【古代足利義満】日中冊封関係史★2【電波】

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1日本@名無史さん
 中国大陸の王朝が周辺国に地位を与えて形成された
中華システムの中での日本の位置は?
 特に遣唐使から江戸までの日中の関係を考えませんか?
いつごろから日本は自覚的に独立国だったのでしょう?

【中国王朝による日本の冊封の歴史】
 後漢:日本の地方王権が遣使=漢倭奴国王
 三国時代の魏:卑弥呼=親魏倭王
 南北朝の宋:倭の五王=倭王及び将軍職など
 隋:推古天皇=「天子」を自称
 唐:白村江の戦い以後の地位は?
   遣唐使時代=日本国王?
 宋:日宋貿易における日本の地位は?
 明:足利将軍や大名が日本国王として朝貢貿易、天皇の地位は?
 清:徳川将軍を大君として中華システムの外に立つ

前スレ
日中冊封関係史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1139914001/l50
2日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:03:24
とりあえず乙
3日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:03:46
前スレを、「シナ」「支那」でフィルタリングして下さい。
ゆかいな仲間がわかります・・・☆
4日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:05:31
今時ネット上で反日宣伝なんて通用しないんだけどね。
5日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:15:24
959 :日本@名無史さん :2006/03/16(木) 16:29:54
GDP概念を使って古代史を研究しても、現状では古代日本が支那より豊かだったという概要しか分からないよ。
その概要を把握していれば研究には何の支障も無い。

言い換えれば、日本が支那よりも豊かだったと理解している研究者の全てがGDP概念を使って古代史を研究していると言える。
分かったかい?
6日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:16:20
前スレのバカウヨは、ここから出るなよ。
ここでは、適当にエサやってやるからな。
7日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:16:44
973 :日本@名無史さん :2006/03/16(木) 16:50:19
バカがファビョるのを見て楽しみたいから教えてやらないんだよ。
無数に居るのは事実だけどね。
8日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:16:57
前スレのコピペ荒らし野郎の勝利宣言が必死すぎてワロス
9日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:17:45
このスレでもコピペ荒らしに必死です。
10日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:18:38
ありあまる時間と妄想力
11前スレの920:2006/03/16(木) 17:23:16
>>942
いや、そういう統計を見たことがあるからいってるんだけど?
社会学者の間では人口と産業力は類推して当時の経済力とか、豊かさを判断できる。
中国は確かに十七世紀まで世界でもっとも経済的に発展していた国と言われる。
ただ一人当たりGDPという点でいうと、古代から一億もの人口を抱えていた中国は、搾取と腐敗、崩壊を繰り返して
人口の増減が目立つ(王朝の変わり目に一億ぐらい人口が減ってたりする)ので、安定しない。
平安期までは日本の一人当たりGDPは中国に劣っているが、それ以降追い抜くようになる。といってもどちらも僅かな差なんだが。
12日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:27:21
>>11
そういう統計の名前をあげて下さい。
古代史のGDP統計だよね?
13日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:29:10
冊封と言っても、参勤交代なんか一度もしていないだろう。
代替わりの認証や年号共用もないし。
14日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:40:38
>>12
ん〜、前はとあるサイトにあったんだけど、なくなっちゃってる。
英語onlyだけどそういう資料も売ってて、amazonで買えたと思う。
人口は鬼頭宏「日本二千年の人口史」とか、そこからGDPを算出するのも正確とは言わないけど難しいことではないよ。
15日中冊封関係史1の1@名無史さん:2006/03/16(木) 17:42:45
皆さんお久しぶり。
>>1新スレ立て 乙です。
確かに古代の統計についてはネットで見ました。
GDPへの言及もあったように思ったのですが・・・

http://www.rekihaku.ac.jp/doc/gaiyou/ktsb.html
古代・中世都市生活史(物価)データベース
www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.12.japanese/odaka.htm
GDP時系列の推計を超えて

とりあえずこんなものはあるようです。

いただいたレスについてはまた近いうちに書きます。
16日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:44:48
>>14
おいおい、人口統計すら、ある程度のレベルに達するのは宗門改帳が少数残存する江戸時代からだよ。
まともなものは古代にはないし。

GDP計算に必要な条件、国民国家、財・サービスを評価する市場といったものに欠ける古代社会をどう計算すんの。
いいかげんなネット情報にしか思えんな。
17日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:53:35
>>16
まぁ弥生期の人口は60万、江戸中期で1200万、とある程度の人口は類推できるみたいだけどねぇ。
18日本@名無史さん:2006/03/16(木) 17:57:58
【百済の歴史】

『百済の歴史』は、前期と後期に分かれる。前期の国を「第一次百済」、後期の国を「第二次百済」と
呼んで区別して考えるべきである。第一次百済は、西暦315年に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の
支援を受けて、日本領=任那の北部地域に建てた国である。前年の314年に、高句麗の侵攻によって
帯方郡を滅ぼされた、帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が第一次百済である。
これに対して、第二次百済は、西暦345年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、倭人の近肖古王が
大和朝廷の支援の下で西暦346年に建国した国であり、完全な倭人国家である。
また、第一次百済が、大和朝廷の支援を受けているとはいえ、役人の中核が旧帯方郡出身の漢人・倭人たち
であったのに対し、第二次百済は、役人も武将も全て倭人であり、本国=大和から派遣された役人・武将も
多かった。
第二次百済は、大和国家の一部と呼んでも間違いではない。
19日本@名無史さん:2006/03/16(木) 20:51:51
ここにもいたかw
全てのスレに貼り付けたら誉めてやるよ。
まあその場合は間違いなくアクセス禁止、全てあぼーんだろうけどねw
20日本@名無史さん:2006/03/17(金) 15:47:04
997 :日本@名無史さん :2006/03/16(木) 17:09:04
倭の五王が無名という事実は単なる脳内説ではない。
社会に知れ渡っている常識だよ。



998 :日本@名無史さん :2006/03/16(木) 17:10:14
具体的に、倭の五王が無名である事は間違いない。
つまり天皇ではない。
仮に天皇ならちゃんと名前が分かっている筈だからな。



wwwwwwwwwww
21日本@名無史さん:2006/03/17(金) 16:12:42
遣唐使は朝貢貿易だったてのはFAでいんだよな? 
22日本@名無史さん:2006/03/17(金) 21:30:58
新スレ建立おめでとうございます。
時代が後になるが、対馬宗氏が、外交文書を偽造して、国交を回復させたことが
あったではないか。聖徳太子の小野妹子でも、途中百済の沖合いで外交文書を
奪われたと報告したことがあったじゃないか。豊臣秀吉のときも、小西行長
あたりが秀吉をだまそうとしたことがあったじゃないか?
今だって外務省チャイナスクールの連中は、中国は経済発展をしているとの
報告書を(こんな報告書だとODAが廃止されてしまうから)握りつぶそうと
したことがあったじゃないか?
昔から、外交をやる連中は、間に入って調子のいい事を言って話をまとめようとする
癖がある。遣唐使だって、外交文書を偽造した可能性が高い。
それに遣唐使のときは中国銭がほとんど入っていないから、貿易という概念が
当てはまらないのでないかなと思う。経済支援とか友情に近いものだと思う。
遣唐使のときに輸入したのは、
明治の文明開化と同じようなもので技術と思想と制度の比重が高いように思う。
おそらく外交文書は偽造したのだろうが相当へりくだったものだと思う
が、当時の中華の皇帝は太っ腹だったから、きちんと頭を下げたらいい気になって
支援をしてやろうという気になったのだろう。鑑真みたいに、頭を下げられたら
断りきれなくなって日本に渡ってきたくらいだし、
19世紀のヨーロッパ人だって、日本人はサルだと言明していても、
ぜひ指導してくださいと頭を下げたら、いい気になって文明や技術を
教えてくれたではないか。
23日本@名無史さん:2006/03/18(土) 20:09:29
ウヨチョン激しくキモイwww
24日本@名無史さん:2006/03/18(土) 23:36:08
日本天皇⇔敵礼⇔朝鮮国王
冊封
25日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:30:01
漢字文明圏>日本
26日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:42:17
>21
不定期で、正月の挨拶もしないけどな。
27日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:47:22
九州と四国と佐渡島が本州と陸続きだったらいいのにな。
28日本@名無史さん:2006/03/20(月) 15:03:13
>>22 とりあえず、隋の煬帝と唐の二代目李世民、武則天は敵対勢力以外には
かなり寛大だったようだよ。文化の奨励とかも行っていたみたいで。
他の国からの留学生も中華で稀にみるほど多く受け入れていたという記録もあるらしいし。
漢民族ではない、異民族国家だったというのも要因みたい。
ちなみに、悪評がいろいろあるのは、漢民族に冷たかったらしいよ。
そういう王朝の情報から日本が国交を持とうとしたのも考えられるかと思う。
29日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:22:05
>>28
確かに唐王朝は、漢民族と少し違うところがあるなぁ。
なにせ、女どもがでしゃばって、則天武后なんか皇帝になってしまうからなぁ。
しかも則天武后の周は、内側では権力闘争で粛清を繰り返しても、
国全体の勢いで行けば、まさに活力があふれていた時代だからなぁ。
30日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:07:23
遣唐使は正月の挨拶をしてたぞ。
そのために危険な時期にも航海した。
季節風の知識がなかったなんてありえないし。
31日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:21:53
すいません
スレタイにある古代足利義満の珍説を
解りやすくまとめてお願いできますか
32日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:18:12
古代足利義満説まとめ
・倭の五王は天皇家と無関係。
・倭の五王は天皇家に臣従していた。
・倭の五王は天皇家に隠れて中国に朝貢していた。
・倭の五王は半島出身。
  ↓
よって天皇家は今まで中国に朝貢などしていなかったッ。マンセーッ!
33日本@名無史さん:2006/03/23(木) 05:27:47
>>32
まぁ倭の五王を天皇でない、とする見方はあることはあるんだけどね。。
34日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:20:28
その証拠としてあげるのは
「倭の五王は有名じゃないから」

意味不明
35日中冊封関係史1の1@名無史さん:2006/03/23(木) 22:47:49
>>33 詳細キボンヌ、とかくのは恥ずかしいですねw
 ありえない話ではないですが、証拠がないとワカタケル(雄略)を武と
する説には分が悪いですが。

ところで、前少し話題になりましたが、wikipediaの日宋貿易では平清盛は
やはり宋と国交を開いた、とありますね。日本国王だったのでしょうか?
まあ、弱体著しい宋の冊封では対中従属の実体はないですが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93
36日本@名無史さん:2006/03/24(金) 00:27:42
>>35
つ九州王朝説
旧唐書には「倭国と日本国は別種也」と記されており別個の国として把握されている。
また倭の五王そのものについても朝貢の時期が日本書紀の天皇の在位と一致しないという指摘もあることはあるね。
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/whatskyuusyuu3.htm
一応反論としては
http://www.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper37.html
37日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:24:57
時代は少しあとになるが、筑紫の君磐井の反乱のときの決起文?が日本書紀に
出ているが、内容はワシ等昔は俺、おまえと言い合った仲じゃないか、
今になってワシに命令をするのはけしからんと言った内容だった様な気がする。
これが2.26事件の決起文だと天皇は悪くないが天皇の側近が悪いから
反乱を起こすという内容だった様な気がする。
筑紫の君の磐井の反乱は、平将門並の堂々とした反乱で、日本での反乱という反乱は
この2つしかないような気がする。あとはすべて、私戦だ。
この時代の筑紫の君は、天皇に反乱を起こしても、道徳的に悪いとは思わなかった
ようだ。天皇家と同等の立場だと思っていたのかもしれない。
他にも、越の国の首長が、自分は日本国の代表だと偽って外国の使節をもてなして
献上品を横領したということが日本書紀に書いている。
天皇と同等だと思っているから、中華の皇帝に日本国の代表だといって
使節を送って何が悪いくらい考えていたのかもしれない。
さらに後の時代になるが、南朝の壊良親王だって、日本国王として冊封を受けたし、
壊良親王が死んでからもしばらくは島津氏が使節を出していたではないか。
九州の人は昔は京都の人とは違う独立国だという感覚が強かったのかもしれない。
38日本@名無史さん:2006/03/28(火) 23:06:46
電波は死んでいいよ
39日本@名無史さん:2006/03/29(水) 11:56:26
日本が中国に朝貢していたのは古代と中世の一時期か
40日本@名無史さん:2006/03/30(木) 11:40:42

41日本@名無史さん:2006/03/30(木) 17:06:04
★★韓流ブームは存在しない★★

最近、日本マスコミが妙なデマを宣伝している。
いわく「日本は今、空前の韓流ブームだ。韓国のテレビドラマや映画が大人気で、『冬のソナタ』の
主演俳優、ペ・ヨンジュンのことを日本女性がヨン様と呼んで熱狂している」
だが、こういった話は全て大嘘である。韓流ブームなどというものは存在しない。
現在、韓流ブームと呼ばれている<騒動>は、韓国政府が広告会社=電通に金を払って演出している幻
(まぼろし)であり、ヤラセにすぎない。
韓国政府・電通・マスコミの組織的な宣伝工作によって作られた『バカ騒ぎ』が、韓流ブームの
正体なのだ。
韓国ドラマ『冬のソナタ』は、日本人にぜんぜん人気がない。主演俳優のペ・ヨンジュンのことを
「ヨン様」と呼んでいるのは、電通の影響下にあるマスコミと在日韓国人(朝鮮人)だけなのである。
そして、ペ・ヨンジュンを追いかけまわしている年配女性グループは、全員が在日韓国人であり、
韓国民団に動員された女性たちなのだ。もちろん、彼女たちには韓国民団から金が支払われている。
在日韓国人の中年女性たちにとっては良いアルバイトである。
現在、日本の書店には、『冬のソナタ』やその他の韓国ドラマ・映画の関連本が置かれているが、
これらの本の出版費用は、全て韓国政府から出ているのである。しかし、やはり売れていない。
この事実は、日本人が韓国文化に「まったく関心がない」ことを証明している。
では、なぜ韓国政府は電通に金を払ってまで、ヤラセの韓流ブームを捏造しているのだろうか。
それは、近い将来、北朝鮮の体制が崩壊したときに、半島の統一費用を、日本に負担して欲しいから
である。つまり、日本にタカりたいがために「日本人は韓国と韓国人が好きなのだ」という、
デマを宣伝しているのだ。これが、『韓流ブーム』と呼ばれているものの実態なのである。

ちなみに、韓流を捏造している電通の会長=成田豊は、半島のソウル生まれの帰化韓国人である。
42日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:51:50
はいはいマルチマルチ
43日本@名無史さん:2006/03/30(木) 19:07:27
崇神天皇は、任那を建国したから
「初国知らす清めら御子人」なんだろう。
44日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:57:32
45日本@名無史さん:2006/03/32(土) 04:47:57
46日本@名無史さん:2006/03/32(土) 12:49:12
遣唐使、日明貿易は朝貢形式。
47日本@名無史さん:2006/04/02(日) 12:46:54
ちなみに、前スレの「倭の五王は天皇じゃない説」だが、「雄略天皇の鉄剣」で論破可能。

埼玉県稲荷山古墳において「ワカタケル」と称される人物の鉄剣が出土しているが、
同じ物が熊本県江田船山古墳においても見つかっている。即ち、鉄剣に刻まれてい
る人物は埼玉から熊本に到るまでを支配していた人物である可能性が高い。
この時期は倭の五王の宋への朝貢時期と重なっており、九州から関東を支配していた
人物を置いて、別の誰かが半島の支配権を主張したとは考えられない。
因みに、ワカタケル=武=雄略だとされている。
48日本@名無史さん:2006/04/02(日) 14:57:30
でもその鉄剣、中華の年号が刻まれていないんだよなぁ。
干支の組み合わせの年号だと思う。
卑弥呼の鏡なんか、中華の年号が刻まれているからなぁ。
たとえ国産品だとしても中華の年号を刻むということは精神的に屈服したことだろう。
49日本@名無史さん:2006/04/02(日) 15:07:10
>>48
古代の日本人なんてみんなそうだよ。
因みに鉄剣を刻んだとされるのは順安と呼ばれる中国人。
50日中冊封関係史1の1@名無史さん:2006/04/04(火) 00:15:56
>>48
精神的に屈服していたのですかね?
今の中国でTOYOLA、HONGDAを作るように当時の最先端製品を模倣していたような印象を
持っています。
当時の倭人が年号の政治的意味もどのくらい明瞭に理解していたか分かりませんし・・・。
古事記日本書紀でも倭という字自体の差別的意味など意に介していないように思える
ので、いわば西暦や「JAPAN」という呼称を使うような感じで使っていたかもしれませんよ。
三国時代の中国が日本列島または朝鮮半島南部の倭人勢力圏にどれほど圧迫感があったか、
どれほど中国についての情報が入り、中国の年号や文字が単なるデザイン以上の政治的重み
を持って受け入れられていたかがカギでしょうが不明ですね。
51日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:42:35
古代足利義満w
52日本@名無史さん:2006/04/25(火) 15:26:54
551 名前: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 04:47:02
>このスレを見ていると、
>>>447
>は同一人物か、組織的な工作員(可能性は低いが)が
>再三にわたって朝鮮系の屈辱的な歴史を露呈されることにちょっかいを
>だしている。
>前半のほうで「豚」と呼ばれて論戦に負けた奴だ。
>「豚」呼ばわりした奴は口は悪いが一匹狼的な卓越した書き手だけど。
>
>スレは面白い。
>>>447
>関連の人物が怨恨か何かしらないが、突如として出現するところが玉に瑕。

今見ると痛々しい自演w
53日本@名無史さん:2006/04/27(木) 20:19:21
あの漢倭奴国王の金印本当に中華皇帝が渡したのかなぁ。
朝鮮人が日本人をののしるとき「倭奴」(ウェノム)といって罵るだろう。
古代の中国人だって大概周辺の国には匈奴とか二文字で悪い字を当てているだろう。
それに倭の字から人偏をはずした上体で印鑑を作っているではないか?
奴とかわざわざ人偏をはずしているのに、金印なんて何で送るのだろうか?
銅とか陶器で上等だと思うのだが、
これが人偏をつけた倭で、奴の文字ももっといい寺を当てた上での金印だと
話がわかるのだが、
それでも人偏をつけるだけ日本人は一目を置かれていたのかもしれないなぁ。
ほかの民族だとそれこそ獣偏をつけられるもんなぁ。
ここまで一目おかれた国はアメリカくらいしか見当たらない。
アメリカ人は中華と始めて接触した頃からどういうわけか美しい国だもんなぁ。
文革の時代でさえ、美しい国帝国主義打倒だもんなぁ。
54日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:11:27
逆に「魏」みたいな自虐的な国号の中華王朝もあったし。
55日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:10:47
日本人は倭を和と変えて
日本の事物を和
大陸の事物を漢、唐(から)と
呼んでいた

代表例:和歌と漢詩
56日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:14:56
明の永楽帝は足利義満に「日本国王」という称号を送った
中華側が日本の国名を日本(ひのもと)だと認識していた点は評価出来る
57日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:21:04
本居宣長は、中華の物事を漢(から)風と記述しても
支那風と記述した事は無かったのは流石だ
まあ宣長とネット右翼とを同類にしたら、それは流石に
宣長に失礼だわな
58日本@名無史さん:2006/05/13(土) 20:58:48
当たり前。
中国の正史では「日本」となってるんだから。ただ所々の叙述では「倭」となっていたりするが。
ところで「支那」を最初に使い始めたのは明朝だったか、中国側で近代に入って対外的な名称としてつけたのは孫文だったりする。
59日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:37:42
三国志
60日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:55:36
自分たちで支那と自称し始めたから日本人も支那と呼ぶようになっただけなのに、
「日本人が支那と呼ぶのは差別」
なんて寝言をほざき出した。
確かに漢字文化圏で支那という言葉には日本よりも下等な存在という語感が付随するようになっていたのは事実だが、
だからといって「支那と呼ぶのは差別だから中国と言い直せ」なんて強制しても無駄。
日本よりも下等な存在を指し示す言葉が「中国」に変更されれば、
中国という言葉に日本よりも下等な存在という語感がつきまとうばかりだ。

朝鮮をコリアと呼び換えてる連中も支那人と同じ間違いに陥ってる訳だな。
61日本@名無史さん:2006/06/15(木) 04:08:59

足利義満も天皇の臣下。
62日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:42:24
今年は中国に輸出するからという理由でナマコの値段が跳ね上がったのだが、
中国は古来降伏した武将にナマコを食わせてもてなしていたんだなあ。
角栄やニクソンが訪問したときもナマコを食わせていたんだよなぁ。
ほんとに中華は奥が深いというか、手の込んだことをするんだなぁ。
63日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:55:52
魏の意味を知らない奴がいるとは!
64日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:56:00
そんな細かい芸、中国人以外には通用せんがなぁ。
65日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:04:23
中国人の底意地の悪さは京都人に似ているところがあるからな。ww
66日本@名無史さん:2006/06/21(水) 07:15:25
>>54
現代の台湾人も福建人も「閩南語」に誇りを持っているよ。
門構えの中に「虫」が有るけどね…。
「越」なんていうのも、野蛮人の総称みたいなもんでしょう?
上・中・下越や「三越」なんて、思えば最悪なネーミングだなぁ。
67日本@名無史さん:2006/06/21(水) 09:12:15
魏の意味を調べてみろ!
自虐的な国名などとゆうマヌケな考えは無くなるから。
68日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:42:47
そういやぁ。日本国は北方遊牧民族が天下を取ったときは、例え彼らがいくら
強大でも、国交を持とうとはしないなぁ。隋や唐などは出自は遊牧民族でも
天下を取った頃には彼ら自身中華民族だと思っていただろうし。
南北朝の時代でも北魏のほうには使者を送った形跡がないし、
金王朝やモンゴルも国交を持たずにいつまでも宋のほうに愛着を感じて
いたし、明は結構横暴で、懐良親王に対しては軍隊送るぞとまで脅しつけ
日本国王に任命してやるといわれても、なんだかんだといっても国交を
維持しようと努めているし、清は割合名君が出たにもかかわらず、
結局徳川幕府は国交を結ばなかった。
69日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:47:37
日本人は、昔から騎馬民族が大嫌いなんだよ。
簡単に言えば「蔑視」している。
中華に対して「野蛮」だと理解している節があるな。
無学文盲の馬乗りぐらいにしか考えていなかったようだ。
70日本@名無史さん:2006/06/21(水) 22:15:38
倭国が一時期「俀」国としたのも、「野蛮人の隋が皇帝気取ってんじゃなぇよ」っていう
反骨精神が原因なんじゃないかと言う人もいた。
71日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:25:47
そういや、今でも似たような感覚があるなぁ。
今の中凶政権は明王朝に似ているといわれている。
毛沢東は一応漢民族だから、多少の無理難題をいわれても、なんだかんだと
いって何とか関係を維持しようと努めているなぁ。
その上にあるジンギスカンの末裔のロシアに対しては、生理的に嫌っている
ところがあるなぁ。ww
人間を比べてみると、中国人や朝鮮人よりは絶対にロシア人のほうが
人がよさそうだし、最近では北方領土意外では日本人に対して最近は無理難題を
吹っかけないのに、遊牧民族の末裔だけあってそれなりに洗練された
文化も持っているのに何故かロシア人は嫌われるのだなぁ。ww
その点中国人はやっていることは極悪非道で、無理難題を吹っかけ、
何かとイチャモンをつけるにもかかわらず、どこかみんな親しみを感じていて
民間交流は盛んで、何とか関係を維持しようと努めているもんなぁ。
足利時代でも、懐良親王には、グダ愚だ言うと攻め滅ぼすぞと脅迫文みたいな
国書を送りつけ、そのあともやれ、倭寇をまじめに取り締まっていない
(倭寇は必ずしもすべて日本人ではない、中国人も相当な割合でいた)
お前を日本国王に任命してやったぞ、皇帝に感謝しろみたいな国書を
送りつけたりするもんだから、懐良親王は、それなら一戦交えようかと
返事を返し、足利義持は何で中華の皇帝に日本国王と任命されなければ
いけないんだと怒り出したりしたのだが、いつの間にやら朝貢をしたりして
関係を維持していて、まるで今の小泉外交みたいだな。
歴史は繰り返すワイww
72日本@名無史さん:2006/06/22(木) 06:47:18
本当だわい。

ところでロシアって遊牧民か?!
西洋の大国が、南下して中国や東亜を支配する事を恐れていたから、中共も
安心しなかったというのが本当のところでないの?
73日本@名無史さん:2006/06/22(木) 08:28:51
プーチンが今何をやってるか考えてから、ロシア人は人が良いなんて事を言え。
74日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:39:51
義満は売国奴
75日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:44:54
冊封体制というと、宗主国、属国、支配、隷属、なんてイメージがあるが
それは近代文明人が見るから。

近代文明においては「独立していること」が異常なほど価値を持つ。
今は、日本人も韓国人も中国人も、独立を絶対正義とし、従属を悪とする。
しかし、古代から中世にかけての東アジアの人間が「独立」なんてことに
どれだけの価値を置いていたか? 
「独立」を、今でいう孤立や仲間はずれというイメージで見ていたかもしれない。
「柵封」を、今でいう国際組織への加盟、参加というイメージで見ていたかもしれない。
76日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:28:00
独立を守るため、内政干渉されないために、
朝貢していたと思う。
77日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:35:51
貿易で儲かるからに決まってるだろう。
78日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:13:13
国内での権力基盤が弱いときに、中華に朝貢に行くような習性がある。
79日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:04:11
>>77
明清の頃はね。

>>78
逆。中国の政権が弱い時にやたら異民族に朝貢を呼びかける。
80日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:12:54
81日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:14:17
age
82日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:39:39
83日本@名無史さん:2006/07/29(土) 07:41:18
84日本@名無史さん:2006/08/02(水) 03:21:25
なにが古代足利義満だw
85日本@名無史さん:2006/08/19(土) 09:29:45
>>1が【電波】なんて不要な言葉を入れたのが、そもそもの間違い。
ネタスレなのか、マジスレなのかわからなくなった。

本来はこうすべきだった。趣旨としては古代から義満にかけての関係史ってことだろ。
 ↓
【古代】日中冊封関係史★2【足利義満】
86日本@名無史さん:2006/08/19(土) 12:14:06
前スレの「天皇家の祖は朝貢などしていない。倭の五王は
古代の足利義満。倭王を僭称した半島人。」
っていう電波説があまりにも面白かったからだろう。
87日本@名無史さん:2006/10/22(日) 10:00:04
馬鹿馬鹿しい
88日本@名無史さん:2006/10/22(日) 10:46:37
江戸時代に朝鮮は日本に朝貢していたよね
89日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:36:56
通信使が朝貢なんて言ったら、日本史で落第だなw
琉球の慶賀・謝恩使は朝貢使節と言えるけど。

むしろ、対馬藩が朝鮮に朝貢していた。
90日本@名無史さん:2006/10/24(火) 17:50:06
江戸城の正門から入城できなかったんだから朝貢みたいなもんだろww
91日本のななし:2006/10/24(火) 17:54:47
>>89
朝鮮が勝手に思ってただけだろw
朝鮮に朝貢の「形」はとってたけど{経済的利益のため}
朝貢国とはできないなw
92日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:09:13
やれやれ、日本オタか・・・
93日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:18:15
倭の五王が天皇の誰か5人と同一人物だとすれば、
ちゃんと誰の事だか日中両国の記録で照会出来る筈

何の根拠もなく天皇に結びつける方が電波だよ。
94日本@名無史さん:2006/10/26(木) 07:28:37
この間北朝鮮が核実験をした時に金正日が中国の特使に「核実験をやって申し
わけないと」謝ったと韓国の新聞が報道していたが、(真偽は不明)
新羅が白村江の戦いの後、唐の国と戦って勝った後、謝罪使を送ったことがあった
なぁ、あと高句麗の国が隋だか唐だか戦って勝った後、自分の国のことを
糞の国(糞土)と蔑んだ謝罪文みたいな国書を送ったことがあったなぁ。
そういう伝統からすると、朝鮮人の感性からすると、金正日は当然
中国に頭を下げるべきだとなってしまうわけだ。
これが日本だと、正式な国書で謝ったことはほとんどないのではないか?
少なくとも日本側の正式な記録には残っていないのではないか?
懐良親王は脅迫文みたいな国書にたいして、何ならこちらから攻めてやろうか
と返事を出したし、
日中国交回復時の角栄でもなんだかんだといっても土下座をしたわけでもないと
いえるわけだし、
誤ったと称する文書は大抵偽造か、もしくは談話と言った形だからなぁ。
95日本@名無史さん:2006/10/26(木) 20:40:41
>>94
>懐良親王は脅迫文みたいな国書にたいして、何ならこちらから攻めてやろうか
>と返事を出したし、

その懐良は、結局、明の臣下として日本国王に冊封されたわけだが。
96日本@名無史さん
>>92
日本オタは奈良人