、
崇神天皇の治世は3世紀でいいだろう。
記紀を否定するんですか?

394379:2008/08/23(土) 00:47:51
951 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 05:56:52
古事記 崇神崩御=258年
太国説 崇神崩御=259年
サガミ 崇神崩御=288年

いずれも、3世紀末に、ハツクニシラスと称えられた大和の王が崩御したという認識では一致してる。
「3世紀末に、偉大な大和の王がいた」という認識こそが大事なのであって、
倍暦の存在うんぬんはあまり重要でない。
系譜では、崇神の叔父にオオヒコがいる。
稲荷山鉄剣の銘でも、オオヒコが刀杖人(王の臣下)の上祖と認識されている。

3世紀末にヤマトで画期があったことは、文献から認定された。
そして、ヤマトの考古学的画期は、マキムク遺跡。

よって、マキムク遺跡は大和の王が君臨した3世紀中頃の遺物と考えてよい。
異論を述べたい人は、表明をすべし。

>>391
年代遡上の問題などというものは存在しない。
しいていえば、文献の正しさを考古学が追認しただけだ。
395日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:19:01
皆さん、お聴きになりましたか?
>>394の説。これぞ、現在の畿内説の態度なのです。

「初めに畿内説ありき」とスタートする。
「次に畿内説には矛盾なし」と主観だけで言い張る。
これが、学問ではないわけです。
396379:2008/08/23(土) 01:25:12
>>395

残念ながら、俺は畿内説信者ではない。

邪馬台国時代の大和王権の存在を認めてるだけだ。
九州に邪馬台国があったとしても、別にかまわん。

邪馬台国時代の大和王権の存在は、
畿内説論者はもちろん、太国やサガミハラハラも認めている。

認めてないのは、なぜかおまえだけみたいだけどな?
東遷論者なら、そう言えよ。

397日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:35:31
>>394
>古事記 崇神崩御=258年
古事記にはそんなこと書いてありませんが。
398379:2008/08/23(土) 01:40:53
>>397

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
>『古事記』は崇神天皇の没年を干支により戊寅年と記載しているので(崩年干支または没年干支という)、これを信用して318年(または258年)没と推測する説も中には見られる。
俺は干支を信用して、258年説を支持してるが、318年だとしても、箸墓の記録は3世紀の頃になる。

崇神天皇没年が4世紀以後になると、その後の年代解釈に無理が生じる。



399ローガン:2008/08/23(土) 01:42:34
>>385
> もっと別の、何かしらの「答え」が必要なのではないでしょうか?
> たとえば、九州が独自性を保てた可能性はゼロであるという論拠が欲しいわけです。
有り体にいえば、平原一号を最後に伝統の祭祀をやめ、大和発祥とみられる首長霊祭祀方法を受け入れている。
しかも平原ではそれまでにみられる漢鏡大量副葬は見られず、殆んどがイ方製鏡。
以後の墓からでる鏡は欠片が中心。しかも同一鏡の欠片が他所から出ない。(→完鏡の入手困難ゆえ、銅片を集めたか?)
七期漢鏡以降の中心は畿内ですね。又、半島の3C後半とみられる金海大成洞で畿内系遺物が多数出土。
平原一号は西新の古式故、2世紀末〜3世紀初頃。とすれば、3世紀以降は北部九州の独自性が失われたと考えて良いように思います。
以後、那珂八幡等、首長墓とみられるものの元をたどれば、畿内。
又、多々良込田、比恵、松木、嘉穂穴江塚田、赤村合田、祇園町、福岡での畿内系土器中心のの集落遺跡(森岡秀人、比田井克仁)
がある事を見ても、九州の独自性が失われた事が見てとれるでしょう。
ではお休みなさい。又来ま〜す。
400379:2008/08/23(土) 01:50:23
>>399

>しかも平原ではそれまでにみられる漢鏡大量副葬は見られず、殆んどがイ方製鏡。

これは、九州の独自性が失われた重要な傍証ですね。
ありがとう。おやすみなさい。

さて、九州説側の反論が楽しみです。


401日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:24:03
畿内説の>>394>>396>>398>>400が、
九州説を偽装しているのを初めて見た。
しかも、九州説をさっぱり理解しないまま(笑
402日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:32:12
>396

大和に国がなかった、なんていう人は見たこともきいたこともない。
大和の国があったら、邪馬台国に違いない、という思い込みが間違いだ、ということです。
403日本@名無史さん:2008/08/23(土) 03:53:37
>>394
その考えの難点は、崇神天皇稜を崇神の陵墓とできるかどうかだね。
崇神稜は4C半ば〜後半とされてきたから、年代が合わなくなる。

そこで、崇神稜を一気に3C末に遡上させる方向性(石野)もあるけど、
同型の埴輪を出土するほかの古墳もごっそり遡上させるのは不可能という難点がある。
ようするにこの方向性は無理。

一方で、崇神稜は崇神の墓ではない、とする考えもあるけど、
記紀の伝承の場所にはほかに当てはまる古墳はないので伝承は誤りとなるが、
崇神のほかの伝承は正しいというご都合主義に陥る。
また、真の崇神稜をどこにするかという問題も生じる。

それで、遡上説の多くは崇神稜のことには触れないという対応をする。
404夏祭:2008/08/23(土) 08:25:21
>>379
ゼロだとは言わんよ。
ただ、今の所は畿内説の方に分がある、と言わざるを得ない。
九州のどっかから「親魏倭王印」が出たら、さすがにそれは負けを認めるけどね。
405日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:42:47
>今の所は畿内説の方に分がある、と言わざるを得ない。

どこに、分があるの?
客観的に見て畿内説の可能性はゼロでしょう。
406日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:52:04
>>394 >>397
崇神の崩年干支が戊寅といっても、それは60年に一度めぐってくる干支。
けして、258年か318年に限られるものではありません。現にそれは前43年を意味するのだとする説もあります(「邪馬台国の暗号」安田哲也)。日本書紀が崇神の崩年を辛卯(前30年)にしていることはご存じでしょう?
ということは、「3世紀末にヤマトで画期があったことは、文献から認定された」と言えるようなことではなく、我々読者がそのへんに画期があったと思い込んで、それに合わせて読んでいるだけなのです。
合うように読んでいるのですから、合うのは当たり前、何の根拠にもなりません。
407太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 09:57:24
>>394
倍暦計算での259年は重要である。古事記の崩年干支からの258年説
が非常に正確であることを後押しすることになるからである。
でないと>>406氏のような根拠がないなどとの反論が幅を利かす。
こちらは研究の積み重ねからの崇神崩御259年計上の結果であり、
ただ単に259年を想像のみで主張してるわけではない。
さらに259年ということは、崇神即位=237年=景初元年 を確定
でき、畿内に出土する鏡が崇神の同床共殿策からの物だということ
が判明して、九州説の弱点を補強しうる。だから倍暦は重要なのだ。
408379:2008/08/23(土) 10:02:43
>>401
人聞きが悪いな。
俺は、ローガンさんの>>400の指摘に納得したまで。
文句があるなら、>>400の指摘に対して反論すればよろしい。

>>403
古代の天皇稜が文献と一致したことはほとんどないね。仁徳天皇稜も時代が合わないらしいし。
しかし、崇神天皇が死んでから古墳を造り始めたなら、3世紀だと逆におかしい気がするが?

>>404
「総合的に分がある」という見解ありがとう。
ただ、やはり、その程度では九州説信者を納得させることは出来ない。

>>406
>合うように読んでいるのですから、合うのは当たり前、何の根拠にもなりません。
それは、魏志倭人伝を基にしてる九州説すべてにあてはまりますね。

文献を合うように読むのをやめた場合、何を根拠に何を決めるおつもりですか?

おそらく、確実にいえる事は↓だけでしょう。
「九州は古代よりずっと隆盛を続けて現代に至ったわけではなく、
古代のある時期に、九州は衰退し、かわりに畿内が発展し始め、
遅くとも8世紀には畿内に大和朝廷が登場した。」

いったい、どこに邪馬台国があったか、本当に邪馬台国があったのか?
誰も確かなことは言えない筈ですよ。
409太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 10:09:34
>>394
倍暦計算での259年は重要である。古事記の崩年干支からの258年説が非常に正確
であることを後押しすることになるからである。でないと>>406氏のような、
根拠がないなどとの反論が幅を利かすことになる。ただ単に259年を想像だけで
主張しているものではない。さらに259年ということは

 崇神天皇即位元年=237年=景初元年

を確定でき、畿内に出土する鏡が崇神の同床共殿策による鏡だということに
なる訳で、九州説の弱点を補強することにもなる。だから倍暦計算は重要なのだ。
410太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 10:11:40
書きこみがスムーズに行かずストップされたと思い、マルチ的になってしまい、
失礼、ゴメン。
411379:2008/08/23(土) 10:35:34
九州に邪馬台国があったとした場合、
>>399のローガンさんの指摘にある
>平原一号は西新の古式故、2世紀末〜3世紀初頃。
>とすれば、3世紀以降は北部九州の独自性が失われたと考えて良いように思います。

この年代を誤りとし、北部九州の独自性が失われたのは4世紀以後と考えれば筋が通ると思います。

実年代を決定するのは難しいと思います。
九州説の方々は、畿内の年代遡上をさんざんこきおろしてますが、
同じように平原一号は4世紀と考えているということでしょうか?
そのほうが、九州説にとっては都合が良いはずですが。



412太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 11:09:49
413太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 11:11:55
駄目か〜。誤入力でか〜〜? スマン。
414太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/23(土) 11:23:57
これの 崇神天皇の実年代 が参考になるかな。
  ↓
http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/index.html
415日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:32:38
>おそらく、確実にいえる事は↓だけでしょう。
>「九州は古代よりずっと隆盛を続けて現代に至ったわけではなく、
>古代のある時期に、九州は衰退し、かわりに畿内が発展し始め、
>遅くとも8世紀には畿内に大和朝廷が登場した。」
間違っていると思います。九州が衰退したとか、かわりに畿内が発展したというわけではないと思いますよ。
416日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:03:00
>>415

根拠は?
417日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:29:06
>>416
好太王碑、倭王武の上表文、隋書が伝える遣隋使など。
倭国はかなり強大で、続いています。一時的な敗戦はあっても衰退したとは見えません。
かわりに畿内が発展? 倭国の発展の一部が畿内に残っているという見方もできます。
418日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:55:48
魏志倭人伝にある、邪馬壱(台)国の気候・風土は、
畿内大和には存在し得ないという結論が、どうしても出てしまう。

「初めに畿内説ありき」からスタートする畿内説は、
絹や鉄器や三種の宝物が畿内からあまり出ないことなどお構いなし。
それは、学問ではないからです。
419379:2008/08/23(土) 13:54:41
>>399のローガンさんの報告をまとめると、

>平原一号は2世紀末〜3世紀初頃。
>平原ではそれまでにみられる漢鏡大量副葬は見られず、殆んどがイ方製鏡。
>七期漢鏡以降の中心は畿内ですね。

↑これを読む限り、鏡を威信財としていた九州は、
七期漢鏡以降は、まともな鏡を手に入れることが出来なかった。
かわりに、畿内は入手できた立場にあったということになる。

つまり、「九州は畿内に対して立場が劣った」ことになる。

違うというなら、なぜ違うと言えるのか説明していただきたい>九州説の人たち


420日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:13:11
>>399
>大和発祥とみられる首長霊祭祀方法を受け入れている。

みられるWW

>畿内系遺物が多数出土

何をもって畿内系?WWW

>畿内系土器中心

WWWW
421日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:42:40
>>408
>古代の天皇稜が文献と一致したことはほとんどないね.

その点は認めるけど、その場合でも「真の陵墓」とされる古墳が、
数百メートル以内にあるのがほとんどで、伝承は正しく、比定が
誤っているというのが結論です。

崇神稜は、これを否定すると近くに適当な候補がなくなるので
否定は難しいといえます。
422日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:55:26
平原を4C以後としても鏡の中心地の移動を考えれば、生き残るのはやっぱり東遷説だなWW
423日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:02:06
>>422

やっぱり東遷説信者が紛れてたか。

一番卑怯なのは、名無しで議論をかきまわす東遷説信者だよ。
424日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:18:22
いかにも信者のような顔で仲間に入り議論を煽るけれど、
いつの間にか他人の主張を自分の意見のように言い出してみたり、
突然、人が変わったように主張を突然変えてみたり、スレを混乱さ
せた挙句、批判が集中すれば、はいさよなら。破壊工作終了。
間者はどこにいるかわからない。気をつけたほうがいい。
425日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:25:58
気をつけるもなにも、もともとローガンの圧勝だろ。

どっかのバカが必死にローガンを煽ってるだけでな。
426日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:48:07
ローガン大勝利
427日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:49:28
>>420
根拠もなく「大和発祥とみられる」とか「畿内系土器」とか、
脳味噌が融けてますますね。
428日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:08:06
未だかつて誰も証明したことのない妄想

  「鏡を威信財としていた九州」

「威信財」って畿内説信仰の立場から、畿内=邪馬台国に結論を持っていけるよう、
「三角縁神獣鏡こそ邪馬台国の証拠」と結論づけるための妄想概念。
429日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:09:44
「東遷」って、完全否定されているから、東遷説も完全否定されてますね。>>423
だから>>422は負け犬の遠吠えでしょう。
430日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:32:27
>>428

卑弥呼は鏡を欲しがってたと書いてあるじゃん。魏志倭人伝に。
431日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:33:31
中国から1枚も出土しない「三角縁神獣鏡こそ、卑弥呼が魏から
もらった鏡だ」、なんて中国側も否定してます。

漢以来、中国は薄葬の風があり、王様の葬式や墓を絢爛豪華に
やらないのが中華文明の常識となっていました。
魏の柵封下で、あまりにも絢爛豪華な巨大前方後円墳を、
たくさん作るのが憚られるのが、邪馬台国。
巨大前方後円墳がたくさんあることを邪馬台国の証明にしてどうしますか?
むしろ「大和が邪馬台国でない証明」にしかならないでしょう。
432日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:34:19
>>430
「威信財として」欲しかった証拠は?
433日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:36:23
>>431

その通り。君の意見は正しい。

だから、東遷説は成り立たないんだよ。
434日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:40:56
>>428
じゃあ九州勢力にとって、銅鏡って何?
435日本@名無史さん:2008/08/23(土) 19:56:01
鏡といえば、中国では実用品だったわけで、
日本列島では、やや高価な顔を映す実用品〜宝飾品。
「威信財」などと根拠のない意味付けをするのはおかしいでしょう。
436日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:09:42
まあ銅鏡を威信財としなければ九州の繁栄を立証する材料も減るわけでw

例えば奴国王墓と目される須玖岡本遺跡から出てきた前漢鏡30面もなんだったの?って話でwww

銅鏡分布の畿内へのシフトを勢力逆転の根拠としなくて良いようにと
銅鏡の威信財としての性格を否定すると、九州のそれまでの勢力の分布も否定しまう罠wwwwwwwwwww
437日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:10:38
神棚にあるのは鏡だけどね。
438日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:12:14
神棚にあるのは威信財としてのi鏡じゃなくて、
宝飾品を信仰に使っただけだけどね。
439日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:14:32
>>433
>>431は九州王朝説なんじゃないかな?w

どのみち卑弥呼も「径百余歩」の塚を作っているんだから何をか言わんやだなwwwwwww
440日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:14:35
>>436

真逆だね。畿内説だけ、破綻・没落する。
「三角縁神獣鏡こそ、卑弥呼のもらった魏鏡なり」というのが畿内説の大黒柱。
畿内説の大黒柱がポッキリと折れてしまうだけ。
441日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:17:31
>>439

邪馬台国最大権力者=卑弥呼だけは、ささやかに「径百余歩」の塚を作った。
しかも「石室がない」のが邪馬台国の特徴でしたね。

豪華絢爛たる宝飾品を大量に埋めたり、巨大前方後円墳をたくさん作った畿内は、
決して邪馬台国ではないわけです。
442日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:18:35
>>440
はあ?
三角を舶載としない立場も普通に畿内説の中にもある。

例え三角が国産であっても銅鏡配布の中心が畿内にシフトした事実には何ら変わりなしw


443日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:22:01
>>442

>三角を舶載としない立場も普通に畿内説の中にもある。

ああ、大黒柱のない、説得力が特に欠如した畿内説ね。
どうぞご自由に主張してください。
444日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:23:41
大体
「銅鏡を威信財としない」
「邪馬台国は薄葬のクニ」
なんて現在の大半の九州説・畿内説のどちらの学者でも言って無いだろう?w

まあ学者にも色々だろうから言っている奴もいるだろうが
特に九州王朝説はどんなか知らんがwwwwww
445日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:28:17
>>444

だから、威信財という証拠は何?
ただの宝物でしょ。

邪馬台国は中国から柵封された国。
だから、中国の王様をしのぐような国威発揚はダメなのは当たり前。
中国の王様が薄葬なら、原則として守らされるのが当然。
446日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:31:07
>>441
>邪馬台国最大権力者=卑弥呼だけは、ささやかに「径百余歩」の塚を作った。

そもそも、これが噴飯物w

新魏倭王とされた卑弥呼自身が塚作ってどうすんだ?って話でw

「ささやかに」なんて言葉で誤魔化そうとしても無駄wwww

恐らく前方後円墳との比較で「ささやかなもの」と言いたいんだろうが
墳丘のような物を築いた時点でアウトwwwwwwwwww

まあ牽強付会無理筋の無茶苦茶理論だねwwwwwwwwwwww
447日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:37:05
>>440
> 真逆だね。畿内説だけ、破綻・没落する。
> 「三角縁神獣鏡こそ、卑弥呼のもらった魏鏡なり」というのが畿内説の大黒柱。
> 畿内説の大黒柱がポッキリと折れてしまうだけ。

昨日からの議論の中で誰か△鏡について言ってたかなあ?7期漢鏡ってのは出てたがWW
論点のスリカエ?
448日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:39:36
>>445
>ただの宝物でしょ。

その宝物を威信財と言うw

それを所持する事により自身の富や権力を誇示するんだからねw

じゃあ銅鐸・銅矛・銅剣等の青銅祭器も威信財に非ずただの宝物だと?wwwwwww
449日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:42:47
>>445
> 中国の王様が薄葬なら、原則として守らされるのが当然。

魏が薄葬?その論拠、是非訊きたいね。どうしてそういえるの?
450日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:46:07
そもそも魏側が
「汝が國中の人に示せ」
として銅鏡他を下賜しているんだから

銅鏡がただの個人のコレクションアイテムに留まらないのは当たり前じゃん(笑)
451日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:51:09
>>443
>ああ、大黒柱のない、説得力が特に欠如した畿内説ね。

俺は畿内説だけど、三角は国産だと思ってるけど?
三角の量産のされかたや流通をみれば、大和王権の影響力の大きさは明らか。
舶載だろうが国産だろうが関係ない。
九州より近畿のほうが影響力の範囲において凌駕してたことになる。

邪馬台国が九州にあったとしたら、それはもうちっちぇえ地方政権ってことになる。
ちっちぇえ地方政権でも九州にあったと信じたいなら、九州でもいいんじゃない?
452日本@名無史さん:2008/08/23(土) 21:04:49
>>446

魏としては、魏の王様の権威を蹂躙するような、豪華絢爛さがないことを
チェックしないわけにはいきません。現に今日九州で、卑弥呼の墓らしきものが
見当たらないほどの、「径百余歩」の塚だったわけです。自然地形を利用した
質素なものだった可能性もあります。箸墓のような権力誇示臭のあるものでは
ないわけです。

ですから
巨大古墳を大量に造営した畿内は、どうしても邪馬台国の対象から外れます。
453日本@名無史さん:2008/08/23(土) 21:19:39
>>452

そもそも中国の史書で異国の王墓について書かれる事自体が極めて特異。
故に、「径百余歩の塚」が注目されているわけ。

魏が邪馬台国の墓をチェックしたなんて根拠が無いw

それとも魏が冊封した国に対し墓の規格について指導したと言うような記録でもあるのかい?


てかこんな事、リアルの邪馬台国論争の場で俎上に上る事は無いんだろうがwwwwww

454日本@名無史さん:2008/08/23(土) 21:37:52
>>452
> 魏としては、魏の王様の権威を蹂躙するような、豪華絢爛さがないことを
> チェックしないわけにはいきません。現に今日九州で、卑弥呼の墓らしきものが
> 見当たらないほどの、「径百余歩」の塚だったわけです。自然地形を利用した
> 質素なものだった可能性もあります。箸墓のような権力誇示臭のあるものでは
> ないわけです。

> ですから
> 巨大古墳を大量に造営した畿内は、どうしても邪馬台国の対象から外れます。


だ〜か〜ら〜 結論の連呼はもういいから、中国の王様が薄葬の論拠をどうぞ。
455日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:18:51
漢でもしばしばあったが、魏では曹操が厚葬を禁止して以来、
魏・西晋代ずっと薄葬でしょう。

で、魏の巨大王墓があるんですね、誰の墓ですか?
456夏祭:2008/08/23(土) 22:26:20
>>387
「始めに九州王朝説or九州説ありき」では駄目なんだよ。分かる?
「邪馬台国、邪馬壱国など、どこにあってもかまわない、論理の導く先なら、どこにあってもかまわない。」
いや、これは素晴らしい言葉だ。まさに名言と言っても過言ではない。このスレの発言で一番素晴らしい。
ただ、問題はこれが君にそのまま当てはまることなんだよねえ。
>>405
君のその「客観的」とは何?
>>423
いや、一番危険なのはやはり名無しの九州王朝論者だ。
彼等は最早宗教と言っても過言ではない。
彼等は畿内説を「畿内教」などと言って罵るが、
それはものみの塔信者がキリスト教会を「サタン勢力」と言うのと似たような事だ。

しかし379氏、
>>380のような人間に同類に見られて災難でしたな。

弥生時代の長い間の北九州の隆盛を否定するのが信仰であるように、
(2世紀後半に畿内が北九州を侵略したというのは、まさに信仰としか言いようがない。)
(その論者が証拠にしている当時の高地性集落の分布を見ると、むしろ逆の方が可能性は高い。)
4世紀以後も畿内は未開の地で、7世紀まで亜縄文だった、というのも信仰に過ぎない。
名無しの九州王朝論者は、何故ことさらに畿内のレベルを低めたがるのだろう。
古田武彦が言っていたからか?だから真実だとでも言うのか?

太国氏、今まであんな連中と同類扱いして申し訳なかった。
(いや、確かに説は同じだが、発言者としての質は名無しの九州王朝論者より貴方の方が遙かに高い。)
457日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:27:46
>>455
> 漢でもしばしばあったが、魏では曹操が厚葬を禁止して以来、
> 魏・西晋代ずっと薄葬でしょう。


でしょうW (笑)(笑)

漢でしばしばあった 具体的に書いてねW

しばしばだからね
458日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:31:30
つうかね、、、

魏が邪馬台国の墓の造営に対し何らかの指導をしたと言う
具体的根拠を出せって話でw


「邪馬台国が魏に対しその意図を汲んで
 (後のヤマトの前方後円墳よりは) 小さい墳墓にしたに違いない」

・・・なんて脳内理論はいいからとwwwwww
459日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:45:58
今は、魏志倭人伝や日本書紀万葉集などに矛盾などが多い。
また、魏志倭人伝だけを研究した日本人は数多いが
三国志全体から研究した日本人は古田武彦しかいない。
まして始皇帝の焚書を経て成立した正史・三国志ですから、
日本書紀のようにはいかない。

そうすると
魏志倭人伝を正確に理解できない日本人が、喧々諤々だったとも言える。
歴史は、書物を正確に理解した上・共通の理解の上で、論じる必要があるが
理解でないで喧々諤々では、白ける。

460日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:49:12
>>459
>三国志全体から研究した日本人は古田武彦しかいない。

うっそーんwwwwwww

じゃあ先ず古田しかやった事の無い研究とやらを2・3挙げて見て?

該当の物が無いか探して見るわw
461日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:54:37
>460
知らなかったら出てくるな
462日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:55:53
>>461

もう敗北宣言かよwww
463日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:00:14
>>457

> > 漢でもしばしばあったが、魏では曹操が厚葬を禁止して以来、
> > 魏・西晋代ずっと薄葬でしょう。
> >

> でしょうW (笑)(笑)

> 漢でしばしばあった 具体的に書いてねW

> しばしばだからね

ヨロシクね。逃げるなよ。
464日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:03:21
三国志だけではなくって中国や朝鮮半島を含む東アジアの歴史を
もっとよく調べたほうがいいのでは?このスレの人は知識が偏っている。
465日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:12:31
>>461
古田信者お得意の書き逃げかな?
情けない奴だなwwww

三国志の魏志倭人伝以外の部分って・・・
邪馬台国に関して書かれた本だったら、魏や呉、時には蜀に言及するなんて普通にあるやんww

一体、古田の専売特許の「国志全体からの研究」って具体的に
どんな論点視座なんよ?wwww

てか、おめえが古田以外の本をろくに読んでない、知らないだけなんちゃうん?wwwwwwwwwwww



466日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:15:35
>>464
偏っているとしたら九州説の方に思えるなw

「倭国大乱」にしても後漢の衰退・滅亡に伴う東アジア全体の混乱の中で捉えるより
九州の内輪だけの争いに終始する論調が多い。

無論、九州以東の関与は殆ど頭の中に無いwwww




467日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:19:24
九州説の頭の中じゃ、近畿や関東には人が住んでないらしい。
468日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:20:20
「薄葬」なんておよそリアルの邪馬台国論争の場で
問題にされることの無いネタをここで挙げている奴って「九州王朝説」なのか?

もしそうなら、もうアホとしか言い様が無いw

一体九州に古墳と言われる物がどれだけあると思っているんだ?w

その地域を薄葬を国是とした九州王朝の領域から外して行けば
九州にその王朝の存在する地域がどれだけ残るのか?っちゅう話ww

もうアホの自爆芸にしか見えないんですが?wwwwwwwwww
469日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:46:53
魏の文帝が薄葬の詔を出したのを知らないようですね。
これでは、話にならない。
470日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:57:33
>>468

さあ、魏や西晋の巨大王墓を教えてもらおうか?
471日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:03:58
ぶっちゃけ「薄葬ネタ」と言うのはヤマトの前方後円墳に対して
逆に未だに見つかっていない九州邪馬台国の卑弥呼の
「径百余歩」の墓を有利に持って行こうとして考え出された珍説w

本当に薄葬を遵守したのなら「径百余歩」なんて物を作って
魏志倭人伝に特記される事も無かっただろう。

まあ 中途半端 やねwwwwwww

そもそも未だに見つかっていないと言うのが小さいからだと言うのもおかしい。
もっと簡単に
「もともとそんな物は九州に無かったから見つからない」
と考えればよろしいwww

魏志倭人伝の描写に忠実な九州説で見つかっていないのは
薄葬を遵守したちいさな卑弥呼の墓だけじゃない。

人口七万戸の邪馬台国、その中にあったであろう奴婢千人をはべらした卑弥呼の住居。
九州説じゃあ大概、投馬国も九州内だから、人口五万戸とされたそのクニも色々地名があがるが
はたして何処にあるのやら・・・etc


472日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:07:11
>>470
ん?

俺は魏が薄葬で無かったなんて言って無いぞ?

三国志の英雄、曹操の墓も未だに見つかっていないしなw

俺が聞いているのは魏が冊封した国に対し墓の造営に関し何らかの指導をしたと言う根拠だが?
473日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:41:37
魏が冊封した国が、魏の権威を超えるようなことをしてはまずいですね。
魏の格式を超越するような、各種の国家制度、国家儀礼、国家行事が
許されていたと考えるほうが無理。冊封されていない国と変わりませんね。
巨大前方後円墳は邪馬台国の証拠です、という話はありえないでしょう。
474ローガン:2008/08/24(日) 00:47:03
>>469

> 魏の文帝が薄葬の詔を出したのを知らないようですね。
> これでは、話にならない。

一つ質問いいですか?貴方は>>431さんでしょうか?
475日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:49:31
>>473
全部お前の推測に過ぎない。

何度も言うが薄葬を遵守するのなら
径百余歩の墓(しかも奴婢百余人の殉葬のおまけ付きw)
が倭人伝に記載される時点でおかしいって話www



476日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:51:46
>>447
> > 真逆だね。畿内説だけ、破綻・没落する。
> > 「三角縁神獣鏡こそ、卑弥呼のもらった魏鏡なり」というのが畿内説の大黒柱。
> > 畿内説の大黒柱がポッキリと折れてしまうだけ。

> 昨日からの議論の中で誰か△鏡について言ってたかなあ?7期漢鏡ってのは出てたがWW
> 論点のスリカエ?
477日本@名無史さん:2008/08/24(日) 01:02:30
三角縁舶載説は学界の恥だから、そっちに議論を誘導したくなるのも
仕方なかろう。
478日本@名無史さん:2008/08/24(日) 01:20:53
径百余歩が薄葬に準ずるのか?と言う疑問以外にも

そもそも倭国王として薄葬にしたがったと言うのなら
当然、倭国全体で薄葬になったとするべきだろう。

九州説に立てばある時期を境に墳丘が築かれる事も無くなったと言う現象が
九州の相当に広範囲に見られなければおかしいだろう?

・・・って俺、およそトンデモな「薄葬ネタ」になにレスしてんだろ?wwwwwwww
479Side spear:2008/08/24(日) 09:27:35
>>449

> 魏が薄葬?その論拠、是非訊きたいね。どうしてそういえるの?

貴方も知っているかとは思いますが、文帝紀の薄葬に関する詔だろうね。

寿陵因山為体、無為封樹、無立寝殿、造園邑、通神道。
夫葬也者蔵也、欲人之不得見也。骨無痛痒之知、塚非棲神之宅。
礼不墓祭、欲存亡之不黷也、為棺槨足以朽骨、衣衾足以朽肉而已。
故吾営此丘墟不食之地、欲使易代之後不知其処。

寿陵は山形に因り、封樹を為さず、寝殿を建てず、園邑を造らず、神道を通さず。
それ葬るは他者の見得ざるが本意。骨は痛痒を知らず、塚は神居に非ず。
墓を祭らぬ礼は、生者亡者を黷ずや。棺槨は骨を朽ちさせるに足り、
衣衾は肉を朽ちさせるに足れるが善し。
故に吾ここに丘墟不食の地を営み、後の代にその場所を知らすを欲せず。

もともと「薄葬」「儉葬」は、君子の美徳とされることが多いようで、
そう言った「遺訓」「違令」を残した人は多いが、まあ、ことさらに「薄葬」を強調しなければ
逆に「厚葬」になってしまう風潮があったからこその詔ではあるが。

480ローガン:2008/08/24(日) 10:02:38
>>474の回答ないですねえ。
>>469 > 魏の文帝が薄葬の詔を出したのを知らないようですね。
> これでは、話にならない。

論拠は薄葬の詔ですか? ただ、これを貴方が読んでいたとしたら、>>431のようなレスは絶対書けませんよね?
それを確認したかったんだけど…
481日本@名無史さん:2008/08/24(日) 10:07:43
まあ参考までに適当に探してきた・・・

『 曹丕(曹子桓/魏文帝) > 薄葬に関する詔(魏書-文帝紀第二より) 』
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_hi/easy_funeral.html

どうなんだろうねえ、、
果たして 径百余歩の墓(しかも奴婢百余人の殉葬のおまけ付きw) なんて物が薄葬に準じた物かどうか?w


ところで薄葬ネタって古田先生が言ってるの?
まさか仮初にも一世を風靡した人がこんなアホネタ言ってるとは思えないんだが?wwwwwww
482日本@名無史さん:2008/08/24(日) 10:50:22
鏡の件は完全論破されたのか?
>九州説

無理やり薄葬ネタを持ち出してるようだが、
「畿内の方が厚葬だから」という理由付けは、「畿内のほうが国力があった」と認めたということだろ。

483太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/24(日) 14:02:17
484日本@名無史さん:2008/08/24(日) 14:04:57
厚葬してる畿内は、柵封を受けてないだろ。中国のプライドが許さない。
485日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:13:00
卑弥呼が君臨していたころ、
畿内には大きな村落はなかったので、
これでは畿内説を守れないので、畿内の古墳や出土物を

    実際よりもどんどん古く鑑定する

偽装・改竄に、ただいま必死です。
箸墓や三角縁神獣鏡やあれやこれやをぐっと古く鑑定すれば、
あ〜ら不思議、卑弥呼の時代の畿内は巨大国家に一変!!
486日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:39:16

九州説がかわいそうになってきたな。そんなにイジメてやるなよ。

wwwwwwwwwwwwwwww

487のんびりひまじん:2008/08/24(日) 18:49:38
日本人が指導して台湾の特産品となった、樟脳(しょうのう)とは樟=楠くすのきから抽出する古来の衣服用防虫剤。
指摘するのは、樟 は魏志倭人伝に出てくる。つまり、魏使は樟の育つ日本列島の暖地に滞在した。
奈良県の寒さでは、樟(くすのき)は天然自然に育たない。
488日本@名無史さん:2008/08/24(日) 18:54:49
九州でも玄海灘側ではダメですね。
畿内でも畿内でも河内なら有りですね。
489のんびりひまじん:2008/08/24(日) 18:56:37
>>487補足します。
倭人国は暖かいので冬でも野菜を生食する。

490のんびりひまじん:2008/08/24(日) 18:59:58
>>488九州に行ったことあるのですか?
太宰府天満宮境内に、楠の大木あり。
491日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:13:24
>>490
> >>488九州に行ったことあるのですか?
> 太宰府天満宮境内に、楠の大木あり。

貴方も知らないでしょう。
岸和田市、池田市、吹田市、泉大津市、守口市、富田林市、河内長野市、和泉市、門真市、摂津市、東大阪市、泉南市、四條畷市
これ、全て「市の木」はクスノキ。

て、言うか鹿児島以北の日本で自然植生のクスノキ林は存在しません。
現存するクスノキは、全て人工林なのでは無いでしょうか?
屋敷林や寺社の境内に単生で存在するのがほとんどでなのだから。
492のんびりひまじん:2008/08/24(日) 19:40:25
>>491
>岸和田市、池田市、吹田市、泉大津市、守口市、富田林市、河内長野市、和泉市、門真市、摂津市、東大阪市、泉南市、四條畷市
これ、全て「市の木」はクスノキ。

←河内の中世豪族楠正成にちなんでのクスノキでしょう。(戦前には英雄でしたから理解できます。私が住んでいた藤井寺市や、誉田八幡宮のあった羽曳野市は、清和源氏の出身地なので、同じ河内でもクスノキは知らぬようで・・・)

この板のテーマは古代史の古い部分として上古代史です。
暖かい土地である倭人国を、奈良県だと言い張るのは、無理した論点という自覚を持てるなら良いのです。それとも、上記のどこかに邪馬台国誘致したい事情をお持ちですか?

さて、銅鐸 というのは大きくなると1メートル以上。それが、同じころ、日本列島にやってきた魏使の目にとまらなかったのか、記録に残らなかったのか説明を考えましたか?
493日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:05:08
奈良県で倭人はどうやって海に沈没すればよいのか?
誰も答えてくれません。はぐらかしだけです。
494ローガン:2008/08/24(日) 20:13:29
私の住む大阪府八尾市に「樟本神社」がありますよ
495日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:17:01
「夕張では、メロンがとれますよ」

・・・古代の話してるのに、栽培木の話してもしょうがないでしょう。
  で、八尾市は樟脳の産地なんですか?>494
496379:2008/08/24(日) 20:21:43
>>399のローガンさんの報告をまとめると、

>平原一号は2世紀末〜3世紀初頃。
>平原ではそれまでにみられる漢鏡大量副葬は見られず、殆んどがイ方製鏡。
>七期漢鏡以降の中心は畿内ですね。

↑これを読む限り、鏡を威信財としていた九州は、
七期漢鏡以降は、まともな鏡を手に入れることが出来なかった。
かわりに、畿内は入手できた立場にあったということになる。

つまり、「九州は畿内に対して立場が劣った」ことになる。

具体性のある反論をお願いします。何度でもコピペします。
497日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:21:43
>て、言うか鹿児島以北の日本で自然植生のクスノキ林は存在しません。
魏の使者は鹿児島を通交したということになりますね。
498日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:25:03
>496
別に、威信財じゃないし、邪馬台国最大の特徴でもない鏡を、
輸入しなくなったところで、あまり関係ないでしょう。
499ローガン:2008/08/24(日) 20:25:31
それより>>480
私 九州王朝説の人から返信を待っているんだけど。
500ローガン:2008/08/24(日) 21:21:24
返信ないようなので、出掛けます。気長に待つとしましょう。
訳の判らん「夕張メロン」は3分で返信きたのにね(笑)
501日本@名無史さん:2008/08/24(日) 21:40:26
魏に薄葬がなかっただって(笑
学問をおやめになったほうがいいですよ。
502日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:12:05
>>492

> これ、全て「市の木」はクスノキ。
> ←河内の中世豪族楠正成にちなんでのクスノキでしょう。(戦前には英雄でしたから理解できます。

ハァ?
河内のクスノキは、全て楠木正成の名声に因んで植えられたと!
上古の河内にはクスノキは無かったと言うことですか?根拠は?
そして、貴方が例示した太宰府天満宮境内のクスノキとは、きっと上古に遡る名木なのでしょうね。

> この板のテーマは古代史の古い部分として上古代史です。

自分で楠木正成ネタを振っておいて、そう言う言い方は如何かと思います。

> 暖かい土地である倭人国を、奈良県だと言い張るのは、無理した論点という自覚を持てるなら良いのです。

畿内説に立てば、九州も吉備も畿内も全て倭地です。
九州説の方の一部に、ことさらに奈良、奈良と強調して、畿内説の倭地は奈良県だけのように「言い張る」ことは、
「無理した」非難であることは自覚なさらないのでしょうか?

> それとも、上記のどこかに邪馬台国誘致したい事情をお持ちですか?

「上記のどこか」と言うのか岸和田以下の各市のことですか?それを言うなら全てそうですよ。
畿内説に立った邪馬台国とは大和一国のような偏狭な地域ではありません。
もともと、畿内勢力にとって弥生中期から庄内期くらいまでは、池上曽根や加美など河内側の方に中心があります。
ご存知無いのですか?

> さて、銅鐸 というのは大きくなると1メートル以上。
それが、同じころ、日本列島にやってきた魏使の目にとまらなかったのか、記録に残らなかったのか説明を考えましたか?

三世紀中葉の吉備や畿内で銅鐸祭祀が盛大に行われていたのですか?
503日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:36:18
>畿内説に立った邪馬台国とは大和一国のような偏狭な地域ではありません。

何を言う?大和盆地そのものが王城の役目をしているではないか
いうなれば大和国そのものが卑弥呼の城のようなものだよ
504日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:46:54
>>457

> > 漢でもしばしばあったが、魏では曹操が厚葬を禁止して以来、
> > 魏・西晋代ずっと薄葬でしょう。
> >
> でしょうW (笑)(笑)
> 漢でしばしばあった 具体的に書いてねW
> しばしばだからね

ヨロシクね。逃げるなよ。
505日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:55:25
あ、>>504>>501あてだからね。
ツマランレスしてないで、さっさと答えろよ。
506日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:59:55
>>496
まず、平原の年代がダメダメだな。   あれは4C初頭、310年前後。
平原の年代は三角縁神獣鏡舶載説なんだよね。
信仰にもとづいた年代観ww
つまり、△は、240年頃に日本に来ているはず、平原は△が出ないからそれ以前。
△の少し前に画文帯の時期があるが、それも出ないからその前。
こんなバカな理由で平原を200年頃とした柳田の鏡編年はかなり変。

岡村は魏晋の鏡も全部「漢鏡」とする。
それで鏡の編年をそれ以前の学説より100年繰り上げた。
年代遡上ココにありというトンデモ説。
じゃあ魏晋時代の鏡は何なの?という突っ込みは全力スルーの岡村説。
日本で500枚、中国で0枚の△も中国製というのは信仰レベル。
507日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:02:05
>>503
> >畿内説に立った邪馬台国とは大和一国のような偏狭な地域ではありません。
> 何を言う?大和盆地そのものが王城の役目をしているではないか
> いうなれば大和国そのものが卑弥呼の城のようなものだよ

「卑弥呼の城」とか言う局所的なものと、戸七万と称される邪馬台国の領域とは比較しようも無いと思いますが。
508日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:08:17
旧石器捏造事件の藤村新一は逮捕されました。
畿内遺跡の年代繰上捏造事件は、みんなでやれば怖くない。
以上、

  ロ ー ガ ン 氏 語 録 でした。
509日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:36:56
河内が固有名詞化一般名詞化・・これは気になるところ。
川が大きく蛇行した所を河内と呼ぶのであれば、それも納得できるし、
川内(河内)からの移住者が同じような土地に入植したというのもうなづける。
和銅の諸国郡郷名著好字令が出される前の地名について体系的に調べた人はいないのですか?
510日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:56:24
邪馬台国って「山島」でしょ?
邪馬台国を東に海を渡った別な土地は、陸の果てとして東が山で終わってるんでしょ?

畿内が邪馬台国のわけないじゃん。
511379:2008/08/25(月) 01:18:41
>>506
>まず、平原の年代がダメダメだな。   あれは4C初頭、310年前後。

平原が、4C初頭、310年前後と推定した根拠は何ですか?
それなりの根拠があって、310年前後と推定したわけですよね?

あなたの想像で310年と決めたわけでないなら、根拠を聞かせてください。

512日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:05:52
>>511
年代遡上を採らなければ、普通に300年頃となるが・・・

まず、土器で言えば、古墳開始は庄内末期〜布留初めで庄内と布留の
並行期であるが、平原は庄内にかかる時期。
布留開始を350頃とする年代観では庄内は300〜320頃に始まる。

鏡で言えば、三角縁は350頃から、画文帯は320〜330頃からであり、
その少し前ということで、平原は310頃

平原は、弥生時代よりも古墳時代と共通性を多く有する。
鏡は国産のコピーが多数、大型鏡の存在、朱の使用、墳墓に周濠がある、
割竹木棺など弥生時代の墳墓よりも古墳との共通性が強い。
513日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:57:58

>>512
>布留開始を350頃とする年代観

・・・って誰によって提唱された年代観?
(Y本センセイ?)

小林じゃないよね?

514日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:13:12
515日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:21:35
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
516日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:38:09
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
517日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:47:53
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
518日本@名無史さん:2008/08/25(月) 05:00:51
卑弥呼の時代、畿内は銅鐸国家。
畿内には、邪馬台国なんかありませんでした。
519夏祭:2008/08/25(月) 07:40:53
>>508
北九州の弥生遺跡の年代繰り下げも、皆でやれば怖くないってか。
520のんびりひまじん:2008/08/25(月) 08:32:26
>>502
三世紀の遺跡から、しばしば人為的に割られた銅鐸の破片が出土・・・たけみつ教授のトコトン面白い!日本古代史:リイド文庫P68(この本の内容の厳密さはあやしいが考古学の記載ある手持ちはこれくらいです。)
→私は九州王朝説から、銅鐸破砕の動きを、以前に北部九州の朝廷から、分離独立して東侵していた神武の子孫たちが、根拠地奈良県の外へ勢力圏を拡大し始めた兆候と考える見解に賛成です。
銅鐸を一種のご神体と考え、神武たちは鏡をど神体とする九州系で、銅鐸を排除したのでしょう。
無論、北部九州本拠の倭国=邪馬台国連合とは直接には無縁のことでありましょう。
この破砕に先立って、奈良県内では銅鐸が消失したものの、周囲ではさらに形式変遷しつつ盛行していた時期があった。
→これが欠史八代に対応するというに賛成です。
さて、関西地域で弥生ころの遺跡から、植物の種子が採集されていないのでしょうか?
521のんびりひまじん:2008/08/25(月) 08:37:33
>>520 続編
クスノキのことについては、魏志倭人伝の倭人の住んでいるところは、暖かいところと見えることの代表事例。魏志倭人伝について少しずつ厳密な読み方をいろんな人びとが進めるうち、クスノキは一つの代表とできた。
これを、「市の木」などと近現代の用語で言及された人がいました。それは、明治以後に楠正成が尊重された時代、河内の中でも、楠正成にゆかりの深い諸市にはふさわしいでしょう。
別に河内守だった楠正成に比べ、河内に土着した清和源氏からは、鎮守府将軍や右大将・征夷大将軍となって、一段と上位の有名な人びとを輩出しました。
この源氏の直接の地元の羽曳野市、藤井寺市の人びとは、クスノキをそれほどには感じないようで、地元の誉田八幡は全国八幡宮の総本社として有名にしてくれたと感じるでしょう。
昭和40年代、小学生向けの歴史図鑑に、伝世鏡理論が解説されるくらいに近畿説で決まり。一部の頑固学者だけが九州説という風潮でした。
そんな頃、あまり強調されないが植物については九州説に分があると知って、私も九州説者の頑固さの理由の一端と了解して、どちらに分があるのかの判断を保留することにしていました。
その後、「邪馬台国」はなかった が世に出て、伝世鏡理論が論破されゆくのを見ました。
銅鐸について、近畿説者が故意に無視する傾向を知ったのは、さらにその後のことでした。
あの、デッカイ金色の器物が使われていた事績が何ら記録に残らない事情について思料すべきでしょう。
522379:2008/08/25(月) 10:28:17
>>512
>まず、土器で言えば、古墳開始は庄内末期〜布留初めで庄内と布留の
>並行期であるが、平原は庄内にかかる時期。

土器編年を語るのなら、以下の問題について見解をお答えください。

庄内式土器は畿内発祥ということは認め、
庄内式土器は畿内から九州に拡散していったことを認めますか?

それとも、庄内式土器も九州発祥で、畿内に拡散したとお考えですか?



523日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:05:13
>>522
自分の意見を言え、クズが!!!
524379:2008/08/25(月) 11:13:24
>>523

>>512が、土器編年を持ち出したので、庄内式土器の発祥がどこか聞いたまでです。

庄内式土器が、畿内発祥か九州発祥かで、拡散時期に差が生じる可能性はありますのです。
同時期に拡散したという人もいれば、畿内〜九州拡散に100年を要したという人もいます。
俺は、この件で持論を持ち得ないので、詳しい人に聞いているだけ。

問題を整理すれば、2点について伺いたい。

1、庄内式土器は、九州発祥か?畿内発祥か?
2、九州〜畿内の間を庄内式土器が拡散するのに、何年かかったかと考えるのか?

もし庄内式土器発祥が畿内で、九州まで拡散するのに100年かかったなら、
平原が4世紀でも、畿内では3世紀から古墳時代に入っていたことになる。


525日本@名無史さん:2008/08/25(月) 12:29:28
あ〜あ、>>524さんの質問で、すべて化けの皮がはがれちゃうよ。
主観と言いくるめと改竄偽装で、なんとか100年維持してきた畿内説が崩壊しちゃうよ。
526379:2008/08/25(月) 12:44:33
>>525

俺の質問で畿内説が崩壊するの?
それはそれで結構。
畿内説にどんな欠点があるのか、九州説にどんな利点があるのか興味がある。


というわけで、具体的に説明してくれ>>525

ローガンさん、他の畿内説の人の見解も伺いたい。


527日本@名無史さん:2008/08/25(月) 13:56:33
九州か畿内か? 結局平原をいつに持ってきても九州王朝説は無いわなWWW
528日本@名無史さん:2008/08/25(月) 13:58:40
>>524
庄内式が九州発祥という説の根拠は、九州の庄内式は古墳時代より前のものや
環濠集落終末からの出土が多いということ。
たしかに畿内と九州の環濠集落が同時に終了したのであればそのとおりとなる。

安本などは、その前提で九州の方が古いと見る。
彼は平原を3C初頭として、庄内が畿内に伝わったのは3C末〜4C初めとする。

彼の考えの問題は、イ方製小型鏡の源流が3C後半〜末葉の中国の小型鏡であると
しながら、その後の時代の平原を3C初めにするという矛盾にある。
彼は魏晋鏡の全部が魏の初期に出回っていたかのように考えていることも問題がある。
529日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:04:08
星野仙一氏、WBC監督要請を辞退へ
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/ootoko/1219582771/l50
530日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:12:53
卑弥呼の時代、畿内にあった銅鐸国家は消滅しました。これは、
その後も続いた邪馬台国は、畿内ではなかったという事実を示します。
531日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:20:53
九州王朝は6世紀にはあったけど、畿内王朝って、8世紀までなかったよね。
その畿内王朝って、結局、九州王朝系列なんだけどね。
532日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:04:46
>>528 に続けて・・・
出土状況を素直に見れば、畿内の庄内式の中心が古墳直前期にあり、環濠集落期
より後であるのに対して、九州の方が古い様相を呈していることは否定できない。

これは厳然とした事実であるが、「神武東征を認めるのは皇国史観である」として
鏡文化の「東遷」をも一切認めなかった戦後の学界では無視されてきた。

問題は、環濠集落が全国的に一斉に終焉を迎えたのかどうかであるが、畿内の
方が先に終焉した可能性もある。この場合は畿内の庄内式と九州の庄内式は
ほぼ同時期の300年頃に開始となる。

庄内式は大和型と河内型に分けられ、九州の庄内式は大和型で九州の方が大和より
格段に広範囲に分布するので、九州の方が流通期間が長いであろうと言える。

・・・なんだかんだ修正しても、九州起源の方が分があるのが現状じゃないかな。
533日本@名無史さん:2008/08/25(月) 16:19:23
畿内説=天動説
534379:2008/08/25(月) 16:23:10
>>532

>問題は、環濠集落が全国的に一斉に終焉を迎えたのかどうかであるが、畿内の
>方が先に終焉した可能性もある。この場合は畿内の庄内式と九州の庄内式は
>ほぼ同時期の300年頃に開始となる。

畿内の環濠集落が先に終わり、庄内式が九州・畿内同時期だとしたら、
庄内式の実年代が300年になるという論拠として、
平原から出土する国産鏡のデザイン元である中国鏡が3C後半〜末葉のものなのに、
安本説のように平原を3C初めとすると矛盾するというわけですね?

ここまでは、わかりました。
平原は300年頃の遺跡だというのが、九州説の認識であると。

>>512の人は↓のように報告してますが、
>古墳開始は庄内末期〜布留初めで庄内と布留の
>並行期であるが、平原は庄内にかかる時期。

庄内式が九州・畿内同時期だとしたら、畿内のほうが古墳開始時期が早い。
つまり、畿内の古墳開始時期は3世紀ということですよね?
どこに年代遡上の問題があるのでしょうか?
535379:2008/08/25(月) 16:41:01
>>534
>庄内式が九州・畿内同時期だとしたら、畿内のほうが古墳開始時期が早い。

失礼、勘違いしました。
庄内式が九州・畿内同時期だとしたら、畿内のほうが古墳開始時期が遅くなるわけですね。
つまり、畿内説は破綻すると。


しかし、庄内式が畿内発祥で、九州まで拡散するのに100年ほどかかった場合は、
畿内の古墳時代は3世紀になるという認識でいいですか?

536日本@名無史さん:2008/08/25(月) 17:01:14
>>532

またまた、安本さん登場ですね。

>出土状況を素直に見れば、畿内の庄内式の中心が古墳直前期にあり、環濠集落期
より後であるのに対して、九州の方が古い様相を呈していることは否定できない。

西新より早い時期の九州庄内と言うものがあるのですか?

>九州の方が大和より格段に広範囲に分布するので、
ウソですね。
で、なければ単に事実を知らないだけ。
畿内産の庄内はけっこういろんなところから出土しますよ。
安本サイトでは畿内庄内の「製造」地域と九州の「出土」地域を
並べて九州の方が広いかのように言い張っていますけどね。
537日本@名無史さん:2008/08/25(月) 17:03:50
>>534
>平原から出土する国産鏡のデザイン元である中国鏡が3C後半〜末葉のもの

そうではなく、平原より以前の時期の箱式石棺のなかから出土する小型イ方製鏡U型の
祖形が3C後半の中国鏡であるということ。
この点からは、九州では環濠集落は3C末以降(4C初め)までは続いていたと言える。

畿内も同じ頃まで環濠集落が続いていたとすると、古墳時代を200年頃まで遡上させることは
できず、300年以降から古墳時代となる。
そこで、畿内説は畿内が一足先(どころか100年も先)に古墳時代に入ったとしないと成り立たない。

しかし、九州では環濠集落が終焉した以降の時期の西都原にマキムク型古墳があるので、
畿内も九州もほぼ同時期に環濠集落の終焉を迎えたであろうと結論付けられる。
538日本@名無史さん:2008/08/25(月) 17:04:59
>>536
>畿内産の庄内はけっこういろんなところから出土しますよ。

庄内式のうちの大和型はかなり限定されるが・・・
539夏祭:2008/08/25(月) 17:06:48
>>531
古田教の教義はもう聞き飽きたよ。
>>533
そうやって結論と罵倒だけを繰り返して、
自説は真理であると狂信する。
これこそ天動説だな。
540日本@名無史さん:2008/08/25(月) 17:09:25
夏祭って、

らしい
と思う
のようだ

だけで結論出してる。こりゃダメだわ。
【NGワード】
 妄想
 中傷
 罵倒
 トンデモ
 電波
 変質者
 夏祭
542379:2008/08/25(月) 18:59:59
>>536
>西新より早い時期の九州庄内と言うものがあるのですか?

もうすこし、詳しく解説してもらえますか?
重要な論点なようなので。
543379:2008/08/25(月) 19:18:10
>>537
論点をまとめてみます。

1、平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型の祖形が3C後半の中国鏡
2、したがって平原の年代は、300年頃
3、畿内の古墳開始は庄内末期〜布留初めで庄内と布留の並行期であるが、平原は庄内にかかる時期(>>512
4、したがって九州の庄内にかかる時期は300年頃
5、庄内を同時期とすると、九州より畿内のほうが古墳開始が遅い=畿内説は破綻する
6、畿内説を成立させるには、九州より畿内の古墳開始が100年早くなければならない
7、九州では環濠集落が終焉した以降の時期の西都原にマキムク型古墳がある
8、したがって、環濠集落〜古墳開始は、畿内と九州で時間差が無いはず
9、3と8から、庄内式土器は九州発祥でなければならない


↑ここまで、どこか読み違いや事実関係と異なる部分はありませんか?

なければ、庄内式土器は九州発祥、畿内の古墳開始は平原(300年頃)より後、
したがって、邪馬台国は九州の可能性が高くなります。
ご意見をお寄せください。










544日本@名無史さん:2008/08/25(月) 19:44:29
>>543
まあ、こんな感じだろうね。
最大の問題は、1の小型イ方製鏡U型の祖形が、3C後半の中国鏡という点。
たしかに似ているが・・・似ているというだけで決め手に欠く。

中国での魏晋時代の鏡の状況がもう少し詳細に明らかになると良いのだが・・・

位至三公鏡(縦ステッカー型)も若干の補強にはなるが、古いものは出土が少ない
のでこれも決め手に欠く。
545日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:39:34
>>543
>1、平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型の祖形が3C後半の中国鏡
ここに誤りがあると、すべての根拠を失うことになる。
鏡の製作時期には諸説があり、鏡の出土をもって年代を特定するのは問題あり。
546379:2008/08/25(月) 21:16:16
平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型と、祖形とされる3C後半の中国鏡の画像ってありますか?

あるいは、小型イ方製鏡U型が3C後半の中国鏡を模したものだという論文を書いている人を教えてください。




547日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:31:34
>>521

> それは、明治以後に楠正成が尊重された時代、河内の中でも、楠正成にゆかりの深い諸市にはふさわしいでしょう。

そういう御託は、他所でやって下さい。
貴方の清和源氏や楠木正成についての見識で3世紀の河内の植生が判るのですか?
河内のクスノキは全て明治以降に「植樹されたもの」としたいのなら、もう少しまともな根拠を御呈示下さい。
太宰府天満宮には、弥生時代から連綿とクスノキが生え続けているのでしょうか?
そして、自分の反論の論拠が「太宰府天満宮の現状」であったことには気づかれないのですか?

> 昭和40年代、小学生向けの歴史図鑑に、伝世鏡理論が解説されるくらいに近畿説で決まり。一部の頑固学者だけが九州説という風潮でした。

そんなことは無いですね。
そのころは、京大閥の畿内説、東大閥を中心にした九州説と言う布陣でしたね。

> その後、「邪馬台国」はなかった が世に出て、伝世鏡理論が論破されゆくのを見ました。

そんなことは無いです。
古田さんは、伝世鏡理論など「論破」などしていません。
伝世鏡理論を「論破」したのは、その後の考古的知見の進展です。

> 銅鐸について、近畿説者が故意に無視する傾向を知ったのは、さらにその後のことでした。
> あの、デッカイ金色の器物が使われていた事績が何ら記録に残らない事情について思料すべきでしょう。

それは、前スレで質問したことの回答と受け取ってよろしいのですね。
つまり、3世紀中葉の畿内では、銅鐸が主要な祭器だと貴方は思っているということですね。
で、その根拠は?
548日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:35:48
>>538
> >>536
> >畿内産の庄内はけっこういろんなところから出土しますよ。
> 庄内式のうちの大和型はかなり限定されるが・・・

九州と畿内の比較をするのに、何故、大和型だけを取り上げるのか?


549日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:36:59
なんだ、畿内説って、主観を畳み掛けていくだけなのか。























学問じゃないな。
550日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:39:02
>>547
そんな事書いたってスルー。WWW
だって答えられないもん。 何故? 九州王朝説だもん。ごめん。
551日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:46:16
卑弥呼の時代に、畿内を支配していた銅鐸国家が滅亡しました。
さあ、これって邪馬台国だと思う人なんかいないよね。
えっ、いるの?畿内説って、そんな奇妙な説だったの?
552日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:50:25
温暖な邪馬台国の人たちって、海で潜水漁をしてたんでしょ。
じゃあ邪馬台国は寒い内陸部にあるわけないよね?
えっ、寒い内陸部の大和こそ邪馬台国だっていう人がいるの?
畿内説って、そんなありえない説だったの?
553日本@名無史さん:2008/08/26(火) 00:26:05
>>551-552

サイキバ君。
夏休みも後わずかだ。
そろそろ学校の宿題でもしたらw
554ローガン:2008/08/26(火) 00:52:09
379さん。こんばんは!
>>546
> 平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型と、祖形とされる3C後半の中国鏡の画像ってありますか?
> あるいは、小型イ方製鏡U型が3C後半の中国鏡を模したものだという論文を書いている人を教えてください。

あまりよく知らないので判る範囲で書きます。…安本氏の活動記録196回に小型イ方製鏡の拓本がありますね。(携帯なのでよく見えないのですが…)内向花文鏡に見えます。
同236回に「蝙蝠鈕座内行花文鏡は魏の時代に出現していたことがほぼ確かな鏡といえる。」とあります。魏鏡だと言っていますね。
196回にある小型イ方製鏡。236回の蝙蝠鈕座内行花文鏡にその祖形を求めているような感じがするのですが…魏代が初見の鏡ではないですね。

蝙蝠鈕座内向花文鏡は紀年のはっきりわかる遺物と共伴して出る後漢鏡です。
よって、196回の小型方製鏡の祖形を蝙蝠鈕座内向花文鏡に求めたとしたらそれは「後漢鏡」です。
555ローガン:2008/08/26(火) 00:57:50
頓珍漢な事書いてたらごめんなさいね。ご指摘あれば撤回します。
お休みなさい。又来ます。
556日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:00:22
纏向1〜4式期までの土器編年だと「畿内第X様式(新)」と「庄内1式」の間に「纏向1式」が入ってたっけ・・・

畿内第X様式(新)
 ↓
纏向1式
 ↓
纏向2式・庄内1式
 ↓
纏向3式・庄内2式(次の布留1式直前を布留0式とも・・・)
 ↓
纏向4式・布留1式


上記間違いや新しい編年表で大幅に違う物があれば訂正乞うwwwwwwww
557日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:50:26
>>548
そりゃ九州の庄内式が大和型だからじゃないかな。

大和型の庄内式は北部九州の広い地域から出土して、畿内では
ヤマトを中心とした狭い地域からしか出土しない・・・

まあ、一部の土器屋の分類に過ぎないといえばそれまでだが。
他の分類を提示しないことには打ち消せないという面もある。
558日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:25:53
>>554
>魏代が初見の鏡ではないですね。

そうだね。安本も中国で150年前後と推定される遺跡から蝙蝠鈕座内行花文鏡が
出土していることを認めている。
一方で、「洛陽晋墓的発掘」で洛陽の晋墓から蝙蝠鈕座内行花文鏡が出土している
ことを述べて、魏の時代に鈕座が簡略化していき蝙蝠形になったという中国の学者の
言葉を引用するが、これでは決定打には程遠い。

小型イ方製鏡U型も洛陽の晋墓出土の小型鏡と「似ている」という域を出ない。

画文帯も洛陽の晋墓から出土しているが、それ以前から南方で流通していたので
決め手にならない。

位至三公鏡は後漢に遡らないかもしれないが、日本での古い時期の出土例が
少ないので、なんともいえない。

まあ、画文帯が呉の滅亡前に日本に来るルートがあったと考えにくいことや、中国の
鏡がリアルタイムで日本に来ていたとは考えにくいことからは、晋の時代にこれらが
日本に来るようになったという考えの方が分があるとは言えそうだが。
559日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:42:00
>>558
>画文帯が呉の滅亡前に日本に来るルートがあったと考えにくいこと

頓珍漢なツッコミだったらゴメンだけど・・・

魏は呉で作られた魏年号の神獣鏡を明帝太和元年(227)まで使用していて
それは魏と呉の冊封関係も主だった理由とされる。

(要は劉備が義弟の関羽を殺されその敵討ちとばかりに呉に侵攻
呉はこれを退けてもそこを魏に叩かれたら堪らないので
仕方なく魏に臣従の礼をとった・・・と言う事だと思うが)

あと公孫氏と呉も一時同盟関係結んでいた時もあり
呉の銅鏡の日本への伝来を呉の滅亡のあとに限定する必要は無いと思うが?

560559:2008/08/26(火) 03:56:07
しかし今確認したけど例の「邪馬台国の怪」

>西晋が、南方の銅材料や南方の文様を入手し、画文帯神獣鏡を製作できたのは、
>280年に、中国南方を支配していた呉を滅ぼした後のことと考えられ、

・・・って堂々と書いてあるのねw

それと庄内式土器の九州起源説だけど、久住猛雄氏なる人物によると
畿内の土器が北部九州全体にジワジワ浸透していったと言うより
福岡平野の、比恵遺跡・那珂遺跡・博多遺跡・雀居遺跡あたりに先ず受容され
アレンジされて(筑前型庄内甕・北部九州型布留甕)周辺に広がって行く流れがあると言う。


561日本@名無史さん:2008/08/26(火) 07:52:48
>>557

言わんとしているところがわからない。
分布域の広狭で様式発祥の先後を決めると言う理屈自体に無理があるのだが、
畿内と九州の先後を判断するなら、
先ずは最古形の河内型を含めなきゃ意味がないだろう。
562夏祭:2008/08/26(火) 08:34:50
>>540
その調子で全ての物書きに食らいついてなさい。
563日本@名無史さん:2008/08/26(火) 10:26:38
>>561
河内型の方が古いかな?
大和型の方が素朴で古いという意見もあるようだけど。
564379:2008/08/26(火) 12:09:27
>>543
>1、平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型の祖形が3C後半の中国鏡
これの論拠の出典は、安本氏のサイトだけなのでしょうか?

>>554
安本氏の活動記録196回に、小型イ方製鏡の拓本→内向花文鏡?
安本氏の活動記録236回に、蝙蝠鈕座内行花文鏡は魏鏡と推定?
196回にある小型イ方製鏡の236回の祖形を蝙蝠鈕座内行花文鏡に求めている?

しかし、蝙蝠鈕座内向花文鏡は紀年のはっきりわかる遺物と共伴して出る「後漢鏡」?
よって、平原以前の箱式石棺から出土する小型イ方製鏡U型の祖形が3C後半とは言えない?


>>558
>小型イ方製鏡U型も洛陽の晋墓出土の小型鏡と「似ている」という域を出ない。

ということで、まだ検討の余地があるということでいいですか?
565379:2008/08/26(火) 12:12:25
>>558
>中国の鏡がリアルタイムで日本に来ていたとは考えにくいことからは、
>晋の時代にこれらが日本に来るようになったという考えの方が分があるとは言えそうだが。

魏から卑弥呼が鏡を100枚もらってると魏志倭人伝にありますが、
「中国の鏡がリアルタイムで日本に来ていたとは考えにくい」とはどういう意味ですか?
魏は、中古の「後漢鏡」を卑弥呼に贈ったということですか?
566日本@名無史さん:2008/08/26(火) 12:59:40
>>564
出典は私の知る限り安本だけ。

>小型イ方製鏡の236回の祖形を蝙蝠鈕座内行花文鏡に求めている?
これは違う。洛陽晋墓の小型鏡との類似性を言っている。

>>565
魏が卑弥呼に鏡を贈った時点では画文帯は魏の領域では僅少。
これが北方で広まるのは3C後半以降。
567379:2008/08/26(火) 14:02:54
>>566

平原遺跡の実年代についてググってみましたが、
ほとんど200〜250年とされてるようです。

平原を310年とした年代観は、このスレでしかみたことがありません。
このスレ>>506の個人的見解なのでは?
ほかに、平原を310年とした論文はありませんか?

>>506
>つまり、△は、240年頃に日本に来ているはず、平原は△が出ないからそれ以前。
>△の少し前に画文帯の時期があるが、それも出ないからその前。
>こんなバカな理由で平原を200年頃とした柳田の鏡編年はかなり変。

△はともかく、平原の規模の3Cの遺跡で画文帯が出ないのはおかしくないですか?
568日本@名無史さん:2008/08/26(火) 16:27:47
>>567
>画文帯

画文帯は、魏ではなく呉の鏡であり、魏の領域での出土が僅少であることは、
中国では特に争いもないですよ。

晋の時代には画文帯の出土が増えますが、その流通は呉の滅亡(280年)より
後で、日本に伝わったのは300年以降と考えるのが穏健でしょう。

岡村は呉で200年前後の画文帯が出土しているから日本のものも古いと
主張していますが、まあ無理スジでしょう。

仮に、邪馬台国時代に画文帯が来ていたとした場合、伊都国や奴国の領域からの
出土が僅少に過ぎるという矛盾が生じます。つまり、伊都国や奴国が没落した後
(300年以降)に日本で広まったのが画文帯であるといえます。
569日本@名無史さん:2008/08/26(火) 18:00:27
>>568

やや、循環っぽいかな。
北部九州の「没落」が4世紀以降とする根拠は?
570日本@名無史さん:2008/08/26(火) 18:12:33
571379:2008/08/26(火) 20:40:09
>>568

ひとつ問題を指摘すれば、三角鏡の景初四年銘です。
三角鏡が国産としても、4世紀に作られたものなら、
実在しない景初四年銘を刻むことは考え難いと思われますが、
貴方の考えはいかに?
572日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:28:05
>>571
画文帯と三角縁の紀年鏡は全て同向式です。
画文帯の同向式(約30枚)は日本でのみ出土するデザインで大半が同型の踏み返しです。
故に、これは国産でしょう。

500枚以上の三角縁の中で紀年鏡と同じ同向式は10数枚しか出土していません。
また、同位体比は、鏡の種類や紀年の年号とは無関係に類似性があり、近接した2時期に
製造したと推測できます(新井)。
以上から、同じ製作者がほぼ同時期に各種の紀年鏡を作ったと推測できます。

三角縁の紀年鏡は文様の変遷から見て三角縁のなかでも後半期のものです。
三角縁の始まりは舶載説(239年)、国産説(4C)と争いはありますが、終末期は400年頃で
あることは、ほぼ争いがありません。
三角縁を国産として、年代遡上を認めずに350年〜400年頃を製造時期とすると、
紀年鏡は380前後に製造されたのではないかと考えられます。

その頃に日本に魏志、魏略またはその類本が来ていて、そのなかに卑弥呼の使いが
景初4年に鏡をもらったと書いていたものがあったと推測できます。
573日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:16:52
三角縁神獣鏡も生産過剰の上に時代遅れになって大量に売れ残ったのを
田舎の貴族趣味の豪族が大人買いしたって感じだな。なんだか笑った。
574日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:37:44
手ごろな埋葬用鏡=三角縁神獣鏡
575日本@名無史さん:2008/08/27(水) 00:15:10
>>563

> 河内型の方が古いかな?
> 大和型の方が素朴で古いという意見もあるようだけど。

河内型と言うより「河内産」だよ。
大阪の久宝寺遺跡などで出土する河内型古相の甕類は、まだ大和型との分化が明確ではない。
そして、このタイプは平底の畿内V様式古相とも同じ遺構から出てくる。

この河内型古相の製造技術が、大和(纏向)や播磨、筑前(比恵・那珂)等へ移植された後に、
河内では、器壁の極薄化やカーブの鋭角化等の進展が有り河内型新相の製造と西日本各地への
搬出が始まったとされる。

何れにしろ、わずか2〜3世代の間の出来事なんだけどね。
576日本@名無史さん:2008/08/27(水) 00:47:37
>>575
河内型先行説も有力なのかな?
たしか播磨起源説もあったような・・・

どうも本質的でない色々な要素が絡まっていて、話が無駄に
こんがらがっている様な感じがするんだけど。
分かりやすい文献はないのかな。
577日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:44:09
>>572
>その頃に日本に魏志、魏略またはその類本が来ていて、そのなかに卑弥呼の使いが
>景初4年に鏡をもらったと書いていたものがあったと推測できます。

三角だけじゃなくで年号鏡全体で言うと
仮に「景初」はその説明で良しとしても

「青龍」は?
何か日本にとって特筆すべきイベントがあったのか?

「赤烏」に至っては呉の年号。



578日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:23:27
>>577
青龍3年(235年)の方格規矩鏡は2枚あって、@京都の大田南5号墳とA大阪府
高槻市の安満宮古墳から出ていますね。
両者の同位体比は三角縁の領域のなかにあって、同一固体レベルの近似なので
同時製造というのが新井の結論。

安満宮古墳からは同向式神獣鏡が出ていて、和泉黄金塚の景初3年同向式三角縁と
類似性が高いと言われています。
また、主文配置のずれ、銘帯のずれ、L文字の逆方向などからは、国産説に分がある。

そうなると、不自然な伝世を想定するよりも後世の製造で紀年は偽銘とする方が合理的。

なぜ、この年号なのかは分かりませんが、卑弥呼の何らかの外交的業績があったとされる
年号が古代には伝わっていたのではないかと考えています。

赤烏元年(238)、赤烏七年(244)を出土した古墳は400〜450頃のものなのでこれも
国産の可能性が強いと思いますが、こっちはよく分かりません。
579日本@名無史さん:2008/08/27(水) 04:31:10
実は九州でも畿内でもない罠
580夏祭:2008/08/27(水) 08:15:32
>>570
阿波とか諏訪とか色々あったりするんだな、これが。
581夏祭:2008/08/27(水) 08:20:09
本スレ復活
なぜ邪馬台国を大和と認めないの?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1219593915/l50
582379:2008/08/27(水) 10:15:52
>>572

ひとつお伺いしたいのですが、
あなたは「同位体」について新井氏の報告に信用を置いているように見受けられます。

一方で、C14、年輪年代法に信用を置かない人もいるわけですが、
同じ科学的手法であるにも関わらず、
C14、年輪年代法が信用できないという根拠は何だと思われますか?
583日本@名無史さん:2008/08/27(水) 12:50:05
>>582
>年輪
やはり検証されていないので参考程度にしています。

>C14
相対的な指標にはなっても絶対年代の正確性には疑問あり。
弥生開始は、前10Cは無理で前4〜5C頃。
前期が長くなった分の甕棺が存在しないから。
新井のいう海洋効果に対する春成の反論もない。
鉄器開始の見直しもこじつけ的なところもある。

国際基準をそのまま当てはめると、0年の試料は前200年位になり、
前500年の試料は前1000年位になるような感じかな。
584379:2008/08/27(水) 18:21:19
>>583

あなたは「同位体」について新井氏の報告が信頼できると考えていますか?

信頼出来るとするなら、なぜ信頼できると考えられるのか、根拠をお聞かせください。

585日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:58:24
>>584
新井は事実を報告しているのではなく、ほかの研究者が出した数値の見方を
提案しているだけなんだよね。

新井の検討の仕方は納得できるので、一応現時点ではこの考えを取り入れている。
ほかの学者が反論して、そっちの方が良いと思えばまた変わるかも。
春成が新井からの批判を無視せずに反論するのを期待している。
586日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:28:09
他人のふんどしで相撲取って・・・恥ずかしくないんでしょうか?
587日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:47:51
とうとう邪馬台国の所在が近畿だと決定する時がきましたね。

卑弥呼?それとも後継者? 大規模周濠の一部を初確認 奈良・箸墓古墳
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080827/acd0808271107006-n1.htm
卑弥呼の墓?奈良の箸墓古墳 前方部正面に幅60メートルの外濠
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080827STXKC086126082008.html
浮かぶ権力者の威光、被葬者論争にも一石 箸墓古墳周濠初確認
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080827/acd0808271115007-n1.htm
588379:2008/08/27(水) 20:20:37
>>585
>春成が新井からの批判を無視せずに反論するのを期待している。

こっちの手元には新井が参照した元データが無いので、
新井の報告がどこまで正しいといえるのか俺は評価することができない。

しかし、あなたは新井の検討の仕方は納得が出来るという。
何のデータをもとに、どういう検討をして「納得できる」のか、説明をしてください。
たとえば、

>>572
>また、同位体比は、鏡の種類や紀年の年号とは無関係に類似性があり、近接した2時期に
>製造したと推測できます(新井)。

↑のデータを引用してください。
どのような類似性があるのか、わかるようなデータを。



589日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:39:09
>>588
さすがにそれくらい自分で読めとしかいえない。
『理系の・・・』とそこに書いてある文献ぐらいは・・・
590日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:51:16
>>587
冗談は馬具だけにしとけw
591379:2008/08/28(木) 00:03:16
>>589

悪いが、俺がググってみた範囲の資料では、新井の見解には手放しで同意できなかったものでね。

>>572が何の資料に基づいて新井の報告に同意したのか、まず事実確認しないと議論も始まらない。

592日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:12:16
考古学に巣食う、誤った考え方

  「権威ある人の判断であれば、疑うことなく正しいと判断してよい」
593日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:19:25
>>591
じゃあ、同意できなかった見解について、その同意できなかった理屈を
書けば良いのでは?

新井は同位体比のデータの統計処理に「近似度」という概念を導入しているが、
あれは結構良いんじゃないかな。
594379:2008/08/28(木) 00:28:32
>>593

邪馬台国の会でちらっと見ただけだが、
比較するサンプル数が少なすぎる。

恣意的に、近い数値を並べて「近いでしょ」と言う事もできるわけだよ。
だからもっと豊富なデータを見せてもらって、何がどのように近似してるか確認しないとなんともいえない。
595日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:47:04
>>594
彼の著書を読んでいてサンプル数が少ないと感じたことはないなあ。
むしろ、彼がこの分野に参入する3、40年も前の文献までよく調べていると
感じたことのほうが多い。

他の人が彼の考えにどう反論するのかというのは、興味がある。
まあ同位体比の問題は彼が参入する以前から無視される傾向が強かったので
あまり期待していませんが。
596379:2008/08/28(木) 01:01:17
>>595

著書があるなら、書名をおしえてくれますか?
もちろん、豊富な同位体比データ(100サンプル以上)が記載されてますよね?

597日本@名無史さん:2008/08/28(木) 01:08:57
587が本当だったら、箸墓=卑弥呼の墓の可能性がグンと高くなったな。
598日本@名無史さん:2008/08/28(木) 01:30:08
「馬具の出る箸墓」は、「牛馬なき」卑弥呼の時代としては無理がある。
599夏祭:2008/08/28(木) 09:52:09
>>592
古田支持者や安本支持者のことだろうがよ、それは。
600日本@名無史さん:2008/08/28(木) 10:52:40
>>598
付近は壬申の乱の激戦地、馬具くらい出るだろう。
601日本@名無史さん:2008/08/28(木) 13:28:46
壬申の乱で箸墓を作ったとする畿内説。
箸墓も三角縁神獣鏡も4世紀の遺物。
卑弥呼とは時代が違います。
602訂正:2008/08/28(木) 13:56:32
壬申の乱で箸墓を作ったとする畿内説?それは無理。

箸墓も三角縁神獣鏡も4世紀の遺物。
卑弥呼とは時代が違います。
603日本@名無史さん:2008/08/28(木) 14:51:34
箸墓古墳:天皇陵に規模匹敵「卑弥呼の墓」強まる? 周濠、推定より40メートル広く
http://mainichi.jp/enta/art/news/20080827dde041040006000c.html

 邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説があり、最古の巨大前方後円墳と
いわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、3世紀後半)の前方部で、大規模な周濠(しゅうご
う)跡が見つかった。周濠の幅が従来の推定より約40メートル広く、天皇陵とされる後の大型前方
後円墳に匹敵する規模だったことが判明。ヤマト王権成立を巡る議論の新たな手がかりとなりそうだ。
 市教委が5〜7月、前方部前面にあたる水田約110平方メートルを調査し、大きな溝状の落ち込み
(深さ1・3メートル以上)を33メートル分確認。底に水があったことを示す腐植層(植物が腐って
土になった層)があった。落ち込みと墳丘の位置関係や出土した土器の年代から、外濠の一部と判断した。

 外濠はこれまで墳丘北側などで一部を検出していた。今回は墳丘南側で確認された。墳丘を一定幅で
一周する馬てい形で、内堤を挟んで内濠と外濠が巡る二重構造であることも、ほぼ確定。周濠を含む古
墳の全長は推定で一回り大きい約450メートルになった。
 日本書紀は、箸墓古墳の築造を「昼間は人が夜は神が造った。大坂山の石を山から墓まで人々が連
なり手渡しで運んだ」と、その壮大さを伝えている。墳丘を一定の幅で囲む大規模周濠の存在が明ら
かになったことは、箸墓古墳が前方部の周濠が著しく狭い「箸墓以前」の前方後円墳と一線を画すこ
とを示す。これまで確認された墳丘のふき石や、内堤と墳丘をつなぐ渡り堤の存在と合わせて、箸墓
古墳が後の古墳の原形だったことを改めて裏付けた。【林由紀子】

 ◇解明へ大きな意義−−寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長(考古学)の話
 古墳研究の起点である箸墓古墳の実体がまた一つ解明され、大きな意義がある。前方後円墳の発展
過程で、墳丘の巨大化に伴い周濠の規模も大きくなったのだろう。周濠の深さや大きさは、王と地方
の首長や民衆との距離が一層、隔絶したことを示しており、箸墓古墳の時代にはヤマト王権の力が全
国に及んでいたと考えられる。以下略
604日本@名無史さん:2008/08/28(木) 15:05:13
>>603
>周濠の深さや大きさは、王と地方の首長や民衆との距離が一層、隔絶したことを示しており、箸墓古墳の時代にはヤマト王権の力が全
国に及んでいたと考えられる。
しょせん、こじつけ解釈。堀の深さとか大きさでこんなことまで言えるか?
605日本@名無史さん:2008/08/28(木) 15:14:58
あからさまな提灯記事なんだろうね。
606日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:42:39
4世紀の墓墓古墳。最古の古墳からみれば新作。
とても古墳の原型っていう表現はどうよ?
607日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:50:36
4世紀前半にも遡れないだろうに。
608日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:51:03
>>602
壬申の乱において三輪君高市麻呂・置始連菟、上道に当たりて、
箸墓のもとに戦う。と日本書紀に記載がある。
馬具などその時に埋まって遺跡が撹乱されたんだ。
箸墓も三角縁神獣鏡も3世紀の大和国(邪馬台国)の遺物で
日御子(卑弥呼)と時代が同じだ。
609日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:53:29
>馬具などその時に埋まって

そんな出土状況ではないだろ。
610日本@名無史さん:2008/08/28(木) 17:51:24
「馬具を発明したのは3世紀の日本人だ」
と、言わないところが、日本人と朝鮮人との民度の違いだな。

面白い。

朝鮮からの天孫降臨などありえないな。騎馬民族説など愚の骨頂。
611日本@名無史さん:2008/08/28(木) 20:55:42
そもそも卑弥呼の時代に馬はいなかったって誰が証明したんだ?
日本人の祖国である呉の国には強力な戦車部隊があったわけだし。
日本列島に移住した当時から馬くらいいたかもしれないよ。
612日本@名無史さん:2008/08/28(木) 20:58:23
なんだ、また半島工作員の非常識発言か。スルーで。
613日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:07:48
卑弥呼のほぼ同時代人陳寿が魏志でそう書いてるわけで、発掘よりよほど確実な情報だ。
614日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:08:24
サイキバ君の珍説が見れなくて寂しいです
615日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:10:12
サイキバ君って誰?
プラム、改め、ドツボ、ローガン、夏祭のうちの誰?
616日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:21:06
きみのハンドルネームの総称
617日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:32:07
きみって、夏祭かあ〜
618日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:37:24
サイキバ君の反応が早すぎてワロタwwwwww
619日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:40:19
夏祭=サイキバ君w
620日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:40:32
吉永小百合主演の卑弥呼の映画、11月に封切られる。
また、卑弥呼ブーム到来の予感。
621日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:42:48
一気に畿内説が崩壊だな
622日本@名無史さん:2008/08/28(木) 22:02:13
なんでやねんw
623日本@名無史さん:2008/08/28(木) 22:08:23
宮内庁 お庭番がアップを始めました
624379:2008/08/28(木) 23:56:54
>>595 さん、いますか?


著書があるなら、書名をおしえてくれますか?
もちろん、豊富な同位体比データ(100サンプル以上)が記載されてますよね?
625日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:57:37
情報乞食カコワル
626日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:12:04
>>624
アホ草。
著書名は「理系の・・・」に書いてあるのをとりあえず読め。
サンプルが100以上必要な理由が理解できんが、データは合計100を超えている。

年輪年代は全然データが出ていないなくて、「東アジアの古代文化」136号で
思いっきり批判されているのとは雲泥の差だよ。
627日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:22:49
>>626

>著書名は「理系の・・・」に書いてあるのをとりあえず読め。


「理系の・・・」ってなに?
他人にわかるように日本語を書いてください。
628日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:26:05
情報乞食カコワル
629日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:34:29
九州説は手詰まりか。

データ出したらよほど都合が悪いんだろう。

ウソがばれて(笑)
630日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:34:41
豊富な同位体比データなんか、あるわけないじゃん。
631日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:39:42
ググルくらいしか情報源のない情報弱者プギャーーーーーー
632日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:44:11
畿内説は絶対に正しい、と言わんがための、同位体比データひけらかしです。
詳細なデータを公開などできる訳がありません。
633日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:53:15
そもそも鉛同位体の話は産地特定の為で

年輪年代や放射性炭素のように年代を調べる物じゃないしwwwww

634よくある質問:2008/08/29(金) 01:03:17
Q)・サイキバ君って誰ですか?


A)・恐らくは九州王朝説の人物で「装飾古墳」「薄葬」「阿蘇」・・・etcの一発ネタを書き込んでは
 ピンポンダッシュを繰り返すお馬鹿な人のニックネームです。

直接の由来は
 『なぜ邪馬台国を大和と認めないの?2』
 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1212934340/l50
の以下のレスからです。


>568 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 03:56:36
>纏向には、集まってきた職人達の集落もあるし
>技術と商売のあつまりなんだよな。今の畿内とそうかわらん。
>だから、あんな大きな場所なのに祭器場もない。が
>巻向市場から全国に散らばった品物がたくさんあるな。

>576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
>考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
>畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
>なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 
635634:2008/08/29(金) 01:31:27
ちなみに・・・

ワタクシ最初に「祭器場」なる文字を見た時
それが「祭祀場」の誤読だと言う事にまで頭が回りませんでした・・・orz

それと祭祀の場が無いと言うサイキバ君の御高説ですがw

祭祀に使ったと思われる儀器が入れられた土坑も多数見つかっており
「纏向」と言えば先ず祭祀であって

九州説側が突っ込むのなら
「太い柱の跡が見つかっていない。
 今後も宮と言えるような建物跡は出てこない可能性が高い」
とかがマシですねw

まあアホの九州王朝説サイキバ君の今後の精進に期待ですwwwwwwwwwwwwww

636日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:57:17
サイキバは笑えるけど、王城も宮殿もない纏向に、
統治機構がない、という議論は真っ当じゃないか。
637日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:11:55
>>636
その場合、政治的中枢を纏向以外の畿内に求める事になるだろうねw

てか現在でも具体的に言えばそれは八尾市あたりだとか、天理あたりだとか、色々話は出てるみたいよwwwwww

まあ纏向は当時の巨大権力が行使された場所である事には変わりはないのだからwwwwwww
638日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:19:12
>>630
同位体比は20年以上の歴史があるから、結構たくさんのデータが
出ているよ。
一方、年輪年代は同じくらいの歴史があるけどデータは皆無・・・

どっちを信頼するかといえば、答えは明らかなはずなんだけどねえ。
639日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:24:52
>>638

結構なデータがあるのに、無視されてるのはなんで?
640日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:35:07
>>639
三角縁の同位体比が全体として一つの領域に入るという事実があるが、
一部を舶載とする説は反論できないので、これを無視せざるをない。
この点が無視された一番の理由じゃないかな。

不利なデータをさんざん無視した上で、スプリング8で反論しようとして、
恥をかいた人もいるね。この人はやっぱり三角縁舶載説だったか。

「畿内の後進性」の問題もそうだけど都合の悪いデータは無視するのが
学界の慣習みたいなもの。
641日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:54:27
>>640
中国製が確実な漢6期7期の領域に入る三角もあったと思うが?

「それこそが舶載」と言う説も成り立つんじゃないのかい?


642日本@名無史さん:2008/08/29(金) 03:15:50
中国共産党の御用学者が闊歩する中華人民共和国。
こんな中国の学者は本来ならこう言いたいところ

 「三角縁神獣鏡はすべて先進文明国で作られた中国製です。
 日本人は臣下の礼をとったので、褒美として贈呈したものです。」

しかし現実は真逆であった。

 「三角縁神獣鏡は、中国国内から一枚も見つからず、間違いなく
 日本で作られたものです。」

これが三角縁神獣鏡の出自を示している。
643379:2008/08/29(金) 03:41:38
>>595 さん、早く書名をおしえてください。

>>640
>三角縁の同位体比が全体として一つの領域に入るという事実があるが、

俺が知りたいのは、このデータ。
「三角縁の同位体比が全体として一つの領域に入る」とするなら、
数百枚の三角縁サンプルがあって「一つの領域に入る」と結論してるわけだよね?

そして、
「三角縁以外の同位体比は、三角縁と同じ領域に入らない」という事実があって、
はじめて三角縁と他の鏡を区別できるわけだよね?
そのためには、やはり舶載鏡百枚程度のサンプルが必要だと俺は考える。

それらの比較データなくして、
「これとこれが似てるから、全体として一つの時期に作られた」などと言うのは詭弁そのもの。
小学生でもわかるよね?

というわけで、
>>595 さん、早く書名をおしえてください。


644379:2008/08/29(金) 03:52:00
>>640
>不利なデータをさんざん無視した上で、スプリング8で反論しようとして、
>恥をかいた人もいるね。この人はやっぱり三角縁舶載説だったか。

念のために言っておくが、
俺はC14も年代年輪法も、データが開示されてないなら信用しない。
だから、>>543でも、C14や年代年輪法に言及せずに、
邪馬台国は九州の可能性が高いと指摘した。

同じように、同位体についても、データを示してくれないと評価しようがない。

>>640も、スプリング8を批判しつつ、同位体のデータを信用できるとするなら、
早く同位体のデータを開示してくれ。
645日本@名無史さん:2008/08/29(金) 07:21:28
>>644

C14も同位体もスプリング8もデータはちゃんと開示しているのでは?
だから、それなりの議論ができる。年輪年代は議論以前の問題。

> 数百枚の三角縁サンプルがあって「一つの領域に入る」と結論してるわけだよね?

データの開示もなしに年輪年代を信じるってのも変な話だけど
数百のサンプルがなければ全く認めないというのもどうかと

サンプル数が少なければ、
そのサンプル数では○○○の理由で△△△としか言えないというだけの話

サンプル数が多いのは良いとは思うが、
数百のサンプルがなければ傾向さえ見れないとは、いかなる理由?

まるで九州説で一か所でも方位の記述におかしな箇所があれば
方位の記述では殆どダメダメの畿内説と同じだよと言うような
ムチャな畿内説論者と主張のやり方が同じ

九州説であっても、考え方のオカシさは畿内説ですね
646夏祭:2008/08/29(金) 07:30:30
>>645
379は狂信的な九州教信者とは違うんでね
647夏祭:2008/08/29(金) 07:31:37
君等とは違って違う意見の人間とも議論が出来る貴重な人材だ。
648日本@名無史さん:2008/08/29(金) 08:42:15
2ちゃんの法則: 関連スレに多数登場するコテハンは大抵一人の狂人
649日本@名無史さん:2008/08/29(金) 11:01:53
>>643
だから、まず新井の『理系の視点からみた考古学の論争点』を読もうよ。
そこに参考文献が挙げられているから、それも読む。
馬渕久夫の著書なんかもよむ。
それを引用している安本の鏡関係の本を読む。

・・・これ以上面倒は見切れないよ。

三角縁のサンプルは100位じゃないかな。
無作為抽出であれば、サンプルとして問題ないことぐらい分かるよね。
生データを100もここに書き込めるほどの暇人はいない。
650日本@名無史さん:2008/08/29(金) 11:05:37
オナピってどの人なの?まじしりたい
651379:2008/08/29(金) 12:24:25
>>649

書名を教えてくれてありがとう。

「新井 宏」について、アマゾンで検索してたんだけど、
考古学関連らしい本が、
>「まぼろしの古代尺ー高麗尺はなかった」1992
>「理系の視点からみた考古学の論争点 」2007
の2点しかなかった。

この検索結果を元に、「理系の視点からみた考古学の論争点 」が
目的の本だと推測はできるが、念のため確認したかった。

検索中に気が付いたんだけど、

>「邪馬台国畿内説」徹底批判―その学説は「科学的」なのか (推理・邪馬台国と日本神話の謎) (単行本) 安本 美典 (著)

という本も見つけたんだけど、これも目を通しておいたほうがいい?
652379:2008/08/29(金) 12:46:11
いちおう、話の発端は↓ね。

>>571

>ひとつ問題を指摘すれば、三角鏡の景初四年銘です。
>三角鏡が国産としても、4世紀に作られたものなら、
>実在しない景初四年銘を刻むことは考え難いと思われますが、
>貴方の考えはいかに?


>>572

>画文帯と三角縁の紀年鏡は全て同向式です。
>画文帯の同向式(約30枚)は日本でのみ出土するデザインで大半が同型の踏み返しです。
>故に、これは国産でしょう。

>500枚以上の三角縁の中で紀年鏡と同じ同向式は10数枚しか出土していません。
>また、同位体比は、鏡の種類や紀年の年号とは無関係に類似性があり、近接した2時期に
>製造したと推測できます(新井)。
>以上から、同じ製作者がほぼ同時期に各種の紀年鏡を作ったと推測できます。

俺が気になるのは、年代の決め手となる紀年鏡が、
「同じ製作者がほぼ同時期に各種の紀年鏡を作った」と推測してる点。
これが本当なら鏡編年の信憑性はほとんど無意味になる重要な論点だろう。

>>572も「推測」といってる以上、どこまで信憑性があるのか考える必要がある。
>>572は、無批判に信頼してるようだが、なぜ信頼できると言えるのか?という点が興味ある。
この点を無視して、他の議論はいっさい出来ないはず。
653日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:31:17
情報乞食が生き生きとしはじめた
654379:2008/08/29(金) 13:36:32
>>572は、もうひとつ重要な論点を提示しています。

>三角縁の紀年鏡は文様の変遷から見て三角縁のなかでも後半期のものです。
>三角縁の始まりは舶載説(239年)、国産説(4C)と争いはありますが、終末期は400年頃で
>あることは、ほぼ争いがありません。
>三角縁を国産として、年代遡上を認めずに350年〜400年頃を製造時期とすると、
>紀年鏡は380前後に製造されたのではないかと考えられます。

同位体から、「同じ製作者がほぼ同時期に各種の紀年鏡を作った」と推測し、
三角縁の紀年鏡は文様の変遷から見て三角縁のなかでも後半期(400年頃)のものだから、
380前後に「各種の紀年鏡を作った」としてるわけです。

ただし、俺の理解では、同位体が同じということは「同じ原料をつかった」ということは言えても、
同じ時代につくった、とは言えないのではないか?ということです。
>>572も、「380年頃に採掘された原料で各種の紀年鏡が作られた」とは認識していない。
「年代遡上を認めずに350年〜400年頃を製造時期とすると」と、注釈がある。

すると、次のような仮説も考えることができます。
「3世紀初頭に日本に流通していた原料の銅製品を何度もリサイクルして、各時代に各紀年鏡が作られた。」
これなら、時代が違っても同位対は同じになるはずです。

380前後に「各種の紀年鏡を作った」と結論するためには、
「3世紀初頭に日本に流通していた原料ではない」
「4世紀以後にしか日本に流通していない原料で作られている」
という証拠が必要になります。
そのためのデータも、もちろん必要です。

俺の考えに不備があれば指摘してください。
655日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:38:56
情報乞食の妄想爆発中
656379:2008/08/29(金) 13:43:11
補足。

俺としては、三角鏡を国産と考えることには、抵抗は無い。
三角鏡の景初四年銘は、国産を強く示唆するものと言える。
同時に、実際にその年代(3C)に三角鏡が畿内中心に量産された可能性はあると考える。

その可能性がゼロだというなら、ゼロだという明確な論拠が欲しいというわけ。
657日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:39:40
379=656に同意。
658日本@名無史さん:2008/08/29(金) 16:01:44
>>651
安本のその本は同位体比の話は出ていなかった記憶。
魏晋鏡の話はあったはず。
同位対比の話は、『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』と『日本誕生記』で
出ていたが、馬渕の説をもとに展開しているのでちょっと古い。

鏡の文様の変遷は『シンポジウム三角縁神獣鏡』を参照。
より古くは小林の著書。

>>652
新井は同位対比のデータ処理で「近似度」という概念を導入していて、
同じ鏡を別の複数の機関が測定した場合に生じる誤差のレベルの近似性が
複数の鏡にあれば、それらは同時に製造された可能性が高いとする。
この部分はそのとおりであると考えている。
659379:2008/08/29(金) 16:17:08
>>658

>同じ鏡を別の複数の機関が測定した場合に生じる誤差のレベルの近似性が
>複数の鏡にあれば、それらは同時に製造された可能性が高いとする。

俺の認識に間違いがあれば訂正するから、あらためて伺うけど、
同位体が近似してるということは、
「同時に製造された」とは考えられるけど、
「同じ原料をリサイクルして、別の時代に製造された」とは言えない、と、
新井は指摘してるということですか?

新井の本は、さっきアマゾンで注文したから届くのを待ってるところだけど。


660日本@名無史さん:2008/08/29(金) 17:11:41
>>659
そこらへんははっきり書いていない。
溶鉱炉の原料を1回に5〜10個の型に流し込むとして、そのときの
原料レベルの近似性が同一個体レベルの近似性と考えている。

同じ原料で連続して作ったとしても、添加する銅やその他の原料の
微妙な量の違いにより、そのなかの鉛の同位対比に違いが出てくる
と考えているのだが・・・
661日本@名無史さん:2008/08/29(金) 20:53:47
ちょっと調べなおして見なければ分からないが

国内産銅と中国産銅の同位体比分布がかぶっていて
分離できないのではなかったかな。

中国産銅の同位体比分布の中に日本産銅の分布がすっぽり
入り込んでいて、分けられなかったと記憶している。
662日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:10:35
>>661

でも含有された鉛成分を分析したら殷〜春秋戦国期にしか発見されていない種類の鉛が検出されたという記事があったよ。
日本人の祖先が呉の滅亡後に日本に亡命してきた時に持ち込んだ銅器を再利用したんだろうね。
663日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:27:41
切り抜きが見つかったので以下記事抜粋
新井宏教授が鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析した結果
弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器と、中国最古王朝とされる商(殷)や西周の時代に多く見られる青銅器の鉛同位体比が一致。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。
664日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:35:31
なるほど、
この場合は、その他のデータはちゃんと「一致しなかった」のかが
問題になるわけで、どちらにせよ資料を引っ張り出してみる。
665夏祭:2008/08/29(金) 21:41:07
>>651
なるほど、安本美典の「邪馬台国畿内説徹底批判」を見付けたのか。
確かに、九州説の人間は畿内説に対してどう言う批判を行っているか、
と言うことを知るには良い書物だ。
ただ、出来たらその後に原田大六「邪馬台国論争」を是非。
666日本@名無史さん:2008/08/29(金) 22:16:00
>>663

これで、例の3足土器コピペを排除できるというわけか。
667日本@名無史さん:2008/08/29(金) 23:10:22
>>661
銅の国産がいつからか、という問題がまずあって、5C頃からとすると三角縁は
舶載説も国産説も原料は輸入ということになりますが・・・

大半の学説はこの前提で、中国では時代ごとに銅などに含まれる鉛の同位体比が
異なるとして時代を分けている。
新井も、銅に添加する鉛原料のなかには国産品があるとするも、銅そのものは
中国産であろうという前提で議論している。

しかし、中国や朝鮮での同位体比の調査が少なすぎて、日本出土品と比較できな
いので、実際のところ国産銅の開始がいつからかは決着が付いていない。
668日本@名無史さん:2008/08/30(土) 00:02:04
>>667

5Cまでの銅が輸入品なら、近畿の大型銅鐸の銅も輸入ということになるな。
弥生時代に中国江南から近畿まで金属器の流通ルートがあったことになる。
669日本@名無史さん:2008/08/30(土) 00:32:15
たしかに弥生末期の大量の大型青銅器や古代の鏡の原料が全部輸入とすると、
量が多すぎるし、朝鮮半島での出土品の少なさと釣り合わないですね。

山に入って水銀朱を探していた人たちが、銅を見つけることもあっただろうと
考えると、国産銅の起源が古くなっても良いとも思う。
670日本@名無史さん:2008/08/30(土) 01:58:45
というか、弥生時代の青銅器の量は多すぎるというのが一般認識だろ。
全部が輸入と考えるのはそれこそトンデモ。
671日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:36:47
>>670
> というか、弥生時代の青銅器の量は多すぎるというのが一般認識だろ。
> 全部が輸入と考えるのはそれこそトンデモ。

なんで?
672日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:10:49
日本に青銅器を伝えた渡来人は、日本の山で青銅を探そうとするだろうな・・・。
673日本@名無史さん:2008/08/30(土) 13:17:18
大型で肉厚の薄い銅鐸を現代の技術で再現しようとしても非常に困難らしい。
かなり銅の扱いに慣れた職人でなければ。
そういう職人は、銅鉱石から銅を精錬することも出来たはずだろう。

また、新井宏教授が鉛同位体比のデーターから指摘したことは、
「三角縁神獣鏡は魏の鏡ではない=仿製鏡」ということだけで、
列島内での製造年代についてまでは言及していない。

三角縁神獣鏡は仿製鏡=だから、邪馬台国は畿内ではない、という議論はミスリードを誘ってる。


674日本@名無史さん:2008/08/30(土) 13:33:30
>>673
巨大化した所謂「見る銅鐸」に使用された鉛の同位対比を見ると極めて近似した値を示す。
(広範囲にバラけていない)
その領域が日本の鉛とも違う。

技術的な面からもそれまでの小型の銅鐸とは別系統だと言うし
渡来工人による製作かな?

もしそうなら三角が亡命呉人の手による物だと言う説も説得力を増す?w

675日本@名無史さん:2008/08/30(土) 13:40:50
>>673
>三角縁神獣鏡は?製鏡=だから、邪馬台国は畿内ではない、という議論はミスリードを誘ってる。

と言うより
「三角の”ほとんど”は倭鏡である」って事しか言えないんじゃないのか?
一部の分布は漢鏡の領域に入っているし。

まあ年輪年代のような年代測定に関するものと比較する自体がナンセンスだとは思うけどwwwwwww
676日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:04:10
亡命呉人が南九州・日向に降臨〜大和に入植して大和王権を作ったという説のほうが、
東遷説よりよほど説得力あるし現実味があるし記紀とも整合し面白いと思う。
時代は3世紀でいい。

そのころ九州にあった邪馬台国は、魏の後ろ盾を失い、畿内の大和王権に滅ぼされたのだ。

677日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:00:41
>>673

>三角縁神獣鏡は?製鏡=だから、邪馬台国は畿内ではない、という議論はミスリードを誘ってる。

う〜ん、そうじゃなくて、「卑弥呼が魏からもらった鏡こそ三角縁神獣鏡であろう」という、
畿内説の主流派見解が崩れてしまう、という展開でしょう。
678日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:09:42
まあ同位対比で三角に決着着けるのなら
舶載説側が編年して
「これこそが舶載に間違い無し!」
としてきた物を分析するしかないだろうなwww

679日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:28:29
>>677

> 畿内説の主流派見解が崩れてしまう、という展開でしょう。

今じゃ国産説が主流だと思うけどな。
680日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:45:04
>>679
邪馬台国畿内説兼三角縁神獣鏡国産説が主流になったのは、いつごろから?
681日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:50:01
寺沢だって三角は舶載に間違いなんて言ってないと思うけど?

見えない敵と戦う九州説w
682日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:55:46
昭和時代は畿内説の主たる根拠が、三角縁=国産鏡だったな。
なんで、意見がころっと変わっちゃったわけ?
683日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:58:09
>>681
畿内説の中心論点の話だから、他の説は関係ないと思うが。
684日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:01:51
>>683
新井は、三角が魏鏡じゃないから、畿内説は崩れるって結論してるわけでしょ?
685日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:04:29
673のレスだけに限定すれば新井説だけど、畿内説って、新井の説だけじゃないでしょ。
686日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:12:51
はっきりいって、畿内説にいろいろあって、妄想の部類に入るものもある。
三角=舶載説も妄想でしかない。
一部の妄想畿内説を批判して、あたかも畿内説全体が間違ってるかのように誘導するのが、安本。

で、それを信じちゃうバカが九州説信者になる。
687日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:18:56
邪馬台国九州説という主体思想。
邪馬台国畿内説という民主主義。
688日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:27:29
>>686-687
何か、アレルギー症状に陥ってない?
その話と九州説とは、別に関係ないでしょ。
邪馬台国候補地は無数にあるわけだし。
689日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:29:03
日本国民の殆どが邪馬台国九州説なんだから、邪馬台国九州説が民主主義で、
一部の頭の可笑しな学者が主張する邪馬台国畿内説が主体思想だろ。
690日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:30:45
>>686
安本氏を非難できないのでは?

結論だけががっちり決まっていて、主張がコロコロ変わる畿内説の方が問題
691日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:33:41
>>689
よし!
こうなったら邪馬台国は何処か?国民投票の多数決で決めよう!!


今なら九州説に分があるぞ!wwwww

692日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:42:43
>>686
>三角=舶載説も妄想でしかない。

俺自身も三角国産に分があるとは思うが
舶載説を完全否定する材料は無いと思うが?

出土する三角全てを舶載とする説が主流じゃないだろう?

ここで言われた同位対比も決定打にならない。
(分布の一部が漢鏡の領域にある)

話がそう単純でないのは三国時代の魏の領域では銅鏡製作組織が壊滅。
呉地の生産に頼っていたと言う事実。

何故か安本な人達は呉王・孫権が魏に臣従していたと言う事実を無視して(?)
呉地の鏡は呉の滅亡以降で無いと日本に来ないと言う事にしてしまっているんだがwwwwww



693日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:13:21
>>682

> 昭和時代は畿内説の主たる根拠が、三角縁=国産鏡だったな。
> なんで、意見がころっと変わっちゃったわけ?

樋口隆康とか福永伸哉は、今でも小林行雄の系譜を継ぐ、舶載説論者だと思うが、
今の畿内説全般を白石太一郎、河上邦彦、寺澤薫・・・別に舶載説とは無縁の顔ぶれが多い。

舶載説が完璧にダメになったのは、黒塚からの大量出土あたりからだろうか。
とても伝世とは思えない三角縁が布留期の遺跡からあれだけ出てくればね。
逆にホケノ山からは一枚も出土しなかったし、少なくとも3世紀前半には畿内での流通は無かった
と言うしかない。
694日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:14:01
>>692
>何故か安本な人達は呉王・孫権が魏に臣従していたと言う事実を無視して(?)
>呉地の鏡は呉の滅亡以降で無いと日本に来ないと言う事にしてしまっているんだがwwwwww

孫権が皇帝を称した時点で臣従しているとは言えないのでは?
695日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:28:11
>>694
>孫権が皇帝を称した時点

晩年(229黄龍元年)なwwww
劉備がトチ狂って侵攻してきた時には兎に角なりふりにかまっていられなかったんだよwwww


 参考Wikiより『孫権』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%A8%A9

696日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:44:16
>>692
>何故か安本な人達は呉王・孫権が魏に臣従していたと言う事実を無視して(?)
>呉地の鏡は呉の滅亡以降で無いと日本に来ないと言う事にしてしまっているんだがwwwwww

あれ?
安本は、三角縁が呉で作られて輸入したものって言ってるの?
昔は、中国で出土しないから国産だとか言ってなかった?

安本もコロコロ主張が変わるんだなwwww





697日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:58:20
問題は景初三年に卑弥呼へ下賜された鏡は何処で作られたか?という事だな。
>695のWikiを見る限りその時には魏と呉は敵対していたわけだし・・・

中国側で
「景初三年(239)に魏が銅鏡を製作したのならその鉛の同位対比はこうだ!」
と言うデータが出ないかな?w

それに対し日本で出土した三角のデータがかすりもしていなければ決着するんじゃね?w


698日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:59:06
【社会】「卑弥呼の墓」発見か?箸墓古墳の前方部正面に幅60メートルの外濠 - 奈良★3
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1220075472/
699日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:59:52
『古代史を解く「鍵」』(1995年)の28〜29頁、森浩一の発言より

「日本から出た中国鏡は、年代が合わなければ、すべてが日本で作られたという
可能性があるように、日本で出ている一見中国の鏡と思えるものでも、年代が
合わなければ、すべて日本で作った可能性もあるという態度で検討しなければ
いけない」

「正直いって、いちばんいま学問の足を引っ張っているのは、三角縁神獣鏡の
魏鏡説です。特鋳鏡説というのですが、数十年間同じことをくりかえして、
それ以外のことを考えようとしない。これは学問の進展を阻害する。」
700日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:03:09
>>699  の冒頭を訂正

日本から出た中国鏡→日本から出た中国銭
701日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:07:38
>>697

別に「決着」しなくてもいいんじゃね?
三角は4世紀以降の王権拡大期に流通した鏡。
卑弥呼が貰った100枚の鏡は、内行花文鏡だか何だか判らないが特定できず。
こういうこと。

卑弥呼関連で今に残っている可能性が一番高いのは径100歩の墓、
捜すならこれを捜せばいいと思うよ。
702日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:14:31
>>701
魏志のあの部分は、大雑把でぜんぜん信用できない。

卑弥呼が死んで径100余歩の墓を作らせた。
男女の奴隷を100人ほど殉死させた。
次の男王に服せず、殺し合いで1000余人が殺された。

という流れの記述で、卑弥呼の墓の径が90歩以上110歩以下と受け取るのは
ちょっと我田引水が過ぎる。
30歩〜150歩の間のどこかという程度の大雑把な受け取り方のほうが穏当。
703日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:19:06
>>692
出土状況からは、徹底的な完全否定をすべきでは。

日本で500面以上出土、中国(朝鮮でも)0面という結果からは、
中国では1面たりとも作られていないと考えるのが常識的な考えでしょう。

学者という立場の者が頭がおかしくなったフリをして、暴論を強弁して周りの譲歩を
求めるような言動をすることは、見ていて見苦しいですね。
704日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:19:46
>>702

実際には「30歩」でも善いんだけどな。
要するに3世紀中葉〜の大型墳丘墓だよ。
705日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:23:55
>>703

このスレに舶載論者は居ないと思うのだが・・・・
相手もいないのに何時までも同じことをくりかえして、
それ以外のことを考えようとしない。
これはスレの進展を阻害する。

つーとこかなw
706日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:45:33
>>705
>これはスレの進展を阻害する。

まったくだ。
話をそらそうとしてるのかな?w
707日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:16:39
三角縁舶載説を擁護するために、舶載説も「一部」が舶載と言っているだけ、
とかのゴマカシを書くクズが居るからだろ。

まあ全部が完全に日本製であることが、出土状況から完全に証明されているが。
708日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:16:59
>>703
サイキバ君WW
709日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:30:17
三角縁舶載説の学者は、死ぬまで意地を張って、死語フェードアウトだな。
710日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:39:47
邪馬台国が九州にあったと言ったら¥100徴収します。
711日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:46:01
特鋳とか言ったらエジプトでもインドでも成り立つよな。
宇宙人が特鋳した(キバヤシ説)もいいな。
712日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:47:48
>>707
どうどうw

実際に福永や岡村をはじめ三角を形式で編年して舶載と国産に分けている学者がいるんだから仕方が無いwww

九州説の人間からすれば「往生際が悪い」と言う事なんだろうがw

三角舶載が畿内説の屋台骨として、それを否定する事で畿内説全体をやっつけたいと言う焦りは分かるがwww

まあ、あんまり焦りなさんなとwwww



713日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:51:50
でも、実際、中国からも三角に似た鏡は出てるんでしょ?

どっかのサイトで見たことあるが。
714日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:59:12
年代遡上にとって三角縁国産説は都合が悪いから、遡上派は舶載説を批判できない。
全部が国産となると、三角縁の製造・流通期間はせいぜい3世代位にしかならない。

文様の変遷の初期の三角と後半期の三角が同時に埋納されていることから、
初期のものをもらった被葬者は後半期まで生きていたことになる。
そうなると、三角縁の流通時期はせいぜい5,60年位にしかならない。

三角縁の末期は400年前後だからその始まりは340〜350頃になる。
三角縁の製造開始を350頃とすると年代遡上は、崩壊する。



三角縁は、出土状況からは長期間かけて100種以上の変遷をしたといえる状況にない。
長期間かけての変遷であれば、出土傾向が何層にも分かれているはずであるが、そうではない。
年代遡上説からは、この点は、舶載説+伝世説でないと乗り越えられない。
これが舶載説が生き残っている理由だろう。
715日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:12:40
国産説を取って、この辺を一気に解決するには、卑弥呼の魏鏡には触れず、
邪馬台国東遷説に乗り換えれば、とりあえず「安全地帯」に逃げ込めるわけだ。

ところがどっこい、邪馬台国東遷説の唱える「東遷」概念が、記紀に書いてある
内容と、乖離しすぎている。「邪馬台国という国家が東遷した」ことなど、記紀には
全く載っていない。考古学的に九州の国が忽然と消滅した様子もない。だから、
「ベトナム北遷説」や「呉東遷説」「ツングース南遷説」と同格になってしまう。
716日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:17:15
>>714
>角縁の末期は400年前後だからその始まりは340〜350頃になる。
>三角縁の製造開始を350頃とすると年代遡上は、崩壊する。

多分その流通の末期も遡上するから無問題だろうwww

「角縁の末期は400年前後」と言うのは
絶対年代として動かざる根拠でもあるのかい?

717日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:24:25
仮に三角が産地も年代も邪馬台国に関りが無かったとして
それで九州説が相対的に有利になるわけでも何でもないw

精々九州説論者の溜飲を下げるのにチョット役立つぐらいwwwww

じゃあ九州説にとって卑弥呼の鏡って何なのよ?って話で
そこで
「魏晋代の鏡は後漢と同じ花文やTLVだ」
じゃあいかにも中途半端ではある。

後漢と魏晋の境界を曖昧にして投げっぱなしの感は否めないwww
718日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:31:14
魏から百余枚もらった鏡のうち、幸運にも実際に我々が目にできる鏡は、
せいぜい1枚か2枚というのが現実的だ。
一般的にいって中国にとって鏡は第一に実用品であり、邪馬台国より
「宝物度」は低い。余りその議論から何かが生まれるとも思えない。
719のんびりひまじん:2008/08/30(土) 21:43:05
>>673
>大型で肉厚の薄い銅鐸を現代の技術で再現しようとしても非常に困難らしい。

実は三角も薄い(そのため縁は補強して三角)ということですが、
基礎技術において共通的なことの議論は存在するのですか?
720日本@名無史さん:2008/08/30(土) 22:34:41
銅の精錬というのは足尾鉱毒事件でもわかるように、
亜硫酸ガスの発生で環境破壊を起こし、長く続かない。
従って、栄華を誇った銅文化はすべて自滅の道をた
どったはず。
それが、鉄文化が最終的に勝ち残ったゆえんです。
721日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:23:47
722日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:44:08
>>721

もういいよ。

江南から銅が来たのは確実なんだから。
723日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:48:10
邪馬台国九州説を語る愚か者は山手線を10周してこい!
724日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:48:21
>>716
400年前後(4C末〜5C初め)の古墳を300年頃まで遡上させるのは
難しいんだよね。
それをやると300〜400の古墳がごっそりなくなるから。

年代遡上の連中も4C末以降とされてきた古墳は遡上させない。
原初期の古墳の時期を数倍に引き延ばすのがせいぜい。

石野は4C後半から下らないと自ら言い続けてきた椿井大塚山を300年ころまで
遡上させたが、あれをやるとまさに300〜400の空白が生じる。
725日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:51:51
>>718
三角縁舶載説の最後の希望の星として、紀年鏡だけを
舶載とする説もある。
三角、画文帯、方格などの紀年鏡とその類似鏡だけが舶載で
それが卑弥呼がもらった鏡であるとする。

まあヤケクソ的な感じは否めないがww
726日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:11:45
>>718
「卑弥呼の鏡百枚」 はそれで良しとしても

じゃあ 「卑弥呼の時代の鏡は?」 って話で

倭国大乱が収拾され邪馬台国が魏から冊封されて
花文やTLVが再び活発に九州に流入してきた形跡があるのかと・・・





727日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:38:08
卑弥呼の時代、邪馬台国内で鏡を量産できなかったから鏡を珍重したんでしょう。
呉は魏を海上封鎖しようとして、朝鮮半島と友好的に接触していたので、
邪馬台国はなかなか輸入も出来なかったから、魏から百枚もらって大いに喜んでいたと。
その卑弥呼の時代に、大量の鏡がなければならないとする前提には無理があるでしょう。
728日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:47:43
>>720

サイキバ君。ここは議論の場だからね。 トンデモ君はお引き取りください。WWW
729日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:58:05
>>727
そうなると・・・

九州でやや銅鏡の出土が増え、九州以東では相変わらず出土が少ないまま
・・・なんて時代があったと言う事が確認されてなければならないよな?

そんなデータあるのかい?

この板の九州説には電波扱いされているw岡村の7期編年だと
楽浪で急増している時期に九州で微増。
九州以東で激増な訳だがw





730日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:06:37
>>727
鏡は下賜品の下のほうに出てくるから、たいした鏡はもらっていないだろう。
魏は、銅不足で絹本位制のような状況で銅がないから鉄の鏡も作られていた。
この状況で日本向けに大型鏡を数千枚も特鋳したなんてあり得ない。

現実には、100枚の中には10cm前後の小型の鏡が多かっただろう。
大きめでもせいぜい20cm弱程度。

中国で20cmを超える鏡が多く作られるのは、抱朴子(317年)で
9寸(約21cm)以上の鏡に魔除けの効果があるとされた以降になる。

実際に、黒塚など多くの古墳で棺の外に「魔除け」として大型鏡が
立て掛けられているが、あれは抱朴子の影響であるといえる。

これらの古墳や鏡の年代は「抱朴子」以降といえ、年代遡上は成り立たない。
731日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:16:29
纒向石塚古墳 庄内期 纒向型
ホケノ山古墳 布留0期 石囲木槨 刳抜式木棺
桜井茶臼山古墳  4世紀前半 割竹型木棺 三角縁神獣鏡
東大寺山古墳   4世紀後半 粘土槨 割竹型木棺 中平年銘刀
大仙古墳     5世紀前半 長持型石棺
ウワナベ古墳  5世紀後半
今城塚古墳   6世紀前半 
見瀬丸山古墳  6世紀後半 横穴式石室 刳抜式家形石棺
石舞台古墳 7世紀前半 横穴式石室
野口王墓 7世紀後半 横穴式石室 乾漆棺葬と火葬の合葬
732日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:22:28
>>731
ホケノの槨から出てきた壷が纏向3式=庄内2式で
少なくとも箸墓よりは1段階古いとされているんじゃなかったのか?


733日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:23:15
>>729
正直、よくわからない。
絶対年代の特定が進んでいないし、土器編年による九州の遺跡判定は、
畿内ほどうまく編年できていない模様。ものさしがグズグズなので、
九州の鏡の変遷も曖昧模糊としている感じだ。
734日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:40:13
皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

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735日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:41:32
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736日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:42:20
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737日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:48:55
>>736

    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   九州  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |九州   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   

738日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:54:11
↑ドツボスレをスレストに追いやったのはコイツか?
739日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:00:54
ドツボスレって?
740日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:03:58
>>731
纒向石塚は、祭祀は布留0期だよね。
古墳周濠から面的に布留0が多く出土するが、これは被葬者が埋葬された祭祀が
布留0に行われたことの証拠であるとされる。
しかし、盛土の大多数は庄内開始前後の様相であるとされる。

要するに、被葬者は生前の庄内開始頃にこの古墳を築造して、20〜30年後の
布留0期に葬られたことになる。

つまり、庄内の期間はせいぜい20〜30年の長さしかないことになる。
庄内がこの程度の期間であることは、当初の見解だった。
庄内式は出土地域が狭く、変遷が乏しいから期間は短いとされてきた(年代遡上前は)。
741日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:05:14
分が悪くなると、畿内説信者が、攪乱作戦かあ>734-737
742日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:31:18
分が悪くなると、九州説信者が、攪乱作戦かあ>734-737
743日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:40:42
いかに>>742の脳味噌が溶けているかが、良くわかる
744日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:56:34
>>686
奥野正男「邪馬台国はここだ」でも似たようなことやってたね。
畿内自立論は間違い、伝世鏡論も間違い。
これだけで全ての畿内説を論破した気になっている。
そのくせ、畿内自立論も伝世鏡論も間違いとする原田大六については
方角のズレの法則で矛先に挙げたきり無視。
結局、九州説なんてそんなもんだよ。
>>689
>日本国民の殆どが〜
かつてドイツでは国民の殆どがナチス支持だったんだが、
君の論理だとこれがナチズムの正当性の証拠になる。
大体、日本国民の殆どが九州説と言うデータはどこから取ったんだ?
それこそ妄説だ。
>一部の頭のおかしな学者
なるほど、君にとって考古学は頭のおかしい人間の学問か。
どうせ君も「結論が畿内説になるから考古学は当てにならない」レベルの人間なんだろうな。
>>690
同じ結論にたどり着くにも、色々な論証の仕方がある。
そんな当たり前の事も分からないのかい?
九州説の世界でも、高木が宇佐説を発表したことにより、
古田から「先人のパクリ」と言う馬鹿な批判が出てきて、
高木がそれを粉砕するという事件があったじゃないか。
745夏祭:2008/08/31(日) 23:00:00
九州論者にとっては、
今の所有利な説を有利だという事はサタンに味方する行為らしい。
不思議なものだ。
746日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:03:16
いかに>>741の脳味噌が溶けているかが、良くわかる
747九州・大攘夷:2008/08/31(日) 23:04:47
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し
748九州・大攘夷:2008/08/31(日) 23:06:35
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し
749九州・大攘夷:2008/08/31(日) 23:08:18
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し
750日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:09:43
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷
751日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:25:39
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷
752日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:26:27
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷
753日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:42:10
夏祭一人で暴れて、大変だなwww
754日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:45:31
「九州説」の頭の中にあるのは、「まず九州説ありき」ということです。
そこから、九州説にとって好材料な事実には安易に飛びつく一方で、
不利な材料に対しては信憑性がない等といろいろと文句をつけるのです。

その姿勢は、事実や証拠といった物に対して選り好みをするという態度であり、
とても実証的な立場とは言いがたいものです
信仰という言葉のほうが、その実態を表すのにはちょうど良いのです

信仰というのは、「神があるかないか」をいうことを疑問した結果として、
「神がある」という結論に至ったのでは、駄目なのです。
なぜなら、信仰は、神があるのかどうかを問うこと自体を許しません。
「神がある」以外の選択肢を観念することは罪なのです。

「九州説」は、このような意味での「信仰」そのものです。
なぜなら、「最初に九州説ありき」で、
科学や証拠とは、信仰を補強するためにのみ許されるからです。

ちょうど、中世ヨーロッパで、アリストテレスの理論が、
教義の正当性を補強する道具としてのみ用いられたのと同じく、
彼らは、事実や証拠を、自己の信仰に役に立つ範囲でのみ認めます。

だから、「九州説」にとって都合の悪い証拠は、認められないのです。
755日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:47:34
>>754
理屈で反論しろよww情けないなあww
756日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:48:27
>>755
理屈で反論しろよww情けないなあww
757日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:50:28
夏祭が必死になる理由がわからない。
何か病気?
758日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:54:15
必死に夏祭りに認定したがる理由がわからない。
何か病気?











あ、夏祭り1人以外に九州王朝説を疑う人がいるっていうことが信じられない思いなのですね!
さすが信仰者・・・

759日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:55:52
ここの九州説の人たちを見ていると、
世界史のアルビジョワ十字軍思い出すわ・・・



760日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:59:01
要は邪馬台国の事を
よく知らない第3者(外国人)に素直に調査・研究させろって事だろ?

畿内説論者は畿内に邪馬台国ありきで考えて調査するだろうし
九州論者もまた同じ
761日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:01:06
夏祭は連投が好きだな
762改め ◆PWTcGEfp1s :2008/09/01(月) 00:14:07
誰か終止符スレあげて!
なぜか規制かかとる。
763日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:17:27
何だかんだ言っても、畿内説の連中は勝利宣言を繰り返しながら崖っぷちなんだよね。
全共闘の安田講堂での勝利宣言みたいな感じがするね。

畿内の後進性を100年近く無視して、畿内自生説を叫び続けた歴史がある。

三角縁は舶載だの卑弥呼の鏡だのと出土状況を無視して100年近く叫び続けてきた。
というか、いまだに叫んでいるのもいるwww

鏡の同位体比の問題は無視し続けて約30年。反論のスプリング8で自爆wwwww

環濠集落の時期に遡る鏡が畿内では皆無であることは、いまだにタブー。

鉄器も古墳時代の開始まで北部九州が圧倒的優位であったことを無視する学者が多い。

頼みの綱の年代遡上も足並みそろわず、困難状態。

最近は大本営に反旗を翻す長老も出る始末ww
764日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:24:44
>>763
学問なんて宗教の教義じゃないんだから変わっていって宜しいw

恐らく畿内説はこれから先もコロコロ変わるだろうよww

九州説は過去の栄光にすがり
畿内説に恨み節歌いつつ
謝罪と賠償を要求するしかないだろうwww
765日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:28:35
さあ、みんなで畿内音頭を踊りましょう!
さのよいよい!
766日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:29:40
「隋の記録に、阿蘇山のことがあれやこれやと書いてある。一方で、畿内や畿内への道筋の描写はない。
したがって、中国との使節のやり取りは九州との間でなされたのであり、九州に畿内を凌ぐ王朝があったことは明らかである。」

九州信者のアーギュメントは、非論理的で欠陥がある。それは、検証されない恣意的なアサンプションに基づいている。

第一に、中国史書に山の名前が載っていれば、それは現在名において同一の名前をもつ山を指しているとの想定に基づいている。
しかし、当時の隋人が、熊本県の現在で言うところの阿蘇山を、たまたま阿蘇山と表記してくれているとは限らない。

第二に、使節が、使節の目的地に関する描写しかしないという想定に基づいている。
隋人が畿内またはその他考えられる政権拠点に赴くにあたり、九州を通りうることは地理的に明らかである。
その際、山の描写をしたからからといって、山の近くに政権があったとは限らない。

第三に、中国との使節のやり取りがあった政権が、日本で最も支配的な王朝であるとの想定に基づいている。
しかし、中国の近接勢力が中国と通交していただけでは、必ずしも、その勢力が他の勢力を圧倒していることにはならない。
九州は中国と最も近いのであるから、多くの勢力の中の一つに過ぎない状態で、中国と通交することは不自然ではない。

このように、九州信者のアーギュメントは、十分な検証にサポートされておらず、説得力に欠けている。
もし、九州信者が、上記のようなアサンプションについて、十分に説得力を持つ資料を提示できるならば、
そのアーギュメントは、より説得力を持つであろうと思われる。
767日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:33:52
>>162涙目(ワラ
768日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:36:54
「阿蘇山」と言えばサイキバ君wwwww
769日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:38:52
>>764
ようするに根拠も論理構成もコロコロ変わるが、結論は常に畿内なんですね。
770日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:41:25
九州王朝説は寄生虫のような存在である

その支持者のすることのできることといえば、
畿内説や日本書紀や古事記の記述の矛盾点を突くぐらいであり、
かなしいかな畿内説に依存する存在である

自分自身では何もできず、ただただ畿内説の矛盾を栄養源にして増殖するだけ

「九州説」なるものは実在しない
「アンチ畿内説」が存在するだけである
771日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:45:10
九州説信者は、社会的な存在価値がないばかりか、人格的にも欠陥がある場合が多い
772日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:47:14
>>769
別に畿内説から九州説に、あるいはその逆があっても構わないw

何処ぞの宗教団体のように「魔道に落ちた脱会信者」じゃあるまいしwwwwwww

結局コロコロ変わって行くたび補強補完されて行く畿内説に対し
九州説はもはや進化して行くダイナミズムも失ったのだろうとwwwwww
773日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:49:30
さあ、みんなで九州音頭を踊りましょう!
さのよいよい!
774日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:53:22
>>760

あなたは宗教というものを知らないと見える

九州説に不利な結論がでたら
九州教団の人たちは、あれこれ言って結論を支持しないだけ

それが、宗教というものなのです



775日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:56:53
太国の奴、くやしくって布団にもぐって震えとるんか〜www

出てこいよこの寄生虫 (笑)
776日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:58:55
畿内信仰の夏祭って、オトナゲないな。
書き込みが下品極まりない。
777日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:01:18
>>776
お前らホントに夏祭りって奴好きだな〜 いやな目にでも合わされたか〜?
俺は畿内説でも九州説でもない無責任なギャラリーだから、安心していていいぞ〜

778日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:04:03
九州王朝説は寄生虫のような存在である

その支持者のすることのできることといえば、
畿内説や日本書紀や古事記の記述の矛盾点を突くぐらいであり、
かなしいかな畿内説に依存する存在である

自分自身では何もできず、ただただ畿内説の矛盾を栄養源にして増殖するだけ

「九州説」なるものは実在しない
「アンチ畿内説」が存在するだけである

 ↓ ↓ ↓

そ れ を 言 っ た ら お し ま い で し ょ − が !
779日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:05:00
太国の奴、くやしくって布団にもぐって震えとるんか〜www

出てこいよこの寄生虫 (笑)

九州王朝大好き君でもいいぞー www
780日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:06:14
>>777
まあ日付も既に9月。
夏祭りじゃなくて秋祭りだなwwwwww
781日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:08:59
>>780
お前〜 

まだ夏はおわっちゃいねーよ

782日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:15:41
太国ってやつを取り出すのは、スレ読んで一番真性信者っぽいからだよwww

真性九州帝国あそびじゃなくて本気で信じちゃってるんだろボクwww

ワラけるぜオイ



783日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:19:26
おいおい、九州信者もうだれもいないんか

くやしくってお眠りタイムかーーー?

だれかくやしければ来てなにか言ってみろよ
絶対どんなやつも黙らせてやるから




お前らは畿内説の矛盾を蛋白源の情けない寄生虫なんだぞ





784日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:22:56
おーいバカ共、はやく来てなにか言葉並べてみろよ


くやしくってぐうの音もでないかぁ〜


九州信者だろお前ら 信者としての誇りあるのか〜?






785日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:39:29









        粘着だね〜夏祭は







786日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:42:35
おまえが寄生虫か?

おまえ何を言いにきたのかな?

一言言葉を吐いて逃げるのかな?

夏祭り大好き君
787日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:50:23













ここは、妄想畿内信者=夏祭が、
ひたすら絶叫するだけのスレに成り果てました
788日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:51:39
>>787

能力のないやつは出て行っていいぞwww
789日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:54:20
また脳味噌まで夏祭りか
790日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:57:04
>>789
お前夏休みが終わるのがいやで、ここに張り付いて現実逃避かwww

どうりで幼稚そうなやつだと思ったが、何も語れないバカが来るところじゃないから出て行っていいぞwww
791日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:03:16














やい九州信者君

せめて、「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」ことをどう説明するか言えよ

そしたら相手してやるよ
792日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:05:31













                      なんだ夏祭か
793日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:06:27











おーい!九州信者君ー!

せめて、「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」ことをどう説明するか言えよ

そしたら相手してやるよ

またはお前からお題を振ってみろ

絶対に黙らせてやる自信あるから



おまえさっきから「夏祭りか」しか言ってないぞー

794日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:08:16














                       夏祭は少し反省したほうがいいぞ




795日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:09:39



















きみには難しすぎるかなあ

じゃあボクからお題を振ってみなよー

君の得意な論点でいいからさあ

ボク「夏祭り」しか言える言葉がないのォ〜!?
796日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:11:05













さっきの小学生、逃げちゃったかな・・・
797日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:14:24
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
798日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:17:46
















                 妄想畿内説の夏祭君、呼び出しですよ
799日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:20:15












わかったわかった、じゃあ君の言うとおり、妄想畿内信者でいいから
君からなにか論点出してみて 畿内説がニンジンやピーマンのように嫌いなんでしょ
または、こちらから話題出そうか?


800日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:21:54













              さあさあ、
              夏祭君の畿内説妄想が絶叫爆発します
              楽しみですね〜みなさん
801日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:28:05
















きみ、多分来る場所間違えたんだよwww
君にふさわしい場所は、信長の野望とかのスレッドじゃないかな

ここは畿内説でも九州説でもいいのだけど、邪馬台国について話す場所なんだよボクwww
802日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:31:06
















                ただいま夏祭が小爆発しております


803日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:32:15










君は夏祭り君にいじめられていたのかい?
君、クラスでも地味グループでしょ
804日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:34:02















           秋になっても妄想畿内説ごくろんさん、夏祭君











805日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:35:09
















明日から学校行くのがいやなんだねー
夏休みがおわっちゃうからねー
806日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:41:19
さあ、夏祭くん、宿題だ。
邪馬台国という文字の入った出土物が、遺跡から出てきたことがあったな?
では、漢籍を軽視して邪馬台国を探すのは正しいかな?
さあ、良い子だ、良く考えてきなさい。
807日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:51:12
おっ、やっと本気になったか、これから自説を述べるからちょいとだけ待ってろよ
808日本@名無史さん:2008/09/01(月) 03:07:04
           __
        , ‐' ´   ``‐、             / ̄:三}
.     /,. -─‐- 、.   ヽ        /   ,.=j
 _,.:_'______ヽ、 .!       ./   _,ノ
  `‐、{ へ  '゙⌒ `!~ヽ. !     /{.  /
    `! し゚  ( ゚j `v‐冫   , '::::::::ヽ、/     そんなことよりドン来い31のAAを考えようぜ!
.    {.l   '⌒      ゙ 6',!   / :::::::::::::::/ __
.     〈  < ´ ̄,フ  .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
.      ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠.   ヽ_}  ゙ヽ
        ,.r` "´  /:::::::::::::::::::ィ´  `ゝ  !、  /
     /       / :::::::::::::::: ; '´   /´\ /   r'\
.     i      ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
     {      {:::::::::::;:イ /   ‖i:::::::/:::::::::::::/  \
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809日本@名無史さん:2008/09/01(月) 04:23:30
1986年、吉野ヶ里遺跡が見つかった時
阿呆な九州説の考古学者や歴史学者がこれこそが邪馬台国だと口火を切りました


2008年現在
当時吉野ヶ里が邪馬台国だと決め付けた考古学者や歴史学者は全滅しました
本当に全滅しました


それ以外の九州説を標榜していた考古学者や歴史学者も絶滅危惧種になりました


さて、この20年弱に、一体何があったのでしょうか?よく調べましょう


810日本@名無史さん:2008/09/01(月) 04:35:58
× 阿呆な九州説の考古学者や歴史学者がこれこそが邪馬台国だと口火を切りました

○ 阿呆な畿内説の考古学者や歴史学者がこれこそが邪馬台国じゃないかと怯えました
811日本@名無史さん:2008/09/01(月) 04:38:35
× 当時吉野ヶ里が邪馬台国だと決め付けた考古学者や歴史学者は全滅しました
   本当に全滅しました


○ 当時吉野ヶ里が邪馬台国だと決め付けた畿内説の考古学者や歴史学者は全滅しました
   本当に全滅しました
   邪馬台国の衛星国だということにまったく気づかなかったのです
812日本@名無史さん:2008/09/01(月) 04:40:38
× それ以外の九州説を標榜していた考古学者や歴史学者も絶滅危惧種になりました

○ それ以外の畿内説を標榜していた考古学者や歴史学者も絶滅危惧種になりました
813日本@名無史さん:2008/09/01(月) 04:43:52
× さて、この20年弱に、一体何があったのでしょうか?よく調べましょう

○ さて、この20年弱に、畿内説の根拠が脆弱で、無理な畿内遺跡の年代繰上げや、
   荒唐無稽な語呂合わせや、歴史的な思い込みによるものだということが、
   誰の目にも明白になってまいりました
814日本@名無史さん:2008/09/01(月) 05:24:21
どっちが増えてどっちが減ったの?
素人には畿内説がシュンとなったきりに見えるのだが
それは畿内説側からすれば印象操作なの?
815日本@名無史さん:2008/09/01(月) 05:51:58
別に、吉野ヶ里が邪馬台国だというわけじゃない。
吉野ヶ里が、倭人伝に書かれた国の様子にぴったりだったということ。

畿内説は、これ以降、年代を遡らせることに力を注ぐ。
吉野ヶ里を卑弥呼時代より前にして、纏向を卑弥呼時代に重ねるというわけ。
しかし、纏向は倭人伝の国に似ているのかな?

倭人伝には、「居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衞」と書かれている。
宮室や樓觀が見つかっているのかな。
816日本@名無史さん:2008/09/01(月) 06:14:00
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。

遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。

「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)

この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。

日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。

これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。
817日本@名無史さん:2008/09/01(月) 07:04:18
倭人伝の邪馬台国は3世紀。裴世清は7世紀の人物。
はたして400年近く前のことがわかっていたのか?

単なる裴世清の思い込みというのも考えられる。
それに、邪馬臺「者」也というのも気になる。

日本書紀では、卑弥呼と神功皇后を同一視しているところがある。
日本書紀の年代観では、神武天皇は紀元前7世紀頃には大和で即位しており、
大和朝廷はその頃から存在していた。

記紀は、天皇記や国記が元になっているとされるが、天皇記や国記ができた
頃の日本人も邪馬台国については知らなかったのだろう。
818日本@名無史さん:2008/09/01(月) 07:08:15
>>817
訂正
邪馬台国について知らなかったということはないかもしれない。
伝説程度に残っていた可能性はある。
819日本@名無史さん:2008/09/01(月) 07:33:59
>>817

「者」は題目を提示するときに使う言葉。
日本語の格助詞「は」に近い用法だと思えばよい。
820日本@名無史さん:2008/09/01(月) 13:35:55
>>808
    {        .    }
     ',.    (,゚Д゚,)    i   _⊂ ̄ ̄ ̄⊃
    ヽ   ∪ ∪   /  ⊂___⊃ ̄
     `ヽ、_    _ ○
          ̄ ̄ ○ ○
 ∧∧   ∧∧   ○ ○ ○
 (;;;;;;;;゚)  (;;;;;*゚) .| ̄ ̄ ̄ ̄|.   /彡ミ. /彡ミ
 /;;;;; |.i i /;;;;; |  ~| ̄ ̄ ̄|~   /彡ミ. /彡ミ
(;;;;;; /乂(;;;;;; /    .|__( ̄)__|   /    /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄
821日本@名無史さん:2008/09/01(月) 14:56:10
マキムク石塚、矢塚などの原始前方後円墳の被葬者は誰ですか?
邪馬台国オタの皆様、妄想をフル回転させて考えてください。
822日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:08:00
古墳や遺跡の年代判定は、土器編年だと畿内が古いことになっている。
C14で測定すると、九州や中国、東北が相当古い。
畿内を作為的・無意識的になるべく古く判定してきたために、
「古代巨大権力があったのは畿内のみ」といった妄想や
「日本全国の古墳の中心は畿内」であるとか
「前方後円墳は日本の中心=畿内が発祥であり、また中心地でもある」
・・・といった誤った誘導が湧き出てくる。

まずはここ(誤った年代判定)から直さねばならない。
823日本@名無史さん ::2008/09/01(月) 15:46:15
畿内説は宗教なんだから、直せないだろう
824夏祭:2008/09/01(月) 16:02:04
>>823
いえいえ、古田教信者の皆様には及びもしませんわ。
>>811
考古学者原田大六は、遺稿「悲劇の金印」に於いて、
帥升の国倭面土地国を、「目達原」「女多」集落の存在から、
当時の三田川町を中心とする一体に比定した。
彼が死んだ翌年、彼が指摘した集落の付近から、倭面土地国の存在を裏付ける発見がなされた。
それが、かの有名な吉野ヶ里遺跡である。
しかし、どうしても邪馬台国を九州に持って行きたかった面々は口々にそれを邪馬台国だと言い張り、
今現在まで、吉野ヶ里遺跡と倭面土地は関連付けられて語られることはない。

つか、ここでもあったよ古田教信者の低レベル罵倒攻撃w
825日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:38:25









        また夏祭か






826日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:35:46
>>814
松本清張が市井のマニアを巻き込んでの邪馬台国ブームを作り
吉野ヶ里が邪馬台国かのように喧伝された頃が九州説のピークで

現在は一般人の認識は別としてアカデミズムの場では
史学・考古学ともに畿内説が優勢。

それと九州説と言っても、2ちゃんのこの板の場合ちょっと 「「「 特殊 」」」 だからw
一般的な九州説とは分けて考えた方が良いwww
827日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:51:57
>アカデミズムの場では
史学・考古学ともに畿内説が優勢。

そうなんですか、でもここに限らず、
どこの掲示板でも討論では畿内説は何で劣勢なんですかね???
828日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:04:57
そりゃ、アカデミズムは左翼主体だからだろう。

邪馬台国が九州にあって、それが畿内に移ってヤマト朝廷になったなんて、
「神武東征」を認める軍国主義だから、思想的にダメと拒否し続けてきたんだから。

戦後の歴史学界はマルクス主義全盛で「教授になりたかったらマルクスに跪け」で
事実を突きつけられても認めない、無視するの繰り返しだよ。
その退廃的な風潮が今に続くのが畿内説ということ。

それが、洗脳を受けていない人たちには奇異に映るというだけのこと。
829日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:13:05
>>827
まあ九州説は机上のシミュレーションで理論上ありえれば良いが
畿内説だと現実世界にそれを見出そうとしているから
どうしても文献との齟齬なんかが出てくるからじゃないかな?w



830日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:23:39
>>828
まあ戦後マルクス史観が流行ったと言うのは事実だろうが

それとは別に「東遷説」は考古学的資料が無いから相手にされていないと言うのが現実だろう?w
思想云々言う前にwwwwww

大和朝廷の祖になるんだったら、纏向に無理をしてでも、行っとかなきゃダメだよ、神武ちゃーんwwwwwwww
831日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:33:08
>>829をもう少し具体的に言わせてもらうとだ・・・

九州説の脳内邪馬台国は径百余歩の卑弥呼の墓には百余人の奴婢が殉葬されていて
生前使われていた宮は奴婢千人を擁していた。
無論、人口は七万戸の巨大国家w

なんせ脳内産物だからなんでもおkwww

突っ込んだところで
「じゃあそれが無い事を証明しろ」
と言う”悪魔の証明”を吹っ掛けられたらお手上げw

無論そんな事は史学・考古学の先生どころか素人同士でもリアルの場で言えるかどうか・・・
所詮、ネットの持つ 匿名性 が成せる現象www

逆に言えば
 
 じゃあネットで勝ち誇っている九州説が何故リアルで旗色悪いの?

と言う事になるwwwwwww
832日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:04:13
結局、戦後の左翼史観は大本営の没落そのものなんだよね。

出土物での劣位は当初から顕著だったが、左翼全盛の勢いで当初は押し切ってきた。
記紀は偽書で王朝は交代したとする反皇国史観は戦地を席巻する勢いがあった。

しかし、鏡も鉄も300年以前に遡る出土は皆無で、苦戦が続き、
頼みの三角縁は中国では1面も出ない(ドイツ、イタリア敗北)が、これもひた隠しにする。

「畿内の後進性」(=ミッドウェー大敗)を隠蔽し続けてきた自生説が崩壊すると、
畿内説という絶対国防圏を死守するために、年代遡上というカミカゼアタック。
スプリング8の竹やり攻撃も虚しく、戦局は悪化の一途をたどり、

世論も同調せず、東条内閣は崩壊し、
本土に数百発の核を落とされても、終戦を告げる天皇は彼らには居ない。
833日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:23:15
左翼は九州説だけどなw
834日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:24:19
>>829
>まあ九州説は机上のシミュレーションで理論上ありえれば良いが
>畿内説だと現実世界にそれを見出そうとしているから
>どうしても文献との齟齬なんかが出てくるからじゃないかな?w

文献と齟齬しないものを探すのなら、まだ議論もできようが、
文献と齟齬するものを各々が勝手に想像して、
それと一致するもの探すのなら議論にすらならない。

そもそも、創造イメージで探すこと自体がリアルとは言えないが
835日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:26:07
文献と齟齬しない九州説なんか存在しない事を認めろよw
836日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:30:11
南方の風土が海が描かれている邪馬台国の所在地として、
奈良県をあてがうこと自体に無理をしすぎだね。
余命幾何もない畿内説をかわいそうに思うよ。
837日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:37:07
左翼=反皇国史観=記紀否定=征服王朝説=王朝交代説=九州王朝説
838日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:39:34
>>837みたいなのに限って、妄信的畿内説信者なんだよね〜
839日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:40:27
「邪馬台国はヤマトに決まってます」・・・これが唯一の根拠=畿内説
840日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:43:55
絹や三種の宝物、鉄器など、最重要な出土品は九州が圧倒的。
魏志倭人伝に出てこない、魏の薄葬の風に反した、
どうでも良い巨大前方後円墳は、畿内が圧倒的。
841日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:52:13
近代以降の「天皇の祖先の一族が古代から日本列島の権力の中枢を独占していた事が
イデオロギー上認められない」左翼史学者が、
王朝が征服されただの、交代しただの、九州にあっただのとゴネてるだけ

近世以降の「天皇の天皇の祖先の一族が、古代に大陸の皇帝に爵位を受けた事が
イデオロギー上認められない」嘗ての国学者らが、
古代の権力の中枢を畿内から遠ざけていただけ


この上下の大流を出鱈目に解釈して「左翼の反皇国史観」=「畿内説」なんて笑止千番
842日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:56:06
畿内ヤマトの天皇唯一絶対史観 = 畿内説  ・・・いわゆる単純馬鹿
843日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:14:58
畿内説は、万世一系の皇統も、神武東征なんちゃらも認めない、
皇国史観とは無縁の学説なんだが、
まあ、サイキバ君には思いもよらないことだろうなあ。
844日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:20:45
そもそも皇国史観と親縁だろうが無縁だろうが、邪馬台国が畿内か否かには関係ない

しかし、畿内否定論者の御前らみたいな馬鹿は、

先ず皇国史観を至上の歴史観とし、
左翼は左翼であるが故にそれを否定しており、しかも左翼は畿内説であり
畿内説は至上の皇国史観に逆らう不逞分子と扱って勝利宣言

左翼が畿内説?w左翼は反畿内説だよww
左翼は九州どころか畿内以外なら何処でも良いんだよww
845日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:22:27
それどころか「倭」の文化や痕跡を日本の
どこかで感じたことが一度でもありますか?
邪馬台国どころか倭の存在さえ感じられないのでは?
邪馬台国というのはシナの言う倭国のひとつですよ。

846日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:27:25
神社の鳥居、しめ縄、高床式の倉・・すべて倭人の文化の影響を受けている。
日本全国いたるところに倭人の痕跡があります。
847日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:30:00
>>846

あなたはそれを見て「倭」を感じたんですか?
あるいは「倭」という文字がどこかにありましたか?

848日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:38:08
古代〜現代まで学界の主流は、反日マルクス主義というのは事実だわな。
「南京大虐殺」も否定は主に他の分野の学者で、学界主流派は大虐殺を肯定。
849日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:48:52
>>847あまりにも倭人の文化が身近にあふれているため、
    かえって、それに気がつかないのです。
850日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:55:26
>>844
本居宣長の九州説は皇国尊重の発想から唱えられてた訳だが。
畿内にも九州にも左右両派いるんじゃないのか?
851日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:58:24
「倭」の存在が全く感じられないからこそ「倭」の女王の国であった
邪馬台国の場所さえわからないんでしょ。
「倭」や「邪馬台国」はどこに存在していたんですか?
シナの歴史書です。

852日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:58:31
これが清く正しい皇国史観九州説です

先進の九州と、後進の畿内と対比される3世紀に
九州にその首長の居る邪馬台国があり
卑弥呼がアマテラスで
神武が畿内大和に東征した/東遷した
853日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:01:03
>>847
例えば、アイヌ人とは、自称です。つまり、I am。
日本人は、自分を称して、わたし=倭たし、われ=倭れ・・
みんな自分たちのことを倭人と称しているではありませんか。
854日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:03:03
だから近世以降の国学者がって言ってんだろうダボ

宣長はソモソモ論に掛からない、無関係のものをイデオロギーに合わせて関連付ける馬鹿なの
855日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:13:16
>>853

あなたは一度でも自分のことを倭人と言ったことがありますか?
856日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:30:09
>>855東北地方のたとえば庄内地方などでは、自分のことを「わ」と称します。
857日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:43:04
>>855日本人だけの土地に住んでいて、おまえは何人だと聞かれて日本人だと答えますか?
    せいぜい、関西人やとか岩手県人とか答えるだけでしょう?
    日本は倭人の国。周りはみんな倭人。自分が倭人であることを意識する必要がないのです。
    外国に行って初めて、自分は日本人だと気づくものです。
858日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:48:39
>>857

倭人なのに倭人の女王だった卑弥呼の場所の記録も記憶も無いんですか?
859日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:50:34
とりあえず、畿内説論者の主張できることはなくなったようですね

皇国史観がどうとかそんな焦点のない話は興味なし
860日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:53:52
うち(実家)には、ばあちゃんが天皇ご一家のお写真を飾っています。
神棚には天照大神と豊城入彦のお札。仏壇にはご先祖様の遺影。
アマテラス=卑弥呼ではないでしょうか?ご先祖は倭人。
861日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:12:36
アマテラスの記述をしている日本書紀には卑弥呼はもちろん
倭の文字さえ皆無です。
一方、シナの歴史書には隋の時代まで日本の文字は皆無であり
あるのは卑弥呼であり邪馬台国であり倭。
862日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:18:12
誰が親切に、卑弥呼=アマテラスなんて注釈を付けてくれるんだよ?
863日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:24:45
>>858
最高軍事機密だよ卑弥呼の居場所は。
魏の使者も首都に入るどころか近づけなかったほどさ。
864日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:35:47
卑弥呼=アマテラスだということは、大和朝廷の最高機密。
つい最近まで明らかにされることはありませんでした。
倭=大和これも国家の最重要機密です。
なぜそこまでこだわるかというと、倭人=大陸出身ということを
知られたくなかったからです。
865日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:49:55
なるほど!
春秋戦国の動乱で越に滅ぼされた呉の移民としては居場所を知られたくなかったわけですね!
朝鮮半島には無かった弩を大和朝廷が弩兵部隊まで編成できるほど所持していたのも大陸出身ならば納得できますね。
遠い辺境からはるばるやってきた倭人に魏の皇帝が可愛く思い下賜した当時最新技術で作られた品々を、次の朝貢の時にソックリそのままコピーして持ってきたのに驚いたそうですが、その高度なコピー技術も大陸出身なら辻褄が合いますね。
866日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:52:07
× アマテラス

○ アマテル

※アマテルは対馬の女王、卑弥呼は福岡県博多湾岸邪馬壱国の女王
867夏祭:2008/09/01(月) 23:10:44
>>826
大体そんな感じだな。
旧三田川町に吉野ヶ里遺跡が発見されて、
原田大六「倭面土地国三田川説」が一躍有名になるかと思いきや、
マスコミはそれには触れずに「邪馬台国だ」「邪馬台国だ」と大騒ぎ。
やっぱ倭面土地国より邪馬台国の方がメジャーだからねえ…
>それと九州説と言っても〜
確かになw
九州説全体がそんなレベルだったら、
とうの昔に潰えてるはずだもんな。
>>827
なぜこの板では畿内説が不利なように見えるか?
それはね、一部の九州論者による低レベルな罵倒書き込みが大量に行われているからだよ。
>>828
少なくとも古田教信者よりは事態を把握しているね。
古田信者は今でも「畿内説=右翼皇国史観、それを覆せ!」みたいなこと言ってるけど、
今の九州説は安本美典や井沢元彦に代表されるような右翼的人間主導だからね。
昔は大日本帝国政府が「邪馬台国は畿内、卑弥呼は神功皇后」と言い、
津田左右吉みたいなまともな人間が九州説を唱えてた。
この状況は帝国から日本国に変わった戦後も、しばらく変わらなかった。
でも、今では違ってきている。
安本支持者はその当事者であるだけ、古田信者よりも状況が分かってるな。
>>833
何時の時代だw
>>850
まあ、全体から見たら最近は畿内=左主導、九州=右主導ではあるけれど、
それしかいないというわけじゃないからな。
868日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:21:27
↑なんだ、国粋主義者、夏祭か
869太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/01(月) 23:27:53
>>861
梁書 巻五十四 列伝第四十八
扶桑国 齋の永元元年、其の国の沙門慧深有り、・・・説いて言う。
扶桑は大漢国の東二萬餘里、地は中国の東に在り・・・・・・・
文字有り、扶桑の皮を以て紙と為す。・・・・・国の王を名づけて
乙祁(オケ=顯宗天皇)と為し・・・・・・・・・・・・・・」
870日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:28:55
魏志倭人伝には暖かい倭人の国家しか書かれていない。
それを無理やり寒い畿内に偽装しようとするのが畿内説。
漢籍を自由に改変し、あるいは無視し、勝手読みばかり。
考古学でも、畿内の遺跡を、実際より古く古く捏造判定。
こんな畿内説とは、学問以前といえましょう。
871379:2008/09/01(月) 23:35:20
>>579

>三角縁を国産として、年代遡上を認めずに350年〜400年頃を製造時期とすると、
>紀年鏡は380前後に製造されたのではないかと考えられます。

上の人は、同位体が近似してれば同時代の、しかも380年に作られたと言ってますが、
やっぱり根拠がよくわかりませんね。


新井の本が届いたので、ざっと目を通してみましたが、
同位体が近似してることをもって、同じ原料が使われているとしても、
どの時代に製造されたものかまでは確定していないようです。

三角鏡の景初四年銘が、380年製造というのは、かなり乱暴な推論でしょう。

やはり、三角鏡の景初四年銘は、国産を強く示唆するものとであると同時に、
実際にその年代(3C)に三角鏡が畿内中心に量産された可能性は強いと言えるのではないでしょうか?

つまり、平原が衰退した(九州が衰退した)のも310年以後ではなく、3Cだと考えられることを否定は出来ないと。

872日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:38:31

吉田だの安本だのしらねーよ
>>867キチガイだろおまえ
左翼とか右翼とか言ってないで畿内説の説明をしろよキチガイ宗教家
873太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/01(月) 23:42:44
紀無いに女王国があれば記紀に卑弥呼の記事が倭人伝以上に満載
される。ヨソ者の国の古文書に卑弥呼の記事があり、紀無いに卑弥呼
の女王国があるのならば、ヨソ者ではない身内の古文書たる記紀に、
倭人伝以上にこれでもかというほど卑弥呼の記事が書かれる。

それがないという事は、紀無いの近隣に卑弥呼の国がなかったからで
あり、当然九州にあったということになる。卑弥呼が九州の女なら
ば、紀無いより非常に遠方にあり、また一寸ヨソ者の大陸に近いわけ
だから、遠方たる紀無いは九州の情報が(北九州以外)取れないのは
合理的であり、そのため記紀に卑弥呼の記事が伝からの借り物の僅か
以外載ってないのは当然なわけだ。卑弥呼の国は九州でも奥九州に
あったと考えるべきであろう。それがたまたま大陸に情報が行ったと
いうことになる。
874日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:47:58
>>871
>やはり、三角鏡の景初四年銘は、国産を強く示唆するものとであると同時に、
>実際にその年代(3C)に三角鏡が畿内中心に量産された可能性は強いと言えるのではないでしょうか?

最近、箸墓280年説に畿内説論者がコロコロっと変わっているご時世、
そんな中で三角鏡が景初四年頃ってのは苦しいのでは?

思い切って、伝世を唱えれば楽になるよ
875日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:48:40
>>871 上でもチラっと書いたけど
三角縁のなかでの文様の変遷については、新井とは別の本を読む必要があります。

文様の変遷は、基本的には具体的→抽象的という流れと、唐草文様のような
中国にはない文様への変遷があります。
何れにしても、三角縁の紀年鏡の文様は、変遷のなかでの後期以降に位置づけられます。

これは、古くは小林が文様の変遷を論じてきて、その後に紀年鏡が出土してきたために
生じた不都合と言えるかも知れません。舶載説に不都合であるため、最近ではこの
論点は放置されている感もあります。

以上を前提に、三角縁を国産として短期流通説をとる場合には、三角縁の開始は340〜350
頃になるという前提で、紀年鏡を380頃と考えております。
この年代観からは、平原が4C初めというのはむしろ当然です。
876太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/01(月) 23:51:59
紀無いに卑弥呼の国があるとすると以下はおかしいという事になる。

                ↓

遠いヨソ者の国の古文書に身内(日本)の女王国の記事が詳細にある

畿内の近く(中)に女王国があって身内(日本)の記紀に記事が無い

                ↑

これで畿内に卑弥呼の国など在るわけがない。
877日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:54:40
>>827

キャーッハッハッハッハッハ! おもしれー マジで紅茶拭いた!

んなもん、2chに九州信者が跋扈してるからだろ!
つーか、九州信者が跋扈できる場が2chだからだろ!

2chの優勢をもって、アカデミズムでの優勢に代替しようとするなよ九州坊主!

あのなあ、あんたはんもうすうす気がついていると思うが、
九州信者はなあ、アカデミズムの場で勝負できないから、
こんな湿気た場所でうじうじすることしかできないんだろーが
カビのようにじめじめした場所でしか増殖できないだけやろーが

お前ら、アカデミズムの場では何もできないくせに、
2chで目立ってるだけでやけに誇らしげやなあ

まあ、それが、お前らの実態なのだぞ 笑



みなさん、2chでは、九州説への証拠認定は易しめに、
畿内説への証拠認定は厳しめにお願いします
九州カルトは、2ch以外では相手にされないので、後がない状態です

878日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:56:50
飯の食える、学会の「実力者だけ」は九州説だってのが笑えます
879日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:58:55
一人で飯の食えない、ダメ学者は、「失業対策として畿内説」
880日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:01:11
なにもできない奴らが悔しがり言葉を並べてどうするw
881ローガン:2008/09/02(火) 00:11:36
>>870

> 魏志倭人伝には暖かい倭人の国家しか書かれていない。

それが何か?季節の事を云いたいのですか?
> それを無理やり寒い畿内に偽装しようとするのが畿内説。

寒い?冬の事?だったら確かに寒い!でも畿内説の誰が来倭が寒い時期って言ってるの?

> 漢籍を自由に改変し、あるいは無視し、勝手読みばかり。

具体的にどうぞ、ご指摘ください。

> 考古学でも、畿内の遺跡を、実際より古く古く捏造判定。

「実際」がどうして判るの?

> こんな畿内説とは、学問以前といえましょう。

例の九州王朝のサイキバ君? >>431の「漢以来薄葬」の根拠として貴方が>>469であげた「薄葬の詔」読みましたか?
まだ、「漢以来薄葬」の根拠になると考えますか? (違う方ならごめんなさいね。)
ではお休みなさい。
882日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:58:06
畿内説って、魏志倭人伝や漢籍の否定から始めるんですね。>>881
これはもう、学問じゃなくて、宗教なわけです(笑
883日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:58:39
884日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:05:00
pu!

あんたここで学問やってるつもりだったんだw

ねえ、学問やるんだったらちゃんとアカデミズムの場ってモンがあるんだよw
なにも、わざわざ2ch選ばなくてもいいんだよw

え? 2chでしか自説を開陳する方法がない? 
あ、九州なんとか教の人たちだったね君たちw





九州信者は、2ch以外では相手にされないので、後がない状態です。


885日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:05:37
考古学を軽視して、年代判定を改竄
文献学を無視して、漢籍を改変・無視



  これが、畿内説
  もはや宗教です
886日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:09:16












            また夏祭か















887日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:10:33










             畿内説は100%デタラメでできています

















888日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:14:12






     畿内説の特徴:


     キモイ、ブサイク、ネット引きこもり、怠惰、愚鈍、
     臭い、社会に対する恨み、劣等感、夜郎自大、
     人間関係が苦手、口臭、ウザイ、卑怯、愚劣






889日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:16:39







      畿内説の特徴:



      魏志倭人伝が嫌い、隋書が嫌い、唐書が嫌い
      文献学が嫌い、考古学が嫌い、学問が嫌い
      自説と異なる考えが嫌い
      自説に不利な証拠が嫌い
      




      もはや、カルト宗教そのものですね








890日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:17:45








     夏祭の特徴:


     キモイ、ブサイク、ネット引きこもり、怠惰、愚鈍、
     臭い、社会に対する恨み、劣等感、夜郎自大、
     人間関係が苦手、口臭、ウザイ、卑怯、愚劣















891日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:18:33








      夏祭の特徴:



      魏志倭人伝が嫌い、隋書が嫌い、唐書が嫌い
      文献学が嫌い、考古学が嫌い、学問が嫌い
      自説と異なる考えが嫌い
      自説に不利な証拠が嫌い
      




      もはや、カルト信者そのものですね







892日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:20:07









      夏祭 涙目 w












893日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:33:50
誰か相手してあげたら
894日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:27:08
>>875 に続けて三角縁の短期流通説の理由を書きます。

三角縁のデザインは、大きく分けると8前後に分けられます。
それを@〜Gのように分けてその出土状況を見ると、
一つの古墳で@〜Dが出たり、ABとEが出たりしています。

三角縁国産説でこの状況を検討するとデザインの変遷は
せいぜい2世代をすこし越えるくらいの期間にしかなりません。
だいたい40〜60年で、集中製造期は2,30年ほどかも知れません。

唐草文様が出てくる後期後半〜末期の三角縁が4C末葉になるので、
開始時期が350年頃というのはほぼ確定と言えるでしょう。

畿内説の大半がいまだに三角縁舶載説に固執しているのは、国産を
前提としてデザインや文様の変遷を検討したらどうなるかが、
分かっているからでしょう。それは年代遡上の完全否定です。

一括して数千枚をもらって、一括管理して伝世したという議論では
このデザインの短期変遷は無視できますが、国産となると別です。

舶載説も最近ではデザインの変遷を議論しなくなりましたが、
見下げ果てた学者根性ですね。
895日本@名無史さん:2008/09/02(火) 03:50:13
紀年鏡について言うと

「それは実際にはずっと後になって、日本にとって由緒のある年号を選んで国内で作られた」

・・・と言う解釈がある。

無論それもあるだろうが、全てをそれで片付け様としても
「青龍」やまして呉の年号「赤烏」はそれでは説明できないw

3世紀中頃から南方系の神獣鏡が日本に入って来たと考える方が自然。
(んで、その神仙世界のモチーフが当時の日本人にバカウケwwww)

何故か安本な人達は
「呉系の鏡は呉滅亡以降で無いと日本には入ってこない!」
と言う前提みたいだがwww


896日本@名無史さん:2008/09/02(火) 04:24:57
そもそも、頭冷やして考えなきゃならんのは
「景初三年」の銘があるからと言っても
それに続けて「邪馬台国」や「卑弥呼」その他それらに関する文字が出てくるわけでも何でも無いw

「景初」の年号があるからと言って、それを卑弥呼の鏡とする根拠にはならないし

「景初」の年号があるからと言って、後世にそれを由緒ある年号として製作したと言う根拠にもならない。
897379:2008/09/02(火) 04:45:37
>>894

>だいたい40〜60年で、集中製造期は2,30年ほどかも知れません。

それもまた乱暴な推測ですね。

>一つの古墳で@〜Dが出たり、ABとEが出たりしています。

ABとEが出たりするのは、
ABが伝世して、Eが出てから埋納されたのでは?
ABEが同時に出たからといって、製造期間が2,30年とは非常識です。
鏡のような大事にされるものは、伝世しないと考えるほうがおかしい。

デザインの変遷による編年で、景初四年銘が4Cになるというなら、
編年をもう一度やりなおすのが筋というものですね。
そもそも、景初四年銘の三角が4Cだという話は聞いたことがありません。
誰がそういう論文を書いてるか、教えてください。
あなたの個人的見解でなければ。
898日本@名無史さん:2008/09/02(火) 04:54:36
伝世ってまことしやかに言うけど、根拠ゼロでしょ。
とくに三角縁神獣鏡は「埋葬用鏡」の性格が濃厚なんだから、
数世代あとの人の埋葬用に作ったりする可能性は低い。
899379:2008/09/02(火) 04:59:36
>>898

>伝世ってまことしやかに言うけど、根拠ゼロでしょ。

根拠が無いという根拠は?

>とくに三角縁神獣鏡は「埋葬用鏡」の性格が濃厚なんだから、

根拠は?
900日本@名無史さん:2008/09/02(火) 05:06:34
根拠がなきゃ、「伝世」なんていう勝手な想像しちゃダメですね。
三角縁神獣鏡は多数、埋葬用に使われています。単なる事実。
901日本@名無史さん:2008/09/02(火) 05:19:13
まあ三角を完全に「埋葬用」とするのなら
複数の形式が埋葬されている事がおかしくなるなwww

出土した三角の形式の組み合わせを見ると
時代が下るにつれ形式の範囲が広範になってくる。

T〜Z群の分類で見ると・・・

椿井大塚山は T・U・V・W と出ているが

佐味田とかだと T・V・Y



902379:2008/09/02(火) 05:19:23
>>900

なにを言ってるの君は?

A.伝世は絶対無い
B.伝世したかもしれない(伝世しなかったかもしれない)

証明が必要なのはAのほうだろ。
903日本@名無史さん:2008/09/02(火) 06:08:07
銅鏡に限らず、青銅器は鋳型に銅を流し込んで作る。固まってから取り出すと、
余分な銅がくっついてくる。これをバリという。これをきれいに取り除いて
製品として完成する。

ところが、黒塚古墳から出てきた三角縁神獣鏡には、このバリが付いたまま
だった。
つまり、製品としては未完成。長年使っていてこんなことはありえないので、
三角縁神獣鏡は、葬儀のために急きょ、作られたものではないかとされる。
904日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:16:07
>>902

おまえヴァカ?w

いいか、おまえはノコノコとこんなスレには顔出さなくて良い
おとなしくインベーダーゲームでもやってろやw

きみ、証明とかアタマを使うことが苦手そうだから、
一生、都合の悪いことからは逃げて回ればいいんだよw

おまえが一つ書き込みを増やすたびに、
笑いの種が一つふえるだけだぞw

905日本@名無史さん:2008/09/02(火) 08:00:56








     畿 内 説 w










906日本@名無史さん:2008/09/02(火) 08:01:50












     夏 祭 = 畿 内 説 w












907夏祭は去れ!畿内説は去れ!:2008/09/02(火) 08:16:39
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909のんびりひまじん:2008/09/02(火) 09:05:37
1953年椿井大塚古墳から最初の年号鏡が発掘された→すぐに伝世鏡理論へ

気の毒なことに、永仁のツボ事件よりも前だった。(年号なんて後世に、どうにでもなる)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BB%81%E3%81%AE%E5%A3%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

しまったと、思ったかも知れないが、いまさら撤回できないのでそのまま伝世主張を続けた。

せめて中世のヨロイカブトの正平革の知識くらい持っていたならとも思いますが・・・・
http://goonagoya.seesaa.net/article/46998704.html
910日本@名無史さん:2008/09/02(火) 09:09:15
↑九州信者の妄想には相手にしないぞ
911日本@名無史さん:2008/09/02(火) 09:42:28
>>897
>そもそも、景初四年銘の三角が4Cだという話は聞いたことがありません。
>誰がそういう論文を書いてるか、教えてください。

上の方で森浩一が出ているが・・・
912日本@名無史さん:2008/09/02(火) 10:21:27
>>911
「鏡は僕も重要だと思うが4世紀の終わりか5世紀の初めに
日本で作ったと考えている。」森浩一同志社大不名誉教授談
この教授はボケてるとしか思えない。
913日本@名無史さん:2008/09/02(火) 11:07:49
>>901
三角縁の出土傾向は前・後の2期にしか分けられないというのは、
舶載説のときは都合が良かったんだよねえ。
前が舶載で、後が国産という整合性があった。

しかし、国産説を前提とすると、短期集中製造の証拠になるから
年代遡上説がぜんぜん成り立たなくなるんだよねえ。
914日本@名無史さん:2008/09/02(火) 12:35:04
三角縁を国産とした場合に、年代遡上説にとって最大の難関になるのは、
柳本天神山古墳ですね。

あれは古墳の形態は、纒向形でもバチ形でもない4C後半型の古墳で
立地は崇神稜の陪塚的位置にある。
つまり、4C後半より以前の時期に位置づけることが困難な古墳である。

そこから鏡が20面でたが、三角縁は出ていない。
普通に考えればこの古墳への埋納の時期には、三角縁は製造が始まって
いなかったことになる。

つまり、三角縁の製造開始が4C後半以降になる。



915日本@名無史さん:2008/09/02(火) 13:03:21
三角縁を国産にしたときに、さらに問題になるのが椿井大塚山と
黒塚の同型鏡の問題ですね。

もともと4C後半より古くするのは無理であるとされてきた椿井大塚山を
年代遡上説は古くしてしまったけど、同型鏡を出土する古墳までは
遡上できない。

しかし、同型鏡を出土する古墳が4C後半〜末葉とされるものが多いので
国産で伝世を否定すると、椿井と黒塚だけの遡上が頓挫してしまう・・・
916日本@名無史さん:2008/09/02(火) 15:08:40
前提が百年狂ってるよな
917日本@名無史さん:2008/09/02(火) 15:39:41
畿内説って、証拠もないのに、自説を糊塗するために

  鏡は威信財でなければならない とか

  鏡は伝世されるものでなければならない だとか言い出す

  三角縁神獣鏡は埋葬用にふさわしく作られた宝であり
  金ピカの鏡がサビサビになったら価値も半減
  遠い子孫世代の埋葬向けに鋳造する馬鹿もいない

あらゆる妄想概念を繰り出す、インチキ宗教=畿内説って、怖いですね。
918日本@名無史さん:2008/09/02(火) 18:00:41
>>915
石野さんなんかは、三角を出土する地方の古墳の年代を軒並み遡上させて
全体の整合性を保とうとしていますが・・・・・

古墳の少ない地方でそれをやると、その地域に古墳の空白期ができてしまうのが
難点ですね。ヤマトなら空白に適当な古墳を入れておけばいいけど。

あと、イ方製とされてきた三角縁を出土する4C末葉の古墳も遡上できないですね。

須恵器を4C半ばまで遡上させれば何とかなるけど、さすがにそこまでの勇気は
ないのかなあ。すでに一線を越えているから、とことんやればいいのに・・・
919379:2008/09/02(火) 19:28:07
ずっと話を聞いてても、鏡が伝世されなかったという根拠は聞こえてこないね。

何か矛盾点をしてきしてるみたいだけど、伝世されていたなら無問題。

「伝世されていたとしても」矛盾がある、という事例をぜひ出してほしい。

そうでなければ、「伝世は絶対無い」=「信仰」と同じだよ。
920日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:15:53
919は詐欺。

「多くの鏡が絶対に伝世されているに違いない」・・・という断定に対して
「伝世という根拠がない」と否定しているだけなのに、

「伝世は絶対にないと主張しているはず」という思い込みは違うでしょう。
921日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:54:09
うちのじいちゃん、江戸時代から伝わる家伝の壺をいっしょに埋めてくれ
と言い残したので、骨壷代わりにして埋葬しました。
墓に埋葬するのは、後の世代には価値がないものだからです。
922379:2008/09/02(火) 21:10:14
>>920

「伝世はされてない」という考えだけなら、個人の勝手だが、
だから、「古墳は新しい」という結論を導くならもっと証拠が必要ということだよ。


923日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:35:30
× 「古墳は新しい」という結論を導くならもっと証拠が必要ということだよ。

○ 「何とかして古墳を極力古く判定するように偽装しよう」という思惑を諦めれば
   何の年代偽装も必要がないいうことだよ。
924379:2008/09/02(火) 21:39:43
>>923

年代遡上という言葉が独り歩きしてるだけのように思えるけどね。

吉野ヶ里遺跡なんて、発掘されたときは邪馬台国時代か?と騒がれたけど、
もっと古い時代のもので、邪馬台国時代には廃れていた。

吉野ヶ里遺跡のほうこそ、年代遡上だ!と、九州説の人は騒いでもいいんじゃないの?

どうなの? そのへん。
925日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:43:07
あれは、海上封鎖まで行っていた強国=呉から身を守るための施設でしょ。
呉の勢力が衰えれば、施設は縮小するのが当たり前。
926日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:45:47
>>924

畿内説では、朝鮮半島まで手を伸ばしていた呉に対して、どういった国防をしていたと考えてるの?
具体的に言ってくれるかな?
927日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:47:04
伝世を前提に、年代的に合っているって主張するのはおかしな話
928379:2008/09/02(火) 21:48:01
>>925

いちいちレスするのも面倒なんだけど、

1、呉が海上封鎖していたのか?
2、九州は呉から身を守る必要があったのか?
3、そのために吉野ヶ里の立地が適していたのか?

↑それぞれに根拠が必要だと思うけど、俺には一つも思い浮かばない。
929日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:51:23
>>919
ある事柄があるかないかの問題は、あると主張する側が証明するのが、
普通だよ。ないことの証明は、「悪魔の証明」と言われる。
「ない(無)」の完全な証明は論理的に不可能に近い。

とはいえ、古墳時代での伝世を否定する理屈は、いくつかある。
1、鏡は古墳からほぼ全部が見つかり、居宅や倉で眠らせて伝世させた
  形跡は考古学的には確認できていない。
2、バリの付いたままの鏡が出土した例がある(使用していない)。
3、紐の穴に鋳造したときの真土が入っていたものもある(使用していない)。

つまり、実用しない葬送用の道具であり、葬儀のために作成されるので、
子供や孫やひ孫の葬儀のために備蓄しないということ。
そうはいっても、鏡職人は見本の鏡は持っていたはずだから、そのレベル
での伝世はありうるだろうね。
930379:2008/09/02(火) 21:52:17
>>927

そこまでいうなら、吉野ヶ里が邪馬台国時代よりも古い遺跡だという根拠を教えてよ。

畿内説が年代遡上しないで、古墳時代が4Cとか5Cとかなら、
吉野ヶ里は邪馬台国時代でも十分おかしくないはずだよね?
931379:2008/09/02(火) 21:54:26
>>929は、とくに考古学に詳しいようだから解説してくれるよね?

吉野ヶ里が邪馬台国時代よりも古い遺跡だという根拠を教えてください。

どうして、吉野ヶ里は3Cの遺跡では無いのですか?




932日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:57:35
さてさて従来まで言われてきた古墳の築造年代に鏡の年代を合わせるか
鏡の年代に古墳の年代を合わせるか・・・

まさに鶏が先か?卵が先か?wwww

大雑把な話、年輪年代によって古墳時代も100年ばかり遡上するっちゅう話だから
そうなると紀年鏡の問題もかなり緩和される?

森浩一も「青龍」「赤烏」の年号にはお手上げっぽいしw

まあそうすると実在した最初の天皇=崇神の墓が本当はどれなのか?っちゅう問題が出てきてしまうんだがwwwwwwww




933日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:05:00
>>931  出土物が前漢時代とされるから。

ただし、これにも疑問はある。
  前漢の遺物→前漢時代  後漢の遺物→後漢時代

とやると、奴国では後漢の遺物が出ていないことになり、57年の朝貢を
裏付けるものは、いまだ未発見ということになる。
貨泉も奴国を中心に分布するわけではない。
伊都国でも同じ問題が生じて107年の朝貢を裏付けるものがなくなる。

朝鮮経由の物の流通はタイムラグを認めたほうが良いかもしれない。
奥野なんかはそんな考え。
私も吉野ヶ里の最盛期を3C、終末期を3C末と考えている。
934日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:09:02
面白いのは九州で所謂「纏向型前方後円墳」と呼ばれている物の中に
三角を出している物がある。
(厳密には前方部と後円部の比率が微妙に違うが・・・)
 そう言えば甘木にもありましたwwwwwwwwww)

さてこれらを4世紀以降にして九州の古墳の編年等々に齟齬をきたさないのだろうか?


参考 Wiki より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%8F%82%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
>また副葬品として三角縁神獣鏡と玉類が出土した。
>また、布留式土器よりも古い土器を伴い、確実に質のよい三角縁神獣鏡を副葬している。
>いわゆる出現期、発生期の前方後円古墳である。


935日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:12:28
>>930
伝世を前提に、年代的に合っているって主張するのはおかしな話ってのに対する反論が
吉野ヶ里?

ズレてますけど (年代観同様)
936日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:21:31
>>934
纒向型を言い出したら、崇神稜も規格は纒向型なんだよねえ。
これは、荒木雅博みたく古墳は寿陵(生前に築造する)と考えればOK。

つまり、纒向型が作られた時期と被葬者が葬られた時期とのタイムラグが
遺物の違いになる。
纒向型で築造直後に埋葬されれば、三角は出土しないが、被葬者が
長生きすれば三角が出土する。

この考えでは、古墳規格の存続期間が1世代どころか10年ほどになるので、
年代遡上説が正面から否定されます。
937379:2008/09/02(火) 22:48:43
>>935
反論というわけではなく、畿内の年代遡上を徹底批判するなら、
同時に九州の遺跡の年代観には、まったく不審な点は無いのか?ということを伺ってるだけです。

おかげで、

>>933
>私も吉野ヶ里の最盛期を3C、終末期を3C末と考えている。

吉野ヶ里の最盛期を3C=邪馬台国時代と考える人がいることがわかりました。
他の九州説の人はどうですか?


938日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:49:41
>>936
要するに纏向型古墳は三角の登場よりチョイ前から登場したと言う事だよな?

うーん纏向の古墳、年輪年代やC14で軒並み古い数字出てるからなあ・・・
(まあ九州説はそれらを認めないんだろうが・・・)


939379:2008/09/02(火) 22:58:38
>>936

>この考えでは、古墳規格の存続期間が1世代どころか10年ほどになるので、
>年代遡上説が正面から否定されます。

古墳を生前に築造すると、年代遡上説が正面から否定されるという因果関係がわからない。

俺がバカなんだろうけど、バカな俺のためにちょっと説明してくれるかな?
940秋冷の候:2008/09/02(火) 22:59:34
>>913

> 三角縁の出土傾向は前・後の2期にしか分けられないというのは、
> 舶載説のときは都合が良かったんだよねえ。
> 前が舶載で、後が国産という整合性があった。
> しかし、国産説を前提とすると、短期集中製造の証拠になるから
> 年代遡上説がぜんぜん成り立たなくなるんだよねえ。

樋口流舶載説の後継者の一人、福永伸哉も三角縁(舶載説で言うところのイ方製鏡を除く)は、
短期間に様式の変遷を見せながら集中的に製作されたと言うようなことを言っているね。
で、伝世理論を使えば、舶載説的にはそれで全然問題が無いみたいだよ。

私が思うに三角縁神獣鏡のモデルは、魏晋代に華北や楽浪に散見される斜縁神獣鏡だと思います。
斜縁神獣鏡は青龍三年(235年)銘方格規矩四神鏡が出土したことで知られる高槻の安満宮山古墳
などでも出土します。
意匠的には、浮彫りの神獣像内区や外周突線などが共通します。
しかし、鈕孔形態や大きさは一致しないので、同一の製造集団の作では無く、
別の製造集団が斜縁神獣鏡を模倣して作ったのが三角縁神獣鏡なのでしょう。
941日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:09:09
>>936
>この考えでは、古墳規格の存続期間が1世代どころか10年ほどになるので

纏向の勝山、石塚、ホケノ山その他関東や九州にまである初期前方後円墳を
10年の間に押しこめるのは 流石に無理だろうw
942日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:15:38
まあ三角を短期編年で、その流通開始時期を4世紀以降とか任意の時代にするにしても
基準となる古墳の築造年代を旧来のものから引っ張ってきたんじゃあ意味が無い。

絶対年代として動かざる根拠があれば話は別だが。

943日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:47:26
そもそも三角縁神獣鏡を4世紀後半からとすると
柳本古墳群や大和古墳、群佐紀古墳群も河内の古市古墳群や百舌鳥古墳群と
年代的に変わらなくなってくるんじゃないのかな?w

もう横一線でどれが先で後やらwww

944日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:44:37
811 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 20:44:24
>>810
たしかにそのとおり、とも言えるが、それを言ってしまっては、とも思う。

というのは、もともと九州説ってのは、おおよそ以下の前提が出発点である。

1.現存する文献、証拠、事物であって、700年以前のもの、
700年以前にヤマト政権の存在を示唆するものは、
すべて700年以後のヤマト政権により捏造されたものである

2.九州王朝は実在し、日本一円を支配したが、
残念なことに、その存在を示す事物や証拠、文献は、
すべてヤマト政権の陰謀によって、日本中からキレイに破壊、隠滅された

3.したがって、700年以前の日本に関する資料は、
すべて中国の文献によらなければならない

無理やりに要約してしまえば、
九州王朝説というのは、「ヤマト陰謀仮説」なくしては成立しないということである。

だから、九州説は、畿内説を攻撃することによってはじめて成立するものだし、
それは、九州説の本質からしても、やむを得ないことなのだ。

このスレで、畿内説が信仰だとか思想だとか言われるのも、このような背景がある。
945日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:02:54
九州王朝説にできることといえば、せいぜい畿内説の矛盾を指摘することのみである
あとは、もし九州に王朝があったとすれば、それら矛盾点のつじつまが合う、と言うだけのことである

九州王朝主義者は、畿内説と九州王朝説をあたかも並置するかのごときものとして扱うが、
前者とは違い、後者は、前者を批判することでしか自説を主張できない

それはあたかも、政権担当能力のない社会民主党が、九条、九条と叫んで自民党を批判するがごとく、
九州王朝主義者も、九州!九州!とわめきちらして畿内説を批判しているのだ

しかし、「わかったわかった、畿内説がまやかしの捏造だってことはわかったから、九州王朝説を立証してくれ」
というと、とたんに沈黙し、しばらくたつと、また畿内説が皇国史観イデオロギーだとかわめき始めるのだ

それは、我らギャラリーにとっては見ていてよい暇つぶしになるし、なにより面白おかしい姿なのである





946日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:06:21
九州王朝説にできることといえば、せいぜい畿内説の矛盾を指摘することのみである
あとは、もし九州に王朝があったとすれば、それら矛盾点のつじつまが合う、と言うだけのことである

九州王朝主義者は、畿内説と九州王朝説をあたかも並置するかのごときものとして扱うが、
前者とは違い、後者は、前者を批判することでしか自説を主張できない

それはあたかも、政権担当能力のない社会民主党が、九条!九条!と叫んで自民党を批判するがごとく、
証拠に耐える主張を持たない九州王朝主義者も、九州!九州!とわめきちらして畿内説を批判しているのだ

しかし、「わかった、畿内説がまやかしの捏造だってことはわかったから、九州王朝説を立証してくれ」
というと、とたんに沈黙し、しばらくたつと、また畿内説が皇国史観イデオロギーだ!とかわめき始めるのだ

それは、我らギャラリーにとっては見ていてよい暇つぶしになるし、なにより面白おかしい姿なのである



947日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:07:59
811 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 20:44:24
>>810
たしかにそのとおり、とも言えるが、それを言ってしまっては、とも思う。

というのは、もともと九州説ってのは、おおよそ以下の前提が出発点である。

1.現存する文献、証拠、事物であって、700年以前のもの、
700年以前にヤマト政権の存在を示唆するものは、
すべて700年以後のヤマト政権により捏造されたものである

2.九州王朝は実在し、日本一円を支配したが、
残念なことに、その存在を示す事物や証拠、文献は、
すべてヤマト政権の陰謀によって、日本中からキレイに破壊、隠滅された

3.したがって、700年以前の日本に関する資料は、
すべて中国の文献によらなければならない

無理やりに要約してしまえば、
九州王朝説というのは、「ヤマト陰謀仮説」なくしては成立しないということである。

だから、九州説は、畿内説を攻撃することによってはじめて成立するものだし、
それは、九州説の本質からしても、やむを得ないことなのだ。

このスレで、畿内説が信仰だとか思想だとか言われるのも、このような背景がある。
948日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:09:46
都合の悪いことがあれば「ヤマト陰謀説」で片付けるご都合主義

自説の根拠が薄いのは、すべてヤマトの歴史改ざんのせいだ!

皆さんおわかりのように、これは学問ではありません

素人の学問趣味の域をでるものではありません
949日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:16:14

日本書紀や古事記は、歴史の改ざんを目指す、ヤマトの陰謀である!
ヤマト政権は、我々の九州王朝の痕跡を、日本の国土から、すべて破壊、隠滅、消去しつくしたのだ!

ここにこそ、九州王朝主義の原点があるのだ
九州王朝説は、そのすべてが、この「ヤマト陰謀説」「ヤマト性悪説」を前提としている。


950日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:21:26

ここの九州王朝説のレスを見ていると、
2chだから九州王朝説の中でも安っぽいのしかいないからかもしれないが、
主体性のないのが多い

畿内説のことはわかった 確かに畿内説はデタラメってことはわかったよ
じゃあ君たちはいったい何がしたいんだい、何が言いたいんだい? そこが見えない
もっぱら、畿内説の矛盾に依存し、畿内説の矛盾に寄生しているだけ

ほんとに安っぽいのが多い

つまり、自分自身に確固としたものがなく、
人の揚げ足ばかりとることによってのみ生息が可能なのだ







951日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:30:46

都合の悪いことがあれば「ヤマト陰謀説」で片付けるご都合主義
自説の根拠が薄いのは、すべてヤマトの歴史改ざんのせいだ!というわけです

そして、自説に都合の良く解釈できる(余地のある)中華書籍については、
日本書籍はすべてヤマトが改竄して台無しにしたのだから、
中華書籍のみに準拠するように要求するのです

しかし、すべての証拠を徹底的に破壊消去することを可能にするほどの
高度な組織力も官僚制も古代日本にはありません

それができるなら、天武天皇時代のヤマト政権は、
スターリン時代のソ連も真っ青な統制力をもっていることになるでしょう

952日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:34:29

現在においても、わが国をとりまく国々の中には、
「わが国の伝統文芸が失われたのは、日帝支配のせいだ
われわれは、世界に誇る文明と生活水準をもっていたのだ」
というトンデモ国家があったりします


九州王朝説は
「われわれの九州王朝は、日本一円を支配していたのだが、
その証拠が失われたのは、ヤマトの歴史捏造のせいだ」
というわけです


九州王朝説と、韓国朝鮮国家のロジックというのは、
非常によく似ているのは、偶然の一致でしょうか?



953日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:38:18




九州王朝説と言うのは、はっきり言って「ゴキブリ」です。

ゴキブリは人の残飯やごみをあさって生きています。

九州王朝説の人は、畿内説の矛盾・陰謀を生活の資源にしています。

ゴキブリと九州王朝説は、かなり近いものがあります。






954日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:45:07
九州王朝論者の論理構成は極めて乱暴なものです

1. 畿内説にはあれこれの矛盾がある

2. もし九州に王朝があれば、それらの矛盾について説明できる

3. だから九州説が正しい

-----------------------------------------------------------

それを現代社会に置き換えて見ましょう

1. Aにはアリバイがある

2. Bにはアリバイがない

3. よって、Bが犯人である

これでは、アリバイのない人間は皆、逮捕状を受け取ることになるでしょう

-----------------------------------------------------------

九州王朝説が、思考実験や空想科学の域を出ていないことが明らかでしょう

955日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:57:24
「大和政権は九州王朝の歴史を完全にこの世から抹消した、
日本書紀や古事記などはすべて改竄の産物である」

ここが、九州説を採用する上で、絶対に避けては通れない前提です


いわゆる「ヤマト陰謀史観」です


これが成立しないと、九州説はスタートしないので、
これだけは何があろうと死守しなければならない宿命です

九州説はよく畿内説支持者を、皇国史観至上主義者とレッテル張りするが、
九州説こそは、「ヤマト陰謀史観」信仰から逃れられない宿命なのです




956日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:01:35
九州説は、九州王朝の存在についてはあまり関心が低いようですね
畿内説への批判ばかりに一生懸命のようです

彼らの頭の中での「畿内説」とは、
畿内説論者はみな皇国史観をもっていてもらわなければなりません

そして、なにより重要なことは、
大和朝廷が、700年以前の歴史を改竄していてもらわなければなりません

こうしてみると、
「九州王朝説」と言うよりは「ヤマト陰謀説」とでも改称すべきかもしれません
957日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:10:21
ここにいる人たちは、多くは九州王朝に心を寄せる人たちであるとおもわれるから、
正直、夢をぶちこわすようなことを書くのは気が進まない

しかし、陰謀史観を科学と混同するような説を、私は断じて許すことができない



958日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:15:10
>>957
まあ趣味としては結構高尚な部類かもw
(無論その論者のレベルによるが)

壮大な歴史シミュレーションみたいな?w

歴史自体に「if」は無いかもしれんが
それを娯楽として楽しむのに「if」を持ちこむのはアリだろうとwww

 
959日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:16:40
畿内説は、矛盾を抱える大人であり、
九州説は、矛盾を抱える大人社会に反抗する子供である

その点で、九州説の新鮮さに魅力を感じる人もいるかもしれない
しかし、いくら大人社会に抗議する純粋さを持ち合わせているにせよ、
自活のできない甘えん坊にすぎないのだ

九州説には、自分がない

九州説は、自分の足で立つことができないから、
矛盾を抱える畿内説に反抗することで自己形成をするしかないのだ

子供であれば、いずれは大人になるし、そこに成長のプロセスがある

しかし、九州説は、いつまでたっても、自分がないから、
成長もないし、子供以下なのだ











960日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:23:59


「李氏朝鮮は、高度な文明国であり、
日帝36年がなければ今は日本よりも豊かであったはずなのに、
日本がすべて文化を破壊し、国富を奪い去ったのだ」


「九州王朝は、畿内も支配に置く一大国家だったのに、
ヤマトがすべての歴史を書き換え、証拠を消し去ったのだ」


極めて類似する論理構成ですね
961日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:31:51
私は、恥ずかしながら、古代日本には詳しくなく、ただのギャラリーであったのですが、
あまりにも、「畿内説は信仰なのです」とか「畿内説は万世一系主義思想」とか、
短絡的で低レベルなレッテル張りを見て、どん引きでした

おそらく、これは九州説の中でもレベルの低い層のひとたちのしわざなのでしょうが、
いずれにせよ、九州説は同じ穴のムジナでしょう

なぜなら、九州説を支持するためには、ヤマト陰謀史観を信じないといけませんので







962日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:37:24
わたくしは、九州王朝説のひとたちにお勧めしたいのが、
光栄という会社から出ている「信長の野望」です

これで、九州の大名を選択して、プレイしてみてはいかがでしょうか?
九州説にかわる分相応の楽しみ方を見出されるかもしれません

963日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:40:42
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964日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:41:30
ヤマトは去れ!畿内は去れ!ヤマトは去れ!畿内は去れ!
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965日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:42:01
空想の世界に生きる畿内説。
こんな畿内説は、未だかつて学問の世界に降りてきたことがありませんでした。
966日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:42:57
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967日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:44:12
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968日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:46:50
九州説=ヤマト陰謀史観 を指摘されて暴走ですか?
969日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:47:39
畿内信者がなりすましして暴れてるだけです。
970日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:48:37
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971日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:49:35
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972日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:51:16
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973日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:52:10
九州王朝主義者の方々は都合が悪くなるとすぐソレデスネ
974日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:53:01
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975日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:54:16
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
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976日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:55:26
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977日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:55:36
畿内説って、遺跡や出土物の年代判定偽装を、必死に画策して理論武装をしている、ペテン理論。
法の華三法行、足裏診断の福永法源と大して変わらない。
978日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:56:18
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
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皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな





979日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:57:06
畿内説って、遺跡や出土物の年代判定偽装を、必死に画策して理論武装をしている、ペテン理論。
法の華三法行、足裏診断の福永法源と大して変わらない。
980日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:57:57
卑弥呼の墓は、土盛りも石室もない、丸い墓。
畿内ヤマトの箸墓を、年代判定でウソついて、卑弥呼の墓だと言い張るインチキさ。
これが、畿内説の実態です。
981日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:58:53
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
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982日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:00:16
また、畿内説のあら捜しですか。ご苦労さん。
983日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:01:12
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
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皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
984日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:01:50
中国の学者でさえ、三角縁神獣鏡は日本製だと断言しているのに、
未だにチャイナ製だと言い張る畿内説信者がウヨウヨいます。
卑弥呼のもらった魏の鏡だから、畿内こそ邪馬台国だと押し切るのです。
こんな屁理屈=畿内説は、世界中の笑いものになるでしょう。
985日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:02:03
卑弥呼の墓は、土盛りも石室もない、丸い墓。
畿内ヤマトの箸墓を、年代判定でウソついて、卑弥呼の墓だと言い張るインチキさ。
これが、畿内説の実態です。
986日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:02:52
中国の学者でさえ、三角縁神獣鏡は日本製だと断言しているのに、
未だにチャイナ製だと言い張る畿内説信者がウヨウヨいます。
卑弥呼のもらった魏の鏡だから、畿内こそ邪馬台国だと押し切るのです。
こんな屁理屈=畿内説は、世界中の笑いものになるでしょう。
987日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:04:00
だから、畿内説がインチキでたらめってのは十分分かったよw
はやく、畿内説から自立することにアタマを使いなさい


988日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:05:44
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989日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:06:58
邪馬台国蔑視、九州蔑視も、畿内説の特徴。
田舎の女酋長が、畿内王権の目を盗んで、魏と国交したとするもの。
中央アルプスや、南米までまで把握していた魏の国が、
騙されるわけはないでしょう。

だいいち畿内銅鐸国こそ、あっさり滅亡させられているぐらいで、
九州のほうがはるかに優位だったわけです。
990日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:07:38
もう畿内説はいいからって何度も言ってるのに、また畿内説か・・・
もう寄生はやめなさいって みっともない

991日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:07:46
中国の学者でさえ、三角縁神獣鏡は日本製だと断言しているのに、
未だにチャイナ製だと言い張る畿内説信者がウヨウヨいます。
卑弥呼のもらった魏の鏡だから、畿内こそ邪馬台国だと押し切るのです。
こんな屁理屈=畿内説は、世界中の笑いものになるでしょう。
992日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:08:34
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993日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:09:23
卑弥呼の墓は、土盛りも石室もない、丸い墓。
畿内ヤマトの箸墓を、年代判定でウソついて、卑弥呼の墓だと言い張るインチキさ。
これが、畿内説の実態です。
994日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:11:49
畿内説のことなんて誰も聞いちゃあいないのに、
なんでこうも九州説の人は、畿内説を必要としているのかなあ

きみたち九州説を主張したいんでしょ

畿内説を批判することでしか自己を表明できない九州説の哀れさを再確認したよ

995日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:12:55
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996日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:14:09

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997日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:15:01

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998日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:15:50

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999日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:16:37

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1000日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:17:28

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