, ノ) ノ)ノ,(ノi ( (ノし ┐) ∧,∧ ノ いまだ!2GETいける! ..|( ( ....:::::::) (  ̄⊂/ ̄ ̄7 ) ヽ lヽ,,lヽ (/ 川口 /ノ ( ) やめて!  ̄TT ̄ と、 ゙i
朝鮮人、嫌韓厨、サヨの書き込みは禁止
もういらんだろ
そんなにスレがあると困るのか?
いや困らないが、自分がバカを晒しておいて 指摘されると人を朝鮮人ウヨサヨ呼ばわりする 真正バカの書き込み等々実にくだらないのよね 実際全く参考にならないバカスレで、戦国時代板が相応しい
8 :
日本@名無史さん :2006/06/18(日) 16:29:09
軍板が一番ましなのはID表示だからか? しかしハン板は物足りない。
9 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 08:39:57
あげ
10 :
日本@名無史さん :2006/06/26(月) 07:05:01
板の住み分けはどうなってるの?
12 :
日出ずる処の愛国者 :2006/06/27(火) 13:15:10
<疑問>秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか? <答え>それが世界史上の法則だから そもそも戦国時代のような『乱世』とは『バトルロワイヤル』であって、 これを制するには強力な軍隊がいる。そして『乱世が平定された』というのは この強力な軍隊がいらなくなったと言うことです。もしここでトップが 『もう戦争はやめよう』と言っても兵士達は承知しません。彼らは立身出世の ために兵士になったのです。それでも戦争をやめようとすれば、トップは殺され 別の人間が戦争を遂行します。アレクサンドロスやチンギス・ハーンの外征は 必然の結果なのです。この戦争が終わるのは兵士の側が『もういい、休みたい』 といったときだけです。世界史上の外征もこうして終わっています。
明軍日本軍の戦闘は通算何勝何敗? 戦争じゃなくて戦闘
14 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 14:21:07
朝日の夕刊で特集記事があったね、秀吉の朝鮮出兵は当時の社会に普通にあった 国民感情とか書いてあったな、それに明軍も世界的に見ても強い軍隊で、清によって 悪いイメージができて弱い軍隊と思われているだけだと、イギリスの大学の教授が言 ってね、日本と朝鮮の戦争じゃなくて、日本と明の戦争だってさ。
15 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 15:51:17
朝日の夕刊に載ってたね、朝鮮出兵は日本と言う世界最強の陸軍と精強で最先端の武器を持った明軍による16世紀最大の戦争だと、アメリカ人の中国軍事史の先生がいってたな。
16 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 23:32:09
>日本と言う世界最強の陸軍と精強で最先端の武器を持った明軍による16世紀最大の戦争 カコイイヨ(;´Д`)ハァハァ
17 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 23:45:44
韓国、明軍とか李如松が消えて、李舜臣と義兵ばかり言うよなぁ 秀吉が15万出しているから、明軍10万は出てるんでしょ
自国マンセーは別に世界中珍しいことじゃない 日本の自虐が異常
19 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 09:09:20
885 :世界@名無史さん :2006/06/29(木) 14:35:48 0 昨日の朝日新聞の夕刊に「倭乱と東アジア」短期連載の記事が載ってけど、 「壬辰倭乱」をテーマにした韓国でのシンポジウムが6月19日〜22日迄 やっていて、韓国・日本・欧米の学者30人の歴史学者が議論してて、その中で 目を引いたのは、ケネス・スオーブ米ポールステート大準教授は「日本と朝鮮の間 の戦争だとの見方はやめるべきだ」。言って戦争構図は明を中心にした東アジア の支配体制・秩序への秀吉の挑戦。日本と明との戦争であり、明は当初は内乱の 為に兵を送れなかったが、朝鮮の要請ではなく自分の利益のために参戦した。 886 :世界@名無史さん :2006/06/29(木) 14:47:15 0 上の続き また、明軍は弱いと言うイメージがあるが、明を倒した清によって作られたもので、 当時は武器も優秀で精強だった。一方の秀吉軍は戦乱で鍛え上げられた世界 最強の軍団。両者の激突は16世紀最大の戦争だった、スオーブス準教授 (中国軍事史)位置付けた。あとはオランダ・ライデン大学のW・J ポート教授(日本思想史)は「朝鮮征伐は、当時の日本の実力者の間で広く 共有されていた」正気を失った秀吉の暴走との見方に否定的な考えを示した。
20 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 09:10:19
893 :世界@名無史さん :2006/06/29(木) 20:20:03 0
>>885 続き。日本軍人15万人の軍勢なのに、朝鮮軍は数分の1しかなくて、
韓国人研究者から「あまりに貧弱で情けないニダ」といった意見が出たのに
対し、成均館大(ソウル市)の宮島博史教授(朝鮮史)はサクホウ体制での
朝鮮は明の軍事力の傘の下に入っており、持つことが認められていたのは国内
の反乱に対抗する軍事力だけで外国と戦うことは想定していなかった。
李舜臣の水軍も倭寇対策のもので李舜臣の私兵みたいなものニダとの話も
韓国海軍士官学校の李敏雄教授から出た、米谷均共立女子大講師(日本近世史)
は江戸時代になっても戦争の再開を望む声が武士の間に強かった事を示した。
その理由として、大量につれて帰った朝鮮人を売ったり、本来なら下僕ももてない
低い身分の兵たちが特に恩恵をこうむり「もう一度戦争を」との意見が多かった
そのため幕府が朝鮮王朝と交渉で6千人の朝鮮人を返したが、幕府のゆうことを
聞かないものが続出した、また朝鮮王朝も帰国者に手当てをしないので帰国希望者が
集まらなかった。
呼び名では日本では文禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱・丁酉再乱、北朝鮮では
壬辰祖国戦争、中国では援朝鮮や万暦東征などで統一してないので、統一名の候補として
壬辰戦争・東アジア7年戦争・第一次東アジア戦争などの意見が出た。
朝日新聞の昨日今日の記事だな
22 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 13:29:28
連載いつからいつまで?
朝鮮で明軍を撃破出来たら日本軍は何処まで進めたかな。 中原での戦いは戦国の余興に過ぎない半島での戦いと違って、凄惨なものになりそう。
>「日本と朝鮮の間 の戦争だとの見方はやめるべきだ」。 日本の学者で、イデオロギーに染まっていない人ならば常識だと思っていたが、 この地域の研究者のなかにはそうでない人が多くいるということなのかな?
26 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 12:27:03
その通り。 ところで米谷は北島の後継なのかな?
27 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 14:58:19
共立女子つながり?
朝鮮の役をカンタンに例えると三方ヶ原。 日本=武田信玄、朝鮮=徳川家康、明=織田信長。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。
30 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 20:53:48
>>19-20 やっぱ、信ちゃんが生きてたら、征服成功しただろうな。
一時的に失敗したとしても、満州族のように織田家三代ぐらい
かかってでも成し遂げたはず。たぶん一代でやれただろうけど。
秀ちゃんが総大将として突撃しとけば、武将間の仲間割れも起きなかっただろうし。
31 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 21:02:39
征服に成功したら、若い朝鮮人は奴隷として売り飛ばしてどかし、 朝鮮半島〜満州、台湾は日本民族の居住区になった可能性大。 秀吉軍には日本人奴隷商人がぞろぞろついて行って、年頃の朝鮮人を 縛って連れ帰り、長崎の奴隷市場で西洋人商人に売り飛ばしていたし、 満州族も朝鮮の人口の半分ぐらいをシナの奴隷市場で売り飛ばしたとか。 日本が征服してたら、朝鮮人の人口は、出生数減少で激減してただろうし、 地理的位置から考えて、日本人が入植していったはず。
32 :
日本@名無史さん :2006/07/02(日) 21:05:28
33 :
愛国者 :2006/07/04(火) 15:58:28
>>31 いいレスだな。
そおいう日本人を怒らせる記述が日本人の愛国心を育てる。
中国の反日暴動が日本人の愛国心を目覚めさせたように
憲法改正までその調子で憎まれ役に徹しろ
これは厳命だ。
対外戦争の解っていない日本で中原を狙うか・・・ 中原を狙う前に、まずは明に協力を仰いで蒙古や女真の騎馬民族と戦って対外戦争 の何たるかを学んでから(朝鮮じゃ弱過ぎて練習相手にならない)だな。それが解ら ない内に中原に進出しても懐に誘い込まれて壊滅するのがオチだし。
対外戦争なんて特別なものなんかねえよ。 それは日本人の幻想。 対外戦争知っているはずの大陸王朝は激弱。
36 :
日本@名無史さん :2006/07/11(火) 06:48:55
世界史板に新スレが立ちました
明朝の要である北方守備についてた祖承訓を凹ってるしいいんじゃねーの ここらで戦って無かったら戦国時代の日本軍ってどの程度解らんかったし
>>35 対外戦争で重要なのは補給路の確保、それまで行っていた現地調達で賄える国内
のローカルルールーじゃ対応出来ないと思うが。
39 :
日本@名無史さん :2006/07/23(日) 16:53:46
ほー
40 :
日本@名無史さん :2006/07/25(火) 00:37:40
解生
慶重の役が本当の朝鮮征伐 参加してぇぇ
文禄の役・・・唐入り(中原制覇が最終目的) 慶長の役・・・朝鮮征伐(戦いを終らせる面目の確保、南鮮確保はおまけ) 文禄、慶長、万暦・・・統一して呼ぶなら日明戦争が妥当か。
43 :
日本@名無史さん :2006/07/27(木) 22:46:59
出征に積極的な大名はだれ?
44 :
日本@名無史さん :2006/07/27(木) 23:06:06
西郷隆盛
>>44 西郷は軍事力を用いずに朝鮮に近代化の必然を説き開国させるとは言っていたが、出征とかの乱暴な事は言っていない。
46 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 02:45:56
再建記念の宣伝文句じゃね?
>>46 幸州大捷
半島側には三十八度戦や書物に対する認識の違いで資料が殆ど焼き尽くされていて
当時の物は殆ど残っていない。
資料は殆ど日本側(太平洋戦争で結構焼けた)か中国側(相次ぐ戦乱で属国の資料
がどの程度残っているか疑問)の物になるよ。
49 :
日本@名無史さん :2006/07/29(土) 17:28:32
wikiの「耳塚」 「当時は戦功の証として死体の首を持ち帰るのが常であったが、 日本まで距離があるために首の代わりにかさ張らない耳や鼻を、 運搬中に腐敗するのを防ぐために、塩漬けにして持ち帰ったとされる。 朝鮮の一般人をも犠牲にしたと言われる、 日本による最初の外国侵略とされる歴史を今に伝える遺構である。」 「朝鮮の一般人をも犠牲にしたと言われる、日本による最初の外国侵略」 なんかあっちの人の意志を感じるんだけど
朝鮮一般人の犠牲は 1.焦土戦術による多量の餓死者 2.朝鮮義兵、軍、治安の完全崩壊で跋扈した盗賊による略奪 3.明軍の略奪 4.合戦のとばっちりで日本軍に殺される の順で多かった気がした。日本は捕えた朝鮮人に技術が有れば召抱えて、無けれ ば奴隷として売り払うから、それ程殺戮はしていないはず。 耳や鼻を削ぎ落とすと商品価値が落ちる。耳塚鼻塚に祭られているのは日本軍に 協力した地元(朝鮮)部隊が自分達を売り込む為にやったのが主な物じゃないのか。
朝鮮軍も朝鮮民衆から略奪して餓死させたり、先行偽造のために虐殺しているが? むしろ日明以上の主犯。
朝鮮日々記読めばわかる事だがな、しかし嫌韓厨はあいかわらずソースなし
53 :
日出ずる処の愛国者 :2006/07/30(日) 11:08:34
日本軍は朝鮮人の技術者(陶器職人など)を日本に連れ帰った。 やがて徳川幕府の時代になると朝鮮人は帰国していいことになったが 多くの朝鮮人は『自分の意志で』日本にとどまった。 朝鮮では技術者の地位は低い、日本では武士に取り立てられるものもいた。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。 中学校の同窓会に行こうとしたら 「中学の時のクラスメートや先生に、愛知のキチガイ脳糞古川だなんて、わかったらどうする。 みっともない。 愛知のキチガイ脳糞古川の身で、同窓会なんかに行くな!」 と怒られた。 「同窓会くらい、いいだろう」と反論したら 「親の言うことが聞けないのか!」と玄関先から、家の中に 押し倒された。 脳糞古川だと、同窓会にも行けないのか?
55 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 20:45:30
学研の歴史群像シリーズの『文禄・慶長の役』を読んだが 書かれた時代が時代だけに、これでもかと「日本の侵略戦争!」のオンパレードだね。 「壬辰倭乱をはじめ、日本のインテリみんなが恥ずかしいと思っているが 父や祖父を正面たって糾弾できないので悶々としている従軍慰安婦に至るまで 日本は朝鮮に一方的に迷惑ばかり・・・」とか言った文まであるし もっと歴史として割り切って戦闘や日明朝の装備や戦術の違いの話を書いてもらいたかった。
56 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 20:50:54
北島とか貫井とか何であんなに変更して事実を曲げたり隠して書くんだろうね?
泗川の戦いはすさまじい
いい加減に、元寇と唐入りにイデオロギーを持ち込むのは辞めて欲しいと思う今日この頃。 元寇はグローバルスタンダードを拒否した愚かな日本が原因というのはおかしいし、 唐入りのなかで脇役でしかない朝鮮を話の主役に持ってくるのもおかしい。
文禄・慶長(万暦)の失敗点は 文禄 秀吉に海戦の概念が無く、補給線への意識が低かった。 慶長 秀吉の寿命。あと10年生きていれば、女真の圧力が増した明が敵を一つに する為、日本に南鮮の割譲ぐらいはしたかもしれない。 フビライの元寇の失敗 文永 日本を南宋に協力出来なくする為にちょいと脅かす(日本は国防に大忙し目 標達成) 弘安 使者を斬られ面子を潰された事への報復、南宋残存兵の消化の為に日本を 侵略。 故南宋地域で船・兵員の確保の手間取った、南越以南の遠征の失敗、一番乗り気だっ た高麗の船が辛うじて沈まない程度の粗雑な物、侵略準備に手間取り日本に防衛 準備の充分な時間を与えた、故南宋軍本隊の到着が遅れ台風シーズンに突入など。
いやだから高麗の船が沈むとか沈まないとか関係ないからw 文永の役は岐路で難破。 なぜ引き上げたのかは諸説あって詳細不明。『矢が尽きた』としか記録なし。 公安の役は一ヶ月以上上陸できずに海上で疲弊したところへ大風。
61 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 14:59:16
>>59 補給線は意識していたよ。
けど根本的に当時の状況では無理があった。
李舜臣の補給路への攻撃なども響いているが
それ以前にあの大軍を朝鮮半島で展開して滞りなく補給すること自体に無理があったらしい。
300年後の日清戦争のときでも、朝鮮の悪路と悪天候にむちゃくちゃ苦労している。
さらに朝鮮側も初期以外は焦土作戦を取っていたので
現地調達も無理だった。
62 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 17:14:57
李舜臣は補給路攻撃なんかしてねえっての! いつどこで誰の補給部隊が叩かれたのか?
63 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 17:28:51
ちまちま後方撹乱してたのが 結果補給線への攻撃になったんじゃないのか?
64 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 17:35:30
その後方とは具体的にどこなんだと小一時間問い詰めたいわけですが? 地図見ますたか?
65 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 19:19:19
>>64 半島南岸あたりでゲリラ戦やってたんじゃないの?
電撃戦のような戦いをせずに最初から慶長の時のように出城を築きながら 戦ってれば朝鮮くらいは獲れた
67 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 20:26:57
その朝鮮南岸は日本軍の補給路ですの?
68 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 21:36:39
本土から食料送ってなかったの?
69 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 21:38:34
朝鮮人は食べれなかったの?
>>66 無理じゃないのかな、強敵が無く進めば面白い様に勝てる状態じゃ一般兵の方が止まらない。
出城を築きながらは冷や水を浴びたような敗北か、かなりの強敵(李如松)に当たらない限り
そんな空気は起きないのではないか。
>>67 北九州〜釜山ルートで本土から送られ、朝鮮での海上補給路は主に朝鮮東海岸だったような。
71 :
日本@名無史さん :2006/08/01(火) 10:43:34
補給自体はちゃんとやってたけど 当時の技術的な限界と朝鮮の悪路と悪天候が厳しかったってのは間違ってるの? 補給線に対する攻撃はなかったの? アホなチャチャ入れのレスばかりでよくわからん。
72 :
日本@名無史さん :2006/08/04(金) 18:33:41
73 :
日本@名無史さん :2006/08/04(金) 19:23:12
補給線に手が届いたのはただの一回なのか
74 :
日本@名無史さん :2006/08/04(金) 19:26:30
朝鮮征伐のドラマとかテレビでやってくれないかな 見てみたいよ〜
騒ぐ層がいるので無理です
秀吉の大陸出兵のドラマ製作の注意点 ・明vs日本をメインにして朝鮮軍、朝鮮現地映像は日本軍周辺のみにする(史実に忠 実に当時の朝鮮を広く再現すると、あまりの陰鬱さと醜さで視聴率が落ちる) ・明兵、朝鮮義兵の略奪は解説だけに止める(ドラマのシーンが殆ど略奪シーンで 埋る為) ・敵方の描写のメインは李如松と万暦帝の幕僚周辺に止める 李舜臣 朝鮮倭寇の親玉、日本軍の哨戒部隊と遭遇戦を演じ辛くも勝つ。その後、日本軍と の戦闘を極力避け兵力温存に務めたが、朝鮮首脳部により巨済島の戦いで温存した 兵力がほぼ壊滅、秀吉が死ぬまで弱小勢力のまま日本軍から逃げ惑う日々が続く・・・ 講和を破って明軍と小西軍を包囲したが、救援の為に引き返した宗・立花・島津に 頼みにしていた明水軍諸共海の藻屑に変えられる。その戦いで受けた傷が深かった のかその後、明軍の妨害は無くの日本軍の撤退はスムーズに進んだ。 朝鮮最高の武将がこれじゃあ・・駄目じゃん、朝鮮人は全然出せないよ。
77 :
日本@名無史さん :2006/08/05(土) 16:39:27
整形が多かったので、秀吉は耳と鼻だけを削いで戦果報告するよう、諸将に 命じたという。
78 :
日本@名無史さん :2006/08/06(日) 15:05:04
文禄の役の時の日本軍兵力は16万人。 時代を進めて例えばD-dayの時の連合軍兵力は15万5千人。 D-dayの時の連合軍よりも文禄の役の時の日本軍の方が兵力が多かったんだね。 すごいね!
79 :
日本@名無史さん :2006/08/07(月) 23:15:21
マレー電撃作戦以上
朝鮮征伐成功した場合の問題点 ・南鮮の位置付け(北鮮を琉球化するから日本の一部で問題無いか) ・中原情勢の見極め ・清との交渉 ・民の教化と統治・開発
北条討伐 約22万 四国征伐 約11万 九州征伐 約25万 文禄・慶長 約16万 文禄・慶長は九州征伐の約6割の戦力。漢城が落ちた時の上陸していた日本の兵力 ってどれくらいだ。 戦力だけで見れば朝鮮は四国にも完敗。
82 :
日本@名無史さん :2006/08/15(火) 11:18:10
戦役の期間比較は?
文禄の役(第一陣約2万) 日本軍第一陣朝鮮上陸4月13日 漢城陥落5月3日 平壌陥落6月15日 四国征伐(伊予(2万)、讃岐(3万)、阿波(6万)からの三方面作戦) 開戦6月16日 長宗我部降伏8月6日 文禄では第一陣だけで漢城まで抜いているし。
84 :
日本@名無史さん :2006/08/15(火) 20:53:43
首都は陥落。 朝鮮国王は首都陥落前に逃亡。二人の王子は加藤清正の捕虜。 その後、明の援軍に首都を奪回されテキレキカンの戦いで日本側勝利により戦線膠着して講和だったか。
85 :
日本@名無史さん :2006/08/17(木) 13:01:12
86 :
日本@名無史さん :2006/08/17(木) 19:01:52
テキレキカン とは ヘキテイカン のことか?
87 :
日本@名無史さん :2006/08/20(日) 02:35:02
明の損害は1000万両の軍費と10万人の戦死者が出た。
88 :
日本@名無史さん :2006/08/20(日) 02:38:05
89 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 17:57:15
二万ぐらいでは?
90 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 19:32:42
91 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 23:38:39
>>85 東宮は、朝鮮人の多くを日本人の指揮下で開拓団として満州に移民させようと
していたらしいね。
となると、日本の貧困農民は朝鮮半島に移民させるつもりだったのだろうか?
秀吉の時代に、中国支配で日本が豊かになり、人口激増して移民先が必要に
なったら、どうしただろうか?
史実 乱世の気分が抜け切らず、一兵卒から「もう戦争は真っ平」と言わせるような
大戦の必要が有った(勝ち負けはニの次)。
>>91 の場合 食って行くために近隣国を征服の必然が有る、民族の命運を掛けたせ総力
戦に・・・中原との戦いは国内戦の惰性でやっていた史実とは違い、どちらにとっても凄惨を
極めたものになる。
朝鮮人
技術者 家族と、そこそこの待遇で迎えられる。
その他 奴隷として南蛮人に売り払われる。商品にならない連中は殺される。
王族&首脳部 国民を見捨てて、日本軍とあまり戦わずに中原に亡命。
93 :
日本@名無史さん :2006/08/27(日) 16:10:31
日本側の戦死者が10万人以上出たってホントなの?
94 :
日本@名無史さん :2006/08/27(日) 16:13:01
>>93 おい本当かよ!!? ソースは?
95 :
日本@名無史さん :2006/08/28(月) 18:45:46
実際侵攻した16万の部隊に東国大名の10万の予備部隊を加えて総勢26万規模で 大陸侵攻したらどうなっていただろう?
食料輸送がネック、朝鮮の道では26万人分の輸送部隊を展開出来ない。
97 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 02:12:39
98 :
日本@名無史さん :2006/09/02(土) 14:40:29
>>95 秀吉は、京都の待機部隊10万も含めて総兵力40万人を用意してたんだろ。
99 :
日本@名無史さん :2006/09/02(土) 16:26:43
>>98 40万の部隊を何回かに分けて送り、明どころかオスマントルコも倒す。 世界史上最強は日本だと示す。はっはっはっは!!
100 :
日本@名無史さん :2006/09/02(土) 22:31:34
まあとりあえず100ですわ
101 :
日本@名無史さん :2006/09/02(土) 23:34:37
>>99 少数の騎馬民族に比べて農耕民族の日本は機動力に欠けるから順調に行っても直隷
平原を制覇するのがやっとだと思うぞ。スペインから航海技術の提供があれば東南
アジア、東インドまで勢力は伸ばせたかもしれない。
103 :
日本@名無史さん :2006/09/04(月) 20:35:07
朝鮮軍の補給はまるで万全であると勘違い。
104 :
日本@名無史さん :2006/09/09(土) 00:19:37
鳴梁海戦は日本水軍の大敗と思われ、李舜臣奇跡の大勝利と言われていたが、実は日本水軍の勝ち戦だったらしいよ。
朝鮮出兵は織田信長の構想だよ、秀吉は朝鮮からの北路軍。家康は琉球 台湾からの南路軍そして岐山に都を作り、皇帝になろうとした稲葉山城 が有る美濃を岐阜と名前を変えたのも、その流れそれを聞いた光秀は 理解できずクーデターを起こした、信長が居たら成功してただろう 日本人は呉の太白の子孫だから、権利はあるとキリシタンから洗脳され てた。結局信長軍より武器、人数の劣る満州人に横取りされたみたいだが そもそも李何とか何て誰も知らないよ、朝鮮でゲリラ活動が有ったって 言う話だろもう少し夢のある話でも城よ。信長の爪の垢でも煎じて飲め!
政治関係の豊臣秀吉とかいう奴と戦国武将の秀吉を同一視してる人もいるよね。 でも日本史と政治経済社会を勉強してる人は、しっかりしようね。  ̄ ̄ ̄ ̄ 現代(日本国憲法と法律)のもとで、 政治家を選ぶ事と、勉強は別物デスね。 ======================== ANS 大阪冬の陣
108 :
日本@名無史さん :2006/09/09(土) 13:10:40
age
110 :
日本@名無史さん :2006/09/28(木) 20:49:20
維持
朝鮮ネタもう秋田からハングル板でやれよ!!!ここは日本史板!!! 朝鮮ネタもう秋田からハングル板でやれよ!!!ここは日本史板!!! 朝鮮ネタもう秋田からハングル板でやれよ!!!ここは日本史板!!!
112 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 08:38:26
日本史ですが何か?
秀吉の各征伐の動員数 四国征伐(約11万) 朝鮮征伐(約16万) 小田原征伐(約22万) 九州征伐(約25万)
114 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 19:24:41
そうだよ日本史なのに支那事変よりも隠蔽されている。
115 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 22:54:34
でも宗氏は5000も動員できたと思う、そんな経済力はないだろうに・・・
116 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 09:49:46
通訳とかもいたから。 慶長の役では軽くなってる。
117 :
日本@名無史さん :2006/10/22(日) 21:24:18
慶長の役の最中、秀吉は名護屋城で宴会を催し、余興に瓜売りの真似をしたという話ですが、 それはどんな感じですか? ウリリリリリリリリィとか叫んだのですか?
1.5倍の人数を動員した九州征伐の方が朝鮮征伐より苦戦している。
119 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 20:13:56
しかし在陣期間が長い。
120 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 21:52:12
秀吉も明の臣下という自覚はあったと思うよ。
121 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 22:51:15
は?
常に圧迫を受けている某半島と違って、無いだろ。
123 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 07:30:02
>>120 臣下は臣下だけど、朝鮮南部を割譲させて勘合貿易復活させて利益を得たいという、
いわばヤンチャ坊主が暴れたようなもんですな。
講和条件が通ったら、嬉々として冊封を受けたことでしょう。
現に明から下賜された冠服来て明の使者に面会してたしw
124 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 08:31:21
その後に明から日本国王に册封すると書かれた文書を見て激怒、戦争再開。
さすが秀吉
126 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 12:07:30
秀吉は40万の軍隊を動員できたから怖いもんなし
127 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 19:03:34
いや、それは冊封(=明の臣下としての日本国王任命)に怒ったのではなく、 自分の提示した要求が何一つ反映されていなかったことへの怒りだろう。 朝鮮南部の割譲、明の皇女の天皇への降嫁、勘合貿易再開などが実現してたら、 秀吉は素直に冊封を受け入れて「日本国王」になってたと思う。
128 :
日本@名無史さん :2006/10/26(木) 21:31:10
そう考えるのが妥当だな。
要求が全部通らなくても、朝鮮南部の割譲と勘合貿易再開さえ満たしていれば妥協したんじゃね。
130 :
日本@名無史さん :2006/10/27(金) 09:25:13
日本語版ウィキ「李舜臣」のノートで韓国人が暴れています。 追放にご協力を。
131 :
日本@名無史さん :2006/10/28(土) 20:49:35
太閤という立場から考えられないの?
132 :
日本@名無史さん :2006/10/29(日) 15:48:53
そもそも、日本人には中華文明圏における、柵封体制だとか日本国王だとかの 概念が貧弱。 公家の官位みたいな『面倒くさいしきたり』程度にしか考えていない可能性が大。 「日本国王?なんだぎゃ。えらいのか」
>>130 厨だね。
ドラキュラの逆さ読みなんて手垢のついたものをハンドルにするあたり臭くてたまらん。
相手にする値打ちがない、というか、相手をしてるyasumi氏が哀れだ。
134 :
日本@名無史さん :2006/11/07(火) 20:25:17
いなくなった?
135 :
日本@名無史さん :2006/11/15(水) 06:50:14
変な終わり方、別なところで工作をしてるのかな?
136 :
日本@名無史さん :2006/11/15(水) 09:24:13
秀吉は対馬と朝鮮がどちらが大きいかもわからなかったらしい 明から公認された日本国王は天皇よりえらい、朝鮮は秀吉に降伏した 南部は日本領になったと思わせれば信じたかもしれない
秀吉が欲しかったのは戦勝の名分(明からの領土割譲)と貿易手形(日本国王&冊封)だろ。 南鮮(領土)の下賜と公式貿易の再開で秀吉は妥協するのでは。 秀吉が中華皇帝に対してどの程度の認識が有ったのか分らないが。天から任命されるで日本の征夷大将軍程度の認識だったかも。
138 :
日本@名無史さん :2006/11/17(金) 23:47:02
>朝鮮南部の割譲 どの辺までとか、構想(妥協ライン)はあったのですか?
139 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 12:42:39
慶長の駅では南三道だか南四道?
140 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 21:04:30
一応都まで取るつもりだった。
慶長の南鮮三道と貿易復活が妥協ライン。
142 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 02:12:22
文禄慶長の役について、面白い通史なり小説ってあります? 図書館や本屋でさがしてもぜんぜんみつからないんだよね。 だから知識も全然ない。
143 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 07:37:04
「秀吉の軍令と大陸侵攻」中野等
144 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 08:02:30
今週の週刊ポストによると秀吉は日本国王に冊封された事に激怒したらしいが。 あくまでも日本が格上という原則に従うのが肝心だった訳だ。 さすがは戦国の世を勝ち上がっただけあって権威の扱い方は分かってる。
145 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 09:04:27
いや、それは頼山陽の「日本外史」以来作り上げられたイメージにすぎないから。 逆説なんてイザワのエッセイだしな。
146 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 09:10:11
903 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2006/10/27(金) 23:12:36 0 日本外史=史実と思っているなんておめでたい方です。 まともな史書ではないと私のようなプロの方は分かりますが、 素人の方はコロっと騙されても仕方がないでしょう。 矢追純一のUFO著書を小学生が読めばガクガクブルブルなのと同じ理屈です。
秀吉の動員兵力 四国平定(約11万) 朝鮮征伐(約16万) 小田原平定(約22万) 九州平定(約25万)
148 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 14:57:47
何故史実ではない事が分かったのかな?
149 :
日本@名無史さん :2006/11/26(日) 15:14:27
148 誰へのレスだい?
146宛てではないかと 何れにせよ引用先のurlもない コピペなどはスルーすべきでは
151 :
日本@名無史さん :2006/11/27(月) 10:53:31
渡海しなかった動員兵力は無視?
彼はユダヤ人だった。しかも、世界でもっとも有名なユダヤ人。その名も、エドモンド・ ロスチャイルドという。いうまでもなく、世界最大の大富豪である。当然ながら、ロスチ ャイルドはユダヤ教徒である。彼は日本の神輿に、失われたユダヤの祭りを見たのである。 ロスチャイルドの来日をセッティングした人の話によれば、ロスチャイルドは何よりも神 輿に大変興味をもったという。神輿は、あまりにも契約の聖櫃アークに似ていたのである。 契約の聖櫃アークとは、ユダヤ教にとって大切な3つの神器、モーセの十戒石板、アロン の杖、マナの壺を納めた箱で、下部には担ぐための棒がついていた。外も内も金で覆われ ており、上部には黄金製の翼を広げた天使ケルビムが2体、向かい合って据えられている。 ユダヤ人は戦いに勝利したとき、契約の聖櫃アークを担ぎ、鐘を鳴らし笛を吹きながら 「ワッショイ、ワッショイ」と行進して歩いたという。かの大王、ダビデは裸踊りまでし たことが『旧約聖書』に記されている。「ワッショイ」は古代ユダヤ語で「お前の敵をやっ つけろ」である。考えてみればあの号令は勇ましい。「我と一緒」よりもむしろ相手を威嚇 している。まして『韓国語』ではない。
154 :
日本@名無史さん :2006/11/28(火) 22:00:46
>>19-20 朝日記事では、欧州の学者が「秀吉が狂っていたというのは間違い。この時代、国内統一を
終えれば朝鮮を征伐するという考え方は、日本の有力者に広く共有されていた」と論じて
いたけど、今週号の『週刊東洋経済』の新刊本紹介のコーナーで下記の本を紹介していた
けど、それを読むと、納得できる。
黒澤映画「七人の侍」の村のイメージは間違いで、村は武装して他の村を襲って略奪し、
女、子供は奴隷売買されていたらしい。それを調停して台頭した戦国大名は、他大名の
領地に対してそういう行為をやって、自国の民を潤わせていたらしい。
だから、国内統一後は、その延長で対外征服に向うのは必然。
百姓から見た戦国大名 (新書)
黒田 基樹 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480063137/
155 :
日本@名無史さん :2006/11/28(火) 22:50:11
>>151 誰に言ってる?
壬辰倭乱って朝鮮征伐のことか?
158 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 09:55:52
吉田光男ってどんな評判?
159 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 13:28:23
銃とかの威力はどうだったん? 明とか銃とか火器はもってたん?
160 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 14:23:04
小西の裏工作に秀吉も目をつぶってれば、日本国王冊封で丸く収まってたのに。
161 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 17:03:41
明や朝鮮は大砲装備
162 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 20:39:39
信長から受け継がれた火縄銃は本当に威力あったの? 明は、なかったの?
163 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 20:46:50
明の火器は、城壁崩し用の大筒に特徴があったんじゃないの?
164 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 20:58:34
前々から思っていたのだけど、徳川軍団を朝鮮に派兵して摩滅させてはいかがでしょうか?
実際、秀吉が用意していた兵力は40万人らしいけど、 やはり徳川軍などの東国の軍隊を送らなかったのがもったいない。 朝鮮の非文明地なんか経由せずにもっと水軍を協力にしてから 直接、明大陸上陸の方がよかったかも。その方が世界の認知度も高いだろうし。 とはいっても実際、我々日本人はそうでもないけど、外国では16世紀史上最大の激突として 知られているらしい。先ず、秀吉は国内の権力基盤をしっかりと固めてから 海外出兵すべきだったな。
166 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 21:34:45
大明征服なんて国内の大名統制のためのビッグマウス。 秀吉の真意は勘合貿易復活による貿易の利益と、せいぜい朝鮮半島での領土獲得。 文禄の役の講和時の要求が、本当の目的だろう。
167 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 21:37:02
秀吉は南朝鮮の割譲、明の皇女の日本天皇への降嫁、勘合貿易復活を要求してた。 でも明の回答は日本国王への冊封だけだった。領土割譲も貿易再開も言及なし。 これでは交渉決裂もやむをえない。
朝鮮半島に上陸するなら朝鮮民族を抹殺する、といった目的だったらな〜 無人の朝鮮半島をこのときから大陸との緩衝地帯だったら今ごろチョンなんか 存在してない。今、そんな妄想言ってもしゃーねーけどなw といっても、今の日本の軍事力でも朝鮮半島を粉砕することは屁のカッパだな。
半島全体で10石もなさそうな所だ。隣の糞半島はそもそも攻め込む価値も なさそうだ。
170 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 22:11:46
明のほうが強かったな
明は強いか?w
172 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 22:34:19
強いから、日本軍は苦戦したんだろw
ん、・・・清正あたりが明の先鋒を壊滅させなかったっけ? 明はすこしも苦戦しなかったのかね? 明側が勝ったなんて向こうも認めてないよなw
>といっても、今の日本の軍事力でも朝鮮半島を粉砕することは屁のカッパだな。 軍板にでも逝ってこい。物笑いの種にされるぞ。
チョンが食いつきやがッたか 肥溜めの中の寄生虫と遊んでろw
176 :
165 :2006/12/02(土) 22:50:10
>>我々日本人はそうでもないけど この部分を一応、我々日本人の認知度は低いけど、に訂正。
>>175 いやだから、これ以上リアルに恥かきたくないなら、逝ってこいって。
+みたいなノリでレスすんなよ。馬鹿かお前。
>>177 やはりチョンだったか はっはっはっは!!
>>178 そうやって自分に刃向かう人間はすぐにチョンにしたがるんだな。
+民というより、極東板の臭いがしてくるぞ。
じゃ、とりあえず証明してもらおうか。無理だろうけど。
180 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 03:48:33
問題はどこで戦争を終わらせるかだ。朝鮮王や明国皇帝の首を取ればいいってモンじゃないし…
181 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 04:08:42
182 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 04:13:44
両方ともいい加減にしろ。千になったら打ち止めなんだろ?無駄口叩くな。
>>181 マジレスすると、自衛隊はガチで専守防衛に特化してるから、
中国やロシアが攻めてきても余裕で撃退できるけど外征する力はゼロ。
戦国時代に自衛隊? 映画【戦国自衛隊】(朝鮮征伐偏)とかする気か? 加藤清正やら小西行長秀吉お抱えの武将と手を組み戦略できるかもなW
186 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 06:41:19
188 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 07:18:13
独眼竜も参戦してんだよなーこの戦。 明のごつい円月刀使いとかと刄交えたんだろーか…。 たまらんなーだれか映画化せんかなー
>>181 日本ですが。
で、チョンと断言するからには自力で証明してみ。
まさか勢いでチョンと言ってしまったとか格好の悪いことを言うんじゃないだろうね?
私が何を言おうと信用しないんだろ?だったら自分で私がチョンで
あるということを証明しないとな。そういう理屈になるだろ?(w
論理構成上、自分で墓穴掘ってるんだよチミ。
>>183 アホに教えてやることないのに。
今の日本の軍備じゃ撃退できても、進行はむりだぞ。 チョンでもチョンじゃなくてもこれは事実だ。 第一上陸できる船も無ければ継戦できるたまもない。
191 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 14:32:08
戦争は明から来た将軍に指導されていました。
192 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 14:39:16
耳塚
明側の文献に「我々は勝った」みたいなことは載ってないらしいから 明が勝ったとは言えない。
194 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 15:45:50
結局どうすれば日本軍の勝ちなんだろう。明国皇帝を殺せばいいのか?
195 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 15:47:18
みんな知ってる? 上杉景勝や伊達政宗も参戦したんですよ。
196 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 15:52:15
城作りのためにね。
>>194 それが一番いいんじゃない。
198 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 15:54:10
明国皇帝を殺せば完全に日本軍の勝利だ。
199 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 17:08:38
でも生き残った皇族が亡命政権立てたり、反乱が起きたりしたらどうするのさ?
200 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 17:48:17
仮想戦記やゲームで頭のイカれた書き込みが多いな。
>>200 人のことを頭のイカれたとかいってないで、自分は 何を言いたいのかね? 在日さんよw
在日は悔しいとですよ。 なんせ、休戦協定に朝鮮は参加させてもらえなかったとですよ。
203 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 17:54:23
明国皇帝を捕らえて秀吉が禅譲を受ければ中華皇帝になれる
204 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 18:26:45
肩書きだけついても明国民が認めなければ意味がない。下手をしたら項羽みたいになるんじゃないか?
205 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 20:23:44
日本オタの与太話は見苦しい
206 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 20:27:30
当時は国民なんかないし。
207 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 22:00:37
用語の使い方を間違ってました。だけどそう言われてみると統治次第では恒久的な支配も可能なのか。
208 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 22:28:12
鎖国直前あたりの日本人の東南アジア進出関連のスレない?
209 :
日本@名無史さん :2006/12/03(日) 23:32:29
俺もそれ見たい。山田長政の活躍など聞きたい。
あの辺は面白いんだが、なんせ漢文の文献じゃなくなっちゃうところが 出てくるので、素人には_ですな。
211 :
日本@名無史さん :2006/12/04(月) 00:14:07
掲示板の主旨と逸れてしまうが、朝鮮や明国を取るより当時少しずつできつつあった日本人町に兵力を回せば良かったんじゃないかな?大名を赴任させて貿易利権を領地代わりに与えるとかさ。
そういう柔軟な発想をした大名は、いなかったんじゃないの。 亀井茲矩とかは、琉球守とか台州守とか勝手に名乗ってるくらいなので 若干そういう感覚はあったかもしれないが、何せ小藩すぎた。 そういう局地的な統治を実戦したのは、イギリスだね。
213 :
日本@名無史さん :2006/12/04(月) 21:58:26
日本人の東南アジア進出スレ立てて
214 :
日本@名無史さん :2006/12/04(月) 22:31:51
>>212 秀吉の側近で南蛮貿易で儲けてる奴らが進言したりしなかったのかな?
前田利家も八千人率いて名護屋城に来ていたらしいから、参戦すれば良かったのに。
216 :
日本@名無史さん :2006/12/08(金) 21:08:04
利家は城攻め要員に選ばれたけど中止。
217 :
日本@名無史さん :2006/12/12(火) 18:47:06
仮想敵だった徳川家を消耗させるために朝鮮に派遣するべきだったか?でも派遣したら間違いなく徳川軍が基幹部隊になって家康が十万を超す軍団の司令官になってしまうしなあ。
仮想敵だった徳川家を消耗させるために朝鮮に派遣していたら 家康は朝鮮の余りの貧しさ民度の低さに取る意欲を無くす。 漢城、平壌を落し朝鮮国王を降伏させ南鮮に撤収。 朝鮮国王に満州征伐を命じ、唐入りの名目を立てる。 秀吉の死後は日本に戻り史実通りに。
219 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 01:36:47
そんなにウマくいくかな?半島南部に居座ろうにも明軍だって黙ってないだろうし、秀吉が死んだとしても石田が情報封鎖をしたり、もし家康が現地で講和なんてしようものなら徳川軍が外地にいる間に他の四大老で処罰を決定したり結構ダメージを与えられそうに見えるけど。
220 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 01:48:01
朝鮮征伐
221 :
日本@名無史さん :2006/12/17(日) 13:50:38
秀吉は慶尚道は取ったも同然と思っていたようだけど。
とりあえず言えることは 仮に家康率いる増援を送っても一番補給に便利な海路を李艦隊のおかげで使えず(対馬釜山間は別だが) 陸路だけでただでさえ義兵だの山賊だので補給路が機能不全で兵糧不足なのに 増援を食わせられる分の兵糧があるのかという
223 :
日本@名無史さん :2006/12/18(月) 13:30:11
222の李の攻撃で海路が使えなかったソース希望。 俺の知っている歴史では李の攻撃で海路連絡が遮断されたり船腹不足になったことはないのだかね?
224 :
日本@名無史さん :2006/12/19(火) 22:18:08
秀次を大将にした派兵プランには徳川軍の渡海も含まれている。 先鋒と本軍に分割された序列まで作られている。
225 :
日本@名無史さん :2006/12/19(火) 22:21:57
なんでも鑑定団 朝鮮出兵屏風 ズゲェ欲しい。 各武将の軍舟屏風10000000円!
226 :
日本@名無史さん :2006/12/23(土) 14:45:05
227 :
日本@名無史さん :2006/12/23(土) 19:52:01
明治までの日本民族は、家畜なしで水稲稲作一本槍だった(麦作が日本の 風土に合っていないので、麦作を知っている人間が少ない)。 だから北海道に興味をもっていない、征服しようともしていない。 同様に考えると本来は米のできる朝鮮南部と華南しか興味がわかないはず。 朝鮮南部を占領して、収穫できるかもしれないが、いつ攻めてこられるか 分からないし、征服して意味がある土地か微妙。 台湾は攻めれば、江戸時代以降は台湾は日本になっていたと思う。
228 :
日本@名無史さん :2006/12/23(土) 23:07:04
日本は鎌倉時代から、牛や馬を耕作に使ってたぞ。 山羊やらはどうだか知らんが。 米作がメインではあったが、補助作物として麦やコーリャンなどの 作物も植えていたから、ノウハウがなかったわけではない。 その米も、陸稲がかなり植えられていたようで、水田しか 耕作していなかったわけでもない。 日本が米に拘った理由はよく分からないが、米が他の作物よりも 歴史的・宗教的に上位にあったという背景もあるかもしれん。 また、米はカロリー数が非常に高い作物で、麦などよりも遙かに 多くの人口を養えるという利点がある。 米へのあこがれは、そう言うところに起因しているという見方もあるな。
229 :
日本@名無史さん :2006/12/24(日) 01:12:22
>>228 家畜なしは間違い
食料源としての家畜の使用なしということ
それからノウハウがあったといっても、後の満州開拓も実態は
http://amana.hp.infoseek.co.jp/forum/ikeda.htmlから引用 「日本の農民は現地でのノウハウがわからない。当り前ですよね。
例えば、長野県から行った、養蚕農家の農民が、どうしてコウリャンや大豆を作るノウハウを知っているか。
しかも、一年の1/3は完全に地下の60cmまで凍っている、凍土。そういう所でほんの短い日照時間を利用して、一気に作物を作らなければいけない。
その為の例えば、畝(うね)のつくりかた、水のやり方、そういうものは全部現地の小作人として使用している支那人の農民から教えられていると書いているのね
/これ当たり前の事ですよね
中略
良く言われるのが、満蒙開拓団によって、人類の米の生産の北限が大変延びたと言われるんです。米っていうのは熱帯植物ですから、だから北海道が北限だったんです。北海道の人たちは重宝され、
「北海道農法」と言われて、向こうに行って教えるという建て前で、沢山連れていかれたんです。北海道を開拓して100年足らずで、やっと米を収穫できるようになった農民が、満州へ行ったんですが。
それは微々たるもの。実験農場と言うんですが。実際は、朝鮮族の人に教えてもらったんだから、日本人が米の北限を北へ伸ばしたんじゃないんですよね。まったく。」
最近の在日は道民を味方に引き入れようとしているのかw 反日のためならなんでもありだねワロタ >実際は、朝鮮族の人に教えてもらったんだから 品種改良を行ったのが朝鮮人だというソースキボンヌ 何時もの朝鮮人認定は無しネ 有史以来朝鮮人にできるのは劣化コピーのみ
朝鮮北部で稲作してたなら、朝鮮族の方が満州での稲作に
手慣れていた可能性はあるけどね。
北海道で稲作できるようになったのって、1870年頃らしい。
http://hokkaido.yomiuri.co.jp/takara/030708.htm 稲のアジア史第二巻の「朝鮮半島の稲作展開」によれば、江原道や
京畿道のような比較的冷涼な地域でも、李朝鮮時代には水田での
稲作がされていたようだ。
また、朝鮮は日本より乾燥していたため旱魃になる割合が多く、
旱魃になったときの代替作物の栽培や直播法(苗代を植えていくのでは
なく、播く方法)で行うなどの差異があった。
稲作の起源を言うなら10世紀にはすでに中国東北部で行われていることが確認できているが? それと水田と乾田の違いも認識できていないようだね で、>実際は、朝鮮族の人に教えてもらったんだから のソースはまだなの?
Super Dimension Lord | ̄ ̄| 超 時 空 天 下 人---、 | ̄~.| ;''''.|  ̄ ̄|''| ̄ ̄ ̄ロロ| ̄ ̄ ̄ ̄|''|___|.| |''''.; .; | ___| .,ニニニニニニ、ニニニニl .| i----┐| .| ; .; .| | |__ _|.| | 論__|/ | .; ; .|  ̄ ̄| / | .ニニニニl .| | ̄ ̄´ ./ ; '''''''ヽ______|''''∠___/'''''''|_____.|''|______/''''''''''' | ̄'-! ̄|| ̄|| ̄ ̄ヽ| ̄ニコヽ"Y"// ̄ ̄ヽ( ̄ニコ| ̄'-! ̄|.| ̄| |_i-i_||_|.|  ̄ .ノ.| ー┤ .|_| ヽ_ ̄ _/ i-ー .).|_i-i_|.|_|. . ̄ ̄  ̄ ̄  ̄  ̄ ̄ 哀 号 ・ お ぼ え て い ま す ニ カ
235 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 20:27:59
説明責任をなさずに打ち切れて終了なら 最初から余計なことを書くなよ>低能
嫌韓脳はもういいよ
238 :
日本@名無史さん :2006/12/26(火) 11:21:21
京大教授か じゃ、かなり信用できるな
>京大教授か >じゃ、かなり信用できるな 何匹釣れるかな?
240 :
日本@名無史さん :2006/12/26(火) 13:31:37
自分で書いた文章の文脈すら理解できない>>愚か者! なんと次に取った戦法は、北鮮・韓国に門戸を開けと積極的に旗を振る京大様をもちだしてきた〜 在日に媚びる権威に頼らないと弁証すらできない無能ぶり お次はレッテル貼り攻撃! これは酷い、あまりに酷い! 唐突な上に話をそらしている! 別に2chなんだからいいじゃねーかとも思えるが とにかく嫌韓が気に入らないらしい>>愚か者! さあ!次はどう打って出るか!
嫌韓嫌韓と連呼さえすれば朝鮮民族は優秀ニダと強弁できるってのはアレだな(苦笑 まぁ下手に説明しようとすれば>232のように無知っぷりを晒すだけだが・・・ つまらん奴を相手にしちまったorz
242 :
日本@名無史さん :2006/12/29(金) 23:36:27
秀吉はシルクロード沿いに順次平定してバチカン占拠が本当の目的だったんだYO! 「えぇい!キリシタンバテレンは根絶やしじゃ!」 ↑絶対コレ
243 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 15:49:12
あほ
24 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/03(水) 19:16:50 ID:ErGZzQq9
壬辰倭乱で李舜臣将軍が何万人の倭人を殺したか教えてほしい。
96 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:00:38 ID:???
>>24 七年間の朝鮮役で李舜臣指揮を含めた朝鮮水軍と明水軍の攻撃による日本軍の戦闘死傷者総数は数百人から数千人の規模(最大でも五千人前後)と考えられます。
また李舜臣の攻撃で日本軍の補給や連絡が恒常的に遮断されたことはなく、極短期間の攻撃時間以外で補給連絡線の制海権を維持できたことはありません。
二次的な船腹不足に影響が無いとは言えませんが、海象による事故や寿命の自然減耗に比べるほど戦闘消耗は激しくありません。
97 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:19:37 ID:???
>>24 つづき
また日本軍には廻船補給計画は元々存在せず、例え朝鮮水軍が存在していなくとも陸上作戦的な海岸支配と技術的な海路開拓の問題によって漢城方面への海路補給が成立することは非常に困難です。
98 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:32:13 ID:???
>>24 さらに続き
李舜臣に対する評価は戦争指導指揮を行なっていたのが明であり、朝鮮独自の勝利ソースの少なさと李舜臣の属した派閥の評価から朝鮮内部で珍重されたこと、それの日本での江戸時代の受け売りと豊臣失政というレッテル貼りが罷り通った。
そして、明治以降のマハンの海上権力論を奉戴して海軍権益を拡充した帝国海軍の宣伝が原因となっています。
これが権威となり、詳細研究や先行研究批判が充実しないまま戦中に頂点を迎え、戦後の史観へ退凋します。
つまり李舜臣への幻想は朝鮮役という戦争全体の研究不足が原因となっています。
245 :
日本@名無史さん :2007/01/13(土) 21:45:13
忠武公万歳
246 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 11:04:48
朝鮮が使っていいのは千歳までだろ?
247 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 19:33:17
日明戦争
248 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 20:26:44
豊臣秀吉太閤殿下朝鮮征伐実施 任那日本府再興。 任那地域=加藤領土 済州島=島津領土 鬱陵島=毛利領土
249 :
日本@名無史さん :2007/01/19(金) 19:51:23
巨済島は唯一宗義智に加増されたがな。
250 :
日本@名無史さん :2007/01/28(日) 09:30:36
うれしくないな。
251 :
日本@名無史さん :2007/01/28(日) 15:27:28
何石?
252 :
日本@名無史さん :2007/01/28(日) 18:51:28
さあ?
253 :
日本@名無史さん :2007/01/31(水) 15:06:01
文禄の役の功績だけで脇坂安治は本土で3.0万石から3.3万石に加増。 宗義智の巨済島加増は千石単位だろうな。
巨済島は対馬の一部か
255 :
日本@名無史さん :2007/02/02(金) 19:29:36
対馬
256 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 12:15:30
そう
257 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 17:23:41
加増なら島津。
258 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 19:00:45
バテレン追放令だけでなく朝鮮のゴキブリ共も駆除してくれた秀吉は英雄ですね 朝鮮のゴキブリ共が滅ばなかったのが残念だけど。
259 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 21:21:33
お
260 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 21:28:28
バテレン追放令だけでなく朝鮮のゴキブリ共も駆除してくれた秀吉は英雄だよな。 朝鮮のゴキブリ共が滅ばなかったのが残念だけど。
261 :
日本@名無史さん :2007/02/05(月) 21:38:31
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
262 :
日本@名無史さん :2007/02/09(金) 22:42:42
秀吉による朝鮮侵略の最中、朝鮮の将軍・李舜臣は 講和の使者として、全面降伏に近い屈辱的条件を連ねた 文書を携えて侵略軍の大将・加藤清正の本陣を訪れた。 さて、見ると清正の脇の籠に、なにか一種の牡蠣のようなものが 盛られていた。 清正は李舜臣が籠に気を取られているを見て取ると、 「何だと思うかね?」 と尋ねた。李舜臣が黙していると、清正は 悪魔的な笑みを浮かべながらこう言った。 「朝鮮人の眼球だよ。」 この蛮行に憤激した李舜臣は、講和の書を握りつぶすと、敵陣を後にし 日本軍を必ず朝鮮から駆逐することを心に誓ったという。
263 :
日本@名無史さん :2007/02/09(金) 22:45:22
264 :
日本@名無史さん :2007/02/20(火) 17:20:03
【キムチ】 衝撃の事実!キムチの原料の唐辛子は、実は秀吉の化学兵器だったニダ!
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=33905&servcode=100§code=100 韓国にトウガラシが伝来したのも、壬辰倭乱(文禄の役)のとき、
日本軍が「化学戦」のために持ち込んだという説がある。
これらも広義の化学兵器だ。(■中央日報・噴水台 2002.10.30)
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"-゚ 。 ≧ 三=\
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・ ゚ / \イレ,、 >三 。゚\ ・ ゚
/ >≦`Vヾ ヾ ≧ .\
\ ./ 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・ .\
豊臣秀吉(1536〜1598)
265 :
日本@名無史さん :2007/02/25(日) 08:01:24
>>235 では釣られて、池田サンは京都精華大ですよ。
最近平山サンから馬鹿にされている。
266 :
日本@名無史さん :2007/02/25(日) 08:55:15
267 :
日本@名無史さん :2007/02/25(日) 10:55:25
268 :
日本@名無史さん :2007/02/25(日) 19:28:29
済州島・巨済島=宗氏領土 任那西部=小西氏領土 任那中南部=小早川氏領土 任那中北部=毛利氏領土 任那東部=前田氏領土 鬱陵島=徳川氏領土
269 :
日本@名無史さん :2007/02/25(日) 20:44:13
まあ、秀吉も本音では明の臣下って自覚してたんだけどな。
270 :
日本@名無史さん :2007/02/28(水) 05:19:58
自倭乱朝鮮七載, 喪師数十万, 餉数百万, 中朝与属国無勝算, 至関白 死而禍始息
271 :
日本@名無史さん :2007/03/01(木) 14:03:39
272 :
日本@名無史さん :2007/03/02(金) 20:00:39
そんな分け方ないだろ?
273 :
日本@名無史さん :2007/03/10(土) 19:52:11
もし我が国の精神文化が朝鮮並みだったら、 大河ドラマで朝鮮討伐を美化しまくる設定で秀吉をやってるだろうに
274 :
日本@名無史さん :2007/03/11(日) 15:31:23
関ヶ原や大坂の陣はドラマ化されてるのに何で朝鮮征伐はドラマ化されないんだよ? 朝鮮征伐のドラマどころか映像を一秒も映してねーじゃん。 おかしいだろ
275 :
日本@名無史さん :2007/03/11(日) 19:34:01
秀吉の寿命がもう十年長ければ、家康を従えて朝鮮に出陣し、 明国の干渉が本格化する前に半島全土を平定していただろうに…
276 :
日本@名無史さん :2007/03/20(火) 20:48:43
半島を占領しても何の価値もないからな〜 あんな文化不毛の土地を占領するくらいなら、もっと水軍を強化して 明大陸に直接上陸のほうがいいんじゃないかな
277 :
日本@名無史さん :2007/03/21(水) 20:18:43
278 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 21:33:07
日本最強の水軍武将いは参加しなかった。
279 :
日本@名無史さん :2007/04/03(火) 11:44:06
280 :
日本@名無史さん :2007/04/04(水) 11:00:39
最強?
281 :
日本@名無史さん :2007/04/09(月) 19:37:28
水軍な
282 :
日本@名無史さん :2007/04/09(月) 19:54:47
もっと増派すべきだったのでは?
283 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 17:59:49
誰を?
>>13 細かい記述を検証してみたら、23勝17敗でした。
なかなかやるもんですね。
285 :
日本@名無史さん :2007/04/16(月) 19:44:19
ウィキペディアの鳴梁海戦の項目を朝鮮の辛勝から日本の勝利に書き替える意見が出ているが、このスレ的にはどうよ?
鎖国して正解
287 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 08:57:42
>>285 日本側勝利でいいんじゃないの
日本側は目的を達成し、かつ明水軍主将を逃亡させ、その副将と朝鮮水軍の大将を討ち取る
朝鮮側記録以外で日本側が打撃を受けたという史料は無いはず(その証拠に寄せ集めのにわか水軍でありながら、日本側の名のある武将が討死していない)
ただ、こういうこと並べても日本語できる韓国の方が……w
288 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 19:04:10
どうも露梁海戦と勘違いしている模様。
289 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 21:48:11
近代前なんだから、侵略の善悪を問うことじたいがナンセンス 近代前の英雄は、みんな侵略を成功させた人物。 秀吉も成功してれば、ナポレオンみたいに高級酒にでもなってたよ
近代でも第二次大戦以前は、侵略の善悪を問うことじたいがナンセンス
291 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 09:05:04
ってか現代でさえ「侵略は悪い」といわれても侵略の定義は決まってない よってナンセンスであることに違いは無し 第一、日本から見れば理不尽な侵略以外何者でもない元寇だって相手からみれば征伐なんだぜ
292 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 20:59:31
秀吉の朝鮮開拓
293 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 12:11:27
なんで朝鮮の勝ち戦なんだ?
294 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 06:16:44
秀吉も自分が明の臣下だという自覚はあったと思う。
295 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 06:49:59
妄想かい!
296 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 07:44:34
提示した講和条件が容れられれば、素直に日本国王に冊封されてたよ。
秀吉が激怒し、第二次出兵になった原因が 明の正使の「爾(なんじ)を封じて日本国王と為す」の文句。 使者を追い出し、金印を溶解して捨てた。 直前に、小西行長は講和成功のために「日本国王」を秘匿するよう使者に頼んでいる。 それだけこの字句は秀吉に容れられない事が事前からわかっていた。
298 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 07:05:37
明の冠服を嬉々として着用し、勘合貿易(朝貢貿易)の復活を希望したのも秀吉だが。
299 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 07:41:16
勘合貿易再開を要求してる時点で 明>>>>>>>>日本 という上下関係はわきまえていたろうな。
徳川の水軍ってどうだったんだ? 色々理由があって陸に派遣できなかったのは仕方ないが、 せめて水軍くらい任せることくらい・・・
301 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 19:14:24
撤退時に巨済島くらい確保できなかったのかな。 済州島、鬱陵島、巨済島くらいは日本領土として確保しておきたかった。
302 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 20:12:44
そもそも、室町時代の宗貞盛は 「対馬を朝鮮の属州とし巨済島を居処として印章を受ければ命に従う」 と李氏朝鮮に返答し、以後慶尚道の管下に対馬は組みこまれ、 『都都熊丸』印章を宗氏は与えられている。
貿易のための両属状態を取っている宗氏としては、朝鮮出兵なんて大迷惑だったんだよな 小西と組んで秀吉と朝鮮双方を騙そうとしたぐらいで
先頭に出させないなら、海上と、最南部で戦わせてりゃ良いのにな。 徳川。
朝鮮人の根拠のない優越感はまさに異常w
306 :
日本@名無史さん :2007/04/28(土) 19:52:32
ウィキペディアの「鳴梁海戦」のノートで議論をやっているが現状の朝鮮水軍の勝利から変えない意見が二対一で優勢だな。 韓国寄りの評価で落ち着きそう。 実際どうなの?
307 :
はるる☆☆☆ ◆cleKNy8Dnk :2007/04/28(土) 21:40:07
【学際系】脅威の実績! 早稲田大学社会科学部!!【最強】 ■2004年度就職先【4大新聞社】 (就職偏差値最難関) (政経・社学・一文・法・教育・商・人科の順) 4 3 3 2 0 1 0 毎日新聞社 4 3 4 1 2 1 1 朝日新聞社 3 3 1 0 2 1 0 読売新聞社 5 1 3 4 1 1 0 日本経済新聞社 ★ ↑ 就職の最高峰! 超難関マスコミも 日本トップクラスの実績♪ ■2005年度就職先【4大重工業】 ★彡 (政経 社学 法 商 一文 教育 人科の順) 7 2 1 2 2 0 0 三菱重工業 1 2 0 0 0 1 0 川崎重工業 1 2 0 1 0 0 0 石川島播磨重工業 0 1 0 0 0 1 0 富士重工業
秀吉が勘合求めてたなんて言うならソース出せ。 室町時代以外に、公にあったか?
309 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 18:50:24
文禄の役での秀吉の和平条件は ・朝鮮南部諸道の割譲 ・明皇帝の皇女の日本天皇への降嫁 ・勘合貿易の復活 ですが、何か。
ソースが何か全くわかってない 根拠となる史料とか出典のことを言ってるんだよ
311 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 20:48:42
歴史板に出入りしてるなら、唐入りの和平条件の「勘合貿易復活」くらい 常識だと思ってたが。 通史レベルの本にも書いてあるぞ。
312 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 20:56:59
そりゃ「関白降表」という日本内の戦役反対派が明に出した偽降伏文書にしか載ってない話だぞ>勘合貿易
313 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 21:01:39
日本・明双方の和平派がそれぞれ本国に「相手は降伏したがっている」と嘘の報告 ↓ 偽文書の要求すら明は受け入れず(国王に任じるが貿易(朝貢)は許さない)、金印だけ持たせた使者派遣 ↓ 直接対面すれば当然嘘はばれる。秀吉激怒、戦争再開 それこそ通史にでも載っている基本の流れだろうが この経緯は朝鮮の宣祖実録にさえあるぞ
314 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 21:07:41
なんで「朝鮮出兵」なの「朝鮮侵略」でしょ?
315 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 22:10:48
それは通史ではなくイザワ本だろ。
316 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 22:30:37
では、学者先生の書いたオーソドックスな通史から引用しよう。 まず、定番の中公旧版「日本の歴史」より。 (1593年秀吉は)6月28日、つぎの七カ条の条件を提示したのである。 第一、明の皇女を迎えてわが后妃とする、 第二、勘合貿易を復活する、 第三、日・明両国の朝権をもつ大臣が誓詞をとりかわす、 第四、上の条目を領納すれば、朝鮮を南北に分かち、朝鮮の北部四道と国都を返還する、 第五、朝鮮より王子・大臣一両人を人質とする、 第六、去年生どりの朝鮮王子二人は故国に帰す、 第七、挑戦国王の権臣が累世違却なき誓詞を書く (中央公論社・日本の歴史12「天下一統」林屋辰三郎より)
317 :
日本@名無史さん :2007/04/29(日) 22:43:37
で、これが小西とかに握りつぶされて、偽の降表にすり替わってしまったわけだが、 秀吉自身は明の皇女降嫁と勘合貿易復活を南朝鮮割譲とならんで要求している。
318 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 09:59:55
勘合貿易復活なんていっても意味が通じるわけないよ 秀吉が求めたのは中国への朝貢形式ではなく、明からの日本への朝貢形式という旧来とは全く逆のもの 違う意味のことを安易な言葉でひとくくりにするからややこしくて無駄なレスを消費するんだよ
319 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 11:18:29
★古文版ウィキペディアの成立のために同志の協力を仰ぐ★
《古文版ウィキペディア(テスト版)》
http://incubator.wikimedia.org/wiki/Test-wp/jpn-classical 《古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ》
http://meta.wikimedia.org/wiki/Requests_for_new_languages/Wikipedia_Classical_Japanese_2 いまメタウィキで古文版ウィキペディアを作ろうという提案がなされています。
成立には多くの人の賛成意見が必要なので、簡単ですのでぜひご協力ください。
協力の方法は下に記しました。
古文というのは中学校や高校で親しんだ源氏物語や竹取物語などの文章です。
日本人なら誰もが読めるでしょう。現代語とは語彙も文法も大きく異なりますから、
現代語とは違った切り口で物事を見られるでしょう。
上にあるのは飽くまでテストウィキであって、
提案が承認されなければなくなってしまいます。古文が書けなくとも、
賛成意見を書いていただければ助かります。賛成は多ければ多いほどいいのです。
【簡単】協 力 の 仕 方【短時間】
1、「古文版ウィキペディアのメタウィキ内の提案ページ」(上のリンク)に行く。
2、画面の右上の「Log in / create account」という所をクリックし、メタウィキのアカウントを取得する。
3、ログインし、古文版のArguments in favourという項目に「*'''Support'''」と書き込み、
後ろに理由を書き込む(英語でも日本語でもどちらでも良い)。理由は一言でもよいので必ず書いて下さい。
末尾に必ず--~~~~と書いて署名する。(--~~~~と書けば日付とアカウントが表示される)
■□■その他、宣伝等■□■
1、ブログやウェブサイトなどを持っている人はそこで宣伝して頂ければ嬉しいです。
2、記事を書きたい人はテストウィキに行ってください。
320 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 13:10:28
でも、明の皇女の降嫁を求めてるしな。
321 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 11:35:59
あげ
322 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 11:36:39
日本の外交僧を務めた玄蘇によれば 「かつて朝鮮は元を案内して日本を討ったではないか。その恨みを晴らそうというのは無道といえようか」 つまり元寇の復讐戦
323 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 11:36:59
秀吉からみれば攻め込まれて講和したわけではなく相手側へ 攻め込んでいての講和+相手からの高価な贈り物だからな。 いつも通り相手が名物を献上してきたとでも思って悦に入ってたんじゃね?
324 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 16:22:49
明の援軍ってたかだか数万ぐらいだろ
325 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 16:42:52
>>日本軍人15万人の軍勢なのに、朝鮮軍は数分の1しかなくて 相手側より兵力が多かったというのに 明どころか朝鮮の一部も制圧できなかったのか
326 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 16:51:18
散々制圧しまくりだったけど、日本の武将たちにとって実際に訪れた朝鮮は作物も乏しく疫病が蔓延する不潔な国だったから何の魅力も無かった。 で、秀吉が死亡したのを口実にさっさと撤収。
327 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 16:55:32
秀吉が死んだいたとしても 勝てなかっただろうな 加藤清正をはじめ城に 釘付けにされて篭城 しなければならなかったから
328 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 17:03:56
戦国時代は日本人という意識がなかったので 日本軍ではなく大名の連合軍と呼んだ方がいい
329 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 19:10:26
済州島と鬱陵島は確保しておくべきだった。 できれば巨済島も。
何のために?
331 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 17:36:44
>>325 朝鮮軍は勇敢でそれでいて強かったので数では有利なはずの日本側はボロボロ
それに追い討ちをかけるように明側の援軍が来て泣きっ面に蜂でほうほうのていで逃げ帰ったそうな
332 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 17:41:00
明と日本の兵力はほぼ互角の16万だよ。 明軍が来るまで朝鮮半島は無人の野を行くが如し。加藤清正なんて会寧で朝鮮の王子2人を 捕らえた挙句に国境線突破して女真族と戦い始めてる。
海上では脇坂、九鬼が朝鮮水軍に完敗 藤堂も李舜臣に敗戦
335 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 08:07:15
李舜臣が戦死したあとは、済州島と鬱陵島は確保可能だったと思う。 離島くらいそのまま居座って、日本領土にしてもよかったのに。
336 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 10:14:53
済州、鬱陵を領有した場合のメリット、デメリットって何?
337 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 14:07:14
「師(兵)を失うこと数十万、軍費などの出費数百万」 (明史) 援軍数万ってどこの話?
日本軍17万だってのべ人数の話だろ…… 李舜臣が敗走したために見捨てられた人の日記すらしっかり残ってるのに未だ李舜臣神話を信じてる馬鹿がいるのは驚きだ
339 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 16:05:30
済州島とか鬱陵島って、実際に占領してたの?
>>337 万暦の三征で出た被害だろ
朝鮮援兵だけで数十万とか数百万とか
ありえない
↑のような馬鹿がくるたびに過去ログを貼って相手をしてやるぐらいなら 最初からテンプレにしたほうがいいんじゃねぃか?
李舜臣で検索すれば上のようなサイトばかりが出てくるという現実
戦国時代を扱っている本でも大抵 「朝鮮侵略」「秀吉の無謀な行為」「李舜臣によって日本水軍は敗北した」 なんて文面が出てくる
345 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 04:04:34
>>340 明史「日本伝」
秀吉死,諸倭揚帆盡歸,朝鮮患亦平。
然自關白侵東國,前後七載,
「喪師數十萬糜餉數百萬,」
中朝與朝鮮迄無勝算。至關白死,兵禍始休,諸倭亦皆退守島巣
東南稍有安枕之日矣。秀吉凡再傳而亡。
7年の戦いで明は兵を数十万、軍事費は数百万を失ってしまった。って日本伝の中で
朝鮮半島での戦いの被害として記載されている。
ただ、中国の昔からの慣用句なんだけど、数十万、数百万を失うっていうのは
「たくさん」とか「大損害」って言う漠然とした意味で実数を言ったものではない。
(16万しか出兵してきていないのに数十万も殺せないって)
346 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 04:27:29
347 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 10:33:41
明・朝鮮側の記録でも「賊(敵軍)を討ってみれば殆どが朝鮮の民衆だった」なんて話がいくつも出てくる 後世の韓国マンセー史観では「義兵」は日本軍と闘ったレジスタンス、なんてことになってるけど実際には明・朝鮮軍に刃向う民衆兵も多かった ってかソウルを焼いたのは奴婢階級の反乱軍単独でだし 国民国家意識が形成されていない当時のこと、自分達の都合で日本にも明にも刃向う者達が一番の多数だったと思われる
>>340 明の援軍は多くても十万だから数十万の被害はありえないがな
だから多くて10万とかの出典を出せ無能
350 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 11:46:25
宣祖実録に丁酉期に十一万ぐらいの数字があるよね? 詳細値は失念したが後で調べようか?
実は朝鮮人による被害が多数、とかいうオチかい?>明軍の洒落にならない被害
このテーマだとくだらない短レスを嬉々として他板のスレにもコピペしまくるヴァカが湧きつづけているな。 迷惑な話だ。
1598年7月、漢城周辺に10万に達する明軍が集結し、忠清道南陽湾に
1万3000の明水軍が到着した。明・朝鮮連合軍は4路に分かれ、
麻貴率いる明兵2万4000・朝鮮兵5500の東路軍が加藤清正の
指揮する蔚山倭城を、董一元率いる明兵1万3500・朝鮮兵2300の中路軍が
島津義弘(1535〜1619)の指揮する泗川倭城を、劉てい(?〜1619)
率いる明兵1万3600・朝鮮兵1万の西路軍と、
陳りん率いる明兵1万3200・朝鮮兵7300の水路軍が
小西行長の指揮する順天倭城を、それぞれ攻撃目標として南進した。
http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/imjinwaeran.htm これあっているのかな
あまり好き勝手に書いてあると 住所が割られていました なんてことになりかねない
356 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 12:49:53
まあ確かに秀吉軍は戦略目的を達成できなかったが、 産業技術面では、日本が得たものの方が多かった。 多くの技術者や先進技術を移転できた。 よって大局的には日本側の勝利。
357 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 13:00:17
先進技術ってなあに?
「トウガラシは秀吉軍が持ち込んだ科学兵器」とギャグでなくれっきとした学者がほざく それが朝鮮の学術レベル。そんなのにさらに迎合する馬鹿な日本学者
>>356 それって韓国人と嫌韓厨を
同時に怒らせる稀有な類の
歴史認識だね(w
>>356 >産業技術面では、日本が得たものの方が多かった。
>多くの技術者や先進技術を移転できた。
多くのってことは陶磁器関連以外にもたくさんあるってことだよね?
具体的には何?
金属活字とか儒学者とか書籍とか紡績職人とか なんでも持ってったって事になってるね。
363 :
日本@名無史さん :2007/05/04(金) 14:14:06
この時代、日本も朝鮮も 庶民は飢饉の合間に小康があるような 状況だったけど民族史観じゃ 忘れられてしまうわな。
>金属活字とか儒学者とか書籍とか紡績職人とか >なんでも持ってったって事になってるね。 けっきょく具体例があげれるのは陶磁器関連だけってことね レスサンクス
365 :
日本@名無史さん :2007/05/05(土) 00:57:37
俺ずっと気になってたんだけどさ、朝鮮軍に捕まった日本兵ってどうなったの?
366 :
日本@名無史さん :2007/05/05(土) 09:39:24
最初はガンガン首斬られていたけど中盤から使える奴は優遇して鉄砲作らせたり戦闘させたりした。
当時の雑兵のほとんどは 自分のことを日本人だとは思っていない
368 :
日本@名無史さん :2007/05/05(土) 11:41:39
朝鮮側への寝返りで有名な沙也加は学術的に存在が否定されている(韓国除くw)が 日本側にも寝返って加藤清正の家臣として殉死までした朝鮮人がいたように、国民意識は希薄で寝返りに抵抗はなかったんだろうね
>>368 中世なら日本人でも当たり前だけれどね。
370 :
日本@名無史さん :2007/05/05(土) 12:19:10
室町期で既に朝鮮からの使者には「造作の法また宜しく伝習すべし」という命令が出ていた 日本の文物を学んでこい、ということだ 特に灌漑施設はわざわざ本国で模型を作るほどの熱のいれよう(しかし日本では農民が手作りしていた水車さえ朝鮮では普及できなかった) 製紙や鍍金技術・製粉や紅花栽培、加工に到るまで日本の技術は朝鮮にとって垂涎の的だった この手の実学については日本と朝鮮には当時からかなり格差があったから、日本の技術者が優遇されたのは当然だろう
日本側捕虜が職人として働かされる時も鎖でつながれていたことは、朝鮮側の宣祖実録にはっきりと書かれている まともに扱われていたかは激しく疑問 沙也可は兵3千を率いた日本の武将だった、といわれるが先鋒集団にそれに該当する者はいないし、いたとしてもそのまま戦闘に参加できたかどうか?
372 :
日本@名無史さん :2007/05/06(日) 08:59:52
明に攻め入る先駈けとなれ、という秀吉の要求はともかくとして なんで日本の和平派が頼んだ「明との対話の仲介役をしてくれ」まで朝鮮は断わったんだ? 「日本は朋友だが明は父親、そんなことをしたら友を知って父を知らない事になる」とか返答されてるけど 朝鮮の風習では「友を父に紹介する」事はいけないことなの?
礼記に「父親が口をきくまで黙っていろ」という。
国家意識がなくても、自分が日本人であることは分かっている。 おまえら昔の人を馬鹿にしすぎ
375 :
日本@名無史さん :2007/05/07(月) 11:42:09
>>370 >製紙や鍍金技術・製粉や紅花栽培、加工に到るまで日本の技術は朝鮮にとって垂涎の的だった
日本版ウリナラマンセー史観ですか?
>>363 この時代の祖国に転生するくらいなら、
躊躇なく今の韓国を選ぶね。
韓国人にとっても同じことが言えるだろう。
しかし祖国を心から愛する人にとっては話が違うかも(w
377 :
日本@名無史さん :2007/05/07(月) 14:34:03
>>375 事実だよ
韓国人が自慢する世宗時代でも出てた命令だもん>日本の文物学んで来い
378 :
日本@名無史さん :2007/05/07(月) 14:45:27
江戸期、朝鮮通信使は鶏の盗み方を日本に伝えたことは事実だ。
ウリナラマンセーとは違う 「〜の起源は日本」といってるわけじゃないから だって折角学んで模型まで作った技術、朝鮮じゃ使いこなせなかったんだから起源主張するメリットが無いw
捏造された沙也可の事跡 中学歴史教科書で流布される日韓友好の悲しい歴史 拓殖大学教授 下條正男 −−− ここには論拠も示さず、沙也可を実在したとする小説家司馬遼太郎の面目が 躍如としている。幣原坦をはじめ河合弘民等、史家が『慕夏堂文集』を偽書と断定 したにもかかわらず、伝承を史実と混同しているからだ。 では、事実はどうだったのだろうか。司馬遼太郎は沙也可を「サヤカ」と読み、 「沙也門(サエモン)」に違いない、と想像を逞しくしている。ところが『慕夏堂文集』 では、沙也可の本姓を沙氏と称し、名を也可としているのだ。さらに、沙也可が 日本から懐中してきたと称する辛卯式戸籍には、次のように記されていた。 行小僕尹 沙也可古夫楽只二十一 父小射尹 益 祖大僕射尹 沃國 曽祖小射尹 <沃、シタ金> 外祖大公耶射尹 平秀<百百> 妻徐英娘古夫楽只二十 妻平正娘古夫楽只十八 だがこの戸籍の存在は、かえって沙也可が日本人でなかった証となる。当時の 日本に戸籍制度はなく、「辛卯式戸籍」の書式は朝鮮流そのものだからだ。それ に、沙氏は朝鮮の姓で、『宣祖実録」にも「沙火同なる者あり。我が国珍島の人 也」等と見えている。 出自が偽りなら、沙也可の事跡も偽作と疑ってよい。『慕夏堂文集』では、沙也可 の朝鮮上陸を宣祖25年4月13日としているが、加藤清正軍の釜山上陸は、4月17日 だったからだ。
>>380 > に、沙氏は朝鮮の姓で、『宣祖実録」にも「沙火同なる者あり。我が国珍島の人
> 也」等と見えている。
「沙也加」なる者は、朝鮮の珍島出身者だったようだ。
日本人だったというのは、例のごとく、朝鮮人の妄想でしたー。wwwwwwwwwwwwww
382 :
日本@名無史さん :2007/05/10(木) 07:11:27
それはウィキペディアに記載すべきだな。
383 :
日本@名無史さん :2007/05/12(土) 06:56:44
384 :
日本@名無史さん :2007/05/14(月) 13:52:21
385 :
日本@名無史さん :2007/05/14(月) 21:44:25
>384 くだらんな。最近、やたらとこういう香具師が沸いてくる。
386 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 10:47:30
秀吉は巨済、済州、鬱陵の3島支配に限定して軍事行動を起こしたほうがよかったかも。
387 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 13:31:11
済州島のみの占領にしぼっとけば、済州島が佐渡や隠岐みたいな日本の領土になってたかも。
388 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:28:57
犠牲者10万とか聞いたぞ? こいつの朝鮮侵略
侵略ではなく征伐あるいは出兵 だって中国や朝鮮側の歴史では元寇や応永の外寇あたりまで征伐扱いになっているんだから、公平に扱わないと
390 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:42:40
うるせーわ 侵略戦争だ 秀吉は帝国主義者だ 東条英機やブッシュと同じだ
391 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:43:56
>390 チョンが暴れておりますw
392 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:51:11
俺は日本人だっつーの 俺は豊臣オタが嫌いだからこき下ろす 8万人も朝鮮人の尊き命を奪っておいて英雄だ? どうかしてるよ この育ちの悪い貧乏人尊敬してる馬鹿信者
393 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 17:57:54
本願寺焼き討ちの信長、 大阪城丸焦がしの家康も当然批判するよな? 日本人なら。
394 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 18:07:06
信長は比叡山焼き討ちだったw
395 :
日本@名無史さん :2007/05/18(金) 18:27:07
済州島だけにターゲットを絞っとけば領土として確保できたのに。
396 :
日本@名無史さん :2007/05/19(土) 08:24:38
10万人も死んでねーよ。朝鮮人じゃあるまいし
397 :
日本@名無史さん :2007/05/19(土) 09:12:23
じゃあ、なんで済州島を確保しなかったの?
398 :
392 :2007/05/19(土) 09:56:20
>>393 批判しないっつーの
俺の中では日本人の命は尊くないから
どうかしてるよ 豊臣秀吉と伊藤博文尊敬してる馬鹿信者
下手すぎる釣りだな(´(ェ)`)
400 :
日本@名無史さん :2007/05/20(日) 16:15:08
朝鮮軍の戦死がたった八万なわけはないな。
401 :
日本@名無史さん :2007/05/20(日) 17:57:04
大口は済州を取ってから叩け。
402 :
日本@名無史さん :2007/05/20(日) 18:39:58
アクセス的に済州島は全羅道の奥だしな。
403 :
日本@名無史さん :2007/05/20(日) 23:21:42
"乱"というのは叛乱のことで、 国内の支配下にあったものが、従わないときに使う文字だと思うのだが。 壬辰倭乱でなく、壬辰倭寇・壬申外寇あたりではないかと。。。。 当時の日本は朝鮮の支配化ではなかったのだが。
シナの呼び名を使ってるんじゃないの?明からみれば日本の反乱行為だろうし。
405 :
日本@名無史さん :2007/05/21(月) 08:49:54
朝鮮と違って当時の日本は明の册封を受けていないから。
「自分たちは無条件で正しい、だから一方的攻撃だろうがオレらのは征伐・相手のは何だろうが乱」って程度のマンセー区分じゃないの?w
407 :
日本@名無史さん :2007/05/21(月) 19:23:08
文禄の役=第一次朝鮮征伐 慶長の役=第二次朝鮮征伐
408 :
日本@名無史さん :2007/05/21(月) 21:02:08
>>403 は正しい。
国対
国の戦争は「役」であり、侵略は「寇」。
「乱」は内乱を示す。つまり、朝鮮にとって当時の日本は、中華文明社会で
支配下にあるという認識。
409 :
日本@名無史さん :2007/05/21(月) 23:13:18
まあ、秀吉も明の臣下という自覚はあったと思うよ。
朝鮮って秀吉が侵略した頃から300年以上経過して日本に併合される頃まで 文明のレベル進化してたんだろうかね?
411 :
日本@名無史さん :2007/05/22(火) 21:54:06
秀吉のせい
412 :
日本@名無史さん :2007/05/23(水) 23:46:18
413 :
日本@名無史さん :2007/05/24(木) 00:15:22
まぁ昔、半島にあった国は日本国でしたからね。 天皇家の支配下にありましたからね。
414 :
日本@名無史さん :2007/05/24(木) 22:09:21
木下秀吉って李秀吉や朴秀吉に似てなくもない。
朝鮮出兵をひとつの戦争とすると目的を達成できなかったわけだから負けだよな それか戦争に引き分けがあるなら引き分けだと思う
416 :
日本@名無史さん :2007/05/28(月) 15:29:42
朝鮮は国土を取り返したが民衆は守れなかったんじゃあ。
朝鮮が民衆を見捨る作戦に出たからこそ戦争が長引いて秀吉の死というラッキーで 勝てたということになるんじゃないかな
418 :
日本@名無史さん :2007/05/28(月) 20:02:42
時間稼ぎは行長が戦犯
>>416 民衆自体が朝鮮に牙を向けたことがあったからな
>>417 朝鮮、明軍によって秀吉が死ぬまで沿岸の城で篭城を強いられた
豊臣側は篭城で攻めてくる敵を防ぐぐらいで自分から攻撃をしなかった
だから長引いた
421 :
日本@名無史さん :2007/05/29(火) 21:52:10
なんで日本側がやる気ないのに明や朝鮮は大打撃を受けたの?
422 :
日本@名無史さん :2007/05/30(水) 01:05:17
朝鮮も明も倒して 制服王朝になればよかったのに
古の同国人に比べてなんと寂しき太平人かな
424 :
日本@名無史さん :2007/06/05(火) 14:00:47
朝鮮人が愚民過ぎた。 もう少し目端が効くと思っていた。
>>421 慶長の役は明、朝鮮軍が篭城する豊臣軍を攻撃すると言うもので
文禄の役よりは明、朝鮮軍の被害は少なかった。
というか何で侵攻側の豊臣軍が上陸してすぐに湾岸の城に引っ込んだんだ?
最初の戦役で戦線が延びるの良くないと思ったからじゃないか
めんどいから。 やる気なし。 朝鮮なんか貧しいだけで切り取っても何の利益もないことが、文禄で体験的に分かっていた。 命令だから様子見で渡っただけ。 倭城に入れば戦で陥落することはないと踏んだ。事実陥落した倭城はなかった。
2回とも明を征服するための出兵だろ 近くに朝鮮があったからそこから攻め込んだだけで 朝鮮が目的ではない
明国まで遠いし、寒いし、良いことまるでなし。
430 :
日本@名無史さん :2007/06/07(木) 09:34:15
【朝鮮征伐】 秀吉の朝鮮出兵スレ4 【壬辰倭乱】 スレタイ変えろよ。 これで公平というもんだ。 アホか意図的な工作か>1
431 :
日本@名無史さん :2007/06/07(木) 09:51:14
複数の韓国人が書き込んでいるなあ、このスレ。
まず何より「朝鮮侵略戦争」と命名すべきだ 2回も行ったり来たりしてるし鼻そぎ命令してんだからさ!これは対外戦争ではない それよりこの朝鮮侵略が関が原で東軍に豊臣家臣を付かせてしまう 結果になったんだろう、他にも要因あると思うけど。天下奪われたのは秀吉自業自得だ 西軍自体関が原負けたの晩年の秀吉の愚行独裁のせいだと俺は思うんだけどな
433 :
日本@名無史さん :2007/06/12(火) 20:05:54
上垣外憲一「文禄・慶長の役」を読了したので、次の一冊を探しています 北島万次か、それとも「戦争の日本史」(中野等)で出るのを待つ、どっちがいいでしょう?
434 :
日本@名無史さん :2007/06/12(火) 20:39:26
436 :
日本@名無史さん :2007/06/13(水) 22:36:18
北島は完全に腐ってやがる。中野も韓国に迎合してへたれる予感。行間を嫁。
437 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 00:16:31
少なくとも医療の水準は当時の日本を遥かに凌駕していた。 明の医書をも凌ぐ東医宝鑑を集成して、完成目前だったし。 日本の狙いは、朝鮮の高い学問知識の吸収にもあったと言える。
438 :
3 :2007/06/16(土) 00:48:58
439 :
3 :2007/06/16(土) 00:51:12
つ医心方
440 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 01:14:48
医心方なんて古すぎて・・・。 万金を費やしても得がたき書といわれた体系書たる東医宝鑑とは比べようが無い。
>>437 それって世界不思議発見で韓国人学者が言っていたことでしょ?
何のソースも提示しないで妄想で言っていた印象しかないけど
442 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 23:23:33
>>441 日本が郷薬に目を向けるのは江戸期に入って本草学が萌芽してから。
それよりずっと前に、輸入の漢方薬に頼らず自国薬を使おうとする朝鮮医学の視点は新鮮であった。
兵力や武器の点では日本が遥かに立ち勝っていたかも知れないが、超大国明や後金と接していた朝鮮には文化水準では一歩も二歩も譲る。
443 :
日本@名無史さん :2007/06/18(月) 18:43:29
>>442 また印象操作かよ…
朝鮮の文化水準は20c初頭日本が領有したときに日本の10cレベルとありますが
どッからどう転んで朝鮮が優れていたになるんだw
歴史的に見ても唐が台頭してきたときに生まれた国家だぞ朝鮮も日本も
しかも朝鮮は中国と陸続きだから動乱に巻き込まれることも多くてあんまり発展してない
444 :
日本@名無史さん :2007/06/18(月) 21:50:50
445 :
日本@名無史さん :2007/06/18(月) 22:48:31
446 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 01:16:49
質問なんですけど織田信長が作ったとされる鉄甲船ってこのとき沈んじゃったんですかぁ?
447 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 18:55:40
>>445 東医宝鑑は1596年、宣祖期に内医局の御医たる許浚はじめ、楊礼寿・李命源らが中心となって編纂に着手。
戦乱での資料散逸等で刊行が1613年にずれ込む。
王命が下っていきなり医学集成書などできよう筈も無いので、臨床例や薬理学等の積み重ねはそれより以前からあったと考えるのが自然。
448 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 19:12:29
449 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 19:37:32
>>447 ていうか、探したら日本にもあるじゃん、医学書。
どうして日本の価値を認めたがらないの?
悔しいから?
つ福田方
何でそう朝鮮マンセーかね?
>>448 認めたくないからって何でもかんでも印象操作にするなよw
450 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 20:10:27
>>449 東医宝鑑のような大部のは無いだろ。当時の日本には。
少なくとも自力で編纂できるような医学的水準はなかったし、プロジェクトとして編纂しようとする企画自体なかったろ。
451 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 20:24:15
>>450 >東医宝鑑のような大部のは無いだろ。当時の日本には。
作ろうとしなかっただけ。
専制農業国家と同じにするな。
>少なくとも自力で編纂できるような医学的水準はなかったし
そんな医学水準に達していなかったのに、なぜ医学書が作られたの?
まあ、東医宝鑑なんて朝鮮の医学、西欧医学や漢方に及ぶべくも無いな。
452 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 21:06:31
>>451 ちょっと落ち着いて。
書き込む前に少し見直してください。意味が通じなくなってる。
453 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 21:22:01
>>451 >専制農業国家と同じにするな。
ここの事?
「朝鮮は専制農業国家であった。であるからこそ、(国家事業)を
容易に遂行できた。一方日本では日本全国遍く支配できる強力な政
権が平安から江戸に至るまで、長い期間存続せず、また医学書を製
作する意思が無かったから(国家事業としての医学書)は存在しな
かった。」
って言う意味なんだけど?
朝鮮の歴史知ってる?
それともここ?
>そんな医学水準に達していなかったのに、なぜ医学書が作られたの?
日本が「自力で医学書を製作できるほどの医学的知識・経験の蓄積がな
っていなかった」ならば、何故「民間の医学書」が存在するのか?
と言う意味だったんだけど?
ごめん、わからなかったんだ。
454 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 21:23:35
455 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 22:38:02
官撰の医学書が集成できるレベルと、民間の雑多な医学書が出来るレベル。 後者の類は当然朝鮮にもあった訳であり、その結果も踏まえて東医宝鑑が出来ている。 でなくて、体系的なものはできるはずも無いし。
456 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 00:51:39
>>455 >民間の雑多な医学書が出来るレベル。
それが「官撰」に劣るってわけでもないだろ?
日本は「官撰」を作るつもりがなかっただけで、「官撰医学書」
が無いからって、それが医学水準の高低に繋がるとはとても思え
ないな。
>後者の類は当然朝鮮にもあった訳であり、
その「当然」ってのは怪しいな。
一例出してみてよ。
時空関白に燃やし尽くされたってのは無しだよ?
中国でさえ大量に残ってるからね。
>体系的なものはできるはずも無いし。
つ察証辨治啓迪集
ちゃんと探せよ
既に世宗期に郷薬集成方などがあり、更に医林撮要などの独自の体系書も出来ていた。 日本では江戸の本草研究で本格化する郷薬研究が、朝鮮では数百年先に始まって一定の成果をあげていた。 かつ、臨床例の積み重ねや風土病の研究成果が大部の東医宝鑑になった。 漢方学を輸入するだけだった日本において、東医宝鑑は万金を積んでも得難い書となり、後に国内でも刊行された。
458 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 02:16:01
てゆうか その辺の医学が現代医学でどれほど効果が立証されてんの? そんな眉唾医学の有無で文化水準の優劣決めるなよ。
459 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 02:22:53
>>457 >世宗期に郷薬集成方
>医林撮要などの独自の体系書
俺の出した日本の「福田方」とかに相当するものだな。
民間の医学書かき集めただけなら、その気になりゃ日本でも
作ることはできたんじゃない?
>日本では江戸の本草研究で本格化する郷薬研究が
目指していた方向性が違ったからだろ。
中世は漢方志向。
それに、日本でも薬学書あるしね。
つ本草和名
また古いからって認めないつもりかな?
>臨床例の積み重ねや風土病の研究成果が
朝鮮の風土って日本と同じなのか?
ていうかさ、お前のその私見は良いから、日本の医学を認めたらどう?
>>458 悔しいから、屁理屈こねてるんだよ。
460 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 12:48:38
>>459 妄信的に日本が優れていると信仰するのも如何なものか・・・。
461 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 13:34:20
459って、無知だな。
462 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 18:47:33
>>460 >妄信的に日本が優れていると信仰するのも如何なものか・・・。
どこでそう書いたっけ?
>>461 無知に無知って言われたかないなw
それぞれの国の特色なんだから、どちらかが一方的に全ての分野で優れてるってありえないだろ 普通に朝鮮側からも使節に日本の文化学んで来いって命令が出ていて 日本の農業機械(灌漑用水車とか)を官で模型化しているぐらいだ 極端な優劣論に拘るから喧嘩になるんだよ 落ち着け
464 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 22:00:40
モチツケモチツケ
465 :
日本@名無史さん :2007/06/20(水) 22:48:49
<ヽ`∀´>倭人どもは再び韓半島を侵略しよーとしてるニダ!
日本は軍事に優れ、朝鮮は文化の爛熟があったということだな。
もう散々既出だろうけど、これって日明戦争だよね? 構図的には日露・日清とかなり近いと思うんだけど・・・ もちろん、近代における国家の成立とかは無視するとして
>>467 ロシアが関わっていないし、朝鮮や満州の権益がテーマでもない。
北(この当時では後金だな)の参加はもう少し後の話になる。
農業などの実学が軍事とはこれ如何に
当時は農学という概念は日本にもない。
朝鮮王朝が直接欲しがったほどだから、日本の農業設備はよっぽど優れてたんだろうね でも朝鮮では普及しなかった 町村レベルでの体制の差かね?
472 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 16:16:04
>>466 >朝鮮は文化の爛熟があったということだな。
その爛熟した文化があって、どうして今に残ってないの?
たかだか30年程度の弾圧で消えるような浅いものだったの?
朝鮮の文化は、ごく一部を除いて中国のコピー品だから、本家が健在な限り消滅はしないよ 中華とやや距離を置いていた日本ですら、文化の第一は江戸期まで中国風のものだったんだから
474 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 16:38:08
>>473 >文化の第一は江戸期まで中国風のものだったんだから
中国文化がもてはやされてたのは事実だけど、高度に「文化的」と
思われるものは、茶道とか源氏物語とかあったんじゃん?
475 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 00:47:26
まぁ、秀吉が出兵してまで手に入れたかったのが朝鮮だ。 大陸と陸路でつながり、豊富な鉱山資源、進んだ文化、物産を入手したかったのもむべなるかな。
476 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 01:12:26
>>475 >豊富な鉱山資源
開発されてなきゃ意味ないわな。
>進んだ文化、物産
その「進んだ」っていうのは、日本にするとAD1000年
位のものだが・・
まあ、「印刷術」と「陶磁器」という中国文化は価値あったけどね。
文化なんて巷間にウケなかったら意味なし。 ウケなかったのが印刷術。一応ウケたのが陶磁器。 まあ文化略奪とか抜かしているセンス最悪な連中に 見ておれる文化など、そうあるはずも無い。
478 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 06:01:52
>>475 唐入りという言葉もあるように、目的はあくまでその先
明、中国大陸だ
腐れ朝鮮など単なる入り口、出口のようなものでしかない
今も昔も存在感の皆無なストロー、両国の道具に過ぎない
479 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 08:09:35
別に明への通り道だった過ぎないって言えば良いだけなのに
なんでわざわざこきおろすかねw
そんなんだから
>>475 みたいなやつが喜んで何時までも居座る
大体、通り道を軽視するのは文化的にも軍事的にも好ましくない
個人的にアイデアだしたり創造したりより実用化、量産して物流の拠点たることが
国家国民の利益になると思うのでね
米国や戦後日本が得意としたのもそういうことだ
朝鮮半島を批判したいなら交流の港口として活性化していた時期が多くないとこにすべき
通り道となるべきなのに中国の脅威が大きすぎることもあり内向きになりすぎた
結果として軍事的には未だ意味があるものの、文化・物流にかんしては素通りして問題ない時代になってしまった
それは近代に軍事上の係争地になり、発展もできなかった原因の一つでもある
480 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 09:06:02
寝起きが悪かった、というのもあるが そのほうがスレが盛り上がるかと思ってさww にしてもだ、なかなか見識のあるレス乙
日本と朝鮮の決定的な差が二つ 一つは、日本は中華王朝と離れた政策を取っていた時期があり、いわゆる国風の文化が育った もう一つは、欧州勢力と接触することにより、中華以外にも濃い文明があることがわかり、そこから盛んに文物を摂取できたこと 日本・朝鮮ともに中国の文化に非常な影響を受けたが、朝鮮のようにハングルが始めて作られた時に「中国の文字以外を使うのは野蛮人だ」と言うような極端さは日本には無かった
既にエレクトロニクスや自動車では追い越されつつある。 両班が各所で庶民教育に当たっており、文化的素養は高かった。
483 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 20:09:44
>>482 >既にエレクトロニクスや自動車では追い越されつつある。
中核技術も持たないのに?
>両班が各所で庶民教育に当たっており、文化的素養は高かった。
両班が庶民教育行ってたら、変な民間治療も無かっただろうね。
大内氏が明に朝鮮をそのうち服従させるって手紙送ってるくらいだから 秀吉もその程度の認識だったんじゃないの。
485 :
日本@名無史さん :2007/06/23(土) 15:32:40
朝鮮は明に従属している国だから、討伐の道案内なんかしません それどころか、かの国特有の思想により外交仲介すら拒絶されました こういう事実を秀吉に伝えようとした者はおらんのかいな?
>>476 >豊富な鉱山資源
> 開発されてなきゃ意味ないわな。
当時の日本の鉱山資源は・・・・
銀は世界に流通、銅もこれより少し後に大量に流通。
ハッ! 時空太閤は21世紀を見越して、北朝鮮の余り採掘効率の良くないレアメタルを狙っていたのか!!
487 :
日本@名無史さん :2007/06/23(土) 19:12:16
>>486 古代大朝鮮帝国を滅ぼした外宇宙の邪神・時空関白ヒデヨシは、人類の
発展を防ぐために、北朝鮮のレアメタルを独占しようとしたんだよ!!
鉄鉱山はかなり開発されていて、秀吉らが触手を伸ばしたのもわかる。
朝鮮王朝がしばしば日本の物産を狙って侵略したのと一緒ですね 朝鮮側の攻撃は、元と連合した元寇を除いて宗氏のような一地方勢力に撃破される程度だったけど……
>>488 つ 室町時代、対明貿易での日本の輸出品
つ 朝鮮と日本の農具や大工道具、民具での鉄製品の種類と質の差
自分で調べてみようね
491 :
日本@名無史さん :2007/06/26(火) 08:00:36
日本の場合、良質の鉄鉱石があまり取れなかったために古代から鉄は輸入頼み ところが、これが思わぬ技術革新を生み出す 砂鉄等から良質の鉄を生み出す方法を日本人は編み出した 逆に日本の刀剣が大陸に輸出されるようになり、倭刀という模造品まで中国では作られる程になった 室町以前の古刀の製造技術が失われたのは、本当に残念なことだ 戦国期の激戦時代の鉄需要が殆ど賄われていたことを見るに、朝鮮の鉄にさほど魅力があったとも思えない 朝鮮の物産で当時目を引いたのはせいぜい焼き物ぐらいだろうが、これは必需品とは言い難いし
日本刀のルーツは朝鮮刀、とかほざく馬鹿って、なんで玉鋼が作られるようになったかも知らないわけだな。
製鉄法は大陸の方が進んでいた訳だが。
事実を無視しての大陸マンセー短レスは、単なる煽りなのかそれとも本気の無知なのか。どっちだ?w
496 :
日本@名無史さん :2007/06/28(木) 13:35:57
朝鮮民衆の大部分は、反日国策のために公然といえないけど実は秀吉に感謝している なぜなら、秀吉軍が来てくれたお陰で奴隷の名簿が焼かれて多くの者達が牛馬以下の扱いから解放されたからだ 中国の奴隷(奴隷に酒を買いにいけ、と命じたら「オレは墓守奴隷だから自分で言って来い」と主人が言い返されてすごすご酒買いにいった笑い話もあるぐらい、自由)に比べて朝鮮の奴隷階級の扱いは物凄く酷かった(李氏朝鮮が滅んで奴隷が解放されるまで続いた) 他にも日本の大名の幾人かは、「協力してくれた朝鮮人を残しておいたら酷い目に遭うだろう」といって朝鮮人を連れて帰ってくれて、武士に取り立ててくれた 日本人の降伏者は朝鮮では奴隷にされ、ずっと鎖でつながれていた(これは宣祖実録にはっきりと書いてある。だから沙也加は嘘で、あれは有名な先祖を捏造して恩典が欲しい恥知らずが作った話)
497 :
日本@名無史さん :2007/06/28(木) 13:49:01
じゃあなんで日本刀を輸入するのよ
中国の奴隷は、むしろ現代のほうが悲惨 共産党幹部の息子が工場で無理矢理働かせていた人たちなんか、それこそ中世の鉱山奴隷もかくやという扱い
薩摩に養蜂技術が持ち込まれたし、朱子学も渡来した。 出兵がもらたした学問技術は後の日本に大きな影響を与えた。
>>499 朱子学は建武の新政時には入ってますよ。
ですから藤原惺窩は相国寺で既に朱子学学んでいます。
李舜臣に見捨てられた形で捕虜になった姜の惺窩への影響は否定はしませんがね、
李退渓や李栗谷が日本の朱子学で主流になったわけでもなく。
日本儒学の影響で考えるなら鄭成功の元から亡命して来た朱舜水の方が大きいでしょ。
無知短レスの大陸マンセー厨またも瞬殺w
502 :
日本@名無史さん :2007/06/29(金) 11:51:32
>>500 大科に合格した官僚が伝えた朱子学と、単なる亡命学者との差は無視?
無視? と聞く前に、そういう点が評価されて重用されたんだぞって証拠出せば良いのに 反日短レス君は本当にゴミだなw
まあ朝鮮人は万年奴隷で良いんじゃね? 侵略されるしか脳がないんだもんなあwwwザコどもがww
中国は民族の掃き溜め。 朝鮮は、その中国のゴミ捨て場。 日本は掃き溜めからも使えるものを探し、ゴミ捨て場からも使えるものを探す。 日本は使えるものは何でも使って再利用する。
506 :
日本@名無史さん :2007/06/30(土) 13:52:41
つうか朝鮮全軍は明軍の指揮下に入ってたんだから 属国だったんだから宗主国様の臣下に国王以下がひれ伏したんだから 日本対明であったんだよ、実質は 朝鮮軍は明の一支隊程度に過ぎない、史実では
なら、その一支隊に、軍旅を整えた、しかも銃器も豊富な日本軍が敗北した訳か。
日明戦争。
509 :
日本@名無史さん :2007/06/30(土) 17:10:37
>>507 一支隊はものすごく弱くて、簡単に撃破されたけど、数だけ多い本隊が
来たからねえ・・
510 :
日本@名無史さん :2007/06/30(土) 17:22:21
>>502 朱舜水は小中華でなく、本場の中華(明)で科挙に及第してますよ。
それも俊才として高名でしたよ。
ただ官には、何度誘われても就かなかったんですけどね。
で、貴方の立場として話すなら、姜の李退渓は惺窩-林羅山に継承され、
官学となった林派で李退渓はテキストとしては使われていました。
しかし内容で見ると、惺窩の段階から朝鮮性理学とは一線を画しているんですけどね。
>>511 一線とはあなたにしか分からないような違いでしょうか?
513 :
日本@名無史さん :2007/06/30(土) 21:19:03
もし、豊臣秀吉太閤殿下が朝鮮征伐に徳川軍、上杉軍、前田軍などを 派兵させてたらどー成ってたかな?
>>512 理気学だけに拘泥する事もなく、朱子学原理主義に傾く事もなく。
陽明学への扱いだけでも李退渓学派といは違いますよ。
学派で泥沼の政争をする風も、日本では縁遠いものですしね。
そして江戸中期以降は、李退渓、殆ど扱われる事もなかったと思います(ここらへんは記憶に自信なし)。
515 :
日本@名無史さん :2007/07/01(日) 02:36:12
>>513 兵站が貧弱だし、朝鮮で大軍を維持させることは当時の日本には不可能。
第一無事に渡海させるだけの能力は無いでしょう。造船技術は然程高いものでもないし。
大軍を九州まで来させると、秀吉版本能寺もありえたし、各所で一揆頻発。
しかし、元寇のように、多くの兵を派兵先で自壊させ、大大名の力を削ぐという方法もありかと。
516 :
日本@名無史さん :2007/07/01(日) 02:56:49
>>513 もともと秀吉には朝鮮出兵で東日本の兵を使う構想は無かったみたいだよ。
九州征伐で博多に来たときに、対島津戦争をしながら
対岸の朝鮮に明遠征の事や日本へ服従するように働きかけたり、征明の軍勢の準備なんかを始めている。
この時、関東・東北は秀吉に不服従。
たまたま北条が真田へ侵略戦争を開始したので
22万の軍勢を関東へ派兵することになったけど、北条さえ動かなければ
純粋な西日本勢力だけで戦争を開始していたと思う。
>>513 上杉景勝は 短期間ながら朝鮮渡海を果たしているよ。
もともと渡海9軍団含めて全国を21軍団に編成して軍令を発している
ところから見ても入明を達成以降、戦線が拡大すれば後続も発せられると
考えるべきじゃないかな。
518 :
日本@名無史さん :2007/07/01(日) 21:40:13
渡海を果たした大名は大陸文化を持ち帰り、のちの雄藩への基を築いたね。
馴れ馴れしく話しかけるなボケ それに、朝鮮出兵時に持ち帰った大陸文化って陶磁器だけじゃねえか
520 :
日本@名無史さん :2007/07/01(日) 22:43:36
>>518 ハテ?徳川は渡海してないが・・・
そうか!チョンに汚染されて力を弱めたのか!
521 :
日本@名無史さん :2007/07/02(月) 00:20:14
茶の湯にも渡海以後は朝鮮様式の影響が出てるし、陶磁器だけというのは暴論。 陶磁器にしても、後の各所の焼き物に多大な影響を与え、巨富を生み出してるしね。
522 :
日本@名無史さん :2007/07/02(月) 00:29:44
朝鮮式の茶の湯てどんなの?
523 :
日本@名無史さん :2007/07/02(月) 06:59:28
支那・チョン→日本列島 『美しい神州(大日本)への憧れ・太平洋への憧れ』 日本列島→支那・チョン 『広大な大陸への憧れ』
大陸マンセー君は自分の妄想だけ吐き出して、証拠や根拠は一切示さないから困る
525 :
日本@名無史さん :2007/07/02(月) 13:48:59
明軍がどれだけ朝鮮軍より偉かったかといえば ある戦で負けた時、「朝鮮の陣営から内応者が出たから負けたんだ」と責任転嫁。朝鮮軍側、反論すら許されず只管平謝り また、明の兵士は行く先々で勝手に朝鮮人の婦女を妻にして攫っていった。朝鮮側はそれを制止できなかった まぁ明軍からすれば「敵を討ったら半数が朝鮮民衆だった」という有様に、腹に据えかねてたのかもしれんが オレたちゃ対日援軍なのか、それとも内乱鎮圧軍なのかと
526 :
日本@名無史さん :2007/07/02(月) 14:51:31
持ち帰ったのは陶器・陶工だけじゃないよ。 梅毒を持ち帰った大名も多い。
527 :
秀吉 :2007/07/03(火) 00:42:41
九州大学の松原研究室の研究では文禄の役での死者・行方不明者7万5千人
528 :
日本@名無史さん :2007/07/03(火) 01:02:18
もし、秀吉の朝鮮征伐で任那が奪回出来てたら誰の領地に成ってたんだろ?
>>521 朝鮮様式なるものに興味が湧くなw
朝鮮征伐は、高麗井戸茶碗(だけ)を評価した千利休の没後だから、
織部あたりに影響があると言いたいのかな。
織部流の何処に朝鮮様式があるのかkwsk。
作法に朝鮮様式?茶室に朝鮮様式?
陶磁器が金になるようになったのは中国の染付け技術が伝わってからだね。
それも酒井田柿右衛門から飛躍的に。
柿右衛門は本場の中国にまで影響与えたけど、
ウリナラの誇らしい磁器は、日本に連行(笑)されるまで、
ナジェ宗主国様への影響がなかったのだろう(棒読み
530 :
日本@名無史さん :2007/07/03(火) 19:28:13
531 :
日本@名無史さん :2007/07/03(火) 19:30:23
>>530 ソースを出さないで相手にソースを要求するのはどうかと思うよ
532 :
日本@名無史さん :2007/07/03(火) 19:51:58
アホだな、勝手に半分死んだと仮定して動員数の半分が死んだと推算したのが七万五千の死者だろ? 出陣前の動員命令数と開戦一年後の前線兵員数を引き算して何がやりたいのかと、半万年問い正したい。 初年の島津なんか命令数の八割ぐらしか動員できていないし、補給輸送要員因や後方控置の部隊は無視か?
533 :
日本@名無史さん :2007/07/03(火) 20:39:43
部隊損耗率には傷病者・捕虜・脱走者・etcも含むからな。 全部死者・行方不明者にしちゃいかんだろ。
>>528 任那の位置を慶尚道と全羅道とすると文禄の役の時点で、その制圧は、
毛利輝元と小早川隆景の分担だったから、占領地を与えられた可能性は
高いんじゃないかな。
小西、加藤あたりじゃないか
文禄の役が始まって快進撃してた時は秀吉が小西・加藤に明国内に領土を与えるって言ってたし、その代換として 全羅道・・・小西行長 慶尚道・・・加藤清正 文禄・慶長の両役を通じて小西・加藤は常に最先鋒だったし、 慶長の役後半で倭城に篭ってるときも小西が一番西の全羅道順天で、加藤が慶尚道一番東の蔚山、 いわば両者は最前線にいたし、実際攻撃を受けた。 両者が最前線にいるのは日本側の基本フォーメーションじゃないかと。 仮に領土が譲渡される形で講和が成立したとしても、 緊張状態は続くだろうから臨戦態勢で基本フォーメーションが続く形で 小西・加藤を最前線に貼り付けとくんじゃないか。
日本にとって韓国は文化の全てを教えて貰った有りがたい国のなのです。 その韓国への卑劣な侵略行為に対する反省と謝罪の意思がここの人達には感じられません。 北朝鮮の核問題解決のためにもアジアと連携しなければならないこの時に、これではアジアから孤立します。 また、東アジア共同体創設のためにもアジアとの連携は欠かせません。 そのためにはアジアに対して侵略に対する反省と謝罪の意思を表明し許しを請うことが先決なのです。
>>537 講和で朝鮮南部を得ても、そこからの利益は搾取しても大して期待できないし、
相応の軍を残留するなら出費も多いだろうし、
足軽から大名まで、経済的理由から精神的な理由で、故郷や本領に戻りたいだろうし、
明治の頃の様に、日本の国防上どうしても確保しなければならないわけでもないし、
誰の領地になっていても、秀吉が死んだら、さっさと放棄するかも。
朝鮮式貧国弱兵による国防は、ある意味無敵。
540 :
日本@名無史さん :2007/07/04(水) 07:03:47
自治能力が無く無知蒙昧の朝鮮人を統治教育することは負担ばかり大きくて成果に見合わないことは歴史が何度も証明している。 奴らはどんな努力も常に台無しにしやがるんだ。
朝鮮人は外国へ行きたがって帰らないのはこの時代からの特徴 徳川幕府が朝鮮帰国を進めたら、殆どの人間が日本にいたいですって 工人は朝鮮特有の酷い扱いを受ける下層民が多かった背景もあるだろうけどね
542 :
日本@名無史さん :2007/07/04(水) 20:31:11
本当の厄介だな
543 :
日本@名無史さん :2007/07/04(水) 21:30:39
中韓北朝鮮は、あまりにもデタラメだらけだね。 今は誤魔化しだけでいいけど、将来はどうする気だ? 子孫に重いツケを回すことになる。
544 :
日本@名無史さん :2007/07/04(水) 22:41:39
その後の建築様式では、茶室のにじり口に朝鮮様式の表れがあるし、朝鮮出兵が齎した文化は大きい。
545 :
日本@名無史さん :2007/07/04(水) 23:00:36
>>544 そういや、秀吉の残したトウガラシは、朝鮮唯一の名産物に
使われるようになったね。
>>544 それね、利休が朝鮮民家の影響を受けたと言う中村利則教授の説で、今は疑問視されている。
まず、文禄慶長の役で文化の伝播があったと言うアンタの間違いは、
上にも出ているが、利休は文禄の役の前に「 死 ん で い る 」事で間違い。
時系列くらい考えような。
仮に利休が影響を受けたとしても、それは利休好みの「粗末な民家」だから。
その無作為に、詫び寂びを感じたのであって、これは同じ利休好みの井戸茶碗もそうだが、
あの曲がった柱剥き出しの朝鮮民家が、技術的に素晴らしいからではない。
そして、中村説は、
>朝鮮半島の民家では、今でも直接外から入る二畳くらいの土壁を塗りまわした部屋が見られる。
>そうした家に住む渡来人も少なくなかっただろう。楽茶碗を作った長次郎も、
>朝鮮からの渡来人だったのである
と利休が渡来人から影響を受けて発明したとされているが、
利休以前の茶室の古絵図にも、にじり口の原型となるものがある事で崩れてしまっている。
548 :
日本@名無史さん :2007/07/06(金) 00:10:11
なんで学者はなんでもかんでも朝鮮由来にしたがるのか?! そこんとこが全く分からない。 イデオロギーに毒されてるんじゃないの?
549 :
日本@名無史さん :2007/07/06(金) 00:44:06
550 :
秀吉 :2007/07/06(金) 01:01:45
551 :
秀吉 :2007/07/06(金) 01:03:30
552 :
秀吉 :2007/07/06(金) 01:05:29
553 :
秀吉 :2007/07/06(金) 01:06:18
554 :
秀吉 :2007/07/06(金) 01:10:27
555 :
日本@名無史さん :2007/07/06(金) 01:30:46
もし、朝鮮征伐が成功してて、任那領地が回復してたら 任那領地と李氏朝鮮との国境に万里の長城みたいなのを作っていたのかな?
>>548 結論を先に持ってきて理由を後でくっつけるツマラナイ方法で
身過ぎ世過ぎをしようとしているからだね。
こと朝鮮ルーツに関する「学問」領域はその手が多い。
557 :
日本@名無史さん :2007/07/06(金) 08:12:26
朝鮮では本当のことを言っても民族感情を害すると袋叩きだから仕方無い 外国人の学者でも取材ができなくなったりとか、そのあたりに関しては中共並のやり口が未だに罷り通ってるから 曲学阿世の輩を無くせ、というほうが無理な状況
558 :
日本@名無史さん :2007/07/15(日) 14:36:15
北島万次は史学徒のクズだな。
559 :
日本@名無史さん :2007/07/20(金) 09:38:03
クズですが何か?
560 :
日本@名無史さん :2007/07/22(日) 11:51:02
日本は封建制のまま外征したからな 基本的に装備兵站は自弁に近い 働き手を取られた本国では借財が膨らみ、妻子は飢えるとなったらやる気も削げるだろう 対外戦争を継続的にやるのなら、やっぱり中国式の皇帝制度とかにしないと駄目だ
561 :
日本@名無史さん :2007/07/24(火) 18:25:08
なんでだ?
562 :
日本@名無史さん :2007/07/25(水) 12:34:53
当時、朝鮮の精兵は女真に対する数千が北にいたに過ぎなかった。 そして、朝鮮ではいつもながらの内部での権力争い。 一時的に軍事的な制圧は可能であっても、長期的に見たらどうだったろう。 多くの武将は出兵に反対していたしね。 おまけに半島、大陸に関する知識が少なすぎた。 歴史に「もし」を持ち出してはいけないんだろうけど。
563 :
日本@名無史さん :2007/07/25(水) 13:08:17
>>562 >一時的に軍事的な制圧は可能であっても、長期的に見たらどうだったろう。
明軍が来なかったら、そのまま領土化してたな。
秀吉が死ななかったら、そのまま泥沼の戦争が続いていただろう。
564 :
日本@名無史さん :2007/07/25(水) 17:58:44
ソウルと平壌が早々と陥落して、満鮮国境の豆満江沿岸の会寧まで 進出したんだしね。
明側の記録だと、日本側の半数近くが朝鮮人だった頃もあったそうだ 外国を征服するには現地人を取り込むのが不可欠 だけど外戦経験の浅い日本にはそのノウハウが無かったからなぁ
>>565 近代つうか、WW2以降を除けば、
現地民を取り込むなんて七面倒な事をせず、
敵を問答無用で蒙古(根切り)式に徹底的に殲滅、
そこに異民族(華僑?)の中間層を置いて、西欧植民地式(蒙古式)統治もあるだろうが、
プランテーションを経営するにしても、亜熱帯/熱帯でないから商品価値がある作物なんてないし、
当時のフィリピンやインドネシアより利益を生まない土地だから。
そう考えると、モンゴルや女真が反抗の意思を表明できないくらいに叩きのめして、
属国の地位のままにすると言うのは、あの国の処理方法としては正解なんだよなあ。
567 :
日本@名無史さん :2007/07/27(金) 08:52:58
>>566 モンゴルは、漢人軍閥を多数厚遇して味方につけたし
女真も呉三桂をはじめとした明軍部隊を寝返らせた
彼らは高級幹部、場合によっては王にまでなった(清のほうは後粛清されたが)
>>565 >明側の記録だと、日本側の半数近くが朝鮮人だった頃もあったそうだ
現地人を取り込んでるじゃないか。
雑多な連中を取り込んだだけで、力のありそうな軍閥とかは取り込めなかったってことだろ
570 :
日本@名無史さん :2007/07/28(土) 15:23:54
北島の本を読むよう勧められたんだけど、この人歴史家業以外に変な政治活動とかイデオロギー活動とかやってる人なの?
秀吉軍は奴隷身分のような低い身分の連中を解放していった。 これは、有力な連中からしてみれば既得権益を犯されてるわけで そういった有力な連中は抵抗するのは必然といえるが、 代わりに低い身分の連中を多く味方に組み込むことには成功している。
>>571 それはなんて言う史書のどの章に出てるの?
秀吉軍は虐げられた朝鮮民衆の解放軍として迎え入れられた。 多数の朝鮮民衆が倭軍(秀吉軍)に従軍した。 平壌の役で、明軍が斬ったのは、「首級半ば皆朝鮮の民」だった。 「人心怨叛し、倭と同心」 「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」 『宣祖実録』 「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」 『鶴峯集』金誠一 日本軍は朝鮮上陸後わずか二十日間で首都漢城を占領した。 快進撃の背景には日本軍を解放軍として迎えた朝鮮民衆の支援もあったのだ。 『秀吉が勝てなかった朝鮮武将』貫井正之 景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、 「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ。 李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。 それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。 ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。 それが歴史の史実だ。 『龍を気取る中国 虎の威を借る韓国』黄文雄
574 :
日本@名無史さん :2007/08/01(水) 10:02:59
あげ
加藤清正が唐辛子を置いてこなかったらどうなっていたのだろう
576 :
日本@名無史さん :2007/08/03(金) 22:45:42
577 :
日本@名無史さん :2007/08/03(金) 22:50:36
なんという誤爆。 一目見ただけで殺意を感じた。 これを書き込んだヤツは間違いなくアフォ。
578 :
576 :2007/08/03(金) 23:04:58
唐辛子を置いてこなかったらどうなったのだろうと言う私の質問がする-されました
>>579 焼肉屋の献立がトウガラシ辛くなくなるだけです。
トウガラシ渡来以前からどうかしているミンジョクであることを忘れてはいけません。
581 :
日本@名無史さん :2007/08/06(月) 07:03:10
日韓漬けかよ
日辛子、または和辛子という
583 :
こきんたま国家主席 :2007/08/07(火) 13:04:27
朝鮮半島を早く中国に返還しなさい!!
584 :
日本@名無史さん :2007/08/07(火) 21:30:37
どうせなら、後金と南北挟み撃ち作戦をやってみて欲しかった。 朝鮮平定後は、日本・金との連合軍で明を攻略。
585 :
日本@名無史さん :2007/08/09(木) 08:57:24
むしろ撤退したから秀頼政権が潰れたんであって、継戦していたら豊臣政権も安泰だったのでは?
586 :
日本@名無史さん :2007/08/09(木) 14:16:09
家康だけ派遣してほかの大名は引き上げさせたらよかった。
587 :
日本@名無史さん :2007/08/09(木) 20:36:01
家康は出ないだろ? 出たとして秀康か秀忠。 これはこれで実力拝見したい。
588 :
日本@名無史さん :2007/08/10(金) 02:40:26
家康に秀吉の命令に逆らう権利はない。
逆だろ秀吉は代償なしでは家康を好き勝手にできない 転封のために250万石与えたのは酔狂ではなく 秀吉は家康に転封を受け入れてもらうにはそれくらいの大領を与えざるを得なかったということ
というか、秀吉としては本気で中国を制圧つもりだったわけで、 そんな戦場に家康を送ってこれ以上勢力を拡大されては困るから、 少なくとも先陣として家康を送り込むことはありえない。
>そんな戦場に家康を送ってこれ以上勢力を拡大されては困るから、 家康だけでそんなこと無理だろ。
もし、家康だけでは無理だと思ったとしたらなおさら家康だけ送るなんて事はしない。 なにしろ、秀吉は本気で中国とかまで征服するつもりだったから、 無理なことをして戦力を無駄にするのは戦略上不利になるだけだから。 それにそもそもの中国征服計画の非現実さを考えたら、 少なくとも朝鮮半島くらいは家康だけでどうにかなると思ったかもしれない。 どっちみち秀吉が本気だった時点で、 唐入りを家康の勢力を削る為に利用するという発想にはならない。
593 :
名無し :2007/08/12(日) 10:49:30
中国征服計画は失敗したけど、それが非現実的だとは思わない。なぜなら秀吉の 300年前に中国征服どころか世界の半分を征服した国があったからだ。有名な チンギス・ハーンのモンゴル帝国だ。この当時のモンゴルは人口100万に過ぎ なかった。そして遠征での最大動員兵力は10万、これに対して秀吉当時の日本 の総人口は1千万、最大動員兵力は30万、作戦次第では中国征服は可能だった と思う。さらに秀吉の朝鮮出兵から100年後、満州族が中国征服に成功した。 この当時の満州族の人口は10万、動員兵力1万それで中国を征服した。もっと も日本の中国征服は失敗した方がよかったかもしれない。それは中国征服に成功 した満州族が今どんな運命に陥っているか見ればわかる。満州という国は中国の 一部となり満州族はもはや自分たちの文字も言葉も忘れてしまい完全に中国人に 同化している。日本もそうなっていたかも・・・・・
その理屈で言ったら、 5000万からの人口を持っていた漢の時代の中国が、 とっくの昔に世界征服できていたはずってことになってしまうが。
女真族部隊の編成なんてスレ違いなんだろうけど、八旗はおよそ1グサ 7500人編成だから、動員1万人なんて過小評価もいいとこだよ。
596 :
名無し :2007/08/12(日) 19:36:05
>>594 漢は当時歩兵で遠征可能な範囲の農業地帯をすべて征服した大帝国だった。
異民族も朝鮮半島、南部諸族(チワン族、ミャオ族、トン族)ベトナムも征服
非征服地は狩猟採集民、遊牧民の土地かヒマラヤ山脈の向こうのインド、砂漠
を越えたアラブそしてヨーロッパのみ、いずれも征服するだけの価値がないか
歩兵での移動自体が不可能な土地
597 :
日本@名無史さん :2007/08/12(日) 19:41:36
598 :
名無し :2007/08/12(日) 19:44:09
>>595 そうなんだ、 知らなかった。 勉強不足を反省
>>596 それだと、遊牧民族のモンゴルなら人口100万軍10万で世界の半分を征服できたが、
歩兵の軍隊では5000万の人口を要しても漢くらいが限界、
モンゴルほどの征服できないってことを示していることになるのだがそれで良いかい?
あなたは、
>>593 で遊牧民族のモンゴルや半農半猟民の満州族といった、
騎兵主体の軍隊と歩兵主体の日本軍をいっしょくたにして語っているわけだが。
600 :
日本@名無史さん :2007/08/12(日) 23:36:49
沙也加って、女じゃないのか? サーヤとか読むんだよ。
>>596 わざわざ「歩兵で」と限定しているのだから、歩兵中心の軍隊と、
騎馬民族の軍隊とでは性質が違うってことは分かっているわけだよね?
それが分かっているのになぜ
>>593 のような書込みになるの?
602 :
日本@名無史さん :2007/08/15(水) 01:23:41
圧倒的な軍事テクノロジーの差があれば、わずか180人でインカ帝国を征服したピサロ や、圧倒的な機動力を誇ったモンゴル軍のように小が大を征服することは不可能ではない。 確かに、長銃の性能や量、それを活用した戦術は一歩進んでいるかもしれないが、 明を簡単に倒す程ではないだろう。 満州族が中国を征服できたのは、明が倒れ内乱状態だったのと、呉三桂らの漢族の協力があったから。
ああ、朝鮮出兵系のスレではよく見かけるな 「清が明を滅ぼしたのに」って奴 明を滅ぼしたのは李自成だっつーの
604 :
日本@名無史さん :2007/08/15(水) 17:37:13
その李自成を粉砕した清
605 :
日本@名無史さん :2007/08/17(金) 20:29:59
清は二重三重に漁夫の利じゃん
606 :
日本@名無史さん :2007/08/17(金) 20:38:00
スレタイに壬辰倭乱を用いる意味は何なのだろうか 韓国朝鮮で使われているのをやめよとは言わないが ここは日本のサイトではないのか 釣り合いをとるために征伐の字を入れろとも言わない 両論併記のようにすれば理知的なのだろうか この場合の両論とは・・・・・・ ウヨ・サヨではないと思えるのだが
607 :
日本@名無史さん :2007/08/17(金) 21:00:17
文禄慶長に出兵まで書いてあるのに不満か?
608 :
日本@名無史さん :2007/08/18(土) 13:34:04
609 :
日本@名無史さん :2007/08/18(土) 20:44:46
いいよ
610 :
日本@名無史さん :2007/08/19(日) 02:57:44
>606 じゃあ日明戦争とか?
朝鮮征伐でいいんじゃない? 倭乱という日本蔑視の名を使っているのなら、それでバランスが取れる
612 :
日本@名無史さん :2007/08/19(日) 13:19:54
Japan-China-Korean War
613 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 13:40:57
日本と明の朝鮮半島における戦争
614 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 00:34:42
日明戦争が一番無難だろう
朝鮮は無力 明軍が押し戻した 舞台は朝鮮だが日明戦争
616 :
日本@名無史さん :2007/08/27(月) 19:39:01
そんな、まるで押し戻したかのような
617 :
日本@名無史さん :2007/08/27(月) 20:43:42
朝鮮半島は常時半焦土、戦時大焦土の汚れた大地。 百万単位が飢えて治安崩壊した土地に何万注ぎ込んでも得るものはない。
>>616 日本軍は押し戻されたというよりも、兵站が切れて引き下がったって感じだからね。
しかし明軍が来なければそれでも引き下がる必要すらなかっただろうから、
日明戦争って言い方は的を射ていると思う。
日明戦争か、なるほど
620 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 09:40:03
明が来なければ戦争にならない。
621 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:24:27
明がこなければ今頃はハングルが消滅していただろう。
しかし何だね。 秀吉軍の中で、真面目に朝鮮半島内の所領を貰おうって大名はいたのかな。
623 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 21:19:07
>>618 普通、それを押し戻されたというのだが・・・。
明が来てくれなかったら、日本国内に朝鮮人の大量流入もあったわけか。 ありがとう、明軍のおじちゃんたち。
625 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 20:20:49
いたよ、鍋島とか。
626 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 22:19:40
日名:「朝鮮征伐」「征韓出兵」 韓名:「倭乱」 公式名:「日明戰争」
627 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 23:01:06
朝鮮経由で行かずにさ ちゃんとスペインが外航できる船用意してくれてさ 直接明に乗り込んでたらさ 相当歴史変わってたよな・・・ あの時代の戦力差からいって北京は攻め落とせたと思う それなら秀吉も英雄としてちょっとは世界的にも評価されてたかも 異民族で中原の首都陥落させたのってフビライ以来だろ
いや、どう考えても当時のスペインが、 10万以上の軍を輸送できるだけの船を東アジアで用意するのは不可能だと思うが。
‖ /⌒ヽ ‖ √.李. ̄ヘ ぐわあ! ○ /<`田´;;>ヽ ζ。//。ζ ‖\ ⌒巛巛 ⌒ゝ '∵;'””,,;' ミ 皿ゞ;;彡'∵;'””,,;' '∵;'””,,;''∵;'””,,;' ズキューン .'∵;'””,,;' ゝvv| /;;;;;;∧;;;;;\ ┣===ユ┳=======~~ / ̄ |vvv| ̄ ̄\ ̄ ̄ ̄ ̄ ──── __ ∩∧_∧∩ .. . ‖==|vvv.|==‖========== \ ( ´∀`)しつこいなもー .. ‖==ヽvv |==‖===========‖ ( 島津 ) ‖◎ ‖■‖◎ ‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖◎‖ ============= ==================== \::::::::/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ \:::::::::::::::::::::::::::::/:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\:::::::\::/ 〜从〜〜〜〜从〜〜〜〜从从从〜〜〜〜〜从从从从从从从从从〜从从〜从从从〜〜〜
630 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 22:35:04
chronological list of naval fleet battles
1592
May 29 Sacheon - Koreans defeat Japanese
August 14 Hansan Island - Korean navy defeats Japanese fleet in the bay of Hansan island, sinking 59 out of 73 with ironclad turtle ships
November 1 Busan - Koreans defeat Japanese
1595 about late June - Maltese vs Bizertans (details)
1595-96 - Spanish defeat English raiding/invasion expeditions of the Spanish Main led by Drake and Hawkins
1597
July 15 or August 28 Chilchonryang - Japanese defeat Koreans
October 26 Myeongnyang - 13 Korean ships under Admiral Yi Sun-shin destroys Japanese fleet of 133 ships
- Bizertans vs Genoese and Romans
- Spanish defeat English in the Azores Islands Expedition
1598 - December 16 Noryang Point - Koreans and Chinese defeat Japanese
http://www.nationmaster.com/encyclopedia/List-of-naval-battles
631 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 23:00:22
>627 >異民族で中原の首都陥落させたのってフビライ以来だろ 北京は中原ではない。 その他は同意。 井原元彦はイエズス会がちんけな船を持ってきたから、 秀吉は明への上陸をあきらめ、 禁教令をだし、半島へ上陸した ようなことを書いていた。
632 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 23:02:20
>628 また、井沢ねたで申し訳ないが、秀吉があきらめたのは 輸送できる量ではなくて、外洋を航行できる性能がなかったからだそうだ。
633 :
日本@名無史さん :2007/09/04(火) 21:59:19
そんな金も無いしね。
それでもまだ大陸進出をやろうって、何故かねぇ。 果てしない夢という奴だったんだろうか。
635 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 02:35:02
夢と言うか、暇つぶし。
636 :
日本@名無史さん :2007/09/08(土) 23:17:20
じじいに力持たせるとろくな事にならねえな
637 :
日本@名無史さん :2007/09/09(日) 17:49:21
奥羽が降参したのだから、近い順で普通に朝鮮を攻めたんだろ。 常識で考えて見りゃ日本と明の中間にある朝鮮が規模からしてあんなに愚かで貧しく餓えた国民を大量に抱えているとは思わなかったんだろ? 戦前や今でも韓国に幻想抱いている奴はいるじゃん。
攻めたのは明 朝鮮はついで
明に入れもしなかったから敗北
チョンを皆殺しにしとけば良かったのに
641 :
日本@名無史さん :2007/09/14(金) 20:38:06
戦争指導をしてたのは朝鮮じゃなくて明の派遣した文官の経略?
642 :
日本@名無史さん :2007/09/19(水) 14:07:38
どっちか
>639 明に入ったのは民間人だからね。勝ちも負けもない。 しかも日本人は10のうち1。 後は支那の人か朝鮮の人。
長城で防がれるんじゃないの?黒龍江越えたとしてもさ
俺の地元・熊本県には秀吉の朝鮮出兵の時に加藤清正公(俺達熊本県民はこう呼んでいる)に従って肥後熊本に来た「金官さん」と日遙上人(本妙寺3代住職)がいる
646 :
645 :2007/10/06(土) 23:43:20
「朝鮮から熊本に来た」とするべきだった すまん
止めやがっててめぇ!!
648 :
日本@名無史さん :2007/10/14(日) 09:16:01
まあ、秀吉も明の臣下って自覚はあったけどね。
ないよ!秀吉はそんなもの分かりよくないよ!
650 :
日本@名無史さん :2007/10/22(月) 20:51:07
沈惟敬が天皇を殺して王になれと唆したが、秀吉は拒否したんだ。
651 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 19:51:53
2007熊本城築城400周年祭
築城400年を迎える熊本城を中心に、熊本の魅力をアピールするイベント。
平成19年1月から平成20年5月まで開催。
熊本市と蔚山市が設置した実行委員会が主催。
公式WEBサイト
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/400/ 熊本市のイベントに何故か蔚山市が協賛。
そのイベントの一つとして、コンサートを実施したところ....
http://www.chosunonline.com/article/20071025000017 400年ぶりに和解した蔚山市と熊本市
蔚山広域市と熊本市は24日、「400年間の宿怨」をぬぐい、手を取り合って
和解と友情を誓った。両市はこの日、熊本市内にある熊本城の竹の丸特設
ステージで「友情コンサート」を行い、「永遠の友人」になることを誓い合った。
この日の歴史的な和解のため、蔚山市は23日に蔚山市議会・商工会議所・
文化芸術界・地元メディアの有力者ら計60人以上からなる大規模な親善
使節団を結成、熊本市を訪れた。
蔚山と熊本の悲しい歴史は、約400年前の丁酉再乱(慶長の役)で、日本軍
を率いる加藤清正が蔚山に駐屯したことから始まった。その後、敗退し
追われる身となった加藤清正は、蔚山の陶工や製紙・瓦・築城技術者ら
1000人を自らの領地である熊本に連れて行き、彼らに熊本城を築くよう命じた。
蔚山の築城技術により作られた熊本城は「難攻不落」と言われ、江戸城・
大阪城とともに日本が誇る3大名城になった。城下町には蔚山の技術者
たちが強制的に住まわされた町は「蔚山町」と呼ばれ、今も「蔚山しょうゆ」
を作る工場があるなど、当時を物語るものが残っている。
652 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 19:55:13
<ヽ`∀´> ウリは被害者ニダ!! <ヽ`∀´> 被害者のウリが、熊本市長に手を差し伸べてやるニダ!! <ヽ`∀´> 熊本城はウリナラ起源!! 蔚山しょうゆはウリナラ起源!! ↑この体たらく。 完全に趣旨を忘れています。 正月に熊本旅行に行こうと思っていましたが、やや熊本に幻滅。 事実関係を確認するため、実行委員会に電話してみました。 ( ゚∀゚) : 熊本城築城400年記念事業 実行委員会です。(ハキハキした明るい声のお姉さん) ( ゚ω゚) : おはようございます。熊本城400周年記念事業に関する報道を見まして、確認の お電話をさせていただきました。 ( ゚∀゚) : はい。どのようなお話でしょうか? ( ゚ω゚) : 昨日、友情コンサートというイベントが開催され、そこで熊本市長と蔚山市長が 挨拶をされているという記事なのですが、間違いないでしょうか? ( ゚∀゚) : はい。間違いありません。 ( ゚ω゚) : このイベントは熊本の文化や歴史をアピールするという趣旨のイベントだと考えて いるのですが、間違いありませんよね? ( ゚∀゚) : はい。ただ、どちらかというと熊本城の築城400周年というのが中心でして、 その一環としてそのような趣旨も含んでおります。 ( ゚ω゚) : 韓国の方は、熊本城にゆかりがあるので招待したということでよろしいでしょうか? ( ゚∀゚) : いえ、お招きしたというよりは、一緒に共同事業として開催しております。 この他にも、韓国の舞踊ですとか、いろいろなイベントを同じ割合で開催しています。 ( ゚ω゚) : ... (JAPAN EXPO やOne Koreaの記憶が蘇り、思わず言葉に詰まる) なるほど。 共同事業ということですね。 (問い詰めるのも可哀想なのであえてつっこまず) ( ゚∀゚) : はい。
653 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 19:57:11
( ゚ω゚) : 先ほど報道を見たところ、どうもイベントの挨拶で熊本市長が蔚山市長に謝罪したと、 そういう趣旨で報道されているようですが、事実ですか? ( ゚∀゚) : ええ!? どこの報道でしょうか? ( ゚ω゚) : 朝鮮日報 ああ、韓国の新聞ですね。 ( ゚∀゚) : (しばらく記事を読んで) 今、朝鮮日報の記事を読んでいるのですが... うーん.... 確かに「和解」と書かれていますね... そういう趣旨では無いのですが... その... 韓国には韓国の方針みたいなものもあると思いますし... ( ゚ω゚) : イベント自体は問題なく出来たんですよね? ( ゚∀゚) : はい。それはもちろん。 ( ゚ω゚) : まあ、お国柄といいますか、いろんな見方がありますし。それはそれでしょうがないですよ。 築城400周年記念祭の趣旨に間違いがないかだけ確認させてください。 ( ゚∀゚) : 趣旨は先ほど申し上げたとおりで間違いありません。 ( ゚ω゚) : だいたいわかりました。朝早くからありがとうございました。 ( ゚∀゚) : いえいえ、どう致しまして その後の熊本市役所の回答: 国際交流課が、事実ではない点を抗議すると約束しました。 また、何故このような記事を掲載するのか、と言う抗議を朝鮮日報に行ったところ、 ”記者が帰国中で詳細は不明” と言う回答であったとのことでした。
654 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 20:01:31
655 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 20:31:30
また韓国の嘘ニュース。
656 :
日本@名無史さん :2007/11/02(金) 19:06:55
韓国人に妄想垂れ流されてもな。
657 :
日本@名無史さん :2007/11/03(土) 12:13:40
熊本城は朝鮮の技術で難攻不落だったのか?違うだろ?
658 :
日本@名無史さん :2007/11/03(土) 16:59:38
659 :
日本@名無史さん :2007/11/03(土) 18:29:39
駄目じゃん熊本
660 :
日本@名無史さん :2007/11/03(土) 23:28:23
秀吉の妄想だよ。 家来に与える領地がなくなったので、唐入りを考えただけ。 国際情勢がよく変わっていない時代のことだ。 朝鮮なんて戦力がないから占領できて当たり前。 あとは輸送能力、兵站の考えがなく、失敗。
661 :
日本@名無史さん :2007/11/04(日) 09:14:47
>>660 あったじゃん兵站輸送の考え。
無かったのは朝鮮の常識外れな荒廃と後進性への理解。
662 :
名無し :2007/11/11(日) 09:09:19
豊臣秀吉の朝鮮出兵は失敗したがその後も日本兵の海外進行は続いた。 多数の浪人が傭兵として東南アジアに渡り活躍、台湾では【鉄人】と 呼ばれ鄭成功の傭兵として戦い。オランダ勢を駆逐した。 タイでは山田長政率いる日本兵が国土防衛に活躍、長政は王姫を嫁にしている。 これは江戸時代初期まで続いた。
663 :
日本@名無史さん :2007/11/13(火) 01:36:00
日本側が朝鮮の極貧に苦戦したのは、事実なのだが、明軍はどうなんだろ?。 連中が補給なんて考えてたのかねえ?。 戦国屏風絵を見たら、明軍はオール騎兵な上に、地平線まで埋め尽くす量で驚愕 したが、明側の兵站が全然わからん。 飼葉集めだけでも、不可能な兵員数だと 思うんだが・・・。 しかも冬だし・・。
664 :
日本@名無史さん :2007/11/13(火) 08:06:08
鴨緑江以東の明軍への食量調達は李氏朝鮮の担当だった。 しかし上手く行かずに近傍への略奪多数、それでも足りずに攻勢時には馬は弊死するし兵も凍死や食料不足に苦しんだ。 もっとも、李氏朝鮮の調達の時点でかなり強引なことをやったので統治破壊どころか流民を大量に作った。 流民は敵も襲えば、味方や友軍や良民も襲って混乱を広げた。
日本はいっぱい悪い事したね
666 :
日本@名無史さん :2007/11/18(日) 00:01:14
朝鮮ってどうしようもない。 朝鮮王朝の収奪に苦しんでいた農民が放火したら日本のせいにしてるんだからな。
667 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 11:06:45
朝鮮は朝鮮
668 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 20:54:32
イムジンウェランは日本が悪いけど 明軍も援軍に来て 朝鮮半島でむちゃくちゃしてるよ それなのに 何でイルボンヌだけが400年も昔の事を非難されるの
669 :
日本@名無史さん :2007/11/27(火) 21:33:13
書道みたい
672 :
日本@名無史さん :2007/11/29(木) 20:20:12
明史より 「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」 「明と朝鮮は日本軍に全く勝つ可能性が無かったが、関白(秀吉のこと)の死によって戦争は終わった」 これが全てを表してると思う
674 :
日本@名無史さん :2007/11/30(金) 18:04:19
>>673 秀吉の末期は誇大妄想に取り付かれた感があるからな
675 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 05:37:31
676 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 06:24:45
677 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 13:05:56
日明戦争は日清戦争、日露戦争と同じ構図だなあ。 歴史は繰り返す。
>>672 が紹介してくれたサイト、読む気が失せるほど荒れてるな・・・。
>>677 日中が争って中国が疲弊した後に、北から攻められるって構図?
>>678 読むべきは日本人が書いたところだけだな。
>>678 周辺有力国による半島へのヘゲモニー争い。
682 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 17:07:54
いや、それ以前にあれほど兵站と機動戦によって見事な成果を上げていた秀吉が、 兵站が崩壊して撤退するなんて戦をする段階で、明らかに正気を失っているでしょう。 仮に、半島の条件が秀吉の想像を絶するほど酷かったのが原因だとしても、 そんな基本的なことすら確認せずに大軍を送るなんて、往年の秀吉ではありえない。 私はやはり、当時の秀吉はかなりおかしくなっていたと思う。
683 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 17:24:00
正気を失っていなかったとしても、いずれ秀吉は朝鮮征伐していたと思う。 かなり早い段階から唐入りは考えていたようだし。 正気を失ったように攻めいらせてしまったのは、やはり自分の寿命を考えてしまってのことで、 もし秀吉がもう少し早い段階で日本統一を果たしたなら、 もう少し慎重に明を攻めようとしたと思う。
684 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 18:26:39
映画化してほしい
>>682 長久手の戦い時の経緯を鑑みるに、秀吉は情報収集の面に関して言えばかなり粗雑と言わざる得ない
>>685 長久手のときは池田恒興を完全に制御することが出来なかっただろうし、
相手の家康も歴戦の武将で、長久手のときの機動は特に優れたものだった。
しかし、朝鮮の役の時はそんな事はなかったでしょう。
情報収集が元から粗雑だったなら、
中国大返しだの賤ヶ岳の戦いでの作戦だのを成功させることは出来ませんよ。
>>682 兵站では明軍のほうも不足していた。
当時の軍隊では食料の補給は現地調達が基本だった。
しかし、朝鮮は思った以上に貧困で現地での補給は困難であった。
689 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 03:29:56
やっぱり伊達政宗・徳川家康・上杉景勝らの有力大名クラスが半島に渡っていれば朝鮮は南部は完全に制圧出来たと思う。 後海上輸送の段階で何故ポルトガル・アジア水軍の力を借りたりして海戦力を高める必要があった
690 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 03:36:49
琉球と台湾を支配してから前線基地作ってから、中国大陸に上陸して北京目指して北上した方がよかったと思うが。 ついでに大越国やチベットを威嚇して、連合軍起こすとかさ。 そんな知性が戦国時代の奴等にはなかったのか
691 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 03:55:41
明の皇帝がその気になれば100万くらいは簡単に動員出来ただろうな。
>>689 当時のポルトガルにそんな海運力があるわけないだろう。
>>682 兵站が崩壊して、撤退したなんて、どこの平行世界の歴史だ?
兵站崩壊以外に撤退した理由なんて存在しないじゃあないか。 戦では負けていないのだから。 よもや日本軍戦で敗れて敗退なんていう、 架空の歴史を習っているわけじゃああるまいね?
695 :
日本@名無史さん :2007/12/16(日) 07:42:22
>>694 兵站が厳しくなったら戦線を縮小するってのは新刊として当たり前の行為。
撤退といっても、作戦可能域への撤退であって半島橋頭堡から撤退したわけじゃない。
>>695 それが兵站が崩壊して撤退したって事だと思うが。
崩壊って言い方が厳しすぎるというなら、変えてもいいが、
自身で拡大した戦線を維持するだけの兵站を保てなくなったから、
撤退したということに変わりはない。
>>696 横レス。
秀吉が耄碌していたかどうかはともかく、難渋している部分はあるけど、兵站が崩壊したというのは無茶。
対馬−釜山の補給線は支障があったとは知らない。
文禄の役で平壌を陥してオランカイまで突っこんどきながら、そこから撤退したのは、
兵站でなく、兵力を八道分割で分散させた所に明軍の襲来があったからでしょ。
兵站と言っても近代に入ってからの軍と違い、当時の軍隊だから現地調達率が高い。
実際、現地の高粱は、日本人にとっては口に合わなくて大変だったそうだ。
そして、なにより苦しんだのは、寒さらしい。
>>697 平壌在住の将から兵糧の困窮を訴える書状が来ていたはず。
確かに対馬−釜山の補給線に支障はなかったが、
そこから半島北部までの兵站が崩壊していたということ。
兵力の集中なだけら平壌なり漢城なりで実現しているし、現に明軍を撃破もしている。
にもかかわらず、そこすら放棄して南の海岸線近くまで退いたのは、
正しく補給が可能な地域まで退く必要があったためでしょう。
もちろん兵站には現地調達も含まれるが、
それを含めても、拡大した戦線を維持できずに後退したのだから、
それを兵站が崩壊によって撤退したと評しても間違いないとは思わない。
言い方が厳しすぎるというなら、
兵站に問題が生じたので戦線を大幅に縮小したと言い換えてもかまわないけれど。
まとめると 日本軍の兵站は崩壊していた 俺様の妄想の証拠はお前たちが探せ つーこと?
>>698 >兵站に問題が生じたので
これでいいと思う。崩壊していたら軍組織なんぞ維持できないし。だから難渋と書いたんだけどね。
釜山-漢城間の輸送は確かに苦労していて、糧秣不足を在漢城の諸将が連盟で秀吉に書を送っていた。
それでも漢城まで退却した後も放棄せずに維持し、明軍の襲来前に戦線縮小の動きもないから、
戦線縮小の直接原因は明軍の到来だと思う。
碧蹄館の戦いでも(日4万、明鮮4万)、兵站の問題と言うより、兵力的に追撃が出来なかったと思うんだけど如何?
701 :
日本@名無史さん :2007/12/17(月) 02:10:29
この戦いは明に負けたのかそれとも李朝にまけたのか・・・?
702 :
日本@名無史さん :2007/12/17(月) 08:31:55
明にも李朝にも負けていません。 戦争指導者がしんだので撤退しただけです。
作戦目標を何も達成できなかった以上、戦闘では負けなくても戦争は負けたとしか言いようがないのでは? 作戦目標が李氏朝鮮への制裁そのものだというのなら話は別だけど。
704 :
日本@名無史さん :2007/12/17(月) 19:41:10
だから、負けたから達成できなかったのではなく、負けていなくともやめちゃったのですよ。 止めた理由は戦争指導者が死んだからです。
>>703 出兵の遠因が元寇にあるならば、清の日本侵略を
思い止めさせる抑止力にはなったので、全くの失敗
だったとは言えないのでは。
706 :
日本@名無史さん :2007/12/17(月) 20:38:39
イラクから米軍が撤退したとして湾岸戦争やイラク戦争はアメリカの負け戦か?
@現代ではそんなことはあり得ないが、恒久的にイラク占領して植民地にするつもり等だった場合。 撤退=敗退 A傀儡政権を作るつもりだった場合。 傀儡政権を維持できる見通しが立っての撤退なら勝利、そうでなければ撤退=敗北 Bなんでもいいからとにかくフセイン政権が邪魔で潰したかっただけ、後は野とのなれ山となれ。 とにかくフセイン政権は潰れたから、仮に全軍崩壊しての潰走でも勝利。 C公式発言通りイラクに民主政治を根付かせたかった。 それは不可能に近いので、永久に駐留を続けるしかない。撤退=敗北
>>705 戦争自体に意味があったかどうかと勝敗は一応別の問題じゃないの?
>>700 追撃が出来ない兵力だったからといって、
そこからさらに戦線を縮小しなければならない理由にはならないでしょう。
現に兵糧は欠乏し、そのことを訴える書状も送られていた。
そして戦闘には勝ったにもかかわらず、
追撃できなかっただけでなく、そこからさらに撤退することになった。
その原因はやはり兵站の問題のせいだったといえるのでは?
まあ、明軍が来なくて兵糧確保に全力を挙げられれば、
撤退する必要もなかったかもしれないから、その意味で原因の一つとはいえるだろうが。
あと、兵糧不足を訴えたのは、 平壌ではなく確かに漢城在城の諸将でしたね。 失礼。
いい加減放置しないか↑馬鹿 最初に結論ありきで根拠は“兵糧は欠乏し、そのことを訴える書状も送られていた”これだけ 現地で充分な徴発ができず入手した食い物も日本人の口に合わないってだけの手紙と 護民官と勘違いした現地民に食料を要求されるのに辟易したってことだろ
>>711 それじゃあなぜ日本軍は、半島南部まで撤退しなければならなかったのかね?
繰り返すが戦闘では負けていないにもかかわらずだよ。
713 :
日本@名無史さん :2007/12/18(火) 21:42:20
>>712 日本人の潜在的な能力が韓国人よりも下だったからじゃね?
>>713 それでこの馬鹿が引っ込むのなら
それで良いよ
今までアクセス禁止だったので遅レス
>>687 長久手では小牧山から家康が抜け出した事に気づかず、更に小幡城から抜け出した事に気づかないと言う
同じことを二回も繰り返す大ミス。
後、中入りは秀吉が主体となって決めたのはほぼ間違いない。
朝鮮の役では前提で朝鮮が明へ先導してくれると認識している時点で、最早言い訳の仕様が無い。
中国大返しや賤ヶ岳の戦いについては、前者は毛利より早く情報が得られてのは僥倖に他ならないし、後者
は元の佐久間の迂回経路(尾根の軍道)に気付かずに奇襲を喰らっている。勝てたのは柴田本隊の不活発
な動きと前田の逃亡が理由。
716 :
日本@名無史さん :2007/12/19(水) 07:29:30
>>712 朝鮮では自治崩壊で仲間同士食い合って飢えた土人が、死んで元々のつもりで日本の食料輸送隊を襲いに来るんだ、砂漠で兵站を維持するより難しい。
日本だったら自滅的に逆らわない限りは秩序だった政権交替によって自治が保護される。
しかし、朝鮮は土地も人も腐っていて、おんぶに抱っこか、破滅的共倒れ行動に走る奴ばかり。一部の努力は簡単に蹴飛ばされた。
こんな不味い戦をするなら、日本からの補給のみあてにした前提で戦線縮小を選ぶのが当たり前。
なにしろ日本は戦闘力には絶対の自信があるのだから戦いやすい態勢を作って交渉を始めた。
それが南部布陣。
717 :
美濃もん太 ◆4/umQuHkWM :2007/12/19(水) 07:36:44
信長は朝鮮と繋がりがあったでしょ? 確か海女ってのは信長がカキとかを食いたくて朝鮮からそういう漁をしてた人を移民させたのが始まりだったよ どんな関係だったのかは知らないけど、信長が朝鮮と関係があったとして、もし信長を殺したのが秀吉だったとしたら、、、
>>716 国内だけで通用する論理で他国に攻めたらそうなるのは必然
>>720 誰が朝鮮が標準と言った?
外国と国内では物の考えが違うと言う事。良い悪いは関係ない
確かにこのスレの誰も朝鮮が世界の標準とは言って無い罠。 でも他国から攻められたら、こうなるのが必然とか、 同じつーのは、あまりにも歴史にたいして無知なのでなかろうか・・・ そんなものはケースバイケースなんジャマイカ
>>722 相手の事をろくに知らずに外征した者がその国を一撃で占領、そのまま維持した例は
そうないと思うが・・・
726 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 10:37:27
だって上から下まで朝鮮人がここまで使えない奴で、足をひっぱるとは思わないでしょ? 情報がなければ同じ人間だと勘違いするのは当然。
728 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 13:12:33
729 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 14:25:28
>>726 この場合、調査せずに攻める方がバカなのである。
>>729 攻めるとどうなるか、どうやって調査すんの?
結果論以外で具体策を提示しろよな。
>>730 何を、どうやってって・・・
そんなの腐るほどある
国家体制、派閥勢力、明との関係、風俗、性質、地理、気象、生産力etcetc
フロイスの報告書や看羊録程度の情報は集めるべきだろう
方法だって朝鮮商人から聞くとか、儒者を間者にして送り込むとか色々ある
まぁ、それ以前の問題として「朝鮮は対馬に臣従していて、征明の道案内を
してくれる」と秀吉が認識していた時点で論外ではあるが
>>731 はあ?インターネット時代じゃねぇんだぞ?
朝鮮自体が把握していないことばかりだし、一部の朝鮮人しか知らなかったり秘密にされていることをどうやって知る?
733 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 20:23:23
旅行もままならないのに何を言ってんだか。 攻めてみないとどうなるかなんて分からないんだよ。
>>731 フロイスも姜コウも日本の上流階級と結び付いて何年も滞在して情報を得ている。
朝鮮で税収や戦時兵力の大勢情報をえることは無理だろ?
毎年、収穫前に餓死者が出たり、盗賊が横行しているような混沌とした社会なんだぞ?
いや、社会とさえ呼べないかもしれない。
どちらにしろ朝鮮に兵を入れて駐留すると、大混乱に巻き込まれるのは必至。
日本だけじゃない、明の大ダメージを見よ。
最も被害が大きいのは朝鮮なんだが、奴らはそれを縮小する努力を怠る自滅民族と理解するのに経験と結果論以外にどうせよと?
>>732 文禄の役時に戸籍簿を燃やされたと聞くが?
>>733 失礼ですが、あなた様は太平洋戦争前夜の旧軍参謀殿ですか?
>>734 つまりそれだけ慎重に事を運ぶ必要があるのだ、対外侵略は
「国内統一したから次は明だ」なんつう、感じで行くのが悪い
後、朝鮮貶すのは勝手なんだけど、結果として「そんな事も
知らない無知な日本人」と言う事になるんじゃないの?
>>735 知れる限りを知っていた朝鮮総督府が戦争無しで統治してあの様だぞ?
仕入れ可能な情報を知っていても駄目なんだ、その駄目を知ることは出来ない。
>>736 別に、植民地支配としては平均的な様相かと
後、事前情報を得る事は得ないよりも、遥かにマシな展開になると思うよ。
地図ありなしで、知らない土地を行く時の便利・不便を想像してみなさい
>>723 >相手の事をろくに知らずに外征した者がその国を一撃で占領、そのまま維持した例はそうない
維持できない方が多数例であると主張するのなら類例を幾つか挙げてくれ
多分漏れの方が君より反例を挙げれると思う
君、こないだから集中的に書き続けている素人高校生の冬厨だろう?(苦笑
>>740 分裂したアレクサンドロスの大帝国、モンゴル帝国
チムール帝国なんかは例の一つかな?
ああ、因みに俺は715からね
742 :
740 :2007/12/20(木) 23:24:53
>>741 >分裂したアレクサンドロスの大帝国、
>モンゴル帝国
>チムール帝国
・・・真面目に相手をする気が無いという意思表示?
それともアンカーをミスった香具師が言うように無知なのか?
スマンが漏れも暇なわけでは無い
歴史に対してあまりにも無理解な馬鹿に何を間違えているのか
一から説明する程お人よしでも無い
百年ROMってろ!
743 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 07:01:13
↑ こいつが一番無知な件 反論できず、あせって火病を発症してる件
>>742 真面目に相手する気はないよ
類例論は大抵、細部に拘って泥沼になるから
重箱の隅ほじくって「ここが違うから例にはならん」とのたまうのが典型だし
自身の結論言うと、相手の事が解ってない状況で外征した秀吉はアホ
になるので
そこだけに論点絞ってくれるかな?
745 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 08:20:01
要は朝鮮が日本と同じくらい発展してたと勘違いしてた秀吉がバカで しっかりした行政も施さず、最貧国だった朝鮮は劣等民族なんだろ?
>>741 それはどちらかというと、
相手国をよく知っていた或いは入念に調べた上で攻めて、
成功した例だと思いますけどね。
朝鮮の現状が日本とは比べ物にならないほど劣悪なもので、 そのせいで戦線縮小せざるを得なかったというのが事実なら、 やはりそんな事も調べずに攻め込んだ秀吉に問題ありってことになるだろう。 微妙な違いしかなかったというなら、事前に分からなくても仕方がないだろうが、 日本の常識が全く使えないほど違うなら、それを知る為に何年もの綿密な調査は必要ない。 無理に情報を遮断していたわけでもなく、普通に交易などもしていた国なんだから。
だーかーらー。 攻めたときにどれだけ常識が通じないか、攻めずに知る方法が無いんだよ、坊や。
>>748 おいおい、事前の情報収集の価値を全否定してどうする?
要するに朝鮮出兵時の秀吉は
>>748 みたいな感じだったということだろう。
それについてどのような評価を下すかは個人の判断ということで如何か。
それが当然だ、ごく当たり前のことだと思うか、
それとも、こいつはアホだと思うか。
>>749 日本不自由か?
どこで情報収集の価値を否定してるんだ?
具体的に引用してみろ、坊や。
752 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 19:55:54
会話が不自由な坊やに無理言うな。
>>751 常識が通用しないというほどの違いすら事前に調べられないで、
他にどんな情報収集をするんだい?
>>753 で、常識が通じないってどうやって知る訳?
>>754 普通に交易している国なんだから、
朝鮮に行ったことのある日本人や、日本にやってきている朝鮮人に、
半島の状況を聞き、日本の状況と比較してみればいいじゃあないか。
もちろん、状況を調べる為に密偵を送るのも当然ありえる。
>>755 あれあれーっ、普通に交易してないぞー。色々制限されているぞー。
757 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 21:04:02
>>756 日本語が不自由な坊やだから
>>748 の何処を読めば情報収集の価値を否定しているか全く指摘できないんだよ。
だって話題逸らしたままじゃん?
>>756 当時の東アジアの公的な貿易は制限されているのが普通でしょうが、
大体密貿易だってあるだろうし倭寇のようなものもいた、
調べるのが不可能なんて事はありえないよ。
というか、常識とか抽象的な言い方をしているが、具体的には物資の豊かさが問題なんだろう? 日本に比べて貧しすぎたのがいけなかったというのだから。 だったらそんな事は最優先で調べるのが当然、 当時は現地調達も重要な補給手段だったのだから、それがどの程度可能かをつかむのは、 情報収集の基本中の基本、もしそんな事も怠ったなら、それは秀吉の過ちとしか言いようがない。
>>756 それでも情報は手に入れる事ができる
シーボルトが良い例だ
単にやる気がない、やろうとすら考えなかったろうな
仮にそういった状況が実際に分からなかったとしても、 それならそんな状況が分からないところに攻め込むこと自体が拙い。 もし、どうしても攻め込むなら、攻め込んでから慎重に状況を把握すべきなのに、 いきなり最北端まで攻めて、それからようやく気づくというのもお粗末過ぎる。 どう転んでも、秀吉がしくじったということを否定しきるのは無理だよ。
763 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 21:15:57
シーボルトって朝鮮のどんな情報を手に入れてたっけ?
>>760 だったら早く
>>748 の文章のどこに「情報収集の価値を否定している」と書いてあるのか説明してよ?
出来ないから話題逸らしているんでしょ?
>>763 脊髄反射は勘弁してくれ…
鎖国していた日本に対する諜報活動を引き合いにしてるんだが…
>攻めたときにどれだけ常識が通じないか、攻めずに知る方法が無いんだよ 自身の常識が異なる点を事前の情報活動で知れば、自身と異なる常識で動いていると知る事ができる 因みに俺750ではない715ね
ようするに、坊やはの朝鮮が江戸時代の日本並みだったと理解してるわけだ。坊やだしな。
>>767 日本の諸将は朝鮮が日本の常識が通じないと理解した上で現地の作戦や行政を行っている訳なんだが、何か?
恥を誰がかいているのか・・・あげよう。
情報コマンド選択・・・ゲームじゃないんだから。
>>771 で、江戸時代の幕府がオランダや清に門戸を開いていた程度に、当時の朝鮮がオープンにしていたとでも言いたいのか?
>>769 何時、気が付いた?
それは事前に知るのと変わらないのかな?
それ以前に、それは先ず秀吉が知ってなくちゃいかん事だろ
「上陸して初めて知りました」探検家なら兎も角、占領しに来てそうなら
もう、その時点でダメダメだな
早く情報収集に価値がないと主張していたのはどの部分か解説してよ?
>>773 うん、中世にはソウルに日本人向けの接待施設があったぞ
朝鮮の役でパーになったが
宗主国の明も朝鮮の実態なんか知らなかったのに兵を出して援軍を送ったよね?
>>776 なら使節が朝鮮で警戒と管理監視されていたことも知っているよね。
三浦の乱とかあったしマークされていたんだよ。
明向けの使節なんかもっと充実していたのに、いざ戦争となったら明将の理解を超えた状況になっていたよね。
780 :
日本@名無史さん :2007/12/21(金) 21:41:31
それで何処をどう読んで、
>>748 の文章のどこに「情報収集の価値を否定している」と書いてあるのか説明キボン?
>>778 だから情報収集は無理と言い切るのかな?
まあそれ以前に秀吉は情報収集しようとも考えていなかったようだけどね
総司令官がこれじゃ、勝てる戦も勝てんわな
まだ他人の発言にレッテルを貼ったくせに説明責任を果たさないの?
>>780 攻めてみないと解らない
つまり、事前の予測に意味はない
つまり、予測するための情報収集は無意味だ
になる
実際に情報収集しながら戦っていたじゃん。
>>780 全部ですよ。攻めなければ知る方法がないなら。
攻める前にどうやって情報収集するの?
>>777 そりゃあ一応宗主国だし、
朝鮮が降伏すれば自国が戦場になる可能性もあるのだし、
兵を出すのは当然だと思うが?
787 :
740 :2007/12/22(土) 01:10:06
>746 少なくともヘレニズム文化という言葉を知っていたなら、他国の統治という話の流れで通常アレクサンドロス大王の名は 出さないかとw おそらくティムールも名前だけしか知らないのでしょう。早い話、自爆ですな・・・ “唐入り”のような具体的な事例を挙げることができないので、漠然とした用語で誤魔化そうとしたのでしょう >744 >自身の結論言うと、相手の事が解ってない状況で外征した秀吉はアホ 最初から秀吉を否定することのみを強弁することが目的の方とは議論にはなりませんよ(苦笑 また二十世紀以降に一般化したことを十六世紀の人が行わなかったからといって先人を誹る訳にもいきませんね >類例論は大抵、細部に拘って泥沼になるから重箱の隅ほじくって「ここが違うから例にはならん」とのたまうのが典型だ 翻訳すると、薄い内容の教科書程度の知識しかないから何一つ思い浮かばなかった。ということですね
788 :
740 :2007/12/22(土) 01:10:48
>743 以下は君のためへの少し早めのクリスマスプレゼント >715 >小牧山から家康が抜け出した事に気づかず、更に小幡城から抜け出した事に気づかないと言う同じことを二回も繰り返す大ミス 小牧から小幡へ家康が移動していたことを秀吉が察知していたのなら二回同じミスを繰り返したと言われても仕方ないが そんな珍説は聞いたことがない。 >中入りは秀吉が主体となって決めたのはほぼ間違いない 勝手な思い込み。元同輩を制御できなかったとする>687が通説 >朝鮮の役では前提で朝鮮が明へ先導してくれると認識している時点で、最早言い訳の仕様が無い 情報云々とは何の関係も無い。この時期の秀吉の妄執を肯定的に捉える研究者は一人もいない >賤ヶ岳の戦いについては(略 勝家の堅実な性格を知悉していた秀吉が秀逸。盛政は局地戦での勝利に満足すべきだった >741 >分裂したアレクサンドロスの大帝国 ディアドコイのことだろうか?何がいいたいのかさっぱり解らないがアレクサンドロス大王ほど出鱈目な人物は 珍しいと思う或る意味英雄足るに相応しい人物ではあるが・・・ >743よ、>741が一連の情報云々の話の中で最も話柄にしてはいけない人物がアレクサンドロス大王であり チムールなんだよ両者は最右翼と言っても良い。 当人は思いついた適当な言葉で上手くはぐらかしたつもりなのだろうが歴史に対する無知無理解がある故に 自分で自分の首を絞めていることに気づいていないだけ。わかったかな?
789 :
日本@名無史さん :2007/12/22(土) 01:15:06
>>787-788 他はともかく、攻め込む前に相手のことを調べるなんてのは、
別に「二十世紀以降に一般化したこと」ではないでしょう。
彼を知り己を知らば・・・なんてのは孫子の頃からあった考えなのだし、
事実秀吉だって国内統一戦ではそうしていたはずだ。
あなただって国内戦の当時から秀吉が相手のことを知りもしないで攻めて、
運良く勝っていただけの男とは思わないでしょう?
特に大軍の集中とそれを維持するための補給の確保は秀吉の十八番、
他に抜きん出ていたと思うが、その秀吉が補給の確保の為に参考にすべき、
現地の生産力等すらも調べずに出兵したなら、それは明らかな失策だった。
それ以前の秀吉からすれば、耄碌していたと言わざるを得ないでしょう。
791 :
日本@名無史さん :2007/12/22(土) 14:33:09
要するに倭人は馬鹿で野蛮だってことだろ。 で、乱を起こしたもののあっさり蹴散らされて涙目になったと。 それでいいじゃん。
792 :
日本@名無史さん :2007/12/22(土) 14:37:50
>>791 あっさり蹴散らされたのにどうしてチョンは必死に
「謝罪ニダ!賠償ニダ!」
って必死なのお?www
>>790 だから調べるだけ調べて攻め込んだでしょ?馬鹿?
>>793 その調べるだけ調べた結果が「朝鮮は対馬に従属しており、征明の道案内をしてくれる」…
どう調べたらこうなるの?
>その調べるだけ調べた結果が「朝鮮は対馬に従属しており、征明の道案内をしてくれる」… >どう調べたらこうなるの? お前アホだろ?
日本は対馬を介して朝鮮に従属していたのでは?
797 :
740 :2007/12/23(日) 00:07:35
>790 支離滅裂な文章を書くというのが漏れの壷での基本スタイルなのだが・・・ まぁいいや今回は少し真面目に(やっぱ無理だったゴメン)(苦笑 先ず問題を整理する必要があるね >攻め込む前に相手のことを調べるなんてのは、別に「二十世紀以降に一般化したこと」ではないでしょう このスレを最近賑している厨房が主張(つーかイチャモンレベル)していることに対しての言葉なのだが 後述するけど近世以前の外征は大概アバウトなもの (↑長文を書いても誰も読まないと悲しいので↓で勘弁して) >彼を知り己を知らば・・・なんてのは孫子の頃からあった考えなのだし 前漢の時代から中共による対ベトナム戦(中共の言う懲罰戦争)まで対外戦で中国はそんなに熱心だったけ? >事実秀吉だって国内統一戦ではそうしていたはずだ。あなただって国内戦の当時から秀吉が相手のことを知りもしない>で攻めて、運良く勝っていただけの男とは思わないでしょう 国内戦と(風俗習慣の異なる)対外戦は明確に区別しなければいけない>790はココをゴッチャにしている >特に大軍の集中とそれを維持するための補給の確保は秀吉の十八番、他に抜きん出ていた 秀吉が全能であったことは彼の生涯で一度も無い誰にでも最初がある 大規模な軍勢を催して一方面に指向させると現地の諸物価が高騰したり払底してしまい必要な物資が手に入らなくなる という(今日では)当たり前の経済原則を彼は自身が総指揮官として身をもって経験するまで気づかなかった >補給の確保の為に参考にすべき、現地の生産力等すらも調べずに出兵したなら、それは明らかな失策 近世以前にこんなことを行った軍は稀。例外として扱うべきこと
たぶん坊やは「アメリカはイラクのことを何も調べずに攻め込んだ。だから戦後処理に失敗した」とか言うんだぜ。 坊やだからな。
>>797 いや、孫子の時代の中国は対外戦争の連続ですけど。
気候も風俗も違う複数国家間で争っていて、統一的な中国なんて概念なかったのだから。
>>799 当時の諸侯の大半は周の一族や爵位を与えられて冊封された臣下なんだが・・・。
お前さんが無知だということはよく分かった。
>>801 追記
740さんは「情報云々とは何の関係も無い。この時期の秀吉の妄執を肯定的に捉える研究者は一人もいない 」と
この認識を情報収集不足ではなく、あくまで秀吉の精神的な面に求めようとしているようですが、そうなりますと彼は
正しい情報を聞かされていなかった、聞いても無視したという事になります。
果たして、秀吉があの時点でそこまでぼけていたと言うのは信じがたい(惚けるのはもう少し後でしょう)ので、情報収集
の不備があったと考えてるのですが?
803 :
日本@名無史さん :2007/12/23(日) 15:38:33
朝鮮人を飼いならし、明侵攻への尖兵にすることはできなかったの? 人海戦術でうまくやれば秦皇島くらいまでは攻めることできたんじゃないの?
>>802 対馬が自分たちの貿易での利益の為日本と朝鮮どちらにもイイ顔して
日本に必要な情報を流さず秀吉の情報収集に支障がでたのが原因じゃなかったっけ?
>>801 の情報収集と情報分析が秀吉以下なのは分かった。
>>804 その点はそうなんだけど、問題は宗氏に丸投げしている点。
無論、近隣に取次役を任せて同時に情報収集に当たらせるという政策は理に適っているし、
現に東国では家康がそれを行っている。
ただ、その点を考慮しても秀吉がこの軍事行動を国内戦の延長でしか捉えていない現れで
あるし、それ以前にある程度は直属の情報網を展開させておくべき。
808 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 10:11:14
>>807 宗氏以外が交渉を持ちかけても門前払いされるか、即開戦になるのでは?
交渉や情報収集さえ難儀な相手なんだよ。
明も相当てこずっている。
809 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 12:17:55
台湾人を叩く奴は全部チョン 悪い事は全部チョンのせい 李登輝を日本の総理大臣にしよう 日本人は台湾人が大好き 日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い! 日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け! 台湾人はマジでかわいい ヴィック・チョウは日本女性に大人気 日本人種は在日チョン用語 金美齢は絶世の美女
810 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 09:23:42
徳川も朝鮮取次は丸投げしてたじゃん。
>>808 交渉でなく、情報収集。
少なくとも知ろうとする努力は必要でしょ
>>810 和と戦じゃ、事情は全く異なる
812 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 21:41:39
>>811 同意。野蛮な倭と文明国朝鮮では全く事情は異なる
813 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 21:54:15
まったくだ むしろ日本ごときと、朝鮮を比べる時点で間違っている
814 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 23:02:05
その日本ごときを撃退するのに他国の兵を頼みにしてたんだけどな。 自力自力で撃退していなこと時点でワロス。
815 :
日本@名無史さん :2007/12/29(土) 07:12:33
>>814 いまだに米帝に占領されてる倭奴が何を言うかw
816 :
日本@名無史さん :2007/12/29(土) 08:54:56
>>815 お前らもされてんじゃねーかw
しかも自国を守る戦力も無しでww
最近アジア史の研究は南北朝鮮vs朝鮮以外のアジア各国という構図になっているな。 中国人は日本よりも韓国のほうがキライというのにもワロタ
>>814 当たり前だ
平和を愛する善良な文化国が朝鮮だからな
819 :
日本@名無史さん :2008/01/04(金) 09:51:51
あげ
820 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 11:13:07
821 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 15:08:44
>>820 知っても、秀吉は自分の主観を優先させて、無視するから意味ないか
秀吉は寝込むまで的確だったが?
823 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 15:20:18
やはり日明戦争にするべきだろ 一番公平な名称だよ
>>822 頑なに、朝鮮が服属していると信じていた。
>>824 >頑なに、朝鮮が服属していると信じていた。
はぁ?
826 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 07:05:59
>>825 はぁ?だけど事実。
詳しくは「秀吉の軍令と大陸侵攻」中野等を参照されたし。
827 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 10:23:16
>>826 服属しているではなく、武威に服して服属してくる見込みの間違いだろ?
どこに朝鮮が秀吉に服属中と頑なに認識していると書いてあるんだ?
828 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 19:59:07
42・43ページ
それ開戦前w
831 :
日本@名無史さん :2008/01/08(火) 16:38:03
>>830 そう、戦争準備時にこの認識。w)だね。
832 :
日本@名無史さん :2008/01/08(火) 20:05:17
台湾人を叩く奴は全部チョン 悪い事は全部チョンのせい 李登輝を日本の総理大臣にしよう 日本人は台湾人が大好き 日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い! 日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け! 台湾人はマジでかわいい ヴィック・チョウは日本女性に大人気 日本人種は在日チョン用語 金美齢は絶世の美女
833 :
日本@名無史さん :2008/01/22(火) 19:49:56
戦後は?
834 :
日本@名無史さん :2008/01/22(火) 20:01:26
あの家康がいなければ朝鮮半島は 我が国のものだったのに・・・
835 :
日本@名無史さん :2008/01/22(火) 20:10:57
いらねえだろ〜赤字垂れ流し
うぇのむ(プ
中野等担当の戦争の日本史はどうですか?
838 :
日本@名無史さん :2008/01/30(水) 07:45:30
839 :
日本@名無史さん :2008/02/13(水) 23:26:46
韓国の国宝の南大門が焼失したという。 韓国旅行の時にみたが、時代は新いものだと思っていたがかなり古いという。 よく、豊臣秀吉によって文化財は焼かれてしまったということを聞くので、秀吉以前のものはないとばかり思っていた のですが残っていたのですね。
840 :
日本@名無史さん :2008/02/14(木) 14:48:19
小西や小早川もあの門をくぐったのかね。 惜しい物をなくしたものだね。
放火後三日経っても7時や9時のニュースで続報(ヘッドラインで取り上げる事なのだろうか?)を やっている日本のTVに比べると、向こうのマスコミは冷めているみたいだけどね。
>>840 小西は東大門からじゃなかったっけ。
加藤が南大門だったかな。
843 :
日本@名無史さん :2008/02/15(金) 18:11:48
世界史板、馬鹿来たりて大荒れ。
スペインが宣教師送り込んで布教してそのあと植民地化することを知った フィリピンの次は明が狙われる だから先回りして征明 国内の伴天連も追放 浪人問題も解決
>>840 実物を見たことあるけど、そんな感慨にふけれるような良いモノでもなかったよ。
おれの中では熱海城レベル。
南大門は朝鮮総督府が“日本の”文化遺産として大切に保護した建造物です。
847 :
日本@名無史さん :2008/02/18(月) 10:16:09
台湾人犯罪が発覚しないカラクリ
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
警察庁ホームページ(平成15年度)
ttp://www.npa.go.jp/toukei/keiji19/H15_27.pdf
848 :
日本@名無史さん :2008/02/18(月) 11:33:16
どうしてわざわざ朝鮮関係のスレに貼り付けるかね? そんなに非難の矛先を祖国から台湾に変えたいのかね?
朝鮮征伐以外の話をしないのは皆同じ荒らし 朝鮮人叩きや台湾人叩きしたきゃ他所へ逝け
850 :
日本@名無史さん :2008/02/20(水) 20:24:36
昔から宗主国に作戦統制権を譲渡し、寄生して足を引っ張っていた国だったんだな。
851 :
日本@名無史さん :2008/02/21(木) 01:13:11
>>834 そうとは言えないでしょ。日中戦争のごとく泥沼の可能性が高い・・・
だって得られるものが全然ないんだもの・・・。
852 :
日本@名無史さん :2008/02/29(金) 08:30:20
853 :
日本@名無史さん :2008/03/05(水) 19:54:53
あげ
854 :
日本@名無史さん :2008/04/04(金) 18:23:53
855 :
日本@名無史さん :2008/04/06(日) 21:06:48
856 :
日本@名無史さん :2008/04/07(月) 12:37:30
>>851 秀吉の妄想のせいで、
日本と中国と朝鮮に犠牲者を
撒き散らしただけだよね。
文禄の役も慶長の役も戦争目的を
全く果たせないままだから
戦略的敗北でしかないし。
戦利品を見ても朝鮮半島から
得られたものは皆無に近い。
こんな惨めな負け戦も珍しいな。
858 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 09:30:46
ぷぷぷっ! 自称勝者の韓国の実態が一番惨め。
未曾有の惨敗を喫し、滅亡した倭猿政権のほうがはるかに惨めなわけだが。
860 :
日本@名無史さん :2008/04/10(木) 12:09:55
明がいなければ何もできなかった朝鮮人に言われてもなwww
明も豊臣も滅んだけど李氏は一応20世紀まで 残ってる点はすごいと思う。 ただ残ればいいというものでもないが。
862 :
日本@名無史さん :2008/04/11(金) 15:47:26
863 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 09:23:49
>>861 もともと腐りながら放置されて続いてきた政権だから。
>>863 それ言うなら倭政権はアジアの果ての絶海の孤島でペルリが来るまでず〜っと放置されていた
朝鮮通信使たちは事実であると否とを問わずさまざまな事柄を見下す傾向が強く、 日本国内の道中や文化交流の際にも周囲や日本の文人に対して著しく無礼な態度をとることが多かったようである。 無礼の例としては、供された食事に難癖をつける、夜具を盗むなどがあり、 警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばだったという。 このような事情から一般町人には嫌われ、町人と喧嘩沙汰になることも多々あり、 横柄な態度の割に非常に弱く簡単に叩きのめされたという。 喧嘩が発生すると侍は本来警護の者として制止すべき立場であるにもかかわらず止めるふりすらしなかったといい、 道中の内実がいかなるものであったかが伺える。 (鳥を盗んで町人と喧嘩をする朝鮮通信使 『朝・鮮・人来聘記』 京都大学 所蔵等)。 町民からニワトリを盗み、宴席で料理を盛っていた食器を盗み、下働きをしていた下女を強姦していたのが何と朝鮮を代表する正式な使節
866 :
日本@名無史さん :2008/04/14(月) 13:46:28
>>864 大陸に攻めたり、大陸から攻め込まれて撃退したり、大陸から攻め込まれて撃退したり、大陸を攻めたり、大陸を支配したりして放置されていないが?
867 :
日本@名無史さん :2008/04/17(木) 04:16:08
へえ〜(笑)
役や寇だと相手が対等かそれ以上になってしまうから儒教的観点、或いは有史以来の日本蔑視から 日本を格下として位置づける為にあえて乱という表現にしてるって聞いたことがある 真偽は知らん
869 :
日本@名無史さん :2008/04/18(金) 09:18:33
>>868 反省がないから何度でも踏み潰されるんだな。
反省がないのは勝手な理屈で他国を占領したら最終的に酷い目にあうよ、ということを全く学習してない日本だろう
「乱」と言う言葉を使用してるのは日本蔑視ではなく明の属国だから 明の藩屏たる李氏朝鮮に攻め込んできた、同じ明の属国の日本の反乱っつーことね かの国は全て中華視点
乱だろ、日本側すら国令で戦争しかけたわけじゃない 秀吉が起こしただけ
その秀吉がトップだったわけだが 戦国〜織豊期に於ける国令とは何を指すのか?
>勝手な理屈で他国を占領 人類の歴史そのもの
>>870 そりゃ朝鮮。
新羅〜高麗の時に幾度も襲来している。
略奪、拉致、殺戮を行い、何度か撃退されている。
刀伊程のインパクトが残せなかったのは、朝鮮人の実力だろうな。
何度も醜態さらしているからか、少し学んで事大相手を唆して、元寇に参加。
ここでも朝鮮人の将に率いられた高麗人の部隊が、
また非戦闘員の殺戮を行うも、撃退されている。
しかしおバカな彼らは、再び単独で応永の外寇を起こし、
またまた非戦闘員相手に暴れるも、留守を守る対馬武士に大敗。
朝鮮の役も、明治維新後のそれも、朝鮮人の自己の実力を弁えない増長が原因の一つでもあるし、
全く学んだ形跡がない南北朝鮮は、た破滅の道を歩むかもね。
在日もそういう意味では、日本に住まわせてもらっていると言う、
現状認識が全くできていないんだよなあ。
X 在日もそういう意味では、日本に住まわせてもらっていると言う ○ 在日もそういう意味では、(朝鮮戦争が継続中という名目で)違法入国後も日本に寄生していると言う
877 :
日本@名無史さん :2008/04/20(日) 20:51:36
>>876 在日は日帝の強制連行で連れてこられたわけだが。
そんなことも知らんとはどういうウヨ教科書で学んだんだかw
在日60万、強制連行と主張する労役を課されての来日は多くとも2〜3万 さて残りはどーして日本に来たのでしょう?
>>878 さりげなく嘘をつくな。日本国民に労役が課された後、内地に来たのは数千人。
GHQの勧奨を断り内地に残った鮮人は数百人。
現在国内に居る在日の大多数は朝鮮戦争のときの避難民。
>>879 「多くとも」と書いてるだろ
日本側だけの主張取り入れてもしょうがないだろヴォケ
朝鮮人側の主張取り入れても「多くとも2〜3万人」なんだよ
つか「GHQの勧奨を断り内地に残った鮮人は数百人」
どこの大本営発表の鵜呑みですか?w
881 :
日本@名無史さん :2008/04/21(月) 10:01:31
>>880 × 多くとも2〜3万人
○ 少なくとも65万人
情報は正しく書こうな。でないとそのへんのウヨと同じだよ。
882 :
日本@名無史さん :2008/04/21(月) 10:18:48
国民徴用令が朝鮮に適用されたのは昭和19(1944)年9月。 ですので「強制連行」の根拠とされている「徴用」による徴集は同年9月〜12月の4ヵ月間となるので、1210人(全体の1.46%)ほどに過ぎません。 そこに「昭和20年9月1日以前」の679人(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事
つまり秀吉は朝鮮人65万人を徴兵して少なくと数千人を日本に連れてきたわけだな おのれ秀吉めー なんてことしやがるんだ
秀吉の朝鮮出兵は多分毛利や島津のような西国大名が秀吉に頼んだ政策、 秀吉が統一したのは主に西日本である 日本で古来から朝鮮と一番縁が深いのが 西国、 東国の日本では古来から朝鮮人より ソ連やアイヌの来日のが幅を利かせていた 多分昔から西国には朝鮮の部落が来日しやすかった 多分島津や毛利は朝鮮の部落であっちで差別されていて 日本に来て軍事的な力を手にした途端一気に 朝鮮嫌悪が爆発して当時の天下人である秀吉に 頼み込んだ政策だと思われる
征韓論の著者は西郷隆盛 島津藩の下級武士 東国の日本より西国の日本のが朝鮮嫌悪は根深いはず
>>884 島津は、朝鮮に寸土も要らんと言ってますが。
島津の遅参ぶりを見ればそんなアホな妄想は出てこない。
887 :
日本@名無史さん :2008/05/12(月) 15:19:41
>>883 幕府が戦後に送還した朝鮮人が五千人前後?
万単位、七年間の戦中に五万人ぐらいは移送していそうだな。
888 :
日本@名無史さん :2008/05/14(水) 21:04:21
889 :
日本@名無史さん :2008/05/21(水) 13:46:11
そうだな。
890 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 20:18:29
随分海送してるな。
891 :
日本@名無史さん :2008/05/28(水) 23:21:48
朝鮮弱すぎワロスw
892 :
日本@名無史さん :2008/06/02(月) 23:37:47
さようなら
>>875 応永の外寇で対馬の宗氏が敵を破ったというくだりは後に作られたことで事実で
はない
実際は朝鮮軍は倭寇とおぼしき者を選別討伐してから島内の各地に柵を設け、兵
糧攻めにしている
朝鮮側は対馬が朝鮮に食糧を頼っていたことや倭寇の掠奪の第一が食糧の確保で
あることから推察して対馬を兵糧攻めにすれば根をあげることが解りきっていた
ため、二ヶ月分の食糧を携行して封鎖したのである
宗氏は反撃するどころか案の定、兵糧攻めに根をあげ、朝鮮側に台風など暴風雨
の多い季節になるので帰国された方がよいと懇願したのが本当の史実
朝鮮側もそれを恐れていたため、予定通り帰国したが、国内では家族を倭寇に殺
されたり、拉致された者が多く、手ぬるいと批判があったが、結論的にはこの応
永の外寇をもって前期倭寇の勢いは完全に削がれてしまったのである
894 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 14:41:45
>>893 じゃなんで応永の外寇で朝鮮軍の副将とかの武将たちが戦死しているの?
>>894 誰も死んでない。
倭奴のプロパガンダに騙されるな。
896 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 19:02:39
898 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 20:28:40
以見我國之弱。 「小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」
900 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 21:52:26
>>895 対馬の反撃に遭い、左軍節度使の朴実の他、偏将の朴弘信、朴茂陽、金該、金喜が戦死した。(壬辰戦乱史、李烔錫著)
901 :
日本@名無史さん :2008/06/05(木) 23:22:14
李炯錫はは売国ニダ
確かに応永の外寇で朝鮮に対する倭寇は激減したな あとは16世紀に始まる明の商人を中心に日本人が協力した密貿易をメインにし た後期倭寇になるが、ほとんど行き先は明になるからな
>>902 応永の外寇の前に朝鮮への倭寇は、李氏朝鮮の成立後の懐柔策で、倭寇は鎮静化しとる。
しかし李氏朝鮮が寄港地を富山浦、乃面浦に限定したことで、宗氏が反発し倭寇が再活発化→応永の外寇となったんでなかったかな。
ようするに李氏朝鮮により寝た子が起こされたと。
んで、応永の外寇後は、朝鮮貿易がなければやっていけない宗氏が折れて、
富山浦、乃面浦(後に塩浦)でのみの交易を了承し、「三浦」が成立。
しかし、日本にとっては主となる貿易相手でなかったにも拘らず、
三浦での交易(日本の銅、硫黄、鑞、金、東南アジアの胡椒、蘇枋木←→朝鮮の綿布)が盛んになると、
貨幣経済に至っていない朝鮮は大混乱、三浦は朝鮮にとって治外法権の日本人町のようになり、
周辺の朝鮮人もこれに参加、貧困朝鮮人も三浦に流れるようになり、
朝鮮の財政だけでなく、農本主義の体制まで脅かし・・・と言う流れだっけ。
904 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 08:16:51
征服された宗が土下座して臣下になり、貢ぎ物を献じて米を下賜されることになったんでしょ? 対馬は韓国領になったということ。
905 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 14:25:57
ヘタな釣りだな。
>>903 商取引のため朝鮮に滞在する日本人、恒居倭が急増したため、1407年に富山浦、
乃而浦の二港に恒居倭を朝鮮側が限定した
当時の対馬の実力は島主宗貞茂より倭寇の首領早田左衛門太郎が持っており
応永の外寇以後、早田は朝鮮側に屈服し、すり寄り交易権を掌握して巨済島に一
区を貰い慶尚左右道での任意の行販を朝鮮側の承認を求めたが拒否され、代わり
に先の二浦に加え、塩浦が到泊指定港として認められた(1426年)
これが三浦の形成
早田左衛門太郎はこの三浦に居住する恒居倭の事実上の元締に
しかしこれ以降、三浦に居住する恒居倭が急増
これに危機感を抱いた朝鮮側が当時の対馬の真の島主である宗貞盛に恒居倭の送
還を依頼
貞盛は早田氏からの実権奪回もあり恒居倭六十名の残留を条件で朝鮮側に協力す
ることを快諾
暫くし早田左衛門太郎が死亡し、早田氏は没落
恒居倭は一時的に減少したが、朝鮮との交易が頼りである対馬島民により再度恒
居倭が増え始め、1460年代から三浦の恒居倭が朝鮮側の漁場を荒らし始め、1493
年の東島漁場占拠事件により朝鮮側の態度が硬化、1510年三浦の乱発生、支援し
た宗氏は朝鮮軍に敗れ、厳しい交易統制を課した壬申条約を結ばされた
やっぱり対馬の負けか。 対馬は我が領土
908 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 19:27:00
占領されちゃいないわけだが。
909 :
日本@名無史さん :2008/06/06(金) 20:01:58
1510年三浦の乱発生、支援した宗氏は朝鮮軍に敗れ、厳しい交易統制を課した壬申条約を結ばされた なるほど、この後 しかし、日本にとっては主となる貿易相手でなかったにも拘らず、 三浦での交易(日本の銅、硫黄、鑞、金、東南アジアの胡椒、蘇枋木←→朝鮮の綿布)が盛んになると、 貨幣経済に至っていない朝鮮は大混乱、三浦は朝鮮にとって治外法権の日本人町のようになり、 周辺の朝鮮人もこれに参加、貧困朝鮮人も三浦に流れるようになり、 朝鮮の財政だけでなく、農本主義の体制まで脅かし・・・と言う流れだっけ。 こうなるわけか。 納得。
>>909 >>903-904 の後に三浦の乱。
応永の外寇の後に、903-904の他、
@乃面浦(齋浦)では、近郊にある城邑、熊川との間に交易の関係が出来上がり、両所の住民は互いに行き来し、経済的に一体化。
熊川の朝鮮人住人は農業を放擲して倭人との交易で生計をたて農本主義で成る朝鮮の体制自体も脅かす。
A三浦周辺での日本人の開墾は朝鮮も許していたため、日本人の開墾が進む。
B朝鮮の三浦への徴税権は条約で決められていた事実上漁業税のみで、
その他の課税権は日本人の頭目と対馬の有力者にあり、三浦の交易への課税権も日本人側にあり、
朝鮮王朝は三浦の課税権を得ようと対馬宗氏に圧力をかけたが、当然拒絶される。
又、日本人の墾田した田畑に、朝鮮は徴税権を主張するも、日本人側は当然了承せず、三浦は朝鮮にとって完全な免税地となる。
C対馬人が行き交い無国籍的な様相を呈し、朝鮮政府の手の届かない地域となった済州島を始めとした南朝鮮の島々には、
朝鮮の重税を逃れた農民が流入し、勝手に開墾し日本人と交流し始める。
D富める三浦には、高利貸しを営む者もあり、この日本人高利貸しは周辺地域の朝鮮人へ田畑を質として貸し付ける様になり、
これで朝鮮の公田からの収穫の大部分を返済として日本人が手に入れる様になり、三浦日本人の経済力は益々巨大となる。
E駅宿の役人がブローカーとなって朝鮮人商賈と日本商人が面談、
三浦近郊の駅宿は交易市場として賑わり、禁制品の取引も密かに行われるようになる。
F15世紀末になると戦国時代の日本で綿布への需要が高まり、日本の輸入品は綿布に集中、
朝鮮から輸入する主要産品となるが、この交易によって朝鮮の綿布は多くが日本に流出、
朝鮮は日本との交易で倭物の全てを戸曹の管轄下に置こうとするが、かえって私貿易が増加、財政負担は益々増大化。
これに対し、自分も浪費癖のある中宗は朝鮮の財政難を三浦のせいとして、三浦の住人を圧迫したことから、
三浦の住人が蜂起したのが三浦の乱。
15世紀に対馬からの特送使が島主歳遣船とは別に朝鮮王に送り進上と引き換えに 主に綿布を中心とする回賜を受け、発亥約条後には歳賜米豆わ受けるようになっ た しかしそれ自体の交易量が少なかったため、宗氏やその家臣達は偽りの名義の特 送使を送り始め、ついには宗氏の送る島主歳遣船より回数増大する 朝鮮製の綿布は高品質で高値で売買されるためと食糧受領のためである 当然のことながらそれらの回賜急増で朝鮮王朝の綿布備蓄が激減し、その他の回 賜品急増で財政を圧迫 朝鮮側は1488年綿布取引のレートを引き下げ、さらに1494年公貿易の対馬側の主 たる進上品である黄金と朱紅を禁輸、98年には対馬側のもう一つの進上品である 銅を公貿易で禁輸、1502年には再度綿布取引のレートを引き下げた この影響で対馬の商船化していた特送使を乗せた特送船は物資を求請する求請船 化してしまう経済摩擦をおこしていたのである 朝鮮王朝の浪費は財政悪化の原因としてはあくまで副次的要因に過ぎない
1436年に約定により三浦から378人の恒居倭の送還は実現し 三浦に残留する恒居倭は宗貞盛菅下の60人と特例に認められた206人となった 三浦に残留した恒居倭の中には対馬の商人と結託して密貿易する者もおり、暴利 を得た者は三浦“外”の朝鮮人の田畑を買入する者が出てきて朝鮮側の王朝側徴 税権を阻害し始めた 三浦の恒居倭を統轄するのは宗氏から派遣された三浦代官であるが、各浦で統轄 していたのは倭酋と呼ばれた当地の実力者であり、代官は徴税のみに専念 朝鮮側の考えでは恒居倭は向化倭人(自らの意志で朝鮮に帰化した日本人)と違 うため、朝鮮の法では裁けないと検断権は断念している また田租については倭寇再発を恐れ課税を“停止”していたのである またその恐れから刺激する恒居倭を監視する鎮城や関限の設置は不十分であった しかし制限していたにも関わらず三浦の恒居倭は増加し、三浦代官の治安統制怠 慢もあって恒居倭の中には倭賊化する者も出始め、15世紀末には三浦の恒居倭は 3000人に膨れ上がった 先の対馬、朝鮮との経済摩擦による交易制限とあいまって三浦の乱へ発展するの である
913 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 08:50:27
朝鮮は軍事も弱いが、経済も弱いな。
914 :
日本@名無史さん :2008/06/16(月) 09:19:10
それ倭族だろ。 身の程知らずにも襲いかかってきたがボコボコに。 経済も貧弱だから土下座して交易をお願いする。 むっちゃみじめじゃね?
915 :
日本@名無史さん :2008/06/17(火) 20:34:27
貿易するだけで朝鮮経済崩壊
交易しないだけで倭人餓死
われわれ倭人は劣等だ・・・orz
918 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 18:51:04
秀吉の朝鮮出兵 元寇時に朝鮮兵が対馬領民を虐殺した事に対する仇討ちか?
>>918 ちがう。盗賊の子分が天下を取っちゃって隣の国も欲しくなっちゃっただけ
920 :
日本@名無史さん :2008/06/18(水) 22:28:24
921 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 06:59:11
ホロン部が妄想だけで反論してるのにワロタ
922 :
日本@名無史さん :2008/06/19(木) 09:29:58
戦国時代の日本の軍が強いとかいってるネトウヨは何なの?
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html ふぉ。この手の質問は何度も出るようじゃから、少し背景を説明しておこうかの。
戦国末期の日本が世界でも有数の大量の鉄砲保有国で、かつ戦場における鉄砲の集中利用の戦術面でも突出しておったという事実を,
一般人向けの書籍で実証的に指摘したのはノエル・ペリンじゃったな。20年ほど前に、改めて指摘された日本人のほうが驚いたものじゃった。
この話は、日本の自虐的な歴史教育を見直そうという連中にもてはやされたもので、かなり一般に誇張して伝わった面があるようじゃの。
じゃがな、ペリンが驚愕すべき事実であり、今日の世界が学ぶべき歴史であると世界に紹介したのは、
日本が短期間に世界一の鉄砲保有国となったことではなく、その後に一転して軍縮を徹底して行い、
事実上、当時の最新兵器であった鉄砲を放棄したことのほうなのじゃよ。
16世紀末に世界最大の鉄砲保有国、おそらくは世界有数の軍事力を持っていたことを名誉と考えるか、知られている限りでは世界の歴史で唯一、
自主的に最新兵器を廃棄し、徹底的な軍縮に成功した国が日本じゃったということをのほうを誇りとすべきなのかは、ま、自分で判断することじゃな。
さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
それにじゃな,軍事的に見れば,装備のレベルと動員兵力の大小が、戦闘の勝敗を決めるわけではないのじゃよ.
兵士たちの士気、指揮体系の確かさ、訓練・実践の経験の多さ、資金と食料の調達。
そういうバックグランドがあってこそ、強いかどうか判断されるべきものじゃよ.
数比べで「最強」を判断するのは、いささか短絡的じゃな.
また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
>>921 前期倭寇が掠奪の第一の目的は食糧確保であったことと
賜宗貞茂米豆各百石。貞茂遣平道全書曰、「力禁賊船母犯朝鮮之乃求給米」
対馬の宗貞茂が朝鮮側に倭寇を禁圧しているから米豆を支給して欲しいと懇願し
た書
しかし前期倭寇の頭領早田氏は対馬での実力は宗氏よりあったため、実際は宗氏
の倭寇禁圧はうまくいかなかった
そして応永の外寇があり、対馬との交易が制限されると宗氏からの食糧支給を懇
願する使者は頻繁に朝鮮にやって来た。一部を示すと
1430年(世宗十二年)6、12月米穀求請
1431年(世宗十三年)11月米穀求請
1432年(世宗十四年)8月米豆求請
1433年(世宗十五年)10月米穀求請
1435年(世宗十七年)2、9月米穀求請
1437年(世宗十九年)正月米豆求請
1438年(世宗二十年)4月米豆求請
という具合いだ
924 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 19:17:13
なるほど、それで食糧確保のために行った貿易や交易が朝鮮側には大被害を 与えたんだな。 それで経済崩壊、と。
遠回しに、「食料よこさんと、和寇が来るぞ」といってる宗氏 字義通りに受け取り「大変でしょうから、我が国に加わりなさい」といってる朝鮮
927 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 21:23:01
928 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 21:25:24
>字義通りに受け取り「大変でしょうから、我が国に加わりなさい」といってる朝鮮 そして正規軍を派遣するも日本の一地方領主に撃退される朝鮮
>>926 >字義通りに受け取り「大変でしょうから、我が国に加わりなさい」といってる朝鮮
この時、すでに宗氏は朝鮮の役職貰って扶持受けていたはずでは?
それが倭寇の件で宗氏の交易量がだんだん削減され、大内氏と細川氏以外は出入禁止とまで言われてたはずでは?
>>930 >だから直接、助けに来たのです
何が、いつ、誰を助けに?
朝鮮に従っていたのに我が国に加わりなさいとは?
いつもの無知な嫌韓厨だな。
934 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 22:20:31
お前よりは知ってるよ。
>>932 従うじゃなくて、完全に国の一部になりなさい
936 :
日本@名無史さん :2008/06/20(金) 23:26:23
と脅迫してきて返り討ちwww
応永の外寇に次いで三浦の乱でも朝鮮軍に敗れた宗氏は朝鮮により交易を厳しく 制限された壬申約条を結ばされ、宗氏の権威は失墜 佐須氏など宗氏家臣は宗家を無視し独自に朝鮮と交易する方策を取り始める しかし交易は制限されているため、彼等が取った方策は偽の名義を語った使い船 いわゆる偽使通交というものである 彼等の使った名義には大友義鎮、陶興房、島津武久を始め、少弍氏、菊地氏、名 護屋氏、松浦氏など九州、中国の名族の名を語って交易した 宗氏は家臣にその権益を配分するしかないほど弱体化していた やがて16世紀後期に入り、宗氏が勢いを盛り返し、家臣を統制下に再び置き、偽使通交権益を再集積するが 今度は朝鮮の使者が秀吉に面会しに来日した際に上記のように偽使通交で使われ ていた名義の大名のほとんどが滅んでいることを知り、騙されていたことに朝鮮 側は愕然とする その後、秀吉の朝鮮侵略でその件はうやむやになるが 家康政権との和解に際しても宗氏は国書や返書を改竄したり偽国王使を送ったり した 当然、朝鮮側も以前の事があり気付いていたが、見逃してやった
938 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 04:36:53
戦国時代の日本の軍が強いとかいってるネトウヨは何なの?
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html ふぉ。この手の質問は何度も出るようじゃから、少し背景を説明しておこうかの。
戦国末期の日本が世界でも有数の大量の鉄砲保有国で、かつ戦場における鉄砲の集中利用の戦術面でも突出しておったという事実を,
一般人向けの書籍で実証的に指摘したのはノエル・ペリンじゃったな。20年ほど前に、改めて指摘された日本人のほうが驚いたものじゃった。
この話は、日本の自虐的な歴史教育を見直そうという連中にもてはやされたもので、かなり一般に誇張して伝わった面があるようじゃの。
じゃがな、ペリンが驚愕すべき事実であり、今日の世界が学ぶべき歴史であると世界に紹介したのは、
日本が短期間に世界一の鉄砲保有国となったことではなく、その後に一転して軍縮を徹底して行い、
事実上、当時の最新兵器であった鉄砲を放棄したことのほうなのじゃよ。
16世紀末に世界最大の鉄砲保有国、おそらくは世界有数の軍事力を持っていたことを名誉と考えるか、知られている限りでは世界の歴史で唯一、
自主的に最新兵器を廃棄し、徹底的な軍縮に成功した国が日本じゃったということをのほうを誇りとすべきなのかは、ま、自分で判断することじゃな。
さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
それにじゃな,軍事的に見れば,装備のレベルと動員兵力の大小が、戦闘の勝敗を決めるわけではないのじゃよ.
兵士たちの士気、指揮体系の確かさ、訓練・実践の経験の多さ、資金と食料の調達。
そういうバックグランドがあってこそ、強いかどうか判断されるべきものじゃよ.
数比べで「最強」を判断するのは、いささか短絡的じゃな.
また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
対馬の宗氏は大きな戦で都合7回戦ったが ・2回の元寇―戦闘に敗れ占領される ※後に記されたもので文永の役で宗助国は80騎(徒の従士含めれば三百程度か) 率い元軍を攻撃したとあるが、当時の宗氏の実力からすると率いた兵数が少な過 ぎる 惨敗したため書き変えられたか創作の類だろう でなければ行けば初めから負けると判る戦いを強行するのは明らかに拙策(ゲリ ラ戦に移行すべきだろう)・1386年倭寇討伐のため、高麗軍が対馬襲来し敗北、全島占領さる ・応永の外寇で兵糧攻めに合い、朝鮮軍に泣き付き朝鮮側から「至誠帰附」する ことを要求される 1422年9月宗氏当主宗定盛とその母自らが朝鮮に赴き誠心帰順の意を示し世宗か ら許される 応永の外寇で宗氏が軍事力で反撃したというのは後世の創作、朝鮮軍は島各地に 柵を作り(朝鮮軍の多くはこの柵造りのための人足だろう)兵糧攻めにしている ・三浦の乱に際し、宗氏は乱に加担し大兵を送るが朝鮮軍に敗北、降伏に等しい 壬申約条を締結させられる ・2回の秀吉の朝鮮侵略に際し尖兵となるが小西行長らともに属した第1軍の死 傷率は60%を越えた(全軍平均の死傷率は38%程度) 宗氏にはあまり軍才はなかったようだ
>>923 まさに対馬は朝鮮の脛かじりですね
バカウヨは根拠ないネタでしか反論できないしw
943 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 10:39:28
戦国時代の日本の軍が強いとかいってるネトウヨは何なの?
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html ふぉ。この手の質問は何度も出るようじゃから、少し背景を説明しておこうかの。
戦国末期の日本が世界でも有数の大量の鉄砲保有国で、かつ戦場における鉄砲の集中利用の戦術面でも突出しておったという事実を,
一般人向けの書籍で実証的に指摘したのはノエル・ペリンじゃったな。20年ほど前に、改めて指摘された日本人のほうが驚いたものじゃった。
この話は、日本の自虐的な歴史教育を見直そうという連中にもてはやされたもので、かなり一般に誇張して伝わった面があるようじゃの。
じゃがな、ペリンが驚愕すべき事実であり、今日の世界が学ぶべき歴史であると世界に紹介したのは、
日本が短期間に世界一の鉄砲保有国となったことではなく、その後に一転して軍縮を徹底して行い、
事実上、当時の最新兵器であった鉄砲を放棄したことのほうなのじゃよ。
16世紀末に世界最大の鉄砲保有国、おそらくは世界有数の軍事力を持っていたことを名誉と考えるか、知られている限りでは世界の歴史で唯一、
自主的に最新兵器を廃棄し、徹底的な軍縮に成功した国が日本じゃったということをのほうを誇りとすべきなのかは、ま、自分で判断することじゃな。
さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
それにじゃな,軍事的に見れば,装備のレベルと動員兵力の大小が、戦闘の勝敗を決めるわけではないのじゃよ.
兵士たちの士気、指揮体系の確かさ、訓練・実践の経験の多さ、資金と食料の調達。
そういうバックグランドがあってこそ、強いかどうか判断されるべきものじゃよ.
数比べで「最強」を判断するのは、いささか短絡的じゃな.
また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
倭は韓国に完敗と言うことでおk?
945 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 13:45:11
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E6%B0%B8%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%AF%87 朝鮮軍は6月20日昼頃に対馬の尾崎浦(朝鮮王朝実録には豆知浦とある)附
近へ上陸。一帯の一般船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1939戸を焼き
払い、また104(実録には首級114)の民衆を虐殺したとされる。しかし6月
26日頃には、仁位郡(実録では尼老郡)で対馬側の伏兵に遭い多大な損害
を受け、李従茂の軍は尾崎浦まで退却、戦局は膠着状態に陥った。6月29日
に朝鮮側は宗氏に対して対馬の属州化などを要求する使者を送るが宗氏に拒
絶された。
戦況は対馬側の反撃により膠着し、損害の大きくなった朝鮮側は対馬側の和
平提案を受け入れ7月3日に巨済島へ全面撤退した。朝鮮側の被害は日本の資
料では死傷者2500以上、世宗実録では6月29日の記録では死者百数十人、7月
10日の記録では180人とされている。
946 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 13:48:37
>>943 何度もそれ貼ってるが、その文面だけ読んでも日本軍弱いとはなってないぞ?
948 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 14:01:08
>>947 なら反論してみろよ
まあ妄想を言うばかりだろうがなww
949 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 14:37:13
950
誰が朝鮮側が圧勝したなんて書いたんだ? たかがサイトや概説本読んだだけのにわか知識屋どうこう言われたくないな だったら専門の研究者の中村栄孝氏や長節子氏の研究論文嫁 ※1419年9月に宗貞盛は豊田某(都伊端都老)を朝鮮に派遣し“降伏を請い”、 印信の造給を要請した(朝鮮側拒否) だいたいなんで対馬が勝ったとか対馬側の和平約条を朝鮮側が飲んだというなら その後、交易がほとんどできないほどに対馬にとり不利な約条を結ぶ必要性があるんだ? なんで応永の外寇以降、前期倭寇が事実上終息するんだ? なんで対馬の最大の倭寇頭目であった早田左衛門太郎が朝鮮側にすり寄り交易商 人に成り下がるんだ? なんでなかなか朝鮮側の許しが出ず、宗貞盛が母とともに自ら朝鮮に出向いてま で許しを乞う必要があるんだ? なんで1422年に一応関係は回復するものの対馬は毎年のように食糧支給を願い出 なければいけないんだ? だいたいwikiに書いてあることを批判なしに鵜呑みにすること自体笑えるけどね
>>946 反応がないから
書き加えるが
『李朝実録』世宗元年六月癸巳条を見てみろ
「・・田土禾穀を芟除す。被虜の中国男女百三十一名を獲す。諸将、獲る所の漢
人に問う。島中飢え甚だしく、且つ倉卒たるを知る。富者といえども、持粮十二
斗に過ぎず、走る。以為、囲み久しければ則ち必ず餓死す。終に訓乃串に柵を置
く。以て賊往来之衝をとどむ。以て久留之意を示す。」
→(上陸した朝鮮軍は)作物を刈り取り、捕われていた中国人男女131人を救
った。諸将が捕われていた中国人に問うと島内の飢えは甚だしい。また慌ただし
く、金持ちでも食糧が12斗しかないと言う。糧道を絶てば必ず(敵は)餓死す
るだろう。島内各地に柵を設けた。それにより島内の交通を遮断し、久しく留ま
ることにした。
朝鮮軍は兵糧攻めの持久戦のため、糧食を65日分もわざわざ携行してきたので
ある
同じ『李朝実録』世宗元年六月壬寅条
「都都熊瓦(宗貞盛)、我師の久しく留まることを恐れ、書を奉て退師修好を乞
う。且つ曰く、七月の間、常に風変あり、大軍宜しく久しく留るべからずと」
宗貞盛は朝鮮軍が持久戦に入ることを恐れ、泣き付いたことを示している
953 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 21:04:19
954 :
日本@名無史さん :2008/06/21(土) 21:38:38
http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mState=2&mTree=0&clsName=&searchType=w&query_ime=%E4%B8%96%E5%AE%97%E5%AE%9F%E9%8C%B2&keyword=%E4%B8%96%E5%AE%97%E5%AE%9F%E9%8C%B2 實率軍士, 登高欲戰, 伏發突前, 我師敗績, 褊將朴弘信、朴茂陽、金該、金熹
等戰死, 實收兵還上船, 賊追擊之, 我師戰死及墜崖死者百數十人。 右軍節制
使李順蒙、兵馬使金孝誠等亦遇賊力戰拒之, 賊乃退, 中軍竟不下陸。
対馬の伏兵に会って被害を受けたってのは変わらんな。
で、思ったんだけどさ、
「降伏を願い出た対馬側が3日まで戦闘を継続し、さらに条約を結んだはずの
朝鮮にまたまた降伏を願い出た」のは何で?
>※1419年9月に宗貞盛は豊田某(都伊端都老)を朝鮮に派遣し“降伏を請い”、
印信の造給を要請した
って書いたのは君じゃん。
しかもさ、
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_10304007_004 >對馬島, 日本邊境。 攻對馬島, 是攻本國也,
こう言われてるわけですが?
955 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 00:48:49
カギ括弧の意味、わかります。
956 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 00:50:24
957 :
947 :2008/06/22(日) 01:02:26
>>948 反論って、日本語の文面が読めないのかな?w
>>943 のコピペで「16世紀末に世界最大の鉄砲保有国」だとか「防衛戦力としては
世界でも当時トップ・レベル」とか書いてあるじゃんw
これが日本軍が弱いって内容なのかよw
>>954 話にならんな
だいたい
>>951 の疑問からズラすなよ
それに兵糧攻めの件は読売の西部本社報道部が出した西国合戦記でも採用されてるな、何故だ?
歪曲して解釈するなよ、まあそれしか自己解釈に合わせる方策はそれしかないん
だろうがね
まあ、前出の研究家の論文読んでから改めて回答してみろよ
959 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 05:08:13
>>957 >外征軍隊としては三流
>外征軍隊としては三流
>外征軍隊としては三流
960 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 05:49:03
話にならんも何も、俺はちゃあんとかの国の歴史文書から引用しているだけですが?
>だいたい
>>951 の疑問からズラすなよ
だ・か・ら、これで朝鮮軍に泣きついたんなら、どうして朝鮮側の脅迫に
>島之屬於慶尙道, 己之所不知, 戒道豈能獨知乎? 必是妄言也。 假使本島
雖屬於慶尙道, 若不撫綏, 必外於聲ヘ。 本雖不屬, 若撫之以恩, 誰敢不服?
對馬島, 日本邊境。 攻對馬島, 是攻本國也, 故小二殿以通好大國與否, 俱奏
御所, 答以任意爲之, 故島主遣我來貢。
こう切り返せるんだよ?
確かに兵糧攻めはしてるけどさ、勝ったって言うなら、
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_10107022_006 >左軍節制使朴實對馬島敗軍時所(護)〔獲〕漢人宋官童等十一名, 備知我師見
敗之狀, 不可解送中國, 以見我國之弱。” 右議政李原及卞季良、許稠等皆曰:
“宜解送, 以全事大之禮。”
http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wda_10108016_003 >上王曰: “朴實敗軍之罪, 固所知也。 若以法論, 則廷顯爲都統使, 不卽收實
請罪, 是亦有罪。 今罪張蘊以誣告, 而賞諸將, 又下廷顯、從茂於(嶽)〔獄〕,
無乃有愧於國人乎? 況東征勝多敗少乎? 後日之事, 亦不可不慮也。 若爲大擧
之計, 亦宜用權, 然吾豈以此終不治其罪乎? 今實當以功臣之子免之。”
こんな事書く必要も無いワケだし。
961 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 05:50:18
歪曲てwww 朝鮮側の史書を見て言ってるのに「歪曲ニダ!!」ってファビョったのは 笑えたww
>>957 >さて,そのペリンの本じゃが、かなり事実誤認の多い代物らしい。
>銃砲史研究者の宇田川武久は著書『鉄炮伝来』(中公新書,1990年2月)のあとがきで,いくつかの問題点を指摘している。
「らしい」としか書かずに何ら具体的なことを指摘していないんだよな。
宇田川の本の引用すらしていない。
下段の部分は常識の範囲だが当時の日本軍の水準について、何ら具体的に論じているわけでもない。
>また,海軍が弱いので外征に向いてはおらんしの。
>防衛戦力としては世界でも当時トップ・レベルじゃが、外征軍隊としては三流というところじゃろうの。
この時代の水軍・海軍は陸上基地無しには活動できない、第一の役割は海上連絡線の確保だが
例えば朝鮮役の場合、釜山〜対馬間のそれは戦役中終始維持されていたわけだ。
半島西岸の西進を明・朝鮮水軍に阻止されたのは事実だが(陸上侵攻して港は奪取したりしてる)
外征に向いていないとまでは言い難い。
最強説の根拠は薄いし前半の部分は肯ける、しかし後半の「海軍が弱いので外征に向いていない」とか
「外征軍隊としては三流」と言い切るのも首を傾げるところだね。
まぁ軍事板常見問題の管理人が2chのレスを任意に取捨選択したものだから色々有るね。
>>943 この爺くさい口調、もしかして白馬青牛の書いた文章か?
だとしたら根拠薄弱なのもうなずける。あいつろくに根拠を提示せずに結論出すからな
まとめサイトなのによりによってこんな文章取り上げなくても・・・
966 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 14:52:40
よく理解していないのに出しゃばるからデタラメを流布することになる。
968 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 20:31:19
明も朝鮮も野戦で全然勝ってないしな。
969 :
日本@名無史さん :2008/06/23(月) 23:07:54
971 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 07:55:16
勝ってないの?
明や朝鮮が野戦に勝っていないと言いながら 沿岸の城に追い込まれ餓死寸前になったり 大量の資金資材人力を投入しておきながら日本が撤退する不思議
びびって敵前逃亡しまくったんだろw 逃亡してりゃ野戦で負けることもない罠w
974 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 10:13:44
>>972 自主的に引いたから追い込まれてないし築城中に起きた第一次蔚山の戦い中以外は飢えてないが?
むしろ食い物が無いのは補給に失敗した明軍や朝鮮。
自主的に逃亡した。 もちろん負けていない。
>自主的に逃亡した ださっw 負け犬の遠吠えww
追い込まれても大名クラスが一人も戦死していない不思議 自主的に逃亡しながらも明の国境近くまで進軍している不思議
はいはい 3分の1も兵力失ったけどね。現代戦では25%兵力失ったら壊滅と言うんだが 明国境までとか言ってるがそれは明軍介入前じゃないか たかだか朝鮮半島カッポしただけで世界的に見ればそんなたいしたことないしょ 明にとってはオスマンを破って西アジアを席巻したティムールの方が百倍脅威だったろうな
だからそんな大敗ならなんで名のある大名がさっぱり戦死してないのかって話でしょうが 文章まともに読めないのか、わざと馬鹿演じてるのか
980 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 14:34:00
大敗しているのは明じゃん。
981 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 14:34:09
名のある大名が腰抜けぞろいだったんだろw 真っ先に逃亡していれば自分の命だけは助かる罠w
朝鮮に自分の兵をわざわざ殺させに行くバカタレ糞大名ですかっwwwww
984 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 17:53:18
>>978 >現代戦では25%兵力失ったら壊滅と言うんだが
そうかそうか、10万のうち3万も失った明軍は壊滅状態だったのか。
そうかそうか。
10万のうち3万も失った明軍 ↑ ?出典plz
あれあれ?明軍はしまず(なぜかry)に惨敗して20万人殺されたんじゃなかったかー?
988
989 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 20:15:03
日本軍は戦力の3分の1も失っていないので最後まで戦闘力を保ち、明軍を撃破し続けました。
990 :
日本@名無史さん :2008/06/24(火) 20:24:54
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梅
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