謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1神奈川県民
女王 卑弥呼とはいったい誰なのか?神功皇后説、熊襲の女酋説、甕依姫説、
倭姫説、倭迹迹日百襲姫説、下照姫説、天照大神説、日女命説、
意富夜麻登久邇阿礼姫説と卑弥呼の候補者は多い!
また、邪馬台国とはどこにあり、日本神話や古代王朝との関係は?
古代史の謎を解きあかせ!

謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!(前スレ)
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1167480597/l50
魏志倭人伝
http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
◆邪馬台国は大和朝廷になったのか?◆PART21
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1158393228/
ここだけ邪馬台国に時空移動しているスレ
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1133558512/
♪邪馬台国、ドンと来い♪ 12
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1168400239/
卑弥呼の墓か 福岡で円墳確認
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1049205072/
卑弥呼
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1122002251/
2神奈川県民:2007/01/14(日) 16:27:53
魏志倭人伝(現代語訳)
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm
3日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:31:51
卑弥呼は史上初のゲイ
4神奈川県民:2007/01/14(日) 16:40:05
三国史 魏志倭人伝によるとこの国(日本・倭国)には卑弥呼・豊与という女王がいた。
しかし日本史側の資料(記紀)によるとその名はなく迷宮入りされてる。
そこで諸君による論争にて決着つけようではないか!

幻の国「邪馬台国」はどこなんだ!古代史の謎に包まれたベールを暴いてくれ!
5九州出身:2007/01/14(日) 16:45:11
卑弥呼=天照大御神  豊与=豊受大神

邪馬台国は、
コンパスを片手に持ち、邪馬台国、九州説で考える。
まず全体的な距離だが
「郡より女王國に至ること萬二千余里」「北岸狗邪韓國に至る七千余里」
だから韓国の端から五千余里となる。
七千余里=約525Km 五千余里=約375Km 萬二千余里=約900Km

次に邪馬台国の方角及び国々へ距離だが
「対馬國から南に海を渡ること千余里、一大國に至る」
「又海を渡ること千余里、末盧國に至る」
「東南に陸行して、陸行五百里、伊都國に至る」
「東南、奴國に至ること百里」「東行して不彌國に至ること百里」
「南のかた投馬國に至る。水行二十日」
「南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。」

まず対馬國(対馬)からの方角が表れるが南南東の方角を「南」と記す。
地図を用意しその方向に沿っていくと不彌國が筑紫野らへんになる。
ここから問題だが、クネクネした川・海を南南東(南)へ
水行二十日いくと投馬國(熊本らへん)に至る。
投馬國から南南東(南)へ水行十日、陸行一月クネクネした川・海をいくと
女王の都とする邪馬台国があるらしい。

日本地図を用い、韓国の端〜約375Kmの地点を支点にコンパスでなぞる。
投馬國から南南東方向と交差した点が君の探してる幻の国じゃないか?

日向、西都原、高千穂らへんになったか? (^.-)
今日の授業はここまでだ。異論ある奴は一生探してろっ!アッハハ
6神奈川県民:2007/01/14(日) 16:54:22
>>5
丹波国の宇那比姫命(うなびひめのみこと)はどう?

『京都府宮津市『籠(この)神社』に、『海部(あまべ)氏勘注系図』と呼ばれる国宝がある。
この系図に、初代彦火明から数えて七代目、すなわち六世孫建田勢命(たけだせのみこと)と並べて、尊大な名を持つ一人の女性を記す。

宇那比姫命(うなびひめのみこと)、天造日女命(あめつくるひめみこと)、大倭姫(おおやまとひめ)、竹野姫(たけのひめ)、大海靈姫命(おおあまのひるめひめのみこと)、日女命(ひめみこと)である。

最初に目に付くのは、大倭姫である。
地方豪族の姫の名にしては、あまりにも尊大である。
興味深いのは、大海靈姫命の、靈(ひるめ)である。
ご存知のように『魏志倭人伝』は、卑弥呼が『鬼道を事とし』として、卑弥呼の巫女(みこ)的要素をうかがわせる。
この名もまた靈姫(ひるめひめ)すなわち巫女姫(みこひめ)なのである。
最後極めつけは日女命(ひめみこと)である。
魏の使者が漢字で音を表記すれば、卑弥呼としても不思議はない。

天造日女命、大倭姫、大海靈姫ときて、日女命とくれば、この人は間違いなく卑弥呼でしょう。あなたはどう思われますか。

この国宝は真っ赤な偽系図、それとも史実の一端を伝えるのか。あなたのご意見をお聞かせください。
http://www.rekishi.info/bbs/rekishi/20040430013634.html
7日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:57:00
神奈川県民さんへ

新しくパート2が出来ましたね。今後ともよろしくお願いします。
8九州出身:2007/01/14(日) 17:04:57
>>6
うそに決まってる!

第一、宇那比姫命って末裔(妹)だよね?ちゃんとちゃ〜んと先代旧事本紀読んだ?
魏志倭人伝によりと卑弥呼には弟がいて政治を助けてたとある。それに時代が違う!!
よって別な人物になる。

宇那比姫命は卑弥呼より豊与のほうが関係あるんやない?丹波やし
9神奈川県民:2007/01/14(日) 17:15:15
>>7
こちらこそよろしくです。
>>8
そこを突かれると痛いです。
しかしこれ以外ないと僕の中では思ってます。
10日本@名無史さん:2007/01/14(日) 17:37:08
在位期間のハッキリしない応神以前の天皇を歴代天皇や中国、西洋の王の
在位期間を元に平均を算出すると、欠史八代を含めて全員存在したとしても
神武の在位期間は280〜290年頃までにしかならないらしい。
神武の5代前がアマテラスだから、実年代に合わせるとちょうと卑弥呼が
いた時期と重なる。
邪馬台国東遷説、神武東征伝説と合わせて考えると面白いかも。
もし八咫鏡が魏製だったら史実認定してもいいかも。まあ確認するのは無理だけど。
11日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:59:24
>>5
>卑弥呼=天照大御神  豊与=豊受大神
>>8
>卑弥呼より豊与のほうが

「豊与」??
12征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/14(日) 19:05:37
宇那比姫命と卑弥呼の時代は同一ですよ
13日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:04:54
>>4
トヨは記紀に出てるんじゃねえの?
山幸彦のかみさんで、神武のばあちゃんじゃなかったっけ?
14よんまる:2007/01/14(日) 21:08:39
>>13
トヨのつく名前は多い
15日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:28:39
>>10 :日本@名無史さん :2007/01/14(日) 17:37:08
>在位期間のハッキリしない応神以前の天皇を歴代天皇や中国、西洋の王の
>在位期間を元に平均を算出すると、欠史八代を含めて全員存在したとしても
>神武の在位期間は280〜290年頃までにしかならないらしい。

その説は無茶苦茶。信じないほうが良い。
安本とかいう心理学専門の歴史愛好家(専門家ではない)
16日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:32:32
「よんまる」さんって、新コテ??
17プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/14(日) 23:00:49
壹與と書かれたモノが(豊与)に変化してしまう
不思議な国(日本)
18征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/14(日) 23:57:10
壹と書かれたモノが臺に変化してしまう不思議の国の話から始めなければ


本当は壹が正しかったが、後世の倭人の都合で臺が正しい事にして進言したとか

ま、作文の領域ですかね
19日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:07:01
>>18
そうとは言えないだろう?
あれは、魏略の原文に何と書いてあったのか?という問題だよ。
魏志には、「壹」と書いてあるけど、それ以外は殆ど「臺」と書いてある。
これらは全部、魏略を参考にしていると見られているので
「臺」のほうが有力じゃね〜のか?って話だ。
20征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/15(月) 00:31:27
本当は臺が正しかったが、当世の漢人の都合で壹が正しい事にして書き記した

なんでも良いですけどね

決め手がある訳じゃないですから
21古田2世:2007/01/15(月) 08:12:52
壱が正しい。
魏志倭人伝に邪馬壱国と記載されていたのであるが、他の諸本が邪馬台国
であったので壱は台の誤写か誤記であるとされ、台に訂正されたのであるが其のとき、では壱与の壱も同じく誤写か誤記であろうとされついでに台与と
訂正されたのである。
22プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 10:37:11
「臺と壹」の問題はこれからも暫く平行線が続くと考えるし、ここでとやかく論じた所で……。

その前に、「豊」を(トヨ)と音する事自体不思議なんだけど。(ブン)だよ
トヨの文字は「豐」で、全く違う文字。「豊と豐」を同一視したのは後世のお話しで、古代はきちんと区別されていた。
「豊」は(ブン)
「豐」は(トヨ)と、
23日本@名無史さん :2007/01/15(月) 12:19:30
古代は母音が8つ
あいうえお→ あ ウイ イ う イエ エ ウオ オ

壹 はどう読むのかな?
ういち、いち

火 → フィ 日 → ヒィ

誰か詳しい人スレ頼む。 
24プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 12:30:53
>母音は八つ


五つだよ(あいうえお)


>壹


辞書に書いてある通りでいいんだよ。後はケースバイケース 「壹」は(イチ)(イ)で十分かと
正確な漢語音は別として話だけど。
25九州出身:2007/01/15(月) 19:39:11
>>11>>17->>24
おれが5で豊与としたのは神奈川県民さんの4をコピーしたからです。文句は其方へ。

壹與が正解です。
26日本@名無史さん:2007/01/15(月) 19:50:00
セックスレスの欲求不満でおんながみんな凶暴化している。

スサノオのファルセットで男は皆萌えている。
27一応九州王朝説:2007/01/15(月) 19:53:28
[a][i][u][e][o][ï][ü][ö] の8つが定説ですが・・・。

5音の根拠は何でしょうか。
28九州出身:2007/01/15(月) 20:12:48
魏志倭人伝に記されるこの人等は誰?

卑狗、卑奴母離、亦卑狗、爾支、泄謨觚・柄渠觚、シ馬觚、多模、彌彌、彌彌那利、伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳テ、狗古智卑狗、大夫難升米、牛利。


九州説、畿内説の人達、発言よろしく!
29プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 20:16:57
>>27

>5音の根拠は何でしょうか

言意(方向性)からです。
それに母音とは、子(子音)を生み出すから母(母音)と言うんですよ
八つの母音から何が生まれますか?

>[a][i][u][e][o][ï][ü][ö] の8つが定説ですが・・・。

大変お粗末な定説ですね。
八つの母音を定説と唱える学者は音のみ重視し、肝心の『言意』に辿りつけない
片手落ち。 意味があるから法則が成立するのに・・・・
30一応九州王朝説:2007/01/15(月) 21:01:12
うーん。お粗末とまで断定するのはちょっと・・・。
音のみの人ばかりでもないですし。
それに、「言意」というのも知りませんが(言語学専門でもないので)、
何の用語でしょうか。

まあ、読み方についても古代朝鮮語がまず不明、由来するところの日本語も
わからないし、中国も事情は同じくで、古代中国語の読みについても端緒に
ついたばかりという現状では、あまり深入りも論拠にも出来ないですがねw
31プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 21:03:06
>>28

>魏志倭人伝に記されるこの人等は誰?

卑狗、卑奴母離、亦卑狗、爾支、泄謨觚・柄渠觚、シ馬觚、多模、彌彌、彌彌那利、伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳テ、狗古智卑狗、大夫難升米、牛利。


誰?と言う前に、名詞じゃないよ   職称や役割を形容化し、漢人に意味の解るように漢字表記されたもの
32九州出身:2007/01/15(月) 21:08:13
一応九州王朝説さんへ
あなたは九州説だそうですが、卑弥呼は誰と思ってる?
33九州出身:2007/01/15(月) 21:10:11
>>31
プラム氏は卑弥呼を誰と思ってるんですか?(依然聞いてたらすまそ)
34九州出身:2007/01/15(月) 21:14:44
>>30-31
卑弥呼はひみこ 台与はとよ ひく、ひなもり・・・・大方はこんな感じだよね?

そこで・・・
ひく、ひなもり・・・とかの名前は記紀のどこさがしてもでてこないんだけど何故?
35プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 21:21:33
>>30

>うーん。お粗末とまで断定するのはちょっと・・・。
音のみの人ばかりでもないですし。
それに、「言意」というのも知りませんが(言語学専門でもないので)、
何の用語でしょうか。

まあ、読み方についても古代朝鮮語がまず不明、由来するところの日本語も
わからないし、中国も事情は同じくで、古代中国語の読みについても端緒に
ついたばかりという現状では、あまり深入りも論拠にも出来ないですがねw


私達は、自分の意志を有るものに変えて相手に伝えます。其の一つが(音)です。
音は意思を伝達しようとする時には、必ず意味を含んでいるということ
「あ」と言う音にて、何かを伝える時には必ず意味があり、それを法則化したのが
(五つの母音/五つの方向性)です。
この五つに時間を加えたものが(子音)となります。
36プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 21:27:13
>>33

>プラム氏は卑弥呼を誰と思ってるんですか?(依然聞いてたらすまそ)

卑弥呼も職称と考えますので人物を特定することは困難な状況
今、海の三女神に大変興味をもっています。
倭人伝にても卑弥呼は最低2人登場しますので・・・(壱與)は別ですよ
37九州出身:2007/01/15(月) 21:45:52
職称か名かはそんな重要ですかね?「ひみこ」と呼ばれてた人のことですよ。
「海の三女神(宗像三女神)」スか。宇佐八幡宮の比売大神ですよね。
宇佐神宮は応神天皇が御祭神として祭られてるがそれ以前は、宗像三女神だったと認識あります。
倭人伝に卑弥呼が二人以上登場って初聞きです。詳しく聞きたいですね。
38九州出身:2007/01/15(月) 21:50:36
>>36
宇佐八幡宮(宗像三女神)は邪馬台国と対立した豪族(大和朝廷)が祭ったものという説もありますがどう思います?
39一応九州王朝説:2007/01/15(月) 21:55:07
私もよくわかりませんw
大国主と同じく、卑弥呼も職名の気もするし。日の巫女、フィミカ、・・・。

ただ、ろくに掘ってもいない箸墓を卑弥呼の墓とするなら、平原1号女王など
の方が遥かに可能性は高い。
いくら三国時代風雲急を告げると言っても、畿内でそんな危急存亡の秋とは、
ちょっとね。琉球や、もしかすると九州本島にまで呉の奴隷狩りが来たかもし
れず、半島とも隣接して複雑な政治状況下にある九州の方が、大国でもない倭
国が何度も国力を挙げて朝貢した必然性は高いですから。

また、大乱を鎮め、鬼道を持って君臨し、超大国から親魏倭王の称号まで手に
したエポックメイキングな存在が、神功皇后などではあり得ない。時代的にも
合わないし、アマテラスか、ヒメ大神か。モモソヒメやヤマトヒメでも物足り
なさすぎるし。アマテラスとするなら、なんで宇佐八幡への宗旨替えをすると
きに伊勢へもお伺いを立てるのかよくわからない。宇佐の主神がトヨなのか、
あるいはそちらが卑弥呼で、アマテラス(アマテル)は男だったのか。
40一応九州王朝説:2007/01/15(月) 22:03:55
>宇佐八幡宮の比売大神ですよね

まだ確定していないです。
それと、今でも主神が応神かどうかもわかりませんね。真ん中じゃ
ないですからw
もし、国東仏教王国が大和朝廷の手になるものなら、遥か後世聖徳
太子の伝はなんなのかとなる。なんでそんな重大事が記紀に明記さ
れないのか。元々疎遠だった伊勢は、八幡(八万)への宗旨替えに
よりほとんど見向きもされない禁足地とされます。明治天皇も内宮
には入ってなかったはず。一方八幡には、男山八幡はじめ煩雑に行
幸しています。天皇という祭祀が神仏混合の八幡を祀るわけですか
ら、それなりの詳細な記述があってもいいものを。

果たして応神というのはヤマトの王なのでしょうか?
41プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 22:09:42
>>37

>倭人伝に卑弥呼が二人以上登場って初聞きです。詳しく聞きたいですね。

まずは
【其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
乃共立一女子爲王名曰(卑彌呼)事鬼道能惑衆年已長大・・・】この一文が後漢時である
ことは理解できますね?
後漢時の段階で(卑弥呼)と記載されているのに、景初二年六月の記事では『倭女王』で、卑弥呼の文字が
記載されておらず、卑弥呼の文字が再登場するのは、景初二年十二月【詔書報倭女王曰:「制詔親魏倭王卑彌呼】
なのです。

これがまず一つ目の理由です。 あといくつかの検証材料がありますが後ほどゆるりと
42プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 22:13:44
>>39 一応九州王朝さん

>ただ、ろくに掘ってもいない箸墓を卑弥呼の墓とするなら、平原1号女王など
の方が遥かに可能性は高い。


同意です。
43プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 22:24:07
宇佐八幡宮は八幡総本山とされていますが、後からの縁起によって奉り上げられた
眉唾八幡宮かと考えます。

『伊美別宮社』は近くの(総本山と言われる)宇佐から分霊せず、わざわざ岩清水八幡宮からの分霊を迎えました。
どうしてでしょう?
44日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:24:50
記紀によると、東征のとき、神武天皇は、最初に宇佐に立ち寄る。
まあ、これはいいとして、次に岡田宮(岡水門)に立ち寄る。
岡田宮は、宗像あたりだとされるが、これは回り道でなんか不自然な経路になる。

比売大神が宗像の三女神とすれば、くしくも宇佐も宗像もこれを祀ってある。

では、宗像の三女神は誰かと言うと、これは天の安の河の誓約のとき、
須佐之男命の剣を天照大神が噛み砕いて、天に吹き出したときに生まれた女神で、
結局、須佐之男命の子となった。

これをどのように考えるか。

ところで、豊の国から台与(壱与)を連想する人は多いが、ヒノクニから
ヒノミコ→ヒミコを連想する人はほとんどいないなあ。
45一応九州王朝説:2007/01/15(月) 22:30:27
肥の国=火の国と誰しも思うから

漫画「ヤマタイカ」では火の巫女だったけど。
卑弥呼のヒは「日」と考える方が多いからでしょう。でかい鏡とか、高祖山
連峰と季節の関係、とか。弥生の女王だから農業の神さんだし、日食の話も
連想しやすい。
46九州出身:2007/01/15(月) 22:33:32
比売大神 宗像の三女神の誰かと宇佐氏が結婚したって何かの本でみたような記憶がある。
47日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:40:07
まあ、卑弥呼が日の御子とか日の巫女とかから来ているとしたら、これは天照大神
とかぶってくる。けれども、卑弥呼は火の巫女であってもいいわけだけどね。

畿内説などは、当然のごとく、卑弥呼=天照大神を否定しながら、やっぱり
意識しているのかもしれない。

それとも、熊本が邪馬台国であることなど考えられないと言うわけかな。
結局、名前の類似性というのは、都合の良いときに持ち出すものらしい。
48プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 22:40:51
>>45

>肥の国=火の国と誰しも思うから

漫画「ヤマタイカ」では火の巫女だったけど。
卑弥呼のヒは「日」と考える方が多いからでしょう。でかい鏡とか、高祖山
連峰と季節の関係、とか。弥生の女王だから農業の神さんだし、日食の話も
連想しやすい。


『日の国』と『火の国』の違いが解りますか?
49日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:42:11
肥はクマと読むって説もあるね。クマは神。
50プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 22:48:07
>>47

>まあ、卑弥呼が日の御子とか日の巫女とかから来ているとしたら、これは天照大神
とかぶってくる。けれども、卑弥呼は火の巫女であってもいいわけだけどね。


火の巫女と日の巫女ではぜんぜん違う。
その辺の誤認識が後世(肥後・ヒゴ)=火の国などと誤解している。正式には『日の国』
51九州出身:2007/01/15(月) 22:49:29
>>39
平原古墳は卑弥呼の墓とする人はかなり多いよね。

>>41
卑弥呼があまりにも長生きしてるから?!私の考えでは卑弥呼は一人です。天照大御神は二人居ますが・・
52九州出身:2007/01/15(月) 22:52:43
>>43
それは初聞きです。訳は私にもわかりません。
53征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/15(月) 22:54:46
卑弥呼と天照大神が同一神格/人格だとしても
年代的には天照大神の五世孫が神武天皇だとするような事は成り立たないと云うだけの事です


卑弥呼が死んだ時の天皇は崇神天皇に設計されている訳ですから
54太国:2007/01/15(月) 22:57:03
征東大将軍さん
貴殿は畿内説論者なんですか?
55一応九州王朝説:2007/01/15(月) 23:00:15
えーと、熊本と筑紫とどちらが水田耕作に適していたかという話
ですかね?
雲仙・阿蘇・霧島などに囲まれて、火を司りコントロールしたと
いう事で「火の国の巫女」という可能性もありますが。普賢岳、
妙見岳などいかにも巫女のいます霊山という感じです。

しかしながら、太陽の運行は一定であり、暦などの知識を持って
いればいいわけですが、火山は到底コントロール出来そうもあり
ませんね。天孫降臨が除福や大陸からの流入という説もあります
が、気象天文の知識豊富な中国のインテリでも、現代でも予測で
きない火山は手に余ります・・・。
56プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 23:01:40
>>51

就任時既に(年已長大)な人が、そこからなお50〜60年ですか?
57日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:09:05
>>56
就任時にすでに長大とはどこにも書いてない。
卑弥呼が使いを送った後に、帯方郡から使者がやってきたわけだから、
そのときに長大な年齢と言うわけだろう。
だから、壱与が女王になったのと同じくらいの十代前半の年齢である可能性が高い。
58プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 23:10:33
>>55

肥後は(ヒゴ)  『火の国』は(ひの国)ではなく(ホの国)と読みます。
肥後は(日)(ひの国)であり、太陽の恵みの恩恵によく肥えた土地
決して火山灰による痩せた土地では有りません。
59日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:10:58
長大の意味もまだ確定していない・・・
60九州出身:2007/01/15(月) 23:13:52
皆さんへ
卑弥呼は卑弥呼説はどうですか?
昨日読んだ本によると『「古代日本」誕生の謎(武光 誠)』、
九州山門周辺に魏志倭人伝に記されてる女王国が有り都を邪馬台国といわれた。
連合国の範囲はかなり小さく女王国(邪馬台国)は山門周辺。
女王国の北に一大率、南に狗奴国。
邪馬台国は大和朝廷と敵対してたから記紀に何も記されず(景行天皇の九州征討?!)
九州台与以降に大和朝廷に滅ぼされ連合国は分裂し朝廷に併合されていったとある。


61一応九州王朝説:2007/01/15(月) 23:19:37
ああ、それ読んだよ。専門家じゃないから深みがない。

どっかいっちゃったから、また読んだらレスしましょう。

62九州出身:2007/01/15(月) 23:20:13
>>56
私も>>57と同じ意見です。
63プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 23:20:50
>>57

桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁
(後漢書)


其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王
名曰卑彌呼鬼道能惑衆年已長大
(魏志倭人伝)

あとは自主判断して下さい。


>卑弥呼が使いを送った後に、帯方郡から使者がやってきたわけだから、
そのときに長大な年齢と言うわけだろう。

設定時系列が違うでしょう。
後漢時の記事に現在の年齢記載してどうするの?

64日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:27:28
私は安本美典の説に賛同する。
邪馬台国の事で一番まともで説得力のある説を語るのは安本だろ。
あと森浩一も安本の説に賛同している一人。
安本や森の決定的なところは常に証拠となる数字で示すところ。

よって、邪馬台国は2〜3世紀の北九州にあり、卑弥呼は天照大御神。
従って邪馬台国は高天原。
3世紀末〜4世紀初にかけて神武東征により、邪馬台国の拠点は畿内に移り
やがて「大和」と呼ばれた。

古事記に登場する地名は殆どが九州の地名、次が出雲。
ちなみに畿内論者はこの説明をしない。


65征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/15(月) 23:34:43
今のところは邪馬台国の所在地は九州とそれ以外でfifty-fiftyですが
卑弥呼の墓の所在地は書紀の箸墓である可能性が高いと考え居ます


卑弥呼の墓畿内説でしょうか
66プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/15(月) 23:38:57
「年已長大」


直訳すれば、「歳、既に長大」でアル。
詰まり、「年已長大」を“適切”に翻訳スルと「女王に即位スル平均的な年齢を遥かに越えてイル」という意味解釈にナル。「已」は“女王という制度”が既に存在していた
女王卑彌呼が最初に登場して来るのは「漢末以来立女王」(南斉書東夷伝倭国)と記されてイル通り、後漢末期。

『後漢書倭伝』に女王卑彌呼は「年長」と記録されてイルから、当時、彼女は五○歳以上だった
67日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:44:29
>>63
歴史書と言うのは、その国が終わってからでないと書けない。
三国志は三国時代が終わってから編纂される。
だから、いろんな記録が錯綜としている。

倭国の大乱は後漢の時代だから、その頃女王になった卑弥呼の状況は
よく判らないと思う。鬼道を事とし、衆をよく惑わすと言うような
細かなことは実際に来た人でなければわからない。

そういう意味からすると、正始元年の梯儁が倭国にやってきているわけだから
そのときの記録が卑弥呼登場のときに書かれたと思う。

仮に、卑弥呼が二人以上いて、しかも、卑弥呼が女王になったときからいろんな
情報が中国に伝わっていたとしたら、卑弥呼が交代したことも記録に残って
いなければならないと思う。しかし、中国の歴史書でそれが書かれているものは
一切ない。
68九州出身:2007/01/15(月) 23:48:26
>>64
>古事記に登場する地名は殆どが九州の地名、次が出雲。 とあるが
九州の地名ってどこかでてきましたかな?
69日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:49:37
>>64
>あと森浩一も安本の説に賛同している一人。

ほんとかよ?
森浩一の本、5冊ほど読んだが、そんな記憶ないぜよ
70太国:2007/01/15(月) 23:50:58
>>64
安本氏の説はまずいですな。ただ九州説まではあってます。
等号は成立しません。数字はほかの人も使ってますよ。zzzzzzzzzzz
71日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:56:57
>>64
安本説には賛成できる面もあるが、疑問に思うところもある。
記紀に登場する地名でけっこう多いのは日向の地名。
高天原や出雲に匹敵する。
古墳でも宮崎が群を抜いている。記紀による神武東征の出発点も宮崎。
しかし、安本説では宮崎が考慮されていない。
72日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:59:56
>>64>邪馬台国の事で一番まともで説得力のある説を語るのは安本だろ。

yesかnoか,俺達に尋ねるのか.
俺はno!
73九州出身:2007/01/16(火) 00:00:43
安本氏 人気あるみたいだね

ほかの人はどの本読んで誰の説信じてるか聞きたい!
74プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 00:08:40
>>67

>歴史書と言うのは、その国が終わってからでないと書けない。
三国志は三国時代が終わってから編纂される。
だから、いろんな記録が錯綜としている。

倭国の大乱は後漢の時代だから、その頃女王になった卑弥呼の状況は
よく判らないと思う。


思うのは自由ですが、主観を交えてしまうと範囲は無限大
錯綜した情報をきちんと整理するのが編纂者の仕事、


>仮に、卑弥呼が二人以上いて、しかも、卑弥呼が女王になったときからいろんな
情報が中国に伝わっていたとしたら、卑弥呼が交代したことも記録に残って
いなければならないと思う。しかし、中国の歴史書でそれが書かれているものは
一切ない。

一切ないと断定できますか?私は見つけましたよ
その一つを今日レスしました。まだまだ幾つかありますから探してみてから判断しても遅くありません。
倭人伝以外からも、見つけ出す事は可能で、その手掛かりも今日レスしたつもりですから・・・『伊美別宮社』
からも検索可能。
75日本@名無史さん:2007/01/16(火) 00:15:16
安本説
古代天皇平均在位年数10年説 ○
邪馬台国甘木説 ×
76プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 00:17:08
>>73


原文と辞書だけで十分間に合う。ムダで余計な固定観念増やさずにすむから
77九州出身:2007/01/16(火) 00:34:33
太国氏はいるかな?何故君は、
『「孝」の字のつく天皇と「神」の字のつく天皇(神功を含む)は
すべて3倍暦だ。』
としたのか説明よろしく!
78九州出身:2007/01/16(火) 00:37:40
>>71
高千穂とか確かにあるね!

>>74
その『伊美別宮社』 とはどこで書かれてる?
79プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 00:51:21
>>78

『伊美別宮者』でググれるし、『祝島の神舞』関係でもググれます。
80九州出身:2007/01/16(火) 01:11:50
>>74
イアナイね これは面白い!ぜひ参考にさせてもらいます。
81日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:14:26
安本は「長大」を成年に達するという程度の意味で「老」の意味ではないとする。
その可能性もある。魏志も「成年に達していたが夫はいない」とも読める。

180年頃の女王と248年に死亡した女王が同一とは思えないので、日御子(日巫女)
という太陽神信仰の女官が数代続いていた可能性の方が高い。
柳田は、平原の被葬者は、「卑弥呼」の1代前の女王として、女王が数代続いたという
前提で議論している。

天照=卑弥呼、とする説でも独身の「卑弥呼」より、その1、2代前の女王(天照)の子が
神武につながると考えた方がいい。安本説だと、1〜9代が短くなって窮屈。
82日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:18:34
安本氏の平均在位説って、無茶苦茶だ。
83日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:22:01
安本氏的平均在位説無茶苦茶也
84日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:22:58
>>64 :日本@名無史さん :2007/01/15(月) 23:27:28
>私は安本美典の説に賛同する。
>邪馬台国の事で一番まともで説得力のある説を語るのは安本だろ。
>あと森浩一も安本の説に賛同している一人。
>安本や森の決定的なところは常に証拠となる数字で示すところ。

あれは統計学のど素人を騙す無茶苦茶な数式だ。
あんな無茶苦茶な数式を出すから、
ほとんど学会やマスコミから相手にされてないんだよ。
85日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:25:08
安本氏の無茶苦茶なのは、平均在位説だけではない。
例の皆既日食説に飛びついたことw
天文学の専門から完全に否定されたのにw

彼は、とにかく卑弥呼と天照を同一するという結論のために
もう無茶苦茶な理論を出しまくる。
86日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:36:34
安本氏的皆既日食説無茶苦茶也
安本氏的卑弥呼天照同一論無茶苦茶也
嗚呼無茶苦茶也!無茶苦茶也!
87日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:36:48
>>71
日向に戸数7万戸を誇った邪馬台国があったとすると、それを証明するための
遺跡なり遺物なりが出土しないと理屈に合わない。
少なくとも北九州のそれを凌駕するだけの質と量が見出せなければ、根拠に成り難い。
しかも記紀では高天原から神々が日向に降臨した事になっているので、日向以外の別の土地を想起させる。
あと日向は古墳が多いが、古墳は古墳時代の墳墓であって、弥生時代の墳墓ではない。
弥生時代の墳墓はやはり北九州に集中する。

>>82
どの辺が?
平均在位が10年なのであって、全員が10年ではない。
30年の治世もあれば、半年に満たない治世もあったかも知れない。
それらを何十代も足して割った数字が平均して10年なのだ。
88日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:40:08
>>86
だから、その理由を言えよw
なぜ平均在位が日食の話になる?
89奴国 ◆BdeghU15Mk :2007/01/16(火) 02:22:26
>>87  確かに日向の発展した時期は、邪馬台国以後の古墳時代が主ですね。
ただ、古墳時代初期は、北部九州よりも日向の方が発展していると見ています。

私は、>>81で述べた(コテ忘れ)考えで、「卑弥呼」の時代より前に日向に天下った王族が
神武の代に北部九州=高天原を制圧して、邪馬台国=ヤマト国の王となり、その勢いで
神武東征をして、その後九州統治の拠点を日向に置いたのではないか(狗奴国東遷)と
考えています。

この考えだと、その後の北部九州の停滞と日向の発展が説明できます。
ただ、魏志の「狗奴国」や「菊池彦」は熊本あたりが当てはまりそうなので、「狗奴国」の
範囲が南部九州の広い地域に及んでいて、神武が熊本、兄の五瀬が日向を統治して、
兄が戦死して神武が初代となったと見ています。Zzzzzz。
90奴国 ◆BdeghU15Mk :2007/01/16(火) 03:20:45
>>73  眠くなるまで、つれづれに・・・
安本はほとんど読んでいます。論理明快。分かりやすさでは一番。
柳田康雄は、「伊都国を掘る」がいい。ほとんど納得できる。論理的。
村上恭通は、「倭人と鉄の考古学」や共著を何冊か。誠実な学者。
小林敏男の「日本古代国家形成史考」。紀年論の部分は良かった。
武光誠を何冊か。ナルホドと思うところが結構ある。豆知識としてもいい。
宝賀寿男。氏族研究のエキスパート。在野の文献も検討していていい。
あと、シンポジウム本や雑誌、発掘、古墳の本を色々。

寺沢、白石、石野を何冊か。は列挙で足りる。
三角縁は岡村、福永(めちゃ高)とかシンポジウムとか。有象無象。
学生のときは直木孝次郎(講談社学術文庫)。安いし。

関祐二も何冊か。面白い考え。憎めない人だ。
相見英咲。誰も名前すら出さないのがよく分かった。
黒岩重吾。古典的畿内説。
倉西裕子。スレ立てした女神様。人柄は生真面目ですね。

念のため。全部趣味。読みながら妄想するのが楽しいですね。
他に良い本があったら教えて下さい。Zzzzzz。
91日本@名無史さん:2007/01/16(火) 05:55:21
ちなみに、俺は

安本     あえて読よまない。もやは意地か?
柳田康雄   まあいちおう。
村上恭通   この人のは基本。 
小林敏男   たまたまだが読んだ。面白い。
武光誠    あえて忌避。 つか一冊も読んでない
宝賀寿男   知らん。

寺沢     読んでるよ
白石     読んでるよ
石野     読んでるよを何冊か。は列挙で足りる。
三角縁岡村  読んでるよ
福永     読んでるよ(めちゃ高)

関祐二。   読みたくない。
相見英咲。  知らない。
黒岩重吾。  読んでるけど、小説としてもあまり 面白くない
倉西裕子   講談社メチエのみ読んだ
92プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 07:54:49
変なの?


魏志倭人伝は
安本でも古田でも柳田でも武光でもないでしょうに。

『陳壽』だろう。
魏書や正史読まないで、安本読んで語ってどおするの?


変なの?
93日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:14:58
最近、九州を頭につけたコテが多くて誰が誰かわからねえ
94九州出身:2007/01/16(火) 18:25:35
ほう みんなのお奨めする本は?
95プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 18:33:17
>>94


>お奨め本


諸橋氏の
大漢和事典
96九州出身:2007/01/16(火) 18:39:07
プラム氏は昨日の『言語虫』を丸々信じてるんですか?!
97プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 18:52:36
>>96


信じるとか信じないではなく その理論を崩す事が出来ないのです。

(何度も崩そうとしているうちに)
今では私の師になってしまった。
98九州出身:2007/01/16(火) 18:57:24
今、わたしは昨日の続きを読んでる所です。「囲め〜囲め〜♪」って所、すごい!
99プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 19:06:02
>>98


公開しているあれは、全体のほんの三割程度だそうです。
もし、興味をもったら
(Y掲示板で、一緒に勉強しましょう)



…河童…
100九州出身:2007/01/16(火) 19:16:24
Y>>99
「Y掲示板で、一緒に勉強しましょう」のY掲示板てどこですか?
101プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 20:03:58
>>100


yahoo
102プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/16(火) 20:10:01
>>100


これは携帯板だけど
http://mb.mobile.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835208&tid=a1vr2bbva1a6oabfmeaa1w9tdx5adbbv2rc0o&.sid=1835208&mid=1&k=0ufdj8l1lbjgf1hz4bcf


2ちゃんに居ないときはここに居るよ!

…kappa_mushi7019…
103日本@名無史さん:2007/01/16(火) 21:39:09
■中国の古代史書に記された三韓の正式国号(日本名)■
馬韓→ 任那
弁韓→ 志羅紀
辰韓→ 志羅紀北部

ちなみに、3世紀の時代に百済は存在しない。
百済は4世紀(315年)に、ヤマト朝廷が帯方郡の漢人・倭人たちを支援して
日本領=任那の北部に建国した。
104九州出身:2007/01/17(水) 00:40:03
>>102
Yahoo掲示板のどのカテゴリー?
105プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/17(水) 00:51:28
>>104

日本史⇒魏志倭人伝解析トピックです。
106日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:18:12
朝倉大和地名近似説はどうよ?
東遷説であれが一番説得力あった。
107日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:24:49
>>106

スレ違いです。
108九州出身:2007/01/17(水) 18:20:29
>>106
誰の本?なんてタイトルかな?
109日本@名無史さん :2007/01/17(水) 21:10:29
>>106
確かに、朝倉地方に三輪山もあるし、朝倉地方に住んでいた部族が
何らかの理由で、畿内に移住し、三輪王朝を開いた可能性はあるね。

畿内はもともと、大和とは言わなかったらしいからね。
110九州出身:2007/01/17(水) 22:44:47
かごめ〜♪ かごめ〜♪

かご の なか の とり は〜♪

いついつ でやる〜♪

よあけ の ばん に〜♪  

つる と かめ が すべった〜♪

うしろ の しょうめん だれ〜♪


『篭目歌』である。

「この中にあの邪馬台国の女王、壹與が・・・」
とプラム氏から教わったホームページでいわれてる。
ウソか真実かは謎である。

ほかの人の意見はどう?
111日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:07:31
イヨタン・・・

いっしょに遊びたいでちゅ
112プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/17(水) 23:16:49
>>110

かごめ  読んだの〜?
でもあれをストレートに読んでもチンプンカンプンになるだけ。真相の三割しか公開していないし、
私だって半分しか解らない

真面目にやるなら一からやらないと迷路に迷う。
113日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:23:05
>>94
関裕二氏の本
114日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:32:55
>>113
関裕二氏の本は私も大好きです。
彼は「おかしな所」「奇妙な所」を嗅ぎ付ける鋭い嗅覚を持っています。
だが、彼が導く結論は私には「とんでもハップン」なものが多く、ちょっと物足りないです。
でも基本的には評価させていただいてる先生です。^^
115九州出身:2007/01/17(水) 23:54:15
>>112
プラム氏へ
3日かけて全て読みましたよ。なかなか面白い!
んで一からやらないとってどうすれば?
116九州出身:2007/01/17(水) 23:56:16
伊勢神宮に行ったとき豊受大御神は人々から親しまれてと書いてあった!
117九州出身:2007/01/17(水) 23:57:10
話しやすい女性だったのかな・・・・?!そんな印象うける。
118九州出身:2007/01/18(木) 00:15:12
そういえば古代史の専門家ってどの先生?本出してる人でも専門じゃなかったりするよね。あれにはびっくりする!!
119日本@名無史さん:2007/01/18(木) 00:15:36
トヨタン・・・
120九州出身:2007/01/18(木) 00:57:54
言語虫より「篭目歌」
  囲め〜♪ 囲め〜♪

  囲 の 中 の 人 倭〜♪

  何時 何時 出やる〜♪

  夜明け の 晩 に〜♪  

  ツル っと 日女 が 喋った〜♪

  後ろ  の 正面    誰 〜♪


一応に歌詞の翻訳は以上の通り。

次は「日女」の意味解釈について解説しマス。

■「日女」は「日の女」⇒「太陽の女」⇒「卑弥呼」⇒「天照大御神」で当時は「壹與」を“長”とスル「天照一族」の事。

『古事記』で、彼女の名前は「神倭伊礼毘古命」になってイル。

↑この上に記されてる訳を知りたい!
121一応九州王朝説:2007/01/18(木) 06:33:08
>>118
まあ学会で非主流wだけあって、シロウト学者も多いわな、九州説の本は。
でも、畿内説の大学者でも、例えば地名類似みたいな誰でも不審に思う事柄に
ノーコメントだからそうなるわけで、責任は大きいよ。
関裕二は確かに読みやすい。まあ作家ですから。だけど、着眼点は決して無視
できない所はありましたね。今読み返すと流石に(´・ω・`)なわけですが、でも
偉いのは、自分の言ってることの意味をわかって書いてるし、責任持ってる。
そこら辺がつまらない学者さんとの違いですね。だから人気あるし。

122日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:31:07
地形由来の地名ならいろんな場所に同じ地名がつけられるだろうな。
123プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/18(木) 10:42:19
>>115>>120


>一から

ん〜っ 本当に一からなら『あ、い、う、え、お』からチャント勉強すべきと考えますが、 取り敢えずは
魏志倭人伝の行程記事から行きますか?
それで、どの辺が解らない?


>卑弥呼
の事ですか?

これ、理解するには
『音や文字』には必ず意味が有り、 『一音一意』『一字一意』を理解することですね。
124日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:36:34
>>121
>でも、畿内説の大学者でも、例えば地名類似みたいな誰でも不審に思う事柄に
>ノーコメントだからそうなるわけで、責任は大きいよ。

詳しく?
地名類似なんてのは、九州説でも畿内説も両方あるわな。
125神奈川県民:2007/01/19(金) 18:35:59
卑弥呼は誰だ!そして幻の国 邪馬台国はどこだ?
126神奈川県民:2007/01/19(金) 18:56:17
篭目歌いいですね♪

しかし学者によって見解は異なります。いろんな説があるということです。
127唐松山:2007/01/19(金) 19:23:03
ほつま に出てくる
筑紫地の チ(中央)の オオミケ=卑弥呼
五百野姫 =五百野皇女=14才 = イヲ

これで 決まり でしょう。
128神奈川県民:2007/01/19(金) 19:50:51
>>127
もっと詳しく説明できますか?
129唐松山:2007/01/19(金) 20:31:46
ホツマ伝 ミカサフミ
http://www.k3.dion.ne.jp/%7Eyamas/kodaiy2k/hotumika/hotumika.htm

 アスス暦  年号より干支を割出す 式。
=CHOOSE(MOD((B3+69),10)+2," ","き","き","つ","つ","お","お","さ","さ","ね","ね")
&CHOOSE(MOD((B3+71),12)+2," ","あえ","あと","みえ","みと","やえ","やと","しえ","しと","なえ","なと","うえ","うと")
この式で神武を見ると 眼からウロコ

後は、読んでからの お楽しみ
130神奈川県民:2007/01/19(金) 20:41:25
>>123
私は以前から、邪馬台国は九州!卑弥呼は天照大御神!を唱えてました。
その都が宮崎県なのか大分県、福岡県で少し迷ってましたけど。
しかし、都(邪馬台国)、はそれで正解かも。


「一から学べば」とは篭目歌の謎のことです。
篭目歌とは何故トヨが出るのか理解できないのです。そして知りたいのです。
又、初代天皇とは何故トヨなのか?!

あなたは疑問に思わないのですか?何故、丸々信用デキルノ?
131九州出身:2007/01/19(金) 20:42:19
130はわたしです。
132日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:47:06
>>124
では近畿で「阿蘇」とはどこを指すのか?
133九州出身:2007/01/19(金) 20:47:55
 倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。
 從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、至其北岸狗邪韓國、七千餘里。
 始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。
 土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。
 有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。 又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。
 官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。
 差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。 又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。
 草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒深淺、皆沈没取之。
 東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。
世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
 東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
 東行至不彌國百里。官曰多模。、副曰卑奴母離。有千餘家。
 南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
 南至邪馬壹國、女王之所都、水行十曰、陸行一月。
 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
 自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
  次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
  次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。
 此女王境界所盡。
 其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。
 自郡至女王國、萬二千餘里。
134九州出身:2007/01/19(金) 20:51:16
上は魏志倭人伝です。
『東行至不彌國百里。』は理解した。
しかし、この『水行二十曰』『水行十曰』て本当に海?川は考えられない?
135九州出身:2007/01/19(金) 20:53:04
>>132
ウェブで『阿蘇』で検索するといいよ♪
熊本県ってでるはず!
136日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:02:00
>>134
川も入ってるにきまってるだろ?
(太国なら、「それともお前は川は泳ぐのか?Pupupu!」と続くかな? あ、太国レスすんなよ。)
137日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:35:51
もし邪馬台国が、安本美典氏の言うように、現在の朝倉市あたりとするならば、
伊都国や奴国から船を使って邪馬台国へ行くようなコースは、常識では考えにくい。

だって、いったん末廬国へバック、それから東西の彼杵半島、長崎半島、島原半島と
迂回して有明海へ入り、筑後川をさかのぼる・・・、船で行くにはそうするしかないが、
あまりにアホらしい超大回りコースだ。これは久留米市でも八女市でも、ほぼ同じ。

奴国は、通説どおり、福岡市・春日市のあたりだろうと思う。
なら、福岡市〜朝倉市間の交通は、だんぜん陸路だ。急峻な山岳地帯もなく、徒歩1日で行ける。
いくら古代人だって、福岡市〜朝倉市間を「船を使おう」、てな発想は、絶対に湧いてこないはず。
138プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/19(金) 21:43:09
>>134

>川


いらない。
139九州出身:2007/01/19(金) 21:48:58
あるHPに
『実は昔、豊後の国は豊前の国と合わせて一つの国。
名は豊国(とよのくに)と呼び、今の大分県と福岡県の東部地域が含まれていた。
二つの国に分かれるようになったのは前と後の国にわけ、
豊前(とよくにのみちのくち)と豊後(とよくにのみちのしり)
とよび.都に近いほうの国を前(くち)として遠いほうを後(しり)とした.
筑前・筑後、肥前・肥後も全部この方法で名前を付けた。』
とある。

誰か地図ない?
140九州出身:2007/01/19(金) 21:50:43
>>138
あなたは疑問に思わないのですか?何故、丸々信用デキルノ?
141プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/19(金) 22:00:56
>>135

>『阿蘇』で検索


検索したら

【其時秦宜祿兒“阿蘇”亦随母在公家】 と、でた

(新校本三国志/魏書/第九 魏書九/曹真)


>>140

>何故、丸々信用デキルノ?

一年間毎日検証してきたので 疑問に思ったことは指摘し、解決してきたから。
142九州出身:2007/01/19(金) 22:11:01
>>141
>『一年間毎日検証してきたので 疑問に思ったことは指摘し、解決してきたから。 』
とあるが、
『女王卑彌呼の大宮殿の規模は(本殿から神殿までは約、三・五キロメ−トル。
全長約、七キロメ−トルになり、全幅は約、一キロメ−トル)』
は説明できますか?
143プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/19(金) 22:23:40
>>142

王宮についての回答はご勘弁下さい。
現地を生で見るまでは
一切(豊前國周防灘沿岸地域)だけに留めています。
144恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/19(金) 23:22:53
>>139
>誰か地図ない?

ある!

http://onjweb.com/netbakumaz/kyushu.htm
145日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:25:32
恵也 ◆o4NEPA8feA好きだよ。
146日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:32:09
ブラムって人、基地外?
147日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:35:44
恵也が好きみたいだよー
148九州出身:2007/01/19(金) 23:41:10
>>144
さんくす
149日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:47:45
邪馬台国関連スレで一番まともな事いってるのは恵也さんだよ。
論説に妄想が含まれていないもの。
どこかの「ブ&太」と違って。
150日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:52:44
>>149
恵也擁護だけはやめましょうよ(あとの二人も擁護の必要なしだが)
それとも本人ですかそうですか。
151日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:57:09
豚国の名レス↓

コヨミは「古黄泉]と読めて、記紀のイザナギイザナミの黄泉国ので千五百の
産室と千人絞殺の宣言からの数字の比率 1500:1000=3:2 に因む。

記紀の神代以前はよく8神づつの記載が多いが、この宣言以後、イザナギは
筑紫の日向において禊祓いをやるが、このときのみは12神(12月分の示唆か)
になっており、先頭の突立船戸神は「月経つ船戸神」の意味の神名か、これと
半年毎の6月末の大祓いが、半年を当時の1年と数える2倍暦の根拠になって
おり、さらに 12神:8神=3:2 で3倍2倍の結果が出る。

「船戸」はフナ戸で2・7戸を意味し、2×7=14 の、1ヶ月が2週間の
2倍暦を黙示する神名である。

恵也が5月をなめていたが、これは朝廷が高天原暗黒の様相となる「五月蝿」
を嫌うために、その戦慄から倍暦使用にあっては特別の状況以外空白月とし、
避けていた。だから佛伝以前の紀の記述には5月の記載は猫の額の如くである。
152日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:37:51
奈良です。
153日本@名無史さん :2007/01/20(土) 00:40:38
>もし邪馬台国が、安本美典氏の言うように、現在の朝倉市あたりとするならば、
>伊都国や奴国から船を使って邪馬台国へ行くようなコースは、常識では考えにくい

こういう考えもある。
帯方郡から伊都国→奴国→不彌國までは里で記述があり、そこから水行、・陸行の記述
になっており、不彌國は実は邪馬台国の玄関口であり、当時は不彌國=邪馬台国が常識
であった為、あえて邪馬台国に到着したとは記述しなかった。

そこで、改めて帯方郡からの距離を水行、陸行で表記した。
おまけに投馬国までの水行まで丁寧に記述した。
投馬国は、帯方郡から水行20日の距離で出雲か、越あたりが妥当。

この説は、面白いと思いませんか。
154日本@名無史さん :2007/01/20(土) 00:45:49
陸行1月は帯方郡から対馬の対岸の韓国の南までの距離。

実際、秀吉の朝鮮出兵のとき、韓国に上陸して、目だった抵抗
もなく、兵士が北へ進軍し、古代の帯方郡あたりまで、約1月
かかったとの記録は残っています。
155日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:59:24
>>153
当時、福岡から朝倉に行くには険しい山越えが必要だったので、
大量の下賜品などの輸送部隊を伴った魏の使者は船で島原半島を周り、
有明海から筑後川を遡上し、朝倉に言ったんじゃない?
156恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 01:01:25
>>153
>当時は不彌國=邪馬台国が常識 であった為、あえて邪馬台国に到着したとは記述しなかった

無理筋!

自分の国のことでさえ、無数に名前のある魏なのに、倭の国>>>邪馬台国>>>不弥国
倭の国までは有名かも知れんけど後は、普通の人間は知らないのが常識だろう。

不弥国ってたった1000戸の家:6000人くらいの小さな国だよ。
外国人じゃ知らないのが普通でしょう。
157恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 01:07:37
>>154
>兵士が北へ進軍し、古代の帯方郡あたりまで、約1月かかったとの記録は残っています。

それは占領する必要があって陸行したんでしょう。
使節団は船でいけるのに、そんな難行をするとは思えん。
それにあなたは、倭人伝をまともに読んでないでしょう?

ーーーーー(引用開始)−−−−−
帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり
東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm
158日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:29:41
恵也氏は本でも書けばどうか
ネットだとこまぎれでわかりくいです。
出版方法はいくらでもあります
159日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:44:34
>>155
>当時、福岡から朝倉に行くには険しい山越えが必要だったので、

ウソだろ。(苦笑)
福岡平野と筑紫平野の間は、まったく「山越え」なんて雰囲気じゃない。
ごく低い丘陵地が、両平野の分水域となってるだけ。楽チンで歩ける。
ここを通るJR鹿児島本線も、国道3号線にも、トンネルはゼロだぞ。
160斉木:2007/01/20(土) 03:08:56
>>159
>楽チンで歩ける。
>ここを通るJR鹿児島本線も、国道3号線にも、トンネルはゼロだぞ。

現代の話をされても…
弥生時代は密林で道と言っても「獣道」程度しかなかったかもよ。
とても大量の下賜品を輸送したり魏の使者の輿を担いで通るだけの
広い道路がなかったのかもしれない。
161恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 07:11:04
>>158
>恵也氏は本でも書けばどうか

それほど俺の考えは複雑なものじゃない。
●1里は何kmと計算すべきか?
 倭人伝では韓国から壱岐まで2000里となってる。
 釜山から壱岐まで160kmとして、1里=0.08km

●水行する距離に関して、数百人の人間が移動するには、漁師や運搬船を総動員しないと無理。
 本隊が着く前に先遣隊が大金を使って段取りしても、4日間くらいのタイムラグがあるとする。
 風を待つという待機もあるし、酒宴もあるし、船もピストン輸送とし段取りでマイナス4日も
 しくは2日とし 1日平均5km進むとする。

●陸行する距離は、段取りでマイナス4日とし1日4kmとする。
 江戸時代の朝鮮通信使は12回も、江戸まで往復6ヶ月もかけて旅行してたという。
 下関から東京まで900kmを90日間かけたとしたら、1日に10km。
 日本との親善が目的なんだから魏志倭人伝とよく似てる。交通網の発達や初めての見せびらかし
 旅行と、地元との宴会・意見交換を考えると1日4kmでも良いだろ

●船を乗り換えてるので、漁業者のテリトリーが変化したものとし三角港を投馬国とす(熊本平野
 八代平野も領土とする)

韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80?km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm
162恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 07:18:48
>>160
>弥生時代は密林で道と言っても「獣道」程度しかなかったかもよ。

それは考えられん。
当時の邪馬台国連合国の中の大国:奴国は2万戸の戸数だから12万人近くの人口があった。
俺は奴国を福岡平野から筑紫平野にまたがる大きな面積の国家だと思うけど、12万人の人間が
暮してたのなら、大きな水田地帯になっていたと思われる。

さもないと人口を支える食料がない。

−−−−−(引用開始)−−−−−
東南の方に百里行くと奴国に着く。官を馬觚(しまこ)という。副官を卑奴母離という。
二万戸あまりある。
163日本@名無史さん:2007/01/20(土) 12:19:39
−−−−−(引用開始)−−−−−

って、このタイトルがセンスがなくて、ウザイからやめてほしい。
164日本@名無史さん:2007/01/20(土) 12:44:29
恵也に引用されたホムペも災難だな。引用された瞬間電波確定
165太国:2007/01/20(土) 13:48:19
昨近のニュース記事から
以前合巻未遂で誤認台捕された人物が無字津であったことが判明した。
似顔絵が古句事じしていたそうで、足跡が一致してないかったらしいのに
他のなんとかというアリバイの捜査も不充分か? ミスったらしい。

拙者も過去の失敗を反省しながら、このへんのスレの連中の考えを読んで
みると、破綻を招きかけない論が多々ある。とりわけ恵也の主張の
卑弥呼=アマテラス は、た〜だその名が雰囲気的に酷似しているように
見えるというだけの考えから出発した誤信なのであって、さらにはこの双方を
接近させる意図での恵也の10年計算は、けっこう用心深いような人間のようで、
以外に合いっこない精緻性が欠けるドンブリ勘定的計算に終始しており、両者
の同一人物説をまことしやかに展開しているが、上のニュース記事からも観て、
恵也らの破綻は、哀れ当選確実の運命にある。
166日本@名無史さん:2007/01/20(土) 13:59:49
>>162
戸数は明らかに水増し。まともに受け取ると邪馬台国は7万戸だから
50万以上の都市になってしまう。高層建築の存在しない古代都市でその人口
だと洛陽やローマ並になってしまう。
167日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:10:03
邪馬台国の全体の戸数が7万戸であるということであって、7万戸の都市があるということではありません。
168日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:17:27
そもそも獣道なんて通らない海沿いだよ移動は
169九州出身:2007/01/20(土) 15:23:23
7万戸の都市て何万人規模なんだろね?1世帯5人とすると35万人?
170日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:53:59
おい、別スレの「箸墓ミステリー」を論破できる豪の者はいないか。
171日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:56:48
このミステリーにも朝鮮シナ!
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1153584232/
172愛知県民:2007/01/20(土) 17:07:53
>>1
スレ立て乙です。

卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命=「われこそ大ヤマト国の女王」
台与=夜麻登登母母曾毘売命=「百代続くヤマトの女王」
記紀の欠史時代の天皇=二人の女王を補佐した男王たち
神武伝承はどこまで史実かは分りませんが、名前について言えば
「カムヤマトイハレビコ」は「オホヤマトクニアレヒメ」に酷似。
西からヤマト入りした点も同じ。
「イハレビコ」の謎(磐余と関係が薄い)にも通じる?
173神奈川県民:2007/01/20(土) 19:15:45
>>172
どうしてそのように思えるんですか?
174九州出身:2007/01/20(土) 19:26:29
プラム氏へ
虫さんのレスは大体が正解だろう!
おれがあの文を読んで信用できると思えたのは
・邪馬台国場所
・魏国の使者は九州全体、又は日本全体を偵察した
・古代天皇より御子のが位が上位だった。
・トヨによる東征・トウセン
しかし全部を信用できるとはいえない
175九州出身:2007/01/20(土) 19:37:19
なぜ邪馬台国論争ってテレビではやらないんだろーね?
いままで1度もみたことがない。説明できる人いる?
176太国:2007/01/20(土) 19:43:39
あんまりやらないですねぇ。映画でも忠臣蔵とか大奥とかやりましょうが、
いずれの「平田篤胤」だとか「平賀源内」とか、そういう題名のは、
儲からんのか、やらないようです。
1775554:2007/01/20(土) 19:43:53
sdfsf
178太国:2007/01/20(土) 19:46:47
>>176 訂正

× いずれの      ○ いずれも
179日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:18:38
>>175
やったらヤバイからですよ。論じるまでもない。
180九州出身:2007/01/20(土) 20:32:18
実際、邪馬台国はここだ!という持論を持っておりその地へ行ったものはおるかな?
181九州出身:2007/01/20(土) 20:32:50
>>179
どうしてヤバイ???
182太国:2007/01/20(土) 20:33:45
「卑弥呼」の映画を観ましたが、あれは畿内説みたいなところがあったなぁ〜?
というか、神功皇后に模していたのかも? という感じでした。
183日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:41:38
>>181
意外なことだが、邪馬壹國論者はそのことの気がついてない人が多そうだ。
184プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 20:59:11
>>174
九州出身さん


それだけ理解出来れば最高ですよ。
185愛知県民:2007/01/20(土) 21:06:05
>>173
決め手は年代の一致。
古事記下巻の年代が、ほぼ5・6世紀の二百年ですから、
中巻の崇神〜応神は4世紀、欠史八代は3世紀と推測。
欠史八代で卑弥呼に該当しそうな人物を探すと、
安寧記に系図が示されている意富夜麻登久邇阿礼比売命が思い当ります。
次の懿徳天皇(オホヤマトヒコスキトモノミコト=助けて共に治める男王)
が、おそらくヤマト最初の男王。
孝霊記でその後を継いだ夜麻登登母母曾毘売命は台与でしょう。
孝霊記には吉備平定の記事もあり(欠史時代唯一の例外的記事)、
吉備=狗奴国と考えられます。
186九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/20(土) 21:10:07
>>154
いい着眼点かも。倭人伝の記述と実際に魏使が来た道程とは必ずしも一致しなくていいわけだし。
何度も魏氏が来倭してるから、そのたび同じ行程で来たかはは疑問だ。
水行十日、陸行一月が、魏使の道程と違うのはそのためかも。
187九州出身:2007/01/20(土) 21:16:33
>>184
世有王の解釈は虫さんの説で正解

しかし初代 邪馬台国王は初代卑弥呼ではない。男王のはず。
『其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。』
188九州出身:2007/01/20(土) 21:18:39
>>154>>186
どこに『陸行1月は帯方郡から対馬の対岸の韓国の南までの距離』て魏志倭人伝に書いてる?
どうしてそのように思ったのか理解できない!
189九州出身:2007/01/20(土) 21:22:53
>>183
それいうなら邪馬台国問題より前首相の女性天皇容認問題のがやばくない?
190九州出身:2007/01/20(土) 21:31:15
>>185
>『懿徳天皇が、おそらくヤマト最初の男王』

。。。。ってあんたね〜初代は神武天皇じゃないの?祟神天皇じゃないの?
どうしてそうなるか183の頭の中覗いて見たい。

191九州出身:2007/01/20(土) 21:32:54
プラム氏はいるかい?
192九州出身:2007/01/20(土) 21:33:58
183⇒185に訂正
193日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:34:31
岡崎久彦氏は、日本人と韓国人を「同祖」だと思っているようだが、間違っている。

岡崎久彦:『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31805481

 日本人と韓国人は、まったく別種の民族である。言語も異なっている。
日本語と韓国語は似ていない。
 岡崎氏は、韓国人がワイ族の子孫であることを知らないようである。
古代カラ半島北部に、ワイ族という、倭人とは別種の民族が住んでいたことも
知らないのではないか。
 韓国人はワイ族の子孫なのである。

書籍名:『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか。 隣の国で考えたこと』
 価格:980円(税込)

<本の内容>
第1章 日本人の好きな国・嫌いな国
第2章 日本人の常識の空白
第3章 日本語に一番近い言葉 (←間違い)
第4章 日本人の唯一の親類  (←間違い)
第5章 統一新羅と日本
第6章 日本と韓国の歴史の岐路
第7章 近代化の神話
 終章『韓国の人々に訴える』
194日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:39:10
でも文法は日本語と韓国語は一番似ている。語彙は全然違うが。
195日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:43:49
>>175
それは簡単。絵にならないから。
テレビは視聴者を引きつける映像があってなんぼ。
196九州出身:2007/01/20(土) 21:46:24
安本の本って確か「イザナキ=日向 イザナミ=出雲』としてたよね?
これについて詳しい人いますかー?
197九州出身:2007/01/20(土) 21:47:39
>>195
1度くらいあってもよくない?
198日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:55:54
あまりに物的証拠がないからな。もちろん物的だけでなく文献だって微々たるものだ。
199九州出身:2007/01/20(土) 21:58:03
邪馬台国論争は主に九州説と畿内説が多い。

今の天皇の皇祖といえば伊勢神宮の『天照大御神』です。
天照大御神とは九州の人物だって誰でも知っているよね?
よって、
畿内から九州ではなく
九州から畿内が正解!
200九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/20(土) 22:00:00
>>188 陸行1月は帯方郡から対馬の対岸の韓国の南までの距離

と思ってるのではなく、彼のレスにヒントを貰ったものを、>>186に書いたもの。
この部分の疑念を晴らしたいなら>>154さんにどうぞ。
201九州出身:2007/01/20(土) 22:00:50
わたしは、豊受大御神=邪馬台国のトヨ
なんだけど反論ある人いる??
202プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 22:01:06
>>191

居るよ。  風呂入ってた。
203プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 22:04:50
>>191

>わたしは、豊受大御神=邪馬台国のトヨ
なんだけど反論ある人いる??


はい 反論「大」  トヨって誰?
204日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:06:38
>>201
豊なんて名前ありすぎてなんでひとッ飛びに邪馬台国のトヨになるのか理解できん。
205太国:2007/01/20(土) 22:08:11
>>201
別人です。
206日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:10:38
おおっと、太国!
今夜はもうおねんねの時間だぞ!
207九州出身:2007/01/20(土) 22:13:46
>>202
虫氏によると、
・初代神武天皇を邪馬台国のトヨ。
・初代を倭奴国王、卑弥呼が二代目が魏志倭人伝の卑弥呼、トヨが3代目としている

プラム氏は上記の説明できますか?

ちなみに私は初代天皇は男王。倭奴国王は男王としている。もちろん卑弥呼は一人
208九州出身:2007/01/20(土) 22:15:07
>>203
トヨとは壹與
209九州出身:2007/01/20(土) 22:17:00
>>203-205
3名は伊勢神宮参拝されたこと無いでしょ?
伊勢神宮行けば気づくはず!
210九州出身:2007/01/20(土) 22:21:24
プラム氏へ
自分の信念ってあるかい?

大体は正解だが....虫さんのレスをそのまま覚えてるように思える。
まあ個人の勝手だけどね。
211太国:2007/01/20(土) 22:24:28
>>209
ふざけるな! 参拝はしてるぞ。
212九州出身:2007/01/20(土) 22:27:40
>>211
参拝してもあなたは気づかなかった?
ないくう、げくうに祭られている女神がこの国、建国最高の功労者だって!
規模がちがうでしょ!他の神社とは
213太国:2007/01/20(土) 22:28:51
>>212
それがどうした?
214九州出身:2007/01/20(土) 22:30:58
>>211
この国の建国の話になる

元々100余の国があり、やがて30余国となる。

そして大和朝廷によって一つに纏る訳だが、卑弥呼の時代が1番重要だってわかるよね?
215太国:2007/01/20(土) 22:33:16
>>214
卑弥呼は神功の時代の前後ころ、九州に住んでいた女性。
216プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 22:35:13
>>208

>トヨとは壹與

なんでそうなるの?  絶対(トヨ)とは読めないよ


>>209

>3名は伊勢神宮参拝されたこと無いでしょ?

行った事ない   でも今は、村の神社総代していて、年に何回か神社庁に行くよ
神社庁に行くと最年少組みだから、あの独特の雰囲気に腰が引けちゃう
217204:2007/01/20(土) 22:41:02
>>209
俺、伊勢なら五回行ったよ。小学校のときの修学旅行含めて。
一度は何か例祭やってて、変なことしたらどつかれるかと思った。
218九州出身:2007/01/20(土) 22:43:14
>>215
もっと簡単にいう!
伊勢神宮の内宮、外宮に祭られてる2神が1番偉いんだよね?
あの2神が山門の女、神功皇后と思ってるの?
違うよね?中国史にのってる卑弥呼と壹與だよね?
219九州出身:2007/01/20(土) 22:45:30
>>216
じゃあなんて呼べばいい?
「ひみこ」「とよ」「やまたいこく」のはず
220日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:46:24
>>194 :日本@名無史さん :2007/01/20(土) 21:39:10
>でも文法は日本語と韓国語は一番似ている。語彙は全然違うが。

日本語と韓国語は語順は近い。
しかし、文法は違うところが大きいし、
語彙は大きく隔たる。

よって、日本語と韓国語は、比較言語学では
7000年以上は開いているだろうと言われている。

>>194
岡崎久彦というのは、典型的な戦後右翼。
満州出身で、半島利権にどっぷり浸かっていた右翼。
彼の歴史認識は、本当の捕手とは大きく異なっている。
221プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 22:46:29
>>210

>プラム氏へ
自分の信念ってあるかい?
大体は正解だが....虫さんのレスをそのまま覚えてるように思える。
まあ個人の勝手だけどね。


一年前、今までの考え全て捨て 一から始めている。 だから今は覚え理解する事で精一杯
過去の私を知っている
「サガミさん」や「太国さん」なんかは、二年前の私と今の私が別人の様に見えるかも。
昔の方が多分 夢のある書き込みだったかも?
今の (九州ですが)さんや(九州出身)さんの様に

まじで「言語学」学びたくなったから
今までの間違った知識は少しずつ捨ててる。 
222九州出身:2007/01/20(土) 22:50:47
>>216
伊勢神宮は絶対いくべき!
行ったら気づくはず!この2神が魏志倭人伝にのる「卑弥呼」「壹與」だと!

>>217
私の場合は、2礼2拍手1礼守らなければどつかれそうな厳しい雰囲気だった。
223太国:2007/01/20(土) 22:52:31
>>218
神功皇后≠卑弥呼≠天照大御神

豊受大御神は日神と同様、小柄でやせていて瓜実顔に近く、いま映画の
『犬神家の一族』の女優のあの背の高い女性に顔立ちがちょっと似て
いる真摯な感じの気高い女神さま。壹与とは別人。
224日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:55:04
>>216
梁書、翰苑、北史は、壱與ではなく、臺與となっているから台与と言う人が多い。
倭人伝は邪馬台国を邪馬壱国と書いている書物だからね。
他にも、倭人伝の一大国は一支国だとされているし、海を渡るは「度」が正しいが
倭人伝には、「渡」が使われているケースもある。
倭人伝は誤記が多いみたいだが。
225九州出身:2007/01/20(土) 22:58:23
>>221
あなたは言語学だけでいいのかい?
もっと自分の経験、信念を持つことをお奨めする。
226橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/01/20(土) 23:02:54
邪馬台国はヤマト国
豊与はトヨ
と思う。
227九州出身:2007/01/20(土) 23:05:14
日本建国の重要人物、「卑弥呼」「壹與」を誰かと考える時、古代に生きた何十万人の中から
たったの2名を見つけないといけない!難しすぎる!と考えてしまうが違う!
実際そんなに難しくない!日本最高の2神だ!
228太国:2007/01/20(土) 23:07:26
九州出身さん
別人です。
229プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:08:40
>>219

>じゃあなんて呼べばいい?
「ひみこ」「とよ」「やまたいこく」のはず

ホムペ読んだでしょう。

卑彌呼→ヒミカホが転(言化)しヒミコ
壹與 →イオ転(言化)し、イヨ
邪馬壹→ヤマイ
邪馬臺→ヤマタイ
230日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:09:37
>>226
そうなっちまうから、×与は、トヨと読みたくないんだよ。九州派は。
231日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:11:13
古代では、尊い人が亡くなることを「岩戸に隠れる」と言った。
その意味では、天照大神は二人いることになる。
岩戸に隠れる前の天照大神と、岩戸を出てからの天照大神。

岩戸に隠れる前が卑弥呼で、出てからが壱与(台与)と考えることも出来る。

倭人伝などによると、卑弥呼が死んだあと、男王が立つが国中が不服。
改めて卑弥呼の宗女である壱与を王にすると国中が治まった。
しかし、そのあと、男王が再び立ち、中国からの爵命を同時に受ける。

卑彌呼死、更立男王、國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王
並受中國爵命。

梁書によると、壱与と男王が並立していた様子が伺える。

一方で、記紀によると、岩戸を出てからの天照大神には、高皇産霊尊が
並立していた様子が伺える。
「天照大神と高皇産霊尊は…」と言う表現が頻繁に出てくる。
中には、「高皇産霊尊と天照大神は…」と言う表現もあり、序列としては
同じかひょっとしたら、高皇産霊尊の方が上だったかもしれない。

出雲平定や邇邇芸命の天降りなどは高皇産霊尊が主導している。
232九州出身:2007/01/20(土) 23:12:12
太国さんは卑弥呼、壹與が建国の重要人物って解ってない気がする。
伊勢神宮は日本建国の重要人物が祭られている。
日本人はまるっきり関係ない人を参拝してると言いたいのかい?
日本人はそんなに馬鹿じゃない!
233日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:12:32
しかし魏志読むかぎりは松裏とか姫とか、守とかの言葉が出てるので
倭国は結構、日本語してるよな。その場合、これは単純すぎる疑問だが
ヤマイ=病(やまい)なんて言葉を国名に当てるだろうか? という気もする。
234太国:2007/01/20(土) 23:14:44
>>232
建国の重要人物は神武天皇です。卑弥呼は九州王朝の一時期の女王さま。
235日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:18:26
>>226
「豊与」

正確に書けよ。
魏志倭人伝のどんな写本、刊本にも、そんな表記は無かろうに。
236プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:18:47
>>225

>あなたは言語学だけでいいのかい?
もっと自分の経験、信念を持つことをお奨めする。

間違った考えを正常に戻そうとする信念があるからこその納得ずく
初めはあの理論を崩そうと必死だったが、自分の過ちに気づいた。だから今は
末席をお借りしています。
237九州出身:2007/01/20(土) 23:19:23
>>234
>『建国の重要人物は神武天皇です。』は正解
>卑弥呼は九州王朝の一時期の女王さまは不正解
238一応九州王朝説:2007/01/20(土) 23:20:40
>>232
禁足地であることも知らずにあがめ奉った戦前は十分馬鹿でした。
他にもそんな例は国内問わず幾らでもある。日本の古代史は特に
酷いが。聖徳太子だって天智、天武だって馬子だってよくわかっ
てないこと多すぎなのに。
239日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:22:16
人間なんて最後は歴史の中では抽象的存在に還元されるもんだ。
240プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:22:24
>>233

>ヤマイ=病(やまい)なんて言葉を国名に当てるだろうか?

誰が?
241日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:23:58
古田だろ「やまい」説は。
確かに当時、病気のことを「やまい」って読んでいたらそうかもな。
242日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:24:23
箸墓の被葬者は卑弥呼なのでしょうか。
その可能性はどのくらいあるのですか。
243日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:24:38
箸の先ほど
244日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:25:14
>>226
邪馬台国をヤマト国と呼ぶのは両刃の剣で、邪馬台国が九州だとすれば、
畿内の大和政権と名前に連続性があり、東遷説が考えられることになる。
245日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:28:35
>>244
ヤマト国が九州だとしても東遷以外にもうひとつ可能性があることがあるんだよなあ。
ま、それはさておいても、あまり地名が動くってことはない気がするけどね。
ルーマニアが、ローマ人の国って意味だったりするけど、あまり地名の移動というのは
一般的じゃないと思う。
246九州出身:2007/01/20(土) 23:31:51
>>236
『理論を崩そうと必死』とあるが
それはあなたが知識・経験が無いからです。
247プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:34:06
『ヤマ』は形容詞  でっかい
『イ』が 国名 日
248九州出身:2007/01/20(土) 23:35:28
>>242
ほとんどない。
理由:前方後円墳はヤマト時代のだから弥生時代のモノではない。
249プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:35:51
>>246

>『理論を崩そうと必死』とあるが
それはあなたが知識・経験が無いからです。


そうですよ
なら、貴方は崩せますか?
250日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:36:30
『イ』が 国名 日、委まではいいが、

『ヤマ』は形容詞  でっかい
は、あなたの想像だろう? 何か根拠がありますか?
251九州出身:2007/01/20(土) 23:39:04
>>249
だから言ったじゃないですか。

ほとんど正解!しかし間違ってる所がある。そこは崩せる。
252一応九州王朝説:2007/01/20(土) 23:39:42
また「東遷」かよ。呪文やないんやからw ったく、便利な言葉やね。
政権の地域依存性は遡るほど大きいわけで、弥生に毛の生えた時代にそんな
本拠地をはなれてはるばるする可能性はゼロとはいわんが小さいやろ?
今だって首都機能の完全移転にどれだけの金がかかるか。そんな昔なら、寺
一つ立てたり解体移動させたりすら困難やろ。
それは置くとしても、完全な統一国家で域内の何処に移動しようが政治的に
も経済的にも問題ないほどの安定があったはずがない。倭国大乱とか、高地
性集落とか、銅鐸文化の滅亡とか。神武記も、東漸ではあっても「東遷」の
はずがない。四兄弟が王とか皇太子であった記述など何処にもないし、ウガ
ヤフキエズという貧乏くさい名前の親父も王ではなかった。
崇神や応神なども「東遷」時の王とするなら、何で神武以後延々血統を引っ
張るのかも変やしな。
253太国:2007/01/20(土) 23:44:35
>>237
卑弥呼の女王国は九州王朝の氷山の一角です。
卑弥呼は神功になんとなく面相が似て双方ふっくらとした、飛鳥美人っていうの
かな? そんな感じの女性ですよ。卑弥呼のほうは日像鏡の冠をかぶっています。
254恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 23:44:55
>>164
>恵也に引用されたホムペも災難だな。引用された瞬間電波確定

逆だよ。
アンタの脳内が電波に満たされてるから、そう感じるんだよ。
違うと思うなら、あなたのパソコンで検索くらい出来るだろう。

難しい本を読めとはいわないけど、検索さえマトモにしてないから、
脳内が電波に満たされるんだよ。
まあ、アンタじゃその自覚症状さえ気が付かないウスノロだろう。
255征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/20(土) 23:44:57
日本書紀の製作者は箸墓を卑弥呼の墓だとして日本書紀を設計している筈ですよ
(現時点での計算上の崇神十年のモモソ没は247年)

しかし、ナショナリストの古事記の製作者は箸墓に付いては書かなかった


そこで推理すると、

・卑弥呼の墓は箸墓で大和朝廷の中枢部に存在する
・しかし箸墓の被葬者は大和朝廷側の皇族ではない

こう云う事なんじゃないでしょうか?


邪馬台国の所在地と、卑弥呼の墓の所在地は切り離し可能な問題ではないですか?

ま、作文の領域が大きいですかね
256日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:46:00
>>252
東遷をどのように考えるかだけど、まあ、いろいろあると思う。
たとえば、桓武天皇の平安遷都みたいなのもある。
古代では、大和朝廷もけっこう都を移動させたみたいだし。

源頼朝の鎌倉幕府みたいなのや徳川家康の江戸幕府みたいなのもある。
邪馬台国の東遷説は、遷都と幕府の両方を兼ねたようなものかもしれない。
257日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:49:08
>>248
>理由:前方後円墳はヤマト時代のだから弥生時代のモノではない。

卑弥呼の時代=弥生時代、との前提を下敷きにされておられるようだが、
その前提は、単なる先入観に過ぎないのではないか?

卑弥呼の時代=弥生時代、は正しいかどうか、一度は検証してみるべき。
258恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/20(土) 23:52:03
>>165
>見えるというだけの考えから出発した誤信なのであって、さらにはこの双方を
>接近させる意図での恵也の10年計算

意図もなしに、天皇の確実そうな在位年数計算で数字がでるから科学的結論というの。

その点、あなたの2倍暦、3倍暦は寿命が長すぎるから平均値にしたいという意図から
適当に古代の天皇に当てはめ、寿命を短くしたの。
アンタは御自分のことをお書きになってるのだけどね。
259日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:54:24
大和朝廷成立後、全国に遠征したけど北九州には派兵してない。これは
元々ヤマトの勢力圏内だった証拠。
もし邪馬台国(ヤマト)が畿内なら絶対北九州の勢力と衝突してるはず。
260プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/20(土) 23:55:20
>>251

崩せる自信が有る部分は、直接本人にぶつけてみたら?
(河童から紹介された)と言えば チャント話を聞いてくれますから。


『壹與』

(新校本 漢書/列伝/巻七十二王莽傳第四十二)

【…(八)有詔許使者五日“壹與”太守倶問起居…】

これを探した時は感動した。
261九州出身:2007/01/20(土) 23:58:08
おまぃらまとめて伊勢神宮に行って来い。
262征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/20(土) 23:59:04
>>172
>>185
>次の懿徳天皇(オホヤマトヒコスキトモノミコト=助けて共に治める男王)
>が、おそらくヤマト最初の男王。

現時点での懿徳の計算上の即位年をAD107と考えて居ますので
AD107の倭国王帥升等がヤマトの男王と云うトコロぐらいまでは一致出来るんですけど


>卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命=「われこそ大ヤマト国の女王」
>台与=夜麻登登母母曾毘売命=「百代続くヤマトの女王」

ココには問題を感じます。

書紀でのモモソ没は247年に設計されている筈なので、
「台与=夜麻登登母母曾毘売命」と云う事になれば、台与が247年に死んだ事にしなければ
ならなくなるように思いますが、どうでしょうか?
263日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:00:23
恵也

後五分程呼吸止めてくれないか?頼むから。
264太国:2007/01/21(日) 00:02:50
>>258
だいたいあんな当てずっぽうの10年計算説を簡単に信じこむのは、本来の
あんたらしくないぞ。ww
もっとあんたは精緻な思考の持ち主だと思っていたが、いい加減な推定計算を
適当な少量の吟味でよく結論つけてしまったな。おかしいと思わんのか?
呆れてしまうぞ。www

だいたい1日〜14日の片方寄りの数字が、倍暦が真であることを裏づけている。
あんたが何と否定しようが、当時は倍暦を使ってたのさ。www
265九州出身:2007/01/21(日) 00:04:54
プラム氏へ
虫さんは神武=壹與としている これ間違い!

プラム氏は言葉だけやなく神社伝承とかも調べるといいよ。虫さんの民の声ってやつやなぁ。

266恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 00:07:19
>>166
>まともに受け取ると邪馬台国は7万戸だから 50万以上の都市になってしまう。

俺は邪馬台国本国を宮崎県、大分県にまたがった大国だと見る。
それなら1戸に6人住んでたとして42万人が邪馬台国の人口だ。
あまりいい加減な50万人以上とか言う数字は使わんでくれ!

しかも首都機能は宮崎市が果たしてたと見てる。
卑弥呼は晋書倭人伝によれば、魏に滅ぼされた帯方郡の公孫氏の血縁だという。

帯方郡は後に百済になって、唐と新羅の連合軍に敗れて(西暦660年)、百済王は
日本に逃げ込んできてる。
大和朝廷には百済王の子孫が仕えてるけど、宮崎県に逃げ込んだ百済王もいる。

何のツテもなしに見ず知らずの土地に王様が逃げ込むとは思えない。
卑弥呼の時代(西暦250年)から宮崎県とのツテが、400年以上存在したから
こそ百済王が宮崎に逃げたと思考する。

−−−−−(引用開始)−−−−−
地元では、これらの百済王たちのための2つの祭りが絶えることもなく続いている。

一つは、比木神社に祀られた福智王が父王を訪ねる祭で、「師走まつり」と呼ばれる
ものであり、もう一つは、同じく福智王が母を訪れる祭で、「大年下り」と云われ
るものである。
http://www.infonet.co.jp/nobk/kwch-lit/hyuga.htm
267愛知県民:2007/01/21(日) 00:09:21
>>189
>それいうなら邪馬台国問題より前首相の女性天皇容認問題のがやばくない?

九州出身氏のこの意見こそ、欠史八代の謎を解く鍵かもしれません。
記紀は初代女王の存在を隠したかったのかも。

>>190
>『初代は神武天皇じゃないの?祟神天皇じゃないの?
このお二人は、どちらも「ハツクニシラススメラミコト」
どちらが正しいかでなく、どちらも間違いの可能性もあります。

>>262
征東大将軍さんの年代論には、ちょっとついていけません。
ちなみに「倭面土国」は存在しなかったと思います。
「面土」は「国王」の誤記でしょう。
268九州出身:2007/01/21(日) 00:09:32
>>260
先代旧事本記とかも調べるといいよ

神武は男性。
269一応九州王朝説:2007/01/21(日) 00:11:54
>>256
無理あるんちゃう?
桓武の時代の遷都は正しく社会的欲求に基づいて行われたもので(といっても
怪しい部分も多々あるがw)、大和政権は既に「大和」を出ても盤石だった。
それ以前については、政策的意図、王子の柵封地、妻方の有力者の存在などが
あるが、いずれにしても「畿内」、更に「畿外」に行ったことは無いやん。

それらより更に古い時代に国を挙げて東に移動ってなあ・・・。わてには悪い
けどイメージできひんな。通過地の問題は?出雲、吉備、瀬戸内、四国、どの
ルートでも大人数が安全に移動できそうもないし、技術者や技術は移動できて
も、生産手段、ふいごやら窯やらはとても移動できない。勿長年月かけて仕上
げた田畑も。マキムクが如何に計画都市だろうが、その周囲の道や物資移動基
地、生産基地、何もかも短時日に移動できるわけない・・・。

こんな困難な大イベントを、「東遷」一言で終わってしまう学者の頭はどうな
っているのかとかねがねおもっている疑問です。「実は馬鹿なの?」w

まあ、一時的なミニ氷河期、或いは九州やから火山の大噴火とか、異常気象と
かいった原因や、半島や大陸情勢の問題もあるとは思いますがね。(こんなこ
というと又右翼じじいに蝙蝠野郎とか言われるんだけどw)
それにしても、魏や呉レベルが直接侵略してでも来ない限り、デメリットとリ
スクが大きすぎるし、半島経営には非常に不利になるし。五王があれほど極東
の軍事指揮権の獲得にこだわった理由も非常に薄くなる。中部以東の方が面積
広いし資源も豊富やし。
270恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 00:13:36
>>175
>なぜ邪馬台国論争ってテレビではやらないんだろーね?

論争となったら、オラガ村邪馬台国というあまりにも低レベル京都大学教授の品格が
見えてしまうからだろう。
こいつらはマスコミを一方的に利用することに関しては天才だが、考古学ではオラガ村
邪馬台国という「欲望に取り付かれた」幼稚園児並みの知能。

それだけ己を知ってるからでないの!
271日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:14:47
>>259
>大和朝廷成立後、全国に遠征したけど北九州には派兵してない。これは
>元々ヤマトの勢力圏内だった証拠。
>もし邪馬台国(ヤマト)が畿内なら絶対北九州の勢力と衝突してるはず。

東遷説を信奉されておられるようだが、だったら、卑弥呼を倭女王として共立する以前の
段階において、北部九州勢力等の「東遷」がすでに行われていた、という説(=原田大六説)に
ついても、一考されてみてはいかがか。
272日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:15:56
邪馬台国が九州かは知らんが、九州が長く独自の文化圏だったことは感じるな。
源平合戦だって、壇ノ浦が背水の陣で、九州戦には至ってないしな。
273征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/21(日) 00:16:19
>>223
太国さん、倭迹迹日百襲姫命は「日神」です。
そして倭迹迹日百襲姫命は崇神十年=AD247年に死にました。

列島史上でAD247年に死んだ日神とは一体誰でしょうか?
勿論我々には1人しか考えられません


それが大和朝廷史上の史実かどうか解りませんが
上代の歴史を書いた人はそう設計している筈ですよ
274九州出身:2007/01/21(日) 00:18:26
>>267
書紀の祟神天皇、神功皇后では女性上位なのが覗ける。
欠史八代の謎だけやなくここらへんも本当は消したかったはず!
275九州出身:2007/01/21(日) 00:20:48
卑弥呼(アマテラス)がいて倭迹迹日百襲姫命、神功皇后もその御子をついだんでしょ
276日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:22:25
九州出身は畿内説なの?
277恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 00:23:20
>>186
>何度も魏氏が来倭してるから、そのたび同じ行程で来たかはは疑問だ。
>水行十日、陸行一月が、魏使の道程と違うのはそのためかも。

著者の陳寿が、公文書にそんな複雑な道程を書くかい?
お役人は、単純明快に判りやすく書くのが本来の仕事。

晋という新しい国が出来て、15年くらいじゃ晋のお役人も実利を考え単純明快に書き
分けの判らん書き方をするような腐敗はしてないと思うよ。

誰にでも判るように韻を含み、格調高い公文書にしたはず。
278九州出身:2007/01/21(日) 00:24:03
九州説です。
279日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:25:39
>>277
チンジュよりハイショウシの注によって「三国志」は名史になったのが通説だが。
280プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 00:30:05
>>265

>プラム氏へ
虫さんは神武=壹與としている これ間違い!

プラム氏は言葉だけやなく神社伝承とかも調べるといいよ。虫さんの民の声ってやつやなぁ


結構細かいとこチェックしてるじゃん。
あの部分は私も気づいたんだ。 しかし、あれで十分であることも後に解った。
(カムヤマトイワレビコ)と(神武)の違いを十分理解しないと解けない謎だよ
正確に言うと(カムヤマトイワレビコ)=壹與ではない  しかし、わざと虫さんは遠回しでヒントをカキコした(これが30%)の記載
です。

>神社伝承

神社伝承や記紀を正確に読みたいからこそ 全てを捨てて一から『言語学』学んでるんだよ
虫さんの専門も(記紀解体だよ) 
中国史書なんてほんのお遊び。


281九州出身:2007/01/21(日) 00:30:47
みなさん〜に質問!
どの先生の説を支持してるの?なんてタイトルで誰?
282日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:34:40
>>269
記紀によると、天照大神が岩戸を出てからけっこう大きな動きがある。

まず、葦原中国の平定。高皇産霊尊と天照大神は、天菩比神を派遣する。
しかし、三年経っても戻ってこない。そこで、天若日子の派遣。
これも戻らず、建御雷之男神を派遣し、大国主命は、ついに軍門に降る。

そのあとには、邇邇芸命の日向降臨。これは日向に派遣されたものと考えられる。

大和の饒速日命も天神の子となっているから、これも派遣されたと考えられる。
恐らく、他の土地にも派遣された人がいたに違いない。

このような大きな動きの中で、神日本磐余彦が生まれる。
ではなぜ、大和政権の発祥が奈良盆地でなければならなかったか。
そこに何か鍵があるような気がする。
283九州出身:2007/01/21(日) 00:37:13
>>280
遠回しでヒントをカキコしたっていまいち解らんが、、、

あのぅ〜皇族は125代(今の天皇)まで男系で続いたんでしょ?
初代天皇が女性なんてふつーに考えても有り得なくないですか?
頭いい人ならわかる。
284斉木:2007/01/21(日) 00:38:48
>>223
見たんかいw
285プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 00:41:44
>>283

>あのぅ〜皇族は125代(今の天皇)まで男系で続いたんでしょ?
初代天皇が女性なんてふつーに考えても有り得なくないですか?
頭いい人ならわかる。


今の段階であまり記紀には触れたくないんだが・・・・・

カムヤマトイワレビコって何したと記紀には書いてありますか?
286恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 00:44:08
>>193
>岡崎氏は、韓国人がワイ族の子孫であることを知らないようである。

凄いゴマカシ文章だ。

現在の韓国人はワイ族だけでなく、倭人の血もモンゴルの血、契丹族、中国人など
あらゆる血が混じり、朝鮮語を話し、幼い頃から韓国で育った人々のこと。
現在の韓国人と、血とは別問題なんだけどね。

日本人だって、中国や朝鮮、インドネシアやアイヌ人、熊襲、土ぐも族などいろんな所から
日本に来て、血が混じり、日本語を話し、幼い頃から日本で育った人々のこと。
あんただって、アイヌ人の血が数%は入ってるのじゃないの?

20代先祖を辿れば、100万人のご先祖がいるんだよ。
純血な人間なんて考えられん。
日本で一番純血なのは天皇陛下だが、50代くらい前に続日本記に朝鮮の血が混じった事
を書いてあります。
287日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:44:33
邪馬台国は、実はチェジュ島で卑弥呼は高句麗人(韓国人)だよ、今さら何言ってる?w
288日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:46:32
>>286
君の血統論で明日の勝ち馬も予想してくれ。
289日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:49:12
ヒミコはイースター島出身ってのもあったな。ヤギとか言う奴の
290九州出身:2007/01/21(日) 00:51:19
>>285
>カムヤマトイワレビコって何したと記紀には書いてありますか?

とは『即位後なにした?』ってことかな?日向で?大和で?全体でてこと?
291斉木:2007/01/21(日) 00:53:36
>>269
282の先生も仰ってるように、ひと口に「東遷」といっても、数十年もかかってる。
神武が東征に至るまで、邪馬台国は出雲や日向など着実に支配地域を拡大し、畿内への侵略基盤を固めている。
瀬戸内や大坂の弥生後期の高地性集落はその数十年に及ぶ度重なる侵攻の証である。
292プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 00:55:09
>>290

俗に言う(東征)だろう。
293恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 00:56:13
>>221
>今までの間違った知識は少しずつ捨ててる。 

間違った知識を捨て、間違った知識を取り込んでる。
永遠に賽の河原で、小石でも積んでおきなさい!

アンタは科学的精神がないからまた「砂上の楼閣」を積み上げてるだけなの。
何が間違ってた根源的原因を理解できんのだろうな・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
「生きているとき何もできなかった」という念にさいなまれて賽の河原で塔をつくっているのです。
子供たちが塔を作りあげると冥途の鬼がやってきては鉄棒で塔をこわしてしまいます。
http://www.gyokiji.org/jigokue4.htm
294日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:59:43

ヒミコサマ・・・

http://inoues.net/nyumon/himiko.jpg
295愛知県民:2007/01/21(日) 01:00:03
>>285
>カムヤマトイワレビコって何したと記紀には書いてありますか?

東遷しました。
しかし、私が卑弥呼と考える意富夜麻登久邇阿礼比売命も
淡路から東遷しています。
名前も似てるし、やっぱり気になる。
296九州出身:2007/01/21(日) 01:00:47
ン?東征がどうかした?
神武と壹與が一緒に東征したってこと??
297九州出身:2007/01/21(日) 01:02:08
>>294
だれだ!このおばさん(笑)
298日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:02:49
やっぱり卑弥呼はヒメミコ(女王)の意味で個人名じゃないキガス。
魏志の「卑弥呼」は別に壹與みたいな名前を持ってたと思ふ。
299プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 01:03:47
>>293

先ほど『五分程』呼吸を止めてくれないか?というお願いレスされただろう。
申し訳ないが、あと十分ほど息を止めておいてくれ。 いいかい
口と鼻を十二分にふさいでな。

300日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:04:49
んんん?
実際の事実はおいといて
記紀はイワレビコに
主にどういう歴史的役割を負わせようとしたんだ?

始祖王のバクゼンとした「征」(東征ではなく)の記憶を詞章化しただけ
なんじゃないのですかね?
301日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:05:39
天皇家は西から来ました。これだけ
302日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:07:06
天皇家はどこかから来ました。
303九州出身:2007/01/21(日) 01:07:22
>>293は他の人の意見を聞くってことも大切だ!
304日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:09:46
折口みたく、神は海のあなたからきました、みたいな。

これが東征伝承のもとなのかね
305日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:09:51
クマソ族の宿敵モモソ族
306斉木:2007/01/21(日) 01:10:39
>>302
天皇家はどこから来たか

「高天原」→「日向」→「熊野」→「橿原」

ちなみに現代風に書くと

「甘木朝倉」→「宮崎」→「和歌山」→「奈良」
307九州出身:2007/01/21(日) 01:12:18
>>306さん
安本説というのを簡単でいいんで説明してくれないか
308プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 01:12:34
>>296

>ン?東征がどうかした?
神武と壹與が一緒に東征したってこと??

神武って誰?壹與って誰?  神武先日別スレに、壹與は今日このスレにレスしたでしょう。


簡単に言うと 神武と壹與をカムヤマトイワレビコがつないだ
俗に言う神武東征は、三世紀後半から始まり、五世紀末までの日数を要したと 
309恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 01:12:38
>>283
>あのぅ〜皇族は125代(今の天皇)まで男系で続いたんでしょ?

これはデマカセ。
あまりいい加減な話には、疑問くらい持ちなさい!

−−−−−(引用開始)−−−−−
古事記だと、仲哀天皇は199年9月1日に死んでおり、この場合だと応神天皇が仲哀天皇の
子どもである確率は極めて低くなる。仲哀天皇に神罰を与えたのが住吉大神だが、「住吉
大社神代記」には、仲哀天皇が崩御した夜に住吉大神と神功皇后が「夫婦ごと」をしたと
いう記述もある。

そして、応神天皇が即位するのはなんと、数え71歳の270年1月1日。皇位は70年間に渡り
空位だった。その間は神功皇后が100歳で死ぬまで摂政をしている。そのため、明治時代
より前では神功皇后が15代天皇とされてきた。
http://brotherjin.exblog.jp/2804895/
310斉木:2007/01/21(日) 01:13:21
いや、私は基本は安本説じゃないから。
311九州出身:2007/01/21(日) 01:16:28
>>309
たしかに女性天皇も何人か即位してるので完璧な「万世一系」ではない。
でも男系は続いてるんでしょ?
312九州出身:2007/01/21(日) 01:18:04
>>308
それ、もっと解りやすく説明願います
313日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:19:05
おいおい学問板で
いまさら「でも男系は続いてるんでしょ? 」
とかの議論かよ
314斉木:2007/01/21(日) 01:20:58
>>311
宦官制度すら無い日本では男系維持なんて建前や名目に過ぎない。
要は生母が誰かが重要であって、父親は名目で構わないというのが本音。
315征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/21(日) 01:22:37
プラムさんは三世紀東征(引っ越し)説だったのか
316九州出身:2007/01/21(日) 01:23:05
>>309>>313
あのね、、、、何度も言うが、、、天照大御神とは天皇の祖先なの。
仮に
昭和天皇は今上天皇の前の天皇。(君等は違う!っていいそうだな)
317九州出身:2007/01/21(日) 01:25:38
君等、小学生でも知ってること俺にきくなよ、、、疲れる。
318日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:28:06
>>316
「アマテラスが今の天皇につながる」云々の議論じたいが
学問板の議論枠からはずれるってことなのじゃないかい? レベル違うし
319九州出身:2007/01/21(日) 01:28:12
今の首都は東京ていうんだ。
その周辺には埼玉県、茨城県、千葉県、神奈川県、などがある!
>>309>>313は違う!!!!!っていいそうで怖い、、、
320恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 01:29:55
>>269
>それらより更に古い時代に国を挙げて東に移動ってなあ・・・。わてには悪い
>けどイメージできひんな

イギリスが国を挙げてアメリカに移動しただろう。
アメリカインディアンを西へ追い出しながら、結局はごく少数派にしてしまった。
あれと同じ現象が起きたんだよ。

軍事力が全く違ってたから出来る事。
今でさえ、アメリカが正義の国だなんて洗脳を受けてる馬鹿がいるようだが・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
ですが、アメリカ事態が正義の国じゃないってことが
もう、アメリカ一般市民ですら知っているわけですよ。

古くは、

ウンデット・ニーの虐殺

から始まって、ソンミ村の虐殺、広島、長崎への原爆投下、イラク戦争での捕虜虐待、
イラクの一般市民の殺戮などなど。

よーするにですな、昨今ってのは
物理的な力をもった強大な「悪の化身」
(インディアン、べトコン、日本兵、テロリスト)
を倒す正義のアメリカンヒーローって構図が
使いにくくなってきてるんです。
http://blogpal.seesaa.net/article/5600418.html
321九州出身:2007/01/21(日) 01:29:56
>>318
いや、、おまぃらレベルが低いんで教えてやっただけ!
基本的にはここは卑弥呼・邪馬台国、古代の謎の掲示板だ。
322日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:30:27
だめだこりゃ
323プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 01:33:18
>>315 征夷大将軍さん

>引っ越し

とんでもない
約200年かけ、傍若無人を尽くした 完全制覇ですよ。
三世紀後半から始まる(第二次東征)
324日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:36:38
>俗に言う神武東征は、三世紀後半から始まり、五世紀末までの日数を要したと 

これは考古学的痕跡からいうと、どんな感じで裏打ちされますかね?
厳密じゃなくて、ざっくりとした見通し的には
325征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/21(日) 01:36:48
古事記や日本書紀を愛読していると言いながら
古事記と日本書紀を取り違えてしまうとは、そのサイトの管理人さんもウッカリ者ですね
326日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:37:20
>>316
霊的な先祖でしょ?神武が紀の国の森で出会った。。?
327恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/21(日) 01:37:40
>>311
>でも男系は続いてるんでしょ?

怪しい話!
男親は子供に対して、本当に自分の子供かどうか確信が持てぬもの。
女親はまず確実に、誰が父親かはわかるけどね。

オシドリという鳥は夫婦仲のいい鳥として有名だが、遺伝子検査をしたところ
無茶苦茶に性が乱れていたという。

それが125代も延々と全く浮気がなかったなんて、男として考えられん!
328日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:39:09
今の天皇家だって明治期のすりかえられたんでしょ?
329征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/21(日) 01:42:49
>>323
取り敢えず大虐殺でも婿入りでもなんでも良いですけど


プラムさんは書紀のタイムスケジュールは
神武を三世紀にしていると思って居るんですか?

応神元年を仮に390年とするなら、
3世紀の神武から応神までの間の13天皇がギッチリ詰まってると?

それとも所謂「神武=崇神」説で、
「神武=崇神」〜応神までを認める立場でしょうか?


プラムさんの書紀の年代観が掴めません
330日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:45:17
プラムさんはあれだろ?
かならずしも記紀の王統譜を絶対視してないのだろ?
331九州出身:2007/01/21(日) 01:52:06
>>326は森の熊さんの話?(笑)
>>327はもう1度 小・中学生の勉強からやり直したほうが良い
>>328は神功皇后のことかな?
332日本@名無史さん :2007/01/21(日) 01:53:22
>>324
銅鐸の消滅がその象徴ですね。
1世紀末ころか、2世紀初頭まで畿内は銅鐸文化ですね。
それもかなりレベルの高い文化・文明があったのは事実です。

ところが、天皇家の三種の神器はご存知のとおり、剣と鏡と玉
ですよね。
もしも、畿内勢力がそのまま大和朝廷から天皇家であれば、銅鐸
が神器になければ、おかしいとの指摘があります。

弥生中期は北九州が圧倒的に剣・矛文化であり、鏡の発掘量も北九州
に集中している事実があります。
333日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:55:38
A 天皇(大王)の系譜が、実際はどうであったか。
B 後世に系譜を筆録しようとした人たちが、天皇家系譜をどのように捉えていたか。


AとBは、一応、切り離して考えてみなければ・・・、と思う。

俺がこのように言うのは、A≠Bを主張する、ということではない。
AとBには、関係性は、もちろん、あるだろう。

しかし名無史が、最前から、「学問じゃないよ」と言って批判しているのは、
AとBを切り離して考えることをせずして、無条件にA=Bと思い込んでるヤツらに対してだろう。

違うかな、名無史氏よ。
334日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:56:13
紀元前660年の出来事が
文字記録を介在せず
どのように正確に紀元後8世紀初頭まで伝わったのか、
つか、伝わり得るのか?
335日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:00:06
>>334
そなたは「口伝」という言葉を知らんのかw
明治までは職人などはみーんな口伝で師匠から弟子に語り継がれておったんじゃ!
336日本@名無史さん :2007/01/21(日) 02:03:07
>>332
そうですね、記紀には剣・矛・玉の記載はあっても銅鐸の
記載は一切否定されているというか、記載されていませんね。

確かにおかしいですね。
337日本@名無史さん :2007/01/21(日) 02:05:23
>>333
何を言おうとしているのかね君は?
338日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:07:55
>>332
考古学はどうも墓制からものをいいたがる癖があります。
339日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:19:45
>>333
残念ながら、記紀は古代天皇史第一級史料の座を
譲ることはないでしょう。また津田左右吉以来、というかむしろ契沖宣長以来、
この難解な第一級史料の解読に幾人も立ち向かったわけだが
答えは未だなく、今後もない、というべきでしょう。
皇統譜またしかり。
340日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:22:30
>>337
>何を言おうとしているのかね君は?

記紀、六国史などの系譜記載には、遣隋使・遣唐使らが持ち帰った
中国の思想(儒教的思想)による男系重視の考え方に、色濃く
支配されていないだろうか、ということ。

儒教思想による男系重視主義は、さらに後世につくられた貴族の
系図、武士系図にまで、影響を及ぼしている、と思う。
341日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:33:43
>>335
>そなたは「口伝」という言葉を知らんのかw ?

口伝の件、実は最近知ったのだけど
ニューギニアの民族例だと、かの地の人は自分の親々の名前を
何十代もさかのぼって、ふつうに暗唱できる例があったとか。

が、そのニューギニアの人が、何十代も前と同じ文句をを維持できてるかというと
それはまたべつのはなし。

まして話は紀元前660と奈良時代8世紀の話であるから
342斉木:2007/01/21(日) 03:25:33
>>341
マジレスすると、神武が即位したのは3世紀後半の西暦280年頃。
つまり記紀が書かれた500年ほど前の事柄なのです。
343日本@名無史さん:2007/01/21(日) 03:45:54
更にマジレスすると
宇佐神宮に参って 真実をお知らせ下さい
と懇願し恐れ敬い古代の労を労い
宇佐神宮史を勉強すると神が脳に閃きと画像を与えてくれます。
344斉木:2007/01/21(日) 04:00:05
マジレスすると

天照大御神=3世紀前半230年頃(大日巫女、皇祖神、卑弥呼)
萬幡豊秋津=3世紀中頃240年頃(栲幡千千姫、玉依姫命、台与)
ニニギ=3世紀中頃250年頃(天津彦 、天杵瀬命、天日高日子)
ホオリ=3世紀中頃260年頃(山幸彦、虚空津日高)
ウガヤ=3世紀後半270年頃(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)
神武帝=3世紀後半280年頃(初代天皇、狹野尊、神倭伊波礼琵古命)
祟神帝=4世紀後半380年頃(10代天皇、御肇國天皇)
雄略帝=5世紀後半490年頃(21代天皇、倭王武、ワカタケル)
用明帝=6世紀後半590年頃(31代天皇、聖徳太子の父)
持統帝=7世紀後半690年頃(41代天皇、女帝)
345九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/21(日) 06:03:58
>>338考古学はどうも墓制からものをいいたがる癖があります。

としたら、邪馬台国九州説の方に軍配が上がるんじゃない。
だから以前から畿内説者は「九州説者は考古学を重視していない」と強調してきたんだった。
346プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 06:16:40
>>329征夷大将軍さん

●カムヤマトイワレビコ⇒三世紀後半〜五世紀末


●神武(武)⇒五世紀代〜六世紀
347太国:2007/01/21(日) 08:09:14
>>273 征東大将軍さん

皇祖 天照大御神
     ↓
皇宗 神武天皇
     ↓

   ・・・・・
     ↓
   孝靈天皇
     L−−−−−−−|
     ↓       ↓
   孝元天皇   倭迹迹日百襲姫
348斉木:2007/01/21(日) 08:21:24
マジレスすると、古代の天皇の平均在位は10年未満
349斉木:2007/01/21(日) 08:40:17
マジレスすると、神武の即位年は西暦301年(辛酉年)
350日本@名無史さん:2007/01/21(日) 08:50:35
>>342>>344>>348>>349
「マジレスすると」… いちいち断るな! うざい。

真面目に古代の真実を追究しているかどうか、
真剣な態度で古代史に取り組んでいるかどうかは、
レスに書かれた内容を見て、判断させていただく。

ひとことだけ言うなら、これほどまでに異説をを書いておきながら、
晋書や神功紀所引「晋起居注」に何ら触れていない。不真面目、とみる。
351サガミハラハラ:2007/01/21(日) 08:59:29
>>339
確かに記紀は古代天皇史第一級の史料の座を譲ることはないでしょう。しかし、年代については、現代かなりの部分まで
解読されております。100%ということはないでしょうが。
紀年においては神武天皇即位年が131+3年であることまではわかってきています。
352350訂正:2007/01/21(日) 08:59:35
×異説をを → 〇異説を  スマソ。
353斉木:2007/01/21(日) 09:05:59
異説というか、数理統計学上の一理論なので悪しからず。

繰り返しますが、神武の即位年は西暦301年(辛酉年)

これはガチです。

354日本@名無史さん:2007/01/21(日) 09:25:23
>>353
>繰り返しますが、神武の即位年は西暦301年(辛酉年)
>これはガチです。

おや? 斉木氏は>>342で、
 「マジレスすると、神武が即位したのは3世紀後半の西暦280年頃。」
と書いたんじゃなかったすか? >>344の神武のとこも、同趣旨だよね。

ここには二人の「斉木」がいるみたいだなあ。(笑)
355日本@名無史さん:2007/01/21(日) 09:32:26
なぜ、唐古遺跡が残ったのか?
それは、この遺跡は古代大和湖の水際にあって
やがて水没して島しまったから。

そう、大和盆地には、昔、大きな湖があった。

葦原の中つ国とは...そういうことである。
水の豊富な葦生い茂る大和(湖)の土地に
比定されるのだ。

どうよ?
356愛知県民:2007/01/21(日) 10:53:07
>>266
>卑弥呼は晋書倭人伝によれば、魏に滅ぼされた帯方郡の公孫氏の血縁だという。

「晋書」 巻九十七 「四夷伝」ですか。
意富夜麻登久邇阿礼比売命は和知都美命の子なので、
ワチツミ=ワタツミなら外国人かもしれません。
孝昭天皇の時にはワニ氏(王(ワン)氏?)の祖先も来てますし・・・
357プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 10:59:57
>>351 サガミさん

>紀年においては神武天皇即位年が131+3年であることまではわかってきています。

中国の正史ですら(神武)の登場が
【漢興高祖(身弓)神武之材】(漢書・志・卷三十二)と、漢時なのに?
131+3年は・・・・・・書紀を見た帝国の国学者に失笑されますよ
358プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 11:19:24
>>266

都合のいいところで文を悠意的にチョンギッてはいけませんよ
(晋書)は

【舊以男子爲主漢末倭人亂攻伐不定乃立女子爲王名曰卑彌呼宣帝之平公孫氏也】
で終わるのではなく
【舊以男子爲主漢末倭人亂攻伐不定乃立女子爲王名曰卑彌呼
 宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帶方朝見其後貢聘不絶及文帝作相又數至泰始初遣使重譯入貢】
と、続くのですよ

他人にはナンダカンダといっときながら、自分はOKですか?
『・・・・公孫氏也』で切ってしまったら、文が滅茶苦茶になるでしょう。


359一応九州王朝説:2007/01/21(日) 11:26:23
簡単に断定なんてできない。「神武」(つうか狭野尊とかなんとか)
の木簡でも出て、放射年代測定で確定するならともかく。

或いは、「一書」が複数出てくればいいんですがね。まったく、焚書
命じた連中は歴史的犯罪者ですよ。大和政権せこすぎ。
360プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 11:29:43
>>355

>そう、大和盆地には、昔、大きな湖があった。

葦原の中つ国とは...そういうことである。
水の豊富な葦生い茂る大和(湖)の土地に
比定されるのだ。

どうよ?


どうよ?と言われても、『アシハラノナカツクニ』の何処に葦が沢山生えてるとかいてあるの?
葦だらけじゃ 人は住めない。
『アシハラノナカツクニ』って 単に(本州)のことだろう。
それとも、奈良盆地特有の植物かい?
361九州出身:2007/01/21(日) 12:06:15
>>346
神武とカムヤマトイワレビコは別々ってこと?もっと詳しく聞きたい
362九州出身:2007/01/21(日) 12:26:29
葦原の中つ国=ヤマト?
根の国=出雲?
363プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 12:28:48
>>361

『神武』は国内ではなく、中国漢籍に出てくるモノ


『カムヤマトイワレビコ』は記紀に登場するモノ

全くの別な空間にてのモノと判ります。
これを混同するから、記記がより複雑かし、混乱するのです。
364日本@名無史さん:2007/01/21(日) 12:34:31
神武=崇神は間違いだろう?
なぜなら、両者の経歴は
あまりにも大きく違っているから。
また、崇神の父祖あたりの存在も
なんとなく分かってきている。
365太国:2007/01/21(日) 12:59:15
神武と崇神、両者は別人です。
366プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 13:24:23
>>361

『カムヤマトイワレビコ』は、東征の経緯を一ヶ所に纏め上げるため登場させたのです。
東征がたかだか数十年足らずで完結するはずもなく、完結までの約200年間を
『カムヤマトイワレビコ』に背をわせ、東征完結部分で 宋書倭国伝に登場する倭王武の上表(初代天皇の誕生)
で、締めくくるのです。
しかし、歴史は一元的ではなく多元的
東征に費やしている200年間の間(朝鮮半島への侵攻等等)にも、様々な政策出来事が起きるわけです。

特に日本書紀は、縦軸中心の一元的国史ではなく
様々な技法を凝らし、多元的(ワイド)な内容を一元化(縦軸)に引き伸ばした書物と提言しておきます。
367日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:54:21
>>363
あのね、プラムさん。
中国は漢字のご本家ですから、古代でも膨大な漢籍の蓄積がある。
それに較べりゃ、奈良朝ぐらいまでの日本の文献など、知れたもの。
日本で使ってる語句など、探せば漢籍の中にも見出され得るでしょう。

で、そんな語句を見つけて、このスレで披露して、……われわれ、混乱しますよ。
おやっと思うから、九州出身さん、征東大将軍さんと、質問・確認レスしてくるわけ。
で、なんですか、これ。
>>363 >これを混同するから、記記がより複雑かし、混乱するのです

あなたが混乱させてるんじゃないですか!
ともかく、>>346みたいな舌足らずレスの散発、やめてくれ。
368太国:2007/01/21(日) 14:14:15
プラムさん
武王は神武天皇ではないですよ。古史古伝の神武以前の記録というウガヤ朝に
も確か残り4王の名はないはずですし、五王は神功、應神以降の世の九州の
王で、おそらく神武からのもう一本の王系で、神武以後系が長く中断して
いた復活再生的の短期王朝ですが。
369プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 14:14:26
>>367

>あのね、プラムさん。
中国は漢字のご本家ですから、古代でも膨大な漢籍の蓄積がある。
それに較べりゃ、奈良朝ぐらいまでの日本の文献など、知れたもの。
日本で使ってる語句など、探せば漢籍の中にも見出され得るでしょう。

で、そんな語句を見つけて、このスレで披露して、……われわれ、混乱しますよ。
おやっと思うから、九州出身さん、征東大将軍さんと、質問・確認レスしてくるわけ。
で、なんですか、これ。
>>363 >これを混同するから、記記がより複雑かし、混乱するのです

あなたが混乱させてるんじゃないですか!
ともかく、>>346みたいな舌足らずレスの散発、やめてくれ。


『やめてくれ』
それは申し訳ないことを。 以後、混乱を避けるため資料提示をひかえます。
370プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 14:28:27
>>368太国さん

>ウガヤ朝

あの竹内文書の?  確か記憶では『紀元前3175億年に上古初代天皇が存在』
しており
茨城が(世界の中心)という内容でしたっけ?
371プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 14:43:24
>>369さんから

>>あのね、プラムさん。
中国は漢字のご本家ですから、古代でも膨大な漢籍の蓄積がある。
それに較べりゃ、奈良朝ぐらいまでの日本の文献など、知れたもの。
日本で使ってる語句など、探せば漢籍の中にも見出され得るでしょう。

で、そんな語句を見つけて、このスレで披露して、……われわれ、混乱しますよ。
おやっと思うから、九州出身さん、征東大将軍さんと、質問・確認レスしてくるわけ。
で、なんですか、これ。
>>363 >これを混同するから、記記がより複雑かし、混乱するのです

あなたが混乱させてるんじゃないですか!
ともかく、>>346みたいな舌足らずレスの散発、やめてくれ。



という意見がでましたので 混乱を生じさせないため
以後の記紀に関する私の意見は控えさせていただきます。尚、レス交換途中の方々には深くお詫びいたします。
372日本@名無史さん:2007/01/21(日) 14:45:41
>>369
>以後、混乱を避けるため資料提示をひかえます。

逆です。主張の論拠として、資料、ソースの提示は、必要です。
プラムさんの場合、ご主張と、その根拠たる資料の提示が、
一連のレスの中でうまく相手に伝わるようには表現されてないと思う。
ポツン、ポツンと、散発的、五月雨的な感じで、誤解を受けやすいのです。

それと、たとえば「神武」と書いてあった場合、われわれは普通「神武天皇」を思うわけ。
神武のあとに(武)と記したから解るだろう、混同はせんだろう、なんて言わず、
「これは漢籍の何々に記載の、何々という人物のこと」と、きちんと注釈を願いたい。
373太国:2007/01/21(日) 14:50:41
>>370 プラムさん
「竹内文書」は学問的には信用する研究家はおそらく殆どいないので
採用できませんが、他の古史古伝とともに少しばかりは真の可能性は
残存するんではないかと考え、そういう話をした次第です。

あのぅ「神皇紀」とか「秀真伝」、「上津文」(上記)、「天書」
「九鬼文献」とかご存知ですよね?

そういうことで参考にしかなりませんが、神武のころではなく、これは
神功、應神以降の時代と考察しています。
これは拙者の考えですが、以下のとおりです。

「邪馬壹國」 卑弥呼の女王国 神功世の前後
「邪馬臺國」 倭の五王朝   神功、應神〜清寧と顕宗頃あたりまで

374プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 15:03:44
>>372さん

>それと、たとえば「神武」と書いてあった場合、われわれは普通「神武天皇」を思うわけ。

確かにそのとうりです。実に固定観念の恐ろしさを痛感するところとかんじます。
私も以前はそうでしたから気持ちは解ります。
私としても最大限のカキコを心がけてるつもりですが、以後なるべく注意していきます。

あの断片的なカキコは
375プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 15:14:44
>>373 太国さん

>「邪馬壹國」 卑弥呼の女王国 神功世の前後
「邪馬臺國」 倭の五王朝   神功、應神〜清寧と顕宗頃あたりまで


邪馬壹國も邪馬臺國も同じ意味ですよ。
ただ陳寿の場合、後の文章で『壹拝』の文字を使用する関係上
どおしても『邪馬壹國』としなければ全体のバランスが取れないので
他の編纂者とは異なる『壹』の文字使用となったのです。
決して、誤字や誤刻などでは有りません。
376太国:2007/01/21(日) 15:34:42
プラムさん

>決して、誤字や誤刻などではありません。

この点は同意ですね。(「壹」の字の件)

ただ、卑弥呼の女王国の若干後代に倭の五王朝が成り、このころ壹与の王朝
と重複別王朝となり、前者が「邪馬壹國」(卑弥呼と同名の国)、後者が
「邪馬臺國」となり、大陸側で(そのころか、さらに後代になってか)
両者の国名を紛らわしいことから混乱して使っていたんではないかと思います。
377日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:05:03
よって、壹与の可能性は否定はできないが、
臺与が通説であると言える。
378プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 19:09:05
大和さん  (邪馬台国ドンと来い)スレからの続きです

▲『景初四年』の存在▲(状況証拠)

ご存知のように明帝の崩御は(三年正月元日)すると、祥月命日法要は(正始元年正月元日)
しかし、改元されたしかも正月元日に法要ではまずいとする力が加わるのは至極当然のこと
かといって十二月晦日に前倒しとするわけにも行きません。
そこでだされた詔が

【十二月詔日「烈祖明皇帝以正月棄背天下臣子惟忌日之哀其復用夏正雖違先帝通三統之義斯亦禧制所由■改也
       又夏正於數為得天正其以建寅之月為正始元年正月以建丑月為後十二月

(新校本三國志/魏書/卷四 魏書四 三少帝/齊王芳)
この詔と言う事です。

ここには(建寅の月を正始元年正月に、建丑の月を後十二月)にとの内容です。

この詔と同時に法要が施行されれば『法要の日が正始元年正月』となりまずい状況が、詔の次の日に法要が施行されると
法要の後に詔が施行されたとすれば、その瞬間に景初四年は遡ってなかった事に也、一切記録としてなかった事となります
しかし、詔が施行される前日(法要当日)が空白の一日となり(景初四年)が状況証拠
により作り出すことが可能になるのです。しかも記録にはのこらず。

景初四年の存在が否定されず、景初四年の存在が考えられる以上、前年製作された景初四年の年号入り鏡を廃棄する必要が何処にもないのです。
379日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:11:25
技師輪仁殿に、少しこだわり過ぎだよ
http://society4.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1145305314/
380日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:13:06


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1167105788/132


 きゃぁぁぁぁっぁ!!オナヌーオナヌー〜〜
 助けてオパーイちんちん!!
ブーツ蒸れ蒸れ〜〜〜
381日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:30:48
神倭は冠だから「イワレヒコ」、つまりイワレヒコが行った冒険が、一代限りでは
なかったという話ですか。「神武」自体が所詮漢風諡号ですが。

文化の伝搬はもとより何百年、もしかすると弥生文化は千年近くかかっていますね。
その中で、特に早吸の瀬戸、吉備などいくつかの固有名詞が出現する=特筆するには、
なにか合理的な理由が必要だと思うのですが。

比較例として、ヤマトタケルの冒険譚がありますね。あれも大和朝廷の征服を一人の
物語にまとめたものとも言われますが。

382日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:02:47
■志羅紀の地理的位置■

 中国の史書『後漢書』の記録である。馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の西にあり」と
記している。また弁韓についても、「辰韓の南に(弁韓は)あり、その南また倭と接す」とある。
 『三国志』も同じく、「馬韓は南で倭と接す」とある。さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は
倭と界を接す」とある。
「辰韓の南に弁韓あり、その南また倭と接す」
後漢書のこの記述は、ひじょうに興味深い。

・辰韓は北にある。
・弁韓は辰韓の南にある。
・弁韓の南に倭がある。

この記録は、稲飯命が建国した志羅紀(シラキ)の位置を語っているのである。

辰韓→ ワイ人の国(後の新羅=シンラ)。3世紀に南下して志羅紀を侵略する。
弁韓→ 倭人の国。志羅紀。神武天皇の皇兄=稲飯命が建国。天日矛命の国。
 倭→ 弁韓(志羅紀)の南方にある倭人国・ヤマト。日本国。

 こういうことなのだ。
 やはり、志羅紀と新羅は別の国なのである。シラキの王子=天日矛命が倭人であることが、『後漢書』の記録によって
証明された。天日矛命の子孫が神功皇后である。神功皇后の新羅征伐は、ワイ族(朝鮮人)に侵略された先祖の祖国=志羅紀
(シラキ=弁韓)を解放するための聖戦だったことが明らかになった。
383日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:35:53
邪馬台国関係の最高サイト?


邪馬台国とは何だろうか?
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/contents.html
384日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:12:02
んなもん貼るなよ。
385日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:35:36
>>344
斉木さん! あんた天才!!
私もほぼ同じ見方をしています!!
386日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:42:51
クナ国って、当時の中国語でなんて発音したのでしょう?
だいぶ前にクナ=吉備って意見ありましたよね。
ちょいと気になった岡山人でした。
387日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:22:13
>>381
ヤマトタケルは倭武天皇。すなわち倭王倭武。
伝承は時代を誤っている。
388日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:57:13
ちっ、ちっ、ちっ、
神武はね。○○○○なんだよ。
証拠はね。どちらも四兄弟。
389日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:13:52
>>388
ジャギ様?
390九州出身:2007/01/21(日) 23:19:36
>>366
なんか難しいね!
神武は実在しなかったって言いたいの?
391プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/21(日) 23:23:26
>>390

そんなにムズイと考える事はないよ
392九州出身:2007/01/21(日) 23:26:29
>>375>>376
それはおれも同意。
同じ意味としてる。
393九州出身:2007/01/21(日) 23:28:32
プラム氏、、もう少し簡単に説明してくれ。
394大和:2007/01/21(日) 23:31:13
>>378 プラムさん。サンクスです。
>『景初四年』の謎に関する意見を

再論:『三國志』魏書 三少帝紀 齊王芳(アレックス氏HPに感謝)
12月条が三年十二月なのかを勉強しました。しかし、なぜ景初三年の十二月
が祥月命日で「モガリ」の月なのかいぜん不明状態。

等々を踏まえ、
方各規矩青龍三年鏡(太田南5号墳)が畿内洛陽で齊王芳の立太子記念鏡とし
て作られ、斜縁盤龍景初四年鏡(広峯15号墳)は即位記念鏡として楽浪で陳
氏により製作されたのもわかった。最大の関心ごと、三角縁景初三年鏡(神原
神社古墳)も楽浪で陳氏が作り、他の2鏡と併せて列島へ持ち込んだのもわか
った。そして陳氏が亡命鏡工人として列島で画文帯景初三年鏡(和泉黄金塚古
墳)をつくったのもわかった。プラム氏に感謝。
395九州出身:2007/01/21(日) 23:35:58
【十二月詔日「烈祖明皇帝以正月棄背天下臣子惟忌日之哀其復用夏正雖違先帝通三統之義斯亦禧制所由■改也
       又夏正於數為得天正其以建寅之月為正始元年正月以建丑月為後十二月

(新校本三國志/魏書/卷四 魏書四 三少帝/齊王芳

プラム氏、、、、これどこで手に入れたの?最近プラム中心で回ってるよね。
396日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:59:15
>>389
神武が四兄弟ってのは編者がさいころで決めたんじゃない。
だいたい話の上では四人も必要ない。かといってそんな昔の兄弟が四人いました
なんて伝承も書き記す必要もあえてない。ということは答えはひとつ。
四兄弟であるアイツのことを過去に投影したとしか考えられないのだ。
397プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 00:15:32
>>395

漢籍のwebサイトで見付けられる。
初心者の方には 先ほど大和さんが紹介してくれた (アレックスさんのHP)なんか便利だし、その他マニアックなものは、国会図書館の電子書庫や海外の公開書庫からだよ
(中国や台湾)なんかもいいかも かなりの古代漢籍を、web公開しています。
398プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 00:19:09
>>394 大和さん

景初三年正月元日崩御の一周忌法要は正始元年正月です。
399日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:23:22
>>396
神武天皇の四兄弟のうち、五瀬命は戦死し、稲飯命は海に飛び込み亡くなる。
狭野命が神武天皇で、もう一人は名前は忘れたが、この人は日向に帰った
という伝説がらしい。
高千穂町にある高千穂神社に祀られているのがこの人じゃなかったかな。
400日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:28:54
>>398
魏の明帝は、景初三年の正月に死亡。ということは景初三年は喪に服している
はず。喪に服しているときに、景初四年の銘の入った鏡を作ったというわけ?
401日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:32:28
>>381
常陸国風土記の倭武天皇記事は
書記完成期においてすら、その王統譜が確立していなかったという
証左のように思えます。
402日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:35:23
>>399
高千穂神社に祀られているのは、三毛入野命だった。
古事記には三毛沼命と書かれている。日子穂穂手見命の三男。
403東亜の論客:2007/01/22(月) 00:47:57
マジレスすると

天照大御神=3世紀前半230年頃(大日巫女、皇祖神、卑弥呼)
萬幡豊秋津=3世紀中頃240年頃(栲幡千千姫、玉依姫命、台与)
ニニギ=3世紀中頃250年頃(天津彦 、天杵瀬命、天日高日子)
ホオリ=3世紀中頃260年頃(山幸彦、虚空津日高)
ウガヤ=3世紀後半270年頃(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)
神武帝=3世紀後半280年頃(初代天皇、狹野尊、神倭伊波礼琵古命)
祟神帝=4世紀後半380年頃(10代天皇、御肇國天皇)
雄略帝=5世紀後半490年頃(21代天皇、倭王武、ワカタケル)
用明帝=6世紀後半590年頃(31代天皇、聖徳太子の父)
持統帝=7世紀後半690年頃(41代天皇、女帝)
404九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 00:49:34
鏡に銘文として刻むのに、わざわざ明帝の崩御した忌年を刻むなど考えられない。
三角縁鏡は呉の様式の鏡であって、倭製の可能性が高い。
従って、漢字の読めない倭人に、厳密な中国の元号入りの鏡など不要。
そもそも銘文を刻む様式自体呉の様式である。しかも魏の領土からの出土例は無い。
呉様式の鏡が、呉に敵対していた魏国の親魏倭王たる卑弥呼に与えられたと考える方に無理がある。
405日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:52:30
>>403
根本的に支持できないが、
現王統譜が史実性ゼロだという点では、こういうのも同じ地平にあると思う。
406日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:56:49
>>404
>三角縁鏡は呉の様式の鏡であって

ソース
407日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:57:58
>>403
証明不能な系譜である
408九州出身:2007/01/22(月) 00:58:11
ニギハヤヒはどう?
409日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:05:57
477 ::日本@名無史さん :2006/11/24(金) 02:15:38
流通は 西域(秦のあったところ)→雲南→長江→揚子江→百済→大和 
だったが百済は現チョンに滅ぼされてある時から流通はストップ。
百済の倭人も日本へ引く。

478 :日本@名無史さん :2006/12/27(水) 10:33:17
元々倭人の分布は中国の東岸部と半島の南部に及んでたというし
新羅の建国を助けたのは倭人だし
百済人=倭人でも何の不思議もない

479 :日本@名無史さん :2007/01/21(日) 01:10:14
ほー

480 :日本@名無史さん :2007/01/21(日) 02:21:55
>>477
同感。日本人のルーツを探るなら恐らくそのルートに台湾と南西諸島を
含めたものが一番適切だと思う。

ベトナム国境に存在した7世紀の南詔には大和城という地名があったし、
10世紀の大理から広州、泉州、杭州という、かつて蜀と呉があった
広い地域には苗族や少数民族の集落が点在する。この地域では造船が盛
んで記録以上に古くから長距離航海耐えうる船が有った考えられる。

何より注目すべきはこの地域の文化が北方に比べて日本のそれとよく似
ていることである。稲作や餅つきの食文化もしかり、いわゆる南蛮の藤甲鎧
なども日本の甲冑に非常によく似ている。

北方モンゴロイド移民=日本人説を盛んに唱える者がいるが、金より南下した
北方モンゴロイドである彼らこそが日本と敵対し未だに忌み嫌われる現朝鮮人
で比較的新しい秀吉時代に大量に西日本に渡って来た移民だと気付くべきだろう。
410日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:07:29
.>408
記紀神話の成立論からいえば
紀の不自然なニギハヤヒ記事は
成立期においてもなかなか無視できない
古い伝承が存在していたということなのだろう。
おそらく記紀完成まえの一つか二つ前の神話層では
ニギハヤヒがわりと活躍していた説話があったのではないだろうか?

ただいえるのはこの程度までが限界。これ以上のそれはは妄想です。
411日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:07:59
>>409
日本人の南方起源は、とうにDNA鑑定によって否定されてるっちゃ。
412日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:11:13
>>409
南方起源論はほぼ相対化されているのではないでしょうか?
てか、えらく古い議論なのでは
413日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:13:23
>>411
それがあんまり信用できないんだよね。
だって西日本の朝鮮系の日本人つかまえてDNA検査しても意味ないからね。
414日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:16:06
右翼団体の質疑応答集そのままだ
415日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:20:13
>>406
中国の王仲殊氏が、三角縁神獣鏡は呉の工人が日本にやってきて作ったものと
言ったわけだけど、これは、神獣鏡とか画像鏡とかいう文様が呉に多い形式
だかららしい。
画文帯神獣鏡も中国で40面くらいだったか、出土しているわけだが、これも
ほとんど呉の領域で出ている。
416日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:21:32
そういう偏見もいいけどさ、日本の中に数種の渡来人がいるとしても、
卑弥呼の時代以前に稲作文化持ってくるとしたら中国南方系だと思うよ。
むしろ南方系の移民が日本にこなかったというなら、DNA説以外の
根拠が知りたい。
417日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:21:52
>>413
あの本ではほぼ全国的に調査してるよ。
418日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:25:42
>>416
偏見といわれてもなあ
君こそなんで北方を捨象したがるのか?
419日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:26:29
>>416
まず航行の話。
半島=対馬=壱岐=九州はそれぞれ向こうが見える。よって航行は容易。
南方からはもう命がけになる。鑑真だって何度も失敗している。
ただ南方系民族は漂着ってのはよくあった。日本書記の孝徳天皇の巻にもあるね。
420日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:27:43
敵対してたから
421日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:28:19
近親憎悪だろ
422日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:45:06
>>419
百済はそれでよかったんじゃない?
漂着じゃなくても南方系は瑠求(台湾)と南西諸島通れば原始人でも容易に日本まで
たどり着けると思うよ。

>>421
近親じゃないとおもっとるよ。顔パーツ違うからながいこと接触無かったと思う。
今の韓国人はどうみても金とか契丹あたりの南下した北方モンゴロイドの血濃く入ってるでしょ。
日本人とけっこう違うと思うよ。
423日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:48:30
じゃ近親憎悪じゃなくて近隣憎悪だな
424日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:50:14
>>422
>南方系は瑠求(台湾)と南西諸島通れば原始人でも容易に日本までたどり着ける

どう容易なのかぜひ聞きたいものだ。
425日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:50:38
右翼団体の質疑応答集はその程度のものか
426日本@名無史さん :2007/01/22(月) 01:56:07
憎悪の話は置いといてw、卑弥呼以前の時代に日本に礎になる文化持って来たのが
誰なのかを知りたいんだよね?だからその頃に稲持って来たのは北方系ではなくて
南方系だと言いたいの。放牧好きな北方モンゴロイドが稲植えて臼と杵で餅作るかい?
南方系の民族にはそれをやって大移動したっぽい民族がいるよ。
427日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:56:32
なんたら王朝とかほとんど興味ありません。
倭人伝にしるされている3世紀の祭祀と
その前後の考古学的祭祀遺物、
8世紀記紀万葉集にかいまあわわれる古層信仰の残滓。
これらに興味があるだけ
428日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:02:57
>>426
>放牧好きな北方モンゴロイドが稲植えて臼と杵で餅作るかい?

別に北方モンゴロイドとかやらは放牧を「好き」でやってるんじゃあるまい。
稲作文化の列島入りは半島説もある。またある文化が南から来たといって
日本人全体に敷衍するのもおかしい。ひとつの文化の輸入は数人でも出来うる。

>南方系の民族にはそれをやって大移動したっぽい民族がいるよ

誰だよ?
429日本@名無史さん :2007/01/22(月) 02:04:06
それは別にかまわないけどさ、だからと言って卑弥呼がまたはその頃の日本人が
北方モンゴロイドを祖とする現朝鮮人だと結びつけるのはちがくないと言ってるのw。
430日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:04:41
もひとつ。日本語はウラル・アルタイ系で、まあ、いわば北方系なのだ。
これは日本の学者は「日本語は唯一」と遠回しに言ったり、断言したりしながら
否定するけどね。
431日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:05:23
>>429
誰がそんなこと言ったよ。話そらすなよ。
432日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:12:36
朝鮮人憎しの思いで
古代史を読み誤ることのなきよう
433日本@名無史さん :2007/01/22(月) 02:13:15
>>428
>>ひとつの文化の輸入は数人でも出来うる
これは数人とまで言わないまでも少数ってのは確かに同意できる。
だから、大半が同化または滅ぼされてしまったかもしれないインドシナ国境から来ただろう苗の民族。
この民族の分布はちりじりだがとても広い。
434日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:15:08
>>430
>日本語はウラル・アルタイ系で、まあ、いわば北方系なのだ。
これは定説化までいってるのですか?
435日本@名無史さん :2007/01/22(月) 02:26:43
>>430
それも微妙だよな。元から土地にいたのと、稲の文化伝来させたのと、
文字または言語伝来させたのが同時期で同民族である必要がないんだよな。
漢字使ったのは一部の武器持った来た朝鮮渡来系だろ?それと異なる民族が
日本で別の言語使っててもそれが漢字に当てはめられなかったり、口伝なら
解明できないだろ?
436日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:28:59
>>430
アルタイ語族系というのは、その枠組みが
かなり大枠なんだけどね。

よって、アルタイ語族の中でも、そうとう
かけ離れていたりする。
437九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 06:46:28
>>406いっぱいあるがまず、これをどうぞ。

http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page029.html
438九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 08:04:27
日本人は、蒙古斑があるから、北方系のモンゴリアンであることに代わりは無いが、
古代の建築様式を受け継ぐ神社などの建物は南中国の影響を受けているし、
納豆や豆腐、味噌などは雲南にルーツがあるようだ。
言葉は朝鮮語と同じアルタイ語系に分類されるが、朝鮮語は子音の響く言葉であるのに対し、
日本語は、世界でも珍しい母音の響く言葉でありポリネシア語と同様である。
方や、東南アジアのラピタ人はイースター島までたどり着いているし、
ポリネシア人が日本列島に来たというを否定できない事実。
又、日本では稲作は縄文時代から行われていて、そのルーツは雲南や東南アジアといわれている。
そのようにして混血した和製旧モンゴリアンに、大陸からの渡来人、いわゆる新モンゴリアンの
幾度となく時を異にしての渡来のウエーブがあり、今の日本人の原型が出来上がっていったと思われる。
439サガミハラハラ:2007/01/22(月) 08:51:19
プラムさま、>>357のレス何度よみかえしても意味がわかりません。
帝国の国学者とはどこの帝国でしょうか?

ちなみに神武天皇の神武は8世紀の淡海三船によってなづけられたということですが?
440プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 10:00:28
>>439サガミさん
おはようございます。久しぶりのレス ありがとうございます。


早速ですが
『神武』の文字は、中国を統一した 漢の高祖(劉邦)を讃え敬称する文字
それは、当時多くの中国漢籍を蔵書していた日本にて、淡海が知らぬ訳ありません。
それに匹敵する人物が
130年代列島に存在していたとは?
列島がひとつの統一された政権になり、正式に中国で倭国と認められたのは『宋書』ですよ だから後の『宋史』にも神武の諡号が
二世紀一人の人物により列島が統一され、中国からも正式に認められていたとは?神武とはそのような意味です
441日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:03:05
>>438
アルタイ語族は、比較言語学の考えると
それぞれの諸言語の言語格差が
かなり大きいんだわな。

だから、日本語は、それ一つで、
一つの言語型のカテゴリが形成されると
言語学の権威で分類されていたはず。

たとえば、インド=ヨーロッパ語族の場合、
英語とドイツ語、英語とフランス語の格差は、1500年くらいなんだわな。
イタリア語とスペイン語の格差は、1000年くらいで、いまだに通訳を介さずにも
3分の一くらい通じる。
英語とイラン語で、5000年くらい?

でも、日本語とアイヌ語の格差は、6000年くらい、
日本語と韓国語の格差は、短くても7000年くらいなんだわな。
442大和:2007/01/22(月) 10:18:30
>>398 プラムさん。
おかげで紀年銘鏡の流れは理解できた。残りの疑問。
「得天正其以建寅之月為正始元年正月以建丑月為後十二月」の記述が景初三年
十二月のこととして記載されている。これが不思議だったのだが、

>ここには(建寅の月を正始元年正月に、建丑の月を後十二月)にとの内容です。
>景初三年正月元日崩御の一周忌法要は正始元年正月です。

『寅の月(旧暦1月)の正始元年正月を、丑の月(旧暦12月)後十二月とする』
はそのまま理解するとして、明帝の葬送儀礼は死亡時景初三年正月に壮大に行
われた。時間軸に於いてそのまま二月・三月・・・と時を刻み、十二月に至り
その翌年、景初四年正月(三年曹芳即位するも改元せず。)が一周忌法要にな
るところ、皇帝として、お正月が一周忌法要になるのを避けたいという事で、
「建寅之月為正始元年正月以建丑月為後十二月」に見える如く暦を一ヶ月読み
替えて、明帝の法要を済ませ、その月、景初四年正月(正始元年正月)を景初
三年後十二月とするむね布告。法要を済ませた皇帝曹芳は、翌月に改元、正始
元年二月齊王芳として名実ともに皇帝として君臨した。と理解します。即ち本
来慶事であります[景初三年正月中]に国をあげて葬儀を行ったでよろしいです
か?

すると魏書・齊王芳の記事と整合性が保てる。新皇帝として、前皇帝の歿った
月(景初三年正月)を後十二月として名目上一ケ月遡ぼらせることができたか
どうか、頭の片隅にひっかかっていたことも含めて納得了解です。
これで景初年間の卑弥呼朝献をクライマックスとしたドタバタ劇がすべてつな
がった。ドタバタ劇の演出に感謝 とりあえず謝辞を残してお勤め退散。
443日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:19:31
>>441
言語学の世界では、一応
日本語はそれ一つでカテゴリを形成している。
もし、どこかに当てはめるのなら
アルタイ語族の中に当てはまるのだが...
って感じだが、そうとう、遡らなければいけないだろうという説が有力。
444九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 10:56:17
ドン来いのことで1000番でお知らせ下さいって言ったら、太国さんが入ったため、
自分が1000番になっちゃった。でも太国さんの、「継続OK ]というのは心強い気がしています。
445プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 10:59:07
>>442 大和さん
おはようございます。

未だメデタシメデタシではありません。


祥月命日は(暦)にて定められますから正月元日が法要日となります。
例え後十二月を設けても、正月元日が命日で有ることには変わりありませんから……。
このドタバタの発信もとは、どおやら皇太后(おめでたい朝賀の日に、法要は……?)
この詔が本当に施行されたのか?と、いう疑問も残りますし


イヤハヤ厄介なタイムスケジュールです。
こんな景初三年喪中に朝献する奴はいないでしょうし、例え願い出ても正始まで待たされるのがオチかと
446日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:00:30
>>441
印欧語の近似性だってかなり曖昧。
イラン・インド系の言語は語順からして英語と違い、英語とラテン語も結構違う。
英語とラテン語の類似語彙は、ローマ支配でほぼ説明ができうるが。

その意味では、日本語と朝鮮語は語彙にかなり隔たりがあるが、
文法、つまり「てにをは」の使用法が同じなんだよね。確かに、遡及は2000年じゃきかないと思うけど、
日本語が朝鮮語、モンゴル語に似ているのは事実。少なくとも南方系ではない。
447九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 11:05:06
>>441
日本語の元になった言語が形成されたのもかなり古く、縄文時代、又それ以前に大陸と地続きであった頃から、
北方騎馬民族や、南方系の言語が入り混じって多種多様な要素を持って出来上っていったのでしょう。
448日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:15:35
ドン来い!の13は立たないのでしょうか?
自分は携帯ですので立てられません…
449プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 11:34:32
>>447

>言語が形成


それって(母音)の事?
450プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 11:43:25
『ドン来い』立てたよ〜。
http://c-docomo.2ch.net/test/-/history/1169433574/i

取り敢えず携帯からだからこれで勘弁して。
451プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 12:40:35
景初二年・三年問題も同じですね

『公孫氏云々騒動で半島が混乱している。だから二年に朝献行為は無理』

無理と言われても〜。
ドタバタ喪中(景初三年)に朝献するほうが“無理無理”ですよ!朝賀の挨拶すら取やめようと考えてるのに〜。
452九州出身:2007/01/22(月) 18:35:54
面白いもの見つけた!

●三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)

この鏡は、239年に卑弥呼が魏からもらった100枚のうちの1枚だと思われています。中国でつくられたと推定されますが、本家の中国では発見されていません。外縁の断面が三角形になっており、中央には中国の神像と霊獣が描かれています。

Q.01:この鏡を卑弥呼はどのように使ったのでしょう。


1_中国や朝鮮半島で使われていたように、呪術(じゅじゅつ)を行う統治者が姿を映し出し、見なりを整えるために利用した。

2_魏(中国)からもらった貴重な100枚の大部分を代々の統治者の墓に埋め、先祖の霊を鎮めるために用いた。

3_魔除けのために使うと同時に、それを権威の象徴として臣下に与え、自分の地位を確かにしょうとした。
453日本@名無史さん :2007/01/22(月) 19:12:19
>>440
やっぱり宋だよなw。宋だとすると南方文化なんだよな。
北魏でもなければまして夫余や高句麗なんかでは決してないってことだ。
454日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:39:07
日本人や韓人(からびと)の先祖について、
「フヨだよ、フヨに決まってるじゃん!」とワメいているのは、
世界中で朝鮮人だけ。世界の学界からは馬鹿にされてる(笑


■志羅紀の地理的位置■

 中国の史書『後漢書』の記録である。馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の西にあり」と
記している。また弁韓についても、「辰韓の南に(弁韓は)あり、その南また倭と接す」とある。
 『三国志』も同じく、「馬韓は南で倭と接す」とある。さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は
倭と界を接す」とある。
「辰韓の南に弁韓あり、その南また倭と接す」
後漢書のこの記述は、ひじょうに興味深い。

・辰韓は北にある。
・弁韓は辰韓の南にある。
・弁韓の南に倭がある。

この記録は、稲飯命が建国した志羅紀(シラキ)の位置を語っているのである。

辰韓→ ワイ人の国(後の新羅=シンラ)。3世紀に南下して志羅紀を侵略する。
弁韓→ 倭人の国。志羅紀。神武天皇の皇兄=稲飯命が建国。天日矛命の国。
 倭→ 弁韓(志羅紀)の南方にある倭人国・ヤマト。日本国。

 こういうことなのだ。
 やはり、志羅紀と新羅は別の国なのである。シラキの王子=天日矛命が倭人であることが、『後漢書』の記録によって
証明された。天日矛命の子孫が神功皇后である。神功皇后の新羅征伐は、ワイ族(朝鮮人)に侵略された先祖の祖国=志羅紀
(シラキ=弁韓)を解放するための聖戦だったことが明らかになった。
455九州出身:2007/01/22(月) 19:47:15
畿内から魏時代の神獣鏡が出土したということは畿内が魏時代より後の時代ということなる。
どうして同じ時代になるのか!畿内説よろしく
456日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:53:27
>>455
意味不明 却下
457日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:54:26
>>455
意味不明 
458日本@名無史さん :2007/01/22(月) 20:27:45
ついでにオラの妄想質問にも答えてくだされ。
2世紀半島南部にあった3つの韓が前2世紀の漢中あたりにあった七雄の韓と
ワイ水か江水を通じて関係が有ったりしますか?
ちなみに今の韓国にいるのは元の頃に南下して半島支配した北モンゴロイドだと仮定して。
459日本@名無史さん :2007/01/22(月) 20:33:30
というのも、オラの中でキョロ目のリーさんと
チェ・ホンマンみたいな細目のチョンさんの顔が
同じ朝鮮人の括りでも全く違う民族だと感じるのでw。
460九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/22(月) 20:44:05
>>449
縄文人の口から初めて話された言葉とでも申しましょうか。
あちらこちらからの寄り集まりで、言葉もバラバラだったのが
次第に統一されていく中で、編まれていった言葉というか。
461日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:14:43
>>444
神武天皇が中国に最初に認められた倭王かどうかは分からない。
問題は、中国の書物には
一応、倭から使者がいくつも来ていたが
どの時代で金印を与えたとか全部は記載されていない。
462九州出身:2007/01/22(月) 21:52:52
>>110-113
壹與はこれにもでてくるかーぁ?
http://homepage2.nifty.com/fu-cocoon/douyou.htm
463プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 22:06:51
>>462

>壹與はこれにもでてくるかーぁ?

壹與が出てくるかどおかは知らないが 『はないちもんめ』なんて興味津々

464九州出身:2007/01/22(月) 22:07:38
国中服さず、内乱状態となり、数千人が殺された。そこでまた卑弥呼の宗族の娘で13歳の
壱与(いよ)を王としたところ、国中が定まった。
張政は壱与に布告して教諭し、壱与は倭の大夫で率善中朗将の掖耶狗(やくやく)ら20人を
派遣して張政を郡に送還し、その機会に魏の朝廷に参上して、男女の生口30人を献上し、
白珠5,000孔、青大句珠2枚、異文雑錦20匹を貢納した。
以上が三国志魏志東夷伝の伝える邪馬台国女王壱与の即位事情である。
465九州出身:2007/01/22(月) 22:20:26
小椋 一葉って昔、読んだっけな。
小椋一葉は、記紀だけでなく、神社伝承や民間伝承をベースに、古代史を解き明かそうとしている。
その意味で、とても新鮮でおもしろかった。
小椋は、スサノオとニギハヤヒこそが倭国建国の人物であり、彼らの事跡は記紀により抹殺されたと論じている。
誰か読んだ人いる?
466九州出身:2007/01/22(月) 22:25:08
それより壹與だよぅ。
壹與の東遷はよく唱える人が多い。私には神武東征と重なってしょうがない。
ここで神武東征と並べて考えようじゃないか!
467九州出身:2007/01/22(月) 22:27:31
かごめ〜♪ かごめ〜♪

かご の なか の とり は〜♪

いついつ でやる〜♪

よあけ の ばん に〜♪  

つる と かめ が すべった〜♪

うしろ の しょうめん だれ〜♪


『篭目歌』である。

「この中にあの邪馬台国の女王、壹與が・・・」
とプラム氏から教わったホームページでいわれてる。
ウソか真実かは謎である。
468九州出身:2007/01/22(月) 22:28:03
469日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:44:35
>>466
東征は、科学的に見て
無理なんだけどね。
470日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:01:08
どのあたりが出発点だったら有り?
吉備? 播磨? 阿波?
471プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/22(月) 23:17:49
>>469

>東征は、科学的に見て
無理なんだけどね。


そりゃそうだろう。東征は科学ではなく、史学の世界だから
472山下健三:2007/01/22(月) 23:21:02
山口県 土井ヶ浜遺跡 は在○○国人による捏造です
青森県 三内丸山遺跡 は縄文日本人による捏造です
473九州出身:2007/01/23(火) 00:03:37
邪馬台国時代、九州を統治してた天照族。しかし、その直前の素戔鳴による九州平定、
ニギハヤヒと三十二人の従者と二十五の物部の東遷の話とか知ってる人いないのか?
イザナキとイザナミの関係がどうなのかは知らないが・・・
474九州出身:2007/01/23(火) 00:05:43
イザナミと素戔鳴の関係からイザナキ(日向)とイザナミ(出雲)とみるべきなのかどうか迷う・・・
475九州出身:2007/01/23(火) 00:08:10
素戔鳴による九州平定の話とか本当に知ってる人いるのか??
476九州出身:2007/01/23(火) 00:11:40
♪ とおりゃんせ とおりゃんせ ♪

ここは何処の細道じゃ

天神さまの細道じゃ


天神さま=天満宮=菅原道真公のイメージ
しかし、天神といえば天照族。
もともとは天照族による伝承だったのかもしれん
477九州出身:2007/01/23(火) 00:17:30
>>469-471
東征はあったでしょう
478九州出身:2007/01/23(火) 00:35:17
、「カムヤマトイワレビコ」が男である筈がなかろうが!・・まじかぃ!
479恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/23(火) 01:07:30
>>411
>日本人の南方起源は、とうにDNA鑑定によって否定されてるっちゃ。

そんな単純な結論とも思えんけど・・・・・

−−−−−(引用開始)−−−−−
琉球人の祖先が南方から渡来した可能性も否定できません。沖縄で
発見された18,000年前の港川(みなとがわ)人は、北京近くの上洞人よりむし
ろ中国南部の柳江人に近いとされています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm074.html
480九州出身:2007/01/23(火) 01:14:52
プラム氏へ 新しいの見つけた!(虫さんの)
大人しく・・・信用したほうがよさそう。あれは素晴しいわっ!
素戔鳴がどうのって天照族だし・・・
481九州出身:2007/01/23(火) 01:20:38
ってことでみなさん〜がんばって邪馬台国論争してくれっ!
おれはあるホームページの続きを読むのでここらへんでこのページ閉じる。
ではがんばりたまえ 諸君!ガハハ
482恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/23(火) 07:37:38
>>471プラム ◆TOfHBAKZgM
>東征は科学ではなく、史学の世界だから

本当にお前はバカ!
史学とは、歴史を科学的に研究する学問の事。

どこかの方みたいに妄想的に拡大させて、物語を作る事じゃありません。

東征は、残された文章の科学的研究からも、残された遺物:銅鐸や銅鏡などの科学的
研究からも事実と認められる。

判ったかい?
483プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 07:52:17
>>480

ガンバッテね〜。


後、スサノウは架空でナガスネは多数だよ


…kappa_mushi7019…
484プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 07:56:03
>>482

みっともないからシャレに対してマジレスするなよ

彼は科学的とカキコし、俺は科学と返した事くらい気付け!


ボケが……。
485九州出身:2007/01/23(火) 18:39:34
>>483
スサノオが架空の人物って虫さんのに載ってた?
486プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 19:01:30
>>485

あれ? 書いてなかったけ?

最近覗いてないから(勇み足)か? まだ早いから忘れてチョ。
487九州出身:2007/01/23(火) 19:27:52
前の教えてもらった記事にはないね 

何故プラム氏はスサノオは架空って思った?
488九州出身:2007/01/23(火) 19:29:18
プラム氏へ

何故、スサノオは架空の人物って思ったの?
489プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 20:08:58
>>488

今は詳しく言えないけど、この際だから スサノウが架空として 読んでみたら?

あと、日本書紀は
先ず「一書日」と歌を重視する(虫さんから教えてもらった)
編纂者が強調したいからこその 業だよ
490九州出身:2007/01/23(火) 20:31:13
陳壽←これなんて読むん?范曄←これも!
わかる人いるかな?
491九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 20:36:24
いままで大変お世話になりました。このエキサイティングな日々はけして忘れません。
管理人の方、そして皆様、深く感謝いたします。
またどこかであおうね。
492プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 20:42:10
>>491
九州ですがさんよ “どおして?”
493九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 20:53:54
>>492でもプラムさん。2ちゃんが閉鎖になるって・・・。
あと一時間を切りましたって出てて・・・。
まだ会話していく事ができるのでしょうか?????
494日本@名無史さん:2007/01/23(火) 20:56:20
>>490 右は 
はんようだよ
495プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 21:15:13
>>493

>2ちゃんが閉鎖になるって・・・。
あと一時間を切りましたって出てて・・・。
まだ会話していく事ができるのでしょうか?????


根拠の無い会話は厳禁とあれほど言ったでしょう
>あと一時間を切りましたって出てて・・・

何処にでてたの?
チャント裏付けとったの?
496日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:21:47
>>493
まあ、もちつけ。ペッタンペッタン(AA略。
497九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 21:24:06
壷からのお知らせってのに出てません?このように。コピーしました.下記。

2007/01/23 18:59 新規メッセージ
  【閉鎖】あと3600秒(1時間)を切ったようです
念のため「べっかんこhttp://u.la/」をブックマークしておくといい予感。
ちなみに狙い目は3333秒、2222秒、1111秒、777秒、1秒らしいです。
http://ex17.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1169545954/l50

498プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 21:25:09
>>490

>陳壽←これなんて読むん?范曄←これも!

尋ねる前に辞書を引く
この癖つけないと、虫さんの理論にはついていけないよ
三ヶ月で辞書ぼろぼろが理想だね
499征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/23(火) 21:33:51
>>497
  ( ^ω^) …
  (⊃⊂)


  (^ω^;)⊃ アウアウ!!
 ⊂ミ⊃ )
  /   ヽ
500九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 21:43:01
>>496まあ、もちつけ。ペッタンペッタン(AA略。

ややっ。この方は重要なターニングポイントにお出ましになるという伝説の
もちつけペッタン大明神。
501九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 21:59:34
>>496
落ち着けって、もう時間無いじゃない。どーすんの?ねえどーすんのよ?
502プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/23(火) 22:07:45
>>501

>>493のレスから既に一時間以上たってるジャン  何かのお遊び?
503九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 22:10:09
>>502
そ、そういえば・・・。では取り乱したのは私だけ?
504日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:13:26
>>503
太国さえ寝てるみたいだぜ。(汗
505九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 22:43:42
>>499
しかし征夷大将軍さんのいかめしいコテ名に似合わず絵のかわいいこと。
506一応九州王朝説:2007/01/23(火) 23:18:23
結局どうなるんだろ・・・。
ひろゆきがほんとに金持ってないかどうか、つうことからして
俺らにはわからんわけだし。
507九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/23(火) 23:44:44
>>506  
ひろゆきたんのほーむぺーじで色々教えてくれるけど、
ひろゆきたんの責任を問うのは間違いで、書き込んだ本人の責任を追及すべきでしょう。
そこに恣意的なものを感じるよね。
508恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/24(水) 00:04:02
>>484
>彼は科学的とカキコし、俺は科学と返した事くらい気付け!

判らんかね?
歴史学は科学の一部門。

科学の反対語は宗教。
509プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/24(水) 00:07:36
>>508

ここに、歴史学や科学の定義はいらんよ。
必要なのは合理的かつ道理。
510プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/24(水) 00:11:32
>>507


日本という国は、問題が起こると必ず誰かに責任をとらせて解決する国なの。
511恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/24(水) 00:24:30
>>490
>陳壽←これなんて読むん?范曄←これも!

コピーしてネットで検索すると、ダイタイ出てくるよ。
俺はexciteで検索してるが、難しい字はどこかのHPにダイタイ出てくる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
范曄 - Wikipedia 范曄 (はん よう、398年 - 445年)は、宋の政治家、歴史家にして
『後漢書』の作者。 ... 彼は思案をめぐらして范曄を丸め込んだ。 最初、范曄は仲間
に加わりたくなかったが、しかし結局は劉義康の一味に入った。 この ...
ja.wikipedia.org/wiki/范曄 - 26k - 2006年11月16日 - キャッシュ

平成15年2月1日社説 中国の南朝劉宋の時代に生きた范曄 (はんよう。 ...

http://www.excite.co.jp/
512恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/24(水) 00:30:00
>>509プラム
>ここに、歴史学や科学の定義はいらんよ。

定義もしないで、ぼんやりと思考するからトンチンカンな言葉ばかり使う
アンタ見たいな人間になってしまうんだよ。

思考するなら、その言葉は単純明快にしてやりなさい。
人によって言葉の中身が違えば、意思は伝わらん!
513日本@名無史さん:2007/01/24(水) 00:37:10
>>511
陳壽は、普通は「陳寿」と書いて「ちんじゅ」と読む。
514恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/24(水) 00:45:06
>>493
>あと一時間を切りましたって出てて・・・。

誰かのイタズラでしょう。

「ひろゆき」はホッタラカシをするのが得意手。
だからこそ2chもこれだけ大きくには成れたが、裁判所までそれをやったもんだから
負けたんだろう。

でもお金は持ってると思うよ。
515日本@名無史さん:2007/01/24(水) 05:33:17
コテ連のやりとりがほほえましい。
つかバッカみたい
516日本@名無史さん:2007/01/24(水) 05:44:15
ほんと消えてほしいです
517九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 05:45:33
>>514
うーむ。なるほど。しかしいたずらだったとはなんてこった。
518九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 05:48:58
>>516
おたくだれ?
519日本@名無史さん:2007/01/24(水) 05:50:01
>>517
これを機会に2ちゃんから卒業とか
考えなかったの?
520九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 05:51:15
>>519だからなんで?
521日本@名無史さん:2007/01/24(水) 05:55:37
>>520
てか、九州ですがさんは、2ちゃんが
あなたの議論を深めるにふさわしいメディアだと思ってるのですか?
もっと別のところで静かに深めようとは思いませんか。
522日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:00:26
どうでもいいが九州ですがは
切れるといっつも
「おたくだれ? 」だな
523九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 06:04:21
>>521
2ちゃんからのお知らせにあのような細工をしたのはひょっとしておたくですか?
そんなことが出来るおたくは誰で、もっと別のところで
とはどこで、どういう理由で課をはっきりお書きください。
誰か知らないけど名無し、というのは卑怯でしょう。
524日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:05:23
どうでもいいことに向きになる正確は、2ちゃんにむいてないのでは、、
525九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 06:09:11
>>522切れるといっつも 「おたくだれ? 」だな

これは切れているんじゃありません。丁寧に言っているだけ。
こんな朝早くからリアルタイムで打ってる正体なしの誰かと何故こんな会話を続ける必要があるのかわからない。
526九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 06:11:51
>>524
名無しのおたくにそんなこといわれる筋合い無いけど?
527日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:13:35
HNだってどこの誰か分りません。ここで批判されてる何処かの教授だって「おたくだれ?」と思うでしょう。
名無しが嫌いなら2ちゃんにこなければ良い、大半が名無しの書き込みです。
528日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:14:32
というか、九州ですが氏、
朝っぱらからキレてないですか?
529日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:17:08
「おたく」というのは現代において敬称なのだろうか
530九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 06:18:56
>>527ここで批判されてる何処かの教授

おたくこの人の回し者ですか?
531九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 06:20:25
>>528
もう仕事に出るので急いでるだけです。
532日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:23:43
>九州ですがさん
おたく、2ちゃんやめたほうがいいよ。
貴方のような純真な人には似つかわしくない
533日本@名無史さん:2007/01/24(水) 08:13:54
ここは2ちゃんとはいっても学問版です。でたらめな方(意識的に)の方がこまるのですが。
534橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/01/24(水) 09:11:28
>>510
ソースは?
535プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/24(水) 09:49:49
536神奈川県民:2007/01/24(水) 18:22:04
箸で陰処(ほと)を突いて死んでしまった。そこで人々はその墓を箸の墓と呼んだ。

確かに強烈な伝説だ!!
537神奈川県民:2007/01/24(水) 18:27:56
箸墓伝説について!!
538日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:35:45
箸墓の築造年代は定説よりも遡ったんでしょ。
それに前方後円墳ではなくて円墳の可能性もあるらしいよ。
前方部は後の時代の付け足しの可能性ありだって。
もし円墳ということになれば卑弥呼の墓でも矛盾はしないことになる。
539一応九州王朝説:2007/01/24(水) 20:05:37
>卑弥呼の墓でも矛盾はしないことになる。

もうその言い方は飽きました
540日本@名無史さん:2007/01/24(水) 20:13:53
>>539

発掘されない事が判っているから安心して妄想語れるのだよ
541九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 20:14:08
>>515
あんたが朝から変な事ばっかり言うから、めっきりお客さんが減ったじゃないの。
542日本@名無史さん:2007/01/24(水) 20:35:52
>>515 >>516
そうだよ。ここでは自分の意見を言いなよ。


おおっと、漏れも同じか。^^;
543一応九州王朝説:2007/01/24(水) 20:41:47
2ちゃんのコテは馬鹿ばっか 

という言葉の意味をわかってない厨房が普通になっちゃったからね。


それに私や大好きさんがコテをつけたのは、当時猖獗を極めた畿内説の荒らしへの
対策だったんだよ。そんなこんなの事情もしらねえんだよ、そいつら。
544九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 21:23:28
>>543
僕も畿内論者が多くいたところに入っていったので、「僕は九州説ですが」
を、短くしてコテにしたんですよ。昔から邪馬台国には自分なりの考えを持ってましたから、
ここを見つけたときには、これだ、と思いましたね。
545プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/24(水) 21:34:47
>>544

>昔から邪馬台国には自分なりの考えを持ってましたから、

偉い。凄い。

私なんて、邪馬台国の(邪)の字も知らずに飛び込んでいった。
それもあのHN(老教授)に  正直(魏)がどこにあったかも知らなかったよ(笑)
546日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:49:19
>>544偉い。凄い。
だなんて、はずかしい。「私なんて、邪馬台国の(邪)の字も知らずに飛び込んでいった」
方が段違いに凄いじゃない。ところで、老教授って、HN っていうイニシャルなの?
どっかで見たような気が。しかしあの老教授という人との論戦が一番心に残ってるなあ。
凄い手ごわいけどさすがに正統派だけあって、爽やかな余韻が残っている。
一生の思い出になったといっていいかも。実際は僕がくってかかったようになってるけどね。
あー恥ずかしい。やっぱ、論戦は勝たなきゃって言うのがあるしね。
547九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 21:52:06
>>546は、>>545プラムさんへ、です。
>>544は間違い。
548恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/24(水) 21:53:08
>>538
>箸墓の築造年代は定説よりも遡ったんでしょ。

勝手にバカが遡ってるだけ。

普通のバカ豚はおだてたら木にでも登るが、畿内説のバカは時代を遡る。
これほどの豪傑バカじゃ、相手にはしておれないよ。

−−−−−(引用開始)−−−−−
一般の円筒埴輪が見られず、特殊器台形埴輪・特殊壺形土器を持つなど最古式の古墳の特徴を持つ。
http://www33.ocn.ne.jp/~hanchan/hasihaka.htm
549九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/24(水) 21:57:18
>>548
相変わらずの恵也節に笑わせて頂きました。
550プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/24(水) 22:01:58
HNは ハンドルネームの事

>実際は僕がくってかかったようになってるけどね

OKですよ

>あー恥ずかしい。やっぱ、論戦は勝たなきゃって言うのがあるしね

いやいや〜 知識泥棒ですよ 

551日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:10:05
こないだから、ここやドン来いに出没している素人です。
一瞬アセりましたが、まだまだ皆さんの議論を拝見できるみたいですね。
ひと安心しました。

これからも、仲良くケンカしながら議論を進めて下さい。
そんな皆さんの熱さが、自分には刺激になります。
「はやく自分も互角に論戦してみたい!」と。
552日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:13:49
>>536
>箸で陰処(ほと)を突いて死んでしまった。そこで人々はその墓を箸の墓と呼んだ。

モモソヒメの伝説だけど、この神奈川県民さんのレスで、ちょっと妄想がわいた。
ふつうはこの伝説、
 「モモソヒメはびっくりして、急にしゃがんだら、箸がホトを突いて、それで死んだ」
みたいに紹介されてるよな。
しかし、おれ、前々から、「そんなにうまいこと箸が上向きで落ちてるんか? なんかヘンや」て
思ってたが、神奈川県民さんの書き方で、ヒラメいた。

モモソヒメは自殺したんじゃないか、って!

自分で剣を、体に突き刺したことの比喩的表現だったんと違うか。
こんな説、今まで言った研究者、おらんかったか。誰か知らんか?
553日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:17:08
>>538
>それに前方後円墳ではなくて円墳の可能性もあるらしいよ。

ねぇよ。
554九州出身:2007/01/24(水) 22:34:17
侵略された倭の国・・・・
555日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:35:45
>>553
ソースは?
556日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:37:37
>>552
まず記紀をキチンと読め。話はまずそれからだ。

本官としては、あのヤマは他殺・自殺ではなく、事故説をとりたい。
557日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:47:06
久々のキキキチだ!
558日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:49:05
箸墓ミステリー

箸墓は倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)の墓とされている。
そして畿内説は、この倭迹迹姫命こそが卑弥呼だという。

諸君、ではここでクイズだ。

@以下の文書はどこからの引用か?
倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥息異処以朱丹塗其身體如中國用粉也食飲用邊豆手食

A倭迹迹姫命が自殺に用いた凶器は何か?

B小野妹子が帰国後に都の貴族に食事の作法を伝えたのはいつか?

答えは既に、墓の名に表されていたのだ。
559日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:05:47
>>556
>本官としては、あのヤマは他殺・自殺ではなく、事故説をとりたい。

だけどよ、たとえば細い樹木の切り株とか、竹の伐採跡とかで、もしも斜めに鋭く
とんがっているのがあったら、そりゃ、しゃがんだときウッカリ事故でホトを突くかもしれんが、
相手(?)は箸なんだだぜ。どういう状況だったら箸で事故死が生じるんだ?

いっぺんアンタ、やってみろよ。食卓から箸持ち出して、庭にでも放れよ。
それで、庭に下りて、落ちてる箸のところでしゃがんでみろ!
ぜーったい、突いたりせんぞ、オ××コも、チ××も、ケツもよ。
560元祖プラム:2007/01/25(木) 00:10:27
ここも600 いただきます
561プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/25(木) 00:15:03
今夜中にはあと40 無理だから 寝よ
562九州出身:2007/01/25(木) 00:26:26
初代天皇は女性だったらしい・・・・
563日本@名無史さん:2007/01/25(木) 02:06:18
>>555
箸墓の周濠が北・南・東と三ヶ所調査されており、前方部・後円部のいずれも布留0であることがわかっている。
箸墓本体の築造は布留0に始まり布留0内で終わっていることもわかっている。
したがって、後円部が先に円墳として築造され、後に前方部が追加されて前方後円形になったと考える余地はない。

未だに円墳がどうのこうの言ってるのは馬鹿の河上ぐらいのもの。
564プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/25(木) 07:44:26
>>562

初代天皇が女性ではなく、第二次東征に最初動いた「カムヤマトイワレビコ」が女性
565日本@名無史さん:2007/01/25(木) 11:37:06
>>558

箸墓の前にある掲示板に「倭迹迹日百襲姫命」の墓だって書いてあったぞ。
「倭迹迹姫命」は開化の妹だろ。
566日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:01:25
倭姫ってのもいるし、ややこしいよね
567日本@名無史さん :2007/01/25(木) 12:52:39
箸墓いかさまツアーにはあまり乗り気しないね。
568恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/25(木) 17:20:19
>>552
>モモソヒメはびっくりして、急にしゃがんだら、箸がホトを突いて、それで死んだ

しゃがんだくらいで箸が突き刺さるか!

尻餅ついたからだよ。
相当に運が悪かったんだろう。

子供が箸を喉について死んだときも、倒れたときにモロに喉に突き刺さって折れたもの。
不可能な事じゃない。
569恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/25(木) 17:42:18
>>558
>そして畿内説は、この倭迹迹姫命こそが卑弥呼だという。

それは無理!
古墳の周りには周濠という池で囲み、歩いていけるように渡り堤まで作ったシロモノ。

魏志倭人伝に書くなら、大きさばかりでなく周濠くらいは書くのが常識。
よって卑弥呼の墓ではない。

それに狗奴国と戦争しそうな時期に、こんな大規模な古墳を作る財政的余裕は考えられん。
人間の数だけでも莫大なもので、財政的余裕のある神武天皇が占領後の公共事業として
平和な時期に行われたものだろう。

−−−−−(引用開始)−−−−−
箸墓古墳「周濠、外堤、渡り堤を確認」
http://www2.begin.or.jp/sakura/hasihaka1.htm
570日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:18:42
魏志倭人伝に書いてある
戸数から考えたら
邪馬台国って、やっぱり近畿らしいね。
571日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:23:40

>魏志倭人伝に書くなら、大きさばかりでなく周濠くらいは書くのが常識。

お前アホか、常識って、お前だけの常識だろ。
三国志、初めから全部読めばわかるが、
他のことも、そんなに事細かに書いて無いぞ。
572日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:04:48
魏志の作者にとっては、
倭人伝なんて、全くメインじゃないんだよ。
よって、書いてあることも、実に適当。
魏志の作者にとって目的は
自国の三国志なわけだからね。
573一応九州王朝説:2007/01/25(木) 19:06:03
>財政的余裕のある神武天皇が占領後の公共事業として
平和な時期に行われたものだろう

神武記の何処にそんな事が書いてあるのかな?ん?
574日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:13:04
>>552
箸=槍という説はある
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/intro3.htm
575九州出身:2007/01/25(木) 19:37:06
>>564
どーしてそうなる?カムヤマトノイワレヒコは二人いたってこと?
576日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:40:36
>>572
俺もそう思う。魏志倭人伝に対し、卑屈なまでに自意識過剰というべきだろう。
577九州出身:2007/01/25(木) 19:55:03
>>572>>576
何いってるんだか・・・それは君らの考えでしょ(笑)
578日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:15:53
>>577
うん、お互いにね。
579かえる:2007/01/25(木) 20:17:52
今日このスレ1からみてきました。まえに関祐二さん黒岩さん井沢さんの本を読みましたが、ブラムさんの言ったように、原本?倭人伝?記紀?見たことないんでみようとおもいます。良い時間がつぶれました。あーぁ仕事しねーと
580プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/25(木) 20:40:09
>>575

>どーしてそうなる?カムヤマトノイワレヒコは二人いたってこと?

その前に
(カムヤマトイワレヒコ)ってなに?(カムヤマトイワレビコ)じゃないの?(ヒとビ)では180度ちがっちゃうから

いったい(九州出身さん)は、どのくらいの期間にて東征できると考えてるの?
581日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:45:48
>>572
激しく同意! 漏れもそうおもいます。
582プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/25(木) 21:02:45
>>572

>魏志の作者にとっては、
倭人伝なんて、全くメインじゃないんだよ


それ、本当の話?   それにしては・・・・・・・・・ん〜っ?
583日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:23:21
>>582
いや、それはメインじゃねえだろ。論争するも愚かだわ。
だから倭人伝がでたらめというのも論理的には早計なんだが、
これだけ意味不明なんだから適当っぽいのは否めんな。
584日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:00:12
箸墓ミステリー

クイズの答え

@以下の文書はどこからの引用か?
倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥息異処以朱丹塗其身體如中國用粉也食飲用邊豆手食

⇒魏志倭人伝
訳:倭の地は温暖で、一年中生野菜を食べています。倭国の人々は皆裸足で歩いており、家屋には居
室があって、父母兄弟の寝室は別々の部屋になっています。倭国の人々が朱丹を身体に塗る様子は、
中国人の(白)粉を用いる方法と同じです。飲食の際は、茶碗から直に手で食べています。

つまり魏志倭人伝で邪馬台国の人々は箸を使わず茶碗から直に手で食べていたと書かれている。

A倭迹迹姫命が自殺に用いた凶器は何か?
⇒箸
585日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:01:07
B小野妹子が帰国後に都の貴族に食事の作法を伝えたのはいつか?
⇒飛鳥時代
お箸が日本で初めて一般の食事に使われたのは7世紀初め。初めてお箸を食事に使ったのは聖徳太子
だ。聖徳太子は中国(随)に使節を送り、そこで使節団は王朝の人々に歓迎を受けたが、王朝の人た
ちが箸を使って食事をしているのを見て大変驚いたと記録にある。日本に戻った使節からこの報告を
受けた聖徳太子も驚き、今度中国の使節を日本に招待する時のために、大急ぎで箸を使った食事の作
法を朝廷の人に習わせた。日本で食事に箸を使う風習が始まった。
8世紀頃から箸食の文化は一般に広がった。そのころの箸は唐箸(からはし)と呼ばれる現在使われ
ているような二本一組の箸になっていた。箸という字が「竹かんむり」でできているように竹製だっ
た。日本最古の箸の発掘はこの時代のものである。

たしかに日本古来の箸として二本一組の箸ではなく「折箸」という、細く削った一本の竹をピンセッ
トのように折り曲げたものもが使われていたという説もあり、当時の箸は一般の人が使うものではな
く神様が使う神器で、または天皇だけが使うことを許されたものだとしているが、出土もなく記録に
もなく神社説話を元にしている。
またこの折箸の実物をみたところまさにピンセットであり、強度・大きさからいってこれを陰部に刺
す事は不可能である。

ことことからいっても箸墓の説話は後代のもので、卑弥呼は箸すら知らなかったはずなのだ。
586日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:29:26
少なくともデンドロの結果をベースにした理論展開はやめとけ
587日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:50:24
>>583
俺にはあやふやな情報と結構な熱意で書かれたように見えるな。
そう まるでアメリカのNINJA映画のように。
588日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:52:33
三大美女ってどういう基準で選んだのかな
589日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:06:48
>>588
どれくらい美人かで選んだとしか思えない
590恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/25(木) 23:08:03
>>571
>他のことも、そんなに事細かに書いて無いぞ。

アンタは魏志倭人伝を全文読んでないのじゃないの?

−−−−−(引用開始)−−−−−
倭国では真珠や青玉がとれる。山には赤土がでます。木では、クス、トチ、
   クスノキ、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデなどがある。
   竹では、シノダケ、ヤダケ、カヅラダケがあります。
   また、ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどもある。
しかし、賞味することをしらない。
   オオザルやクロキジもいます。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm
591きのうのジョー:2007/01/25(木) 23:26:11
>>583
まあ、確かに古代文献の史料の限界、ましてや海の向こうの遠い国のこと
ってのは考慮に入れなければなりませんが、
どこが適当か分からないんだよなあ。これが。
592日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:46:29
三大美女って卑弥呼とクレオパトラと小野妹子だよね?
593日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:29:26
>三大美女

そんな事もしらねえのか


@会員番号4番 新田恵利
A会員番号12番 河合その子

B会員番号16番 高井真巳子

次点で 吉沢秋絵
594日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:32:47
古いという意味で五十歩百歩だなw
595九州出身:2007/01/26(金) 01:13:24
>>580
《訂正》
倭伊波礼琵古命、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコ)

東征の期間については、
書紀より太歳の甲寅、その年冬十月五日東征に向かわれた。
橿原即位、辛酉の年春一月一日。
とある。

よって、東征期間は約6〜7年じゃないのか?
それとも書紀はまったくのデタラメと言いたいのかい?
596日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:19:11
心理学者の岸田秀は、神武東征は、唐の武力に対抗するため、日本も武力制覇でまとまったと
いう勇ましい武の話を捏造したんだつうてるな。
597邪馬台国侍 ◆G5PYesuXOc :2007/01/26(金) 01:37:05
>596
神武東遷都なんて、そんな大した武力制圧でもないのにな。
598恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/26(金) 02:27:04
>>572
>倭人伝なんて、全くメインじゃないんだよ。
>よって、書いてあることも、実に適当。

メインでないのは事実だ。
魏の成立時期の騒乱での事実を淡々と列挙した書物と聞く。

しかし魏から使節団が邪馬台国に行って、魏に公文書として残されてた時期に作者は
その文書を見れる恵まれた立場、役職についてた人間。

他の正史と違って、邪馬台国に関しては1級品の史料と俺は見てる。

−−−−−(引用開始)−−−−−
魏志倭人伝は魏の後継の晋の国の著作朗という官職にあった陳寿が、書いた書物で
正史ですから、信頼性が高いとされています

陳寿は蜀の国で233年に生まれ297年に65歳で亡くなっています 邪馬台国
の女王の卑弥呼とほぼ同時代の人です
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm
599恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/01/26(金) 02:44:34
>>595
>それとも書紀はまったくのデタラメと言いたいのかい?

日にちに関しては、書紀は全くのデタラメ。
「辛酉の年」なんていう干支が、そんな大昔に日本に伝えられてたとは思えない。

初代の神武天皇は西暦290年頃の方だと思うが、干支が日本に伝えられたのは仏教
が伝えられた西暦500年〜600年の第26代継体天皇以降の時代だという。

存在しない干支で300年後に計算し、西暦720年に書紀に記録するなんて考えられん!

−−−−−(引用開始)−−−−−
日本へ伝わったのは6世紀頃。仏教の伝来と同じ頃と考えられています。
http://www.souichi.com/ubusuna/12shi/12shi.html
600一応九州王朝説:2007/01/26(金) 05:19:37
>>597
だよね。項羽とか劉邦とか曹操、李成民といった英雄の歴史と
神武東征譚と勝負できるしろものじゃないよw
まして、半島戦争に日本も荷担したわけで、敵国として占領行
政を受け入れる立場、その後も朝貢国家なのになんでそんな形
で対抗する必要があるのか。わざわざ偉大な初代の事績を曲げ
るってことは、それまで喧伝したことを否定する事になり、権
威も低下する。
601日本@名無史さん:2007/01/26(金) 08:43:40
>>596 :日本@名無史さん :2007/01/26(金) 01:19:11
>心理学者の岸田秀は、神武東征は、唐の武力に対抗するため、日本も武力制覇でまとまったと
>いう勇ましい武の話を捏造したんだつうてるな。

あいつの言うことは信用できない。
まあ、所詮、心理学者の話だから。
602プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 09:08:46
>>595


干支は61年後また同じ干支が巡ってくることも、考慮しての発言ですか?
通し番の西暦では細工のしようが無いが、干支を鵜呑みにしては………?
603太国:2007/01/26(金) 10:18:59
欠史八代間の日数統計表 【立太子、即位、立后、崩御、葬儀】

前半2週間  後半2週間
1日 4   15日 0   29日 0
2日 2   16日 0   30日 0
3日 3   17日 0
4日 1   18日 0
5日 3   19日 0
6日 3   20日 0
7日 2   21日 0
8日 3   22日 0
9日 4   23日 0
10日 1   24日 0
11日 3   25日 0
12日 4   26日 0
13日 2   27日 0
14日 7   28日 0
604九州出身:2007/01/26(金) 10:26:27
このへんでスサノオ伝説でも紹介してやろうじゃないか。

スサノオは、イザナキによって、海原を支配せよと命じられたが、母であるイザナミのいる
根の国へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。
イザナキは怒って「それならばこの国に住んではいけない」としてスサノオを追放した。
スサノオは、姉のアマテラスに会ってから根の国へ行こうと、アマテラスが治める高天原へと登っていく。
アマテラスは、スサノオが高天原を奪いに来たのだと思い、弓矢を携えてスサノオを迎えた。
スサノオは、アマテラスの疑いを解くために、2人で誓約をしようと言った。
アマテラスがスサノオの持っている十拳剣を受け取って噛み砕き吹き出した息の霧から3柱の女神(宗像三女神)、
スサノオが、アマテラスが持っていた八尺の勾玉を受け取って噛み砕き吹き出した息の霧から5柱の男神が生まれた。
スサノオは、自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だったと言い誓約によって身の潔白を証明した。
アマテラスは許され、スサノオは、そのまま高天原に居座った。
しかし、スサノオは田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。
他の神はアマテラスに苦情を言うが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。
しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていた時、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、
そこから皮を剥いだ馬を落とし入れ、一人の天の服織女が驚いて梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまった。
ここにきてアマテラスはスサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまった。
八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、
髭と手足の爪を切って高天原から追放した。
605九州出身:2007/01/26(金) 10:32:49
高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河の上流の鳥髪に降り立った。
川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思い川を上ると老夫婦が泣いていた。
その夫婦に尋ねると夫婦には8人の娘がいたが、毎年オロチがやって来て娘を食べてしまい、
今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメも
食べられてしまうので、泣いているのであった。

スサノオは、クシナダヒメを妻として貰い受けることを条件に、
ヤマタノオロチ退治を請け負った。
スサノオはクシナダヒメを守るためにその姿を櫛に変えて髪に刺した。
そしてアシナヅチ・テナヅチに、強い酒を醸し、垣を作って8つの門を作り、
それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くように言った。
準備をして待っていると、ヤマタノオロチがやって来た。
オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。
オロチが酔ってその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだ。
尾を切り刻んだとき、剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。
これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。
これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)である。

ヤマタノオロチを退治したスサノオは、宮殿を作る地を探して出雲国の須賀の地
(出雲風土記では安来の地)へやって来て、「ここに来て、私の心はすがすがしい」
と言ってそこに宮を作った。それでその地を須賀という。
宮が完成したとき雲が立ち昇った。そこで、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。
606日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:36:26
>>601
>あいつの言うことは信用できない。
>まあ、所詮、心理学者の話だから。

だったらトーシロ学者の話はもっと信用できない。


607プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 10:37:57
>>604

イザナキ・イザナミって本当に二人?
608太国:2007/01/26(金) 10:38:28
>>599
デタラメならこういう>>603表の数字が左半分に全部が集中するはずがない。
表がこういう結果になるということは日数に何らかの規則性があるからであり、
逆に正確ある伝承だとの信用性につながる。

干支がどうのこうの言っているが、ここの左に全部が寄っている集中性から
むしろそれは干支の考えの現今での通念に誤認があるからだとの推察もできる。
それに後世に伝わった干支だと云っても、それを使ってさらに古代の月日数
を干支によって記述したと考えてもおかしくはない。現に、昔日本で使用して
なかったはずのアラビア数字で古代の日数の表示計算を古代史研究家は行って
いるわけだし、古代を論ずる恵也でさえアラビア数字で10年計算をやって
いるわけだから、干支での佛伝以前の古代史の数字がデタラメだと云う即断は、
実際にアラビア数字を古代計算に使っている恵也の自語相違を意味している。w

だいたい文字が古代にない状態で当時の高層建築たる旧出雲大社型の神殿が
文字なしの文盲でああいう精緻に建造できるのかと考えれば、無文字、無数字
だったという論は非常に疑念を持たざるを得ない。
609九州出身:2007/01/26(金) 10:49:25
清々しいとはいい言葉じゃないか。

このスサノオの神の言葉は非常に私の心を清らかにする。
610九州出身:2007/01/26(金) 10:58:07
伝説だよ伝説!
この神話は神でも正義の心を持ち、悪の心を持つということだ。

私達への教えともなっている。
611九州出身:2007/01/26(金) 11:19:00
>>607
古事記、日本書紀、共に二柱とある。



612日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:26:56
でも、まじで
九州説って追い込まれてきているな...

自分も九州説だったので悲しい...
613九州出身:2007/01/26(金) 11:33:57
>612
なに言ってんの?
もう女王の都する所は九州で決着済みなんだよ。

それに学校で習わなかったか?
614日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:37:20
邪馬壹はヤマトとは「絶対」読めないってよく主張見るけど
yamatまでは同じという非常な相似を無視しているよな。
「絶対読めない」説はかなり強引恣意的だよな。
615九州出身:2007/01/26(金) 11:41:31
プラム氏へ

虫さんのレスは大体信用できる(都の位置&卑弥呼の墓など)。しかし、全てが正解というわけではない。
間違ってる所もある。
616プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 11:44:41
>>611

そうだよね
昔話も必ず登場するのは(お爺さんとお婆さん)だからね

>日本書紀・古事記

確かに八世紀そうしたんだろう。
617プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 11:49:49
>>614


よく
邪馬臺を邪馬台とし、ヤマトとするヤシは多いけど
邪馬壹をヤマトと結び付けるのは…………?


人それぞれだから


参考までに
ヤマトと転訛するのは「ヤマタイ」ではなく「ヤマタホ」だから
618プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 11:54:42
>>615

間違いが有る場合、直接本人に指摘するか
或は具体的に提示してくれ私で対応出来る所は答えますから

ただ闇雲の意見では…………困惑します。………
619日本@名無史さん:2007/01/26(金) 12:22:47
>>617
タイがトにつまりaiがoにならないというのを音便現象だけから証明してても
説得力は弱いと思う。

>人それぞれだから

そんなこと言ったら議論も話し合いの必要もなくなる。
620プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 12:40:01
>aiがoにならない


これってかなりな致命傷
一音一字の国ならばこその大きな違い


>議論にならない

スレ見渡しても感想文の連続 マジ疲れてきたよ
621日本@名無史さん:2007/01/26(金) 12:45:21
>>620
しかし、それはヤマタイとヤマトの関連性を切断できてないと思う。
日本の古代王国という共通項があるのに語尾の変換不可だけをとっても
説得はできてない。これは俺が意固地になっているのではないよ。
622プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 12:52:22
>>621

だから
ヤマタイとヤマトを切断出来ない理由を説明しなければ、議論が前に進まないだろう。私はそういう事を言ってるんだよ。
ただ思うだけじゃ
623日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:02:43
>>622
あなたもきちんとした根拠を提示していませんよ
妄想に基づいたサイトなどを根拠に挙げているだけで
まずは過去にどのような学術論争があり、その結果なぜヤマタイと読むようになったのか
またヤマトとの関連性は何なのかを、あなた自身がきちんと学んでから批判展開すべきでしょう。
学者の言うことは信用できないと思い込むのは自由ですが
だからといってあなたの論説が正しい訳ではありません。
その証拠に毎日必死に何年も書き込んでいながら、あなた未だに電波扱いでしょ?
その理由はなぜなのかを考えてみてください。
それは決してここが2chだからってことではないですよ。
624プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 14:42:39
>>623

さ〜それはどうなんでしょう?
真実と学術の相違ですかね?

電波ならそれを踏み潰せばいいだけなのに
未だこうして踏み潰されないのも事実かと

それに、私の発言の何処に感想文が含まれているのでしょう?単なる思い込みは必ず感想文に結び付くものです。
単なる電波がこうして生き延びられる世界何ですか?この世界は?
だったら 本体そのものが電波かも………?


ここで言語理論やるんですか? 嫌ですよ。
625日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:52:19
>単なる電波がこうして生き延びられる世界何ですか?この世界は?
そうだよ、どんな電波でも毎日書き込めるのがここだよ
いやむしろ電波だからこそ毎日書き込んでいるってところだね
ただし、そいつをまともに受け取って納得する人間が居ないって客観的事実は覆せないがなw
626プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 14:56:26
>>623

貴方の意見のような事今まで沢山聞いてきた。
でもね〜っ おおざっぱな一般論だけで 誰ひとり具体的なツッコミしてこないんだよ!
単なる腹いせ交じりがほとんどのようで

今、「景初四年」問題を大和さんと考えているんだが、私が電波なら多分直ぐ崩せると思うから ツッこんでよ! 大勢が参加すれば 何か新しい材料も発見出来るかも知れないし……。

それに 電波と指定される原因は「コテ」だよ 名無しに電波はないからね
627九州出身:2007/01/26(金) 15:03:40
>>597>>600
何言ってるんだか。
大掛かりな戦だったので国史である書紀にも記されてるんでしょ。
628日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:03:52
>>626
簡単に言うと…
毎日毎日2chに書き込んでいる(それだけでもう異常だわな)
そんな人物に付き合うほど、誰も時間がないんだよ。
普通の人間は2chに毎日書き込んだりはしないからな。
それも何年にも渡ってなんて、まず不可能だろうよ。
だからある程度批判した時点で、こりゃあかんわと思ったら撤退するのさ。
それとな、電波だから崩せないんだよ。
どんなにまともな指摘をしても、のらりくらり逃げたりごまかしたりするのが手だからね。
だから、崩されない=電波じゃないというわけじゃない。

それくらいのこと、分かってるんだろ?
単に現実世界での自らの境遇を認めたくないだけなんだろ?
629日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:09:32
>>622
>ヤマタイとヤマトを切断出来ない理由を説明しなければ

だから説明しているじゃん。日本列島にあった古代以前の支配王国の名という
共通項がある。(当然、この段階では邪馬壹國の位置は非特定)
そしてyamataiとyamato、これに類似がないなんて考えるほうが無謀だ。
これを偶然というのは知的怠惰というものだろう。
確かにすぐに答えは出ないだろうが、答えを焦るべきでもない。
偶然なら偶然で、yamatという接頭語幹に何かローカルでない説明を探すべきだと思う。
630日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:13:44
>>627
国史に載っていようがいまいが、証明できなきゃダメだな。
長篠の戦での信長の鉄砲三段打ちや比叡山焼き討ちなどは
発掘結果から事実無根だと証明されているってのもある。
反対に、応仁の乱勃発の上御霊の戦いは史書に記されたより大掛かりなものだったことも判明している。

こうやって歴史学は形作られていくんだ。
正しいはずだなんて思い込みは要らない。
631太国:2007/01/26(金) 15:15:07
「京都」は「東京都」ではないし「鹿島神宮」は「鹿児島神宮」ではない。
また「宮崎県」は「宮城県」ではないし「愛知県」は「愛媛県」ではない。
「福井県」は「福島県」でもない。
さらに「オーストラリア」は「オーストリア」ではないな。
632プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 15:15:46
>>628

>時間がないんだよ


時間は皆平等だよ
時間を原因にしちゃいけないよ


昨日チラッと書いた「世有王」 以前、私が違った訳をしたら『用例出せ』だって(笑っちゃうよ) 自分の主張する一般的『和訳』だって 用例の無いのを知らないで

そんな世界の連中が 相手を電波扱いするとはイヤハヤイヤハヤですね
633日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:22:06
>時間は皆平等だよ
>時間を原因にしちゃいけないよ
いや誰も毎日2ちゃんに張り付くなんて無駄な時間を、わざと作らないだけなんじゃねw

それと通説と違う主張を提示した側が用例なり何なりを提出するのが世間の常識。
だから2ちゃん利用法といいアンタの理屈といい、全部世間様からは乖離してるんだわ。
電波扱いされる理由はそこにあるんだわ。
634プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 15:36:59
用例の存在しない特異文に対し、一般的な訳を通説とするそこが変だと言ってる訳よ
その時理由も説明したしねでも、その多くは
用例の存在しない事すら知らずにただただ通説のブランドにしがみつくだけ
(多くの著書を拝見しても触れていない)

そういう方々に電波とはね
635日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:42:19
>>631
その取り上げ方は恣意的だ。無数にある神社から鹿島と鹿児島、
47もある都道府県から愛媛と愛知なんてばかばかしくて話にならない。
ヤマタイとヤマトは違うだろ?それぞれ、日本の頂点の場所、唯一(ユニーク)
の場所、王国の場所を指している。比較にはならない。
京都と東京の関連については偶然ではなく説明がつく。
京も都もキャピタルという意味があるからな。
なお、東京と言う名称は宇内混同秘策で佐藤信綱が江戸時代に
江戸の改称として提唱したものだ。
636日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:44:11
ついでに言うと佐藤信綱は大阪を西京と改称する案を並行して出していたのだ。
637太国:2007/01/26(金) 15:46:04
>>635
そのとおり、ヤマタイとヤマトとは違う。
女王国は「邪馬壹國」が正解。
恣意的だというのならば、「邪馬臺國」も恣意的だろうが。
638日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:49:43
邪馬台国はチェジュ島です。



      ・・・これにて終了・・・




639九州出身:2007/01/26(金) 17:28:34
>>628
2ちゃんねるに来る人はみな古代史を学びに来てるはず。
疑問があり解決が出来ればそれでいいのではないか
640九州出身:2007/01/26(金) 17:38:40
>>630
証拠出せって・・・(笑)

頭が良い人は>>627のレスだけで十分。頭悪い人は一生解らない。
641九州出身:2007/01/26(金) 17:40:15
>>631
小学生レベルのことここで言わなくたっていいやん(笑)
642日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:54:06
>>631
しかし「宮崎」と「宮城」の関係で、「邪馬壹國(ヤマタイ)」と「大和(ヤマト)」の相似に意味が
ないという説は自動的に「邪馬壹國人」と「大和人」が同民族、同言語だってことになるな。
理論的には。ほんとかどうか知らないけどさ。
643プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 18:16:50
>>628

>毎日毎日2chに書き込んでいる(それだけでもう異常だわな)

毎日チェックしているからこその発言ですね(だから自分を省みて異常と判断できるわけだ)

>そんな人物に付き合うほど、誰も時間がないんだよ

統計やアンケート調査した訳でもないのに 誘導発言ですね

>普通の人間は2chに毎日書き込んだりはしないからな。

そのように普通の人間を毎日チェックしてるのですか?(怖〜っ)

>それも何年にも渡ってなんて、まず不可能だろうよ

自己判断による主観ですね

>どんなにまともな指摘をしても

自分の意見をマトモトと正当化したいとする作為が見え見えですよ

>単に現実世界での自らの境遇を認めたくないだけなんだろ?

この手のタイプって、必ず実生活を取り上げ比較しあ〜だこ〜だと非難し、相手の異常さを強調
する


でも、それって見方を変えれば『自分』なんだよね
   
644日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:44:30
まじで、戸数で考えたら、
九州説論者がよく言うように、狗奴国=熊本、狗古智卑狗=菊池彦
ということにしてしまったら

奴国(福岡市)と狗奴国(熊本)の間に
5万戸の投馬国と7万戸の邪馬台国が存在していたことになり、
これって、そうとう無理がある。
645太国:2007/01/26(金) 19:39:22
>>642
貴殿はたとえ話の曲解をしている。故意に曲解をしてるんじゃないかな?
なお宇佐のUSAはアメリカのことではない。
646日本@名無史さん:2007/01/26(金) 19:59:22
>>645
完全に狂気に逃げ込もうとしているなww
647太国:2007/01/26(金) 20:08:03
>>646
あいつはたとえ話を逆に悪用して皮肉を言ってるんだよ。
それともあいつとはお前さんかい? 女王国は「邪馬壹國」が正。
648日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:16:40
>>647
たとえ話をするのは、それ相当の学識と覚悟が必要だぜ。おとっつあん!
649日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:16:58
>>644
全然無理ないよ。
あなた、筑後平野を見た事ある?全然兵器。
投馬国は佐賀平野のほうかもしれないし。
650日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:34:53
>>649
ぜんぜん、無理。
筑後平野に、投馬国、邪馬台国も
収まりきれない。
そこが九州説の弱点なんだよ。

むろん、畿内説にも別の分野で弱点はあるけど。
651日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:36:39
>>650
まう少しつまびらかに説いてくれないか。
652日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:40:17
>>647
倭(人、国)条の『臺』と『壹』
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/bunken.html#tai-iti

653九州出身:2007/01/26(金) 20:47:10
単頭双胴怪獣鏡,内行花文鏡,三角縁神獣鏡 についてどうぞ
654プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/26(金) 22:10:27
>>653

その話題は相当な材料がないと凹むよ   今はやめといた方がいい
伊勢神宮の鏡でも公開されれば状況は変わるけど
655橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/01/26(金) 22:52:53
>>629
剥げ銅
656九州出身:2007/01/27(土) 00:00:48
657九州出身:2007/01/27(土) 00:01:58
658九州出身:2007/01/27(土) 00:12:19
659九州出身:2007/01/27(土) 00:18:28
三種の神器
三種の神器とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする鏡、剣、玉を指し、
日本の歴代天皇が継承している三種の宝物である。

三種の宝物は、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣(草薙剣)のこと。
神器という言い方が一般化したのは南北朝時代ごろからと言われている。


660九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/27(土) 00:25:19
>>643
プラムさん。異常な人間の目から見れば、普通の人間の方が異常者に見えるものなんです。
この前僕が「やり取りがほほえましいが、正直言って消えて欲しい」と書かれた時、職場で大笑いでした。
世間ってそんなものなのかも知れません。{笑}
661九州出身:2007/01/27(土) 00:26:16
八咫鏡(やたのかがみ)
記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。
天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。
そして再び世は明るくなった。
のち鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。現在は伊勢神宮に奉斎されている。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八坂瓊曲玉とも書く。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。
岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも称される。
記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきたとし、
その時の名前は都牟刈の太刀(偉大な力を持つ太刀)であった。
出雲国風土記では、出雲国意宇郡母里郷(現;島根県安来市)にてオロチ退治が行われたともされている。
剣は須佐之男命から天照大神に奉納され、天皇家に天照大神の神体として八咫鏡とともに手渡された事になっている。
一説には鍛冶の神である天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)が作ったと言われる。
その後、倭姫命から、蛮族の討伐に東へ向かう倭建命(ヤマトタケルのみこと)に渡された。
この時、倭建命が野火攻めから脱出する為に、この太刀で草を薙いだ事が
草薙剣の名前の由来とされているが、クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は「蛇の剣」の説が有力。
倭建命が病死したのち熱田神宮に祀られた。


662九州出身:2007/01/27(土) 00:30:31
よい音楽がかかってます どうぞ
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/
663プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 00:36:36
>>660 九州出身さん

毎度の事ですので

あの手のカキコって、タイミング見計らってカキコしてくるので 逆に笑っちゃいます。
664日本@名無史さん:2007/01/27(土) 00:37:57
JASRACに通報しろって意味かとオモタ
665九州出身:2007/01/27(土) 00:44:32
私は数ある伝説の中で『ヤマタノオロチ退治伝説』が好きだ。
では、もう1度ヤマタノオロチ退治伝説でもどうぞ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81%E9%80%80%E6%B2%BB



666九州出身:2007/01/27(土) 00:49:32
文句ある人いつでもどうぞ
667九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/27(土) 00:52:31
>>663プラムさん
>>660だから僕ですよね。そうそう。隙が無いかどうかをジーっとレスをみつめながら
そのタイミングを狙っているところは想像しても不気味&哀れ。
きっと心の歪な不幸な人なのでしょうね。憐憫の情さえ湧いてきます。
668太国:2007/01/27(土) 07:55:31
>>662
曲名はわかりますか? 前に聴いてるんですがわかりませんので。
669日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:01:54
>>665-666
ヤマタのオロチとヤオロズの神との関係は?
670一応九州王朝説:2007/01/27(土) 10:52:05
>>650
弱点にもランキングがあるわけでして。

戸数は、数ある論点の中でも最も実証されていない部分ですよね。
倭人伝を軍事的記録とするなら戸数は重要ですが、かといってそれを調べること
なんて出来ないし、外交的には逆に、誇大に喧伝することで三国時代の角逐には
有利に働く場合もある。実際に司馬仲達なんかへの報告は実数だったかもしれな
いし。

畿内説の偉い学者さんでも平気でそんなこと言うけど、じゃあ当時の他の国との
比較で論じたり、なんでその戸数なのかについてはスルーですよね。
だから、致命的弱点でもなんでもないわけですが、そういう下品な隙の付き方が
好きですね。
私も福岡行ったことあるけど、あれを狭いとか小さいとか言える人が学者って名
乗れるのが凄いな、と思いましたよ。博多湾から、太宰府をおくつきとして、更
に筑後川流域への沃野千里、遠賀川流域まで入れたら、それは半島から渡ってき
た人たちにとっては、連なる田畑の美しさに驚いたのも無理はないです。その証
言は古代からずっといろんな紀行文などにも残されていますよね。

畿内だって大きいところはありますよ。池上曽根も見に行ったし、唐古・鍵も凄
く大きい。狭山の方は土器の大生産基地ですし。要は、どちらも大きなマチやク
ニがあったって事でいいんじゃないですかね。マキムクは確かに変な遺跡だけど、
人が住んでなかったんなら戸数問題についてはとやかく言えないわけでw
671日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:47:47
>>670
魏も呉も関係者が入り乱れてたような北九州で
戸数をごまかす意味なんてあったんでしょうかね?
672九州出身:2007/01/27(土) 11:48:16
>>668
曲名までは解りません。

>>669
関係あるんですかね?逆に聞きたいくらいです。
673九州出身:2007/01/27(土) 12:01:50
高天の原にてスサノオは暴れまわり八百万の神々に追放されるのです。
しかし出雲国へやってきてその汚名を見事に晴らし名を上げ、須賀の地で
「私の心はすがすがしい」というです。

私がスサノオ伝説が好きというのはこの汚名返上にあります。
最後、正義感に浸ってる所なんかいいですよね(笑)
674日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:52:05
>>670
マキムクもカラコ遺跡も、殆ど
同じ集落といっても過言じゃないでしょうw
同じ平野部で、歩いて一時間たらずの距離なんだし。
マキムクは祭祀施設だけど、カラコもマキムク同じ国の
地域だと思えば不思議ではないよ。
カラコは、たまたま湿地帯で一度、水の底に沈んだから
遺跡として残ったんだと思う。
675愛知県民:2007/01/27(土) 13:36:41
古事記の孝霊天皇記は面白いです。
私は吉備=狗奴国と考えますが、孝霊天皇記の吉備平定は「欠史八代」で
唯一の具体的記事であり、大きな戦争だったようです。
この戦争中に意富夜麻登久邇阿礼比売命(卑弥呼)は亡くなり、
ヤマト国内も混乱しますが、次の女王・夜麻登登母母曾毘売命(台与)は
弟・大吉備津日子命らを派遣し、ついに勝利を収めました。
これが桃太郎伝説の起源ではないでしょうか?
桃を食べたおじいさん・おばあさんが若返って桃太郎を産むという話では
おばあさん=アレヒメ(卑弥呼)
桃を食べて若返ったおかあさん=モモソヒメ(台与)
ではないかと。
676日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:02:57
トヨタン・・・
677日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:23:40
吉備平野に住むロムラーです。

なぜだか、吉備の作山古墳とか造山古墳などの伝承がないんですよね。
かなりの勢力が吉備にあったのは間違いないんでしょうけど
現地岡山の伝説には「温羅(ウラ)」ぐらいしかないんですよね。

ヤマトにより討伐され、住民の多数が殺されたり離散したり
移住させられたりしたのかも知れませんね。

ちなみに岡山人と広島人とはあまりウマがあいません。
論理的な理由はありませんが、なんとなくDNAが拒否してますw
678日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:29:23
>>677
でも兵庫とだって会わないでしょう?
679日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:29:37
>>675
孝霊天皇は
魏志倭人伝に出てくる
80年位前の倭国大乱でしょう?
680九州出身:2007/01/27(土) 15:51:22
>>674-679
これでも聴いてリラックス!
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/
681日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:59:02
吉備大宰
682九州出身:2007/01/27(土) 16:03:23
>>675
愛知県民さん どうして吉備=狗奴国になったんですか?
又、どうして卑弥呼が意富夜麻登久邇阿礼比売命なの?直感ですか?
『桃を食べたおじいさん・おばあさんが若返って桃太郎を産む』という話も
すごいですね。なんか根拠とかあるんですかね?
683愛知県民:2007/01/27(土) 16:30:36
>>682
「吉備=狗奴国」は音韻は苦しいですが、畿内説の立場からは
伊都、投馬(出雲)、邪馬台と並ぶ勢力としては山陽の大国・吉備が
一番妥当か?というところです。
意富夜麻登久邇阿礼比売命は孝霊天皇の妃とされていますが、
安寧天皇記ではわざわざ系譜と出生地が記されており、名前から考えても
ただの妃とは思えません。
・・・この程度では「直感」かな・・・

桃太郎の話は、「トリビアの泉」でも紹介された有名な話。
各地の桃太郎伝説で一番広く分布しています。
ただ、童話として子供に読ませるのは如何なものか?ということで
「桃から産まれた桃太郎」というストーリーが一般化したのです。
684日本@名無史さん:2007/01/27(土) 16:35:45
中国では古来、桃には回春作用があると考えられていた。
おじいさんとおばあさんが45〜65歳ぐらいとすれば
おじいさんが元気になってデキても不思議はない。
685日本@名無史さん:2007/01/27(土) 16:40:36
卑弥呼は朝鮮人に違いないニダ!!
倭人を征服したニダ!!
マンセー!!
686日本@名無史さん:2007/01/27(土) 16:47:00
卑弥呼は日食の日に殺されたんだよ、だって年だもん
そして代わりになる可愛い子が祭り上げられたと思う
あと、吉備団子(3人の家来)桃太郎は
酒天童子&茨木童子と源頼光と四天王と保昌を彷彿させるね
竹取物語も不思議な話だ。
源氏物語より早く、それも誰も手を出せず天に昇って逝くからね(宇宙人か?)
古い面影を伝えたお話には何かが隠されている
でも、まあ物事はあまりシリアスにならない方がいいゼ
いずれにせよ 昔の事さw
687九州出身:2007/01/27(土) 16:53:26
九州説、畿内説って分けるのも変じゃない?
どちらかの説をとる先生方の権力争いに巻き込まれてる気がする。
688日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:04:09
>>684
ヒント:閉経

>>686
いつの日食?
689日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:07:56
俺の最近読んだ本に日巫女はじんぐうこうごうに殺されたとか会ったがまじか?
690日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:07:30
>>675
魏志倭人伝に<無夫婿>とあるので、
おばあさん=アレヒメ(卑弥呼)とするのは乱暴だな。
691日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:07:41
>>688
閉経って何歳ぐらいか知ってる?かなり個人差あるよ?
692日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:14:52
>>686
近畿説では箸で陰部をいじっていて事故死した事になっているんだが・・・
693日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:19:03
おじいさんのナニが箸みたいに細長かったんだよ。
ウルフ大佐みたいに。
694九州出身:2007/01/27(土) 21:33:34
卑弥呼みつけたかな〜?おれはもうみつけた!
695プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 21:51:56
>>694

>卑弥呼みつけたかな〜?おれはもうみつけた!

スゲ〜っ  持統天皇だった?
696九州出身:2007/01/27(土) 21:53:47
なんで持統天皇なんw
697プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 22:03:49
>>696

>なんで持統天皇なんw

違ってた? じゃあ筑紫君?
698九州出身:2007/01/27(土) 22:08:02
馬鹿にしてんの?
699九州出身:2007/01/27(土) 22:10:28
プラム君 
君は少し見下した所があるんだよ 気をつけたまえ!
700日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:14:59
>>686

桃太郎は「桃」太郎だから中国系渡来人だろ。

金太郎は「金」太郎だから・・・
701プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 22:15:06
>>698

>馬鹿にしてんの?

そう思いたいなら思えばいい HP読んでるんでしょ
無駄レスした覚えはないよ
702プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 22:24:11
>>699

>プラム君 
君は少し見下した所があるんだよ 気をつけたまえ!

せっかくHP読んでくれてる人だから
重要な部分だけカキコしておけば これからの考察の材料になると思ってね
703プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/27(土) 22:44:49
九州出身さん

【卑彌呼】【筑紫君】【持統天皇】
この名称は、中国漢籍倭伝と、記紀を読むにあたり骨の部分と成る所だから
十分考察し、頭の中に叩き込んどくことをせつに望みます。

もうすぐ雛祭り
何処かでひな壇飾りでも見る機会があったら、この三名称を思い出してください
私も、雛祭りの考察がきっかけで
古代史の背景が見えるようになりました。    では 頑張って下さい。

出来れば何回でも繰り返し、あのHPを読まれることをせつに願います。


プラム  こと  kappa_mushi7019
704愛知県民:2007/01/27(土) 23:11:36
>>690
それは即位したときの話でしょう。
「唯男子一人有りて飲食を給し、辞を伝えて出入す」
705日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:14:14
>>700
その呈で行くと、金日成も金正日も、日本人だな。
706日本@名無史さん:2007/01/28(日) 00:34:09
>>704
そこはもう違う話になってるでしょ。
卑弥呼の息子なんて書いてないし。
707九州出身:2007/01/28(日) 01:24:46
倭の五王について語ろうか
708愛知県民:2007/01/28(日) 06:27:26
>>706
この「男子一人」はまさか「宦官」ではないと思いますが。
「更に男王を立てしも国中服さず 」の男王も、
弟とも息子とも明記されていませんから。
>>707
413年の東晋遣使は応神天皇、讃は仁徳天皇でしょう。
でも九州王朝説を展開されるのでしょうね・・・
709一応九州王朝説:2007/01/28(日) 09:57:03
愛知さんのも極端に言えば俗説やからね。
同一人と判定できる材料がない意味では九州説と同格。
710愛知県民:2007/01/28(日) 10:19:15
キビツヒコ・モモソヒメと桃太郎の関係は深いと思うけど、
ここは卑弥呼スレですからね・・・
続きはまた来週。
(来週まで2ちゃんねる、あるだろうか?)
711神奈川県民:2007/01/28(日) 10:23:02
親魏倭女王卑弥呼 日本古代最大のミステリーである。

この女王の謎を解き明かせ!
712神奈川県民:2007/01/28(日) 10:35:19
モモソヒメの弟、キビツヒコが桃太郎のモデルになった。
桃から生まれた〜♪桃太郎!!
713日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:21:01
>>712
なるほど。
古事記に出てくる孝霊天皇の吉備平定は、桃太郎伝説となったのか?
714日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:01:27
>>708
だから、立てた男王っていうのは、弟でも息子でもなかったんでしょ。倭人伝の記述では。
で、卑弥呼が死んでから台与が立つくだりも矛盾だらけになるでしょ。
715日本@名無史さん:2007/01/28(日) 14:12:13
岡山の吉備津神社の案内板には
「孝霊天皇の第四皇子。祟神天皇の命により
四道将軍の一人として吉備路を平定する」
こんな感じに書かれていた。
716日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:46:21
中国系渡来人の桃太郎が、朝鮮系渡来人である鬼を退治皆殺しにしたんだよ。
717日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:09:14
>>683
吉備は既に邪馬台国の一部となっていたと考えるね。
魏志倭人伝に書いてある国のほとんどは九州だと思う。
718日本@名無史さん:2007/01/28(日) 21:34:00
また九臭asbPか。ウザイな。
719日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:18:05
クヤ韓国以外は九州内です。
720日本@名無史さん:2007/01/29(月) 00:49:28
クナ国吉備説に一票。理由はまだない。
どこでこの発想が生まれたのか、トンと見当がつかぬ。
721日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:39:13
ここは11月福島最終週三才以上未勝利戦
722日本@名無史さん :2007/01/29(月) 16:42:49
もう九州できまったのか?
畿内は弥生中期は祭祀中心の原始的な農業集落
で銅鐸をたたいて、村祭りの文化だから、無理
としても、九州のどこが邪馬台国かはまだ結論
がでていなのか?
723日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:37:59
>>722
倭人伝に記された女王卑弥呼は、「弥生中期」の人物ではない。
724サガミハラハラ:2007/01/29(月) 18:25:48
邪馬台国がどこかは既に結論がでております。
佐賀県小城市甘木地区が都です。
卑弥呼の墓は小城公園内の桜ヶ岡です。
そういえば、春の選抜は小城高校が初出場とのことです。
健闘を祈る。
725日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:36:43
邪馬壹國は岩手の八幡平(やわたい)だろ。
726日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:37:10
>>724
既に全部否定されています。
727日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:39:36
なんで邪馬壹國と大和の相似を否定するのかさっぱり分からない。
728サガミハラハラ:2007/01/29(月) 18:51:32
>>726どなたがどのような方法で否定できたのか詳細をお聞きいたしたい。
729日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:05:39
韓国を歩いてる段階で既に×ですが
730日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:10:00
その桜ヶ岡の発掘は行われたのでしょうか?
731神奈川県民:2007/01/29(月) 19:24:29
・スレ全部読むにしても読めないんですが他の人はどうですか?

・海外の歴史家達は日本の古代史、卑弥呼と邪馬台国問題、或いは日本の建国史をどのようにみてるのか知ってる方いますか?

そういえばもうすぐ旧正月(2月11日)ですよね。それまでに邪馬台国問題は解決するのかどうか
732日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:33:08
もおぅ>>730が桜ヶ丘の発掘なんて言うから逃げちゃったじゃない。
733神奈川県民:2007/01/29(月) 19:39:00
女王の都する所。

卑弥呼が都としてる候補地は大まかにこんなもんですか?
奈良、出雲、吉備、淡路島、丹後、宇佐、日向、西都原、博多周辺、北九州、愛媛
734神奈川県民:2007/01/29(月) 19:44:44
あと大阪と佐賀?
735日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:45:28
>>733
西日本のいたるところが候補地だね
736日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:33:33
日本史板、何故こんなに重いの?
737日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:52:10
雨降ったから
738日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:02:01
みれないのはだれかがなにかをやってるのかなあ
739日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:08:05
卑弥呼を共立したので、まあ組合長みたいものでだれでもよかった
740日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:13:26
戦乱が続いたのでむしゃくしゃしてやった。今は反省している。
741日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:46:16
>>731>>736
ほんとに重いなあ。PC版だと上位20スレの、それぞれ新着10レスしか読めん。

でもな、おれパソコン使用だけど、強引に携帯版へ行って、なんとか他のスレや、
過去レスも、いちおうは読めてるよ。

これが日本史板の携帯版のリンク。「次」「前」をクリックして移動すればいい。
http://c-others.2ch.net/test/-/history/1
742日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:57:04
多分、明治天皇すり替え説あたりが当局にとってマズイからではないかと推察する。
743九州出身:2007/01/29(月) 21:59:08
魏志倭人伝より
『其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。』

ここでの共立は「天照一族の間」での共立されたとみるのが正しい?
又は「倭国内の豪族間」で共立されたとみるのが正しい。
もしくは『魏国からの指名」とみるのが正しい?

豪族間だよね?

744日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:01:09
わざと重くしてるやしはだれやろ
745日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:05:10
日本史板は当局にとってマズイ話題でイパーイだから
746九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/29(月) 22:07:14
>>下らんのが知らぬ間にに随分かき回してるようでんな。
747九州出身:2007/01/29(月) 22:19:39
>>741
サンクス
748九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/29(月) 22:26:29
ひょっとして断末魔?ちょうどキー叩きの練習に良かったのに。
畿内説論者が、安本氏のことを誹謗するからですよ。
彼は彼の考えとして述べる部分ときちんとした考古学的資料に基づいて
述べている部分とがある。ごっちゃにしてはならない。

有棺無槨 棺あって槨無し これに該当するのは北部九州であり
木槨木棺墓の畿内は該当しない。
   この答えをまだ貰ってないんですがなにか?

この部分で、畿内説は終わっているのだ。実はこの指摘こそ安本氏のそれであり、
畿内説が安本氏を嫌悪する元となっている。
749日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:51:39
>>743
『其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年』
ここの部分だけでも意訳してくれ
750神奈川県民:2007/01/29(月) 22:55:24
>>748
君は独り言かね?誰に語りかけてるの?
『有棺無槨 棺あって槨無し』なんて安本読んでない人にはサッパリ。
751九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/29(月) 23:03:00
>>750
これは邪馬台国スレの5スレ前からずっと畿内説論者に明快な回答を求めているが、
未だに答えが返ってこないので再び問い返したもの。
ちなみに、この文は西日本新聞に掲載された彼の記事を転載したもの。
752神奈川県民:2007/01/29(月) 23:03:45
>>749
よく言われてるのは、

『その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。』
ですね。
753神奈川県民:2007/01/29(月) 23:11:28
754日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:13:22
>>752産休

ところで、『本また』って何?意味が良く判らないので説明頼みます。
755神奈川県民:2007/01/29(月) 23:23:32
>>754
一般的に読まれてる言葉は「もともと」です。
756九州出身:2007/01/29(月) 23:27:22
>>754>>749
人に頼らず自分で訳しなさい!
神奈川県民は優しすぎる
757日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:31:32
>>756
君が最初に書いたんだろう?
最初に原文提示した者が責任とってよ
758日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:34:38
「本もまた」なんて 意味判らねい言葉使うから質問したんだろう?
759日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:36:11
「本もまた」じゃねえは、「本また」だは。
760日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:42:09
なんだやっぱりこのメンバーは福島最終未勝利クラスか
761日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:44:08
「魏志倭人伝」研究家の笠井新也が指摘したように、
邪馬台国(約七万戸)に次ぐ大国の投馬(ツマ・ツモ)国(約五万戸)こそ原イツモ。
すなわち、イツモの「イ」は母音の発語、音が軽いから自然に省かれる。
「マ」と「モ」は同類音で相通ずるから、出雲と投馬両国名は全く一敦するという。
さらに宋版「大平御覧」の「倭人伝」では、投馬が於投馬(エツモ)と書かれている。
今日、出雲人は出雲を「エヅモ」となまって言うからに、
中国人は出雲の音を案外正確にとらえていたようだ。
また、「倭人伝」に、投馬国の長官はミミ、次官はミミダリとあるが、
既述のヤツミミ(記・紀)に相当するものだ。
出雲国=投馬国説は再浮上すべきであろう。
762日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:48:12
漢和辞典を引くと、「乃」(すなわち)というのは、(やむなく、
そのあげく、まをおいて)となっている。
これからも、倭国の大乱が跡継ぎをめぐる争いであったことは明白。

つまり、長年にわたり攻撃しあった。やむなく一女子を共に立てて
王とした。となる。
763日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:52:08
畿内ではホケノ山たった一つしか木槨木棺墓は発見されてないのに

>>748 >木槨木棺墓の畿内は・・・

な〜んて持ち上げられるのは、畿内在住者として、面映いよ〜。(笑)

あ、言っとくけど、神郷亀塚、大風呂南1号、赤坂今井遺跡なんてのは、
「近畿」ではあるけれども、まかり間違っても「畿内」じゃないからね。
764日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:53:20
「本また」とは何でしょうか?
765日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:55:42
>>748
倭国と邪馬台国を一緒にするなと
何度も言われてなかったっけ???
766日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:09:20
>>755
レス見逃していたよ
ごめん ごめん

それよっか、その『もともと』だけど、変じゃねぇ?だってよ‐
『本』は(根本)とか言う意味で、(始め)とか(以前)からとか言う時は、
『元』じゃねぇ?
絶対変だよその意訳。

間違いねぇ そんな意訳間違ってるよ
767九州出身:2007/01/30(火) 00:11:55
>>762
そうなるね!
よって、共立とは「天照一族の間」で共立された。
もしくは「倭国内の豪族間」で共立された。
のどちらかになる。
768日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:17:20
>>767
どおして天照一族が登場するの?
769日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:18:02
>>766
「本亦」これは「もとまた」と読むが、上の人が言っているように、
「もともとは」で良いんじゃないかな。

その国はもともとは男子を王としていた。7,80年たって、倭国は乱れ
長年にわたって攻撃しあった。

倭国の大乱の時期は、中国の書物では「桓、霊間」とか「霊帝光和中」
と書かれているので、西暦180年あたりだと思う。
その7,80年前には、漢に朝貢した「倭国王・帥升」(西暦107年)が
いるので、この帥升のことを言っているのだと思う。
770日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:18:33
>>763
大風呂南1号、赤坂今井の「大きな舟形の木棺」とされているものは、
じつはこれこそが木槨で、その中にまた本物の木棺が納められていたようだ。
以上、近藤義郎先生のお考え。
771九州出身:2007/01/30(火) 00:22:37
>>761は再検討の必要ナシ!
出雲国=投馬国にすると距離も少し長いし(魏書には都は郡より12000里)
方向がぜんぜん違う!

>>765は誰に言ってんの?
772日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:28:03
>>769
つづき
中国の書物に、倭国王として登場するのは、帥升が最初なので、
それまでばらばらだった「倭国」を統一して、最初により広い範囲を
支配する王(倭国王)となったのは、帥升が最初という意味かもね。
それで「本」という字を使ったのかもしれない。
773九州出身:2007/01/30(火) 00:28:47
>>768
ひみこは天照大御神だってわかるよね?だからだよ

>>766
神奈川県民さんに聞いたら「現代語訳読んだらそう書いてた!」だって(笑)
774日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:28:52
>>769
全然よくないよ‐

「本」は根本だから時間を表す表現じゃあないよ
(もともと)は以前であり、時間を遡った表現ジャン間違った意訳はどこかで治さなくちゃ 肺炎になっちゃう。
それに、わざわざ「又じゃなく亦」と書いてあるんだからねぇっ!
本は根本だから「國本」じゃん
775日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:31:40
九州には、木槨はないのか?

・鎌田原(かまだばる)弥生墳墓群/福岡県嘉麻市
http://www.city.kama.lg.jp/info/genre.asp?gen_id=1148&con_id=4217
・檍(あおき)1号墳/宮崎市
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2002/20021102.html

あるじゃないですか。(笑)
776日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:32:54
>>773

>卑弥呼=天照

そんなんいきなり言われてもわかんねぇよ
777日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:38:04
>>772

なんでいきなり魏志倭人伝に帥升が出てくるの?
天照がでてきたり帥升が出てきたり 意味わかんねぇ‐
田舎者だからって馬鹿にしてねぇか?
778九州出身:2007/01/30(火) 00:40:21
其國本亦以男子爲王

これが正解
779日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:41:13
やっぱりここは、何でも有りの福島最終未勝利戦だなや
780日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:44:41
>>777
しばらく、自分でじっくり考えてみること。
781日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:45:05
>>778
だから訳してよ‐
782日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:50:28
>>780

思いつきの口から出まかせだからわかんねぇんだ
783日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:50:58
柳田康雄さんの説も、抜き書きしてあげよう。

「木槨は、北部九州では弥生早期から存在して、中期には大型化している(伯玄社遺跡)。
弥生末の平原王墓の広い墓坑床面が未調査ではあるが、北西側角にピットが検出されている
ことから、木槨と刳抜式木棺の組合せは、弥生早期から弥生末期までの北部九州の墓制の
一角を占めていることが明らかである。」
784九州出身:2007/01/30(火) 00:51:37
>>781
『其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。』
だから神奈川県民が訳してるやん!

ほれこれじゃ!
752:神奈川県民 01/29(月) 23:03 [ta]
>>749
よく言われてるのは、

『その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。』
ですね。
785日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:56:09
>>784
その意訳には、沢山反論でてるでしょ
それにアナタは何もしていない。
訳のわからない天照一族や原文だけの提示ですか?
786九州出身:2007/01/30(火) 00:58:36
>>785
だからこの神奈川県民さんが訳した「本また」はもともとだっていってるだろ!
きみは何が知りたいの?「天照一族」とはなにかが知りたいの?
787九州出身:2007/01/30(火) 01:01:13
「天照一族」とは現在の天皇の皇祖神である『天照大御神』を中心とした一族を指している。
疲れるな〜
788日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:06:34
>>787
「もともと」に対する反論の答えが出ていません。

「天照一族」に対する説明も薄っぺらで訳が解りません。
天照が皇祖である立証をしてください。
789九州出身:2007/01/30(火) 01:17:24
>>788
>「もともと」に対する反論の答えが出ていません。
《回答》自分で訳せ!

>「天照一族」に対する説明も薄っぺらで訳が解りません。
天照が皇祖である立証をしてください。
《回答》本を読め                 

おれは神奈川県民さんみたいに優しくない言ってるだろう  以上
790九州出身:2007/01/30(火) 01:24:12
>>788くん
788のレスもう1度みてみなよ。それだけで丁寧に1〜10まで説明してくれる人いる?
甘いし、虫が良すぎるよ?
解らないんで教えてください言うならちゃんと回答するが、その前に自分でいろいろ調べるべきやないかな。
791日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:29:19
.>>771
あんたに言ってんの。
どこが邪馬台国だろうと、北九州も倭国の一部だってこと。
792日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:34:56
>>766
新字源には「本」が<もともと。むかし。>とも書いてあるから妥当な訳だと思う。
793九州出身:2007/01/30(火) 01:53:12
>>791

>>748 ↓これ?
倭国と邪馬台国を一緒にするなと
何度も言われてなかったっけ???

プラム氏のこと?プラム氏がお奨めしてくれたサイトの論は間違いである。(都と二人の卑弥呼はあってるが・・・)
おれの説と違いがある。
だからプラム氏が強制に「一緒にするな」といわれても自分は自分の論である。
よって誰も強制してはいけないのである。

それに上のレスの《倭国と邪馬台国を一緒》とあるが倭とは日本列島のこと指していておなじである。
794九州出身:2007/01/30(火) 02:11:41
反論するとこは反論する。しかし、他の人の論も素直に聞くべきなのだ。
それが正解ならば教えてもらい間違ってれば取り入れなければいい事。これだこれ!
しかし、何でもかんでも反論する人、何でも真似する人がいる。
彼等は頭悪いだけなのだ!以上 ねる!
795プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/30(火) 07:21:34
>>790
九州出身さん 解らないのでどうか教えて戴けないでしょうか?

其國本亦…の(本亦)を(もともと)と意訳成されているようですが、(もともと)と解釈された元となる「漢籍用例文」はなんだっのですか? それが辞書からの引用ならば、その辞書はどのような漢籍用例文を使用し、(もともと)
と意訳したのでしょう。
その用例文と「其國本亦…」は、同じ文意構成なのでしょうか?
内容が判らないので、詳しく教えて下さい。
お願いします。
796プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/30(火) 07:52:39
>>790 九州出身さん

「漢和事典」には、漢字一文字に付き数多くの日本語意訳が掲載されています。その意訳に対し、必ずその様に意訳した「漢籍用例文」が付随し、そう解釈した説明としています。
漢字の日本語意訳には必ず漢籍用例文があるか、或はその漢字が本来
持っている『字義』を使用するかの二通りなのです。私が(ドン来い)スレにて『世有王』の『世』について説明しましたね
学問板では、(もともと)と解釈し、レスし、それに対し反論有りの場合、
用例を提示し説明する義務が生じるのが 暗黙のルールなのです。
797プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/30(火) 10:05:12
>>793 九州出身さん

>倭とは日本列島の事を指していて同じである


では、質問します。

『論衡や山海経』に記載されている(倭や倭人)も、日本列島の事だと?
798日本@名無史さん:2007/01/30(火) 11:44:20
欠史八代の時期ってちょうど倭国大乱にあたるんじゃないかな
だから形式上の王はいたけどただ形だけの王だったから歴史には残らなかった
そこで巫女である卑弥呼(モモソヒメ)の助けを借りて初めて倭国をほぼ天下統一することを実現したのが崇神天皇(最近の考古学や研究によると卑弥呼の時代と同時代に実在した可能性があるらしい)

この崇神天皇という人物が実は卑弥呼とその弟、二人合わせて崇神天皇だとしたら?
実質卑弥呼が実権を握っていたがそれまでの男王が続いてきた伝統のせめぎあいの果てッ
卑弥呼とその弟を王様にすることで丸く治めたのではないかッ?
実質卑弥呼が実権を握っていたためチャイには卑弥呼のソロ活動に見えた
そうに違いない


以上リア中の妄想でした
799日本@名無史さん:2007/01/30(火) 11:55:21
誰と誰を二人に合わせたとか...そういう解釈をやりまくるのは危険だ。
もっと記紀を素直にすむべきだ。

モモソ姫というのは、孝霊天皇の皇女で、
孝霊天皇の曾孫の崇神天皇の代までいたわけだから、
かなり長期間、巫女をしていた可能性があり、
崇神天皇の時代は、皇室一族の長老的な存在だったと思われ。

古事記では、日本書紀で欠史八代とされる天皇の中で唯一、
孝霊天皇の時代に吉備を平定したと記載され
吉備の神社には、孝霊天皇が何年にもわたって
吉備を平定するために戦争をしたという伝承がある。
これが、倭国大乱の時期じゃないのか?
モモ太郎の話は、モモソ姫と吉備津彦(モモソ姫の弟)のお話だと思う。

崇神天皇やモモソ姫の晩年を魏志倭人伝の240年代とすれば
孝霊天皇の時代は、2世紀後半の倭国大乱の時期にかぶる。
800日本@名無史さん:2007/01/30(火) 16:06:38
倭姫だよ。
801日本@名無史さん:2007/01/30(火) 16:33:41
卑弥呼の特定なんて無理な話だよ。
「姫命」なんてたくさん居る。天皇家の一族以外にもいただろうし。

多数の諸侯の攻伐の果てに天皇政権が勝ち残ったんだ。
それ以前の諸侯の姫命が朝貢したと考えるほうがいい。

卑弥呼も邪馬台国も天皇政権とは無関係。
歴史の闇に埋もれた伝説の王権なんだよ。
802日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:49:40
学校ではどのように教えてるのですか?
803征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/30(火) 20:07:56
倭迹迹日百襲姫命没を247年とする計算上の孝霊天皇治世元年は、
単純計算でAD180年でので、光和年間と同期します

上代文献が示す倭国大乱の平定は、孝霊伝承に集約されるのでしょう


>>675
ですので意富夜麻登久邇阿礼比売命は卑弥呼と比定する事は出来ないと思います


それから吉備は大和朝廷側との対立関係から言って、狗奴国と見る事も出来ますが

吉備と大和の位置関係から云うと、所謂魏志倭人伝を考慮するなら
吉備こそが邪馬台国で、大和朝廷こそが狗奴国だったと云う可能性も
十分に考慮されるべきではないでしょうか?
804日本@名無史さん:2007/01/30(火) 20:12:15
卑弥呼を共立したと言うことは、組合長みたいなもので
だれでもよかった、要はケンカをしないように調停をやっていたので
弁護士みたいなものだよな
805大和:2007/01/30(火) 20:20:36
プラムさんへ。

プラムさんは「ドンと来い・・・」のスレ主でしょ。閲覧できずに困って
おります。日本史掲示板一覧でベスト20より落ちないようにこまめに
Res付けて。そうでないと「ドンと来い・・・」に入れないのお願いします。

ここも20以下になると同じ運命よ。宜しくね。
806一応九州王朝説:2007/01/30(火) 20:33:49
どうもだめですね。ひろゆきはあんなこと言ってるけど、実際は
板整理とかサバ移転しだしたのか。人少ないし、ここ。
807日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:15:23
パソコンからでも、携帯iモードへ行けば、重いが一応すべて読み書きできるようだ。

携帯iモードへは、2ちゃんの入口(壺の表紙)の最上行左から入るが、
ここに、日本史板携帯iモード版への直行リンクを、張っておこう。
http://c-others.2ch.net/test/-/history/i

下位のスレタイを表示させるには、下から2行目の「次」をクリック。
逆に上位スレタイ表示に戻るときは「前」をクリックする。

お目当てのスレッドの中でも、レスの上げ下げは、同様に「次」「前」で。
レス末尾に「省**」とあるのは、省略されているので、そこをクリック。
書き込みたいときは、「書」をクリックすれば、書き込み枠が表示される。
俺は畿内説だが、九州説のヤシらよ。俺に礼を言え!
808日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:19:22
>>805
そうですね。
皆で上げましょう。
809太国:2007/01/30(火) 21:22:23
>>807
まことに有難う存じます。今2倍念暦のスレを見させて頂きました。
810九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/30(火) 21:26:02
>>806
えらく弱気になってるような。1000万人が利用してるんだから、そのうち知恵のある人が現れるんじゃない?
誰だって財産が目減りする事になれば、どうしても邪魔になってくるだろうし僕らだって例外なくそうでしょう。
うらんだら可哀想です。
811日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:28:35
シルクロード日本人と秦氏の謎のスレを上にあげてほしいのですが
PCからはアクセスできません
812日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:32:26
通常モードで見ていた人って結構多かったんだ。
ギコナビはタダだから、ぐぐってダウソすればいいのに。
813一応九州王朝説:2007/01/30(火) 21:33:01
>>803
うーん。

実在なら大体その前後だとは思うんですが。私はもう少し後と
思いますけど。
高地性集落の性格や分布を考えると、その頃なら東からの逆襲
といった感はありますね。岡山県が吉備津彦を桃太郎と言って
ますが、じゃあ九州勢力側は鬼なのかな?
まあ軍事力的には時代が下るに連れて西→東になっていったわ
けですから、その当時は「鬼のように」強かったって事ですか。
鉄器や青銅武器・祭器からもそういう感じはしますが。

ただ、四道将軍にどこまで内実が伴っていたのかについては、
あんまり信憑性は感じないです。よれよれでやっと奈良盆地の
南端を与えられた神武から七代目で、もしかすると磯城県主=
物部氏=ニギハヤヒ系の方が中心の婿入り婚だったかもしれな
い。それが基盤だったんでしょう。
だから、そんな爆発的に軍事力を増すはずはないので、「そう
いう名目」で派遣したのは事実でも、実際はよしみを通じた、
って感じじゃないでしょうか。鉄を分けてもらったとか。吉
備津彦神社はいずれも吉備の国の一宮となっていますが、その
ような事への評価でしょうか。

814プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/30(火) 21:38:26
>>805 大和さん

気づかず申し訳ありません。 チョット漢文板に出張していたもので
815大和:2007/01/30(火) 21:40:51
とりあえず皆様方サンクスです。
816九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/30(火) 21:50:42
「有棺無槨 棺あって槨無し これに該当するのは北部九州であり
木槨木棺墓の畿内は該当しない。
   この答えをまだ貰ってないんですが?」

これに誰かなんか言ってたけど誰か解らなくなったので改めてどうぞ。

古墳を例に挙げていたけど、古墳の年代測定など当てにならない。
隋書倭人伝に、「墓を造るに棺槨を以ってする」と明確に述べているように、
木槨木棺墓は時代の下ったもの。倭人伝の「棺あって槨無し」の記述は、
弥生後期、甕棺墓が最盛期を迎えていた北部九州の様子を魏使が見て
記録したもの。
817九州出身:2007/01/30(火) 22:06:39
>>795プラムさん へ
>九州出身さん 解らないのでどうか教えて戴けないでしょうか?
【回答】
ハイ お答え致しますが・・・あなたは2年以上論争されてる方ですよね?
私は邪馬台国に興味もち2か月ちょいです。ふつー逆では?!恥ずかしくはないんですか?

>其國本亦…の(本亦)を(もともと)と意訳成されているようですが、(もともと)と解釈された元となる「漢籍用例文」はなんだっのですか?
【回答】
いえ「漢籍用例文」なるものではありません。私がよく使うサイトから引いてきたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
ここの魏志倭人伝の原文と対話型和訳

>それが辞書からの引用ならば、その辞書はどのような漢籍用例文を使用し、(もともと)
と意訳したのでしょう。その用例文と「其國本亦…」は、同じ文意構成なのでしょうか?
【回答】
だから辞書からではないって・・・

>内容が判らないので、詳しく教えて下さい。
お願いします。
【回答】
詳しく教えてくださいって・・・2年以上なにしてられたのですか?こっちが聞きたいくらいやわ
818日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:12:48
>>1
とりあえず、だけど、卑弥呼=神功皇后説は、九州説・畿内説いかんにかかわらず、
成り立たないことが明らかになったんじゃないっすか?
みんなもそう思うだろ。どうみても神功皇后は4世紀の人。

ただそうすると、日本書紀神功紀の割注で、なにゆえ思わせぶりに魏志を引用したかが問題になってくるが・・・
819太国:2007/01/30(火) 22:20:24
>>818
卑弥呼も4世紀の人物です。思わせぶりでなく、その時代ころは双方が女
だったんですよ。
820九州出身:2007/01/30(火) 22:27:14
>>796 プラムさん へ
>学問板では、(もともと)と解釈し、レスし、それに対し反論有りの場合、
用例を提示し説明する義務が生じるのが 暗黙のルールなのです。

【回答】
上のレスで「説明する義務が生じるのが 暗黙のルール」とあるが、
自分のレスに責任感じないといけないし質問に対する答えは出来るだけ答えていきたいです。

上のレスで「説明する義務が生じるのが 暗黙のルール」とあるが、
自分のレスに責任感じないといけないし質問に対する答えは出来るだけ答えていきたいです。
しかし断るのも私のじゆうなのです。あなたは人に強制しないように記をつけなさいよ
821九州出身:2007/01/30(火) 22:29:29
>>797
>『論衡や山海経』に記載されている(倭や倭人)も、日本列島の事だと?
【回答】
論衡や山海経ってなんですか?よくわからないのですが・・・


822一応九州王朝説:2007/01/30(火) 22:30:52
また大国のおじいさんはややこしいことをw

ねえねえじいさんってやっぱり「女は機械」とか思ってるの?
ある世代より上の人って子育ても家事も何も出来ない人って多いですよね。
823九州出身:2007/01/30(火) 22:31:50
>>820
【一文消去して読んで】
↓これ
上のレスで「説明する義務が生じるのが 暗黙のルール」とあるが、
自分のレスに責任感じないといけないし質問に対する答えは出来るだけ答えていきたいです
824九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/30(火) 22:46:56
>>822
確かに邪馬台国の謎よりも、今度の2ちゃんのゴタゴタの真相よりも
ここに出てる人の年齢は一体いくつなんだ?という謎の方がはるかに興味深い。
825神奈川県民:2007/01/30(火) 23:00:41
>>818
えっと〜(笑)
神功皇后スか 私も同じ考えですが〜
神功皇后を卑弥呼としている人も多いようなのでとりあえずは残す方向です。
826日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:21:50
>>819 
>卑弥呼も4世紀の人物です。

全くの初耳です。わたしは、「卑弥呼は3世紀中ごろに亡くなった倭の女王」と
高校で習いました。魏志倭人伝を見ても、そのように書いてあります。
いったい太国さんは、何を典拠に、「卑弥呼も4世紀の人物」とおっしゃるのですか?
827プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/30(火) 23:41:55
>>820

>あなたは人に強制しないように記をつけなさいよ

ちょっと聞き捨てならない表現ですね
何時強制しましたか?  強制となると、ゆゆしき問題でありまかり間違えば
犯罪行為となり訴訟対象にもなります。
その点を考慮しての発言でしょうか?
強制の場合、それを執行しない場合貴方に何らかの、不利益が発生し
それを左右できうる材料を私が握り、何時でも行動できると言う脅迫行為にも似た
類似行為でしょうか?

その辺慎重に回答して下さい。   シャレにならないことです。
828太国:2007/01/30(火) 23:45:08
>>826
倍暦の関係ですよ。実年代がそれでズレるからです。実年代で

神功39年=365年   神功66年=374年

となりますから、卑弥呼は4世紀の人物となります。
詳しくは2倍念暦のスレを1から読まれたい。
以後の質問は明日に回答しましょう。zzzzzzzzzz・・・・・
829征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/30(火) 23:52:37
神功紀は漢籍を引用して見せる事で、
年代引き伸ばし作業後の机上の書紀年代と、漢籍側の実年代とが
イコール関係であるか様に錯覚させる事を読み手に要求するトリック記事の役目なんですよ
830神奈川県民:2007/01/31(水) 00:05:40
>>827
>あなたは人に強制しないように記をつけなさいよ

・【記】は【気】に訂正
誰も強制したとは言ってない。
強制しそうなので注意したのだ!以上
831日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:07:46
830はわたしだ 九州出身
832プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 00:18:59
しかし、擬似強制があったからこその発言かと
全くなにもなければ
あのような発言には至らなかった筈

謹んでお詫び致します。
833プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 00:23:33
では

失礼します。
834九州出身:2007/01/31(水) 01:34:00
>>832-833
いいえ こちらこそご無礼で申しわけないです。

それより其國本亦…の(本亦) の件ですが

いま私の漢和辞典で調べたら、
本=常用音訓 ホン(意味は書物。書物を数える助数値など) もと(意味は草木の根元など)
亦=これが難しい・・!
読みはまた・エキ。同じ状況がもう一つあるとき。その下に「・・・もまた」と読む。とある。

なんのことやら・・サッパリですわ!
835九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/31(水) 05:32:54
ちょっとちょっと。こんなときに議論ならいいけど仲違いなんかしてどうすんの?
喜ぶのは誰でしょう?まんまと思う壺にはまらないように。
みんなを見捨てたら最後は自分がみんなから見捨てられるときが必ず来るもの。
それが世の常、道理です。解んない人もいるけど。
おカネの魔力とでも申しましょうか。ほんとは「人」のほうが大事なんだけどね。
会社でも自分が他人のリストラに狂奔したとしたら、自分がもっと立場の上の人間に人間を見られ、
見限られ裏切られて社会からも抹殺されます。御用心を。
836日本@名無史さん:2007/01/31(水) 07:00:49
>>816
畿内説であれ南九州説であれ、北九州が倭国の一部であるというのは同じだろ。
外国からの使者は北九州に多くいたので、必然的に北九州の描写が多くなった。
837プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 08:03:07
>>834

先ずは手始めに、『又、亦、復』の活用を学ぶことを奨めます。

あと、
『其國本亦以男子為王住七八十年』
この文の何処に句読点を打つかです。


チャレンジしてみて下さい。


教えてしまうのは簡単ですが、それでは直ぐ忘れてしまいます。先ずは身体で感じて下さい。
838日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:23:11
その国は元々7、80年間男の王で持っていた
839プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 09:29:33
>>838さん

『亦』の区別がつくようになれば

>7・80年

と、読めなくなりますよ。
この場合、7・8年長くて10年と、意訳します。
840日本@名無史さん:2007/01/31(水) 10:29:14


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。

841プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 10:35:21
>>840

では、
『氣』の文字は、三足土器よりも新しく、三足土器で蒸す行為をしなかったら『氣』の文字は存在しなかった事になりますね?
842日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:34:44
このように後世のでっちあげがやまほどあると言うことですね
843プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 11:45:19
今の世の中、全ての所謂を後世のデッチ上げととらえ、その中から
そうでないモノを選び出したほうが早いかも。
844日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:51:58
タコアゲ
845日本@名無史さん:2007/01/31(水) 16:52:39
バス酔いアゲ
846日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:50:06
卑弥呼アゲ
847日本@名無史さん:2007/01/31(水) 19:21:17
竜田アゲ
848九州出身:2007/01/31(水) 19:47:22
>>835
君、いつもはトロ臭い子供みたいなレスだけど『会社』がどうのって
大人らしい事も言えるんだね(笑)
849日本@名無史さん:2007/01/31(水) 19:52:41
835はなんて書いてあるの
850プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 19:59:47
『又』も『亦』も『復』も、みんな「マタ」と読みます
しかし、文字が異なる以上活用がそれぞれ異なるということ

こんな下調べが、古代漢文の楽しみ方です。
851一応九州王朝説:2007/01/31(水) 20:32:39
プラムさんは、直接古文書などを読まれたりしますか?

私も何度か古い庄屋さんとか神社、お寺などで見せてもらいましたが、
さっぱりw すこしは勉強しているつもりなんですがね。一応書道は3段
の免状持ってるし、まあある程度は古今の書家に通じているつもりだっ
たんですが、甘い甘いw 要するに書家の字は流麗な作品ですから、
いくら難解でも、やっぱりただの記録で相当に癖のある字なんかに比べ
たら遥かに読みやすいって事がよくわかりました。なんたってお手本通り
の字なんて書いてくれないもんね。
852九州出身:2007/01/31(水) 20:45:30
太国、一応九州王朝説、愛知県民、九州ですが、橿原一派、恵也さんへ

>>837>>850を見て!
プラムしぇんせーから宿題がでてるぞ(笑)
お主等、『其國本亦以男子為王住七八十年』ちゃんと訳せる?

おれ?!おれは『本亦』の意味ががよく解らん!(笑)
853日本@名無史さん:2007/01/31(水) 20:48:56

                         3ちゃんねる   ザッ
          ザッ            ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
                        vymyvwymyvymyvy     ザッ
               ザッ     MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、
                   Λ_ヘ^‐^Λ_ヘ^‐^Λ_ヘ^Λ_ヘ
                 ∧_∧       ∧_∧     彡'⌒`ミ
             (ヽ(    ;)ノ)  (ヽ(    ;)ノ) (ヽ(    ;)ノ) ♪
           ♪  ヽ ̄ l  ̄ ./   ヽ ̄ l  ̄ ./  ヽ ̄ l  ̄ ./
              丿 . .  /     丿 . .  /    丿 . .  /
            (( ( ___人__丿)) (( ( ___人__丿))(( ( ___人__丿))
              J   ヽ )     J   ヽ )   J   ヽ )
                  し          し        し
854九州出身:2007/01/31(水) 20:52:26
前のレス読むには携帯版から↓
http://c-others.2ch.net/test/-/history/1
855日本@名無史さん:2007/01/31(水) 20:56:54

                         3ちゃんねる   ザッ
          ザッ            ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
                        vymyvwymyvymyvy     ザッ
               ザッ     MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、
                   Λ_ヘ^‐^Λ_ヘ^‐^Λ_ヘ^Λ_ヘ
                 ∧_∧       ∧_∧     彡'⌒`ミ
             (ヽ(    ;)ノ)  (ヽ(    ;)ノ) (ヽ(    ;)ノ) ♪
           ♪  ヽ ̄ l  ̄ ./   ヽ ̄ l  ̄ ./  ヽ ̄ l  ̄ ./
              丿 . .  /     丿 . .  /    丿 . .  /
            (( ( ___人__丿)) (( ( ___人__丿))(( ( ___人__丿))
              J   ヽ )     J   ヽ )   J   ヽ )
                  し          し        し
856プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 23:14:54
>>851さん

>プラムさんは、直接古文書などを読まれたりしますか?

ないない(読めない)


>>852

>おれは『本亦』の意味ががよく解らん

解らない貴方はいたって正常。
【其国本、亦男子王・・・・・】だから 無理して訳さなくてもいいんだよ
その場しのぎで訳そうとすると、(本亦)となります。

857九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/01/31(水) 23:20:57
>>852
僕は漢文は苦手だが、普通に考えて、「本」は、「元」と同じ意味で使うから、
「もともと」で、ニュアンス的には、「根本的には」に近いかな。
「その国は大体は男王を立てているのが常だが、国が乱れたので女王を立て」たのね。
「その国、もと、また男子を王となし」で切れる。亦、は、又でよい。
858プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 23:29:09
>>852
この文章は、倭人伝の中でも最重要個所だし、陳寿が魏代を遡って(漢時)の記録を
書き記した部分だ

【其国本】の【其】とは当然邪馬台国であり、【国本】とは邪馬台国の根幹である女王の都する
女王國のことだよ。 だから(其国)ではなく(其国本)なんだよ
それに、(国元)ではなく 根幹を意味する(国本)とカキコしてあるだろう。
たった三文字に、これだけの情報が詰まっているんだ【陳寿】に脱帽
今までの学者の中で、三文字にこれだけの情報が詰まっていることを発表したかな?
しかし、後世の史書編纂者はこの意味をきちんと理解し倭伝に紹介しているよ

読めないのは、たった三文字を馬鹿にしているボンクラ現代学者だけだ。
859プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 23:38:05
>>857

>僕は漢文は苦手だが、普通に考えて、「本」は、「元」と同じ意味で使うから、
「もともと」で、ニュアンス的には、「根本的には」に近いかな。
「その国は大体は男王を立てているのが常だが、国が乱れたので女王を立て」たのね。
「その国、もと、また男子を王となし」で切れる。亦、は、又でよい。


そう判断するのは個人の自由だからなにもいうことはない
ただ、そう考える時には、
その漢字を使用している漢籍文を調べ検証してから考える事が、文献史学の基本中に基本
全ての辞書の素は、漢籍文 全ての熟語に必ず用例文が付随している
これを無視した考察は全くナンセンス
860征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/01/31(水) 23:41:31
そう云うのは先ず大漢和辞典に何て書いてるか貼って下さいよと
861九州出身:2007/01/31(水) 23:42:04
>>837>>850 暇なのでセンセーのお遊びに付き合うか・・・(笑)
『其國本亦以男子為王住七八十年』
其・・・キ 意味は「その」「それ」
國・・・コク、クニ 意味は国家
本・・・ホン、もと 意味は根もと、土台、おおもと
亦・・・エキ、ヤク 意味は「・・もまた」、「ただ・・だけ」、「なんと・・ではないか」
以・・・イ 意味は「もって」「・・をもって」「すでに」
男・・・ダン、ナン 意味はおとこ、男子
子・・・シ、ス 意味はこ、年少の子供
為・・・イ 意味はつくる、治める、行う
王・・・オウ 意味は首領、君、天下を治めるもの
住・・・ジュウ 意味はとどまる、住む、住所


862プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/01/31(水) 23:43:54
【本と元】【又と亦】が同じ意味で活用が同じなら
古代の漢人は相当なボンクラ集団だ、
活用内容が違うから 文字が違うと私は考えています

そうじゃなかつたら(端、橋、箸)はみんな同じになり、(聞く、聴く、効く)も同じになっちゃう
863九州出身:2007/01/31(水) 23:45:41
くっそーせっかく苦労して訳してたのに・・・もう答えでてたのか!(笑)
864九州出身:2007/01/31(水) 23:54:02
「その」「くに」「根元」「・・・もまた」「すでに」「男子 」「つくる」
「天下を治めるもの 」「住む」
適当なのを並べてみた。これをつなげるとどうなる?
865プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 00:00:45
>>864

あせらないあせらない。
私だって一年かかってやっと訳せたんだから

【・・・本亦・・・】の用例は 二十五史(約四千万文字)の中で139箇所
あります。 しかし、ほとんどが註訳文なので用例としては使用できません。
866九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 00:18:09
>>858、【国本】とは邪馬台国の根幹である女王の都
国、と本をくっつけてはいけない。本とはただ、もともとで良い。
>【本と元】【又と亦】が同じ意味で活用が同じなら

全く同じではないが、この場合和訳すると同じになってしまう。
それほど深い意味で使っているのではない。
867プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 00:27:00
>>866

>深い意味でない

その理由を 物証提示の上、書いて味噌
理想概念の議論なら何時まで経っても「平行線の答え無し」
868九州出身:2007/02/01(木) 00:35:19
そのクニ根元もまたすでに男子治める王とどまる七八十年

その國本、また男子をすでに王となし、住まること七、八十年?
869九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 00:35:44
>>858【其国本】の【其】とは当然邪馬台国であり、【国本】とは邪馬台国の根幹である女王の都する
女王國のことだよ。 だから(其国)ではなく(其国本)なんだよ

こんなに複雑な解釈してるじゃない。いちいち色んな意味を込めてたら
書くほうも読むほうも疲れ切ってしまう。それにこんなに難解な内容だったら
誰も解読不可能じゃない。そんなの伝記として残さないよ。
誰でも解るように書くのが書くほうの礼儀でしょう。
870九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 00:46:21
>>868其國本亦以男子爲王住七八十年

その国、もと、亦、男子を以って王と為し、
住すること7・80年。だろうね。
871九州出身:2007/02/01(木) 00:49:32
>>866
>深い意味で使っているのではない

君に俺からも言葉を送るよ
『何時まで経っても「平行線の答え無し」』
872九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 00:55:58
>>871『何時まで経っても「平行線の答え無し」』

そういうことはありません。そんなことが食い違うようなら、
漢文の意味が大きく変わってしまう。一般に訳されている漢文で十分通じるのだから
それを用いればよい。インダス文字じゃあるまいしー。
それももうじき解明されようとしているが。
873日本@名無史さん:2007/02/01(木) 01:28:10
九州ですが氏はキライだが(ゴメン)、「其国本亦」の解釈については、妥当だろう。
プラム氏の方が依怙地になってる気がする。中国正史の用例数なんか書いても、格好つけてるだけだな。
「本」も「亦」も、烏丸鮮卑東夷伝の中だけで、多くの用例がある。陳寿の書き癖…みたいな気がするな。
http://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B730
本=「もともと」、「亦」=「やはり」、で、ほとんど解釈できるだろう。

それはそうと、上のリンク、台湾勢の頑張りと思うが、凄い。
ウィキソースの「中文」で、中国正史、読めるようになってるぞ! 入口はここ。
http://zh.wikisource.org/w/index.php?title=%E9%A6%96%E9%A1%B5&variant=zh-tw
「史書」のところからどうぞ。「漢籍」も「小説」も、すごいボリュームだね。
874九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 01:31:53
確かに漢字一字には多角的な意味もあり、仏教などでは深義を以って法を説くので、
プラムさんのような難解な解釈の仕方をする場合もあるが、ただの伝記には分析しすぎ。
875日本@名無史さん:2007/02/01(木) 01:35:04
なんだ 俺は御覧魏志倭人傳に

倭國本以男子爲王、漢霊帝光和中、倭國亂、相攻伐無定。

とあるから、これを
倭国はもともと男子を王としていた。漢の霊帝 光和(年号)年間に倭国は乱れ、お互いに攻め合い安定しなかった。
と訳し。

魏志倭人伝は

其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年

其の国はもともとは男子を王としていたが、7−80年もすると倭国は乱れお互いに長年攻撃しあった。

と訳していたよ。後漢書の倭国王帥升が謁見を願い出たのが107年なので、
男子を王としていたというのは帥升のことで、それから7-80年後は光和年間(178-183)は、
ぴったりくると。

プラムさんのおかげで、自分の漢文読解力のなさを痛感しました。
目からうろこが取れた思いです。ありがとうプラムさん。
876プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 07:21:57
>>873

用例概要を拒むなら、以前の「チラシの裏プラム」に戻れば済むことだから
こちらとしても有り難い。余計な苦労もいらないし


>「かっこつけ」

めんどくせぇな〜!
なんか 余計なヤリ入れたみたいだし、昔の「プラム」に戻る検討も視野に入れるよ
その辺りで 妥協してくれ
877プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 07:59:23
>>874九州ですがさん

貴方がそう判断された事なら大事にしてください。

【亦、又、復】これら全て(マタ)と読み、意味も全て(繰り返す)です。
ここまでは実に単純で、殆どの意訳本もそうなっていると思います。
つまり、“九州ですが”さんはここまででいいと言ってる訳ですね?

でも? それって?
漢文を和文に変換したにすぎませんか?
次に 和文の解析があるのでは?
せっかく国語辞典があるのですから 活用しましょうよ。

(繰り返す)と和文化されたものも、様々な活用があるのではないでしょうか?
878プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 09:18:50
【其國本亦男子為王】

『其國本』
「其」=邪馬台国
「國本」=女王国で、中心的な場所 「本」の文字にて、根本を表し(国の創業時)を意味します。
詰まり、【其國本】の意訳は、

【其國本】
邪馬台国(三十国体制)は建国当初から…

と、言う意訳です。

(国元)では、
時間が限定(過去限定)されてしまい、現在(魏時)に至るまでの経緯(〜から)が表せないから「本/モト」なのです。
879日本@名無史さん:2007/02/01(木) 09:30:01
七八十年は780年と読むのが正解ですよ
880日本@名無史さん:2007/02/01(木) 12:16:30
>>878
厳密に言うと本、と元は、全く一緒ではないです。
又、漢字は表意文字なので、それ自体に深い意味があるが、慣用的に使う事があること。
それに、>「【亦、又、復】これら全て(マタ)と読み、意味も全て(繰り返す)です」
ではなく、>>873さんが言っているのが正解で、「遠方より友来る、また楽しからずや」
と同じ使い方だと思いますよ。「遠くから友が訪ねてくる。それもまた、楽しみにしていることである」
「やはり」ということでしょう。
881プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 12:20:37
>>874 九州ですがさん

>ただの伝記


後世、陳壽の文が難解さ故に註訳文を付随させたほど。
(ドン来い)スレにカキコした『景初四年』問題すら未だ霧の中なのですよ



それを〜……っ
882日本@名無史さん:2007/02/01(木) 12:38:01
>>881『景初四年』問題すら未だ霧の中なのですよ

それって話をややこしくしてるだけのような気がしますけど。
いくら明帝の喪が明けて云々、としても倭人は、お墓に埋めるだけの鏡。
漢字も読めない。元号の意味すら知らない。電話、ファックスも無い時代にそこまで性格を期す必要性が
あったのかどうか。たとえ、倭人の使いが魏で元号が変わったことを知り、帰国したとしても、
どうして国中にふれ回る必要がありますか?鏡を作った職人にそれが伝達されるとは限りません。
なぜなら、国の命令で作ったのではなく、豪族などの墓に埋める為、民間人から依頼されたものだから。
コピー鏡で十分役目は果たすのです。
883プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 12:38:30
>>880さん

で? その『また』は『又、亦、復』のどれを使用しますか?
884プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 12:46:08
>>882さん

断定するには それなりの状況或は物証或は合理的な説明付随が必要と されますが?
885日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:00:37
>>883
英語が日本語に訳されたとき、全く同義語でなくても近い言葉で補ったのです。
漢語も輸入すれば全く同じとは限りません。漢字の持つ本来の意味合いが損なわれ、
表面的な意味だけが輸入されます。原文にあるように、亦の字を使って、
やはり、という意味にとったほうが良いと思います。この字自体ここではあまり意味をなしません。
886プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 13:08:10
>>880さん


>「遠くから友が訪ねて来る。それもまた、楽しみにしていることである。」


那個也( )、是期待。
遠從方朋友訪問

で、()の中に「また」が入る筈ですね?

中国語、間違っていたら指摘下さい。
887日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:15:30
>>858
邪馬台国=女王國 ではなく
邪馬台国の中に女王國があるんですか。勉強になります。
888日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:24:57
>>884
殆どが字を知らない時代ですよ。今からだと想像も付きません。
そして鏡は墓に埋められている。信仰からの事です。

>断定するには それなりの状況或は物証或は合理的な説明付随が必要

というか道理で判断しても中国の元号を正確に入れろ。というクレームが
あったとは考え難いでしょう。
889日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:28:08
>>885>>888
九州ですが
でした。
890プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 13:28:09
>>887

そういう事。


>>885

貴方の言い分は解りました。ご意見ありがとう。

次は、それを証明してね。
891プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 13:32:41
>>888

>クレーム

誰が?


景初の年号は中国ですよ
中国に景初四年が存在したかどおかが先決ですよ
892日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:39:23
>>890
で、<本>は、邪馬台国の根本である女王国を意味すると同時に
時間の根本である国の創業時も示しているんですね。
1つの文字で2つも意味するとは奥が深いなあ。
893日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:46:37
>>890
どの部分をですか?
894プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 13:50:12
>>893

「やはり」と、とらえなければならない理由
895プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 13:58:53
>>892


「根本」と「根元」の違いが判れば理解出来ること

根は、茎や葉が存在するから「根」の存在もある。
世の中根っこしか無ければ「根」とする意味がない。
根元は、
根と言う範囲に絞り、尚且つその範囲内の限定されたピンポイントを指す訳だろう。

根本は、根にとらわれず、茎や葉を含めた植物全体の基礎となる「根」を対称とした言葉


間違っていますか?
896九州ですが:2007/02/01(木) 14:01:31
>>891ではお聞きしますが、中国の歴史に景初4年はあるんですか?
皇帝が崩御されるかも知れない年を正式な年号とするでしょうか?
昭和天皇崩御のときも、まことに失礼な言い方で申し訳ないが、
翌年のカレンダーは作られなかった。お亡くなりになるのが予想できたからです。
昭和64年と言わずに、平成元年、と言います。新しい天皇が即位されためでたい年だからです。
敢えて終わった元号を用いるのは不自然です。
897プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 14:07:24
>>896九州ですがさん


(ドン来い)に、大和さんと議論した関連レスあるからそっちをROMしてくれ
未だ途中ですが
898プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 14:11:26
>>896九州ですがさん


>不自然、自然

そんな単純な事ではないの。
国をあげての大騒動
ギリギリの十二月になって詔が出る始末。皇太后の一声で テンヤワンヤ
899日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:43:24
プラムさん>>896中国の歴史に景初4年はあるんですか?

のお答えはどうですか?
900プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 15:14:13
>>899


今は未だ「ある」と、断言はしませんが 状況証拠はあります。
「ない」と
断言する方がムズイかも
状況証拠はありませんし、
901日本@名無史さん:2007/02/01(木) 19:41:57
>>878
【其國本】
邪馬台国(三十国体制)は建国当初から…

つまり、三文字を馬鹿にしているボンクラ現代学者と意味にほとんど違いはないんですね。
902日本@名無史さん:2007/02/01(木) 19:56:07
>>895
私のような浅学の輩に、プラム様が間違っているかどうかなどどうして判断できましょうか。
プラム様のことですから、<国本>が首都は建国当初からという意の用例をいくつも踏まえてのことでしょうから
間違いのあるはずがないと確信しております。はい
903プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 20:18:33
>>902

その「プラム先生」とか「プラム様」は止してくれよ!
背筋がゾ〜っと するよ!

>「國本」?

こんなポピュラーな文字に用例なんて要らないだろう? 普通に漢和事典に出てるから
それでも用例要るなら出すけど。
904プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 20:33:31
>>899


>景初四年

ないよ
あったらこんなの謎にならんし、皇太后がヒステリックに(笑)
905九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 20:34:19
>>895 
そう捉えないと文の意味がおかしくなりません?
何々は本、という漢文は数多く存在しますが、本より、本をただせば、という意味で、
元、元に戻る、とリンクしている為、混同したのだと思います。
906プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 20:36:23
>>904の訂正


ないよ……×

公式記録にはないよ…〇
907プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 20:41:41
>>905

ならないよ

この「其國本」は、後に続く文に大変な意味をもっているし、倭人伝全体の「臍」だからね!
908九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 20:45:09
>>894
また【又・×亦・▽復】 だけでもこれだけの意味があります。僕は単なる接続詞だと思いますよ。
[副]
1 前にあったことがもう一度繰り返されるさま。ふたたび。「あした―来ます」「いつか―お話を聞かせてください」「―失敗した」

2 ほかのものと同じ状態にあるさま。ひとしく。同じく。「息子も―父親と同様、学者だ」

3 そのものと別であるさま。「忙しいから―にしてくれ」「―の機会」

4 さらに別の事柄がつけ加わるさま。その上に。「秋は―収穫の季節でもある」

5 驚きや疑問の気持ちを表す。まったく。それにしても。「―えらい失敗をしたものだ」「―なんときれいな花だ」

[接]

1 事柄を並列・列挙するときに用いる。ならびに。「彼は、英語もドイツ語も、―フランス語も話せる」

2 さらに別の事柄をつけ加えるときに用いる。その上。「おもしろいだけでなく、―役に立つ」「医者であり、―文学者でもある」

3 並列・列挙した事柄のうち、どれを選択してもいいときに用いる。あるいは。または。「行ってもいいし、―行かなくてもいい」

〔接頭〕名詞に付いて、間接である意を表す。「―聞き」「―貸し」



909プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 20:53:25
>>907

それら数多く提示された日本語訳は、様々な漢籍文から 文意を素に、妥当な日本語と、したモノだよ

この多くの日本語の中で
【其國本亦男子為王】に当て嵌まるものは?

それに、何故「又」じゃなく「亦」か?
910九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 21:04:40
>>907
其國本亦以男子爲、は、「その国、もと,また男子を以って王となし」
か、「その国、もと、以ってまた男子を王と為し」かのいずれにしろ、
「本」は「もともと」で、「また」は接続詞であって「再び」の意味ではなく省略しても十分意味が通じるもの。
プラムさんの「本」の意味の解釈はわかるけど、筆記者にとり、遅れた外国たる倭国の事、
そこまで掘り下げて深い意味を込める必要が魏の側にあるのかは疑問。
911プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:07:02
>>907 九州ですがさん   そんなにムズク考えない

漢字の基本的な意味なんていたってシンプル
ムズクしているのは日本語が原因

(又と亦)の違いは
「又」が 単一  「亦」が 単一ではない複数

単一的(前と同じ一度だけ)に繰り返すのが「又」

複数(一度きりではなく何度か)繰り返すのが「亦」


漢字の言意なんていたってシンプルです。
912一応九州王朝説:2007/02/01(木) 21:09:05
プラム先生、どうやら「本」の用例は正しい模様であります。
yahoo!中国で見ても、国本は読める限りでは(ちょっとだけどw)、
その最初、由来、起源、来歴などのようです。

ただ、亦の方は助詞みたいなもんだからあんまり意味はなさそうで
す。と思います。まあ古代に正史(ではないが)使用の文字と現代と
は重みが違うのは確かですが、当時の識字率は相当に高かったは
ずで(といっても数%行けば凄いレベルだが)、この字がそんな深い
のかどうかは、さて・・・。

913九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 21:10:19
>>909国語のテストみたい。
>>908の副詞の4ですな。
914プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:12:37
>>910

>筆記者にとり、遅れた外国たる倭国の事、
そこまで掘り下げて深い意味を込める必要が魏の側にあるのかは疑問。

このカキコはここだけにしておこう
悠意的な発言が許されるのは、ここぐらいだよ 漢文板でカキコしたらまともな答えは望めない
全て裏付けと用例の世界だから
915九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 21:20:23
>>914全て裏付けと用例の世界だから

裏づけならありますよ。中国朝貢の図で、各国の使者の中、
裸足で一番みすぼらしい姿で描かれているのが倭国です。
中華文明から見たら、後進もいいところ。
916プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:24:16
漢字が最初に出来た時の事を考えれば解るはずだよ
一つの文字に様々なムズイ意味があったら 誰も覚えられないし不便だよ
基本的な生活パターンが基になった漢字がほとんどだよ

「単一的か複数か」「範囲が限定されているか、いないか」・・・・etc
917プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:28:47
>>915

>一番みすぼらしい姿で描かれている

(みすぼらしい)と判断したのは誰ですか?
その絵に、「一番みすぼらしい姿」と書かれていましたか?
918九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 21:33:29
>>917
客観的に見て解る事でしょう。また、確か世界遺産とか言う番組でその図を紹介し、
そのようにコメントしてたと思います。
919太国:2007/02/01(木) 21:37:23
ムズムズ水虫は心配ないなぁ?
920日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:39:28
編年
それは国際的には
否定され排他される
非科学的な
年代基準

科学の無い考古学は日本にしかない
外国に認められない学問を信奉してますかwww
921太国:2007/02/01(木) 21:42:02
>>920
全く根拠がない。エイリアンとでも格闘していろ。
922日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:45:27
編年
それは国際的には
否定され排他される
非科学的な
年代基準

科学の無い考古学は日本にしかない
外国に認められない学問の方が根拠がないだろwww
923太国:2007/02/01(木) 21:50:19
>>922
編年
それは国際的にも
肯定され賞賛される
合理的な
年代基準

科学のある考古学は日本にも全世界にもあ〜る。
外国にも認められる学問で、お前の頭が故障の電脳なだけ。
924日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:51:15
>>923
何処の国で認めたwww
925プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:54:14
「・・亦男子為王・・」

「亦」=単一的ではなく複数回繰り返す
「男子為王」=男子が王となり
ワザワザ「男子」とことわり書きを入れるのは、その後に登場する「女子」に対する対語

【意味解釈は】 建国当初から男王政権が繰り返された(男王だけによる政権交代)

『其国本亦男子為王』
邪馬台国(三十国体制)は、建国当初から男王による政権交代を繰り返した。

この後の文にて、政権交代が繰り返された理由と、それによる事件が書かれているのです。
926日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:55:34






ちっとも変っていないwww
やっぱり馬鹿国1人で頑張っていましたwww









927太国:2007/02/01(木) 21:55:54
>>924
太国も認容。あとはお前の故障を修理しろ。
928プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 21:57:14
>>918

>客観的に見て解る事でしょう。また、確か世界遺産とか言う番組でその図を紹介し、
そのようにコメントしてたと思います。

その番組は、其の絵が書かれたときもやってた?
929日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:01:41
編年
それは国際的には
否定され排他される
非科学的な
年代基準

科学の無い考古学は日本にしかない
外国に認められない学問を信奉してますかwww

何処の国で認めてんの?
やっぱ太国ひとりなの?
930太国:2007/02/01(木) 22:03:26
>>929
お前の電脳を早急に修理しろ。
931日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:04:12
何処の国で認めてんの?
やっぱ太国ひとりなの?
932九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 22:07:57
>>928 プラムさんちょっと聞きますが、一回書き込むと、ページの期限切れになって、
コテハンが消えますか?僕はいちいち、掲示板に戻って入り直してますが。
どうしたらそのまま書き込めるんでしょうね。時々コテハンが消えるんですよ。
933太国:2007/02/01(木) 22:09:44
>>929
>科学のない考古学は日本にしかない

じゃぁ科学のある考古学とない考古学が日本に並存してるんだな?
そうじゃないと言うなら、お前は至急精神科へ行って診てもらえ。
お前の電脳をなんとかしろ。
934太国:2007/02/01(木) 22:11:21
九州ですがさん
拙者もたまにそういうことがあります。
935日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:11:31
>>933
スルーでいいみたいだねw
936プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 22:11:49
>>932

私も時々ありますよ  
でも私には原因がなんであるかサッパリ?  めんどくさい時は携帯と併用しています
937日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:13:04
編年
それは国際的には
否定され排他される
非科学的な
年代基準

科学の無い考古学は日本にしかない
外国に認められない学問を信奉してますかwww

何処の国で認めてんの?
やっぱ太国ひとりなの?

938九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 22:20:28
>>934 貴方ほんとに太国さん?
彼がこういう発言するかなあ?「ムズムズ水虫は心配ないなぁ? 」

それに彼は僕の問いかけにはなぜか答えないんですよ。理由は不明ですが。
でも拙者というのは彼の言葉ですよね。懐かしいです。>>926から見て彼の名を語る荒らしかと思いました。
念のため。彼は「これで寝ます」という合図を、どのように表すでしょうか。
939太国:2007/02/01(木) 22:21:58
>>937
お前は南極下へもぐって、エイリアンと仲良くやっていろ。
940太国:2007/02/01(木) 22:51:35
>>937
まだ見ぬ国に有りという〜・・・  ・・・〜古史の眠りに埋もれて
今も考古にありという♪www
941我が日本:2007/02/01(木) 23:00:36
日本人には昔から『和』という観念が根付いています それはただ「日本のモノ」という意味ではありません
色で例えると赤や黒といった原色ではなく、淡い色なのだ 中国や韓国、欧米圏にはっきりしない国だと言われるのはその為である 曖昧な表現が多い日本語にも表れてますよね
だが、一人一人をみるとお人好しの集まるとても優しい国民性を持つ国なのです お辞儀なんて素晴らしい文化だと思います
その『和』というのは曖昧であり、染まりやすいのです でも、だから敗戦後 GHQにもついていけたし、仕事という宗教に切り替え 
GDPを一気に世界2位まで押し上げることができたのです 
その結果今の日本人は走りすぎた為か物質的一辺倒に変わってしまった 
目に見えるお金やダイヤモンドという幸せを追い続けて、その先に本当の幸せがあると錯覚しているのです
そのせいで精神の自由と平和どころか、汚い仕事や浅はかな 人間関係、ストレスによって心は曇り
いじめに耐えてる子供をサポートしない 干渉しない 見て見ぬふり そして自殺者が増え、凶悪犯罪も増えているのです
弱いのがいけない 強くなれ だけではもう止められないのです
そこで我々は精神の自由と平和を理解、経験し、一度立ち止まり 足場を固め あらゆる個性との共存・共生に向けて進まなければなりません
942日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:16:38
>>941
読ませる文章で、趣旨も悪くないが、まったくのスレ違い!
ここはいま、「卑弥呼は誰か?」の議論をしている最中。
もし分かっててこの長文レスしたんだったら、よし、言ってやろう。


「オマエは、和を乱す人間だ!」

943九州出身:2007/02/01(木) 23:18:02
其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。
               ↓
その國、もともと男子をもって王となし、住まること七、八十年。
倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。
名を卑弥呼という。

略したらこれだがその中身にはいろんな意味が入ってる。
これでいいかな?反論ある人?
944九州出身:2007/02/01(木) 23:25:36
誰か携帯版のURLだしてくれない?
945九州出身:2007/02/01(木) 23:25:42
誰か携帯版のURLだしてくれない?
946我が日本:2007/02/01(木) 23:28:05
申し訳。。。 

でも和は大和の農民時代から受け継がれていると思うのです
そしてわたしはあらゆる人に読んで欲しいし 考えるきっかけになってくれればと思います
947日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:29:49
>>943
魏志倭人伝の、白眉ともいうべき記事だ。
よくこの記録を残してくれたと思う。

どうして「共に一女子を立てて王とな」したのか?
なぜ男王ではいけなかったのか?
いろいろ考えさせられる。
948九州出身:2007/02/01(木) 23:30:53
安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う

この帥升は卑弥呼の連合国家の初代王とみる 異論ある人?

しかもあの有名な神だ!
949プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 23:31:20
>>943

>略したらこれだがその中身にはいろんな意味が入ってる。
これでいいかな?反論ある人?


大いにあり
950プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 23:33:10
>>948

>安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う

この帥升は卑弥呼の連合国家の初代王とみる 異論ある人?

しかもあの有名な神だ!


ものすごく反論ありあり
951九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/01(木) 23:33:11
>>941
でも正論かも。今を見つめる事は古代を凝視する事でもあり。
952九州出身:2007/02/01(木) 23:33:44
どうして「共に一女子を立てて王とな」したのか?

目をもっと開けてよくみることだ!
其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。って書いてるでしょ。
それが理由。
953プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 23:34:59
携帯のURLはいよ!

http://c-docomo.2ch.net/test/-/history/i
954日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:35:55
>>944-945
>誰か携帯版のURLだしてくれない?

ほれ。
http://c-others.2ch.net/test/-/history/1168759518/i
955太国:2007/02/01(木) 23:40:44
>>948
正解に近い。ただそのぅ〜有名な神っていずれの神でしょうか?
この点は保留。zzzzzzzzzz・・・・・
956九州出身:2007/02/01(木) 23:41:25
>>947
『乃』
これをプレゼントしてやろう!

>>949-950
反論ありありっていまさら何を言う。
『根元』ってあなたが訳したんじゃないのか!

今日、自分のパソコンではレスできないので長くは付き合ってられない。
手短に反論どうぞ
957九州出身:2007/02/01(木) 23:43:32
>>954
サンクス!
958日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:43:46
こんなに沢山コテさんいるけど
何時になったら次スレたつの?
959プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/01(木) 23:45:05
>>956

『根元』と訳したのは『根本』との対比のため
何故ここに帥升が出てくるの?   ん?
960日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:45:48
>>952
其國本亦以男子爲王。
ここには「共立」とは書いてない。つまり、男王のときは、共立じゃなかったわけだな。
961日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:50:43
>>952
>其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。って書いてるでしょ。
>それが理由。

いや、本当の理由は、このすぐあとに記載されている。
962九州出身:2007/02/01(木) 23:52:33
>>955
>有名な神っていずれの神でしょうか?
ここはまだ確定したわけじゃないが・・・ほぼ邪馬台国初代王スサノオ神とみる。

>>958
明日、神奈川県民が立てるってさっきいってた。

>>959
>何故ここに帥升が出てくるの?
其國本亦以男子爲王。これがまさに帥升。出雲王だよ。

>>960 その文が全てならそうなるね



963九州出身:2007/02/01(木) 23:54:33
>>961
何いってるの?『乃』 がでてるでしょ?だからその前の
其國本亦以男子爲王これだ〜
964日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:00:23
>>963
まあ、そう言わずに、倭人伝のその次の記載を書き出してみろよ。
九州出身さん、読み下しは、オハコじゃないか。

「其國本亦」でずいぶん長いことやったし、そろそろ次へ行ってもいいんじゃないか?
965プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 00:01:50
>>962

倭人伝に
帥升ですか?


それに、何も状況証拠なりの提示がなされていませんが?
966九州出身:2007/02/02(金) 00:02:50
>>959
帥升の正体は出雲王『大国主』とでも?
違う違う!出雲の本当の神はスサノオ!
967プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 00:05:08
>>964さん

一緒にROMさせて下さいな 私もその先が知りたいです。
968九州出身:2007/02/02(金) 00:08:43
まあ、その帥升は今度やろう。

『以男子爲王、住七八十年』 これ誰か略してみて!
969日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:12:28
男子はおおさまで780年暮らしていた。
970九州出身:2007/02/02(金) 00:18:46
>>969
七百八十年なんてどこも書いてないぞ?

971日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:22:09
違うの? じゃあ教えて
972日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:25:43
先走りするようだが、キリのいいところまで倭人伝から引用。

其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。事鬼道能惑衆。
年已長大、無夫壻。有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人給飮食傳辭出入。
居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。

「事鬼道能惑衆」……、これが卑弥呼が共立された最大の理由だ、と俺は思う。
だから、あまり一語一語でストップせず、せめて「其國本亦……能惑衆」まで一体のものとして、議論の俎上にあげられないか。
973日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:38:04
>>912
いやいや、あなたがおっしゃるその最初、由来、起源、来歴では、単に時間的なものを表すに過ぎません。
プラム先生は、それと同時に国の根幹である首都と言う意味も併せ持っているとおっしゃっています。(>>858参照)
974日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:35:37
>>858
【其国本】の【其】とは当然邪馬台国であり、【国本】とは邪馬台国の根幹である女王の都する
女王國のことだよ。

と言っておいて
>>878だと
【其國本】
邪馬台国(三十国体制)は建国当初から…

で、意味が変わっているんだよな。

其の国 本 と区切って、倭国はもともとと訳したのと一緒の意味になってる。
<其の国本>、<其の国、本>、どちらも変わらないじゃん。
975日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:51:44
いや違うよ
其國本、 なら主語は女王国で
其國、本 なら主語が倭国

ゆえに三十国体制の邪馬台国=倭国を主語にするなら其國、本と区切るはず
だから、其國本、で区切り女王国を主語として、<亦>の訳を(・・・もまた)とする
女王国もまたもともとは男子を王としていたがとなる。
976一応九州王朝説:2007/02/02(金) 05:49:29
やってみたけど私からは無理っぽいです。誰かお願い>次スレ

>>941
面白くないし間違ってるしスレ違い。大事なことだけど。
なんでもなあなあ、それじゃない?現代人に受け継がれた最大の負の遺産は。
上意下達でお上に逆らわない、風説に弱い、でも戦えずとことん我慢する。古代
だって地方豪族から大和政権に至るまで庶民は和を強制されただけなんだから。

そうじゃない時代や事件も沢山あったのにそんな風に戦前去勢されたまま来て
るんだよ。誤った古代史や天皇制理解の元に。だからそんな考え方も一度は
戦後GHQに解体されたはずなのに、すぐ亡霊のように出てくる。
天皇制の起源を考える=日本の政治思想史として現代に直結してしまうという
のは、これはもう哀れというか悲惨というか。
神殺しを強行した国、話し合いで制限した国、戦後出来たんで最初から無縁の
国、いろいろあるが、2000年前を引きずってるなんて馬鹿みたい。

でも現実だからしょうがない。
977九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/02(金) 06:31:16
プラムさん
邪馬台国と、女王国と、邪馬台国連合30カ国とのたてわけをもっと説明してもらわないと混乱する。
邪馬台国は何カ国で、女王国は何カ国?倭人伝記載の30カ国名のうちどれがどれに当るのかを
もう少し詳しく。プラムさんは邪馬台国の位置は大体どこだと考えているんでしょうか?
仕事から帰ってからね。
978日本@名無史さん:2007/02/02(金) 06:46:32
次スレまだ?
979プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 07:13:12
所謂女王国は邪馬台国建国当初から存在していたのではなく、女王が共立され初めて出来た概念だ。と、言うことと、この記事は
魏時がメインの漢代記事と、言うことを認識
し、考えなければ混乱するだけです。
980プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 07:20:04
>>975


意味的には「其國本」ですが、本来は【其國本亦以男子爲王……】と、一気にでしょう。
981プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 07:40:33
この
【其國本……及共立一女子…】
は、古代史の根幹
この記事に全神経を傾け、仮設を立てなければ、この後に続く全ての記事に誤差が生じます。

何故一女子を共立しなければならなかったか?
何故相攻伐が起きたか?
何故倭国乱なのか?

その全てをこの記事にて探るのです。
982プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 07:57:59
>>977


それは
新スレが立つか、(ドン来い)の方にカキコします。
983太国:2007/02/02(金) 07:58:07
>>962
帥升はスサノオではないね、それに初代とか言ってるが、
元のスサノオに後代のだれかが勝手にスサノオを名のれば、それは
2代目とかになろうが、通常代数っていうのはスサノオにあるって
いうのは根拠が確定しにくく、まだ論止まりで、代々っていうのは
無いと考えたほうがいい。
984日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:09:22
どこかに合流汁
985日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:25:23
帥升は普通に九州の誰かだろうが
もしかしたら東北勢力かもしれないし
出雲族かもしれないしニギハヤヒかもしれない
が 卑弥呼はモモソ姫でガチ
986日本@名無史さん:2007/02/02(金) 10:23:48
帥升は上古音でシュセンです。この名は福岡市の西部に周船寺の地名としてのこっています。
このあたりが倭面土国の中心地だったのでしょう。
987プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/02(金) 10:42:36
>>986

>帥升は上古音でシュセンです。


シュセン
まるっきりの日本語ジャン
988太国
>>986
まぁそのあたりかも知れんね?
古事記に九州の四面の記述があるから、そんな情報が大陸に行って、
倭面土国などという国名が出たんだろうかな?