【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】

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1日本@名無史さん
成立ですらいまだに謎が多い大和朝廷。
物部、蘇我、大伴佐伯から平、源、藤、橘にいたるまで
大和朝廷で活躍した豪族やエピソードについて語りませんか?
2日本@名無史さん:2006/06/07(水) 09:06:20
軍事力では物部が最強?
3日本@名無史さん:2006/06/07(水) 09:25:35
仏罰を受けなければ物部は衰えなかっただろうにね。
4日本@名無史さん:2006/06/07(水) 09:41:57
俺達、独身豪族
5日本@名無史さん:2006/06/07(水) 10:13:15
軍事の物部・大伴
外交の蘇我
技術の秦・東漢
6日本@名無史さん:2006/06/07(水) 11:22:16
大伴はまさに七転八起で冷遇されたかと思えば
大化の改新で復活し、そしてまた冷遇され最後にまた参議になってそのまま消えていった。
権勢を振るっていたのにもかかわらず天皇に1回しか后を入れてないというのもまた不思議。
7日本@名無史さん:2006/06/14(水) 18:55:47
大伴は天皇家に嫁ぐことができない家系じゃなかったか?
神別氏族だかなんだかで。
8日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:29:19
今も続いてる家系はありますか
9日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:34:11
阿蘇国造
10日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:51:41
源平藤橘は脈々と続いているけど
他は朝廷の要職から姿を消しただけで
物部氏の末裔という説が有力な厚東氏とか
地方に行くと庶流が結構残ってるんじゃない?
大伴氏は伴氏に変わってから詳細な系図が分からないらしい。
佐伯氏は厳島神社の初代宮司が佐伯氏だったり
安芸、伊予、豊後に結構残ってる。
11日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:53:09
古代の名将阿倍比羅夫が蝦夷地まで版図を伸ばしたことについて。
12日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:18:20
それなのに何故蝦夷地に内地の勢力が定着し拡大しえなかったのか。
13日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:55:41
>>12
宴会して
もてなして
おだてて
贈り物あげて
気分良くさせて

お帰り願っただけだから。
14日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:47:02
だな
15日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:14:47
から揚げ
16日本@名無史さん:2006/07/06(木) 01:20:28
揚げ玉
17日本@名無史さん:2006/07/06(木) 02:06:32
蘇我蝦夷ってなんで蝦夷(蛮族の名)ってつけたの?
蔑称?
18日本@名無史さん:2006/07/06(木) 17:31:00
>>17
強そうだから
19日本@名無史さん:2006/07/07(金) 01:30:14
小野毛人(えみし、妹子の子)や佐伯今毛人
もいるから、単なる蔑称だったとは思えない。
毛屎・屎子・麻呂と似た様な理由かと>厄祓
20日本@名無史さん:2006/07/15(土) 15:41:16
くせ
21日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:29:19
うp
22日本@名無史さん:2006/08/18(金) 23:23:49
===================私はプラムです===============
毎日朝からレスしています。馬鹿スレばっかり作っています。自作自演でしか自己主張できません。
人の話は読み取れません。質問されても返事できません。議論はいつでも負けますが、相手が勝手に逃げてくれます?!
頭は悪いけど負けず嫌いです。約束や自分で書いた事が守れません。東広島に住んでいますが長州気取りです。

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23日本@名無史さん:2006/08/20(日) 00:29:41
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24日本@名無史さん:2006/08/20(日) 03:42:56
マイナースレなので、とりあえず、古代豪族家を書いてみてくれ。
25日本@名無史さん:2006/08/21(月) 00:33:00
物部 穂積 大伴 佐伯 中臣 忌部 三輪 安曇
多 和珥 小野 粟田 春日 葛城 蘇我 平群 紀 巨勢 阿倍 膳 息長
東漢 西文 秦
26日本@名無史さん:2006/08/21(月) 21:46:31
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27日本@名無史さん:2006/08/22(火) 00:31:16
面白いことに、上代で権勢を振るいつつも、誅された者たちって、
ほぼ「臣」なんだよな。
「連」もいるが(物部守屋とか)、少ないんだわな。
28日本@名無史さん:2006/08/22(火) 00:38:07
>>25
土師・尾張・毛野・大鳥なんてのは?
29日本@名無史さん:2006/08/22(火) 01:11:30
文屋氏って、どの系統でしたっけ?
あと、鞍作なんていう、メイドインチャイナの氏族もいるぞい。
三国史演義で有名な、司馬親子の子孫らしいですな。
秦氏は秦の始皇帝の子孫ということだが、?だそうで。
発音は似てるが、羽田氏は臣で、いわゆる「武内後裔」のはず。
ちなみに、垂仁天皇時代の伝説の人物・野見宿禰を祖として、
焼き物を司っていたのが、土師氏であり、後に大きく3系統に
分かれたうちのひとつが、菅原氏で、これは学者の系統として
今日にまで伝わっている。さらに、菅原氏からは大江氏が分岐
しており、一部は鎌倉幕府に「知恵袋」として仕えて以降、
武士となった。これが毛利氏であり、宗家は滅亡したものの、
庶流が後世に急成長し、現在も家は存続している。
江戸時代に残っていた朝廷外の権力者で、天皇家後裔や藤原氏
後裔・寺社を除いて、ここまで系譜が辿れるのは珍しいかもし
れない。
あと、和邇氏と小野氏って、なんらかの接点があるのかな?
近江つながりでいけば、粟田氏も。
古墳時代中期、応神天皇の権勢によるものなのかどうかわからな
いが、大和朝廷は近江を手中に収めている。
その後も大王の一族が直接支配、武烈天皇崩御後はこれがスペ
ア機能を発揮し、皇統は現在にいたる。
てなわけで、古代中央豪族の本拠地を見ると、大和・近江・河内
の3国が群を抜いて多いですね。
30日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:53:48
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31日本@名無史さん:2006/08/23(水) 00:23:40
>>28
大鳥って何すか?

>>29
文室は天武天皇の皇子(ほとんど長親王)の子孫

あと、菅原から大江が分かれたというのは間違いで、
土師から菅原・秋篠・大江の3系統が分かれたんでし

和邇・小野・粟田は血縁的擬制同族
和邇→春日┬→春日粟田→粟田
          └→春日小野→小野
32日本@名無史さん:2006/08/24(木) 02:38:16
>>31
手直しサン楠。
33日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:22:12
阿蘇や諏訪も古代豪族ですか?


34日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:07:03
まぁ地方豪族だけど
35日本@名無史さん:2006/09/23(土) 01:27:29
ho
36日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:17:37
age
37日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:58:12
あげ
38日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:50:51
違うと思われ
39日本@名無史さん:2006/10/28(土) 23:58:44
>>33
古代豪族とは違う。
もっと後になってから登場。
40日本@名無史さん:2006/10/29(日) 01:05:19
阿蘇国造がいるぢゃないか
41日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:04:20
41
42日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:29:49
>>31
春日氏って蘇我氏や大伴氏より影が薄いイメージがある
43日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:51:20
そのとおり
44日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:27:31
浮上
45日本@名無史さん:2006/12/31(日) 17:06:42
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
46日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:54:21

日本史板の常識

コテ=馬鹿

47日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:20:45
>>33
御神体に守屋公祀ってるけど
諏訪って物部と関係有るのかね?
48日本@名無史さん:2007/01/06(土) 03:21:38
モレヤだろう
49日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:53:26
588 名前: 名無しさんにズームイン! 投稿日: 2007/01/06(土) 21:43:25.40 ID:VuQThKKz
>>575
脳レベルっていうか日本人と朝鮮人は同じ民族だしな
百済王家の流刑者が日本に土着して、大和政権を建てた分けだし
皇族・公卿と言われる連中は自分達が朝鮮の血を汲んでいることを分かってる。
だから上流層は今でも親半島派が多い。朝鮮人を馬鹿にしてるのは無学な農民出の日本人だけ

世界のプリンセス全部お見せいたします!4
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/liventv/1168083604/l50
50日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:05:05
奈良の盆地湖が一瞬で消えました。
溝作ったら。
51日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:23:15
>>49
これほんと?
52日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:36:44
>奈良の盆地湖が一瞬で消えました。
>溝作ったら。

九州大好きさんの説だそうです
53日本@名無史さん:2007/01/08(月) 16:31:09
>>51
それ書いたのは、在日に決まっているだろう。
中国人の学者は、任那日本府を支持しているぐらいだから。
古代史の分野では、日本と中国が同じ。
韓国だけが異質。
54日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:22:53
ho
55日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:39:24
su
56日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:01:25
伊福部一族ってどーなの?
57日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:05:04
>>40
阿蘇国造と阿蘇氏は同じではない。
阿蘇氏は古代氏族には属さない。
58日本@名無史さん:2007/03/04(日) 18:52:30
何で?
59日本@名無史さん:2007/03/09(金) 20:20:41
>>57
記紀にも出て来る「阿蘇君」は立派な古代氏族だがな
60日本@名無史さん:2007/03/19(月) 11:17:05
秦氏はユダヤ人だったってTVで言ってたよ
61日本@名無史さん:2007/03/19(月) 20:41:42
ウンコ人大林君の部屋
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/menu0.html
うんこ脳の垂れ流しHPだよW

ウンコ人の部屋にもし行けなければ
別のウインドウにアドレス貼り付ければ行けるよ
どっかで見たようなウンコ臭いHPだよ
明らかに大林君とブラ国と同じ人のようだけど・・・
62日本@名無史さん:2007/04/17(火) 06:35:33
↑浮上
63日本@名無史さん:2007/05/26(土) 00:14:25
ho
64日本@名無史さん:2007/06/26(火) 20:38:06
sage
65日本@名無史さん:2007/08/18(土) 12:17:50
安倍総理は安倍貞任の子孫。
先代の父が、追悼祭に出てた
66日本@名無史さん:2007/08/18(土) 19:09:37
耳無しホウイチ伝説
67日本@名無史さん:2007/08/19(日) 14:48:06
貞任じゃなくて宗任な。
68日本@名無史さん:2007/08/20(月) 09:49:59
紀氏ってどうなったのよ。
堂上じゃなくて地下官人として残ったわけ?家名忘れたけど。
他の古代名族も、地下として京都で維新まで生き延びた氏族っているの?
和気氏とかって丹波家として典医として残ったよね?

ちなみに、足利義満の生母の紀氏って古代名族の紀氏?
また、紀伊国の元国造の紀家(神官として維新を迎え、その後男爵)も
古代名族の紀氏と同じなの?
どなたか教えてください。
69日本@名無史さん:2007/08/20(月) 17:24:29
>>68
同じです
70日本@名無史さん:2007/08/28(火) 20:09:29
>>69
違いますよ。武内宿禰系の紀朝臣と紀伊国造系の紀宿禰。
71日本@名無史さん:2007/08/29(水) 03:09:34
>>70
え!?
じゃあ足利義満の母親の紀氏は、古代名族の紀氏(紀貫之など)なの?

武内系と紀伊国造系は、血筋的に全然別系統なの?
72日本@名無史さん:2007/08/29(水) 06:05:18
武内系と国造家は本来出自も姓も異なるが、
平安中期に武内系から国造家に入り婿して
国造職を継いだので、血筋は同じになった。

紀良子は石清水八幡宮の善法寺家の娘だから、
武内系の紀朝臣の末裔。
ttp://nanteo.s14.xrea.com/keyz/shrine/shrine010.html
73日本@名無史さん:2007/08/29(水) 06:26:37
紀姓の地下と言えば、まず真継家かな。真継家文書が有名。

>和気氏とかって丹波家として典医として残ったよね?
和気氏の子孫は半井家。丹波家も古代氏族の流れだけど。
74日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:53:33
>和気氏の子孫は半井家

なにっ、じゃあのNHKの天気予報の半井小絵ちゃんのご先祖様は
和気清麻呂ってことなのか?

おー清麻呂さんよ、よくやった!
75日本@名無史さん:2007/08/30(木) 01:09:49
>>73
>>74
京都の試薬品メーカー「ナカライテクス」って、この半井一族が創業者
なんだろうけど、会社のHP見ると、弘化3年(江戸末期)に半井萬助が
創業、とあったけど、本家とどういう関係の人なんだろう?
現在の半井家当主、もしくは本家ってどうしてるんだろ?

私が数年前京都に仕事で住んでいたとき、京都有数の高級住宅地に、
古い屋敷にすむ「半井さん」ていたけど、そこのお父さんは結構偉そうな
気位の高いオヤジだったな。よく覚えてないが、確かに薬関係の仕事して
たかも。
半井家は、確か明治で爵位を得ようと運動したが認められなかった、
華族になれなかったってネットで読んだけど、和気清麻呂はさておき、いつの
時代くらいから堂上から地下に零落したのだろうか。

半井小絵は兵庫県明石市出身で、確かに関西だが、この半井家とは関係ない
でしょう?
76日本@名無史さん:2007/08/30(木) 01:21:53
>>72
すごい、詳しい、素晴らしい。
わたしも日本史学科卒のマニア程度だが、よく本は読む。しかし
この疑問に答えてくれる文献はなかった。
>>73の回答も、時間からして同じ方でしょ?
(丹波家や和気氏のことは調べれば比較的すぐわかるが)。
スゴスギ、
あなたは誰?
77日本@名無史さん:2007/09/06(木) 21:43:51
平群氏、膳部氏、葛城氏なんかの豪族の血は、平安初期くらいにはどう
継承されていってたの?
滅んだわけじゃないのにいつの間にか姿を消してるって印象で、誰か
教えてください。
78日本@名無史さん:2007/09/08(土) 08:04:55
膳氏は高橋に改姓して地下に残っただろ。
79日本@名無史さん:2007/09/08(土) 12:42:50
高橋家ってあの御厨子所預の並官人の家?
確かにこの役職は内膳司・酒造司などが調進したものを天皇に膳として供する
役で、膳氏の担ってきた役割にかぶるけど、この高橋家の祖は紀宗茂だよ。

この高橋家は地下のなかでも血筋的にみても得意な存在らしいが、この高橋家
のこと?
80日本@名無史さん:2007/09/11(火) 04:20:44
自演臭がプンプンするんだぜ
81日本@名無史さん:2007/09/14(金) 03:38:57
そう?
82日本@名無史さん:2007/09/17(月) 00:37:52
兄嫁のルーツらしいんですけど三輪氏って凄いんですか?
83日本@名無史さん:2007/09/17(月) 13:54:22
>>82
兄嫁の旧姓は?出身地は?
84日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:02:02
大神(おおみわ)じゃなくて三輪?
85日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:04:25
>>83
三輪。大神神社(奈良ではない)がある所です。
86日本@名無史さん:2007/09/17(月) 18:30:34
明治以降につけた苗字だろうな。ゆかりがあるっていう家の言い伝えを根拠に。
古代名族が、以来千年以上も同じ血統まもって生き残れるわけないからさ。
87日本@名無史さん:2007/09/17(月) 18:35:45
ヒント:家と血統は違う
88日本@名無史さん:2007/09/17(月) 20:25:15
武士なんかは滅ぼされたり、同じ一族でも支配地によって違う姓を名乗ったりするが、
神社なんかは古い姓が一番残っていそう。政局から外れた地方には特に残り易いのでは?
89日本@名無史さん:2007/09/17(月) 21:04:00
うちは爺様も婆様の家も千年前の姓のままだよ
古い姓のまま。
90日本@名無史さん:2007/09/17(月) 23:20:22
古い家の、とくに古代名族レベルであれば、直系の家が家名を変え、そこからまた違う家名の家が興って
古代の氏姓とは違った苗字になってるのが多いけど。
91日本@名無史さん:2007/09/17(月) 23:34:53
ああ婆様の方はものすごく昔に一度変わってるな
姓というか名字だね。カバネも一度変わってる。
じさまの方は千年前と今も同じ
その前はまた違ってたのかもしれないけど、婿養子に来た実家だからよくわからない
古代からの名族と言われてるのはばさまの家の方
92日本@名無史さん:2007/09/18(火) 01:53:41
秀吉の姉の夫で犬山城の城主だった三好氏は三輪の一族といわれている。
で、その次の城主は三輪姓。ちなみに尾張一宮に大神神社がある。
三輪の血を引く豊臣に織田(浅井)の血が入り、その娘が九条家へ嫁いでいる。
その九条家の数代後の九条節子が後の大正皇后。サーヤにも繋がりますよ。
隣の岐阜県上石津にも大神神社があり、三輪姓が数多く確認されている。
近くの関ヶ原や三重県との県境方面にも三輪姓が多く見られる模様。
地名に三輪が残る地域も数ヵ所確認済み。大神ゆかりの寺院などもある。
「明治に入って一つの集落がまとまって三輪姓を採用した」では
説明がつかないほど広範囲に三輪姓が見られる。
関ヶ原の合戦の際に島津氏の敗走を手助けしたのは岐阜の三輪氏。
尾張から美濃辺りは地理的に近いので、大和の勢力の足跡が強く残っている。
岐阜県の三輪加茂市は三輪の加茂氏(鴨氏)に由来するが、
鴨氏は三輪氏と同族といわれているらしい。
地域の歴史を調べただけで古代史マニアではないので知識はここまで。
奈良〜京都ほど調査が進んでいない周辺地域に隠れているものがある。
歴史は奥が深すぎる。いつか全貌がわかるというものでもないし。
93日本@名無史さん:2007/09/18(火) 03:02:02
とりあえず、質問者は>>92さんへ早くお礼を言おうよ。age
94日本@名無史さん:2007/09/18(火) 03:14:46
三輪加茂市?
美濃加茂市のことかな?
95日本@名無史さん:2007/09/18(火) 03:23:10
美濃の加茂氏→美濃加茂市だね。
96日本@名無史さん:2007/09/18(火) 06:09:22
近畿は埋もれて隠れてる歴史がいっぱいあるから面白いね。
個々の家々はその歴史も伝え継いでたりするけど
表立っては出てこないから、繋ぎ合わせていくと面白いんだろうな。
パズルのピースをひとつづつ手に入れていって、繋ぎ合わせて巨大な絵になるみたいな。
97日本@名無史さん:2007/09/18(火) 16:05:37
関西人の顔は、総じて渡来系の顔が多いのもその意味で面白いな。
近代社会になったって言っても、仕事の転勤などで大きく出身地を離れて
生活する人間が出てきたのも、せいぜいここ3代くらいのこと。
まだまだ、古代からの地縁的・血縁的な地域コミュ二ティは崩壊してないんだよな。
98日本@名無史さん:2007/09/18(火) 16:17:27
地理的に中間にある愛知岐阜が
東日本か西日本かって議論があるけど
歴史的文化的ルーツは関西圏だよね
99日本@名無史さん:2007/09/18(火) 16:46:27
岐阜は関西弁だし東日本には入らないだろう
100日本@名無史さん:2007/09/18(火) 16:52:03
少なくとも美濃地方は関西だな。大和政権の庭みたいなものだからな。
101日本@名無史さん:2007/09/18(火) 17:25:21
>>97
渡来系の顔ってどんなの?
東京大阪名古屋なんかの都会は、いろんな地方からの流入者が入り混じってて
あんま変わらないと思うんだが
東北や奄美なんかの地方のが地域性が色濃く容貌に残ってる
102日本@名無史さん:2007/09/18(火) 21:21:18
>>92
興味深い説明ありがとうございます。
兄嫁の実家は本家ではないとのことですが、
本家には江戸時代の旗本の屋敷より古い屋敷があったそうです。
地域には平安時代以前からの風習も残っているみたいです。
103日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:35:20
とりあえずおまえの先祖とか実家とかいいかげん興味ない
104日本@名無史さん:2007/09/19(水) 02:45:48
>>103
そう?いいじゃん、リアな歴史なんだから、すごくいい意味で興味あるやり取りだけど。
105日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:24:24
>>101
「渡来系の顔」といえば、名著『君は縄文人か弥生人か』(だったっけ?)で広く知られたように
日本人の顔だちで列島の先住民と稲作などと共に大陸からの渡来人と、どちらにルーツがあるか分類
される説が知れ渡ったけど、数年前にNHKで興味深い番組やってたよ。
東北地方で洞窟の土の中から子供の骨が発見されたんだけど、かなり早い段階での、縄文人と弥生人の
混血児の骨だったみたいで、それまでの岐阜・長野の境界ライン説を覆す可能性がでてきた、という内容だった。
あの番組もう一回やってくんないかなー。

106日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:30:26
薩摩の西郷隆盛の肖像画の顔と、天皇家の顔つき(もしくはお公家さんの一般的イメージの顔つき)を比べると、
明らかに前者は縄文人、後者は弥生人、って感じがする。
すると天皇家や天皇家を取り巻く廷臣などは、渡来系の顔つき→関西方面に多い顔つき、という感じなのか?
107日本@名無史さん:2007/09/19(水) 07:47:32
yap+密度量ればいい。明治以後の移住組みのハヤト血統系は除けるだろ。
108日本@名無史さん:2007/09/19(水) 10:21:58
>>105
アリガト

うーん、今はもう入り混じってるからなあ。
今の天皇家の顔も、香淳皇后祖母の島津の美人側室顔の(劣化版)のような。
まあ明治の下級武士の写真の顔みたく、野卑な顔立ちはいないけどなw
明治頃の天皇・皇族・将軍家の写真見てると総じてノーブルな顔立ちだ。
109日本@名無史さん:2007/09/19(水) 17:03:16
貴族顔と農民顔があるって話もあったよな。『死体は語る』だったかな?
何代か金持ち生活が続くと、食べ物が柔らかいから面長になるって話。
110日本@名無史さん:2007/09/19(水) 17:47:28
徳川の遺骨を発掘したら、京から来た正室もみな顔幅が狭くて面長だったそうで
当時の貴族顔の特徴だったようだね
111日本@名無史さん:2007/09/19(水) 19:39:57
後水尾天皇のあのごつい四角い顔は、天皇家の顔つきとしてはちと特異だよな。
その後の息子たち(後西天皇、霊元天皇、妙法院法親王など)に見事に
四角顔が遺伝されてる・・・・・・・・。
112日本@名無史さん:2007/09/19(水) 19:42:40
明治期に、富山藩主家から、三井本家に嫁いだお姫様の結婚のときの十二単の
写真みたら、すごーーーーーーい顔長いの。すごいの、まじで。
目鼻立ちは整ってるんだけど。
113日本@名無史さん:2007/09/19(水) 19:56:46
後水尾天皇の時代だとまだ顔も洗練されてなかったとか
長い年月をかけて面長になっていったんだろう
114日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:31:17
>>113
後水尾天皇の親父後陽成天皇
息子の顔よりもはるかに面長で、洗練されている

http://www.sengoku-expo.net/text/portrait/images/L/073-q01.jpg
115日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:36:20
お母さんが四角かったんだろな
116日本@名無史さん:2007/09/20(木) 00:31:35
生母の近衛前子、やっぱり顔四角かったのか・・・。
でもその後の江戸期の近衛家当主の顔って面長だよね。

細川元首相や、その甥っ子の近衛家嫡男も、すごい顔ごついけど、
それは細川の幕末の藩主の遺伝だろうし。
117日本@名無史さん:2007/09/20(木) 02:01:00
一応古代スレなので、そろそろ軌道修正を。
118日本@名無史さん:2007/09/21(金) 18:21:56
俺のじーちゃんは三重県桑名市出身。桑名は豪族の名前らしい。
地名って豪族に由来するもの多いのかな?
119日本@名無史さん:2007/09/21(金) 18:37:50
>>111
そのDNAはヒロノミヤに見事に受け継がれている。
120日本@名無史さん:2007/09/22(土) 00:30:06
>>119
皇太子の顔の輪郭は、美智子のDNA。
121日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:14:16
なんで一国の皇后を呼び捨てなんだろう
チョンか
122日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:29:06
正田さん
123日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:51:36
天皇皇后を貶めて書くようなのは三国人か頭の中が赤いかだな
124日本@名無史さん:2007/09/22(土) 02:22:36
別に貶める様なこと書いてないじゃん。
冷やかしだけの内容のないレスは邪魔だからやめてくれ。
125日本@名無史さん:2007/09/22(土) 05:42:35
天皇、皇后を呼び捨てするとは不敬だ!と恫喝し金を取るのがエセ右翼の集金法の一つ。
126日本@名無史さん:2007/09/22(土) 10:59:39
他人に対して呼び捨てって失礼だよ
目上のうえに皇后陛下だ
そういう躾も受けなかったのか
チョンなら仕方ないがな
127日本@名無史さん:2007/09/22(土) 11:36:32
どうでもいいから近代史板にいけチンカスども
128日本@名無史さん:2007/09/22(土) 11:45:47
>>126
そこに腹を立てることに文句はないけど、あんたの考え方なら、
匿名掲示板の皆は他人であり、目上の可能性もあるんだから、
あんた自身も敬語でレスしたほうがいいんじゃないの?
129日本@名無史さん:2007/09/22(土) 11:53:43
>>118
逆。 豪族が地名を苗字とした場合がほとんど。

桑名氏といえば、伊勢平氏のが著名だろうな。

>>119-126 >>128
天皇スレにでも逝ってやれ。
130日本@名無史さん:2007/09/22(土) 12:04:15
>>126
そいつは他のスレも荒らしてるやつだからスルーで
131日本@名無史さん:2007/09/25(火) 17:18:49
>>79
もと膳臣の高橋朝臣姓は内膳司
紀朝臣姓の高橋氏は御厨子所預

紛らわしいが別氏
132日本@名無史さん:2007/09/26(水) 22:39:37
>>92
三輪姓は愛知県と岐阜県に集中してますね。
この2県に三輪姓の3分の1強が集中しています。
大和での勢力が弱くなって以降、この地域へ離散したのでしょうか?
一族の中枢は大神姓を賜り三輪を名乗らなくなったことで、
勢力範囲の僻地にいる傍流に三輪姓が多く残ったのかもしれません。
133日本@名無史さん:2007/10/02(火) 00:03:41
奈良をマターリ語るスレで柿本人麻呂について、熱く語っていたら、ここに追いやられました
マターリ語るスレ続き
聖徳太子の十七条の憲法の第一冒頭の文『和を以て貴しと為す』は実は礼記の『以レ和為レ貴』と同じ
『礼記』というのは、周末から戦国・秦・漢時代の儒学者の礼に対する論を集めたものなんですよね
学校の社会では、仏教と習いますが、十七条の憲法の第一文はなぜか儒学者の礼に関する論を集めた礼記と同じなんですよね
134武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/02(火) 00:24:41
>>123
おまえはどこの田舎の年寄りだ?
今時バカじゃねえか。
東京の大学に来い。一年生からやりなおせ。どうせ仕事もしてねえヒマ人なんだろうが。
日本はどこぞの田舎王国じゃねえんだ。
まともな先進国で国王呼び捨てにしたからって、とやかく言われる筋合いじゃねえよ。
おまえみたいにネオナチみたいな社会に怨念を持った根暗野郎のほうがよっぽど公害だぜ。きもいよ。
てめえが今まで女の子にモテなかったのは、容姿のせいだけじゃない。気持ち悪いからさ。
135日本@名無史さん:2007/10/02(火) 00:48:02
いきなりあぼーんが入った。糞コテまだいるのか
早く死ね
136日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:00:08
また、和爾氏の名字の多くは神社につけられているんですよね
あと、柿本人麻呂のふすま道を 引き手の山に妹(いも)を置きて 山路を行けば 生けりともなし
と詠んだ周辺には、崇道天皇陵があることから、崇道天皇を慕った歌かと考えて、それはないとの指摘をいただいたので、地図とにらめっこしました
実は歌が詠まれた場所は、竹之内環濠集落、かよう環濠集落の近くなんですよね
ふすま田陵は手白香天女の墓があるところ
もし、この歌が死別ではなく、生別の歌であったなら・・
しかも、山辺の道には、龍王山と三輪山という二つの山があるんですよ
引き手の山=龍王山でかよう環濠集落に妻を置いて行く歌であったら・・
遠ざかる龍王山の方に妻を置いて山道を歩いて行けば、生きた心地がしない
『引く』というのは、古語で『逃げる』『役職を去る』という意味があります
反面、『ひいきにする』『心をひきつける』『自分の手元に寄せる』という意味もあります
ここでいう引き手=自分を取り立ててくれた人=引き手の山=その人が眠る山と考えられないでしょうか
そして、石上神宮〜田原本・飛鳥方面で、かよう環濠集落には、塚穴山古墳、西山古墳、下池山古墳、黒塚古墳、景行天皇陵、崇神天皇陵、崇道天皇陵があるんですけど、山手、つまり、山に続く道につながるのは、崇神天皇陵と崇道天皇八島陵になってくるんですよね
古墳ではなく、後水尾天皇皇女墓と霊元院天皇皇女塚が崇道天皇陵の近くにありますけどね
そして、崇拝天皇陵のある八島陵では、二本の川が出会い、その向こうに崇道天皇陵が見えるんですよ
その近くには嶋田神社と皇室ゆかりの円照寺(別名山村御殿)があるんですよね
137日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:00:38
崇拝天皇×
崇道天皇〇
138日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:09:17
そして、この嶋田神社に立てられている万葉の歌碑はどちらも『あしひきの』で始まります
『あしびきの』と言えば?
139日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:14:34
訂正
嶋田神社には→嶋田神社周辺の円照寺参道には
140日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:25:28
そして、この『あしひきの』を詠んだ人物は日本書紀を編纂した舎人親王、すなわち、後に藤原氏へ傾斜していった人物なんですよね
141日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:35:46
この『あしひきの』の中にうたわれている山人とは?
果たして、柿本人麻呂作とされている『あしひきのやまとりの・・』の歌はほんとうに色恋の歌なのか?
気になります
142日本@名無史さん:2007/10/02(火) 01:38:33
おやすみなさい
あと、崇拝天皇八島陵の前には車が通ってる道があって、その前に川が流れています
この川が別の川と出会う可能性はあると思います
143日本@名無史さん:2007/10/02(火) 02:03:55
また、面白いことを見つけたら、書き込みます
おやすみなさい
あと、日本の陰明道のもとになっているのは、中国古代の陰明五行説です。そこから、陰明道が生まれました
また、漢の将軍、李広の故事に『猿ぴ』という言葉があり、猿のようにからだに比べて長い手は弓を射るのに向くとされています
つまり、猿と言う名は、木に昇り弓を射る人や弓の名人をさした可能性はないでしょうか?
また、崇道天皇は断食の後五日で死したと言われています
当時の移動は徒歩と馬のはず、石見で死に望んでとは、奈良県天理市を出て十日目、崇道天皇の死に臨んで、詠んだ歌とは考えられないでしょうか?
『臨む』と言う言葉には、『高貴な人がその場に出向く』『その場に居合わせる』『その時に及ぶ』の三つの意味があります
144日本@名無史さん:2007/10/02(火) 02:07:06
訂正断食の後五日→十日
145日本@名無史さん:2007/10/02(火) 06:25:27
そして、この時代に登場するのが、阿倍仲麻呂です。奈良時代の遣唐留学生(安倍仲麻呂とも、書きます)
青年698で16歳の時、遣唐使の随員として、長安に至ります。玄宗皇帝に気に入られ、秘書監(秘書省の長官)まで勤めたとされている人物です。
王維・李白とも信仰があったとされています
実はこの人物、考明天皇の血を引くとされているんですよね
146日本@名無史さん:2007/10/02(火) 06:30:09
考明天皇→考元天皇
147日本@名無史さん:2007/10/02(火) 06:49:35
もう一つ『ぎし倭人伝』に関わる内容です
恵王(紀元前400〜紀元前370)は戦国時代(紀元前370〜紀元前310)まで、『ぎ』の国君でした。孟子、恵施、ほうけんなどの多くの人材を招いています
そして、このうち、恵施は戦国時代の名家の思想家とされ、巧みな詭弁で知られ、荘周と関係があったとされています。著書に『恵子』があります。
恵施著『恵子』
148日本@名無史さん:2007/10/02(火) 06:55:30
恵子著『恵施』だったかも
149日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:01:01
そして、この名家によって表された書が
『公孫龍書』
高松塚古墳の壁画のうち一つ、青龍につながります
150日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:12:07
ところが、蒼龍(青龍)、玄武、白虎、朱雀とくると、これは、二十八宿になってしまいます
しかも、二十八宿の登場は紀元前1100年ごろです
151日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:16:22
神獣鏡があちこちで発見されていますが、実は四神とは二十八宿において方位を守る神獣を指します
東→蒼龍
北→玄武
西→白虎
南→朱雀
飛鳥と陰明道の関係を他スレで語ったのは、この事に基づいてです
152日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:38:56
また、『猿嘯』というという中国の杜甫歌が、『登高詩』にあり、『風急天高猿嘯哀』とあり、中国の『僧ぎ律』に『猿コウ月を取る』があります
つまり、柿本人麻呂の『水におぼれた』『水に沈んだ』はこの故事を詠んだと考えられないでしょうか?
夕さらば かわず鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも
山辺の道にある作者未詳の歌です。
153日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:45:45
こういう話題は、古文漢文でやった方がいい
154日本@名無史さん:2007/10/02(火) 07:54:27
夕さらば
かわず鳴くなる三輪川の
清き瀬の音を
聞かくし良しも
この歌ですが、蛙声という言葉には淫学、淫声の意味があり、紫色蛙声という言葉があります
また、『蛙鳴蝉ソウ』は、うるさいばかりで内容のないくだらない議論や文章を言います
その近くで詠まれたのが、神武天皇の詠んだ
あし原の
しけしき小屋にすがだたみ
いやさや敷きて
わが二人寝し
ここに出てくる『蛙鳴く』とは、何を指すのかを考えてみると、厩御子とつながりませんか?
155日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:20:15
そして、何よりも、この歌が詠まれた近くには、玄賓庵があり、謡曲『三輪』の舞台です
謡曲『三輪』では、きれいなお姉さんは明神様
玄賓は興福寺の高僧で桓武天皇の病を治したことでも知られます
しかし、晩年はここに移り庵を築きました
加えて、ここから徒歩数分のところに狭井神社と檜原神社があるんですよ
となると、卑弥呼の墓は山辺の道から飛鳥としても、飛鳥方面にあると考えるのが、自然だとおもいます
こうなってくると、箸墓と黒塚古墳周辺が気になりませんか?
156日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:21:27
謡曲『三輪』に出てくるきれいなお姉さんは明神様
『三輪明神』ですよね
157日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:31:09
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
158日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:34:38
崇道天皇の死因は餓死です
『箸』墓
誰かが、崇道天皇に食事を差し上げたいとして、その思いから『箸墓』と名付けられたなら
夫が粛清されたため、妻が夫を見限ったなら・・。
猿丸太夫と箸墓の関係は有り得ないでしょうか?
そして、梅原猛のいうように猿丸太夫が柿本人麻呂なら・・
果たして、日本書紀と箸墓を単純に結びつけてしまっていいのでしょうか?
箸墓だけ時代がぶっとぶのは、何だかなと思います
159日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:45:33
箸墓から見つかったのは、土器と木製馬具です
箸墓とは大和朝廷の武器庫の番人や石上神宮の神主を合祀する墓であったとは考えられないでしょうか?
三世紀ごろの墓とされていますが、出土品のCTスキャンなどが必要かもしれない
年代的にあわないですからね
160日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:29:26
有り得るとしたら、箸墓が大和朝廷の武器庫の番人や石上神宮の神主を合祀した神社か、和爾の誰を奉った墓であった場合いです
出てきたのは、土器と馬具
もし、柿本人麻呂が石上神宮に仕えた神主で、合祀されてのち、箸墓と改められた
奈良時代には、疫病が流行って加茂に恭仁京を作ったりしました
その時に元大和朝廷ゆかりの場所に大和朝廷の人々、あるいは崇神天皇や崇道天皇の祟りを恐れて何らかの寺社が建てられた場所だとしたら
だとしたら、土産物が売られていても、おかしくないですよね
わが衣 色に染めなむ うまさけ
三室の山は もみぢしにけり
もみぢには、赤面という意味もありますね
もみぢしにけり→恥がなくなりました
こちらのほうが自然かもしれない
となると、箸墓周辺の井池寺、檜原神社、玄賓庵、狭井神社が重要な意味を持って来ますね
日本書紀以外に箸墓について、記載された文献があるかどうか?
黒塚古墳の被葬者は誰か
珠城山古墳群と茅原大古墳群の存在
大和朝廷や三輪朝廷に関わる天下分け目の豪族の戦いがここであったとは考えられないでしょうか?
もう一つ気になるのは、中山大塚古墳と念仏寺、下池山古墳なんですよね
『ふすま道を』と人麻呂が詠んだ場所の近くにあります
161日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:43:56
箸墓はもともとは大和朝廷にかかわる墓だったけど、奈良時代に入って、崇道天皇の鎮魂のために、鳥居か祠が建てられた
その近くで土産物が売られていた
何かあって、また祠が建て変えられたりしたご神体は箸墓だった
(大神神社も山がご神体)
三輪神社、穴師坐兵主神社、檜原神社のどれかの社史に『箸墓』の記載があったら、面白いと思う
あと、玄賓庵もその近くなんだよね
なんか、つながったな・・
162日本@名無史さん:2007/10/02(火) 09:46:40

社会のクズ、創価学会のキチガイ詐欺師、チョン池田大作

社会のクズ、創価学会のキチガイ詐欺師、チョン池田大作

社会のクズ、創価学会のキチガイ詐欺師、チョン池田大作

社会のクズ、創価学会のキチガイ詐欺師、チョン池田大作



ニセ仏教、騙されバカ信者、池田犬作大教祖様、さっさと死ねや

ニセ仏教、騙されバカ信者、池田犬作大教祖様、さっさと死ねや

ニセ仏教、騙されバカ信者、池田犬作大教祖様、さっさと死ねや

ニセ仏教、騙されバカ信者、池田犬作大教祖様、さっさと死ねや
163日本@名無史さん:2007/10/02(火) 10:09:37
で、最後に1レスすると、考古学的にもめずらしい櫛山古墳ってめずらしい両円墳なんだよね
陰明道は陰と陽の両円
荘子には『櫛風沐雨』という言葉があり、風雨にさらされながら、奔走し、苦労、努力するという意味がある。
ここから、柿本人麻呂があちこちを旅した人と捉えられた可能性はないだろうか?
この古墳は崇神天皇のすぐ裏、崇道天皇陵の近くに建つ
また、ここも柳本古墳群と言われる大小さまざまな古墳が並ぶ地域です
櫛山古墳と人麻呂、柳本古墳群と大和朝廷の関係も否定できないと思います
(まとめ)
山辺の道の古墳群、飛鳥〜奈良にかけての遺跡や寺社仏閣を総合的にみることで、大和朝廷、邪馬台国、卑弥呼、柿本人麻呂の謎に迫る可能性があると思います
また、塚穴山古墳は、思いきり、あちこちにあります
海柘榴市が情報交換の場であったなら
海柘榴市の近くになぜ、海柘榴市観音堂が建つのか?
柘榴って鬼子母神とありましたよね
黒塚古墳から出た大量の鏡、舎人親王の子の謎に満ちた生涯、舎人親王が崇道天皇の流罪に関わった人物なら
海は柿本人麻呂の歌に詠まれていますね
柿本人麻呂こと猿丸太夫説は、否定できないと思います
164日本@名無史さん:2007/10/02(火) 10:12:23
結論的に私は、櫛山古墳が、もっとも柿本人麻呂または猿丸太夫に近い古墳ではないかと思います
165日本@名無史さん:2007/10/02(火) 11:07:26
あと、一つ思うこと、唐古・鍵遺跡から、石器しかでない理由
それは、米づくりが最初に伝わったのが、唐古・鍵遺跡であった可能性はないだろうかということです
石器=稲狩り道具
米ができ、安定することから、そこに集落ができたのが、唐古・鍵遺跡
つまり、中国との国交が盛んな地域だった
そのため、何年か建ってから、その周辺に鏡・鍵作り工房か鏡・鍵作り職人の集落ができたとしたら?
飛鳥時代〜奈良時代の鏡って、何か丸くないですか?
近くに存在した
鏡は当然、残ってないと思うんですね
強奪される可能性のほうが高いと思うんですよ
石器はどうかな?
鏡作神社と唐古・鍵遺跡の関係も気になりますね
弥生時代の遺跡
166日本@名無史さん:2007/10/02(火) 11:10:38
飛鳥〜奈良時代は、山辺の道〜飛鳥、考古学と文献学から、総合的に検証していくと、大和朝廷の謎や邪馬台国の謎、柿本人麻呂の謎を解く鍵に出会える場所だとおもいます。
167日本@名無史さん:2007/10/02(火) 12:12:35
あ、武陽陰士さん発見!!!
「遊郭」スレに戻ってください!!
そして東京の元・部落地のルポをお願いします!!!
168日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:14:00
神道の物部
仏教の蘇我
景教の秦
169日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:17:10
連レスは無駄使いだから、1〜3レス内にまとめて書いてください
というかどのレスも板違いなキガス
170日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:19:17
奈良に不退寺ってありますけど、平安時代にも、崇道天皇の祟りが出てきますよね
171日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:22:02
在原業平関係で
当然、奈良時代に崇道天皇の祟り説が出ても、おかしくないですよね
172日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:30:42
それだ!
景教→キリスト教→二十ハ宿→陰明五行説→飛鳥
キリスト教→ワインとパン→酒船石
現在、礎石した残らない寺の多くは景教だったのかもしれない
173日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:41:18
キリスト教禁教のころに焼き払われたために形を残さない
仏教と神教は禁教はないが、景教の教えはキリスト教に通じている
仏教と神道の内容だけのこり、景教だけが壊れたジクソーパズルのように欠けてしまった
つまり、文献学的に大きな意味を持つのは、景教だ
そして、『景行』天皇の存在
景教を行った天皇の可能性はないだろうか?
頑張って!
ヴィアトール ラクセイ!
174日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:48:30
つまり、景教関係の文献学に、飛鳥や邪馬台国の謎が隠されている
人麻呂からいろいろでましたね
となるとモアイも日時計で景教関係、陰明道関係だとは、考えられないかな?
175日本@名無史さん:2007/10/02(火) 15:55:57
オカ板へどうぞ
176日本@名無史さん:2007/10/02(火) 17:41:38
あぼーん入りまくってるな。バカコテか。
177日本@名無史さん:2007/10/03(水) 03:07:43
歌の最終的な解釈で随分変わりました
結論は旅行板の奈良スレになりました
178日本@名無史さん:2007/10/03(水) 09:41:23
気が済んだかい?
なら大和朝廷の豪族達の話をしようぜ!
179日本@名無史さん:2007/10/03(水) 11:33:43
尾張国、国造、尾張氏。
180日本@名無史さん:2007/10/03(水) 15:38:04
崇峻天皇が鍵になると思いますよ
181日本@名無史さん:2007/10/03(水) 15:44:27
・崇峻天皇と蘇我馬子
・蘇我馬子と飛鳥大仏
・聖武天皇と東大寺大仏
・聖武天皇と恭仁京
新古今和歌集の
みかのはら
『わきて』『ながるる』
いづみがわ
いつ『みき』とてか
こいしかるらん
182日本@名無史さん:2007/10/04(木) 05:05:37
むむ
183日本@名無史さん:2007/10/04(木) 13:23:07
続きは文学板の上代スレ(結論あり)
184日本@名無史さん:2007/10/05(金) 07:37:11
岐阜県恵那神社→イザナミサザナミ、雨乞い岩、夫婦杉
愛知県猿投山→猿田彦、御船岩
長野県阿智村→海彦山彦
長野県→天の岩戸


岐阜県恵那市→大船寺、良弁杉(建設、聖徳太子)
岐阜県恵那市→中仙寺(建設、聖徳太子)
愛知県豊田市→小馬寺


岐阜県恵那市→笠置山、笠置神社(聖天皇)



えっと記憶にあるだけでこれだけ、他にもまだある
場所は御嶽山、白山、恵那山などがある周辺

聖徳太子が建てた恵那市の寺は恐らく日本最初の密教の修行寺


あと多分関西方面に、例えば笠置山とか同じ名前の山や寺や神社があるけど、
後から京都付近に寺社と山とかの名前ごと移し変えてるよ
185日本@名無史さん:2007/10/05(金) 07:45:23
あとこの辺り一帯は巨石遺跡が密集してるよ

またいろいろ調べてみるね

東大寺が建ったりした頃は、密教で当山派と本山派で対立があったらしくて、、
これもなんか関係あるかな?

美濃→京 って移転してる感じがする
186日本@名無史さん:2007/10/05(金) 08:08:33
あとさ
・天皇は猿田彦を海に投げ入れ
・船岩に船をつないで置き
・海彦は海で漁を


これらの神話が、こんな山奥の山岳地帯での神話の訳は無い


、、、けどね、恵那市上矢作に、地元の人ですら名前の由来を知らない「海」って名前の地域があるんだけど、数年前、その地区で土砂崩れがあった

したら巨木かなんかが出て来たから、どっかの大学がこれを調べた結果、この辺りが昔は湖だったって事が解ったんだよ

「海、上矢作」でくぐればソースあるはず
187日本@名無史さん:2007/10/05(金) 08:27:14
ちなみに三田市にある大舟山と大舟寺

三田市の大舟山は名前の由来を「大昔、この辺り一面が海だった為、この山に舟を繋いで、、」って事にしてる


ただこれは恐らく恵那市の大船寺が焼かれた後に神話と地名と神社名ごと移したからだと思うよ


大船山、良弁杉、笠置山、中山寺、、
なんか京の方へ地名や神話からひっくるめて移転されてる寺や神社が沢山あるよ

笠置寺も「笠をひっくり返したような山」って神話ごと移転されてたし

笠をひっくり返したような、、ってのは恵那市の笠置山の由来のまんまだよ


これなんか理由があるような気がするよ
本山派と当山派の対立が関係してないかな?
御嶽山付近に聖徳太子らが建てた密教の修行寺は当山派で建ててた気がする
188日本@名無史さん:2007/10/05(金) 08:42:00
神武天皇の九州から東方遠征ってのにケチつけるつもりは無いけど


それ以前のイザナミサザナミが降り立った場所や猿田彦、山彦海彦、ヤマタのオロチなんかは、
この辺りが発祥な気がするな


神武の遠征神話と、神代の神話とでは発祥地が違うのかもね


けど東山道って言う山岳の街道を水銀脈を辿って来て、、みたいな話もあった気がする

どの道、渡来して来たなら山奥の恵那には降り立てない訳だから
189日本@名無史さん:2007/10/05(金) 08:58:43
あと天照大神が生まれたのは「恵那」だよ

雨乞いの儀式を行ってた雨乞い岩も恵那山にある

そこから東山道を行くと「海」があり、猿田彦が投げ込まれた話がある
その先に海彦山彦の神社と神話
その先に天照大神が隠れた岩戸がある
ヤマタのオロチがいたのもここと思う

あとこの湖は大地震かなにかで崩壊してるみたいだよ
一応1600年前ぐらい前の地震の時って調査した大学は推測してた
確かに周辺市町村にそういう神話もある
ただ時期までは特定出来ない神話だよ
190日本@名無史さん:2007/10/05(金) 09:58:40
「ヤマタのオロチ」
これ多分、ハマスの嶽(?)って山に住んでた鬼龍の事だよ

入山者を殺し娘をさらい風貌も恐ろしくて
人々は「日本マムシのミコト」っよび恐れてた


見かねた大仙人の覚林坊(東王父仙人)が、呪術を使い大岩に永久に封じ込めたって話はある

大船山の神社近くにあるマムシ岩の由来がこれだよ
日本マムシ→大和蛇→ヤマトオロチ

可能性はある

けどこれ2000年以上とかそこまで古い話じゃないよ
覚林坊は良弁の事って話もあるから
良弁杉があるのも大船寺だし
191日本@名無史さん:2007/10/05(金) 10:16:25
あと本当に湖があって地震かなんかで崩壊してるとしたら、ふもとは遺跡も神話も残ってない気がする
てか限に縄文時代って呼ばれる遺跡はほとんど出てない
洪水の水は遙か木曽川まで被害を及ぼしたって話もある

誰々のお告げが無ければ全滅してたとか言うふもとの部落の話もあることはある
192日本@名無史さん:2007/10/05(金) 11:11:42
豊田市の猿投神社は景教天皇の息子を祭る神社だ

猿田彦を投げて殺した場所だから猿投げ神社って事みたいだよ
193日本@名無史さん:2007/10/05(金) 12:16:21
563年に木曽川の地形まで変わるほどの洪水
聖光天皇が東大寺を建てて都を奈良にしたのが700年ぐらい


少なくとも天照大神〜500年ぐらいまでは大和は美濃にあったと思うな



その際に美濃にあった仏社、地名、神話も同時に奈良京都に移転した
って事な気がする


・仏社や地名や神話をそのまま京都奈良に移転
・美濃にあった「海」の崩壊

これがあるからややこしいんだと思う

あと山岳部を通る東山道の通路上に「舟で○○へ」ってのは辻褄が合わないって事で、東山道の通路もいろんな解釈されたみたいだね

あの一帯に湖があったなら「舟で」の通路で問題なくなると思うな

あの場所に海があったとすると、解釈しなおした部分をまた元に戻さないとダメだ

猿田彦も海で溺れ死んだって事でわざわざ伊勢まで行って死んだ事とかに解釈されてた訳だし
194日本@名無史さん:2007/10/05(金) 13:25:37
確かヤマトタケルも大和に帰る際に
「この程度の海、ひとっ飛びだ」
かなんか言ってきりになり

対岸に流れ付いたクシで何とか姫はヤマトタケルの死を悟る

みたいな表記もあったはず


美濃のあの場所が海だったとしたら美濃が大和でもおかしくない

ただあんな場所に海って呼ばれる湖があるなんて普通は思わないもんなあ
195日本@名無史さん:2007/10/05(金) 14:23:49
美濃には●●と表される暗黒の連穴があるぞ。
196日本@名無史さん:2007/10/05(金) 17:20:32
連レスは全部読み飛ばした
197日本@名無史さん:2007/10/05(金) 18:39:17
連レスディスってんじゃねーぞメーン
198日本@名無史さん:2007/10/06(土) 04:22:17
しかも誤字多いし
199日本@名無史さん:2007/10/06(土) 07:03:12
>>195
それ「鼻の穴」と読んでいいの?
200日本@名無史さん:2007/10/06(土) 08:17:57
野●●子かw
201日本@名無史さん:2007/10/06(土) 15:18:49
野田聖子?
202日本@名無史さん:2007/10/06(土) 21:36:44
野沢雅子だろ
203日本@名無史さん:2007/10/07(日) 20:21:36
尾張氏=祖神・天火明命
尾張国一之宮・真清田神社の祖神は天火明命。
204日本@名無史さん:2007/10/07(日) 22:01:34
明治になってから比定したんだがな>真清田=火明
205日本@名無史さん:2007/10/08(月) 10:35:03
諸説あったみたいだが。尾張氏、国造の原点地。
206日本@名無史さん:2007/10/09(火) 13:32:18
連投タンスレに続きを書きました(*^−')ノ
207日本@名無史さん:2007/10/09(火) 17:33:07
尾張氏と葛城の関係は如何?
208日本@名無史さん:2007/10/09(火) 21:24:56
尾張氏は大和葛城国高尾張邑の出でしょ
大和葛城から東海(現・愛知一宮)あたりに
移り住み開拓を進めて国造、尾張国が出来た
んだとか。
209日本@名無史さん:2007/10/10(水) 20:07:21
>>208は戦前のレベル。
6世紀になってから逆に尾張から大和へ出張所を設けたと見るのが今は普通ね。
210日本@名無史さん:2007/10/11(木) 13:33:42
↑初耳。戦前は無いでしょ。尾張氏の出は?
211日本@名無史さん:2007/10/11(木) 17:59:36
国号地名とかいうやつ?
212日本@名無史さん:2007/10/12(金) 09:52:14
文化は古来、大河の流域に発達するなり。
213日本@名無史さん:2007/10/12(金) 18:37:08
日本に文化がないのは大河がないからか。
なんか納得。
214日本@名無史さん:2007/10/12(金) 20:42:02
アスカー
215日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:50:25
木曽川沿い海部族。
216日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:52:07
>>213
瀬戸内海という大河が・・・あれ?
217日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:21:49
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
218日本@名無史さん:2007/11/02(金) 02:18:24
愛知県の清洲にある日吉神社
代々続く宮司の三輪さんは大神の傍流らしい
日吉とは日吉丸=秀吉の縁とのこと
219日本@名無史さん:2007/11/16(金) 21:06:30
>>211
有力豪族が国造になったというやつ。
出雲氏→出雲国
吉備氏→吉備国
>>209
2世紀には尾張にいたな。
220日本@名無史さん:2007/11/16(金) 21:58:43
>>219
記紀の出雲って扶桑の事だよね?
出雲大社も明治以降に扶桑寺から出雲大社に名前変えてるし
221柳沢(大義) ◆ZoOxWuAuhU :2007/11/20(火) 15:35:07
俺は伊予だが何か?
 
【 冠 位 】五時間阻止されなければ宣旨【 十二階 】
http://same.u.la/test/r.so/etc6.2ch.net/nanminhis/1195394261/16-
222日本@名無史さん:2007/12/30(日) 23:04:06
>>184-,>>195
景教天皇>>192だの聖光天皇>>193だの誤字ならぬ誤記満々の史学板には不向きの
の好事家の連投だね。投稿趣旨も神社・仏閣板か民族・神話板向きだし。
移転してる感じがする>>185とか神話も残ってない気がする>>191とかの
主観表現は、学問板にはお門違いの自覚もないようだ。
223日本@名無史さん:2008/01/02(水) 20:07:19
多氏は存在してると考えていいんですか?
224日本@名無史さん:2008/01/02(水) 21:37:08
太安万侶も多氏やで
225日本@名無史さん:2008/01/03(木) 21:15:04
いまも京都には、多(おおの)さんって人いるよ。
226日本@名無史さん:2008/01/03(木) 21:34:00
わん
227日本@名無史さん:2008/01/05(土) 08:10:20
多は神武天皇の子供の子孫と考えていいんですかい?
228日本@名無史さん:2008/01/05(土) 21:55:26
実在しない応神天皇以前を先祖にしてるのは皆付会創作
229日本@名無史さん:2008/01/09(水) 00:11:01
近畿圏で、いまだに旧国名を苗字に持つ昔の国造家の末裔のことが話題になってたんだけど、
どこの家だと思う?和歌山の紀家以外だと。
230日本@名無史さん:2008/01/13(日) 00:13:58
ところで氏と家って別のものだよな。
藤原氏の中に北家とか式家とかがあるイメージで。
231日本@名無史さん:2008/01/13(日) 02:01:22
お、おまえ何言ってんだよ。。。。。
素人くるんじゃねーよ

しかも「家」を南北式京の事かと思ってるし。。。
232日本@名無史さん:2008/01/13(日) 02:20:01
>>230
もっと後の時代のスレに逝け
233日本@名無史さん:2008/01/13(日) 03:56:41
>>230は三国人の工作員だから日本史をまったく知りません
スルー推奨
234日本@名無史さん:2008/01/15(火) 22:34:35
岐阜県民です。
今まで知り合った人間の中に豪族の子孫が何人もいました。
毎回嘘を暴いてやろうとして返り討ちにされます。
豪族の子孫って意外と沢山いるんですね。
235日本@名無史さん:2008/01/15(火) 22:51:00
近畿だとうじゃうじゃいるからな。豪族の子孫ぐらいじゃたいして驚かないや
236日本@名無史さん:2008/01/15(火) 22:59:14
蝦夷や隼人の子孫の毛むくじゃらって今もいる?
関西ではみんな脱毛しているから気がつかないだけかな?
237日本@名無史さん:2008/01/15(火) 23:11:26
近畿から美濃や尾張にかなり進出してるんだよね。
岐阜辺りの名家だと戦国武将と豪族のハイブリッドも珍しくないよ。
238日本@名無史さん:2008/01/16(水) 02:52:04
>>236
ハヤト血統は南のほうにコイや、土人全開で祭りやってる処があるから。、
239日本@名無史さん:2008/01/16(水) 03:17:23
天皇家は、継体天皇の前で切れている。しかもその息子の欽明天皇は、継体の息子かは怪しい!

そこに現れてくのが「蘇我」!欽明天皇は蘇我稲目の息子ではないのか?

「蘇我」こそが、日本史最大の謎!

240日本@名無史さん:2008/01/16(水) 03:26:46
「聖徳太子」に至っては、用明天皇と穴穂部間人皇后の長男で、両親とも「蘇我馬子」の姉妹を母とする完全な「蘇我一族」
神道の欠片もない流行りの「仏教=蘇我一族」!
241日本@名無史さん:2008/01/29(火) 05:37:42
変な思想持ってる奴はでていけ
242日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:14:52
>240
そういえば、聖徳太子には腹違いの兄がいて、
この兄は父の用明天皇が没した後、
その大后であった継母の穴穂部間人皇女と結婚、
聖徳太子の異父妹を産んでいるな。
この腹違いの兄の生母は蘇我石寸名で、
蘇我馬子の姉妹だ。
243日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:21:53
田目皇子
244日本@名無史さん:2008/01/29(火) 18:58:37
>>242
結婚したの?
私的にセックスしただけじゃなくて?
245日本@名無史さん:2008/01/29(火) 20:02:29
「上宮聖徳法王帝説」によれば聖王(聖徳太子)の庶兄多米王が
太子の母を「娶り」とあるから再婚したことになっている
246日本@名無史さん:2008/03/18(火) 10:19:44
阿蘇国造
247日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:02:57
あっそ。
248日本@名無史さん:2008/03/19(水) 05:49:23
おもしろ〜い
249日本@名無史さん:2008/04/22(火) 13:13:15
近年の教科書では大和朝廷とはいわずヤマト王権と表記されますが
後期のヤマト王権は大王の中央集権体制が確立し、朝廷と表記できうる体制にある
と思うのですが、それは何天皇(大王)の頃からなんでしょうか?
250日本@名無史さん:2008/04/23(水) 04:40:15
天武かな。
251日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:38:13
一応、教科書上は大化の改新以降ということになってなかったか?
天智天皇の頃には律令の先駆となる「近江令」が制定されたとされ、
「近江朝廷」と多くの本が書いていたように思う。
もっとも、近江令は存在しなかった、令は天武の飛鳥浄御原令からだ、
となれば話は別かも。
252日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:48:36
628 :名無しの心子知らず :2008/02/09(土) 00:26:39 ID:7148GokA

天皇家が百済や高麗の子孫だと主張する>>622>>610>>602>>497>>473みたいな低脳韓国人がたまにいるが

「それじゃ、日韓併合は百済か高麗の子孫が祖先の土地を取り返しただけなんだねw」

って言ってやると、悔しそうに火病を起こしてコピペ荒らしを開始するw
253美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/24(木) 22:46:48
蘇我氏や聖徳太子の記述は主に「扶桑略記」に記されてるものでしょ?


扶桑の國って濃尾平野にあった國の事だよ
254日本@名無史さん:2008/04/25(金) 01:53:16
>>249
朝廷が内廷と外廷、つまり王家だけでなく官僚を備えるものとなると
早くて小墾田宮(推古)、遅くて藤原京(持統)じゃないかな。
高級官人が定期的に朝参する習慣ができた頃がポイントかな。
255日本@名無史さん:2008/04/25(金) 15:27:42
大和朝廷発祥の地は大仙陵古墳がある大阪なんですか?
256日本@名無史さん:2008/04/25(金) 23:39:09
ヤマト王権をどう捉えるかによるんじゃない?
確認できる最古の三輪王権を始めと見る考えもあるし。
まあ河内王権末期に継体朝に続く伴造系有力氏族(大伴、物部など)が勃興しているから
連続性を考えるなら河内の大王たちが飛鳥朝までの王権の基礎となったと見ることもできる。
257日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:52:47
邪馬台国は九州で近畿の大和朝廷に滅ぼされたのですか?
258日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:26:17
空白の4世紀に何があったか文献史料、考古学の成果から分かれば
>>257の疑問にも答えたいところだけど

正史とされる記紀では神武東征のほかに神功東征もあるんだが
後者は魏志など中国史料とつじつまを合わせている観もある。
史料だけでは邪馬台国が東征してヤマトを支配したともとれるし
九州王朝が東征してヤマトの邪馬台国を支配下に入れたともとれる。
少なくとも記紀は空白の4世紀に九州と畿内に一定の勢力があったと
示唆しているに過ぎない。
中国からの新しい文献資料がない以上、あとは考古学の成果に期待して下さい。
259日本@名無史さん:2008/05/01(木) 16:57:51
戦略国家中国に期待するなよ。

なぜ何時までも平和ボケなんだよw
260日本@名無史さん:2008/05/27(火) 02:41:57
>>258は記紀を持ち出しながら、
景行天皇が九州征伐したことを知らないんだなあ。

バカなの?

261日本@名無史さん:2008/05/27(火) 07:43:00
戦略国家だから期待するんだよ。
日中関係よくしたいと思ったときに、
またポロッと出してくるよ。
今度は六国史記載レベルの遣唐使関係を。
262日本@名無史さん:2008/05/27(火) 23:51:16
>>260
九州親征が見えるのは風土記と書紀。古事記にはなし。
263日本@名無史さん:2008/06/17(火) 18:29:48
この前みのもんたのテレビで
「四国にあった邪馬台国が近畿で大和国になった」
と新説を発表してたけど

そうなんですか?
264日本@名無史さん:2008/06/17(火) 18:42:14
女王・卑弥呼が治めた邪馬台国。
その所在地は九州とも畿内ともいわれ、未だ結論が出ない歴史上最大のミステリーの一つとなっている。
しかし昨年、卑弥呼の即位と同じ頃に造られた古墳や神獣鏡が四国で発見された! 
日本中の歴史学者や考古学者を震撼させた“邪馬台国は四国にあった”という新説を、「魏志倭人伝」の記述とあわせ検証していく。
その過程で次々と明らかになる衝撃の事実とは!?
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery4/
265日本@名無史さん:2008/07/04(金) 13:50:56
衝撃の事実→どうやっても四国では辻褄が合わない!!
266日本@名無史さん:2008/07/05(土) 18:29:33
平安時代の公家・貴族は、和歌を詠んだり、蹴鞠をしたり、楽器を演奏したり、
遊んで暮らしてたように思えますが、ある意味、美のために生きていたとも
言えます。和歌が下手だと結婚も出来ないので、それなりに必死だったと
思います。でもやっぱり、遊んで暮らせるので良い身分です。

なんで芸術活動に励んでいたか考えると、その前の時代の奈良時代は、
戦乱の時代でした。物部氏vs.蘇我氏、というように豪族間で抗争をしていま
した。兄弟間の後継者争いも、武力闘争です。負けた方は、聖徳太子の
ように一族滅亡です。

過酷な争いに嫌気がさした、藤原不比等(または藤原氏の周囲の誰か)が、
文芸を奨励してエネルギーを転換することで、戦乱を終わらせたのだと
思います。平安の文芸は、例えば和歌だと歌合せとかいって、勝負の要素
が強いものです。戦争の代わりに、オリンピックで競う、みたいなものです。
267日本@名無史さん:2008/08/30(土) 22:37:56
平安時代前中期、宇多天皇の御世のおとどの話。
藤原菅根を調べていましたら、どこかで、” 菅 原 菅 根 ”という表記を見かけました。
これはひょっとして藤原菅根の間違いじゃないかと思ったんですが、
詳しいヒトいます?
268日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:04:50
269日本@名無史さん:2009/01/24(土) 17:10:00
大和朝廷はまだ律令が整っていなかったと思うのですが、どのような政治体制だったんですか?

また、剣と刀ではどちらを多用していたのでしょうか? 古墳からは鉄剣などの両刃の剣がでてきますが、片刃の刀もあったとどこかで知りました。大化の改新の絵を見ても、刀剣の形状は片刃ですし、この頃は環頭太刀(あっているかわかりませんが)も使っていたようです。

やはり両刃は儀式用だったのでしょうか……


素人ですいません。
270日本@名無史さん:2009/01/27(火) 18:18:36
>両刃は儀式用
鉄剣は完全にそう。銅剣も伝来初期を除けばほぼ儀式用。

>大化の改新の絵
『多武峰縁起絵巻』は江戸時代に描かれたものだから、参考にはならない。
271日本@名無史さん:2009/04/13(月) 20:14:36
 
272日本@名無史さん:2009/04/14(火) 01:14:50
百済王氏の子孫がどうなったのか、気になる。
奈良時代から平安初期まで、奥羽の国司や征夷軍の幹部として結構、百済王が出てくるんだよね。
わざと僻地に飛ばされているみたい。
273日本@名無史さん:2009/04/14(火) 02:49:23
つ百済王三松氏系図
274日本@名無史さん:2009/04/14(火) 20:21:26
僻地へといっても蝦夷征討は朝廷の重大な事業だし、
辺境の大戦に蕃将が用いられるのは唐などでも先例のあること。
王威を示す意味もあったろう。

それから、室町時代あたりまで、即位叙位にともなう氏爵に
百済王氏の名があったように記憶する。
氏社のある交野あたりに住んでいたんじゃないの。
275日本@名無史さん:2009/04/14(火) 21:10:36
大伴氏、佐伯氏、紀氏とか、この頃の武官系貴族が多かったんで百済王の
名前が出てくると目につくんだよね。
傾向としては、一度、奥羽に下ると事情通と見られるのか、何度も奥羽関係の
官職に任じられることが多い。

しかし、「こきにし」はいいにくい。つい「こにしき」と読んでしまう。
276日本@名無史さん:2009/04/14(火) 21:23:49

問題は蘇我だな!
何処から来たのか?
何故、欽明朝とくっ付いたのか?
推古も聖徳太子も蘇我だからな。


277日本@名無史さん:2009/04/14(火) 21:25:03
>>275
百済の王族には放鷹と弓馬を良くした者が多かったから
そういう武的な性格も評価されて軍事に起用された可能性もある。
たしか、鷹甘部の起源譚でも百済王族の酒君が放鷹に巧みだった話があったし、
桓武天皇と百済王氏が交野で鷹狩を楽しんだという記録もあったはず。
278日本@名無史さん:2009/04/15(水) 22:42:31
武陽陰士の文学板でのあだ名は「芋姉ちゃん」です。
279日本@名無史さん:2009/04/17(金) 22:03:28
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/erocomic/1203935032/701-800
707 :名無しさん@ピンキー:2009/03/24(火) 00:00:08 ID:Iw+qVOVH
今月は、「とめはね!」
の加茂ちゃんの小学生のころのお話しでした。
708 :名無しさん@ピンキー:2009/03/24(火) 01:12:25 ID:085grGDn
長谷川静香?
709 :名無しさん@ピンキー:2009/03/26(木) 05:48:53 ID:/XYsR0EP
舞衣「糸目ってゆーな!」


280日本@名無史さん:2009/04/19(日) 03:45:45
日本後紀
延暦十三年十月十三日
遊猟於交野。賜百済王等物。

と言う記事があるね。これのこと?
281日本@名無史さん:2009/04/19(日) 05:33:29
それだね。
しかし、検索してみると交野で遊猟したっていう記事多いな。

>>277補足 『周書』百済伝にも「俗重騎射」とある。
282日本@名無史さん:2009/04/19(日) 12:38:05
桓武と交野といえば、郊天祭祀
283日本@名無史さん:2009/04/19(日) 15:30:56
「郊」天祭祀をおこなうから「交」野かね。
284日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:38:06
肩野・片野の用字もあるから違うと思う。
285日本@名無史さん:2009/04/25(土) 07:14:52
この時代は貴族でも風呂やトイレはなかったって本当ですか?
286日本@名無史さん:2009/04/25(土) 13:44:00
風呂は貴人に限るけど、ゆあみ(湯浴び)という形で有ったんじゃなかったっけか?
287日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:08:56
厠はあるって。

古事記にもあるし、遺跡からも出て来るんだから。
288日本@名無史さん:2009/06/13(土) 07:45:15
289日本@名無史さん:2009/06/13(土) 10:45:11
>>285
貴人は蒸し風呂に入って体を拭いた。
庶民のほうが川で水浴びで頻繁に入っていたかも。

平安時代の貴族は箱や壺に用を足した。
平安時代に行われた貴族同士の大宴会では、屏風の陰に壺が並べて置かれ、
身分によって用を足す壺が違っていたらしい。
思い通りにならない恋に苦しんだ男が
恋する女の用を足した箱を侍女から奪うという話もある。
用を足す容器のことを樋箱といい、
樋すましと呼ばれる女性がこの容器に入った汚物を所定の場所へ捨てに行き、
洗う役目を担っていた。
290日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:26:09
大和盆地
291日本@名無史さん:2009/09/01(火) 10:33:30
>>249
ヤマト王権と
大和朝廷は、
系統、血統が別物。
白村江の戦いよりしばらく前、大化の改新で、
つまり、国際テロにより、ヤマトの王家は滅ぼされた。
簒奪されたってこと。
万世一系?何それです。
世界やヤマト民族を騙すのも、
もう止めなさい、ってこと。
292日本@名無史さん:2009/09/03(木) 06:21:49
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293日本@名無史さん:2009/09/03(木) 16:10:23
豪族は渡来人です。
294日本@名無史さん:2009/09/04(金) 23:50:12
うそ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
295日本@名無史さん:2009/09/05(土) 12:47:24
はい全くのウソです
296日本@名無史さん:2009/09/05(土) 18:55:24
>>255>>257
その時代の質疑は、こちらのスレへどうぞ。
【裏の歴史】空白の四世紀【タブー】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1085642650/
297日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:27:06
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298日本@名無史さん:2009/10/02(金) 23:41:39
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
299日本@名無史さん:2009/11/17(火) 22:21:54
へえ
300日本@名無史さん:2009/11/21(土) 08:38:00
>>291
>国際テロにより、ヤマトの王家は滅ぼされた・・・・
貴方のいうヤマト王家とは、蘇我家のことなの?
蘇我入鹿さんって可哀想だよね
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1163391281/
301日本@名無史さん:2009/11/21(土) 11:11:00
>>195
> 美濃には●●と表される暗黒の連穴があるぞ。


野田聖子大連か
302日本@名無史さん:2009/12/24(木) 07:21:28
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303日本@名無史さん:2010/02/21(日) 11:04:10
なにこれ?
304日本@名無史さん:2010/02/21(日) 12:15:34
基地外の発作
305日本@名無史さん:2010/03/13(土) 14:56:13
エピソード
306日本@名無史さん:2010/03/22(月) 14:10:31
なんの?
307日本@名無史さん
>>213
近江息長川周辺に蕃居した古代豪族息長氏の紹介講座が、あるようですね。
”琵琶湖に近い米原市の北西部は、幻の古代豪族息長氏のふるさとと言われています。
6世紀の前方後円墳があり、その一つ山津照神社古墳からは、優れた遺物が出土して
おり、昨今では継体天皇との関係が注目されています・・・・・”
幻の古代豪族息長氏のふるさとを訪ねる 滋賀民俗学会理事 兼康保明 
2010年7月10日(土)10:00〜12:00 朝日カルチャーセンター \3,150/現地\15,000
http://www.acc-n.com/data-PDF/2010_2sum/10sum-kodai-okinaga.pdf