1 :
神奈川県民:
其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。
事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。
自為王以來,少有見者。以婢千人自侍,唯有男子一人給飲食,傳辭出入。
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛。
魏志倭人伝に謎の女王なる「卑弥呼」が記される。
この「卑弥呼」は誰だったのか。
現在でも「天皇家」や「国家誕生」に関する議論がされてるのはご存知だろう。
この謎の人物卑弥呼、天皇家と関わり合いはあったのか。
また、不可解な行程記事を追ってみようと思う。
16がないぞ
3 :
神奈川県民:2008/03/14(金) 00:28:16
魏志倭人伝「壹與」
復立卑彌呼宗女壹與
南至邪馬壹國
梁書「臺與」
復立卑彌呼宗女臺與為王
至邪馬臺國
このイチヨについてでもやりましょうか!
4 :
神奈川県民:2008/03/14(金) 00:35:40
三国志の作者 陳寿
魏国志30巻、蜀国志26巻、呉国志20巻 計65巻
二十四史は以下のとおり
1 史記 前漢・司馬遷 2 漢書 後漢・班固 3 後漢書 宋・范曄 4 三国志 晋・陳寿
5 晋書 唐・房玄齢他 6 宋書 南斉・沈約 7 南斉書 梁・蕭子顕
8 梁書 唐・姚思廉 9 陳書 唐・姚思廉 10 魏書 北斉・魏収
11 北斉書 唐・李百薬 12 周書 唐・令狐徳棻他 13 隋書 唐・魏徴、長孫無忌
14 南史 唐・李延寿 15 北史 唐・李延寿 16 旧唐書 後晋・劉昫他
17 新唐書 北宋・欧陽修、宋祁 18 旧五代史 北宋・薛居正他 19 新五代史 北宋・欧陽修
20 宋史 元・トクト(脱脱)他 21 遼史 元・トクト(脱脱)他 22 金史 元・トクト(脱脱)他
23 元史 明・宋濂他 24 明史 清・張廷玉等
5 :
神奈川県民:2008/03/14(金) 00:47:57
<河童さんのレスより>
>陳寿は他にも「壹拝」と さぁ考えよう。
>この時の正始四年の帝紀には
>『倭國女王俾彌呼遣使奉獻』 卑の文字が違いますね
これもやりたいですね!
「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」
「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」
神奈川県民へ。
現時点でこのスレを立てたのは、明白なルール違反だ。
日本史板の冒頭に、きちんと以下の注意書きがしてあっただろう。
◆スレッドを立てるときの注意◆
●既存スレッドとの重複は禁止。
スレッドを立てるときは、タイトルを一通り検索してからにしましょう。
スレッド一覧を開き、Windowsの場合はCTRL+F、Macの場合はコマンド+Fで
ブラウザ検索をしてください。
重複スレッドには既出スレのURLを貼って誘導してください。
7 :
日本@名無史さん:2008/03/14(金) 00:54:09
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
さて、どの女性が有力なんでしょう?
8 :
神奈川県民:2008/03/14(金) 01:03:03
謎の文献「倭人伝」
邪馬台国問題については、
たいていのことは誰かによってすでに唱えられてるとさえいわれてる。
しかし邪馬台国の位置決定するのに、この謎の文献 倭人伝の行程記事には
悩まされてきた事だろう。
しかし誰かが解かねばなるまい!
9 :
神奈川県民:2008/03/14(金) 01:12:33
10 :
重要なお知らせ :2008/03/14(金) 01:20:16
12 :
日本@名無史さん:2008/03/14(金) 01:24:24
13 :
日本@名無史さん:2008/03/14(金) 02:32:34
なんで16飛ばして17なの??
14 :
日本@名無史さん:2008/03/15(土) 00:06:44
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト
↑
漢字で書くとかっこいい名前になる
15 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/16(日) 18:14:48
県民さん
スレがネタ切れ膠着状態のようだから
ネタの投下。
『正始元年春正月東倭重譯納貢』
これ、晋書宣帝紀(司馬仲達)の中の一文なんだが、以外と話題にのぼる事がない。
しかも
魏書三少帝紀では触れられず、時代を違えた晋書(しかも宣帝紀)にて
初めて登場する。
この辺の事情を考えるのも面白いかも
16 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 11:48:16
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
17 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/19(水) 22:18:32
>>11 七支刀は安康天皇関係の刀ですよ。安康は石上穴穂宮にいたでしょうが。
さあ〜議論をはじめましょう!
雑音は無視して大いに議論しましょう!!
>七支刀は安康天皇関係の刀ですよ。安康は石上穴穂宮にいたでしょうが。
前回、14でいろんな意見がでてたが、その後どうなったんでしょう?
貴方、ほかの人の意見はどのように考えてるのですか?
安康天皇だという自信はあるのでしょうか?
20 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:05:45
21 :
ローガン:2008/03/21(金) 18:13:57
改めさん。今日は早いですね。
22 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:17:53
金曜日は早いですよ〜平日残業でここへこれない分は金曜日に取り戻さずいられますか!
それと15は放置でお願いします!クレームが入ってるのとか分かってるでしょ?
できればみなさんに協力してほしいんですが。
23 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:31:14
15立ち上げたあの人...勘違いさん。
もともと終止符スレ出身でたま〜に来て真面目で良いイメージがあったんだが、
このスレを自分の専門にしてるうちに(終止符専門のロムらーといえばいいかな?)
「自分のもの」と思ってきたらしく、最近、おかしな行動が目立つのです。
まさに勘違いさん・・・というか頭おかしいというか。
私もなるべくあの人とは取り合いたくないし、神奈川県民も「他所行ってください!」
言ってるはずなのにいまだにシツコイ。
みなさん〜変な人には気をつけましょう!
24 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:42:11
>魏志倭人伝「壹與」
終止符13で私が述べたとおり、
>私はというと「イチよ イツよ」もしくは「よ」で探すとします。
>梁書「臺與」
は「タイよ、ダイよ」もしくは「よ」とします。
25 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:47:08
26 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:48:11
「曲学の徒」さん を批判してみせましょう!
卑弥呼=日女命(ひめみこと)
は後回しにするとして、壹與=天豊姫命説 からいってみましょうか!
>>632-637 で私と河童さんが言ってるように
>「臺與」 のところ〜彼はどのようにみてるのでしょうね。
>私はというと「イチよ イツよ」もしくは「よ」で探すとします。
ようは「イヨ」でも「トヨ」でもないんです!
正確には「イチよ イツよ」もしくは「よ」!!
彼のホームページではこのように言ってはっきり言い切ってます!
>『勘注系図』はこの人のまたの名を、天豊姫(あまとよひめ)とする。
>天(あま)は後の海部(あまべ)につながる一族の氏(うじ)名である。
>従ってこの人の名は「トヨヒメ」である。
>だとすれば中国史書が伝える、『台与(とよ)』である可能性が高い。
この 壹與:「イチよ イツよ」もしくは「よ」
彼はほかの史書での「臺與」しかみてないのか!!
いいかげんに目を覚ませよ!機内説!!!
「トヨヒメ」なんて馬鹿馬鹿しいのである!ここだけをみても分かるだろう!!
27 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:49:43
次は卑弥呼=宇那比姫命説
>宇那比姫命(うなびひめのみこと)、天造日女命(あまつくるひめみこと)、
>大倭姫(おおやまとひめ)、竹野姫(たかのひめ)、大海靈姫命(おおあまのひるめひめのみこと)、
>日女命(ひめみこと)である。
>何れも一人の女性の別名である。
宇那比姫命、天造日女命、大倭姫、竹野姫、大海靈姫命、日女命
これだけ一人の女性に対して別名がいっぱいあるのですが、
何故『日女命』だけが選ばれたんですか?
>大海靈姫(おおあまひるめひめ)命の『大海』はこの一族が『海部(あまべ)氏』
>と名のるように『海(あま)』に尊称の大がついたものである。
>興味深いのは靈(ひるめ)である。巫女(みこ)の意味を持つ。
>ご存知のように『魏志倭人伝』は卑弥呼が『鬼道を事とし』とする。
>『後漢書倭伝』は『鬼神道』であるが、いづれにしても、巫女の要素を連想させる。
>この名もまた靈姫(ひるめひめ)すなわち巫女姫(みこひめ)なのである。
地方の立派なお姫様らしいがそれだけでどうして卑弥呼とつなげるんでしょうか?
なんか段々、腹立ってきた!!(笑)
28 :
aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:50:35
みなさん(コテハンさん〜又は日本@名無史さん)は
「曲学の徒」さん の『勘注系図』をどうみてるんですか!!
「曲学の徒」さん てもちろん畿内説ですよね?
誰か賛成、又は気になってる方いらっしゃったらここへ来て議論してみようじゃないですか?
賛成者はいるのですか?
なぜ〜どこで賛成なんですか?おかしいですよ!!!!!!!
>天造日女命、大倭姫、大海靈姫命、日女命とくれば、まさに『魏志倭人伝』が伝える卑弥呼である。
>もし『勘注系図』が真っ赤な偽系図だとすれば、まことに手の込んだ名前を創作したものである。
>更に『勘注系図』は驚くべき名前を列記する。
卑弥呼はというと〜ひとつの別名を勝手に選んでの「日女命」。
「イチよ イツよ」の壹與はというと勝手にはほかの史書での「臺與」を
選び「トヨヒメ」だって〜!
これでも〜畿内説を賛成するのですか?
29 :
改め:2008/03/21(金) 19:14:59
さて、一旦出直してきます!食事...でも。
それとソースがまだ少ないので〜後で書きこみきます。
それと「曲学の徒」さん〜信用してる人はどれくらいいる?
30 :
唐松山:2008/03/21(金) 19:23:43
「曲学の徒」さんは
卑弥呼=崇神では無い。 ここまでは 良いんだが
時代を更に逆のっぼってしまった。
他人への批判は的を射たところがあるのに 残念だ。
おお、改めそれでいいんだ。
自分でスレ立てたここで、1人でオナり続けろ。
その方が周りの迷惑にならずに済む。
だからもう15には来るな。向こうは向こうでやってるから心配しなくていい。
君はここで卑弥呼について考えていればいい。
32 :
日本@名無史さん:2008/03/21(金) 19:50:51
だからなんで16飛ばして17なの??
16ってもう使ったの??
33 :
唐松山:2008/03/21(金) 21:02:47
数字の飛ぶのは 書記の年数と同じような物
深く考えると眠れなくなるゾ。
16は15の次スレだろう。
35 :
日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:20:15
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
さて、どの女性が有力なんでしょう?
36 :
ローガン:2008/03/21(金) 23:23:59
卑弥呼=百襲姫説がよく聞かれますが、果たしてどうでしょう?
箸墓の主なら、間違いなく「王」でしょうね。彼女は王ではないですね。
37 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 00:42:54
>>36 ローガンさんへ『神秘的な存在』
13スレで私が畿内説の人に対してした指摘をあなたは覚えてますか?
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト・・・「日也人作、夜也神作」
卑弥呼・・・「事鬼道」、「能惑衆」、「少有見者」この辺?
神秘的とみなしてるところが何か違うと感じるのは私だけでしょうか?
『卑弥呼と男弟の関係』
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト・・・崇神天皇に神意を伝える巫女
卑弥呼・・・「男弟有り、佐(助)けて国を治む」(有男弟佐治國)
崇神天皇はヒメの男弟ではないですよ? 畿内説さん ちゃんと答えてください!
ローガンさん、卑弥呼=百襲姫説ですが、貴方ならここ〜どう思いますか?
38 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 00:47:33
河童さん 貴方の不可解な行動〜いまいちよく分かりません!
唐松山さんみたいな大人の行動はとれないんですか?
なんだ〜私とか唐松山さんより若いのか?河童さん
39 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 01:56:03
>>890 愛知県民さん
>>貴方はどのように考えてるんですか?私は余り深い意味では考えてないんですが。
>>まあ大和朝廷(ヤマト)に関係していて重要な人物みたいですが。
>関係者どころか建国者と思います。
私は大和の建国者とは神武天皇もしくは祟神天皇という考えですが、
私の認識が間違ってるのですか。(突っ込んでごめん)
>意富夜麻登久邇阿礼比売命の「くにあれ」は「国生れ」と解釈できます。
>神話的な神武天皇を除くと、ヤマトの名を冠する最初の天皇は「大倭日子鉏友命」(懿徳天皇)
>助けて共に治める男王、でしょうか。
>意富夜麻登久邇阿礼比売命はその前の安寧天皇の段に出てくる。
>彼女が淡路出身だから淡路が国生み神話の島となったのかも。
>そうであれば、卑弥呼と結びつけないほうが不自然。
「懿徳天皇(大倭日子鉏友命)が倭の名を冠する最初の天皇」
他の人は知ってました?all
私〜これ知らなかった!愛知県民産〜よく気づきましたね。
40 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 02:11:54
>>907 愛知県民さん
[ 大夫 ] について
>「代表」という意味はないようですが。
大夫 = 代表 と即答したわけだが、不適切な言葉でした。
『代表』 という言葉のみなら「卑弥呼」、「壹與」が相応しく、この場合、
倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人の「代表」
又は、
壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還の「代表」と答えるべきでした。
改めます。どうも申し訳ないです。
41 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 02:22:44
『旺文社 漢字典より』
大夫(たいふ・だいぶ・たゆう)
・官吏の身分の一つ。 ・広く官位にある者の尊称。
・松の別名。 ・大名の家老。
・長官。 ・五位の通称。
・俳優。 ・能役者などの主なもの。
・最上級の遊女。
大夫 = 長官 ということでどうですか?愛知県民さん
42 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 02:32:00
>>33 >深く考えると眠れなくなるゾ
唐松山さんは深く考えすぎて眠れなくなったらしいww
43 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 02:33:15
>>15 「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」
「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」
『正始元年春正月東倭重譯納貢』
貴方のどのように考えてるんでスか?
さて寝ようかな...今日はここまで!zzz
44 :
aratame_himiko17:2008/03/22(土) 03:29:43
>神奈川県民
>大体、終止符スレが好きでなぜわたしの性格をしらないんだ?
>河童さんに聞くといい。
…と言う事だそうだw
河童虫 ◆EY2wfgakAQ 氏よ神奈川ドツボのご指名なんだし
一つ俺の如き凡俗にも分かるようにドツボの性格とやらを解説してもらえないかね?www
45 :
荒らし行為反対:2008/03/22(土) 04:34:23
59 :神奈川県民:2008/03/21(金) 17:50:46
クレーム!!!!!!!理由付けて乗っ取ろうなんてやめたら?
親、妻、恋人にこれ見せたいよ!
62 :aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:10:49
みなさーん
ここは荒れると思うので、
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17 へいきましょう!
それと
>>1は以前、終止符スレ主から「他所行ってください」言われたなかた?
ちょっかいださないで!
69 :神奈川県民:2008/03/21(金) 21:52:53
橿原一派=自治会さん
終止符スレから出ていけよ。
居座ろうと考えるな。見つけ次第追い出す!!!
72 :神奈川県民:2008/03/21(金) 21:58:24
大体、終止符スレが好きでなぜわたしの性格をしらないんだ?
河童さんに聞くといい。
それとここは沈める。
二つもあったら迷惑だろ?終止符来る人は17おいで。
73 :神奈川県民:2008/03/21(金) 22:00:01
もう〜頭きた〜!周りの人迷惑かけてごめんね!
橿原一派=自治会さん ←こいつ絶対!終止符スレから追い出すから!!
みなさんみとって!!
46 :
荒らし行為反対:2008/03/22(土) 04:35:49
59 :神奈川県民:2008/03/21(金) 17:50:46
クレーム!!!!!!!理由付けて乗っ取ろうなんてやめたら?
親、妻、恋人にこれ見せたいよ!
62 :aratame_himiko:2008/03/21(金) 18:10:49
みなさーん
ここは荒れると思うので、
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17 へいきましょう!
それと
>>1は以前、終止符スレ主から「他所行ってください」言われたなかた?
ちょっかいださないで!
69 :神奈川県民:2008/03/21(金) 21:52:53
橿原一派=自治会さん
終止符スレから出ていけよ。
居座ろうと考えるな。見つけ次第追い出す!!!
72 :神奈川県民:2008/03/21(金) 21:58:24
大体、終止符スレが好きでなぜわたしの性格をしらないんだ?
河童さんに聞くといい。
それとここは沈める。
二つもあったら迷惑だろ?終止符来る人は17おいで。
73 :神奈川県民:2008/03/21(金) 22:00:01
もう〜頭きた〜!周りの人迷惑かけてごめんね!
橿原一派=自治会さん ←こいつ絶対!終止符スレから追い出すから!!
みなさんみとって!!
47 :
荒らし行為反対:2008/03/22(土) 04:37:15
85 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 00:54:47
なに勝手にあげてんだ?
てかこの前の畿内説さんかい?
86 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 00:56:15
ここ15はトラブてんだよ 見て分からないのか?
勝手にあげてんじゃねーぞ
89 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 01:04:17
ほんと〜ここアホばっか。
とても同じ大人とは思えん
90 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 01:05:56
トラブてるのを楽しんでるのか?
変なのばかりの日本@名無史さん には着いていけないよ。
93 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 01:09:58
アホていわれて喜んでるんしょ?
アホはアホ同士(日本@名無史さんは日本名無史さん)でジャレあっときなさい!
これだから日本@名無史さは嫌いなんだよな。
95 :aratame_himiko17:2008/03/22(土) 01:11:52
あほ〜ほら喜べww
48 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/22(土) 07:40:31
>>43 >貴方がどう考えているのか?
それでは一方的な話しになってしまうから、話題に上がる前に、各々考えてくれ
と、言う意味でネタ蒔きしたんだが
49 :
aratame_himiko:2008/03/22(土) 10:53:51
ガキと話してても話が噛み合わないwww
(15スレの日本@名無史さんの事ね)
ダイタイ、スレの話なんかしても恥ずかしいんですけど〜...。
ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの話でもしましょう!w
50 :
aratame_himiko:2008/03/22(土) 10:57:08
>>45-47 周りに迷惑がかかるのでやめてくださいね!
つーか、気分治しに食事でもして出直してくるか。
51 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/22(土) 11:10:40
>>19 倍暦の計算で安康当時はすでに14年年代のズレは生じている。泰始4年=468年は
雄略天皇の時代のように錯覚するが、実際は倍暦のため 468年=安康元年 と
なるのが正解。半島から安康即位にて天皇に送られた刀だね。
52 :
愛知県民:2008/03/22(土) 13:00:22
>今、終止符スレを人気あるといって「乗っ取ろうとしてる連中」がいるわけですよ。
>乗っ取ろうとしてる 橿原一派と乗っ取られまいとしてる 神奈川県民がやりあってるわけです。
>貴方、最近来たばかりみたいですが、よく分からないのなら愛知県民さん等に
>聞いてみてくれませんか?たぶんaratameのいってることは本当いうから。
53 :
愛知県民 さんへ :2008/03/22(土) 13:05:30
>110 :aratame_himiko:2008/03/22(土) 09:42:43
>今、終止符スレを人気あるといって「乗っ取ろうとしてる連中」がいるわけですよ。
>乗っ取ろうとしてる橿原一派と乗っ取られまいとしてる神奈川県民がやりあってるわけです。
>貴方、最近来たばかりみたいですが、よく分からないのなら愛知県民さん等に
>聞いてみてくれませんか?たぶんaratameのいってることは本当いうから。
>お手数ですが、17で書き込みお願いできませんか?
…と言うわけで
愛知県民氏 よこの馬鹿 aratame_himikoちゃんの言っている事は本当なのかね?www
54 :
橿原一派:2008/03/22(土) 15:49:12
こんにちわー
55 :
愛知県民:2008/03/22(土) 16:34:36
唐松山さんの年代観だと、在位年数が長くなり過ぎないでしょうか。
私は安本信者ではないですが、安定した後漢でも一代14年程度ですから。
古代さん、殉死についてご教示ありがとうございます。
かなり納得できますが、やはり「始めて人垣を立てき」とあるので
この後も人垣はあったように思えてしまう。
タジマモリは一人で殉死したようだから「人垣」ではないでしょうし。
56 :
愛知県民:2008/03/22(土) 16:36:42
>>39 >私は大和の建国者とは神武天皇もしくは祟神天皇という考えですが
神武天皇=神倭伊波礼毘古命
綏靖天皇=神沼河耳命
この二人は「神」なので実在性は薄いと思います。
その次の安寧天皇=師木津日子玉手見命の段に面白い記述があるわけで、
意富夜麻登久邇=大倭国の起源が暗示されているのではないかと。
崇神天皇は、日本書紀で倭迹迹日百襲媛命が亡くなった後に「御肇国天皇」と称しています。
女王の後を継ぎ、しかも国を安定させたように思えます。
そこで卑弥呼の後ではなく、台与の後の男王と推定したのです。
57 :
愛知県民:2008/03/22(土) 16:43:04
>>40 私は後漢書の帥升について言ったのですが?
aratame_himikoさんは国王自ら来て皇帝への拝謁を願い、それを断られたという考えですよね?
百六十人の生口を献ずる、おそらく千人規模の大使節団にそんな扱いをするでしょうか。
当時の後漢は西域都護府を失って内外ともに危機でしたから、東夷の大使節団を歓迎したはずです。
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫
国王ではなく大夫が来て、国王の願いを伝えたのだと思います。
もちろん実現はしませんでした。
58 :
愛知県民:2008/03/22(土) 17:06:02
>>53 さあ・・・彼としては本当なんでしょうね。
私は場外乱闘のようなことはどうかと思いますが。
神奈川県民さんとはよく議論してきましたし、今は三重県とかでお隣さんだし。
(最近来ない美濃もん太さんもか)
当分はここに来ようかと。
>神奈川馬鹿県民aratame_himiko
おーい、
>>58で愛知県民は、なんか気の抜けた返事してるぞw
もっとはっきり言ってくれるコテ引っ張ってこいやwwwwwww
60 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/22(土) 18:25:47
61 :
唐松山:2008/03/22(土) 18:28:06
愛知県民さんへ
天皇の在位 神武 元年から神功元年まで 233年です (以前発表より数年短い。カモ?)
「短すぎる」位ですよ。 これ以上短いと”世継ぎ”が出来ない。
62 :
愛知県民:2008/03/22(土) 20:31:59
>>60 太国さん、そう来ましたか。
「神野」は嵯峨天皇の諡号ではなく本名であり、神武天皇で言えば「狭野」「若御毛沼」に当たりますよね?
ちょっと話が違うと思います。
神武・綏靖両天皇は神代の続きでもあります。
そもそも闕史八代(七代?)のことが何も分かっていないのに、それ以前の時代がどうして詳しく分かるのでしょう?
ぜひ教えてください。
>>61 唐松山さん
十三代連続の父子相続は、ギネス級の記録ではないでしょうか?
後世の皇室でも、将軍家でも例は無いと思います。
情報が失われていたから父子でつないだと考える方が自然ではありませんか?
63 :
唐松山:2008/03/22(土) 20:57:17
孝昭は懿徳の弟
書記の没年齢推定からすると
懿徳は安寧の弟
懿徳の生まれは綏靖時代
どちらを取るかしないと 繋がらない。
十三代連続の父子相続 我が家の家系とほぼ同じ 次男坊の私には関係ないが
ギネスですか。
64 :
ローガン:2008/03/22(土) 21:14:50
>>37 昨夜の返信です。
倭人伝に見える卑弥呼は王なので、記紀等の登場人物からの比定は難しいですね。
卑弥呼=百襲姫についてはどちらかといえば否定的です。
ただ百襲姫陵とされる箸墓は王の墓である事はまず間違いないでしょうね。
単なる皇女の墓とは思えません。紀の被葬者の比定が間違いです。西殿塚も同様でしょうね。
又後程。
>ただ百襲姫陵とされる箸墓は王の墓である事はまず間違いないでしょうね。
そうか卑弥呼か
>単なる皇女の墓とは思えません。
なんだ卑弥呼か
66 :
愛知県民:2008/03/22(土) 21:29:28
>>63 >十三代連続の父子相続 我が家の家系とほぼ同じ
確かに一般の家系ではそうでしょうが(唐松山さん、一般ではないかも?失礼!)
履中天皇以後で見ると三代連続さえ稀です。
雄略から平城まで30代で330年、一代平均11年。
その後、天皇から政治の実権が離れてゆくと年数も長くなり、今上陛下は父子相続七代連続ですが
これは異例のことです。
67 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:39:00
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
どの有力説が人気なの?
68 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 22:00:02
スレを乗っ取ろうとしてる、終止符出身の日本@名無史さん(橿原一派)と
スレを乗っ取られまいとしてる、神奈川県民。
河童虫さんが寝返り、終止符出身の橿原一派と共闘へ(乗っ取り軍を形成?)
愛知県民さんがここ17スレ(本スレ)へ降臨し太国さん、唐松山さん、
ローガン さん、日本@名無史さん が終止符スレのピンチに駆けつけたという図式かな?
15へは毎日クレームつけよう思ったが、ピンチをチャンスに変えろというのも良いw
面白そうじゃないじゃない?ww
やはり私、改めと河童虫は戦う運命にあるのか!www
69 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/22(土) 22:03:52
>>63 弟ではないですよ。父子ですよ。もう滅茶苦茶論ですね。
70 :
唐松山:2008/03/22(土) 22:11:48
太国さんは 孝昭は懿徳天皇何才の時生まれ 何才で即位した、とお考えですか?
71 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/22(土) 22:15:51
72 :
唐松山:2008/03/22(土) 22:22:39
ホ31275 カワツヒメ うむミコヰムナ ハチギネの シギツヒコミコ (安寧)
ホ31277 ヨホツヤヱ ウツキソヰカに ヌナソヒメ うむミコイムナ
ヨシヒトの ヲヲヤマトヒコ スキトモぞ(懿徳)
安寧と懿徳が 腹違いの兄弟が 正解。
73 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 22:25:15
大体、日本@名無史さん(橿原一派)一人に999まで持っていける実力なんて
ないんだから! 河童さんとか太国さんなら可能でしょうが。
河童さんに感謝しろよ!
こっちには太国さんが降臨している!!w
まあ、「終止符(スレ)人気の秘密」は君たちにはナイということを思い知らせてやるよ!
愛知県民とかローガンさん、唐松山さん、太国さんの実力なんだよ!!w
>>68 aratame_himiko♪
>愛知県民さんがここ17スレ(本スレ)へ降臨し太国さん、唐松山さん、
>ローガン さん、日本@名無史さん が終止符スレのピンチに駆けつけたという図式かな?
正直、このスレでお前が一番お子様だよw
愛知県民、太国、唐松山、ローガンと一緒に
ドツボレンジャーとかでも結成してろwwww
75 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 22:38:41
>>74 ばっかだな〜お前ぁ
大体、『謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!』て
単なる「字」なんだよ!
こんなの取り合ってても恥ずかしいんですけど・・・。
河童さんの行動の意味が分からないの?
まず、今は二つでてるスレを一つにすることを考える。
周りに迷惑だろ?早く片付けてしまえ!
76 :
橿原一派:2008/03/22(土) 22:39:30
こんにちわー
77 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 22:43:15
橿原一派 くん あんたが一番、お子様なんだよ。
その甘ったれた考え方でわかるよ。
999まで持っていく大変さでも学んだほうがよい。
それに毎日、クレーム言い続けないといけない俺の立場も考えてくれ。
みんな見てるだろ?
78 :
74:2008/03/22(土) 22:52:36
>>神奈川県民
因みに俺>76の橿原一派じゃないけどなw
>それに毎日、クレーム言い続けないといけない俺の立場も考えてくれ。
荒らしのお前の立場なんか考える必要微塵も無しw
お前の存在価値なんぞミジンコにも劣るwww
まあ、おもちゃとしては使えるがwwwww
79 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 22:57:24
お?じゃあ先週〜私と議論したあの変なやつ?w
お前ら〜ハンネ付けてくれないと誰が誰だか分からないじゃんw
おもちゃとしてでも何でもいいから使ってやってくだされw
先週みたいに放置されるのが一番腹立つ!ww
>>68 aratame_himiko♪
>河童虫さんが寝返り、
♪裏切り者の名を受けて〜
♪ドツボを見限り闘う男〜
81 :
奈々氏:2008/03/22(土) 23:06:27
神奈川県民、「せんといて」ってどこ語?
そんなお国言葉丸出しで神奈川県民と
名乗るの、恥ずかしくねぇ?
82 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 23:11:56
>>80 河童虫さんは大人なんだよ。
まあ、一旦、引き受けたんだから本人達に片付けてもらいましょうよw
あ!手伝わなくていいよww
>>81 どこのレスで私が「せんといて」言ったの?
主張で何県か回ってるんでどこの言葉を覚えたのは分からないwww
>>81 少なくとも西日本じゃね?
文字面からはイントネーションは分からないが
微妙に九州ぽい気がしないでもないw
84 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/22(土) 23:16:58
>>72 古神道的にその説は排除されます。兄弟継承は履中以後の許容と
なります。ホツマは日神を男神とか言ってるそうで、これもまた
間違いなわけですが、用心が肝要です。
85 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 23:19:10
あ〜!私の育ちは〜確かにそっち方面でスね。(九州)
それより、学問的なよいレスしてちょーだいよ。
ネタ切れ状態...。w
先週〜議論した人か、親魏倭王の金印で私と議論した人はいないんですかね?
それか〜誰かが論争でも始めないかな。。。。たまには見る立場も面白そうw
86 :
橿原一派:2008/03/22(土) 23:28:37
こんばんわー
神奈川県民さん♪
彼女になりたいです☆
87 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 23:33:52
17より15の方が上に来ちゃうと腹立つよね!w
せっかくの土日なのに〜お客さん持ってかれちゃう...やんww
ていうか、スレ主ってほとんど雑用係ってこと知らない人多いよね。
ソース出したり〜初心者さんの対応したり、雰囲気作ったり、クレーム言いに行ったり。
まあ、ボヤキは辞めてそろそろはじめますか。。。
88 :
裕香:2008/03/22(土) 23:37:30
あぼーん
90 :
あぼーん:2008/03/22(土) 23:47:44
91 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 23:54:44
最近は愛知県民さんのレスが面白いんだよね〜!
>>56 >神武天皇=神倭伊波礼毘古命
>綏靖天皇=神沼河耳命
>この二人は「神」なので実在性は薄いと思います。
私は初代神武天皇〜現在の百二十五代今上天皇まですべて実在したという考えでいます。
>その次の安寧天皇=師木津日子玉手見命の段に面白い記述があるわけで、
>意富夜麻登久邇=大倭国の起源が暗示されているのではないかと。
邪馬台国は邪馬台国 大和朝廷は大和朝廷
どうしても『大倭国の起源が暗示されている』言われても大和朝廷の起源でしょ?て
考えてしまう,,,。
>崇神天皇は、日本書紀で倭迹迹日百襲媛命が亡くなった後に「御肇国天皇」と称しています。
>女王の後を継ぎ、しかも国を安定させたように思えます。
>そこで卑弥呼の後ではなく、台与の後の男王と推定したのです。
私の読んだ本にもそのようなことが書かれてましたよ〜愛知県民さん。
92 :
aratame_himiko♪:2008/03/22(土) 23:56:13
あぼーん
94 :
あぼーん:2008/03/23(日) 00:04:24
>>92 / ヽ、
ィ i
/ i ヽゝ
//´ / ノ イl 、ヽ
l , ‐ィ ´ir'´〃', トl
{ f三ミ'' アT ー-'ヽ ノ
ヽ !、´ /i ヽ }、 /
ヽ l´ .ノ `ー 'ノ l l
_,. - Jィヘ. `、''__ ヽ'ノノ ,.人、 <君が坊やだからさ・・・
/ /ヘ ヘ ー `ィ_ / lヽ\
l _,\ /`ー,. ''_,.ゝ' / | \
| r┴―┐' r´-く ハ l
l l_ ! .| ゝ、 / ヽ--
r '´__,.)〜┤ !ーi ヽ / `7
/ /, -‐- 、 l /i | / /
} '´ _, =-く┘' l / /
l '' , ィ ! /
ヽ ‐ ´ ノ | /
95 :
愛知県民:2008/03/23(日) 00:05:12
>>91 >私は初代神武天皇〜現在の百二十五代今上天皇まですべて実在したという考えでいます。
「神」が二代続くというのは少し変とは思いませんか?
江戸幕府で言えば、家康と秀忠がともに「神君」とされているような違和感があります。
96 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:08:02
>>57 >私は後漢書の帥升について言ったのですが?
後漢書でしたか・・・魏志倭人伝みてましたよ。
>aratame_himikoさんは国王自ら来て皇帝への拝謁を願い、それを断られたという考えですよね?
それは河童さんが言ってたんじゃないでしょうか?私も似た考えですが。
>自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫
>国王ではなく大夫が来て、国王の願いを伝えたのだと思います。
>もちろん実現はしませんでした。
実現しなかったのかは知りませんが、「国王」ではなく「大夫」ですよね!
97 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:09:52
まったく〜荒らすなよ!誰だよ〜たく!
98 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 00:12:51
>15へは毎日クレームつけよう思った
とか書いてる本人が、「荒らすなよ」とか言う権利ないと思うが。
14の時、自分が散々荒らしてた癖に
ホント、自己中心的で空気読めないやつだな。
人のフリ見て我がフリ直せとはよく言ったものだな。
100 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:18:02
今〜どこのスレも荒らされてるみたいだね...。
>>95 >「神」が二代続くというのは少し変とは思いませんか?
>江戸幕府で言えば、家康と秀忠がともに「神君」とされているような違和感があります。
少し変というか「特別」という考えです。
私の場合は「邪馬台国は邪馬台国」と考えてるので大和朝廷での特別な存在と考えてしまうが、
もっと愛知県民さんみたいに「邪馬台国は大和朝廷」という風な考えで解いていったほうがいいかも知れませんよね。
本当にそれが、日本建国と関係があるのかは謎である。
>>87 >17より15の方が上に来ちゃうと腹立つよね!w
>せっかくの土日なのに〜お客さん持ってかれちゃう...やんww
お客さん???
>ていうか、スレ主ってほとんど雑用係ってこと知らない人多いよね。
>ソース出したり〜初心者さんの対応したり、雰囲気作ったり、
そんなこと誰も望んでないわ。むしろあなたのそういう行為が
雰囲気だいなしにしてるってのが、何故わからないはてな
>クレーム言いに行ったり。
クレーム? 他スレをつぶしにいってるだけじゃないか。荒らし行為そのもの
102 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:22:58
>>98 こうゆう子供にはまず言いたいことを全て言わせてスッキリさせましょ!
てか〜わたしは君たちの保護者や精神科医担当者やないちゅーねん!
とりあえず荒らすな!!
まったく〜14の時は荒されてたほうだよ。やり返したら荒されなくなったが。
あぼーん
104 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:27:04
さて、愛知県民さん〜こうゆう場合はスルーでいきましょうか。
んでは〜妙なのが来たのでわたし改めは〜寝ますか。
ではまた明日です〜!Zzzz。。。。
すっぽんぽーん
107 :
愛知県民:2008/03/23(日) 00:30:26
「日本建国」は7世紀後半、白村江の敗戦と壬申の乱以後とすべきでしょう。
邪馬台国→大和朝廷はあくまで「倭国」で、日本国の前段階ととらえるべきと思います。
どうみても、終止符スレの現状は異常だよ。
いちどぶっちゃけて話し合ったほうがいい。
110 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:37:18
>「日本建国」は7世紀後半、白村江の敗戦と壬申の乱以後とすべきでしょう。
そこは私も同じ考えです。
>邪馬台国→大和朝廷はあくまで「倭国」で、日本国の前段階ととらえるべきと思います。
わたしは邪馬台国(倭国)は7世紀に大和朝廷(倭種)により併合されたという考え。
併合される前の邪馬台国は規模が小さく大和朝廷みたいな立派な感じはしないが。
では・・・zzz
111 :
aratame_himiko♪:2008/03/23(日) 00:38:36
>愛知県民さん
変なレスにはスルーで!
_,.. -───- 、..
,. ‐ '"~´ / ̄ ̄`~`''‐ 、 `` 、 貴様!!
, '´ / / `''‐、 \
, '‐''"~´ ̄ ̄`~`ヽ、 / \ ヽ スレッドが氏んだんだぞ!
. /  ̄``''‐.、 ∠>ヽ./\ ヽ いっぱいスレッドが氏んだんだぞ!!
. / _____ \ /゚ / ヽヽ
〈 ,. ‐''"~´ l ``''‐、 ヽ. / [ [[[ ヽi 遊びでやってんじゃないんだよっ!!
. ヽ. /ヽ、_,. -┴─-== __=-'_、_, \、_/ _l
. | / 、.__/ ノ!ヽ、._ー-‐''⌒,r=-─ゝノ|| ‖  ̄ ̄ ̄ | スレは…スレは力なんだ
! { / ,イ{ ヽ ( 〈、_,.ィrヮー< _,リ_|| ‖ ! スレはこの2chを
ヽ :ヽ _{. 〈.'`ァrッ‐、- - ,, ヽ-‐='..ゞ.{_.|| ‖ :l 支えているものなんだ!
. `‐、\\ヽヽ-‐ツ ''´ `{_ |! ‖ ! それを…
: |{_ ヽ.i. 〔ー- { !. |!__ ,' それをこうも簡単に失っていくのは
. : |{_ _)l `,ィ-─_、 // | 0| ___/ それは、
: |{_ ミ. ! ヽ ̄,.-‐) .// /l ̄ __/ それはひどいことなんだよ!!
: |{ ,.`ヽ. `ー '´.∠‐'´ /'´ ̄ノ,ノ/ 何が楽しくて荒らしをやるんだよ!!
,l ‐''"~´ ̄ ̄ ̄l~´ /-──<´
| 「 --┘ |___/ `! | 貴様のような奴はクズだ!
L.. -─ ''_""~ ̄‐''"~´l | | 生きていちゃいけない奴なんだっ!!
 ̄「 | | | _,,.⊥_-‐ `
113 :
ローガン:2008/03/23(日) 00:49:17
記紀等に邪馬臺国が見えない以上、大和朝廷と邪馬臺国は直結しないでしょうね。
大和王権として纏まり始めた頃、後の大和朝廷への布石だと考えれば何方にも理解しやすいでしょう。
114 :
愛知県民:2008/03/23(日) 01:05:19
>>113 ローガンさん
>記紀等に邪馬臺国が見えない以上、大和朝廷と邪馬臺国は直結しないでしょうね。
日本書紀にあるでしょう?神功皇后紀に引用されていますよ。
ただし「邪馬臺国」「卑弥呼」という文字は避けていますが。
115 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:13:38
>>114 愛知県民氏。
>>108はスルーですか?
今の混乱についてあなたなりの意見があってもよいような気がするのですが。
116 :
愛知県民:2008/03/23(日) 01:27:35
>>115 そこだけ見れば、神奈川県民さんが悪いように見えますが、どっちもどっちではないですか?
2ちゃんねるのルールもあるが、神奈川県民さんがずっと立ててきた経緯もあり、
管理側も判断しかねているのでしょう。
判断が出ればそれに従うしかないわけで、またその時点で考えましょう。
117 :
ローガン:2008/03/23(日) 01:50:45
>>114 愛知県民さん。
空想ですが…
箸墓の被葬者について紀は知らなかった。ただあの地域に大きな墓が造られはじめたのはかなり昔である認識はあった。
中国文献を知るに及んで我が国に昔、女性王がいた事を知った。
「神功」と考えたかったが手持ちの資料と符号しない。
子を成さない神婚譚の百襲姫と、夫婿無し巫女王を重ね合わせ、
箸墓の被葬者を百襲姫としたのではないかなあ?なんて考えます。
118 :
ローガン:2008/03/23(日) 02:08:03
神功紀の39年、40年、66年は本文無し。分注のみですね。
「後人の挿入」説も考えれるかも、です。
>>117-118ローガン氏へ こんばんわ〜 ・・・ローガン・ファンより
二つのレスのうち
>>117は「???」なんだけど、
>>118には我が意を得たり!だったよ。ww
2ちゃんだけでなく、ほとんどすべての邪馬台国関連ホムペでも
「後人の挿入」説を全く扱ってなく、誰も意に介してないのが不満だったんだ。
やっと「後人の挿入」説に言及する人がでた!www
応援するよ、がんがれ!
120 :
改め:2008/03/23(日) 03:55:00
「平原1号墳」
よく卑弥呼の墓を平原1号墳と考える人は多いだろう。
はたして本当に平原1号墳は卑弥呼の墓か?
九州 福岡県前原市にある平原遺跡、その1号墳からは大量の豪華な副葬品や、
直径45.6センチメートルに及ぶ日本一の大鏡(内行花文鏡)と
多数の鏡等が出土さてたという。
この1号墳を卑弥呼の墓とみた場合、倭人伝の記述との整合性はどうなのか。
<魏志倭人伝より>
卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。
「徇葬者奴婢百餘人」の「徇葬」を同じ墓に葬ったと理解すると、
平原1号墳にはそのような多数が徇葬されたような形跡はないと聞いてる。
つまり倭人伝の記述には合わないとする。
平原1号を卑弥呼の墓と考える人は「徇葬されたような形跡」についてどう説明するのでしょうか?
私は日本一の大鏡(内行花文鏡)が出土されたというからそれなりの王の墓と考えるが、
やはりここではないとしている。それに本当に女王?
121 :
改め:2008/03/23(日) 04:03:39
「徑百餘歩」について一歩は六尺、魏代の一尺は約二十四センチ
ようは、百歩は百四十四メートルと聞いている。
約百五十メートルという見方もできる。
平原1号墳は東西十四メートル、南北十・五メートルの墓でとうてい及ばない。
墳だけではなくその周りの囲いも入れてという意見も出てきそうだが
本当にそう解釈していいのだろうか?疑問が残る。
これでも平原1号墳を卑弥呼の墓だと言うのでしょうか?
いろんな人の意見や考えを聞いてみたいです。
122 :
改め:2008/03/23(日) 04:19:36
漢委奴國王(なのわのこくおう) 金印
現在、「委」は「倭」の変化する前の字とみて「委」わ、「奴」なの「國」
と一つずつ区切って読み、魏志倭人伝で伊都國の東南,百里に位置する
「奴國」にあてるのが定説となっている。
また奴國(イト・イド)王と読んで伊都國に当てる学者もいるときく。
魏志倭人伝に記される「東南至奴國百里」、「次有奴國」これらは
同じ「奴國」としてみるのか、又別々と考えるのか意見が分かれるところだろう。
私は別々に捉え、何かしらの関係を持った国同士的な考えでいる。
みなさんの考えはどのようでしょう?
123 :
改め:2008/03/23(日) 04:21:44
訂正
訂正前:漢委奴國王(なのわのこくおう) 金印
訂正後:漢委奴國王(かんわのなのこくおう) 金印
眠いかも・・・w
124 :
改め:2008/03/23(日) 04:32:00
五七年に遣使し金印(印綬だが、金印とここでは書く)を下賜された
「倭奴國」はこの魏志倭人伝の「奴國」なのだろうか?
後漢書倭人伝
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬
125 :
裕香:2008/03/23(日) 06:20:45
126 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 11:06:41
乱立させるならどっちかに削除以来出しとけ
127 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/23(日) 11:19:21
>>121 度量衡の整理しっかりやらないと
馬鹿学者と同じになっちゃうよ
128 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 12:00:26
>>118 ローガンさん
挿入したという根拠はあるんですか? 想像でしょう? そうならば紀は
九州に女王国があったという文があって、それを誰かが削除したんだと主張して
もこの論法も言い分ができますよ。
129 :
愛知県民:2008/03/23(日) 12:02:16
ローガンさん
>>117 箸墓伝説のうち、大坂山の石を運んだという部分は、現代の調査で裏づけられているようですね。
被葬者は分かりませんが。
一方「神武天皇陵」は埋葬以後、壬申の乱まで書紀に登場しないという不自然さがあります。
延長された紀年(倍暦かもしれませんが)に縛られて、百襲姫を魏の時代とはできなかったか?
>>118 「後人挿入説」はどうかな?
神功皇后の摂政期が漢末・魏・晋初になっているのは偶然とは考えにくいと思います。
130 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 13:05:08
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
132 :
愛知県民:2008/03/23(日) 14:47:16
其地大較在會稽東冶之東,與朱崖、儋耳相近
後漢書倭伝の倭国は、むしろ夷州(台湾)に近いようです。
隋書倭国伝でも、秦王国は夷州ではないかと疑っている。
倭と夷州で、情報の錯綜があったようですが・・・
また来週です。zzz・・・
133 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 14:56:19
邪馬台国の所在地について、イマイチ決定打が無いよね。
決定打がないからこその考古学
135 :
ローガン:2008/03/23(日) 17:43:29
>>119さん ありがとう。
ただ、昔からある説の事の触れただけで、自身でも正直?です。
この機会に爼上に上がれば…
良ければお説を聴かせてください。
>>128 太国さん
と、すれば紀のどの部分に削除が想像出来るような箇所があるのでしょうか?
>>129愛知県民さん、そうですね。墳丘から大池への転落石が柏原市芝山産の玄武岩だそうですね。
二上山火山群ととらえれば、大坂山の石と考えて良さそうですね。
壬申の乱の所では、鯨との戦いでこの墓に触れてますね。
「箸陵」とあります。「陵」と「墓」当時から使い分けがあったのでしょうか?(皇室典範は当てはまらないでしょうけど)
それとも前半と後半で筆者が違う事により生じた字の異同だけかな?
>延長された紀年(倍暦かもしれませんが)
確信はありませんが、倍暦はなかったと思います。
136 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 17:56:44
そもも邪馬台国が倭人伝に記載されているのは,日本で一番有力なクニだからでわなく,魏に朝貢したから。それで考えるとその年代の地層から中国製品の多い筑紫が有力だと思う。その中でも,その年代の遺跡がある朝倉市(平塚川添遺跡)が有力なのでは。
|
>>1ってうざいよね〜
\ _______
V
∧_∧∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)´∀` )< だよね〜、誰か頃してくれないかな?
( ) ) \_______________ ∧ ,∧
| | || | | (・д・,,)ペッ!!
(__)_)__(_) ∧__∧? 、'(_@
(´⊇`)
( 1 )
|| |
∧ ∧ムカムカ (((_)_)
(#゚Д゚) ̄ ̄ `〜 ∧ ∧
U U ̄ ̄UU ( ) イッテヨシ!!
へ | ヽ
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ったく、サルみてーに糞スレ乱立させてんじゃねーよゴルァ!!
138 :
唐松山:2008/03/23(日) 18:06:30
神功39年の記事は 年の干支に合わせた 差込
書記の編纂者は 卑弥呼を知らない。と言うことになります。
139 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 18:07:53
考古学的にも、邪馬台国に繋がる発見は得られず、未だに、畿内だ!九州だ!四国だ!富士だ!
…と騒いでる始末。
同時代の遺跡、古墳が発見されても、邪馬台国に繋がる発見も無し。
結果、邪馬台国は日本(倭国)には無かった。
これが正解だな。
140 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 19:49:37
>>135 ローガンさん
あなただって似た質問をしてくるでしょうが。だから挿入したなど
という根拠もなさそうな結論だけ書きこんで、ハイおしまいでは
そういう話はやるべきでないでしょう。
141 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 19:51:55
142 :
ローガン:2008/03/23(日) 19:57:54
唐松山さん。
では国内には卑弥呼についての伝承の記録、記憶がなく、中国文献で初めて知ったといういう認識でよろしいのでしょうか?
143 :
ローガン:2008/03/23(日) 20:01:28
>>140 太国さん、ごめんなさい。仰る通りですね。
又後程。
144 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 20:05:21
ローガンさん
あなたは卑弥呼が神武以前の人物などという安本先生式(九州は否定
の)畿内説をまともに信じているんですか?
成立はしないと思いますがねえ。神功39年が神武以前の時代では、
当時の天皇の在位は満員電車のごとくで、成立しないことは自明
に近いと想いますがね? あなたも早く目を覚まして九州説に鞍替え
することをお奨めします。
145 :
唐松山:2008/03/23(日) 20:17:06
卑弥呼の伝承は、ほつま伝で伝えられていた が
書記編纂者は 卑弥呼の口伝を耳にしたことが無く 誤った漢字を当ててしまった。
神功39年からの挿入文は 年の干支を合わせてある、女王に比定出来る、 つまり
@書記編纂者が 実際の年数を引き延ばしたわけではない。(伝承どうりである。)
A神功39年以降少なくとも 神功時代は 引き延ばされていない。
B対外文章を 挿入するために 設けられた。
この様なことが考えられますが 私は @だと思います。
146 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 20:43:50
伝承どおりとは、卑弥呼が神功の時代に生存していたという主張
ですか?
147 :
唐松山:2008/03/23(日) 21:02:59
崇神元年 この前後に タケハニヤスの乱
崇神5年 凶作
崇神6年 春から夏にかけて 天候不順 為 餓死者や離農者の続出
特に 日本海沿岸で被害が大きい
崇神6年秋 大国魂等の 出雲連合王国崩壊 崇神に後を託す
崇神7年? 大彦を越の主とし 福井辺りに派遣
流動化した 離農者等の畿内への流入を阻止するため
崇神10年 出雲連合王国の治世と畿内の農業人口減を補うため 軍を組織し、各地に派遣
異族多帰、畿内安寧
崇神11年秋 5年頃からの疫の終息を祝う祭りを 箸塚で行う
崇神12年 崇神の子作りが始まる(年齢推定の基本)
崇神18年 初めて船を造る 主目的は米の徴集のため。
垂仁30年頃 武器の備蓄と常備軍の創設
景行12年 請われて九州遠征 卑弥呼死亡
景行20年? 五百野皇女を筑紫に派遣
西暦188年 崇神元年 西暦248年 景行12年 この間7,80年が“倭国乱”
148 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:23:43
馬鹿め
149 :
ローガン:2008/03/23(日) 21:26:14
>>144 すみません。今ごろは眠くて、中々目が覚めません。
満員電車ですか?
開化迄創作ではないかなあ?と考えています。
9人分座席が空きませんか?
150 :
唐松山:2008/03/23(日) 21:37:07
馬鹿め などの褒め言葉より 記事にカメ
桜の花も 何もないところには咲きません 開化は 前段階が在ってこそ。
151 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:39:32
>>147まるで見てきたようなウソを書き並べましたね。
大した想像力です。それともどなたかの受け売り?
152 :
唐松山:2008/03/23(日) 21:48:44
売っていたら買いますか?
書記の記事をほんの少し潤色して 西暦を付けただけですが。
153 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:50:47
買いますよ。関先生のようにシリーズものでも出してみては?
>>152
154 :
唐松山:2008/03/23(日) 21:59:07
本当に買うの?困った 売り物じゃ無いんだ 無料配布
前掲のおかしいところを突っ込んでいただければ 出しますよ。醤油みたいなの
155 :
裕香:2008/03/23(日) 22:06:58
156 :
ローガン:2008/03/23(日) 22:08:12
>>150 するとbefore afterの境が開化ですか。
開化(花)して崇神で結実かな?
もしそうなら初代大王の礎ですか。
157 :
唐松山:2008/03/23(日) 22:23:09
before afterの境は それよりずっと以前 神武 より57年前(多分間延びした57年)
初代大王は崇神で良いと思います。
崇神6年秋 大国魂の”宮”移し
宮とは生きた神の住まいです。
死んだ神なら 社に祀る 孝昭が祀った大物主は神武 と同年代を生きた人で
孝昭時代にはもう死亡していましたから 社に祀る。
158 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/23(日) 22:29:34
Pupu!w
159 :
ローガン:2008/03/23(日) 22:48:14
>>157 大国魂の宮を移す?
穴磯邑ですか?とすれば、垂仁25年ですが。
倭大神は崇神6年は大殿之内を出ていないのでは?
違うのかなあ。
160 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:27:37
161 :
唐松山:2008/03/24(月) 19:18:20
ほつま には 崇神6年の 項に 下記のように書かれています。
ホ33051 フタミヤを さらにつくらせ ムトセアキ ヲヲクニタマノカミうつし
ナツキソムカヨ アスのヨハ アマテルカミの ミヤうつし トヨノアカリの
イロもよし いざトモカミは くだります
書記の書かれた頃には 生きている神と呼べるのは天皇のみの時代
宮と社違いも 分けて呼ぶ時代では 無くなっていた。 と言うことですかネ。
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
>>162 『記・紀』&『万葉集』ネタなら参加しないよ
164 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 08:32:49
八女津比女
165 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 23:37:06
八羅瀬女
166 :
ローガン:2008/03/25(火) 23:40:22
>>161 唐松山さん、ご教示ありがとう。
秀真伝は全く解りません。とりあえずお礼迄…
『卑彌呼』
これをテーマにしたいのなら、先ず
「共立」からやりますか?
相攻伐状態で暫く主不在だったにもかかわらず、話し合いにて
リーダーを決めるなんて解釈があるが、まるでお伽話の世界。現実味のない話が、まことしやかに語られ、独り歩きしている。
ここから調整せねば、先に進まない。
普通、共立運営と言えば
二人の者が立て、互いに組織を運営するもの
その時、従来から存在する組織の流れを継承し、運営するのであれば、
従来から引継リーダーを決め、そこに従来とは異質のリーダーを入れ
新旧の両輪にて運営するのが『共』だよ
『共立』後、新旧二人のリーダーの地位は同じでも、実質的権力を握るのは必ず「新」側。ボロボロの旧体制を実質的に救ったんだから当然の結果。
そして
『共立』するには必ず影の仕掛け人がいるのも常識
168 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 10:07:57
『及共立一女子爲王』
ここで注目しなければならないのが(一女子)
ここは普通“及共立女子爲王”と「一」等必要ない文章
複数の女子を「爲王」事が通例なら「一」は必要な文字となるが
そんな習慣何処にも書いていない。
つまり
この「一女子」の“一”とは、先程も述べた共立に掛かり、旧体制から続く“男子王”と『共』する新体制側(もう一方)と言う意味が
『一女子』
169 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 10:15:53
>>162 卑彌呼や壹與が誰かは分からないが、邪馬壹國は「東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。」で説明されている通り
1.今の世、伊都國には王がいる。(伊都國は首都)
2.伊都國の王は女王である(卑彌呼、壹與)。
3.倭の三十國は女王國(伊都國)に統屬されている。
で伊都國だ。
>>169 >説明されてる通り
何も説明されてませんよ
171 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 11:03:46
「世」を代々と複数形に誤訳。
誤訳した「代々」を使ってが「皆」が「世有王」を指すと更に誤訳。
「世有王」は単数形で「皆」が指す語ではない。
「皆」が指しているのは
「倭人在帶方東南大海之中、依山島為國邑。舊百餘國、者漢時有朝見者、今使譯所通三十國。」
の「今使譯所通三十國。」のことだ。
文章理解力が無いのか、ワザとか「世有王、皆統屬女王國」を
「代々王がおり、皆、女王国の統治下に属し」と誤訳したのが問題の始まりだ。
本当の意味は「今の世、(伊都國には)王がいる、(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。
172 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 11:30:33
>>171 元々『世』は
数詞としての、単数複数としての意味ではなく
『世』とする“範囲”の意味で文章に用いられる文字。だから
ここに書かれている『皆』は、『世』と言う範囲に存在する“王”に掛かる。
173 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 11:33:46
河童虫 ◆EY2wfgakAQさんは、時々すばらしい着眼点を持ちますね。
で、一女子王は卑弥呼と壹與ですが、
もう一方の王は伊都國王となるのですね?
更立男王は國中の伊都國王擁護派から支持されなかった?
174 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 11:52:34
>>173 >伊都国王
いいえ
伊都国と限定してしまったら建前上同格の『共立』とはなりませんから
ここは“伊都”と限定してはいけないとかんがえます。
ただ、(伊都に居た)と(伊都を治める)は
また違いますから。
175 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 11:56:00
>>172 『世』が「代々」意味なら『世々』と表記される。
『世』をある範囲に存在する“王”とした場合でも『世々』に比べると短い期間を指す。
「○○の世」のように表現され『世』の“範囲”は通常は一人の王の期間を指す、複数を指す『皆』には不適当。
『世』を「代々」と訳したのは『皆』を『世』に掛けたい為に考案されたトリックだ。
「伊都國の王が女王国の統治下に属する」のも中華的秩序から言えば在り得ないことだ。
中華的秩序では王の上に君臨するのは皇帝だ。
「伊都國の王が女王国の統治下に属する」では女王は伊都國の王の上に君臨し皇帝と同格の扱いとなってしまう。
176 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 11:59:21
>>171 >(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。
伊都國は女王國に含まれない。
帯方郡〜伊都國間は11900余里だから。
帯方郡〜女王國間は12000余里。
177 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 12:08:19
>>174 書き間違いました。
「世有王」だから伊都國にいる国王の意味で、
伊都國王だと伊都國を治める王の意味になりますからね。
178 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:08:29
179 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:11:38
>>175 『世』のある範囲に存在する“王”は「卑彌呼〜壹與」
180 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 12:12:23
×「世有王」だから伊都國にいる国王の意味で、
○「世有王」だから伊都國にいる王の意味で、
181 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 12:13:09
>>175 それは違うよ
陳壽は『今』(魏時約四十年)と、限定してるだろう。
だから“世”が使えるんだよ
陳壽は文頭にて『今』と限定しているからこそ、後漢末と、別時代である共立を別の欄にて紹介し、他の文と区別している
182 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 12:16:26
>>178 誤差で片付けないで。
陳寿は厳密に作文する人ですから。
183 :
サガミハラハラ:2008/03/28(金) 12:20:49
今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。
今の王、女王国を統属す、となるべきでしょう。いや、女王国を統制す、ですか。やはり、統属という
言葉を使用している点から、今の王、女王国に統属す、でしょう。
伊都国の王は女王に頭があがらないのです。
184 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 12:23:23
えっ!
方可四百餘里や方可三百里も、加えちゃうの?
止してよ
今更
185 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:27:01
>>182 自郡至女王國萬二千餘里とか、やたら餘里が使われていますから、厳密な距離ではないのでは。
186 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:34:49
>>183 「今の王、女王国に統属す」では『皆』が消えてしまう。
187 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 12:40:39
女王共立を正しく理解出来れば、伊都に書かれた事情なんて問題にもならないよ
>王の上に王は居ない
王の上に王が居るなんて
何処にも書いてないし、共立された『男子王と女王』は、建前上同格(共立だから)
しかし、実質的権限は
新体制女王。
だから女王が治める国(女王国)に他は統べる。
これが
『理の理』
188 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 12:53:19
>>184 方可四百餘里や方可三百里も加えますよ。
古田説のこの部分は今でも正しい。修正不要。
>>185 餘里も含めて厳密です。
○○餘里+△△餘里+□□里=◎◎餘里
になっている。
>>186 >「今の王、女王国に統属す」では『皆』が消えてしまう。
「今」の瞬間ではない。「今」のある範囲の時間ですよ。
189 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 12:54:38
簡単に言えば
『共立』がされし以降のこの邪馬台国は、二つの派閥によって経営されていた。
一つが(旧体、男子王派)
もう一つが(新体、女王派)
こう考えれば
後に出て来る“不属女王”の意味も理解出来るだろう。
190 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 12:57:05
>>188 古田さんの説には『理』がない。
距離と長さを全く区別していないし
191 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 13:00:23
伊都國と邪馬壹國に各々王がいて、
2人の王が共立していること。
邪馬壹國にいる王が優位にたっている。
邪馬壹國にいる王が女王國の王でもある。
192 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 13:07:57
>>190 古田氏は道程と距離の区別をしている。
距離400餘里は道程800餘里に、距離300里は道程600里に変換している。
193 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 13:18:44
共立された『男子王と女王』・・・どの部分からの解釈でしょうか?
「世有王、皆統屬女王國」の王と女王を別の王と考えたのでしょうか。
「ある世、王様が居ました、倭の全ての国々は女王國に統属されていました。」
王と女王は同じ人物でしょ。
194 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 13:20:43
195 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 13:24:23
>>192 それを官制にそって説明できますか?
そして、何故〇〇里〇〇歩と言う記載が無いか、説明出来ますか?
196 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 13:37:28
>>193 だから
そういう謎を持たないように、私が朝一番に
共立辺りから始めませんか?と
言っているのです。
初めが分からねば、当然途中なんて理解出来るわけがない。
197 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 13:41:48
>>195 ○○餘里や△△許里の表現の中で、□□歩の表現は不要。
それに、「歩」は土地の長さや面積の単位です。(ここでは土地の長さ)
>それを官制にそって説明できますか?
質問の意味が理解できない。
198 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 13:46:00
>>197 >不要
不要とするには不要と判断する要因があるでしょ
>歩は面積
意味がわかりません。
199 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 14:02:48
度量衡を十分把握してからの距離の考察なら、この〇〇里〇〇歩が
存在しない理由は、直ぐ分かるはずです。
距離の意味を理解せず、単純な足し算にて総数を調整する行為には
第一、
こう言っては古田氏には失礼ですが、古田氏唱える短里説って、ねぇ〜〜
200 :
九州王朝大好き:2008/03/28(金) 14:21:45
距離(ながさ)ではありません。
道程(みちのり)です。
道程には単位「歩」はありません。
「歩」は、距離(長さ)の単位です。
距離(ながさ)の単位:里、歩、尺、寸 等
201 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 14:39:07
>>200 『長さ』と『距離』は別物ですよ、それに
(道程)は古田さんの範囲だけで使用できる応用概念だから
(道程)対する単位は存在しません。
それに、古代中国度量衡“度”に、『里』はありません。
全て長さの単位だけ
202 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 14:43:22
>>194 2人の王が共立していたら、中国人には珍しい事なので、もっと共立について明確に記載されているはず。
根拠に乏しい。
203 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 14:46:57
>>202 主観で反論されたら、返す言葉がありません。
204 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 14:49:00
ま、古田氏の説を題材にするのはスレ違いですから、この辺で
距離については、止めます。
205 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 15:01:28
それよりも、
『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立した
な〜んて方が
よっぽど現実離れしているよ
206 :
ローガン:2008/03/28(金) 15:32:09
>>205 興味深いお話なので、お仲間に入れて貰いましょう。
魏志の夫餘のところで、「位居死諸加共立麻余」とあります。
この辺りの文面からは、諸加が麻余を「共立」した。と読めるのではないですか?
207 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 15:34:14
『共立』とは長い倭國内の戦争後、勝った国の方針で卑彌呼が擁立され他の国々もこれに従った。
単に『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立したと見る人は少ないでしょう。
208 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 15:53:17
>>207 それじゃ『共立』じゃないよね
それが共立なら
家康は、共立にて?
209 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 15:56:12
>>206ローガンさん
日本語もそうなんですが
同じ『共立』の文字の意味が全て同じになるとは限らないよね
その『共立』を構成する文章によって意味なんて様々に変化するよ、一番大事なことは
その文章に合った適切な意味解釈じゃないかな
>「位居死諸加共立麻余」とあります。
飽くまでも参考程度でよろしいかと
夫餘と倭がまるで同じ時代環境なら、十分な参考となるけどね
夫餘でも、『・・・・相攻伐歴年及共立一女子・・・』だったのかな?
211 :
サガミハラハラ:2008/03/28(金) 17:33:57
共立とは、北方系民族で行われるクリルタイのことですよ。
つまり、扶余と倭国の上層部は同じ北方民族であることをあらわしています。
邪馬台国人は弥生期に北方から半島を経由して北部九州に定着した人たちです。
212 :
唐松山:2008/03/28(金) 18:23:17
天照大御神が 筑紫に入ってから
代々男王が立てられ三十数ヶ国を治めていたが ある時期から
この三十数ヶ国の小王等は 大王から距離を置き 従わなくなった。
大王は、皆(小王)と協議し 卑弥呼を 王とした。
熊曾は、元々天照大御神(ワケイカヅチ)の傘下ではない。
213 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 18:26:57
>>209 将軍職は天皇から与えられるもの。
合議による「共立」ではない。
共立は
倭国大乱の時期、(邪馬台国周辺の)小国どうしが、約70年も殺戮を繰り返した結果、国力が疲弊した。
これにより、このまま小国どうしが潰し合いを繰り返していたら、人口減少や穀物・食料の確保もままならず、小国どうしが苦肉の策として、小国指導者どうしで話し合い(和平目的)をし、皆が従う(納得のいく)人物を立てた。
それが卑弥呼や壹與ではないだろうか?
…という妄想ですが、どうでしょうか?
イヨタン・・・・・・・・・・・・
216 :
サガミハラハラ:2008/03/28(金) 20:20:02
217 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 20:26:53
>>214 それを
文献の何処で証明するか?
ですね
218 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/28(金) 20:30:21
219 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:30:48
共立の実態は不明だが
「皆統屬女王國」とあるように女王國は倭の三十国の連合国家だったわけだ。
>>219 >「皆統屬女王國」とあるように女王國は倭の三十国の連合国家だったわけだ。
違う
女王國は女王が治めているから女王國
女王が治めようが、男王が治めようが三十国に変化は無い
三十国の内に女王國がある
221 :
ローガン:2008/03/28(金) 21:00:08
>>210 河童虫さん。字や語句の意味は文脈によって異同があると云う事ですね。了解しました。
細かい事ですが…
「及共立一女子」ではなく、「乃共立一女子」だったと思います。
>>215 花丸頂きますた!
>>217 文献から導き出すのは難しいでしょう。
魏志倭人伝の中で、唯一これが関連するかどうか?
『其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。』
論拠には乏しいですが。
>>221 >「及共立一女子」ではなく、「乃共立一女子」だったと思います。
あっ ごめんなさい
ありがとうございます。
224 :
唐松山:2008/03/28(金) 21:17:05
乱の始まりは 193年等の凶作
この凶作で 農民の離農 流動化
大王の発給する 農事暦に対する不信感 いわゆる古墳期の寒冷化
最終的に 暖かい九州に 流れ込んだ。
流れ込んだ人々が小王の元で 盗賊化。
>>214 貴方の主張によると
共立は小国指導者どうしの話し合いにて『共立』したということになり
つまり、女王を(共に立てた)ということになりますね
すると、視点は小国の王となり、この文は小国の王が主役(主語)ということですか?
これは帝国の書に、まるで記紀のような国内だけの事情説明ですか?
それだったら普通『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』で、十分では?
226 :
唐松山:2008/03/28(金) 21:24:28
カンカシ姫(神夏シ姫、神香椎姫)やクロマロは
大王の暦を使わずに 自分で暦を発給する。
農事暦を発給 ”種貸し”業の大王は立ちゆかなくなる。
>>222 貴方は『一女子』をどう解釈するのです?
それに
王たちが共同で王(リーダー)を立てたなら、それは「共立」ではなく「協規」じゃないのかな〜?
229 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 21:46:59
>>220 「皆統屬女王國」ですから、女王國は皆(三十国)の集合体。
三十国の上に女王が君臨したから女王國。
三十国の内に女王國があるのではありません。
>>229 >女王國は皆(三十国)の集合体
じゃあ女王が居なくなったらなにになるの?
それに、皆が(三十国)で女王國が三十国の上に女王が君臨じゃ
皆(三十国)統属(三十国の上に女王が君臨した国)となる訳?
231 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:08:40
女王が居なければ女王國ではない。女王國とは卑彌呼から壹與までの期間だけの世の国。
皆(三十国)統属(女王が君臨した三十国の連合国)。
「一部 統属 全体」
統属云々の一節は伊都国の記事にあるんだから伊都国に関するものだろう
「伊都国には代々王がいるが半ば女王国の支配下に置かれている」と解釈する
完全に支配下に置かれてるなら一大率によって検察する必要もないし
女王国の範疇に入るのは邪馬台国及びその周辺の小さな旁国21国と考える
233 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:18:12
>>232 少し前を読んでね。
伊都國の王が女王で、世を代々と訳するのは誤り。
「皆」というのは伊都国の歴代の王のことだろう
>>231 >「一部 統属 全体」
それって恣意的すぎない?
236 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:20:37
>>234 少し前を読んでね。
「皆」というのは伊都国の歴代の王のことではありません。
237 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:22:10
>>235 恣意的ではありません。
統属の使用例を調べてみてください。
>>234 >「皆」というのは伊都国の歴代の王のことだろう
たかだか40年ほどで歴代ですか?
>>238 40年でも数代続けば歴代だと思うけど
てか40年ってどこから出たの
240 :
aratame_himiko♪:2008/03/28(金) 22:28:04
飲み会で遅くなってしまった!
>>167「共立」からやりますか?
>相攻伐状態で暫く主不在だったにもかかわらず、話し合いにて
>リーダーを決めるなんて解釈があるが、まるでお伽話の世界。現実味のない話が、まことしやかに語られ、独り歩きしている。
>ここから調整せねば、先に進まない。
>普通、共立運営と言えば
>二人の者が立て、互いに組織を運営するもの
>その時、従来から存在する組織の流れを継承し、運営するのであれば、
>従来から引継リーダーを決め、そこに従来とは異質のリーダーを入れ
>新旧の両輪にて運営するのが『共』だよ
「共立」とは『共に立てる』という意味で、この場合は部族によるなにかしらの
連合体国家が共に立てたと解釈すればいいだけ。
他にどのようなことが言えるのか河童氏は説明しなければいけない。
>『共立』後、新旧二人のリーダーの地位は同じでも、実質的権力を握るのは必ず「新」側。ボロボロの旧体制を実質的に救ったんだから当然の結果。
>そして
>『共立』するには必ず影の仕掛け人がいるのも常識
具体的にのべてほしいです。
241 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:29:21
「世有王、皆統屬女王國」の意味は「ある世、(伊都國には)王がいた、(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬していた。」なのである。
女王國とは伊都國が中心となった三十國の連合国だったのである。
この短い文で筆者が言いたかった事は下記の3つのことだったのである。
1.ある世、伊都國には王がいた。(伊都國は首都)
2.伊都國の王は女王である(卑彌呼、壹與)。
3.倭の三十國は女王國(伊都國)に統屬されていた。
>>237 >恣意的ではありません。
統属の使用例を調べてみてください。
調べるもなにも
統属されるものは「皆」と書いてあるだろう
それに、一部ってなに? 区分けできますか?
243 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:33:57
>>168『一女子』
>この「一女子」の“一”とは、先程も述べた共立に掛かり、旧体制から続く“男子王”と『共』する新体制側(もう一方)と言う意味が
>『一女子』
一つの女子 と普通に解釈すればいいです。
そこに旧体制など書かれてないなら、それを取りこむのは間違ってると思います。
244 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:34:55
>>241 だからその訳は間違いだって
邪馬台国や他国との関係性がさっぱり分からなくなる
>>240改めさん
約束通り、スレを活性化しておいたよ 今日だけで約100弱進んだ
>>243 >一つの女子 と普通に解釈すればいいです。
何それ? オッパイが一つ?
>そこに旧体制など書かれてないなら
これは便宜上の表現
共立以前の(主が男王)時代の事
>それを取りこむのは間違ってると思います。
じゃあ 辻褄が合うように旨く説明して
247 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:39:47
>>181『世』
「そのよ」その時とか時間的な意味がある。
>>183 >今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。
>今の王、女王国を統属す、となるべきでしょう。いや、女王国を統制す、ですか。やはり、統属という
>言葉を使用している点から、今の王、女王国に統属す、でしょう。
>伊都国の王は女王に頭があがらないのです。
世を使うときは『過去』のはずです。
よって上の「今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。」
ということについてはそのとおりですよね。
248 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:41:31
>>245 >約束通り、スレを活性化しておいたよ 今日だけで約100弱進んだ
ありがとうございます。
さすがは河童さん 活性化されてます〜あなたは実力者ですもんね。
249 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:44:59
しょうもないレスがいくつついても、それで活発化したといえるだろうか?
九州にも多くの王朝が乱立したけれど、どれも日本を統一するだけの勢力
には育たなかった歴史的事実にも似ている。
250 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:45:00
>>176 九州王朝大好きさん
>(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。
いいえ 違います。 倭人伝のどこにそのようなことが書かれてますか?
書いてません!
>伊都國は女王國に含まれない。
>帯方郡〜伊都國間は11900余里だから。
>帯方郡〜女王國間は12000余里。
古田?ここは私も同じです。
251 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:48:28
>>247 「今の世」は不適切だった、「ある世」に変えました。
>>244 具体的に何処が変?
>>242 他の漢籍での「統属」の使用例がそうなっているの。
>>247 >世を使うときは『過去』のはずです。
よって上の「今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。」
ということについてはそのとおりですよね。
おかしくない世
「世」に過去という意味はない
「世」は飽くまでも 範囲
魏書を書けるのは魏時が終了したから魏時の全てを書くことが出来るから
どうしても過去というイメージが付きまとうだけ
過去の意味は全て ○○世とした時 ○○が全て過去を表すから世に過去の意味はない
253 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:49:52
>>246 >>一つの女子 と普通に解釈すればいいです。
>何それ? オッパイが一つ?
オッパイは二つでしょ。見たことないんですか?
>>そこに旧体制など書かれてないなら
>これは便宜上の表現
>共立以前の(主が男王)時代の事
まあ、ここは同じです。
>>それを取りこむのは間違ってると思います。
>じゃあ 辻褄が合うように旨く説明して
倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王とする
普通に考えたほうがよいんですよ。いろいろ考えすぎないこと!
254 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:52:15
女王國(邪馬壹国)が伊都國を中心とした北部九州の連合国でなけれ邪馬壹国七萬戸は九州内に収まりません。
>>251 >他の漢籍での「統属」の使用例がそうなっているの。
で、その漢籍には「皆統属○○」となっていた?
256 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 22:55:28
「世有王」については日本語に代えたとき「代々、王有り」でいいんですよ。
そこでは「代々」なんて言葉は使ってませんが日本語に書き直した場合はそれが
適当だと思います。
>>188 はい そこだけは正しいですよね。他はいまいちだが。
257 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:56:36
女王国とは伊都国などが統属していた国。したがって、伊都国などは女王国ではない。
倭の国々(狗奴国は除く)は、女王国(邪馬台国やそのまわりの国)とそれに従う国々(伊都国など)とに分かれていた。
伊都国などは倭国の乱で負けて女王国に服属するようになったと考えるべきだと思うが。
258 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:58:18
「世有王」を日本語に代えたとき「代々、王有り」とした事が重大な誤りだったんだよ。
ダメだね。
259 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:00:18
>>252 河童さん
>おかしくない世
>「世」に過去という意味はない
>「世」は飽くまでも 範囲
あれ?「世」て過去の意味は含まれてないんでしたっけ?
ごめん 飲み会〜女の子送ったばかりで辞書が手元にない。
自宅のPCではなくネカフェからです。誰か辞書にて書き込んで!
260 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:02:01
>>257 「統属」と書かれているのですから伊都国(他の国も)は女王国の一部です。
>>257 俺もその考えにほぼ同意
伊都国など九州北辺の国々は関が原で言えば外様みたいな位置づけだろう
そのために伊都国に駐在する一大率によって検察される
>>247 以前、この世に触れたときは話さなかったんだけど
「世」には
(よ、よよ)という意味はない
「世」が(よ、よよ)を必要とする文脈に組み込まれたときだけ(よ、よよ)という意味が発生するだけ
世界の世は違うだろう
263 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:06:11
>>189 >『共立』がされし以降のこの邪馬台国は、二つの派閥によって経営されていた。
>一つが(旧体、男子王派)
>もう一つが(新体、女王派)
どこにも二つなんて書いてませんよ。
それはあなたがそう受け止めそう解釈してしまったからそうなったんでしょ?
共立=二つ以上の意味のはずです!
三つ、四つ以上のものでも共立が含まれるはずという意味。
264 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:07:36
>>261 伊都国には王がいたのです。
王とは皇帝の部下です。
つまり女王のことです。
265 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:09:24
>>264 マレーシアの州王もまた王だけどな
王だからといって常にトップとは限らない
266 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:10:56
>>262 >「世」には (よ、よよ)という意味はない
そのとおりです。
世は(よ) (よよ)なんてどこにもありません!
ではわたしが何故、「代々でよい」と言ったのか?!
「皆」の字が見えるからですよ。
世有王 皆統屬女王國
ここは伊都國の王について触れてるわけです。
>>236 >どこにも二つなんて書いてませんよ。
「共立」「一女子」
これだけで十分ですよ
「明日も雨」と言う文で、
今日の天気は書かれていないから「今日は雨」とは言えないのですか?
>>264 具体的にあんたの考える邪馬台国・女王国・倭国の範囲はどこよ
女王国と倭国に関しては具体的にどの国を含むの
269 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:13:24
>>265 中華での王とは時代と場所違い。
残念。
270 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:14:18
野蛮で無能な民が増えたことは卑弥呼には耐えがたい苦痛だったろう。
271 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:14:44
>共立=二つ
これは間違いです。
共立=二つ以上 です。
ということで二つの派閥(天皇家、大国主)という解釈だといけないんです!
272 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:16:11
>>269 俺が言ったトップってあえて中華皇帝の存在は抜きにして言ってるんだが
273 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:16:57
>>268 女王國(邪馬壹國)とは伊都國が中心となった北部九州三十國の連合国
274 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:18:50
>>273 >女王國(邪馬壹國)とは伊都國が中心となった北部九州三十國の連合国
全然、違う!
あなたはもう一度、倭人伝を勉強したほうがよい。
275 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:19:02
>>272 中国の史書を論じているのに中華皇帝の存在は抜きにしてどうする。
>>273 それだと伊都国と邪馬台国と記事を並列させる意味がないだろ
邪馬台国との関係性が分からないと言ったのはそういうことだ
伊都国と邪馬台国は各々別の国だよ
277 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:20:00
aratame_himiko さんはどう考えている?
278 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:21:25
>>275 ここで問題にしてるのは伊都国と邪馬台国との関係性
わざわざ中華皇帝を持ち出さずとも王の支配レベルは語れる
>>267の訂正
>>236としたアンカーは
>>263の誤りです。
改めサン 以前筆法という表現使いましたよね?
筆法という表現を使っている本人が、書かれている見えない部分を否定してどうするの?
それに、「皆統属女王國」と書かれた文で何かわかりませんか?
この「皆統属女王國」の文を書かなければならなかったかの事情が
古代漢文なんて、こんな文の連続ですよ
出来る限り最小限の文字数にて、膨大な情報を組み込もうとしていますから(でも妄想はいけませんが)
(昨日は雨、今日も雨)の文は(今日も雨)という文で済みますから
九文字から四文字に 五文字も節約出来ました。
280 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:22:51
>>276 伊都國は都市国家、邪馬壹國は領域国家。
>>271 >これは間違いです。
共立=二つ以上 です。
ということで二つの派閥(天皇家、大国主)という解釈だといけないんです!
それは「協規」で間に合うでしょう
それに、共立には書物の視点の問題もからみますよ
282 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:25:12
不属女王
「女王に属さない」でいいんですよ。
これを違い解釈にすると何もかも間違えてしまう。
>>191 >伊都國と邪馬壹國に各々王がいて、
>2人の王が共立していること。
>邪馬壹國にいる王が優位にたっている。
>邪馬壹國にいる王が女王國の王でもある。
どこにもそんなこと書かれてない!
普通に解釈したほうがよいんですよ。
283 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:25:45
>>278 中国人の目線や常識で書かれている事を忘れてはいけません。
そうそう
取り敢えず約束ははたしたので、私はこれにて失礼します世。
あとはヨロシク
285 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:31:11
>>276 >改めサン 以前筆法という表現使いましたよね?
>筆法という表現を使っている本人が、書かれている見えない部分を否定してどうするの?
ハイ 筆法です。
>それに、「皆統属女王國」と書かれた文で何かわかりませんか?
>この「皆統属女王國」の文を書かなければならなかったかの事情が
以前の伊都國王も女王國に従っていたようです。
他にどんな意味があるというのですか?
>古代漢文なんて、こんな文の連続ですよ
>出来る限り最小限の文字数にて、膨大な情報を組み込もうとしていますから(でも妄想はいけませんが)
>(昨日は雨、今日も雨)の文は(今日も雨)という文で済みますから
>九文字から四文字に 五文字も節約出来ました。
ハイ そうですね。それが何か?
286 :
aratame_himiko:2008/03/28(金) 23:32:43
では私も〜この辺で。
河童さんどうもです!
ZZZZZZ・・・・・・。
邪馬台国・・・卑弥呼の統治する本国
女王国・・・邪馬台国+旁国21国(卑弥呼の支配下に置かれている国家連合)
伊都国・・・末ラ国・奴国・不弥国などとともに女王国の一大率によって検察される半独立国
かつての倭国大乱の敗戦国か?伊都国には代々王がいるが女王国に服している
狗奴国・・・卑弥呼に服さない敵国
288 :
ローガン:2008/03/28(金) 23:58:24
>>279 楽しくROMだったのですが。
「今日も雨」はいただけませんね。それだけでは昨日の天気は?ですよ。
それに史書は人に読ませる物でしょうね。
読み手と書き手が認識を共有するものだと考えます。
「暗号」ではないと思います。
>>288 >「今日も雨」はいただけませんね。それだけでは昨日の天気は?ですよ。
別に大まかに理解できればそれで良しとする内容ですから、
>それに史書は人に読ませる物でしょうね。
読み手と書き手が認識を共有するものだと考えます。
「暗号」ではないと思います。
いや
私は編纂者の芸術と考えています。
ではzzzzzzzzzzzzzzzzzz
>>288 そうですね。
雨の件は蛇足でしかありませんね。
>河童氏
>貴方の主張によると
共立は小国指導者どうしの話し合いにて『共立』したということになり
>つまり、女王を(共に立てた)ということになりますね
はい、そうです。
小国どうしの殺戮劇で、疲弊しきった状態が続いたため、小国指導者どうしの苦肉の策として卑弥呼を『共立』したものと考えます。
>すると、視点は小国の王となり、この文は小国の王が主役(主語)ということですか?
>これは帝国の書に、まるで記紀のような国内だけの事情説明ですか?
魏にとっての同盟国、邪馬台国女王共立の、背景を述べた客観的なものです。
>それだったら普通『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』で、十分では?
不足です。
『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』では、卑弥呼があくまで自身の力で王になった、という意味になりますよね?
それと『協規』という語句は、中国の古史のどこかに存在するんでしょうか?
291 :
ローガン:2008/03/29(土) 00:52:26
>>290 いいですね。サガミ先生からハナマルですか!
私などは、いくら書いても、お気に召さないようで。
スルーばかりで、コメントも頂戴できません。
<世>という字は30って意味なんだよな
記紀で何故「大倭」「大和」と表記して「やまと」と読むのか? って疑問持ちません?
普通の表記なら「山門」になるはず。
で、「倭人条」を素直に読めば言及されてる国は全て九州にあったとしか考えられない。
出発点からの距離を勘案するとね。
294 :
293:2008/03/29(土) 05:11:40
済まん。
本文があったんだが、長過ぎて投稿失敗した。
無視して。
295 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 07:50:06
296 :
唐松山:2008/03/29(土) 09:37:19
世
卑弥呼5世といえば 卑弥呼の5代目 と言うことになる。
”世”は時空を繋ぐ単位。
倭=つくし
大倭=大和=やまと
という区分も成り立つ?
298 :
九州王朝大好き:2008/03/29(土) 11:37:20
邪馬壹國・・・卑弥呼がいる国
女王国・・・邪馬壹國・投馬國邪・不彌国・奴國の4ヶ国(卑弥呼が統治している国家群)
伊都国・・・倭國大乱期までの旧連合倭国の王がいる国。卑弥呼共立の相手国王がいる国。旧統治体制を引き継ぐ一大率を置く。
狗奴国・・・国王は卑彌弓呼。[卑弥呼(女王國)に対立する国家群(肥全域)の盟主国]狗奴國は呉と通交か?
299 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 12:41:54
>>293 そうですよね。「大和」はもともと「和」で、それはもともと「倭」だったのでしょう。
300 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 13:36:13
ヤマトなんて漢字表記は
和漢籍、万葉集を探せばけっこうな数
山跡 も、ヤマト
大和は「矢」「的」
矢は男性器、的は女性器の象徴。
千代に八千代に子孫を繁栄させるには、
子どもとどんどん産ませなければいけなかった。
ちなみに鳥居は、戌(いぬ)から来ている。
犬は多産の象徴。
国生みの儀式を行うときは、鳥居=又をくぐってから
女のところに通う。そういう決まりだった。
いわゆる通い婚の風習です。
302 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 14:14:47
>>301 >大和は「矢」「的」
だったら
最初から矢的と固定すればいい事
後世に誰かがこじつけたんじゃないの?
303 :
唐松山:2008/03/29(土) 14:48:12
畿内ヤマトは山後
304 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 14:50:28
>>303 >畿内のヤマトは山後
畿内のヤマトは、今も大和ですよ
305 :
ローガン:2008/03/29(土) 15:33:46
狭義のヤマトは「三輪山の戸口」ではないですか?
306 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 15:47:28
>>305 >狭義
いや〜
そんな事言ったら、何でもヤマトになっちゃうよ
日本中に広がるヤマトやスワは、みんな狭義?
因みに
家の近所の犬の名前もヤマト
307 :
ローガン:2008/03/29(土) 16:18:39
>>306 ご近所のヤマトちゃんの名前は「広義」とはなっていかないでしょうね。(可能性が皆無とはいいませんが)
狭義のヤマト(三輪山麓のデルタ地帯)→大和(奈良)→大和(日本)でしょうね。
308 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 16:59:53
>>307 言葉の語源の場合、自然界の名詞を使用するのは
ギリギリセーフでしょうが、「戸」等の人工的な名称を使用してしまうと
「ヤマト」と言う言葉と「戸」と言う言葉の時間の後先確定要因になってしまう。
「山門」も同じ
(入口)と言う意味で戸を使用しても同じです。
語源は危険と背中合わせ(^O^)/
そもそも倭人伝で使用されている「國」はどういう意味なんですかね?
それによって連合国なのかどうか違ってくると思うんです。
現在のEUのよう独立国家の連合なのか(連合の名称としての邪馬台国)、
植民地のような属国扱いなのか(大英帝国みたいな性格としての邪馬台国)、
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地なのか(王朝としての邪馬台国)。
310 :
ローガン:2008/03/29(土) 17:05:58
>>308 固有名詞ですが。
おかしいですか?
又後程。
311 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/29(土) 17:33:38
>>310 古地名の語源の大部分は、歴史的(人為的)要因からくるもの、或は
地形的(自然環境)要因からくるもので大部分はカバー出来るだろう。
312 :
唐松山:2008/03/29(土) 18:32:10
ホツマによると 神武 は山後川を遡り
ナガスネと第1回目の戦いを行う。
ホ29070 ナもナミハヤの ミナトより ヤマアトカワを
さかのぼり カウチクサカの アウヱモロ
313 :
唐松山:2008/03/29(土) 19:42:54
倭人伝で使用されている「國」は
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地でしょう。
314 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:14:50
韓に馬韓、辰韓、弁辰があったように倭にも投馬國、邪馬壹國、狗奴国があった。
馬韓、辰韓、弁辰は邑落(都市国家)の集合体の領域国家。
投馬國、邪馬壹國、狗奴国も領域国家。
邪馬壹國を形成している邑落(都市国家)は對馬國〜不彌國、斯馬國〜奴國など計26國。
戸数は、千戸〜4千戸(奴國は二万余戸)。
魏使は、奴國以外の國は、1國平均2千戸と想定し、邪馬壹國の戸数を算出した。
2,000戸×25國+20,000戸(奴國)=70,000戸
315 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 21:19:21
卑弥呼の墓はどこか?
卑弥呼の墓の候補はいくつかあるが、その中でも有名なのが、
「箸墓」、「平原1号墳」、「宇佐にある亀山、前方後円墳」ではなかろうか。
平原1号墳についてはわたしの考えを
>>120-124で言ったんだが、
他の人のはどのように思ってるのでしょうか?
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
>>315 亀山それ自体は自然の丘陵でつ、古墳とちゃうよ
もちろん前方後円墳なんかじゃないよ
明日香村にある蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅跡の年代を特定する
確かな証拠は見つかったようですね。卑弥呼の墓も間もなく特定
されると思います。
>>315 神奈川県民
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
ネットカフェからの書き込みご苦労さんですwww
320 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 21:53:20
そうなんでスよ
自宅のPCは規制ばかりで今、サーバー換えてるところ。
工事が1週間〜2週間ぐらいかかると思うので一時はネカフェからです。
てかよくみなさん〜規制かからないね?
携帯から来てるのかな?わたしの携帯はインターネットつながってないのでw
321 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 22:00:38
「卑」と「俾」の違い
『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』東夷傳)、
『隋書』の通称倭国伝(『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國)、
『梁書』諸夷伝、『三国史記』新羅本紀では表記は「卑彌呼」、
『三国志』魏書 帝紀では「俾彌呼」と表記されている。
この違いわかる人いないんですか?
なぜ書き分けて「卑」弥呼の字が違うんでしょう。
誰か説明してくれ。
「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」
「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」
>>315 >徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。
そりゃあ
一般家庭の墓地よりは大きな
因みに、百余歩って 1/3里じゃないからね
323 :
サガミハラハラ:2008/03/29(土) 22:10:32
>>315そのなかで有名なのがーーー
小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
ここが最有力です。
324 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 22:20:23
「共立について」
明鏡 国語辞典
共立・・・一つのものを共同で設立すること。[−校]
旺文社
共立・・・いっしょに肩を並べて立つ。
・・・共同で設立する。
共和・・・周のレイオウ時代、周公・召公が協議のうえ行った政治。
・・・合議制による政治形態。
共同・・・二人以上のものが力をあわせて仕事をしたり、同じ資格で物事に関ること。
共犯・・・二人以上の者が・・・略す
共謀・・・二人以上の者が・・・略す
325 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 22:26:11
>>323 サガミハラハラさん
>小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
>ここが最有力です。
どこが最有力なんですか?
具体的にみなさんが納得できるような 「卑弥呼の墓=小城の桜ヶ岡説」を
説明してはどうですか?
ちゃんとここで説明できたらあなたの本を購入してくれる人いると思いますよ。
まずはなぜそこが最有力地なのか説明してください!
326 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 22:32:39
サガミハラハラさんへ
貴方の「卑弥呼の墓は小城の桜ヶ岡」という考え
みんなはそこが卑弥呼の墓かどうか考えた時、サガミハラハラさんの普段の考え、
普段の行動、サガミさんの判断力を照らし合わせて見たとき〜とても
そこが卑弥呼の墓とは思えなく無視されつづけてるのです。
そこ(サガミハラハラ氏の小城の桜ヶ岡説)はインコのピーちゃんの墓でないの?
となるわけです。
卑弥呼の墓の可能性があるのか?インコのピーちゃんの墓か?
ここでのサガミハラハラ先生の書き込みを見てから判断してみましょう!!
327 :
サガミハラハラ:2008/03/29(土) 22:38:05
まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。
そこが邪馬台国の都でした。
そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。
これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。
328 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 22:41:23
>>322 >>徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。
>そりゃあ
>一般家庭の墓地よりは大きな
>因みに、百余歩って 1/3里じゃないからね
貴方は卑弥呼の墓は何処とお考えでした?平原1号墳だったような・・・。
卑弥呼の墓=平原1号墳説について説明してくださいよ。
なぜそこが卑弥呼の墓なの?
私は
>>120-121でのべたとおりそこは違うと思います・
ていうか誰か踏んで!
329 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:01:32
>>327 サガミハラハラさん
>まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。
私と河童氏が以前やった〜「至」と「到」の違いを見てなかったんですか?
貴方の考えだと「倭人伝の行路記事」は地図をそのまま見て「東南陸行 到伊都國」ですよね?
違いますよ。
私と河童氏が描いた「東南陸行 到伊都國」が正解です。
>そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
>天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
殉葬者奴婢百餘人
そこから百余もの人骨は出土されたのですか?
それに河童氏との「じゅんそう」をめぐる説明もちゃんと出来てないし、
卑弥呼の墓=佐賀県小城市甘木説を信用しろという方が無理では?
火葬、水葬、風葬、鳥葬 等いろんな埋葬方法があるが、
本当にそこは殉葬だったのでしょうか?
330 :
サガミハラハラ:2008/03/29(土) 23:01:45
私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。
331 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:07:24
>>327 >大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。
土器と鉄刀なんて何処からでも出土されてますよ?
その出土された土器が「卑弥呼や邪馬台国」と関係しているのかを説明してくださいよ。
ただ単に出土されたから何でも卑弥呼の墓にすれば良いという風に思えてしまう。
>これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。
残念ながらいまだに発見されてないんでスよ。
「幻の邪馬台国」。まさに幻!
332 :
サガミハラハラ:2008/03/29(土) 23:08:49
ここまでの説明以上の納得のいく説明のできる丘があったらご紹介ください。
なけれが、桜ヶ岡が最有力候補です。
333 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:12:36
>>330 >私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。
上のほうで私が言ったように「倭人伝の卑弥呼の墓」とはつながらないんですよ。
「墳だけではなくその周りの囲いも入れてという意見」もあるが、
正気じゃないというか、普通の考え方ではないというか・・・。
そこは当たり前の解釈でよいと思うんです。
かなり『大きな墓』というふうに。
よって私も 「卑弥呼の墓は平原1号墳説」には賛成できません。
それにそこは本当に女性のお墓なんでしょうかね・・・。
そうですね
末盧の港の東南に目的とする伊都があるのなら
『東南至伊都国陸行五百里』
で、十分説明できますから
335 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:16:54
いやいや 「納得のいく説明」もなにも貴方は説明出来てませんよw
墓だけを見れば「箸墓」のがふさわしいのでは?
サガミハラハラさんは箸墓についてどのように感じてるのでしょうか?
サガミさんは自分が考える卑弥呼の墓のがふさわしく思えるらしいです。
ハッキリいいましょう!それは貴方だけですww
>>333 >かなり『大きな墓』というふうに。
大きな墓なら
『作大墓』『作大冢』ですよ
337 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:22:21
>>336 河童さん
倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?
貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。
それに、一般的に言われている140mあるのなら
普通
『600尺、60丈、6引』のどれかで書かれていますよ
墓は長さですから
339 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:30:38
サガミハラハラさん
貴方が言う「これ以上に有力な証拠」
というのはただ単に貴方が「学生時代に地図をみてに沿った都」と考える処。
とか倭人伝の『殉葬者奴婢百餘人』にも合わない「人骨」。
殉葬ではない丘。何処からでも出土されてる「土器と鉄刀」だけなのです!
それでよく「これ以上に有力な証拠」なんて言いますよね?
>>337 >倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?
『家』? どんな史料を見ているのですか?
私はいつも 二つの刊本の影印を見ながらの書き込みですよ
影印では『冢』
>貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。
これは一般的な読み方です
「大」の後に動詞が来る場合は(おおいに)
「大」の後に名詞が(大きい)
因みに
ここで百余歩と「歩」で表記したのは
距離を計測する機械も、長さを測るモノサシもないので「歩幅」をモノサシの代用として
計測したから「長さ(歩)」
>箸墓
ま、取り敢えず掘った後にでも判断すればいいこと
それまでは
文献記載内容にて判断するより、歴史は分からないのです。
中身が確認されてないうちから騒いでもしかたのないことです。
343 :
aratame_himiko♪:2008/03/29(土) 23:52:51
おっと〜これは失礼!
ウィキペディア(Wikipedia)のレベルが・・・低ぅw
<訂正します>
大作家⇒大作冢
<旺文社 漢字典より>
「大」・・・(読みは:ダイ・タイ・おお・おおきい・おおいに)
意味は・・・おおきい、おおいに、大きくする、とうとう(尊)、第一の順位、おごる。
「作」・・・(読みは:サク・サ・つくる)
意味は・・・つくる、建造する、こしらえる、なす、おこす、おこる、たつ、いつわる、はたらき。
「冢」・・・(読みはチョウ)
意味は・・・大きな墓、丘陵、やしろ、おさ。
344 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:04:41
箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。
それ以外のところでぜんぜん説明できてないんです。
掘ったとしてもそこには何もないですね。
大和朝廷の重要な女性ということが分かるだけで。
>>343 私はあまり用例を用いるのは好きじゃないけど
ここに 同じ魏書内で「大」の(大きい)と(おおいに)の活用例がありますから
(おおきい)
處山林之間常穴居(大)家深九梯以多為好・・・魏書挹婁伝
(おおいに)
以殷正月祭天國中(大)會連日飲食歌舞・・・魏書扶余伝
>>344 >箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。
だから、大きさなんて全然該当しないって
347 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:14:19
貴方の考える『大作冢』とはどのようなんですかね?
日本人の我々に分かり易く説明するとすればどのようになるんですか?
大作冢・・・おおいに冢を作る ではマズイ?
348 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 00:16:04
墓だけを見ればではだめなのです。
まずその
場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。
「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3〜4年してから諸説を読んでですよ。
箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。
合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。
土器はかなりでているようですが。
以上から見て、箸墓より桜ヶ岡のほうが有力となります。
で桜ヶ岡って年代は合うの?
できればC14とか年輪年代法とか・・・
少なくとも出土の土器からの編年は?
>>347 ただ(おおいに)と言っても「大い」「多い」がありますので
多いの場合、同じようなモノが沢山
大いにの場合、色々のモノが沢山
ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山
そして「大作冢」=大仕事だった・・・・と
そりゃそうですよ 卑弥呼の墓+百余人ですから(一種の古墳群みたいな感じ)
351 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 00:29:56
桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、
4〜5世紀とみられています。
352 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:30:50
>>348 サガミさん
>場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。
では、貴方が考える「女王の都」という「倭人伝の行路記事」でもここへ書き込んでみては?
その『「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3〜4年してから諸説』
とやらを私と河童さんが聞いてますからw
>箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。
「あの形」でマジカで見たことはありますよね?あると思うが。
遠くからみて、または空から見て、初めて前方後円墳というのが分かる。
箸墓の周りをグルッと歩くと「凸凹してる丘が分かるだけ」というか、
形に関しては考えないほうがよいかと思います。
>合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
>どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。
本格的な調査はまだと聞いてるので詳しくは分からない。
ねっ。
「東南至伊都国陸行五百里」の書き込みには、誰も手を触れようとはしないでしょ
そうそう
>多いの場合、同じようなモノが沢山
大いにの場合、色々のモノが沢山
ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山
これは
先ほど提示した用例の
『處山林之間常穴居(大)家深九梯以(多)為好』
これで判断できるでしょう。
354 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:33:34
>>349 は変なハンドルネームは止めなさい!
学生もみてるかもしれないのに。
他の人はスルーで対応しましょうw
>>347 >大作冢・・・おおいに冢を作る ではマズイ?
いいんだよ
356 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:39:51
サガミハラハラさん
「東南至伊都国陸行五百里」説明してくださいよ!
なんたら町でしたっけ?w
誰がどう見たって
『東南陸行五百里到伊都國』と
『東南至伊都國陸行五百里』は
同じではありませんから
358 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 00:45:45
東アジアの古代文化を考える会のHPの討論室に、邪馬台国行程論の書き込みを始めました。そちらをご覧ください。
あっ
これも有かな?
『伊都國在末盧東南陸行五百里』 それともこれはちょっと強引かな?
河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?
361 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 00:55:07
>>357 河童さん
方向 距離 国名 ⇒ 方向 国名 距離
伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?
始度一海 千餘里 至對馬國
又南渡一海 千餘里 至一大國
又渡一海 千餘里 至末盧國
東南陸行 五百里 到伊都國
東南 至奴國 百里
東行 至不彌國 百里
南 至投馬國 水行二十日
南 至邪馬壹國 水行十日 陸行一月
362 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 00:55:40
漢文としてなりたちますかね?
363 :
ローガン:2008/03/30(日) 00:55:48
>>348 サガミ先生、未だ発掘してないのに骨も何もないでしょう?
前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね。
もし、郡使が作塚中を目にした事を考えてよいなら、後円部分が部分が、塚ですね。
径百余歩…150mくらいですか。箸墓の他に考えるとすれば、西殿塚?行灯山?渋谷向山?
古そうなのは箸墓ですね。
>>360 >河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?
全然ダメ
漢文なんて大嫌い
366 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 00:59:57
箸墓が一番古いはずです。
方形部がすこしまがっているでしょう。初めてつくったのでうまくつくれなかったのですよ。
368 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 01:02:30
みんな書き込みが少なすぎる!
「ご参考です」さんみたいにもう少しまとめて書いたらどう?
というか私も短いがww
>>363ローガンさん
>前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね
一度聞きたかったんですが
>『作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね』
じゃあ円墳は重量物等とは無縁?それとも作業終了後に前方部を撤去しましたか?
かなり巨大な円墳も存在しますよね?
>>367 >またまた御謙遜を
いや、事実
プラムは漢文を『読めない書けない』は、誰でも知ってるここの常識ですから
ただ、そういわれても
平気なんですよ・・・・・・・事実ですから
>>370 えっ そうなの?
みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな
372 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 01:11:22
>>361 >伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?
だいたいわかるよ
以前から言ってるように、倭人伝の地理雉に書いてある順次式の記載は
伊都までが
郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)
>>371 >みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな
多分。
375 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 01:17:44
>>327 >天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
>大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>>351 >桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、4〜5世紀とみられています。
まったく手つかず、ということではなさそうですね。
人骨、土器、鉄刀が出ているわけですから。
土器、鉄刀は記念碑の工事のところから出ているわけですね。
その出土場所がもし4〜5世紀ごろ茶筅塚古墳のために土盛りされた墳丘内であれば、土器、鉄刀は茶筅塚古墳の副葬品ですね。
卑弥呼の墓とは無縁な遺物と見なくてはなりませんが、いかかでしょうか。
人骨も同様に、つまり、4〜5世紀とされる茶筅塚古墳が出来たあとに埋葬されたもの(古墳期〜古代・中世も)とは考えられませんか。
その可能性がキッパリ否定できないのでしたら、桜ヶ岡が3世紀の王墓であるとの確たる証拠は何ら示し得ていないわけです。
それでも桜ヶ岡を女王卑弥呼の墓と主張なさるのであれば、それは強弁・詭弁・妄想の類いでありますでしょう。
376 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 01:21:31
>伊都までが
>郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
>それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)
河童さんの同じ考えです。
魏の使いが、女王の都まで訪れたことがあるかどうかは知りませんが、
基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。
>>205 >『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立した
>な〜んて方が
>よっぽど現実離れしているよ
ここは河童さんと違うところです。
私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。
>>361 伊都國までの文章は『里数(距離)』に対する(起点と着点)の確定
それ以降は(起点)の確認確定
>>376 >基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。
郡使と魏使を同義と考えるなら、通常は伊都まで
しかし、『郡使往来常所駐』(常)と書かれていますから、(臨)はその限りではありません。
379 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 01:34:41
>>212 唐松山さん
>天照大御神が 筑紫に入ってから
天照大御神と筑紫とか関係している書き込みを詳しくお願いしますよ。
以前聞いたが、よく分かりませんでした。
地方の風土記ですか?分かり易く、なおかつ、詳しくお願い出来ればと思います。
>>218 >『共立』と合議は関係ないですよ
関係あるんですよ。
「共」とは二つ以上のものが〜というような意味がある。
確かに貴方の言ってることもわかるんですが、それは「両手を〜」の意味から
きてる考えでしょう。両手を〜とは「共」の「解字」のこと。
辞書に書いてることは、
会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。
>>376 >私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。
それなら私は『協規』を選択します。
・・・・與豫州協規同力破操軍必矣 (三国史蜀書巻三十五蜀書五諸葛亮伝)
>>379 >会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。
両手と言っといて
>二つ以上のものが
ですか? 千手観音?
久しぶりに『漢字の講義』でもやりますか〜?(笑)
でも、もう眠いからやらない
383 :
aratame_himiko♪:2008/03/30(日) 01:50:01
協規などかかれてませんよ?
ていうか協規て意味なんでしようかね。調べるのがめんどくさいw
あくまでもそこに書いてるのは「共立」ですから。
それに誰も大勢で女王を決めたなどいってないんですよ。
首長クラス・・・二人なのか三人なのかそこに書かれてないから分かりません。
私の考えだと「二人以上のものが」なんです。
あまり言いたくないが、二人から〜せいぜい多くても二十九人ぐらいか?
大勢ではないと考えてるんですが。
ていうかそろそろ寝ます。 では明日〜zzz・・・・・。
384 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 02:04:20
>>383 「協」と「共」の活用の違いでも調べてみたら
お互い、動詞活用で(ともに)
改めさんが考える(ともに)は「協」
385 :
ローガン:2008/03/30(日) 02:28:46
>>369 河童虫さん。
ご指摘の通り大きな円墳はありますね。
たとえば、冨雄丸山(径86m 高さ10m)奈良にあります。
矢田丘陵と接していますので、そちら側がなだらかなスロープに…
朝来の茶すり山(径90m 高さ18m)これが最大かな?宝珠峠の尾根伝いです。
どちらも墳頂への搬入路を確保出来る立地ですね。
平地に造られた「箸墓」後円部の高さ30mです。前方部(高さ17m)は搬入路及び作業通路として必要だったと思います。
概ね、前方部の両角は同じ傾斜ではありません。向かって左が右より傾斜が緩やかだったと思います。
きっとそちらが通路だったのでしょうね。
河内大塚を検索してみて下さい。
古墳築造の状況についてhitすると思います。
現在PCが使えないのでURLが貼れません。
386 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 03:32:15
387 :
サガミハラハラ:2008/03/30(日) 10:00:16
この場合の手つかずとは学術的なという意味です。記念碑や像や神社等かなり人手がはいっています。
鉄刀は茶筅塚古墳の3〜40m南の地点からの出土です。
出土物の年代については、学術的調査によるものではないので、物そのものがうしなわれており、
文書によるいいつたえでしかないわけですので可能性があるとしかいえません。
その点邪馬台国そのものもそうでしょう。
わたしが桜ヶ岡を卑弥呼の墓とかんがえているのは、何度もいうように、倭人伝の行路記事の考察により
佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都であると確信し、そこにある倭人伝の記述と同じ岡があればそこが卑弥呼の墓であるという
結論にたっするのは極自然なことです。
ですから桜ヶ岡卑弥呼墓説をくつがえすというなら、邪馬台国小城天城説をくつがえさないと
いけないわけです。小城甘木説がくつがえると桜ヶ岡卑弥呼墓説も自動的にくつがえるわけです。
388 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 10:00:39
前方部は搬入運搬スロープねぇ???
なんか違和感あるな〜。
前方部が後円部とさほど変わらぬ高さの古墳
結構存在するし、それだと前方部に搬入するためのスロープも必要になる。
スロープなら
後円部に向かって徐々に高くなるのが普通の発想であり、しかも前方部は同じ幅で後円部と接続するはずで、あの括れは異様。
>>387サガミハラハラ山
魏志倭人伝の行程文を根拠にするなら、昨夜河童さんがレスしていた「東南至伊都国陸行五百里」を否定し、「東南陸行五百里到伊都国」を肯定しなければいけないのでは?
390 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 10:25:27
>>389 無理だよ
夕べも反応無しだから
誰でも痛いところは触れたくないし『佐賀』に用事がある人には生命線だからね(^O^)/
>>384 つまり、二人でなければならず、二人「以上」ではない、ということですね?
392 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 10:55:50
>>391 『共』の基本的な字意は
★異質の二種が同じ範囲内に
それを後押しするかのように、『一女子』
辞書に記述してある(両手にて……)の会意は
右と左と言う異質な手が、同じ行動をするという意味です。
393 :
愛知県民:2008/03/30(日) 11:14:42
>>372 aratame_himiko♪さん(何故音符付き?春だから?)
私は、意富夜麻登久邇阿礼比売命と蠅伊呂泥は別人ではないかと考えています。
意富夜麻登久邇阿礼比売命はその名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号でありましょう。
本来、この称号は安寧天皇の第一子・常根津日子伊呂泥命に与えられたもので、後に蠅伊呂泥と間違われたのでは?
何故かというと、蠅伊呂泥は夜麻登登母々曾毘売命(=台与?)の母であり、
先代の女王と間違えやすいうえに、
師木(しき)県主波延(はえ)の孫・常根津日子伊呂泥(いろね)
師木(しき)津日子の孫・蠅伊呂泥(はへいろね)
という事情もありました。
安寧天皇の第二子が大倭日子鉏友命=懿徳天皇ですが、「すきとも」は王者でなく従者の名前です。
(倭建命の従者・御鉏友耳建日子が思い出されます)
おそらく、卑弥呼の男弟ではないでしょうか。
394 :
ローガン:2008/03/30(日) 11:29:31
>>388 前方後円墳の主体は、円墳ですからね。
括れて当然です。それを異様とみるかどうかは主観でしょうね。
395 :
愛知県民:2008/03/30(日) 11:35:59
河童虫さん
「共立」ですが、高句麗伝の例は違うのですか?
伯固死,有二子,長子拔奇,小子伊夷模。拔奇不肖,國人便共立伊夷模為王。(中略)拔奇怨為兄而不得立
拔奇は即位できなかったんですよね?
396 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 11:38:53
昨日も書いたが、その国は共立前まで
ずっと『男子爲王』
だから相攻抜の後も『男子爲王』が常識であり、それが歴史的の継承でもある。しかし、その男子王に対しもう一人
異質の女子を王とし、その国を安定させようとしたわけ
たから
『共立』『一女子爲王』
★異質の二人の王が立ち、その一方が女子
彼女は男子王とは違い 、宗教的な性質を秘めていた。それが卑弥呼
★(雛飾りの基になる)
雛飾りの上位は向かって右側の、お雛様
持統天皇時の成立と言われる(内裏雛は後付け)飾りも、それをモデルとする原型は、古代から存在。
それが『共立一女子爲王』
★この共立の仕掛け人は誰?
397 :
愛知県民:2008/03/30(日) 11:42:01
>>135 ローガンさん、ありがとうございます。
壬申の乱で「箸陵」が出てくるのは確かに気になります。
神武天皇陵の記事も壬申の乱で出てきますが、もっと前から頻出しないのが奇妙な印象があります。
398 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 11:45:40
>>395県民さん
高句麗と倭の歴史環境は同じ顔をしていますか?
『共立』
その顔は同じでも
中身は全然違いますよ
意味は文章全体の顔で判断します。
399 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 11:49:21
>>394ローガンさん
今までの全国の発掘調査によって、前方部から後円部に
重量物を搬入した痕跡が見つかっているのですか?
400 :
愛知県民:2008/03/30(日) 12:32:05
>>398 なるほど・・・確かに高句麗の場合は「國人」という主語があり、倭とは違いますね。
後漢書では「歴年無主」とあるが、魏志ではこの文がなく、男王が退位したとも書いてないし。
旧体制の倭奴国王が生き残ったということでしょうか。
それなら納得できそうです。
401 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 12:43:59
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
これは雰囲気づくりみたいなものなので無視しちゃって結構です。
402 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 13:05:03
>>400 倭人伝は魏書だから、後漢時の事情を詳しくこだわる必要性がない。
共立された一方である男子爲王の制度は、この後魏時になっても絶える事はない。
しかし
特別的な意味合いが強い
女子爲王は
絶えたり復活したりと
後の持統天皇まで続く。
これが『大王、大君、彌、額田』などなど
だから
魏時、女王卑弥呼の影には何時も、男子王の影がちらつく
邪馬台国は二大派閥(男子王派、女王派)による両輪政策
403 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 13:06:17
>>387 サガミハラハラさん
>わたしが桜ヶ岡を卑弥呼の墓とかんがえているのは、何度もいうように、倭人伝の行路記事の考察により
>佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都であると確信し、そこにある倭人伝の記述と同じ岡があればそこが卑弥呼の墓
>小城甘木説がくつがえると桜ヶ岡卑弥呼墓説も自動的にくつがえるわけです。
女王の都は小城甘木とするサガミさん〜ご本人も桜ヶ岡説(卑弥呼の墓)は
河童氏に論破されてしまったことに気付いてきたようですw
しかし、小城甘木説(女王の都ネ)がまだ生きてるので桜ヶ岡説(卑弥呼の墓)が
論破されても大丈夫!というような考えなのでしょうかww
邪馬台国行程論とやらをこの「謎の女王〜終止符スレ」にて書き込んでくださいよ。
貴方が学生の頃に地図に沿って女王の都を探ったのはいいが、貴方何才ですか?
いまだに「小中学生レベルの邪馬台国」でしかないのです。
それに貴方が出した本は少し拝見させてもらいましたよ。
邪馬台国を語るまで7,8年かかったらしいが、何故そんなにかかったんですか?ww
404 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 13:41:11
>>384 >改めさんが考える(ともに)は「協」
「共」・読みはキョウ・とも
・解字は会意形声 両手でささげると物を表すとで、物を捧げる意。転じて「ともに」の意を用いる。
・意味はともに(みなそろって・一緒にする・うやうやしい・向かう・ども(複数を表す接尾語)。
「協」・読みはキョウ。
・解字は会意形声 キョウ(力をあわせる意)に十(ひとまとめをする意)を加えて、多くの人が力をあわせる意を表す。
・意味は・・・あわせる(力をあわせる・ともにする)、かなう(多くのものが一致する)、助ける。
共立に関しては
>>271、
>>324、
>>379 を見て!
『協規』て何か違う感じがするんですが?w
405 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 14:02:00
魏志倭人伝に「王」の字が見えるのはこれらではなかろうか。
伊都國・・・世有「王」
邪馬壹國・・・女「王」之所都
狗奴國・・・男子為「王」
『共立』を考えたとき、河童氏は「二つ」にこだわっているが正確に言うと「二つ以上〜」である。
河童氏は伊都國と邪馬壹國で共立させたというお考えなんですか?
それもありうると思うが、私の場合は「二つ以上〜の首長クラス」ということで、
伊都國と邪馬壹國または伊都國、邪馬壹國、狗奴國の首長クラス。
もしくは、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國
など陳壽が特別扱いしてる国々(以前、筆法の話で言ったと思うが)の首長クラス。
二十九国の首長クラスなど幅広い考えでいる。
二つと決め付けるべきではないかと思うんだがどうでしょうか?
@複数の国によって立てられた
A複数の王が立てられた
文脈から言って、倭国の中の国同士が争った挙句、それらの国によって
1人の女性が王として立てられただとばかり思っていた。
俺ってなんてバカだったんだろう・・・
魏志倭人伝の「魏」という字を見ていただけばわかると思いますが、
「魏」は、「委」と「鬼」の合体した文字です。
「委」に人偏をつければ「倭」になります。委とは李族。朝鮮半島に
いた李族と倭族は人種的にも宗教的にも近い関係にありました。
では「鬼」とは何を意味するかと言うと失われたユダヤ十支族の1つ
ダン族の「神」のことです。
「倭」は「魏」に使える人民。その一部が日本に住み着いている
ということをあらわすことばが「倭人」という名称を使ったものと思わ
れます。
つまり卑弥呼の国が大きいか小さいかではなくて、倭人の国がある
ことを書きとめたていきたかったものと考えられます。
408 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 14:23:35
>>406 >倭国の中の国同士が争った挙句、それらの国によって
>1人の女性が王として立てられただとばかり思っていた。
>俺ってなんてバカだったんだろう・・・
いやいや そのとおりなんだけど・・・。
その「倭国の乱」で争ったのが
>>405にある国々。
409 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 14:25:48
>>404 小国の王達が協議し力を合わせ、一人の女王を擁立すれば
それは『協議、協同、協力、協規』だよ
『共』に
力を合わせるなんて意味はない
410 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 14:39:41
ではお尋ねしますが、貴方の言う「共に」とは何処と何処の国なんでスか?
倭人伝に「天皇家の祖」とか「大国主一族」など登場してきませんが?
それに私が
>>324で言った〜「二人以上の〜」の意味についてはどう考えているのでしょうか?
「二つ」というだけの意味ではないんですよ!「二つ以上の〜」という意味なんですよ。
411 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 14:53:30
貴方〜ハッキリしなさいよ!!河童さん
みんな見てますよ?
共立とは「二つ」という意味でしかないんですよね?
じゃあ何処と何処の国同士が「一人の女子」を共立させたのでしょうか?
この共立の問題が分かると「倭国の乱」で争った国々が見えてくると思うんですが。
412 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 15:18:45
共和国は2人だけの国?
413 :
愛知県民:2008/03/30(日) 15:22:30
河童さんは、旧来の伊都国男王と「共に」邪馬台国女王を立てたという説でしょう?
私もそういう史実はあったと考えますが、「共」の意味については普通の解釈でもよいと思う。
高句麗伝の「共立」は「協」の意味と思いますので。
蝿ついでに(汚いですが失礼)もう一人、気になる人物がいます。
師木県主波延(記)磯城県主葉江(紀)です。
日本書紀は、懿徳天皇の后について
一云磯城県主葉江男弟猪手女泉媛
と記していますが、葉江が男ならば「男弟」と書く必要はないはずで、
葉江さんは女性と考えられます。
意富夜麻登久邇阿礼比売命はこの人かもしれません。
414 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 15:30:57
私は、
>>393 >意富夜麻登久邇阿礼比売命と蠅伊呂泥は別人ではないかと考えています。
>意富夜麻登久邇阿礼比売命はその名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号でありましょう。
「名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号」とか面白いこと考えると思うんだが、
実は意富夜麻登久邇阿礼比売命なる人物〜あまりよく知らないんですよ><
「ほつま」には何て書いてるんでしょうかね。
唐松山さん〜
上の愛知県民さんが言ってることについてどう思いますか?
何か知ってることがあれば書き込んでくださいな。
415 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 15:43:03
>>413 >旧来の伊都国男王と「共に」邪馬台国女王を立てたという説
それは私も考えたが、
世有王 皆統屬女王國
(よよ(※1)王有り、皆、女王国に統属する)
※1:皆の自我見えるので代々という見方ができよよとは書いてないが分かり易くよよを使う
だから、伊都国より格上の女王国とが共立?!それよりも他の考えのが自然に思えませんか。
伊都国と女王国とが共立なんて、何か違和感を感じるのは私だけでしょうか。
416 :
愛知県民:2008/03/30(日) 15:47:49
日本書紀を読むと、磯城県主葉江はよく出てきますね。
物語が何もない分、何か異様な感じさえします。
今週は明日まで来れそうなので読み直してみます。
417 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 15:48:33
愛知県民さん〜貴方が考える「意富夜麻登久邇阿礼比売命説」を
今度、詳しく調べてみますよ。
批判するならするで私のほうにまだ材料が揃ってないというか。
出来れば知ってる限り書き込んでてくださいよ。
それを参考に調べてみます。他の人は愛知県民さんの
卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命説〜どのようにみてるんでしょうね。
太国さんとか古代さんとか日本書紀に詳しい人いっぱいいるのに〜。
418 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 15:50:40
>>411 >何処と何処の国
意味がわかりません?
例えば
何処の国が何と言う王が居るなんて分からないでしょ
国じゃなく
一人の男子王と一人のカリスマ女王がミスターXの陰謀によって共立
419 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 16:10:32
>一人の男子王と一人のカリスマ女王
「双」ではなく「共」です。
「共立」とは共に立てたとかの意味ですよ。
もう〜ここまできたら〜もう笑うしかないねw
それにミスターXって何なんですかwwまたマンガですか?www河童さん
そんなこと何処に書いてるんでスか?ww
420 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 16:27:55
>『双』ですよ
>後は笑うしかない
では
笑っていては話しになりませんから
笑いが止まるまでこの話しは止しましょう。
貴方には貴方の共立があるでしょうから、私は邪魔をしません。
421 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 16:32:58
卑弥呼の墓はどこか?
徑百餘歩についてでも書き込んでおきましょう!
>>120で「百歩は百四十四メートル」と書き込んだが、
一歩は六尺、魏代の一尺は約二十四センチ 、百歩は百四十四メートルという説と
大人の一歩を約七十センチとして百餘歩を約七十メートルという説があるらしい。
七十メートルなのか百四十四メートルなのか私は学者ではないのでよく分からないが、
七十〜百四十四メートルとかなり大きな墓?としておこう。
422 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 16:38:44
>協規
この言葉自体、一ヶ所にしか記述が無くては、証拠とするには弱いね。
しかも卑弥呼『共立』がミスターX主導で、男王と女王を共に立てたって?
トンデモ説ですか?
423 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 16:39:26
>>414県民さん
>男弟
細かい事ですが
いい視点です。
弟自体が既に男ですから、ここは実の弟ではなく「舎弟」では、どうでしょうか。
424 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 16:48:11
>>422 >共にたてた
誰がそんな事言いました?
>トンデモ説
それは
貴方の考える許容範囲を越えたから、貴方はそれをトンデモと判断しただけです。
貴方も知識を広め
勉強していけば、トンデモと判断しなくなります。
それから
言ってもいない事をネタにトンデモ扱いとは…イヤハヤ
425 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 16:52:22
平原1号墳ですが、何故皆ここの墓にこだわるのか?
この墓の築造を西暦200年前後(他の説もある)と考え、列島内最大の鏡が
ここ平原から出土された。そして出土された鏡の数が列島最多。
また、三世紀の鏡保有数が権力を象徴する大きさを示すものと考えられてきたからであろう。
何故、伊都國最後の「女王」の墓といわれるのか?
列島最多の四十面もの鏡と耳飾り等、女性的なものが多く出土されたからかな。
弥生の人々は男性より、現在みたいに「女性のが多く飾り物を身に付けてた」のか?
わたしは逆と聞いたことがあるんだけど・・・。
それに平原1号墳は「方墳」です。
倭人伝の「『徑』百餘歩」が円墳を指してるのかどうかは分からないが、
「徇葬者奴婢百餘人」がここからは発見んされてないんですよ。
他の人は〜この「平原1号墳」どう思います?
426 :
愛知県民:2008/03/30(日) 16:53:51
>>423 河童虫さん
>>414 でなくて
>>413へのレスですね?
漢籍は無知ですが、記紀では女性でも「兄」(いろえ、いろね)「弟」(いろど)という文字を使いますね。
「姉」(いろね)「妹」(いろも)は男性には使わないようですが。
427 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 16:55:38
しかし、必要に昼間っから邪馬台国論争ですか?
ずいぶんお暇なんですね。
コテハン同士の論争とか
おバカで見てて楽しいなwww
429 :
ローガン:2008/03/30(日) 17:00:42
>>399 河童虫さん。今帰ってきました!
遅くなりました。発掘調査で明らかになったかどうかは寡聞にして知りません。私の推測です。
ただ、前方後円墳には後円部分と前方部を繋ぐ括れ部分に「隆起斜道」と呼ばれる傾斜の少ない部分が有ります。
この部分葺き石もされてなく、前方部からの通路だったのでしょうね。
撥に開く前方部先端左側から前方部を登り、頂きを真っ直ぐ墳頂迄行くのが最も傾斜の緩やか通路です。
当然、それは墓道でもあったでしょう。
430 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 17:02:14
>>426 だからこそ
ここは実弟か舎弟かの違いに注目してみたのです。
>>427 貴方も暇人確定ですね
431 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:05:03
>>418 「卑彌呼」と一人の男子王?男子王の名前は?
狗奴国の男王「卑彌弓呼」や「壹與」の名前が書かれているんだから、別に男子王がいたら名前ぐらいは書くよな。
名前が書いてないって事は男子王なんて居なかったてことじゃないか。
432 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 17:06:39
どうやら
『そろそろ埴輪談義をしたいのだが』
と、
>>428が言い始めたようだから、この辺りでオヒラキとしますか?
433 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:09:03
>一人の男子王と一人のカリスマ女王がミスターXの陰謀によって共立
河童氏の論は
・男子王は伊都国王
・カリスマ女王が卑弥呼
そして『ミスターXの陰謀によって共立』だと(笑)
では、ミスターXは魏の方ですかね?
それとも別の誰かですかね?
『共立』は皆さんが考えている方が、一番しっくりくると思うんだけど。
でも河童氏によれば、それは『協規』なんだよね?
434 :
ローガン:2008/03/30(日) 17:09:28
>>397 愛知県民さん、神武陵に紀が後世迄触れていないこと、確かにきになりますね!
どのようにお考えになりますか?
435 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 17:11:26
436 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:14:47
437 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 17:15:00
原田大六氏と伊都國最後の巫女王の墓「平原1号墳」
氏は被葬者を、実名「玉依姫」として神格化名を「大日孁貴、天照大御神」と称した
人物だとと述べてたらしい。
この巫女王が活躍したのは、原田氏によると二世紀前半以前だったかな?
卑弥呼の時代よりかなり前となるんだが。
438 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 17:15:46
>>433 >男子王は伊都国王
誰がそんな事言ったの?
その前に、伊都国王って何?
439 :
愛知県民:2008/03/30(日) 17:17:37
>>417 改めさん
記紀では系図以外の物語は何も伝わっていないようです。
勘注系図には七世孫建諸隅の妹「大倭久邇阿禮姫命」がいますが、出自は古事記と異なります。
また蝿伊呂泥や蝿伊呂杼は出てきません。
日本書紀では安寧・懿徳・孝昭・孝安の各代にわたって「磯城県主葉江」が登場します。
まるで武内宿禰?
古事記では安寧代に「師木県主波延」その四世孫が蝿伊呂泥・蝿伊呂杼。
440 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 17:17:58
441 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:22:11
>>438 男王と女王を共に立てたとの解釈は面白いけど違うと思う。
442 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:22:39
河童氏は漢字に強く、意味を良く理解されている方と思っていたが、ガッカリですね。
策士、策に溺れる。
細かい語句に拘り過ぎて、大局を見失ってますね。
>ミスターX
具体的に誰を想定してるのかな?
443 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 17:23:15
河童さん〜細かいところを突っ込まれグロッキーなのか。
レスがふにゃけてるんですが・・・w
私、改めはちと出かけないといけないのでここら辺で席を立ちます。
では、みなさん〜またの日を〜!
444 :
改め〜壹與ちぁん:2008/03/30(日) 17:25:32
みなさん〜愛知県民さんの説を考えてみて!
結構、自身ありげに話してるので詳しく調べてみたいんだが、今は手元に材料がないw
では・・・・w
445 :
愛知県民:2008/03/30(日) 17:30:27
>>434 そうですね、少なくとも神武陵は天武天皇の造営ではないでしょうか。
その後またしても忘れられて、明治天皇によって再び造営される。
箸墓の息の長さと対照的だと思います。
446 :
ローガン:2008/03/30(日) 17:45:07
>>413 同意します。北史に「国人共立為王」と有ります。卑弥呼の事ですね。
魏志を読んだ李延壽は文面から、国人が卑弥呼を「共立」したと著したのでしょうね。
447 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 18:04:11
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
448 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 18:31:53
>>442 >ガッカリ
ガッカリと判断できる貴方の知識は私以上ですから、私にガッカリする事もないでしょう。
私は最初から漢字になんか強く無いし、
>>446ローガンさん
>北史に「国人共立為王」と有ります。卑弥呼の事ですね
えっ? 国人が倭の国人なら(男王) 自国人なら(卑弥呼)ですよ
これって中国の史書ですよ 基点はいつも自国或いは皇帝
それに北史と後漢書の文は構成がまるで違うでしょ
それを単純比較判断してしまいますか
『後漢書倭伝』
桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。有一女子名曰卑彌呼
『北史倭国伝』
靈帝光和中、其國亂、遞相攻伐、歴年無王。有女子名卑彌呼、能以鬼道惑衆、國人共立爲王
450 :
愛知県民:2008/03/30(日) 18:54:06
河童虫さん
ミスターX=「国人」=道教を信ずる華僑たち
こういう解釈でよいですか?
451 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 18:54:51
452 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 19:10:35
>>450県民さん
冊封されてる国を操るのは何時も宗主国
異国の内乱記事を単純に
自国史書に掲載しません。共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。
つまり
共立は、自称王達が今までの慣習に従いリーダーを選んだか、その男子王リーダーに添えるかのように
宗教的な一女子を、帝国の後押しにて立てた
倭の王(リーダー)を二人立てる(立つ)です。
実質乗っ取り
ミスターX=帝国
453 :
ローガン:2008/03/30(日) 19:43:23
>>449 すごく新鮮ですし、且つよく練れているお話なのでしょうね。
河童虫さんの姿勢には頭が下がります。(連日お疲れ様です!)
さておき、魏志と北史について、愛知県民さんのレスに対する同意の論拠としました。
貴方との見解とは確かに違いますね。
見解は違っているとはいえ、貴説の可否とは関係ないですね。
先ほど書き込まれた「後漢書」については意味がよく解りません
>>412 >共和国は2人だけの国?
これってマジに質問している?
貴方の名誉のために 回答は控えるね(痛い)
>>453ローガンさん
後世の文章との微妙なニュアンスを言いたかったのです。
後漢書は『桓、靈間、倭國大亂』
北史は 『靈帝光和中、其國亂』
もう最初から記載文に変化が見られ、一方では国人とは触れず もう一方では国人と
そういう微妙な変化には触れずに 比較するのはどうかと言いたかったのです。
共立は『後漢時』の出来事ですので、当然後漢書が当該史書となりますから
456 :
愛知県民:2008/03/30(日) 20:44:33
>>452 はっきりと言われますねえ。
私の表現は曖昧すぎましたね。
「一大率」も帝国からの派遣で、伊都国に常駐しているのでしょう?
457 :
唐松山:2008/03/30(日) 21:01:35
「一大率」も帝国からの派遣で、伊都国に常駐している
もし この様な事実があれば 伊都国比定地に 異文化空間が存在した。
と成り それ相応の 遺物が無くては成らない。
458 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 21:02:13
>>456 一大率は国内防衛ですので、直接帝国とは関係ありませんよ
一大率=一大事
★少ない数で最大の力を(特殊部隊)均一に配備
459 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 21:11:59
そして
一大率には伊都より命令を出す。
だから伊都で『治』
460 :
愛知県民:2008/03/30(日) 21:43:21
>>458 「一大率」という言葉は倭語ではなく、漢語ですよね。
対馬国の官・卑狗、卑奴母離。
邪馬台国の官・伊支馬、弥馬升は倭語ですね。
一大率は女王国の官? 「女王」自体が漢語。
大倭(=都市?)、大夫も漢語で、女王国の官ということですか。
461 :
九州王朝大好き:2008/03/30(日) 21:59:11
>>458 昨日から河童虫さんと意見が一致する?
でも、一大率は国内防衛ではなく国内治安でしょ。
で、この見解はいかがですか?
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 28
>>116より
素直に、東南方向の目的地に向かって唐津(末盧國)を出発しましょう。
国道323号沿いに観音峠を越えて進めば、
唐津から500里で佐賀市大和町(伊都國)に着きますよ。
大和町(伊都國)は肥前國庁も置かれた交通の要衝。
「郡使往來常所駐」及び「特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」
にピッタリの場所です。
隋使が上陸した筑紫國が唐津とすれば、
邪馬臺國(邪靡堆)へのルートは魏使も隋使も同じですよ。
>>460 >「一大率」という言葉は倭語ではなく、漢語ですよね。
「一大國」→「一大率」
「壱支國」→「壱支率」
和語
462 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/30(日) 22:06:29
>>460県民さん
うん。
倭人伝は倭語と漢語の見極め作業が
第一作業。
それが出来てはじめて前が見えてきます。
>>461王朝さん
>でも、一大率は国内防衛ではなく国内治安でしょ。
帝国が主となる書物に、国内治安(警察組織)を記載しても意味無いでしょう。
一大率が向いてる方向は『大倭/本州』 列島の中心に位置する巨大地域
464 :
愛知県民:2008/03/30(日) 22:27:05
>>461 九州王朝大好きさん
一大国は一支国だから、一大率も一支率ではないかという説はあります。
けれど、それなら一支国に置くのではないでしょうか?
>>461王朝さん
>素直に、東南方向の目的地に向かって唐津(末盧國)を出発しましょう。
国道323号沿いに観音峠を越えて進めば、
唐津から500里で佐賀市大和町(伊都國)に着きますよ
佐賀に進みたいなら
先ずはこれをクリアーしてから進んでください。
末盧國の港の東南方向に、伊都があるなら普通
『東南至伊都國陸行五百里』と、記載されますよね
でも、実際に書かれているのは『東南陸行五百里到伊都國』
これでは東南に伊都なんて存在しませんよ
>>460 一大國=漢語表示の代名詞 壱岐=倭語 一支=倭語音漢語表記
大倭=漢語表示の代名詞
467 :
愛知県民:2008/03/30(日) 23:09:30
>>437 改めさん
二世紀前半以前といえば、倭国王帥升の時代に当たりますね。
平原がオホヒルメノムチの墓とすれば、帥升=スサノヲ説も捨てたものではないでしょう。
卑弥呼とは時代が違うことになります。
468 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 23:11:46
>「一大率」も帝国からの派遣で、
松本清張も、なんかこんなこと言ってたような気が。
469 :
九州王朝大好き:2008/03/31(月) 00:47:28
>>466 >>461は書き間違い
@
「一大國」本→「一大率」
「一支國」本→「一支國」
「大」は「支」の写し間違い。
A
「特置一大率(一支率)・・・・・於國中有如刺史」
「刺史」は漢語
ゆえに
一大率(一支率)は倭語の漢音表記
>>465 意味が異なります。
『東南陸行五百里到伊都國』行路説明
『東南至伊都國陸行五百里』位置説明
『自郡至女王國萬二千餘里』と最後に位置説明でまとめているので、
途中経過の行路説明の文であるのが適切だと思います。
古田氏と同じ結論となりますが。
470 :
改め:2008/03/31(月) 01:02:49
久々に自宅のPCから書き込み〜治ったららしい♪
>>467 >帥升=スサノヲ説
私も昔〜考えたけど、
帥升=スイショウ、スイシホとか呼ばれてるが、似てるのは「ス」だけだよね。
名が一致しないと思います。
471 :
愛知県民:2008/03/31(月) 01:24:31
>>470 改めさん、おめでとうございます。
帥升という名は中国人っぽいですね。
中国人か、中国名を自称する倭人か韓人のような気がします。
472 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 01:25:56
>河童氏
>冊封されてる国を操るのは何時も宗主国
>異国の内乱記事を単純に自国史書に掲載しません。>共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。
>つまり
>共立は、自称王達が今までの慣習に従いリーダーを選んだか、
これが普通の見解ではないでしょうか?
>その男子王リーダーに添えるかのように
>宗教的な一女子を、帝国の後押しにて立てた
>倭の王(リーダー)を二人立てる(立つ)です。
あなたはこう言ってますよね?
>共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。
でも、帝国主導で二人のリーダーを立てたのであれば、『我が国の指導の下、政治・祭事の権限を二人のリーダーに与えた』というような、書き方をするのではないですか?
それが無いのは何故ですかね?
其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。
事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。
この部分は、邪馬台国の成立過程と、卑弥呼の共立を客観的に記載したものと思います。
卑弥呼共立の影に、あなたの言うような
>実質乗っ取り
>ミスターX=帝国
これは無いでしょう。
あったとするなら、証拠を提示して欲しいですね。
473 :
改め:2008/03/31(月) 01:35:28
>>471 >帥升という名は中国人っぽいですね。
>中国人か、中国名を自称する倭人か韓人のような気がします。
帥升=中国人 とか考えてるんですか?それはいけません。
三國志 魏書 東夷傳 倭人伝
倭人と記されてるのなら、倭人とそのまま解釈すればいいのです。
中国人とはどこにも書かれてません。
よってそうゆう考えは出来ないし、深く考えすぎですよ〜愛知県民さん
474 :
愛知県民:2008/03/31(月) 01:52:12
>>473 後漢書ですけどね。
中国人は説明不足でした。倭の五王の「倭讃」のような、中国風の姓名とは考えられないかと思ったのです。
吉田孝氏「日本の誕生」によると、漢代には「帥」という姓は少ないですが、「師」という姓は多く、「升」という名も多かった。
「帥升」でなく「師升」と書いた史料もありますから、可能性はあると思います。
475 :
改め:2008/03/31(月) 02:02:48
>>474 後漢書 東夷列傳 倭人伝
後漢書も一緒。
>中国人は説明不足でした。倭の五王の「倭讃」のような、中国風の姓名とは考えられないかと思ったのです。
中国風の名は 「讃」などの一字と聞いてます。
可能性はゼロ! 倭人です。
では又の日を〜zzz。。。。
「帥升」「師升」いずれにしても卑字でないことから、
他とは違う事情があったと考えるのは鋭いな
477 :
愛知県民:2008/03/31(月) 02:12:00
蝿がらみで、もう少し。
日本書紀本文では、闕史八代の綏靖・安寧天皇の后妃は事代主神の子孫とされていますが、
一書では磯城県主葉江、古事記では師木県主波延の一族としています。
事代主神は「八重事代主神」ともいい、八重はハエに通じる。
葉江には猪手という男弟がおり、女性のようだが、事代主神は女神とはされていない
まとまらないが、眠いのでzzzz・・・
478 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 02:43:39
「帥升」の藤堂の漢和辞典(上古音、中古音が載っている)で調べてみた。
発音記号が書けないのでカタカナで書くと。
「帥」は、上古音は、シィゥに近い。 中古音はシュィに近い。
「升」は、上古音は、チィァンに近い。中古音は、シャァンに近い。
よって、「帥升」は、上古音だと、シィゥチィァン。中古音だと、シュィシャァン。
479 :
改めドツボ神奈川県民は氏ね:2008/03/31(月) 02:56:58
>>476 「邪馬台国」とか「卑弥呼」とかの卑字については誰でも直ぐ気がつくけどなw
ある作家は伊都国に当時の中国語を解する人間がいたんだろうと書いていたw
480 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 05:23:41
無双オロチの炉利卑弥呼www
いいね
481 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 07:42:25
>>472 >帝国主導で二人のリーダーを
いやっ
帝国主導で動かしたのは『一女子爲王』
もう一方の男子王は
従来通りの国内禅譲。帝国は関係ありません。
だから
以降の記事は卑弥呼中心に描かれる。
482 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 09:06:12
>>469 王朝さん、ちょっと考えて見てください。
別に行路説明と位置説明にわけてる 事には反論ありませんが、
行路方向延長線上に目的地があれば、いちいち分ける必要性がないのです
行路説明を主とする場合、その進路方向に進まないと、目的地に到達出来ない為に要求される説明方法です。
通常、進路方向と目的地方向が異なるが故に起こる使い分け区分ですね。
これは、位置説明も同じです。
位置説明と行路説明とに分けた記載の裏には、このような事情が絡むのです。
目的地方向が、行路方向と同一の場合
分けて説明する必要性はないのです。
483 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 09:39:40
宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。
だから
景初二年六月に『求朝獻』して、明帝病→崩御のドサクサにもかかわらず假金印紫綬
過去に自分等で描いた絵図(共立)故に可能な事
484 :
愛知県民:2008/03/31(月) 09:39:59
>>477 続き。春の妄想。
事代主神はシャーマンであり、その性格は卑弥呼と重なる部分があります。
古事記では大国主神と神屋楯比売の子。
先代旧事本紀では大巳貴神と宗像・辺津宮の高津姫神の子。
八重事代主神=磯城県主葉江であり意富夜麻登久邇阿礼比売命であったが、
事代主は後に男神とされ、意富夜麻登久邇阿礼比売命は蝿伊呂泥の別名とされた。
何故なら蝿伊呂泥は夜麻登登母々曾毘売命の母であったから?
大国主の子・建御名方神は記紀では母は不明ですが、沼河比売という伝承が各地にあります。
ヌナカハ=ムナカタ=ミナカタ?
神沼河耳命(綏靖天皇)とも関係ありそう。
485 :
愛知県民:2008/03/31(月) 10:18:02
>>483 >宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。
河童虫さん、曹氏はないんじゃないですか?
漢から遼東で自立して帯方郡を置いた燕の公孫氏なら分かりますが。
景初二年には司馬懿の公孫氏征伐のドサクサもあり、ここで倭国は燕から魏に乗り換えたんですよね?
司馬懿の名は難しい字だけど、懿徳天皇の懿ですね。
まあ、偶然でしょうが。
486 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 10:44:03
>>485県民さん
だからこそ
邪馬台国は二大派閥政策だと
公孫氏が台頭しようがしまいが、邪馬台国は後漢朝(例え弱体しようが)の庇護下、
男子王派閥が公孫氏にゴマ擦りしようが、帝国の作った卑弥呼制度が存続している限り
帝国との縁は切れずに、禅譲された魏朝に引き継げます。
男子王だって
一応卑弥呼とは国内では同格の王ですから
公孫氏に靡いた卑弥呼なんかに、直ぐ金印なんて渡しますか?
せいぜい印綬止まりでは
487 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 11:29:56
遼東でのさばっていた公孫氏を討伐したのは
確かに司馬懿の功績。
だから後の世までも、その功績は語られた。
しかし
卑弥呼の使を朝獻させ、假金印紫綬にまでに致らしめたのは司馬懿の功績ではない
懿の功績であるならば
真っ先に、晋書宣帝紀にその功績を記し、宣帝の功績を讃えます。
異国に対しての假金印紫綬なんて、重大ニュースの一つですから
でも、触れていない。
488 :
愛知県民:2008/03/31(月) 11:54:27
>>486 >公孫氏に靡いた卑弥呼なんかに、直ぐ金印なんて渡しますか?
なるほど、金印どころか、ついでに征伐されるかもしれませんね。
白村江後の倭国の混乱が連想されます。
私の想像など超える権謀術数があったのでしょうね。
489 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 12:00:59
そこまで日本列島の中のことに深入りするかな。
現在ほど、交通の便も情報通信手段も発達していない時代であり、
その後の中国歴代王朝と日本との疎遠な関係を考えると、
倭人の世界のことに深く関与したりはしないような。
490 :
古代:2008/03/31(月) 12:18:52
484
事代主神=言代主神は名前にあるとおり神託を司るのでシャーマンというのは当てはまるとして
八重=ハエで 八重事代主神=磯城県主葉江はどうなんでしょうか?
そういえば事代主神の本名めいた別名は伝わってませんね
「日本書紀」の神武紀には、弟磯城、名は黒連を、磯城県主とす・・・とあり
「旧事本紀」には、志貴県主の兄磯城を誅ふ。弟磯城を以て志貴県主と為す・・とあります
この弟の名前が磯城「黒速」、ハヤ→ハエ=葉江でしょうか・・
さて4代懿徳の代に男弟、猪手女泉媛とありますが、わざわざ男弟と書いているという事は磯城県主は
女系相続の一族だったのでしょうか・・・
それはさておき安寧天皇の名前はシキツヒコタマテミノスメラミコト
(磯城津彦玉手看天皇)ですから日本書紀本文の 事代主女五十鈴依媛の子
とするよりは一書の磯城県主女川派媛の子とした方が自然ですね。
ところが安寧天皇の皇后は本文ではヌナソコナカツヒメノミコト(渟名底仲媛命)、
一書では磯城県主女川津媛ですが、その子 神渟名川耳尊(綏靖天皇)の名前は渟名底仲媛命から来ていると思われます。
そうすると、本文が正しかったり、一書が正しかったり・・・
事代主神を祀る鴨氏の方が磯城氏より新しく、鴨氏が力を持ったため本文に挿入させたとか・・・
沼河比売≒渟名底仲媛、渟名底仲媛は沼河比売の一族でしょうか。
沼河比売はどの氏族の神なんでしょうね
建御名方神は別名が南方刀美神といい、製鉄の神さま金子屋神を祀る時
南方に祀る事から建御名方神=金子屋神ではないかと思います
生贄を捧げる共通点も似ています
そうすると沼河比売は製鉄をもたらした氏族?
まとまりがつかなくなってきたのでこの辺で・・
491 :
九州王朝大好き:2008/03/31(月) 12:33:05
>>482河童虫さん
@『東南陸行五百里到伊都國』行路説明
A『東南至伊都國陸行五百里』位置説明
語順が変われば意味も変わります。ニュアンス上の意味が変わるだけのこともありますが。
@は伊都國に行くの意で、実際に行っている
Aは伊都國はそこにあるの意で、実際には行っていない
古田氏が30年ほど前に「邪馬臺國はなかった」書いていたことと同じです。
古田論を否定される立場なら意見がかみ合いませんね。
@方向+動詞+至(到)+目的地
A方向+至(到)+目的地+目的地の説明
492 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 12:41:09
>>491王朝さん
実際に行ったとか行かないの話しではないでしょう。
行ってなければ
そこに記された数値の意味がなくなります。
493 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 12:50:19
編纂者である陳壽は何処にも行っていないし、陳壽が調査隊を派遣した話しもしりません。
編纂者からの視点では
資料に書かれた数値が全て平等の資料ですよ
一々測量担当者の名前までは把握してないでしょうから
494 :
愛知県民:2008/03/31(月) 13:25:21
>>490 古代さん、お久しぶりです。
黒速のハヤ→ハエは私も関係あると思います。
綏靖天皇の名は、「ヌナ」と「カハ」があるのでどちらとも言えない感じがします。
建御名方神も謎の多い神ですね。
神代や闕史八代については、永久にまとまらないかもしれませんが、
自由に発言したいものです。
495 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 13:50:40
>>494 黒速=葉江
は別として
ハヤ=ハエ(はゑ)
の、言葉としての関係は
はゑ⇒はや
と、 「はゑ」 があるから「はや」がある という関係です。
さけ があるから さか
あめ があるから あま
ふね があるから ふな
496 :
愛知県民:2008/03/31(月) 14:14:47
>>495 河童虫さんは言語がご専門でしたっけ?
おかしなこと書けませんね(笑)ありがとうございます。
>>478 >よって、「帥升」は、上古音だと、シィゥチィァン。中古音だと、シュィシャァン。
「スサノヲ」に似ていなくもないような・・・?
河童虫さん、言語学的にはどうなのでしょう。
スサノヲは強烈な個性を思わせるし、外国との関係も語られているので
外国史料に残っていてもおかしくはないと思いますが。
司馬懿と懿徳天皇、無関係に決まってるけど気になるなあ。
ついでに司馬懿と邪馬壹國も似ている。
おもしろい偶然ですね。
また週末です。zzzz・・・
497 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 14:52:18
倭の五王
中国の史書に「武」と表記されれば
合言葉のように、その該当政権の「始祖(初代)」
日本書紀は
初代に関して、実に千年以上さばを読んだ形。
498 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 15:20:41
>中国の史書に「武」と表記されれば
合言葉のように、その該当政権の「始祖(初代)」
「武帝」は確かにそうだが、倭の五王は4代と5代で王朝が変わったのかな?
499 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 15:59:00
>>498 >変わったのかなぁ?
じゃなく
帝国ではそう判断したから『武』と表記した。
滅多やたらに使用出来ないですよ
適当に当て字してたら、誤解されますし、他の武帝をかるんじる事にも繋がります。
500 :
サガミハラハラ:2008/03/31(月) 16:24:23
ちょっと出かけている間にレスがバンバンすぎさっていきましたね。
>>389どちらも同じ意味では?
>>403 えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。
邪馬台国を語るまでに7〜8年 ながすぎますか。一々検証しながら研究を進めたものですから。
私の邪馬台国行程論は「東アジアの古代文化を考える」のHPの討論室に書き込みをはじめていますのでそちらをご覧ください。
このスレにかきこんでのレスの数が多すぎてあっというまに流されてしまいますから。
501 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:27:31
『武』は倭の五王側の自己申告によるものでしょ?
倭の五王時代には中国では王朝が次々に替わったので宋、斉、梁に「武帝」がいる。
斉、梁の「武帝」は『武』と同時代人だ。
倭の王は「武帝」は中国王朝の始祖の名称だと知って使ったものでしょ。
>滅多やたらに使用出来ないですよ
倭王が厚遇されていたから、中国皇帝と同じ名前『武』の使用を許したのでしょう。
502 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 16:55:53
>>501 >申告
宋書にある上表文に『武』なんて申告は無かったですよ
それに、申告にて『武』が認められるなら『皇帝武』でもOKでしたね
コテハンの巣窟ワロタwwwwww
504 :
横槍:2008/03/31(月) 20:50:45
ご無沙汰です。
亀ですが
>>476 >帥升」「師升」いずれにしても卑字でないことから、
>他とは違う事情があったと考えるのは鋭いな
川勝義雄著『魏晋南北朝』を読むと次のような文章が出てきました
『やがて山西省を制圧した曹操は、内部崩壊した匈奴諸部族を、地域ごとに、左・右・南・北・中の五部に分割して統治した。
各部はそれぞれ数千から一万ばかりの「落」からなり、その中から「帥」を選んでこれを統率させた。』
つまり帥升の帥は名前ではなくて役職の可能性が高いと思われます。。。。。
505 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:21:18
>>500 サガミハラハラさん
>えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。
チト簡単に調べてみたんだが、河童氏の言ってることがおかしいというか。
倭人伝に記されてるのは、「殉葬」ではなく「彳旬葬」ですよね。
「彳旬」葬者奴婢百餘人
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-03.html 「彳旬葬」・・・不明。 (巡)葬?ぽいんだがどうでしょう?
「殉葬」・・・主人の後を追って死ぬ「−死」、大事なものの為に死ぬ。
卑弥呼の死にともない、生き埋めされたと思ってた「奴婢百餘人」。
この奴婢百餘人は卑弥呼の葬儀で各地を巡ったということ。(服従の意味もある)。
こんな感じでどうでしょう?みなさんの意見は?
506 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:29:55
ちなみに辞書で調べると。
<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン
・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。
「殉」 ・読み:ジュン
・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、むさぶる、追い求める)、
いとなむ、めぐる。
みなさんの意見は?
507 :
サガミハラハラ:2008/03/31(月) 21:30:10
殉葬は生き埋めではないですよ。
各地を巡るのと手厚い葬儀となんの関係が。
これはやはり、最高の手厚い葬儀では殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよいと思います。
508 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:32:02
ちなみに辞書で調べると。
<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン
・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。
「殉」 ・読み:ジュン
・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、
むさぶる、追い求める)、 いとなむ、めぐる。
みなさんの意見は?
509 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:34:02
>>507 >殉葬は生き埋めではないですよ。
ん〜よく知らないんですが、生き埋めの場合はどうなるんでしょうか?
510 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:41:43
サガミハラハラさん
魏志倭人伝に記されてる『「彳旬」葬者奴婢百餘人』の
「彳旬」の字は「死」の意味が含まれてませんよ。
それをどうして「殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよい」となったんですか?
わたしはこの辞書で調べた結果、とてもそうとは思えないんですが。
貴方が言ってるのは「殉死」じゃないんですか?
こっちは「死者に従って死ぬ」という意味が含まれます。
511 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 21:53:30
紹煕本影印も紹興本影印も、ともに『徇葬者』
それでも『殉』と
言うなら、オラ知らね。
512 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 21:56:19
死の意味の「歹」
ちなみに、
殉葬:死者とともに埋葬する。
殉教:信仰のために命をささげる。
殉国:国家の危難を救うために働いて死ぬ。
殉死:死んだ主君のあとを追ってその妻や臣下が死。
貴方達が言ってるのは『殉葬:死者とともに埋葬する』。
これです! 倭人伝にはどこにも記されてません。
おいらの辞書には
「彳旬」 したがう あることのために一身を投げ出す 同:殉
ってなってるな。
514 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 22:02:34
おっと〜河童さんの登場ですが、わたし改めは食事をまだとっておらず、
これからです。
又、後で出来ますがサガミハラハラさん〜ちゃんと説明してくださいネ!
いつもボタンを掛け間違えてるというか、意味が分かんないんですよ。サガミさん
515 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 22:21:53
殉葬と言えば、古代シュメール文明に由来するものですね。
そういう悪習を断ち切っただけでも秦の始皇帝は文明人です。
しかし、ツングース系の騎馬民族は、討つ取った敵のシャレコウベ
と盃にする文化が残っていて、信長なども好んで頭蓋骨で杯に使って
いました。出雲が国譲りをしたのも、そんな恐ろしい習慣を残すニニ魏の
子孫とは一緒に暮らせないと思ったからに違いありません。
516 :
健吾教kウ祖 ◆nxCnFY2L2. :2008/03/31(月) 22:23:46
卑弥呼は障害者であった。
2Mの高さから落ち、頭を打ってパニック死。
その障害がゆえ、人々にネ申と崇められて、弥生人の崇拝の的になった。
517 :
サガミハラハラ:2008/03/31(月) 22:27:05
角川漢和中辞典「ギョウニンベンに旬」は身をもって物事にしたがう、とあります。
ジュン国とは身をもって国家のために尽くす。とあります。
そうすると、身をもって葬式にまたは主人に尽くすとなります。
しなずに一生懸命葬式の準備をしただけなら、魏使は記述しなかったでしょう。
となるとこれは殉死したということになります。
つまり、身をつくす最高の形ということになります。
518 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 23:07:47
>>517 >殉死したということになります
倭人伝に記されてるのは『殉死』ではなく『徇葬』だって何度もいってるんですが?
貴方が言ってるのは『殉死』です。
『殉死』とは「殉葬:死者とともに埋葬する」。
よって死者とともに埋葬されてないということになります。
河童さん〜こんな感じですよね?
519 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/31(月) 23:15:27
>>518 「死」の主役は 死人
「葬」の主役は 死人の対岸
と、言うのはどうですか?
昭和天皇がなくなった後も何人もの人が自殺しましたよね。
古き良き時代の日本の伝統です。
521 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 23:23:26
>>519 河童さん
>「死」の主役は 死人
>「葬」の主役は 死人の対岸
それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?
サガミさん
513さんも言ってるように、
『殉死』、『徇葬』共に・・・ したがう あることのために一身を投げ出す
で同じ意味の「従う」、私もさっき辞書を見たが、そんな感じでしたよ。
「殉」に関しては「死者以外にも死人がいる」わけです。
「徇」は「まわる」とか「巡り歩く」とかの意味と感じる。
百人が卑弥呼の遺体を担ぎ歩いたのかも。
そんなイメージです。
>>521 >それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?
当たり前だからこそ見失うものがあるんですよ
徇葬者奴婢百餘人
(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?
523 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 23:41:58
>>452 河童さん
>実質乗っ取り
>ミスターX=帝国
何を言ってるんだこの人は(笑)
>>483 >宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。
「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。
そんな状態で離れ業ですか?ウルトラCというわけですね。
それは貴方の職場の腹黒い上司の話では?
同じ場所にいれば可能ですが、列島と大陸です。
わたしはそのような「黒幕は帝国」みたいなイメージはもってませんので!
>>523 >「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。
親戚の方にでも?
525 :
aratame_himiko♪:2008/03/31(月) 23:52:22
>>522 >徇葬者奴婢百餘人
>(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?
わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?
んで「葬られる者奴婢百餘人」なら、どのような漢字になるんでしょう?
>>524 共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の〜を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。
>>525 >わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?
(葬られる者奴婢百餘人)
卑弥呼以死徇葬者奴婢百餘人 と、考えていますし
その葬られる者奴婢百餘人を葬った奴の事も考えています。
>>525 >共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の〜を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。
そう考えられない人はそれでいいんじゃないのでしょうか?
こちらも、無理にそうしろとも言えませんし、それを説得しようとも考えていません。
私は
卑彌呼以死(徇葬者奴婢百餘人)そして 大作冢徑百餘歩
卑彌呼以死(更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人)
と、考えています。
529 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 00:17:24
卑弥呼以死「殉」葬者奴婢百餘人
なら、「葬られる者奴婢百餘人」でスンナリ決まりだが、
「死者以外にも死」の意味を持つ「歹」の「殉」ではなく、
「まわる」とか「巡り歩く」などの意味もつ「彳」の「徇」が使われてる。
卑弥呼以死「徇」葬者奴婢百餘人
この「殉」、「徇」の違いについてみなさんの判定は?
わたし〜そろそろ眠いのでこの辺で席を外します・・・zzz
530 :
日本@名無史さん:2008/04/01(火) 17:18:07
531 :
九州王朝大好き:2008/04/01(火) 18:10:24
>>河童虫 ◆EY2wfgakAQさん
遅れ遅れの亀レスですが。
『其國本亦以男子爲王・・・乃共立一女子爲王』
男王と女王の2王が共立したんだね。
男王が伊都國にいる王、即ち倭王。
女王は卑弥呼、即ち巫女。
俀國と同じ二元統治、
兄王にあたるのが宗教王の卑弥呼・壹與、
弟王が世俗王の伊都國にいる『世有王』。
倭の二元統治は歴史的な体制、琉球と同じ。
532 :
九州王朝大好き:2008/04/01(火) 18:12:41
>>531の間違い修正
×歴史的な体制
○伝統的な体制
533 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/01(火) 19:03:45
>>531王朝さん
簡単に言えば二元政治です。
二元で考えないと
共立や一女子の解釈が出来ないでしょ
しかし
普通の二元ではなかった
伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を
卑弥呼は本国にて宗教的に
534 :
九州王朝大好き:2008/04/01(火) 20:00:02
>>533 ×二元統治
○二元政治
統治は一大率
>伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を・・・
各王達ではないですよ。
伊都國と狗奴國を除くと、各国にいるのは官だけですから。
官は王(兄王・弟王)になり損ねた人物かな?(各国では兄王であり弟王の立場?)
時代が変われば王となり得る人物。
耶馬壹國には「有男弟佐治國」なる弟王にあたる人物がいるからです。
以上はあまりにも推定事項。
狗奴國男王卑彌弓呼は兄王であるか弟王であるかは不明。
535 :
電車男:2008/04/01(火) 20:05:38
卑彌呼。。。巫神時代
>>534王朝さん
>各国にいるのは官だけですから。
そうですよ
王たちは『皆』伊都國勤務ですから(江戸期の常府制と同じ、或いは現在の国会議員と同じ)
各国の政務は狗奴國を除いて『官狗古智卑狗不属女王』皆女王支配の官たちが
その官の大部分(全部)が女性官
537 :
九州王朝大好き:2008/04/01(火) 21:14:30
>>536 河童虫さん
各国の王たちは『皆』伊都國勤務であることがわかる理由は、
『世有王』だからですか?
>>537王朝さん
>『世有王』だからですか?
『世有王皆統屬女王國』
後漢書にて
『使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統』
からです。
539 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 21:58:36
『殉葬』、『徇葬』の違い
昨日の私のレス〜やっぱりおかしいよね。
どう考えてもそこには「生き埋め?」的な意味が入るのがふつう。
しかし、『徇葬』を辞書で調べても「生き埋め」的なものはそこにはなかった。
他所のスレからだが、こうゆう考えもある。
>殉死=後を追って死ぬ。その者を葬るのを殉葬。
>徇葬=主墓の廻りを取り巻き守って葬る。
>従って、生き埋めではなく、主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?。
しかし、なぜ卑弥呼の時代の朝鮮半島情勢や、中国の王朝について
検証しようとしないのか不思議です。勉強不足なのか、それとも意図
的に無視しているのかわからないけれど、魏に朝献したということは、
卑弥呼の国は中国の王朝のしきたりを心得ていたということだし、渡
来人の王朝だったか、もしくは渡来人の進言により使者を送ったとい
うことになります。
邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。
>>540 >邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。
それに関連する文献が出て来れば
そう解釈してもいいんじゃない
皆がそれを口にしないのは、そのような史料事実がないからだよ
頭の中でそういうストーリーを描いている人はいると思う。
ただ、その裏づけがないから皆黙っているんだよ
542 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 22:23:45
河童虫 ◆さん、九州王朝大好きさん
お二人は二元統治の解釈が間違ってますよ。
「其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王」
「其國」=「倭」。
『「男子為王」、「女子為王」を共に立てる』?どこに書いてるんですか?
同じ「其國=倭」王だが、七八十年も時間が経過してるのです。
『時』が全然違うのです。
「七八十年」について、貴方達はどのように考えてるんですか?
543 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/01(火) 22:30:24
>>542 >何処に書いてあるんですか?
「一女子」
544 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/01(火) 22:49:40
>>542 帥升生口献上の107年を基点としたときに、倍暦計算を考えながら
107+70=177年 孝靈天皇吉備行幸の翌年(日野郡誌)
107+80=187年 孝靈天皇崩御
を得ています。孝靈は倭国大乱の関係で吉備へ行ったのではあるまい
かとの考えが浮上して来ます。
梁書によれば倭国大乱は 178年〜183年で すから、孝靈の時代に
あわせると good に思います。
日御崎神社社伝によれば 孝靈61年=182年(倍暦) に月支国王らが
船団で出雲攻撃を行ったものの神風らしきものが吹いて退散したとの
由緒書きですから、これも倭国大乱終結年の前年のことから、大乱に
乗じて月支が攻めに来たのであろうとの考えのところです。
545 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 22:55:29
「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?
一女子=一人の女子
男系(男子)⇒女系(女子)に変わったわけではなく、「一人の女子」が立てられたのです。
それに「倭國亂」てあるでしょ。
卑弥呼は救世主なんですよ。今で言えばヒロイン?
ていうか二人とも〜こんな初級レベルの説明をしなければ分からないレベルだっけ?!
この辺で一言言っておくけど
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞。』
この記事が邪馬台国(或いは倭)の事を書いた記事と考えているのなら
この話題をこれ以上続けても
まるで私の視点と違うので、たぶん話は永久に平行線になると考えるから
私は降りるよ
私は邪馬台国グループの中の一部である中枢本国(卑弥呼の居する国)の記事と考えて話を進めているから
>>545 >「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?
そう一から十まで書いていないと読めないようじゃ、とても倭人伝(いや、古漢文)は無理だよ
人は基本的に『女子』の他には『男子』しかいない (道里)
『一女子』の対岸には『複数の女子』
この場合、複数の女子を王とする慣習が存在しないとなれば、当然その対象はもう一方の『男子』となる
よって『一女子』の対岸は『一男子』 (理の理)
しかも「共立」
548 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 23:23:00
乃共立一女子為王
これが「乃共立女子為王」なら男系から女系に変わったという解釈も出来るだろう。
たった〜の「一」一字だけ入るだけでその内容も意味も違うのです。
さすがは「陳壽」ということか。
では〜寝ますzzzz・・・・・・・・・。
>>548 >さすがは「陳壽」ということか。
こんなのはほんの序の口(小学生レベル)
それが中学生レベルになると
『魏志倭人伝』
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞
『後漢書倭伝』
桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飮食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衞法俗嚴峻
この両方の記事が、全く別物に読める人は中学生レベルクリアー
と、いうことで
550 :
九州王朝大好き:2008/04/01(火) 23:44:48
>>545 明日にも読んでね
「乃」の意味が抜けていますよ。
『其國 本亦 以男子為王・・・・・乃 共立 一女子為王』
倭國にはもともとの男子王がいる。そしてそこに(並立)一人の女子を王として共に(ダブって)立てた。
二王体制です。
男王は世俗的弟王 昼に政務をとる昼の王(俀國伝参照)
女王は宗教的兄王 夜に政務をとる夜の王(俀國伝参照)
世俗政治は伊都國にいる男王がし、世俗統治は一大率がする。
551 :
aratame_himiko♪:2008/04/01(火) 23:51:52
>>550 >「乃」の意味が抜けていますよ。
乃=すなわち
二人とも初心者さんから笑われてるよ では〜!
先日も少し話題にのぼった(県民さんから?)
後漢書倭伝
『相攻伐歴年無主』
魏志倭人伝
『相攻伐歴年』
確かに倭人伝には『無主』の文字はない
ここってものすごく大事な部分(ここの意味が分からなければ、永久に倭人伝は把握出来ない)
>>550王朝さん
後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
ここには書かれていませんよ
>>551 >二人とも初心者さんから笑われてるよ では〜!
王朝さん
初心者に笑われているようだから、もうここには書き込まないほうがいいかも知れませんね
私はこれ以上笑われるのは嫌だから、そうするつもりです。
では、残り400強のレス頑張ってください
555 :
九州王朝大好き:2008/04/02(水) 00:17:05
>>553 >後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
>ここには書かれていませんよ
理解し易い様に蛇足的解説を付けただけです。
ちょっと脱線し過ぎたかな?
僕は現代中国語ならわかりますが、「〜乃共立一女子〜」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
「乃」は、それで、程度の意味だし
「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。
「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。
まあ皆さんの方が古漢文には詳しいでしょうから、あくまで今の中国人が読んだら、という前提では
参考にもならないと思いますが、通りすがりのスレ汚しです。失礼しました。
557 :
九州王朝大好き:2008/04/02(水) 11:19:56
>>556 >「〜乃共立一女子〜」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
>「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。
河童虫さんが他スレにも書いていることですが、
「併立」なら同質の王になります。
役割分担が異なる異質の王だから「共立」にしているのです。
>「乃」は、それで、程度の意味だし
そうです。「乃」の前後の文(句)が並立関係であることを示しているだけです。
>「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。
その通りです。既存の男王に対ししてダブルになることをも強調しています。
ちょっと蛇足:この場合の男王達は従来邪馬壹國から輩出していた卑弥呼と同質な王(宗教王)であって、
伊都國にいるような異質な王(世俗王)のことではありません。
558 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 02:09:04
コピペで申し訳ないが、卑弥呼=天照大神説はどのようにお考えですか?
太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)のひとつとされる。
『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、
『日本書紀』においては天照大神と表記される。
別名・大日孁貴神 (おおひるめのむちのかみ)。
『日本書紀』においては複数の神名が記載されているのに対し、
『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されている。
女神であるが、実は男神だったという異説も存在する。
天照大神という神名が、『皇太神宮儀式帳』など政治的な部分で用いられていることから、
三品彰英や西條勉が論じているように、本来は高御産巣日神(高皇産霊尊)が皇祖神であり、
ヒルメが皇祖神化して天照大神になったとする説もある。
↓ここで書かれてる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9
559 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 03:23:33
>>558 天照大神=卑弥呼はずっと前から言い続けているんだけど、これは東遷説
そのものと言っていいんだよね。
記紀に登場する人物の中で、倭人伝の卑弥呼にもっともふさわしいのは、
まぎれもなく天照大神だし、そうすることによって、高皇産霊尊の存在も
明らかになってくる。
でも、天照大神が卑弥呼の反映だとすれば、そのあとには天孫降臨があり、
神武東征がある。すなわち、卑弥呼の邪馬台国の勢力を継いだものが、
大和で政権を打ち立てることになる。
もちろん、邪馬台国は九州ということになる。
天照大神=卑弥呼は、東遷説だからこそ、畿内説もあるいは九州王朝説も
これを認めるわけにはいかないということになるんだなあ。
560 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 07:42:20
>>559 >天照大神=卑弥呼は、東遷説だからこそ、畿内説もあるいは九州王朝説も
>これを認めるわけにはいかないということになるんだなあ。
そうとも言い切れないのでは?畿内説でも九州説でも成り立つような。
さすがに九州王朝説は認めてませんけどね。
天照大神といえば伊勢というイメージがあるが(伊勢神宮に祀られる)、
九州の筑紫とも関係しているようで、全国各地で活躍しているといえる。
>>212>>379でもそれらしき内容が書かれてる。
561 :
ご参考までに:2008/04/03(木) 16:08:08
大和政権西進説もお忘れなきように。
根拠は『旧唐書倭國伝』の以下の一文。
「日本国は倭国の別種なり。日本はもと小国、倭国の地を併せたり。」
562 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 17:23:49
563 :
唐松山:2008/04/03(木) 21:38:04
朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在
半島の遺跡から RM1-b遺伝子を持ったプラントオパールが出土したら
認められるが 出土しないかぎり
米は日本から 半島へ渡った。
無いことの証明は 在った事の証明より難しい。
564 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 22:03:03
歴史とは裁判ではありません。
歴史を解明するということは、真実を追い求めることです。
従って、物的な証拠がなくても、状況証拠から、より確から
しい事実が推測できるのであれば、そうすべきです。
証拠がないからと言って嘘だ決めつけることはあまりにも
短略的で、真実のみを追い求める歴史家の態度としてはい
かがなものかと思います。
565 :
日本@名無史さん:2008/04/03(木) 22:09:41
,.-'''" ̄ ̄"'''ヽ
/::::::::::::::::::::::::::::::"ヽ
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,'::::::::.i::::::|_!_,.ハ:::::i 、!,_.| |
!:ヽ.|::::::|__,.!/ Vレ,、!__!| |
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i::::::|::::::!'" "! |
,':::::::|::::i| 'ー=-' ノ| |
/::::::ヽ、!>,、 _____, ,.イ | | |
566 :
aratame_himiko:2008/04/03(木) 23:11:43
>>565 変なレスやめろなさい!貴方はどうゆう性格してんだ!!
>>504 横槍さん
yさん〜久しぶり!
>つまり帥升の帥は名前ではなくて役職の可能性が高いと思われます。。。。。
帥升の「帥」の字をよく役職とのことですが、本当のところどうなんでしょうね。
それにyさんが言った「帥」の字、川勝義雄著『魏晋南北朝』を読んで言ってるわけだが、
三国志は著者が違うわけでその点はどのように考えてるのでしょうか?
まあ、「帥」は役職と考えるのは人多いと聞く。
私は普通どおり「帥升」とつなげて読んでるんだが実際のところは分からない。
567 :
aratame_himiko:2008/04/03(木) 23:21:06
『殉死』、『徇葬』について
倭人伝に記されてるのは、「徇葬者奴婢百餘人」。
>殉死=後を追って死ぬ。その者を葬るのを殉葬。
>徇葬=主墓の廻りを取り巻き守って葬る。
>従って、生き埋めではなく、主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?。
わたしは倭人伝に記されてる「徇葬」とは「生き埋め」とかの意味と思ってたが、
辞書で調べてる内、違うことに気がつく。
上に書かれた「主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?」が相応しいように思えるが
意見のある人いますか?
いや、生き埋めでしょうとか聞こえてきそうだが、それならご自分で調べてみなさいよ。
サガミハラハラさん〜貴方はどう考えてるのですか?
これでよいと思いません?
568 :
唐松山:2008/04/03(木) 23:35:10
569 :
aratame_himiko:2008/04/03(木) 23:57:37
唐松山さん どうも〜ありがとうです。
卑弥呼=天照大神と考えてる方達へ
『天照大神と九州をつなげるもの』
豊前風土記
「京處郡 いにしえ 天孫(あめみま)ここより發ちて、日向の舊都に天降りましき。
けだし、天照大神の神京なり。」
日向:「大御神社」、安心院:「妻垣神社」、「三女神社」など調べれば
何か分かるかもしれない。
>>561 ご参考まで さん
>大和政権西進説もお忘れなきように。
久しぶりです。
貴方は邪馬台国西進説ですか?
西進説といえば、卑弥呼を大和朝廷のものと考えてるんですよね?
卑弥呼は誰にしてるのかと「西進」について詳しく書き込んでくださいよ。
貴方の考え、邪馬台国のイメージが分かりやすく書いてあれば読んでる人も
レスし易いことと思います。
河童さんが15上げて来ましたよ
571 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 00:26:01
みなさん〜河童さんが「共立」をめぐる議論の果て、すねちゃってるよ(笑)
参考:
>>546>>549>>554 河童さんへ
こうゆうところは「言い争い」する場なので、私達が納得する論を唱えればいいだけ。
頭冷やしたら帰ってきなよ(なるべく土日までに)。少し疲れてんだよ〜貴方は。
それと私と河童氏はレスが多いので少し周りの人に「迷惑がかからないよう」に
つめて書いたほうが良いかも。
終止符スレへ書き込みたい人〜わたしは河童氏に遠慮せず書き込んで下さいね。
では・・・zzz。
572 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 00:32:35
>>570 河童さんはすねてるんだよ。w
河童さんて「共立」をめぐる議論の果てすねたりする人やないんだけど、
ここ毎日〜書き込みしての疲れからきてると思う。
最近のレスふにゃけてたしね〜。
気分が晴れるまでそっとしておこう。
少し休んでどけ〜河童さん
573 :
ご参考までに:2008/04/04(金) 06:50:53
私は、邪馬台国西進説、ではありません。
私は、邪馬台国畿内説、ではありません。
私は、邪馬台国九州説、であります。
私は、九州邪馬台国連合もしくは倭国連合は三世紀末に滅び、四世紀初頭に大和の
勢力が西進し、併合したと考えております。
根拠は、四世紀初頭に北部九州の生活風習や鉄器が東漸した考古学知見及び
旧唐書伝の一節他であります。
574 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 18:31:27
>>544 >孝靈は倭国大乱の関係で吉備へ行ったのではあるまい
>かとの考えが浮上して来ます。
>梁書によれば倭国大乱は 178年〜183年で すから、孝靈の時代に
>あわせると good に思います。
倭国の乱について
大体は178年〜183年ぐらいと考えてる人は多いはず。
しかし、上の書き込みでは「この乱が孝靈天皇時代」とのこと。
本当にそうか?
倍暦で計算した結果、その乱の時代は孝靈天皇時代という考えみたいですが。
貴方の計算方法でのみ語ってるんですよね?
私はいまいち倍暦なるものを信用してないし、それだけの考えでならスルーしても
よかったんだが、何かあるんですかね?
倍暦以外にも靈天皇時代だという根拠みたいなものがあればお願いします。
575 :
唐松山:2008/04/04(金) 18:31:43
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ
縄文時代 日本に入った米は 熱帯ジャポニカ
弥生時代に入った米は 温帯ジャポニカ
特徴 熱帯ジャポニカは 育成期間が長い が寒冷地に強い。
施肥をしても 枝葉が伸び 籾の実収にむすびつかない。
温帯ジャポニカは 育成期間が短い。
施肥をすると それに伴って 籾の実収が増える。
だが 日本に於いて この2種類は 長く 同一の田で栽培されていました。 多分明治頃まで、
何故 混栽されていたのか?
不思議なことに 温帯ジャポニカ単体で栽培されるより 寒冷地に於いて 混栽された方が
収量が増える という不思議 な状態があったからです。
江戸時代、田の周りに熱帯ジャポニカを植え当然出来の悪い熱帯ジャポニカの穂を役人に見せて
不作であると主張した、と言う説もありますが 本当は上記のように収量が増える
というのが 本根です。
極端に言えば、半島では 故意に収量を減らした。
こんな“説”は通りません。
江戸時代の 特に東北の米作りを 調べて下さい。
576 :
唐松山:2008/04/04(金) 18:39:49
aratame_himikoさん 貴方にとって 大乱とは どういう意味ですか?
戦の本場 中国人が見た 大乱の意味ですよ。
5,6年間戦が有った で大乱ですか?
577 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 19:18:25
<倭國亂>
『魏志倭人伝』・・・國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年
『後漢書』・・・桓、靈閨@倭國大亂 更相攻伐 歴年無主
『梁書』・・・漢霊帝光和中 倭國亂 相攻伐歴年
『北史』・・・靈帝光和中 其國亂 遞相攻伐 歴年無主
『隋書』・・・桓、靈之間 其國大亂 遞相攻伐 歴年無主
578 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 19:25:16
チト犬の散歩へ行ってました〜!w
>>576 唐松山さん
>aratame_himikoさん 貴方にとって 大乱とは どういう意味ですか?
「大乱」とは小さな乱れではなく大きな乱れ。
倭人伝に記されてるくらいだから、倭の国々が「総乱れになった」ぐらいのイメージをもってます。
>戦の本場 中国人が見た 大乱の意味ですよ。
>5,6年間戦が有った で大乱ですか?
それは太国さんがいったこと。
>>544みてくださいよ。
579 :
唐松山:2008/04/04(金) 19:28:54
私の考える 倭国大乱
西暦193年 新羅本紀 倭人が大飢饉となり避難民到来 =崇神6年辺りから
その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年
西暦250年頃 壱与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。
景行40年頃まで
乱の内容
崇神初期 タケハニヤスの乱
崇神6年 出雲連合国の崩壊
崇神末近く 任那建国に 崇神関与
この時代の九州では 九州大王の統制が取れない状態と思われる。
景行12年 請われて景行 九州遠征
この時の九州の状態
神夏磯媛。其徒衆甚多。一國之魁帥也。 神香椎姫は天皇気取りです。
一曰打 saru[扁犬旁爰]。二曰八田。三曰國摩侶。是五人、並其爲人強力、亦衆類多之。皆曰『不從皇命!』。
國摩侶 名前からして 本来大王の側近でしょう。
打猿(内猿)=大王の臣下、蜘蛛=農奴階級、熊曾=まだ大王に感化されていない民族
後は省略
この一連の 上下の乱れを 大乱と呼ぶ。
580 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 19:46:19
唐松山さん
桓、靈閧ニは桓帝の在位:146〜167年
霊帝の在位:167〜189年 というから146〜189年。
靈帝光和中とは178〜184年 と聞いてます。
太国さん的に『梁書』、『北史』等の記述をみての発言と思います。
「その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年」
私の「倭國亂」についての考えは「七、八十年 倭國乱れ」なので七、八十年間はその前兆はあったものの
乱とまでいかず、その後に倭國亂なる大きな乱れがあったのでしょう。
つまり、太国さんが言ったとおり178年〜184年の6,7年間ぐらい続いたのではなかろうか?
年代(西暦)に関しては氏と同じ考えです。
581 :
サガミハラハラ:2008/04/04(金) 20:05:04
倭国乱の年代について
倭国乱は157年ごろ王位継承をめぐって北部九州を中心に卑弥呼即位の183年ごろまでの期間でした。
大和(奈良県)の天皇の2代スイゼイ天皇から5代孝昭天皇の26年から29年(2倍年暦×2 つまり、通常の1年分が4年分にあたる)
までです。(ただし卑弥呼の即位が183年のいつかによって乱の収束は22年から29年の幅が出てくる。それに、卑弥呼即位が決定する前夜まで激戦が
続いていたわけではなく、即位の前年あたりは諸国とも繊戦意を喪失していたのではないだろうか。)
582 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 20:26:09
>>579 >私の考える 倭国大乱 〜 この一連の 上下の乱れを 大乱と呼ぶ。
倭人伝の「倭國乱」を日本書紀と照らし合わせたようですが、
唐松山さんの考えだと、これも倭国大乱?となるわけです。(下記参照)
644年?中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を殺害。
646年 大化の改新
660年 百済が唐・新羅に滅ぼされる。
661年 斉明天皇が崩御。
663年 白村江の戦いで大敗。
672年 壬申の乱
倭とは=九州のことです。
乱の内容 については朝廷内で起こったこと。
まずはどこで「倭」と「朝廷」がつながるかを記載しないと単なる妄想になるわけです。
583 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/04(金) 20:55:44
>>574 欠支八代は記録が少なく、なかなかそういう根拠というものはないようです。
まぁ先の日野郡誌、他にどこかで聴きこんだが、
富士古文書に、孝安80年に大乱が起こった とあるそうな。富士古文書というと
神皇紀のことだろう。ただ分厚いのでどのへんに書かかれてあるのか探すのが
大変。知ってる方は同書のどのへんか、具体的位置を知らせられたい。
孝安80年といえば孝靈世に近接するため、参考になりそう。
584 :
唐松山:2008/04/04(金) 20:57:39
では、卑弥呼死亡から
イヨ即位までの 1000人ほどの死亡は?
景行時代なら あてはまる 状態ですが。
585 :
:2008/04/04(金) 21:18:56
孝霊世って徐福がきたとかいう年代じゃねえ。
586 :
aratame_himiko:2008/04/04(金) 21:21:39
>>583 >欠支八代は記録が少なく、なかなかそういう根拠というものはないようです。
欠支八代のことはホツマツタエのが詳しく記されてまスよ。
まあ、女王のことが載っているかは別ですが・・・。
>>584 >では、卑弥呼死亡から
>イヨ即位までの 1000人ほどの死亡は?
>景行時代なら あてはまる 状態ですが。
倭=九州 倭とは親魏倭王を得た卑弥呼の倭。
倭種は倭ではないとここでは言っておきます。
残念ながら、「九州 倭紀」なるものはない。
「景行時代なら あてはまる」とのことですが、 それも単に繋げただけ。
やはり「倭」と「景行天皇」を繋げてからでないと説得力が欠けるかと思います。
イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
588 :
唐松山:2008/04/04(金) 21:30:05
富士古文書とは 明治時代 郡内(甲州、鶴、吉田方面)の
古富士神社?とか そんな名前の神社がありまして
明治の初め 政府は各神社に社格を与えた時 申請を忘れて
後から 社格を得るために 作られた 偽書。
その古文書の真贋を確かめる席には提出されなかった。
589 :
唐松山:2008/04/04(金) 22:11:33
書記には 景行天皇 遣五百野皇女 としか出ていませんが
aratame_himikoさんの ほつま伝に どのように書かれていますか?
大和朝廷の命令に反して提出されなかった古文書は
すべて偽書だと決めつける。
そして記紀との矛盾点を徹底的にたたく。
普通そこまでやるか?と思えるほど徹底的に叩き潰す。
痕跡すら残させない。
人としての情を持たない部族。それが天皇の祖先。
591 :
改め〜桜咲け:2008/04/04(金) 22:18:19
592 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/04(金) 22:27:03
>>588 秀真伝も偽書だと言われてますが? そっちは大丈夫なの?
>>590 天皇家の祖先というより天皇の取り巻きかなんかだろう?
593 :
唐松山:2008/04/04(金) 22:34:49
太国さん 貴方にとって ほつまは 偽書にして於いた方が良いですよ
何故なら 30日に死亡した天皇も居ますから。
594 :
改め〜桜咲け:2008/04/04(金) 22:44:25
>>589 欠支八代のことは日本書紀よりホツマツタエ。
ほつまについて分かりやすくした本は二人の著者が有名かと思うが、どっちも持ってます。
(原文と読み易くしたのが書かれてる) まだ本をあまり読んでないがチラッとみたw
いろいろ書き込んでもいいが、唐松山さんがお持ちの本とほぼ一緒では?
今から少し出掛けるので時間あるときにでも書き込みますが。
596 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/04(金) 23:12:13
>>574 富士噴火の文証が役立つかも知れません。
富士山本宮浅間大社社伝(富士本宮浅間社記)によれば、
孝靈の代に富士山大噴火した。 とあるそうです。
富士山南口案内絵図(富士市立博物館学芸員 荻野裕子)によれば、尾張藩士
高力猿猴庵は 東街便覧図略 の中で彼は、元吉原の富士見屋に 富士山禅定図
があり、それに
孝安九十二年 富士山湧出 の記載がある。
古縁起という古書によれば、
孝安九十二年庚申の6月、大音響での富士山湧出 の記録がある。
富士山歴史噴火総解説(小山真人)によれば
孝安3年、44年、92年 孝靈5年 噴火をリストアップ
そして物証は
富士山南麓大淵丸火公園北駐車場東に、外径120cm 内径60cm の溶岩樹型が
あり、約1800年前の富士山噴火で出来た樹型である。
2008−1800=208年
倍暦計算では 207年 孝靈天皇誕生 の結果を得ている。これは孝安53年
だから、約何年の計算だから孝安、孝靈の時代に合致する。
597 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/04(金) 23:38:23
>>574 >>596 訂正 間違いで失礼しました。 訂正は倍暦計算で
207年=開化元年 です。孝靈崩御=187年
であり、20年ばかりのズレこみです。倍暦にて
孝靈年間は 162年〜187年 です。光和年間の 178年〜183年 と比べ
られたい。
598 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 08:30:34
卑弥呼の時代が古墳時代か弥生時代かの議論がある。
古墳時代と言う定義は明快なのであろうか?
1.方形周溝墓、2.墳丘墓、3.大型墳丘墓、4.古墳?、5.巨大古墳と経緯する。
箸墓以前の墓の境界はかなり連続している。3の形状は色々。
円・方・四隅突出・前方後方・前方後円などなど。
卑弥呼の場合「大作冢径百余歩」でどの段階であろうか?
599 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 08:40:56
古墳時代と言う時代区分は大いに問題があると思うが。
600 :
唐松山:2008/04/05(土) 08:56:41
卑弥呼の塚は、古墳時代の始まり。。
大和に大きな古墳が作られ出したのは、垂仁の末。
畿内にも 鉄器が入り始めた。と言うことです。
aratameさんへ
600年代の大和の状態の見解を述べますと、
まずAratameさんは、大和の地でこれらの事件を見てお出でのようですが
それじゃあ 大事件の連続の如く見えますが、中国に体を置いて眺めて下さい。
そうすれば一政権内のゴタゴタ にしか見えません。 乱のうちにもはいらない。
私の揚げた事件を中国に体を置いて眺めてみると、 タケハニヤスは兄弟げんか
つまらない事件ですが、 出雲王国の崩壊 大王が属国の小王に取って変わられる
これは彼方で見ても事件です、任那の件も注意が必要、
九州は、此までの窓口、大王の弱体化 窓口が卑弥呼に移るも小王達は一つに纏まらない
折衝する側にとっては頭の痛い問題。
一度に全体を傘下に収められない。軍を送り込むには大金がかかる、
せめて“激”をとばしてハッパをかける、大和の大王をもって収拾にあたらせる。
大乱ですな。
601 :
唐松山:2008/04/05(土) 09:05:19
孝靈の代に富士山大噴火した。
ほつまでは この時の噴火は、溶岩流型
西湖方面に溶岩流が流れ込み湖を分けた。と出ています。
焼け残った大木が出土すれば、解るだろうが、有るのは空洞ばかり。
602 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/05(土) 11:03:57
唐松山さん
年代は景行世卑弥呼で合うのかいな?w
人
(__)
(__)
ウンコー (・∀・,,)
O┬O )
キコキコ ◎┴し'-◎ ≡ ●●●●●●●~ ..
604 :
唐松山:2008/04/05(土) 12:59:32
神 武 76年-57=19年間
綏 靖 33年-19=14年間
安 寧 38年-29=9年間
懿 徳 34年-28=6年間
孝 昭 83年-57=26年間
孝 安 102年-76=26年間
孝 霊 76年-57=19年間
孝 元 57年-38=19年間
開 化 60年-57=3年間
崇 神 68年-38=30年間
垂 仁99年-76=23年間
景 行60年 –38=22年間
成 務 60年-57=3年間
仲 哀9年-0=9年間
神 功69年-?
書記の治世年数から 私の見立てた“増し”を差し引いた年数です。
安寧、懿徳は2人で一つの暦 懿徳は綏靖年間に生まれる。
開化、崇神と仲哀、神功もその可能性アリ
孝昭、崇神は幼くして即位 旧事記に出てくる孝昭です。
暦もそのまま仕える
神武 元年 西暦47年で並べてみて下さい、それほど違和感はない。
応神以降は、まだ良く解りません。
605 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/05(土) 15:08:11
増しというのはよほど合理的理由があらねば、唐松山さんの恣意的
なものになっちゃうよ。そしてそれぞれの増しとやらがどのように
数字が決まってわかったのか? ここんとこもさらに客観的具体性
を個々に必要とします。それがないとモノにはなりませんね。
606 :
愛知県民:2008/04/05(土) 16:17:34
日本書紀の闕史八代の前半部分を調べた結果、自説を修正します。
倭迹迹日百襲媛命は、畿内女王国の4代目にして最後の女王。
3代目は、孝霊天皇の妃となった蝿伊呂泥=意富夜麻登久邇阿礼比売命。
2代目は、日本書紀・孝昭天皇段に出てくる倭国豊秋狭太媛(やまとくにとよあきさだひめ)=台与?
初代は安寧天皇段に登場する磯城県主葉江(しきのあがたぬし・はえ)=卑弥呼?
葉江は懿徳天皇段に出てくる男弟・猪手=伊声耆?の補佐を受けて倭国を治めた。
安寧天皇の后は一名「渟名襲媛(ぬなそひめ)」ですが、難升米の一族でしょうか?
闕史八代といっても、孝安までの五帝と孝霊からの三帝とははっきり異なります。
前者は寿命も短く后も一人で、まったく天皇らしくないのです。
後者は寿命も長く后妃も多く、闕史とはいえ崇神以降に近い。
前者は天皇が女王に臣属していた時代、後者は女王と並立していた時代と考えたらどうでしょうか。
607 :
愛知県民:2008/04/05(土) 16:51:38
磯城県主葉江(しきのあがたぬし・はえ)は日本書紀では安寧から孝安まで4代にわたって登場。
古事記では師木県主波延として安寧天皇段のみ。
日本書紀の孝昭・孝安の記事については世代的に?なので、別人か何かの事情があると思いますが、
気になる存在ではあります。
男弟・猪手という表現から女性と考えられ、娘はいるが夫は書かれていない。
オホヒルメムチと同じか。
古事記では「師木県主の祖」という表現があるので当時からそう呼ばれていたのではなく
ヤマトの名を冠して呼ばれていたと思います。
蝿伊呂泥は日本書紀では「倭国香媛」とあるので、古事記の「意富夜麻登久邇阿礼比売命」は
葉江の別名ではないかと思います。確証はありませんが。
608 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 16:59:53
>>606 畿内女王国=邪馬台国と考えて、
初代王 磯城県主葉江
二代目 倭国豊秋狭太媛=台与(日本書紀、孝昭天皇条)
三代目 蝿伊呂泥=意富夜麻登久邇阿礼比売命(孝霊天皇妃)
四代目にして最後の女王 倭迹迹日百襲媛命 ということ?
神功皇后は忘れてませんか?
609 :
愛知県民:2008/04/05(土) 17:13:45
>>608 神功皇后は間があいてしまいますので。
それを言うなら推古天皇、持統天皇、孝謙・称徳天皇・・・愛子さま?
崇神天皇のハツクニシラスに対応させて「最後」と言ったのです。
(邪馬台国=夜麻登国から大和朝廷へ)
古事記で百襲媛が出て来ないことから、百襲媛の亡くなった時期については諸伝があったようです。
610 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 17:16:22
>>609 神武天皇のハツクニシラスには対応させないんですか?
なぜ崇神天皇のみ?
611 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 17:46:02
612 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 17:48:50
そもそも弥生と古墳の時代区分さえ議論されているってのに・・
613 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 17:55:45
614 :
愛知県民:2008/04/05(土) 17:58:12
>>610 神武天皇まで(もっと言うと綏靖天皇即位前まで)は神話からの続きという印象です。
闕史八代についても史実性を疑う意見もありますが、魏志と対応しそうな部分がある以上、、
可能性を考えても損はないかなと思います。
615 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:02:17
>>606 >前者は天皇が女王に臣属していた時代、後者は女王と並立していた時代
>と考えたらどうでしょうか。
どこをみて臣属、並立なんですか?
根拠があれば教えてくださいよ。
616 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:08:38
円墳:弥生時代 前方後円墳:古墳時代
て学んだような気がするよ。気がするだけ?
間違ってたらすまそん
617 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:11:49
>>613 箸墓を前方後円墳と認めるかどうかが議論の中心だった気がする。
前方後円墳国家論にも絡んでくるからなぁ・・・
618 :
愛知県民:2008/04/05(土) 18:18:33
>>615 孝霊天皇が意富夜麻登久邇阿礼比売命を妃とした。
それまでのように女王の親族でなく女王を妃としたということで、これが並立(実質的には優位に立った)
崇神天皇が倭迹迹日百襲媛命の死後、後継者を定めず唯一のハツクニシラス天皇となった。
これが大和朝廷の成立と推測します。
史料が少ないですから、あまり確かなことは言えませんけど。
619 :
愛知県民:2008/04/05(土) 18:29:45
闕史八代の前半は、今まで私が見逃していた部分でした。
そこで安寧天皇段で「渟名襲媛」懿徳天皇段で「男弟・猪手」
孝昭天皇段で「倭国豊」と立て続けに出てくるので、あれ?と思った次第です。
ご参考まで・・・さんじゃないけど(笑)
議論の活性化になるかなと思いまして。
620 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 18:44:49
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
さて、どの女性が有力なんでしょう?
621 :
愛知県民:2008/04/05(土) 18:47:51
>>497 >中国の史書に「武」と表記されれば
>合言葉のように、その該当政権の「始祖(初代)」
河童虫さん、亀レスですみませんが、倭王武は違うと思いますよ。
倭王武は「倭讃」「倭済」と同じく「倭武」で姓は倭、名は武。
晋の「武帝」は司馬炎の諡号ですから。
622 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 18:54:13
愛知県民さん
河童さんいじけちゃってこっち来ないんスょ。
河童さんはお友達ゴッコがしたいのかな・・・w
終止符スレ以外でもいいが、ある程度集まるスレを決めてみんなでレスすべき。
河童さん
>>564さんも言ってるとおり
「歴史を解明するということは、真実を追い求めることです。」
お友達に気を使ってとかではなく議論(言い争い)するべきと思います。
623 :
愛知県民:2008/04/05(土) 19:03:18
>>622 改めさん
そうですね、議論をするべきです。
揚げ足取りと間違いの指摘は線引きが難しいですが・・・
624 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 19:11:24
>>573 ご参考までにさん
>私は、邪馬台国九州説、であります。
>私は、九州邪馬台国連合もしくは倭国連合は三世紀末に滅び、四世紀初頭に大和の
>勢力が西進し、併合したと考えております。
>根拠は、四世紀初頭に北部九州の生活風習や鉄器が東漸した考古学知見及び
>旧唐書伝の一節他であります。
武光誠でスか?
<旧唐書 倭國・日本國伝>
日本國者 倭國之別種也
日本舊小國,併倭國之地
倭を「併合」したのは三世紀末ではなく七世紀以降なんですが・・・?
どこをみて三世紀末といってるのでしょうか?
625 :
サイタマン:2008/04/05(土) 19:15:16
tesutoooooooooooooo
626 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/05(土) 19:20:58
>>606 畿内女王国は推古からだよ。記紀に百襲天皇っていうのは無い。
627 :
サイタマン:2008/04/05(土) 19:21:15
tesutoooooooooooooo
628 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 19:22:06
>>606 愛知県民さん
>倭迹迹日百襲媛命は、畿内女王国の4代目にして最後の女王
「最後の女王」ということを証明は?
>闕史八代といっても、孝安までの五帝と孝霊からの三帝とははっきり異なります。
>前者は寿命も短く后も一人で、まったく天皇らしくないのです。
>後者は寿命も長く后妃も多く、闕史とはいえ崇神以降に近い。
>前者は天皇が女王に臣属していた時代、後者は女王と並立していた時代と考えたらどうでしょうか。
「后も一人」?
どこの資料をみてそのようなこといってるんでスか?
全然、違いますよ〜愛知県民さん
629 :
愛知県民:2008/04/05(土) 19:32:43
>>628 その後女帝が出なかったという意味ではありません。
ここで四代連続の女王が途切れたということです。
後の質問ですが、古事記でも日本書紀でも孝安までの五帝は后一人となっていますよ。
ホツマツタエでは違うのですか?
630 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 19:34:22
>>600 唐松山さん
>中国に体を置いて眺めて下さい
ハイ、そのつもりですが何か分かるというのですか?
>一政権内のゴタゴタ にしか見えません。 乱のうちにもはいらない
わたしのレス(
>>582)をみて言ってるんでしょうが、唐松山さんのレス(
>>579)は
大和朝廷(一政権内)のゴタゴタではないのでしょうか?
>>582より
>>579のほうが規模が大きいということも証明してください。
>私の揚げた事件を〜(省略) 大乱ですな。
646年 大化の改新 663年 白村江の戦い 672年 壬申の乱 は大乱ではないと?
631 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 19:41:19
>>629 >ホツマツタエでは違うのですか?
全然違いますよ。
欠史八代の后も数名います。
「欠史八代」について、日本書紀よりは記されてるかと思います。
632 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 19:51:33
633 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 19:55:13
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
634 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 20:00:40
<欠史八代 天皇の后>
二代綏靖天皇:ミスズヨリヒメ、キサヒメ
三代安寧天皇:ヌナソヒメ
四代懿徳天皇:アメトヨツヒメ、イヒヒメ、≠ヅツヒメ、イイヒメ
五代孝昭天皇:ヌナギメ、オオ≠ヒメ、ヨソタリヒメ
六代孝安天皇:ナガヒメ、オシヒメ、≠サカメ 以上
635 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 20:06:42
636 :
愛知県民:2008/04/05(土) 20:18:49
>>634 この表を見ると、古事記と日本書紀本文・一書を組み合わせて
並べたようにしか見えませんが・・・?
懿徳天皇で言えば、古事記は飯日比売、日本書紀本文では天豊津媛、
一書第一では泉媛、第二では飯日媛です。
孝昭天皇では古事記は余曽多本毘売、日本書紀本文では世襲足媛、
一書第一では渟名城津媛、第二では大井媛です。
孝安天皇では古事記は忍鹿比売、日本書紀本文では押媛、
一書第一では長媛、第二では五十坂媛です。
637 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 20:30:20
>>636 愛知県民さん
愛知県民さんのレスにて(参考:
>>606)
>闕史八代といっても、孝安までの五帝と孝霊からの三帝
>前者は寿命も短く后も一人で、まったく天皇らしくないのです
その前者というのは「綏靖〜孝安天皇までの五帝」、後者というのは
「孝霊〜開化天皇までの三帝」ということで合ってますよね?
綏靖〜孝安天皇までの天皇は后が一人ではないんですが?
638 :
愛知県民:2008/04/05(土) 20:39:35
>>637 綏靖〜孝安天皇まで複数の后妃がいたとするのはホツマツタエだけでしょう?
古事記はすべて単数。
日本書紀では、本文はすべて単数。
多くの異伝(一云)を載せていますが、すべて単数であり、複数の后妃がいたとする異伝は皆無です。
日本書紀の数多い異伝が「后妃は単数」で一致しているのです。
>>636で述べたように、ホツマツタエの后妃は記紀の様々な異伝をつなぎあわせたものと考えられます。
639 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 20:41:32
河童さんへ
魏志倭人伝に記されてる「共立」について
河童さんの持っている「共立=並立説」がそんなに自信アルというなら、
逃げてないでここで論争すればいいかと思いますが?(サガミさんですか?w)
わたしの「共立=反並立説」も自信ありますよ?〜河童さん
640 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 20:54:48
>>638 >ホツマツタエの后妃は記紀の様々な異伝をつなぎあわせたものと考えられます。
チト、キツイ言い方になってしまうが、
何故そのようなことが言えるのですか?愛知県民さん
懿徳天皇后の豊津媛、飯日媛が同一人物とお考えなんですか?
ハッキリいって違います。
まずはホツマを知ってからそのような事を述べるべきでそれからと思います。
641 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 21:01:01
チト、食事に行ってきます〜後で来るので又そのときやりましょう。
642 :
改め〜ドツボ :2008/04/05(土) 21:23:19
人
(__)
(__)
ウンコー (・∀・,,)
O┬O )
キコキコ ◎┴し'-◎ ≡ ●●●●●●●~ ..
643 :
愛知県民:2008/04/05(土) 21:41:34
>>640 >懿徳天皇后の豊津媛、飯日媛が同一人物とお考えなんですか?
同一人物であるとも、ないとも判断できません。
日本書紀自体が「こういう史料もある」としか書いていませんし。
ホツマツタエでは別人のようですね。
>まずはホツマを知ってからそのような事を述べるべきでそれからと思います。
これはホツマの史料としての評価の問題ですね。
私は「偽書」問題はそれほど気にしていません。
古事記についても、その成立を示すものが古事記自身の序文しかなく、偽書説はありますが、
上代特殊仮名遣が残っていることから、きわめて古い文献であることは確かです。
しかしホツマについては、上代特殊仮名遣におけるかな文字の区別が見られないことから、
さほど古い文献とは考えられません。
内容に関して古い伝承が含まれている可能性を否定するものではありませんが、
それほどの価値がある書物かどうか?
一例をあげると、登場人物に男「〜ヒト」女「〜コ」という平安時代以後の皇族名が使われているのは
何故でしょうか?
神奈川県民へ。
現時点でこのスレを立てたのは、明白なルール違反だ。
日本史板の冒頭に、きちんと以下の注意書きがしてあっただろう。
◆スレッドを立てるときの注意◆
●既存スレッドとの重複は禁止。
スレッドを立てるときは、タイトルを一通り検索してからにしましょう。
スレッド一覧を開き、Windowsの場合はCTRL+F、Macの場合はコマンド+Fで
ブラウザ検索をしてください。
重複スレッドには既出スレのURLを貼って誘導してください。
645 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 22:25:54
646 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 22:55:01
<魏志倭人伝>
自郡至女王國萬二千餘里
<後漢書>
樂浪郡徼 去其國萬二千里
「自郡(帶方)」、「樂浪郡徼」の違いがあるのはなぜ?
647 :
虹歩命:2008/04/05(土) 23:17:33
後漢書が楽浪郡としているのは、後漢の時代にはまだ帯方郡はなかったからです。
648 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 23:23:34
倭国王「帥升」=神武天皇 同一と認識とする意見が多いね。
>『安帝永初元年、倭国王帥升等、獻生口百六十人願請見 』は
>『その国また男子をもって王と為す。住(とどまる)こと七八十年。倭国乱』
>この最初の男子の王こそ、『記紀』が大和朝廷の祖とする、
>カンヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦)、すなわち神武なのである。
>したがって神武東征とは一世紀末から二世紀初頭に起こったことである。
>安帝永初元年(107年)倭国王の朝貢は、大和王権が西日本に覇権を確立した直後、
>東アジアの盟主的存在である中国王朝に、覇権の承認を求めて遣わした使節であると考える。
共学の徒さんのホームページ
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/5-7tousei.htm
>>647 >後漢書が楽浪郡としているのは、後漢の時代にはまだ帯方郡はなかったからです。
帯方郡より北にある楽浪の方が余里分だけ短くなっているのに?
650 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 23:26:55
>>647 虹歩命(ニジホイノチ)さん
久しぶりです。
>後漢書が楽浪郡としているのは、後漢の時代にはまだ帯方郡はなかったからです。
なるほど・・・どこの資料からですか?よかったらURL張ってください。
顔出したから帰るね バイバイ
652 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 23:31:07
>>649 「萬二千里」 距離が同じなので「名称の違い」か、僅かな「起点の違い」かと思うが、
河童さん的にはどのように考えてるんですか?
>>644 は変なレスはやめてね!
653 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/05(土) 23:33:39
帥升と神武とは別人。
ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・
654 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 23:38:05
655 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 23:39:24
帥升王?
スイショウオウ?
スショウオウ?
スシャノオウ?
スサノオウ?
…素盞嗚尊!!
帥升は本当に「スイショウ」と発音していたのは確かなのか?
検証されている他の文献で確認はできているのか?
もしかして、帥=将軍、升≒兎だったのではないのか?
つまり、宇佐=筑紫=天孫降臨前から存在した古代王朝だった。
657 :
虹歩命:2008/04/05(土) 23:42:37
別な言い方をすれば、公孫氏の決めたことは認めないということです。
658 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 23:46:30
>>656 Lepus brachyurusという生き物を「ウサギ」と呼んだとでも?
659 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/05(土) 23:48:35
>>653 太国さん
>帥升と神武とは別人
同じく!最近は太国さんと考えが合うようです(笑)
なぜか?というと、
この「帥升」なる人物も「倭」王。
倭國王帥升等獻生口百六十人(後漢書より)
倭=九州 日本=大和朝廷 帥升と神武はつながらない。
大体、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、
狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)とか言われてる人物と名前からして合わないではないか!
660 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 00:09:25
帥升と神武天皇は北部九州の地で会ったことがあるかもしれません。
とはいっても神武がまだ少年だったころでしょうか。
661 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 00:11:14
まあ、とにかく、倭の国では、後漢への使いに持たせた親書のなかで
自ら帥升と名乗ったということでもいいけれど、何に書いていったのでしょう?
文字はあったのでしょうか?もしかして口伝?
言葉は通じたの?通訳はいたのでしょうか?
つまり、帥升というのが、後漢王朝の書記が耳で聞いた音を文字化したのか、
それとも、文字で知らせたのかはっきりしないとどうにもならない。
倭国は、どんな言葉を使っていたのか検証する必要があります。
662 :
愛知県民:2008/04/06(日) 00:17:12
>>654 ホケノ山古墳は、大神神社によると豊鍬入姫命の墓。
箸墓に比べると格段に小さく、王墓ではないでしょうね。
663 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/06(日) 00:17:38
>>660 サガミハラハラさん
「殉」、「徇」の違いについてコメントして下さいよ?
>>539についてはどのように考えてるんでしょうか?
664 :
改め〜桜咲ヶ:2008/04/06(日) 00:39:17
>>660 >帥升と神武天皇は北部九州の地で会ったことがあるかもしれません。
>とはいっても神武がまだ少年だったころでしょうか
遭遇したかどうかは知らないが、サガミハラハラさんは神武天皇の活躍した年代が
帥升の願請見「永初元年(107年)」と重なるという考えみたい...。
年代に関しては太氏、サ氏と考えが合うということか...。
>>662 >箸墓に比べると格段に小さく
箸墓と比べたらそうなりますねw アレはまさしく凄まじい!
ではまた明日〜!zzz・・・・・・・・・・・・。
665 :
愛知県民:2008/04/06(日) 00:47:07
>>661 魏志ですが
正始元年、 太守弓遵遣建忠校尉梯儁等、 奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、 ・・・倭王因使上表答謝恩詔。
このときは「上表」とあるので注目されます。
其八年、・・・倭女王卑彌呼 與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。 遣倭載斯・烏越等詣郡説相攻撃状。
「説」ですから文書でなく言葉でしょう。
666 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 03:32:01
卑弥呼=三女神と考えてる人はいないの?
<宗像大社と三女神>
宗像大社は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称。
沖津宮に多紀理毘売、中津宮に多岐都比売命、辺津宮に市寸島比売命がそれぞれ祀られる。
この三女神は宗像の民が信仰している神でといわれてる。
この三女神の伝説は記紀に主に記されており、
アマテラスとスサノオの誓約で、アマテラスがスサノオの剣でこの三女神を生み、
スサノオの持ち物から生まれたのでスサノオの子であるして、スサノオの子ということになった。
「スサノオの持ち物」という所に注目してほしい!スサノオの持ってるもの...。
ふつうに考えてスサノオの子だよね?
スサノオといえば「ヤマタノオロチ伝説」。この「三女神の伝説」と「ヤマタノオロチ伝説」を
ホツマでつなげてみようか...。
667 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 03:59:08
ホツマを知らない人の為に少し書き込むが、
三女神は表向きアマテルの子か?
アマテルの后の内、モチコ、ハヤコ姉妹がいる。
このアマテルの后の一人、ハヤコが三女神を生んだと記されている。
ハヤコはスサノオとの密通により謹慎を与えられ宇佐の豪族のもとへ行き、
スサノオはというとその宇佐の豪族の娘と結婚の話がでるたびに
その娘達が次々にハヤコのオロチによって殺されたという。
その後、ソサノオにハヤコは切られ、豪族8番目の娘にして妻になったという。
これがヤマタノオロチ伝説の真相か?よくここへ書き込む人達〜どう思う?
668 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 04:04:37
<後漢書より>
「其大倭王居邪馬臺國」、「倭國大亂」
魏志倭人伝と比べて「大倭王」とか「大亂」とか「大」の字が付けられてることに気がつく。
大げさに書いたのは何故?
それとも別の意味があるということ?
669 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 04:18:40
「卑」と「俾」の違い
陳儒は三国志で卑弥呼のことを「卑弥呼」と記したり「俾弥呼」と記す。
「俾弥呼」に関しては倭人伝ではないが、「卑」と「俾」を何故使い分けたのか?
ちなみに、辞書で調べると・・・
「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」
「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」 何か意味アリ?
他にも、魏志倭人伝「壹與」、別の倭伝での「臺與」 。
これってまだ誤字とか言う人いるのかな?畿内説の人には多そうだよねw
わたしはそのような考えはしないが...。 まじで寝よっと。
670 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 05:07:29
|
>>1ってうざいよね〜
\ _______
V
∧_∧∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)´∀` )< だよね〜、誰か頃してくれないかな?
( ) ) \_______________ ∧ ,∧
| | || | | (・д・,,)ペッ!!
(__)_)__(_) ∧__∧? 、'(_@
(´⊇`)
( 1 )
|| |
∧ ∧ムカムカ (((_)_)
(#゚Д゚) ̄ ̄ `〜 ∧ ∧
U U ̄ ̄UU ( ) イッテヨシ!!
へ | ヽ
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ったく、サルみてーに糞スレ乱立させてんじゃねーよゴルァ!!
671 :
愛知県民:2008/04/06(日) 08:19:25
>>668 倭国大乱は後漢時のできごとですから、後漢書が基本です。
魏志は後漢書の原史料を参照して要約し、簡潔に書いているのだと思います。
aratameさん、
>>643 はスルー?
>>667 のモチコ・ハヤコもそうだし、神武天皇は「タケヒト」とされていますね?
「〜ヒト(仁)」という皇族男子の名は清和天皇=惟仁(これひと)以後です。
「〜コ(子)」という名も古くは蘇我馬子、小野妹子など男子に使われましたが、
藤原不比等の娘で文武天皇の皇后・宮子(みやこ)あたりから女子にも使われるようになり
嵯峨天皇が内親王に「〜子」と命名してから一般化してゆきました。
ここはどう考えていますか?
672 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 08:59:49
>>663ジュン葬については、殉葬のことです。
巡りあるくことではありません。
673 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 09:04:45
>>539ジュン葬は墓のまわりを取り囲んでとなると、垂仁朝のとき誰かの埋葬のときに召使党を生き埋めにしたという
ことにつうじますね。
やはり殉葬となるでしょう。
674 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 09:10:31
>>672 >ジュン葬については、殉葬のことです
意味わかりませんが?訳して答えてくださいよ。
徇葬者奴婢百餘人 ハイ どうぞ!
>巡りあるくことではありません。
それは「旺文社 漢字典」にかかれたことをここへ載せたまで!(
>>508)
サガミハラハラさんて辞書を一つしか持ってないんですか?
国語辞典やなく、漢字典をお読みになったほうがよいかと思う。
675 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 09:20:03
>>664帥升が107年に何歳で、何歳で没したかによります。
私が記紀から算出した神武の生年はAD101年です。
また同じく私が算出した帥升の生年は63年ころです。かれの
没年については全く資料がないので不明ですが、倭面土国がほろんだ120年代に没した
とすれば享年57ということになります。その時の神武の年は二十歳(普通年)となります。
676 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 09:26:21
>>673 >ジュン葬は墓のまわりを取り囲んでとなると
だから漢字典で調べてから言ってくださいよ。
どう見ても生き埋めなら「殉葬」を使うべき。
「日本書紀」
垂仁天皇三十二年、日葉酢媛が死去以降、殉死に替えて埴輪を葬る。
この日本書紀の「殉死」と同じにしてはいけません。
そして垂仁天皇条の出来事が頭の中にあり、これと一緒に考えてしまうのです。
書紀の『殉葬』を倭人伝の『徇葬』と同じにしてはいけないんですよ。
ちなみにサガミさんはジュン葬と書いてますが、『殉葬(じゅんそう)』、『徇葬(じゅんそう)』
どっちもジュン葬というんですよw
677 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 09:32:18
>>676ジュン葬はぎょうにんべんのほうです。パソコンの扱いに不慣れなもので。
若干違うでしょうが最終的には殉葬と同じことです。
678 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 09:40:53
>>671 >倭国大乱は後漢時のできごとですから、後漢書が基本です。
後漢書と魏志倭人伝は別物と考えたほうがよいでしょう。
といっても同じ「卑弥呼」のことが記されてたり、重なる部分は多いわけですが。
>魏志は後漢書の原史料を参照して要約し、簡潔に書いているのだと思います。
書かれ方の違いからそうゆう感じではない。
原本が同じということはあるが...。
>aratameさん、
>>643 はスルー?
>
>>667 のモチコ・ハヤコもそうだし、神武天皇は「タケヒト」とされていますね?
ハイ、タケヒトです。
>「〜ヒト(仁)」という皇族男子の名は清和天皇=惟仁(これひと)以後です。
全然、違いますよ。「ヒト」が最初に使われたのは天照大神でしょう。
ちなみに、アマテル=ワカヒトです。
>「〜コ(子)」という名も古くは蘇我馬子、小野妹子など男子に使われましたが、
>藤原不比等の娘で文武天皇の皇后・宮子(みやこ)あたりから女子にも使われるようになり
>嵯峨天皇が内親王に「〜子」と命名してから一般化してゆきました。
>ここはどう考えていますか?
これも違います。もっと古くから使用されてるはずです。
679 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 09:45:16
>>677 >若干違うでしょうが最終的には殉葬と同じことです。
だから、それの違いを問いてるのですよ?
徇葬者奴婢百餘人 ←これがなぜ生き埋めなんですか?
それを証明して下さいよ。
たまには皆さんが納得する返答をしたらどうですか?
〜皆、見てますよ。ここ終止符スレはロムらー多いのでw
680 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 09:48:18
>帥升が107年に何歳で、何歳で没したかによります。
>私が記紀から算出した神武の生年はAD101年です。
>また同じく私が算出した帥升の生年は63年ころです。かれの
>没年については全く資料がないので不明ですが、倭面土国がほろんだ120年代に没した
>とすれば享年57ということになります。その時の神武の年は二十歳(普通年)となります。
日本書紀が「倍暦」を使用してるのか、「三倍暦」または「別の計算方法があるのか」
よく知らないんですが、大体はそれくらいとみてます。
681 :
サガミハラハラ:2008/04/06(日) 10:26:15
>>679ジュン葬については、いままでのコメントで私の見解は十分だと思います。
682 :
愛知県民:2008/04/06(日) 10:33:38
>>678 ホツマの信頼性に疑問があるのに、ホツマの内容で反論されてもね・・・
古くから使われている名前がなぜ記紀に出てこないのでしょうか。
記紀では神武天皇の別名を多く載せていますが、タケヒトという名はありません。
故意に無視したというなら、清和天皇以後「〜ヒト」が復活した理由が不明です。
独自の内容があって面白いことは確かですが、上代特殊仮名遣いの問題もありますし、
時代考証ができていない時代劇ではないか?という疑いも拭えません。
一定の距離を置いて見るのは一向に構いませんけど。
683 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 10:35:08
>>681 >ジュン葬については、いままでのコメントで私の見解は十分だと思います。
不十分かと思います。
貴方は
>>677にて
>若干違うでしょうが最終的には殉葬と同じことです
と言ってるかと思います。
その「若干の違い」というのをここで説明してはどうでしょうか?
それとも、『殉葬』、『徇葬』は100%同じ意味というのですか?
違いますよ。
「殉」には「従う、追って死ぬ」などの亡くなった人以外の死。
それに対して、「徇」には「従う、まわる、巡り歩く」の意味です。
684 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 10:54:59
685 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 11:13:27
<訂正>
>>684の「天照大神=アマテス」を「天照大神=アマテル」ヘ
それと『殉葬』、『徇葬』の違いについて
サガミ氏がすんなり答えてくれないので、わたしは、チト出かけてきます(又、来る)。
サガミさんへ
わたしの古代史歴は2〜3年ですが、貴方は10年以上と聞いている。
貫禄を見てつけて下さいよ。 では...。
686 :
愛知県民:2008/04/06(日) 11:30:47
>>684 >愛知県民さん的には何故信用できないとお考えなんですか?皆が言ってるから?
これは違いますね。学問は多数決ではありませんから。
>ホツマを信用できないというのは天照大神が「女神」という風に信じ込んで
>しまってる者達が言い出したんだと思います。
これも違います。
1.古人の証言
中臣氏とともに代々朝廷の祭祀を勤めていた古代氏族である斎部氏の長老・斎部広成は、『古語拾遺』(808年)において
「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」と記し、漢字渡来以前の日本には文字が存在しなかったことを明白に述べている。
卜部兼方を遡ること約500年前の貴重な証言として注目される。
2.字母数の問題
橋本進吉が『万葉集』等の万葉仮名で記された奈良時代の文献の表記を研究した結果、上代特殊仮名遣と呼ばれる特殊仮名遣を発見した。
これにより、奈良時代には濁音節を含めて88音節存在したことが明らかとなっているが、神代文字のほとんどは字母数が平安時代に作られたいろは歌や五十音図と同じである。
これは神代文字が平安時代以降に創作されたものであることを示している
(ただし近年、上代日本語の母音体系は現代と同じ5母音であったとする学説(上代特殊仮名遣)もあり論争の結論はでていないが、
少なくとも上代日本語には中古日本語・現代日本語には用いられない仮名づかいが存在し、神代文字がそれに従っていないのは事実である)。
(ウィキペディア「神代文字」より)
687 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 11:32:04
アマテラスは超ミスユニバース級の小柄な美女です、
688 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 11:35:47
ペトロは??
689 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 11:45:14
>>686 九州のほうは紀元前1世紀だったか、吉野ヶ里の鏡に漢字があるから、
当時九州は漢字自体はあったようだ。金印の漢字もあるしね。しかし畿内
は何時頃漢字が渡来したんだろう?
つまり当時は九州と畿内は別国と考えるべきだから、日本と云っても両者
は別々として扱うべきだから・・・。
690 :
愛知県民:2008/04/06(日) 11:55:23
>>688 ペトログリフ?ペトログラフ?
岩に描かれたという絵文字ですか?
銅鐸の絵もそうですが、原始的な絵文字はあったかもしれませんね。
>>689 河内平野で貨泉(新の王莽時代の貨幣)が出土していますから、紀元後1世紀には来ています。
691 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 11:58:03
「未有文字」っていうのは斎部が文字を見聞していないという意味で、文字が
無いと云ってるんではないよ。
692 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 11:59:24
693 :
唐松山:2008/04/06(日) 11:59:56
ミ03062 そのミナを ウホヒルギまた アマテラス オヲンカミとぞ たゝえます
タマギネかがえ ワカヒトと イミナをさゝぐ
天照大御神=ウホヒルギ=ワカヒト
神武 以降 名前に「人」が付くのは、正妻、后 の子供
その意味では「人」の付かない天皇は、 ウチメ=内侍や妾の子供です。
694 :
愛知県民:2008/04/06(日) 12:07:56
695 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 12:37:40
>>694 貨幣の漢字の件、有難うございます。
斎部は日本全国を吉田さんのように調べたんですか?
彼はおそらく見たことがないことで、「未有文字」と言ったんで
しょう? まぁ一歩進んで無と決め付けたかもしれませんがね?
全国を虱潰しに調べて無ならなるほどと思います。
熊本県山鹿市教委発表 H17.6/14
同市方保田(かとうだ)東原遺跡から出土の弥生土器
弥生人が数の文字を認識していた事をうかがわせる文様を発見。
これは土器に画かれた竹管文。
同市教委は数を認識していた裏づけとする。
約1800年 弥生時代後期の壺型のもの。高さ15cm強
見ると、古代マヤ文明の1〜4までの数を点の字で表現してるの
と同様的で、5〜10数で、途中8数の点が消えてない説明。
696 :
唐松山:2008/04/06(日) 13:01:27
古代 文字がなかった。 とは
万人が使える 漢字やひらがな が無かった と言う意味で
これに 限られた人々つまり朝廷内の記録係が 神代文字を使っていたとしても
朝野の人々の あずかり知らぬ事 文字は有った。と見ないと
口伝だけでは、伝えきれない情報量の説明が出来ない。
百済本記程度なら 口伝もあり得る。
697 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/06(日) 13:19:01
>>695 訂正
× 約1800年 ○ 約1800年前
この年代だと倍暦から誤差許容範囲を考えて、孝靈〜崇神世のころだろう。
ということは九州のほうは卑弥呼の時代だな。倭人伝での文字無しも大陸の旅人
の見聞からの話で、見聞外では少しばかり文字の使用があったことになろう。
拙者は神武手前を神代と考えてるので、ここの文字は神代文字とは云い難いが、
研究者の中にはそれにこだわらず、神武以後でも古代ならば日本出の文字ならば
神代文字と観たいとする人もいるから、その意味では神代文字でないとまでは
云えない。
698 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 13:41:56
Wikiでちょっと確認しただけでも
ウフュイ - 炎 -fire
ワッカ - 水 -water
という基本語彙が一致します。
ホツマツやキキの話題は、レスは延びるが結果が伴わない。
700 :
愛知県民:2008/04/06(日) 13:53:38
>>698 は誤爆?
字母数の問題は誰も分かりませんか?
初期の巨大古墳の被葬者について。
古墳の名前からの春の妄想です。
箸墓=葉江(=卑弥呼?)の墓
西殿塚古墳=倭国豊秋狭太媛(=台与?)の墓
メスリ山古墳=(消去法で)意富夜麻登久邇阿礼比売命の墓
外山(とび)茶臼山古墳=トトビモモソヒメの墓
箸墓、西殿塚は「女の墓」、メスリ山、とび茶臼山は「伝承が無い墓」
どちらも興味深いです。
>>698は誤爆です。
何が一致するのかというと
アイヌ=「I am」
英語のもととなったケルト語とアイヌ語は同根ではないかという説です。
新モンゴロイドが日本列島に渡ってくるずっと以前の話です。
702 :
aratame_himiko :2008/04/06(日) 14:19:14
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(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
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(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
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( ・ / :::::l l::: ::: \ .) < 俺がスレ主だ
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ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ
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703 :
愛知県民:2008/04/06(日) 14:23:39
>>699 そうは言っても「卑弥呼は誰か」スレですから。
私としては有意義でした。
では、またzzzz・・・
704 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 16:35:08
>>670>>702は変なレスするな!!!!!!!
変な人多い2ちゃんねる。
自分が荒らしだって分かってないのか?
705 :
唐松山:2008/04/06(日) 17:28:01
弥生時代に日本海側の国々で システムダウン=人口減等により その集落等の放棄。
が有った、それが 矛や鐸の祠祭放棄ではないか?
この時を どの天皇の時と皆さんは お考えですか?
706 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 18:51:05
変なレスするのはやめてよね
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/⌒! 「`ヽ l:::{{'!:::::::|:l:::| `゙''''" |/ ≦ミ/イ//:::::::::::::l ヽ|
{ l l l .l::::ゞ|r‐、∧| 、ヒタ)〉/:::/::::::::l\:::| ヽ
l l l l、 |,.イ::/ | ヽ 〉 `''''゙/;/:::::::::/ ヽ|
__ l l l !`''‐┴| |、 ,,,......,,,_、 ,.彳:::::}!:;イ::/
. { ヽ l l. | l. | }、\ -、 ゙' ,.イ::::::/|/ レ′
l l | |∧ | l l `''''‐- 、_ ,. r''" l/|/ ´
_,.」 l-<,} l-} l / | `''‐ィ_l/ /
ヽ, .ヽ, j Y′_t-ノ l / `丶、
....,,__j Y  ̄`´ ̄`'''' `'‐- | / `丶、
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,イ/) ,. /'、_ ,. -‐┴‐‐、 /
/ /〃  ̄`'''''''''''"´ / ̄´ ノ /‐- 、_
l |:{ / ,.-‐‐‐'"´ ヽ- 、 \
>>1 過去の世界に行ける「タイムマシン」を発明すれば、疑問点はおそらく明らかになると思いますが?
708 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 18:56:29
愛知県民さんの
>>690へ横
>河内平野で貨泉(新の王莽時代の貨幣)が出土していますから、紀元後1世紀には来ています。
おお〜一世紀、河内平野で硬貨が発見されてたとは...豆知識。
>>693の唐松山さんも豆知識かな?
>神武 以降 名前に「人」が付くのは、正妻、后 の子供
>その意味では「人」の付かない天皇は、 ウチメ=内侍や妾の子供です。
みんな詳しいね〜><
しかし、神武天皇以降とのことだがいつまで何でしょうか?
709 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 18:58:17
>>707 頭おかしいんとちゃうん?
このスレ1年半以上前からやってるのしらないの?
>>709 このスレには707が初書き込みですた。。。
711 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 19:01:19
____
__,,/ _, ----`ヽ :.
:. / _ ___ 、\
/ / i \ \\ :.
:. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ
,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :.
:. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ}
|i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
:. |i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :. な…
.| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{ なんなんですか?
:. | :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. ここ、どこですか?
| :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ なんであたし
:. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. 貼られたんですか?
/ ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
:. / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
/ / ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{ ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、 : : : l:.:.: .ハ ',
{ /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.}
712 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 19:05:18
1年半以上前からやってるし、後にだしたおまえらが重複なんだよ。
このスレはお前等の私物やない!15スレはちゃんと削除以来だしとけよ!!!!!〜たく!
頭いかれてるよ...。あいつ。
713 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 19:06:07
荒らすな!
ちゃんとルールをみろよ
714 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 19:07:10
荒らしはスルーだったな...。
みなさん〜こうゆう達の悪い奴は取り合わないほうがよい!
スルーだ!スルー!
715 :
aratame_himiko:2008/04/06(日) 19:20:27
┌─┐
|も.|
|う |
│来│
│ね│
│え .|
│よ .|
バカ ゴルァ │ !!.│
└─┤ プンプン
ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ ( `Д)
| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄ . ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎−>┘◎
716 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 01:30:22
まったく〜荒らしは生きてる価値なし〜荒らしとか勘違いばっか。
誰か踏んで。
717 :
改め:2008/04/07(月) 01:57:21
他所スレからのコピペだが面白いの見つけたんで貼り付けときます。
>大作冢、径百余歩、徇葬者奴婢百余人。
>倭人伝に上記の文章が続いて出てきます。
>徇葬については当時の遺跡、墳墓からはほとんど見つかって
>いないとの論が下で行われました。「徇葬百余人」が誇張と
>すれば「径百余歩」も疑ってしかるべきではないだろうか?
>少なくとも卑弥呼の墓は「百余歩」で決まりと言うのは如何な
>ものと思うがどうですか?
「徇葬百余人」、「径百余歩」誇張説らしいがどうだろうね。
誇張してたと思う人いるのかな?
718 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 02:07:06
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土壷で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
719 :
改め:2008/04/07(月) 02:11:53
又、他所スレからのコピペだが
>出雲を見ましたが西谷古墳大きい。出雲と吉備は案外近く独自性を持ちながら深い交流があった。
>倭人伝ではふみから次は投馬国そして邪馬台国。
>畿内説で出雲と吉備の何れが投馬国であってももう一つはどうだったのであろうか?一方は邪馬台国連合に入っていなかったのか?倭人伝は邪馬台国連合以外も記載しているから、この一方
>はどこに記載があるのであろうか?
>邪馬台国=九州説なら問題は少ないが
この人は畿内説? 投馬国=出雲としたいのか...。
畿内説の人はなぜ、投馬国=出雲を考えるのか。
どうしても適当に決めたようにしか思えないんだが..。
もし、これを読んでる畿内説の方がいたら「なぜ、投馬国=出雲と考えるのか」
書き込んでください。
720 :
aratame_himiko:2008/04/07(月) 02:13:50
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(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
| =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ===
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ _________
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| | /
.( .(● ●) )ノ /
( ・ / :::::l l::: ::: \ .) < 俺がスレ主だ
( // ̄ ̄ ̄ ̄\:\. .) \
.\ : )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ |::: ::::(: /.. \_________
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ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ
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721 :
改め:2008/04/07(月) 02:16:24
>>700 >箸墓=葉江(=卑弥呼?)の墓
>西殿塚古墳=倭国豊秋狭太媛(=台与?)の墓
>メスリ山古墳=(消去法で)意富夜麻登久邇阿礼比売命の墓
>外山(とび)茶臼山古墳=トトビモモソヒメの墓
>箸墓、西殿塚は「女の墓」、メスリ山、とび茶臼山は「伝承が無い墓」
>どちらも興味深いです。
どうしてそう考えたのでしょうか?
722 :
改め:2008/04/07(月) 02:21:53
>>720 変なレスはやめろ!!!!!!!!!!!!
ネタ切れ...。
誰かソースがあれば書き込んでくださいね!
後はご自由に〜
723 :
改め:2008/04/07(月) 02:22:38
他所スレからのコピペだが面白いの見つけたんで貼り付けときます。
>大作冢、径百余歩、徇葬者奴婢百余人。
>倭人伝に上記の文章が続いて出てきます。
>徇葬については当時の遺跡、墳墓からはほとんど見つかって
>いないとの論が下で行われました。「徇葬百余人」が誇張と
>すれば「径百余歩」も疑ってしかるべきではないだろうか?
>少なくとも卑弥呼の墓は「百余歩」で決まりと言うのは如何な
>ものと思うがどうですか?
「徇葬百余人」、「径百余歩」誇張説らしいがどうだろうね。
誇張してたと思う人いるのかな?
724 :
ドツボを探せLv0:2008/04/07(月) 02:40:26
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土壷で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
725 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 08:02:55
age
726 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 12:42:01
荒らすやつは他所へ行け他所へ!!
終止符からでていってな!
そして、以前終止符スレ住んでた
日本@名無史さんはいいかげん終止符から出ていったらどうだ?
わたしと考え合わないなら出て行ってください!
終止符スレは私がやってるんですよ?
貴方達の私物じゃない!!
他所へいけ!他所へ!
まったく〜シツコイ人達だな...。
よくずうずうしい事を出来るよな〜たくっ!
誰か踏んでくださいね
アク禁かかる...。 帰ります(以上)
731 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:22:28
ネタ書き込んで、後はご自由に〜!
732 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:48:45
>>728 神奈川県民
>わしと考え合わないなら出て行ってください!
>終止符スレは私がやってるんですよ?
>貴方達の私物じゃない
おまえの私物でもないなw
つうかこの馬鹿まだ分かってないな。
スレの主旨というものはあっても
神奈川ドツボの考え趣味嗜好に合わす必要は全く無い。
お山の大将やりたけりゃ自分でブログでも立ち上げろ
このカスが!www
733 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:48:58
※「卑彌呼」=古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)の当て字音写。
*その意味する処=“him”尊(みこと)=最高位の尊=職掌名。
∴何人も何代も襲名している=固有名詞一人称単数に非ず。
*因みに「天照大神」も職掌名=「天(あま・あめ)」出自(所属)の大神。
∴「卑彌呼」=「天照大神」でも在り得る。
734 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:51:34
>>732 よそでやれや
真面目にレスしたい人に迷惑のかからないようにするべし
735 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:53:32
736 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:00:01
>>735 乙
「卑彌呼」=「天照大神」はどう考えますか?
737 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:01:40
>>734 あ?
文句は自称スレ主の神奈川ドツボに言えやカスww
738 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:05:31
>>736 >「卑彌呼」=「天照大神」はどう考えますか?
イコールではないでしょう
卑弥呼の上にいつも存在するものと、解釈されてはどうでしょうか?
739 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:06:15
>>727 神奈川県民
>荒らすやつは他所へ行け他所へ!!
>終止符からでていってな!
>そして、以前終止符スレ住んでた
>日本@名無史さんはいいかげん終止符から出ていったらどうだ?
大体、ドツボ自身が散々他スレ荒らしておいて
どの面下げてそんな事言えるんだって話でwww
740 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:12:57
>>738 では、お聞きしますが貴方様は「卑彌呼=(イコール)」を誰だと思ってるのですか?
私も「卑彌呼」=「天照大神」とは考えてませんが、あまりにも人気が高い。
諸先生方の本による影響かと思うが。
ところで「卑彌呼」=「天照大神」初めに言い出したのは誰なんでしょう?
もし、知ってれば教えて頂けないでしょうか?
他には、 「卑彌呼」=「倭迹迹日百襲姫命」も人気が高いかと思う。
741 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:17:31
>>739 おたく、空気嫁よ。
周りに迷惑かけないように気を使って書き込みをするべし。
あいにくこっちは題名と関係のない話は興味ないので話しかけないでな。
742 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:21:02
>>740 貴方のおっしゃる
「卑弥呼=(イコール)」誰なんでしょうね?
の、質問は
私から見ると
「大統領は誰なんでしょうね?」と言う質問になります。
743 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:21:23
>>741 いいんでねえの?
自称スレ主馬鹿県民が率先して荒らしやっているんだから
今見たら「15」にコピペ荒らしあったが
多分馬鹿県民が火病起こしたんだろうなあwww
其れに比べりゃこのスレで俺の言っている事なんか可愛いもんよwww
744 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:33:03
>>742 卑弥呼=巫女王?(天皇家?)
そうゆう考えも出来ますが、天皇家全ての巫女さんが大統領といは言えないのではないか。
日本書紀に登場する巫女さん全てとお考えですか?
>>743 自称スレ主の話なんて馬鹿馬鹿しく、どうでもいい。
おたくも卑弥呼についての話でないなら他所スレへ行った方がよい。
他の人に迷惑がかかるだろ?
745 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:34:56
>>744 あ?
文句は自称スレ主の神奈川ドツボに言えやカスww
746 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:49:15
日本の神に仕える女性のことを一般に 巫女(みこ)、または神子(ふじょ)というらしい。
古来、神の神託を得て別の者に伝える役割とされていたが、近年は神社に於ける奉仕としての巫女と化してる。
いつ頃において、変貌したのかな知らないが。
747 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:51:28
巫女も夜になると変貌するかも?
誰か言ってたな。吸い取られそうでこえーよw
748 :
神奈川県民は氏ね:2008/04/08(火) 00:57:37
>>740 「卑彌呼」=「天照大神」を言い出した人物は知らないけど
「卑彌呼」=「倭迹迹日百襲姫命」については笠井新也が有名かな?
(これも最初かどうかは知らんが)
749 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:15:57
「卑彌呼」=「天照大神」と考えた場合、宗女壹與は誰とするかだ。
壹與という名から探すのはやっかいで、これを考えないで探すのも面白い。
仮に壹與というのが役職名とした場合、どのヒメが相応しいか?
もし、天皇家内で探して該当者がない場合は諦めるしかない。
「卑彌呼」も「壹與」も該当者なしと言えww もしくは「倭迹迹日百襲姫命」で探すか?w
>>748さん 人の悪口は辞めといた方がいいぞ。嫌われる者がやること。
750 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:36:35
お前等がそんなんやから悪人に見えるつーか。
全員、神奈川県民の味方するんだよ。
誰が見ても神奈川県民のが正義に見えるぞw
751 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:39:39
>>750 おまえのような馬鹿の脳内正義ごっこなんざあどうでも良い。
スレの私物化ほざいている馬鹿県民は叩かれて当たり前。
イヨタン・・・・・・・・・・・
753 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:46:06
>>728 神奈川県民
>わしと考え合わないなら出て行ってください!
>終止符スレは私がやってるんですよ?
>貴方達の私物じゃない
おまえの私物でもないなw
つうかこの馬鹿まだ分かってないな。
スレの主旨というものはあっても
神奈川ドツボの考え趣味嗜好に合わす必要は全く無い。
お山の大将やりたけりゃ自分でブログでも立ち上げろ
このカスが!www
754 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 01:50:40
>>750 >誰が見ても神奈川県民のが正義に見えるぞw
これは酷いジサクジエンですね(藁
755 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 07:43:14
卑弥呼も巫女の要素は十分ある。
756 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 10:52:01
575 名前: 正当防衛 投稿日: 2008/04/07(月) 07:48:27
670 :日本@名無史さん:2008/04/06(日) 05:07:29
|
>>1ってうざいよね〜
\ _______
V
∧_∧∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)´∀` )< だよね〜、誰か頃してくれないかな?
( ) ) \_______________ ∧ ,∧
| | || | | (・д・,,)ペッ!!
(__)_)__(_) ∧__∧? 、'(_@
(´⊇`)
( 1 )
|| |
∧ ∧ムカムカ (((_)_)
(#゚Д゚) ̄ ̄ `〜 ∧ ∧
U U ̄ ̄UU ( ) イッテヨシ!!
へ | ヽ
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ったく、サルみてーに糞スレ乱立させてんじゃねーよゴルァ!!
757 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 10:52:33
574 名前: ごみはゴミ箱へ 投稿日: 2008/04/07(月) 07:38:39
644 :日本@名無史さん:2008/04/05(土) 22:23:44
神奈川県民へ。
現時点でこのスレを立てたのは、明白なルール違反だ。
日本史板の冒頭に、きちんと以下の注意書きがしてあっただろう。
◆スレッドを立てるときの注意◆
●既存スレッドとの重複は禁止。
スレッドを立てるときは、タイトルを一通り検索してからにしましょう。
スレッド一覧を開き、Windowsの場合はCTRL+F、Macの場合はコマンド+Fで
ブラウザ検索をしてください。
重複スレッドには既出スレのURLを貼って誘導してください。
卑弥呼=天照大神
台与=萬幡豊秋津師比売命
年賀状の配達は無事すんだかどうかわかりますでしょうか。
760 :
古代:2008/04/08(火) 18:57:39
ミコ「巫女、巫覡、男巫、巫子、巫祝」
女性の巫女が多かったけれども、古代初期には男性の男巫もいました。
巫術を行う巫女の神託は奈良時代までは尊重されていたように思います
しかし、神託を信じない人もいて政治的に利用する者もあらわれてきた。
平安時代になると、口寄せ、まじないが流行したものの、
上流貴族は陰陽師の占いや仏教を頼っていたので、巫女の地位は低下し
当時の今様で「博打と巫女は当てにならない」と皮肉交じりに歌われています
761 :
サガミハラハラ:2008/04/08(火) 19:38:55
今年もまた入学式の時期となり、新入生の諸君は新しい気概をもって学び舎の門をくぐったこととおもいます。
まずは入学おめでとうございます。
諸君らのなかには日本古代史に興味をもち、当HPを開いたかたもおられるものとおもいます。
で、古代史を研究学習していく中で日本古代史の中で基本中の基本といわれている課題があります。
それはなにを隠そう「邪馬台国問題」なのです。日本古代史を学び研究していくものにとっては決して避けてとおれない事柄なのです。
しかし、この問題に取り掛かる際に考慮しておく必要があるのは、邪馬台国の都はどこかということです。
この件にかんしては多くの説があり、巷間未解決と思われているのですが、実はすでに発見確定しているのです。
そこは、佐賀県小城市甘木の地です。
あと十年もすれば公認されるのは間違いありません。
古代史を学ぶ諸君は、まずこのことを押さえたうえで学業をすすめていくことが最善とおもいます。
これからの学生生活において、真実の探求に邁進していかれることを祈念いたします。
762 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 21:54:13
まあ、あいつの判断しだいやな
763 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:01:02
764 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:05:34
>>760 おっとっ!古代 さん懐かしいじゃない!
最近、来なかったけどどこいってたんでしょうねw
>>761 サガミハラハラさん
>まずは入学おめでとうございます。
>佐賀県小城市甘木の地です。
貴方の邪馬台国は小学生、中学生にはうけがいいことでしょう。
しかし、少し突っ込めばまともに答えれないのでは大人たちの目は誤魔化せませんよ。
まずは人から認められたいなら質問されたときにちゃんと答えるべきです。
そうした行動が信頼へと変わるのです。本も売れることでしょうww
765 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:19:35
>>758 >卑弥呼=天照大神
>台与=萬幡豊秋津師比売命
何故そう思うのかを書き込んでくれないと...。
卑弥呼=天照大神 と考える人は数多くいるが、
台与=萬幡豊秋津師比売命 はさほど聞かない。
たぶん、萬幡「豊」秋津師比売命 ここの「豊」という字で
「臺」(読みはタイ)を無理やり畿内説の誤字というやつで片付けて「豊」とし、
台与=萬幡豊秋津師比売命 にしたってやつかな?w
トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
767 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:38:05
15スレに関しては、少し頭がズレてる人が「人気出てる終止符スレ」を
自分の物にしたくてしょーがないんだよ。
んで、乗っ取ろうとしてんだから、その行為が諦めつくまでは動かすなよ!!ALL
諦めてから削除作業するべき思わない?
それまではこっちのスレを使っててくれ。ALL てか踏んで!
768 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:39:06
疑問なのは魏呉蜀の三国鼎立を卑弥呼がどうして知ったのか?
769 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:47:28
卑弥呼って シャーマン? 巫 女?
この辺がキーポイント?!
「自為王以來,少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食
傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛 」
女王様なのは違いないがw
770 :
サガミハラハラ:2008/04/08(火) 23:27:16
>>764まともに答えすぎては本が売れない(読んでもらえない)ということもありますし、掲示板という点からくわしく説明し難いという点がありますが、
はじめからうけいれないという目で見られるならば説得しがたいでしょう。
>>767 おい糞ドツボ、何書いてるかさっぱり分からんぞwww
ついに頭が逝ったかwwwwwあ、元からか。
772 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:39:59
>>770 >まともに答えすぎては本が売れない(読んでもらえない)ということもありますし
よく「ダイナミック」に書きすぎてる本ありますw
あ〜ゆう感じに書かないと売れないと言うことなんでしょうかねw
>はじめからうけいれないという目で見られるならば説得しがたいでしょう。
中には冷やかし半分でサガミさんに聞く人も見かけますよね。
わたしは「佐賀県小城市甘木説」 そんなに自信あるなら書いてみろよ!てやつです。
受け入れる、受け入れないはそれからと思います。
773 :
日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:44:43
>>771は例のあいつか? これ以上は回りに迷惑かかるのでわたしにスレの削除依頼する気ないの?
他の邪馬台国系スレの住民達にも気を使えよ。迷惑だろ?
774 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:02:11
コテハンで書いてって云うくせに、なんで名無し?
それでは、誰も相手にしなくなるよ
775 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:08:10
>>774 このスレの600〜700ぐらいを見てみろよ。
逆にコテハンばかりでうぜーーじゃねーかよw
そして、昔っから終止符きていた「名無史さん のおじさん」が気易くするためでもあ〜る!
コテハンばかりの所へはさすがに来づらいわな。
調整してんだから黙っとけよw んなの聞くなw
776 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:31:21
「日本の巫女』について他所からの引用だが
>『古事記』・『日本書紀』に記される日本神話では、天岩戸の前で舞ったとされる
>天鈿女命の故事にその原型が見られ、また、『魏志倭人伝』によると、
>卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという(卑彌呼 事鬼道 能惑衆)記述があり、
>この鬼道や惑の正確な意味・内容については不明ではあるものの、
>古代に呪術的な儀式が女性の手によって行われた事が伺える。
日本の初めての巫女さんとして認知されたのは記紀にでてくる
「天鈿女命」、又は倭人伝の「卑弥呼」って知ってた人いる?
わたしは知らなかった...。言われてみてはってかんじで。
>592 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/04/08(火) 21:39:21
>橿原一派へ
>きみの乗っ取り計画は諦めたのか?
>まだまだ懲りずに諦めてないのか?
>返答してくれ!ちったぁ言うこと聞いたらどうだ?
>もし、諦めたというんならおれも削除作業はいるが?
神奈川改めドツボ君、、
「乗っ取り」「乗っ取られ」って言うキサマの妄想は
結局このスレが自分の私物であると言うオレ様ルールから来てるんだが
2ちゃんではそんな事言っても意味が無いんだよ。
まだ分からないのかい?
778 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:44:36
>>777 ※ 九州王朝 ※さん、♪邪馬台国 ドンと来い♪さんとか
「魏志倭人伝」等を読む (New 1)さんへ聞いてみろよ。
「貴方達のネームを退けてわたしのネームを入れてやっていいですか?」
怒られるぞww
というか貴方達はなぜ「神奈川県民を追い出して」終止符スレのスレ主になりたいんだい?
人が集まるから?私物じゃないんだよ?みんなの共用物だよ?
貴方達の私物にはできません!「神奈川県民を追い出すなんて考えはやめなさいよ。
これ以上スレの話すると荒れるのでねますね...。 〜たく!
779 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:48:57
>>767 >15スレに関しては、少し頭がズレてる人が「人気出てる終止符スレ」を
>自分の物にしたくてしょーがないんだよ。
神奈川ドツボ君
チト質問なんだが「 自分の物にする」って具体的にどう言う事なのかな?
お前さんみたいにスレを立てて「スレ主」を名乗る事か?
スレを仕切って話の方向性を自分の好きなようにする事なのか?
「自分の物にしたくて」と言うのは
要するに今は自分=神奈川ドツボの物だと言う認識なんだよな?w
780 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:51:49
おまえらな いい加減しなさい。
※ 九州王朝 ※さんのやってる人に聞きなさい。
なぜ終止符スレの神奈川県民ばかり狙うんだい?
そんなにこのスレが人気があるか?いい加減にしてくれよな。
781 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:53:36
>>778 >※ 九州王朝 ※さん、♪邪馬台国 ドンと来い♪さんとか
>「魏志倭人伝」等を読む (New 1)さんへ聞いてみろよ。
>「貴方達のネームを退けてわたしのネームを入れてやっていいですか?」
>怒られるぞww
はあ?
そんな事聞く必要も無いし怒ったところで痛くも痒くも無いなw
つうか2ちゃんで次スレを誰が立てたかを問題にする方が馬鹿w
削除依頼見て来い馬鹿者w
「○○以外の者が立てたので次スレと認められません」
なんて戯言ほざいている馬鹿いないからw
782 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:55:53
こいつらシツコイ〜!
終止符スレばかり狙うな!荒らしドモ!
お前等の来るところじゃないんだよ。他所へ行け!他所へ行け!
783 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 01:00:32
>怒ったところで痛くも痒くも無いなw
貴方達は常識を身に付けなさい。 異常だよったく〜!寝ますね。
これ以上、荒らさないでください。 では...。
784 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 01:01:09
>>780 >おまえらな いい加減しなさい。
>※ 九州王朝 ※さんのやってる人に聞きなさい。
とことん馬鹿だなw
なんで 「九州王朝」に聞かなきゃならんのだ?
寝言は寝て言えカスw
どうしても聞くのだったら2ちゃんの運営だろう?
『削除ガイドライン』に
「そのスレの1を立てた人間が次スレを立てる権利を有します」
とでも書いてりゃお前の言い分も正しいだろうよwww
まあお前の『脳内ガイドライン』にはそう書いてあるんだろうがwwwwwwww
785 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 01:43:42
荒らしさん〜「相手」のことも考えてくれな。
こんな「状態」では誰も来ないしょ?マジで「荒ら」さんといて。
邪馬壹國の「七萬餘戸」
これについて少し書き込んでおく。
786 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 01:46:15
邪馬壹國の人口はどれくらいか?
倭人伝には「七萬餘戸」と記されており、これがどれくらいの人口なのか、
よく議論されてると思う。
一世帯あたり5人とすると邪馬壹國の人口は35万人以上。
人によっていろんな考えがあると思う。
787 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 01:51:23
『邪馬壹國の人口』
一世帯あたり4人とすると邪馬壹國の人口は28万人以上
一世帯あたり5人とすると邪馬壹國の人口は35万人以上
一世帯あたり6人とすると邪馬壹國の人口は42万人以上
どれが正しいか意見が分かれる。
私の考えでは、邪馬壹國の人口は7万人以上とする。
としか答えようがない。もし、仮に35万以上と示しても妄想といえてしまうから。
788 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 02:01:17
狗奴国の面積はどれくらいだろう?
場所については、畿内説、九州説とで意見が分かれると思うが、
大体、よく聞かれるのは「熊本」、「鹿児島」辺りか?
または宮崎という人もいるだろう。
その面積だが九州を二分にするぐらいの大きさなのか?
九州の三分の一ぐらいか?
女王国と「不和」らしいのである程度の大きさの国と思うが、
自分的にはかなり小さいのでは?と考えてる。
どれぐらいかは今はいえないが、たぶん他の人が考えてる以上に小さいかも。
597 名前: 改め〜ドツボ 投稿日: 2008/04/09(水) 06:45:44
_____
/::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 <俺がスレ主だー!俺がルールなんだよ!!
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! \_____________________
\ ⌒ ノ_____
\_____/ | | ̄ ̄\ \
___/ \ | | | ̄ ̄|
|:::::::/ \___ | \| | |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
790 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 07:41:51
15の彼からおkサインでてるので、
ここはいったん下げて15から削除作業つーことで片付けますか。
ここは下げるのでレスは控えて。
791 :
サガミハラハラ:2008/04/09(水) 09:13:27
>>772「書いてみろよ!」とおっしゃるが、あなたがこの2ちゃんねるに何年おられるのかしりませんが、あちこちに小城説のことはずいぶんかきこんでいますよ。
およみになっておられないということでしょうか。
おわかりのように、2ちゃんねるのスレは書き込みが激しくあっというまにすすんで目にはいらなくなってしまいます。
ですからこちらもあまりくわしく書く気はおこりません。
それとあなたのような書き込みをする方は、意気がっているだけの方が多くこちらがまともにかいても真摯によんだり
理解しようとしない傾向がみられます。
本当に私の説をかいたのを読みたいのであれば、いままで邪馬台国関係では2冊出版しておりますので是非ご覧ください。
倭国歴訪 明窓出版1999年刊
神功皇后は実在した 明窓出版 2007年刊 の付録:メジャーで辿る邪馬台国
書店でお求めになるか(ほとんどおいていないので注文となります)、出版社やネットにお申し込みください。
また、図書館で借りるのもよろしいかとおもいます。置いてある図書館はあまりないので、
リクエストでもって図書館に買ってもらってお読みになることをお勧めします。
792 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 09:38:55
>>aratame_himiko♪
質問があります。
あなたは各スレにおける1の権限はどの程度あると考えていますか?
a >>1は絶対権力者であり、そのスレに書き込む人は例外なく>>1の指示に従わねばならない。
b
>>1にはスレ運営の義務も権利もなく、2ちゃんのルールが
>>1の意向に優先する。
c その他の見解である。
お答え下さい。お願いします。
(ちなみに、多くの2ちゃんねらーはbです。)
794 :
唐松山:2008/04/09(水) 19:33:31
諱を調べました。
ホ04185 マコトナを ヰミナとたゝゑ アネにミツ われはヨツなり
… タマキネいわく ヰミナには タラにヨつぎに ナとノリと あわせヨツなり
アマツキミ ヒヨリトまでを つくすゆゑ ヒトにのります キネとヒコ ウシもノリなり
メはのらず
カンヤヰミミノミコをうむ イミナイホヒト=後のミシリツヒコ
綏靖、神沼河耳、神淳名川耳 カヌカワミミノ ミコうみて イミナヤスギネ
安寧、師木津日子玉手見、磯城津彦玉手看 イミナシギヒト タマデミコ
懿徳、大倭日子{金且}友、大日本彦耜友 ヨシヒトの ヲヲヤマトヒコスキトモ
ソフヲシエ カエシネミコをヨツギなる コトシソヤなり 懿徳12年 カエシネを太子とす、18歳
孝昭、御真津日子訶恵志泥、観松彦香植稲 ウチのうむミコ カヱシネの イミナミルヒト
孝安、大倭帯日子押人、日本足彦国押人 イムナヲシヒト ヤマトタリ ヒコクニノミコ
孝霊、大倭根子日子賦斗邇、大日本根子彦太瓊 イムナネコヒコ ヲヲヤマト フトニノミコ
孝元、大倭根子日子国玖琉、大日本根子彦国牽 ヤマトネコヒコクニクル イムナモトギネ
開化、若倭根子日子大毘毘、稚日本根子彦大日日 イミナフトヒヒ ワカヤマト ネコヒコノミコ
崇神、御真木入日子印惠、御間城入彦五十瓊植 ウチのうむミコミマキ イリヒコの イムナヰソニヱ
垂仁の兄 ミマキヒメ シギにうむミコ トヨキヒコ イムナシギヒト
垂仁、伊玖米伊理毘古伊佐知、活目入彦五十狭茅 イクメ イリヒコの イムナヰソサチ
景行の兄 ニシキ イリヒコの イムナヰソキネ その前に生まれたホンヅ(譽津別)の皇子は?
景行、大帯日子淤斯呂和気、大足彦忍代別 ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ
成務、若帯日子 稚足彦 ワカタリヒコ 諱ウヂヒトは ヨツギミコなり
☆ イミナを四つに分けるのは、自分でして下さい。
795 :
唐松山:2008/04/09(水) 19:40:18
一人目 ひと
2人目 にだからニに きね
3人目 ひこ山
4人 多いから おオシ
ダジャレだね。
796 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 20:15:30
>>787 >仮に35万以上と示しても妄想といえてしまうから
当時の日本列島の推定人口から、北部九州に邪馬壹國があったのなら人口35万人は現実的な数。
邪馬壹國の内訳(奴國=10万人、その他の國1万人×25ヶ国=25万人、合計35万人)
1戸=5人
計算上はよく合う。
797 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 20:22:08
なんで畿内説って「考古学」重視で史書無視、少し倭人伝でも出せば
「倭人伝原理主義」とか言って話にはいってこないのに
スレ違いの日本史板にきてるんだろ、って思って考古学板いってみた。
九州説に押されっぱなしで論破されまくりじゃん!! 笑えたよ、マジ。
学問がどうこういうなら自分の本来いる板でやるべきだろ?
日本史の板にきて「考古学がどーこー」いっててさあ。何が教授だよw 笑わせるw
佐賀の吉野ヶ里は邪馬台国の遺跡ですか?
800 :
唐松山:2008/04/09(水) 20:54:41
考古学も 歓迎
新羅本紀は 信じられるか?
新羅本紀第ニ・第九代 伐休尼師今(在位 AD184-196)より
3年(AD186) 三年 春正月 巡幸州郡 観察風俗 夏五月壬辰晦 日有食之 秋七月 南新縣進嘉禾
9年(AD192) 九年 春正月
四月 京都雪 深三尺 夏五月 大水 山崩十餘所
10年(AD193) 十年 春正月甲寅朔 日有食之
三月 漢祇部女 一産四男一女 六月 倭人大饑 来求食者千餘人
中国の暦だと 西暦193年 癸酉年1月乙酉朔 新羅は1ヶ月遅い(193年2月甲寅朔)。
186年の記事を見ると 秋7月 南新縣進嘉禾 南新縣が稲籾を上進した。(嘉禾=喜ばしい穀物)
日本の稲刈りは、8月 1ヶ月のずれ
魏の初め これと同じ様な1ヶ月ずれた暦を使った事を考えると 極普通にあり得る。
日食の記事では 太陽暦で 186年7月4日と193年2月19日が 相当します。
本当に欠けたかどうか判りませんが 食の範囲に入ったことは間違いない。
太陽暦に直して考えると、
192年5月20日すぎに金城で90センチの積雪
193年7月 倭人が千余人、餓えのため食を求めて 海を渡り新羅に入る。
192年 倭では、大凶作
193年 船一艘6人乗りと見て200艘で1200人 土左衛門、任那、九州方面分は含まず
日本海側の船は 全て渡海してしまう、そうなると 出雲連合国家は
人口減と足(船)を無くす。 残ったのは、餓死をまぬかれた 老人と子女が大半
工業、通商を基盤とする出雲の社会崩壊は、免れない。
文献無視の畿内説より文献重視の畿内説をとりたい。
考古学無視の九州説より考古学重視の九州説をとりたい。
802 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 21:23:23
おやおや レスが進んでるね。
>>790はお構いなし まあいいかw
いまいちあっちを進める気になれんし〜K氏に聞いてみよう。彼のいうとおりに動くべきか。
>>793 >質問があります。
すみません、スレに関するご質問ならこちらは受け付けてませんので、
2ちゃんねるガイドでも読んで下さい。
803 :
唐松山:2008/04/09(水) 21:26:11
折衷案
卑弥呼は九州
邪馬台国は大和
805 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 21:36:40
>>772 >あなたがこの2ちゃんねるに何年おられるのかしりませんが、あちこちに小城説のことはずいぶんかきこんでいますよ。
>およみになっておられないということでしょうか。
ここは1年半以上いますが、他の人に比べて他のスレッドへはあまり読みに行かないほうです。
>ですからこちらもあまりくわしく書く気はおこりません。
「書いてみろ」ではなく「書いてほしい」という願いだったのですが、安売りはできませんもんね。
了解しました。
>意気がっているだけの方が多く
そう見られてるでしょうね・・・。場を楽しむ為でもあるんですが。
>本当に私の説をかいたのを読みたいのであれば
「倭国歴訪 明窓出版」を購入済みですよ?
はじめの方だけ読み、寝てしまってそれから開いてないのですがw
サガミさんは写真の写し方、上手でした。
807 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 21:43:06
唐松山さん
貴方のレス
>>33の
>数字の飛ぶのは 書記の年数と同じような物
>深く考えると眠れなくなるゾ。
このレス、職場で仕事してる時に思い出して笑えてきましたよ。
体験談ですよね?(笑)
それと
>>575の「熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ 」て何か意味あるレスなんでスか?ww
808 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 21:45:24
>>806 こらこら勝手に出さない〜たく!周りにも気をつかえって!
おれがおこられちゃう!
811 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:02:29
17の次スレが15で、
15の次スレが16
じゃあその次が18で
17の前が14か?
14→17→15→16→18
ナニコレ
>>811 スレ違い。
今後終止符スレでスレの話は禁止します。
813 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:05:29
御前が番号飛ばして立ててるんだろこのヴォケ
815 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 22:09:35
スレの話は恥ずかしいからやめろって!!
K氏、これでいいのかな〜?
817 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 22:18:04
ひえええ 私が本物だよ!w
818 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 22:20:15
九州王朝さん、太国さん、助けて〜!!
820 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 22:27:58
河童さん、とにかく次スレ立てて!!助けて!!
821 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 22:28:30
誰か踏んで!
822 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:29:38
ok
823 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:44:50
KさんKOさんと仲いいんだっけ?
824 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 22:51:35
実は河童氏=橿原一派氏だよ。
825 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/09(水) 22:52:45
どうしたんだろう?? なにを助けるのか?? 分からんが・・・?
なにが起こったのかな?
826 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/09(水) 22:53:51
兎に角、17終わったら15も消化して
16立てればいいんじゃないかな?
16終わったら18だな
18から県民さんが立てればいいんじゃないかな? それまではじたばたしても始まらないよ
827 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/09(水) 22:58:50
おいおい
17も15も消化してないのに 16立てちゃ〜ダメじゃん
俺はもう知らない・・・・・
828 :
aratame_himiko17 :2008/04/09(水) 22:59:41
おk 頼りの河童さんに合わせましょう。
この問題どうしていいか分からんかったしね....。
河童さん〜王朝さんと仲いいでしょ?たぶん
829 :
aratame_himiko17 :2008/04/09(水) 23:02:52
>>827 >16立てちゃ〜ダメじゃん
いやいいんでないの?
ベテランの太国さん等、周りに助け呼ぶっていう手もあったよな...。
830 :
aratame_himiko17 :2008/04/09(水) 23:05:35
王朝さん、太国さん 助けて〜〜〜!だって いいかもw
今度使いましょww すっ飛んできてくれるかもwww
831 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 23:06:24
河童さんと橿原一派が同一人物??
裏切られたのか???
832 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:08:07
ないないww
833 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 23:08:10
>>827 >俺はもう知らない・・・・・
いくらなんでも無責任すぎやしませんか?
834 :
橿原一派:2008/04/09(水) 23:09:27
そうです。僕こそプラム、またの名を河童と言います。
835 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 23:12:00
>>825 この状態みたらわかるでしょ?たく、いちいち説明させんなって!!
とにかくスレの話は禁止です。
マジで狂ったのか
838 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:14:25
まじめにやらないのなら、協力はできません。
840 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 23:16:06
なにがどう狂ったのか。
どうすればいいのか。
841 :
aratame_himiko17:2008/04/09(水) 23:18:32
年賀状の配達は無事すんだかどうかわかりますでしょうか。
今後 aratame_himiko 以外の固定ハンドルを禁じます。
(河童さんはおけ)
843 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/04/09(水) 23:27:01
神奈川県民さん それは暴挙でしょ!!!NNNNNNNNNNNN
aratame_himiko17 さんへ
せめてトリップ付けなよ
やりやがったな、きさま〜ッ!
表へ出ろッ!
846 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:33:48
その意味は?
847 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:36:00
王朝さん もういいよ。
お助けありがとう!それでいきましょ。
17 ⇒ 15 ⇒ 16 で決まり。
848 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:38:02
トリップ? 何かカタカナが出てきましたねw
何ですかそれwww
849 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:39:19
あ 15は、わたし無理。 頼りのKさん頑張れる?w
850 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:41:34
年賀状の配達の意味はなんなんでしょうかねw
きになりますww
誰か踏んで!
おー、喧嘩じゃ喧嘩じゃー、ww
やれやれーっ!
イヨタン・・・・・・・・・・・
854 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:46:46
みなさん
ゴールデンウィークはどこか「古代史の旅へ」と出掛けるんでしょーか?
河童さん〜貴方九州へは行ったこと有るんでしょーか?
邪馬台国とするところへ出掛けたとか聞きませんけど
855 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:50:09
>>853の日本@名無史さん 「イヨタン・・・・・・・・・・・ 」さんなんか
わたしへのアドバイス⇒半年ロムとけ やもんな。
本当にアドバイスしてるのか虐めてるのかw 王朝さんを見習いなされw
856 :
日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:57:10
>>803唐松山さん
>折衷案
>卑弥呼は九州
>邪馬台国は大和
まるで竹下・金丸流の国対政治みたいな・・・・・。w
いくらなんでも足して2で割るようにはいかんでしょう。
女王の都が邪馬台国にあるんだから。
>>854 >河童さん〜貴方九州へは行ったこと有るんでしょーか?
あるよ(今わ無き 寝台特急さくら)(帰路は開業まもなくの博多から0系ひかりで)
でもその頃全然古代史(邪馬台国)なんて興味なかったから
長崎でお姉〜ちゃんのケツばかり追いかけてた
858 :
aratame_himiko♪:2008/04/09(水) 23:59:40
アハハッ 面白い話じゃないですかー!
でも、あまりそうした話聞かないんだけど〜今度のGW言ってみてはいかが?
わたしも今度どこいこうか迷ってるところです。
サガミさんとか太国さんはいろいろいってるみたいだが。
859 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 00:03:39
出雲大社にいくかどうか迷ってるんでスよ〜。
九州へはこの間の冬休みいったので今度はもっと近場で!と考えてます。
そういえば河童さんて古代史歴3,4年でしたっけ?
今、九州へ行くような時間と金があるなら
ワイキキのビーチでのんびり水着のお姉〜ちゃんのケツ見てすごしたいよ
861 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 00:11:29
>ワイキキのビーチでのんびり水着のお姉〜ちゃんのケツ見てすごしたいよ
最近の連休では「古代史の旅」というか、休みの日でも真面目に本とかで、
古代史ばかり追ってきたんでたまには、「水着のお姉〜ちゃんのケツ」もいいかもw
てか〜河童さん最近なにしてたんでしょうね。久々に話すようなww
スレ違い
>>859 >そういえば河童さんて古代史歴3,4年でしたっけ?
2ちゃんデビューして五年になるから、古代史歴五年になりますね
右も左も分からないド素人が、いきなりコテハン付けてのデビューだもの
そりゃあ反感かうわな・・・・・・・
でもさぁ、デビューするのに名無しは失礼だろう?普通は『私は○○です』と、自己紹介するわな
当時はマジで何も知らなかったな〜 卑弥呼の名は知っていたけれども
卑弥呼が何だったのかなんてまるで知識無かったんだから
今思い出すと正直笑える。
864 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 00:21:02
>>862 話の流れとかで多少はあるんだよ
終止符スレにて、普段から真面目に書き込んでる人は大目にみるべき!
てかソロソロ寝る時間なんで又にしましょうか。
>てか〜河童さん最近なにしてたんでしょうね。久々に話すようなww
最近は、外交記事の核心について考えてた
866 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 00:30:40
外交記事〜倭人伝の?
それと〜河童さんの「魏志倭人伝を読む!NEW」でみんな卑弥呼とかの
発言があったかと思う。
こんどそれについて河童さんに聞きたいことあります。
今日は遅いのでねますね。では。zzz
867 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/10(木) 00:37:17
永遠に寝ててくれ
869 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 00:54:37
>>868 名前:日本@名無史さん ←おまえは他所いってくれ w
まだ、起きてんだよww
マタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
871 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 01:33:56
>>862 まあこう言ったコテ同士の”馴れ合い”ってのはどの板でも名無しからは嫌われるんだけどなw
しかもこのスレは雑談スレではないし
その上ドツボ県民がスレ主を自称して仕切っているから
もう最悪だなw
ようはドツボ県民にとってこのスレは自分のHPかブログの代用品なんだろうw
面倒な手続きも特段のスキルも必要無い。
まあアホのドツボ県民はガイドラインを声出して100回ぐらい読んで来いって事だな。
いや、氏んでくれりゃ一番手っ取り早いがwww
873 :
日本@名無史さん:2008/04/10(木) 01:58:35
ドツボ県民はトリップも知らないみたいだが(まあ予測はしていたがw)
多分「サゲ」も知らないんだろうw
メル欄に[ta]と入れて色を変えるとしか理解していないようだw
恐らく古代史歴とやらよりネット歴は更に浅そうだwww
874 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 07:43:16
>>872 異常者のおまえは頭イカれてるんだから他所スレいけ!
周りに迷惑かかるから「終止符スレ」から出て行けよ
875 :
aratame_himiko♪:2008/04/10(木) 07:45:51
既に解決(終了した)された比定地議論なんてつまらないから
これからは外交記事だよ〜
何時までも『從郡至倭』なんて言ってるから、阿呆が無限に湧いてくるんだ
あそこは『郡至倭』
>>874 異常者に異常者と言われたということは 正常だってことだな。
そして、逝かれて欲しいのは 君。
>>876 まったくそのとおりだと思います。
いまさら阿呆が沸いて出てきたところでスルーすればいいんじゃないかと。
>阿呆はスルー
改めが可哀相じゃねぇかwww
880 :
唐松山:2008/04/10(木) 17:38:55
倭人伝は印刷物
不要な更正が入っている。
これを無視して 一文字を検討したところで 見当違い。
書き換えられたと思われるところを 議論した方が 良いのではないか?
一月くらい前に 方向の違いを 書き込みましたが 皆さんスルーしてくれた。
881 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/04/10(木) 17:54:19
>>876 河童虫さん
『・・・今使譯所通三十國。從郡至倭・・・・』と
『・・・今使譯所通三十國從。郡至倭・・・・』
について解説を聞きたい。
『・・・・。樂浪郡徼、去其國萬二千里、去・・・』と関連があるのですか?
882 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/10(木) 19:42:24
>>881王朝さん
簡単に違いを述べれば
『今使譯所通三十國』
では
(魏志倭伝)
『今使譯所通三十國從』
だから
(魏志倭人伝)
という根本的な違いになります。
魏時、魏王朝と絡み合った人をテーマに書かれたのが魏志“倭人”伝です。
倭伝ではありません。
883 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/04/10(木) 19:51:28
>>882 なるほど。
「從」の用例を調べてみます。
河童虫さんは親切だな
885 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/10(木) 22:23:38
それに、
『從郡至倭』の場合、郡は飽くまで通過点に過ぎず、決して基点にはなりえません。
そうなると
『倭人在“帯方”東南…』等は矛盾も極みに
本来なら『倭人在洛陽(京都)〇〇……』とならねば
帯方郡を基点とする場合は『自郡至倭』とし、これから続く経路へと。
886 :
唐松山:2008/04/11(金) 20:17:15
aratame_himiko♪さん ヤマトは地名でなく 地形名だとお考え下さい。
山戸 山の入り口 前に平野を望み、後ろに山を抱く土地。
早い話 当時の遺跡の大半は、この様な土地に在る。
平野の真ん中を旅しても 何もないですよ。
もし 暦を考えておいでなら
ミ06071 ミモムソヰタビ ヒトトシの ハルたつヒには モトにきて ヒトタビモトの
ホシにあひ
神代の昔から 1太陽年は、365日
神代 1020年 19年の倍数でもない 数字 何故暦の制作が遅れたか?
太陰暦1020年の暦にプラス1年354日を加えて 太陽暦365.2422で割る これ以上綺麗に計算できる年数は無いのでは?
太国さんが だから ほつまは 偽書だ。と言い出しかねないほど。
887 :
サガミハラハラ:2008/04/11(金) 20:22:37
>>805まだ1年半だったのですか。スレをみなおしてみましたら、私の邪馬台国論はほとんど消えてしまっているようです。
ちょっとこちらとしては驕りすぎていたようです。誰かさんから忠告されたようにすこしは謙虚にならなければと反省している次第です。
ということから、邪馬台国小城説のスレをたてておそまきながら、簡単ながら紹介をしていきたいと思います。
888 :
改め:2008/04/11(金) 23:51:58
>>887 サガミさん
1年半ではないな...。ちょくちょくは来てたから〜。
ここの2ちゃんは1年半〜2年ぐらいでスよ。(古代史歴は2〜3年)
そして、「邪馬台国小城説のスレ」 ←踏んできましたよw
>>886 唐松山さん
>ヤマトは地名でなく 地形名だとお考え下さい。
なぜ、そう考えたのか出来ればもっと詳しくお願いします。
これについて↓の文だけではよく分からない...。
>山戸 山の入り口 前に平野を望み、後ろに山を抱く土地。
>早い話 当時の遺跡の大半は、この様な土地に在る。
>平野の真ん中を旅しても 何もないですよ。
逆に洞穴に住んでたてことは無いでしょ?
縄文じゃないんだから。
889 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/11(金) 23:58:10
>>888 >逆に洞穴に住んでたてことは無いでしょ?
縄文じゃないんだから。
いや、居ても不思議じゃないでしょう
平成の今だって
ブルーシートで囲った 擬似竪穴式に住んでる人居るから
890 :
改め:2008/04/12(土) 00:07:51
>>880 唐松山さん
>書き換えられたと思われるところを 議論した方が 良いのではないか?
唐松山さんて畿内説でしたっけ?!
「議論」←もうしてきましたが、その可能性はほぼゼロに近い。
倭人伝というのはちゃんとした文献としてみています。
>一月くらい前に 方向の違いを 書き込みましたが 皆さんスルーしてくれた。
わたしも終止符12か14だったかな。
「卑弥呼=市寸島比売説について」のソース出し、
一生懸命に書いたんだが見事にスルー!でしたww(悲)
「河童さん〜愛知県民さん」とか「みんな〜答えて!」とか、
ネーム等を入れたほうが返事返ってきますよね。
891 :
改め:2008/04/12(土) 00:10:25
>>888 >いや、居ても不思議じゃないでしょう
いや、その程度はいるでしょ。弥生時代でも。
唐松山氏のレスは、基本的にどこに住んでたかの話かと思います。
892 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 00:29:35
>>891 住居は身を隠すと言う一面もありますから
心理的にも平地のど真ん中には住みにくい。
893 :
改め:2008/04/12(土) 01:03:32
>>892 貴方はイザナキ、イザナミの葦原中つ国 平定の話はご存知ですか?
第六代 天つ神 オモダルの時代から民の生活水準が下がり、混乱してから、
第七代 天つ神 イザナキ、イザナミが立ち、豊受大神から葦原中つ国が荒れてる
ことを伝えられ、平定へと向かう。
葦原中つ国へと向かったイザナキ、イザナミは民の生活は予想以上に荒廃して、
洞穴で生活している者、反逆者も多かったという。
そこでイザナキ、イザナミは「反逆者達へは逆矛で斬り」、
「洞穴で生活している者にも矛を向けた」という話。
こうゆう話を聞いたことがあるので、
基本的には「洞穴で生活してない」と考えてる。話が邪馬台国から反れたw
894 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:05:23
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
では、もう遅い時間なので寝ます・・・zzz。
895 :
あらためひみこ:2008/04/12(土) 10:48:25
>『古代天皇家の力関係』
>大王
>↓↓
>大王の娘
>↓↓
>娘の旦那である天皇
これもちゃんと説明してくださいよw
896 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 10:58:20
>>1を見て思ったけど
「名を卑彌呼と言う」じゃなくて
「名を卑彌と呼ぶ」じゃないの?
897 :
改め:2008/04/12(土) 11:03:27
>>896 美濃もんたさん
面白い考えとだが、違います。
「卑弥呼」←これが名ですよ。
というか何故、そのように思われたのでしょうか?
それと愛知県民さんご存知ですよね?
最近、貴方が来ないことを心配されてたようですが...。
898 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 11:13:23
>>897 漢文は決まった文法がある訳じゃないし、漢字は表意文字だから、字そのものの意味を、、、
って、もう解釈の世界だから難しいね
そういう解釈も出来そうな気がしてさあ
あと最近はちょっと忙しかったっすw
歴史は相変わらず好きだよ^^
899 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 11:33:23
>>893 話それるけど
「洞窟で生活してたものにも、、」
ってこれ、土蜘蛛族の事だよ^^
アイヌ語でコロボックル族
日本以外にもマレーシアやハワイとか東南アジア太平洋諸国に居た種族
日本で有名なのが、吉見百穴遺跡のコロボックル論争すよ
あれは土蜘蛛族の住居っす
900 :
唐松山:2008/04/12(土) 12:40:28
倭人伝というのはちゃんとした文献としてみています。
そうすると 邪馬台国 海中説? 方向の少しは 読み替えるでしょう。
卑弥呼=市寸島比売説
私も 3女神を出しました。 時代が違う。
当時の基本的住まいは 山際
葦原の真ん中に住む事は基本的にない。 雨が降ったり、霧がかかると 方向を見失い
帰れない。 弥生人なら 山から小川が流れ出す辺り この水を利用して稲作が出来る
土地ならば、遺跡が在る可能性 大
もん太君 強力になって帰ってきたと思ったら 墓穴に人が住んでた…と
では その穴は どんな道具を使って 掘られましたか?
伝承の部類ですが 天照=尾張を 突き進めれば 何か有るかも?
例えば 伊勢風土記では ナガスネは罪人 など。
901 :
唐松山:2008/04/12(土) 12:52:47
追加
伊勢風土記に 藤の木が出てきます
藤の木=萩 焼き畑です。
水田を主と見ると 時代を見誤るおそれが大きい、
山際に住む=焼き畑もあり
傾斜地では 火入れの火の制御が 楽
日本武尊の話の様に 平野部での火の制御は難しい。
みなさん 焼き殺されないよう 十分注意して下さい。
902 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 12:55:36
>>900 洞穴に住む人の事?
卑弥呼とか関係無い話だけどいいのかな?
いわゆるドワーフ族って奴だよ
記紀では「土蜘蛛族」って表記されてる種族っす
俺らとは違う人種だよ
背が低くて毛むくじゃらで夜行性
最近、フローレンス島の洞穴から7体もの全身の骨も発見されたよ
日本で縄文人とか言われてるのは単にこの土蜘蛛族なだけだよ
吉見百穴以外にも日本各地には沢山の百穴遺跡があるよ
貝塚とかは、こういう百穴遺跡の近くで発見されてるんだよ
明治時代の学者達の間では百穴遺跡をこの種族の住居跡とする人と
そんな種族は居ない。石器時代の墓だって人とでコロボックル論争もあったんだよ
903 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 13:04:01
そういや確か魏志倭人伝の中にも、この小人族の記述はあったはずだよ
倭人伝の中では海人以外に、朱なんとか人だったか居なかったかな?
それが記紀にある土蜘蛛族だよ
アイヌ人はコロボックル(岩盤の穴の中に住む人)って呼んでたよ
904 :
唐松山:2008/04/12(土) 13:27:51
「土蜘蛛」まだ感化(天皇に隷属)していない 弥生人。
毛人 とは 少し違う、「蜘蛛」にも種類あり。
弥生人とて 貝位食べる そうすれば 弥生時代にも 貝塚は出来る(日本海側の弥生遺跡参照の事)。
吉見百穴の近くに貝塚は無いだろう?
コロボックルは ともかく ダイダラボッチは知ってる?
ダイダラボッチを 実在の人種に当てはめると? 何人に成ると思いますか?
905 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/12(土) 13:41:16
>>904 土蜘蛛族は洞穴に住んでて全身毛むくじゃらで尻尾も生えてるんだよ
吉見百穴以外にも日本には沢山の横穴群遺跡がある
コロボックル論争の末に学者達は「石器時代の墓だ」としたけど、骨なんて縄文人と言われる人の頭蓋骨が数体発見されただけで、横穴群から発見される遺跡は石器や簡単な土器とかの生活用具ばかりだよ
この種族はちゃんと紀記にも魏志倭人伝にも記述がある訳だし
ただこの話は卑弥呼とは全く関係無いすね^^
あと巨人族に関してはヨーロッパの伝承が有名だよ
日本だと両面スクナとかが巨人だったとは言われてるすね
906 :
唐松山:2008/04/12(土) 14:18:20
石器を使って 磐を穿つ
こんな考えの人種を 石頭 と呼ぶ
コロボックルから見たら 天皇等は 大男
此処だけの話 他言無用
現在 2メートル近い伸長を持つ人種は 遼東半島付近に居たとされています。
これらの大男人種は 遠く南米のアマゾン地域に住み着き 現地で土器を持った文明にまで発展
その後は 絶えてしまった。
この人種は、古代日本に渡り 天皇家の元となった、 では何故現在の天皇家の方々の背丈が低いか?
実は 鎌倉以降 幕府に邪険にされゆったりとした生活が出来なくなる(飢える)
飢えれば 身を小さくして種の保存に走るわけで 身を小さくできなかった 古代アマゾン開拓民のように滅亡するしかない
そんなわけで 今の天皇は、背丈が低い。
907 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 14:33:34
>>904 >ダイダラボッチを 実在の人種に当てはめると? 何人に成ると思いますか?
一説に中国の野人の正体とも言われるギガントピテクスだな。
因みにヤマタノオロチは当然、恐竜の生き残り。
それを退治して入手下と言われる草薙の剣はオリハルコン製。
908 :
唐松山:2008/04/12(土) 14:54:17
以前 書き込んだ文
下記に 方向に関する見方が 載っていた。
まず 四角い地図を 想定
@――――――――――――A
| 北 |
| |
|西 東|
| |
| 南 |
B――――――――――――C
それによると
@→A又はB→C を南北
@→B又はA→C を東西
と読むようだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga11.html 『隋書』百済伝末尾に身再*牟羅国について次の記事が見える。
其南海行三月、有身再*牟羅国、南北千餘里、東西数百里、土多 鹿、附庸於百済。
これらの 事も考えて
倭人伝の 印刷された時
当時の地図に合った 方向に書き換えられた。とか
考えなければ 成らないのではないか?
1字1句書き換えがない とすると 邪馬台国 海上都市国家 になってしまう。
909 :
唐松山:2008/04/12(土) 15:05:34
スサノウとヤマタノオロチ伝説は、
人身御供がキーワード
青銅を鋳るとき 微少成分として リン(P)が必要になる
このリンを補給するために 人身御供の人骨が使われた。
この様に読めば 神代伝説が 歴史の1部となる。
もん太くん 歴史の再現には 未だ遠いヨ。
910 :
愛知県民:2008/04/12(土) 15:06:18
>>721 改めさん
これは「妄想」と断わったとおり、軽率でした。
宝賀寿男氏の次の指摘は重要です。
「卑弥呼の墓は巨大な前方後円墳ではありえない。・・・魏朝の薄葬令から考えて、これに朝貢する倭国が
宗主国たる魏朝の陵墓を凌ぐ巨大古墳を作ると考えるのは極めて不自然であることに十分留意したい。」
因みに氏は「箸中山古墳が崇神陵に最も相応しい」「倭迹迹日百襲姫命の陵墓記事を見ると、
「葬於大市」(大市墓)とあり、これに相応しいのはむしろ西殿塚古墳のほうである」
とも述べています。
一考に値するかと。
911 :
愛知県民:2008/04/12(土) 15:12:16
美濃もん太さん、久々ですね。
唐松山さんとの話、面白いです。
ダイダラボッチはダイダロスと関係あるの?
912 :
愛知県民:2008/04/12(土) 16:17:26
先週も書きましたが、河内で貨泉(王莽時代の貨幣)が出土しているのは興味深い。
漢委奴国王より前に、中国の経済は河内に及んでいたことを示しているから。
日本書紀・安寧天皇段「渟名襲媛」(ぬなそひめ)「磯城(しき)県主・葉江」(はえ)
懿徳天皇段で「葉江の男弟・猪手」(ゐて)
孝昭天皇段で「倭国豊秋狭太媛」(やまとくにとよあきさだひめ)
この周辺の魏志と類似する名は、やはり気になります。
この「磯城」は河内の志幾の可能性もあるのでは?
雄略記の志幾の大県主の話も思い出されます。
913 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/04/12(土) 16:24:29
>>908 東西南北の表現の仕方は、それが正しいよ。
南北の境界の長さ(@〜A、B〜C)が千餘里、
東西の境界の長さ(@〜B、A〜C)が数百里。
同じ表現が同じく随書俀國伝にあります。
『其國境東西五月行、南北三月行、各至於海』
九州島の南北にある東西方向の境界線の長さ(@〜A、B〜C)が五月行。
九州島の東西にある南北方向の境界線の長さ(@〜B、A〜C)が三月行。
914 :
唐松山:2008/04/12(土) 17:02:34
渟名襲媛は痩せて、神が抜け落ちて まつれなかった とは
渟名襲媛は餓死し髪の抜けた、腐乱死体で発見された。
これが崇神6年の状況だと思います。
九州が 5月行では 本州の大きさに成ってしまう?
915 :
あらためひみこ:2008/04/12(土) 17:12:55
>>910 >「卑弥呼の墓は巨大な前方後円墳ではありえない。
倭人伝に「徑百餘歩」と記され、ここだけを見ると卑弥呼の墓は「円墳」と言える。
しかし、実際に古墳を見て、形に関しては余り拘らないほうがよいという考えもある。
卑弥呼の墓について、みなさんの考えはどうなんでしょうかね?
>・・・魏朝の薄葬令から考えて、これに朝貢する倭国が
>宗主国たる魏朝の陵墓を凌ぐ巨大古墳を作ると考えるのは極めて不自然であることに十分留意したい。」
卑弥呼の墓は大きいはず。77メートルか140メートルなのかは知らないが...。
>「箸中山古墳が崇神陵に最も相応しい」
わたしは「箸中山古墳=現在の箸墓」と思ってるが違うんですかね?
>>912について
愛知県民山河言う「倭」が付く名について他のみなさんはどう考えてるんでしょう?
古代さんとか、唐松山さんは書記に詳しそう・・・意見を聞いてみたいです。
916 :
あらためひみこ:2008/04/12(土) 17:19:31
愛知県民さんが言う「倭」が付く名について、
九州王朝大好きさん、唐松山さん どのように思われますか?
(古代さんいないのかな?あの人も詳しそう)
謎の人物 卑弥呼を書記から探すと「倭」の名が付く人物がみつかる。
この「倭」が付く人物は特別な意味があり、「卑弥呼じゃないか?」というのが
愛知県民さんの考えみたい。
わたしは卑弥呼は天皇家とは関わり合いないとしてるんですが・・・。どうでしょうかね?
917 :
愛知県民:2008/04/12(土) 17:29:59
>>914 唐松山さん、勘違いでは?
渟名襲媛=渟名底仲媛命は安寧天皇の后で、崇神世に髪が抜け落ちたのは
渟名城入媛命ですね?
ホツマではそんな内容ですか?残酷。
五月行は、九州には大きすぎますね。
918 :
愛知県民:2008/04/12(土) 17:45:00
919 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/04/12(土) 17:45:56
>>913は書き間違い。以下が訂正。
>>908 東西南北の表現の仕方は、それが正しいよ。
南北の東西方向の境界線の長さ(@〜A、B〜C)が千餘里、
東西の南北方向の境界線の長さ(@〜B、A〜C)が数百里。
同じ表現が同じく随書俀國伝にあります。
『其國境東西五月行、南北三月行、各至於海』
九州島の東西にある南北方向の境界線の長さ(@〜A、B〜C)が五月行。
九州島の南北にある東西方向の境界線の長さ(@〜B、A〜C)が三月行。
一月行は70〜90km(短里千里)になるかな?
920 :
愛知県民:2008/04/12(土) 18:26:09
>>915 >卑弥呼の墓は大きいはず
確か、中国で「墳」と「冢」は区別されているのではありませんか?
そうすると「徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人」は河童虫さんの解釈通りのような気が・・・
921 :
唐松山:2008/04/12(土) 18:35:34
渟名襲媛の記事は渟名城入媛命の誤りでした。
痩せて 髪が抜け落ちる
髪が抜け落ちるは 病気から腐乱死体までの何処かに充てはめると 腐乱死体かなと
名前から ”倭”だけを拾い出すのは 天皇の諱を分析すれば 無意味ではないか?。
孝安から 倭が付く 孝昭の后は、 尾張=弥彦=タカクラジと久米に行き着く
久米=倭 なら 意味があるかも。
距離を日にちで数えるのは 倭の数え方
方角 ひがし、にし、みなみ、きた 以外にも キツサネで表すことも有ったかも
その時 キの国が方角なら 南?東?
ネは北で決定 キ=右? サ=左?
何れにしろ 倭人伝の方角は”鬼門”
922 :
愛知県民:2008/04/12(土) 18:39:11
「徑百餘歩」「徇葬者奴婢百餘人」と数字が同じなのも気になりますね。
一歩程度の「冢」を百個作ったという意味ですかね?
923 :
愛知県民:2008/04/12(土) 18:50:02
>>916 >>921 「倭」というより「倭国」に注目しています。
「倭国豊秋狭太媛」(やまとのくにとよあきさだひめ)
「倭国香媛」(やまとのくにかひめ)
倭国ではないが、安寧〜孝安まで出ずっぱりの磯城県主葉江も注目。
924 :
あらためひみこ :2008/04/12(土) 19:00:57
「徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人」
>河童虫さんの解釈通り
河童氏は、「大きくなく⇒小さい」 ていう説でしたっけ?
あの人はここをどのように受け止めてるのか...。
「大作冢」・・・「冢」とは「大きな」という意味も含まれてる。
925 :
あらためひみこ :2008/04/12(土) 19:06:46
>>922 >「徑百餘歩」「徇葬者奴婢百餘人」と数字が同じなのも気になりますね。
>一歩程度の「冢」を百個作ったという意味ですかね?
たとえば、「徑百餘歩」が仮に100メートルとするとします。
1メートル間隔で埋葬されたという説はどうでしょうか?
926 :
あらためひみこ :2008/04/12(土) 19:10:22
『卑弥呼の墓について』
1メートル間隔じゃなく円墳と考えて、径が77メートルと仮にします。
計算すれば何メートル「間隔」になるんでしょうね?
927 :
あらためひみこ :2008/04/12(土) 19:23:43
コンパス コンパスww
928 :
唐松山:2008/04/12(土) 19:24:05
径が77メートルから1.5メートル離す 80メートル*3.14=全長250メートルのラインがひける。
等分割して、一つずつ穴を掘る。 大変だ
横幅10メートルの細長い穴を掘る その穴に10人を埋める 同様の穴を合計10個掘る。
929 :
あらためひみこ :2008/04/12(土) 19:28:45
>その穴に10人を埋める
まとめて埋められたとは限りませんよ?
一人一人の間隔を開けて埋葬されたのかもしれません。
神への捧げものとして、生首を75個埋めたのかもしれない。
931 :
唐松山:2008/04/12(土) 20:03:18
ひみこ だから135個。
932 :
愛知県民:2008/04/12(土) 20:17:23
更立男王、國中不服、 更相誅殺、當時殺千餘人。
さらに十倍の死者が出ました。
この千余人に「男王」は入っていたのだろうか?
「大作冢」の十倍の冢が作られたのか?
933 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 20:17:56
ふじこなら245個。
934 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 20:40:39
神功皇后説
熊襲の女酋説
筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説
倭姫命(やまとひめのみこと)説
ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説
卑弥呼=下照姫説
アマテラス=卑弥呼説
日女命(ひめみこと)説
卑弥呼=卑弥呼説
おれは15でやる気ないよ?
単なる削除作業だよん。
935 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 20:49:30
>さらに十倍の死者が出ました。
>この千余人に「男王」は入っていたのだろうか?
>「大作冢」の十倍の冢が作られたのか?
考え方が、少し違うかと思います。
「奴婢百餘人」というのは単なる奴隷とお考えですか?
違いますよ。
卑弥呼に近いもの。
または卑弥呼と一緒に埋葬されるわけだから名誉なこと。
比較的に「位」が高い人々かもしれませんよ?
まあ、奴婢だから高いという表現は正しくないかもしれないが。
936 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 21:05:37
『大作冢徑百餘歩』ね〜ぇ
前にも述べたけど
形の統一されない沢山のはかで、卑弥呼の冢は
歩幅測量値百(約30m弱)だった。
937 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 21:09:14
オッ 来た来た! 河童さんお疲れ!
大作冢徑百餘歩
貴方はどのような考えなのか?
または「卑弥呼の墓について」どのようなイメージを持っているのかお願いできたらと思います。
938 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 21:52:20
>>937 イメージですか?
地位から考えたら、相当チンケな冢だったんでしょう。
墓ではなく“冢”ですから、何か目印があり
30m程のこん盛りした冢。
周りにも沢山冢が作られた
あ、
この30m弱という値は、どんなお偉いさんが頑張っても崩れない数値ですよ
誰か自信のある人は挑戦してみてはいかがかな?
相手になりますよ。
939 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 22:07:31
う〜ん 30mですか...。
一歩を、約24cmと考えた場合 100歩は2400cm=約24m
当たり前に考えたらこれですかね?ハテ
77mやら140mとかよく言われているが 24mていうのもうなずけます。
河童さんの考えは 一歩=30cmからきてるんですかね?
それと、「墳」、「冢」の大きさの境目は知ってるのでしょうか?
940 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 22:20:23
>>939改めさん
一尺=約24cm
からです。
墓や冢の計測は『長さ』
長さはモノサシにて計測しなければ『長さ』ではありません。
当時のモノサシは一尺約24cm
不動です。
941 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 22:27:42
>>940 河童さんとは愛称がいい?どこにも140mなんて書いてません。
実は以前から、大きさに関しては「24m」では?
という考えを持ってたんだが、誰も言ってくれなくて・・・。
本で調べたら24mとか140mとか書いてましたよ。
約30mでも大きいことには違いません。
そして、墓は円墳。「殉葬」ではなく「徇葬」とのことなので、
奴婢百餘人は、生き埋めされてません。
死後、卑弥呼の周りを囲むように埋葬されたのでは?というのはどうでしょうか?
942 :
唐松山:2008/04/12(土) 22:27:45
人間の歩幅が70センチとして 塚の周りを100歩で歩く
円周70メートル割る3.14=直径22.3メートル
百余歩 だから これより大きい。
943 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 22:32:26
>>942 唐松山さん
>人間の歩幅が70センチ
わたしは、魏の当時の一歩とは、「一歩=24cm」と聞いてるのが違うんですか?
>塚の周りを100歩で歩く
何てどこにも記されてませんよ。
「徑百餘歩」の「徑」とは「径」のことです。
「径」とは直径のこと!
944 :
サガミハラハラ:2008/04/12(土) 22:38:57
中国と日本では歩の基準が違います。
日本では片足を前に出して1歩ですが、中国では片足を前に出し、ついでもう一方の足をさらに
その前に出すという文字どおり歩いての1歩なのです。
ざっと150cmといったところです。倭人伝の百余歩は中国人の実地の計測であるようなので
径(直径9百余歩は150mから195mぐらいでしょう。
945 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 22:40:36
たったこれだけで
畿内の寄り所“箸墓”は飛びます。
ましてや
箸墓は単一墓
>>940 >長さはモノサシにて計測しなければ『長さ』ではありません。
>当時のモノサシは一尺約24cm
冢に実際に物差しを当てるかして計測したのか?w
947 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 22:44:02
>>945 >たったこれだけで
>畿内の寄り所“箸墓”は飛びます。
でも実際は飛んでないんだよねw
もっぱら築造年代を争っているのが現実でwww
948 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 22:44:45
>>944 ようは日本の「二歩」で中国の「一歩」といいたいんですよね?
>ざっと150cmといったところです
どうみても私共の考えからしたら、中国の一歩(ようは二歩)でせいぜい、
50cmぐらいでは?と思ってしまうんだが...その点はどのように考えてるんでしょうか?
わたしが読んだ本によると「魏の一歩とは24cm」だそうです。
949 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 22:45:20
直径百歩と言えば約30メートル
高さも数メートル程度でしょうから、
ちょっとした大雨や道路工事で
痕跡すら失われている可能性が
高いですね。
巨大古墳が造営されるのは、
もっと時代がさがってからです。
950 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 22:47:13
>>946 >冢に実際に物差しを当てるかして計測したのか?w
はい
だから『百余歩』という長さの数値を記載できるのですよ
951 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 22:49:49
>>950 「根拠は?」
と聞いたら
「長さの数値は器具を用いなければ表せない」
って答えるんだろうなw
先に結論ありきの典型的な循環論法www
>>912 みんなスルーなのでw
南は沖縄北は近畿と幅広く出土してるのでそこらへんの類似地名が
興味深いと言い出したらどこも同じく興味深いですが
953 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 22:53:07
卑弥呼の墓とは、
卑弥呼を中心にして「奴婢百餘人」がその周りを囲ってるのでは?
954 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 22:59:37
>二歩で一歩
これは問題外です。
先ず両足を揃え右足を踏み出す。(この時、起点は左足)
踏み出した右足を軸に起点となる左足を踏み出し、左足が着地した時点で
起点左足〜着点左足の歩幅を(一歩)・・・・ですよね
でも、それって
起点から着点までの線分の長さを測ったのであって(モノサシ)ではありませんよ
モノサシは約24cmと決まっているのです。
(あゆむ、あるく)の歩と、単位『歩』の区別ぐらいはつけましょうよ
955 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:04:23
>>951 愚痴こぼしている暇があったら
絶対的に動かしようのない理論でも考えて反論よろしく
長さは『モノサシ』を対象物に直接あて、数値化することを
小学校二年生の時習っただろう。
モノサシという道具が必要なのよ
>>951 その内、円周率が解明されてないから…
とか言い出すぞwwwww
957 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:07:13
>>949 >ちょっとした大雨や道路工事で
>痕跡すら失われている可能性が
>高いですね。
よく、卑弥呼の墓は「平原1号墳」だとか「箸墓」という方もいるが、
私はどれも違うと思います、
貴方の言うように「まだ未発見の卑弥呼の墓」ということ。
本当に消えてしまったのか?!
958 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:09:45
>>947 >もっぱら築造年代を争っているのが現実でwww
今までこんなこと誰も言い出さないから、年代に走ったんだろう
今更度量衡をネタに異議なんて称える勇気のある学者なんているのか?
そんなので今まで築きあげた地位と取引するバカはいないだろうから
959 :
愛知県民:2008/04/12(土) 23:10:21
>>952 ハテ? 貨泉は沖縄で出土してないと思いますが?
沖縄で出ているのは戦国・燕の明刀銭ですよね?
960 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:13:43
>>955 んー反論とか言われてもねえ
お前の前提に乗っかっての上では無理だなw
てかそれがまかり通るなら当の昔に
「箸墓が卑弥呼の墓の可能性がある」なんて言われなくなっているよw
まあ仮説の一つとして聞いておくが
現実を見たほうが良いぞwww
962 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:14:23
>>956 自分が今言ってること、自分で把握しているのか?
泣き言言ってる暇があったら、一撃にて沈めてしまう反論でも考えろよ
愚痴の一人前は、何の役にもたたないぞ
後は、お好きにどうぞ!
では帰ります....。
964 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:16:50
>>960 >てかそれがまかり通るなら当の昔に
「箸墓が卑弥呼の墓の可能性がある」なんて言われなくなっているよw
誰も気がついていないから
ここまでの流れになっているんだろう
965 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:19:33
さ〜っ
小学二年生算数の教科書でも見直せ〜
966 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:24:49
サガミハラハラさんはどこへ行ったんでしょう?
今、卑弥呼の墓について話し合ってるんだが、この空気を
貴方が言う「卑弥呼の墓=小城市桜ヶ岡」へともっていっちゃっていいですよ?
どれだけ多くの人を小城市桜ヶ岡説へと持っていけるかは貴方の頑張り次第(腕次第?)!
967 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:25:39
>>958 >>964 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>今までこんなこと誰も言い出さないから、年代に走ったんだろう
>今更度量衡をネタに異議なんて称える勇気のある学者なんているのか?
>そんなので今まで築きあげた地位と取引するバカはいないだろうから
そのバカの言うような事を、さも真実のように言うお前さんはバカ以下だな?
>誰も気がついていないから
>ここまでの流れになっているんだろう
凄いな!邪馬台国論争百年でどの学者も気づかなかった事をお前さんは気づいたわけだw
・・・てか仮説を言うのは自由だろうがもうちょっと現実に立脚した物を希望する(苦笑
プラムまでおかしくなってキテるな。
連投なんかして、必死過ぎる
酔っ払ってるのかもな
969 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:29:23
>>968 何か知らんが単位とか度量衡のお話に関しては絶対譲れない物があるらしいwww
970 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:35:05
>>967 ケツが青いぞ
認めたくないのは痛いほど分かるが、今、目の前でおきてる現実を直視する勇気も必要だ
971 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:38:44
972 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:39:20
>>970 >目の前でおきてる現実
と言うのはお前さんの書き込みの事かい?
まあモニターは直視しているから心配するなw
現実問題お前の言う根拠で「箸墓=卑弥呼の墓」を否定している本とかは見たことが無いなあw
まあ学者・作家でそんな事を言ったら物笑いの種になるんだろうが・・・
故に2ちゃんでしかお目にかかれない説だと言うわけでwww
973 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:41:55
トンデモ説の典型だなw
(1)自分の言う事は単純明快、誰の目にも真実!
(2)でもそれに気づいたのは自分だけ!
974 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:43:19
河童虫 ◆EY2wfgakAQ
VS
日本@名無史さん
卑弥呼の墓はどこか?
「平原1号墳」VS「箸墓」という形でみればよいのかな?
976 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:47:00
愛知県民さん
貴方は 邪馬台国=九州説から畿内説へと変えたんですか?
では卑弥呼の墓をどこにするのか? 答えてくれませんか?
977 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/04/12(土) 23:49:04
>>974 いままでの様子見ても分かるように、相手にもならない
だいたい
カラムわりには持ちネタ無さ杉
979 :
aratame_himiko♪:2008/04/12(土) 23:54:33
980 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:54:41
ほらほら! 972の日本@名無史さん
河童虫 ◆氏から、
>相手にもならない
>持ちネタ無さ杉 言われてるよ?このまま舐められたままでいいの?
982 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:56:23
そもそも倭人伝に出てくる数字に全幅の信頼を寄せるならば
奴婢千人だの邪馬台国が七万戸だのその他の数字はどうするって話で・・・
それを根拠のあるものとする傍証も無しに
「書いてあるからそうだ」と言われてもねえw
983 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:56:24
984 :
愛知県民:2008/04/12(土) 23:56:28
箸墓に限らず、卑弥呼の墓は「墳」ではないでしょうね。
邪馬台国=河内説が有力かもしれない。
調べてみよう。
985 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:56:29
神奈川県民さん、しっかりして!!
986 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:56:30
このスレでも、邪馬台国大和説のほうが優勢ですね。
というか、決まりじゃないのかな?
987 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:57:11
トリップつけろばか
988 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/12(土) 23:57:40
989 :
名無し◇ta:2008/04/12(土) 23:58:14
こうですか?
わかりません><
鳥もつけづに騒いでるあふぉコテはなんなの?
991 :
日本@名無史さん:2008/04/12(土) 23:58:59
>>984 >邪馬台国=河内説
と言うか距離から考えて纏向建設の主体は河内だった可能性が高いんじゃね?
993 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/13(日) 00:00:18
荒らしはスルー! みんな相手にするな
偽者が多いので鳥つけますた。。
1000 :
aratame_himiko17⇒16:2008/04/13(日) 00:03:12
↓荒らしの正体はたぶんこいつ!
2 :日本@名無史さん:2008/03/14(金) 00:27:20
16がないぞ
54 :橿原一派:2008/03/22(土) 15:49:12
こんにちわー
橿原一派、おまえ気持ち悪いんだよ!
1001 :
1001:
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