1 :
日本@名無史さん:
日本史板的には、「日出処の天子」ってどうなんですか?
自分はかなりこの漫画のおかげで高校日本史に役立てた覚えが・・・・(笑)
とはいっても、漫画はあそこで終わっていますが、遣隋使や斑鳩宮造営はもっと後のことだったり、
リアリティがあるからこそ逆に目立つアラ・・・
重箱の隅をつつくようですが、みなさんの意見をききたいです。
2 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 20:25:10
興味ないね
2げと
残念ながら
重箱の隅をつつく知識のあるものはいません
4 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 21:46:41
聖徳太子が女嫌いだったという設定には納得できない。
百歩譲って両刀使いだったとしても、四人もヨメさんがいて
子供が十人以上(14人?)もいた男が女嫌いなワケない。
第二夫人の橘大郎女が登場しなかったのも気になる。
この妃は推古天皇の孫で、太子の死後に有名な刺繍画を残している。
とにかく、本人の名誉のためにも漫画読者の人たちに「聖徳太子は絶倫の女好き」
だったことの認定を求める。
史実では「聖徳太子は女好き」だったと思うよw
まあ、そこは漫画なわけで。
美郎女がキチガイだったのが一番ショックだったなー
漫画・映画・文学のヲタって
なんで専門板に「〜板的にはどうですか」スレを立てに来るんだろ。
専門的にしっかりしてるとかお墨付きでも欲しいのかね。
で、「重箱の隅」とか言って逆ギレ。
>>4 よく読むと出てるよ
厩戸の葬式で子供の手を引いてる女性です
8 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 01:51:52
ガタガタ言うな
ギャグマンガ日和の太子なんかオサーンなのに童貞なんだぞ
「上宮」って池辺宮のことで
実家に長い間いたんで上宮様と呼ばれたとか…
いづれにしろマザコンだったのか?
昔読んだけど
今となってはウマヤドがエミシをすごい目で見つめてたくらいしか覚えてない
>>6 逆だろ。どう違うか(はっきり言ってどうウソか)を知りたいんだろ。
ただ残念なことに、源氏に興味ある人で「あさき」読む人は多いけど、
太子に興味あっても「日出処」読む人はそんなに多くはないと思うな。
自分も昔立ち読みで途中まで読んだだけ・・・だから答えられん。
12 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 02:12:15
>>7 へえ、気がつかなかったな。
でも、それって「日出処」の続編の「ウマヤコノヒメミコ」(漢字忘れた)の中でしょ。
何年か前に買った文庫本に一緒に載ってたな。本編もそうだけど話が中途半端な
トコで終わっちゃうんだよね。あくまでも史実からヒントを得たフィクションだけど、
史実と混同する人もいるだろうから、適当なトコで切り上げるんだろうね。
13 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 15:27:24
>12
作者が何か圧力を受けたらしいよ。もう書くことはない、ってインタビューに答えてたことがある。
>1
いろんな聖徳太子談話をつなげた話。ちょくちょく正史とは違うけど、ある書には間違ってなかったり。
源氏物語をはじめとした古典や古代史に親しんでる人にとっては
普通のことなのかもしれんが
血縁とががごちゃごちゃ入り組んでるのを良く描き分けてるなぁと思った。
エミシとトジコの母が物部なのでどうたらこうたらとか
ウマヤドの母とはアナホベハツセベが兄弟で
ウマヤドの父方とは推古おばさんが兄弟で、とかのゴチャゴチャした関係を
(素人目に)上手く使いこなしてるのがすごいと思った。
15 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 21:53:01
16 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:00:11
17 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:28:45
大山とかだったけ、「聖徳太子はいなかった」なんてハッタリ本より、はるかにましな漫画です。
大山は、
「厩戸という蘇我系の有力な皇族はいた、
遣隋使や官位12階のような偉業はあった、
しかし、数々の偉業は厩戸によるものではない」
というもの。このような意味で「聖徳太子はいなかった」というのだが、
わざとひねくれた言い回しをした、言葉のハッタリのような言い草だよね。
これに調子こいて、日教組が、聖徳太子を貶めることにやっきになっている。
厩戸はバイセクシャルで超能力者でマザコンという山岸の漫画のほうが、はるかにまとも。
この漫画ストーリーとしては面白いとは思うけど、
出てくる主要人物が厩戸皇子をはじめ、
ほとんどある種の自己破壊者傾向があり終盤に行くにつれ
どんどんそれが大きくなっていくのが読んでて辛かった。
厩戸皇子の行動を常に冷静に観察していた従僕の男(名前失念)が
一番まともだったのかも。
続編は、そういう自己破壊者である太子の怨霊?が一族皆殺しにすることを示唆していたね。
これは梅原猛の聖徳太子の影響だろうね。
漫画の話ばっかになっちゃったな
19 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:45:49
オカルトな箇所と同性愛の箇所(厩戸と蝦夷、厩戸と迹見赤檮)と近親相姦の箇所(蝦夷と刀自古)などがあるので受け付けない人もいるかもしれませんが、これらは少女漫画特有のお約束事のようなもの。
これらを除けば、全体の流れは結構日本書紀などに忠実です。
お話としても面白い。
厩戸が間人皇女(母)と田目皇子(兄)との関係をどう思うかなど、それまで考えたこともなかった。
分かりやすく言うと、
司馬遼太郎を読んで坂本竜馬を尊敬する人物第1位と思うような人であれば、
「日出処の天使」を堪能することができるでしょう。
>>19 >厩戸が間人皇女(母)と田目皇子(兄)との関係をどう思うか
ここで再婚した母親がすぐ妊娠したことに対して、厩戸皇子が、
だから女は不潔、のような嫌悪感を示す下りがあったけど、
自分はホモのくせに、蝦夷にケツ掘られたがってるのに、何言ってんだ、
と思わないでもなかった。
21 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:55:18
>>18 調子麻呂ですね。
確かに登場人物の中で一番まともで、しかも魅力的ですね。
あと、蝦夷もまともな常識人なんだけど、厩戸と刀自古に振り回されてかわいそう。
最後に、厩戸地震についても、その行動原理(深層心理)が間人皇女へのマザコンであると謎解きされ、
しかも男だけでなく女もOKなことが示され、まともな人格に収束していくようなエンディングではないかと思っています。
>>21 女もOKになったのかは少々疑問。
手を付けて子を生ませた女は痴呆のような女でしょ。
刀自古ともう一人の妃には何もしてないわけで。
あえて痴呆のような女と交わるのも自己破壊行動の一つじゃないかと。
23 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 18:11:35
>>19 結構、好きなシーンです。
あと、雨乞いの後で厩戸が夢殿から出てくるところとか、
崇峻天皇暗殺のときの、馬子の「弑したてまつる」とか、心理描写がすごいですよね。
>>22 なるほど。
そういえば、遣隋使が海に沈む様子を予言するのがエンディングでしたね。
まともには、なりきっていないですね。
24 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 15:54:35
>>4 山岸先生自身は聖徳太子自体いなかったのかもしれないわね〜、なんて言っている。
史実では、女が沢山いて子供生まれたことになってるけど、それも全員不自然にすぐに死んでるし。
「こんな神のような人間が憲法作ったんだから敬いなさい」ということで、
超人的な人間が作られ、でも子孫がいたら困るからみんな死んだことにした、とか。
でもそうだったら私の描いたものは何だったのってなっちゃうから、いたんだ、と思いたいですけどね。
みたいなことを言っていた。
モチーフになった人はいるんだろうけど、あとから沢山、伝説的なことを、
政府がわざと作っていったのかもしれないし(憲法の威厳性を高めるため)。
25 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 16:18:21
>>4 続編と合わせて読むと子供の多くは刀自子の不義の子であることが暗示されてて、
実子は痴呆の女に生ませた数人の子のみ、とわかる。
だから漫画の世界においては、ホモなのに子供がたくさんいるわけの、
つじつまは合ってる。
26 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 16:25:15
戸自子ちゃんがやけくそになって男遊びしちゃうんだよね〜カワイソ
27 :
日本@名無史さん:2007/05/15(火) 16:28:01
ギシ漫の戸自子の子ってみんな不細工。
そんなに不細工な男たちと男遊びしたんだろうか。
それならせめて毛人と似た人と不倫すればよかったのに・・・
でもやけくそすぎて本当に手当たり次第、下僕だろうがなんだろうがヤっちゃってたって感じが
余計に刹那的。
28 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 07:35:45
大姫もかわいそう
玉技師さんも、いくら大姫が子供生んでないからって、あんな扱いにしなくたって・・・w
腐女子くさい部分はともかく
豪族たち・皇族の抗争・対立は史実に近い?
それともこんな解釈も有り程度?
30 :
日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:32:31
うーんあまりにも厩戸王子が活躍しすぎwな部分があって・・・
>>28 ギッシーと梅ちゃんは、
大姫は若くして亡くなったんじゃないかと言っている。
だからそのまま子供生まず、死後、推古の孫が厩戸と結婚する。
>>18 >従僕の男
新羅出身の淡水?
あいつが積極的なホモだったことにおどろいたよ
おもしろかったけど、
歴史とはまあ。
「めざしには味の素」
なつかしい。
>>32 いやいや調子麻呂っしょ
こいつはすげー常識人
作中主人公の毛人を除いてほぼ唯一と言っていいくらい
読者が安心して感情移入できる人物だな>調子麻呂
でも調子麻呂も母親の裏切りに苦しみ悩む姿が描かれている。
あそこまでに到達するなりに、彼にはいろいろあったのだろうねぇ。
やはりギシ漫の登場人物。必ず何かに苦悩する。
それでもすごく常識人で、淡水とも結局仲良くやってるから根がいい奴なんだね調子麻呂。
結婚したいよ。
「どうせ私はお馬の係よ…」
>>36 王子同様に女嫌いになっても不思議ないのに善信尼と良い雰囲気になってたりね。
人格形成期に受けた裏切りと大人になってから受けた裏切りとじゃ違ったのかな。
どうも淡水とか兄と知らないまま男色関係を持ってしまった様子だけど。
>>38 まあ渡来してくるような人だから
それなりに強さたくましさも持ってるだろう。
あの新羅百済兄弟は好きだったなあ。
>>39 あの正妻の大姫だったか蛸姫だったかにも
子が何人かいるんだよな
41 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 12:59:23
「逆説の日本史」によると新羅は
百済に押されて弱体化していた
一発逆転を狙って建国間もない唐と手を組んで
百済を滅ぼして朝鮮半島するのに成功した
その代償として本格的な朝鮮属国史が始まる
42 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 13:10:49
淡水は厩戸を抱いたんだよね
蝦夷とだってイメージ上の交わりに過ぎなかったのにけしからん奴だ
43 :
日本@名無史さん:2007/05/22(火) 02:01:24
>>40 厩戸の四人の妃のうち「うじのかいだこひめ(大姫)」にだけは子が無かった。
一説には結婚後まもなく亡くなったのだとか。
厩戸がロリコンだったのは、まず間違いないので、政略結婚した年上の妻とは
夫婦関係が疎遠だったのかもしれない。
漫画で描かれている厩戸と大姫の夫婦生活は、まんざら間違いではなかったと思う。
厩戸が最も愛したのは「ほききみのいらつめ」で、唯一の政略結婚ではない妃。
子供の数も妃のなかで一番多く、厩戸と一緒に埋葬されている。
公の文書には残されていないが、厩戸の死はホキキミの後追い自殺だったのでは
ないかとも言われている。
漫画ではホキキミは気狂いの少女として描かれている。
44 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 07:49:31
主要人物は書き込んであるのに、
脇役はほとんど手抜きなのがワロタ。
あとで法隆寺とか四天王寺から睨まれたらしいけど(そりゃそうじゃ)
誰かさんの「聖徳太子マンセー漫画」より
数倍いい。
45 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 08:56:59
みんなおかしいけどその中で一番まともでカワイソスだったのは
兄想い母想いでいたばさみの王子の弟君だろうと思う
布都姫の白髪女が好きだった。厩戸のばかー
46 :
日本@名無史さん:2007/05/23(水) 11:32:01
>>45 来目皇子だよね。
日本書紀では新羅征伐の総大将として朝鮮半島に向かう途中、使命半ばで九州で亡くなる。
父(用命)、母(間人)、兄(厩戸)、叔母(推古)らの墓が太子町にあるのに、
来目皇子の墓だけ山を越えた羽曳野市にある。
死ぬときも、死んだ後も、何となくかわいそう。
昔の一万円札の聖徳太子像の元になった絵では、太子の両脇に山背大兄王と久米王子
がいるけど、山背が子供なのはいいとして、久米まで子供として描かれてるのは
何故なんだろう?
この絵自体聖徳太子ではないという説もあるけど。
>>47 後世に描かれた絵だからじゃないっけ?
崇峻天皇(ハツセベ)って本当にあんなDQNだったんだろか?
暗殺された上にまともな葬られ方してないらしいけど
これこそ歴史の捏造で評価下がってる可能性はないんだろか?
49 :
日本@名無史さん:2007/05/24(木) 00:05:40
>>45-46 来目王子に間人が、「親より先に逝ってはいけませんよ」「もちろんです」というシーン、残酷だよねー
>>47 良く解らんが、釈迦三尊像(仏陀の両脇に菩薩が居るヤツ)とかを
モチーフにしてるんじゃないのか?
>この絵自体聖徳太子ではないという説もあるけど
やはり、聖徳太子を描いたという説が有力と思う。
(確証がないんで、ケチ付けようと思えばいくらでもつけれる)。
ただ、服装は奈良時代のヤツ。小野小町が十二単を着てるのと同様のマチガイ。
ハツセベがキヨシローに似てると喜んでいた坂本龍一
ハツセベこそ本当にあんな顔だったんだろうか…
53 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 12:17:40
54 :
日本@名無史さん:2007/06/01(金) 11:50:32
調使麻呂って実在してたのか しかも長生き…
マンガの調使麻呂が常識人とか言っているが、
彼と淡水の関係を忘れたわけじゃああるまいな。
58 :
武陽陰士:2007/06/03(日) 02:28:59
このマンガのタネ本は梅原猛だってマンガフリークの学者の間ではいわれてる。
梅原猛自体が私にはトンデモ本なのでどうでもよく、あまりコメントできないが。
ちなみに『おーい竜馬』のタネ本(マネ?)は司馬の『竜馬がゆく』だ。
59 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 03:08:05
梅原猛の聖徳太子についての説(『隠された十字架』)は面白かったけどな。
聖徳太子について謎めいたものがつきまとってるのはなぜか?に対する
回答を導き出す過程には説得力があった。
自分の知識ではその当否を判断することはできないので読み物として面白かった
という以外はない。
で、この漫画の聖徳太子には、まるで徳が無い。
蘇我蝦夷に同性愛を抱き、蝦夷の恋人である布津姫を殺そうとしたあたり、
邪恋に狂った女々しい男というかオカマ。
続編と合わせて読むと太子は自分の一族が滅びるようあらかじめ
仕組んでいたような節がある。(この理由はよく分からない)
この漫画での太子は篤い仏教崇拝者というより、仏教は彼の官能を刺激するものらしい。
十七条憲法とか三経義疏を著す人物とは思えない。
この漫画は厩戸皇子の青年時代の話だから、
成人してからはまともになったっってことなのだろうか?
60 :
武陽陰士:2007/06/03(日) 10:42:22
>>59 そうなんだ。
まあ昔、大学の学部生のとき、知り合いがそういってたんで。
あと山口昌男もそんな発言をしてたから。
いずれにせよ私は梅原はチェックしてないんで言う資格は本当はないな
>この漫画の聖徳太子には、まるで徳が無い。
>蘇我蝦夷に同性愛を抱き、蝦夷の恋人である布津姫を殺そうとしたあたり、
>邪恋に狂った女々しい男というかオカマ。
まあそれがこの漫画の中心になってるわけだから。
ただ、100%そればっかりだと思ってしまうのは極論になるのでは
>続編と合わせて読むと太子は自分の一族が滅びるようあらかじめ
>仕組んでいたような節がある。(この理由はよく分からない)
元々世界からの疎外感孤立感やニヒリズムは持ってた。
具体的な経緯は分からんが、別に繋がらないことはないと思う
>十七条憲法とか三経義疏を著す人物とは思えない。
仏教の造詣は深かったし、人を動かすための心理を見抜くことに関しても
エミシ関連など一部に死角があるものの優れていた。
そして、政治的なかけひきなどで、必要とあればそれらの能力を発揮することもできている。
つまり、それらを著す素養は漫画でも十分あった。
あとは徳がなさそうでも、人々にあるように見せかける能力は高かったわけだし、
エミシの気を引くため、などの不純な目的の副産物で
立派なことを成し遂げることもあるだろう。
>>61 いや、別に史実等の聖徳太子と整合性を取る必要はないでしょう。
そもそも、いわゆる徳の高い聖徳太子像というのが、
いかにもな聖人君子の典型的な姿の具現化で、後世に作られた部分が多分にあると思われる。
おかげで「聖徳太子」は実在しなかったなんて極論まで出てくる始末。
翻ってその時代の出来事を見ると、物部氏が滅ぼされたり、天皇暗殺事件が起きたり、
恐ろしく血なまぐさい事件が頻発している。そういう時代に政治の中心にいながら、
一人聖者然と語られる聖徳太子の存在には、微妙な違和感が感じられてもおかしくない。
だからこそ「聖徳太子」の実像に迫るといった主旨の書き物はジャンルを問わず多く存在する。
で、その「違和感」に対して一人の少女漫画家が、いろいろ参考にしつつ、
非常に大胆な解釈を用いてあくまでもフィクションとして描いたのがこの作品なのだろうから、
徳の高い聖徳太子像と激しい乖離があるのが当然。むしろその部分を楽しむべきものだろう。
>>62 いわゆる徳の高い聖徳太子像との整合性はとってないよ
ただ、十七条憲法とか三経義疏を著す人物との整合性ならとれるというだけ。
厩戸皇子を同性愛者に設定したのは、この作品が書かれた当時は、
少女漫画界を第2次ホモブームが席巻していたから、
それに便乗してウケを狙ったというのが多分にある。
聖徳太子の人生は毛人への失恋が背景にあり、狂女をあえて妃にして
知恵遅れの子供を産ませたり、子孫繁栄も望まなかったり、
というのも、それゆえのことだ、
というようなのが作者なりの理由付けなのだろう。
66 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 01:16:12
日本書紀に書かれているような聖徳太子はいなかったことは確実。
その時代に日本にやって来た隋の使者が会った日本の王は
推古天皇でも聖徳太子でもない人物だから、要するに九州王朝の王。
遣隋使を送っていたのも九州の倭国。
史実っていうか、Wikipediaと違うところは
穴穂部は本気で額田部(35歳くらいの未亡人)と
セックルしたがって7回も門前で訴えかけた激アツ男 っていうくらいかなー
漫画読んでからウィキ見ると結構面白い
白泉社文庫の二巻あとがき
・変な事をいろいろした怖い人というのを念頭に描きはじめた
・ホモっぽい話の先駆者である山岸凉子による同性愛創作というものの解釈
だからまぁ、徳の高いキャラであるわけもなし便乗でもないみたいですよ
新羅の花郎って美形の男子貴族のホモクラブらしいから、
男色OKなフリーSEXの時代かと思われる。
万葉集の歌垣とかそういう日だもんね。
70 :
日本@名無史さん:2007/06/04(月) 21:39:43
>>67 まじかw<アナホベ
太子最愛の美郎女があんなんで、カウンターパンチをくらうとは思わなかったなあ いくら養女とはいえ
>>70 顔が母親に似てたから。と、史実は知らない…
母親に愛されてたらもっとまともだったろうに。と、史実は(ry
アナべべに見えた。
アナべべの奥さんはえっらいブスだったよな
73 :
日本@名無史さん:2007/06/08(金) 13:27:35
アナホベ=穴穂部皇子はガタイが良くてミズラを結った姿で描かれていたが、なんか格好悪いのが不満。
映画「日本誕生」の三船敏郎演ずるスサノオやヤマトタケルとそっくりで、それをもっと暑苦しくした感じだった。
高松塚より前の時代なので、髪型や服装の資料が極端に少なかったと作者が言っていたな。
今日なら、今城塚古墳の埴輪が比較的近い時代(欽明の直後ころ)として、参考になったのに。
髪型や衣装の資料がなかったのに
後のベルバラ池田氏の聖徳太子が山岸のにそっくりで
嫌な気持ちになった。プライドないのか、あの作家は。
いや、どっかの寺だかにあの髪型の絵があったと思うよ。
確かならのどこかで見て、これを参考にしたのかな?と思った記憶がある。
多分同時代に描かれたものではないだろうから、
本来ならその点で当時の風俗の参考にはならないのだろうが。
>>74-75 頭の両サイドのワッカをデカめにして、髪の束を前に垂らして
花までつけたり、大化の改新以降の服装と古代の白服をミックスしたのは
山岸の創意工夫 で、池田氏は法隆寺からの依頼で至極まっとうな
聖徳太子を「日出処の天子的な意匠で」描く事になった・・・・んじゃないの?
法隆寺側は日出処のダークヒーローなイメージを払拭したかったらしいよ
なんで山岸先生は呼び捨てでパクリ作者に氏を付けるのか小一時間
史実と違う所:「ライバル」とか「クレーム」とか英語
>>59 漫画では、元々徳の無い人間身溢れる部分は毛人などの一部の人間にしか
ばれてない。
その他の群臣一同には、厩戸は神なのかと思わせるほどの人物として
うつっている描写ばかりだ。
実際の、聖徳太子という神聖的な人物が実在したとして、これくらいの
影と闇を抱えた上で、天才的な頭脳を持っていたから周囲を欺くことが
出来たと考えるのは至極最もだと思う。
また、自分の子孫を滅ぼしたのが意図的だというのは読み違い。
幼少時から、自分の子孫だとは知らずに全員が死亡する悪夢を見ていて、
自分の成長と共に、それが自分の子孫(漫画的には毛人と戸自子の子)
だと気付く。
そこで、自分がいくら子孫を残そうとも、全く無意味だということに
気付いた為、自分以外の子供が産まれても問題ないと思っていた節がある。
実際に自分の手で一族を葬ることになると気付いたのは、続編で少し
描写があるように、末娘の馬屋子が産まれてからの様子。
自分と同じ超能力を持ちながら、理性というものが全く無い人物。
神と悪魔が紙一重であることの象徴だと思えるが、その人物を抹殺
する為の一族滅亡だったというのが漫画の解釈では。
78 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 00:02:40
79 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 18:07:32
最後に馬子が気付く。
「厩戸はお飾りの大王ではなく、実際に政務を取る執政官になりたかったのだ。」
古くから論じられてきた、何故、聖徳太子は天皇になれなかった(ならなかった)のかという大問題について、
ごくごく常識的な解釈を提示しています。
しかし、とても説得力があって、そこらのB級トンデモ論より何万倍も納得させられてしまう。
すごい漫画です。
しかし上宮王家は蘇我氏によって滅ぼされる。
蘇我氏は中臣(藤原)氏によって滅ぼされる。
この連鎖はやはり太子の「祟り」のようだ。
蘇我蝦夷が抵抗も逃げもせず自刃したのは太子への「愛」ゆえか。
81 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 00:03:50
そこなんだよね。
叔父を抹殺してまで蘇我家発展に暗躍してたはずの蝦夷が、どうして抵抗もせずに
自害したのか?
この漫画の説?が一番納得できてしまうんだがwww
82 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 22:51:40
どうあっても山背を大君にする訳にはいかなかったということか。
83 :
日本@名無史さん:2007/06/20(水) 00:13:45
>>43 聖徳太子・最愛の妃が、ホキキミというのは、歴史書とかにもよく出てくるけど、
それが一番怪しいと思う。最愛の理由が『子供が一番多い』って…。
科学的には根拠ゼロ。「子供の数=愛されてた」ってコトにはならないと思うし。
正しくは、ホキキミも政略結婚だよ。ホキキミの父は、膳氏。ホキキミの妹も
太子の弟・来目皇子に(正室ではない嫁として)差し出されてる。
常に、暗殺の危険がある太子と一緒に、まさか天皇の孫(橘)は一緒に暮らせない。
膳氏は、自分の領地(斑鳩)を捧げ、警備をかため、2人の娘まで差し出して
当時の難しいバランスシートを乗り切ったってだけのような。
山岸先生、「結局、橘が一番かわいそう」的なことを、単行本の巻末のインタビューで
言ってたような気がする。ストーリーに破綻をきたすから、本編に橘大郎女を
出さなかったってさ。
84 :
日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:55:26
江戸時代になって国学が盛んになってくると、
日本仏教のいわば開祖として崇拝されてきた聖徳太子に対して、
神道系の国学者が疑念を呈します。
聖徳太子は崇峻天皇暗殺の共犯ではないのか?と。
この漫画では共犯どころか正犯で実行犯でもある。
間人そっくりの頭のアレな幼女って橘ノミノイラツメじゃなかったっけ
浮浪者で身分がないので結婚できないから、橘氏の養女格にしてから
厩戸さんの妻にしたってくだりがあった覚えが
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku251.htm 「日出処の天子」なる語の出所は日本国内の古文書ではなく中国隋帝国の国史に収められた「隋書倭(たい)国伝」である。
大業三年(607年)、その王多利思比孤、使を遣わし朝貢す。
その国書に曰く「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙なきや」
それ以前の600年にも倭王の多利思比孤が使者を送ってきている。
「倭王の姓は阿毎(あめ)字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)号して阿輩キ弥(あほけみ)という」
王の妻はキ弥(けみ)と号す。後宮には女六七百人有。太子を名づけて利歌弥多弗利(りかみたふり)と為す。城郭無し。
ご承知の通り日本書紀によれば、600年607年は推古女帝の時代で摂政として聖徳太子が補佐したことになっている。
しかし隋国の公の史書によれば、倭国の王は阿毎の多利思比孤(あめ・たりしひこ)という大君(おおきみ)。
キミという妻をもち利歌弥多弗利(りかみたふり)という皇太子を持つ。
ハーレムがあって女が6〜700人いたという。
中国から使節が訪れて、実際に多利思比孤や皇太子に会った事実からも、これらの記述の信憑性は高い。
かって日本の歴史家は、日本書紀の記述を絶対としたことから、「倭(たい)国伝」記載の阿毎の多利思比孤は聖徳太子のことだとする。
天皇が女帝だと恥ずかしいので、聖徳太子を天皇と偽ったのだとこじつけた。
中国ではこの後690年に女帝武則天(ぶそくてん)が即位。女帝を恥でる理由はないのだが。
しかし、「倭(たい)国伝」には倭の都近くで阿蘇山の大規模な噴火が見られるとあることから、この倭国の天皇は九州王朝の王とする有力説が現れた。
日本書紀では607年に小野妹子を隋に使わしたとあるが、それらの日本書紀の記事は、実は「倭(たい)国伝」を下敷きに捏造されたものという疑いも濃い。
日本書紀製作に当って、中国から大量の史書を集めているからだ。
87 :
日本@名無史さん:2007/06/20(水) 17:49:12
>>84 東漢直駒が深手を負わせるがその場を逃げる大王。
采女に変装した厩戸が、「アレ〜〜〜」とか言ってよろめきながら、カンザシでドスンとトドメをさすのだったっけ。
その後で、布都姫も殺そうとしたけど、采女を厩戸と知らない調子麻呂が邪魔をし、さらに毛人が来たので断念するだったっけ。
88 :
日本@名無史さん:2007/06/20(水) 22:28:04
>>85 アレレな娘は、ホキキミノ郎女で間違いないよ。
それと橘氏と、橘大郎女はまったくの他人。
橘大郎女は、教科書にも載ってた大きな刺繍を遺した人だったかな。
『 天寿国繍帳 』=後世の偽作説が有力
天皇という記載があるが当時はありえない。
内容に後世の概念が含まれている。
作ったとされる目的と内容が食い違っている。
1274年に尼僧信如が夢のお告げで発見したと、不自然である。
90 :
日本@名無史さん:2007/06/22(金) 05:01:45
>>89 ソレを言うなら、聖徳太子も「いなかった」説あるし
あくまでも説。有力かどうかはべつにいい。漫画と史実の間にあることが知りたい
91 :
日本@名無史さん:2007/06/22(金) 05:23:40
日本史は捏造の歴史w
だいたい現代史でも真相は不明だろ。
92 :
日本@名無史さん:2007/06/22(金) 08:03:04
皇室の系図の中に厩戸皇子に相当する人物はいただろうが、
「聖徳太子」はいなかった。
上の方でも書かれているように、大和の王朝とすると「隋書」の記事と合わないので。
隋との外交をやっていたのは九州王朝。
九州王朝滅亡後、大和の王朝はその事跡を盗んだ、
>>漫画と史実の間にあることが知りたい
史実ってなんだ?単なる通説か
古代史でこれまで史実通説といわれていたことは大きく揺らいでいる。
創造的自由度が高そうな漫画や小説が描く歴史物語よりも、新しく発見された遺物などから窺われる史実が、従来説から大きくかけ離れていることも多い。
95 :
日本@名無史さん:2007/06/24(日) 23:12:35
>>83 ホキキミは厩戸の最愛の妃であったのか否か?
確かに、子供の数の多い少ないで夫婦の愛の深さを測ることは出来ないのかもしれない。
しかし「誰が一番好きなのか」という、個人の心の中のことを証明するのに「科学的な根拠」
を求めるのもナンセンスだと思うよ。確かに断定は出来ないけど、ホキキミが厩戸の一番の
お気に入りの妃だったことには客観性があるでしょう。
ホキキミの実家の膳氏にしてみればガチな政略結婚だったけど、厩戸にしてみればそれほど
大きなメリットがあったとは思えない。土地や居宅は、橘の祖母(推古)や刀自古の父(蘇我)
に用意してもらって一緒に住んでも良かったんだから。斑鳩の土地が欲しいだけなら、他の
権力者がするように、膳氏に難癖をつけて召し上げることも出来たはず。
また、天皇本人や嫡流の皇子ならいざしらず、天皇の孫娘が「暗殺の危険があるから」なんて
理由で、皇太子と一緒に生活出来ないことにはならないと思うよ。
それでも厩戸は斑鳩でホキキミと寝起きをともにした。子供もたくさん作った。
ホキキミが死んだ次の日に厩戸も死に(死因は不明)、遺族は二人を同じ墓に葬った。
客観的に観て、二人の夫婦仲が睦まじかったと推察出来るんじゃないかな?
96 :
日本@名無史さん:2007/06/24(日) 23:26:47
大和と九州に王朝が並立していた時代があるとしたら、
九州王朝はいつ滅んだのでしょうか?磐井の乱、それとも白村江?
スレ違いかもしれんけど、九州王朝説に興味がありますので
オススメの本などありましたら、誰か紹介してください。
この板にも九州王朝説のスレがいくつか有りますが、
何か一冊でも読んでからスレを見てみたい。
97 :
日本@名無史さん:2007/06/25(月) 00:29:31
>>95 >>83の「暗殺の危険があるから」という理由は、自分もどうかと思う。
でも、
>ホキキミが死んだ次の日に厩戸も死に
これはどう考えても、暗殺だと思う。仲のいい夫婦はいっぱいいるけど、
次の日、自殺っていうのも…「?」なんだけど?
それに一地方豪族が、あわよくば天皇のおじいちゃんだよ?身内になれる
当時の結婚生活は、嫁のウチに滞在するスタイルだから、
めいいっぱいチカラ入れて厩戸を防衛し、死にもの狂いで子供作るっしょ?
天皇の孫を差し置いて、お墓が隣同士なのは、ツキシネの意志だと
梅なんとか先生(名前忘れた)が最終回の方に寄稿してた気がするんだけど
隠された十字架の梅原猛か
自分の死が近いことを悟って無理心中的に死なせた可能性もあるな。
>>96 古田武彦の朝日文庫のやつ3巻本。
今は絶版みたいだから図書館で探すか、古本屋で探すか。
>>88 トンクスです。あの少女はホキキノミノイラツメみたいですね
102 :
日本@名無史さん:2007/06/25(月) 20:23:35
>>95 当時の時代背景は、仏教派と神道派の大ゲンカ状態で、まさに一触即発。
ある意味、戦国時代なのだから「好きだから、一緒に暮らす」みたいな甘い発想が
まかり通るなんて思えない!まして厩戸クラスの人なら、なおのことw
飛鳥時代は、古墳時代にも近いから、当時的には「墓は政治的アピールの場」
だったのかも。隣同士にある方が、逆に不自然じゃね?いかにもで
>>96 白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗したあと、大和の地方支流勢力(斉明・天智一派)の政権簒奪によって滅ぼされた。
という説もある。
斑鳩が、膳部氏の本拠地だったという確かな根拠はない。
日本書紀の雄略紀に、膳部斑鳩という人物がいただけ。
斑鳩は山部郷にあるんだから、山部氏の地と考えるのがフツー。
それにホキキミが住んでたのは葦垣宮で、斑鳩宮に太子と居たワケじゃない。
晩年に太子が葦垣宮でホホキミと過ごしたと後世史料にあるだけ。
刀自古は既に亡く(憶測)、橘は歳が一回り違うから(推測)ホキキミと過ごしやすかっただけじゃね。
105 :
日本@名無史さん:2007/06/28(木) 22:57:52
>>104 なんでそんなに膳大郎女にこだわるんだ?
「ホントは誰が好きだったんだろう?」的テーマは、確かに面白そうだけど。
でも、厩戸と膳大郎女が一緒に暮らしてた証拠はない。
ただ一緒に殺されたのと、葦垣宮周辺に井戸の痕跡があって、
時代的に住んでいたかも…という推測が成り立つだけ
死んだのはビョーキだと考えるのがフツーだろ?
石川啄木だって、母、本人、奥さんと1年余りで同じビョーキで亡くなってる。
107 :
日本@名無史さん:2007/06/29(金) 19:39:09
聖徳太子のイメージといえば、聡明で学識に優れていて、
推古女帝の元で皇太子として政務を執り、十七条憲法を定めたり、
隋との外交などをした、しかし結局、蘇我氏との力のバランスは崩せず、
政治家というより文化人として生き仏教にのめりこんだ、というところか。
この漫画でもその大筋は覆されてないんだよね。
ホモだったとか、超能力者だったとかいうのは、
後世にいろいろ付け加えられた「太子伝説」の現代バージョンにすぎない。
どうせなら厩戸で生まれたという誕生場面からやって欲しかった。
今では、蘇我馬子と協同で推古天皇の補弼に当たったと考えるのがフツーだからな。
ケーズ見れば、どう見たって蘇我の一員なんだがな。皇国史観てやつ?
109 :
日本@名無史さん:2007/06/29(金) 20:19:19
蘇我蝦夷が山背大兄王を皇位に就けさせなかったのも、
山背が自分と妹の間の子であるため、生真面目な蝦夷は反対した。
蘇我入鹿が山背を攻めて自害させたのも、父蝦夷の秘密を守るため、
かつ、自ら皇位を狙ってたため、と、この漫画世界の設定で解釈できるね。
漫画的には
×蝦夷
○毛人
111 :
日本@名無史さん:2007/06/30(土) 00:06:07
なつかしい漫画のスレだなあ。連載当時は「ところてん」って略されてたね
私は、毛人と布都姫の恋を応援してました
>>106 一般的には、暗殺説の方が有力では?
厩戸が病気だったという記述はないし、同日死亡説もあるし
>>109 続編の『馬屋古女王』では、入鹿はむしろ山背を助けたかったようだけどね。
>>112 うん。教科書とは違う解釈だった。
入鹿は厩戸の一族を守る為、災いの元の馬屋古を消そうとしたんだけど
山背一族は彼女と共に滅ぶ道を選んで、入鹿の好意をはねつけてしまったって感じだったね。
114 :
日本@名無史さん:2007/07/01(日) 20:19:16
入鹿は山背のことを親友でもあるライバルと見做していたけど、
山背は自分の出生の秘密を知っていたから、入鹿を羨みかつ憎み、
父(義父)聖徳太子が本当はどういう人間かも分かっていたからそれも憎んでいた。
山背からすればそんな上宮王家の繁栄など望まず、入鹿に滅ぼされたとて本望だ、
深層心理では入鹿を愛していたとか?
同じ顔なのにw
116 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 16:59:50
世間一般では、入鹿は現実主義者で、山背は理想主義者という、理解が多いのではないかな。
「馬屋古女王」もその路線だと思う。
理想主義的な山背が、自分の兄弟に知的障害者が多いのに、周囲の反対を押し切って兄弟全員を父(厩戸)の葬儀に列席させようとしたことから悲劇が始まる。
本能だけで行動する超能力者の馬屋古を隔離場所から外へ出してしまう。まさにパンドラの箱だな。
マンガとしてのひねりはあるが、山背の頑固な理想主義が上宮家滅亡の、引き金となる。
架空説の強い聖徳太子像を論じてもしゃぁないよな
118 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 16:29:56
>>117 架空説の強い聖徳太子像
「聖徳太子はいなかった」は、門脇など一部DQN学者とトンデモ本で銭稼ぎしようとする連中が言っているだけ。
あの日教組でさえ、「聖徳大使という呼び方はしない」とか、「聖徳太子の事跡を過大評価しない」といった控え目な言い方であり、
架空なんぞとは言っていない。
日教組の教師よりパーなことを言うのはみっともない。
日教組の教師に歴史の定説を疑う脳味噌はない。それだけ
120 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 19:36:16
教師は教科書から外れたことを教えるわけにはいかないからね。
聖徳太子はいなかったとか、ホモだったとか、九州王朝説だの
古史古伝なども教壇で話すことは許されない。
121 :
♪:2007/07/04(水) 20:11:20
お凉さんは,各地に伝承する太子伝説をもっと活用すればよかったと思ふなあ.
民俗学的な太子像なのだから,史実とのリンクなんて小さなことだ.
伊予の温泉に浸かったとかいう捏造伝説もある。
太子創建の寺とか伝説は多いけど、調査したら鎌倉時代の創建だったとかいうのばかり。
ところでトリが作った厩戸の家は忍者屋敷みたいな仕掛けがあったが
あれってなんか元ネタがあるんかね?
あと
こんなスレにまで古田信者がいてびっくり。
寛政原本の件で宣伝必死か。
124 :
日本@名無史さん:2007/07/05(木) 12:32:58
125 :
日本@名無史さん:2007/07/05(木) 13:06:36
各地の寺に祭られてる聖徳太子像はほぼ全て子供の姿の太子像。
これは、少年時代の厩戸王子がこの漫画のように霊能力者だった、
という伝説の名残なのだろうか?
捏造太子信仰の表れだろ
127 :
日本@名無史さん:2007/07/10(火) 18:31:15
>>122 伊予の温泉に浸かったとかいう捏造伝説もある
伊予の温泉(おそらく道後温泉)の件は捏造かどうか、安易に断定すべきでない。
ちょっと後の斉明天皇や額田王の時代に道後温泉があったことはほぼ確実で、彼女らが九州へ行く途中、道後温泉にはいったことも十分ありえるのだから。
一方、富山の宇奈月温泉は、聖徳太子がうなづいたので「宇奈月」と名づけたと地元で教わったど。
でも、さすがに伝説だべな。すごい山の中だからねえ。
>>127 架空の太子のインチキ温泉湯治伝説。
石碑も後世の作。伊予に散らばる太子創建寺伝説も全て根拠なく嘘ばっかり。
129 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 10:33:40
>>128 石碑も後世の作
「石碑も後世の作」と断定するものではない。
石碑が後世の作である根拠もないのだから。
で、伊予国風土記逸文が捏造であるという根拠は何だ?
それが示せなければ、あなたの言うことこそ「嘘ばっかり」になってしまうが、あなたは嘘付きではないよね?
(「嘘ばっかり」なんぞと人を嘘付き呼ばわりして誹謗するときは、覚悟を決めて行うこと。)
130 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 10:49:26
「日出処の天子」に伊予の湯治の話は出てこない。
伊予のはなしは 終 了
131 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 11:23:35
「日出処の天子」における登場人物の語学力について
厩戸は経典(おそらく中国語)をたびたび読んでいる
厩戸と毛人が二人で経典(おそらく中国語)を読むシーンがある
厩戸と毛人が二人で中国の役人登用試験問題を読むシーンがあり、厩戸は理解できたが毛人には難しすぎたらしい
厩戸と毛人は木簡を使って漢字の書き取りの練習をしている
寺の建設現場で、厩戸も半島の言葉は分からないと言っている
朝鮮半島の言葉 :厩戸 ×、毛人 ×
中国語の読み書き:厩戸 ◎、毛人 ○
中国語の読み書きとは、今日の漢文の読み書きのようなもので、中国語の会話ができたかどうかは不明。
さらに、刀自己、布都姫、大姫(菟道貝鮎皇女)、額田部女王(推古天皇)らは、手紙のやり取りや改竄をする場面がある。
このときは、何語を使い、どのような文字で手紙を書いたのだろう?
132 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 11:33:12
寺の建設現場で、厩戸は半島人の工人と筆談を行っている。
ラストシーン、厩戸は隋への国書の草案を起草している。
それを、○○障害の膳大郎女が破ったので、御仕置きがわり(?)にせくすするのだ。
134 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 13:09:07
>>133 人の言うことをよく聞け!!! というか、よく読め!!!
>>129では、太子の創建寺伝説については、触れていないだろうがよ。
(私は、神社仏閣の由来・祭神・創建については、安易に真偽を言わないように気を付けているのだ。)
伊予国風土記逸文の石碑の記事について、嘘をつくなと言っているのだ!!!
人の言うことをよく聞け!!! というか、よく読め!!!
>>134 伊予に散らばる太子創建寺伝説も全て根拠なく嘘ばっかり。
「嘘ばっかり」というのはここにしかない
ここのどこに石碑と書いてある?よく読め!!
@128:伊予に散らばる太子創建寺伝説も全て根拠なく嘘ばっかり。
ここで「嘘ばっかり」とは伊予に散らばる太子創建寺伝説のことを言っているのは明白
これに対し
a129:「嘘ばっかり」なんぞと人を嘘付き呼ばわりして誹謗するときは・・・
@を曲解し「嘘ばっかり」が人を誹謗したと思い込む。
A133:おいおい日本語をよく理解しろよ「嘘ばっかり」とは@なのが分らないのか?とレス
これに対し頭の悪い馬鹿が激昂していわく
134:太子の創建寺伝説については、触れていないだろうがよ
何を言ってるのかさっぱり分らんが日本語の理解能力を欠くことは良く判る
137 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 16:24:16
,-======-、
|n_j_ij__j__ji_j|
(´・ω・) <
/;;;;;;;;;ソ、;;;;)
レ'しー-J`
"""~""""""~"""~"""~"
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|n_j_ij__j__ji_j|
(´・ω・) <
,ノ゙゙゙゙゙ハヽ、
`〜ェ-ェー'′
"""~""""""~"""~"""~"
_, ,_
( ・ω・) 知らんがな・・・
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
∧__∧
(`・ω・´) まてぇい
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ 聞き捨てならん
/ l |
"""~""""""~"""~"""~"
138 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 16:53:12
>>135-136 そういうふうに、自分の都合のよいところだけ引用すると、信用をなくすよ。
>>128の全体を再掲すると
>架空の太子のインチキ温泉湯治伝説。
>石碑も後世の作。伊予に散らばる太子創建寺伝説も全て根拠なく嘘ばっかり。
「インチキ温泉湯治伝説」が「石碑」と「太子創建寺伝説」から構成されると解され、「石碑はインチキ」という文意と解して問題なし。
「太子創建寺伝説も」の「も」により、述語の「嘘ばっかり」が、「石碑」についてもかかるものと解しても、日本語として問題なし。
そもそも、「石碑も後世の作」の文意は、「石碑が嘘である」という意味と、どれほど違うのか?
「石碑」という文字と「嘘」という文字が、一つの文にないからといって、いまさら意味を摩り替えるな。(ガキの屁理屈の典型だね)
日本語能力が怪しいのは、あなたのほうですよ。
で、私は、寺についてはまったく触れず、石碑について、その根拠となる「伊予国風土記逸文が捏造であるという根拠は何だ(
>>129)」と聞いたのだ。
139 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 16:56:13
>>136 >134:太子の創建寺伝説については、触れていないだろうがよ
>何を言ってるのかさっぱり分らん・・・
129では、寺のことは、何も書いていないでしょ。
神社仏閣の由来・祭神・創建や本尊などが必ずしも当てにならないことは、歴史に興味がある者であれば常識であり、その真偽そのものも簡単に断定などしない。
自分が、133のトンチンカンなレスで、知識のひけらかしをやったもんだから、照れてるのか?
129では、私は、寺についてはまったく触れず、石碑について、その根拠となる「伊予国風土記逸文が捏造であるという根拠は何だ(
>>129)」と聞いたのだ。
その答えは?
ガキでないなら、文意を無視して「嘘」という文字がどこにあるかなんぞといった幼稚な屁理屈ではなく、建設的な中身のある議論をしようぜ。
「伊予国風土記逸文が捏造であるという根拠は何だ?」
140 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 17:01:42
「日出処の天子」に伊予の湯治の話は出てこない。
伊予のはなしは 終 了
どうせ、「伊予国風土記逸文が捏造であるという根拠」など、ありっこないし。
(バカガキが日教組のアンチ聖徳太子に洗脳されて、どこぞのウケウリをやっちまっただけだろ。
アホ教師に洗脳されたバカガキのくせに、お利口さん気取り。WWW)
141 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 17:58:13
>>133 > >>「嘘ばっかり」なんぞと人を嘘付き呼ばわりして誹謗するときは、覚悟を決めて行うこと
>2chで勝手なルールを言われてもねぇ
引用文の意味は「他人を嘘つきというときは、きちんと覚悟を決めて言いなさい」つまり「安易な気持ちで嘘つきと誹謗してはいけません」の意味であることぐらい分かるだろうに。
こういうのをルールというのか?
こういうのは、忠告と言うのではないのか?
133は、頭、大丈夫か (←これは心配、又は余計なおせっかい)
>日本語の読みこなしが不自由なくせに、人にあやをつけるなら覚悟しろ。というルール作って良いかね
そういうのもルールというのか?
日本語能力にかかわらず、「人にあやをつけるなら覚悟」するのは当然。
こういうのは常識と言うのではないのか?
133は、日本語能力、大丈夫か (←これも心配、又は余計なおせっかい)
>>131 >さらに、刀自己、布都姫、大姫(菟道貝鮎皇女)、額田部女王(推古天皇)らは、手紙のやり取りや改竄をする場面がある。
このときは、何語を使い、どのような文字で手紙を書いたのだろう?
フツーに考えれば漢文になると思うがなー。
でも、万葉集に舒明天皇の国見歌(629年直後か)があるんで、
口承で伝わったんじゃないとすれば、飛鳥前半で既に万葉仮名が使われてたって事になるなー。
この執拗な粘着振りが日本史板の特徴
スルーという文字はこいつらの脳内には無いw
144 :
日本@名無史さん:2007/07/13(金) 09:38:35
>>142 さんくすです。
女性たちも漢文を使っていたということですか。
しかし、例えば布都姫が毛人を誘う手紙も漢文だと、何か色気がないですね。
もっとも、これを書いたのはお婆ちゃんの白髪女のようでもあるし、刀自古が途中で中身を改竄するし、・・。
想像すると、なんとも微妙。
聖徳太子の時代は、おそらく高貴な女性でも文字の読み書きはできなかったかと。
数詞とか、ごく簡単な基本単語(山・川・人など)くらいは分かったかも知れないけど、
本格的な漢文は無理。だから万葉仮名も無理。
推古天皇も読み書きはできなかったかも知れない。それでも天皇は務まる。
146 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 00:32:42
>>143 ロムってるだけの者だが、余計な茶々入れないでくれ。
けっこう楽しく読んでいるのだ。
顔を真っ赤にして叩き合ってる者 ぢゃないのw
148 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 13:39:44
>>147 文章読めないのかバカ野郎。
スルーがナンタラとか、熱い議論に水差すなって言ってんのさ。
顔赤くしようぜってことだ。お分かりかな?
ったくう、アホなんだから
>>ロムってるだけの者だが
ROM(Read Only Member)じゃないのかよ?
恥ずかしいアホな嘘つきなんだからW
武陽って鳥はつけてなかったから偽者だな
だいたい日本史板にはもういないし
>>149 そのコテに味方するわけじゃないが、
今時TPOも考慮せず「ロムる」につっこむのは
確信犯や役不足をしたり顔で指摘するくらい的外れで恥かしいことだと思うよ
↑
煽りに釣られるバカの典型
153 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 23:17:40
ロムってるだけってのは、この板ではってこと(一回だけ書き込みしたが)。
トリはヤリカタ調べて面白いからやってみた。
私は武陽だ。
最近書き込み中毒になってね。
攻撃性も含めて我ながらどうしてる。
武陽は煽りとかしないし、この板には近寄りもしない
偽者消えろ
155 :
武陽陰士:2007/07/15(日) 02:09:14
煽りって何?
あぼーんの意味も分からない奴なんで私。
梅原と山口昌男について書き込みしたけど前に。
偽じゃない。
いや真贋なんかどうでもいいのかな
どうでもいいがスレ違いについてのワキマエはないのかなこのコテ。
つまらんことでスレが荒れたんでツッコミが入ったのは的確だったと俺は思ったが。
まだしつこく来るならとりあえずはじくわ。せっかくコテなんだし。
うわ、神コテと間違ってた
こいつは他人の意見も聞かないし煽りまくる糞コテ。
神コテは日本史板はもう見捨てて来ないもんな。失礼した
そしてこいつはあぼーん推奨
158 :
日本@名無史さん:2007/07/15(日) 16:33:44
あぼーん知らないっさ不用。教えてやれよ
159 :
日本@名無史さん:2007/07/15(日) 21:58:28
他スレでもみんなからあぼーん指定されてたのに意味を知らなかったとはw
160 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 23:31:28
161 :
日本@名無史さん:2007/07/15(日) 23:49:23
162 :
名無し:2007/07/16(月) 00:02:26
>>161 これも自演。
(笑)ちなみに自演は今日が初めての経験だ。
自演は卑怯だと思ったから今までしなかったんだけどさ。
しかしどいつこいつも自演ナンタラうるさかったなあ。
これからは私もバシバシ自演するよ(笑)。
ハンドルネームもなし。
基地外コテはメンヘラ板へ
164 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:10:09
自演、乙。
しかし、いい加減ウザイな。
コテなしのそれがどうしたというのだ。
少しは大人になりたまえ。
それといいかげん君は無知の知ということを知った方がいい。
ただ、俺のこのカキコミ自体が武陽陰士自身による自演だという事実があるから、
俺の有り難い忠告は君には届いているはずなのだが。
つまり君は俺。W
165 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:12:44
166 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:15:15
167 :
日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:41:21
すいません、すっごい亀レスしていいですか?
>>95 >厩戸は斑鳩でホキキミと寝起きをともにした
二人が一緒に住んでいたという確かな証拠はないそうです。
井戸の痕跡が見つかって、時代的に「住んでいたかも」の推測が成り立つ
だけなんだって(by先週受けた講義)
168 :
日本@名無史さん:2007/07/17(火) 15:04:14
>>167 膳部菩岐岐美郎女(ホキキミ)を呼び寄せて、次の朝亡くなっていたという話でしたっけ。
この呼び寄せたというのが、
a 部屋へ呼び寄せたのか、
b 斑鳩宮へ呼び寄せたのか、
という解釈の違いですかね?
aならいつも同居、bならいつもは別居ということになるとか?
詳しい人、解説を頼みます。
このマンガって結局、何の救いもなく終る。
ラスト、厩戸王子は毛人に振られて自暴自棄になってるとしか思えない。
毛人も布津姫を亡くして救われない。
刀自子も救われない。
続編(後日談)も読むのが辛い話だ。
太子にまつわる暗部がこういう形で表現されている感じだ。
170 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 01:10:06
>>168 主流となっているのは、やっぱり暗殺かと。「呼び寄せて」って…、
一体、誰がその場面を見ていたというんでしょう?
同日死亡説も根強いので、単に寝込みを襲われただけという推測も成り立ちますね。
そもそも膳部菩岐岐美郎女、大姫、刀自古であろうと同じです。あくまでも、
《誰かと一緒に暮らしていた証拠はない》のです。だから、やっぱり時代的に
通い婚かもしれないし、本当は大姫と一緒に暮らしてたかも、あるいは
刀自古かもしれません。
宮周辺に、たくさんの人が暮らしていた井戸の形跡があり、時代的に
「聖徳太子の家族かも」と言われてるだけ、といったら語弊があるかもだけど、
仮説の上に、また仮説というのが現状のようですよ
布津姫が毛人の女だったり入鹿の母だったり…
そういう史料があるのだろうか?よんでみたい。
>>171 先代日本旧事記(と言う名前だったかな?)には、入鹿の母に物部鎌姫という人の記事があり、鎌姫の母親が布津姫と紹介されている。
布津姫のヒントはこのあたりからでは?
「暗殺」だって、全然証拠がないぞ。もちろん「自殺」も。
武装した舎人が警備してるわけだから、もし斑鳩宮を襲撃するなら
それなりの軍勢を差し向けなきゃだめだろ(山背大兄王のときみたく)。
病気と考えるのが自然。確たる証拠がない時は「オッカムの剃刀」。
174 :
日本@名無史さん:2007/07/18(水) 12:08:03
>>170 なるほど、なるほど。
誰かと同居していたと、はっきりと書かれた文献はないということですね。
考古的にも、長屋王跡のように誰それ宛の荷札といったような木簡でも出てこない限り、そこに誰が同居していたか証明のしようがないわけですね。
文献から斑鳩宮に厩戸がいたことは間違いないし、考古的に斑鳩宮又はその周辺に大勢の人が住んでいたことも間違いない。
言えるのはここまで。
で、誰が斑鳩宮で厩戸と同居していたかは分からない。
しかし、暗殺というのも、よく分からない(証明しようのない)話のようですね。
史実といっても、聖徳太子捏造説や不実在説が有力なんだから難しいな
うん、「史実」というより、
「作られた歴史書」や「作られた文献」の中に
その記述があるのか、ないのかしか議論できないよね。
当時のことなんて全部証明しようがないよ。
177 :
日本@名無史さん:2007/08/03(金) 18:03:06
>>175 聖徳太子捏造説や不実在説が有力
有力ということはない。
年配の方々にはセンセーショナルだし、日教組やNHKが喜ぶ話なので、我々の目につくところで取り上げられることが多いだけ。
聖徳太子捏造説や不実在説では、細かいところはともかくとして、根本的に、
a 「日本書紀」は中国が読む前提で書かれたにもかかわらず、「隋書」と符合する箇所に真っ赤な嘘を書いた
b 聖徳太子ゆかりの寺院や品々はものすごく多く、またりっぱなものが多いが、すべて後の時代の聖徳太子信仰などに伴って捏造された
c bに関する由来や伝承等について、バラバラに捏造されたはずなのに、相互に大きな矛盾がない (何とも奇跡的なことだが・・)
といったようなところを、強引に強弁しないと辻褄が合わない。
自分で詳しく調べて、聖徳太子捏造説や不実在説という結論になったのかな?
そうではなくて、ウケ売りで聖徳太子捏造説や不実在説を信じている人は、日教組のバカ教師に洗脳されている可能性が高いので、要注意だな。
日教組のバカ教師が聖徳太子不実在説を唱えているわけではない。
聖徳太子も事跡事物に後世の作と判明したものも多い。
聖徳太子像も太子とは関係ないことが分かった。
十七条憲法も森の古代音韻学の成果で後世の作とばれた。
そのようなことが沢山判明してきている。
179 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 10:56:59
>>178 > 日教組のバカ教師が聖徳太子不実在説を唱えているわけではない
確かにそのとおりです。
しかし、日教組のバカ教師は聖徳太子を貶める話には見境なく食い付き、子供たちを洗脳しているのですよ。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/20010714.html > 事跡事物に後世の作と判明したものも多い
聖徳太子が空に浮かんでる「聖徳太子絵伝」など、国宝級の文献等でも、昔から後世のものと分かっているものは多いですよ。
重要な事跡や事物で、「後世の作と判明した」、つまり最近になって分かったと言うものは何かあったかな?
十七条憲法とか天寿国繍帳とか論争になっているものはありますが、むしろ後世の作という説がだんだん不利になりつつあるのではないでしょうか?
180 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 11:21:42
>>178 > 聖徳太子像も太子とは関係ない
意味不明。
聖徳太子像はたくさんあるし、どれのこと?
で、多くの聖徳太子像が、聖徳太子没後に作られたものであろうことは、昔から常識だったのではないでしょうか?
しかし、聖徳太子像は聖徳太子の像として作れたものが多いはずで、「太子とは関係ない」とは何を言いたいのかまったく理解できません。
聖徳太子が生きている時代に写実的に作られたものではないという意味かな。
しかし、聖徳太子像は、聖徳太子以外の何かをモデルとしたものだという説は聞いたことがないし、・・・。
しかも、聖徳太子像を、聖徳太子が実在した証拠とするような説も聞いたことがないし、・・・。
聖徳太子像は、聖徳太子が実在したか否かについて、否定的なものでもなければ肯定的なものでもないということだと思います。
181 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 11:41:50
>>178 > 十七条憲法も森の古代音韻学の成果で後世の作とばれた
森の説については、日本書紀の編纂者がいくつかのグループに分類されるということでしょう。
日本書紀の編纂者が後世の人間なのは当たり前で、日本書紀に引用された十七条憲法の記述に後世の特徴(和習?)があるというだけのこと。
そもそも、音韻学など持ち出さなくても、用語の問題などで、後世の作という説は昔々からありました。
ただ、こうした用語の細かな不整合でケチをつけるのは、長屋王邸の発掘以前の古い考え。
役職や身分などの用語の使い分けについては、厳密なときもあれば緩やかなときもあり、短絡的に判断すると危ない。
「長屋親王」の木簡により、用語の細かな不都合で難癖つける、ゴミ箱の隅を突くような、枝葉末節の、揚げ足取り説は、軒並み破綻しました。
>>聖徳太子像は、聖徳太子が実在したか否かについて、否定的なものでもなければ肯定的なものでもないということだと思います。
像があるから実在したと思っている人は多いのが現実
183 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 02:02:33
184 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 02:35:59
≫182 像の有無で実在を信じる人は少ないと思うケド。居た、と言われてきたから疑わない人が多いような。
185 :
日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:21:41
>>182 「像があるから実在したと思っている人」というのは、信仰の対象として聖徳太子を信じている方々のことでしょう。
如来や菩薩の像があるから、如来や菩薩がやがて現れて救ってくれると信じている信仰と同じようなものですね。
信仰の対象としての存在と、
歴史の事実としての存在とを区別しないと、
何を議論しているのか、訳が分からなくなり、混乱するばかりですよ。
186 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 09:13:26
ですね
187 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 01:04:06
この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば
188 :
日本@名無史さん:2007/12/14(金) 21:45:02
>>187 毎日宴くりひろげて糖尿&通風で苦しんだ奴だなw
肉食もしてたらしいし
まあ、天皇家より勢力があった家の主だからな
パッとしない三男坊が運良くのしあがったんだっけ。
190 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 02:16:54
布津姫とはどういう人だったのかが気になる
どこの文献に出てくるのか。
物部鎌姫との関係も。
象徴的に七支刀も一緒に出てくるけど、あれも布津姫が本当に守っていたものなのだろうか?
191 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 03:12:53
物部氏の宗廟石上神宮の祭神が布津神なんだよね。
布津姫という名前も、
布津神にちなんで、その神宮にいた巫女を布津姫と呼んだだけの呼び名であって
本名ではないんだろうな。
布津姫っていったい誰?
入鹿の母というのは完全なフィクションだろうけど
ヒントはたぶん物部鎌姫から?
あと毛人と厩戸の関係も、
死後、後世に毛人(=善徳)がやったことが
厩戸がやったこととして混同され美化されたことからくるのかな?
後世、毛人と厩戸って一緒くたにされてるから。
192 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 12:56:32
>>191 石上斎宮が入内した記録は残ってるよね。
193 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 13:03:36
>>169 ホキキノミは母親の間人皇女に似てる、ていうオチだったよね。母性の大切さを言いたかったのかな、と。
194 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 01:38:45
>>192 それは何の記録に残ってるの?
調べてもよくわからないんだよね。
聞くばかりでごめんです
195 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 04:07:22
>>197 す峻天皇の嬪として記録にあったよ。その後の毛人との話は本当かどうか分からないけどね。河上娘が駒に連れ去られたのは事実らしい。
196 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 04:18:32
>>191 歴代、石上斎宮となった娘のことを、布都(の)姫、って呼んでたんだろうね。この布都姫も守屋の妹と書かれてたり姪と書かれてたりだから、記録に残ってるけどはっきりしない。そこにドラマ性があるよね。
197 :
日本@名無史さん:2007/12/31(月) 04:21:08
毛人との話はまったくの創作だぁよ。
199 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 00:31:46
>>193 王子が母親の愛情を求めたにも関わらず、その欠乏と憎しみと諦めの末に生じた歪みの露呈と思ってた。
彼にとっての「愛情」の原風景がそれでもやっぱり「あの母親」だったのかと思うと当時激しく泣けたな。
全員実在した本人はどんな人だったんだろうか。
このスレは史実がハッキリ分かってスッキリ度高い!皆さんありがとう!
200 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 02:01:47
欽明朝の頃から、蘇我稲目・馬子によって、後記ヤマト朝廷が形成され始め、聖徳太子は、蘇我一族として新権力の補佐を進めていった。
大化のクーデターまでは、大王(後の天皇)は、ある意味諸々の権力の調整機能、象徴的な役割に過ぎなかった。紀元節も古事記等の神話も系統的には信じられていなかった。
201 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 02:16:50
19才で摂政、実質的な大王!天皇の代わり!しかし、蘇我一族の信仰(仏法僧)を国家の基本理念に据えていく!明らかに以前からのヤマト朝廷(大王=天皇=神道)に対するアンチテーゼ=左翼そのもの!たぶん、ヤマト朝廷大王(天皇)制の否定者でもあったと思える。
大化のクーデターは、聖徳太子の否定でもあった。
202 :
日本@名無史さん:2008/01/25(金) 02:30:07
用明王と穴穂部間人皇后の息子、即ち両親とも蘇我馬子の姉妹(堅塩媛と小姉君)を母とする蘇我一族の中枢!神道の否定者!外来宗教の狂信的崇拝者!
馬子の代行として、ヤマト朝廷を国家改造すべき担い手!
しかし…
彦人王子って何で即位しなかったんかな?
「気弱な性格だから」っぽく書かれてるけど。
そこがどうもわからん。やはし時流?
バックアップ、支えてくれる権力基盤がないからじゃないか?
天皇(おおきみ)の即位なんて結局はそこが重要なわけで。
205 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 16:04:12
穴穂部、泊瀬部(=崇峻)
有力な大王候補や大王そのものであっても、蘇我に殺される時代だったからねえ。
蘇我に気に入られるか、他の豪族や有力な王たちの多くから指示でもないと無理。
ただし、田村(=舒明)の例があるので、蘇我系の血が流れているかどうかは、決定的なことではなかったと思う。
206 :
日本@名無史さん:2008/01/28(月) 17:14:19
ある意味、蘇我朝廷だったと思うよ
でないと大改が画期的な意味がなくなる。
池田理代子のも同じように「気弱」っぽく描かれてるよね。
顔も似てるし…
実は蘇我が操りやすいような性格ではなく、
すごく頭がいい人だった、だから蘇我が後押しをせず、
天皇にならなかった、とかも有り得るよね。
あとはすぐ死んだとか?
池田理代子の漫画はどう見てもパクリ。
結局、設定もパクってるから、日出処の天子の史実じゃないところまで、
史実だと勘違いさせてる。逆効果だね。
私はずっとみんなああいう顔だったのかと思ってたよ…。
そしたら最近検証スレで、キャラ達の顔が載ってて
みんな顔そっくりだけど、別に史実で残ってるわけじゃないんだってね!
池田理代子にダマされたー
210 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 00:39:28
逆に史実に顔が残ってる人なんているの?
いないっしょ。
>>205 田村王子は、毛人の妹の法提郎女が后になってて、その子供が古人王子。
蘇我が目論んでいたのはいずれ古人を天皇にすることだから…。
あれ?そうなん?
けみし何人きょうだいなんだ?
兄弟の数とか完全にわかってないよ。ゼントコ=毛人説もあるし。
聖徳太子じたいが捏造なんて説もあるんだから、歴史=事実な訳ない。
それにしても、「史実に基づいた」池田理代子漫画の聖徳太子が、山岸凉子のパクリってのはねぇ…。
池田理代子漫画は同人の二次創作かよ。
顔もわからなければ性格もわからないし、実在したのか、エピソードもホントかどうかさえわかってない時代だからねぇ。
217 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 19:49:20
218 :
日本@名無史さん:2008/02/23(土) 22:32:47
7世紀末に畿内の日本国があの伝統ある倭国を併合したのだが(天武天皇)、
畿内日本国=大和国としては「わが国は倭国の後継国だ」と主張したくて、
ついにこの「インチキな大義名分」を唐の則天武后に承認してもらった。
だから「日出処の天子」は、九州王朝の王なのだが、
いまさら推古+聖徳太子は「国書を送っていません」とは言えなかった。
もらっていない隋煬帝の国書を「小野妹子が紛失した」のにお咎めなしなのは、
そもそももらっていない煬帝の国書を失くしようがないから。
この漫画の人物造形は分かりづらいね。
厩戸皇子がなぜああいう人間なのかといえば、
幼少期から優れた知能の持ち主・同時に霊能も持っていた
↓
それがゆえに母親から(表面的には)優しくされても内心では疎まれていた
↓
女性・母性不信(父親用命天皇は単なる凡人だからお話にならない)
↓
(性的興味は専ら男性へ)
↓
蘇我蝦夷に出会い恋に落ちる
ということなんだろうけど。
しかしこの漫画の蘇我蝦夷は男らしい所もあるが
基本的にはなはだ優柔不断の頼りない人物である。
一般的な蘇我蝦夷の悪辣なイメージとは違う。
(もっとも、現実の蝦夷も、父馬子、子入鹿に挟まれて、いまいち印象が薄いが)
厩戸皇子が蝦夷に惚れた理由もどうもはっきりしないが、
蝦夷も無自覚的な霊能者でありそこに厩戸皇子が魅かれたようなことが示唆されている。
「女嫌い」のくせに、崇峻暗殺という舞台装置までつくって蝦夷の恋人を殺そうとしたのは
はなはだ女々しいといわざるをえない。
>「女嫌い」のくせに、はなはだ女々しい
女嫌いが女々しくても別に何の問題もないだろ
あたしは小学生の時、この漫画を読んで衝撃を受けたので、以後歴史の授業で聖徳太子関連のことを習っても、
この漫画のイメージでしか人物を捉えられなくなってるよ(;´д` )
222 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 16:48:49
この漫画、意図的にか結果的にか知らないけど「蘇我氏復権」目的で書かれた?
この漫画の蘇我一族はそんなに悪い人たちって感じじゃないもんね。
蘇我氏を滅ぼした中臣―藤原氏が日本の貴族の本流として
華族制度がなくなった現代に到るまで名家扱いされてることへのささやかな抵抗?
223 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 17:33:54
>>222 蘇我一族はそんなに悪い人たちって感じじゃないもんね
蘇我一族といっても、馬子−蝦夷−入鹿のいわゆる宗家以外は悪者に描かれるとは限らない。
大化の改新後も蘇我氏の重臣は多い。
また、持統天皇の母とか、藤原不比等の妻で房前(北家)の母も蘇我氏。蘇我氏の血は現代までかなり濃く残ることになる。
で、蘇我宗家が悪者かどうかだけど、意見がいろいろあるところだよね。
日本書紀を読むと、
馬子:策士 (しかもスズメのようなチビ(敏達十四年(585)八月15日の「如中獵箭之雀烏焉」))
蝦夷:凡庸
入鹿:乱暴だが有能
といった印象を受けるな。
>>222 てか、蘇我氏が不当に悪人レッテル貼られてるんじゃないかって見方はけっこうメジャー。
中臣鎌足が蘇我入鹿を討ったことをネタにした
「妹背山婦女庭訓」という人形浄瑠璃が受けたりしてるから
少なくとも江戸時代の人にとっては蘇我氏=悪役というイメージだったと思う。
この漫画で、弓矢の宴のような場面でおめでたいことを言って弓を射る際、
毛人が「八雲立つ 大和の国に 栄えあれ」
(本が手元にないのでこの通りの文だったかは不明)
みたいなことを言って弓を射ていた。
しかしこの言葉遣いは明確な誤りで
枕詞「八雲立つ」は「出雲」にかかるものであり「大和」にはかからない。
(「大和」だったら「そらみつ」「しきしまの」など)
何でこんな基本的な間違いがあるのか?
(1)作者の無知
(2)毛人が無知として作者がわざと書いた
(3)枕詞をわざと間違えることで作者がもっと大きい何かの暗示とした
鎌足-不比等がその後で歴史書作ってるから、
大化の改新を正当化するためにも、
蘇我一族は悪者にしておく必要があったんじゃないかな。
>>226 枕詞の決まりなんて、当時、ないんじゃない?
枕詞は何度も使われるようになって、
これにはコレ、と、段々と決まり文句になったんじゃないかな。
王の歌―古代歌謡論―』(鈴木日出男/筑摩書房)では、「八雲立つ」とは「平和に治まって繁栄することの象徴的表現」とされています。
って事なんで、枕詞でなく一般的な形容句として使ったとかかな。
聖徳太子の時代は、出雲=大和だった。
出雲の王は即ち蘇我氏だった。
蘇我氏は討ち滅ぼされ残党が今の出雲に移った。そしてそこが出雲と呼ばれるようになった。
231 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 21:58:44
調子麻呂は知らんが来目皇子を暗殺したのは淡水(漫画の中の名前)であるらしいよ。
233 :
日本@名無史さん:2008/03/21(金) 15:35:12
え?淡水は実在の人物?
淡水が名乗ってたトミノイチイは史実にある人物だな
想像をたくましくすれば、
来目皇子は漫画では童顔の人の良いキャラだが
史実では成人して武人となったような人物だ。
武力を率いて聖徳太子を脅かす存在にもなり得る。
だから太子は手の者を使って来目皇子を暗殺したのだ。
そん頃の皇族ってみんな武人だが。
>>233 迹見赤檮が木の上にいた物部守屋を射落としたのは史実にある。
wikiにも項目がある。
史書にはあるけどそれ自体どのくらい事実なのか分からない説話みたいなものだしなあ。
蘇我氏滅亡の際に元史料は焼かれたともいってるし。
それを言い出したら、日本書紀等も・・・
>>237 でも淡水はいないよ。
調子麻呂も馬の世話してた舎人らしいが詳しくは解らない。
この漫画が描かれた頃って、女向けホモネタ漫画のインフレーション〜ビッグバン期で
これもそのブーム便乗作品なんだよね。だから端から史実とかはあまり気にかけてない。
そしてヤオイとか腐女子がワラワラと発生したのだった。
これより前に連載開始のホモで大ヒット作品って何だろ
「地球へ・・・」の人の、あれ。
風、木?
あっちのが先なんだ。知らなかった。
ヤオイものってグリーンカーネーションとか山岸凉子が最初なのかと思ってたよ
単にホモモノの黎明期の作品ってんなら「サンルームにて」もそうだ。
でもヒットしたのは萩尾さんのとか風木かな?
刀自子が習字をするのに紙を使ってたけど、いくら蘇我の娘でも
貴重品の紙じゃなく木簡かなんかに書けと思った。
それはスルドイ意見だ。習字の木簡も発掘されてるからな。
削ってまた書けるから練習用には便利だな。
249 :
日本@名無史さん:2008/05/26(月) 23:49:07
あれ?
でも確か王子が毛人の文字のことを
削り跡一つない見事な文字
って誉めてなかった?
ってことは木管だよね。
習書
昔の紙はかなり厚かったから削れたんだよ。
今だって砂消しゴムで削るでしょ。
252 :
日本@名無史さん:2008/06/08(日) 16:03:40
そんなわけないw
信じちゃったw
あの時代のファッションって本当はどんなんだったの?
255 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:59:23
あげちゃう
中国六朝のファッションが百済化してそれが更に倭化したものでしょ。
257 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:25:12
少なくともあのマンガのような衣装では無かった筈。
258 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:43:08
ノシ
貧乏学生には高い雑誌だった記憶…違った?
AG
261 :
日本@名無史さん:2008/08/06(水) 15:55:55
>>257 でもそれを池田理代子もマネしてる・・・
猫が作中に出てきたと思うんだけど、
飛鳥時代にはまだ猫は日本列島にいないんじゃない?
いちおう仏典をネズミの被害から守るために伝えられたというのが通説だから、
538年に初来日という可能性はある。
そうだとしても太子の頃は、まだペットにするまでは普及はしてなかったと思う。
太子の著作とされる三経義疏は偽書。
>>225 私はこのマンガを読むまでは蘇我は悪者だと思っていた。
もちろんコレが史実として正しいってことじゃなくて
「あー(フィクションにしても)こういう見方も出来るんだ」って初めて知ったから新鮮だった。
それまで、どのマンガも教科書も日本書紀でさえも
蘇我一族は悪者のように描いていたから。
日本書紀を書かせたのはその後の中大兄&鎌足の子孫だからなー。
そうじゃないと大化の改新を正当化できなかったのかも?
漫画としてはおもしろいけど、主人公が聖徳太子である必要性と、毛の人が年サバ読みまくっている事と、刀自古の物部の館での詳細な描写がない事に疑問を抱く。
267 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 13:54:07
ババア共が少女時代に愛読してた少女漫画のうわさ話で盛り上がってるわけか
ジジイもいてますで
法隆寺のそばに調子丸の墓というのがある
調子麻呂のことだよね
大河や歴史ものだと、主人公を正当化してその悪事や暗黒面は
敵や周囲の人物が請け負ってるものなんだが
この漫画の殺人暗殺はだいたいが聖徳太子が手に掛けたり命令させてるんだな
>>261 池田理代子のはどうしても
オスカルやアンドレがヅラかぶって演技してるようにしか見えない
ほすあげ
274 :
日本@名無史さん:2009/03/29(日) 21:11:18
つまらん漫画に、何血道上げてんだ?
誰が?
276 :
日本@名無史さん:2009/06/21(日) 19:38:31
つか、蘇我と物部の対立が激しくなって母親と
里帰りしてた間に刀自古が狼藉を受けて身籠ったことに
なってるけど史実ではどうなの?
花郎を詳しく知りたい。
新羅の貴族の間での組織というか習慣というか。
>>276 そんなこと解るわけがない。
史実(と言われているモノ)の蝦夷はかなりの冷静沈着なキャラ。
>>276 常識から言って、あのタイミングでわざわざ娘を物部の屋敷に送るなど、降伏の証に等しい。
下男はまだしも物部の一族になら、あんな目に遭わされる可能性は十分にある。
だからそもそも物部の屋敷に行ったと言うところからして史実ではあり得ない。
281 :
日本@名無史さん:2009/08/26(水) 06:25:30
保守
>>240 淡水は、三国史記(乱暴にいって日本にとっての日本書紀みたいなもん)にでてくるよ
283 :
日本@名無史さん:2009/10/01(木) 12:21:58
ほしゅ
285 :
日本@名無史さん:2010/02/07(日) 18:42:33
>>276 >>280 あの時代って、母方の家で子供は育つ。
なのでそもそも彼らは物部に阿刀の邸にいたはず。
大体蘇我氏の実体すらつかめない。
蘇我大王
日本の夏 保守の夏