1 :
神奈川県民:
魏志倭人伝によると、日本の昔、「卑弥呼」という女王が国を治めてた。
この謎の女王は古代史最大のミステリーで有り、人々のロマンである。
そのミステリーについて語ろうじゃないか!
また、邪馬台国は何処に有り、天皇家との繋がりは?!
(魏志倭人伝より)
その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。
倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。
名付けて卑弥呼という。
鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。
王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。
ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。
宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
2 :
神奈川県民:2007/03/23(金) 20:53:18
3 :
九州出身:2007/03/23(金) 21:03:37
みなさんお久しぶり いま5のレス読んでいます。
>>366-367 これについてみなさんの意見を聞こう
4 :
九州出身:2007/03/23(金) 21:05:32
おっと失礼!前レスのこれね!
366 :日本@名無史さん :2007/03/11(日) 00:27:30
>>358 それは、卑弥呼を記紀の誰にたとえるかと言う問題になる。
天照大神とすれば、当然、神武東征は卑弥呼の後になる。
畿内説のように、倭迹迹日百襲姫とすれば、卑弥呼の前になる。
どちらが適当かよ〜く考えてみよう。
367 :日本@名無史さん :2007/03/11(日) 00:56:24
>>366 アマテラスという神話の人物よりも
倭迹迹日百襲姫のほうが卑弥呼にふさわしいだろう?
5 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 22:39:45
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
前スレに翻訳ソフトで書いた
あほな勧告人が書き込んでいたなw
8 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:32:33
天皇家とは違う民族だろう。
多分南方系で天皇家は後からきた北方系。
神奈川県民さんよ
あんたは謎の女王ヒミコさんに入れ込んでるシンからの古代史大好きさんで、
悪い人やないと思うが、愛すべき人やとは思うが、
なんでこう先走って「6」を立てるんや?
まだ「3」が未消化やないですか。
ここでの議論、「3」を使い切ってからにしましょうや。
10 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:52:08
邪馬台国研究したって金にならんよ
卑弥呼人気投票!
1、オリジナル卑弥呼
2、神功皇后
3、倭姫
4、天照大神
5、倭トト日百ソ姫
他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。
僕は、4に一票入れとくわー
12 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 02:08:04
あえて・・・・あげ
13 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 07:14:57
祝新スレ
荒らしも含めてここまで総て大林さんの自演ですか
改めて鈍感な思考に拍手です
加齢臭が文字にまで踊る独特の言い回し
きっと死ぬまで直らないですね
一人ぼっちの検討を祈ります
九州ですが ◆IhXqm1bg5cは
半島の工作員。
15 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:33:55
保守
16 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:43:51
現在の天皇家ならば、卑弥呼(邪馬台国)・・・→・・・大和朝廷成立、
までの、3世紀後半から、4世紀までの、伝承があるはずだよね。
邪馬台国と狗奴国と熊襲と大和朝廷の関係は、正しくは、どんな関係なのか?
ぐらいのことは、天皇家は知っているはず。
そのくらい、オープンにしてくれてもいいじゃないか!
証拠だって、様々あるはず。
隠さなくっても、いいじゃないか!
どうしたら、オープンにさせることができるのか?
手紙でも書いてみたら?
>>16 旧宮家の人は知らないと言っていたよ。
だいたい1300年前に日本書紀を編纂した人たちだって
過去の暦に関して分からなくなっていたのに。
>>19 一子相伝の口伝があるかもよ。北斗の拳の読みすぎ?
でも、秘すれば花っていう風姿花伝の言葉があるじゃないか。
学問的にはオープンにしてくれたら好奇心が満たされるけど、
神道的には、あたら花を散らすことになるよね。
21 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 22:44:48
>16
天皇家よ、歴史の真実をオープンにしてくれ。無駄な議論は終止符を打ってくれ。
つーか、昭和天皇自体
よう分からんと言っていたんだろう。
23 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 08:30:25
明治維新後に天皇家を飾り立てるためにでっち上げられた物も色々あるだろう。
24 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 09:41:34
1300年前に日本書紀を編纂したが、その時に600年前の事が正確に
わかるはずがないかも。
25 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 17:02:21
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
26 :
九州出身:2007/03/29(木) 21:05:59
んだ 天皇家の謎はオープンにしてほしいよねw
27 :
日本史@名無しさん:2007/03/30(金) 07:18:40
陵墓発掘させるだけでもいいんだがね
28 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 07:48:56
アマテラスとヒミコは同一人物ってなんかの本に書いてた
29 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 08:50:55
物証がないと想像だけで決めてかかるのは五人逮捕してるとこと同じで
30 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:22:58
以下は「終止符!3」の992でレスしたもののコピペだが、議論を続行してもらいたいので再録させていただく。
安本美典氏の卑弥呼=天照大御神説はおかしい。邪馬台国の会サイトにこんな説明がある。
>卑弥呼には、弟がいたことになっている。天照大御神にも、須佐之男の命、月読の命という弟がいる
>魏志倭人伝の、女王のことばを伝えるために出入りしている一人の男と、高木神とが符合するように思える。
>天照大御神と、須佐之男の命の争いは、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼との戦争ににている。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/himiko.htm こじつけと言うか、なんかもう、無茶苦茶の出鱈目と違うか。
みなさんはどう思われるか。
31 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:30:18
>>30 もちろん、こじつけだし、お話にならない。
騙されるのは中学生までにしてほしい。
》16 あくまで俺のイメージだが、天皇家も詳しくはわかんないと思うよ。
明確ないわゆる物証みたいなものはないんじゃまいか?
やっぱ、墓を掘り起こして鑑定しないと、してもどこまでわかるかわからんが、今よりはいいよね。
此処の有名人よりいいよw
34 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:36:21
古事記を読めば、日向神話→筑紫神話→出雲神話・・・・〜大和朝廷と
構成されている。 6〜7世紀の天皇家がルーツを高千穂に求めている。
古事記の中味は、古くからの口承伝承を忠実に記載されている。解らない所は
「一書に曰く・」と別載
私は、魏志倭人伝の東夷伝、倭国の記述には500〜1000年の包含したズレを感じる
全身刺青をして、海中に・・・と言う所とか、「本」と言う伝聞記述が・・・
倭全体の国を、九州に見立てている、で卑弥呼は当然九州となる。
卑弥呼は、日のミコ と言う冠位と思う。
日向(ひゅうが)は、日向(ひむか)い 宮崎に多い、日高(ひだか)姓は、ヒコゥと言う
西都原古墳郡は730基?かの円墳などがある。
これらから、古事記は発祥してる感じがする。
魏志倭人伝に言う女王は、博多(那の津)の金印が出た所の祈祷師即ち大祭司と思う
だから、古事記・書記と比べても意味が無い。
35 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:38:54
宇佐の比売大神って、どう考えてもトヨでしょ?
そもそも、「ヒメオオカミ」って、女性の神様、って意味でしょ?
誰かの名前というよりは。
その両脇を神功皇后と応神天皇が固めているのは、彼らが、かつて
同じ九州の宇佐からその孫「彦火火出見」を畿内に向けて送り出した事に
思いをはせて(または、2人をお祀りした頃の人が思いを馳せて)偉大なるトヨのそばに
祀らせたんじゃないかと思うのですよ。私は。
それにしても宇佐神宮は見事なお社ですよ〜。
このゴールデンウィーク、勅使道をとおって、お参りしてください。
36 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 20:41:05
しかし笑った。今、ものまね紅白歌合戦で滅び行く邪馬台国のマネというのがあって。
37 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:43:21
>>34 高千穂から、東に向かってますよねー。
だから、天つ神の古郷はその西側。
筑後平野から九州山地を越えて日向に至り、
コノハナサクヤ姫を娶る。その子孫が神武天皇
という物語。
38 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:50:34
神武がマキムクに入った頃、畿内の主流は出雲。
だが、その出雲は北部九州と吉備の勢力に滅ぼされてしまったのでしょう。
初代神武の頃:出雲勢力は健在
十代崇神の頃:出雲が祟るとして、出雲大社が造られる
という事は、出雲の勢力が駆逐されたのは、この2〜9代の間、ですよね?
そう、国譲り神話は、欠史8代の事を比喩的に書いたものなんです。
>>37 人はみな一方向へしか進めないのか。
静岡から富士山に登ったら、どうしても山梨へ降りないといけないのか!
静岡へ引き返す、或いは御殿場へと方向を変える等の選択肢はなぜ許されないのかッ!
40 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:57:53
神功皇后が、北部九州で女酋長を討ち取ったとあります。
同じような事が、継体天皇の頃にも起こっています。
そう、磐井の乱です。
九州北部にすんでいると、畿内よりも朝鮮半島のほうが
身近に感じたりするもんなんです。(ましてや当時は。)
だから、畿内の勢力が半島に攻め込もうとすると、
半島に味方して、畿内の軍と戦ったりしたんじゃないでしょうか?
41 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:01:16
>>39 もうちょっと面白いのをおながいしますよ。^^
あの当時、高千穂を越えるのはおそらく命懸け。
静岡から富士山に登って、静岡に下山するのは裕福な現代人のみ。
42 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 21:07:12
以前、宇佐神宮に電話して宮司さんにお話を伺ったところ、比売大神を「卑弥呼なんでしょ」といってくる人が多いと言ってた。
四拍手で怨霊として祀ってある事については詳しくは解らないという事だった。大神の像は神宮には無く、宇佐あたりの人であったこと以外よく解らない
謎の人物だそうだ。
43 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:12:41
四拍は、私も以前は怨霊に対してのものと思っていました。
しかし、実際に宇佐神宮に参ってみると、とても怨霊を祀った
ものとは思えないのです。いかがでしょうか、九州ですが ◆IhXqm1bg5c さん?
四拍とは、二拍を二回行うもの、すなわちほかの神々よりも偉大なる者、という
解釈はむりでしょうか?^^;
44 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:13:23
前レス>>991
>もちろん、九州では無いな?
従来からの自領地にアマテラス神を奉った所で意味はない。
当然新地に奉る事に意味が
過去の記録を葬り去り、新たな認識を設け制圧する
100年程経過し世代が一掃されるころには、過去の地神への信仰も新たに重ねられた
神への信仰へ移り行きます。
46 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:17:45
47 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:23:03
なんていうかね〜、邪馬台国畿内説でどうしても引っかかるのは
吉備or出雲が畿内に至るまでに出てこない事なんですよ。
あんなに細々とした国(というよりは集落?)の名前を記しておきながら、
古代史のビッグネーム「吉備」(瀬戸内海経由の場合)「出雲」(日本海経由の場合)
が登場しないのは、いかにも不自然だとおもいませんか?みなさん。
48 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/03(火) 21:38:08
>>43 祀ってある3体のうち像が一番小さく四拍手で、しかし真ん中。謎です。実在の人物であった感がします。
九州には女酋が少なくとも3人はいたようですが。
四拍手についてもただ昔からそうしているとのことでした。
49 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:42:05
>>47 >古代史のビッグネーム「吉備」(瀬戸内海経由の場合)「出雲」(日本海経由の場合)
>が登場しないのは、いかにも不自然だとおもいませんか?みなさん。
これはものすごく良い質問です。まさに敵ながら天晴れ、と言いたいです。
良い質問は良い回答を生み出します。
回答の半分は、卑弥呼=モモソヒメを提唱した笠井新也氏がすでに答えています。
すなわち投馬国が出雲である、と。5万戸の大国ですからね。
あと半分は私が答えましょう。
吉備は、3世紀半ばの時点で邪馬台国と一体化していた、と。
すなわち吉備は、すでに女王国の領域になっているのです。
播磨、丹波、阿波、讃岐もですよ。
近年の考古学が示す多くの事項が、それを立証します。
50 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:12:34
>>49 畿内に女王国があってそんな処まで分かっているなら、記紀に卑弥呼女王の
ことが題名となって一節もうけられているよ。神功皇后や日本武尊のようにな。
それなのに全く記紀に女王の章が載っていない。
なぜか? かんた〜ん。畿内には卑弥呼の国がなかったからだ。
無けりゃぁ載ってないのが当たり前。つまり女王国は九州にあったからだ。
51 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:14:54
↑
お前は、おんなじ事、何度も何度も書か無くていいよ。
52 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:16:05
世界を見ろ。
53 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/03(火) 22:17:15
>>51 そんじゃぁ、お前は毎回の畿内説の矛盾を理解したのか?
54 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:21:37
>>50 いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。
>>54 お前は早く社伝の説明をしろ。
比売大神は三女神のうちいずれなのだ? この中にいなけりゃぁ、どうやら
日神と須神の子じゃぁありませんぜ。w 卑弥呼でもないし・・・。
それに、三女神の一人とすれば、なぜ残り二人は祀られんのだい?
そう考えれば矛盾が出てきて、現実に親子の線は崩れ出すんだぜ。日神らは神武
以前の世界だから、否定されれば、比売大神は余の説明のとおり神武以降の人物
の可能性が強まって来るんだよ。
56 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:38:24
>>55 いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。
57 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:46:54
九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#_note-gengou2 問題点
九州王朝説は現在のところ、日本古代史の学界からは「批判・検証を受ける段階に無い」と見られ黙殺されている。それは以下のような理由による。
九州王朝の歴史を記録した一次資料は存在しない[11]。したがって記紀や中国や韓国の歴史書等に散見される間接的な記事、九州年号や大宰府など僅かに残された資料をつなぎ合わせて王朝の歴史を推測するしかない。
この直接的記録が無いことが、九州王朝否定論の論拠となっており、また多くの亜流を生む原因ともなっている。また、資料の扱いが恣意的である[12]点も、九州王朝説の弱点である(九州王朝説からすると通説が資料の扱いが恣意的であるとなる[13] )。
同じ九州王朝説の支持研究者でも、白村江の戦いまでを九州王朝の歴史と見る、壬申の乱までを九州王朝の歴史と見る、大化の改新まで九州王朝の歴史と見る[1] 等考え方は様々であり定まっていない。
九州王朝説の中にも仮定に仮定を積み重ねたトンデモ説としか思えないものもあり、初めて読んだ本がこれらの場合に九州王朝説全体をトンデモ説だと思ってしまう事がある。
>>56 そっちはお前には程度がΛ須弥山Λのように高すぎる。w
いいから早く
>>55の説明をしろ。
59 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 22:53:04
マキムク遺跡のあり方から、邪馬台国は大和ではありえないのでは
無いか思えてくる。
マキムク遺跡は卑弥呼やトヨが活躍した220年頃作られているが、
その遺跡には、中国文化の影響がほとんど見られない。
中国産の青銅器も器物を模した国産品も出土していない。
中国と通商した邪馬台国の都が、マクムクではありえない。
古史古伝のウガヤ朝70数代も九州王朝と考察可能。
61 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:55:55
>>60 いいから、早く「古神道」とやらの説明をしろよ。
>>59 卑弥呼が220年ころ活躍したことは言えるわけで、倍暦計上から
景初元年=237年=崇神天皇即位元年
63 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 22:59:30
>>59 つづき
卑弥呼が女王になった2世紀待つの銅剣、銅矛を重んじる
北九州の文化と銅鐸をまつる近畿地方の文化とは異質である
卑弥呼の時代にその両方を制圧した政権が存在した見るのは
難しい。それよりも、4世紀初頭の銅鐸の消滅の動きと、近畿
地方から北九州までの統一とをからめて考えるのが妥当でしょう。
64 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:02:53
65 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:05:40
>>49さんへ
「投馬」と「出雲」、このネーミングは似ても似つきません。
5万戸は現在の出雲以外でもありうる事。少々無理がありませんでしょうか?
また、
吉備がすでに邪馬台国(女王国、この場合畿内女王国)の一部になっていたとするなら、
北部九州から畿内に向かった神武一行が吉備にはすんなり入る事が出来、その後長期間
逗留しているにもかかわらず、畿内に入ろうとするや否や、ナガスネヒコの攻撃を受けた
のは何故でしょうか?
魏志倭人伝の記載は神武東遷より前の事。であれば、神武東遷より前はさらに畿内と吉備は
別物であったと考えるのが自然ではないでしょうか?
あ〜、もう酔っぱらってしまいました。もうねます。
しかし、太国氏が登場すると、スレの雰囲気がガラっと変わりますね。^^
あたいも寝るわ〜。w
67 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:11:31
>>65 >「投馬」と「出雲」、このネーミングは似ても似つきません。
そんなことはない。
出雲の有名な地名は「玉造」
「タマ」と「投馬」は、とても似ている。
そもそも、「イヅモ」を「出雲」と書いたのは当て字ぽい。
接頭語の「イ」と「タマ」で、「イヅモ」と音韻変化したことはありうる。
68 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:16:07
>>65 >魏志倭人伝の記載は神武東遷より前の事。
どうして、勝手に断言するんだよ?
神武東遷が魏志倭人伝以後だと唱えるやつは、九州説の一部にしかいない。
69 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:22:09
神武東征が、邪馬台国時代より後だと考えるやつにいいたい。
考古学が信じられないならそれでもいい。信じなくて結構。
しかし、記紀神話には、神武東征が紀元前の出来事だと明記してある。
そのことを無視して、3世紀以後に神武東征があったなどと、
いったいどういう論拠で言えるのか?
記紀を無視するなら、神武東征の記載も無視すべきだ。
自分の都合にあわせて、記紀を捏造とか言うのはよせ。
70 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:30:54
>>69 記紀に「3世紀以後」ってかいてある?
卑弥呼のあと、トヨが起つ。
天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
神武が東遷する。
の順番で書いてあるだけでしょおん??
71 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 23:31:32
はて???
古事記に神武東征の年代の記述があったか?
72 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:32:34
「タマ」と「投馬」なんて全然似てないぞ。
「タマ」と「キンタマ」のほうが、まだ似てる。
73 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:33:10
九州説では、
神武東征が紀元前だと、
邪馬台国東遷を考えたときに都合が悪くなるんだろ?
これは、ジレンマだよな。
邪馬台国が東遷して大和朝廷になったと思いたいが、
それでは、神武東征が紀元前では都合が悪いわけだ。
74 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:35:44
>>70 >卑弥呼のあと、トヨが起つ。
>天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
>山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
>神武が東遷する。
ふざけたことを言うな。
魏志倭人伝と、記紀を都合よく合体させるな。
>卑弥呼のあと、トヨが起つ。
これと、
>天孫降臨した神々は高千穂から日向へ逝き、コノハナサクヤと結ばれる。
>山幸彦はトヨ玉姫と結ばれる。
>神武が東遷する。
これは、まったく異なる伝承だろ。
75 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:39:59
邪馬台国も、卑弥呼も、神武も、大和朝廷も、みんな好き好き。
だから、全部が幸せになるストーリーであってほしい。
だから、邪馬台国の卑弥呼の末裔の神武が東遷して、大和朝廷になった。
こんな都合のいい、歴史があってたまるか。
76 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:46:09
>>74 すまんすまん。かなり酔ってるので。
しかし、下の3つはそのとおりだろ?
上の一つは削除してね〜ん。
また明日きます。おやすみ。
77 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:49:40
邪馬台国の卑弥呼が天照大神。
邪馬台国が東遷して、大和朝廷になった。
神武東征は、その投影。
ケチつけるやつは、日本人やめろ。
高天原は、畿内の金剛山・高天台でしょう?
ここに高天彦神社があるし
金剛山のことを高天山といっていた。
じゃ、なぜ、そう断言できるかというと
日向の高千穂に降臨したニニギの親族のアメノホカリなどの
他の神様の子孫の殆どが
畿内や出雲の神様をやっているから。
つまり、ニニギは、畿内の高天原から日向の高千穂に派遣されたんだな。
それが、ニニギの曾孫の神武が、東征して、
畿内本家を継承していた大物主の娘婿になった。
また、イザナギの伝承地の多くは
高天台に近い和歌山県に多く存在している。
熊野那智も和歌山県の山中。
卑弥呼=百襲媛命・・・3世紀
神武天皇・・・1世紀後半〜2世紀初頭
天照大神・・・紀元前1世紀
邪馬台国=大和
高千穂=日向の高千穂
高天原=畿内の金剛山(旧・高天山)
>高天原は、畿内の金剛山・高天台
違うよ 名前をコピーしたんでしょ。
>畿内の高天原から日向の高千穂に派遣
昔の神様にもアデコみたいな派遣会社があったんだね。
地域が飛びまくるのを「派遣」で済まそうというこじつけがおもしろいなw
>>80 阿呆か? 九州を統治するために
畿内から高千穂に派遣されたんだろうが?
82 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:22:49
九州どころかお隣の河内さえ統治もできてないのにw劇藁
はい、破綻しまつたw
84 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:27:37
↑破綻してるのに必死www
85 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 02:33:44
西臼杵郡の高千穂かぁ この辺りは天岩戸もあるし
豊後や祖母山とも重なる地域
豊前の中津、そしてアマテラスとスサノオから生まれたとする比売大神を祭る宇佐神宮、
耶馬のつく地名が散乱
これは怪しいでつね
ついでに南部九州最大の霧島神宮 ニニギノミコトを祭ってるね
>畿内の金剛山・高天台でしょう?
>ここに高天彦神社があるし
あほう・・・
高天原と名前がつく地域は日本中にあるのに。 あとは「日向の高千穂にウチから派遣したんよ!」
と言えばいいんだね。こりゃ凄い
高天原山(群馬県上野村) JAL123便墜落地点
金剛山の高天彦神社は
明治天皇が東京へ行かれる前にも
そのことを報告されるために
参拝されいる。
90 :
一応九州王朝説:2007/04/04(水) 06:20:15
>>4拍の由来や意味はともかく、全然系統が違うっぽい出雲大社と
ここだけって言うのが問題ですよね。
道鏡を利用して、ヒメ大神を主神とする宇佐氏が中心に返り咲こうと
して、敗北しますよね。それでもヒメ大神が主神の位置から転落する
ことはなく、宇佐氏も神官の地位を残されます。
しかし、八幡神奉ずる秦氏に敗北したのは事実で、その時に四拍と
された可能性もあります。
畿内天皇家が、神仏混淆の八幡神を奉じた時点で、主神のヒメ大神
を霊的に封じる必要があったのは確かでしょう。当然出雲大社の大国
主神と同じ扱いとなりますよね。四拍という形式自体が、天神への国譲
り時点なのかずっと後世の事なのかは不明ですが。
道鏡は志紀出身ですから、物部の本貫ですよね。実際弓削氏は物部の
一族で、主神はニギハヤヒです。九州とも関係深い物部の生き残りが、
九州勢力の残党と復活を企図する、構図としては面白いと思います。
男女の下世話な話に歪曲されていますが、荘園を禁じて墾田永代私有
法により公地の私物化を推進した藤原氏を押さえ、国家財政の建て直し
を図った二人なのに、明治以後大悪人と堕落した女帝とされました。馬
鹿な話だし、ここにも歴史の捏造を見ることも出来ます。どうも藤原氏は
そういうのがお得意なようで。孝謙天皇が、大仏開眼という大イベントを
きっかけにその霊的根拠である宇佐と結ぶことも必然性は高いでしょう。
現在の志紀県主神社は、今は寂れた所ですが、河内国総社です。当然
物部と関係ない主神で、志紀が国府にされたことからも、物部氏の影響
力を一掃しようとした事情が伺えます。旧物部系は相当鬱積していた事
でしょう。
日本の上古代史って、
大物主家に娘しかいなくなっていらい
ニギハヤヒとニニギの子孫同士の暗闘があったんじゃないのか?
>>90 そういう臭い妄想説辞めてください。馬鹿?
比売大神は謎の人物なんだよ。
ただし神話からいうと、スサノヲがアマテラスに乱暴したと( 近親相姦レイープ? )
あるので父親無しの不義の子の可能性 大
しかも逝き先不明。悲劇の人生を送ったのかもしれんし。皇女として扱われたのかもしれん。
アマテラスが巫女なら娘も当然巫女になっただろう。
とりあえず誰もしらねーんだよ。あふぉ!
93 :
一応九州王朝説:2007/04/04(水) 20:45:20
お前の方が充分馬鹿に見えるがな。
お前が妄想するのは勝手だが、秦氏以前に宇佐氏が主神に祀ってたのは
間違いないんだよ。
中味のあるレスしろ馬鹿。
馬鹿とかアホとかなくても文章成立してるので、その様な表現は自粛されてはいかがでしょうか?
ご提案申し上げます。
95 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 21:56:37
>>93逆上しているようにしか見えない
本当に醜い。。。。
96 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:11:23
>>78 地元ですが、あの山が別名で高天台、高天と呼ばれるのは関西で一番高い山だからです。
学校でそう習いました。
富士山もそのように呼ばれることがあると聞きましたが。
ちなみに朝鮮半島で一番高い山も金剛山と名づけられています。
97 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 22:13:00
・・・
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【皇太子夫妻にまつわる怖い話】 第三十一話 [オカルト]
98 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:19:17
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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99 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/05(木) 02:14:19
>>64 そちらの言う対立とは具体的にどのようなことを指すのか解らんが、
銅剣銅矛の分布と、銅鐸の分布が北部九州と畿内にそれぞれ分かれているのは確かなこと。
そして中国地方の一部はその両方が混在してダブっている地域。
それは両方の文化圏の中間に位置しているため必然的にそうなったもので、
大して意味のあることとは思えない。
100 :
一食即発:2007/04/05(木) 07:13:07
みなさん、昨夜のNHK3chの地球ドラマチックのエジプトラムセスU世の都
ピラメセスの発見についてみました?
たった二人の考古学者が古文書や地形等から割り出しに成功していました。
それに引き換え日本の学者連中は数百人かかっても邪馬台国の割り出しに成功していない。
ここは、ヨーロッパ系の学者に邪馬台国を探してもらってはいかがでしょうか?
101 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 09:08:26
九州勢力の東征で、銅鐸が消滅したというが、
九州の銅矛も消滅してる。
九州勢力が畿内を征圧したという構図なら、自分たちの銅矛祭祀を捨てる理由が無い。
よって、九州勢力の東征は無い。
九州王朝=邪馬台国
畿内王朝=邪馬台国とは別の王権(九州王朝より勢力強し)
邪馬台国(九州王朝)が魏に朝貢後、畿内王朝に併呑される。
大化の改新〜壬申の乱にて九州王朝系の復権(クーデターか?)
日本書紀が編纂される。
こんな流れだと矛盾しないかも
>>99 >銅剣銅矛の分布と、銅鐸の分布が北部九州と畿内にそれぞれ分かれているのは確かなこと。
銅剣と銅矛は分布を異にする。弥生後期はそれが甚だしくなっている。
平形銅剣の分布は瀬戸内であり、北部九州ではない。
畿内とは大和・山城・摂津・河内(のち和泉を分離)であり、後期の超大型銅鐸は、畿内には希薄である。
104 :
日本@名無史さん :2007/04/05(木) 11:22:31
こらこら、邪馬台国時代を、畿内に都合の良い時代の
ような文章にするな。
105 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 22:40:14
>>100 ヨーロッパ系の学者は無理があるでしょう?w
彼らは漢文読めない人が多いわけだから。
知識にも限界があるわけだし。
むしろ、中国の学者のほうが、鋭いわけで。
でも、九州論者は、中国の学者のことを嫌がるかもね。
中国の学者は、邪馬台国畿内説が有利になっているから。
107 :
一食即発:2007/04/06(金) 07:29:34
前述のヨーロッパ系の学者はエジプト古代文字を解読していましたから、ヨーロッパ系の学者でも漢文も解読できるでしょう。
邪馬台国畿内説に傾くようでは、中国の学者は鋭いとはいえないのでは?
中国は一癖も二癖もある戦略化、なめたらいかん。
考古、DNA絡みは特に注意せんとw
109 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 08:58:44
中国の学者は日本の主流といわれる考古や歴史学者を紹介されつきあっているようであるから、
畿内説をふきこまれているのであろう。そして、日本のトップクラスのg作者がそういっているのであるから、畿内説でよいのだろうと。
大体、中国の学者は九州説があることをしっているのだろうか。
110 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 09:11:15
ニニギノミコトは穀物神。
三人の息子は稲穂の成長する様を三段階に分け、擬人化したもの。
九州説も糞も、邪馬台話やってる事ぐらい知ってるでしょ。アフォじゃなきゃ。
にしても、中国から関連歴史資料が出ないつぅのも?
まあ、無きゃ無いで良いんだがな。
112 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 10:18:05
>>109 中国人が日本の歴史認識におべっか使うわけねえだろ。
113 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 16:29:18
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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>>113 気持ちはわかるが、糞の役にもたたんw
大和民族はそれでいいんだよ。
115 :
一食即発:2007/04/06(金) 18:54:52
おべっかではなくて騙されているのですよ。
聞いた話だが、中国の学者の論文に東日流外三郡誌が使われているということです。
これは明らかに騙されているといえます。
大和民族の史観は補足の対象でしょ。
流石に、工作、誘導されてるとは俺は言えんがw
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
中国の学者だけじゃなくて
韓国の考古学者も本当に偉い人らは
邪馬台国は畿内だと思われ始めているらしいね...
(ただし、韓国の場合、アマチュア学者が
日本のアマチュア学者以上にトンデモw)
>>115 :一食即発 :2007/04/06(金) 18:54:52
>おべっかではなくて騙されているのですよ。
>聞いた話だが、中国の学者の論文に東日流外三郡誌が使われているということです。
>これは明らかに騙されているといえます。
中国の学者といっても、いろいろ居るからw
ただ、あそこは中国社会科学院という権威が明確で
そこの学者さんが、「ああ、邪馬台国って畿内か...
卑弥呼って、崇神天皇の時代と関係があるのね」みたいな感じになっている。
なんで、この辺の歴史追求をしだしたかというと、
例の高句麗歴史紛争の話があって、あのへんの北東アジア研究が盛んになってきているらしい。
そのなかで、邪馬台国連合というのは人口から考察しても無視できないらしい。
欧米の学者さんらは、日本の研究より10年以上遅れているから
たぶん、これから伝わるんだろうね。
やはり、アジアの歴史研究は、日本と中国の学会が主導している感じ。
>>119 中国も必死だろw半島は浮かせて起きたい場所だろ。
考古、歴史絡みの扱いが冷たい。
高句麗は北方民族系ばかりではなく、南成分も少し含んでるかも知れん。
となればなおさら。
>>119 中国の場合は、中国共産党が
文献史学の分野で、日本の記紀研究が凄い盛んなんだわな。
理由は、日本の起源を中国にするためw
しかも、日本書紀は基本的に古代中国語が書かれているから
彼らからしたら外国語ではないのよ。
一方、日本は第二次世界大戦の敗戦から記紀が全否定されたから
記紀研究があんまり盛んではない。
そこに中国が突け込んだわけだわな。
そういう理由から日本記紀研究が盛んなのよ、中国では。
あと、台湾なんかも盛んw
しかし、そういった記紀研究の結果、例の
邪馬台国論争に突き当たったわけだな。
122 :
愛知県民:2007/04/07(土) 14:37:39
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!3
997
>愛知県民氏の転向を惜しむ。
>ぜひ今後もクニアレヒメ周辺の分析を継続されたい。
助言ありがとうございます。
クニアレヒメの親(父か母か不明)の和知都美命も謎の人物で、古事記には
「淡道(あはぢ)の御井宮に坐しき」と天皇のように書かれています。
クニアレヒメと孝霊天皇との結婚は、ヤマト政権西進の出発点となりました。
その終点が仲哀天皇の北九州征服、神功皇后の新羅遠征、応神天皇の呉(東晋か)への遣使でした。
・・・この記紀の記述によれば、畿内説はたいへん不利なように見えます。
そうかといって九州とも考えにくい。
魏志倭人伝では、邪馬台国は1〜2か月もかかる遠い国とされていますから。
そこで神武天皇こそ狗奴国の男王ではないか?と思うのです。
123 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/04/07(土) 15:19:25
和知都美命は、男だと思っていましたが
父か母か不明だと言われて、そう云えば伊邪那美命には美が入ってるし…と思いましたが
当芸志美美でも美を使ってるんで、男の名前でもおかしくは無さそうですが
うーんどうでしょう
女-女で続く記述って在りましたっけ?
124 :
愛知県民:2007/04/07(土) 15:42:16
>>123 大将軍さん、お久し振りです。
神武天皇の皇子はみな「ミミ」がついていますね。
魏志倭人伝の投馬国で「官を弥弥という」とありますが関係あるんですかね。
125 :
愛知県民:2007/04/07(土) 17:41:46
>>122続き
卑弥呼、男弟(ニギハヤヒ)、難升米(ナガスネヒコ)がつくった女王国は
卑弥呼の死とともに崩壊に向かった。
ニギハヤヒは神武優勢と見ると、ナガスネヒコを殺害し、その妹トミヤビメ(台与女王)
とともに降伏し、物部氏の祖となった。
・・・と想像されます。
126 :
愛知県民:2007/04/07(土) 18:02:21
>>123 >女-女で続く記述って在りましたっけ?
天宇受売命に始まる猿女君氏は女系相続の氏ですね。
この一族が稗田阿礼・・・意富夜麻登久邇阿礼比売の「阿礼」
これは偶然?
127 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:00:56
■3世紀中期−4世紀初期の陵墓は当該人が死去してから築造
されたのか、それとも生前から築造されていたのか。
それによっては、大塚古墳やホケノ山古墳が卑弥呼や台与の
時代と被ってしまう。
■△鏡は国産・魏産は問題ではない。景初3年銘の鏡の位置づけを
知っている者がその地に居て、それを権威の象徴として活用する
意義をも知っていた。
■250年頃まで九州のとある処に邪馬台国があって、それから
ほんの、30−40年の短い期間に、東遷が完了し、それなりに
強力な国家体制の母体がなりうるのか。
■もし、その程度に強力な国家であったならば、狗奴国にてこずる
こともなかったであろうに。
含めた
128 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:20:38
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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卑弥呼は百襲媛命でしょう?
130 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:54:52
132 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 09:54:16
>>131 日本書記で、唯一、偉大な墓を持った巫女。
133 :
愛知県民:2007/04/08(日) 10:04:12
和知都美命に二人の娘がいて、ともに孝霊天皇の妃になったという話は、
大綿津見神に二人の娘がいて、火遠理命・鵜葺草葺不合命の妃になった話に似ています。
これも検討する価値がありそうです。
134 :
愛知県民:2007/04/08(日) 10:23:56
>>133続き
さらにその娘の産んだ子が大和に東征するのと、吉備に西征するのも似ている。
135 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 11:04:26
>>132 倭迹迹日百襲姫の墓は箸墓だけど、箸墓が果たしてどれかははっきりと
決まっていないと思うけど。
継体天皇陵として宮内庁が管理しているのは、太田茶臼山古墳だけど、
実際は今城塚古墳だというのは常識だから、おなじように、箸中山古墳が
箸墓であると決めるのは、調査してからでないとわからない。
136 :
愛知県民:2007/04/08(日) 14:11:50
卑弥呼は先代旧事本紀の天道日女命かもしれません。
次の休みにまた考えます。
137 :
九州出身:2007/04/08(日) 15:53:01
>>35 宇佐に祭られてる比売大神とは宗像三女神ときく。
なにかの本でとトヨと書かれてたのでそうゆうこといってるのかな?
しかも大神がつくのはスサノオ系という認識.
138 :
九州出身:2007/04/08(日) 15:56:12
あまてらすおおみかみ
てここ何年かで初めて知ったんだがみなさんはどうでしたか?
イエスキリストとかラー、ムハンマドとかならよく耳にしてたんだけどねw
139 :
月光仮面:2007/04/08(日) 17:55:30
日本書紀の崇神紀で百襲姫とされる人は卑弥呼ではない。多分、ヤマトトトヒメとかいう
紛らわしい名前の人であり、倭人伝でもトヨだのイヨだのと紛らわしい表記をされた方で
卑弥呼没時は13歳、崇神の代ではこの方がおばあさんになっているから崇神は卑弥呼
から半世紀ほど後の人であろう。箸墓と崇神の墓の間には相当古墳があるはず。
ただ、共立女王2世のタイトル保持者であり、百襲姫と同じく箸墓に葬ったということであり、
そこから百襲姫のフルネームを頂戴したのかもしれないと思ってるんだが。さてね。
>>135 えっ、ぞーなの?
でもまあ、あんなでかい古墳は(男の)首長の墓の考えるのがセオリーだが、
女の墓と伝えられるのは、実際に女性の墓だったからか?
とすれば築造年代的に言えば、「トヨ」の墓の様な気がする。
その可能性を示唆してた学者もいた(誰か忘れた)。
トヨタン・・・・・・・・
142 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:58:19
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
>>137 宇佐のは社伝でスサノオとアマテラスの娘となっている。
だから三女神のなかでも特別の大神なんだよ。
アマテラスとスサノオの登場する神話期に実在した皇祖神の一人に違いないね。
皇族にはいろいろな名前が付けられるから、別名の神様として祭られていたり
別名で史書に登場していることも大いにありえる。
地元では船で畿内に渡ったんじゃないかなどとも言われているらしく、かなり謎に
つつまれた人物だそうだ。
144 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 00:18:37
>>143 日本書紀は、三女神はスサノヲの娘だと宣言してますが何か?
>>144 そだなw でもさ、他の二女神には「大」がつかねーぞ。
146 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 20:28:03
偉大なる三神を1つにまとめたりするかよ。w
第二の御殿にましますは、「トヨ」しか考えられん。
トヨタン・・・・・・・
いまだに卑弥呼=モモとか言うアホがおるのか
卑弥呼を誰に比定したっていいじゃまいか!
確定的な証拠は当分でそうにないしさ・・・自由に意見や妄想を膨らまそうヨ!
ちなみに俺は、天照にする
150 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:52:09
天照大神を卑弥呼とすれば、台与も天照大神になる。
岩戸に隠れる前が卑弥呼で、岩戸を出てからが台与。
梁書などには、台与が王となった後、再び男王が立ち、中国の爵命を並び
受けるとある。
したがって、この男王が、記紀の高皇産霊尊になる。
高皇産霊尊は、出雲の国譲りや邇邇芸命の日向降臨を主導するなど、非常に
重要な役割を果たす。
つまり、台与と並立していた男王は、非常に重要な役割を果たしたことになる。
記紀によると、このあとに、神武東征がある。
>記紀によると、このあとに、神武東征がある。
神武=スサノヲ?
だとすると宇佐に立ち寄って長年在住しているから、そこでアマテラスを
乱暴して子供=比売大神=宇佐の祭神 生んだことになる。
といっても記紀は信用できないけどねえ。。。w
152 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 23:14:30
ところでさ、googleで神功・祭神といれると、日本語じゃなく
中国語のサイトがズラーーーっと並ぶんだけど。
怖っw
153 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 23:18:58
>>151 神武天皇(神日本磐余彦)と須佐之男命はぜんぜん違う人物。
時代も全く違う。
天照大神と卑弥呼を同一視するなら、須佐之男命は、狗奴国王の卑弥弓呼に
なる。
>>153 時代違う、そーだけどさ、釣られたんだよw
神武は宇佐に滞在したし、宇佐の祭神はスサノヲの
娘だろ。ちょっと繋げてみたYO!
155 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 23:52:44
あっそう。
ところで、神武東征のとき、神武天皇が立ち寄った場所には、宗像の三女神を
祀った神社があるよね。宇佐には宇佐神宮。岡田宮付近には宗像大社。安芸
には厳島神社。吉備は…。吉備にはないかな…。
神日本磐余彦って いかにも後で付けましたって感じの名前で嘘臭いねえw
須佐之男命は音読みの当て字だからどうともいえんが。
157 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 00:00:18
須佐之男命は古事記の名前。日本書紀では素戔鳴尊となっている。
ちなみに私はどちらも用語登録している。
高皇産霊尊も難升米も用語登録している。もちろん神日本磐余彦も饒速日命も
倭迹迹日百襲姫も用語登録している。
別に自慢しているわけではないが。
>>157 >別に自慢しているわけではないが。
自慢しているように読めた。ww
いや、貶してるんじゃないよ。立派なこと。
俺なんかコピペで済ます。ときどき間違いに気付かずそのままコピペしちゃう。
安直はいかん罠。
159 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 00:37:08
>>158 気がついたときに一つ一つやっていけば、そのうち満タンになるよ。
ただ、「読み」を忘れてしまって時々出てこないことがあるが。
「読み」の工夫も、良い勉強になるかもしれない。
「うがやふきあえずのみこと」と入力して鵜葺草葺不合命と出てくると
ちょっとした快感になる。
>>152 中国人は普通に日本の記紀の研究をしているよ。
連中にとっては、日本書紀なんて
自分たちの母国語(漢文)で書かれている史書なわけだから。
あと、日本人以上に、奴国や帥升のことも興味をもっていたりする。
161 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 00:55:08
>>159 な〜んも辞書登録はやってません。はい。
ワープロ使ってた頃は、「邪馬台国」も「卑弥呼」も変換できず、苦労しましたが、
いまのパソコンは両方ともイッパツで変換できるようになりました。感激した!
「奴国」は、「やっここく→変換」とやってます。
「狗奴国」は、「く→変換→やっここく→変換」。
「投馬国」は、「なげ→変換→げ消す→うまこく→変換」。
ま、こう書いてみると、やっぱ、かなり非能率なことしてるなあ。w
162 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 13:57:14
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
三足ドキタン・・・・・・・・
神話の神様には、大きく分けて二つの名前がある
「○○かみ」と「○○みこと」
一般的に、「○○みこと」は実在の人物で
「○○かみ」は実在しない神様のような気がする。
どうよ?
>>156 :日本@名無史さん :2007/04/09(月) 23:54:41
>神日本磐余彦って いかにも後で付けましたって感じの名前で嘘臭いねえw
イワレ彦が本名じゃないのか?
166 :
日本史@名無しさん:2007/04/11(水) 06:01:58
神日本は後付丸出しだが、イワレヒコは本名だよな、多分。
三足土器タンは、辞書に何を登録してるんだろうか?
>>164 于時天地之中生一物、状如葦芽、便化為神、號國常立尊、至貴曰尊。
169 :
愛知県民:2007/04/14(土) 15:28:37
日本書紀では神功皇后紀で魏志倭人伝を引用していますが、
ここに名前が出ている倭人は二人だけです。
大夫難斗米(正しくは難升米)
大夫伊声者掖耶(正しくは伊声耆掖邪狗。又は、伊声耆と掖邪狗)
難升米=ナガスネヒコ
伊声耆掖邪狗=ニギハヤヒノミコト
でしょうか。
この二人はともに魏の率善中郎将で、ライバルであったようです。
記紀、特に日本書紀のナガスネヒコは田舎者のように書いてありますが、
物部氏や天皇家から見ているからでしょう。
卑弥呼の死後、二人は後継者の座を狙って争いますが、
ナガスネヒコの妹トミヤビメ(台与)を女王とし、
ナガスネは男弟ならぬ「男兄」となり、
ニギハヤヒは「唯有男子一人」という妥協が成立したと想像します。
172 :
愛知県民:2007/04/15(日) 09:05:41
卑弥呼はやはり天道日女命と思います。
天照大神が女神とされたのは比較的新しく、本来は
「天照国照彦火明命」でしょう。尾張一宮・真清田神社の祭神。
ホアカリはニギハヤヒと同一視されることもありますが、
私は別神と考えたい。おそらく卑弥呼の男弟。
>>171 貴方の説は?
173 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 09:17:17
日本の戦国時代でも権威付けのために家柄をかたる者おおし
神功皇后(台与)に征伐された山門の女酋。
なんか江戸時代の国学者の意見が一番正解に近い
気がしてきた。
175 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 14:38:40
山門の女酋が台与の末裔だろ。
トヨタン・・・
177 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:39:16
トヨって、266年に晋に使いを出してるよね?
神功皇后って、350年頃の人でしょ?
>>174さんの話って無理がない?
神功皇后がヤマトの「女酋」を征伐したというけど、それはその「女酋」が半島勢力と
同盟関係にあったからじゃないの?継体天皇も似たような目に逢ってるよね。
「女酋」というのは征伐した側がつけた蔑称であって、地元では「女王」
と呼ばれていたんじゃないかな?卑弥呼やトヨのように。
トヨは豊鋤入姫命でしょう?
>>177 それは分からない。中国の史書には266年は男の王となっている。
ただ、日本書紀のほうは、あの年代上、神功皇后とかぶるので
266年は女王だったと納得しようとしている。
>>178 >トヨは豊鋤入姫命
全く違うね。ちょっと調べればわかるようなものをw トンデモ論にさえならんレベル。
丹波から移設してきてるし、いろいろな伝承があるけど稲荷さんと一緒だという説には納得できるが。
アマテラスを祭っただけで血筋的には全く関係ないし。馬鹿じゃねーの?
中国に貢いだって話はどこに書いている?w
日本書紀の編纂者が、年代をいじくったから
後世の学者らが苦しむはめになった。
おかげで、現代では日本書紀が歴史書としての信憑性が
大きく欠落する事態になってしまった。
じゃ、なぜ、日本書紀の編纂者は年代を弄くったかというと
魏志の女王卑弥呼の記載が気になったから。
そして、日本書紀編纂当時は、上古代の日本の暦(半年で一年)が
すでに忘れ去られていたから。
そして、日本書紀という史書の特性が、対中国外交上、重要で
中国に自国(日本)の歴史を説明しなきゃいかんので、
女王卑弥呼の箇所で、整合性が取れないとマズイということになった。
一方、古事記はあくまでも日本国内向けの歴史書であり
年代に関しても、干支没年という曖昧なものしか記載されていないから
わざわざ年代を修正する必要がないわけだ。
よって、上古代の日本の年代を研究するうえで、古事記の干支没年が
重要になってくるのは、そのためである。
>>180 年代をいじったのは同意なんですが
倍暦って確定なんですかね?
むしろ二つ以上の王家の歴史を無理やり万世一系に
見せるために、つじつまが合わなくなった様な気がする。
>>181 わざわざ、そんなことをする必要はないだろうw
なぜ、二つの王家を一つにするために万世一系にするために...なんだ?
そんなことせずとも、もう一つの王家を抹消すれば良いだけじゃんw
日本書紀の編纂者からしたら、そうとう昔のことなんだから。
>>182 中国式の易姓革命を嫌ったからではないかな?
その二つの王統の内部紛争が一応の決着をみたのが
大化の改新〜壬申の乱だとしたらありうる。
倭から日本へと国名が変わったのも、「一書に曰く日本が倭を併呑した云々・・」
あやしいw
小国である日本が大国である倭を乗っ取ったとすれば、大多数をしめる倭国民
を納得させるための手段が必要であり、そのひとつが日本書紀だと思う。
>>183 回りくどい見方をしすぎだろう?
そんなこといったら、壬申の乱ですら説明がつかないわな。
あまりにも無理しすぎた見方だ。
>>184 でも出雲神話にしても神武東征にしても
国を譲ってもらったんだ!と声高に叫んでるのが
うさんくさいし・・
186 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 12:56:50
小国の日本=畿内政権が、九州の邪馬台国を滅ぼしたんだよ。
187 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 13:14:19
うさんくさいのは中国史書の「或云」の方だよ。
「通典」「唐会要」「旧唐書」を比較してみれば、
「あれ?」と思うところが出てくるよ
189 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 15:16:11
書記も魏志もいい加減だから困る。
190 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 15:28:10
>>188 小国の日本=九州の邪馬台国が、大国の倭国=畿内政権を滅ぼしたのか?
191 :
日本@名無史さん :2007/04/16(月) 16:47:37
192 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 17:00:28
小国の日本が、倭国を併合したと中国人が証言してるんだからしょうがないだろ。
倭国=邪馬台国=九州なら、小国の日本=畿内王権だ。
193 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 17:11:25
>小国の日本が、倭国を併合したと中国人が証言してるんだからしょうがないだろ。
小国日本┬九州┬邪馬台国――→倭国┬九州┬邪馬台国
│ └それ以外 │ └それ以外
│ └畿内┬邪馬台国
├畿内┬邪馬台国 └それ以外
│ └それ以外
│
└其他┬邪馬台国
194 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 17:15:16
小国日本┬九州┬邪馬台国A
│ └それ以外B
│
├畿内┬邪馬台国C
│ └それ以外D
│
└其他┬邪馬台国E
└それ以外F
が
大国倭国┬九州┬邪馬台国G
│ └それ以外H
│
├畿内┬邪馬台国I
│ └それ以外J
│
└其他┬邪馬台国K
└それ以外L
を滅ぼした
邪馬台国は畿内にあった大和朝廷。
しかし、この大和朝廷の始祖・神武さんは
紀元1世紀頃、日向の西都の小領主の出身でした。
その当時の畿内や出雲からみたら、亜流の領主だった。
しかし、畿内で王位継承争いが起こり
亜流であった日向の神武さんに畿内王権の大王の座が
転がり込んできましたとさ。
この間、日本は混乱の時代に突入し、
九州の奴国などは、畿内を無視して勝手に魏から金印を貰ったとさ。
神社伝承では、九州には、神武〜孝霊の間がありません。
おそらく、この間、上古代の戦国時代に突入し
畿内と九州が分裂していたように思う。
漢の奴国王ではなく、漢の倭の奴国王というぐらいだから
奴国を超えた倭という存在は、紀元57年よりも前に存在していたということだろう?
つーか倭人伝読めば「倭国」と呼ばれるところに
北部九州が含まれているのはわかるだろ。
だから倭国=少なくとも九州は必ず含まれる。
倭人伝より、東に大海があり倭人が住むが倭国ではないという=本州か四国か?
畿内が日本だろ。滅ぼされた国の名前をつかうわけがない。畿内政権が誕生し
九州の豪族(王族?)は揃って畿内に移動している。
つまり、小国の日本=畿内の連合国(中国や九州に比べて小さい)
中国地方の出雲や吉備、安芸=始めは倭国側から畿内派に移ったか?
鉄を持ち強くて連合国が連なる九州=倭国
と見るのがしっくりくる。
>>192 そこら辺なんだよな、中国に胡散臭さを感じるのはw
半島の連中は倭人呼ばわりで煽ってくるが、中国は、小日本だの鬼子だw
みょうな国家戦略が無きゃいいがなw
199 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 07:20:13
「大国の倭国である九州邪馬台国が、小国の日本である畿内大和朝廷を滅ぼした!」
こう云うのが胡散臭さがない解釈なんだろ
全然辻褄合ってないけどw
200 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 08:34:32
九州説ってのは、
邪馬台国は九州にあってほしいし、
大和朝廷は邪馬台国とつながって欲しいしと、
いいとこどりのワガママな妄想なんだよ。
201 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 08:43:41
畿内説ってのは無理やり邪馬台国と卑弥呼を
皇室と畿内政権に結び付けようとする
罰当たりの馬鹿の妄想なんだよな。
しかも返す言葉が詭弁だらけ。のろわれてるのかこいつらわw
202 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 08:55:47
>>197 倭人伝から見方にかなった論理で
どこも見苦しくないが?
つまり反論しようがなく返答に詰まったときに畿内説がごまかしに
使う台詞かな。悔しかったら自説いってみなw反論こわいんかw
倭人伝の邪馬台国は九州だとおもうが、当時はやはり
畿内勢力のほうが強大だと考えざるを得ない。
その上で日本書紀に日向から神武がきたと書かれていることを
考えれば、小国の日本(九州)が大国の倭国(畿内)を
最終的に乗っ取るかたちになった。と、思う。
《*中国側の倭国とは列島に住む倭人の国というほどの認識では?
別倭という名称も考えて・・》
204 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 09:56:10
九州が「日本」とよばれたことは無い。
>>204 ?
熊襲(クマソ)=肥素(クマソ・ヒモト)=日本(ヒモト・ニホン)
の関係を見れば・・
206 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 12:00:43
何の対応関係もねえよ。
青玉採れる吉備だろ。
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。
前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤〜6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。
日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。
653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73998 韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。
認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。
209 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:46:19
>>203 北部九州から招かれた神武たちの子孫が出雲出身の大物主(大国主)を追放し、
十代崇神天皇の頃に北部九州政権を打ち立てたのでしょうね。
2代〜9代の間に新参者が大王にのしあがったわけですが、
1:神武は、大王などではなく、一新参者にすぎなかった事
2:物部氏や蘇我氏の由緒が明らかになる事は、藤原氏にとって都合が悪かった事
3:北部九州勢力が出雲を排除したやり方は、そのまま記述するに忍びなかった事
などから、「国譲り神話」として、記紀には記載されたのでしょう。
210 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:07:09
>>209 物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?
藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?
212 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:28:07
>>211 はぁ?
そんなこと知らないで都合が悪いとかなんとか言ってたのか?
213 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:31:24
>>212 君の宗派の教祖は何といっているのかね?
214 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:43:43
>>213 教祖などいないね。
日本書紀と古事記をきちんと読んでるだけだ。
さて、聞くが、物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?
215 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:13:10
216 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:23:01
>>215 記紀に書いてある通りだ。
高天原に最初にいる神は天御中主。
天御中主は、藤原氏の祖であり、天照大神よりも格上。
何か?
217 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:33:39
>>215 さて、今度は君の番だが、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?
218 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:40:16
>>217 君が感じている電波ではどうなっているかね?
219 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 23:43:31
>>218 君の答え待ち。
さて、今度は君の番だが、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?
まあ、浅知恵で知ったかぶった君の負けだよ。
なんのエセ古代史本に影響されたか知らんが、
自分で記紀の原文をきちんと読むことだ。
もつかれー!
勝者も敗者もノーサイド
明日もお仕事がんがれよ!
221 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 00:04:01
>>219 誰か別の人と間違えているのだが、まだ気がつかないかね?
しかし倭人伝では北部九州の詳細を書いて倭国のことだと
言っているから中国人のいう倭国=少なくとも北部九州を含むわけで。
神武は南部九州だろう?
もう、憶測でものを語るな。
224 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 09:01:38
神武が南部九州にいたと記紀に記載されているのは記紀の編者の誤解によるものです。
神武がいたのは、福岡市西部の室見川流域(山門庄)の日向です。
225 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 09:05:44
天御中主は記紀編纂時に作り出された神で、当時の日本人に信仰されていた存在ではない。
>>224 その説は一時期、支持したが
最近は、あんまり支持しない。
227 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 09:08:58
>>225 それが正しくと、記紀編纂時には、藤原氏は天皇家より格上だと日本中が認めていた。
228 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 09:53:03
日本語でおk
229 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 09:55:20
高千穂は、福岡の背振山をモデルにして書いてると思う。
>>229 おまえ、高天原と高千穂の区別からして
ついていないだろう?
231 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 10:27:14
降臨したニニギの言葉を思い出して。
>219
蘇我氏が最後の倭国大王家だったからじゃないの?
矢塚古墳はホケノ山タイプで、東田大塚古墳はポストホケノ山タイプ?
古墳“発祥”の纏向古墳群はすべて前方後円墳 奈良
2007年04月12日
奈良県桜井市にある最古級の纏向(まきむく)古墳群(国史跡)を調査した同市教
委は12日、形が明確でなかった東田(ひがいだ)大塚(3世紀後半)、矢塚(同半
ば)の両古墳が前方円墳とわかったと発表した。これで、女王・卑弥呼(ひみこ)の
墓との伝承もある箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば〜後半)などの古墳が密集し、
「古墳発祥の地」とも言われる一帯の主要墳墓がすべて前方後円墳と確定。厳密な年代
や古墳出現の状況など謎の多い古墳時代を探るうえで重要な発見だ。
両古墳の範囲確認調査として、前方部があると推定される場所計192平方メートル
を発掘した。
東田大塚古墳(桜井市東田)は、従来の調査で後円部が直径68メートルと判明。
今回は西側で5カ所を掘った結果、前方部の盛り上がりを確認した。その長さは40
メートル前後になるとみられる。このため、後円部の直径が前方部の長さの2倍ある、
最古タイプの「纏向型」よりも新しい古墳の可能性が高まった。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704120073.html 前方後円墳の発展過程、奈良・纒向遺跡の発掘で確認
同遺跡内には、3世紀代の最古級の前方後円墳が点在。「纒向型」と呼ばれる最
初期の前方後円墳は、前方部と後円部の長さの比率が1対2。矢塚は後円部の直
径が64メートル、前方部の長さが32メートルと推定されることから同型に当てはま
るが、東田大塚は後円部の直径が68メートル、前方部の長さが40メートル以上に
達するとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070412i215.htm
234 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 11:20:48
>>232 はぁ?
ばっかじゃないの?
どういう根拠があってそんなことが言えるわけ?
蘇我氏が新興の渡来人だって説のほうがまだ信憑性がある。
>>234 蘇我宗家が滅ぶとき「国記」「天皇記」を焼いたってあるじゃない
236 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 14:21:49
>>235 それがどうやって藤原氏の都合が悪くなることになるのだ?
>>216 藤原氏は中臣氏ってことで天児屋命が祖なのではないの?
>>236 232・235は私だが209とはちがうよ。
>>236 209ではないが、もし蘇我氏が倭国大王家だったら
中大兄皇子と結託しクーデターを起こした藤原氏は
その大義名分を失うからじゃないの?
240 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 14:36:44
>>237 天児屋命は、天御中主の10代後の孫。
こんな基本的な知識を知らないやつが本当に多いな。
>>238=232
>蘇我氏が最後の倭国大王家だったからじゃないの?
その根拠は、「国記」「天皇記」を焼いたからなのか?
全然関係ないだろ。どう、関係があるんだ?
241 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 14:39:49
>>239 いったい、誰の説なんだよ?
本当にバカだな。
生半可な古代史の知識与えられて、騙されてるんだよ。
どうせ、「歴史上は蘇我氏が悪者扱いだが、本当は蘇我氏が倭国の大王で〜」っていう、
トンデモ本の類だろ?
そんな本ばっかり読んでないで、自分で調べてみろっての。
242 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:13:32
>>237 そだね。藤原氏の祖神はアメノコヤネ。
奈良の春日大社が藤原氏の氏神さまだけど、まず守護神のタケミカヅチを祀ったみたい。
アメノミナカヌシが藤原氏の祖神って、
>>216さんはデタラメだよね。
アメノミナカヌシは最初の神様だから、特定の氏族の氏神じゃないもん。
ま強弁すりゃ、どんな氏族の祖にだって、持ってこれないことはないけどさ。
>>216さんはいい加減な知識で古代史関連スレに思いつきレスする例の病気持ちさんだろ。
早く自分の持ち場に帰ってくれないかな。うざいなあ。
ハシケ男・・・・・・ www
>>240 おいおい、なんでたかが一悪大臣である蘇我氏が
国の歴史書や王家の記録を持ってるんだ?
おかしいだろ?滅びる時にそんなものを一緒に
あの世に持っていくのはその国の王だけだろ?
245 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:21:20
246 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:22:07
>>244 なに?根拠はそれだけ?
じゃ、国会図書館が、日本の王になるのか?
お笑いだな。
247 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:31:10
だいたい、
天御中主〜天児屋根〜中臣と系譜が続くことは、
系図をちょっと調べれば常識の範囲。
天御中主が中臣と無関係とするなら、
なおさら、蘇我氏と大王は無関係。
おこちゃまでも、それくらいの理屈は理解できるだろう。
>>246 根拠のひとつとなりうる事としてあげている。
仮説のひとつだろうに・・
>>245 代表的古代豪族の一つである「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とする
と思いっきり最初にかいてあるだろうw
これが一般の解釈。
逆にね私と違い学識があるらしいので
邪馬台国〜日本成立までの貴方の主張を聞きたいね。
249 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:43:48
このレベルの低さは邪馬台国総論の奴だろw
250 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:47:07
>>242 >ま強弁すりゃ、どんな氏族の祖にだって、持ってこれないことはないけどさ。
特定の神を、特定の氏族の祖に持ってくるなんてことは出来ないね。
神と氏族は、きちんと1対1で対応していて、
特定の神の子孫だと名乗れる氏族は、特定の氏族に限られている。
>>242は、強弁するだけで、どんな氏族と神も結び付けられると考えているようだが、
無知にもほどがある。
藤原家の祖が天御中主なら、よっぽど偉いんだな。
天照大神を祖とする天皇家より古いのか、藤原家は。
252 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 15:54:15
>>252 素人の素朴な疑問なんだが、
>>245で紹介されているHPで、
天御中主尊も天八下尊も父母無し妻子無しとあるけど、
それでどうやって祖神になれるの?
妻子が無いのに、子孫が藤原氏ってどういうこと?
254 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 16:35:06
>>253 「子孫」が、まずいなら、「系列」と言えば理解できるか?
「チェーン店」とか「フランチャイズ」ならどうだ?
255 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 16:38:51
奈良の春日大社にも、目立たないが天御中主をまつる祠があって、名前は飛来天神社。
しかし藤原氏の氏神である本殿4祭神に比較すれば、まったくの末社扱い。
航空安全の神だそうで祭日もあるが、神社関係者や氏子など誰も「祖神」とは思っていない。
256 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 16:43:51
なんでこの程度の知識しか無い奴が調子に乗ってるか不思議なぐらいだよなw
257 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 16:47:24
で、蘇我氏を古代の大王だと崇拝してる氏子はどこにいるの?
>>254 >「チェーン店」とか「フランチャイズ」ならどうだ?
わかったよ。藤原一族はミナカヌシ株式会社のフランチャイズチェーン店・・・、これでいいんだな。
だからもうやめてくれよ、2ちゃんを覗きにくる歴史好きの子ども達もいるんだぞ。
きっと、おとなってバカだよね、って思われてるぞ。www
259 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:06:11
>>258 もとはといえば、おまえがバカなことを言いだすからだ。
蘇我氏や物部氏の素性が知れることで、藤原氏がどうして困るんだ?
蘇我氏が、古代の大王だからか?
どっちがバカなんだよ。
すこしは勉強しろ。
260 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:14:42
自分の無知の基づいて散々調子に乗った挙句に
「元はと言えば」とかそもそも論を持ち出す奴ってなんなの?w
261 :
258:2007/04/18(水) 17:16:37
おあいにくさま。おれは
>>209じゃないからね。
たしかに
>>209も馬鹿げたレスだな。それは同意。
蘇我氏の素性は皇別氏族だろう?
ただ、当時の蘇我宗家の当主は母方に渡来人がいる人物であり
そういう関係で、蘇我氏は革新派で律令体制支持者だった。
それにくらべて、皇室や藤原氏は
反律令体制であり、神権政治支持者だった。
よって、大化の改新は、保守派による復古主義運動だった。
しかし、最終的には律令体制に入ることになり、
自分たちが神権政治主義者だったことが都合が悪かったので
その部分を歪曲したのが本当だろう?
263 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:22:11
>>254 子孫という言葉の実態はよく解る。でも、系列であるって具体的に何を言ってるの?
系列であることと、祖神・子孫であることは、どう違うの。
子孫と言う直截的な言葉が都合が悪いから、系列という曖昧な言い方に変えただけじゃん。
その言い換えた言葉が何を指しているのか具体的に示さないと、誤魔化したことにしかならんよ。
まして、チェーン店とかフランチャイズとか、あまりに漠然とした例え話で、ナンセンス。
264 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:25:37
>>263 >>253が、トンチキな質問をするから、子供にもわかりやすく例えてやっただけ。
不満があるなら、おまえが、説明してやれよ。
265 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:28:41
今度は逆切れw
266 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:32:29
>>265 自分で説明できないなら、たとえ話に文句言うなよ。
267 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:39:18
・元はと言えば御前が悪い
・少しは勉強しろ
・御前が説明しろ
・文句を言うな
268 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 17:41:52
卑弥呼サマでは・・・・・・
270 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:02:13
271 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:04:06
>>267 藤原氏が、天御中主まで系図がつながってることが今日わかっただろ?
おまえの知らないことが世の中にはいっぱいあるんだよ。
恥ずかしい妄想ばかりしてるんじゃないぞ。
蘇我氏うんぬんのトンデモ本に影響受けるなよ。
>>252 そのサイトの一番最初に
(代表的古代豪族の一つである「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とする)
と書いてあるのはなぜ?
273 :
248:2007/04/18(水) 18:28:55
>>271 お前がえらいのはわかったから
お前の主張を聞かせろや
274 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:28:59
>>271 >
>>267 > 藤原氏が、天御中主まで系図がつながってることが今日わかっただろ?
> おまえの知らないことが世の中にはいっぱいあるんだよ。
> 恥ずかしい妄想ばかりしてるんじゃないぞ。
> 蘇我氏うんぬんのトンデモ本に影響受けるなよ。
恥かしい奴w
何が今日解ったんだろだよ
御前は自分が何も知らないヴァカだから飛び付いたんだろwww
このヴァカは自分の引用先のサイトがどの文献の何を根拠にしてるのかも理解しようとしないし
その文献自体がそもそも何の文献に基づいているかも解ってない
それに留まらず、「記紀に書いてある通りだ」のホザいて措いて
古事記や日本書紀になんて書いてあるかも解ってない
だから
「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」だの
だの
「天御中主は、藤原氏の祖であり、天照大神よりも格上。何か?」だのと、
どうだ参ったか的な事を恥かしげも無く平気で言ってられるんだろwww
275 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:35:04
>>272 おまえ、
>>245と
>>252を間違えてるだろ?わざとか?
「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とするのは、
その通りだが、系図は、
>>252のように、さらに遡れるんだよ。
古代史を研究する人で、中臣の祖は天児屋根だから、天御中主とは無関係などと、
額面通り受け取る人はいないだろうね。
>>273 俺の主張は↓
>>209のトンデモ説のように、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、藤原氏の都合が悪いなどということはありえない。
276 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:36:13
このヴァカは祖神の位置付けが解ってないww
277 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:38:25
278 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:42:26
このヴァカは一先ず天児屋根命を祖神とする事を認めました
しかし遡るんだよ付け加えましたwww
「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」理論の為にはこの一言は必須のようですw
古事記には天之御中主神の事をなんて書いてあるんですか?w
初代天皇から遡ったら誰に到達するんですか?ww
279 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:45:18
>>278 何をムキになってるわけ?
これ以上、恥の上塗りをしても、なんにもならないよ。
それより、天御中主が、藤原氏と系図でつながってることの説明でもしたら?
280 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:53:53
このヴァカは古事記を根拠にするような事をホザいて措きながら
古事記の神代系譜も全然解かってないから、
天之御中主神の位置付けが解って無いんだよwww
このヴァカは古事記なんか読んで無いだろ
ネットで中臣氏系図を見付けて、そこで最初に天之御中主神が書いてあるから
そこで初めて古事記を確認したぐらいの知識があるようにしか見えない。全くw
>「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」
一番冒頭の当たりしか理解して無い奴にしか言えない恥かしいセリフwww
281 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:54:59
>>280 何をムキになってるわけ?
これ以上、恥の上塗りをしても、なんにもならないよ。
それより、天御中主が、藤原氏と系図でつながってることの説明でもしたら?
282 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:20:10
>>271 蘇我氏云々もトンデモかもしれんが、藤原氏は天御中主まで系図がつながってるっていうのも、線で結んでるだけじゃん。
>>252のサイトは、『尊卑分脈』っていう14世紀の系図集をもとにしてると書いてあるね。
天八下尊という神様は先代旧事本紀にあるようだけど、記紀に出てくるの?
結局、『尊卑分脈』は、どんな根拠があって藤原氏の系図の最初に天御中主を置いて、線で結んだんだろうね。
記紀に書いてある通りとは思えんのだけど。
>>281はどう思っているのかな。
283 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:27:13
古事記の最初に出てくる天御中主に、
藤原氏が、系図上で線で結ばれるということを、大和朝廷が許してるという意味を、
もっとよく考えてみたまえ。
284 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:30:57
>>280 >このヴァカは古事記なんか読んで無いだろ
おれもそう思う。
しかしそいつが、「記紀に書いてある」ってんだから、読んでみる。
まず古事記。
最古の写本である真福寺本の影印でいこう。
http://www.neonet.to/kojiki/seikai/jokan/p68-69.jpg 3行目の下の方、墨が滲んで薄黒くなってるが、「故其天兒屋命者」とあり、
その次に分注で、【中臣連等之祖】と書いてある。
結局、古事記を読めば中臣氏の祖はアメノコヤネと書いてあるわけだ。
「読め」って言う奴が読まずに、天御中主が藤原氏の祖などと、タワケたことを書く。
マチガイを指摘すると逆ギレして開き直る。
病気だね。
285 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:33:44
286 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:49:16
>>283 14世紀といえば室町時代。藤原摂関政治を経たあとの時代に成立した『尊卑分脈』が、
系図上で藤原氏と天御中主を結んだとして、それにどれ程の意味があるのか。
記紀にそう書いてあった場合の、「朝廷が許している」という意味と、
『尊卑分脈』に書いてあるのを「朝廷が許している」という意味をもっとよく考えてみたまえ。
>おや?
>じゃ、おまえは、
>
>
ttp://www.geocities.jp/okugesan_com/hujiwara0.htm >↑系図がでたらめとでも言うのかね?
14世紀に『尊卑分脈』を編纂した洞院公定がそう思っていたということではある。
でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。
その辺、どう考えてるの。
287 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:10:18
>>286 >でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。
証拠にならないと言うなら、証拠にならない。
他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?
魏志倭人伝にも言えることだよ?
288 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:12:29
>>285 その系図で、天児屋根命の親神としている「居々登魂命」とか、
そのまた親の「市千魂命」とか、いったい記紀のどこに書いてあるのだ?
しかしあんたは、「記紀に書いてある」(
>>216)って言うんだから、
まずあんたが居々登魂命や市千魂命などの、天御中主〜天児屋根の間をつなぐ神々を
記紀のどこに書いてあるかぜーんぶ示せよ! 示せるもんなら。ww
言っとくけど、「記紀」ってのは古事記と日本書紀のことだぜ。分かってるよな。
ゆめにも先代旧事本紀なんか持ち出すなよ!
逆ギレや開き直りはそのあとにしてくれ。
289 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:16:34
290 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:16:44
古事記も日本書紀も読んでないアフォが先代旧事本紀なんか読んでる筈が無い
読んでたら「チェーン店」だの「フランチャイズ」だの言わないwww
291 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:19:37
碌な知識もない癖に間違った論理を展開してるのはコイツなのに
論拠が崩されそうになったら摩り替えは止めろと摩り替える始末wwwwwwwwwww
292 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:23:39
293 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:26:22
系図の正しさと中臣氏の祖神が誰であるかは別の事なのにそれすらも解ってないwww
294 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:32:45
>>275 古代史を研究する人で、中臣の祖は天児屋根だから、天御中主とは無関係などと、
額面通り受け取る人はいないだろうね。
藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。
そろそろ約一名さんは撤退したほうがいいと思われ。
ちなみに皇室の祖神であるアマテラスの親イザナギは書紀一書においてすでに
国常立の子孫天鏡尊(天合尊)の子孫とされている。
↓藤原不比等が一言
297 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:45:01
>>295 >藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。
いきません。
つーか、原初神が一番偉いという素朴すぎる考えがどこから出てくるのか?
ギリシアのゼウス、北欧のオーディン、ケルトのヌァザ・アーケツラーブ、
エジプトのラー、バビロニアのマルドゥク・・・
原初神なんていねーじゃん。
299 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:58:22
そろそろ、藤原氏が、天御中主に系図を繋ぐほど、由緒ある氏族だってことがわかったろ?
藤原氏は、蘇我氏や物部氏とは格が違うんだよ。
>>209みたいなトンデモ説に惑わされるのは、
藤原氏について、きちんと調べてないからだ。
藤原氏系図だけ調べても、ただものではない氏族だってことは推測できる。
それだけ、諸君が勉強すればそれでいい。
300 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:04:21
勝利宣言キタwwwwww
>>299 ?
なんで藤原氏にそこまでこだわるの?
なんか理由があるのかな?
302 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:07:31
ギャハハ! 春になると香ばしい香具師が湧いてくるんですね〜。
>>210 >>219 >>241 >>247 >>252 お前の事だぞ。プッ!
>藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?
アホですか?
>自分で記紀の原文をきちんと読むことだ。
お前は山川出版の日本史の教科書をきちんと読んだほうがいいぞ。
中臣鎌足なんて、中大兄皇子にとりついたわけわからんオサーンだぞ?
>天御中主〜天児屋根〜中臣と系譜が続くことは、 系図をちょっと調べれば常識の範囲。
すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!
しかしさ、この馬鹿みてると、藤原不比等って偉大だな〜って思うんだよね。
いまだにこんな馬鹿を生み出してるんだからさあ。
303 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:11:48
>>287 >他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
>もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
>事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?
神様がご先祖様ですということに、事実という証拠があるわけないだろう。
記紀に記述があるということは、編纂当時に、そう考えられていたということ。
「考えられていた」ということが事実。
同じように、「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」ということが事実。
「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」という事実は、
記紀成立の時期に、人々が「天御中主が中臣氏の祖であると考えた」ということの証明にはならない。
だから、252の系図は「藤原家は天御中主が祖だから、天皇家より格上」ということの証明にはならない。
>
ttp://www.geocities.jp/okugesan_com/hujiwara0.htm >↑系図がでたらめだというなら、
>でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。
252の系図がでたらめなのではなくて、この話にこの系図をもってくるのがでたらめなんだね。
304 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:11:46
>>302 >すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!
氏族以外の人が作った系図ってあるの?
藤原氏の系図が捏造なら、天皇家の系図も捏造ってことでいいのだね?
305 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:13:42
>>303 魏志倭人伝の記述も、「書いた人がそう思った」ということでいいんだね?
そう考えれば、多くの矛盾も解決するわけだが。
306 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:17:41
>>304 >>305 浪人が決まったのか、留年が決まったのか、はたまたただのニートか知らないが、
引きこもって平日の昼間から2ちゃんばかりやってないでちゃんと学校へも逝くんだぞ。
そのうちいい事もあるからさあ。
307 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:19:07
この議論の流れ。デジャビュ?倭人伝関係で何度も見たような。
308 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:19:16
>>306 君も、今日ひとつ勉強になったろう?
藤原氏の系図についてな。
よかったじゃないか。
309 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:22:15
>>308 プッ! ひとつ勉強になったゾー!
お前がスゲー馬鹿だと言う事がよく解った。あはははは。w
310 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:27:15
倭人伝関係っつーか邪馬台国関係じゃねぇ?
いまの天皇家に現存する天皇の系図って継体までしか遡れないってほんと?
312 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 22:31:55
天御中主はほとんど全ての氏族の先祖でもある。
ことさら藤原氏の先祖といわれてもなあ。
中臣氏祖神の天児屋根は、『古語拾遺』では諸本によって、タカミムスビの子に
なってたり、カミムスビの子になってたりする。要するによく分からなかったんだな。
で結局、後世にはツハヤムスビの後とすることに落ち着いた。
鎌子・勝海の流れが滅んで、黒田(継体朝)の流れに移った時点で別の氏族に
変わったため、よくわかんなくなっちゃったんだろうな。
そもそも中臣氏はムラジ姓氏族なのに、中「臣」だったりして、素性がよくわからない氏族。
意外に帰化系の可能性もあるかも知れない。
ちなみに六国史にツハヤムスビは1カ所に出てくる。スグリ姓、つまり本当は
帰化人である連中が、中臣氏を賜る記事に出てくるのが何とも興味深いw
『続日本後紀』承和10年(843)1月27日
美濃国山県郡少領外従八位上の均田勝浄長等九人に姓中臣美濃連を賜ふ。中臣氏の祖津速魂命の苗裔なり。
誰かさんが言ってるのは、足利氏の先祖は神武天皇であるというのと一緒で
あまり意味がない。氏祖はやはり義家か、義国・義康あたりを挙げるのが普通。
誰だって遡れば天御中主になっちゃううんだから。(純正日本人なら)
314 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:34:10
>>313 話の流れをまったく理解しとらんね。
天御中主と系譜を結んでるのは藤原氏系図が世に出てるということは、
それだけ、藤原氏は、勢力を誇っていたということであり、
蘇我氏や物部氏とは格が違うということだよ。
315 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:37:12
蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?
そんな系図は、みたことないね。
捏造しようと思えば出来るものを、出来なかったということだ。
藤原氏だけが、それを出来た。
天皇家さえも出来ない。
そういうことだよ。
その系図がいつ作られたかが問題だね。
317 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:48:02
とにかく、藤原氏が、他の氏族を恐れるとか、
素性が知れたら困るとか、そんな状況なんて無いんだよ。
藤原氏は、天皇を凌ぐほどの力を持っていたといってもいいくらいだ。
藤原氏をなめてるやつは、その認識不足から古代史を語る資格もないね。
318 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:49:46
>243
枕詞 はしけやし
320 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 00:05:33
>>314 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」
って道長が詠んだくらい、藤原氏は平安時代に勢力を誇っていたわけで、
それより後の室町時代にできた系図が、藤原氏の権勢を反映しているのは、むしろ当然なわけ。
それを持ってきて「蘇我氏や物部氏とは格が違う」っていうのは、あまりに時代感覚が希薄すぎるね。
蘇我氏や物部氏が力を持っていた時代は6〜7世紀で、藤原氏の全盛期よりずっと前。
そんな時代に、系図を作る風習があったかどうかがまず疑問。
たとえあったとしても、蘇我氏や物部氏が一番偉い風に書かれた系図を
後から実権を握った藤原氏が、そのまま認めると思う?
藤原氏の後は武家社会だから、公家政権の最後に位置する藤原氏の書いた歴史が残るわな。
321 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 00:35:36
>>311 継体天皇は応神天皇の5世の傍系の皇族だったわけ。
今の滋賀県・福井県あたりに所領があって
皇室本家が断絶したことから、婿養子に迎えられた。
そういう経緯と、彼の即位が記紀が書かれる前だったから
今の皇室の直接の先祖の確実に遡れる最初が継体天皇といわれる。
そういうわけで、今の歴史学者はそれ以前には慎重になっている。
ただし、最近の調査から、継体天皇の即位は割りと平和に行われたことや
考古学的な変化もあまりなく、また
日本の記紀に書かれている人物名の木管などが発見されてきたことから
やはり、継体天皇は傍系から皇位を継承した天皇だと言われ始めている。
また、このスレタイの邪馬台国論争も、大いに
応神天皇や継体天皇に関する研究にも影響を与えると思う。
323 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 08:16:35
系図が古代まで遡れないことがハッキリしたわけだから、
ここらで仕切りなおししましょう。
継体天皇以前の系譜は確証が無いこと、
祟神天皇までは慎重に検討すること、
それ以前の神武天皇の東征などの記述は検討に値しないこと。
天照大神と天皇家を結ぶ系譜も、記紀成立以前には遡れないこと。
これだけの約束事を踏まえれば、
卑弥呼と男弟の関係を、天照大神とスサノヲの関係にみなすことは出来ません。
神武東征も、事実とはいえないことと、考古学上の物証から、
邪馬台国東遷説も根拠を失います。
324 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 10:04:09
継体天皇関連で、鴨稲荷山古墳というのがある。
もう九州から近畿まで全部邪馬台国だったで良いじゃん。
326 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 16:12:36
九州から近畿まで全部邪馬台国ですが?
首都が九州から畿内に移っただけで。
>>323 神武東征は事実かどうかは、考古学の力だけでは限界があるというだけで
検証に値しないという意味ではない。
よって、神武東征は事実ではないという意味ではない。
現時点では、肯定でも否定でもないとしか言いようがないということ。
また、仮に神武東征が事実だとしたら、それは邪馬台国の出現の
前か後かでも見解が割れるということ。
328 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 16:55:17
>>327 おまえは、どういう説なんだね?
もちろん、論拠あっての説なんだろうね?
329 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 17:14:27
>>322 同意
戦後は「天皇は万世一系ではない」というイデオロギーが強かったが、
最近は王朝交代説を主張する若手・中堅の学者は皆無になった。
普通に考えて、王朝が後退したのに簒奪される以前の王朝と接合して
自分の歴史に組み込んだりする訳がない。
応神天皇の母は神功皇后で継体天皇とはオキナガ家でつながる。
応神の子供が母方(オキナガ)に行き、王族として世襲されていったと
考えられる。
330 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 17:26:50
>>329 息長氏って、どういう氏族だと思ってるわけ?
天皇家に近い?わりに、消息不明で地名にも残ってないですが。
331 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 18:38:41
>蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?
理解力のないやつだな。
例えば蘇我氏は孝元天皇から系図を始める。さらに遡れば神武・アマテラス・
イザナギ・ミナカヌシと遡れるが、そんなことは書かない。
清和源氏系図だって清和天皇から始めるのが一般的。遡れば清和・神武(以下略)
物部氏だってニニギ・オシホミミ・アマテラス(以下略)
諸氏と共通する部分はとばして、氏祖から始めるのは当たり前。
逆に言うと、中臣氏が氏祖コヤネからではなく、わざわざさらに遡ったところから
書かざるを得なかったのは、コヤネの出自が広く知られてなかったため。
(たぶん自分たちも知らなかったんだろうと思う)
それでツハヤムスビという記紀にはないカミを創造し、そこにつなげることとなった。
津速・市千・興登の位置付けが、親子だったり兄弟だったり混乱してるのも
なかなか説を確定することが出来なかった名残だろう。
332 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 18:40:35
息長氏は九州とは何の関係も無い氏族ということは確か。
つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人。
333 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 18:43:02
というわけで、応神が九州勢力で、畿内王権を剥奪したとかいう説は妄想ということになる。
334 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 18:55:43
息長氏は、近江水系を支配していたのは、間違いないだろう。
それは、祟神天皇の前の代の頃から(3世紀)と言っていい。
考古学的にも、畿内と丹波の交流は否定されない。
四隅突出墓の関係から、そのまま、若狭湾や越、但馬まで交流があっただろう。
近江水系を支配した息長氏の祖は、15代応神天皇の5世孫にあたる息長真手王だといわれる
とある。神功皇后以前から明らかに存在したとは言い切れないのでは?
336 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:01:18
弥生時代中期後葉の弥栄町奈具岡遺跡において、
小さな谷に面した建物址から八sをこえる鉄片が出土したことである。
この時期の遺跡の中では日本でもっとも多い量だ。
弥生時代後期の林・藤島遺跡も、2千点を超える鉄製品が見つかっている。
337 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:05:13
天目一箇神と同神とも、兄弟とも言われる天之御影命(あめのみかげのみこと)は、
開化天皇の子で、日子坐王(四世孫が神功皇后)の妃である息長水依比売の父。
つまり、息長氏は、開化天皇の頃から、製鉄とも関係が深かったと見ていいだろう。
これは、考古学の発見とも一致している。
338 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:14:31
>>335 それ以前に、息長氏という氏族が実在したという証拠はあるの?
339 :
カナカナボウシ:2007/04/19(木) 19:19:37
更級日記にでてきます。ちょっと後世になりますが。
340 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:21:36
息長氏は、和邇氏とも関係が深いことから、
渡来系技術者集団と考えることが妥当だろう。
早い話、継体天皇は、渡来系技術者集団を支持母体として権力を振るっていたということであり、
継体天皇本人も渡来人であった可能性は否めない。というか、そうであろうが。
341 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:27:24
>>339 ずいぶん、落ちぶれたんだね。息長家は。
342 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 19:49:15
天皇は天照の子孫しかなれないからなー!
>>342 ?
反論は無いよ。332に対する疑問を言っただけだし・・
そっか 言っただけか・・・・
許すよ
ただ、息長帯比売(おきながたらしひめ)の読みが本当かな?と疑問は感じる。
足仲彦(たらしなかつひこ)と比べると「そくなが」と「そくなか」で夫婦そろいの
名前になるのにな・・と思ってたw
349 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 21:30:36
所詮、その程度のレベルかよ。
その程度ってどの程度?
351 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 21:54:52
独り言を言っただけだ。
独りごとか、了解
353 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 23:02:43
>>332 >つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人
無学
354 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 23:12:05
>>323 天皇家と朝廷が わざわざ天照とスサノヲ、神武東遷説をつくり出した理由は。
関係ないはずの天照を伊勢神宮で祭ってるのは。
天皇が自ら出処を九州と繋げる理由は。
う〜ん、自分で東遷説を言っているわけだから。
それがすべて大嘘で、出生不明の祟神が自ら天皇を名乗ってから後は
歴史があるみたいに神話を勝手につくったと?
まるで北の将軍様みたいだね。(金剛山に祖先が舞い降りたという神話が北朝鮮にありまつw)
355 :
カナカナボウシ:2007/04/19(木) 23:15:07
>>341更級日記のでてくるのは落ちぶれたとおっしゃるのですか。
では、土佐日記にでてきたら出世したとでも?
356 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 01:10:19
継体の頃は、天皇になれるかどうか母方の勢力の大きさに左右された。
なにせ父方の勢力が存在しないんだから。
オキナガは弱小勢力だったが、神功皇后の活躍で一時の隆盛を得た。
その記憶が残っていたから、継承者が途絶えそうになったときに継体が
即位できた。まあ、そんなところではないか。
継体以降は「王」を名乗れるのは天皇の5世孫までというルールができた。
息長氏は近江国坂田郡南部を本拠とする古代豪族。応神天皇の皇子稚渟毛二俣の子
意富富杼王を祖とする。姓は公(君)。敏達の后に広姫を入れ中央に進出。広姫が
天智・天武天皇の祖父押坂彦人大兄皇子を生んだことにより、684(天武13)に真人姓を
賜るなど、天皇家の外戚として重視された。
同じく稚渟毛の子孫とされる三国氏・坂田氏などは、その実それ以前より存在した
三国氏・坂田氏の後をついだものであり、息長氏もこれ以前より存在していたことは、
息長水依姫や神功、その弟息長彦王、彼等の父息長宿祢王、息長田別王などの存在から
明らか。稚渟毛の母が息長田別の孫であり、その関係から息長氏を嗣ぐこととなったのだろう。
息長水依姫の夫彦坐の子孫が息長宿祢王であり、この氏族は古くから皇室とのつながりが
深い。と同時に、坂田郡は渡来系の多いところでもあり、また宿祢王の姻族はアメノヒボコで
もあり、渡来系ともつながりが深い。自身が渡来系との説もある所以である。
358 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 08:27:46
滋賀の鴨稲荷山古墳は九州色の強い古墳だとか、今城塚古墳の石棺も九州の石を使ってるとか、
継体天皇は九州とのつながりが強いみたいだね。
359 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 08:42:56
>>354 昔、NHKで見たけど、
天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。
愛知県一宮の真清田神社の祭神・天火明命(ニギハヤヒ)は、天照大神と同一神という説がある。
事実、真清田神社でお札をもらうと、天火明命では無く天照大神と書かれてある。
総合して考えると、神武東征神話が事実ならば、
近畿の天照大神王権に、九州から来た神武が割り込んだことになる。
神武は、近畿勢力と同化するために、天照大神を祀ったというわけ。
360 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 08:56:48
継体天皇もまた、東海勢力と無関係ではない。
継体天皇の妃は尾張の目子媛で、
この女人は日本書紀には尾張連草香の娘とされている。
尾張には継体の皇子である安閑・宣化両天皇の陵と目される古墳もある。
あまり知られていないが、
天皇家は、東海勢力との絆がけっこう深いのだ。
361 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 09:02:44
6世紀前半ごろ、愛知県熱田区に造られた断夫山古墳は、
尾張最大の古墳として知られています。
全国的に古墳が小さくなっていく時期、尾張で最大の古墳が造られた理由として、
尾張氏の娘・目子媛(めのこひめ)が継体妃となり、
後に大王位を継ぐ「安閑(あんかん)・宣化(せんか)」の外せきになったことが考えられます。
つまり、断夫山古墳は尾張氏にかかわる墓である可能性が高く、
断夫山古墳と形が似た二子山古墳についても、
尾張氏の一族、特に目子媛の墓ではないかとする仮説が出されています。
継体天皇の頃、尾張は隆盛しているわけです。
尾張最大じゃなくて東海地方最大。
同時期の築造に限れば、畿内以外で最大。
363 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 09:19:49
継体天皇は史実で、九州とは関係ないことがはっきりしたね。
なんかさ、憶測で歴史を語りすぎるきらいがある。
もう、あほかと。
ここは邪馬台国の時代云々を語るスレだし、
継体天皇のことも憶測をさも定説のように語る阿呆の多いこと。
戦後のマルクス主義史観・唯一史観の弊害だわな。
>>354 おまえら、ちゃんと記紀を読んだか?原文で。
ここにいる奴は、記紀をちゃんと原文で読んでいない奴が多すぎる。
図書館で原文をかりるなり、ネットで原文を探すなり
本屋で一万円くらい出して買い揃えるぐらいしてから
歴史を語れや。
>>329 応神天皇の出生に関しても諸説がある。
最近、言われているように、二倍年暦で計算したら
別に生物的に不思議なことはない。
ただ、日本書紀の編纂者は、神功皇后の活躍時期を無理に卑弥呼に合わせたように
上古代の日本が二倍年暦だったことを気がついていないような気がする。
そんな関係から、彼らは応神天皇の出生を疑ったのかもね。
仮に二倍年暦が事実なら、神功皇后は15歳で応神天皇を生んだ幼妻だったことになる。
>>359 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 08:42:56
>
>>354 >昔、NHKで見たけど、
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
>壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。
自分は昔はその説を信じたけど、最近は疑っているね。
やはり、天照大神はずっと前に作り出されたんだと思う。
少なくとも、崇神天皇の前後(卑弥呼の前後)には。
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。
前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤〜6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。
日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。
653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73998 韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。
認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。
ここにも原文タンがいた!
原文無理ぽ!勘弁
1000 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 22:36:18
みんな、熱くなっているなww
自分はここ最近、いろいろ考古学の講演とか
見に行くようになったんだけど、
全体的な印象として、あと数年たてば、おそらく
邪馬台国畿内で決着するような雰囲気みたいです。
というのは、学会のほうでは、もう100%近くが畿内で
中国人で邪馬台国を研究している学者も殆ど畿内に傾いていて
そういう雰囲気らしいです。これは日本全国的に見てもそう見たいです。
たまにテレビで九州説を主張している学者さんも居ますが
テレビでは、畿内と九州で対に出ますが、
実際は、ほとんど異端扱いになりつつあり、孤軍奮闘という感じらしいです。
371 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/20(金) 22:49:34
ドン来い17 レス1000番さんへ
変なまとめ方しないでよ。その時代の風潮で歴史が決まるわけじゃないんだから。
根本的な問題が解決しない限りアバウトに畿内説で決まりだなどと言われても
疑問だらけ、不審だらけの歴史を日本の未来を担う子供達に教えても
きっとその中から歴史の真実を明らかにする人が出てくるに違いない。
いい加減なまま断じて幕引きをさせてはならない。
九州説はもっとがんばろう。言い続けよう。でないといいように誤魔化されてしまう。
372 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 22:53:29
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。
応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。
神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
ここまではOKだよね?
373 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/20(金) 23:07:34
>>370 いやいや、そうなったとしても、いずれ臥海のドン連中はこの世から
消える。そうなるとその下の学輩は九州説を黙っていたところ、出世の
妨害をされるおそれが薄くなるから、のびのびと真の主張ができて、畿内説は葬り去られる。
だいたい畿内近隣に女王国があるんなら、記紀はその記述を遠い遠い大陸の倭人伝以上に詳細に書くことができ、とうの昔に論争はないはずだ。それに卑弥呼のことが書いてあるわけだからねぇ・・・ つまり、女王国は九州にあったことは動かないのだ。
375 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/20(金) 23:18:59
376 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 23:30:19
>>374 九州を征圧したというだけで、
応神と神功は九州とは親戚関係は無い。
377 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/20(金) 23:33:06
遠い遠い大陸の魏志倭人伝に女王国の記述が多大に書かれている。
近い近い日本の古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない。
女王国は日本にあるんだから、本来はこれが逆でなくてはならないのに
皮肉にも反対になっているのである。
これは何を物語っているのか?
全国の皆さん、よく深考されたい。
つまりだ、女王国は畿内に無かったからだ。九州にあったからだよ。
378 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 23:47:47
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。
応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。
神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
ここまではOKだよね?
379 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 00:17:59
>>377 >これは何を物語っているのか?
>全国の皆さん、よく深考されたい。
女王国のころの日本列島では、中国みたいに文字でものごとをきちんと記録する習慣はなかった。
日本列島ではどこでもそうだった。九州でも畿内でも。
それで何百年か時が経つと、女王国のことはだいぶん忘れ去られてしまい、
断片的なエピソードはともかく、きちんと正確に事跡を伝えることができる人はすっかりいなくなってしまっていた。
しかし「史書をまとめよ」と命じられたので、なんとかかんとか、やっとこさの思いで記紀がが編纂された。
それゆえ
>古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない
のは、決しておかしなことではないのである。
>>367 >天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説
違うね。ローカルなら普通に出てくるわけだし、元伊勢祭りなんかないはず。
ローカルじゃないのを広めようとしたんでしょ。
それより、
>>372・・・・ただ単に勉強不足なのかしらないけど
結局、嘘を書いたら駄目だよ。それを前提にして説をつくるとすべてが嘘になる。
応神と神功は怖いほど九州に関係してるよ。まず神功は生まれが不詳。
経歴を考えたら初めから九州出身の可能性もある。
それから応神。欽明天皇の枕もとに出たんだっけ?w 宇佐と非常に関わりが深い。
なんでわざわざ宇佐なの?そばに何でも建てたり伊勢にでも加えりゃいいものを。
神功と応神。この2人は当然八幡で本元宇佐とつながってるし。
しかも畿内の朝廷は何もかも宇佐の神託に右往左往。東大寺もな。
あと、神輿の発祥も宇佐だということを忘れずに。というか知らないんだろうが・・
382 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 00:37:30
僕が一番おかしいと思うのは南方向を西に読み替える事もさながら
倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
確か畿内説はこのように捉えるのだとか。
これじゃあ幼稚園だって「最後までもっと詳しく書きましょうね」と先生からお小言を頂戴する。
もしも大人でこんな文章を書く人がいたら、何らかの精神疾患を疑ってしまう。
383 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 00:41:51
>>382間違いの訂正です。
南方向を西に読み替える でなく 南方向を東に読み替える
でした。
>>381 宇佐の社伝を読むとさ、神功は生まれた場所不詳としながらも
すぐ後でさ、祖母山の大神の新婚神話とか現在の宮崎の都農とか
出してるんだよね。ここには口伝集も残っているというし、
なんか仄めかしたいのかなと思うんだね。
>神功は生まれが不詳。
父は息長宿祢王、母は葛城高額姫ですが、何か?
>>382 >倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
>30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
さぱーり意味不明。
「30カ国名だけをを並べ始め」、・・・なんだそりゃ?
「水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃう」、・・・誰がだよ?
387 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 00:59:34
「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。修行なの。
いっしょうけんめい修行して身を清めないと邪馬台国に
入れてもらえないの。
九州の東海岸は入組んだうえ島だらけで、水行には相当時間が費やされた
とみるが当然。
少なくとも朝廷を初めとする皇族には それなりに家伝とか社伝とか
何でもあるだろ。九州と関わりがなければ
日本中に宇佐八幡を4万も広めたり、神輿や信託出させたりはさせないはず。
390 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 01:12:05
>>386 へえー畿内説でもこの部分に異説があるんだ。
知らなかったー。で、どのように捉えるわけ?
391 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 01:30:32
>>378 >応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
>神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
>ここまではOKだよね?
OKではない。
つぎの3天皇は、九州から妃を迎えていると思われる。いずれも南九州の豪族の娘のようだ。
【景行天皇】
妃:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)
妃:襲武媛(そのたけひめ)
妃:御刀媛(日向美波迦斯毘売)(ひむかのみはかしびめ)
【応神天皇】
妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
【仁徳天皇】
妃:日向髪長媛(ひむかのかみながひめ。諸県君牛諸井の女)
>>381 宇佐の信託と関係があるのは
初代の神武からそう。
393 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 02:56:14
>>380 九州には元伊勢が無いことは、認めるわけだな?
394 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 02:58:57
>>391 九州から妃を迎えたとしても、その子が次の天皇になれたわけじゃない。
395 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 03:03:58
>>393 元々来たところにはいらない。オリジナルの土地にわざわざ畿内から立てるか?
しかし天皇の勅令で宇佐の代々の古社が順々に建てられているね。
しかし、何、
>>393 や
>>394, ここで無理やり天皇の神代記を
断ち切ろうとしているわけ?つまり祟神は出生をごまかしたという説に
でもしたいのかな。。。
しかし天皇は史書を読んで自分の出生を知ったわけではないのを
頭に入れたほうがいいよWW 誰が編纂を監修したのか脳みそ使おう。
神武=祟神?
あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
まだ王ではなかったとか?
考古学上だと、畿内からは王冠や三種の神器が出てくる時期が
他より遅いってあったね。別スレか考古学板で読んだけど。
>>393 伊野天照皇大神宮があるから
元伊勢はいらなかったのでは
399 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 06:30:29
>>386>>387 >>386はお答えが無いようですが?
おたくより「「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。」の人のほうがよほど信憑性があるような気が。
せいぜい修験道にでもはげんでちょうだいね。
おたくじゃないの、この前「水行はすいこうじゃないの。みずぎょうざなの。って言ってた人は。
400 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 07:39:16
>>382 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、
次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、
次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、
国名だけを並べているのはこの21国だね。どう数えても「30カ国」じゃないよね。
「水行十日陸行一月」はもちろん邪馬台国に至る日数の記述で、これら傍国21国よりも前のところに書いてあるね。
邪馬台国については「水行十日陸行一月」の行程とともに官名や戸数も丁寧に書いてあるよね。
だから
>>386氏の疑問は当然だと思うよ。
>>382が何を主張しようとしているのか、ぼくも全く分からないね。
まさかと思うけど、肝心カナメの魏志倭人伝さえ読んでない・・・・・ことだって、あるのかもね。
401 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/21(土) 07:52:51
>>379 記録する習慣はあったよ。紀はその原書群をもとにして書かれているんだから。
それに、数歩ゆずって記録の習慣がないとしても、稗田阿礼の記のように、彼の
脳内の記憶から記が書かれたんだから、卑弥呼の君臨と女王国の位置、習俗、
交易のおおざっぱでも知ってるはずで、この位なら忘れるはずはない。
記をあのくらい語れるんだから、かようなおおざっぱは、畿内のわきにあって
女王がいて天皇と交流したとかの彼の記憶からの記事が必ず残る。
それが無く、遥か遠い異国の倭人伝に記載があり、近国の情報を採り易い記紀
に0に近い記録内容を考えれば、畿内に女王国がなかったことは、全国の
皆さん、自明に近いことだ。
巻向って本当に邪馬台国の卑弥呼の時代と同時期だったのか?年代が実はまるきり違うのでは。
ここが非常にひっかかる。
なぜならいきなりそんなものが現れた。
つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
邪馬台国の東遷だとしたらバッチリ合う or 神武の東征(実は神武=祟神、欠代は九州に居た)
なんせ天皇家が自分から祖は九州からやってきたと言いふらかしまわっている。
巻向を建てた集団の長〓天皇家は、天皇らが自ら編纂しまくる通り筑紫・日向(昔の九州の呼び名)
からやってきたのは史実≒事実。
そして巨大古墳の建設開始に秦氏が加わった。伊勢のユダヤと間違われる
奇妙な記号や魚も秦氏の影響でしょう、やはり。秦氏といえば宇佐。なので、
宇佐+吉備 ⇒ 畿内
そしてもし宇佐や吉備が邪馬台国と関連するなら、邪馬台国の東遷がはこの時期だ。
などと風呂にゆったり20分ほど浸りながら至った軽い一説。リオハのワインはいつも旨い。
あと20分長く浸かっておけば年号の不一致も論破できたと思う。
403 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 09:31:59
>>402 >つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
それは正解だよ。
でも、九州から東遷してきたとしか想像できないようだね。
君の頭の中には、「3世紀の倭国=邪馬台国=九州」という図式しかないのは理解できる。
君が無知で、3世紀の日本列島全体の様相について何も知らないし、
何も知ろうとしないのが原因だからな。
もし、少しでも「3世紀の日本列島全体の様相」について知ろうとしていたなら、
奈良盆地にきた大集団が、九州からきたと考えるよりも、
吉備や紀伊や丹波や東海から来たと考えたほうが、
考古学上の物証からも明らかだと理解できるだろう。
まあ、理解できなくても責めないよ。
最初は、誰でも知らないことはある。知らないことは恥じゃない。
知ろうとしないことが問題なだけでな。
404 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 09:42:40
九州ですが ◆IhXqm1bg5c にも、ちょっと問いただしておくか。
君は、当然、邪馬台国は九州にあったと考えるわけだね?
それならそれでいいよ。
じゃ、それを前提としてもいいから、ひとつ君の考えを聞かせてくれ。
過去レス・スレにもあるとおり、
弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
それとも遺跡の年代が捏造なのか?
どう思うね?
405 :
SOY:2007/04/21(土) 10:13:19
>>404 >弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
>この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
>これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
>または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
私も少しだけ横レスいたします。
邪馬台国=北九州とするなら、山陰と邪馬台国は無関係ではないと私は考えます。
山陰が中国と交易するにしても、北九州や朝鮮半島を経由せずには交易できませんから。
北九州から品物を入手するだけでなく、北九州を通過させてもらうことも
あったと思います。これらについては朝鮮半島から山陰の土器がどの程度
出土するか等によって判断するしかないかと思われます。
私個人の意見としては、必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
全て担っていたとする必要はないと考えます。
>必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
>全て担っていたとする必要はないと考えます。
その通り出雲が頭から抜けてるねw
>>403 すっげー狭い奈良盆地並の思考回路W
読めばわかるとおり、想像ではなく
天皇家が自称九州から東征してきたといっていることと、巨大古墳群が現れることに
吉備・宇佐の秦氏の関係が切り離せないことから筋道建てて説いているわけだが。
紀伊や丹波や東海、つまり畿内と東海、もともと近いところから(当然掘ってでるのも関連してるなw)
なぜか奈良盆地に集まってきて、そこの天皇が九州から来たと言い始める理由は?
そりゃ、近いところだと考古学で出るのも関連するのはアフォでもわかる。
巨大古墳群ができはじめることを吉備の秦氏と繋げると、一番関わりの深い宇佐が出てくるのは
当然で。想像でも思い込みでもなく理論的。
史書完全無視で、考古学だけしか話せないならさ、考古学スレにどーぞーw
最近 覗いたときは畿内説破壊されまくってたみたいだけどなぁw
しかも
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408 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 11:04:22
>>407 >天皇が九州から来たと言い始める理由は?
神武は、1世紀の人物だろ。
409 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 11:52:31
若狭湾には、ツヌガアラヒト(天日槍)が渡来している。
但馬を開拓した、タジマモリという人もいる。
この人たちは神功皇后に繋がる。
応神は、高志前の角鹿の伊奢沙和気大神と名前を換えたという不思議な記述もある。
神功皇后と応神のゆかりは、九州よりも山陰の方が濃いのである。
「神武東征」って言っても実質的に戦争っぽいのは「白肩津」以降。
要は、大和と河内の地域戦争ですね。
瀬戸内と東海の間にあって交通の要所である大和を河内が東海と連合して
奪ったってだけのこと、と言うストーリー。
これなら3世紀の話しとして成立し得る。
後は河内勢力自体の遠祖が弥生文化の伝来とともに九州の方からやってきた、
と言う伝承を組み合わせれば「神武東征」譚の出来上がり。
事実かどうかは知らんが。
411 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 16:11:37
>>400こちらもそっちがどこに疑問を感じているのかよく解らない。
じゃおたくは「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、」などに細かい記述が無いのはどうしてだと思うわけ?
また水行十日陸行一月はどう捉えてるわけ?
412 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 16:29:18
>>404僕としては
「奈具岡の鉄器生産は、同じくこの遺跡で盛んに行われていた水晶玉製作に使う鉄錐などを作るためのものであった」というのが正直な意見で
同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。
413 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 16:34:37
>>397 :日本@名無史さん :2007/04/21(土) 03:44:32
>神武=祟神?
>あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
>まだ王ではなかったとか?
神武と崇神が同じわけはない。
代数から言ったら、神武というのは、崇神よりも
150年ほど前の人だろうと言われている。
神社伝承なんかには、神武のことは九州の日向や宇佐にも残っているが
そこからバタリト天皇の伝承が消え、次に出てくるのが、熊本のあたりで
孝霊天皇(卑弥呼の親父という説がある)の代まで出てこない。
よって、その間は畿内王権はローカル王権になっていたとしか思えない。
また、神武東征についてだが、あの記述が正しければ
神武は河内にたどり着くまで全く戦闘をしていない。
それまでは平和そのものの巡幸なわけで。
また、その河内での戦争は負けているんだよ、神武は。
その後、熊野から入って、畿内の事代主神の婿養子に入っている。
ちなみに、神武と事代主神は数代前で繋がっている遠い親戚。
415 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 18:23:20
>>412 >同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
北部九州で、どれくらいの鉄器を武器にしてたかも知らないバカ。
というか、鉄器は武器にしか利用されないものと思ってるバカ。
>邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。
根拠も無く、「思う」だけ。
416 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 19:03:05
>>412 丹後の奈具岡遺跡は弥生中期の遺跡ではなかったでしょうか。
しかしあなたは、「邪馬台国時代より多少時代が下るのでは」とお書きで、
そうしますと奈具岡遺跡は後期後半ないしは古墳時代に入った遺跡となってしまいますが、
そのようなソースがありましたでしょうか。あればぜひお示しください。
>>410 > 「神武東征」って言っても 〜 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
そうやね。
出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。
争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
集権化が進み始めた兆候だと思えるね。
大国主って、国を譲るんだから、なかなかの人物だな
419 :
愛知県民:2007/04/21(土) 20:46:44
記紀を読む限り、大和朝廷の九州支配は遅いです。
景行紀に南九州(熊県(くまのあがた)が出て来る)、仲哀・神功紀に北九州を支配し、
伊都国・奴国・末盧国に当たる県と並んで「山門県(やまとのあがた)」が出て来ます。
九州説で邪馬台国=山門県、狗奴国=熊県とすれば簡単なのでしょうが、
邪馬台国は遠絶ということなので、やはり畿内にあったと思います。
そうすると難升米=長髄彦説になります。
神武以前に近畿〜九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
帥升=須佐之男か? 九州出身氏が言ってましたね。
420 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/21(土) 20:54:41
>>415>>416 まいったなー。この問題はつい先日お題にのぼってだいぶ喧々諤々やり合ったんだけど。
又蒸し返すにはちょっと期間が短すぎるんじゃない?
>>415バカとか言う前に
ちょっと前スレくらい読んでよって感じ。あんまり短い期間で同じことやるとうんざりする。
>>416の言うようにソースからいちいち示さないといけないしねえ。
このスレか姉妹スレのドン来いスレそしてその一つ前のスレくらい読んで調べてもらえない?
そして疑問があったらそこで初めて聞いてきてちょうだいな。
>>414 神武・崇神がローカル?
神武の都、磐余と言うところは瀬戸内から遡上してきた大和川の最上流部。
宇陀、伊賀を通じて伊勢と繋がる要衝の地。
鎖国政策でこじんまりと過ごせるような立場じゃないですよ。
>>419 > 神武以前に近畿〜九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
> 倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
160人は多いように見えるが、大した輸出産品が無ければ奴隷貿易しかないですよ。
鉄塊1sが人1人ぐらいの交換レートだったのかもしれません。
>>417 >
>>410 > > 「神武東征」って言っても 〜 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
> そうやね。
> 出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
> 友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。
これは間違いの事実。
> 争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
> 弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
> 北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
> 集権化が進み始めた兆候だと思えるね。
これは一概に言い切れないこと。
地域統合の進んだ地域が後進地域に攻め込んで輸出商品の「生口」を
獲得していたのかもしれない。
424 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 21:18:52
素朴な疑問なのですが、邪馬台国畿内説の皆さんは、
「高千穂への天孫降臨、そしてその子孫である神武天皇が日向より東遷したという記紀の記載」
をどのように説明されるのでしょうか?
>>424 邪馬台国畿内説の人でも色々いるが
彼らの大部分は、神武東征の出来事は
たとえ事実だったとしても、それは
3世紀中ごろの卑弥呼の時代よりもずっと前の出来事だろう?
と考えているわけです。
ずっと前って2世紀より前ですか?
427 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 21:31:14
>>425 なるほど。
魏志倭人伝では、「卑弥呼のあとトヨが起つ。」とありますよね。
私はこのトヨは、記紀にでてくる宇佐の豊玉姫だと思っているのですが、
畿内説の人たちはそれについてはいかがでしょうか?
卑弥呼を誰に比定するかでちがってくるよ
429 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/21(土) 21:33:45
神武天皇即位 紀元元年
崇神天皇即位 紀元237年
>>426 いや、だから、邪馬台国畿内説の中でも人によって意見が違うから...
たとえば、あの3世紀中ごろの出来事を
日本書紀や古事記に記載されている いつぐらいの出来事なのか
解釈によって、当然、神武の東征の時期の解釈も異なってくるし。
で、今一番有力なのは、魏志に出てくる西暦247年の出来事を
日本書紀の崇神天皇10年の出来事と同一視する見方。
それによって、その前の天皇の年代も計算していく。
一般的に日本書紀は、神武の即位年を革命年の辛酉年に合わせようとした
ことが分かっているので、古事記の天皇の寿命や
上古代の二倍年暦も考慮して計算して考えないといけない。
ちなみに、おれが考えたのでは
神武が生まれたのは西暦50年代で
神武東征は西暦70年代〜80年代くらいで
神武が死去したのは西暦120年前後。
2世紀より前なんだね。
あり
433 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/21(土) 21:47:13
紀の崇神天皇十年=皇紀573年=紀元240年=正始元年
>>423 中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
海賊>狗奴國>後世の河野水軍
>>434 いずれにしても、「海賊対策」と言うのは広域な安全保障体制を構築する動機の
一つだね。
こういった安全保障体制は弥生中期には九州・韓半島間にしか存在しなかったが、
物流網が拡大するにしたがって瀬戸内にも成立してゆく。
それが畿内説的には邪馬台国体制と言うものそのものだ。
437 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 22:30:24
>>434 神武は、その海賊の中の一集団だったろうね。
>>436 何が言いたいんだね。
>>436提示のサイトの冒頭部
>河野氏は、ニギハヤヒ命の後裔越智氏から出ている。
>すなわち、文武天皇の時代に越智玉興が伊予大領となり、
>その弟玉澄が伊予国温泉郡(風早郡?)河野郷に住んで河野氏の祖になったという。
>『その真偽は詳らかではない』が、かなり古くから河野郷に根差した土着の氏族であったことは間違いない。
439 :
愛知県民:2007/04/21(土) 22:45:01
>>424 私はとんでも畿内説ですが、神武天皇が狗奴国の卑弥弓呼だったと思います。
>>427 台与は登美夜毘売(那賀須泥毘古の妹)と言ってきましたが、
壱与=伊須気余理比売のほうが良さそう。
>>437 海賊行為も交易も紙一重の世界だったでしょうからそういう考えもあるでしょうけど、
「神武」は特定個人ではない、始祖集団の何人かの首長の功績をまとめた伝承だろう。
441 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 22:55:22
>>435 そうそう。
「海賊に煩わされて、隣村との物品のやりとりが滞ることに困って、
ムラ同士が団結してなんとかしようや。」
ということで、まだ荒らされてない奈良盆地に指令本部を置いたのが、
ようするに大和連合のはじまり。
九州説の人は何を勘違いしてるのか、
「国を拡大すること=鉄器の武器で侵略すること」しか頭に無いから、
全然、話が噛み合わない。
まあ、九州勢力が鉄器の武器で隣村を蹂躙していたことはあったろうが、
そうした荒くれ集団に、団結して対抗したのが大和連合。
>>441 いや、俺は瀬戸内と東海の間に有って「通せんぼ」状態だった大和を
周りの勢力が占領したのが畿内連合の始まりだと思う。
大和連合から国を譲ってもらったのが、邪馬台国ですか?
444 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:06:11
>>442 ?
大和盆地に、「通せんぼ」をしていた勢力があったというわけ?
ニギハヤヒとか?
445 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:09:57
>>442 たとえば、東海勢力なら、紀伊半島の南を舟で行けば、
河内に着けるわけだから、奈良盆地が、「通せんぼ」にはならないのでは?
それとも、東海から陸路で奈良盆地を通過して河内に行こうとしたということ?
ヒント 新幹線
>>445 東海は、関が原を抜けて近江へ行けば、大阪湾や若狭湾に行くルートがある。
大阪湾に行くには、奈良を抜ける必要がある。
伊勢から伊勢街道を通って奈良に抜けるルートもあったと思う。
紀伊半島の南側は、海が荒くて舟が寄れる津も少ないから、危険だったのでは?
神武も熊野に迂回するのに苦労してたようだし。
449 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:20:25
>>446 なるほど、関が原ルートですね。
古代では、海が内陸に迫ってたから、
今の美濃あたりから河内に行くには、関が原を通ったほうが早そうですね。
河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。
凄く大変だったってさ
451 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:26:33
丹波・越・東海・近江の勢力にとっては、
瀬戸内海に抜けるためには、奈良盆地はおいしい土地だったでしょう。
奈良盆地を早くからねらってたのは、丹波・越・東海・近江の勢力だとすると、
吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
近畿と手を組みたいと思ってたのかな?
一応、鉄器は吉備まで流れていたようですが。
452 :
SOY:2007/04/21(土) 23:29:51
>>446 >ヒント 新幹線
>>449 >なるほど、関が原ルートですね。
:
>河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。
新幹線は奈良盆地を走っていないのでは?
ある意味、奈良は素通り… 鉄器が少ないのもこのあたりと関係があるのでは?
寝る前にちょっと発言してみました。
吉備は、鬼退治に夢中でした
soyおやすみ
455 :
愛知県民:2007/04/21(土) 23:33:57
>>422 しかし、百六十人の生口を連れて行くためには千人ぐらいで行かないと
無理なのでは?
途中で逃げたり亡くなったりした生口も多かったかもしれない。
やはり大変な数と思いますが。
迎える漢王朝も警戒したでしょうね。
>>451 >吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
播磨・河内・阿波・讃岐と東瀬戸内連合を形成していたんじゃないのか?
大和を手に入れれば東海・関東と直接交易ができる。
457 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:37:11
さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。
鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?
>>455 一度で海峡を横断するのは無理でしょうね。
とにかく楽浪までは自力で連れていかないとねえ。
>>457 うん。実際に、奈良から鉄は多く出土してないのだから、
鉄を交易して備蓄していたとは考えられないし、考える必要も無いよ。
当時は鉄と同じくらい貴重なものもあったはず。
例えば「塩」だよね。
>>457 > さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
> 鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
> そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。
「日本海ルート」勢のライバル、「瀬戸内海ルート」側から見れば大和の掌握は重要じゃないの?
> 鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?
「ハブ」であることは間違いないね。
462 :
日本@名無史さん:2007/04/21(土) 23:54:57
蝦夷をつかまえて、「奴隷市場」として栄えていたこともありうる。
神功が熊襲を退治するとき 大和軍に宇佐の神軍も一緒だったこと忘れんな。
つまり神功は九州制圧などではなく、北部九州の対熊襲を支援しに
来たんだね。だから隼人の魂を祭る神社が宇佐にある。
このことからも北・中部九州と畿内は戦争などしていないうえに
制圧されてもいない。
じゃ、どうやって畿内と九州が繋がったんだろうな。記紀の神武東征で
すでに指摘されているとおり、安芸や吉備は征圧などしていない。
つまり宇佐の圏内から吉備まで戦う必要などなかったんだろう。
ところが畿内で戦わないといけない。ここからもわかるとおり、吉備と畿内の
境が対立圏じゃなかったのかな。どちらにせよ東征という漢字は内容に合わないと
おもうがね。
「東征」という漢字があまりにも大げさだったから
後世の歴史家が混乱してしまったんじゃないのか?
フランスが翻訳を素直に読んだら
「九州生まれの神武が、畿内の王家の娘と結婚して
後を継承しました」と素直に解釈しているのにはワロタ。
こういう素直な解釈って、日本人はしないよなw
465 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 06:06:14
>>463 >ところが畿内で戦わないといけない。
>ここからもわかるとおり、
>吉備と畿内の 境が対立圏じゃなかったのかな
吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先でしょう。
ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し、
大瀬戸内連合が形成された。
これに北部九州玄海グループが加わった姿が、
初期のヤマト政権だね。
大和が中心になってしまったのは、渡来系の影響力だと思う。
大連合が成立して安定したため、
韓からの渡来者も増えたと思うが、
こういった集団は比較的後進な畿内内陸部に定住したものが多く、
逆に他の地域を文化的に凌駕してしまったとかね。
>>465 馬鹿説発見。
渡来系が主役なら、外国に近い九州のほうが
主役になるだろうがw
もう、こんな阿呆説ばっかw 九州説はw
467 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 06:38:17
>>464 「東征」自体が後世の歴史家のネーミング。
>>467 マジで、原文読まなきゃいかんの典型だな。
というのは、明治以降、原文読まずに
各々の解釈文が出回ったのが大きな要因だな。
469 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 06:40:56
470 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 08:33:25
>>468 原文の「東征」が成立したのは8世紀だろ。
ヤマトコトバで、「東征」を意味する言葉など無い。
471 :
愛知県民:2007/04/22(日) 10:37:40
>>439に基づいて自説修正。
邇芸速日命=天火明命は卑弥呼(天道日女命か?)の男弟で、伊声耆掖邪狗とは別人。
伊声耆掖邪狗は伊須気余理比売(壱与)と関係がありそうに思えますが、
彼が張政の帰還を送るところで魏志倭人伝が終わっているのも謎。
神武東征は「東遷」の方がよいのでは?
東征というとアレクサンダーみたいですが、ムハンマドの「聖遷」に近いと思う。
>>470 原文【三月,辛酉朔丁卯,下令曰:「自我東征於茲六年矣・・・】
橿原建都の「勅語」であるが、文意としては「東を征して」程度のもの。
「生駒山の西からやって来て大和を平定した」ともとれる。
ノンビリ過ごした日向から難波までの時代を含めた言葉ではないと思う。
>>465 ひどすぎる。
よくこんな出鱈目書けるな。どんな脳内してるんだw
>吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先
>ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し
地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。
しかも
>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う
日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
思えるのか妄想以外で説明してみろ。
奈良に塩を集めたからなどと言い出すんじゃねーwwwwwwww
神武は劉備みたいなもんだろ。
九州地方の王族に連なる血筋という家伝を持つ一族。
倭国大乱で王統が変わり神武の一族は中国地方の勢力を頼って東へ。
しかし盥回しにされどんどん東へ。
現状打破を目指して畿内へなだれ込むもリーダー戦死。
弟の神武が後をついでそのさらに東の勢力と結んで回り込んで侵入。
騙まし討ちなどして奈良周辺を占領する。
しかし、神武後は家系を地元勢力に乗っ取られる。鎌倉政権における源氏の如し。
ただし、名跡は残り、何代か後の子孫が版図を広げやがて日本を統一した。
こんな感じでしょ。
475 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 12:31:01
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>>473 > >ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し
> 地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
> しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。
時代相を考えなきゃ。
後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、九州でも瀬戸内色が強いよ。
地勢学的には北部九州と西四国・西中国の中継点として「西瀬戸内」の中心と言える。
後世の宇佐にもつながる・
> しかも
>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
> などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う
「東瀬戸内」の結びつきだっていろいろ有るだろう。
○吉備甕と畿内甕の様式から庄内甕成立
○阿讃の積石塚と吉備・播磨・河内の墳丘墓から大型墳丘個人墓成立
○直弧文や鳥型、水銀朱への嗜好。
こう言った各ブロックがさらなる統合に向かうとして、西と東の瀬戸内同士が他地域よりも
優先するのは自然の流れでしょう。
三韓系土器が吉備や河内に出現するなど、流通の多角化が想定される。
後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。
> 日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
> こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
> 思えるのか妄想以外で説明してみろ。
「天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。
キミが呼びたくないなら、それはそれで勝手にすればよろしい。
477 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 13:53:33
>>476 >後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、
違う。
478 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 15:50:54
>>476 >後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。
違う。後期末ではない。
威信財ではない。大阪湾型銅戈は集団の祭器であって個人の所有には属さない。
大阪湾型銅戈は日本製である。工房も鋳型も発見されている。
>>477 「属している」は少々言い過ぎ。
「結びつきがある」程度か。
一応、平型銅剣は大分でも出土する。
480 :
九州出身:2007/04/22(日) 16:30:40
>11 :日本@名無史さん :2007/03/25(日) 21:36:31
>卑弥呼人気投票!
>1、オリジナル卑弥呼
>2、神功皇后
>3、倭姫
>4、天照大神
>5、倭トト日百ソ姫
>他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。
これ皆さんはどう思います?
481 :
九州出身:2007/04/22(日) 16:34:11
>>471 愛知県民さんへ
こんどは伊須気余理比売が(壱与)なんだね?w
きみおもしろいなw
イヨタン・・・・・・・・
483 :
九州出身:2007/04/22(日) 16:59:32
当時はいまみたいにTVとか無かったわけだし、村の人々も卑弥呼のミステリアスな
鬼道の術中にはまってたのかもしれん。
当時が現在の情報社会みたいになってたらどうなってただろうね
484 :
九州出身:2007/04/22(日) 17:01:45
こんどのゴールデンウィークを使ってどこかいかれますか?
ここの住民のみなさん予定があればお答えください。
あ!そういえばうちのPCでここのサイト書き込めなくなったんだけど
だれか詳しいかたいらっしゃいますか?
486 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 20:04:15
>>483 鬼道をあやしい術だと思ってるのか。
九州はみんなバカばっかりだな。
連休は、田舎かえるよ
489 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/22(日) 22:50:48
>>484 九州出身さんは真面目だし、感情的になったことさえ無い人だよ。面白い事はあるけど。
まだ酷い荒らしはいっぱい入って来たりするのに生真面目な九州出身さんがアク禁なんかなるわけ無いでしょう。
真面目すぎて冗談も通じないのに。僕には解んないけど誰か教えてあげてよ。
コテハンで頑張ってる人がいると、僕も励みになるしちょっとうれしい。
/⌒ヽ.
( ^ω^ ) おっ♪おっ♪おっ♪
ピョン ( O┳O)
ピョン し-||-J
⊂§⊃
§
491 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/22(日) 23:24:48
>>486九州はみんなバカばっかり
九州ですが鬼道をあやしい術などと思った事は一度もありませんけど。
詳しくはないのですが、アクセス規制の巻き添え食ってるんじゃないですか。
どこかの荒らしのせいで、使ってるプロバイダがアクセス規制されると、巻き添え食って書き込めなくなります。
2ch規制情報板で自分の使ってるプロバイダの規制スレを見ると、何かわかるかもしれません。
http://qb5.2ch.net/sec2ch/
鬼道は、現代の日本人感覚で言うと十分怪しいだろ。
『よく衆を惑はす』とかも怪しいし、骨で占うなんて十分あやしいな!
まぁ、宗教の儀式なんて、信じてない人がみたら怪しいもんですよ!
細木とか、マリックも怪しいだろ。
494 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 00:02:48
>>493 「鬼道とは道教なり」とあるように初期道教黄巾の事。
「この国の風俗は何かを命令したり、おこなったりする時はまず骨を焼いて、卦をたてる。
そして、吉凶を占って、その結果を告げる。この占いの方法は中国の亀卜に似ています。
焼いてできる裂け目を見て占いをたてるからである」というのと鬼道は別に書いてある事から中国の亀卜と、鬼道は別物だといえる。
ちなみに焼いてできる裂け目から甲骨文字が生まれたので古代中国では文字に霊力が宿るとされたのに対し
倭では言霊といって言葉に霊が宿るとされた。倭人は神聖なものを文字に表すのを嫌ったので
漢字が倭国で本格的に普及するのは仏教経典が伝来してからの事だといわれる。
政教分離された、現代の日本人の大くは、普通にシャーマンの卑弥呼を怪しく感じると思うけど。
496 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 00:18:03
古代中国の為政者も黄巾を邪教扱いして迫害したんだろうから
鬼道などという怪しい名で付けたのではあるまいか。
漢書郊祀志などを読むと、国家が公認した祭祀のことが書いてある。
そういう公認されたものが正統な祭祀で、それ以外が十把一絡げで鬼道だろう。
現代人から見れば、どちらもやってることに大した違いは無いが。
現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし
499 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 00:56:11
>>492 そう、一人が変な投稿を続けると、同じ地域の同じプロバイダの人みんなが、
巻き添えを食らって、アクセスできなくなる。
宇佐の神託の出し方っていうのは 巫女をつかったシャーマン風なんだよな。
比売大神を祭る神宮で女つかって神託だすっつー・・・
これを朝廷が聞くんだから・・。
道教のことだよ
>>476 >天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
>私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。
いや、だからこれ以前のことを聞いているんだが。これ以前に
(日本国の)天皇といえるほどの「ヤマト」政権があったかどうかなんてわかりようがない。
しかもこの大型墳の出現時期こそ重要なんだが。
他から集団がきたのは間違いないね。
しかも思ったとおり、考古学で見たものだけで展開している。前から思っていたとおり、考古学というのは
ほんの、限られた部分の資料だけ。最重要地で宮内庁に封鎖されていたり、古代から栄え今は大都市で
掘りようもないところはわかりようもない。
つまり、ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。だから妙ちくりんで
思考力の狭い妄想だと思われてしまうんだ。考古学スレにいきゃーいいのに。
>>501 そう、その女シャーマニズムの道教は宇佐の辛島氏が持ち込んだ。
そして辛島は祖が素盞嗚尊ということになっている、とりあえず。
で、宇佐の比売大神は素盞嗚の娘だからそこで繋がる。
卑弥呼も中国人には鬼道とよばれる亀焼き占いをしていたわけで
やはりシャーマンだったんだろ。このことからも、古代の、少なくとも
九州辺りはシャーマニズムをもった巫女が大きな権力をもって人々を
支配してたんだな。
もう、邪馬台国大和説は揺るがないだろうと思う。
もう。そういう流れになってきている。
505 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 06:59:01
>>504 説得力ゼロだが....そんなに精神的に追い詰められているのか?
あるいは以前指摘されたように、
>>503 みたいな泣き言みたいに
惨めったらしい大和説者を装って、畿内説者陥れるための工作員でもいるんかいな?w
それならまだ理解できるが。
流れに竿さす・・・
507 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 07:03:45
>>498現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし
そんな結論出してなにになるっちゅーのって。古代中国でどうかなんだから。
どうやら古代の為政者から見たら怪しかったようだが。
前スレに
〉鬼道を怪しい術だと思う人は馬鹿ばかり
とあったので・・・
まぁ、一部の信者には怪しくなくてもいんだけど。
ちなみに、九州人じゃありません。
509 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 07:27:15
>>502 じゃ、古墳は土蜘蛛の墓だと!
大和朝廷の大王たちは、その土蜘蛛どもの墓を真似て、
自らの墓を築きましたと!
そう言いたいわけですね。
>>502 >ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。
>だから妙ちくりんで思考力の狭い妄想だと思われてしまう
それ、自分自身に言った方がよいよ。
511 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 20:09:10
卑弥呼は姫子。
その発想はなかったわー!
で・・・姫子って誰?
ですが・・・ゆれてるよ・・・ですが
514 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 20:39:11
日巫女・姫子は普通の説だよ。
日御子でもいいですか?
516 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 20:44:36
あのさー、素朴な疑問だけど、畿内説の人たちは、
道教事件の時に称徳天皇は何故遠く宇佐神宮まで御神託を
もらいに逝ったと考えてるの?
卑弥弓呼は誰ですか?
伊勢神宮は、当時改装工事中だったからなー
519 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 20:52:25
邪馬台国と天皇家の関連性は、不明です
オラがお参りにいった時の話なのに・・・
よくウソだとおみやぶりになったな!さすがです
522 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 20:58:40
江戸期までの歴代天皇は誰一人として一度も伊勢に行った事が無いほど伊勢はどうもいい存在
一方古代の天皇は九州へはしょっちゅう遠征してた
523 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:02:56
524 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 21:05:02
伊勢神宮にしてもよ、江戸時代なんて、外宮のトヨ受の大神しか
参らなかったって言うでねえか?
トヨって、卑弥呼の次に立った女王でねえべか?
畿内説のお人はここんとこどうかんがえてんだべ?
ですが・・・の背後で・・・なんか鬼がいるような気配が・・・ですが
526 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:09:04
でも卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、
などをもっと検証していくべきだとは思うが。
宇佐は、伊勢につぐ第二の宗廟だかんね。
応神さん、神功さん、比売さんがおるしなー
その検証は、ですがに任せた。
しっかりがんがれ
529 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:13:54
>>524 僕も歴史の経緯を無視すれば、トヨタマヒメがトヨのような気がするんだけど。
天照より、須佐之男の娘や応神さんの方が、親近感あったんだろう。
最近ですがの一人舞台だな。
・・・・不気味・・・・
ですがは、鬼道でよく衆を惑わすからな。
532 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:36:44
>>529 歴史の経緯を無視すれば、比売大神が卑弥呼のような気がするんだけど。
533 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:43:40
>>531「最近ですがの一人舞台だな」
まさかー。
名無しさんが多いのでコテが目立つだけ。
比売って三姉妹だろ。
卑弥呼は三人の事だったのか。
535 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 21:56:08
>>534 三姉妹?
宗像の三姉妹と混同してない?
536 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/23(月) 22:03:27
>>532 九州ですがさん
卑弥呼は崇神の時代の女性ですが、比売大神は神功の時代の女性だと拙者は
考察しております。
宇佐神宮の伝では比売大神はアマテラスとスサノオの子だとの話ですが、
それは嘘ではないですが、厳格に言えば別の父母がいる、女島出身の神功〜
仁徳世のころの九州に生存した九州王朝の女性ですよ。
たとえば明智小五郎の生みの親は江戸川乱歩ですが、これはそのとおりと
観るべきで、物語の中では明智の彼の両親が設定で別にいるはずでしょう。
伝の云うのは乱歩のほうです。しかし血を分けた父母は格別にいたことに
なるのです。
比売ってさ、多紀理毘売命と市寸嶋比売命・多岐都比売命の三姉妹じゃないの?
宇佐マニアの方よろぴく
宗像の三姉妹って誰?
539 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 22:47:23
>>536太国さん
あくまで「歴史の経緯を無視すれば」の話です。
宇佐神宮の近所の何とか言ううらぶれた神社がその比売大神の元々祀られていた場所だそうで、
宮内庁に封印されているそうです。それとヒメという音が似ているということでしょうか。
そんなこんなでミステリアスな印象を持っているのは確かです。
540 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 22:51:49
541 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 22:53:16
>>536 どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?
542 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/23(月) 22:55:35
543 :
日本@名無史さん:2007/04/23(月) 22:56:32
◇フリー百貨辞典にて
豊葦原中国とは、
日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界。転じて日本の国土の異称。葦原中国(あしはらのなかつくに)とも呼ばれ、単に中津国(中つ国)とも言う。
神々の住む天上世界である高天原と対比して、人間の住む地上世界を指すと考えられる。
日本の古代史として日本神話を読み解く際には、以下のように解釈されることもある。しかし、邪馬台国論争と同様に諸説がある。
1.出雲地方そのものを葦原中国とする説
2.ヤマト王権の東遷と成立を以て、高天原を旧勢力圏であった九州地方、葦原中国を畿内であるとする説。
3.広海、後の大和盆地の平野部、三輪山近辺を葦原瑞穂国と定め、現在の橿原あたりを葦原中国(あしわらのなかつくに)としたという解釈。
4.文字通り、中津=大分県中津市という説
ですがが壊れてゆく・・・・
ぼろぼろやん。
>>539 中津の鷹神社が宇佐の元宮のひとつだといわれているが?
しかも比売大神は確かに宗像神のなかの大神だが、すぐそばの
大許山で山頂の遺跡のある奥宮で祭られている地主神を
地元の豪族が持ち込んだものとされている。当然、今は御禁足地。
他の元宮も大許山の周りで点々としてるが、皆どこが何か知っているし
かえってご利益があるといって、神宮でなく元宮見たさにいく人間も多い。
うらぶれてはないと思う。
>>536 絶対に違うと思う。なぜなら、宇佐で両脇に神功皇后と応神天皇を従えて
2人の天皇(皇后)より上座に配置されて比売「大」神として祭られている。
同時期に居た人間を天皇と皇后より上座に置くわけない。誰が天皇より上にこれるんだ。
皇祖神扱いされているとしか考えられない。
置いてある位置はそうなんだけど・・・
一之御殿には応神、二之御殿には比売、三之御殿に神功ってなってて、主祭神は応神になってるみたいよ
548 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/24(火) 05:38:58
>>545 僕が大分昔NHKで紹介されたとき見たその神社は荒れ果て放題でお化け屋敷みたいだったという印象がある。
山の中に古い鳥居が立っていて人の気配さえも無く枯葉も落ち放題で人が近づいた形跡さえないような。
なんでこんな場所が宮内庁によって封印されているんだろうと疑問に思ったほどだ。
宇佐神宮の宮司さんが今でも比売大神の事を「卑弥呼なんでしょう?」といって訪ねてくる人も多いです」と言っていたから
HNK放送後に尋ねてくる人多さにその神社も地元で整備したのかも知れない。
宇佐神宮には現在比売大神の像{結構ちっちゃい}は無く、どこか近くにあるような物言いだったけど詳しくは聞けなかった。
宇佐近辺の出だと言う事以外詳しい事は解らないということで四拍手で祀られている事が怨霊とも言われるその理由についても
ただ昔からそうしているとの事でよく解らないとの事だった。
もっと詳しく知ってる人がいたら情報おそえてね。
549 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 07:59:03
九州ですがさん 参考情報有難う。
>>546 比売大神は九州王朝の女王的位置の人物であるが、卑弥呼とは別人であり、
同王朝は女性の重要人物がわりかし多くいたのだ。女王的地位の人物なら
真ん中に座することはおかしくはない。そこは九州だからなおさらだ。
演劇で銭形平次をやれば彼が主役であり、ずっとえらい将軍役がいても、
それは脇役になる。
九州に姫子様をまつる土俗信仰があるというのは本当
ですか?
551 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 08:51:56
>>549 どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?
552 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 08:55:52
求めたんじゃなく宇佐の方から神託が下ったと言って来たの。
その時の宇佐の神職が道鏡の血縁者。
ブッシュとゴアの大統領選挙の時の様な胡散臭い話だよ。
553 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 08:56:32
>>545 大許山ってどこにあるの?
検索しても場所がわからないです。
「大許山」の読み方もしりたいです。
554 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 09:29:10
>>551 訳許真路とは簡単だ。部外者は皇統に入らないから天皇にはなれない。
選挙じゃないんだから、なおさらだ。
いまはそっちの話じゃないが・・・。
古事記、日本書記が編まれたのが7世紀
500、600年前のことなどわからんわな
今、戦国時代や江戸時代を語るようなものだし
卑弥呼は古事記に書かれてる神のどれかにあたるかもしれんが
556 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 09:44:16
訳許真路って何ですか?
邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか
やっぱり九州の小国のような気がするな
558 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 09:48:45
皇統の道筋がないということで、それが天皇になることが許されない真の
理由だよ。
559 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 09:57:24
560 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 10:02:42
561 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 10:50:20
>>557 :日本@名無史さん :2007/04/24(火) 09:47:21
>邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか
うんなこた〜ない。
もう、その説は何度も論破されている。
564 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 11:03:35
565 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/24(火) 12:40:01
>>549 そうですね。古代の九州は女王も多いんですよね。八女津媛だとかもそうだし。
記憶によると女王が木の枝に鏡をいくつもぶら下げて降伏して来たってのがあったような。
566 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 14:01:40
>>563 宇佐の神職が、物部宗家と関係が?
弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とすると、そのサイトにありますが?
魏志倭人伝には
卑弥呼の死後、壹与という少女が国を治めたとある。邪馬壹国といい二回も
誤表記するかという疑問がある
それと卑弥呼は夫を持たなかったというから天皇の系譜とは違う人物であろう。
つまり邪馬壹国とは統一王朝のことではないのである。
568 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 16:21:46
卑弥呼の女王国は九州王朝の始まりで、その親はその前段階の、王朝の下積み的
環境の者。比売大神は、それより後代の九州王朝の女王的存在。
569 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 16:47:26
みんなは、宇佐の沖合いにある姫島のこと知ってるの?
比売大神は、姫島の姫のことだと思うが。
570 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/24(火) 16:53:53
まずそうだろうな。
571 :
カナカナボウシ:2007/04/24(火) 19:04:49
うん、間違いない。ヒミコであることは絶対ない。
よってたかって、ですが案を完全否定
どんまい ですが・・・
573 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 21:01:32
「ですが」が、無知すぎるんだよ。
持論を展開するなら、もっと下調べしないと。
574 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 21:26:34
太国は今夜はもう寝たほうがいい。
575 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/24(火) 22:06:14
>>573「無知すぎるんだよ」
だったら比売大神についてこっちが質問してるんだから何か一つでも知ってる事実を言ってみたら?
宇佐神宮の宮司さんも知らない事を知ってるとは思えないけど。
下調べもなにも
>>548以上のことは今のところ解らない筈だ。
こちらが聞いているのは事実としてはっきり解っているのは何か、という具体的な部分に踏み込んでいるのだから、
「だと思う」という想像からの意見ではない。
>>526で言ってるように「卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、 などをもっと検証していく」
為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。
確かに冒険だとは思うけれども。
576 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 22:47:38
>>575 >為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。
本当に本当にどうしようもないくらいに不勉強のバカだな。
古代に、「卑弥呼」と中国人が聞いた倭人の発音が、
倭人の「巫女、日巫女 姫、姫巫女」を意味する「ヒミコ」の発音と、
どうして同じだと考えるわけ?
577 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 22:57:36
宇佐の比売大神は、姫島のアカルヒメだろ。
もう、とっくの昔に結論は出てるんだよ。
578 :
SOY:2007/04/24(火) 22:58:37
比売大神。昔から興味をもっていますが、解釈が難しい神様だと思います。
私がざっと思いつく範囲でも以下の神様が関わっているように思えます。
・宗像三神(市杵島姫)
・万幡豐秋津姫命(天万栲幡千千比売命)
・織女神(天棚機比売大神)
・服織女
・阿迦留姫命
・下照比売命(高比売命)
・天美津玉照比売命
・玉依姫
・丹生都比売
・稚日女尊
・大日霊貴尊
・豐比賣命
でも、どう解釈して良いのか分からないというのが正直なところです。
後世、いろいろな神様と結びついた可能性もあります。
分からないことばかりなので、
ここでなされる検証については非常に興味があります。
579 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 23:09:16
580 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/24(火) 23:44:25
>>578 SOYさんが言われる、「どう解釈して良いのか分からないというのが正直なところです。
後世、いろいろな神様と結びついた可能性もあります」という のが一番現実的だと思います。
以前TV番組で古代の帯方郡あたりの言葉で卑弥呼という言葉の再現が試みられていましたが、
それは「ペーメーハー」というものでした。日本では奈良時代以前は「はひふへほ」を
「ぱぴぷぺぽ」と発音してましたから実際には{へーメーハー}となります。
この{へーメー}というのがヒメという言葉とつながりがあるとすれば、
卑弥呼がヒメの語源となった可能性があるといえると思います。
581 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/25(水) 00:29:17
又このような説もあります。
「「ヒコ」は通説では「日子」とされ、「日女」と対であるとされていますが、
「ヒ」は「霊(ひ)」をさし、「ヒト」「ヒコ」「ヒメ」の語源となっている」
これだとヒメは日女であり、「ヒルメ」という言葉と繋がっているように思えますが、
貴い神の名「ヒルメ」を、高貴な女人に対して「ひめ」と呼んだとも考えられます。
しかしこれだとアマテラスと卑弥呼に接点が出来てしまい、異論のある方も居られるでしょう。が、
あくまで語源の問題であり、両者に直接関わり合いが無くとも、成立する事なので問題は無いと考えます。
>>566 >宇佐の神職が、物部宗家と関係が?
宇佐の神職というより、その血縁者を大宰府に置かせて
宇佐の神官も兼ねていたんだよ。
だからやはり道鏡による偽の神託だったと思われ。清麻呂の話の中で宇佐に着いて
宣言文を読もうとしたら宇佐の神が拒んで聞きたがらなかったという内容だから=偽もの。
神武の時代から神託といえば宇佐。だから利用されたんだろ。
ちなみに勅使街道祭り、今も数年に一度宮内庁と合同で行われてるんだよね。
それだけ皇室史において大変大きな事件だったわけだ。
万系一世が消えていたかもしれんのだし。
584 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:38:18
「ですが」の宇佐説が否定されたから、誤魔化すのに必死だな。
585 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:45:58
宇佐で祭られてる山=御許山
宇佐の沖にある姫島の神社=比売語曽神社
「御許」は、「語曽」に通じる。
よって、宇佐で祭られてるヒメ大神は、アカルヒメ。
以上。
姫島のアカルヒメ信仰は国東⇒大阪難波っていってるっしょ。
すっげー怪しい................
>>584 ??数分前に2chに来たばかりだが?しかも甘木説だろ、ですが君は。
自分には他説者などどーでもいーんだが。
>>581 過去レス読んでないので何が話題で何が問題になってるのかわからんが、
ヒルメはヒルコと対(つい)。この二人がキョウダイであることは記紀に明らか。
588 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:51:45
おもとさん
589 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:55:18
>>586 すると、アカルヒメ=邪馬台国の卑弥呼が、
九州から畿内に遷都したとでも?
590 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/25(水) 00:58:52
ただいま
>>526の続きをやってるんだから。焦点のズレたようなレスされても答えようが無い。
>584「 ですが」の宇佐説が否定されたから 「?」。
こちとら邪馬台国宇佐説などではないが。
>585ヒメ大神は、アカルヒメ、以上。 {?」。
そのアカルヒメなどで言うところの「ヒメ」の語源を探っているところだが。
591 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:59:30
九州説で全部一緒くたにされるとかなわないね。
候補地が全く違うだけでなく、東遷・九州王朝の存在の否も
分かれてるというのに。
592 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:02:40
宇佐説は、九州ですがにも相手にされずか。
宇佐厨かわいそうに。
必死に宇佐を盛り上げようとしてたもんな。
593 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:08:40
↑必死なのは誰だよW
594 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/25(水) 01:11:01
>>592煽らないように。
別に宇佐説を否定してるわけではないので。
大分には邪馬台国連合の比定地と思われる場所が多い。耶馬溪=邪馬国、
躬臣國=玖珠。巴利國=杷木町など。僕は邪馬台国連合=邪馬台国という説なので
当然これらは邪馬台国内である。卑弥呼の都は女王国として区別している。
595 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:15:53
>>589 比売大神は皇祖神なのは史実だが、卑弥呼だと思わんね。
もし、宇佐が邪馬台国と関連していたとすると当然、豊だと思う。豊玉姫か?
何せあそこは今でも自称トヨの国。
しかし邪馬台国が大和朝廷に繋がったかどうかわかりようがない。
邪馬台国の王族が天皇と繋がるなら、宇佐も関連するとみるが
関係ない可能性も十分あるし(自分は東遷説ではない。)
なんせ邪馬台国も卑弥呼もトヨも中国の書物にしかでてこない。日本の書物だけ
よんだら邪馬台国やら卑弥呼やら出てこないしね。
ところで昔は宇佐より中津のほうが栄えていたそうだ。あの辺り、山国川もあるし
倭人伝の中の耶馬国じゃないかと思うんだが・・
596 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:18:36
とりあえず、アカルヒメ信仰に関しては国東から大阪難波に
姫島神社が建てられたわけだから畿内にも持ち込まれたのは
間違いないでしょう。
597 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:28:09
ちなみに邪馬台国=北部九州説は捨てた。
畿内説と同じく描写がいまいちあわない。距離や日数・日常生活の描写ほとんど。
中南部の九州だと思うね。日向説に移ったよ、自分は。
南下水行を東九州の海岸ととれるし、古代に人数が多かったのも間違いない。
大体、神話に関連する土地が非常に多いから王族(支配層)が大勢いたんだろww
その中のひとつ、非常に栄えた女王国があったんだと思うね。それが
後に皇祖神に繋がるかどうかは別として。
598 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 02:16:20
599 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 09:14:09
日向が邪馬台国で間違い無いだろ。
西都原の古墳群を見れば、九州のどこよりも王権に近く豊かで労働力を徴用できたことがわかる。
仮に、日向以外に邪馬台国があったとしよう。
すると、邪馬台国以外の弱小国家の土地に、古墳が大量に作られたことになる。
それはありえないことだ。
600 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 14:56:27
魏書に書かれてる頃はもう日本の中心地は畿内にあったでしょ
601 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 16:25:20
邪馬台国は九州のどこかで、日向はクナ国。
その頃、畿内王権も生まれており、
日向のクナ国は畿内王権の同盟国。
トヨの後、九州邪馬台国はクナ国によって滅ぼされる。
こう考えれば一番納得いくのだけども。
602 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 20:21:30
倭国大乱と表現される紛争多発地域は福岡平野、筑後平野、熊本平野ではないかと
地図を見ながら考えています。
それらの地域は割りと行き来がしやすく、平野で生産力は大きいが、攻められやすく守りにくい
地域です。
それらに比べて、大分県宇佐、中津地域や宮崎県日向地域は陸の孤島のような状態であり、
それなりの平野があって兵力を温存又は蓄えるにはいい場所だと思います。
福岡、熊本地域へ向かう街道もあることはありますが、かなり険しい道になりますので、
比較的守りやすい地域です。
福岡、熊本地域が紛争で国の規模も大きく出来ず、疲弊しているところへ、力を蓄えた日向地域が
福岡、熊本地域を押さえる。後には宇佐、中津地域が取って代わるというようなシナリオは
ありえるでしょうか。
個人的には投馬国の5万戸に相当するのは筑後平野、7万戸に相当するのは熊本平野
と平野の面積から想定します。
邪馬台国発祥の地は日向地域で、後に中心的に支配する領域が熊本平野と考えています
同様に、台与の時代には発祥は宇佐、中津地域で、主力支配地域が筑後平野と見ています
日向−熊本ライン、宇佐−筑後ラインでそれぞれの遺跡のつながりの痕跡がないか
個人的に調べていますが、まだよくわかりません。関係ない可能性ももちろんあります。
603 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/25(水) 21:32:57
しかし大分は凄い。地図を見て改めて思うが、耶馬溪の付近にやまくにがある。
誰かがこのやまくにが倭人伝の邪馬国だと思うと言っていたが、
このすぐ近くに躬臣國=玖珠。巴利國=杷木町の比定地もある。
これに、きい城のある基山町が支惟国(きい)。鳥栖が鳥奴国(うな)。フミ国は宇美町。
かんさきの国はかなそな国、吉野ヶ里。那の津は奴国で博多から内陸部へ入った地域。などが続く。
そして南の菊池がクコチヒコが長官であるクナ国。この狭い範囲内に比定地が集中している。
畿内説の言うクニの比定地は中国地方から近畿の広大な範囲の中にそれと思しき地名を無理に当て嵌めたに過ぎない。
これだけ広ければ全国どこにでも似たような地名はザラにあるものだ。
魏志倭人伝は小説だったんじゃね?
605 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 22:27:41
三国志は小説なのか?
606 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 22:57:20
三国志は小説だろ。
607 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 23:06:22
以前ニュー即で流れていたコピペ
つぎに斯馬国(しまこく)がある。 糸島の志摩半島?(昔は島だった)志免
つぎに已百支国(いわきこく)がある。 朝倉郡把木(はぎ)町?三養基郡は無理があるかな?
つぎに伊邪国(いやこく)がある。 うや?いや?朝倉郡弥永(いやなが)? 今津、今宿(いま)?
つぎに都支国(ときこく)がある。 たきこく?つし?筑紫野?
つぎに弥奴国(みなこく)がある。 水沼=三潴?三養基郡三根町?上峰(かみみね)町?「水縄(みのう)山地」?耳納(みのう)山?
つぎに好古都国(をかだこく)がある。 博多(ほこと)?
つぎに不呼国(ふここく)がある。 ふふあ?ふか?うか?福岡県浮羽郡?
つぎに姐奴国(さなこく)がある。 そね?そぬ?さな?さぬ?曾根?
つぎに対蘇国(とすこく)がある。 鳥栖市?
つぎに蘇奴国(さがなこく)がある。 佐賀?曽根田?
つぎに呼邑国(おぎこく)がある。 小城?
つぎに華奴蘇奴国(かなさきなこく)がある。 春日?糟谷?神崎?
つぎに鬼国(きこく)がある。 三養基郡基肄(きい?三養基郡基山(きやま)町
つぎに為吾国(いごこく)がある。 ?
つぎに鬼奴国(きなこく)がある。 ?
つぎに邪馬国(やまこく)がある。 八女 矢部?
つぎに躬臣国(くじこく)がある。 久留米?
つぎに巴利国(はりこく)がある。 はり?はら?
つぎに支惟国(きくこく)がある。 菊地 菊水 ?
つぎに烏奴国(あなこく)がある。 宇美?荒尾市 大野城市?
つぎに奴国(なこく)がある。 ?
まつろ=松浦
いと=糸島
つしま=対馬
いき=壱岐宇
不弥=うみ=宇美
奴国=なのつ那の津 奴国の港の意味
魏志倭人伝演義w
魏志倭人伝自演義w
610 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:20:52
>>601 ふーん。すっげー滅茶苦茶な妄想に思えるんだが、どーやって
そーゆー結論に至ったか根拠くらい書けよw 説得力ないし。
そして熊襲は?
>>600 畿内はまだまだ日本の中心とは程遠かったよ。
611 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:44:04
612 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:47:18
>>607 それさ、狭いところに国を詰め込みすぎだよw
もう、なんというか、哀れというしか仕方がないような気がする。
613 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:47:59
前から思ってたんだが・・既出だと思うけどさ。
不弥=うみ=宇美 ここ内陸部っしょ。
思い込みで実は宇美は不弥じゃないんじゃね?だってここのどこから水行するんだよ。
614 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:48:19
615 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:52:23
宇美町のホームページ見てきたが、
不弥で完全決定らしいね、宇美町のホームページでは。
もっと海辺じゃないの?
616 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:54:12
伊都は前原でいいと思う。決定でしょ。
しかし東九州も栄えてたんだからもっと書かれていていいと思うんだけどなあ。
たとえば佐賀とか長崎。
熊本。
617 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:56:01
>>615 古代の海岸線は、もっと内に入っていたらしいし。
今の福岡空港あたりまで海岸線が入っていたという説を聞く。
グーグルアースで地形を見たら、
末盧国〜不弥国まで、平地の地形ごとに国が分かれていたことが分かる。
618 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 02:59:43
619 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/26(木) 06:54:50
クニが出来る少し前の段階はムラ。クニよりまだ小さい。
クニが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらいの範囲であって
畿内説が言うようにそんなにでかい訳が無い。そしてクニ同士が離れてる訳が無い。
吉野ヶ里や、前原遺跡などの規模を見てもヨーロッパの古代都市国家にも満たない人口規模一万未満のもの。
現在の村は合併を繰り返してかなりでかいが、昔はムラは小規模だった。
吉野ヶ里規模の集落が郡ほどの範囲で点在しているくらいのものがクニであったと考えられる。
壱岐国、対馬国、マツラ国、伊都国、奴国の比定地を見れば、当時のクニがどれ程の範囲で成り立っていたのか一目瞭然であろう。
少なくとも今でいう県ほどの大きさだったなんて事は絶対ありえない。
一大率が馬がいないので徒歩で歩き回り、諸国を監視できる範囲。
女王国の北には一大率を置く。伊都国だけではない。九州以内の邪馬台国連合国各地にいたであろう。
それでも山越え谷越え大変だったろう。それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく述べる事が出来ない、とあるが、
当時は道路も整備されているわけでもなく、九州の邪馬台国人には九州以外のことは殆ど知られていなかったものと思われる。
620 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/26(木) 06:58:37
>>619訂正
クニが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらい
は
ムラが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらい
でした。
621 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 07:48:16
>>602 投馬国と出雲は官吏の字が酷似しているそうだけど
622 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 09:18:03
623 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 09:18:08
>>621 官吏の「字」が酷似って... で、地名の発音や漢字は酷似してないの?
同じ発音に同じ字を当てるんだから(順番が決まってる)、似たものばかりに
決まってるじゃん。もともと国の名前も酷似した漢字ばかりだし。
その論理でいくなら豊前は耶馬のつく地名が今でも6,7ヶ所残っているし
(山国除いてもね。)、すぐ北にはヤマト郡と発音する地域もあるから
当然、中国人は漢字を耶馬台と当てたでしょう。あ、邪馬台国だ、となるよ?w
624 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 09:46:19
ちょっと興味をひいた:
>>621 魏志倭人伝と同時期に、出雲の官吏の名前が書かれた書があるの?
なんと言う書?で、他には何がかかれているんだ?
あともっと気になるのは、そのときの出雲はなんという名前なのか。
周辺国は何という名前なのか?
初耳だぜよ。妄想の本じゃなくソースお願いね。
625 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 09:47:10
投馬国の官はミミ、副はミミナリだが、そのことを言ってるのだろうか?
おれミミちゃんには大いに興味があるが、ともかく、
>>621 >投馬国と出雲は官吏の字が酷似しているそうだけど
だけでは何のことだかワケ分からない。
詳説キボンヌ。
ミミタン・・・・・・・・
628 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 14:22:52
>626
あのなあ、おまえときた日にゃ、可愛らしそうな名前だったら誰でもいいんか。ww
ミミは5万戸の雄国、投馬国を統治する大長官サマだ。
いッかめしいヒゲをたくわえたオッサンだぞ、きっと。
おまえはいつものようにイヨタンでロリっとればよろし。ww
イ、イヨタン・・・・・・・・
631 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 17:45:36
邪馬台国西都市説はどうなったのかな?
632 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:16:59
>>612 邪馬台国連合のような不安定なものが西日本全体を抑えていたように思いたがるほうが不自然ではないかね?
633 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:17:53
>>614 君、可能な範囲で妥当と思われる発音を当てはめなさい。
634 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/26(木) 21:46:17
>>632 そうそう。伊都国の一大率を皆煙たがっていたのだ。監視機関があった事から
邪馬台国連合は連合はしているものの不安定で各国は謀反を起こしそうな気配もあったんではないだろうか。
九州から中国、畿内亘る広域な連合ではたとえ一大率といえども目が届かなかったに違いない。
>>628のリンク先に「北部九州は畿内の邪馬台国から見て辺境の地ではなかったか」とあるが
一大卒は伊都国にいるのであり、又、帯方郡からの使者が来るときには必ずここに立ち寄る。
と倭人伝にあり、近世の長崎がそうであったように古代の北部九州は中国の最先端の文化流入の窓口だったのである。
大分には耶馬、とつく名が5-6ヶ所あるという。本州で耶馬という地名がある場所があるのかどうか、知ってる人はおそえてね。
山田、大和とかはダメ。あくまで耶馬か邪馬。
最近、出版された欧米の日本皇室研究では
邪馬台国=大和王権
卑弥呼=天皇家の女性
って記載されていたよ。
あと、蘇我氏は300年間、権力を保持していたと書いてあるから
武内宿禰からカウントしてということだな。
↑マルチ乙 興奮するなよ。日本海は東海って書かれてる地図みても喜ぶのか、おまえは。
>>628 どうやって見るの? リンク先切れてるけど。ですがさん、どうやって見たの?
>>631 古墳がある場所=クニじゃないだろ? 伊都とか見てもあんな小さいとこで一国だぞ。
当時のクニの規模を考えてもさ、大切な稲作の田んぼを潰したり
町を潰して古墳群つくるとは思えないし。
つまり、広くてあまり混んでない平野とかを選んで「この広いとこに古墳つくろーや」
ってなったわけで、実際の中心地から離れていたと思うのが当然・・。
639 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 01:28:36
>>639 ばかはお前。 せいぜい自分の家潰して墓でもつくってろww
日本の考古学者さんのえらいさんは
科学的な調査方法を
わざわざ欧州や米国の研究者まで巻き込んで
やっているのが大きいな。
あと、中国の権威とかとも交流が激しい。
その結果、邪馬台国=大和国
卑弥呼=モモソ媛
が、急速に支持を集めつつある。
九州説論者が多い安本らの在野の歴史愛好家が
世間に本を売って騒いでいる間に
そんなのを無視して、考古学者の権威は
世界中で学会で発表しまくっているということか?
642 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/04/27(金) 05:43:57
邪馬台国が畿内か九州かどうかは分からんが
少なくとも、こういう状況だと思う。
畿内説・・考古学会の大多数・・世界中の学会で発表
九州説・・在野の歴史愛好家・・世間で歴史読み物系の本を売ったり
観光行政とタイアップして世間に宣伝
644 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 09:46:24
つまり、外国の学者は日本の古代についてはなにも研究しておらず、
日本のえらい先生方の説を鵜呑みにしているか、儀礼的に頷いているだけということなのでしょう。
645 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 15:00:22
日向の国がなぜこうも無視されてるのか疑問なんですが
神武天皇がいて都をどこに移すか思索していた場所なのに
それと薩摩にも国はあったでしょうに
646 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 15:20:56
外国の日本ヲタのブログでも
マキムクと卑弥呼の話で盛り上がっていたな。
卑弥呼ネタは、面白いからね!
649 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 22:21:14
宮崎を考えるとき、そこの勢力がどのように誕生したかも考えなくては
ならないと思う。地理的にはかなり不利な立場にあるわけだから。西九州と
文化的に同じようなものだとすれば、西九州からの移動があったとも
考えられる。
神武東征のように九州から大和への権力の移動が考えられるとすれば、西九州
から日向への権力の移動を考えてもちっとも不思議ではない。
それが邇邇芸命の天孫降臨伝説として残ったとも言える。
650 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:02:17
モモが卑弥呼なわけがない。少し考えればわかるものを。
これで学会がどうのこうのいうんだからすごい脳内だな。
モモの話になると、必ず過剰に反応する人がいる件
652 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:18:46
653 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:23:57
モモタン…
654 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:28:59
間違っているのがわかっているからだよ
しかも中身がなく繰り返すばかり。
モモが卑弥呼なら天皇はどうしてたんだよ。アフォかっつーの
655 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:33:20
アカルヒメの神社が国東から難波へ移されているのが非常に気になる。
そして難波の姫島神社の由緒など読んでも、国東が元だとはまったく書いてない。
656 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:36:40
≪定義≫
○帯方郡〜邪馬台国 12000里(約900km)
○帯方郡〜狗邪韓国 7000里(約525km)
○帯方郡〜末盧国 10000里(約750km)
○末盧国〜伊都国 500里(約 38km)
○伊都国〜邪馬台国 1500里(約112km)
ケース1
◇帯方郡〜邪馬台国までを水行10日陸行1月とした場合、
帯方郡〜末盧国の 10000里(約750km)=水行10日
末盧国〜邪馬台国の 2000里(約150km)=陸行1月
ケース2
◇伊都国〜邪馬台国までを水行10日陸行1月とした場合、
伊都国〜邪馬台国の 1500里(約112km)=水行10日陸行1月
ケース3
◇伊都国〜邪馬台国までを水行10日とした場合、
伊都国〜邪馬台国の 1500里(約112km)=水行10日
ケース4
◇伊都国〜邪馬台国までを陸行1月とした場合、
伊都国〜邪馬台国の 1500里(約112km)=陸行1月
※可能性としては、ケース4でしょうか?
657 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 00:37:20
何百年もあとに書かれた記紀や古事記を参照にしなければならないというのも変な話だな。
出雲や吉備など、畿内より漢字を早くから使っていそうな場所がいくらでもあるうえに
何より九州の地名をみてもどこより早くから漢字を使い始めたのがわかる。
中国式の音韻で当てているだろ。
大和政権ができてから、何か都合が悪いのを燃やしまくったんじゃねーのか?
何か統一した神話みたいなのをつくろうとしたか・・・
いくら頑張って否定しても次から次へと、卑弥呼=モモ案の人はでてくるから、たぶん
まぁ、そう興奮することもあるまい。
度量を大きく、さまざまな説を伺ったうえで、穏やかに疑問をなげかけたらどうだね!
よく、ネット・在野では九州説
学会とかでは畿内説
とか言われていたけど
最近は、ネットなんかでも徐々に畿内説が
勢いを増しつつある。
外国で売られている日本考古学の本でも
畿内説優勢で語られだしてきている。
マジで、歴史は動いているようだ。
>>657 :日本@名無史さん :2007/04/28(土) 00:37:20
>何百年もあとに書かれた記紀や古事記を参照にしなければならないというのも変な話だな。
欧州の歴史なんかでもそうだ。ローマ史なんかでも。
それは日本だけじゃない。
661 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 07:59:52
しかしな、畿内説でぐぐると一番先に畿内説論破!なんてサイトが出てくるんだがww
>>659 誤説を信じてるあわれな奴が増加してるだけ。九州説が真。
記紀に明確に卑弥呼の鬼道の活動記録がほとんど0では、畿内説は砂上の楼閣。
つーかさ、安本らが
海外の考古学の学会みたいなところで
全くといって言いほど相手にされない存在だということを
考えてみればよいじゃん。
>>661 :日本@名無史さん :2007/04/28(土) 07:59:52
>しかしな、畿内説でぐぐると一番先に畿内説論破!なんてサイトが出てくるんだがww
ああw あの安本のサイトだろう?ww
あの感情的な在野の安本くんのww
>>665 >松本清張、安本美典、古田武彦。めぼしいアマチュアはたいてい九州説。
古田も安本もアマチュア。この認識は正しいなwww
667 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 13:53:17
というか、なんで九州説論者って
在野のアマチュアが殆どなんだ?
>>663 > つーかさ、安本らが
> 海外の考古学の学会みたいなところで
> 全くといって言いほど相手にされない存在だということを
> 考えてみればよいじゃん。
安本はバカじゃないから、そんなところには関わらないよ。
だって、そんなとこ顔だしても本が売れるわけじゃなし、
講演してもギャランティが入るわけじゃない。
670 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 14:06:41
アマだろうがプロだろうがおかしい論はおかしい
畿内説には無理がある
邪馬台国というのが畿内の国のことを言ってるわけじゃないのは明白だろう
671 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 17:42:21
3世紀の九州に30カ国を従える巨大王国があったとは思えない。
邪馬台国は畿内だろ。
672 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:12:42
朝鮮半島よりちっちゃい九州の一部だけを支配してる国に、
魏が金印を授けるわけないだろ。
世界地図を見てみろってんだ。
>>667 近畿説か九州説かの話が、教科書問題とか靖国問題とかの話になってしらけた。
>>667 というかさ、そのオッサン自体が
ほとんど亜流の歴史ヲタじゃんw
思想に縛られすぎているというかw
取るに足らないオッサンだわなww
675 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:43:28
>>672 バカか?w
すでに漢の時代に奴国へ金印を授けた経緯があるだろう
>>672 > 朝鮮半島よりちっちゃい九州の一部だけを支配してる国に、
> 魏が金印を授けるわけないだろ。
そうなんだよね。
クシャナ朝大月氏と同格の扱いだから「破格」だよ。
もっとも、親魏倭王になったのは、帯方郡の使者が大げさに報告し過ぎたためかもしれない。
実際、倭地にやってきて見れば「金印なんかあげるんじゃなかった」とか思ったかもよ。
金印はそうでもないが
新魏倭王という称号が破格だろう?
57年の漢倭奴国王とは、明らかに核が違う。
また、魏の使者が倭に来たのは数回だね。
678 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:11:21
>>677 そりゃ当然といえば当然だな
時代が下ってるから
679 :
サガミハラハラ:2007/04/28(土) 20:18:44
親魏倭王印が金印だったのは、漢が下賜したのが金印だったのでつりあいをとるためですよ。
漢のときのが銀印だったら、ヒミコの時も銀印だったでしょう。
680 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:22:18
681 :
サガミハラハラ:2007/04/28(土) 20:25:29
但し、漢のときの金印奴国は倭国全体(名古屋から西の日本)の覇者であったのにたいし、卑弥呼邪馬台国は北部九州のみ(南九州の投馬国は被従属国)
だったという違いはあります。しかし、ヒミコ邪馬台国はそれでも倭の代表国だったのです。
682 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:38:44
>>670 畿内説の場合は、邪馬台国連合30ケ国は、北部九州も含んだ倭国となる
ため、九州のことを魏志が説明していてもそれはそれでOKなんですが・・
>>671 大体わかっている比定地見てみろ。無茶苦茶小さいぞ。
30数国なんてたいしたことない。
だいいち、旧唐書は「日本」と「倭」の項目にわかれている。
日本(現在の)が少なくとも2国にわかれていた証拠。
>>680 中国人からみて、倭人がすむところ全部が倭国でないのは上に上がってる
旧唐書や倭人伝みてもわかる。本州が倭国とされていたか疑問だね。
出雲含む本州なんかが北東に横たわっているのを知らんかったと思うか?
685 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 03:26:37
>>680 何か主張するなら、もうちょっと「常識」を弁えてからにしなさい。
安本なんて読んだことない。
金印授けたのは貢ぎの質と量だろ。倭人伝の最後のほうをよく読んでみろ。
真珠は近年に養殖できるようになるまで、超最高位の宝石だぞ。金と同じ。
ちなみに中国内じゃ淡水しか採れないからな。
皇帝が一番喜んだ貢ぎもののはずだな。
九州では対馬、長崎、佐賀、大分、鹿児島。天然真珠の宝庫。これが気に入られた
理由できまり。
しかも畿内なら、安芸・出雲・吉備や四国などを邪馬台国や伊都国なみに書くはず。
地理だってもっとマシに書くだろ。簡単に飛ばすわけない。淡路島だってあるというのに・・。
女王国の描写みてみろ。女王国に行った人間のレポートを付け加えている。
里を出しているだろ。倭人は里をつかわないんだから。女王の暮らし振りだけでなく、
在位期間、男王、そしてトヨに至った経緯まで書いてある。
なによりも「東の大海の向こうに、また倭人の住む国がある」つまり
>>680のいうように
女王国の海の向こうに別の倭国があるのは 中国人も百も承知。それでいいんだよ。
魏志倭人伝の著者は、卑弥呼に謁見した魏の使者とは
直接は会ってないような気がする。
あくまでも、魏の参考文献の記述を元に書いているだけで
魏志倭人伝の著者自体は、九州ぐらいまでしか滞在していないでしょう?
688 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:23:28
>>671 30国といっても一国の規模が相当小さいんだよな
魏書に書かれてない国もあるだろうから、ちまちま数えてたらすぐ30国になるな
689 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:51:41
>>686 逆じゃないの?
真珠は魏から倭王へ与えられているんだが
>>686 > 安本なんて読んだことない。
何故、唐突に「安本」が出てくる?
読んだとか読まないとか何のことだ、話しの脈絡がつかめんぞw
> 金印授けたのは貢ぎの質と量だろ。倭人伝の最後のほうをよく読んでみろ。
> 真珠は近年に養殖できるようになるまで、超最高位の宝石だぞ。金と同じ。
> ちなみに中国内じゃ淡水しか採れないからな。皇帝が一番喜んだ貢ぎもののはずだな。
> 九州では対馬、長崎、佐賀、大分、鹿児島。天然真珠の宝庫。
> これが気に入られた理由できまり。
最初の朝貢じゃ「生口」とかしか持っていってない、しかも、奴國王の時よりも1桁少ないレベルな。
だけど、それだけで「親魏倭王」にされちゃったんだよね。
真珠を持っていったのは、それから7〜8年後の「壹與」の時のこと。
話しを捻じ曲げちゃいけない。
> しかも畿内なら、安芸・出雲・吉備や四国などを邪馬台国や伊都国なみに書くはず。
> 地理だってもっとマシに書くだろ。簡単に飛ばすわけない。淡路島だってあるというのに・・。
> 女王国の描写みてみろ。女王国に行った人間のレポートを付け加えている。
隋書だって「途中」は跳ばされてるけどね、何で軒並み書かれてなけりゃいけないと思うの?
> 里を出しているだろ。倭人は里をつかわないんだから。
倭人以外の誰が使ってたかは知らないけれど、その「里」が合わないんだよね現実の地理とさ。
> なによりも「東の大海の向こうに、また倭人の住む国がある」つまり
>>680のいうように
> 女王国の海の向こうに別の倭国があるのは 中国人も百も承知。それでいいんだよ。
大海の向こうじゃなくて、渡海千餘里だろ。
>>687 > あくまでも、魏の参考文献の記述を元に書いているだけで
> 魏志倭人伝の著者自体は、九州ぐらいまでしか滞在していないでしょう?
アホかw
692 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 11:28:33
>>688 魏志倭人伝は倭国が百余国に分かれているといっている。
そのうち邪馬台国が30国を支配しているのだから、相当な勢力。
君は、魏が倭国とは九州のみの小国だと思っていたとでもいうの?
それこそ、出雲にも越前にも中国の属国に過ぎなかった朝鮮の地名や土器が残っているんだよ?
本州や四国も含め、百余国だろ。
そのうちの30国が邪馬台国の支配下。
693 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 11:38:18
>3世紀の九州に30カ国を従える巨大王国があったとは思えない。
>邪馬台国は畿内だろ。
これも思えないだけで九州王朝だったとしたら筋は通るな
>>692 魏の時に100余國とは書かれていないと思うが。
695 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 11:50:36
100余国というのは漢書の地理志じゃないか
>>692は
チンプンカンプンだな
696 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 12:42:47
>>692 漢書地理志にはそんなことは書いてないよ。
「倭人は(中略)旧百余国。漢の時、朝貢するものあり。
今使役通じるところ三十国(魏志倭人伝)」
旧百余国は漢の時と読むこともできるが、旧がどの時代をさすとは書いてない。
旧百余国とあるところを、卑弥呼の時代にさらに分裂して倭国に小国が乱立したと
とることはできないが。
日本海ルートも瀬戸内海ルートも、両方とも開拓されていたと思うよ。
だって、出雲も吉備も両方とも巨大な勢力があるわけだから
当然、自分たちの国の沿岸部の航路の開拓には真剣だろうし。
特に、帯方郡から日本へ行く場合は、対馬海流にのったほうが速いから
往きは日本海ルートだと思う。
この場合、出雲や丹波が重要な中継地点になったのは容易に想像がつく。
安全面も、岸の全く見えないような海の中の航行ではないだろうし、
山陰の沿岸部の近いところを水行したら大丈夫でしょう?
しかし、日本から帯方郡への帰りは、対馬海流の流れが邪魔するから
瀬戸内海ルートのほうが効率がよく安全のような気がする。
また、日本国内の人が、畿内と九州の間を往き来する場合は
瀬戸内海がメインのような気がする。
698 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 16:00:12
>>696 紀元0年あたりの百余国→3世紀の三十カ国。
国の統合が進んでいたのではないかと一般的には言われる。
699 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 16:03:47
イザナミと称する韓国人が、ミョーな文を投稿している。
自分を百済人の末裔だと信じ込んでいるようだ。
韓国人は朝鮮人であって、百済人(倭人)ではないのだが・・・。
http://chrysanthemum.iza.ne.jp/blog/folder/7251/ また、第1次百済を建国したのは、高句麗に楽浪郡を滅ぼされた楽浪郡出身の
漢人・倭人の役人たちであり、彼らはヤマト朝廷の援助を受けて百済を建国した。
つまり、日本人が支援したことにより、百済は建国できた。
百済に対するヤマト=日本国の絶対的優位性を、韓国人は理解しなければならない。
また、
1)百済は日本人の国であり、韓国人とは無関係であること。
2)韓国人は百済に対していかなる権利も持っていないこと。
以上の2つを認めなければならない。
魏志東夷伝に百済人のことは書いていない。
魏志東夷伝=三国志魏書、であるが。
この書は3世紀の歴史の記録。3世紀に百済は存在しない。
(建国されていない)
百済は、楽浪郡が滅びた後、つまり314年以降に、楽浪郡の役人たちによって
建国された。この時、ヤマト朝廷が建国を支援している。
楽浪郡が滅びた後、生き延びた楽浪郡の役人・武将たちのことを、
高句麗人は『百残』と呼んでいる。
「死に損ない」といったニュアンスの呼称だ。
百済にひっかけて『百残』と呼んだのだ。
なんかこう、畿内論者からはグサッとくるような反論がないねぇ
>>696 漢書地理志を読んでから、もう一度書き直すように。
安本って、安価な本の事じゃないか?
想像するに、古本などから情報を仕入れていないんじゃまいか?
セレブアピとゆう事では?
もともとさ、日本人じゃなからな。
もともとは、アフリカ人らしいよ。
705 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 00:55:44
>>687 ワケ分からんことをいっている暇があったら、著者はどういう人物で、魏志倭人伝というのは何のことなのか、最低限の基本を確認すること。
706 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 01:11:19
中国の本を読まねば邪馬台国も卑弥呼もでてこない
が、中国の本を読むと畿内説にはならない。
707 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 01:23:04
>>690 いくら反論しても畿内説有利とはならないわけだが。
708 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 01:25:37
>>697 日本海側ルートは日本海側ルート。南下と間違える馬鹿は居ない。
しかも話捻じ曲げるな。どこが百余国なんだ。
そんな詭弁にしても説得力ないぞ。
709 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 05:20:36
伊都から畿内へ向かうのに日本海側ルートとるなんてありえん。
しかも朝鮮半島みながら北上ルート。頭おかしいんじゃねーか?
畿内の北部に鉄器があるのは、日本海側の防御のためだと思うね。
なんだ、結局鉄器は必要な場所にはあるんじゃん。
大体、鉄の武器をなんでもないことにしようと畿内説はいつも必死だが
必要もないのに大量につくるわけがなく、鉄器が多い場所=軍事の中枢=王権の場所
同時代に、鉄器の少ない畿内が鉄器の多い九州を支配していたわけがない。
九州を支配していたなら、鉄器をはじめ、九州の技術の先端が王権のある畿内に集まっていたはず。
当然、邪馬台国が畿内なら、巻向などには九州や中国のものが氾濫していたはず。
こんな基本的なこともわからんとは、ここで日本海側ルートで興奮している
畿内説者は素人どころか中学生以下。
710 :
僕 ◆Zk3PHiNEjM :2007/04/30(月) 06:43:42
711 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 07:12:55
>>709 そんなに興奮するな!
北部九州の伊都国あたりは、三国時代以前からも交易上の重要な地域
であった。そのため、他国からの干渉は多かれ少なかれ、脈々と続け
られてきたはず。邪馬台国が北部九州にあろうが、南九州にあろうが、
出雲や吉備、そして大和にあろうが、無視できない地域(国)だから。
だから、重要拠点となる国は支配下若しくは強い同盟でなければなら
ない。当時の交易上地理的に一番重要な地域から鉄器が多く出土する
のはごく自然であるが、だからといって、鉄器が多い場所=軍事の中枢
=王権の場所、というのは少し飛躍し過ぎではないかな。
712 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 07:22:01
輸入元総代理店である北部九州から
鉄が豊富に出土するのは当然。
その他の地域のクライアントとして何処が優勢かとか、
流通経路はどこかと言う話をしてるんだけどね。
話が見えてないひとがいるね。
ちなみに大和から鉄が出始めるのは布留以降(ホケノ)、
庄内期には河内の方が優位。
713 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 07:54:25
>>709 >鉄器が多い場所=軍事の中枢=王権の場所
王権は軍事力によってのみ得られるものかどうか何とぞ一考して頂きたい。
貴殿の脳裏には劉邦や曹操あるいは信長といった面々のイメージが強過ぎるのではないか。
確かに権力を自らの軍事力に頼った連中は世界史的にも多く認められるのではあるが
果たして我等が卑弥呼女王の場合もそれらと同様だったのであろうか?
魏志倭人伝が記録した卑弥呼登場の場面を再度よく吟味されたい。
>倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。事鬼道能惑衆。
卑弥呼自身が自らの軍事力を頼んで王権を簒奪したとはとても解釈できないのである。
倭王卑弥呼の王権に垣間見えるのはむしろ宗教者として人心を統べる力であろう。
よくさ、北九州には鉄器が多いというけどさ
そういうのは比較の問題じゃん。
畿内にだって、鉄器は当たり前のように出てくる。
畿内のほうが鉄器が少なかったというのは
ただ単に畿内のほうは中央部で安定していて
紛争が少なかっただけじゃないのか?
逆に北九州のほうは、南九州の熊襲との紛争や対外窓口だったために
畿内中央王権が北九州に軍隊を派遣して、戦闘が奮発していたから
鉄器が多かっただけかもしれないし。
715 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 09:08:40
倭国大乱してたんだから鉄器が沢山出てこないとおかしい
>>715 その倭国大乱が、どれほどの規模だったのかが分からんわな。
717 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 10:23:48
どうして「鉄器=鉄器の武器」と直結して考えるんだ?
「鉄器」は出てきても、「鉄器の武器」なんてほとんど出てこないんだぞ?
王墓から、鉄剣が1本出てくればいいほう。
ほとんどは、生活用具としての鉄器だ。
そんなことも知らんバカばかりか?
九州であっても、紛争地帯であっても、
民衆一人一人に鉄剣が行き渡っていたとでも思ってるのか?
古代の鉄剣なんて、実戦には役に立たない。細いし短いし折れやすい。
鉄なんか無くても、竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ。
718 :
SOY:2007/04/30(月) 10:37:27
>>714 >よくさ、北九州には鉄器が多いというけどさ
>そういうのは比較の問題じゃん。
鉄器の量・種類の多寡は重要な問題です。また、邪馬台国に直接絡む部分で
『兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃』という文章から考えても、
鉄鏃は無視できないと思います。
畿内であれば、『石鏃・銅鏃』と記述されそうに思えます。
因みに『矛』もまた気になる一文ではありますが…
GWということもあって、昨日は弥生文化博物館で鉄鏃を見てきました。
(ちょうど今、武器についての特別展中です)
>>717 >鉄なんか無くても、竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ。
もしそうなら、鉄製の武器や銅製の武器が作られる理由が分かりませんし、
弓矢と言っても鏃が何であるかは大事な問題と思います。貫通力に差が出ます。
719 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 10:52:14
>>718 >もしそうなら、鉄製の武器や銅製の武器が作られる理由が分かりませんし、
おまえ、自分で引用した
>『兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃』
↑に鉄剣が含まれてないことはどう考えてるんだ?
>弓矢と言っても鏃が何であるかは大事な問題と思います。貫通力に差が出ます。
鏃であれば、銅でも鉄でも石でも、たいした違いは無い。
720 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:00:31
邪馬台国が九州でも、同時期の畿内で大和王権が生まれつつあったことは、
万人が認めるところ。
すでに、鉄の優位がどうこうという問題では無いということが理解できないのかね?
721 :
SOY:2007/04/30(月) 11:02:21
>>719 >↑に鉄剣が含まれてないことはどう考えてるんだ?
魏の使者がわざわざ書き留めるほど『鉄剣』を装備している兵を見なかった
くらいに解釈します。
>鏃であれば、銅でも鉄でも石でも、たいした違いは無い。
ご自身の信用に関わるような説得力のない発言です。
鏃は材質だけでなく、大きさによっても違いが出るものです。
722 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:12:03
>>721 >魏の使者がわざわざ書き留めるほど『鉄剣』を装備している兵を見なかった
外国の使者が来れば、警備や儀礼のために、武装した兵士で歓迎するだろ。
鉄剣の記述が無いってことは、鉄剣を大量に持っていなかったということだし、
実戦で、鉄剣が実用的ではなかったのだろう。
>鏃は材質だけでなく、大きさによっても違いが出るものです。
では、具体的にデータを示して殺傷力の違いを教えてくれ。
俺は、鉄鏃だろうが、石鏃だろうが、鏃の大きさによらず、
弓矢の的になりたくないけどな。
723 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:14:56
>>720でも指摘したが、
邪馬台国が九州でも、同時期の畿内で大和王権が生まれつつあったことは、
万人が認めるところ。
すでに、鉄の優位がどうこうという問題では無いということが理解できないのかね?
>SOY
それとも、おまえは、邪馬台国東遷説だったかな?
724 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:15:41
<殺傷能力>
>鏃であれば、銅でも鉄でも石でも、たいした違いは無い。
頭で考えるから、そんな突飛な結論が出るのでしょう。
銅や石の槍は、相手が皮製の防具であれば、貫通は無理
ですが、鉄製のものは、完全に貫通し、殺傷能力があります。
戦争の歴史はより、強力な武器をいかに集めるかの歴史で
あり、その意味では、残念ながら、畿内より九州地域の方が
大陸に近いこともあって、より強力な武器が入手可能だったと
考えられます。
725 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:18:08
親切心でアドバイスしてあげるが、
邪馬台国九州説を取るにしても、邪馬台国東遷説はやめておけ。
必ず自爆する。
「東遷」は、ありえないってことが、2chでも立証されてるからな。
覚えて置けよ。
726 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:36:01
畿内の農耕民族は、銅鐸中心の平和な部族であって
豊かな食料自給生活があるのであれば、他国からの
侵略の対象ではあっても、畿内から他国に侵略する
必要はない。
銅鐸が古代のゴミ捨て場から発掘されていることから
類推して、残念ながら古代の畿内の平和ボケの農耕民族は
他国に侵略された歴史を持ちます。
それも、圧倒的な軍事力と大型船を建造可能で、前方後円墳
を好んでつくった民族でしょう。かわいそうに古代の畿内の
部族はその墓作りをさせられ、銅鐸の技術は銅鏡をつくるよう
強制されています。
>>707 > いくら反論しても畿内説有利とはならないわけだが。
そんな中身の無い言い返しじゃ、キミの無恥、無知な意見の補強にゃならんだろう。
>>708 物流経路の話をしてるのに何故「百余國」が出てくるんだ?
もう少し、頭の中を整理してから書き込みなさいな。
729 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:46:04
九州で軍事力を増した部族が、続々と畿内に侵入し、
先に畿内に侵入した部族と後から入ってきた部族が
戦闘しています。
軍事力は拮抗していますから、後から侵入しようと
すると、河内方面や大和川方面は避けて、和歌山や
紀伊半島方面の海人部族と連携して、侵入する方法
もあるのでしょう。
侵略してきた九州の部族のなかに、三種の神器を祭祀
する部族があったとも言われています。
現在の天皇系統の部族は、畿内から自然発生してきた
のでなく、九州の宇佐をはじめとするところに天皇家
の系統の痕跡があるのは、それを物語っています。
>>718 > 鉄器の量・種類の多寡は重要な問題です。また、邪馬台国に直接絡む部分で
> 『兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃』という文章から考えても、
> 鉄鏃は無視できないと思います。
> 畿内であれば、『石鏃・銅鏃』と記述されそうに思えます。
そんなこと言ったら「銅鏃」を出さずに「骨鏃」が出てくるところは九州にも合わない。
731 :
SOY:2007/04/30(月) 11:51:41
>>722 >外国の使者が来れば、警備や儀礼のために、武装した兵士で歓迎するだろ。
こういったことは想像の範囲の話です。
>鉄剣の記述が無いってことは、鉄剣を大量に持っていなかったということだし、
>実戦で、鉄剣が実用的ではなかったのだろう。
『鉄剣を大量に持っていなかった』は理解できますが、
『鉄剣が実用的ではなかった』は意味不明です。
>すでに、鉄の優位がどうこうという問題では無いということが理解できないのかね?
前後の文章から『鉄の優位を問題にしたくない』というのは理解できます。
しかし、邪馬台国畿内説に執着するあまり、鉄製品を無視するのは本末転倒です。
視野が狭いように思います。鉄製品は考古学知見の氷山の一角です。
その鉄製品すら全般的に見れず、その一部さえも正しく理解できないのであれば、
正しい結論に至らないのは明白のように思えます。
> >鏃は材質だけでなく、大きさによっても違いが出るものです。
> では、具体的にデータを示して殺傷力の違いを教えてくれ。
私が教えるのは、
>>722がどう調べてもどう考えても知力の限りを尽くしても、
お手上げということを示されてからでも遅くはないと考えています。
一隅を挙げて之を示すに、三隅を以つて反らざれば、則ち吾復たせざるなり
と言いますからね。
732 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 11:55:02
横レスですが、実用的というのは兵士の数だけ用意できるかという話では?
たとえばの話で金製の剣がものすごく優秀だったとしても持てるのは王や指揮官のみでしょうし。
733 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:58:11
九州の三潴郡や朝倉(甘木)方面には、畿内で一大勢力
を誇った物部部族の痕跡があります。
この物部部族は鉄器や農耕具の製造技術では、卓越した
部族であり、畿内でもこの部族の痕跡は、奈良地方や
滋賀県にも各所に残っています。
物部一族や蘇我一族は明らかに九州からの侵略者である
ことは良く知られています。
これらの部族は九州から侵略した部族の中のほんの一部族
で、今で言う「勝ち組」部族でしょう。
天香具山の「香具」とは、物部部族の鉄器製造の痕跡を示す
名残だとの説もあります。滋賀県にも同様の地名が残って
います。
734 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 12:03:36
>>732 そういうこと。
九州が鉄が豊富だといっても、
実際に実戦で使われたと思しき鉄の武器などほとんど出土しない。
735 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 12:06:44
>>733 物部氏はニギハヤヒを祖としてるが、
ニギハヤヒが畿内に来たのは、神武より前。
つまり、邪馬台国時代より前。
それがどうかしたのか?
>>726 > 銅鐸が古代のゴミ捨て場から発掘されていることから
九州・西瀬戸内の「銅矛」も同じような扱いをされていること、知ってる?
737 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 12:09:29
>>731 おまえが、邪馬台国東遷説を取ってる限り、自滅するのはおまえの方。
鉄の状況がどうだろうが、こっちは、痛くも痒くもない。
738 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 12:10:39
>>734 鉄器の類がほとんど出土していない畿内の人の
最後の言い訳にしか解釈できない。
739 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 12:16:55
>>738 鉄器の無い畿内で、どうやって大和王権が生まれて西日本を支配できるまでになったんだ?
鉄器の優位を主張する九州説では、「東遷説」を唱えないと問題解決できまい。
しかし、「東遷説」など、文献からも考古学からもすでに否定されている。
畿内説では、鉄器の優劣など、もはや問題にしていない。
経済でのクニ同士の結びつきという問題に移っているからな。
あらためて、鉄器の優位を語る諸君に聞いてみるが、
鉄器の無い畿内で、どうやって大和王権が生まれて西日本を支配できるまでになったか説明できるのかね?
『兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐵鏃或骨鏃』
この矛って鉄製?
それとも祭祀用の広形銅矛?
いずれにしても3世紀の遺跡からは出土するものじゃないですよね。
九州でのピークは弥生中期〜後期の初めくらいでしょう。
741 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 12:35:45
>>731 >視野が狭いように思います。鉄製品は考古学知見の氷山の一角です。
>その鉄製品すら全般的に見れず、その一部さえも正しく理解できないのであれば、
>正しい結論に至らないのは明白のように思えます。
ごもっともだと思います。
それで、鉄器の乏しい畿内で、どのように畿内王権が生まれたのか?
貴殿の知見に満ちた考えを聞きたく思います。
鉄云々の話で引合いに出されるデータって弥生前期からの累積出土量だったりするが、
終末期に限ったデータとかは無いのかね?
そう言ったものをベースにしないと「全体」は見えてこないと思うよ。
甕棺の中から何が出てきたところで、それは邪馬台国じゃないんだからさ。
743 :
SOY:2007/04/30(月) 13:15:00
>>741 >それで、鉄器の乏しい畿内で、どのように畿内王権が生まれたのか?
>貴殿の知見に満ちた考えを聞きたく思います。
少しテーマが大きすぎる問題にも思えますが、枝葉末節の論を全て無視して
簡単に述べれば、北九州勢力が入り、大和朝廷を樹立したと考えている人も
いれば、北九州勢力ではなく、吉備勢力、或いは東海勢力、讃岐勢力、山陰
勢力が入ったと考えている人もまだいる段階と認識しています。
そして、これらを立証しようと考えるなら枝葉末節の論も無視すべきでない
と考えています。鉄製品もその無視すべきでないものの中に含みます。
大和朝廷畿内自生説はあくまでも一説に過ぎないと私は考えますが、
そうでないと言えるほど貴方は根拠を揃えられているのでしょうか?
>それで、鉄器の乏しい畿内で、どのように畿内王権が生まれたのか?
この疑問を持ちながら、他地域から人々が入ってきた可能性を考えないのも
どうかと思います。
どちらにせよ、勢力の移動といったものは単純に語れるものではありません。
東京遷都でさえ、後世の考古学者が文字資料以外の考古学遺物から見れば、
果たして事の真相には到達し得るや否や…
>>742 >鉄云々の話で引合いに出されるデータって弥生前期からの累積出土量だったりするが、
>終末期に限ったデータとかは無いのかね?
自身で集めることは可能と思います。寧ろ、前期・中期・後期の累積出土量
が混ざったデータという方が少ないかも。奥野正男の『鉄の古代史』あたり
でも、そのあたりは分かるように書かれてあったと思います。
>>733 :日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:58:11
>九州の三潴郡や朝倉(甘木)方面には、畿内で一大勢力
>を誇った物部部族の痕跡があります。
物部氏の誕生は、記紀によれば
明らかに畿内からだよ。
そして、蘇我氏の祖である武内氏の祖も畿内からだ。
そこまで、自分の全くの想像で語られたら
もう、歴史研究なんて出来ないわな。
外国の日本考古学研究サイトを調べたら
これは、完全に
邪馬台国=大和説が圧倒的な感じだわな。
ここで九州説が自己満足していても
かなり厳しいように思う。
畿内説が多い考古学の権威が
九州説の多い在野の歴史愛好家の必死な在野での宣伝活動を
無視しているのがよく分かった。
746 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/30(月) 13:43:55
考古学の権威連ならよくそんな無理千万の畿内説を主張して疑問を持たないと
思うが、やはり上のドンのどうしようもなく救い難い頭脳の力に拘束されて
いて、腹の中は違う者もいようが、まぁ現今では責めるのは酷であろう。
海外で宣伝するなら行く飛行機の機内説までにしたほうがいいんだが・・・。w
>>741 支配者集団が外部からやって来たかどうかは明らかではないですが、
弥生後期中葉になると大和盆地にそれまでとは格段に違うレベルの技術者集団が
やって来たことは間違いないでしょう。
ただ、これは大和に限らず鞴使用の鍛冶法技術など西日本全般言えることで、
弥生後期前葉以前のまた〜りとした進行に較べれば急激です。
別に征服王朝論者じゃないですけど、これは半島情勢の変化によるものと思えますね。
748 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 15:23:56
議論を読んでおりますと、ここに登場なさっている九州説者の何人かは、皆そろって次のような論理で畿内説批判をなさっておられるようです。
(1)弥生時代の畿内は鉄器が乏しい。
(2)畿内説論者はその弥生時代の畿内を邪馬台国とする。
(3)しかし同時期の九州は畿内に較べ遥かに豊富な鉄器を持つ。
(4)鉄器の多寡は権力の所在地にストレートに直結する。
(5)ゆえに邪馬台国は九州であり、畿内説は成り立たない。
一点だけ反論させていただくなら(2)です。(2)には間違った認識が含まれているように思われます。
749 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/04/30(月) 15:26:37
女王国は崇神の時代あたりがその始まり。
崇神即位元年=237年=景初元年
750 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 15:39:14
>物部氏の誕生は、記紀によれば
>明らかに畿内からだよ。
>そして、蘇我氏の祖である武内氏の祖も畿内からだ。
>そこまで、自分の全くの想像で語られたら
>もう、歴史研究なんて出来ないわな。
ここまで、皇国史観に毒されている方とは、一緒に
お話したくありませんな。
>>733 >九州の三潴郡や朝倉(甘木)方面には、畿内で一大勢力
>を誇った物部部族の痕跡があります。
>物部一族や蘇我一族は明らかに九州からの侵略者である
>ことは良く知られています。
「痕跡」って自信の無い言い方だな。
どうして「確証」って言えないんだ?
ともかく具体的に示してくれよ
752 :
SOY:2007/04/30(月) 16:16:45
>>748 >(1)弥生時代の畿内は鉄器が乏しい。
これは正しい認識と私は考えます。また、今後の発掘によってこれらが逆転する
可能性も低いと見ています。出土物以外でこれを逆転させるには畿内の鉄は解け
た説、或いはリサイクルされた説になるかと予想しています。
>(2)畿内説論者はその弥生時代の畿内を邪馬台国とする。
畿内説論者は邪馬台国を古墳時代の纏向と考えているように私は見ています。
ただ、唐古・鍵遺跡を出してこられる方もおられるので詳細については私も
よくは分かっていません。唐古・鍵遺跡と纏向は別物のように見えますし。
>(3)しかし同時期の九州は畿内に較べ遥かに豊富な鉄器を持つ。
古墳時代の開始期においても大和の鉄器は決して多くないという認識です。
しかし、周辺諸国も支配下においているのであれば、それはそれで説明の
つく話だと私は考えています。
邪馬台国を所在地に限って言えば、鉄の多寡よりも寧ろ魏志倭人伝の記述
と照らし合わせ、鉄鏃と銅鏃の比率をもって考える方がストレートな論議
のように思えます。
>(4)鉄器の多寡は権力の所在地にストレートに直結する。
>(5)ゆえに邪馬台国は九州であり、畿内説は成り立たない。
私は九州説の立場ですが、それは鉄器の過大評価だと考えています。
考慮すべき問題ではあっても、直結するかどうかについては慎重に
議論されるべき問題と私は考えます。
寧ろ、私が批判すべきと考えているのは、以下のような発言です。
>鉄なんか無くても、竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ。
こういった類の発言は畿内説、九州説以前の発言のように思えます。
ある意味、畿内説を矮小化すると言っても過言ではありません。
九州説の私でも畿内説を主張する為ならもっとまともな理由を考えます。
753 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:33:29
青谷上寺地遺跡から出土した人骨には、骨まで達する傷があった。
この殺傷力は、鉄剣によるものと考えられている。
作りやすい青銅器から、作るのが難しい鉄器に移行するのは、武器としても
道具としても鉄のほうがはるかに優れているからで、これは世界の常識。
畿内説も以前は、自生説を取っていた。しかし、唐古・鍵遺跡に望みをかけて
一生懸命掘ったが、鉄は出てこない。自生説がほとんど見られなくなったのも
鉄が出てこないからだった。
いまだに、畿内では鉄の再利用が徹底していたから、出てこないのだという
がいるが、これはいかに鉄が重要かを示している。
ちなみに、北部九州は鉄輸入の窓口だから、鉄が多いという人がいるが、
実は、鉄は大陸に近い福岡よりも熊本のほうがずっと多い。しかも、内陸
奥深い阿蘇で大量に出土しており、鉄の加工跡もたくさん発掘されている。
これは、製鉄かあるいはそれに近いことを阿蘇でやっていた可能性がある。
754 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:59:39
>>752 >邪馬台国を所在地に限って言えば、鉄の多寡よりも寧ろ魏志倭人伝の記述
>と照らし合わせ、鉄鏃と銅鏃の比率をもって考える方がストレートな論議
>のように思えます。
鉄鏃の多い地域が邪馬台国だと言うわけね?
バカ?としか言いようがないが。
755 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 17:03:34
鉄器の武器の多さを邪馬台国の所在の根拠として語るのは、
所詮、征服王朝、武力が王権を生み出したと考えているため。
魏志倭人伝をも無視した考え方だな。
女王が共立されたとハッキリ書いてあるのに。
どこかのクニが武力で国家統一したなどとどこにも書いてない。
>>755 禿同!
「魏志倭人伝をも無視した考え方だな。」・・・・禿同!禿同!禿禿同同!!
757 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 17:27:07
>>752 >私は九州説の立場ですが、それは鉄器の過大評価だと考えています。
鉄器を過大評価してるのはおまえだろう。
>>743 >そして、これらを立証しようと考えるなら枝葉末節の論も無視すべきでない
>と考えています。鉄製品もその無視すべきでないものの中に含みます。
枝葉末節の論とかいいながら、鉄器しか語っていないのは何故だ?
王権に結びつく、枝葉末節の鉄以外の、その他の要素がどれくらいあるのか、
それぞれの要素の論評も無いし、
王権に結びつく要素として鉄器の優劣が何%占めると考えているかも語っていない。
鉄器について、鉄を過大評価するなと言いつつ、鉄鏃を過大評価したり、
おまえの話には一貫性が無い。
鉄が、枝葉末節の論のひとつというなら、
鉄以外の枝葉末節の論がどれくらいあると想定してるのか、語ってみて欲しいものだ。
758 :
SOY:2007/04/30(月) 18:16:44
>>757 >鉄器を過大評価してるのはおまえだろう。
『鉄なんか無くても竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ』を否定したら『鉄器の過大評価』となるのでしょうか?
>枝葉末節の論とかいいながら、鉄器しか語っていないのは何故だ?
『鉄なんか無くても竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ』を否定するのに多くの論を必要とするでしょうか?
私は別に私が知り得る邪馬台国論争の論点を全て語ろうとしているわけでもなく、
『『鉄なんか無くても、竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ』』
を否定しているだけなので、敢えて論点を拡大する必要はないと考えます。
基本的に私は論点を拡大して、問題を曖昧にしてしまうのは嫌いです。
都合が悪くなると次々と別の問題に話を移行しようとしたり、挙句の果ては、
論自体を無意味としたり、さらには論者批判をしたりする方を見受けますが、
こういった類は物事を論ずるには恥ずべき行為です。
それはともかく鉄器に絡めて主張するなら、
魏志倭人伝には銅鏃でなく鉄鏃と記されており、弥生後期の鉄鏃と銅鏃の比率は
近畿では鉄鏃と銅鏃の比率が同程度に対し、九州では鉄鏃の方が銅鏃よりも圧倒
的に多いという事実をふまえて考えると、
『魏志倭人伝を無視した考え』は果たしてどちらなのでしょうか?
といったことくらいです。そして、これを鉄鏃の過大評価とは見ていません。
魏志倭人伝との整合性を考えることは間違った論法ではないと考えるからです。
>鉄以外の枝葉末節の論がどれくらいあると想定してるのか、語ってみて欲しいものだ。
特に長々と論議したくないので論議を拡大しませんが、鉄以外に邪馬台国論争の論点が
ないと考えているのだとしたら、それは視野が狭すぎです。
論なんて『南は東だ論争』『槨は槨でない論争』『萬二千餘里は萬二千餘里でない論争』
など幾らでもあるしょう。敢えて、今、論議しようとは思いませんが…
759 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 18:26:59
>>752 鉄砲が普及するまでの戦国時代の合戦においても、殺傷させた武器の7割は
『弓矢』であったという事実をご存知ではありませんか。
ましてや、古墳時代の合戦では、遊牧民じゃあるまいし、騎馬戦での槍も
使ってなかったろうし、刀剣なんて実践ではダメなのは百も承知。
だから、鎧や兜も未発達な当時では、石族を弓矢に付けて、即死させずとも
傷口を悪化させて戦闘数を減らせばそれでOKだったんです。
760 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 18:42:03
>>759氏の補足
さらに言えば鏃のなかでも、再凶最悪の対人兵器が骨鏃だった。
日本ではすでに縄文末期から、返し部分が折れやすいように薄く削られた骨鏃が出土している。
また無数の小さい穴があけられていることも多く
これらは主に糞壷などで菌を培養してそれに鏃を浸し、体内で破片が分散するように設計されたものと見られている。
一撃で死に至らしめる武器などより、よほど効果的に相手の戦力どころか労働力すらも奪うことが出来る。
761 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 18:55:37
>>758 >『鉄なんか無くても竹槍や弓矢のほうが殺傷効果は高いんだよ』を否定するのに多くの論を必要とするでしょうか?
あなたの戦果をまるで無視して、スポーツ感覚で語る感覚のほうがおかしいのですよ。
まさに否定する、つまり自説を正しいとするなら相当の論を用意せねばなりませんよ。
また論自体を無効にする行為をされているのは、あなた自身です。
復元考古学というジャンルをご存知でしょうか?
様々な出土物を当時のままに再現し、その効果を調べるものです。
少なくとも弥生から平安末期の源平あたりまでは、鉄製武器が実戦で役に立つ強度を得ることが出来なかったというのは常識ですよ。
これを疑うのであれば「武器の考古学」などをお読みになった上で
もよりの博物館や大学などに問い合わせてみてください。
なんかフグ毒とかトリカブトとかマムシとか、出てきそうな雲行きだ罠ww
そのうち砒素とか青酸カリとかサリンとか・・・・・ww
763 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:12:18
>>758 >>鉄以外の枝葉末節の論がどれくらいあると想定してるのか、語ってみて欲しいものだ。
>特に長々と論議したくないので論議を拡大しませんが、鉄以外に邪馬台国論争の論点が
>ないと考えているのだとしたら、それは視野が狭すぎです。
>論なんて『南は東だ論争』『槨は槨でない論争』『萬二千餘里は萬二千餘里でない論争』
>など幾らでもあるしょう。敢えて、今、論議しようとは思いませんが…
鉄以外は、文献しか例に出せないという、
おまえの視野の狭さを露呈してしまってるじゃないか。
しかも、こちらが、「鉄以外に邪馬台国論争の論点がないと考えている」などと、
トンチンカンな勘違いまでしている。
北部九州では鉄鏃の出土数は銅鏃のそれよりも多いらしい。
だけど、「実用品」として活用されていたかは怪しいと思う。
刀子や剣などは耐久消費財として繰り返し使用することが出来るが、
鏃は実際に使用してしまうと回収・再利用ができない場合が多い。
出土例も副葬品としてのものが多く、これは威信財としての扱いでしょう。
九州でも銅鏃が製作され続けていたのは、それが後期以降も実用品であったからで、
銅と鉄の硬度の違いだけに着目して優劣の論議をするのは「視野が狭い」とも思う。
数少ない「戦闘」遺跡である青谷上寺地の溝でも使用されたのは銅鏃、
実際、青谷上寺地では日用品としての鉄器は豊富なんですけどね。
765 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:27:01
九州が鉄器が多いと言っても、ほとんどは日常品なのは常識。
どこかの勘違い君だけが、鉄器=武器だと思い込んでるだけ。
さらに、鉄器の武器は優秀だからと空想して、王権成立と直結させてしまう。
もうアホかと。
せめて、常識を踏まえて、
鉄器の農具による農地拡大・生産性の向上による農地支配者として、
王権の成立を唱えて欲しいものだ。
鋳型を使っての鋳造でないと、鍛造や鏨切りの技法だけではそれほど大量生産は見込めなかったのでは?
まあ鉄の鋳造や製鉄も、通説を破って、弥生期まで遡り得るんじゃないかとの意見も出てきてはいるが。
767 :
SOY:2007/04/30(月) 19:34:42
>>763 >鉄以外は、文献しか例に出せないという、
>おまえの視野の狭さを露呈してしまってるじゃないか。
これは失礼しました。条件を指定していなかったので適当に三つを挙げただけです。
『箸墓古墳は円墳説』
『三角縁神獣鏡は国内鏡説』
『鐙の出現は100年遡る説』
ユーモアを踏まえて、こういうのを全て書き出すのは難しいのでは?
とりあえず、『鉄鏃は実用品でない説』『骨鏃が鏃の中では最強説』など
いろいろと説が出てきていますが、これらについては見守らせて頂きます。
768 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:42:18
>>762 キノコも怖いですよ。
素人は野山でのキノコ狩りやめた方がいいです。
769 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:46:04
>>767 おまえの挙げた例は、どれも興味ない。というか議論としても古い。
こちらから、ひとつだけ例を出すから、見解を聞かせてくれ。
邪馬台国が九州にせよ、畿内にせよ、どちらでもいい。
王権が誕生した理由について、最も近いと考えられるのは、どれかね?
1、鉄の武器によって、他地域を屈服させた
2、鉄の農具によって農地を広げて収穫量を上げ、他地域より優位に立った。
3、その他
竹槍は鉄砲以前はけっこう効果的な武器だったと思うが、
鉄鎌や鉄斧がないと切っ先を鋭角に尖らせてつくるのは
案外難しかったと思う。石器の刃物や青銅器利器だけで
竹槍をうまく尖らせてつくるることができるのかなあ。
771 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:20:25
三内丸山遺跡では、石器だけで巨木を伐採してたな。
772 :
SOY:2007/04/30(月) 20:26:16
>>769 鉄器については私の中ではそろそろ潮時かなと考えています。
以下については質問ということなのでお答えします。
>邪馬台国が九州にせよ、畿内にせよ、どちらでもいい。
>王権が誕生した理由について、最も近いと考えられるのは、どれかね?
>
>1、鉄の武器によって、他地域を屈服させた
>2、鉄の農具によって農地を広げて収穫量を上げ、他地域より優位に立った。
>3、その他
1については私は知りえないという立場です。鉄の武器だけで
全てが説明できるとは考えていません。
2についても同様です。鉄の農具があったとしても、どの程度、
収穫量に変化があったかについては知りえないことです。
また、鉄製品と言っても武器や農具だけでなく、工具類もあります。
さらに鉄器を有するかどうかはその他の流通の問題とも絡む問題です。
鉄器を有しているということは、単に鉄製品の性能の話だけに留まる
問題ではないと私は考えています。
>王権が誕生した理由
漠然とした答えとしては『富の集積』を考えていますが、敢えてもう少し
掘り込んで述べるなら、私は『交易』『組織や制度』『人口』『軍事力』
といったあたりを考えます。
結論を言うと、3ということになりますね。
(因みに『王権』の定義については曖昧のまま回答しています)
773 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:31:06
>>772 君、鉄鏃の話はどうしたの?
もう、自説を撤回したんですか?
それならそうと宣言してくださいね。怒りませんから。
宣言なんか不要ですよ!
時代は流れているんですから、怒るなんておこがましいことできませんよ。
775 :
SOY:2007/04/30(月) 20:41:57
>>773 >君、鉄鏃の話はどうしたの?
>もう、自説を撤回したんですか?
今までの文章を読めば分かると思いますが、私は鉄鏃の話を王権うんぬん
の話とはしていません。『魏志倭人伝との整合性の問題』と考えています。
もう少し読解力を持ってください。
読解力とか、難しいもの求めるな!
例え話とか、工夫してわかりやすく書いてあげてね
777 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:51:22
>>775 それでは、次のテーマに移るということでいいね?
九州に邪馬台国があったとして、
『交易』『組織や制度』『人口』『軍事力』 が他の地域より勝ってたと、
考えているわけだね?
『交易』『組織や制度』『人口』『軍事力』のどれを最も重要だと思っているのかな?
カシの木みたいな硬い木で作ったこん棒が、最も日常的な武器と思われ。竹槍よりも。
石剣とか石棒もすぐ折れそうで、使えと言われたって俺は嫌だな。w
要は使う人間の技量と度胸じゃねえか? 鉄器青銅器でも石器骨角器でも木器竹器でも。
宮本武蔵は舟の櫂を削った簡単な木刀で、佐々木小次郎を一撃のもとに倒したぜよ。w
779 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:55:38
>>772 ついでに、確認しておきたいが、
>2についても同様です。鉄の農具があったとしても、どの程度、
>収穫量に変化があったかについては知りえないことです。
それは、「ぼくが無知なので、わかりません」という意味なのか、
「考古学や文献学で、説明不可能」という意味なのか、
どっち?
なんかどれも密接に関連してんなー。
軍事力なんて、他の三つがなかったら弱そうだしなぁ
781 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:00:18
>>780 それなら、「軍事力」の優先度は最下位だよ?
わかってる?
なるなる、軍事力最下位か了解で、何が今週の一位なん?
783 :
SOY:2007/04/30(月) 21:13:16
>>777 >それでは、次のテーマに移るということでいいね?
明日、休日出勤の為、会社の勉強でパソコンに向かっている間のお付き合い
ということでご容赦を!
>『交易』『組織や制度』『人口』『軍事力』のどれを最も重要だと思っているのかな?
拍手を打つ時、右の手で鳴ったか、左の手で鳴ったかに近い問いかけですね。
それはともかく前回の王権誕生の条件も含めて貴方の意見も欲しいところ。
私だけが答えてはあまりにも一方的で趣に欠けます。
上記の四つの中で最も重要なのは何かというのは個人の歴史観の問題にも思え、
また、どれか欠けても成り立ちそうにもないように思えますが、
何を主とし何を従であるかを考えると、
やはり、『組織や制度』といったソフト面かも知れません。
(既に邪馬台国論争から外れていっているような気がしますが…)
組織や制度がしっかりしていなければ、軍隊も烏合の衆ですし、交易もうまくいきません。
人口があっても税制がしっかししていなければ意味がありません。
784 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:14:10
>>782 それをSOYに決めてもらわないと話ができないわけよ。
「富の集積」とかって言ってるけど、
どういう意味の「富の集積」なのか、わからんからね。
さすがに軍事力は違うだろうから、
『交易』『組織や制度』『人口』のどれかだと思ってるんだろう。
SOYとそんなにはなしたかったの?
黄金週間だから、忙しいんじゃまいか?
まぁ、明日また話すか
786 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:19:12
>>783 >やはり、『組織や制度』といったソフト面かも知れません。
『組織や制度』ですか。
それを、どうやって構築するわけですかね?
また、構築しなければならない要因があるはずですね?
>それはともかく前回の王権誕生の条件も含めて貴方の意見も欲しいところ。
俺は「農民ひとりひとりによる、農業などの第一次産業の活性化」がまず第一だと思ってますが?
君は、「農業生産力」は違うと思ってるわけだろ?
soy休日出勤おつ
おで、メーデーの集会さぼる見込み
788 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:27:42
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)
宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA
789 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:28:26
宝来mtDNAデータのトリックとその欠陥を簡単に説明してやると、
朝鮮半島にしろ中国大陸にしろ、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、データの中に北方アジア人に関するタイプの
データが一切出てこない。
しかも、調査サンプルにも北方アジア人のサンプルが一つも無い。
つまり、宝来mtDNAデータは、北方アジア抜きの偏向調査で出された単なる
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの非常に悪質極まりない欠陥データに過ぎないのである。
790 :
SOY:2007/04/30(月) 21:42:32
>>786 >『組織や制度』ですか。
>それを、どうやって構築するわけですかね?
大陸には優れた制度があるので、それをマネるというのも一つの手です。
>また、構築しなければならない要因があるはずですね?
共同体を富ます、共同体を守るなどの要因が挙げられるのではないでしょうか。
>俺は「農民ひとりひとりによる、農業などの第一次産業の活性化」がまず第一だと思ってますが?
>君は、「農業生産力」は違うと思ってるわけだろ?
いえ、農業生産力は大事と考えています。また、流通も大事と考えています。
これらの割合は国の性格や立地条件にもよると思います。
一次産業で稼ぐ国もあれば、中間搾取で稼ぐ国もあったのではないでしょうか?
軍事力にものを言わせて奪うというのも無きしもあらずですが…
とりあえず、このあたりで今日は退散します。
791 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 22:19:39
>>790 おやすみ。
これで、「王権=鉄器が多い=武器が多い=征服王朝」としてしか考えられないバカも減るだろ。
792 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 22:26:04
>>790 >いえ、農業生産力は大事と考えています。また、流通も大事と考えています。
>これらの割合は国の性格や立地条件にもよると思います。
>一次産業で稼ぐ国もあれば、中間搾取で稼ぐ国もあったのではないでしょうか?
>軍事力にものを言わせて奪うというのも無きしもあらずですが…
ここまで考えられる脳があれば、
SOYが畿内説に転向するのも時間の問題といえるな。
心配するな。自説を変えるのは恥じゃないぞ。
793 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 22:32:49
鉄が重要なのは世間の常識。
鉄器が多いか少ないかで国力が決まるのも常識。
畿内説の考古学者が、畿内に鉄がほとんどないことについてどのように言って
きたかを見ればすぐにわかる。
鉄は、畿内では溶けてなくなるから出土しない。
畿内では、鉄は完全に再利用されているから出てこないのは当たり前。
こんな苦しい言い訳を考えなければならないほど鉄がないのは致命的だった。
畿内説の素人は、鉄なんてあろうがなかろうが関係ないとまで言い出す。
困ったものだ。
困る事ないって!
795 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 23:11:20
畿内至上主義者は古墳時代には鉄器の量で優位を説く訳だがw
弥生時代はダブルスタンダードな訳だなw
もっとも邪馬台国は古墳初頭だから畿内に鉄器が多くなり始めて入るけどね。
しかし古墳最初頭はまだ北部九州がまだビミョーに優位かと。博多遺跡の内容が凄いと村上氏の新著に強調されている。
796 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 23:14:44
>>793 で?
鉄の無い畿内で大和王権が出来たのはどうして?
九州説の人は、鉄の無い畿内で大和王権が出来たことの説明は誰もしない。
困ったものだ。
え?東遷ですか?ぷっ
鉄なきゃ王権出来たらあかんのか?
鉄なくても、人は生きられるべ
798 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 23:34:11
>>795 なんかもう自分で言ってるように、
奈良に大和王権が出来た古墳時代になっても九州は鉄器が優位なんだから、
大和王権成立と鉄器の量が関係ないってことなのに、
どうして理解できないかなー。
王権成立のために、鉄の他に、もっと重要な要件があるって認識は出来ないのかね?
799 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 00:15:10
>>796 ある時期を境に、鉄が増える。銅鐸が消える。銅鏡が出てくる。
この劇的な変化は、東遷かあるいはそれに類する出来事を想定するのが
一番ぴったり来る。
800 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 00:42:50
すっげーなWW
畿内説って鉄なんかどーでもいいことにしたいせいで
とんでもない論理ばっか必死で脳みそ使って言い訳考えてる有様
何をとってもおかしな論理ばかりだっつーのに
801 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 00:56:43
>>798 単純な自生説は成り立たない訳だが。村上氏はそういう批判。
必ずしも当たっているとは思わないが東遷説も成立しない自生説に対する一つの対論だろ。
弥生以来の畿内自生勢力が主体ではない各地の連合=瀬戸内や北部九州諸勢力が中核のが、たまたま列島の交通や交易の地理的中心として都を置いたというのが寺沢や北条の説。
村上説も畿内自生勢力を評価しない点でこれに近い。
802 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 00:59:29
>>791 馬鹿はおまえ、というよりまず畿内説ありきで
あとはすべての材料を辻褄あわせにしか考えられない、都合の悪いことは
どうでもよかったことにする恥知らず。
こいつらのレベルで議論するなら、巻向も鏡も古墳もいくらあっても意味ないんだよwなんて
言い返すことができるな・・・(溜息
803 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 01:01:37
>>798 今までの畿内自生論の小林、佐原、白石、都出、山尾などが畿内に鉄が弥生後期から集まっていたとして故にヤマト政権が成立したとかいう無茶な論理の説明をしていたのか分かってますか?
>>799 環濠が消える、青銅祭祀が変容する、土木工事の大規模化等々
この時期の変化は大和に限ったことでもないと思うが。
805 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 01:07:11
>>796 >鉄の無い畿内で大和王権が出来たことの説明は誰もしない
無いんじゃないんだが。
>>795読めばわかるとおり
時代ごとに考えて説いているんだよ、馬鹿が。
つーか、初めから時代考証もなくごちゃ混ぜに「畿内に鉄が無い大和政権」なんて
嘘っぱちを前提に話をすすめる。そして東遷の反論も結局ごまかそうとしている。
だから詭弁だといわれるんだよ。畿内には後々鉄が増えていく。
「ここで話しているのは」w 畿内には鉄がない時期に九州で圧倒しているという事実。
そして「その時代」鉄もないのに畿内が九州まで支配していたという滅茶苦茶な論理。
806 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 01:34:08
>>798 そりゃ、九州勢が畿内へいったからだね、ふっつーに理論的に考えると。
>王権成立のために、鉄の他に、もっと重要な要件があるって認識は出来ないのかね
おっ、畿内説が自分への宿題だしてるよぞーww
807 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 03:06:36
畿内説ってまず畿内ありき、で後は辻褄あわせ。そんなんで人をごまかせると
思っているところが恐れ入る。
なんかパッとしたのないんかな。
自分は、畿内説でも九州説もないが
どうしても、考古学の最先端では
ほぼ畿内説で固まりつつある。
九州説論者は、こんなところで騒いでいても
仕方が無いでしょう。
809 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 06:09:20
九州説ってまず九州ありき、で後は辻褄あわせ。そんなんで人をごまかせると
思っているところが恐れ入る。
なんかパッとしたのないんかな。
こんなとこしかしゃべれないんだお!
そして、しかたないなら、そんなに否定しなくてもいいべ
>>809 それは畿内説の連中の単純な頭脳の論理なんだよ。君もそうじゃないのか?w
以下のとおり ↓
ヤマタイ→ヤマト→畿内
こういう矢印はかなりの者がやってしまう考えで、これでは古代史の明智小五郎
にはなれない迷推理なのだよ。w これにひっかかって女王国は畿内だと信念
を固くさせて脱却できなくなるのだ。
この矢印論理で調べていくといろいろな面で大矛盾、不合理が出てきてしまう。
つまり矢印論理はダメだということになる。あたかもオーストラリアが
オーストリアではないようにだ。それを気づいて振り出しに戻った奴は、頭脳
明晰で正常な判断が出来てる方だが、大半は振り出し、原点に戻らずに、その
矛盾をほかの方法とかで【無理に】合理的にする論理を持って来て、矛盾なの
に矛盾が解決したようにいささか強引にやってしまう。それが失敗で、底なし沼
から出られなくなる行動なのだ。ついにはさらなる畿内説の信念を強化させて
いくら間違いだと警告してももう変えようとはしなくなる。
間違いの警告に説得力が欠ける件
まぁ、お互い様だなぁー
813 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 10:12:01
>>803 ははは。
すげえ詭弁だな。
自生説なんて、畿内説の中でもとっくの昔に廃れてる。
それを知ってか知らずか(無知だから知らないんだろう)
いまもって畿内説=自生説だと思い込んで畿内説批判を繰り返すだけ。
批判するなら、寺沢とか最近の畿内説について批判してみれば?
814 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 10:18:17
>>805 >そして「その時代」鉄もないのに畿内が九州まで支配していたという滅茶苦茶な論理。
おまえの考えてる「支配」の定義ってなんだ?
「武力支配」か?
誰も、畿内が武力で九州を支配していたなんて言ってない。
九州派は、このように、自分勝手に勘違いして、畿内説を批判するわけだ。
3世紀の畿内が武力で九州を支配していたわけがない。
「鉄=武器」としてしか脳ミソにないから、
「鉄器の多い地域が、他を武力支配していた」というようなトンチンカンな発想しかできないのだ。
815 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 10:26:48
九州説が、最後の悪あがきをしてるようだが、
4世紀に畿内に大和王権が出来た理由として、
3世紀の九州の邪馬台国が東遷してきたからとしか、説明出来ないではないか?
というか、最初に「東遷ありき」とでも思ってるんだろう。
ようするに、「九州説」ではなく「東遷説」なんだよ。
おまえたちの言ってる説の正体は。
「東遷」さえ事実であれば、邪馬台国は九州のどこでもいいんだろう。
だが、九州勢力が東遷したなんて証拠はどこにもない。
東遷の証拠としては、凝れたレコードのように「銅鐸が消えた」などと繰り返すしかない。
九州の銅矛も消えてるのにな。
昔のひとは和を以て・・・なのにおまいらときたら
817 :
愛知県民:2007/05/01(火) 10:28:42
>>11 >卑弥呼人気投票!
>1、オリジナル卑弥呼
>2、神功皇后
>3、倭姫
>4、天照大神
>5、倭トト日百ソ姫
>他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。
6、勢夜陀多良比売をエントリーします。
鉄の話で盛り上がっていますが、勢夜陀多良比売・比売多多良伊須気余理比売には
誰も言及しないのでしょうか?
確かに古事記の内容は製鉄とはかけ離れていますが・・・
818 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 10:34:31
記紀神話では、製鉄の神は活躍してないな。
卑弥呼は誰より、何処に興味あんだな!
こたえは、闇なのは同じだからええけど
821 :
愛知県民:2007/05/01(火) 10:48:17
勢夜陀多良比売は日本書紀では玉櫛姫。
邇芸速日命は日本書紀では櫛玉饒速日命。
この二人、実は姉弟だったのでは?
三輪の神は自ら「大己貴の奇魂(くしみたま)」と名乗っていますし。
822 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 11:08:57
>>821 神武妃だから、ぜんぜん時代に合ってない。失格。
823 :
愛知県民:2007/05/01(火) 15:32:29
>>822 そうでしょうか。
確かに日本書紀の年代とは合いませんが、
後世の天皇の在位年数から推定するとよく合っています。
824 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/01(火) 15:39:09
>>788>>789 は少し腑に落ちないところがある。引用でなんだが、
太古、海流に乗って東南アジアから北上してきた原アジア人(南アジア人=古モンゴロイド)が、
中国大陸の南方から陸行してきた原アジア人と交流しながら、朝鮮半島全域に分布し、さらに日本列島にも進出したものと思われる。
また、氷河期が終わる頃には、狩猟を主とするアルタイ・ツングース語系諸族の部族が南下をはじめ、
やがて彼らが中国大陸を経て朝鮮半島や日本列島にもやってきた。それが新アジア人(北アジア人=新モンゴロイド)と呼ばれる人々である。
「北方アジア抜きの偏向調査」とあるがロシアで言うエヴェンキ、ツングースが古代に中国東北部や朝鮮半島に進出し、
又、鮮卑などが立てた国家などが次々と盛衰しているが、今の日本人に蒙古斑があるのもこれら北方民族の血を受け継いでいるからであり、
以上のことを考慮し鑑みれば
>>789の「ただひたすら中国や朝鮮からやって来た」というのも強ち間違いではないと思う。
825 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 17:14:42
>誰も、畿内が武力で九州を支配していたなんて言ってない。
何をトンチンカンな言い訳に終始しているのか分からんが、
古代・中世・戦国も含め、武力支配以外には民族支配はない。
826 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 17:59:50
>>825 民族支配?民衆支配の間違いか?
というか本気で武力支配以外にはなかったと思っているのか?
いや武力支配が可能だったとでも思っているのか?
ならば平安期の藤原氏ってものすごい武力集団だったんだねw
君、歴史の成績悪かっただろうw
古事記のヤマトタケルの熊襲、出雲、蝦夷征伐の伝承なんかもう強烈
で残虐非道な武力平定じゃないか。
詭弁にもほどがある。
828 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 18:49:37
道徳すら統一されてなかった時代に「残虐非道」って
昔日に隣国に認められた王朝があった
その国は今は無くその記録もなぜか無い
やっぱ都合が悪けりゃ消去されるよ
今も昔も
古代の日本人は戦争しません、話し合いで解決しまつた!
831 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 20:35:46
>>818 古事記にヤタノ鏡をつくったのは鍛人天津麻羅とイシコリドメノ命とでています。
832 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 21:08:49
>>827 ヤマトタケルって、少人数で女に化けて寝込みを襲ったって話だぜ
それのどこが武力平定だ?
トップを狙った暗殺だとは解釈できるが、君ほんとに記紀読んだことある?
833 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 21:18:12
しかし、ヤマトタケルだけは動きまくっているな。
アレキサンダーか
834 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:22:20
>>831 なら、ヤタノ鏡は鉄鏡ということでOKなのねん?
>>833 アレキサンダーの噂は当然倭国にも伝わってたはずだよ。
神武東征神話は、アレキサンダーをインスパイアしたものだろう。
835 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:24:19
>>825 まさか、戦国時代が、武力支配の時代だったと言うんじゃなかろうな?
中学生までだぞ?そんな発言が許されるのは。
836 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:36:59
名前に「ヤマト」持ってのヤマトタケルだけ?
名前が明るいと思った
838 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:46:17
>>835 何か主張するなら疑問形で書くな。他人にも意味が通じるように具体的に書け。
839 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 23:48:31
小臼命
何て読むの?
840 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/05/01(火) 23:59:14
書紀では日本武尊/小碓尊(をうすのみこと)ですョ。
「うす」が出なかったんでしょう。
古事記では倭建命/小碓命でしょうか
841 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 00:05:02
>>815 >九州勢力が東遷したなんて証拠はどこにもない。
証拠は十分。
1、記紀に詳しく書いてある。この時点で東遷の否定は無理。
記紀捏造説はユダヤ陰謀説と同レベルの暴論。
2、鉄器の東遷
3、鏡崇拝という東アジアでは特殊な文化の東遷。
4、畿内の氏族の9割以上が九州出身と自認し、膨大な系譜を残している。
畿内出身を自認していた氏族は約3%に過ぎない。
5、南方でしか採れない貝装飾を起源に持つ石製装飾具の東遷。
842 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 00:10:51
>>841 ウソが下手だな。
どれもこれも、東に拡散してるとはいえ、
紀元前からじわじわ移動してる。
3世紀末に一気に移動したわけじゃない。
もうすこしマシな説を求める。
843 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 00:27:08
>>838 >>825と同じく、
まさか、戦国時代が、武力支配の時代だったと言うんじゃなかろうな?
中学生までだぞ?そんな発言が許されるのは。
3世紀でも、戦国時代でも、支配の方法は武力ではない。
武力で攻め入る前に、他地域と婚姻を結んで、親族関係の縛りによって広域を支配していたのだ。
これは、世界のどこの国でも同じ。
記紀にも、王が他地域の姫を娶って親族関係を結んだ様子がきちんと書かれている。
したがって、鉄器の多さ=武器の多さは、国の優劣には繋がらないわけである。
>>842 記紀に見える先遺隊をそれと仮定すると矛盾しないね。
>>843 婚姻関係が重視されるどころか、実の親子関係が無視された例さえ枚挙にいとまないくらいなのに、
古今東西、強権を伴う支配関係の拡大が、婚姻関係だけで決定的になった例が一体いくつあるというのか?
年代や事実関係が明確に分かる有史時代の実例を挙げてみなさい。
846 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 00:55:10
神武は1世紀の人物と見て良い。
神武東征は遅くとも2世紀には完了していただろう。
神武と、神武に随行してきた氏族は、すでに九州の氏族と親類関係なので、
武力によって、九州と畿内がどちらかを支配したなどということは無い。
海賊や山賊対策に、武装をしていたことはあったとしても、
九州と畿内がどちらかを攻撃する目的では無い。
したがって、九州に鉄器が多かろうが、関係の無い話なのである。
3世紀、すでに畿内王権と九州勢力は親戚同士なのだから。
847 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 00:58:56
>>845 >強権を伴う支配関係の拡大
それがウソだという。
古代の戦乱の証拠は、九州の一部でしかない。
環濠集落も高地性集落も、多くは防衛のためであり、
九州以外に、実際に戦闘があったという遺物は出ていない。
戦争を回避するために、婚姻関係を結ぶことは、よくあることである。
848 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:04:11
>>842 どこも嘘じゃないのに必死になる詭弁の畿内説の典型って感じの返答。
しかも紀元前とか脳内決定しているところからして厨房だし。
849 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:07:21
東遷否定する時点で日本の史書すべて否定。
つまり、天皇のいってることも否定。
天皇家の有り方自体問われるね。
つまりさ、キリスト教における聖書の否定と同じだわさ。聖書鵜呑みにしろ
とは誰もいわんが、「嘘だ」って否定したらキリストなんかただのユダヤの罪人。
日本書紀や記紀や神武の東遷を否定したら天皇なんか、ただの奈良の元豪族か?
850 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:19:14
>>849 東遷否定なんてしてませんが?
神武東征は、記紀では紀元前のこと。
実年代を想定すれば1世紀のこと。
日本の史書を肯定するからこそ、3世紀には大和王権は畿内に存在したと言ってるわけで。
何がおかしいのか、さっぱりわかりませんなあ。
851 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:20:21
>>846 >神武は1世紀の人物と見て良い。
根拠に欠けすぎ。天皇を歴史深めるために欠史八代付け加えて引き伸ばした歴史じゃねーの?
852 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:22:11
>>849は、
3世紀の邪馬台国が畿内に東遷したと思ってるんだろう。
そんなことは、どこの史書にも書いてない。
ようするにバカなんだよ。
853 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:23:39
854 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:31:04
>>852 記紀の数字まで鵜呑みにして信じきっている馬鹿発見。
誰がそこまで信じろとW
>>847 > 戦争を回避するために、婚姻関係を結ぶことは、よくあることである。
それだけのことで簡単に対立関係が解消して、安定した関係が継続するはずがないでしょ。
実際には、相当に価値のある「引き出物」があったと考えるほうが事実に近いのではないか?
それは何か?
神武天皇の生存時期は
日本書紀と古事記を見比べたら
紀元1世紀〜紀元2世紀初頭ぐらいまでの人だわな。
632 :日本@名無史さん :2007/05/02(水) 02:56:01
日本書紀に記載されている崇神天皇10年の武埴安彦命の謀反が
魏志に記載されている247年の狗奴国王との戦いなら
日本書紀と古事記を複合的にみたら
だいたい、可能性がある神武天皇の生存時期は
西暦50年前後〜西暦120年前後です。
858 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 06:16:11
倭人伝で、卑弥呼の生きた時期はわかっている。
この時期を、記紀のどこに当てはめるかで諸説が分かれる。
卑弥呼の特徴はといえば、まず女性で、最高権力者で、未婚。
これに相当する人物といえば、天照大神しかいない。
さらに、卑弥呼は狗奴国と争い、天照大神は素戔鳴尊と争う。
それが原因で、卑弥呼は死に、天照大神は岩戸に隠れる。
卑弥呼が死ぬと、跡継ぎをめぐる争いが起こり、千人あまりを殺しあう。
天照大神が岩戸に隠れると、高天原は真っ暗になる。
台与が王になると、平和になる。
天照大神が岩戸から出ると、高天原は元のように明るくなる。
台与のあと、また男王が立ち、中国の爵命を並び受ける。
天照大神が岩戸から出たあと、高皇産霊尊が登場して政治を主導する。
これほど似ているわけで、卑弥呼+台与=天照大神に疑いはない。
したがって、神武東征に相当する出来事は、当然、卑弥呼の後になる。
859 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 06:22:57
>>813 -
>>815 なんか必死なのはよく伝わるんだが全然反論になってない・・・
それどころか畿内説に繋がる内容でもない。
なんだ、このおかしな畿内説は。ひょっとしてwあの、おかしな日本海ルートとか
モモとかいってる奇内説者だろうかw
金印にこだわっている馬鹿と同一人物かな、だとしたら、なんで邪馬台国が女王国で
天皇じゃなく卑弥呼に倭王の金印渡したのか言ってみろWW
この馬鹿は神武が一世紀の東征とか言っている。それは一説として、で、
なんで卑弥呼が仕切っているんだよ、アハハハハハ 天皇無視して女王が貢ぎ仕切って
倭王の金印もらったんだとよww とよ〜〜ww
モモタン・・・
トヨタン・・・
861 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 07:38:09
>>851 倍暦計上で
神武誕生 B.C.51年 同崩御 A.D.26年
8代くらい引き伸ばしたって利害関係のメリットにはなり難いです。
つまり貴殿の津田病の軽症状。
862 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 07:43:17
>859 中段
味があるねぇ。いい批評。 ただし神武は1世紀あたりの人物。
>>861
応神は、中哀の子供じゃない気がしてきた。
太国氏へ。
「卑弥呼+台与=天照大神に疑いはない」
などとトンデモ脳内妄想をノタマう
>>858を
とことんやっつけてくれ。頼む。
天照大神が魏に貢ぎ物するわきゃねえだろ。
865 :
SOY:2007/05/02(水) 07:58:02
おでかけの前にちょっとだけ発言します。
>>847 >環濠集落も高地性集落も、多くは防衛のためであり、
>九州以外に、実際に戦闘があったという遺物は出ていない。
殺傷人骨や石鏃の刺さった楯の話はどうなのでしょう? これらを省いて、
『実際に戦闘があったという遺物』がどのような遺物を指すのか不明です。
単に物を知らないだけなのか、それとも桶狭間や関ヶ原の戦いでも戦闘と
考えないくらいに判断基準がズレているのかのいづれかのように思えます。
また、防衛の側の遺物(高地性集落)はともかく、攻撃側の遺物がどのような
遺物を指すのかも不明です。
私なら防衛側が存在する段階で攻撃側の存在を考えます。
話の流れからすると、倭国大乱を九州だけの話としているかも知れませんが、
それもちょっと疑問があります。
因みに私なら実用的な武具が出ている段階で既に物騒な世の中と考えます。
地域間抗争の話に限定したとしても、殺傷痕人骨の偶然の発見だけを頼りに
そのあるなしの判断をするのは難しい上に危ういと考えます。
866 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 08:09:40
>>858 倭人伝読めば、卑弥呼 → 男王 → 台与 は実在で別人確実。
もちろん、倭人伝丸呑みにせよとは言わんが、この辺り貢ぎのレポートもあるし
間違いないだろ。
現在の観光案内でも間違いは多い。だから倭人伝でも間違いは当然あるだろうが、
オリジナルが書かれた時期は、それでも大体、同時代。一応、真剣レポ−トであって
妄想で何百年も前のことを書いたのでではない。
しかし、
>>858が一緒に読んでいる日本書紀や古事記や記紀は、いうまでもなく、何百年も後で書かれたもの。
しかも欠史八代。しかも口伝をもとにした、非科学的ストーリー続出の神話も含む。
真偽はともかく誰かが誰かさんの神話を操作して民に信じさせようとしたかったのは明瞭
であって、とりあえず
>卑弥呼+台与=天照大神に疑いはない。
↑こんな決定するの 馬 鹿
>したがって、神武東征に相当する出来事は、当然、卑弥呼の後
↑ 当然、これも根拠ありませんな
神武が崇神の可能性はあると思うけどねw 誇張得意そうなオッサンじゃんw 東「征」とかW
観光案内の間違いは意図的なの多いべ、もしくわ関心うすいか
868 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 08:58:31
神武=崇神天皇 だと思う理由いくつか
・神武の名前がどれもこれも嘘臭い できすぎ。モモみたいな倭の音読みの名前じゃない。
・後の8代の名前も嘘臭いうえ、音読みの当て字じゃない=この頃に漢字はまだない
で、8代の日本人の音読みの名前は何だよ、ないんだな、これが。
お墓どこ? それらしいのどこ? 神武のお墓どこ? どこに住んでたの?
・崇神が何もかも始めたっぽい。神武から初めていきなり神がつく名前のうえに
名前からして「神」の上に「崇」。そして父親がいきなり開化、嘘臭えー・・
後付けの名前じゃん、これ。
で、崇神が居たマキムクの前はどこ?(しかも巻向からして年代遡り説あり)
開化はどこに住んでいたの?パパのお墓どこー? 伊勢どころじゃねーぞ、これはw
・伊勢の最初の斎宮が崇神の皇女、←とされている(神宮の伝承)
そしてそれが檜原神社の最初。それ以前は? 開化含む以前はなんで何もしなかったん?
いやあ、祟神さんが何もかも最初やんけ。そして極めつけ
・祟神(=神武)が始めた伊勢の天照は、神武(=祟神)がもともとやってきた日向に
たくさんの伝承と関連神社が残りますな。おや、偶然ですか、いきなり8代超えて
故郷が懐かしくなりましたか?w ひょっとしてアンタのママじゃねーの?ww
で、テメー、同じ人物やろっ、てなるわけですよ。ええ。
神武と崇神に何の共通性も見つけられない。
870 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:25:42
>>868 こんなこじつけを考えるくらいなら、神武は全部創作としたほうがまだマトモ。
だいたい。日向に天照伝承なんていっこも無いし。
たくさんの伝承があるというなら、いっこくらい例を出してみれば?記紀以外でな。
871 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 10:57:14
>>864 やっつけろというのはあの方の感情を悪くさせ、好ましくないです。あの書き方
では真面目に論じているんだし〜・・・説明して穏便に理解させるのが相当
だと思います。
>>858 卑弥呼はアマテラスではありません、周知のとおり神功39年の記述が景初3年
になることから、紀の編者が卑弥呼の年代を神功世に位置させたものでしょう
が、これが正となりますと後代の應神、仁徳の寿命が超長寿の111歳と143歳
という生物学的には成立が困難な数字になることから、編者側の挿入した神功
39年が不具合なわけで、このことを合理的に説明できうるものが、倍暦なわけ
です。そうなりますと卑弥呼の年代は確かに神武の時代に近づき、
景初元年=239年=崇神元年
を計上し、卑弥呼の時代は崇神世のあたりになるのが至当ですし、倍暦の他に
讖緯説、水増し説論者もおりますが、彼らの論は元の編者指定の神功世から修正
して遡らせても神武以前にまでズレこむことはないというのがほぼ一致して
いる考えです。そううことから卑弥呼が神武以前のアマテラスと時代が一致
することは不可能と云えます。安本氏の統計でのその説は天皇の在位を無理に
でもすし詰めにして狭小化し、いやがおうでも卑弥呼とアマテラスの時代を
牽強付会しようとしたものと推察でき、非常に無理な理論で採用はできません。
872 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 11:20:08
>>858 妄想ばっかりなので、一つづつ訂正しないといけないな。
>卑弥呼の特徴はといえば、まず女性で、最高権力者で、未婚。
>これに相当する人物といえば、天照大神しかいない。
卑弥呼以前から、倭国には王がいて、1世紀から金印をもらったりしてますが?
>さらに、卑弥呼は狗奴国と争い、天照大神は素戔鳴尊と争う。
>それが原因で、卑弥呼は死に、天照大神は岩戸に隠れる。
狗奴国との争いが原因で卑弥呼が死んだという証拠はありません。
>卑弥呼が死ぬと、跡継ぎをめぐる争いが起こり、千人あまりを殺しあう。
>天照大神が岩戸に隠れると、高天原は真っ暗になる。
天照大神が岩戸に隠れてる間、他の神様は歌ったり踊ったりで楽しく騒いでます。
騒乱の投影とは考えられません。
>台与が王になると、平和になる。
>天照大神が岩戸から出ると、高天原は元のように明るくなる。
上下は、まったく関係ない記述です。
>台与のあと、また男王が立ち、中国の爵命を並び受ける。
>天照大神が岩戸から出たあと、高皇産霊尊が登場して政治を主導する。
高皇産霊尊が、天照大神の下位にあるような認識であり、無知としか言えない。
873 :
愛知県民:2007/05/02(水) 12:45:24
>>871 >安本氏の統計でのその説は天皇の在位を無理にでもすし詰めにして狭小化し、
>いやがおうでも卑弥呼とアマテラスの時代を牽強付会しようとしたものと推察でき、
>非常に無理な理論で採用はできません。
安本氏の卑弥呼=アマテラス説には反対ですが、彼の平均在位年数理論は合理的だと思います。
神功皇后の新羅遠征が未斯欣=微叱己知から西暦400年頃と考えられますので、
平均十年説はこの辺りまで確かめることができます。
ここから神武天皇は270年頃の人となり、私の卑弥弓呼=神武説は妥当と考えます。
安本氏の誤りはこの理論を神武以前の神代まで遡らせていることで、
アマテラスは卑弥呼よりずっと過去の人、おそらく帥升(スサノヲか)と同時代でしょう。
>>873 全く妥当ではないだろう?
だいたい、神武の東征の経緯と
狗奴国の乱の経緯とは
全く異なる。
>>873 平均在位説は、似非数学的理論だ。
統計学の専門の人が、馬鹿にしていたよ。
安本が、当初、似非天文学に飛ぶついたのと同じだ。
まだ、平均在位説を主張するぐらいなら
平均世代数のほうが、生物学的に合理的なほうだ。
876 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 15:20:11
>>873 >神功皇后の新羅遠征 400年
>神武天皇は 270年頃 の人
これはだれが見ても滅茶苦茶。神功が神武より古いなんてありえないだろうが。
877 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 15:21:43
>>876 ああそうか〜?逆か〜、それは失礼した。じゃぁこれはなかったことにしたい。
もう一度考えよう。
878 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 15:30:43
愛知県民殿
さきほどは失礼した。目もわるいので誤認をしてしまった。
しかし、現今の編年をやってる論者でも、神武が270年まで後代に行くという
論者はいないようだし、やはり鮨詰めの感がありそうで、その平均在位論は
危険性が大と観たい。そんなに年代が降下しないと思う。
660+270=930 の930年の1世紀分近くも詰まらないと思うが・・・如何?
879 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 15:35:07
>>878 訂正
× 1世紀分近く ○ 9世紀余り
神武は、オレの大雑把な比定によると、おそらく2c半ば〜3c初頭。
神武東侵はあっても倭国・邪馬台国の東征・東遷はなかった。
881 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 16:14:53
神武はそもそも、存在が疑わしい。
多分、記紀の編纂時に創作されたものでしょう。
882 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 16:18:44
津田病はまだ蔓延中だな。
883 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 16:27:37
皇国史観の毒されたウヨも蔓延している。
884 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:33:22
大和王権の成立は4世紀だよ。
学会ではそれが主流なのに、
2チャンネルはいつも限られた人が書き込んでるせいか、
卑弥呼の時代まで遡らせているわけかw
885 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 16:39:24
象牙の塔にこもった左党は危険歯層の元凶。
餌舐める質と象牙質がやられて忠崇神敬は風前のともし火。
歯科医糖と強酸糖に毒された歯層脳露雨は虫欠く歯と欠く0歯と仲がいい。w
古秘(古神道)は好黒嗜感。左党のない珈琲こそ真の味。
左党を入れるのは金代歯からだ。w
886 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:40:07
神武が創られたのは皇国史観が生まれるずっと前なんだが
>>884 崇神天皇没が318年っぽいので大和王権の成立ってのはそれと呼応するから別に矛盾しないと思うけど?
大和王権の成立の話は、必ずしも明確ではないわな。
何故なら、文献面で限界があるから。
4世紀が主流というよりも
現時点では、そこに設定するしかないというのが正しいだろう?
卑弥呼と邪馬台国との関連性も不明確だし。
644 :日本@名無史さん :2007/05/02(水) 17:50:22
誰かさんが言っていたけど
ニニギと神武天皇の間が、創作だとか言う説があるらしい。
むりに山幸彦とかみたいな神話を作ったと。
その理由が、日本書紀だと、
ニニギの子供(神武の祖父)と神武が同じ名前だから。
これだと、
畿内で迎えたニギハヤヒと神武天皇は、伯父と甥の関係になる。
また、他の氏族と皇室の世代数もしっくりくると。
とにかく、記紀では、皇室と物部氏の家系図を引き離さそうとしている
ことが、よく分かる。
890 :
愛知県民:2007/05/02(水) 18:07:39
>>878 太国殿
天孫降臨後の「百七十九万二千四百七十余年(ももよろづとせあまりななそよろづとせあまりここのよろづとせあまり
ふたちとせあまりよほとせあまりななそとせあまり)」は何世紀詰めればよいのでしょうか?
891 :
愛知県民:2007/05/02(水) 18:16:41
>>875 世代数より、代数の方が信用できると思います。
徳川将軍が15代だったことは誰でも知っていますが、
家康から慶喜まで何世代だったか、即答できる人は少ないでしょう。
中国史書と記紀のどちらを重要視するかといえば客観性のある中国史書だろう
しょせんつじつまなんてあうわけないんだよ
欠史八代が二世紀だとすると神武は卑弥呼より古いか
しかし欠史八代は大和政権を古くみせるための創作である可能性もある
893 :
愛知県民:2007/05/02(水) 18:43:45
>>874 私は似ていると思います。
「卑弥呼、卑弥弓呼と素より和せず」とあり、2度の戦いがあったようですが、
五瀬命の戦死が第一次戦争だったと考えられます。
魏志には戦いの結末が書いてありませんが、張政の帰国で突然記事が終っていることから
邪馬台国が敗れたのでしょう。
必ずしも「滅亡」と呼べるかどうか分りません。
難升米(長髄彦)は気の毒でしたが、男弟(邇芸速日命)は降伏して生き延び、
壱与(伊須気余理比売)は皇后になったとすれば・・・
>>891 安本氏の平均在位説は、
数学者が見たら、首をひねる代物だ。
>>893 似てない、全く。
魏志倭人伝や中国の史料を読み直せよ。
難升米は、古代豪族と皇室との代数から計算したら
梨津臣(中臣氏の先祖)だろう?
ちょうど、孝元天皇・開化天皇と同世代くらいになる。
日本書紀には、難斗米で出てくるし。
>>893 魏志とか見たら、卑弥呼と卑弥弓呼との紛争があった後
即、卑弥呼が死んで、墓まで作られて
再び男の王が政治をしたけど、それから再び
宗女の台与が女王で擁立されたと出てくる。
その流れから見たら、狗奴国の男王は平定されたような感じ。
この辺の流れが、日本書紀の崇神天皇10年の
武埴安彦命の反乱に似ている。
乱の平定後、即、モモソヒメが急死するところとか。
898 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 18:56:13
>>893 狗奴国が勝ったとして、
「狗奴国」の名前はどこへ行っちゃったんだ?
魏志を読んでみたら、狗奴国って
そんなに大きな国に見えないんだな。
少なくとも、邪馬台国連合を構成する一カ国ぐらいにしか見えない。
しかも、邪馬台国と至近距離の国家。
ということは、倭国大乱からの流れからして
長年、邪馬台国と争ってきた国というよりも、
247年の数年前ぐらいから、モモソヒメ個人と関係が悪化したという感じ。
こういうところからも、開化天皇の庶兄の武埴安彦命が
皇位を狙って反乱を起こしたのが
狗奴国との戦いのような気がする。
神武は、おそらく倭国大乱がらみで地盤を失った九州の一豪族。
中国地方の勢力を頼って東進し、近畿地方へ侵入するも敗れる。
その後、大きく迂回して近畿の一部豪族と結びどうにか奈良盆地を押さえた。
当然近畿全体の主ではない。
卑弥弓呼=神武ではないし、狗奴国は神武を中心とした勢力ではない。
ま、オレの考えではね。
901 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 19:12:46
「斗米」だったら、尾張氏に「建斗米命」もいるぜ。
古代の謚号って、いつ誰がつけたの?
あと、最近の天皇にもあるの?
卑弥呼様
/ / _ ヽ\ | | | |
/ ・ | | | ノ | __ ノ | __ | ノ | __ ノ | __
| , | | / / | l / / | l / / / | l / / | l /
\ /─-| / / | ノ / | ノ / | ノ / | ノ
>>902 淡海三船(722-785)とされている。
孝明天皇まではそうかな?
明治天皇以降も諡号と言えるのかな?
ちょっとわからない。
905 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 19:29:42
>>890 愛知県民殿
それを即答できる研究家はいないでしょう。天孫降臨がからんでいますから、
神武以前の遥か彼方の大昔です。計算は無理で拙者もなんともですな?
>>892 古く見せると言いますが、確かに8代加えれば古くはなりますが、それくらい
では利害の考察からメリットが不足です。8代くらい増やしたって効果が
大してないじゃぁありませんか?
906 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/05/02(水) 19:37:59
天孫降臨は一世紀ですよ
神武東征も一世紀なので
天孫降臨から神武東征まで一世代約30年程度までしか許されません
設計上は
907 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 19:55:16
>>906 ウガヤ朝があったかも知れないのに、そんな計上でよろしいんですか?
それともウガヤ朝は否定なんですか?
八は縁起のいい数字だからえらんだんじゃまいか?
909 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 20:19:59
>>908 確かに当時はえらく縁起を担いでいた。一例では暦法に反映してると想う。
倍暦がそれだ。縁起を担いで欠月がある。しかし〜
その8代については、神武を無くして、次代のはずの綏を初代天皇として
創作すれば終りの開化が丁度8数字の8代になるからそうやるはずだろう?
そうしてないんではこの場合は考えすぎだと思う。稲荷山鉄剣の銘文から八代と
関連のオオビコの名が確認されていることから、8代はデタラメではないと
観たい。
架空の天皇で縁起がよくなるっていうのは、どうも〜考えにくいと思う?
>>907 神話の内容からいって鵜草葺不合命は傍流の可能性が大きいと思います。
記紀では嫡流が無視されています。
911 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/05/02(水) 20:38:29
ウガヤ朝は古史古伝の云う場合のウガヤ朝でしょうか?
それはないですね
>>889の彼が書いてるのは、私の書紀スレ他での投稿を指していると思うんですが、
(今の所私は懐疑的ですが)記紀の通りに二世代存在するとしても、
天孫降臨自体は一世紀の筈ですよ。
これは天孫彦火明命が息津鏡(内行花文鏡/後漢)を天祖から貰っている事からも確かめられます。
この鏡が海部氏の籠神社に伝世鏡として実存しますよね。
天孫降臨がこれより古い年代まで遡ると、息津鏡を貰う事が出来なくなります。
籠神社の息津鏡は実在する「神代鏡」なんですよ。
こう云う訳で、籠神社の伝世鏡は、
石上神宮の七枝刀に匹敵する古代史上のマイルストーンなんです。
一世紀が神代であった事を証言している訳ですから。
912 :
愛知県民 :2007/05/02(水) 20:46:33
>>897 >その流れから見たら、狗奴国の男王は平定されたような感じ。
これは違うでしょう。
「壱与を王と為し、国中遂に定まる」邪馬台国の中が落ち着いただけです。
「政等、檄を以て壱与を告諭す」狗奴国が平定されていたら必要ないことです。
>>898 狗奴国は「熊野」として残っています。
913 :
愛知県民:2007/05/02(水) 20:53:47
>>905 太国殿は古神道の大最高権威と聞いておりますが、無理ですか。
これは古神道の秘儀で、人類誕生に関わる秘密・・・?
それは聞き間違いだお
915 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 20:59:28
闕史八代は、崇神の直系上祖八代を単に挿入しただけかも。
伝説上の開祖であるイワレヒコと実際の開祖ミマキイリヒコ、
その間を埋めるために王統譜に加えられたものたち。
なぜ、八代だけを加えたかと言うと、当時は名乗りを行う時は、
○○の子○○、またその子○○と言うように、
まずは直系尊属八代を名乗り、
血脈を証した上で自身の名乗りを行う風習があったんじゃなかろうか?
これ、稲荷山鉄剣の銘文からの単なる思い付きだが、
最初の王統譜が作られた時、
崇神の上祖八代までの系譜は知られていた、
その八人は王でも何でも無いので、
細かい事績は伝えられていない、
単に崇神の直系だと言うだけの立場だ。
崇神を伝説の開祖の末裔にするために加えられた名前、
辛酉革命脚色のために不自然な治世を与えられた八人、
そんな感じがしますね。
916 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 21:09:50
>>911 なるほど。これは充分証拠になりますねぇ。
拙者も再考します。
>>913 拙者のはアナログ的研究になります。従ってデジタルを確定したいために
記紀の暦法の正解を知りたいわけなんですよ。ですからそのデジタル的
数字においてはアナログ物ではないため、具体的に感知はしていません
アナログ的とは全部ではないですが、記紀の天地初発から現代を含み一定の
未来まで皇統の全容を知悉しています。それが『卜』事の運用です。知らん
ければ最高にはなりえませんよ。
だからうるさく九州王朝を云うわけですよ。つまるところはこれが根源です。
917 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/02(水) 21:13:20
>>915 辛酉なんぞにする必要はないでしょう。むしろ甲子がいいと思いますが。
918 :
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/05/02(水) 21:51:01
因みに天孫彦火明命の妻が大己貴神のムスメの天道日女命です。
ですから天道日女命が卑彌呼だと云う愛知県民さんの推理には、
彦火明命の系譜や伝承、伝世鏡の鑑定から順当に考えれば、年代上の不整合があるんです。
919 :
愛知県民:2007/05/02(水) 22:14:16
>>918 征東大将軍さん
申し訳ないですがその説は撤回いたしました。
今は勢夜陀多良比売=卑弥呼説です。
>>817 >>821 参照。
あと、火明命と邇芸速日命は同一神かどうか判断しかねるのですが?
920 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 22:21:06
>>918 その通り。
愛知県民さんは、まず、「系図」を一通り調べた方がよろしい。
誰の子孫が誰で、誰と誰が婚姻してるか、図に書いてみるといいよ。
あと、全国の「国造」の祖が誰かも把握しておくべき。
神武の故郷とされる日向の「国造」は景行天皇18年の筑紫巡幸の時に娶った御刀媛の子、
豊国別皇子であるとかな。
おかしな話だろ?
921 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 23:29:46
>>872 卑弥呼は、西暦250年くらいまで生きた人物で、当然のことながら、記紀には
その痕跡が残っていることになる。九州王朝説の場合は事情は異なるが。
そこで、仮に天照大神よりも、卑弥呼を反映している人物がいるとしたら、
それを挙げて理由を説明したらよい。
たとえば、プロフィールとして、女性で最高権力者で未婚の女性は天照大神
以外にいない。倭迹迹日百襲姫は単なる皇女。倭姫も同じで、対外的に国を
代表する人物ではない。神功皇后は明らかに時代が異なる。
さらに、他の理由としていくつか上げたが、ここでは狗奴国と素戔鳴尊について。
正始八年(西暦248年)頃に、卑弥呼は載斯等を帯方郡に派遣して、狗奴国と
争っている状況を説明しており、その仲裁に張政がやってきている。
これは自力で解決できなかったことを意味しており、非常に苦労している様子
がうかがえる。そして、「爲檄告喩之。卑彌呼以死」となる。
張政がやってきて檄を以って告喩する。以って卑弥呼死すとなり、連続して
いると考えても不思議ではない。
一方で、須佐之男命は、伊邪那岐尊から海原を治めよと言われるが、従わず、
泣き叫ぶ、伊邪那岐の尊は愛想を尽かし、須佐之男命を追放する。
須佐之男命は、では、天照大神に事情を説明しようと高天原に上ろうとする。
このとき、山川はことごとく動き、国土は、皆揺れた。
天照大神は、須佐之男命が高天原を奪いにやってくるのだろうと心配し、
戦いの準備をする。須佐之男命は、そんなつもりはないと釈明し、一応
仲直りをするが、調子に乗った須佐之男命は、高天原で大暴れする。
怒った天照大神は岩戸に隠れてしまう。
手ごわい相手と対立しており、それが原因で死んでしまう。なお、岩戸に
隠れるというのは、貴人の死を意味する。
この二つが似ていなくて、ほかにどんな出来事が似ているといえるだろうか?
922 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 00:19:49
>>921 天照大神は、イザナギに命令されて高天原を治めてるわけだが。
卑弥呼のように共立されてなどいない。
バカ?
923 :
愛知県民:2007/05/03(木) 01:20:37
>>920 有り難い助言です。
日向の「国造」の例については、神武天皇は一族全員で日向を出ていったようなので
それなりに説明はできそうですが。
「県主」はもっと多いし、大変だ・・・
系図は退屈だけど重要ですね。
日本書紀の「失われた系図一巻」とは、どのような本だったのでしょうか。
紀三十巻には無い情報もあったとすれば惜しい。
>>921 > 以って卑弥呼死すとなり、連続していると考えても不思議ではない。
文法的に出鱈目。
天照大神の子孫が神武天皇だろ
何が未婚だ
926 :
SOY:2007/05/03(木) 06:41:04
>>925 >天照大神の子孫が神武天皇だろ
>何が未婚だ
天照大神が未婚というのは別に間違いではないのでは?
一般的にはウケイ(契約)を結婚とは考えませんし…
あれを出産と呼べるかさえ疑問です。
>>921 卑弥呼とアマテラスは全くかぶらない。
卑弥呼の後、割と早く台与という女王が誕生したのに。
倭迹迹日百襲姫は単なる皇女ではない。
孝霊天皇の皇女で、その曾孫の崇神天皇の代まで生きていたわけだから、
彼女が死んだ崇神天皇10年の時は、かなりの老女だ。
しかも、死の直前まで、占いをしては、崇神天皇に進言していたし
武埴安彦命の乱が平定された直後に死ぬところなんか
卑弥呼の場合とそっくりだろう?
卑弥呼も狗奴国と戦った直後くらいに死んでいるし、そのとき
かなりの高齢だったみたいだし。
卑弥呼は生涯、独身だったが、倭迹迹日百襲姫も巫女でずっと独身で、
武埴安彦命の乱が平定された直後に結婚したとあるが、
それは夜だけ会える大物主という神様だから、
これって、リアルの人間との結婚と違うだろう?
つまり、霊能活動を表しているにすぎない。
しかも、卑弥呼の死後、一族の少女の台与(とよ)が
女王になったというが、
これは、倭迹迹日百襲姫の死後、崇神天皇の皇女の豊鋤入姫命が
皇室の最高の巫女になったのと似ている。
なまえが、「とよ」がついている共通性や
ともに幼い少女だったところまでそっくりだ。
おそらく、この崇神天皇の時代くらいに
ヒコ・ヒメ制に終止符を打ったのだろう?
929 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/03(木) 07:58:19
>>928 では倭人伝に「伊都国には代々王がいる」という記述があるのにどうして邪馬台国に関しては
卑弥呼が女王で最高権力者になっているのだ?孝霊天皇で7代目で、きちんとした男王が立っているのに。
実際には男王がいる事を特筆するのがまず筋ではないのか。
天皇たる男王もいるし、女王卑弥呼もいて、さらに伊都国などにも男王がいる。
とすれば民衆は一体どの王に従えばよいのだ。社会混乱の元であろう。
930 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 08:08:35
>>927 天皇がいるのに、皇女が、中国から「倭王」と呼ばれるわけがない。
皇女が、倭国の王として中国に使いを出すのも考えられない。
まして、女王国などと言われるのはありえない。
天照大神は、高天原の主宰者、名実ともに王であり、問題ない。
まだある。
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命 (梁書)
卑弥呼が死んで更に男王が立つ。国中不服。互いに殺しあう。また
卑弥呼の宗女、壱与を王となす。その後また男王が立つ。中国の爵命を
並び受ける。
台与と男王が並立している様子がうかがえる。
一方で、記紀によると、岩戸を出てからの天照大神には、高皇産霊尊が並存
する。出雲の国譲りも邇邇芸命のいわゆる天孫降臨も高皇産霊尊が主導する。
「天照大神と高皇産霊尊は…」あるいは「高皇産霊尊と天照大神は…」という
表現になる。
天照大神は、卑弥呼と台与であり、岩戸に隠れる前が卑弥呼、岩戸出て
からが台与と考えられる。
>>930 「其の後、復た男王を立つる。」
「其の後」とあるので、卑弥呼→男王(1)→臺與→男王(2)と考えられる。
別に臺與と男王が並立しているわけではない。
並受という言葉は、卑弥呼・男王(1)・臺與・男王の四人が皆中国の爵命を受けたということで、
同時並行で爵命を受けたという意味ではないと思う。
漢文では並は、同時の意味ではなく皆の意味に使われるのが普通だろう。
>>929 「伊都国には代々王がいる」という記述は、その次の「皆統屬女王國」の方に力点があるのではなかろうか。
代々の王が女王国に統屬していて、女王国とって伊都国は譜代の属国として特別だったのではないかと思う。
統屬の使い方に少々疑問が残って、断言はできないけれど。
>>929 そこだな。なにせ、日本書紀は8世紀に書かれたものだから
3世紀の政治情勢は過去のものだし。
卑弥呼共立は、倭国大乱の収束と関係ありそうだから
孝霊天皇の時代まで、日本国内は戦国時代で
死者も多く出たであろうし、この時代、寒冷化で疫病とかもあったみたい。
そういう場合、宗教的権威が必要だった。祭祀の支配だな。
倭迹迹日というくらいなので、かなり大それた名前だから
彼女が権威として前面に立ったのかも。でも、後の記録としては
それまで通り、ヒコの天皇が王としてカウントされた。
>>930 :日本@名無史さん :2007/05/03(木) 08:08:35
>
>>927 >天皇がいるのに、皇女が、中国から「倭王」と呼ばれるわけがない。
>皇女が、倭国の王として中国に使いを出すのも考えられない。
>まして、女王国などと言われるのはありえない。
そうとは言えないだろう?そうとは...
しるかよ
935 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/03(木) 10:53:27
>>931 >>929の言わんとするところは「色々王と呼べるものが多くて民衆は一体どの王に従えばよいのだ」
という事であって確かに伊都国王は女王国とは近しい関係にあったと思われるが王は王。
各国にもいたであろうこのような王と呼べる人物がたくさんいてはモモソを女王と倭人伝に記する
いわれは無くなる。少なくとも男王と記されるだろう。
936 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 11:03:55
>>930 もともと天照大神は男神ですが?
伊勢神宮の下に、男根を意味する柱が埋められてることを知らないの?
937 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/03(木) 11:07:55
>936
日神は女性です。それは間違い。
938 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 11:38:25
>>931 梁書には次のように書かれている。
卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、
其後復立男王、並受中國爵命。晋安帝時、有倭王賛。賛死、立弟彌。彌死、
立子濟。濟死、立子興。興死、立弟武
見ればわかるように、王の継承の場合は、「卑弥呼が死んで男王が立つ。
賛が死んで弟の彌が立つ。彌が死んで子の済が立つ。…」
と、書かれているが、卑弥呼の次の男王と、台与についてだけは死んだと
書かれていない。死んでいない台与と王となった男王。中国の爵命を
並び受けるのは、台与と次の男王だと考えるのが普通。
>>933 現天皇の皇女は、この前結婚した清子内親王。
昭和天皇の皇女は、鷹司さんとか島津さん。
大正天皇の皇女は知らない。
このような立場の人が、自分は日本の王だなんて言うとは考えられない。
天皇や皇太子などに比べると陰がうすい存在だと思うが。
紀元前100余国→57年奴国が金印授与→107年後漢へ160人の生口を送る
→2世紀後半内乱→卑弥呼即位→239年親魏倭王の金印授与→狗奴国との争い
→壹与の即位
近畿の大和朝廷ならこの金印が伝わっているはずなんだが伝わっていない
邪馬壹国は九州の小国のような気がする
日本書紀の話が本当なら、少なくとも、神武東征の頃は
かなり畿内王権の統制力が弱体化していたんじゃないのか?
57年の金印とか、107年の帥升の頃なんか
戦国時代における大内氏、大友氏、竜造寺氏などの
群雄活況の状態が九州で起こっていて
彼らが日本の対外貿易を独占していたことと同じようなことが
1世紀〜2世紀前半にかけて、あった可能性が高い。
>>938 臺與と倭の五王では、随分時代に開きがあるのだから、それは乱暴な論です。
臺與の最後がどうだったか、魏志には書かれていない。
629年の梁書編纂時に、それを超える詳しい資料があったとは思えない。
それに対して、倭の五王は400年〜500年の間に13回朝貢しており、
時代も近いし、詳しい資料が残っていただろう。
もう一つ、倭の五王は子か弟が後継者で、いわば正常な継承関係になっている。
「誰某が死んで、誰某が立つ」というのは、そういう正常な継承を示すありふれた書き方といえる。
一方で、臺與の最後はわからないので推測するしかないが、
卑弥呼の在位前後の事情を考えれば、臺與の子か弟がすんなり継承したとは考えにくい。
だから、臺與だけ死んだと書いていないから男王と並立していたと考えるのは短絡的過ぎます。
結論を言えば、梁書編纂時に、臺與が死んだときの試料が無かった。
倭の五王は、先代が死んで次が立ったという資料が有った。
だから、臺與の死は書かれたおらず、賛・彌・濟・興の死は書かれているのであって、
臺與と男王が並立しているかどうかは、関係ないと考えるのが妥当です。
>>935 天皇がいるのにモモソヒメが女王として魏に使いを送るのはおかしいなというのは私もそう思います。
ただ、それと倭人伝に複数の王が書かれているのとは、別のお話でしょう。
「色々王と呼べるものが多くて民衆は一体どの王に従えばよいのだ」と思ったから、
卑弥呼を共立して、共立された卑弥呼は言うなれば代表権をもって魏と外交したんでしょう。
944 :
黄金虫:2007/05/03(木) 14:16:29
>>942 「並受中國爵命」については
>>931氏の読方が正しいのでそちらに譲るが、
「其後復立男王」の出処は、おそらく晉書と同系の資料によると思います。
経過年の方は御説の通りですが、回数的なことは宋代とさほど違わないでしょう。
其後貢聘不絶及文帝作相又數至泰始初遣使重譯入貢(晉書)
司馬昭が魏相国になる(263年)まで朝貢は絶えていないそうです。
晉書帝紀によれば晉代の初朝貢は泰始2年(266年)なので、
国交断絶期間の「數至」と言うのは約3年程度というニュアンスですね。
そうなると「不絶」の方は「毎年」と言うように取れます。
この「數至」の間に「女王」から「男王」への交代があれば、
その理由が不詳とされることはありそうですね。
945 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:13:37
>>942 台与の最後がわからないとすれば、「其後復立男王」をどのように解したら
良いのか…。台与の最後がわからなければ、台与の後にまた女王が来た可能性
もあるので、このような書き方はしないと思うのだが。
この男王のことがわかっていたとすれば、当然、台与の最後も知っていたの
ではないか、つまり、男王が立ったとき、台与は死んでいなかったとの解釈
可能なのでは?
>>944 「並」は倭王となると同時に中国の爵位を受けたこと意味してるんじゃないの?
947 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:35:32
948 :
黄金虫:2007/05/03(木) 15:38:19
>>946 > 「並」は倭王となると同時に中国の爵位を受けたこと意味してるんじゃないの?
「親魏倭王」自体が「中国の爵位」
中国では王朝によって爵位制度が微妙に違うが、
基本的に「王」号は「公」「伯」などの序列上の最高位。
皇帝の子(皇子)や外藩国の首長に与えられることが多い。
同じ「王」といっても皇族王と藩屏国の王では全然別物だけど、
「倭王」が「中国の爵位」であることに違いはない。
冊封関係に無くても他国の首長が「王」と書かれることもあるし、
魏代中においても細かい変遷があるようなのだが、
そこまで詳しくはないので、これ以上質問されても答えられない。
あしからずw
949 :
黄金虫:2007/05/03(木) 15:48:39
>>947 > 卑弥呼のあと、つまり台与の前の男王も中国の爵命を受けたと思う?
梁書によれば受けるべき立場として扱われていると思いますが、実際にはどうでしょうかね。
在位年数によっては朝貢する間もなく臺與に替えられたわけで、その場合は×です。
魏志の張政も相手が居ないため、やむをえず難升米に告喩したりしてますから。
>>948 邪馬台国と同時期の狗奴国にも王がいた。
卑弥弓呼の王位も中国の爵位なの?
違うでしょ?
「並受中國爵命」は中国も追認・承認した事を表わしてるだけと見るべきだと思うが?
951 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:56:49
>>949 この男王が中国の爵命を受けていないとすれば、「並びに」は、台与とその
あとの男王にだけかかることになりますね。
>>947 卑弥呼の時も壹與の時も、塞曹掾史の張政が関与しているのだから、
当然、その間の男王の時代も関与していたと考えられる。
だとすれば、その男王の王位は中国公認のもので、爵命を受けていたことになる。
953 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 16:10:19
>>952 郡の塞曹掾史に過ぎない張政に、そのような権限があったとは思えないが。
954 :
黄金虫:2007/05/03(木) 16:13:16
>>950 >
>>948 > 邪馬台国と同時期の狗奴国にも王がいた。
あまり詳しくないので質問は勘弁してよw
伊都も「王」と書かれているよ。
前に書いたとおり、外国の首長を「王」と書くこともあるのさ。
これは慣用的に使われる「王」、「のようなもの」的表現なんでしょ。
もともと「皇帝」が出現する前は政治的には「王」が最高位。
それに中国側がそう表現しているだけで、自ら名乗ってるかどうかはわからない。
「自ら名乗る」と言うことは皇帝に叛くことでもあるので、
その場合は「僭称す」とか書かれる。
その後、実際に封じられれば、冊封前の状態を「自称」と書いたりしている。
> 卑弥弓呼の王位も中国の爵位なの?
> 違うでしょ?
違うよ。
> 「並受中國爵命」は中国も追認・承認した事を表わしてるだけと見るべきだと思うが?
だから「倭王」は「爵位」でしょう?
何か違うの?
955 :
黄金虫:2007/05/03(木) 16:15:44
>>951 >
>>949 > この男王が中国の爵命を受けていないとすれば、「並びに」は、台与とその
> あとの男王にだけかかることになりますね。
実際はともかく、文脈上は間の男王も含まれるように読みます。
956 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/03(木) 16:17:58
>>932 ではどうして箸墓の被葬者としてはっきりとその名が残るヤマトトトビモモソヒメは
大和朝廷側の記紀などに卑弥呼に類似した音で表されてはいないのだろうか。
それこそ「日巫女という代名詞でその名が残る」というかもしれないが
当時は甲骨占いなどは普通に行われており卑弥呼だけが特別だったわけではない。
日巫女という名称は当時の女シャーマンになら誰にでも当て嵌まっただろう。
しかしヒミコは「鬼道」といった特異な宗教的政治手腕を発揮し当時の人々をよくまとめ導いている。
それだけ重要な役割を担った姫ならヤマトトトビ・・ではなくヒミコめいた名として後世に伝えるため
例えば「おおひみこ」とかいう名でもって神として崇め奉っていくのが筋であり、それが記紀などに特筆されていて然るべきかと思う。
いわゆる「日の巫女」の中の「おお日の巫女」として。
957 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/03(木) 16:44:10
>>938中国の爵命を 並び受けるのは、台与と次の男王だと考えるのが普通。
「更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人」
とあるように国中が不服で千人以上が誅殺されるような当時としても大政変が起こるのであり、
相手を誅したとは書かれているものの大波乱である事にかわりは無く、このときの男王は責任を取らされたと見るのが普通ではないか。
二人の王がいるというのは政治混乱や謀反などの元であり、権力をわが身に集約しようと企むのが為政者の常なれば、
人々にかしずかれ、権力、財力、などがトヨなどという小娘に二分される事を嫌い謀反に加担し殺害されたか
そうでなくとも殺されたと見るのが妥当だろう。
958 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/05/03(木) 17:22:59
>>943 あくまでモモソが倭人伝に女王と記されることの可能性についての話。
クニグニは協議してヒミコを女王と立てたとはいえ、父の孝霊天皇や、
倭人伝にいう伊都国王などが男王と呼べるだろうというのに、それを差し置いて
倭人伝中でモモソが女王という名をほしいままにすることが果たして出来るのかどうか、
の説明の中で例としてあげただけの事。
箸墓の被葬者は女だという口伝は大きいな