1 :
日本@名無史さん:
南京大虐殺が行われてから今年の12月13日で70周年記念となります。
12月13日に南京が陥落し、そこから約6週間にわたり日本軍は多くの虐殺をしました。
そして多くの中国人を殺害しました。虐殺の規模はともかくとして、たくさんの中国人を
不法に殺害した事は事実です。
私たちはこの我々と同じ日本人が犯した罪をしっかりと直視し、
二度とこのような過ちを犯さないように気をつけなければなりません。
1 2 月 1 3 日
南 京 大 虐 殺 記 念 日 で す
2 :
竹内力:2007/11/04(日) 15:33:57
姉ちゃん、金返せない言うんなら体で払ってもらうしかないでえ
なあに、良心的な店でちょいと遊ぶだけや
> 今年で70周年
ってことは、公称70万周年ですな
>>1 中国の人?
中国、東京裁判、南京裁判が言うような規模の大虐殺は絶対になかった。
南京攻略戦は通常の戦場であり、それ以上でも以下でもない。
5 :
日本@名無史さん:2007/11/12(月) 20:25:45
6 :
日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:12:35
7 :
日本@名無史さん:2007/11/13(火) 12:21:12
70年がすぎ、やっと南京虐殺が嘘であったことが世間に広く知られるようになった。
8 :
日本@名無史さん:2007/11/21(水) 11:55:28
『台湾でも、東中野教授の翻訳本は出版されているのか?』
台湾出身の金美齢さんは、南京事件を否定されている様です。又、
今年初旬の台湾の検定で、新しい高校の歴史教科書で、
南京事件の記述を減らしたりしているようなので
さぞや、台湾でも東中野先生の代表作の1つ『南京事件「証拠写真」を検証する』の
翻訳本などが話題を呼んで、文壇やネット上で
白熱した論争がまき起こって、その世論の圧力が
台湾の高校の歴史教科書から 南京の記述を減らしたりしたのかと思い、
台湾のネット上から、その白熱した議論の様子を調べてみようと考えました。
結論から言えば、日本のネットでは東中野先生の本の話題が山のようにあるのと比べて、
(googleで 南京虐殺の徹底検証 を検索すると25,300件あった)
台湾のネット上では、概略?が翻訳(個人的?)されている
サイトが 1種類3サイト(他に1,2種類)等がある以外は
あまり東中野先生の本は話題になっていないみたいなので
(拍子抜け・・・)
(今回 検索日時2007年11月20日)
おそらく、いまだに台湾では翻訳本(漢訳)が出版されている可能性は低いと思われます...
続きは
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1169464965/ 南京攻略戦の大隊指揮官真相を語る
88.〜96.
否定派の方は、日本に11月21日に来日されるという
馬英九氏に日本語版をプレゼントしてあげましょう。
9 :
日本@名無史さん:2007/11/21(水) 13:24:09
>> 虐殺の規模はともかくとして
数百人なのか? 数十万人なのか? 数字の桁すらあいまい。
規模も不明確なのに、人を責めるべからず。
そんなあいまいなことで、人を責めるのは、冤罪を犯す危険性が高い。
今どき、このようなあいまいな話で人を犯罪者呼ばわりするとは、人権意識のかけらもない、野蛮な国家や民族ぐらいだろう。
10 :
日本@名無史さん:2007/11/21(水) 20:42:08
1996年、ロシアが中心となって戦勝国などが公式文書で。
日本軍による南京大虐殺や、その戦争つまり、日中戦争南京戦の始まりと南京落城の月日など、
軍事裁判の結審結果とその歴史史観を、全面否定しています。
日本国はまた、日本の権力者の都合で、外交機密文書としてもみ消しています。
もみ消す理由を、ひと言で言えば、お里が知れる。今の地位を失うと言う事です。
この件で、言い逃れできない一つのしるしとして。
米国など戦勝国などが、公式文書で全面否定するかどうか。
捏造歴史を意図的に肯定していた、国会議員やメデアで活躍している方々と。
金玉とサオを賭け。みなさん、公式文書などを確認し。負けを認め。金玉とサオをカットしています。
1000人以上カットしています。
金玉やサオをほしさに、公式文書を出すのかな。
米国は日本軍による地上戦への参加を、望んでいます。戦争が終わった後の、非難の分散化のために。
特に、イギリスなど同盟国の要望は、悲鳴に近い物があります。
国連軍等への参加以外で、地上戦への参加には、憲法改正しか道はありません。
日本国憲法は、日本軍が南京大虐殺をやったとする軍事裁判の結審結果とその歴史史観の上に立って出来ています。
軍事裁判の結審結果その歴史史観の、否定しかありません。
もう一つは、今は言えません。
3つの理由から近いうちに、史実を伴う正しい歴史が発表される。
南京大虐殺の犯人は、中共軍。リベンジで国民党とバレる。
南京戦の始まりは、1937年の1月。南京落城は1937年の7月末。
日本軍が南京大虐殺をやったとする写真、フイルム、軍の行動記録、兵士の供述書などは、
戦後、国体の護持と引き換えに、つまり、天皇家の命の保障と引き換えに。天皇家を中心とした日本社会の保障と引き換えに。
日本軍捕虜が強要されて、作られた物です。それ以外は、1940年の12月です。
夏さんの分は、戦後に作られている。
生き証人は、私、池田大作、天皇家の人びと、村山元首相、などなど。中曽根も。
中共による中国支配も終わりだよ。
11 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 09:23:24
国民党軍と共産党軍の戦場
12 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 11:51:14
>>1 ちなみに今年は中国建国65年ぐらいだっけ?
毛沢東政府の人民軍が、シナの北京や、蒋介石の中国政府の南京に侵略して、虐殺を繰り返し武力で制圧して、今の中国を建国してから65周年ぐらいでしょ?
13 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 12:19:14
南京大虐殺は現実にあった出来事だよ
まず中国大陸は大きく「シナ(北京)、満州(大連)、上海(南京)」の3つの地域から成り立つ国
清国(満州、シナ、上海)
↓アヘン戦争で南部侵略される
清国(満州、シナ)、南部自治区(南京)、欧州(上海、香港)
↓ロシアに満州を奪われる、蒋介石の中華南京政府発足
清(北京)、ロシア(満州)、蒋介石中華政府(南京)、欧州(上海、香港)
↓日露戦争で日本がロシアから満州を獲得
清(シナ)、満州日本自治区、蒋介石中華政府
↓蒋介石がシナへ侵略開始、日本は清を援護、シナへ派兵し防衛にあたる
↓日本は満州民族とシナ民族の独立を支援、満州自治区を譲る
シナ(自治区)、満州国(大連)、蒋介石政府(南京)
つか説明がめんどくせえ
14 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 12:47:45
中華民国(南京)だけに絞るわ
蒋介石の中華民国(南京)
↓蒋介石がシナ(北京)へ侵略開始、日本は軍を派遣しシナを援護、日中戦争
↓蒋介石は降伏宣言、日本は中華南京政府との講和会議の為に南京へ入場。蒋介石は既に南京を離れていて不在
↓日本が蒋介石との和平合意を断念。 南京政府は王兆明が棟梁に付き蒋介石不在のまま日本と和平合意にいたる
↓
王兆明中華政府(南京)
↓王兆明政府の元、日中同盟樹立。 北部の蒋介石政府は反発
↓もうめんどい。その後日本がアメリカに負けて、蒋介石が再び南京の中華民国を納める
中華民国(南京)
↓日本軍が撤退した後、蒋介石と対立してた毛沢東の人民解放軍がソ連の支援を受け、満州(大連)、シナ(北京)、中華民国(南京)へ次々に侵略し、各地で人民解放軍による虐殺が起こる
↓日本は台湾自治区を解放し、蒋介石や虐殺から逃れた多くの南京国民を台湾へ受け入れた後に、台湾領土を中華民国へ譲渡
15 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 13:24:01
状況証拠が少なくて、中共も困っている問題だよなこれ
実際、南京で虐殺があった説を唱える人に申す。
1."南京市民"と"便衣兵"の判別方法
2.日本軍入城後に人口が20万から25万へ増えているのは何故か
3.南京市民からの依頼で中共の残党狩りをした部隊記録があるがこれいかに
4.住民が城外へ出る際は必ず日本兵が護衛したが何故か
5.これらによって処分された者は"南京市民"と呼べるのか
6.戦場におけるゲリラ及び民兵は"南京市民"に換算するべきか
7.当時の記録として南京の人口は城内に20万人と記録されるが虐殺されたのは
最低の説でも30万程度だったと記憶するが人口以上を殺したことになる
そこで、人口以上の人間をどこからどう運んできたか。
又、何故わざわざ南京で処分する必要があったのか。
この事件を記録している南京在住の現地人記録がないのは不自然だが
8.南京虐殺時の写真として公開されている写真の兵装が中共のものなのはどうしてか
9.馬賊の処分ですら南京虐殺に含まれてしまうが、どう考えるか
10.八路方面軍は、占領した地域に駐屯すると 敵に協力したと住民を惨殺し
恐怖による統治を当たり前のように行ったが、これやいかに
11.日本軍が城壁に取り付くと、城兵は逃げ出し、兵装を投げ捨て、軍服を捨て
逃げる為に便服を市民から略奪し、時には殺してまで奪った。と
記録に残るが、これすらもカウントされるのであろうか
12.入場後、治安が回復したと古老が本営に礼に来た記録があるがこれやいかに
以上、回答願いたい。
戦後責任ドットコムよりお知らせです。
先般、夏淑琴さんの名誉毀損裁判の判決が出て、目出度く原告・夏淑琴さんのほぼ全面勝利を収めました。
戦後責任ドットコムでは、この勝利判決を記念して裁判の特集を組みましたのでお知らせを致します。
また、同時に資料「第9連隊第11中隊陣中日誌 昭和12年8月24日〜13年4月23日(抜粋)」を掲載しました。
同資料は未公開資料であり、百人斬り競争を行った野田巌・向井敏明両少尉が所属していた第9連隊関連部隊の陣中日誌として、資料的価値が高いものと考えられます。
特に百人斬り競争の証明の重要な根拠の執筆者である望月五三郎氏の名前も明記されています。
特集ともどもご覧になってください。
◆戦後責任ドットコム
http://sengosekinin.peacefully.jp/ ◆戦後責任ドットコム ブログ!
http://d.hatena.ne.jp/dotcom-sengo/
個人的には南京虐殺はただのプロパガンダの言葉だと思ってるけど
ベトナム戦争で便衣兵(ベトコン)相手に容赦ない殺戮を行ったアメリカは非難されてるわけだから「相手が便衣兵だから〜」というのは説得力が無い気ガス。
一番かわいそうなのは自国の兵隊の市中ゲリラ戦のために冤罪で日本軍に殺された当時の南京市民かもしれない
また、その人の親族なりが、そういう理由で中華民国と日本を恨むならわかる。
しかしまあ、なんで共産党は台湾と日本を同時に責めるように仕向けなかったんだろうね
色んな論議の前にまず
中華人民共和国と中華民国の歴史が混ざってることから突っ込みたい
19 :
日本@名無史さん:2007/12/17(月) 03:23:27
自分は日本人だが「南京大虐殺」が全くのデマだとは到底思えない。
戦争は綺麗ごとではないし、沖縄戦においても日本軍は沖縄県民を足手まとい
として虐殺したり、「はだしのゲン」でみられるように戦争反対者には拷問を
したりして狂っていた。まして当時敵対していた中国民衆に何もしないなんて
ありはしない。全くの虚像ならあえて日本人は何も言わなくてもいいのではないか?
それを嘘だと決め付けるのは潔くないし、大人気ない気すら感じる。
謝罪はしても、政治的利害に関わることにおいては、南京大虐殺と切り離して
納得できないことに関しては堂々と否定しつけこまぬようにすることが大事だと考える。
20 :
日本@名無史さん:2007/12/17(月) 10:12:16
>>19 全くの虚像ならあえて日本人は何も言わなくてもいいのではないか
いわゆる「従軍慰安婦」について、米国下院が騒いだとき、「放置すればよい」とシタリ顔で言う自称「国際派文化人」みたいのがいたな。
その結果は、他国(オランダやEUなど)への飛び火でああり、問題の深刻化であった。
【チャンやチョンの妄言を放置すると際限なくエスカレートする。】
こういう基本的な国際常識の無い人間は、もっと国際社会のことを勉強すべきである。
21 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 20:42:13
断片的に解明されつつあったことが、古荘さんのリポートと新資料に
よって全体像が一つになり、所謂南京大虐殺の喧伝が何であったのか・・・
がはっきりと浮かび上がったのです。
で端折って掻い摘んでも伝わらないと思いますので
古荘光一さん渾身のリポート↓
Will最新号
http://web-will.jp/latest/index.html 「南京大虐殺」と日独伊防共協定 ドイツ軍事顧問団とヒトラー
是非、読んでください。というより必読です。
南京の各論であることないこと反論する肯定論者も、
こっち方面からトドメさされると終わりです。
で感じたことを一つ。
虚構喧伝の背景はやっぱりビジネスかよ^^
22 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:41:08
23 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 13:58:26
人口が増え過ぎで困ってるって?本当?
24 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 09:07:34
26 :
日本@名無史さん:2008/01/17(木) 13:23:54
アイリス・チャン著、巫 召鴻訳
「ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」
この本の核心の一つは、本書、五一頁以下。
「朝香宮が指揮権を握る」 と言う部分である。
曰く、
「日本軍が南京に入城したとき、中国人捕虜の殺害命令は、書面として
作成されただけではなく、下位将校にも通達された。一九三七年十二月
十三日、日本陸軍歩兵第六十六連隊は次の命令を受け取った。
大隊戦闘詳報、午後二時零分、連隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク。
左記 イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。」
(『ザ・レイプ・オブ・南京』、五十三頁)
右の日本軍連聯隊長は、この命令を、旅団長から受けたと言う。
この旅団長は、その命令をどこから受けたのか。この命令を遡って行くと、
「朝香宮」に突き当たる。朝香宮は、その命令を、誰から受けたのか?
当時の中国派遣日本陸軍の正規の序列では、朝香宮(上海方面司令官)
の上官は、松井石根大将(中支派遣官司令官)である。
松井大将は、そのような命令の、まさに逆のことを命令している。
これこそ、全南京問題の核心中の核心である。
28 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 19:57:22
29 :
日本@名無史さん:2008/02/16(土) 08:22:12
30 :
さくらゴクウ:2008/03/06(木) 22:44:35
少し真面目な話。
祖父は、シナ事変で補給軍を指揮していました。
南京入城後のある夜、将校全員が集まって会議が開かれました。
意見は2つに割れました。
1:現地で物資の調達をして更なる進軍をすべし。
2:清国時代から残存していた警察組織に統治を任せ、
守りを固めて本国からの補給を待つべし。
南京に都を構えた王朝は全て滅んでいます。
軍事的に不利な地形だということです。
更に、清国時代からの警察組織がまだあったということは、
共産軍や国民党軍の勢力が及んでいないということです。
2を主張していた祖父他の将校は、進軍派に押し切られ、本国に更迭されました。
結局その後の戦いは、線路沿いにしか進軍できないという、お粗末な結果になりました。
ちなみに、南京には軍人相手の業者が多数あったということです。
チベット大虐殺みたいなもんだね
>>31 不心得者がいて、略奪があったという可能性を否定するものではありませんが、
物資調達と言っても、イコール略奪ってことではありません。カジノのチップのように、
一応「軍票」を渡して所定の場所で換金できるようなしくみがあったわけで。
戦局が行き詰まり、財政面で破綻してからは、軍票はただの紙切れになってしまったわけ
ですが、南京陥落当時はまだかなりの余裕があったようです。
支那大陸は広く、兵士以外の一般人は、戦争からは距離をおいていられることもできた
らしく、私の身内は近隣の村の村長さんのお宅で、よく桜茶をご馳走になったそうです。
彼は大虐殺というのは、また支那人の虚言か、という印象しか持っていないようです。
局所で処刑騒ぎがあったということですが、そういう話は全く知りませんし。
八路軍は優秀だったそうですが、一方ではにわかごしらえの支那兵もいたらしく、
そういう連中は戦力としてはたいしたものではなかった、とも言っています。
交戦中に両脇の戦友が被弾して死んだのに、支那人全体に憎しみを持つ、ということは
ないようで、のんきに民間人のところへ行ってお茶を飲んでくる、というのも不思議では
ないみたいです。やはり、国民党軍、共産党軍、それらのシンパ、ノンポリ的な一般人、
などの区分と、南京地方の住人と、それ以外の地域の住人は別の国の人、みたいな区別
もあって、たとえば上海を日本軍が制圧したから日本軍憎し!とは、南京では思われては
いなかったみたい。言葉はよく使う単語くらいはわかるのですが、仮定の話などの文章
表現まではできませんね。何年も支那にいたんだけど。終戦時伍長で、すでに退役の者。
34 :
日本@名無史さん:2008/03/30(日) 12:06:02
35 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 12:33:00
ドキュメント’08
4月7日(月)00:55〜01:50 / 日本テレビ
▽兵士たちの日記と証言で描く南京大虐殺
▽農民が殺りく者に変わっていく軌跡
解説
◇日中戦争の真っただ中に起きた南京大虐殺。さまざまな論議を生み、
虐殺の人数さえ両国の間で大きな開きがある。その事件について長年、
身を削るような調査を続けてきた人がいる。彼が探り当てたのは、
兵士が最前線でつづった「陣中日記」。そこには日本軍が大勢の中国人
捕虜を一挙に虐殺したことが記されていた。また日記からは、熱心に
田畑を耕して家族を愛し、生きるのに懸命だった農民が突然戦場に
放り込まれ、殺りく者に変容していく姿が浮かび上がる。陣中日記を基に、
虐殺の軌跡を追う。
36 :
日本@名無史さん:2008/04/06(日) 14:29:00
日帝謝罪して賠償しろ。
周恩来同志の真心を踏みにじった罪は重い。
今は帝国ではないぞ。
38 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:11:46
何人死んだかはわかりませんが、とにかく大虐殺はありました。
これは資料を検討すればわかることです。
遺骨、死体が発見されていないことは瑣末なことです。
遺体を処理した者の証言があり、
これは遺体、遺骨が発見されていないことを補うに余りあるものです。
また、当時の写真として伝えられてきたものが満州の馬賊を処刑したものであったことが判明したとしても、真実を揺るがすに足るものではありません。
資料整理の混乱はよくある話で、単なる事務処理の不手際から事実が隠蔽されてはなりません。
大虐殺否定派が肯定派を陥れんがためにでっち上げた陰謀であることすら疑われます。
さらには、当時の写真に合成があったといわれますが、その論拠が薄弱です。
仮に合成があったとしても、それが捏造を意味するものではありません。
技術的な制約から、やむを得ず、断片的な写真をつなぎ合わせて記録に残そうとして試みが、
どうして捏造なのか、理解に苦しみます。
否定派は、必死に日本軍の蛮行の存在を否定しようとします。
しかし、外国の軍隊である日本軍がこともあろうに中国を占拠していること自体、
その強度な侵略志向性を示すものです。
己の悪しき欲望を満たさんがためにアジア諸国民を苦しめ、
各所で悪行の限りを尽くした、悪の権化たる日本軍が、
大虐殺発生時に相当期間の間南京を占拠していたという事実そのもの自体が、
大虐殺の存在を推定させる何よりの証拠です。
南京大虐殺の存在は史実として明白であるがゆえに教科書にも取り上げられており、国連機関の調査報告書にも記載されていることからしても、
もはや、南京大虐殺の存在は、国際的にも異論を差し挟む余地皆無です。
以上のとおり、南京大虐殺の存在は明白であり、歴史学上も何ら疑う余地がないのに、
強弁をもってこれを否定しようとは、歴史を冒涜し、悪を弁護する行為に他なりません。
このような輩は、人類共通の敵として、徹底的に糾弾せねばなりません。
39 :
日本@名無史さん:2008/04/23(水) 22:05:46
チベットや満州から引き上げてから、言え
40 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 01:36:52
↑
白丁エセウヨがそう申しております。
41 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 01:39:24
と、白丁が涙目ですw
42 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 01:50:10
↑
と、白丁以下の奴婢が口惜しがっています♪
43 :
日本@名無史さん:2008/04/24(木) 16:58:51
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/15(月) 11:42:21
1
45 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:29:52
「つくる会」講師が恒常化 統幕学校で国家観など講義
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200811200115.html 田母神俊雄たもがみ・としお・前航空幕僚長が統合幕僚学校長時代に新設した講座に、
自身の歴史観に近い「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー二人を講師に招いていた問題で、
防衛省が講師の名前や講義内容を説明する資料を公表した。
防衛省は国会審議で名前公表を求められたことから本人に是非を確認のうえ公表
に踏み切った。〇五年度に「東京裁判」について講義した高崎経済大助教授だけ同意
せず、名前は公表されなかった。
>>47 > 〇五年度に「東京裁判」について講義した高崎経済大助教授だけ同意せず、名前は公表されなかった。
肩書きだけ見て、戦前のアンテナ発明教授と同姓同名の人だと思ったがそれで正解か?
49 :
日本@名無史さん:2009/01/06(火) 18:52:41
今高校生で、ちょうどここら辺を勉強してるんだけど、
教科書では日本人が多数の中国人を殺害したとなってる。
でも、自分は南京の実相とかを読んでからこういう間違った歴史を覚えることに抵抗があるよ。
テストでも正しいことを答えたはずなのに、バツが返ってくる。
おかしいよ
50 :
日本@名無史さん:2009/01/07(水) 13:25:04
ふーん。
涙しつつ「南京に大虐殺などありはしない」と言った蒋介石
蒋介石と田中正明氏の会談(『興亜観音』第十五号・平成十四年四月十八日発行・田中正明氏
「東京裁判とは何か、七烈士五十三回忌に当たって」より)
「約一週間の後、台北の旧総督府で蒋介石その他の要人とのお別れの宴が開かれました。
私ども同士一人一人が蒋総統の前に進み出てお礼を述べて蒋介石と握手をするのです。
最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後、『私は閣下にお目にかかった
ことがございます』と申し上げました。すると、『いつ?どこで?・・・』とたずねられた
。
『昭和十一年(1936年)二月に、松井石根閣下と二人で、南京でお目にかかりました』。
そのとき「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。
眼を真っ赤にし、涙ぐんで『松井閣下には誠に申し訳ないことをしました』。
手が震え、涙で眼を潤ませて、こういわれるのです。『南京に大虐殺などありはしない。
ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・・松井閣下は冤罪で
処刑されたのです・・・・・』といいながら涙しつつ私の手を二度三度握り締めるのです。」(後略)
捏造71周年。
53 :
日本@名無史さん:2009/01/19(月) 01:11:45
54 :
日本@名無史さん:2009/01/19(月) 18:57:26
55 :
日本@名無史さん:2009/01/19(月) 23:23:25
56 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 02:39:47
「日中戦争、日本より中国に戦意」
そうではない。中国はかつても戦争を熱望していた。日中戦争は日本よりも、むしろ中国が望んでいた。
中国は日本よりも戦争をしたがっていた。こう強調するのは林思雲氏だ。氏は北村稔氏との共著
『日中戦争』(PHP研究所)で書いている。
「当時の(つまり、1920年代から30年代の)日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。
中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大
したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」と。
氏はさらに続ける。
「日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変
である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた
5千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)」
中国の主戦派は以下の理由で対日勝利を確信していたと林氏は指摘する。@中国軍は人数において
優る(中国陸軍は191個師団、加えて1,000万人の徴兵が可能だった。日本は17個師団、兵力は25万、
徴兵は最大で200万人)。A日本は資源が貧弱で、中国の「寄生虫」にすぎないから、経済断交によって
容易に日本を締め上げることが出来る。B列強諸国は中国側に立っている。
にも拘らず、たとえば06年8月13日放送のNHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したのか」など
に見られる日本側の歴史解釈は、日本の主戦派にのみ責任を帰結させ、中国側にはなんの関係も
なかったとする。そこには、「傲慢さが含まれている」と林氏は断ずるのだ。
日中戦争は、決して日本の主戦派だけが遮二無二進めた侵略戦争ではない、むしろ中国が望んだ戦争
だったという刮目すべき氏の指摘は、当時の中国社会、国民党、共産党、コミンテルンの動きなど幾多の
具体的な事実によって支えられている。
『日中戦争』には、もうひとつ、中国とナチス・ドイツの相互扶助という驚くべき事実が描かれている。
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2009/01/15/%e3%80%8c%e6%97%a5%e4%b8%ad%e6%88%a6%e4%ba%89%e3%80%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%82%88%e3%82%8a%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ab%e6%88%a6%e6%84%8f%e3%80%8d/
57 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 02:40:37
>>49 ここら辺は入試には出ないから適当に書いておけばいいと思うよ。
左に偏っている日教組相手はスルーしておけばいい。
ただ、反論したいのであればもっと色々勉強すべきだろう。
実際に高校生や大学生に聞いても、かなり危うい知識しか持ち合わせていない。
左な輩とやりあうなら、質問を先読みし反論できるくらいのソースと知識を持ち合わせるべきだろうね。
59 :
日本@名無史さん:2009/01/27(火) 07:21:50
首都を敵に攻略されるのは、国家としてこれ以上の恥はないくらいの重大事。これで勝負がついたとされても不思議ではない。
負けを認めたくない中国側が、作り上げたのが南京大虐殺。日本を残虐な鬼畜としなければ、首都を制圧した日本軍を民衆が中国大陸での勝者、とみなすおそれがあった。
南京を攻略した後で無駄な殺人を犯す必要は、日本軍には全くない。
60 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:58:11
61 :
日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:00:52
K−Kです。
夏淑琴さん名誉毀損訴訟の最高裁での結果が出ました。
結論としては、被告の上告を棄却するというものです。
したがって、原告である夏淑琴さんの勝訴が確定しました。
この訴訟では、原告・夏淑琴さん勝訴(400万円の支払い命令)という大きな成果に加え、
第一審判決では東中野修道被告の論述について、
「原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。」とまで断罪し、
世間に対し、南京大虐殺否定論がいかに無茶苦茶な「論」であるかを決定付ける評価を下したことが、大きな成果だったかと思います。
▼今回の最高裁の決定を受け、下記の関係各位よりコメントが届いています。
・夏淑琴さんからのコメント
・原告・弁護団声明
・朱成山館長(侵華日軍南京屠殺遇難同胞紀念館)のコメント
・談臻弁護士(夏淑琴名誉毀損事件弁護団補佐人)のコメント
これらのコメント・声明は下記のHPにて読むことが出来ますので、ぜひ、お読みになってください。
http://jijitu.com/content/view/71/38/ http://jijitu.com/content/view/72/38/
63 :
日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:04:58
>>62 >世間に対し、南京大虐殺否定論がいかに無茶苦茶な「論」であるかを決定付ける評価を下したことが、大きな成果だったかと思います。
いやいや、南京否定論は正しいが、おまえはまだ努力が不十分だ、という判決だぞ!よく読め!愚か者!
64 :
蒋介石の思惑:2009/02/09(月) 13:27:26
蘆溝橋の軍事衝突を日中の全面戦争に拡大したのは、実は蒋介石である。
7月7日、当初、北支(北京を中心とする中国北部)で起こった小規模な軍事衝突は、
8月13日、蒋介石が数万の国民党軍を蘆溝橋と全く関係無い上海に集結させ、
日本人租界にいた居留民を包囲したことから中支(上海、南京を中心とする中国中央部)
に全面展開することとなった。
当時上海には、日本だけでなく欧米諸国がそれぞれ租界を持ち、その中で居留を認められており
(フランス租界が最も高級地)、自国民を護る軍隊の駐留も認められていた。
(最大の居留者はアメリカ人で居留民約4000人)。
蒋介石には、敢えて戦場を上海に移すことにより、欧米諸国の関心を呼ぶ意図があったと
推測される。
中国側の記録では、日本人居留区を包囲した国民党軍兵士は8万人とされており、
攻撃を受けた上海の日本側は、当初わずか3000人の海軍陸戦隊のみで充分な装備がなかった。
(注)そのため、内地に援軍を求めざるを得なかったのである。
(読者は、8万人の中国軍に包囲され、殲滅される立場に立たされた人々の恐怖を理解
しなければならない。)
65 :
「通州事件」(昭和12年7月29日):2009/02/09(月) 13:29:08
通州事件は、事件後直ちに救援に向かった日本軍守備隊により、
詳細な記録が残っており、「事件直後から」新聞報道がされている。
(ここが南京事件との違いである)
要約すれば、数千人と推測される中国保安隊に襲われ、北京東方、
通州城内の日本軍守備隊(140名)は、必死の防戦空しく全滅し
(給仕の少年まで銃を取って闘った跡がある)、その後に残された
住民260人が、筆舌に尽くしがたい残酷な方法で虐殺されている。
14才から40歳くらいまでの女性は、全員強姦された上、陰部を刺されて
殺され、その他、目玉をえぐる、内臓を掻き出す、子供の指をそろえて
切り落とす、針金で数珠つなぎにする、生きたまま皮をはぐ、手首足首
を切り落としてばらばらにする、口に砂をつめて窒息させるなど、「日
本人には考えつかない猟奇的な方法」で殺害されている。
66 :
日本@名無史さん:2009/02/09(月) 13:38:29
マスメディアが隠している歴史的事件は数多くあります。
シナ軍が日本軍を挑発したという見方があるのです。
あなたは敵の言うことを鵜呑みにできますか。
67 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:44:13
>>自分は南京の実相とかを読んでからこういう間違った歴史を覚えることに抵抗があるよ。
バカウヨのプロパガンダ本を「実相」と勘違いする前に
近代史のまともな本で勉強しなさい。
あと、国語の勉強も必要。
68 :
のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2009/02/14(土) 10:17:40
>>1 >南京大虐殺が行われてから今年の12月13日で70周年記念となります。
↑
この前年2006年には、文化大革命を記念する行事を何もしなかったペキン政府の手先なのか?
ちなみに、1966〜1976年の期間が文化大革命時代。つまり
30〜40周年記念行事を何もしておらぬ。
なお、この板は近代史に移行してもらいたい。ここ日本史板はレベルが低い。
69 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 11:34:36
70 :
日本@名無史さん:2009/02/15(日) 00:54:19
打倒 中国共産党
71 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 17:44:09
72 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 04:37:39
73 :
NHK大応援団 ◆HmHM1CyKrQ :2009/07/07(火) 18:41:44
日本@名無史さん:2009/07/07(火) 09:54:34
●
┠〜〜〜┐
┃ ● ∫ ←世界一ダサい国旗、世界一恥ずかしい国旗(笑)♪
┠〜〜〜┘
┃ 日本劣等の島猿にピッタリだね♪
┃
┃ イッヒッヒッヒwww
キチガイ低脳バカウヨ、三流低脳ウヨ学者、涙目wwwwwwwwwwwwwwwwww
歴史の真実が暴かれて、悔しいのうwwwwwwwwww悔しいのうwwwwww
台湾問題と沖縄戦集団自決問題で自国の放送局(NHK)から叩かれて日本劣等の島猿、涙目wwwwww
NHKの大勝利〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ざま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜! キャッハッハッハwwwwwwwwww
腹いて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!
くっくっくるしいwwwwwwwwwwwwwwwwww
74 :
日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:58:00
全くの虚像なら日本人は声を大にして叫ぶべきだろう。
75 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:17:51
東北工程で中韓が対立したら、何故か国家が検閲している百度の掲示板に
南京大虐殺の実行者は、日本軍に加わっていた朝鮮兵という書き込みが
出てくる。しかも、その中国側の書き込みでは、日本軍の遠征軍の兵員
の30%が朝鮮兵とある。朝鮮兵の乱暴狼藉略奪レープは、ベトナム戦争
でも証明済みだから、朝鮮兵がやったのが事実としても驚きはしない。
しかし、その南京大虐殺があったとされる当時には、外地からは徴兵して
なくて、朝鮮兵がいてもそれは、陸軍士官学校出身者とか志願兵で少数の
士官か士官候補生しか居なかったはずなので、30%というのはどう考えても
おかしい。
つまり、対立する相手に都合よく使う為のプロパガンダだから、数字や根拠
など初めからどうでもいいということなんだろうな。てか、そもそも初めから
存在しないでっち上げだから、都合によっていくらでも中身をかえるんだろうな。
78 :
日本@名無史さん:2009/07/15(水) 07:16:43
昭和12年は西暦1937年だから,もし70周年をお祝いするんだったら去年(2008)じゃないの。
南京虐殺は、中国宣伝機関によるねつ造だったというのがいまでは歴史的真相となりつつ あり、
日本では中国で今年作られた多量の南京虐殺映画をひややかにしか見ていないの だが、これを
なんとかして日本でも興行的に成功させようと、強引に70周年記念に結びつ けたがっている?の
かしら。
79 :
日本@名無史さん:2009/07/15(水) 14:56:23
2年前のスレだったか...でも、その時でも1年不足のはず。
80 :
■■■■■■■■:2009/08/04(火) 20:44:19
さて、南京大虐殺があったかなかったかで議論が長くなっているようだが、
旧日本軍の残虐行為というのを南京だけに限定するのもナンセンスであろう。
日中戦争で皇軍が虐殺した中国人は3500万だったというのが、中国政府の主張だ。
残念ながら3500万でなければ何だと言われても、代わりの数字を出すことはできない。
代わりの数字が出せない以上は、「3500万」をとりあえず受け入れるしかない。
南京で仮に婦女子のみで30万が虐殺されたにせよ、日中戦争全体からそれば100分の1にすぎず、
従って南京大虐殺が30万だったか軍人だったか婦女子だったを論じるのは全くのナンセンスだ。
ここは南京にばかり拘らず、日中戦争全体をマクロで考察していきたい。
す ご い ぞ 9 7 式 中 戦 車 チ ハ !
いったい1944年以降、日中戦線の制空権は日本VS米中で、どっちの側にあった?
皇軍の四式戦疾風は、ドイツのME262なんてオモチャに見えるほどの活躍だった?
そうでないとしたら、敵機の乱舞する戦域で地上軍が南北縦貫3000キロを突破したということで、
惨めなのは専ら中国人のほうだぞww
>>日本人の生肉は大変美味しく頂ました。
残虐目を覆う通州事件孫・・・通州事件って何ですか。 私・・・通州事件というのはね、
蘆溝橋事件から三週間後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国兵による
大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。
www.senyu-ren.jp/MAGO/12.HTM - キャッシュ - 類似ページ
惨!通州事件(注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、
通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓肉食引き出し、
陰部突刺など支那軍特有の猟奇的虐殺が日本人に対して行われている。日清戦争以来、
お決まりの ...
www.history.gr.jp/~showa/tushu.html - 類似ページ
>>日本人の生肉は大変美味しく頂ました。
残虐目を覆う通州事件孫・・・通州事件って何ですか。 私・・・通州事件というのはね、
蘆溝橋事件から三週間後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国兵による
大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。
www.senyu-ren.jp/MAGO/12.HTM - キャッシュ - 類似ページ
惨!通州事件(注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、
通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓肉食引き出し、
陰部突刺など支那軍特有の猟奇的虐殺が日本人に対して行われている。日清戦争以来、
お決まりの ...
www.history.gr.jp/~showa/tushu.html - 類似ページ
83 :
日本@名無史さん:2009/08/07(金) 21:20:58
一回、共産党というファシストの政権を倒すと、よりリアルな歴史観をもった民主的政権が生まれることだろう。
日中の歴史協議は、それまで待っても少しも遅くなかろうと思う。
当時の南京の人口から考えたら、もし中国が主張している通りの数の南京市民が虐殺されたなら、南京という町は地図から消えているはずw
85 :
日本@名無史さん:2009/08/29(土) 14:24:02
86 :
日本@名無史さん:2009/10/23(金) 01:06:43
87 :
日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:49:31
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】
植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40
1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」
2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。 陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」
3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね?
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」
4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」
5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
70周年記念だし
試しに当時の装備で30万人虐殺するのにどれくらいの人員と時間がかかるのか、一度やってみて欲しい
90 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 18:46:03
91 :
日本@名無史さん:2009/11/21(土) 19:24:47
>>90 ∧_∧
( ・∀・) <koueiコピペの「イケメン学者」って誰? 知ってる?
( ∪ ∪ 「名前」と「顔写真」と「イケメン評価」も、あげて欲しいな〜♪
と__)__) 旦~
92 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 00:44:25
93 :
日本@名無史さん:2009/11/22(日) 01:04:22
南京大虐殺はありましたが数に疑問が残る。
20万人しかいないのに30万人も南京攻略のためにボロボロになった兵士が目も当てられぬほどの虐殺をおこなうなんて考えられない。
◆死体なき大虐殺!
95 :
日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:48:51
95
許すな捏造
97 :
日本@名無史さん:2010/04/03(土) 00:00:57
悲しい事件だ・・・
98 :
日本@名無史さん:2010/04/03(土) 08:05:01
支那人がを支那人殺戮したのが南京大虐殺の真相。
騒乱の地に和平をもたらした日本軍は神である。
支那人の「三十万人屠殺」に関する考察は「康熙王朝」を観るべしw
支那の軍隊が、住民を見捨てた事は問題にしないのな。
101 :
日本@名無史さん:2010/08/25(水) 21:00:14
102 :
日本@名無史さん:
二度と過ちを犯さないと、はや六十数年。
日本は戦争で一人も殺していない。
中国は周辺諸国で何人殺した?
自国民を何人殺した?