戊申戦争時の赤いカツラについて

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1日本@名無史さん
明治維新、戊辰戦争時に赤い獅子舞のようなカツラを
つけていた人で有名な人を教えてくださいな
しかし何で、あんなカツラ見たいなのをつけていたのかも
教えてくださいな 
2漂泊の2ゲッター:2006/06/21(水) 22:54:15
ビクッ. ∧ ∧ ∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) < 2ゲットか?
     ./ つ つ   \____________
  〜(_⌒ヽ ドキドキ
 ブッ ω)ノ `Jззз
3日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:16:18
それ気になってた!!分かるきっかけがなかなか無くて…
4日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:27:56
幕末物のドラマで、官軍側の軍装としてよく目にするよな。
イメージ的には、信玄の兜が近いような…
どうみても、西洋式の軍装とは異質な物を感じる。

由来が何なのかは俺も気になってたよ。
5日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:30:22
>>1
単発質問はここで聞けよ

【初心者】スレッド立てる前に質問をPart16【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1141491511/
6日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:54:06
>>5
自治厨乙
7日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:01:21
1人

歩つーーーーーーーーーーーーーーん

1人
8日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:04:51
獅子舞の被り物じゃないのか?
9日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:04:59
戊申戦争か。何時の戦争だろうか?
10日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:05:59
あれは色によって名前が変わるけど、基本的には新政府軍の将校で
隊長クラス以上の将校が被ったヤクの毛で作った被り物。

なお、藩によって染めた色が違ってて
薩摩:黒(コグマ)、長州:白(ハグマ)、土佐:赤(シャグマ)
というように呼び分けてたらしい。

ただ、アーネスト・サトウの著書(「一外交官の見た明治維新」)
なんかを見ると、新政府軍側・旧幕府軍の両方が着用してたらしい。
(慶喜を警護する兵士達が着用してるシーンが出てくる)

…ただ、結局のところ、何で幕末期の、しかも戊辰戦争直前になって
急にこんなのが出てきたのか…という事については依然として不明なんですよな…
11日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:08:25
武田信玄のかぶっていたようなアイテムだろ。
戦国時代には割りとポピュラーだったのが平和な時代には使われなかっただけでしょ。
12日本@名無史さん:2006/06/22(木) 12:37:53
信玄の兜もドラマではよく出てくるが
室町末期、安土桃山期の甲冑の遺物をみても、あんな飾り兜は見たことがない。

現在まで伝わる当時の遺物がないものについて、
当時ポピュラーだったものが復古したんだよ!と断じてしまっていいんだろか?
13日本@名無史さん:2006/06/22(木) 14:26:39
あれは元々江戸城だか大坂城だかが官軍の手に落ちた時に、
武器庫にしまわれていたのが大量に発見されて官軍が指揮官の装備にしたという話がある。
官軍の装備として再活用されたからといって、俺が見たのは戦国時代から保存された遺物ではない!
と断じてしまっていいんだろか?
14日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:31:41
その話しが本当だとして、

城の武器庫にはもっと実用的な軍装アイテムも多数あったろうに…
なぜに赤毛の被り物なのか?
15日本@名無史さん:2006/06/22(木) 19:52:31
それが最も実用的だったんだろ。
16日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:04:50
こ の ス レ

終 了 !
17日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:18:48
赤報隊ですよ。
18日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:22:12
奇兵隊
19日本@名無史さん:2006/06/26(月) 05:08:12
20日本@名無史さん:2006/06/26(月) 05:19:41
>>1

部隊長 カツラ陣羽織り

薩摩 長州
21日本@名無史さん:2006/06/26(月) 12:40:09
てか、官軍の兵卒のかぶっているトンガリ帽子も 気になるのだがな。
22日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:16:57
相楽なんとかっていなかったか?
23日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:51:59
ヤクの毛だっけ

長州・薩摩・土佐とかで色決まってたよね
24日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:03:19
相楽総三 か
25日本@名無史さん:2006/06/27(火) 08:02:26
新撰組局長 近藤勇 首斬りしたのが 薩長


暴れていた京都三条河原 近藤勇晒し首
26日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:45:16
ああ、俺も見に行ったよその晒し首
27日本@名無史さん:2006/06/28(水) 01:01:05
イギリスの兵隊をモデルにした、つー説はないのか
トンガリ帽子も説明できるのでは?
28日本@名無史さん:2006/06/30(金) 01:48:15
テレビみたジャニーズ滝沢の舞台でも


官軍大将の格好して演技したぞ!
29日本@名無史さん:2006/06/30(金) 04:02:11
みんなで黄色のバンダナするんじゃなかったっけ?
30日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:14:26
トンガリ帽子は官軍の象徴として、理解できた。
舎熊は官軍の守り神の象徴をあらわしているのでは?
31ななしのごんべ:2006/07/01(土) 00:32:40
赤いカツラはシャグマといって、動物の毛(ヤクかなんかだった気がする)を
染料で着色した飾り物だった。
戦国時代に武将たちが戦場で自身を飾り立てるために使用。
他に白熊の毛皮(ハグマ)なんかも有名。
合印(敵味方の目印)でもあったらしい。

その風習が江戸期にも残っていて、戊辰の時に
長州藩系統の軍はハグマ、薩摩藩系統の軍はシャグマをかぶっていたそう。

シャグマの有名人といえば、知名度からいえば黒田了介(清隆)だろうか。
長州の山田彰義と共に函館あたりまで旧幕府軍を征討しにいっている。
ちなみに黒田清隆はご存じ、二代目内閣総理大臣。
日本にサンドイッチを紹介し、金魚を愛でていた。
いい人だったらしいが酒乱ゆえに酒乱禁止同盟まで設立された問題児。
32日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:54:20
なんか中途半端に間違ってる人が来てるな。
薩摩のは黒い奴で黒熊(こぐま)と呼ぶ。

赤いのは赤熊(しゃぐま)と呼び、土佐の色。

それから円筒形のトンガリ帽子は薩摩だけ。
33日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:34:15
後、隊長陣羽織り
34日本@名無史さん:2006/07/02(日) 08:16:00
>それから円筒形のトンガリ帽子は薩摩だけ。
薩摩以外の連中は大抵「韮山笠」ですな(旧幕府軍も含めて)
35日本@名無史さん:2006/07/02(日) 12:51:02
円筒形のトンガリ帽子は、イギリス人のサトウが「円錐型の帽子を被った兵士が
ぞろぞろと軍艦から降りてきた」と語っているところがある(『遠い崖』)。
だからイギリスの兵隊とは関係はないようだ。

どこかの博物館の展示で薩摩のようなとんがった帽子をみたことがあるが、
キャプションには「従来の笠ではつばが広くて小銃を撃つとき不便なので、
このような形になった」とか書いてあった。
やっぱり日本独自の物のようだ。
36日本@名無史さん:2006/07/02(日) 15:21:46
東征軍がとんがり帽子で黒毛の隊長に率いられる図は間違いなのか
しゃぐまは江戸城から持ち出したのが事実なら。
37日本@名無史さん:2006/07/02(日) 16:11:24
軍用だとも限らないんじゃないか?
三河勢があんなの被った話し聞いた事ないし
江戸時代にわざわざ軍装変更して調達するとも思えない
輸入品だし普通に珍品として献上されたんじゃないか?
で、なんに使うか分からないから蔵に放り込んでおいたと
それを見つけた新政府軍が薩長土の区別するのに被ってみたとか
蔵を調査してた大村あたりが見つけて考えたんじゃないかな
38日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:58:19
赤報隊も持っていたそうなので、二条城か大阪城の備品でしょう。
39ロンメルグラス:2006/07/07(金) 21:06:28
戦利品なのか
40日本@名無史さん:2006/07/07(金) 21:15:13
武田信玄
41日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:38:25
あんなの付けてちゃ、夏場はうっとおしかったろうな。
42日本@名無史さん:2006/07/09(日) 13:34:24
アームストロング砲とかガトリング砲も入ってきた時代に,あんな赤いの被って
陣羽織とか洋軍服もどきとか、和洋折衷感がタマラン。
43日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:06:07
>>42
学研の歴史群像シリーズのVol.39「会津戦争」P.141に
出陣姿の官軍将校の写真なるものが出てますが、装備の組み合わせが何とも凄く

上半身:縅のある腹巻(胴丸?)の上に陣羽織を着用。衣装は筒袖と手袋。
下半身:ズボンに革靴。

…といった出で立ちなのですが、更に横には、兜鉢のついた鎖頭巾の上に
長い棒状のパーツを付け、そこから例のヤクの毛が垂れ下がった異形の兜も写っています。

ただ この写真、以前に別の本で見た時は、官軍の中でも皇族だか公卿クラスの人物の
名前が記してあったのは覚えてるんだけど、今となっては失念してしまいまして…(;´Д`)
44日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:51:52
髪を弄りながら工藤静香のモノマネをするため
45日本@名無史さん:2006/07/26(水) 00:02:54
ん?
46日本@名無史さん:2006/07/26(水) 13:39:01
時代劇で戊辰戦争の場面になると流れる音楽
「♪ピーヒャラ ピッピッピッ ピーヒャラ ピッピッピッ」
笛を使った音楽。
題名は何ですか?
47日本@名無史さん:2006/07/26(水) 14:35:58
>>46 ラ・シマゼイェズとちゃうか。
48日本@名無史さん:2006/07/26(水) 14:51:19
17世紀のジュンガル帝国の兵士。被り物がちょっと似てなくもない。
ttp://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic5_big.jpg
49日本@名無史さん:2006/07/31(月) 08:41:02
あれってもともとは兜についてたヤツじゃないの?熊の毛使ってるって
50日本@名無史さん:2006/08/09(水) 20:27:53
しゃぐま、こぐま、はぐま
敵を脅すため、指揮官の威厳を示すために被ってた説
51日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:29:47
西郷どんが被っていた。西郷どんてばPunkだなv
52日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:38:58





そのまた昔は武田信玄兜とか・・・・


近いものを感じる
53日本@名無史さん:2006/08/09(水) 22:55:28
>>46

み〜やさ〜ん、み〜やさ〜ん♪
54日本@名無史さん:2006/08/11(金) 02:45:26
で、一体このスレは何が話したいんだ??
55日本@名無史さん:2006/09/09(土) 04:14:15
あのカツラが明治陸軍に踏襲されなかった理由は?
56日本@名無史さん:2006/09/09(土) 05:41:27
復古的で実践向きでなかったからだろう
57日本@名無史さん:2006/09/09(土) 06:09:23
>>46
お宮と貫一
58日本@名無史さん:2006/09/09(土) 06:41:26
隊長クラス
59日本@名無史さん:2006/09/09(土) 06:54:39
Oriental Armourって本では、日本で兜飾りに動物の毛を用いるのは
古代にあったがその後廃れて、文禄・慶長の役以後また復活したと
書いてた。
60日本@名無史さん:2006/09/09(土) 07:53:45
薩摩が黒、長州が白、土佐が赤と使い分けていたという話はよく言われるが、
最近見た本では薩長土で色分けした事実を示す一次資料は無いそうだ。
61信長:2006/09/09(土) 23:41:50
アンが官軍がんばれと寄付した
62日本@名無史さん:2006/09/10(日) 12:54:52
皇居の正門でシャグマ、陣羽織の官軍スタイルで衛兵交代やったらいいと思う。
儀仗なんだから派手で目立つ方がいいだろ。

バッキンガムの衛兵は熊毛の帽子に赤服、エリゼ宮の衛兵も羽飾りつきの銀兜と、
どこの衛兵も昔風の目立つスタイルなんだし。
63日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:15:08
このスレ、

糸冬了
64日本@名無史さん:2006/09/11(月) 04:53:56
スレタイだけは魅力的
65信長:2006/09/11(月) 19:29:37
実は全員毛染めで、厚底靴を履いていて
サツマー、チョシュラーと呼ばれていた
66日本@名無史さん:2006/09/17(日) 04:46:12
小泉は白
安倍ちゃん黒
67日本@名無史さん:2006/09/17(日) 08:03:22
でもこの話題だけではこれが限界かと・・・
68信長:2006/09/18(月) 03:46:18
夜明けと共に大須観音に行ってくる
69藤吉郎:2006/09/18(月) 06:26:12
わらじを温めておきますた。
70日本@名無史さん:2006/09/18(月) 07:13:07
>>1
薩長が徳川幕府を打倒するげんかつぎ
開祖家康に対する魔除けとして武田信玄のコスプレをしたらしい
71日本@名無史さん:2006/09/18(月) 07:46:25
>>1
官軍の事実上の参謀長であった大村益次郎が生え際を隠すためにかぶったのがきっかけ。
維新後に軍を辞めた大村はオランダから学び、ヅラと育毛の技術の発展に貢献。
死後も靖国神社に祭られ、首相自らの参拝を受けるなど多くの人間に敬われている。

余談だが、このことで禿を恐れなくなった日本人の間でザンギリ頭が流行し、チョンマゲが廃れたという。
72日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:30:08
むしろちょんまげのほうがハゲには都合よさげだが。
73信長:2006/09/18(月) 15:15:51
月代やエゲレスのカールのヅラはよ。
その為にあったんだがね。
74日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:05:08
歌舞伎であの獅子のたてがみをブン回してるのがあるけどあれとの関係はあるのかな?w
75日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:24:31
戦争する気か?
断固、絶対、反対〜!

「はだしのゲン」、これをよく見ろよ。漫画で分かり易く表現している!
書店で買って読めよ。

動画でもある。 パソコン TV ギャオ
http://www.gyao.jp/

アニメである。子供、家庭や学校でも見せないと!
恒久的に名作だ!

http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/?login_from=shityou&contentsId=cnt0005878&rateId=bit0000002&chapterNo=&recommend=1&contents_id=cnt0005878
76信長:2006/09/18(月) 20:34:37
チョン線TVのCM
77日本@名無史さん:2006/09/18(月) 20:54:13
南蛮船から漂着したヤクの毛を家康がとっておいた、そういうようなことを
名和弓雄氏がいってたな。
78日本@名無史さん:2006/10/05(木) 20:40:29
時代考証家が書いた本にあったけど、あの被り物は、
江戸城開城の折、蔵だか倉庫だかから出てきた毛皮で作ったとか。

だからそれ以前にあの被り物はなく、江戸までの行程で被ってるドラマや
映画は考証ミスだとか。本を信じるならば。

手塚治虫の「陽だまりの樹」にも該当するミスがあったような。
記憶違いだったらゴメン。
79日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:47:30
>>78
現在伝わる熊毛はお神楽の被り物を改造したものが殆ど。
むしろ、実物は慶喜の被り物の様に、代官傘に毛をつけた物だった様です。
(幕府側でも使用していた記録が残っているのはこの為)

あと、写真を良く見ると、和物以外にもスロウチハットや船員帽、南北両軍のケピ帽等
輸入物の帽子を被っている様ですね。
80日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:52:37
>>55
廃れたのはやはり>>56あたりが常識的解釈だろうな

こんなモン、実戦で使う気満々のカキコしてる>>15て一体…
ま、厨の考える事は俺にもよう分からんがw
81日本@名無史さん:2006/11/25(土) 10:05:06
現場に出ない指揮官がいるならかぶらせておけばいいのに。
陣羽織とセットで士気上がらないか?
82日本@名無史さん:2006/11/28(火) 16:22:04
るろうに剣心だと進藤帯刀(たてわき)とか人がかぶってたよ
83日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:36:51
あれほど実戦向きのフォルムも無いだろ。
素人の目は節穴か?
84日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:23:59
当時の軍内の実力者に言ってくれ。薩長閥だろうが。
85日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:59:04
>>83
おまえは歌舞伎役者かよww
86日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:33:39
はい
87日本@名無史さん:2007/01/21(日) 05:08:16
当時は指揮系統の乱れを防ぐ為に戦闘の最中でも指揮官を一目で見分けられる軍装が効果的だった。
指揮官と部下の見分けを難しくする軍装が主流になったのは、小火器の高性能化によって遠方から指揮官を狙撃する戦法が威力を発揮する時代に入った後の傾向。

敵が大量に保管していた被り物を活用すれば特に余計なコストも要らずに指揮官を一目で確認できる。

実用的としか考えられないね。
88日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:46:51
行軍中のミランダ的箔付けだったんだろうな。
お宮さんとかもそうだが。

あと、世上騒然とした中でニセ官軍が「押し込み」とか働くようになると、
官軍の威信に関わり、徴発、ひいては戦局にも響いてしまう。
なんせ本物の官軍が金なくて押し込み同然の場合も多々あった。

で、敢えて異装をして、ニセ官軍と区別できるようにしておいたのかも知れない。

戦闘の時はむしろ普通のに変えたと考える方が自然じゃない?
ゲーベル時代だって、あんなに目立ってたら格好の的になるのは変わりないよ。
89日本@名無史さん:2007/02/28(水) 02:39:58
内心『うわーこんなの着るのかよ恥ずかしい』とか思ってたかもね。
90日本@名無史さん:2007/02/28(水) 09:22:03
当時の小銃の性能ではまだ狙撃兵がそれほどの脅威とはなっていなかった。

当時の歩兵部隊は文字通りshoulder to shoulderでビッシリと隙間なく横並びした密集隊形で進撃するのが主流だった。

本来、歩兵が使用する飛び道具の性能が高ければ単に味方の損害が増え易い隊形だ。

小銃にも機関銃なみの連射速度が備わるようになった現代の戦場では歩兵がそんな隊形で戦う事はなく、数メートルから数十メートルくらいの間隔をとる隊形が一般的だ。

普通に考えれば見当がつくが、1人1人が数十メートル間隔でバラバラに広がった隊形をとっている敵と、
肩が触れ合う密集隊形を取る敵とを比べれば、
どちらに向けて発砲した方が敵に損害を与え易いか分かるだろう。

バラバラに散開した敵には僅かに狙いが狂っただけで損害を全く与えずに終わるが、
密集隊形の方に向かって狙い撃ちすればその中の誰かを傷つける事は容易だ。

逆に言えばそういうデメリットを甘受してでも密集隊形を取る必要があったのだ。

密集隊形のデメリットと引き換えに得るメリット、
それは密集した歩兵が同じ所を狙って一斉に射撃する事で個々の命中精度の低さを補う事だったのだ。
91日本@名無史さん:2007/03/28(水) 00:57:58
ほー
92日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:14:10
18世紀〜19世紀前半のヨーロッパの戦争を扱った映画とか見てると、
密集体形の歩兵が黙々と前進する場面があるが、あれって最前列の兵士は
確実に戦死するような気がする。
93日本@名無史さん:2007/04/06(金) 10:45:07
密集隊形全盛時代の小銃は余り命中しないから案外平気。
最前列の誰かは弾が当たって死傷するけど、自分ではない可能性も少なくない。
密集隊形によるデメリットとメリットが逆転するくらい小銃の性能が急速に進歩した19世紀後半からは密集隊形が必然的に廃れた。
94日本@名無史さん:2007/06/03(日) 22:26:53
>>93
たとえ命中精度がよくないとしても、密集体形の最前列に立つのはイヤだなw
95日本@名無史さん
こないだ撃たれて亡くなった巡査部長は密集隊形だったね