古代〜中世〜近世にかけての日本の政治機構・文化・学問・生活レベル
価値観など、日本という文明を総合的に評価した場合
日本は世界的に見て高度な国だったのか
中国と韓国は除いて
2 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:35:19
んじゃあ、学問板らしく数学を対象としたレベルで比較してみるか。
時間軸は1世紀区切り、同じ世紀の日本と諸外国の数学レベルを、
トップの学者・一般庶民で比較してみると判りやすいだろう。
関孝和は17世紀の人だから、その頃有った国というと、
英・仏・露・神聖ローマ帝国・蘭・西・葡・ヴェネチア・ポーランド他欧州諸国
トルコ・サファヴィ朝・ムガール・ウスツァン(チベット)・タタール・明-清・朝鮮・他中央アジア諸汗国
アラカン・タウングー朝・カンボジア・大越・マタラム・他東南アジア諸国。
これらの国の17世紀の数学史を調べてみれば、関孝和を擁する日本のレベルが測れるよ。
誰もやらんだろうけど。
3 :
日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:35:49
イスラム圏のほうが、中世まではヨーロッパより上
インドから中国へ文化の流れは一方的。中国からインドへの逆の流れは文化的には殆どなし。
イスラム圏>ヨーロッパ
インド>中国
4 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:32:42
日本文明こそ人類英知の源
釈迦もキリストもモーセも日本に来て修行をしている
5 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:37:29
朝鮮は除いても全く問題ないが、中国は無視できないと思うぞ
つーか日本文明ってなに?
イギリス文明とかフランス文明もあったの?
聞いたこと無いけど。
文化というべき
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
9 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:36:17
文明圏を8つに大別する説があって、それによると日本1ヶ国をまるごと独立した文明として認識する。
一般的には日本をアジアに含める考え方が主流だが、日本人自身の多くが実感しているように日本の文明は余りにもアジア的ではない。
地理的にはオセアニアに近く、日本文化の根底にはオセアニアとの共通点が根付いている。
アジアからの影響は本質的に天保以降の西洋文明からの影響と同列のファクターにすぎず、
日本をアジアに含めるのは日本を西洋に含めるのと同様に強引なコジツケと言える。
>>9 それってハンチントンの文明の衝突だろ?
でもそれってハンチントンの個人的な主張にしか過ぎないんだよね。
欧米人の主張なら何でも正しいと言うのも何か変なような気がするし。
大陸と異なると言う事には同意だが、
ハンチントンの個人的な主張にまで付き合う気はないな。
欧米人の主張なら何でも正しいと考えるのも変だと思うし。
12 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 22:40:17
日本の縄文文明が人類初の文明
縄文文明が各地に伝播してメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、シナ文明が生まれた
だから人類のふるさとは日本
13 :
日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:03:34
なんかチョンみたいだな
14 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:04:43
そうだよね、神様は日本に似せて世界をつくったんだよね。
ユーラシア大陸は本州に
アフリカ大陸は九州に
オーストレイリアは四国に
そしてアメリカ大陸は北海道に、、、、
って誰が言ってたんだっけ?
15 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 01:16:01
日本の江戸文化は世界的にかなり高度。
といっても文化の内容というより、文化の基盤が高度。
なぜなら、文化が大衆消費社会や貨幣経済の上に立脚してるから。
平安文化も内容はすごいが、基盤は単なる宮廷文化で、大衆社会や貨幣経済とは
無縁のもの。基盤レベルは低い。
16 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 05:16:08
日本をアジアや西洋に含めるよりは独立した一つの文明圏だと解釈する方が明らかに自然なのだが。
17 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:02:16
中国は議論に含めてもいいんじゃないか?
この板の在日朝鮮人と違って在日中国人はほとんどいないだろ
18 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:25:55
人類発祥の地は日本
日本人が文字を発明し、シナ人はそれをまねした
日本人が文字を作ったと言うのなら、
何でシナより古い書物がないんだよ。
日本最古の書物は西暦620年の天皇記だし・・・。
高句麗の広開土王碑みたいな石碑があっても当然だと思うのに・・・。
結論から言えば日本人は平安期以外は文字を作ってない。
漢晋から「倭人」と言う他称をつけられている時点で、
どう考えても文字なしだし。
日本には「アラハバキ万年大王」が一万年前から いらっしゃる。
21 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:32:35
まあムーの冗談だがそれを翻訳してる国もあって翻訳の過程で
固有名詞を入れ替えて出版してる。
22 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 12:20:30
文献情報が残ってる辺り以前は適当なので
23 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 11:02:42
漢字とか孔子の起源とか。
24 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:52:54
孔子は日本人
25 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:54:25
中国は除くんじゃなかったっけ?
26 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:29:16
しょせん文字による記録のあった期間の差異に過ぎない。
27 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 03:53:47
日本がアジアで最初に近代化に成功した背景を探っていくことが、
日本文化の性質とレベルを考える上で、参考になるのでは?
28 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 06:22:37
日本とドイツを比較してみて考えたら、
どちらの方が高いのかね?
29 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:04:57
プロイセンとオーストリアとかズイブン違うわけだが
駄スレ
32 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 19:19:04
日本は人類のふるさと
33 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 21:31:30
ザクセンブルク
34 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:48:56
ハンブルクステーキ。
35 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:39:20
高いかはともかく、かなり独自っぽい発展してるな
36 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:42:06
37 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 02:57:49
アジアは変わった国が多いからな
38 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 03:20:58
秦の始皇帝にしろ毛沢東にしろ民衆に知恵をつけないため文化財や書物を焼き払ってしまったわけだが、
司馬遷の史記
孫武や呉起の兵法
日本でも有名なこれらは紀元前に書かれたものだよ
今の中国人はともかく古代の中国人比べりゃ天皇や卑弥呼はハナクソ以下の存在
中国除くってアンタ・・無視できるレベルじゃないぞ
日本のことが始めて書かれた書物も中国の魏志
もうちょっと勉強してきな
39 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 03:31:32
マジレスすれば日本文化の根源は皆唐や天竺から来たもんだろ
源氏物語や徒然草なんて退屈すぎて外国人は誰も読まないぞ
そういうのを文明と呼んでいいものか
40 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 05:36:44
>源氏物語や徒然草なんて
唖然。お前の感想を世界基準にしないでくれw
41 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 05:40:08
いや、世界の歴史文学者にも源氏物語や徒然草は
評判悪いんだがな
文化の根源なら縄文までさかのぼる日本独自のものだろう
外から来たのは単純に知識や技術や情報だろう
43 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 12:56:21
>マジレスすれば日本文化の根源は皆唐や天竺から来たもんだろ
これはまあいい
>源氏物語や徒然草なんて退屈すぎて外国人は誰も読まないぞ
いきなり文学の面白さという非常に限定された部分に勝手に狭めてて
あらゆる意味でよくわからん
44 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:27:15
>>43 ここで言っているのは文明文化のことで
源氏物語はまあ面白いが単なる恋愛小説にとどまる
ギルガメッシュ叙事詩は旧約聖書の原型になっているし
リグ・ヴエーダのように後世に大きな影響を及ぼしたわけでもない
それよりは仏教や漢字のほうがはるかに日本の文化に貢献している
45 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:44:30
いやなんでそもそも物語文学と文字や宗教を比べてるんだよ
時間的空間的伝播力が基準ならドローカルの日本文明なんて超低いで話終わりじゃん
46 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:49:51
ギルガメッシュ叙事詩は日本神話を叩き台に造られてもの。
モーゼもイエスもマホメットも仏陀も孔子も日本で修行した結果宗教を開けた。いわば日本は人類の精神世界の故郷なのだ。
47 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:00:03
日本文化のすごさは文化の大衆化だろう。
首都の江戸だけで貸し本屋が数百軒あったという。
48 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:30:58
昔の日本人は漢文をそのまま日本語に変換する漢文読み下しという手法を発明して
読んでいた、というのは語学の天才だっただろう。
これが江戸時代の蘭学にも役立っていたはずで、朝鮮人はこういう手法を編み出
さなかったことが文化の差になって表れている。
>>39 源氏物語と枕草子は欧米で非常に人気があるぞ。
自分は英国在住だが、先日BBCの大学対抗クイズ・ショーで
日本の中世文学がいきなりでて「ムラサキノ〜シキブ〜」と答えて
いたが、その流暢さにびっくりした。もちろん一般文学常識で、生徒は理系。
50 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:03:07
源氏物語もいいが、恋愛モノなら春色梅暦も忘れないでね。
51 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:31:04
活版印刷技術は立ち後れたけど
52 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:14:40
>>50 それより好色一代男の方が有名ではないか?
53 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:36:04
>>49 ほんならシェイクスピアも「文明」か?
ちょっと違う気もするな。
あんな幼女拉致監禁飼育小説が外国で人気のわけ無いだろう。
ロリ文学だから発禁だよ。
56 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:36:12
>>49 本当かよ。外国人にとっては千夜一夜物語の作者言えっていうようなもんだぞ。
当時の江戸は世界屈指の大都市であり
どこの国も戦が絶えなかったあの時代で
唯一日本だけが平和だった。それだけ徳川家は優秀だったと言える。
一国だけ引きこもって平和だったのを偉大とはいわない。
真の王者なら国際社会を平和でより発展的にするために外向的な調停に動くべきだ。
徳川幕府にはそういう気概が足りないし、それは今の日本にも受け継がれている。
59 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 07:18:30
薩長が東洋全域の防衛に乗り出したら史上比類なき侵略だのなんだのと難癖つける癖して何ほざいてやがる
60 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 09:33:41
薩摩のはやり方がまずかった。
61 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 10:51:23
語学教材に古典題材ってのは基本。古典話題なら話題が古くなってももともと古いから。
62 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 11:19:01
将棋は最高の知的ゲーム。取った駒を再度というルールによってルール的にステップが上がった。
63 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:43:11
ケチをつけるだけならどんな無能にでも出来る。
しかし現実世界では薩摩よりも上手いやり方など有り得ないよ。
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
65 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 16:44:17
>>63 伊藤が反対していたというのに、何故薩摩は韓国を併合した?
日本が今韓国から嫌われるのは全て薩摩のせいだぞ。
気候風土と木造文化のおかげであんま立派な遺跡がないのが残念だよなあ。
強大な中央政府ができなかったせいでもあるけど。
万里の長城なんて作った当初の投資分なんてとっくに回収してるぜ。
67 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:14:06
韓国には何をどうしても必ず文句をつけて来る。
相手にイチャモンをつけて譲歩させる事しか考えてないのが韓国だからだ。
韓国から好かれようと思う事が韓国の術中に陥る愚行なのだ。
68 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:51:42
韓国から嫌われようが日本には何の不都合もない
眼中にないブス女に嫌われようが、なんとも思わんだろ?
はぁ、なんだこのドム勝手に言ってろ、
少々ウザい程度だ
逆に韓国は、日本がスルーしたり小バカにしたりすると落ち込み被害妄想を持ち烈火のようにファビョり反発する
その様は、気になってしょうがない女の子にちょっかいしか出せなくて(そうすることでしかコミュニケーションを図れない無能故)嫌われてる小学生の心理と大差ない
両者は対等な関係じゃないんだよ
69 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 06:02:26
わざわざ韓国の話題にもっていこうとする勢力がいそうだな
まあこのスレタイだしな
70 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 06:32:55
>>66 世界最古の木造建築物、奈良の大仏殿があるだろう。正倉院という
気候風土湿度を考慮した古い木造倉庫もあり、他国に残らなかった遺物が
現存する。
中世の木造城郭建築物も多数、現存している。
71 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 07:59:21
>>70世界最古は法隆寺 東大寺は世界最大だが江戸時代の再建ですよ
正倉院は素晴らしいね まさしくタイムカプセルです
72 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 13:34:23
>>59 荒唐無稽な東洋全域の防衛に乗り出したのは昭和軍閥(≒東北人)。
その昭和軍閥(≒東北人)によって駆逐された藩閥勢力は、
目先の半島を視野に入れる程度の現実的な安全保障を展開していた。
73 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 13:52:54
>>69 韓国が叩かれると話題を逸らしたがるやつがいるな。
ま、このスレタイだしな。
74 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 13:57:21
↑
この朝鮮人キモイ
75 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:05:33
↑
真性チョン乙
77 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:14:24
山縣が死ぬと陸軍では長州閥が駆逐されてるけど海軍では薩摩閥が健在だったよ。
今でも海上自衛隊や海上保安庁は鹿児島だらけ。
それは別にいいんだが海軍がやたらに陸軍を敵視する気風を醸成していたのは薩長の反目に起因するとしか思えない。
陸軍でシゴかれた司馬遼太郎や元海軍だった阿川弘之あたりは海軍マンセーで陸軍を諸悪の根源みたいに書いてるけど、
大東亜戦争に関して色んな手記を読み比べてみると陸軍の人は概ね海軍をただ味方として認識している記述ばかりであるのに、
海軍の人は陸軍をライバル視してる不健全ぶりがやたら鼻につく。
つーか海軍の人自身が陸軍に何かを依頼しなきゃならなくなって足元を見られまいと気負いながら司令部を訪問したら、
陸軍司令部側は気さくに善処してくれて面くらったみたいな記述がよく出てくるんだよね。
前線でお互い色んな不都合を背負って苦戦してるんだから協力するのは当然なのに、
海軍側にとってはそれに違和感を覚えてる始末。
日露戦争では海軍重砲隊の件みたいに陸軍の方が海軍にサボタージュを仕掛けていたから仕方ないが、
いつまでもそんな遺恨を引きずっていた海軍こそ大東亜戦争の敗因に見える。
78 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 20:08:12
日本文明は世界発祥の地
ピラミッドも日本で初めて造られ、エジプトやマヤに伝えられた
ヘラクレスも実は日本に来ていた。鬼ヶ島の鬼はその子孫であり、その証拠として
こん棒を持っていた。
80 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:55:56
金棒デス
聖書は日本人が書いた。
だって天皇家は失われた十氏族の末裔。
キリストは日本で死んだんだよ
83 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 14:57:23
ムー大陸が発見されたら、確立は八割以上確定かと・・・・
84 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:03:35
沖縄だよそれ。ちょっと沖に沈んでるらしい。
85 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:18:36
縄文土器とかだろ
ムーとは違うんじゃない?
86 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 13:22:41
沈んだ話は滋賀県にもあるよ
87 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:56:30
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
88 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:14:26
鼎
89 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:38:37
鼎
クモみたいな漢字だな
90 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 14:47:55
当確が出たときの東の目つきや不審な態度は、ドッキリ?って感じだった。
なにかヘンなことが起きてひっくりかえった時のことを考えての予防処置だったのかもしれない。
もっとも当確が外れることなど通常はないのだが、今回は、ある意味異例だったので
東が慎重になるのも無理はない。
91 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:12:37
都市基盤
上下水道
治水能力
開墾能力
機械化
経済力
外交力
軍事力
図書数
語学力
独自文化
宗教
治安
医療
こういう分野全てを数値化したら江戸時代の日本は
当時の世界と比べても西ヨーロッパ並みに上位に来るはず
それやると東南アジアとか南アジアが上位になるよ。
93 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:20:41
>>91 和算や科学は明治になって西洋の文化が流入したとき圧倒された
94 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:08:51
圧倒されたとは具体的にどういう意味かね?
95 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:20:55
現代欧米文明に追いついたのは日本だけだから日本文明は欧米文明に追い
つくポテンシャルをもっていたのだろう。
96 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:27:24
>>91 はず、と言わずにぜひとも証明してくれ。いや、できればそれは素晴らしいことだ。
今の医療は技術だけで人はダメばっかだからな。
97 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:21:40
とある電車の車内でガラの悪い女子高生達が地べたに座り込んでHIP-HOPのCDを大音量でかけていた、
険悪な雰囲気が車内に流れる中、白い高級そうなスーツにボルサリーノを目深にかぶった紳士が、
その女子高生達に向かってゆっくりと歩きだした、まさか女子高生に注意するのではとハラハラしていたが
その紳士はこういった「君たち良い音楽聞いてるね、もし良かったらそのCD譲ってくれないか?」そういうとスッと
1万円札を差し出した、 女子高生は「良いよ!」というとCDと1万円を何のためらいもなく交換した、車内にようやく
静寂な時間が訪れた、 すると女子高生の一人が驚いたようにこう言った「カズじゃん?!」
そう、その紳士こそカズだったのだ、せがむ女子高生に嫌な顔一つせずサインをするカズに感動する
他の乗客、カズは次の駅で降りたのだが乗客達に拍手で見送られていた。
やっぱカズさんはカッケーっす。
98 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:34:29
カズ伝説はある意味
癒やされる
ザビエル
「日本人は富より名誉を重んじ、キリスト教徒以外の人の中では一番優れている」
100 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:02:03
ただ室町末期から江戸時代を経ると事情が変わります。
幕末に日本に来たヨーロッパ人は、 日本の気候と土壌が農業に適しているのに、農民が
まずしいことに驚いていました。江戸時代の風俗の延長である明治初期の写真をみると
ほとんど裸に近い服装で裸足でした。靴はそれまで白風習自体がありません。
ロシア農民のあまりの貧しさに驚いた日本人もいたな。
礼節や学問、文化は庶民に行き渡って高度ではあったが、
いかんせん幕府の節約、完全リサイクル低成長経済、儒教がらみの粗食でな・・・。
貧乏ではなかったらしいが。
103 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 17:24:21
話題になるほど矮躯だったそうだ
104 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 18:18:22
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
105 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 03:21:23
>>100 靴を履く風習がないとダメ、というのは西欧の観点じゃないのか?
権力の頂点たる武士からして靴を履く気ゼロだし・・。
日本人は今でも、特に夏場はできれば靴履きたくないと思っている人が多そうだしな
107 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 14:40:03
>幕末に日本に来たヨーロッパ人は、 日本の気候と土壌が農業に適しているのに、農民が
>まずしいことに驚いていました。江戸時代の風俗の延長である明治初期の写真をみると
>ほとんど裸に近い服装で裸足でした。靴はそれまで白風習自体がありません。
裸でいるのは、作業中だからでは、ないですか?
布地自体が高価だった為、通常男は、脱いで
褌ひとつ又は、諸肌になっていたと思うのですが…。
通常は、草鞋を履いていたと思いますが田畑の作業の
時は、履かないのがあたりまえと思います。
なぜなら、あなたも今ビーチサンダルを履いて田畑に
入るのは、嫌でしょう?
108 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 05:27:26
それ司馬遼太郎の文章だから。大阪の原風景と江戸賛美を戒めてる。趣旨は大阪ですらこうだった
って言いたいらしい。原文は、前段で大阪人は下品で野蛮だと思われてるらしいってレトリックから入って
途中で大阪は文化が豊かであったって持ち上げてやっぱ庶民は貧しかったって結論に導く。
小論文試験の題材にしやすい評論の典型。それについてどう思うかという設問で
一方的な賛美にすると文章を見ていないってことで減点。両論併記と危機意識を感じて
自分なりにどう解釈するかができればベストだな。
109 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 01:09:53
>>104 そのころ日本や西洋は原始人みたいな暮らしをしていただろ
110 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:54:22
100氏よ、江戸時代に来た西欧人の大半は農村の美しさに感動しとったぞよ
111 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 08:36:55
その質素さに美を感じたと言っているが
ようは太平洋諸島の原住民の美的感覚を褒めるのと同じ。
原住民はそれを芸術だとは思っていない。それしかできないだけなのだ。
半裸で人が馬のように車を引く人力車に興味をもつのや
奇妙な民芸品などを愛でるのも同じだな。
112 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:15:32
靴に対する考えは 多分 日本人と欧米人はそうとう異なると思う
113 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 14:15:42
114 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 14:18:29
>>112 1975年に大英帝国のエリザベス女王が来日したとき、
京都で畳の上をストッキングはだしで歩く映像が全世界に流れ、
イギリス国民は強いショックを受けた。
家の中では靴を脱ぐことが当たり前の日本ではピンとこない話だが、
欧州や中国では、人前で靴を脱がされることは、
刑罰のひとつであった歴史が存在する。
つまり、足の指が見えるストッキングはだしは屈辱なのだ。
115 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 08:49:45
世界は広い
116 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 08:57:18
夏は裸足に限る
・小沢「ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない」→菅の息子はニート
・安倍がアパの社長と写っている写真があるとして批判→鳩山がアパの社長と写っている写真もあった
・安倍が統一教会に祝電を送っていると批判→鳩山は若手を何人も引き連れて出席
・鳩山、非核三原則についての議論を提唱した麻生大臣の罷免要求→1999年に「こういう議論(核論議)をしなきゃいけない」と発言
・鳩山「佐田大臣は辞めれば良いという問題では無い」→角田参院副議長、朝鮮総連からの裏金問題で説明を行わないまま辞任しそれ以外何もせず
・閣僚の事務所費問題追求→小沢はダントツの4億(全部あわせると10億)
・審議拒否までして柳沢の機械発言批判→菅は生産性発言
・松岡の光熱水費問題追及→民主幹部で小沢側近の中井洽元法相も同じことをやっていた
118 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 08:29:02
>>114 オーストラリアでは、夏、焼け付くようなアスファルトの上を裸足で歩いている。
どういう足の裏をしているのだ?
江戸時代て今の北朝鮮
みたいなものだろ
121 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 22:26:17
地獄のような東北の惨状がある
122 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 18:10:25
東北>>>>>>>>>>>>>>>李朝
とはイザベラ・バード説
123 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 18:36:30
江戸は超信用社会
江戸期の問屋制度は大坂両替商の信用力があって初めて成り立った
預り手形や振り手形のような銀目手形が紙幣的効果を持ちえたのも、両替商の
信用力あってのもの
実際の紙幣だった諸藩の藩札も、藩内の豪商とともに大坂両替商が信用を受け持った
そして計数貨幣の登場は、幕府に対する信用と社会の安定があればこそ可能だった
因みに日本の近代化も、両替商による巨大な経済的な与信力と信用社会の経験が
あって初めて可能だった
480 名前:朝まで名無しさん 投稿日:2006/01/15(日) 07:39:00 ID:bNr23p/O
「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
はなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを
告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を
与えられた民族はないと思う。」
「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマ
よりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりも
あきらかに劣っている。」
16世紀 イエズス会本部への報告書より
宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ
>>121 別に東北の為政者が悪かったわけではなく、
元々東北の気候に稲作は合わなかったのだからしょうがない、特に北東北ね。
だから、岩手あたりでは雑穀などの生産が盛んなわけだ。
東北も中央に比べれば貧しいだろうけど、言うほど酷いわけでもない。
126 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 19:05:48
お城の石垣。石工の技術は高いと思う。
地震大国でよく耐えている
五重塔の「免震設計」的な思想もよい。
西洋文化の古代建築は、地震が少ないからこそ可能。
127 :
126:2007/05/20(日) 19:10:35
急流河川かつ低平地における治水の技術も高い
食料事情について
「飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの
(ヨーロッパの)人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。
私は日本国民について、あるがままを記述するようにつとめ、おおげさにその長所をほめたり、ことさらその欠点をあげつらったりはしなかった。」
「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に
述べたことから十分にお分かりいただけよう。
そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、
日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」
ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫
> (それでも何回かは飢饉があった――という話がこのあとにありますが、江戸時代の飢饉についての戦後の教育は、あまりにも大げさです。
> たしかに飢饉の記録はありますが、それは当時の人にとっても異常だったからこそ記録に残されているのであって、その記録の無い期間や
> 無い地方は、ずっと食物は豊富で平穏だったわけです。
> そういう眼で見ますと、江戸時代は世界の水準に比べて、じつに飢饉が少なかったと言える――と、石川英輔さんはじめ、正統史観の研究者が述べています。
>
ttp://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/edo_sanpu.htm
129 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 20:58:04
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)
宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA
130 :
日本@名無史さん:2007/05/20(日) 20:59:22
宝来mtDNAデータのトリックとその欠陥を簡単に説明してやると、
朝鮮半島にしろ中国大陸にしろ、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、データの中に北方アジア人に関するタイプの
データが一切出てこない。
しかも、調査サンプルにも北方アジア人のサンプルが一つも無い。
つまり、宝来mtDNAデータは、北方アジア抜きの偏向調査で出された単なる
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの非常に悪質極まりない欠陥データに過ぎないのである。
131 :
東北力を見よ!:2007/05/20(日) 22:16:30
盛岡は近江商人の手によって繁栄が築かれた街だ。
村井新七を始祖とする高島商人や小野権兵衛が開祖の小野組などが有名。
特に小野権兵衛は当時珍しかった清酒の販売を手がけ、盛岡に酒造業を根付かせる。
また、盛岡以外に京(上方)・江戸にも店を構え、小野組は日本屈指の酒造企業に
成長。江戸後期には盛岡藩の藩札の引き受け役も担うまでになる。
また近くに白根金山や西道金山など優秀な金山があり、盛岡は鉱山業でも栄えた。
小野組はその後明治新政府の為替方を務め、三井とともに国立第一銀行を設立。
近代日本の信用社会を担うはずだったがなぜかすぐに倒産した。
因みに古川財閥をつくった古川市兵衛は小野組の番頭出身だった。
伊勢神宮に付いて
> 「純真な形式、清新な材料、簡素の極致に達した明朗開豁な構造、 これこそ伊勢神宮が日本人に対し、
> また我々に対して顕示するところのものである」
>
> 「原始日本の文化は、伊勢神宮においてその極地に達した。 まことに伊勢神宮は絶対に日本的なものであり、日本において
> さえこれ以上日本的なものはどこにもない。
> ここに在るところのものは、真正の建築であって、たんなる 工学技師の手になる建造物ではない」
>
> ドイツの世界的建築家ブルーノ・タウト
> 「この国の二、三の寺社は特に注目されており、あたかもイスラム教徒がいつもメッカを訪ねるように、国のあらゆる地方からそこへ向けて
> 遍路の旅が行われる。特に伊勢神宮はその一つであり、この国最古の神、すなわち天の最高の神天照大神を祭っている」
>
> ツュンベリー