江戸時代の庶民の生活

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1日本@名無史さん
真実を今・・・
2日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:25:36
2ゲッツ
3日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:29:45
慶長年間の生活と、慶応年間の生活では、まったく違うんだがw
4日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:09:05
江戸時代自体、100年間越えてるし・・・
5日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:16:58
身障者の将軍を2人も出しながら徳川政権は、身障者保護の政策を打出していません。
例外としては盲人保護政策があり、これは手厚くて、かなり徹底したものでした。
検校制度の公認と奨励がそれです。
検校制度はとても一口に言えないぐらい複雑なものですが、
大まかにいうとすれば盲人たちを検校・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)・市(いち)の4段階に分け、
1番上の検校ともなると社会的に大名の位の待遇を受けたと言います。
外出は立派な駕龍(かご)に乗り、大名と同じ人数のお供が付きました。
位が1段階上るごとに相当な金額を納めなければならないのですが、
そのかわり適当に配当金もあって、相互扶助のシステムになっていました。
6日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:28:14
 ∧_∧
 (`・ェ・´) 呆れるほどの駄スレでレスが少なくても
  0  0  気にしちゃダメ!
  |  |  もう次はないよ!糞スレ立てないで!
  ∪∪
7日本@名無史さん:2006/11/08(水) 03:06:29
町人にとって一番よかったのはいつ頃?
8日本@名無史さん:2006/11/08(水) 06:47:12
後になればなるほど庶民の力はまして行くし、色々と充実してきた。
逆に武士にとっては後になればなるほど困窮していく。
9日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:12:58
>>7

10日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:13:07
確かにw
11日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:56:44
今の町人は税金取られすぎ
12日本@名無史さん:2006/11/17(金) 08:20:42
 んー。
「町人」を広い意味で遣っているな。
 狭い意味では家持町人・地主町人なんだが。
 税金等を払っているのも上記町人だけ。
 混乱を避けるために用語の取り決めをしたほうがいいかもしれん。
 
13日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:00:30
>>7
個人的には文政期じゃないかと
町人ではなく庶民といった方がスレの趣旨に合うと思う

といっても、このまま落ちそうなスレだが・・・
14日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:51:31
いわゆる「町人」=「庶民」の月収ってどれくらいですか?
5年から10年程度の経験値を持つ「建具屋」とか、鳶職人や大工が妻子を養えたのでしょうか?
時代劇などでは全身にタトゥーを施した鳶職人(町火消し)の「若い衆」が出てきますが、全身にタトゥー・・・しかも「和彫り」ともなると相当の金額がかかったと思われます。多分、現在の価格で数百万円。
鳶職人の収入ってそんなに良かったんですか?
15日本@名無史さん:2006/11/17(金) 10:43:14
>>14
その辺の資料の有名どころはたぶん文政年間漫録だな
月給って考え方は当時あまりないと思うが
中級大工の収入は一日5匁4分
月によって仕事日数は違うみたいだが、年間で294日働いて1貫87匁6分
相場次第だが、大体年収が25両弱かな
月収なら平均2両そこそこってことになるだろうか
結構多く見えるが、まぁ文政期は結構インフレしてるしね
当時の米の値段は一石(150kg)で1両2分くらいかな
ちなみに、文政期の裏長屋の家賃は500文程度と聞いたことがある
仕事があれば、それなりに家族を養えるんじゃないか?

彫り物師の相場がどんなもんかは全く知らんが、そんなに高いだろうか
刺青自体当時の高所得者がやるもんじゃない気がするがねぇ
親分しか出来ないっていうモノでもないだろうし
16日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:50:24
だいたいの家は一部屋に大家族が寝起きしていたようだけど
若夫婦の性生活は どうしていたんだろうか?
夜中にこっそり?
それとも、山奥に逝ってやってた?
17日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:12:13
別にどこででもやれるだろw
いちいち布団敷いてやらなきゃならないわけでもないし
18日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:12:36
>>14さん
ガエン者の彫代は、町内や縁のある有力者の間に奉加帳を廻して捻出します
大体道具持ちとして、一人前として認められた位でしょうかね
鳶や消防の他、町内の雑事も引き受けてましたから、衣食住とかその他の心配はなかったんですよ
彫物の費用ですが、職人の1日分の手間賃と同じと云うのが相場です
名刺一枚分位の面積を一坪といって、1日に二つ分位つづ彫りすすんだようですね
人によりますが大体二時間位です
19日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:42:29
>>16
長屋で夜中に隣の女房の声が五月蝿いって話も残ってるし、たいして隠れてやるって感覚も無いんじゃなかろうか
昔の炭鉱町とかだと、昼に帰ってきた旦那がドア開けたままやってたとかいう話はあるし
結構近代まで日本は下層レベルではそんな感覚だと思うよ
20日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:47:08
肉体労働者はただでも宵越えの金は持たないって言ったしな
21日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:54:23
九州の炭鉱だと奄美方面の出身者が多いだろうけど、南方系のおおらかな習俗かね?
22日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:53:30
北海道の炭鉱でも似たようなのは聞いたことがある
無論夏場のことだが
23日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:54:54
ちなみに江戸には引き手茶屋?とかそんな名前のラブホもあるぜ
24日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:07:15
 思いつきで書き込むが。
 ある人物を想定する。
 江戸市中、貧乏長屋に住んでいる独り者の若い男。
 仕事は居職ではなく出職とする。
 この者の日常的な食事はどうだったんだろうな。
 化政期になると外食産業は大発展するが、それまでは食事はどうだったんだろう。
 お茶一杯いれるにも火からおこさないといけない。飯を炊くのも時間がかかる。
 すごくめんどうだと思う。
 もしおれだったら、飲むのは水、飯は近所のおかみさんに頼んでいくばくか払ってわけてもらうかもしれない。
 どうだったんだろうな。
25日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:14:46
江戸っ子は、一日百文で食えるだけの米を買って食ってたらしいな。
26日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:38:18
>>23
出会い茶屋のことだろう。
今のラブホのようなものだったらしいが、それを描いた浮世絵まで残っているからな。
27日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:41:11
>>24
屋台が江戸などの町のいたるところに登場したからね。
当時の屋台の登場は大阪万博以降のファミレスやファーストフードの登場に似ているところがある。
28squid-e-5.ipse.media.kyoto-u.ac.jp ◆iYpWoaA4h2 :2006/12/25(月) 15:34:09
庶民というより独身者が多かったことが要因。
男女比率が偏っているとか住環境が最低で育児放棄も多かった。
実際に捨て子も多くて綱吉などは取り締まるように指示していた。

29日本@名無史さん:2006/12/25(月) 18:21:04
>>28
江戸の町人の話なのか普通の村の話なのかくわしくお聞きしたいです
30日本@名無史さん:2006/12/25(月) 18:51:30
江戸だろ
31 ◆iYpWoaA4h2 :2006/12/25(月) 20:25:06
江戸は単身赴任者がとにかく多かったのです。各藩の屋敷も国元から家臣だけでなく陪臣
もいっぱい来ています。機密保持とかもあるんだろうけど必ずしも江戸出身者を雇用したわけでは
なかったので武士人数の数倍そんな感じの人たちがいます。

また労働者移入も建築労働者の不足から近隣からの流入しますが
(技術者はもっと不足していたので熟練工とかは、かなり売り手市場だったとか)
基本的に男性労働者です。女性の社会進出(就職先がない)というか移動(流入)は
男性ほど大きくなかったのでかなり男女比率が偏ってきます。

商家でも奉公人も男性社会です。商業規模が大きくなって従業員数も増えるのですが
家族を持てるような境遇じゃなかったり長屋住まいだったりでちっとも改善しません。
早婚化と晩婚化の二極化がかなりひどかったそうですよ。早めに結婚して
おかないと競争率が高くなると言う面も。現在のお見合いは大正期に写真が庶民にも
普及した時代に様式が固まったようですが、本来は仲人がかなり積極的に働きかけて
どうこうするものでした。茶店や芝居小屋を舞台に江戸・大坂では庶民の間にお見合いが
流行しています(それ以前は上流社会のみ)。仲人には両家から手数料(実際は名目が違いますが)
入るのでビジネスとして大きかったのが理由です。これには芝居興行主とかも係わっているのですが
門前の茶店や茶房も同じで良縁とかを売りにする寺院もかなりありました。
32日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:35:32
    (⌒∨⌒)/::"\
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 ( ̄>::( ゚∀゚)<(⌒\:::::::/⌒)
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 <(__>::( ゚∀゚)::<__し//J\::::::/⌒;☆☆^
 |ヽ(_/::::::::\_)(_>::( ゚∀゚).つ|/` <メリー! 江戸時代って休日あんの?
 | ヽ. (_∧_) // (_(ノ:::::::\_)
  |  \し|.|J  ////(_∧_)
  l   `.:7 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ し"J
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  ヾニニ=/./☆\=ニン
   / / /|  |ヽ \
   (__ ̄l/__U"U V`
33日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:36:15
>>31
くわしくありがとうございました
34日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:38:04
勉強になるなあ
35日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:38:09
京からの呉服屋の江戸出店なんかも、京からの単身赴任者が多かったらしい。
今も昔もかわんねえなあ
36日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:19:30
 男女の比率で思い出したが、ずっと前に読んだなにかに書いてあった。(出典忘却。失礼)
 江戸では冬のほうが女が少ない、という調査結果があったそうだ。
 その記述では、理由として、江戸の火事が挙げられていた。
 江戸では大火がたびたび起こるが、時期的に冬が多く、そのため季節によって江戸の男女比が違ったのではないか。
 という説が述べられてあった。
 近郊から江戸へ働きに出ている女は、冬場は実家に戻ることがあったとか。
 どうしてもいざというときは、女のほうが危険を脱するのが男より難しいからだろう。
 おれは詳しくないのでこれについては判断できないが、確かに火事にあって焼け死ぬことを考えれば、そうかもなとも思う。
 出典忘却ゆえ、読み流してくれ。
37日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:21:56
36補足。
「女が少ない」というのは「それ以外の季節にくらべて女の比率がさらに低くなった」の意。
38日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:19:14
今の様な握りすしは、江戸時代文化文政のころできたもので、それまでは押しずしでした。
文化の頃で深川の松のすしができて、名を轟かせていますが、押しずしでした。

文政年間のはじめに、江戸本所元町の与兵衛と言うひとが、それまでの早すし、
(酢を混ぜた飯の上に魚をのせたものを、小型の桶にいれて一晩ほど圧して
つくったものでした。

清水と静岡の間に国吉田と言うところがありますが、そこの桶ずしは梅酢を使って
いましたので長持ちし、有名でしたが昭和の初めになくなってしまいました。)
その早すしを改良して、山葵をはさみ(それまでは梅酢につけた生姜です)、海老や
こはだを主とする握りすしをはじめました。
39日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:11:13
旨そうだなあ
40日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:09:39
鮒とかコハダとか今と嗜好が違うんだな
41日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:06:01
限られた種類しか魚がなかったんでしょう
42日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:21:05
赤身の肉は食べる風習がなかったよ。鮭ぐらい?
43日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:56:59
それって近海でしか漁をしなかったから?
でも鯨は赤肉だよね
44日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:52:32
             /\_,,  -―――--  _
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         \   _ノヽ〕斗- ―――‐\       \
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            | /_ノl   斗-ハl l/リ/ハ`刈  l |
            〃 /  ハ i|八 ィfテト  イr'ハトj イ /
            /  /ハ从ハハ い}    ゞ-'〃/l/
              / /l  トi i}込 " '。 "//斗  は、はわわ、ご主人様、鯨は魚じゃないですよ
           /  |  !.N f´ _`≧ェイ「ニニ人___
           〆    , /   /  て)(_) `ヽ   \
45日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:46:08
        ( ^ω^)
        ( つ¶つ¶
      (⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
        (,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,ノ
         .;ヽ, <,、  ドガッ!
          、ノ (、
         ,;,) ('、'
      ;.、人,ノ  <,人,ノ',.;バリバリバリ
      ;.,,)       (,;
     :、) \(;^ω^)/ うわ、そうだった
46日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:46:37
よく考えると血みたいに真っ赤な食べ物って怖いよな・・・。
葡萄酒飲む外国人が悪鬼扱いされたのもうなずける。
47日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:17:04
>>40
コハダの握り食ったことないの?
旨いよ
48日本@名無史さん:2007/01/09(火) 09:57:25
石高について調べてみたけど今の貨幣価値でいくらかなど書いていたが、
どうも納得がいかない。 というのは江戸時代貨幣が存在していたとしても
今ほど流通してたわけではなく変わりに米を貨幣代わりに使っていた訳で、
物々交換など。今のように全て貨幣で決済してた訳ではない。

よって相対価値としてみるのが一番かと思う。例えば、大名家は今で言う企業
に一番近い存在なので、今の国家予算が80兆近くで、トヨタが売上高20兆
近く。要するに4分の一 で当時の総石高が2000万石 幕府が400万石
だったとして5分の一 今のお金にすると16兆くらいになる。
なので100万石の前田家は今で云う、4兆円くらいの企業の長ということになり
一万石の大名で売上げ400億の企業の長と同じくらいの力があったんでは
ないだろうか。
そう計算すると当時の凄さが伝わってくるし納得がいくのだが。
49日本@名無史さん:2007/01/09(火) 11:12:14
1万石で大体1億くらい。これ以上が大名って言われるよ。

1石っで一万だな。わりと上級な300石級でも年収300万だから
それほど裕福なわけではない。

50日本@名無史さん:2007/01/09(火) 11:39:54
>>44日本人って鯨が魚じゃないと気がついたのは何時からなのでしょうか?
51日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:31:41
獣肉禁止は四つ足じゃなきゃよかったみたいだよ。
52日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:04:45
>>49

おいおい それが間違ってるということ。 上級武士300石で年収300万
って今の庶民の給料。一石で庶民で一年食べれる米の量。といっても米は
食べるだけではなく他のものと交換できる今の貨幣価値と近いものがあって
必ずしも今の米の価値とは違う。なので300石は今の9億から12億の価値は
あるよ。
それに石高は今の企業の売上げと同じなので、そこから家来の食事、軍備とか
諸経費が引かれるので長の手取りはもっと少なくなる。
53日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:06:58
いくらなんでも水増ししすぎだ・・・
54日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:23:43
俸禄は藩が借り入れるということで半分は借金だったそうだが。会津とかは60%藩に取り上げられる。
55日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:21:51
そんなことないよ 当時の武士階級は全体の7パーセントくらい。しかも
上級武士なんてほんの数パーセント。
大名家なんて庶民からすれば雲の上の存在だからそれぐらいの方が現実的。
それに大大名なんて参勤交代など出費が多くて大変だったし経費が思っている
以上に掛かってる。なのでもし1万石の大名が現代でその当時の人数分の家来
を抱えて維持しようと思えば400億くらいないとやっていけないと思う。
56日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:04:33
一石は約140s。10sの米が4,000円として年収5万6千円。
1万石なら単純に1万倍で5億6千万。

もっと買いたたかれるような気もするが。そんなところだな。

一万石の常備兵数は、200名。+馬上14騎、鉄砲20挺、弓10張、槍50本、旗3本
なので雑兵10石、弓・槍を20石・旗・鉄砲・を30石、馬を40石と換算すると

2000+560 +600 +200 +1000 +90 と換算で4450石が常備兵数。
収入の約半分は俸禄だな。
57日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:10:57
>>56
で、300石なら10億円ぐらいなの?
58日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:58:35
一万石の常備兵 200名の生活(現在の生活費)と武器弾薬(現在の車や家)
を維持する為には、現在の貨幣価値で5億6千万では、到底無理な数字。
現在の価値ということを考えないと意味がない。
それに米は今の米の価値とは同じではない(貨幣価値がある)という発想でないと間違えるよ。
こういうことはマクロ経済で判断して細かなズレはミクロ経済で埋める作業をし
ないと正確な今の価値として算出できない。
59日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:10:08
それから年収5万6千だと日本で生活できますか?
60日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:43:24
明治には1両=1円だったんだろ?
5万6千両ってえらいお大尽じゃんか
61日本@名無史さん:2007/01/10(水) 11:12:20
5万6千円と書いてますよ。
62日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:18:23
米が4000円って高すぎだろう。江戸期の価値は、2000円くらいじゃないか?
63日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:03:39
>>24
火って起こすの面倒だから
一旦つけると種火を長時間保持するようにしてた
火事が多発する要因のひとつだった。
64日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:07:30
>38
握り寿司って文政時代ぐらいのものだから
日本の食文化史のなかでの
カレーライスと50年ぐらいしか差がないんだよな。

握り寿司とカレーって伝統の度合いって同じようなレベルと
いってもいい。
65日本@名無史さん :2007/01/11(木) 21:58:20
やっぱ歳とって一人前に働けなくなったら、野垂れ死にするしかなかった?
66日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:19:27
歳をとる前に死ぬ。平均年齢四十才くらいの時代だから。
67日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:36:37
>>65
世話してくれる子供がいるんじゃね
おとっつぁん、おかゆができたわよ
68日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:38:10
>>66
平均寿命が低いのは
現代よりも乳幼児期に死ぬケースが多くて
その寄与が大だから。
無事成人したら老齢まで生きる人が大半ではないかな。
69日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:53:07
疫病とかもある。ばたばた死んでいったそうだよ
医療体制や栄養状態も悪いしね
70日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:41:12
江戸時代になると宗門改帳を頼りに町村単位の平均余命を知ることが出来る
これによると1600年頃の寿命はよくてもせいぜい30才程度であった。
ちなみに記入されていない乳幼児の死亡は入れていない。

ただ平和な時代では
寛文11(1671)年から享保10(1725)年のそれは男36.8才、女29.0才
享保11(1726)年から安永4(1775)年になると、男42.7才、女44.0才
ぐらいになっているので平時の寿命はそんなものなのだろう。

医療技術が進歩していない状況では
四十才ぐらいが限度だったようだ。
人生五十年というのは長生きした現在の八十ぐらいに相当すると
考えていいだろう。

最大の疫病天然痘やこのほかにも腸チフス、マラリア、赤痢などの流行病が
あるので体力のない人間は生き残れない。
71日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:59:12
平安時代末期とか京の町は死体だらけだったそうなので、それに比べればましであろう
72日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:04:22
江戸時代は埋葬
平安時代は遺棄
73日本@名無史さん:2007/01/12(金) 02:29:37
でも坊さんが額に梵字書いたり卒塔婆を立ててくれるよ。
74日本@名無史さん:2007/01/13(土) 04:11:02
平均が40って老人とかいないじゃん。
75日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:06:52
栄養状態が悪いから老けるのも早いんだよ
76日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:52:36
>>74
80才 1
20才 2人
の平均は40になる。
早く死ぬ人間が多い分平均寿命はさがるが年寄は普通にいる。
比率は今よりすくないだろうけど。
77日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:53:08
江戸期の記録を見ると80とかはさすがに珍しいようで顕彰されたりしてる。

平均40と言っても現在の60くらいの感じなのだろう。
隠居とか40代の話が多いから今で言う定年だな。元服が10代なので
当主が20代というのはそう不自然でもない。
78日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:18:27
>>70
子供の死亡率
>>73
卒塔婆は身分の高い大人。
79日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:45:13
>宗門帳なので死亡年齢のみ。乳幼児や元服前の児童については書かない。
>庶民に卒塔婆を立てることで功徳という話となる。死体ごとに立てて
回収した数が万に達したって平安時代の飢饉の記述である。
80日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:53:23
平安時代に卒塔婆を立てることが成仏の方法として考案された。別物だが施餓鬼の一種。
どちらかというと中国の有徳講に近い。地蔵尊や仏像を数多く作成する百万佛と同じ発想だが
それよりかは簡易な方法。多くの衆を仏法に導くことで功を積むことになる。

寛正飢饉(1406)では、平安期と同じように卒塔婆を遺棄死体に置いていった話が伝わっている。
「洛北の一僧が木片の卒塔婆84,000をつくり、死骸 に一つ一つ置いていったところ二ヶ月で残り2,000になった」
81日本@名無史さん:2007/01/14(日) 00:11:01
宗門改帳は幼児も記載する
82日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:41:51
宗門改帳は、基本的に門徒の移動なので宗教行事をできる部分と婚姻(宗門の移動)からの部分的にしか分からない。
成人の死亡年齢は期日が記入されるので分かるが乳幼児〜児童に関しては曖昧な点が多い。平均寿命を
割り出すときは分かっている部分から解読して割り出すのでほとんど乳幼児に関しては除外している。
葬儀をして戒名をつけるような階層では当然記入されるが、地方によって差異があり一家構成だけの宗門開帳や
財産まで詳細に記載されているものも存在する。基本的に宗教的意図によって作成されたので寺院の都合と
いうことなのだろう。一般に解読や調査対象として幕府直轄領や保存状況の良い信州諸寺の資料が使われる
事が多い。形式的には領主と請負の名主・寺院で二部作られるはずだが寺院が直接請け合っていない場合は
保存されていないケースが多く、本来はすべて記入されているはずだが寺院側のみだと葬礼に関する記述のみ
保存されているということが発生する。厳密には宗門記述から消えた年代で特定できるが資料欠損などで
解読が困難な場合もある。

つまり成人していない場合は、一家の宗門から消えるだけで死亡に関しても詳しくは
書かれないことも多い。おそらく葬儀を行ったかどうかの差異だと思われるが端的な例では成人以前の幼児期死亡率
が高い時代は乳幼児の葬礼に関して寺院を必ずしも通していない。寺院ではなく民間信仰である
地蔵尊(六道を迷わぬという菩薩信仰。寺院は通常如来)での供養や葬礼的には戒名ではなく合葬される。
もっとも地域差があるので一概には言えないが、寺院支配、依存の強い場合や浄土真宗などの旦那寺と門徒と
との距離が近いところは一般にそうではない場合も多い。本来の力点が人口動勢の確認ではなく成人の宗門移動に
関してのチェックであることが理由である(もともとキリシタンへの改宗防止の監視のため)。
83日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:55:51
   _iヽv、
  /_ \
 ノ.ノ  `ヽ ヽ
 ヽ| l  l イ),ゝ
  ヽ、- ノ 
   /▽´ ))
   /  | |
  ヽ、_б
    | | .|
    (_(___|

   _iヽv、
  /_ \
 ノ.ノ  `ヽ ヽ
 ヽ|ー ー イ),へ
  ,<>っ /ヽ/
  〈_〈 ▽´ /
   /   〈
  ヽ、   .〉
    |丁|´
    (_(ノ 
84日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:58:20
『神奈川県史』近世史料編の宗門改帳、60代70代も珍しくない。
85日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:02:05
神奈川県民は長生きなのだな。よいことだ。
86日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:06:57
神奈川は気候がいいから100才以上でも平気だよ。
伊豆とか温泉があるでしょ。北条早雲も享年88
87日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:08:09
>86
百才超えてねえぞ
88日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:15:57
>>86
早雲の年齢は、江戸時代になって作られた家系図からの逆算なんで間違ってるって説もあるよ。
80才以上になってからも合戦してるとか無理あるし。
89日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:17:12
気にすんな
90日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:19:01
まあ、そうだね。(笑)
91日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:23:12
もっとシンプルに墓碑で考えると、50〜60代が多そうな印象がある。江戸後期に限定されちゃうけど。
90代後半の長生き爺さん婆さん『新編武蔵風土記稿』

>>86
湯河原までw
>>88
あるね
92日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:36:54
数えだし多少多めに申告しても問題ないよ。
暦とか閏月が2月あったりするしw
93日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:40:09
100年以上と言えば

武内宿禰は、12代景行天皇から16代仁徳天皇まで5代の天皇に仕えた
わけだけど(神功皇后を入れると6代)。
たとえば、35代皇極天皇(642年即位)から40代天武天皇(673年即位)まで6代の
天皇に仕えたとしても、30数年程度。これなら6代の天皇に仕えることも有り
うる。

5代の天皇の在位期間を長くしたために、武内宿禰の寿命も長くせざるを
得なかったということも考えられる。

というわけで、景行天皇から仁徳天皇までの在位期間は、けっこう短かったと
考えることも出来る。日本書紀の寿命自体はありえないから、天皇の在位期間が
短かったか、あるいは武内宿禰は一人ではなかったかのどちらかかな。
94日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:58:16
100年以上は無理あるだろ
95日本@名無史さん:2007/01/14(日) 15:55:01
>>56
1万石の大名ってのは、四公六民だと4千石が見入りだから、
もっと厳しいよ。
96日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:00:48
         | ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|
         l、__;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
        ,'三ニ' ̄`¨` ''ー-'-一'' "¨゙´ ̄三三{
        l三ミ   ∠三)   (三ヽ   ィ三三!
        l三シ′  . :: .     . :: .   ヾ三三}
        i^l三   _,-‐-、     , -- 、  'ミ三ム
       ','l三   ,ィ'でoゝ、:  :. ,ィ'でoュ、  '三/i ',
        Yヾ'   ミ三テ' /  ', ヾ三彡'   l::/ il ,!
          l ',;i      .:   :.       l:lソノ/
        丶イ     ,ィ    ヽ        l:l /
         li,      / `^'ー'^'丶     l:し'
          ',       し        jノ
            ヽ    ,r===、       ハ、
             ヽ   K!::::::::l,}     ,ィ' リ ト、
           ,小、' , l:.L::::ノノ  ,. ' ,/ l/ /:.ヽ
         , -/ ll ヽ',ヽ'二'ン ,:' ,// /:.:.:.:.ヽ- 、、
       _,/イ:.:.:ヽ 丶.,__,,. ノ /  ,/:.:.:.:.:.:.:.:.ノ l
  ,,. -‐ ''"´{、 ヾ、:.:.:.:丶、     /  /:.:.:.:.:., - '" /` 丶、
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97日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:02:33
>>95
常備兵力を馬鹿正直に揃えればスデに赤字か・・・
実際は、俸禄を与えた家臣が用意する兵力分もあるんで4450石がコスト
そのものではないはずだが。どっちにしても苦しい財政だな。
98日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:15:40
一万石にそれほど期待されても困る
99日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:01:15
オナニーはどのようにしてたのかな?
100日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:10:28
してなかったんじゃないかな
101日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:12:34
してたろ。男の同性愛者が多かったのは事実。性欲もそれなりに……
102日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:07:30
手淫船ってのがあったくらいだしな
103日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:16:24
あるあ・・・
ねーよwwwwwwww
104日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:45:07
長生きできねぇ
純潔信仰があったのは養生で長生きできると
考えられたからだ
105日本@名無史さん:2007/01/16(火) 18:29:09
まあ仏門とかはそうだな。で長生きしたヤツが一族の為に沙門と。
106日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:28:53
人減らしだろ
107日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:37:41
いや当主のスペア。当主が不慮の死とかなった場合に還俗して家を継ぐ。
108日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:36:19
スペアは普通にそのまま部屋住みじゃね
109日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:55:59
当主が元気でそのままだったとき困りそうじゃん
110日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:09:14
部屋住みが普通。還俗はタブーだからめったにやらない
111日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:10:03
普通にやってるよ。家を存続させるの優先だから。
出家が本当に家との縁を絶つことだったのは平安以前。
江戸期は檀家と表裏一体でぶっちゃけ生臭い。
112日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:20:00
うちは当主の弟のうち出家したのが2人、部屋住みが1人
当主が死んで部屋住みが継いだけどそれも亡くなって
傍系から養子取ったけどなあ
113日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:34:28
寺での地位も偉くなるからなぁ。
114日本@名無史さん:2007/02/24(土) 03:17:32
暗黒時代のイメージは改善されたのかな?
115日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:32:47
一部では改善されてると思うけど、まだまだ以前のイメージを引きずってて、「暗黒時代」の結論ありきで語ってる人は多い。
116日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:47:32
銭湯の混浴禁止は、混浴が禁止じゃなく、風呂屋の二階での売春行為が禁止らしい。
117日本@名無史さん:2007/02/24(土) 22:44:37
少し前の話題になるけど、江戸時代の人口動態。

鬼頭宏の「人口から見た日本の歴史」で、今、記憶している内容だけを紹介すると、
確か、生まれた子供の3,4割が5歳までに死に、
成人するまでにさらに1,2割が死んでしまうような社会。

子供が死ぬことが、ごくごく日常的に起こっている社会であり、
生まれた子供の半分が、結婚前に死んでしまう。

ということは、合計特殊出生率が4.0で、初めて人口維持が可能となる。
(2005年のこの数値が1.26であることは周知の事実)
子供のできない夫婦も1,2割りは居ただろうから、
子供を産み育てられる家の主婦が6,7人は、生まないと、社会の人口が減少する。

我が家や親戚に、「子供が生まれた」といっては喜び、「子供が死んだ」といっては悲しむ
非常に喜怒哀楽に富んだ社会だったと推測してしまう。
118日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:48:18
七五三は 昔の子供は死亡率が高かったから
3歳や五歳や7歳まで成長した事を祝う行事だった って親に言われたけど
119日本@名無史さん:2007/02/25(日) 00:02:03
大正12年だったかな。幼児死亡率127/1000人。
2004年 6/1000人。
120日本@名無史さん:2007/03/06(火) 14:45:23
age
121日本@名無史さん:2007/03/06(火) 16:44:57
暗黒時代って…
歴史の究明の為の資料という光りがあたらない 時代の事を言うって歴史の先生に習ったけど
別に庶民が貧しくても暗黒時代とは言わないって
122日本@名無史さん:2007/03/06(火) 18:09:04
暗黒時代とか言うのは現代の価値観を当てはめているから
そう見えるだけ。
現代と比べて、やれ貧困だの教育水準が低いだの人権が無いだの
身分で縛られて自由が無いだの男尊女卑だの、
結局は現代をものさしにして言っているだけで、さして意味は無い。
123日本@名無史さん:2007/03/07(水) 18:30:10
農民達はどんな食事をしていたんでしょうか。
124日本@名無史さん:2007/03/07(水) 19:34:35
粟、稗、襖まじりの玄米かな
あと野菜と魚か。山間の村だとはちのこなんかも食べたのか
125日本@名無史さん:2007/03/08(木) 09:46:55
地方によって色々だったんじゃないかな
126日本@名無史さん:2007/03/08(木) 10:19:30
一口に農民といってもピンからキリまであるしねぇ・・・
127日本@名無史さん:2007/03/08(木) 10:22:39
ま普通に米なんだが。
128日本@名無史さん:2007/03/08(木) 10:23:31
米しか作ってないからな。大根飯も米と大根だよ。
129日本@名無史さん:2007/03/08(木) 12:45:35
米は換金作物だから百姓は食ってないよ。
百姓が食ってたのは粟とか稗とかの雑穀だけど、
藩が金儲けのために換金作物である米の栽培を強制したおかげで、
東北を中心として餓死や娘の身売りが続発していた。
130日本@名無史さん:2007/03/08(木) 13:05:39
農民はお米食べてないね。雑穀だ
131日本@名無史さん:2007/03/08(木) 14:51:59
町人もお米食べてなかったのかな
132日本@名無史さん:2007/03/08(木) 15:16:48
http://www.library.tohoku.ac.jp/main/exhibit/sp/2005/e-tenji/list4/shomin01.html

これを見ると仙台藩の農民は正月だけ米を食べれたようですね。
あまった米をあつめておいて正月に皆で分け合うと。
藩も正月ぐらいは・・ということでおとがめなしだったのでしょう。
133日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:07:00
× 正月だけ米を
○ 正月だけ白米だけのご飯を

後、煙草等の百姓にとっての本物(笑)の換金作物作らないで、ちゃんと米作れってお触れもあるんで(例によって、あんまし守られなかったようだが)全国一概には言えないんだと思う。
134日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:09:47
煙草が本物の換金作物だったのかw
135日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:23:37
基本、米は年貢
煙草等等等は百姓自ら売る

後、喫煙の普及率は中々侮れないよ
136日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:29:45
農民が米食べられなかったとか言うけどさ。
(商品作物作ったり、米を倹約して金に換えたりしたのもあるけど)
収穫した米は輸出したわけではないから、全て国内消費したわけでしょ。
どんな金持ちだって一日に丼飯20杯も食えないのに、米はどこにいったのか不思議だ。
そんなに収穫量が少なかったのか。
137日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:32:25
京や大坂や江戸の町方で消費してたのかな
138日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:39:13
そもそも、十公ゼロ民の地域があった・・って話も聞いた事が無い
139日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:44:36
>>137
飢饉の年でも江戸には米がたくさんあったというからね。
140日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:49:52
当時江戸の人口は世界一だったっけ
巨大な胃袋があったわけか
141日本@名無史さん:2007/03/08(木) 19:47:32
>>136
江戸時代の米の生産性はもの凄く悪いよ。
現代の大生産地なんて、とてもじゃないが稲作なんてできる環境になかった。
広大な平野は湿地だし、耐寒品種なんてものもないから
寒冷な東北じゃほとんど作れない。
その証拠に、明治に入って人の移動が自由になったとたん
東北各県から一斉にかつて藩に押し込められていた食い詰め農民が流出したし、
明治政府はちゃんと米が作れるよう排水のための事業を急ピッチで行った。
142日本@名無史さん:2007/03/08(木) 20:23:23
江戸時代において飢饉がおきた時、幕府はなにか対応したんでしょうか。
なんかほったらかしのイメージがありますが。
143日本@名無史さん:2007/03/08(木) 20:54:01
>>142
幕府管轄の天領で飢饉が起きたときは、お救い小屋とか出している。
他藩の飢饉はそれぞれの藩がやることだ。
144日本@名無史さん:2007/03/08(木) 20:54:16
>>142
言われてみれば、天領でどれくらい飢饉があったのかの視点が事なかった。

江戸では、米価調整したらしいけど。
145日本@名無史さん:2007/03/08(木) 20:56:01
原田信男だっけ?
日本人を米食民族ではなく、米食悲願民族だとか言ってたの。
146日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:02:59
あぁ、そのイメージ引きずってるのか。。
147日本@名無史さん:2007/03/09(金) 02:08:21
ほとんどは米しか作ってないので普通にお米を食べてました。保存食も餅です。
信州などの山間部や亜寒帯の一部など米作に不適当な地区を除けば容易に
作付けできる稲作オンリーです。

江戸期に蕎麦や麦などの二毛作が一般的になったので混同されやすいのですが
基本的に日本人は米と野菜が主食です。米メインなので味付けに塩をふんだんに
消費します。味噌と漬け物ですね。食事の最低単位でも一汁一菜です。

戦国期に塩を断たれた武田が苦労した話は有名です。
こういう食生活なので塩を産する地区が異様に富が集中します。
俗に言う十州塩ですね。

148日本@名無史さん:2007/03/09(金) 02:17:45
お米食べてた派の人はソースを提示してくれ
149日本@名無史さん:2007/03/09(金) 03:16:55
一つの手がかりとなる重要なデータは、
昭和10年代に、その当時から3,40年前の食生活を
聞き取り調査した柳田国男の全国食習調査でしょう。
全国50箇所の農村で調査が行われましたが、米を常食としている村は皆無です。

日本の食文化 : 昭和初期・全国食事習俗の記録 岩崎美術出版
150日本@名無史さん:2007/03/09(金) 09:53:55
ソースも何も、五公五民の五民の米は、どこに消えたんだ??
100%精米された白米食べていなかったなら、まだ話は解るが、全然米食べていなかったなんて無理があり過ぎるよ
151日本@名無史さん:2007/03/09(金) 13:08:59
つまり提示できないってことか
152日本@名無史さん:2007/03/09(金) 15:34:39
>>149
この本読んでないけど、昭和10年代の50箇所の農村をサンプルにして江戸時代の農村の生活を
どこまで類推できるのかな。
明治に入って農家経営は劇的に変化したと思うし、昭和になって繭の価格が大暴落して
農村は全国的に疲弊してたんじゃね?

「農村」って地域差がものすごく大きくて、単純に均したりできないように思う。
江戸近郊の農村と東北の寒村を一緒にできないし。
それに、「常食」「主食」という言葉を安易に使いすぎるような気がする。

講談社版の日本の歴史(17)で吉田伸之は「江戸繁昌記」の

『金のない奴は皆焼き芋を食う。いいとこの奥さんも下女に芋を買いに行かせる。おれも米買う金の
無いときは芋を食う。』
という記述を根拠にして、

焼き芋は江戸庶民の主食だったと書いてるよ。どうかと思うなぁ。
153日本@名無史さん:2007/03/09(金) 16:04:17
つまり[農村]も[庶民]も幅や地域差が広すぎるんだな
154日本@名無史さん:2007/03/09(金) 16:16:19
>>153
そりゃそうだろ。[普通]に考えれば。
ところで、[ ]←これ何?
155日本@名無史さん:2007/03/09(金) 16:28:55
くくり
156日本@名無史さん:2007/03/09(金) 16:29:48
>>149
典型的なサンプリングエラー。人口が爆発的に増え、ある意味農村がもっとも貧しかった時代を
ベースにするとそうなる。食えなかったから軍靴の響きの時代へと。
157日本@名無史さん:2007/03/09(金) 17:12:41
定義が広すぎるならどの地方、庶民のどの層でどの時代か書けばいいんジャマイカ
158日本@名無史さん:2007/03/09(金) 17:30:57
軍隊に行くとお米の飯が食べられるんだよねぇ・・・
159日本@名無史さん:2007/03/09(金) 18:54:04
今みたいに 新幹線も飛行機も無いんだぞ
地域差はデカいだろ
幕藩体制で領主の政策運営によっても左右されるかも知れんけど
160日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:11:40
食生活の話題が続いているが、他の面はどうなのだろう。
衣生活や住生活は?

娯楽では、村祭りを始めとして農村歌舞伎や地芝居が今でも各地に残っているし、
伊勢参りや奥州参りの旅の庶民化は19世紀になってめざましく発達した。

また、江戸時代の年号が刻まれている石仏石塔が多数残っているが、
庶民の宗教生活はどうだったのだろう。
161日本@名無史さん:2007/03/09(金) 21:59:16
○公○民といっても、その年の収穫高で換算した藩と豊作不作にかかわらず
検地石高で徴収していた藩もある。
江戸周辺には各藩の領地があったが、裕福な見栄っ張り藩はのなかには
江戸周辺の領地だけ租税なしなんて藩もあった。
162日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:31:10
正月になりゃご馳走、節分にご馳走、ひな祭りにもご馳走、盆や彼岸にもご馳走、その他ご近所で冠婚葬祭があればご馳走・・。

昔の百姓はなんだかんだと理由をつけてしょっちゅうご馳走食っていたんだったりして。今でも田舎に行けば行くほど結婚式や葬式が派手だし。
163日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:34:07
日本の歴史は飢えとの戦いの歴史だよ
飽食になったのは本当につい最近の事だ
164日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:34:20
ん?節分にごちそうって・・豆食い放題?
165日本@名無史さん:2007/03/10(土) 01:17:14
>米は盆・正月・葬式の膳などに使用されるのが精いっぱい。
日頃は粟・玉蜀黍・麦・蕎麦・稗・里芋などを常食し
飢饉の年には葛の根・すずの実(竹の実)・雑草などを食べ飢えをしのいだ。
そうした生活でも農民には「物成」という年貢米の他すべての作物に税がかけられ
苦しい生活をしいられていた。
こうしたことから領主の政策に反抗する「百姓一揆」が増え、1755年(宝暦5年)
山裏村(上岩戸地区)では重税と村役人への不満が爆発。
248人が豊後岡藩の領内に逃散するという事件もあった


江戸時代の高千穂の記録より。
まあ、どこもこんなものかと
166日本@名無史さん:2007/03/10(土) 07:33:01
暗黒だ
167日本@名無史さん:2007/03/10(土) 08:03:59
飽食になったのは現代でも世界中の一部だけどね
168日本@名無史さん:2007/03/10(土) 10:41:04
日本の暮らしは底辺だな。在日コリアンに生まれてよかったよ。
日本人の血がながれていなくて本当によかった。
169日本@名無史さん:2007/03/10(土) 10:55:55
以上、このスレは>>168の自演でした
170日本@名無史さん:2007/03/10(土) 12:25:09
とうもろこしもあったのね
171日本@名無史さん:2007/03/10(土) 12:45:24
常食についてだけど、百年以上も地域格差が大きい状態が続いたら
体格にも差が出たんでない。
まあ、米食べてる人と、ヒエ・粟食べてる人と比べても
栄養に差はないかも知れないけど。
172日本@名無史さん:2007/03/10(土) 13:37:31
>>162
>昔の百姓はなんだかんだと理由をつけてしょっちゅうご馳走食っていたんだったりして。
>今でも田舎に行けば行くほど結婚式や葬式が派手だし。

生きていれば120歳ぐらいの人の言っていたことだが、
「最近、うまいもの喰ってないな。どっかで葬式ないかな」としみじみ語っていた。

茨城県の幕末の質素倹約令に、
「最近、病人が出ると、村人が大勢見舞いに行き、病家はその接待に大変な費用がかかるので、見舞客接待は一汁一菜とする。酒はなし」という
村極めを読んで笑った。

おそらく、江戸時代の人の食生活は、普段は極めて質素だが、
特別な日や行事の日には食料を蕩尽するという、極めてハレとケの格差が大きなものだったのだろう。
173日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:18:58
オマエラ 農民が米喰わなかったら
誰が消費するんだよ
米の価格の下落が止まらんぜよ
毎日は喰えなくても たまには喰ってたんちゃうの?
174日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:30:58
>>165
同意します。

江戸時代の農民は人間としての生活ができませんでした。
歴史学では、阿部謹也風のいい加減な社会学的な考察は通用しません。
階級内の地域差とか細かな階層差に過敏にならず、あくまでも農民という一つの階級として
の姿を一般化しなくてはなりません。
良い暮らしをしていた農民がいたとか、豊かな農村もあったなどという幻想を持つ人は歴史を
学ぶ資格がないです。
封建社会の中で苦しんだ農民の姿をどう正確に捉えるかが重要です。
武士が米をたらふく食う、その米を生産している農民は哀れにも粟、稗を食わねばならなかった。
そこに封建社会の封建社会たる所以を見なくてはなりません。
そういう正確な歴史研究を地道に積み重ねることによってのみ、現代の日本社会をより良く変革する
道筋が見えてくるのです。

従軍慰安婦問題も、従軍慰安婦個々の事例は重要ではありません。
日本帝国主義が女性の精神と身体を蹂躙した象徴として従軍慰安婦を捉えるのです。

歴史学は現代社会を変革する力を持った生きた学問です。それを忘れてはいけません。
175日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:37:27
武士がたらふく喰ってたら…(武士は喰わねど高楊枝) 何て言葉は出ないぞ
176日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:37:54
>歴史学は現代社会を変革する力を持った生きた学問です。

韓国の歴史学界じゃあるまいし、誰も歴史学に現代社会を変革してもらおう、なんて思っていませんよ。
現代社会の要請を、史料解釈に投影するじゃねーよ。
177日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:43:32
>>174
たらふく食ってたという武士が、富裕農民に財政管理されてたわけだが。
by旗本
178日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:54:36
税金ではなく米を徴収していた
米は変動相場制であった
幕府や藩主は米の値段は高いほうが良い
後は石高と人口を考えれば分かる事だけど
179日本@名無史さん:2007/03/10(土) 15:25:43
 石高表示は、「収められた石高」だったんだよね。
 実際に年貢として渡された石高。
 村高千石五公五民とすると、生産高は二千石。
 千石を収めて、千石は百姓のもの。
 これを五百石収めて、五百石は百姓のもの、とする低能がうじゃうじゃいる。
 特に過去を貶めて喜んでいる低能左翼。
180日本@名無史さん:2007/03/10(土) 15:36:45
>>178
初歩的な質問なんですが、米がとれない漁村なんかは、他村から購入して
納めるのですか。それとも、金納or漁獲物?
181日本@名無史さん:2007/03/10(土) 19:31:02
>174
マジ?それとも釣り?
182一心太助 :2007/03/10(土) 19:55:37
何か質問ある?
183日本@名無史さん:2007/03/10(土) 19:59:16
粟・稗もご飯に混ぜて食べると結構旨いんだけどね。
今だと健康食品w

あの小さな粒が主食だったと言う事は、江戸時代には水田以上の広大な粟稗畑があったわけだ
そして現代には痕跡も残さずに消えてしまった
184日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:00:15
>>181
マジだったら、風の便りに聞いた階級史観?
博物館行きですか?
185日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:14:15
粟や稗作るくらいなら ほんま米つくりますは
って農業の事を知らない俺が言ってみる
186日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:19:59
>>183
普通に畑で作ってたと思うが。今は人家が建ってるだけなんじゃないか
187日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:32:47
>>182
長屋でセックスしたら丸聞こえだろ?
188日本@名無史さん:2007/03/10(土) 21:02:17
>>183
今よりずっと人口が少ないんだから、
今現在市街地になってる所に飲み込まれてるよ。
189日本@名無史さん:2007/03/10(土) 21:42:40
>>87
俺が1年間住んでたアパートも丸聞こえだったが
190日本@名無史さん:2007/03/10(土) 22:18:17
>>174
江戸時代について漫画で分かりやすく解説してあるから、ここでもみて勉強しなおせ。
ttp://uraden.hp.infoseek.co.jp/sinji.html
191日本@名無史さん:2007/03/10(土) 22:55:46
今の農村でも粟稗畑だけが宅地化されたのかよww
それで、昔の百姓は米作る時間を割いてまで莫大な時間を使って、主食になるほどの大量の粟稗を収穫していたのか
192日本@名無史さん:2007/03/10(土) 22:59:51
畑に限らず田んぼも宅地にもなってるし潰されて放置されてたりするけどな
江戸時代に限らずこの何十年かですらそうだ
193日本@名無史さん:2007/03/10(土) 23:39:43
>>191
粟稗ですら大量に食べてたわけではないよ
194日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:07:54
>>192
そうだね。
あの一面の水田風景も遠い過去。
それさえ歴史になりつつあるのかな。
195日本@名無史さん:2007/03/11(日) 03:01:36
>>193
米が余ってたからな
196日本@名無史さん:2007/03/11(日) 06:58:46
米食ってた派はソース出せないんじゃ説得力0だよ
197日本@名無史さん:2007/03/11(日) 07:19:01
米作るのが当たり前だからな。
198日本@名無史さん:2007/03/11(日) 07:36:16
だめだこりゃ
時間の無駄だ。ノシ
199日本@名無史さん:2007/03/11(日) 07:39:05
田んぼの無い村もあったが
200日本@名無史さん:2007/03/11(日) 08:32:21
作ってた者を食うんだから当然だろう。
201日本@名無史さん:2007/03/11(日) 10:55:05
人食いかよw
202日本@名無史さん:2007/03/11(日) 14:11:49
米作は水路が必要で且つ病気に弱い、そして虫害が酷く手間隙がかかる割りに収穫は少ない。
米作は納税用であり納税額に応じた広さの水田しか持てない。
農民は納税用の米作と収穫用の畑作をしていた、畑作では稗や粟は一度種を蒔けば手入れ無しで繰り返し収穫できる。

ちなみに俺は大学の一般教養日本史の中で江戸期の農村史として習ったが
この程度はこのスレに来る人なら基礎的な知識だと思う。
このスレを覘いて興味を持ったが知識はこれから収集ってことなら先ず調べるべき。
図書館行かなくともネットで調べる事はできる。
ただネットで調べるときには記述者の自説か通説かを見極める必要が有る。
国公立の入試で正解とされる説でなければ一般的に通用しない。
教授の著作や出版物からの引用では通説と異なる自説が展開されている事が多い。
それは一般化して話す事はできない、あくまで通説が一般化していることが前提。
203日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:09:51
>>202
>米作は納税用であり納税額に応じた広さの水田しか持てない。
>農民は納税用の米作と収穫用の畑作をしていた、畑作では稗や粟は一度種を蒔けば手入れ無しで繰り返し収穫できる。

おもしれー。

>ちなみに俺は大学の一般教養日本史の中で江戸期の農村史として習ったが

教科書は、児玉 幸多の「近世農民生活史」とかか?

>国公立の入試で正解とされる説でなければ一般的に通用しない。

一生予備校通ってろ。

204日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:26:00
>>196
田中圭一とかの本を読めばいいんじゃね。あと、庄屋の日記とか。

>>202
大学の一般教養日本史で使った教科書ってどんなの?教えて。
205日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:51:22
ネタに反応すんのやめれ。
206日本@名無史さん:2007/03/11(日) 22:25:41
>>174
18世紀頃に金弘集という画家だったと思うが、その人が描いた朝鮮の農作業の絵を見たことある?
農民達が脱穀しているのを両班がゴザ敷いて寝そべって煙草吸いながら眺めてるって云うヤツ。

いやー実にのびのびとしていたんですね、朝鮮。
207日本@名無史さん:2007/03/11(日) 23:06:49
金弘道だった、失礼。ついでに画像発見

寝そべってタバコを吸いながら百姓を眺める両班
http://chang256.new21.net/images/bon06504-14.jpg
208日本@名無史さん:2007/03/12(月) 16:08:09
>>202
> 国公立の入試で正解とされる説でなければ一般的に通用しない。
> 教授の著作や出版物からの引用では通説と異なる自説が展開されている事が多い。
> それは一般化して話す事はできない、あくまで通説が一般化していることが前提。

通用しないも何も、教科書では「武士の俸禄は地方から蔵米に変わった」と断定的に書かれているがそれは譜代大名の
家臣団のケースがほとんどだ。
薩摩や仙台等主に外様旧族大名(織豊政権前から大名だった連中)の領地では幕末まで当たり前のように地方知行が
残っていましたがこれは特定の著書の記述者による自説ではありませんが何か?
209日本@名無史さん:2007/03/12(月) 17:48:06
一昔前は、江戸時代は封建社会なんだからそんな農民像ではだめだと言う人がマジでいたんだよ。
佐々木潤之介の阿部謹也社会史批判とかさ。佐々木は歴史研究に入る前にマルクスの著作を読み
込めと言ってた人で、彼の弟子で大学教授になってるのがあっちこっちにいるよ。

幕府や藩の農民統制の法令を集めただけの農村史や郷土史も多く出版されてた。
法令が現実にどのようにどの程度適用されていたのかという問いには、幕府や藩には遵守させるだけの強制力が
あったのだから徹底的に守らせたに決まっているだろ、いちいちそんなこと訊くなって感じだった。
慶安御触書だってかなり昔から法令ではないことが常識になっていたのに、つい最近まで歴史教科書に農民統制の
法令として載ってたしね。
もうちょっとまじめに農村を研究しようという動きが始まったのは、80年代後半以降で、歴史教科書に反映され始めた
のはここ4、5年くらいじゃないかな。

NHK高校講座日本史では農村の文化として農村歌舞伎が紹介されてたけど、家永三郎なんか都市の頽廃的な文化が
純朴で健康的な農村に波及したとか言ってたんだよ。
家永三郎は、女性の和服は男性の性的欲望を満足させるだけのもので、一方、農村女性のもんぺ姿は労働服として
素晴らしいとか『日本文化史』(岩波新書)に書いてて、この本はいまだに中高生向けの推薦図書になってるんだよ。

佐々木も家永も死んだし、ソ連崩壊や天安門事件で弟子の多くは転向したり力を失ったりした。
今は隣国との共同歴史教科書作りに精を出してる。古文書もロクに読めないようなヤシだから使い道がないんよ。

こいつらの害毒は海外の日本史研究者に影響を与えたことで、最近、アンドルー・ゴードンの『日本の200年』が、
朝日や毎日の書評で中立的な日本史の叙述として高く評価するとか書かれてたけど、江戸時代の項なんかホント
むちゃくちゃだよ。
210日本@名無史さん:2007/03/12(月) 19:30:19
つか武士が裕福なら 刀を売って 竹光代わりにささないだろ
211日本@名無史さん:2007/03/12(月) 19:52:06
>>209
あなた超能力者?>>208の無茶苦茶な文章が何を言ってるのか解ったの?
208が何を言いたいのか翻訳して。
212日本@名無史さん:2007/03/12(月) 19:58:14
米が余りまくって 米の下落が止まりません
213日本@名無史さん:2007/03/14(水) 22:17:52
減反政策か・・
214日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:13:56
米の値段を維持させるには みんなに喰わして 在庫を減らすのがてっとり早いだろ
米の値段が安いと財政厳しくなるんだから
215日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:22:34
>>214
ケインズ嫁
皆がてっとり早く米食わされたら、需要は満たされ供給はもっと不必要になる。
また、米は適正価格より安く放出するのだろうから、売上原価は悪化するだけで利益は生まず在庫だけ減少していく訳だ。
本末転倒だな。
216日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:40:39
貨幣を改悪すると幕府が儲かる。常識的には在り得ねぇ〜。
貨幣の価値減少インフレ→物価高騰で越年米高く売れる→越年米高く売りぬけばインフレ収束。
米経済と貨幣経済の併用故に貨幣の質落とすだけで大儲け。
幕府自体が頭で儲ける錬金術的な裏ネタ行使。
庶民は地獄。
217日本@名無史さん:2007/03/16(金) 09:54:16
>>215
それは違うんじゃないか?
>>214が食わせろっていってるのは領地の農民だろ?
実際各地の藩が藩の米の重要な需要先として考えてるのは、大阪や京都、江戸などの都市部の町人だろ。
食う相手と売りたい相手が違うのだから。売る値段が高くなることはあっても悪影響なんてないだろ。
218日本@名無史さん:2007/03/16(金) 14:53:53
流通制度の本質と市場のあり方を知ろうではないか。
219日本@名無史さん:2007/03/16(金) 17:57:46
町人の時代 だかんなぁ
士農工商で
商が栄えて士が落ちぶれる
凄い時代だよな
220日本@名無史さん:2007/03/16(金) 18:35:47
>>217
農民は米を買う貨幣をどうやって手に入れたの?
ソースと共に教えてくれます?
自分で調べても農民は貨幣経済に組み込まれていないし…
221日本@名無史さん:2007/03/16(金) 22:46:12
>>220
農民の貨幣収入は、出稼ぎか裏作での換金作物だよ。
ソースは「江戸時代 出稼ぎ」 「江戸時代 換金作物」
でぐぐってみてくださいな。

丹波杜氏・南部杜氏やら気仙大工やら富山の薬売りみたいな
行商人とかが農閑期の有名な出稼ぎ先で、
米搗きのような単純肉体労働も都市での需要があった。

換金作物では菜種が有名ですね。油商人が村までやってきて
庄屋相手に取引をして、現金なり為替なりを置いていく。
まさか油商人が、金の替わりに米を持って帰るとか考えてないよね?

そもそも「換金作物」という、言葉の意味を調べてみたらどう?
222日本@名無史さん:2007/03/17(土) 10:10:03
>>220
鉄製の農機具は自作ですか?
農機具と農作物の物々交換ですか?
223日本@名無史さん:2007/03/17(土) 14:01:47
田舎の畑からはたまに穴あき銭が出てましたよ。
何故畑からかは分かりませんが・・・
私の持ってるものの中には鍬が当たったときできた
でかい穴が開いてるものがあります。
これは祖母が自分で掘ったものだから間違いない。
少なくとも庄屋には銭があったのは確かで、
獣撃ち、屋根吹き等の駄賃で小作にまわることもあるでしょう。
駄賃がわりが酒、味噌、布だけだったとは考えにくい。
炭焼きなら農村に行くときはともかく、町だと銭と交換じゃないですか?
また町から漁村にいく魚仲買は銭だったでしょう。
「銭→米→魚→銭→米・・・」だったとすると間の無駄が大きすぎる。
漁師は物々交換だけでなく、銭で農家から酒味噌を買えるので
こちらも無駄がない。
224日本@名無史さん:2007/03/17(土) 17:30:53
>>221
出稼ぎと裏作調べました。
出稼ぎは禁止していた大名家(所謂藩)が多く出稼ぎが一般的であるとの考えは無いと感じました。
自家からの農民の流失を恐れ又賦役を課す上でも出稼ぎは認められていない家(大名家)がほとんどでした。
裏作は農民達自身の食料調達がメインで菜種などの作物で個人が利益を出すには広大な作付け面積が必要なため無理です。
大名家が財政難で特産物を藩主導で作りましたがそれは農民の個人の収入ではありません。
調べてみたらあなたの主張とは異なる見解を持ちました。
無責任なあなたの主張よりも自分で調べた結果を信じます。
ご指導ありがとうございました。
多分もうこのスレは見ませんのでレスはここまでです。(俺の主張を聞きやがれ〜!タイプの人が粘着してくるとウザイので)
あなたは自分の主張を大事にしてください。では
225日本@名無史さん:2007/03/17(土) 17:42:04
> 農民は米を買う貨幣をどうやって手に入れたの?
何か違う気が・・・
百姓が金持って飢え死にしたって話、見たことあるけど、さすがに違うと思う。
自分で作ってる米を、わざわざ買い直すってありえないと思う。
226222:2007/03/17(土) 18:49:16
>>224
養蚕とかで村全体で稼いでたところもありますよ。
とくに百姓主導でがんばったところは
だいたい庄屋が生地まで仕立てて問屋も卸もやって、藩にも金落とす・・・
まずしい農村もあっただろうけど、貧しいばかりが百姓じゃあないよ・・・
って、もう来ないから無理か〜

きっと農村実体験のない人なんだろうな〜
城下と村部で貨幣価値が違った可能性はありますよね?
(専門じゃないのに口出しすみません)
227223:2007/03/17(土) 19:05:56
上の>>226のレスの名前蘭は
>>223の間違いです。すみません
228日本@名無史さん:2007/03/17(土) 22:58:40
まぁいつだって 両替商は儲るんだかね
つまり(米→銭)商人の時代だよ

しかし江戸時代の武士が支配階級ってしっくりこないよな
229日本@名無史さん:2007/03/18(日) 10:19:13
>>211
要約すれば
「全てが蔵米知行に変わったみたいな書き方してるんじゃねーよ、クズ」>教科書記述者
「日本史においてはテストの正解=史実、じゃねーだろ、教条主義者」>202
ってことだろ。
230日本@名無史さん:2007/03/22(木) 10:40:12
みなもと太郎の「風雲児たち幕末編」によると、福沢諭吉が長崎から神戸に行く際乗った船(唄の文句みたいだな)は、百姓が農閑期に「勝手に」運行している素人船で、船乗りも客も命がけだったそうな。
たくましいなあ、昔の百姓は。
231日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:14:48
便所で糞を拭くのは 縄ですか?葉っぱですか?
それとも竹べらですか?
232日本@名無史さん:2007/03/26(月) 07:54:00
なんか、農村の農民生活の話ばっかなんですけれど。

江戸時代の庶民って、当然、都市住民も含まれるよね。
長屋暮らしの庶民は、本当に落語に出てくるような生活だったの?
233日本@名無史さん:2007/03/26(月) 08:21:25
具体的には、どんな生活想像してますか?

深川江戸資料館に再現されてる長屋とか見ると実感わくかも。
234日本@名無史さん:2007/03/26(月) 11:58:07
一心太助みたいなの
235日本@名無史さん:2007/03/26(月) 13:23:45
江戸の庶民は、かなり貧しくても、白米を食ってたって、本当?
米を作っている農民が、貧しい農家では、年に数回しか白米を食うことがなかったて言うのに、
食生活のこの差は、どういう理由で生じるのか?

236日本@名無史さん:2007/03/26(月) 14:30:14
米が食料である以上、誰かの口に入る
人一人が一年間に食べる米の量が約一石らしい
江戸時代の日本の総生産量が2000万石くらいで
人口も2000万人くらいだから、
米を家畜の餌とか肥料に使うのでなければ、江戸時代の日本人全部に米が行き渡る

これでOK?
237日本@名無史さん:2007/03/26(月) 14:53:17
>>236
>総生産量が2000万石くらいで

これって、すべて米の生産量なんですか。
石高って、確か土地の価値や生産量を、米の収穫高に換算すればって、いうものではないのですか。
例えば、麦や粟しかとれない畑でも、その生産価値を米の価値に換算すれば、10石の畑とか。

2000万石の中には、米の収穫できない農地は含まれていないのですか。

間違っていたらごめんなさい。
238日本@名無史さん:2007/03/26(月) 15:18:53
>>232
庶民向けの落語で嘘を言う必然性が見当たらん。

>>224
>大名家が財政難で特産物を藩主導で作りましたが
>それは農民の個人の収入ではありません。

それじゃ人間は動かんだろ。
奴隷制が廃れたのも、共産主義農業が廃れたのも、
自由農民に比べて効率が悪いからでしょ。

まあ、藩が初期費用を貸し付けて技術指導し、毎年の上がりから一定額を返却。
(ここの利息に利益を期待すべきでないだろう。)

利益に対する課税は、商品作物を藩公認の商人に買い付けさせ、
商人が藩に専売の権利金を支払う、とかじゃないの?
239日本@名無史さん:2007/03/26(月) 15:29:10
面白おかしく脚色した歌舞伎とかを 鵜呑みにして史実だと思ってしまう江戸人は
テレビとか本に出てれば本当だと思ってしまう現代の庶民と共通している
240日本@名無史さん:2007/03/26(月) 15:38:11

日本が戦前のような美しい町並みを取り戻すにはどうしたらよいのか?

日本のスラム街のような醜い建築について議論するスレ
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news2/1174882479/
241日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:17:15
米等は基本的に大阪へ。故に先物取引的な市場が発達。
越年米は常に有る。石高がどうとか虚しいだけ。大量に餓死者がいようが余ってる。
大塩の乱は、その大阪にすら米無いのが一番の理由。
原因は幕府が江戸の商人に強制買い上げさせ米価吊上げたから。
無理矢理買わされてるのだから安く売れる訳ないが悪役は商人。
庶民(農工商)には、ろくでもない時代。
242日本@名無史さん:2007/03/27(火) 10:28:12
>235
しかし収入が米な訳だから、その米で衣食住を賄うとなると
米そのものを食える状態と言うのは、結構な収入規模がなきゃ
きついだろう。
そもそも自田持ちの百姓がいったいどれだけいた事か・・・
基本4公6民でも、それは田持ち百姓の話で、雇われ百姓の
収入米なんぞ多寡が知れていたんじゃなかろうか・・・
足軽とかなら扶持米は少なくても、塩だの味噌だのの支給も
してくれたらしいけど、百姓の方はそんなもんないしなぁ・・・
243日本@名無史さん:2007/03/27(火) 13:16:22
>>235
貧しいつっても、江戸の庶民には今みたいな消費税も住民税も国民年金も受信料も無い、
得た金は好き放題に使える非常に気楽な時代だ。
年貢でがっつりと持って行かれる農民とじゃ比較にならないよ。
244日本@名無史さん:2007/03/27(火) 14:23:20
年貢って、個人単位じゃなくて、村単位で納めるんじゃなかったけ?
245日本@名無史さん:2007/03/28(水) 00:34:05
収入が米って オカシク無いか?
米が貨幣の代わりって訳でもなかろうに 手形とかあった時代に庶民が米で給料もらうのか?
246日本@名無史さん:2007/03/28(水) 08:47:16

「江戸時代の日本の総生産量が2000万石」

>>236>>237の、どちらが正しいのですか?
247大學ヘ授:2007/03/28(水) 11:49:49
237です
248日本@名無史さん:2007/03/28(水) 12:27:38
商人とかは税金納めなくていいのか
米馬鹿侍の頭じゃあ 税金かけようとしても計算もできないから
仕方ないか
249日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:35:30
>>247
それでは、「江戸時代の日本の総生産量が2000万石」のうち、
米の生産量はどのくらい?
時代の推移とともに上昇すると思いますが、幕末では?
250日本@名無史さん:2007/03/28(水) 15:43:40
仙台藩みたいに表高以上に米を生産しているところもあるし、
特産品で石高を補充している藩もある。
差し引きすれば、江戸時代の米の生産量は2000万石近くでいいんでないか?
251日本@名無史さん:2007/03/28(水) 17:13:40
農民といっても水呑み百姓やら小作人やら庄屋さんやらいろいろあるんだがなあ
豊作時には水呑みでさえ米を食えている地域もあるくらいだし
中央政府がどかんとある現代だとわかりにくいが地方によって全然違う時代だからねえ
252日本@名無史さん:2007/03/28(水) 19:03:43
藩財政が税収である以上徴税は過酷になる。
幕府は豊かな藩を認めなかったから普請や参勤交代などで各藩を財政的に苦しめた。
藩は可能な限り徴税に励みそのしわ寄せは農民に被された。
それでも各藩の財政は悪化し商人からの借り入れや藩士の俸禄削減で凌いだため下級藩士は生活困難に陥り家さえ持てぬ者も多かった。
253日本@名無史さん:2007/03/28(水) 20:55:03
こりゃまたクラシック
もうちょっとディテールがあると面白い
254日本@名無史さん:2007/03/28(水) 21:31:02
>>250
でも、石高って、米を生産しない畑や屋敷地も含まれるんでしょう。
しかも、米作より畑作主体って村は、たくさんあったはずだから、
2000万石を大幅に下回るのでは?

255日本@名無史さん:2007/03/28(水) 22:10:27
日本の総石高って単純に3千万石くらいあったと思ったが・・・
あ、生産高ね。
256日本@名無史さん:2007/03/29(木) 08:56:44
徴税が過酷になるといってもだ
実際に徴税するのは庄屋、しかも村単位の徴税だし
あまり過酷な取立てをすると農地を放り出して逃げ出してしまうので
結構慎重な徴税運営がされていたはずなんですがねえ

江戸時代の基本は生かさず殺さずでしょ
257日本@名無史さん:2007/03/29(木) 08:58:53
今出ている数字って、表高?
それとも内高??
258日本@名無史さん:2007/03/29(木) 09:05:35
税金じゃないけど、大店には御用金。
末端は確かに無税だったのかな?
259日本@名無史さん:2007/03/29(木) 10:20:30
>>257
表高じゃないかな?だから、単純に年貢ならその35%ぐらいで
きちんと調べれば、3000万の5〜20%upぐらいになるんじゃね?もっといくかな?
260日本@名無史さん:2007/03/29(木) 12:55:25
どっちにしろ、米が腐る前に食料として売らなきゃ損する
最貧民層を別にすれば、江戸期は全国民に米が行き渡るくらいの
米の生産量はあっただろう
261日本@名無史さん:2007/03/29(木) 13:09:19
なんでおまいら、米を捨てるという発想がないんだ?
価格維持のために現物を減らすってのは当然の方法じゃね?
262日本@名無史さん:2007/03/29(木) 13:18:56
食い物を捨てるなんて罰当たりめ
地獄に堕ちろ
263日本@名無史さん:2007/03/29(木) 14:03:38
石高の正確なデータは下記へ。

旧高旧領取調帳データベース
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param
264日本@名無史さん:2007/03/29(木) 15:23:24
>>261
酒や酢にしたんでないかい?
265日本@名無史さん:2007/03/29(木) 15:51:55
酒や酢がそんなに消費されてたんだ
へー
266日本@名無史さん:2007/03/29(木) 18:00:11
餅や団子にしたのでは?

江戸時代の庶民では、ハレの日とケの日とでは食物がまるで異なる。
普段は質素なもので、ハレの日には、暴飲暴食をする。

江戸近郊だったかな?幕末農家では、毎月に3度くらい、餅や団子を食っていた。
酒も、自家製のドブロクをハレの日にはみんなで酔いつぶれるまで飲むのが、正しい飲み方だったので、
米は、そういった用途にかなり消費されたのでは?
267日本@名無史さん:2007/03/29(木) 18:32:08
水田で米を作る事は大変なんだよ。
今なら農薬や病気に強い品種もあるし機械化されているし水も不足しない。
でも以前はそんなものなかった。
一年の米作の成果が必要な納税料に足りないなんて当たり前に起きた。
農民は収穫が難しい米だけを作っていたのではなく作業の大半は畑作。
農民自身が食べる物を作らなければ生きていけないから。
米は税として収めるために作りその米は幕府と藩の収入と禄として藩士に渡された。
その米を金に換えて武士は生活していた。
米の生産が多ければ藩も藩士に禄を振舞えるのだが生産が困難な米は常に不足気味で下級藩士などは生活難であった。
米将軍と呼ばれた吉宗は米を備蓄しようと励んだが不作と飢饉が相次ぎ備蓄は中座した。
現代感覚では米作は簡単で大量に作れると思うのかもしれないが米作は本来かなり難しく不作や病気や天災に弱いもの。
268日本@名無史さん:2007/03/29(木) 20:40:59
>>256
西国では、農書や肥料の普及でかなり増収していたが、
定免法によって、年貢高は一定に抑えられていた。

領主が役人を村に入れて検地しようとすると、
国中で検地反対一揆が起きかねず、
大規模一揆は、幕府の介入で、下手すると国替えとか取り潰しなので、
領主は庄屋たちとナアナアでやっていくしかなかったとか。
269日本@名無史さん:2007/03/30(金) 09:02:16
江戸時代って長い時代の間で米の増産に成功して米価の維持が大変だったと思うんだが
なんでそんなに米不足にしたい人がいるんだ?
270日本@名無史さん:2007/03/30(金) 09:19:43
米が値下がりすれば 庶民は喜ぶが
米を収入の主体にしている侍が困る

と言うより、なぜ農民が 放蕩者の侍に税を納めなければいけないのかと
暴力団の みかじめ料並の不合理だ
271日本@名無史さん:2007/03/30(金) 09:56:05
その放蕩者のみかじめ料が通年でほとんど変わってないからなあ
明治維新って面白いんだが、下級武士の革命なんだよね
その頃の農民とかはええじゃないかええじゃないかと踊り狂ってただけだしなw
272日本@名無史さん:2007/03/30(金) 10:11:39
まぁとりあえずおまいら、農民じゃなくて
江戸の町民あたりの話しようぜ、というかそういう本読んだけど江戸の町民は楽しそうだな
伊勢参りが流行って、みんなで伊勢参りしたりとか
273日本@名無史さん:2007/03/30(金) 10:27:27
そりゃ町民はそこそこ裕福だしなあ
楽しいだろうなあ
274日本@名無史さん:2007/03/30(金) 11:42:32
農民からは過酷に税を取り立てるが、町人は無税に近い
武士の経済感覚が貨幣経済に合ってないから 仕方ないか
275日本@名無史さん:2007/03/30(金) 15:05:04
>>265
米を酒や酢に変えられる程 米が余ってたんちゃうの?
って意味で書いたんだが
276日本@名無史さん:2007/03/30(金) 16:05:52
明治維新により、武装搾取集団は崩壊した
武士とは 凶器をちらつかせて 税という名目で農民から横領を続けてきた
鬼畜
277日本@名無史さん:2007/03/30(金) 17:00:21
武士にしてみりゃあ 農民は米を作る奴隷か家畜みたいな感覚だったんだろう
国家の治安が保たれていれば、武士なんか不要だが
国家=朝廷は名目上でしか存在してないから無理
278日本@名無史さん:2007/03/30(金) 17:23:50
武士と農民は似た物同士
279日本@名無史さん:2007/03/30(金) 18:36:42
似た者同士か
何か言いえて妙だ
280日本@名無史さん:2007/03/30(金) 19:11:05
今、割り箸問題が再燃してるので

屋台の蕎麦屋とか箸どうしてたんだろう?
客が持参はなさそうだし、洗う場所もなかったろうし。
281日本@名無史さん:2007/03/30(金) 21:19:11
夜泣き蕎麦の屋台は 不衛生だろう
腐った水で丼と箸を洗って、用を足した手で蕎麦つかんだり
282日本@名無史さん:2007/03/30(金) 22:25:17
あぁ、その辺は現代も同じかw

どうやって、湯の温度維持していたかも謎
炭を使ったとしても莫大な費用が掛かると思うんだが
283日本@名無史さん:2007/03/30(金) 22:38:29
>>282
木炭は日常的に広く使われてたから、今より安かったでしょ。
そんな莫大な費用なら、庶民も使えないよ。
284日本@名無史さん:2007/03/30(金) 23:12:43
現代だって石焼き芋屋が炭使ってるくらいだから
江戸時代だって炭で火を沸かす屋台があったって おかしくない
285日本@名無史さん:2007/03/30(金) 23:13:46
×火
○湯
286日本@名無史さん:2007/03/31(土) 14:14:21
そうなのかなあ
炭って、体感だと今より遥かに値が張るものだったと思うけど・・
現代でさえ、そんなに安くは無いし

湯屋が燃料材に苦労していた時代
287日本@名無史さん:2007/04/01(日) 09:54:08
>>286
と言っても薪か炭かの選択しかなかったんだから。
288日本@名無史さん:2007/04/01(日) 13:59:33
江戸時代の風呂屋は 混浴だったらしい
いつから男女別になったか 知ってる人は いますか?
289日本@名無史さん:2007/04/01(日) 14:22:56
今でも混浴の温泉はある。
また、やくざのいう「風呂屋」は男女混浴が原則だ。
290日本@名無史さん:2007/04/01(日) 16:55:24
>>289
ああああ?
温泉地のことではなく、市中の風呂屋で 今の時代混浴は ないだろう
やくざの風呂屋? 訳わからん
291日本@名無史さん:2007/04/01(日) 17:13:13
ヤクザが言う風呂やはソープのことじゃん
292日本@名無史さん:2007/04/01(日) 17:30:24
この時代は蒸し風呂で無かった?
293日本@名無史さん:2007/04/01(日) 17:42:48
>>180
船持や網持の身分のものが金納。一部勝手用に物納。
294日本@名無史さん:2007/04/01(日) 18:01:41
180です。ありがとう。1週間ぶりに来てみたら、ぴったし。
ところで、最近考えているのだが、石高の少ない村って、本当に貧しかったのか。

だって、石高って課税価値でしょう。
だったら、石高が低かったら、それだけ年貢に取られる分が少なくって済むってことでしょう。

漁村なんかの場合、実際の所得は漁獲高で変わるのだから、
石高が低い漁村って、大漁になれば、年貢にも取られず、丸もうけってことにならないの?
295日本@名無史さん:2007/04/01(日) 18:27:55
江戸の湯屋は湯が張ってあった模様
熱湯で有名だったらしい
296日本@名無史さん:2007/04/01(日) 18:28:55
×ねっとう
○あつゆ
297日本@名無史さん:2007/04/01(日) 19:46:40
武家とか大商人の家には 内風呂があったんだろうけど
庶民は風呂屋に行くか行水
混浴ということは 風呂に行ったあとに若い娘をストーカーしたり襲ったりとか
性犯罪が多そうだ
298日本@名無史さん:2007/04/01(日) 21:14:31
>>297
日常の風景になってれば、特段興奮しなくなるんじゃないの?

それに、風呂の中って、興奮しにくくない?
金玉は冷やせって言うし。
299日本@名無史さん:2007/04/02(月) 07:54:52
豊作だったら 年貢増やされ
凶作でも 普段と同じ年貢とられる

漁師も同じでは?
300日本@名無史さん:2007/04/02(月) 09:24:52
松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出すなど、
風紀の取り締まりの対象にもなった。
 ・
 ・
明治時代に入ると、男女混浴は風紀を乱す元、前時代的と見られる元として
原則禁止となる。

(Wikiより抜粋)
301日本@名無史さん:2007/04/02(月) 09:30:07
風呂場と言ってもいろいろあるが
混浴を禁止したのは明治になってからだと記憶している
犯罪についてはあまり記憶にないが若者同士で風呂に入ってお見合いみたいのがあったりだとか
風呂屋の二階に売春できる場所があったりする場所だったとか
性的な絡みはないわけではない

ただし江戸時代までの日本は飯食いに行ってもお茶飲みに言っても売春と結びつく場所があるからなあ
盛り場にある風呂と普通の場所にある風呂とでは意味合いが違ったものと思われる
302日本@名無史さん:2007/04/02(月) 15:53:18
ここなんか結構参考になる
ttp://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-18.htm
303日本@名無史さん:2007/04/02(月) 17:22:50
江戸暗黒史観の集まりはここですか?
数年前にも似たようなスレがあったような気がするがもう残ってないんだろうなあ
304日本@名無史さん:2007/04/03(火) 09:55:07
>>303
明らかに釣りでやってる以外に暗黒史観での発言なんてほとんどないじぁん
305日本@名無史さん:2007/04/03(火) 10:04:10
まあ江戸幕府が倒幕されるきっかけってのが下級武士の不満からだからな
百姓がおこした市民革命でないってのがミソ
結局250年間に渡る長期政権中で財政再建が数度に渡ってうまく行ってなんとか乗り切っていたが
そのしわ寄せを下級武士に押し付けてしまっていたのが一番の問題だな
もし江戸暗黒史観の方々がおっしゃるように農民(当時はこういう言葉はないんだが)から搾り取っていたならば
農民革命によって倒幕がなされていたことになるのさ
で、倒幕運動の機運高い時期にその農民はナニをしていたかっていうとええじゃないかええじゃないかと踊りまくっていたわけだ
まさかその後、とてつもない搾取が新政権によって行われるとも知らずに だ
306日本@名無史さん:2007/04/03(火) 10:34:52
>>299
漁村の年貢は漁業権の公認料みたいなもの。

>豊作だったら 年貢増やされ
>凶作でも 普段と同じ年貢とられる
こんな都合のいいことしたら一揆がおこるw

307294:2007/04/03(火) 12:22:40
>>306
ありがとうございます。
漁業権の公認料ですか? それは、農村の年貢負担と比べて軽かったのでしょうか。
また、漁獲高への運上あるいは小物成の負担を含めると、どうだったのでしょうか。
一概には言えないと思いますので、大まかな傾向で構いませんが。
質問ばかりで済みません。
308日本@名無史さん:2007/04/03(火) 14:45:07
江戸では武士も町人も洗練された都会人だったようだ。
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/edo.html
309日本@名無史さん:2007/04/03(火) 17:45:44
まあ大体江戸時代といったって250年ばかしあるからねえ
一言で言えまいて
310日本@名無史さん:2007/04/03(火) 18:10:37
>>307
今と違って沿岸の人力での漁業 それも干物にするくらいしか保存法がない

それだけで生活できたか疑問
311日本@名無史さん:2007/04/03(火) 19:02:15
日本では、純漁村はほとんどありません。半農半漁がほとんどです。

漁村の生活は、基本的には漁獲物を換金し、それで生活必需品を購入する生活です。
その意味では、自給自足の度合は農村より低いと思われます。

換金する手段は、後背地農村への鮮魚の行商(これは徒歩の場合、大体4里四方)。船による都市部への輸送。
あとは干物・塩蔵の魚類の換金化です。

半農半漁の場合、男性が漁業・女性が農業という役割分担がほぼ決まっています。
農業で最低限の食糧を確保し、漁業でその他の生活物質を得る生活です。
312日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:37:36
一番惨めだったのが竹光さしてる下級武士な気がしてきました
313日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:41:35
>>310
蝦夷地の干昆布は関西で出汁に。
干ニシンは、日本中で綿作の肥料に使われた。
干しアワビ、スルメ、ナマコは中国まで輸出され、
スルメは四川料理の食材になってる。

獣肉食が禁じられているため、蛋白源として魚の需要は高いでしょ。
水産物は、かなり有力な商品だと思う。

江戸期の流通は相当発達しているので、金さえあれば米は手に入るし。
(飢饉でも、金持ちから順に米を手に入れられるので、
 ニシン漁業者が食いっぱぐれることは無かったと思うが)

314日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:43:45
>>313
鴨などの鶏肉は、庶民にも人気あって普及していたぞ。
あと、猪肉も比較的庶民に人気あったようだが。
315日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:51:20
建前で言えば四ツ足食禁止だが薬食いと称して食べていたわけだが。
316日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:08:58
人の肝臓もな。
そういう意味では、日本も伝統的に、
食人習慣があったわけだが。
317日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:24:14
人の肝臓は薬食いではなく薬だな。
318日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:07:34
中国の『本草綱目』の影響です。
319日本@名無史さん:2007/04/03(火) 22:20:27
>>301
江戸時代にも混浴禁止のお触れは度々出ている
効き目は例によって、あんまりなかったらしい
320日本@名無史さん:2007/04/03(火) 23:01:40
夜這いとか 祭りの日の乱交とかは 日常茶飯事だったらしいから
当時の感覚からしたら混浴くらい たいしたことないんだろう
321日本@名無史さん:2007/04/04(水) 09:16:43
混浴自体を規制する概念は本来ないんだよ
混浴から来る売春を規制したかったのが狙い
幕府は宿場町の売春管理にも必死で何人までという人数規制を設けてみたんだが
結局背中流す女が安値で売春したり食事のサービスする女が安値で売春したりしてるわけで
あまり効果はないわけだな
322日本@名無史さん:2007/04/04(水) 12:27:45
そういえば、風呂焚き女に子供を産ませて、本妻が怖いから認知しなかった将軍がいたな
323日本@名無史さん:2007/04/04(水) 19:27:00
仏教では妻帯も肉食も禁じられているのに
日本人は 自分の都合のいいように宗教を歪曲して
いい加減な民族だな
324日本@名無史さん:2007/04/04(水) 19:39:51
島国らしくておおらかで良いかと
太平洋の島国のイスラム教徒は酒を飲むのも居るって噂だし
325日本@名無史さん:2007/04/04(水) 20:34:03
坊さんも平気で妻帯するようになったな
親鸞なんて理論武装までするし
326日本@名無史さん:2007/04/04(水) 20:57:38
>>317
どちらにせよ。服用(食す)ことには変わりはない。
327日本@名無史さん:2007/04/04(水) 21:58:20
妻帯女犯の坊主って、どんな顔してセックスしてるんだろ。
真面目くさった顔でやってるのかなw
328日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:43:47
昼は気難しい顔してるくせに
夜とかアヘアヘしちゃってんじゃないの?
坊主にくけりゃ袈裟まで 生臭坊主 っていわれてたし
あんまり良くは思われて無かったんちゃうかな?しらんけど
329日本@名無史さん:2007/04/05(木) 07:39:00
飛鳥時代に国家鎮護の法として仏教が伝来すると、
朝廷は殺生を固く禁じるようになった。
676年(天武天皇4年) 4月17日の肉食禁止の詔は、
ウシ・ウマ・イヌ・ニワトリ・サルの五畜の肉食を禁じている
330日本@名無史さん:2007/04/05(木) 07:41:21
肉食が解禁されたのは、1871(明治4)年のことである。
西欧列強との外交のため、明治政府はフランス料理を宮中の正式料理に採用した。
1872(明治5)年1月24日、明治天皇が宮中で自ら牛肉を食べて国民に示した。
明治天皇が率先垂範して牛肉料理を食べてから、
文明開化のシンボルとして牛なべ屋が大繁盛した。

(Wikiより抜粋)
結局、肉食禁止も解禁も 仏教の教義というより、政府の命令のようだ

331日本@名無史さん:2007/04/05(木) 09:20:22
仏教の教えを元に国が規制をかけた

が正解のように思えるが
332日本@名無史さん:2007/04/05(木) 10:04:24
豚一さんは規制掛けてる側自ら肉食していたなあ
333日本@名無史さん:2007/04/05(木) 10:09:26
ニワトリも食えなかったの?
334日本@名無史さん:2007/04/05(木) 10:11:16
江戸時代、津軽領内での庶民の肉食は多かったみたいだな。
335日本@名無史さん:2007/04/05(木) 12:54:33
スキヤキっていつの食いもんだっけ?
鋤で焼いたらしいけど
336日本@名無史さん:2007/04/05(木) 13:27:45
生類哀れみの令が有効だった時は、肉食どころか
蚊をつぶしただけで罪になったらしい
当然、魚も食えなかっただろう
337日本@名無史さん:2007/04/05(木) 13:32:03
>>336
そんなわけがない
338日本@名無史さん:2007/04/05(木) 14:33:03
>>334
飢饉の時だけな。
339日本@名無史さん:2007/04/05(木) 15:04:13
勝海舟の喜仙院の話でわかるが
当時の坊さんでも妻帯肉食する人は普通にいたみたいだな
というかスッポン食ってたってよ
340日本@名無史さん:2007/04/05(木) 15:16:54
坊さん曰く、まあ現代のだが
自分から命を奪って食らうのはよろしくないが人様からいただいた分は食してもよい
との見解らしい
何宗かとかはしらんけどな
341日本@名無史さん:2007/04/05(木) 15:21:49
>>339
上の喜仙院は自分でスッポンの首を落として食べたのがトラウマになって
祈祷が駄目になって落ちぶれたという話があるので
当時の坊さんでも料理してた奴はいたっぽい
342日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:18:41
西洋人の幕末滞在記からすると、鶏自体はあんまり食べたかったみたい
食用にするなら売ってくれないとか

卵はよく食した模様
茶店でゆで卵が出されたとか
343日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:26:08
外人が鶏を買って食べるのを楽しみにしてたら、夕方、子供が金を持ってやって来て、
大事に飼ってる鶏だから返して欲しいと言ったという話があったな。
344日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:35:16
式亭三馬の「浮世風呂」では男湯と女湯が分かれているように書いてある。
検閲があったから、そう書かざるを得なかったのだろう。
まぁ混浴でも薄暗くて、顔などもはっきり見えない状態だったらしいね。

「浮世風呂」、図書館でちょこっと読んだけど面白いね。
子供が夕方に帰る時、けえるが泣くからけえろと歌ったり、ままごと遊びや
喧嘩の様子など現代と変わらない。

女風呂で、若い女の子がはしゃいでいるのを年増の女がものすごい口調で
叱るとこなど、面白いよ。
345日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:39:05
ももんじ屋は江戸時代からあります。
346日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:47:22
吉川弘文館から『身分的周縁と近世社会 全9巻』が出てるけど、これ面白いよ。

本屋で第1巻「大地を拓く人びと」を立ち読みした。

山奥のほとんど農地が無い村の話。
農地が狭いから年貢を少なくしてくれと領主に言ってるから、貧乏の村と思いきや、
実は多額の現金収入があってみんな金持ち。
山で熊を撃って、肝を金に換える。薬としてかなり高く売れたんだって。
347日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:53:26
【都知事選】浅野氏、志同じならと民団に支援を要請
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1174623990/

東京都の人は、ぜひ読んでみてください。
現在、朝鮮総連や民団その他の反日団体が、総がかりで浅野を応援しています。
浅野が知事になれば、たぶん東京は終了します。
348日本@名無史さん:2007/04/05(木) 16:56:11
江戸時代は、肉食は一般的ではないよ。極端なゲテモノ食いという感じだね。

肉は小塚原あたりの連中が食うみたいな言われ方をしたり、
薬食いで牛の肉を煮るのに、庭へ鍋を持ち出し、臭いが家に入らないように
団扇でバタバタ扇ぎながら、半日かけて煮込んでゴムのようになったのを
食ったという話もある。
349日本@名無史さん:2007/04/05(木) 17:32:20
ももんじ屋
350日本@名無史さん:2007/04/05(木) 17:38:12
肉食が一般的ではないかもしれんが
一生懸命ウサギやカモなんかをとっ捕まえてますがな
猪も大人気でっせ
351日本@名無史さん:2007/04/05(木) 17:48:26
現代のように食肉用に畜産していたわけではないので、
供給量は限られていただろうな、需要も限られていただろうけど。
352日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:00:48
ウサギを一羽二羽と数えるのはウサギをたべるとき
四つ足ではなく鳥であるという言い訳のため
353日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:02:22
と、言われてますが
仏教でもウサギは釈迦が腹をすかせていたときに
自ら火に飛び込んだ動物なので食べてもいいという話をどこぞで聞いたような記憶
354日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:26:04
どこかの国では犬や猫も食うそうじゃあないの
日本は まだまだだな
355日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:36:56
>>354
犬を食わなくなったのは
徳川綱吉の生類憐れみの令の影響であって
それ以前は日本も犬を食ったりしてた
356日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:41:29
>>344
原文?
解説付き?

一度読んでみたいんだけど、原文のみだと当時の世情の解らないところがあって、ちょっと辛いのかな?
357日本@名無史さん:2007/04/05(木) 18:56:57
江戸時代は糞尿のどぶ川で洗濯し 蝿やダニに囲まれて生活していた日本人
358日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:06:00
>>355
姫路城の江戸時代の遺構や明石藩重臣屋敷跡からも調理済みの犬の骨が大量に発掘されたよね。
359日本@名無史さん:2007/04/05(木) 21:32:43
江戸の大名屋敷の発掘ゴミからは鶴の骨なども、当時は高級食材だったそうな。
360日本@名無史さん:2007/04/05(木) 22:36:37
>>355

>>329をよくみれ
361日本@名無史さん:2007/04/05(木) 22:50:33
生きるか死ぬかの飢饉の時を別にすれば
好き好んで犬は食わんだろ
362日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:08:14
例え事実であったとしても夢の無い事実はいらない。
国民みんなが時代劇の江戸の町や町民達に親近感を持っているのにぶち壊す神経が異常だよ。
歴史なんてその場に居たんじゃなければ本当のことなんてわかる訳が無い。
極端な話年号以外は総て空想かもしれない。
研究をするなとは言わないが国民の国への親しみをぶち壊す研究成果はいらない。
水戸黄門好きなお爺さんにこんなの嘘ですよなんて言う神経は異常。
363日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:10:04
>>360
675年〜794年の間に13回の禁止令が出てる。
つまりは誰も守らなかったって事だな。
364日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:37:50
しかも>>329なども「季節限定」の禁食であって、
それでも守れないから何回も禁令が出たんだよな。
宣教師も「西洋人は犬を食わないが牛を食う、
日本人は牛を食わずに犬を食う」って言ってるし。
水戸黄門の犬鍋大会とか、「お上が庶民の食に口出すな」
ってあてつけでしか考えられないよ。
それに犬料理が郷土料理のところもまだあるから
あまり批判的にとらえるばかりも良くない。


365日本@名無史さん:2007/04/06(金) 06:22:31
徳川綱吉の影響だよねやっぱ

野良犬をむやみに殺したり食わなくなったおかげで
衛生状態が向上したというのもあるらしいし
366日本@名無史さん:2007/04/06(金) 06:34:48
>>362がまんま歴史を捏造する韓国の病理にしか見えない
367日本@名無史さん:2007/04/06(金) 08:16:29
某半島国家の食文化を正当化しようとする工作員は逝きなさい
368日本@名無史さん:2007/04/06(金) 08:48:33
家畜を食する文化で犬食を禁忌するのは西洋の影響。
369日本@名無史さん:2007/04/06(金) 11:58:47
徳川綱吉が犬をとくに保護したけど
それでも食う奴だとか減らなかったから
わざわざ虐待する奴を見つけたら賞金出すようにしたりして
厳しく取り締まったのは有名
370日本@名無史さん:2007/04/06(金) 12:04:10
西洋の食文化が入ったのは明治で
肉食は栄養をつけるために推進した部分もあるが
それでも明治初期は牛鍋はゲテモノ扱いだった
371日本@名無史さん:2007/04/06(金) 12:21:28
日本の食料自給率を考えたら犬を食わなくなった方が不思議だ罠

肉より魚食えばいいとか思う奴もいるかもしれんけど
今みたいなエンジン付きの船はないから
遠出できないから近海で魚を少し取るのがやっと
だから当日は鮭みたいな魚でも高級で庶民は食えなかった
372日本@名無史さん:2007/04/06(金) 12:50:45
現代から見るとひいてしまう、犬を食べるという話題で盛り上がっているようだが、
近世には、虫のイナゴを食べる習慣も広く見られた。

今日でも信州では、昆虫食(蜂の子・ザザ虫など)の風習が残っているが、
江戸では、庶民は広くイナゴの佃煮を食っていた。
戦後もしばらくは、この食文化は残っていた。

あと、聞いた話だけ、茨城のある地方では、終戦後しばらく、犬の肉を売って歩く人がいたそうだ。

やっぱり、動物性蛋白源がどうしても不足がちだったのでしょうね。

373日本@名無史さん:2007/04/06(金) 13:55:06
佃煮ならまだイナゴだけでなくトンボ、カマキリなども某所で売ってますよ。
あと地方によっては1970年代まで犬肉当たり前、猿鍋も食べてました。
あと国民栄養白書(だったか?)から犬肉の項目が削られたのは
戦後大分たってからというのは結構知られた話・・・

そういうわけで、江戸庶民の話にもどると、
>>359
鶴を獲るのは禁じられていて、発覚すると死罪だったとか。
それでも鶴の肉を売る鳥屋もあったそうで、
鶴は相当高級食材ですね。命かかってるし・・・
374日本@名無史さん:2007/04/06(金) 14:13:14
>>373
鶴は禁鳥だったのか。
『徳川実紀』の中には、将軍家への鶴献上が度々出てくるが、
一般庶民には禁止して、支配者層だけの独占的高級食材にしようとしたわけね。

多分、鶴肉の味だけでなく、なんか「体にいい」「滋養強壮」になるとかの
効能も言われていたのではないでしょうか。

『本草綱目』では、鶴は、何に効果が見られると書いてあるの?
375日本@名無史さん:2007/04/06(金) 14:18:57
>>373
国民栄養白書に犬肉の項目があった?本当?
見てみたい。
犬肉の消費が、牛肉の消費より多かったりして。

タクパク不足を補ってくれた犬たちに、黙祷!
376日本@名無史さん:2007/04/06(金) 14:48:10
犬はタンパク不足だけじゃなく
毛皮になってたからな
明治に南極探検をした白瀬矗だって
樺太犬の毛皮のコートを着て南極を探検した

寿司といえば江戸時代では鮒寿司のような発酵させたゲテモノ料理を指すらしくて
本来の字は「酸し」らしい
今普及してるような寿司は当然当時は高級食だったようで

日本には売れないような魚、いわゆる雑魚をすりつぶして作る
蒲鉾や竹輪なんてものがあるように魚でさえ貴重
落語で「時そば」なんてあるけど
それで竹輪をお麩で誤魔化そうとするそば屋が出てくるのを考えると
そんな当時では竹輪や蒲鉾でさえ貴重だったみたい
377日本@名無史さん:2007/04/06(金) 17:11:04
脳内で御託を並べて威張ってる香具師は痛い
378日本@名無史さん:2007/04/06(金) 17:38:03
>>362のことか…?

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

380日本@名無史さん:2007/04/06(金) 18:56:05
イナゴの佃煮って…
普通に食うだろ
最近みないけど
381日本@名無史さん:2007/04/06(金) 21:19:54
蜂の子、いなご、ざざ虫
某県の三大栄養素
382日本@名無史さん:2007/04/06(金) 21:23:26
>>381
某県って、>>372に信州って書いてあるのだが?
383日本@名無史さん:2007/04/06(金) 21:47:55
鶴は万年
縁起物

まあ今じゃ絶対に食べられない罠
384日本@名無史さん:2007/04/06(金) 22:11:15
北の将軍様は、食べていそうな気が・・・。
385日本@名無史さん:2007/04/07(土) 10:41:19
イナゴは俺の田舎の庄内のスーパーでパック詰めで売ってたけどな。
子供の頃、イナゴを袋一杯に取ってきて佃煮にしてくれと頼んだもんだ。

(30代)
386日本@名無史さん:2007/04/07(土) 12:56:34
385さんへ
イナゴの佃煮ってどんな味ですか?
おいしいの?
私は母に、子供の頃つくしの佃煮を作ってもらいました。
387日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:07:02
うちの両親は静岡の農家出身だが、
昔から田舎からイナゴ送ってくれたけど。
佃煮というか、甘露煮って感じかな。
甘くてうまいよ。
388日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:30:41
小さい頃、鮒やドジョウを釣ってきては母に甘露煮にしてもらった。
389日本@名無史さん:2007/04/07(土) 15:54:30
インターネットは世界につながっているのに日本人にとって恥ずかしい事を書くのは配慮が足りない。
外国人が「日本人は虫を食う」と言ってこのスレをソースにしたらどう思う?
日本人は飽食の中で生きてきたのに虫を食う一部を日本人像にされてしまう。
390日本@名無史さん:2007/04/07(土) 15:55:13
(;゚ω゚)
391日本@名無史さん:2007/04/07(土) 16:10:35
>>389
痛い人だ・・・
392日本@名無史さん:2007/04/07(土) 16:49:24
>>356
古文の知識がなくても結構読めるよ。
新古典文学全集岩波書店

しかし、あれだね、江戸時代の肉食の話になると必ず『日本人も犬食ってた』というレスが
連続してつくから不思議だね。前にも、他のスレで全く同じ展開があった。

在日の人が常駐してんのかな。別に韓国人が犬食おうとオレはどうでもイイと思うけどね。
犬食コンプレックスかね、同化すれば楽なのにご苦労なことだね。
393日本@名無史さん:2007/04/07(土) 17:25:35
>>392
日本が犬食ってないっていう奴のレスも連続してるし
韓国が犬食ってるのはどうでもいいとか言うけど
どうでもいいなら、わざわざ韓国と比較して「日本は犬なんか食わない!」なんてわざわざ言う必要もないだろう

なんというか、>>362>>389とかの考え方こそ
歴史の悪い部分を隠して、捏造してる韓国と同じ考え方だとわからないのか
ある程度悪い事実も認めてこその歴史だろう

あくまで少なくともある程度、資料がはっきりしてる確定してる事例にいちいち文句つける奴は
チョンだろうが日本人だろうがクソだってことだ
394日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:01:15
水戸黄門なんか見て浸って親近感とか言う奴は
木枯らし紋次郎を見るべきだな
水戸黄門と同じフィクションでも紋次郎は当時の時勢がよくわかる時代劇だ

農民は田んぼに水を引くことで村同士で争って死人出したり
関所で厳しい取り調べがあったり
395392:2007/04/07(土) 18:13:52
>>393

>なんというか、>>362>>389とかの考え方こそ
>歴史の悪い部分を隠して、捏造してる韓国と同じ考え方だとわからないのか

アフォか、362とか389とか、明らかに自作自演のザイだろ。

>あくまで少なくともある程度、資料がはっきりしてる確定してる事例にいちいち文句つける奴は
>チョンだろうが日本人だろうがクソだってことだ

はっきりしたのは、お前の国籍。犬食なんてどーでもイイこと。

人間は食い物が無ければなんでも食う。犬でも猫でも馬でも牛でも食う。
問題は肉食を忌避していたかどうか。喜んで食ってる奴がいたらそれはどの階層のどういう奴らか。
肉食にはどういう意味があったのか。
ももんじ屋にはどういう肉があり、どのように食されたのか。経営者はどういう人々か。
食肉の流通はどうなっていたのか。店に通う人々はどういう人か。

そういうことが興味の対象になる。それだけ。

食ったか食わなかったとかいうのは、韓国人が起源がどうたら言うのと同じくらい次元が低い。
そういうのは、ハングル板でやんな。
396日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:21:22
>>395
どこが自作自演のザイなんだ?
ザイってならなんで
>日本人にとって恥ずかしい事を書くのは配慮が足りない。
とか書くんだよ

あとさ韓国起源どうたらとかどうでもいいとか言いながら
なんで対象者の国籍なんか気にするんだよ?

食った食わないでも十分興味ある人はいるし
知らない人だっている、それを自分の都合で次元が低いとか言うなよ
それに食った食わないでも、ちゃんと分析してる

むしろ犬談義でいえば、食ったという奴は資料や当時の情勢を分析してるだろ
397日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:23:16
>>396
笑わすなよ。
398日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:26:38
在日だからどうだとか言う奴に限って
選民思想が強いんだよ

本当に韓国だとかどうでもいいなら在日とかいう言葉は出さないだろ
399日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:34:20
>>395
>在日の人が常駐してんのかな。別に韓国人が犬食おうとオレはどうでもイイと思うけどね。
>犬食コンプレックスかね、同化すれば楽なのにご苦労なことだね。

>食ったか食わなかったとかいうのは、韓国人が起源がどうたら言うのと同じくらい次元が低い。
>そういうのは、ハングル板でやんな。


おまえ、自分でどうこう言ってこれはねーだろw

400385:2007/04/07(土) 18:35:07
>>386
味は濃い目にして分からなくしてたんじゃないかなぁ・・・
いわしの煮干を煮付けたら、食感が似てるかも?
脚の処理が結構無造作のことが多くて、歯の間によく挟まったりした。
401日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:40:37
そんなに熱くなるなよ。犬食ったって良いんだよ。
ただ、江戸時代の肉食の話になると、すぐ犬の話になるのはホントだな。
毎度毎度でよく飽きないなと思うね。
冊封の話でもムキになるね。あと、騎馬民族征服説とかさ。
402日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:45:36
在日は日本を叩くもんだろ>362や>389はウヨだろ
右翼と左翼と在日の違いとかわからんのか


木枯らし紋次郎といえば
実際あれは関東圏をぐるぐる回ってるだけなんだよな
理由が強い大名領だと警察力が強くて渡世人みたいな
国籍不明の博打打ちは捕まるからってのが面白い
しかし、江戸はとくに厳しくて原作では紋次郎も変装して江戸に入ったが
ドラマじゃ汚いかっこのまんまだった

江戸は治安良かったとは聞くが
すぐ外の他の関東圏はかなり悪かった紙一重とは怖い世の中だ
403日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:48:40
おおーw。朝鮮半島がらみとなると、盛り上がるな。
みんな朝鮮を意識し杉。

西洋文化や中国・アメリカ文化の影響を語る時みたいに、軽く行きましょう。
404日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:50:46
>>403
からませてない
日本が犬食うのを、誰も朝鮮ととくに絡ませてなかったのに>>392がマッチポンプ
405日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:53:18
>>402

362と389は、わざと馬鹿なウヨのつもりで書いてるんだろ。そんなのすぐにわかるじゃん。
つまり、ガイセンウヨにザイが多いのと同じ。
ん、ちょっと違うか、あれは893の副業だからね。

でも、ザイが馬鹿なウヨ風のレスをつけるのはよくあること。自作自演。チョゴ桐と同じ。
406日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:55:48
>>405
だから証拠はと・・・お前の脳内ソースは無しな
右翼はみんな在日とか都合よく捏造すんなよ
407日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:57:17
キムチ臭くなってまいりますた。
408日本@名無史さん:2007/04/07(土) 18:58:06
左翼が韓国かばいだしても在日
右翼が日本かばいだしても在日
要は都合が悪ければみんな在日

もうさ、江戸時代の攘夷運動じゃないんだから
マジで当時は地震や台風まで外人のせいにしてたからな
伝染病が入ったのは間違いなく外人のせいだったが
409日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:00:24
>>408
>左翼が韓国かばいだしても在日
>右翼が日本かばいだしても在日
>要は都合が悪ければみんな在日

そんなこと誰も書いて無いよ。落ち着けって。
410日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:02:07
マジレスで右翼ってのは排外主義なんだから
在日が右翼って理屈はおかしいけどな
411日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:09:07
そういうおかしいことがあるのが不思議なんだよねー。
412日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:10:46
お前等スレ違い。
413日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:19:39
江戸の庶民は犬よりすっぽん。常識だろ。
犬食よりすっぽん鍋の話で盛り上がるのが、正しい日本人のあり方じゃないか。
お前等すっぽん食ったことあるのか?
414日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:32:03
在日が右翼って理屈はおかしいけどなって思ってる人は、
『在日 右翼』で検索してみよう。世の中は不思議がいっぱい。
415日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:39:39
>>414
>「保守、親日、愛国」とは無関係の人達です。
>警察庁ではエセ右翼と呼んでいます

要はそういうことだ。つまり右翼じゃない
真の右翼はコリアンじゃないよ。
416日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:45:29
>>415
うん、エセに多いね。
でも、真の右翼にもコリアンはいるよ。
「国籍は関係ない、天皇陛下の赤子として生きていく」と言っていた。
まぁそれもありだなと思った。笑
417日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:51:37
>>416
それはヤクザ関係者に多い
任侠が右翼思想と交わってて日本では任侠=右翼
そして環境的に不遇なコリアンがヤクザになったってだけの話
基本右翼団体のほとんどは日本人でしょ

江戸時代庶民スレなのでスレ違いにならないように
ヤクザの話も混ぜれば、当時は岡っ引きとかは給料が安い副業なので
基本的にボランティア感覚で町で顔が利く人間が岡っ引きになるから
それこそ二足のわらじで、ヤクザが警察という状況があった
だからこそ日本じゃヤクザってのは任侠や義侠として、海外みたいなギャングじゃないのかもね
418日本@名無史さん:2007/04/07(土) 19:56:26
>>417

>それはヤクザ関係者に多い
>任侠が右翼思想と交わってて日本では任侠=右翼
>そして環境的に不遇なコリアンがヤクザになったってだけの話
>基本右翼団体のほとんどは日本人でしょ

むちゃくちゃ書くなぁ。お里が知れるよ。まぁ君たちが何を書こうとバレバレだから。
419日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:01:28
解同が公権力を握るに連れて、
解同系の土建屋団体が右翼団体になっていくケースが一番多いんだけどね。
それに朝鮮総連や民団の一部が乗っかかるというパターン。
解同予算や公共事業の解同枠が諸悪の根元だよ。
連中が最も簡単・確実に資金源に出来るから、絶対に離さない。
420日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:13:28
>>418
ウィキにも書いてるが
戦前に政府がヤクザを右翼に仕立てあげたりした
結果的に戦後に在日がヤクザになったりした経緯があるって話
現在は>>419がすべてだが
421日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:20:07
まぁヤクザを在日に仕立てたい気持ちはわかるが

日本という国は江戸時代からヤクザと社会がマイナスな意味じゃなくて
深く結びついていて、ヤクザが町の治安を守ってた部分もあって
勝海舟が新門辰五郎と協力したり
無政府状態のときに勝海舟がヤクザの親分に金を配って回って
治安維持に当たらせたのは有名なお話
422日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:23:11
もういいじゃん。しつこいよ。日本人も犬を喜んで食べてましたってことで収めようよ。
423日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:26:27
【都知事選】浅野史郎氏、志同じならと民団に支援を要請
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1174623%3990/

東京都の人は、ぜひ読んでみてください。
現在、朝鮮総連や民団その他の反日団体が、総がかりで浅野を応援しています。
浅野が知事になれば、たぶん東京は終了します。
424日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:27:27
脱線させてるのは嫌韓厨だろ
日本が犬食ったのは韓国の影響とか誰もいってないし
ヤクザ話も嫌韓厨が在日をからませようとしてる

日本だってヤクザくらい元からいるだろと
425日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:32:37
>>424
収まりかけてるんだから、下らないレスつけるなよ。だからお里が知れるって書かれるんだよ。
426日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:33:43
>>425
お里が知れるとか言いながら
お前が噛みついてるんじゃねーか!
>>418
427日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:36:16
俺は>>417>>421だがせっかく江戸時代の話も混ぜてるのに
とにかく反論するならお前も、江戸時代の話を混ぜれ
428日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:37:52
反論って、キミ。 笑
429日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:44:01
ただくだらん煽りする奴よりは意見言う奴のがマシだろ
学問系の板なんだら


俺もトリビア
江戸時代はふとんが高くて庶民は敷布団だけで寝ていた
430日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:45:13
時代劇で出てくるみたいに太くて羊羹のような髷をしていたらダサくて笑われたらしい。
実際の髷はずっと細くしていたそうだ。
431日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:49:08
>>429
布団の形状が違うの。敷布団だけじゃ寒くて寝れるわけがないだろ。アフォ。
着物の綿入れみたいな袖つきの「布団」をかけるんだよ。
432日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:52:37
>>431
アホ
綿なんて当時じゃ高級品だ
敷き布団にくるまって寝てたのが真実なんだよ
433日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:55:57
>>432
ほほう、それは面白いね。敷布団には高級品の綿が詰まっているのかい。
高級品の綿を敷くなんて、そりゃまた豪勢だねぇ。
434日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:57:36
だいたい、君の言う庶民とはどのクラスなのかな?
日用層かい?
435日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:58:20
>>431
丹前だな。
436日本@名無史さん:2007/04/07(土) 20:59:53
>>433
綿が安くなるのは明治になって輸入されてから
貧乏人は蚊帳にくるまってたりして寝てて
敷き布団だけでも高級品だ
敷き布団を折るようにしてくるまるのがせいぜいだな
当然、金持ちは掛け布団もあった
437日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:03:46
当時でいえば布団は一枚数百万で
今で言えば車一台買うようなもんだな
438日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:04:45
>>436
ほほう貧乏人でも蚊帳を持っているんだね。
あれは結構高いよ。

さて、キミが江戸時代の貧乏人なら敷布団を折ってくるまって寝るかね?
オレならゴザでも2枚買って、中に藁でも詰めて、高級品の敷布団を
かけて寝るがね。その方が暖かいだろう?
439日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:09:18
>>438
どこまでもアホだな・・・
江戸時代は蚊帳は庶民にも普及したし
町では蚊帳売りが普通に歩いていたほどだ

お前さ、それで板や土の上ひいて寝てみろよ、体痛くなるから
敷き布団の方が体を保護するから長時間寝ても痛くならない
それに暑い夏は掛け布団なんていらないだろう
440日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:13:23
>>439
はいはい、蚊帳は普及していましたよ。
蚊帳を買えるなら、「掛け布団」(着物の綿入れみたいな袖つきの「布団」)が買えるって言ってるんですよ。
私のレスを読んでから書いてくださいね。
441日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:15:35
>>439
下に敷くなら、藁入れのゴザで十分でしょ、ホントに貧乏なら。
なんで高級品の敷布団を敷くの?
442日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:16:35
>>440
ほんとアホだな
麻製の蚊帳はそりゃ当時も高いが
紙製の蚊帳というものがあるんだよ・・・
443日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:18:30
>>441
いやどう考えても藁とはフィット感が違うでしょ
ハイジの納屋みたいに山盛りの藁なら少しは柔らかいだろうが

だから掛け布団は暖かいとか言うけど
 夏 は ど う な る だ よ
敷き布団は一年中使えるだろ
444日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:20:57
オレが江戸時代の貧乏人なら、敷布団は買わないで、袖つきの掛け布団を買う。
敷くのは藁で十分。
袖つきの布団は結構重宝。外にも着て行ける。
式亭三馬の「浮世床」の挿絵にあるね。
445日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:21:30
>>444
つかそれは俗に言う「どてら」のことな
446日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:22:50
馬鹿だなぁ。そもそも、掛け布団ぐらい買えるの。貧乏人じゃないかぎり。
あれか、庶民=貧乏人か?
447日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:24:22
>>445
「どてら」ではない。当時は「布団」。大きさが全然違う。
448日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:25:55
>>442
江戸時代の庶民は、紙製の蚊帳にくるまって寝ていたんだね。
449日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:26:19
上方では丹前と呼ばれたが、江戸ではどてら
450日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:26:59
>>448
>>436
貧乏人は…って書いてないか?
字がよめないんですか?
451日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:27:53
社会階層によって違うであろう事を一般論として語られてもなあ。
452日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:29:10
つか、草双紙とか読んだことないのか?お前等。
日用層は貧乏だけど、職人レベルだと普通にそこそこの暮らしをしてるぞ。
敷布団にくるまって寝たりはしない。
453日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:31:17
>>449
「どてら」でも「丹前」でもねーよ。
454日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:31:26
ttp://www.h2.dion.ne.jp/~wata.kh/singurekisi.htm
>ふとんと言えば敷き布団のこと 
 
>江戸時代ではふとんと言えば敷きふとんの事を意味した。掛けふとんにあたる物は衾(ふすま)ないしは夜着(よぎ)であった。この区別ははっきりしたもので混同される事はなかった。現在のような形の掛けふとんは江戸時代も相当後半である。 
455日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:32:22
>>450
庶民=貧乏人ですから。
456日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:32:53
>>455
>>451

おまえらめちゃくちゃすぎw
457日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:37:35
つまり、454の

『江戸時代ではふとんと言えば敷きふとんの事を意味した。』

をどっかで聞いた429が、江戸時代には敷布団しか無いと思い込み、

『江戸時代はふとんが高くて庶民は敷布団だけで寝ていた 』

と書いたわけだね。
458日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:40:40
>>457
>>454

>なんと3枚で100両した。

と書いてるだろ
さっきから馬鹿しかいないのか
459日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:44:34
>>458
花魁へのプレゼントは特殊な例、当時でもニュースになるくらいの。
460日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:44:36
>>458
あのなぁ、一枚30両以上する高級布団を一般人が買うわけ無いだろ。
花魁が使う布団と一般人の布団が同じだと思ってるのか?
馬鹿もいい加減にしないと父さん怒るよ。
461日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:45:49
>>460
当時じゃ数百万だから
>>444の言うように天領の人間でなら買うよ
462日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:46:46
>>452だな職人レベルの人間なら買える
463日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:47:35
>>461
父さん悲しくなってきたよ。
464日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:50:05
だからー、国に帰ったほうがいいって。その方が幸せだって。
465日本@名無史さん:2007/04/07(土) 21:59:35
当時の最下層の商人でも一日500文の稼ぎがあって
一両=6000文だから半月もあれば一両たまる
一両=8万として、要は月給約16万で下っ端サラリーマンってとこだ
だから中間管理職くらいの人間ならふとんは余裕で買える

時代劇じゃさも一両を大金みたいに扱うけど
当時としてみればそこまでたいしたもんじゃないし
江戸後期ではさらに一両の価値が落ちてたからそこまで驚くものじゃなかっただろうな
農民なんかには大金だが
466日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:10:17
>>465
農民もいろいろなの。
兼業で銭儲けしてる奴いるし。
元禄頃のオレのご先祖さん、農業の傍ら、屋号を持って味噌をつくって儲けてた。
いつの時代も、身分がどうあろうと儲ける奴はちゃっかり儲ける。
467日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:18:43
豪農や庄屋は儲けてるし
天領は税金安かっただろうけど

地方の藩とかの農民はほとんどは極貧だったんじゃないかと
468日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:26:56
当時の家賃は店舗つきの2階建てで2000文だから約2万6千円
普通の人間が住むような長屋は400文だから家賃が一万もしない
だから当時は数日働けば、一ヶ月普通に暮らせるので
なまけものも多かったとか

あくまで町人の話だが
469日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:27:34
>>465
最下層の商人って商家の奉公人のこと?
それとも江戸市民の多数派であるボテ振りや日雇いのこと?
470日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:28:49
布団屋って有ったの?
471日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:29:11
>>467
そういう決め付けはよくない。上のレスに山奥の寒村でも熊の胆で儲けてる例があったでしょ。
水呑みでも、商売をやって羽振りが良いものもいた。

岩波新書に『江戸時代に差別されてた村』を研究したものがあって読んだら、金融業で
儲けてる百姓が5、6人いた。その中には、凶作の年に米を転がして多額の差益を得ようとして
バレて叱りを受けた者もいる。

いろいろだよ。
472日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:29:44
>>469
日雇いでも職種によって給料は違うけど
どっちかといえば後者で、さらにその安い方で
473日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:44:51
どっかの坊さんの話で
寝てたら泥棒が家に入ってきたけど何も盗むものがなくて困ってたから
わざと寝返りうってふとんから離れたら
泥棒が喜んでふとん持って行った話があった

ふとんは高級品だからふとんを狙う泥棒も多かったらしい
474日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:49:10
さんざ国へ帰れとか言ってた奴が
ふとん談義でも無知で論破されまくりでワロス
475日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:58:04
紙製の蚊帳は紙帳と言うんですね、部屋の中に紙製のテントを張る感じですね。
476日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:36:05
布団談議オモシロス
確かに、あの吉原の文章だけ読むと勘違いしやすいかも

蚊帳が布団代わりに使われてたのは初めて知った・・

でも今の感覚からすると1番距離があると思うのは枕
当時の枕で寝られる自信は自分には無いなあ
477日本@名無史さん:2007/04/07(土) 23:50:43
布団は数百万でも
一生使うものだと考えたら数百万でも買うよな

江戸時代は電化製品なんてないから家具なんかでも他に金使わないし
478日本@名無史さん:2007/04/08(日) 00:01:21
>>476
安心して寝ることを、「枕を高くして寝る」というが、江戸時代の枕は
(と言っても時代劇で見たものだが)、ずいぶんと高い気がする。

この諺が江戸時代にすでに在ったとしたら、あれ以上高くして寝るという意味なのか、
それともあの高い枕で寝ると安心できるという意味なのか?

そこんとこはどうでしょう?
479日本@名無史さん:2007/04/08(日) 00:07:55
>>477
何世代にも渡って使うんだよ。
480日本@名無史さん:2007/04/08(日) 00:19:16
>>476
紙は保温効果があるからね
ホームレスがダンボールなんかで寝てたりするのもそういうこと
481日本@名無史さん:2007/04/08(日) 02:08:15
ttp://item.rakuten.co.jp/kagoo/zkns30zeus/

3000万円の布団だそうだ。生地と中綿にいい物を使うととこんな値段になるのか。
1両8万円とすると375両.
これからすると、花魁に贈ったっていう三枚百両の布団もおかしくはないのかな。
482日本@名無史さん:2007/04/08(日) 06:50:27
現代だってキャバクラのねーちゃんに数百万のバックや時計貢ぐおっさんはいるだろう
下手したら車やマンションまで
感覚としては現代のそれとかわらん
483日本@名無史さん:2007/04/08(日) 06:59:47
当時は綿は高級品だからふとんは高いとさんざん言われてるだろう
日本が今使ってるような綿は全部輸入品
江戸時代は鎖国してるんだから綿なんて少ししか手に入らないし
たいがいは綿でなく繊維にされたりして生地になる

さんざ言われてる肉についても同じだ
日本の自給率は低いって社会科でも習ったように
たいがいのものは輸入で成り立ってる
現代じゃ石油だって輸入品だから今鎖国したら肉どころか
車が使えなくなるから流通困難で野菜さえ食えなくなるだろう
484471:2007/04/08(日) 14:12:33
>>474
論破されたのは、在日の人のトリビアでしょ。
なんで読めばすぐに分かるような嘘を書くんだろ。
人間としての最低のプライドもないの?
いくら綿が貴重でも布団が数百万もするわけないでしょ。
花魁の布団が高価なのは、生地が最上級の絹だからでしょ。
中の綿以前の問題ですよ。
そんなことは考えなくても分かるじゃないですか。

>>483
君は綿を伸ばしてる娘の浮世絵を見たことないの?
綿花は江戸時代の重要な商品作物だよ。知らないの?

471の本は
岩波新書黄版98『ある被差別部落の歴史』
たぶん絶版なので興味ある人は図書館で。
在日の寝言を聞くよりはるかに有益だよ。当たり前だけど。

485日本@名無史さん:2007/04/08(日) 14:43:03
>>484
ttp://www.osaka-shoseki.co.jp/kyoka/r_junior14_txt/r1403_03_1.html
>江戸時代の民衆にとって,綿や衣類はかなり高価なもので,新しいものはかんたんには手に入りませんでした。
>ですから,火事のときにはまず布団をもってにげましたし,衣類はもっぱら古着を着ていました。


>>483
>君は綿を伸ばしてる娘の浮世絵を見たことないの?
>綿花は江戸時代の重要な商品作物だよ。知らないの?

>たいがいは綿でなく繊維にされたりして生地になる(>>483の発言)

綿を伸ばしてるのを「繊維」というんじゃないのか?

あ。わかった、お前在日だろ。
最近エセ右翼といって誰でも在日扱いとか馬鹿な嫌韓して工作する
在日が多いらしいから
486日本@名無史さん:2007/04/08(日) 14:45:28
綿を伸ばしてるのを繊維だって言葉を知らないって
どんだけ日本語不自由なんだ
487日本@名無史さん:2007/04/08(日) 15:07:28
>>484
>そんなことは考えなくてもわかるじゃないですか。


(゜Д゜)
488日本@名無史さん:2007/04/08(日) 15:10:41
いや、まぁ普通の人間は部落問題の本とか読まないし
しかもそれ関係の絶版の本とか読んでるとか
>>484は在日部落の人間だろう
489日本@名無史さん:2007/04/08(日) 17:33:45
なんで読めばわかるとか
考えなくてもわかるとか言って
理論もソースも出さずに悩内妄想だけ撒き散らしていくかね

そして部落の本だけ宣伝して消えるって…
490日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:55:09
布団は高い=だから庶民は布団を持って無いには、ならないだろうに。
491日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:00:19
>>490
いやそんなこと誰も書いてないし
要は高いから貧乏人には買えない
庶民でも一枚買うのがやっとってことだ
492日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:04:53
どこをどう読んでも>>484が言うように

>花魁の布団が高価なのは、生地が最上級の絹だからでしょ。
>中の綿以前の問題ですよ。

>>454
>花魁(おいらん)にプレゼントされたふとん  
>なんと3枚で100両した。ふとんは庶民にとってなかなか手に出来ないものだったことがわかる。
>貴重なので泥棒にねらわれた、又婚礼ふとんなどはかなり裕福な家庭のものだけだった。
>ワタを自分で栽培できる者は何年もためて作ることができたであろうが、
>買うとなると、大変だったことは想像がつきます。ワタのほとんどは糸・布に加工されていました。

どこに絹なんて書いてるんだ…
493日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:18:27
まあ、吉原の布団は特別
確か、とてもぶ厚かったハズ
庶民の煎餅布団とは比較にならん
494日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:27:35
>>493
それでも30両=240万としたら
安いのでも100万以上はするだろうな
495日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:37:15
そんな高い布団は いらん
藁に くるまって寝とけ
496日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:46:03
藁の家に寝てた半島人はそれでいいだろうな
497日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:57:30
夜着(かいまき)って、これか。
http://ikedaya210.com/2.html
498日本@名無史さん:2007/04/08(日) 22:48:29
>>494
ロレックスとその辺の腕時計較べるのと同じ

引き手茶屋から何やらで一回の遊びで、??両が湯水の様に消えて行く
それを何回も通って馴染みになって、やっとプレゼントするような代物

現代だと上にもある様に、ポンと高級外車贈る感覚だったのかな
499日本@名無史さん:2007/04/08(日) 23:00:09
綿入り布団が 本当に高価なら
百姓は 鶏の羽でも詰めて寝てれ
500日本@名無史さん:2007/04/09(月) 00:01:02
>>499
養鶏農家はあったし、所によっては200羽くらいいたらしいけど
今ほど数はいなかっただろうし
ほとんどの農民は米作だから、それも無理

綿から作る木綿自体が貴重で服でさえ高価で、新品なら数両はする世の中だし
だから追い剥ぎなんていって服まで盗むのが当たり前の世の中
現代じゃギャンブルに負けて服で返すなんてできんけど
当時じゃそれができたから時代劇で博打に負けて下着姿なんて描写がある
501日本@名無史さん:2007/04/09(月) 09:22:29
少々年配の方なら感覚がわかるんだろうが
現代日本でも服の価格が安くなったのはつい最近なんだけどなあ
502日本@名無史さん:2007/04/09(月) 11:17:16
3枚100両の布団だって、原価は一両もしないだろう
金出す阿呆がいるから、ぼったくってるだけだ
503日本@名無史さん:2007/04/09(月) 11:23:22
布団も代々受け継がれていてね
打ち直しとかして使っていたんだよ
これは綿が貴重だったこともあるが
そもそも江戸時代ってのはそういう文化だったってことも重要だ
これは布なんかでも同じで古い布を継ぎ接ぎしたりもしくは糸レベルまで戻してから
布に作り直したりしているんだ
504日本@名無史さん:2007/04/09(月) 12:23:09
江戸時代は 綿が一般に衣服に使われていたんだから
布団に詰める綿だって、そんなに高価にならない筈

破格の布団があったことをネタに 庶民が布団を買えなかったとかいう香具師は
イタイ
505日本@名無史さん:2007/04/09(月) 12:26:06
高価かどうかはだれが買うかによって違ってくるんだろうから一概には言えんさ
だが実際に綿の着物などは百姓が着るんじゃないみたいなお触れが何回か出てたはずだから
高級品ではあったんじゃないか?
まあそれは下級武士にとってという視点からしてみたら だが
506日本@名無史さん:2007/04/09(月) 13:30:28
>>505
そういうお触れが出るという事は、綿を着てる百姓が結構いたんでないの?
高く売れるもんなら、自分で着ずに売っぱらうだろ。
507日本@名無史さん:2007/04/09(月) 13:33:15
そうだよ、ただそれを贅沢だという規範があるってことでもあるよね
持てる者には持てるが持てざる者もまた多いってこと
べらぼうに高い物ではないがそうだれもが買えるものではないってことね
508日本@名無史さん:2007/04/09(月) 13:59:26
上からさんざ捏造してる奴がまた沸いただけだろ

>>457に「ワタのほとんどは糸・布に加工されていました。」
と書いてるのに
>>504
>江戸時代は 綿が一般に衣服に使われていたんだから
>布団に詰める綿だって、そんなに高価にならない筈

とかアホなこと言ってる
綿花が木綿にされるからワタが稀少品ということなのに
日本語が読めないんだろうかね・・・

それに誰も庶民が持てないなんて書いてない
レスを読み返しても>>429は庶民がふとんを持てないなんて書いてない
509日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:12:57
勝海舟の氷川清話に

「妻をめとった後もやはり貧乏で、一両二分出して日蔭町で買った一筋の帯を、
妻に三年の間締めさせたこともあった」

という記述がある
日蔭町は当時は古着屋街のことで
貧乏人が締めるような古着の中古の帯でも一両二分したということ
勝海舟が結婚したのは弘化二年だから、黒船が来る前とはいえ江戸後期だから
だいたい6万くらいしたということになる

中古のボロ帯でさえ当時は6万するのを考えたら
布団が現代の価値で数百万するのも想像に固くはないだろう。
当時は鎖国をしてたんだから、日本国内の物資は今ほど豊かじゃないんだから

まぁこれを読んで氷川清話まで捏造だとは言い出さないことを祈るよw
510日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:13:48
上で散々農家の副業について書かれているのに
綿花や絹が農家の副業としてどれほどの収入を与えていたかを言うヤツがいないのが笑える
511日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:15:32
>>510
綿花や絹を生産してた農家が大半を占めないからだろ
あくまで庶民の話なら平均的な町人や農民を指すはず
512日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:30:26
綿花ってのは結構各地で栽培されていたはずなんだがな
採算が合わなくなって栽培をやめている地域も結構あったりする
所詮副業の悲しき性ってことだな
513日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:33:02
絹を町人が着ちゃいけないなんてお触れが出て
木綿の価格が高騰して、絹農家が大打撃を受けたなんてのもあるね
514日本@名無史さん:2007/04/09(月) 15:11:14
なんか勘違いする奴がいるからわかりやすくまとめると
木綿が高級品なのは
現代の視点から見てだ。

つまり当時としては高級品という扱いではなかったが
それでも価値に換算すれば現代よりは数倍する
「高いのが当たり前」で「高級品という感覚がなかった」という話

だから現代みたいに服は何着も買えるものではなかったのが当たり前
木綿一反が当時600文で18000円する。(時期によっては高かったり安かったり)
今ならせいぜい木綿一反は4000円もしない

その上、木綿に加工されるんだからワタ自体は出回らないものなので
「ワタは木綿よりも高い」
いくらせんべい布団でも大量のワタを消費するのだから
相当な高級品というのが結論

木綿が高くないとか、布団が高くないなんていう奴の間違い
515日本@名無史さん:2007/04/09(月) 15:37:01
>>505
農民にお触れが出たのは木綿じゃないだろ絹だろ
あとは>>513の通りで、逆に絹が売れなくなったから
売れない絹を着る農民がでたりした
516日本@名無史さん:2007/04/09(月) 15:58:59
副業で稼ぐ農民なんて本当にごく一部だろ
絹禁止で木綿高騰、さらに庶民は木綿を買わなくなり、古着で済ませる
副業の綿花栽培は採算とれなくて廃業
517日本@名無史さん:2007/04/09(月) 16:19:20
そうしてリサイクル文化に華が咲き、その業者や
農民からの作物を加工、流通させる業者、いわゆる商人はウハウハ
農民死亡、町人文化の時代がやってくる
518日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:21:37
とりあえず上から犬だとか虫食うのが気に入らない奴が
気に入らない奴を在日扱いして
簡単に論破されて
実はそいつが日本の歴史を知らない馬鹿な在日ウヨだったというオチか
519日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:22:23
ちなみに、当時は現代と違って「古着=ボロ」の感覚は無かったと思うよ
「吊し」の服買うなら古着屋

呉服屋には完成品の着物は置いてない
反物があるだけでオーダーメイド
520日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:26:09
古着はボロではないとは思うけど
勝海舟の記述は確実にボロい古着を指すと思う
勝海舟のド貧乏っぷりはガチすぎるし
薪を買う金さえ無くて、家の天井解体して薪にしてたくらいだし
収入から考えても当時は幕臣無役だから収入も年収10両くらい…
それが幕末には軍事総裁にまで出世したんだから凄すぎる
521日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:43:52
ついでに勝海舟は布団どころか、たたみ、蚊帳までうっぱらってしまっていて
当時、勝海舟に蘭学を習っていた杉亨二の証言にも「容易ならぬ暮らし」とある

ほんと、実際どうやって寝ていたのだろうか…
本人の証言では剣術の稽古着くらいしか持って無かったが
剣術の寒稽古で培った気のおかげで暑さ寒さは平気だったとか言っているが

そして同じ貧乏でも蚊帳で寝ていたのは山岡鉄舟
奥さんと二人でくるまって寝てた

二人とも同じ幕臣で無役当時の話だけど
農民の平均的な収入も10両くらいだというから
当時の農民も同じような暮らしをしてたと考えていい
522日本@名無史さん:2007/04/10(火) 00:36:07
いくら武士が貧乏で悲惨でも武士は武士。庶民では無い。
ここは庶民スレだから何の関係も無い。
ここら辺が現代でも労基法の国籍、信条、『社会的身分』
523日本@名無史さん:2007/04/10(火) 04:06:48
そうだな武士のほうが見分が高い分体裁を整える費用が掛かるのでもっと悲惨だな
524日本@名無史さん:2007/04/10(火) 08:50:35
農民の年収が10両程度でも実際に食うものが多少でも作れる分まだマシ
武士の生活は本当に悲惨そのものだ
だから農民ではなく下級武士が幕府に対して反乱を起こすわけだがw
525日本@名無史さん:2007/04/10(火) 12:55:53
>>524
古今東西、革命家は上流階級出身が多いのが常識。

高杉晋作・桂小五郎・井上聞多・久坂玄瑞ら、長州革命派は上士階級の生まれ。
伊藤博文は農民の生まれ。足軽などの貧困階級出身者と言えば山県有朋だが、
山県は高杉達の革命運動を引き止めてばかりいた。

土佐勤王党も郷士階級が多いとは言え、武市や坂本を始め富裕な郷士が多い。

薩摩精中組は加治町の青年組だから一応全員が城下士。薩摩で酷く差別されていた
郷士階級出身と言えば桐野と川路だが、対照的な道を歩んだ。
526日本@名無史さん:2007/04/10(火) 13:57:10
つまり裕福なのは町人くらいなもんだ
それでも天保の改革なんかでぜいたく禁止にされたそいで
職人や役者やそれに関わる商人は大打撃を受ける。
地方の農民なんかはなおさらだ

それに重なるように海外から開国の要求やらいろいろあって
庶民の不満は爆発
そして幕末へ
527日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:03:12
実際は大塩の乱のように
庶民の貧困を見兼ねた武士が立ち上がったのが一般的
下級武士だけの不満で動乱にはならんよ
528日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:12:56
さて、解説しよう。
在日君が犬食にコンプレックスを持っていることは先に書いたが、さらに彼らは
江戸時代の多様な文化にも嫉妬しているのである。
在日君はさすがに江戸時代の多様な文化を否定することはできない。そのかわりに
庶民は貧しくて江戸時代の豊かな文化を享受できなかったと必死に思い込んで精神の
均衡を保っているのである。

特に衣装文化には大きなコンプレックスがある。
朝鮮民族はご存知のように白衣民族とも言われ、白木綿の衣装が一般的であるからだ。

在日君は、江戸時代に綿作が行われていたことは必死に否定、もしくは過小評価する。
日本は戦国時代以前までは、綿を朝鮮や明からの輸入に頼っていた。ここから妄想し、
江戸時代も引き続き綿を輸入に頼り、日本の綿産業は脆弱なもので、綿布、ワタは高価で
貧しい庶民は江戸期の豊かな衣装文化を享受できなかったと思い込んでいるのである。

上のスレで盛んに鎖国がどうたらとか必死に書いているのがそれである。

江戸時代の綿作は、社会に非常に大きな影響を与えた。
各地に特産の綿織物が生まれ、日本人の衣料に大きな変化が生じたことにとどまらず、
綿作に必要な金肥の調達が経済に重要な影響を与えた。まぁ日本人には常識だが。
529日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:18:02

さてさて、ワタは天保の柏崎で100目(匁)、銀3匁。夜着は70匁。布団は60匁。

新品の値段である。中古は当然安くなる。
天保の頃は金1両=銀70匁とし、賃金換算で1両=30万円としよう。
夜着、布団ともに高いものを作ろうと思えば、生地ワタの質、量を上げればよいし、逆に安いもの
作ろうと思えば生地ワタの質、量を下げればよい。いずれにしても、一般人が使う布団が数百万円
などということはありえない。
ちなみに当時すでにブランドだった青梅縞は一反銀30匁である。

花魁の布団が高いのは上のレスにもあるように絹地であるからだが、それは京都、大阪
の遊郭の話で吉原では、縁はビロード、中は緋縮緬の額仕立てというさらに豪華なものである。
また、三蒲団を送るのは祝いの儀式であって、ご祝儀がばら撒かれ宴会も盛大にやるので
バカ高くなるのは当たり前なのである。
豪華な布団にご祝儀代、宴会代が加算されているのである。
これを一般人の布団と同列に語るのは、アサハカにもほどがある。
530日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:18:25
また痛い奴か?
綿花栽培が行われてないなんてどこにも書いてないが?

国内の自給率から考えて綿花は今よりも高価ってことだろ
さんざソースも出てるし
531日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:23:31

さてさてさて、初めの在日君のトリビアに戻ろう。
『江戸時代はふとんが高くて庶民は敷布団だけで寝ていた 』

こんなことをするのは借金のカタに夜着を取られた奴だけである。
金がない奴は夜着のみを買う。夜着は本来かけるものだが着ることもできる。着ると寝袋のよう
になって保温できるのである。夜着が買えない奴はどてらを買うであろう。敷布団など買わん。
なぜなら、応用も利かないし、保温も良くないからである。

在日君が必死にソースと叫ぶのが目に見えるようだ。しかし、在日君にソースはあげない。悪用するから。
上記のことは、江戸風俗関係の記述には必ず引用される古典的名著に書いてある。江戸時代に興味が
ある人なら、みな、書名はわかるであろう。
532日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:25:18
あと生地の値段だけで計算してどうする
当然、服や布団に加工する分、金がかかるんじゃないの?
しかも当時は上で言われてるように新品はオーダーメイド
生地や綿でかなりかかるなら布団のオーダーメイドなら30両くらいするでしょ

当然新品が使われて売られて古着屋なんかに並ぶんだから
布団みたいな高級品は中古でも数少ないから値段も高いだろ
533日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:27:33
質屋から下着まで買ったり 質に入れたり
モノを持つって感覚が今とは異なるって お江戸でゴザルの解説者が言ってた既瓦斯
534日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:33:50
>>530
常駐ご苦労。
着物はかみさんに縫ってもうらえ。タダだぞ。

>生地や綿でかなりかかるなら布団のオーダーメイドなら30両くらいするでしょ

ああ、やっぱり勘違いしたんだね、在日君。笑

夜着は70匁。布団は60匁。 とは、『夜着は銀70匁。布団は銀60匁。』のこと。

布団は銀60匁。当時では1両しないね。



535日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:39:21
宵越しの銭はもたねぇ
536日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:43:38
農村の生活実態を知るには、村の質屋の文書を読むのが良い。
結構、良いものを質入している。

では、在日君ごきげんよう。

最後に勘違いしないように、もう一度書いておこう

    ワタは天保の柏崎で100目(匁)、銀3匁。

    夜着は銀70匁。布団は銀60匁。
537日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:52:56
着物といえば「ふるて」だな
538日本@名無史さん:2007/04/10(火) 15:48:45
>>373
猿鍋といえば箕面の猿鍋が一番旨い。
コラーゲンたっぷりの歯ぐきなんて最高。
539日本@名無史さん:2007/04/10(火) 16:08:51



 (´・ω・`) 在日君カワイソス このスレのヌシなのに…。

でも、数字が出ると面白いね。布団一枚25万円くらい?
現代では高級ベッド並みだね。
産業革命前のヨーロッパでは綿は貴重品で、初めて綿のパンツをはいた
フランスの大商人がものすごく感激したって話を読んだことがあるよ。
540日本@名無史さん:2007/04/10(火) 16:24:38
まあ欧州は本当に貧しい生活だったからなあ
麻で着物を作ってただろうしねえ
欧州の場合、綿織物の普及は植民地の拡大によるところが大きいね
541日本@名無史さん:2007/04/10(火) 16:34:25
日雇い労働者乙
542日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:17:30
>>530 は勘違い馬鹿と決定しました
543日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:23:04
綿花生産が廃れたのはね
需要低下ってのもあるが肥料価格の高騰ってのもあるんだよ
要するに農家の副業産物としておいしくなくなったんだ
544日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:26:08
江戸時代の日本全国の総石高は 約2千万石
実高は約3千万石

ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
545日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:31:38
>>543
副業なの?またいい加減なこと書くとボコられるんちゃうの。
綿産業について調べてみようかな。面白そうだね。
546日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:35:01
>>539ー540
ヨーロッパは寒いだろ
江戸時代初期の木綿は楮を指す
本来綿花は暖かい所からの輸入品だ
だから綿は江戸時代でも当初は高級品だ
それを江戸時代では国内で栽培するようにしたのはもう語られてるな

綿花は暖かいところでしか栽培できない
だから実際、江戸時代以前に輸入しても栽培に何回か失敗している
だから東北地方では栽培できなくて、東北の農民は木綿をきるなとお触れが出てる
日本は全体が温暖なわけでもないし日本の綿は質が悪い
質の良い綿は当然インドなどからの輸入品

だから庶民が着るような木綿は国産
布団もせんべい布団で綿でなく麻が入ってたりする
>>536のはそっち
綿花の布団は当然高い
547日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:35:03
綿花栽培の推移を見てみるとおもしろいよ
時代が進むにつれて東日本での生産がどんどん減っていくのさ
548日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:38:53


 (´・ω・`) なんか、また始まったね。

 もう諦めれば良いのに。どうしてそんなに意固地なんだろ。
 同情して損したよ。
549日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:46:37
欧州の綿花文化はアメリカ大陸からの輸入も大きいですよ
550日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:49:44



 (´・ω・`) 今、ここには、ぼくと在日君しかいない。 すごく怖い。
551日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:55:56
>>550
安心しろ、おれも見てるw
552日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:58:08
江戸時代の庶民の趣味ってなんだろ?
将棋とか花札なんかな?
553日本@名無史さん:2007/04/10(火) 18:21:42
綿花はインド原産で 日本での栽培は難しかった
飛鳥時代に一度入ってきたが 栽培できなくて消滅
日本で栽培されるようになったのは 戦国時代末期らしい
554日本@名無史さん:2007/04/10(火) 18:25:28
綿花栽培が金になるからみんな綿花作り出して
米を作る奴が少なくなるのを恐れた幕府が綿花作るなって禁止令出したりしたんじゃなかったっけ
555日本@名無史さん:2007/04/10(火) 18:25:55
>>552
江戸時代の庶民ではわからない。
江戸の町民なのか
それとも封建時代の身分制度において下層民の庶民なのか
それも各藩ごとに違う。
薩摩藩は幕府に嫌われていたから財政は破綻していた。
薩摩に支配されていた庶民は悲惨。
そんな庶民を語るならどこの庶民についてなのかを付記するべき。
556日本@名無史さん:2007/04/10(火) 20:33:58
ペストまみれの欧州よりましだろ
557日本@名無史さん:2007/04/10(火) 22:13:56
結局 江戸時代の庶民は布団が買えなかったと思いこんでる香具師は
農民が搾取されて米を食えなかったと思いこんでる香具師と 
同レベル
558日本@名無史さん:2007/04/10(火) 22:17:10
559日本@名無史さん:2007/04/10(火) 23:21:05
江戸城の濠端は臭かったそうだね
560日本@名無史さん:2007/04/11(水) 08:47:52
ここにはまだ米が食えなかったと思い込んでるヤツもいるし
犬を常食していたと説くヤツもいるんじゃね?
561日本@名無史さん:2007/04/11(水) 12:02:33
>>559
「田舎の香水」と言ってもわかんねぇだろうな。
50年前までは日本中が臭かったよ。
そんな事は当たり前で何とも思わなかった。
562日本@名無史さん:2007/04/11(水) 12:10:34
まあどうでもいい話だが
灰を肥料として使用していたので
現代でいうダイオキシン問題なんて観点からみると
とてつもないダイオキシン濃度の中で作物を作っていたんだよな

皮肉はこの程度にしておくか
563日本@名無史さん:2007/04/11(水) 12:13:58
長屋の便所の中身を農家にやって 農作物をもらっていた
寄生虫いっぱいの野菜w
564日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:38:01
江戸時代の娯楽といえば 歌舞伎
そして歌舞伎の話を 事実と思い込む庶民は
納豆ダイエットに励んだ現代庶民と共通する
565日本@名無史さん:2007/04/12(木) 08:49:42
講談も人気だわな
で、講談を事実だと思い込む庶民は。。。略
566日本@名無史さん:2007/04/12(木) 15:39:58
桶狭間奇襲とか墨俣一夜城とかね
567日本@名無史さん:2007/04/12(木) 21:13:47
歌舞伎は、ある意味様式美だからなあ
例えば、何でも曽我兄弟とか

史実とか事実とかは、あんまし考えて無かったんじゃないのかな
568日本@名無史さん:2007/04/12(木) 21:38:23
佐倉宋吾郎なんて 千葉氏再興を直訴して成敗されたのに
いつの間にか義民として崇められてるんだから やってられんな
569日本@名無史さん:2007/04/12(木) 21:44:30
忠臣蔵とかな
570日本@名無史さん:2007/04/12(木) 22:13:32
殺生は行けないから肉食を禁じるという所まではわかるのだが
それで魚食がOKな理由がわからない。
571日本@名無史さん:2007/04/12(木) 23:20:47
コンドームも荻野式も知らない時代の避妊てどんなことしてたの?
572日本@名無史さん:2007/04/12(木) 23:26:31
>>570
なんでループを繰り返したいの?
573日本@名無史さん:2007/04/13(金) 00:19:52
>>571
中条流。
574日本@名無史さん:2007/04/13(金) 01:24:13
江戸時代、浪人者や学者には月代を剃らず、総髪の者がおりました。
百姓や町人のなかにも、月代を剃らない者はいたのですか?
575日本@名無史さん:2007/04/13(金) 06:26:26
家族計画ないから 貧乏人は子沢山
よけい貧乏になる
576日本@名無史さん:2007/04/13(金) 08:35:36
産婆は出産と同時に間引きも盛んにやって人口調節に役立っていた。
男子は生命力がなかったので結果的に江戸時代は
圧倒的に女性が多かった。
だから庶民の性はおおらかで、特に長屋住まいの庶民は貞操観念も薄く、
生まれた子供が自分の子供かどうかも定かでないし、他人のかあちゃんが
産んだ子が自分の子かもしれないので、どのこもわけへだてなくかわいがった。
と、江戸研究家の故杉浦氏が語っておられました。
ちなみに乳幼児の生存率は50%以下で、インフルエンザの流行などでも
ばたばた子供が亡くなったそうです。
577日本@名無史さん:2007/04/13(金) 08:50:31
11代将軍 徳川家斉は26男 27女 の子供がいたらしいが
早世してしまったのが半分くらい

将軍にして この状況だから 庶民の子供の生存率は高くなかっただろう
578日本@名無史さん:2007/04/13(金) 09:37:51
>>576
江戸に関していうならば男が圧倒的に多い
579日本@名無史さん:2007/04/13(金) 09:41:11
>>571
性交後の洗浄位かな。

一応かぶと形というコンドーム様のものがあったけど
材質がべっ甲や水牛の角だそうなのでディルドみたいなものかも。
あと和紙を濡らしたものを膣内に入れてた(ペッサリー?)という記録もあるそうな。

後妊娠予防(流産促進?)を効能としていた丸薬もあった。

これらの避妊は主として遊女の間で行われてたもので
そうでない人は堕胎医のお世話になったり
肉体的過負荷を加えて流産するようにもっていってた。
580日本@名無史さん:2007/04/13(金) 10:04:14
歴史を勉強するようになってつくづく医療の進歩ってすごいんだなと思ったよ
ほんの100年前でも子供はボコボコ死んでたもんね
581日本@名無史さん:2007/04/13(金) 11:02:08
遊女が行為前に紙を詰め込んでおくってのは小説の中で読んだ事があるが
582日本@名無史さん:2007/04/13(金) 13:26:52
>>574
儒者の他に神官、稀に国学者系の百姓とか?
583日本@名無史さん:2007/04/13(金) 13:41:01
コレラの大流行が19世紀に集中したからなあ。
一度流行すると江戸だけで7〜10万人の死者が出た。それが4回。
それに天然痘・日本脳炎・麻疹の流行でも万単位の死者が出た。
江戸城内のように人口密度の高い密閉性のある場所の方が、
感染症は深刻だからな。

コッホ細菌学の影響で19世紀から20世紀にかけて各種細菌が発見され
治療法や防疫体制が確立され、一気に死者数が減った。
その一方で、脚気のように医者(森鴎外)が栄養不足を細菌と勘違いして、
医者が患者を大量発生させた上に殺してしまうという悲劇も発生したが。。
584日本@名無史さん:2007/04/13(金) 18:10:50
585日本@名無史さん:2007/04/13(金) 20:43:34
胎児を食す日本土人だったんだろ?
586日本@名無史さん:2007/04/13(金) 20:57:50
>>574
幕末の古写真見ると、丁髷は多いけど、月代は以外に少ない気がする。。
587日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:17:15
>>586
意味わかんね。
588日本@名無史さん:2007/04/14(土) 00:45:37
確かに幕末の侍の写真見たら、月代の面積が狭いな。

年によって流行があったのか。
589日本@名無史さん:2007/04/14(土) 04:41:51
人肉食はどこまで行われていたの
さすがに学問板だから全くないと言うという答えは無いはずだと思うが

明治になって人肉禁止の法令が出たけどどんな感じだったんすか
590日本@名無史さん:2007/04/14(土) 10:27:08
>>589
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1136740854/604
wikiからの転載だが売買禁止みたいね。

確か肝臓が薬扱いされてたような記憶があるのだが
何に効くんだっけ?
591日本@名無史さん:2007/04/14(土) 12:24:07
『本草綱目』によると、人体のほぼすべての部位、骨から糞尿までに
それぞれ薬効有りとなっている。
592日本@名無史さん:2007/04/14(土) 13:07:35
>>590
肝臓は結核の薬と言われていた・・・
明治〜昭和の日本最大の工業地帯で、
働く工女に結核患者が多かった長野県諏訪地方では、
好きな工女の結核を治すために、
男が肝臓を集める恐ろしい話が伝わっている。
戦後ストレプトマイシンが出るまで、
結核は不治の病だったからなあ
593日本@名無史さん:2007/04/14(土) 13:25:13
壮士・豪傑の亡骸から取り出した生肝を食うのが薩摩の士風と聞いたとてがある
594日本@名無史さん:2007/04/14(土) 14:46:49
ヌシさんが相変わらず頑張ってるね。暇だなぁ。
595日本@名無史さん:2007/04/14(土) 22:49:24
意外にも冷静に江戸時期の人肉食にも触れる
最近の日本史板
596日本@名無史さん:2007/04/15(日) 00:08:19
首切り朝右衛門は、処刑した遺体から肝を取り出し、干して売る権利を持っていた。
自宅の蔵に、唐墨を作るみたいに縄に吊して干していた。

何に効く薬だったか、忘れたが。かなりの副収入になったみたい。
597日本@名無史さん:2007/04/15(日) 10:37:17
大名家が取りつぶしになり浪人化した武士の ほとんどは百姓になったのだろうか?
融通の利かない元武士が商売をやれるとは思えん
598日本@名無史さん:2007/04/15(日) 12:04:52
>>597
読み書き計算はできるから、
事務員として雇ってもらうんじゃないの?
599日本@名無史さん:2007/04/15(日) 14:52:41
関ヶ原で負けた長曽我部盛親は 取りつぶしになった後
京都で寺子屋をやって暮らしていたらしい

寺子屋は儲かるんだろうか?
600日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:25:33
>寺子屋は儲かるんだろうか?

江戸では、庶民でも半分近くが寺子屋に通っていたという説もあるくらいだから、
謝礼(修束)は、そんなに高額じゃなかったんじゃないかな。

ついでの情報
小泉さんという、寺子屋の教科書の専門家がTVに出ます。
 4/19(木)午後10:25〜 NHK教育「知るを楽しむ・歴史に好奇心」に出演します。
(再放送:4/26 午前5:05〜)
【私のコメント概要】*一部カットされるかもしれませんが…
○寺子屋教育でも、漢文の基礎教育がかなり行われていた。
読み(素読)のテキストではベスト10の半分が漢文の本
(四書(=大学・中庸・論語・孟子)・五経など)を使用し、
論語などはおよそ3人に1人くらいは習っていた
(ただし多くの場合読みだけで解説なし)。
601日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:24:43
>>融通の利かない元武士が商売をやれるとは思えん
三井、住友、三和(鴻池)なんかは武士の出ですが
602日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:04:12
三井の越後屋で三越
603日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:22:12
>>598
そんな素人雇うとこなんかないでしょ
604日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:20:53
>>599
寺小屋は、今のクモン方式と同じで、講義形式の一斉授業なく、
生徒一人一人にそれぞれの課題を与えてやらせ、できたら評価・指導し、
また次の課題を与えてやらせるという、1対1指導が基本だから、
一人の教師で、そんなに大勢の指導はできなかったんじゃないかな。
605日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:30:48
NHKの番組面白そうだね&情報サンクス!
自分的には必視聴

手習い師匠の謝礼は画一ではなくて、それぞれの収入に応じて貰っていた・・って話聞いた事ある
後、現金じゃなくて物納もあったとか
606日本@名無史さん:2007/04/16(月) 19:29:34
「越後屋、おぬしも悪よのう、ハハハ」
607日本@名無史さん:2007/04/16(月) 19:58:10
「あかね空」観て来た
長屋のシーンとかリアル(と言うか自分のイメージ通り(笑))で中々面白かった
お侍さんが出てこない時代劇も珍しいかも

浮世床なんかのリアルな映画も観てみたいな
608日本@名無史さん:2007/04/17(火) 07:02:00
赤穂浪士の討ち入りの少し前に石井兄弟の仇討ちっていうのがあるんだけど、
28年も浪人しながら何とか食ってる。
嫁がいればその縁、郷士家系出身の浪人なら縁籍の農家、商家を頼って
仕官が叶うまではって感じの援助があったんじゃなかろうか?

あと成人した寺子屋出身者から礼金などがあったともきいたことがあるけど
どうなんでしょうね。
609日本@名無史さん:2007/04/17(火) 09:20:47
浪人って言っても下級武士の場合とかだとわずかな俸禄がなくなるだけの話だしね
610日本@名無史さん:2007/04/17(火) 17:35:45
浪人になるとなんかデメリットあるの?
逆に仕事の自由とか増えて逆に儲かるんじゃないの?
611日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:31:54
>>610
階級社会というものは収入の多寡ではない。
612日本@名無史さん:2007/04/18(水) 22:35:27
浪人(失業者)が職を求めて都会へ行くのは今も昔も同じだね。
一部が食うに困って犯罪者(不逞浪士)になるのも同じだね。
613日本@名無史さん:2007/04/19(木) 13:22:54
そもそも武士が支配階級というのが おかしい
農民に寄生して 無駄飯食ってるくせに
何かあると武力で脅す 一種のテロ集団

その末裔が いくら武力放棄とか平和憲法だとか言っても
説得力ないね
614日本@名無史さん:2007/04/19(木) 13:38:46
>>613
燃料投下乙

階級というのが近代欧州思想に染まった我々の感じるモノとは違うことだけは認識しとかないとね
江戸時代に農民を徹底的に搾取したというようなことはなく、欧州の封建制の歴史とは違うから
そういう歴史の上で出来てきた思想を取り入れてしまった我々が江戸時代の人間を思う時に
どうしても価値観が違うということを考慮に入れないとおかしなことになってしまうわな
615日本@名無史さん:2007/04/19(木) 17:39:50
明治になるまで 日本には文民官僚が事実上不在だった。

本来なら京都にいる公家さんの職務だが、武士に実権を奪われ
歌詠みに耽る穀潰として生き延びていた。
616日本@名無史さん:2007/04/19(木) 22:34:36
浪人=ニートでOK?
617日本@名無史さん:2007/04/19(木) 23:04:46
>>616
ニート=憂国の志士
と呼んでくれると嬉しい。
言葉狩りで『ニート』は差別用語だと決め付けて『憂国の志士』と呼ぶように世論操作しよう。
618日本@名無史さん:2007/04/20(金) 16:45:37
まー○○さんちの息子さん憂国の志士なんですってぇ〜
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
 
619日本@名無史さん:2007/04/20(金) 16:50:39
勤皇の志士だってみんな実態はニート。
大言壮語をネット上で吐くが仕事はしない現代のニートとかわらない。
620日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:50:56
武士階級って、今で言うと公務員。
公務員をしくじってクビになった奴は、再就職難しいぜ。

勤皇の志士にはスポンサーがいたし、
安政の大獄や新選組とか、白色テロの危険が常にあったから、
ニートとは言い切れないんじゃないか。
621日本@名無史さん:2007/04/21(土) 16:52:55
一部のニートにはスポンサー的なものがあるよ。
勤皇の志を持つ有能なニートを浪士団のように面倒見てくれる。
2ちゃんで国家を語ることでスポンサーが援助してくれる。
これは勤皇の志士にかなり近い。
622日本@名無史さん:2007/04/21(土) 17:50:15
封建制時代と現代の比較に意味はないと思うけど
623日本@名無史さん:2007/04/21(土) 19:05:04
江戸期の話をしろよ
ニートは親が衣食住面倒みてるだろが!
一方で大部分の浪士は親に養ってもらってないだろ!
624日本@名無史さん:2007/04/22(日) 00:32:38
じゃあ
部屋住み=ニートでOK?
625日本@名無史さん:2007/04/22(日) 01:11:26
それじゃ、吉宗も井伊直弼も若き日は部屋住だから、ニートは天下国家に重要な地位を占めるよな
626日本@名無史さん:2007/04/22(日) 02:19:44
ニートは百姓の次男以下の連中だろ。
627日本@名無史さん:2007/04/22(日) 02:20:12
ニートはダイヤの原石
628日本@名無史さん:2007/04/24(火) 10:14:54
余剰人員は食わせられないが
スペアはいないとお取り潰しに合うという悲しい現実
629日本@名無史さん:2007/04/27(金) 09:40:51
○○新田は農家の次男三男の入植地
630日本@名無史さん:2007/04/27(金) 09:48:20
新田開発の悲惨さについて
631日本@名無史さん:2007/04/27(金) 10:30:00
うちの近所の○○新田は、幕末に松坂商人の資本で開拓された。
632日本@名無史さん:2007/04/27(金) 10:50:11
今は住宅地になっている我が家の近所はやはり○○新田という地名だ
地元に残っている伝承はそれはそれは悲惨なお話ばかりで
何度目かの新田開発でやっとこさ米が育ったという
633日本@名無史さん:2007/04/27(金) 13:10:08
新田を作るにあたって水が必要になるわけだが
そのために村一つまるごと貯水池として沈めたこともあるわけか
634日本@名無史さん:2007/04/27(金) 13:12:46
天草四郎撃破!
635日本@名無史さん:2007/04/27(金) 13:13:45
江戸時代は鎖国して儒教ですが何か?
636日本@名無史さん:2007/04/27(金) 13:19:23
儒教はほとんど広まってないだろ
637日本@名無史さん:2007/04/30(月) 14:53:18
教科書的には、江戸時代=儒教かあ
638日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:45:34
商人に広まったのが石門心学
639日本@名無史さん:2007/05/01(火) 02:40:47
綿織物が広がる前は 庶民の服は麻とかアオサ?
絹は高くて買えないだろう
640日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:05:04
よく聞くのは麻の服だよね

現代だと綿より麻の服の方が貴重そうだけど
(あんまし売ってないし、結構高い)
641日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:06:16
絹はまあ買えないな
綿は取り締まり対象になったりしているのでそこそこの町人なら買えたんだろうな
642日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:38:13
>639
幕府が学問として奨励していたのは、儒教じゃなくて儒学(朱子学)だよ。
それによって君主たる徳川家と臣下との序列をいましめようとしたのだが、
逆にそれが尊王思想として広まって、
宝暦事件やら、安政の大獄やら、儒学者の弾圧に繋がるのだが。
643日本@名無史さん:2007/05/02(水) 16:45:24
>>642
無茶苦茶
644日本@名無史さん:2007/05/02(水) 20:34:19
>>643
親(徳川)に向かって!とか親のおかげで!とか細木みたいに説くのが朱学。

親は子を殺しても(間引き、えいじ殺し)は罪がない・・ただ逆は大大大犯罪!

ま、幕府になまら都合いい道徳!今でも使う親いるけどね・・・
645日本@名無史さん:2007/05/02(水) 22:22:57
絹も取り締まり対象になってなかったっけ?
646日本@名無史さん:2007/05/03(木) 00:12:20
孝の重視は朱学だけじゃありません。儒学全般についていえます。いや、既に古代中国において、中原を中心にみられ、後に東アジアに広汎に浸透した観念といったほうが妥当かもしれません。
なお、儒学と儒教が混用されていませんか?とにかく高校の日本史レベルにすら達していません。基礎から勉強しましょう。
647日本@名無史さん:2007/05/03(木) 11:35:46
間引きは朱学の影響だったのか・・
今の中絶の多さも、朱学が遠因?
648日本@名無史さん:2007/05/03(木) 12:15:39
>>647
釣りか馬鹿か理解に苦しむな
649日本@名無史さん:2007/05/08(火) 11:17:51
庶民にはどうでもいい話だな
650日本@名無史さん:2007/05/08(火) 13:17:19
庶民の生き方の根底には、どういう哲学なり思想があったのだろう。
651日本@名無史さん:2007/05/08(火) 20:06:49
分をわきまえる
泣く子とお天道様には勝てない

半可通は阿呆の極み
652日本@名無史さん:2007/05/08(火) 21:22:20
全くだ
天子様に対し奉り何たる不敬
653日本@名無史さん:2007/05/08(火) 21:41:28
いやあ、単純に「自然」くらいの意味だったんだけど。。
654日本@名無史さん:2007/05/09(水) 13:15:40
宵越しの金は持たない
655日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:44:33
上、見て暮らすな。下、見て暮らせ。
656日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:46:56
ついに三内丸山遺跡の謎が解明された!

     驚愕の日本史の真実
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
657日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:47:10
胡麻と百姓は絞れば絞るほど出てくるものなり
658日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:53:49
>>657
そりゃ、庶民の思想じゃなくて、支配者の思想だろう。
支配者と庶民を取り違えるって、珍しい間違いだな。
659日本@名無史さん:2007/05/09(水) 14:55:04
ある意味支配層と言われていた下級武士よりも
土地持ち農家副業有の方が富裕な暮らしをしていたんだから
間違えても仕方あるまい
660日本@名無史さん:2007/05/09(水) 15:50:37
江戸時代の庶民は 苗字を持っていないのが大半だった?

帰農武士とか 武家から転職した商人だったら苗字はあっただろうけど
長屋住まいの町人に戸籍はあったのだろうか?
661日本@名無史さん:2007/05/09(水) 16:38:08
幕府はすべての人をどこかの寺の檀家にして、名簿を作らせて、
戸籍の代わりにしていたから、苗字はなくとも人名は把握していたんじゃないだろうか?
どこかへ旅行に行くときには寺に申請して通行手形を発行してもらっていたし、
それを考えれば、町人だろうが農民だろうが、檀家になっている寺が把握はしていただろう。
662日本@名無史さん:2007/05/09(水) 20:39:10
人別帳に載ってないと、かなり大変だった
無宿人は、建前は罪人扱いに近い

正式には長屋も借りられない
663日本@名無史さん:2007/05/09(水) 20:43:38
金は天下の回りもの

残る物は三度考えてから買え
消えるものには気前よく使え


お江戸の、こんな思想?も好きだ
664日本@名無史さん:2007/05/09(水) 21:59:23
>>660
庶民の苗字は公式文書には記載されないだけで、ほとんどの庶民が苗字を持ってた。
江戸時代から残っている農民の墓にもみんな苗字が書いてある。
665武陽陰士:2007/05/10(木) 00:49:29
>>662
帳外(人別帳を外れた人)は江戸には沢山いたよ。
それでも裏店には住めちゃちゃうんだな。
特に江戸時代後期なんかは農村をすてた下層民が江戸には増えちゃって
都市問題、農村荒廃問題が起きているのはよくいわれる話じゃない?
人返し令ってガキ向けの教科書にあるでしょ。
定信も苦慮してた問題だよ。
江戸時代を牧歌的にとらえちゃうのは、テレビと小説のせいだな。
666武陽陰士:2007/05/10(木) 00:54:39
>>664
そうだね。
そのへんは研究者の基本前提になっているよね。明治になって、いっせいに庶民に姓(本当は姓と苗字は違うのだが、これもヤヤコシイ)が出来たというのは神話なんだよね。
もちろん例外はあるけど
667日本@名無史さん:2007/05/10(木) 01:05:46
全部の墓に苗字があるわけじゃないよ。
苗字があるっていっても、近所の有力者のそれを頂戴して
名乗ってる例が多いだろう。
668武陽陰士:2007/05/10(木) 01:08:33
>>667
それをいったらおしまいだよ。
669日本@名無史さん:2007/05/10(木) 01:12:53
いちいち噛み付く人だなあw
いいけど
670武陽陰士:2007/05/10(木) 01:24:42
いやあ、すまない。
気悪くしたらごめん。
671日本@名無史さん:2007/05/10(木) 08:03:57
水呑み百姓とか下層町人には苗字はないだろ
明治になって姓をつけろという命令が出た時に 有名人にあやかったり
あたかも地方の名士風の苗字をつけたのが多い
東北地方だと佐藤とか
672日本@名無史さん:2007/05/10(木) 08:28:39
>>665
ふうぅ
相変わらず、知ったか全開だなあぁ
そんな事は全部前提の上で、わざわざ「建前」とか「正式」とかの言葉使ったんだけどね

それから、戸籍無くても、何だかんだ言って生活出来ちゃう方が、よっぽど牧歌的だと思うよ
管理統制が緩かった?って事なんだから
少なくとも自分は、人別帳のかなり「マメ」な運用知って、意外?に近代的な管理社会に近いと驚いたよ
673日本@名無史さん:2007/05/10(木) 14:44:02
>>671
何かの都合で本来の姓が伝わらなかった家なんかの話が明治政府史観で大げさに脚色された話だと思われ。

>>672
> 少なくとも自分は、人別帳のかなり「マメ」な運用知って、意外?に近代的な管理社会に近いと驚いたよ

そりゃ、江戸時代は現代顔負けの文書社会だから。
674日本@名無史さん:2007/05/10(木) 15:21:53
俺の家は江戸時代から百姓だが 姓も家紋もあった
(江戸時代の先祖の墓に姓と家紋が入ってる)

帰農武士だった可能性が高いかもしれん
675日本@名無史さん:2007/05/10(木) 17:23:15
家紋は江戸中期以降ブームがあったから帰農武士じゃなくても持ってる場合がおおいんでね?
676日本@名無史さん:2007/05/10(木) 18:54:33
関東地方だと 北条滅亡時に浪人して
その後仕官がかなわず百姓になった武士も多いだろうと想像してみる
677日本@名無史さん:2007/05/11(金) 11:32:40
苗字帯刀、切捨て御免、五人組、百姓一揆、士農工商、慶安の御触書、生類憐れみの令…
江戸の世はまさに将軍さまの慈愛に満ちた地上の楽園。
678日本@名無史さん:2007/05/11(金) 14:07:27
戦乱がない、徴兵義務がない、幕府も藩も自作農主義、税金は物納でいい、
という幕藩体制は、農民にとって有難い話だったんだよ。

明治政府が農民にも徴兵義務を強制し、税金を金納にした結果大地主制になり、
小作農に転落した上に、次男三男を兵士に取られるように農民は
「江戸時代の方が、はるかに良かった」と嘆いた。
679日本@名無史さん:2007/05/11(金) 17:49:44
>>959
ある意味じゃねーよ馬鹿
間違いは間違いで屁理屈こねてんじゃねえよ豚野郎
将来お前の子供がプールの排水溝に吸い込まれて死にますように
680日本@名無史さん:2007/05/11(金) 17:53:24
>>674
他人の墓をどさくさに紛れて自分のもんにしたんだろ
681679:2007/05/11(金) 18:00:12
書いてて母親に見られて怒られました
すいませんでした
682武陽陰士改め明日心剣:2007/05/11(金) 23:12:32
>>671
あるんだよ。
あったからどうだってわけじゃないんだけどね。
現代の学者研究者のあいたでは定説になっている。
手元に事例がないんでここで説得力のある論ができねーのがキツイが。まいいや。
君のいう説は昔の俗説(通説?)なんだ。
まあ近世村落史の研究者にでも訊くといいよ。
史学科のある大学に行ってんなら簡単だ。
そうじゃなかったら博物館の人にね。
683明日心剣:2007/05/11(金) 23:35:06
>>672
カチっとしたレスどうも。私は武陽陰士だ。
なるほど。
確かにある意味そうだ。ただ帳外の連中は統制を外れた棄民の一種だよ。牧歌的なブロセスを踏んでいない。
連中の都市流入の理由は様様なんで一概にはいえないんだけど。
農村で食いつめてやってきた連中も多いよ。
連中は打ち壊しなんかに見られる都市の不安定要因でしょ。
スラム街なんかを牧歌的とはいえるかな。
いやあるいみいえるかな…
香港からクーロン街が消えたのは統制の始まりだったりするもんね。
江戸時代礼賛者は都市問題を射程にいれてないんだよね。ぶっちゃけね…
684日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:03:44
>>682
農民に全部姓・苗字があったわけではない。
千葉の俺の地元では 明治になってから苗字をつけた家が数軒あって特定できる
江戸時代から苗字があった家のほうが多いけどね
685日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:12:41
日本語の文法上、○○(地名)の□□(名)というようになるので
同族は地名で言うのが普通。苗字が地名になるのは自然だ。

庶民以外も例えば摂関家の九条とか三条も藤原北家だしな。
686日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:22:38
>>684
それはそうだね。
ない連中もいる。
ただ君もちゃんと留保している通り、マジョリティにあるよね。
687日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:23:24
日本どころか世界的にも地名が由来の苗字は結構あるんじゃないの
688日本@名無史さん:2007/05/12(土) 01:09:08
絶対神なキリスト教やイスラムは宗教者の名前をそのまま使う。
ミッチェルやマイケルも天使の名前ミカエルから。マリアやイスラムのアイシャも同じ。

地名苗字はそれほど多くない。領地を持っていたとかだと称号やなんかでそのままだが
ファミリーネームとその間に挿入する形なので日本とは形式がやや異なる。イメージとしては
木村摂津守勝重の摂津守とか従来七位とかの職名や位官ようだが・・・。
689日本@名無史さん:2007/05/12(土) 01:40:12
西洋は職業姓がおおいんじゃ?
690明日真剣:2007/05/12(土) 01:50:54
中世のある種の在地領主なんかが地名を名乗るのは、「ここは俺の土地だ」っていうある意味示威行為だね。
まさに「一所懸命」だ。
地名が名前になるんじゃなく、逆に名前が地名になる例もけっこうあるな。
東京あたりだと
数馬、八重洲、半蔵門、有楽町、春日町、とかだね。
まあしようもないウンチクだ。
691日本@名無史さん:2007/05/12(土) 06:29:40
>>690
日本の場合、人名が地名になるのはあくまで例外でしょ。
692日本@名無史さん:2007/05/12(土) 07:33:57
内藤新宿の「内藤」とは、信州高遠藩33000石の内藤家の下屋敷があったとこ
ろから名づけられた。

また紀尾井坂は、「紀州藩(徳川家)」「尾張藩(徳川家)」「井伊家(彦根藩)」
の藩邸の脇にあった坂であったため、三者の名前からつけられた。
693武陽陰士:2007/05/12(土) 08:06:16
内藤新宿は地名としては死んじゃってるんじゃない?
行政区画としては消滅したけど新宿の柏木もそうだな確か
694日本@名無史さん:2007/05/12(土) 08:29:49
打ち壊しって、今のフランスの暴動みたいなイメージなのかな?
695武陽陰士:2007/05/12(土) 09:18:58
>>694
そうじゃないかなって私も思うけど…。
江戸の騒擾史の専門家だと、どう答えるか分かりませんね…。
696日本@名無史さん:2007/05/12(土) 09:59:08
八重洲 → ヤン・ヨーステン
有楽町 → 織田有楽斎
697日本@名無史さん:2007/05/12(土) 21:38:34
>>683
相変わらず、何が言いたいのか分からん(笑)

>香港からクーロン街が消えたのは統制の始まりだった
江戸時代は身分制を始めとして封建制で、がんじがらめで、統制が行き届くいてたんじゃないの??

>江戸時代礼賛者は都市問題を射程にいれてないんだよね。
「江戸時代礼賛者」が何を指してるのか知らないけど、お江戸を都市問題無しで考えてる人なんていないと思うけど(苦笑)
どっちかって言うと、「遥か昔の江戸でも『現代と似たような問題』を抱えていた」じゃないの??・・って感じのスタンスだと思うけど
698日本@名無史さん:2007/05/12(土) 21:50:57
話ぶったぎってスマンが、ちょっと面白いページを見つけたので貼っとくね。
ttp://www2.ttcn.ne.jp/〜kazumatsu/sub226.htm
699武陽陰士:2007/05/12(土) 21:51:50
うるさいなー。
反論にレスの文章だからさ。
ただ君に反論はない。
賛成だよ。
まあ私の都市っていうのは野蛮な感じだけどね
山本一力が聞いたら艶消しだって怒る視点ね
700日本@名無史さん:2007/05/13(日) 19:42:14
何だここは江戸市中の話が中心なのか

>>692
俺信濃高遠領民!
701日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:03:10
ダッシュ村とか見てると
あれだけの作業をほとんど村単位でやってたってことだよね
そう考えると結構忙しい日々だったんじゃないんか?
702日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:20:17
古代中国では政治のことを「獄市」と呼んでいた。
すなわち政治とは(1)治安を守る (2)経済が安定し領民が食える こと。
そういう意味じゃ、江戸時代の日本はかなりいい政治じゃないか。
703日本@名無史さん:2007/05/18(金) 20:41:52
室町時代までは農閑期に死亡者が続出してたが、江戸時代は死亡者の季節に偏りが
ない。これは生活が安定した証。
また、下人や所従には結婚の権利が全くなかったが、江戸の小作人には存在した。
704日本@名無史さん:2007/05/18(金) 22:26:55
日が暮れると基本仕事終了だから、やっぱりのんびりしていたのか
夜明け即一日の始まりだから、低血圧の人は辛かったのかw
705日本@名無史さん:2007/05/18(金) 22:43:00
日が暮れても仕事をしてたよ
藁を叩いてネコダや米俵を編んだり
縄をなったりと夜鍋仕事に精を出した
706日本@名無史さん:2007/05/19(土) 00:37:57
下人でも結婚してるんじゃない
707日本@名無史さん:2007/05/19(土) 03:40:40
>>705
そういうのは雨の日とか冬の間にまとめてやっておくんじゃないの?
夜なべなんて蝋燭代だか油代もバカにならないだろうに。
あ、囲炉裏の火でやってたのか。
708日本@名無史さん:2007/05/19(土) 08:40:26
囲炉裏でも、電気みたくそう明るい訳でも無い
マキとか燃料拾ってくるのも大変
昔の大家族の家でも、囲炉裏の付いた部屋は少なかっただろうし
709日本@名無史さん:2007/05/19(土) 19:40:37
農作業の後に家内工業してたから夜なべもあっただろう。
まあ、ある意味日が暮れてもずっと働いてる現代人は夜なべか?
夜8時でも江戸時代だと深夜だろ。
710日本@名無史さん:2007/05/19(土) 21:51:45
ホンの20年前だって今みたいに遅くなかったぞ。
コンビニを初めとする一人暮らしでも深夜まで働けるインフラが
整った現代が一番酷い。
711日本@名無史さん:2007/05/19(土) 22:51:04
言われてみれば、20年前でさえ夜更かしは「簡単」じゃなかったなあ・・
開いてる店は吉野家くらいだったかな
712日本@名無史さん:2007/05/20(日) 05:20:45
>>707
夜鍋にもいろいろあるけど男の夜なべで主なものは
「秋前夜なべ」と「秋夜なべ」がある。
秋前夜なべは稲刈り仕事に使う縄をお盆過ぎから毎晩ない、
秋夜なべは稲刈りから脱穀が始まるまでに俵やカマスを作る。
一方で草鞋や蓑、ネコダみたいな日用品は農閑期や梅雨時に昼仕事として作ることが多かった。

女は田植えが終ったころから糸を紡ぎ篠巻を作る夜なべをする。
八月からはこの篠巻を紡車にかけ木綿糸を取り出す「八月夜なべ」
「秋夜なべ」が始まり毎晩作業を進める。
この頃にはオリオン星があがる夜10〜11時頃までも夜なべをする事もあった。
713日本@名無史さん:2007/05/20(日) 05:34:29
>>708
農閑期に縄をなったり草鞋を編む程度の夜なべは
どこの家でも囲炉裏の焚き火で十分仕事ができた。
だけど秋に家の土間へ稲を持ち込んで、稲扱きや臼ひきをする時は
タイマツ台(燈台の大きな物)の上でタイマツを焚いて仕事をした。
タイマツをくべたり火の調節をするのは子供の役目で
親の仕事をする側で火を焚いたらしい。
(このタイマツの話は曾祖母から聞いたから俺の地域だけかも)

女の針仕事とかでは行燈を使うこともあったけど
油が尊かったからあまり使わなかったみたい。
714日本@名無史さん:2007/05/20(日) 05:58:10
ちなみ>>712-713は18c中期から19c後期の家風録や年中日記、名主日記を基にした。
中部地方の農村史料が中心だから町方とは大きく異なると思う・・・
715日本@名無史さん:2007/05/20(日) 10:03:16
心斎橋の大丸呉服屋は夜10時頃まで営業しとったらしい
716708:2007/05/20(日) 10:53:48
>>714
夜なべが無かったとは言わないけど、今みたく一年中やってたのかな・・くらいの気持ち
都市部は大店とかは、日が暮れても働いてる人いたみたい
江戸だとかなり遅くまで、屋台とかやってらしい

後、夜じゃないけど、大工さんは休暇時間が多くて、実質一日4時間くらいしか働いて無かったとか何とか

農村・都市問わず色々だったんじゃないかな・・と
717日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:23:53
与作は木を切る ヘイヘイホー ヘイヘイホー
こだまは返るよ ヘイヘイホー ヘイヘイホー
女房は機を織る トントントン トントントン
気立てのいい娘だよ トントントン トントントン
与作 与作 もう日が暮れる
与作 与作 女房が呼んでいる
ホー ホーーー ホー
藁葺き屋根には ヘイヘイホー ヘイヘイホー
星屑が降るよ ヘイヘイホー ヘイヘイホー
女房は藁を打つ トントントン トントントン
働き者だよ トントントン トントントン
与作 与作 もう夜が明ける
与作 与作 お山が呼んでいる
ホー ホーーー ホーーー
718日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:59:54
>>713
タイマツ台(燈台の大きな物)って、どんなものですか。
もしかして、素焼きの焙烙(ホウロク)のお皿の上で、20pぐらいの松材などを燃やすものですか。

静岡でお盆の時、精霊迎えの火を、そうやって焚いているのを見た記憶があるのですが。
719日本@名無史さん:2007/06/05(火) 11:36:45
座頭市見てて思ったんだが
博打打ったり酒飲んだりばかりしている人がいたが
実際にあんな生活ってどれだけの人ができていたんだ??
720日本@名無史さん:2007/06/06(水) 13:02:23
>>713>>718
形状・材質も気になるが私は油も気になる。
菜種油?それとも魚脂?
721日本@名無史さん:2007/06/06(水) 18:54:03
菜種油系は江戸でも高価で、「庶民層」は魚脂が主流だったみたいだから、魚脂かなあ
でも山中で魚脂はもっとありえなさそうだし
タイマツだから木っ端だったかと
722日本@名無史さん:2007/06/06(水) 22:22:32
>>721
ありがとう。
木っ端でたいまつはかなり大変だね。
魚脂と金肥は、流通こそ多少違え、生産は完全にセットだから、
魚脂の普及度が分かれば、あるいは金肥も推して測れるんじゃないか…
と考えたのです。
723日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:17:07
>>721
照明用に燃やす魚脂って、特別な処理を施した油だったのですか。
そうでないと、油のしたたり落ちるサンマを焼く光景が目に浮かんで、
家の中が、煙と魚の臭いで、とんでもないことになるような気がするのですが。
724日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:43:45
>>723
いくつかやり方はあるんでしょうけど、
ラードを作るみたいに大鍋で火を通して脂を取るみたいですね。

残り粕を干すと肥料になります。
725日本@名無史さん:2007/06/17(日) 20:09:51
クソ暑い中、江戸東京たてもの館行ってきた
江戸の農家の中は涼しいね
イロリの前で薪燃やして、お茶を御馳走になったんだけど
不思議な事に目の前の炎が苦にならないくらいだった

上の方で治安・戸締まり云々の話が出てたけど
あの構造はそもそも戸締まりの事
何にも考えてないで、建てられてる
土間を除く三方が全開放で鍵の掛けようが無い
726713:2007/06/20(水) 02:23:07
>>718
俺が見たことあるのは古くなった鍋や釜を平たく叩いて
足をつけたものだった。
焙烙のような物は見たことないけど地域によっては使っていたのかな?

タイマツの燃料は松の切り株を斧で叩いて取ってきて
20〜25cmくらいの長さに切って干したものを使っていたそうな。
727713:2007/06/20(水) 02:27:03
>>725
意外に囲炉裏の火って熱く感じないんだよね。
でも冬にあたると結構ポカポカするから不思議!

戸締りは雨戸を閉めて勝手口の大戸とかの
落とし錠、差し錠をかうくらいのものだもんなぁ
728日本@名無史さん:2007/06/22(金) 23:36:13
江戸時代の農民ってどんな服着てたの?
やっぱり麻?
729日本@名無史さん:2007/06/23(土) 00:00:03
農民の階層にもよろうが、木綿や真綿の綿入れも多少は普及していたと思う。

勝海舟は武家だから参考にならんかも知れんが、氷川清話に
「冬も稽古着一枚で過ごした」
という貧乏自慢のような記述があり、稽古着はおそらく麻だろうから、
貧しい人の中には寒い冬を麻で過ごす人もかなり居たと思われるが
それがむしろ特異な例だったということも言えそうだ。
730日本@名無史さん:2007/06/24(日) 17:39:49
自作自演か?

普通の農民なら木綿や綿入れなど着てるよ。
こんなとこで質問しないで、図書館にでも行った方がいいよ。
731日本@名無史さん:2007/07/01(日) 19:46:25
>>721
マツ 杉まじりの木っ端です
油は高価なので使える人も種火を大きくするときに
大匙スプーンくらいすつつかっていたとか祖母が言っていました
732日本@名無史さん:2007/07/06(金) 18:01:18
江戸時代ってうんこした後に何で尻の穴を拭いてたの?
733日本@名無史さん:2007/07/06(金) 20:15:25
普及度まではわからないが江戸時代には落とし紙(ちり紙)として
浅草紙という再生紙が使われてたそうな。
734日本@名無史さん:2007/07/07(土) 03:52:43
田舎は、木のヘラとか、木の葉、藁縄など。
確か、トイレのスレに詳しかった。
735日本@名無史さん:2007/07/10(火) 10:00:25
はちみつの生産ってなんであまり流行らなかったんだ?
736日本@名無史さん:2007/07/10(火) 20:11:38
蜂の扱いが面倒だったから
一寸の虫にも五分の魂
虫とは言え、動物から搾取は性に合わなかったから

甘味への需要はかなりあったと思うけど
言われてみれば不思議だ
737日本@名無史さん:2007/07/10(火) 21:21:19
単に技術がなかったから。
蜂蜜の生産が盛んになったのは韓日併合後で半島から技術者を連行した後。
738にゃんこ:2007/07/10(火) 21:59:42
多くの土地の検地は17世紀前半に終了し、その後200年間、そのデータを元に
課税した。つまり、江戸中期で100年前の、末期では200年前のご先祖様の
所得を元に課税された。新井白石は、実質税率28%としている。
網野先生によれば、九公一民の村は、検地した際の田畑からは、90%の課税
だが、この村の収入の大部分は、非課税の海運と果樹によるものであった、と
している。
 また、津軽藩の飢饉も、高騰した米をすべて売り払って、備蓄食糧ゼロの夏に
冷害がきて、飢饉となっている。つまり、農民は、雑穀類を栽培してなかったと
いうこと。普段は米を食っていたということだ。そして、飢饉の際に、金は持って
いたが、西国からの米の流通量が足らなかった。
明治初年の調査でも、日本全体の雑穀畑は、田畑の数%に過ぎなかった。つまり、
家畜の飼料。
また、甲斐の飢饉も、綿の暴落による農業業者の倒産劇。これまた、緊急食料
としての雑穀栽培が不足していた。
江戸時代の飢饉は、流通や経営の問題が大きい。

739にゃんこ:2007/07/10(火) 22:05:16
農業は、賭博産業。今日でも野菜の値動きの変動は大きい。江戸時代は、天候と
相場に左右される賭博産業だったのだ。勝てば富農。負ければ貧農。大負けすれば
飢饉。

今日でも税務署で生活の豊かさを語る人間はいない。貧困物語は、節税・脱税の
ためのもの。
740武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/11(水) 01:07:20
文化年間に書かれた『世事見聞録』には、
江戸初期前期は農村に百人いたとしたら全員が働いていたけど、
現在(文化)は百人いたら五十人遊び暮らし五十人が塗炭の苦しみに喘いでいると告発している。五十人が遊び暮らす五十人に収奪されていると著者は主張するのだ。
そして為政者は無慈悲にその貧しい農民五十人から税(労役も昔に引き較べ過酷になったと著者は断言する)を
徴収する。
彼の農村描写は淡々と事実が述べられ酷い。
楽なのは上層農民及び現金収入を得る手段を持つ農民だけであるという。
『世事見聞録』の著者は貧富の差が極端になって貧しい農民に負担が重くのしかかっていることを批判しているが、
これは御政道批判で下手したら首が飛ぶ。
ちなみに著者は武陽隠士という(奇しくも私、武陽陰士と一字違いの名だ)。
このウロンな名前はもちろんペンネーム。
公儀を恐れてのことだ。
武陽先生は御公儀を批判することになるのでこれ以上は書かないと『世事見聞録』の中で書いたりするから、
御政道批判の危うさを、ご本人も自覚していたことは間違いない。
どうでもいいが、先日亡くなった児玉幸多氏の書かれた『近世農民生活史』と
先述の武陽隠士『世事見聞録』の二冊だけでも通読したら
この板の鼻チョーちん膨らました脳天気な九割がたの書き込みは
クダラナくて読めなくなるだろう。
ここで少しは学習して近世について一家言ある人間がいたらいっておこう。
大石慎三郎一派ほかの近世農民像の見直しは
確かに一部妥当だが
総体としたらまだまだ近世農民(下層など階層、前期と後期の違いなど。識字率の正確な階層地方時代差の確定)
の全体を捉えていない。
武陽先生の告発の一つも近世農民生活史見直し論者は反駁出来ない。
出来る奴がいたら聞きたいモノだ。
ていうか駁論を聞きたい。
741日本@名無史さん:2007/07/11(水) 01:19:18
  ↑
>武陽先生の告発の一つも

こいつ自分のこと武陽先生だとさ
氏んだほうが いいんでないの
742日本@名無史さん:2007/07/11(水) 07:19:10
恥知らずのガキなんだから、しょうがない
743日本@名無史さん:2007/07/11(水) 10:02:37
知ったかのお馬鹿さんなんだからしょうがない。
744日本@名無史さん:2007/07/11(水) 10:36:22
甘味としてのはちみつはかなり需要多そうだし
保存もきくだろうしなんでもっと流行らなかったんだろ?
江戸時代の甘味ってサトウキビがほとんどない状態だから麦芽糖だけだろ?
745日本@名無史さん:2007/07/11(水) 13:30:50
>>744
いや、後期18C後半くらいからは砂糖の国産は徐々に伸びた筈。
砂糖を得るための金銀流出が歴代幕府の頭痛の種で国産を奨励した。
もっともそれ以上に需要が伸びたから生産が追っつかなかった。
スポンジに水滴を垂らすが如き有様。

蜂蜜は確かに謎だな。
教えて、エロイ人。
746日本@名無史さん:2007/07/11(水) 13:45:15
はちみつの話題をふったヤツは絶対に鉄腕ダッシュを見て疑問に思ったはずだw
日本の養蜂の歴史は結構長いんだよな
実際に蜂飼うだけだしもっと大規模にやっててもよさそうなんだが
なんでやらなかったんだろうな?
747日本@名無史さん:2007/07/11(水) 15:10:21
単に藩をまたいで活動できないからとか?
いろんな花の開花時期に合わせて移動するんじゃなかったっけ?>養蜂
748日本@名無史さん:2007/07/11(水) 17:08:30
>>747
いくら何でもそこまで広大な土地は必要じゃないでしょ。
今の養蜂業者もたちまち蜂が都市に流れ出して成り立たなくなる。
749にゃんこ:2007/07/11(水) 19:16:40
740>

私が大学時代(80年代前半)、年々、大学生の生活が向上していった。私が
1回生の時、練習試合は、先輩が親から借りた5人乗り車に、7人詰めて行った。
4回生の時、後輩の車に3人乗って行った。年々、見る見る、生活水準が上がって
いくのに、民青系自治会の連中は、「年々、貧しくなる、本を買えなくなってきた。」
と書いた新聞を配っていた。私は言ってやった。「今年の新入生は、お金を車に
使うから、本を買わないんだよ。」

網野先生のような左翼も、貧農史観などに与していない。飢饉文章の多くを、
税逃れ作文としている。

750日本@名無史さん:2007/07/11(水) 19:36:57
同じ甘味でもベトベトしたのは、和菓子系と違って嗜好に合わなかったから

ちょっと苦しいかな?
751日本@名無史さん:2007/07/11(水) 20:18:04
1回2回って西の言い方だよね。懐かしいな。
752にゃんこ:2007/07/11(水) 22:02:41
740>

江戸時代の徴税は村請である。為政者が一人一人の農民から徴税していたわけでは
ない。つまり、貧しい50人からも徴税していたとする「世事見聞録」は、基本的
な誤りがある。事実を書き残した文章ではなく、脚色の多い「ためにする」文章な
のだろう。今日の民青の文章のように。

ちなみに、70代の人々の戦中戦後食料不足はなしも、かなりの脚色がある。
そんなに低カロリーなら、生存できない。ガダルカナルやインパールは本当の食糧難
だったが、内地はそれほどではない。
753日本@名無史さん:2007/07/11(水) 22:28:30
まあまあ。
子供相手にそんなにムキになる事も無い。


敗戦直後は、常にお腹空かしていたと言うか
かなりな「粗食」で、今みたく美味しいもの
好きに食べられ無かった・・って感じかな。
親の世代の話を聞く限りは。
754日本@名無史さん:2007/07/12(木) 11:59:07
和三盆って日本独特のものなのかな?と思ってたら
サトウキビから普通に作るんだね。

755日本@名無史さん:2007/07/13(金) 19:49:01
あの柔らかい甘さは作り方の差?
756日本@名無史さん:2007/07/14(土) 00:01:25
精製の度合いじゃね?
757武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 00:09:32
>>752
バカらしい。
またもや出た読まず語りだ。
くだらないな。どこぞのサイトからの引用か、それは。
武陽先生はガチガチの封建主義者だ。民青なんかと一緒にされちゃ気の毒だ(民青の方すいません)。
松平定信なんかと気があうだろう、恐らく。
私の書き方がおかしかったら謝るが、武陽先生の文章は大筋あっている。いろいろな研究者が実は引用パクリしているのもあんたはご存じないらしい。
50人が遊び暮らすというのは地主化したということだ。
商業資本主義を憎んでる。
あんたは才能ないな。
あとさ村請だと労役はないのか?
バッカみたい。
原典ちゃんと読みな、パーどの。
758武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 00:13:35
>>753
勉強しなくても得々とウンチクいえる君が羨ましい。
読まないと何も言えない書けない私からするとね。
君の持論はどうせつまんねー受け売りだろ。
一次資料(史料)読めよ。バーカ。
759にゃんこ:2007/07/14(土) 13:28:48
一次史料ではなくて、一級史料を読もうね。民青の落書きでも、100年後には
一次史料なんだから。でも、その前に基礎知識がないとね。

「100人中50人が地主」そんな社会があるはずないじゃないか。ありえない
ものは信じるな。
網野先生によると、百姓=農民 ではない。江戸後期の百姓の何割かは、非農民。
教科書に載ってる、家内制手工業や工場制手工業の担い手や商人。さらに、武陽先生
なんてガチガチの封建主義者から見たら、果樹栽培すら農業ではない。江戸時代の
保守頑迷の武士は、米作り中心農民しか、農民と認めなかったんだよ。

なお、労役も村請けだよ。村の自治で、働く者を決めた。為政者に直接に働かされた
わけではない。村請けの意味を間違えるなよ。
760にゃんこ:2007/07/14(土) 13:47:25
一部、拙論を訂正する。

「世事見聞録」の記述に正しいモノもあり、誇張されたモノもあり、デタラメも
ある。
740の「100人中50人・・・・」は、明らかにデタラメである。そんな
社会はありえない。
761にゃんこ:2007/07/14(土) 13:51:59
759を補足解説する。

保守頑迷武士は、米作り中心農業しか、農民の労働と認めない。手工業者や商人
や果樹栽培者やそれらの経営者を「遊び暮らした」としか表現できないのだろう。
それを現代の我々が真に受けるのは極めて愚かである。
762武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 14:14:02
>>760
駄目だなコリャ。
ネットで引いてきたのが、見え見えだ。
私も試しにいろいろ検索したが、明らかに通読してないのが分かる、あんたのようにね。
読めよ。
ネット間違ってるのが分かるぜ。
ま、読みやしないんだろうが猫太夫は。
ネットにかじりつけよ死ぬまでさ
763にゃんこ:2007/07/14(土) 15:52:32
反論する力がないから、通読自慢かい?
なぜ、通読せねばならん?

ここの論点は、「庶民の生活レベル」だよ。
通読自慢スレッドではない。

君の挙げた「100人中、50人・・・」はどうしたのさ?
「村請け」の件は、どうなった?
網野先生の「百姓=農民ではない」説に対して、どう反論するのさ?

反論してくれ。



764日本@名無史さん:2007/07/14(土) 21:10:20
だから子供相手にムキになるなって。。
意味の無い拙い知識を一生懸命、誇張しようとしているんだから
ほほえましく見てあげるのが大人の態度だよ。
765日本@名無史さん:2007/07/14(土) 21:21:46
ちょいと話題を変えて

例えば、200年後から見たら「ちびまる子ちゃん」とかは、一級史料になるのかな?
個人的には中々世評現してると思うけど
766武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 22:46:55
>>765
いやフィクションはならないよ。
少なくとも一級の史料にはならない。
767武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 23:01:06
>>763
読まない奴にイッテモネ。疲れるだけだもん。
君の商業云々は誰で知ってることさ。
非農業及び商業とかにも階層があるのを武陽先生はちゃんと書いてる。
あと武陽先生は公事に恐ろしく詳しい。遊郭なんかもそうだ。
君が読んだ、しようもない新刊が山積みになっている本屋に売ってるような江戸関連本には武陽先生からパクっているのも多い(ま、君は読みとれないな)。
公事や遊郭は実は武陽先生の本が出所だったりする。
お分かりかな?
ただパクリはパクリでも孫パクリだったりする。江戸は売れるから学者でも粗製濫造する。
ま、原点読まないで、パクリを読んで得意になってなさい。
768日本@名無史さん:2007/07/14(土) 23:03:47
と言うか本当に通読してるのならそんなトンチンカンな事は書かないだろ・・・
769にゃんこ:2007/07/14(土) 23:27:53
だから、論点の
「100人中、50人・・・」の件はどうなってるのさ。
「村請け」の件は?

>非農業及び商業とかにも階層があるのを武陽先生はちゃんと書いてる。

だから、どのように書いてあるのさ。それと、「100人中50人・・」
のカラみはどうなってるのさ?

君のやっていることは、「ポクの本には、何でも書いてアルぞ・・・。」
という自慢にしかなっていない。ちゃんと反論してくれよ。笑わないからさ。
「100人中50人が地主になる社会だった」とかネ。
770日本@名無史さん:2007/07/14(土) 23:37:54
ぶよういんしは別スレでも、通読を自慢するだけで質問なんてすべて答えず、
だらだらと知識の開示をするのみ。
忘れた頃にもう一度質問しても、「もう答えた」の一点張り、
誰もがあきれて相手しなくなると悪態雑言の言いたい放題。
こいつは別のスレでやった方法をまた取るのかw
771にゃんこ:2007/07/14(土) 23:45:41
770>

そうなのか。「ぶよういんし」は、議論ではなくて、「世事見聞録」に対する
信仰告白してるだけなのか。相手するのはやめるよ。
770氏にサンクス。
772武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 00:19:24
>>771
信仰か。
じゃあ武陽隠士下敷きにした研究読むなよ。
(アカデミックじゃないが)鳶魚も読むな金輪際。
あれも武陽隠士を下敷きにしている。
アカデミックな近世史の研究なんかでも武陽隠士は引用される。
みんな読むなよ。
信長公記を読まないで信長について語るようなものだがね。
信長公記読めと私が信長についてお喋りする奴にはしつこく言うが。
ちなみに私は信長公記は色読だ。
信長なんかどうでもいいし。
ああ思い出した、君かい?
信長公記読まずに信長のこと書き込みするバカ殿は?
なんにせよ楽でいいよね。
まあ、またツマラナイ書き込みしたら批判するんでよろしく。
そんときは大人になって無視することだな(出来るかな?あんたに(笑い))
773武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 00:27:01
ロムっているだけの人がいると思うので、ちょっと書いとく。
私がこいつに反論しないのは基本的などうでもいいことを論じてるからだ。
私はあちこちに書き込みしまくってる。
私のメモリーが足らないのだ。
新書レベルの江戸のうんちくを無批判に書いてるのに、
批判するのは骨がおれるんだな。
書いてて面白くないし。
「お前は読んでいない、お前バカ」で十分だよ。
774日本@名無史さん:2007/07/15(日) 00:51:13
ちゃんと読んでないのさえバレバレなんだから
そんなに気張らなくても大丈夫だよ

自分を大きく見せたがる、精神病患者のプロファイルとしては面白いけど
775武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 01:07:13
>>774
おまえバカだよ。
私が多読するのは謙虚だからだ。
「大きく見せたがる」なんぞというのはおまえのほうだ。
すべては読書から始まる。
自分が凄いと自惚れた時点で、他人の著作など読まなくなる前兆だ。
私は己が最大の無知だと思っている。
だから読む。
776日本@名無史さん:2007/07/15(日) 01:15:32
ホントに多読してる人は、そんなに無知晒す様な書き込みしないと思うけどね。
777日本@名無史さん:2007/07/15(日) 05:12:27
読書家が本読むのなんて当たり前じゃん。
量を誇っている時点で……ちょっとねぇ。

空気吸ってるの自慢されてもって感じ〜
778日本@名無史さん:2007/07/15(日) 06:20:11
>>775
おまえが多読で謙虚なのはわかったから、
>>769にちゃんと答えろよ。
それが出来ないなら、これ以上書き込まなくていいから。
779日本@名無史さん:2007/07/15(日) 12:52:55
そもそも読書家が程度の低い書き込みを大量にして、時間を無駄にするはずが無いわな
780日本@名無史さん:2007/07/15(日) 14:47:56
江差の5月は江戸にも無い
781日本@名無史さん:2007/07/15(日) 16:58:57
>>779
ブヨーなんとやらはゴミコテなんだから気にするな。勝手に吠えさせとけばよい。
782日本@名無史さん:2007/07/15(日) 22:24:05
>>781
見た感じ中学生くらいなんで、このまま大人になられては困る・・とは思う。。
江戸ならこう言うのは一般庶民でも他所の子供だろうと厳しく躾られたんだろうけど、現代だと所詮他人事。
個人は尊重されなきゃいかんので、自分も思うだけで、どうこうしようとするつもりは無い。。
783日本@名無史さん:2007/07/15(日) 22:33:29
ブヨーなんたらってたまーにテレビに出てくる軍事評論家の田岡元帥に似ている。
なんていうか知識はある程度持ってるんだけど、結論があれれ?って言うタイプ。
自分の願望を結論付けたいが為に、強引な結論に持っていくって感じ。
784不用淫士はバカコテ ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 22:44:42
>>781は私の書き込みだよ。面白いからあちこちの板で武陽陰士の悪口書いた。
デート中にもかかわらず。ふふふ
バッカみたい。
785日本@名無史さん:2007/07/15(日) 22:47:27
ウゼーよ失せろ。
おまえいい年して子供じゃねえんだから、くだらねえスレで板荒らすな。
786不用因子 ◆ATDF4vFZys :2007/07/15(日) 22:51:24
>>785も私(笑)。
『江戸時代の天子様と庶民』にも不用淫士の悪口書いたんだけどさ。レスなしだ。
わはははははははは
なんかつまらん
787名無し:2007/07/15(日) 22:54:22
ていうかこれからはハンドルネームは使用止めるかもしれない。
だからこれからは、隠れたところに武陽はいるわけだ。
788日本@名無史さん:2007/07/15(日) 22:57:24
トリップは時々正体明かすためにつけたんだよ実は。
まあこれからは正真正銘の隠士になるわけだ。
さて消えるか。
789日本@名無史さん:2007/07/15(日) 23:03:58
>>749
禿同!
790名無し:2007/07/15(日) 23:05:54
>>785
訂正:スレ→レス
791日本@名無史さん:2007/07/15(日) 23:20:00
子供に何を言っても無駄ということだな(-.-;)
奴のカキコはスルーした方が賢明。
792日本@名無史さん:2007/07/15(日) 23:34:58
ニートの不用くん、あぼーん怖くて逃げましたかWWW
結局知ったかだったまま逃げたな。





……てな感じでレス頼みます。元武陽。
793日本@名無史さん:2007/07/16(月) 00:28:47
基地外はメンヘル板へ
794日本@名無史さん:2007/07/19(木) 10:39:42
せっかくいいスレだったのになあ・・・
これだからコテは・・・
795日本@名無史さん:2007/07/19(木) 10:47:57
江戸時代、庶民のセックス事情ってどうなんでしょう?
売春が比較的安価でできていたはずなんでそれほど困ってなかったのかな?
あと性的価値観って当然現代とはかなり違うんだろうと思いますがどんな感じだったんでしょう?
796日本@名無史さん:2007/07/19(木) 11:30:46
疑問符つけまくる奴は低脳だから答える必要なし
797日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:49:39
貞操観念は上層部のお侍さんのとそれ以外はかなり違ったみたいですね

「性的価値観」は何を指しているかもう少し具体的に言って戴ければ
798日本@名無史さん:2007/07/20(金) 09:37:51
公家や武家では貞操観念はガッチリとは理解できてますが
庶民でも庄屋さんや大商人などの富裕層は貞操観念ってのはあったんですかね?
まあ末端の小作人レベルになれば貞操って何?レベルだったんでしょうけど
799日本@名無史さん:2007/07/20(金) 10:24:43
公家の姫さんたちに貞操観念なんかあるんか?
800日本@名無史さん:2007/07/20(金) 15:11:31
吉原とか見てると性欲を満たすための性行為場っつーよりも
お持ち帰りも可能なキャバクラみたいな印象を受ける。

つか江戸時代の野郎共はそんな元気だったんだろーか。
毎日米と野菜と味噌汁で毎晩ギンギンにやれるんだろーか。
801日本@名無史さん:2007/07/20(金) 15:40:21
お持ち帰り可能キャバクラってか
その場でイートインキャバクラだな
802日本@名無史さん:2007/07/20(金) 15:59:26
つかネットもテレビもラジオもない時代、
情報の最先端は吉原だったんだろうな。
803日本@名無史さん:2007/07/20(金) 16:15:44
江戸時代の標準語は吉原言葉だったとされているくらいだからな
804日本@名無史さん:2007/07/20(金) 20:24:21
ありんす
805797:2007/07/20(金) 20:42:43
ちと間違えた
×上層部のお侍さん
〇お侍さんの上層部


>>798
江戸の小作人と庄屋の境目ってよく分からないんですよね
「当番制」とかあったりして
大店の旦那がめかけさん囲うのが当たり前の雰囲気の中で
その娘さんの貞操観念が実際はどんなだったかは・・謎ですね
806日本@名無史さん:2007/07/20(金) 23:04:20
本百姓から庄屋が選ばれる
小作人は本百姓じゃない
807日本@名無史さん:2007/07/21(土) 00:00:01
たぶん、庶民の貞操観念は今とあんまり変らないんじゃないのかな?
浮気する奴は浮気するが、しない人間はしない。
808日本@名無史さん:2007/07/21(土) 05:58:52
農村の中でも家の格式は細かく定められていて
家格が同等の家同士が婚姻を結んだ
809日本@名無史さん:2007/07/21(土) 09:52:19
教科書の抜き書きは面白くない
810日本@名無史さん:2007/07/21(土) 11:33:55
武士の娘以外は、結構自由奔放な性だったんでしょ
西日本には夜這いの習慣もあったわけだし
811日本@名無史さん:2007/07/21(土) 11:34:35
>>803
んなわけあるか。

>>807
吉原でも浮気は戒められた。
先にアイカタがありながら他の女と遊んだ不逞な輩は
モトドリを切られた。
切られた髪を整え直して細眉に仕立て直す床屋まで吉原にはあった
812日本@名無史さん:2007/07/21(土) 11:36:00
>>811
訂正
×細眉
○細髷
813日本@名無史さん:2007/07/21(土) 11:48:44
>>811
それって吉原でも「上級」だけだったんじゃない?


岡場所はどうだったのかな?
現代の風俗みたいな
「たまに浮気するとバツが悪い」
「当日の気分次第」w
とか色色あった気がする
814日本@名無史さん:2007/07/21(土) 14:09:16
他人を見て我が身を何とか・・
815日本@名無史さん:2007/07/21(土) 14:10:49
誤爆した
スマソ
816日本@名無史さん:2007/07/21(土) 15:36:10
>>810
夜這いに失敗した男

●●●●●●津山30人殺し●●●●●●
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1038476094/
817日本@名無史さん:2007/07/21(土) 23:23:54
本百姓と小作人の違いって何?
818日本@名無史さん:2007/07/22(日) 00:28:14
日本には完全形態の小作人は少なかったように思うが。
他人の土地を手伝わなければ食っていかれない百姓は多かっただろうが、
寸耗の土地も持たない全くの小作人ってのは
一村でも数えるくらいだったのではあるまいか。
819日本@名無史さん:2007/07/22(日) 08:43:28
小前百姓
820日本@名無史さん:2007/07/22(日) 13:50:33
走っていたのは小作人?
821日本@名無史さん:2007/07/24(火) 10:51:42
土地も持たない小作人って水呑み百姓っていうんじゃないの?
822日本@名無史さん:2007/07/24(火) 14:05:01
他人の土地を耕す人々が小作人
圧倒的多数の人々が小作人
823日本@名無史さん:2007/07/24(火) 15:21:35
「圧倒的多数」って具体的にどれくらい?
各藩でも同じ割合?
江戸初期中期後期でも、その割合は変わらないの?

そもそも土地って武士の所有物?
824日本@名無史さん:2007/07/24(火) 16:26:29
>>823
社会人なら仕方が無いが学生なら教科書を読むか図書館で調べるといいです。
教科書や大学で得た知識を2ちゃんねるで書き込んでもゲンナリとするだけです。
普通の方々は常識だからとスルーしますが、極一部の狂信的な方々が教科書や通説を躍起になって否定します。
そんな極一部の狂信者は狂気としか思えない執念で書き込みます。
極論の方々を相手にしても意味はありません。
教科書か図書館で御自分で調べられることをお勧めします。
ネットでは神道系の皇国史観が受験で不正解となる極論を展開していますから通説を意識しないと失敗してしまいます。
2ちゃんねるで疑問を尋ねられても最近は通説ではない回答が書き込まれる惨状です。
825日本@名無史さん:2007/07/24(火) 18:12:49
学会関係者でも無いんで、「通説」にコダワル気はないんですけどね
それに通説にもかなり幅があると思うし
図書館が常に「正しい」とも思ってないし
ましてや、2chが正しいとも思ってない

唯、極乱暴に「圧倒的多数」と書かれてたんで素朴日本気になっただけです
826日本@名無史さん:2007/07/24(火) 21:55:39
他人の田を耕さずに済む人はごく一握り
自分の田を耕さずに一年を終える人もごく一握り
827日本@名無史さん:2007/07/25(水) 12:21:16
 田畑はあるんだけど、それを耕す百姓がいなかったから、別の地域から呼び寄せたって例があるね。
 住む家を建て無料譲渡、田畑を分け与えて、何年間は年貢免除。
 かなり優遇して、やっと百姓を呼んだって例。
828日本@名無史さん:2007/07/25(水) 14:38:02
北関東では、19世紀農村人口が減り、北陸から農民を呼び寄せた。
ある地方では、今でもその子孫は新百姓と呼ばれ蔑視されている。
829日本@名無史さん:2007/07/25(水) 15:32:08
>>826
寄生地主が小作人を囲い込むんですよね。
裕福な農民がが貧しい農民の土地を買い寄生地主となる。
貧しい農民は小作人となる。
一握りの豪農と多数の貧農に二極化していく。
830日本@名無史さん:2007/07/25(水) 15:44:43
江戸時代のワキガ女がどんなに孤独だったのか、
あなたたちにわかりますか?
ワキガ女が、どんなふうに生きたか。
くさいくさいとさげすまれ、
恋も結婚もあきらめざるをえなかった。
ワキガ女たちよ、江戸を生きた。
そして、いま、無名の彼女たちの人生を思う。
831日本@名無史さん:2007/07/25(水) 15:46:12
江戸時代の真性包茎はいかに生きたのか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184782901/l50
832にゃんこ:2007/07/25(水) 21:40:47
江戸時代に「兼業農家」という言葉は無い。酒造りや布作りの職人も、果樹栽培
メインの農民も運送業者も、農村に住んでいたら「水呑み」なんだよ。
「米作り中心でなければ、本百姓じゃない。」てな思想が強かったしな。
「水呑み」=貧乏ではないんだよ。
833日本@名無史さん:2007/07/25(水) 23:12:18
「水呑み」=貧乏
ってイメージが付いたのはいつ頃から何だろうね?
834日本@名無史さん:2007/07/25(水) 23:24:33
いや、米よりは田だと思う。
同じ米でも岡穂は軽んじられる。
835日本@名無史さん:2007/07/26(木) 09:50:08
ダッシュ村のやってるのは本百姓でいいんだよね?
田を耕しつつ余った土地で野菜を作ったり養蜂したり鍛冶(まあこれは別格か)仕事したりってのは副収入ってことで
あれに田がなければ水呑みなんだよね?
836日本@名無史さん:2007/07/26(木) 13:56:34
>>835
あの土地はダッシュ村の村民(wの所有なのか?
別に土地所有者が存在するなら小作人だと思うんだがどーよ。
837日本@名無史さん:2007/07/26(木) 16:07:23
今の日本の法律上あそこはちゃんとした農家の所有になっていて
それを日本テレビか製作会社が借り受けているということにしないといけないはずだわな
農地を農地のまま農家でない人に売ることは不可能だからな
838日本@名無史さん:2007/07/26(木) 20:13:23
農地法第3条=現代版田畑永代売買禁止令
839日本@名無史さん:2007/07/26(木) 20:49:08
木綿作付なんてやっていた百姓は米なんか作るの馬鹿馬鹿しかっただろうね
幕末、なんで西日本ばかり攘夷攘夷騒いだかって、英国製木綿製品が怖かったんじゃないかと思えて来る
840日本@名無史さん:2007/07/26(木) 21:34:22
>>839
米やらを買うほうがバカバカしいだろね
食料は自分達で作れるん時代なんだから
841日本@名無史さん:2007/07/26(木) 22:41:51
>>840
いやいや、単位面積あたりの効用が米と木綿じゃ比較にならんわけですよ。
稲みたいに水栽培できないからやむなくそうしたってことはあるにしても、
金肥をしこたま仕込んで作って、それで商売になったわけだから。
金肥には遠く松前からわざわざ回送して来たニシンなんかも含まれる。
842日本@名無史さん:2007/07/27(金) 14:05:39
>>830
今みたいに下水道完備じゃなかった時代。
今みたいに服を毎日取り替えなかった時代。
今みたいに毎日風呂に入らなかった時代。

そんな奴らの人口密度からするに、江戸の町は相当くちゃかったんだと思う。

木を隠すなら林の中、じゃないけれど
ウンコくちゃい町に住んでれば腋臭程度、あんまり気にならなかったんじゃないのかな。
843日本@名無史さん:2007/07/27(金) 14:12:02
江戸時代初期は江戸の町より京や堺やヒメジ(゚д゚)のが発展してたんじゃろか。
844日本@名無史さん:2007/07/27(金) 14:48:01
江戸時代の日本総人口は どれくらい?
二千万人くらい?
845日本@名無史さん:2007/07/27(金) 15:19:15
【前回選挙前】
    , - ,----、
   (U(    )  サラリーマン大増税は行いません!
   | |∨T∨   郵政民営化だけで全て解決です!
   (__)_)    どうか自民党に投票お願いします。
          ↓
  【選挙勝利2日後】
   ↓自民党
   ∧_∧   サラリーマン大増税するのなんて解ってただろw
  ( ´∀`)   勝っちまえばこっちのもんwww口約なんて破る為にあるんだよ!w
  (   /,⌒l     ギリギリまで税金絞り取ってやるからしっかり払えよ底辺どもwwwww      
  | /`(_)∧_0.        
  (__)(´∀`; )⊃⌒⊃  ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


【2007夏選挙前】
    , - ,----、
   (U(    )  消えた年金対策はしっかりやります!
   | |∨T∨    責任取らせます。給料下げます。
   (__)_)  
          ↓
  【選挙勝利後】
   ↓自民党
   ∧_∧   WE法案を早速導入するのは解ってただろw
  ( ´∀`)   反対しても強行採決するから無駄無駄www
  (   /,⌒l     ついでに消費税も10%に上げるからしっかり払えよ奴隷どもwwwww      
  | /`(_)∧_0.     は?消えた年金・・・?なにそれ。領収書持ってこいボケwww   
  (__)(´∀`; )⊃⌒⊃  ←国民
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
846日本@名無史さん:2007/07/27(金) 16:39:02
このコピペ選挙違反で通報可能?
847日本@名無史さん:2007/07/27(金) 22:40:22
可能だけど、自民も同じだかな・・・。

夏厨や政党の工作員が大量に湧いて
大変だが、あと少しで終わるのが幸か。
(夏厨はもう少し後だが)
848日本@名無史さん:2007/07/28(土) 01:20:05
>>842
江戸では風呂はかなり頻繁に入ってたようだよ。汚れっぽいという事情もあるけど。
849日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:11:56
江戸時代に農民は武士に搾取されていると仮定すると、徴税された米を
最終的に消費するのには武士や商人階級だけでは足りない。
すると必然的に幕府は米を中国や朝鮮半島に輸出していたことになる。
こう考えると鎖国というのはフィクションだったのがよくわかる。
850日本@名無史さん:2007/07/28(土) 22:11:27
>>849
逆を言えば古米なんかが回り回って貧窮層に普及していたってことだ
米なんて滅多に食えないということがフィクション
851日本@名無史さん:2007/07/29(日) 20:58:13
江戸には湯船ってのがあったようだけど、大坂ではどうだったんだろね?
江戸の棟割り長屋には内風呂はもちろんのこと、
かまども流しもなかった。
自炊設備が全くないという点ではレオパレス以下、
カプセルホテル並だが、そもそも必要もなかった。
ちょっとした立ち食いのファーストフードくらいはいくらもあった。
寿司、天ぷら、蕎麦、うどん。
いわゆる江戸前の食文化は実は多くがファーストフードだったりする。
今はお高く止まってるけどね。
852日本@名無史さん:2007/07/30(月) 01:44:11
>かまども流しもなかった。
マテ。
竃と流しは普通にあるぞ

ttp://www6.vis.ne.jp/~aichan/edo/nagaya/kihei/nagaya.html
ttp://www.cleanup.co.jp/life/edo/29.shtml
853日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:14:46
>>842
同時代のロンドンやパリに比べれば臭くなかったと思うよ。
854日本@名無史さん:2007/07/30(月) 22:21:08
>>853
何の誤爆だ

江戸っ子は埃っぽさを嫌って暇さえあれば湯に入ってたし
お店者は西も東も地面が乾けばすぐ水をまいた。

幕末に西洋人(サトーだっけ?ヒュースケン?)が書いたように日本人は綺麗好きだ。
855日本@名無史さん:2007/07/31(火) 09:02:58
だから日本じゃあんまりドぎつい匂いの香水とかは発達しなかったんだな。
856日本@名無史さん:2007/07/31(火) 13:50:59
石造りの街路に比べて汚れやすいってことはあったろうな。
雨になればぬかるんで泥だらけになるし晴れたら晴れたで埃まみれになる。
江戸の統制で街道沿い(いわゆる「表」)は商家たるべし、
という決まりがあったようなのだが、お店は家の前の街路をよく管理した。
朝一番に水をまいて箒で掃き、箒目を立たせる。
店の方から道の方へ。
今度は道の方から店の方へあべこべに目を作る。
朝の街路は枯山水の庭園のような美しさだったろう。

この街路の管理、お上から命じられた義務だったのだろうか?
それとも自発的なもの?
857日本@名無史さん:2007/07/31(火) 18:34:33
石畳を造る技術がなかっただけでしょ?
858日本@名無史さん:2007/07/31(火) 21:37:56
>>842
くちゃいのは十二単のお姫様
859日本@名無史さん:2007/07/31(火) 23:57:31
>>858
江戸時代に、12単って日常服として着られてたの?
たしかに、平安時代は占いで髪を洗う日とか何でも決められてて、
髪を洗う日になると髪を洗って流し落とされた汚れや髪につけた香
水だったけ?みたいなので加茂川から異臭が漂ったそうだけど。
860日本@名無史さん:2007/08/01(水) 00:35:09
江戸の町人が風呂好きだったのはたしかだが、
畑は全面的に下肥使ってたし、汲み取り屋は大繁盛だったし、衛生的に臭かったと思われ。
861日本@名無史さん:2007/08/01(水) 01:13:35
>>857
都市設計思想の違いかと思われ。
石畳作るのがそれほど難しいとはあまり聞かないぞ
862日本@名無史さん:2007/08/01(水) 01:29:16
日本にはかつて牛車があったのになぜ馬車など車のついた乗り物が
発達しなかったかというところにいきつくのでは>石畳
863日本@名無史さん:2007/08/01(水) 01:37:30
>>862
それなら牛車が走っていた頃の都は舗装道路完備してたのか、って話に当然なる。
864日本@名無史さん:2007/08/01(水) 02:12:51
すると平城京や平安京のモデル都市がどうだったかという話に当然なる。
865日本@名無史さん:2007/08/01(水) 09:08:21
>>864
それはどうかな
866日本@名無史さん:2007/08/01(水) 09:32:18
欧州でも馬車が走っていた時代に舗装されていた場所なんてかなり限られるわけだが
867日本@名無史さん:2007/08/01(水) 11:41:14
>>862
坂と河川が多いから
868日本@名無史さん:2007/08/01(水) 12:46:31
乗用の馬車は軍事的理由で禁止されていたとか読んだ気がする
869日本@名無史さん:2007/08/01(水) 13:29:51
江戸時代についていえば車両構造に制限があったんじゃなかったか?
スポークのついた車輪禁止、荷台は縦板禁止、とか。
ベカ車とかいう運搬能力の低い車が使われてたって聞いたことあるぞ
870日本@名無史さん:2007/08/01(水) 19:54:03
そうです。世界初の自転車も禁止されました。
871日本@名無史さん:2007/08/01(水) 22:36:25
>>870
吉宗の禁令か?
「新奇」なものは作っちゃいかんという。
872日本@名無史さん:2007/08/01(水) 22:48:46
確かに、自転車隊なんてのがあれば道路状態がよければ1日200キロ
進軍できるから軍事的には許容できないだろうな>幕府
873日本@名無史さん:2007/08/01(水) 23:04:05
銃の禁止と舗装の禁止で日本の歴史は300年遅れたのか。
874日本@名無史さん:2007/08/01(水) 23:56:03
舗装道路…
違うと思う。
舗装道路なんていまだに完備してないいわゆる「先進国」はざらにある。
日本は重要だろうとそうじゃなかろうとまるで神事のようにアスファルトで埋め立てるが。

一番は船だろ。
幕末に黒船でびっくりしたというストレートな事例でもそれがわかるし、
明治になって憑かれたような予算組んで軍艦を作ったことからもそれが分かる。
875日本@名無史さん:2007/08/02(木) 00:10:18
アスファルト教
876日本@名無史さん:2007/08/02(木) 00:45:56
江戸の性風俗がやたらと奔放って聞くけど、これって江戸時代に入ってから奔放になったの?
それとも戦国時代以前からアッパラパーだったの?
江戸に入ってからならその背景とかも知りたいんだけど、そういうのに詳しいサイトが知りたいんだ。
以上、教えて君な質問してすまない。
877日本@名無史さん:2007/08/02(木) 01:04:50
貞操観念の無さを嘆いている、戦国時代の宣教師の記録があった気がする

源氏物語見ても、それが強かった感じはしないと思う。
878日本@名無史さん:2007/08/02(木) 01:08:24
地女の話か、それとも花魁女郎の話か。
奔放が指すものによる。教えて君もレベルによりけりだぜ
879日本@名無史さん:2007/08/02(木) 01:43:04
町人の間での夜這いだとか陰間、美人画春画の類が流行したこととか。
そういう江戸時代の町人文化や性風俗がやたらと花開いてるのは
それ以前の締め付けが何らかの拍子に開放された反動なのかな、とか妄想してたんだけど。

お稚児さんは結構昔から坊さんがやってたってのはわかった。
880日本@名無史さん:2007/08/02(木) 02:51:48
源氏物語はまあフィクションだが、とはずがたりとかドキュメンタリーだし(虚構性が高いという説もあるが)。
エロいですよ。昔っから。
江戸時代は時間的に近いので資料がいっぱい残ってるだけ。出版革命もあったし。
881日本@名無史さん:2007/08/02(木) 10:09:36
今のエロマンガ並にドアップ結合まんこちんこ絵もあるね
882日本@名無史さん:2007/08/02(木) 10:52:02
明治になりキリスト教が解禁になって貞操教育が盛んになったのでは?
883日本@名無史さん:2007/08/02(木) 10:57:22
元々上流階級には貞操教育があったが
それを庶民にまで推し進めるのは学校ができた頃からじゃないかな
浸透するのはかなり後になるが
884日本@名無史さん:2007/08/04(土) 12:37:14
津山30人殺しで明るみに出たけど、西日本の農村の性的相関図は昭和でもかなり猥雑だったようだ。
いわゆる間夫のたぐいの話ばかりでなく、被害者側にも内縁や内妾の関係が多い。

一夫一妻制、法律婚を前提としてもそうなのだから、それ以前は推して知れる。
まして江戸の町は女が少なかったから穴兄弟は多かったろうね。

全く余談だが江戸小咄にこんなのがある。

「見ろよ、いい年増じゃねぇか。たまんねぇな」
「いいなぁ!おれぁ年増がでぇ好きだ。
 あっ!おい見ろ、後ろに後家が通りやがるぜ」
「後家もたまんねぇなぁ!
 後家には目がねえよ。うちの女房も早いとこ後家にしてやりてぇ」
885日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:43:03
>>883
> 元々上流階級には貞操教育があったが
> それを庶民にまで推し進めるのは学校ができた頃からじゃないかな
> 浸透するのはかなり後になるが

貞操帯ができたのって、十字軍のころだというじゃない。
(流行ったのが、かな?)

で、夫を徴兵して出生させる間、妻が貞操を守ってないと、
兵士の士気に差し支えるから・・・ってのはどうだろう?

・・・所帯持ちは体力が落ちてるし戦意も低いし、
現役兵は独身の次男、三男が基本だろうから、
徴兵制と貞操教育の関連は低いかな?
886日本@名無史さん:2007/08/07(火) 01:13:29
>>885
微妙だな。
それならローマはどうだったんだという話になる。
民族主義の高揚と関連づけて考えてみたりもしたが、それも矛盾や反証だらけ。
とこう考えて行くと「奔放だった」(今より)という解釈が違うんじゃないの、と思えて来る。

奔放だったなんて一体誰が言い出したのよ?
887日本@名無史さん:2007/08/07(火) 02:46:31

現代って結構江戸の感覚に「戻って」たりして
若い子達見てると特に
888日本@名無史さん:2007/08/07(火) 09:20:39
欧州とは事情が違う
欧州は宗教的にガンジガラメだったんだ
日本の場合は宗教的には性的制約などないからな
889日本@名無史さん:2007/08/10(金) 12:01:18
>>854
誤爆じゃなくて同時代のパリ・ロンドンなんて排泄物の処理の仕方が日本に比べて衛生的じゃない。
比べて日本は衛生的、且つ肥料にして効率的に処理していた。
890日本@名無史さん:2007/08/10(金) 14:20:25
その排泄物を農家に売るために
ぼっとん便所を商人が大通りに設置したため
結局臭いは充満していたそうだ
891日本@名無史さん:2007/08/10(金) 18:22:45
幕末の西洋人滞在記には、町中で「臭った」ってのは見た事無いなあ

大通りに面して厠があったってのは初耳だ
892日本@名無史さん:2007/08/10(金) 19:19:28
日本だって褒めたもんじゃないだろ
糞便を農作物の肥料に使っていたんだぜ?
おかげで江戸時代の庶民はほとんど腹の中に回虫をかってた

おまけに刺身も食したもんだから

世界で一番寄生虫を体内に勝っていた民族だっそうだ

サナダムシと回虫が胃の中で格闘でしている姿が目に浮かぶよ
まだ欧州の方が衛生的だな
893日本@名無史さん:2007/08/10(金) 19:22:07
ちなみに現代では糞便をそのまま肥料に使うのは
食物の安全面からやってはいけないこととされている

そんな食い物がどこもかしこもでまわっていたのが江戸時代
まさに寄生虫リサイクル社会
894日本@名無史さん:2007/08/10(金) 20:57:32
ヒント
堆肥
895日本@名無史さん:2007/08/10(金) 21:25:31
というかそのままじゃあ肥料にならないわけだが
896日本@名無史さん:2007/08/11(土) 00:42:41
ヒントも何もそのままじゃないかw
人糞売買は戦後まで行われていたらしいよ。

っていうか堆肥にしても卵が死滅する訳じゃないよね。
それでも発熱は内部で75度くらいにはなるんだっけ?
結局は野菜はクタクタになるまで煮るのが虫予防には一番だったりする。
生野菜食べるようになったのなんてほんの最近でしょ?

確かに日本の都市は一般に屎尿回収に優れた社会だったが、
逆に屎尿回収の遅れたパリでは下水道整備がいち早く進んだりもした。

糾える縄のごとし。
897日本@名無史さん:2007/08/11(土) 00:49:31
ヒントとか書く阿呆の相手をすることもなかろうに
898日本@名無史さん:2007/08/11(土) 00:55:33
>>897
俺もきっと同じレベルってことなんだよw
酔ったな、今日は
899日本@名無史さん:2007/08/11(土) 06:16:32
共生
無菌社会
900日本@名無史さん:2007/08/11(土) 09:16:31
排ガス生活
901日本@名無史さん:2007/08/11(土) 11:43:46
リサイクル社会と大量消費社会の断絶は大きいな。
古着、布団の打ち直し、肥料、等々それに関わる職業が生まれ
そして大量消費社会に移行するとそれらの職業も失われていった。
今はなくなったり、廃れてしまった職業を考えてみるのも面白いかもしれない。
902日本@名無史さん:2007/08/11(土) 11:48:25
中華人民消費国
903日本@名無史さん:2007/08/11(土) 17:12:49
落語「時そば」には塗りの箸は誰が使ったか知れやしねえ、箸は割りに限るや、
ってな描写があるが、必ずしもリサイクルがいいという社会でもなかったと思う。
年がら年中新築工事は行われていたし、傘なんかは消耗品もいいとこ。
歯ブラシも使い捨てだった。

一方で水の漏るようになった桶なんかを持って行くと、バラして接合部に鉋を入れ直して、
タガをはめ直す「タガ屋」なんて職業はあったし、
晴れ着を貸し出して、着物の損料だけ取るレンタル屋なんてのもあった。
後者は火事が多い為に着物のような高価なものを誂えるのを嫌った為と言われている。
904日本@名無史さん:2007/08/12(日) 10:46:37
「使い捨て」出来るリサイクルだったから良かったんじゃないかな?
燃やして燃料はリサイクルの基本
905日本@名無史さん:2007/08/12(日) 11:23:43
そうじゃなくて>>903は現代の価値観で江戸時代の価値観を推し量ると
当てはまらない部分も出てくるという愚を指摘している
906日本@名無史さん:2007/08/12(日) 11:42:07
 現代は「資源の枯渇」に対応するためのリサイクルだよね。
 江戸時代のリサイクルは「製品の製造費用」に対応したリサイクルだよ。
 衣服が高価だったから古着が普通。物は一から作るより修理したほうが安かった。
 使い捨ての割り箸については、化政の頃の外食産業の大発展から、塗り箸を洗う人件費より割り箸を購入したほうが安かったから。
(割り箸の出現は化政の頃。それまでは塗り箸)
 まだ「資源の枯渇」を心配する必要のなかった江戸時代は、リサイクルという概念を持ち出すまでもなく、それが経済的だったからそうしてただけなんだよ。
907日本@名無史さん:2007/08/12(日) 12:03:13
>現代は「資源の枯渇」に対応するためのリサイクルだよね。
ダウト。
日本企業がそんなに良心的であるわけがない。
馬鹿な消費者が「リサイクル」「エコ」というエサに食いつく場合だけ
商品化する。
908日本@名無史さん:2007/08/12(日) 12:19:38
>>907
横槍すまんがダウトというほどではないよ。
確かに今の日本企業はそれほど高尚ではないが。
公害や資源問題なんかはいわゆる外部不経済だろ。
市場原理に反映しない部分に不経済があることで社会全体の厚生水準が落ちる。
それを価格メカニズムに組み込むことで市場原理に乗せちゃおうというのが、
エコロジーと経済の融合政策のキモなわけでしょ。
消費者行動やその他実益に左右されて生産を決めるというのは経済主体として間違ってはいないさ
909日本@名無史さん:2007/08/12(日) 13:43:06
>>906
要するに生産と価格に最適なライフスタイルがたまたま現今のエコ・キャンペーンに
合致していただけで、理念的なものではなかったということだよな。
同意。

ただ打ち水の習慣はいかにも合理的だから是非復活させて欲しい。
埃を防ぐという目的でもあったのだが、
町の人がそれぞれに町全体に頻繁に打ち水をすると、気化熱の作用で町の気温が少し下がる。
朝一でやれば午前中の気温の上昇を防げるし、夕方にやると地熱を奪って熱帯夜が過ごしやすくなる。
熱帯夜の主な原因は地熱だからな。

それぞれが室内をエアコンで冷やすと町はよけいに暑くなる。
それでまたまたエアコンを稼働させるから、悪循環に陥る。
サーモが28度設定だってエアコンの稼働が一定とは限らないんだよな。
外気が30度の時と35度の時では消費エネルギーは自ずと異なる。
910日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:12:49
>>908
例えば草から作る紙は一見エコのようでトータルではまったくエコでなく、
電気自動車は一見エコのようでトータルではまったくエコでない。
馬鹿な消費者の勘違いをマーケティングに利用しているだけ。
911日本@名無史さん:2007/08/12(日) 15:44:42
>>910
微妙な噛み合わなさを感じるが…
消費者は満足の行く商品が満足の行く値段なら買う。それだけ。
その中でできるだけ充実するような買い物をする。
効用最大化という。

生産者はコストが見合ってよく売れる商品を生産する。それだけ。
つまり利潤の最適化をはかる。

じゃあこの経済にどうやってエコの色を入れて行くか?ってことだよね。
要はエコ商品は安く生産できて、価格も安くなって人気が出るようにするか、
エコ商品でないものには税金をかけるか、そんな風にしてお金か商品価値にはね返すのが一番いい、という話。
京都議定書で定められた排出権取引なんかが好例。

企業の出すエコ商品が本当のエコではないというなら、ガバナンスが介入する他ないよ。
こういう基準を満たしたものだけをエコ商品と認定して、
認定されるとこんな特典(例えば減税とか入札への優待とか)がありますよ、という風に。

ハイブリッド車はエネルギー効率より化石燃料に主眼があるから無益だとはぜんぜん思わないけどね。
912日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:09:58
>>911
バッテリー製造するのにどれだけのエネルギーが消費されるか知ってる?

原子力発電はCO2を排出しないからトータルでエコだと本当に言えるのかな?
913日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:26:25
ダウトは合ってる気がする
ペットボトルなんか見てると「自己満足」なリサイクルだ
914日本@名無史さん:2007/08/12(日) 17:30:24
最近馬鹿馬鹿しいと思ったのはエタノール燃料製造のために原料となる
トウモロコシ価格が上昇し餓死者も出かねないっていう話ね。
915日本@名無史さん:2007/08/12(日) 17:38:38
>>912
ひとつひとつがエコといえるかどうかについては>>911ではすべて保留してるでしょ

そもそも横槍で入った俺だけど
「現代のエコは資源の枯渇に対するエコである」
これに対して
「現代の企業のエコは本当の意味でのエコではない」

ってのが噛み合ってない。
エコの本義論なんてはじめからしていない。
916日本@名無史さん:2007/08/12(日) 19:11:37
結局現在でも
>「製品の製造費用」に対応したリサイクル
以外はほとんど存在しないということでしょ。
「エコ」と宣伝することで売価を上げられるなら製造するというだけ。
917日本@名無史さん:2007/08/12(日) 20:03:57
>>916
だからそれについては横槍入れたときに詳しく書いた
外部不経済が価格メカニズムに繰り入れられることは経済において極めて真っ当だということ
むしろ企業が利潤の最適化をはかる時に選択的にエコ商品を生産するようにガバナンスはもって行かなきゃいかん
918日本@名無史さん:2007/08/12(日) 20:39:13
派手なすれ違いっぷりに吹いた
919日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:05:38
論理的で読みやすいから別にかまわないけど。
920日本@名無史さん:2007/08/12(日) 23:14:47
というわけで、江戸時代をエコとかいうのは見当違いなんだよね。
そんなこと言ったら古代だってエコだ。
稲の収穫の廃材で住居を作り、履き物や衣類を作り、
燃料にも使って灰をまた利用するわけだからな。
植林さえ行った。

今の物差しではかり直せばどうとでもいえる観点がそも見当違いなんだ。
それよか猪牙についてでも語ろうぜ。
運賃はどれくらいだったんだろ?
そう高くはないよな。
っていうかいわゆる渡しなんかとの違いがいまいちわかんなかったりする。
921日本@名無史さん:2007/08/13(月) 01:18:25
以前石油関係に勤めている親戚に「石油はもうすぐ枯渇するのでは?」
と聞いたら「既存の油田が枯渇する分必ず新しい油田が発見される」と自信を
もって言われてしまった。
922日本@名無史さん:2007/08/13(月) 09:41:02
へえ、そんなことになるとわからないので返答しようがないな
923日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:35:06
江戸小咄の中に、子供が出てきて
「オイラ、知ってんだ。父ちゃんは今日仕事にあぶれたんだ」
ってなのがあるが、江戸の職人衆は基本的に日雇い労働者だった。
今のフリーターや派遣に当たるわけだが、それで一生食うだけは食える社会だった。
(ウダツはあがらなかった)

そんなわけで、下手に金があると働かないでぶらぶらしてる。
その日その日の人数が計算できないと請負の親方が困るというので、
「宵越しの金は持つな、バラリと蒔いて明日また出てこい」
という風潮ができたとも言われている。

実際、往来をぶらぶらのたくってる江戸っ子は多かったようだ。
先述の通り毎日働くわけでもないし、日によっては4〜5時間の労働で切り上げてしまう。

住居の方はというと、レオパレスやカプセルホテルに近いものがあった。
身ひとつで入居できる、帰って寝るだけの場所。
924日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:49:25
このぶらぶらということで言うと、長崎なんかでも見られたようだ。
長崎ぶらぶら節なんていうくらいだ。
あるいは武州多摩の農村でぶらぶらしていた連中からは新撰組なんかが出ている。
天領の租税は概ね低い水準で安定していたようで、代官も民の慰撫に主眼をおいて選任されていた節がある。
天領の市民の暮らしは比較的安定していた。

一番ぶらぶらしていたのは、出世しない幕臣だったかと思われる。
読み書きさえ怪しいのが多かったらしい。
度はずれた貧乏だったろうと思うが、一生涯ぶらぶらして過ごしたに違いなく、羨ましい。
剣術くらいはまじめにやったのかというとそうでもなかったようで、
幕末に動員令が下ると壮年で隠居してまだ幼年の子供に家督を譲る連中が続出する。

ちなみに幕臣・陪臣を問わず隠居は40代くらい。
子供が20前後になると相続させて、当主としての人間関係を作らせる。
あとは悠々自適で謡曲なんてやって暮らした。
925日本@名無史さん:2007/08/13(月) 16:08:42
野暮用で東京の昼街中歩いたけど・・・
暑い熱い暑い熱い!!!
熱中症で人が死ぬのも納得
人が多いんで、しょうがない・・のだけれど

で、ふと思った
江戸も人口過密だったけど、「江戸は『地方』より暑い」って、史料はあるのかな??
926日本@名無史さん:2007/08/13(月) 16:25:08
江戸後期は冷夏が多かったという気象データならあるけど
927日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:22:22
東京湾ビル群無風酷暑
928日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:55:24
>>924
平均寿命が50歳くらいだけどな。
929日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:28:09
別に、それで特に不都合は無い
930日本@名無史さん:2007/08/14(火) 00:32:59
2月17日リチャード・コシミズ東京単独講演会ダイジェスト版
http://video.google.com/videoplay?docid=-7654256446381089725
2月17日講演 フルバージョン
http://video.google.com/videoplay?docid=3894395222162251717
9月15日東京青山講演会予定のプロモーション・ビデオ
http://video.google.com/videoplay?docid=4515284009033478654&q=
9.15pv.MPG&total=1&start=0&num=10&so=0&type=search&plindex=0
931日本@名無史さん:2007/08/16(木) 02:31:07
>>892
現代と比べるなよ、非衛生的に決まっているだろ?
当時のパリなんか汚水を直接川に流していたんだぞ、飲み水を取水していた川などに・・・
また、石造りの高層建築の上のほうに住んでいた人たちは糞尿を階下に運んでいくのが面倒臭くて窓から投げていたとか・・・
それでも欧州のほうが日本より衛生的というなら仕方ないね。

>>928
近代以前の平均寿命は乳幼児の死亡率が高いからであって普通に60、70以上の老人もいた。
平均寿命って言葉はある意味無意味だよ。
932日本@名無史さん:2007/08/16(木) 22:39:55
>>931
江戸の0歳児平均余命は40年以下(へたすりゃ20年くらい)のはずだから
平均寿命50歳というのは一般的な感覚としておおむね間違ってない。
933日本@名無史さん:2007/08/17(金) 10:20:04
今のネカフェ難民と昔の江戸フリーターどちらがマシかな
ネカフェ難民って世界的にも貧困層らしいけど
934日本@名無史さん:2007/08/17(金) 14:23:54
>>892
> まだ欧州の方が衛生的だな

最後の一行で思いっきりバカが露呈してしまったな
935日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:26:52
>>933
比べようもない話だが。
当時下級陪臣・中間の給料は年3両、
他に1人分の米(とは名目で実際は銭かも)。
いわゆる三両一人扶持、俗にサンピンという。
家賃が安い長屋で月に1朱強、吉原での食事が2朱ってところか。

大工・左官・職人なんかは日雇いでいわば派遣フリーターみたいなもんだが、
雨や風で休んだにしても年に10両くらいは稼げたと思われる。

落語「大工調べ」では大工の手間賃を奉行に吹っかける意味で日に10匁としてある。
仮に倍に吹っかけたとして、雨や風、仕事にあぶれて3日に1回は休んだにしても
5匁×200日=1000匁。
200匁が概ね3両なので15両くらいは稼げた概算になる。
上記の噺で3倍に吹っかけていたにしても10両にはなる。

御店の使用人になって働きづめに働くより気楽でよかったんじゃないか。
936日本@名無史さん:2007/08/17(金) 18:03:05
>>934
平安の昔ならともかく、江戸期にパリや中国のように
道端に人糞が落ちているようなことはなかったとされているね。
しかし、江戸の府内の人糞ばかりはどう捌いたか謎な気がする。
周辺の農地に対して人口が多すぎる。
関東一円の田畑に撒くにしても、全部は捌けなかったんじゃないか?
隅田川に流していたのかな。
937日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:37:10
人生50年と言われたのは伊達じゃない。
信長だ。
938石川:2007/08/17(金) 23:10:29
海賊。
939日本@名無史さん:2007/08/18(土) 00:18:51
叩き台のつもりで色々憶測まじえて書いてるつもりなのだが、ツッコミがない…

このスレ好きだから盛り上げようぜ
940日本@名無史さん:2007/08/18(土) 01:53:32
海運水運は発達してたから捌けたんじゃないかなあ。
大雑把な計算でもいいので数字をどっかでだしたりしてますか?

江戸でやたら落ちてるといえば人糞じゃなくて犬糞ですね。
結構息の長い流行り物だったようです。
941日本@名無史さん:2007/08/18(土) 02:17:18
>>936
仮に江戸御府内の人糞が処分できずに余っていたなら百姓はわざわざお金出して買い取りにくるかな?
942日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:03:34
人糞は肥料として貴重だったので商人が公衆便所を作って集めたとまで言われる
943日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:23:43
しかし回虫は人糞から寄生してくるからな
944日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:25:18
>>933
ぶっちゃけ
今の低所得層は江戸時代の低所得層以下じゃね
完全に奴隷階級
フリーターとかは最悪の時代と国にうまれたとおもってあきらめな
945日本@名無史さん:2007/08/18(土) 09:03:31
江戸時代の障害者はどうだったのでしょうか
こちらも結構尊重されていましたか

リアル障害持ちなので気になります
946日本@名無史さん:2007/08/18(土) 10:31:49
盲人は保護されてたようですね。
按摩などの授産
金貸しなどの特権

勝海舟の曽祖父あたりが越後の貧農の出の盲人で
江戸に出て金貸しで成功し検校にまで出世しその子が御家人株を買って
海舟の父の小吉が勝家に養子で入った。
947石川:2007/08/18(土) 10:59:34
隠遁だけが命維持。
948日本@名無史さん:2007/08/18(土) 11:44:15
>>946
なるほど
江戸時代障害者が虐待されていたというのはネトウヨの捏造
みたいですね。参考になりました

それにしても金貸しの特権まであったとは
今の障害者福祉手帳の先駆けのようなものですね

また有名人の先生が障害者であって社会に偉大な貢献をなされていたことも驚きです
大変為になりました。
949日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:31:40
そこでネトウヨが出てくるのがわからんw
950日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:36:56
ネトウヨは障害者差別が酷いんです

おすすめ二チャンネルにある
障害者を安楽死させよう VOL.3 

このスレを見て頂ければわかります

国の為に障害者は死ね
江戸時代は障害者は恥だから抹殺されていたから今もそうすべきだというのがネトウヨ差別主義者の主張

俺が江戸時代も障害者は大切にされていたよと反論しても聞く耳持たないww
951日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:43:39
ついでにもしよければ他の障害者も江戸時代どんな感じで大切にされていたか
色々教えて頂ければ有り難いですww

あと障害者の社会貢献などもどんな感じだったのでしょうか
952日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:48:53
平家物語を朗読する琵琶法師なんかも盲目だわな。
京都の銘菓八つ橋の由来になった筝曲の八橋検行なども、
目が不自由だったようだ。
それなりに、生きる生業があったようだな。
953日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:49:15
>>948
> それにしても金貸しの特権まであったとは
> 今の障害者福祉手帳の先駆けのようなものですね

というより、タバコ店営業許可の優遇みたいなもんでは?

手帳でお金を恵む現代より、職業を与える江戸時代の方が、
障害者の自立と尊厳の確保に優れている気がするなあ。

> また有名人の先生が障害者であって社会に偉大な貢献をなされていたことも驚きです
> 大変為になりました。

将棋指しの石田検校ってのも居るね。

>>950
> ネトウヨは障害者差別が酷いんです

障害者差別するネトウヨもあれば、そうでないネトウヨもあるだろ。
ネット掲示板に書き込みやってるのは、ごく一部の変な人達であることをお忘れなく。
(もちろん、私や貴方も含めて)
954日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:55:18
障害者の最終手段は僧籍
障害者に生まれて労働力がないと判断されると
寺院に入れちゃうって手がある

厄介払いとも言えなくもないが
それでも虐殺とかされるよりはましだろう
955日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:10:37
>>953
明治前までは娯楽を提供する人たち(今で言う芸能人か)は
捨て子や障害者など、一般人とは違う人たちがなる職業だったからね。
一般人からは見下されるかもしれないけれども、
盲目でもできる楽器演奏などの職業があった。
現代まで文明が高度化すると無理だろうね。
現代の音楽家や芸能人は、障害者でもなれないことはないが、
レベルが上がりすぎている。
それを糧に生きていくほどの収入にならなかったりするし。
956日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:15:21
こっち見た方が早いと思われ

>昔の障害者ってどんな生活してたの?
>http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1025364849/
957日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:15:31
知的障害者は、重症の脳性マヒなんかの人はその当時なら助からなかったとして
軽症の知恵遅れぐらいの人は農村や特に漁村では健常者とあまり変わらない
生活をしていたというのを読んだ記憶がある。
漁村では網元がいて人々は共同作業で頭割りの賃金をもらえたらしい。
958日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:35:45
>>950
あんたおかしいわ
959日本@名無史さん:2007/08/18(土) 14:22:44
愛国を唱えていても右翼とは限らない
逆に愛国を唱えるものの悪印象を植え付けるための工作かもな
右翼は決して障害者を差別しない。
単に自分より下を作りたいが為に右翼をやっているようなのが混じっているだけ
960日本@名無史さん:2007/08/18(土) 15:17:48
江戸時代の障害者は
生計を立てる為に特定の仕事につける特権があった訳ね
今は職業選択の自由から認められないが
代わりに障害者枠を企業に課すことで、それが代わりになっている
年金や生活扶助もあるしね
961日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:18:35
西洋人の幕末滞在記読むと、市中に
盲人が多い
「狂人」が多い
ってのはある
(目立つの方が適切?)
これをどう解釈するか??
962日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:23:32
>>959
俺の親父右翼だけど障害者バカにしてるよ。
「乙竹消えろ」とか
963日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:31:29
>>961
江戸社会は西洋より
バリアフリーがすすんでいたということだな

これで江戸の自慢が一つ増えた訳だ
964日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:35:29
まああながち誇張でもないかもな
あの時代において、日本は一番障害者を大事にしてたかも
多神教の神道国家だから万物に神聖が認められるてなかんじで
障害も個性だった
965日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:39:05
>>962
寛仁親王が聞いたらお前の親父どなられそうだな
966日本@名無史さん:2007/08/18(土) 21:13:42
イタコとかもそうだっけ?
今の日本なんて障害者に厳しくてダメじゃん。
平等っていうのもどうかと思う。
967日本@名無史さん:2007/08/18(土) 21:41:23
タバコ店申請許可の優遇措置があるらしい

まあ、タバコは今は駄目か
それ自体が

あとは風俗かパチかエロ本屋くらいかねw
968日本@名無史さん:2007/08/18(土) 21:43:59
あと宝くじか
969日本@名無史さん:2007/08/18(土) 22:00:13
障害者の将軍だっているしね
小児マヒか、一種の精神疾患と思われる将軍が何人かいたでしょう
970日本@名無史さん:2007/08/18(土) 23:28:04
いやだからそうじゃなくて庶民の話を(ry
971日本@名無史さん:2007/08/24(金) 11:57:13
座敷童の原型は障害児って話もあるな。
さずかった子供として大事にするが外にはだせないって事で。
972日本@名無史さん:2007/08/25(土) 09:05:34
女性の露出部に男性が敏感なのは江戸も現代も変わらない。
江戸時代の女性の露出部と言えば、タボだろう。
厳密には違うのだが、うなじと考えていい。
「酒は燗、肴は気取り、酌はタボ」なんて言われた。
この場合のタボは女性そのものを指す。

酌と言えばあとは手元。
白くてスラリと長い指というのが褒められるあたり、現代と全く違いはない。
「白魚を五本並べたような」なんと言って男どもが喜ぶ。

それから、踵だ。
和装だと踵が露出する。
やはり白くてツルリとしたのがいい。
「にんにくをむいたみたいな」というのが褒め言葉だ。
そんなとこまでしっかり観賞して褒めそやす。
かなり好色だ。
セクハラにうるさい現代では思ってたって言えなかったりする。
973日本@名無史さん:2007/08/25(土) 14:33:26
俺の場合は姉ちゃんのソイエでチン毛剃ってるところ見られてボコボコに殴られた
俺小六、姉ちゃん高二だった
むかついたから姉ちゃんのパンツとブラジャーに「ちんこ」って書いた
修学旅行から帰ってきたら姉ちゃん口聞いてくれなくなった
「ごめん」って一言謝れば良かったんだろうけどそれが出来なかった
それから三年後、姉ちゃんの結婚式の時に久しぶりに話しした
俺は「あの時は本当にゴメンね」って言ったら
姉ちゃんは「お前のブリーフに名前書いてやった。姉ちゃんの。」だってよ
馬鹿な姉を持った
974日本@名無史さん:2007/08/28(火) 08:49:14
 
975日本@名無史さん:2007/08/28(火) 08:50:25
975
976日本@名無史さん:2007/08/28(火) 11:04:50

    『町人の支えた江戸時代』     壱
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1052135355/
977日本@名無史さん:2007/08/28(火) 11:07:18
 
978日本@名無史さん:2007/08/28(火) 11:10:36
うめ
979日本@名無史さん:2007/08/28(火) 16:09:10
>>976
『町人の支 えた と読めた
980日本@名無史さん:2007/08/28(火) 22:38:42
うむ、読めなくはない
981日本@名無史さん:2007/08/28(火) 23:28:56
うめ
982日本@名無史さん:2007/08/28(火) 23:59:59
うた
983日本@名無史さん:2007/08/29(水) 09:07:44
うめだ
984日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:40:33

江戸時代はすばらしいU...かもね。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1127808718/
985日本@名無史さん
985