>>952 ほっとけ。
百歩譲って仮にそうだとしても、それは日本人の祖先であって朝鮮人の祖先ではない
954 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/01/14(月) 09:45:58
>>948 おたく「イヨタン・・トヨタン・・」の人でしょ。
最近出てこないねって神奈川県民さんが心配してましたよ。
955 :
日本史@名無しさん:2008/01/14(月) 10:07:44
>>949 九州の連合国がいきなり畿内で再度共立するって、無理じゃね?
現代じゃないんだから。
956 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:20:42
邪馬台国が九州から東征して
ヤマト王権になったというのは無理だよ
それなら九州を都にして
畿内に官僚置けばいいだけの話だし
ヤマト王権が大宰府おいて九州を統括してたみたいに
957 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:44:41
大陸に近いため、九州を統一国家の都にはできないだろう。
もし遷都するなら出雲か畿内あたりが妥当。
それにハヤトやクマソが南九州にはまだいたと思われる。
958 :
日本@名無史さん:2008/01/14(月) 15:40:21
>>956 九州には筑紫大宰府(倭京)
畿内には難波宰府(前期難波京)
959 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 08:38:27
大陸から近いから国家ができたんだろ
この当時の航海技術は至難の業
関西から瀬戸内海経由とか
博多まで陸行して大陸に渡航とか非現実すぎる
ヤマト王権は倭京の地方機関が元で藤原のようにクーデター起こして独立したもと考えてる
北は北海道〜南は沖縄までの現代じゃあるまいし
この時代を考察するなら九州=都 関西=地方行政 が自然だろ
その大陸が1番の脅威なんだろ。隼人にクマソも居た
現実、奈良に王都があった訳で。
>>952 ブレーキニュースとかいうところだな、全部。
末盧國、伊都国がどこだったのかから考え直す必要があるのかもね。
で距離もどこからどこまでなのかってのが解らんのよね。
末盧-伊都が500里って末盧の中心地-伊都の中心地なのか
末盧の国境-伊都の国境なのか
まぁ俺の住んでる福岡県筑紫郡那珂川町周辺に
吉野ヶ里も含め弥生時代の集落が色々出てるから
割と重要な場所だったのは間違いないと思ってる。
963 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 00:59:26
>>959 前時代の縄文人はカヌーでバヌアツまで行ってたよ。
対馬経由で北九州なら割と楽なのでは?
中国に直接行くとかは厳しいかもしれんが。
>>960 奈良にも出雲にも大きな勢力はあったろうね。
でも北九州にも大きな勢力はあったよ。
それぞれが国を称し、都を持っていた。
964 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 01:06:25
>>963 倭人伝には、持衰というのが出てくる。
航海の安全を祈って、禁欲の生活を送る。
航海がうまく行けば、たくさんの褒美をもらえる。
うまく行かなければ殺される。
こんなのが必要なくらいだから、大変な航海だったと思う。
965 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 08:39:34
>>963バヌアツでの縄文土器のことだと思いますが、あの土器はバヌアツが日本領であった戦前、畑をつくる(バヌアツには良い土がない)ために日本から畑の土をもって行った際に、偶然縄文土器がまじっていたということに
落ち着いているようです。
壱岐・対馬までは間違いないとして
現在の松浦市/伊万里/備前町辺りを末盧国として
船が入ったのは伊万里湾から伊万里市あたりとすると
伊都國は東南陸行五百里だから天山あたりか?
国の範囲は松浦川以東-脊振山系及び唐津湾-糸島半島を含み室見川まで
伊都國は農業を主体とする都市じゃないのは魏志倭人伝の記録からも明白だし
末盧国が4千戸に対し1千戸ってのも役所が山の中でその周辺ならうなずける。
末盧国に役人の名前が出てないのは伊都國が直接管轄してたから?
奴國は東南に百里・・・近い
天山から東南・・・わ!船塚古墳だ!
佐賀平野なら二万戸も大丈夫だね。
ん?奴國は佐賀平野のことか?
福岡近辺は?は!!もうひとつの奴国!
967 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 18:17:45
おしらせ (明日です!)
【天理参考館 第179回 トーク・サンコーカン】
ヤマト王権を語るシリーズ 3(全5回) 『黒塚古墳と三角縁神獣鏡』
講師/藤原郁代 (当館学芸員)
日時/2008年1月19日(土) 午後1時30分から
場所/天理大学附属天理参考館 研修室(地下1階)(奈良県天理市守目堂町250)
受講料/入館料のみで受講できます(友の会 300円、一般 400円)
定員/100名
http://www.sankokan.jp/event/talk/179.html 内容は――
奈良県天理市の黒塚古墳は、33枚もの三角縁神獣鏡が出土したことで有名です。
そして、奈良県では黒塚古墳以外にも50枚を超える三角縁神獣鏡が知られています。
天理参考館ではそのうちの3枚を所蔵しています。
奈良県の古墳と三角縁神獣鏡、そのほかの副葬品を手がかりに、ヤマト王権について考えてみましょう。
予告:
第180回 2月23日(土) 『東大寺山古墳と鉄刀』 山内紀嗣
第181回 3月15日(土) 『大和古墳群と中世山城――古墳を壊した人々』 太田三喜
東大寺鉄刀大勝利
969 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 19:25:56
ついに宮内庁が稜墓への立ち入り調査を許可しましたね。
今後も申請が有れば原則認めるってこと。
まさか主体部をほじくりだすようなことは認めないだろうが、
トレンチくらいは入れさせてくれるだろう。
これで箸中山に手が入るのは、間違いないね。
大仙や行灯山あたりもすぐにスポンサーが付きそうだから、
業界の人は忙しくなるね。
イクヨタン・・・・・・
>まさか主体部をほじくりだすようなことは認めないだろうが、
トレンチくらいは入れさせてくれるだろう。
トレンチもNGなのでは?
972 :
日本@名無史さん:2008/01/19(土) 06:23:41
倭人伝の記述で不思議に思うのは、どうして投馬国が書いてあるのかということ。
不弥国から投馬国まで水行二十日とすれば、その間に国はなかったのだろうか。
>>972 >その間に国はなかったのだろうか。
有ったと思いますよ。
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
この記述は「女王國より北は簡単な戸数道里なら書けますが・・・」と言う体裁なので、
これを素直に読むと不弥国・投馬国間に別の国は無いように思えますよね。
そして、20日間の連続水行なんて難儀なことなので、寄港可能な場所があれば、
当然寄港するでしょう。
書かれていない理由は判りませんが、投馬と邪馬台国は大国だからそれくらいの
領域が有った、とか言う人もいますw
私は、単に記録が無かっただけかなと。
「自女王國以北〜」の記述は、三国史編纂時か、その基となった原資料の段階かは
判りませんが、記録が無いこと(又は割愛してしまうこと)を利用して、倭地の遠絶感を
修辞的に表現したのだと思います。
974 :
ローガン:2008/01/20(日) 01:06:08
>>973 同意します。
「判る範囲で、簡単に記載しておきます。後は国名だけでご勘弁。なんせ倭地は遠絶なので。」
こういう意味でしょう
975 :
唐松山:2008/01/20(日) 12:15:50
神武東征時
又高尾張邑有土蜘蛛。其為人也、身短而手足長。与侏儒相類。
高尾張邑の土蜘蛛は 侏儒に 似ていた。
976 :
ご参考まで:2008/01/20(日) 12:27:37
女王国の里程その他は、実は詳らかに陳寿は知っていたはずです。
理由は、張政等が少なくとも一年以上に渡って倭國に滞在した、と陳寿は記しているのです。
しかも、張政の役目は軍事顧問です。軍事において軍事地理は必要不可欠です。
その上、卑弥呼や壱与の使いは、直接に洛陽を訪れています。
都や郡の史官ならずとも、質問して聞くのは、当たり前のことではありませんか。
後世の好例が信長です。信長が宣教師に西欧の地理を尋ねた如く、
洛陽や郡の役人たちが、倭の使いの者に倭の地理の詳細を聞くのは当然でしょう。
加えて、太守弓遵が戦死した時、魏軍は朝鮮半島南岸まで征討しているのですよ。
そもそも、その以前において前漢時代に設置された四郡のうち、真藩郡の位置は
半島南岸に置かれていました。つまり、倭は目と鼻の距離だった訳です。
世界に冠たる中国商人は当時シルクロードを切り拓いています。
魏志倭人伝の記事のみを、あまりにも額面どおり解釈するのは如何なものかと思いますが・・・。
張政と陳壽は直接関係があるわけじゃない。
張政の報告がどのようなもので、
その内容がどういう曲折を経て陳壽に伝わったかは判り様が無いこと。
それが原資料どおりに正しく伝わったと思い込むのも、
倭人伝の文字列を全て鵜呑みにするのも、
五十歩百歩かなと思います。
ここらあたりの塩梅は難しいところでありますな。
978 :
ご参考まで:2008/01/20(日) 14:01:29
張政と陳寿は直接関係あるわけじゃない・・・云々は、ナンセンスですよ。
『壱与、液邪狗等二十人を遣わし、政等の環るを送らしむ。因って台に詣り、』と
倭人伝に記してあるでしょ。
この一文の台の意はお解りですかな。
魏都洛陽の中央官庁である尚書台(尚書省)のことなのですよ。
尚書台については、ご自身でお調べあれかし。
まあ、ご自身自体の、塩梅のさじ加減される前に、基本事項は是非お考えあれかし。
>>978 >『壱与、液邪狗等二十人を遣わし、政等の環るを送らしむ。因って台に詣り、』と
>倭人伝に記してあるでしょ。
このとき、陳寿は蜀に居ますね。敵国の人間ですね。
そのへん、どう考えているんですか。
980 :
ご参考まで:2008/01/20(日) 14:21:24
ちなみに、液邪狗は率善中郎将と記してありますが、
この『率善中郎将』の官職については、ご存知でありますかな。
三国官職表に拠りますと、
降伏した蛮夷を管理する魏の武官の意であります。
つまりまあ、適切適当な官位であると感心しますよ。
魏の尚書台も官職の一つにもキチンと拘っている訳でありますよ。
そのような魏の中央官庁の役人が、倭の地理もしくは軍事地理を尋ねないことなど、ないでしょ。
981 :
ご参考まで:2008/01/20(日) 14:26:10
陳寿は、おっしゃるとおり、当時は蜀に居ましたよ。
だけど、当たり前の話で甚だ失礼ながら、
当時から既に陳寿の前にも、魏の史官は居たのだし、文字記録も在ったのですよ。
陳寿が敵国の人間云々・・・なんの関係があるのですか。
もう少し落ち着いて考えてくださいな。
982 :
日本@名無史さん:2008/01/20(日) 14:37:24
〔結論〕
「遺跡」が見つからない事には、話にならない。
983 :
ご参考まで:2008/01/20(日) 14:43:34
陳寿の人となりを書けば次のとおりですよね。間違いがあればご指摘下さいな。
字を承祚と言いますよね。四川省南充県の北方の出身ですよね。
蜀の朝廷に召し出されて観閣令史となりましたが、左遷され失職しましたよね。
蜀が滅び魏が晋となっても浮かび上がれなかった陳寿を引き立ててくれた人物が
張華ですよね。
かくして陳寿は佐著作郎を拝命、陽平國の相をも兼任しましたね。この間、書き上げたのが
三国志ですよね。さて、この張華という人物をご自身で調べて下さいな。
あなたの疑問もきっと氷解しますから。そして、また、レス下さいな。
985 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/01/20(日) 14:59:17
見つからなくても話にはなりうる。エジプトの王家の谷のツタンカーメンも最初は
遺跡は見つかってなかったのを後で発見したわけで、クレオパトラの墓もまだ
見つかってないという話だろう。卑弥呼の墓だってまだではないか。
986 :
本田:2008/01/20(日) 15:51:56
>>972 > 倭人伝の記述で不思議に思うのは、どうして投馬国が書いてあるのかということ。
> 不弥国から投馬国まで水行二十日とすれば、その間に国はなかったのだろうか。
伊都国から投馬国まで水行二十日。
>>983 ご参考までさん。まあまあ、落ち着いてくださいな。
どう考えているんですかと聞いているだけで、別に貴方の意見を全否定しているわけではないですよ。
気持ち的には否定してますが、論理的には質問しているだけです。
平陽国の相だったときに編纂したのは諸葛亮集で、それが認められて中央に復帰して著作カに任じられます。
三国志編纂は、その後のことですね。いずれにせよ、陳寿本人が、
>自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
と書いているのです。だから、時間的にも三十〜四十年経っているし、王朝も魏から晋に変わっているし、
なにか記録に欠落でもあったのかなと考えるのが普通ではないですか。
なのに、本人の「良く解りませんが」という記述をあえて疑って、
「いいや、陳寿は知っていたはずだ」と主張する、論理的な根拠は何でしょうね。
陳寿は、なぜ、そんな嘘を正史に書かなければならなかったのですかね。
尚書臺が、皇帝から命令されて適切な官位を決定するのは当たり前のことでしょう。
だけど、その記録が、三十年後四十年後、次代の王朝でどのように取り扱われるかまでは、
尚書臺の官吏は、管理しようがありませんわな。この議論には関係のない話ですね。
みょうな官位を授けたというのなら、何故だっていう議論も面白いですが。
990
991 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/01/20(日) 19:50:42
>>986 >伊都国から投馬国まで水行二十日。
そんなこと何処にも書かれていない。
書いてあるのは「南至投馬國水行二十日」だけ。
仮に「水行二十日」が道程を示すものとしても、
何処にも起点が書かれていない。
「從郡至倭」は「自郡至女王國萬二千餘里」で、
「東行至不彌國百里」と里表示による合計の道程として、
不彌國で萬二千餘里と完結している。(古田説を支持)
では、「南至投馬國水行二十日」と「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」の起点は何処だろうか?
日数表示の道程は、「從郡至倭」の続きとして、
新たに「(自郡)南至投馬國」及び「(自郡)南至邪馬壹國」と表記されているのである。
なお、(自郡)は省略されているのである。
最後に誤爆w
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1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。