1 :
日本@名無史さん:
テロリストに殺された可哀想な人だよね
2 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:29:41
テロリストに殺された可哀想な人だよね。
帝の御前で殺されるなんてひど過ぎるよね。
3 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:41:31
3
4 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:54:09
テロっつーかクーデター
5 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 16:19:22
いいえ、テロです。
ああ、可哀想な入鹿さん。
6 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 16:20:38
あの人多分勃起してた
7 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 16:39:18
8 :
:日本@名無史さん :2006/11/13(月) 17:45:19
ショゥテュゥン ティァィィシィー(聖徳太子チャン)
9 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 18:56:46
ポマイもな。^^
10 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 19:43:46
近年いるかの業績は見直されつつある。関裕二(歴史作家)説ではいるかを評価している。所詮歴史は勝者の言い分しか書いてない
11 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 19:53:09
入鹿は野蛮なテロリズムの犠牲となった被害者
12 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 20:03:53
入鹿って名前は、鹿の肛門にちんこ入れようとして、
金玉蹴り上げられて悶絶したことからつけられた。
むやみに神聖視するのはどうかと思うが。
13 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 22:03:13
↑
日本史板の人たちってこんなんばっかりなの?
がーーーーーん・・・・・・・・・
14 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 19:33:50
12
そんな逸話聞いたことない、何ていう資料にそんなこと書いてあるんだ?
15 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:58:49
入鹿を殺害することは地球環境の破壊につながります。(緑豆運動家)
16 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:47:54
三代目が家を滅ぼした、典型例?
入鹿が悪いってより、蝦夷の教育が失敗したと見るべきではないか。
17 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 00:08:09
関裕二ってトンデモ本じゃなねえか。説得力ないよ。歴史は勝者の言い分しか書いてないって、そりゃそうだけど、関みたいに妄想ばっか書かれてもね…。
18 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:45:34
蘇我氏は滅びぬ!!!!
何度でも蘇るさ!!!!
AA略すなよ
20 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:51:53
本名じゃないんだとよ↓
22 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 00:18:44
皇室を乗っ取ろうとした悪人ですからね
馬 蝦夷 鹿 ・・・
これでも食らえって感じのネーミングw
23 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 06:31:29
いるかの本名は大郎鞍作。いっしの変が実施されてから改革しゃどもの民に対する評判は悪いぜ。極悪にんを殺したんならこんな反応しねーだろうに
そりゃ、斉明も祟られるだろうよ。
白雉の儀式の群臣、粟田飯虫、倉小屎
壬申の功臣土師馬手、置始莵、鴨蝦夷、
ヘンな名前はこの時代めずらしいことでもない
歴史の勝者の藤原が編纂した日本書紀なんて当てにならない。
物部と蘇我は仲が良く婚姻関係もあったとも聞くし・・・
悪人扱いするのは違うと思う。結局、中大兄皇子に付いたと言われている蘇我石川麻呂も
中大兄皇子&中臣鎌足は殺したり、実験握る為ならなりふり構わない感じがしてこの二人の方が悪人。
民衆も中大兄皇子がいる宮に火をつけたり。かなり恨まれてますね。
んで逃げるように難波に遷都。でもここでも孝徳とそりが合わない。。。
>>26 買ってはいけない電波本お読みになったんですねw
28 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:13:03
>>26 蝦夷の母親は物部だったと思ふ、嶋の大臣はある意味母方を攻めほろぼした。
なお、その嶋の大臣の妹は聖徳太子の正妻だった。
そんな蘇我宗家をこれまた打ち滅ぼしたは、中大兄。
上には上がいるってこと?
↑でもその天智の血を絶ったのは、親族の天武で天武は藤原を政界から掘り出したのに
妻によって復活された・・・
電波本おもしろいよ、こういうの結構好き
まあ、入鹿が悪人だから成敗されたんじゃなく、権力闘争に負けただけなんだろうがな。
31 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 07:51:59
「大鏡」という資料に藤原不比等は天智落とし胤と記されている。母親は鏡女王だったようなきがする。もとは天智の妃で妊娠しているとき鎌足がもらい受けたらしい。持統は天皇の直径を自分の血で保ちたかったから異母兄弟の不比等が抜擢されたんじゃないかな。
「大鏡」って信頼できるんですかね?
確かに不比等の一族(藤原)は異常なほどに栄え、
反面、中臣は歴史の表舞台から消えていく。
33 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:25:39
>>29 天武の妻ってあの、天武帝の子を騙して殺し、自分の孫に皇統を継がせたあの....
天智天皇の子にして、天武天皇の妻、これこそが日本の最も酷い女性の一人かも。
雅子よりはマシだな
35 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:57:38
雅子妃は、ヒサヒト親王を殺してなどいません。
蘇我氏も大王家だったという学説があったような気がしたけど、実際どうなんだろ。
崇峻天皇ぶっ殺したのに最高権力者の座に終生居座っていた蘇我馬子とか見ると、あながち本当なのかなとも思うが。
37 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:14:02
暗殺があれほど明確なのに、次期天皇の擁立者となれたのだから、すんごいの一言!
38 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:17:42
曽我は出雲の首長だったのからかな?所詮大王は後から来た飾り物。
でもその飾り物が権力を欲した時、暗殺やクーデターが起きたと。
39 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:25:58
お飾り、携帯、菌鳴朝!
40 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:37:58
堂々と天皇を明殺し、蘇我宗家をぶち殺して成立した天智天武朝はその後、血を血で洗う
抗争を続けたあと、藤原氏に実権を渡しました。
血を血で洗う抗争が貴族社会からも無くなった時には、武家社会から血を血で洗う
抗争が起き、その渦の中でしか権力はつかめなくなりましたとさ。
その武家社会ががやっと安定した社会を作ったら、その崩壊とともに、血を血で洗う抗争は
対外戦争として、グレードアップして、最後はピカドンです。
日本の歴史の超かいつまんだ説明ですた。
41 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:07:28
忠臣が農民の迷惑になるから吉野への行幸は控えてください、といさめたのにも関わらず持統はなん十回も吉野へ行幸している、これより彼女は我が儘で他人の意見など聞かない性格だったのが伺える植月広説より
藤原氏の最大の功績は天皇家を存続させたこと。
これだけは認める。
43 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:43:41
>>41 そのむくいか、彼女の墓は盗掘されまくってるな。
44 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 13:27:42
持統の墓は天武と合葬だったよな。だったら天武の墓もトバッチリで盗堀されたのかな?
だったらかわいそうやな
45 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:27:46
天武も天皇を殺して天皇の位を奪い取った簒奪者だけどな。
昔の天皇なんて皆同じ、暗殺謀略当たり前
47 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:07:32
結局、その血塗られた血統が今日の天皇家につながっているわけね。
48 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 22:21:58
日本書記は藤原のためのだけに書かれた歴史書です。近年フヒトが日本書記の編纂に関わっていたという説をちらほら聞きます。初期以前の歴史書は始末されていて分からないから書記に頼るしかないのが現状。
49 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 01:18:38
>>48 それって近年なの?藤原不比等が編纂主っていうのは
随分昔からの常識だと思ってたけど・・・
不比等及び藤原氏は真実の歴史を知ってたとしたらとてつもない罪だよね。
50 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 08:17:05
>>40 残念だが皇室が藤原氏に実権を譲ったというのは正しくない。
道長の時代でさえ、後の足利氏や徳川氏のように
天皇を無視して好き勝手なことができたわけではない。
従ってまた、道長の後に藤原氏が
皇室をしのぐ勢力を保持したわけではない。
それから平安貴族の政治抗争は「血で血を洗う」ようなものではない。
敗れた方も左遷されるか、せいぜいが流罪程度。
それと日本の歴史は原爆で終りじゃない。
戦後にみごとに経済的・政治的に復活して、
バブル崩壊で一頓挫して、
それをようやく乗り越えて、さあこれからどうなるか、
という局面なんだが。
もし歴史が「現在」と切り離された、ただの考古に過ぎないのならば
そんな歴史には、何の積極的価値もない。
51 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 09:12:51
>>50 平安時代はそうだが、奈良時代以前はそれこそ血を血で洗う抗争の末、その血統が決められてきた。
天皇家は、平安時代のその平穏な長い間は、祭上げられることでその血脈を保ったが、保つ前は、
何度も軍事力による血統の歪みがあったのである。
記紀にも記述があるものまであるしな。
>>36 自信をミカド子供をミコと称したから大王そのものだった可能性はあるな
53 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 11:28:49
>>45 弘文は即位してないだろ
明治維新で追加されただけだ
54 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 11:38:57
>>53 普通に考えて、大友が即位しない理由がない。
弘文天皇を攻め滅ぼして即位したのが、天武天皇と見るのが常識であろう。
55 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 12:24:46
一説には天智が馬に乗ってお出掛けしているときに暗殺されたという記録がある。学者達は天武が暗殺したというものもいるな。江戸時代に水戸黄門が大日本史を作成したとき大友即位が採用された。明治政府はそれを採用し現在に至る。
56 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 22:10:44
入鹿は結局、豪族達と天皇家の狭間で犠牲になった人なんだな
57 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:34:02
まあ渡来人の覇権争いだね、鎌足が半島の人間だからね。
白村江なんてその典型だろ。
蘇我が半島人という証拠は無い
元々、葛城氏の派生で平群や巨勢と同族なんでしょ?半島人ではないと思いますが。
自称ではありますが武内スクネの末裔ともかかれておりますし・・・。
鎌足半島人説は良く聞きますね。デンパ本によると百済の王子だとか。
確かに百済に動乱が起きると日本の文献から消えてしまう変な人物ではありますが。
60 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:55:13
僕はあの本にはリアリテイ感じてしまうのですが、例えば大職冠はあの2人
しかいないというところとか。実際はどうなんですか、史実として?あれだ
けの大氏族の出自がいまいち不透明で(あの本を読む限りですが)借り物の
出自のようで。
日本書紀に百済紀が長々と綴られているところも非常にあやしい。
しかしそんなこと昔の研究者もわかっていたことだろうけど?
あの本によると応神は鍛冶屋のせがれらしいですね
しかも不倫の子
62 :
日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:46:27
そんなこと書いてあったかな?PHP出版て保守的であまり変な本は出さな
いと思うんだけど。
63 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 01:20:09
飛鳥板ぶき宮
↑
漢字教えて下さい!!!お願いします!
飛鳥板蓋宮
>>62 応神天皇は神宮皇后=トヨと住吉大神=天日矛=武内宿禰との子(または子孫)だそうです。
ちなみに天日矛は、新羅に渡り製鉄で儲けた早い話が鍛冶屋の親分。
日本に帰ると豊岡に港を作って九州を通さずにヤマトと鉄の取引を始める。
焦った九州は魏の支援を取り付けヤマトに対抗しようと画索。
トヨは山門の女首長(卑弥呼)を暗殺するが、ヤマトに裏切られ九州南部に逃亡。
こんな内容。
66 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:39:35
>>65
電波的だということですか?
余豊彰=鎌足説に有力な反証はありますか?
67 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:43:55
鎌足のことはよく知らないけど
> PHP出版て保守的であまり変な本は出さない
↑これはあり得ないと思うw
へんな本だしまくりですよ
聖徳太子⊇{厩戸皇子、蘇我善徳、蘇我入鹿、山背大兄}
デンパ本との決め付けがきそう
>>66 豊彰=鎌足説には特に証拠は無い、あくまでも著者の推測にすぎない。
書紀から鎌足の記述が消えるのと、百済に豊彰が帰国する時期が一致している処からの推測。
ただ豊彰=鎌足でなかったとしても、百済と鎌足の間に特殊なつながりがあったというのはありえる。
70 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 00:52:08
>>69 日本書紀での百済についての記述が多いこともその一例ですか。
>>65からの続き
ヤマトの裏切りに合い、南九州に逃亡したという悲惨な事実をカッコよく書き直したのが、古事記の天孫降臨だそうだ。
その後応神一家は立ちはだかる兄弟を倒し、見事ヤマトに返り咲くわけだがコレも嘘。
事実はヤマトに疫病が流行り、それが神宮皇后=トヨの祟りだといううわさが流れる。
その祟りを鎮めるために、南九州に潜伏中の応神が招聘され司祭王(ようは祟りを鎮める人)となる。
これが初代の大王神武=祟神=応神誕生秘話だという。
蘇我が宿禰の末裔ならば、当然天皇家と親戚と言うことになる(しかも男系)、藤原にとっては都合の悪いところだ。
72 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:01:17
>49
舎人親王とかいてあったのでは?
状況証拠しかない。でもアリバイもない。ほんとはどうなの?
余豊璋=鎌足
73 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 05:35:21
義慈=舒明 天智=余豊
天武=金春秋
皇極=善徳
斉明=真徳
75 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 08:32:58
文武=文武
アホか!
76 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:10:34
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ
77 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:38:04
>>1 なんで入鹿が可哀想なんだよ?入鹿は御所を見下ろすところに宮殿をつくり、帝の子息が名乗る名乗りを自らの子息に名乗らせていた。
入鹿の所業は帝徳を傷つけまいらせるものだぞ
78 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:39:37
>>77 太国1人乗り突っ込みだって解っているんだよ!
79 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:58:37
>>73,74
それははっきり違うと思う。状況証拠すらない。
80 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:43:32
>これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
>有り難く思え。
みんな固まるよなこれじゃ
81 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 12:47:19
蘇我入鹿=蘇我善徳=高向王=厩戸王=健王
82 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 13:20:06
645年の変で
本宗滅亡ととももえてしまった文書
こっそり写しが残ってて発見されないもんかな。
それこそが竹内文書
84 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:05:08
入鹿って斉明天皇の愛人だったんでしょ
85 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:33:49
>>77 テロリストの子孫が書いた史書をそのまま信じるお前はアホ。
86 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:52:08
>>85 蘇我氏の記述については日本書紀の編纂者の思惑がたっぷり含まれてるから
本当にどれが真実かはわからんよね
特に祟峻と山背の暗殺については怪しすぎ
書紀完成まで天武が生きていれば・・・
88 :
日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:18:05
いまからデンパをだします。
いまだに藤原氏は日本のエスタブリッシュメントだから、
やたらな事実は出てこないのでは?
His judgement cometh and that right soon
男性諸君、結婚すると不幸になる。女の外面は綺麗で清潔で良い人、内面はずるくて汚いため、口も悪い+嘘つき+女同士も上辺仲良し裏では悪口三昧
女の成分はA(性悪陰湿残忍+損得自己中感情)+B(良い女演技+体形+整形化粧+ファッション)
↑良い女演技は好きな男>>異次元>>男集団>他人の順に良くなる。年齢とともにBのメッキがはがれ内外ともに醜くなる(Aの良い女は極少数)
女は「人生の不良債権、北朝鮮、金メッキを施したゴキブリ」
社会的に男女は対等で平等。男が女を養ったり守る必要はない「見切れ!見切り千両!私不幸なの?嘘!泣いてます?演技!情けは不要!つけこまれるぞ」
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★結婚は保留し、沢山の女性と自由に恋愛(sex)を楽しめ♪★避妊必須
★捨てた女は優しい真面目男が結婚(残飯処理)してくれるさw★
それでも結婚する君へ究極護身法→[夫婦財産契約登記]
夫婦財産契約により、自分の稼いだ財産はすべて自分の物
離婚時に財産の半分を配偶者に取られない
弱い者いじめは最低と言いつつ、赤ちゃんを殺す母親(そして無罪判決(笑
狙撃は女子のほうが強い。男は、ノイローゼになってやめてしまうが
女は何人殺してもノイローゼにならない。そして、骨盤が安定しているため
ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという
拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い
・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン
アマゾン女族の女王は、法律を定め、男達には卑しい奴隷の仕事を課した
男児が生まれたら、生き埋めにするか、脚と腕を不自由にして、戦えなくし奴隷とした
・王位継承権が女性にだけあった古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった
・日本でも卑弥呼が女王
http://kr.img.dc.yahoo.com/b1/data/dci_etc/76.wmv ←女集団が、女一人をリンチしている動画(執拗に蹴り続けながら皆楽しんでる
女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ・・
91 :
日本@名無史さん:2006/12/31(日) 05:02:10
92 :
日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:59:55
藤家氏伝では山背の暗殺には孝徳天皇やその他の有力な皇族に豪族が関わっているとされている。当時皇子だった孝徳は天皇になり出世して何のおとがめもなし。入鹿暗殺実行のの大きな理由は山背殺し。入鹿だけ罪を着せられてるような、おかしくない?
山背の存在自体怪しいが
厩戸一家もろとも存在が怪しまれてるね。
95 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:28:18
聖徳太子の存在は半ば否定されているが、厩戸王子の存在までは否定されてはいまいて。
96 :
日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:49:48
厩戸、山背の存在が怪しければ、入鹿の存在も怪しいわな。
97 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:02:48
入鹿が山背大兄王を殺したという説があるくらいだし、悪い奴に決まってるよ。
98 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 13:43:13
やあ、鎌足さん
此処も豚さんの巣でつね
100 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:33:34
厩戸王子が仏教がらみで後に聖徳太子と呼ばれ崇められるようになったしょ?
なんとか鏡(水鏡だっけ?)とか読むと・・・普通に引くけど。
101 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:48:09
蘇我氏は、男系で見たら皇族の子孫だろう?
だからこそ、大臣(おおおみ)なんだよ。
大臣は当時は皇別しかなれない。
大連は、天孫(神武以前に分かれた、あるいは神武以前は皇室と対等だった家系
までなれた。
どんなに頑張っても女系にしかなれない藤原としては面白くないわな。
蘇我>>>>>>越えられない壁>藤原であることに変わりはない。
曽我ひとみさんも皇族の子孫なの?
そう言われてみれば、どことなくやんごとなき面影が・・・
104 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:05:58
>>97 馬子なんか、天皇を虐殺してますがそれが何か?
105 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:07:41
>>102 男系も何も、天武以前は兄弟相続がポピュラーだった。
>>101 豪族連合の性格が強かったのが大和朝廷の始まりだとは聞いている。
106 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:42:52
汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる〜
イルカかよ!!(あえて三村風)
108 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 03:45:51
素朴な疑問。長子相続が一般的になったのはは壬申の乱以後のこと。蘇我本宗家が権勢を誇った時代は乱の前、つまり兄弟相続が一般的。なのに、四代親子で相続されている、何故。それと、欠史八代やその時代の皇位継承順位は長子相続です、何故?
欠史だから。
110 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:36:34
正直、記紀の初めの方の皇統は適当に捏造されていると見るべきである。
その適当さが、いい加減さが....もっと真面目に捏造せい!と言いたくなるな。
111 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 23:44:36
蘇我宗家が滅亡したのは、直系相続を続けたため
境部氏や蘇我倉氏、高向氏など同族が「反蘇我連合」側につき、
一族のなかでも孤立を深めたためという見方もある。
112 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:11:21
>>111 え、だからナルちゃんとアッキーが皇室を潰すって話か?
113 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:22:16
きのう法隆寺に行ってきた。法隆寺では聖徳太子ではなく聖徳皇太子とかいて
あった。信仰のなかでは、確実に生きていると感じました。
やっぱり聖徳太子は存在しないのかな・・・
そういえば、そんなに凄い人なのになんで天皇に成らずに
摂政止まりなの?って子供の時から思ってた。
115 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:14:27
>>114 聖徳太子は居なかったかもしれんが、馬厩王子は存在したろう。
彼が残したといふ、書物には「この世は虚仮(ウソ)だ!」との主張が残されている。
摂政なのに、宮からかなり遠い場所に住み、馬子に怯えていたようだ。
つまり、元祖ヒッキーなわけよ。
116 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:27:42
蘇我系の人間だからそんなことはないでしょう。だけど何で離れた
ところに住んでた?法隆寺行くとその広さに驚くし、平城のような
感じの所だけど。
117 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:25:28
>>116 当時の宮は斑鳩だよ、自動車でも少しかかる距離がある。
つまり、窓際であったわけだ。
法隆寺は蘇我系の怨霊を弔うところですよ
119 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:46:26
>>118 法隆寺創建当時はまだ蘇我宗家は健在てか、絶頂期だったです〜。
120 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:06:57
入鹿を殺したのは朝鮮人
121 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:18:56
入鹿は天皇の宮殿を見下ろすところに御殿を立てている。大不敬であり、帝徳を傷つけるものである
122 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:02:57
123 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:08:11
鮮人が入鹿を殺した、胸がはりさけそうだ!
125 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:50:37
蘇我への禅譲があったかもな。
王子や大王が殺されたりするのが、漢や魏の末期の様だ。
蘇我の館とともに燃えた史書も、前王朝の歴史を残すために書かれたかも知れない。
127 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:54:50
コテタンを処理するすれっど 第3部
http://choco.lv3.net/test/read.cgi/saitama/1160392709/5 (↓1024byteちょうど)
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128 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:56:04
コテタンを処理するすれっど 第3部
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129 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:58:17
コテタンを処理するすれっど 第3部
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130 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:59:30
131 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 08:38:19
132 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 02:59:34
NHKの番組の扱いが何故か可哀相に見えた。
133 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 19:00:30
釜田利の私欲の為に滅ぼされた蘇我氏
生き延びていたら、藤原氏以上の存在になっていたのは間違いない
傑物の蝦夷を偲ぶ人々が、蝦夷を聖徳太子像に移し変え、太子信仰を生み出したといわれているね。
135 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 23:35:03
>>133 入鹿と鎌足って凄い頭良かったらしいからなあ。
2人がライバルになってたらおもしろかったかも。
136 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:26:02
ガンダムの世界に例えると
天皇家=ジオン家
蘇我家=ザビ家
天皇家を飾りとして担いでいるが、そのうち天皇家に用がなくなったら
蘇我家が天皇家にとってかわった可能性が高い
馬宿はキリスト教のパクリ。
138 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:50:46
139 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 09:28:39
保守
140 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 20:26:51
馬子、蝦夷、入鹿の母は誰なんだ
141 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:14:51
因果は巡るのであるぞ。
今が、その時であるのだぞ。
蘇我入鹿暗殺は、再び起きようぞ。
142 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 00:09:31
>>140 皇極紀2年の記事からして蝦夷の母親は物部守屋の妹に違いない。
144 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 10:49:18
ああ大君ね
145 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 11:11:05
★古文版ウィキペディアの成立のために同志の協力を仰ぐ★
《古文版ウィキペディア(テスト版)》
http://incubator.wikimedia.org/wiki/Test-wp/jpn-classical 《古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ》
http://meta.wikimedia.org/wiki/Requests_for_new_languages/Wikipedia_Classical_Japanese_2 いまメタウィキで古文版ウィキペディアを作ろうという提案がなされています。
成立には多くの人の賛成意見が必要なので、簡単ですのでぜひご協力ください。
日本語は長い歴史を持つ言葉です。古文版が成立すれば日本語は古典を有する偉大な言語だということを
世界に知らしめることになります。
今の日本語は多くの漢語を交えますが、平安時代には漢語が殆ど使われず、多く和語を用いていました。
これぞまさに大和民族の精髄といえましょう。
日本を愛するなら、この企画にご協力ください。上にあるのは飽くまでテストウィキであって、
提案が承認されなければなくなってしまいます。古文が書けなくとも、
賛成意見を書いていただければよいのです。賛成は多ければ多いほどいいのです。
【簡単】協 力 の 仕 方【短時間】
1、「古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ」(上のリンク)に行く。
2、画面の右上の「Log in / create account」という所をクリックし、メタウィキのアカウントを取得する。
3、ログインし、古文版のArguments in favourという項目に'''Support'''と書き込み、
後ろに理由を書き込む(英語でも日本語でもどちらでも良い)。理由は一言でもよいので必ず書いて下さい。
末尾に必ず--~~~~と書いて署名する。(--~~~~と書けば日付とアカウントが表示される)
■□■その他、宣伝等■□■
1、ブログやウェブサイトなどを持っている人はそこで宣伝して頂ければ嬉しいです。
2、記事を書きたい人はテストウィキに行ってください。
146 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 16:01:25
>>92 入鹿暗殺は中大兄皇子が天皇になるために起こしたクーデター。
中大兄皇子には、蘇我氏を外戚とする古人大兄皇子という長兄があって、
蘇我氏を滅ぼさなければ天皇になれなかった。
山背大兄皇子を殺したのを蘇我氏の横暴の一例にあげたのは、日本書紀の恣意でしょ。
山背大兄皇子が即位していたら、中大兄皇子の父舒明天皇は即位できず、
(山背大兄皇子と大王位を争ったのが中大兄皇子の父舒明天皇)、
中大兄皇子や中臣鎌足は、非常に困ったと思う。
147 :
日本@名無史さん:2007/06/29(金) 03:48:28
ごちゃごちゃ言ったところで山背大兄皇子を殺害したことには変わらん。
148 :
日本@名無史さん:2007/06/29(金) 08:22:58
生かしておけば、山背大兄皇子が
ライバルの舒明を殺しかねなかったがw
149 :
日本@名無史さん:2007/07/06(金) 12:36:23
日本書紀で悪者とされている蘇我一族
"稲"目 "馬"子 "蝦"夷 入"鹿"
中大兄皇子側についた、又は、その他の蘇我一族
石川麻呂 赤兄
昔は人間以外の動物は蔑視されていたので、どう考えてもネーミングに悪意を感じます
150 :
日本@名無史さん:2007/07/06(金) 12:37:27
エビやらイネやら馬やら鹿やら
馬と鹿で馬鹿ですよ馬鹿
ちょっと後の時代ななるが
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂を別部穢麻呂にしたり
和気広虫を別部狭虫にしたのと似ているな
「バカ」が昔から「馬鹿」だったと思っている馬鹿。
153 :
日本@名無史さん:2007/07/06(金) 15:14:42
「馬」が蔑称ならば、馬が住む「厩」が蔑称でないはずがない。
馬子が蔑称であるならば、厩戸皇子を名乗る聖徳太子もまた蔑称。
春日大社で神の使いとまで言われた鹿が、蔑称であるはずがない。
154 :
日本@名無史さん:2007/07/06(金) 15:47:59
日本書紀で正統とされている天武一族
飛"鳥"清御原大宮治天下天皇
"鸕"野皇后 "草"壁皇子 "藤"原宮御宇大行天皇
但"馬"内親王 鈴"鹿"王 "栗"栖王 天璽国押開豊"桜"彦天皇
壬申の乱で天武側についた豪族
大伴連"馬"来田 土師連"馬"手 出雲臣"狛" 置始連"菟" 鴨君"蝦"夷
秦造"熊" 坂上直"熊"毛 小墾田"猪"手 民直小"鮪" 舎人造糠"虫"
昔は人間以外の動物は蔑視されていたので、どう考えてもネーミングに悪意を感じます
>昔は人間以外の動物は蔑視されていた
ソースは?
156 :
実乃丸:2007/07/07(土) 10:15:30
歴史上には残忍な事件がありふれていて
感覚がマヒしているというのに、
蘇我氏が書いたといわれる書物が
失われてしまった痛みは消えません。
どんなことが書かれていたんだろう?
157 :
日本@名無史さん:2007/07/22(日) 10:53:41
飛鳥時代は倭国(日本)の政権が丸ごと外国人達に乗っ取られた革命の時代。
そして新たに建てられた国家が国名を変え、倭国から日本になった。
158 :
日本@名無史さん:2007/07/23(月) 08:35:55
また変なこと言ってる人が居るな。。。
159 :
日本@名無史さん:2007/07/23(月) 09:07:23
バカは、昔から馬鹿。
まあ、昔の皇室は権謀術数に優れていたと言う事だろう。
倫理観や道徳など、現在とは比べ物にならないほど陳腐な扱いだったろうし、
一概に天智天皇は勿論、蘇我氏を非難するのもどうかと。
161 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 20:34:39
祟岐天皇や山背皇子を殺すのは悪いが、
蘇我入鹿や有間皇子を殺すのは良い、
まさに日本書紀は勝利者のための史書ですな。
162 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:22:32
>>161 新羅が、百済や高句麗を侵略して併合するのは良いが、
日本が、朝鮮を交渉で併合するのは悪い、
と言うのと同じようなもの。
163 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:35:22
天皇親政派の蘇我氏が殺されるってのは確かにテロ行為だな。
改革派のリーダーを倒して
豪族の利権を守ります言うて人気を博し
結局、権益を奪う経緯はステキな抗争だよな
164 :
日本@名無史さん:2007/07/27(金) 23:56:10
藤原氏、こわーい
物部守屋の方が可哀想に思う俺は異端か
166 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 22:22:27
イルカって変な名前。
167 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 19:29:32
>>165 せいせい堂々と武力で戦って、物部守屋に勝利した蘇我馬子は
のちの戦国大名同様、あまり悪くはいわれないね
それ以降の粛清事件は暗殺やら騙し討ちやら
後ろめたい殺し方をしているからね
物部守屋は当時右に出るものなしと勇名を馳せていた
これは守屋本人はもちろん、更に屈強な精兵が存在していたからだ。
それを撃滅せしめた蘇我氏は凄い
戦う前に守屋を孤立させる段取りをしていた策略の勝利であって、
蘇我氏の集めた兵が物部より強かったというわけではないが。
まぁ藤原不比等なら戦争なんてせずに智謀だけで追い落とせただろうな。
流血の事態まで行かなければ物部氏に勝てなかった馬子は二流の策士。
170 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 23:03:36
皇極の前夫高向王って入鹿のことだろ。
171 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 23:48:04
172 :
日本@名無史さん:2007/12/24(月) 08:43:30
蘇我氏も百済系、天智も百済系
173 :
日本@名無史さん:2007/12/26(水) 17:35:55
>>169 物部合戦の時には、
厩戸皇子(聖徳太子)や竹田皇子といった
蘇我氏と血縁関係にある最有力の皇位継承者が
蘇我方の武将として出陣していた
これだけを見てもいかに蘇我氏が優勢だったかが分かる
一方、物部方として参戦した皇族はいなかった
物部守屋の妹までが夫の蘇我馬子になびいて
兄貴に味方しなかった
175 :
日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:46:35
物部さんのほうが可哀想じゃない?
176 :
日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:00:57
>>170 日本書紀では高向王は用明天皇の孫ということになっている。
明らかに入鹿ではない。
入鹿さんて本名じゃないんだよね?
林太郎臣だっけ?
林:生母の姓
鞍作:乳母の姓
大郎:長男
>>178 サンクス。
確か藤原氏の『藤氏家伝』の中では、入鹿さんは悪人的な書き方はされておらず、鎌足と双璧を成すくらい秀でた人物と書かれているとか?
鞍作は河内の地名で、物部氏から蘇我氏が奪った土地のひとつ。
入鹿は幼少期にそこで養育されたため、この通称になった。
>>179 悪人度は日本書紀とそう変らんのじゃなかろうか。
並び称されたというよりは、入鹿はスゴイ人、でも鎌足はその上をいくもっとスゴイ人、
という鎌足顕彰に利用されてる感じで。
聖徳太子の一族を抹殺して自分が摂政の座に着いたまでは良かったが
自分が天皇になろうとした時点で命運が尽きたのでしょうね。
184 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 22:50:11
確か入鹿には子供がいたよな?
自らの子女を皇子と呼ばせていたとか
入鹿が死んでその妻と娘は悲しみ菩提を弔ったとか聞いたことがある。
185 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 23:31:34
186 :
日本@名無史さん:2008/03/27(木) 14:37:51
>>184 日本書紀の記述では、蝦夷の子を指したものと考えても辻褄が合う。
日本書紀には入鹿の妻子についての記述は一切ない。
入鹿に妻と娘があったというのは、入鹿の首塚と伝えられる場所のひとつの近くに
入鹿の妻子が移り住んだとされる庵跡があることによるものだが、
場所は三重県松坂市の高見山近く。
高見山と入鹿を討った中大兄皇子、中臣鎌足ゆかりの多武峰と競ったという伝承に由来するともいわれ、
入鹿の首塚と言われる搭もおそらくは鎌倉時代のもの。
現時点で入鹿に妻子があったという確実な伝承はない。
蘇我入鹿さんって可愛いよね
所詮歴史なんて勝者の歴史
入鹿さんかわいそす
189 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 05:30:36
電波本の類いは信じないんだが、必要以上に悪く言われてるって意味では気の毒だと思う
日本書記や藤原氏の家伝に優秀だって書かれてるくらいだから、それなりに優れた政治家ではあったんでしょう
でも藤原氏の方が好き
入鹿の本名は大朗。
葛城の名柄(奈良県御所市名柄)に愛人が居たという
また皇極天皇とも恋仲だったとか
191 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 11:29:09
蘇我倉山田石川麻呂はもっとカワイソ
政治闘争で負けたんだね。
現在の史料からは、本当のことは見えてこない。
皆さんが習った歴史も、最近の教科書ではすいぶん変わっているらしいし。
193 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 04:33:32
>>191石川麻呂も可哀想だが、夫に父親の首を見せびらかされて発狂した石川麻呂の娘はもっと可哀想
194 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 14:31:02
書紀では天智って結構ヤナ奴に書かれてるがワザとかな?
195 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 20:58:20
天智と持統ってなんとなく英国のヘンリー8世とエリザベス1世を思い出す
196 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 21:01:30
書記は弟の天武天皇の命令によって編纂されたから
天智やその息子が嫌なやつに書かれるのは当たり前
そうでないと天武が簒奪王権になってしまう
◆蘇我氏の名前はおかしい!本当の名前じゃ無いだろ。後になって編纂時に付けられた〈仇名〉でしょう。
〈韓に高麗〉〈馬に鹿〉〈蝦夷〉こんな名前付けないよ!親なら絶対に
蘇我は絶対あの世で怒っている!
〜俺の名前が違うぞ…教科書直せ!1500年も〈馬鹿〉にしやがって!〜
あのやり方は卑怯だわ!イルカ可哀想
200 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:51:22
邪馬台国は騒いでも、蘇我の復権には無関心だよな!
201 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:09:52
確かに酷い名前のオンパレードだな。
蘇我氏を滅亡させてからの改ざんだろ。
蘇我氏は朝鮮情勢に詳しかったみたいだから、蝦夷や入鹿が生きていたら白村江の大敗は避けられていたかもしれない。
202 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:12:47
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:08:20
天皇家にも蘇我の血は流れてるよね
しかしこの時代は天皇の名前も
飯炊き女だの(=炊屋媛、推古天皇)
馬番男だの(=厩戸皇子、聖徳太子)
まあ、ひどい名前だ
203 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:21:28
中央集権的な国家は本来、蘇我氏の国家観でしょうね
蘇我入鹿を暗殺した面々はどちらかというと復古的人物でしょう
204 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:38:34
昔は〈大化の改新〉だったが、今は〈乙巳の変〉
後先考えずにクーデターした印象はある。
ころころ都を変えすぎ。
205 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:57:01
>>1 > テロリストに殺された可哀想な人だよね
テロリストって中大兄皇子だろ!
外国の要人の招待会の席だもんな
それでお咎め無しは荻生祖来も怒るわ!
206 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:14:11
聖徳太子や馬子が作った「天皇記」や「国記」も消失してしまうしな。
それの偽書が「古事記」と「日本書紀」か
案外それも目的だったかも。
207 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:27:13
大化の改新の施策は本来蘇我氏の施策だったが、横取りした強盗団がいた。
しかし聖徳太子だけは否定出来なかったんだろ。
後の壬申の乱もそのところから考えると面白い
208 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:35:07
聖徳太子は蘇我馬子の功績を横取りするためのねつ造だよ。
蘇我馬子の飛鳥寺をまねて法隆寺や四天王寺を建てた
仏教かぶれ皇族の厩戸皇子は実在したが特に功績もなく死んでしまった。
この時代皇太子制度は確立していなかったのに推古天皇の皇太子であったというのが
まず出鱈目
皇太子制度がなかったことは山背王と舒明天皇が
推古天皇が没してから初めて帝位を争っているのを見れば明らか
209 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:09:49
継体欽明〜天智天武にかけては制度というものそれ程確かなものじゃ無いだろう
天智なんか天皇をたてなかったしな。
遣隋使の国書には推古の代わりに男の名前でしたためてもいるしな。
210 :
日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:40:53
天智の異母兄古人大兄王は舒明天皇の長子にして母親は蘇我蝦夷の姉妹。
蘇我氏の世が続けば古人大兄王が即位し、
中大兄の即位の日は永久に来ない。
そのためにまず古人大兄王の外戚である蘇我氏を滅ぼし、
その四年後、本命の異母兄古人大兄王を攻め滅ぼした。
中大兄皇子の真の目的は異母兄古人大兄王を殺して自分が即位することにあり
乙巳の変はそのための序章にすぎない。
211 :
日本@名無史さん:2008/07/27(日) 00:35:13
主犯は中大兄皇子じゃ無いだろう。どう考えても!
19才のガキだよ。
212 :
日本@名無史さん:2008/07/27(日) 02:50:59
敏達の後に用明、崇峻、推古ときたのに気兼ねして敏達系の舒明を建てたのが裏と出た訳だ!
王手飛車取りだったのにね。
213 :
日本@名無史さん:2008/07/27(日) 03:11:35
乙巳の変645ておかしくないか、三韓(高句麗、新羅、百済)の儀式なんて!
多分に嘘だろな!
当時、高句麗、新羅、百済はお互い戦争状態だろ。
蘇我の首が飛んだので新羅は百済を安心して滅ぼす事が出来た。660年
214 :
日本@名無史さん:2008/07/27(日) 04:10:02
蘇我氏は永遠にタブー!
欽明朝と蘇我氏の関係も
215 :
日本@名無史さん:2008/07/27(日) 04:15:00
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
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ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ
ニヤ(・∀・)ニヤ(・∀・)
>>208 日本書紀って年代がズレまくってるから
遣隋使が推古天皇の時代かどうかも怪しそうだよな
217 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 00:09:18
>>211 蘇我親子抹殺後すぐに即位した孝徳天皇(皇極天皇弟)が
主犯だったという説があることにはある。
事実なら、変のとき50歳。
策略を練るのに充分すぎる年齢ではあるが、
大臣を暗殺する、しかも失敗したらとんでもないことになる、
それでも冒険できるには年をとりすぎかな。
50歳にもなったら、人間守りに入ってしまう気がする。
むしろ19歳の中大兄なら、失敗したら自殺すればいいと
無謀なこともやりそうだが。
一発逆転で出世してやろうと
そんな血気盛んな若者をそそのかした野心家が中臣鎌足。
218 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:56:39
入鹿の母って誰?
wiki見ても載ってなかったし…
>>212 中臣氏じゃ出世の程度も知れてるしな。
変を起こすのに、皇子は組む相手を色々選べただろう。
鎌足にとっては自分から皇子に近づかなければ、話にならない。
そう考えるとやっぱり熱心に策謀したのは…。
220 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:03:07
>>218 「旧事本紀」によれば、
物部尾興の娘で物部守屋の妹に当たる崇峻天皇妃布都姫は
次に異母兄の贄古と結婚して鎌媛大刀自を産み、
この鎌媛大刀自が蝦夷の妻となり入鹿を産んだという
これが正しければ入鹿の母は物部氏ということになる
「日本書紀」に馬子の妻が物部守屋の妹であり、
蝦夷は庶兄の善徳を超えて嫡子になったこと、
入鹿の祖母が物部氏であったために
入鹿が物部氏の財産を受け継いだことがみえるが
「旧事本紀」が正しければ蝦夷は叔母(母の妹)を妻に迎え
間に入鹿が産まれたことになる
この時代の近親婚並びに
物部氏滅亡後馬子の妻が生き残った妹たちを庇護したであろうことを考えれば
あり得るかも
みんな、どんな文献を読んでるんだ・・・・・・。
>>220 d。
それを基にして血統表を作ってみたら3/8が
物部守屋の父「アカライ(だっけ?)」だった。
ほとんど物部氏じゃんw
223 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 07:30:38
尾興じゃないの
224 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 10:53:15
尾輿だろ
アラカイはまたいとこだよな
汽車を待つ君の横で
クーデター成功!
228 :
日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:48:44
蝦夷、イルカ父子は画期的な国家的改革を進めていたがそれを阻止するために暗殺、自殺に追い込まれました
230 :
日本@名無史さん:2009/03/09(月) 20:27:58
入鹿は半島出兵に反対していたために、出兵派の葛城皇子らに殺された。葛城皇子は百済を救うために、倭国の兵力を半島での戦争に参戦させようとした。
これが結局、白村江での大敗につながった。乙巳の変は、亡国への道を開いたクーデターだった。
白村江での大敗がより大きな集権を必要とし律令制へと発展したんだよ
232 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 13:29:48
蘇我日向は左遷?
子麻呂等。以水送飯。恐而反吐。中臣鎌子連嘖而使励。倉山田麻呂臣恐唱表文将尽、
而子麻呂等不来。流汗沃身。乱声動手。鞍作臣怪而問曰。何故掉戦。山田麻呂対曰。
恐近天皇。不覚流汗。中大兄見子麻呂等畏入鹿威、便旋不進曰。咄嗟。即共子麻呂等、
出其不意。以剣傷割入鹿頭肩。入鹿驚起。子麻呂運手揮剣、傷其一脚。入鹿転就御座、
叩頭曰。当居嗣位、天之子也。臣不知罪。乞垂審察。天皇大驚、詔中大兄曰。不知所作。
有何事耶。中大兄伏地奏曰。鞍作尽滅天宗。将傾日位。豈以天孫代鞍作耶。
天皇即起入於殿中。
234 :
日本@名無史さん:2009/09/04(金) 10:57:25
皇極ってヤリマンのビッチだよな
蘇我入鹿→藤原鎌足
235 :
日本@名無史さん:2009/09/04(金) 20:40:19
百済系だろ
倭人じゃない
236 :
日本@名無史さん:2009/10/23(金) 21:31:36
子供にドルフィンなんて名を付けるのは
日本的な発想じゃないな
ハイカラすぎる
237 :
日本@名無史さん :2009/10/25(日) 05:37:32
蘇我入鹿の無念、怨念が、よみがえったのかな。
民主党躍進、外国人参政権の進展、岡田外相の問題発言という流れを
見ていると、そう思ってしまう。
革命を目指す民主党の過激さは、
革新勢力としての蘇我氏の流れから来ているようにも見える。
渡来人の力を借りて膨張した蘇我氏と、
在日や中国共産党の力を利用して政権を奪取した民主党。
民主党というのは、マルクス主義だけでなく、蘇我氏の怨念を秘めた古さを持っている。
サヨクには、新しい思想だけでなく、古代に切り捨てられた人間や神々の怨念が
入り込んでいるという考え方をロシアのドストエフスキーは「悪霊」で暗示している。
彼はロシアの革命思想は西欧から輸入された無神論だけでなく、
キリスト教国教化の時、捨てられたロシア古来の神々の復活という側面も
あると示している。
238 :
日本@名無史さん:2009/10/27(火) 23:11:25
民主党は、平成の蘇我一門である。
彼らが行うべきスクラップアンドビルドの役割を終えて、
なお分をわきまえぬ様なら、滅びるであろう。
>>232 左遷なわけないだろ。
当時の極東情勢考えたら
筑紫宰を左遷職にしてる余裕ないぞ。
240 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 17:04:57
>>236 現代と同じだろ
珍名付けられると殺される法則
241 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 10:11:16
緑豆が味方は最強
>>36 崇峻帝の御子御孫たちはひそかに藤原(中臣)によってかくまわれ また大臣にもなられました
藤原は天皇家の命の恩人です
>>50 村上天皇が藤原を押さえ妥協して こんにちの血統をつなげた 彼以前は天皇藤原は非武力で熾烈な権力バトル(源氏物語など)
蘇我は大王だろ
蘇我大王
246 :
日本@名無史さん:2010/03/26(金) 19:52:45
ほー
247 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 19:29:33
>>232 たぶんで恩賞
孝徳が死ぬまでラブラブ
ところで天智の嫁、婚姻の日に盗んだ人もこの人?
ちがったっけ??
248 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 21:37:06
>>247 蘇我山田石川麻呂が中大兄皇子とお近づきになるしるしに
長女を後宮に差し出しますと約束した
しかしこれを知った弟の日向が兄の長女を奪った
(婚姻の日ではない)
そこで石川麻呂は次女(遠智娘)を中大兄皇子に差し出した
石川麻呂の娘は他にも姪娘が天智の妃になっている
娘はたくさんいたみたいなので長女だけ奪っても
あまり意味なかっただろうに
249 :
日本@名無史さん:2010/03/31(水) 23:27:23
>>248 父は死んだのに娘は結構生き残ったのね。
妻子とも殉じた、っていうのは男の子だけですかね・・・?
長女を盗んだのは、この結婚によって生まれる蘇我・葛城皇子の新しい力関係を
孝徳が止めたかった可能性もありますね。だからちゃちいれちゃったのではないか、と。
250 :
日本@名無史さん:2010/04/10(土) 17:11:27
251 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 12:44:04
>>250 紀では石川麻呂の長女が盗まれたとあり、少女を中大兄皇子に納れたとある。
日向が連れ去った先が孝徳の宮ならありえるけど。
252 :
日本@名無史さん:
そういや何かの本に、蝦夷の娘も孝徳に入内しているという記述が
あったと思うんだけど、何の本だったか思い出せない。
誰か知りませんか?