司馬は何故大東亜戦争を書かなかった?

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1日本@名無史さん
彼ほど資料を漁る人間なら真実に辿りついたはずなのになぜ?
命が惜しかったから?
2日本@名無史さん:2006/03/24(金) 12:55:23
史料を漁っても史実見えないだろ司馬は。
下手なこと書いて袋叩きにされたら作家人生終わると読んだのさ。
そういう処世術に長けている点が司馬のすごさ。
3日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:30:36
つまり最低の人間だな。
4日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:36:51
2=あらら!あなた、そんな『本当の事』を!!
5日本@名無史さん:2006/03/24(金) 15:15:36
めんどいから
6日本@名無史さん:2006/03/24(金) 16:09:34
>>1
何故近代関係のスレをこの板に立てたのか、その方が気になる。馬鹿だから?
7日本@名無史さん:2006/03/24(金) 16:20:05
>>1は司馬が真実に辿りつくと思っている時点で馬(r
8日本@名無史さん:2006/03/24(金) 22:16:16
小説家に求めて良いのは
面白い小説を書くことだけ。
9日本@名無史さん:2006/03/25(土) 13:04:08
もちろん司馬小説が面白いかどうかは別問題として
10日本@名無史さん:2006/03/25(土) 17:07:35
戦後間もなくでろくな資料が手に入らなかったからだろ。
後20年生きていれば書いたかもしれない。
11日本@名無史さん:2006/03/25(土) 17:40:28
>>10平成に死んだ作家に『戦後まもなく』とか…
お前馬鹿だろ?
12日本@名無史さん:2006/03/25(土) 20:17:32
あと20年生きてたらかなりの長寿だな。
しかし晩年は作品も読むにたえない、面白くもなんともないものしか書いていなかったが。
13日本@名無史さん:2006/03/25(土) 20:58:12
「坂の上の雲」に出てくる様な明治時代の冷静で合理的な軍人に比べて日本を敗戦に
追いやった昭和の軍人や組織が馬鹿らしく何の魅力も無いので書く気がしなくなった。
一応資料だけは集めて「ノモハン事件」などを書こうとしてたらしいが。
自分も崖っぷちで背水の陣で行なった日露戦争なんかは国力や国際的立場が弱いのを
自覚しつつ、国際的世論も味方に入れつつ、会戦と同時に終戦も冷静に考えてした戦争だし、
昭和の神がかり的で国際情勢も分析する力の無かった馬鹿軍人に比べて、同じ民族かと思うよ。
また自分が実際参加したので生生しく書き辛かったのかな。
とにかく明治維新とか日露戦争の様に正義やロマンが無いし負け戦で惨めだし。
14日本@名無史さん:2006/03/25(土) 21:18:13
昭和はまだ生き証人・家族もいたし、名誉毀損訴訟、
書けないよ
15日本人:2006/03/25(土) 21:21:10
明治の表面に出てきた日本人はファショナブルな都会派、昭和の表面に出てきた
日本人は田舎者の秀才。だからなんとなくドロ臭い。マッカーサーはカッコいい。
 今、小泉、石原知事と表面に出てる人カッコいい。秋篠宮もカッコいい。
人間40過ぎたら自分の顔みて出て来い。
16日本@名無史さん:2006/03/25(土) 21:38:16
坂の上の雲なんて穴だらけ作品。
彼は明治人の気概、とりわけ秋山真之の本音をはき違えてる!
秋山は『世界を統一するのは大日本帝国なり』と天剣漫録にはっきり書き記している!
これは彼がもっとも忌み嫌った昭和のナショナリストも裸足で逃げ出す程強烈な愛国心と言える。
あんな『ほのぼの明治ものがたり』では表現しきれない厳しい気持ちで秋山真之はあの戦争を戦ったのだ!
たかだか『戦車隊の訓練ツマンネ』なんて男が日露戦争という崇高な物語を書く事自体生意気だ!
奴の能力と感性じゃ昭和の戦争物語など書けようはずがない!
17日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:24:56
中公文庫から出てる司馬本はろくなんもじゃねえからな。
18日本@名無史さん:2006/03/26(日) 14:14:45
明治、日露までの日本は美学があったから。
それ以降の有頂天になってついには周りが全く見えなくなった悲惨な日本の闇の部分は
司馬さん好みではなかった。また美しい文章を書けないことがわかってたから
19日本@名無史さん:2006/03/26(日) 15:17:33
>>17へ〜具体的に何が?

18みたいのが『へどろ司馬沼』にどっぷり浸かってる馬鹿野郎の典型だな。
20日本@名無史さん:2006/03/26(日) 16:45:02
反日左翼作家である事がバレバレになるから。
司馬が小説を書き始めたのは、日本はなんてバカな戦争をしたんだろう
自分はなんてバカな国に生まれてきたんだろうという疑念から。
ブリキの戦車に乗せて戦わせた日本に対する怨念が常に根底にはあった。
21日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:48:11
>>15政治家、官僚は面じゃなく『脳』だから。
ゆとり脳乙ww

(芸能人と国家指導者を混同すんな!糞馬鹿ww)
22日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:04:08
>>19
義経
幕末小説のすべて
23日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:52:28
>>20
おいおい、司馬先生は元産経新聞の記者だよ。
大東亜戦争を書かかず、不毛な議論に首をつっこまなかった
おかけで大作家として大成できたんだよ。

そういえば朝日は前に、
司馬の日露戦争までの日本はすばらしかったという史観を
社説で批判してたが。
24日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:04:02
天皇を本気で神とか思ってるヤツとかいたの?
俺の周りにはいなかったよ

みたいなことも書いてたね
25日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:48:30
ノモンハン事件について詳細に調べ、当時の士官や兵士などにも
話を聞いたけど、書こうとすると気持ち悪くなって書けなかったってくらいだから、
自身に直接に関係のある太平洋戦争は書けようがないって感じだろう。
26日本@名無史さん:2006/04/11(火) 18:24:45
>>23
産経出身といっても担当していたのは地方部や文化部で、主流ではない。
それに司馬が在籍していた当時は産経もはっきり右寄りの新聞ではなかった。
27日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:46:50
司馬は新世界新聞社、新日本新聞社を経て産経新聞に入社。
新世界新聞社のあった旧猪飼野地区は日本最大のコリアンタウン
のある所で、同僚に在日朝鮮人もいたが、司馬の朝鮮に対する思い入れや、
自らを「在日日本人」と呼称したり在日に対する配慮はその影響かな。
28日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:29:10
>>26
坂上の雲は産経新聞の連載なのですが。

司馬さんが著作でまったくふれなかった歴史問題
南京問題、従軍慰安婦。
いやあ、ほんとあつかわなくてよかった。

>>27
韓国紀行なんかみると、的を射た朝鮮人の民族的特質が記述
されているけど。司馬さんが書くとアクがなくてよい。
同じことを慎太郎が書くとムカツクかもしれんが。
29日本@名無史さん:2006/04/13(木) 18:25:42
作る会の藤岡信勝は最近の講演で、かつて司馬をマンセーしていた事について質問でされ、

「朝日新聞の読者は今でも司馬遼太郎をちゃんと読めばよいが、産経新聞の読者はあまり
読む必要は無い。私は朝日読者から産経読者になる過渡期に司馬遼太郎を読んだので意味があった。

『坂の上の雲』は左翼の教師らに、細かい点は別として全体的な、日露戦争は日本民族にとっての
祖国防衛戦争であったというイメージを初めてもたらす事に成功した。

今現在は司馬遼太郎の書いたものを絶対化など全然しないし、大変困った所のある人だと思うが、
かつて影響を受けた人を全面否定したくはない。恩師で左翼の人たちがいるが人間的に全面的に
否定しようとは思わない。」と述べている。
30日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:17:53
前文芸春秋の別冊で丸谷才一がそんな話したよ。
司馬のは伝統的な歴史小説で魅力あるヒーローを中心に書くが、
昭和には魅力あるヒーローがいないので昭和は書けない、と。
31日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:07:38
そりゃ司馬自身が昭和世代だからだろ
同時代のヒーロー書くより、自伝書いたほうが読者は喜ぶって
32日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:38:20
信長や坂本龍馬が好きな司馬遼太郎が東条英機書く気がすると思うか?
本田宗一郎なら書くかもしれんが
33日本@名無史さん:2006/05/20(土) 03:54:36
うへへ、田中新一とかどうだ。
田中・服部・辻あたりを主人公にした大河小説『大本営陸軍部』
34日本@名無史さん:2006/05/20(土) 04:01:00
>>29
>『坂の上の雲』は左翼の教師らに、細かい点は別として全体的な、日露戦争は日本民族にとっての
>祖国防衛戦争であったというイメージを初めてもたらす事に成功した。

>初めてもたらす事に成功した。
>初めてもたらす事に成功した。
>初めてもたらす事に成功した。
>初めてもたらす事に成功した。
>初めてもたらす事に成功した。

それ、いったい何時の話?
坂の上の雲って昭和40年代の作品だよ?
35日本@名無史さん:2006/05/20(土) 04:25:08
>>25
が全て。学徒動員で自分も参加してんだから。>>1はクソスレたてる前にググレw
36日本@名無史さん:2006/05/20(土) 18:48:26
>>34
ん?
早すぎるといいたいの?
遅すぎるといいたいの?
37日本@名無史さん:2006/05/20(土) 19:06:58
>>36
教師の左翼史観は昭和40年代の時点で既に覆されてたの?
そんな早い時期から「自由主義史観」の萌芽があったとは知らなかった。
いや、あったんならあったでいいけど、平成になってからやっと転向した藤岡って遅れ過ぎだな。
38日本@名無史さん:2006/05/20(土) 19:10:42
司馬のモンゴル紀行だったか?本屋で立ち読みしたら
ノモンハン事件を調べたら、日本軍の太平洋戦争での敗戦の
原因がよくわかると書いてあったので、今ノモンハン事件を
調べている ちょっと調べただけだが、ミニ太平洋戦争みたいだな
39日本@名無史さん:2006/05/20(土) 19:19:20
●司馬さんは、日本陸軍の戦車部隊は、もし道路が住人でいっぱいだったら、それを轢き
殺して行くつもりであったとも批判していましたけど……。

兵頭二十八氏「あのなあ……。こういう常識のない話を真に受ける人が多いのも困った
ものだが、まあ、こういうことだわ。
戦中の日本軍のトラックはあえて機会式ワイヤーブレーキを採用していた。これは、汽車
輸送で無蓋貨車上に固縛するときにオイルパイプが破損しがちで、そして戦場ではその
修理がまったく不可能のためだ。それがしかも後輪にしか、かからんときていた。ハンドル
もパワステなんてものはアメリカにすらなかった時代だから、下り坂のカーブなんかでは、
よく事故を起こしたんだ。しかも住人も慣れていて、こういう危ないトラックに地方人
が轢かれるなんてことは稀だった。
また昔の戦車は故障しやすくてね。舗装もしていないガタガタの戦前の国道を行軍中に
全速など出していたら、目的地についたときにもう使い物にならないから、攻撃を受ける
おそれのない路上では、せいぜい時速十キロメートル前後しか出なかった。いったいそれで
誰が轢かれてしまうのかね?」


これ↑ってさあ、兵頭の話が本当だとすると、
どうして司馬はそんなデタラメを書いたんだろう。
実際に戦車にのっていた司馬が知らない筈がないのにさ。
40日本@名無史さん:2006/05/21(日) 04:19:32
日本陸軍の戦車は火力装甲は貧弱そのものだが、可動率は優秀。
大陸や南方を1000km以上走っても脱落車なし。
41日本@名無史さん:2006/05/21(日) 04:19:52
司馬はね、上官にそう言われたと書いてたよ。で、国、国民を守るべき日本軍の指揮官
が「国民を轢き殺しして行け」と言うのはどういう事かと憤慨したと。メカニズム云々の前に
司馬的には、思考上の批判として成り立つ話だと思う。
それに、十キロ云々の話も状況次第。田んぼ道をパラパラ逃げてくるなら理にかなう
が、パニックになってわんさか逃げてくる市街地の狭い道なら轢く事も有り得ると思う。
司馬信者でもなんでもないが、一面的に過ぎる話なので。
42日本@名無史さん:2006/05/21(日) 04:26:36
軍隊は国民を守るべきか? それとも国家を守るべきか?
たとえば100人の国民を守るために国家を滅ぼすのは許容されるべきか?
43日本@名無史さん:2006/05/21(日) 05:25:01
>>41
なるほど。それもそうだね。
44日本@名無史さん:2006/05/21(日) 10:25:34
>>42
100人殺して国体が守れるならなら1億人でも良かろうってのが戦前の軍隊の思考ですが。
戦前は国家防衛じゃないだろう。国体(天皇制)防衛だから東京大空襲や広島、長崎
の悲劇が起こった。今の感覚で戦前を見ちゃ駄目だろうが
45日本@名無史さん:2006/05/21(日) 15:01:46
司馬が大東亜戦争について書かなかった、書けなかったのは
ノモンハン事件について詳しく調べ、ソ連軍に捕虜になった日本軍兵士が
停戦後、捕虜交換で帰ってきたののを「生きて虜囚の辱めを受けず」という
戦陣訓のもとに日本軍が処刑したことを知ったからだよ
靖国神社に祭られているノモンハン事件戦死者は1万8000人
ノモンハンでの日本軍の戦死者7720人、負傷者8664人より異常に多い
靖国での1万8000人という数字から彼は気づいたのだよ
捕虜交換のときに日本軍衛生兵が日本兵捕虜の頭に白い紙袋をかぶせたと
ソ連のシーモノフが記録を残している「ノモンハンの戦い」シーシキン他著
当時、処理部隊の中では反乱寸前まで行ったようだ
負傷兵やソ連軍捕虜を日本軍によって処刑されたということは彼は
どうしても書けなかった 書きたくても書けなかったということだろう
46日本@名無史さん:2006/05/22(月) 16:37:56
ソ連軍捕虜や負傷兵の処理部隊が反乱を起こしそうだったので、慌てて
731石井細菌部隊や毒ガス部隊に移送してマルタとしてて処理した
18000人の靖国神社に祭られてるノモンハン護国の英霊の約半分が
マルタや毒ガスや日本軍によって処理されたなんて、司馬も到底書けなかった
気持ちはわかるよ
47日本@名無史さん:2006/05/22(月) 20:02:02
陸軍の若い将校たちが新橋の芸者にもてたくて戦争どんどん拡大したって
ほんとの事書けなかった。
48日本@名無史さん:2006/05/22(月) 20:42:29
>>46
どんな本にそんな話が載ってたの?
教えて下さい!
49日本@名無史さん:2006/05/23(火) 17:20:23
ノモンハン事変が起こったのは1939年昭和14年
731石井四郎細菌部隊がハルピンに作られたのが1936年昭和11年
創設者で部隊長だった石井四郎は当時は中佐
ノモンハン事変の処理の後で中佐から中将に特進している
大きな功績を挙げたのだろうな 石井四郎部隊長は
終戦の1945年昭和20年の3月に731部隊の部隊長に石井が復帰
部隊施設はほぼ完璧に証拠物件を爆破処理された どうしても爆破処理する
必要なものが大量にあったのだろうな
最前線のハイラルの部隊には731石井細菌部隊の出先部隊もあったようだ
50日本@名無史さん:2006/05/23(火) 19:03:39
にしても 戦後にバラサレそな話だがの。
51日本@名無史さん:2006/05/23(火) 23:13:24
>>49
尤もらしい話だけど そんな本があるの?
52日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:02:00
ノモンハン事変の前年の1938年昭和13年にハルピン郊外の平房地区に
6キロ四方の特別軍事区に731部隊は移転したわけだが、上空を
日本の飛行機が飛ぶことも禁じていた 恐らく処刑地はここだろう
ノモンハン事変の処理が終わった翌年の1940年5月23日の朝日新聞には
軍司令官から731部隊にノモンハン事変に関して感謝状が贈られたことが
石井四郎の娘の春海の写真まで掲載して報道
当時は新聞は大本営報道部だから、大本営からの感謝状だが、これは異例中の異例
例えばノーベル賞受賞の田中さんの報道の場合に娘までは載せない
よほど大本営もうれしかったのだろう 兵士にはノモンハンについては一切
語るなと緘口令をひいていた
1940年には中国中部で1700人の日本兵が731部隊の細菌で
死亡している 連絡ミスで死亡したということになっているが、細菌テストの
可能性が高い 証拠隠滅に この事件では失敗したのだろう
むろん、名誉の戦死として靖国神社で祭られているようだ
ノモンハン事変の処理の後、731部隊は資金が潤沢になり、最盛期には
南方まで含めて1万人余りの石井機関に急成長している
人体実験うんぬんは、本筋の日本兵処刑を隠すためのカモフラージュか?
731石井細菌部隊は参謀本部の直属機関だったようだ
53日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:16:27
>>52
そんな話なら日本陸軍を悪の組織として断罪したいGHQが宣伝するはずだが
あまり話題にならなかったのはなぜ?
54日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:50:09
石井細菌部隊の話って中国の反日映画の筋まんまだと思ってるのか
実際の史料はろくに出てない現状で断定できるほうが不思議
55日本@名無史さん:2006/05/24(水) 14:25:57
>1940年には中国中部で1700人の日本兵が731部隊の細菌で
訂正1942年には中国中部で1700人の日本兵が731部隊の細菌で
この件は米軍が確認している

米軍が731部隊を日本軍悪の宣伝に使わなかったのは、GHQのG2が
731部隊と司法取引で戦犯免責の見返りに731部隊から貴重な
人体実験資料などを取得していたという後ろ暗いことがあったからだろう
現在はアメリカが医学面では世界一のレベルだが、これには731部隊が
提供した医学資料が大いに役に立っているのだろう

56日本@名無史さん:2006/05/24(水) 15:05:21
司法取引説ってすげー胡散臭いんだけど
なんで勝者が敗者へ一方的に媚びなきゃならんわけ?生殺与奪を握ったも同然なのに
だいたいペニシリンの実用化さえ覚束なかったレベルで当時のアメリカが欲しがるような高度なデータが取れたとも思えん
「史料は実在するらしいが隠匿されている」という状況から派生した風聞じゃないのかね?
日中の協定により現地放棄した毒ガス弾が「日本軍が隠した」ことになってるのと似ているものを感じる。それによる事故が管理権を引き継いだ中国側じゃなく日本側の全責任としてカネせびられている構図とかも
57日本@名無史さん:2006/05/24(水) 17:48:58
引き渡し目録まであるような代物だろう。あちらさんが大喜びで持って行ったものの責任までなんで
58日本@名無史さん:2006/05/24(水) 18:30:06
>>55
731部隊を過大評価しすぎだろう、日本の医学が米や独以上とは思えない
陰謀史観だろう。ショッカーじゃあるまいし
59日本@名無史さん:2006/05/24(水) 19:46:29
司馬の戦時話といえば
「戦陣訓というものは名前を聞いたことはあるが、目にしたことは一回もない、暗唱させられたこともなかった」
と証言したことがあるな
60日本@名無史さん:2006/05/24(水) 20:40:40
司馬が戦車小隊長って時点で大日本帝国オhル
61日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:25:24
ドイツ:ミハエル・ビットマンとタイガー戦車

日本:福田定一とチハタン

これが戦争の真実
62日本@名無史さん:2006/05/25(木) 13:52:34
>「戦陣訓というものは名前を聞いたことはあるが、目にしたことは一回もない、
>暗唱させられたこともなかった」

これはウソだな 帝国陸軍兵士には軍隊手帳の携帯を義務付けられている
その軍隊手帳の中に戦陣訓が書かれている 見ないわけが無い
戦陣訓の中に「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言がある
東条英機が入れた文章のようだが、入れた本人が虜囚になって絞首刑に
なったわけだから、とんだ笑い話だな 実戦経験の無い秀才馬鹿官僚の
考えそうな文章だ 
この文言のせいで捕虜は全員、軍律厳しい関東軍憲兵隊の取調べを受けることになる
ソ連のハバロフスク極東裁判に提出された関東軍憲兵隊の内規によると
捕虜になった者は帰還しても全員厳しい取調べを受ける規則になっていたようだ
63日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:09:27
捕虜になったときの知識がないから
秘密情報までペラペラしゃべる。
日本軍ダメボ
64日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:11:03
斯波はノモンハンを書こうとしたらしいが、
あまりの日本軍の馬鹿さ加減に滅入って、
筆を折ったといわれてもいる。
65日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:16:12
手帳にあったのは軍人勅諭のほうだろ。
66日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:02:33
>手帳にあったのは軍人勅諭のほうだろ。

勅諭と勅語は、軍隊手帳に赤字で書かれている
戦陣訓は、軍隊手帳に黒字で書かれている
「生きて虜囚の辱めを受けず」の文言は戦陣訓の本訓 其の二
第八 名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈愈奮励して
其の期待に答ふべし。
生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ
に、書かれている
67日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:26:37
隊として暗唱とかやらなかった、という意味では
学生手帳の文言だって全部見る奴は奇特だしw
68日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:33:53
戦陣訓は昭和16年のもんでしょ
天皇の言葉ならともかく、一陸相が何をと侮るところもあったそうだね
生きて…の一節は「死し罪過の…」とワンセットで、実際のところどうとでも解釈できる内容
「敵及住民を軽侮するのを止めよ」
「仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし」
なんていう部分もあるから、一部だけを切り取って悪玉視すると?となる
69日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:59:22
学生手帳は学生なら誰でも持っているが
校則ページを読むことなんて殆どないしな
70日本@名無史さん:2006/05/25(木) 20:34:47
「ある憲兵の記録」朝日新聞山縣支局著に
将校は病院で自決させられたが、問題は兵たちだ 二回、三回に戻さされた
合わせて700人近い兵について、土屋はハルピンの南、背陰河までは
列車で送られてきたと聞いた だが、その後の彼らの消息は全く聞かない
どこへ行ってしまったのか 当時、だれもが「まさか」と思いながら
首をひねった、という しかし土屋は・・わが精鋭がその威武・・と歌われた
関東軍の恥、とばかりに何らかの処分をされたのではないか、と今も疑っている
との記述がある
71日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:03:29
>>45
(ノモンハンの戦い)シーシキン 岩波書店

げすな勘ぐりかもしれないけど岩波書店??


72日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:25:59
>>45
おいおい、7720人は第二次と区分される戦闘においての犠牲者数だよ
別に総計はおかしくない
勘ぐりすぎというか、悪玉史観ばりばりというかw
73日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:44:29
小説の主人公にしたいような魅力的な人物がいないからだ。
74日本@名無史さん:2006/05/26(金) 11:02:32
マンハッタン計画を描いた「坂の上のキノコ雲」
ハルゼーVSスプルアンスのライバルを描いた「提督ふたり」
ルメイ少将が活躍する「国焼き物語」
小沢治三郎が主役の「七面鳥の城」

司馬作品にこれだけ太平洋戦争モノがある
今大河でやっている「参謀が辻」も司馬原作だろう


75日本@名無史さん:2006/05/26(金) 12:45:23
>おいおい、7720人は第二次と区分される戦闘においての犠牲者数だよ

靖国神社に祭られてるノモンハン事変の英霊の柱数は1万8000柱
これは名前がわかっているだけで1万8000ということ
第二次ノモンハン事変の戦死者数は第6軍軍医部の調査で7720人
第一次ノモンハン事変は参加兵力が2082名、戦死者159名
行方不明12名だ
第二次、第一次ぜんぶ足しても7720+159+12=7891人
1万8000人に遠く及ばない
第二次の負傷兵8864人をぜんぶ足しても7891+8664=1万6555
これに捕虜数800人を加えると1万7355人
つまり、負傷兵と捕虜をぜんぶ死亡したとすれば1万8000に近くなる
靖国神社の戦死者1万8000名はは厚生省から回った書類だろうから、
まず間違いない数字だろう
76日本@名無史さん:2006/05/26(金) 15:51:13
司馬もさすがに京都大学医学部卒の石井四郎中将が、主に生まれ故郷の
千葉県加茂村(現在の芝山町千代田)出身の者を集めた加茂部隊と
満州人の苦力でノモンハン事変のソ連軍捕虜や負傷兵などを1万人ほど
健康診断に見せかけて薬殺したことなど、気持ち悪くて書けなかったようだ
石井の兄の次男の剛男が特設監獄担当、三男の三男が動物舎の担当
四男の四郎が総責任者ということのようだ
77日本@名無史さん:2006/05/28(日) 20:20:21
>62
いや、「昇進試験には軍人勅諭は出るけど戦陣訓は出なかったから覚えなかった」って証言がある。
読んだ香具師も居たかも知れんが、みんながみんな暗唱したりはしなかったんじゃないか。
78日本@名無史さん:2006/05/31(水) 19:38:43
>>76
その話を詳言した人や記録などがあるの?
79日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:11:55
司馬がフランス文学者の桑原武夫との対談で東条英機のことを
クソミソにけなしているな よほど腹が立つことがあるのだろうな
80日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:43:13
20年くらい前までは東条英機を良く言う奴は皆無だった
右翼でも元軍人でも東京裁判否定論者でも、彼だけは擁護されなかった
81日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:17:55
ていうか、今でも公然東條を擁護してるのは東條の孫と小林くらいのもんだろw
ネトウヨ2ちゃんねらーも現実社会で東條を擁護なんてできまい。
82日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:38:01
どのような思想・価値観・国籍の人間でも彼を賛美することは不可能だろう
ただ当時の日本の政治家が彼以上とは言い難いが
83日本@名無史さん:2006/06/09(金) 13:01:22
大杉栄などを実際に虐殺したのは東条じゃないのか?
甘粕が罪をかぶって、満州へ行ったようだが、その後の甘粕の動きを見ると
軍幹部の弱みを握っていたとしか思えないが
84日本@名無史さん:2006/06/16(金) 13:35:15
失敗の本質 日本軍の組織論的研究 ダイヤモンド社 著者は防衛大学の
教授ら6人に次のように書いている
「ノモンハン事件の戦死者7696名、戦傷8647名 生死不明1021名
計1万7364名の兵士を失い(靖国神社の戦没者数は1万8千余人)」
「生き残った部隊長のあるも者は、独断で陣地を放棄して後退したとして
きびしく非難され、自決を強要された」
これを見ると、負傷者、ソ連軍捕虜ともに陸軍に処刑、自決強要されたようだ
司馬もこのことを知っていたのだろう 書く気になれなかったのも無理は無い
もし、書いたら命が危なかったかもしれない
85日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:51:37
歴史家を気取ってたからだろ。
歴史書を書くのは王朝が変わってからだ。
平成になったら意欲も能力も落ちてただけ。
86日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:03:58
めんどいから
87日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:22:40
単に馬鹿だけ
88日本@名無史さん:2006/07/09(日) 11:56:35
最近 ザ ウインズオブゴッドの舞台見て不覚にも泣きそうだった
89日本@名無史さん:2006/07/28(金) 16:53:42
夢想家的作風の司馬氏にとって、15年戦争期の日本を描くにはリアリスト的な
冷徹さがかなり欠けているように思います。だから正直に「昭和のことを考える
と息がつまるようになります」(生前のNHKでの「昭和を語る」というタイトルの
対談番組にて)と言って描かなかったのでしょう。
90日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:33:42
『正論』2006年8月号で、戦争に至る時代の背景に、
コミンテルンの謀略がどのようにうごめいていたか、
特集されており、詳細に論じられています。
是非、参考に読まれることをお奨めします。

<特集>中国共産党とコミンテルンの戦争責任を告発する
 1.国共合作・内戦の背後で蠢いた「赤色謀略」の数々
 評論家 黄文雄
 2.尾崎秀實の虚像と実像
 国際問題評論家 瀧澤一郎
 3.「近衛上奏文」の謎
 元防衛大学校教授 平間洋一
 4.日本を泥沼に落とし込んだ米中ソ二つの反日ネットワーク
 日本会議専任研究員 江崎道朗
 5.ルーズベルト対日戦決意の「背景」最新報告
 青山学院大学助教授 福井義高
 6.防共史観確立のための謀略論考察
 獨協大学名誉教授 中 村 粲
 7.東京裁判史観は過去の亡霊だ
 上智大学名誉教授 渡部昇一
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0607/mokji.html
91日本@名無史さん :2006/07/29(土) 21:37:19
作家と歴史学者は違うからな。
しかしどちらの著作がより多くの人の目に触れるかといえば前者なわけだし、
個人が日常生活の中で得られる歴史的知識の量も手段も乏しいわけで。
92だつお:2006/07/29(土) 21:47:34
日本製の高品質性に、中国人がどれだけ号泣したか知ってるか?
皇軍の精強さに、中国人がどれだけ大量虐殺されたか知ってるか?
それは中国人がドイツ製アメリカ製兵器で武装すれば対抗できる
といったレベルではなかったのだぞ。
日本が日中戦争のことで中国人から恨まれるのは、97式中戦車チハ
が優秀で中国人を虫けら同様に大量殺戮して無敵を誇った証であって、
日本製品の高品質性は胸を張って優越感に浸るべきことなのだ。
それはアウシュビッツに車輪が付いて大地を駆け回ったようなものだった。
比類なき大規模な侵略戦争を発動したというのも、われらが四式戦闘機
疾風が大陸打通作戦の大空を飛び回ってエアカバーを完遂したおかげ。
大陸打通3000キロ。皇軍は常勝、皇軍は最強、皇軍は無敵。
日本鬼子はその優秀な近代科学兵器で広大なアジアを占領下に置き、
中国チンピラゴロツキ3500万を血祭りに、その爪痕を確固たるものにした。
チンピラゴロツキの中国人は湧いてきたら殺せばいい、死ねばいい、棄てればいい。
それは無間地獄で亡者が無限に湧いてきては鬼に虐殺されるのと同じ。
中国人は数が多すぎるから、片っ端から殺戮しておいたほうがいいのだ。
その方が97式中戦車チハの高品質性を世界に向かってアピールできるし、
なによりチンピラゴロツキの人口爆発は地球環境を汚染するから。
すごい、すごい、あまりに凄すぎる皇軍の大陸打通3000キロ大作戦!

http://p2.chbox.jp/read.php?host=tmp5.2ch.net&bbs=asia&key=1120186708&ls=all
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1120186708/all
大陸打通作戦〜大地を駆ける3000`の雄叫び
93日本@名無史さん:2006/07/30(日) 11:46:03
>>89
大岡昇平の「レイテ戦記」は、15年戦争期の時代背景を知る手掛りになる。
司馬氏と違って、大岡氏の作風は徹底したリアリズムと感ずる。
94だつお
>歩兵が損耗しているのに、どうやって大陸打通南北縦貫3000キロを
>進撃できるのか教えてくれ。また敵制空権下で友軍の航空戦力が機能
>しないでどうやって地上軍が飛行場を占領できるのか教えてくれ。

97式中戦車チハが飛行機も追いつけない速さで中国人を片っ端
から射殺したり轢き殺したりとか、皇軍の銃剣突撃にびびってその
掛け声だけで中国チンピラゴロツキ兵はションベンちびってみんな
逃げ出してしまったのだとか、鍛え上げられた素手の格闘家である
皇軍兵士であればチンピラの群れが刃物で切りかかってきても闘魂
と神技で返り討ちにしてしまうとか、いろいろ考えられる。

97式中国チンピラゴロツキ大量殺戮機動走行マシーンとか、
地獄の大車輪チハとか、97式アウシュヴィッツ運搬車とか。

けれども自分としては皇軍兵の精強さと残存陸軍戦力の強大さに
四式戦疾風の航空支援それと作戦指導の秀逸さ、そして中国国民党
の救いようのない腐敗堕落と戦意低下を筆頭に挙げたい。