♪邪馬台国ドンと来い♪ 13

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850日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:08:47
>>835
結婚したって...
神様じゃん。
しかも、何代か前の人物でしょう?
851日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:11:18
倭人伝には、卑弥呼には弟がいて、助けて国を治めると書かれている。
倭迹迹日百襲姫にはそんな弟がいるのか?

比べてみれば、すぐにわかる。二人は似ても似つかない。
852日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:11:30
なるほど、それで記紀には巫女を女王と書いているわけですね。
今日のプラム氏、冴えてますなあ。ガッテンがいきました。
853日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:17:00
>>851
彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)=伊聲耆
彦狭島命(ひこさしまのみこと、日子寤間命)=難升米
稚武彦命(わかたけひこのみこと) 吉備氏の祖。桃太郎のモデル?
854日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:17:21
>>850
だから、卑弥呼と倭迹迹日百襲姫のどこが似ている?

百襲姫は皇女。例えて言えば、清子元内親王とか島津貴子さんとか
そんな立場で、しかも、天皇もちゃんといるのに外国が女王と
言うのはありえない。
855日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:24:01
>>854
おまえには唖然。
おまえみたいな奴は、いくら邪馬台国=畿内説の決定的な証拠が
出されても、違うと言い張るんだろうな。
いや、別に良いんだよ、九州説を盛り上げてくれて。
じゃ、ないと、世間の注目が沈静化して、発掘調査資金が集まらないから。

でもね、本当は分かっているんだよ、もう。
今は言えないけど...そのうち明らかにしなきゃいかんから
メディアなどで小出しに情報を出してきている。
856日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:24:55
>>853
単に弟がいるかどうかではなくて、国を共に治めているような弟が
いるかどうかということ。
それよりも、何度も尋ねているけれども、二人の共通点は?
何を根拠に二人が同一人物というのかその理由が聞きたい。
857唐松山:2007/02/10(土) 18:28:07
卑弥呼=倭迹迹日百襲姫
是を認めるには、
崇神をオカマにして
源氏名 倭迹迹日百襲姫 これしか 考えつかん。
男王 なし。
858日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:34:34
>>856
おもいいきり、国を統治に関係していた人物じゃん。
859唐松山:2007/02/10(土) 18:46:39
マツラ から イト までの 道 (当時の1級国道か)
これさえ 獣道程度 崇神時代に 畿内崇神が 九州を 治めた
不可能
景行 が 九州王朝の要請で熊襲討伐 この時代に 卑弥呼
860日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:57:18
本居宣長の偽僭説にまさるものはないな。
861日本@名無史さん:2007/02/10(土) 19:46:55
>>855
倭人伝の邪馬台国と畿内って距離も方角もちがうのに
何がどう関係してるのかわかりません。
バカなボクに教えて下さい。
862日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:00:17
>>861wプラ国お得意馬鹿きゃら
863日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:01:02
>>832
実名を伝えたのを、向こうの係官が適当な文字で表したと考えるのが穏当でしょう。

>>837
国際儀礼に背いて、女王の実名も知らないような下っ端を派遣して、非常識な申告を
行わせたと仮定するのは無理があるでしょう。
864日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:06:23
>>851
必然的に実年代も異なることになりますな。
865日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:20:29
邪馬台国論
地政学的見地からみた裏日本地図
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/31289979.html
866日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:26:39
俺の手元にある岩波日本書紀では卑弥呼は神功皇后と同じ時代だ。
従って卑弥呼は神功皇后である。
867日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:53:19
>>865
とりあえず そいつが「地政学」の意味を知らない事はわかった
868太国:2007/02/10(土) 20:53:30
>>866
違うよ。確かに神功の時代にかぶってはいるが別人。
だって、倭人伝と記紀の年数でない記録内容がほぼ合わない。
869日本@名無史さん:2007/02/10(土) 21:25:20
太国さんこんばんわ。>>866です。
>>866は畿内論者への皮肉ですので。

自分は神功皇后はもう少し後の時代だと考えます。
卑弥呼と同時代なのは神武だと私見してます。
870プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/10(土) 22:33:36
>>863

>国際儀礼に背いて、女王の実名も知らないような下っ端を派遣して、非常識な申告を
行わせたと仮定するのは無理があるでしょう。

『壹與は人名ではない』
壹與の文字は中国漢籍に書かれた漢字で、これを読むのも漢人です。
もしこれが「イヨ」という倭語名をランダムに漢字に当て嵌めたとしたら
構成の漢人読み人は『壹與』の文字に困惑する事でしょう。

日本語で(はし)は様々なものを表現しますが、漢字は【箸、橋、端・・・】と、表現するものによって
文字が区別されています。しかし日本語はそれらを「はし」と統一されているのです。

漢語『壹與』の文字は、魏志倭人伝が編纂される以前から、漢籍文に当用されています。
すると、その漢籍に当用されている『壹與』は倭人伝に記述されている『壹與』と同じ(人名)となってしまいます
『ソンナバカな』現象が発生してしまうのです。

【有詔許使者五日(壹 與)太守問起居・・・・・・】

(漢書/列傳/卷七十二)

【・・・ 壹與之齊・・・】

(断句十三経経文)

871一応九州王朝説:2007/02/10(土) 23:56:20
>>870
もう少し同ケースを増やさないと苦しいと思うんだが。

それに、親魏倭王の印綬を与え、さなぎだに緊迫した情勢下で
下賜品まで与え、朝貢貿易の体裁を与えたのに、王を間違える
わけがない。
女王なんて、中国の方が遥かに太古の話なんだけどな?
確かに母親の方は女だてらに意富夜麻登の称号を与えられてい
るが、それは母親の話。私的には、九州王朝に近い吉備の姫で
あり、称号と共に吉備からの物的援助があった故と思うんだが。
モモソヒメ=卑弥呼なら、そんな称号のひとつもあってバチはあた
るまい?なんといっても大乱の末共立された女王なんだから。
872プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 00:18:27
>>871

言ってる意味がよく解らない。
873日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:35:04
>>872

それは貴様がバカだからだ。
874日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:36:27
>>870
「臺」の単なる誤刻ではないかと思いますが。
875日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:37:00
>>873
興奮して中身を撒き散らさないように。
876日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:51:05
>>872
興奮して精液を撒き散らさないように。
877恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/11(日) 01:04:02
>>872
>言ってる意味がよく解らない。

珍しくあんたと同意見だ。
>>871の方には、人に意思を伝える国語能力に欠陥があるとしかいえない。
878日本@名無史さん:2007/02/11(日) 01:06:23
セックス
セックス
セックス
879恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/11(日) 01:12:45
>>863
>実名を伝えたのを、向こうの係官が適当な文字で表したと考えるのが穏当でしょう。

アンタだって、外国人に日本の象徴は誰ですかと聞かれたら「天皇」と答えるだろう。
それとも実名で答えれるかねアンタ!

邪馬台国当時は国際儀礼なんて、未開国の日本はロクに知らないよ。
その当時、日本の新興国が入れ替わり立ち代り、中国に挨拶してたのを知らないの。
邪馬台国でさえ、台与の時代から先は歴史の闇に消えてるんだぜ。
880日本@名無史さん:2007/02/11(日) 01:16:50
>>877の方には、人に意思を伝える国語能力に欠陥があるとしかいえない。
881九州出身:2007/02/11(日) 01:56:11
>>837>>870 プラムさんへ
なぜ『壹與は人名ではない』 といえる?
882日本@名無史さん:2007/02/11(日) 02:04:25
>>881
プラムさんではないが、>>870を読んでその質問はないだろ。
壹與は人名ではないという根拠が>>870なんだから
883日本@名無史さん:2007/02/11(日) 02:17:26
>>879
自分自身のようなチンピラを念頭において物事を推し量ろうとする悪い癖を改めるように。

女王国連合の浮沈を賭けた重要な頼み事をするために行ったのだから、常識的に考えて、
使節団のメンバーは、それにふさわしい身分・地位と見識を持った人物が選ばれたと考えるのが
妥当だし、国際儀礼に関しても、多少なりとも使者の行き来があったのだから、最低限の
常識程度は当たり前のように弁えていたと考えるのが妥当。
あまりに非常識では、頼み事を聞き入れてもらえるどころか、門前払いを食らうのが落ち。
884九州出身:2007/02/11(日) 03:28:53
>>881は削除

なるほど・・・>>870
>漢語『壹與』の文字は、魏志倭人伝が編纂される以前から、漢籍文に当用されています。

↑凄い発見だ。最近のプラムは冴えてるが、嫌われてるよね(笑)

みなさん>>839みてよ。こうゆうのが嫌われる原因。


885日本@名無史さん:2007/02/11(日) 07:02:29
有詔許 使者 五日壹 與太守 問起居
詔有りて許す。使者 五日に壹(ひと)たび 太守と(與)起居を問う。

【・・・ 壹 與之齊・・・】
壹たび之と(與)齊すれば、終身改めず。故に夫死するも嫁せず。

與=〜と、〜と共に
886日本@名無史さん:2007/02/11(日) 08:50:43
卑弥呼は天照大神。
卑弥呼は、(親魏)倭王。天照大神は高天原を治める主神。
立場的に、これ以上ぴったり来る人物はいない。

卑弥呼は実名ではないかと思う。
倭人伝には、皇帝が卑弥呼に送った詔書に「親魏倭王・卑弥呼に制詔す。
(中略)これは汝の忠孝である…」と書かれているわけで、
魏の立場からすると、官職の名前ではなく実名と捉えていたのでは
ないかと思う。

ただ、卑弥呼と伝えたのは、倭国の人間のはずだから、自分の王を
名前で言ったかどうかはわからないのだが。

壱與(台與)については王になる前だから、まず実名であると思うが。
887九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/11(日) 09:58:58
卑弥呼も実名だしトヨも実名だと思う。役名で呼ぶなら女王卑弥呼、何々トヨ、と記さないと読む側に誤解を与える。
第一、役名だったと捉えると、実名はなんだったのかという疑問が残る。確かに時として外国人には勘違いが起こる。
例えば、カナダという国名はもともと集落を表すカナートだし、ブリキはブロックを包んでいたトタン板だった。
勘違いで今日本ではトタン板をブロック、つまりブリキと呼んでしまっているが。
888太国:2007/02/11(日) 10:16:08
>>886
卑弥呼はアマテラスにあらず。双方の記録を見れば合っちゃぁ
いないんだから、別人だ。
五男三女神からして、卑弥呼にイヨの他もう2人女の明確な記述が
ありもしない。つまりイコールにはならない。
889日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:20:47
アホナ理論だなw
890日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:23:38
イヨタン・・・・
891プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 10:31:13
『臺與でも、人名に非ず』

湖南氏の時代はともかく、我々の時代は中国正史を全て検索出来る環境にある。その恵まれた環境を無視し、「あ〜だこ〜だ」 語ることは 取り組む姿勢が歪んでいまいか?

参考までに、
『臺與』の文字も
「漢書用例」を含め、二十五史内に 18例を数える

つまり、『壹與』にしろ『臺與』にしろ
間違っても人名で無いことの根拠とします。


古代漢籍解析は、ひたすら地道な作業の繰り返し、つまらん歴史観等持ち込む余地無しです。
892プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 10:43:24
>>887


>実名はなんだったのか?

それを語る前に、当時列島に、名前が存在していたかどおかの検証証明をし、それを仮説にしてからの作業だろう。
それをせずして
「あ〜だこ〜だ」言った所で 所詮主婦の井戸端会議にすぎない。

ソロソロ感想文議論を卒業されたらどおだろうか?
貴方に新しい世界が広がりますよ!
893プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 11:16:33
>>885

和訳サンクスです。


>與 〜と、〜と共に
●この『與』の扱いはかなり難易度の高い文字、辞書掲載活用の他にも多数の 使途があるようです。

●(〜と)の例
※ 知可以戦“與”不可以戦者勝
〈訳〉(戦えると戦えないとを理解する者が勝利する)

●(〜と共に)の例
※礼“與”俗化
訳(礼制度は世俗とともに変化する)
894日本@名無史さん:2007/02/11(日) 11:28:16
>>888
古代では、尊い人物がなくなることを「岩戸に隠れる」と言っていた。
天照大神は、岩戸に隠れる前と隠れるあとでは違う人物。
つまり、岩戸に隠れる前が卑弥呼で、岩戸を出てからが壱与となる。

天照大神はスサノオの乱暴に怒って岩戸に隠れる。
卑弥呼は狗奴国との対立の最中に亡くなる。

天照大神が亡くなると、高天原は真っ暗闇になる。
卑弥呼が亡くなると、跡継ぎをめぐり戦乱となり、千人あまりを殺しあう。

天照大神が岩戸を出ると高天原は明るくなる。やがて高皇産霊尊が登場する。
壱与が女王になると平和になる。やがて男王が立ち、中国の爵命を並び受ける。

これだけ似ていれば、同一人物と思うほかはない。
895九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/11(日) 11:39:28
>>892 それを語る前に、当時列島に、名前が存在していたかどおかの検証証明

それはあって当たり前でしょう。ヒミコ、トヨという官職名があって、名がないということは考えられない。
天皇にもそれぞれ名がある。いくら原始時代でも名前を呼ぶコミュニケぐらいは無いと、集団で狩をする事も出来ない。
ネアンデルタール人まで遡るとアーとか、ウーとかしかいえなかったが。
896太国:2007/02/11(日) 11:47:06
>>894
貴殿の主張は、結局

天照大御神=卑弥呼=壹与

であり、誰かが 神武=崇神=應神 と言ってたのと似たようなものと
なり、探偵小説のようで許容できない。

今三重の伊勢に祀られる日神の女系とは宗方三神であり、これは壹与
ではない。こういう「三重過縄文」は乱歩の「悪魔の紋章」の見過ぎに
想えてしまう。
897プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 11:48:48
>>895

>考えられない


個人的な主観が通用するほど、この世界は甘くないよ! 主観を状況証拠、物証なりで現実の世界に引きずり出さなくてば……


歴史小説を元ネタに、歴史談義をするようなモノ
当時、列島に名前が存在していたことを証明するには、同時代に書かれた書物を虱潰すべし。
898日本@名無史さん:2007/02/11(日) 12:08:16
卑弥呼と壹与という二代続けて女王が日本にいた事は魏志倭人伝以外に
も隋・唐の基本的理解・大原則である。二人とも、中国に朝貢をしているのである。
記紀にそれはどこにあてはまるというのか?
899九州ですが ◆uZFVMLIhZI
>>897
というか、ヒミコとかトヨというのが名前ではないという説の方が初めて聞いたんだけれども。
トヨは女王の立場に着いたんだよね。だったら、いわゆる「トヨ」というのは女王以外、どんな官職を指すわけ?
それを証明する方が先じゃない?それがないなら普通に考えて一般に言われているように名前だととるのが正論じゃないかな。
倭人伝には「官名を何々という」というのがあるでしょう。
そこまで書くなら、重要人物に対してはさらに詳しく書くのが道理でしょう。