モンゴル帝国が日本を侵略してきた事実について

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1日本@名無史さん
過去、モンゴルが二度にわたり、日本へ侵略してきた。
韓国は過去の日本の侵略(秀吉・大東亜)をいまだに言ってくる。
2日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:53:10
だからってまた日本がネチネチ言ったらそーゆー下品な国と一緒になるやん。やつらは自分らの歴史から他の国への侵略なんて抹消して悲劇の国民気取ってんだからよ。
3山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/06/01(木) 22:19:48
重複です。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1060607305/
現代の問題なら政治思想や国際情勢板で。二行目重視ならハングル板へ。
4日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:14:47
甑島の来寇は?
5日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:39:36
なにそれ?
6日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:16:52
それで勧告はモンゴル人や満州人にもねちねち言ってるのか?
7日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:40:41
朝青龍は韓国人に「キムチ野郎」と言った
8日本@名無史さん:2006/06/04(日) 03:09:53
元寇→水際で防いだ。対馬以外ほとんど無傷。

朝鮮出兵→朝鮮全土が蹂躙された。多くの朝鮮女性のマンコも傷ついた。
大東亜→併合されて経済発展はしたものの自尊心は深く傷ついた。

まあ、ダメージが違うわな
元寇は襲ってきた無数の不良を撃退した武勇伝になるが
朝鮮出兵はボコボコに殴られてレイプ中出しされたに等しい
韓国併合は妾にされたようなもの
9日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:54:46
レイプっておまえ、それこそ鮮人の専売特許じゃないか。
自分らがベトナム人犯しまくった歴史は抹消してか?
10日本@名無史さん:2006/06/04(日) 15:05:19
>>8 対馬、壱岐の島民が皆殺しにあって、掌に穴をあけて数珠繋ぎで
元、高麗の船べりに吊るされて来寇したと記録されている。

 秀吉の前にもモンゴルにボコボコにされて人種まで変わってしまったが、
朝鮮出兵で人種が変わったか?
11日本@名無史さん:2006/06/04(日) 15:07:13
>レイプっておまえ、それこそ鮮人の専売特許じゃないか

それは人口当たりの強姦発生率が世界上位にランクインされた
最近になってからのことでしょう

少なくとも、近代まではレイプされるのが専売特許
・倭軍によるレイプ、唐軍によるレイプ
・モンゴル軍によるレイプ
・倭寇によるレイプ
・秀吉軍、明軍によるレイプ
・女真族によるレイプ
・旧日本軍によるレイプ
・米兵によるレイプ

こりゃ、性格歪むのも当たり前
韓国人が強姦魔なのもこの辺の屈折感にあるんですかね
12日本@名無史さん:2006/06/04(日) 15:23:22
あんな奴らを近代化してやったのが間違いなんだな。
ロシアの白豚どもさえいなけりゃあんな国を併合せずに済んだものを。
13日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:04:59
モンゴル人は日本人と同祖だから、まあ許したるわ。
14日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:07:11
また日本人の自虐妄想が始まった

捏造おつ
15日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:49:43
モンゴル軍による高麗襲来はすごかったらしいな。

中央政府は江華島へ逃げ、海軍力がなかったモンゴル軍はかわりに半島全土を略奪しまくった。
そして、モンゴル軍の高麗遠征は6回も続いた。
1254年の第6回遠征では、モンゴル軍は半島全土を荒らしまわり男女21万人
を捕虜にした。殺された者は数知れなかったという。
結局、主流派の軍部がクーデターで失脚し、国王は事実上降伏・江華島を出た。


16日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:22:22
朝鮮半島に略奪する物なんかあんのか?
17日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:34:28
日本の大相撲は蒙古に完全に征服された
18日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:38:22
>17ワロスwww
19日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:21:34
モンゴル支配に比べたら秀吉の出兵くらいちょっとチョッカイを出したよう
なものだろう。日韓併合は日本の持出しで慈善事業のようなものだ。

20日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:30:29
越南では捕虜の獲得どころか生きて帰るのもままならなかったモンゴル軍が
高麗では縦横無尽にやりたい放題だというのはどういう違いなのか。
21日本@名無史さん:2006/06/05(月) 13:19:23
越南→暑いよー暑いよー!!しかも、ゲリラだらけ!草原に帰りたあぁぁい!!
高麗→まさにベストな気温!力が湧いてくるお!女襲って、田畑荒らすお!!
22日本@名無史さん:2006/06/06(火) 07:21:07
高麗がチンギスハンの死を聞いて
「チンギスハンが死んでしまえばモンゴルなんか恐くないニダ!
モンゴルの使者を殺っちまうニダ!薄汚い野蛮人め!ウェーハッハッハ!」
とモンゴルの使者を殺害。
高麗側の「チンギスが死んでしまえばモンゴルは終りだ」という予測を見事に外れ、
モンゴル軍は使者を殺された報復の為に大軍を送って高麗を打ち懲らした。
高麗は「こ、こんなはずじゃなかったニダ!アイゴー」と済州島へ逃亡・・・
23日本@名無史さん:2006/06/06(火) 13:52:06
朝鮮人の台詞にニダとかアイゴーとか入れると途端に厨っぽく見えるな、ホント。
24日本@名無史さん:2006/06/06(火) 19:22:20
>>22
高麗が逃げ込んだのは江華島。
済州島に逃げ込んだのは三別抄。
25日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:04:41
しかし日本が一部になったとして
いったい元朝に何の得があったんだろうね?

まさかアメリカ大陸まで行くつもりだったとか……冗談だけどw
26日本@名無史さん:2006/06/10(土) 16:39:33
何で日本が外国から侵略を受けた歴史上の出来事って、こんなに情報が少ないのだろう?
新羅海賊の侵寇や刀伊の入寇、応永の外寇なんか、あったことすら知らない日本人の方が
多いような気がするぞ。
その時代について書いた歴史書を読んでも、一行か二行しか載ってないし・・・
27日本@名無史さん:2006/06/10(土) 16:51:15
>26
占領支配を受けたとか民族構成が激変するほどの植民があったとか
無く大したことないからでしょう。
占領支配を受けた大東亜戦争を知らない人はいないし、
歴史書でも大きくとりあげられている。
28日本@名無史さん:2006/06/10(土) 17:13:17
>>27
でも、壱岐・対馬の地域史や日朝の外交史の本にも大して詳しいことが書いてないんだよ。
新羅海賊の侵寇や応永の外寇について一般の人たちに知識がまったくないと、今後の日韓の
歴史認識の議論とかにも支障があるじゃん。
29日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:01:04
>28
新羅海賊の侵寇や応永の外寇による被害と
大東亜戦争による被害じゃ比較の対象にもならん。
別に国家の独立を脅かされたわけでも無し。
大東亜戦争では最悪の大量破壊兵器を2発も投下されたうえ
占領支配を受け、その後現在に至るまで武装解除憲法を押し付けられている。
30日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:05:54
新羅海賊の侵寇や応永の外寇なんて持ち出したら
「38年間の『占領・支配』とどっちが問題がおおきいのかな?」
なんて主張されかねん。
31日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:11:41
>>25
最初は蒙古は日本を攻撃する予定はなかったらしい
大陸の正統政権は蒙古(または元)だと認める、南宋とは貿易しない
このあたりで納得する気だった。
しかし使者が処刑されたことと、南宋が滅びて海軍力が手に入ったので
無礼な野蛮人を懲らしめてやろうと思った。

幕府や朝廷が適当に時間稼ぎをしておけば、元寇はなかったとおもわれ

32日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:12:01
もし徳川幕府が鄭成功ら後明朝を全面的に支援していたら、清は武力行使をしたかな?
全面占領はさすがに無理そうだから、対馬や九州を(朝鮮や降伏した明軍を弾除けにして)一時的に占領するぐらいか。
33日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:48:15
だから、騎馬の使えない清軍が、大量の鉄砲と堅牢な城郭を持つ
日本に勝てるわけないだろ。
34日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:49:53
>>32
日本なめすぎだよ、白丁
35日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:24:30
>>31
最初から元は日本を征服するつもりだったよ。
元史を読んでも高麗史を読んでも日本を征するためって明記してある。
元が「南宋とは貿易しないあたりで納得する」ような国ならベトナムやらジャワやら
ビルマやらに片っ端から侵攻するはずがないじゃん。
36日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:26:20
>>10
>掌に穴をあけて数珠繋ぎで 元、高麗の船べりに吊るされて来寇した

キリストの磔に関し、手のひらに釘を刺した場合、体重を支えられずに手のひらが裂けるとの話がある。
この話が正しいとしたならば掌に穴をあけて数珠繋ぎにし、船べりに吊して航海した場合、
掌は裂け、つながれていたおおかたの島民は海上に流されたと考えられるのではないか?
37日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:57:06
>>36
史料では船べりに縛り付けられただけで、吊るされたわけではないみたい。

「二島の百姓等、男はあるいは殺され、あるいは捕えられ、女は一所に集めて、
手を結び、あるいは通して舷につけ、虜者は一人として害されざるもの無し」
38日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:04:35
11
39日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:12:34
韓国の放送大学の教科書(日本語訳)には
日本征伐とあるんだよね。
40日本@名無史さん :2006/06/24(土) 13:55:45
>>31
使者の処刑は、文永の役の後の出来事です。
41日本@名無史さん:2006/06/24(土) 15:34:43
日本と同じくモンゴル帝国に勝利したマムルーク朝も使者を処刑してるんだよな。
モンゴルの使者はスパイも兼ねてるから、徹底抗戦を決意したのなら処刑するのが正しい対応。
42日本@名無史さん:2006/06/24(土) 15:39:08
「高麗史」だと朝鮮王がフビライに何度も東征を勧めたとある
朝鮮が余計なことするから・・・
43日本@名無史さん:2006/06/24(土) 16:46:07
元は、日本遠征の後に樺太を攻めたことがあった。領土欲が極まった感じだ。
44日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:47:09
>>42
マルコポーロの伝記をもとに作られたイタリア映画では朝鮮人が
モンゴル上層部の連中に「日本を攻めましょう」としつこく訴えていた。
元寇2回ともね。
45日本@名無史さん:2006/06/27(火) 00:16:35
日本に矛先が向けば朝鮮が楽になる、と思ったのかね?
実際は戦費負担と兵供出で大変なことになってた
元から戦費として下賜財貨があったけど到底まかなえてないでしょ
もっとも当時の朝鮮王はそれにもかかわらず宮殿造営とかやってるから意外と余裕だった?
46日本@名無史さん:2006/06/27(火) 02:28:36
>>45
高麗王朝は武臣たちを滅ぼして実権を握ったから、常に元軍が駐留していないと
朝鮮半島を支配できないんだよ。
だから日本侵略を言い立てて元から軍事援助を引き出していた。
47日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:37:27
日本は不滅です
48日本@名無史さん:2006/07/14(金) 00:22:21
すげー
49日本@名無史さん:2006/07/23(日) 03:04:02
このスレタイ、なんか笑えるよね。 「事実について」とか。
50名無し募集中。。。:2006/07/23(日) 06:41:49
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
51日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:20:47
中国、韓国、北朝鮮は元寇について日本に謝罪と賠償をするべき
52日本@名無史さん:2006/07/24(月) 17:16:05
中国は謝罪しなくていいだろ。
モンゴルがするべき
53日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:16:36
内モンゴル自治区は中華人民共和国の一部だよ。
54日本@名無史さん:2006/07/25(火) 08:08:25
>>44
なんか違う映画じゃないの?
東方見聞録にそういう記述はなかったけど。
55日本@名無史さん:2006/07/25(火) 17:40:43
>>54
ヨーロッパ製の長編ドラマだったかなあ? 史実も取り入れて脚色したのかなあ?
ただ、そこはかなり大事なシーンでマルコも出てたし、
日本とはどういう国だ?とマルコが興味を持ち日本人がひとりいると聞いて
会いに行くという部分で大陸にいる日本人役を丹波哲郎さんがやっていて、
「日本に手を出してはならん」とかマルコに言ってた。

朝鮮の武将が「前方には剣がきらめき、カミカゼと呼ばれる風が吹き・・」
なんて言い訳して
「次こそは勝って見せます。もう一度機会をください」と、二度目三度目を
お願いしてた。
テレビで見た。 一週間に一話ずつ放送だったか一ヶ月に一話放送だったか
忘れた。 話はつながっていて長い物語だった。
餓鬼の頃見たんだけど、「なんでチョーセンという国は日本を攻めたがるの?」
と親に聞いたら「マルコ・ポーロの記録にあるんだろ」と言われた。

まあ今考えると「カミカゼ」という言葉を日本側ならともかく、当時の朝鮮の
武将が使うのか?とか思うけど。

ただ、朝鮮の武将の言動は悪役そのものだった。 大きな事を言って調子に乗
っていい気になり負ければ徹底的に情けない態度と言い訳ばかり・・。
子供心にも「嫌なやつらだなー」とは感じた。
56日本@名無史さん:2006/07/25(火) 20:07:48
>>55
ああ、なんか聞いたことがある。
丹波哲郎が「蒙古の弓はこう引くのです」と弓身のほうを前に押し出すシーンがあるとか・・・
「それだとイギリスのロングボウだろ!」って突っ込みたくなったが。

ちなみに「東方見聞録」でカオリ(高麗)が言及されるのは、クビライに反乱を起こしたナヤンの
支配下の国々について書いた1箇所しかない。
日本については・・・元軍に首都を占領されたとかよく分からないことが書いてある。
57日本@名無史さん:2006/07/30(日) 13:00:25
賠償金はまだモンゴル側から取ってないんだろ?激しく怒れ
58日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:55:20
戦前に大陸にいた軍の関係者だかがモンゴルの王族に
正式に謝罪させたという話を何かで読んだ。
まあ実際にそんなことやったとしたら大人気ない話だな。
59日本@名無史さん:2006/07/30(日) 20:07:42
>>57

賠償金と言うものは、戦勝国が敗戦国に課すもの。
60日本@名無史さん:2006/07/31(月) 00:18:23
黄色い豚めをやっつけろ!!!!by白人
61日本@名無史さん:2006/07/31(月) 00:33:35
よくモンゴルは中国ではないから元寇の謝罪をするべきではないと中国人は言ってるが、
内モンゴル地区は、中国領だし、今日テレビで見た中国の討論番組で、「わが国」のチンギスハーンはと一般視聴者が言ってるのを
見て、結局都合の悪いときはモンゴル人扱いなんだが、本心では中国人だと思ってるんだなと思った。
62日本@名無史さん:2006/07/31(月) 00:35:04
>>56
マルコが黄金の島ジパングってくだりを伝えたことはよく知られてるのに同時に
ジパング人は人食い族だったって話を紹介したことは知られてないのな。

・・・チパング人は他のジャワの島々と同じように捕虜にした敵の身代金が支払われないと
一族郎党を呼び出してこれを食べてしまう。世界にこれより旨い肉はないといっている・・・

にしても行ってないはずのマダガスカルの記述があるわりに
高麗がハブられてるのはホント謎
63日本@名無史さん:2006/07/31(月) 00:49:16
>>61
巧みに使い分けてんのよw
モンゴル人は中国の文明史的な中心性には位置しないだろ。
64日本@名無史さん:2006/07/31(月) 01:11:45
>>62
チパングはジャワあたりとごっちゃになってるんじゃないかという話があるらしい。
その割にジャワは別にちゃんと解説されてるが。
65日本@名無史さん:2006/08/13(日) 09:32:45
age
66日本@名無史さん:2006/08/13(日) 20:19:45
蒙古が日本に侵攻したのは南宋の貿易を絶つためとかって高橋克彦は言ってたが、よく考えると日本一国をつぶしたからってたいした影響ないと思う。
すると何が理由で侵攻したんだ?まだマルコポーロは元にきてはいないから日本黄金の国という説はないと思うが。
67日本@名無史さん:2006/08/14(月) 01:31:59
>まだマルコポーロは元にきてはいないから日本黄金の国という説はないと思うが。

マルコは元からその話を持ち帰ったんだが?
68日本@名無史さん:2006/08/15(火) 18:21:32
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2277025&st=title&sw=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%A7%E4%B8%80%E7%95%AA%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C


日本と韓国の間で一番最初に行われ、謝罪も賠償も行われていない大侵略・大虐殺

「高麗史」によれば、元寇の発端は高麗の忠烈王が元の世祖(フビライ・忽必烈)にしきりに働きかけ、
執拗に日本への遠征を勧めたことになっている。
その結果、1274年、高麗は自ら、日本を侵略するために、戦費全額を高麗が負担、軍船900隻建造し、
2万人の高麗軍によって、日本の対馬・壱岐に上陸し残虐な殺戮を行った。

69日本@名無史さん:2006/08/18(金) 02:20:53
70日本@名無史さん:2006/09/01(金) 03:14:30
71日本@名無史さん:2006/09/01(金) 03:15:20
ワクワク(倭国倭国)島伝説をしらないのか。
日本人は人食い民族
72日本@名無史さん:2006/09/04(月) 22:40:51
和人は人にあらず
73日本@名無史さん:2006/09/05(火) 15:59:32
日本には南宋からの亡命者がたくさん来てたから(時宗の相談役だった禅僧もそう)、潜在敵になると思ったとか?
立案者は高麗人の元臣だけに、その辺の情報はわかってただろうし
74日本@名無史さん:2006/09/05(火) 19:03:25
>>66
高麗人の趙彜って奴がフビライに「南宋の富の源は日本との貿易です」って吹き込んだんだよ。
75日本@名無史さん:2006/09/05(火) 22:14:04
今、日本の国技はモンゴル人により占領されようとしている。いや既に
幕内力士のモンゴル人の数を見てご覧なさい。
神風吹かねばこんなもの
76日本@名無史さん:2006/09/06(水) 10:59:15
どうしてスポーツ選手で国家の関係を準える馬鹿が多いんだろうね。

モンゴルでは大相撲の横綱になると大金持ちになれるから国中から優秀な逸材が日本を目指して参入する。
ところが日本人にとって大相撲の横綱なんかモンゴル人が目の色を変えるほどには魅力的な職業だと思われていない。

朝青龍よりも強い日本人は何人居るのか分からないが、
彼らが力士になる可能性は非常に低いのだ。

日本人でそれほどの才能を持つ人間なら、大相撲よりもプロレスかK-1、柔道などの選手になる事を目指したがるだろう。
77日本@名無史さん:2006/09/19(火) 19:55:55
当時の日本は金や銀がよく取れたからな
でも100万で攻めても占領できなかったんじゃないかな
島国だから大陸からの輸送も大変だし
現地で調達するにしても西日本はあんま米取れんし
山ばっかだから自慢の騎馬隊も使えないしゲリラ戦法使われまくりそうだし
78日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:11:54
>>76
>>75は相撲ぐらいしか知らないジジイなんじゃね?

とは言え他の格闘技でも日本人がトップ戦線に絡んでるのはせいぜい軽量級ぐらいで
重量級に至っては欧米勢とブラジル勢の独壇場で日本勢(というかアジア勢)は出る幕無しという現実orz
79日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:21:49
>>77
どうかな?
高麗も山ばっかりの不毛の地だったけど、それでもモンゴルは30年近くかけて
ゲリラ戦を征したし、船なら南宋にいくらでもあったわけだし
雲南や南宋での戦いを見る限り、馬使えなくても軍事技術が進んでる分モンゴルは強い
80日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:08:12
高麗に侵攻したモンゴル軍の兵数がわからん。
その前に契丹が高麗に攻め込んだ時には、40万とか20万とかいう壮大な兵数が
書かれているのに、何故かモンゴル軍については、どの本にも兵数が書かれて
いないんだよ。
同時期のモンゴル軍の軍事活動と比較すると、6回の高麗侵攻の中でモンゴル軍
の兵数が1万以上だったことって、かなり稀だったような気がするのだが・・・
81日本@名無史さん:2006/09/21(木) 11:45:06
>>1
実際に侵略して来たのは高麗兵。クビライに侵略を進言したのも高麗人。
対馬・壱岐の島民を皆虐殺し、女達を暴行したのも高麗兵達。
82日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:46:19
弘安の役なんて、企画から実行まで完全に中国と朝鮮なんだよな。
1279年に高麗の名門貴族のユシユウって奴がクビライに「高麗と旧南宋の兵だけで日本を征服するから、
モンゴル軍は派遣しないでくれ」って進言。
その結果、高麗から出発した4万と江南から出発した10万が日本に攻めてきたわけだろ。
その戦略を練ったのは、范文虎っていう南宋からの降将。
軍勢の内訳は、江南軍10万は全部旧南宋兵だし、東路軍4万も高麗兵1万+高麗の水夫1万5千+旧南宋兵1万5千。
モンゴルは、ほとんど無関係で唯名義を貸しただけって感じ。
8365:2006/09/21(木) 13:10:38
おまえの話LONG!なんだYO
84日本@名無史さん:2006/09/21(木) 20:58:59
>東路軍4万も高麗兵1万+高麗の水夫1万5千+旧南宋兵1万5千。

旧金兵の間違いじゃないか
85日本@名無史さん:2006/10/29(日) 08:50:13
そんなもんじゃないの?
86日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:11:04
ジャワ攻めたのも高麗かな?もしそうならゴミのようにあしらわれたのも理解できるな。
87日本@名無史さん:2006/10/29(日) 09:16:57
>>78
メキシコとカリブ諸国とタイもお忘れなく。
88日本@名無史さん:2006/10/29(日) 11:38:03
モンゴル!モンゴル!
89日本@名無史さん:2006/10/29(日) 13:27:32
>>86
いや、江南人らしい。

119 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/08/01(火) 10:03:59 0
ジャワの元寇

1289年、クビライはシンガサリ王朝の朝貢を求めるため、孟hを派遣した。
シンガサリの王クルタナガラはこれを拒否、孟hの顔に焼鏝をあてて追放した。

クビライはただちに遠征軍の派遣を決意、モンゴル人史弼を総司令官、漢人高興を
前線指揮官に任命し、福建、江西、湖広から兵と軍需物資を集めた。
1292年、2万の兵を千艘の船に乗せた遠征軍が泉州から出航し、翌年に高興は兵を
率いてジャワに上陸した。

クルタナガラ王は元の艦隊を阻止するため兵力の大部分をチャンパとマレー半島に
送ってしまっていた。この機会にケディリ地方の貴族ジャヤカトワンは反乱を起こし、
クルタナガラの手勢を撃破して王を殺した。
王の娘婿ヴィジャヤは復讐のため元軍と同盟、ジャヤカトワンの艦隊を撃破した後
高興はケディリに上陸し、5千の敵兵を殺してジャヤカトワンを捕らえた。

ヴィジャヤはマジャパヒト市で正式に元へ服属するために、2百人の武器を持たない
元兵を護衛につけることを要求した。その護衛はマジャパヒトへ向かう途上で伏兵に
よって全滅させられ、それと同時に他の部隊もヴィジャヤの兵に包囲されていた。
史弼は命からがら逃げ出すことができたが、艦隊の停泊地へ戻るまでに生き残りの
兵の数千人がジャングルの中で命を落とした。

指揮官たちの間でヴィジャヤを討伐するかどうかの議論に決着がつかず、結局艦隊は
中国に帰航した。遠征軍が持ち帰ることができたのはジャワの地図とわずかな香辛料、
象牙などであった。
90名無しさん:2006/11/23(木) 02:39:10
日朝戦争はすでに日本が勝ってたのか
91日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:48:06
>>86
ワロスw
92日本@名無史さん:2007/01/20(土) 17:42:12
あほ
93高麗人:2007/01/20(土) 20:26:07
天皇だと言う(義は) 存在が国民を洗脳, 統合するための笑わせた演劇人の物だ.「天皇」ではなくて 「日王」の表現が当たる. 日王は自分を百済の後裔であることを認めた. 日王がアジアのための功績が何があるか? アジア戦争, 収奪, 虐殺だ.
94日本@名無史さん:2007/02/22(木) 17:41:32
>>93
>>日王は自分を百済の後裔であることを認めた.

だから何が言いたいんですか?
百済の後裔というのは日本の第50代の天皇・桓武天皇の母親の古い先祖が半島出身ってだけです。
すでに帰化しているので桓武天皇も桓武天皇の母親も日本人。
皇室が半島起源な訳でもなく過去の天皇が百済人な訳でもない。


残酷な現実

武寧王[461年日本生まれ第25代百済王(在位501-523年)] ――――――――――――――
 ↓                                               ↑
純陀太子(日本に人質に) 在日1世
 ↓                                        この間およそ200年?
斯我君    在日2世
法師君    在日3世                            どの時点まで百済人の純血が
雄蘇利紀君 在日4世                            保たれていたかは不明
和史宇奈羅 在日5世(ここで和氏に改名して帰化)
和史粟勝   在日6世                            しかも百済人と現朝鮮人は
和史浄足   在日7世                            別の民族とされている
和史武助   在日8世
和史乙継   在日9世(娘を天皇家に嫁がせて高野姓を賜る)          ↓
高野朝臣新笠 在日10世 ――――――――――――――――――――――――――――
 ↓
(200年ほど前に日本に来た百済王族の末裔を母に持つ)桓武天皇[第50代天皇(在位781-806年)]
95日本@名無史さん:2007/02/22(木) 19:19:32
それ以前に、オオキミはアムールからやって来たオホーツク文化人
のヴァイキング、弥生人の王。
96日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:51:52
その前があって
97日本@名無史さん:2007/04/23(月) 21:53:27
天から侵略
98日本@名無史さん:2007/05/13(日) 22:46:07
謎の惑星モンゴ
99名無し:2007/05/17(木) 20:57:34
>>1

世界中どこでも近代以前の戦争のことは批判しないのが常識だ。なんせ近代以前
の社会には侵略戦争が悪いという道徳自体がなかったし国境線も未確定なら国籍

という概念がないので国民の定義もあいまい、どっちが悪いか言い争っても泥仕
合になるだけだ。じゃあ何で中国と韓国は何百年も前の話を持ち出すのかって?

そりゃ朝日や岩波を始めとする日本のサヨクが煽るからだ。外国ではウヨク・サ
ヨクにかかわりなく政治に関心のある者は全て愛国者だ。お隣り韓国のウヨクと

サヨクを見れば分かる。
100日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:31:49
100げと
101日本@名無史さん:2007/05/29(火) 20:41:04
単純に言うとアレだろ。

アメリカが都市に対して核攻撃を実行したように、
敵対勢力に対する攻撃手段として使用しているだけだろ。

軍事的には日本に勝てない。なら言論で・・・・。

それだけの話だろ。
軍事的に勝つ手段はない。
だが言論を操作して利用すれば日本を叩く事ができる。

うん、それだけだろ。
102名無し:2007/07/01(日) 20:18:06
>>1

世界の常識では近代以前の侵略や占領は問題にしないことになっている。

フランスは北欧バイキングの侵略をもう問題にしていないし、
イギリスはフランス・ノルマンディー公の侵略をもう問題にしていない。

じゃあ韓国・中国はなんで問題にするのかって、それは韓国も中国も自分に都合がよければ世界の常識なんか無視するからだ。

現にベトナムの歴史は中国からの侵略とそれに対する抵抗の歴史だが中国が謝罪したと言う話は聞かない。
103日本@名無史さん:2007/07/01(日) 20:56:58
>>102
そりゃイギリスやフランスが特殊なのであって
近代以前の遺恨を言い立てるやつは世界各地にいるよ。
「コンスタンティノープルを返せ」だの「十字軍を反省しろ」だの。
104名無し:2007/07/01(日) 21:08:02
>>103

オレの説明が足りなかったかな【宗教】がかかわる問題は古代も近代も関係ない
イスラエルの戦争は【3千年前・神がユダヤ人にパレスチナの地を下さった】と

言うことが根拠になっている。オレは一時期・創価学会にいたが【今は違うよ】
創価学会では【800年前・浄土真宗が日蓮宗を迫害した】と教えていた。

宗教は時間を超越しているからしょうがない
105日本@名無史さん:2007/07/02(月) 00:32:12
>>102
近代以後でも際限なく問題にしないのが世界の常識。
一部に常識を無視する例外国があるだけ。
106日本@名無史さん:2007/07/02(月) 07:57:04
近代以前のことは、単に外交問題にしないというだけのことであって、
遺恨を言い立てること自体には時効なんかないよ
107日本@名無史さん:2007/07/03(火) 13:11:55
日本の歴史研究者たちは、秀吉の朝鮮出兵には平気で「侵略」という言葉を使うくせに、
元寇でモンゴルや高麗に「侵略」という言葉を使うことは徹底的に避ける。
挙げ句の果てに、侵略の被害者の鎌倉幕府を「侵略主義」だと非難する始末だ。
頭がおかしいとしか思えん。
108日本@名無史さん:2007/08/10(金) 23:35:49
>>107
そんな学者いますかね。
よっぽどヘンなサヨク御用学者の本でも読みましたな。
109日本@名無史さん:2007/08/11(土) 08:12:13
>>108
61 :日本@名無史さん :2006/12/15(金) 15:45:45
村井章介は、まだまだ他にもおかしなことを書いてるぞ。

【北条時宗と蒙古襲来】P118
『先にあげた諸例のなかで、予定された戦争は「異国征伐(発向)」「高麗征伐(発向)」と
呼ばれている。攻撃目標は本源地であるモンゴルではなく、朝鮮半島だった。ここには、
戦役に疲れた高麗の弱みにつけこんだ冒険的侵略主義以外のものは認めがたい』

この文章の中で、「戦役」という言葉が指しているのは文永の役。
文永の役って、あきらかに日本が侵略戦争の被害者だよな・・・
対馬、壱岐、松浦、博多では何の罪もない日本人の多くが、侵攻してきた高麗と元の兵士に
よって殺されたんだぞ。
鎌倉幕府がそれに対して、報復を考えるのは当然だろーが。
何で日本の方が「侵略主義」のレッテル貼られて、批判されてるんだよ?
加害者の高麗が日本を侵略して疲れているから、被害者の日本が報復しようとするのは
「弱みにつけこんだ冒険的侵略主義」・・・

「朝鮮より」なんていう生半可なレベルじゃないぞ。
村井章介のやってることは、「歴史研究」とは名ばかりで、単なる朝鮮のプロパガンダじゃん。
110日本@名無史さん:2007/08/13(月) 21:10:18
私は、モンゴルによる侵略が正しいとは思わない。むしろ悪いことだと考えている。
ただ、その批判の対象は、モンゴルではなく、日本政府に向けられるべきだろう。
そもそも、鎌倉幕府が早めに降伏していれば、侵略されずに済んだ。
それを軍国主義的な意地や体面が優先されて、ムダな戦争を継続した結果がこれだ。
鎌倉幕府と北条時宗のクズ野郎こそ、元寇の根本原因といえる。
111日本@名無史さん:2007/08/13(月) 21:56:35
110は杉山正明
112日本@名無史さん:2007/08/13(月) 23:51:43
私は、アメリカによるインディアン侵略が正しいとは思わない。むしろ悪いことだと考えている。
ただ、その批判の対象は、アメリカではなく、インディアンに向けられるべきだろう。
そもそも、インディアンが早めに降伏して同化されていれば、侵略されずに済んだ。
それを民族的な意地や体面が優先されて、ムダな抵抗を継続した結果がこれだ。
インディアンのクズ野郎こそ根本原因といえる。
113日本@名無史さん:2007/08/14(火) 03:06:35
>>102
問題にしている。ロシア民族主義者が「タタールのクビキ」をいっている。

英仏の場合、侵略してきたバイキング・ノルマン人が土着化し、現地の支配層となってしまって完全にその国と一体化したから。
ロシアのモンゴル・タタールもかなりは現地支配層になったが、タタールのかなりがイスラム教徒になったことで別民族として意識されるようになったから。
ロシアにもバイキングが侵略してきて支配層になったが、こちらは「現地人に頼まれてやってきた」という神話になってしまった。



114日本@名無史さん:2007/08/14(火) 03:15:10
近代以前の侵略や占領を問題にしているところなどいっぱいあるぞ。

ギリシャがオスマンの占領を問題にしている。
115日本@名無史さん:2007/10/15(月) 09:14:48
ほう
116日本@名無史さん:2007/10/15(月) 17:00:37
>>112
アホか?
インディアンを騙して土地を取り上げていったのが西部開拓史の真相だよ。
加害者を正当化するその異常性を自覚せよ。
117日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:35:12
>>116
どう見ても>>112>>110の文に対する皮肉だろ。アホはお前だ。
118日本@名無史さん:2007/10/26(金) 14:04:02
UU モンゴル帝国の英雄たち UU
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1192256868/
119日本@名無史さん:2008/02/08(金) 18:17:16
大体昔は侵略は悪いことではない
弱いほうが悪い
120日本@名無史さん:2008/02/19(火) 13:23:11
日本はモンゴルよりも強かったから征服されなかった
121日本@名無史さん:2008/02/19(火) 16:51:50
>>110
新世紀大河の北条時宗がそんな感じだったな〜w
あれから大河は腐り始めた
122名無史さん:2008/04/11(金) 11:42:51
>>110

>私は、モンゴルによる侵略が正しいとは思わない。むしろ悪いことだと考えている。
>ただ、その批判の対象は、モンゴルではなく、日本政府に向けられるべきだろう。
>そもそも、鎌倉幕府が早めに降伏していれば、侵略されずに済んだ。
>それを軍国主義的な意地や体面が優先されて、ムダな戦争を継続した結果がこれだ。
>鎌倉幕府と北条時宗のクズ野郎こそ、元寇の根本原因といえる。

【鎌倉幕府が早めに降伏していれば、侵略されずに済んだ】???

何言ってんの!! 降伏するってことは侵略を受け入れるってことだろ
それとも降伏すると日本の平和主義に感じ入って『日本は占領せずに

独立国として尊重しよう』ってなるのか、モンゴルが最初の使者を送ってきた
とき中国侵略の真っ最中だった。降伏すれば日本は占領された上、鎌倉武士は

中国侵略の最前線で戦わされたろう。
123日本@名無史さん:2008/04/11(金) 13:23:28
>>110
お前チョンだろ?
ば〜か
124日本@名無史さん:2008/04/11(金) 14:34:25
>>121
「国を開くのじゃ、時宗」ともっともらしく北条時輔が言ってたなw
高麗全土を荒らし、樺太ベトナムビルマジャワと手当たり次第攻め込むモンゴルのどこを信頼してんだか・・

125日本@名無史さん:2008/04/11(金) 15:13:01
>>124
交易の拒絶が理由だろ、閉じて攻められた。
126日本@名無史さん:2008/04/11(金) 16:23:14
>>125
日本は元との交易を拒絶なんかしてないよ。
元寇の最中も日本と元との交易は盛んに行なわれていた。
挨拶に来いと言われてのこのこ挨拶に行くのは、当時の外交常識では臣下の礼をとると言うこと。
だから日本だけでなくベトナムもビルマのジャワもみんな拒絶している。
127武陽隠士:2008/04/12(土) 09:05:29
大河時宗で関白が切腹したのには笑ったな。
正直、大爆笑した。
128日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:05:54
チン・ギスーハン←中国人ぽい名前に聞こえないか?
129日本@名無史さん:2008/07/07(月) 08:01:22
ローマ法王も数年前に十字軍の蛮行を謝罪したよな。
130日本@名無史さん:2008/11/01(土) 08:46:12
2008年10月12日  「元寇」を教えない対馬と九州の教育

賭人の独り言から転送します。ご参照いただければ幸いです。

8月の対馬視察では意外な事実を知らされた。対馬の小中学校ではだいぶ前から、歴史の授業で『元寇』に
於ける対馬侵略が教えられていない…と云うのである。

対馬だけではなく、福岡県太宰府市の「九州国立博物館」常設展示でも「蒙古襲来」に関する展示が極端に少ない。
私も何度か見学したが、どうやら意図的に「蒙古襲来」を避けている節がある。

この話は複数の議員が現地の人と接触して確認している。ある対馬市民などは「元寇は福岡の話でしょ?」と
軽く言ってのけた由。次回の対馬視察では、『蒙古襲来』に関する歴史授業の実情について調べてみる必要がある。
対馬だけではなく、福岡県太宰府市の「九州国立博物館」常設展示でも「蒙古襲来」に関する展示が極端に少ない。
私も何度か見学したが、どうやら意図的に「蒙古襲来」を避けている節がある。
特に酷いのが『蒙古襲来絵詞』複製展示の解説文。「蒙古襲来」とか「元・高麗の侵略」という言葉が全然無く、
「対モンゴル戦争」(?)という珍妙な用語なのである。

これでは文永・弘安の役がまるで日本によるモンゴル侵略と勘違いするよう、児童・生徒を誘導しかねない表現ではないか。

この「九州国立博物館」はオープン以前の8年前、常設展示案が報道された時分から「九州と云う地域の特性を
生かした内容にする」方針にも関わらず「蒙古襲来」展示が無く、問題視されていた。
つまり元(=中国)が日本を侵略した事実を隠したいという思惑があるのだろう。

これは展示監修の歴史学者が親中派だった為か、中華人民共和国駐福岡総領事館の圧力があったのか、よく判らない。

草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN

131日本@名無史さん:2008/11/01(土) 08:49:01
元寇」を教えない対馬と九州の教育 2008/10/06

また『元寇』自体の教え方にも問題がある。元の侵略は鎌倉幕府側に責任がある…という馬鹿げた論説が
罷り通っているのだ。

モンゴル(1271年より元)の意図は日本に朝貢させて(つまり臣下の礼をとらせて)服属させるものだった事が
明らかなのに「元の国書は通商を求めたに過ぎない」とする解釈だが、これは日本を貶める偏向解釈以外の
何物でもない。NHKなどもそんな邪説に与した番組を流しているのだから問題外である。

そしてどんなに事実を捻じ曲げようと、文永11年(1274年)10月5日に来襲した元・高麗軍が対馬西海岸の
各所で一週間に渡り一般島民を虐殺・拉致し、児童200人を奴隷として高麗に連行する等、暴虐の限りを
尽くした事実は消しようがないのだ。

・もう一つ悪意の感じられる論説もある。当時の鎌倉幕府が対馬や壱岐などの離島防衛を初めから諦めていた、
つまり見捨てたというもの。

この論説を唱える者の視野には、明らかに「沖縄」が入っている。

「沖縄は先の戦争で本土に見捨てられた」と主張し、被害者意識を増幅する。
その感情の先に「米軍追い出し→沖縄独立論→中共支配」が繋がっている。沖縄タイムスに出てきた金城信一氏が
喜びそうな論説と云えよう。

しかし史実では、文永の役において対馬で玉砕した宗助国の軍勢の中に肥前(佐賀・長崎県)や阿波(徳島県)の
御家人がいたことが記録されている。本土からの増援兵力が僅かながらも差し向けられていた訳である。
また弘安の役では、事前に派遣されていた「武幹の士」が島民と共に粘り強く戦っている。出身地も広範囲で、
陸奥・出羽(東北地方)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、信濃(長野県)、三河・尾張(愛知県)、遠江(静岡県)、
近江(滋賀県)、丹波(京都府)、備前(岡山県)、筑前(福岡県)、日向(宮崎県)、肥前(佐賀・長崎県)、豊後(大分県)と、
日本全土に及んでいる(『対馬島誌』)。

賭人の独り言
http://tafu.iza.ne.jp/blog/entry/744565/
132日本@名無史さん:2008/11/06(木) 00:46:33
>>110
つまり、とっととモンゴルの属国になった
高麗は正しいと言いたい訳ですね。
わかります。
133日本@名無史さん:2008/11/06(木) 17:20:33
 東京裁判において検事側は昭和3年からの日本の行動を侵略戦争として告訴した。
その理由はパリ不戦条約が昭和3年(1928年)に調印されたからである。
 たしかに、昭和3年以前の侵略は侵略にならないというのは、法的にそうであっても、
いかにも人間の恣意的な勝手な理屈である。
 戦争に飽きた西欧諸国、世界を分割し終わった欧米の連中が、不戦条約などという
ものをでっちあげたのではないかとさえ思う。 世界を分割し略奪した西欧諸国が、日本
のような新興国家の力を制限したようなものである。 新興国家は西欧諸国が歴史上
侵略で奪い取ってきた領土や権利を奪うな侵すなというおふれである。
 昭和3年(1928年)以降が問題になるはずなのに、日清戦争(明治27年・1894年)
で獲得した台湾や日露戦争(明治37年・1904年)で正当な権利として獲得した樺太や
千島まで奪われたのは、理不尽としかいいようがない。 日清、日露の数十万人の犠牲
はなんのためであったのか。
 新興国日本の領土を奪い、裁判にかけ、リーダー達を死刑にする。 西欧人とはまこと
に勝手なものである。 西欧人の決めた規則に従わない人間はもっともらしい理屈をつけ
て制裁する。 これが欧米のエゴと傲慢である。 そのエゴと傲慢は、今もなお続いている
ではないか。
 アメリカのイラク戦争を賛成し支持してきたが、西欧人の中心となったアメリカのエゴと
傲慢には、釈然としないものがある。 頭で分かっていても、心は納得していない。 とくに、
フセインのイラクとかつての大日本帝国がだぶってみえる。 傲慢なるアメリカに力で屈伏
させられた60年前の日本と現代のイラクである。
134日本@名無しさん:2008/11/06(木) 21:48:27
>>133
作文乙。
口を挟んでおくけど、「だぶってみえる」どころかフセイン自身が準(なぞら)えようとしていたんですけど。
それに、ソ連とヨーロッパはイラク戦争に反対。それも彼ら自身の理由によるものだったりしたのだが。
135日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:49:15
128:日本@名無史さん :2008/06/20(金) 23:05:54
チン・ギスーハン←中国人ぽい名前に聞こえないか?
136日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:53:09
>128:日本@名無史さん :2008/06/20(金) 23:05:54
>チン・ギスーハン←中国人ぽい名前に聞こえないか?
137日本@名無史さん:2009/04/14(火) 16:11:25
アリババ←中国人ぽい名前に聞こえないか?
138日本@名無史さん:2009/04/14(火) 16:54:43
NHKの元寇のドラマで、時宗が「フビライ様に申し訳ない!」と言って
いたな。なにが申し訳ないのか忘れたが。
139日本@名無史さん:2009/04/14(火) 16:55:02
元寇は鎌倉武士の圧勝
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。

140日本@名無史さん:2009/04/14(火) 20:18:29
ある時点の一つの局面に過ぎない。
141日本@名無史さん:2009/06/15(月) 12:48:46
学校教育のことか
142日本@名無史さん:2009/06/24(水) 14:31:59
【韓国】世界の弓、どういうものがあるのか 韓国の伝統弓は「角弓」で330メートル以上の射程距離を誇る★3[06/23]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1245789563/

 弓は北東アジアで特に発達した。モンゴルの弓は射程距離150メートル程度に過ぎないものの耐久性が
抜群で、中国では満州族が使う弓が最も強力だった。一方、刀が発達した日本は、弓の性能で大きく
後れを取った。竹や杉など1種類の素材で作る日本の弓は、相手を威嚇するために長さが2メートルを
超える反面、射程距離は60−70メートルに過ぎない。
143日本@名無史さん:2009/06/24(水) 15:19:12
>一方、刀が発達した日本は、弓の性能で大きく後れを取った。竹や杉など1種類の素材で作る日本の弓は、
>相手を威嚇するために長さが2メートルを超える反面、射程距離は60−70メートルに過ぎない。

1種類の素材で作るって、丸木弓だと思ってるのか?
144日本@名無史さん:2009/06/25(木) 12:35:27
モンゴルが何故、一時的とはいえ世界征服ができたのかな と疑問におもってウィキで歴史の流れをみてみたんだけど、

モンゴルが滅ぼしてきた国というのは大体もうすでに腐敗で末期状態にあって権威や忠誠心が崩壊している国なんだよな だからモンゴルが攻めてくると次々とモンゴルに寝返る将軍がでてきてあっというまにモンゴルの支配下にはいると

国としての仕組みや規範がちゃんとしている国は攻略できなかったりかなり苦しんだりしている モンゴルが日本の攻略に失敗したのは日本が意外と統一された国で激しい抵抗が予想されたために諦めたのではないか
145日本@名無史さん:2009/09/11(金) 18:45:59
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介し、波紋が広がっている。
27日、サイバー外交使節団「バンク」(www.prkorea.com)によると「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。
中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」とわい曲した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
146日本@名無史さん:2009/09/11(金) 19:35:12
あら
韓国人かわいそう
事実とはいえそこまで露骨にみんな言わなくても
やっぱ西洋人心がねえよ
147日本@名無史さん:2009/09/13(日) 12:19:17
イギリスの教科書すごいね。
148日本@名無史さん:2009/09/13(日) 15:23:34
>>144
>モンゴルが日本の攻略に失敗したのは・・・

神風が吹いたから。
太平洋戦争の時も吹いたけど、敵空母機動部隊には大してダメージをあたえられなかった。
(それでもマリアナ沖海戦よりはダメージが大きかった)
米艦隊>神風>日本艦隊
149日本@名無史さん:2009/11/12(木) 06:45:03
モンゴルは親日らしい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MONGOLIA/kankei.html
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。


モンゴルは中国を嫌っているらしい。

モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0721&f=politics_0721_005.shtml


>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%B8%AD


>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD
150日本@名無史さん:2009/11/12(木) 07:28:47
>>148
神風が吹いたおかげで勝てたというのは、実質何もせず祈ってばかりいた
宮中勢力が、モンゴル撤退後に広めた話だろ。
実際は鎌倉武士が敢闘して、モンゴル軍の上陸を阻んだからこそ暴風で多大な
被害を受け撤退したわけで。
日本の支配階級には、武家流と公家流があるが、
公家流は現実を見ずに、観念だけで歴史が動いていくという感覚を持っていて、
その流れは現代も日本社会の中に影を落としているのではないかと思う。
友愛とかCO2削減とか、かって盛んに唱えられた非武装中立論とか、
神風思想は今も生きている。
151日本@名無史さん:2009/11/12(木) 17:35:38
>>110 私は、日本による朝鮮併合が正しいとは思わない。むしろ必要悪だと考えている。
ただ、その批判の対象は、日本ではなく、李氏朝鮮に向けられるべきだろう。
そもそも、李氏朝鮮が早めに開国していれば、侵略されずに済んだ。
それを儒教主義的な意地や体面が優先されて、ムダな政争を継続した結果がこれだ。
李氏朝鮮と安重根のクズ野郎こそ、日韓併合の根本原因といえる。


152日本@名無史さん:2009/11/12(木) 17:46:50
モンゴル人の親日とやらがどういうものかは、朝青龍を見ればわかる。
153日本@名無史さん:2009/11/12(木) 18:01:00
朝青龍のキムチ野郎発言は感動した
154日本@名無史さん:2009/11/13(金) 00:28:04
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82

南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。
155日本@名無史さん:2009/11/14(土) 05:57:45
侵略しなければ、侵略される。
侵略が悪とは思わない。
国家間淘汰、文明間淘汰の一貫だ。
滅ぶべきは滅び、生き残るべきが生き残る。

日本は元寇を幸運にも撃退したので、モンゴルを恨んだりしない。


しかし……日本は幸せな国だな、つくづく。
156日本@名無史さん:2009/11/20(金) 11:36:16
当時の元軍と鎌倉武士との戦力・兵器・戦術に差があったとはいえ
武士たちが懸命に戦っていたからこそ被害が最小限に食い止められたわけで
もしそれがなかったらもっと広範囲に蹂躙されてただろうね。
157日本@名無史さん:2009/11/20(金) 14:57:58
元寇は鎌倉武士の圧勝
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。
158日本@名無史さん:2010/02/14(日) 23:39:03
なんやねん
159日本@名無史さん:2010/03/13(土) 11:47:43
侵略(・A・)イクナイ!!
160日本@名無史さん:2010/03/26(金) 00:07:28
そうやね
161日本@名無史さん
【中国/歴史】 王朝の変遷の原因は気候の寒冷化とそれに伴う食糧難だった…膨大な史料使い研究 [07/15]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1279196606/
■寒冷化と王朝崩壊に関連
 その結果、農業を基盤としていた後漢(25〜220)や唐(618〜907)、北宋(960〜1127)、南宋(1127〜1279)、
そして明(1368〜1644)の王朝の崩壊はすべて、低気温もしくは急激な気温低下と密接に関係があると結論づけた。

 気温の低下は中国の王朝を食糧不足で弱体化させた。
年間平均気温が2度下がるとステップ地帯の草原に生える草の成長期間が最大で40日も短くなり、
家畜の飼育に打撃を与え、北方の遊牧民族が南の中国語を話す人々が暮らす地域に
侵攻するきっかけになったという。