1 :
日本@名無史さん:
調べれば調べる程移設説に納得する・・・
記紀の記述は改竄ばかりなのか?
2 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 07:48:45
なんで前回落ちたのかねw
進歩的文化人はがくじゅつかつどうのいっかんとして嫌がらせをせんじゅつとよんでいるw
思い込んだら命がけwww
こんな進歩的文化人に証拠なんて関係ない
見事な迄の妄想と仮定で学術の定義迄変えつつある
7 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 11:47:18
あげ
大三輪~ (釋日本紀 卷十一)
筑前の國の風土記に曰はく、氣長足姫尊、新羅を伐たむと欲して、
軍士(いくさ)を整理(ととの)へて發行(いでた)たしし間(ほど)に、
道中(みちなか)に遁(に)げ亡(う)せき。
其の由を占(うら)へ求(ま)ぐに、即ち、祟る~あり、
名を大三輪の~と曰ふ。所以(ゆゑ)に此の~の社を樹(た)てて、
遂に新羅を平(ことむ)けたまひき。
大神神社は明らかに福岡にありましたね
石上神宮
式内社 大和國山邊郡 石上坐布都御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗
大和神社
大和坐大國魂神社三座 並名神大 月次相嘗新嘗
坐す=います
元々尊敬語「いらっしゃる」の基礎となったとも云われているので、
神様等が「行く」や「居る」という意味に使われます。
ですからこれらの「坐」神社は、現在地に「いらっしゃった」と考えて良いようです。
移設の証拠は尽きませんよね。
10 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 09:27:28
「いらっしゃった」なら、「来た」だろ。
↑中学教育も満足に受けて無い人の突っ込みでしたw
朝吉様がいらしたようです。
13 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 11:53:03
悲しいぞ!
尊敬語いらっしゃるは
入り+れる(尊敬助動詞)から始まっている
尊敬語いますも
入り+ます(丁寧語)から始まっています
どちらも入りなのは神様は偉いから神様じたいが中心なのです
だから来るのようなこちら中心の動詞にいらっしゃるをつけるのは本来なら間違い
辞書によってはいらっしゃるの尊敬語に来るは含みません
面白い考察ですね
当方の説は
入り+す(尊敬助動詞)+らる(尊敬助動詞)=いらっしゃる
いますは同じ
入る=居るが基礎ですよね
こちらも国語の授業ですね
居る入る出るにいらっっしゃるが使われる理由位勉強したら
17 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 21:17:49
ヤフー辞書は歴史音痴の為せる術
入る=居るは中心の意
19 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 21:36:03
そろそろ本題に戻ろう
↑朝吉だなwwwwwwwwww
21 :
日本@名無史さん:2008/04/14(月) 21:42:13
四歳(旧表記)の頃はけっこう強かったよな
条件馬で終わったけど>アサキチ
22 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 02:38:11
いらっしゃいの行くと来るについて、矛盾が大きいですから、このような説はよくある。来るが弱い事も周知の事。天皇は行きも帰りも行幸ですからね。
以外に来るの尊敬語のレパートリーは少ない
尊敬表現としての歴史が浅いのはわかる
24 :
日本@名無史さん:2008/04/15(火) 09:20:46
行くは、いらしゃった。
入る(中)の意味合いが理解出来ないと尊敬語の議論は出来ないな
熟語ですら使い分けられています
行政行在行宮行事行跡
行は王の行動も含める動詞
来朝来訪来賓来歴来週
来は格下の者を言ったり使う動詞w
坐が漢字の尊敬語いらっしゃるにあたる事は常識
まします、おわす、います、おわします、ますと訓がふられ主に天皇に用いる
だいたい天皇が移動すると、その中心も一緒移動するのだから、部下の分際で尊大な中心気取りの野郎でもないと、入らしゃったなんて使える訳が無いのな。それが曖昧になったのも、歴史上二番手が尊大になった表れだろうね。
☆改めコピー☆
石上神宮
石上坐布都御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗
大和神社
大和坐大國魂神社三座 並名神大 月次相嘗新嘗
坐す=います
元々尊敬語「いらっしゃる」の基礎となったとも云われているので、
神様等が「行く」や「居る」という意味に使われます。
ですからこれらの「坐」神社は、現在地に「いらっしゃった」と考えて良いようです。
移設の証拠は尽きませんよね。
入らっしゃった神様なのね
いまだ移設を認めないなんてナンセンスだな
記紀がどれほど信用に値しないのかそろそろ検証しないと
二番手は藤原氏からかな?
春日大社など奈良時代の構造物からして藤原氏の影響が強いよね
>記紀がどれほど信用に値しないのか
国文法による分析手法が重要な位置を占めた典型的事例だろ。馬鹿なのか?
全ての事例で国文法が役に立つと考えるのと同じくらい愚劣なコメントだな。
35 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 12:03:17
文法とか言葉が歴史の役にたつかどうか歴史の先生に聞いてぐれ
こんなとこで吠えてても邪魔なだけだよw
俺たちは役にたつってならったからさwww
言語学も結局歴史みたいなものなのにw
文法に隠された歴史も
そろそろ暴いて上げないとね
この神社の坐は、いらっしゃるの拡大解釈に貢献してると思うよ。
だって、京都の大社ですら、多くは平安以降の移設だしね。
当時の権力者である迎える側が、昔の権力者を尊敬しつつ迎えた。
これじゃ、どっちが偉いかよく解からないからね。
虎の威を借りた狐なのに
狐しか存在せず恐れる対象は狐だけとなるなら
敬語もおのずと変質する訳だ
史書だってみんな言葉で書かれているよね
41 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 06:30:25
結局、「偉い人が言ってるんだから間違いない」程度の認識しかないわけか。
だからすぐヒステリーを起こすわけだな。
43 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 07:45:13
史実が全て言葉で後世に伝えられるなら史家は苦労せんだろうなあ。
語りえないものを語ろうとするのは史家の悪癖と一般化できるかどうかはしらんが、
古代史スレにはその種のバカが多すぎるようだ。
朝吉らしいレスは誰でも直ぐ解るから
まずみんなほっときましょうw
七枝刀がなけりゃ石上神宮は歴史上目立たないよな
布都御魂って神社で石上神社じゃない可能性もあるね
裏祭神なんてあるからね
京都に移設されずに22社に入っているところをみれば
あんまり優遇されなかったのは解る
恐らく裏祭神よりも古くからの神だろうな
布都と云う音に古代類例が無いだけに
相当古い音なんでしょうね
大和神社って何じゃそれ?
一宮って云われてもね
古代史に万葉集のような言葉の考察は切り離せないよな
相嘗って言葉の意味が解かりません。
新嘗は新穀を味見すると直訳通りのお祭ですが、
限定された神社のみで、其れに先立って行われる相嘗祭も同様に、
新穀祭りのようですが、別ける意味も内容にも違いも解かりません。
何方かご存知ですか。
それ解釈が難しいですね
まず当たり前に、お互い嘗めると考えるべき祭りなんでしょうね。
できればそれの真実を知るべきですね。
大きな神社にしか無いあたりが味噌ですな
参考にしてください。
嘗は嘗めると訓を付け、意味もそこから波及した試すといった、経験についての意の漢字とされていますが、
書記には嘗とかいてナオライとも訓じられています。意味は新穀のお供えと考えられていますが、訓とはつながりません。
何かのヒントになればいいのですが。
なおらい
祭事が終わってのち、供え物の神酒(みき)・神饌(しんせん)を下げて酒食する宴。
意味合いが変化したのかね
60 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:47:55
嘘
中国では吹く意であって、ため息や悲しみのような感嘆に使われ、うその意は日本だけ。
はて?悲しみが嘘となったのはどうしてなのやら?
面白い切り口の意味深な言葉ですねw
色々考えてみても嘆きに相応しいのは万葉歌の詠嘆ですが
実は嘘ばかりだったとか悲しいですよねw
ネタスレらしい考察だね
万葉の歌も移設後の歌が多いのですが、移設を隠した歌には矛盾が目立ちますよね。
三笠の山がおかしいもんね
嘘の変化はネタにした方がいいねw
嘘の変化はネタにした方がいいねw
万葉集1ー30
ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ
藤原京当時の持統天皇の御歌。
はたして近江の大津なら、大宮人がが琵琶湖の対岸から来るわけ無いのに・・・
私めも嘆き嘘吹きたくなりまする
ほほーなるほどね
都と反対側から来る大宮人なんて無いですね
これ所謂嘘なんですねw
辛崎だろw
海に面してないとねw
余談ですが、「戒」の字面は、まるで鳥居と戈。
「戒壇」の意味合いそのまま。
中国で出来た漢字ですが、鳥居の残る日本のようですよね。
71 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 19:58:03
記録に残らない中国の風習も沢山入って来たのかな
謙譲が神社の作法であり、
尊敬が仏式の作法なんです。
恐れ慄く事が神社の信仰であり、
供に哀れむ事が仏式の信仰です。
戒の漢字は、中国の仏教伝来前に出来ているから、仏教と限る事にも矛盾を感じます。
伊勢神道 神道五部書
(一)天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき)
(二)伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき)
(三)豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんき)
(四)造伊勢二所太神宮寶基本紀(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき)
(五)倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)
これらそれぞれが奥書には上古の撰述の体裁を執っているがそれはすべて偽り、いくら遡っても鎌倉初期あたりに成立させたもの。
江戸の中期以後、この神道五部書は偽書として激しく糾弾される。いかに伊勢神道の教典だとしても、
上古に撰述の体を装いながら後世に出された記紀を始め皇大神宮儀式帳や延喜式、古語拾遺などからの引き写し、
借用部分が多いことは、偽書と断ぜられてもいたし方ない。
古文献を取り込み権威付けにしようとしたものだろうが、偽書は偽書なのだ。
上古に作られたのなら書名は呉音に決まってるよなw
こんな馬鹿げた騙しに載れるなんて幸せだよw
伊勢神宮は山田奉行が作ったようなもの
なんだか邪馬台と山田ってにてんね
77 :
日本@名無史さん:2008/04/30(水) 10:12:23
中学生程度が小学生程度を騙すような茶番だよなw
78 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 10:39:31
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
79 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 14:30:35
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
80 :
神奈川県民:2008/04/30(水) 18:18:25
スレ乱立晒しage
及び
自演スレ晒しage
81 :
改め:2008/04/30(水) 19:53:37
重複スレさらしあげ
82 :
日本@名無史さん:2008/05/05(月) 11:43:02
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( /=\ )
|;;;;; ー◎-◎- )
(6 (_ _) )
| ∴ ノ 3 ノ こら 僕の荒らしを放置するな! 僕は怒ると怖いんだぞ
/⌒\ ____ ノ、 荒らししかできないけど 荒らされたらなんか反応しろ!
/ , ヽ
| r 、_ ・ 人 ・ ,.y i
| |  ̄  ̄ | |
| \ ノ ノ
\ 6 x 9 /
しμゞ 、_;;;;;;;;;;;;_,ノ彡イ
| ;;;;(:υ:);;; |
( 人 )
度會郡 五十八座 大十四座 小四十四座
大神宮三座 相殿坐神二座 並大 預月次新嘗等祭 ・・・(内宮)
度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗 ・・・(外宮)
これは延喜式神名帳の伊勢神宮内宮外宮の記述だけど、
よく見れば今とは全く違っている。
本当に同じ神社なのか。
>>83 今の伊勢神宮の云う、記紀に添わせた体制とは、社格も神の数も儀式も違う。辻褄合わせたり、意味不明にしたり、体裁作りに苦労してるわな。
86 :
日本@名無史さん:2008/05/18(日) 10:29:14
延喜式神名帳と神道五部書の関係を読み解くと、
大神宮には3+2=5神も祭られ、そのうち3神は最上段同列です。
さて、天照以外の残り最上段2神は、いったい何処へいったのやら?
伊勢神道 神道五部書 には、この辺の顛末は全く書かれていません。
ですから五部書の作られた時期が延喜式以降である事は、
まず疑えない事が解かります。
五部書は捏造書記を更に捏造してるよね
江戸の学者も伊勢五部書ははなから偽書と決め付けてたし
89 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 17:04:48
室町時代に著される「御成敗式目」の注釈書には、アマテラスを「虚言を仰 らるゝ神(嘘をつく神)」とする記述がみえる。
云うまでも無く、鎌倉の最高鎮守に納まるは鶴岡八幡宮であり、記紀に囚われる事無く最高神はアマテラスでは無き事確かである。
故に記紀によるアマテラスの見直しは、それを下る事は確実なのである。
元々アマテラスは殆ど古社の神様になって居らず
伊勢だけでこっそり奉っていたが
豊臣徳川馬の骨ナンバー2面々が
御権威御縋り路線を徹底した為
記紀を奉り今に至る
削除人の方よく読んで下さい
削除ガイドライン(抜粋)
重複スレッド
同じ事象・人物に関するスレッドは、個々に多少の違いがあっても原則的に削除対象になります。
削除人は恣意的な削除をしてはいけません。
削除ガイドラインを熟読し、ルールに則った公平な削除作業をしましょう。
「好き・嫌い」「ウザイ」「不愉快」などといった自分だけの主観を元に行動してはいけません。
嗜好や価値観も捨ててください。
ここよりも邪馬台国系や薩長系のように、【同じ事象・多少の違い】のスレが圧倒数重複しています。
それでも猶主観的に、この関連スレに対して重複誘導を続けますか。?
差別的な重複誘導は明らかな荒らしです。
94 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:42:42
常駐して荒らしじゃ世話無いw
このスレも重複で削除依頼が出てるよ
この板の場合削除依頼出してる側が荒らし常習犯です
よく見極めて削除して下さい削除人さん
【再掲】
伊勢神道 神道五部書
(一)天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記(あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき)
(二)伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき)
(三)豊受皇太神御鎮座本紀(とようけこうたいじんごちんざほんき)
(四)造伊勢二所太神宮寶基本紀(ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき)
(五)倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)
これらそれぞれが奥書には上古の撰述の体裁を執っているがそれはすべて偽り、いくら遡っても鎌倉初期あたりに成立させたもの。
江戸の中期以後、この神道五部書は偽書として激しく糾弾される。いかに伊勢神道の教典だとしても、
上古に撰述の体を装いながら後世に出された記紀を始め皇大神宮儀式帳や延喜式、古語拾遺などからの引き写し、
借用部分が多いことは、偽書と断ぜられてもいたし方ない。
古文献を取り込み権威付けにしようとしたものだろうが、偽書は偽書なのだ。
【再掲】
上古に作られたのなら書名は呉音に決まってるよなw
こんな馬鹿げた騙しに載れるなんて幸せだよw
99 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 20:28:55
【再掲】
延喜式神名帳と神道五部書の関係を読み解くと、
大神宮には3+2=5神も祭られ、そのうち3神は最上段同列です。
さて、天照以外の残り最上段2神は、いったい何処へいったのやら?
伊勢神道 神道五部書 には、この辺の顛末は全く書かれていません。
ですから五部書の作られた時期が延喜式以降である事は、
まず疑えない事が解かります。
伊勢の五部書なんて江戸時代に作ったもの
多分に教養の足りない神官が僅かな史書類で急ぎ体裁を整えた
矛盾は無視するしか手の無い滑稽な書
大の大人が大の大人に対し挙って怪しげな寓話を信じ信じろと言われてもね
倭姫も本当に居たのなら九州いらっしゃた
畿内なんてやっと持統藤原京からですから
やっぱり伊勢を必死に崇めたのは天武皇統迄で、
平安になると形だけ伊勢の斎宮は存続するけど、
徐々に加茂の斎院ばかりに傾倒する。
院政になると天皇さん等は熊野詣が好きになり。
鎌倉になれば、八幡信仰や諸仏教に押されて、
すっかり影が薄くなっていく。
長い事放置されて、やっと家康のお陰で日の目を見た。
104 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:17:44
それぞれの時代のエゴ見せんと歴史とは言わん
何で延喜格式で伊勢の権威が低いのか伊勢神宮に聞いてみたら?
五部書以上に聞けないよな可哀想過ぎて
107 :
日本@名無史さん:2008/07/20(日) 09:21:51
【再掲】
度會郡 五十八座 大十四座 小四十四座
大神宮三座 相殿坐神二座 並大 預月次新嘗等祭 ・・・(内宮)
度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗 ・・・(外宮)
これは延喜式神名帳の伊勢神宮内宮外宮の記述だけど、
よく見れば今とは全く違っている。
本当に同じ神社なのか。
間違いなく違うなw
109 :
日本@名無史さん:
ここは学問・文系の日本史板です
学究の為に使いましょう
茶番の自作自演スレはほっといて下さい