謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!9

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1神奈川県民改め三重県民
「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたという。
この鬼道や惑の意味には諸説あるが正確な内容については不明。
年長大であったが夫を持たず、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある。
王となってから後は、彼女を見た者は少なく、ただ一人の男子だけが飲食を給仕すると
ともに、彼女のもとに出入りをしていた。
宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた。
卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、
奴婢百余人を殉葬したとされている。

この魏志倭人伝に記されてる「卑弥呼」なる女王の正体を暴く。
又、天皇家との関り合いは?
今、その謎に迫る!!
2神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:01:37
関係スレ

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 23
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1191412497/
邪馬台国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184409173/
結論 邪馬台国は西都原
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1191377712/
君は邪馬台国はどっちにあったと思う?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1175338741/
ここだけ邪馬台国に時空移動しているスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1133558512/
結論→邪馬台国は捏造
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1172286025/
3神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:12:34
前スレの続き〜
全て読みましたが、いろんな人の考え、意見等ありますが、なかなか終止符が打てない。
あの天皇家との関わりはなかったのでしょうか?
私は、日本のこといろんな本で調べましたがどうも魏志倭人伝に書かれてる、
邪馬台国は天皇家とかかわってないような気がしています。
あなた方の意見はどうでしょうか?
4神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:17:14
前スレから引用
>>854>>857
>邪馬台国 = ジャマタイ
>これは、合ってる。
>ただし、「ja」「tai」は、「ヤ」「ト」と発音するから、「ヤマト」でOK。

↑のこと詳しく教えてくれませんか。

5神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:19:55
前スレから〜
>>738
>九州の地名がそっくり畿内に移ったなら、
>そういう親しみ深い地名は、魏志倭人伝にも同じ地名が多く記録されてるはず。
>しかし、

>斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、
>↑これのどこが、今の地名と類似してるわけ?

私もこの人と同じ考えです
誰か答えられる方はいますか?
6神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:23:47
前スレから〜
>>753>>755
>「レベルの高い議論」

について
今でもレベルは高いですよ。私も含め、みなさんよく本を読まれてる。
詳細は何かを見ないと出てきませんが、確実に詳しい方のみ、カキコしています。
7サガミハラハラ:2007/10/07(日) 21:27:15
斯馬国ー糸島郡のシマ  伊邪国ーイヤナガバルのイヤ  都支国ー金武、吉武のタケ
好古都ー博多  不呼国ーオカダのオカ  とまあこのくらいあげておきます。
8神奈川県民改め三重県民:2007/10/07(日) 21:27:24
あと〜サガミハラハラさん。
今度、あなたの本読んでみます。
まだ呼んだこと無いので・・・・

ところで何冊、出版してるのですか?
検索したらいろいろでてくるのですが・・・・。
9サガミハラハラ:2007/10/07(日) 21:50:13
はい、ありがとうございます。
今まで三冊です。「倭国歴訪」これは絶版です。「卑弥呼の登場」2002年刊そして今回の「神功皇后は実在した」です。
これには付録として倭国歴訪の改訂版(メジャーで辿る邪馬台国)がついています。
いずれも明窓出版です。
10日本@名無史さん:2007/10/08(月) 06:55:27
妄想出版まで読んだ
11日本@名無史さん:2007/10/08(月) 09:50:00
>3 古代の大王家はゴロゴロ変わった
12日本@名無史さん:2007/10/08(月) 10:13:09
>>11
そういうときは「コロコロ」を使うべし
13愛知県民:2007/10/08(月) 12:16:38
>>5
通訳を重ねたためではありませんか?
倭国語を韓国語にいったん訳し、さらに韓国語を中国語に訳した。
それで韓国語訛りの倭国語が記録されているのだと思う。
「〜国語」という表現は便宜的なものですけど。
14日本@名無史さん:2007/10/08(月) 16:04:25
>>7
>好古都ー博多
「好古都」の中国語発音はkhou-ko-touという感じだ。

日本語ハ行の子音は飛鳥時代以前はpだった
波pa 比pi 不pu 飛pe 保po
だから卑弥呼はpimikho。

飛鳥時代以前にハカタという地名があったら
pakataと発音しただろう。
中世にはΦakataで
hakataに変化したのは江戸時代以降。
15プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/08(月) 17:10:48
>>14

>日本語ハ行の子音は飛鳥時代以前はP音だった。


では何故飛鳥以降はP音じゃなくなったの?
その変革の理由は?
それに、飛鳥以前と区分した根拠は?

で、その統計調査の対象地域は何処?
16日本@名無史さん:2007/10/08(月) 17:28:04
>>14

>ハ行の子音は飛鳥時代以前はpだった

ハ行は飛鳥以前じゃなくて、10世紀でもまだP音だよ。
17プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/08(月) 19:28:49
>>14>>16
じゃあ
「はは」は「ぱぱ」?
18日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:31:45
言って置くがパパは近年に英語ファーザー(父親)からきている。
幼児語ファファ→パパ
19日本@名無史さん:2007/10/08(月) 19:50:11
帯方郡より倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓 国(馬韓?)を経て、時には南行し、時には東行し、その北岸(?)
狗邪韓国(くやかんこく)に到る。七千里余りである。
始めて大海をわたること千余里で対馬に至る


20サガミハラハラ:2007/10/08(月) 20:46:47
半島内陸行説では、次のようになります。
ソウルから仁川まで陸路、仁川から郡山まで水行、郡山に上陸し南下、求礼から東に進み
固城に到着。固城が出航地です。
ここまでの行路の合計は503.6kmとなり、1里67.5mであるから503.6km割る67.5mで約7460里
となり、倭人伝の7千余里に合うものである。
このことによってもわたしは半島内陸行説をとっているものです。
21日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:16:10
半島内陸行説に反対を表明している愛知県民さん、がんがれ!
22日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:42:19
>>14
>日本語ハ行の子音は飛鳥時代以前はP音だった

朝鮮半島の影響を受けているのかも。
韓国人は英語の発音でイフをイプ、コーヒーをコピーと発音する癖がある。
ただ単語の頭での発音例はあまり聞かない。
23プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/08(月) 23:45:44
>>20

それは七千里に合うんじゃなく、合わせる努力の結果でしょう。
で、その地名の羅列はなんでしょうか?
その曖昧な地名が起点や着点になる史料事実は何?

古代史に「発明」はいりません。

それに里程に対して現代のqを換算しているということは、里程に対して当時の度量衡をどのように適用したのかもご説明ください。
24プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/08(月) 23:51:09
>>18
洒落にマジレスされても……


>>14>>16
しかし
「はは」は「ぱぱ」か?
25日本@名無史さん:2007/10/09(火) 00:02:55
室町時代の文献から当時の京では「母」を「ハハ」ではなく「ファファ」と発音してたらしい…と聞いたことがある。
26日本@名無史さん:2007/10/09(火) 00:16:05
ははぁ
27日本@名無史さん:2007/10/09(火) 00:37:04
>>24
ネタと見抜けずマジレスと思われてもw
28プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 07:20:23
ネタでもマジレスでもいいから早く「はは」→「ぱぱ」を解決してよ
これじゃ
何時もうやむやにしている「韓国陸行ウルトラクイズ」と同じだよ
29日本@名無史さん:2007/10/09(火) 14:43:09
>>28
はあ?解決してって洒落なんだろw
自分の低脳をさらけ出されれたからってとち狂うなよw
30日本@名無史さん:2007/10/09(火) 17:22:04
播磨風土記に鹿の鳴き声を「比比」と漢字で書いてある。
鹿の鳴き声は「ぴー」。「ひー」ではない。
31プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 17:41:22
>>29
はい、頭の良い子はこんなとこ来るとママに叱られるよ さぁ〜帰った帰った


>>30
で、その鹿の鳴き声のデーターって
まさか現在の鹿の鳴き声じゃあないよね?
32日本@名無史さん:2007/10/09(火) 18:11:38
>>28
ハヒフヘホを表わす万葉仮名の中国音をみると
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/kana/home.html
「は」=「八ba、方bang>fang、芳p'ang>fang、房bang、半ban、
     伴ban、倍bai、泊bak、波ba、婆ba、破、薄、播、幡」
現代中国語ではすべてp(pの有気音)又はb(pの無気音)で
始まる音であって、hで始まる発音は無い。
「八」や「波」をfaと発音する中国方言は無いのに万葉仮名では
現代のhaに相当する語に「波」という漢字を使っている。
例:「波奈pa-nai」=花

「ひ」=「比bi、必bi、卑bi、賓bin」も同様

参考文献
王力「漢語史稿」
橋本進吉「古代国語の音韻について」岩波文庫
33日本@名無史さん:2007/10/09(火) 18:18:56
>>31
応神天皇の時代の鹿の鳴き声聴いたことあるの?
34プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 18:27:41
>>32

中華音はともかくそれでいいとして、肝心の倭音はどうなの?
35プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 18:33:47
>>33
鹿の鳴き声の例えを出したのは俺じゃないよ
間違いないでね
36日本@名無史さん:2007/10/09(火) 18:41:08
好古都=博多
は日本語の歴史を研究するとコジツケだということがすぐに分かる。
「博」は現代日本語でこそ「はく、hak(u)」と発音するが
古代ではpaka/paku,中世でfaka/fakuだ。
東北へ行けばfaka/fakuと発音する方言が残ってる鴨。

中国では北京語:bo,香港語pok,
西晋の古音を残すビン南音p‘ok。(ビン=門構えに虫)
「‘」は有気音を表わす記号。IPAでは「ʰ」とも書く。

次のサイトでスピーカー・アイコンをクリックすると
香港での「博」の発音が聴ける。
http://arts.cuhk.edu.hk/cgi-bin/canton-f2.pl?query=%B3%D5
37日本@名無史さん:2007/10/09(火) 18:43:58

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州や西日本に伝わった稲作が弥生中期頃に
伝わってきた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
38プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 19:02:50
>>36

中国での発音がそのまま同じ音として列島で普及したの?

波の表記は「ハ」であり「ファでもパ」でもない
例え(ファ)音として伝えられても最終的には「ハ」と表記された事に違いない。「ハ」と表記されている以上、倭音は「ファでもパ」でもない「ハ」です。

卑弥呼が中国で「ピミコ」に近い音で発音されようとも、列島では「ヒミコ」なのです。
39日本@名無史さん:2007/10/09(火) 19:43:52
>>34

>>32に貼ってある万葉仮名の表をみると判るが
「比、必、卑、賓」が8世紀ごろの中国音でpiという音を持っていた漢字。
「日、氷、飯」は「訓仮名」で当時の倭語が同様の子音pを持っていた語。

「不、否、布、負、部、敷」は8世紀ごろの中国音でpuという音だった。
このうち「負、敷」は11世紀ごろにφかfに変わったというのが
王力の説(漢語史稿、「現代p,p‘,m,f的來源」)だ。

「梨壺の五人」の一人の源順が表わした倭名類聚集は漢字の正しい
発音として《唐韻》を引用しているが、《唐韻》の元ネタは《切韻》で
《切韻》は残巻しか残っていない。《切韻》の体系は《廣韻》で
垣間見ることができる。
《廣韻》なかで「毀誉褒貶」の「貶bian」の音を「方斂」の反切で示している。
現代語では「方」はfangだが6〜8世紀ではbangだった事がうかがえる。
つまりfとbが未分化の状態だった。
同様に「憑ping」を「扶fu冰bing」という反切で表わしている。
これは「扶」がまだφu/fuではなくpuだったことを物語っている。

「名張」という地名に倭名類聚集は「奈波利napari」の訓を付けているが、
八世紀初頭に編纂された古事記に登場する師木津日子命の子の一人に、
「那婆理稲置(nabariのいなぎ)」という記述がある。

倭名類聚集の時代に「は」という仮名がφa/faという音を
持っていたら当時も現代も中国音でpaである「波」を
「ハ」に当てるだろうか。
40プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 20:23:32
>>39
こういうことじゃないのかな?

和語音には現在からもうかがえる様に(h)音が存在する。
しかし、先ほど来からのレスでも解るように、中国音には(h)音が存在しないそうな
でも、和語音(h)に独自の文字の無い列島で文字表記する場合音借し当て字する作業が行われる
しかし、音借しようにも当の中国漢字音には(h)音が無いので(h)音漢字を使用することが出来ない
その場合当然それに最も近い音借(パやファ)の漢字を使用する以外方法が無いので、それを使用出来ない(h)音が存在しないことになっているのではないかな。
41日本@名無史さん:2007/10/09(火) 20:50:40
>>38
>卑弥呼が中国で「ピミコ」に近い音で発音されようとも、列島では「ヒミコ」なのです。

ただし「ヒミコ」という音は18世紀〜21世紀初頭の日本列島という限定付きだね。

カナの「ハ」は漢字の「八」が元になっていることは小学生でも知っている。
漢字の「八」は中国でどこの方言を探してもhaとは発音しない。
pa/patだ。

朝鮮半島で漢字の「八」は少し訛ってpalという発音だ。
西晋時代の面影を残すビン南語でも末尾のtをlに訛ることがある。
彼hit 的e(=あれ)を続けて発音するとhileのように聞こえる。
古代はpatという発音だった。
万葉仮名は漢字の末尾に子音があれば其を省略して読む。

一方古代中国にはhの音があった。「黄huang」という字がそうだ。
中国のhの音の息の喉のこすり方に強弱があるようで
「黄」は「オウ<wang(広東語系統)」という呉音と
「クヮウ<huang(北京語系統)」という漢音がある。
「香」は北京語でxiangシァンだが香港語でhong<höng,
ビン南語でhiang。
42日本@名無史さん:2007/10/09(火) 20:55:33
そやろか
43日本@名無史さん:2007/10/09(火) 21:10:15
もしちゃんと倭人が「卑弥呼」をhimikoと発音していたら
魏志倭人伝に「卑pi弥mi呼ho」とは書かなかったはずだ。
恐らく三十六字母で「暁母」の字を使ったか「見母」の字を
使っただろう。例えば「喜弥呼」のように。
「喜」は西晋時代の面影を残すビン南語で hiと発音する。
広東語で「卑」はpeiで「喜」はheiだ。

魏や晋の人間はちゃんとhとpを区別できたからwww
44プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 21:22:46
>>41

それを何処で知りましたか?
それに、小学生がカナ『ハ』の発生を研究したとは思えんし、小学生の認識普及と真実は決してイコールではないだろう。
カナ『ハ』が、漢字の『八』が元になっていると自信ありそうですが
何ゆえ漢字『八』がカナ『ハ』になったのか説明願います(知識不足なもので)


>ただし「ヒミコ」という音は18世紀〜21世紀初頭の日本列島という限定付きだね。

何故限定付きなの?

45プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 21:27:19
>>43

でもそれは音だけの話だろう
漢字には意があるよ、ただの音表記と確定してからでないとね。
46プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/09(火) 21:49:50
>>43

>もし倭人が「卑弥呼」をhimikoと……


何時から倭人の自称と確定したの?そんな自称の記録何処にもないんじゃないの?
結構勝手に、さも常識のように独り歩きしているもの多いよね
47サガミハラハラ:2007/10/09(火) 23:41:35
レス20で、半島内陸行説を数字をあげて説明したのにそれに対する論争がなく、言語の発音に話題がいってしまったのはどうしてだろう。
半島内陸行説への評価をもとめます。
48日本@名無史さん:2007/10/10(水) 00:11:50
>>47サガミハラハラ氏へ
>>20
>ソウルから仁川まで陸路、仁川から郡山まで水行、郡山に上陸し南下、求礼から東に進み
>固城に到着。固城が出航地です。

これは帯方郡使が倭へ赴く行程を、具体的にお考えになられたわけじゃな。
では問う。
郡使は仁川で、また固城で、船をどうやって都合したのか。
49プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 00:13:00
>>47サガミさん

どうしても半島内陸行したいんでしょ
50プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 07:20:11
>>47サガミさんからの要望なので

では>>20について徹底的に検証しましょう。
先ずは>>23のレスについての解答を主観を伴なわず解答してもらいたい。
51サガミハラハラ:2007/10/10(水) 07:20:32
船の都合については、今まで論ぜられたことがないと思うのであるが、クヤカン国からについては、他のかたがたの考えと同じとみてよいでしょう。
仁川から郡山については、当時から既に行路がひらかれていて、ある程度の船が行き来していたものとおもわれる。
から、それを調達したものであろう。
52サガミハラハラ:2007/10/10(水) 07:22:29
>>49どうしてもしたいのではなく、結果としてそうなるということです。
だから、主張しているのです。
53プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 07:51:16
>>52
この部分はいうなれば倭人伝の冒頭、結果を求める場所でもなく
サガミさんが陸行しているのは韓伝領域、ならば韓伝にて解答を導き出すのがスジというものでしょう。で、韓伝に具体的な説明はありましたか?
ここはどう見ても行程記事、しかも順次式 総体7000里に対して水行、陸行と経路が異なるのであれば必ず、(水行・陸行)にての(起点、着点、距離、方位)が提示されてる可きです。
54日本@名無史さん:2007/10/10(水) 08:41:47
>>52>船の都合については、今まで論ぜられたことがないと思うのであるが、クヤカン国からについては、他のかたがたの考えと同じとみてよいでしょう。
55日本@名無史さん:2007/10/10(水) 08:47:48
↑失礼
サガミハラハラさんよ。これではさっぱり判らんぞ。
「あんたの考えは?」・・・・・「他のかたがたの考えと同じとみてよい」
そんなバカな回答の仕方があるものか!
自分の言葉で述べてくれ。
56サガミハラハラ:2007/10/10(水) 10:00:15
つまり、この件についてはいままで事実上誰も論じていなかったということです。
しかし、ここではっきりしなければならなくなったようです、が、悪いけれどこれからでかけるので(本が何冊うれてるのか、どの書店が置いてくださっているのか)
帰ってからお答えいたします。
57日本@名無史さん:2007/10/10(水) 10:29:04
【政治】政府、"お金をつくる"造幣局や印刷局など独立法人20以上を民営化へ−機密性の保持も絡み様々な意見も★


http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1191932873/

【民営化】造幣局・印刷局など、独立行政法人20以上を民営化へ:政府方針 [07/10/07]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1191727281/


政府は6日、現在進めている独立行政法人(独法)の整理合理化に関連し、
101ある独法のうち、予算に占める国からの財政支出の割合(財政依存度)が低い
20法人以上の民営化を目指す方針を固めた。

2007年末に整理合理化計画を策定し、閣議決定する予定だ。
民営化の対象には、造幣局や国立印刷局、日本万国博覧会記念機構などがあがっている。
今後、独法の民営化推進を目指す渡辺行政改革相らの方針に対し、
事業の公共性の高さなどを主張する関係省庁の巻き返しが本格化しそうだ。

貨幣や紙幣を造る造幣局や国立印刷局については、機密性の保持なども絡み、
是非をめぐって様々な意見が出そうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071007-00000002-yom-pol
58日本@名無史さん:2007/10/10(水) 11:19:57
>>25
>室町時代の文献から当時の京では「母」を
>「ハハ」ではなく「ファファ」と発音


ポルトガル式ローマ字で安土桃山時代の日本語で書いた
切支丹版 イソップ物語
「は」をfa,「ひ」をfiと綴っている。
http://esopo.fc2web.com/Esopo/esopo/esopo410.html
fiacuxo<=百姓
farani tatexi-=腹に 立てし

http://esopo.fc2web.com/Esopo/esopo/esopo411.html
firefuxi=ひれ伏し
faqidasananda=吐き出さなんだ

天草本「平家物語」(1592,文禄1年)
http://www.geocities.jp/masa_nip/Misemono/hon.html
「へいけものがたり」をFEIQE MONOGATARIと綴っている。
「にほんの」を NIFONNO と綴っている。
59日本@名無史さん:2007/10/10(水) 11:51:49
海岸に沿って水行し、韓 国(馬韓?)を経て、時には南行し、時には東行し、その北岸
と言うことは全部水路を行ったので、最後に北岸についたのです。
60プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 11:56:47
>>58
で、いつから人体構造が変わり「ハ」の発音が可能になったの?
61プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 11:59:56
>>59

>最後に北岸に着いたのです。


で、「其」はどうしたの?着いたのは北岸じゃなく「其」だよ
62日本@名無史さん:2007/10/10(水) 19:18:45
着いたのは北岸で「其」ではないよ、其はこれから行く先にあるものだよ
63プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 19:32:14
>>62

『其』は既に記載されてる前文
64プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/10(水) 19:43:27
>>62

北岸とする視点は何処か考えた事ある?
65日本@名無史さん:2007/10/10(水) 22:53:56
>>51>>54>>55>>56
前スレ>>993から引用。
>郡使は帯方郡から、自前の船団で出発した。
>魏の旗印を掲げた立派な軍船だ。
>その船団は、女王国へ、ギリギリのところまで行ったはずだ。
>おそらく丹後か若狭まで。

どうだろう?
66サガミハラハラ:2007/10/10(水) 22:56:10
帰ってきたけど、疲れたのであしたにします。お休みなさい。
67日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:30:29
63 正解  64 ある
68サガミハラハラ:2007/10/11(木) 09:40:26
>>56魏志倭人伝に、南北に市テキす。とありますから、交易の船に使う船(大小はともかく)は
相当数はあったものとみられるので、それらを調達したものとみられます。

以上の見解は他のかたがたも同様と思います。


次に、以上のようなオーソドックスな見方のほかに、下のような見方もあります。
これは魏使いのチョウセイ等の場合で考えます。この時代は魏がコウソン氏を攻撃した時に、半島では水軍を使いせめています。
そのため、攻撃につかわれた船がまだ健在であったとみられるので、チョウセイらはその船舶を使用したとする可能性がかなりあります。
それらの船舶はある程度大きい構造船であったとみられます。(黄海を横断している。)
この場合は、仁川を出港した船は海岸に従って南下し(暗礁が多いのである安全な距離を保って)、半島南西端をまわり、
半島南岸の港に入港したものであると考えられます。
その後、対馬、壱岐により、松浦(唐津)に上陸したものでしょう。
そのまま用が済むまで碇泊させ、帰りに再び使用したものでしょう。
プラムさん、以上いかがでしょうか。
69プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 12:14:18
>>68サガミさん


船の調達はどうしたとか、ここでこう停泊し、待機したとか
そんなのどうでもいい事ですよ。全ては推測域から何時までも脱しないモノ、そんな記録何処にもありませんし、書いて無いものは考えない事です。


もう一つ
この行程記録は魏使だけに限られたものではないということです。
魏時以前から続いている経路、
もう少し後漢書に目を向けて下さい。
70日本@名無史さん:2007/10/11(木) 12:22:40
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも稲と
同時に検出されており、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
江戸期伝来の通説よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
71プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 12:49:23
サガミさん

もう少し、目に見える書かれてある史実だけを追いかけてみてはいかがでしょう?
72サガミハラハラ:2007/10/11(木) 12:57:25
つられなかったなあ。
73日本@名無史さん:2007/10/11(木) 13:09:19
>>69
>全ては推測域から何時までも脱しないモノ、そんな記録何処にもありませんし、
>書いて無いものは考えない事です。

「わたしは、書いて無いものは考えないようにしている」
とプラム氏がおっしゃるのであれば、それはそれでよろしかろう。

しかし、他者に対しては寛容でありたい。
私は、正否はともかくとして、サガミハラハラ氏がレス>>68のように思考されたことそれ自体は
非難する気にはなれない。

「書いて無いものは考えない」、「書いて無いものを考えてみる」──。
後者のような姿勢も、歴史探究では必要ではなかろうかと思うのだが、どうだろう。
74プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 14:07:05
>>73
それはそれで良いんじゃなかろうかと考えますよ
人それぞれ色々な表現の仕方がありますし
私も以前は壮大な妄想を抱いて、ワイワイガヤガヤ楽しんでいましたから。(あの時はどんなに罵倒されても毎日が楽しかった。)

しかし>>73さん
サガミさんは別です。

サガミさんは著書を有料にて販売し、生計の一部を担ってるプロですよ
脚色を加えた小説ならいざしらず。
本人は学術的な感覚でしょう?

なら問答無用に、ダメなものはダメと切り捨てるつもりで行くのが、プロに対する礼儀と考えます。

絶対に手加減なんてしません。奈落の底まで突き落とすつもりで相手します
サガミさんには、未だ完全無知な頃から世話になっていますので……
75サガミハラハラ:2007/10/11(木) 19:07:29
別に歴史にかぎったことではないのですが、物事でシミュレーションしてみるということは大事なことです。
もっともその最中にとんでもない方向へいってしまう人もおりますが。そのとき大事なことは常識ということとそれを支える広い見聞ということです。
一つの方法にこだわりすぎると、肝心の物事がみえなくなってしまいます。
その結果、視野が狭くなり、研究が行きづまるということになります。
ですから私は文献のみならず、地理や地学や心理学や算数にいたるまで数多くの分野に足を突っ込み、判断の基としているわけです。
76日本@名無史さん:2007/10/11(木) 19:16:09
正解、すばらしい
77日本@名無史さん:2007/10/11(木) 19:19:19
でも結論がトンデモなんだよなあ
78日本@名無史さん:2007/10/11(木) 19:27:14
サガミハラハラさんの姿勢はそれ自体問題はないと思いますよ。
もし妄想で著作して刊行したとしても、
中身がトンデモすぎたら消費者が買わないだけですから。
ご本人も推測の範疇だと認めておられますしね。

もちろん、それを徹底的に検証しようとするプラムさんのスタンスも問題なしです。
こうして互いに切磋琢磨していけばよいのではないでしょうか?
79日本@名無史さん:2007/10/11(木) 21:37:56
いやわたしはプラム酸をのけものにしたいという煩悩がはたらきましたよ
80プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/12(金) 00:18:39
>>79

貴方なかなか面白い事言うねぇ〜
オール与党のハッピーパラダイスでも創るつもりか?

健闘を祈る
81日本@名無史さん:2007/10/12(金) 01:47:57
サガミさん、前半部分ははまさにご自分のことを言ってるのに気付いてらっしゃらないのですね。
すでに小城説はおろか九州説自体ありえない流れなのですが。
82太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/12(金) 07:37:36
九州が正解、ただ北九州は無理だな。畿内はもっと無理だ。
朝廷と女王国の関係が記紀に全く無いから、畿内にあるというのがおかしな
論理だということになる。これはもう北九州以外での九州で決まり。
83サガミハラハラ:2007/10/12(金) 13:32:55
>>81あなたは小城説の詳細とまでいかなくとも概略ぐらいはごぞんじの上で仰っておられるのでしょうか。
一つ一つに根拠をのべておりますが、それを読めば私がちょっとの推測や妄想でいっているのではないことはわかると思うのですが。
今度上梓した「神功皇后は実在したー根拠と証明ー」の中に付録として、メジャーで辿る邪馬台国として、のせてありますので是非ごらんください。
明窓出版社刊で紀伊国屋、有隣堂等で販売いたしております。
開拓名というならば、図書館にリクエストしてかりるのもいいでしょう。
84サガミハラハラ:2007/10/12(金) 13:50:28
訂正 開拓名は買いたくないのあやまりでした。お詫びして訂正いたします。
85日本@名無史さん:2007/10/12(金) 15:32:49
>>83
いや図書館にしても税金の無駄遣いだし・・・
自費出版の本なんて読んでも時間の無駄だし・・・
宣伝しても無駄ですよ、後藤幸彦さんw
86日本@名無史さん:2007/10/12(金) 20:36:31
>>75 サガミハラハラ氏へ
>とんでもない方向へいってしまう人もおりますが。そのとき大事なことは
>常識ということとそれを支える広い見聞ということです。

異存のない見解である。大いに結構だと思う。では、問う。

>ですから私は文献のみならず、地理や地学や心理学や算数にいたるまで
>数多くの分野に足を突っ込み、判断の基としているわけです。

かようにお書きになられた諸学の中に、なにゆえ「考古学」は含まれていないのか。
考古学は、古代史の探究には無用とでも思っておられ、わざと外されたのか。
87日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:21:46
なんか肩のこる国会質問形式でながれてるので
88日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:40:19
ご静粛に願います。

それからサガミハラハラ君。答弁は要諦のみ、簡潔になさってください。
自著のCMなど挿まぬよう、委員長からひと言ご注意申し上げます。
89唐松山:2007/10/12(金) 22:14:30
小城とは こんな所です。
小城郡.
 昔者,此村有土蜘蛛,造堡隱之,不從皇命.日本武尊,巡幸之日,皆悉誅之.因號-小城郡.
火燎肥前國風土記 藤津郡
能美鄉.在郡東.昔者,纏向日代宮御宇天皇,行幸之時,此里有土蜘蛛三人.兄名-大白,次名-中白,弟名-少白.此人等,造堡隱居,不肯降服

逢鹿驛.在部西北.曩者,氣長足姬尊,欲征伐新羅,行幸之時
遣唐之使,從此停發,到美彌良久之埼,即川原浦之西埼,是也.從此發船,指西度之.
 此島白水郎,容貌似隼人,恆好騎射,其言語,異俗人也.

さらに 小城へ松浦方面から行く道 谷道を想定されているようですが
鎌倉時代までの 道は、尾根道が主流でした。
谷道は,江戸時代から少しずつ明治になって急激に発達。
見直し して下さい。
90日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:17:19
委員長!
唐松山委員の報告の通り、邪馬台国小城説は、もはや根拠を失っております。
この際本員は、サガミハラハラ君の不正不当なる発言が本委員会の品位を
著しく損なったことを重大に鑑み、サガミハラハラ君を謹慎6か月に処するよう
懲罰委員会へ付託する旨の動議を提出いたします!
委員長! 速やかなるご採決をお願いします!
91愛知県民:2007/10/13(土) 11:51:47
>>20
魏志倭人伝の韓国での行程は「水行七千余里」でしょう。
陸行があるなら、たとえば「○○まで水行二千余里、狗邪まで陸行五千余里」のはず。
同様に、邪馬台国までの「水行十日陸行一月」は順次ではなく選択式で、
「水行ならば十日、陸行ならば一月」でしょう。実際は瀬戸内海を水行したと推測します。
92愛知県民:2007/10/13(土) 14:26:41
張明澄氏によると、「水行十日陸行一月」は「水行ならば十日、陸行ならば一月」
と解すべきで、「水行十日、さらに陸行一月」であれば「さらに」という文字が必要だと。
それなら畿内説の日本海航路は成り立たないわけで、瀬戸内海航路であり
投馬国=吉備(備後の鞆)、邪馬台国=畿内(大阪湾岸を含む)でしょうか。
今週は時間が無いので、以上。
93日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:06:47
 日本再生は司法制度の改革から始めるべきです。 

少年A18歳と少年C16歳は、東京都足立区綾瀬の路上で夕方自転車に乗って帰宅中の
女子高校生を誘拐して少年Cの自宅に40日間監禁した。仲間らを集めて暴行させ金を
受け取り、陰毛を剃り音楽に合わせて服を脱ぎながら踊らせたり、性器に異物を挿入した。
彼女が逃げ出そうとすると体にオイルを塗って火をつけ、熱がり苦しむのを見て笑い転げた。
発見された遺体には性器と肛門にオトロナミンCの瓶が突き刺さり、両者がつながるほど
破壊されていた。
少年らの服役期間には裁判期間が算入され、しかも刑期満了前に仮保釈されたため、
主犯以外は全て6年程度で仮出所した。主犯も平成19年2月で仮保釈された。 
監禁を知っていた両親に監督責任は問われず無罪であった。
女子高生コンクリート詰め殺人事件:
94日本@名無史さん :2007/10/13(土) 15:13:16
普通に考えて、使節団は荷物を大量に持参しており、
船から降りるときは、邪馬台国に近いところまで船
で運んで、そこから陸路が常識でしょう。

使節団が松浦国に上陸したとの記述があって、そに国
が北九州であれば、邪馬台国は北九州のどこかである
のは、間違いないでしょう。

畿内説の方は、松浦国が畿内のどこかではないかとの
議論を展開した方がよろしいかと思います。
95日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:26:00
>>94
>使節団が松浦国に上陸したとの記述があって

松浦国とは末盧國のことだね
でもさ、使節団が末盧國に上陸したとの記述は、倭人伝には無いよ
96日本@名無史さん :2007/10/13(土) 15:35:45
確かに末盧國は必ずしも、松浦半島と特定する根拠はないのではないか。

末盧國は壱岐から一千里の海路のどこかであって、壱岐から松浦半島は
近すぎる。
しかしながら、畿内では、明らかに遠すぎるので、畿内ではないでしょう。
山口県、長崎県、北九州のどこかでなければ、ならない。
・遠賀川下流域であれば、邪馬台国は、宇佐方面かもしれない。
・糸島半島(昔は島)であれば、甘木方面かもしれない。
・平戸なら天草半島か?
・伊万里なら、八女方面かもしれない。
97日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:45:42
君たちの議論は無駄だ。
なぜなら、東夷伝倭人条はきわめていい加減に書かれている。
中国の歴史書からでは真実は見つからない。
98日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:55:02
>>97
>きわめていい加減な事を書いている。

そして貴方はきわめていい加減な事を述べている。
99日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:39:03
東夷伝倭人条しかないので、あたかも真実の固まりだと思いこんでしまうのはあり得ることですよね
100日本@名無史さん:2007/10/13(土) 19:18:52

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州・西日本に伝わった稲作が早くも弥生前期末には
伝わっていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
101日本@名無史さん:2007/10/13(土) 21:27:47
>>91
>魏志倭人伝の韓国での行程は「水行七千余里」でしょう。
>>20ではないが
水行七千余里とは書いていない。

『循海岸水行歴韓國乍南乍東至其北岸狗邪韓國七千余里』
郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、たちまち南したちまち東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。

水行は歴韓國にかかっている。韓國まで水行と読んでも何ら差し支えがない。
『乍南乍東』の記述はむしろ韓国内を歩行した場合に相応しい表現かもしれない。
陳寿にとり(又は最初の読者=皇帝)韓国内は過去語られつくした内地、
倭人の章では其北岸狗邪韓國までは軽く流している。
いずれにしても「循海岸水行歴韓國」だけでは韓国内陸行を全否定するものではない。

また他の人の疑問?ですが、其北岸とはもちろん倭の北岸。疑問の余地なし。
102プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/13(土) 22:14:12
>>101

>また他の人の疑問?ですが、其北岸とはもちろん倭の北岸。疑問の余地なし。

それを人は「対岸」という
韓半島南岸を北岸と表現できるのは、視点を海中に置くときだけに成立する表現
だから陳寿は、「東南大海之中」と記載した
大海に視点を置くことにより韓半島南部沿岸を「北岸」と、その対的に九州北部沿岸を「南岸」とすることが出来るのです。


>『乍南乍東』の記述はむしろ韓国内を歩行した場合に相応しい表現かもしれない。

それは今、貴方とサガミさんと古田氏ぐらいの発想です。
103日本@名無史さん:2007/10/14(日) 09:50:12
南岸、北岸で南東や北東は使ってないよね、その他も全部使わないのはあやしい
104サガミハラハラ:2007/10/14(日) 09:59:56
>>102貴方とサガミさんと古田氏ぐらいの発想です。

「東アジア民族史T」(井上秀雄ほか訳註 東洋文庫)でも韓国内陸行説です。
105神奈川県民改め三重県民:2007/10/15(月) 20:57:32
>>13
これ韓国語なんですかね?
それにしても発音くらい似た地名があってもいいと思えますが・・・

それと・・・プラムさん、サガミハラハラさん・・・またやりあってる・・・
106神奈川県民改め三重県民:2007/10/15(月) 21:11:26
>>20>>47
サガミさん
半島内陸行説てどうゆうのですか?

邪馬台国行程問題〜私も参戦しましょうかね。
まず大きく分けて、「水行・陸行」の記事を取るか、はたまた、「郡より万二千里」を取るかによって、
変わってきます。
九州内など有りえないという方は、「郡より万二千里」の記事を取ってるに過ぎない。
この2つの記事(2つの情報)をどうみるかによります。
私は単純にヤマトは2つ有るとみています。
山門、大和、それぞれのヤマトがあったのでしょう。
107神奈川県民改め三重県民:2007/10/15(月) 21:30:42
>>20>>91>>101
韓半島は水行七千里です。逆に陸行とは書いてません。

それと>>91-92 愛知県民さんの
>「水行ならば十日、陸行ならば一月」

私は対馬への千里の例を見て、水行一日は「五百里から千里」とみています。
だいたいこれくらいでしょう。
あなたはどれくらいと思ってるのですか?
私はヤマトは2つあったとしか思いつきませんがね。

それと九州説の人へ〜水行、陸行の記事は無視してるのですか?
そして畿内説の人へ〜郡より万二千里の記事は無視してるのですか?
両者にそれが聞きたい!
108茨城県民:2007/10/15(月) 22:10:45
>>107

>私は対馬への千里の例を見て、水行一日は「五百里から千里」とみています。

彼ら公務員は一日の移動距離まで決められています。
109神奈川県民改め三重県民:2007/10/15(月) 22:17:14
>>108
はじめまして。
水行十日、陸行一月と書いてるくらいだから決まってるんでしょうね。
だいたいですよ〜大体。
110茨城県民(プ):2007/10/15(月) 22:27:50
>はじめまして。

違うよ

「茨城県民(プ)」でいいかい?
ここでは県民性を出したほうがいいと思って(方言で書き込むと漢文以上に難解な会話になりそうだから、それだけは止めときます」

111日本@名無史さん:2007/10/15(月) 23:02:27
私が郡使だったら、朝鮮半島内を陸行などしません。

ただ、歩くのさえ疲れるのに、荷物なんか持って歩けません。
船で行けば楽なのに、そんなことをする必要性がありません。

荷物の積み下ろしも大変だし、船の調達も難しい。

賊に襲われて、皇帝から下賜された品物を奪われたりしたら、それこそ切腹
ものです。

陸行するメリットって何かあるんでしょうかね。
112日本@名無史さん:2007/10/16(火) 01:15:39
里に関しては対馬から壱岐千里とかイト国に着くまで確定値が出てるんだから
それに比例でいいんじゃない?
113日本@名無史さん:2007/10/16(火) 08:21:14
対馬から壱岐 千里 4000キロは目分量で決めた
114日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:06:11
帯方郡(韓国ソウル付近)から邪馬台国までの全里程=12,000里に対し、伊都国(福岡県糸島郡)まで10,500里を計上しておりますので、これを現実の地理と比較すると、「1里=85〜90メートル」の短里で記載されているのは明らかです
115日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:52:44
ほんまに1里は90メートルを採用していたのか、専門家の意見を聞きたい
100間は10センチで、1尺は1ミリですよね
116日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:58:18
>>114

馬鹿みたいに比較するなよ。倭人伝は国土地理院発行地図がなけりゃ嫁ないのか?
117日本@名無史さん:2007/10/16(火) 13:42:39
専門家の私が意見を言おう、
グズグズ言うならどうして対馬から壱岐千里なのかを述べよ
距離を伸ばしたならすべての距離も伸びるんだが?
「対馬から壱岐千里」これが文献上の縮尺の基本なのは学会の権威ある常識です。

距離に疑問が生じたら「対馬から壱岐千里」を百万回唱えなさい。
118日本@名無史さん:2007/10/16(火) 13:45:46
>>117

対馬から壱岐が千里だから千里と記載された
ただそれだけですが?
119日本@名無史さん:2007/10/16(火) 14:40:44
>>117
質問の前に「対馬から壱岐千里」を百万回唱えたか?
120日本@名無史さん:2007/10/16(火) 15:27:21
>>117

>専門家

産婦人科の?
質問の内容が余りにもツ〜ンと臭ったので
121日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:32:26
卑弥呼は誰か?ってスレなので質問 
畿内説の人は
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命
台与=豊鍬入姫命
男弟=孝元天皇から崇神天皇
って考えてる?
122日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:32:49
距離は全部冗談で書いてるのかもしれないね
123神奈川県民改め三重県民:2007/10/16(火) 21:12:23
>>12畿内説、九州説あるようだが、ここにいるほとんどの人が中立の立場じゃないかな。
124神奈川県民改め三重県民:2007/10/16(火) 21:13:32
>>12訂正>>121でした
125神奈川県民改め三重県民:2007/10/16(火) 21:20:06
>>114-115
当時の魏国では長里を用いるのが普通だと聞く。
しかし対馬までの距離をみて短里を使ってるのは確か。
何かの本でみたんだけど短里での1里は72メートル。
よって、郡より万二千里は日本の福岡、大分、佐賀らへん。
南へ水行十日、陸行一月は水行1日千里くらいだから太平洋の海の中になる。
126神奈川県民改め三重県民:2007/10/16(火) 21:48:08
>>110
(プ)さん茨城県民だったか。
あいかわらず漢字ですか。

んで、漢字を学んで行き、新しい発見・変化などありましたか?プラムさん
127茨城県民(プ):2007/10/16(火) 23:15:17
>>126三重県民さん

>(プ)さん茨城県民だったか。
あいかわらず漢字ですか。

んで、漢字を学んで行き、新しい発見・変化などありましたか?プラムさん


漢字の勉強は、記紀を読むための下準備です。
行程記事は(現地確認を残し)既に完結しましたし、外交記事もぼちぼちと
意外なことに、漢字の勉強をし改めて和語を覚えましたよ。
128茨城県民(プ):2007/10/16(火) 23:40:47
100l漢字で書かれた文章読むのに、漢字の勉強しないで何するの?
129日本@名無史さん:2007/10/17(水) 04:13:32
>>121
最近の考古学会では纏向を台与の司祭場としている。台与の仮面も出てきた。
130茨城県民(プ):2007/10/17(水) 07:55:03
考古学会って馬鹿の集まりか?

壹與が何者かも何をしたかも解って無いのに、司祭場もへったくれもあったもんじゃあねぇ!
書に出て来る者を適当に遺跡に割当ワイワイガヤガヤ
131日本@名無史さん:2007/10/17(水) 09:17:40
神武天皇 1代目  紀元前ー585年から76年間
   綏靖天皇 2代目  紀元前ー549年から33年間
   安寧天皇 3代目  紀元前ー511年から38年間
   懿徳天皇 4代目  紀元前ー477年から34年間
   孝昭天皇 5代目  紀元前ー393年から83年間
   孝安天皇 6代目  紀元前ー291年から102年間
   孝霊天皇 7代目  紀元前ー215年から76年間
   孝元天皇 8代目  紀元前ー158年から57年間
   開化天皇 9代目  紀元前ー98年から60年間
   崇神天皇 10代目 紀元前ー30年から68年間
   垂仁天皇 11代目 70から99年間
   景行天皇 12代目 130から60年間
   成務天皇 13代目 190から60年間
   仲哀天皇 14代目 200から9年間

132日本@名無史さん:2007/10/17(水) 09:19:01
食い物が良くないので寿命は40年くらいと見た方がいいかも
133サガミハラハラ:2007/10/17(水) 09:41:47
天皇のような支配者の食い物はよかったはずですよ。
まだ、宗教上の忌避などはなかったでしょうし。
134太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/17(水) 09:58:28
半島の長寿王98歳とかラメシスU世92歳、武内宿禰は長寿だったという。そんな
に四六時中食物が良くないとかではあるまい。倍暦計上で武内は111歳。武内は
5代に仕え神功に仕えて、仁徳紀に国の長人と云われた文がある。
唐松山さんが北史巻一、魏本紀第一から104歳の事例を挙げている。卑弥呼も
長寿だったろうな。
135日本@名無史さん:2007/10/17(水) 11:17:12
>>132
そういう机上の空論、観念論を言うものではない。

記録上は、 「其人壽考或百年或八九十年」(『魏志倭人伝』)
魏志倭人伝によれば、百歳近い人がたくさんいたらしい。

そもそも、平均寿命(あるいは余命)と、特定の個人の寿命との違いが分かっていないようだな。
昔の時代に平均寿命が低いのは、主に成人前、特に乳幼児の死亡率が高いからで、これが平均をぐぐっと押し下げる。
食料事情などの影響があるとしても、それは一般大衆の話。
一部の支配者層などは、よほどの偏食でもしない限り、健康上は現代人より恵まれた食生活かもしれない。
また、運動などの条件も現代人より良いはずで、事故や戦争で大怪我でもしないければ、はるかに長生きする確率が高い。

古代に、百歳近い指導者がいても何ら不思議はない。
136日本@名無史さん:2007/10/17(水) 11:39:08
古代の平均寿命は、成人したものの平均で、出土した骨から推定される。
乳幼児の死亡率は考慮されていない。
それによると、弥生時代はやはり30歳代とされている。

倭人伝には、卑弥呼の年齢について「長大」と書かれているだけで、具体的な
数字は書かれていない。年齢を数える習慣がなかったのかもしれない。

以前、テレビを見ていたとき、マレーシアの奥地とかで、年齢を尋ねると、
120才とかいう答えが返って来ていた。しかし、どうみてもせいぜい70才くらい
にしか見えなかった。息子というのも若い。
古代の日本もそんなものだったのかもしれない。

台与の13才くらいまではわかったのかもしれないが。
137日本@名無史さん:2007/10/17(水) 12:18:07

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州・西日本に伝わった稲作が弥生前期末には
既に伝わっていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
138太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/17(水) 12:57:34
朝廷だから、ほぼ全国的に山海の珍味が集められるだろう。だから栄誉の
ほうは必ずしも良くないとはならんだろう。一部骨群が出てきても、そこから
どれもこれもが短命だとするには結論がまだまだ早い。
139太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/17(水) 12:58:43
>>138 訂正
× 栄誉     ○ 栄養
140日本@名無史さん:2007/10/17(水) 13:33:37
RM1-bi遺伝子の米を食べると長生きします。
141日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:46:35
高速道路の整備されてた古代には遠方から豊富な食料が容易に運ばれて来ましたので
長生きしましたよ
142太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/17(水) 19:47:47
早馬がやれたのかね?
143日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:51:40
中国人が中国人に読ますために書かれた歴史書の客観性とかに問題あるんだから
どっちかつーと文献資料より考古学向けのネタだな
邪馬台国
144日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:43:43
だから、その考古学がたよりになんないから、困ってるの。
それに気がついていないんだよね、考古学者は。
145サガミハラハラ:2007/10/19(金) 13:55:10
>>89確かに現代でも谷底の道を避けて、尾根筋や中腹に道がつくられていますが、それはあくまでもケースバイケースであり、
支障のない場合は谷底にも道は(古代でも)つくられています。
ようは、とおりやすいところを人は通るということです。
146唐松山:2007/10/19(金) 19:16:26
谷底の 川底を道として使用。
雨が降れば 使えない  大水が出て 谷底を綺麗に掃除 踏み後がないと 
土地感の 無いヒトには 使えない。

尾根道
雨に関係なく 歩ける、 人がそこそこ歩いていれば 踏み後は 無くならない
周りの 山山を見れば 今自分の居る所が判る

現在でも 山で道に迷った時 谷に下りるのは危険で 最悪のシナリオが待っています。(可能性大)
147唐松山:2007/10/19(金) 19:24:02
それから
中腹の道 開削して 平らに均して下さい。
谷沿いの道も 川床から 少し上がった斜面を 平らに均して下さい。

こんな事をしないと道として使えません, だから 江戸期以降の開発なのです。
148サガミハラハラ:2007/10/19(金) 19:29:24
支障のない場合はとあるでしょう。
149唐松山:2007/10/19(金) 20:59:11
谷底は 雨が支障となる。
底が広いU字型なら 脇を通れるが 増水時 谷中では 渡渉出来ない 都合よく
渡渉しなくても良い道か 増水により川筋が変われば話は別。

雨が支障と成らない谷底は 小沢ぐらいか?
ぬかるんだ 沢も 歩きにくい 横の斜面を歩くと足がキツイ。

安定した道は 尾根道


地図で九州の谷を見ると きつい谷筋が多い 
倭人伝の道は、獣道に毛の生えた程度の物。前のヒトを見失うような藪道。


150サガミハラハラ:2007/10/19(金) 21:16:44
獣道に毛の生えたは対馬のはなし。
前の人を見失うような、は松浦川の流域の芦の生い茂る道です。
151唐松山:2007/10/19(金) 22:02:40
この時代 対馬の人口は,現在の半分位
北部九州の人口密度より 多いかも

松浦から小城へ向かう道周辺の 人口密度より多いと思います。

だから 対馬で獣道なら 松浦から小城も獣道
早い話 大陸の平坦な道から見れば 倭の道は、獣道という事で。
整備が行き届いていない。(整備するには 鎌や鋤が必要だが まだ倭には鉄器不足)
152唐松山:2007/10/19(金) 22:11:55
それから 倭人伝 の話
倭の民は 海洋民族(白水郎)を見たり 彼らから聞いた話が
殆んどで 弥生(農耕民) より集めた 話が無いような気がする。
153日本@名無史さん:2007/10/20(土) 09:14:38
千里万博会場周辺はぜんぶ竹藪なので古墳とか集落がない、すその部分にはある。
あしの生い茂る土地は開墾されたが深い竹藪は手を出さなかった
154神奈川県民改め三重県民:2007/10/20(土) 14:47:39
邪馬台国は大分の山門で問題ないんじゃないでしょうか。
なまえも似てますし

いいもの見〜つけた
http://bjkoro.net/woren/kotei.html
155日本@名無史さん:2007/10/20(土) 15:28:12
伊都國は河内だろ
156日本@名無史さん:2007/10/20(土) 15:51:48
>>155
伊都と河内は発音が似てるもんね
157愛知県民:2007/10/20(土) 15:56:34
>>107
>畿内説の人へ〜郡より万二千里の記事は無視してるのですか?

はい、私は無視しています。
この「万二千里」は、遥かに遠い所という観念的な表現でしょう。
かつて松本清張氏が指摘したように、漢書西域伝では長安から西域諸国の王城までの里数がみな「万二千里」
前後になっています。
158日本@名無史さん:2007/10/20(土) 16:03:19
邪馬台国内の人々の暮らしなどはどうだったのでしょうか?
159愛知県民:2007/10/20(土) 16:29:29
>>131
計算が合いませんけど。
「から」は「まで」の間違い?
160日本@名無史さん:2007/10/20(土) 20:39:09
卑弥呼は九州の小国を統一して邪馬台国を築き上げたと考えられます。
161愛知県民:2007/10/20(土) 21:58:49
卑弥呼の謎には、ヒメゴソ社とアカルヒメの解明が欠かせない気がしてきた。
三国遺事・新羅第8代阿達羅王にある延烏郎・細烏女の伝説。
三国史記・同じく阿達羅王にある卑弥乎の記事。
アカルヒメ=細烏女=卑弥呼なのか?
162愛知県民:2007/10/21(日) 06:57:14
古事記のアメノヒボコの話は応神天皇の段に「昔」と曖昧に記されている。
それなら神代に書けばよさそうだが?
アメノヒボコの玄孫がタジマモリだが、彼は垂仁天皇に殉死している。
崇神天皇の段のオオタタネコの系譜では、彼は大物主神の玄孫。
大物主神の子を娶った神武天皇と、アメノヒボコは同世代だ。
163愛知県民:2007/10/21(日) 07:09:47
日本書紀でアメノヒボコを垂仁天皇の段に書いているのも奇妙。
その玄孫が垂仁天皇に殉死するなど有り得ない。
それにしても、殉死をやめさせた天皇が殉死されたとはね・・・
また、ヒメゴソ社が難波と国東の2ヵ所にあるとは、何を意味するのか?
164サガミハラハラ:2007/10/21(日) 08:22:08
アメノヒボコとタジマ氏の系図は混同されていて、年代があわなくなっているようです。
そのため、この系図による年代設定はできないということになります。
逆に紀によってこの系図を修正することになります。
165日本@名無史さん:2007/10/21(日) 08:42:01
アメノヒボコは、播磨風土記ではオオクニヌシと領土を取り合う存在。
166日本@名無史さん:2007/10/21(日) 09:32:41
難波が兵庫県の尼崎にもあるのですがどうしますか
167愛知県民:2007/10/21(日) 10:15:53
>>164
>逆に紀によってこの系図を修正することになります。

日本書紀だけを正しいとすることは危険でしょう。
>>165 にあるように風土記では神代であり、古事記からの推定に近似します。

三国史記によると、新羅初期の重臣・瓠公は倭人で、瓢(ひさご)を腰にさげて海を渡ってきたという。
新羅初代の王・赫居世王もひさごのような卵から生まれたとあり、倭人だったかとも疑われる。
倭と辰韓・弁韓は古くから密接な関係があったらしい。
168日本@名無史さん:2007/10/21(日) 12:19:37
>>165
播磨は元々は信濃美濃辺りの氏族
相撲をとった場所は諏訪

播磨氏は後に四国へ流れた
169唐松山:2007/10/21(日) 16:08:40
愛知県民さんへ
新羅,百済の 王を年代順に並べて下さい。
そうすれば 古い年代は 間延びしていて 百済あたりは 最後の3代位 1年毎の即位

書紀とそのまま 並べるのは キケンです 注意してください。(新羅の王名なら 麻雀OKよ)

播磨は 考霊60年頃 天皇により 治められる。
170唐松山:2007/10/21(日) 20:06:54
ヒメゴソ社が難波と国東の2ヵ所にある のは
神功と共に 畿内に 凱旋した 住吉大社 に同行 (これが 九州の東遷)

ヒメゴソ社 は 良い線 行ってるよ。
171日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:14:55

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州・西日本に伝わった稲作が既に弥生前期末には
伝わっていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
172日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:16:32
ヒメゴソの「ゴソ」ってのは半島語なのか?
日本語なのか?
173日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:43:33
シベリア語だろうな。
174日本@名無史さん:2007/10/22(月) 01:04:59
>>172
岩波の『古事記』、『日本書紀』を嫁。
古代言語が注釈で詳しく書かれていて、目からウロコ。
175日本@名無史さん:2007/10/22(月) 18:37:47
半島の歴史 抜粋
新羅本紀第ニ・第九代 伐休尼師今(在位 AD184-196)
3年(AD186) 三年 秋7月、南新県がめでたい穀物を献上した。

三國史記 卷第二十三 百済本紀第一
百濟始祖 温祚王 三十三年 春夏 大旱 民饑相食 盜賊大起
己婁王(こる)(在位:77−128) 三十二年 春夏 旱 年饑民相食
仇首王(きゅうしゅ)(在位:214−234)比流王の父
比流王(ひりゅう)(在位:304−344) 仇首王第二子 二十八年 春夏 大旱 草木枯 江水竭 至秋七月乃雨 年饑人相食

解説
がめでたい穀物 =米 新羅では この時代 米は 歴史書に載せるほどの 貴重品
人相食 = 百済では この時代 飢饉の時には 首狩りをしていた。
まさか 同族を食卓に上げる訳にも行かない ではどうするか? 隣りの部族と戦(カヤなど)
「今回は3人捕らえたが 2人捕まった。」 という様な事
この 飢饉の為にも全ての土地を治める様な事はしない。(領民同士で 相食むは、成立しない。)

父 仇首王と 子 比流王の 年代に注目。
176サガミハラハラ:2007/10/23(火) 00:08:48
みました?NHKの100年の難問はなぜとけたのか?。
すごいもんですね、あれにくらべたら私の日本書紀年代の算出なぞは、まさに小学生の算数です。
177日本@名無史さん:2007/10/23(火) 00:39:45
>>169
新羅も百済も高句麗も今一つ確実性がないのは同じだろ。
高句麗には長寿王という眉唾がある。
三国とも短期の在位の王が少なすぎる。

後世になって歴史の名を残していた著名な王だけで史書を
作ったら、個々の在位が長くなっちゃったという感じがある。
178日本@名無史さん:2007/10/23(火) 07:18:33
>>176
フィールズ賞というのは、4年に1度の賞なんですね。
フィールズ賞といって思い出すのは、広中平祐さん。
あの人も天才といっていいのかもね。
高校生のときには、大学院レベルの数学をやっていたとか。

高校の微分方程式なんかで挫折している身としては、ポアンカレ予想なんてのは、
最初から理解しようなんてつもりもなかったけど、やっぱり問題の意味さえ
チンプンカンプンだった。

ペレリマンの場合は、最難関のエベレストかなんかに登ってしまって、
もう、登る山がなくなってしまったという感じなのかもしれない。
179太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/23(火) 07:25:01
>>177
眉唾の理由、根拠は? 書きこみがないが?
180唐松山:2007/10/23(火) 17:33:23
長寿王の年齢 聖寿100歳超 ですよ 信じたければ 信じてください。

百済で 文字による 記録は 西暦350年頃より始まる。
これ以前の 歴史は、口授,口伝 だということです。

まさか 日蝕まで 口伝で伝わったとは思えない, 後の世の書き込み。
治世に関しては 日本と同じ
王名に関して 同じ名前の王が居る。 口伝の証拠か?

日本の歴史書は、妃等 口伝では 不可能な情報量
後世 舎人の 作り話 では 説明できない。
181神奈川県民改め三重県民:2007/10/23(火) 21:49:19
卑弥呼はだれですか?
182太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/23(火) 21:52:48
卑弥呼は九州の女王国の女王さ。神功でもアマテラスでも比売大神でもないよ。
183茨城県民(プ):2007/10/23(火) 21:56:38
>>181

>卑弥呼はだれですか?


それって
いきなり『首相はだれですか?』って聞いてるようなもの
184日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:32:46
さあーって、古瀬絵里でもみてもう寝よう。
185日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:49:07
要するに、卑弥呼の記憶が後の日本人の間に残っていたか。
具体的には、記紀に卑弥呼の痕跡が見られるかどうか。
186日本@名無史さん:2007/10/23(火) 23:32:59
>>184
おまえか、スイカッパーはww
187日本@名無史さん:2007/10/24(水) 08:58:00
日本書紀に景行天皇に剣と玉と鏡を提出して降伏する女王が出てくる。
188日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:33:56
それが卑弥呼さんで、そのあと奴隷にされたのかな
189サガミハラハラ:2007/10/24(水) 09:33:58
ああ、華奴蘇奴国(福岡県行橋・刈田 旧肝等庄)の女王神夏磯媛ですね。
190日本@名無史さん:2007/10/24(水) 14:19:12
景行天皇は、熊襲征伐で九州にやってきた。宮を構えてじっくりと戦ったが、
結局、征服することは出来なかった。だから、息子の日本武尊がまた熊襲征伐を
することになる。

なのに、29カ国を従えていたとされる邪馬台国の女王が何もせずに降伏という
ことはないだろう。熊襲よりは強敵だと思われるが。
191太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 14:42:21
>>187
原文はどういうの?
192日本@名無史さん:2007/10/24(水) 16:23:38
>>191

187じゃないけど貼っとく

爰有女人。曰神夏磯媛。其徒衆甚多。一国之魁帥也。聆天皇之使者至。
抜磯津山之賢木。以上枝挂八握剣中枝挂八咫鏡。下枝挂八尺瓊。
亦素幡樹于船舳。参向而啓之曰。願無下兵。我之属類。必不有違者。
今将帰徳矣。唯有残賊者。一曰鼻垂・・・(省略)
是四人也。其所拠並要害之地。故各領眷属。為一処之長也。皆曰。不従皇命。
願急撃之。勿失。
193太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 16:36:14
>>192 感謝。
いつ頃? 景行即位何年で、畿内でか九州でのことか?
ひととおり紀は読んではいるが、忘却もあるし全部覚えているわけでは
ないから、再確認のためには有り難い。
194太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 16:44:43
景行12年?山口県でか? まぁあとで紀を見てみよう。
195日本@名無史さん:2007/10/24(水) 17:10:15
>>194
そう、景行十二年九月に周芳の娑麼についた後

景行十二年
秋七月。熊襲反之不朝貢。八月乙未朔己酉。幸筑紫。
九月甲子朔戊辰。到周芳娑麼。

時天皇南望之。詔群卿曰。於南方煙気多起。必賊将在。
則留之。先遣多臣祖武諸木。国前臣祖菟名手。物部君祖夏花。
令察其状。爰有女人・・・以下>>192
196太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 18:23:37
再謝。
197日本@名無史さん:2007/10/24(水) 20:31:30
熊襲は、 九州王朝(卑弥呼)に対し 不朝貢 です。
困った卑弥呼は 大和景行に対し 出馬要請
神夏磯媛=神香椎姫=カンカシヒメ  天皇又は卑弥呼 のような格好=上下の乱れ

景行の領地と成ったのは,景行が刈り取った土地だけです。(九州全域では無い)
九州王朝(卑弥呼)の支配地域はそのまま 九州王朝のものです。
つまり 九州王朝に叛いた王の領土を 景行が奪った。もちろん これまで九州王朝の
支配外の 熊襲も一部を傘下に置く。

198日本@名無史さん:2007/10/24(水) 20:46:16
狗奴国=熊襲 対 奴国=卑弥呼
の領土拡張の戦いで 劣勢な卑弥呼が 景行を引きずり出した。
熊襲=海洋民族 倭で最初に鉄を手にするのが 
熊襲 この鉄を 奴国は売ってもらう その鉄を大和は売ってもらう
もし 熊襲が鉄を売らずに自分で使えば 奴国は敵わない。
199太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 20:49:40
景行は卑弥呼より後の時代。
200日本@名無史さん:2007/10/24(水) 20:58:06
もともと九州に女王の逸話は多いって聞くよ。
大体、王族の娘が巫女になるのは普通。日本中にある。

王族と戦略結婚するか巫女になるんでしょ。
中世の欧州でさえ、王族や貴族の末息子は聖職者になったりする。
天皇家の皇女なんかも歴史上、巫女多いでしょ。

だから卑弥呼や台与みたいな女王の存在は、たまたま中国と交流があった
地域の実力者で、実は他にもたくさん居たと思われ。
201太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 21:00:43
卑弥呼の九州王朝はわりと女王が多かった。比売大神とやらもそれ。女島生まれ
なんだろう。卑弥呼ではないが・・・・・。
202唐松山:2007/10/24(水) 21:10:00
上は 私です。

この時 景行が 見た物
@ 暦の分散    暦による種貸し屋の限界
A 鉄を持つ意味  敵に渡したくない物

203日本@名無史さん:2007/10/24(水) 21:12:17
>>201
姫島じゃないの? アカルヒメ伝説だっけ?
大分の国東と大阪難波に社がそれぞれあるよね。
204唐松山:2007/10/24(水) 21:43:00
古墳を考える時
その大きさは 鉄器の量も考えないと成らない。
現在の 箸墓古墳を 崇神の時代と 考える人が多いと 思いますが,
そうすると 鉄器は 崇神時代 相当量 大和に 入っていた。 と見なければ成りません。
しかし 初めて船を作る のが 崇神18年 ですから それ以前は,
商人による 取り引き と考えられる。 量は期待できません。
そして 鉄の 対価として 何があるか? やはり米か?
米が半島で 高価な品物でも 運ぶ途中で濡らしては成らない となると
この時代では 不可能に近い
翡翠 なら 可能性 大 でも 量と 産地糸魚川の支配は?
水銀朱 これも あり だろうが やはり 産地と量(まだ鉄器が少ないし技術も)

少量ならともかく ある時代を境に大量に 流入 を考えると 
崇神が箸墓を作る 無理だろうな

この時代 カヤ諸国にも 沢山女王がいます。
  
205唐松山:2007/10/24(水) 22:04:20
神崎(吉野ヶ里)も女王です。 景行に 降参している。

この西 小城は、倭武に 降参
さらに西は 神功に 降参

これで 一応 熊本の石を 畿内に運ぶルートは 出来た。
206太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/24(水) 22:08:50
>>203
古事記は女嶋、日本書紀は日女島だったはず? 現地は姫島かな。
207日本@名無史さん:2007/10/24(水) 22:14:13
>>204
>>初めて船を作るのが崇神18年

これって注目すべきだと思う。
この技術がこの時代までない国・支配下の連合国が、福岡に役人置いて畿内まで中国の大使を水行させたり
貢ぎを船で運ばせて王の印もらうような機能を果たせるわけない。

その証拠に欠史8代の天皇の嫁は陸続きの畿内近辺ばかりだぞ(既出。過去スレ参照)これが
一番おかしい。

つまり邪馬台国は、祟神天皇の居た場所とその制圧内ではないところだと思うね。
別の支配層による、水行を制海できる別の地域。
そのあと大和になるころには邪馬台国の支配層は地方の一王族にされたか消滅、畿内に
王族集合したのだよ、きっと。

全部想像だが良い線いってると思うYO!
208九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/24(水) 23:16:20
そもそも畿内説で考えれば魏使が日本の奥深くまで入って来て邪馬台国とクナ国との仲裁をするなど
倭国のセキュリティーを全く無視したようなことになってしまう。
吉野ヶ里遺跡が海からの攻撃に対して警戒したような造りになっているのも
大陸からの奴隷狩り等が倭を舞台に行われていた可能性を物語っているのではないか。
だとすればたとえ魏の使い足りといえども倭国の地形を詳しくは知られないようにした筈である。
特に女王の宮殿の場所については公には秘密で魏使も「目通り適わなかった」のではないか。
209日本@名無史さん:2007/10/25(木) 07:04:40
追い込まれる九州説論者の呻き声が聞こえる。

210日本@名無史さん:2007/10/25(木) 09:29:53
狗奴国=この国=許乃国(京都府の宇治付近)

211日本@名無史さん:2007/10/25(木) 13:36:36
日向三代

・高天原の神は統治者を派遣する事とした
・ニニギが任命された
・猿田彦が道案内を申し出た
・ニニギは5人の神を従えた
・こうして準備を整え、ニニギは筑紫の高千穂の峰に降りたった
・ニニギは天照大神の孫なので、これを天孫降臨といいます



ニニギは筑紫(九州)を統治しに行ったんだよ
調べたら高志の地(石川県)に出雲や日向の伝承や由来もあったよ
葦つ高原は高志の事だと思うよ
百済系の渡来人の港などがあってここが玄関口だったみたいだよ
212九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/25(木) 18:07:51
「許乃国」っておすもうさんさんかと思っていました。
213日本@名無史さん:2007/10/26(金) 15:46:49
ぐうの音もでない畿内論者たち
214九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/26(金) 21:11:06
前々から言ってるように女王国は伊都国の南に位置してるのだ。
女王国の南とはまさに熊本県にあたる。
今まで「距離が合わない」だの「南という方角がが違う」だの
挙句は「倭人伝自体の信憑性が疑わしい」だのと
クナ国=熊本県菊池説を散々否定してきた畿内説者も、最近では
文献どころか道理まで無視して、ほぼ大和朝廷の勢力範囲に迫るほどの
佐賀の伊都国から近畿までの広範囲を邪馬台国連合と位置づけ
外国の学者もそれを認めつつあるという。倭人伝が無視されるようなことになれば
実に嘆かわしい。
215日本@名無史さん:2007/10/26(金) 21:21:31
・東南陸行五百里到伊都國
・東南至奴國百里

倭人伝のこの2箇所の「東南」は、方角が違うだろ
216九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/26(金) 22:32:37
>>215
じゃあ聞くけど、熊本県は福岡県の南にあるわけ?
南にもあるけど福岡県を東南に行っても熊本県は存在するよ。
出発地点次第では西南に行ってもあるんじゃないかな。
だから問題は倭人伝の記述はどこを基点として方向を論じたものなのか
が解らなければ、正確な方向についての解釈は出来ないって事なのね。
217日本@名無史さん:2007/10/26(金) 23:28:23
>>216
>じゃあ聞くけど、熊本県は福岡県の南にあるわけ?

これは「イエス」と答えるね。それが素直な回答だろ。

>南にもあるけど福岡県を東南に行っても熊本県は存在するよ。

これもその通りだけど、なんか屁理屈じみてるね。
起点、終点を適当に選んでいいのだったら、福岡県のある地点からは、熊本県は西にもなる。いや、なんと北にもなる!
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=33/00/51.550&el=130/30/31.868&scl=500000&bid=Mlink

>どこを基点として方向を論じたものなのかが解らなければ、正確な方向についての解釈は出来ない

じゃあ、どこが基点?
218九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/27(土) 03:36:22
それが解りゃ苦労はしないでしょう。
少なくとも、あるA地点であって、今いる弥生集落からこれから行こうとする次のクニ、
B地点へ延びた古代の道が南東方向に伸びているとしたら短絡的に南東としたかもしれないし。
この時代に八方を知っているのは魏人だろうから詳しく測量まではしなくとも
ある程度の方向を北極星などの位置から判断したとも考えられるよね。
だから多少の誤差があっても深く考えなかったんじゃないかな。
魏使が倭国に来てそれほど方角を詳しく測量したとは思えない。
司南などを使って簡単に調べたんだろう。
基点については発見済み、もしくは未発見のどこかの弥生集落だろうとは思うけど。
219愛知県民:2007/10/27(土) 13:46:10
>>169
>愛知県民さんへ
>新羅,百済の 王を年代順に並べて下さい。
>そうすれば 古い年代は 間延びしていて

確かに延びていますが、日本書紀ほどではないですね。
闕史時代もありませんし。
ただ、神代が無いのは残念です。
神話は歴史にあらずという、中国の影響かな?
220愛知県民:2007/10/27(土) 13:48:33
天之日矛と阿加流比売が、卑弥弓呼と卑弥呼とかもしれない。
「素より和せず」という記述にぴったり。
天日槍は日本書紀によると宇治川をさかのぼっているので、
>>210 の「許乃国」が狗奴国かも。

>>212
むかし「大乃国」という横綱がいましたね。
221愛知県民:2007/10/27(土) 15:40:29
卑弥呼=阿加流比売とする場合、アメノヒボコ伝説の孤立性が問題になる。
古事記では応神天皇の段に「昔・・・」と曖昧に書かれているし、
日本書紀では垂仁天皇の時代に彼が来て、その玄孫が垂仁天皇に殉死したという不合理さ。
思うに、闕史時代以前の伝承が時の経過とともに大幅に変わってゆく中で、
アメノヒボコ伝説は渡来人の間でよく原型を保って伝えられたのではないか?
記紀の編者はアメノヒボコを無視は出来ず、しかし時代は特定できなかった。
卑弥呼を神功皇后に当てはめた扱いに似ているようだ。
222神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 15:45:33
さて、今日も邪馬台国論争やっていきましょーかね
223神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:02:15
>>183
首相とはまた違うでしょ。なんでそこで首相がでてくるのかわからない。

>>185
日本史には卑弥呼の名がでてきませんよね。神こう皇后のとこ以外は・・
224神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:06:31
>>187-200 景行天皇の時代の女王について

その書かれてる内容から大和は九州統治はまだ成されてなかったことが見れます。
卑弥呼の女王国はまた天皇家と違った王族でしょう。
225サガミハラハラ:2007/10/27(土) 16:10:06
景行の九州征伐はクマソが反乱を起こしたからだということです。
反乱以前は大和に服属していたようです。
226神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:12:55
>>199
>景行は卑弥呼より後の時代。

あなたはどうしてそう思うのですか?根拠をのでてほしいですね。
227愛知県民:2007/10/27(土) 16:13:42
播磨風土記の葦原志挙乎命(葦原志許乎命)・伊和大神との争い、
古事記の「渡の神」との争いが「倭国の乱」かとも考えられる。
難波の比売碁曾神社の主祭神が大国主の娘の下照比売命になったのも
「男子の王」から乱を経て卑弥呼が後を継いだからかもしれない。
228神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:26:48
アメノヒボコねえ・・・・

日本史の謎を解き明かす重要人物なのは間違いない。
記紀によると垂仁天皇の時代に登場する新羅の王族。
229神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:38:55
>>225
なぜそのようなことが言えるのですか?
大和に服属してないから九州の地に「邪馬台国」の名が中国史に書かれてる。

230愛知県民:2007/10/27(土) 16:46:35
>>161 にも書きましたが
三国遺事・新羅第8代阿達羅王の4年、延烏郎・細烏女が倭国に渡り、王となった。
三国史記・同じく阿達羅王の20年、倭の女王卑弥乎が使者を送ってきた。
これが正しいとすると、卑弥呼は新羅から渡来したと読めるが?
本当?
231神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 16:52:09
愛知県民さん〜それなんですか?
延烏郎・細烏女なんてはじめて聞きましたね。
よかったら教えてください。
232愛知県民:2007/10/27(土) 16:59:21
>>231
有名な話だと思っていましたが?
岩波文庫の日本書紀で、アメノヒボコ伝説の補注で紹介されています。
ネットで検索してもすぐ出てきます。
たとえば
ttp://www.geocities.jp/hjsxs295/rekisi.html
233日本@名無史さん:2007/10/27(土) 17:06:59
サガミさん 景行の九州征伐はクマソが反乱 と 謳っていますが
それでは 神香椎姫やクニマロ 及びウチサル
が 熊襲である事を 証明できますか?

 タタネコが マコクラマロを イワイヌシ...
麻呂やウチサルと名のつく 熊襲は 居ないと思います。

愛知県民さん
半島の歴史書は、 眉に唾して読むもの、
とくに 西暦350年以前に関しては。

234愛知県民:2007/10/27(土) 17:31:29
>>233
唐松山さんですね?
三国史記、三国遺事とも記紀よりずっと新しい歴史書。
私も眉に唾して読んでいます。
ただ、日本にもアメノヒボコ伝説がありますから、
全く捨て去るのもどうかと思います。
百済・高句麗と異なり、新羅は勝ち残った国なので
古い伝説が残った可能性は高いでしょう。
235サガミハラハラ:2007/10/27(土) 17:55:55
当時の大和では九州の人はみんなクマソといっしょくたにしてよんでいたようです。
今でもというかちょっと前にどっかのウイスキー会社の社長さんだかが、東北地方のひとも
熊襲といっていましたね。
236唐松山:2007/10/27(土) 17:58:14
アメノヒボコは 
タジマモリがどんな人物か判らせる為に 垂仁の処に書かれた。
タジマモリの ひ孫が神功。
そうすると 仲哀と 神功は 1世代近く歳が離れる。

確かに 新羅の歴史は長寿王 以後 ?が少ない。が

米の余り取れない 半島から 卑弥呼は 渡来した。(半島の国は何を以ってシノギとしていたか?)
この シノギを推定してください。


 
237愛知県民:2007/10/27(土) 18:22:07
>>236
>半島の国は何を以ってシノギとしていたか?

「鉄」でしょう。
一方、倭国のシノギは「生口」。
238唐松山:2007/10/27(土) 18:24:22
神武は九州から大和にやってきた。
其の 末裔の 景行は、九州人を 熊襲と ひと括りで呼んだ。
この解釈で宜しいですか?
239唐松山:2007/10/27(土) 18:26:58
シノギが鉄なら 最初に かや に強力な国家誕生でなければ成りません。
240サガミハラハラ:2007/10/27(土) 18:29:04
紀の記述からするとそう思われるということです。
241太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 18:36:02
>>226
紀では崇神即位はB.C.97年で崩御がB.C.30年、景行即位は71年崩御は130年
だが、これはみかけの年代であり実年代ではない。

実年代を知るのは当時の朝廷が倍暦を計上していたことを認識すべきであり、
真の年代は倍暦計上から、崇神即位は237年で崩御が259年であり、崩御は記の
崩年とは1年のズレがあり、この点は記の記述が相当正確であることを物語って
おり、続いて景行即位293年崩御は322年計上であって、どれも紀のみかけの
年代から大幅なズレこみがあるのが観てとれる。

その崇神即位237年とは結局景初元年であるからして、卑弥呼がだいたい孝靈
開化から崇神の時代の人物であることが把握される。景行の時代は上述から
卑弥呼よりも後代であることが一目瞭然となる。
242日本@名無史さん:2007/10/27(土) 18:53:53
>>241
>卑弥呼がだいたい孝靈開化から崇神の時代の人物であることが把握される。

太国は大キライだが、これはほぼ妥当と思われ。
243唐松山:2007/10/27(土) 18:57:20
太国さん このように説明してください。

日本書紀に書かれた。 歴代天皇の世継ぎは ほぼ正しくて 治世のみ 延長されている。
よって 書紀の各天皇の治世を 圧縮すれば 正しい 歴史になる。
上記のように 認識している。 では無いですか?

其れに対し 私を含め 少数の 人達は 書紀に書かれた 記事で 歴史を再現しようとしている。

この違いですわ。


244サガミハラハラ:2007/10/27(土) 19:09:52
私は両者を照合して歴史を再現しています。
245唐松山:2007/10/27(土) 19:38:37
サガミさんへ
神功 三韓征伐が 西暦300年頃なら 三韓の地も未だ 安定していませんので
この頃なら 時代的に 可能 だと思いますが。

とりあえず サガミさんの説は 読み替えが多すぎる
それは 倍暦説の採用による物と思われ流。
私の 増し暦 と そんなに 長さ 的には 違いが無いので その長さ的には
賛成 出来る部分もあるが 読み替えが多すぎる。

後は 本物の暦の発表を待ちますが 作れますか?
もし 時代の長さしか測れない物なら 増し が在ります。
246サガミハラハラ:2007/10/27(土) 19:49:42
もう雛形はできていて「神功は実在した」の中で発表しております。
あとはそれにそって歴史上の史実を当てはめていく作業がありますが、
いつ完成かについては予想できません。
247サガミハラハラ:2007/10/27(土) 19:58:29
訂正 上記「神功は実在した」は「神功皇后は実在した」の間違いでしたおわびして訂正いたします。
購読の場合は、紀伊国屋か有隣堂でおもに販売しております。
本屋さんに注文してとりよせる場合は「神功皇后は実在した −その根拠と証明ー 後藤幸彦著 明窓出版刊 2100円」です。
図書館にリクエストして読むのもよいでしょう。手間がかかりますが。
しかし、これから日本古代史を研究論じるためには必読の書ですので、なんらかの方法でお読みすることをお勧めいたします。
248愛知県民:2007/10/27(土) 20:42:17
>>239
>シノギが鉄なら 最初に かや に強力な国家誕生でなければ成りません。

吉田孝氏は、「なぜ倭の政治的な統合は早かったのか」という疑問を自ら発し、次のように答えています。
「楽浪郡・帯方郡に近接していた韓の諸国は、その政治的統合が、つねに郡の権力によって阻害されていた。
二郡から海を隔てた倭は有利な立場にあった。
もう一つの条件は、意外に思われるかもしれないが、日本列島に鉄がほとんど産出しなかったことである。
鉄のほとんどは朝鮮半島から運ばれたと推定されている。・・・
このような流通路の狭さは、その流通路を掌握した政治勢力の地位を優越させる。」
(岩波新書「日本の誕生」)
同書にはこんな記述もあります。
「時代も場所も全く異なるが、近世のアフリカで、輸出用の奴隷を獲得する目的で部族間の戦争が激化したことは
よく知られている。弥生時代の倭においても、こうした戦争がなかったかどうか・・・」
249日本@名無史さん:2007/10/27(土) 20:48:27
老人ばっか 
250唐松山:2007/10/27(土) 21:11:03
では 何故 「楽浪郡・帯方郡」は 半島を 我が物としなかったか?

日本の 天皇家のシノギは 種貸し
生口をシノギは 無いだろう もし この生口を支那迄持っていっても 牛馬より安い
のが オチだろう, 貢ぎ物(珍しいだけ)だから 成り立つが 生業としては? 舟の問題もあるし
船を作るには 鉄器と技術が共に揃わなければならない。
連れて行った生口を 何に使うのか? 食料にするのか?
鉄掘りか? かや に未だ強力な国は無い。
 
251神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:33:12
今日、サガミさんの『倭国歴訪』注文しました。
しかし、サガミさんは、私と同じ地方出身で鶴○丘高卒とは知りませんでした。
ちなみに私は別大○○高卒です(笑)

『倭国歴訪』注文したからといってサガミさんの考えに同調してるわけではありません。
(プ)さん同じく、その持説をうち破ってやろうとするものです。笑
252日本@名無史さん:2007/10/27(土) 21:36:37
>その持説をうち破ってやろうとするものです。

がんがれ!がんがれ!
253神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:39:00
251訂正
出身は間違いでした
254神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:39:07
251訂正
出身は間違いでした
255神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:43:30
>>232
アア それか・・・
それは卑弥呼とは何も関係ないでしょう。
256神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:48:41
>>235>>238>>240
熊襲は九州の一部分のことでしょう。
九州全体とは初聞きです。
257神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 21:58:10
>>241
>紀では崇神即位はB.C.97年で崩御がB.C.30年、景行即位は71年崩御は130年
>だが、これはみかけの年代であり実年代ではない。

なるほど・・・私も実年代とは思っていません。

>卑弥呼がだいたい孝靈
>開化から崇神の時代の人物であることが把握される。

みんなそれくらいと思ってるのではないでしょうか。
258太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 22:03:47
>>257
みんなではないですよ。でもそろそろ気づいて来ているものか? その
ころだと考えてる方もわりとおられて増えたのやも知れませんが・・・?
倉西さんという紀年研究家は崇神即位が・・・確かA.D.91年としてると
思ったです。これは例ですが、かようにいろいろ見解が異なるようです。
259唐松山:2007/10/27(土) 22:05:23
私は 卑弥呼は 景行時代と 見ています。
260日本@名無史さん:2007/10/27(土) 22:10:41
卑弥呼はかなり長く統治したと思われますが、景行時代もかなりながかったのでしょうか。
261日本@名無史さん:2007/10/27(土) 22:13:05
九州で最大の荘園面積を誇った宇佐神宮は神軍として、畿内の皇軍とともに
熊襲退治に参加している。

しかも宇佐は古代朝廷において非常に強い影響力があり三祭神の一人は神功皇后
でもある。九州全体が熊襲なんて、考えつくわけがない。


知識層ならよほどの馬鹿か、教養ない人間の考えだったのであろう。
262日本@名無史さん:2007/10/27(土) 22:15:32
とりあえず、卑弥呼と当時の天皇は同じ国の支配者ではなかった。
これは確か。
263神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:19:00
神功皇后が活躍したのは、日本史、中国史、朝鮮史の記事から西暦350〜400年くらい
というのは確定的なんですよね。
西暦183年頃、卑弥呼が共立されたのはその150〜200年前なんですよね?

>>259
>私は 卑弥呼は 景行時代と 見ています。

大丈夫ですか?
景行時代という根拠をお願いしたいものです。
264神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:31:19
>>262
私もです。
卑弥呼は卑弥呼であり天皇家との関わり合いはないようです。

今、みなさんが住んでる「日本」という国は男系社会であり、祖先を大事にし、
偉い人(天皇等)が亡くなると神上がりといい、神社などに神様として称えられてるのです。
皆さんがそのことを1番知ってるでしょう。
外人は知りませんけどね

もうひとつ、昔からある雛人形などからみても天下を治めるのは天皇と皇后です。
卑弥呼みたいに単独の女王など考えれません。
きっと魏志倭人伝にでてくる卑弥呼は外国か大和朝廷とは関係ない国と私は思ってます。
265太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 22:38:05
>>263
倍暦計上で

神功摂政皇太后元年=353年     神功崩御=375年
266神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:39:00
『卑弥呼の国は天皇の大和朝廷とは関係ない国』について意見ある人はいますか?

267神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:41:03
>>265
その倍歴とかいうのはどこから持ってきたものですか?太国さん

春、夏、秋、冬
のどこが倍歴なんですか?
268太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 22:47:18
>>267
古代天皇の超長寿の不審から外人が倍暦ではあるまいかという説を出したこと
から倍暦論がうなづける点があるため、紀年論での台頭をして来たのだろう。
その対極的説か、讖緯説があるが。

四季のどこが倍暦かとかそういうものではかならずしもないが、2倍暦の
論では、だから春夏と秋冬で一くくりで年を為すのが一例でな。
269太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 22:54:54
>>268
言葉足らずだったか? たとえば春夏で1年となるとかだ。現今の半年
が当時の1年というわけ。
6月末で切ったとも言える。そのときの大祓い行事で区切られる。
270神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 22:55:41
>>268
やはり外人でしたか。
それを聞いた日本人の太国さんはどのようにおもったのですか?
今、あなたが倍歴を使ってるところをみると同調したのでしょう。

私から言わせれば、記紀の時代隠蔽の方法なんてどうでもいいことなのです。
太国さんの視点は他のみなんさんと違う感じを受けます。
271愛知県民:2007/10/27(土) 22:58:30
>>266
意見あります。
卑弥呼の立場は、清寧天皇の後の飯豊女王や、推古・持統・孝謙などの女帝とそれほど変わらないのでは?
男の天皇がうまく決まらないとき、中継ぎのような意味でしばしば女帝が立てられた。
卑弥呼も壱与(台与)もこれと同じ。あくまでも男王の代わりです。
その意味で現在の皇室は、かつてない危機にあるとも言えます。
272太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 23:02:00
>>270
それがしは古神道のほうからですよ。その大祓祝詞奏上の儀式で、6月末に
行われることからで、これではあるまいかと思ったことが最初です。外人の説
はあとで知ったことです。
紀年が正確ならば卑弥呼がいずれの時代であるかとか神武、崇神がいつごろの
時代の人物かが数字で分かるわけだから、古代史では重要ですよ。
紀の編者は時代隠蔽など心がけてはいませんが? 彼らも正確に時代が分からぬ
から苦しんだということです。
273神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 23:03:54
太国さん・・・キツイようですが・・・

「ひぃ・ふぅ・み・よ・い・む・な・や・と」の言葉とか日本伝統の五節句、
年、365日(宇宙学)の云われとか学んだほうが良さそうです。
274神奈川県民改め三重県民:2007/10/27(土) 23:14:20
>>271
愛知県民さんがおっしゃるとおり天皇家もしばしば、中継ぎとして飯豊女王等が立てられています。

しかし、愛知県民さんは『共立』という言葉を解ってないですよね。

この共立の意味を間違えるととんでもな方向へ行ってしまいます。

天皇家は全員が知ってるように親子または兄弟による一族による相続です。
275太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/27(土) 23:15:55
>>273
数読みは四六時中研究をやってましたよ。

最後段
それは【倍歴】記紀時代の編年考察【七支刀】スレ >122 に簡略にて
解説してあります。そこを読んで下さい。

寝ますから、質問あれば書きこんでおいて下さい。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz・・・・・・・・・・・・・・・・
276愛知県民:2007/10/27(土) 23:19:11
>>250
唐松山さんの歴史観だと、半島の統一が遅れた理由は「飢饉時に首狩りを行うため」ですね?
アカルヒメがアメノヒボコに「種々の珍味を設けて、恒にその夫に食わしめき」とは、まさか・・・?
277日本@名無史さん:2007/10/27(土) 23:22:56
>>264
でも、記紀には単独の女王が出てくるんですよね。
言わずと知れた天照大神。
278愛知県民:2007/10/28(日) 00:21:57
>>274
「共立」という言葉は、魏志高句麗伝でも使われています。
伯固死、有二子、長子拔奇、小子伊夷模。拔奇不肖、國人便共立伊夷模為王
伯固の長男でなく次男の伊夷模が後を継いだのを「共立」と言っています。
古代の天皇家はほとんど「共立」ですよ・・・?
279愛知県民:2007/10/28(日) 06:17:42
倭国の場合をトンデモ想像すると・・・
大国主命には大勢の息子がいたので、その後継者を決めることが出来ず、戦争になった。
そこで共立されたのが宗像・沖ノ島、又は国東・姫島で生まれた娘シタテルヒメ=アカルヒメ。
しかし彼女は辰韓・斯盧国に嫁いでおり、アメノヒボコ一派も倭国乗っ取りを図る。
倭国の運命や如何に!
280愛知県民:2007/10/28(日) 08:02:03
「年已に長大なるも夫婿無し」
卑弥呼は一生独身だったのか、離婚あるいは死別したのか。
「唯男子一人有り、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す」
この「男子」は卑弥呼の息子なのか否か。
一応、疑問を呈します。
281サガミハラハラ:2007/10/28(日) 08:20:57
唯男子一人有りの男子は仕事の内容からして奴婢であろう。
但、普通は身の回りの世話は女子の奴婢にやらせるものであるが、何故男子であるのか謎である。
また年齢についても不明、つまり、年をとってくると交代したのかと言う問題もある。
まさか、宦官であったということはないであろうが。(宦官は男の服装である。)
282日本@名無史さん:2007/10/28(日) 09:23:25
>>280

『嫁にも行かず、旦那も貰わず』
そう書いてあります。
283愛知県民:2007/10/28(日) 09:36:07
奴婢ならば、「婢千人」に対して「奴一人」と書きそうですが。
「男弟有り」に対応して「男子有り」では?
284日本@名無史さん:2007/10/28(日) 12:34:03
>>283
文章嫁よ。 前 後 とも。身の回りの世話係。
285日本@名無史さん:2007/10/28(日) 12:45:55
ひょっとして卑弥呼の不義の子、っていうほうにもっていきたい?
ありえるかもしれんな。
手伝いみたいにして側に置いてたかもしれんし。巫女の子なら子のようには
扱えないはすだし。
で、ひょっとして・・・・天照大御神にあわせようとしてるの?
286日本@名無史さん:2007/10/28(日) 12:48:41
卑弥呼に子供が居たら
子供の父親が権力を握ってしまうから
それはない
日本は処女信仰がある国だし
巫女は神さまの妻だった
287日本@名無史さん:2007/10/28(日) 13:19:32
中津平野、というところが九州北部にある。中津市とは少しずれる違う場所。

耶馬溪から山国川流域に広がる沖積平野で中津市と宇佐市に広がる
県内最大の水田地帯。
288日本@名無史さん:2007/10/28(日) 13:25:50
>>286
>処女信仰がある国だし

ない。全然ない。神代記からして(ry
ヨーロッパの処女信仰に比べたらもう、ヤリマン信仰といっていいぐらい。

>子供の父親が権力を握ってしまうから

これは決め付けは危ないね。根拠ないぜ。父親にしらせなかったら?
女の奴隷千人に囲まれてるんだよ。

巫女は神様の妻。←これはそうだな。

とりあえず、自分はその男子が卑弥呼の子だとは思ってないが。まあ、「ひょっとして」の
可能性も捨ててはない、ぐらいのもんだね。
289日本@名無史さん:2007/10/28(日) 13:27:20
>>287

すまんが↑これはスレ間違い。スルーしてくれ。
290愛知県民:2007/10/28(日) 13:50:25
>>284
「辞を伝え」に注意してください。
女王に代わって言葉を発するのです。
とても「世話係」では無いでしょう。
むしろ「男弟」と同一人物かもしれません。

>>285
天照大御神にあわせようとしてるの?

天照については東海の地方神という要素もあったでしょうが、
下界の下照姫に対応しているのかも。

『古事記』では、天日矛(アメノヒボコ)、『日本書紀』では都怒我阿羅斯等が逃げた妻(阿加流比売神)を追って
渡来した、という記述がある。
逃げた阿加流比売神が身をひそめたのは「難波の比売碁曾社」(現大阪市東成区東小橋の比売許曽神社)であるが
現在、この比売碁曾社の主祭神は下照比売命である。
これにより阿加流比売神とシタテルヒメを同一視し、垂仁天皇の条に登場する清彦は、天日矛の四代後とされており、
天日矛が来たのは3世紀前半となり、魏志倭人伝に描かれた卑弥呼の年代と一致するとする説を唱える者もある。
(ウィキペディア「シタテルヒメ」より)
291神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 14:28:01
>>277
何度もいうが女神ではありません。

人って騙され易い人と騙されにくい人がいます。

天照大神を女神などという方は前者のほうですよね。
292太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 14:41:20
天照大御神は絶世の美女ですよ。小柄なやせた感じの瓜実顔に近いお顔。
八角系の鏡が前面についた宝冠をかぶっていて、ミニスカもお気に入りです。
293神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 14:57:32
アハハッ 太国さん面白いですね。

天照大御神は絶世の美女とはあの銅像をみてそういってるんでしょうが・・・

日の御子が女神ということは考えられないです。

ほかのみなさんはどのように考えてるんですか?

やはり太国さんと同じ考えなのでしょうか?
294太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 14:59:46
銅像? 何でしょうか?
295日本@名無史さん:2007/10/28(日) 15:06:33
天照でぐぐった ぐっときました
http://up2.viploader.net/upphp/src/vlphp082429.jpg
296九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/28(日) 15:17:26
なんですか、この喜多方ラーメンのようなものは?
297太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 15:18:43
なんでラーメン?
298神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 15:26:15
>>278
卑弥呼は「共立」と書かれ、台与は「卑弥呼の宗女」という言葉が使われています。

愛知県民さんがいう共立の解釈は無理があるでしょう。

>>294
八重垣神社の壁画をみて女神と思ってるんですかね?
299太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 15:27:16
>>298 説明感謝!
300神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 15:36:30
ここにいる全員へ

この2ちゅんねる以外での「日本史版掲示板、知りませんか?」

ここはよくアクセス禁止になることですし、別の場所であれば楽なのですが・・・
301太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 15:37:58
>>298
ただいまググって見てみましたが、これをお書きになった方がいろいろ考えて
想像もしてみただろうし、それにて出来上がった神像絵でしょうね?
ただ天照大御神の真姿と似てないと想います。
302神奈川県民改め三重県民:2007/10/28(日) 15:55:19
>>275 太国さん
それ昨日見ましたが・・・解りににくいです。

>>279-285
私も愛知県民さんには文章よく読んで貰いたい思います。

>>281>>288
男子ですよね。・・・側近の信用できる弟と解釈したらだめなんですかね。

303太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 16:01:49
>>302
あれは、高天原で暦法が行われていたんではあるまいかとの簡易な論説です。
月読命も月齢の読むことがやれている御名ですし、神代すでに暦法の運用が
あったのではないだろうかとの考えを深くします。

邪馬台国の掲示板はありますが。
304日本@名無史さん:2007/10/28(日) 16:44:07
 持統天皇の時代に、志羅紀人グループが、日本の関東地方に移住したという
記録がある。
 彼らは、自分たちの祖国・志羅紀が、朝鮮人(ワイ族=新羅人)に侵略された時、難民となって
任那や百済に避難したようだが、任那と百済が滅ぼされてからは、日本に移住したという。


687(持統元年)年 3月15日、コマ人56人を常陸国へ。
          3月22日、シラキ人、14人を下毛野国へ。
          4月10日、シラキの僧尼と百姓22人を武蔵国へ。
688(持統2年)年 百済の敬須徳那利を甲斐国へ。
689(持統称制3)年、4月8日、シラキ人を下毛野国へ移住させる。
689(持統3)年4月13日 草壁皇子、死亡。(28歳)
689(持統称制3)年、5月10日、百済の男女21人が帰化。
            8月11日、帰化したシラキ人を下毛野国へ。

690(持統4)年 1月1日、皇后、皇位に付く。
690(持統4)年 8月11日、帰化したシラキ人らを、下毛野国へ移住させる。       
696(持統10)年、孫の軽王に譲位して、史上最初の太上天皇になる。
697(持統11)年、8月1日、皇太子(軽皇子)に皇位を譲る。
701(大宝 1)年、『大宝律令』を完成させる



305日本@名無史さん:2007/10/28(日) 16:49:54
>>298
魏書 扶余伝
>尉仇台死、簡位居立。無適子、有庶子麻余。 位居死、諸加共立麻余。

扶余伝にも簡位居には適子がなく、諸加は庶子の麻余を「共立」したとあります
高句麗伝とあわせると、「共立」は(みなで話し合って)「共に立てた」という程度の
意味でしょう
306日本@名無史さん:2007/10/28(日) 17:06:22
>>291
天照大神は女性。理由は、

素戔鳴尊が天照大神を「姉」と呼んでいること。

素戔鳴尊が高天原にやってきたとき、髪型を男性のものに変え、戦いの準備を
したと書かれていること。

機屋で神衣を織っているところ。機を織るのは女性の仕事だった。

まあ、天照大神が女性というのは明らかでしかも常識。
これを男だというようなとんでもない説がまかり通るところがいかにも
何でもありの邪馬台国論争らしい。

なんだったら、天照大神が男である理由を述べてみる?
307日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:30:48
>>290
君は国東の姫島(古事記にでてくる女島そのまま)にある
比売語曽神社のことは知ってんの?

大阪難波の姫島神社は江戸時代以前は確認されていないとか。
308日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:35:02
乱暴されて怒って閉じこもる。
これってスサノヲはホモ(ry
309九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/28(日) 18:49:13
>>297
>>295の画像は天照でググッたのに縮れ麺のラーメンに見えます。
310日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:04:51
天照が男なら子供は生まれない。
誰と結婚したの? ホモではお家断絶。
311日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:09:35
>>241
>卑弥呼がだいたい孝靈開化から崇神の時代の人物であることが把握される。
こういわれちゃうとどうしても卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命っておもってしまうな
彼女が大物主神の妻ってのも まだヤマト王権とそれに従わない豪族達との妥協による擁立っての におわせるし
ヤマト王権側としては男弟の孝靈〜崇神が王だったって認識だったから倭迹迹日百襲媛命が記紀では君主としてあつかわれなかったんじゃないかな?
312太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 19:15:17
>>311
モモソヒメだとの考えは否定までには至らないが、彼女が九州へ行ったとかの話
があれば可能性が出てくるが? なんともだが、いまのところはそうでは
ないだろうくらいの非確定の状況だ。

孝靈天皇も吉備あたりへ行幸してるというから、そのまま伸張して皇族関係が
九州まで足を伸ばしてそこに留まれば卑弥呼の可能性はありうるがね?
313日本@名無史さん:2007/10/28(日) 20:43:25
モモソが中国の皇帝から一国の女王として印をもらった?
中国と交流があり大量の貢ぎをして中国の記録にも残っている?

だとしたらとっくに伝承されているはず。ナイナイww
314太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 20:52:34
そうだろうね。
315日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:03:50
邪馬台国の卑弥呼・台与と魏との交流。
これは中国の文書にしか記されていないこと。

つまり日本史、日本側の伝承において、天皇・朝廷と中国皇帝・魏との
交流の記録や伝承がない。
神代に天皇が何をしたか。祟神が何をしたか。垂仁天皇が何をしたか。
熊襲退治、朝鮮出兵。
あれこれ古代の神代記や国内・外に関する伝承が残っているのに
中国皇帝との交流の話が全く無い。朝鮮はよくて中国は駄目?

聖徳太子の時代には得意気に中国に認められた話と遣いを送る話が
伝えられてるのにね。

つまり卑弥呼や台与は、天皇家の支配地域や系譜と関係ない人達なんだよ。
おかしいね。天皇の祖が天から降りてきて日本って島々を順番に造っのにw
316太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/28(日) 21:37:35
国生みは天降のもっと前だよ。
317日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:16:56
>>315
『日本書紀』に書いてあるよ。卑弥呼を神功皇后と解釈した上で。
朝鮮記事もそう。全て『日本書紀』編纂者の解釈を施した上で、
『日本書紀』紀年製作者による紀年上に載せられている。
318河童:2007/10/29(月) 08:02:08
『12686について』
(可七万餘戸)

これを貴方がどう捉えているかによってだが?
手短に言えば、これは『南至邪馬壹國女王所都』と書かれた規模の説明
都だけに限られた人口推定値じゃないよ

『戸』は戸里制のなかの単位でもあるし、(可七万餘戸)となれば 直接人口というわけにはいかない。


当然その辺承知で絡んできたんだろうね?
319太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 15:07:50
>>315
>天皇家の支配地域や系譜と関係ない人達なんだよ

そのとおり。だから女王国は畿内にはないのが正解なのだ。卑弥呼の国は
九州にあったということだ。それに北九州にあったんなら、百済等半島の使者
が女王国を通過して畿内に朝貢していくから、女王国の情報は朝廷に筒抜けに
なって記紀に卑弥呼らの詳細が書かれるはずであるから、九州でも、まず
北九州ということは考えにくい。それでも絶対ではなく、半島と畿内の交通路
から外れている地域ならば北九州の可能性はまぁまぁ残るが? でもおそらくは
奥九州の盆地なぞが最も可能性が強いだろう。
320日本@名無史さん:2007/10/29(月) 17:56:40
朝鮮―出雲・畿内ルートと
中国―邪馬台国ルートがあって
お互いの情報は遮断されていたという構図は有り?

今思いついただけだけど
321茨城県民(プ):2007/10/29(月) 18:40:23
>>320

あり
322九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/29(月) 19:55:12
畿内マキムク王権と九州邪馬台国は完全に遮断されていたといえる。

323唐松山:2007/10/29(月) 19:55:26
巫女が 結婚しないのは,古くからの仕来たりです。
開化時代 崇神の母を 娶る時の話の一部
ホ32209 いわくイセには メとつぎて うみのオヤなし
むかしヲバ メイいまはツヅ うむコあり 

子供はいても 父親はいません。
324唐松山:2007/10/29(月) 20:33:17
畿内マキムク王権は 垂仁,景行 なら遮断されていません。
考霊から 崇神だと 船を作るのが崇神18年 これ以降なら 可能
陸道の確保は 景行28年倭武により 確保される 軍の移動を想定。
  
325太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 21:21:22
>>322
ほぼ遮断でいいと想います。
326太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/29(月) 21:24:44
>>322
というのは、景行九州行幸があるからですが、ただ女王国のアト釜地域には
行幸されてないと考えます。そこはおそらく奥九州と睨んでますが・・・。
327日本@名無史さん:2007/10/29(月) 21:38:03
>>320
アリアリ。とっても有り。
わざと遮断とまではいかなかったと思うけど。
地形を考えて自然にそうなったんでは?
328サガミハラハラ:2007/10/29(月) 22:01:49
北部九州とマキムクが遮断されていたのは、間の瀬戸内海が海賊によって通行できなかったからです。
大和の勢力は垂仁天皇の時代になるまで瀬戸内海や中国地方を制覇できなかったし、邪馬台国も沸きに大乱以降は九州および海峡部
にしか勢力を及ぼすことができなかったからです。
329唐松山:2007/10/29(月) 22:29:20
崇神の末頃 出雲の宝を手に入れるために 北九州へ
垂仁末  タジマモリ 常世の国へ 行く

多少は 繋がっている。
商人 ルートか?
330日本@名無史さん:2007/10/29(月) 22:34:45
倭王武が高句麗が通さない時があるから中国参りができないと
怒ってたんだから、朝鮮経由なしの中国ルートなんかないんじゃないか
331日本@名無史さん:2007/10/30(火) 01:51:12
>>328
北部九州とマキムクが遮断されていたのは、間の瀬戸内海が海賊によって通行できなかったからです。
瀬戸内海の海賊って???
あの時代、海賊的な勢力がすでに存在していたのでしょうか
332九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/10/30(火) 05:36:46
海賊かどうかの議論は別として環濠集落の厳重警戒振りを見ても解るように
近辺の集落へ行こうとしても別のクニのテリトリーを通過する事になり争いを招く。
弥生時代とはその様な時代だったと思います。大和朝廷によってほぼ統一される前までは・・。
クニ同士大規模な交流や通商、経済活動がお互いになされていたと考えるにしては集落の規模が小さすぎます。
あたかも北米インディアンの部族間の争いのように小テリトリーの中で小競り合いを繰り返していたのでしょう。
どちらかといえば集落の中に人々は閉じこもって生活していたいたというのが実情に近いと思います。
当時の倭人は裸足でしょうし畿内説者の言うように邪馬台国連合が北部九州から畿内まで広範囲に広がり、
遠方まで野越え山越え素足で歩き回って交流していたとはどうしても想像できません。
それらが出来るようになるのは倭人が履物をはくようになってからでしょう。
インカの飛脚なら別ですが、広大な帝国と整備されたインカ道など倭と条件が違いすぎる。
333唐松山:2007/10/30(火) 14:56:24
ホ37202 あくるハル ヤヨヒにかえる           明くる春 弥生に帰る
タシマモリ トキシクカグツ フソヨカゴ         タジマモリ 時至9ヶ月24日後
カクのキヨサホ カグヨサホ もちきたるマに       果実の木4棹 果草(種、籾)4棹 持ち来る間に
キミまかる                       天君 まかる

タジマモリの行った 常世国 は 何処ですか?

以前は 楽浪郡 かと思って居ましたが 持ち帰った中に 橘の苗木が有るとすると 楽浪郡では 寒すぎる(橘は育たない)
会稽郡か洛陽か?

推理してください。

334日本@名無史さん:2007/10/30(火) 20:05:26
>>331
海賊じゃなくて、その間の国々が強すぎて勢力が分かれていたのでは?
いわゆる制海権がなかった。
自由に瀬戸内海を航行できなかった。
だから文化も割かれてる。そんな感じだったと思われる。


335神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 21:42:03
サガミハラハエラさん〜あなたの本読みました。

批判開始しても平気でスかね?
336神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 21:55:39
>>318
河童さん・・・

>『12686について』て誰に対して言ってるんでスか?

私でスか?
337河童:2007/10/31(水) 22:05:55
>>336
貴方かどうかは判断できませんが、心当たりあるならコメント宜しくです。
338神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:08:48
>>306
>なんだったら、天照大神が男である理由を述べてみる?

皇祖神の天照大神が女性だと「男系の天皇家」としてつじつまが合わないからですよ。
それに天照大神が女性なんかどこにも書いてないです。勝手にみなさんが女性と決め付けてるだけ。
私はスサノオノミコトが姉と言ったのは天照大神のオオヒルメノムチミコトに対してだとしています。

以上!

339神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:17:19
>>337
>318 :河童:2007/10/29(月) 08:02:08
>『12686について』
>(可七万餘戸)
>これを貴方がどう捉えているかによってだが?

魏志倭人伝に書いてるとおりそのまま捉えてください。

>手短に言えば、これは『南至邪馬壹國女王所都』と書かれた規模の説明
>都だけに限られた人口推定値じゃないよ

人口値じゃなかったら何スか?書いてないことを付け加えるのはよくない。

>『戸』は戸里制のなかの単位でもあるし、(可七万餘戸)となれば 直接人口というわけにはいかない。

そりゃ〜直接な人口ではないよね・・・戸数 だわ

>当然その辺承知で絡んできたんだろうね?

師匠のクツワ虫さんから脅して来いとでも言われた?笑
340神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:33:43
河童(プ)さん〜

だから『「行橋地形問題」と「伊勢の天照大神が男神問題」』言ったでしょ〜。
クツワムシのあの説は〜この2つの問題突きつけられたら成り立たないのよ♪

それにしても君の師匠クツワムシ〜て論破されかかってんのに〜左の耳で聞いて右の耳で流しやがる〜。笑
馬鹿っていいよねーーっ笑
341太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/31(水) 22:35:39
>>338
天照大御神は超美女です。男性ではないです。
342神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:38:52
クツワムシ〜見てんダろ?

あなたから嫌い言われて〜おれから行ける訳ないでしょ。
こっちきて正々堂々反論してミヤガレ!
343神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:42:15
オヤオヤ これはこれは〜太国さん。

お見苦しいところスンミマセンです。
ちょっと別のサイトでいろいろありまして〜笑

んで太国さんが言う〜長美女とはどれを見てそのようなことを・・・?!
344河童:2007/10/31(水) 22:43:39
とても話のできるレベルにないため失礼するよ
もう一度幼稚園からしつけのやり直ししてから訪問してね


では失礼する
345太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/10/31(水) 22:44:54
秘密ですね。真姿は知ってます。

彼女は長身ではないですよ。小柄です。ミニスカお好みの方です。
スワンレイクの主役のような感じかな。
346神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 22:59:26
>>311-313
卑弥呼はモモソヒメ〜は俺もありえないと思ってる。

しかし、天皇家の中では有力候補・・・てところでしょう。
347神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 23:02:07
>>344
だから〜それ河童さんのことでしょ♪

いつも〜自分で自分を批判するんですね。笑
348神奈川県民改め三重県民:2007/10/31(水) 23:04:19
太国さん〜それ今度詳しく聞きます。

ZZZZZZZ.........
349日本@名無史さん:2007/11/01(木) 07:35:27
>>344
お前はウンコでも壁になすりつけてろ!
350唐松山:2007/11/01(木) 17:07:57
天照大神は 男です。
又見天照大神、方織神衣居斎服殿。則剥天斑駒。穿殿甍而
投納。是時天照大神驚動。

方織神衣居斎服殿が 天照大神の 持ち物である事は,認めますが
「天照大神が 方織神衣居斎服殿で 機織りをしていた。」とは 読めません。
女性というのなら 読み方を 教えてください。

351唐松山:2007/11/01(木) 17:43:56

天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、 天服織女見驚而、於梭衝陰上而死
つまり 天照大御神は ?の命令で織神御衣時 天井から落ちてきた 斑駒に 驚いた。
と 読むなら 天照大御神に命令を出したのは 誰ですか?

352太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/01(木) 18:27:40
唐松山さん それはホツマの間違いですよ。ここは記紀のほうが正解。
天照大御神は女性です。
353九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/01(木) 18:44:12
しかし中野市柳沢遺跡出土の銅戈と銅鐸はどう捉えればいいのだろうか。
あんな山の中に銅剣、銅鐸が及んでいたのだろうか?それとも・・・。
ま、九州邪馬台国には関係ないけど。
354九州王:2007/11/01(木) 19:00:51
郡から伊都國までを計算すると下記のように11900里になる。
七千里+千里+(四百里×2)+千里+(三百里×2)+千里+五百里=11900里
※方可とあるので、対馬南島と壱岐をそれぞれ半周したと考え、(四百里×2)(三百里×2)
「自郡至女王國萬二千餘里」とあり、帯方郡から女王國まで12000里。
伊都国から奴国まで百里、つまり帯方郡から奴国までが帯方郡から女王國までの12000里と同じ距離となり、奴国は女王国の一部であったと考えられる。
距離を時間で再説明
南へ水行20日で投馬国に至る(7000里)。南に水行10日陸行1月(3400里+600里、陸行1月は1日の誤り)で女王の都のある邪馬台国に至る。

(邪馬壹国)70000余戸=對馬國1000余戸+一大國3000余戸+末盧國4000余戸+伊都國1000余戸+奴國20000余戸+不彌國1000余戸+20國×2000戸

海〜〜┃∵楽浪郡∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━━━∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
355九州王:2007/11/01(木) 19:01:26
海〜┌←←←▲帯方郡庁∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗┓∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜└┐┃∵帯方郡∵∵∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┣━━━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵(馬韓)∵∵┃(辰韓)∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜↓┃∵10万余戸∵┃(弁辰)∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┌┘┃∵∵∵∵∵∵┃4-5万戸 ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┏┛∵∵∵∵∵∵┃∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┣━━━━━━━┻━━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃(投馬國)5万余戸 ∵┏━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┃∵∵∵狗邪韓國◎━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜↓┗━━━━━┛┌┤〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
356九州王:2007/11/01(木) 19:02:05
海〜└→→→→→→→┘↓〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜七千餘里〜〜〜〜〜↓〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜水行20日〜〜對馬國├○┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓┗┛対馬下島〜方可四百餘里〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜水〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜行〜〜〜〜↓〜千餘里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜10〜〜〜〜↓┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜日〜一大國├○┛壱岐〜方可三百里〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜└→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜千餘里↓〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━○〜〜┏━━┓〜〜┃∵不彌國∵∵┃
海〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜┃末↓━陸行1日(月) ━┛∵∵∵∵∵∵┗
海〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵┗━┛盧└→→○→→→◎→斯→己→伊→都∵
海〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵國∵五∵伊∵百∵奴∵馬∵百∵邪∵支∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵∵百∵都∵里∵國∵國∵支∵國∵國∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵里∵國∵∵∵↑∵∵∵國∵∵∵↓∵
357九州王:2007/11/01(木) 19:02:36
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵┏┓∵∵∵∵烏奴國∵∵∵∵∵∵彌奴國
海〜〜〜〜〜〜〜┏┓┃∵∵┏┛┗┓∵∵∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛┃┃∵∵┃〜〜┃∵支惟國∵∵∵∵∵∵∵好古都國
海〜〜〜〜〜〜┃∵┃┗┓∵┗┓〜┃∵∵↑∵∵(邪馬壹国)∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┗┓┃〜┃∵∵┃〜┃巴利國∵∵∵7万余戸∵∵不呼國
海〜〜〜〜〜〜〜┃┗┓┃┏━┛〜┃∵↑∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵↓∵
海〜〜〜〜〜〜┏┛∵┗┛┗━┓〜┃躬臣國∵∵∵∵∵∵∵∵∵姐奴國
海〜〜〜〜〜〜┗━━━━┓∵┃〜┃↑∵∵∵∵∵∵∵華∵∵∵∵∵↓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵┃〜┃邪←鬼←爲←鬼←奴←呼←蘇←對
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┃〜┃馬∵奴∵吾∵國∵蘇∵邑∵奴∵蘇
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━━┛〜┃國∵國∵國∵∵∵奴∵國∵國∵國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵∵∵∵國∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┣━━━━━━━━━━━━━━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━┛∵∵∵(狗奴國)∵∵∵∵∵∵
358唐松山:2007/11/01(木) 19:06:16
書紀と古事記しか 使っていません。

ほつま ならもっと簡単。

長野は 手力男が収めていた。伊那(阿智)は 手力男の親 思兼
諏訪の 押さえ として 南北に置く。

史実という事ですか。
359唐松山:2007/11/01(木) 19:56:49
建御名方命が 諏訪に 入った を考える

時代は 神武死亡時 
神沼河耳(大国主の血統)と手研耳(天照大神の血統)が争う
この時 手研耳に 建御名方や伊勢が味方するも 敗れ
建御名方は諏訪へ流罪
伊勢は 阿智(伊那)思兼のもとで蟄居
建御名方の諏訪へのルートは日本海側を進み 現,直江津より長野、小県(生島神社)を通り八ヶ岳を越えて 諏訪に入る。
長野戸隠に手力男 四科県(更級,埴科、妻科、?忘れた)は 考霊辺りから出てきます。

360日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:22:08
>>359
へえ おもしろいね。
361日本@名無史さん:2007/11/01(木) 20:24:40
>伊那(阿智)は 手力男の親
          
             ↑
          この男こそ後のMr.マリックである
362唐松山:2007/11/01(木) 20:27:36
九州王さん すばらしい表 お疲れ様です。
ところで 国名は どこの発音ですか?

漢又は魏→楽浪方言→百済→任那→熊襲→倭

楽浪の使者が海洋民族 熊襲から聞いた地名なら殆んど海辺の国でしょうし
倭国 邪馬台国なら もう少し わかる名が有っても?
邪馬台国が中央にあるのは 山大国ですか?
363九州王:2007/11/01(木) 22:05:50
>>362
国名は当時の日本語の発音。
先人が多くの候補の地名を出しているが証拠に乏しく、決定が難しい。
邪馬壹国とは馬韓や辰韓などと同じ領域国家。
投馬國も同じく領域国家。
狗邪韓國、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、斯馬國〜烏奴國、は領域国家を形成する都市国家群。


364茨城県人(プ):2007/11/01(木) 22:31:59
唐松山さん

ちょっと御教授を

アカハナマイキヒニミウク
フヌムエケヘネメオコホノ
モトロソヨヲテレセエツル
スユンチリシヰタラサヤワ


これは(ホツマツタエ)の一部だと思うのですが  違いますか?

当方、ホツマに関して全くの無知識ゆえお願いいたします。


365日本@名無史さん:2007/11/01(木) 23:32:50
そうだよ。ホツマの一部だよ。
50音図を横に読んだのに少し手を加えてある。
366日本@名無史さん:2007/11/01(木) 23:58:29
>>350
ttp://www.ikedakai.com/nihonsyoki.html
このサイトでは、下のように読んでいます。
復天照大神の、方(みざかり)に神衣(かむみそ)を織りつつ、
斎服殿(いみはたどの)に居しますを見て、則ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて投げ納る。
是の時に、天照大神、驚動きたまひて、梭(かび)を以て身を傷ましむ。
普通に漢文調で読むなら、
又た天照大神の方(まさ)に神衣を織らんとして斎服殿に居るを見て、則ち天斑駒を剥ぎて、
殿の甍を穿ちて投げ納る。是の時、天照大神驚き動けり。
天照大神は、神衣を織る為に斎服殿に居たのははっきりしています。

>>351
天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、 天服織女見驚而、於梭衝陰上而死
天照大神、忌服屋に坐して、神御衣を織らしめるの時、…天の服織女見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき
令織神御衣之時の令は、この文の主語である天照大神が命令の主体です。
天照大神が、天の服織女を引き連れて忌服屋にいて、彼女達に神御衣を織らせていたところ。
中国でも、皇后・王后が諸侯の夫人を従えて、祭祀用の布を織るという儀礼がありますな。
367茨城県民(プ):2007/11/02(金) 00:20:29
>>365

お〜っ

ありがとう


ホツマの知識は全然×でして
368日本@名無史さん:2007/11/02(金) 08:37:37
>>362
邪馬台国の「邪馬」は日本語の「山」「やま」だよね。
大きな山が多いから「山大国」なんて呼んでたんだよ。俺は、大分の九重高原から日向まで
続く大山脈地帯だと思ってるんだ。海の幸も山の幸も豊富だよ。

21世紀の今でも山脈を抜けるのにさ、最新鋭の特急電車と長いトンネルを数え切れないほどずーっと
使って2時間以上かかるんだぜ<<日豊本線の大分ー日向間 

その後、その地名が消えたのは他の地名が定着したからじゃないかと。例えば天孫降臨
などの話が広まってから「日向」と呼ばれるようになったとか....
369日本@名無史さん:2007/11/02(金) 17:34:25
宮崎が、古代に栄えた土地であることは間違いない。
しかし、熊襲や隼人とは一線を画す。
どちらかといえば、北部九州や畿内との関連が強い。

九州で最も大きな古墳は宮崎にある。311の古墳がある西都原古墳群、
207の古墳がある新田原古墳群などたくさんの古墳群がある。

また、宮崎(日向)は、記紀でも重要な位置を占める。

けれども、>>368にもあるように、大分からの陸路は大変。
熊本との間にも九州山地がドンと横たわっている。
まさに九州でも陸の孤島といえる。

そんな宮崎に陸路でやってくる経路は二つ。くしくも、その二つに天孫降臨で
有名な高千穂がある。

なんとなく、西北部九州からある勢力が日向にやってきたのではないか、
それが天孫降臨の伝説として残っているのではないかと思う。
370唐松山:2007/11/02(金) 18:30:18
天照大御神の続き

命令を出したのは,天照大御神で 了解
それでは 古事記の 三皇子 について教えてください。
スサノウが会いたがった 姉と共に
371唐松山:2007/11/02(金) 18:44:02
私の使っている ほつま
http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/hotumika/hotumika.htm
ほつま の干支を数字に直す式
=CHOOSE(MOD((A3+69),10)+2," ","き","き","つ","つ","お","お","さ","さ","ね","ね")&
CHOOSE(MOD((A3+71),12)+2," ","あえ","あと","みえ","みと","やえ","やと","しえ","しと","なえ","なと","うえ,"うと")
372日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:05:14
邪馬台国を特定するにはまずは何故か突然不透明になる、平安京以前の歴史をキチンと解き明かす事がだいじ

で、さんざんあっちのスレで紀記から読み取ろうとしてみたけど、その前に正史とされてる日本書記に文句がある
373太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/02(金) 19:10:29
どんな文句だ?
374日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:27:26
文句って年代ですか?
日本書紀の年代については最近いい本がでています。
是非読んでみてください。
375日本@名無史さん:2007/11/02(金) 19:30:06
まず日本書記を正書として日本の歴史を日本書記と定めたのは明治以降

何故、江戸幕府が歴史書としてそれまで伝えて来た旧事紀からの内容を一切否定して、今までまるで解釈も利用もされて来なかった日本書記を、原文から解釈し直す必要があるのか?

つか解釈しなおした事に文句がある訳じゃなく、日本書記のみで解釈し直すならそれはそれで、キチンと最後まで解釈しれや

江戸時代以前は各藩事に武士の子供達にそれぞれの藩の氏族に伝わる藩や日本の歴史を教えてた

それが俗に古史古伝と言われる書物
これらを全て集めて焼いてるし

消失を逃れたものが明治以降に出て来た古史古伝。
376太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/02(金) 19:35:32
明治の世の誰かが旧事紀からの内容を一切否定したのか?
そうならば、それは誰なんだい?
377日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:11:09
日本書記の原本ががネットで見れたから見たら、明治18年に写したものなのにまだ漢文のまま

「1500年前の日本書記の原本があるんで、各藩で教えてた歴史は無しにして、コレを歴史書とします」

ってアホか
そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

こういう作業は歴史の無い国。例えばインカ時代のインカの歴史書が発見されたって言う国の作業だ

日本はちゃんと歴史もあり、江戸時代も各藩ごとにキチンと勉学に励んでた国なんだから、歴史書はその時代の言葉で読めるようにちゃんと書き換えて伝えて来てるっての

それを破棄して平安京以前の歴史をいったんリセットして、全て1500年も前の漢文の日本書記を歴史書に、、、
なんてやるから平安京以前がよく解らなくなるんだよ
378唐松山:2007/11/02(金) 20:26:06
「日本書記に文句がある 」 方は 年代を づらして 見ましょう。
例えば 卑弥呼=景行

これだと 特に 仁徳辺りで 判らなくなる
応神から 死亡年齢が 20歳ほど 高くなる 是をクリアーしないと いけない。
379日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:41:13
「因幡に行くと白いウサギが皮を剥がれて、、」

アホか。これのどこが歴史だ
歴史以前に日本に関わる神話にもなってねーだろ

だいたい1500年前の人が日本の歴史に「よし、あの皮を剥がれた白いウサギの事を、、」って書いてる訳ないだろ


1500年前にかかれた漢文だから、あれば今の時代の人じゃ読めないんだよ

白いウサギがいただのなんだのなんて事を書いてる訳じゃない事ぐらいわかれ

ひらがなやカタカナ使うようになれば、普通はちゃんとそれに合わせて書き換えて行くんだよ

日本書記は今までそう言う写本がなされて無い書物なんじゃ無いの?

今の日本書記の内容は、1500年前の漢文を明治以降の人が無理やり解釈して写本しただけのもの
とりあえず江戸時代に書かれた歴史書があればそれが今の時代の人には一番読み取りやすいから、そういう書物を元にちゃんと日本の歴史を把握したい


だいたい日本書記以降の天皇系譜を、なんで薩長政府が南朝系に書き換える権利があるんだよ
そのクセ、平安京以前は天皇系譜の書を紛失してる日本書記を元にって、、、どー考えてもおかしい

ようは薩長政府は筑紫の日向三代を言いたいんだろ?
380日本@名無史さん:2007/11/02(金) 20:53:27
>>377
>そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

読める。もっと綺麗に読める。保存状態が良い物がたくさんある。
大英博物館やロイヤル・アカデミーの中国展でたくさん見た。
凄いぞ。楷書でスッゲー達筆で綺麗に書かれてるんだ。

あと、チェルシーの図書館でコンピューターで見るの仏典の写本みたいのが
あってあれは元が3世紀ぐらいで状態は悪かったが、文字自体は読める。
大体さ、魏志倭人伝読めよ。
ちょっと漢字の使い方見たら素人でも普通に原文で理解できるじゃん。
古典の専門家になりゃ余裕だろ。
381日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:05:28
ちなみに紀元前9世紀の、もう巻物になっている本が
あって大変良い保存状態でみつかった記事なんかもある。
これは今たまたま見つけた。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3696333.stm
382日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:09:20
画像あった。紀元前9世紀の本。余裕で読めるが。

http://www2.kenyon.edu/Depts/Religion/Fac/Adler/Asia490/syl490.htm
383日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:13:46
>>376
明治以前は各藩事に武家の子らは寺小屋とかで勉強してたんだよ
そこでちゃんと日本の歴史を教えてたよ
日本の歴史と藩の歴史。藩主ってのは農民とかじゃなく、日本の歴史を辿れる血統の氏族が藩主をしてた訳だから
信長なら物部氏血統、光秀なら大判氏血統とかさ

江戸時代以前まで旧事紀を使ってたのも、旧事紀は各藩主が誰の系譜なのかが解るからだよ
系譜を書いてるのが旧事紀らしいから

いまその書物まだあるのかな?
なくなってるなら薩長政府がどっかやっちゃってるよ

その時代時代に合わせて誰でも読める文字に写本して来た書物を偽物ってアホかよ

んで山幸彦の神武天皇を2600年前に即位した天皇とかって、時代がめちゃくちゃになるじゃんよ

神武は王申の乱で即位だよ
それ以前は景行が即位したり、勢力間で王権争いがあったりしてるハズだから時代がバラバラ

倭の五王なんて時代もあったんでしょ?
平安京以降に南朝時代もあるんだし血統を一つに絞って伝えなきゃいけない理由はないよ
どれをたどっても天照大神に行くように即位して来てるはずなんだから問題ないじゃん

薩長がこじつけた系譜だと決氏八代になるよ。 だから今なんて天皇の血統の正当性まで疑われてるし
384日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:13:54
>>379
批判の意味が良くわからない。

>そもそも1500年も前の漢文を読めるのかアホ

と言っているけれど、2000年前の史記をはじめ、紀元前の諸子の文献など、
現代でも普通に白文で読まれているけれど。
どういう意味で読めないと批判しているんだろう?

>歴史書はその時代の言葉で読めるようにちゃんと書き換えて伝えて来てるっての

江戸幕府の正学は朱子学と定められていて、仏教経典も漢文で、江戸時代も学問といえば漢学だった。
だからこそ、それに反発した国学者も出てくるわけで。
漢文を自由に読み書きするというのが、江戸時代の教養人。ちょっとでも学問に関わりのある人は、皆漢文が読めた。
実際、江戸時代にも、漢籍は出版されている。
だから、漢文で書かれた物を、江戸時代の言葉に翻訳するという発想は無かったんじゃないかと思う。
学問をするということが、漢文を読めるようになるということと同義だったんだから、翻訳なんて需要がないだろう。
385日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:27:08
>>382
ちゃんと読めるなら構わないよ

読めて無いから葦つ中国の場所や天の高原が何処なのかが解らないんだよ

山幸彦は教えられた通り釣り針を「うる地、そめち、かえす針」と言いながら渡した

これで読めたとかアホか
読みとれてないからこんな意味が解らないままなんだよ

読めるなら、これがいつの何の出来事なのかを説明してくれないと

これじゃ神話にもなってないレベルだよ。
本当にそう言うままの事を書いてるなら日本書記を書いた奴がアホ
「それを唱えながら後ろ向きで針を返したんかあ〜。なるほどー、日本には過去にこんな事もあったんだあ〜。」
教える方も教わる方もアホ
歴史どころか神話にもなってない

読めて無いからだよ。
386日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:27:53
ここで薩長政府が日本の歴史を塗り替えたとかいってる
「馬鹿が必死wに脳味噌回転させて恍惚としてる」って感じの奴。
美濃専門スレつくりゃいいのに。

邪馬台国と全然関係ないうえ、誤字脱字・勘違い・勉強不足・妄想爆走が
多すぎて、おもしろくもないし、ただウザイだけ。
美濃のスッゲーイメージダウンですな。美濃の膿。

もっとマシな奴だったら、これも面白いことになってただろうに非常に残念。




387日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:30:02
>>385
なんで知りませんでした、すいませんでした。っていえないの?w

>葦つ中国の場所や天の高原


↑何?これ? 確かに全く読めてないね。失礼ですが、日本の方ですか?朝鮮からの留学生ですか?
388日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:32:44
日本書紀を読んで造語つくって勝手に怒っている馬鹿。
明治時代に日本書紀が出版されたら薩長政府の陰謀ですか。そうですか。
例え江戸時代の国学者が校訂したもののそのままでも陰謀だそうです。
凄いね。
389日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:38:20
豊葦原の中津国=豊前の中津市・中津平野辺り
高天原=日の宮・幣立神宮が伝説発祥なのはわかってるから書記はそれを
    取り入れて書いただけ。


 
390日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:41:15
〇中津 とか中津〇 なんて地名は腐るほどたくさんあるね。
なんで中津の前や後に漢字付け加えるの?w
それは、もう「中津」があるから使えないもんね。
前や後に漢字付け加えて地名にしてるところは、使えないから付け足したんだよね。
どこの地名が一番古いか一目瞭然。
391日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:45:57
>>384
天照大神は目を生まれた時に生まれた神です

いやいやいやいや。
これじゃ同時に生まれた神と比べてなんも特別じゃないじゃん
これじゃスサノオやヤマトタケルの方がまだ権威があるじゃん

戦後の日本は自分や天皇の血統の歴史の長さや権威を忘れちゃってるよ
これだけの歴史がある国がどれだけ凄いのかわかってないと思う


つか実際にいま、自分がすんでる日本の歴史なんて教えてないよ
自分の国が、いつどうやって出来た国なのかを生まれ生きてる日本人が知らないっておかしいよ


つか明治時代以前はなんて教えてたんだろう?
明治時代以前は「解らない。教えてない」なんて教えてないと思うよ

明治時代以降は「2600年前に九州から東征して出来た国」

戦後は「日本には卑弥呼の邪馬台国があった」


江戸以前は各藩により多少違うだろうけど、日本がいつ出来たとかはちゃんと同じ事教えてたと思う
392日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:48:10
馬鹿が必死
393日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:52:24
>>389
質問が悪かった
・アメリカは200年前に独立戦争によりイギリスから独立した国
・中国は60年前に毛沢東が大陸を侵略支配して建国した国(自称4000年の歴史)

日本はいつどうやって出来た国ですか?

俺はアメリカやイギリスやフランスや古代ローマ帝国やそう言う事は教わった
ただ自分の国の日本の事は何も教わらなかった
俺の親も周りの人も誰も知らなかったよ
394日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:53:47
美濃の学校教育は相当レベル低いんだね。
395日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:59:57
日本書紀という本自体を完全に勘違いしてるね。
あれは天皇家の伝承と系譜の口伝を書物に編纂したもの。
そんだけ。
それで十分なんだが。どこかもちゃんと書いてるし分かってるし。

理解できなくて良い奴には一生理解できないようになってる。
素晴らしい書物だ。
396日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:04:14
「日本はいつどうやって建国された国なのか?」

日本書記を否定する必要はないと思うけど、日本書記だけではやっぱ解らないと思うよ


日本書記以外は認めない
誰かに偽書と呼ばれた書物は参考にしてはならない
明治〜戦前になされてた歴史解釈を否定してはならない
天皇の神格化に繋がる解釈は戦前回帰に繋がるのでしてはならない


こういう前提を無くさないと誰もわかんないままだよ
397日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:13:06


 誰 も そんなことは 前提に してないが。

 こいつ、こんな詭弁で妙なネットの話を説得できると思ってやがる。低脳が哀れじゃ・・
398日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:15:49
山賊と日本海側から侵入してきた朝鮮人ばかりの美濃の風土記
399日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:18:01
美濃って元々は三野。 三野のほうがしっくりくると思う。
400日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:28:11
>>391
中国で、二千年以上昔の秦帝国建国の様子が伝えられているのは、
その当時、既に漢字が存在して、形を変えながらも、その文字が現代に通用するから。
中国でも、秦の二つ前の殷王朝の存在は、殷墟発掘までは存在すら疑われていた。
日本に、漢字以前の神代文字が存在したかどうかは、オレには断言できないが、
すくなくとも、一般に広く流通した文字は漢字とその変形の仮名しかない。
だから、漢字以前の史実は正確には伝わっていないのは当然と言える。
建国の様子がはっきりわかる国は、現行通用の文字が出来てから建国されてる。
逆に言えば、現行通用の文字が出来た後に、前の国が滅びているから、
現在の国の建国の様子がわかると言うこと。
それに対して、日本は、現行通用の文字ができる以前に建国され、
それ以降滅びていないのだから、建国の経緯がはっきりしないのは当然で、
恥じることも悔やむこともない。
むしろ、漢字を使い出して一回も滅びていないと誇って良い位だと思う。

安易に他説を批判する前に、「明治時代以前はなんて教えてたんだろう?」という疑問を持ったら、
それを自分で調べてみるという姿勢が大切だと思う。
そして、調べてわかったら、是非ここで報告してくれ。
そうすると、ここを見ている我々も勉強になって、単なる批判より、圧倒的に有意義な書き込みになるよ。
401日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:40:57
>>382
すっげー・・・
402日本@名無史さん:2007/11/02(金) 22:54:32
@日本書記は天皇の系譜図の項を紛失してる書物
これの意味わかる?


本来の天皇の系譜は誰から始まってるのか解る?

薩長連合がしたのは、神武天皇を元始の系譜に書き換えた事だよ
これだけのトリック

403太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/02(金) 22:54:48
漢委奴国王の金印を貰いものとかたずけた
 ♪邪馬台国ドンと来い♪23 >999の無名氏へ

その金印は九州で何の用途に使ったのかね?

光武帝が「朕の国では国事の認証印として朕自ら金印を使っているから、倭国
       においても同様に認証印として使ってもらうべし。」

と倭の使にそう述べて金印を賜ることをやるのが当たり前だと思うがね?

それとも絵画の右下か左下に押捺する印なのかね? 国王へ与える金印が絵画
のハンコってことは考えにくいだろう? 光武帝の当時大陸では漢字を使って
いたんだから、神代文字でない限りは、漢字での倭王の部下への任免に使って
いたと観るのが至当だよ。となれば神代文字か漢字で任免証書を当時紙
がなければ竹の薄皮とかそんなものに文を書いて王と代理の者が金印を押して
部下にわたしてたのさ。だから神代文字が駄目なら漢字が日本で使用普及して
いたということをこの金印は物語っていることになるのだ。それに金印は燃え
にくいし通常に扱えば耐久性があるから残ったが、竹とかのうす皮は破損とか
燃焼しやすいから長年の時間の経過により壊滅してしまったということだ。
404神奈川県民改め三重県民:2007/11/02(金) 23:34:41
卑弥呼、神武天皇の二人の建国主について

・卑弥呼
中国史によると親魏倭王を与えられ初めて古代日本(倭)の王として諸国に認められた女王。
鬼道で衆を惑わし、幻の国 邪馬台国を治めたとある。

・神武天皇
記紀によると日向から畿内に入りナガスネヒコを倒してその地位についたとされる。
現在の2/11は建国記念日、紀元前660年、神武天皇が即位したとされる日(1月1日 (旧暦)

あなたはどちらが本物の建国主にふさわしいと思いますか?
405日本@名無史さん:2007/11/02(金) 23:47:15
まあ神武天皇が元始の血統でもいいよ

東征の話はイハレビコが橿原に付くまでの話
イハレビコが何をどういう解釈で神武天皇になるの?


神武東征の話なんて古事記にも日本書記にも書いて無いよ
イハレビコ東征の話があるだけだね
持統1年〜持統8年の出来事


これが手元にある日本書記の年表みると
紀元前 667年 イハレビコ東征開始
紀元前 660年 神武天皇即位


これでだね。
どうやら薩長政府はイハレビコ東征を年表の頭に持って来たかったみたいです

んでイハレビコの東征は神武が九州から東征した話だって言い張ってたのかよ

今まで気付かなかった俺もアホだな。 こんだけの事かよ
んで九州発祥かよ

もう日本書記はマジでいいやw
系譜が無い日本書記が正史で
系譜がある旧事紀を偽書と定めたのも明治時代だしw
406日本@名無史さん:2007/11/02(金) 23:47:16
>>402
>神武天皇を元始の系譜に書き換えた

初耳なんですけど、ソースはあるのでしょうか?
407神奈川県民改め三重県民:2007/11/02(金) 23:50:48
>>354-355
九州王さん〜初登場!
よろしくです〜。
なんか凄い九州が出てますよね。
しかもわかりやすい〜
408日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:00:17
ついでに橿原にある神武天皇の神社調べたら、これ建設したの思いっきり明治時代じゃん

んで建てたあと何度も、明治天皇に参拝行かせてる
こんな場所に参拝行かすなよアホ長州


あとここ、近くに蘇我入鹿の入鹿神社があったのが、明治の薩長政府の「こんな場所に蘇我入鹿を祭るな」って命令で、神社を改名させられてる


これかよ。下らねえ

てかここに蘇我入鹿の神社って事は、イハレビコ東遷は蘇我のクーデターとかなんとかいう話なんかな?

イハレビコは蘇我入鹿っぽいなw
409神奈川県民改め三重県民:2007/11/03(土) 00:28:41
天皇家は男系により神武天皇〜今上天皇まで百二十五代続いてるらしい。

本人たちが続いてるいってるんだからそうでしょうよ。

しかし日本建国主は本当に神武天皇?!

まず自分達(天皇家)の独り善がりにみえるような・・・。

他国が認めた大王〜卑弥呼のがふさわしいかと思うんですが・・どうでしょう?

ハツクニシラス大王は神武天皇でもなく崇神天皇でもなく卑弥呼。

よって〜現在、教科書に書いてることがわりと正解なのでは・・・。

みなさんの意見をお願いします。
410神奈川県民改め三重県民:2007/11/03(土) 00:28:44
天皇家は男系により神武天皇〜今上天皇まで百二十五代続いてるらしい。

本人たちが続いてるいってるんだからそうでしょうよ。

しかし日本建国主は本当に神武天皇?!

まず自分達(天皇家)の独り善がりにみえるような・・・。

他国が認めた大王〜卑弥呼のがふさわしいかと思うんですが・・どうでしょう?

ハツクニシラス大王は神武天皇でもなく崇神天皇でもなく卑弥呼。

よって〜現在、教科書に書いてることがわりと正解なのでは・・・。

みなさんの意見をお願いします。
411日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:41:08
手元にある古事記にもでかでかと「神武の東征」ってタイトルが付いてる「イハレビコ」の話、古事記からちゃんと抜き出してみるよ

@「都を置く為には東を目指すべき」と言われ、直ちに筑紫に向かった


って事は筑紫以外の場所から筑紫に向かった訳だ
筑紫ってのは古事記の最初の「島産みの話」だと九州の島を「筑紫の島」と呼んでるから筑紫島の事

東を目指す為に筑紫の島に向かうって事は、沖縄か朝鮮半島
(多分新羅。新羅は九州とも呼ばれた)


ただし新羅も百済も統治してたのは倭人
これは中国の書物にも倭人が納めてたと書いてある
つまり朝鮮人じゃないよ
412神奈川県民改め三重県民:2007/11/03(土) 00:48:28
>>364>>367
茨城県人(プ)さん今頃、ホツマ知ったとは・・・大丈夫?


サガミハラさんは回答がないですよね・・・。

本の批判はやめてくれってことかな・・? まあ、そう受け取ります。

413日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:49:17
Aで、1年休んで、7年休んで、更に東へどんどんいって、ヤタガラスが来たりなんだりして八十建や土蜘蛛をたおして


B更にトミビコを倒し、更にエシキとオトシキの兄弟を倒す
んでニギハヤが後から来たりなんだりして

414茨城県民(プ):2007/11/03(土) 01:02:56
>>412

>茨城県人(プ)さん今頃、ホツマ知ったとは・・・大丈夫?

中身は熟読したこと無い
今頃知ったって?

古代史自体四年前だから
それまでは、邪馬台国どころか日本史にもまるで興味なかった(いや、昨日の事にも)
多分?その当時の日本史の知識は中学生以下
415日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:05:13
Cで、最後に橿原に遷都し天皇につく

※ちなみ「天皇」って書いてあるだけで、○○天皇とは書いてない

あと都遷ってのは都を作るんじゃなく「移設」って意味

神武の東征って言われてるけど、正しくは「イハレビコの東遷」らしい
東遷ってのは東の都を移設って意味

ようは飛鳥京を藤原京へ東遷した際の話だよ


本だと山彦海彦の話の後に書いてある話
これが日本書記では年表系譜の一番初めになる

ようは2600年前の話って解釈されてる
416神奈川県民改め三重県民:2007/11/03(土) 01:21:34
天皇陛下万歳
417日本@名無史さん:2007/11/03(土) 01:56:10
あとさっきのスレで言ってた「女帝」の意味おれわかったかも

イハレビコは藤原京で天皇に即位してないよ
この時に即位したのは女帝の持統天皇

これさ、さっき系譜の話したけど天皇の系譜(血統系譜って意味ね)で一番頭に来るのは神武でもイハレビコでもなく、天照大神なんだよ

イハレビコは日向三代の血統氏族だから天照大神の血統が無い人だよ
だから天照大神の血統系譜に繋がる女を変わりに天皇に即位させてる
んで、その間に娘や息子やら妹やらを政略結婚させて、天照大神に繋がる系譜になった子らが持統天皇の後に即位するって形を取ってる(ちゃんと天照大神からの男系系譜になるようにしてるかは、まだ調べてない)


聖徳太子が即位しなかった理由も多分同じ理由じゃないのかな?
女帝の推古が即位したしさ
418日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:10:40
>>417
神日本磐余彦は、東征して橿原の地で即位して神武天皇になった。
これが初代の天皇。
古事記・日本書紀は、皇室の歴史書。天照大神は皇祖神。

皇室は、遡ると天照大神に行き着くということを示している。
だから、
>イハレビコは日向三代の血統氏族だから天照大神の血統が無い人だよ
は、間違い。

天照大神の孫が、高天原から日向の高千穂に降り立ったニニギノミコト。
そのひ孫が神日本磐余彦、つまり神武天皇。

記紀ではそのようになっている。
419日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:17:30
九州発祥を否定する形にはなっちゃうと思うけど、
九州発祥の根拠が日向三代やイハレヒコを神武天皇と解釈して言ってるのなら、九州発祥は無理だと思うよ

系譜って、歴代の天皇の並びなんてどうでもいいんだよ
ただ血統系譜の出発点の元始となるのはあくまでも天照だよ
天照を元始とした、男系血統で繋がって無い人は天皇にはなれないよ
これは天皇になる資格の絶対の条件

これを無視してイハレビコが神武天皇だってのは天皇制度を否定してるのと同じだよ

明治時代の薩長政府のアホは、それを無視してイハレビコの東遷の話を
神武の九州からの東征として、イハレビコ=神武天皇なんで解釈で系譜をこじつけるから
「天皇の血統なんてうそ。天皇は朝鮮人だ」
なんて、あとあと、今言われてるみたいに天皇の血統の権威の信憑性を疑われるんだよ

420日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:23:48
確かに、明治政府は、王政復古を確かなものにするために天皇を神格化する
必要があった。だから、天皇陵などを整備した。
しかし、天皇の系譜そのものは、記紀の成立した8世紀より前からあるもの。
明治政府が、天皇家の系譜をいじったわけじゃない。
421日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:36:24
>>418
日向三代は、日之常立の神が元始とした男系血統の氏族(これもめちゃくちゃ凄い血統だけど)で、天照からの男系血統は引いて無いよ
天皇の血統系譜ってのは神武天皇を元始としてるわけじゃないんだよ?
天照を血統の元始としてるんだよ

つか、明治維新以前まで「聖書」として歴代天皇や征夷大将軍や藩主達の血統系譜をちゃんと伝えてきてた旧事記って今もうないの?
薩長連合のアホが燃やしたりしてんのか?

薩長は明治維新で天皇の権威を回復させたから、日本における天皇の存在を大事に思ってたんだ、、、とか、勘違いしてる人とかもいるでしょ?
俺も確かに最初はそう思ってたりしたけど、全然逆だよ。
奴ら天皇の血統の権威とかをクソとも思ってないから、天皇の元始が日向三代のイハレビコだ。っとか、やってるんだよ
橿原に神武の墓や神社作って天皇をそこへ参拝させたり、宮崎に神武天皇の神社建てて参拝させたりしてるけど、歴代天皇なんて関係ないんだよ

天皇は天照を元始とした血統の伊勢神宮の宮司なんだから
三種の神器を継ぐものが天皇だよ。天照からの男系血統のもののみが三種の神器を引き継げるんだよ

即位の際の大誉祭は、血統の元始である天照を巫女に降臨させて、交わることで天皇の称号を天照から与えられる訳だから

神武が元始なら、日本における天照の存在なんてなんてまったく関係なくなるよ

天皇の権威ってのは天照の血統を持ってる事なんだよ
422日本@名無史さん:2007/11/03(土) 02:48:19
>>420
旧事記みればはっきりするよ。
そもそも天照と関係ない日向三代のイハレビコを神武天皇と解釈して、イハレビコである神武天皇が元始としてたんだよ?
イハレビコが神武天皇だなんで記述は古事記にも日本書紀にも書いてないよ。 橿原に藤原京を移設した神じゃん。 
んでイハレビコは、自分は血統が違うから即位できないから藤原京時代は男系血統の女帝の持統天皇を即位させてるじゃん

どう言う解釈をしたら、この人が神武天皇になるんだっての。時代も全然違うんだから。
この話を神武天皇の九州からの東征話と解釈して、一番頭に持ってきただけだよ。
イハレヒコの話は海彦山彦の次に書いてある話だよ。
イハレヒコは山彦と同じで高千穂に降り立った日向三代の息子の話だから
423日本@名無史さん:2007/11/03(土) 03:13:38
>>418
記記にそんな記述ないよ
記記をそう解釈してるってだけだよ
イハレヒコの話を歴代天皇の一番頭に持ってくる解釈をするかしないかだよ
日本書記は系譜の項を紛失してる書物
イハレビコを初代天皇の神武と解釈しようが、スサノオや山幸彦を神武と解釈しようが勝手だよ
系譜を紛失してるから、解釈するしかないわけだから

普通は本の順番通りに並べるよ。
歴代天皇の話は話で3部にまとめて記述してあるんだけどね。
なぜあそこの記述を抜き取って初代天皇なんて解釈をするんですかね?

血統系譜の元始は天照じゃなくていいんですか?
そもそも神武天皇の即位からが日本のはじまりじゃないよ?
イザナギサザナギの降臨したところが日本のはじまりだよ

なんで神武の即位が日本の始まりになってるの?
島を作った話が最初じゃないの?

つか記記って日向藩がもってた古志古伝じゃないの? 別に古志古伝でもいいけどなんで本の途中なかの話を一番頭に持ってきてこれがはじまりだ。なんて解釈するの?
記記が云々より解釈がおかしいよ
イハレビコは最後に橿原に都遷するでしょ?
単純に飛鳥から橿原に都遷して藤原京にした時の話じゃないの? 
それとも橿原の藤原京は飛鳥時代以前にあった都なの?

つか江戸時代まで使ってた蘇我氏と聖徳太子が書いた旧事記をそのまま使えばいいじゃん
記記と違い系譜もちゃんとあるから、どの話が神武だなんて解釈の世界にならないよ
424日本@名無史さん:2007/11/03(土) 03:35:19
日向三代は飛鳥朝廷の大政奉還で筑紫と新羅(シラキ)の統治を命じられた氏族だよ
血統の元始は信仰によっては天照より格式の高い国之常立の命

百済、新羅、高句麗は、倭が統治してた国だよ。
日向三代のウガヤは朝廷に命じられて新羅を納めてたんだし
九州ってのもウガヤが新羅に九つの州を作ったときの新羅の呼び名だよ

九州王朝ってのは日向三代が新羅を納めた時の呼び名だよ
その九州王朝が飛鳥王朝へ反逆して、同じく飛鳥の命で百済を納めてた百済を倒して、
そのまま筑紫に渡り筑紫から東征して来て飛鳥朝廷を倒して都を橿原(畿内)に都遷して、藤原京としたんだよ

だから日向三代が大和を収めた事は間違いじゃないよ
ただなんでこの話を2600年前に神武が即位した話だって解釈になるの?ってだけだよ
そういう解釈をするからおかしくなるんであって、普通に記記の順序通りに話を置けばいいだけだよ
425日本@名無史さん:2007/11/03(土) 03:38:08
邪馬台国って国はさ、新羅の前進のこれも倭が納めてた弁韓の13国のなかに、弥鳥邪馬国ってのがある
字は少し違うけど、ここも倭人の弥鳥邪馬国だよ
426日本@名無史さん:2007/11/03(土) 04:51:53
イハレビコは日向三代のウガヤの息子だよ
イハレビコが天皇即位は無いし、現実に橿原に都があった藤原京の時代はイハレビコじゃなく女帝の持統天皇が即位してるよ

橿原に都があったのは16年の間だけだよ
橿原からすぐに平城京に都遷して、その後また京都へ都遷する訳だから

つか欠史八代とか神武天皇が180年生きたとか、そういう解釈をすればする程、天皇の系譜や血統の信憑性や権威が疑われるだけじゃん

俺は男系で血統が続いてるって言う前提で考えてるだけだよ
この人が神武じゃなきゃ行けないとかなんだとか関係無いと思うけどな

あと即位してから2600年って事にする必要も無いと思うよ
途中で勢力が2つに別れてようが、天皇が政治に関わらない時代があろうがそんなの問題じゃ無いと思うしさ
誰が即位したしないじゃなくちゃんと今の天皇まで男系で血統が続いてるかどうかだよ
130才まで生きた事にしなきゃ行けないような解釈がおかしいと思うもん
江戸時代ね藩主達ですらちゃんと血統を辿れてたのに、天皇が血統を辿れないって事は無いと思うよ
もし途中で血が絶えてるなら、今の天皇なんてなんの価値もないただのオッサンになる訳だから
427太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 07:15:43
>>426
すこし頭を冷やせ! 狂ってきたな? ww
イワレヒコが神武天皇だよ。天皇号は後付けでもそれでいいことだ。

神武の即位から崩御までは倍暦の時代で実際は130歳も生きちゃいない。寿命は
現代でもありうる通常の数字だよ。
428日本@名無史さん:2007/11/03(土) 11:40:05
>>421
何か先入観があるね。できれば幕末史の勉強をお勧めする。
それから江戸時代を通じての国学の流れも。

公武合体論は、尊皇攘夷思想から出てくる。
孝明天皇(明治天皇の一代前)、徳川家茂(14代将軍)、まずこの二人を調べよう。

それと、幕末の修陵事業の中心であった戸田忠至(山陵奉行、宇都宮藩の重臣)も。
神武陵など歴代天皇陵の整備に、幕府は大金を費やしている。
429唐松山:2007/11/03(土) 12:05:59
書紀を 突き詰めようとして 自分が 突き詰められている。
皆さんが 放り出しても 歴史は動いている。

神武は 長生きしました。 私の推定 40才位 他の天皇 36才位
 
ほつま伝で 卑弥呼 と見られる女性の死は 景行12年
ホ38168   はゝミタあつさ ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる 
かれスミヨロシ ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ

母高熱で 息も絶え絶え 天皇祈るも 通じず。 住吉に 社を建てさせ 祭る
と読んでいますが 書紀では(書紀にも 同じ事が 全く違う様に かかれている。)

四.碩田國的土蜘蛛討伐 廣三尺,厚一尺五寸.天皇祈之曰:「朕得滅土蜘蛛者...
はば 3じゃく あつさ 1しゃく5すん ... 
430日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:14:42
>>427
うーん
「暦」「元号」「称号」「皇統」
この辺りの区別が良くわからない


つか元号と天皇の名前を無理やりリンクさせてるから訳わかんないんじゃないのかな?
実際に使われてた元号と天皇の名前がリンクするのは「明治、大正、昭和、平成」の4人だけだよ

これも明治以降に定めただけだから、それ以前の歴史書でリンクしてたら逆におかしいよ
江戸時代なんて橋を作ったから元号を変える。 元号変えた年が付いて無かったから縁起を担いで変える
こんな理由でコロコロ変わるのが元号だよ


開化とか神武とかは元号の名前じゃないの?
少なくとも「神武天皇」なんて記述は記紀の原本には一言もないよ

天皇が125代としても元号と死後の称号(天皇は死んでから名前が付く)が一致するのは、明治、大正、昭和、今上(死後、平成天皇になる)の4人だけだよ



つか江戸時代まではあった旧事記や日本書記の皇統譜が紛失してるのは、明治政府が過去の元号も天皇の称号と無理やりリンクさせて
「神武、天明、、」なんて元号を定めたからじゃないのかな?
431日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:21:26
>>429
それ記紀では猿田彦が連れて来た猿姫って人じゃない?
タラメだっけ?
432太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 12:23:42
>>430
記紀の原本を見たのか? 見たなら、どこでいつ頃だ?
見てないなら、誰がどこでいつ頃見てお前がどうしてそれを知ったのか?
一言もないのがわかるんだから、これのどっちかだろうが?

それともお前はスーパーマンとかの真似が出来るのか?ww
433唐松山:2007/11/03(土) 12:29:21
古代に於いて
元号を変える=干支を変える(日々の干支も)
つまり 増し です。
434太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 12:34:13
>>430
ははぁ、紀の原書群のことかと思った。そうでないのか? 記紀そのものの
原本か〜? お前もう少し誤解の出ない書き方をしろ。間違えてしまうわ。
だったら>>432の件は取り消しだ。

ただ故意過失で誤記がない限り、通常頒布されている記紀で間に合う。だから
記紀の原本など特段の事情もないのに持ち出してどうのこうの云うな。
435唐松山:2007/11/03(土) 12:43:27
猿田彦は 神武以前の 人です。
ホ28129 セヲリツヒメと オオンカミ ミヤうつさんと
ミモカワに アのぼるチゑて サコクシロ ウヂノミヤヰに
フヨホへて ときにヰソスズ ミヤにはゑ つらつらをほす
うえすして はゑるもアメよ わがイノチ アメがしらすと
ヤモカミを めしてワレヨを いなまんと サルタにアナを ほらしむる
436日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:03:19
明治天皇誕生日age
437日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:19:45
神武即位 紀元前 660年

これを決めた理由、おれ解った

ウィキで「辛酉」でくぐると書いてあったよ
やっぱ明治以降に那珂 通世 って人の説を取っただけの話だよ


明治政府はやっぱめちゃくちゃな歴史の書き換えしてる。 これじゃ流石にダメだよ

旧事記を偽書としたのも明治政府の都合よく歴史を書き換える為だよ

明治以降の通説や解釈は、一旦白紙にした方がいいよ
じゃなきゃ日本書記も古史古伝も同じな気がする
438太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 13:29:51
那珂博士の辛酉革命にあわせたための年代拡張論は間違い。真は大陸半島
とこちらの暦法に大いなる違いがあるために年代が合わないのを知らず、
無理に合わせよとした紀の編者らが苦心したわけで、それで年代修正が
思うように行かず、その発展negから紀元前660年まで伸びてしまったと
いうことになったのである。
439日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:30:12
>>435
神武=イハレビコ
コレが最初の天皇

この認識の場合でしょ?
イハレビコは白江で百済を倒した新羅の人だよ
新羅から筑紫に渡り、飛鳥朝廷を倒して都を橿原の藤原京に東遷した人

694年 持統8年 に橿原の藤原京に都遷。天皇に即位したのは女帝の持統(おそらくイハレビコは天照血統と違う為)

神武かどうかは別としてこれが日本の始まりって解釈するの?
俺は違うと思うよ



あと新羅っても朝鮮人じゃないよ?
元々は飛鳥朝廷が新羅へ派遣した倭人の氏族だから
440日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:33:08
>>434
原本は見てないw

ただ手元の本に「天皇と表記されてる」とかの解説があった
この本もイハレビコ=神武って解釈で書いてある奴だけど
441太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 13:33:33
>>439
イワレヒコは新羅の人ではない。日本の人だ。どっからそんなことが云える
のか? 説明がないんではお前のいい加減な思いつきだろうが?
442日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:38:53
>>441
新羅国の祖の日向三代の倭人のウガヤの孫かなんかだよ


天孫降臨は、飛鳥朝廷が日向三代に筑紫と半島を統治に行かせた話だよ
イハレビコはその後、朝廷にクーデターを起こして飛鳥朝廷を倒した話だよ
443日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:43:16
つか新羅、百済、高句羅、、これらは大和が統治してた国。
これらを朝鮮人の国って解釈がおかしい

朝鮮人なんてこの時代にどこさがしてもいなかったよ
そもそも朝鮮人の朝廷なんて属国の李氏朝鮮以前には無いでしょ?

この時代の半島は漢人→倭人だよ
444太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 13:43:39
>>442
おまえの言ってることはもう滅茶苦茶だな。そのうちアマテラスがUFO人
とか言い出すんではないかと危惧している。
神武が日本人でなく新羅人なら、御名は「神新羅磐余彦火々出見尊」となる筈だ。

お前もう一度出直してこい。ww
445唐松山:2007/11/03(土) 13:45:52
神武即位 紀元前 660年

是を信じる人は,100人に一人位 他の99人は、「長すぎる」と思っています。
そこで 書紀や古事記、旧事記を 読み直す やはり 多少の違いは有っても 「長い」わけで

では どのように 引き伸ばされているか? を考える。
倍暦 編纂時に掛け算で引き伸ばされた。=本物の暦にならない。又は、本物の暦を提示できない。
増し 古代当時 使われていた暦に 改元の如く干支(日々の干支)を増す(19年7閏を単位とする足し算)=暦の復原が可能
是等 以外の方法で 引き伸ばされている。

3択です。
446日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:51:49
古事記にも書いてあるよ
「よし、これから東へ向かおう!」
って事で「最初に筑紫」に行って、吉備に行って、、、


「筑紫」の解釈が違うんか? 九州の島の名前が「筑紫」だよ。 島産みの話で書いてあるし

あとこの時代の九州は新羅の事
新羅を調べれば書いてあるよ
中国の書物にも新羅や百済は倭人の国で新羅の祖はウガヤってなってるし
447太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 13:55:18
>>446
九州は新羅ではな〜い。新羅は半島のほうだ。お前は白を黒と云っていて、
はなはだしくデタラメである。
もう一度古代史を勉強しなおしてこい。さもないとお前は精神病院で診てもらわ
ねばならんぞ?
448日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:55:21
>>444
だから倭人だっての
449日本@名無史さん:2007/11/03(土) 13:58:56
あと蘇我氏の飛鳥朝廷の場所は岐阜の各務原だよ

そこら辺の認識が多分違うから話が合わない
450日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:01:52
>>447
ウィキやググルで色々調べたってば
新羅(九州)


てか説明がめんどい
年代も西暦6〜7世紀に呼ばれた名前
451太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 14:03:14
>>449
お前はムー誌や飛鳥昭雄さんの書を読みすぎていないか?ww
452唐松山:2007/11/03(土) 14:05:56
新羅、百済、高句羅は
魏が 滅亡したとき 建国したり 勢力を伸ばした 国です
西暦 250年から300年頃の出来事
当然 倭 大和も 神功をして 半島に勢力を伸ばす。
西暦350年頃より 百済では 文字による記録を執り始める。
年の干支も正しいと思われるのは これ以降
そうなれば 日本の干支も この頃より 伸長 されなくなる。

453日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:16:10
>>451
全部、記紀やウィキとかからしか解釈してないよ
古史古伝とかも読んだ事ない
旧事記とかも見たいけど結局、記紀以外の書物の記述を引用すると「あんなの偽書だ」って人ばかりだから手元にある記紀のみだよ

良くわかる古事記 って奴と 古事記と日本書記 って本だけ
後は地名や神社の由来や地元の伝承の神話を探したりだよ
454愛知県民:2007/11/03(土) 14:22:56
>>404
>卑弥呼、神武天皇の二人の建国主について
>あなたはどちらが本物の建国主にふさわしいと思いますか?

ある意味で、神武天皇=卑弥呼。神武の兄、五瀬命は「吾は日の神の御子」と言っています。
女性で「日の御子」といえば、アメノヒボコ伝説のアカルヒメがいます。
「日の耀き虹の如くその陰上(ほと)を指し」た賤の女が産んだ赤玉=アカルヒメ。
しかもアカルヒメとアメノヒボコは新羅から東遷もしている。
はたして卑弥呼、神武東遷との関係は?
455太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 14:23:26
>>453
旧事紀を読まないでよくそれが正当だとか云えるな? 読んでから云え。
456太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 14:25:25
>>454
卑弥呼と神武東遷は直接の関係は薄いです。年代が違いますから。
457愛知県民:2007/11/03(土) 14:50:47
みのさんも面白いね。
太国さん、新羅が九州だった=新羅には九つの州があったのは本当です。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85#.E4.B9.9D.E5.B7.9E
日本の九州って、いつからそう呼ばれるようになったんでしょうね?
458唐松山:2007/11/03(土) 14:55:27
自分の 読み方を正当化するために それ以外の書を偽書とするのです。

挫けないで 読んでください。

旧事記も ほつま も 真面目な書物です 
これら 全てで(多少の違いは仕方ない。)読めるのが 本物の 歴史。

これらの書を偽書扱いする 解説は 全て 偽 です。
459日本@名無史さん:2007/11/03(土) 14:56:53
>>455
だから薩長政府が大ウソしか書いてない偽書だって指定した旧事記なんて読んでないじゃん

つか見たいのは旧事記を聖書としてた江戸時代以前の系譜や皇統譜だよ
記紀は系譜を紛失してる書物だから系譜や年代は解釈するしかない書物ってだけ

それなら系譜だけでも、、、って調べたら明治以降に系譜の部分だけ紛失だってさ


明治維新もまた、歴史を書き換えた時代の1つだとは思うよ
460日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:09:02
旧事記は江戸時代以前まで藩主の血統までわかるほどの系譜を含めた書物で正史として扱われてきた

明治維新後の九州出身の薩長政府はすぐさま旧事記を偽書と指定。 系譜の書を欠いている記紀と九州のなんとか風土記を元に日本書記を正史と指定
橿原と宮崎に神武天皇の古墳や大社を新設


江戸時代まであった旧事記の系譜書も現在は紛失中(理由は書いてなかった)

天皇の系譜や並べ方は今はもう系譜がないなら解釈するしかないよ
薩長政府はイハレビコの話が大和の始まりの話と解釈をした見たいだね


俺はその解釈はどうかと思うよ
記紀だと国譲りや国造りや天孫降臨の話が先に書いてある

順番通りに読めばこっちの話の方が先に来ると思うけどね
461日本@名無史さん:2007/11/03(土) 15:38:43
>>458
いや、記紀だけにしとく
書いてある内容を自分がどう解釈するかだけの話だけだからさ

薩長政府の解釈は俺は違うと思うよ。
ただああいう解釈をした理由も解る気はするよ

明治維新は革命なんだしさ
462唐松山:2007/11/03(土) 16:00:52
言う所の 神話時代ね
神話時代が 神武より先にあるのは 誰でも認めてる。

では どのように書かれているか 読んでくれ。
463九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/03(土) 16:49:58
九州という名は古代中国に端を発する。
「統一された国」を意味する「九州」は、かなり大昔からの呼び名らしい。
464日本@名無史さん:2007/11/03(土) 16:55:36
>>463
中国って呼び名は戦後だからね
昔の日本側からの大陸や半島の呼び名は
漢、九州、唐、随、、

義や随は半島を「倭」って呼んでるしね
465日本@名無史さん:2007/11/03(土) 17:04:44
>>462
ここは「神話時代」
ここからが天皇の始まりの「神武時代」

ってのも「解釈」だよ

俺はそんな解釈してないよ
「神武時代」って奴に神武天皇って名前は出て来ない


○○天皇って表記されるのは最後の天皇代って言われる仲哀天皇とかからだよ
ここからは人の呼び名の表記もガラっと変わる

それまでは、ニニキとかホレノタヒコとかそういう名前だよ

2つに分けて読んでるよ
466九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/03(土) 18:27:34
>>464 中国って呼び名は戦後

だったっけ?あまり異論は無いが、一説には中夏と書いて中華と、
何と夏の時代から「チュウカ」という呼び名があったというから
世界の中心という意味で中国という呼び名もあったんじゃないかとも思える気がする。
世界の中心「中国」は倭の「中つ国」に影響を及ぼした・・。というのはどうかな?

467日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:30:51
>九州の島の名前が「筑紫」だよ。 島産みの話で書いてあるし

島産みのところに、筑紫島は身一つにして面四つあり。とあるでしょう。
筑紫国=白日別、豊国=豊日別、肥国=建日向日豊久士比泥別、熊曾国=建日別
筑紫島のなかに、筑紫地方とそれ以外の全部で四つの地方があると考えられるでしょう。

九州説は、この宇宙が九つの世界から出来ているという、
中国の神話的世界観に基づいているから、
新羅が九州だったとかは、あまり頼りにならないと思います。
468日本@名無史さん:2007/11/03(土) 18:46:21
>>430
まず、元号が出来たのは、漢の武帝の時代。
日本で一人の天皇に元号が一つになったのは、明治以降。
本来、中国でも日本でも、一人の天皇、皇帝に元号が複数あった。
神武とかの漢風の謚号は、8世紀に淡海三船という人が、それまでの天皇にまとめてつけた。
だから、カムヤマトイハレビコの命に淡海三船が神武天皇という号を送ったのだから、
両者が別人というのはナンセンスな話。文句は淡海三船に言えということになる。
ウィキペディアを良く使うのなら、謚とか天皇の項目もよく読んだらいい。
469愛知県民:2007/11/03(土) 19:06:46
古事記を改めて読むと、なるほど天照大御神の性別は判断しづらい。
明確な「ほと」の記述もないし。
大御神が女性なら、スサノヲと「うけひ」をする必然性もない。

ホツマツタエによるとアマテル神は男で、その姉ヒルコ姫=ワカヒルメ=シタテルヒメらしい。
シタテルヒメは記紀では大国主の娘でアメノワカヒコの妻だが?

470太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 19:11:48
>>457
なにかからくりがあろうかと考えてましたよ。そういうことですか?
あの無コテはそれを日本の九州と同一視の間違い、錯覚をしてたということ
でしょう?
471九州王:2007/11/03(土) 19:15:15
魏志の世界

海┏┛∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
┗━┓∵∵∵帯方郡∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗━┓∵▲帯方郡庁∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
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海〜┏━┛∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┃∵∵∵馬韓∵┃辰韓∵┃〜〜〜韓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗┓∵10万余戸┃弁辰∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵┃4-5万戸┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━┻━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏┛投馬國5万余戸┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓
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472九州王:2007/11/03(土) 19:16:04
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏倭種∵∵∵┏┓∵┏━
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜┃∵∵侏儒國┃┗━┛海
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜┗━━━━━┛〜〜┏┓
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓〜〜〜〜〜〜〜┏┛┗
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┛∵∵┗━┓〜〜〜〜┏┛裸國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵邪馬壹國∵┃〜〜〜┏┛K齒國
海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵┏┓∵7万余戸┗┓〜〜┗┓∵∵┏
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海〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛狗奴國∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜海
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473太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 19:18:01
アマテラスは女性。
474日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:36:17
>>471

絶対違う。九州人だからこそわかる。

熊襲の勢力がそんなに北まで行ってるわけない。
そこまで熊襲だったら余裕でとっくに九州制覇してるって!
絶対に、もっと南だったはず。
475日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:39:23
九州王、お前どこの人間?
ガックリだぜ・・・

K齒國 と裸国って船で一年かかるって書いているだろ。
絶対、ポリネシア辺りの島々だよ。
476日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:48:41
源頼朝
彼は何を知っていたんだろう。
何を思っていたんだろう。
彼の時代には今よりずっと古書や伝承が溢れていただろうし。
気になるな。
477日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:01:08
天照大神はちゃんと足跡が追えるよ

生まれた場所→中津川市阿木(石の遺跡で伝承)
へその緒を切った鎌→恵那市岩村(三森山内神社)
生まれて来た際にくるまれてたエナ→中津川市恵那山(山岳伝承)

この周辺を探せばまだ足跡を語った伝承があるよ
天照大神は女の子だよ
てかこの辺りの伝承を見ると「女の子の赤ちゃん」見たいな事と思う

この辺りの地域や伝承をググルといろいろ出て来たよ
478太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 20:05:46
>>477
筑紫(九州)の日向の橘の小戸の阿波岐原で初に日神が現れたと古事記には
書いてあるが、これはどうなるんだ?
479日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:05:52
違うわ。足跡は追えてないや
産まれた伝承があるだけ
特別に祭られてたりしてる訳でもない
ただそういう伝承があるだけって感じ
すげー山奥だし
480日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:13:48
>>478
だからそう言う言われがあるなら、その地域の目処を付けて、
その不況の神社や山や地名や遺跡や伝承や探してみた?

昔から口頭伝承されてる話なら今の言い方でそれらしき伝承を探してみたりとかさ
そういうのが楽しい訳だしさあ
481唐松山:2007/11/03(土) 20:14:39
当時の 王は4つの イミナを持っていた。
タケヒト→カンヤマト イワワレヒコ→神武
タケヒト,カンヤマト,イワ(ワ)レヒコ,まだ三つ 他にも持っていたはず。
神武は 聖徳太子がつけたイミナとも言われているので 古い書物に無くても良い

482唐松山:2007/11/03(土) 20:18:53
九州王さん 472は ノリすぎ
侏儒は 手長足長蜘蛛の 本国 沖縄(シュリ)だと思うよ。
483唐松山:2007/11/03(土) 20:28:32
タケヒト=カンヤマト イワワレヒコの スヘラギは ミオヤアマキミ ヨツノミコ
アビラヒメ めとりうむミコ タギシミミ キミトシヨソヰ ものがたり
ミオヤアマキミ ツクシたす ソトセおさめて ヒたるとき アマキミのニを
タケヒトに さつけアビラノ カミとなる

筑紫 日向峠の南東に有る山 アビラノ山
 
484九州王:2007/11/03(土) 20:32:35
訂正
海┏┛∵∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
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┗━┓∵∵∵帯方郡∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┗━┓∵▲帯方郡庁∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┣━━━━┳━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜〜┃∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏━┛∵∵∵∵┃∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
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海〜┗┓∵10万余戸┃弁辰∵┃〜方可四千里〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┃∵∵∵∵∵┃4-5万戸┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜〜┣━━━━━┻━━━┫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜海
海〜┏┛投馬國5万余戸┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━┓海
海〜┃∵∵∵┏━━━━┛〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵┗━
海〜┗━━━┛〜〜〜〜〜〜┃┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵
485日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:32:56
あと俺別に古事記に書かれてる内容を否定してる訳でもなんでも無いよ
古事記を元に探してる訳だから
イザナミイザナキが降りたった中つ国原
ここはどこだろうって所からいろいろ探してるんだよ
中津川市の巨石の夫婦岩がその言われのある場所だったからそこを周辺に神坂峠やそこを超えた信濃の阿智村や旧街道の東山道ぞいに、ストーンサークルや巨石遺跡や古墳やら
伝承すらないような遺跡もなんか沢山あるよ
486九州王:2007/11/03(土) 20:33:12
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487日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:36:49
>>476 :日本@名無史さん:2007/11/03(土) 19:48:41
>源頼朝
>彼は何を知っていたんだろう。
>何を思っていたんだろう。
>彼の時代には今よりずっと古書や伝承が溢れていただろうし。
>気になるな。

源頼朝の生母は、熱田神宮の娘なんだなw
しかも、その生母の父親の代から藤原南家の家系に変わった。
それ以前は、熱田神宮は尾張氏が宮司だった。

熱田神宮といえば、男の太陽神アマテルの子孫・尾張氏。
天皇家の兄の家系だ。

その尾張氏が熱田神宮のトップから降りたのは
尾張氏だけじゃなくて、神武皇統の天皇家にとっても大きな出来事だったはず。
488日本@名無史さん:2007/11/03(土) 20:44:57
牛若丸→飛騨の乗鞍岳
弁慶→恵那市大船山、明智 信濃阿智村

天照大神探してる間に、山伏達の密教の修験寺なんかがあって弁慶とかの伝承もここら周辺にいろいろあったよ
弁慶と牛若丸の俳句でも大船山の事が言われてたりしてた。畿内に移設前の東大寺の良弁杉もここにあった杉の事と思うよ
489日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:03:11
>>487
ふーん。
じゃ、天皇家に伝わる伝承や帝記なんかも
よく知ってたんだろうなあ。
490愛知県民:2007/11/03(土) 21:10:04
>>487
尾張氏の同族には住吉大社の津守氏、丹波の海部氏がいます。
祖神・天火明命(あめのほあかりのみこと)は天照国照彦火明命とも言い、
ニギハヤヒと同一視される場合もある。
シタテルヒメ、アカルヒメとの関係も気になる。
491日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:29:33
>>489
江戸時代の藩主とかはほとんどの人が物部氏や蘇我氏や近江氏や藤原氏や、、飛鳥時代の氏族までは辿れるよ

そういう血統がある人が藩主とかに付ける世界だから
征夷大将軍になるにも血統は必要なんだよ。天皇家と全く縁の無い血統とかの人は無理だからさ
だから家康は死んでたのに身代わりが血統のある家康を名乗って将軍になったとかなんとか
秀吉も農民の出じゃない見たいだよ

薩長政府が明治維新の際に天皇の方の系譜を書き換えたりなんだり(南朝系と北朝系を入れ替えたから継体天皇みたいな系譜になった)したのも
自分達が連れて来た天皇とかの血統に正当制を持たせる為とかそういう理由だと思うよ

もしくは自分達(長州藩)の血統に正当制を得たかったのか

明治後は政府内(海軍と陸軍)で長州派と薩摩派で対立したりなんだりさ
長州のアホは西郷を国賊として殺したりさあ

んで、その陸海の対立関係が原因で太平洋戦争ですよ

仲良くやってりゃよかったのにさ
492日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:45:33
とにかく血統の元始ってのは大事なんだよ
イハレビコだイハレビコだ言ってるけど、イハレビコが元始ってのはやっぱ違うと思うぞ?
明治維新後にそういう解釈してそうしてるだけな気がするよ
ただ天皇の元始がイハレビコなら、出雲家はスサノオだから出雲家のが血統の格式が上になると思うよ

つか明治維新前の天皇はイハレビコの神社に奉納したりなんだりしてないよ。 神器も置かない血統の途中の奴なんて関係無いし
明治維新後は薩長政府が新設した宮崎と橿原の神武の神社に何度も参拝行ってるけど、あれおかしいよ
江戸時代には無かった神社だよ
江戸時代前まではイハレビコを元始として参拝しにいったり崇めたりしてた訳じゃ無いと思うぞ?
伊勢や熱田でしょ? 神器があるのもそこだしさ
神器を途中で移転してたりしてるかもだからなんとも言えないけど
493日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:49:31
>>457
九州というのは、九つの国があったからで、たぶん江戸時代あたりかな。
筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隈の九つ。

ちなみに、関東地方は以前八州といっていた。
常陸、相模、武蔵、安房、上総、下総、上野、下野の八つの国があるから。
494日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:53:17
だいたいイハレビコって神から国譲りを受けてる訳でもないし、神器を神から受け継いだ人でも無いじゃん

大和を武力で統一したから偉いとかそういう世界じゃないよ
勝手に侵略して統治して「はい俺天皇」って語ってるなら天皇じゃなくただの王だよ
格式が違う
495日本@名無史さん:2007/11/03(土) 21:59:16
>>494
おいおい、邇邇芸命(ニニギノミコト)は、三種の神器を持って日向に
天降ったんだぞ。邇邇芸命のひ孫が神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)。
496太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 22:02:27
>>494
イハレヒコは天皇。もうそれでいい。
497日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:04:18
今一番格式が偉いのは天皇だ、やれローマ法王だなんて話もあるけど、ローマ法王なんてなんの血統の縁もない「自称」法王だから

天皇以外ではエチオピア王朝がシバ神の血統を2400年以上も継いでる血統王朝だったよ
近代の戦争で滅ぼされちゃったけどさ


てかイハレビコが元始なんて血統はあり得ないよ
それだと天皇の元始が天皇って形じゃん


神代からのちゃんとした系譜が本来ならあるはずなんだよ
江戸時代まではあったんだし
天皇の系譜を「紛失」なんてのがまずあり得ないよ

どっかに残ってないんかな?
本来なら記紀は、それと照らし合わせて読む書物と思うしさあ
498太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 22:08:07
>>497
その続いているというエチオピア王朝とやらの現今の王はだれだい?
499太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 22:09:06
あ〜、ほろぼされたのか?
500日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:17:05
太国さんよ。反応するなよ。スルーしようぜ。
みんなもスレ主さんの>>1を読み直せ。

ここのスレタイは、「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!9」。
501日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:19:06
卑弥呼 細木数子
502日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:20:49
>>497
王年代紀というのもあるぞ。
西暦984年、東大寺の僧が中国に行ったとき、みやげに持っていったやつ。
それによると、神武天皇の前、23代が「筑紫の日向宮に都す」となっている。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/soushi/frame/soushi_frame.htm
503茨城県民(プ):2007/11/03(土) 22:24:17
>>371唐松山さん

使わせて頂きます。

史料提示ありがとうございました。
504日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:26:59
TBS「ここが変だよ日本人」にも出演していた在日韓国人(キム・ムギ)氏の衝撃講演動画です。
本国韓国人に日本国内での日本人に対する「世論操作」「世論工作」の実践方法と成果をレクチャーしている衝撃動画です。
2つ目の動画で教科書・慰安婦問題でも世界中に工作活動をしたことを誇らしげに語っています。

http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=92FD7135CBF5F0A85CDD74C0437D1ED0?movie=239857
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=626115

韓国の一方的な捏造歪曲歴史観を日本と世界中に流布させるための実践方法を本国韓国人に伝授しています。
心ある日本人は日本中に知らせてください。
本当にやばいです。
505太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/03(土) 22:27:17
>>502
九州王朝だな。
506日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:47:01
>>495
だからなんでそうやってまた、記紀の途中の話から始めようとするの?
じゃあニニギが元始って話?
ニニギが元始なら元始でもいいよ
だとしたら系譜はイハレビコからじゃなくニニギからだから、明治以降に解釈されてるイハレビコからって解釈はおかしいのわかるよね?


まあ記紀をちゃんと初めから読めば、神器は神器で何か意味があるんだろうね
鏡を見せて日の御子と証明させたとかなんとかの記述や、ニニギ達3人に神器を持たせたりさ
507日本@名無史さん:2007/11/03(土) 22:59:23
>>498
滅んだっての
血統が絶えたらそこで終わりなんだから
508日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:00:56
>>502
おーありがとう。
あとでパソコンでちゃんと見てみます
509日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:08:39
>>505
九州王朝九州王朝言うけどさ、新羅の歴代の王見てみ
俺もまだちゃんと調べてないけど、日向三代のウガヤを先頭に、記紀の最後の方の○○天皇の書に乗ってる天皇達がずらりって感じだったよ

イハレビコはニニギじゃなくウガヤの子孫だよ
ニニギは筑紫、ウガヤは新羅の統治を命じられて統治してたんじゃないかな?
510愛知県民:2007/11/03(土) 23:08:53
>>493
ありがとうございます。
だけど、四国は何故か「四州」じゃないんですね。
北海道は新しい地名なのに、律令時代みたいな名前。
山陽・山陰・東海・北陸・近畿は今でも地方名として使われますが、
東山道・南海道・西海道はすたれてしまった。
511日本@名無しさん:2007/11/04(日) 00:36:14
>>457 >>493
もうちょっと古いぞ。律令制の時代。
筑紫国が筑前・筑後、豊国が豊前・豊後、火国(肥国)が肥前・肥後、
日向国が日向・薩摩・大隈の三国に分かれ、計九国になった。
漢風ではそれぞれ筑州・豊州・肥州・日州などと呼ばれるが、元をたどれば四つだったわけだ。
律令制以前の飛鳥・古墳時代の大和朝廷の認識では。

九州はかつて筑紫島と呼ばれた。
日向国の球磨あたりは「熊襲」…後の「隼人」の勢力圏で、「狗奴国」をここに見る説もあるそうな。
邪馬台国の話に絡められてほっとしているが(´へ`;)大和朝廷の九州感をここに見ることもできるだろう。
512日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:40:18
>>510
廃れた旧街道
逆に言えば開発されてないからまだ探索が出来る街道だよ
つか本当に山奥にあるしね
513日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:46:39
>>511
球磨地方は、熊襲ではないと思う。
球磨地方には、古墳があり、鏡などが副葬されていたり、熊襲とは文化的に
異なる。
また、球磨地方の言葉は熊本弁で、福岡や佐賀、熊本と同系統の言葉であり、
鹿児島など南九州の言葉とは全く異なる。
514日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:47:03
邪馬台国の話だけど、義が倭人の国といってた場所は
いまの日本と朝鮮半島だよ
半島の三国時代の前の三韓時代の時も倭人の国と呼んでた

ちなみに義は漢人の国
漢人がそう呼んでたよ
(ただし倭人と漢人が住むって表現もある)

今の大連の辺りまでは倭人が来てたって書物にも記述がある
515九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/04(日) 01:06:07
日向国は北は豊国、西南は玖摩(くま)国と曽於(そお)郡の熊襲国。
地下式横穴墓と呼ばれる南九州独特の古墳は六世紀以後大和朝廷へ服従後は
その北限は、新富町から六野、西都、九州山地をまたいで、熊本の人吉、八代をつなぐ線に分布する。
516愛知県民:2007/11/04(日) 08:09:36
>>511
なるほど・・・
ところで、熊襲って楚の熊(ゆう)氏と何か関係あるのでしょうか?
魏略の「自ら太伯の後という」から、周と呉の姫(き)氏は日本に来ていたと思うのですが。
517愛知県民:2007/11/04(日) 08:13:33
>>512
みのさんは東山道しか興味ないですよね。
ただ、岐阜県を「東海三県」に入れるのはおかしいとは思う。
518日本@名無史さん:2007/11/04(日) 10:32:09
>>517
そういわれればそうだ

どっちかったら静岡だ


なんで東海三県なんだろ?
519日本@名無史さん:2007/11/04(日) 11:08:14
>>517
今日の新聞で岡崎城の石垣が見つかったみたいだね

飛鳥時代に一宮神社があったのが今の一宮だと思うよ
一宮の西に秀吉が、昔一宮があった場所の西に、立てたのが垂井市の西宮神社らしいから

犬山もなんか有りそうだし、春日井は春日神社かな?
520愛知県民:2007/11/04(日) 11:30:01
>>518
静岡県民は関東に目が向いてるんでしょう。

>>519
はあ?
垂井町には美濃一宮の南宮大社。
一宮市には尾張一宮の真清田神社。
何か不審な点でも?  卑弥呼とは関係ないと思いますが。
521愛知県民:2007/11/04(日) 12:33:07
アカルヒメは、アメノヒボコ=ホアカリに対する名前。
シタテル(タカテル)ヒメは、アマテルクニテルヒコ(ホアカリ)に対する名前。
ワカヒメは、アメノワカヒコに対する名前。
タカヒメは、アジスキタカヒコネに対する名前。
すべて同一人物で、日巫女、または日御子ではないか?
522日本@名無史さん:2007/11/04(日) 16:29:03
>>521
>すべて同一人物で、日巫女、または日御子ではないか?

これはない。豪族や王族の娘で嫁にやれないのはほとんど巫女ばっか。
日巫女、または日御子なんて何人もいるよ。
九州だけでも何人もいるはず。

同一人物じゃないよ。
523日本@名無史さん:2007/11/04(日) 16:55:18
>>495
日向を出発した神武は日本と書いてヤマトと
読む名前をもってたんだよね。日本は当て字だからおいといて。
ヤマトは日向の以前の地名では?

普通さ、王族の名前って出身地の名前だからね。
524神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 19:20:11
>>477
>この周辺を探せばまだ足跡を語った伝承があるよ
>天照大神は女の子だよ
>てかこの辺りの伝承を見ると「女の子の赤ちゃん」見たいな事と思う
>この辺りの地域や伝承をググルといろいろ出て来たよ

どこにのってたんですか?
525神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 19:20:15
>>477
>この周辺を探せばまだ足跡を語った伝承があるよ
>天照大神は女の子だよ
>てかこの辺りの伝承を見ると「女の子の赤ちゃん」見たいな事と思う
>この辺りの地域や伝承をググルといろいろ出て来たよ

どこにのってたんですか?
526神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 19:30:10
409の意見についてはみなさんどうでスか?

409 :神奈川県民改め三重県民:2007/11/03(土) 00:28:41
天皇家は男系により神武天皇〜今上天皇まで百二十五代続いてるらしい。

本人たちが続いてるいってるんだからそうでしょうよ。

しかし日本建国主は本当に神武天皇?!

まず自分達(天皇家)の独り善がりにみえるような・・・。

他国が認めた大王〜卑弥呼のがふさわしいかと思うんですが・・どうでしょう?

ハツクニシラス大王は神武天皇でもなく崇神天皇でもなく卑弥呼。

よって〜現在、教科書に書いてることがわりと正解なのでは・・・。

みなさんの意見をお願いします。
527神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 19:34:19
>>414で(プ)さん
>古代史自体四年前だから
らしいです。

私の古代史研究歴は1年半前くらいです。
ちなみにそのまえは大東亜戦争にはまってました。

みなさんは何ヶ月、何年くらい?

528神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 19:47:54
>>416は私ではないです。

それと今週は太国さんと日本@名無しさんがやりあってるね。
日本@名無しさんのハチャメチャぶりがすごい!笑


529日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:49:27
歴史は勝者が書いたもの。
卑弥呼は歴史から消え去ったのだからふさわしくもなんともない。
魏の王だって消えたんだから意味なし。

>>526
しかも卑弥呼は巫女。子が無かった。男の子が居たのでは?とあるが
次の男王が子供だったとしても、台与に変わった。
だからどちらにせよ卑弥呼の血は絶えてる。意味なし。

自分は宇佐の比売大神は台与のことでは?と思う。宗像3神だが
祭りかたが大きすぎる。神功皇后や応神天皇より上座に祭られてるだから。
もし、台与が宇佐の比売大神と関係があったとしたなら、邪馬台国の女王は
今の天皇家と繋がっている。

530日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:51:34
台与と宇佐神宮が関係なかったとしたら、スルーでおk
でも豊・とよの国って自分で言ってるしなー。
531太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 19:54:15
>>529
>歴史は勝者が書いたもの

そうとは限らんでしょう? 日本は大東亜戦争での勝者ではないが、その国
の人間が歴史を書いてるんでないの?

壹与は比売大神より古い時代の人物。
532日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:54:39
ところでアカルヒメ伝説発祥の姫島。
ここも宇佐・中津に近いなあ。

533太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 19:59:24
比売大神は神功皇后の世とその前後ころの世の九州所在の女性。
534神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:01:23
唐松山さん
>>350
天照大神は 男です。
>>458
>旧事記も ほつま も 真面目な書物です 
>これら 全てで(多少の違いは仕方ない。)読めるのが 本物の 歴史。

私も同じです。
ところで唐松山さんは卑弥呼は誰と思ってるのでしょうか?
535太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 20:04:40
それはホツマの間違い。天照大御神は超ミスコン級の、そんじょそこらに
見られない美女神。
536神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:10:20
>>529
それは違います。
それに壹与と比売大神は時代が全然違うのです。
太国さんもきいててください。

比売大神のが壹与より古い時代なのです。
537神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:13:13
>>529
>台与が宇佐の比売大神と関係があったとしたなら、邪馬台国の女王は
>今の天皇家と繋がっている。

卑弥呼の邪馬台国は大和朝廷以前ですし全然関係ないですね。
538太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 20:15:13
宇佐神宮に應陣、神功、比売大神が並んで祀られていることは、應神、神功の
時代のころ比売大神も並んで生きていたということを物語っている。
前者二人は畿内に、後者は九州にいたということ。
539神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:16:17
みなさんよく「宇佐・中津」いってますが行ったことあるんでスか?
とにかく田舎ですよ。周りは田んぼだらけですし〜あの辺りは、海と山が近く
その間に農民が住んでるようなところ。
540太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 20:17:23
いずれも行ったことあります。20年以上前で記憶は薄らいでいます。
541神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:19:16
>>535
>それはホツマの間違い。天照大御神は超ミスコン級の、そんじょそこらに
>見られない美女神。

どこにそんなこと書いてるんですか?
542太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 20:21:38
>>541
古神道の卜事(ウラゴト)によります。
543神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:22:31
太国さん
>>534でも述べましたが・・・
旧事記も ほつま も 真面目な書物です 
これら 全てで(多少の違いは仕方ない。)読めるのが 本物の 歴史。

544太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 20:24:30
>>543
べつに偽書だとは云ってません。
545神奈川県民改め三重県民:2007/11/04(日) 20:31:06
>>542
>古神道の卜事(ウラゴト)によります。

ググってみましょう。
それからコメント出します。
546九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/04(日) 21:10:29
比売大神は四拍手で封じられているといっても過言ではない、ある意味怨霊扱い。
何故そうなのか宮司さんでさえ解らない、ずっと昔からそのようにしているとの事だった。
伝承では宇佐付近の人だったとの事。
恐らく大和朝廷に滅ぼされた弥生時代から続く九州のクニの一女王だったのではないか。
547日本@名無史さん:2007/11/04(日) 21:24:22
偽書と呼ばれるものはホツマに限りませんが
藤原氏に押さえつけられた皇統や氏族の苛立ちと焦りが
朝廷に連綿とつづく謀反や讒言、密告として記紀にあることを思えば
何故こうも多くの偽書が生まれたのか想像は付くのではないでしょうかw
548日本@名無史さん:2007/11/04(日) 23:03:16
比売大神は、宇佐神宮の由緒書きにもあるように、宗像の三女神。

宗像の三女神というのは、『天の安の河の誓約』のときに、
天照大神が、素戔鳴尊の剣を噛み砕いて吹き出したときに生まれた三柱の女神。

逆に、天照大神の勾玉を素戔鳴尊が噛み砕いて噴出したときに生まれたのは
忍穂耳命を初めとする五柱の男神。

忍穂耳命は、邇邇芸命(ニニギノミコト)の父親にあたる。
549太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 23:05:31
>>548
だったら女神三人、つまり残り二神も一緒に祀るんじゃないの?
550日本@名無史さん:2007/11/04(日) 23:21:46
>>549
そう、比売大神は三柱の女神のこと。
以前、宇佐神宮に行ったとき、立て看板にそう書いてあった。

デジカメで取ってきているので、その文章をそのまま書くと、

「(前略)神代に三神の比売大神が御降臨になったこの宇佐の地に、約千四百年
前の欽明天皇三十二年 応神天皇の御神霊がはじめて八幡大神として
あらわれになり 各地をご巡幸後 この亀山にお鎮まりになりました。
のち弘仁十四年 応神天皇の御母君であられる神功皇后をお祀りし、
三殿のご鎮座となりました。」
551太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/04(日) 23:28:52
あの三女神が比売大神ならば、合祀で「三比売大神」っていう御名でやるだ
ろう? そうでないということは、比売大神はその三女神ではないと想うよ。

神宮側の過去の記録者の推量とかでの間違いだと思う。それより比売大神は
日女島生まれの女性だよ。そして時代は應神、神功の世の頃だ。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・
552日本@名無史さん:2007/11/05(月) 05:56:10
>>537
卑弥呼⇒男王と続いたあとが台与なんだからw

魏志倭人伝が書かれたのは3世紀末。後半読んだことあんのか?
卑弥呼と男王は過去の話だが、台与は現在形。
3世紀末に台与はいた。
それなら、祟神天皇=神武でもないかぎり、もう神武から欠史8代の天皇達も
畿内に居たわけだから。
自分は祟神=神武かな、とときどき思う。だとしたら神武はまだ日向辺りに居た
一族かもしれん。台与が宇佐から南部あたりなら繋がってるぞ。
553日本@名無史さん:2007/11/05(月) 06:01:20
祟神天皇以前は実は天皇からほど遠かった。
畿内の豪族か王族、大きくなりつつある勢力。その位かな。
そのころ台与は南部の熊襲勢力を除く九州一帯を治めていたんだよ。
554日本@名無史さん:2007/11/05(月) 06:03:16
>>552
>だとしたら神武はまだ日向辺りに居た
>一族かもしれん。台与が宇佐から南部あたりなら繋がってるぞ。

自分で書いたのを修正するのも変だけど、ここは少しおかしいな。
神武は卑弥呼ぐらいまで遡るかもな。
555日本@名無史さん:2007/11/05(月) 07:31:05
卑弥呼が死んで台与が女王になった西暦248年頃、帯方郡からの使者である
張政は日本を離れた。つまり、その後、魏との交流は途絶えた。
だから、台与のその後もわからなかったのだと思う。

この間の中国の事情を言うと、魏の皇帝はまだ子供だった。実権を握っていたの
は曹爽。この曹爽と倭の相性は良かった。しかし、西暦249年に司馬懿が復活。
曹爽一派をことごとく誅殺した。これが魏との交流が途絶えた原因かも
しれない。

司馬懿のあとを継いだ司馬炎は、西暦265年に禅譲を受け、西晋を建国する。
このとき倭の女王が使いを送ってきたことは記録に残っている。
このとき、台与の年齢は30才くらいなので、倭の女王というのが台与である
可能性は高い。

その後また交流は途絶える。西暦280年に晋は呉を滅ぼして中国を統一する。
このとき、倭王が使いを送っても不思議ではないと思うのだが、そのような
記録はない。

次に日本から中国に使者が送られたのは、5世紀の倭の五王ということになる。
日本に関する中国の記録に約150年間の空白があるわけである。
謎が謎を呼ぶ150年ということになる。
556日本@名無史さん:2007/11/05(月) 18:14:21
中国には10年単位で一の位まで記録がはっきり残っているどころか
紀元前9世紀に遡ってまではっきり読める古文書が残っているというのに。
とりあえず、卑弥呼と台与の邪馬台国や、倭人伝に書かれている九州北部に点在した国々
その後の倭の五王。

どいつもこいつも無理矢理、記紀の天皇や神代記の誰か当てはめようとする
輩が多いが、実は誰とも違う、日本の記紀には出てこない、天皇家が日本を治める以前の
日本の王族達だったのでは?とつくづく思うよ。

日本書紀や古事記もいいけどさ、本当の歴史書とは違うよね。
支配者が書いた「将軍様は北の金剛山から舞い降りた神の子なのです。」と同じレベルでも
ないかな、と思うときがあr(ry アワワww
557九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2007/11/05(月) 22:16:48
>>548 比売大神は、宇佐神宮の由緒書きにもあるように、宗像の三女神。

由緒書きがどうかは知らないが実際に宮司さんに電話で聞いたが
宗像の三女神とは言われなかった。あくまでそれは神話の世界であって
宮司さんも神話を鵜呑みにされていないところがかえって知的な感じだった。
「大神は宇佐付近の人だった」という説明は真実に近いと思うよ。
神話というのはその人を宗像の三女神の垂しゃく身、権現として位置づけたり
むりやり同一視したりするわけよ。お釈迦様の生まれ変わりだとかいう様に。
それが歴史的に認められる事もあれば、誰も認めなかったりもするというだけ。
結果的にどちらも嘘ではないという事もあるに違いなかろうかとも思うんだけれども・・。
558日本@名無しさん:2007/11/05(月) 23:38:15
>>556
>日本書紀や古事記もいいけどさ、本当の歴史書とは違うよね。

そのとおり。
日本は、「歴史」において異様なまでに先進的だった地域を意識したからこそ、
記紀というものを作ったのです。これは即ち日本の歴史の模索であり構築でも
あったのです。正統性には伝統という地盤がいる。それを内外に主張するために。

元の話を全くのフィクションと云うにはあまりに根拠のないことですが、
一体何時の何処の話なのかわからないようなこと、名前しか残っていない王や英雄、
そういったいくつか残っている話を仮託したり連結したりなどして「一つの家が掌る
大王たちの系譜」に仕立てあげたものが日本の記紀なのです。

ここに日本の歴史の難しさがあります。

卑弥呼は明らかに「歴史」に名を止めている人物です。
しかし、記紀においてはアマテラスという神話の中の人か、はたまた神功皇后のように
脚色だらけの人物なのか…日本においてはいまだ「伝説の中の人」に過ぎないのです。
”むりやり同一視”するのは簡単ですが、それは伝説の掌から抜け出せていないこと。
なんらかの根拠を以て比定されて初めて、彼女は「日本の歴史」の中に組み込まれる
ことになるのです。
559唐松山:2007/11/06(火) 18:31:42
卑弥呼は 景行12年に 死亡した 人物(母)
これを継いだのが 筑紫のタカタミヤ の 男王
イヨは 五百野皇女

応神か仁徳あたりで 書紀の 年代が合わない
これを読みきらないと 誰にも 相手にされない。
とりあえず ホツマを読んでみてください。
560日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:13:48
例えば1500年前の呼び名だけど

「九州」って言葉はやっぱ筑紫の島と朝鮮半島を合わせた呼び名見たいだぞ?

「中国」ってむしろ日本の事を呼ぶ言葉見たい(中つ国→中国の意味。日の本の国府の事)

「日向」これは百済王がいた場所の事


日本側からの日本の呼び名
日本→日出る場所(箒木)のある場所の本(今の日本)

日向ってのは半島や大陸からみて「日出ずる国に向かう場所」って意味らしいよ

宮崎ではない
561日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:17:54
筑紫の島(今の九州の島)は百済系が多い

ちなみに信濃の「阿智」辺りは新羅王の事見たい

ただ何度も言うように百済も新羅も倭人だよ。

新羅や辰韓に関しては秦の始皇帝の王族達もいたらしいけど納めてたのは日本らしいよ

あと信濃の阿智村の阿智王は秦の始皇帝の血統見たいだよ
562日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:21:01
邪馬台国に関しては「弥鳥邪馬国」ってのが弁韓だか辰韓に存在する

大陸の漢人の国の巍国や唐国は朝鮮半島を「倭人が納める土地」って書いてるから半島までが当時の「大和、日本」だと思うよ
563日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:23:16
あと
「倭(ヰ)」
「倭(イ)」
同じ倭でも二種ある


倭(ヰ)の方は倭国を束ねる中央国(中つ国、中国)で東海にあるって大陸の書物に書いてあったよ
564日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:26:49
あと時代は違うけど豊臣秀吉。
秀吉は「九州征伐」って言って「朝鮮」を攻めに行ってるよ



あと「葦原中国」ってのは江戸時代までは明確に「信濃」と特定してた見たいだね
565日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:31:17
九州の阿蘇神社(阿曽氏)の元始は多分ここ
http://www.ikushimatarushima.jp/goyuisyo/
生島足島神社

九州の阿蘇氏や日向三代達のニニギやイワレビコ達と同じ氏族
566日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:33:32
九州は九週で急襲を受けて吸収されました。
567日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:35:17
http://museum.umic.jp/ikushima/
まだ読んで無いけど何か色々書物も出てるみたいだよ

出雲家や天皇家と同じぐらい(それいじょう?)の歴史のある氏族
阿曽氏だよ

木曽氏となにかかんけいあるかもね
木曽→檜→火の木→日の木→日の下、日の本、
568日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:01:57
天照が生まれた伝承
恵那山の麓の中津川市の阿木にあるよ

http://www.ja-higashimino.or.jp/hiroba/story/n/agihuro.html

ここから東山道を神坂峠に抜ければ阿智村へ行ける

神坂峠で伝えられてる伝承も凄いよ
多分沢山の人が従来してる峠
569太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/08(木) 11:04:47
古事記には筑紫の日向の橘の小戸とあるが・・・。
570日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:05:48
http://blog.goo.ne.jp/manasanda/e/e70dd3fb3421bdf7dda7b2d43ffe2607

これ、ほまつたえと同じ内容って本当なの?
ほまつたえをよく知らないけど
571太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/08(木) 11:19:04
ホツマは男神説だが、これ間違い。
572日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:22:15
地名調べるとおもろいよ^^
http://www.csjpn.com/chimei/chimain.html

天照はやっぱこの地域だと思うよ
573日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:26:36
http://www11.plala.or.jp/samma116/ubusuna/gosaisin.html
意味は良くわからないけどちゃんと調べれば歴史が追えるとおもうよ
574太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/08(木) 11:28:30
アマチラスか〜?? ww
575日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:47:49
576日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:59:18
>>571
ほつまって記紀以前の飛騨の国之常立が大神だからじゃないの?
金屋子神だっけ?

あれ「富士山の麓」って解釈してるんだっけ?

昔は神が祭られた霊山とかは全て「不二山」って呼んでた見たいだよ
ほつまは飛騨にあった日球の国の事と思うけどな

飛騨の伝承みたらイザナミは飛騨から下ったとか、最初の天照大神は奇形児だったとか、多分、紀記以前の神話っぽいのばかりだった
577日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:11:07
>>569
だから探そうよw
九州なら九州で沢山伝承とかが出てくるかも知れないしさ

ただ日向が筑紫にあったとしたら宮崎じゃなく福岡の辺りだと思うよ

半島の近くの那耶の島だかは日本書記では日本府が置かれた事になってるしさ
あと日本って本州にあった日本府から出た「日下氏族」の氏族名なだけって可能性もあるから氏族が追えればわかりやすいと思うなあ

「筑紫」って言えば「筑紫の島」って特定出来るけど
「日向」ってなると氏族が移動したり広範囲を示したりしてたら特定が難しいよ


ただ信濃の「阿曽氏」に行き着くんじゃないかな?
信濃の阿曽氏と筑紫や百済や新羅を納めた氏族は同じ氏族って記述があった気がするよ
578日本@名無史さん:2007/11/08(木) 15:15:06
日本は古くから「氏神様」っつって、先祖の元始の人を神として崇める文化がある
※先祖の元始の意味の氏神信仰

田舎の方なら今でも「家の氏神様は、、」とかある家がいるんじゃないかな?

神様や神社が地方に散らばる理由がこれだと思うよ
氏族が引っ越しすと氏神様も引っ越す事になる訳だからさ


天皇家ってのは「天照大神」を氏神様としてる氏族なんだと思う

一方、諏訪神社や出雲家は別の神を氏神様としてる血統って事だと思う
579日本@名無史さん:2007/11/08(木) 15:23:35
紀記で最初に後輪する神は国之常立神

飛騨の霊山や御嶽山の麓では今でも村民達が国之常立を氏神様としてたりするよ


イワレビコやニニギの日向三代は氏神様は誰になるんだろ?
ウガヤとかじゃ無いかな?
紀記では神武後に天照氏族と結婚して天照氏神の血統にしてる気がするけどなあ


まあここら辺になると違う氏神様氏族との結婚になるから複数の氏神様になるって形になるのかも知れないね
何人も神社に祀るのはその為なのかもしれないよ
580日本@名無史さん:2007/11/08(木) 17:08:12
ニニギの氏神は普通に諏訪神社の大国主かも
とにかく由緒ある血統だ

581日本@名無史さん:2007/11/08(木) 17:18:13
やっぱ信濃が沢山氏族がいる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E5%9B%BD

飛鳥時代や戦国時代の氏族ばかりか気がするよ
582日本@名無史さん:2007/11/08(木) 18:14:21
ニニギ→妻、豊玉姫→神功皇后

↓子供

山幸彦→応神天皇

↓子供

イワレビコ→即位せずに、持統天皇


と思うよ
583日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:37:19
>日本は古くから「氏神様」っつって、先祖の元始の人を神として崇める文化がある

氏族制度なんて古墳時代、どんなに遡っても弥生末期だろ。
この列島の歴史から見れば、まだまだ新しい、新しい。
そんな文化は表層もいいとこ。大陸渡来の可能性すらある。
この国の基層文化はそんなものとは全然違う。もっと自然と密着したもの。
584日本@名無史さん:2007/11/09(金) 13:52:34
>>583
ごめん。やっぱ例えが悪かったっす
「血統の元始」って事が一番大事なんだと思うよ

「単に日本を統治した人」であるならば称号は「王」なんだよ
天照大神を元始とした純血の血統継承者に与えられる称号が「天皇」って意味なんだしさ

585日本@名無史さん:2007/11/10(土) 01:41:10
卑弥呼は誰かは永遠にわからない。
どんな仮説も証明するものは今、何もない。
そして今後も、ない。
極彩色の邪馬台国をそれぞれが思い浮かべるのみ。
586神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 05:21:51
卑弥呼は日本史にでてこないからねえ
587神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 05:36:28
>>546
宇佐神宮内に比売大神は宗像三神て書いてあるはずです。
そうゆう想像も楽しそうだけど・・・書いてるとおり訳すべきと思います。
588神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 05:36:53
>>546
宇佐神宮内に比売大神は宗像三神て書いてあるはずです。
そうゆう想像も楽しそうだけど・・・書いてるとおり訳すべきと思います。
589神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 05:53:15
「三比売大神」について
太国さん、>>548>>550さんがいってるとおりですよ。

>>549
>だったら女神三人、つまり残り二神も一緒に祀るんじゃないの?

とか全然、的が外れてると思います。
比売大神は宗像三神のことと書いてある。

なお、宇佐のヒメといえばタキリヒメ?タキツヒメ?
どっちか忘れてしまいましたが有名ですよ。
590神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 06:05:27
「比売大神」について (追加)
太国さん〜『應神、神功の世の頃だ。』

って全然違ってますよ。
>>550さんが
>「(前略)が神代に三神の比売大神御降臨になったこの宇佐の地に、約千四百年
>前の欽明天皇三十二年 応神天皇の御神霊がはじめて八幡大神として
>あらわれになり 各地をご巡幸後 この亀山にお鎮まりになりました。
>のち弘仁十四年 応神天皇の御母君であられる神功皇后をお祀りし、
>三殿のご鎮座となりました。」

『神代に三神の比売大神御降臨になったこの宇佐の地に』
↑これ正解。八幡大神(応神)は何世紀もあとの時代。
みんなもっと書いてる文章をよく読むべきだと思います。
591神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 06:28:47
>>559
>卑弥呼は 景行12年に 死亡した 人物

二十一代 雄略天皇が活躍したのは『宋書』の倭の五王、埼玉県行田市のさきたま古墳群から出土した
鉄剣などからみて五世紀後半というのは確定的です。
十二代 景行天皇の時代とするのは少しきびしくないですか?
私はもっと前と考えてますが・・・・。(欠史八代)
592神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 06:35:17
>>571
>ホツマは男神説だが、これ間違い。

神道のなんて本に「天照大神は女性」と書いてあるのでスか?
オオヒルメノムチは女性ですけど・・・。
593神奈川県民改め三重県民:2007/11/10(土) 06:35:20
>>571
>ホツマは男神説だが、これ間違い。

神道のなんて本に「天照大神は女性」と書いてあるのでスか?
オオヒルメノムチは女性ですけど・・・。
594太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 07:27:03
>>560
宇佐神宮に祀るられてある神功も應神も実在の人物だよ。それは津田病に
罹っている者は架空だとか抜かしてるがね。w

だから大神の御名がつく残りの比売大神も実在の人物で、三者が同時代前後の
人物だよ。比売大神が真ん中だったな? それは神宮が畿内でなく九州に
あるわけだから、中心人物は比売大神のためだ。神宮の伝承とかが何らかの
理由で間違っているものだ。

>>591 >>559
そう、卑弥呼は景行世ではなくもっと前。開化、崇神のころだな。
595日本@名無史さん:2007/11/10(土) 07:37:57
日本書紀には、天照大神が、自分で女だと言っていることが書かれている。
素戔鳴尊が高天原にやってくるところ。

素戔鳴尊「永の別れをしようと思うが、わが姉に会わないで勝手に去るわけ
にはいかない…。」
天照大神「わが弟のやってくるわけは、また良い心からではなかろう。
きっとわが国を奪おうというのだろう。私は女であっても逃げ隠れはせぬから」

そして、身に武器を装い…、となっている。
596太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 07:41:05
アマテラスは女性。
597日本@名無史さん:2007/11/10(土) 07:49:56
九州には女王が多かったと思う。

景行天皇紀にも、大分の速津媛。
宮崎の諸県君泉媛。福岡の八女津媛が出てくる。

古墳でも、女性一人が埋葬されているものが出ているし。
598サガミハラハラ:2007/11/10(土) 09:26:33
最新の日本書紀年代によると、卑弥呼の即位した183年は考昭天皇の26,27,28,29年(2倍年暦×2)にあたり、死亡推定の248年は
孝元天皇の21,22,23,24年にあたります。
599太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 09:31:59
九州は女王級が多かったようだ。
183年だと孝靈の末期ころだ。
600日本@名無史さん:2007/11/10(土) 10:32:03
卑弥呼はアマテラスだろjk
601太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 10:35:06
>>600
違うよ。時代が離れてる。卑弥呼は欠史八代の末期に近いころから崇神の時代
の九州の女性だが、アマテラスは神武以前だよ。
602日本@名無史さん:2007/11/10(土) 10:40:37
すまぬ、太国さんの考えの全体像がつかめない。
どこかまとめサイトとかないものか
603太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 10:43:33
>>602
インター・ネットの腕は大したことないので、大それたことはやってない。
604愛知県民:2007/11/10(土) 14:32:20
比売大神=姫太伯とは考えられないか?
魏略逸文に「其の旧語を聞くに、自ら太伯の後という」とあり、
「東海姫氏の国」日本の滅亡をうたった「野馬台詩」も有名である。
日本史板にはなじまないかもしれませんが。
605日本@名無史さん:2007/11/10(土) 14:47:31
サガミハラハラさんも太国さんも、九州王朝説の系統だな。
邪馬台国と大和朝廷を全く別のものと考えている。
こういう考えを最初にしたのは、江戸時代の本居宣長なのだが、本居宣長は
記紀の年代観に何の疑いも持たなかったのでそういう結論になった。

東遷説は、邪馬台国が大和朝廷になったと考えるので、同じ邪馬台国九州説
でもだいぶん違う。

東遷説は、卑弥呼の時代に大和に大きな勢力はなかったと考えるのに対し、
九州王朝説は、すでに大和には大和朝廷の萌芽があったと考える人が多い。
まあ、年代観の違いといえるかもしれない。

僕は、卑弥呼+台与=天照大神だと思う。
したがって、神武東征に相当する出来事は卑弥呼や台与のあとと考えるのだが。
606日本@名無史さん:2007/11/10(土) 14:53:23
>>605
同意。
ヒミコらの伝承が変遷しアマテラスになったと考えます。

太国さんの論はそれはそれで一つの論ですが、
それを他人に押し付けないほうがいいですよ。
順をおって蓋然性を検証していきましょう。
607日本@名無史さん:2007/11/10(土) 15:00:34
まぁ実在の可能性が高いのは崇神からだから、アリといえばアリだな。
崇神は奈良だけどね。
608日本@名無史さん:2007/11/10(土) 15:19:05
日本書紀は本当に天皇家の都合で書かれたものだからね。

例え、畿内の大国の王族から日本国の天皇になったのが7世紀だとしても
知るよしもない。
609太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 15:37:12
津田さんのは津田さんの都合で書かれたものだろう?
610愛知県民:2007/11/10(土) 15:47:18
>>608
「日本国」を名乗るのは、701年出発の遣唐使からのはず。
「天皇」については違う意見もありますが、おそらく推古朝からでしょう。
6世紀までは倭国の大王です。
611太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 16:18:26
およそ意見は肯定か否定か不明の分からんというやつの3つだよ。

押し付けるなということこそ押し付けだぜ。←これでは自語相違だる。
だから、そうでないというなら反論で来いよ。それがないんじゃ、あんたの
そうでありたいという信念の希望でしかない。希望したって現実はそのとおり
だとは必ずしも云えないからね。
612太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 16:19:56
>>611 訂正
× 自語相違だる      ○ 自語相違だろ
613日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:00:52
>>610
珂那諸国だっけ? 記紀によれば日本府が置かれた島
これが多分初めての「日本」だね


つか戦前の朝鮮統合時の半島の地図とか無いかな?
日向はやっぱ半島(倭人の納めてた地だよ)な気がする

朝鮮統合の名目も半島は元々は日本だったからでしょ?
614日本@名無しさん:2007/11/10(土) 17:22:01
>>613
兄弟の国という触れ込みはありましたが…
(今も右翼さんが言ってますよね)
615日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:25:51
なんか俺が「美濃美濃」言ってる時代と
他の人が「九州」って言ってる時代とは別の時代な気がする

正直オレはあんま時代の特定が出来てないし
どちらかというと日本だヤマトだより「天照大神の発祥」を言ってるだけで都や京とは余り関係ないのかも知れない
616日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:31:53
ただ蘇我氏だなんだの時代の都や屋敷は、京や首都じゃなかったかも知れないけどやっぱ各務原にある

けど多分それ以前の都ってか、阿蘇氏や木曽氏やそういうのは飯田や諏訪の信濃にはあったよ
けど日向は日向できっと都はあったんだろうね


どっちが発祥かなんてあんま意味無いのかな?
権力闘争があったとしたなら、まあ勝ったのは九州勢だろうし
617日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:50:11
>>614
つかもっと時代を遡るとさ「漢」って国も倭人と関係のある国な気がするよ

中国って言葉は「天下の中国の国」みたいな意味でしょ?

中つ国原も中国って意味だろうし、毛利がいた中国地方も中国だし
今「中国」って呼んでる場所は戦後の呼称だし

618日本@名無史さん:2007/11/10(土) 17:54:17
>>614
つかもっと時代を遡るとさ「漢」って国も倭人と関係のある国な気がするよ

中国って言葉は「天下の中国の国」みたいな意味でしょ?

中つ国原も中国って意味だろうし、毛利がいた中国地方も中国だし
今「中国」って呼んでる場所は戦後の呼称だし

また考え過ぎて自分でも訳わからんくなってきた
619日本@名無史さん:2007/11/10(土) 18:05:26
まあどこが発祥だなんだって観念を置いといて
日本、中国、朝鮮やその周辺の漢字仏教圏の歴史や遺跡はやっぱ貴重だと思うな

ほかの地域はほぼキリスト文化人に破壊されて混血されて訳が分からなくなってる気がするし
だいたいキリスト文化ってのは全く歴史も知識も無い文化ですよ
例えば天動説を唱えてたのも単にキリスト文化人達だけ

西暦の暦にしたって天体の運動と連動してないから本当の立春や新月の日がわかんない暦だよ
620日本@名無史さん:2007/11/10(土) 18:32:42
日本語は原始中国語
621愛知県民:2007/11/10(土) 18:58:05
卑弥呼、卑弥弓呼の「卑弥」は「姫」の訓読みだろうか。
それなら魏略の太伯子孫説と一致するが、魏志では太伯は出て来ない。
倭の五王は倭讃、倭済と「倭」姓を名乗っているし、アメタリシホコは「アメ」姓。
現在の皇室は姓が無い。
それでも「東海姫氏の国」という表現が野馬台詩にあり、それが一般に受け入れられたのはなぜか?
比売大神、姫蹈鞴五十鈴姫命との関連も考えられる。

>>613
任那日本府という名称はどうかな?
半島での前方後円墳の広がりを見ると、根拠はありそうですけど。
「半島は元々は日本だった」というのは違うと思う。
622日本@名無史さん:2007/11/10(土) 20:03:25
卑弥弓呼だっけ?
卑弓弥呼(彦命)かと思ってた
623愛知県民:2007/11/10(土) 20:33:29
明治以前の人々は魏志倭人伝の「邪馬台国」よりも、
むしろ『野馬台詩』の方でヤマタイの名に親しんでいたらしい。
ちょっと怪しいけど面白い。
ttp://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text9.htm

>>622
原文は「卑彌弓呼」
確かに「卑弓彌呼」の誤りとする説はあるが、簡単に「誤り」とするのもねえ・・・
624愛知県民:2007/11/10(土) 21:03:43
「東海姫氏の国」(日本?)が百世にわたって栄えるという内容からは「百襲姫」が連想される。
「未然をしろしめす」(未来がわかる)と表記されている人物は日本書紀では二人だけと思う。
聖徳太子とヤマトトトビモモソヒメである。
他にいたら指摘してほしいですが。
625日本@名無史さん:2007/11/10(土) 21:57:43
卑弥呼が死んだとされる年に皆既日食があった件は?
626太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 22:05:39
古代人が未来がわかる〜??  それはこれだな→『卜事』(ウラゴト)
627愛知県民:2007/11/10(土) 22:37:13
なぜ朝廷が宇佐神宮をあれほど重視したのか?
あの道鏡事件で、国の根幹に関わる神託を出したのは宗像三女神や応神天皇なのか?
どうも役不足のように思えます。
太伯・虞仲・季歴の「姫」三兄弟が比売大神だったのかもしれない。

>>625
「天の岩戸」のことですか?
推古女帝が亡くなる数日前にも日食が起こりましたが、日本書紀では「日蝕え尽きたり」と一言だけ。
実際は皆既に近い部分日食だったようですが。
皆既日食は数分間しか続きませんから、どうでしょうね?
628太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/10(土) 22:47:59
比売大神が宗像三神の一人なら、他に宇佐神宮に祀られている神功と應神を取り
やめて残りの二女神にするはずだろう? そうなってないのだから、比売大神は
宗像三神の一人ではないね。

神功初年の天が暗くなったとかの記述は日食ではないようだ。日食が数日とか
続くはずはない。数歩譲って誇張からだとか言っても、誇張の度合いが大きすぎ
るよ。だから日食とは考えにくい。
629日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:51:37
>>625
世の中が大混乱したことのたとえ話じゃないかな。
それにしても、日の御子が岩戸に隠れると世の中が真っ暗になるというのは
話としてはよく出来ている。

もっとも、岩戸に隠れるというのは、死んだということを意味しているわけだが。

ちなみに、2009年7月22日に日本で皆既日食が見られる。本土は部分日食だが、
屋久島まで行けば見られるらしい。真っ暗になる時間は4分ちょっとだったと思う。
630日本@名無史さん:2007/11/11(日) 01:55:04
邪馬台国は岩手県、八幡平のあたり
631愛知県民:2007/11/11(日) 07:36:07
野馬台詩については、こんなサイトも・・・
ttp://www001.upp.so-net.ne.jp/densetutanbo/akuroou/yamataisi.html
632日本@名無史さん:2007/11/11(日) 07:40:40
>>621
>卑弥呼、卑弥弓呼の「卑弥」は「姫」の訓読みだろうか。
>>623
>原文は「卑彌弓呼」
>確かに「卑弓彌呼」の誤りとする説はあるが、簡単に「誤り」とするのもねえ・・・

おれも愛知県民さんに同感だ。他本で校異がないなら原文はなるべく尊重しよう。
また卑弥呼は女王で、狗奴国王は男王だと、倭人伝に明記されてるから
「卑弥」を「姫」の意に解釈すると、妙なことになるよな。

にしても、不和の二人の国王が、なんともよく似た紛らわしい名前だね。
俺は、狗奴国王の名を「卑彌弓呼素」(ヒミキュウコソ?)と、素まで入れて5字と
した内藤湖南説への見直しがあってもいい、と思う。
内藤さんは、「倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」のところを

「倭女王・卑彌呼と、狗奴國男王・卑彌弓呼素は、和せず」

と読むわけだね。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/4643_11096.html
こう読むと、「もとより」(素)の意味が省かれるから、2王は長年の仇敵じゃなくて、
以前は仲が良かったのに、卑弥呼が親魏路線で朝貢外交をやりだしたもんで
急に不和になり、それで卑弥呼は魏に応援を求めた、と解釈することもできる。
すると、邪馬台国畿内説(纏向説)をとった場合の、狗奴国への考古学的位置づけが
少し違って見えてくる。愛知県民さん、意見を聞かせてくれ。
633愛知県民:2007/11/11(日) 08:24:04
>>632
>以前は仲が良かったのに、卑弥呼が親魏路線で朝貢外交をやりだしたもんで
>急に不和になり、それで卑弥呼は魏に応援を求めた、と解釈することもできる。

なるほど・・・
倭国の朝貢外交は公孫氏時代から続いていたと思われますが、
この時代には卑弥弓呼(素?)のほうが代表だったという想像もできる。
帯方郡の支配者が公孫氏から魏に代わっとき、卑弥呼に先を越されたのかも。
アメノヒボコとアカルヒメ(ヒメゴソ社)の奇妙な関係も連想される。
634日本@名無史さん:2007/11/11(日) 09:07:20
このスレはすっかり妄想板になってしまった。
近年まれにみる妄想の連続だ。とてもついていけない。
635太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/11(日) 09:45:29
真はひとつしかないんですからやむを得んですよ。いろいろ討論して真を見つけ
出すためにはそういう状態を経ねばならんでしょう?
それは逸脱の激しいのも困り者ですがねぇ? 貴殿の云うことが全部真の保障物
ならば、事は簡単ですがね?w
636日本@名無史さん:2007/11/11(日) 10:04:42
おい江原よ〜、卑弥呼の霊を呼び出して、
邪馬台国がどこにあったか聞いてくれよ。
調査は考古学者がやるからさ。

「善意のボランティア」をペテンにかけた江原啓之とフジテレビ
http://p2.chbox.jp/read.php?host=news23.2ch.net&bbs=news&key=1193986603&ls=all
ペテン師・江原啓之、批判への反撃本『本音発言』のトンデモな中身
http://p2.chbox.jp/read.php?host=news23.2ch.net&bbs=news&key=1194554239&ls=all
【マスコミ】 「27時間テレビ」で、出演者らが傷つけられる→BPOががフジテレビに質問書★3
http://p2.chbox.jp/read.php?host=news22.2ch.net&bbs=newsplus&key=1194661466&ls=all
637太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/11(日) 10:10:04
神道やってるんだろうが? あの似合わぬ茶髪では、だいたいどのくらいの
人物かは見当がつく。w 神社関係者なのにま〜だ不相応の感じの色染めを
やってるんだろう?ww
638日本@名無史さん:2007/11/11(日) 10:12:12
江原は神社に奉職したと語っているが、
実際はただのアルバイトだった、とのこと。(文春)
639太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/11(日) 10:18:43
あんな茶髪は止めて、一回りやせるとかなりよく見える。よく食って
るんだろう?w
640日本@名無史さん:2007/11/11(日) 17:32:09
■洪潤基氏の「天皇は韓神を祭る」の説
 http://toron.pepper.jp/jp/kodai/kigen/koujyunki.html

「天皇家に韓国語が伝わっている」と主張しているのが、洪潤基氏(韓国外国語大講師)だ。
(中略・・・)
 洪潤基氏の「学説」の特異な点は、日本の天皇家が「韓神」という神を祀っており、神前で奏上される祝詞が
韓国語であるという点である。

 日本の天皇は「韓神」すなわち韓国神の霊魂を祀って祭祀を行ってきた。
 日本の天皇は、彼らが住んでいる皇居で、韓神と園神など韓国神を祖先として祭り、毎年の新嘗祭という宮中行事を
秋の取り入れの後に挙行してきたのである。彼らは、言うまでもなく韓国人であった。

【園神・韓神とは何か?】
 この洪潤基という人物はバカですかね。日本の皇室は、朝鮮・韓国とは何も関係が無いのに、無理やり関連付けようと
していますよ。
 あのですね。園神(そのかみ)というのは、『曽の神』のことなんですよ。これはクマソの神、クマソの鎮守神なんですよ。
韓神(からかみ)というのは加羅神のことなんですね。日本領=カラの鎮守神なんです。朝鮮人と朝鮮は関係ない。
 つまり、クマソとカラは、上代から政治的動乱が多発していた地方であり、ヤマト朝廷にとっては頭痛の種だった。
 天皇家は、クマソとカラが政治的に不安定で、常に動乱が絶えないのは、これらの国の鎮守神が朝廷に対して不満を
持っているためだろう、と考えていた。
 だから、これらの地域の鎮守神の怒りを鎮めるために、『曽の神』と『加羅神』を宮中で祭っていた。
園神と韓神は、奈良時代までは宮中で祭られていたが、平安時代に入ると祭られなくなった。それは奈良時代に日本領=韓が
失われたからであり、その結果、兵隊として韓に送られていたクマソ人(九州人)も半島へ派兵されることがなくなり、
クマソの反乱もおさまり、九州も政治的に安定したためなのだ。
 園神と韓神は、ひじょうに政治的な動機で祭られた神なのである。

 そういうことなのです。朝鮮・韓国は何も関係ないんです。勘違いしないでください。
お願いしますよ。
641日本@名無史さん:2007/11/11(日) 18:00:16
>>632
改めて「倭女王」なんて必要ないじゃん
「到官倭」「女王卑弥呼」で十分だよ
642日本@名無史さん:2007/11/11(日) 18:50:38
>>641

「到官倭」とは、はて?

レス>>641は短過ぎて、おっしゃる意味がようわからん。もっと詳しく

倭人伝のこの箇所は、次の通り
http://www.yu-ji.com/g15.gif
643日本@名無史さん:2007/11/11(日) 20:19:20
>>642
問い詰めてもムダだろう。
>>641に何か深い考えがあるとは毛頭思えない。
644日本@名無史さん:2007/11/12(月) 22:10:06
「到官倭」=(官、倭に到る)

意訳は、 (郡官が、倭を調査)でいいんじゃね
645日本@名無史さん:2007/11/12(月) 23:34:29
>>644
(官、倭に到る)だったら、「官到倭」になる。
646日本@名無史さん:2007/11/13(火) 13:57:27
>>627
>「天の岩戸」のことですか?
そうなんですけどね。

天の岩戸が日食のことではないかと思った人が、調べたらちょうど卑弥呼が死んだとされる
年にあったというので、アマテラス=卑弥呼だそうです。
なんというか、こんな偶然はそうは無いという雰囲気でした。

数分間ということなら、皆既日食の恐怖というのは別に( ´_ゝ`)・・・という感じ?
話は皆既日食の恐怖によって殺されたとかいう展開だったと記憶しているんですが。
もしくは暦を知っている人物に利用されたとか。

>>629
>もっとも、岩戸に隠れるというのは、死んだということを意味しているわけだが。
という事ならば、皆既日食が数分間でも女王を失った人々の混乱は考えられるでしょうか?
647日本@名無史さん:2007/11/13(火) 16:40:28
>>646
こういうたとえをすると、異論のある人もいるだろうが、
たとえば、卑弥呼は、西暦180年かそこらで女王になり、西暦248年頃に
死んでいる。つまり、60年か70年近く女王として君臨していた。

その女王が死ぬとこれは混乱する。しかも、跡継ぎがいない。
事実、卑弥呼が死んだあと、「更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人」
とある。跡継ぎを巡って争いが起こり、千人あまりが殺された。

こういう状態を世の中が真っ暗になったと表現したのではないだろうか。

卑弥呼が死んで倭国は大混乱する。台与の登場でまた平和になる。
天照大神が岩戸に隠れて世の中が真っ暗になる。岩戸から出るとまた明るくなる。

似ているねえ。
648サガミハラハラ:2007/11/13(火) 16:55:39
にてますね。けど他人の空似ということもありますね。
649日本@名無史さん:2007/11/13(火) 17:12:21
>>648
他にも似ているところがたくさんあるんですよ。
たとえば、どちらも女性で独身。
卑弥呼が死ぬ前には、狗奴国との争いがある。
一方で、天照大神が岩戸に隠れる前には、素戔鳴尊との争いがある。
などなど。
650太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/13(火) 17:18:08
まぁ双方時代が違うからねぇ。とにかく別人だな。
両者を似てるとしている気持ちは分からんでもない。
651日本@名無史さん:2007/11/13(火) 21:59:20
>>650
そのことなんですが、アマテラスの時代の記述から風俗を見てみると弥生時代だと
推察できるからということで、弥生時代におきた皆既日食を調べたんだそうです。
ですから、その人の説では双方は同じ時代というのが前提ですね。
652太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/13(火) 23:29:21
卑弥呼は崇神あたりの時代の女性で、アマテラスは神武以前の女性だから
もう別人なわけ。
653日本@名無史さん:2007/11/14(水) 00:06:11
>>649
そんな思いつきで本当の歴史が分かる?
空想で歴史を語ると、あとで自分で自分の首を絞めることになるよ。

>卑弥呼が死ぬ前には、狗奴国との争いがある。
>一方で、天照大神が岩戸に隠れる前には、素戔鳴尊との争いがある。

きみの脳内では狗奴国=素戔鳴尊なんだねwww。
でもさ、素戔鳴尊は天照大神の弟だろ。
卑弥呼には男弟がいて女王国の政治を補佐してたという倭人伝の記述と矛盾しない?
654日本@名無史さん:2007/11/14(水) 00:16:09
>>653
記紀と倭人伝が完全に一致するわけはないから、ケチはいくらでもつけられる。
要するに、その状況が似ているか似ていないかということ。

天照大神と卑弥呼以上に似た状況の人物がほかにいるかどうかということ。
もし、もっと卑弥呼に似た人物が記紀に登場しているなら、挙げてみて欲しい。
655日本@名無史さん:2007/11/14(水) 07:25:25
>>654そんな無茶苦茶な。
656日本@名無史さん:2007/11/14(水) 08:38:23
天照大神と素戔鳴尊それに月読尊は、伊邪那岐尊が禊をしたときに生まれた。
左眼を洗ったときに生まれたのが天照大神、右目を洗ったときに生まれたのが
月読尊、鼻を洗ったときに生まれたのが素戔鳴尊。

このことからもわかるように、記紀の場合は、伝説的あるいは神話的な色彩が
濃く、倭人伝のような歴史的な記録とは異なる。
だから、同じ出来事であっても違う書き方をしている可能性が高い。

伊邪那岐の尊は、天照大神に『お前は高天原を治めよ』といい、素戔鳴尊に
対しては『海原を治めよ』といった。
だから、素戔鳴尊は高天原にいたわけではないことになる。

仮に、天照大神=卑弥呼とすれば、狗奴国のことが素戔鳴尊の伝説として
残っていることになる。これから、邪馬台国と狗奴国の関係がうかがわれるの
ではなかろうか。

つまり、狗奴国は、熊襲のような異質な文化を持つ国ではなかったのではないか。
比較的近い文化圏の国ではなかったのか。それを姉弟と比喩的に言ったのでは
ないだろうか。
657日本@名無史さん:2007/11/14(水) 08:48:49
天照大神=卑弥呼+台与の根拠についてもう一つ書くと、

記紀によると、天照大神が岩戸を出ると、高皇産霊尊が登場する。
高皇産霊尊は、岩戸に隠れるまでは全く登場しない。

天照大神と高皇産霊尊は、地位的にどちらが上なのかわからない。
しかし、重要な出来事は、高皇産霊尊が決定することが多い。

一方で、梁書によると、「臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命」とある。
台与が王のなった後、再び男王が立ち、中国の爵命を並び受けるのである。
台与と男王が並立している。

これも中国の書物と記紀の記述が一致していると思われる。
658太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/14(水) 10:08:34
時系列を考えたときに、両者はぜんぜん離れているから同一人でない。
659日本@名無史さん:2007/11/14(水) 12:56:39
>>653
「素戔鳴尊は天照大神の弟」というのは絶対的なものなのでしょうか?
ローマ神話などでは、さかのぼると全く関係の無い、それぞれの地域神が
兄弟・親子として描かれている例もありますし。
660唐松山:2007/11/14(水) 20:06:55
素戔鳴尊の 悪逆は 死刑に 相当すると 思います。
それが 死刑にならず 追放の刑
天照大神の弟で 有ったが為 ではないか。
661日本@名無史さん:2007/11/14(水) 20:59:57
>>657
>天照大神=卑弥呼+台与の根拠についてもう一つ書くと、(以下略)

こういうのは、「根拠」とは言わない。

まあ、もしその男王の名が、梁書に
「男王、多華彌無須枇」
なーんて、書いてあれば、別だがね。

しかしながら、そうではなく、名前も知れない男王なのだ。
それを>>657のように勝手に高皇産霊尊と結びつけるのは、「根拠」でもなんでもなく、
こういうのは、「虚妄に虚妄を重ねる」、という。
662日本@名無史さん:2007/11/14(水) 21:27:02
横レスですが、梁書の話。
臺與と男王が並列しているのではないと思う。
「其後復立男王」とあるのは、臺與の死後か退位の後に男王が即位したということ。
「並受中國爵命」の「並びに」というのは、臺與も男王も「どちらも」という意味で、
同時並列で中国の爵命を受けたという意味ではないと思うよ。
663日本@名無史さん:2007/11/14(水) 22:14:15
卑弥呼はクレオパトラの子孫で宇宙人だよ

そんなの常識だよ
664日本@名無史さん:2007/11/14(水) 23:11:11
>>661
>こういうのは、「虚妄に虚妄を重ねる」、という。

んだ、んだ。
665日本@名無史さん:2007/11/14(水) 23:35:59
>>661
記紀の高皇産霊尊と天照大神の関係はかなり異例だと思う。
こんなことってあるのかなという感じで。
ところが、中国の梁書にそれをうかがわせるような記述がある。
記紀と梁書は同じことを言っているのかなと考えるのが普通じゃなかろうか。

>>662
梁書のその部分を抜き出すと、

「卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命。晋安帝時、有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、
立子濟。濟死、立子興。興死、立弟武」
となっている。

だいたい王が変わるときは『死』という言葉が入っているが、台与の場合は
入っていない。つまり、男王が立ったとき、台与は死んでいない。
台与がどうなったか不明と考えることも出来るが、そのあとに『男王』が
立つと書かれている。つまり、その男王のことは知っていたのであるから、
台与のことも知っていたと思われる。

文章の後のほうに、倭の五王のことが出ている。みんな中国の爵命を受けた
はずなのに、「並受中國爵命」とは書かれていない。
これは、台与と男王が同時並列的に爵命を受けたのでわざわざ「並受中國爵命」
入れたと考えられる。
666日本@名無史さん:2007/11/14(水) 23:46:32
其の後とあるのですから、壱与が死んだか退位しているはずですよ。
667日本@名無史さん:2007/11/15(木) 00:09:11
台与が女王になったのは13才。宗教的なあるいは象徴的な王としてはふさわしくても
政治的な力はない。政治的な実行者として補佐的に男王が誕生したのだと思う。
しかし、徐々に実権は男王に移って行ったのではなかろうか。
668日本@名無史さん:2007/11/15(木) 01:12:26
>>665
>梁書のその部分を抜き出すと、
>「卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
>其後復立男王、並受中國爵命。晋安帝時、有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、
>立子濟。濟死、立子興。興死、立弟武」
>となっている。

この梁書の引用は、多分ある方のサイトからそのままコピペしたのだろう。
句読点が打ってあるので、漢籍そのままの引用じゃないから。
で、一ヶ所、句読点の打ち方に問題がある。
「復立卑彌呼宗女臺與爲王、」←この読点(テン)はダメ、句点(マル)とするべきである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
梁書ほ唐代の成立で、倭に関する記事は、ほとんど先行の諸史書を参照引用して書かれた。
そのことを頭に入れて、次の意訳を読んでもらいたい。

(『三国志』等によれば)卑弥呼が死んだ。男王を立てたが国中服さず殺し合いが続いたので、卑弥呼の宗女台与を王とした。
(『宋書』等によれば倭国は)その後、また男王が立ち、その王たちは中国爵命をそれぞれ受けた。(それらの王名を書くと)晋の安帝のときは倭王賛がおり、賛が死ぬと弟彌が立ち、彌が死ぬと…(以下略)
669日本@名無史さん:2007/11/15(木) 01:44:08
>>668
正解

そこ読んで高皇産霊尊なんか持ってくるヤシは
よほど邪馬台国=高天原の先入観に毒されてる罠ww
安本のご託宣による歪んだ古代史汚染(((( ;゜Д゜)))ブルブル
670日本@名無史さん:2007/11/15(木) 01:57:57
>>668
その訳はおかしい。
通典には次のように書かれている。

「齊王正始中、卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王、其後復立男王、並受中國爵命。
晉武帝太始初、遣使重譯入貢」

「並受中國爵命」が、いわゆる倭の五王にかかっていないのは明らか。
ちなみに、晉武帝太始初は、西暦265年になる。
倭の五王よりも150年ほど古い。

台与と男王は並立している。
671日本@名無史さん:2007/11/15(木) 02:21:55
>>670
それできみもその男王=高皇産霊尊説派?
672日本@名無史さん:2007/11/15(木) 02:59:50
>>670
漢籍の編纂のされ方は、先行文献の切り貼りというスタイルが多いです。
一連の文章のように見えていても、出典を辿ると、
全然別の文の一部を切り出してつないだだけというのがゴロゴロしています。

卑弥呼や臺與の事は、三国志倭人伝や魏略などが元資料になります。
倭の五王については、宋書などが元資料でしょう。
梁書のこの部分は、「並受中國爵命。」までと「晋安帝時」以降を、
違うソースから持ってきて切り貼りしていると考えるべきでしょう。
通典が「並受中國爵命。」までは、梁書を省略しながらも、ほぼ踏襲しているのに、
その先は、違う記述をしているのも、強力な傍証となります。
そう考えると、

>文章の後のほうに、倭の五王のことが出ている。みんな中国の爵命を受けた
>はずなのに、「並受中國爵命」とは書かれていない。

というのも、当たり前のことだと言えます。
卑弥呼時代を記述した魏略や三国志などの元資料に、倭の五王に関する記述は無かったのでしょう。
卑弥呼は魏の時代で、倭の五王は晋から劉宋にかけてだから当然です。未来のことは書けません。
つまり、「卑彌呼死〜並受中國爵命。」という文章の後に、
別の資料から倭の五王に関する記述を取って、くっつけたわけです。
だから、倭の五王も爵命を受けていたのに云々というのは、同時並列の証拠にはならないのです。
673日本@名無史さん:2007/11/15(木) 05:33:48
>>672
というよりも、梁書の台与や男王のことは、魏の時代のことが書かれており、
倭人伝とか魏略かなんかを参照した。そこに、「並受中國爵命」と書かれていた。

倭の五王のことは、東晋から宋の時代のことであり、宋書か何かを参考にした。

梁書はこれらをつなぎ合わせてある。なのに、「並受中國爵命」がソースの
異なる倭の五王の記述にかかると解釈するのはそもそもおかしい。

だから、「並受中國爵命」は、台与と男王にかかることになる。

晋書・起居註に泰始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述がある。
これは、台与だろうと思われる。その後、中国との交流は途絶える。
では、台与のあとの男王はいつ中国の爵命を受けたのだろう。

同時に受けたと解釈するのが普通だと思う。
674日本@名無史さん:2007/11/15(木) 07:11:33
>>672-673
それできみもその男王=高皇産霊尊説派?
675日本@名無史さん:2007/11/15(木) 08:18:35
>>673
672≠688だから、私は、

>梁書はこれらをつなぎ合わせてある。なのに、「並受中國爵命」がソースの
>異なる倭の五王の記述にかかると解釈するのはそもそもおかしい。

全面的に賛成する。同時に、別ソースの倭の五王の記述が、
「並」が同時か否かの問題と無関係なことも理解してもらったと思う。
さて、晋書では泰始2年11月に倭人が来獻したとある。
日本書紀引く晋の起居注では泰初2年10月に倭女王遣重訳貢献とある。
これを臺與の朝貢とすれば、男王の朝貢に関しては、何も情報が無い。
ここで、貴方は情報が無いから、臺與と同時に受けたと結論付けるが、
そこが決定的に論理の飛躍になっている。
本当なら、情報が無いのだから、同時か後か、このままではどっちとも言えないはずでしょう。
情報が無いので、そこで、漢文の読みを検討しなければならない。
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命。
「復」という字が二回使われている。最初は、臺與が卑弥呼の後の二度目の女王という意味での「復」。
二つ目の「復」は、卑弥呼の後に一回男王がいて、臺與を挟んで二人目の男王という意味での「復」。
つまり、「復」の字は、臺與は卑弥呼に対して「復た」即位した女王であり、
後の男王は、先の男王に対して「復た」即位した男王であるという意味で用いられている。
決して、臺與に対して復た男王が立ったという意味ではない。ここを誤解してはいけない。
「並」とうい字は、必ずしも時間的に並列だということを意味するのではない。
明確な証拠となる記述が無いので、漢文の読解からの分析になる。
そのため、100%完全否定ではないけれど、臺與と男王が並列したとは考えにくい。
676日本@名無史さん:2007/11/15(木) 08:19:31
忘れてた。675だけど、男王=高皇産霊尊説派なわけない。
677日本@名無史さん:2007/11/15(木) 16:30:25
>>675
梁書の場合は、
「卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命」となっており、卑弥呼のあとの男王が書かれて
いる。

一方、通典の場合は、
「卑彌呼死、立其宗女臺輿爲王、其後復立男王、並受中國爵命」となっていて、
卑弥呼のあとの男王は書かれてない。
つまり、出典においては、「並受中國爵命」は台与とそのあとの男王にだけ
かかっていたものと思われる。

中国においても、このような並立が珍しかったので、特に「並受中國爵命」
の一言を入れたのだと思う。
したがって、台与と男王は、同時に王として存在したと思う。

>>674
673だが、男王=高皇産霊尊の言いだしっぺだから、もちろんイコール。
678日本@名無史さん:2007/11/15(木) 16:51:34
ついでに言えば、記紀においては、高皇産霊尊から大きく歴史が動く。
葦原中国の平定。いわゆる出雲の国譲り、実質的には出雲征服。
邇邇芸命のいわゆる天孫降臨も高皇産霊尊が主導する。

これが神武東征へとつながる。

したがって、中国の書物で言えば、台与のあとの男王の存在が大きく歴史を
変えたものと思う。
卑弥呼や台与では、政治的に今一つだし、特に軍事的な面で弱い。
軍事的に先頭に立てる王でなくては国力の拡大は難しい。

この男王こそ、日本書紀に『皇祖』と書かれるほど重要視される高皇産霊尊の
反映だと思う。
679日本@名無史さん:2007/11/15(木) 17:35:03
タカミムスビやアマテラスが実在の倭王などと・・・(絶句)
しかもそれが中国史書に書いてある、などと・・・・(唖然呆然)
とてもじゃないが、ついていけない。
レス読んでて、なんだかこっちが気恥ずかしくなってしまった。
680日本@名無史さん:2007/11/15(木) 21:14:53
福岡では今でも若者をワケと言うらしいです
681日本@名無史さん:2007/11/15(木) 22:43:52
>>677
梁書の成立は629年、通典の成立は801年。
通典の記述が梁書の記述(もしくはその元資料)を削ったものであることは明白です。
通典の文章から梁書の文章の意味を決めるというのは、本末転倒です。
とはいえ、卑弥呼の後の男王が、混乱の中で爵命を受けられたかどうか疑問なので、
「並受中國爵命」が臺與と其の後の男王の二人にかかるとするのも可能でしょう。
しかし、その場合でも、「並受中國爵命」というのは、卑弥呼が親魏(倭)王だったように、
その後継の王もそれぞれ中国の爵命を受けていたということでしかありません。
「並」の語は、同時でも時間的に前後していても使うので、時間関係はこれだけではわかりません。
この文章で、時間関係を表しているのは、「其後」という語です。
普通に素直に読めば、臺與の後に男王が即位したということでしょう。
「其後」という言葉を、「臺與の治世の後」と読むのと、「臺與の即位の後で死去・退位の前」と読むのと
どちらが自然だと思いますか。
臺與と男王が並立していたとする説は、「其後」の解釈に不自然さを強いることになるのです。

>>680
近くの出身ですが、「わかいもの」を「わけーもん」と言いますね。
682日本@名無史さん:2007/11/15(木) 22:52:32
若い人をワケエ人となるように、単なる訛です。
683日本@名無史さん:2007/11/16(金) 04:53:11
>>679
天照大神=卑弥呼は、その時代を代表するような著名な歴史学者の白鳥庫吉、
井上光貞も唱えている。和辻哲郎なども同じ。みんな東大だが。

それを気恥ずかしいの一言で片付けるのは、単に洗脳されているとしか思えない。

>>681
繰り返しになるが、どの書物も卑弥呼については死んだと書かれているが、
台与については死んだと書かれていない。

また、倭国が晋と最後に交流を持った泰始2年(266年)に倭の女王の使者が
朝貢したとの記述がある。
最後に交流を持ったのは『倭の女王』であり、『男王』ではない。

台与の跡継ぎとして男王が立ったのなら、中国の記録に男王が残るはずはない。
記録に残っているのは、台与も男王も存在していたからだと考えられる。
684日本@名無史さん:2007/11/16(金) 07:15:14
>>683
>天照大神=卑弥呼は、その時代を代表するような著名な歴史学者の白鳥庫吉、
>井上光貞も唱えている。和辻哲郎なども同じ。みんな東大だが。

このレスを読めば683がどのような人物かが判る。
彼は、白鳥や井上・和辻の著作など、何ひとつ読んではいないのだ。
彼が参考にしているのはウェブ上で読める手軽なおまとめサイトであろう。
素人が原著にあたらないでいい加減にまとめたサイトだが、それなりの影響力があり、
それを元に別の素人がまた別のおまとめサイトを作ったりしている。
このようにして、ウェブによって出鱈目が拡散していく。

683に問う。井上光貞は天照大神が実在の人物だと本当に唱えたのか。それは何と言う著書か。
井上光貞の天照大神=卑弥呼説なるものは、井上光貞の何と言う著作の何ページに出ているか。
即答は求めないから、回答は1年後でも2年後でも構わない。
685日本@名無史さん:2007/11/16(金) 08:19:14
>>684
結局、そういう反論しか出来ないのか…。

しかも、出鱈目が拡散していくなどと断定している。
まるで、全てがでたらめであるかのような印象を与えている。

白鳥庫吉や井上光貞・和辻哲郎がどのような考えだったかはわかっているの
かな。そちらこそ、著作を読んでそんなことを言っているのかまず聞きたい。

井上光貞については、「日本の歴史T 神話から歴史へ」の中で、
「(略)最も自然なのは、邪馬台国の東遷なのである。
もちろん、邪馬台国東遷説も可能性のある一つの仮説に過ぎないが、
「北九州の弥生文化と大和の古墳文化の連続性、」また「大和の弥生式文化を
代表する銅鐸と古墳文化の非連続性」という中山氏や和辻氏の提起した問題は、
依然として説得力を持つと考えられる。(略)邪馬台国東遷説は、この時間
的な関係から見てもきわめて有力であるといってよいであろう」
と述べている。

少なくとも、邪馬台国東遷説であることは確かである。
確かに、天照大神=卑弥呼というのはウェブで見たのだが。

和辻哲郎の場合は、「日本古代文化」の初版で、
「天照大神の天の安河原の伝説が「卑弥呼時代におけるがごとき社会状態」を
反映するとすれば、これらの諸伝説の原形がいかなるものであったにしろ、
筑紫の生活のほのかなる記憶が、統治者の階級に残っていたとみることは
許されなければならぬ」

これは、天照大神と卑弥呼の同一性を示唆しているものと思われる。

こちらも聞くが、全ての著作を読んでいるのかな?
たぶん、全ての著作を読んでいるんだろうな。
読んでないものは投稿する資格がないみたいな言い方をするくらいだから。
686日本@名無史さん:2007/11/16(金) 08:36:45
ついでに、白鳥庫吉の「倭女王卑弥呼考」には次のように書かれているらしい。
他の書物からの引用だが。
「これは(倭人伝)地上に起きた歴史上の事実で、かれは(記紀)天上に
起きた神典上の事跡であるけれども、その状態の酷似すること何人もこれを
否認することは出来ないであろう。」
687日本@名無史さん:2007/11/16(金) 08:46:08
>>683
>天照大神=卑弥呼は、・・・・・ 井上光貞も唱えている

うそだね
688日本@名無史さん:2007/11/16(金) 11:28:35
>>684
君はどのスレでも論破されまくりだねwww
689日本@名無史さん:2007/11/16(金) 15:41:04
卑弥呼は、百襲媛命でしょう?
690日本@名無史さん:2007/11/16(金) 16:14:53
だから天照大神は恵那山の麓で産まれた女の赤ちゃんだっての


産まれた明確な場所や、産湯に使った池や、ヘソのを切った鎌や、、そう言う場所や物までちゃんとあるよ

天照大神が産まれた時代は素戔嗚尊とかより遥か前の事だよ
地元の伝承では大洪水と大雨の時代に産まれたのが天照大神だから
691日本@名無史さん:2007/11/17(土) 03:59:57
>>690
いろんな他人のエピソードが、大岡越前の名前でまとめられて大岡政談として語られるようなものじゃないのかい?
土地の偉い人(神)が亡くなって、いつの間にか天照大神と呼ばれるようになってたとか。
692日本@名無史さん:2007/11/17(土) 05:13:43
>>691
その可能性は否定しない
畿内のように、神や神社や土地や山の名前まで移設したりしてるケースも実際にはある訳だしさ

そういう場合は「どっちが元なのかな?」って考えるようにしてるよ


例えば畿内にあるクラマ天狗の鞍馬山
これは飛騨のサナトラ・クマラのいたと言われる乗鞍、位山が元だと思う
御嶽六山(ムーサン)の1つがクマラ御嶽だし、神木でもあるイチイの木の原生林でもあるしさ


牛若丸がクラマ天狗の元で修行した山も畿内じゃなく、飛騨の位山かも知れないよ
弁慶と出会った鴨川ってのも位山の下流の美濃にあるし、弁慶が俳句にも残して修行してたと言われる大船寺は奥美濃にあるし
693日本@名無史さん:2007/11/17(土) 05:24:48
「畿内に移設」ってのが、ややこしくしてる原因ではあると思う


記紀にある「神坂」も恵那山にあるよ
美濃と信濃を繋ぐ旧街道にある峠が神坂峠だよ
恵那山の天照大神が恵那山の神坂峠を越える日本武尊にちょっかい出したり、白犬に姿を変えて助けたり、そういう伝承もあったよ
694日本@名無史さん:2007/11/17(土) 05:44:29
そもそも俺、蘇我氏や聖徳太子らの飛鳥時代って言われる時代の出来事や、飛鳥朝廷があったのが美濃の各務原市だと思ってるよ
現に蘇我氏の古墳とかも各務原で発掘されてるしさ
九州勢力と信濃勢力の挟み撃ちにあって蘇我氏が滅んだのが、王申の乱なんじゃないかな?

ただ飛鳥時代以前は信濃の方が京だった気がする
伊州(伊都?)や伊勢は信濃にあった地名みたいだよ

江戸時代までは記紀の「葦原の中つ国」ってのは「信濃」って特定されて認識されてたらしいよ
695日本@名無史さん:2007/11/17(土) 06:25:09



♂♀:::.&*と≫♂♀fpoん
□〇l|GI:::<@※&*の
こ強fpop┷氏縺孜iÅ※
_@※&*と≫◎jj∴lこ強G
こ強@※&*8fpophh♯f

これを見た人は確実に不幸になります。でも逃れる方法があります。
13分以内に下記のスレに「福岡県は最強」と書き込むのです。

http://ex23.2ch.net/test/read.cgi/campus/1194628032/l50
696改め:2007/11/17(土) 10:01:56
697改め:2007/11/17(土) 10:01:58
698改め:2007/11/17(土) 10:14:39
太国さん

天照大神は絶世の美女ってこれ読んだの?
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4059011770.html
699太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/17(土) 10:37:32
いや、読んでないです。いまはよっぽどじゃないと買ったりしないです。

やせたちょっと瓜実顔に近い小柄な美女ですよ。そんじょそこらにいない感じ
で神々しさは満点の厳正さあり、ミニスカもお好みのようです。八角形の鏡
が正面についている冠をかぶってましたね。
700日本@名無史さん:2007/11/17(土) 11:23:49
古事記見返したけど天照大神以前に書いてある神も沢山いるけど、何かあるんだろうね

イザナミイザナキにしても、夫婦神の神代七代の一番最後の神な訳だしさ
紀紀は天照大神から鏡を譲り受けた(天照の血統に入る?)素戔嗚尊の活躍を書いてる話な気がする


天の岩戸って言われる場所は沢山あるけど、どれも本物じゃないかな?
この時代は山の中腹に岩戸のような巨石と雨乞い岩のような祭壇を儲けてたみたいだし
「山の中腹に神が入り岩で閉ざし、祭壇を儲けて、山頂には小さな社を建てる」
これが古代神道での「神の社(霊山)」らしいよ


恵那山や白山や御嶽山のいわゆる御嶽や霊山は、一般人は立ち入る事すら禁じられてたみたいだよ
その後、密教徒の聖徳太子や空海やらが「開山」っつって、密教の修験寺として密教僧や仏教徒であれば立ち入れるようにしたみたい
701日本@名無史さん:2007/11/17(土) 11:37:25
他の神代七代や天照以前の神も、どこかに伝承が残ってないかな?

一番最初に降り立った国之常立の神は飛騨の位山に伝承があったよ
明けの明星から日の車に乗って来たらしいよ

んで、天照はイザナミが産んだ女の子、、、

けど産まれたとされる土地では
「それまでの神様は1人や2人しか子供を産めなかったのが、天照が産まれた事によりイザナミはその後、沢山の子を産めました」
みたいな話で伝わってるみたいだよ

飛騨の国之常立の方では「国之常立の子のイザナミは天照を産んだが奇形だった為にすぐに死んでしまった」って話もあったよ

例えば手足の数が多いような奇形児を神様とし崇めたりってのも本当にあったかも
702愛知県民:2007/11/17(土) 14:11:08
神話から追うよりも、確実な歴史を遡るほうがよいと思います。
古事記の応神天皇の時代に、百済の照古王(肖古王)、呉服西素(くれはとり・さいそ)が出てくる。
この記事は372年、百済の東晋への朝貢を間接的に示していると思う。
また、仲哀天皇が362年に没したとする古事記の記事
364年に倭が攻めてきたという三国史記・新羅本紀の記事
「甲子の年」(364年)に百済が日本に遣使しようとしたという日本書紀の記事
は整合性があり、ここまでは確実に遡れると思う。
ここから邪馬台国まで百年余りが、果てしなく長く感じられる。
703愛知県民:2007/11/17(土) 14:36:15
外国との関係でもっと遡ろうと思うと、問題があっても新羅との関係しかない。
まずは312年と344年の二回、倭王が新羅に妃を求めた記事が問題になります。
これに対応する記事は記紀にないので、この倭王は畿内ではないでしょう。
日本書紀・垂仁天皇の段に出てくる「穴門の伊都都比古」だろうか?
704日本@名無史さん:2007/11/17(土) 15:13:35
>>702
中国の歴史もさ、唐より先がなんか曖昧な気がするんだよ

「漢字の発祥」を考えると恐らく秦氏族や漢氏族だと思うけど、秦氏族も漢氏族も2世紀頃には滅た氏族らしいよ

んで、唐以降の中国は、漢字を文字として使いこなせてないらしいよ

毛沢東も中国統一した時に自分たちが文字として使えてない漢字をやめてローマ字綴りで統一しようとしたぐらいらしいよ

今の中国にある書物は唐時代後に書かれた書物でしょ?
漢人か秦人か倭人が書いて渡したもののような気がする
ちなみに司馬氏は晋(秦)の人で、唐は鮮卑氏やトルコや李氏らしいよ

705日本@名無史さん:2007/11/17(土) 15:18:10
「気がする」とか「らしい」じゃ何の説得力も持たん
706日本@名無史さん:2007/11/17(土) 15:32:01
>>703
伊都ってのは信濃の伊那市辺りの事じゃないの?
スサノオが納めた場所だし。 飯田とか諏訪とかさ
信濃の阿智神社は新羅王を祀ってるし

「近江」ってさ、兵庫県じゃなく新潟石川の越にある港も近江って名前だよ
越からは飛騨、信濃、東北へ行ける旧街道があるし、日向三代と同じ氏族の阿曽氏の縁の神社や土地も信濃だよ


蘇我氏の飛鳥朝廷が美濃にあったとしたら、九州からと信濃からでちょうど挟み撃ちで倒せると思うけどな
707日本@名無史さん:2007/11/17(土) 15:45:30
>>705
だって解釈の問題になってくるからさあ
たださ俺さ、ネットで地名や由来をめちゃくちゃ調べたりはしてるよ
ってもまあ解釈の問題になっちゃうけどお;;


ほいでも「伊都」に関しては信濃の辺りで特定して構わないと思うよ
科野や伊都って信濃の昔の地名だし


伊都って「東国」みたいなニュアンスでしょ?

日本アルプスを挟んで東側だしさ、美濃と信濃の間のには、「箒木」って言うすげーデカい木があって、この木から日が登るって言われてたんだよ
箒木は源氏物語や古今和歌集にも記述があるよ
今でもその木の朽木は残ってるよ。探したら写真もあったし
708愛知県民:2007/11/17(土) 15:53:41
>信濃の阿智神社は新羅王を祀ってるし

気になったので調べてみました。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/111.htm
「江州三井寺より新羅大明神、日御子大明神を勧請奉て、……」
近江の三井寺には新羅明神と共に火御子明神も相殿になっている

これは?
709日本@名無史さん:2007/11/17(土) 15:59:39
紀紀の記述から調べたりすれば、ある程度場所は特定出来るよ

ただ場所も同じ名前や氏族と共に地名が移動したり、あとそれこそ平安時代以降に神から神社から畿内に移設とかされてるからややこしいし


あと当時は都市国家で日本国内に複数の都や王朝があっても別に不思議じゃないと思うよ
天皇はようは天照を氏神にもつ血統氏族な訳だから、枝分かれしたりはあると思うよ

あと政略結婚により天照系譜との血統の関連付けとかさ
だから伊勢神宮もだけど複数の氏神による神社になったりするんじゃないのかな?
710日本@名無史さん:2007/11/17(土) 16:09:41
あと日本アルプスを境に
美濃の岐阜の昔の地名は伊奈波(読み方はイナバ。イナナミ)
信濃の方は伊那国だよ。多分イナナキから来てる名前と思う(調べればわかるかも)


美濃と信濃の境には天照を祀る恵那山があって旧街道の東山道でつながってて、恵那山を超えるには馬籠にある神坂峠を通るんだよ

イナナキが黄泉(美濃)から逃げた坂はここじゃないかな
この坂は日本武尊の話にも出てくるよ
711愛知県民:2007/11/17(土) 16:13:57
私は登ったことは無いですが、白山には「火の御子峰」があるようです。
ttp://info.kan-hakusan.jp/archives/2007/08/post_195.html
712愛知県民:2007/11/17(土) 17:45:13
「園城寺龍華会縁起」によると、円珍が唐からの帰途、老翁が船中に現れて自ら新羅明神と名のり、教法加護を約したという。
重要文化財「新羅明神像」には束帯姿の火御子明神も描かれている。
ttp://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/picture/01.htm
713日本@名無史さん:2007/11/17(土) 17:47:10
飛騨の伝承はあれ凄いね

記紀では「最初に国之常立の神が現れたがすぐに消えてしまいました」としか書いてないけど、飛騨の国之常立の伝承は凄いよ

その神話まで乗せてるのが竹下文書やほまつたえだっけ?
ヒンズーの聖典なんかよりも具体的に書いてあるんでしょ?
ああいう話こそ神話だと思うけどなあ
俺の中では飛騨は神話のボスだよ
714日本@名無史さん:2007/11/17(土) 17:57:15
>>712
仏教の留紗那仏は両面スクナの事だって話もあるしね
ただ平安時代頃には飛騨には神話しか残って無かったみたいだよ

ちなみにクマーラや御嶽信仰の伝承は琉球にもあるらしいよ
琉球神話だとクマーラ御嶽は六山の内の1つらしいよ
沖縄にはそれこそ海底遺跡が見つかったり、琉球語でも日本語でもない文字で書かれた古代領事書の石版なんかも見つかってるよ
飛騨や沖縄やヒンズー神話は同じルーツを持ってる神話かもだよ
記紀やオリエント発祥以前の神話
715日本@名無史さん:2007/11/17(土) 20:01:32
一晩で、スレの流れが変わってるけど、
>>683
日本書紀に
「晋武帝泰初二年晋起居注云。武帝泰初二年十月。倭女王遣重訳貢献。」
とありますね。晋書では、以下の通りです。
「(泰初ではなく泰始二年)十一月己卯,倭人來獻方物.」
1013年成立の冊府元亀には、
「晉武帝泰始元年、倭人國女王遣使譯重朝獻
 二年十一月倭人來獻方物.」
冊府元亀成立時期には、まだ晉起居注などの資料は滅びていなかったようなので、
日本書紀の記述の方が誤りと言えるでしょう。
そして、晋書の方も、朝貢の全てを記録しているのではなく、
適宜、省略していることがわかります。
さらに、晋書の帝紀には、その後「東夷二十國朝獻」や「東夷二十九國歸化,獻其方物.」などの記述が沢山あります。
こうした東夷の国々の中に、倭が含まれていた可能性もあると思います。
結局、
>最後に交流を持ったのは『倭の女王』であり、『男王』ではない。
とは言えないのです。

>台与の跡継ぎとして男王が立ったのなら、中国の記録に男王が残るはずはない。
716日本@名無史さん:2007/11/17(土) 20:02:17
>>713
飛騨の伝承は知らないので、何か参考になるサイトでも紹介してください。
717日本@名無史さん:2007/11/17(土) 20:06:37
715ですが、レスをコピペしたら、尻尾が切れていたので捕捉です。連投すみません。

>台与の跡継ぎとして男王が立ったのなら、中国の記録に男王が残るはずはない。
>記録に残っているのは、台与も男王も存在していたからだと考えられる。

この部分、何を言っているのか、意味がよくわかりません。
718日本@名無史さん:2007/11/17(土) 20:53:42
>>716
乗鞍岳、霊山、白山、国之常立、位山、サナート・クマーラ、鞍馬天狗、両面スクナ、、
この辺りの言葉でクグっれば色々伝承があるよ^^
だいたいの話が、600万年前に金星(明けの明星)から日の玉(火の車)に乗って大魔王サナート・クマーラ(記紀では国之常立の尊)が位山に降り立ったった、日玉の国があったって神話
飛騨の名前の由来も日玉の国から来てるみたいだよ
日本アルプスの白山や御嶽山とかの霊山信仰はここから来てるみたいだよ

明けの明星信仰(?)は、日本だけじゃなくヒンズーや、釈迦や空海らの密教やフリーメーソンとかの、いわゆるタントリズム(秘術や錬金術)では最も重要な星に位置付けられてるみたいだよ

タントリズム(秘術)を極めたものは宇宙の英智を知る事が出来るとかなんとからしいよ
秘術カッパーラすよw


天照ってのも元々は「暗闇を解き放つ明るい光の神」って意味で、それを太陽って解釈されてるだけみたいだよ
天照が生まれた時の伝承もそんなような伝承だったし
719太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/17(土) 20:57:08
>>718
あんたムー民か〜?ww
720愛知県民:2007/11/17(土) 20:57:56
>>703
>外国との関係でもっと遡ろうと思うと、問題があっても新羅との関係しかない。

これは、軽率でした。新羅本紀の年代は問題がありすぎて、基準になりません。
364年の「一致」は偶然の産物でしょう。
日本書紀の「宇流助富利智干」が新羅本紀の「于老」であり、「武内宿禰」は「于道朱君」と思われますが、
どちらも年代が大きく延長されていることになります。
721日本@名無史さん:2007/11/17(土) 21:17:06
>>719
これは記紀とは別の話w
こういう話もさニュアンスや記述の仕方は違うけど、ヒンズーやインディオやコンゴや似た神話はあるよ


ちなみにキリスト教の創造神話は、ローマ帝国が民衆支配の為にでっち上げた神話だから全く意味ないよ
あれと他の国の神話を一緒にしたらダメ
つかキリスト教がマジでうぜえ
722日本@名無史さん:2007/11/17(土) 21:31:55
4世紀頃にローマ帝国の権力者達が作った新興宗教のキリスト教ってさ
神様を「ゴッド」以外での記述をしてないの知ってる?

キリスト教以外の宗教ではちゃんと「○○神」って名前があるよ。ユダヤ教やイスラム教にしてもアラーやヤハウェ以外の神もいる多神教


キリスト教は「神=唯一絶対=人々(民衆)は神に従え」って言う宗教
てか、あんなの宗教じゃなく権力者による支配宗教なだけだよ
つかキリスト教はマジでアホ。
キリスト教が言うような神なんてのはいる訳ねーっての
723日本@名無史さん:2007/11/17(土) 23:43:34
あーだめだトンデモ板になっちゃった
誰かマトモな邪馬台国板誘導して。
724日本@名無史さん:2007/11/17(土) 23:48:24
邪馬台国と大和朝廷って関係あるのかなあ。
誰でもいいから教えて。
725日本@名無史さん:2007/11/17(土) 23:54:54
ない。
ないから記紀でも注釈扱いにしか出来なかった
726日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:00:52
でも発音は近いよ。
727日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:01:56
>>725
ないとすると、巻向はどういう扱いになるの?
728日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:21:06
発音が近いだけなら各地にゴマンとあるわけだが。

てか何この超初心者の質問
729日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:22:03
>>723
2chにはそんな板はないよー
他のサイトを探してくれ
730日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:29:54
>>728
>>726じゃないけど
発音が近いってのは重要だとおもうがな 邪馬台国と大和朝廷が無関係でたまたま発音が近いってのも無理があるようにおもうけど
731日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:31:52
>>727
記紀には大和国纏向珠城宮、纏向日代宮がありますよ?
732日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:37:28
>>730
実は私も発音が似ているって事で、昔は畿内説一本槍でした。
でもなんかずーっと引っ掛かってたいろんなものが、この板の
邪馬台国関連スレで解消して、気付いた頃には九州説の一員に
なってました。
(とはいってもあんまり詳しくないですよ。九州の中南部なら旅行したことがある程度です)
733日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:42:37
>>731
邪馬台国と大和朝廷が関係ないとすると、ほぼ同時代に並立したのかなあ。
734日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:47:20
>>732
僕と反対だ。
元九州系安本派だったけど、最近考古の人の話聞くと、だんだん
巻向が面白くなってきたよ。
735日本@名無史さん:2007/11/18(日) 02:52:10
>>730
邪馬台国って単純に、弥烏邪馬国の事のような気がするよ

当時は日本列島だけじゃなく、漢半島から満州辺りまでは倭人が納めてたって巍や唐の書物にも書いてあるんだよ

倭人の納める邪馬台国
倭人の納める弥烏邪馬国

同じ国じゃないのかな?
736日本@名無史さん:2007/11/18(日) 03:24:16
>>733
邪馬台国とか卑弥呼って言葉が記紀に出てこないからなあ
難升米なんて魏の旗もらって敵と戦ってるのに記紀には出てこない
銅鐸も出てこない(奈良時代に発見されて何なのかわからなかった)

つまり大和朝廷はこれらとは関係のない国
737愛知県民:2007/11/18(日) 10:42:55
>>732
つられる訳ではないが、日本書紀の「山門県」は前から気にはなっています。
神功皇后の段で「松浦県」=末盧国のすぐ前に出てくる。
土蜘蛛・田油津媛がいて、兄・夏羽がいるというのは卑弥呼と弟の関係に似ているし
名前も台与や難升米に似ている。
山門県→山門郡は邪馬台国のなれの果てか?
738神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 21:44:20
天照の正体についてみなさん〜なぜ女性としてるのですか?
739神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 21:44:41
天照の正体についてみなさん〜なぜ女性としてるのですか?
740神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:00:46
今度、連休とって奈良の三輪山や倭迹迹日百襲姫命の箸墓をみにいこうと思ってます。
年末には宇佐神宮へ出かけます。

みなさん〜古代史ファンお薦めの場所ありますか?
よかったら教えてください。
741神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:08:22
>>598
>最新の日本書紀年代によると、卑弥呼の即位した183年は考昭天皇の26,27,28,29年(2倍年暦×2)にあたり、死亡推定の248年は
>孝元天皇の21,22,23,24年にあたります。

その最新の情報をどこでてにいれたのでしょうか?
742日本@名無史さん:2007/11/18(日) 22:09:08
宇佐から下って西都原。コスモス綺麗だよ。…って年末かよw

あれ、ここだっけ?高千穂の逆鉾の話題があったのって
俺も見に行きたい
743神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:12:36
>>604
>比売大神=姫太伯とは考えられないか?

愛知県民さん・・・だから宗像三女神ですって!書きてあること信じない人ですね〜
↓宇佐神宮HPです
http://www.usajinguu.com/Frame.html
744神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:12:41
>>604
>比売大神=姫太伯とは考えられないか?

愛知県民さん・・・だから宗像三女神ですって!書きてあること信じない人ですね〜
↓宇佐神宮HPです
http://www.usajinguu.com/Frame.html
745神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:25:36
>>627
>なぜ朝廷が宇佐神宮をあれほど重視したのか?

宇佐神宮は比売大神や神功皇后などが祭られてますがなんといっても
八幡大神が祭られてるからではないでしょうか。
八幡大神=応神天皇は十五代天皇です。
重視しても不思議ではない。

>>628
太国さん
>比売大神が宗像三神の一人なら

って・・・あなたもこれよく読んでください。
http://www.usajinguu.com/Frame.html
746神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:31:42
卑弥呼=天照大神説について

ないですね〜そもそも時代が違います。
天照大神は卑弥呼の時代よりもっとはるかに前です。
何世紀ぐらいでしょうね・・・。
天照より倭迹迹日百襲姫命のが時代は重なりますね。
747神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:34:02
>>724
>邪馬台国と大和朝廷って関係あるのかなあ。
>誰でもいいから教えて。

関係ないです。
卑弥呼は別の王朝です。
748神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:36:21
>>724
>邪馬台国と大和朝廷って関係あるのかなあ。
>誰でもいいから教えて。

関係ないです。
卑弥呼は別の王朝です。
西暦57?でしたっけ?!漢委奴国の金印を受けた王朝ですね。

749神奈川県民改め三重県民:2007/11/18(日) 22:36:24
>>724
>邪馬台国と大和朝廷って関係あるのかなあ。
>誰でもいいから教えて。

関係ないです。
卑弥呼は別の王朝です。
西暦57?でしたっけ?!漢委奴国の金印を受けた王朝ですね。

750日本@名無史さん:2007/11/18(日) 23:28:25
『歴史街道』 2007年12月号

日本を変えた古代史10大事件
第二回 邪馬台国の卑弥呼はヤマトの女王だったのか?    関裕二
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/

   ↑
これ、なかなか説得力がある。
日本書紀に、「神功が山門の女首長を倒した」という記述があることに着目し、
畿内の大和政権の台与(=神功皇后)が、北九州・山門(やまと)の卑弥呼を倒して
九州を平定したという仮説。
魏志倭人伝では、卑弥呼は他国との戦争で死んだと読めるし。
畿内にヤマト政権があるのに、倭の混乱の中、卑弥呼は勝手にヤマト(邪馬台)の女王を名乗り、
魏から承認を得て、畿内のヤマトを「狗奴国」と呼び、鉄資源を封鎖して対抗した。
そこで、神功は九州平定に乗り出した。
卑弥呼は、魏から承認されているため、それを倒したとなると、魏との関係が悪化する
ので、「台与(=神功皇后)は卑弥呼の宗女」と魏に説明した、と。
751日本@名無史さん:2007/11/18(日) 23:35:38
関裕二って近所の本屋でもムックやらでかなりの冊数置いているが…

そもそも神功皇后と卑弥呼じゃあ時代が合わない気がすんだが。。
752日本@名無史さん:2007/11/19(月) 00:15:58
>>751
そのことはちゃんと書いてある。
俺の推測だが、応神=崇神じゃないか?
応神以降の天皇は、その後、絶えたので、継体につなぐことになったのだが、
それを正当化する必要性から、応神以降の断絶するまでの天皇は
悪く描かれている。そして、それらの天皇の業績は崇神〜応神に移されている。
すると、今度は辛酉なんとか説のため、神武〜崇神を捏造する必要が生じたわけ。
だから、日本武尊は、同じタケルの名を持つ雄略天皇を示唆しているわけ。
となると、応神の母・神功の実在年代の記録は怪しいということになる。
753日本@名無史さん:2007/11/19(月) 00:22:24
>>750
それは確かに説得力はあるけど、関裕二氏は何年も前からその説を唱えてるんだよね。
5〜6年前に出た新書のやつとか、藤原不比等がいかに悪だったかを語ったやつとか。
結構よく出来た論理だったけど、より深めるために研究を要するみたいな書き方をしていた。
で、>>750氏の抜粋を読むと、以前とあまり変わってない。
期待してるからもうちょっとしっかり組み立ててくれよ、と言いたい。
特に>>751氏の指摘のように時代があまり噛み合わない点なんかどうするんだろう。
(関さんて「神」の付く天皇は大概同一視してるんでしたっけ?)

他の板だけど、ググったら出てきたので参考に貼ってみる
関裕二の古代史論が面白い
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1176101860/
754日本@名無史さん:2007/11/19(月) 01:38:32
そもそも卑弥呼の時代に九州を平定するだけの力がヤマトにあったのかな?
神宮皇后伝説だと更に朝鮮半島まで出張っているわけだがw

普通に考えて遠征軍を送って討伐する側は敵の数倍の国力がいるんじゃね?w
755日本@名無史さん:2007/11/19(月) 08:48:40
なにぶんにも、神懸りで行動したものですから。
当時の新羅は山あいの盆地に主に居住する小国で大和はそれに十数倍する国力のくにでした。
756日本@名無史さん:2007/11/19(月) 09:40:29
要するに、関氏の論は支離滅裂で論ずるにあたらないということです。
757日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:18:37
そうですね、卑弥呼から壱与にかわったときには魏使は邪馬台国にいたのですからね。
関氏のようなことが起こったら、報告書にかくでしょうから。
758日本@名無史さん:2007/11/19(月) 18:12:18
「倭国大乱」とは、畿内の皇室の男系が一時断絶したのを機に始まり、
その混乱の中で、実際に皇室の血を引く卑弥呼が即位宣言をして収まったが、
それを承服しない畿内の皇室が、台与を擁立して九州平定に乗り出したという
ことじゃないか?
北九州の宇佐神宮は、比売大神(ひめおおかみ)、応神天皇、神功皇后を祀っている。
比売大神とは卑弥呼(ひめこ)のことではないか?
そして、畿内では、伊勢神宮に豊受大御神が祀られている。
豊受大御神とは、台与(神功皇后)のことではないか?
神功皇后は、関氏が指摘するように、「豊」という文字との関係が深い。
759日本@名無史さん:2007/11/19(月) 20:04:57
>>758
八百万の神名や、記紀に記された多くの人名には、「比売」・「豊」の文字は、わんさか出ている。

卑弥呼・台与という特定の倭の女王に対し、比定を行うとするのであれば、
ただ単に音の近似だけを言っても、論拠として、はなはだ弱いと思う。

もっと事跡なり系譜なり、さまざまな観点から一致点を見出さなければ、
万人の賛同は得られないであろうと思う。
760日本@名無史さん:2007/11/19(月) 20:34:46
>>758に追加。

山門の卑弥呼が死んだ後(大和政権の九州平定後)、大きな古墳を作った先は
畿内(箸墓か?)で、その理由は、魏に対して、「邪馬台国と大和政権は連続している」と
アピールするためだった。
761日本@名無史さん:2007/11/19(月) 21:36:10
卑弥呼の時代と巻向の時代って、年代的にだぶるでしょ。
台与の266年だとほとんど箸墓と同年代っていってもいいぐらいだよね。
すると、邪馬台国と大和朝廷って、同一か、並立かのどっちかじゃないの。
762日本@名無史さん:2007/11/19(月) 21:55:06
>>717
倭の女王が西暦266年に遣使してから、いわゆる倭の五王が朝貢するまでの
約150年は謎の時代といわれる。つまり、日本と中国の交流がなかったので、
中国の記録にその間の日本のことが記されていない。

西暦266年より後のことは中国の記録にないわけである。
その266年の記録というのが、倭の女王の晋への遣使。
だから、女王のあとに男王が立ったとすれば、それは中国との交流がなくなった
あとのことであり、中国の記録に残るはずはない。

なのに、通典や梁書には、「其後復立男王、並受中國爵命」とある。
だから、台与と男王が並立していたと考える以外にないんじゃないかな。
763日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:13:22
>>758
倭人伝には次のように書かれている。「其國本亦以男子爲王、住七八十年、
倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼」

その国、もとまた男子を以って王と為す。住まうこと七八十年。倭国乱れ、
相攻伐すること歴年。すなわち一女子を共立し王となす。名を卑弥呼という。

これを読むと、後漢書に出てくる帥升と卑弥呼は同じ系列の人間と思われる。
帥升の朝貢は、安帝永初元年(西暦107年)だから、年代も合う。
帥升については、倭國王となっており、献上した生口は160人。
当時の人口からするとすごい数で、倭国王としてもふさわしい。

つまり、邪馬台国は、少なくとも帥升の時代には存在していた。
倭人伝には、30カ国近い国が邪馬台国に従っていたと書かれているが、
そのような状態になったのも帥升の時代と思われる。

これは、畿内説にとっては都合が悪いらしいが。
764太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 22:22:02
107年ていうのは倍暦計算で実際は孝昭8年であり卑弥呼は生まれていないよう
である。卑弥呼は若年が孝靈の時代だから接続性はすこし薄い。卑弥呼の晩年に
入るころが崇神の時代。

崇神即位元年=237年=景初3年

卑弥呼の没年=崇神11年=247年=正始8年
765日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:24:11
>>763
つづき。
だから、「倭国の大乱」は、跡継ぎをめぐる争いであると考えられる。

卑弥呼が死んだあとも、跡継ぎをめぐり、千人あまりが殺されるような
「大乱」?が起きている。
「更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人、復立卑彌呼宗女壹與」
766太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 22:24:32
>>764 訂正

× 237年=景初3年       ○ 237年=景初元年
767日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:34:10
>>764
太国さんの年代観はわかりません。
しかし、西暦107年にはもちろん卑弥呼は生まれてなくて、推測するに、
生まれたのは西暦170年のちょっと前くらいじゃないかな。

倭国の大乱の収束を西暦180年あたりと考え、卑弥呼は台与と同じような年齢で
女王に共立されたと考えますね。

ちなみに、西暦170年生まれだとすれば、死んだのが西暦248年頃で、享年は
78才となる。現代では普通だが、当時そんな長寿がありえるのかちょっと
疑問ではあるが。
768日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:39:27
ちょっと便乗で。

太国さんの仰る倍暦について詳しく知りたいです。
どこか参考になるサイトとかないでしょうか
769太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 22:41:14
>>767
173年 倭女王卑弥乎が新羅に遣使(新羅紀)
770日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:45:43
>>769
新羅本記の記述には疑問が多いのです。
後から挿入されたと考えられます。

西暦173年は新羅の建国前だし、倭王が朝鮮に使いを送る例はあまりないし。
771太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 22:46:08
>>768
まだ浸透性が及んでいないですから、無いわけではありませんが、お勧めのと
いうと戸惑うばかりです。
倍暦、倍歴で過去スレ、現在スレを探せばかなり熱烈なる議論展開がされて
いますし、倍暦でググればかなり羅列されているようですから、それを見る
もの一考です。
772太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 22:50:21
>>770
真の新羅建国はいつということなんですか?
773日本@名無史さん:2007/11/19(月) 22:54:39
>>772
一般的には、西暦356年。その前は、辰韓と呼ばれていて、統一した国はなく、
まあ、部族社会のようなものじゃなかったかと思うのだけど。
774サガミハラハラ:2007/11/19(月) 22:55:22
倍暦ですか。ほんの2,3年前までは専用のスレもたち、熱い論議がかわされていたものですが、今はもうすっかりすたれ、
ほとんどの人が目もくれないといったところです。
結局、ヒテイもされず肯定もされず、相手にされなくなってしまったというところです。
775太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 23:00:03
>>773
半島の知識は薄いんで聞かねばなりませんが、拙者の年表だとB,C,57年だな。
どうなんだろ? 中断でもあるの?
776太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 23:03:44
Wikiだと彼のいうとおり356年だね。何かあるな? どうも半島はわからんね。
777日本@名無史さん:2007/11/19(月) 23:10:53
>>775
まあ、いろいろあるんだろうけど。歴史を古く見せたいとか。

しかし、新羅という名前が中国の書物に登場するのは、4世紀になってからで、
それまでの朝鮮は三韓と呼ばれていましたね。
馬韓、辰韓、弁韓の三つ。
新羅のあった地域は辰韓と呼ばれていた。
だから、新羅の国名がなかったことは確かでしょう。

元をたどれば、あの国で、その前はあの国で、だから起源は○○年だという
ことじゃないのかな?

日本の起源もけっこう実際より古いことになっているし。
778太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 23:13:00
フムフム。それがしの年表だと356年は新羅 金奈勿元年 となっている。w
779日本@名無史さん:2007/11/19(月) 23:36:04
倍歴のスレ見てきました。う〜ん、まだよく分からんですが、参考にします。
それよりググってて、変な畿内説バリバリの人のサイトに行ってしまって凹んでました。
何であそこまで自分に都合のいいデータだけを持ち込んで自信満々に語れるんだろう。
書き込み(反論)ができないからって言いたい放題なんだなあ。
780太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/19(月) 23:43:40
B,C,57年と356年の差413年。う〜ん半島も一定以上大昔は2倍暦等をやって
たのかねぇ〜??

>>779
倍暦の場合、かなり主張に断層がありますので、これが優秀なサイトとかで
推薦というわけに参らんのです。また明日・・・

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・・
781日本@名無史さん:2007/11/20(火) 01:56:01
関裕二の「大和台与による山門の卑弥呼殺し」についてチョット確認させて欲しいんだが

神功皇后が殺した山門の女王って日本書紀にある
山門の土蜘蛛「田油津媛」の事で良いのか?
(因みに兄に夏羽がいたが妹が殺されたのを聞いて逃走)

まあ原文じゃなくて現代語訳で読んでいるからよく分からんけど
戦いの描写も無くさらっと書いていて
それを根拠にするのは些か牽強付会、重箱の隅を突つくみたいな感じなんだがw
782日本@名無史さん:2007/11/20(火) 05:35:03
>>781
>台与
「臺」と「台」は別字だ罠。
「臺与」だからこそ「壹与」と誤刻した可能性がある。
「一大国」も「支」の古体字が「丈」に似た形だったことによる
誤刻。
783日本@名無史さん:2007/11/20(火) 08:36:48
倭人伝は古体字でかかれていたのですか?
784日本@名無史さん:2007/11/20(火) 10:28:47
大朝鮮帝国史によると、朝鮮族はかつて遼寧省、山東省、日本にまたがる大帝国を築き、神武天皇は百済が日本に派遣した地方官で日本東征を果たした。応神天皇は日本に亡命した百済王だ。新羅が日本に政治介入したのが大化改新だ。韓国陸軍民族史に使用
とか、言われてしまったのですがどうですやろ
785日本@名無史さん:2007/11/20(火) 14:03:06
>>784 どうですやろ

放置がベスト。
こういう妄想は、民族がますます馬鹿になり、劣化していくだけのこと。
民族劣化のプロセスを、高みから見下す目線で観察していると、とても愉快。

馬鹿は勘違いさせておけ!!!
786日本@名無史さん:2007/11/20(火) 17:45:50
>>762
仰りたいことの内容は、よくわかりました。
しかし、>>715に書いたように、倭の女王の遣使が最後というのも、
それが西暦266年というのも確定できないのです。
ですので、梁書に男王の記述があっても、臺與と並立していたとは断言できません。
その上で、漢文の自然な読み方を重んじれば、並立ではないと思います。
787日本@名無史さん:2007/11/20(火) 17:48:03
>>784
「剣道 韓国 発祥」でググルと、びっくりするような話がいっぱい見つかりますよ。
788日本@名無史さん:2007/11/20(火) 18:48:59
>>745
>なんといっても
>八幡大神が祭られてるからではないでしょうか。
>八幡大神=応神天皇は十五代天皇です。
>重視しても不思議ではない。

宇佐にいけばわかると思うが、比売大神のほうが天皇と皇后より
上座に祭られている。天皇一人と隼人にまつわる皇后祭ってるだけで
これだけ古代の朝廷で神託だしたり皇祖扱いするか?

専用の勅使まで伊勢より多く準備してるうえ、神輿も宇佐が発祥だよ。

あきらかに比売大神が何か特別な存在か、皇祖発祥の地だと認定されてたのか
亀山に眠っているのが誰か特別なのか、なんかあるはず。それにしても謎が多い場所だよ。






789日本@名無史さん:2007/11/20(火) 19:02:54
神功皇后が台与、って話は、ちょっと変だと思うが、おもしろいなと思う。
大分はトヨの国っていうけどさ、豊は後からの当て字。トヨって語源が気になる。

宇佐神宮で神功皇后が祭られているだろ?死んで百狐になったなんて
話もあるそうだけどさ、狐に関わるでしょ?

国東の姫島(アカルヒメ伝説発祥の地)では狐の祭りがある。
比売大神=宗像3神のひとり=アカルヒメ?

それ以外にも、伊勢神宮は地元では昔は狐を祭っていたなんて話も
あるんだよね。結構関連性なんか考えるとおもしろい。
790日本@名無史さん:2007/11/21(水) 03:11:41
倭国大乱とは、古代の南北朝時代みたいなもんだろう?
要するに、兄弟から分かれた二つの家系が戦争したんでしょう?

一つが兄(弟?)の家系であり、出雲を倒して大和王朝を創始したホアカリの後胤(尾張氏)で、
もう一つが弟(兄?)の家系であり、日向に派遣されていたホノニニギの後胤(神武皇統)

倭国大乱は日本全国規模というよりも、大和の中央での権力闘争で、
その結果、大和の全国での統制力が弱まったんじゃないのか?
南北朝動乱、応仁の乱という中央政界の権力闘争で、地方までもが混乱したように。

神武東征は、その倭国大乱よりも少し前で
あくまでも、大和中央政界で家臣が専制を強めて、それを鎮圧した戦争。
その中に、日向分家出身の神武も本家を助けるために参戦した。
つまり、神武軍は一つの援軍にすぎなかった。
791日本@名無史さん:2007/11/21(水) 09:31:41
最近の世界情勢を見てると重しが取れると内乱になってる国が多い、イラクもアフガも
ほっとく方が良かったかも、世界戦争に突入していく、いってる、戦費がいくらあっても終わらないような状態
792日本@名無史さん:2007/11/22(木) 15:29:28
HIMIKOって細木数子みたいな感じのオバハンだったんだろうな
793日本@名無史さん:2007/11/22(木) 17:51:22
わたしはもっと細身であったと思います。
794日本@名無史さん:2007/11/22(木) 18:08:52

卑弥呼様はあんなにペラペラおしゃべりするお方ではありませんでした。

普段はたいそう寡黙で、なにか瞑想なさっておられるかのようでした。
795日本@名無史さん:2007/11/22(木) 18:18:05
卑弥呼って西母王仙人の事じゃないの?

鬼道使う女っていったら西王母仙人の事だと思うよ
コイツが猿田彦の案内でヒルメとして日本に鏡もって来たんじゃないの?
これが西遊記のモデルになったってって気がするよ

ヒルメと西母王仙人が同一人物なら、西王母仙人はスサノオの血統を引いてる人な訳だし
東王父仙人は密教の義淵だった気がするけれど
796唐松山:2007/11/22(木) 18:47:34
狐=キツサネ=ほつま伝の暦

農業には 欠かせない。
797日本@名無史さん:2007/11/22(木) 19:50:31
暦や年代に関しては、記紀以外の書物の方がちゃんとした記述があるしね

記紀は系譜の書を見ないと正確な年代はわからない書物だよ。あれ
そのくせ記紀は系譜の書を紛失してるんだから詳しい年代は記紀からはわからないよ
798日本@名無史さん:2007/11/22(木) 19:53:11
「イワレビコが辛酉の年に東征へと向かった。イワレビコは東征を遂げて藤原京に都を移した」


これを紀元前660年って解釈する奴もバカだけど

藤原京ったら西暦660年頃だよ
799日本@名無史さん:2007/11/22(木) 22:45:13
記紀の年代を修正して復元したものがすでに出版されております。
日本書紀紀年はあれで正解でしょ。
800太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/22(木) 23:41:05
>>797
どんな書物だろ?
801日本@名無史さん:2007/11/22(木) 23:44:16
そうだなあ。実際は3世紀ごろなんて、まだクニとクニのバラバラ時代だったような
気がするね。悪いが日本の御伽噺の書物よりは中国の少しいい加減な歴史書に出てくる
日本が本当のその頃の日本の姿だったと思うね。
802日本@名無史さん:2007/11/22(木) 23:48:52
>>799
イワレビコが遠征したのが辛酉の年

西暦660年
西暦0年
紀元前660年
いつだと思う?

イワレビコは橿原に藤原京を都遷した人だよ
803日本@名無史さん:2007/11/22(木) 23:51:42
>>802
西暦に0年なんてあるか?
804日本@名無史さん:2007/11/22(木) 23:52:43
>>801
>中国の歴史書

巍志三国志伝、新羅なんとか伝、百済の書物、、、
これらって同じ時期にかかれた風土期じゃないのかな?

そもそも中国大陸のどの都が保管とかしてた書物なの?
これらの書物って日本にもあった書物じゃないの?
平安時代にはすでに三国志の書物は日本にあったらしいよ
805日本@名無史さん:2007/11/23(金) 09:24:04
中国は中国で一度ちゃんと歴史探索をして見て欲しいな

中国の史記を書いた司馬氏って、この人多分、倭人だよ
あと唐も最初は大野氏族が統治してたらしくて、大野氏ってのはやっぱ倭人的な氏名だよ
遣唐師だった小野氏と多分関係がある氏族だよ


中国って正直、万里の長城やシルクロードを作ったのが誰なのかとかもハッキリわかってないでしょ?
806日本@名無史さん:2007/11/23(金) 09:33:42
中国を見下してるとか、中国より下に見られたく無いとか言う意味じゃなくて、中国の本来の歴史ってのは史記だとか司馬氏だとかそんなもんじゃ無いって思ってる

まずシュメールの黄河文明、その後のアーリアたちの夏王朝
これは秦時代より遥かに昔で、その上栄えた文明だったはずだよ
黄河や長江の上流にはまだ発掘されてない古代ピラミッドがあるなんて話もある
それらを伝える歴史が無いのが残念だよ
インドだとヒンズーや仏教の聖典として、何十冊も超古代の歴史を伝える書物があるから、中国にも無くは無い気がするけどなあ

807日本@名無史さん:2007/11/23(金) 11:25:05
中国における漢字は
「一文字に対して一音」
で決められてるらしいよ
付けられてる発音は「子音・母音・子音」の形と決まってるみたい

王→ワン
龍→ロン
小→シャオ
包→ポウ

みたいなさ。これ以外の発音はしないらしいよ


JAPANって書いてあっても「ジェイエーピーエーエヌ」って発音するみたいな使い方してるのが中国だよ
808日本@名無史さん:2007/11/23(金) 11:30:13
ただ漢字は、言葉が通じなくても、お互いが漢字の文字の意味を理解してれば、文字に書く事で、意味を伝えられる

ってメリットがあるんだと思う

けど元々が、中国みたいにそのまま使う文字では無いと思うよ

このままだと熟語や動詞やそういうのが何もない単なる表意文字でしかないからさあ
809日本@名無史さん:2007/11/23(金) 12:36:16
あと「巍(ごめん、変換出来ない)」と「倭」って部首が同じだから共に倭の事じゃないのかな?

って、調べたら、巍の劉備って「和帝」の事らしいよ
倭や巍の部首の「委」ってのは担うとか、権力とか、そういう意味じゃないのかな? 委任とか、委員とかの文字だしさ
810改め:2007/11/24(土) 08:36:15
箸墓について

構築年代は三世紀末から四世紀初頭なんだよね。

卑弥呼が活躍したのは二世紀末〜三世紀半ば。

本当に箸墓は卑弥呼の墓なのでしょうか?
811改め:2007/11/24(土) 08:44:09
私は卑弥呼が活躍したのは倭迹迹日百襲姫、祟神の時代や神功皇后の時代以前
とみています。

そうですね・・・懿徳天皇〜考昭天皇ぐらいではないでしょうか。
812改め:2007/11/24(土) 09:05:21
>>788
>宇佐にいけばわかると思うが、比売大神のほうが天皇と皇后より
>上座に祭られている。天皇一人と隼人にまつわる皇后祭ってるだけで
>これだけ古代の朝廷で神託だしたり皇祖扱いするか?

う〜ん 正月、宇佐神宮に行った事ありますがそこまでよく見なかった・・・。

本当に上座に祭られてるのでしょうか?
宇佐神宮のHPには
http://www.usajinguu.com/Frame.html

725年 一之御殿 八幡大神 
733年 二之御殿 比売大神
823年 三之御殿 神功皇后

とありますが・・・。
813改め:2007/11/24(土) 09:11:24
>>781-782

関 裕二の本は「古代史謎解き紀行」等、私も何冊か読みました。

なかなか面白いですよね。

「大和台与による山門の卑弥呼殺し」

なかなか楽しめました。
814日本@名無史さん:2007/11/24(土) 09:12:20
>>807
>中国における漢字は
>「一文字に対して一音」
>で決められてるらしいよ

喪毎、まだまだ修行が足りんぞ。
半可通の恥さらしw

「行」は「旅行」の場合xing=日本語のシンとほぼ同じ。
「銀行」の場合はhangと発音する。

「会」は「会う」という意味の場合huiと発音し
「会計」の場合kuaiと発音する。

「好」は「好い」という形容詞の場合は上声で発音し
「好む」という動詞の場合は去声で発音し
声調(四声)が異なる。

「爲」も「〜のために」という意味の場合は去声で発音し
「〜となる、〜である」という意味の場合は平声で発音する。

「王」は名詞の場合平声で発音し
「王となる、王である」という動詞の場合去声で発音する。

こういう多音多義字は常用漢字の1割を超えるだろう。
815日本@名無史さん:2007/11/24(土) 11:33:45
俺、いつも美濃美濃言ってる奴だけど、俺も太和さんやサガミハラハラさんみたいに、コテ付けたい
コテの名前だれか付けてー
816愛知県民:2007/11/24(土) 11:35:51
>>743
比売大神=宗像三女神なら、その三神の名前で祭ればよいのに、やはり不自然だと思います。
普通に考えて、比売大神は応神天皇の后妃ではないでしょうか?
応神天皇が重視された理由は、継体天皇が応神天皇の五世の孫だったからでしょう。
本来は継体天皇の祖先を生んだ妃を祭りたかったが、誰だか分からないので「比売大神」とした。
それが応神天皇の皇后・ナカツヒメを含む高木三姉妹のこととされ、
さらに宗像三姉妹と混同されたのでは?
卑弥呼とは無関係と思います。
817愛知県民:2007/11/24(土) 11:48:57
>>813
その本は読んでないですけど、(年代を修正すれば)日本書紀通りで問題ないのでは?
タブラツヒメは台与の数代あと、邪馬台国最後の女王だったということで。

>>815
岐阜県民じゃ面白くないでしょ?
私は前から「みのさん」と呼んでいます。
みのもんたみたいで嫌?
818美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 12:50:35
てすと
819日本@名無史さん:2007/11/24(土) 12:53:58
お〜、出来たじゃん
820美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 12:58:22
おおw ありがとう
これにしますw

岐阜なんて名前だと田舎臭すぎるから嫌だったw
821日本@名無史さん:2007/11/24(土) 13:16:04
よーし打倒、九州説と畿内説だあ!
岐阜は金津園だけしか無い訳じゃないって所を見せてやるぜー
822日本@名無史さん:2007/11/24(土) 13:27:34
別人かい?
それともコテ失敗? またテストする? ww

823美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 13:38:13
まだ推測だけどさ
いまさ、今の中国政府が「史記」と認定してるいわゆる「中国の書物」ってのが
あれ実は元々は日本人が書きまとめた書物じゃないかって思ってそれが調べられないかって思ってる所だよ


本当は25史あったけど清時代の書を省いたから(満州やシナを認め無い為?)、24史って事らしいよ

今の中華人民共和国は65年前にシナと満州と中華民国を侵略支配して滅ぼして毛沢東が統治した歴史の無い国
中国大陸は60年前までは多民族、多国家、多語源、多王朝の土地なんだと思うよ
日本は島国だし、少なくとも1400年以上は同一民族、同一語源の国だから特別なだけで
普通は大陸なんかみても神話や歴史や書物や言葉や文字ってのは同一民族だったり宗教によって伝承されてるものだと思うよ

今の中国が古代の漢時代の書物を保管してたって事はまず有り得ない事だと思うんだよ
824日本@名無史さん:2007/11/24(土) 14:04:10
塚という記述に引っかかるのですが、塚の墓を築造した地域って
対馬とか山陰とかに限定されるのじゃありませんでしたか?
塚と墳の区別はあったでしょうし、あえて塚と記録したのですから
岡の様な自然な感じのものなのじゃないでしょうか?
箸墓はどうも似かよらないと思うのですが。
825美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 15:00:35
いわゆる「中国の昔の書物」が、今の中国政府にまで渡る経緯には興味がある
多分だけど満州国とかで採用した書物を今の中国が採用してるだけな気がするよ



あと「昔の中国は、、」とか良く言うけどこれも俺はおかしいと思う


「中国」って言葉の意味や地名は
1950年以降 中国→今のアジア大陸
戦国時代 中国→毛利の納めてた国
戦国時代 中国→天下統一とかで使う天下と同意語
紀記時代 中国→中つ国原。 特に地域を特定した呼び名じゃなく戦国時代の天下とかと同じ。 地域を特定する場合は「芦原の中国原」みたいな使い方


こんな感じだと思うよ

例えば1940年以前の書物などで「その昔、中国では、、」って書き方をしてるとしたら、それは今の中国の事を差してる訳じゃないと思う

「秀吉は中国を討伐し」毛利の国を倒した際はこういう記述だったし
826美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 15:14:13
チャイナの語源はまんま「CHINA」だよ、支那ね
チャイニーズって言えば支那人の事だよ
支那の主要都市ば北京の事で支那語は北京語の事
今の中国大陸でいう北東部の事が「昔の中国」である支那だよ

あと「漢」ってのは支那じゃなく今の朝鮮半島を差す呼び名だったみたいだよ
「漢字は漢の文字、仮名は加那の文字」って意味だと思うよ


まだあまりよくわかってないけど、その辺りをきちんと認識するのも大事だと思う
827日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:28:33
チャイナの語源は秦でしょーが
828美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 15:32:14
中国は建国してから60年
韓国北朝鮮は建国してから60年

まだ自分達の国や民族の歴史の研究もきちんとなされてないと思うよ
829日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:39:45
>>827
違うよ。支那だよ
秦って王朝氏族の名前だよ
土地や地域の名前は支那だよ
支那大陸だから東シナ海って言うんだよ

モンゴルってのも地名の名前だよ
まあ地名ってのも移り変わるものだから時代によって違うんだろうけどさ

秦なんてのは今の中国人も良くわかってないよ
いわゆる古史に「最初の皇帝」ってかかれてるだけだから
あれももし、日本が保有する巍志とかに「中国を統治した最初の皇帝」って書かれてるとしたら、その時代の中国ってのは中つ国や天下って意味だから、今の中国を差してる意味じゃなくなるよ
830日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:39:56

「呉」の「言」葉は、漢(字)の立場からは「誤」りの言葉。
831日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:48:34
>>812
宇佐神宮の造りは、左から順に一之御殿、二之御殿、三之御殿となっている。
つまり、真ん中が二之御殿で比売大神が祀られている。
建物も真ん中が豪華で、両脇は付け足しのようなもの。
国会議事堂に良く似ている。
どう見ても、比売大神が主役。
832日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:55:15
中国や朝鮮の歴史っても、今の中国も朝鮮も、日本に平安時代からある巍志とか唐志とか同じ書物を歴史としてるでしょ?
例えばインドやメソポタミアやチベットの地域は仏教の聖典とかで民族や王族の流れが残ってるから釈迦はガド族だとか、けっこう民族や王朝の歴史を追える
ヨーロッパも、結局ローマ帝国からの氏族の王朝の歴史な訳だし、王朝や王家が歴史を残してるから歴史がわかる
中国大陸はそういうのがないんじゃないの?

中国大陸で統一国家って呼べるのは歴史上、モンゴル帝国だけだよ
モンゴル帝国は王朝や都市を統治した後に、都市を粘土やレンガの城壁で囲ってたから南京やウランバートルやもちろん北京を、実際に統治した事がわかるみたいだし

「漢が中国を統治。秦が中国を統治」
古史の中のこういう記述を元に「かつて漢が中国を統治した」って解釈してるなら、解釈を間違えてるんだと思うよ
833美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 16:12:02
「中国大陸」「中国人」「中国人=古代漢人」

この認識は、戦後になってからの認識だから戦前までは中国も中国人もいないよ


戦前の認識は満州を調べるとなんとなくわかる
満州国は、五民族共同国家として、滅んだ清(満州民族)朝廷を受け継ぐ形で建国された国
国旗も五民族を表す五色の旗

満州民族、漢民族(これが漢民族かな?)、蒙古民族、朝鮮民族、日本民族が入植して大連から何から開拓した国

語源は満州民族の清朝廷が使ってた北京語を公用語として教育してた国
公用語以外には、モンゴル語圏とか他の語源地域も含んでた多民族国家が満州国だよ
(満州民族ってのも複数民族の総称らしい)
この時代に中国人や中国なんて大陸にはまだ存在してないよ


「昔の中国」って言葉はやっぱおかしいよ
「昔は中国じゃない」が正解だと思う
834日本@名無史さん:2007/11/24(土) 16:18:16
>>823
>今の中国が古代の漢時代の書物を保管してたって事はまず有り得ない事だと思うんだよ

全ての王朝は、天帝から天命を受けた者が統治するという思想を受け継いでる。
だから、次の王朝が前の王朝の歴史書を編纂して、正史として認定する。
歴代王朝をは、その正史を受け継いでいく。
民国以降になって、天子の思想がなくなったので、清史稿を正史として認定する王朝が無くなった。
だから、二十四史。清史稿を含めると二十五史になる。

>あと「昔の中国は、、」とか良く言うけどこれも俺はおかしいと思う

天子が統治する地域を夷狄の地と区別して「中国」と呼んでいる。
詩経や書経など、先秦の古い書物でそのように使われている。1950年以降に限ったことではない。
今も昔も、「中国」は「中国」。

>チャイナの語源はまんま「CHINA」だよ、支那ね

秦の音をインドで音写したものが、仏典を通して中国に逆輸入されて「支那」と音写された。

>あと「漢」ってのは支那じゃなく今の朝鮮半島を差す呼び名だったみたいだよ

劉邦が統一前、最初に「漢中」(今の陝西省漢中市)を領有して漢王と名乗った。
それで、統一を果たした後、「漢」を国号とした。以来、創業者の初封の地名を国号とする例は少なくない。
835日本@名無史さん:2007/11/24(土) 16:47:37
>>834
>王朝は天命からの命を受けたものが
これ日本民族の事でしょ? 国造りとかはそうして行われてたじゃん

>天子が統治する国を中国
これも日本だよ。天下や統治した地を中つ国と呼んでたから

紀記にある「中つ国原」も今の中国大陸の事ともいえちゃうよ
あと日本は日本民族だけど今の中国人は何民族なのか良くわからないでしょ?
多民族多語源だから今でも100ぐらいの民族と語源があるらしいよ
あと同じ中国人でも上海と北京とでは違う民族だよ
836愛知県民:2007/11/24(土) 17:05:50
山門郡は、合併のために今年消滅したんだって!
合掌。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%96%80%E9%83%A1
837愛知県民:2007/11/24(土) 17:44:43
今は「みやま市」と「柳川市」になっている。
権現塚は考古学的には調査されていないのか?
ttp://www.city.miyama.lg.jp/info/prev.asp?fol_id=505
838日本@名無史さん:2007/11/24(土) 17:45:28
>>835
>>王朝は天命からの命を受けたものが
>これ日本民族の事でしょ? 国造りとかはそうして行われてたじゃん

日本は、タカミムスビノ神と天照大神の命によって、天孫が降臨して統治した。血筋が大事。
中国は、北極星を神格化した天帝(太乙・泰一などと表記)の天命によって有徳の人物が天子に任命される。
血筋は関係ない。

>>天子が統治する国を中国
>これも日本だよ。天下や統治した地を中つ国と呼んでたから

詩経や書経は、周王朝の事跡を記述したもの。周王は大陸に住んでいて、日本を統治していない。
日本の天皇は、周王朝の王様であったことはない。
だから、詩経や書経などで語られる「中国」は日本ではありえない。
「アシハラノナカツクニ」は、高天原と黄泉国の中間という意味ではないかと思われる。
「中国」の方は、世界の中心。中間と中心は大分違う。

>多民族多語源だから今でも100ぐらいの民族と語源があるらしいよ

中国はもともと多民族多言語国家。秦ももとは西の辺境で羊飼いをしていた民族。
どの民族も、周王朝の礼楽を信奉すれば、中華・中夏に含まれるという考え方がある。
だから、唐の李淵が鮮卑族の出身でも、元がモンゴル人の王朝でも、
周伝統の礼楽を信奉していれば、天子となれる。
そういう意味では、純粋の漢民族って何?という疑問が出るのは当然だが、
以前、漢民族なんて無いと言われた中国人が、真剣に怒っているのを見たことがある。
あの地域に住み、歴史と伝統を受け継ぐ人は、自分は漢民族だという自覚を持っているらしい。
839愛知県民:2007/11/24(土) 18:07:36
話題が卑弥呼や邪馬台国からそれてる気がするんですけど。
中国とは何ぞや、とか言ってると問題が大きくなり過ぎませんか?
それを言うなら日本とは何ぞや、だって大問題。
韓国、朝鮮だってそう。
美濃さんは、魏志倭人伝も日本人が書いたと言われますか?
それはいつの時代の誰ですか?
840愛知県民:2007/11/24(土) 18:24:47
>>824
え? 邪馬台国は対馬か山陰?
あまり聞かない説ですね。
とりあえず、山門の権現塚を調査してほしいものです。
箸墓は重要な古墳ですが、邪馬台国とは無関係でしょう。
841愛知県民:2007/11/24(土) 18:45:18
まあ、たまには脱線も楽しいですが。
私も「卑弥呼」「邪馬台国」という字を見るたびに気分は悪いです。
中国共産党も好きではありません。
しかし、日本書紀でも「土蜘蛛」「熊襲」ですから似たようなものじゃないですか。
学問板ですから冷静に行きましょう。
842日本@名無史さん:2007/11/24(土) 22:06:17
>>838
その「天子」ってのは誰?
そういうのは全部「と、考えられており」の世界でしょ?
宗教や民族的な繋がりが何もないように思えるよ

俺らが使ってる「中国」ってのは大陸や民族の名前じゃなく、あくまでも国の名前だよ
蒋介石の中国
毛沢東の中国
これ以前にアジア大陸には「中国、中国人、中国語」とか言う呼称はないよ
843太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/24(土) 22:18:09
倭人伝 邪馬壹国女王 吉永小百合

西遊記 西梁女国女王 朱 琳
844美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/24(土) 22:20:30
俺もまだ正直良くわかってないからなんとも言えない
ただそういった疑問がある事はある
例えば満州国や清王朝が今の中国になった訳じゃない訳だし

なんか上手く説明出来ないけどさあ
845愛知県民:2007/11/24(土) 23:17:34
美濃さんは、このページを見てみたら?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD
言葉にこだわり過ぎるのは非生産的だと思いますが。

田川市の伝承では、夏羽と田油津媛は神夏磯媛の子孫とされている。
さて?
846愛知県民:2007/11/25(日) 14:18:50
日本書紀の景行天皇西征(古事記にない)、記紀の仲哀天皇・神功皇后西征は
魏志倭人伝の記事と関係が深そうなことは分かる。
それ以上のことはなかなか言えない。
倭王讃=仁徳天皇とし、430年の名無し朝貢を履中、倭王珍=反正とすれば
古事記の没年干支とほぼ合うので、倭の五王(六王?)は畿内だと思う。
847太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/11/25(日) 14:44:23
だったら讃王の号があるとか、他の四王の号とかもだ、記紀に別名だととりわけ
書かれるだろう? 記の没年干支が正解とは云い難いし、仁徳じゃぁないな。
崇神の崩年干支は正解に近いようだ。
848日本@名無史さん:2007/11/25(日) 23:11:03
>>842
>その「天子」ってのは誰?
黄帝や堯・舜など神話・伝説の時代の王から清朝最後の皇帝までの全ての人物。

>そういうのは全部「と、考えられており」の世界でしょ?
当時の同時代人が「そう考えていた」と文献から断言できる世界。

>宗教や民族的な繋がりが何もないように思えるよ
民族的な繋がりは無いが、宗教的な繋がりはある。
キリスト教や仏教などのような、教祖・信者・教団がある宗教とは別物だけど。

>これ以前にアジア大陸には「中国、中国人、中国語」とか言う呼称はないよ
紀元前から清朝・そして現代まで、あの地域に住む人は、あの地域を「中国」、
あの地域に住む人を「中国の民」と言い慣わしてきた。
学校で朱子学の名前は聞いたことがあると思うが、朱子の著作にも「中国」という言葉は使われている。
日本では、伝統的に「支那」という呼称が使われてきたが、蔑称として使う人もいたので、
戦後、「中国」という呼称に変わった。大学の講座名も、「支那文学」から「中国文学」に変わった。
新しく「中国」という言葉を作ったのではなく、「支那」が使えなくなったので、
既存の「中国」を持ってきて代用しただけ。
石原東京都知事が「支那」と言って問題になったのは、そういう背景がある。
本来は、蔑称でもなんでもないのだけれど。
849日本@名無史さん:2007/11/26(月) 00:38:49
>>816
少し勉強不足では?
大神の呼称を、天皇の妃に使ったという推測のレベルがちょっと痛いです。

850日本@名無史さん:2007/11/26(月) 00:47:13
なんかあんたらここでたたかれてるよ、俺まきぞえくったんだけど
てかさ一応乗せとくわ
【危険回避】日本史板誘導第2案内所【一日一回】
の板だ
851日本@名無史さん:2007/11/26(月) 09:27:46
>戦後、「中国」という呼称に変わった。大学の講座名も、「支那文学」から「中国文学」に変わった。

魯迅の《中国小説史略》は太平洋戦争が始まる前(1924年)に書かれたものだが
昭和15〜16年発行の岩波文庫版の日本語訳タイトルは
《支那小説史略》。
元々「中国」と書いてあっても「支那」と捻じ曲げるのが日本の慣例。
852日本@名無史さん:2007/11/26(月) 10:20:00
>>851
「捻じ曲げる」は、言いがかりだな。

戦前は日本では「支那」が一般的に使われていた。
「中国小説」じゃ、当時の日本人の大多数は、ピンとこない。
「支那小説」だと、ピンとくる。
だから分かりやすいように翻訳者がそうした。
それだけのこと。

「支那事変」も同様。
853日本@名無史さん:2007/11/26(月) 11:33:10
「中国」という二字熟語は禮記や孟子、司馬遷の史記(BC91年完成)にも使われている。

禮記、孟子、史記なんてのは遅くとも平安時代から読まれているし
江戸時代の漢文ブームの時期には日本でも多数翻刻された。
普通に教養のある日本人なら皆知っている。
蔑称として使い始めたのは大正時代末頃からだろ。
軍閥割拠の時代に日本が満州に野望を持ったからな。
中華民国の前は「支那」ではなく「清國」だったし。
854日本@名無史さん:2007/11/26(月) 11:48:33
>>827
>チャイナの語源は秦でしょーが

古代の「秦」と「支」の最初の子音が同じだったというのには
疑問が残る
現存する最古の韻書(発音字典)の《切韻》(実体は《廣韻》601年完成)によると
「秦」の頭子音は「従ジュウ」と同じで呉音なら濁音、つまりジン。
「支」は「章」と同じで清音。

おまけに「支」という字は《魏志倭人伝》の時代にはkiという音だ。
壱岐を「一大<一支」と書いてるだろが。
《風土記》などでも地名で「き」という音を表すのに「支」という字が
よく使われている。万葉仮名「支=キ」は万葉集巻18に集中的に
使われている。逆に万葉集や記紀で「支」をシ<tsiと
読む例は無い。
「秦>China」は俗説のひとつに過ぎない。
855日本@名無史さん:2007/11/26(月) 14:19:40
>山門の権現塚を調査してほしいものです。

権現塚以外にも、堤集落の遺跡や過去に女王塚
と呼ばれ、農地区画で整理された大塚のあとも
再発掘がひつようです。

畿内の遺跡に匹敵する弥生前期の遺跡が、高速道路
や区画整理で無残に切り崩され、放置されている現状
はいかにもおそまつです。
みやま市に合併されても無理かな・・・・
856改め:2007/11/26(月) 20:56:37
>>816
>比売大神=宗像三女神なら、その三神の名前で祭ればよいのに、やはり不自然だと思います。

だからぁその三女神の名前で祀ってるでしょーに〜。
愛知県民さん〜よく文章みて!

愛知県民さん頑張れ〜〜〜!
http://www.usajinguu.com/Frame.html
857改め:2007/11/26(月) 21:00:08
昼は人が作り、夜は神が造る・・・

あの伝説の箸墓に初めて行って来ました。

デカさにびっくり〜何かありますよね・・・

あの倭迹迹日百襲姫は只者じゃあない!
858改め:2007/11/26(月) 21:02:35
愛知県民さん〜>>849さんからも言われてますよ。

もう少し勉強するべきと思います。
859改め:2007/11/26(月) 21:09:19
九州王朝説をとってる私ですが・・・倭迹迹日百襲姫の大市墓。

何かあるはず・・・。

卑弥呼、壹與がもしも天皇家と関わりあるようでしたら、

倭迹迹日百襲姫が関係してるでしょうね。
860日本@名無史さん:2007/11/26(月) 21:21:19
改めさん
ホケノ山とか黒塚には回らなかったの?
861改め:2007/11/26(月) 21:33:00
今回、日帰りコース

石上神宮⇒大和神社⇒祟神天皇稜⇒景行天皇稜⇒相撲神社⇒箸墓⇒
桜井市立埋蔵文化財センター⇒大神神社⇒狭井神社。
あと鹿をチラッと・・・。笑

三角縁神獣鏡の黒塚古墳展示館とか、仁徳天皇稜、橿原神宮など行きたかったが、
日帰りで時間なくパスしました。

お目当ての箸墓いけたのでまあまあ満足です。

みなさんは年末年始どこか出かけますか?
862日本@名無史さん:2007/11/26(月) 21:44:09
奈良街道の上狛、下コマの高句麗系の勉強がしたいです
863日本@名無史さん:2007/11/27(火) 01:18:01
やっぱす何をどう読んでも邪馬台国は九州なんですよ。
でも提出される事実をみるとやっぱ畿内なんですよ。
で、困ったあげくのせきゆうじで
大和王権に潰されたのが出雲王権(仮称)でそれが卑弥呼の
国だったんじゃないかと。

864日本@名無史さん:2007/11/27(火) 11:05:44
>>857
大坂山から石を手渡しで運べるほどの人数と言えば、
数万人ということになるが、それが昼夜働いて作ったと
したら、数ヶ月で完成するね。
865日本@名無史さん:2007/11/27(火) 19:47:05
畿内説って、考古学に人気があるというけど
実は、考古学者が纏向遺跡に狙いをつけたのは
文献を意識してのこと。
日本書紀の記載を意識してだ。

この事実を意外に指摘してない。

この邪馬台国論争の場合、考古学、文献史学、植物学などが
全部、バラバラで考えるから、なかなか解決しない。
これらを体系的に考えられる学問が誕生すれば
こんな問題、いっきに解決できるだろう?
866日本@名無史さん:2007/11/27(火) 20:05:12
>>863
だから九州からやってきて、出雲系大王「大物主」の
家臣になった「彦火火出見」の子孫(「孝」の字を持つ天皇達)
が大物主の子孫「大国主」をやっつけてできたのが大和朝廷じゃねーの?
だから前身は出雲王朝(出雲〜弥彦〜諏訪)だったが、九州系に乗っ取られてしまった。
867日本@名無史さん:2007/11/27(火) 21:10:50
>>865
日本書記の記載のことをもっと具体的におながいします
868日本@名無史さん:2007/11/27(火) 21:46:44
邪馬台国は独島・・・いや竹島にあったニダ!!
869日本@名無史さん:2007/11/27(火) 22:38:09
>>865
九州の地名の記載の方が多いと聞いたのですが、どうなんでしょう?
870日本@名無史さん:2007/11/27(火) 23:11:23
>>867
では、古事記の話を小学生でもわかるように一言で言うと、次のようになる。

天地が初めて出来て高天原に神様が生まれた。11番目に生まれたのがイザナギ、
12番目に生まれたのがイザナミ。この二人は結婚して、日本と日本にあるあらゆる
ものを生んだ。最後に火の神様を生んだとき、イザナミは、やけどして死んでしまった。

イザナギは、イザナミに会うために死者の国に行くが、そこでひどい目に会う。
帰ってきて、河で禊払いをするが、そのとき左目を洗ったときに生まれたのが
アマテラス。右目を洗ったときにツキヨミ、鼻を洗ったときにスサノオが生まれた。

アマテラスは高天原を治めることになる。このアマテラスが天皇家の祖先と
いうことになっている。スサノオは乱暴者で、アマテラスを苦しめる。
ついには、馬の皮をはいで、アマテラスのいる機織り小屋に投げ入れたので、
アマテラスは怒って天の岩戸に隠れてしまった。世の中は真っ暗になった。

神々が相談してアマテラスを岩戸から出すと、世の中はまた明るくなった。
スサノオは追放された。

アマテラスたちは、孫のニニギノミコトに下界の国を治めさせようとした。
しかし、下界は騒々しくて悪い神様がたくさんいる。そこで、まず
それらの神様を静めようとした。出雲に使者を送り、国を譲ることを約束させた。

そして、ニニギノミコトを日向の高千穂の峰に天下りさせた。
ニニギノミコトのひ孫がイワレヒコである。
イワレヒコは、「どこに行ったら、天下のまつり事を行うことが出来るだろう。
そうだ東に行こう」といって東に旅立った。

苦労して大和にたどり着き、ここで即位して初代天皇である神武天皇となった。
871日本@名無史さん:2007/11/27(火) 23:17:56
ど、どこが一言…
872日本@名無史さん:2007/11/27(火) 23:40:16
>>870

>>865には
>実は、考古学者が纏向遺跡に狙いをつけたのは
>文献を意識してのこと。

とレスしてありましたが、それだけも書いて、(20行のレス見たの初めて)
ぜーんぶ読んで、でも纏向、じぇんじぇん出てきてまっしぇん。泣
873日本@名無史さん:2007/11/27(火) 23:58:25
>>872
では、また一言。

昔、笠井新也という人がいた。この人が現代まで続く畿内説の元祖といわれて
いるらしい。この人は、はて卑弥呼は記紀に出てくる誰になるのだろうと考えて、
そうだ第10代崇神天皇の頃の倭迹迹日百襲姫だと考えた。

記紀によると、この女性の墓が纒向にある箸墓であると書かれている。
女性の葬られた大きな古墳。こりゃあ間違いない。
箸墓が倭人伝に書かれている卑弥呼の墓だと考えた。

卑弥呼が死んで大きな墓が作られたというのは、倭人伝に書かれている。
倭迹迹日百襲姫の墓が箸墓であるというのは日本書紀に書かれている。
この二つが結びついて纏向の地に注目するようになった。
そこに纏向遺跡がある。ということかな?
874日本@名無史さん:2007/11/28(水) 00:24:24
>卑弥呼が死んで大きな墓が作られたというのは、倭人伝に書かれている。
>倭迹迹日百襲姫の墓が箸墓であるというのは日本書紀に書かれている。

うーん。
二つの文献に共通点があるんだね。
だったら可能性はあるんじゃない?
ともかく発掘して調べよう。
違ってたらまた考え直そう。
875日本@名無史さん:2007/11/28(水) 00:45:42
てか>>865で日本書紀の話ふって
なんで>>870で古事記になってんだよw

>>865
>これらを体系的に考えられる学問が誕生すれば
>こんな問題、いっきに解決できるだろう?

じゃあ一気に解決してみてくれw
そもそも文献といっても魏志倭人伝は現実の地理と合わせてつじつまが合わず
そんなものをどうやって体系化するのか見てみたいもんだwww
876日本@名無史さん:2007/11/28(水) 00:45:47
倭人伝と日本書紀の共通点は大きな墓が作られた老女の巫女という
話だけじゃないだろう...

どちらも死の直前に戦争があって、その直後に死んでいること。
倭人伝は、狗奴国の卑弥弓呼
日本書紀は、許乃国の彦命(武埴安彦命)
877日本@名無史さん:2007/11/28(水) 01:04:53
>>873
倭迹迹日百襲媛命は3世紀中-後半に大きな墓を作られた巫女だから卑弥呼と考えるのはいいけど。
倭迹迹日百襲媛命の逸話は卑弥呼っぽくないよね。
じゃあ台与はだれ?ってなるし。

やっぱり文献には頼れないねえ。
古墳はすべて発掘すべきだね。
878日本@名無史さん:2007/11/28(水) 01:06:07
昔からの素朴な疑問なんだが…
記紀に出てくる女性(倭迹迹日百襲姫や倭姫命)
を記紀に出てくる姿そのままで卑弥呼に当てはめる事自体無理があるのではないか?

魏には国家元首として卑弥呼と言う女王で使いを送っているんだから
単に宗教オンリーの巫女って存在ではないだろう?
まあ神功皇后あたりが一番それっぽいが時代が合わない。

邪馬台国機内説をとるなら推古天皇以前に女帝がいたんでないの?
それを記紀が誤魔化しているだと思うんだが…
879日本@名無史さん:2007/11/28(水) 01:21:17
卑弥呼が女王ということだが、その成立過程にも目を向けるしかないな。
倭人伝によると、倭国はもともと男王の時代が80年くらい継続して
その後、歴年争って、それで卑弥呼が擁立され、
実際の政治は男弟がしていたとされている。
そして、その卑弥呼の死後、再び、男王がたったけど
また、女王(台与、卑弥呼の親戚)がたったとしている。
このことから、倭国では、基本的に男王・男系で継承されてきたんだけど
臨時に緊急的に女王が擁立されたともいえる。
つまり、この国の実質的な王は、常に男だろうと思われる。
880日本@名無史さん:2007/11/28(水) 01:24:20
>>878
魏に使いを送ったのは、あくまでも倭王で、
女王という名称の印綬を貰ったわけでもない。
ただ、魏の使者の話によると、
倭国には、顔を見せない女王がいて
男弟が政治をしていたみたいだと、本国(魏)に報告しているだけ。
881日本@名無史さん:2007/11/28(水) 02:26:01
>>878
卑弥呼にもっともふさわしい女性は記紀にちゃんと登場する。
でも、それは畿内説にとっては致命的。邪馬台国東遷を示唆しているから。
こんなにもぴったりなのに、畿内説としては否定せざるを得ないわけ。

畿内説というのは、邪馬台国東遷説を否定することだけが存在意義なのだから。
882日本@名無史さん:2007/11/28(水) 02:38:35
>>881
アマテラスといいたいのか?はあ?
883日本@名無史さん:2007/11/28(水) 02:45:57
>>882
そうだよ。天照大神。違うというのなら、その理由を言ってみたら?
また、もっとふさわしい人物が記紀に登場しているかな?
畿内説は、卑弥呼の候補者を出すべき。そして天照大神と比較すべき。
884日本@名無史さん:2007/11/28(水) 02:51:15
>>881
はっきり言えよw
ひょっとして神功皇后に殺された山門の媛のことか?www

因みに畿内説(卑弥呼を神功皇后に想定)ってのは
江戸時代に皇国史観で九州説がぶち上げられる以前からある訳だがw


885日本@名無史さん:2007/11/28(水) 02:58:39
>>883
アマテラスねえ、、

まあアマテラスの名を冠するのは伊勢の専売特許じゃなく各地にいたらしいが
じゃあ九州にその名残はあるのかい?w
886日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:09:17
そもそも、アマテラスって男らしいじゃんw
もともとはよw

しかも、卑弥呼は夫はいなく子供もいなかった。
だのに、アマテラスなのか?

この説って、安本さんが強硬に主張していて
引っ込みがつかなくなっているんだろう?
この説を主張している時の安本さんの顔が怖いわなw
887日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:20:50
普通に考えてアマテラスは元々伊勢地方の神さんだったんだしょw

そう言えば巻向の搬入土器で東海地方の占める割合って相当高かったんじゃなかったっけ?
(一番だったかな?)

まあそれでも神話の天孫降臨が大和でもなく出雲でもなく
今の宮崎なんて辺鄙な地というのは謎だけどねw
888日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:22:29
>>885
確実に存在していたはずの卑弥呼のいた場所の名残はどこかにあるのかい?
だいたい邪馬台国論争はそれを争っているわけで、天照大神にしても同じ。

伊勢は、倭姫が天照大神の鎮座する場所をそこに探し当てただけで、別に
天照大神のいた場所とは関係ない。

ところで、天照大神は高天原の主宰者。どこからどう見ても王にふさわしい。
ほかに王としてふさわしい女性はいるかな?
889日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:29:22
>>886
天照大神は女性。何ならまた理由を書こうか?
もう何度書いたことか。まず自分で探すこと。

ま、ついでだから一つ書くと、日本書紀には素戔鳴尊が何度も「姉」と呼んで
いる。天照大神も「…私が女だからといって逃げも隠れもしない…」と
書かれている。
890日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:29:32
みんなが意外に注目していないが、天孫降臨の前の高天原の話。

高天原ってどこよ?という話なんだけど
高天原に登場する神様の由来(延喜式に登場する神社・地名)の多い地域は
殆どが畿内から出雲にかけて集中している。

そして、延喜式では、現在の御所市の高天彦神社のある
金剛山高天台が、高天原の地とされているのは意外に知られていない。

つまり、ホノニニギ(神武天皇の曽祖父)は、出雲から畿内にかけての地域から
日向(宮崎)へ派遣された可能性が高い。

それを命じたのがアマテラスだが、これは実はアマテルという男神だったという説がある。
このアマテルとされているのが、天照国照彦火明命(ホアカリ)
記紀では、ホノニニギの兄貴とされていて、熱田社の尾張氏の祖。
891日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:34:39
>>888
質問に質問で返して、その内容も無茶苦茶だなw

近畿には元伊勢って言われるところが多々あるが
本家本元、元々アマテラスがいたはずの九州にその痕跡のこの字も無いわけかw
892日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:36:06
>>889
いや、だから、男神だったアマテルから、アマテラスを作ったという説は、
天武天皇(古事記を編纂した天皇)と関係しているんだよ。

天武天皇は、大海人皇子という名前でも分かるとおり
海部氏に養育されたり、
壬申の乱の時には、尾張氏に支援されたりしている。
で、草薙の剣の件でも、新羅人の泥棒に盗まれそうになって
それを取り戻した後、宮中にしまいこんでいて
なかなか熱田社(尾張氏)に返そうとしなかったら
祟りが起こって天武天皇は病気になったという伝承が記載されている。

尾張氏、海部氏といえば、ホアカリの直系。
893日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:38:24
>>889
ヨコになるがアマテラスが女だと言うのは記紀以前のお話だよw
まあ文字で残っている証拠があるわけじゃないんだけどね
894日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:42:00
>>890
自分で天孫降臨といいながら、兄が天照大神などというのはおかしい。
邇邇芸命は天照大神の孫だから、天孫というわけで。
895日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:49:07
>>894
天孫というのは、別に孫という意味じゃないだろう?
まあ、この辺の話になると、もう文献資料の限界のある話だから
永遠に話がつかない。
896日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:54:21
>>891
天照大神は高天原にいた。だから、高天原がどこかというのが問題になる。
記紀の物語の筋としては天上になる。では、実際にあったとすればどこか。

これについては、次のように考える。

記紀の神代の部分で出雲は詳しく書かれている。
日向の物語も詳しく書かれている。
ところが、その中間にあり、古代で最も栄えたと考えられる九州北部が
全く登場しない。

なぜだろうか。この地域を高天原と考えると説明がつく。
出雲の国譲りも天孫の日向降臨も納得できる。
したがって、高天原は九州北部から中部にかけてではないかと思う。
897日本@名無史さん:2007/11/28(水) 03:57:52
>>895
え?孫だからなんじゃねえの?

天照大神→アメノオシホミミ→ニニギ で。。
898日本@名無史さん:2007/11/28(水) 04:07:06
>>896
記紀をちゃんと読め。
高天原が登場するのは、古事記のほう。
日本書紀には、天上としか出てこない。
おそらく、この天上思想は、あくまでも宗教的概念でしょう。
この世は、上から 天上(高天原)→地上(葦原中国)→地下(黄泉国)
があってという、古代人の精神世界から来ている。

しかしだ、おそらく、この古事記に登場する高天原の地名の元は
どこかにあったはずで、それが金剛山高天台だろう?って感じ。
実際、延喜式では、そういうふうに扱われている。

>>897
古代日本の氏族制度では、アマテラスの他の子供(孫ではない)の
アメノホヒ(天津系・出雲国造家の祖)の子孫も天孫とされる。

899日本@名無史さん:2007/11/28(水) 06:04:51
卑弥呼は田代まさし
900日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:29:01
>>899趣旨がわかりません。
精しく説明してください。
901@@:2007/11/28(水) 22:17:40
卑弥呼か・・・
902日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:24:18
吉永小百合様・・・
903日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:29:13
>>899
それは盲点でした・・・
904日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:35:21
台与は長澤まさみにそっくりだと思います。
905日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:55:04
>>899
恐らく間違い
@時代が違い過ぎる
A性別が違い過ぎる
906日本@名無史さん:2007/11/28(水) 23:07:03
卑弥呼はスイカップの古瀬さんに似ている。
907日本@名無史さん:2007/11/28(水) 23:10:19
台与たんは13歳で即位して
その可愛さのあまり他の男王が誰も逆らえずみんな台与たんに服したとされてるんだぞ
まさにミラクル
908日本@名無史さん:2007/11/29(木) 00:19:45
>>890
>つまり、ホノニニギ(神武天皇の曽祖父)は、出雲から畿内にかけての地域から
>日向(宮崎)へ派遣された可能性が高い。

仮にそうだとすると目的はなんだったんだろう?
天孫降臨の神話を読む限り軍事遠征って感じじゃないしなあ。
909美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 00:42:03
>>908
一応さ日向三代の「氏神」や「同族神」は、飯田や阿智などの信濃が出身だよ^^
阿蘇氏もだし木曽氏もだし新羅王の神社も阿智村にある


910美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 00:48:10
記紀の中の地名は特定しちゃっても良いと思うけどなあ

葦原の中国=伊都=伊那=東国=扶桑国=伊勢=紀の国=信濃
海原中国=高志=古志=越=近江=甲信越
肥の国=火の国=日の国=飛騨
黄泉の国=伊奈涙=稲葉=御野=美濃
海津国=漢半島

俺もまだ調べ中だけどある程度は特定出来るよ
911美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 00:50:04
あと日本書記の原本には
「ニニギ達はソウルの高千穂に降りたった」
って記述があるって話もあるよ


明治政府はその部分だけ破棄して書き換えたって話ね
912日本@名無史さん:2007/11/29(木) 00:55:14
>>910
>火の国=日の国

なんか字が読めないヒトがw
913日本@名無史さん:2007/11/29(木) 02:12:27
>>911
ないない。
日本書紀はさ、江戸時代から世間に出回っていたから。
914日本@名無史さん:2007/11/29(木) 02:20:04
915美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 06:42:13
>>914
オレ韓国起源なんて思って無いよ

当時は朝鮮半島や黄湾の辺りまで、倭人が統治してたと思ってるんだよ
記紀の神功皇后の話もそういう話な訳だしさ
当時の半島は朝鮮じゃなく「漢半島」って呼んでたらしいから、ここに漢人達がいて文化や言葉や文字が混ざったんだと思う


そもそも当時に韓国も朝鮮も無いんだから、韓国や朝鮮が起源になる訳ないんだよ
916美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 06:54:25
あと「昔の中国」って言い方はやっぱ良くない

昔は国家なんてなく王朝が統治したりだから、王朝の名前や、その王朝があった都市を特定させて差すべきだと思うよ


例えば北京と上海だと言葉も文化も民族も違う訳だから、ごっちゃにして「昔の中国」って言い方したらダメだと思うよ


遼東半島、漢半島、満州里市、北京、上海、、
全て同じ国じゃないよ
917美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 07:43:21
あと今の中国と朝鮮の言い分は全部ウソと思った方がいいよ

例えば日本書記には「任那に日本府が置かれた」と書いてある

ただこれは学者達で「認められない」としてるけど、認められないとしてる理由の中には、
「任那に日本府があった事を認めると、現韓国の領土のなんとか島(今の名前忘れた。任那島ね)を韓国領土と主張出来なくなりかねない」
からだよ


百済も近年、倭人(日本)の収めてた土地と正確に解る石版が発見されたとたんに、韓国は
「百済なんて国は朝鮮半島に無かった」
と歴史上から百済を消す動きをしたりしてるんだよ


例えば戦前にあった満州国や支那も中国の毛沢東により「満州や支那なんて無かった」とされてるでしょ?
918美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 07:51:47
オレは「倭人」は必ずしも「現日本民族」を差す言葉だとは思わないけど
通例にならい「倭人=日本民族」とした場合さ


倭人の領土
本州、四国、九州、遼東半島、漢半島、満州里市
王朝や都市名で言えば
大和、漢、秦、邪馬台国連合、韓三国、百済、新羅、高句羅、巍、満州里、黄湾周辺、任那、加羅、、

ここら辺りの土地はもちろん漢人や秦人もいただろうけど「和帝」が統治してた領土であり都市だよ
中国の書物と言われる史記にも倭人が統治してた事が明記してある訳だから
919美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 07:58:37
あと巍(ごめん変換できん。ギの事ね)の劉備や、後漢時代の漢の王は「和帝」って呼ばれたり明記されてるよ


和帝=大和からの王
って意味だと思う
倭人ってのは大和王朝から国造りを委任されてた大和王朝の氏族(つか日本民族)の事じゃ無いかな? って思うよ


新羅を朝鮮って言う人が多いと思うけど、新羅はそれこそ祖はウガヤで信濃(九州の阿蘇と同族)の阿蘇氏達の国だよ


今の朝鮮民族はこの時代に「鮮卑(センピ)」って民族がいる。 これが後に金姓や李姓を名乗ってるよ
、、つまり鮮卑=朝鮮民族
これが後に16世紀頃に李氏朝鮮として初めて王朝を持つ民族。
920美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 08:05:45
今の朝鮮人や自称漢人達は日本人のルーツの民族じゃないよ
今の中国語(北京語)や朝鮮語と日本語では、言葉や文法がまるで違うよ

日本語=モンゴル語=満州語(遼東)
日本語≠北京語≠朝鮮語

漢字を作った漢民族達は中国や朝鮮じゃなく、日本モンゴル満州語源に近い言葉は文法の民族だったと思うよ
日本列島〜漢半島〜遼東半島〜満州里
日本の領土だったと思う
後から鮮卑民族が今の朝鮮半島に随や唐ルートで入植して来ただけ
921日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:23:10
古漢語の面影を残しているのは福建省や
台湾の方言であるビン南語。

広東語は唐代中頃に四声が陰陽に分かれた姿(後期中古漢語)を
今日に伝えている。
922美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/29(木) 12:18:54
>>921
唐(から)
支那(しな)
の唐の方だよね?

江戸時代までは大陸の事は「唐(から)」って呼んでたけど、
清王朝や満州らの土地を「支那」って呼び名に分けたみたいだよ


昔の日本は中国なんて呼んでないよ
そもそも「中国」ってのは「自分達が統治してる地」みたいな意味がある訳だから、外国や他の王朝や民族の事を「中国」って呼ぶ事はおかしいもん
923日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:48:27
>>917
任那日本府という名称云々がどうだが分からんけど
倭が軍事的なプレゼンスを半島南部に持っていたことは
学者の間でも殆ど完全に常識とされている。
よって、教科書とかにも普通に、そういう事柄が出てくる。
924改め:2007/11/29(木) 18:57:01
アマテルからアマテラスヘ

正解〜現在の天照大神はなぜか女神に変わってる。

元々は天照大神とはアマテルのことで男神。

記紀成立から大日孁貴(オオヒルメノムチ)が天照大神にすれ変わってしまった。

よって、現在のあまてらすおおみかみは女神といっても間違いではない。

しかし卑弥呼とは全然時代が違う。
925改め:2007/11/29(木) 18:59:06
なんかスレ違いの人がいるよね・・・。
926改め:2007/11/29(木) 19:58:46
>>889
>天照大神は女性。何ならまた理由を書こうか?
>もう何度書いたことか。まず自分で探すこと。
>ま、ついでだから一つ書くと、日本書紀には素戔鳴尊が何度も「姉」と呼んで
>いる。天照大神も「…私が女だからといって逃げも隠れもしない…」と
>書かれている。

『姉』・・・って何度も言うが、それは天照大神の・・・
大日孁貴(オオヒルメノムチ)に言った言葉でしょ。

ちとややこしいが、天照を冠してる人は何人かいるわけで
その人もアマテラスだが系図に書かれてる天照大神とは別人。
927改め:2007/11/29(木) 21:27:40
>>881
>卑弥呼にもっともふさわしい女性は記紀にちゃんと登場する。

卑弥呼=アマテラス説 の人けっこう多いよね・・・。時代が全然違うのに・・。
928日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:36:12
古墳掘り返したら卑弥呼が誰なのかとか割れるの?
っつーか古墳掘り返したら何が分かるの?
929日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:51:23
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・

もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
930日本@名無史さん:2007/11/29(木) 22:37:46
もうじきネタがつきますよ。
931日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:43:58
>>927
では、天照大神の時代はいつごろだと思う?

これについては安本説が面白い。つまり、天皇の在位期間は時代が古くなるに
つれて、短くなる傾向がある。第31代用明天皇が即位したのは西暦585年。
卑弥呼の即位年代から390年程度経過している。
その間に神武天皇まで30人の天皇がいて、日向時代が3代、高天原時代が
天忍穂耳命と天照大神の2代として計算すれば、35代ある。
だから、1代の在位期間は11.1年程度。

一方で、第31代用明天皇(585年即位)から第40代持統天皇(703年譲位)まで
118年。平均在位期間は11.8年。
おおむね納得できる。

安本説は、記紀に書かれている人物の存在をそのまま信じていて、過不足が
ないと考えているところが問題点と言えなくもないが。

また、記紀の記述から言えば、天照大神の時代は、出雲や日向が出てきていて
かなり行動範囲が広い印象を受ける。これはそんなに古い時代のことを
言っているのではないような気がする。
932日本@名無史さん:2007/11/29(木) 23:44:12
>>929
金融工学ねえ。
サブプライム問題ではみんなに迷惑かけてんのにw

>>928
文献資料じゃ限界があるから、物的資料を充実させて、真実に近づこうって姿勢だよ。
データあつめて一番矛盾のない仮説をたてれば、それがその時点での真実って考えていいと思うよ。
あっこれ、理系の発想ね。
933日本@名無史さん:2007/11/30(金) 00:19:23
卑弥呼ってダイヤモンド映像に居たあの人ですか
今どこにいるの
934日本@名無史さん:2007/11/30(金) 01:56:20
>>924
アマテルかアマテラスかは別にして
皇室の神代系図の名前の特徴を見たら
アマテラスの子供の天忍穂耳命の子供の名前をみたら
天皇家につながるホノニニギよりも、
尾張氏(熱田社で有名)・海部氏(日本最古の系図で有名)につながるホアカリ
のほうが、本家の流れなのでは?ということが、容易に想像つく。
アメノ...という前置きがつくのは、ホアカリの後胤のほうだから。
天忍穂耳ー天火明ー天香語山ー天村雲・・・尾張氏 ってね。

そして、このホアカリは、天照国照彦という意味深な名前で
全国にある天照御魂神社の男神アマテルは、この方が祭られている。

935日本@名無史さん:2007/11/30(金) 01:57:25
>>931
安本氏の数学理論は不備があるって、有名なんだけど...
まあ、ぐーぐってください。
936美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/11/30(金) 03:30:54
>>926
コレはなんか解る気がする
俺は天照は実在した人だとは思うけど、記記の中の天照が全て同一人物とは思わないな
937日本@名無史さん:2007/11/30(金) 11:32:05
>>935
>安本氏の数学理論

詐欺師も数字を列べ、人を惑わすよね。
938日本@名無史さん:2007/11/30(金) 14:57:26
>>931
>天照の時代
今もまだ天照の時代だってば


939日本@名無史さん:2007/11/30(金) 18:47:17
>>896
だ か ら。 
もともと、高天原の話自体が高千穂あたりから奥まった
阿蘇地方に伝わる話であって。
それをとりいれられただけだから。

「高天原伝説」というのはもともと九州にあった王族降臨の話。
だから、九州からきたということになっている天皇の
歴史書に組み入れてられているわけ。

実際に居たか、居なかったか、という考古学的根拠は関係ないの。
940日本@名無史さん:2007/11/30(金) 18:50:55
ちなみに日の宮とかいわれる高天原伝説そのものの
発祥とされる神宮と土地もある。
聞けばなぜそこか、ということが納得できる場所だよ。

941日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:42:50
>>929

>もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・

金融工学ね・・他もみなさんも専門分野は強いんですよね。

まあそういわずに楽しんでよ。
942改め:2007/11/30(金) 21:46:40
>>930
>もうじきネタがつきますよ。

これは私に対してですか?

私のネタがつきても全然かまわないのですよ。

このスレ作ったのは私ですが、主役はみなさんの方で私は脇役みたいなものです。

みなさんのネタが尽きなければそれでいいこと。
943改め:2007/11/30(金) 22:02:58
>>931
>では、天照大神の時代はいつごろだと思う?
>これについては安本説が面白い。

さあ、いつごろでしょうね・・・。
安本説ですが、あれは全然使えない計算。
「天皇の在位期間は時代が古くなるにつれて、短くなる傾向がある」
「平均在位期間は11.8年。 」
はいいとして、それが使えるのは履中〜反ぜい天皇間の兄弟継承までですかね。
それ以前の天皇は親子による継承のみですから逆に平均在位期間は長くなるのが分かると思います。
そうですね・・・最低でも親子のみの継承だと二十年はいるでしょうか。
仁徳天皇から一代平均二十年で遡れば、天照大神の時代が割り出せるのではないでしょうか。

まあ最低でもこれくらいの年代だろう程度ですが・・。
944改め:2007/11/30(金) 22:28:33
>>934
だから〜あまてらすを冠する人は何人かいるわけで〜いったでしょ。
ニギハヤヒについて書かれてる著者 小椋一葉の『消された覇王―伝承が語る
スサノオとニギハヤヒ―』読みましたがなかなか楽しめました。

どちらが本流かは私は知りませんがハッキリ決まってたのなら神武〜長髄彦の
戦はなかったでしょうと考えてます。
945日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:36:13
ニギハヤヒとナガスネヒコは同じ一族でニギハヤヒは神武に従い物部氏の祖となって
ナガスネヒコは神武と敵対しニギハヤヒに殺された

神武の祖先はアマテラスでニギハヤヒやナガスネヒコの祖先のスサノオと同族
946改め:2007/12/01(土) 00:06:02
箸墓いった事ある人ここにいます?
947日本@名無史さん:2007/12/01(土) 00:19:56
>>931
考え方の基本は間違っていない。
しかし、実際は色々な事情で誤差が出てくるので、誤差の原因に
応じたバリエーションを想定する必要はある。
948日本@名無史さん:2007/12/01(土) 01:31:43
神武天皇の曽祖父のホノニニギは
どう考えても畿内以東の出自でしょう?

神武東征では、神武天皇はナガスネヒコに負けた河内上陸戦で
自分たちは天津系の出身なのに、太陽(東)を向けて戦ったから負けた
って言っているだろう。
よって、高天原というのは、少なくとも畿内以東にある。
ホノニニギ(神武天皇の曽祖父)はそこから派遣された大和王朝の一族。
で、大和王朝の本家が、ホアカリの後胤だろう。
ニギハヤヒの出自については、謎だ。
ホアカリ=ニギハヤヒとしているのは、あくまでも物部氏であって、
皇室、尾張氏、海部氏ともども認めていた形跡はない。
949日本@名無史さん:2007/12/01(土) 02:39:25
>>943
ほら、年代的にぴったり合うじゃないか、だから天照大神=卑弥呼に間違い
ない、と言っているわけではない。

>>927で、時代がぜんぜん違うといったので、こういう考え方をすれば、
天照大神と卑弥呼の時代が重なると考えてもちっとも不思議ではないと
言いたかったわけ。

ちなみに、神武天皇から第13代成務天皇までは全部父子継承となっている。
しかし、第15代仁徳天皇からは子、弟、弟、子、弟、子、遠い親戚、兄、子
となっていて、父子でない場合がかなり多い。

更に、第26代継体天皇からは、異母兄弟なども絡んでかなり複雑な継承に
なっている。初期の天皇が全部父子継承というのは不自然ではないかと思う。
950日本@名無史さん:2007/12/01(土) 03:37:39
>>949
>ちなみに、神武天皇から第13代成務天皇までは全部父子継承となっている。

>初期の天皇が全部父子継承というのは不自然ではないかと思う。

初期の天皇に兄弟間の皇位継承があったと言うのだな
では誰と誰が兄弟なんだ?
神武から成務まで、正しいと思う天皇家系図を、お前きちんと書いてみろ!
記紀の系図よりお前の系図の方がマシだったら、お前の説を認めてやろう
951日本@名無史さん:2007/12/01(土) 03:52:36
酷いな
952日本@名無史さん:2007/12/01(土) 07:36:10
横から悪いが、卑弥呼と年輪年代の1999の本を読んだのだよね。
その後ほぼ10年になるけど最新の発見とか研究とかはどうなってます?
図書館で見たけどあまり新説っぽい本がなくて。
弥生の年代とか箸墓の被葬者とかそういう視点からでいいのですけど。
良い本とかHPとかあったら教えてほしいです。
やっぱり畿内説が強くてマキムクあたりを邪馬台国に比定してるのでしょうかね。
953日本@名無史さん:2007/12/01(土) 07:46:39
>>952
もう少し具体的に言ったほうがいいと思う。
この本にはこのように書かれているが、これについてどう思うかと尋ねたほうが
レスしやすい。
954日本@名無史さん:2007/12/01(土) 08:49:52
>>953
ふむふむ。
例えばホケノ山の埋葬形式が卑弥呼よりも後の時代、ということでマキムク遺跡も卑弥呼よりもっと後の
時代、というのは年輪年代法との整合性はどうなんでしょ。
年輪法自体についても転用材とかあまり重視しない考え方もあるみたいなんだけど、このあたりもどうなんでしょ。
ほんで、単純にヤマタイと大和朝廷は発音も似てるし同じものを指している、と考えるのが一番自然に
思えるのですけどどうなんでしょ。
955日本@名無史さん:2007/12/01(土) 09:05:18
>>952邪馬台国地理論では後藤幸彦氏の「倭国歴訪」「卑弥呼の登場」「神功皇后は実在したーその根拠と証明ーの付録(メジャーで辿る邪馬台国)」(いずれも明窓出版社・倭国歴訪は絶版)」が
決定版だとおもいます。
わたしが読んだなかでは最も理路整然と説明をしております。
956日本@名無史さん:2007/12/01(土) 10:26:24
>>955
宣伝w
悪いけど、あんたの本は買うに値しない。
957日本@名無史さん:2007/12/01(土) 10:33:36
倭人伝では、
卑弥呼は、狗奴国(このこく・中古音)の卑弥弓呼との戦いが起こった直後に死んでいる。
(西暦247 か 248年)

一方、日本書紀では
モモソヒメは、許乃国(このこく・京都宇治)の武埴安彦命との戦いが終わった直後のその年に死亡。
(崇神治世10年)

倭人伝と日本書紀は整合性がとれている。
958日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:14:09
>>956すくなくとも立ち読みぐらいはしての発言でしょうね。
959日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:57:16
9年もの差があるのに整合性があると?
960愛知県民:2007/12/01(土) 16:12:25
>>856
ほんとだ・・・失礼。
三女神の名前がはっきり書いてある。
いずれにせよ、卑弥呼(山門?)とは無関係でしょう。

>>861
三重からだと日帰りで行けるのか・・・
狭井神社は三輪山の登山口ですね。
数年前、タスキをかけられて登った記憶があります。
(昔は登山禁止だったが、タスキをもらって登れるようになった)
961愛知県民:2007/12/01(土) 19:06:29
>>954
発音の類似は確かにありますが、現在の県名を見ても「山」がつく名前は多いです。
山口、山形、山梨、岡山、富山、和歌山。
魏志倭人伝にある「国」は大和国、筑紫国などのレベルでなく、郡レベルと思われるので、
三十国といえば北九州程度ではないかと、考え直した次第です。
962日本@名無史さん:2007/12/01(土) 19:29:36
>>959
9年って?
963日本@名無史さん:2007/12/01(土) 19:45:43
>>960
奈良の三輪山は後の造山で、元の三輪山をモチーフに移設しただけだよ

奈良の大和川も、あれも造河だよ。多分、飛鳥京の外観をまんま真似ようとしたんじゃ無いかな?
7万人もの人が斉明天皇(だったけな?)の時代に労働させられたから、斉明天皇は民衆からはバカ呼ばわりされた天皇だよ

そもそも奈良にある大和川じゃ舟浮かべて港から物資の往来なんて無理だよ
964日本@名無史さん:2007/12/01(土) 19:58:31
965日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:09:12
>>959 :日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:57:16
>9年もの差があるのに整合性があると?

意味が分からん。詳しく述べよ。
966928:2007/12/01(土) 22:26:05
>>932
そーゆー事じゃなくて、具体的にどーゆー事が判明する見込みがあるの?って話し
967日本@名無史さん:2007/12/01(土) 23:02:27
>>957
倭迹迹日百襲姫は、第7代孝霊天皇の娘となっている。皇女ということで、
この間結婚した清子さんとか、昭和天皇の皇女の池田厚子さんあるいは
島津貴子さんとかがそんな立場になる。

崇神天皇という立派な天皇もいれば、皇太子もいるのに、皇女が「倭王」という
ことはありえない。そんな立場の人が魏に使いを送れば、馬鹿にするなと
魏も怒るだろう。倭国もそんな失礼なことはしないはず。

卑弥呼は名実共に「王」であるとするのが当然であるから、それにふさわしい
人物に比定しなくてはならない。したがって、高天原を治める天照大神が
一番ふさわしい。
968太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/12/01(土) 23:05:29
アマテラスとぜんぜん時代が違う。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・
969日本@名無史さん:2007/12/01(土) 23:24:33
アマテラスでは全然ピンとこない。

? アマテラスが魏に朝貢した? ほんとかい?
? 劉邦・項羽よりも、いや王蒙や光武帝よりも、アマテラスは後の時代の人かい?
? つか曹操・劉備と較べたって、アマテラスは年下の女の子てことになるよな。ほんとかい?
970日本@名無史さん:2007/12/01(土) 23:44:52
しかし「弟の存在」の一点に絞ると天照がビンゴっぽいwww
971日本@名無史さん:2007/12/01(土) 23:50:00
>>963
>奈良の三輪山は後の造山で、元の三輪山をモチーフに移設しただけだよ

マジっすか?
造山ってあの山を丸々一つ土を盛り上げて造ったって事?

大和三山がきれいな三角形に並ぶ事から人工の山だなんて
トンデモ説あったと思うけどその類じゃないよね?w



972日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:07:52
>>969
中国に朝貢したと言う記述は、誰であろうと記紀にはほとんど登場しないから。

正確には、天照大神=卑弥呼+台与

記紀によると、天照大神は素戔鳴尊の乱暴に怒って岩戸に隠れ(亡くなった)、
世の中は真っ暗になった。天照大神が岩戸を出ると元のように明るくなった。
そして、高皇産霊尊が登場する。

倭人伝によると、卑弥呼は狗奴国との争いのときに亡くなった。後継者を
巡って争い、千人あまりが殺された。台与が女王になると平和になった。
そして、男王が立ち、共に中国の爵命を受ける。

境遇も似ている。共に女性で独身。卑弥呼と台与は倭王。天照大神は高天原を
治める人物。
973日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:14:19
ついでに「岩戸に隠れる」について岩波新書に古事記には次のように
書かれている。

岩戸に隠るということは貴人の死を意味する。万葉集第二に「高照らす、日の
皇子は、天の原、岩戸を開き神上がり、上りいましぬ」(中略)とある。
974日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:15:28
>>973
岩波新書ではなく、岩波文庫だった。
975日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:17:33
年已に長大にして夫壻無しとあるけれど、死別あるいは離婚の可能性は除外して良いのかい?
若いときに死別して、以降独身なら、年已に長大にして夫壻無しという条件は満たすでしょう。
976日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:28:54
>>975
何ともいえないが、王になってからほとんど人に会わなかったと書かれているし、
結婚していたとも書かれていないので、生涯独身の可能性のほうが高いと思う。
977プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/12/02(日) 00:40:43
>無夫壻

⇒嫁に行ったことも事もないし、婿を貰った事もない
978日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:46:40
仮に卑弥呼を天照だったとしても

じゃあ天照が誰だったか?
となると九州説はそのモデルとなった人物を挙げる事ができないのが残念だ。

九州の卑弥呼を神格化し天照とし記紀神話に組入れ
恐らく古代には男神であったであろう伊勢の天照にした経緯ってどうなんだろうね?
979日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:47:25
>>976
たとえば即位前に死別していたら、魏の使者は知らなかったか、
重大な情報ではないと判断した可能性も無きにしもあらず。
どちらも書かれていないので、人物を考えるときは、
未婚・離婚・死別を三つとも考慮に知れて検討した方がいいと思う。
980日本@名無史さん:2007/12/02(日) 00:49:23
×考慮に知れて
○考慮に入れて
すんません。最近、ミスタッチ多いorz
981日本@名無史さん:2007/12/02(日) 01:14:12
あの卑弥呼ダイヤモンド映像の
982愛知県民:2007/12/02(日) 01:15:58
卑弥呼は闕史時代に山門県にいた北九州の女王であり、
記紀には書かれていないと思う。
何代か後の女王が、神功皇后に滅ぼされた田油津媛であろう。
卑弥呼・台与の前も後も、邪馬台国は伊都国に服属していたと考えるが、
もう次スレになるかな。
983日本@名無史さん:2007/12/02(日) 01:20:51
>>971
三輪山じゃなく大和三山だっけかな?
造山だよ。人工ピラミッドとかの意味じゃなく、地元では昔から造山って言われてたらしいよ

ソースは手元にある歴史読本で、皇極天皇(斉明天皇)の大造営工事の話も乗ってるよ
「狂心の渠」と呼ばれて東江から安芸まで片っ端から作業員を集めさせて、様々なものを造営してるよ

山だけじゃなく、香具山の西から石上山までの河川まで造ってるよ

蘇我氏滅亡させたりもこの人だよ
984日本@名無史さん:2007/12/02(日) 01:33:08
>>978
>モデルとなった人物

天照は天照そのものだからモデルは不要だろう。
雄略天皇のモデルが不要であるのと同じで。
985日本@名無史さん:2007/12/02(日) 01:54:42
>>984
無茶なw

その実在の天照の存在の根拠を大和王朝編纂の記紀に頼るわけか。

せめて九州のの何処かに天照の名を冠する女神の伝説でもあれば説得力もあるんだろうが
986日本@名無史さん:2007/12/02(日) 02:10:26
>>978
空は曇り数年に渡り雨が降り続けてた時代
ある日、空を明るい光が照らした時、イザナミは女の子を産みました
それまでの神様は体が弱く子供を1人しか産めませんでしたが、それ以降は雨もやみ、イザナミは沢山の子供を産む事が出来ました


この時に産まれた赤ちゃんを天照と名付けました
赤ん坊を寝かしたと言う岩がこれです
産湯の水を汲んだ泉がこれです
血の付いた手を洗った池がここで血沼神社が建てられました
天照のヘソのオを切った八鎌は神器としてエナの社に奉納されました
その内の一本はこの山に奉納されました
天照が産まれた時にくるまれてたエナは近くの山に埋められ、そこに祭壇が置かれ山頂には小さな社が建てられました
この山を超える神坂峠を日本武尊が通る時、天照は白い犬になり現れて、、、

天照は実在した人として詳しく伝承されてる話だよ
場所は紀記で日本武尊が東征する際に天照を参拝したとされる恵那山とその麓辺りの伝承だよ
987日本@名無史さん:2007/12/02(日) 02:23:32
ドイツやヒンズーやインディオややメキシコやインドネシアや、、、世界各地で大昔に大雨や洪水やそれに伴う噴火などがあったとの伝承がある


もし仮に本当にそんな大規模な環境異変があったとした場合、イザナミはその頃の時代の人で、天照は天災を終わらせた象徴みたいな感じの人だよ
エナにくるまれてたってのが何か意味があるんだろうけど良くわからないや
天照ってのは太陽神から付けられた名前じゃなく、雲に覆われた暗い世界で突如空を照らした明るい光から来た名前だよ
天を照らすほどの光明と共に産まれた赤ちゃんだから天照だよ
988美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/12/02(日) 02:26:50
またトリップ忘れた
989日本@名無史さん:2007/12/02(日) 02:32:21
>>983
>造山だよ。人工ピラミッドとかの意味じゃなく

いやいや、石じゃなくても土を運んできて盛り上げたのならピラミッドだわなw
(中米のアステカあたりのがそうじゃなかったっけ?)

斉明の時の他の土木工事とはレベルが違う話じゃね?w

そもそも三輪山が斉明の時代に作られたってのが超デンパだろ?w
990日本@名無史さん:2007/12/02(日) 03:28:16
>>967
だからさ、魏に使いを送ったのが女王というわけではないんだよ。
正式名称は、ただの倭王だったわけで。
魏の使いが倭を見学したら、どうやら女王だったという話。
991愛知県民:2007/12/02(日) 07:48:07
伊都国は卑弥呼の前、七八十年にわたって三十国を支配していた。
その後邪馬台国に北九州の覇権を奪われるが、266年の台与?朝貢後、
289年には東夷の絶遠三十余国が晋に朝貢している。
そして崇神天皇の末(318?)ごろ、伊都都比古はツヌガアラシトに自分は王だと言っている。
伊都国は覇権を取り戻したらしい。
そして仲哀天皇の末(362?)ごろ、伊都国は近畿に降伏し、邪馬台国は滅ぼされた。
992日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:35:15

卑弥呼の墓か 福岡で円墳確認
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1049205072/
卑弥呼が補佐役の弟にグチっています。なんで?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1185287513/
993日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:35:50

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 24
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1194005931/
君は邪馬台国はどっちにあったと思う?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1175338741/
ここだけ邪馬台国に時空移動しているスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1133558512/
邪馬台国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184409173/
結論 邪馬台国は西都原
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1191377712/
結論→邪馬台国は捏造
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1172286025/
994日本@名無史さん:2007/12/02(日) 10:59:18
 
995日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:06:10
 
996日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:12:39
 
997日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:13:16
 
998日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:14:21
 
999日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:19:27
 
1000日本@名無史さん:2007/12/02(日) 11:20:17
高千穂を遠望する土地がそこ
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