【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】

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938月光仮面:2007/05/24(木) 09:00:35
>>932
http://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hkoike/study/iso/yayoi14c.jpg
出土人骨C14年代測定による支石墓(ヘブライ)、甕棺(ウラル)、箱式(東胡)の出現
順序を見ると春秋時代に到達しているようだ。しかし、本拠地が松菊里方面にあって
九州の豪族の発注工事を履行したのに過ぎないということもあろう。甕棺はウラル
の鴨神話を具象化するものであろうが、檀君朝鮮、櫛目文土器文化時代からあるもの
かもしれない。
939日本@名無史さん:2007/05/25(金) 07:05:36
たんなる移住と違って捕虜とちがうかな、外国と戦い民としたので連れてきたとか
940月光仮面:2007/05/25(金) 07:39:07
秦氏は大犬座シリウスにより農事吉凶を占うことから犬神人とされ、葬祭、医療等を専ら
とし、自らを畑人と呼んだ。エジプトではその神はインプと呼ばれたが、忌部、犬部とも
読める。中国では犬戎、秦、朝鮮族は高句麗と称したのも同一。
「高良大社文書『高良記』では、
「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノ 
スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテ
マツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケ
トノ其一ナリ」とされるが、これは彼らが神王ホルスからホルス・布留の民と称したのを、
降伏した意味で降人と勝手に解釈したことに起因する。秦氏の基本理念はユダヤと
共通するが、王権の下に産業を興し、経済発展を通じて繁栄することにあった。
遺伝子的にはユダヤ人と同一であるが、歴史的にははるかに古く、ユダヤの本家筋
に当たる。
941月光仮面:2007/05/25(金) 14:42:41
秦氏の原郷は、欧州、中央アジアに印欧文化が始まり、サテム系がYAMNAとされる
ステップに広がり↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Corded_Ware_culture.png
その中でイラン系が下記アンドローノフ地域のピンクの部分でゾロアスター教を作り、
アーリアから分離する。この辺が秦氏の原郷であろう。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
しかし、この辺に支石墓・ドルメンの文化はなく、それは黒海の北東部分にある。これは
セム系と見られており、自分の推測ではここに早期のユダヤ教があったのではないか、
そしてその文化が中国に向かう秦氏に便乗して、遼東に達したのではないかと考える↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93
その根拠は「葛城の事代主神 事代主神の最初の本拠地は葛城(奈良県御所市)の
下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)です。ここで事代主神は最初、葛城川の岸辺
に季節毎に祭られる田の神でした。それがやがて、同じ葛城におられ、叔父様に当たる
一言主神の神格の一部を引き継いだのか、託宣の神としての性格も持つようにな
ります。」
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/kotosironusi.htm
これがヤーヴェ神託神という戎(ペルシャを指すことが多いようだ)の神とされている
ことで、これがモーセと似ている↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB
この神は鴨宇宙卵に基づく銅鐸文化への割り込みを図ったようで、神武
の行動と似たパターンであるが、失敗し、引退、最終的には秦氏のバックアップする
住吉大社が賀茂氏の文化を継承したのではないかと考える。
942月光仮面:2007/05/25(金) 14:56:07
では、大陸秦氏のユダヤ人遺伝子がなぜ日本に残らなかったという問題であるが、
大陸秦氏のアンドローノフ文化圏の東北にアファナーシエフ文化圏というのがある↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
ここには東方のバイカル湖南岸方面からモンゴロイドの東胡の祖先が移住してき
ている。このモンゴロイドが秦氏の文化を吸収し、箱式石棺墓文化人として列島に
ファリシズム(陽根崇拝)と共に上陸したようである。
943月光仮面:2007/05/25(金) 15:58:12
秦氏の原郷、ハザール地方がユダヤ教に改宗するのは9世紀のこととされている↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
http://en.wikipedia.org/wiki/Khazar
従って、神代の日本にユダヤ教が入ってきていたなんていうと、秦氏の子孫である
現代のバシコルトスタンの人々からはとんでもない電波だと一蹴されるかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
しかし、この隣国マリでは天神をクグユモと呼び、賀茂氏と同じ鴨、雷神等の神話体系
を持っている。
944日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:39:08
王は亡命してきたのかも、戦乱や気にいらないことがあったので
出てきた。
945月光仮面:2007/05/26(土) 09:02:36
ウラルの鴨神話では原始の宇宙卵の殻はうずらの卵の殻のように星がちりばめられて
おり、この卵の殻が後に天蓋、後楽園ドームのようなものとなったとのこと。
エジプト神話では太古天の女神ヌトと地の男神ゲブは一体となってはなれず、空間が
存在しなかった。そこで大気の神シューが天を支えて空間を創造したとのこと。つまり
後楽園ドームに空気が注入され天井が上がった。
国常立命、ドルメンの意味するところであろう。インドに入り
宇宙空間虚空蔵は電波を通す↓
http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/dendengu/index.html
とまでに発展した。これはヒンズークシ、インド人殺しといわれる数千メーターの高山
の連なるパミールの尾根を越え、ヒマラヤのシェルパのごとくラピスラズリの採鉱に
従事した秦氏の活動がなければナイルの平野とか、黄河とかでは絶対発生しない
思想である。
参考→「星宮神社 御祭神:天香香背男命(星大神)
祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。星宮大明神と崇められ、
明応4年(1495)創建の言い伝えのある、当社で最も古い神社です。古来「奥の院」
とも称され、当社では特別大切におまつりしています。ここにはなぜか虚空蔵菩薩
さまもおまつりしております。当社の秋の例祭は、この神社のお祭です。祭日は、
10月第2日曜日です。境内はこの夜、カラオケ大会などの余興で大賑わいです。
虚空蔵菩薩さまが祀られるようになったのは次のような事情があったのだと云い
伝えています。
 もともとこの虚空蔵さまは今の片岡地内のある神社に祀られていました。ところが
虚空蔵さまは川魚、とくにうなぎの守護神といわれるので、人々はうなぎをとって
食べることが出来ませんでした。そこで困った村人は住吉に目をつけて、住吉は川魚
が食べられなくても、海の魚があるからよいだろうというわけで、虚空蔵さまを住吉へ
移してよこしたというのです。」
http://homepage2.nifty.com/sugao/sub01-3.html
946月光仮面:2007/05/26(土) 09:11:29
「天香香背男命(星大神) 祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。」
しかし、ミトラスの神は更にこの後というか、上にあって東京ドームの天井裏の星座
の牛ですら殺す神であり、更に進化した姿であるようだ。新羅のローマ宗教は尾張
にまでは達していないと考えていいのかも。
947月光仮面:2007/05/26(土) 10:08:42
ストーンヘンジ、ドルメン等巨石建立、青銅器の鋳造は土器の製造と同じく土砂で鋳型
を製作し、巨石、青銅器が出来た後で土砂を取り除く。この応用が飛鳥石舞台古墳。
ピラミッド、長城も同じ。基本は土壇を築き、修羅で巨石を引き上げるのであるが、土壇
とか、鋳型、それの基となるハニが重要。檀君の檀とは土壇の壇で、ドルメン建設と
関係するのかも。ウラルの鴨神話では、鴨がこうしたドロを水底から咥えて浮上し、
大地を造る。これが住吉、片岡神社の表筒(土)、中筒(土)、底筒(土)であり、
カグツチとは金の土であるから最高の神であったはず。ところが記紀パンテオン
では穢れを意味する部類に位置付けられる。また、天香香背男命は布津主の
レポートで悪神とされる。そして銅鐸は地表から抹殺される。これは倭人伝の伝える
卑弥呼が狗奴国と仲が悪いと記述と符合する。つまり、天香具山に立地した鴨宗教は
銅鐸を捨て東国に逃れた。卑弥呼が敵に回したのは↓
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page119.html
卑弥呼政権はかなり不安定な政局であったであろう。
948月光仮面:2007/05/26(土) 10:58:23
ウラル鴨神話では、天蓋を支えるのは頂上が北極星に届く(銅、鉄、石の)山(金剛山
か)、一説では強大な樫(アマカシとはこれだろう)。世界山の三脚は中山(天香具山
か)、北山(耳成山か)、霊山(畝傍山か、冥界、時には北山と同一とされる)間を流れ
るトネ川(マナ川)(飛鳥川か)。また、天の川は海から出た人間が天の支柱である
樫を切り、これが倒れたものであるとする。天地創造儀式は水底、畝傍山の土を取る
ことにある。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/unebiyamaguchi.htm
従って、神武が天香具山の土をとることは鴨神話の破壊であり、神武が卑弥呼の
祖先であることを意味する。タケハニヤスの乱は、鴨族の政権奪回の動きに他なら
ない。類似の行動は東海S字瓶の胎土に雲出川の砂を混ぜることにも見られるが、
雲出は雲梯に通じる。
949月光仮面:2007/05/26(土) 11:20:24
宇宙創造神鴨Wyaynyamyoynen(八井の明神とでも読もうか)は地形、海底地形を創造
するとされるので空中偵察機のようなものらしい。ポイントは偵察飛行後に建国が行わ
れるということで、ウラルアルカイム遺跡の建設に通じる。それと共に日置部とか太陽観
測部民のような存在を含意する。又、瀬戸内海をはじめ日本近海には海の難所が多く、
安全な航海のためには事前に水路調査が不可欠である。飛鳥川から飛び出した鴨が
ソラミツ大和の国を作るといった話からヤマトトトビモモソ姫が生まれたのかもしれない。
950月光仮面:2007/05/26(土) 11:36:20
タラシとは廃語となりつつある帯を意味するグル、その古形布留と同様ホルス、神王を
意味する言葉で、渡来人アメノヒボコの子孫である神功がこの名前をとどめるのは
わかる。神功は旧狗奴国、九州南部の隼人、高句麗の南進と新羅の抵抗という政治的
チャレンジを受け、わが子を神の児に仕立て上げ三韓と狗奴国、隼人の一切を統一した。
、「この酒は吾が酒ならず酒の神、常世にいます、いわたたす少名御神の神寿. ぎおぎ
狂おし、豊ほぎ、ほぎも通し、祭っ来たりし御酒ぞ」という神功の歌には酒の神、巨石
建設の神、薬の神が同一であることを歌っているが、それは神功の祖先の神であり、
神功がそうした成功をなしえた力が、そうした文化を持っている秦氏にあったことを
歌い上げている。
951月光仮面:2007/05/26(土) 11:54:24
銅鐸圏というとウインドウズ95とかの最終段階に入っていたアーキテクチャー
つまり鴨神話体系であり、そこに日向から出てきた男がCONFIG.SYSをイジクル
話はおかしい。インサイダーの仕業と考えるのが当然である。箸墓の基礎部分は
尾張が受けたが、仕上げ部分は吉備が担当した。こうしたことを画策した銅鐸圏
内部の仕掛け人こそ神武を操ったものであろう。それは北部九州の対外貿易を
狙った河内・摂津の勢力ではなかったであろうか。
952日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:29:09
中国大陸では常に戦乱に明け暮れて疲弊した市民が多いので性格も曲がってしまい
それで日本に逃げてきた羽田氏も働きものだが性格がいまいち悪く
953日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:44:05
お前らさ、ちょんとジャップは永遠のライバルだな?おもしれーw
目くそ鼻くそ同士w背比べお似合いなwかっこよろいーわーw

たかが黄色人種同士で劣等レッテルの擦り付け合いナw
そんでここではみんなで俺をちょんと馬鹿にするオ決まりパターンw

日本も中国大陸につながってりゃ同じ運命だ馬鹿がw

まず白人に差別されてる人種ということはやくきずけよ
954日本@名無史さん:2007/05/26(土) 18:03:00
唐人は戦争が嫌でトゥルクの西域に移住し高昌国を建国した
ウイグルの古墳壁画に日本の奈良時代の聖徳太子の絵や
天狗にそっくりな絵が出てくる。実際にはその絵は天狗じゃなく
鼻が高いコーカソイドなわけだが。日本とウイグルで同じ時期に
同じ絵が描かれていたのはおもしろい
955日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:28:49
朝鮮半島は古代より楽浪郡が置かれたり、要は中国との付き合いが大変なものであった、当時の日本は幸いにも天然の城壁にまもられて
スクスクと育ちいまでも世界1の観光客として高く評価されており、それにひき替え
半島では日夜えげつないことにまきこまれて性格の・・以下省略
956月光仮面:2007/05/27(日) 09:11:13
>>948  雲梯
古代中国の雲梯
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Scaling_ladder_in_ancient_China.jpg
古代の高層社殿
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/126.jpg
ピラミッド内部 上昇通廊 「王の間の上部には約17mにわたって5つの小部屋が積み
重ねられており、それは王の間が潰れないよう重力拡散の働きをするものといわれて
いる。これらの部屋はいずれも1m前後の高さしかなく、最上段の部屋の天井は切妻式
になっている」 ポイントは出雲同様「切妻式」にある。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/2-ue-right1.jpg
何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/
それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。
957月光仮面:2007/05/27(日) 10:16:50
出雲と「王の間」では雲梯の付く位置が違うでないかとの意見もあろうが、出雲の
それは↓
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/149.jpg
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/07.jpg
を復元したもので、必ずしも古代の姿(江戸時代などでは現代通り)を忠実に表すもの
でもない。
モホスの大王は弥生時代の東北人というドイツ研究所の判断も出ており、王の棺には
隼人盾紋が付いている↓
http://www.athome.co.jp/academy/world_history/wrh10.html
http://www.tbs.co.jp/amazon2007/introqqq.html
ドゴン族のシリウス天文学も秦氏の関与がなければ成立しない↓
http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
958月光仮面:2007/05/27(日) 10:39:43
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-14.JPG
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-18.JPG
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-15.JPG
「「王の部屋」の西側の隅に置かれた石棺
花崗岩をくり抜いて作られた、通称「石棺」と呼ばれているこの巨大な石の箱は、何に
使われたものなのか全くわかっていない。エジプト学者は王の遺体が置かれたものと
主張しているが、これが棺であった証拠は何一つ発見されていない。それより、当時の
大柄な人間が入るには狭すぎる。王の遺体は何重にもなった木の箱で覆われているの
が普通であることを考えると、この大きさではとても無理である。それにしても、巨大な
一枚岩のから切り出したこの硬いを花崗岩を、まるで鏡の面のように見事に彫り抜いた
技術は、驚異以外の何物でもない。切削の専門家は、現代の最先端の機器を用いても
出来るかどうか疑問であると言っている。ピラミッドに使われたハイテクノロジーは我々
の遙かに想像を超えたものであったようだ。部屋の壁に注目していただきたい。全く
隙間がないことに気付かれるであろう。「ピラミッド再建計画」を立案した大林組の
担当者が、「我々にはここまでの技術はないでしょうね」と言っていた言葉が、思い出さ
れる。石棺には、はめ蓋の跡が残されている。 不思議なことに、この石棺に使われたと
思われる蓋(ふた)が発見されていない。もともと石棺には蓋がなかったと主張している
学者もいるが、上部には、滑り戸式の蓋に使われたと思われる溝の跡が残されている
ことから、蓋の存在は間違いないように思われる。それにしても、どの記録にも残されて
いない蓋は、一体どこへ消えてしまったのだろうか?」それはアララト磐舟、バイカル
モンゴリアの箱式石棺墓、そして、天磐舟となって、大和国哮峯(いかるがみね)に天降
ったのだ。
959月光仮面:2007/05/27(日) 10:54:53
出雲神話にはギリシャ神話の影響が残るが、これは大月氏方面からの影響で
あろうが、哮峯(いかるがみね)もこの線上でイカロスが着陸したとも解釈できる。
960月光仮面:2007/05/27(日) 11:59:01
「金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が1隻現れました。
その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗っていました。そのとき彼女は
16才の美しい処女でした。彼女は天神の命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。
許黄玉は、一度も会ったことのない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に
乗ってきたのでした。船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が
乗ってきた船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
 許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵という寺を
建ててそこで暮らしました。現在の長游社がそれです。国際結婚をした首露王は王妃
許黄玉との間に10名の王子が生まれました。首露王は、その中の二人に許氏の姓を
与え、代を継がせました。それで、今でも金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。同じ
氏族であることを証明しています。」
http://www.geocities.jp/hjsxs295/rekisi.html
この話も到着した渡来人が石の船を建造したから、その民族は海路渡来したことに
なるのであって、実際に海路である可能性は少ない。要するに大月氏、クシャン王朝
からの渡来者ということであろう。大和国哮峯(いかるがみね)に天降るのも同様である。
961月光仮面:2007/05/27(日) 12:14:46
>>956
>何故日本にはこうした↓建造技術が残り、世界の他の地方には全く残らなかったのか?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~pyramid/
>それは、そうした技術が秦氏に属することに他ならない。
しかし、秦氏の通過した新羅にはちゃんと残っている↓
「前の2つの数字を足して得るフェボナッチ数列(1、1、2、3、5、8…)を暗号として
用い、その数列を無限に続けて連続する2つの数を割って得る数字を重要に扱って
いたからである。その数字1.612…は1に対しての黄金比と呼ばれ、人間の建造物
はもちろん自然界のいたるところに現れる神秘の数なのである。」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/06/0606j1124-00001.htm
瞻星台(チョムソンデ)
http://www1.plala.or.jp/naopy/korea/k_tsd.htm
962日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:58:30
ピラミッドの石棺を見て畳の大きさを思いついた
日本の畳の大きさは87cmX174cmなわけだが古代の中東地域に
キュビトという単位があったが、1キュビトが43.5cm
なぜ畳の大きさがキュビトの2倍x4倍なのかは謎なのだとか。
古代中国にはキュビトの単位にあてはまる物差しは無かったので
直接なんらかの形で古代の中東から入ってきたのだとおもう。
キュビトは中国や朝鮮半島をスルーして日本にだけ広まったようだ
963日本@名無史さん:2007/05/28(月) 11:55:18
>955 半島ではえげつないことが日常にひんぱんにおきて性格のよくない・・以下省略

ピラミッドの前には長い参道が延びてるのを見て、神社の参道の意味が競馬とは違い
964月光仮面:2007/05/28(月) 18:57:42
>>957
>ドゴン族のシリウス天文学も秦氏の関与がなければ成立しない↓
> http://www.fitweb.or.jp/~entity/kodaibunmei/dogonzoku.html
ドゴン族は「ノンモの“方舟”が回転しながら降り、シリウスが宇宙の監督者にして人類
の父、精神規範の守護者でもあり、雨を降らせる水の支配者でもある」と教えられ、
長老達が守るのは一見桧皮葺、棟持ち柱が二本ある磐座式のお宮のようである。
http://www.arukikata.co.jp/webmag/2006/specialtour/images/doso01_ph02.jpg
それにしてもこんな砂漠で何故檜皮風にこだわるのか?
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/k1216.html
そして日本で獅子頭を回すような踊り↓
http://www.geocities.jp/tmpmaru/densiyou/kaigai/0004-dogon.html
八百万神々のパンテオン、
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05570.JPG
大神殿、
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT04640.JPG
尾張の馬頭観音の牛頭天王のようないでたち↓
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05420.JPG
この左の韓国人のような衣装はどこから来たのか↓
http://www.ne.jp/asahi/hikyo/yamaya/mali09.jpg
この頭の飾↓
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT05040.JPG
アルタイ地方で宇宙の未来まで計算し、数値化し、画像化してステラに刻み
こうした頭の飾を描いているものがある↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
アルタイには檜皮ぶき、千木つきの建物もある。





965日本@名無史さん:2007/05/28(月) 20:03:52
ししまいのししはライオンのことでしょうね。

半島では性格が曲がるほどの苦労をしないと生き抜けなかっただけで、それを責めるような
セコイまねはしたくありません。日本国内でも苦労して真面目に働いた人ほど貧乏になり
966月光仮面:2007/05/29(火) 06:42:33
砂漠の民の綯う注連縄↓
http://www.arukikata.co.jp/webmag/2006/specialtour/images/doso01_ph02.jpg
豊穣の稔りの注連縄↓
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/images/15.jpg
共に水を与えてくれた神への謝礼であろう。
967月光仮面:2007/05/29(火) 07:07:09
銀河鉄道の宮沢賢治を生んだ岩手にも、マリ同様に鉱物資源が多く、
岩手・鹿(しし)踊りもある。
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/shishiodori.html
鹿踊りのルーツと独特の装束の謎に迫る
「ササラ」は、鹿踊りの装束の一つであるササラにちなんで命名しました。
http://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_11/vol11_22.htm
鹿踊り(ししおどり)
http://www.airinkan.com/kyoudo/shishi.jpg
古代の人は天から落ちる隕石を求めて移動したのか、地形によって鉱石の
露頭を求めたのであろうか。
968日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:45:11
そう言えば国内でもばばくみや、したいの扱いはだれもがいやがる仕事なので
牛の解体もビデオで見たけども当分牛肉が食えないような光景であった
969日本@名無史さん:2007/05/30(水) 09:29:37
白木系が政権をとっていたが、東北に配置されていた百済系が偶然にも金を発見するに
及び、白木系が追放されて百済系が点火を取ったのでありました。
970日本@名無史さん:2007/05/30(水) 17:31:10
注連縄といえばキリスト教でも聖者の頭に注連縄のようにひねったヒモの輪っかを円形にして頭に載せる。
マラソン優勝者の頭にも載せるでしょ、あれはギリシャなのかな。名前忘れた。
971月光仮面:2007/05/30(水) 17:47:45
牛頭、花輪が上部に描かれるが↓
http://www.metmuseum.org/TOAH/images/hb/hb_03.14.4.jpg
これはスサノオと茅の輪の元であろう。
972月光仮面:2007/05/30(水) 20:43:47
「ワインの伝来については、次のような神話がある:各地を遍歴したディオニュソスは
アテナイの近くイカリア村で農夫イカリオスのもてなしを受けた。イカリオスは返礼として
葡萄の栽培と、ワインの製法を伝授された。イカリオスは出来上がったワインを山羊皮
の袋に入れ、村人たちにふるまったが、初めて飲む酒に村びとは興奮、毒を盛られたと
誤解してイカリオスを殺害してしまった。その死体を見た娘エリゴネーは悲嘆の余り
その場で首を吊った。事の次第を知ったディオニュソスは怒り、村の娘全員を狂気に
陥らせ、集団縊死に及ばせた。やがて誤解と知った村人たちの手で哀れな父と娘は
供養され、ここにディオニュソスの怒りも収まり、同地は葡萄の産地として名を知られる
ようになった。」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%BD%E3%82%B9
蘇民将来・巨旦将来との類似。
973月光仮面:2007/05/30(水) 20:47:30
「本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を
獲得していた。この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、
民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニュソスをギリシャの神々の列に
加える事となった。この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に
反映されている。またザクレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにも
ディオニュソス信仰の形成過程をうかがわせる。とはいうものの、実際にはミケーネ
文明の文書からゼウスやポセイドンと同様にディウォヌソヨ(Δι?νυσοιο)
という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。ギリシア人にとっては
「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。」 ・・・同上
974月光仮面:2007/05/30(水) 20:52:58
これは多分秦氏が持っていたオリジナルから出ており、インドでヒンドゥー教のシバ神
となったものであろう。
「シバ神は,《リグ・ベーダ》においてはそれほど重要でなかった暴風神ルドラと同一視
され,また,ハラ,シャンカラ,マハーデーバ,マヘーシュバラなどとも呼ばれる。かつて
海中から猛毒が現れ,世界を焼き尽くしそうになったとき,シバはそれを飲んだ。その
ため,のどは焼け,青頸(ニーラカンタ N ̄lakalpha)と呼ばれるようになる。彼は天上
から降下したガンガー(ガンジス)川を頭頂で支え,またその頭に新月を戴き,三叉の戟
(ほこ)を手にする。彼は常にヒマラヤ山中で苦行する。そして,額に第三の目を持ち,
そこから発する火索で愛神カーマを焼き殺したという。彼は牡牛ナンディンを乗物
とする。彼はまた舞踊の創始者とされ,ナタラージャ(〈踊り手の王〉の意)と呼ばれる。
さらに,世界を破壊するときに,恐ろしい黒い姿をとるので,マハーカーラ Mah´k´la
(大黒)と呼ばれる。彼はまたパシュパティ(獣主)とも呼ばれるので,後にパーシュパタ
(獣主派)というシバ教の一派が形成された。」 獣主>しし王>帥升王>スサノオこれもあり
えようか。
975月光仮面:2007/05/30(水) 21:02:48
>>971 牛頭と蛇の出ている神秘の籠はBC1800年頃の小河墓ミイラにもあった。小河墓
遺跡はミケーネと同じ地方、アナトリアを経由しているのではなかろうか。老女ミイラの
帽子はイラン系とんがり帽子であったが、いたちが2本まきつけてあり、キュベレ女神
の守り神の2頭のライオンの代わりとも考えられる。
976日本@名無史さん:2007/05/30(水) 22:36:58
[ある村に蘇民将来と巨旦将来という兄弟がいました。
 あるとき、武塔神(素盞嗚/須佐雄)が宿を乞うたところ、
裕福な弟の巨旦将来が拒否しましたが、
貧しい兄の蘇民将来は厚くもてなしました。]

裕福な弟の巨旦将来とは、キンキラ文化で有名な当時の新羅ではないのか。
素盞嗚も新羅には住みたくないという事だったし…
977月光仮面:2007/05/31(木) 09:36:54
過越の祭 すぎこしのまつり Passover
「ユダヤ教の祭日。ヘブライ語で Pesah という。ユダヤ暦のニサン月14日の夜(太陽暦
の3月か4月)に始まり1週間続く。エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が,モーセ
に率いられてエジプトを脱出したとき,神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが,小羊
の血を入口に塗ったヘブライ人の家だけは過ぎ越したという故事に由来する。最初の
晩にセデルと呼ばれる正餐を催し,小羊,苦菜,種入れぬパンを食べ,〈ハガダー〉と
呼ばれる出エジプトに関する物語を読んで,先祖がエジプトの奴隷の身分から救い
出されたことを記念する。共観福音書は,イエス・キリストの〈最後の晩餐〉がセデル
であったと伝える。」
スサノオが結婚したのがパリサイ女ということであり、この話はユダヤ教起源、また、
蘇民将来のコマギをばら撒くのはアルタイの慣習であり、やはり、ギリシャ植民地
バクトリアが大月氏の支配下、つまり、秦氏の支配下に置かれた時に取り込まれた
と考えるのが自然かなー。
978月光仮面:2007/05/31(木) 09:49:07
話の大筋は合致しているが、「小羊 の血を入口に塗った」が「牛頭の花輪で囲まれた」
等とギリシャ文化、つまり、バクトリア文化ですりかえられている。つまり、イラン高原
にいたパルティア系がすり替えた盗まれた神話であり、ユダヤ教に改宗とかいったもの
ではなかったのと違うか。
979月光仮面:2007/05/31(木) 10:02:23
>>973
更に深く考えると、ユダヤ人はこの話をミケーネ文明から借用し、ミケーネ文明は
北方ウラル・アルタイ文明、つまり、秦氏から借用したということもありえる。
980月光仮面:2007/05/31(木) 11:00:13
秦氏が韓国入りし、話は更に変わって行く↓
http://www.kamnavi.net/it/sosimori.htm
http://kamnavi.jp/it/sosimori2.htm
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-11.htm
韓国人にとって「胡」、ホータン・サカ系等は忌み嫌われるものであり、銅鐸文化を
持ち込む先進稲作地帯長江河口の蘇民は歓迎すべき存在であり、この辺で神話の
内容が一変した。倭人については何ら言及のないままハイカラな神話が出雲に上陸
する。
981月光仮面:2007/05/31(木) 11:04:20
というか、韓国ではいろいろと物議をかもした民族を引き連れて秦氏は日本に上陸した
と考えるのがいいのだろうか。
982日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:36:07
羽田氏は働き者ゆえにきらわれたのかも、ちに働けばかどがたつ だらだらしてると流される
983日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:51:43
教えて欲しいんですが、仏陀に毒キノコ料理(悪意はなかったとされる)
を提供し、結果として死亡させたチュンダは鍛冶屋の息子でアウトカースト
だったと、五木ひろゆきさんがテレビで言っていたが、彼の宗教は知りませんか?
また、どうしたら知ることが出来るでしょう?
984日本@名無史さん:2007/05/31(木) 20:03:26
日本の場合は西本願寺が救ったと言ってた人がいてたので、逆に見ると無宗教だった
985日本@名無史さん:2007/05/31(木) 20:05:05
バラモン教
986月光仮面:2007/05/31(木) 21:27:24
>>980 >>981
卑弥呼が後漢帯方郡を通じて鏡を輸入したことから、国産三角縁神獣鏡製作のために
江蘇省方面の鏡作り職人集団の渡来があり、これに関連して江蘇省方面の粽等の習慣
が伝わったということが考えられる。蘇民将来は江蘇省方面の技術者集団が百済に
あった神話を作り変えたのだろう。そうすると巨旦というのはライバルの銅鐸集団のこと
かも知れない。例の鹿踊りを初めとする東日本の鞨鼓踊りの鞨族が東周の銅鐸文化を
日本に持ち込んだという可能性が出てくる。
987月光仮面
鞨族についてはケト人という説もあり、気多大社との関連が考えられる。