1 :
日本@名無史さん:
大和朝廷(天 皇)に滅ぼされた民族。
古事記、日本書紀は勝者の歴史。
2 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 02:19:46
土蜘蛛は妖怪ぢゃないよ。
酷いネーミングをするのだなー。
3 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 02:21:51
熊襲と隼人は同じだろうと思う。
大和朝廷は何度も征服しようとしたが、なかなか出来なかった。
隼人が完全に大和朝廷の支配下に入ったのは、西暦720年の大規模な遠征の
あとらしい。
このとき、本拠地を宇佐に置いたのだが、隼人遠征のあと疫病など悪いことが
次々に起きた。そこで隼人の霊を慰めるために宇佐神宮が整備されたらしい。
4 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 17:31:09
>>3 熊襲は一度、ヤマトタケルが征討しにきたときに、
敗れて従ってるから隼人と同一民族じゃないよ
>>4 ヤマトタケルが叩いても、仲哀天皇の時にまた暴れた訳だが。
6 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 22:53:26
景行天皇は九州にやってきて、日向に宮を構えてじっくりと熊襲と戦った。
しかし、その息子のヤマトタケルがまた熊襲征伐をしている。
ヤマトタケルの息子の仲哀天皇も熊襲征伐をやろうとしていた。
このあたりはなんかドラマチック。
ヤマトタケル(笑)
ヤマトタケルは単身乗り込んで、熊襲健を討伐したことになってるけど
本当は軍隊を率いて行ったのですか?
9 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 15:28:23
>>8 行ったとすれば、軍隊を率いてというのが普通で、単身では無理だろうな。
ちなみに、景行天皇は、宮崎市のちょっと北のあたりに宮を構えて熊襲と
戦っている。だから熊襲の本拠地は、宮崎県都城市付近とされている。
宮崎県の東国原知事の出身地らしいから、あの人は熊襲の子孫だな。
余談だが、江戸時代、幕府の隠密というのがいた。よその土地にひそかに
入り込み、その土地の人に成りすまして、情報を集めるという人。
しかし、その隠密がどうしても入り込めない土地があった。それが薩摩。
なぜかというと、どうしても言葉を習得することが出来なかったから。
都城市は、薩摩藩の島津家の出身地でもある。
このことからも、ヤマトタケルが単身で乗り込んだというのは無理がある。
>>9 熊襲の本拠は、鹿児島の霧島市隼人町の妙見温泉の周辺
熊襲の穴もある。
なんでレス少ないの?
12 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 18:35:45
イヨマンテ〜♪
13 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:10:26
神功皇后の伝説で筑紫の国に行宮していた時に
豊の国の土蜘蛛の女首領が恭順したとある。
14 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 22:06:19
九州に土ぐもがいたの?
15 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 22:17:36
隼人と呼ばれた人達と天皇一族の血脈は一緒
日本書記、古事記にはっきりと記されているね
その他は関係ないみたいみたいだね
17 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 06:12:17
隼人ってけっこう優遇されてるし、
今でもカゴッマの人たちは早との子孫と自称してる。
近畿地方で隼人蔑視なんて聞いたことない。
なんでこんなに厚遇?
18 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 19:29:37
隼人は中央に連れて行かれて、特殊な声の出し方で悪霊を追っ払ったから
19 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 20:27:58
現代でいえばスポーツ選手や俳優みたいなものか
20 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 00:02:16
日本の先住民に敬意を払ったんですよ。
土蜘蛛って何?聞いたことない
23 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 19:14:52
>>22 URL切りしたんだけど、小田原市と土ぐもってなんの関係があるの?
>>21 君は本当にここの住人?
>>23 >>22のサイト小田原百貨辞典から抜粋
>小田原市の南西にそびえる箱根古期外輪山の最高峰足柄山は、足柄山の金太郎として
>名高い金太郎伝説を伝える山である。
>金太郎は足柄山中で赤竜と山姥の間に生まれた子だという。
>金太郎は東国から上洛する途中の「源頼光」に見出だされ、頼光の家来になった。
>この時、坂田公時と名付けられたという。
>公時は、その後「頼光四天王」の一人として、大江山の酒天童子をはじめとする妖怪退治に
>活躍する。
小田原の金太郎が「源頼光」につかえて、土蜘蛛退治をしたという伝説らしい
http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kannonji.html
25 :
日本@名無史さん:2007/10/22(月) 20:34:04
>>24 アリガd 金太郎が土ぐも退治したとは知らなかった
東北の土ぐもとは、違う種族?
26 :
日本@名無史さん:2007/10/22(月) 20:46:48
隼人・熊襲=西南名本縄文系先住民族
土蜘蛛・蝦夷=東日本縄文系先住民族
アイヌ=東日本縄文系先住民族のうち、近畿和人との混交を
極力避け、独自文化を伝承した人々。
で、だいたいあってる?
27 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:31:07
はい、合ってます
28 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:51:33
>>27 「豊後風土記」には土蜘蛛の記述があるんだけどなー。
29 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/29(月) 01:00:55
アイヌ民族は現存している。
他の歴史上存在が確認されているだけで
学術的にどういった民族なのか(蝦夷は今だに謎)、また果たして民族と呼ばれるべき集団(土蜘蛛ね)なのかも不分明な人たちだよ。
このスレ名は問題だ。出版物なら到底許されない。
この差別問題に対するユルさも2ちゃんならではの醜態だな。
くだらないや。
シロウト、プロ(セミプロ?)入り乱れてあーだこーだ言い合うのが2chに限らずネットの良いところな訳でそんな杓子定規な物言いしなくてもいいんじゃない?
31 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 11:07:21
>>26 全然、違う!
熊襲=九州の先住民族
隼人=大和朝廷に服属した熊襲
蝦夷=東日本の先住民族
(俘囚)=大和朝廷に服属した東北の蝦夷
(国巣)=近畿地方の先住民族
土蜘蛛=全ての先住民族に対する蔑称
32 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 20:49:55
中国や朝鮮の海賊も倭寇っていったのと同じ理論?
33 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 20:50:35
35 :
日本@名無史さん:2007/10/29(月) 23:31:47
36 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 00:49:34
体に鱗の刺青してた部族ってなに?
37 :
日本@名無史さん:2007/10/30(火) 01:31:45
蝦夷は時代と共に読み方と対象が異なる。
蝦夷=エビス=関東以東の原住民。毛人とも表記。
蝦夷=エミシ=東北地方の原住民
蝦夷=エゾ=アイヌ人
38 :
日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:18:55
東北に柵作って、蝦夷南進を食い止めてたりしてたけど、
九州は熊襲北進しないように柵とか作ってなかったのかな?
39 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 00:35:35
柵ごときで止めれるのかよw?
蝦夷だけど
エミシ時代=東日本先住民族全般対する呼称
エゾ時代=東北の非服従先住民族
エビス時代=和人化した東日本人全体に対して
=服属したけど独自文化を保つ人に対してはエゾ
ではない?
クマソ=南日本先住民族のうち
球磨国と蘇国
41 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 19:02:06
あげ
柵ってあるけど、要は防衛ラインだろ?交通の要衝や見晴らしのいいところに拠点を作り結んだ
東北地方横断する柵そのものをつくったわけじゃないだろ
43 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:35:52
源氏や平氏でも東国に住めばヤマトエビス
45 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 15:14:30
46 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 15:29:14
>>44 おらほのとこはまんず普通にヤマト言葉しゃべるっぺさ。
アンタはどこの人だ?
47 :
土蜘蛛:2007/12/06(木) 19:53:09
駄目だ・・・凍える・・・
土蜘蛛ってイメージ通りで名づけたのかな・・・
縄文系原住民が身を低くして下から敵を伺うようにしてワラワラ群れを
成して襲ってくるイメージ、 或いは蜘蛛のように木々にへばり付いてこちらを
伺っているイメージからか?
49 :
日本@名無史さん:2007/12/07(金) 18:10:28
でも、白戸三平の絵にあるようなやたら(ほんとうにやたらと)手足の長い、逆三角形体型の
人を見たことはある。50は越えてるオジサンだけど。
そこは所謂B。
しかしヤマトの連中より皆カッコいいよな。アイヌ、隼人とも西洋人みたいな顔してるもんね。
どーしようもないくらいブサイクなのは、ヤマト。一重瞼+扁平は最凶だぜ。
おいおいなんで大和が半島顔なんだよ。
まさか新モンゴロイド=半島人一種類なんて思ってないよな?
竪穴住居が某学説通り土で覆ってあったなら穴居人に見えただろうな。
53 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 11:54:00
54 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 21:15:49
>>48 ヤマトタケルの本では、蟻塚みたいな穴の中に住んでる部族だったよ
手足の長さは普通。
3世紀より前の、日本人は体中に刺青が入ってて魚の鱗とか入れてたらしい。
55 :
唐松山:2007/12/14(金) 22:11:51
高尾張邑有土蜘蛛。其為人也、身短而手足長。与侏儒相類
神武東征時 大和に住んでいた
高尾張邑の高尾張邑 背低く,手足は長い,そして侏儒に似ていた。
侏儒は 魏書に出てくる。 何処だ?
56 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 22:33:43
>>38 なぜ自分達の先祖の地に
サクを作る必要がありますか?
57 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 11:56:43
>>55 邪馬台国の南にあった侏儒国、一説にはフィリピンとも
58 :
唐松山:2007/12/21(金) 21:17:56
たとえ 神武が九州出身でも 九州,←>フィリピンを常に行き来している人種を知っている。
チトつらい
侏儒国=シュリ=沖縄
フィリピン=黒歯国
位では?
59 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 22:24:19
蝦夷の民度の低さは明治まで稲作すらなかったから
60 :
唐松山:2007/12/22(土) 12:58:27
蝦夷の文化を否定,取り上げたのは,倭人 松前藩
北海道松前藩は、米を作っていたの?
61 :
日本@名無史さん:2007/12/22(土) 15:29:20
>>58 侏儒国=フィリピン説の根拠になっているのは、フィリピンの原住民ネグリトの存在。
侏儒とは小人の意味、その住人が特筆するぐらい小さかったことを意味している。
そしてネグリトはスペイン語で「小黒人」という意味で別名「太洋州ピグミー」と呼ばれるぐらい小さい。
62 :
唐松山:2007/12/23(日) 09:14:52
そのネグリトは 手長足長ですか?
そして 海洋民族 ?
さらに ネグリトが 国家を形成(大きな村でも良い)
63 :
土蜘蛛三兄弟:2007/12/23(日) 09:55:07
ダメだ・・・凍える・・・
64 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 10:24:45
>>56 前九年・後三年の役以前の東北の歴史を学んでくれ。
学術板でその質問は愚問だ。
65 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 10:38:33
>>59>>60 蝦夷の文化否定は平安からあるだよ。蠣崎氏によるアイヌ支配は戦国期だしね。
寛文年間頃、松前藩主の命により渡島大野地方などで試作を開始するが、定着せず。
寛政11年以降の蝦夷地幕府直轄統治時代に幕府の積極的施策により道南地方で稲作がほぼ定着。
明治6年中山久蔵が恵庭市島松で赤毛種を用いた稲作に成功して以来、石狩、空知地方に稲作が普及
明治以前に稲作が定着は常識だけど。
稲作をする意味があるのか?ってくらいに海産物が豊富なんだが。
民度って言っても、日本文化圏としての括りでそ?
日本に同化してまだ500年くらいしか経ってない地域に民度を求めるのは
過酷でそうよ。建国して200年くらいのメリケンでさえあの程度ですのに。
66 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 11:37:51
土蜘蛛は別系統の人種のように認知していました。
世界中で確認されている小人は別系統の人種だったのではと。
コロボックルだとかドワルフだとか"小さい"で括れば同種なんじゃないかな。
倭人自体が小柄な人って意味だと解釈できるけど、その倭人から見ても
身の丈が低かったってことは相当に小さい。
明治期までの日本人の平均身長が男性で150cmくらいだったと記憶してるが
土蜘蛛は100cm程度だったのだろうか。手長足長は創作っぽいですが
常陸風土記には
国巣と呼ばれるものが住んでおり、都知久母とか夜都賀波岐とも呼び
山の佐伯、野の佐伯と名乗っていた。とありますが
佐伯(佐倍岐)とは、朝廷の命を「 塞(さえぎ)る」という意味であること
国巣とは国に巣むと読め、巣は人の住居を指すので国土そのものに住居を作ると取れる
つまり土着民とも取れますね。
67 :
唐松山:2007/12/23(日) 12:01:54
蝦夷と松前藩の交易は,対等ではありません。
三内丸山の文化は,北海道も含む蝦夷の文化
寒冷化により 滅びる
68 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 12:21:25
そうか?集落の配置の方法が現在のアイヌと共通性がない。
むしろ、日本海側全体の文化と類似するところが多くない?
三内丸山。
69 :
唐松山:2007/12/23(日) 12:41:18
寛文9年(1669年)にシャクシャインの戦い
是より後 蝦夷に見るべき文化はありません。
まさか 三内丸山→出雲神社 灯台としての機能は、認めるが
三内丸山の大陸との交易路=藤原平泉でも使われた。?
70 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 14:25:41
十三湊は重要な交易港っぽいからねぇ
71 :
男性の歴史を反映するY染色体のハプログループ頻度 【ルーツ】 :2007/12/25(火) 04:25:33
72 :
唐松山:2007/12/30(日) 09:57:58
きのう 29日 日立の...発見を見ていたら
ボルネオの原住民は 手長足長 だった。
73 :
唐松山:2007/12/30(日) 10:03:08
しかも 死者を送るのに 棺は船を模していた。
日本でも 死者を送るのに ささ舟に乗せて流す 風習はあった。
74 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 07:26:40
土蜘蛛の
「背は低いけど手足は長い」
って言うの、まさに縄文人の特徴ではない?
いまでも東日本人は畿内人にくらべ、やや背は低いものの
足が長いらしいし。
>>38 なぜ自分達の先祖の地に
ザクを作る必要がありますか?
76 :
日本@名無史さん:2008/01/05(土) 22:42:52
隼人ってなんで中央に連れて行かれたの??
山手がストップしたから
上げ
82 :
日本@名無史さん:2008/02/23(土) 23:42:06
熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌは倭人。
日本列島を乗っ取った渡来王朝の大和朝廷が、倭人を南北の両端に追いやったわけだ。
83 :
日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:20:36
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
84 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 08:00:53
福島県の安達太良地方には手長足長の伝説がある。また安達々原のやまんばという伝説もあります。
やはり古代日本には色々な種族がいたが、時代とともに大和に同化されたのでしょう。
85 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 21:38:45
どうなんよ?
------
かつて北海道には多くのロシア人が住んでいたのです。
そして渤海国の承認を得て、小さな部落国家を作っていました。
それらのロシア人はバイキングやモンゴル族の侵入により逃れてきた人々で、
戦うより平和を求め新天地北海道を目指したのです。
そして奈良の都や京の都と交易しさらに琉球まで交易の範囲を広げました。
そして各地に多くの天狗伝説を生みました。
そして培染技術と紅型技法を日本から沖縄まで残しました。
日本本土アイヌなどを使った本土人が砂金目当てに侵入してきたこと、
ロマノフ王朝により安定した強い国が出来た事で多くのロシア人がロシアに戻っていきました。
しかしそれでも幕府に認められ交易を続けたロシア人も沢山残りました。
それが歴史です。現在も残る北海道アイヌ文化は本土アイヌとロシア文化の混合合体文化なのです。
現代はそんな歴史も隠蔽されとても悲しいです。
アイヌ保護法と言う法律が出来日本人としての人権が与えられた一方アイヌ文化が崩壊の危機にあり、
ましてロシア人の足跡などは急激に消されています。
現在はWEBサイト上でもそれを探すのは困難に近いことです。
何も今更北海道はロシアの領土だとか言うつもりもありませんが、
古来から日本とロシアは特別な交流の糸で結ばれていたそして最も近い外国で海辺から目視できる国なのです。
天狗とは内に赤いロシア人を示す衣をまとい、そとは緑色の渤海国を示す衣をまとっています。
渤海国の役人として認められたロシア人で、多くの技術をを日本に残しました。
北海道のロシア人はバイキングの進入から逃れたスラブ系ロシア人で6世紀頃から北海道に住み
8世紀はじめ渤海国の建国と同時に北海道を治める国家として承認されたのです。
それが時がたち13世紀にモンゴル人の侵入支配により多くの人がシベリアを目指し
15世紀には往来がたやすくなり多くのロシア人が極東地域に住み始め
交易の為多くのロシア人が北海道にやって来ました。実は私の祖先はその人たちなのです。
曾祖母はロシア人の姓名前を持ち日本人と結婚後もそれを守りました。
孫達をキリスト教へ入信を進めたのも曾祖母でした。
>西南日本が身長低い
うん。西南日本と東日本。
縄文的な特徴のこしてるみたい。
87 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 21:48:10
土蜘蛛といえば、神功皇后に倒された『田油津姫』が気になる。
一説には卑弥呼との噂も…
多賀城と東北歴博館を見て
ヤマト政権の東征の歴史とか坂上田村麻呂、
日本武尊の東征や蝦夷征伐に興味を持ちました。
でも
素人で読めるような本がなかなか見つかりません。
何か簡単に読める新書版等ありましたら、ご教示願います。
お前ら科学ってわかるかい?なんか曖昧議論だな
歴史ってかなり人格に左右されるから困る
そういえば、安倍前首相って、蝦夷の末裔なんだよな・・・・。
91 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 22:36:49
まるで大和朝廷が悪いようにほざくが敗北するから悪い。
敗者には生きる資格はない。この世界では。
92 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 22:59:14
白村江
93 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:32:14
なんでアイヌが入ってんのw
>>93 確か、アイヌ民族って江戸時代に発見された民族じゃない?
うん、スレタイおかしいねぇ
95 :
日本@名無史さん:2008/07/24(木) 02:08:00
皆ニッポンの仲間
96 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 15:18:15
アイヌには琉球の尚氏みたいな、国王はいなかったのかな?
さらに民族国家のようなものは無かったのだろうか
97 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 15:50:49
江戸前期のシャクシャインの乱のあたりでは、けっこう広範囲を支配する大首長がいたが、
アイヌ国家に発展する前に和人につぶされた。
98 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 21:43:50
そもそも狩猟民族には国家という概念がなくても問題ない
別に農民から税金取る必要もないわけだし
インディアンも同様に国家があったわけじゃない
そこが領有意識のある農耕民族に
誰のものでもないのならという理由で
土地を取られる原因になったんだがな
99 :
日本@名無史さん:2008/09/28(日) 22:41:54
エミシ(蝦夷)部族リーダ「アテルイ」
インディアン最後まで戦い続けた部族のリーダ「アパッチ」
100 :
酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/28(日) 23:16:03
アテルイ&モレかっちょいい!
101 :
酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/28(日) 23:26:27
アイヌは蝦夷(みし)たぁ関係ねぇが、
おいらアイヌ解放にも尽力すんぜ
102 :
日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:53:10
民主党の山岡議員が「アイヌは蛮族」って言っちゃいました。
103 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 21:01:05
>>102 国際的で知性的になりつつある現代においてその発言は
他民族文化を理解できない知恵遅れですって言ってるようなものだろ
104 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 13:25:28
へたっぴぃなメオパチ発言さw
105 :
日本@名無史さん:2009/02/23(月) 00:31:19
106 :
日本@名無史さん:2009/02/23(月) 11:20:38
クマ・ソ、土・グモ、出雲(イヅ・クモ)は関係があるだろうな。クマは隈(隅)で僻地のことだろう。
107 :
日本@名無史さん:2009/02/23(月) 23:10:21
>>97 でも、その国家(の前身)も日本との交易を通して作ったものだったよね。
大和朝廷が大陸との交易による輸入品や財産によって日本を統一したように。
108 :
日本@名無史さん:2009/03/24(火) 01:03:30
大体、柵という呼び方をするのは、8世紀半ばくらいで、その後は城と呼ばれる事が多いような気がする。
続日本紀天平九年四月十四日の記事に出てくる多賀柵、新田柵、玉造柵などが柵と呼ばれて、天平宝字
二年十月二十五日に桃生城を造営する記事があるけど、ここでは城と呼んでいる。
城柵は、蝦夷に対する朝廷側の軍事拠点であると同時に、周辺住民を管轄する行政機関でもあったから、
内部は、郡衙や国衙と似た政庁が存在した。
蝦夷との38年戦争の直前に造営された桃生城や伊治城は、外郭を築地塀、材木塀、空堀を夾んだ二重
土塁などで囲み、内郭を築地塀で方形に囲んで、その中に正殿、脇殿などで構成される政庁があったようだ。
郡衙や国衙との違いは、常時、兵士が駐屯していたことと、外郭線の所々に櫓状の建造物があったことかな。
朝廷が北方に支配領域を拡大する手順としては、まず、反抗的な蝦夷の少なめな地域に、東国などから浮浪
人をかり集めて城柵造営を行い、浮浪人は、そのまま、柵戸として、周辺地域に定住させる。そして、安定化
してきたら、城柵を中心に郡を建てる。ただ、伊治城のように造営の終わった神護景雲元年の十一月には、も
う栗原郡を設置している例もあるけど。
蝦夷に関してだが、津軽の垂柳遺跡で弥生時代の水田跡が発見されているので、北東北でも早い時期に
稲作が始まっていて、ただ、古墳時代は気温が低くなったせいで一時期、途絶したらしいけど、奈良時代頃
には再び気温が上昇して稲作が蝦夷の間にも広まっていたらしい。ただ、北上川などの河川流域に限られる
みたいだが。だから、一口に蝦夷と言っても、農耕、狩猟・採集、漁撈と生業は様々で、時々、続日本紀に田
夷と山夷を区別する記述があるけど、それは恐らく農耕をメインとする蝦夷と、狩猟をメインとする蝦夷の違い
から来ていると思う。
で、思うに農耕をメインとする蝦夷は、比較的、公民化しやすいと思うんだけど、狩猟をメインとする蝦夷は、
朝廷の支配になじみにくい。なので、この山夷が主に全国各地に強制移住させられた俘囚の主流だったん
じゃないかと思う。
110 :
日本@名無史さん:2009/04/07(火) 00:58:42
覚べつ城はどこに造ろうとしていたんだろ?
111 :
日本@名無史さん:2009/04/07(火) 23:05:44
養老令には、越後、出羽、陸奥の国司にだけ課せられた特殊な任務に
饗給、斥候、征夷がある。
つまり、蝦夷に対しては、まず、饗応して懐柔せよと。同時に、常に蝦夷の
動静を探れ(斥候)と。
しかし、叛乱を起こしたら、直ちに軍事行動を起こして征夷せよと。
朝廷は、蝦夷を滅ぼそうとしていたのではなく、蝦夷を取り込んで、ゆくゆくは公民と
して徴税対象の枠に入れたいと。
112 :
日本@名無史さん:2009/04/12(日) 03:53:02
宇漢迷公宇屈波宇が宝亀元年に徒族を率いて賊地に逃げ込むという事件があって、陸奥国府が使者を送って
呼び戻そうとすると、一、二の同族を率いて必ず城柵を攻撃すると放言した。
そして宝亀五年七月二十五日、海道の蝦夷が桃生城を襲撃、西郭を破ったと続日本紀には記されている。
実際、宮城県石巻市にある桃生城遺跡の発掘結果からは、このとき桃生城は焼け落ちていて再建されず、
放棄されたらしい事がわかっている。
宇屈波宇がどうして逃亡したのか、また、同族を率いて城柵を攻撃するとまで言ったのはどういう事情が
あったからなのか。
謎が多い事件ではある。
113 :
日本@名無史さん:2009/04/12(日) 09:26:28
熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌ
これらが先に日本に住んでた本当の日本人だね
大和朝廷は大陸から来た子孫が作った国だし
本当の日本人という言い方には抵抗がある。
日本人なんてのは大和朝廷が出来てからの概念だし、
熊襲からアイヌまでが日本人としてひとまとまりだったわけじゃないし。
115 :
日本@名無史さん:2009/04/12(日) 17:53:20
逆だろ?
日本という国号は朝廷側が称したものなんだから、日本人は朝廷側の人間
になるだろ?
関西人には関係ないスレなん?
117 :
日本@名無史さん:2009/04/13(月) 22:55:47
東日本縄文人→蝦夷−−→アイヌ民族
L→エビス→関東・東北人
西日本縄文人→土蜘蛛→山の民、マタギ、谷の者
西南日本縄文人→クマソ→球磨人
L→隼人→南九州人
>>116 大有りだよ。浮囚をまとめて居住させた地域が多数あるからな。現在でも特定できるの地名もある
119 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:33:11
具体的には?
120 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:48:42
>>106 そういやあ、NHKの「そのとき歴史が動いた」って番組で継体天皇の
ことをやっていたときがあるんだが、それには昔の古文書というか
書物には大和のことを2文字で「社隈(隅」という風に書いてあったん
だがなにか関係してくるかな?
>>108 wwwwwwwwwwwwwwそういうのあると思うんだwwww
関東というか、相模の国というか、渋谷とか原住民はそうだとおもうw
豪族のw(相模=サガミだが、さ・くもとかしゃ・くもとかにならねーか?w)
>>109>>112 最後に「〜き(ぎ)」と付く地名って、その名残かな?
新羅=しらぎとあるのも、当時の倭が建国したからか?
しらぎのぎは当時の中国語で城ということらしいので=柵みたいになるかな?
>>113 >熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌ
>これらが先に日本に住んでた本当の日本人だね
>大和朝廷は大陸から来た子孫が作った国だし
そう考える事もできなくないが、面倒だし欝になるしなんというかな・・・。
それに「自分は古代中国からの支配者です」みたいな感じにもなるので、どうもな・・。
>大和のことを2文字で「社隈(隅」という風に書いてあった
もしかして、「社稷」(=国家)のことではなかろうか。
122 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 03:41:41
>>113 大和朝廷は大陸から来た子孫が作った国だし
・・・3世紀の邪馬台国は列島内、4世紀の倭の五王は列島と朝鮮南部の支配者だったが、それ以後の大和朝廷がどこから来たというんだ?
3,4世紀の朝鮮はシナの植民地だったしな。シナ人が日本まで来たのなら朝廷ではシナ語を喋っていたはずなんだが、日本語で万葉集などを編纂していたのは何故なんだ?
123 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 12:04:53
>>113 大和朝廷は大陸から来た子孫が作った国だし
・・・仮に渡来人だったとしても万葉集にシナ語、朝鮮語のカケラもないのを見ればその渡来人も日本語族だから考えられるのは半島南部にいた倭人が渡来しただけだろう。
124 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:47:52
>>116 土蜘蛛の主な生息地
陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前
125 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 02:23:55
>>113 大和朝廷は大陸から来た子孫が作った国だし
・・・そういう記録は日本、シナ、朝鮮のどの史書にもない。
126 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:26:56
>>125 記紀はどう読んでもそうとしか解釈できないが?
「天」ってどこだと思ってんの?w
127 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 11:19:16
>>126 天孫が生駒山を越えて大和へ入ってきたことを神話化しているんだろう。
「天」は普通に天上界だろw
129 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 14:39:26
神話上はそうなんだろうね。高千穂の「峯に降った」んだから。
131 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 16:20:48
我々は東北に住んでいた原住民を蝦夷としてひとくくりにするが、いわゆる蝦夷は1種類ではない。
伊沢元彦が逆説の日本史でなんとなく書き始めたが、俺はもっとはっきり書こう。
ざっくり言えば、縄文人に近いモンゴロイドがひとつ。
もうひとつはシベリア経由で渡ってきたコーカソイドだ。
後者は、外見が似ている先住のアイヌと所によっては混住していた。
今の秋田あたりで坂上田村麻呂が戦った蝦夷の頭目アテルイは、コーカソイドだったのかもしれない。
当地は、今でもコーカソイドのDNAが濃く見られるところだ。
奥州藤原氏や伊達政宗もルーツをたどればアイヌの血が入っているが彼らもコーカソイドだ。
東北人はほとんどすべてこの2種類の血が入っているのだ。
132 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 19:07:29
>>131続き
東北の地名や苗字に「安達」(あだち)というのがある。
これを「伊達」(だて)のように読めば、(あて)だ。
もしアテルイが、アテ(姓)・ルイ(名)だったならば、
安達ルイだ。
つまり全国の安達さんはアテルイの縁者の可能性がある。
いやいや、そもそも伊達は「いだて」だから。
「安達」だって「ダチ」じゃなきゃおかしくなるし、
安達がアテだったら、伊達はイテじゃなきゃおかしい。
134 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 19:38:27
伊達が「いだて」だったら、なぜ伊立や伊建でないのか?
「いだて」を伊達と書くのがありなら、「いて」だってありだろう。
俺はむしろ「いて」だ。
「イテ」が伊達でもいいんじゃないか。
言わんとしているところがいまいち良く分からない。
136 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 21:59:08
「いだて」という言葉は、伊達という漢字を何とか読んでみたっぽい。
古代アイヌの人たちが「いだて」という何だか日本語のような言葉をつかっただろうか。
「イテ」あるいは「イタッ」、そして「アテ」あるいは「アタッ」ではないのか。
(こういう言葉がアイヌ語として現在記録されているのかどうか知らないが)
これに同時代の和人が伊達や安達の漢字をあてた。
後世、読みが判る者がいなくなってから、この漢字を「いだて」あるいは「あだち」
(これらは日本語風)と読むようになったのではないだろうか。
完全に想像だけどね。
137 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 23:46:32
コシャマイン:コサム+アイヌ
シャクシャイン:サクス+アイヌ
アテルイ:アッティラ+アイヌ…
138 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 03:20:51
アイヌ、エミシ、エゾの関係については、ちょうど今、週刊ポスト連載「逆説の日本史」で
井沢元彦が論じている。
139 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/05/16(土) 02:39:35
回帰は絶対に許さない。(※以下の文章は全て引用です)
なんでネトウヨはアイヌ・琉球の分離独立を支援しないの?2
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1239837812/24n >24 名前:民族永劫回帰 ◆XB7AjTRRiE 投稿日:2009/04/17(金) 08:00:56 ID:I/bL24k3
>
>>23 >アイヌ民族、琉球民族と言う固有民族が居た事は無い。
>琉球にいたっては民俗であり、大和語族であるからして大和民族である。
>もしくは、漢民族の琉球族である。
>そしてアイヌは民族ではあるが、決して固有的民族=先住民族ではなく
>亜種・亜流民族=少数民族である。
※以下の文章は全て引用です
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1239837812/47n >47 名前:大和民族永劫回帰 ◆XB7AjTRRiE 投稿日:2009/04/18(土) 05:42:42 ID:cSJH+xlF
>
>>25 >琉球民族が独自の民族であるためには、中国でも和人でもない原住民が居て
>それが結果的に変化したものでない限り独自とはいえない。
>固有の民族には、継続性・連続性が必要でもし琉球が固有的な民族であれば、
>日本や中国とも、その周辺とも違う文化が受け継がれているはずだ。
>要するに、お前さんの言う『独自』と俺の言う「独自」は定義が別ってわけだ。
>沖縄はどう見ても日本と中国という本流から枝分かれしたせせらぎの衝突のよって
>生まれた国で、琉球は亜種国。
>アイヌも和人と北方民族との衝突で生まれたものだろう、琉球とは違い和人文化
>はあまり残らなかったみたいだが、独自の民族を貫く朝鮮民族も似たようなものだ。
>世界にどれだけ固有で正統な文明と文化を持つ国家が存在するかはわからないが
>たとえばエジプトやマヤ、メキシコ、イラク、インドにはかつて大文明や王朝が存在した。
>すべてことごとく欧米の侵略により壊滅したか、これらはすべて古王朝が過去のもの
>として封殺された。
>欧米の世界支配に、自分達と同等になる文明は必要ないとの選択だ。
>ナチズムは結果的に欧米人によるものだが、それはこれまでの欧米人による世界支配とは違い
>民族による正当性が支配の正統性として認められている。
>ナチズムの素晴らしい所はそこにあり、正統的な文明国家の権利が保障され統合的に
>そうした正統でない亜種民族を支配する事によって世界で完全となる民族のパーテーション
>が組まれ、亜種民族による正統民族への攘夷を防ぎ、かつ民族問題などでも揺るがない確固
>として安定的な社会が生まれる、それが民族主義の理念だ。
>これを支持した旧帝国の民族主義派の気持ちが良く分かる。
※以下の文章は全て引用です
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1239837812/334n >334 :日本民族回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/05/15(金) 23:38:22 ID:XkRugqqb
>>日本政府ですらアイヌが先住民族であることを認めた今になって
>>「許さない」って、誰がいかなる権限を持って「許さない」んだろうねぇ。
>許さんよ、特別扱いは。
>当然だとも、それとも特別扱いは許されるとでも思ってるのだろうかね?DOF君は?
>特別扱いでなければ少数民族でも先住民族でもやってるといいよ、俺は邪魔はしない。
>まあ、俺は歴史的経緯や事実をもってアイヌと沖縄の先住民族決議には抗議するけどね。
>いつまでもナチナチと「お前らは少数民族だ」と訴え続けてやる、あとは領土問題だ。
>すでにあの土地は大和民族のものなのか、まだアイヌに帰属されるのか、まあ国際的には
>アイヌに返還されるのが筋だし、おそらくもう一部土地は返還確実なんだろうが、だがあまりなめるなよ。
>君らのような争いも好まない純情な民族に過去2000年殺し合いを体験し勢力を拡大してきた侵略民族の
>怒りを買うことだけはやめとけよ。
>アイヌもたびたび殺したし、今だって殺しが大好きなその末裔だからな。
>いいか、逆鱗に触れるなよ?居間でこそ眠れる龍だが起こすなよ。
>君らに残ったのはもはやその民族だけだ、身のほどをわきまえろよな?
>>自分の出身部族の文化的独自性とやらをきちんと説明して、
>>先住民族認定されるよう運動でも始めてみたらどうだ?
>言われなくともこれから起こすつもりだが?
>今こそ大和民族復興の時!
>もちろんそこにアイヌは含まれないから安心しろ!
>>138 井沢が出てくると、ますます混乱するだろw
143 :
チェリー少尉 ◆JkPDxaTga2 :2009/06/10(水) 09:26:37
>>143 俺防人トレードでこっち来たんスけど、
多賀城落とすとかマジウケる
多賀城小山の上にあるっつーの
多賀城超ヤべーよ
145 :
チェリー少尉 ◆JkPDxaTga2 :2009/06/19(金) 04:08:22
>>144 な、なんかあんま歴史詳しく無いから、どんなスゲーのかよくわかんねーよ。
でも俺も蝦夷の男だから大和魂で攻めてやるんよ。ありがとうなんよ。
146 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 11:53:44
北海道と沖縄は別としても、なぜ千年以上前のことに拘ってるの?
大化の改新以来、全国に国司が置かれヤマト民族が全国に散らばり、
白村江の戦い以降は関東の男は九州や日本海側に派遣され
平安末期からは守護地頭が置かれ関東武士の一族郎党が全国に派遣され土着し
大陸との貿易や、南蛮貿易で西洋や中東の血も混じり
豊臣、徳川時代の国替えでかなりシャッフルされ、
渡来系から縄文系からコーカサスまでMIXされまくってるだろ。
147 :
日本@名無史さん:2009/06/23(火) 04:19:15
そいえば未だに近畿と東北では遺伝子がちょっと違うらしいね。
NHKの、東北の人は本当にお酒が強いか?みたいな番組で数年前に見たな。
阿弖流為は多賀城を落としていない。
多賀城が落城したのは、宝亀十一年の呰麻呂の叛乱の時。
続日本紀に阿弖流為が登場するのは延暦八年の征夷の記事が初見だと思う。
この時、官軍は胆沢で蝦夷の策略にはまって大敗を喫している。
次の延暦十三年の征夷では副将軍田村麻呂の前に大敗。戦闘の経緯は書かれていないので
不明だが、蝦夷側の損害などから考えて、官軍の徹底した破壊と殺戮で壊滅的打撃を受けた
と思われる。
149 :
チェリー少尉 ◆/vjqkmdVTwQe :2009/07/01(水) 04:17:58
150 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 07:16:18
知里幸恵
磐具公
152 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 19:18:41
異文化・同言語 土雲、熊襲
異文化・異言語 隼人、蝦夷
こんなイメージ
153 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 17:28:53
新事実判明
最近の研究では、貝紋人と縄文人が日本の原住系で日本から
チベットやモンゴル方面へとD系種族が散っていった。
おそらく琉球・大和人=貝紋人+大陸人(古代中国人)で、蝦夷は縄文人、アイヌは
縄文+オホーツク人であろう。
大和語族とは貝紋人語で、アイヌ語は縄文人語がオホーツク語化したものか?
あるいは逆で大和琉球語が縄文人語でアイヌ語や古代蝦夷語が貝紋人語か?
そして、チベットは遥か昔の日系ブラジル人的存在であるのか?
441 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/08(水) 05:38:29 ID:uMKQaI4h0
>>427 日本語の文献では、C3が、日本列島一番乗り!でも、英語の国際文献では違うよ。
インドネシアから来た貝紋人と縄文人が北方勢力を押さえて、日本列島一番乗り!
しかも日本の貝紋人は、日本列島〜ベーリング棚〜北米〜南米、一番乗りの偉業!
シベリアC3は、日本の貝紋人の後から北米に入ったものの、南米まで、よう行かなんだショボ。
縄文人は、大陸から来たのではなく、インドネシアのスマトラから北上、
日本列島〜沿海州〜モンゴル〜チベットへ移動。途中、混血しながら通過したので
いわゆるSOV文法の、昔「アルタイ語圏」と言われた言語を北方アジアに残した。
これが国際学会での最新見解。以下は、National Geographic のサイト。
ページが出たら、スクロールバーを真ん中へんまで下げてみ。脱アフリカ後の
貝紋人と縄文人の、日本への到達マップが図にして有る。
http://www.crystalinks.com/migrationhuman.html
154 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 21:21:56
風土記に記載されてる土蜘蛛
<豊後風土記>
・筑前、筑後との国境ぎわに土蜘蛛が砦を作り住む
・肥後、日向との国境ぎわに住む土蜘蛛の打猴(ウチサル)、八田(ヤタ)、国摩侶(クニマロ)を
景行が滅ぼす
・日向付近で景行が土蜘蛛の小竹鹿奥(シノカオキ)、小竹鹿臣(シノカオミ)と戦う
・国東半島南岸地域の土蜘蛛である青(アヲ)、白(シロ)を景行が滅ぼす
<肥前風土記>
・阿蘇山西に住む土蜘蛛の打猴(ウチサル)、頸猴(クビサル)を健緒組(タケヲクミ)が滅ぼし、
その功績で崇神から火国の地名と火君を与えられる
・喜瀬川上流に通行人を半数殺害する神がいたが、土蜘蛛の大山田女(オホヤマダメ)、
狭山田女(サヤマダメ)が鎮める
・脊振山西南の裾野にいる土蜘蛛をヤマトタケルが滅ぼす
・唐津湾付近の土蜘蛛である海松橿媛(ミルカシヒメ)が大屋田子(オホヤタコ、日下部君の祖)に
滅ぼされる (景行期)
・土蜘蛛の大身(オホミ)、山に住む土蜘蛛の八十女人(ヤソヲミナ)を滅ぼす (景行期)
・五島列島の大耳(オホミミ)、垂耳(タリミミ)が支配下に入る (景行期)
・土蜘蛛の大白(オホシロ)、中白(ナカシロ)、少白(ヲシロ)を穉日子(ワカヒコ、紀直の祖)が
服従させる (景行期)
・土蜘蛛の速来津媛(ハヤキツヒメ)、健津三間(タケツミマ)、篦簗(ノヤナ)が玉を献上 (景行期)
・土蜘蛛の鬱比表麻呂(ウツヒオマロ)が神功皇后の船団を助ける
(続く)
155 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 21:22:59
<常陸風土記>
・霞ヶ浦の西に国巣(クズ、都知久母/ツチクモ、夜都賀波岐/ヤツカハギ)が住み、風習が異なる
・国栖の夜尺斯(ヤサカシ)、夜筑斯(ヤツクシ)を健貸間命(タケカシマ、那賀国造の祖)が滅ぼす
・国栖の寸津比古(キツヒコ)をヤマトタケルが殺害するも、寸津比売(キツヒメ)と姉妹を許す
<陸奥風土記>
・土蜘蛛の黒鷲、神衣媛(カムミソヒメ)、草野灰(クサノハヒ)、保保吉灰(ホホキハヒ)、
阿邪尓那媛(アザニナヒメ)、栲猪(タクシシ)、神石萱(カムイシカヤ)、狭磯名(サシナ)が
津軽の蝦夷と協力して国造の磐城彦(イハキヒコ)を破るが、ヤマトタケルに討たれ、
神衣媛と神石萱の子孫以外は滅ぼされた
<越風土記>
・土蜘蛛の子孫である八掬脛(ヤツカハギ)が住む (崇神期)
(続く)
156 :
日本@名無史さん:2009/07/08(水) 21:24:14
熊襲関係(?)
・日向の肥人(クマヒト)である百済系豪族の朝戸君(アサベ、胸広使主朝戸/ムネヒロノオミの子孫)が
天照大神を祭る (仁徳期)
<播磨風土記>
隼人関係
・隼人系の諸県君牛(モロアガタノキミウシ)が娘の髪長姫(後に仁徳妃)を釆女になる (応神期)
<淡路風土記>
・五島列島には隼人に似た馬上での弓を好む民が住み、言葉が異なる
<肥前風土記>
・土人(クニヒト)である竹屋守(タケヤノカミ)の娘がニニギとの間に二人の子を産む
<筑紫風土記/乙/日向>
佐伯関係
・霞ヶ浦の北に佐伯の手鹿(タガ)、疏弥比古(ソネビコ)が住む
・佐伯の鳥日子(トリヒコ)をヤマトタケルが滅ぼす
<常陸風土記>
これを見ると豊後、肥前・肥後、日向・大隈・薩摩が軒並み土蜘蛛、熊襲、隼人の領域で、
大和圏は筑紫、豊前だけなんじゃないかと思えてくる
158 :
日本@名無史さん:2009/07/13(月) 15:39:28
159 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 05:00:58
日出男氏だっけ?
160 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 06:28:09
>>152 蝦夷、大和、出雲、土雲、熊襲は縄文系民族で蝦夷以外は
弥生時代に縄文語を捨て今の日本語となる原語を話していた。
国栖と高志はどうよ
アイヌと蝦夷は別物か?
どうかんがえても同一だとおもうんだが・・・
163 :
日本@名無史さん:2009/09/24(木) 20:51:28
>>162 同じというか、アイヌは蝦夷の生き残りの成れだよ。
東北どころか
関東にもアイヌ語地名が残ってるんだから
相当、南下してたんだな
165 :
日本@名無史さん:2009/09/25(金) 22:38:29
>>164 南下?
どうだろう・・・・
人種的には北上してるが、確かに地名的なものは南下してるように見える。
北方民族はすでに千葉あたりにまで南下してきていたはず。
166 :
日本@名無史さん:2009/10/02(金) 20:26:01
>>162 人種的には近いが、微妙に別物だな。
アイヌは北海道の蝦夷にオホーツク人が20%程混血した感じ。
っていうかスレタイ、熊襲や土蜘蛛を加えてるんだから
粛慎も加えれば良かったのに。
10年位前、NHKスペシャルで日本人の遺伝子について何回かに分けて
やって、自分は全部見たが、あれを見る限りじゃ太平洋を除く
方々中から来てて、主にどこから来たのかが特定できない感じだったな。
まさにアジアの雑種って感じ。
あれからどれほど日本人の祖先の研究が進歩したのかは知らないが。
ただ残念だったのは、アイヌに全く触れていないことだった。
日本人の遺伝子を語るのにアイヌ抜きじゃ嘘だろ。
腕毛、胸毛、背毛がある、または濃い。眉が濃い。彫が深い。色が薄黒いなんて
いうのはみんなアイヌやそれを含んだ縄文人の血だろ。こういうのが隔世遺伝とかで出る。
朝鮮人なんか毛薄いからな。
大和民族は縄文人の子孫だが、アイヌの子孫ではないからな。
大和民族がアイヌの子孫です何て言ってたら、それこそトンデモ番組だ。
大体、アイヌのハプログループY遺伝子がオホーツク人由来だってのが
科学的に証明されたのだって今年になってからだろ?
10年も前じゃ、今よりも全然アイヌの事なんて分かってないだろうし
分かってない事に言及するわけにもいかないだろ。
アイヌにオホーツク人の形質なんてないじゃん
オホーツク人と文化や物資の交流があっただけ
>>169 それじゃ縄文人や大和民族にない
ハプログループY遺伝子がアイヌにある理由はなんだよw
アイヌは縄文8、オホーツク2のクォーターって感じだろ。
アイヌがファーストジャパニーズってのも変な話だな。
だって縄文人はDE系統だろ?
それより先のC系統だって日本に来てるんだから
ファーストじゃねーだろ、セカンドだろ。
>>166 アイヌは蝦夷と粛慎の混合部族だろうね。
粛慎はすでに7世紀後半に安倍比羅夫が新潟沖の
佐渡島で居住を確認してるからとうぜん東北や北海道にも
交易で渡ってきてるとおもわれる。
>>172 アイヌはおそらく蝦夷・粛慎のなれなのでファーストジャパニーズ
とか先住民族じゃないよ。
アボリジニやインディアンとは違う。
縄文人はスンダランド沈下によって逃げてきた人々で、さらに
火山噴火で九州〜おきなわなどから、東北へと北上して避難しにいった人々と見てる。
174 :
日本@名無史さん:2009/11/01(日) 01:24:28
スンダランドはウソに決まってる
175 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 01:33:20
熊襲、隼人は大和民族の一種。
蝦夷は大和民族と混血同化している。
アイヌは独自の文化を持っている異民族。
176 :
日本@名無史さん:2009/11/02(月) 17:51:44
俺の思う縄文人のイメージはグルグル模様、緑色と四葉のクローバー
今更、はえ人どうので妄想ぶっこいてもだめだぜ。
軍事力もたな。
連中にとっちゃぁ、棚ボタだからよ。
178 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 14:54:53
>>175 一度も弥生稲作文化が根付かなかった北海道と
一旦、弥生稲作文化が根付いた後、地球寒冷化の影響によって
稲作から狩猟生活に戻った東北はちょっと違うだろうな。
179 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 21:00:32
悪魔の練炭術師・木嶋佳苗はアイヌ
180 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:45:59
おお、妙見温泉(笑)
なつかしい。
181 :
日本@名無史さん:2009/11/03(火) 22:48:07
妙見は霧島市じゃないんじゃないか?
姶良郡隼人町だよ。まぁ、旧国分市とはお隣りだけど
>432 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2009/11/27(金) 12:44:38 ID:Zdy81Zol
>
>>428 >>アイヌを参政権の無い被差別民として一方的に統治しているわけでもない。
>自分で何を言っているのか解っているか?
>アイヌが差別されているだの、大和に侵略されているだのと言っているのはお前の方だ。
>もっと言うと、シャクシャインだかアテルイだかをもちだして、大和が信用できんとも言っていたな。
>過去ログがなくなっているのをいいことに、翻ったか?
>”お前の言うアイヌ”が大和を嫌っているようだから『別れて暮らしましょう』『蜜月だと思っていたのは大和の独りよがりだったのですね』と言っているだけなんだがな。
>俺は民族自決には大賛成だから、袂をわかつべきだと言っているんだがそれに問題があるのか?
>民族自決だ。お前の言うとおりだと現行政府はどこの民族の政府なんだ? 大和か? アイヌか?
>そんなキメラだか鵺のような政府でなく、アイヌ自身の政府を作って運営しろ。それこそアイヌのためだ。
>民族自決だ。
>大和と一緒に国を作るという自決もあるが、日本型民主主義のでは少数派の意見は通らん。それをして差別だと言い出すようなやからもいるからな。
>“そういううっとおしいアイヌ”とは別れて暮らしたいということでもある。
>お前に突っ込まれやすいように蛇足をつけるとだな、同じうっとおしさでも、身内である大和のものなら段階的には許すんだよ。
>人間は、天使のようにふるまいたくても獣のようにしかふるまえない。
>他人と身内を同列には扱えない。
>国、民族、郷、学校、家……自分。すべてに差をつける。すべてに差をつけなければ、この地上に戦争も飢餓もないはずだ(もっとも、逆に全員が飢餓で滅んでいるだろう)。
>アイヌが別民族なら、二者択一になれば大和を選ぶ。
>”お前の言うアイヌ”は、どうやら別民族で他人らしいから、心底うっとおしいんだ。
>アテルイの時代まで昇ればどうか知らんが、現状のアイヌは、大和の地域差に吸収されるレベルだよ。
>それと、ののしっているから嫌っているだのと短絡には考えんことだ。
>さらに、俺が何をののしっているのか気づけ。
>>131 その縄文人に近いモンゴロイドってもともとはどこにいた人たち?
何経由でニホンにきたの?シベリア?
その縄文人に近いモンゴロイドと近い血統の民族は日本以外のどこに居住してるの?
中国?
185 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 23:13:59
ロシアと中国
>>185 よかったらその民族の名前を教えてくれ、自分でググってみるから
188 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 03:02:38
熊襲・隼人は同じで、南方系縄文人。
土ぐもはイコール蝦夷で、北方系縄文人。
アイヌはその蝦夷の生き残り。
こんなとこでしょ。
アイヌの色が白くて鼻筋が通ってるのは、古モンゴロイドの特徴ってことでいいのかね。
189 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 03:50:01
>>188 このスレを読めば土蜘蛛はあちこちに居て蝦夷とイコールではない事が判る筈。土地によらず、穴居する姿より名付けたとも考えられる。
あるいは竪穴式住居に土を載せた(土で葺いた)住まいを穴居と誤認したとも考えうる。蝦夷、隼人ともに土蜘蛛に含まれうる。
190 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 17:44:18
へえそうなんだ
でも隼人はすぐに朝廷に服属したから、最終的には
土ぐも=蝦夷みたいになったんじゃないの?
191 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 18:10:27
縄文人は縄文人、南方も北方
関係無い、いわゆる縄文民族。
一種類だけ。
んなことはないw
193 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 00:16:15
>>190 俺も詳しい訳じゃないけど、難しいところだね。後の方になると化外の地は東北だけになるけどその頃には土蜘蛛の
呼称は出てこないような気がする。代わりに蝦夷を熟蝦夷・麁蝦夷・都加留と分類したり、朝廷の支配に服した者を
俘囚と呼んだりしてる。
189のように書いちゃったけど、何をもって土蜘蛛と呼ぶのか正確に判ってる訳ではない。たとえば既に征服した領
域に残ったまつろわぬ土着勢力が土蜘蛛かもしれない。その場合非征服地の蝦夷とは区別されていた事になる。
それと熊襲が朝廷に服属して隼人になった説をとる場合、土蜘蛛の中に隼人は入らなそう。肥前や豊後には土蜘
蛛がいた様だけど。
土蜘蛛は穴掘って生活してた人種、先住民族でも朱を掘っていた連中。
文字そのままで「朱を知る虫」でしょう。
195 :
日本@名無史さん:2010/01/21(木) 02:25:01
万葉集では
ささがねの 土蜘蛛
>>195 その枕言葉は意味不明のようだが結構ヒントなんだよ。
誰を待ってる歌か調べてみたら?
>>1 dnaハプログループ解析で
滅ぼされたのは 今の誠治みたくボス連中で
大多数は混血→結局ニポン人もまた混血民主主義
198 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:19:13
>>188 >アイヌの色が白くて鼻筋が通ってるのは、古モンゴロイドの特徴ってことでいいのかね。
駄目です、アイヌはむしろ白くないです。
白い人もいるという程度で、あれは北方に住んでて日光にさらされてないからです。
鼻筋がとおってるのは北方系古モンゴロイドの特徴で、ケルト系や北欧人に近いというか似た骨格をしてます。
(ですから白人ではないのですが、北方縄文系はもともと西洋方面から移動して来た人々なので似てるのだと思われます)
あとこうした縄文系は普通に本土の日本人や沖縄人にも含まれていましたのでアイヌだけが特別そうであったというわけではないです。
逆に南方系縄文人は鼻が高くなく、肌も茶褐色でモアイのように眼孔がくぼんでるようなアボリジニ系のオーストラロイドです。
これが典型的な縄文系の特徴として言われてるもので、実際のアイヌも大半がこうしたイメージですね。
沖縄人に似ているといわれるのはこの部分。
ですので沖縄人や南九州はそういう意味で面白いです、南方縄文系と北方系がうまい具合に混ざった人を現在でも良く見ます。
199 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:22:27
>>193 俘囚って、今で言う捕虜兵みたいなもんだろ
200 :
日本@名無史さん:2010/01/23(土) 11:34:54
>>199 「今で言う捕虜兵」が捕虜の事なら違う。出典がwikipediaで済まんが「俘囚(ふしゅう)とは、
陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。」
沖縄人が縄文人?
アイヌ人が縄文人?
>>201 縄文人と弥生人の混血が大和民族、琉球民族。
縄文人とオホーツク人の混血がアイヌ民族。
てすと
204 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 14:16:01
縄文人なんて今の時代にいるかよw
いる
206 :
日本@名無史さん:2010/01/26(火) 20:22:39
大和に土蜘蛛と蔑称された民族は穴を掘って生活してた人という点と、
手足が長いという特徴があって、それを蜘蛛のように感じたんだろう。
今でも岩手のあたりに手足が長い人が多い地域があるんじゃなかったっけ。
208 :
日本@名無史さん:2010/01/31(日) 20:01:05
畿内から見て西の敵を衆夷、東の敵を毛人と呼んでたみたいだけど
関東から北九州まで稲作に適した地域に暮らす人間は
さっさと同化しちゃって、東北の寒い地域に暮らす毛人が蝦夷として
南九州のシラス台地に暮らす衆夷が隼人として後に残ったんだろうね。
>>208 毛人は長野とかあのあたりだろ
隼人は南方系だが衆夷は熊襲じゃないの?
そう云うはく付けはやらかすんだよ。
明治建国時もやらかしたろお前らwでだ、その南の態度のでかい土人を畿内に呼んで
宮廷を警護させたと?ホント当時の朝廷の中の人の博愛精神には頭が下がるよw
212 :
日本@名無史さん:2010/02/02(火) 23:12:59
あ
だいたい、毛って言葉、初代のワカミケヌにすら毛って
漢字が使われてるし、毛だらけだぞ。ヤマトの人間の人名。
毛深い男は強く、毛が無い男はすぐ逃げると
日本書紀か古事記かに書いてあったはずだし。
214 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 00:28:57
日本にだけ存在し、北海道から沖縄までほとんど全ての日本人が保有する最優勢の縄文系遺伝子。
それが父系Y染色体D2型であり、日本国統合の象徴であります。
これまでは、「縄文人はアイヌのあとから半島経由で渡来した」と考えられてきましたが・・・、
その半島に縄文人のDNAがまったく残っていないのです。というかD2型は日本にしか残されていない。
そのため最近では、「縄文人はアイヌ以前北海道に、もしくはその遺伝子痕跡が消え去るほど昔に半島から、渡来した」ともいわれはじめています。
弥生系支配者、大陸系支配者がいたとすれば話は別ですが、我々縄文系から見れば「アイヌは先住民ではありません。元から少し離れた親戚くらいのもの」です。
現政権は日教組・朝鮮学派シンパばかりですから、「奴らの言い分の逆こそ真なり」とみたほうがよいでしょう。
215 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 00:53:09
縄文人自体雑多な人々の集まりだから、D2が縄文人とは言えん。
縄文時代北海道人と中部人は全く違うし。
まあ縄文晩期から全時代に最有力なのは確かだけど。
216 :
文責O2bさん:2010/02/04(木) 02:09:15
父系Y染色体の種類というのは「現在の人間」から採取、確認されるもの。
D2型と名づけられた染色体は、「たぶん縄文人が保有していたものだろう」と推定されているものにすぎない。
またご指摘のとおり、いわゆる縄文人がD2型の純血種とも限らない。他型の染色体をセットで保有していた可能性も否めない。
ちなみに型名は、出アフリカからA型が始まり分岐していく。ツングースのC3型、縄文D2型は東亜では最古級ということになる。
そしてそれより新しい中国系のO型、台湾でO1型に、江南でO2型に、華北でO3型にと順々に分岐、遺伝特徴が固定化されていったわけである。
217 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 03:05:28
>>213 そんなこと書いてるの?w
おもしろいねw
するとあれか、薄毛のやつを差別するみたいな社会だったのかな?w
当時はw
218 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 03:12:01
>>216 だとすれば日本は特殊な地域だな。
極東アジアのアフリカ大陸か?
他のどっかのスレに書いてあったけど
日本人=倭人=九夷
九夷ってのは、未開人だが、性格の良い人のいろんな種族の集まりだと。
孔子も、九夷のところに住みたいと言ってた。
倭は、九夷の居るところだと中国の記録にある。
てことは、紀元前のさらに昔から日本は多くの種族の集まりとされてた
ということになる。
たしかに、今の日本列島は来たから南まで
ほぼ均一に、珍しいほど多種の遺伝系統の人間が居る。
この均一さは、よほど古代から混ざってなきゃあありえないらしい。
理想郷とされてたのもなんとなくわかるな。
220 :
日本@名無史さん:2010/02/04(木) 14:55:49
>>219 九夷は商(殷)の時代には中原の東方にある異民族だった。ググったら周代に
討伐されて東方海上に逃れたと書いてるサイトも有るけど、うーんどうだろう?
時期的には弥生人にあたりそうだけど北方系になるから稲作はしてなさそう。
個人的には納得いかない。
>孔子も、九夷のところに住みたいと言ってた。
孔子は就活に失敗してヤケになって愚痴をこぼしただけ。野蛮人でも教化して
みせるとうそぶいてる。
呉って周の血統だったっけ?
倭人は呉を名乗ったのも居たというけど・・・
ということは、九夷ってのは、周に討伐されると言うことは
呉の末裔を名乗った倭より先に
日本に大陸から逃亡したと?
しかし縄文系が大陸に居たということになるのかな?
>>221 チベットにはD系統の人がいるし、縄文系も元々は大陸にいただろうけど
中国から縄文系が駆逐されたのはもっと何千年も前だろうね。
普通に考えたら九夷は日本とは関係ないでしょ。
弥生人は水稲を持って日本に来たんだから、もっと南から来たはず。
224 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 03:19:46
>>221 >呉って周の血統だったっけ?
違う。呉の公室は周の出と称しているが、呉の民は土着の民。「周の出」というのも
自称にすぎないと思う。周にある話に合わせて「それ俺のご先祖様」って言っただけだろうと。
しかし周がその言い分を認めたのでそういう事になっている。
225 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 03:54:12
>>221 >呉の末裔を名乗った倭
これも違う。そう言い出したのは晋書、梁書あたりの模様。魏志倭人伝あたりには
そう言う話は全くない。
九夷の件も孔子が出典で、他はその引用でしかないな。孔子における『倭』はユート
ピアとかシャングリラと同類に解釈するのが正しい。
226 :
日本@名無史さん:2010/02/05(金) 20:23:34
スレチでスマソ
今日とある私大を受けてきた受験生なんだけど、記述に衆夷って書かなきゃいけない所を、熊襲って書いたんだけど、マルもらえるかな?
ってか衆夷と熊襲の違いって何?
>>226 衆夷は倭王武が宋へ送った上表文にも登場する史実性が高い存在だけど
熊襲は景行天皇や日本武尊の英雄譚に登場する神話的な存在かな。
沖縄の石垣島で
日本最古の人骨が発見されたようだから
そこから何かわかるんじゃないの
229 :
日本@名無史さん:2010/02/06(土) 03:06:54
>>228 沖縄本島と宮古の間は遠すぎて1,300年位前までは交流が無かったって聞いた。
だからそれ以前の遺伝子は沖縄本島以北が本土よりで宮古以南がフィリピンよりって話じゃなかったけ。
1,300年位後は航海術も優位で人数も多い本土よりの遺伝子を持つ者が宮古以南に進出して同化したと。
熊本と熊襲のクマって同じ語源?
クマってどういう意味?動物のクマのこと?
>>230 元は隈本だったそうですが、加藤清正が隈を熊に変えて熊本としたそうです。
くまもとが熊襲と関係あるかどうかは謎です。
>>227にも書かれてるけど、何せ熊襲は衆夷や隼人と違って神話の域を出てないので。
232 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 06:18:37
>>230 肥後国球磨(クマ)郡から大隅国贈於(ソオ)郡にかけて分布していたからクマソという説が有る。
233 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 06:21:31
>>232 ちょっと抜けた。
クマ+ソオ→クマソオ→熊襲
234 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 19:13:02
しかし、熊襲はかなりの昔から略字として流通してるようだが・・・・
朝鮮半島の南部に熊津という地名があるが、ツとソは発音によっては
同じに聞こえるから元々熊襲の移民が住んでたってこともありうるだろうな。
235 :
土蜘蛛一党(無我、無門、無常):2010/02/07(日) 20:29:23
ダメだ・・・・・・凍える・・・・
236 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 04:38:38
中国の『旧唐書』東夷伝では倭国と日本国は別国として書かれてるからな。
237 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 15:52:44
倭国は弥生人の国
日本国は縄文人の国
朝廷が倭国よりも日本国という名前を選んだということは、
朝廷が縄文人を一方的に支配したという構図は正しくない
>>237 弥生人ってのは人種を指してるわけじゃなくて
弥生時代に日本に暮らしてた人間を弥生人って言うんだよ。
だから縄文人も弥生時代に入れば弥生人だ。
あと倭国と日本国は別ってのは壬申の乱で
天智系から天武系に皇位が移ったのを唐が勘違いしただけだろ。
テレビの影響なのか、縄文人と弥生人をそれぞれ並存していた人種と考える変な奴にたびたび出くわす。
240 :
日本@名無史さん:2010/02/08(月) 21:07:07
>>238 揚げ足とらんでええよ
弥生人つったらこの文脈では渡来
縄文人
弥生系渡来人
242 :
日本@名無史さん:2010/02/09(火) 02:50:30
>>239 学校教育でもテレビでもたびたび出てくる縄文人象と弥生人象があるけどあれは本当によくないね。
あと未来人はアゴが細くなるとかって言うコラみたいな想像図もやめてほしい。
毛人
244 :
日本@名無史さん:2010/03/15(月) 06:46:57
敏達天皇の時代に襲撃をかけてきたけど、忠誠を誓ったという綾糟という
人物のその後を知っている方がいたら教えて欲しいんですが…
口をすすいで忠誠の誓いを立てたところまでは、知っているんですが、
その後は、どうなったんでしょうか?
245 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 22:48:20
「日本人の出自から見たDNAの平均値 」崎谷満先生の父系Y染色体による系統分析、の要約と補足
約38% D2型、日本にしか残されていないシベリア経由で入ってきた縄文人の血
約34% O2b型、ジャポニカ米と共に揚子江から海路渡ってきた長江文明人(弥生人、倭人)の血
約18% O3型、大陸から朝鮮半島から渡来した漢族の血
約 5% C1型、インド経由、南方系海人族の血
約 1% N型、フィリピンに顕著に残り、ツングースも保有する血筋、スンダランドの流れとも
約 1% C3型、樺太から北海道に、アイヌに残るバイカル湖経由のツングース系の血
朝鮮半島から九州に、扶余の血? ルート違いのバイカル湖経由のツングース系の血
その他 1%以下、D1、D3型、チベットに残るテュルク系?の血
O1型、台湾出自の大陸系の血
O2a型、渡来時期、ルートの異なる長江文明人の血
246 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 17:01:37
ほほー
光源氏の曾孫の源綱らが退治した土蜘蛛族とは、
藤原純友の時代は、光源氏の時代の少し後の時代で、平将門の時代。
藤原純友に支えた、傀儡師がルーツ。
傀儡師→土蜘蛛→草→忍者
忍術のルーツは、大陸の密教武術から発したもの。
日本へは、信州の高句麗渡来人や北陸の新羅渡来人が連れてきた高麗忍軍がもたらしたもの。
加茂氏祖、葛城山の役行者(役小角)が開祖で、この時代には、まだ、密教は断片的で、仏法と仙人道を合わせたものと成っている。
密教自体は、その百数十年後の空海により、伝来する。
賀茂忠行の弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家
仙道、修験道に通じたのが、羽黒山などの天狗であり、天狗を祖としたのが、僧侶修験者の山伏集団。
大天狗=後白河法皇、天若日小命=七夕の天稚彦(松浦佐用姫伝説)=天邪鬼(瓜子姫伝説)=天狗神=呼子氏祖(坂之上の呼子)
烏天狗や鞍馬天狗は、僧侶山伏や傀儡師。
源義経の幼少期に大天狗の指示で、剣術指南をしたのが、この、烏天狗なのだろう。
呼子氏の先祖は、光源氏の源融で、その曾孫が、源綱で、その曾孫が、呼子氏祖の波多氏宗家、波多持(源久の三男)
お伽草子には、七夕の天稚彦や浦島太郎伝説と源頼光の四天王、源綱、源貞光、卜部、金太郎らの土蜘蛛の勾玉奪還、酒天童子退治がある。
藤原純友の蒲池氏と松浦党の呼子氏が水軍で繋がり、波多宗家呼子氏で、安倍武士宗家の三男筋の子、松浦(安倍)高俊とは、壇ノ浦の合戦の義経伝説で繋がる。
後の、足利尊氏将軍が、新田氏に追われ、頼った伊予の少弐に、波多氏呼子氏がいる。
大陸から連れて来られた忍軍の末裔も、又、傀儡師として活躍に至る修験者修行者であり。
後の伊賀、甲賀忍となる。
伊賀、風間、甲賀など・・
大河ドラマ「風と雲と虹と」「炎立つ」、「義経」、「太平記」から見えてきた
足利時代を不動のものにした、少弐水軍の経緯・・
平将門に追随し、瀬戸内海賊を纏めたのが、始り。
(瀬戸内民人猟師浮れ人と藤原配流武士と廻船問屋の烏合衆)
創始者:海賊討伐左衛門尉官で在りながら、傀儡師を使い海賊を束ねた、藤原(高橋)純友海賊王
阿波海賊
河野海賊
7世代を経て加わった、平家水軍、後の源氏水軍
源氏松浦水軍
源氏村上水軍
薩摩からの依頼で、松浦党の松浦直筋の平戸氏が佐世保港を使わせた、後期倭寇の中国水軍
王水軍
毛水軍
徐水軍
葉水軍の中国=清国水軍連合
少弐一族が、足利時代から、国内にも出兵し勢力も時とともに衰退しつつあり
王率いる中国水軍との同盟が不可欠だったのだろう。
藤原純友から縁で繋いで来たのが、蒲池氏。
>約38% D2型、日本にしか残されていない
>シベリア経由で入ってきた縄文人の血
崎谷の推測は間違ってるよ。
D2は南から日本に入ってきた。
当時、東シナ海は陸地だった。
だから陸づたいにやってくることができた。
その後、東シナ海は、海になった。
だから大陸にはD2はいない、というわけ。
別に虐殺とかがあったわけではない。
>>213 >だいたい、毛って言葉、初代のワカミケヌにすら毛って
>漢字が使われてるし、毛だらけ・・・・
おいおい、中学国語で表音・表意文字というのを習わなかった小卒者か?
ワカミケヌの御毛沼という表記は表音表現というのだよ。当て字用法なので、
表意文字としての毛とは無縁なのだよ。
>>234 >朝鮮半島の南部に熊津という地名があるが、ツとソは発音によっては
>同じに聞こえるから・・・・
おいおい、古代百済の地名熊津の当時の読みが、クマツだって・・・・
ツがソに転化するって・・・・
日本史板のレベル低下も相当の水準になってきたねえ。
252 :
日本@名無史さん:2010/06/13(日) 00:14:57
なるほどな
253 :
日本@名無史さん:
>>250 D2は少量中国も晒してる場所はあんのよ。w
母数が多いと幾らでも工作できる逆に母数が少ないとケツの穴まで調べ上げられるし
ごまかしようが無い。まあ、これ絡みは中国は戦略的に動いてる。