938 :
月光仮面:2007/05/24(木) 09:00:35
939 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 07:05:36
たんなる移住と違って捕虜とちがうかな、外国と戦い民としたので連れてきたとか
940 :
月光仮面:2007/05/25(金) 07:39:07
秦氏は大犬座シリウスにより農事吉凶を占うことから犬神人とされ、葬祭、医療等を専ら
とし、自らを畑人と呼んだ。エジプトではその神はインプと呼ばれたが、忌部、犬部とも
読める。中国では犬戎、秦、朝鮮族は高句麗と称したのも同一。
「高良大社文書『高良記』では、
「大并(高良大菩薩)、クタラヲ、メシクスルカウ人トウ クタラ氏ニ、犬ノ面ヲキセ、犬ノ
スカタヲツクツテ、三ノカラクニノ皇ハ、日本ノ犬トナツテ、本朝ノ御門ヲ マフリタテ
マツルヨシ、毎年正月十五日ニ是ヲツトム、犬ノマイ 今ニタエス、年中行事六十余ケ
トノ其一ナリ」とされるが、これは彼らが神王ホルスからホルス・布留の民と称したのを、
降伏した意味で降人と勝手に解釈したことに起因する。秦氏の基本理念はユダヤと
共通するが、王権の下に産業を興し、経済発展を通じて繁栄することにあった。
遺伝子的にはユダヤ人と同一であるが、歴史的にははるかに古く、ユダヤの本家筋
に当たる。
941 :
月光仮面:2007/05/25(金) 14:42:41
942 :
月光仮面:2007/05/25(金) 14:56:07
943 :
月光仮面:2007/05/25(金) 15:58:12
944 :
日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:39:08
王は亡命してきたのかも、戦乱や気にいらないことがあったので
出てきた。
945 :
月光仮面:2007/05/26(土) 09:02:36
ウラルの鴨神話では原始の宇宙卵の殻はうずらの卵の殻のように星がちりばめられて
おり、この卵の殻が後に天蓋、後楽園ドームのようなものとなったとのこと。
エジプト神話では太古天の女神ヌトと地の男神ゲブは一体となってはなれず、空間が
存在しなかった。そこで大気の神シューが天を支えて空間を創造したとのこと。つまり
後楽園ドームに空気が注入され天井が上がった。
国常立命、ドルメンの意味するところであろう。インドに入り
宇宙空間虚空蔵は電波を通す↓
http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/dendengu/index.html とまでに発展した。これはヒンズークシ、インド人殺しといわれる数千メーターの高山
の連なるパミールの尾根を越え、ヒマラヤのシェルパのごとくラピスラズリの採鉱に
従事した秦氏の活動がなければナイルの平野とか、黄河とかでは絶対発生しない
思想である。
参考→「星宮神社 御祭神:天香香背男命(星大神)
祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。星宮大明神と崇められ、
明応4年(1495)創建の言い伝えのある、当社で最も古い神社です。古来「奥の院」
とも称され、当社では特別大切におまつりしています。ここにはなぜか虚空蔵菩薩
さまもおまつりしております。当社の秋の例祭は、この神社のお祭です。祭日は、
10月第2日曜日です。境内はこの夜、カラオケ大会などの余興で大賑わいです。
虚空蔵菩薩さまが祀られるようになったのは次のような事情があったのだと云い
伝えています。
もともとこの虚空蔵さまは今の片岡地内のある神社に祀られていました。ところが
虚空蔵さまは川魚、とくにうなぎの守護神といわれるので、人々はうなぎをとって
食べることが出来ませんでした。そこで困った村人は住吉に目をつけて、住吉は川魚
が食べられなくても、海の魚があるからよいだろうというわけで、虚空蔵さまを住吉へ
移してよこしたというのです。」
http://homepage2.nifty.com/sugao/sub01-3.html
946 :
月光仮面:2007/05/26(土) 09:11:29
「天香香背男命(星大神) 祭神は、天の運行を支配され、万民福祉を恵む神です。」
しかし、ミトラスの神は更にこの後というか、上にあって東京ドームの天井裏の星座
の牛ですら殺す神であり、更に進化した姿であるようだ。新羅のローマ宗教は尾張
にまでは達していないと考えていいのかも。
947 :
月光仮面:2007/05/26(土) 10:08:42
ストーンヘンジ、ドルメン等巨石建立、青銅器の鋳造は土器の製造と同じく土砂で鋳型
を製作し、巨石、青銅器が出来た後で土砂を取り除く。この応用が飛鳥石舞台古墳。
ピラミッド、長城も同じ。基本は土壇を築き、修羅で巨石を引き上げるのであるが、土壇
とか、鋳型、それの基となるハニが重要。檀君の檀とは土壇の壇で、ドルメン建設と
関係するのかも。ウラルの鴨神話では、鴨がこうしたドロを水底から咥えて浮上し、
大地を造る。これが住吉、片岡神社の表筒(土)、中筒(土)、底筒(土)であり、
カグツチとは金の土であるから最高の神であったはず。ところが記紀パンテオン
では穢れを意味する部類に位置付けられる。また、天香香背男命は布津主の
レポートで悪神とされる。そして銅鐸は地表から抹殺される。これは倭人伝の伝える
卑弥呼が狗奴国と仲が悪いと記述と符合する。つまり、天香具山に立地した鴨宗教は
銅鐸を捨て東国に逃れた。卑弥呼が敵に回したのは↓
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page119.html 卑弥呼政権はかなり不安定な政局であったであろう。
948 :
月光仮面:2007/05/26(土) 10:58:23
ウラル鴨神話では、天蓋を支えるのは頂上が北極星に届く(銅、鉄、石の)山(金剛山
か)、一説では強大な樫(アマカシとはこれだろう)。世界山の三脚は中山(天香具山
か)、北山(耳成山か)、霊山(畝傍山か、冥界、時には北山と同一とされる)間を流れ
るトネ川(マナ川)(飛鳥川か)。また、天の川は海から出た人間が天の支柱である
樫を切り、これが倒れたものであるとする。天地創造儀式は水底、畝傍山の土を取る
ことにある。
http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto/unebiyamaguchi.htm 従って、神武が天香具山の土をとることは鴨神話の破壊であり、神武が卑弥呼の
祖先であることを意味する。タケハニヤスの乱は、鴨族の政権奪回の動きに他なら
ない。類似の行動は東海S字瓶の胎土に雲出川の砂を混ぜることにも見られるが、
雲出は雲梯に通じる。
949 :
月光仮面:2007/05/26(土) 11:20:24
宇宙創造神鴨Wyaynyamyoynen(八井の明神とでも読もうか)は地形、海底地形を創造
するとされるので空中偵察機のようなものらしい。ポイントは偵察飛行後に建国が行わ
れるということで、ウラルアルカイム遺跡の建設に通じる。それと共に日置部とか太陽観
測部民のような存在を含意する。又、瀬戸内海をはじめ日本近海には海の難所が多く、
安全な航海のためには事前に水路調査が不可欠である。飛鳥川から飛び出した鴨が
ソラミツ大和の国を作るといった話からヤマトトトビモモソ姫が生まれたのかもしれない。
950 :
月光仮面:2007/05/26(土) 11:36:20
タラシとは廃語となりつつある帯を意味するグル、その古形布留と同様ホルス、神王を
意味する言葉で、渡来人アメノヒボコの子孫である神功がこの名前をとどめるのは
わかる。神功は旧狗奴国、九州南部の隼人、高句麗の南進と新羅の抵抗という政治的
チャレンジを受け、わが子を神の児に仕立て上げ三韓と狗奴国、隼人の一切を統一した。
、「この酒は吾が酒ならず酒の神、常世にいます、いわたたす少名御神の神寿. ぎおぎ
狂おし、豊ほぎ、ほぎも通し、祭っ来たりし御酒ぞ」という神功の歌には酒の神、巨石
建設の神、薬の神が同一であることを歌っているが、それは神功の祖先の神であり、
神功がそうした成功をなしえた力が、そうした文化を持っている秦氏にあったことを
歌い上げている。
951 :
月光仮面:2007/05/26(土) 11:54:24
銅鐸圏というとウインドウズ95とかの最終段階に入っていたアーキテクチャー
つまり鴨神話体系であり、そこに日向から出てきた男がCONFIG.SYSをイジクル
話はおかしい。インサイダーの仕業と考えるのが当然である。箸墓の基礎部分は
尾張が受けたが、仕上げ部分は吉備が担当した。こうしたことを画策した銅鐸圏
内部の仕掛け人こそ神武を操ったものであろう。それは北部九州の対外貿易を
狙った河内・摂津の勢力ではなかったであろうか。
952 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:29:09
中国大陸では常に戦乱に明け暮れて疲弊した市民が多いので性格も曲がってしまい
それで日本に逃げてきた羽田氏も働きものだが性格がいまいち悪く
953 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 12:44:05
お前らさ、ちょんとジャップは永遠のライバルだな?おもしれーw
目くそ鼻くそ同士w背比べお似合いなwかっこよろいーわーw
たかが黄色人種同士で劣等レッテルの擦り付け合いナw
そんでここではみんなで俺をちょんと馬鹿にするオ決まりパターンw
日本も中国大陸につながってりゃ同じ運命だ馬鹿がw
まず白人に差別されてる人種ということはやくきずけよ
954 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 18:03:00
唐人は戦争が嫌でトゥルクの西域に移住し高昌国を建国した
ウイグルの古墳壁画に日本の奈良時代の聖徳太子の絵や
天狗にそっくりな絵が出てくる。実際にはその絵は天狗じゃなく
鼻が高いコーカソイドなわけだが。日本とウイグルで同じ時期に
同じ絵が描かれていたのはおもしろい
955 :
日本@名無史さん:2007/05/26(土) 19:28:49
朝鮮半島は古代より楽浪郡が置かれたり、要は中国との付き合いが大変なものであった、当時の日本は幸いにも天然の城壁にまもられて
スクスクと育ちいまでも世界1の観光客として高く評価されており、それにひき替え
半島では日夜えげつないことにまきこまれて性格の・・以下省略
956 :
月光仮面:2007/05/27(日) 09:11:13
957 :
月光仮面:2007/05/27(日) 10:16:50
958 :
月光仮面:2007/05/27(日) 10:39:43
http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-14.JPG http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-18.JPG http://www.y-asakawa.com/egypt-again/pyramid1-15.JPG 「「王の部屋」の西側の隅に置かれた石棺
花崗岩をくり抜いて作られた、通称「石棺」と呼ばれているこの巨大な石の箱は、何に
使われたものなのか全くわかっていない。エジプト学者は王の遺体が置かれたものと
主張しているが、これが棺であった証拠は何一つ発見されていない。それより、当時の
大柄な人間が入るには狭すぎる。王の遺体は何重にもなった木の箱で覆われているの
が普通であることを考えると、この大きさではとても無理である。それにしても、巨大な
一枚岩のから切り出したこの硬いを花崗岩を、まるで鏡の面のように見事に彫り抜いた
技術は、驚異以外の何物でもない。切削の専門家は、現代の最先端の機器を用いても
出来るかどうか疑問であると言っている。ピラミッドに使われたハイテクノロジーは我々
の遙かに想像を超えたものであったようだ。部屋の壁に注目していただきたい。全く
隙間がないことに気付かれるであろう。「ピラミッド再建計画」を立案した大林組の
担当者が、「我々にはここまでの技術はないでしょうね」と言っていた言葉が、思い出さ
れる。石棺には、はめ蓋の跡が残されている。 不思議なことに、この石棺に使われたと
思われる蓋(ふた)が発見されていない。もともと石棺には蓋がなかったと主張している
学者もいるが、上部には、滑り戸式の蓋に使われたと思われる溝の跡が残されている
ことから、蓋の存在は間違いないように思われる。それにしても、どの記録にも残されて
いない蓋は、一体どこへ消えてしまったのだろうか?」それはアララト磐舟、バイカル
モンゴリアの箱式石棺墓、そして、天磐舟となって、大和国哮峯(いかるがみね)に天降
ったのだ。
959 :
月光仮面:2007/05/27(日) 10:54:53
出雲神話にはギリシャ神話の影響が残るが、これは大月氏方面からの影響で
あろうが、哮峯(いかるがみね)もこの線上でイカロスが着陸したとも解釈できる。
960 :
月光仮面:2007/05/27(日) 11:59:01
「金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、金海駕洛国に石の船が1隻現れました。
その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗っていました。そのとき彼女は
16才の美しい処女でした。彼女は天神の命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきました。
許黄玉は、一度も会ったことのない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に
乗ってきたのでした。船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が
乗ってきた船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵という寺を
建ててそこで暮らしました。現在の長游社がそれです。国際結婚をした首露王は王妃
許黄玉との間に10名の王子が生まれました。首露王は、その中の二人に許氏の姓を
与え、代を継がせました。それで、今でも金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。同じ
氏族であることを証明しています。」
http://www.geocities.jp/hjsxs295/rekisi.html この話も到着した渡来人が石の船を建造したから、その民族は海路渡来したことに
なるのであって、実際に海路である可能性は少ない。要するに大月氏、クシャン王朝
からの渡来者ということであろう。大和国哮峯(いかるがみね)に天降るのも同様である。
961 :
月光仮面:2007/05/27(日) 12:14:46
962 :
日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:58:30
ピラミッドの石棺を見て畳の大きさを思いついた
日本の畳の大きさは87cmX174cmなわけだが古代の中東地域に
キュビトという単位があったが、1キュビトが43.5cm
なぜ畳の大きさがキュビトの2倍x4倍なのかは謎なのだとか。
古代中国にはキュビトの単位にあてはまる物差しは無かったので
直接なんらかの形で古代の中東から入ってきたのだとおもう。
キュビトは中国や朝鮮半島をスルーして日本にだけ広まったようだ
963 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 11:55:18
>955 半島ではえげつないことが日常にひんぱんにおきて性格のよくない・・以下省略
ピラミッドの前には長い参道が延びてるのを見て、神社の参道の意味が競馬とは違い
964 :
月光仮面:2007/05/28(月) 18:57:42
965 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 20:03:52
ししまいのししはライオンのことでしょうね。
半島では性格が曲がるほどの苦労をしないと生き抜けなかっただけで、それを責めるような
セコイまねはしたくありません。日本国内でも苦労して真面目に働いた人ほど貧乏になり
966 :
月光仮面:2007/05/29(火) 06:42:33
967 :
月光仮面:2007/05/29(火) 07:07:09
968 :
日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:45:11
そう言えば国内でもばばくみや、したいの扱いはだれもがいやがる仕事なので
牛の解体もビデオで見たけども当分牛肉が食えないような光景であった
969 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 09:29:37
白木系が政権をとっていたが、東北に配置されていた百済系が偶然にも金を発見するに
及び、白木系が追放されて百済系が点火を取ったのでありました。
970 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 17:31:10
注連縄といえばキリスト教でも聖者の頭に注連縄のようにひねったヒモの輪っかを円形にして頭に載せる。
マラソン優勝者の頭にも載せるでしょ、あれはギリシャなのかな。名前忘れた。
971 :
月光仮面:2007/05/30(水) 17:47:45
972 :
月光仮面:2007/05/30(水) 20:43:47
973 :
月光仮面:2007/05/30(水) 20:47:30
「本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を
獲得していた。この信仰は その熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、
民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニュソスをギリシャの神々の列に
加える事となった。この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に
反映されている。またザクレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにも
ディオニュソス信仰の形成過程をうかがわせる。とはいうものの、実際にはミケーネ
文明の文書からゼウスやポセイドンと同様にディウォヌソヨ(Δι?νυσοιο)
という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。ギリシア人にとっては
「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。」 ・・・同上
974 :
月光仮面:2007/05/30(水) 20:52:58
これは多分秦氏が持っていたオリジナルから出ており、インドでヒンドゥー教のシバ神
となったものであろう。
「シバ神は,《リグ・ベーダ》においてはそれほど重要でなかった暴風神ルドラと同一視
され,また,ハラ,シャンカラ,マハーデーバ,マヘーシュバラなどとも呼ばれる。かつて
海中から猛毒が現れ,世界を焼き尽くしそうになったとき,シバはそれを飲んだ。その
ため,のどは焼け,青頸(ニーラカンタ N ̄lakalpha)と呼ばれるようになる。彼は天上
から降下したガンガー(ガンジス)川を頭頂で支え,またその頭に新月を戴き,三叉の戟
(ほこ)を手にする。彼は常にヒマラヤ山中で苦行する。そして,額に第三の目を持ち,
そこから発する火索で愛神カーマを焼き殺したという。彼は牡牛ナンディンを乗物
とする。彼はまた舞踊の創始者とされ,ナタラージャ(〈踊り手の王〉の意)と呼ばれる。
さらに,世界を破壊するときに,恐ろしい黒い姿をとるので,マハーカーラ Mah´k´la
(大黒)と呼ばれる。彼はまたパシュパティ(獣主)とも呼ばれるので,後にパーシュパタ
(獣主派)というシバ教の一派が形成された。」 獣主>しし王>帥升王>スサノオこれもあり
えようか。
975 :
月光仮面:2007/05/30(水) 21:02:48
>>971 牛頭と蛇の出ている神秘の籠はBC1800年頃の小河墓ミイラにもあった。小河墓
遺跡はミケーネと同じ地方、アナトリアを経由しているのではなかろうか。老女ミイラの
帽子はイラン系とんがり帽子であったが、いたちが2本まきつけてあり、キュベレ女神
の守り神の2頭のライオンの代わりとも考えられる。
976 :
日本@名無史さん:2007/05/30(水) 22:36:58
[ある村に蘇民将来と巨旦将来という兄弟がいました。
あるとき、武塔神(素盞嗚/須佐雄)が宿を乞うたところ、
裕福な弟の巨旦将来が拒否しましたが、
貧しい兄の蘇民将来は厚くもてなしました。]
裕福な弟の巨旦将来とは、キンキラ文化で有名な当時の新羅ではないのか。
素盞嗚も新羅には住みたくないという事だったし…
977 :
月光仮面:2007/05/31(木) 09:36:54
過越の祭 すぎこしのまつり Passover
「ユダヤ教の祭日。ヘブライ語で Pesah という。ユダヤ暦のニサン月14日の夜(太陽暦
の3月か4月)に始まり1週間続く。エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が,モーセ
に率いられてエジプトを脱出したとき,神はエジプト中の初子(ういご)を殺したが,小羊
の血を入口に塗ったヘブライ人の家だけは過ぎ越したという故事に由来する。最初の
晩にセデルと呼ばれる正餐を催し,小羊,苦菜,種入れぬパンを食べ,〈ハガダー〉と
呼ばれる出エジプトに関する物語を読んで,先祖がエジプトの奴隷の身分から救い
出されたことを記念する。共観福音書は,イエス・キリストの〈最後の晩餐〉がセデル
であったと伝える。」
スサノオが結婚したのがパリサイ女ということであり、この話はユダヤ教起源、また、
蘇民将来のコマギをばら撒くのはアルタイの慣習であり、やはり、ギリシャ植民地
バクトリアが大月氏の支配下、つまり、秦氏の支配下に置かれた時に取り込まれた
と考えるのが自然かなー。
978 :
月光仮面:2007/05/31(木) 09:49:07
話の大筋は合致しているが、「小羊 の血を入口に塗った」が「牛頭の花輪で囲まれた」
等とギリシャ文化、つまり、バクトリア文化ですりかえられている。つまり、イラン高原
にいたパルティア系がすり替えた盗まれた神話であり、ユダヤ教に改宗とかいったもの
ではなかったのと違うか。
979 :
月光仮面:2007/05/31(木) 10:02:23
>>973 更に深く考えると、ユダヤ人はこの話をミケーネ文明から借用し、ミケーネ文明は
北方ウラル・アルタイ文明、つまり、秦氏から借用したということもありえる。
980 :
月光仮面:2007/05/31(木) 11:00:13
981 :
月光仮面:2007/05/31(木) 11:04:20
というか、韓国ではいろいろと物議をかもした民族を引き連れて秦氏は日本に上陸した
と考えるのがいいのだろうか。
982 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:36:07
羽田氏は働き者ゆえにきらわれたのかも、ちに働けばかどがたつ だらだらしてると流される
983 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 12:51:43
教えて欲しいんですが、仏陀に毒キノコ料理(悪意はなかったとされる)
を提供し、結果として死亡させたチュンダは鍛冶屋の息子でアウトカースト
だったと、五木ひろゆきさんがテレビで言っていたが、彼の宗教は知りませんか?
また、どうしたら知ることが出来るでしょう?
984 :
日本@名無史さん:2007/05/31(木) 20:03:26
日本の場合は西本願寺が救ったと言ってた人がいてたので、逆に見ると無宗教だった
バラモン教
986 :
月光仮面:2007/05/31(木) 21:27:24
>>980 >>981 卑弥呼が後漢帯方郡を通じて鏡を輸入したことから、国産三角縁神獣鏡製作のために
江蘇省方面の鏡作り職人集団の渡来があり、これに関連して江蘇省方面の粽等の習慣
が伝わったということが考えられる。蘇民将来は江蘇省方面の技術者集団が百済に
あった神話を作り変えたのだろう。そうすると巨旦というのはライバルの銅鐸集団のこと
かも知れない。例の鹿踊りを初めとする東日本の鞨鼓踊りの鞨族が東周の銅鐸文化を
日本に持ち込んだという可能性が出てくる。
987 :
月光仮面:
鞨族についてはケト人という説もあり、気多大社との関連が考えられる。