1 :
日本@名無史さん:
知識人や学者は専門的な分析が出来るし、
政治かも全員知識があるが、まったく実行力もないし、
積極的な行動力も勇気もなく、
将来的なビジョンやそれを実現する緻密な戦略もない。
ようするに、ことなかれ主義で世に流されるだけ、
すべてマスコミに煽られるままに政策を決める
後手後手の手段しか行わない。
当時の戦国大名も流れに乗って戦っただけで明確なビジョンが
あったのは織田信長だけ。
以前、堀江や小泉が平成の織田信長と騒がれたが、
彼らは明確なビジョンなく、ただ秩序を破壊し
混乱をもたらしただけで、結局失敗している。
織田信長は、どちらかというと魔王というより
庶民の味方であったし、自分も質素な暮らしをしていた。
2 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 14:25:09
信長なら、まず憲法を変える。
当然、軍事力は増強する。
反対派は間違いなく弾圧、生かしておかない。
核兵器は必ず使用する。
3 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 19:43:44
>>1 >積極的な行動力も勇気もなく、
それを言う前に、
ちょっと何かやっただけで「独裁だ」「ファシズムだ」と叫ぶ愚民がいちばんいかん、というのは認識せにゃあな。
信長は、それまでの監修をけっこうぶっ壊している。それも部下や民衆がいやがっても武力権力という背景を武器にごり押しをする。
共和制ローマにおいては、改革を求められたときに「独裁官」が時限式で存在した。変革や改革を本気で求めるのならば、せめて独裁者に見える者くらいは肝要に受け入れてやるくらいの度量というモノが民衆には必要になる。
その結果、自分が切り捨てられることになってもね。
変革、改革とはそういうものだよ。
4 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 21:31:17
>>2 君にふさわしい国は日本海の向こうにある。
万景望にのってお帰りください。
5 :
日本@名無史さん:2008/01/27(日) 23:07:16
6 :
正親町天皇:2008/01/27(日) 23:29:10
皇室を中心として和の精神でまとまってきた日本の国柄に信長のような独裁・扇動主義者はそぐわない。
7 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:21:28
将軍を中心とした過度な愛国主義でまとまってきた北朝鮮の国柄には信長のような独裁・扇動主義者がふさわしい。
8 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 00:59:39
>>3 何だかんだと否定され、それでも人気もある小泉純一郎だが、あれも一種の独裁者だものな。
郵政民営化では、その姿勢が徹底していた。
おかげで“郵便サービスが田舎で弱体化する”といういわゆる田舎の切り捨てが行われることになるわけだ。
日本の宗教勢力を武装解除させた功績は大きい
でなかったら明治維新はない
10 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 02:57:45
信長が完全に仏教を排除しておけば
日本 アジアの後進性はなかったかもしれない
11 :
日本@名無史さん:2008/01/29(火) 20:26:07
宗教と発展の関連性を説明してもらいたいな。
>>9-10はヨーロッパがキリスト教圏であったことも知らないの?
13 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 14:48:26
今の価値観で過去を語るな、というけど、
まず
>>9-10にこの言葉を贈りたい。
しかしアレだな、自分の末期も想定できない信長に、
300年後の日本を考える頭があるとでもいうんだろうか。
14 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 18:23:15
↑末期ではなく末路だ
15 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:21:47
信長は統一したらおそらく東南アジアに目を向けていただろう。
ヨーロッパが植民地として他国を侵攻してるのは耳にして危機感もあったとの
事だし。
夢や理想では国は作れず、ただ敗北して惨めな運命になる事を自覚してただろう
当時の世界世代に乗っ取り武と効率的な市場作りを目指してたのも事実。
ま、人の事など全く気にしない俺様主義が敵を多く生んだ結果もまた事実。
能力は優れたが人徳無しってとこですな
16 :
売国企業マルハン :2008/01/30(水) 20:34:27
17 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:47:15
やはり天才と言われるゆえんは記憶力とか知識とか、頭の回転の
早さじゃなくて、性向だと思います。よほど他人と違う性向を
もっていなくてはこれだけの偉業は達成不可能だったと思います。
18 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:45:39
信長なんて普通の人間だよ
浅井朝倉と手を切ったら領地を返してやる
断ったら焼き討ち皆殺しするそと警告してるのに断ったから延暦寺は焼かれたニダ
20 :
日本@名無史さん:2008/01/31(木) 20:45:09
比叡山は武力集団を抱えていたからある程度その行為は理解できる。
ただ長島や越前での非戦闘員を巻き込んだ大量虐殺はマトモじゃない。
もし天才なら、これによって後々自分への反感が増すことを察するはずだ。
生憎信長は、こういったことに全く鈍感だった。
戦国時代は、いわゆる技術革新の時代だったのではないかな。
武田信玄とか織田信長は、技術開発に精力的だったよね。
そういう観点から見て、保守的な人間が嫌いだったのだろう。
22 :
現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 11:57:21
http://www14.atwiki.jp/415mattari/ 篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。
皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。
現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。
不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
23 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 04:09:42
>>20 ほっとくと狂信者が特攻するから殺しとかないと自軍にさらに被害が出るだろ
24 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:31:21
>>23 本当に軍事の天才なら、その狂信者を味方につけることが出来る。
信長は好んで敵を増やしたマヌケ。
25 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 20:31:57
信長は宗教弾圧をしたわけではない。
26 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 20:52:42
そう、大量虐殺をやっただけだ
27 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:57:19
信長公は天才だ
28 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 23:12:35
スケートしてる男の子か。マオマオのが天才でしょ。
尾張なんていうちっぽけな国の更に一部しか所有していなかった状態でよくあそこまで・・・
30 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 20:37:34
それいうたら秀吉の方が何千倍もすごいで
宗盛と秀頼は逆神って事で
32 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 21:39:57
信長は親父からもらった財産を何百倍にもふやしたけど
自分でそれを使い果たしたアホウ
33 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 00:51:37
明確なヴィジョンをもっていたら配下の明智にあれほど無残な形で滅ぼされていなかったと思うけどな。
明確なヴィジョン持ってても、それを上手に相手に伝える表現力が無かった
35 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 20:39:00
それなら持ってないのと何ら変わらない
36 :
みかど:2008/02/16(土) 20:55:40
信長 いなかったら、日本わ、アフリカみたいになってたよ
37 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:04:28
しかし、地球儀をもらって地球とはこういうものだと、よくすぐに理解できたなあ
オレがあの時代に生きていたら「うっそ〜、またまた人を担ごうとして〜〜」とか
思うだろうな
それは理解力に欠けるな
39 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 23:51:52
>>24 お前のような虫けらには、信長を間抜け呼ばわりする資格すらない
>>36 んなこたあない!信長のような成り上がりがいたら中国大陸のように易姓革命の連続だったろよ、
41 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 04:42:56
今の時代は一人の豪傑に頼る政治体制じゃない。現代に織田信長が居たとしても、必ず反対勢力があり、それを力で押さえることは許されない。庶民を含めて、全ての人が様々な権利を認められて居るからね。
42 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 08:42:43
もうちょっと長生きしていたら、朝廷潰して天皇を追放し、東南アジアへ進出するが欧州勢に反撃を喰らい、逆に日本への進出を許し・・・
って感じかな〜〜〜?
43 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 20:49:40
本能寺で敵に囲まれている状態で、どうやってもう少し長生きできるのかと小一時間問い詰めたい。
44 :
みかど:2008/02/18(月) 21:53:39
信長は、山賊、海賊、盗賊.を.倒すために、戦ったのだ、
濃姫が寝た後、隠し部屋で、1人で、目お赤くして泣いてたのだ、
。こんなん、書かせるな。
45 :
みかど:2008/02/18(月) 21:55:00
紅。
46 :
1111111111111:2008/02/18(月) 22:57:06
もうミンナ『民主主義の相対性』に飽き飽きしてきたんだろ
『自由』と名のうった批判がもっともらしく見えてもその実
単なるケチつけという事も多いしな
47 :
日本@名無史さん:2008/02/19(火) 21:05:59
「自由」の意味を履き違えている馬鹿が多い。
48 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 00:19:05
>>41 >庶民を含めて、全ての人が様々な権利を認められて居るからね。
ちょっと勘違いしているようだけどね。
知ってる? 戦国時代、隣国を攻めてそこの大名を討ち取ってもその国が手にはいるという保証はないんだよ?
ヒント、民衆(農民)
小泉は、充分に信長的にやったと思うがな。
49 :
みかど:2008/02/20(水) 05:20:39
格差社会
50 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 05:26:52
2チヤンネラーは、間違いなく比叡山と同じ運命だな!
天才というか、従来の戦法スタイルを変えた改革者だな
>>50別に抵抗しなけりゃ、殺される筋合いないだろ
53 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 13:05:31
>>50みたいに知能が停滞したままの馬鹿が今も存在していることに少々驚いている。
54 :
日本@名無史さん :2008/02/20(水) 13:14:01
55 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:03:48
>>52 比叡山は直接的に信長に抵抗したわけでなく、ケンゾ(中立の意味)を誓えと信長に
言われたんだけど、なぜ信長ごときに誓わないといかんのだ、と返事しなかったんだよな
>>55 それを抵抗と言わないか?
だいたい宗教勢力がどっかの勢力を組すること自体が間違ってる
57 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 19:25:41
>>52 >抵抗しなけりゃ、殺される筋合いないだろ
何かのんびりした発想だな。
筋合いはなくても殺されるっていう状況はいくらでもある。
お流行の“虐め”なんて最たるモンじゃねえか。殺されないだけで。
58 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 21:10:02
信長の政治が嫌だから抵抗したんだろ。
>52は選挙で絶対与党に投票するのかよ。
あ、ひきこもりだから選挙もいかねえなw
59 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 00:42:01
京の公家や堺商人も一歩間違えれば、信長に殲滅されたはず……。
ただ公家や商人は、やはり利口だった。彼ら彼女らは、したたかだった。
一般的に公家や商人は、ひ弱なイメージがあるが、
実は全然違う──。信長のおかげで、それが良ーく分かった。
60 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 00:50:29
どこからそういう結論が出るの?
61 :
日本@名無史さん:2008/03/15(土) 09:21:56
>>24 >本当に軍事の天才なら、その狂信者を味方につけることが出来る。
信長は好んで敵を増やしたマヌケ。
信長が敵にした連中こそが、日本社会を停滞させてる腫瘍だという初歩の初歩さえ知らない論外の無知
62 :
武陽隠士:2008/03/15(土) 19:03:59
>>17 >>やはり天才と言われるゆえんは記憶力とか知識とか、頭の回転の
>>早さじゃなくて、性向だと思います。よほど他人と違う性向を
>>もっていなくてはこれだけの偉業は達成不可能だったと思います。
このスレの中で唯一、俺が心引かれたのがこのレスだ。
ただし、その性向とやらを詳細に語ることができたば場合にのみ、だ。
もしきちんと語ることができなければ、貴様はただ
言葉の綾で人を丸め込もうとする詐欺師と同じだ。
その性向とやらをきかせてくれ。話はそれからだ。
63 :
日本@名無史さん:2008/03/15(土) 21:02:43
>>61 信長みたいな為政者がいたら日本は途上国の不安定政権みたいになって、
毎日暴動やらテロやらにおびえる生活だ。信長がいつ民間人虐殺しないとも限らない。
やはり信長は、いいときに死んでくれた。
64 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 00:14:18
>>63 馬鹿だな、お前
お前の妄想を史実に割り込ませるな
65 :
日本@名無史さん:2008/03/18(火) 20:22:27
>>61 馬鹿だな、お前
お前の妄想を史実に割り込ませるな
66 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 13:50:00
↑
小学生低学年レベルの精神年齢と知能の雑魚
中二病ほど信長を支持する
68 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 20:11:49
>>64 信長は大量虐殺した残酷極まりない人間
これが史実
信長は部下に見限られるほどの阿呆
これが史実
69 :
日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:10:27
信長の一向宗弾圧を政教分離というなら、
今の中国のチベット仏教弾圧も政教分離だな。
つまり信長は中国人ということで決まりですね?
70 :
日本@名無史さん:2008/03/22(土) 23:14:05
信長が、敵を増やすようなやり方しかしなかったバカ。
に見える連中というのは、
現在の政治家が保身のためだけに動いていることを批判はせんのだろうなぁ、と思ってしまう。
信長を虐殺者というのはいいが、他の武将は虐殺をしなかったのか? ということが気になる。
大井の方などは、「私は晴信という鬼を産んだ」と戦争ばかりやっている信玄を表している。
信長は勢力を広げたし、それが秀吉、家康の日本統一の足がかりになったからその所業がクローズアップされるだけ、だと思うが?
71 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:24:25
百人の天才がいれば、百通りのタイプがあると言っていいだろう。
だが、ただ一つ共通項がある。それは創造者だと言うことだ。
信長は破壊者と見られがちだが、様々な側面で革新的であり、後の時代に多大な影響を与えた点で天才と言う評価は妥当だろうな…
72 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 02:53:34
信長の弟子である秀吉はバテレン禁教に走るんだが、それはやはり師匠信長もそういった路線の人だったのだろうか?結構気になる研究テーマだと思う。薩摩なんかバテレン禁教と共に念仏停止までするんだが。
73 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 20:52:29
>>70 家康も秀吉も保身のためだけに動いたのではない。
これくらい区別してくれないと話は進まないよ
74 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:51:52
>信長を虐殺者というのはいいが、他の武将は虐殺をしなかったのか? ということが気になる。
「ボクだけが悪いんじゃない」って言い訳にもならない言い訳してる小学生みたいだw
75 :
日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:49:18
>>73 >家康も秀吉も保身のためだけに動いたのではない。
おいおい、信長だってそうだろうによ。
>>72 キミのその幼稚な発想はどうにかならんのか、とも思うが。
「信長が非難されて、同じレベルのことをしている他の武将が非難されないそのメカニズムはなんだ?」ということを言っているんだがなぁ(信長が天下統一直前までいった、という派手な側面を持っているから目立っただけだろうという皮肉を込めて)。
まぁ、キミは虐殺などやっていないだろうから、「えらいねぇ」とお母さんや先生にでも誉めてもらっておきなさい。
76 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 10:46:57
>>68 馬鹿は一生馬鹿だってことは、こいつの馬鹿さ加減でよく分かる
>信長は大量虐殺した残酷極まりない人間
これが史実
大量虐殺は合理的裏づけのある戦略であり政治だ
気まぐれや酔狂で殺したのではない
戦で敵方を殺すのと本質は同じ
>信長は部下に見限られるほどの阿呆
これが史実
他国者を積極的に重用抜擢したのは信長のみ
彼らを活用して飛躍的な成長を遂げたのも信長のみ
野心溢れる彼らの中の数人が、競争激しい織田家内で消耗し反乱に走ったとしても別に不思議なことではない
他の戦国大名は信長のようなリスクを犯していないのだから、謀反されないのも当たり前
というか、信長のような家中改革する気概も能力も無く、旧態依然たる組織を維持するのに汲々としてただけ
それに光秀の謀反は、それ以前の反逆と同一視するのは浅薄早計
>信長のような家中改革する気概も能力も無く
結果的に失敗しているから、やっぱりアホだったわけだよな。
盲目的な肯定しかしない馬鹿を信者と呼ぶ。
78 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:04:19
>結果的に失敗しているから、やっぱりアホだったわけだよな
ロクな改革もせずに信長に滅ぼされ、又は滅亡直前まで追い詰められた敵性大名は、比較の対象にもならん糞以下
79 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:05:17
>>77 >失敗しているから
あほと失敗は無関係。それがわからないお前のほうがよほどか「あほ」
有名すぎるエジソンは、成功の影に成功の数倍に及ぶ失敗をしているわけだから、相当のあほということになる。それも、成功したものの中途段階での失敗ではなく、最終的に形にもならなかった「失敗」だからな。
盲目的な否定しかしないやつのことも「あほ」という。
一般的に、会ってもいない(それも歴史上の)人間を評価することじたいが「あほ」
やったことじたいの評価はおおいにすべきだ、が。
80 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:10:01
>結果的に失敗しているから、やっぱりアホだったわけだよな
そのアホに束になってかかっていっても、ことごとく跳ね返された連中は、いったいナンなんだ?
お前と同類の虫けら以下の最低の侮蔑の対象たる何の役にもたたない廃棄物か?
盲目的な否定しかしない馬鹿を下等生物と呼ぶ
81 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 13:13:45
>会ってもいない(それも歴史上の)人間を評価することじたいが「あほ」
会った事の無い人物を評価できないとのたまう愚かさは頭の不自由な知恵遅れとしか言うしかあるまい
客観的事実を考察すれば、正常な人間なら真っ当な評価は可能
82 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 16:46:06
>81だけまともな書き込みだった。
83 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:26:31
>客観的事実を考察すれば、正常な人間なら真っ当な評価は可能
「あほ」というのは人格である。性格である。本質である。
で、その人間がおこなったニつ〜三つの事例、(なんなら十個ほどの事例)をして、本質を言い当てられるのか?
その人間が生まれて死ぬまでの間、そのニつ〜三つのことしか行わなかったというのであれば、それもいい。と言うよりもその通りなのだろうが。
信長とて、飯を喰らい、女を抱き、部下を誉め、貶す。
どんな残酷な人間でも、蜘蛛の命を助ける。
お前はその総てを知っているのか? 超能力者か?
なんなら、泥団子を二つくっつけて、「1+1=1だ!」と言い切ったエジソンはやはりあほだ、ということだろう。
そして、やはりお前も……。
84 :
日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:50:31
信長は今で言うKYだよ
だから殺された
85 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 10:14:01
→83
君は公私混同って言葉知ってるか?
評価の対象は公人としての行為行動だ。
道義上道徳上の問題が無い限り、私生活は評価の対象とはならない。
86 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 12:33:58
>>85 だからさあ、
出自をとわず登用し、一向宗は徹底的に弾圧した。失敗には場所を選ばず罵詈雑言を浴びせ、必要と判断した出資や報酬は惜しまない。例外や凡例に常に疑問をもち、時には無視をし、故に反感もかったが、聖域のない合理的な改革、変革を追及した。
信長がやった政策、戦略は《総て》バカなことだったのか? それとも《総て》すばらしいことだったのか?
それとも、ひとつでもバカなことをやれば、その総てがバカになるのか?
だったらこの世はバカの見本市みたいなもんだ(君はそうでないのかも知れんが)。
エジソンもアインシュタインも、スッラ、シーザー、み〜んな、あほで間抜け。
87 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 20:12:56
質問なんですが、
>>1は庶民の味方と書いてるけど、
具体的にどのような事をしたのか教えてくれませんか。
越前や長島で虐殺された人々は兵士ばかりではなく、
一般庶民も含まれていたと思います。
それとも彼らは庶民ではないというのでしょうか?
それとも殺すことが庶民の味方の行為なのでしょうか?
>>1さん、感情的な話では誰も納得しません。
楽市楽座がいったいどのような政策であり、
これによってどのような経済波及効果があったのか、
あなたの妄想ではなく史実を語っていただければ納得する人も大勢います。
88 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 14:41:33
86
書き込みの趣旨が全く的外れなんだけど・・・
馬鹿なのか故意の論点のはぐらかしなのか不明だが、社会で有能と評価されていない人物であることは、
まず間違いなかろう
89 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:23:38
87の質問に答えられないため遁走した模様
90 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:38:19
信長と平清盛は日本人には珍しい合理主義者。
91 :
日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:50:15
具体例を示せ
92 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 20:17:13
>>88 >社会で有能と評価されていない人物であることは、まず間違いなかろう
ようは、みんながそういっているから、そう思ってない人はおろか、だと?
どんな社会にもいるが結果だけで判断するヤツだな。
その計画が動き出したことを知っていながら黙っていて、結果がダメだったら、メタクソに言うタイプだろ?
で、成功したら、「よくやった。うまくいくと思っていた。おまえは天才だ」とか言ってすり寄ってくるタイプ。
93 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 20:59:25
わかったから信長のどこが庶民の味方なのか具体的に説明しろよ。
楽市楽座の経済波及効果について、ぜひとも頼むぜ。
94 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:38:41
信長は使えるか使えないか
エロいかエロくないかで男を選ぶ合理主義者
95 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:42:16
>>92 世の中結果が全てだよ。そのために頑張る。
お前のこのスレでの努力は結果に結びつかない。つまり無駄。
96 :
日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:54:56
世の中結果がすべてではない
それに至るルートも大切
でないと成功してもずっと自分に自信がないまま
それは結構辛いこと
成功した奴ならわかる
俺には一生わからないだろうがな
97 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 20:36:49
>>95 >世の中結果が全てだよ。
ということは、最終的に倒されるような幕府をつくった、
頼朝、尊氏、家康はバカの中のバカだな。倒幕されないような組織作りができなかったんだから。
政権を維持できなかった清盛もそうなら、朝廷を乗っ取りきることもできなかった藤原鎌子、もそうだ。
こんな調子でバカ認定していったら、頭の良い奴ってのは誰が残るんだろうな。
あ、おまえがその数少ない頭の良い奴なんだったな。
98 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 11:59:11
99 :
尾州男児 ◆7VELMWok.E :2008/03/31(月) 13:24:54
織田信長公は朝廷側の武将であったと私は思います。
今川義元を討つ合戦(俗にいう桶狭間の合戦)の前に
熱田さま(熱田神宮)に何度も勝利祈願に訪れたときいたことがあります。
また上洛の際にこそ足利義昭を利用しましたが、
後醍醐天皇の建武の中興に離反した、
日本史上最低最悪の賊将である足利高氏が開いた
足利幕府を滅ぼしたのですから
織田信長公に私は敬意を表したいと存じます。
100 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:25:51
教科書、に、洗脳されてる人が居る。
101 :
日本@名無史さん:2008/03/31(月) 20:59:00
>>97 つまり信長もそのた大勢の一人という事を認めるんだな?
どうでもいいから、いい加減楽市楽座の経済波及効果について語ってくれ
わからないならわからないって言えよ
102 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 20:29:30
無言は最大の雄弁、とはこのことですなw
もし、信タンが現在にいたら、たちの悪い在日達をどう処分するのだろう?
104 :
日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:10:53
それ以前に日本がミャンマーのような独裁軍事政権国になって、
俺もお前もデモ隊に入り鎮圧される一般住民。
105 :
日本@名無史さん:2008/04/04(金) 01:01:00
>>92 論点不明確の支離滅裂な乱文
書き込めば書き込むほど、己の阿呆さをさらけ出している愚民
106 :
↑:2008/04/04(金) 05:00:04
笑い者
107 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:59:04
で、楽市楽座を語ってくれるはずの
>>1が遁走して失笑を買っている件
108 :
日本@名無史さん:2008/04/05(土) 21:03:16
>>97 >頭の良い奴ってのは誰が残るんだろうな。
いずれ、パソコンというメディアもなくなる。
そんなものを開発したメーカーは「バカ」にのしをつけてもいいだろう。
いずれ、自動車という交通手段もなくなる。
そんなものを開発したり、あまつさえ模倣しているメーカなどオツムがたらないとしか言いようがない。
エジソンは、電球を開発したが、電力効率面で蛍光灯に負けているから、彼はバカの中のバカだ。
まあ、信長もそれらといっしょというわけだ。
たしかに、モビルスーツを開発して戦争に導入していれば日本を統一できたわけだから、それをしないいじょう、信長もバカだな。
109 :
秦羅百済 ◆UnANamicwI :2008/04/05(土) 21:22:10
今で言うとLDだろ
織田信長公は尾張国から出た英雄だと思います
英雄には違いないし天才は確かだろう。
でも日本史上トップにはなれないし、世界史的な話で言うと全然ダメだ。
オレが信長だったら森蘭丸がほしい☆彡
113 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 02:35:29
>>111 >世界史的な話で言うと全然ダメだ
世界史の知識も無い奴がよう言うわ(笑)
114 :
↑:2008/04/18(金) 15:03:13
と、日本史はおろか信長そのものの知識すらない馬鹿が涙目で悔しがっています
115 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 21:14:23
信長が天才たるゆえん、結論から言うと
弟を呼び出してだまし殺す・・・結論から言うと常人では無理
秀吉を21歳で子飼いにする・・・結論から言うと常人では無理
桶狭間で勝つ・・・・結論から言うと常人では無理すぎる
最初から天下取り以外考えてなかった・・・結論から言うと常人では無理
天守閣を作る・・・結論から言うと常人では無理
比叡山を焼き討ち・・・結論から言うと常人では無理
自分が神だと言う・・・結論から言うと常人では無理
宗教を信じない・・・・結論から言うと常人では無理
116 :
愛のエメラルド:2008/04/18(金) 22:23:48
駿河大納言忠長卿と織田信長の顔が瓜二つ、よく似ていたらしい。
忠長卿は徳川家の次男坊だがやり手。
一を聞いて十を知ると言ったたぐいの秀才だったらしい。
大井川に橋を架けたり弾丸道路を造ったり
農作物を食い荒らす浅間山の猿を懲らしめたり
徳川家光と正反対の慣習に拘泥しない大人物だったらしい。
117 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:41:47
秀吉、家康を見出したあたりは天才だ。
天才だということは認める。
でもその秀吉と家康、足利義満、北条義時、源頼朝、平清盛は信長より上位。
本能寺の変の影の黒幕って正親町天皇って本で読んだがホントかな?
皇太子の誠仁親王に譲位がどうのこうのとか、(・・?)
119 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 01:06:55
実行するか否かは別として、当時、それなりに武力権力や権威を持っていた輩は信長が邪魔だったとしてもなんの不思議もないからなぁ。
実行犯でないとするのなら、どの人にも状況証拠はある。
120 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 15:41:01
チベットの為に何か手助けしたいとお考えの貴方。
シャツの右ソデをまくり上げて肩まではだけて下さい。
中国人にはそれだけで日本人の怒りが伝わります。
右腕をはだけるのはチベットの僧衣を意味します。
日本人みんなが右ソデをまくり上げていれば全世界に日本人の真意が伝わります。
時間がありません。
このコピペに賛同していただける方々はできるだけ大勢に広めて下さい。
121 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:49:10
孫正義とかホリエモンとかは行動力とバイタリティだけはあったんじゃないのかな。
金の亡者だし自己中だろうがそれは信長も一緒だろうし。
まあでも結局は既得権益をやっつけるほどのインパクトはなかったってことだけどね。
今は橋下に期待してるけど今のところ抵抗勢力が強すぎて難しそうだね。
122 :
日本@名無史さん:2008/04/25(金) 14:34:33
114 = 日本史はおろか信長そのものの知識すらない馬鹿
信長は天才よ、平家の末流だもの、滅び方も平家的だったが。
124 :
日本@名無史さん:2008/04/25(金) 21:48:00
信長は天才だけど、信長を崇拝する奴は馬鹿
125 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:45:26
>>124 >崇拝する奴は馬鹿
それが正論なら、歴史上の有名人を崇拝するヤツ、はおろか今生きているヤツの「ファンです」なんてヤツはみんなバカ。
で、
そういうヤツは、自分以外をまったく認められないってヤツで、いわば「自分以外はすべてバカ」っていう人種だからお近づきになりたくはない。
遜ろうっていう観念が欠落しているから、薄っぺらいアイデンティティーを失ったときに噛みつかれるに決まっている。
126 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 02:20:08
フジテレビを5000億円という破天荒なお金で買い取ろうとし、メディアを支配しようと画策した堀江は現代の信長のようである。
また郵政民営化という日本行政の歴史を覆し、800兆の赤字を黒字にしようとした小泉大臣も信長的な考え方であろう。
127 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 05:13:32
>でもその秀吉と家康、足利義満、北条義時、源頼朝、平清盛は信長より上位
たしかにその通り。
信長は参議まで上りつめたが、秀吉、清盛は関白。家康、頼朝、義満、義時、などは将軍であり政権を握っている。
信長は政権を握ってはいないからな。
128 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 11:43:02
信長の幻想 = ホリエ門世代かな
>>127 正親町オウギマチ天皇と当時の藤原摂政関白はもめたのよ、のぶりんに征夷大将軍を宣下センゲするかどうか、あげたら最後、独裁になることは目に見えていたから、様子見でじわじわ懐柔策、結局本能寺で始末されたけど(有力将軍候補武田を織田徳川が討ち取ったあと)。
130 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 20:47:44
で、
>>1は楽市楽座の経済波及効果について語ってくれていない件
131 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:23:38
>>126 >また郵政民営化という日本行政の歴史を覆し、800兆の赤字を黒字に
大当たり。
その効用や結果がどうなるのかは別として、そのやりようそのものは信長的なもの。
小泉なんか今でも地味〜に叩かれてはいるが、数十年後、大改革を成功させ、その後の日本の経済成長の端緒をつくったということになるかも知れん。
古代共和制ローマで独裁官ってのが時限式で設置されることがあったが、改革ってのを本気でやらにゃならないなら独裁者が必要なんだろうなと思う。
むろん、とんでもない方にすっ転ぶことも考えられはするが、どんなことにも反対勢力は存在する。
「民意が反映されていない」なんていう政治家、そしてマスコミの言葉なんていうのは嘘っぱちにすぎない。
なぜならば、大半の国民がそれを望むなんて政策があるはずがない。
二十人の世界での二割の反対と一億からいる二割の反対では同じ二割でもその規模が違う。
132 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 14:30:19
信長は北朝鮮やミャンマーの独裁政権と同レベル
まで読んだ
133 :
日本@名無史さん:2008/04/28(月) 22:30:24
地上の楽園を築いた金日成の方が信長より遥かに上だろ?
朝廷をたおしてのぶりんの独裁となれば
王政崩壊後のエチオピアかも(・・?)
135 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 08:24:11
楽市楽座だけ見てたら経済効果なんてわからんだろな
経済効果云々なら関所廃止・荘園廃止・兵農分離・街道整備・城下町整備
・軍規確立・通貨統一・貿易の一手管理・水運開発等々までは最低限手を広げにゃ。
信長だけでは話が完結せんようだしの(完成は明治〜大正あたりか?)
136 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 13:26:38
だれか安土城の城跡にいったことある?
138 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 00:22:21
信長が日本国内にとどまっていたから英雄とは言えない?
信長が本能寺をこっそり脱出して満州に逃れてヌルハチとなのって清を建国したのは有名な話なのだが。。
>>97 いやいや、最終的に『アホ』と認定される
>>95はやはりアホだが
最強のアホだろう・・・
ホームラン・・・いやビッグバン級の
140 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 02:22:41
結果が総て
全く同感
>>124 度合いによるな
妄信的だと本物の馬鹿
内容を理解しての信者なら普通
142 :
日本@名無史さん:2008/07/17(木) 19:04:17
このすれでは信長が英雄かどうかではなく天才かどうかを問うているのだね。。
天才じゃないの?
信長之登場背景が応仁の乱と戦乱を極めてから登場してるからね
今の日本もまだまだ混乱しだした最中だろう
信長公は天才だ。
145 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 15:05:34
どんなに優秀でも部下に殺されたということはそういうことだ
146 :
日本@名無史さん:2008/08/12(火) 12:28:33
>>145 家臣に殺されようが天才は天才。
じゃあ家臣に殺されず天寿を全うすれば有能なのか?
147 :
日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:01:34
暗殺された坂本竜馬を無能だという知識人はいない
信長も本質は同じだよ
148 :
日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:17:11
無能なんて誰も書いていないんだが。
149 :
日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:21:50
150 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 02:13:42
天才的ぐらいがちょうどくらいでは
151 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 02:28:25
天才的がどうかは知らんが、運が良かったことは確かだな。
直前の天候の急変がなければ、桶狭間は単なる無謀な突出で、今川の属国だし。
美濃の斉藤義龍が急死してなけば、生涯美濃と尾張で国境の戦だった可能性が高い。
あまり天才?的な部分は思いつかん。
宗教を敵視したのは先を行きすぎていた
竜馬と信長の殺され方はちと違うような
竜馬の暗殺には落ち度はないと思うけどね
154 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:44:20
宗教勢力と戦ったのは信長が最初ではないことを知らない奴がいる
155 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:05:13
最初じゃねえ
156 :
日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:30:07
比叡山にしかなかった歴代の天皇の記録のような貴重な文献が燃えてしまったらしい。
こういう奴が文明を破壊する野蛮人の典型。
157 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 05:28:31
>比叡山にしかなかった歴代の天皇の記録のような貴重な文献
何それ?
そんなんが何故比叡山にあるんだ?
158 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:19:33
>>156 何それ?記紀原資料の「帝紀」「旧辞」が比叡山にあったてか?
毎度のセリフで何だがソースは?
159 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 13:01:26
桶狭間で今川義元の首を取ったのはやりすぎの感がいなめない。
天才というよりDQN、害基地の所業だな。
160 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 13:27:14
161 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:14:06
信長は敵を撹乱するために手勢を繰り出しただけ
義元の首は瓢箪から駒
162 :
日本@名無史さん:2008/08/26(火) 08:56:11
>>154 >宗教勢力と戦ったのは信長が最初ではないことを知らない奴がいる
そいつらは世俗から宗教勢力の影響を駆逐できたのか?
ほんのちょこっと上っ面の抗戦をしたくらい、別段意味もない。
163 :
日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:48:00
「宗教勢力と戦ったのは信長が最初ではない」
日本語、読めるかいチョン君。
164 :
日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:09:12
165 :
日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:50:18
>>163 結果はともかく、宗教勢力と戦う事自体に意味があるように書き込んでいるから、
その考えの無意味さを説明してやっただけ。
上っ面の思考しかできのか?
166 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 20:53:12
>できのか?
>できのか?
>できのか?
>できのか?
チョンだから日本語が不自由なんだな。
信長を尊敬するのはチョンばかり。
チョンは秀吉嫌いだもんなw
167 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:41:09
日本は元々宗教に対して寛容で、宗教戦争と呼ぶにふさわしい戦いなどない。
信長の「政教分離」なんていうけど、信長にそんな思想などないのであって、
たまたま信長の覇道に立ちふさがったのが比叡山や本願寺など宗教勢力だったということ。
ま〜信長ヲタが、「政教分離」がなぜ素晴らしいことなのか、
説明できた例は見たことないな。
ただ信長の残虐行為を正当化しているだけとしか思えない。
168 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:46:05
>>167 現在の世界を見回してみると政教分離、すばらしいことじゃないか。
あんな暴力団みたいな武闘派僧兵aka宗教テロリストどもが力持ち続けたらめんどくさいことになってただろうよ。
平安時代のめんどくさい比叡山の輩みてもそうだし、室町時代の一向宗なんてほんとイスラムの過激派みたい。
で、信長だって当時の宗門の対立(武力抗争)とかは知ってただろうし、ある程度は政教分離に近い構想は持ってたんじゃないかな。それでも世界史によくあるような、宗教そのものの弾圧はしてない。うまいことやったと思うよ。感情だけでは動いてない証拠だと思う。
信長は宗教について寛容ってか当時として当たり前の日本人の一般的宗教感を知ってたに過ぎないんじゃないかな。それを見越して武力は鎮圧すれど思想の完全弾圧にまでは踏みこまなかったんだと思う。
で、石山本願寺攻略後とかに敷いた飴と鞭的な政策は素晴らしいなって思う。大袈裟に言えば大戦後のアメリカの日本に対する政策みたいにも通じる気がする。つまり日本人ってのがどういうもんか、ってのをわかってたのかも知れない。
仮に信長が中国史の人物だったら徹底的に弾圧してたと思うな。
で、逆に、当時信長が強行した「残虐行為」以外で、あの宗教テロリストどもをどうやって押さえこむ事ができたと思っているのかを貴方にお聞きしたい。ちなみに言うと「残虐行為」という観点で見れば一向衆も「残虐」な「行為」をしてるわけだけどね。
>>167 >日本は元々宗教に対して寛容で、宗教戦争と呼ぶにふさわしい戦いなどない。
法華宗による山科本願寺焼き討ち、比叡山が六角氏と組んで法華宗寺院を焼き討ちした天文法華の乱は
信長が生まれた頃の事件だ。本願寺の本拠地が石山に移って城塞化したのも、山科本願寺の焼き討ちの影響も大きいくらい。
天文法華の乱では京の街が焼け、その焼失面積は応仁の乱の被害に匹敵するくらい。
ちなみに叡山が法華寺を焼き討ちする際には、本願寺はもちろん東大寺や高野山等にも援軍を頼んでます。
法華宗はその他宗への攻撃的な教義から、そういう行動に出るのも解らないではないが
比叡山にした所で、同門とも言える三井寺との抗争を繰り返した歴史がある。
政教分離が必要なのは、宗教とはあくまで理想論であって、政治とは紛れもない現実社会の出来事だからだ。
だから政治の舞台では、時に妥協が必要な時もあれば時に倫理的には悪に見える手段を取らなきゃならない時もある。
ある宗教にとっての正義が、別の宗教にとっての悪だったりするしな。
一つのイデオロギーに凝り固まった者は、別の考え方があることを理解しようとしないし、受け付けない。
同じ考えの者同士が集まり、当然別の考え方をする者は敵だという事になる。それも悪い事には、自分が信じる仏(神)の敵ということに。
この対立は、一方がもう一方を完全に叩き潰すまでは終わらないドロドロの対立。
行き着く先は血みどろの殺し合い。これではまともな政治が出来る訳はない。
信長も神社参りしたり神罰恐れたりしてるので、無神論者だったり政教分離考えてた訳ではない。
結果的にそれっぽくなってしまっただけ。
>>170 信長が無神論者だったわけでは無いのはその通りだが、
宗教団体が、政治に圧力をかけてきたり体制に武力で逆らう事は許さなかったよ。
キリスト教の布教も許したし、反抗してきた一向宗や天台法華宗に対してさえも禁教令は出してない。
逆に聞きたいが、政教分離を考えてた訳ではないと思う根拠は何なの?
172 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:00:57
宗教テロリスト?
自分たちを殺しにきたから武装して身を守ったんだろうが。
長島や越前の人たちは大人しく殺されてろというのか。
むしろテロリストは信長だ。
173 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:04:55
信長=中国政府、ミャンマー独裁政権
一向宗=チベットやミャンマーの仏教徒
「政教分離」が素晴らしいと思っている奴の良識を疑いますな。
174 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:14:37
>一つのイデオロギーに凝り固まった者は、別の考え方があることを理解しようとしないし、受け付けない
自己紹介乙w
>>172 誤解してるようなんで言っておくが、喧嘩を売ってきたのは一向衆側だぞ。
摂津に侵攻してきて、京を目指そうとしてきた三好勢らを迎え撃つために対陣してた織田軍に
横合いから襲いかかってきたのは一向衆だ。
信長の弟の信興を責め殺したのは長嶋の一向衆で、
朝倉氏滅亡後のまだ、統治が完全じゃない時に、信長が置いて行った代官を
攻めて国を奪ったのは加賀、越前の一向衆だ。
仕掛けてきたのが一向衆で、信長はその混乱を鎮圧して回った…って訳だ。
176 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:37:03
一向宗にしてみれば、あとから京にきた信長は侵略者であったわけ。
>信長の弟の信興を責め殺したのは長嶋の一向衆
さきに信興が長嶋を攻撃したんでしょ。
>信長が置いて行った代官を攻めて国を奪ったのは加賀、越前の一向衆だ。
朝倉を攻めて国を奪ったのは信長だ。
177 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:38:47
>感情だけでは動いてない証拠だと思う。
同感。信長を動かしたのは『利害』だよね。
>>176 本願寺を京都山科から追い出したのは、細川晴元と法華衆だぞ。
信興が長嶋を攻めたなんて聞いた事もない。
朝倉が滅びた事が、一向衆に何の関わりがあるんだ?
言ってる事が目茶苦茶だぞ。シッカリしてくれ。
一向宗は信長の越前支配を拒んだ、ということでは。
彼らだって国主を選ぶ権利くらいはあろう。
180 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:55:24
>>178 チベット自治区の奴らが先に喧嘩を売ってきたんだと言いたいことはわかった。
とりあえず中国に帰ってくれ。
>>179 越前吉崎御坊と、朝倉氏の対立は知ってて言ってるんだろうか?
宗滴と一向衆が九頭竜川を挟んで殺しあってから、一向宗は禁教にもなってたはずだ。
182 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 23:02:14
一向宗は信長を拒んだ、それだけのこと
183 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:45:01
宗教団体が庶民を抑圧し、それを信長が救ったのなら信長を称えたい。
だが信長がやったことは特定の宗教の弾圧。
長嶋や越前では一般庶民が大虐殺された。
一向宗が先に喧嘩を売った? 一揆が起こる理由は為政者の圧政に対する反抗。
島原の乱でも重税の名を通り越した搾取で反乱が起きたが、
これを反乱軍が先に喧嘩を売ったと言われても誰が納得するんだ?
越前の鎮圧? 尾張の人間が余計なお世話なんだよ。
184 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:08:02
仏教の思想によって平和を作り出そうとした古代日本。
政教分離厨は、聖徳太子以来の思想に対する理解が全くないようだ。
法隆寺、東大寺、各地の国分寺、平泉中尊寺など、
優れた文化財はすべて政教一致の思想から造られている。
信長がやったことは、文化財の破壊。
>>183 信長が庶民を救ったなどと言うつもりはないが、叡山などの大寺院が
如何に庶民から搾取してきたかを知らないなら、信長云々言う前に
日本史を勉強し直した方がいいよ。
さらに言えば、一向一揆は土一揆などとも性格は違います。
もし信仰を守る為の一揆だとか、圧政を行う為政者との戦いだと思ってるんだったら間違いです。
結局、余所者が大きなお世話…ってのが本音で言ってるんですねw
>>184 聖徳太子の時代の仏教界と、信長の時代の仏教界を並べて語ってどうするんだよ。
いくら信長だって、大人しく寺の中で経文を読んでる坊主には手を出してないよ。
寺などの文化財を焼いたのが信長の罪なら、それをやった奴は他にも掃いて捨てる程いる。
武力で反抗してくる団体を潰すんであって、宗教の弾圧を目的とするものではない。
無限ループになるから、同じような事言ってくるなよ。
信長が嫌いなら、他の部分でアラを探しなさい。
>>185 信長厨は日本の仏教徒とイスラム過激派を並べて語っている件
188 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:29:33
>>186 >武力で反抗してくる団体を潰すんであって、宗教の弾圧を目的とするものではない。
長島では武装解除した一向宗門徒を虐殺していますけど。
189 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:43:47
>>185 あなたは北朝鮮が日本を征服にきたら無抵抗で屈する人のようですね。
きっと↓みたいなことを言って北朝鮮を支持するんだろうなぁ。
「日本が第二次世界大戦時にアジアでどんなことを知らないなら、ジョンイル云々言う以前に
世界史を勉強し直した方がいいよ。
結局、余所者が大きなお世話…ってのが本音で言ってるんですねw 」
>>188 確かに、砦に籠って徹底交戦してる時ならともかく
白旗あげて降参した者まで殺したのは、やり過ぎって感じがするけどな…
言ってみれば騙し討ちだし、倫理的には褒められたもんじゃない。
ただ、それが宗教の弾圧か…って言うと違うだろ。
この時やったのは、敵対する戦闘員の虐殺。
実際、顕如が石山を退去する時に至っても一向宗の存続と布教を許してるし、
これは叡山に対しても同じだな。
もちろん一向宗との決着がついた後は、一向宗徒狩りもしてないぞ。
ひょっとしたら、長嶋の事は見せしめ効果を狙ったものかもな。
そこまでされたら、反抗する気分も萎えたんじゃね。
>>189 レスを返して欲しかったら
日本語でヨロシク 意味が解んねーよ。
192 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:08:56
>>190 宗教の弾圧ではないだろうが、政教分離でもないわな。
193 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:39:36
>>183 創価が武装して長野に国作ろうとしたら嫌だろ
>>192 本当の意味で政教分離出来たと言えるのはまだ先の話だからな…
まずは、寺社に武装解除させなきゃいけないし、
軍事力を支える収入源も絶たなきゃならない。
寺社を統制する法度も必要だし、締め付けるだけじゃなく飴も与えなきゃならないしな。
信長はそこまでする時間は無かったけど、
叡山や本願寺への対応や政策を見てると、目指してた所は解る。
195 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:48:05
>>193 武装して独立国を作ろうとするのが嫌なのは宗教勢力に限りませんが。
自衛隊が軍事独裁政権を作るのも嫌ですね。
196 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:10:35
>193はミャンマーに行った方がいいよ
ここまでの流れを読んで、
アンチ信長厨は反論出来ずに行き詰まると
「〜に帰れ」で話を打ち切ろうとする事が解った。
199 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 15:18:54
200 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 16:20:51
アンチは必死で「一般市民を虐殺」だのだけに焦点をあてて人権団体よろしくなことほざいてるが
一向衆は宗教の都合のいい解釈のもとに民衆を洗脳して武装蜂起してるわけだ。鎮圧して当然だろうが。
国民の生活に害なのは秩序を壊す一向衆のほうだ。
なんでアンチは一向衆の行った暴行や殺人からは目を反らして権力者の政策だけを躍起になって批判するんだ。
いいかげん人権だのなんだの左翼プロ市民的発想を歴史に持ち込むのはやめてくれ。
アムネスティにでも行ってくれ。
201 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:24:22
武装解除した長嶋の人々を大虐殺している信長の行為は弁明の余地がないと思うよ。
そもそも歴史に現代の価値観を持ち込んでいるのは信長信者のほう。
スレタイ「今の日本見てると」はカタルに落ちたと言う奴な。
当時から信長の行為は反感を招いていたことであって、
政教分離だのなんだのってのは当時の価値観で評価されたものではない。
だったら政教分離を現代に置き換えたらどうなる?
中国のチベット政策は、まさに信長が越前にやったことだ。
ブッシュの「テロとの戦い」だって、無関係な一般市民を「誤爆」と称して殺しているし、
少し遡るがナチスのユダヤ虐殺も同様のことが言える。
>>201 中国のチベット政策を、政教分離政策の一つと捉えてるようだが、
中国のアレは民族の弾圧だぞ。
また、ブッシュやナチスと、信長を重ねあわせるのも違う。
曲解の極みもいい所だな。
誤爆が意図的に行われたなんて言ってると、CIAに狙われるから気をつけろw
203 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 13:40:55
信長の一向宗弾圧が政教分離なら、
中国のチベット政策も政教分離になるぞと言う意味だ。
一向宗と信長の戦争、全てが信長に責任があるとは俺は言わん。
だがあの大虐殺はせいぜい「必要悪」であって、絶賛されるようなことではない。
204 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 14:07:03
>>194 別に政教分離なんてものを目指していたわけではない。
叡山は浅井朝倉と同盟し、僧兵を擁して信長を追いつめた敵対勢力だし、
石山合戦は三好と同盟して敵対したので戦ったにすぎない。
足利義教は信長以前に叡山の焼き打ちを行い、
細川晴元は当時京都が本山の山科本願寺を焼き打ちし、
石山に移ったあとも攻撃、その他にも京の法華宗を壊滅させているが
これも政教分離なのか?
それに、どの戦国大名でも自身と敵対する宗教勢力と戦っているよ、
加賀・能登・越中の30万の門徒を朝倉宗滴が1万弱の兵で破った
九頭竜川の戦いなども有名。
>>204 信長がただ寺社勢力と戦っただけなら、政教分離を目指してたなんて言わないけどな。
信長が政教分離を目指してたと思うのは、反抗してきた寺社勢力と戦ったからだけじゃなく、その政策にもある。
自分の領地となったところの関所を撤廃したり楽市楽座を行ったのは、何も商品流通や経済の発展を狙っただけの物ではない。
寺社の収入源というのは、寺領からの年貢もあるが寺領に関所を築いて通行人から関銭を徴収したり、
商売を行おうとするなら座に入らなければならず、その座の元締めになることによって商人の上前を跳ねることでも収入を得ていた。
これによって、商品にはその運賃や税金みたいなものを上乗せして捌かなきゃならず、物価の高騰も引き起こしていたって訳だ。
信長の関所の撤廃、楽市楽座は商業の発展を促すだけじゃなくて、寺社勢力から搾取のための利権を奪う事でもあった訳だ。
多分叡山が信長を敵対視したのは、この辺が原因だな・・
宗教勢力の収入源を断ったら、次は軍事力の解体だ。これは叡山を焼いて、本願寺を石山から追い出す事で
他の力を持っている高野山や興福寺にも無言の圧力をかけている。秀吉の時代に、高野山は武装解除に応じてるしな。
その後本能寺の変で信長は逝っちゃったけど、この次の段階としては
こうして骨抜き状態になりつつあった寺社を統制する法律を作る事だったと思うぞ。
一向宗虐殺は>204の理由では説明できない。よって却下。
207 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 14:45:46
>>205 関所の撤廃とか、楽市楽座とかは織田信長が始めたものじゃないし、
戦国大名が領国の一円支配を強める課程で必然的にそうなった。
ちなみに、楽市楽座は六角氏や門前町(今川氏:浅間神社)などのものが最も早い例だ。
特に宗教とは無関係です。
そういえば、今川義元のほうが関所の撤廃や楽市・楽座は信長より早く、先進的。
208 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 16:30:17
長篠などでの鉄砲の集中使用も、雑賀衆にやられていたことを武田相手に試しただけだし、
信長から始まったものは何もない。
>>207 何も信長が最初だとか、オリジナルだとかは言ってないんだが・・
楽市楽座を始めたのが六角定頼だったのは、文献にも明らかだけどな。
ただこの人の場合、叡山と組んで法華寺を焼いたりしてるので
どこまで徹底して座を開放しようとしたのかは解らん。他の寺社が元締めをしてる所には手を出せたかもしれんがね。
今川氏の楽市は氏実の時代になってからだったと思うが、義元にした所で
駿・遠・三の大名までで逝ってるし、寺社勢力に対する対応はよく解らん。
ただ信長の場合はハッキリしてるよな。政治的には、
>>205に書いたとおり関所の撤廃や、楽市楽座には寺社が持ってる利権を奪う意味があるし、
軍事的には寺社がもつ軍事力に直接ダメージを与えてる。
一つの宗派の肩を持つ訳でもなく、どの宗派に対しても布教や信仰の自由を認め、
武力で反抗してくる宗派には、厳しい態度で臨んでいる。
寺社の弱体化に努めてるのが、これほど解りやすい奴もいないと思うんだがな。
政策だけ寺社勢力とまったくの無関係なんてありえないだろ。
210 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 18:55:44
>>209 もちろん関係なくはないが、政教分離?が目的なのではなく、
戦国大名が一円支配を進める上で発生する付随的なもので、主たる目的ではない。
関所でいえば、中世には、朝廷や荘園領主、有力寺社が関所を作り、関銭を徴収した。
戦国大名の一円支配の過程で各地(今川)で廃止されたが、京都七口などは豊臣政権でやっと全廃。
>>210 信長の目的って言ってしまえば、結局は天下布武ってことになるんだろうが・・
その為には、全国の戦国大名を潰すなり傘下に組み込むだけじゃなく
宗教勢力を政治に口出し出来なくなるくらいに弱体化させ、統制に組み込むことも当然含まれてたと思うぞ。
天皇家や公家、足利将軍家でさえ、息子を大寺院にいれたりして結びつきを強めてた時代だ。
そういう背景の中で、大寺院は軍事的にも経済的にも力を強め政治の世界でも
大寺院の影響を受けないわけには行かなかった。
特定の大寺院じゃなくて、地方によったりして様々な力のある寺院の影響を受けてたわけだからな・・
厳密な意味で政教一致してたとまでは言えないが、信長が天下統一を果たしたときのことを考えると、
政治を左右出来るような団体は認めるわけには行かなかったんじゃないか?
その為の寺院弱体化政策で、その為の寺院の軍事力の解体だと思う。
また民衆には信教の自由を認め、宗教勢力には反抗を許さず、政治の世界では特定の宗教の思想が混じることなく
統一事業と統治事業をおしすすめる。
これは政教分離政策とは言えないんだろうか?
212 :
日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:17:10
根拠が自分の想像の範囲だけ…
昔の政治家は、民衆に向けて一般教書演説なんてしないからな・・
根拠を史料に求めたところで無理。行動で判断するしかない。
214 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 13:18:56
アンチはまともに論を返さないで、ただ現代の市民目線で人権人権と叫んでる、ただのプロ市民だな
歴史を検証する資格まるでなし
215 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 20:36:36
なんだそりゃ。
政教分離なんて、それこそ現代の思想で信長を騙る奴が言うことか。
現実として、信長の残虐行為は反発を招いた。
だが政教分離だと称えた奴は信長の時代にいない。
>>215 そりゃ、当時はそんな思想なんて無かったわな。
現代でも、イスラム社会やキリスト教社会ってのはあるし…
逆に言えば、だからこそ先進的なんでしょ
でも秀吉も家康も、この流れで進んで
江戸時代には檀家制度ってのも出来て現在のような形になってる。
今の日本で宗教戦争が起り得るか?
葬式は○○宗で行うけど、個人的には無宗派ですって人が殆どなんじゃね?
宗派の違いが、争いに繋がる事なんてないでしょ。
信長が筋道つけたお陰だと思うけどね…
217 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 21:32:11
218 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:47:35
656 : 四十代(東京都):2008/09/11(木) 18:13:59.51 ID:odYLtNbb0
>>651 > 信玄は宗教政策は保守的だし、新しい世の中を創るっていうプランが一切見えない。
これは「信長が革新的だった」と言う認識があるのだろうけど、それは全くの間違い。
信長の宗教政策はむしろ保守的で、信玄の物などと大差はない。
ついでにいえば「行政機関」「社会体制」に関しては、信長領国より信玄領国のほうが「近世的」
信玄が保守的、と言うのは、間違ったイメージ。
219 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:10:21
一言で表すと柔軟じゃないかなぁ信長は
そして天才でもあるし
>>218 リンク先のURLを貼ってくれるか?
間違った認識を捻り潰してくるから。
221 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 04:26:57
総理 織田信長
官房 羽柴秀吉
総務 竹中半兵衛
外務 千利休
防衛 柴田勝家
財務 松平家康
金融 明智光秀
厚労 松永久秀
経産 足利義輝
法務 佐々成政
文科 平手政秀
子供 森蘭丸
農水 前田利家
国交 蜂須賀小六
環境 九鬼嘉隆
官房副 ルイスフロイス
222 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 20:35:36
>>216 とりあえず、信長が「政教分離」でヒンシュク買ったことは認めるんだな。
あと現在宗教云々が、本当に信長に関係するか、それは疑問だね。
信長が「今後400年後の日本を考えて」という思想を持っていたなら別だが。
長嶋一向宗大虐殺は、ただのヤツアタリ。
信長が本当に天才なら虐殺なしに懐柔する方法を考え出す。
>>222 餓鬼の論法 炸裂って感じですなぁ〜w
一向一揆の性格を踏まえた上で
信長がした解決策以外の方法があれば述べて下さいな。
信長以上の天才らしいんで、さぞかし他に
いい方法があったんでしょ?
だれか「オレは信長以上の天才」て発言した奴いるんかw
>信長がした解決策以外の方法があれば述べて下さいな。
これなんかはガキの喧嘩見てるみたいで笑い種ですな。
戦国板で織田厨を見なくなったと思ったらこんどは日本史板で、
「織田信長は最強、天才!」
を宣伝してたか。
二度と戦国板に戻って来るなよ?
で、実際の所どうなの?
他にあったの?無かったの?
虐殺以外の方法を考え出す…って
理屈にもなってない理屈じゃん
227 :
日本@名無史さん:2008/09/12(金) 22:37:10
無いね。
一向宗の目指す所は、突き詰めれば、阿弥陀の下での平等社会。
実際は阿弥陀本人のように扱われてた、本願寺法主を頂点とした国を作る事だからな。
一向一揆に参加した者は、その中でもさらに狂信的な人達。
石山合戦でも、「聖戦に加わらない者は破門だ」とまで
顕如からの檄文には書いてあったみたいだからね。
「仏敵信長と闘って死んだ者は極楽往生間違いなし」とか…
そんな一向一揆と、何処に交渉の余地があるの。
武家の支配を認めないって言ってるんだぞ。
228 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 00:01:05
>>222 > 長嶋一向宗大虐殺は、ただのヤツアタリ。
> 信長が本当に天才なら虐殺なしに懐柔する方法を考え出す。
で、
>>222は懐柔する方法は思い付いたの?現代の価値観じゃなく、当時の価値観でね( ~っ~)/
229 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 03:23:20
一向衆との戦いなんて
>>204にあるようにどの戦国武将でもやってたことで
信長の専売特許でもなんでもない。
管領の細川晴元、朝倉、上杉、徳川などで、三河一向一揆は石山合戦の前の事件だが
別に虐殺などしなくとも家康は一向衆を鎮圧している。
長嶋で多少の虐殺?はあったようだが、この程度は一向宗にとっては、
たいしたダメージではないし、だまして開城させ虐殺なんてのは、織田軍がよくやる手で、
越中でも上杉相手にやっている(魚津城は城兵の越後への帰還を認める条件で開城したが全員虐殺)。
相手が宗教勢力だから虐殺?したというわけではない。
230 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 05:30:03
現代の人道主義を基準に能力を論じてどーすんのよ
231 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 06:43:50
>>222は天才でもないから思いつかないんでない?
信長が天才だったら思いつくんだろうがw
232 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 10:25:11
というか、まずは信長が本当に政教分離の思想を持っていたかどうか、それが問題だ。
虐殺については、相手が宗教団体であろうと国持ち大名であろうと同じこと。
>>229 そこに名前の上がった細川・朝倉・上杉・徳川などは
その場はかろうじて鎮圧出来たけど、根本的に解決出来たとは言えないよね。
朝倉は領民に信仰を禁じて、さらに対立を深め
義昭が頼ってきた時も一向衆の動きが気になって
国元を空けて上洛する事が出来なかったみたいだし。
上杉だって一向衆と戦い続けたけど、信長包囲網に加わる際に
一向衆と和睦してるよね。だから、手取川まで出張れた訳だけど…
徳川はどうだっけ?犬のように忠実と言われた三河武士も、
現実の主君家康につく者と、心の主君阿弥陀につく者とで、完全に割れたからな。
234 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 15:59:35
信長信者の意見って、今で言うと福田総理を批判する人に、
「だったらお前総理大臣やれるのかよ」
なんていう反論するレベルだな。
オレは長島や越前の大虐殺を批判するものではない、
あれは「必要悪」くらいには認めているのだが、
少なくとも正義の行為などと絶賛すべきものではないと思うね。
アメリカ軍がイラク人の非戦闘員を皆殺しにするのが正義か?
中国政府がチベット自治区の人々を虐殺するのが正義か?
ミャンマー軍事政権が仏教徒を弾圧するのが正義か?
>>234 オレさんが誰さんかは知らんが、さかのぼって読んでも、
信長の長嶋での行為を、英雄的行為とかそれが正義だなんて書き込みは無かったんじゃね?
信長の嗜虐性が表に出ただけのものじゃない…って意味の物はあったみたいだが。
第一、正義なんて曖昧な言葉を持ち出しても仕方ないぞ。
正義なんて立場や思想、時代によっていくらでも変わるもんだし…
第三者から見たら悪に見える中国のチベットへの対応だって、
当の中国にしてみれば、「これが正義だ」なんて考えてるんじゃね?
236 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:39:44
正義抜きにして
のぶはいかれた理系頭脳としか思えない。
虐殺を思いつき実行するような人間は普通じゃない。
天才的というか狂信的というか。
破格の人といえる
237 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:22:05
信長って具体的な功績はないし、
歴史も変わらなかったよな
信長って日本の皇帝になった訳でもなければ
日本を建国した訳でもないし日本の領土を増やした訳でもない。
日本を世界強国に作り上げたか?
日本を世界帝国に作り上げたか?
なにもできなかった
コロンブスやチンギスハーンと比較すると
信長なんてなにも変えてない
ワシントンや始皇帝と比較するとなにも変えられてない
238 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 22:30:13
世界史を学んだ後、冷静に思慮すると信長って評価に難しくなる。
なぜなら信長は唖然とさせられる人物だからだ。
信長は結論から言えば、
本州の一部に勢力を作り上げた、日本の皇帝にすらなれなかった小物、
これだけである。
それが信長の出した結果で、信長の全てだ。
信長の作り上げた業績と功績はなにか?
死ぬ間際に本州の一部に勢力を作った、それだけだ。
結論から言うとこれだけの功績では曹操すら劣るよ。
なにが凄いんだ?恥ずかしさを覚える人物なのは確か。
本州の一部に勢力を築き上げたって簡単に言ってくれるけど、
全国が100以上の軍閥に別れて、お互い好き勝手にやってる時に
畿内中心にあんだけの勢力を築き上げただけでも評価に値するんだけどね…
よく天下統一さえ出来なかったって言うが、
秀吉でさえ、信長の統一事業を引き継ぐ形で完成させてる。
家康も秀吉の作った天下をクーデター同然で奪って
自分好みに作り変えただけだし。
戦国の時代終わらせるきっかけ作ったのが信長じゃないの。
240 :
日本@名無史さん:2008/09/13(土) 23:29:22
何がいいたいのか分かるようで分からない
恥ずかしさを覚えるカキコなのは確か
さらに言わせてもらえば、信長を評価する比較対象に、
チンギス・ハーンやワシントン、曹操を出して来る所も解らない。
どっちが上か論議なら三戦板でやった方がいいんじゃね?
242 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 00:02:08
>>239 事実としては秀吉は天下統一が出来たということ、
信長が本能寺を生き抜いたとしても、出来たかどうかは不明。
実際は、そこらへんのアホな戦国大名と同じで下克上で殺られたわけだが。
>>242 本能寺を生き延びた所で、天下統一出来たかどうか不明なのは確かだけどね…
実際は死んじゃってる訳だし。
ただ、本能寺の時点で、信長にかろうじて対抗出来そうな大名は、
毛利と北条くらいだったんじゃね? 本願寺は降ってるし、山は越えてるよ。
織田家の物量に敵う大名がどこにいるの?
後、下剋上で殺された事がマイナス評価になるとも思えんがね…
て言うか、光秀が暴発しなきゃ
信長の統一事業は、止まらなかったって事だと思う。
245 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 01:17:26
>>244 暴発ではなく、成算があったから光秀は実行したわけですよ。
佐久間への折檻状でも、信長自身が自分の部下のなかでも功績第一とし、
畿内管領まで任せていたほどの切れ者で冷静な光秀が「暴発」のわけがない。
秀吉の中国大返しという想定外の事態がなければ、
斎藤道三が下克上で土岐頼芸を追放し、美濃国を乗っ取ったように
織田家の遺産を乗っ取っていただろうね。
信長は土岐頼芸と同じようなもの?
246 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 07:40:49
いや。。信長のすごいところは既存勢力と源氏の流れ、世論にのって天下を統一した
源頼朝や足利尊氏と違って田舎の名もない一大名が明確な自己意思をもち、
数々の逆流を乗り越え天下を統一しようとして、それを実現させたこと。
そして信長の実行しようとしていたことを見ても全て明確な意思によって
決断、実行に移されている。政教分離や重商主義の政策、天下思想。。
数々の以後の日本にあたえた影響の大きさを見ても日本建国の父といっても
過言じゃない。現在の島国日本が完全に1つの国なのも信長さまの強力な
天下思想があってはじめて可能
247 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:10:53
248 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:20:05
建国の父は言い過ぎだが
のぶが尋常じゃないのも確か
ここで忘れてはいけないのがのぶが生まれ育ったのが尾張という豊かな国だったということ。
尾張という豊かな国がのぶという当時でいえば常識破りの人間を生み出したともいえる。
破格の人 非常の人
本願寺を下してからなんかテンションおかしくなったな。
249 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:23:26
付け加えて下剋上の結晶でもある。
とにかくとんでもない人物
日本にこんな特異な人間がいたことに驚かされる。
商業の発達などものぶの台頭を促した。
250 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 20:34:03
>>243 なにをマイナス評価するかは贔屓の引き倒し次第でなんとでもなるさ。
おまいさんの評価の方法は、信長を中心にしたものでしかないということ。
「秀吉の天下統一なんて評価に値しない」
こんな言い方だってできる。
それなら、
「下克上で死んだ信長より天寿を全うした毛利元就のほうが上」
「信長は天下統一していないから武田信玄と五十歩百歩」
「信長は上杉謙信より勝率が低いから将として評価できない」
こんな評価も人によっては可能だな。俺は上三つを本気で書いたわけではないがね。
ともかくも部下を統率できなかったのは信長の大汚点だよ。
いくら天才でも信長一人では何も出来やしない。
251 :
日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:49:04
のぶは微妙にテンション狂ってるときあるよね。
感情の振幅が激しいときとかあるように見受けられる。
のぶ好きの芸能人
名前忘れた。が
のぶはパンクって言ってた。なんとなく納得した。経営者というよりアート系
>>250 言いたい事は解るけどね。
信長のワンマン独裁には、長所もあれば短所もあるって事だと思うよ。
長所は、部下の考えを取りまとめたりする手間を省くから
素早い決断が出来るって事もあるよな。
信長は常に周囲を敵に囲まれてたから、その場その場の状況にあわせた
臨機応変な対応が必要だった。敵は待っててくれないからな。
部下に対しては、信長の命令に黙って従って、素早い行動を取る事を求めてる。
短所は、様々な考え方を持つ部下を、信長の命令通りに動かす訳だから
部下にストレスを強いるって事があるな。
部下に「出来ません」とか、「それだけは、やりたくありません」とは言わせない。
部下はたまったものじゃないけどね…
信長は足を引っ張られる事なく、自分の思う通りに動く事が出来る。
253 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 02:04:58
安国寺恵瓊にも器量は秀吉のほうが上で、信長の世はあと数年と見切られるほど、
まあ、結局は事業を達成できなかった人事ベタ。
254 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 02:20:15
小企業から短期間に大企業にする手腕があったとしても、
得意の絶頂期に部下にクーデターを起こされて、社長解任てなことになったらアホ経営者。
255 :
日本@名無史さん:2008/09/16(火) 21:20:03
大企業が業績を伸ばす方法は、敵対企業を買収合併するのが一番良い。
顧客リストは手に入る。従業員も新規に雇用しなくて済む。会社の建物もそのまま利用できる。
だが信長がやったのは相手を倒産に追い込むこと。
これだと敵対企業の顧客リストは手に入らないし、その後の営業は一からやり直しだ。
だが敵対企業の取引先には恨まれる。支店は改めて建設するから費用ばかりかかる。
それに敵を潰すまで自分のところも安売り競争するだろうから、
ビジネスに勝ったように見えても実際には経営破綻を招きかねない。
もし信者どもが言うように信長の将来が無限に広がっているのであれば、
光秀は裏切ったりしないよ。
先行き明るい大企業を捨てる重役がどの世界にいるか。
本能寺の変がなくても信長は潰れていただろうね。
>>255 現代企業の経営に照らし合わせてるようだが、
織田家の戦略を理解出来てるようには見えないね。
のぶが潰してきた大名家の家臣は、そのまま使ってますが…
十回読んだが、後は結局何が言いたいかよく解らない。
257 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 14:38:15
馬鹿にはわからないんでしょ
信長が本能寺の変で殺され天下とりもできなかったことすら認識できない馬鹿には
258 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 16:58:35
厨坊ぶち切れ〜www
自分の意見が通らずに出た、その言い草w
ボクに日本史板は早かったんじゃね?
259 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 18:02:36
>>258 厨坊ぶち切れ〜www
自分の意見が通らずに出た、その言い草w
ボクに日本史板は早かったんじゃね?
↑以上、怒りのあまりコピペするのがやっとの
中学生でしたw
三戦板でなら、相手してくれる奴もいるからな。
気を落とすなよ
261 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 18:56:51
ていうか、反論できてないのは258のようなんですけど。
ぼくちゃんは、信長が天下統一も出来ないで殺されたこと、理解してるかな?
262 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 19:02:15
263 :
日本@名無史さん:2008/09/17(水) 19:07:15
中学生がビジネスについて語れるとしたら、
多少の齟齬はあってもなかなか優秀だな。
で、オッサンは信長が天下統一できなかったことを理解していないとしたら、
中学生以下の知能と言うことで。
信長様の子種が欲しい〜
信長様ハァハァ
信長の遺伝子はさほど優秀な人物を輩出してないのでは?
ノブリンとセクロスしたい。
ノブリンはイケメンヤンキー。
267 :
日本@名無史さん:2008/10/01(水) 16:12:32
>>255 >>257 織田家の将来性と光秀個人の将来性の区別さえ理解できてないバカw
光秀が悲観したのは、織田家ではなく自分の将来だろうがよ。
こういうバカはマジむかつく(怒)
ボクに日本史板は早かったんじゃね?
268 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 17:05:35
重役級の人に悲観させるような社長では、経営は無理だね。
信長は会社の創立者として確かに天才以上の天才だけど、
経営者としてどうかなと思う。
光秀に将来性がないってことは無能だという意味だろうけど、
そんな無能な人に殺される信長って無能よりひどいってことでしょ。
僕は光秀が無能だとは思わないよ、
だからそれに殺された信長だって馬鹿だとは思っていない。
おじさんみたいに会社で飼い殺しになっても満足できる人には、
光秀みたいに仕事バリバリの人のことなんか理解できないんだろうな。
あ、おじさんは飼い殺しじゃなくて、ただのニートか。あははっ
中学生迷走劇場www
270 :
日本@名無史さん:2008/10/06(月) 04:40:53
>>268 有能な武将を使いこなして版図を異常拡大させた手腕を経営の才がないだと?プッ(笑)。
では信長を上回る才を見せた戦国大名はいたのかね?教えてもらおうじゃないか。
会社の創設と事業の発展拡大の違いさえ理解できないお子ちゃまに歴史を語るのは、時期尚早だよ。
それに重役まで昇り詰めても、派閥抗争や後継争いで敗れ失脚することは当然有り得ることなんだがな。
社長の責任でも何でもない。
そんな事さえ知らない君こそ、ただのニートなんじゃないの(笑)。
将来性がなくなったからといって無能だとは限らないし、さも俺がそう主張したかのようにすり替える詭弁は醜悪だぞ。
271 :
日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:01:41
織田信長って織田信成の親父か??
272 :
世界史@名無史さん:2008/10/06(月) 23:39:35
273 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 04:59:00
>>245 光秀の成算とは信長暗殺の実現性であり、その後の政局に成算なんてないんだけどな。
光秀に将来性が無い事は、最も親しい姻戚の細川に見限られてる事実で明白なんだが。
それに光秀の主殺しは他の織田諸将に敵意と嫌悪感を与えただけなので、秀吉のように彼らを糾合なんてできない。
つまり織田家の乗っ取りなんて不可能って事だ。
加えて冷静で切れ者なのは光秀だけではなく、織田の重臣全てに言える事だぞ。
信長を裏切った松永久秀や荒木村重も「冷静で切れ者」だったという事を忘れているんじゃないのか。
だが彼らは判断を誤って自滅した。
光秀も同じ過ちを犯したにすぎん。
朝廷にいいように操られちまったんだろうな。
274 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 05:22:10
>>250 暗殺されたら天寿を全うした凡人より劣等だとする評価など愚の骨頂だ。
なら愚人の誉れ高い次男織田常真(信雄)は、暗殺された父信長より優秀だったのか?
馬鹿馬鹿しいのも程がある。
秀吉の評価できる点は、中国大返しから賤ヶ岳合戦までの判断力と謀略くらいなもんだ。
その後の天下統一は信長が仕上げた路線の惰性でしかない。
信長が九割九分仕上げたお膳立ての上に乗っかっただけの事。
秀吉がいかに信長依存症だったかは、大陸侵攻の大失敗が如実に証明しとるがな。
もうそこには信長の惰性が働かなかったからな。
信長以外の大名は同国人贔屓の排他的組織だった事を無視してるようでは話にならんぞ。
徳川も武田も毛利も基本は同じ。
信長の織田家だけが出身を問わない完全実力主義だった。
他の大名が同じ事をやってたら、程なく大名の地位を追われるか殺されるか、
どっちにしろ組織は崩壊してる事だけは間違いない。
275 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 09:11:41
秀吉の大陸侵攻は信長の戦略に馬鹿正直に乗っかった結果なのか?
276 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 09:13:36
秀吉の天下統一の速さは、信長には出来なかったことだろう。
277 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 20:01:22
信長がいなければ
秀吉は野垂れ死にしてたかもしれない。
信長は異常人
尾張という豊かな土地が信長を育てたのだと思う。
278 :
日本@名無史さん:2008/10/09(木) 04:55:27
>>276 光秀が信長の命令通り備中へと向かっていれば、天正十年中に天下統一は実現していたんだが。
ボケんな。
279 :
日本@名無史さん:2008/10/11(土) 20:19:39
信長は秀吉に日本を統一させるための引き立て役にすぎん
280 :
日本@名無史さん:2008/10/11(土) 21:03:42
真の英雄は秀吉だな
281 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 12:24:51
無様な外征失敗の秀吉は信長の基本路線の上だけを走れる列車みたいなもん。
だから国内統一戦は順調だったが、外征は見事な大失敗(笑)
282 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 17:59:25
それでも、秀吉の政権簒奪の手並みはかなりのもんだろ。
283 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:07:52
信長は知恵が足りなかった、だから殺された
284 :
日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:40:42
それでも信長は永遠なる名を残した大した奴だ。
285 :
日本@名無史さん:2008/10/19(日) 19:19:03
カリスマすぎる信長
286 :
日本@名無史さん:2008/10/20(月) 10:31:25
なんによらずアンチの人ってそうだけれど、
アンチ信長も信長の業績とかを知るの一切拒否してるような気がする。
知らないから想像だけでケチつける。
信長厨や信長好意組と話がかみ合わないのは当然かと。
287 :
日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:17:40
信長自体が日本人っぽくないから根強いアンチがいるのもしゃあない
288 :
日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:47:58
能力があっても、あんな怒りぽっくて神経質な殿様はイヤだ。
機嫌損ねたらチョウチャクされたり、首を刎ねられるんだからな。
289 :
日本@名無史さん:2008/10/21(火) 23:14:41
わかります。
北斗の拳のラオウですね。
290 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 16:23:21
たしかに
291 :
日本@名無史さん:2008/10/23(木) 22:50:56
それでも信長は家臣に尊敬されていた
292 :
オタク:2008/10/23(木) 23:22:43
信長が良い人
信長の事 知らなさすぎる奴が多すぎ
妄想や漫画の見すぎ
信長は全国民に尊敬されてます
信長は残忍では無い
信長は人一倍
仲間想い
夫婦喧嘩の間に入り仲裁するぐらいの思いやり
ただ敵対勢力のカス坊主が
信長は悪人だ
って事を広めよう作戦が日本に残ってるだけ
歴史を勉強すれば
信長が どれだけ愛された人物かわかるはず
>>286 知れば知るほど信長の業績とやらが他者の模倣や引き継ぎで成り立ってる事が
わかるはずなんだが。
むしろ信長信者のほうが信長と他の大名を詳しく比較するのを拒絶して
根拠抜きでマンセーしてるだけのような。
>>291 されてないだろ。されてたら裏切られまくりな人生にはならんと思うが。
>>292 知れば知るほど敵からは憎悪されてたように思えるんだが。
あれほど敵に恨まれた男も珍しい。
295 :
日本@名無史さん:2008/10/24(金) 11:27:41
ただ恐怖のみが世界を支配する。
296 :
オタク:2008/10/24(金) 13:32:20
歴史を勉強しよう
敵に恨まれた?
戦国時代だよ
平成じゃない
恨みつらみは誰にでもある
次に裏切り?
バカだね 本当に
戦国時代に裏切りに合わなく
常に円満 円満で過ごしてきた家なんか どこにもない
戦国時代 野心にまみれた裏切りは当たり前
何人かのバカは 考え方や知識が 無さ過ぎる
笑われるだけ
もっと勉強しなさい
>>296 その戦国時代の中でも特に恨まれまくってるんだが。
平定したはずの土地から反乱や一揆が続出してその土地の織田勢の将が殺されたり
領土から叩きだされたりしてるのは珍しい。
その裏切られ回数と危険性がシャレにならんのだが。
家督相続直後から本能寺で死ぬまでどれだけ裏切られ危なくなってる事か。
最後も裏切られて死んだし。
勉強すればするだけ信長が時代を超越なんかしてなくて、むしろ同時代人の政策の模倣で成り立ち
信者が思い描くような政教分離みたいな政治信念なんか持ってなかった事や、
仏教は結局江戸時代に国教化していることなどがわかるんだが。
明治時代の廃仏稀釈がこの反動。つまり上で信者さんがいってるように信長が
400年後の日本の宗教観への道筋をつけたというのはあり得ないことがわかる。
298 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 00:41:20
宗教なんて無くていいわ
金の無駄
>>298 人はパンのみにて生きるにあらず。
宗教に対して比較的ドライな日本人でさえ、
結局はさまざまな冠婚葬祭で宗教に触れ神や仏を敬っている。
つーか日本ってただ単にもともと800万の神で構成された神話を持ってる国だから
特に一つの宗教に溺れる事が少ないだけでは。
「自然に宿りて徳高くなりしものを神」とするお国柄だから
いろんな所に木の神とか湖の神とかおわすわけだし。
っていうかニーチェかヒットラーか織田信長ほどの人物(自分が神になる)
でないと宗教なしじゃ生きられないんじゃね?
上杉謙信が自らを毘沙門天の化身と称したり、
信玄が不動明王と一体化をしたり、
家康が大権現となったり、
302 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 13:34:01
一神は他神を排斥する。
結果として戦争は避けられん。
そんな宗教観持ってるのは一神教の国くらいだよ。
日本はもともとべらぼうに数が大きい多神教の国だから
神が何人いようと無問題。
304 :
日本@名無史さん:2008/10/25(土) 17:37:43
元々、神と仏とは喧嘩して当たり前なのだが、何故か仲良くしてるのは日本だけw
時たま神社と寺とは戦をしたけど
神の国に仏を入れたのは天皇だからかね
>>304 天照が仏教を入れないという第六天魔王との約束を破ったって事だな。
↓
☆ 仏法を忌避する契約
天照大神が(通海参詣記では、伊弉諾伊弉冉尊)、日本には、
仏教を近づけないと言う誓を立てたので(沙石集では騙したそうだ)、
第六天魔王は、日本の支配権を与え、天照大神とその子孫を守護する誓を立て、
その契約の印に神璽を与えた事になっています。
つまり、第六天魔王との契約上、天照大神とその子孫には、
仏法を忌避しなければならない
義務があるのですが、中世の天皇家では仏教を信仰していて、
契約違反の状態が続いていた事になります。
沙石集では、天照大神までもが、表向き仏教を忌んでいる風を装っているが、
内心は仏法を守り、尊んでいるそうで、天照大神が第六天魔王を騙して
日本の支配権を譲ってもらった事になっています。
☆ 第六天魔王の権利
さて、
天照大神とその子孫が、仏教を信仰し保護しているという事は、
第六天魔王との契約に違反しているわけで、第六天魔王には、
日本の支配権を取り戻す(奪う)権利が発生している事になります。
信長が第六天魔王を称したのには、天皇にとって代ろうとする野望
があったために、皇位簒奪の正統性を唱える必要があったためでは
無いでしょうか。 そう言えば、室町幕府の3代将軍の足利義満が、
「百王の系譜はことごとく尽きて、猿と犬が英雄を称するに至る」
という邪馬台詩の予言を使って、百代目の天皇である後小松天皇から、
皇位を奪う正統性を演出した事が思い浮かばれます。
>>305 信長が自分を第六天魔王と称したのは、そういう狙いがあったとは知らなかった。
尾張の小大名が、そんな事知ってたのかね?それとも、当時はちょっと教養のある人にとっては常識だったのか…
叡山や本願寺が信長に敵対してきたのは、自分の利権を守ったり、
信長の政策が寺社勢力にとって受け入れられないものだったからだと思ってたんだが
第六天魔王にそういう意味があったんだとしたら、
本当に仏敵として向かっていったのだったかもしれないって事だな。
>>305 でも、ちょい待て。第六天魔王を名乗るのが、天皇から日本の統治権を奪う根拠になるのはいいとして、
信長は大寺院の軍事力は叩いても、信仰や布教の自由は奪ってない。
朝山日乗を使ってた事もあるし、何か矛盾してないか?
こんな感じで信長凄かった伝説が後付け捏造されてくのかな
309 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 10:17:32
当時確かなのは、宣教師フロイスの記述のなかに、
信長が『余に勝る宇宙の神は存在しない』と言ったとあるだけ。
310 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 11:30:22
それって、宣教師相手に座興というか軽い冗談でしゃべったのが、
だんだん尾ひれがついて「信長は神」伝説に脚色されていったって感じだな。
>>305 >>309 >>310 当時確かなのは、誇張癖があると上司に評されたフロイスの報告書に
「信玄が信長に対してその名を誇示しようと書状に天台座主沙門信玄と書いてきたので
信長はこれに対して第六天魔王信長と応酬した。第六天魔王とは諸宗の敵なる悪魔の王だと
いうことだそうだ。」とあることだけ。
ぶっちゃけ宣教師たちは布教は認めてくれたけどキリスト教には入らない信長を
報告書の中でどう扱っていいのか迷ったらしく、必要以上に信長を反仏者として描いてる。
異教徒の庇護で活動してるなんて書けないもんね。
第六天魔王、もその一環として書かれたような気がする。他の日本の記録にはないし。
実際の信長は
>>307にもあるように敵対した仏教宗派と戦った事はあっても庇護した仏教宗派もあるし
自身も織田家の信仰していた本能寺に京都にいくたびに泊まってるような人でもある。
312 :
日本@名無史さん:2008/10/26(日) 12:56:14
記録に無いのは、信長が当時タブーとされていた異端の神(魔神)を崇拝してたからかもね。
また信長の建てた安土城にあった総見寺に、日本全国のご利益があるとされる神仏を集めてきて、
その上に自分を祭った石(盆さん)を置いたらしい。
つまり総見寺のご神体は信長自身だったんだろうね。
313 :
あ:2008/10/26(日) 13:01:08
今の政治家は、みんな「利権」の代表だからな。
それは、日本だけじゃなくって世界中がそう。
みんな、利権を代表しているだけなんだから、何とかサミットとかいって
集まってみたところで、何もできるわきゃあない。
やっぱり、信長みたいな異常人が、今必要なんだろうな。
彼が気が違ったように宗教弾圧したのも、要は古い利権構造を変えない限り
新しい世の中は来ないと思ったからだろう。
たぶん、そういう狂気、蛮勇みたいなことをやらないかぎり、もう世界は無理だろう。
まあ、もう手遅れだと思うけど。
314 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:05:34
>>307 信長が信仰や布教の自由を容認した事は、天皇主権の容認に繋がらない。
明らかな勉強不足知恵足らず。
>>314 ?
>>307は
>>305を受けて
信長が第六天魔王を名乗る事で、天皇から日本の統治権を奪おうと考えていたなら、
仏教を庇護する態度をとるのは、おかしいんじゃないか…って言ってるんでしょ。
信長が第六天魔王と一体化するなら、仏教を弾圧する方向に向かわなきゃならない。
316 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:52:08
>>307 >312
日本全国のご利益があるとされる神仏を集めてきて、
その上に自分を祭った石(盆さん)を置いたらしい。
つまり総見寺のご神体は信長自身だったんだろうね。
ってことは、信長は神仏の最高神として自分が奉られることを望んだって
ことになって自身に服従する宗教はほっといたんだろ。
317 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 10:23:11
幕末に信長いたら黒船撃破してただろうね。
>>297 >その裏切られ回数と危険性がシャレにならんのだが。
家督相続直後から本能寺で死ぬまでどれだけ裏切られ危なくなってる事か。
最後も裏切られて死んだし。
別にあなたに心配してもらうことでもないんだが・・
裏切りは、それこそ下剋上の当時では当たり前の事。隙があると見れば隣国の大名であれ家臣であれ噛み付いてくる。
元就も息子達に言ってるしね。家臣を信頼するな、肉親以外は信じるなって。
その肉親でさえ、息子が親を追放したり叔父が甥を殺したりってのは、いくらでも例があること。
むしろ、それだけ裏切られながらも本能寺まで生き抜いた強運ぶりを褒めてやりましょう。
金ヶ崎での浅井の裏切りなんて、並の奴なら十中九まで死んでるよ。
>>297 >むしろ同時代人の政策の模倣で成り立ち信者が思い描くような政教分離みたいな政治信念なんか持ってなかった事や、
仏教は結局江戸時代に国教化していることなどがわかるんだが。
明治時代の廃仏稀釈がこの反動。つまり上で信者さんがいってるように信長が
400年後の日本の宗教観への道筋をつけたというのはあり得ないことがわかる。
もちろん政策のほとんどが、信長オリジナルってのはありえない。
楽市楽座なら六角氏が始めたことだし、寺院の弱体化なら足利義教だって似たようなことをしている。
ただそれに手を加えるべきところは加え、実績をあげたかどうかが大事なんでしょ。
また江戸時代に仏教が国教化されてたなんて解釈は、どっから出てきたのかね?
幕府が将軍の権威を高める為に朱子学を取り入れたのはわかるよ。
檀家制度で人々にどこかの寺の檀家として登録させたのは、布教や他宗徒の勧誘を禁止させる事とキリスト教の禁教の徹底を目的としてた訳だし。
むしろ寺院の弱体化政策を進める形になっている。もちろん、檀家から布施をもらったり、
葬儀や法要は登録されてる寺の独占とするなどして鞭だけじゃなく飴も与えてるんだけどね。寺院は民衆の統治に使われる道具とされている。
廃仏毀釈運動は、その江戸時代の仏教に対する反発からとは言えない。
明治新政府が「王政復古」「天皇親政」として神道を国教化したことから、寺や仏像は破壊され、仏教との分離が図られ仏教の僧侶より神道の神官が上とされたりしたが、
檀家制度の下での宗教の在り方に慣れていた民衆や、仏教界からの反発もあって3年程で下火になっている。
明治15年頃には、神道非宗教説の下での国家神道として、神官も葬祭関係から手を引いている。
>>318 別に俺も心配してるつもりはないんだが。
どう見ても他の大名よりその裏切られ回数と危険性がシャレにならんと
いってるんだけど。
>>319 現在の戸籍登録とおなじ役割を仏教が果たしてる時点で国教といわずしてなんなのか。
国民全員が仏教のいずれかの宗派に属してる。どう見ても国教だが。
徳川初期に絶大な権勢を誇った南光坊は叡山のトップだし、崇伝は臨済宗の人間。
つか君自身が江戸時代終わった頃には仏教の影響力が大きいことを認めてるじゃん。
>>320 信長の裏切られ「回数」とやらが他の大名に比べて多いか少ないかを言えるほど、当時の大名全てを知り尽くしてる訳じゃないんだが・・・
どちらにしても「五十歩百歩」ってレベルでしょ。裏切ることも裏切られたこともない大名を探すほうが難しいんじゃない?
なるほど、江戸時代の仏教寺院に属している民衆が、それ以前の仏教信者なみの信仰心を持っていたなら確かに仏教が国教になっていたと言えるね。
その前でも書いたけど、幕府は仏教寺院に対して布教や他宗徒の勧誘を禁止してるんだよ。寺院に対して生活の保障を与えて飼い殺しにしたとも言える。
仏教(宗教)の停滞だな。寺の僧侶が檀家に対して出来る事といえば、葬儀と七回忌・三十回忌といった法要だけ。いわゆる葬式仏教に成り下がってしまっている。
停滞の後はどうなるか。自然と腐敗も始まる。寺には檀家信者がキリシタンではないと身分保障してやる仕事もあったから、
僧侶の中には身分保障してやる代わりに法外な布施を檀家信者に要求したり、過度の伽藍を建設するために寺院改築の名目で布施を要求する者も出てくる。
檀家信者にしてみれば寺院に対する不信感、嫌悪感は募っていく一方だよね。「宗教なんていらね。」って考える人が出てくるまで時間もかからないと思わないか?
廃仏毀釈があがったけど、寺の仏像が破壊されたり寺が焼かれてる間、身を挺して寺を守ろうなんて檀家信者は殆どいなかったんだよ。理由は解らないが、浄土真宗の寺で激しい抵抗があっただけ。
それどころか、自ら自分の所属してた寺を破壊しにいった檀家信者までいる。そこまで民衆の心は宗教から離れてたんだよ。
民衆は仏教寺院が破壊されるのはされるままに任せたけど、だからといって新道が仏教に取って代わることにも嫌悪感を示した。その結果新政府が出した答えが神道非宗教だよ。
天海、崇伝といった参謀、政治顧問と言える人の活躍も3代家光くらいまでのことだよ。
その二人以降の彼らのような立場の僧侶って名前をあげられるか?少なくとも俺は知らない。
幕府も仏教の締め出しに向かっていったって事だと思うけどね。
>>321 いや、回数はともかくそれで陥った危機の状態はほかの大名より明らかに上。
最後もそれで命を落として崩壊してるし。
一流大名の中で裏切りでこれだけ窮地にあってるのは珍しい。
飼い殺しというか普通に宗教のすみわけをしただけだと思うが。
幕府が平和を維持しようというなら、当時の西洋でカトリックとプロテスタントのすみわけがあったように
仏教宗派もすみわけがされただけだろう。
その後もぶっちゃけ君の空想。
明治維新は天皇と神道が思想の中心になってたのでそれが周囲に雷同した結果。
明治になるまでに水戸をはじめとして国学は盛んになってたし。
政治的実体権力をもったイデオロギーがそれまであったイデオロギーを否定・破壊した結果だよ。
そしてそれが行われねばならなかった事からも仏教の大きさがうかがえる。
つーか神道は国家神道として太平洋戦争終戦まで大きな影響力を持つ事になるのは無視かい。
つか少なくともも何も君が知らんだけ。
5代将軍綱吉の信任を受け大僧正にまでなった隆光は?
天海の系譜でいうならば、
輪王寺に皇族が常に入ってた事は?
歴代輪王寺が御三家に匹敵する権威と勢威をもってた事は?
寛永寺や増上寺は?
どうみても江戸時代を通じてその影響力は色濃いんだが。
323 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:30:10
っていうか、疫病とか飢饉とか色々困った事が起きて、
神道でやっていけなくなったんで、仏教入れたわけだろうけど、
念仏で現実が変わるはずも無く、
もし、念仏が有効ならチベットが中国に占領とかされてないしw
結局当時の権力者が仏教入れた事って、Aという宗教でうまくいかないから
Bに改宗する事と変わらんわけだし、仏教入れる必要性が分からんw
やっぱり裏で金貰って仏教広めたんじゃね?
>>323 まあ、宗教はそんなもんだろ
オウム真理教にも神慈秀明会から変わった奴とか来てたしなw
>念仏で現実が変わるはずも無く、
そそ、仏教も最後は力で解決だよな いつの時代でもw
>>317 信長が将軍なら、薩長に徹底抗戦しただろうな
鳥羽伏見で、将軍が逃げ出すなどという失態はなかったはず
あと数日持ちこたえたら幕府の新式武装の歩兵が到着したのにw
嘘か誠か薩長側には50両しか軍資金が残っていなかったらしいw
>>322 ますますおかしな事を言い出すんだな。裏切られたことによっての危機の状態は「明らかに」他の大名より上ってのは何を根拠に言ってるの。
危機に陥るかどうかは裏切る側の問題でしょ。そういう意味では浅井や光秀は決定的なタイミングで事を起こしたもんだ。
大河ネタになるのかもしれないが、信玄が親父を追放したことだってたいした手際の良さだよ。
「一流」大名と言うからには当然「二流」大名も設定してるんでしょ?一流と二流はどこで線引きをしてるの?
信長が「一流」大名だったら、他に一流大名に加えられるべきだと考えてる大名は他に誰がいるんだ?自分基準でものを言ってるように聞こえるね。
謀反や裏切られたことで最期を遂げたものなら、陶に裏切られた大内だっているよ。将軍義輝もそうだし、家康のじいちゃんだってそうだ。
それにこれは考え方、捉え方の違いだろうが、俺は信長の死が直接織田政権の崩壊に繋がったとは考えていないよ。
信長は自分の後継者として既に信忠を選んで周囲に認知させていたし、
信忠に本能寺が明智に囲まれて炎上してるって報告が入った時点では、まだ宿所も明智に囲まれてなくて逃げるチャンスと逃げ切る可能性が残っていたんだからな。
国元に戻れば自分直属の軍勢も無傷だし、柴田・羽柴・丹羽・滝川・他の待機中の軍勢だって信忠の命令で動かす事が出来る。
信忠が生きてれば織田政権は崩壊しないし、統一事業も続行出来る。秀吉の出る幕もなくなるって訳だ。
織田政権の崩壊の原因は、家臣全てを納得させることが出来る後継者がいなくなった事と、それによる後継者候補を巡る内紛によるものだと思う。
>>322 隆光についてぐぐってみたけど、綱吉に信任されたってのは「生類憐みの令」が隆光の発案とされているらしい事から言ってるのか?
それだったら、その当時は隆光が江戸にいなかったことから、最近の研究では疑問視されてるらしいよ。
第一綱吉をあげたなら、なぜ綱吉の勉強会の相手で湯島大聖堂を開いた儒学者の林信篤の名前を出してこない?
4代家綱(だったかな?)から8代吉宗にわたって信任され、綱吉以降も新井白石や荻生徂徠といった儒学者が幕府の政策に携わっている。
寛永寺や増上寺は徳川将軍家の菩提寺として大事にされたんでしょ。それと江戸の風水上の見地から鬼門と裏鬼門の抑えとして置かれて、この事については仏教とも関係ない。
檀家制度以降の仏教寺院の状況を、飼い殺しから宗教のすみわけと言い換えたところで、大衆にたいして仏教が及ぼす影響力を抑えられたことにはかわりはないよ。
それから、民衆の宗教に対する関心が薄れていったことに対する考えを「空想」の言葉一つで一刀両断にしないでくれ。
同意できる出来ないは別にして、これでも自分なりに筋道立てて導き出した考えで、
どこで読んだかは忘れたがそういう腐った僧侶が中にはいたことも確かだし、廃仏毀釈で破壊された寺院の数についてもネットで調べれば出てくるはずだ。
全く根も葉もないデタラメを並べ立ててるんじゃないよ。
で最後に国学と国家神道についてだけど、国学の発展については一部のインテリの間で流行った思想であって大衆レベルじゃないし、
国家神道については、政府が権威が落ちていた時代が長く続いた天皇の権威を急速に高め民衆に徹底させようと強制してみたがうまくいかず、
学校教育での子供への刷り込み(洗脳)といった形でジワジワ染み込ませていったって事だと思うね。宗教の布教活動ともまた違う。
例えは悪いかもしれんが、反日感情を煽るために歴史を捻じ曲げて教える韓国の教育のやり方に似たところもあると思うよ。
どんどんこのスレの趣旨から離れていきそうだから、宗教に関しては俺の方からはここまでにするな。
>>326 つーか君の場合はもともとおかしな理屈がますます変になってる。
当時において大領土を持ち名を馳せた大名と比べてみなよ。
家督継いだら守役で第一家老の林が当主を裏切って弟に走り大ピンチ。
義理の弟にいきなり裏切られて大ピンチ、
最後は最も信頼し引き立てた重臣の一人に裏切られて死亡、天下崩壊。
信玄、謙信、元就、氏康、その他と比べてみなよ。
こんな目にあってるのが信長以外にいない事がわかるから。
つーか君の場合は信長は一流じゃないとでも?
陶に裏切られた大内はもともと文弱政治で家臣の支持を失ってた人だし、
将軍義輝なんか実際の力を持ってないから松永三好の都合であっさり殺されたし、
家康のじいさんなんか三河一国さえ持ってない人だぞ。
信長はこれらの連中と同格なわけ?ずいぶん低い評価なんだな。
それでその信忠がなんで逃げれなかったと思うの。
1万数千の兵が押し寄せる状態から逃げられなかったからだよ。
結局一番手じかで安全だろう二条城にこもってあの最後なんだから。
本能寺は信長はもちろん信忠も狙われてる。
これを起こされた事で織田家は崩壊してるよ。
>>328の続き
>>327 いまどき生類憐みを出すのかよ…。
隆光は綱吉に信任されて権威を持ち、護寺院の開山になったばかりか
真言宗の僧侶として初の大僧正にまでなってるんだけど。
つか今は仏教の話してるのになんで儒学者の話になるのかな。
儒学は宗教じゃないと思うが。
風水とかもうね…。菩提寺だけで済む問題じゃないんだよ。
寛永寺は天海の系譜につらなり、皇族が主となり、
東叡山・日光山・比叡山の三大宗教権威をも統括し、三山管領宮とまで
いわれた絶大な政治的権威だったのを知らないのか?
どう見ても巨大な権威としか言えないんだが。
もともとそれ以前には宗教のすみわけが行われなかったせいで争いが起きてた事を
考えれば、すみわけがされたのは自然な話。そして平和が達成された。いい事だろ。
根拠があやふや過ぎて空想としか思えないんだよ。
廃仏稀釈で壊された寺の数が多ければ多いほどその影響力が大きかった事を認めざるを得ないことを
わかってるのか?
国学に関しては知識人階級では非常にメジャーだったし、大衆を扇動するのもそういった連中なわけで。
じわじわというか、もともと明治政府の方針として国家統合の象徴が必要だった事が
あるんだが。明治政府は天皇の権威をあげるためにいろいろやってるし、
もともと天皇は神道と密接な存在なので神道が広まれば自然に権威は高まる。
つか君の理屈はもともと信長が400年後の日本人の宗教観に道筋をつけた、
じゃなかったの?国家神道が強力に存在してた事、君がそれを認めてる事で
その理屈は崩壊してるよ。
なんか、上手い事誤魔化したね。
上の人が言いたかった事は、綱吉のあたりでは隆光のような僧侶より、
林や新井みたいな儒学者が重用された事。
焼かれた寺の数は、民衆の仏教に対する無関心さを言いたかったんじゃないの?
>>328 >>329とか見ても、始めの方で言ってたことと変わってきたし喧嘩腰になってきたしなw
そろそろブチキレて罵倒して終わりなんじゃね?
332 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 10:58:22
>>329 江戸幕府が最初天海とかを使ったのは、その前からの慣習みたいなもの。
織田の日乗、武田の快川、毛利の安国寺と同一線上にある。
幕末の国学は、幕府が奨励する訳ないじゃん。
尊皇思想に繋がって、討幕の大義名文に使われかねないのに。
もう、グダグダで論理が崩壊してるよ。
江戸幕府や将軍がどんだけ弱いか知りたいです。大久保利通、石原都知事、北島康介より弱いやつでしょうか?
334 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:42:55
>>333 つか、徳川慶喜がダメ将軍だったことだけは事実。
薩長が勝手に錦の御旗を掲げて進軍してきたのに、賊軍になりたくない
とかで逃げ出すとは笑止千万w
権力を放り出して明治天皇から貰ったものは花瓶と紅白のちりめん、銀杯だったらしいw
>>328 >当時において大領土を持ち名を馳せた大名と比べてみなよ。
家督継いだら守役で第一家老の林が当主を裏切って弟に走り大ピンチ。
義理の弟にいきなり裏切られて大ピンチ、
最後は最も信頼し引き立てた重臣の一人に裏切られて死亡、天下崩壊。
信玄、謙信、元就、氏康、その他と比べてみなよ。
こんな目にあってるのが信長以外にいない事がわかるから。
↑の意味を322の
>いや、回数はともかくそれで陥った危機の状態はほかの大名より明らかに上。
最後もそれで命を落として崩壊してるし。
一流大名の中で裏切りでこれだけ窮地にあってるのは珍しい。
・・から読み取れって言うのか?言ってる意味が解らないから「ますますおかしな事を言い出すんだな。」って言ったんだよ。
あなたが名前をあげた4人+その他・・あなたの言い分に取って都合のいい人達だとは思いますが、
人物を絞って論を展開させようとするなら結局は「自分基準でものを言ってる」としか言えないね。
どちらにしても、俺の考えは変わりそうもないよ。例え命を落としたり命の危機に陥るほどの裏切りにあったとしても、それは裏切る側の手際が良かったかどうかの問題。
その4人にしても、あなたの言うとおりだとしたら実際殺されたり死にかけるほどのピンチは無かった・・ってだけで、大なり小なり裏切られたことはある。
誰が含まれてるんだか解らないその他の人には触れないよ。面倒くさいからいちいち、彼らが遭った裏切りの例は挙げんがね。
信長については能力も決断力も行動力もあって、優秀な奴だと思ってるよ。ただ、他人に対して一流か二流かを言えるほど俺は偉くないし、
同時代の全ての大名を知り尽くしてる訳でもない。俺が挙げた3人には「謀反や裏切られたことで最期を遂げたものなら」って前もって断ってます。
もう一回326の前半部分を、頭を冷やしてから読み直してみてよ。
・・で、次に本能寺についてだけど光秀の謀反の目的は、ひたすら信長の命を狙ったものだよ。
本能寺での信長と信忠の行動は信長公記に詳しくあるけど、信忠についてはまず宿舎の妙覚寺にいた信忠に、「本能寺が明智勢に攻められてる」という報告が入っている。
それを聞いて信忠が親父を救うために宿舎を出ている。そこに村井貞勝父子が「本能寺が既に焼け落ちた」という報告をもって現れ、「明智勢がくるだろうから二条城に篭もりましょう」と進言する。
進言を受け入れることにした信忠が二条城に入り軍議が行われ、「ここは引きましょう」というものもいたが、信忠は「雑兵に首を捕られるくらいなら・・」と自害することを決断する。
言いたいことは2つある。一つは最初に宿舎に報告が入った時点では、妙覚寺は明智勢に囲まれて無かった事。
宿舎の外で明智勢に止められることなく報告が信忠に届いてるし、信忠は「親父を救おう」ってことで宿舎を出たんだ。信忠も囲まれてたら、宿舎を出るどころの話ではない。
外に出たところで、官僚の村井父子が現れたんだ。明智勢の中を突っ切って合流したんじゃないよ。
明智が信長と信忠を狙うことが目的なら、信忠放っておいて信長を逃がさないことに全力をあげてる事の説明がつかない。
二人同時に確実に殺すなら、本能寺と妙覚寺に軍勢を分けて、時をあわせて囲んで攻めかかるよ。光秀がそう出来るだけの兵もあった。
次に言いたいことは信忠は逃げるチャンスと逃げ切る可能性があったって事だ。
最初に宿舎に入った報告で、親父を見捨てて逃げるって手があった。村井から親父が死んだことを告げられた時点で、「じゃあ逃げるか」って事も出来た。
最後のチャンスに、軍議の席で「ここは逃げましょう」って言う人の意見にのって逃げる事も出来た。
本能寺が攻められ始めてから時間が経っているほど、成功の可能性は低かっただろうけどね。
信長が金ヶ崎から逃げたときみたいに、少数の供回りだけ連れて京を脱出する機会がこれだけあったんだ。東に走れば安土・岐阜。西に大阪に走れば信孝と丹羽がいる。
実際は信長父子がいなくなって、信孝の軍勢は雲散霧消したけど、信忠が合流出来れば織田家当主を迎えた軍勢の士気も上がる。光秀も手が出せない。
最後まで逃げずに二条城でグズグズしてたから、行きがけの駄賃に本能寺を片付けた明智勢に囲まれ信忠は死んだんだ。
現代の日本人が宗教に対して無関心なってることと、信長の宗教関連への政策・対応との関係については、また今度じっくり書くよ。取り合えず、今日はもう疲れてる。
あなたも気づいてるようだけど、
>>216は俺の書き込みだよ。
>>297に出てくる信長信者って、俺の事いってるんじゃねーか?ってことで、口出しし始めたんだから。
>>169の書き込みから、このスレには書き始めてる。信長の宗教政策の延長線上にあるのが、秀吉と家康の宗教政策であって、檀家制度はその集大成と考えてるよ。
>>297から結局俺が言いたかったことは、大雑把に言うと日本人の宗教に対しての無関心さってのは、檀家制度の後の日本人の宗教に対しての関心の低下から来てるってこと。
また、檀家制度の後民衆の心を捉えて影響力を与えた宗教は皆無であって、
国家神道とは宗教ではなく、学校教育を通しての国家による長期的な大衆洗脳・・というのが俺の考え。取り合えず、今日はここまで。
338 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 22:36:04
>最後まで逃げずに二条城でグズグズしてたから、行きがけの駄賃に本能寺を片付けた明智勢に囲まれ信忠は死んだんだ。
つまりまぬけということで
さすがに現代日本の宗教観と400年前の信長はあんまり関係ないだろ。
どうみても宗教である国家神道を宗教じゃないっていうのはどうかな。
むしろあれが太平洋戦争で壊れたから現代日本人が宗教に無関心なんじゃ。
340 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:41:36
信長の登場から現代までの400年もの年月を飛ばして、
信長と現在を結び付けて語るのは変だな。
太平洋戦争は信長のせいだと言われても仕方ない。
信長好きの人たちは、やたらと信長の世界制覇を語りたがるから。
そうなんだよな。
事物にはすべてにマイナスとプラスがある。
信長の行動が400年後まで影響をおよぼしたというなら
その400年の間のマイナス的事象も信長が引き受ける事になる。
ちょっと時系列を並べて見ればわかると思うけど、
信長から現代の日本人がその価値観にいたるまで
江戸時代、明治維新、廃仏稀釈、国家神道の隆盛、天皇に対する解釈の変遷、
太平洋戦争終戦による衝撃、GHQの占領政策、戦前の反動からの極端な左より価値観の跋扈
などといった様々な事象と時代がその間に存在してるんだけど。
信長の影響とやらがこれらすべてを突き抜けて今の日本人の宗教観に結びついてるとは
とてもとても…。
宗教観だけ語ってもしかたない。
現代の価値観を直結させるなら信長がやってきた虐殺も肯定するのかな。
長島の場合は非戦闘員で、しかも非武装の女子供まで皆殺しだ。
これを政教分離だからというのは戦争の悲惨さから目をそむけているだけだと思う。
信長の存在が秀吉や家康による天下統一の方向性をつくったのは認めるにしても、
だからといって大虐殺が容認されるわけではないぞ。
だいたい、信長信者のほとんどは、
信長が天下統一どころか勢力圏の維持さえ無理だったことを認めたがらない。
>>335 長く書いてる割にはほとんどが主観や思い込みで根拠がまるでないよ。
なんで信長だけそこまで裏切られ窮地に陥り最後は死んでるのかを
本当に相手だけの問題と思ってるのか?
信長にまとめる力や人格の欠如があったとはおもわないのか?
信者としかいえないな。
他の連中は死ぬほどの裏切りにあってないってのにこれでもまだ問題を信長には
感じないと。本当に自分で言ってておかしいと思わないのか?
だから、ただ「裏切られた」だけで並べるなら信長をそれと同列に評価してるのと同じなんだよ。
なんで信長以外の優秀な大名がそこで名前があがらず、文弱といわれて支持を失ってた大内とか
三河一国も持ってない松平とかが例えとして君自身が出さざるをえないのか
本当に君は疑問に思わないわけ?
>>336 言いたい事はいくらもあるけど一つずつ。
妙覚寺と本能寺の距離が信忠が助けに行こうとか
二条城にこもってる時点でわからない?
明智にしてみれば信長を真っ先に殺してその後で攻めても十分攻めつぶせるよ。
実際そうなったし。本能寺には100人も人がいないんだから信長をつぶすのに一日もかからない。
あの時一万以上の軍を持つ明智に対して最も安全な逃げ場所が城、つまり二条城だったんだよ。
金が崎みたいに殿やって見事に防いでくれそうなのもいないし、逃げるって言ったって
追撃されたらどうするの?明智の警戒線や各地の混乱に乗じた落武者狩りをどうやって突破するの?
信長父子よりも優先順位の低かった家康でさえ死ぬ思いをしてなんとか領地まで帰ったし
穴山は逃げ切れずに殺された。信忠が明智に全力で追われながら逃げ切れるとはとても思えんが。
当時もっとも信忠にとって手じかで安全な場所だった城にこもって殺されただけの話。
>>337 言ってることが強引すぎる。
400年もの歳月と事象をすっとばして現代の宗教観に結びついてるわけがない。
江戸時代の仏教の大きな権威は無視するの?
国家神道が宗教じゃないってどうして?
戦後の価値観はGHQの占領政策と戦前への極端な反動を介在してるのは無視して
信長の影響で現代日本人の宗教観ができてるというの?無理ありすぎ。
347 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 00:55:38
本能寺の変がなかったら天下は確実って言う人多いけど、
本能寺で襲撃されなくても光秀は敵になっているんだから、
その分信長陣営は弱小化しているんだけどな。
というか、敵である光秀が攻撃してこないことを想定するあたり甘すぎ。
だったら信長が攻めてこなければ毛利は安泰だから信長は天下取れない、という論も成り立つ。
そんなに信長がすごいならなんで天下とれないの?
答え:もう限界だったから
349 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:42:33
司馬さん風味で言うと
虐殺は世界史上
よほどの天才かよほどの馬鹿でなければできないわけでしてね
わたしは信長は前者だと思うんですよー
350 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:54:03
マジレスして
のぶと他の戦国大名と
同列にはできないと思う。
あれだけワガママな主君によくみんなついていったと思う。
のぶより前の戦国大名は
戦国大名とはいえまだ完全に支配してるわけじゃなく地域の連中の上に乗っかってる感じなんだよね。
武田シンゲンですら
相当気つかってるし。
のぶはあごでつかってる感じ
明智なんか子飼いの家来
他の裏切りや離反とは
少し違うと思う。
天才とは思わないけど
エキセントリックだよね
351 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 02:08:01
>>350 信長の人事がトンマなので、荒木、松永、明智などが離反し、
最後は明智に打たれてるわけだがw。
352 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 02:14:29
とんまというかついてゆけなかったんだろう
遊びない人だしね
いつもがちだし
353 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 06:41:51
>武田シンゲンですら
>相当気つかってるし。
>のぶはあごでつかってる感じ
地侍集団と兵農分離済み軍団では条件が違いすぎる。配下の足場が不安定なら、
上は強権的に接することが出来るからな。
354 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 12:25:34
うん 豊かな尾張という国だからのぶは台頭できたんだろう。
重臣追放とか
佐久間に書いた手紙とか
遊びがないよね。
日本人的じゃない。
355 :
337:2008/11/01(土) 14:15:40
ただいま。
>>342 はっきり言って、俺の考えの中にはGHQの事と国家神道の反動は頭の中に入れてませんでした。
GHQなんかは日本人の宗教観には、あまり左右されないでしょうしね・・尊重したりはするだろうけど。
ちよっと突飛過ぎたってことで、撤回しときます。
356 :
337:2008/11/01(土) 14:43:44
>>346 という訳で、俺の方は取り消しときます。
江戸時代の仏教の権威は問題にはならないよ。
寛永寺にしても増上寺にしても、俺が前から言ってるのは徳川将軍家の菩提寺としての権威。
檀家制度後の仏教は、大衆に対しての影響力は薄れ葬式仏教になってる事も言ったし、その二つの寺の権威にしても同じ仏教界の中で完結する権威だと思う。
国家神道が宗教じゃないと思うのは、一つは国家神道非宗教説というのがある事。
神道は宗教じゃないから、大日本帝国憲法の信教の自由と国家神道は矛盾しない・・というのも政府の見解。
もう一つは、宗教というのは教義とそれを信仰する目的と、それを信仰することによって得られる利益が伴うものだと思う。
例えば浄土真宗では、「人はみな、阿弥陀の本願によって極楽往生は決定している。だから感謝の念をこめて南無阿弥陀仏と唱えましょう」というのが教義の中にある。
真宗では、だから本当は信じる信じないの問題でもないのだが・・という解釈も成り立つが、得られる利益は死後の心の安寧がある。
曹洞宗では、「俗世を離れて出家して、ひたすら座禅しなさい」というのが教義にある。
目的は釈迦の悟りの境地に近づくことで、得られる利益は悟りの境地ということに・・
そういう視点から国家神道の中身を見ていくと、日本は神の国だということ、天皇は万世一系の神の子孫だということ、
天皇が日本の正当な支配者ということが延々と述べられているだけで、「人」に対して向けられたものは何もない。
国家神道を信仰することによって「人」が得られる利益は何もない。これを「宗教」と捉えていいんだろうか?宗教というより「思想」じゃないか?・・ってのが俺の考え。
357 :
337:2008/11/01(土) 14:59:00
>>344 俺がずっと言ってきたことは、裏切られて死んだって事はそれほどたいした問題じゃないよってこと。
信長がいいとか悪いとか・・他の大名と比べて優れているか劣っているかって事には触れていない。
あなたと信長論を展開させるつもりはないよ。
俺が
>>297に突っ込んだことだって、そもそも信長がどういう男か・・ということから始まった話じゃない。
議論の相手なら、他を当たってください。
358 :
337:2008/11/01(土) 15:24:27
>>345 あなたも認めてるようだが、光秀は信長を殺すことがまず第一の目的で、信忠を討つのは二の次だと言う事だよ。
繰り返すが、光秀があなたが言うとおりの事を考えてたとしたら、信長を殺すことに対しては水も漏らさぬ完璧な作戦を立てた光秀が
信忠に対してはあくまで信忠が二条城に篭もることを前提として成立してるじゃないの。
忘れないで欲しいのだが、妙覚寺を信忠が出る事を許してしまっている。逃げれる逃げれないの前に、ずいぶん信忠に対してはザルだったってこと。いくらでも水が漏れていきそうじゃない。
信忠が甲冑を脱ぎ、町人のなりで町に溶け込まれてしまったらどうするつもりだったんだ。
潜伏されたまま、外の家臣と連絡を取って脱出されたらどうするつもりだったんだ。
本気で殺すつもりなら、不安要素を残さないよ。
・・で、結論。光秀には信長を見逃すつもりはなかった。信忠は討てるから討った。
359 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:00:29
極楽往生 死後の心の安寧 悟りの境地 結局仏教は死後の世界の話だよな。
でも、結局幻想だし意味ねぇわw
それで飯が食えるのは坊主だけw
まあ信長は坊主どもが、民衆を意味のねぇあの世の世界の話で支配するのを
極端に嫌っていたらしいな。
そういやヒトラーも、余が死んでもキリスト流で葬式をやるなとか、言ってたような。
やっぱり偉大な人物は宗教とかのマヤカシに騙されないわな。
360 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:16:04
のぶただは巻き込まれたな
光秀はのぶ殺しだけを狙ってた感じ
>>信忠が甲冑を脱ぎ、町人のなりで町に溶け込まれてしまったらどうするつもりだったんだ。
武家の当主がそんな事したら威信も何もあったもんじゃないな。
第一家臣たちはどうなるんだろ。
町人に化けて少人数で逃げて
落ち武者狩りとかで殺されたらカッコ悪いどころの話じゃないなw
町人に化けて逃げた場合(ありえないけど)
怖いのは落ち武者狩りというか山賊や武装農民の類か。
穴山とか殺されてるし。
明智の警戒線も突破できるかあやしいな。
>>356 だから何度も言ってるだろう。
三山管領宮とかなんで無視してるんだよ。
三大宗教権威を統括してる存在を無理やり小さくしてるだけだろ。
君自身がいうように完全に君だけの考えでしかないな。
国家神道で戦死者などが神となり靖国で祭られてる事を無視して
本当にそんな事がいえると思っているのか。
>>357 だからいい加減にしてくれ。
他の優秀な大名が裏切りで死んでないのに信長が死んでるのがどうして
大したことじゃないんだよ。贔屓のひきたおしだろう。
>>358 実際あの時信忠が逃げ込めるもっとも安全で手じかな拠点が二条城だったんだが。
他の場所に逃げたならなおさら簡単につぶせるし、封鎖線で抑える事も追撃で倒す事もできる。
寺を出ても京都から逃げ切れたわけでも美濃まで戻れたわけでもない。
主要ルートは明智に抑えられ封鎖線をつくられるし、近江はすぐに明智に抑えられるし
伊賀越えなんか織田に対して恨み骨髄の連中が集まってるから家康みたいに懐柔も見逃してももらえない。
時間間隔から考えて十分信忠も倒せると明智は踏んだだろうし、実際そうなった。
靖国神社 神田明神 太宰府天満宮の共通点を考えよう。
同じ思想のものだから
>>364 肝心な部分から目を逸らしたまま理屈を捏ね回しても
まったく説得力を持たせられないことに、いい加減に気付こう。
お前ウザイ
>>366 その肝心な部分というのをあげてみたらいいんじゃね?
でないとただの煽りにしかならないだろ。
>>367 いや、本人が一番気付いてるみたいw
巧妙に気付いていないフリしてるから
俺が指摘するのも可哀相
とどめを指すかどうかは彼に任せるw
本気で気付く事が出来ないんだったらもっと痛い
思考力のない低能は学問板じゃなく戦国板に行けばいい
あそこは趣味の板だからなw
>>368 とどめもなにも すでに何回か指されてるんだけどな・・・
指された本人が それを認めないだけで
しかし何度も言われているが、
具体的に書かないで抽象的に言うだけの人が多いな、ここ。
しかも信長擁護の人に多い。
そんなに自信があるなら
>>368から
>>370の人が説明すればいいのに。
確かにレスが3つ並んで一つも内容がないのは珍しい。
そもそもとどめも何も相手の人が
>>355で
撤回を明言してるやん。
さすがに信長から400年の間を飛ばして影響が残ってるというのはないよ。
>>364 > 国家神道で戦死者などが神となり靖国で祭られてる事
という事は、君の理屈だと参拝した歴代総理が、今でも国家神道の信者という事になってしまうよ。
>>365の人も指摘してるように、古代からある怨霊信仰からきてるものだよ。
将門や道真みたいに、祟りをおこしそうな人は、神として祭って慰霊してきたのが日本という国。
お相手さんが、宗教の定義をした上で、明治政府の見解を示して国家神道は宗教じゃないというんだから、
君も宗教の定義をして、そう考える理由をあげて国家神道は宗教だと言ったらどうだろうか?
>>364 本能寺の件については、お前さんの方が完全に想像の範囲を出てないな…
二条城にのぶただが連れて入った兵士は三千人だぞ。
どう考えても、寺で寝てた所を襲ったほうが早いじゃんw
光秀は一万人以上連れてたんだから、兵を二手に分けても余裕で勝てたって。
結局結論は変わらず。光秀はのぶを殺しに行った。
のぶただを殺せたのは、のぶただが馬鹿だったから。
てか、本当にこれ以上はイジメになるな。
でも
>>364には、江戸時代に仏教が力を保っていたなら
なぜ檀家制度を認め、葬式仏教になることを受け入れたのか。
天海のあと、幕府のブレーンは僧侶から儒者に変わっていったのかを説明して欲しかった。
>>376 さすがにルート違う所に兵を分けて同時に襲わせたらばれると思う。
てか信忠の率いた兵3千ってどうやって構成されたんだっけ?
最初に妙覚寺にいた時に結構兵がいたんだっけ?
さすがに3千が信忠の近くにいたら1万の兵を分散して攻めたら
簡単には勝てないだろ。攻者3倍の法則。
>>376 信忠の近くに兵がいた事=光秀が狙ってなかった
にはならないよ。
少人数で近くにいる信長をまず倒して
その後で料理にかかるだけだったんでしょ。
どっちみち信忠が美濃に帰るまで道は長いからね。
>>378 妙覚字にのぶただと一緒にいた人数は知らない。
のぶと本能寺にいた人数が百人いなかったんだから
のぶただと一緒にいた人数もそんなもんだろ。寺だから、大人数は入れないと思う。
他の兵士はバラバラに分宿じゃね。
>>381 それだと信忠が危なくなったら周囲にはすぐに数千の兵があつまれる
状態だったと言うことになるよ。
だったとしたら一万の兵を分散してたら簡単には勝てないよ。
>>377 主張を撤回したのは
信長の影響で宗教が力を失って400年後の日本人の価値観につながってると
主張してたほうだっていうのはわかってますか?
>>382 だからこそ、妙覚寺と本能寺を同時に囲んだほうが光秀にとっては簡単だったんだよ。
本能寺は完全に奇襲出来たんだったから、光秀の動きは速かったんだよ。
同じように、妙覚寺も奇襲出来たと考えるほうが自然
>>384 兵数でいえば信長の周りには100もいなくて
信忠の周りには三千近くいるなら
兵を分散して同時に攻めたら勝てないよ。
第一距離でいえば妙覚寺より本能寺の方がずっと近いし。
>>377 もう一方の人にもなぜ三山管領宮を無視するのか答えてもらいたかったな。
>>385 君、本当は馬鹿?
二条城に入った兵士が三千だよ。
本能寺が落ちて、行き場を失った兵が二条城に集結したんだよ。
俺、これ以上簡単には説明出来ないよ。
おやすみなさい
>>387 だから本能寺にはもともと百余りしかいなかったじゃない。
なんで本能寺が落ちると行き場を失うの?
もとから信忠の近くには兵がいたはずだけど。
信長公記を見てみるなら
信忠は信長が討たれた後で「備えがある」二条城に村井の勧めで入ったとあるね。
そして部下の一人に「内裏へ逃げたらどうだろう」と勧められる。
その時信忠は「とても逃げられないだろう、雑兵の手にかかるのは無念だ。
ここで腹を切ろう。」と答えている所に明智の襲撃を受けている。
信忠の状況は絶望的だったみたい。
「備えがある」じゃなくて「お構えよし」だから
守りに適している、っていう意味か。
どっちにしろ信忠にとって一番安全そうな場所だったわけだ。二条城は。
391 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 11:10:14
>>387 信忠戦ったっけ?
三千いるんなら戦うべきだろ
篭城したらいいんじゃね?
392 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:31:07
↑
同感
戦ってこそ武人。
393 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:32:41
土壇場の決断のなさは
青天のへきれきとはいえ
のぶただの力量を示してる。
のぶだけでもっていたんだな。
394 :
356:2008/11/03(月) 17:08:41
>>364 本当はもう口を挟むつもりはなかったんだけど、三山管領宮についてだけ。
たいそうな敬称をつけてもらった所で、そういう風に敬われる対象ではあっても、幕府に対して何か影響力があったり、そこに強力な信仰が生まれた訳ではないよ。
「三大宗教権威を統括してる存在」と、ことさらあなたは大きく見せようとするが、江戸の庶民に慕われた所で「権現様」「太閤はん」と同じの象徴的なもの。
政治に参画したり幕府の政策に口出し出来るような現実的な力もなく、天台座主になれるくらいの権威や力も宗教界内で収まっているうちは、
結局仏教界の中で完結する権威と言わざるをえない。信長以前ならともかく、天台座主自体に現実的な力がないしね。
上野戦争で幕府の徹底抗戦派が寛永寺に篭った点では、確かに幕府の象徴であったのは間違いないだろうが
それでさえ、結局は錦の御旗を掲げた官軍を押しとどめる力はなかったんだよ。
これで一応あなたに対しての義理は果たしたってことでいいよな。
反論あっても、もうレスしないからね。これが俺の三山管領宮に対する認識ということで・・
俺はどっちでもいいんだけど、可能だったら
>>374さん、
>>376さん、
>>377さんのリクエストにも応えてあげてね。
お疲れさんでした。
>>388 なんか気の毒だから、もう一回だけ言うよ。
これで理解出来なかったら救いようがないよ。
園児に理解させるのは無理だからね。
本能寺を奇襲出来るほど速く隠密に動けたなら、妙覚寺も奇襲出来たでしょ。
のぶただも、方告を受けるまで気付かなかったんだから。
で、妙覚寺にも大兵力は置けないんだから、のぶみたいな小人数でしょ。
最初からのぶただを殺すつもりなら、気付かれて二条城に三千の兵を集められる前に
のぶただの寝込みを襲ったほうが、光秀にとっては簡単だったって事。
本能寺に百、妙覚寺もそれくらいなら、一万持ってて出来ない訳がない。
396 :
日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:53:17
結局、信忠に三千の兵はいなかったって事かよ
まあ、光秀に一万の兵がいて、信忠にも三千の兵がいたら
信忠が戦わないってことはないわな
もし戦わないなら、徳川慶喜に劣らぬ腑抜けとして後世に語り継がれるわw
>>394 現実の政界にも力をもっていた存在をそこまで軽く見られるというのは
随分突拍子もない理論だな。信長以後だって結局天海が仕切ってるのに。
>>395 横からだけどとりあえず距離が違うと言っておく。
本能寺と同時並行で別方面に兵を動かしてたらまず気付かれる。
あと
>>389と
>>390も見ておいた方がいい。
信長公記には信忠の兵の記述はないがやたら武将はたくさんいるな。
398 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:04:31
裏付けとなる根拠が何もない
言うだけなら小学生でも出来る
やり直し
>>398 むしろそっちのが根拠がないぞ。
本能寺と妙覚寺は離れているし、
>>389や
>>390で紹介されてる
信長公記ではとても信忠が逃げ切れる状況じゃないことがわかる。
400 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:52:55
本能寺と妙覚寺は道成に行って1キロ弱の距離、本能寺襲撃の報が入り、
信忠が、甲冑をつけたり、戦支度をして救援に行こうとしていると、
村井がやってきて「本能寺は敗れて既に炎上、敵がここにもせまるので二条城に籠もるのがよいでしょう」と進言。
「安土まで引き、体制を立て直して明智を撃つべき」と進言するものがあったが
「明智ほどの者なら既に手を打っているだろう、雑兵の手にかかるよりは」と二条へ。
(ところが明智光忠ら別働隊の動きが鈍く、この時は街道はまだ、封鎖されておらず、逃げようとすれば逃げられた)
信忠軍の陣容は、京にいた織田家臣で本能寺の救援に間に合わなかった者が合流して約1000〜2000、
このなかには町民が止めたにもかかわらず明智軍にまぎれて合流した小沢六郎三郎などもいた。
信忠軍は奮戦し、先鋒の明智孫十郎を討死させ、明智光忠は負傷し死傷者続出、
数度にわたり敵を押し返すも、多勢に無勢、ついに切腹。
401 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 08:36:24
402 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 11:19:26
やはり徳川慶喜とは違い
織田信忠戦国武将の生き様
403 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 11:27:16
結局、最強の武将は新田義貞公ということだけはガチだな。
404 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 11:34:37
決断がないよ。
二代目としてあまりに平凡
のぶ一代でもってたんだな。
本能寺を囲んでおきながら、1km先の妙覚寺は囲まない。
信忠が二条城に篭った後も、脱出を防ぐための街道封鎖も出来ていない。
光秀は信忠に逃げて欲しかったんじゃないか・・?と勘繰りたくなるようなこの状況。
最初から信忠を討つつもりなら、信長を逃がさなかった光秀にしては、あまりにもお粗末。
光秀は信長を逃がすつもりは無かったが、信忠は「討てても討てなくてもどっちでもいい」
くらいにしか考えてなかったように思える。
信忠が生きていれば
織田政権が続いたと思うけど
悲しいな
織田政権が続いた方が日本はもっと良くなっていただろうし
本能寺の混乱の中、京から逃げ延びた武将もいるんだよな。
前田玄以、織田長益。三法師を連れて逃げ延びてるしね。
信忠も自分が死んだら織田家が立ち行かなくなることを考えたら、逃げるべきだったね。
409 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 18:37:03
有楽斎は逃げる事が出来たんだよな
410 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 20:40:40
千や二千の手勢では太刀打ちできないよね
やっぱりゲシュタポみたいに電話盗聴っていうか
常に情報を収集しておくべきだったよね
411 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 09:02:36
しかし結局、最強の武将は新田義貞公ということだけはガチだな。
412 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 10:44:56
豊臣秀頼公が1番だったのは疑い様が無い。
徳川家康が秀頼に謁見した時に受けた若さと実力に対する衝撃は
徳川秀忠は豊臣秀頼には勝て無いと認識させるには充分だった。
413 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 13:39:10
信忠が生きてても
まだ完全に政権が固まってないから決断のない信忠だと
織田の武将たちが次第に独立色だして分裂してくるだろう。
やはり羽柴公の出番になる。
もう少し戦国は長引いたかもしれない。
414 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:46:09
信長は本能寺の変までが限界だよ
勢力を維持する力なし
415 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:01:02
リーマン破綻と同じで、結局必然だったということだ。
本能寺の変がなかったら、なんていうのは本質を見ていないだけ。
信長は裏切られるだけの男だったということ。
信忠もその程度。主君として魅力ある人物なら光秀は殺さず仕えるよ。
416 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:05:47
信長=清水健太郎
非常にレベルが似てる
417 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:07:47
のぶの圧倒的カリスマ性だけでもってたような感じだから。
織田の諸将が信忠のいうことなんか聞くわけない。
しかも光秀に背かれて
必死で落ち延びた親父のいない信忠の影響力は低下しまくり
尾張 美濃をなんとか維持するのがせいいっぱい
418 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:07:54
>>411 同感。
新田討伐を命じた北条高時に対し、新田義貞が生品明神で倒幕の兵を挙げた
その数僅か百五十騎が、夜までに二十万七千になり、そのご関東八カ国の武士が
ぞくぞく合流し総計、六十万七千余騎となったとは素晴らしい。
419 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:09:17
420 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:15:44
421 :
日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:33:15
その半分だと思ってるおまえも恥ずかしいよ
422 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:54:51
信忠の戦いっぷりからして有能だと思うけどね。
それに信忠が生きていれば、少なくともすぐには織田家が弱くなる事も無いし、
信忠側につく武将も多いだろうし分裂はしなかったと思う。
1度裏切られたからってそれが実力の無さを示す訳では無いし。
完璧では無いから実力が十分では無いとは言えない、それに成長もするしという意味で。
まあ生き延びていたらという仮定の話だけど。
423 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:27:04
>>421 関東の武士はぞくぞくと義貞の軍中に集まり、5月9日の日暮れ時には20万7千余騎の大軍になっていた。
↓
まあ南朝よりの太平記の記述は誇張にしても鎌倉幕府倒す程の大人数には違いあるまい。
424 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:52:12
信忠は力量ないわけじゃない。家督も譲られてたしね
のぶの横死というありえない超非常事態が発生しなければそのままいけただろうね。
のぶは天下統一の事業をすすめるために
家臣に大きな力を与えてた。
それがのぶという圧倒的カリスマ性があって抑えられてたけど
非常事態で脱出に成功した若い後継ぎの言うことを素直に聞くとは思えない。
分裂は必至
425 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 02:17:09
武田家でも
信玄なきあと勝頼が継承したが有力家臣団の足並みがみだれて
長篠合戦までいってる。
このあたりまでの武将たちはすぐに見限るからね
信忠もそうなる可能性は高い。
もう少しのぶが健在で道筋つけてからなら
いけたかもしれないが
ただ、織田家臣が信忠を見限るとしても荒木や松永が信長を裏切った時とも
また状況は違うんだけどな。
荒木は信長から毛利・本願寺方への寝返りだし、松永は信玄や謙信の動きに合わせて裏切ってる。
信長に対抗できる勢力がまだ存在してたからこそ、その敵対勢力に鞍替えすることも考えられて
彼等にしてみれば勝算も無い訳ではなかった訳で。
仮定の話をしても仕方ないんだが、信忠が家中をまとめられるかどうかは、
裏切り者の明智にどう始末をつけられるかにも懸かってると思う。
427 :
日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:53:45
>>426 結局秀吉が現れ、家康へと移り・・・・・で同じじゃないかな
428 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:05:34
清洲会議で分裂はまず無いよな
429 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:56:48
本能寺の変の時点では信忠が生きていたとして
織田政権のままの場合も
>>427になる場合もどっちもあり得るんだろうな
430 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:39:23
大津事件の津田三蔵は信長の末裔だと思う。
あれは信長の血のなせる業。
431 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 16:21:29
逃げ延びたら、織田家は揺るがないだろうな。
社長(信忠)と会長(信長)が死んでしまったということで、
近江などは簡単に明智に制圧されてしまったわけだが、
当主信忠が生存しているということになれば、そういう事態にはならない。
尾張、美濃、信濃、甲斐と織田家最大の軍団を有する信忠軍団だけで明智は潰せる。
最近では信長は殆ど戦に出なくなり、松永討伐では明智、羽柴を指揮下に、
上月城での戦いでは明智、羽柴、滝川、丹羽を指揮下にし、武田討伐でも滝川、徳川が
指揮下に入る総大将であり、現場は、信忠を中心に動くようになっていた。
本能寺で信長は、信忠の謀反(全権掌握)?と勘違いしたほどだ。
432 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 19:43:57
寝込みを襲われて
親父殺されてやっとこさ逃げた後継ぎなんか相手にされないと思うけど。
しばらくしたら分裂してくると思うけどな
433 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:44:08
>>432 それは、信長が明智を織田家第一の功臣(佐久間への折檻状)とし、
京に近いところに織田家臣のなかで最大の領土を与えるなど優遇し、
バカ殿みたいに無警戒だったのが原因。
大御所の信長が死んだとはいえ、柴田、羽柴らは信忠(織田家当主)の家臣であり分裂はありえんだろう。
明智を滅ぼした後は、尾張・美濃・信濃・甲斐に加え近江・山城・丹波も
信忠の直接支配するところとなり、300万石。
反抗する奴はいないだろうが、もし反抗しても簡単に潰される。
織田家の家臣である以上、信忠に反抗すること自体に正当性は全く無いってことだな。
実際光秀でさえ、信長・信忠を殺った後誰も味方にはついてくれなかったし。
光秀本人にしてみれば、絶対確実と思っていた細川や筒井も動かない。
信忠が本能寺を脱出して織田家をまとめた後に反抗したところで、光秀以上の悲惨な結果が待ってるだけでしょ。
そもそも信忠が美濃まで戻れるのかと。
近江近辺はあっという間に明智に制圧されてるのに。
だから家康は死ぬほど苦労して伊賀越えしたわけで。
この伊賀越えでは家康は何度も襲われ、伊賀者を召抱えるなどして懐柔策をとって
通過してるが、織田に恨み骨髄の伊賀者は信忠を通してはくれなさそう。
光秀の動きを監視していないとこが愚か
SSのヒムラーなんかどこに行くにも600人の護衛隊を連れて自動車を連ねて行ったらしいけど
信忠も鉄砲隊を含めた精鋭の5000人は京都においとくべきだったね
>>434 1−3行目の論理からは4行目へはつながっていかない、
つか、矛盾してないか?
光秀と信忠の立場を一緒にしちゃったわけ?
438 :
434:2008/11/16(日) 19:49:43
>>437 質問の意味がよく解らん。
レス返しようがないよ。
439 :
日本@名無史さん:2008/11/17(月) 00:21:07
>>435 それは、戻れるさ。
というか、安土で弔い合戦の準備を整えるだろう。
近江が簡単に(10日ほどかかってるけど)制圧されたのは、織田家が崩壊(社長と会長が死亡)し、各軍団は戻れず、
明智の天下になると予想した近江、若狭の国人衆が多かったから。
当主(信忠)が死んでないのに、動揺して明智方付くものはいない。
二人を一度に倒すことが、明智の謀反(下克上)の最低必要条件。
史実でもせっぱつまって二条城に逃げ込むしかなかったのに
近江の安土までどうやって逃げればいいのかと。
移動中に襲われて殺されそう。
>>440 脳ミソ入ってるのか?
史実でも本能寺の時の京や二条城から、脱出して逃げ切ってるやつがいるってのに…
ここまでの流れを完璧に無視して何を言ってるんだか…
ちなみに信忠が二条城に入ったのは村井貞勝の進言を受け入れたから。
村井は重臣とはいえ、軍事には疎い官僚だよ。
軍議の席では、現場の家臣から逃げろって意見も出るくらいなんだから
信忠も変な美学を発揮しようとせずに、さっさと逃げろってのw
軍事に疎いやつの言葉を真に受けるようでは信忠も相当軍事に疎いんだな
そんなのが生き残ったって何もできねえよ
本当に世界進出も可能な大天才なら本能寺の変も起きようがないんだがな。
野球で言えば勝ち投手にもなれない二流に、
全試合完全ピッチングを要求するようなものだ。
なんで信長好きな人って事実を直視できないんだろう。
馬鹿なのはわかるけど。
馬鹿とは失敬な
445 :
日本@名無史さん:2008/11/19(水) 12:26:20
のぶがいて
信忠は成立だから
のぶがいきなり家臣に殺されたら衰退は必至
松平家とかそうじゃん
明智討伐で一時はまとまれても
そのうち舐めて勝手やりだして分裂するよ
447 :
日本@名無史さん:2008/11/20(木) 02:36:58
織田家代々の家臣は裏切らないと思う。
それに加えて信忠自信の領地の事も考えたら、
たとえ裏切ってもクーデターは無理だと思う。
>>441 確かに逃げようって言われたな。内裏に逃げようって。
その家臣でさえ信忠が生き残るには近場で天皇のいる内裏に逃げて
光秀が手を出さないかもしれないことを期待するしかなかったんだよな。
>>447 織田家代々の家臣ってそいつらが秀吉にしっぽふって
信長の息子見放したのに。
信忠の領地は尾張美濃で百万石程度だし。
449 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 01:16:03
逆に裏切らなさそうな家臣は誰?
450 :
日本@名無史さん:2008/11/21(金) 19:54:06
>>445 そんなバカな、信長なんて不要。
既に家督を継ぎ6年、戦場で秀吉ら諸将に号令する権限は、信忠に委ねられていた。
信忠は尾張、岐阜、甲斐、信濃を領して織田家中最大の軍団。
大御所の家康(信長)が死んでも、徳川は揺るがない。
武田征伐後、3月26日には、信長は「天下の儀も御与奪」(信長公記)として、
信忠に軍事だけでなく、全権を委ねると意志表明している。(信長の大御所化)
それで三職推任では、官職を辞退し、信忠に将軍をと考えたのかもしれない。
>>448 信忠の領地は尾張、岐阜、甲斐、信濃で100万石ではきかない。
武田征伐後、寄騎部将の河尻秀隆が甲斐(梅雪領を除く)を領し、
それにプラスして梅雪領の替地として信濃に一郡。
同じく寄騎部将の森長可は信濃(高井・水内・更科・埴科郡)、
同じく寄騎部将の毛利長秀は信濃(伊那郡)。(木曾氏分以外は信忠)
>>450 甲斐信濃なんて織田がとったばかりで
恨み骨髄に達してる連中ばかりだよ。
実際本能寺あとに暴発して河尻殺されたし。
異変があったら真っ先にあてにならなくなるよ。
てか信長が家督を譲った後でも普通に信長は戦場に行ってるし
本能寺前まで信長自身が兵を率いて秀吉援護に行こうとしてたし。
信長の実権が大きいよ。
452 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:40:51
>>451 まあ、確かに、主君である信忠や、信長が死んだら動揺するだろうね。
また、家督を譲ってから、天正五年・松永討伐(明智、羽柴らを指揮)以降は、基本は織田家総大将を勤めるのは信忠で、
天正六年の播磨出陣では信雄ら連枝衆のほか、明智、滝川、佐久間、羽柴ら7万を超える大軍を指揮、
また、この年の10月には、謙信死後も加賀、越中を全然回復できない柴田を援護、信忠軍団を派遣して上杉方を撃破、
天正七年には荒木攻めがあったが、このときは珍しく信長も出陣、戦いは半年以上に及んだが、
信長は始めの一ヶ月と、終わり頃にちょこっと来て鷹狩をしていただけ。
天正十年の武田攻めでは自身の美濃・尾張の兵5万余を率いるほか、滝川、徳川を指揮して武田征伐完了。
5年の間に信長が戦闘を指揮したのは荒木攻めの始めの一ヶ月くらいしかないw。
まあ、家督を継いでいる信忠が、あんまり戦わしてくれないので、うずうずしていたかもしれん。
>>452 播磨出陣じゃろくな戦果あげられてないけどな。
武田征伐じゃ信長の本隊が本軍。徳川も北条も信長の戦略に従って動いてる
わけで信忠に指揮されたわけじゃない。別方向進軍だし。
信忠は信長の指示に従って動く一方面軍にすぎん。
つうか天王寺も紀伊雑賀攻めも無視かい。
454 :
日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:00:13
信忠さん、甲斐ではおやじに言われて恵林寺焼いちゃったし
455 :
日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:05:56
信長公は天才だ
456 :
日本@名無史さん:2008/11/24(月) 03:02:41
>>453 勝頼が天目山で自害した時には、まだ美濃にいた信長w。
また、武田征伐の最中に、家康は古府中で信忠に会って指示を受けたりしている。
信長(サポート部隊?)は実際には、戦闘には全然参加していないわけで、現場を仕切る信忠という構図は変わらん。
天王寺は松永討伐以前(天正4年)、雑賀攻めも(天正5年2月)も同じ、ちょっと調べればわかるハズ。
つまり松永討伐以降、信長の戦闘指揮は、ほとんど(荒木の一時期を除く)無く、武田征伐も同じ。
>>456 だから信長が全体を仕切ってるのは変わりないだろうに。
信忠の先発隊が侵攻するだけで武田が崩壊しただけで。
信長のはサポートじゃなくて普通の本隊だよ。
信忠のが先発隊なわけで。
家康にあったのも甲斐に入って戦闘がほぼ終結した後だし。
もともと君の主張は家督継承以降、だったはずでは?
第一信忠はあくまでも信長の戦略に従って動いてるだけで
その勝ちは信長が勝てる状況を整えた後のもので
播磨出陣みたいに相手が十分な力を持ってる相手じゃ戦果出せてないし。
武田攻めも信長の戦略構築と武田の疲弊が主な要因で信忠の力を
大きくみるものじゃないだろう。
458 :
日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:37:18
まあ、結局天下も取れないやつが何いっても負け惜しみにしか聞こえないんだよな
459 :
日本@名無史さん:2008/11/25(火) 23:57:53
>>457 日本語の読解力の低下には憂うべきものがある
>また、家督を譲ってから、天正五年・松永討伐(明智、羽柴らを指揮)以降は、基本は織田家総大将を勤めるのは信忠で、
安土桃山はともかく
江戸時代の人は戦略的に考える思考がまるでなかったように感じる
信長の凄さもまるで理解できなかったんじゃないかと思う
462 :
日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:28:05
戦略が重要というのはあるな
幕末から維新の時期のリアリズムに負う所があると思うが
維新直後から大正初期まではまあまあだったが
それ以降ダメになった気もする
それは鎖国が原因だと思うが
463 :
日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:31:53
これからは学問的に戦略学の重要性が認められるようになれば
良くなるんじゃないかな
戦略なんていまだに教えてないのでは
>>460 江戸時代は光秀の母親が殺されたから謀反を起こした
こう敵討ちとしか庶民は考えられなかったんじゃないか
466 :
日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:39:09
>>460 凄さがあったら、天下は取れていたろうに、残念だ。三日天下で高転びだわな。
467 :
日本@名無史さん:2008/12/10(水) 18:13:47
468 :
日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:17:49
京にほど近い本拠地、阿波を本拠地に材木や米を畿内に輸出。港として堺を支配、塩飽の水軍を掌握して近畿の経済を支配。
経済力で、応仁の乱で大量発生した足軽などにより専業武士団をつくり畿内を制圧。
将軍の跡目争いに自分の息のかかった将軍を擁立して政治支配を目論む。
最後、重臣に裏切られる。
三好長慶は信長の先駆者だなあ。
469 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:29:05
>>458 俺は天皇、将軍ょり信長に会って見たい。
歴代の天下人には悪いがスケールが違い過ぎる。
次点は空海。
470 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 22:43:23
3位は弁慶
471 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 23:31:16
おれは合戦を見物したいな
>>471 それ思う
関ヶ原の合戦絵図に描かれている
宴会しながら合戦を見物している物見客と一緒に駄弁りたい
473 :
日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:00:16
>>471-472 では今すぐパレスチナ自治区ガザ地区にでも行って来いよ
こいつら人間のクズだな
474 :
日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:34:32
475 :
日本@名無史さん:2009/01/14(水) 10:45:53
勝負になってないだろ。
ちょいてす
477 :
日本@名無史さん:2009/01/14(水) 21:38:13
信長は自分の役割を果たして日本統一のレールをひいた。すごい人だと思う。
478 :
日本@名無史さん:2009/01/15(木) 07:31:23
479 :
日本@名無史さん:2009/01/15(木) 12:56:02
桁違いな人物
480 :
日本@名無史さん:2009/01/15(木) 20:16:58
信長が居なかったらもっと戦乱が続いてたと思う。
481 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 23:12:50
織田信長については未だ天才だの新体制の創設に邁進しただのと、
古ぼけた説を盲信する人(兄)がいますが、
この人に突き付けるのに最適な、
最新の学説を総合した信長の研究本はありませんか?
>>481 ショック療法として
「信長は本当に天才だったのか?」を進めてみたら。
ちょっと途中から行き過ぎな所もあるが
信長神話を盲信してる人相手ならちょうどいいかも。
ショック療法なら京子ちゃんを進めてみるのはどうだろうか。
お返事ありがとー!
>>482 天才だったかは著者を兄の前で散々馬鹿にしたからすすめられない……。
>>483 立花さんので何かありますか?
京子ちゃんといったらあれだろ。
「信長と十字架」
信長は終始南蛮勢力の援助に頼った存在で
その指示によって動いていたが、晩年に独自に動こうとした為に本能寺で殺されたという説w
あれは素人の信長信者に見せたら夢も希望もなくなるなw
486 :
日本@名無史さん:2009/01/17(土) 23:26:42
「進める」じゃなくて「薦める」とか「奨める」とか書くべき。
487 :
日本@名無史さん:2009/01/17(土) 23:51:13
時代の申し子だし
申し子になるだけの能力をもってるよ。
天才か否かは
わからないが
天才的とはいえるだろう
489 :
日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:00:01
乗ってない
時代がのぶのような人物を必要としたんだ。
のぶが切り開いたわけじゃない。
ここは重要
490 :
日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:07:33
長篠の戦い、鉄砲で勝ったわけではないけど鉄砲で武田軍を虐殺したのは事実。
武田軍一万が信長軍に殲滅されたと宣伝すれば抵抗勢力は消滅するよ。
信長健在ならば島津も抵抗は諦めたんじゃね?
実際は長篠では千余り討ち死に、だったそうだが。
武田が7千と考えれば結構な損害だけど。
492 :
日本@名無史さん:2009/01/18(日) 19:30:40
長篠の合戦における鉄砲三段打ちは有名だが、あれは嘘。
小瀬甫庵による創作。
>>490が言うように鉄砲で勝ったわけじゃあない。
実際は信長が築かせた「陣城」がものを言った。
>>484 まだいるかわからないけど、池氏の「天下統一と朝鮮出兵」を読んでみると良い。
信長の経済政策、兵農分離、宗教対策が他の大名と多くの部分で共通したものである事が
わかりやすく述べられているよ。
書名間違えた。
「天下統一と朝鮮侵略」ね。
495 :
日本@名無史さん:2009/01/27(火) 23:36:32
信長は果たして凄いのか?世界の将軍(英雄)と比べたら見劣りするのは俺だけ?
>>495 世界の英雄の活躍もどこまで信用できるかって感じだけどな。
海外の最新の史学情勢は良く知らんが、
捏造誇張を見逃さないという点で日本の史学は優秀なんじゃないかと思うわ。
497 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 07:02:56
>>495 置かれた条件が違うのに、比較するのはナンセンス。
だがまあ、信長が君よりは凄かったのは間違いないだろうね。
498 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 15:30:46
第六天魔王のぶなが
499 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 16:51:28
ちょっと長くなるかもだが、誰か俺の疑問に答えてくれ・・・・
信長が他の戦国大名より頭一つ抜きん出た理由として語られる「兵農分離」についてなんだが。
商業を盛んにし、その金でもって兵士を雇い軍団を形成した。それにより長期間の遠征も
可能となり・・・・ってことだが、じゃあその雇われた兵士予備軍ってなあ一体どっから
来たんだ??
他の大名領国では兵士=農兵=生産人口しかいないってことは、生産する人以外の
余剰人口が少なかった、ってことだろ?
日本全国そんな調子なら信長勢力が濃尾2国くらいの時なら、少ない余剰人口かきあつめて
2国分くらいの軍勢作るのも可能だろうが、全国規模になったらそりゃ無理ってもんだろ。
それなのに豊臣時代になったら日本全国兵農分離が完成したなんて全く納得できん。
もしかしたら他の大名が兵農未分離だった、なんて真っ赤な嘘じゃないのか?
それとも信長の領国以外では相応の軍団分くらいの失業者とニートで溢れていたとでもいうのだろうか。
どうしてもわからんw誰か俺に教えてくれ
各農家の次男三男以下は、計算に入ってるのか…?
多分、現代に比べたらどの家も子沢山だぞ。
労働力として子供作りまくっても、田んぼを継げるのは長男一家。
後は、商家に奉公に出るか足軽になるかだろ
農業は重労働で人手も必要だから家を継ぐ長男以外はいらないっておかしくない?
いやいや、家族の食い扶持が、生産力内に収まってる分には問題ないけど。
その代わり、次男三男以下は、一生部屋住みになるよ。
肩身狭い想いが我慢出来るなら、家から出ないだろうけどな。
503 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 21:57:12
>>499 人口の問題じゃなくて、経済基盤の問題。
504 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 23:10:44
のぶの領国尾張の豊かさは桁違い
のぶのじいは商家から嫁さんもらってる
東海三国合わせても
尾張に対抗できるかどうかくらい
豊かな土壌と
河口運送やらの活発な商い
東海の首都といえるくらいの賑わい
505 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 09:15:32
そういう問題じゃないと思うんだが?
>>499で俺が言ってるのは信長領国が桁はずれに豊かで経済基盤があって
他国からの余剰人口を吸収できたってのは認めた上で、
それが全国規模に広まった=つまり「他国からの余剰人口」という前提が
なくなった時に何故兵農分離なるものが可能になったのか?って疑問なんだけど。
部屋住みだろうと肩身がせまかろうとそういった余剰人口があるなら
それを支える経済基盤はすでに各国にあったわけで、何も生産者に限って
徴兵する理由が全くわからん。
>>499 >>505 君の疑問は大正解。
実際問題としてほかの大名の領国でも兵農分離は起きてる。
というか信長だけが兵農分離した、なんてのがそもそも大きな間違いだ。
そもそも信長は意図的に兵農分離なんかしてない。
戦国時代の軍隊は軍役衆で構成される。つまり大名が配下に領土を与え、軍役を課し
その配下がそれに見合った部隊構成と人数を自分の領土の郷村に通達して召集し連れてくる。
これが集まって大軍となる。
この軍役を課された郷村が戦乱が長引き、軍役を課される状態が続いた事で
戦に出す人間を雇ったり固定化したりしたのが俗に言われてる兵農分離現象の実態。
これは織田以外の大名達の領国でも起きてた事で武田をはじめとして
「軍役に変なやつを出すな。まともなやつを出せ」と郷村に通達してる。
この意味では信長は兵農分離なんて特に推し進めてなかった事がわかる。
実際wikiの記事でも信長の兵農分離に関しては「要出典」となってるはず。
>>506の追記
>>何も生産者に限って 徴兵する理由が全くわからん。
この理由だが、
>>505にあげた郷村に雇われた兵の質はひどいものだったらしく
いざという時の踏ん張りもききにくい為、大名としてもできればまっとうな人に
きてほしかったらしい。まともな奴を出さず戦力にならない奴を出す事を信玄とかは
謀反に等しいとかいってる。
>>499 >>505 どういう意味で「兵農分離」という言葉を使ってるつもりなのかが、
いまいち解らないんだが・・
戦のときに農村から引っ張ってくる兵が、米の生産を支える生産者でもあるってのがこの時代でしょ。
大名としては、兵を農村から連れ出す事で、働き手を失った農村からの収益が不安定になるのもまた困ること。
だから毎年の収益が計算出来るように、田畑の面積と働き手の人口をハッキリさせましょ・・って事で行ったのが「検地」でしょ。
検地をする事で、生産量を落とさずに徴兵できる余剰人口も計算できるわけで・・
検地を行った大名なら、信長に限ったことじゃないわな。
さらに、戦に従事する以外の人間・・・農作物や工業製品の生産・商売や運輸業に従事するもの・僧侶etc
から武器を取り上げた「刀狩」をもって兵農分離が完成したと見るなら、秀吉で完成したと言えるけど。
509 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 15:21:22
どこの国だろうとある程度の常備軍はいたわけで、それらを養うだけの余剰生産はあったはず。
他の国は臨時に農民を徴収して戦っていた。
んであの時代、国がよく滅ぶ訳だからそこで浪人になった奴を積極的に登用したんだと…五度浪人せねば一人前の武士ではないと言われたそうな。
もちろん浪人以外にも石高を増やされた仕官は自分の故郷とかに人をやって体の丈夫な農民の次男三男をスカウトしていったようだけどね。
彼らからすれば戦で良い槍働きが出来れば自分も農民から出世できるから、それに憧れて仕官するんだろうね。
俺からすれば命落としたら元も子もないから、そんな選択考えられんけどw
510 :
499.505:2009/01/29(木) 17:28:14
>>506 さんくす。君の説明ならひとまず納得できる。
つまりは他の大名は常備軍の創設による利便性よりも、部隊そのものの
戦闘力を重視したってわけだね。
〜したくてもできなかった、ではなくするつもりがなかった、と。
逆に戦争というものを戦闘レベルじゃなく兵站、戦略としてとらえた信長の
視点はやはり評価に値する、と思うな。
マクロな視点で話してるのに次男がどうこうとかミクロな話されてどうしようかと思ったw
511 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 19:00:57
マクロな視点www
国語を勉強してもらって文章力あげてもらわないと
誰にも伝わんねえよ〜ww
>>510 >>506のものだが、まだ誤解があるみたいだね。
そもそも
>>506であげた兵農分離というのは郷村が行った軍役に対する対策であって
大名側が意図的に行ったものではない。むしろ大名側にしてみればこれを拒否する傾向にある。
信長もこれを意図的に推進したわけがなく、むしろ信長の軍役指示というのは
同時代の武田・上杉・北条などが武装や部隊構成、人数にいたるまで細かく指示してるのに対し
「できるだけ多くつれてきてね」とか「今度の遠征は距離が長いから兵糧が持つように兵を調整してきてね。」とか
かなりイージー。そのイージーさ故に郷村の出してくる雇われ兵とかにも寛容だった事はあるかも知れないが
信長自身が意図してやったという痕跡はない。
そして根本的な問題だが、雇われ兵って便利なのか?って事がある。
雇われ兵も郷土兵も結局は軍役によって郷村から派遣されてきた存在であり、
その点に変わりはない。雇われ兵にできる事は郷土兵にも当然できる。
よく郷土兵は農閑期には動けないだの、長い戦いができないだのいわれるが、
実際には武田をはじめとして戦国大名達は年がら年中、戦に兵を出している。
兵農分離を信長が進めていたとかそれによって天下を取ったとかいうのは最近では
懐疑的に見られている。資料で見る限りどう見てもほかの大名と変わりないから。
最後に信長領国および政権についてだが、これは当時の戦国大名達の総集編とでもいうべきもので
よく信長の革新性とかいわれて紹介される政策などはほとんど信長より先に他の大名がやっており、
その領国支配も他の有力大名と大きな違いはない。
政権自体も後の徳川はおろか豊臣と比べても脆弱で後進的だ。
まあ豊臣も徳川も天下の半分くらいしかもってなかった信長とは違い、
その後で天下統一した政権だから当然なんだが。
信長はあくまでも戦国時代の総集編とでもいうべき存在で、もっとも大きな領国を持った
戦国大名であり、それに時代を越えた先進性を求めるのは間違っている。
513 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 19:42:01
>>512 なるほど、為になるわ〜。ここで疑問に思ったことを少し。1なぜ大名は兵農分離を拒否する傾向にあるのか?2そもそも雇われ兵と郷土兵の違いって?農閑期にも戦が出来るのであれば違いが解らなくなってきたw
もし良ければ教えて下さいw
>>513 1については単純な話。質が低いから。
所詮雇われ兵にしてみれば困難な状況で踏ん張る義理がないから崩れやすい。
郷土兵はその点粘り強い。
2についてはひらたくいうと特にない。
雇われ兵にできる事は郷土兵にもできる。ただ雇われ兵は郷土兵より粘り質が低い事が多い。
515 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 20:27:08
>>514 レスありがとう。職業軍人の方が強いイメージがあったよ。なるほどな〜
516 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 21:18:12
総集編というよりも
集大成と見るべきだろう。
のぶがワンマンを発揮できたのは
若いうちに一族と争って勝ち抜いてきたことかな。
そのために優秀な人材を抜擢せざるを得ないし
またそういう人材をあごでこきつかえる
わがままを通せる環境にいたのは大きい
>>516 集大成ってほど完成されてもいないんだよな。これが。
あれだけの大勢力のわりに書状の数が少なく、
信長にあちこちの勢力がただひっついてるって感じでかなり粗雑でアンバランスな政権。
実際あっさり崩壊したし。
その点でいったら北条とかのが整った支配体制を持って安定してて
文書量も非常に豊富で領内に非常に支配や指示が行き届いてた事がわかり、
江戸時代へとつながる先進的行政とかも見られたりするので
学者達から「代表的戦国大名」とかいわれてる。
518 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 21:35:52
信長が行った兵農分離が全然わかってないね。
信長以前は、部下の武士たちも田舎に居を構えて農業経営を行っていた。
いざ出陣となると、それらの部下たちに陣振れをし、それぞれの武士が自分が支配している農民を駆り集めて自分の小部隊を編成してはせ参じた。
だから、出陣を決定してから出撃するまでには早くても数日かかっていた。
信長が行った兵農分離とは、家臣たちが田舎に住むことを禁じ、自分の城下町に住まわせた。
小牧や岐阜の城下町の発掘調査で、こうした屋敷割りが確認されている。
武士と農民の兼業から、武士専業にさせる画期的なものだったのだよ。
これなら農繁期など関係なく、いつでも迅速な軍事行動が出来る。
こうした体制を可能にしたのが、商業活動による潤沢な経済基盤なのだよ。
>>518 ダウト。
城下に家臣を集住させることならほかの大名もやってる。
信長がこの点でほかの大名より先を行ってたなんてのは
現在では否定されてる。
農繁期でも普通にほかの大名は兵を動かしてるから。大軍で。
実際ぜんぜん関係ない。
>>518 追記として信長の家臣団集住とやらがどの程度のものだったと思う?
信長はその晩年になっても家臣団の集住が不完全で
尾張に住み着いてる家臣の家を焼き払って無理やり安土に集めたりしてる。
晩年にこれならそれ以前は推して知るべし。
521 :
日本@名無史さん:2009/01/29(木) 21:51:00
>>519 > 現在では否定されてる。
君は古い知識しか持っていないようだね。
俺の論拠は、つい先ごろ明らかになった小牧城や岐阜城・安土城、その城下町の発掘調査で明らかになった事実を踏まえたものなのだが?
>>521 そっちのが古いと思うが。
マジでいつの時代の発掘調査?
信長が家臣団集住してた!他の大名より進んでた!なんて言われたのは一昔前で
実際は他の大名も同じ事やってるから先を行ってたわけじゃない、ってのが
最近の成果なんだけど。
>>522 他の大名もやってたっていうけどそれはせいぜい重臣クラスまでで、
信長みたいに一旗本の実家燃やして城下に引っ越させる。
みたいな徹底したものじゃなかったんじゃないかと勝手に思ってるんだが、
他の大名もそれぐらいはやってたの?
>>523 旗本みたいな君主の近くにいる連中が城下に住むのは別に意外でもない。
武田の甲府でも朝倉の一城谷でも行われてる。
>>524 だから、徹底させていたかどうかって話ね。
・城下に住んでる旗本が多かった
と、
・城下に旗本を集めさせた
ではまた別だから。
>>525 なんだかな。
信長のは晩年に新たに作った安土でなお尾張に住んでた旗本の一部の家を
焼いて城下に集めただけなんだけど。しかも火事が起きるまで信長が気づいてなかった
ところを見ると信長も晩年でもそこまで厳密に知ってたのかどうか。
てか晩年の安土時代でも尾張に旗本が住んでたって事は美濃岐阜ですごした期間には
そいつらはやっぱり尾張に住んでることになる。
つまり人生の大半は家臣団の集住なんか徹底してなかったわけで迅速な軍団召集だのは間違いだとわかるだろう。
武田のも朝倉のも普通に家臣たちが住んでるんだからどこぞを焼き討ちする必要もないだろ。
>>526 あれ岐阜じゃなかったっけ?ごめんごめん。
あと、なんだかな。とか煽るような書き方やめてくれよ。
>>517 逆にいえば、
そんなアンバランスな政権で領土拡大し続けた信長はやっぱ凄かったんだなって感じだな。
>>529 正確にいうと敵を倒して領土を取る事はするけど
その領土支配を整備して強固にする事に無頓着というか。
包囲網と戦ってた関係で一つ一つの支配にそこまで執着してられなかったのかも
しれんけど。
そしてこの荒削りな支配は信長が死ぬとすぐさま崩壊した。
>尾張に住んでた旗本の一部の家を焼いて城下に集めただけなんだけど。
その前から単身赴任でいたってテレビで見たけど。
532 :
499.505:2009/01/30(金) 09:04:16
>>511 頭の悪い煽りにいちいち反応するのもアレだが
全体の経済基盤やら生産余剰人口からの視点がマクロ、実際の当時の人たちの
生活面を機軸にした視点がミクロ。決してマクロ視点がミクロ視点より上等とか
言う話ではないよ。方法論の違い。多分マクロ経済学もミクロ経済学も聞いたこと
もみたこともないんだろ?話にならん。日本語云々より知性の問題w
>>512 重ね重ねのレス、丁寧にありがとう。
寡聞にしてそういった軍役にまつわる史料とか見たことないんだけど、確かにそれで
論理的に筋は通る。おそらく君の論は正しいんじゃないかと思う。
ただ、ここに来て信長政権が革新的ではなく「戦国大名の集大成」ということに
異論はないんだけど、評価はまた別物じゃないかな?
別に俺は信長マンセーじゃないので誤解しないで欲しいんだが、中世的既得権益の打破にしても
宗教勢力の武装解除、政治介入の阻止にしても信長が革新的に創始したことでは
無くとも、一定の結果、実効をもたらしたのは信長であることは間違いない。
それらに実効を持たせるには少なくとも流通がある程度完結するぐらいの領国の広さや
兵数において圧倒的といえる軍事力が必要不可欠で、他の戦国大名のように領国内のみで
行ったとしてもほとんど効果は期待できないと思う。
それら全てのことを単に運や地理的条件に求めるのはそれこそ無理があるように思うんだが。
533 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 10:19:24
>>532 マクロ、ミクロの意味が解らん馬鹿はおらんだろう。君の質問は総じて何を聞きたいのか分かりにくいとは私も思ったよ。
534 :
499.505:2009/01/30(金) 11:12:34
>>533 どう質問すれば伝わるか悩んだのは事実だから分かりにくかったのは認める。
それでも
>>512氏のように正確に読み取ってくれた人もいるので全く理解不能では
無かったのではないかね?
しかし領国単位の経済基盤や人口問題を問うているのに次男とか部屋住みとか
全く的外れなことを答えるのは少なくとも経済学としてのマクロとミクロを解して
ないとしか思えないんだが。
外国語としてのマクロとミクロのことを言ってるんではないよ。
>>534 俺も分かりにくかったな。今も分かってないわ。
少なくとも「知性の問題w」って人のことは笑えんと思う。
↑お前も馬鹿だからだろw
>>499から抜粋
>(中略)じゃあその雇われた兵士予備軍ってなあ一体どっから
>来たんだ??
>他の大名領国では兵士=農兵=生産人口しかいないってことは、生産する人以外の
>余剰人口が少なかった、ってことだろ?
こんなこと言ってましたけどw
生産に携わる以外の余剰人口で、次男三男の話持ち出されても不思議じゃないんだが・・
>499の文そんなに分かりにくいかぁ?
単に通説に対して数学的に辻褄が合わないって疑義出しただけだろ。
別にそれ自体大した洞察でもないと思うけど、>512の返答はなるほど、と思わされた。
史料の裏もきちんとつけて説得力あった。
それよりその疑義すら理解できないってどんだけだよ。本当にここ学問板?
539 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 20:56:44
はいはいw 疑問が解決したんなら良かったじゃん
それより、次のネタ投下よろしく
次は、もっと突っ込みやすい文章でな?
540 :
日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:14:58
下剋上の集大成だろう
商業というものが
戦国時代を通じて飛躍してきたという
視点を加えてみたら
面白いと思う。
農業の飯くいだけで考えるのはどうかと。
>>532 集大成じゃなくて総集編な。信長政権が集大成といえるほど
完成した政権でなかったのは
>>517でも述べた。
信長政権は戦国大名の中でもっとも大きな領国を持ち、その規模が大きかった分
その欠点や危険性も大規模に内抱した政権だった。
そして君の評価もかなり違うとこちらは感じる。
君のレスから見て信長は中世的諸権益を大規模に打破したとか思ってるみたいだが
実際は多くの寺や神社も保護したり寄進したりしてる。楽市も信長以前に実施していた
六角や斉藤のを追認して後で自分が開いた町の安土でそれをやったにすぎず、
楽座も柴田が越前でやったのくらいしかなく、むしろ後は座とかを積極的に保護したり
してる。というか座とかを完全に全領土で撤廃したら当時の流通は麻痺する。
関所もそう。撤廃されなかった関所は多い。
信長はあくまでも中世的諸権益を自分の下に従えようとしていたのであり、
打破を狙ったわけじゃない。その傾向は他の有力大名とまったく同じだった。
そして君が一番誤解してるようだが、楽市とかは既に活発に動いてた新興商人達の動きに
対応したもの。信長以前に楽市やった今川氏真の親父の義元の時代に既に
「今川氏に認められた特権商人以上の税金払っても新しい特権商人は認めないからな。
豪族とかも特権商人になりたがる商人を取り次いだら処罰するからな。」という法令がわざわざ出てる
くらい新興商人達の動きは活発になっていた。
楽市令とかはこういった動きに対応したものであり、君の言うように
>>他の戦国大名のように領国内のみで 行ったとしてもほとんど効果は期待できないと思う。
わけでは決してない。
信長が大きな兵力や勢力をもてたのは斉藤義竜の死亡による幼君継承、
畿内の勢力真空化、今川先陣と思って突っ込んだら本陣だったとか、
地理的条件や運がかなり左右してる。
非常に有能な人物ではあるがあまり幻想をもつものでもない。
>>541の思う戦国時代最も有能だった人物ってだれ?
一応、秀吉、家康は省いて。
>>542 個人的な見解として
最高に有能なんていうのは厨房の設定にしか存在しないと思うが。
一流の能力を持つ大名ならそれぞれ有能でそれぞれ長所と短所を持っていて
どれが最高とかはない。
どうしてもというなら結果から見て天下を取った家康か秀吉になるだろう。
この二人を抜くなら話にならない。
てかなんでこの二人抜くんだ。
この二人ならやっぱり日本最高の長期安定政権の祖である家康になるんだろうか。
面白みのない結論だが。
>>543 戦国大名と天下人との差だから。だから省いてっていったのにw
>>544 家康も秀吉も戦国時代の大名だから。
そこから天下人になっただけの話で。
547 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 03:48:47
ていうかね。
のぶと同等やそれ以上の能力ももった戦国武将はいたと思うんだよ。
その中で
なぜのぶの出現から
群雄割拠から急速に統一へと進みはじめたか
ということにつきると思うんだよね
当時の下剋上の機運と
死の商人みたいな堺やらの商人衆との密接な関係をもったことが
のぶの台頭を容易にさせたということが重要だと思う。
その下地はやはり
肥沃な尾張と活発な津島商人たちに支えられたからだと思う。
金山と米の徴収に依存してた他の戦国大名との
大きな差は能力じゃなく
産まれ育った地だと思う。
>>547 >のぶと同等やそれ以上の能力ももった戦国武将はいたと思うんだよ。
だから、例えばそれは誰かって話をしたいんだけどな。
549 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 03:53:21
だから尾張という国が
のぶという人物を押し上げた
またそれに乗っていくだけの頭脳と勇気と幸運の持ち主
最期はテンション狂って無茶してるけどね。
厨坊、話振るだけ振って寝ちゃったな…w
>>550 ああ、俺のこと?
だってそもそも話自体は
>>543の面白みのないレスで終っちゃったし、
「誰が有能か」って人の話をしたいのに、
「尾張が良かった」とか国のこと言い出すからなんか引いちゃって。
あんまり話しかけない方がいい人なのかなと。
>>551 いちいち食いついてくるなよw
そういう話したいんだったら、
学問板じゃなくて戦国板でどうぞ。
だから厨坊って言われるんだよw
>>552 いや、もしまだ起きてたりチェックしてたりしたら申し訳ないなと思ってさ。
あと「そういう話」というがスレタイ上、有能無能の話になるのはおかしくはないだろ。
>>553 「誰が有能か」は、スレの主旨にもあわないな。
面倒くさいから、もう消えるぞ。
>>554 信長が「天才」もしくは「有能」だったかどうかの比較として、
他の人物の実績なりなんなりで判断する方法もあるんじゃないかと思ったんだよ。
それなら主旨に合う。
んで、消えていいよ。
556 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 06:00:32
能力というよりビジョンが他の大名より優れていたんじゃないの?
それを実行する能力という点では他の大名や武将で信長より優れた人もいただろうけど。
家康や秀吉よりもビジョンは優れてたよ。
所詮ゲリラ
558 :
日本@名無史さん:2009/01/31(土) 10:43:46
そもそもさ、信長が機内を平定したけどそれ以前に機内を平定しうる奴はなぜ出なかったんだろうね?浅井朝倉北畠三好松永六角…平定しうるだけの兵力をもつ国はどこだろう?経済的にも豊かな土地だしここを押さえれば領国も飛躍的に伸びるのは明らかなのにね。
ゲームのやり過ぎじゃね?
>>558 三好は阿波の一勢力から身を起こして畿内に乗り込み一時期畿内の多くを
抑えた。しかし長慶の死後その勢力は分裂し互いに争うようになった。
本能寺後の織田政権と似てるな。そしてこの三好の分裂混乱の最中に
信長の畿内介入が始まる。畿内の有力勢力としてはそれ以前は他にも六角がいたが
これは観音寺騒動と浅井の台頭で大きく力が減退し、その時に信長の畿内介入が起きる。
その浅井とは信長は同盟結んで畿内を攻めてるな。
561 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:16:29
というか、三好が下克上で倒すまでは、畿内は細川氏(京兆家)の支配下。
一応は足利幕府の体制化なので、畿内平定?となると反逆だろう。
562 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:22:08
信長さえ、畿内平定には足利義昭という錦の御旗が必要なわけなので、
好き勝手に畿内を平定するわけにもいかんだろう。
あれほど、義昭にすき放題にやられても、結局は追い出すことしかできないことを見ても、権威の重要さはわかる。
権威というか、大義名分な。
信長が上洛しようとしてた時には、京には三好氏と三好が立てた将軍義栄が既にいた。
前将軍の弟の義秋が、頼ってきた所で「こちらが正統」と主張して、京から三好勢らを追い出す大義名分を得た。
実際の所、田舎大名と前将軍の弟というだけの男の、将軍義栄に対する反逆なのだが、勝てば官軍。
義栄らを京から追い出した後は、義秋を将軍につける事で問題解決。
564 :
日本@名無史さん:2009/02/05(木) 17:33:03
本人は自分で天才だと思ってたかも。
たいていその場合は勘違いだったりする。
566 :
日本@名無史さん:2009/04/08(水) 09:54:42
信長は天才であったと言えるよ。
ただ天才でも完璧ではなかったという事でしょう。
信長くらい権威を破ろうとしている人ですら
大義名分たてないと義昭を追放できなかったのだから
将軍すげぇ
将軍という地位がすごいのか
義昭の権謀術がすごいのかは知らないが
568 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 00:06:30
どっちでもないやろ
信長が天下とって織田政権が成立して
信長も普通にじじいになって老衰死したなら今の信長人気はないと思う。
史実での劇的最期が彼の知名度を高めている。
つまりだ、全国統一の最終段階に入った織田信長は急速に世界を諦観した。
人間のはかなさを知っている信長は明智光秀に自己の抹消を命令した。
将軍て勝手になるもんじゃないからな
朝廷があって将軍がある
571 :
日本@名無史さん:2009/08/28(金) 01:46:56
で、現在の指導者たちは、
「誰も考えてない画期的なものを考えて、実例を添えて持ってこい」
だもんなあ。
ビジョン以前に自分の言葉すら劣ってるw
信長にビジョンがあった?
何を根拠に……
574 :
日本@名無史さん:2009/10/04(日) 15:49:50
何かことを為すのは、優秀な凡人ではなく、劣等な偉人
575 :
日本@名無史さん:2009/10/05(月) 06:05:05
簡単に言うと秀吉が天下取ったからです
もし部下が消えてたらただのお騒がせ勢力のひとつです
『一向宗の後には信長ってのがいてね』
「ああ、あの虐殺者の」
『内紛で部下に殺され四分五裂』
「やっぱり」
しかし秀吉自体もお騒がせ勢力だからな
もし大阪が平泉みたいになくなってたら
多分秀吉も無名だっただろう
576 :
日本@名無史さん:2009/10/05(月) 22:42:13
やっぱ家康でしょ
577 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 06:03:06
家康もどうかなあ
単なる年功序列で順番が回って来ただけじゃねえか
唯一の勝負は関ヶ原だけ
豊臣政権は子供がなかなか出来なかったから崩壊した
それを教訓に大奥を形成し、
世継ぎをセックスマシーンにするという
未曽有の主君虐待をやってのけた。
それが長期政権の礎
578 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 14:26:30
スゲー
関ヶ原と大奥だけで家康を語りやがった(笑)
579 :
世界@名無史さん:2009/10/07(水) 14:40:30
秀吉だって大奥みたいなものを持ってる
信長や秀吉は長期政権を作れなかったという面ではバカだね
徳川十五代で潰れたから家康はバカなのかってはるか前にレスがあるが
一代政権と十五代政権では雲泥の差だ
恐らく
>>577のような人が言いたいのは信長は自分で天下を切り拓いたが、秀吉家康は違うんだ、てな事なんだろうね。
なんと言えばいいか…
も少し歴史を勉強して欲しい。
581 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:42:15
違うよ
話聞いてないバカだな
信長がメジャーなのは秀吉が活躍したおかげで
秀吉がメジャーなのは大阪が江戸幕府によって再興したから
家康は
>>577 そんなに信長のことばっかり誰も気にしてないって。
あれだろ、四国かどっかの武将だろ。九州だっけ
結局織田が拡大したのも人の領土分捕ってでかくなっただけだし
織田が潰れたらそれを誰かが分捕って取って代わるだけだもんな
秀吉はべつに織田の後継者なんかじゃないし自分で他勢力を政治力と戦争で
打ち破って分捕っていったから実力だわな まあ運はよかった
秀吉がまるまる分捕ってくれたおかげで織田の評価もあがったってもんだ
>>581 関ヶ原と大奥で家康を語る輩にバカにされてしまった(涙)
584 :
日本@名無史さん:2009/10/08(木) 00:51:56
ゲーム脳で信長を語るやつに馬鹿にされなかっただけラッキーだ
585 :
日本@名無史さん:2009/10/08(木) 12:37:22
>>577 面白い人だな。
信長についてもコンパクトにまとめてほしいな。
できれば
武田信玄やら上杉やら
いま流行の直江とか
聞いてみたい
四国の信長か?
>>575に書いてあるよ
いや東北だったかな
587 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 17:26:52
三国志の夷陵の戦いと桶狭間の戦いは似てるな
信長は知ってたのかな
それとも閃きか?
戦略・アイデアは優れてても
人の使い方が下手くそだと思う
具体的には譜代と外様の使い分けが家康のように上手く
こなしてない。
家康の家臣団の使い方は長期的に家臣の活用を最大化させてるが
信長は短期的に最大化して滅亡する口。
信長はむしろ参謀のほうが向いていたのかもしれない。
実際の桶狭間は敵先陣を叩こうとしたら本陣でした、というオチだし
夷陵の戦いは陸孫が劉備に長期対陣を強いて
草木が乾燥したのを見計らって放火、だから全然別物じゃん
設楽ケ原の戦いとアジャンクールの戦いって似てるな
設楽ケ原の戦いは兵力の少ない武田が
大軍で野戦陣地を敷いた織田徳川に突っ込んだもので
アジャンクールは兵力が少なくて疫病で戦力も減退してたイングランド軍が
大軍のフランス軍に追撃されて、切羽詰まって迎撃したものだから
状況が真逆。
ちぇっ
引っ掛からなかったか
レパントの海戦と木津川口の戦いは似てないな
593 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 22:57:12
信長が天才だったらナポレオンとかカエサルとか
セリム1世とかスレイマン大帝とかムハンマドって何?
594 :
日本@名無史さん:2009/10/10(土) 23:55:12
信長が天才だったら清盛とか頼朝とか
義教とか秀吉とか家康とか麻生って何?
595 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 03:23:17
麻生をそんな偉人と同列にしたら偉人に失礼
596 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 04:02:35
あっそ
597 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 06:20:22
それは昭和天皇唯一のギャグ
598 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:56:52
直江なんてなんもやってないじゃん。
景勝の時点で謙信の神通力はないし
北条景虎が当主だった方が上杉も東国も残っただろ。
秀吉お気に入りの売越奴。
上杉が減封追放されたのなんて
全部直江のせい。直江状も代筆
なんでいきなり直江?
なんかリクエストがあったから
601 :
日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:27:55
>>600 ありがとう。寸評みたいでなんか納得させられた。 痛快なめった切り
期待しとります
信長が戦場に出なくなったのは第二次木津川口の戦い以降なの?
この頃になると信長と家康の関係も同盟者というよりも主君と家来の関係かな。
603 :
日本@名無史さん:2009/10/13(火) 20:18:18
すみません質問です
安土城には王妃の部屋ってあったの?信長の部屋の隣にとかって何処かで
読んだんだけど、忘れてしまった。
教えてください。
604 :
日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:30:52
信長を妄想したことを本に書くと妄想好きの人が本を買ってくれるから
売れる。どんどん妄想が膨らむ。ほかの人は夢を見させてあげようと
思いそっとしておく。されに妄想が膨らむ。妄想を駆り立てるには
最適な大名だったことは確かである。妄想って楽しいね
605 :
日本@名無史さん:2009/10/15(木) 16:40:24
大混乱期に現れた狂気の天才!
信長もヒトラーも平穏な時代ならただの基地外です。
時代の空気が基地外を檻から放して神にしようとした。
現代も混沌とした絶望的な空気は、基地外病院の患者が神に持ち上げられる
かもね?
ヒトラーはともかく信長の実像は優秀ではあるけど普通の人間だと思う
虚像が変にのさばってるだけで
607 :
日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:31:47
要するにただの変人。
608 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 12:22:59
徹底した現実論者
609 :
日本@名無史さん:2009/10/16(金) 14:48:49
普通の人間や変人に到底天下は狙えないと思うがね、常人には理解できない
ような考えを持っててそれを考えるだけじゃなく実行してしまうところがまさに天才だよな。
常人に理解できないような考えなんて信長は全然持ってなかったし
実行してもいないのに。
611 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 10:09:35
後世の人間が理想を重ね合わせて作り上げた偶像というわけか、、、
聖徳太子、源義経、織田信長で三大偶像という事に、、、
信長神話だと信長は非常識で変態って感じだが
リーダーになる人は全体を見すえて常識的なところがないと人がついてこないけどな
常識無視して自分の考えで突っ走るのが許されるのは芸術家とかそういう部類の人間だろ
信長は意図的に変人を演じていた形跡があるね
実際、たとえば家臣に褒美を与えるときには
相手の意表を突く品を与えろ、と訓戒している。
614 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 18:02:07
単なるリアリストだから当時としては奇妙な人間に見えたんだろ。
天下布武なんてまさに下品でアケスケで正直なリアリストである信長をよく表してる印だ
当時の戦国大名は得てしてみんなリアリスト
天下に興味を抱いて行動したのも信長だけじゃないしな
信長はリアリストじゃないよ
権威に弱かったし迷信深かったし
617 :
日本@名無史さん:2009/11/12(木) 14:43:23
このスレって学術的に見ようとしすぎるあまり、
勢いあまって信長を過小評価してる人が多いな。
そういうのは学術的というのとは違う。
永録〜天正年間、信長は最強だった。織田一族の中では。
確実に言えるのはこれだけだよ。
これすら否定するのが過小評価。
これ以上は個々人の見解で異なる。
天才とか日本一はさすがに過大評価でしょ。
天正十年で日本一の領土を保持していた。これは事実。
その先はわからんがね。
僕は天下統一は無理だと思っているが、
統一できたとの意見を否定するつもりはない。
どちらも不確定だからのう。
しかしうんざりするな
ゲームやドラマ、漫画、井沢の「逆説」を鵜呑みにした連中が「信長天才」と無謀にも日本史板や世界史板にまで進出し
政教分離だ鉄甲船だとわめき立てる。
しばらくすると歴史を知ってる人達に妄想をことごとく論破される。
ナントカの一つ覚えと言うか、ちったあ学習しろよ(涙)
621 :
日本@名無史さん:2009/11/17(火) 16:44:00
井沢さんのは的を射てる部分もあるんじゃない?
天才かどうかは知らないけど、地名の変更をした人は天皇以外にいなかっただろうし、
鉄鋼船なんて誰も考えつかなかったから。
関所の撤廃、楽市楽座、兵農分離などは信長が初ではないけれど、あれ程大規模にやれたのは
やっぱり信長だからじゃないかな。
毛利や北条もかなりの大名だったけれど、そういう評価はないんじゃないかな。
>>621 井沢さんはやめときなって…
武田信虎も川田を甲府と改めてるし
鉄鋼船なんて当時の実物を見た人間であれを鉄貼りだなんて書いた人間は皆無だから。
兵農分離なんか信長はやってない。楽市楽座も大規模になんかやってなくてやったのは領内のごく一部。しかもほとんど追認。
関所の撤廃も同じ。
北条の方がよっぽど近世社会につながる流れが顕著で代表的戦国大名とかいわれてる。
623 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 00:43:12
>>621 百歩譲って楽市楽座が信長の政策だとしてさ。
だからなに? これで何かいいことあったわけ? 具体的に説明してよ。
政教分離だって同じこと。政治と宗教が分離したらどんなメリットがあるんだろう。
あと政教一致が悪いのなら、聖徳太子は最低の政治家?
鉄張りの船w
船の本来の役目は海を渡ることで、動くこともできない船を造る信長って馬鹿ですかw
過大評価も過小評価も良くないが、ここは過小評価する人が多いような。
>>624 過小評価じゃなくて妥当な評価だろ
作ってもいない鉄鋼船とかほとんど追認の楽市楽座を持ち出して
信長の業績とか言われたらそりゃ突っ込まれる
626 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 01:33:35
実際の信長は天下人にすらなれない信長だけど、
624は「本能寺の変で死んだのは過小評価」と言いたいんですね。
627 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:14:49
楽市楽座 農耕経済→商業経済への推進
もし未だに楽市楽座(自由経済)がなかったらお前らの半分くらいは農村暮らしだ
628 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 12:19:56
>>鉄張りの船w
>>船の本来の役目は海を渡ることで、動くこともできない船を造る信長って馬鹿ですかw
お前アホ?
海を渡る事が目的ではなくて村上水軍を破る事が唯一の目的
>>627 だから楽市楽座なんて信長は領内のごく一部でしかやってないし
しかもほとんどが信長以前から行われてたのを追認しただけ。
信長が楽市をやったのは安土くらいで、楽座をやったのは柴田が越前でやった一例くらい。
もともとこの楽市というのは当時活発に動き始めた新興商人層の動きに対応して各地で出されていたもので
信長がやったから新興商人が生まれたわけでも商業経済が生まれたわけでもない。
信長はむしろ座をたくさん保護してる。
>>628 現物を見て記録した宣教師や、織田家中の太田は一言もあの船が鉄張りだなんていってないんだけどな。
信長の弁護をすれば、内政に手を回すまがないほど拡大、戦いの連続だった。
別の側面から見れば、それが可能だったのは、先進地域ばかりを併合したからなんだけど。
だから井沢氏等が言うような、本能寺の変がなかったら2〜3年で天下を統一できた、なんてのはノウテンキな事。
井沢氏の矛盾を(いっぱいあるんだけど)一つ挙げておくと、信長の政策を天才的先進的としながら、
信長より先に同じ事をした氏真を「馬鹿殿」としている。
>>628 君の言ってることは井沢氏の丸写しだね(苦笑)。
他の人も述べているように鉄の装甲の根拠は『多聞院日記』天正六年七月廿日条の
「鐵ノ船也、テツハウトヲラヌ用意、事々敷儀也、大坂へ取ヨリ、通路トムヘキ用ト云々」
だけ。しかも戦の素人が伝聞で書いたもので、先行する部分には船の大きさを
「横へ七間、竪へ十二三間モ在之」
としている。こんな奇妙な形の船があるわけない。
百歩譲ってあったなら実際に見たオルガンチノや建造した九鬼氏の記録に残るはず。
つまり眉唾なんだよ。
それに井沢氏の言う(実は多聞院日記の丸写しだが)
テツハウトヲラヌ用意、事々敷儀也、大坂へ取ヨリ、通路トムヘキ用ト云々
なら鉄を用いる必要はないんだね。当時の海戦を少し調べてごらん。
あのケチで有名な(←褒め言葉)信長がそんな無駄な事しないって。
君らが言うように合理的ならなおさらね。
632 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 15:31:22
他人を馬鹿にし、やたら攻撃的なのも井沢の悪い影響だよな。
>>631 鉄甲船実在論者は大きさはスルーしてる。
オルガンチノの書簡では
「信長が伊勢国において建造せしめたる日本国中最も大きく、また最も華麗なるものにして、
王国(ポルトガル)の船に似たり」
とあるから、少なくとも多聞院日記の言う縦横比が13:7は間違いだね。
634 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 17:28:56
多聞院日記は一級史料だろ。一級史料に「鉄の船」とあるんだから。
縦横比がありえないからって全体を眉唾とするのも乱暴だ。
>>634 そうじゃなくてさ。
誰も縦横比だけで眉唾なんてしてないんだわ。
多聞院日記はあくまで現地現物から遠い所にいるお坊さんが伝聞で書いたもんなのよ。
そんで実際にその現地に行って信長から許可をもらって中まで詳しく見せてもらった
宣教師の記録には一言も鉄張りなんて書いてないのよ。
この宣教師さんの記録は
>>633の人が一部紹介してるけど
この船が大きくて華麗なものだったと褒めてるし、他の部分ではこの船に日本では珍しい大砲が積まれてる事に驚いたりしてて
素直にこの船に感心して本国にあてて詳細を書いた記録なのよ。
そんでその記録には鉄張りの事なんか一言も書いてないの。
現物を見て、しかも素直に感心してる人間の記録と現物を見てない、現地から遠い所にいるお坊さんが伝聞で書いた記録の
どちらが信憑性高いかは明白だよね。
さらにこの船の事は、当時織田家に仕えていた太田の信長公記にもあるけど、やっぱり鉄張りなんか書いてない。
宣教師も感心した大砲を活用して毛利水軍に打撃を与えてる事は書いてあるけどね。
>>630 清洲会議後の秀吉の天下統一
天正11年 1583年
4月 賤ヶ岳の戦い
天正12年 1584年
9月 小牧・長久手の戦い
天正13年 1585年
3月 紀州征伐
6月 四国征伐
天正14年 1586年
7月 九州征伐
天正18年 1590年
2月 小田原の役
7月 奥州仕置
これでわかるように旧織田家内での争いの後、天正13年6月の四国征伐でやっと本能寺の変時点の信長に追い付いている。
信長が秀吉と同じ能力、スピードなら天下統一まで四年半だ。
もちろん信長の権力、能力は秀吉の遥か上だから二、三年でも充分可能。
わかった?
信長の権力、能力が秀吉のはるか上って何を元にしてるんだろう?
政策でいえば秀吉の方がずっと先を進んでるのに。
信長の領国統治は非常に雑。
>>635 すみませぬ。上の人が縦横比の話をしてたから該当部分しか引用しなかった。
全体を引用すると長大になるので検証したい人は
「耶蘇会士日本通信 鉄甲船」
でぐぐってみて。
>>636 秀吉の権力の強大さは、徳川、上杉といった大大名達に平然と国替えを命じたことでも伺える。
臣従を誓い、格別落ち度がないのに、だ。
文句が出ないように所領を増加するという形にしている。
これは家康にも引き継がれ、関ヶ原後東軍の豊臣系大名を国替えする時に同じ手を使っている。
毛利、島津等も自力で切り取った、または父祖伝来の地でもあらためて秀吉から与えた形になっている。
単純に考えて天下人とその手前では権力が大きいのはどちらかわかるでしょ。
639 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:22:07
>>638 笑止。
将軍になるため義昭の猶子になろうとして断られた猿と
管領、副将軍などといった虚職は鼻糞扱い、義昭すら説教しあげくに追放した信長公。
聚楽第に正親町天皇を行幸させ感激し得意満面な農民上がりと
自ら神を称し天皇すら怯えさせた魔王。
直接戦闘で負け、妹のみならず実の母まで人質に送り、土下座して家康を丸め込み、
あげくに250万石をプレゼントした成り上がりと
敵対するものは例え神社仏閣たりとも殲滅した軍神。
どちらの権力、能力が上かは自明の理。猿でもわかるな。
つまりお前は猿以下。
嗚呼だから猿を過大評価か。こりゃ失礼。
640 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:26:43
>>637 猿の政策なんて信長公の猿真似だろ、全部。
それに実際に行ったのは浅野、石田など奉行衆。
猿自身は何もしてないだろ。
>>639 信長は軍神どころか負けまくりだろ。
天皇をおびえさせたどころか「譲位の為の資金出しますよ」とか自分で言い出して
朝廷に大喜びされてる信長のどこが魔王。
統治は雑だわ神社保護したわ銭政策では失敗だわetc
秀吉と比べてどっちが上かは自明だろ。
>>640 サルマネどころか信長は雑な統治しかしてないから
秀吉が手を入れて綿密で大規模な統治をおこなってるんだぞ。
奉行衆なんか信長は整備もできてないだろ。
643 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:29:05
>>635 木を見て森を見ずと言う。つか毛唐の記録は日本人に対する偏見が入ってるから盲信できないぜ
>>643 木を見ても何も実在派がいうように表面全部鉄張りなら嫌でも目につくだろ。
日本人への偏見も何もただあったものをそのまま記録しただけなのに
偏見の入り用がないだろ。
織田家にいた太田の信長公記にさえ鉄張りなんて書いてないしな。
645 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 18:48:58
なるほど鉄鋼船はなかったというのが最近の主流なんだな
今までさんざんやられていた水軍に豪華絢爛な船でいかにうち勝ったのか誰か教えてくれい
>>639 ああ、わかるよ。
よく秀吉の直轄領が200万石で家康は250万石だから家康には頭上がらなかったと言う人がいるね。
でも比較するならそれぞれの直轄領か家臣領も含めた領土でやるべきなんだね。
それに加増されたとは言え駿遠三甲信という本貫地や苦労して国力をあげた
畿内を睨む枢要の地を取り上げられ、北条という戦国きっての内政上手が治めてた地に飛ばされた。
関東入部後数年はえらく苦労してるよ、家康は。
しかもかつての自分の領土はじめ回りは豊臣系またはシンパの大名に取り囲まれていた。
あそこから天下人になったのは家康の能力と寿命の長さによる。
つか喧嘩腰はやめようよ。僕も
>>641の人も君らを馬鹿呼ばわりしてないでしょ。
史実と違う事を盲信してるから指摘してるだけ。
>>645 鉄鋼船じゃなくて大船、と信長公記では表記されてる。
この大船6つに小舟を多数つけて毛利水軍を迎撃、最初は毛利水軍に押されて支えがたいと思われた所
大船に多数搭載された大砲をぶっぱなして大将の船と思われる船を砲撃して打ち崩した、
これを見た敵側は恐れて近寄らなくなり、やがて数百船を木津浦に追い上げた、と信長公記にはある
>>645 それは鉄砲三段撃ちがなくても設楽ケ原に勝ったのと同じ理屈。
物量にものを言わせたんだな。
つか毛利は「負けた」後も兵糧輸送してるから。
完全に勝ったとは言えないのでは。
649 :
日本@名無史さん:2009/11/18(水) 20:07:43
秀吉は農民あがりでもない。
浮浪あがりが正しい
本人の弁では日輪の子または後奈良天皇の御落胤ですけどね。
制海権は重要
物量戦略も重要
つまり秀吉は完全に信長の上をいっていたと言いたいんだね。
その通りだ。
654 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:13:34
戦に関しては五分だったけど内政に関しては秀吉の方が上手かったって事だね!!
信長はワンマンだったからどっちみち信忠の代になってたらよっぽど強固な組織を
作っていない限り潰れたかもね
655 :
日本@名無史さん:2009/11/20(金) 20:24:10
潰れるに決まってる
というかあんだけの無茶苦茶やった人間が
畳の上で
往生できないだろう。
信長は感覚が一部まひしてたのかも知れない
>>654 個人的見解だけど戦に関しても秀吉の方が上だったと思う。
大軍を率いての戦は信長は苦手だからね。
戦術戦略政略いずれも秀吉の方がうまい。
657 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 16:08:43
戦での戦術は秀吉が上なのか。部下の能力を極限まで使いこなすのは信長かな。
光秀に謀反されたのを覗けばだけれど。
秀吉は結局部下の統制が甘かったから組織が組織になってなかった。
秀吉の方が信長よりよっぽど整備された組織をつくりあげたんだけどな
659 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 17:01:01
660 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 20:55:23
ある意味畳の上だが
信長は信じられなかっただろうな
襲撃から死までの短い時間で気持ちを整理できたんだろうか
661 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 21:11:38
是非に及ばずのことことで
気持ちの整理はできたという。
662 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:36:10
そうか
あの粘着性分裂気質の
信長が短時間で気持ちの整理できるか?
多分
意味がわからん
くらいは発しただろう
663 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 23:56:03
革命家としての資質は、善きにつけ悪しきつけ信長が随一なのは確か。
ただ戦略的なものがなく、天下人になるための邪魔者は無慈悲なまでに抹殺しただけ。
唯一彼が庇護したのは織田一族の一部のみ。
要するに家康はおろか秀吉ほどにも徳がないことが、権力を維持できない一番の理由。
恐怖政治は短命で会わるのは、ヒトラーやスターリンなど以降も同じことのくり返し。
スターリンは長期政権だけどね
665 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:42:51
戦略家としては
素晴らしいんじゃないの?
駆け引きも見事だし
勇気もある
ただし無慈悲だな
というより天性そういう感覚がずれてる
武田を破り
本願寺を屈伏させてから テンションが壊れてる
よほど頭にきてたんだろう
>>663 なんというか言ってることが無茶苦茶ですがな。
ヒトラーもスターリンも決して短期政権じゃないし、それぞれ恐怖政治だから
崩壊したわけでもない。
第一信長は政権なんて築いてないから。
そもそも
革命家の資質って何?
恐怖政治ゆえの短命ならロベスピエールだろ
政教分離もロベスピエールだな
ヒトラー政権が短命だという人は恐らくワイマル共和国史を知らんのだろうね
669 :
日本@名無史さん:2009/11/25(水) 16:24:00
信長はもともとかなり寛容だろ。裏切られたりしたら容赦ないだけ。
本願寺ももともと先に約束を反故にしたのは本願寺なわけだし。
>>669 自分が約束破ったり裏切ることは多いけどな
先にいきなり本願寺に金出せとか言って金巻き上げてきたの織田なのに何いってんだ
671 :
日本@名無史さん:2009/11/25(水) 21:12:49
そもそも僧侶、宗教が財産や権力をもつ事自体が間違いという考えが信長にはあったわけで、、、
>>671 そんな考えを信長が持ってるわけがない
法華宗や熱田などの織田とつながりのある寺社の権益は容認してる
もともと寺社は武家と同じように権益や武力を古来から持ち認知され保証されていた存在
当時において寺社が権益や武力をもつなというのは
武家に対して権益や武力をもつなというのと同じくらいナンセンスな話
673 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 13:22:11
法華宗も熱田も信長の方針には従順だったからな
基本的には天下布武の通り武力で天下を統一したかったのだろう
邪魔しなければ認めるけれど逆らえば徹底的につぶす それが信長
邪魔しなければも糞も自分から相手の領地を奪ったり難題吹っ掛けて
戦わざるを得なくしたのが信長なのに
675 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 18:27:06
信長は中央集権を進めた人間だから難癖つけて力を奪うのは当然だろうな。
信長みたいに軍を作成毎にバラバラにして自由に編成するのは当時難しかったらしい。
信長は中央集権なんか進めてないだろ
ろくに指示をだしてなくて代官達の権限が掣肘されて結局は地元に丸投げする結果になってる
>>信長みたいに軍を作成毎にバラバラにして自由に編成するのは当時難しかったらしい。
どこでもやられてる事だろ、こんな事。
677 :
日本@名無史さん:2009/12/02(水) 20:33:11
信長に聞かなきゃわからんがな
遺された書状とか史料をみるとかなりわかる
信長が中央集権なんか進めてなかった事が
それに敵対者も徹底的に潰してもいないしな。
680 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 10:36:19
講談の信長を信じてる奴が多すぎるな
681 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 15:13:40
オレが思ったのは、死んでから400年も経って、
いまだにこんな熱く語られる信長は、やっぱり、すごいんだなってこと
虚像が横行しすぎててそれの修正が行われてるだけ
無謀にも学問板で妄想を語るから袋だたきにあう。
難民板か三戦板へ行きなさい。
684 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 20:21:14
死んでから800年経っても熱く語られる義経は信長の二倍すごい。
685 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 21:37:08
死んでから2000年経っても熱く語られるキリストは信長の五倍すごい。
686 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 21:45:52
死んでから6,550万年経っても熱く語られるティラノサウルスは信長の162500倍すごい。
死ぬ前から忘れられている麻生総理は信長の0.00001倍すごい。
最初から覚えられてない↑はただのうんこ
689 :
日本@名無史さん:2009/12/05(土) 23:24:58
現代人で麻生は知っていても信長を知らない人は多いから、
信長はうんこ以下ということでよろしいでしょうか。
何言ってんだこの人
たしかに麻生が何を言っているのかわからなかったことが多い
↑うんこ
693 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 17:41:05
天才なのかどうかはわからないけれど 暦を変えろとか身分を越えた追求をするところが
他の武将とは違うんでない?
694 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 18:51:41
ソ連みたいな男だな
虐殺王
696 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 18:57:43
噂に尾ひれが付いたと言われるが、噂もたたない男達よりかはなんぼかマシであろう
697 :
日本@名無史さん:2009/12/21(月) 19:07:10
つまりその程度
多少マシというだけで英雄レベルではない
698 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 07:04:08
で、あるか。
699 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 08:47:52
英雄だが名将ではない
700 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 12:37:58
信長も過大評価なのかもしれない
なにせ大河で信長役はあたり役だし
かっこよく描かれるしね
701 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 12:56:05
信長も、というか、信長以上に過大評価された奴いないだろ。
わずかに竜馬と義経がいるくらい。
702 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 14:52:56
この三人とも
司馬が絡んでるな…
義経は日本初の騎兵戦術の天才
坂本龍馬は日本初の株式会社
信長は日本最高の独裁者
そして乃木希典と伊地知幸介は無能と。
司馬氏の小説・エッセィは読みやすいが、
逆に読みやすさゆえにそれ以上掘り下げないで歴史を語る人間の多いこと。
司馬さんの小説はわかりやすいし
また独特の辛辣な毒があるよね
司馬さんは基本的に光秀好きだよね
司馬さんの小説の書き方は
一人の天才的革新的な人物がいて
それのおかげで歴史が大きく動いたっていう感じで
そういうのは確かに面白いしわかりやすい
でもそのために必然的に周りの人間が馬鹿扱いになるのはどうかなと思うのよね
706 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 19:15:01
竜馬も信長も義経も非業の死をとげたという共通点がある。
結局そこまでの人物なんだが、バカは
「本能寺の変がなかったら」
なんていうのな。
信長が天下をとれるほどの人間なら本能寺の変など起こらねえよ。
707 :
日本@名無史さん:2009/12/22(火) 19:32:45
>>705 わかるな
あとやたら無能と有能の区別をつけるのな
司馬さんの好みを小説に反映させてる
色々な作品で繰り返し出てくる軍事的天才は生まれながらにして天才…
学は必要ないっていうやつ
あれは自身のことを言いたいのかと思う
708 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 02:41:29
山岡荘八著の信長しか知らないけどほんと天災だと思うわ
レベルが違う
龍馬と違って信長は司馬によって作られたイメージじゃないだろ
710 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 08:41:05
信長のイメージはKOEIが
作ったんだろwww
>>708 数十年前の小説家の言う事をうのみにしてどうする
>>709 司馬もかなりイメージづくりに貢献してると思うぞ
著作の中で信長の事を革命児とかよんでる
実際はそれらは虚像なんだけどな
712 :
日本@名無史さん:2009/12/23(水) 09:40:58
信長の野望のイメージはでかいね
あと大河ドラマ
司馬は信長を絶賛してるよ
山岡本も読んだけど
山岡イズムの羅列なんだな
司馬はかなり資料をベースにして書くからよけい始末が悪い
俺司馬のは読んだことないけど、坂本竜馬はなんでこの人こんなに絶賛する人
多いんだろうと幼少の頃からずっと不思議に思ってた。信長は特にそういうの
はない、常に戦国時代をリードしていた人だから何々が虚像だとかそういった
うんぬんはわからないけど、単純にインパクト的にもすごいだろ信長は
>単純にインパクト的にもすごいだろ信長は
1980年代から支那朝鮮が煩くなって、作家や評論家が秀吉を持ち上げれなくなったから信長を持ち上げるようになっただけ。
受け手がインパクト強く感じるのは当たり前だな。
715 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 08:34:21
三国志でも孔明が目立つのと同じ理由だな。作者が目立たせただけという。
信長なら南方進出と唱えるのは、朝鮮人への配慮ってことか。
孔明は歴史書でも同時代の証言でも絶賛がおおい人
そして時代が下るごとに敬慕されていった
717 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 13:04:01
司馬さんが
自分の作品や随想などに
世界戦史初の鉄砲一斉射撃
なんて書きまくったからな。
ちなみに坂雲にまで信長がでてくる
騎兵戦の天才の中で義経の屋島と信長の桶狭間
と秋山好古に言わせてるな
718 :
日本@名無史さん:2009/12/24(木) 18:49:43
歴史を捏造しないと日本に誇りを持てないわけか。
信長厨は半島人と同じだな。
>>714 なんでそんな自信満々で主張できるんだ?君たちのほうが逆の意味で司馬さんに
影響されてるんじゃね?
720 :
日本@名無史さん:2009/12/25(金) 18:08:32
孔明は生前は戦の戦術などの評判が良かったのか?内政ばかりだろ。
>>720 それはよくある誤解
大抵陳寿の評文の一つを参考にしているんだろうけど
陳寿は「応変の将略には長じてなかったのか?」と言ってるだけで
別の部分では「軍の統率には長けていたが奇策は得意ではなかった」と述べていて
すぐれた統率力を評価してる
諸葛亮は史実でも正攻法の野戦で司馬をはじめとする魏の将軍たちを何人も破っている。
野戦では生涯不敗だった。
>>714 でも実際に昔は秀吉や家康のほうが信長よりずっと人気あったのは本当
信長は有能だけど短気で部下を虐待する変人みたいに扱われてた
信長が異常に持ち上げられたのはそんなに昔の話じゃない
司馬さんの作風は斎藤道三や坂本竜馬といったマイナーな存在を発掘し
天才的に描くことだったしね
信長もその流れで異常に革新的な人間として扱われた
724 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 08:33:19
司馬に影響されようとされまいと、信長が天下すらとれなかったのは事実。
一部の狂信者たちを否定するのになんで司馬の逆影響を受けたなどと言われなきゃならんのだ。
725 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 10:59:08
>>727 信長があと10年長生きしていたらどうかわからないだろ。
あと一向一揆を根絶やしにしたので
次の秀吉は相当楽になったのではないだろうか。
オレオレ
>>725 >あと一向一揆を根絶やしにしたので
されてない
石山を退去しただけで顕如も息子も一族も生きてる
最終的には天皇の命令での講和だったし
729 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 11:48:49
本能寺で包囲された状態で十年長生きできるのかw
いずれにしても部下の反乱を防げないのが信長の限界。
本能寺で死ななくても殺されていた。
730 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 16:08:12
今川義元も桶狭間がなければ信長を倒していた、なんて仮定と同じくらい無意味。
>>719 実際に当時を知ってたからさ。
昔の大衆文芸での信長像を調べてごらん。
俺達の言ってる事が本当だとわかるよ
732 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 19:36:07
>あと一向一揆を根絶やしにしたので
ここらへんは司馬サンじゃなくて井沢の悪影響だな(溜息)
宗教対策は武田や徳川などより信長の方が遅れてるのにな。
733 :
日本@名無史さん:2009/12/26(土) 19:51:20
武田鉄矢が宗教対策してたなんて初耳
鉄也はしてなくても
武田信玄とかは宗教対策しっかりしてるね
寺社を敵に回さないことを宗教対策と勘違いしてる馬鹿発見
信長が打ち出した天下布武の意味を考えてみろよ
考えてみろよ、じゃなくて自分で説明すればいいのに
信玄の場合諏訪氏を滅ぼして取り込んだり、
富士大宮を屈服させて完全武装解除させたりしてるね
信長の本願寺は最終的に勅命講和だし武装解除もされてないし
そのあとも本願寺の勢力は大規模に存続してる
これを分裂させて力をそいだのは家康
もともと本願寺は信長に大金を要求されて反発しただけで
信長も政教分離とか後世の小説家が妄想するような理念なんかなかったんだけどね
>>736 一方で、信玄は諏訪の娘に子供を産ませて諏訪の遺臣や領民の不満を逸らし、
顕如と縁組して織田や上杉を牽制するのに利用し
叡山には庇護するからと言って天台座主の肩書き貰って悦に入ってるね。
関ヶ原で勝利した後の名実共に天下人になった家康と、全国を支配下に収めるまでに至ってない信長を比較するのもどうかと思うね。
征夷大将軍になって後々全国の武家だけでなく朝廷も抑えることになる家康が、
天皇の勅許を得て教如の東を准如に認めさせたんだよ。それ以前から准如派と教如派で分裂してたしね
敢えて家康を信長と比較するなら信長生存中でしょ
>>737 >一方で、信玄は諏訪の娘に子供を産ませて諏訪の遺臣や領民の不満を逸らし、
>顕如と縁組して織田や上杉を牽制するのに利用し
>叡山には庇護するからと言って天台座主の肩書き貰って悦に入ってるね。
これなんか悪いことなの?宗教の力を見事に自分のものにした見事な政策じゃないか
信長も結局は宗教の力を自分のものにする事をめざしていて
法華や熱田や根来の力を利用してる
家康を信長生存時で比べても、家康は三河一向一揆の完全屈服を達成したという点で
勅命講和で終えた信長とみると徹底してるといえそう
>>738 信長とはスタンスが違うだろってこと
天下布武の意味を考えろってのもそこだよ
忘れてた
>家康を信長生存時で比べても、家康は三河一向一揆の完全屈服を達成したという点で
勅命講和で終えた信長とみると徹底してるといえそう
規模を考えろってこと
>>739 だから信長と結局どうスタンスが違うのか全然説明されてないじゃないか
だから自分の言葉で具体的に説明してほしいと言ってるのに
正直信長だって宗教勢力の力を利用してるし、どこがスタンス違うのかまるでわからない
天下布武の意味とやらも何の説明もされてないし
>>740 規模というなら信長よりも家康のほうが
領地の半分以上が敵に回った分大変といえるかもね
なんというか、君は上の文見ても思ったけど
結論が自分の中で完結してるみたいだけど
出される言葉が小出し過ぎて抽象的にしか見えないよ
743 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 16:23:40
織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食ふは徳川
天下を統一していない織田と、統一した徳川を比べる云々の話があるけど、
状況的に信長の時代の時点では誰でも難しいでしょう。
主語がないから何が難しいのかさっぱりわからん
745 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 22:10:38
主語は 誰でも だろ
何が難しいのか を問うなら 目的語だろ
んで結局何が難しいの
747 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 23:41:58
>>739 別に宗教対策じゃないし、スタンスも変わらん。
叡山も同じだけど、自分に敵対する、巨大な軍事勢力と戦っただけで、誰でもやっている。
足利義教など叡山焼き討ちをやってるし、管領の細川晴元などは一向宗の本山(当時、本山は山科にあった)を攻撃し、
京から退去させ、また、京で巨大な勢力をもっていた法華宗を壊滅させるなどしている。
畿内には寺社の大勢力の本山が集中するため、畿内を完全に支配しようとするなら武力を擁する寺社勢力と戦うのは必然。
朝倉や上杉も、信長の前から一向宗と戦っているが、やはり敵対する勢力であるからに過ぎない。
信長自身はと言うと禅宗、なかでも臨済宗妙心寺派が好きだったようで、
師僧の沢彦宗恩は妙心寺派だし、後に帰依した南化玄興も妙心寺派、
また家紋として「無」を用いることもあったが、これは禅の公案から来ており、
フロイスも悔しそうに、信長が「若干、禅宗の見解に従う」と書いている。ハ見寺も妙心寺派の寺。
信長は織田という名字を名乗っているけれど、本姓は平氏。
平信長(たいらののぶなが)というのが朝廷に出向くときの正式な名前である。
最終的に正一位太政大臣を贈位贈官したけれど、源氏でないため征夷大将軍にはなれなかった。
749 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 12:36:21
征夷大将軍か右大臣か好きな方をと言われたけど断ったという話は嘘なの?
750 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 12:48:50
征夷大将軍職が源氏に限るという明確な決まりは律令にもなかったし、
単に前例踏襲で既成概念としてあっただけですよ。
尤も信長は将軍職には関心を持たず朝廷の懐柔にも屈しなかった為に
本能寺の変の黒幕が朝廷ではなかったかという説が絶えないわけです。
実際は朝廷は信長から譲位儀式の資金を出してもらって大喜びしてるくらいなのにな
752 :
サリオン:2010/01/23(土) 20:01:54
信長=キング オブ ジパング=岐阜王の肩書きを西洋から貰う。
↓
秀吉、家康のリレーで、信長の弟家康が、日本の元首に成り、幕府を開く。
↓
幕末、開国派の坂本龍馬が、日本国第1代大統領に成るはずが、暗殺される。
↓
現代の日本人は、信長や龍馬の志を忘れまいと、東西南北へと、飛躍奮闘する。
日本の歴史簡略に説明.
753 :
サリオン:2010/01/23(土) 20:07:49
日本国を統一したのは、家康.
754 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 21:25:16
>>751 その物言いは不敬だな さすが信長厨といったところか
いや違うだろ。
>>752 外国の方ですか?
明らかにおかしいですから漫画日本の歴史からでも読んだ方がいいですよ
>>747 よく読め
武田と織田のスタンスが違うと言ってる
日本語読めないやつが多すぎるのが、この板の住人の欠点だな
758 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 20:13:24
>>757 だからその武田と織田のスタンスが別に変らない事も
>>736や
>>738で言われてる
君は結局どうスタンスが違うのか何も説明してないのに、勝手に断定するのが問題だと思うよ
759 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 21:45:44
能力自体は秀吉や家康のほうが高い
戦でも内政でも
信長の有能さは、秀吉や家康のような優秀な人材を引き上げる所にある
普通なら浮浪者上がりの秀吉を、あそこまで引き立てない
760 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 22:17:09
信長の教育係=沢彦の影響はどの程度あったんだろう?
信長の天才性を見い出して伸ばしたのは確かなんだと思うが。
天才性っていうのが何を指しているのかがなんとも
政策はほとんど先例がある事しかしてないし
762 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 23:00:13
>>761 えっ?
兵農分離も、超抜擢人事も、楽市楽座も、堺屈服も、
比叡山焼き討ちも、安土築城も、官位放棄も、将軍追放も、
どっかに先例があるの?
763 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 23:06:48
762の続き。
桶狭間での奇跡的勝利、長篠の合戦での武田騎馬隊殲滅、
九鬼水軍に鉄甲船を造らせたり、前例のないこと沢山やってると思ってた。
764 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 23:15:05
762と763で挙げたことの先例か、それに近いものがどこかにあるにしても、
それら全部を一人でやった戦国武将って信長だけでしょ?
765 :
日本@名無史さん:2010/01/25(月) 23:57:06
もう寝るので、4連闘ゴメン。
761さんは、あれですか、隠れ唯物史観論者ですか。
さすがにもう流行らないけど、唯物史観って、
「歴史は技術革新(それに伴う社会構造の変化)と階級闘争でしか動かない」
から、一人の天才児が歴史を動かすことなんかないっていうんでしょ。
それ間違ってると思うな。
信長のすごさはなになにをしたとかなになにをしないとかじゃなく
その場その場で情勢を見極めて最善手を考えるプロセスの巧さそのもの
フロイスの目から見た信長とか見てると確かに切れる人物だよ
悪い意味でもそうだが
>>762 絞って答えるけど楽市楽座は有名で近江の六角と 今川義元 がやってる。
768 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 09:39:35
>>762 それ全部虚像、そして先例がある事
兵農分離=信長も兵農分離なんかしてない。当時の軍制は軍役衆で構成されており、信長もその指示書とか見ると明らかに軍役衆。
むしろ武田家の方が百姓とかを戦場に連れてくるなと明確に指示してる。
超抜擢人事=何を指してるのか知らないけど、秀吉が農民からとりたてられた、みたいなことを言ってるなら
武田家の春日虎綱(一般には高坂弾正として知られている)は農民からとりたてられて武田の重臣になった
上杉家の河田長親も浪人の子供からとりたてられ重臣に列した
楽市楽座=信長以前に六角、斎藤、今川がやってる。信長はほとんど自分が治める以前から行われていた楽市を追認しただけ。
安土ではやったけどさ。
堺屈服=堺はそれ以前に三好に従ってる。
安土築城=安土に城を作るなんていうのはそりゃ信長がやったことだけど、それ言ったら他の大名が巨大な城を建てた所に信長も築城してない。
巨大な城というなら当時でもいくつもある。
比叡山焼き討ち=信長以前に百年以上前から足利義教や細川がやってる。
官位放棄=官位の放棄なんか信長はしてない。信長が言ったのは「自分はもう隠居するから代わりに息子に官位をあげてくれ」ってこと。
息子の官位はせっせとあげてる。
将軍追放=室町時代には対立する将軍を追放して別の将軍を立てるなんてよくあった事。
松永・三好なんかは将軍を殺したりしてる。
信長も義昭を追放してその幼い息子を将軍に立てようとした。
その義昭の幼い息子が成人するころには自分の勢力が拡大したんでやめたけどね。
769 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 09:53:20
>>763 桶狭間は信長に仕えた大田が書き残した信長公記を見れば
信長が敵の先陣と本陣を勘違いして突撃した時、偶然大雨が降って敵陣が混乱、
信長は捨てられた塗輿を見てはじめてこれが本陣だと気づき、逃げる義元を追撃して討ち取った、って話だとわかる。
確かに奇跡的偶然に支えられた勝利ではあったが、信長の計算による勝利、なんていうのは後世のフィクション。
長篠での武田騎馬隊云々に関しては、まず戦国時代に純粋な騎馬隊なんてものは存在しない。
武田軍もその例にもれず、「騎馬武者達も一部隊の中で騎馬のまま戦闘するのは7〜8人くらいで残りは馬を下りて徒歩で戦った」としっかり武田側の軍鑑にある。
長篠の勝因はもともと織田徳川の兵力が武田の倍以上あった事、さらにその上で信長が大規模な野戦陣地を築いて徹底した守備戦闘を行って消耗戦に持ち込んだ事、
であって、このような消耗戦となれば兵が多くて陣地にこもる織田徳川が勝つのは自明の理。武田勢の奮闘もあって大激戦ではあったが信長の奇跡の勝利とは言い難い。
それを実行した事は見事だけどな。
鉄甲船なんて当時の伝聞でしか存在しない。
件の船の現物を見た宣教師も信長公記も作ったはずの九鬼氏もこれを鉄の船だなんて言ってない。
770 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 09:57:07
>>764 逆に信長がやってない事をやった大名も数多くいる。
>>765 自分は別に唯物論者でもなんでもない。
君はネットに影響されて左翼系が馬鹿に見えるお年頃かい?
確かに階級闘争史観なんてナンセンスだけど、
自分と違う意見の相手を全部それにあてはめて否定しようとするのは間違いのもとだよ。
信長は単純に同時代の資料を見ても革新的な人物というよりも
後世に虚像が数多く作られた人物と言えるだけ。
771 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 10:33:18
>>770 いろいろお勉強になりました。力作ありがとう。
当時の他の大名たちもかなりオリジナリティがあったんだね。
というか、そうしなければならないほど旧秩序が乱れてきていたってことか。
それでも信長は天才だw
時代に風穴を開けた人に違いはない。ほかの人にはできなかったわけだし。
これからの時代に必要だと思ったことをすべて「実行」した。これは天才性にほかならない。
もっとも「これからの時代」は「自分の天下取り」が正解かもしれないがw
信長がやらなかったことをやった大名もいるでしょうね。でも彼が信長以上なのか?
これ別に「最初に結論ありき」ではなく、やはり信長は革新的な人物であり、
虚像だけでなく実質も伴った天才だったんだと思う。
もちろん、現実に会ったわけじゃないから、単に思い込みと言われりゃそれまでだけどw
それ言ったら戦国大名は天才揃いでんがな
信長は無論能力もあったんだろうが、
桶狭間での偶然義元戦死とか、斎藤義龍、信玄、謙信といった強敵が
これからという所で死んでいくという超強運も大きかったんだろ
773 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 19:52:02
武田の騎馬隊が三段撃ちの鉄砲隊に向かって突撃してきた、
ということは確かに信長公記には書いてないけど
1000梃の鉄砲が火を噴いて武田軍は一方的に撃ちまくられた、
という話は執拗なまでに書いてるよ牛一が
それは何がすごいってアイデアでもなんでもなく
ひとつの戦場に1000梃の鉄砲を導入できる財力やら交易網なんだが
いかに馬鹿でも勝頼だって鉄砲の重要性くらい分かってたが
「最近弾が足んないから支給できない、
おまえら自分で弾用意して戦場に持って来て」
というアホな命令書が残っているくらいだから
武田家では絶対に1000梃の鉄砲は確保できなかったろう
まあ野戦じゃ織田に勝ち目なんてないしな 城に篭って鉄砲だのみで引き篭もるしかないわな
>>773 鉄砲活用では武田家は結構進んでるぞ
第2次川中島の時点で一部隊に300丁もの鉄砲を配備してる
上野の和田城にも300以上の鉄砲を大量に配備して上杉勢の攻撃を防いでる
絶対に1000丁が無理とは思えんな
弾の調達も家臣がある程度やるのは別に特別でもなかったはず
何せ当時の弾は家で作れるくらいだから
幕末の西南戦争時代でも弾の自作がされてたくらいだぞ
長篠日記、甲陽軍鑑、三河物語といった2次資料じゃ織田徳川が決して鉄砲だけで戦ったわけでなく
武田勢と入り乱れての激しい消耗戦が行われた事が書いてある
2次資料の中でも信長公記くらいなもんだな、この苦戦を書いてないのは
その癖戦闘が長時間にわたって行われた事は記してるのが愛嬌あるな
鉄砲の一斉射撃で終わったなら8時間近くつづくわけないだろーと
マシンガンじゃねーんだから1000挺かそこらで白兵突撃を完封できるわけはない
撃たれても撃たれても前進を繰り返す武田軍もすごいが
>>775 活用の意欲があることと鉄砲を導入できることはイコールじゃない。
経済力の差もあるけど、信長は堺など鉄砲の生産地や
交易ルートを押さえてしまっている
弾はまだしも、特に厄介なのは硝石で
当時はほとんど輸入頼りなんで(国産化が進むのは江戸期)
国際交易ルートから締め出されるとアウト
戦略物資である以上織田領から大々的に輸入できるはずもなく
第二次川中島が1555年
堺の制圧が1569年
武田勝頼が軍法で「弾が供給できない」という話をするのは1573年
そして、長篠設楽が原の戦いが1575年
「三好がやってるから堺掌握とか別にすごくない」
とかいう主張にはそれこそ何の意味もないのよ
肝心なのは戦略であって彼らはアイデアコンテストをしてるわけじゃない
ちなみに軍法の話の骨子は
「以前は武田家で弾を配分していたが、
最近手に入らなくなったので〜」という部分
何かがあったんだよ。状況の変化が。
>>778 >>779 なんか必死でググってきました臭がするな
実際に活用してるんだから仕方ないだろうに
アウトとか言ってるが勝頼のその指示で用意するように言われてるのは弾だけなんだろ
それなら家で作れるし硝石の流入は別に堺だけだったわけでもなし
商人は織田にだけ売らないわけでもなし
>>武田勝頼が軍法で「弾が供給できない」という話をするのは1573年
1573年のいつ?月日を示してもらえばこっちで書状あたってみるんだけど。
確認してみたいからおせーて。
そもそも当時の鉄砲はそんな命中率がいいもんでもないし
武田勢も玉砕突撃よろしくただ突っ込んでただけでもない
鉄砲防ぎに非常に有効として諸国に普及した竹束楯を最初に考案したのも使用したのも武田家とされてるしね
武田勢が鉄砲対策とかしながら果敢に反撃した結果、長篠の戦闘が長時間にわたったんだろーよ
二十年も前の、情勢の違う先代当主時代の話を持ち出して
「実際に活用している」と言われても。
1575年の武田勝頼が1000挺の鉄砲を用意し得た根拠にはならない。
そんな根拠でよいのであれば
織田家は3000挺の鉄砲を用意してました、
なぜなら鉄砲を積極的に導入していたからです、
という理屈も当然のごとく通るな。
書状はぐぐっても出ないけど
新人物往来社の「武田勝頼のすべて」のどっかの章に詳細がある。
>>782 20年前じゃないんだって
和田城攻防の時も300丁以上の鉄砲を配備してると上に書いたろう
和田城攻防って1560年代の話なのよ
この時配備された部隊は総数900、そのうち鉄砲300という三分の一が鉄砲という重火力部隊
一部隊にこれだけ使えてるのになんで無理なものか
それ無理無理
武田勢が使ってるのは1560年代に一部隊にポンと渡してる事でもわかる
んじゃその本のどの章にあるのか教えて
調べられるから
>>781 >武田勢も玉砕突撃よろしくただ突っ込んでただけでもない
ソース希望
「白兵戦もあった」以外で
>>782 >書状はぐぐっても出ないけど
やっぱりあんたぐぐってたんかい
>>784 質問の意図がわかりにくい
君はまず自分のソースを明確にしたまい
>>783 いずれにせよ信玄の時代、
いずれにせよ織田家がまだ中央を掌握する前の時代
議論の本質は変わらない
なお前提は「武田家は1000挺の鉄砲を用意し得なかった」ではなく
「織田・徳川連合軍と同規模の鉄砲隊は用意し得なかった」に修正
いま手元にないので何章までは分かりません
>>785 ぐぐって出るものなのかと思って試しただけだよ
>>786 玉砕突撃をしていたとしても白兵戦くらい起こるだろう。
それ以外の気の利いた迂回戦術なりなんなりの話があるなら
根拠を示せと言うとるんだ
>>784 長篠日記とかでは馬場隊が兵を二手に分け、一手を前に出し(竹束楯とか使って)防御体勢を取りながら静かに前進し
十分に近づいた上で機をとらえて温存しておいた一手を投入して佐久間隊を撃破してる
山県隊も自部隊主力で敵を引きつけつつ、部隊をわけて馬防柵のかかってない川路付近から敵の背後に回り込ませ
前後から挟み撃ちに持ち込もうとしてる
小幡隊も細い道から一気に騎馬武者を突き立てて突撃させ敵陣に乗り込もうとしてる
他にもいろいろあるけど、織田徳川もこれに対してあの手この手で対処して消耗戦になってる
>>787 本質同じだってーに。
織田が中央掌握してようとしてまいと、武田軍の武器に何の変化もないんだから
織田の前の三好松永とも武田は別に仲良かったわけでもないし、三好松永と仲良かったわけでもない本願寺とも武田は仲良かったけど
別に鉄砲に困ってないし
織田徳川の二国で武田一国と同規模だったらそれこそおかしいだろうに
ソースがさっぱりわからん
題名でもなんでもいいから出せないのかい
>>788 自分は欠片もソース出してないのになんでそこまで高圧的なのかわけわからん
>>789に書いといたからさっさとそっちもソースだしてね
人に求めるだけじゃなくて
信長公記とか武田勝頼のすべてとか書いてあるのが読めんのか。
>>790 >織田徳川の二国で武田一国と同規模だったらそれこそおかしいだろうに
束になっても武田信玄にはかなわない
そんな風に考えていた時期が信長にもありました
>>792 書名挙げてるだけで内容全然書いてない癖に何いってんの
さっさとその書名の中のソースなりどこに書かれてるかなり書いてと言ってんの
早くして
あくまで鉄砲の規模の話ね
実際は2代目当主相手に鉄砲揃えて倍以上の大軍を揃えて陣地に籠って守備戦闘やっても大激戦でしたとさ
>>792 横からだがお前さんのは全然中身書いてないだろ
ちなみにグーグル自体は大好きです。
馬鹿とハサミは使い様と申しまして。
グーグル様の託宣を仰いでみましたが
”書名の中のソース”との一致はありません。
聞いたことのない日本語だとは思いましたがグーグル様も同意のようです。
普通ソースというのは書名のことだと思うのですが。
書名の中のソースと言われても。
軍法の中の一条に過ぎないので内容はもともとあんなもん
天正3年の何月何日の発行のものだったかは該当本に書いてある。
さすがに暗記するほど暇でもない。
そりゃ俺だって「言継卿記のどこかに書いてある、後は自分で調べろ」
と言われたら困るけどさぁ。
>実際は2代目当主相手に鉄砲揃えて倍以上の大軍を揃えて陣地に籠って守備戦闘やっても大激戦でしたとさ
それは別に否定しない。
あいつは2代目でいいのか?とちょっと思う程度で
間違えた。元年だ。いや元亀?
>>795 んじゃ書名の中の具体的内容とか具体的な資料の詳細でも言っとくから
おせーてよ
だから章とか題名でも教えてくれと言ってんのに
書名だけ言われたって調べるのが大変杉だっての
困ると思うならちゃんと示してよ
今こっちは困ってるよ
120万石以上に膨張した甲斐武田家としては2代目かな、と
あと重大な問題を見落としてると思うんだけど
弾と火薬は基本消耗品なんだよね
あの戦乱の時代、需要が高すぎて慢性的な供給不足にある中で
入手ルートがゼロでなくても半分になったらそれだけで困るし
1000挺の鉄砲のコストは333挺の鉄砲を購入する費用の3倍ではない。
大雑把なことを言ってしまえば一斉射あたりのコストが3倍。
大きな鉄砲隊を長期運用するほど悪夢のようにコストが膨れ上がっていく。
しかも問題は金だけではないときた。
>>797 「すべてシリーズ」の一冊だから同シリーズの別のやつとほぼ一緒
通史形式じゃなくテーマ別の章分けだから目次を見ればすぐわかる
すべてシリーズというのは一般向けながら研究書ベースのシリーズで、
複数人執筆の形式なんでときどき変な説や史料を出す奴もいるけど
昨今の本の中ではまあ比較的良識的に作られている部類
本来の紹介と解説の文脈は
「武田勝頼が鉄砲を重視していた証左のひとつである」というもの。
まあそれはその通りだろう。
いまどき
「武田軍は鉄砲という最新兵器を知らない猪武者ばかりだったので、
三段撃ちに突撃して全滅しました」
なんて主張する奴もあれだと思うが
>>798 弾は家でも作れると言ってるのに
もともと東国勢力の武田が堺にどこまで頼ってたのか微妙な感じ
金はそれ以前に何万何千の大軍を動かしているんだから
鉄砲だけ増えても悪夢のようなコストとは思えないけどね
>>799 なんか遺文見て探したらそれっぽいのがあったので今検証してみる
ちなみに言継卿記のオリジナルってのは
何巻もある奴の一冊だけでもうタウンページ状態。
そこに返り点も打ってない白文の漢文がびっしり。
ぶん投げようかと思った
>>800 硝石も根性出せば厠で作れる
あるいは作ってる奴もいたかもしれん
だが家で作って商人からも買えばもっとたくさん手に入る
ルートが減るというのはそういうことだ。
じゃあ言い換えよう
すぐ赤玉が出ちゃうようなコストだ
1573年11月朔日付勝頼書状は二つ存在する
どちらも軍役・軍法について詳細な指示がある
その中から鉄砲に関しては3つほど
要約してみると「鉄砲複数持つ人は、油断なく配下に鍛錬させるべきです。
近日は一向にその趣が無く、もっと隣国への覚悟を持つべきです。」
これ見ると常日頃から武田家では鉄砲の訓練が奨励されていた模様
次が言われてたらしきもの。要約してみる。
「鉄砲の薬は大将の陣から配給されていたのは勿論ですが、されども近年の如く、
自然の時節で欠乏しております。凶事の基になりそうなので知行役相当で支度してください。」
とあり、弾でなくて薬。それで自然の時節で欠乏してる、とある。
1569年の信玄の北条戦の時も軍役条があって鉄砲を集めるようにと指示がされてる。
それから武田家で鉄砲の使用量が増大し、大将配給のみじゃ厳しくなった、と考えると「近年の如く」
「自然の時節で欠乏」というのも納得しやすい。
それからこれらの定書には鉄砲の他にも槍や太刀、弓、鎧、兜、その他といろいろな指示がある。
そして鉄砲だけでなく弓にも訓練が推奨されている事や弓を定期的に新しくする命令、
さらには「武具のうち、別途で鉄砲と弓の用意が肝要」とある事から弓も重視されているよう
全体的に武具全般について指示が細かくあり、鉄砲だけに注意してるって感じではないかな
戦闘関連の鍛錬や研究に熱心だったとされる武田家らしい
>>802 武田家は鉄砲黎明期から数百の鉄砲を使いこなし
1569年以降は北条戦もあってさらに鉄砲を増強してる
千近くの鉄砲は十分ありそうな感じなんだけど
805 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 08:44:08
楽市楽座いうけど、その実体を具体的に説明してよ
これでなにがどう変わったのか、ソースも提示のこと
もともと信長の楽市楽座は追認ばっかり…
807 :
日本@名無史さん:2010/01/28(木) 19:56:56
「楽市楽座やった信長すげえ」
「なにがすごいの?」
「…………」
>>804 武田家じゅうからかき集めれば多分1000くらいあるかもしれん
しかしそれを言えば、多分織田家には3000ある
809 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 01:31:26
手勢の武力を使ってもいいと言うのなら現代だって信長のような人間は出て来るだろ
それが使えない世の中になったから皆対抗者を排除できずに四苦八苦しているわけで
もうひとつ
1575年の武田軍の総動員兵力がどれくらいで
そのうち設楽ヶ原にいたのが6000だか1万何千だか、
それがまあ全体の何分の一だか知らないが
ともかく、そいつらがどれだけ鉄砲を現場に持ってきてるか、という問題もある
だいたい総兵力で劣っているという前提があるわけで
織田軍の鉄砲の数を信長公記に従って1000挺としたとして
武田軍も実は同じくらいの鉄砲を持っていて
互角の撃ち合いを演じていた、というのはあんまりに話が無理だろ
火力の差で押しまくられたのが敗因、という分析は矛盾なく成立すんのよね
>>808 別に領国中からかき集めんでも千位いくだろ
>>810 別に互角の撃ち合いを演じてたなんて誰も言ってないだろうに
織田徳川の2同盟で総兵力で上回ってるのに武田と同じだったらそれこそおかしいともいわれてる
>>803 薬って火薬かなあ。弾薬?
できれば要約も翻訳もせずに
「自然の時節で〜」の前後原文でお願いしたく。
「武田勝頼のすべて」にはどのみち原文までは載っておらず。
1573年11月というと、信玄が死んで総員撤退して喪に服して
実に半年もの間、これといって戦争をしていない時期ジャマイカ。
信長は西のほうで信長包囲網の解体に躍起になってるし
軍神様は「ガキの相手とか大人気ないよ」とか嘯いて何もしないし
北条家とは甲相同盟復活してて安定期だし。
弾だか火薬だかが不足するほどの大戦争がいったいどこで?
三方ヶ原ではそれなりに使ったかもしれんが
その後、本当は信長との大決戦が想定されていた状況から
信玄が死んだせいで無傷で兵を引き上げているわけで
武田軍全体が弾不足の状態に陥ってるわけもなく。
>>811 そうかもしれない。
だが一次資料プリーズ。
>>812 話の争点は「設楽ヶ原の会戦において、
織田軍の鉄砲導入はクリティカルな勝因となったか」なわけだよ
「3000挺持ってきて三段撃ちしたからクリティカルだよ」というのが俗説
「兵力差、要塞構築が大きなウェイトを占め、なおかつ実際には辛勝であった」という反論があり
「織田軍が鉄砲撃ちまくったら武田軍が戦場から消えました」と書いたのが太田牛一
辛勝だったのは本当だろう。だいたい武田軍に勝てたという事実だけで凄いのだから。
何があったのか知らないが馬場美濃守の働きは比類なかったそうだし。
だがやっぱり鉄砲は重要だったと俺は思う。
816 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 02:25:55
楽市楽座を論じる人は信長のもうひとつの国是である関所の廃止も併せて論じてほしい
鉄砲の弾が額にあたってもほじくりだしてて全然効かない人とかもいたらしいよ
戦場で敵の弾に当たりましたが死んでもラッパを放さなかった人もいたよ
野戦築城と小火器の組み合わせによる迎撃戦術が
騎歩混成部隊による白兵突撃に対し極めて有効であることは
スペインの伝説的名将ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが
ヨーロッパ最強を謳われたフランス重装騎兵とスイス傭兵を殲滅した
1503年のチェリニョーラの戦いにおいて証明されている
軍事史的には、銃の登場によって歴史が変わったのはこの時なので
長篠の戦いの実態がどのようなものだろうと別にあまり変わりはなかったりする
武田家には1000挺くらいの火縄銃はあったかもしれないし
その気になればそれを一会戦に投入することも
絶対に不可能ではなかったかもしれん
可能性は認めよう
しかし、それをやったとして、
こちらから出撃せず、敵をひたすらおびき寄せ、
1000挺の鉄砲を8時間延々と撃ち続けるという戦術が、
たとえ思いついたとしても実行し得たか?
別にそこで勝ったからって戦争がすべて終わるわけじゃなく
次の戦いの備えも残さなきゃならないというのに
鉄砲がハイコストだってのは結局そういうことなのよ
ただ鉄砲だけあってもそれはただの棒であり
弾や火薬が不足しています、じゃ用をなさない
やはり織田信長の優位性は、鉄砲の生産地自体はもちろん、
商業的に当然ワンセットになっているであろう弾薬の入手ルート、
なかんずく海外交易ルートを押さえていたことにある
(もちろん、実際にそれらを購入する強大な資金力も)
それがあるから思う様鉄砲を撃ちまくるという戦術が取れる
武田家はもともとああいう塩にも困る立地であるので
なんぼ駿河が手に入っても、そういうあたりはやはりどうしたって弱い
家臣に「自分でなんとかしろ」と言って解決するような問題じゃない
それがかなり早くから多数の鉄砲を運用してたんだから
相当に頑張っているのだが
鉄砲なんて全国津々浦々で撃ちまくってますが
>こちらから出撃せず、敵をひたすらおびき寄せ、
>1000挺の鉄砲を8時間延々と撃ち続けるという戦術が、
>たとえ思いついたとしても実行し得たか?
全くだ。
信長だって実行してないけどな、そんなこと。
>>814 だから長篠の20年以上前から一部隊に300もの鉄砲をポンと渡せるくらもってるんだよ
自分は一次資料一つも提示してないくせに要求だけするって
どうかと思わないのか?
>>813 なんか高圧的に要求だけはする姿勢が個人的には非常にどうかと思うんだけど。
そんなに知りたいなら自分でもちっとは調べればいいのに。
とりあえず原文
雖然如近年者、自然之時節欠乏候者
上でも書いたけど単に鉄砲の使用量が増大して大将配給のみじゃ薬を集めるのがしんどくなっただけじゃ。
>>815 まあここら辺を論じるなら信長公記以外の資料を参考にした方がいいかと。
長篠日記においてはまず馬場美濃が佐久間隊6千に向かって攻勢を開始し、一撃で破って柵際まで追い込む
さらにそこから少しして後で馬場美濃が兵を二手に分け、一手を前面に立てて防御態勢をとりながら静かに前進して近づき
機を見てもう一手を投入して佐久間隊を敗走させた、
そのまま馬場美濃隊は先頭集団が柵内に入ろうとしたが、この時織田方の総鉄砲による一斉射撃(連続うちにあらず)が行われ
馬場美濃隊の先頭集団が壊滅、これに対して武田方の真田兄弟が馬場美濃隊と交代して突撃し
柵を一段破ったが深手を負って討ち死に(何の傷だか不明)、武田勢の猛攻を受ける佐久間の陣を見て
信長は佐久間だけじゃ守りが弱いと判断、滝川・羽柴の2部隊に命じて佐久間隊を押している武田勢に横槍を入れさせ
ついにこの方面の武田勢は敗走した、
という流れ
馬場美濃の攻勢を前に陣地守備の一角を担当する佐久間隊は追い込まれ
信長はこれを危険だと判断して羽柴滝川を投入して横槍をさせてようやく撃退してる
さらには殿軍における活躍では甲陽軍鑑で馬場美濃は見事な働きを見せている
(信長公記では馬場美濃の比類なき働き、としか書いてなくて詳細が分からない)
自部隊の生き残りと馬場の指示に従うと申し出てきた一条・和田の隊を率いて、勝頼旗本3百と共に敵の追撃を防ぎ、勝頼の旗が退いたのを見届けた上で馬場も退き
馬場隊の生き残り、一条・和田隊を逃がした上で馬場美濃自身は橋場で取って返して高所に登り
「我は馬場美濃、討って手柄にせよ」と敵側に向かって見事に名乗り、そのまま刀に手も掛けず、4・5人が同時に突き出してきた槍に討ち取られた
なおこの時まで例によって掠り傷一つ負ってなかったとか
馬場美濃隊の戦いぶりを解説してみたけど、鉄砲だけが勝利を決めたって感じではなく
やはり他の部隊や戦線を見ても織田勢の主たる勝因は消耗戦と防御戦闘かと。
>>820 他の人も言ってるけど、信長は別に8時間延々と鉄砲だけ打って武田勢を撃退したわけでもない。
これについては一例として馬場美濃隊の活躍を
>>825に書いといたから参考にしておいて。
それから長篠決戦前の長篠城攻略戦においては武田勢の鉄砲射撃が凄まじく
鉄砲で城のあちこちが穴だらけになってたそうだね
長篠城攻略戦では武田勢は鉄砲を撃ちまくり、奥平方の将が何人もこの銃撃に当たって死んだり傷を負ってる
その中の一人は武田勢の様子をうかがおうと覗いたら撃ち抜かれたそうだ
武田勢もずいぶん派手に鉄砲を使ってる
827 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 12:16:37
信長の武力がそんなに群を抜いているなら、
なぜ天下とれなかったんだろうね。
信長をほめているつもりでバカにしてるとしか思えない。
828 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 12:42:14
鉄砲300丁あっても何発も撃てたわけではないだろうに、武田軍。
だから騎馬隊のすごさが評価されてるわけだし。
鉄砲隊がすごかったら、騎馬隊と並んで鉄砲隊も歴史に名を刻んだであろう。
長篠城攻略では派手に撃ちまくってるようだぞ
いまだに武田が騎馬隊とか…
甲陽軍鑑ですら一部隊の中で馬に乗ったまま戦うのは7・8人くらいで
残りは馬を下りて徒歩で戦ったと書いてる
830 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 16:37:02
一、鉄砲(正しくは火ヘン)之薬、従大将陣配当之儀は勿論候、雛(正しくは口の下に虫のヘン)如近年者、自然之時節欠乏候者、則凶事之基候之条、知行役相当ニ玉薬支度之事、
これで一箇条。玉薬というなら弾だろうな。
信長公記への反論に持ち出すのが偽書の名も高き長篠日記ってのもどうなのよ。
831 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 16:43:57
あと、相手の態度や人間性を攻撃しても議論には勝てんぞ。
832 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 18:36:33
そうだよな
信長擁護の奴は議論に勝てないからすぐ喧嘩腰になる
結局、信長厨対反信長厨というのがこのスレ基本構図だからね。
一次資料を知らない、正しく読解できない、または都合が悪くなると無視するという点で、どちらも大差はない
834 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 19:14:23
上のほうで天下取ってないから大したことないとか言ってる奴いるけど、それ言っていいの如水だけだろ
天下に手を伸ばしたこともない奴が言ってもただのルサンチマンコ
835 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 19:15:16
どっちでもいいよ
楽市楽座の説明してくれ
836 :
日本@名無史さん:2010/01/29(金) 19:49:32
>>834 そうだな
信長厨も武田勝頼の悪口いっちゃいけないよ
>>830 ありがとう。
>>831 も一応ありがとう。
グーグルもいいけど原文を丹念に当たる姿勢って大切だよね。
いろんな意味で。
>>821 そうだね。だから全国的に、慢性的に、
弾と火薬は不足気味でみんな困ってたんだよね。
武田勝頼も明言しているくらいだし。
それは鉄砲隊の弱点そのものでさえあった。
何度も言うようだが、特に硝石というやつが輸入依存なんで
日本全体で、それを使い切るまでの回数までしか撃てない。
硫黄や木炭はどうにでもなるが、弾も作れるかもしれないが、
結局、いわゆるリービッヒの最小律みたいなものが働いてしまう。
その状況で、勢力を拡大した特定の大大名家が
海外との交易を大規模に掌握したらどういう事態になると思う?
>>824 なんで使用量が増大したの?それを聞いているんだけど。
弾の補給が回りきらなくなるほど銃を買いすぎてしまいました、
というのなら後先を考えていないただのアホだよね。
当主就任の時期を考えると悪いのは信玄かもしれないけど。
その状態では当然、効率的な鉄砲隊の運用はできないね。
これ自体は些細な問題に過ぎないにせよ
特に設楽ヶ原以降、重税だの賦役の増加だので顰蹙を買って
家臣団の離反を招きまくることになる勝頼の、
何がしかの萌芽にも見えてくるけどねぇ。
よその大名家では元から弾薬自弁が当たり前なとこもあったかもしれないけど
武田家って、もともと特殊な人間関係ゆえに強かったみたいなとこだし。
人は城人は石垣。
まあ、甲陽軍鑑なんていまどき抱腹絶倒の悪書だけどな。
信長公記ディスってまで甲陽軍鑑引いてる人は、
長坂長閑斎は武田家を破滅させた佞臣で、
上杉家からの資金を横領して、
天目山では勝頼を見捨てて逃げたって講談話も信じてるのかい?
太田牛一の言うところでは、
勝頼が切腹する直前まで彼に付き従って
そして敵軍に突っ込んで斬り死にした武田家最期の忠臣たちの首を改めたら、
彼の首も混じっていたんだそうだけど。
>>825 さすが不死美濃はかっこいいね。見てきたようによく書けているね。
信長公記だと一番手は山縣三郎兵衛で、
鉄砲で散々に撃たれて引いたってことになっていて
馬場美濃守は「五番手」だったって明記されてんだけどね。
長篠日記が本当に参戦者の書いたものであるなら、
こちらは間違いなくリアルタイムで織田軍に所属していた
太田牛一の書いたものと、どうしてこういう重大な点で食い違うんだろうね。
個人的には、馬場信春は戦況絶望を悟りながらなお諦めず
一縷の望みをかけて比類なき攻勢に出て死んだという説で書いていきたい。
ま、実は別に撃たれて死んだんじゃなく
撤退開始後の追撃戦で撃たれた武将が多かったんじゃないかって気は確かにするけど。
>>826 >鉄砲で城のあちこちが穴だらけに
そうだね。有名だね。激戦だったんだろうね。
で?
>武田勢もずいぶん派手に鉄砲を使ってる
そうだね。信玄には先見の明があったし
勝頼も鉄砲ディスるほど馬鹿だったわけじゃないからね。
で?
×追撃戦で撃たれた武将
○追撃戦で討たれた武将
ちなみに明記されている原著者名自体が一種の一次ソースであることが
分からない人もいるようだから丁寧に書いてみることにするけど
長坂長閑斎の死のくだりは
『信長公記』巻十五 天正十年壬午
武田四郎父予生害の事
(略)
是れ叉、家の名を惜しみ、おとなしくも、
切りてまはり、手前の高名、名誉なり。
歴?討死相伴の衆、武田四郎勝頼、武田太郎信勝、長坂釣竿、
秋山紀伊守、小原下総守、小原丹後守、跡部尾張守、同息、
安部加賀守、土屋右衛門尉、りんがく長老、中にも比類なき働きなり。
・・・・・・話と関係ないが、
今改めて読み直したら、勝頼も「戦死」扱いになってるなこれ。
845 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 02:00:46
生害の事なら自殺でいいんじゃね
あと主張はともかく確かにその言い草はどうかと思う
『信長公記』巻八 天正三年乙亥
三州長篠御合戦の事
(略)
信長は、家康陣所に高松山とて小高き山御座候に取り上げられ、
敵の働きを御覧じ、御下知次第働くべきの旨、兼ねてより仰せ含められ、
鉄炮千挺ばかり、佐々蔵介、前田叉左衛門、野々村三十郎、福富平左衛門、
塙九郎左衛門を御奉行として、近(貼)と足軽を懸けられ、御覧じ候。
前後より攻められ、御敵も人数を出だし候。
一番、山縣三郎兵衛、推し太鼓を打ちて、懸かり来なり候。
鉄炮を以て、散(貼)に打ち立てられ、引き退く。
二番に、正用軒入れ替へ、かゝればのき、退けば引き付け、
御下知の如く、鉄炮にて過半人数うたれ候へば、其の時、引き入るゝなり。
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の功老にて、是れ叉、馬入るべき行にて、
推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。人数を備へ候。身がくしとして、
鉄炮にて待ち請け、うたせられ候へば、過半打ち倒され、
無人になりて、引き退く。
四番に典厩一党、黒武者にて懸かり来たる。
かくの如く、御敵入れ替へ候へども、御人数一首も御出でなく、
鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ、
引き入るゝなり。
五番に、馬場美濃守推し太鼓にて、かゝり来なり、人数を備え、
右同断に勢衆うたれ、引き退く。
五月廿一日、日の出より卯の方へ向けて未の刻まで、
入れ替はり(貼)相戦ひ、諸卒をうたせ、次第(貼)に無人なりて、
何れも、武田四郎旗元へ馳せ集まり、叶ひ難く存知候。
敵、鳳来寺さして、焜と癈軍致す。其の時、前後の勢衆を乱し、追はせられ、
討ち捕る頸の見知分、山縣三郎兵衛、西上野小幡、横田備中、川窪備後、
さなだ源太左衛門、土屋宗蔵、甘利藤蔵、なわ無理介、仁科、高坂叉八郎、
興津、岡部、竹雲、恵林寺、根津甚平、土屋備前守、和気善兵衛、馬場美濃守。
中にも、馬場美濃守手前の働き、比類なし。
此の外、宗徒の侍・雑兵一万ばかり討死候。
或ひは山へ逃げ上りて飢死、或ひは橋より落とされ、川へ入り、
水に溺れ、際限なく候。武田四郎秘蔵の馬、小口にて、乗り損じたる、
一段乗り心ち比類なき駿馬の由候て、信長御厩に立て置かれ、
三州の儀、仰せ付けられ、
五月廿五日、濃州岐阜に御帰陣。
太田和泉守これを綴る。
一次資料一つも提示してないくせに要求だけする奴これを写す。
さて原文に照らしつつ
>>820を再解説するが
>こちらから出撃せず、敵をひたすらおびき寄せ、
>1000挺の鉄砲を8時間延々と撃ち続けるという戦術
というのは、信長の「御下知の如く」、
「かゝればのき、退けば引き付け」
「鉄炮を以て、散(貼)に打ち立て」たということ、
つまり織田軍が一定距離(火縄銃の有効射程距離)を保ちつつ
アウトボクサーのごとくに相手を封殺せんという作戦方針をもって
戦場に臨んでいたかを言っているのであって
別に実際にすべてがその理想通りに運んだとは言ってないし思わない。
いくら「御人数一首も御出でなく、鉄炮ばかりを相加へ」ることを
一生懸命試みていたとしても、そりゃ戦線を突破してくる敵もいたろうし
鉄砲隊を守るために交戦した織田兵もいたろうよ。
で、それは最初から織り込み済みと思われる。
「御敵入れ替へ候へども、御人数一首も御出でなく、
鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ、
引き入るゝなり」。設楽ヶ原の織田軍は、
敵をおびき寄せ、あるいは退かせ、銃の射程圏内に収めておくことを主目的に、
囮の足軽を前に出したり、多分迎撃用にはやる気満々で構えてる精鋭を使ったり、
なんだかんだで白兵戦闘も活用していた。
つーか、そうでなかったら1000人だかの鉄砲隊以外が
8時間何やってたんだって話にもなるし。
まあ実際、銃撃だけで敵を完全に釘付けにできるほど
種子島式の火力は強大ではない。
本当に3000挺あったとしてもどんなもんだか
でも、鉄砲の火力による殲滅を企図していたこともまず間違いない。
「御下知の如く、鉄炮にて過半人数うた」せたのだし、
「御人数一首も御出でなく、鉄炮ばかりを相加へ」たのだからな。
そうでないなら、「御敵入れ替へ候へ」たタイミングにでも
こちらからも出撃して攻撃を仕掛ければよかった。
でも、わざわざ5回の波状攻撃を全部別々に解説して逐一
「鉄炮を以て、散(貼)に打ち立てられ、引き退く」
「鉄炮にて過半人数うたれ候」
「鉄炮にて待ち請け、うたせられ候へば、過半打ち倒され、
無人になりて、引き退く」
「鉄炮ばかりを相加へ」
「同断に勢衆うたれ、引き退く」
と描写が与えられるというのであれば
信長はあくまで攻性防御を徹底させ、
そしてその作戦は大筋では成功していたということだ。
で、勝頼には同じことを実行し得たか?
し得たのにやらなかったなら、
それを実行すると思いついて実行して勝った信長の方が凄いということだ。
勝頼は実行し得なかったのか?
そうであれば、それを実行し得る状況を作り上げた信長が凄いということだ。
別に天才かどうかは知らんけど。
851 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 07:02:51
武田が滅んでまもなく信長も殺されたんだから五十歩百歩
>>830 最初に薬と書いてあるから薬じゃないの?
偽書の名も高き、って誰が言ってるのか謎なんだけど
一応伝承では長篠合戦から少しして書かれたものだから
>>839 だから長篠城攻略で鉄砲を派手に使ってると何度も書いてるのに
なんでわかんないのかな。
>>840 これも何回も書いてるだろうに。
武田家では1569年の軍役条で鉄砲を用意するようにと明記されていて
そこから増大したんだろうと。
なんでこれ無視すんの?
戦争において鉄砲が効率的であると判明している以上、それを使用するのは当然で
必要とされる使用量に応じて増大していっただけの話だろうに。
なんでアホなのかよくわからんし。
それいったら信長も軍役で部下が苦しんでると信長公記とかにもあるし。
>まあ、甲陽軍鑑なんていまどき抱腹絶倒の悪書だけどな。
誰がこんな事を言ってるのか説明よろしく。
いっとくけど信長公記も軍鑑も同じ2次資料だから。
信長公記では志賀の陣の講和を朝倉が懇願してきたとか
負けてる戦いも信長が威風堂々と引いたとか
それこそ織田を持ち上げる記述やおかしい記述がある。
軍鑑は最近ではずいぶん見直されてる事も知らないで何を言ってるのかと。
少なくとも信長公記だけ持ち上げて軍鑑叩くなんてのは笑止千万
854 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 12:27:39
840は武田がたいしたことないと言えるくらいの実績あるのかよ
>>841 大田が参戦してたかどうだかは不明なんだけど。
信長公記の記述だけじゃこの戦いを説明することはできないと
何度も言ってるのに。
突っ込んでくる相手にただ鉄砲を撃ちまくってるだけじゃ8時間も続くわけないでしょ。
っていうかさ、5番手とか言ってるけどぶっちゃけた話、設楽原というフィールドにおいて
武田勢も織田勢も横並べになって部隊を展開し、戦闘を開始したんだから
一々、一番、二番、とかいうのはナンセンスだと思うんだけど。
馬場美濃とその与力は丸山方面で佐久間と戦い、山県とその与力は竹広で徳川勢と戦い、内藤とその与力は柳田で織田勢と戦い
って感じで各戦線で戦いが展開されてるんだから。
まあ長篠日記でも野戦で馬場美濃が佐久間を撃破して柵際まで追い込んだ後、
一番最初に陣側に攻撃を仕掛けたのが山県、次が小幡、最後が馬場美濃、となってるけどね。
馬場美濃の最初の戦闘はは信長公記にある早朝の戦闘なのかもしれんけど。
それから軍鑑とも併用すると合戦の詳細は一層明らかになる。
山県が竹広で家康と戦闘した後、武田信廉の分遣隊が家康勢に突撃、ここは信長公記と共通するところあり
その後で小山田を挟んで小幡もまた竹広で家康勢に攻撃
信長公記でいう所の1〜3は竹広における徳川勢との戦闘だとわかる
別地点では武田信廉の本隊は柳田で内藤達と共に戦闘、
大宮前とかでは馬場美濃が真田や土屋と共に戦闘、各地で戦闘が展開されてる状況なのに
1・2・3・4・5とお行儀よくかかってきたわけないだろうに。
第一信長公記ではどこの部隊がどこで動いてどこの部隊が応対したのか全くわからんし。
一万討ち取ったとかも含めて大田の記述だけじゃこの合戦を理解することは無理がありすぎる。
で?じゃなくて君の主張じゃ武田勢は鉄砲を何度も使えないんでしょ。
事実は派手に使いこなしてると言ってるの。
都合悪いところだけそうやって開き直って誤魔化さないように。
>>843 >>846 >>847 いや、だからさ
信長公記の内容なんてとっくに知ってるよ
何度も中身を述べているだろうに
それから信長公記は一次資料じゃなくて2次資料だって言われてるのがわからないの?
>>848 だから信長公記の内容なんて知ってるって。
当たり前にその内容で話をしてるのに今になってなんで相手が
信長公記知らないと思ってるわけ?
っていうかさ、正直な話ネットに流れてる信長公記だけ持ち出して
得意げになってる姿を見ると滑稽以外の何物でもないんだけど。
正直ネットで信長公記拾ってきたなら結局google頼みなのに
何を得意げになってんのか意味不明
>>849 >>850 だからそれじゃ織田徳川勢が陣地からまるで出てこなかったみたいな感じだけど
実際はそれで殲滅するなんて不可能だよ。
武田勢だって竹束とか使ってくるし、銃撃射撃だってしてくる。
当時の鉄砲は命中率もそんなに高くない。
上でも書いておいたけど、信長公記だけでこの合戦の詳細を知るのはほぼ不可能。
大田はこの合戦について明らかに伝聞か誇張を基にしていると思われ、具体的な所が薄い。
これだけで持って鉄砲で撃滅したなんておかしすぎる。
勝頼は攻めてる側で織田勢が守ってる側。
これでどうやって織田徳川勢がやったような防御戦闘を主体にして戦うのかな。
信長公記でさえ「武田勢が出てこなければどうしようもなかった」と書いてあるように
織田勢も武田の陣地に向かって無理に攻めれば今度は織田徳川勢が武田の射撃と防御戦闘の餌食になっただけの話。
>>855の補足
長篠日記でも山県が徳川勢に攻撃、馬場美濃が別方面で佐久間に攻撃、といった感じで
信長公記の順番と地点の違いは描かれてる。
>>833 ちょっと待った
なんでこっち側は一次資料示してるのに知らないとか理解できないとか
言われなくちゃならないのか
860 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 14:24:24
信長厨の態度は相変わらず酷いな
861 :
日本@名無史さん:2010/01/30(土) 17:52:11
どんなに財力あったか知らないけど天下人になれなかった時点で秀吉や家康以下。
三国志で言えば董卓。
862 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 12:42:11
楽市楽座の経済波及効果の説明まだでしょうか
863 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 13:29:41
ここ読んで勉強になった。
信長って鉄砲隊に対して無策で突っ込む総数三分の一の武田を倒すのに八時間も費やすほど戦は不得手なんですね。
>>862 2ちゃんでモノを尋ねるコツ
↓
知ったかぶってツッコミを待つ
865 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 08:37:53
だから楽市楽座の説明をお願いします。
866 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:04:50
↑
わかってないヤツ(笑)
867 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:09:59
↑説明できないヤツ(笑)
868 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:11:55
中世の商工業者は、公家や社寺などの荘園領主に属して独占的な営業に従事していたが、
商品経済の発展に伴って、新しくおこった商工業者がこれまでの仕組みを窮屈に考えるようになった。
畿内などの先進区域では、古い仕組みを打破して取引を自由化しようとする機運が盛んになってきた。
戦国大名は領国経済を育てるため、次第に商業税の免除を行ってきたが、
遂に特定の市場について、市場税や営業税のと専売座の撤廃をはかり、
外来商人の市場への立ち入りを歓迎するようになった。これを楽市という。
伊勢の桑名湊などは、早く十楽の津として取引が自由になっていたが、
戦国諸侯は新しく城下町を建設したり、宿場を再興したりするとき、他国商人の集住を促進するため、
旧来の市場特権を否定して、楽市の政策を取った。
1549年(天文18年)近江の六角定頼が城下町石寺の新市を楽市としたのは、その早い例である。
869 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:13:37
おばぁちゃんが言っていた。天才と馬鹿は紙一重。天才とは99%の才能と1%の努力だってな。
>天才とは99%の才能と1%の努力だってな。
逆だろ
>>869 君のおばぁちゃんは赤い髪でリバウンドが得意なバスケットマンとお知り合いだったのかい?
872 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:37:57
駿河の今川氏真も1566年(永禄9年)、浅間神社の門前町兼城下町の大宮を楽市としたのをはじめ、北条氏や徳川氏もこれを施行している。
織田信長の場合は、本領であった尾張の清洲を最も早く楽市とした。
やがて斎藤龍興を滅ぼして美濃一国を平定し、本拠を清洲から美濃の岐阜へ移すや、斎藤氏時代からの井ノ口(岐阜)城下の加納市場を楽市と定めた。
この時の制札には、他国から移り住んだ商人の活動を認め、他国での銭や米などの借金を棒引にし、かつ地子や諸役を全て免除する、と見える。
こうした信長の分国城下に於ける楽市政策は、天正5年(1577年)6月、安土で出された「定、安土山下町中」と題する十三箇条の掟書きに集約される。
彼が統一政権の首都と定めた安土城下での市場政策を示したもので、いわゆる楽市楽座を宣言したものとして世に名高い。
第一条に「安土城下じゅう楽市としたからには、諸座・諸役・諸公事など、すべて免許する」
と書き出した。
安土における楽市楽座の制令は、一城下にとどまらなかった。信長の分国中の諸大名に伝達されたのである。
分国中の諸大名は、何れもこの制度を管轄下の城下町で実行したので、以後の城下町興隆のきっかけとなった。
信長の狙いは、都市の把握によって流通機構を統制することだったが、一方で宿場や農村に散在する商工業者を城下に集住させ、町人と農民を分離させることにもあった。
>>872 なんか途中から怪しくなってきたな
>尾張の清洲を最も早く楽市とした
これ資料があったっけ?
>本拠を清洲から美濃の岐阜へ移すや、斎藤氏時代からの井ノ口(岐阜)城下の加納市場を楽市と定めた。
もともと斎藤道三の時代から楽市は開かれている。信長のはその追認。
>安土における楽市楽座の制令は、一城下にとどまらなかった。信長の分国中の諸大名に伝達されたのである。
>分国中の諸大名は、何れもこの制度を管轄下の城下町で実行したので、以後の城下町興隆のきっかけとなった。
安土以外の分国中で楽市が行われたなんて事はない
信長はむしろ座を保護したりしてる
楽市を行うには地域的な条件があって、全ての所でやろうとしたら逆に衰退するだけ
874 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:53:40
信長は、大山崎の油座、その他幾つかの座を破棄しているが、公家や社寺の抵抗にあってこれを徹底できなかった。
豊臣秀吉も一時洛中洛外の諸座を安堵したが、政権の確立に伴い、1585年(天正13年9頃から、社寺や公家に属する商人及び職人の座を徹底的に破棄した。
荘園領主が持っていた諸役の徴収権も否定された。
1587年(天正15年)の博多津楽津令、1595年(文禄4年)会津若松に於ける楽売楽買令などは、これが全国的に行われたことを示している。
楽市楽座の政策は、完全な取引の自由を意味するものではなく、商工業を荘園領主の統制から解放し、
大名による再編成を狙ったものであり、関所の撤廃と同じ目的を持っている
自由取引の原則は、江戸時代の初頭、江戸・大阪・京都の三都において確立したが、鎖国後、仲間、株仲間の結成によって破られた。
尚、京都の釜座をはじめ、金座・銀座・秤座など特殊な座は、依然として強い統制下に存続を許されている。
と、とりあえず知ったかぶてみる。
わかった?こうするんだよ、教えてクン。
875 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 09:56:52
>>873 ゴメン。人にモノを尋ねる姿勢がなってにい
>>867むけに見本として書いた。
いわゆる俗説をね。
876 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 12:57:04
865だけど867別人
ただ楽市のことを知りたいから質問しただけで偉いいいようですね
自分は本当に信長の政策が天才的なのか知りたいだけなんですけど
でも返答ありがとう
でもひとつ。それによりどんな経済波及効果があるのか答えらしいのがないですよ
877 :
日本@名無史さん:2010/02/01(月) 13:03:46
安土って六角氏の領土だったところだろ
>>861 現在天下人とされているのは頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康の5人。
と思ってたが違うのか?
信長はたしかに天下統一はできなかったが京を押さえてた。
天下には「京都とその周辺」という意味もあるからその意味では
まちがいなく天下人だと思う。
信長を入れてる人はあんまいないと思う
>信長はたしかに天下統一はできなかったが京を押さえてた。
これでいいなら三好細川大内といった人達も天下人
まだまだ増えそう
清盛も天下人でしょ 生きている間は頼朝も逼塞していたしねぇ
清盛も天下人だね
信長も右大臣まで勤めてるんだから立派な天下人
清盛は日本全国に威令を及ぼしていたから天下人だろうけど信長はねえ
それなら三好細川大内とかも官位で見れば結構なもんだけど天下人かね
己の力量で合戦で日本を天下をとったと言える最初の人物は大海人皇子=天武天皇?
まあ日本書紀は自分を正当化するために編纂下面もあるが。
三好細川大内は幕府内で権力握ったものの
その幕府が名前だけのものでしょ
なんともショボイ天下
信長だって似たようなもん
名前だけの幕府将軍である義昭担いで京都に入り、その補佐者として動き、
対立して義昭追放したはいいが後でやっぱり戻ってきてくれるように交渉し、
断られた後も幕府権威への執着は捨てられず幼い義昭の息子を象徴として担いでた
886 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 15:21:15
>>885 そんな嘘書き込んで何が楽しいのやら
可哀想な人だね、君は
887 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 15:55:29
要するに、誰かに構ってもらいたくってしょうがないほど孤独なんだろうな
釣りがしたい信長厨がageて必死です
平日の日中からageて挑発レス書き込んでる信長厨って
よっぽど誰にも構ってもらえなくてネットしか行き場がないんだろうな
相変わらず信長厨は具体性ゼロの嘘つきでFA
891 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 20:16:49
シナ朝鮮がまた神二嫉妬か
なぜ中国と朝鮮が
信長なんか中国も朝鮮も気にしないし知らないだろ
三好細川なんぞノブヤボでいったら群雄に毛が生えた程度
他の天下人に謝れ
ノブヤボで言えばそうだろうが
史実で見れば織田とあんまり変わらないんだよな
特に細川はその勢力範囲や影響力の及んだ範囲で言うと凄い
>>894のようにゲームで歴史を語るのが信長厨なんだよね
本能寺前には、東から上野・甲斐・信濃・美濃・尾張・伊勢・越中・加賀・能登・越前・近江・伊賀・大和・山城・摂津・和泉・
丹波・丹後・播磨・但馬・因幡にまで勢力を伸ばし、東海の徳川を家臣同様に扱い、備前・美作の宇喜多を従属させてた信長と
あんまり変わらない勢力を持ってたのは、細川のどの当主だよw
北条や伊達・大友・島津とも誼を通じて、虫の息の上杉や和睦に傾いてる毛利と長曾我部の件を片付けたら、
戦う相手もいないほどの信長と同程度の影響力を持ってたなんて聞いたこともないんだが・・・どの史実を見ればいいの?
猫も虎も似たようなもんって言ってるのと同じだね
>>897 ああ、全くその通りだね。
てことは日本全国六十余州を平らげた秀吉や家康と信長を同列に考えることも
まさしく猫を虎ととらえてることになるよね。
いやあ理解してくれてありがとう!
899 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 16:54:35
当たり前だ
禿鼠やウンコ垂れと天才が同列な訳がなかろうww
900 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 17:24:38
>>899 当然だ、
簡単に家臣の下剋上に殺られる傾奇者と、同列なわけがなかろう
だから、細川のどの当主と・・w
すりかえてんじゃねーよ
よしみや戦う相手がいない程度で誇れるなら最盛期の細川勝元は優に信長最盛期を上回るな
903 :
898:2010/02/16(火) 08:11:50
>>901 いや俺は
>>895サンじゃないよ。
>>896だ。彼または彼女は
>>902で答えているが
俺はキミと同意見で、信長は三好より大勢力だと思ってる。
同時に秀吉や家康に比べればはるかに小さい。
つまりは天下人という括りには入れられず、
三好と同じくカッコつきの「天下人」。
秀吉よりは長慶と同列にすべきだね。キミの理屈で言えば。
904 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 09:41:34
支配領域で語る方こそゲーム脳じゃね(笑)
天下人と言ってもサルや味噌は大名の連合政権、
長慶は近畿地方政権と化した死に体の幕府内部の実力者。
天皇をも凌駕した信長の強力な政権と同列に語るなよ(笑)(笑)(笑)
全然凌駕してねー
豊臣政権なんかは織田政権直系だろ。
両者に違いなんてほとんどないだろ。せいぜいトップの家系くらいか?
中身も内容もまったく別物だろ
織田政権よりずっと豊臣政権のが進んでる
>>902 そこで勝元の名前が出てくるのは、お前さんのギャグか?
最大の敵の宗全を破れず、味方の統率も出来ずに自分の保身や利を見て
あっちにフラフラこっちにフラフラ
かき乱すだけかき乱して自分はさっさと死んでいる
そもそも勝元は、他の大名を従えようという意志を持ってない
>>903 そういう意味で言うなら、頼朝も清盛も尊氏も天下人から漏れるんだが・・
朝廷から、征夷大将軍か太政大臣、関白のいずれかに付くように打診されてた信長は天下人ではないと?
皇位継承に口出ししたり出来るほどなのに
>>908 最盛期の、って書いてるだろ
別にギャグじゃねーよ
最盛期の勝元は宗全を従えて中央も抑えてほぼ日本中に影響力を持つ最大勢力を誇ってる
応仁の乱を本能寺みたいなもんととらえても崩壊してない分信長よりマシ
頼朝・清盛は十分いけるだろ
どちらもほぼ日本全国を従えていた
皇位継承には別に信長もうるさく口を出してるわけじゃないんだけどな
尊氏は微妙な所もあるが、敵対勢力はあらかた倒して征夷大将軍になって幕府を作って
次代に引き継げてる時点で信長よりは天下人だろう
>>909 京だけでの戦に留めておけず、全国に飛び火させて収拾不可能の状態にさせておいて崩壊してないとw?
幕府の形骸化をすすめることになったのが応仁の乱ですが
「ほぼ」で済むなら信長も「ほぼ」だ
大友や北条なんかとも対等の関係ではないからね
>>910 崩壊してないだろ
細川氏はそのあともずっと大勢力のままだぞ
信長は死んだらそのまま勢力分裂崩壊だろ
すまないっつーに
本能寺前ですら島津とかとは対等の盟約形式でしかない
天下政権として名乗れるだけのものを作り上げるのは秀吉からだ
>>911 幕府の管領が幕府を崩壊させてるだろってことだよ
幕府あっての細川家じゃないのw
しかもお前さんの言うようなら、勝元の次に続いた世代も力を保ったままなのに
足利家に取って代わろうともしなかったのな
形骸化した幕府にしがみついて天下を望みもしなかった細川が天下人とは片腹痛いわw
清盛も頼朝も「ほぼ」だって認めてるのもお前さん
清盛・頼朝はオッケーで、信長はNGなのは何でだよ
織田と島津は対等じゃない 昔も今も対等な関係が結べるのは、お互いの力が拮抗してる時だけだ
例えば三国同盟当時の今川・武田・北条とか。この同盟さえ力のバランスが崩れた途端に終わるもの
力の差が違いすぎるのに対等だと思い込んでるなら、相当おめでたい奴としか言いようがない
913 :
日本@名無史さん:2010/02/17(水) 16:37:47
>>足利家に取って代わろうともしなかったのな
将軍家を滅ぼすなんて考え誰も持っていなかった、せいぜい利用する、くらい。
鎌倉は勝手に滅んだんだからね。
滅ぼす、取って代わるという考えを実行出来たのは信長が初めて。
信長がいたから徳川も関白家を滅ぼせた。
>>913 >滅ぼす、取って代わるという考えを実行出来たのは信長が初めて。
違います。
信長は義昭を追放しただけ。滅ぼしもしてないし、とって代わってもない。
三好松永と変わりばえしてない。
義昭は追放後も長く現役の将軍でした。
既出のように義昭を呼び戻そうとしたり、義昭の子を傀儡に戴いている。
これを見ても信長に「滅ぼす、取って代わる」という意思はないとわかる。
1573室町幕府滅亡、は結果論です。
秀吉は明確に取って代わろうとしましたね。
応仁の乱から戦国時代とか
1573幕府滅亡っていうのは歴史教科書からの断片的知識ですね。
応仁の乱後も、義政が生きている間はまだまだ幕府や管領の威勢は健在でしたし、
義昭追放も以前からの繰り返しに過ぎないと当時は思われてました。
「信長だけ」「信長が初めて」というのは小説やドラマの影響ですね。
>>914 横からでスマンがちょい違うな
義昭が槙島城で挙兵して信長に攻められた際に、嫡男義尋を人質に差し出して降伏してる
後に信長が義昭の子を人質として差し出すのと交換条件に帰京を求めた際は、義昭の方で拒否してる
あからさまに信長が義昭の上に立つのを、義昭のプライドで拒否したのだろう
>>916 > あからさまに信長が義昭の上に立つのを、義昭のプライドで拒否したのだろう
それ、あなたの空想でしょ。
それとも根拠がある?
それまで信長が義昭の上に立ったとか、
将軍辞任を強制したとかの事実はあるの?
違うでしょ
自分が兄の二の舞になるのを恐れたのか
信長の傀儡であることをプライドが許さなかったか
そこはわからんけど。
それまで「上に立つ」とか「滅ぼす」「取って代わる」のそぶりもないのに、
なんで
>あからさまに信長が義昭の上に立つのを、義昭のプライドで拒否したのだろう
となるの?
>>912 信長だって義昭を追放したはいいが、
そのあとも室町幕府の権威に執着して義昭にやっぱり戻ってきてくれるように頼んで断られ
義昭の息子を将軍に立てようとしてる
そっちの理屈ならここまで幕府の権威に執着してる信長が天下人とか片腹痛いわ
いやいや
義朝も清盛も朝廷から天下を統括する正統性と政府を設立してほぼ日本全国を従えてる
この「ほぼ」ってのは表向きに従ってないのがいないかいるかわからんくらいの密度だな
信長なんざ毛利上杉長宋我部は敵対してるわ、まだまだ従えてないし組み込んでもいない連中がゴロゴロしてたぞ
よしみ結んだ程度で天下人と言えるなら足利や細川のがよっぽど上
実際に島津から「これからも盟約よろしくね」と対等に返されてるのが信長勢力の現実だな
信長には日本全国を統治する権限も睥睨する正統性も無く、九州にいた島津にすりゃ
特に従属なんて関係じゃなかったのが実情だな
対等じゃなかったなんてそれこそ思いこみ以外に根拠ないだろ
島津は後の豊臣政権にも従わず反抗してるしな
>>913 下の人も言ってるが、別に信長も室町幕府を取って替わろうと考えたわけじゃないぞ
それどころか義昭に戻ってきてくれるように交渉したり
義昭の息子を未来の将軍として立てたり、思いっきり幕府権威に執着してるのが現実だな
>>916 義昭に断られた後はその義昭の息子を未来の将軍として立ててるのに
どうして上に立とうとした、なんて話になるんだか疑問だな
>>918 勝元を天下人に持ち上げられなかったからって、信長下げるのに必死にならなくてもいいじゃないのw
流浪の義秋を拾って将軍義昭に仕立て上げたのは誰だってーの
義昭からの管領職の申し出をありがたがって受けたか?
最初っから上洛のための大義名分と割り切って、幕府を再興する気なんざさらさら無い
自分が作った将軍を、邪魔になるから放り出しただけの話。この時代には幕府の形なんてないんだよ
義昭が言うことを聞かなくなり始めたころには、義昭に対して「将軍と雖も天皇に忠誠を尽くせ」と通達している
信長自身の箔付けには、傀儡将軍なんかより天皇をあてにしてたって事だよ
清盛の時代は奥州は自治独立を認められてて、頼朝の時代は逆に西国には手を伸ばせてないんだが・・
お前さんがどう考えようと勝手だが、朝廷が信長のために征夷大将軍と太政大臣、関白のポストを用意してたってことは
信長が天下を治めるのに同意してたって事だ
仮に信長が将軍のポストを望んだら、現将軍義昭は当然クビ。その程度のもん
信長が三職を受ける気があったかどうかは疑問だが・・
>>917 義昭は一度、嫡子を信長に人質として差し出す代わりに命を救われ降伏している
さらに、もう一度人質を差し出して京に戻ったら
上座でふんぞり返る信長に、「信長殿のお陰で戻れました」って頭を下げて礼を述べなきゃならないじゃないの
・・って想像してみただけですけど何か?
923 :
日本@名無史さん:2010/02/18(木) 18:29:42
>上座でふんぞり返る信長に、「信長殿のお陰で戻れました」って頭を下げて礼を述べなきゃならないじゃないの
> ・・って想像してみただけですけど何か?
ドラマの見すぎ。
力関係がそのまま身分に反映するか?
官位身分の裏付け無く将軍の上座に座れば、それは幕府及び朝廷の権威を無視した事になり
内外の敵をますます調子づかせるだけ
これ以上信長を馬鹿にしないでくれよ。
924 :
日本@名無史さん:2010/02/18(木) 19:35:01
まあ、信長が右大臣になった時点で、義昭は頭があがらんよな。
>>921 別にそんな事はないんだけどな
持ち上げられないも何も勝元のが信長よりずっと勢力範囲も広くて
崩壊もしてないのは単なる事実
そっちこそ勝元以下だからって信長を必死で持ち上げなくてもいいんだぞ
その割には何度も和睦を持ち出し、追放した後も帰ってきてくれるようにお願いして断られ
義昭の息子を将軍候補に立ててるな
どう見ても未練ありありなのが明白だろ
のばせてるぞ。
既に源平争覇の時点で九州まで源氏勢力の兵は及んでる。
壇ノ浦の戦い前後の状況を見れば明白だよな。
清盛時代も藤原氏は名目上は平氏が主導する朝廷に従ってたぞ。
鎮守府将軍の位を授けられてるからな。
1582年末期になってからな。
それまでは追放した後も未練ありありで義昭に戻ってきてくれるようにお願いしてたのが現実だな。
そんなに三職をありがたがるなら義昭の株は上がりまくりだな。
>>924 どうだろうな
これまでの武家政権の長達が官位上は上の貴族達にそっぽを向いてたのは単なる事実だな
そんなに官位だけで武家の頂点を虚仮にできるなら
後の秀吉も義昭との養子縁組に執着したりはしなかったろうよ
信長厨は三職推認を重く考えすぎだな
あれは村井の勇み足だった事が近年指摘されているというのに
当時の朝廷にしてみれば畿内一帯を支配する権力者の代官に働きかけられれば応じざるを得ない
義仲が征夷大将軍になったのと似通ってるな。
圧力加えると朝廷は官位を安売りする。
>>925 どうも
>>921氏は「応仁の乱後は戦国時代」という教科書レベルの知識で話してるようですね。
義政義尚の代はまだまだ幕府も健在だった、だから勝元らの権勢は信長以上に全国的でしたのに。
「戦国時代」を一くくりにしかとらえてない。
まあいくら戦国時代が人気とはいえ、義輝以前の時代は一般ウケしてないから無理もないか。
>>925 勝元が天下人で信長が天下人じゃないって根拠を提示出来ないならここまでだ
俺の方は勝元が天下人と言えない根拠も、信長を天下人とする根拠も提示してるぞ
「してねーじゃん」なんて言うなよ? 何も難しい言葉使って説明した覚えはないから
理解出来ないなら学校の先生に聞いてみろ
どっちがマシとかお前さんの感想になんざ興味ねーのよ
>>927 それは研究者によっても意見は分かれるから否定はしない
>>930 どこに示されてるんだ
全然示されてねーだろ
ただお前さんがいったのは勝元は応仁の乱で崩壊した、とか
信長の例を棚に上げまくって抗弁しただけだろ
こんなんで納得できるかよ
細川はそのあともずっと大勢力もってるぞ
こっちこそおめーの感想や願望には興味ねーな
>>929 確かにそうかもしれない
一般受けしてないからここら辺は興味ない人が多分多いんだろう
もともと細川氏というのは足利将軍家全盛期ともいうべき足利義満時代にすら
将軍代行として管領職を務め、天下の政治をやったりしてるくらいだからな
細川勝元になるとその権勢は全国にいきわたり、将軍の意すらはねのけるくらいになってる
まさに天下人と言えるだけのものを持っていたはずなんだけどな
>>932でいう所の天下人っていうのは
家康や秀吉クラスの名実ともに全国を支配した天下人ではなく
>>903の人が言う言い方にのっとればカッコ付きの天下人、ってことな
それでも細川のはすこぶる強力だったと思うが
934 :
903:2010/02/21(日) 09:47:13
お呼びがかかった?ので。
>>930 匿名の掲示板なんだから、「提示してる」というなら、該当する自分のレスをアンカーで示すか、改めて要点を書くかしないと、君が何を言い、何を言
ってないかわからんよ。
君だって
>>901で俺と他の人をごっちゃにしてるでしょ。
で、俺なりにまとめると、信長が天下人である根拠は
・京を支配し、かつ他と隔絶した最大勢力で、他勢力は逆らえなかった。
中央を支配していたから全国的な存在であり、その支配勢力は頼朝や尊氏と同等あるいはそれ以上だから天下人となる。
反論 その理屈で言えば細川も天下人と言える。しかし織田も細川も武家の棟梁ではないから括弧つきの「天下」。
・幕府を凌駕した存在だった。この点で細川とは異なる。三職推認問題から、朝廷からも武家の棟梁、天下人と認識されていた。
反論 圧迫はしたろうが凌駕していない。また三職推認問題は様々な解釈がされている。
こんなもんでいいかな。
ところで
もしかしたら君は誤解してるかもしれない。やや感情的になっているように見受けられる。
俺たち(少なくとも俺)は信長が天下人でないから、あるいは細川勝元より勢力が小さかったからといって、
天下人である秀吉家康や信長以上の権勢を誇った勝元、あるいは義時から貞時にいたる北条得宗(君の理屈で言えば彼らも「天下人」だ)などより資質
が劣る、なんて言ってないよ。
ある人物がどのくらいの権勢を振るったかというのと、その人物の資質は必ずしも関係あるとは言えない。信長と信玄、義昭、正親町天皇とどちらが資
質が上かなんて誰もいえないだろう。だけど今挙げた中では信長が一番勢力を持っていた、これは客観的なことだからわかるよね。
ソレと同じだよ。
ましてや生まれも時代も状況も異なる勝元と信長を比べてどちらが上か、なんてナンセンス極まりないでしょう。俺も、
>>932の人もそんなこと言ってな
いよ。信長よりもその権勢が強大であったと指摘しているだけ。
あの時代、あの出自からあれだけの勢力を築き上げた織田信長もひとかどの人物だよ。
じゃあね
935 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 10:44:57
イチローとアサダマオを比較してどっちが上か、なんて無意味だもんな。
しかし、
>信長と信玄、義昭、正親町天皇
このラインナップはやばい。
信長天才論者はカエサルやナポレオンを雑魚呼ばわりしてるんだぜ。
相手の神経を逆撫でしてどーする。
あんたエラソーな事言ってるが、アラシと同じだよ
ノブナガさま自分を桓武天皇系貴族平家の子孫て自称したのはホントかな
でも確かに子孫の顔も貴族顔?
>中央を支配していたから全国的な存在であり、その支配勢力は頼朝や尊氏と同等あるいはそれ以上だから天下人となる。
こりゃあり得ない
中央を支配していたから全国的な存在と言うなら三好も全国的存在になる
支配勢力に関しては尊氏はともかく、頼朝と比べれば明らかに信長は劣っている
938 :
903:2010/02/21(日) 13:31:59
>>937 ああ、俺もそう思うよ
秀吉が統一できなかったら、
今頃信長は三好の拡大版と思われてたろうね。
既出だろうけど秀吉が天下人となったから、主君であった信長も天下人と見なされてるんだろうね。
池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
各自に任されていた。
これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
従って武篇道と戦果が問題となる。
(中略)
信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
戦っていかなければならない。
拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
なされていないからこそ生じた問題であろう。
それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
この問題の解決は秀吉の課題となる。」
940 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 08:14:57
また負け組の安置が信長公に嫉妬して
浅はかな空理空論を述べてるな
グダグダ言うならお前らまともな社会生活を送ってからにしろや
と、朝っぱらから釣り針垂らしてる信長厨が言っております
400年以上前に生きた信長のどこに嫉妬する必要があるんだか
いつも空理空論ばっかの信長厨らしい考え方だ
本気で信長に嫉妬していると思ってるのが信長厨
あり得ないのに
944 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 12:19:47
君たちの意見をまとめると
信長には支配領土や部下をどの様にまとめるかなどの具体案はなかった て事?
信長厨フルボッコワロタw
信長って、大したことないんだなw
ここ見て幻滅した。。。
大したことないことは無い
日本史上でも有数の人物の一人ではある
どうもネットやってると極端にぶれるやつをよく見るな
それまでマスコミを信じきってて、ネットで「真実」を知ってネトウヨになる奴とか
ネトウヨと一緒にするなよ
信長の場合はもともと虚像が横行していたのが
10年くらい前からの日本社会の閉塞感から改革者が求められた風潮によってさらに増幅されて持ち上げられ、
実態とかけ離れた位置にまで行ってしまったのが
学者達の研究成果(実際は数十年前から信長の虚像に関する研究は進んでいたが、大衆層にはメジャーじゃなかった)によって
近年実態が周知されてきた、って所だろ
革命者でも改革者でもなく、どちらかというと保守的な人物であった事までな
ネットで知ることのできる知識を過大視してるのはネトウヨと信長厨に共通の特色だな
950 :
名無し募集中。。。:2010/03/05(金) 20:22:19
信長って結局は武田と今川と本願寺やっつけただけでしょ
コンスタンティノープル征服したメフメト2世のほうが凄いよね
>>948 強く同意します。
30年前からコツコツ買い集めてきた信長関連の著書を読み比べてますが、
虚像から実像へシフトしていってるのが、手に取るように解ります。
952 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 05:03:25
953 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 05:24:24
>>925 >源平争覇の時点で九州まで源氏勢力の兵は及んでる
単に敗走した平氏一門を追討していっただけだろ
単純な源平の二極間抗争と群雄割拠の戦国の世の違いさえ理解できない薄学の徒
954 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 05:28:39
>>925 誰かに構ってもらいたくって、せっせと歴史の捏造に精を出してるコイツの必死さは笑える
久しぶりの劣化井沢か。
相変わらず論理的思考ができない奴だな。
品性下劣な発言は得意だが。
>>953 見た。で? これがなにか?
素人の個人サイトで言及されてないだけじゃん。否定も肯定もされてない。
どうしてそんなに勝ち誇れるのか不思議だ。
>>954 了解した。つまり
「信長クンは条件が厳しいんだから、点を甘くして」
ってことだね。
なら細川勝元も天下人でいい訳だ。
つか源平は単純な二極構造じゃないんだが。
そもそも状況が厳しいから条件を緩めるなんて、
歴史を小学生の運動会か学芸会と間違えてないか。
956 :
955:2010/03/08(月) 09:58:07
失礼。アンカーが一つずれてた。
正しくは
>>952 見た。で? これがなにか?
>>953 了解した。つまり
「信長クンは条件が厳しいんだから、点を甘くして」
となります。
>>953 既に西国勢力にまで源氏に味方する者たちが多数いたから
そうなったわけなんだが
味方する勢力もなしにいけるわけないだろ
源氏の軍は平氏の領土を占領してるからな
>>952 その素人サイトがどうかしたのか?
義昭に戻ってきてくれるように交渉してるのも
断られて息子を担いでるのも単なる事実
否定したけりゃ資料もってこい
>断られて息子を担いでるのも単なる事実
事実とする資料を提示するのが先だと思う
否定側も否定の証拠となる資料を出すべきだと思う
片手落ちイクナイ
「吉川家文書610号」
安国寺恵瓊への、義昭嫡男・義尋将軍擁立示唆
天正元年十一月毛利氏使僧恵瓊堺にて義昭、秀吉と会談。
信長が義昭の帰洛を認めたが、義昭が人質を求めたため、決裂。
恵瓊書状に「来春の年頭儀礼は義昭男に対して行うべきである」と信長に言われたとあります。
官位が低かった信長は、義尋擁立をうたうことで畿内諸勢力の離反を防いだのです。
己を客観視できる、優れた現状認識能力だと思います。
一方義昭は京を追放されても依然として将軍としての権威を保持してました。
天正四年
義昭備後動座
義昭は在国の公方であり、鞆浦に幕府を維持していました。
毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、六角義堯、
北畠具親、武田信景、内藤丹波守護代備前守などが従っていました。
公方は「公帖」(住寺)の認可権を依然として有し、外交権もありました。
同五年十二月
義昭対馬宗昭景に偏諱
(天正九年朝鮮国王日本国王に返書)
日本国王とは義昭以外には考えられません。
信長ばかりスポットを浴びてますが、義昭の力も侮れないものがあります。
だから信長は義尋擁立をうたったり、天皇の権威を積極的に利用したのです。
藤田達生氏は論文で吉川氏文書を元に、
信長が義昭追放後に毛利氏を仲立ちとして義昭の帰洛交渉を設け、
義昭が断った事から、信長は毛利氏に対して以後(将軍に対する)年頭儀礼は
義昭の息子にするようにと伝えた事や、
信長が義昭の息子を「大樹(将軍の事)若君」と呼んで将軍候補として擁立している事を受け
信長が幕府体制を否定していたとは思われない、と述べてますね
963 :
962:2010/03/08(月) 18:05:44
書いてみたら
>>961の方がお書きになられておりましたかw
被ってしまいましたねw
>>963 被っちゃいました
僕も
>>952で示されたサイトを見ましたが、素人だからダメというよりも、そもそも義尋擁立について何も述べてない。
サイト自体は立派なもので、大いに参考になると思いますが、義尋は取り上げてないので、
擁立否定の根拠にするのはかなり強引ですね。
言及しないのが否定だとする思考がわかりません。
信長の動きに関しては義昭を追放してほどない1573年7月の毛利宛書状で
「義昭様が御逗留している場所について未確認情報しかない。
遠い国にでも流れてしまったのだろうか?誠に嘆かわしい事です。
不時の御退座に及ばれたのは困難な事情があったのです。」と述べたり
「義昭様が天下を棄てて去ってしまったので、今は信長が上洛して静めている状態です。
将軍家の事は諸事あなた(毛利)と相談して定めた事に従いたいと思っています。」
とか述べちゃってるからな。
とても将軍権威を否定してるとは思い難いわな。
>>965 それは単なる一時的な方便だろ
と反論が出るでしょうね。
でも方便にせよそれを使ったということは、将軍の権威を否定できなかった
からなんですよね。
ちなみに僕は方便だと思ってます。
まあ信長の本心を知ることのできるものは何もないですから、個人の感想に
すぎません。
>>966 ああ、俺もあなたとまったく同じ見解だよ
信長の言ってる事が方便だとしても、
結局は
>>965にあるような書き方をしている所に
信長が将軍の権威を否定し切れていない所が伺える
将軍の息子を擁立してる所も含めてな
この流れだと劣化井沢はほぼ間違いなく自演認定をするな。
肝心の議論を放り出して。
それはそれとして。
信長と袂を分かった後の義昭って地味に凄いよ。
もし信長を天下人とするなら、義昭は裏天下人だよな。
969 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 18:01:19
>>961 >>962 >>965 毛利という一方面の敵に向けた宣伝文書を普遍的な政治姿勢にすり替える虚言家。
室町幕府を滅ぼしたのは信長だと小学生でも知っている。
権威を否定できない人間がなぜ権威のもとを滅ぼせるんだww
>>964 >言及しないのが否定だとする思考がわかりません。
自分の不能力を相手の責にする詐欺師。
そもそも事実がなければ言及のしようもない。
>>968 >この流れだと劣化井沢はほぼ間違いなく自演認定をするな。
>肝心の議論を放り出して。
真実を突かれるのを恐れて早速予防線を張って来たかw
自演でなければなんでこう都合よく同じ論調のレスが続くんだ?
さあ、はじまりましたよw
>>969 当時の毛利は信長にとってただの同盟者だけどな
滅んでないぞ
義昭が将軍をやめるのは信長が死んでずっとたった後だ
信長も義昭の息子を立ててたしな
お前が事実みてないだけだろ
お前が少数派なだけ
972 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 21:01:39
将軍とはいえ統治機構を持たない、名前だけの存在だ。
yahoo辞書で調べてみろ。
むろまち‐ばくふ【室町幕府】
延元元年=建武3年(1336)足利尊氏(あしかがたかうじ)が京都に開いた武家政権。
鎌倉幕府の制度をほぼ継承し、15世紀の後半、応仁の乱で無力化して戦国時代を招き、
天正元年(1573)15代将軍義昭が織田信長に追放されて滅亡。
3代将軍義満が京都室町に造営した室町殿にちなむ名称。足利幕府。
一般の辞書でも、小学校の教科書でも認めている事実を否定するとはお前さん小学生以下か。
いや猿だったな。こりゃ失礼ww
少数派なのはお前の方だろ。
ネットで検索すればアンチの方が圧倒的に少ない。
殆どが信長を改革者としている。中世的権威を否定し、天皇大権に属する暦の改定まで
干渉し、皇位継承にも干渉したのに、なぜ将軍ごときの権威を否定できない。
義昭を将軍に据えた後、管領・副将軍職を蹴った事実すら知らないのか。
これこそ将軍の権威を軽んじている何よりの証拠。猿だってわかるぞ。
ここは学問板です。
多数決を取る場ではありません。
残りレスも少なくなってきたから次スレ立てた方がいいんじゃないの
975 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 07:53:06
187 :世界@名無史さん:2008/09/07(日) 17:26:12 0
ヒトラーが信長より上の位置にある事は確かだ
なぜならヒトラーは一国の指導者となり、
当時、考えられる強国を全て敵に回した。
信長なんて国内の地方の有力者を相手に奮戦しただけ
現実にはヒトラー>>>>>>>>>>信長だろう
イギリス帝国、フランス植民地帝国、ソビエト連邦、アメリカ合衆国と
当時、考えられる諸強国を一人で全てを敵に回した根性と実力は認めるべき
188 :世界@名無史さん:2008/09/07(日) 18:40:04 0
>>187 失敗してたら意味ないですがな。
大国と交戦した時のヒトラーはドイツの指導者。
地方有力者を相手にしていた信長は自身の勢力も地域レベルだったときでしょ。
信長は勢力圏内には幕府、比叡山を抱え、外には本願寺、武田、朝倉・浅井
毛利、伊勢長島一揆など周辺勢力ほぼ全てと敵対しそれらから勝利した後に
横死している。ヒトラーは違う。
>>972 教科書程度の記述で何をいってんだか
小学校で教えられる程度で得意になってるとしたら馬鹿そのものだな
学者の記録や一次資料に基づいた見解を何度も示されているというのに
相変わらず都合の悪い所は見れないんだな
素人やゲーム的なイメージを振りまわされても滑稽にしか思えんな
天皇の権威を否定するどころか金を貢いで敬ってたくせに馬鹿そのもの
中世的権威もほとんどを保護してる保守的な人間であって信長のどこが改革者なんだか
保守的な信長はその流れで将軍の権威も否定しきれなかっただけ
>>975 自分より小さな地方有力者達ばかりを相手にしていた信長にたいし
ヒトラーは文字通り世界を敵に回したんだからスケールで言えばヒトラーのが全然上
980 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 18:27:35
>>980 そのサイト、ちゃんと読んだ?
部分的な引用で、文意がまったく変る好例w
982 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 18:59:03
>>981 まともな反論ができないからって因縁つけるなw
もはや猿以下の負け犬の遠吠えですかあww
他の部分にも
もちろん、名目の上で将軍が存在するから幕府が存続していた、などという形式論を主張するつもりはない。
追放された義昭は、この後も幕府再興をめざして様々な政治活動をくりひろげるが、
いかにひいき目に見ても彼はもはや一介の亡命政権の主にすぎない。
武家の棟梁の座は、明らかに信長に、ついで秀吉のもとに移ってしまっている。
室町幕府は確かに信長の手で殺害された。
専門書や一次史料の引用も載ってるサイトですが何か?
どうやら劣化井沢は本当に自分の望まないモノは見えないみたいだ。
或は釣りか
>>982 サイトに問題があるとはいってない。
お前の恣意的な引用に対するツッコミ。
以下、
>>980のサイトからの引用
「 その後、私は、今谷明氏の『守護領国支配機構の研究』の中に別の史料を見いだし、再び驚きの声をあげた。これは、ある寺院の敷地に関する室町幕府の奉行人連署奉書である。
「永養寺敷地四町々東者限西洞院川西者限油小路町北者限高辻町南者限五条通堀事、被仰付畢、可被存知由被仰出候也、仍執達如件
天正七 八月十三日
(松田)藤弘(花押)
(飯尾貞通)昭連(花押)」
問題はこの日付だ。天正7年といえば、義昭追放から6年も後のことではないか! もちろん織田政権の管理の下でのことであろうが、この期に及んでもなお、室町幕府の官僚機構はその機能をはたし続けていたのである。
室町幕府は確かに信長の手で殺害された。にもかかわらず、ころがり落ちた首(義昭)は呪いの言葉をわめき続けているし、切り離された手足(官僚機構)はなおピチピチと跳ね回っている。
私は、室町幕府のこの異様な生命力に衝撃を受けたのである。」
読めます?意味分かります?
残りレス少ないから次スレ立てた方がいいんじゃないかな
自分は立てようとしたけど無理だった
次スレいらねーよ
他の信長スレもここも書き込み内容一緒だから
信長公は天才じゃあ〜!
後はカス
で始めたはいいが、後が続かず、
そのうちまともな面々のツッコミを受けてトンチンカンな反論をしたあげく、
次々と論破されてゆく、
そんなのばかりだもんな(溜息)。
988 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 11:56:23
>>987 論破されてるのは安置の方だろがボケww
>>988 ニヤニヤ
>>980のサイトの真意も理解できなかったのに?
それともわかってて恣意的に引用したのかい?