坂東武者は本当に残忍だった?

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1日本@名無史さん
資料によると坂東武者は戦の中にあって、例え身内が隣で討ち死にしても、その屍を踏み越えて敵を討ったとある。
関西勢は身内が討ち死にした場合、およそ一週間喪に服し悲しみに泣いたそうである。
本当か?
2日本@名無史さん:2006/01/26(木) 14:07:28
>>1
本当らしい
関東武士は肉食だからな
3日本@名無史さん:2006/01/26(木) 15:43:02
3げと
4日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:10:59
>>1 それで戦の機微を逃して負けてもいい。
生きてる人よりも故人を大切にしようというのが関西勢。
坂東は貧しいからそういう風な負け戦をしたら一族郎党死ぬしかない。
故人よりも生きてる人を重視するのが坂東勢。
残忍云々の前にそこは価値観の違いだね。
まあ、関西は豊かだからその辺が甘くても生きていけるというのも大きいから
5日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:11:21
???
関西では身内が討ち死にしたら帰って葬式始めるの?
関東でもそりゃ戦が終わったら喪に服するけど
戦の最中に騒いでたら負けちゃうだろw
6日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:14:40
関西人て朝鮮人みたいなんだね^^
7日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:18:10
ちょっと待て
一くくりに関西にするな
九州じゃそんな下手な戦しない
ヘタレ武士は畿内だけだろ
8日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:25:18
東と西の語る日本の歴史を読もう。
東日本と西日本は、貧しい豊か、送れている進んでいるではなく、
もともと違う社会。その中で九州は比較的東日本に近い。
父系社会の坂東が母系社会の関西よりも残虐で戦闘的なのは必然。
最近では京大中心に武士ヤクザ論があるが、これも関西の文化からすれば必然。
9日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:35:14
こういうトンデモが居るから困ったものだ。
九州、とくに薩摩は異民族の南方蛮族。
10日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:45:39
残忍ではなくて冷酷と言うべきだろう
残酷さで言えば関西の方が圧倒的
関東では関西のように大量虐殺を繰り返した歴史はない
関東人は他人に干渉せずが基本の為、見ようによっては冷酷である
関西人は情に厚いが
逆に感情が激すると、とんでもない挙に出る事がある
関東人は他人にさほど興味がないのですぐに冷めてしまう
11日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:54:45
わけ分からんな、どいつもこいつも。
坂東は渡来系騎馬民族と蝦夷の掛け合わせのいわゆる蛮族。
野蛮で残忍なのは当たり前だろ。
12日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:59:11
大阪がある関西人が言っても説得力ない
13日本@名無史さん:2006/01/26(木) 18:10:45
>>11渡来系は製鉄とかの技術がある近畿が多いんだけどw
蘇我氏が渡来系とかね。坂東とかは先住民がほとんどだよ。

残酷云々とかはその時々の倫理観が大きい。その上で近畿は残酷なこと多いよ。
源氏の一族争い、平家の一族以外への仕打ち、秀吉はじめ大坂・京都の騒乱
14日本@名無史さん:2006/01/26(木) 18:52:51
神奈川区HPの歴史年表には、なぜか1266年以前の事が記されていない。
神奈川県HPの歴史サイトには、758年に新羅郡が置かれた歴史的事実が記されていない。
神奈川区の歴史には、「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」が古文書にあると記されている。
ほか、「神名川」「上無川」「寒川」など、「かの」「かな」の呼び名が幾つもあるということは、これらが本来の名の音写であるってことを意味している。
そうまでして忌避する必要がある文字は歴史的に観て「韓」以外に考えられず、 「神奈川」の語源が「韓川」であるということは、思想信条先入観を持たずとも、容易にたどり着く合理的な結論である。
朝鮮関連の史実を隠蔽しようとする神奈川県や横浜市の姿勢に嫌なものを感じた。
15山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/26(木) 19:33:39
>資料によると
なんてわざわざ書くまでも無く、『平家物語』の有名な斎藤実盛の発言でしょう。
あれは平家の滅亡を必然とする作者の張った伏線であって、実際には実盛はあ
の富士川の合戦の場には居合わせていません。
この創作された実盛の発言が、後の富士川における敗走の複線にもなっている
のですが、鴨の羽音で夜中に逃げ出したという事もありませんでした。
伏兵を察知して後退し、まともに戦わずに引き上げてはいますが。
161:2006/01/26(木) 22:44:13
都が京都にあったのだから西のが技術・文化で進んでいたと言う事に関係などあるのでしょうか?
たしか平家物語の「わかりやすい」本で目にした記憶があります。
17日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:01:28
>>1
関幸彦 著
『武士の誕生 坂東の兵どもの夢』
でも読んだら。
181:2006/01/27(金) 00:31:35
>>17
ありがとう。図書館で探して見ます
19日本@名無史さん:2006/01/27(金) 10:08:03
最新の遺伝子研究で、関東人は朝鮮民族であることが完全に証明されてます。

大和民族(=神奈川西部・新潟より西の日本人)→中国渡来系を主とした民族、大和政権を樹立した。
蝦夷民族(=関東人)→北朝鮮渡来の民族、征夷大将軍によって滅亡させられた。
               朝廷が後期渡来人(=朝鮮人)をそのまま関東へ移住させた証拠文献・遺跡多数あり。

@酒の強さは遺伝子で決まる
http://www2.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html
アジアにおいて、
大和民族と中国人は、N型遺伝子が少ない。
関東人と朝鮮人は、N型遺伝子が多い。

A国立科学博物館 日本人はるかな旅展 遺伝子によるルーツ研究
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
B44-DR13は韓国最大集団→蝦夷民族(=関東人)は、朝鮮渡来の民族
DNAでは西日本と中国との共通点が多く、関東は朝鮮半島との共通点が多い

BB型も朝鮮と関東に多い

関東人=朝鮮人。
20日本@名無史さん:2006/01/27(金) 13:57:51
>>1

その気持ち悪い研究に励むより
まず心療内科に行って来なよ。
21日本@名無史さん:2006/01/27(金) 15:30:40
武士は残酷さが生業の職能民だど
22日本@名無史さん:2006/01/27(金) 16:16:25
>>20は朝鮮人
23日本@名無史さん:2006/01/28(土) 01:24:42
「武士=職業的殺し屋」説ってどうよ?
http://mentai.2ch.net/history/kako/993/993371399.html
24日本@名無史さん:2006/01/28(土) 12:15:44
職能論マンセーは逆に古い
25日本@名無史さん:2006/02/17(金) 21:56:07
関東= 四角、白、馬、
これは朝鮮の文化。
26日本@名無史さん:2006/03/06(月) 13:37:53

もともとみんな首狩り族なんだろ。
27日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:33:59
       
28日本@名無史さん:2006/04/24(月) 12:12:55
>古墳時代から鎌倉時代に、日本人が長頭になったんじゃなくて、
>長頭の縄文系日本人が、渡来式の埋葬をするようになっただけ。

>つまり、縄文時代や弥生時代には、長頭の縄文人の埋葬方法が粗雑で、
>遺骨が、後の時代に残りにくい為、貝塚などのCaに富んだ土壌でのみ発見される。

>しかし、古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代ともなると埋葬方法も、ちゃんと墓穴を掘って遺体を埋めるようになってきたため、
>後の時代に遺骨が発見される数が飛躍的に増えた。

>それと、弥生時代の骨の調査で、渡来人が居住した地帯からの骨ばかりカウントすりゃ、
>あたかも、その時代の日本人が中頭だったかのような誤解を招く。

>弥生時代だって、日本列島に居住してる人の大部分は、縄文系日本人なのであって、
>埋葬が粗雑だったがために遺骨が残ってないだけのこと。

>それと考古学的関心が持たれる遺跡(集落とかクニとか鏡・剣・勾玉なんかが出る)ばかり掘るので、
>そこから出る骨は渡来系が多いのは当たり前。


>鎌倉時代には、まだ縄文人の系統が、鎌倉周辺ではマジョリティーだったんだよ。
>関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、
>土着の地方豪族たちは、土着の農民らを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
>ということは彼らが居住していたであろう鎌倉周辺は、14世紀になっても縄文人系が多かった。


>しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
>朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。
29日本@名無史さん:2006/04/24(月) 12:13:29
>78 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:20:26 ID:Uf/Cayc+
>>77
>え?基本的には縄文人は長頭だと思うが。

>ソースは、
>池田なにがしの古人骨の本(講談社新書か、中公新書か、岩波新書)
>だったと思うが。
30日本@名無史さん:2006/04/24(月) 13:33:28
「六波羅殿の御内に、我と思はん人あらば、懸合いて手柄の程をも
御覧ぜよ。」

坂東のほうが古風じゃないの。
31日本@名無史さん:2006/04/24(月) 13:43:45
兄が死んでも父が死んでも引くことを知らず、その屍を踏み越えて行進してくるらしいよ。
32日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:51:36
西も東も日本人は皆残酷って事で。
33日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:56:31
源氏は東国、平氏は西国。


イメージでは逆。
34日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:15:19
>>1
人の首刈ってたらしぞ。信じられん。
35日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:21:43
>>10
>関東人は他人に干渉せずが基本の為、見ようによっては冷酷である

いつの時代の話だよw
現代の関東人と古代の坂東武者は全然別。
戦国末以来、野蛮な坂東武者は負け組みとなって追放済み。
今の関東人は江戸以降に全国から集まってきた人々。
36日本@名無史さん:2006/05/11(木) 03:00:43
北条遺臣が徳川に追放されたなんて知らないぞ。
37日本@名無史さん:2006/05/11(木) 05:19:36
承久の乱のあと東国武士が西国へ移住したような
毛利氏も先祖は関東?
38日本@名無史さん:2006/05/11(木) 05:57:06
>>37
初代季光は大江の広本の四南。
だから京都
39日本@名無史さん:2006/05/11(木) 16:58:17
>>35
馬鹿w
関東各地に帰農してる。
40日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:37:55
北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。
また、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏ともいわれる。

時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に土着し、北条氏を名乗ったというが、
詳細はわかっておらず、平氏ではなく、東国から北条の地に移り住んだ豪族とする説が有力である。
その傍証として、伊豆の他の豪族と比べて地元に同族が少ないことが挙げられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
41日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:38:49
承久の乱
後鳥羽上皇は、治天として専制的な政治を指向し、幕府の存在を疎ましく感じていた。
実朝の暗殺を幕府の混乱・弱体化と見た後鳥羽は、幕府打倒を計画するようになった。
そして、1221年(承久3)5月、後鳥羽は北条義時追討の院宣を発した。
それまでの歴史から後鳥羽は、ほどなく義時が討ち取られ、
関東武士たちも帰順すると見込んでいたが、幕府側は、頼朝以来の御恩を訴え、御家人の大多数を味方につけた。


そして、短期決戦策を採り、2ヶ月も経たないうちに朝廷軍を打ち破った。


幕府側の主導で戦後処理が進められた。主謀者の後鳥羽上皇、そして後鳥羽の系譜の上皇・天皇が流罪に処せられ、
朝廷側の貴族・武士も多くが死罪とされた。
当時の人々は、治天の君をはじめとする朝廷側の上皇・天皇・諸臣が処罰される有様に大きな衝撃を受けた。
当時の社会における価値観は正反対に転換してしまった。
朝廷の威信は文字どおり地に落ち、幕府は朝廷監視のために六波羅探題を置き、
朝廷に対して優越することとなった(完全ではないが、少なくても幕府の決定を朝廷の決定が公然と破る事は出来なくなった)。

乱直後、朝廷は、次代の天皇を誰にするかを幕府へ諮った。
これ以降、朝廷は治天・天皇を決定する際は必ず幕府の意向を確認するようになった。決して幕府が望んだ結果ではないが、
朝廷と幕府の立場が逆転したことを物語る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C


承久の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
42日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:39:32
坂東英二みたいな侍に興味なし
43日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:41:08
関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分。
空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。
弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。
長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。

短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。
ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。
白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。
これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。

アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され
白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。
短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。

つまり短頭の朝鮮人や関西人は車の運転がへた。


何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分は、まだ縄文人の系統が、マジョリティーだった。
関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、土着の地方豪族たちは、土着の農民たちを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
ということは彼らが居住していたであろう関東は、14世紀になっても縄文人系が多かった。

関東人は長頭、朝鮮人は短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、
鎌倉時代の関東武士と推定される人骨が、1953年から1956年にわたる三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。

しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。
44日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:58:09
日本人と朝鮮人の見分け方



※1
絶壁頭=短頭=朝鮮人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、
頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、
頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。
頭を横から見ると、「□」形になる。
前←□→後ろ


非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、頭の後ろが、「つ」の字形になる。
前←つ→後ろ



※2
短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。=朝鮮人
長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。=日本人
中頭=短頭と長頭の中間=日本人
45日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:00:05
うるさい、東日本人はダサい。
とにかく、日本ぽくて地味で
ダサい、。
以上!
46日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:10:55
>>38
武家の家系図なんて、ほとんどが、オレオレ家系図=自称家系図だよ。

東国武将・東国武士は、基本的に土着の東国人。

朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、
高い官位をもらう為の、家系図を偽造しての出身の自称が多かったし、
子供ができなくて、養子をもらう事も多かったから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。


徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、
得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html

甲斐・武田氏の出自も、よくは、わかっていない。

本物の源・平とかであっても、京都を追放され、各地方に土着しているんだから、混血して、遺伝子的には、各地方人。


戦国武将って、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが濃いだろ。

コーカソイドか、コーカソイドとの混血じゃないと、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲは濃くならない。

モンゴロイド・朝鮮人は、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが薄いか、ほとんど、はえない。
47日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:17:00
あのねー東日本人なんかに興味なねーの
ダサい顔したデメキンデッパの東日本人
宣伝プロパガンダなんかうぜーからやめれ
48日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:44:00
承久の乱により、朝廷と幕府の立場は一変した。幕府は朝廷を監視し、時には介入するようになり、
朝廷は幕府に憚って国家の大事にも幕府に伺いを立てるようになった。

また、西国で多くの没収地を得、これを戦功があった関東武士に大量に給付したため、執権北条氏と関東武士との信頼関係が強固になり、

多くの関東武士が西国に移り住むこととなり、幕府の支配が畿内にも強く及ぶようになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
49日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:49:23
宇都宮とか古代渡来高麗人だろ、うぜーー!!!
東日本人なんたダサいし興味ねーのよ
50日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:27:53
>>49
ホロン部
51日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:02:15
スレタイは「平家物語」の影響が大きいと思います。一応は「文学作品」
ですから、客観的な一等史料としてはちょっと・・・。
>>17の著書は中々興味深いですね。
52日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:51:28
そんな事ないよ
結城の合戦ても幼い子を首切りするような奴らだし
53日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:53:16
>>49
ホロンだ。
54日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:12:39
ん?
55日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:37:43
>>51
滅んだ。
56日本@名無史さん:2006/07/17(月) 00:57:13
無敵
57日本@名無史さん:2006/07/18(火) 20:42:03
坂東武者
58日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:30:51
残忍じゃねえよ
59 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/09(土) 01:47:48
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)


(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。

(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)


【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
60 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/10(日) 01:57:59
>usi

渡来人の宝庫は大和国檜前とか。
中央貴種の血を在地豪族が取り込む。招婿婚。
秀郷流なら、母系・下野鳥取氏と父系・中央藤原氏(藤成)。

↓秀郷流平泉藤原氏


藤原魚名―藤成(伊勢守)―豊沢(母下野鳥取氏)―村雄(母下野鳥取氏)―秀郷(母下野鹿嶋氏)

秀郷流藤原氏は関東下野発祥。都に進出して鎮守府将軍も輩出してる。軍事貴族。
藤原兼光(足利,小山,平泉藤原祖)も鎮守府将軍。
坂東、都、それに俘囚勢力とも関わりがあった。
10世紀、坂東出身の軍事貴族が東北に進出してる。混血も進んだろう。
下野から都に進出、弓馬での狩猟から離れ、体も華奢になるかも。中央貴族の血も入るし。


・奥州藤原のミイラ(参考:富士大教授,七宮氏)
清衡⇒華奢な体型で手も小さい。父の藤原経清(都の軍事貴族出身)の血を受け継いだものか。
基衡⇒小太りでがっちり型。首の太い猪首。
秀衡⇒腹の出たがっちり型。首の太い猪首。母系の蝦夷の血か。
61 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/10(日) 10:11:33
>広島ウシ
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり(『続古事談』)


↓都で騎射術を磨けなかった事がよく理解できるエピソード。

『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、自然ヲ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。

都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う制止的で単純な運動、流鏑馬や競馬などしかない。
つまり、京の都で騎射の訓練などは出来ないという事。
62白馬青牛:2006/09/11(月) 00:57:06
こっちに来い云うたけえ来たが、ここでも、白人崇拝厨が来とったんか。
過疎スレになっとるけえ、わしに書け云うんか。あえて乗っちゃっとるが
忙しいのう。また、他板であんたが書いとる事を繰り返しとる。
>>61
それが新ネタか?源頼光が宮仕えで忙しい故、狩猟する時間が無かったと
云うとるだけで、源頼光は西国の摂津源氏じゃないか。河内源氏に
支配された騎馬下手ロデオ関東人が、騎馬を論じること自体笑える。
公家が近隣で狩猟をせんかった根拠は、あるんか?
狐と云う特定動物を挙げとるが、当時の狩猟が狐狩り中心であった根拠も
述べてない。西洋の貴族の狐狩りを想定し、日本の狩猟形態に無理に
当てはめても、意味がないよ。日本史家に多い、狩猟文化のそれを、
西洋とだけ比較し、北アジアや東アジアの狩猟文化も考察せず、
自己満足に陥る、鎖国、井の中の「蛙」史観じゃのう。
越「蛇」に喰われたけえ、狭い「蛙」史観になるんかのう。
63日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:54:46
関東の影響はない
64日本@名無史さん:2006/09/12(火) 13:53:18
>1
都人(都会)と関東人(田舎)の感性の違い。
65日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:47:39
日本軍での捕虜の扱い

日露戦争
日本は、日露戦争、第一次世界大戦などで、戦時国際法を遵守して捕虜を厚遇したことが知られている。

第一次世界大戦
詳細は板東俘虜収容所を参照。
(同収容所のみならず同大戦中のドイツ兵捕虜の取扱いについて詳述されている。)

第二次世界大戦
太平洋戦争中の日本軍による捕虜虐待事件として、
戦後に連合国の軍事法廷によって裁かれたバターン死の行進事件については、
行為当時の日本軍と米軍との間で大きな認識の相違があった。
日本軍側としては、同事件は捕虜虐待を意図したものではなく、
捕虜を護送していた日本兵自身も米軍捕虜よりも更に重装備を負いながら徒歩で同行しており、
日本軍として捕虜の保護になしうる限りの最善を尽くしていてやむを得なかったと考えていた。

太平洋戦争では、日本軍自身の兵站が十分ではなかったことや、
劣勢のため捕虜の保護が十分ではなかった点があり、
戦後にポツダム宣言により、捕虜を不当に取り扱ったとされた軍人等が連合国の軍事法廷で裁かれ、
処刑される者が多かった。
代表的な人物として、比島俘虜収容所長(1944年3月-)となった洪思翊中将などがいる。その他、
憲兵にも戦犯とされた者が多かった。

66 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/13(水) 00:06:24
>>62usi
あいぬ君を白人崇拝厨と言うなら、牛ちゃんは中華崇拝厨。

支配されてないんだが?出鱈目乙w
寝てる狐は屋根の上。
狐狩り???狩猟に最適な獲物は鹿。
67白馬青牛:2006/09/13(水) 00:16:49
>>65
近代日本軍の捕虜の扱いについては、時代による違い(軍政部や
指導者個人の資質)と、地域(郷土兵団)による違いも考慮する
必要があるけどね。
「支那兵をして捕虜になることは戦死と同様なことだと観念させ、
また荒らされた市民の恨みを買い、敵兵の抗戦意識と後方の兵站線の
不安とを大きくし、・・・」今村均将軍の云われるよう、日華事変、
第二次大戦の頃は捕虜の扱いはひどかった。
特に憲兵は、ひどかった。多くの日本兵士や日本国民からも嫌われ、
ましてや現地人から恨みを買った。
終戦後中国国府軍は日本兵に寛大な処置をとり、帰国させたが日本憲兵は、
軍事裁判で多数が処刑され、下士官、兵でも十年以上の重労働の極刑に
処せられた。
シベリア抑留でも、奴隷根性を持ち、簡単に共産ソ連の犬になり、
同胞の日本人を密告、虐待した。少数の方は別として、
多くの憲兵達は、思想より権力側に属し、甘い汁を飲む体質を持つと
云うべきか。
68 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/13(水) 00:21:18
うし来てるw
帝国陸軍スレ
69白馬青牛:2006/09/13(水) 00:40:30
>>66
何でわしが、中華崇拝厨ない。中華崇拝は、宋学の影響も強く、
中華的な宗族制を持つ東国じゃろう。西日本やアイヌは、末子相続制で
あるが、東日本の長子相続制は、儒教的な民俗性と云うべきか。
朝鮮半島の社会制度と東国は共通点が多い。
河内源氏に支配されてたことが屈辱なんかねえ。
狐狩り云うたんは、>>61を書いとる、あんたじゃろう。狩猟の獲物の
比重は東日本は鹿で、西日本は猪と云う傾向はあったろう。
70 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/13(水) 00:48:19
>>62
>今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
この部分をスルーしちゃだめだろw

>>69
>畿内政権
ミニ中華思想
>河内源氏
お神輿みたいなもんだ。

狩りじゃない、弓を射ただけ。頼光と狐。
鹿狩が最高の軍事演習になるという。
71日本@名無史さん:2006/09/13(水) 00:55:02
72 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/14(木) 23:57:38
牛ちゃんスレ見っけた。叩かれてるな。
73白馬青牛:2006/09/15(金) 00:11:43
>>70
スルーしとらんじゃないか。>>62の文を読め。
源頼信、頼義、義家ら、河内源氏に支配されたんがお神輿か?
鹿狩りの場合は初矢が重要で、猪の場合は致命傷を与えることが、
重要とされたのであろう。
何れにせよ、東日本は狩猟民の社会制度と共通性が薄い。
ツングース系狩猟民と比較すると、板東は東南アジアの越系農耕民習俗に
近いんじゃないか。坂東は、狩猟民を気取るど百姓と云えよう。
74日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:12:54
↑バカが必死になってる。滑稽滑稽
75 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/15(金) 00:24:46
>>73
頼光は狩猟から遠ざかった故に、弓の技量が落ちたと嘆いてる。
その部分に触れてないじゃん>>62

支配じゃないってのにw家人と朗等じゃ全然違うし。
農業先進地は畿内西国>>59
江上騎馬民族説w
畿内人と朝鮮半島人は、頭の寸法が2/3一致する。
76 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/15(金) 00:47:42
・平家物語の作者はネット裏で観戦している。どちらか一方をひいきにするのではなく、
源平の両方に公平な態度で書いていて、パッションがない。
・(歴史叙述の一形式である平家物語)確かにそこには史実が記されている。
しかし史実を記したといっても、平家物語は単なる記録ではなく、紛れもなく文学性を持っている。
(上横手雅敬氏,京都大,2001年)


>うし
ところで、黒人ボクサーとかにケンカで勝てると戦国板で発言してたけど、
誰レベルになら勝てるんだ?
河内馬飼騎馬民族説とか出鱈目レス読んでる限り、逆の結果しか導き出せないが。
77白馬青牛:2006/09/15(金) 02:44:30
>>76
『平家物語』は編集時期が後世になるので、当時を反映したもの、権力が
関東側にあり公平とも云えんが、東国の源氏側が如何に戦闘儀礼を
無視したが解ろう。
黒人ボクサーをアリ氏じゃのうて、ハードパンチャーのジョージフォアマン
氏を挙げとったのう。まあ、相手の土俵のリングは別じゃが、
誰じゃろうと負ける気はないよ。あんたがボクシングやっとったけえ、
格上の相手にビビルだけじゃ。ボクサーは興行の上で強い訳じゃろう。
わしにゃは、関係ないことじゃ。どうも関東人は、劣等感が強いようじゃ。
そがんことじゃ黒人兵と白兵戦しても勝てりゃあせんよ。つまらんのう。
河内騎兵の末である大阪104D騎兵は異例の、同一年連続感状の武勲を
持つが、関東兵団に、そがん事例はあったんか?関東は、いにしえから、
近代まで、弱かった部類じゃろう。東北蝦夷にもやられとるしねえ。
78kawa1yasu4:2006/09/15(金) 18:45:06
>>77
別に『平家』だけじゃないし。
流鏑馬に戦闘儀礼もなにもない。都じゃ武芸は磨けない>源頼光

>相手の土俵のリングは別じゃが、誰じゃろうと負ける気はないよ。
( ',_ゝ`)プッ
広島の老牛がコーリースピンクスに勝てるの?その前にラッパーのNellyに負けると思う。
朝青龍にも勝つ自信ある??

師団スレで大阪最弱だとさ。広島より東北が強いんだって。最強じゃないじゃん。
東北蝦夷に不様に負けたのは京都人。もしくはだまし討ちで勝った気。
戦闘で東北蝦夷に勝ったのは坂東人。
79 ◆26IT/WpOkg :2006/09/15(金) 18:48:45
最悪・・・#忘れた
電波学者の名前だったのよwトリップ捨て替え。
80 ◆26IT/WpOkg :2006/09/15(金) 19:08:53
『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。

都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や競馬などしかない。
81日本@名無史さん:2006/09/16(土) 22:27:18
>>77
本当に喧嘩したことあんの?w ヤクザ映画の見過ぎじゃないかいw
黒人ボクサー相手、しかもフォアマンクラスにビビル奴は劣等感が強いというなら
日本人みんな劣等感だらけだなw 広島人は違うのかい?w いいかげん虚勢張るの
止めなよ。
82 ◆26IT/WpOkg :2006/09/17(日) 00:25:04
フォアマンは人類史上最強の強打者だから、ビビって当然。
広島人はてーきょーにビビってたね。
83白馬青牛:2006/09/17(日) 00:44:12
>>78
都で武芸は磨けないじゃ、云うんなら、鎌倉幕府が「京畿に馴れたる輩」
に、坂東は実戦豊富で武芸を学ぶ必要がないと、云やあええんじゃ。
何で都の技術を学ぶんか?
あんたの感想は、どうでもええが、他人種に劣等感を持つ弱虫じゃと自負
しとんか。道理で東日本の兵団が弱かったんじゃのう。
師団スレとは、何処のスレか?大阪が最弱じゃ、実例を書いとるんか?
広島より東北が強い?笑うわい。そがーな実例が何処にあるんか?
広島が東北より強い云う逆例はあるがのう。蝦夷遠征軍の前線の中核は、
坂東兵じゃろう。
http://homepage2.nifty.com/rekikon/kaisou_touhhoku.html
の「21〜26えみしの社会」で坂東の兵が多く動員されたが、
坂東兵士の強さとやらは、さほど発揮出来んかったのう。
まあ、蝦夷との戦さは、東国に勢力を持つ、防人を引率させた大伴氏と
百済及び東漢氏との東北利権における、勢力争いで、百済系が勝利したと
云うこと。坂東人が東北蝦夷に勝った云う、前九年、後三年の戦闘じゃが、
人質の婦女子を殺害し、まさにこのスレのテーマである「板東武士の
残忍性」を発揮しとるが、残忍性が強いんか?
84 ◆26IT/WpOkg :2006/09/17(日) 00:58:33
>>83usi
馬じゃなくて形式的な流鏑馬だろ。
ルールとして洗練されてた都の流鏑馬を、都育ちで京にあこがれてた頼朝が
取り入れただけ。
坂東武士は毎日行う狩猟が訓練の場だから流鏑馬なんてお遊び程度でルールも適当。

サイト見れないよ。
前九年は凡将の頼義が清原氏の手を借りて勝てただけで、門客的な坂東武者が
多く参戦したと思われるのは義家の後三年。
残忍性=狩猟の風習も影響してるし、都人に軍事基盤としてこき使われた影響で
力こそ正義=自力救済の世界だったから。
85白馬青牛:2006/09/17(日) 01:33:59
>>80
在京が長いため云う文章がないじゃないか。捏造のこじ付け文を書くなや。
http://homepage2.nifty.com/rekikon/kaisou_touhoku.html
じゃったか。>>83の内容は。
>>81-82
あんまし、かばちたれよるけえ、喰らわしたことはあるよ。何で不思議がる
んか。関東じゃあ、異民族と遭遇したら、云いなりになる習慣でも
あるんか?そがーな劣等感を持つんは関東人の習性じゃろう。
関東人は、自身の価値観が、日本人の代表じゃ云うて、海外でも同胞の
日本人に価値観を押しつけるが、わしら大和系の日本民族にゃあ迷惑
じゃけえ、やめてくれいや。異民族にビビル軟弱者が、日本人の代表ズラ
すなや。フォアマンクラスと云うが、>>82の云う通り、相撲取りクラス
頭から突っ込むぶちかましに及ばんとしても、パンチ力は強力じゃろう。
まあ、相手のペース通りに、単純な殴り合いする馬鹿もおらんけどね。
数秒で決着する喧嘩と長時間闘う格闘技は違うが、闘う前からビビル
連中に、勝たにゃあ、つまらん云うても無理かのう。
86白馬青牛:2006/09/17(日) 02:07:34
>>84
残忍性が狩猟の風習?ツングース系狩猟民において病獣や傷ついた獣を
見逃すのは、彼ら狩猟民の特性じゃないか。
狩猟民は残酷と云う関東農民のど百姓の価値観で、狩猟民を根拠なく
残忍と愚弄するんは、とうてい許し難い。何であんたは自らの偏見で、
決め付けるんか。狩猟民は、生業から、モラル、自己抑制に、優れとる。
関東の習俗である旅行者や乞食を射って殺す連中と一緒にすなや。
農耕民の中国の江南は、旅人を殺し、嬰児を殺す習慣もあったろう。
赤ん坊を殺す習慣は、東日本の習俗で、西日本は、地域差もあるが薄い。
ツングース系狩猟民も、間引きの習慣は無い。東日本人は、持ち前の、
狭い視野(鎖国史観)で、自ら習慣が普遍的じゃと勘違いしとる。
87日本@名無史さん:2006/09/17(日) 02:19:20
>>85
広島人はみんなビビらないとでも?それに>81ではただの異民族にビビっている
とは言ってないし。もー少し読解力つけましょうね。オツムの弱い相手に相手に
説明しても無理かのう。
88日本@名無史さん:2006/09/17(日) 02:27:40
>>85
お前に大和系日本人代表ズラされる方がよっぽど迷惑
89 ◆26IT/WpOkg :2006/09/17(日) 19:38:59
>>85
源頼光と弓馬:近藤氏、元木氏の貴重な考察。
都の武者の頼光が、京の何処で狩猟するんだ?ねーだろ、そんな場所。
中央軍事貴族が狩猟を磨くなら、伊勢や大和・河内とか所領でするだろ。


・称徳天皇 『続日本紀』神護慶雲三年(769)年
この東人は常にいわく 額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ

・大伴家持 『万葉集』
あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒

>>86
またツングースかw
つか、殺生を一番忌み嫌ったのが権門都市の畿内人だろが。
西国人は稲作農業と密接だったから。
90 ◆26IT/WpOkg :2006/09/17(日) 19:41:27
>牛ちゃんw
それはそうと、素手でヘビー級ボクサーに勝てると思ってるの?w

この罵倒にかけろ♪
気合で書き込めよ♪
誰もおまいをとめられない♪
青牛よつっぱしれ〜♪
91白馬青牛:2006/09/18(月) 01:41:29
>>89-90
また、同じコピーの繰り返しか。つまらん。中国南部の稲作民の「越」は、
間引きや旅行者を殺害する習俗等、関東と似とる。蝦夷の推結、魋結も
中国南部や古朝鮮の髪型で『魏志』に描かれる倭人の断髪と共に
南方の稲作民に近い。北方渡来系の近畿古墳人から視ると、異質な連中
じゃろう。殺生を嫌うんは、農耕民より、遊牧狩猟民の方じゃ。
チベットやモンゴル、満洲族が大乗仏教の信者であったこと、
江南系の「越」は、朱子学、道教等。仏教では、鎌倉関東政権は宋学の
影響を受け、「禅」か。
何でボクシングのルールに合わせて、素手で闘う必要があるんか。
道具が無い場合は、頭突きを食らわすか、拳を握っちゃあ駄目じゃが、
○で○部を撃つか、○を撃ち窒息させるか、相手の眼に、(特に○根部の
○側も重要じゃが、)指を突っ込んじゃるに決まっとろう。
もう、これ以上は、書けんよ。犯罪を煽るように誤解される。
92日本@名無史さん:2006/09/18(月) 02:01:34
大丈夫、牛の脳内喧嘩だれも信じないからw
そんな事してタダで済むと思ってんのw日本軍の白兵戦の本からのパクリだろww
93白馬青牛:2006/09/18(月) 02:49:40
>>92
信じる、信じんは、あんたの勝手じゃ。新興宗教じゃあるまいし。
タダで済もうが、済むまいが、勝たにゃ、意味がないよ。
日本軍の白兵戦の本のパクリじゃ云うとるが、日本軍の白兵戦闘は、
銃剣や、上の階級の連中は刀じゃ。
確かに現代の世界の特殊部隊のマニアル本には、素手での対処の仕方が
出とるよ。ほいで昔は、左翼側の学生運動やっとった連中も、マニアル
対処法を書いとった者がおったろう。
まあ、西洋者のマニアル本は、フットワークの様な、側から攻撃し止めは
内部を狙う云うスポーツに近い戦闘法で、一発に生死を賭ける日本人の
戦闘方法とは違う。全てが参考に云うわけにゃいかんよのう。
パクっても、役にたつか、たたんかは、自身の経験も考慮せんとね。
94 ◆26IT/WpOkg :2006/09/18(月) 07:55:23
>>91
現代の相撲だって素手。>93フットワークは一種の才能。
スピードの違いを考慮せよ。運動音痴の神戸史観せんせじゃあるまいしw

牛ちゃんはスポーツ馬鹿にしすぎ。真剣勝負なんだぞ。
武人や武士の戦争だって、遊びの要素が含まれてるんだから。
流鏑馬しかない都の武芸じゃ、子供のお遊び程度だがw

西国の「祓え」は中国江南由来、稲作文化と比例するものだろ。
殺生や死も嫌う「穢れ」。畿内中心に西国で浸透する思想。
95白馬青牛:2006/09/18(月) 23:53:37
>>93
フットワークじゃあ、間に合わんよ。わしが、ガキの頃、袋をこさえて
(作って)天井にヒモを吊るして、打撃練習をしとった時、
祖父から、目標を見て、構えて打つようじゃ遅い云われたもんじゃ。
眼が目標を捉えた時は、手も同時に到達しとらんと、相手と眼が会うた
時は、もう一撃食らわしとらにゃいけん。ごく普通に歩いとって、
通行人にも察知されんよう、対処せい云うことでもあるんじゃが、
容易じゃないんじゃけどね。柔道五段の方(戦前の柔道初段は戦後の三段
クラスの実力じゃったそうな)相手に、軽くあしらう事が出来た祖父や、
祖父が、喧嘩の名人じゃった云われた曾祖父から見たら、わしなんぞ
幼児のレヴェルじゃろう。ほいじゃが、スポーツ人クラスに劣るとは
思わんよ。まあ、格闘技より川魚を突いて捕る方が、練習になるじゃろう。
構えて、お互いに戦闘意思を出してのスピードなんぞ意味がない。
真剣勝負のレヴェルも下がるのう。それこそ子供のお遊びじゃないか。
江田島の海軍兵学校を視察した英国人が、日本人の最初から止めを刺す
銃剣戦闘法と母国の軽いジャブを出し、隙を見つけて強打を浴びせるような
銃剣の使い方と文化の違いを述べておったが、ほんま、向こうはスポーツ
じゃ。日本人なら、一瞬で勝負を決める。
96白馬青牛:2006/09/19(火) 00:24:20
>>93
続いて、まあ、相手を敵と確認した時は、眼と同時に手が出とらんと勝負の
間に合わん云うことじゃ。
>殺生や死も嫌う「穢れ」。が、江南、稲作?「出血供儀」や内臓の
供儀、動物の耳、鼻、頭を初穂として山神に捧げるんは、月神話圏の
東南アジアの農耕地帯に広く分布する。
一方、「無血供儀」は、北アジアの牧畜文化圏に見られる慣習である。と
岡正雄氏は云われる。確かにモンゴルでは、羊を殺し、解体する時も、
血を大地に流すのは穢れるとして嫌う。肉を焼くのも火の神が穢れるゆえ、
嫌う。モンゴルの羊料理は、茹でた羊肉が基本じゃろう。
北ユーラシアの牧畜民の慣習や、東南アジアの農耕ー狩猟文化を考慮せず、
また、日本国内しかも東国鎖国史観の思い込みで書いとる。
97白馬青牛:2006/09/19(火) 02:27:50
ほいじゃが、運動音痴でない関東ロデオ君が、真面目にスポーツに
励んでおった姿を想像すると面白い。普段わしに、ふざけた文を
書いとるんじゃに。
そういやは、わしゃは、カケッコ(徒競走)の位置について、ヨウイ・ドン
の時、隣の者が、ケツを浮かせるけえ、隣の者のケツが欲情しとるんかと
思い、瞬間、浣腸してやったら、前のめりに転げて、カケッコでドベ
(最後位のドンケツ)になりよった。真面目に走るより、そういう悪戯の
方が面白かろう。後ろから来る者にスタートから握っとった砂をかけて
邪魔したりせんかったか。もし全然ない云うとるんなら、余程、真面目な
スポーツマンじゃ。
98 ◆26IT/WpOkg :2006/09/19(火) 07:26:09
>>95
日本、いや世界最強は自分だと言いたいんだなw朝青龍よりも強いんだろ?
>>96
殺生禁断思想と西国。意味が違う。
>>97
・・・・。
99 ◆26IT/WpOkg :2006/09/19(火) 20:37:23
>>97
付け加えれば、そんな態度じゃ怪我する。
100白馬青牛:2006/09/21(木) 01:02:30
>>98-99
誰が最強じゃ云うたんか。>>95をよう読め。わしゃはその程度じゃ。
殺生禁断思想は、「遊牧民が、いくら屠殺に馴れているとはいえ、
殺すという事は余り気持ちのいいものでないらしく、」と西川一三氏が
書いておられるが、屠殺方法も遊牧民は出来るだけ、家畜を苦しめぬよう
殺害するが、「支那人はほとんど咽喉を切って殺している。この方法は、
羊は長く苦しみもがき大切な血をタラタラとこぼし、残虐極め余り感心した
方法ではない。」とも書いておられる。
関東は、血を穢れと思わず、しかも人間をも捕え殺害したことが、
勇敢としたいんじゃろう。残酷さと、勇敢さを混同しとる。
東国は、残虐農民で狩猟民の伝統を、余り受け継いでないね。
誰が怪我するん。わしゃは、怪我せんかったよ。まあやられた者も
大して怪我せんかったよ。ほいで、笑い話になるんじゃ。
101日本@名無史さん:2006/09/21(木) 04:07:37
ああ、八幡太郎はおそろしやおそろしや〜
102 ◆26IT/WpOkg :2006/09/21(木) 07:49:33
>>100
フォアマンに勝てると抜かして、「わしゃはその程度じゃ」はないだろw

穢れというのは多かれ少なかれ存在する。
だけど日本の貴族社会が生み出した畿内のそれは、度を越してるわけで。
羊は全く関係ないだろw

とりあえず、運動会と一緒にするなってこと。
高校野球板で叩かれるワガガッコカナシス
103 ◆26IT/WpOkg :2006/09/21(木) 21:56:43
>うし 
魚さえ食うのを忌んだ平安貴族もいたのに、比較が羊の屠殺とはw

コレ訂正。
競馬じゃ弓すら射てないから、静止的ですらない。
幅の狭い平坦な馬場で、都のお遊戯武芸w

『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。

都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や笠懸などしかない。
104白馬青牛:2006/09/22(金) 02:02:18
>>102-103
よう読め。わしゃは、上の世代の人らほどじゃない云うたんじゃが、
格闘技者に劣るとも思わんよ。
最近コピーばっかしじゃのう。平坦な馬場でよう弓を射つことが出来ん
けえ西行に学んだとでも言い訳したいんか。関東は平野が広うて、
平坦な場所も多かろうに。平野が多いゆえ、山地の兵と違い、
近代の関東兵団は、行軍が苦手じゃったんかのう。
105 ◆26IT/WpOkg :2006/09/22(金) 23:03:53
>>104
朝青龍>白馬青牛>フォアマン>コーリースピンクス>その他
こんな図式に納得できるわけないだろw

源頼朝が西行から下野藤原秀郷以来の兵法の話を一晩聞いただけなのに
西行に学んだってw
流鏑馬での弓の持ち方だけだろが。
都の流鏑馬術なんて遡れば東国のパクリだろ。中澤氏が言うように。
馬場の平坦と、自然上の平坦の違いも知らないのか?
106白馬青牛:2006/09/23(土) 01:28:29
>>105
おいおい、わしゃは、朝青龍より下か?
秀郷が下野の豪族であっても、子孫の西行は西国武士じゃないか。
血統を云うんなら秀郷の末裔とされる奥州藤原氏は人種的に蝦夷や現代
東北人より現代京都人に近い(埴原和郎氏の多変量解析法による分析)。
秀郷の末裔、下河辺行平のような「京都に馴れたる輩」が関東武士の
弓馬の師匠であって、騎馬下手、関東ど百姓武士は、パクルほどの技術が
あったんかのう?
107 ◆26IT/WpOkg :2006/09/23(土) 02:00:09
うしは朝青龍より強いのかwww

平泉藤原氏は下野秀郷流だって言ってるだろ。
秀郷流は下野から京に進出して、都の軍事貴族になってるんだから。

何が関東武士だよ。頼家の師匠だろ。
下総の秀郷流下河辺行平は頭も切れた人物だろうし、頼朝のお気に入り。

百姓武士ってw田畑依存は西国人だろ。


(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。

(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)
108日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:55:38
>>104,106
あんたの云う強さならヤクザがいちばん強いな。力道山もドスでやられたしな。
でもあんた最近の奴ナメ過ぎ。報復とかされた事ないの?
109白馬青牛:2006/09/25(月) 01:28:03
>>107
下野藤原が京に進出?逆じゃないか。藤原秀郷は、京の貴族の左大臣、
藤原魚名の末裔じゃろう。更に昔の古墳期から関東は北方渡来形質の
新モンゴロイド系が流入しとるよ。西行の弓馬談に感心した北条泰時や
三浦義村は関東武士じゃないんか?
東国武士が狩猟民の系譜?相模系は漁撈民・海民系と思うが。
9世紀以降の気候温暖化で、関東の農業生産もかなり増え、農業社会じゃ
ろう。狩猟民らしさは関東武士に無いね。何しろ乞食や旅人を殺す残酷さ
で、温情に欠ける。狩猟民は傷ついた獣を見逃す温情に溢れておるよ。
残酷性を誇るのも、精神異常のサディストと思われる。東国人は、
精神異常者が多いんかのう。
>>108
格闘技者よりも、命のやり取りをするヤクザの方が強いんは当然の
ことじゃ。戦争体験者の世代が強かったんも、白兵戦で命のやり取りを
やっとるしのう。後方で行軍だけしとった部隊は別じゃが。
わしゃは、他民族に体格とやらで劣等感を持つ関東ロデオ君が
可笑しいんじゃが。まあ、最近の者じゃろうと、どがいな相手でも
ナメとらんよ。子供でも、武器を持ったら一発じゃけえのう。
ほいじゃが、最近の者は、睨んで威嚇だけする者が増えたんじゃないか。
昔じゃったら威嚇する暇がありゃあ、即攻撃しとった者が多かったよ。
110日本@名無史さん:2006/09/25(月) 11:02:50
太古の話を今の価値観でサディストとか精神異常者とかいうほうがアホ
西だって似たようなモンだろ。

それと関東の人にでも西日本に劣等感持ってますかって聞いてごらん
「頭大丈夫ですか?」って言われるよきっと


111日本@名無史さん:2006/09/25(月) 18:20:01
>>110
たしかにwww


てか俺は素人なんだが東西への人の行き交いがある程度盛んなれば違いなんてたいしてないんじゃないのかな。
違いがある地域てのは一部ではないのかなと思った
112 ◆26IT/WpOkg :2006/09/25(月) 19:07:03
>>109usi
×弓馬談
○(都仕様の)流鏑馬談

>相模系は漁撈民・海民系と思うが。
平安期の話のわけで。支配階級である兵、武士は弓馬狩猟を日常好んだ。
特に相模で漁業が盛んになるのは江戸時代。
江戸期末でも相模の農業生産性は低い。水田の少ない関東は概ね低い。

>残酷さ
都の公家でも残虐な輩は多いけどなw

身体能力の違いを理解できないあたり、底抜けの馬鹿牛。
朝青龍と牛ちゃん。朝の一撃であの世行きだな。
113白馬青牛:2006/09/25(月) 23:50:25
>>110
『奥州後三年記』でも、婦女子、降人を殺した関東化した義家と
「つはものの道、降人をなだむるは古今の例なり」と考えた都育ちの
義光との違いじゃろう。西国が違わんと云う根拠はどう云うもんからか。
だいたい、関東人は、狩猟民の蔑視、西国の蔑視が目立つね。
しかも世界の諸民族と比較もせず、妄想世界に閉じこもる何時もの癖か。
>>112
何で狩猟にこだわって漁撈を軽視するんかのう。関東マンセーの網野善彦氏
も、北条氏海民要素を指摘しとるんに。ふと、考えるに、佐原真氏が、
琉球やアイヌ人と違い本土日本人は縄文時代から狩猟民でなく、採集民で
あると云う主張の逆バージョンを云うとるんか?
農業生産率が低い場合、陸上動物の狩猟だけで、食糧を賄えるもんかのう。
アラスカやシベリアのイヌイット(エスキモー)は、海獣猟で栄養分を
捕っておるが、極北地域以外は、植物生産が主流じゃないか。
植物生産で糧量が賄えん地域は牧畜を生業とし、糧量を得る。
関東が狩猟で糧量を得た社会でもあるまい。縄文期から動物タンパク質は
内陸の集団より、海岸の貝塚民の方が摂取しとったらしいが。
飢饉の多かった西日本が稲作で食える時代が続いた訳もない。
114白馬青牛:2006/09/26(火) 00:09:15
>>112
残酷なことじゃは、関東ど百姓には勝てんよ。都の貴族に限らず、
西国武士も。戦闘は身体能力以前に勝負を決めんといけんよ。
相手を見て撃つような反射神経に頼るようじゃ遅いよ。
なるほど、近代でも関東兵団が華北で八路軍に遅れを取ったんが
理解出来るね。オーストラリア兵にさえ、ジャングルにおける白兵戦で
負けとったんか?関東人はシベリア抑留の時もロスキーの体格に
ビビッタ者が多かったんも、あんたの考えから、なるほどと理解出来るよ。
関東兵に白兵戦は無理か。
115日本@名無史さん:2006/09/26(火) 02:21:13
ふーん
116 ◆26IT/WpOkg :2006/09/26(火) 07:06:56
>>113-114
だから、関東は江戸期でも畑作中心。相模上野武蔵とか水田率低い。
粘質な河内は水田耕作の優良地で農業生産率が高い。農耕に牛を使役する。
気温が低く乾燥した東国の気候、地盤は馬飼育に適している。千葉には徳川幕府の牧が広がってたし。

平安末の武士、在地領主はど百姓じゃない。室町期の地侍と一緒にされてもな。
それを同じに考えてしまった電波学者が、1996年の川合康氏だが。
武蔵の河原兄弟は農民じゃないぞw
117日本@名無史さん:2006/09/26(火) 23:15:22
>>114
なるほどじゃねーよwお前何言っても関東の悪口返ってくるなw
広島人はデカくて格闘技やっている外人相手でも誰もビビらないのか?w
お前じゃねーぞ、他の広島人だからな。ビビっている奴らは奴隷根性持っている
って事なんだろ〜。まあどうせつまらん擁護して関東貶して終わりだろうけどな。
お前ワンパターン過ぎ
118白馬青牛:2006/09/26(火) 23:50:42
>>116
瀬戸内の島諸部も江戸期は稲作じゃのうて、畑作じゃったが、畑作は、
農業じゃないんか?武蔵野台地が畑作に適しておったろうが、武蔵の
荒川流域や下総の水郷低地は?気温が低く乾燥した東国?よりも
乾燥地帯である朝鮮半島も馬飼育に適してなかったね。馬飼育の中心は
現在に至るまで済州島じゃった。『新唐書』の新羅伝にも、島で牛馬を
飼うたことが、出ておるが、広島藩でも馬飼育は島じゃった。関東は
離れ島しかないんで、しょうがないか。
在地領主という上層部の人間が農民でないんは、当り前じゃないか。
室町期の地侍でも、先祖が農民よりも、狩猟、漁撈、芸能、宗教、
被差別民等、折口信夫氏の云われるこれらの集団から発祥した要素が強い。
徳川氏も、先祖は新田源氏じゃのうて遊民僧の徳阿弥じゃと、大久保
彦左衛門は、『三河物語』で暴露しとったのう。まあ三河は傀儡師の産地
じゃったし。定着農民よりも、自由移住民が征服者になる云うこと。
119日本@名無史さん:2006/09/27(水) 00:33:42
>>116>>118
議論がずれている希ガス。煽りあいでも議論はかみ合わせたいものだw
関東平野は畑作中心、というより畑作でも生産性は著しく低かった。
火山灰土はリン酸欠乏なので何を植えても実が付かないからだ。
(例外は木の実(ナッツ)で、栗の産地は関東のあちこちにある)
リン酸欠乏が最も酷いのは谷地で、小規模水田を開くことは非常に困難だった。
だから中世末になっても谷地の多くは湿地のままで放置されており、
谷地に突き出た舌状台地に各豪族が城を構えることになる。江戸城もその一つだな。

だが西国の花崗岩崩れの沖積土・新しい堆積土は稲作には最適で、
中国地方などはかなり山奥の谷地田(東国式の言い方だが)でも
生産性が著しく高かった。山や島嶼は戦国末まで常緑広葉樹の深い森だ。
西国で赤松が本格的に卓越するのは17世紀以降と言われる。

だからと言って、東国で馬の飼育が特に発達したことの論証にはならない。
関東平野は貧しくて何にも使えなかっただけかもしれないのだ。
120 ◆26IT/WpOkg :2006/09/27(水) 01:20:15
>>118
全体として見て水田率が低い。上田が少ない。
>在地領主という上層部の人間が農民でないんは、当り前じゃないか。
その在地領主が農耕馬で戦に出たと主張しちゃった電波学者。そりゃ違うってw
うしの事じゃないよ。

>>119
日本国内で牧が多く設けられるようになるのは7世紀(後半)頃以降だが、
それ以前の古墳時代後期、信濃上野など副葬物として実戦的な馬具が多く出土してる。

時代が下り平安初期、東国への馬牧依存度は更に高くなってるし、御牧は東国四ヶ国。
官牧の分布が古代牧の全てではないが、東国に馬牧、西国に牛牧が多い。
九州以外の西国は馬牧経営に適さない。歴史が証明してる。
虫の大量発生は馬にとって病気の原因となる大敵。
上野国は空っ風に代表されるように高地で乾燥してるし、広範な馬牧に適してる。
ところが上野だけじゃなく、安房はもちろん、伊豆も馬牧経営に適してたようだ。

『和漢三才図会』(江戸期)⇒関東には馬多く牛少なし。
121白馬青牛:2006/09/27(水) 01:53:00
>>119
煽りあいじゃないよ。東日本はヒエで西日本はアワと云う違いはあったが、
また気候の温暖期と寒冷期で違うが、農産物から得る食糧は、概ね雑穀が
中心じゃったろう。中国地方の山地の生産力は小寒冷期の江戸時代や
明治期でも少なかったよ。広島県の山地住民が、ホイトと軽蔑されても
海岸部へ移住したんは、生産量が低いゆえじゃ。
関東は標高の高い地域は常葉広葉樹林じゃが、平野部は照葉樹林地帯じゃ。
中国地方でも山地は広葉樹林(ナラ林)地帯で本格的な冷涼地帯は東北地方
からじゃろう。
>>120
あんたは、気候・地理の知識に乏しいけえ、もう一度勉強し直して、
書くほうがええど。
122日本@名無史さん:2006/09/27(水) 01:59:44
>>120
西国で牛飼育が盛んだったのは農耕に必要だったからだろうよ。
技術導入は古墳時代後期らしいが、畿内西国では
平安時代には牛を用いた犂の利用が広まっている。
貴族のための運搬用(牛車)もあるけどね。
だが当時の馬は農耕には全く役に立たなかった。(小さく非力だったから)
貴族の車を牽くことさえも出来なかった。
だから生産性の高い西国では馬を飼うような生産性の低いことに
費やせるような土地が少なかったため
馬飼育は専ら土地生産性の低い東国に「追い出されてしまった」ということ。
上野国、安房国、伊豆国と並べれば、気候も地形も土壌もバラバラで、
適地としての共通点など何も浮かばないことは明らかだ。
適しているのではなく、馬を放つくらいしか
土地の使い道が無いから仕方なくやっているだけ。つまり消去法。
だから、馬を本当に必要とした武士は消去法ではなく
積極的に東国だろうが畿内だろうが西国だろうが馬を飼っていた。
123日本@名無史さん:2006/09/27(水) 02:13:11
>>121
そりゃ近世まで全国最強の瀬戸内沿岸と比べれば、中国山地の生産性は低いよ。
でも、山地の中では伝統的には恐るべき高生産性を誇っていたように見える。
中国山地は老齢の花崗岩準平原で、縦横に比較的広い谷間が走っている。
同じような谷間は地質の近い朝鮮半島南部にもあるが、
朝鮮よりずっと気候も穏やかで洪水の心配も相対的に低い。
この谷間は、山岳地域の耕地としては、
おそらく畿内の高地準平原上(大和国都祁など)と並んで
全国で最も優秀なもので、おかげで中国地方は
全国でもっとも山地の奥深くにかなりの人口を抱える地域だった。
あくまでも日本の他の山岳地域と比較してという話であることに注意。
これが逆の意味で表れてしまったのが、20世紀後半から今に至る
中国山地での全国で最も極端な恐るべき高齢化だ。
これは、「昔は意外にも結構大勢の人が住んでいた」ということを意味する。
124 ◆26IT/WpOkg :2006/09/27(水) 07:56:08
>>122
前半部分の内容に較べて、後半部分はソースもない脳内妄想の世界だな。
消去法ってw

そりゃ西国の兵も武士も馬は当然飼育してた。
西国武士だって衛府のお飾り官人とは違う。実戦に臨む弓射騎兵なんだから。
でも総合的に、優秀な馬は東国に譲るしかない。畿内産の痩せ馬。
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
125 ◆26IT/WpOkg :2006/09/28(木) 01:09:39
>>122
畿内の牧が潰されてるのを文献で確認できるのは、8世紀末〜9世紀初。
ところが、それ以前より国内の馬匹生産でも東国が中心になっていたことは
かなり遡って、古墳時代後期(6世紀代)の副葬物からも指摘できるし、
実戦的な馬具も東国。

上野なら、火山地帯の裾野を背景とした広範囲な馬牧経営。
安房と伊豆、馬の印象も薄いだろうしあえて挙げてみた。
粘質の強い西国は生産性が高い。逆に馬牧経営に適さない。
適す土地と適さない土地。関東内部にだって当てはまるし、特に武蔵北西vs南部とか。
畿内において馬牧経営が積極的だった河内の牧でも、実態は小規模経営でしょ。
関東や信濃と比較して、畿内の牧は小規模。大阪の森浩一氏も指摘してる。

>土地の使い道が無いから仕方なくやっているだけ。つまり消去法。
関東は馬牧だらけか?w
平安初期の田数で、安房四千町・下総二万六千・上総二万二千あるけど。

それと馬はもちろんだけど、牛にも輸送用としての役割が。
軍事的には、関東の馬に対して瀬戸内の船になるけど。
126 ◆26IT/WpOkg :2006/09/28(木) 01:17:03
↑輸送を含めて軍事的

長文つかれた。
>>119
>煽りあい
牛ちゃんが出没するスレは、俺が行こうが行くまいがそうなってる。銅蘇ろんすれ
127白馬青牛:2006/09/28(木) 01:22:56
>>123
中国山地の生産性も低いが瀬戸内海沿岸部も海は狭く、漁場を求めての
争いがあったし、浄土真宗地帯は産児制限が罪悪で人口過剰現象から
出稼ぎが多かった。農業労働も他所の村の農作業を手伝い、相互扶助に
よったほどじゃ。東北の山地の様に農民が親方に属す隷属農民で、
縦型社会で横の相互扶助に乏しい社会とは違う。20世紀後半を例に
とっても意味がない。広島県山地の人達も江戸〜明治期は、社寺の
縁下を宿とし、海岸部まで出てくれば、物を貰って食べ、命をつなぐことも
出来た。これらの人達を広島沿岸部の人達は、○○ホイト(乞食)と
云うた。中国山地で労働しても食いつないで行けない者、貧窮の民が
如何に多かったか。云うことじゃ。
128 ◆26IT/WpOkg :2006/09/28(木) 01:28:28
>>127usi
今宵も元気だね。おやすみw
129日本@名無史さん:2006/09/28(木) 02:12:10
>>124>>125
結局「消去法」という単語にカチンと来ただけで、
実質的論拠は認めているじゃないかw
東国は生産性が低いので、馬を放つくらいしか使い道がない土地が多かった。
これは関東平野に卓越する不毛の台地だけでなく、
安房国のようなちょっと考えにくい土地でもやはりそうだったと言うことを考えれば
実際には農業技術水準の問題も大きかったのかもしれない。
安房国は山がちな隆起堆積岩地帯で高温多湿、普通に考えて牧には適さない。
畿内西国の開発は飛鳥時代前の段階でかなり進んでいたので、
もう「あまり役に立たない」馬を飼う土地など無くなっていたんだよ。
集約農牧を行う先進地域でメーン作物ではなく片手間に行う生産物は、
後進地域で粗放的にしか行えない生産物よりも質量共に劣るのが普通。
これは日本(北海道を除く)における麦や大豆の状況を見れば良く分かる。
だから、単位当たりの価値が低い農畜産物の生産は、
たとえ環境が適していなくても、粗放的な地域に「追い出されて」いく。
ブラジルなどは大豆の生産に本来なら適した土地では決して無い。
130日本@名無史さん:2006/09/28(木) 02:21:56
もう一つ、騎馬民族への勝手な類推をするヤシが致命的に忘れていることに、
「日本列島では『真に騎馬民族的な生活様式』が採られたことは一度も無い」
ということがある。
モンゴルやスキタイなどの騎馬民は、
馬乳を飲むなど馬からさまざまなものを得て暮らしている。
馬で調達できないものは羊を飼って補い(こちらのほうが価値は高い)、
遊牧以外から得るものと言えば、基本的には
穀物を農耕民から買う(略奪する)程度で暮らして行く。
だが、関東も含めて、日本人が馬から乗り物・運搬以外の
用途を導き出したことは、明治維新まで全く無いに近かった。
関東においてさえ、騎馬民には絶対不可欠の羊さえ全く定着していない。
人間が生き延びるという行為に対して馬が貢献できる程度が全然違うのだ。
131 ◆26IT/WpOkg :2006/09/28(木) 23:27:44
>>129
だって>>122の一部、今まで牛ちゃんに主張してきた事とダブるし。
カチンwとやらを主張すれば、

・馬も農耕に使う。近世の東国、農耕馬(駄馬)利用が盛ん。
・畿内でも平安期は馬の重要度は高い。農耕牛といっても富裕層だろうし。
・仕方なく?
 馬牧経営は財力も人も設備もないと。野馬とはいえ放っといて育つものじゃないし。

安房は諸国牧が2つ。白浜馬牧は南端白浜町。
安房の江戸期の幕府牧(嶺岡牧)だと、下総(佐倉・小金)より小規模で牛も飼ってたけど。
佐倉・小金牧は幕末で広さ一万町、馬頭数5100余。近世だし、馬の質は落ちるが。

・当然だが、関東は畿内より馬牧経営に適している。大規模な小野牧とか。
 甲斐、常陸行方の駒。

【平安期・駅馬価格】
下野・常陸は下馬でも350束。
安房⇒上馬400束、中馬350束、下馬300束。平均350束。
畿内⇒上馬250束、中馬200束、下馬150束。平均200束。
132 ◆26IT/WpOkg :2006/09/28(木) 23:35:48
>>130
俺は騎馬民族説、その類の支持者じゃないよ。
半島経由の受容だし、渡来人が持ち込んだのを含めて。
去勢(睾丸除去)もしない暴れ馬。騎馬民族なら去勢する。
とはいえ、川合氏が日本馬をロバとか書いてるけどアホかw大きさしか見てない。
羊はペットくらいか。

>日本人が馬から乗り物・運搬以外の用途を導き出したことは、
>明治維新まで全く無いに近かった。
戦争(弓射騎兵⇒打物騎兵)、農耕、ステータスシンブル

(対うしレス、6/20)
元が採集民だとか関係なし。馬が入ってきたのだって4世紀末〜5世紀だ。
生活習俗は変化するだろう。
富裕層(武士クラス)が馬を活かした狩猟を日常行なう。
この狩猟文化が、東国に色濃かったという事だ。西国なら九州。
133 ◆26IT/WpOkg :2006/09/29(金) 00:14:01
>usi 元気だね。江上スレも復帰。
134白馬青牛:2006/09/29(金) 01:29:49
>>130
「日本列島に、『遊牧民的な生活様式』が採られたことは一度もない」と
直すべきであろう。騎馬民族の定義は、江上氏の説から満洲も含むと
なると、範囲が広い。しかも古代遊牧民の家畜所有数内田吟風氏の考察
では、北匈奴一人に対し馬0,7頭、牛羊一頭とされ、現在のモンゴル人
より比較にならぬ程僅少であったとされる。
馬乳を利用するんは、外モンゴルのハルハ人はそうであろうが、内蒙古の
チャハル地域は馬乳より、牛羊乳を利用する方が多いんじゃないか。
羊飼育は遊牧化の指標にもなるけどね。
略奪は遊牧民と農耕民の非常時の関係であろう。日常はお互い交易相手で
あろう。
>>131
半農半牧のモンゴル人や古代の高句麗人に至るまで、農耕に馬を使うとは
考えられんじゃろう。漢人は農耕に馬を使うが、アルタイ系北方牧畜民は
牛を農耕に使う。また馬の価格とは馬借の駄賃の値段か。
狩猟文化が、東国に色濃いんなら、狩猟民の習俗と何で相違が多いんか。
関東の習俗で狩猟民的と考えられる部分は何か?
富裕層でも日常的に動物タンパク質に依存したと思えん。
四川省のチベット・ビルマ系牧畜民の黒彜族は農耕地帯を征服し、
上層階級になり、農耕と共に牛・馬・羊・豚を放牧したが、肉が
食べられる時は慶弔の儀式の時ぐらいで、普段エン麦を糧とする。
普通の麦は奴隷の食べ物であった。昔のヨーロッパも同じようなもんか。
135 ◆26IT/WpOkg :2006/09/29(金) 01:53:46
>132シンブルw
>>134
得意分野で江上氏好きは分るが、せっかく仲間出来たのに噛み付くなんて、さすが。牛いいよ牛w
お馬の値段だよ。
基本は玄米と味噌だろう。西国武士より動物淡白を多く摂取し、バランスも良い。
136白馬青牛:2006/09/29(金) 02:08:46
>>135
自分の意見、見解を云うのに、仲間意識じゃの、弱虫の群れる性質に
合わせる必要もあるまい。
それたァ西国武士より動物淡白を多く摂取した根拠も提示しとらん
じゃないか。動物淡白を日常的に獲れるんは、山地の狩猟民より、
海岸の漁撈地帯の方じゃろう。
137日本@名無史さん:2006/09/29(金) 02:12:29
>>131>>132
東国住民が古墳期以降狩猟民化したなどという頓珍漢説は
そもそも無理。どうみても無理。ただの願望。
なぜかと言えば、ガイシュツらしいが、
人口学の観点からどう考えても狩猟民の存立は無理なのだ。
狩猟民の成立には、少数の人口でも驚くほどの土地を必要とする。
半農半猟の北アジア諸民族でも人口密度は信じられないほど低い。
縄文時代の関東は既に狩猟民の人口限界をはるかに突破して
採集+漁労民となっていた。そして、縄文後期の人口崩壊?の後、
弥生以降は西国ほどではないにしてもやはり人口爆発が起きている。
どう見ても狩猟の幅は狭まるばかり。
古墳時代の関東の人口密度では、狩猟でカロリーを補うことはほぼ不可能。
これはいくつもの例から言えることで、東国の当時の遺跡から
狩猟で得た獣骨が西国と比べて有意に沢山出てくるわけでもなく
東国に伝わる民俗信仰においても狩猟ネタはほぼ皆無と言って良い。
(狩猟ネタが皆無というのは日本神道全体の著しい特徴でもある)
例外は諏訪大社上社のミシャグジ神に獣などを捧げる神事だけだが、
諏訪大社の直接的影響の無い関東東海の他の赤口神、石神井神などに
狩猟系の神事が残っているということは全く無い。
138日本@名無史さん:2006/09/29(金) 02:45:41
>>131
まあ牛さんが書いてくれているのでガイシュツになってしまうが、
日本で農耕馬が使われるようになったのは、
明治以降西洋種の馬と馬に牽かせる農具群が導入されてから。
現在の北海道の道産子のような太くて大きい馬は前近代には存在しなかった。
江戸時代に東北で馬を利用する農耕が試みられたことがあるらしいが、
「馬がボロボロになる」ことが分かって中止された。
ttp://www.pref.iwate.jp/~hp2088/park/kikaku/kachiku_nousagyou.html
(このサイトには、東国の馬が優秀だとは書いていても
 乗りもの用以外何に活躍したのかはっきり書けていない。
 要するにそういうことだ。東国では明治まで専ら人力耕運だったという
 驚くべき話も書かれている。)
結局、前近代の日本馬は犂も車も牽けないわけで、
荷駄を運ぶにしても馬に直接載せる以外方法がなく効率が悪い。
華北の律令制を真似た奈良時代にはオーバースペックで駅馬と街道が整備されたが
平安以降は西日本の物資輸送は淀川・琵琶湖の舟運と瀬戸内海の沿岸海運が主流。
139 ◆26IT/WpOkg :2006/09/29(金) 07:28:59
>>137
ンッ??(つд⊂)ゴシゴシゴシ(;゚д゚)
そんなトンデモ話した覚えないんだけど?
>>138
何、そのトンデモw
農耕馬が近代から?エッ…何で?
140日本@名無史さん:2006/09/29(金) 22:44:55
>>139
農耕馬の話はリンク先を嫁。「牛馬」とごまかしているが、
江戸時代以前で農耕のための「馬」は全然出てこない。
岩手の馬は全国最大最強クラスのはずだが。岩手で無理なら全国で無理。
「東国の馬は優秀」はおまえさんの自論だろw
それに、関東の住民は狩猟民的で
「西国武士より動物淡白を多く摂取し、バランスも良い。」と言っているだろ。
だが、縄文以降ずっと、どう考えても栄養バランスに貢献するほどの「山の幸」は
東国の狩猟からは上がってこないんだよ。
今の猟友会のヤシが「ジビエを食べて栄養バランスがよい」
というのと同じくらいの馬鹿げた話さ。
現実には、明治の獣肉食の事実上の解禁以来、獣肉消費量は
一貫して「西高東低」なんだよ。東北日本は獣肉を長らく受け付けなかった。
全国的には肉類取り過ぎの生活習慣病が大きく問題視されているのに、
秋田県では「動物性脂肪摂取不足による脳溢血」が今でも問題とされていて
高齢者向けの「肉を食べよう」という講座がなんと今でも開かれている。
秋田県は言うまでもなく「マタギ」で有名なところだ。
だが秋田県民は獣肉を特に嫌うわけ。つまりそういうこと。
141日本@名無史さん:2006/09/29(金) 23:01:56
俺は牛ちゃんとは違って東国武士の優位性に関しては認めているけどね。
つまり、生産性が高く馬場用地確保も大変な畿内から「追い出されて」、
生産性の低い東国の広大な野原で馬に関する技能と馬の質を確保できた東国武士が、
平安後期から鎌倉期にかけての武士の台頭に大きな役割を果たしたことは認める。
だが、
これが関東の大昔からの狩猟民的体質が受け継がれただとか何だとか、
くだらない理屈をつけることには一切同意できないね。
この点では俺は牛ちゃんにも批判的だ。東国と西国の社会構造の差なども
実際には弥生文化が一旦九州から東北まで浸透した後で地域分化した話に過ぎない。
東国・九州的な「縦社会」と畿内・西国的な「横社会」の差異も、
これが畿内中心の蝸牛的分布をしていることから分かるように
文化と生産性の発達によって横社会的な互助がより強くなってきただけのこと。
こういうものを全部「東西対立」だの「縄文弥生対立」に結びつけるのは、
あの網野善彦唯一にして最大の汚点著作である
「西と東が語る日本史」と同じ、救いようの無い愚考だ。
142 ◆26IT/WpOkg :2006/09/30(土) 00:26:49
>>137>>138>>140>>141
つまり、近年の武士発生論研究を知らないんだな。
出鱈目すぎてどこから答えたらいいのやら…困ったもんだw
まず、近現代と直結して考えるの辞めないと。

>>137>諏訪大社の狩猟神事
御射山祭を壮大な祭礼として整備完成させたのは、鎌倉武士の北条氏なんだが?
日光=狩猟神。
>>139>リンク先&農耕馬
墓穴掘ったなw
そりゃ耕起は明治以降だろ。
でも近世以前の馬の農耕利用は、運搬と厩肥の役割があるからだ。牛も当てはまる。
>>140
つか、関東武士の狩猟は古代中世までなんだけど?
>>141
俺のは通説に従ってる。
そこまで言うなら、おまいさんの武士発生論を述べたらどうだ。

牛ちゃんが正統派に見えてきちゃったw
143白馬青牛:2006/09/30(土) 00:28:00
>>137-138-141
小山修三氏の人口推計では、縄文後期は16万人、弥生期に60万人、
古墳期に540万であり、埴原和郎氏は、三浦半島等、弥生期に
尖兵的北方渡来系が流入しても、関東に本格的北方渡来系民族が大量に
移住したのは古墳期とされる。人口爆発は古墳期じゃろう。
狩猟儀礼は皆無じゃないよ。狩猟の獲物(首〜内臓)を捧げるんは、
各地にあるよ。狩猟ネタが皆無とは云えんよ。
東日本は犂利用に乏しかったが、馬の農耕に使うとる。常畑を耕作し、
地力を維持する為厩肥を投入しとる。馬の糞は醗酵する時に熱を出すので、
耕地を保温する機能を持ち、冷涼なブナ林帯に欠かせん生産手段じゃ。
その事情が「東北日本の牛馬小作制度の要因となる」と市川健夫氏は
云われる。
西国武士(西行や平家降人)から弓馬を学んだ東国武士の何処が優位性が
あったんか述べとらんのう。九州の松浦党に東国的縦社会的なものが
あった云う根拠はあるんか。九州が東国に近い社会になったんは、
東シナ海文化圏としての儒教の影響も考慮せんといけんね。
『魏志』倭人伝の弥生人の習俗は古墳人より、蝦夷(文身・推結)に
近いじゃないか。じゃが、列島東西は、多少人種も違い、社会構成では
大いに違う。網野氏だけじゃのうて、宮本常一氏も指摘されとる事。
144 ◆26IT/WpOkg :2006/09/30(土) 00:43:25
>>143
今でも江戸後期の古い家見ると、馬小屋の名残はあるな。玄関とか近くに。
家の良い場所で大切に飼われてた。群馬は馬頭観音多いし。

×弓馬
○流鏑馬
後年になって、西行の秀郷流+都流儀の「流鏑馬」を作法を懐かしんだ。
145 ◆26IT/WpOkg :2006/09/30(土) 07:38:38
今週、熱入れすぎて寝不足になっちゃった。


平安時代後期における武士の発生は、農民・名主の自衛論とは別に
弓箭の芸に秀でた狩猟民を構成要素として、彼らが軍事貴族と結びつく形で武的集団へと
成長したとの考えが有力になっている。
東国が武士成長の基盤とされるのも、馬牧が多いこの地域が八世紀以来の蝦夷兵站基地としての
性格に規定されており、騎馬を基本とした東国武士の登場はかかる事情に由来した。

『国史大辞典』からで古くなるけど、2006年現在の定説もこれと同じ。この場合、地方武士を指してる。
兵站基地と狩猟。これが重要。
武士の狩猟は東西問わず軍事訓練としての意味合いを持っている。
『今昔』の頼光説話にもそれが反映されてる。

>今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。
146 ◆26IT/WpOkg :2006/09/30(土) 08:00:11
兵站基地としての坂東を示す史料の一つ。
数字に誇張があるだろうけど、『続日本紀』神亀元年(724)四月。
「坂東九国軍三万人教習騎射試練軍陣」
147日本@名無史さん:2006/09/30(土) 15:46:54
>>145-146
俺は基本的にその説の最前段に否定的なんだけどね。あとは否定しない。
>弓箭の芸に秀でた『狩猟民』を構成要素として
ここだけ。もちろん畿内から下ってきた「貴種」ではなくて
地元の中下級武士ということだけど。
彼らにも大雑把に分けて「東国系(関東系)」「蝦夷系(北東北系)」があるが
蝦夷系であったとしても狩猟民という生活様式とは関係無いというのが俺の説。
(これは平安時代東北蝦夷の生活様式論とも深く関わるけどね)
ただ、関東は長く律令政府の兵站基地であり、東北は長らく戦争が続いていたので
地位住民の武装への親和度が高かったということは言える。
徴兵制の国では成年男子が皆当然に銃を扱えるというような話だな。

現代でも東北日本のほうが「古墳・律令大和的ライフスタイル」に
どういうわけか強く執着するように見えるというのは、
近代日本の民俗文化の不思議なところだが、
この起源は思っているより古く根深いのではないかと考えている。
主食は米ではなく稗だった可能性が高いが、
肉・乳の食用、革の利用と言った家畜の総合的利用から縁遠く
(勿論革などは使わなかったわけではない)
蛋白摂取は水産物にこだわる。サケが豊富だからというのもあるが。
148日本@名無史さん:2006/09/30(土) 15:59:38
>>147訂正
×地位住民
○地域住民

ちなみに、縄文時代、摂取カロリーの堅果(どんぐり)依存率が最も高かったのは
宮城県の縄文人だったという分析結果もある。異様な虫歯率がそれを裏付ける。
このような植物澱粉質依存の生活が今に至る「コメ原理主義」へ横滑りしたのか
それとも弥生系への住民と生活様式の全面入れ替えがあったのか
このあたりは微妙なところではある。どうもはっきりしない。
149白馬青牛:2006/09/30(土) 23:42:41
>>144-145
馬小屋の名残たあ、曲家のことか。曲家は、岩手県のそれがよう知られとる
が、群馬、栃木や広島県の山地にも見られる。安芸西北山地八幡高原地方
には、どこの家も馬を飼い、中門造りの中門の部分に厩がある。
流鏑馬と弓馬の技術は同じく。
武士の起源に狩猟民要素が強いことは、あんたが引用した五味文彦氏も
指摘されておられるね。豊後の「騎猟の児」、「平将門に率いられた東国の
狩猟民、藤原純友に率いられた西国の漁撈民、これらすべて狩猟民と呼び
たい。」「五衛府・軍団及び諸の帯仗の者、武となす。(中略)これらの
武士の供給源は、京都周辺の豪族、なかでも河内、摂津国の豪族で
あった。(中略)貴族の武力の基盤が衛府や馬寮などの官人となった
武士であったことがうかがえる。」「(源)頼信は、摂津国に基盤を持つ
武士であり、甲斐守となり、東国にやってきて勢力を広げていた。」
「(源)頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな奴僕の如し。(中略)
会坂以東の弓馬の士は大半、門客となる。」武士の起源は山地土着系と、
渡来要素の強い漁撈民、河内、摂津の北東アジア、北方渡来系の要素も
あろう。武士の起源については様々な考察があるが、上層部の渡来系と
下士足軽の土着要素について書いてみた。じゃがあんたは、いっつも
「定説」云う新興宗教信者の様な言葉を使うのう。学説の時代の定説
なんぞ、学説の流行に他ならんよ。
150白馬青牛:2006/10/01(日) 00:54:26
>>146
兵站部で徴発された奴隷兵の要素も強いね。大伴家持が狩猟民だけ集めて
防人を構成したとは考えにくい。
>>147-148
東国系と蝦夷系という区別は何か?それたあ、山地民の文化は畿内から
蝦夷まで分布しとる。国巣、土蜘蛛、山夷。農耕民は蝦夷でも田夷も
おった。現在東北日本の方が「古墳、律令、大和的ライフ・スタイル」?
何じゃ、そりゃ。意味がさっぱり解らん。東北地方が縄文期から植物採集が
主で後世家畜文化に乏しいので、動物タンパク摂取は少なかろう。
(縄文期でも海岸地域は動物タンパクの摂取も多いが。)
反騎馬民族思考、自称農耕民族の佐原眞氏は、縄文期から現在まで
本土日本人は琉球、アイヌ人と違い草食民族とされるが、本土日本人の
山地の焼畑狩猟民は動物食(内臓や皮利用)が受け継がれたとされる。
被差別民の肉食文化や漁撈民の食文化まで及んでないんが残念じゃが。
151日本@名無史さん:2006/10/01(日) 22:49:09
>>150
「古墳律令大和式ライフスタイル」というのは妙な言い方だが、
要するに一般的な言い方をすれば「純和風(純日本式)生活様式」
ということだよ。
稲作・米飯にこだわり、稲藁を総合的に用いる生活様式を編み出し、
麻布(のちに木綿)の開放的な涼しい衣類とサンダル型の開放型の履物を履き、
エネルギー摂取を植物澱粉質「主食」に専ら依存して動物蛋白・脂肪の摂取が少なく
魚介は食べても獣肉は常食とせず、家畜を使った総合的生活文化に欠き、
高床式の涼しい家を最上のものとする(もちろん土間はあるが)
ただ、日本式というと「じゃあ日本って何だよ?」となるので
妙な言い方になったのさ。
この「文明プロトタイプ」は、間違いなく北緯33〜34度前後の
九州〜畿内の西日本の気候風土に適合するものだ。
(これは、土間式の家に住み、餃子をつくり、小麦粉食を食べ、獣肉を好み
靴を履く、と言った「漢族の文明プロトタイプ」が
北緯37度前後の華北平原の気候風土によるものであることと
比較すればよく分かる)
152日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:01:34
続き。
俺の目には今はやりの「狩猟民=武士起源論」は
前レスの「日本式生活様式一元論的」な伝統的民俗学・歴史学を打破するために
戦後さまざまな観点から主張された
「日本文化と言ってもいろいろ多様なんだよ」論群が、
やはり「敵と同じ隘路」に嵌ったいわば願望論の要素が強く見えるんだよね。
「日本は多様なはずなんだ」「狩猟要素はきっと大和から遠い東国に強いはずなんだ」
「山地民は狩猟的要素をかなり後世まで濃厚に持っていたはずなんだ」とね。
「日本も多様だ」って「確かにそうだ」とブレークスルーできた状況を
前提にしてみれば、意外なものが見えてくる。
東日本と西日本に分割してみたり、山岳民と平地民を分割して
「多様性」を考えて見たところで、現代に繋がる文化から忠実に遡ってみれば
そのような明確な断層は見えず、
むしろ妙な共通性や「モデルへの逆進性」が見えてくるようだ。
153日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:11:46
さらに続き。
家畜の総合的な利用に関しては、
むしろ畿内西日本の平地民に濃厚な伝統が見られる。
獣肉食の伝統は潜伏しながらもかなり明確に継承されたようだし
江戸時代にはモカシン型の革靴さえ広く使われていたくらいで
これは古い伝統であり、かつ現代まで文化の基本要素として継承されている。
だが、言うまでもなく、西日本に色濃い被差別民の職能問題と深刻に関連する。
西日本の一部では漁労民の職能さえ差別的色彩を持つ深刻な問題だ。
被差別民の社会構造に関してはいくつもの複雑な問題が絡むので
ここでは細かい言及を避けるが、
畿内では「被差別」とされた職能に含まれる文化要素について、
東国や山岳などはそれが大手を振って歩いているパラダイスなのかと言えば
決してそんなことは無いし、昔から無かったと言える。
154白馬青牛:2006/10/02(月) 00:22:12
>>151-152
衣服等も古墳時代の筒袖から、日本の気候風土により、袖の幅が広がった
んじゃろうが、採集植物食は縄文期以来の影響も考える必要はあるが、
獣肉を常食するんは、>>134に彜族の例もあるよう半農半牧民でも難しい。
文明のプロトタイプが緯度で判断出来るんか?華南、東南アジア、
オセアニアや琉球でも豚肉は重要なタンパク源になっとらんか。

狩猟民=武士起源論が戦後からじゃのうて、戦前、折口信夫氏も
指摘しておられること。狩猟要素は、平地民との差異、西日本、東日本の
山地文化を考察するのに必要なことじゃし、多様性を無視すると、
東南アジアの平地農耕民、山地の焼畑狩猟民等の区分せず、東南アジア文化
と一言ですませるんじゃ、文化類型や領域区分の設定も意味がのうなる。
民族学や文化人類学を否定しとる云うことか?現在に繋がる文化たあ何か?
そのような明確な断層が見えんと云う根拠は何か?最後は妙な共通性など
と、あんたは終始、抽象論を云うとるのう。
155 ◆26IT/WpOkg :2006/10/18(水) 01:24:48
また戦国板でうし妄想が始まったw
面倒になって根負け、休止してたがw…仕方ないな。

>>149usi
自分から東馬西船と言ってるようなもんだねw
何度も言うけど、中央下級武官の主力は、地方富裕層で弓馬に堪能な連中を集めたもの。
まぁ、なんとか実戦集団としてみれたのは、その初期の頃だけ。
律令制自体は唐を模倣したものだけど、日本の軍団制は地方頼みで唐とは違ってる。
頼信のような中央貴種と坂東の地方武者の関係は、いわば利用しあう間柄。
河内摂津を言うなら、百済とか安羅だな。
>>151
穢れ観念に色濃く侵食されて差別社会、殺生も特に嫌ったのが畿内など西国。
墓制なんかみても、近畿人は墓を恐れてるだろ。屋敷墓とかないし。
東北や関東は縄文的な竪穴住居だな。
>>152
違う。アンチ網野って感じに読めるけど、武士=狩猟民(支配者層の狩猟)、
これはもっと前から指摘されてること。>>154のとか。
>>153
畿内の家畜利用=生産性の高い、狭い土地。
関東の山地農民と毛皮商人。
近世後期、関東各地の諏訪社で狩猟供犠も続いてた。農耕的。
元祖の諏訪大社の狩猟儀礼も鎌倉武士あってこそだが。農耕的。
皮革の材料は地方産だな。技術力の大坂など畿内都市だろう。
>>154usi
蜂須賀とか。
156 ◆26IT/WpOkg :2006/10/18(水) 01:35:24
戦国板行ったよw

中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
157 ◆26IT/WpOkg :2006/10/19(木) 00:18:15
158白馬青牛:2006/10/24(火) 01:33:30
>>155
東馬西船は、五味氏は、そう考えてじゃろう。まあ、農耕利用として、
東馬西牛。中国の南船北馬とは違う。北馬の華北はステップの延長の
乾燥地帯で、騎馬兵の比重が強い。西方オアシスの延長でもあるんで、
馬車文化、農業も牧畜要素が強い。華南や朝鮮は、歩兵と船文化じゃろう。
東西日本も後者に属する。
蜂須賀ら尾張系たあ、三河・美濃は傀儡子の産地じゃったし、折口氏の
云われる、漂泊芸能民の要素が強い。山陰も傀儡子の産地じゃった。
鉢屋賀麻党も芸能集団でありながら、遊撃戦部隊兵でもあったしのう。
159日本@名無史さん:2006/10/24(火) 02:59:40
>>155
>関東の山地農民

おいおい。全国で一番「山地」自体が少ない関東で
「山地農民」なんてギャグにも程があるよ。
中部山岳の甲信地方には確かに山地農民がたくさんいたが、
甲信は歴史的・文化的にはずっと中部地方であって、
いわゆる関八州とはかなり文化体質が違う。
鎌倉政権がかなり中部地方的なのは確かだけどね。
東京一辺倒の現在の甲信文化の指向性は、江戸時代後期以降のもの。

なお、遺体処理に関しては、遺体は伝染病の感染源なので
社会が発展して人口密度が上がるほど
処理に関する社会習俗が煩くなる一般傾向がある。
弥生以降20世紀に至るまで、常に西日本のほうが人口密度が高かったから
(さらに西日本のほうが平均気温が高い。もちろんこれは伝染病蔓延に直結する。)
西日本のほうが遺体を穢れ扱いする思考を持つに至るのは、社会衛生的に当然の話。
このような後世的な文化要素を、各地方の古来の伝統と結びつけるのは誤り。
160 ◆26IT/WpOkg :2006/11/01(水) 00:17:18
>>158
輸送手段として東馬西船の傾向が強いし、それが将門・純友にも反映されてる。
村井康彦氏がしゅう馬の党に対比させて、しゅう船の輩と表現してる。

>>159
近世末頃に毛皮を集め回ってた商人が、特に関東の山村の百姓から毛皮を仕入れてたという話(直良信夫)。
甲信と括る表現もどうかな?甲斐は関東でもあるよ。
中部地方的というより、信濃は鎌倉武士の勢力が浸透してる。諏訪社の狩猟神事もそう。

伝染病がどうとかは明治期のことだろw
衛生を気にするなら、鴨川から大阪湾まで死体が流れるかよw
中世までの庶民の葬送は、遺棄葬が多かったんだから。
鎌倉も蒸し蒸ししてるし人口密度も高い。死体も腐りやすいよな。
庶民は由比ガ浜に遺棄葬。

平安時代の都は、子供の死体や犬がくわえてきた死体の一部が多く転がってたし、
これらが自邸に侵入するのを病的に忌んだのが、都の貴族・官人層。
平安貴族ほど極端ではなくても、そういう思想が西国の庶民に色濃く浸透していく。

後世的な文化要素を結び付けてるのはどっちかな。
161 ◆26IT/WpOkg :2006/11/01(水) 00:20:15
162白馬青牛:2006/11/02(木) 02:46:59
>>160
また、関東史観のつまらんことを云うとるのう。伝染病が明治期じゃの。
http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/hikakukoukogaku.html
弥生後期(青谷上寺地遺跡)〜古墳期に結核菌の感染があったのに、
家畜飼育等、他文化要素が流入すると疫病が流行することを否定出来る
材料もない。あんたは、自らの妄想価値観で、疫病は明治期と断定しとる。
後世的文化要素で決め付ける。馬鹿じゃ云えるんはあんたの方じゃ。
163 ◆26IT/WpOkg :2006/11/02(木) 22:15:46
>>162
疫病が無かったとは言ってない。意味を汲み取って欲しかったな。
穢れの発生を、疫病・伝染病と直結させる見方に対して否定したんだよ。

今現在で一般的な葬法の火葬で言えば、衛生上の理由を含めて広まるのは近代以降だからね。
だから、衛生面の理由をはっきりと指摘できるのは明治時代。
火葬と穢れ忌避の関係は、柳田などが指摘してる。
1925年、関東は土葬が多い。南九州も土葬が多かった。

畿内に屋敷墓が無いわけじゃないけど、関東では多い。
田舎の方とか歩いてみれば多いから理解できるし、でも寺墓地の場合もあるけど。


嘉承元年(1106)、疫病、道路や河原に骸骨を積む(中右記)
安貞元年(1227)、疫病、河原に死体が雨脚のごとし(民経記)
寛喜三年(1231)、飢饉で洛中に死骸が充満(民経記)、藤原定家邸にも死臭が漂う(明月記)

・勝田至氏の説明
穢れは垣根などで囲まれた空間で感染するもので、道路や荒野など開放空間に穢物があっても、
それで天下が穢れるということはない。
ある家に死体などの穢物があるとき、そこにいって着座すると穢れに触れるが、
立ったままなら伝染しない。(←これが滑稽だなw)

穢れは他者にも感染するので、穢れが出た家では札を立てて外出を禁じる。
五体がそろった死体の場合は30日の穢、五体不具穢(体の一部)は7日の穢。
164日本@名無史さん:2006/11/02(木) 23:48:54
>>160
>後世的な文化要素を結び付けてるのはどっちかな。

残念だがおまえさんのほうだよw
おまえさんは無意識に19世紀ドイツ起源の公衆衛生学と、
近代細菌学を当然の前提として話をしている。
そんなものはそれ以前のヤシは当然知らない。
細菌の存在も感染ルートも科学的には知らない。
都市全体をパブリックな場所とする発想法も無い。しかし、
「伝染病死した遺体と関わり合いのあったヤシもまた同じ病気にかかるらしい」
というレベルの認識は一応経験則として出来上がる。
だから、死体を屋敷構えの外に駆逐する発想法くらいは生まれるし、
死体と関わるヤシには何かヤヴァイものが付くという発想法も生まれやすい。
「病気の素」が何で防げるかの科学的知識も無いから
屋敷構えという結界の中ではおkと考えられても不思議では無い。
祇園社の粽を門に飾ればおkなどという「非科学的習慣」は後世にさえある。
これは、世界中のある程度人口が密集した前近代社会にみられるもの。
なお、付け加えれば
鎌倉は、人口密集地として、たった百年程度の歴史しか持たなかった。
鎌倉幕府と共にスタートして、室町時代には既に都市では無い。
(考古学者が首をかしげるほど不思議な都市だ)
この程度の歴史の浅さでは因習は発達しないよ。
165 ◆26IT/WpOkg :2006/11/03(金) 00:24:55
>>164
で、なにが言いたいんだ?
伝染病への恐怖から穢れ観念が生まれた…と?
勝田・水藤氏らのマニアックなこの分野の研究成果を、全否定すると理解していいのかな?
166日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:55:31
>>165
別に全否定などはしていないだろうにw
俺が否定しているのは、「穢れが西日本古来の地域的文化体質だ」という話。
穢れ思想は被差別民の歴史とも絡んで、あまりにも複雑だが、
穢れ思想の生成と発展の大半は、
畿内西日本を中心に、温暖な気候と高い人口密度を持つ
都市生活または集約農業の農村生活のもとで現れた
「人の密集による社会的緊張」に因ると考えている。
ただ、西日本と東日本を雑に分ける粗雑なお国自慢理論に反論しているだけ。
ここに嵌ると、一流の学者が誰も彼も途端にお国板厨房に転落するw
167日本@名無史さん:2006/11/03(金) 01:07:57
それに、「甲斐は関東でもある」って
そんな網野の「個人的お国自慢」を真に受けなくてもいいのにw
鎌倉政権が中部地方的なのであって、伊豆や甲斐が関東なわけではない。
というのは、平安中期の東国武士の黎明期の活躍ぶりを見ていると
関八州のなかに特に何か断絶線があるようには見えないが、
鎌倉政権期になると、ほぼ古い利根川の流路を境に
東側と西側を分ける断絶線が現れる(房総は中間的だが)。
鎌倉政権はこの「西関東」を本拠地とする政権で、
さらに西側の中部地方と深いつながりをもっている。
同じ「関東」だが、東側半分との縁はかなり薄い。
この断絶線はその後、室町時代の関東大内乱状態の間もやはり持続し、
後北条氏、さらには徳川家康江戸入府になってもまだ持続する。
今でも特に方言上の決定的な断絶線となっているからね。
どうも、この断絶線は、西側の中部地方的要素が
関東の西半分に流れ込んで生まれたものであるように見えるのだ。
168白馬青牛:2006/11/03(金) 01:34:10
>>163
穢れの要素に、病や死等の忌諱は強いよ。シャーマニズムにも関わる
問題じゃ。シャーマンが祈祷して病気治療をするように、呪術と
治療技術が分離しとらん。病者が被差別民の集団に分類されたんも、
穢れの概念じゃろう。
169 ◆26IT/WpOkg :2006/11/17(金) 21:29:54
>>166-167
近畿より温暖な九州のが穢れ観念は薄いんだがな。死体が腐るとかは核心の問題じゃないね。
縄文時代は西国が後進地域。
伊豆・甲斐と関東管領。
鎌倉武士勢力が信濃各地に侵食してるわけで、うし風に言えば奴隷民・・
関東が信濃の影響を最も受けたのは、信濃の高句麗系文化を受け入れた5世紀前後だろな。
信濃の影響が強いのはむしろ上野では。
>>168
戦国板がんがれ
170白馬青牛:2006/11/21(火) 02:22:05
>>169
久しぶりじゃ。縄文時代に先進、後進を争うてものう、縄文期の人口の
大部分が東日本じゃった云うこと。鎌倉幕府は北条の伊豆政権じゃし、
伊豆、相模の漁民系と関東内陸部の農民系と違うとは思うけどね。
信濃・甲斐・関東西部は、高句麗系、あるいは百済系の影響が強いが、
上野は、新羅系の影響が強いんじゃないか。
戦国板のエールは、ありがたい。ほうじゃ、まだ戦国板に書いとらなんだ。
171日本@名無史さん:2006/11/21(火) 03:10:50
>>169
関東管領って、関東という言葉に騙されてはいけないよ。
今の「関東地方」とはかなり違うニュアンスの場合が多々ある。
鎌倉政権は、ハッキリ言えば信州より東海の影響が強い。
つまり有名な言い方で「木曽義仲」ならぬ『伊豆頼朝w』
もっと言えば「静岡政権」なんだよ。
400年後の徳川政権と政権の地域体質は意外にもかなり近いものがある。
それに、九州も北部を中心に穢れ観念と同和問題は今に至るまで極めて深刻だ。
福岡県の同和問題の歴史を知れば、>>169のようなレスはとてもできまいw
尚、九州でも南部まで行けば随分緩和されるが、
そもそも九州南部は弥生以降ずっと人口密度が低く、
穢れ云々の問題が先鋭化する前提がない。

それから、新羅だの高句麗だの言う話を中世まで持ち込むのは
俺はすべて完全な電波だと考えているw
172日本@名無史さん:2006/11/21(火) 03:39:16
縄文人を弥生人が駆逐したんだろ?北九州から関西にかけて。
関西の被差別部落の起こりは縄文部落だと言う説があるが、
動物解体などの技術や肌の色、顔つきなどからするとアイヌに親和性があるのは確か。

また薩摩や東北などの文化に近似性があったり、非常に武断的、情緒的で
扇動能力に長けるところなどは、それぞれの地域の地方政治見てても感じる。
小泉も元薩摩だったか。
ただIQが低いといったら語弊があるが(実際全国のIQテストは西日本が高い)、
長期的で綿密に計画を立てきるとかそういう能力は低く、行き当たりばったり。
狩猟民と農耕民との違いかもしれん。
関東はちょうど現代においては日本人の中庸ってところ?
太平洋戦争は結局のところ薩摩東北が仕切ってたからダメだったと京都人が言ってるが、
個人的にこの意見は間違ってないと思う。
173 ◆26IT/WpOkg :2006/11/21(火) 07:49:46
>>171-172
伊豆甲斐含めた十カ国に陸奥出羽を含めた範囲は鎌倉公方の統治範囲。
時代を遡ったり下れば、関東の範囲なんて一定してない罠。
>>159の甲信だけ括ってることへの反論として言ってるわけだよ。
静岡政権は言い過ぎだろw駿河だもの。

それで、人口密度がどうとかは思いっきり電波だろ。>>163
自然の実りに関しては縄文以来、東日本の方が恵まれてる。縄文人は東に偏る。
後世の東国武士が狩猟で武技を磨くにも恵まれてるな。

薩摩や東北の悪口言う前に、京都人の戦能力がダメダメだしw
狡猾さなら随一。その点の頭の良さはずば抜けてるか。歴史的な蓄積もあるしね。
174日本@名無史さん:2006/11/21(火) 09:10:33
京都人の維新以後の意見はアテにならん。悔しいだけだろ。未だに天皇行幸
させるとか言ってるしw 古い歴史に敬意は表するが見苦しい。
175白馬青牛:2006/11/21(火) 23:10:45
>>172
縄文人を駆逐云うより圧迫したんは、渡来系弥生人じゃのうて、
(弥生人は在来縄文系が多い、弥生期に渡来系が多数を占めるんは、
北九州、山口、山陰の地域に過ぎん。)、渡来系古墳人じゃろう。
アイヌ人の祖の北海道縄文人は、海獣や魚貝類をタンパク源としたが、
本州縄文人はドングリ・クルミ等の植物を主なタンパク源とした。
本州縄文人でも沿岸部は動物タンパク摂取が多くなるが。
同じ縄文人でも、北海道の狩猟漁撈民と本州の採集民とは食文化が違う。
東日本が狩猟民的とは思わんよ。
相続制、社会構成からも、東日本は、長子相続で縦社会。西日本は
末子相続で横社会。アイヌ人もモンゴル人も末子相続で、狩猟・漁撈・
牧畜民に多いが、長子相続は、宗族制が発達した形態で、朝鮮半島も
長子相続。東日本は、西日本の開拓団の影響の強い農耕民じゃろう。
関東が中庸と云うんは同意じゃが、東北人にも今村均将軍のように
立派な人もおられたよ。東北の指導者の多くが現実感覚より、
空想力に優れておった面はあるんじゃけど。
176白馬青牛:2006/11/21(火) 23:24:14
>>173
本土縄文人が、狩猟民より採集民と云うたんに、まだ狩猟民にこだわる
のう。しかも、関東も縄文系より渡来系が多いんじゃに。
京都人の戦能力がダメ?戊辰戦争で丹波(京都府)山国部隊に、幕府軍は
散々やられたのに。山国狩猟系に負けた関東農耕民と云う図式か。
近代兵団でも、関東諸部隊は、健脚や戦闘能力で丹波福知山聯隊には
かなうまい。どうも関東人は京都や上方に意地を張る傾向にあるのう。
177 ◆26IT/WpOkg :2006/11/22(水) 00:22:17
>>170usi
上野ー東山道ー信濃。
高句麗文化は信濃が断トツ、それで甲斐、そのあと坂東。
吉井連とかな。新羅人のメッカは京都だが。
>>175usi
またそれかw
>>176usi
東国の縄文文化も後期には衰退してくるけど、縄文中〜晩期の石器で見ると
関東中部は狩りの要素が強い石ぞく、畿内以西では石皿など植物採集への高さが読み取れるそうだ。

東国縄文人の食料の主体も植物採集だが、狩猟への関わりは三万年前から
北・東日本>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>畿内以西 
・・・だよ。

近代はここ
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐
178日本@名無史さん:2006/11/22(水) 01:10:20
>>173>>177
おやおや、ひどい電波だ。なんだ、格好つけて新説を挙げているように見えて
只の思い込み優先史観論者か。それこそ韓国国定教科書と変わらんよ。
縄文とて全く以って単純では無い。何しろ1万年近くある。社会が一定のはずが無い。
中央高地と関東平野の東日本縄文人が大繁栄したのは縄文中期。
縄文後期になると、おそらく寒冷化のためと言われているが、
関東と信州の縄文文化は壊滅的打撃を受け、縄文人は激減したことが遺跡から伺える。
土器の系譜から見て、彼らの生き残りのかなりの部分は、温暖な気候を求めて
本州南岸を西に進み、九州熊本あたりを中心に後期縄文文化を築く。
残りはなぜか北上したように見え、青森の亀ヶ岡文化の担い手になったらしい。
縄文後期と言うのは、「日本列島の中央部軒並みがら空き」となった状況であって
ここに九州北部で確立した弥生式農耕文化が一気に流れ込んで生産性を逆転させる。
弥生文化の担い手の人種構成というのは、これまた複雑なのだが、
真の第一波は板付に代表される土着縄文的人種、
第二波が遠賀川・土井が浜的北アジア的人種(いわゆる出雲系か?)
第三波が九州に比較的長くいて混交しエスニシティーを固めた弥生人で、
おそらく天孫族(つまり皇室)はここに属すると思われる。
記紀神話などは、先に先発の弥生人、それも渡来系人種の弥生系が存在しないと
説明できない記述が多すぎる。
179日本@名無史さん:2006/11/22(水) 01:21:29
まあ、古代史は誰が書いても多かれ少なかれ電波になるので
中世の話に戻すわけだが、
>>173であっさり奥州をひっくるめているが、
関東とりわけ西関東勢力と東北はかなり異質な地域なんだけどね。
これは、東京や神奈川などに残る大小の史蹟を見れば一目瞭然なのだが
関東から北上して「東北を征伐した」ことに関する史蹟で溢れている。
ヤマトタケル−源義家−源頼朝−徳川家康−明治官軍という2000年に渡る
「北上征伐」という「一貫した地域の記憶の連関」がある。
鎌倉にとっては、奥羽も畿内西国も等しく「征伐の対象」だった。
ただ平泉が早い時期に根こそぎアボンされたので、
初期の鎌倉政権にとっては、直轄感覚でもいいということになり
畿内西国への対策が際立って見える。
そりゃ平泉と京都ではいくらなんでも力の差がありすぎるからね。
180白馬青牛:2006/11/23(木) 00:47:18
>>177
甲斐は、百済人が多かったろう。京都は秦氏を新羅系に含んでの
解釈か?狩りの要素が強い石そくとは何か?縄文期から細石刃核も
東西で違うたようじゃが、関東は西日本型に属するんか、東北型に
属するんか明確でない。本土縄文人の植物採集は内陸民の特徴であり、
沿岸部の関東貝塚民は、動物、魚介類等の動物性タンパク摂取も
多かったんじゃが。
>>178
渡来系弥生人は少数で、渡来系は古墳時代以降に大量移住があったと
考える方が自然じゃ。土井ヶ浜や北九州は、北アジアと云うより、
華北人型じゃろう。鳥取の青谷遺跡の人骨は違うタイプじゃ。
181日本@名無史さん:2006/11/23(木) 01:11:13
みんなが縄文の末裔でありたいって思ってるのは理解した。
182白馬青牛:2006/11/23(木) 02:02:44
>>181
縄文の末裔でありたいのは、関東や東北の人達じゃないんか?
縄文人も篠田謙一氏によると、ブリヤートや雲南の遠い地域の遺伝子を
含むものの、朝鮮・遼寧・山東の近隣地帯に近いそうな。
縄文系でも、琉球人は北方系であるが、アイヌ人は確定してない。
北に住んでおったグループの方が南方系が残存しとったかも知れんね。
183 ◆26IT/WpOkg :2006/11/24(金) 01:13:45
>>178
関東中部の縄文晩期は人口が激減した状況だが、それでも近畿より密度は高いぞ。
九州よりも(目糞鼻糞レベルだがw

>>180usi
『ぞく』
戦国板でまた西行に坂上とは、黙っちゃいられないよw
184(=゚ω゚)じゃないど ◆26IT/WpOkg :2007/01/07(日) 00:49:04
坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
(『田植草紙』晩歌一番)

重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
(『田植草紙』晩歌三番)

田植草紙・・・鎌倉〜室町期の中国地方の小歌、広島県山県郡。
185日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:29:55
Y   Y
(・∀・) <hoshu
186日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:54:21
敵のことを必要以上に強い存在と
もちあげる(?)のは
古代大和王権の性癖ですよ。
187日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:21:40
そして講和の酒宴の席で攻撃するとか
武装解除のふりをして予備の弦で弓を張り直して攻撃とか
女装して敵頭領を暗殺とか
いかに自分達がヘタレで卑怯な勝ち方をしたかを
記録するあたりも大和朝廷の伝統だよね。
188日本@名無史さん:2007/02/27(火) 22:03:00
>>186
実際に存在しなかった戦歴を、さもあったかのように記録したのは
古代大和王権の性癖ですな。
189白馬青牛:2007/03/04(日) 00:49:52
>>184
中国地方兵を含む播磨悪党軍に手も足も出ん関東弱兵をあちこちで
宣伝しよるのう。
>>187
「前九年の役」のおり安倍貞任は、九月九日重陽の節句の酒を進上すると
源義家の陣にやって来て、油断したに違いないと喜んで、鼓を打ちながら
攻め寄せ、それに気ずいた義家方も応戦したんじゃが、騙まし討ちを
仕掛けた蝦夷に大和朝廷を批判する資格があるんかいのう。
それとも蝦夷もヘタレかいのう。征服された被害者意識丸出しじゃないか。
190日本@名無史さん:2007/03/04(日) 00:52:33
警官の肉を食べたとか、皮を剥いだとか・・・
191日本@名無史さん:2007/03/04(日) 00:59:53
>>189
引篭もってこそ赤松
正面からじゃ、かなわないからね。
>>190
それ、秩父事件か?w
192日本@名無史さん:2007/03/04(日) 01:13:25
鎌倉時代の新田氏がよく僧籍を斬ったり、虐殺したのがそういわれているのでは?
193白馬青牛:2007/03/06(火) 01:14:24
>>191
攻城戦も出来ん関東武士じゃけんのう。弱兵近代関東兵団は正面激突も
強かった訳でもないし。
>>192
「僧尼ヲ殺ス事数ヲ知ズ。僧尼男女ヲ云ズ、日毎ニ、二三人ガ首ヲ切テ、
態目ノ前ニ懸サセナリ」と『太平記』に見える関東首狩族、結城宗広の
残酷さは凄まじい。まあ、「武士道」を知らん坂東首狩族じゃけえ、
捕虜も僧尼も関係のう殺す。

「つはもの(武人)の道、降人(捕虜)をなだむるは古今の例なり」

坂東者に武士道(つはものの道)は無く、有るんは残酷さじゃろう。
関東は武人の地じゃのうて、降人女子供にも手をかける等、敵対者に
手段を選ばん、義理や温情も乏しい連中で道に外れとった(外道)ねえ。
194日本@名無史さん:2007/03/06(火) 21:37:16
>>192 里見氏も残酷物語だったようでつ・・・


http://furusato.awa.jp/modules/dbx/?op=story&storyid=846
195日本@名無史さん:2007/03/07(水) 01:25:57
>>193
またいつもの近代兵団か・・・参考にもならないだろ。
結城宗広の爺さんは陸奥。

まっ、王朝貴族も下劣な残酷性を見せてるし、
これはインテリヤクザだなw
196日本@名無史さん:2007/03/07(水) 22:01:34
義経記でも読むと、鎌倉に囚われた静御前の処遇について「敵将の子を
身ごもった女は、生きながら脳髄を抜き取る刑罰が坂東の習い」とかで
てくる。とてもそのまま映像にできません。
197日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:33:42
義経記 梶原景時
「異朝を訪らひ候にも、敵の子を妊じて候女をば頭を砕き、骨をひしぎ、
髄を抜かるるほどの罪科にて候なれば、若し若君にて・・・・・」

>usi
中国地方なめんなっ!!!
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173272175/

だとさ。
198白馬青牛:2007/03/08(木) 00:32:51
>>195-197
王朝貴族が清廉な訳ないが、坂東の残酷さは地域習俗じゃろう。
ヤクザ全体を残酷と決め付けちゃあいけんよ。任侠道があるんじゃし。
ヤクザは、貧乏、裕福、あらゆる階層出身者の集団じゃ。
江戸期の関東上州ヤクザの大前田英五郎、国定忠治、島村伊三郎らは、
名主の裕福な階層出身じゃったのう。
ほう、中国地方なめんな!か。じゃが題名がのう。
「義理・温情。先進地域、中国者の律儀を語ろう。」の方がええ。
199日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:49:22
その話題は(=゚ω゚)が詳しいだろう。
安芸は先進地域か?律儀?
200200記念 ◆26IT/WpOkg :2007/03/08(木) 01:05:36
>usi
それと例の田植歌、あれも広島のな。

(=゚ω゚)元気かな
あいぬ君元気かな
201日本@名無史さん:2007/03/08(木) 07:26:49
おっかないね
202日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:43:35
坂東武士道は卑怯討ちだろ。吊り天井でないと勝てないらしい。
203日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:46:39
吊り天井は三河武士なんだが
204白馬青牛:2007/03/08(木) 23:56:17
>>199-200
後進地帯の関東と一緒にされてものう。中国地方は、関東ほど仁義に
欠けとらんよ。あんたが引用する近藤好和氏は、坂東武士が遠矢が苦手で
東国なら甲斐の方が西国武士に対抗出来るとされとるけど。
近畿の奈良県の吉野・十津河の兵も遠矢名手じゃった。
関東の葦の多い風土じゃあ、空を向いて射るしかない云うことか。
関東は鎌倉〜室町期も弓に執着が強いのう。悪党の飛礫、印地打ち、
つまり(投石紐に石を包む場合もある)石投げの方が上じゃのう。
網野善彦氏は、『吾妻鏡』の「関東未だこの事あらず」から「サイ棒」と
共に西国的な兵法とされる。
投石紐はチベット牧畜民もヤクを追う時に使うておるが、モンゴルじゃあ
知られとらん。まあ、平原ステップ地帯じゃ家畜を馬で管理するし、
駱駝や馬に石を投げても逃げるだけじゃ。チベットの様に山岳地の放牧や
牛の仲間であるヤクを徒歩で追う場合投石は有効であった云うことか。
私見であるが、西日本の牛飼育文化から、飛礫、印字打ちを考察すると
面白いと思う。
205日本@名無史さん:2007/03/09(金) 00:34:55
近藤氏のどの部分よ。要は浅利の話だろ。
平家→遠矢でも騎射の三浦党和田義盛。
騎馬=甲斐・信濃の風評は、小笠原流が広めた電波だからなぁ。
武田・北条の軍役における騎兵の比較しようか?
武田家最高の騎兵は上州武者だし。
葦云々はまた浅草周辺の話を蒸し返すのかw
206日本@名無史さん:2007/03/09(金) 01:05:28
大陸と結び付けるにも、根拠が何もないからな。
石合戦は平安期以降の下人が盛んに行ったもので、
魔除けの意味があるそうだが、理由としていかにも畿内的ではあるな。
それから遠矢=歩射だけど、得意としたのは西国でも瀬戸内や九州武士なのは前も言ったが。

中国地方なめんなっ!!!
・・・早速、岡山批判か。
207白馬青牛:2007/03/09(金) 01:53:53
>>205
ほうよ、浅利と四国の新居の話で和田義盛が狂言回しの役割。
まあ、近藤氏の引用も『平家物語』後世の資料じゃけんのう。
つまり、関東武士勇猛物語も電波になる訳じゃ。
戦国期の軍役の比較より、内容じゃろう。比較対称も中央アジアの
ウズベク汗国の騎兵やオイラート・タタルの騎兵と比較して貰いたい
もんじゃ。湿潤地帯の日本に騎馬を運用できる能力がある云いたいんなら。
関東湿原地帯が葦で覆われてなかった根拠は何か?
印字打ちを列島国内で成立した習俗と云える根拠もない。
現在でも行われとる地域も考察する必要もあろう。云う仮説をゆうたん
じゃが。飛礫を網野氏は西日本と朝鮮の習俗とされとる。
東日本は犂文化に乏しい故、大陸文化より現地奴隷民の習俗を取り入れたん
じゃないか。坂東武士の騎射も「京畿に馴れたる輩」に学んだもんじゃし。
岡山批判じゃないど。中国地方内でもそれぞれ文化や習俗があり、
安芸門徒に備前法華云うよう宗教観も違う。関東でも漁民系の相模、上総等
と内陸系の上州、下野は同一視出来まい。
208日本@名無史さん:2007/03/10(土) 10:29:28
京都の騎射が牧を通じて関係の深かった信濃武士に習ったものだろうし。
京畿に馴れたる輩⇒文武で言えば文の方、吉見次郎。
三浦の漁業でも発展したのは江戸時代以降だぞ。これこそ畿内人が関与してるが。
相模の精強相模武者、上総・下総の馬。
209日本@名無史さん:2007/03/10(土) 18:18:43
>usi
▽北条家臣・上野国後閑刑部、後閑宮内の軍役、天正11(1583)年
計100人(馬上20、鑓40、弓10、鉄砲10、小旗持10、自身の指物持2、手明・馬添8)

▽上杉景勝(御城中様)の軍役、天正3年(1575)
馬上40、鑓250、鉄砲20、大小旗25、手明40=計375
▽村上国清(山浦殿)の軍役、天正3年(1575)
馬上20、鑓170、鉄砲20、弓5、大小旗15、手明20=計250

▽北条家臣、相模国中郡池田孫左衛門の着到(軍役)、天正9(1581)年
馬上20、歩鉄砲3、歩弓5、長柄鑓(2間半)22、大小旗持2、指物持1、歩者3
=計56人

▽武田家臣、小田切民部の軍役定、天正4(1576)年
馬上6、歩鉄砲6、歩弓6、長柄鑓(3間)19、持鑓(2間半)6、持小旗3
=計46人

▽北条家臣・武蔵国岩付衆太田(北条)氏房への着到、天正5(1577)年
馬上500
鉄砲50
弓40(馬上に候共、射手衆をば一所に集押べく候)
鑓600
小旗120
徒歩者250
徒歩走20
=約1600人(他に陣庭、篝、小荷駄)
210白馬青牛:2007/03/11(日) 01:07:03
>>208-209
京都に近い河内は、我が国で最も早く騎馬文化があった処じゃ。
しかも河内の川原の鮮卑的(新沢千塚古墳から河内史氏と同族の
東漢氏の鮮卑的要素から、東部蒙古地区との関連は深い)、
百済的馬飼育と信濃、関東山麓の高句麗的馬飼育(南満洲、北朝鮮的)と
違う。
「京畿に馴れたる輩」が文の方という、具体的根拠は何か?
網野善彦氏が指摘されたよう、霞ヶ浦の海夫や北条氏や千葉氏の
海民要素は如何に?
関与云うか移住したんは、紀州、泉州の漁民じゃろう。
後北条氏の紀州乱波のような遊撃戦傭兵もおったのう。
まあ、関東人は鎌倉以降しか伝統がないのに騎馬と弓に拘るわい。
相模や上総(人国記じゃあ関東最強なんじゃろう。千葉の佐倉聯隊の壮丁
は東京師団の中では最も優秀と今村均大将も云われたが。)は、漁民系で
進取の気質もあったろう。
歩兵の速度に合せた鈍足自慢か?騎馬戦の時代じゃないのに。
211日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:16:54
>>210
だーかーら〜
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束

馬具から見ても、実用性より見た目を重視したのが京都だからな。
京都の水干鞍。
対して、戦国時代でも馬甲を付けた実用的でごつい軍陣鞍を使用したのが北条家中の武士。
212日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:19:38
こぴしといた
出身国別 最強兵卒はドコだ?? パートA
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168497193/
213日本@名無史さん:2007/03/12(月) 00:45:00
里見・葛西も酷いんだね。
214白馬青牛:2007/03/12(月) 01:29:25
>>211
騎乗用どの馬具の形態から実用・非実用と判断したんか?
アジア諸国でも機動性の乏しい馬甲が廃れた時代に、古代風の重装騎兵を
するんは時代錯誤も甚だしいよ、関東は。
215日本@名無史さん:2007/03/13(火) 01:21:26
スニーカーで山に登るようなもんだろうか。
すっかり過疎ってるが、戦国板のがいいだろう。
216日本@名無史さん:2007/03/14(水) 22:51:00
東海や近畿と違って近代まで泥田だった関東はどうせ泥試合なので、行き返りの
格好を整える為の飾りだよ、飾り。

千早赤坂で楠勢を包囲した坂東武者も格好だけで、中身が伴っていなかったと史
書にある。
217日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:19:47
>>216
史書って太平記だろw
218日本@名無史さん:2007/03/15(木) 00:09:58
魏志倭人伝だったらワロス。
219日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:28:23
>>216
鈴木信者さんよ、他にも何かネタ見つかったかい。
泥田って、地味が悪く水田率の低い関東への褒め言葉かなw
>usi
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.9【波夫】
プロ・セミプロって高橋氏の言葉遊びは、ご本人苦し紛れの釈明で解決したはずw
220日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:26:04
渡来人だから仕方ないさ
221日本@名無史さん :2007/04/03(火) 17:00:44
>>1
単純に「覚悟」の差じゃないの
222日本@名無史さん:2007/04/03(火) 21:52:32
一族の結束が強かった平家と違って、坂東者の源氏は同族殺しが日常茶飯
だった。将軍の地位を得た頼朝でさえ、暗殺としか考えられない死に方を
しているし、すぐに源氏の血は絶えてしまう。

関東から向こうの人はそもそも野蛮なんだよな。
223日本@名無史さん:2007/04/04(水) 03:17:51
個人の強さと集団である軍の強さとは違うと思うんだが。
俺がいた岡山は文弱の地といわれて旧軍でも大阪に勝るとも劣らないぐらい弱かったらしいが、
剣道とか柔道とか、昔は全国でもかなりの上位県だったよ。
224日本@名無史さん:2007/04/04(水) 12:08:47
>223
持ってる兵器によっても違うじゃないの。
銃砲主体の戦闘なら集団の練度とかのほうがものをいいそうだし。

以前に軍人が書いた本の中で、源平の頃は騎上戦が主体なので
良い馬(戦場でびいびらないような気性の荒い馬を調教した馬)を
多数揃えていて、それらを巧みに乗りこなすほうが強いといってたな。
坂東に赴任した公家の日記でも、坂東では娘でも馬に乗っていると
驚いていた(まあ、田舎者をばかにしたようなかんじだけど)。

馬の産地で、馬に乗る機会が多くて、当時の坂東は無法地帯みたいなところが
あるから、戦い慣れもしていたというところが、強いと言われた原因じゃ
なかろうか。

ちなみにその後水路が整備されて耕地が増えて牧場がへってくるにしたがって
関東武士が強いとか言われなくなっている。

でも、江戸時代になって関東は天領も多く物騒だったので、百姓のための
剣術道場も繁盛していたんで、その中から新撰組のような奴等がでてくる。
225日本@名無史さん:2007/04/04(水) 14:16:19
貧しいとこの兵はそれなりの指揮官が率いれば強い。
東北も貧しい。
九州も貧しい。
広島も貧しい。
広島と聞いて奇異に思うかもしれないが、海外移民の多さを見れば納得。
226日本@名無史さん:2007/04/04(水) 17:48:22
強い弱いではない。スレタイは残忍か否かだよ。
どんなに弱くても、勝馬にのったとたんに
手の着けられないぐらい残忍になる兵もいる。
227白馬青牛:2007/04/04(水) 22:19:48
>>219
高橋昌明氏セミ・プロに苦し紛れの反論をしたんは下向井氏や元木氏ら
で、職能人論に立つ武士論は、通説破壊で歴史修正主義で社会的責任じゃ
云われる。武士論と関係ないことじゃに。ネオナチや「つくる会」の
連中と同一視されたんじゃあ高橋氏もやれんようのう。
マルクス共産主義の関東史観者にゃあ楽しいかも知れんが。
>>222
同族縦社会の東国の方が、共喰いが好きじゃのうと思う。
鎌倉時代の関東武士同士の粛清、幕末の新撰組も左翼の内ゲバと同様じゃ
わい。関東から向こうの人達は、残酷じゃったけど、野蛮とか文明的云う
ことじゃのうて西国と民族・文化が違う人達じゃった。
>>223
軍隊においても、一人の勇者がおれば他者は後に従がう攻撃戦と
各個人の戦闘力が勝敗を左右する防御戦たァ違うけどね。
岡山聯隊は弱くはないね。松江聯隊と共に台児荘への突進部隊じゃった。
文弱の地じゃないよ。岡山も戦前から全国屈指の武闘派DQNの産地
じゃろうに。「けんかえれじい」も戦前の岡山が舞台じゃ。
宇品港を出航する全国の兵士と喧嘩した広島が、DQNについて岡山の
ことを云える立場にないのう。剣道や柔道の成績と戦闘の実力は
あんまし関係ないよ。
228白馬青牛:2007/04/04(水) 23:06:59
>>224
軍人の書いた本云うて誰が書いたんの。気性の荒い馬を利用する事態、
戦闘の阻害要因になろうに。関東の土地争いの私闘が戦闘馴れに結び
つかんよ。関東は徴発された防人の忠誠心が買われただけじゃろう。
>>225
指揮官が、戦闘経験の薄い上級指揮官?あるいは前線下級指揮官のことか?
何れにしても、分隊行動するゆえ下士官や古参兵の歴戦勇士の判断も
無視出来ん。広島も貧しい云うても、岡山県の津山のように、嬰児殺し、
つまり間引きをせんかったけんのう。岡山でも沿岸部は少なかったん
じゃろうが、広島安芸地方は浄土真宗の影響もあり人口制限が出来ん
かったけえ、移民も多かったよ。贅沢は兵を弱体化するが、貧者が
必ずしも強いとも云えん。
229日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:28:14
>>223
治承寿永期の岡山武士は中国地方最強でしょ。
>>224
戦国時代も評価されてるよ。
>>227usi
下向井氏や元木氏は関係ない。
高橋氏自身が意味不明な言い訳で自爆しただけのこと。
230日本@名無史さん:2007/04/05(木) 00:25:36
横山党の傍若無人ぶりときたら
まさに悪党
231白馬青牛:2007/04/05(木) 00:53:53
>>229
また関東蛙君の妄想か。治承云々は後世の鎌倉期の資料じゃが、
東国人の書、『人国記』じゃ備中を「百姓男女までも勇気あり」と
高評価じゃのう。肥前を持ち上げ肥後を貶す等ええ加減な偏見も多い書
じゃが、関東で一番強いんは『人国記』にあるよう漁民系の
上総か安房か?
戦国時代の関東は上杉・武田の奴隷民。北条は西国の流れ者で、
遊撃戦も紀州乱波の戦闘技術じゃ。
中世が鎌倉時代から始まる云う石母田マルクス左翼史観の通説に
異を唱える学者にゃあ、関東人は、感情的反撥で意味不明じゃあ自爆じゃあ
意味のないカバチ垂れるのう。戦国時代じゃあ反鈴木説が関東流か。
播磨悪党軍に負けた関東勢の弱さも近代関東兵団に受け継がれたんじゃ
ろうのう。
232日本@名無史さん:2007/04/05(木) 02:32:53
>>228
> 岡山県の津山のように、嬰児殺し、つまり間引きを
お前はあほか?
美作を今の経済感覚で語ってんじゃねーよ。
岩下志摩子の妄想小説あたりから連想してんのか?
こいつの出である山がちのの備前地方(岡山市外を除く)よりはかなり豊かだったわ。
それに林業を何だと思ってんだよ、馬鹿。
俺のばばあはこいつと同郷だから、昔の明治後半から昭和にかけてのこの辺りのことをよく聞かされわ。
233日本@名無史さん:2007/04/05(木) 03:03:24
>>224
なんだか理由付けが微妙に違う気がする。
確かに、豊かだとどうしても文弱奢侈に流れるが、
生産力が低くて貧しすぎても、戦う余力すら無くなって弱体化する。
ある程度の生産力は、強い軍団を生み出すために必要。
源平時代から南北朝まで武威を轟かせた関東武士は、
戦国末にはあっさり豊臣軍に跪くことになる。
その後北条も、純然たる関東勢力ではない。
この間に何が起きたのか?
それは、西日本における生産性の劇的な向上と惣村の発達だ。
もちろんそれ以前からの海民的要素もあるが、
「西日本のヨコ社会構造」の大半はこの時期が起源といっていい。
関東は二百年も内輪で内乱をやっているうちに取り残されてしまった。
常陸も武蔵も古代には大国で知られたところだったのに、
戦国末には、佐竹領<<<後北条領<<<今川領<<<織田領
という露骨な生産性の地域間格差が出来てしまった。
関東武士が弱くなったのは、関東の開発が進んだからではなく遅れたから。
234232:2007/04/05(木) 03:47:23
間違った。
岡山市外でなく、岡山市内だった。

干拓がなされ、今ほど平野が広がったのは近年で、その多くは明治以降。
遡っても戦国末期から江戸初期。
あと、備前は法華が盛んだったとしても、それ以外は中世に寺社領が多かったこともあり、基本的には密教が盛んだったとされている。
235日本@名無史さん:2007/04/05(木) 22:12:14
>>230
赤駒を 山野にはがし 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ
>>231
あぁ・・・信濃は甲斐の奴隷民だな。九州各国は薩摩の奴隷民だな。
ととり島根は広島の奴隷民だな。

>>233
っていうか、理由付けが違うのはおまいさんじゃ・・・

豊臣にやられのは島津も長曽我部もそうだし、毛利は信長公アボーンでラッキーちゃん。
生産性云々を言うならば、先進地と後進地における地侍層の違いがある。
加地子や作徳を集積する畿内や尾張の土豪層(寄生地主)
個々においての尾張兵が強かったとも思えないが、畿内を圧迫で尾張>畿内の図式。
それに経済的な要素も大きいが、何と言っても地理的に鉄砲戦術を活かす有利さがあったな。
関東武士が弱くなったんじゃなくて、集団歩兵戦全盛の時代の流れに遅れたってとこだろ。
その元祖は、一騎打ちだと滅法強い新田義貞に求められるが。

東国でも甲斐武田の歩兵は精兵主義で、これはかなりの強さを持っていたんだろうと思う。
騎兵は関東>甲斐だけどね。
まっ、コーエーげーの世界ではともかくw
236白馬青牛:2007/04/05(木) 23:17:27
>>232
馬鹿たれじゃのう。天保の飢饉のおり林業を産業としとった広島県の
佐伯郡吉和村じゃあ天保八年657人の死者を出しとるんど。
http://free.jinbunshakai.net/shimazono/index.php?itemid=29&catid=2
下の方に、出稼ぎの安芸者(あきもん)とよばれた職人や行商人のことが
出とるが、岡山県加茂町小森に稼ぎに来た安芸者の木挽は、
小森付近の四集落に安芸人の養子十五人等安芸人を種馬にしたんも
多かったんじゃないんのう。
北関東と北陸諸国、美作と安芸山間部の間に生活状況において決定的差異は
あるまい。北関東や岡山北部のように間引きするか、北陸や安芸の
真宗地帯のように、間引きを忌諱するかの差異もあろうが、
対談で、宮本常一氏「東日本だと間引くというか、産児制限がうんと
多いけれど西日本は比較的少なくて、しかも海岸部では生まれた子どもを
ほとんど育てた。もっとも西日本でも、津山のあたりではずいぶん間引いた
とか、いろいろありますが。」
河野通博氏「瀬戸内海ではあまり聞いたことがないですね。」
と、沿岸部の先進性も考慮すべきであろう。飢饉にさらされたら村が
崩壊する可能性も強い内陸部の人達が沿岸部に行ったら食えると云う
認識はあったろう。まあ、瀬戸内での常食は魚や芋と麦で、
米が食えるんは正月三日間等特別な日じゃったけえ、贅沢は出来んが、
飢饉にも芋や魚で対応出来る。魚と芋の常食はオセアニア・
ポリネシア系の人達とほとんど変わらんよ。ポリネシアンは白人や黒人と
較べても体格ががっちりして格闘家向きじゃが、よう魚と芋の常食で
大きゅうなるのう。他のオセアニアのメラネシアや沿岸東南アジア人、
海人日本人なんか、芋と魚で大きゅうならんよ。
237日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:32:43
▽源為義(保元物語)
朝家の御守にて候へば、君の心憎い思い召さるるは理にて侍れども、
我と手を下したる合戦いまだ仕らず(笑)
合戦の道無調練なる上、齢七旬に及び候間、物の用にも立ち難く候(笑)

合戦が苦手な源氏の棟梁、都の武者(笑)
その為義に敗れた義綱はもちろんだが、
都で英雄視された源頼光の能力も、たかが知れてるだろうな。
▽源頼光(今昔物語)
若ク候ヒシ時、自然ヲ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

むしろ戦下手と評価される源頼義の方が、実戦馴れしてるだけマシだろう。
238日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:41:36
我ら関東の住人、源家に臣下の礼をとるのは頼義、義家公以来のしきたりでござる。
239白馬青牛:2007/04/06(金) 00:10:27
>>233
源平時代から南北朝云うても、源平時代の史書は鎌倉政権の後世の
解釈じゃし、南北朝期は関東新田勢らは播磨悪党軍に手も足も出ん
状態じゃった。生産性以前にも列島東西は違うよ。西日本のヨコ合議制が
松浦党に見られ、古代も西国の国造は君姓が多く独立的な
意識を持っておったが、東国は直姓が多く畿内王権の権威を借り、
中世でも、分家、名子、下人とタテの組織が続いとったんじゃないんか。
九世紀以降東国の豊かな生産力が西国の飢饉が頻発する地帯の支配下を
脱し、鎌倉政権が出来て、江戸末期幕末にゃあ逆じゃったんは同意するよ。
関東武士など平安期から武人の供給地河内の隷属民じゃったよ。
>>231
広島は島根や鳥取を奴隷化しとらんよ。仲間に入れただけじゃ。
島津や長宗我部が、豊臣にやられた云うても前線は毛利や黒田勢
じゃろうに。まあ途中各地の村落単位で移動する正式な戦闘員じゃない
悪党集団を加えとるじゃろう。尾張兵だけで全国に動員出来る訳もない。
騎兵が関東>武田と云う理由も解らんが、日本の風土で騎馬の比重は
低いのに、まだ騎馬にこだわりよる。関東の騎馬は畿内の劣化コピー。
240日本@名無史さん:2007/04/06(金) 00:23:47
>>239
室町時代の資料で高望王を語る川合康(笑)
元木氏もだけど(w
だ〜か〜ら
河内は為義までだし、先祖の頼義は東国とも密接だし、義家公は坂東武者の棟梁邪険能。
豊臣は物量作戦。まぁ、はなっから敵う訳もない。

・骨細で華奢で軍用に向かない畿内馬
・軍陣に適さない水干鞍を好んだ室町期の京都人
何も学べんw
241白馬青牛:2007/04/08(日) 01:23:52
>>240
じゃけえ、畿内馬が骨細で華奢じゃった云う出土骨の報告書でも
あったんか?
関東人は河内の隷属民じゃが、関東にずっとおった義家公は関東人化
したんじゃろう。東北で降人、婦女子の殺害命令を出すぐらいじゃ。
弟の都育ちの義光公の方が兵の道(武士道)を知っとる。
242日本@名無史さん:2007/04/08(日) 01:29:14
>>241
西国のばくろう馬。
下級官人が乗ってたような痩せ馬。
ホモの道なら京武者だがw
243日本@名無史さん:2007/04/08(日) 13:31:27
>>241
畿内はもとから都、
関東は2回(頼朝・尊氏)それに家康、
九州は1回(薩摩)と、それぞれ天下を制したことがある。
広島は、ただの一度もないだろうから、やっかむのは仕方ないか。
明治以後だって、一度だった総理大臣が出たことあるのかな?
いかれているのは原爆の威力のせいかもしれんがのぉ
244日本@名無史さん:2007/04/09(月) 01:30:07
ヘルプデスクやってる友達が広島の人間が一番クレームが醜いって言ってたよ
245日本@名無史さん:2007/04/09(月) 20:15:47
藤氏や平家を含めれば関東は4回だな。
246日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:30:07
>>235
亀ですまんね。
スレタイと外れるので書かなかったが、畿内との比較になると話が違うんだよ。
畿内のように先進的過ぎる地域では、
経済力を持った沢山の様々な下級階層集団の力が強まって、抵抗するため
広域を統合する強力な軍事的権力が、逆に作られにくくなる。
後進的地域では、そのような権力を支える生産力が全然足りない。
だから、後進地域と先進地域の中間地帯で、
広い領域を強力に治める強い戦国大名が生まれることになる。
これは、戦国時代の日本に限る話ではなく、
中世末の西ヨーロッパでも同じ事だった。
最先進地の北イタリアでは、都市やら諸団体が強くて強力な絶対王政は生まれず、
後進地のドイツでも、同じように分裂状態だったが、
中間地帯のフランスやイベリア半島等では、いち早く強力な絶対王政国家が成立した。
ということで、
強力な戦国武将は、中間地帯の中部地方と中国地方に生まれることになる。
ここで、中国勢が東海勢に結局負けたのは、
中国地方がより畿内に近く、経済的にも十分に発展していて
東海地方ほど「遅れていなかったから」と言える。
247白馬青牛:2007/04/09(月) 23:18:17
>>243
天下じゃあ出世じゃあ権力欲の俗物を輩出しただけのことじゃないか。
あんたが権力に弱い云うことかいのう。
北条は伊豆で関東とも云い難いし、足利尊氏の生まれは丹波の綾部、
上杉荘説もあり、篠村八幡での挙兵から丹波説も無視出来ん。
ほいで、家康は三河人じゃないか。
広島県の総理は加藤友三郎氏、池田勇人氏、宮澤喜一氏と3名じゃが、
宮澤喜一氏は東京育ちで広島県人の範疇に入らんじゃろう。
じゃけえ、2名じゃのう。現総理の安倍氏も山口県云うより東京育ちの
関東人じゃ。
いかれているのは原爆の威力のせいじゃ?関東人は現在でも後遺症に
苦しんでおられる方に対する無神経な発言がよう云えるのう。
関東人の残虐外道弱兵で、権力欲の強い奴隷根性は現代に至れりか。
ほんま関東人は人格が壊れとるわい。
248日本@名無史さん:2007/04/24(火) 02:35:04
関東人ってくくりでは北関東がかわいそうですよ。
東京人に訂正なさいな。
249日本@名無史さん:2007/04/24(火) 06:32:44
レスが付いてるついでにレス返し
>>246
中央を制した織田と、地方の毛利が比較対象になりえるのか?甚だ疑問。
武装面も考えれば、毛利より九州大名の方が強いと思うんだが。
>>247
何で北条を裏切った時、単に通り道だっただった場所・丹波が出生地になるんだよw
それじゃ地方の田舎武士と同じじゃん。
足利氏は一流の御家人だから鎌倉だろ。血筋は良くても不遇な田舎武士だった、同族の上野新田氏とは違う。
250白馬青牛:2007/06/08(金) 02:20:17
>>249
武装面云うても闘うんは人間じゃ。足利尊氏は、下野で生まれ育ったんか
丹波か解るわけないが、丹波説も完全否定出来る根拠もあるまい。
足利も新田も大した違いもない。
251日本@名無史さん:2007/06/09(土) 01:18:21
>>250
そこで丹波が出て来る理由がわかんねえよw


・今昔物語集

「平ノ貞通、平ノ季武、(坂田か)公時」という摂津守(源頼光)に仕える三人の兵は、
「皆、見目キラキラシク、手聞キ、魂太ク、思慮有テ、オロカナル事無カリケリ」といった非常に優れた兵。

賀茂社の祭礼に、牛車を女房車に仕立て行く事にした。
だが、三人とも初めて乗る牛車の中で、死ぬほどに酔ってしまう。
(牛車の外から見ると)「東鴈ノ鳴合タル様」な声が聞こえてくる。「東人ノ娘共ノ物見」なのだろうか?
貧相で貧乏臭い牛飼童に身を任せ、大恥をかいて無意味な事だ。
この車で引き返したら俺達の命は無いな。人が居なくなるのを待って歩いて帰ろう。

平季武は後日、
「千人ノ軍ノ中ニ馬ヲ走ラセテ入ラム事ハ、常ニ習タル事ナレバ不怖ズ」
「猛キ兵ト申セドモ 車ノ戦ハ不用ニ候ナリ」もう懲り懲り、車の側には近寄らない。

出身国別 最強兵卒はドコだ?? パートA
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168497193/
252日本@名無史さん:2007/06/10(日) 01:58:12
(=゚ω゚) おおっ、こんなところで牛発見。
がんばれ牛!オイラはいつでも藻前の味方だ!はっはっは。

そういや関東の貧乏御家人の移住先が備中とか安芸が多かったと聞く。女系の拡散だったかな?
丹波の悪党を討伐した中に真壁の裔とかも居たらしい。うーんやはり安芸は強いはずだ。
尊氏は知らんけどな、はっはっは。
253 ◆26IT/WpOkg :2007/06/12(火) 00:21:47
>(=゚ω゚)
どうも
254白馬青牛:2007/07/24(火) 01:36:40
>>251
モンゴルや高句麗は牛車があったが、猛き兵が車に近寄らんのなら、
モンゴルや高句麗は弱兵になるんか?弱兵の産地関東は、
馬鹿げなことを云うのう。
>>252
関東御家人の移住先は、備中よりも、安芸・備後・石見の方が多かった
ろう。特に安芸はのう。丹波勢に関東は負けっぱなしじゃに。
255日本@名無史さん:2007/08/04(土) 01:54:21
>>254
牛車なんて軍事目的で使われる事なんてないだろ。
戦術の天才・義仲も牛車恐怖症w
丹波は上野国山名の時氏に負けっぱなしw
256 ◆26IT/WpOkg :2007/08/18(土) 01:35:08
usiが江上スレに帰ってきた。
剣士(=゚ω゚)が消えた。
257日本@名無史さん:2007/08/18(土) 08:39:40
(=゚ω゚) いや、ずーっと居りますがなw 書き込みはもっぱら武道板にでしたけど。
牛も居ないし他国の話しも聞きたいので書き込み控えてたら国別兵士スレが落ちちゃいますたよw
やはり牛のオバカ・・・いや、存在感を痛感しましたねぃ(大笑)

江上スレも以前剣豪スレに居られたYAP?氏がいて懐かしいですな。
258日本@名無史さん:2007/08/18(土) 10:42:09
usiはチベットスレにいるよ。武道板って行った事ないや。
ここに書いて居りやすw
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1168215212/
259 ◆26IT/WpOkg :2007/08/18(土) 13:41:03
ノムさん広島師団勝利を予言しとく
さて出かけるか
260 ◆26IT/WpOkg :2007/08/18(土) 23:57:11
剣道やってる可愛い子! Part2

武道板、このスレは気になったw
261日本@名無史さん:2007/08/19(日) 01:57:55
(=゚ω゚) こういうのもありますぜ→【接触】武道でのエロ体験【事故】
しかし武板は牛もおらんのになぜあんなに荒れるのだろうか?

>258
(=゚ω゚) なぜか後半から野球スレ?
262 ◆26IT/WpOkg :2007/08/19(日) 17:30:47
接触スレ、今のトコ妄想しか書かれてないようだねw
武道板で某研究者発見wちょっと懐かしい
263 ◆26IT/WpOkg :2007/08/19(日) 22:06:54
新スレ立ってるwww

出身国別 最強兵卒はドコだ?? パートB
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187470340/
264日本@名無史さん:2007/08/19(日) 23:25:57
>262
(=゚ω゚) そんなあなたに某研ブログなぞいかがかどうかと言う事だが
http://rekisikenkyuusha.blog60.fc2.com/#pagetop

頭がクラクラするほどの面白さと言う事かも知れぬが
265 ◆26IT/WpOkg :2007/08/20(月) 00:09:01
>(=゚ω゚)
(((( ;゚Д゚)))
266白馬青牛:2007/09/02(日) 23:53:23
>>255
戦国時代板でも云うたが、牛車文化を持つ遊牧民と牛車嫌いの関東人の
どっちが騎射技術があるんか?関東代表の坂東蛙君として競うたら
ええんじゃないか。上野新田氏は負けっぱなしで、山名氏は領地を
貰うただけじゃ。
267日本@名無史さん:2007/10/15(月) 20:16:30
春王の悲劇
268日本@名無史さん:2007/11/02(金) 21:48:47
鳥なき山陰の山名さん
269日本@名無史さん:2007/12/29(土) 13:24:06
北関東人を見ればわかる。基本的に冷淡。
270日本@名無史さん:2007/12/29(土) 13:29:36
北関東は無敬語地帯として有名。敬語が無いというのは身分のない社会なんだな。
親分子分関係が社会の基本構造になっているね。そういうのが関係しているかな。
やはりヤクザ的なのだろうか。俺には馴染めない社会構造だ。
271日本@名無史さん:2007/12/29(土) 13:35:15
北関東は、単純、冷淡。
西日本のほうが頭が良い。しかし、こじれると陰湿になるかもしれない。
272日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:53:06
>>266
牛車がなんで遊牧民なんだよw
2ちゃんでしか通用しねえ電波流すなよw
273白馬青牛:2008/01/01(火) 22:48:08
>>270
敬語が乏しいんは紀州じゃろう。身分のない社会が親分子分関係?
矛盾したことを云う。関東や東北は親方小方の身分制の強い、
縦型隷属社会なんよ。地主やらが、広い屋敷に住んで隷属小作民がおる。
宮本常一氏が云われるよう、芸備地方(広島県の安芸・備後)じゃあ、
どれが地主の家か解らんほど、上下の格差のない形態じゃ。
>>272
牛車は、モンゴル系遊牧民が使うとるじゃないか。中華の漢民族は馬車系
じゃが。高句麗も牛車文化で漢より北東アジアの遊牧文化の影響が強よ
かろう。2ちゃんでしか通用しねえ電波流すな?そりゃあ、われみたいな、
北ユーラシア、内陸アジアの文化を調べようとせん者のことじゃろう。
世界史なら西洋の歴史さえ解ればよい、東洋史なら中国の歴史だけ解れば
よいと、視点を狭める自慰しとんじゃないか?
274日本@名無史さん:2008/01/02(水) 12:35:18
騎馬の技術って蝦夷から学び取ったんじゃなかたけ?

新田は西日本の狭さに負けた感があるよな。
平原での騎馬戦が得意な新田に狭い西日本での戦はムリポだろ

大阪師団は最弱ではないよ。
戦歴としては燦然としているのだがな
日露戦争でよく崩されたのが大阪なんだっけ?そのせいで弱い言われてたが
これは予備役とか聯度不足の兵の話。
正規兵となれば、突っ込むだけの関東よりは
頭を使って戦ってるし、勇猛果敢でもあった。
大阪師団のアピールが弱いだけだ。
民度の差がでると記録されているな。

275白馬青牛:2008/01/06(日) 01:42:11
>>274
蝦夷の騎馬技術も東日本に渡来した連中に学んだじゃないか。
確率として低いが、オホーツク文化人から学んだかも知れんけど。
鎌倉武士も騎馬の集団運用に乏しいので、平原の騎馬戦なんか夢の
また夢じゃろう。
大阪師団は、京都や関東の師団と同様弱い云う風評もあったが、
実際は違う。じゃが日露戦争で大阪師団は崩されたことあったか?
突っ込むどころか、みんなで逃げれば恐くないの正規兵の関東師団の皮肉?
276日本@名無史さん:2008/01/06(日) 15:17:35
白馬青牛氏は板東武者がよっぽど嫌いなんでしょうね。
うらやましいですね、白馬青牛さんはどこの馬の骨か分からない先祖を持って。
我々鎌倉以来の板東武者の子孫は肩身が狭いです。

277日本@名無史さん:2008/01/07(月) 02:50:32
>>276
ひどいことを言うね。
白馬青牛さんは先祖代々続く同和の方だぞ。
278白馬青牛:2008/01/07(月) 23:09:31
>>276-277
板東武者は、惨酷で兵の道を知らんけえのう。好きたあ云いきれんよ。
残念じゃが、わしゃあ広島人じゃけえ、板東武者の先祖の血が濃厚に
入っとる。まあ、板東武者は先祖が何処の馬の骨か、畿内の下級貴族か
渡来系か、解らんわいのう。板東武者の子孫であることを卑下する
必要もないじゃないか。関東の隷属風土が作ったもんじゃし、
関東から他地方へ移住したら、三代経てば、その地の人間になるけんのう。
ほうか、あんた代々関東か。代々悲惨な歴史じゃのう。
上杉の関東遠征で、越後百姓に犯され、売り飛ばされ苦労したのう。
道理で肩身が狭いんかいのう。
そう云やあ、広島の西の革田(穢多)頭は、常陸から安芸に移住し
国人領主となった宍戸氏の家臣G家氏じゃったし、武士から、近世になって
商人や被差別民に転進した者もおるよ。
279日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:41:21
白馬さん、あんた何時から板東武者の子孫になったの?
本当に板東武者の血を受け継ぐなら、先祖の名前をきちんと
上げて汚名を返上したらどうかな。
280日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:49:54
157 :日本@名無史さん:2007/12/20(木) 22:34:31
実体はともかく大阪兵が弱いという通念は明治初年からあったそうで、
初代大阪鎮台司令官が「大阪兵は確かに弱いが、楠木正成の例もあり運用によってはいける」
のようなことを言っているそうだ。
西南戦争の時薩摩兵の最初の抜刀大襲撃でたまたま潰走したのが八連隊で、
それで上記の通念が、やっぱりってことになってしまったのだろう。
一度弱いという評判が出来てしまうとその後どれだけ力戦奮闘しても、
その評価を覆すことは難しかったのだと思う。

158 :日本@名無史さん:2007/12/20(木) 23:09:47
>>157
ありがとうございます。
発足当初に負けてるんですね。
「確かに弱いが」ってw

160 :日本@名無史さん:2007/12/21(金) 10:10:13
正確には8連隊全体が潰走したわけではなく、8連隊の中の3中隊。
もっとも西南戦争当時は連隊単位出動することはほとんどなく、
大隊・中隊単位で各駐屯地から引き抜かれて、その混成で連隊・旅団を編成していた。
それと史実として8連隊が弱兵だったどうかは、議論の余地があり見解の相違もあるだろうが、
8連隊が弱兵であると世間的に思われていたと言うのはどうも歴史的事実らしい。
つまり8連隊はそう言うキャラクターなんだろう。
亀田や沢尻の実体がどうあれ、世間ではあれだと思われいることは否定できないのと同じ。
161 :日本@名無史さん:2007/12/21(金) 12:29:40
>>160
キャラですかw
また大阪人はそれを美味しいとか言いながら否定しなさそうですなwww
281日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:47:18
白馬青牛さん、あなたのご先祖の板東武者の名前は教えてもらえないんですか。
282日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:52:03
>>281
もう暗に告白してるだろ?
これ以上、傷口に塩を塗るんじゃない。
283白馬青牛:2008/01/10(木) 23:31:57
>>279-281
何時から云うても鎌倉期からじゃろう。以前民俗神話学板の蝦夷スレや
この板の騎馬民族スレ、人類学板でも、関東の海に面した処じゃ云うたが、
親戚筋は関東内陸系、東北地方も混じっとるけえ、東日本系がえっと
じゃのう。名前挙げえ、教ええ云うが、2chで公開したら、身内、
親類に迷惑が及ぶけえ云えんのう。
>>282
暗に告白たあ何なら?先祖が東国人でどがいな傷口あるんか?
>>280
大阪部隊は、西南の役の内乱に勇戦し、明治天皇から勅語を賜った伝統が
あるけんのう。大阪師団よりも東京師団は実績も乏しいよ。
「日中戦争で捕虜になった中国兵が、どうだ、もう一度やる元気があるか?
東京101となら何べんでもやってやる。と、答えたそうだ。」と、
陳瞬臣氏が書いておられるが、関東兵団も中国人から視ると弱兵の
代名詞じゃったよ。関東兵団の場合はキャラどころか、
実際に弱かったけえ、洒落にならんよ。

284日本@名無史さん:2008/01/11(金) 00:07:17
世界に冠たる弱兵の代名詞・中国兵がいくら強がりを言っても、信用がないな・・。

その作り話は逆効果だぞw

285白馬青牛:2008/01/11(金) 00:35:11
>>284
中国兵は世界に冠たる弱兵の代名詞云うて誰が云うたんか?
実名を挙げた方がええ思うよ。
実際、中国兵は勝てると判断した時は勇敢じゃったよ。
日本軍が有利と判断した時は、陣地も放棄し逃げるが。
広島5Dがマレー作戦で、英軍が敢闘すると、「支那兵みたいなのう。」
云うたもんじゃ。ほいで、手榴弾投下なんか中国軍は日本軍より
上手じゃった。日本軍が投下した爆発寸前の手榴弾を投げ返して来る。
勝てると判断した時の中国人は度胸があって強かったよ。
日本や日系部隊以外の世界的強豪云うたら、ネパールのグルカ兵、
台湾先住民の高砂族、ビルマのカチン族、中国南部の広西軍、
中共八路軍等が挙げられるんじゃないか?
286日本@名無史さん:2008/01/11(金) 05:32:56
>>283
> 関東兵団の場合はキャラどころか、
> 実際に弱かったけえ、洒落にならんよ。
硫黄島の戦いはどうなのよ。

白馬青牛って被差別部落民かと思ってたが、違ったのか・・・。
287日本@名無史さん:2008/01/11(金) 21:15:22
白馬青牛さんよ、嘘ばっかり言っておもしろい。
よく、自分で見たように嘘がつけるね。
あんたが本当に板東武者の子孫だったら大笑いだ!
中国軍の実名あげるより、あんたの先祖の名をあげろよ。
また、屁理屈をこいて逃走かな。
白馬青牛なんて日本人かどうかも疑わしい。

288日本@名無史さん:2008/01/11(金) 21:32:30
おれ本国も生国もともに関東!
父系母系の三代前までの先祖もみんな関東か東北だ。
だからかしらないが関西西日本の女に弱いw
四月から京都に行くから京女の白肌をものにするぜ
289日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:41:06
白馬の小さな大冒険
290日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:45:14
京女に乱暴狼藉の限りを尽くす白馬青牛まさに東夷
291白馬青牛:2008/01/12(土) 00:36:59
>>286
硫黄島の109Dは、日本の雑軍とも云われた全国の兵士が集まった
混成部隊じゃないか。わしゃあ被差別部落民じゃないが、
近世の大名家は、同類の階級から成り上がったもんが多いんじゃないか。
司馬遼太郎氏は、徳川家の先祖が時宗の遊行僧徳阿弥であることに、
「あれは要するに当時の賤民です。」と、云われたが、折口信夫氏の
云われるよう。武士は、芸能民、ごろつきと同類であろう。
>>287
笑うんなら笑ええや。広島県の庄屋の文書や武士から転向した商家を見ても
解ろうに。概ね東国武士系じゃ。ほいじゃが酒屋が甲斐武田系が多いんは
どうしてかのう。土肥は関東じゃあどう読むんか?広島じゃあ、とひか稀に
どひ云うが。瀬野の阿曾沼(下野)、志和の天野(伊豆)、高屋の平賀
(出羽)、呉の広の多賀谷(武蔵)等、東国出身国人の末が多かったよ。
わしに先祖の名が聞きたかったら、わしを直接尋ねるしか手段はないど。
>>288
まあ、わしの親戚にも、源平合戦のドラマに源氏方を応援する身びいきが
おるけど、わしゃあ血筋より地域風土を重んじるゆえ、平家に肩入れする。
あんた、鄙(ひな・夷)に美人なし。で、京女に憧れるんじゃろう。
>>290
京女に乱暴狼藉したこたあない。わしゃあ女性にゃあ下手に出るほうじゃ。
東夷(東の野蛮人)は、京畿の連中の概念で、広島県は、東じゃない。
広島人を佐伯蝦夷、板東系東夷云う処、あんた岡山人か?
292日本@名無史さん:2008/01/12(土) 00:54:34
そもそも「武芸」をもって権門に侍る者だからね
293日本@名無史さん:2008/01/12(土) 07:32:01
白馬の小さな嘘が世界の歴史を塗り変える!

294 ◆26IT/WpOkg :2008/01/12(土) 08:12:19
知らぬ間にレスが溜まってる
295日本@名無史さん:2008/01/12(土) 21:18:21
白馬青牛さん、私は広島県に板東武者の子孫がいないなんて一言も言って
いない。鎌倉期の地頭配置で板東の御家人が移動した。こんな常識を聞い
たわけではない。あなたが板東武者の子孫かどうかを伺いたい。
あなたは今まで板東武者を馬鹿にし、関東人を蛙にたとえている。
ところが突然、板東武者の血が入っているなんて言い出した。本当ならちゃんと
証拠を見せてくれ。また、屁理屈をこねているが、あなたの先祖の名前を出した
ぐらいで、どうして身内、親類が迷惑するのだ。あなたの存在を親類が迷惑して
いるのなら理解できるが。きちんと板東武者の血を受け継ぐなら先祖の名を名乗
れ!
296日本@名無史さん:2008/01/12(土) 22:16:31
板東武者がザンニンってことは執権あたりがゼノンで将軍がサタン?
297白馬青牛:2008/01/12(土) 22:52:34
>>292
最近流行の権門論か。折口信夫氏のごろつきの話は、戦前じゃけんのう。
http://www.5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi2.html
遊浪芸能民も修験者・徳川氏の先祖徳阿弥ような時宗遊行聖・野武士も
「ごろつき」じゃ。
『今日の大名華族のなかには、その身元を洗うてみると、その頃の
「ごろつき」から出世しているものが少なくない。』
まあ、武士自体、殺人を芸能とするけえ、カタギじゃないね。
近代の軍人も。陸軍士官学校出が世間を娑婆云うんも、そうじゃろう。
近世の被差別民が文中にあるような、東日本的、江戸的、2)囲い込みの
構造に、組み入れられ、東日本的親方小方の隷属縦社会制度の影響を
受ける。まあ、武士や軍人と、芸能民や被差別民は元来同一で、
社会的地位の違いに過ぎんじゃろうねえ。
>>293
小さな嘘云うて何なら?根拠ものう人を嘘つき呼ばわりする処、
おそらく東日本人じゃろう。宮本常一氏が、「西日本と違い、東日本の
庶民層は躾を受けてない。」と、云われるよう、東日本庶民は、躾を
受けとらんけえ、平気で失礼な文を書くわいのう。後の>>295も同じで、
人に尋ねる態度がなっとらん。東日本人の品性よのう。
298日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:04:25
まだ、先祖の名乗りもできんのか。
態度がなっていないのはあんただろう。
まさに下賤。あなたの文章を見れば育ちがわかる。
やはり白馬青牛さんのご先祖はどこの馬の骨か分からないんだね。
屁理屈ばかり言っても嘘つきは直らないよ。
299日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:18:25
おい、牛よ。
早く、板東武者の子孫の証拠を見せろよ。
得意の根拠を見せろよ。
300白馬青牛:2008/01/12(土) 23:46:04
>>297は、
http://www.5b.biglobe.ne.jp/~kabuusk/geinohsi12.htm
じゃったか。
>>294
板東蛙君、久しぶりじゃのう。
>>295-298
人の言を屁理屈じゃ云うもんに礼儀があるんか。礼儀を知らん関東じゃあ
通用しても広島じゃあ通用しゃあせんよ。>>291で、「わしの先祖を
聞きたかったら、わしを直接尋ねるしか手段はないど。」云うとるんで。
人に要求ばっかしのわれに催促され、わしが先祖はこうこうで云うたら、
わしゃあ嘘つきで、二言を云うたことになる。ほいで、証拠云うて何なら?
わしの遺伝子から関東武士系かどうか解るんか?
人に要求するけえ逆に聞くが、ほいであんたあ、何処の馬の骨のもんか?
あんたの文章は躾を受けとらん育ちの悪りい下賤なようじゃが、
先祖の名は誰なんか?また証明出来るもんを提示せえや。
人に先祖を明かせ云う限り、あんたは明解に答えることを前提に云うとるん
じゃろう。人を嘘つき呼ばわりした限り、あんたは事実を答える義務が
生じるわけじゃ。武士に二言はないど。
301白馬青牛:2008/01/12(土) 23:51:22
302白馬青牛:2008/01/12(土) 23:54:04
303白馬青牛:2008/01/12(土) 23:57:53
>>302
に、やっと出たか。
>>298-299
早う、あんたの先祖を提示せにゃあ、武士に二言はないど。
304日本@名無史さん:2008/01/13(日) 06:31:30
関東を馬鹿にしてると思ったら、隣県の岡山人も馬鹿にしてたのか。
305日本@名無史さん:2008/01/13(日) 08:32:40
白馬青牛が武士とはね!
また、屁理屈と嘘。
はやく、証拠を示せよ、馬の骨。
306白馬青牛:2008/01/14(月) 01:18:18
>>304
関東を馬鹿にする?岡山もか?何じゃそりゃあ。被害妄想が好きじゃのう。
>>305
わりゃあ、早う自分の先祖を提示せえや!われの屁理屈は聞いとらん。
武士に二言は無いど。
答えられん処、あんたどこの馬の骨なら?
307 ◆26IT/WpOkg :2008/01/14(月) 01:40:51
中国プリンスの上位同士対決はPK決着で広島じゃったか
308名日本@名無史さん:2008/01/14(月) 21:35:24
白馬青牛さん、あなたが先祖の系譜を書けば、私も書きますよ。
あなたのご先祖の鎌倉期からの系譜を楽しみにしています。

309白馬青牛:2008/01/14(月) 23:53:55
>>307
中国プリンス?中国地方にプリンスはおったかのう。
>>308
まだ、よう云わんのか。武士に二言はない。人が書こうが書くまいが、
人に要求した義務は果たせや。ギブ&テイクの商売やりょうるんじゃ
ないど。
310日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:05:13
白馬青牛は坂東武者の従者にレイプされ生まれた子供の子孫。
だが、その坂東武者の名すら今となっては知る由もない。
戦前は軍都であり強兵を誇った安芸も戦後は原爆を落とされたショックで平和念仏教団で町おこし。
戦前の繁栄も町おこしも関東があればこそ。
311 ◆26IT/WpOkg :2008/01/15(火) 00:48:30
関東プリンス2位の流刑強すぎ
でもプリンス1位市船の方がつおいかも
312 ◆26IT/WpOkg :2008/01/15(火) 00:51:55
>(広島スレ)浪速の○゛ョーと名乗り、関西弁をしゃべってる岡山人
ちょw
あの人しかおらんやん
313名日本@名無史さん:2008/01/15(火) 21:39:50
>>308 あんた、白馬青牛みたいな馬鹿に関わらんほうがいいで。
こいつ完全なパラノイア。一番弱いところをあんたにつつかれたから、
怒り狂っとんや。こんなやつがストーカ殺人をやらかすんや。
314白馬青牛:2008/01/17(木) 00:57:29
>>310
レイプされたんは、越後百姓に犯された関東人のことで、越後百姓の名が
解らん云うて、わしに泣きつかれてものう。平和念仏教団云うて何や?
戦前の繁栄も町おこしも関東の連中が何をやったんか?思い浮かばんのう。
>>312
地理・人類学板の広島人気質スレにあった、備前児島出身ボクサーの
ことか。
>>313
わしが馬鹿なんは当りじゃが、パラノイアじゃあるまい。一番弱いところ
云うて、何なら?わしが>>308に武士に二言はない。いよるんで。
ストーカー?わしじゃのうて、わしの書き込みに一言コメントで
カバチ垂れる人類学板のもんのことじゃろう。
じゃが、あんた「殺人」云う言葉を使うんだきゃあ気いつけんさいよ。
誤解を与えるど。
315名日本@名無史さん:2008/01/17(木) 21:40:02
白馬鹿青筋まだ生きてたのか!

白馬鹿青筋は救いようがない。

おまえにはうんざりだ。早く消えろよ。

316名日本@名無史さん:2008/01/17(木) 23:07:45
よう、白馬鹿青筋、
最近姿が見えないと思えば、今度は此処で妄想万歳説を流布してるのか
ええかげんにせい!
大歩危妄言がどれだけ叩かれたか、もう忘れたのか、
小さな嘘が犯罪につながるぞ!


317白馬青牛:2008/01/18(金) 00:06:19
>>315-316
地理・人類学板だけじゃのうて、こっちへも書きよるんか。
地理・人類学板にさっき書いたよう、他者に迎合して吠えるんは、
日本人全体の恥になるけえ自慢にならんど。日本人としての誇りや
自負心も無い連中よのう。こがいな自虐的悪習をやりよるんは関東人か?
「他人に迎合し罵倒するんは武士道の乏しい関東だけの習慣で、
日本人全体のことじゃありません。」と、説明してから書き込めえや。
風の悪りい。
318名日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:32:09
白馬鹿青筋、あんたが日本人?
早く国へ帰れよ。外国人のくせに武士道なんて口にすんな。
キモチ悪すぎ。
319日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:50:41
>>317 どうしてあんたが嫌われているのかまだ判らないのか。
自分は他人を平気で中傷し、自分が批判されると、執拗に攻撃する。
あんたのその異常さに呆れているのさ。あんたはまるで馬鹿の道化
のようだよ。
   
320白馬青牛:2008/01/19(土) 22:43:37
>>318-319
わしゃあ蝦夷や東国武士の血が入っとっても日本人で、関東の東夷民族と
違い、分類上西日本の大和民族に属する。
帰れ云うても郷土広島へ住んどるけえのう。東夷民族の関東人は何処へ
帰るんか?ほいで、単なる罵倒だけの、あんたの書き込みが、
日本(国)人の誇りになるんか?「兵の道」を知らん東夷民族こそ、
武士道を知らんけえ、口にして欲しゅうないのう。
わしが他人を中傷?執拗に攻撃?そりゃあ、あんたらのことじゃ。
その異常さに呆れとるんは、わしの方じゃ。逆説垂れなや。
321 ◆26IT/WpOkg :2008/01/19(土) 23:19:47
何か悪い物でも食ったか?
あー、いつものusiか
322日本@名無史さん:2008/01/20(日) 19:03:57
方言で書かれると読みにくくてしようがない。

かつて広島に移住した坂東武者の子孫は優秀だから、今は東京近辺に住んでいることが多いと思う。
323白馬青牛:2008/01/22(火) 00:15:48
>>321
悪い物は喰うとらんよ。食物は有難くいただく。
>>322
かつて広島に移住した板東武者の子孫は、東京近辺に行った人もおるが、
広島から離れん人も多いよ。何を持って優秀とするんか解らんが、
その優秀な人らは、東京近辺に住まにゃあいけんのんか?
324日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:53:58
白馬青牛さんのように扁平で平たい顔の人でも蝦夷や東国武士の血が入って
いるんですか。あなたのように下層の生まれの人にでも、武士道があるので
すか。本当に不思議です。
325白馬青牛:2008/01/24(木) 00:42:09
>>324
わしの顔を観たこともなかろうに。まあ、わしゃあ、さほど顔の掘りは
深うないねえ。わしゃあ、下層の生まれじゃないが、大名上級武士を
皮肉った、『柳多留拾遺』の、「拙者も逃げた人数なり」の輩の上層でも
ない。
上層部は近世の堕落武士から近代、上層将校に至るまで、一部の人たちを
除いて、概ね武士道に乏しい。武士の精神は千葉徳爾氏の云われるよう、
「家禄に依存し泰平の世に武を放棄して金銭を欲しながら生きる者が多く
なった彼等より、生きた野生生物と闘って生計を立てて来た漁夫や猟人
たちの間にこそ、むしろ強く受け継がれて来た。」と、わしの先祖は、
戦場から逃げ、堕落した伝統は持っとらんよ。
わしゃあ、残念じゃが、上品な渡来系、完璧な長州型じゃないけんのう。
東国武士の血は濃いんじゃが、蝦夷の血まで確認出来る訳あるまい。
じゃが、わしの指紋も、朝鮮や西日本に多い渦状紋じゃのうて、東日本で
増え、アイヌ人に多い蹄状紋じゃけえ、少なくとも、蝦夷の血が入っとる。
東国武士は渡来系が多かったけえ、混血したとしても、土着民の蝦夷たあ、
また別じゃろう。
326日本@名無史さん:2008/01/29(火) 21:46:33
↑ まだ妄想の世界にいるのかい。
  救いようがない。
327白馬青牛:2008/02/01(金) 00:20:59
>>326
どこが妄想なんか具体的に書かにゃあ。妄想の世界なら、抽象的言語を
弄するあんたの方が詳しいんじゃないか。
328日本@名無しさん:2008/02/01(金) 08:44:59
↑自称東国武士の子孫さん、きちんと根拠を示せよ。
 期待してるぜ。
329日本@名無史さん:2008/02/04(月) 22:54:23
白馬の馬鹿、嘘をつくだけついて逃走かい!
こいつにつける薬はないな!
330白馬青牛:2008/02/07(木) 01:36:26
>>328-329
わりゃ馬鹿か?同じ言を繰り返えしょうわい。>>300をもう一回読めや。
ほいで、あんたの先祖は、誰か?馬の骨なんかどうかのう。
あんたの文から、躾を受けとらんようなのう。
わしゃあ毎度思うが、罵倒合唱団の連中は、どがいな躾を受けてきたんか
興味深いよ。結果的に親不孝者に違いないが、よう馬鹿げな事云えるのう。
廉恥を知らん低脳じゃけえ、仕方ないか。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 21:38:15
馬鹿で嘘つきが帰ってきた。
嘘をつくのがそんなに楽しいですか?
あんたのような下層階級出身者でも躾ってものがあるんですね。
332日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:37:48
言葉使いで階層は分かる。広島弁は確かに荒い言葉だが、白馬の
広島弁は一般人の喋る言葉ではない。
今までの書き込みを見れば、彼の出身階層は概ね想像がつく。
この階層出身者がきちんとした躾など受けていないのは明らかだろう。
333白馬青牛:2008/02/10(日) 00:38:29
>>331
あんたあ、人が嘘をついた根拠もないのに、嘘つき呼ばわりするように
躾られて来たんか?いなげなことを云う。
>>332
生まれ育ちは、言葉たあ相手と一緒に食事したら結構わかるよ。
テレビのタレントやアナウンサーの中にもえっとおるね。
テレビ視とる方がどがあな躾受けとんやあ?思うんが。
一般人のしゃべる広島弁云うて何なら?>>331の「いなげな」も
時代劇でも時おり使われとる「異なことを言う」のことじゃ。
広島弁の「いびせえ」「しわい」も中世語じゃけんのう。
334武陽隠士:2008/02/10(日) 01:34:46
先祖自慢のどこが学問なんだ?
ついでにいえば中世の名だたる武家の子孫ってのは虚構が多い。
どうでもいいが史学科いけよ。
335日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:02:46
学問板でこんなことを言うのもなんだけど、史学科なんて行くと就職困るだろう。
歴史なんて趣味程度のものでいいんだよ。
一次資料なんて読めなくても、二次資料三次資料で読んでればいいじゃないか。
経済学部にも経済史専攻の一次資料の読める先生いるんだしよぉ。
そんなのに聞けばいいんだよ。
336武陽隠士:2008/02/10(日) 02:19:51
>>335
バーカ皮肉だよ。てめえバカが脳が練り味噌だから学校行けってこと。
独学じゃ無理。つまり黙ってろってことだ。くだらねえレスは私はがブッ叩いて潰す
337日本@名無史さん:2008/02/14(木) 23:21:07
先祖自慢の白馬鹿青筋はどこへ行ったんだ?
338 ◆26IT/WpOkg :2008/02/14(木) 23:42:26
>>337
おっちゃんは地理人類学板の広島vs福岡スレで
アンチの皆さん相手にバトってるよ
339日本@名無史さん:2008/02/15(金) 04:12:04
広島はクレーマーが多すぎるよ
340 ◆26IT/WpOkg :2008/02/15(金) 06:47:44
usi自身は合唱団っていうより広島の2pac(嘘)
褒め過ぎ褒め過ぎ( ^ё^メ)
341白馬青牛:2008/02/17(日) 23:41:39
>>340
わりゃ、広島の嘘たあ何なら。こん糞外道が。ほんま関東のもんは、
ろくなんがおらんわい。
342 ◆26IT/WpOkg :2008/02/18(月) 00:12:51
>>341
意味を汲み取れてなかったのね。
向こうの合唱団発言に遊んだだけだよ。
それは書いた俺に対しての(嘘)って事ね。usiに対してではない。
usiはPEのFフレイヴみたいなキャラか…
343日本@名無史さん:2008/02/18(月) 21:47:33
白馬青牛って、どうしてこんなに下品なんだ。
育ちが判るな。
344日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:43:04
鎌倉源五郎景政こそ板東武者の鑑。
345白馬青牛:2008/02/23(土) 01:50:22
ここもアク禁かのう。
346白馬青牛:2008/02/23(土) 01:59:05
戦国板に書き込めんなんだけえ、試したがここはそうじゃないらしのう。
誰の仕業かいのう?関東人ならやりかねん。糞奴隷民のやることは
姑息なわい。
347 ◆26IT/WpOkg :2008/02/23(土) 02:20:30
ん?
どした?
悪金だったら高校野球板の神奈川関連を荒らしてるPL爺でお願いしまつ
348日本@名無史さん:2008/02/23(土) 09:11:10
白馬青牛よ、奴隷の子孫はあんただろう。
349武陽隠士:2008/03/06(木) 00:35:47
>>297
偏ってるよ君の武士論。
折口はわたしも好きだが
あれは武士の一部を説明したにすぎない
ネットで検索して勉強すんのやめたらW
350白馬青牛:2008/03/08(土) 01:13:35
>>348
奴隷の子孫は、越後百姓に売買された関東人じゃろう。
>>349
わしが偏ってる云う云う部分は具体的にどこか?
わしんが武士の一部云うんなら全体像はなんなら?
ネットで云うとるんに、ネットで検索出来るもんは、提示して不都合は
あるまあ。人それぞれに、様々な見解を知ることになるけえのう。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 14:58:53
白馬青牛は安芸門徒で賤民。
352日本@名無史さん:2008/03/08(土) 18:00:35
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
353日本@名無史さん:2008/03/10(月) 23:57:13
嘘つきで、臆病者の白馬青牛はまたもや逃亡か?
下賤で卑怯なやつの逃げ足は早い。
354白馬青牛:2008/03/14(金) 00:23:45
>>351-353
ほんま、東国人は程度が低い奴隷根性丸出しようのう。
他者を嘘つきじゃあ、ましてや日本人にとって最大の恥辱語の卑怯云う
言葉を平気で使う。
またもや、関東人の腐れ根性を観させてもろうたよ。
355 ◆26IT/WpOkg :2008/03/14(金) 22:54:37
>>354
武田スレまで荒らすなよ
356 ◆26IT/WpOkg :2008/03/14(金) 23:57:29
そのスレの>835
>旧武田武士が井伊の赤備えを構成したり
井伊家軍学の根幹が東国由来なのは事実。
鉄砲の宇津木氏は関東では珍しい部類かもしれないが。

武田信玄について語ろう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1158554181/
357 ◆26IT/WpOkg :2008/03/15(土) 00:03:20
まあ選抜シーズンゆえ適度にロムるけん
中国勢全滅っぽいな(ヒソヒソ)
358日本@名無史さん:2008/03/15(土) 00:28:15
白馬鹿青筋よ奴隷根性はお前だろう。
事実、あんたは奴隷の子孫だしな。
あんたの様な階級に羞恥心があるのか。
ところで、東国武士の子孫の話はどうなったんだ?
自分の言ったことも忘れるほど、頭がいかれてんのか。
359日本@名無史さん:2008/03/15(土) 00:38:00
謙信の実家の長尾氏ってまんま関東武士じゃないかw
360白馬青牛:2008/03/15(土) 01:54:20
>>355
「日本近代史」板の小野田氏スレで、この板の武田信玄スレを知ったけん
のう。
>>358-359
われが、躾も受けとらん「卑怯者」じゃあ云う言を吐きょうるんは
どうない。奴隷根性そのまんまじゃ。腐れ関東奴隷民さんよ。
関東人は、長尾氏の奴隷云うたあ、越後百姓の奴隷よ。
361日本@名無史さん:2008/03/15(土) 02:42:44
なぜ人々は仏陀やキリストを信仰するのか?
それは人生は苦悩であるという真理を肌で感じているからである。
苦悩がなければ事件や犯罪などもないであろう。
362日本@名無史さん:2008/03/15(土) 21:34:56
白馬青牛よあんたの言葉ってまさに下賤な階級そのものだね。
まともな言葉も使えないのに、東国武士の子孫とはね。
363武陽隠士:2008/03/16(日) 11:04:19
>>350
馬鹿だね君は。
武士の発生から定義、全体像なんてこんなとこで
一言でいえる訳ないだろうがW
折口じゃぜんぜんだめなのさ。
軍事貴族がゴロツキの訳ないだろ。
やってることはゴロツキの何十倍えげつない。
君はネットでしか勉強しない馬鹿だからいうが、
折口の言ってることは現在の研究者の水準からすると
間違いとしかいえないものが多い。
いっぺん大学行った方がいいよ。
あとさネットで勉強するのは、君が明らかに馬鹿ってことさ。
本くらい読めよクズのニート野郎W
ああそうそう、先祖自慢の君にいうが
江戸時代に作られた系譜はほとんどが偽文書。
これ史学の常識ね。
私も系譜及び家伝は、新羅三郎義光の子孫なのだが、
全く信じてない。
君みたいな単純馬鹿だと信じちゃうんだろーねW
ああそっか、先祖自慢くらいしかすがりつくもんがなかったけW
ご愁傷様W
はははははは
364ピンチョ:2008/03/16(日) 19:32:48
>>361
苦悩なんかあんまりない
暇人野郎の犯罪も昨今多いよ
倦怠ゆえか
365白馬青牛:2008/03/17(月) 02:23:32
>>362
わしの言葉たあ、あんたの書き込みは品性や武士道もあるまあ。
>>363
結局反論出来ん関東もんは、わし個人を罵倒する毎度のパターンか。
軍事貴族も社会的地位とやららあるだけで「ごろつき」じゃ。
折口氏を批判された現在の研究者云うて誰なら?具体的に云うて
毎度云うとるんで。わしみたいなクズに具体的な反論も出来んわりゃあ
何なら。江戸時代に造られた系譜云うて寛永の系図のことか。
まあ出鱈目なんは、当然じゃ。近世諸大名に多い東海地方のゴロツキの
成り上がり言い訳系図じゃけんのう。常識以前の判断力の問題じゃ。
まあ、あんたら関東の奴隷民は、越後百姓に売買された奴隷らじゃけえ、
先祖は解らんのじゃろう。まあ、他地域から蹂躙された地域の家系は
信憑性に乏しいわい。安芸国人も鎌倉期東国からの移住が多いが、
その前の平安期は解らんわいのう。源平藤姓も勝手に名乗りゃあええ
わけじゃし。安芸国人末裔の旧家に、江戸期長州藩の本家と交流した
ことや、芸州浅野藩主が、例えば現在四国まで橋が架かった、島なみ街道の
島嶼、生口島の黒田家を東国の葛西氏の末として丁重にもてなしたこと等、
(近世成り上がりの浅野氏の歴史のない家系劣等感とも云えるが、)
総合的に視て、安芸は東国系じゃのう。なんぼ関東人が奴隷になり
売り飛ばされたにしても、板東武士系の末が多い広島県人に嫉妬して
どうすんない。関東人はっひねくれとるのう。
366日本@名無史さん:2008/03/17(月) 02:46:41
地頭として下向しても同族だと

小指差し出して言うけど

だけど西国で変わってゆく
庶流の未来は縛れない
367日本@名無史さん:2008/03/17(月) 11:00:52
卒業シーズンだけどさ、それ古すぎるよ・・・

庶流じゃなくても惣領みずから西国に下った
368武陽隠士:2008/03/18(火) 01:51:21
>>365
君は院生レベル以上の友達とかいないの?
学問的方法論というのがまるで分かってない。
それとさ折口批判なんて今じゃ当たり前だろ?
おまえ何勉強してんだよW
ま、さすがネットでお勉強しているだけあるよW
谷川健一、諏訪春雄、小松和彦etc.
一度でかい大学行って民俗学の先生にお窺いしろ。
クズのおまえでも土下座すれば
レクチャーしてくれるだろうよ、多分。
そして折口のじゃ使えないってことが
よく分かるだろう、きっと。
ま、ひきこもりのヒマジンのクズのおまえのことだから
やりゃあしないだろうがW
とりあえず寝るぞ私は。
おやすみ
369武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/18(火) 22:58:10
>>365
柳田国男でも折口信夫でも
現在の学問的水準からすると使えないのが多々ある。
それでも柳田折口がやたら引用されるのは、現在の学問では捉え切れていない問題の所在に触れてるか、
二人とも弟子筋(孫弟子曾孫弟子!)の人間が多いから変な教祖になっちゃってるか、
二人とも学者には珍しく文体がある(柳田は元文学者、折口は終生文学者だった)面妖な研究なので文学として読まれているとかetc.
なんだよね。
お分かりかなネット切り貼りバカのヒマジン先祖崇拝のダメ人間野郎W
悔しかったらもっと
お勉強しろよクズ
370白馬青牛:2008/03/18(火) 23:59:20
>>368-369
おいおい、何でわしを折口氏信者にすなや。柳田国男氏なんかのう。
江上波夫氏の説に柳田国男氏は「他民族に征服されたということを
国民に教えなくちゃあいけないんですか。天皇家が他民族で、日本民族を
征服したというのは許しがたい」」と、感情的に反撥し、折口信夫氏も
追従して「これはゆゆしき問題だ。我々はそんなことを信じないということ
を、ここで明確にいたしましょう」と、完全にピンボケしとる。
日本民族が古墳後期以前に成立しとらんのに、他民族、日本民族と空虚な
概念よのう。折口氏の功績は、非常民の世界から日本文化を考察された
ことじゃ。
谷川健一氏は、柳田国男氏の稲の道の継続で南方論者じゃが、北東アジア
にも目を向けられ、頑迷さがない処がええ。宮本常一氏を高く評価されて
おられる。小松和彦氏の妖怪フアンタジー話は興味が薄い。
諏訪春雄氏も、柳田国男氏の南方説の継続者じゃが、稲作文化の故郷、
江南中華中毒症状が強いんじゃないか。縄文文明派と同様ファンタジーの
世界にどっぷり浸かっておられる。
371白馬青牛:2008/03/19(水) 00:43:14
>>368-369
米産地の越後人である諏訪春雄氏の米に対する愛着は相当なもんじゃ。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa26.htm
文中に「米がながいあいだ日本人の主要食物であったことは事実であり、
米にともなう稲作文化が日本文化の重要な骨格をつくってきました。」
じゃと、米は特に西日本で貨幣の替わりになったが、江戸期でも米食の
都市民以外、晴れの日に食べる米のどこが主要な食物なんか。それを勝手に
事実にされとる。まあ下の方に宮本常一氏を始め網野善彦氏(延喜式から
米より魚を重視される)の見解を載せてはおられるが。
山梨県人の網野氏は別として、新潟県人の諏訪春雄氏、千葉県人の
石毛直道氏といい、東の人間は稲作文化圏の醗酵文化の残存度が強い
(納豆・秋田のショッツルのような魚醤)。また、米の朝炊きの習慣から、
余程米に対する愛着があるんじゃろうのう。米ばっかし喰いよったら
「江戸患い」の脚気になるんがおちじゃ。兵隊として使えん軟弱者が
増えようで。わしゃあ毎日米を喰わんよ。朝は芋、昼はパンか麺で
夜はお好み焼きでも喰うたら、米なしで生活出来るけんのう。
広島のもんは毎度毎度米を喰わんよ。
南方派に東日本人が多いんも、ファンタジーやユートピアを求める老荘思想
や朱子学、考証学を好み、江南思想にどっぷり浸こうとるゆえかのう。
ほいで、>民俗学の先生にお窺いしろ。云うて縦社会の東国人にとって
学者は尊敬される存在なんじゃのう。学者は権威になるんか?
そがん処も東国人の権威に隷属する奴隷根性の特質なんか?
372武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/19(水) 00:50:46
>>371
だからネットじゃなく
ちゃんとした著作論文にあたってよ
単なるバカなら相手しないよ(バカにしてストレスはらすだけ)
373白馬青牛:2008/03/20(木) 02:56:32
論文て何なら?論点ずらすんはさすが縦社会マルクス思想のネトウヨ関東人じゃ。
374日本@名無史さん:2008/03/20(木) 03:00:16
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
375白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/03/20(木) 23:15:43
>>372
著作論文じゃろうとネットじゃろうと本人の意見じゃろう。
相変わらずつまらんことを云う。ほいじゃが、あんた「歴史難民板」
の「犯された女の歴史」スレじゃあ、珍しゅう真っ当なことを云うとった
のう。今日は、あっちへ書かんのか?
>>373
この板でも、わしの偽者さんか。わしじゃったら「論文て何なら?」たあ、
「論文云うて何なら」云うで。ほいじゃが、最後の方の文は、わしが
云うても可笑しゅうないのう。
376日本@名無史さん :2008/03/20(木) 23:40:04
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
377武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/21(金) 23:02:52
>>375
自分がどこのスレに何を誰に書いたか忘れてる。
見れば思い出すんだがね。
あと私はストレス発散の為に書き込みしてるので、
くだらない茶々に真面目にレスしてストレス覚えたくないってのもあるな。
ところで君もストレス発散の為に書き込みしてるわけ?
なんか逆にストレス溜まるような感じがするんだけどさ。
378白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/03/21(金) 23:23:13
>>377
書き込んでストレス発散になるんかいのう。わしは、あんたと違うて、
戯言も云うこともあるが概ね真面目に書いとるよ。
わしゃあ、ストレスにゃあならんが、時たま、無神経で無慈悲な意見にゃあ
腹あ立てることもあるのう。
379日本@名無史さん :2008/03/22(土) 21:11:02
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ
↑DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ DQN男消えろ

白馬青牛早く、消えてしまえ!
380武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/22(土) 23:48:05
>>378
腹立つとストレスになるんじゃないかな?
私はなるんで、不真面目な茶々はあんまり読まない。
鋭い反論反駁ならいいんだけどね。
茶々はイヤだな。
ま、君も私と同じで書き込みはストレス発散かな?、と思ったてたが違ってたわけね。
ちなみにストレス発散と言ったけど、私のレス内容は真摯で大まじめなのが八割、一割は○チ○イじみた内面吐露、残りの一割が怒りの鉄拳罵倒だな(笑)
381白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/03/23(日) 02:19:22
>>380
腹が立つんは、レスを視て瞬間突発的なもんで長時間のストレスたぁ
違おう。わしゃあ、あんたみたいにレスの内容に器用な使い分けは
出来んよ。
382武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/23(日) 22:57:32
>>381
君は人間が出来てる。
文体が全然変わらないでいられるのも、君が度量広いからなんだね。
私なんかすぐ感情がすぐブレちゃうんだよな。
383白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/03/23(日) 23:21:56
>>382
そりゃあ誉め過ぎじゃ。わしゃあ些細なことでも、すぐにカチンと
来る方じゃけえ、感情に左右されることも再々あるよ。
384日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:23:54
「類は友を呼ぶ」
この言葉を今まさに実感した。

で、白馬よ?
お前の言う「弥生人」って何だ?
385日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:28:13
386 ◆26IT/WpOkg :2008/03/24(月) 01:06:31
>>385
歴史難民板のもあんたの仕業かい?
387白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/03/24(月) 22:52:51
>>384
わしが、「弥生人」云う表現したんか?
弥生人も形質的に高顔の渡来系弥生人と低顔の縄文土着系弥生人が
おったし、低顔縄文系質の弥生人の中にも朝鮮南部の縄文形質の
渡来人もおったろう。弥生人も様々じゃけえ単純にゃあ云えんよ。
388日本@名無史さん :2008/03/24(月) 23:30:46
白馬青牛よ、早く消えろ。
お前のクソスレなんか見たくない。
頼むから消えてくれ。
389日本@名無史さん:2008/03/24(月) 23:58:56
お前よりは見たい
390日本@名無史さん:2008/03/25(火) 00:00:16
>>389
そうだな。
391日本@名無史さん:2008/03/27(木) 01:43:41
うん
392日本@名無史さん:2008/03/27(木) 01:57:44
>>387

そういや、
「渡来系が圧倒的だったんじゃ!!縄文人は共食いして死んだんじゃ!!
 古墳中期から圧倒的な渡来人の流入があったんじゃ!!」

ってわめいてたな。
渡来に伴う文化的な文物の移動を全く考慮せずに。
393日本@名無史さん:2008/03/27(木) 09:06:51
まぁ関東には野蛮で猟奇的な犯罪が多いよな
中国人や朝鮮人と同じ残虐な遺伝子が関東には明らかに存在する

日本人からみると全く理解できないし違う民族性だよ
394日本@名無史さん:2008/04/03(木) 00:14:51
西本願寺の門徒で、今は下賤な身分だが、自分では東国武士の子孫だと
妄想を抱いている人はどこへ行ったんですか。
395日本@名無史さん:2008/04/05(土) 17:15:08
福岡と広島の本当の姿とは?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1192508367/
396日本@名無史さん:2008/04/20(日) 00:08:17
ほら吹きの白馬青牛はやっぱり逃亡ですか。
嘘だけついて、さよならですか。
397日本@名無史さん:2008/05/10(土) 11:26:03
卑怯者でおお法螺吹きの白馬鹿青筋は逃走か!
398日本@名無史さん:2008/05/18(日) 21:01:38
白馬青牛は日本一の卑怯者。
何時もの事だが、嘘がばれて、都合が悪くなると逃亡!
奴は本物の卑怯者だ!
板東武者の子孫だなんてよく言えたものだ。
399白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/23(金) 00:54:46
>>396-397及び>>398
卑怯云う言葉を恥じることも知らん外道の連投はつまらん。
400日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:24:21
大嘘つきが帰ってきた!
白馬さんの様な階級でも恥って言葉を知っているんですね。
あらゆるスレであれだけ叩かれ、よく平気でいられますね。

401日本@名無史さん:2008/05/24(土) 10:59:35
源頼義、藤原経清を錆び刀で鋸引きにして斬首したんだってね
恐ろしや〜
402日本@名無史さん:2008/05/25(日) 10:19:03
クソスレ
403日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:23:34
大嘘つきで卑怯者、短頭扁平顔で関東武士の子孫、輝かしい肩書きを持つ、
白馬青牛さんはどこに行かれたのですか?
嘘をつくのに疲れたのですか。
また、あなたの狂った書き込みが見たいです。
病状が悪化して入院されていないなら再度の登場を皆で期待しています。
404日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:38:35
NHK見てて思う。
つくづく、東の人たちは……
405 ◆26IT/WpOkg :2008/06/30(月) 23:12:20
名前あ はクルセーダーだったのかw
406日本@名無史さん:2008/07/11(金) 21:22:29
卑怯者の白馬よ、この板で言ったことはすべて嘘なんだな。
407日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:27:29
=゚ω゚) 牛は嘘つきじゃ無い!
大陸と半島に夢と冒険とロマンとメルヘンを求めてるから現実から離れているだけだ。
つまり下妻から一向宗やゴスロリが発生するようなものだと思えばいい。はっはっは。
408 ◆26IT/WpOkg :2008/07/19(土) 11:56:01
スレ消滅
409日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:31:54
=゚ω゚) あ、ホントだ・・・
410日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:20:41
つまり、牛は馬鹿ってこと?
411白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/22(火) 00:36:12
>>403-406
嘘をつくんは、われみたいな関東人か、虚言癖の薩摩人に代表される
九州人の専売特許じゃないか。
>>407
>大陸や半島に夢と冒険とロマンとメルヘンを求める?わしゃあ馬賊
じゃないど。現実から離れ大陸や半島を卑しめて楽しんどるんは、
朱子学排外攘夷思想の強い関東人じゃないか。
>>410
わしが馬鹿なんは当然じゃが、関東人の馬鹿さ加減にゃあ敵わんわい。
412 ◆26IT/WpOkg :2008/07/22(火) 01:04:47
>>407=゚ω゚)
広島浄土真宗王国にメルヘンを求める深田usi
413 ◆26IT/WpOkg :2008/07/22(火) 16:29:28
aa佐日と栄が。。
鵜南と裏学は勝っちゃだめだろ…
414日本@名無史さん:2008/07/22(火) 17:49:45
白馬青牛てなにがしたいの?


415日本@名無史さん:2008/07/22(火) 18:58:26
関東よりよほど薩長のチョンどもがやったテロ行為の方が残虐だろ
大阪はBの巣窟だし。
416日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:24:54
白馬青牛はただイカレテルだけだよ。
417白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/22(火) 22:46:16
>>412
浄土真宗にメルヘンを求めとらんど。浄土真宗の人道主義の長所の反面、
短所である人口抑制出来ず、環境破壊をもたらす側面もあるけんのう。
間引きをする関東人は、秩序維持に熱心じゃわい。
>>414
何がしたい云うて、関東人の偏見妄想を壊してやっとるだけじゃ。
>>415
長州は兎も角、残酷度じゃあ薩摩は関東と比べても、優るとも劣らんけえ
のう。大阪が被差別民の巣窟なら関東、東日本は隷属農奴社会じゃないか。
>>416
わしから見たら、(例>>415の関東人の言を見ても、)どう考えても、
関東人の方がイカレトルのう。
418日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:53:26
白馬青牛イカレ野郎スルー
419日本@名無史さん:2008/07/23(水) 12:03:27
基地外がいるな
下品な糞方言語使う、キチガイ妄想屑が邁進してるスレはここですか?
420日本@名無史さん:2008/07/23(水) 19:45:26
>>393
というより他民族の犯行だったりする事もあるので注意。

【土浦荒川沖8人殺傷通り魔事件】(時事通信)
土浦の殺人容疑で24歳男を指名手配
土浦署捜査本部は21日、同市中村東3、無職、金川(かながわ)真大(まさひろ)韓国名 金 真大容疑者(24)を殺人容疑で全国に指名手配した。
421日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:44:41
大笑い。
論争にボロ負けの白馬青牛さんwww

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1214430936/l50
422日本@名無史さん:2008/08/17(日) 02:56:26
不毛な争い 馬鹿が集団で馬鹿を叩く 
ドッか消えろ似非知識人共
423日本@名無史さん:2008/08/17(日) 09:27:49
>>422 お前さんもどこかの馬の骨の子孫で馬鹿ですか。
424白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/08/18(月) 02:11:16
>>421
論争云う程度の問題じゃあるまい。ボロ負けはドイツ奴隷君の方で。
>>422
わしゃあ馬鹿じゃが、生きとる「イカ」じゃのうて標本の「スルメ」の
空理空論で恥ずかしゅうものうてカバチ垂れるほど、わしゃあ馬鹿に
なれん。どうせ、ドイツ奴隷君は軍事板のQ&Aの受け売りじゃろう。
425日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:27:18
凄い、馬鹿でイカレタ天才「白馬鹿青牛」さんが帰ってきた。
ところでお馬鹿の白馬さん、あんた奴隷って言葉が大好きだね。
あんたって、最下層の出自なのに差別主義者なんだね。
あんたの矛盾に満ちた論理って凄い、やっぱりイカレタ天才だね。

426日本@名無史さん:2008/08/19(火) 04:37:16
自分を棚に上げて他者を叩かなくちゃ自我を保てないのが日本のルール
ここで他者批判に終始してる奴は童貞や馬鹿
匿名って便利だよねw
427日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:32:06
↑ 下層階級って失う物がないから良いですね。
  それと君のような醜男は生きる価値がないよね。
428日本@名無史さん:2008/08/30(土) 22:40:48
>>426 自分も匿名なのによく他人の批判ができるな。
    しかも下品、さすが白馬のお友達。
    お前の変態度と馬鹿さ加減は白馬と同じだな。 
429日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:40:56
>>427>>428自演だったら乙
なぜに下層階級、醜男?

君が他人様の生き死にを軽々と独断してしまう憐れな人間という事しか
わからないが マンドクセ
430 ◆26IT/WpOkg :2008/08/31(日) 01:29:35
usiは他板だよ
431日本@名無史さん:2008/08/31(日) 06:18:23
>>425
笑たWWWWWMWWWWWMWWWWWMWWWWWMWWWWWMWWWWWMWWWWWMWWWWWM
432日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:20:03
>>429 お前も同様だろう。
    お前らみたいな奴らを「ドングリの背比べ」って言うんだよ。 
    それと、お前さん、日本語には句読点ってのがあるんだけど。
    日本語はどこで習ったの。  
433日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:02:57
中国人や朝鮮人が野蛮というのがデフォな輩がいるようだが、日本人にも
野蛮な連中はいるんだよ
九州南部とか四国の太平洋側、近畿以東の地域(江戸時代から人種のるつぼ
だった江戸を除く)に住んでる連中な、隼人や坂東、エミシの皆さんね

とはいえ九州北部や瀬戸内海沿岸部、京都大阪に住んでるのは中国や朝鮮からの
渡来人なので野蛮と

つまり日本人全員が野蛮という事です
434日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:13:02
>>415
薩摩はチョンとはまた別の民族だろ、隼人だし
南方系とか縄文人の一種とか色々言われてるけど平安時代まで
日本語喋ってなかったような連中らしいし

京都につれて来られて定住してるんで関西人が薩摩を貶めるのは自己批判に
繋がるケースもある

九州のチョンは北の方に住んでるよ、中国系も多い
435日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:19:09
縄文人というか狩猟系の人等は狩場を巡ってしょっちゅう小競り合いしてるんで
生死に対して比較的考えが軽い

同じもののふといっても農耕系とは社会構造も違う、身分に関係なく(というか高度な
身分制度があったかどうか不明だが)男衆の大半が戦になれば兵をになった
436日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:55:52
>>432
そういうお前もwww。揚げ足の取り方が実に小さいwww
437日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:58:47
俺は日本人だが、チョンとか言う2ちゃん脳には頭の悪さと危なさしか感じない。
438改め ◆PWTcGEfp1s :2008/09/01(月) 00:12:18
test
439日本@名無史さん:2008/09/01(月) 13:01:46
牛様の御説法ききたし
440白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/09/01(月) 23:39:48
>>439
わしの説法?>>434については、薩摩と朝鮮半島は、人種は兎も角、
文化習俗的に近い。薩南学派の朱子学の影響もあろう。>>435は、
縄文人より弥生人の方が戦闘を繰り返したこと。縄文人による食人が
自己集団の供犠か他集団の奴隷を供犠の対象にしたかどうか、
判らんよ。
441日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:24:31
だからよ、島津支配層とハヤトはDNAが違うってw
何時までオオボケ話やるんだよあんたら。
442日本@名無史さん:2008/09/02(火) 11:37:53
牛様降臨キターーーーヽ(゜▽、゜)ノ
443日本@名無史さん:2008/09/28(日) 22:30:18
朝鮮半島出身で短頭・扁平顔なのに東国武士の子孫の白馬青牛さんは行方不明ですか。
444日本@名無史さん:2008/09/29(月) 07:04:53
>>440
糞コテうざい
445日本@名無史さん::2008/09/30(火) 21:01:30
白馬って馬鹿で完全にイカレテルから無視してください。
446日本@名無史さん::2008/09/30(火) 22:17:50
白馬青牛はキショイ。白馬の顔は扁平・つり目で半島系だろう。
447 ◆26IT/WpOkg :2008/09/30(火) 23:25:08
おまいら、usiはここだよ

山本弘「目からウロコの南京大虐殺論争」への疑問3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1222499506/
448日本@名無史さん:2008/10/01(水) 01:09:22
北関東のヤンキーを観察したら、おのずと答えが出るんじゃない?
449日本@名無史さん:2008/10/01(水) 04:49:17
>>446
広島ってチョンが多いんだっけ?
450日本@名無史さん:2008/10/01(水) 08:28:04
はだしの元か。
金持ちになった朴さんはやはり、闇市で日本人の露店を襲って得た商品を
売ってぼろ儲けしたんだろうなあ。
451日本@名無史さん:2008/10/01(水) 11:14:57
白馬青牛の所為で広島人が嫌いになってきた


452日本@名無史さん::2008/10/01(水) 22:37:44
広島県民も大変でしょう。白馬青牛が近所に住んでるんですから。
453日本@名無史さん:2008/10/01(水) 22:52:08
=゚ω゚) 近所に牛がおったら晴れ晴れゆかいな毎日ではなかろうか?
まぁあの歴史認識で現在の在日や同和の利権者と共謀したら笑えるが。
454日本@名無史さん:2008/10/02(木) 10:38:06
広島はDQN多すぎ





455 ◆26IT/WpOkg :2008/10/02(木) 21:57:03
おっと、張さんの悪口はそこまでだ
456白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/03(金) 00:49:52
>>443
関東南部は短頭地帯じゃないか。
>>451
広島人を嫌いになろうと、われの勝手じゃ。わしゃあお人良しじゃけえ、
関東奴隷民らの罵倒にゃあ憤慨することがあっても、関東人全てを嫌う
器用なまねは出来んよ。顔の幅の広いエラの張った関東人面を見ても、
縄文系が強いんじゃのう、思うだけじゃ。
>>453
まあ、わしも人を不ゆかいにする特技もないようじゃし。
歴史認識云うて、韓国人と熊本人・鹿児島人の類似は事実じゃけえのう。
在日や同和の利権者たあ接触がないど、知人は利権者じゃないけんのう。
>>454
現在の広島は、昔と違うてDQNの数が少くのうなったけえ、
つまらんのう。
457日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:54:33
白馬は人を不愉快にする天才。
早く、この世から消えてしまえ。
458コピペ:2008/10/05(日) 19:53:05
白馬青牛は馬鹿に決まっている。
バカすぎる。
馬鹿でイカレタ天才、白馬鹿青牛。
グダグダ中身のないこと・・・
馬鹿な自分自身を美化する白馬青牛。

馬鹿たれ云う ことじゃのう。
459坂東次郎 :2008/10/05(日) 20:51:53
俺白馬好きだよ 面白いよ馬鹿の妄想はW

俺は関東地侍庄屋のでだが、関東も今や在日天国にまで落ちぶれた

だが たかが広島県に馬鹿にされるほどの地域でもないW
実際坂東は比較的おとなしい人が多いよ 百姓だらけだし

広島県や賤民大国西日本に比べれば 恥ずかしい由緒の家も少数

だけど白馬は好きだよ 馬鹿さが好きW
460日本@名無史さん:2008/10/05(日) 20:56:50
>>459
目くそ鼻くそを笑いましたw
>>1
ネタにマジレスすっけど合戦中に身内が討死したからって退散して喪に服す馬鹿がいるかい?

悲しまないとかそんな問題じゃなくて、戦い続けないと自分ないし主家が滅ぼされるかとんでもない不利な和議を強いられるジャマイカ?
462日本@名無史さん:2008/10/05(日) 23:10:51
そりゃ総力戦ならな
463日本@名無史さん:2008/10/05(日) 23:14:43
後三年記とか血生臭いけど武士の世界はこんなもんだった
464白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/07(火) 00:54:49
>>457
わしゃあ、人を不愉快にした覚えはないが、あんたのセンスのない回答の
仕方あ何なら?生き死には、わしやあんたが決めることじゃないど。
>>459
東国奴隷社会じゃあ、ほとんど農奴じゃろうに。在日、賤民を使う処、
あんた自身が奴隷出自を他者を貶める形態で表現する幼稚さが見えて
面白い。西日本人が関東における支配層であったことに対する劣等感と
被害者意識の強さは、東国の「恨」よのう。
>>463
『後三年記』における残酷さは、降人を処刑した義家で、降人を斬るんは
兵(もののふ)の道に反すると考えた西日本人の義光たあ違う。
武士の世界云うたあ、東国における武士道の軽視の問題じゃ。
近代戦でも、関東の兵団は中国軍の破棄遺体を回収する兵士に照準を
合わせたが、広島兵団は、武士の情けで敵の破棄遺体回収時に射つことを
恥じた。地域による違いで武士の世界を全て外道扱いするんは反対じゃ。
465日本@名無史さん:2008/10/07(火) 20:10:18
俺は前九年後三年の役でアンチ源氏になりました
466日本@名無史さん:2008/10/07(火) 22:47:44
=゚ω゚)))ガクブル 血で血を洗う新羅三郎のファンだったのか牛。
鹿島三郎の子孫芹沢鴨も顔負けじゃのう。
467日本@名無史さん:2008/10/07(火) 23:05:55
白馬青牛は関東奴隷の子孫じゃなかった?
白馬の名字は明治新姓だろう。
468日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:38:47
白馬青牛の妄想です、皆さん、笑ってやってください。
300 :白馬青牛:2008/01/12(土) 23:46:04
>>297は、
http://www.5b.biglobe.ne.jp/~kabuusk/geinohsi12.htm
じゃったか。
>>294
板東蛙君、久しぶりじゃのう。
>>295-298
人の言を屁理屈じゃ云うもんに礼儀があるんか。礼儀を知らん関東じゃあ
通用しても広島じゃあ通用しゃあせんよ。>>291で、「わしの先祖を
聞きたかったら、わしを直接尋ねるしか手段はないど。」云うとるんで。
人に要求ばっかしのわれに催促され、わしが先祖はこうこうで云うたら、
わしゃあ嘘つきで、二言を云うたことになる。ほいで、証拠云うて何なら?
わしの遺伝子から関東武士系かどうか解るんか?
人に要求するけえ逆に聞くが、ほいであんたあ、何処の馬の骨のもんか?
あんたの文章は躾を受けとらん育ちの悪りい下賤なようじゃが、
先祖の名は誰なんか?また証明出来るもんを提示せえや。
人に先祖を明かせ云う限り、あんたは明解に答えることを前提に云うとるん
じゃろう。人を嘘つき呼ばわりした限り、あんたは事実を答える義務が
生じるわけじゃ。武士に二言はないど。
469日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:40:04
320 :白馬青牛:2008/01/19(土) 22:43:37
>>318-319
わしゃあ蝦夷や東国武士の血が入っとっても日本人で、関東の東夷民族と
違い、分類上西日本の大和民族に属する。
帰れ云うても郷土広島へ住んどるけえのう。東夷民族の関東人は何処へ
帰るんか?ほいで、単なる罵倒だけの、あんたの書き込みが、
日本(国)人の誇りになるんか?「兵の道」を知らん東夷民族こそ、
武士道を知らんけえ、口にして欲しゅうないのう。
わしが他人を中傷?執拗に攻撃?そりゃあ、あんたらのことじゃ。
その異常さに呆れとるんは、わしの方じゃ。逆説垂れなや。

325 :白馬青牛:2008/01/24(木) 00:42:09
>>324
わしの顔を観たこともなかろうに。まあ、わしゃあ、さほど顔の掘りは
深うないねえ。わしゃあ、下層の生まれじゃないが、大名上級武士を
皮肉った、『柳多留拾遺』の、「拙者も逃げた人数なり」の輩の上層でも
ない。
上層部は近世の堕落武士から近代、上層将校に至るまで、一部の人たちを
除いて、概ね武士道に乏しい。武士の精神は千葉徳爾氏の云われるよう、
「家禄に依存し泰平の世に武を放棄して金銭を欲しながら生きる者が多く
なった彼等より、生きた野生生物と闘って生計を立てて来た漁夫や猟人
たちの間にこそ、むしろ強く受け継がれて来た。」と、わしの先祖は、
戦場から逃げ、堕落した伝統は持っとらんよ。
わしゃあ、残念じゃが、上品な渡来系、完璧な長州型じゃないけんのう。
東国武士の血は濃いんじゃが、蝦夷の血まで確認出来る訳あるまい。
じゃが、わしの指紋も、朝鮮や西日本に多い渦状紋じゃのうて、東日本で
増え、アイヌ人に多い蹄状紋じゃけえ、少なくとも、蝦夷の血が入っとる。
東国武士は渡来系が多かったけえ、混血したとしても、土着民の蝦夷たあ、
また別じゃろう。


470日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:44:06
白馬青牛さん、あなたのような下品で卑しい生まれの人でも武士階級
出身と嘘をついて良いのですか。
471白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/08(水) 23:43:09
>>466
新羅三郎義光も、常陸へおったら、周りの常陸人に感化され常陸人化
したんじゃろうて。ほいから戦国板で新スレが立ったど。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1221328751/
472白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/09(木) 00:20:15
>>468-469
わしを東国の東夷民族に入れたいんか?
http://www.inplace.jp/wp/?cat=13
司馬遼太郎との対談〔文化and本〕網野氏や林屋氏と司馬氏の対談で
「朝鮮半島東部から渡って来た複数の製鉄集団が出雲に上陸し、吉備に
渡る。」「朝鮮半島の動乱によって日本に渡ってきた移民を東国に移し、
・・・後の武士集団となる。」等は妥当じゃが、「広島はかなり東国の
影響が多い地方。」云うても地域社会組織、風土が違うけえ、東国たあ
違うわい。>>467関東武士集団(渡来系)だけじゃのうて、奴隷化された
土着民(蝦夷系)が混じっとるかも知れんし、それ以前に安芸の
東西佐伯部の縄文的特徴があるけんのう。庶民も明治新姓以前に姓を
持っとたんが多いど。隷属縦社会の東国じゃあ、明治新姓が多かったんか?
473日本@名無史さん:2008/10/09(木) 20:00:37
結城宗広マンセー
474日本@名無史さん :2008/10/09(木) 21:14:26
白馬青牛さんよ、あんたが東国武士の子孫である証拠の具体例を出せよ。
あんたが東国武者の子孫なのは事実なんだろう。証拠をきちんと出せよ。
475日本@名無史さん:2008/10/09(木) 21:20:54
>新羅三郎義光も周りの常陸人に感化され常陸人化したんじゃろうて。

=゚ω゚) なるほど親鸞一家みてぇなもんか?
上人様は八幡太郎義家の子孫じゃしのう。
はやく正道に目覚めろよ牛。
476日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:35:12
弟5師団を壊滅させた林彪最強
477日本@名無史さん :2008/10/10(金) 20:56:07
白馬青牛よ、お前が東国武士の子孫だという証拠を示せ。
名のある祖先がいるなら、正々堂々と名乗りを上げるのが、
武士の誇り。
478日本@名無史さん :2008/10/10(金) 22:46:29
「東国の東夷民族」?
また。大嘘つきで馬鹿でイカレタ白馬青牛の妄想ですか?
479日本@名無史さん :2008/10/11(土) 15:41:58
白馬青牛さん、あなたが東国武士の子孫である具体的な証拠を出しなさい。
480日本@名無史さん :2008/10/11(土) 21:02:10
白馬青牛よ、お前得意の具体例を上げて、汚名をそそげよ。
早く、お前が東国武士の子孫だという証拠を出せよ。
期待してるぜ。
481日本@名無史さん:2008/10/11(土) 21:16:02

最近地域対立を煽る様な書き込みや、不必要に朝鮮って文字使う書き込み

多いと思わないか?工作臭がプンプンするんだけどな。!!!!!!

こんな幼稚な工作で日本に混乱、内乱でも起こせると思ってるんだろうか?。
482日本@名無史さん :2008/10/11(土) 23:22:51
白馬青牛よ、早く証拠見せろよ。
俺も期待してるよ。
483日本@名無史さん :2008/10/12(日) 15:03:13
まだ、証拠は出ないの。待ちくたびれた。
484日本@名無史さん:2008/10/12(日) 16:37:34
白馬青牛
↑こいつって知識と精神がおかしくね?
485日本@名無史さん :2008/10/12(日) 22:54:58
白馬はイカレテルし、生まれつきの嘘つき。
頭の病気だろう。
486日本@名無史さん:2008/10/13(月) 00:29:26
白馬青牛様は狂牛病におかされた可愛そうな被害妄想患者でつ
暖かく馬鹿にしませう
487 ◆26IT/WpOkg :2008/10/13(月) 08:59:25
>>477
それって実は一番難しいか事かな
割元名主?子孫のクルちゃんでも無理かも
翔子ってのは
488日本@名無史さん:2008/10/13(月) 10:56:47
白馬青牛は何時も具体的証拠を出せとうるさいぞ。
自分で書き込みながら、具体的証拠も出せないの。
489日本@名無史さん:2008/10/13(月) 17:59:14
まだ、証拠がでない。やはり大嘘だったのか。
490日本@名無史さん:2008/10/13(月) 18:09:57
このスレの結論は広島最強でOK?
491日本@名無史さん:2008/10/13(月) 21:03:48
広島の「白馬青牛が最強の嘘つきであった。」が結論。
492日本@名無史さん:2008/10/13(月) 23:30:53
>>490
もうそれでいいよ
493白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/14(火) 01:19:36
>>474
他板でも吠えよるが、事物による証拠たあ具体的に何なら?
わしゃあ東国武士系の子孫系統に属しとるが、亡くなられた先人の
人たちを証明出来ん(歴史上の人物織田信長や豊臣秀吉という人物の存在を
証明出来んのと同じじゃし、安芸国人の毛利氏、多賀谷氏、
土肥系小早川氏が東国武士の末裔の可能性が強いが証明出来ん点は
変わらん)、わしの身内、親類が東国武士由来を持つ家同士の婚姻が
多くで成りたっとるけえ、その可能性が強いわけじゃ。逆に東国武士の
系統でないことの可能性論も低いし、証明論に至ってはお手上げに
なるけんのう。ほいで関東の隷属民、村落上層部、土着由来の江戸期
上層武士でも、先祖の証明は出来んけえのう。戦国期越後人に犯されて
系図と違い他の血が混じったかも知れん。近隣から侵された関東の方が
その可能性が安芸より強いとも考えられる。じゃけえ、あんたの家系が
証明出来るんか?
>>476
林彪が攻撃したんは非戦闘員に等しい輜重隊で、広島5Dの戦闘員で
ある歩兵部隊じゃない。広島5D(杭州湾上陸の先陣国崎支隊の
福山第41聯隊は、上海にあり、広島第11聯隊主力は北支戦線に
引き返す最中)の平型関での主力の戦闘は、国府軍、山西軍で、
八路軍と違うど。そういやあ、平型関の輜重隊は北関東の宇都宮兵団の
輜重兵もおったか。広島5Dじゃあ、その後輜重隊をも平型関の教訓から
戦闘部隊化し、徐州会戦じゃあ分捕り軽機関銃で武装したり、あるいは、
銃剣に棒にくくりつけ槍を作り敵兵を刺殺する等敢闘したけえ、
広島5Dは輜重隊まで強いと云う評判になったぐらいじゃ。
平型関じゃあ、中国側の日本軍死傷者が四千から二千にトーンダウン
しとる。明らかに死傷者数でデタラメな数字を挙げたら、世界中から
日本軍の侵攻、蛮行による自国民の被害まで疑われるけんのう。 
むしろ現在は世界の世論に鈍感な日本側の方が資料による敵軍の死傷者数
の水増しを改めんままじゃけんのう。日本は戦前も戦後も世界の世論に
鈍感な処は変わらん。
494 ◆26IT/WpOkg :2008/10/14(火) 01:44:01
>>490
最強は武道家の→=゚ω゚)
>>493
途中まで良かったのに
495日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:40:51
>>493 中途半端な先祖自慢は格好悪・・・・・・・・!
   こいつ馬鹿や!
496日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:01:21
>ほいで関東の隷属民、村落上層部、土着由来の江戸期上層武士でも、先祖の証明は出来んけえのう。

=゚ω゚) 浅草弾左衛門でも由来ぐらい言えたもんだ。
それより先日の日曜日流血の中で八王子剣術オフ終了じゃ!
まだ血が足りんぞと、オイラの薙刀が泣いておる。
かかって来んかい!牛!
497日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:59:29
白馬青牛の妄想乙。
「恥」
498板東次郎:2008/10/15(水) 21:16:44
おれは白馬童子のクソっぷりと、賤民出自が必死に武家上がりと盲信するざま、そして汚らしい方言、知識レベル。。
なにをとっても カワユイよW 俺嫌いじゃないよW

いかれ頭の池沼患者の被害妄想論はずば抜けて面白ス

499白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/15(水) 23:42:02
>>496
由来ぐらいは云えるじゃろう。賤民出身の弾左衛門が藤原氏を
名乗っても、賤民出身の徳川氏が藤原氏や源氏を名乗っても。
剣の相手にあんた薙刀で相手したんか?相当実力差がない限り、
薙刀で勝つんは当然じゃ。かかって来いか、売られたほうのわしが
武器を選んでええ云うことじゃのう。
>>498
近世大名なんか賤民に近い連中の成り上がりがほとんどじゃろう。
特に尾張・三河系なんか。ほいで、被害妄想は越後人に蹂躙され、
姦された関東人じゃろうに。
500日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:46:14
>>499
>賤民出身の徳川氏が藤原氏や源氏を名乗っても
妄想イラネーよ
501白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/16(木) 01:16:45
>>500
わしゃあ>>297-302でも書いとるど。
ほいで、徳川家は、加茂氏ー藤原氏ー源氏に改姓じゃけんのう。
遊行僧(当時の賤民)徳阿弥の子孫家康は、正規町天皇に氏素性の明確で
ない者に官位は与えんと云われた為、近衛前久や吉田兼右に頼んで貰うて、
系図虚偽工作よのう。
502日本@名無史さん:2008/10/16(木) 01:25:24
なぜ口語体?
503日本@名無史さん:2008/10/16(木) 01:48:14
=゚ω゚) 長吏、非人のご先祖は、車丹波か頼朝か。

さて武家の子孫の牛はどんな武器を使うのかな〜??
三ツ物かなぁ〜?お鎌かなぁ〜?
504日本@名無史さん:2008/10/16(木) 01:48:19
歴史を離れて疑問を一言。
関東人=朝鮮系だとして、どうして現代は反対なのか?
大阪民国と呼ばれることからもわかるように行動も気性も関西人=朝鮮系だと思える。
誰か推論でも仮説でもいいから説明してくれませんか?
日本史板で馬鹿な質問すんなよという場合はスルーしてくださってけっこうです。
505日本@名無史さん:2008/10/16(木) 01:48:30
自分の存在をみんなにアピールしたいんだよ
506日本@名無史さん:2008/10/16(木) 01:51:08
>>503
鉄砲じゃない?
銃刀法違反で逮捕だよ。
でも、彼は口先番長だから安心なさい。
507日本@名無史さん:2008/10/16(木) 02:43:43
>>504
なぜ関東が朝鮮人なの?渡来系が色濃いのはおもに西日本でしょ。
そもそも賤民は、大和朝廷時代の産物。大和朝廷が力が及ばなかった関東以北はエッタ避妊はあまりいない
大阪をあげているが、これは私の憶測だが大阪が在日天国となっている背景は、維新後及び戦後、地方での差別を避け都市部に在日が集まったと思われる。
しかし、太古も在日を伊予の国に強制移住させていた例もある。
大阪は部落と賤民と在日とマフィアと、トリプルフォーメーションだから、もはや瀕死。下手げに結婚できないよ大阪人とは。
しかし、渡来系はほとんどが西日本ですよ。 神社も高麗系や真羅系がほとんどなのが西日本だし。
大内や陶や対馬や多々良や管やら言えばきりないが、近世でも半島と関係せいが深いのも西日本
大阪は、その日本の汚いものを全て集約してしまったということなのかな?
508日本@名無史さん:2008/10/16(木) 02:53:24
あと考えられるのは、大阪は商業の町 江戸はほとんどが行政区だし武士だらけだから流れものなども今のお台場近辺に大型収容所があるため歴然とした町
しかし大阪は商業の町。 経済の営みがあれば ヤクザやらチンピラやら流れものやら犯罪者やら在日やら賤民やら病人やら守銭奴やら金基地外やら、
当時の考えられるありったけのいわく付き人間が食い扶持求め大阪に集まったこともあるだろう。
当時大阪には武士すらわずかしかいない、かなりの無法地帯

その末裔が今の大阪ということ
509日本@名無史さん:2008/10/16(木) 07:44:36
嘘も休み休み言え。半島系の神社は関東に集中してるだろ。大阪でも攝津と河内は
源氏発祥の地として江戸時代も天領として保護されていた。泉は確かに吹き溜まりに
なってたみたいだがな。大阪に在日が増えたのは関東大震災以降のこと。後戦後半
島で起こったチェジュ島での共産主義革命や朝鮮戦争で逃げてきたのが仲間頼って
やってきたことも大きい。でもな、大阪民国どうこうってのは主にバカな関東人の僻みか
らくるものだどう診てもお前らの頭おかしいだろ。感覚が狂ってる
510日本@名無史さん:2008/10/16(木) 08:28:55
おいおい 西日本の神社も渡来系の神が集中してるだろ。なにが関東だけなんだよ
さらに河内や摂津が天領保護されてたからどうした?だから汚れなき民だとでもいいたいか?
大阪なんかに誰が僻むかよ。大阪といえば、普通に賤民国家のB民族と罵られるほどの街に誰が僻む?
プラス思考もそこまでくると世間知らずと言うんだよ
在日は確かに震災後爆発的に増えてるが、そもそも本州西日本は半島渡来系だからなんともいえんな
なにしろ大阪のBの数は、常識を越えていると聞いたぞ
511日本@名無史さん:2008/10/16(木) 21:46:30
ここは自称東国武者の子孫、白馬青牛さんの嘘と妄想を弾劾する板じゃなかった
のですか。ところで彼の嘘はどうなったんですか?
512日本@名無史さん:2008/10/16(木) 22:22:33
=゚ω゚) 大阪いいじん。通天閣に日立のパソコン、茨木市。ええこっちゃ。

大都市に無宿人が集まればそりゃ自動的に非人じゃからのう。
対してエタは万世一系とされた。
エタ寺に犬神人、時衆僧に仏師運慶。宗教に賎民は憑き物じゃのう。
青屋の白袴とは言うが神道じゃろうか?
513白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/16(木) 22:44:20
>>503
江戸期の堕落した武家じゃのうて、わしの血流は庄屋及び庶民じゃのう。
広島県の東国武士の末裔は、武家へ養子に行ったんは別として概ね平民
じゃわい。まあ村落へ帰農しても、武具を保持した家は多いんじゃ
ないか。 
わしが、どがあな武器を使うか相手次第じゃのう。お鎌たあ、こんな
尻掘られたいんか?法律がどうのこうの逃げる弱虫の>>506も一緒に連れて
きんさい。
514日本@名無史さん:2008/10/16(木) 23:11:29
また、嘘ついてら。
嘘ばっかついてると、舌抜かれるぞ。
東国武士の子孫というのは嘘、いや妄想なんでしょう。
あんた以外誰も信用してないぞ。

515日本@名無史さん:2008/10/16(木) 23:27:07
庄屋だったら信憑性もあるよ。
長州へ行ったのもいるけどそうでないのもいる。
俺が知っている家は長州に行った方が明治に華族にまで出世してしまって大逆転よ。
けど、白馬青牛さんからは同和の匂いしかしないことは内緒ね。
516 ◆26IT/WpOkg :2008/10/16(木) 23:31:00
>>509
あんたは大阪版のクルちゃんか、メガ豚君か
>>513
usiスレ立ってるよ
今度は人類学板
517白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/16(木) 23:36:48
>>504
関東人の武士団=渡来系で庶民層まで渡来系とまで云えんけえのう。
関東の渡来系と土着系の比率は埴原和郎氏が云われるよう7対3じゃ
ないか。渡来系9の畿内よりは土着系も増える。
気性は、生物決定論と違い文化決定論じゃ。縦型農奴社会の東日本の方が
西日本より朝鮮の社会に近いし、朝鮮人に似た気質なら九州>東日本>
西日本じゃのう。九州と朝鮮半島(特に慶尚道)の気質は似とる。
http://www.uub.jp/frm/27300.html
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/dailyresearch/eid/597223
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscover_notempleinkagoshima02.htm
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/buddhism.html
地理・人類学板と重複になるが、一番上の[27397]「慶尚道人は
鹿児島県人との類似点がかなり多いと感じています。」
二番目の質問6に、「母親が鹿児島出身ですが、祖母から相当厳格(儒教)
な教育を受けて育っています。私は韓国でも最も保守的と言われる大邱・
慶尚北道地域で2年半の留学生活を送りましたが、この地で過ごしてみて、
九州(特に熊本、鹿児島)と慶尚道(釜山・大邱周辺)は極めてよく似た
気質を持っていることを思い知らされました。九州男児≒慶尚道の男性と
言えますし、女性が気が強くて行動的なところも似ています。また、
大邱で一緒に過ごした先輩は、話に聞く『肥後もっこす』そのものでした。
そして、母親が祖母から受けてきたきた教育は薩摩藩スタンダードと
いえるものですが、それもまた韓国、慶尚道に根強く残る儒教思想と瓜二つ
だと思います」
三番目の仁王像を破壊する処は四番目の李氏朝鮮の仏教弾圧と同じじゃ。
儒教朱子学王国は過激じゃのう。小柄で華奢な薩摩人の肉体を大柄で頑丈に
肉体を強壮に改造したら韓国人になるのう。
518日本@名無史さん:2008/10/16(木) 23:38:49
>お鎌たあ、こんな尻掘られたいんか?

=゚ω゚) やはり獲物・・・いや、得物はオカマか!
高坂弾正もまっさおじゃのう。
519白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/17(金) 00:07:54
>>511
わしを集団吊るし上げ?左翼の手法か?
>>515
多賀谷氏一族で長州へ行った者は、ほとんどおらんじゃろうし、
天野氏は、毛利氏から養子を貰うた本家筋だけが長州へ行った。
内閣総理大臣の桂太郎の家は、戦国期毛利氏の家臣であると共に、
平賀氏の家臣でもあったが、平賀氏が浪人して、江戸期家臣の桂氏の方が
出世したけんのう。その平賀氏の子孫も安芸国(広島県)に残ったんが
ほとんどじゃけんのう。被差別民にも、宍戸氏や伊予河野氏の家臣なんか
多いんじゃないか。被差別民も江戸政権の囲い込みによるゲットー化
以前は自由民じゃったし。>>510被差別民化したんは隷属縦型
東国社会制度であって、西日本自体が差別制度じゃったわけでもない。
売り買いされる東日本の奴隷民は被差別民以上に悲惨じゃ。
>>518
わしの尻は処女じゃ。掘るんは特に苦手でもないが、強制的に接した
こたあないど。しかも基本的に女の方が好きじゃけえ、男色王国の薩摩人
たあ違う。
520日本@名無史さん:2008/10/17(金) 00:13:02
>>519
白馬さん、
私は違いますよ。ただ書き込みしないだけですが。頑張ってくださいね。
521 ◆26IT/WpOkg :2008/10/17(金) 00:18:00
アイスクリームさんかなw
522日本@名無史さん:2008/10/17(金) 10:06:39
なんで大阪にいくと、千原兄弟のような高杉系典型チョン顔が多いの?柄悪いのが多いし、なにしろ大阪ってひどすぎないか?
マナーすら守れないわ、逆キレされるわ、汚らしいことばつかうわ、図々しいわ、なれなれしいわ、頭悪そうだわ、DQNだらけだわ、
正直、朝鮮と同じレベルだと本気で思うんだが。またそれを善しと解釈してるよね大阪人て・・
523日本@名無史さん:2008/10/17(金) 18:19:18
大阪も在日多いからじゃないの?
524 ◆26IT/WpOkg :2008/10/17(金) 23:17:43
新人国記

【安芸国】 人の善悪ともに判ずる事なく、己々が一分を守る風なり。
【摂津国】 益なき身の飾り、調度などに美麗を尽し費やす事を厭わず。終に己れも窮し、人の財を損ぜしむるなり。
【河内国】 上下男女ともに気柔らかにして、…士農工商ともに高める人は驕る気ありて他人を見下す心あり。
【和泉国】 当国の風俗、至りて実義なし。
【常陸国】 盗賊多くして、夜討、押込、辻切等を好む=゚ω゚)
525白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/18(土) 00:20:35
>>520
ありがとうございます。
>>517
続いて、司馬遼太郎氏、陳舜臣氏、金達寿氏の鼎談から要約。
司馬「薩摩藩には、中国と朝鮮のにおいが濃いですね。海音寺潮五郎さんの
葬式が終わったあとのことですが、お嬢さんが薩摩式にやりましたといって
具体的に説明してくれた。それを一緒に聞いていた金達寿さんが、一言
「あ、それは朝鮮式だ」と言うと、彼女は変な顔をしていた印象があり
ましたね(笑)。まあ、朱子学の影響でしょう。もっとも金達寿的な
古代史風に言えば、あすこは惟宗氏で朝鮮筋目だという説もある。」 
金「新羅・伽耶から渡来した秦氏族の一派が平安時代惟宗氏になるで
しょう。」 
司馬「古代史的には惟宗氏なんです。島津は源氏を称していますけれども、
惟宗氏のにおいのほうが強いんです。中世では勝手に源氏だとか藤原とか
称していますから、そのたぐいですね。薩摩では、長男を非常に大事に
しまして、ぼくらの世代のころまで、薩摩藩の士族の家では、小さいとき
から長男は別のところでお膳を食べさせている。次男以下は板敷きか
どこかで飯を食っている。これはまさに朝鮮式ですね。九州は大なり
小なり薩摩風ではありますね。」 
金「福岡の人の例ですが、やっぱり長男というのはたいへんなものですね。
九州というと、一番日本の中で我々の体質に合うようですね。日本にこんな
ところがあるか、という感じです。九州人というのは、どちらかというと
慶尚道の人間に気質が似ているんじゃないか。悪く言えばがさつだと思う」
526白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/18(土) 00:54:53
>>524
『新人国記』
【上総】武勇にとりては、関東二番とは下がらずとぞ。 
【相模】栄ふれば、縁を求めて親しみをなし、時を得ず勢い落ちぬれば、
遠ざかり、その人の非を謗り、権柄ある人をば、非をも掩うて称誉す。
色食を好みて、栄耀にまさる事なしと思へり。かくの如き風十人に八、
九人は爾なり。 
まあ、関東最強は上総で、相模はボロ糞じゃのう。東国人の書いた
『人国記』や、それになろうた『新人国記』は、西日本については
実際知らんせえか偏見に終始しとる。九州についても、九州一勇猛な
肥後人を「肥前にははるかに劣れりぞ。」と出鱈目で誤魔化しとるのう。
『人国記』の西日本の武勇については、海賊地域を想像し語りよる
部分が目立つ。東日本において海賊・漁師の地、上総・安房を関東最強と
する基準から西日本についても勝手に想像したんじゃないか。
527日本@名無史さん:2008/10/18(土) 01:21:10
=゚ω゚) 常陸国も想像だろう。
夜討なんてやってたのは血盟団ぐらいだし
押込なんてやってたのは天狗党ぐらいだし
辻斬りなんてやってたのは黄門様ぐらいだし。
盗賊より暴走族の方が多いくらいだし。

とても湘南爆走族や風魔が居る相模にはかなわないずんずらよ。
528 ◆26IT/WpOkg :2008/10/18(土) 01:33:26
【安房】 人の気尖なること、譬えば刃の如し。 
【尾張】 男の言葉爽やかにして、よき国なりとぞ。
【紀伊】 利口を前面に顕し、実義露もなし。
【播磨】 知恵ありて義理を知らず。
【淡路】 人の気健やかにして、何も偽り無し。
【美作】 片意地にして人の教えを聞き入れず。
【備後】 生得実義にして、約を変ずる事なし。
【石見】 偽り多くして、実なる人稀なり。
【隠岐】 柔弱にして放逸なり。
【長門】 人に応ずるにも一思案して答ふる風なり。
【筑前】 酒色を好む人多し。
【日向】 無体無法の事のみ多く、…唯死するを以て善とする事、危うき風俗恐るべし。
【大隈】 上下ともに才ある国にして、人々不義を憎む風なり。
529白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/19(日) 01:31:35
>>527
『人国記』を書いたんはおそらく信州人じゃろう。
【信濃】武士の風俗天下一なり。
『新人国記』に北関東は、上野、下野、常陸も盗賊、強盗の地としとる。
>>528
関東に関しては房総健児の佐倉聯隊から上総・安房が関東の中では
勇猛じゃったんは解るが、西日本は遠いせいかデタラメだらけじゃ。
石見は純朴にして実直な気風で当っとらんよ。浜田聯隊を見よ。
九州でも、温厚な日向と、鼻息の荒い肥後を取り替えた方が現実的じゃ。
九州に覇を唱えた菊池氏や文禄・慶長の加藤・小西軍、九州で一番
命知らずで鳴らした熊本聯隊を見よ。
肥前は松浦党のイメージで勇猛とし、伊予西部を関東の強盗と同じ業と
したんも藤原純友軍を想定したもんで、戦国期は『人国記』『新人国記』で
気質柔らかとした伊予東部の方が海賊が多い。東国人は西日本を知らん
くせに、故事や文書、イメージ先入観、偏見で観るんは今も昔も変わらん。
530日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:18:42
白馬青牛は広島人じゃなく岡山人。
広島弁じゃなく岡山弁ぽい。
531日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:22:06
広島だったら「じゃけん」となる。
532白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/19(日) 23:54:11
>>530-531
わしゃあ広島人じゃけえ、未だ「ぼっけえ」を使わずじゃ。
広島は「じゃけん」「じゃけえ」両方使うど。
533日本@名無史さん:2008/10/19(日) 23:56:18
備後か福山ぢゃろうが。
534日本@名無史さん:2008/10/20(月) 00:21:48
東国は山賊、西国は海賊、分かります。
535日本@名無史さん:2008/10/20(月) 00:45:42
こんならわざとらしいんよ
536白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/20(月) 00:48:25
>>533
備後は、山野氏じゃろう。わしが備後じゃったら、「にゃあ」「きゃあ」を
多用しとるよ。
>>534
山賊は西国もじゃろう。江戸初期に四国や紀伊でも尾張系領主によって
山狩りしたけえのう。宮崎アニメの「もののけ姫」で領主軍勢が
タタラ山民への襲撃。平野部の多い関東は野盗よのう。
537日本@名無史さん:2008/10/20(月) 03:26:43
34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/24(月) 16:48:39 ID:BL7maSDc0
 近代天皇制イデオロギーの根幹を成す皇国史観は、薩長土肥の明治政府によって
悪質なプロパガンダに利用されましたが、その本質は「西日本=善玉、東日本=悪玉」
という構図にあります。
 それは、日本史が朝廷を中心とした近畿とそれに反抗して来た関東との対立抗争の
歴史だったからです。

 皇国史観で忠臣あるいはよく言われる人物で西日本と関係が深い人物には、
中臣鎌足、和気清麻呂、坂上田村麻呂、日野資朝・俊朝、名和長年、楠木正成・正行、
豊臣秀吉、大石内蔵助、吉田松蔭、桂小五郎、高杉晋作、坂本竜馬、大久保利通など
がいます。
 それに対して、皇国史観で逆賊あるいは良く言われない人物で東日本と関係が深い
人物には、平将門、源頼朝、北条政子、北条義時、北条高時、足利尊氏、徳川家康、
柳沢吉保、近藤勇、土方歳三、松平容保、河井継之助などがいます。

 高慢な西国人(西日本人)がつくった明治政府は、皇国史観によって、我々東国の
先人達を悪人として宣伝し、国民にそう吹き込みました。
 我々東国人(東日本人)も、いつのまにかそれに洗脳され、郷土の偉人達を悪人だと
思い込まされて来ました。
 これは我々東国人(東日本人)を侮辱するものに他なりません。
 これを読んだあなたが東国人(東日本人)であるならば、
 こんなデタラメな歴史観の復活を、絶対に許してはいけません。

 戊辰戦争の頃、清水港に漂着した幕府軍戦死者の遺体収容を官軍が禁じ、
そのまま晒しておくようにと命じたとのこと。
 会津城下じゃ、本当に晒したのですよね。一ヶ月くらいでしたっけ。
 しかし、身内の屍が、犬に食われカラスにつつかれ、朽ち果てていくのを毎日見る
のは、どんな思いでしょう?
 我らアズマにとって、サイゴク人が明治簒奪によって作った国民国家日本と
日本近代とは、自虐の屈辱的歴史でしかないのです。

538白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/20(月) 23:16:25
>>537
皇国史観は、儒教朱子学の影響の強い水戸学じゃろうに。
http://www.valdes.titech.ac.jp/~hashizm/text/titech/shukyo/resume/resume09.html
中国が夷狄の国となった に、楠木正成が南朝の後醍醐天皇に殉じたゆえ
朱子学水戸学的解釈では英雄であろう。
水戸学と攘夷思想 に、あるよう尊王思想と攘夷思想(南宋が総本山)と
結びつかしたんじゃろうに。国粋排外主義は関東鎖国史観の水戸学が、
中華思想的皇国史観を広めたけえ、中華思想隷属の関東人の問題じゃ。
539白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/21(火) 00:18:00
>>538の続き。朱子学流関東排外鎖国史観は、戦後も左翼史観の主流にも
なった。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/josetu/9909.htm
http://www.books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2008/10/post-43.html
上の方は、鎌倉武士賛美者の石母田正マルクス主義史観の自民族中心の
発展段階説や中世封建制論よのう。石母田氏は「アジア停滞論」に
自己反省されとるが、左翼や西洋崇拝の文化人、現在のネット右翼の
アジア蔑視に多大な影響を与えたと云えよう。軍事的な封建制が
後に近代に結びつくんならイスラム世界の軍事イクター制はどうなるんか?
石母田氏に影響を受けた日本の知識人とやらは、和漢洋だけ語れば知識人面
出来た時代じゃけえ、西アジアなんか視野に入れとらんかったじゃろう。
下の方は、井上章一氏の日本において支配的な「関東史観」に対する
批判で、文中にある戦後の石母田正や司馬遼太郎の歴史観も「関東史観」に
よって、鎌倉幕府の革新性を見ていたと、文中にないが日本東西分断論の
畿内マンセーの梅棹忠夫氏も封建制論で「関東史観」に毒されたと
批判されとる。 
まあ、わし流に云うと「東国鎖国史観」じゃが、国粋鎖国主義は、
戦後左翼史観〜現在の縄文教やネット右翼に引き継がれた、隣国蔑視、
排外主義で、原型は朱子学よのう。韓国の学者が倭寇に半島の住民が
加わっとったことを否定する鎖国史観も、朱子学攘夷鎖国主義で、
総本山は中華の華夷分類思想じゃろう。日本の排外国粋主義者は、
中国は夷に征服されて、日本は華の継続者として中華文明の
体現者ぶりよるんじゃないか。ネット右翼が日本を華とし、中韓を
夷とするように。関東史観者は東国は華で、西日本は夷じゃ思うとるんか
のう?関東史観は中国や韓国と同様、朱子学が基盤じゃけえのう。
540日本@名無史さん:2008/10/21(火) 03:07:16
541日本@名無史さん:2008/10/21(火) 04:56:20
つ  降伏した八戸政実一族6千人を皆殺しにした豊臣軍
542日本@名無史さん:2008/10/21(火) 17:40:48
あれは豊臣軍に逆らった八戸軍が悪い
543542 :2008/10/21(火) 17:55:53
ごめん八戸じゃなくて九戸だったw
544日本@名無史さん:2008/10/22(水) 15:12:04
南部藩土民は肉食していたの?
545日本@名無史さん:2008/10/22(水) 16:29:27
狩猟民は農耕民に比べて人畜の殺戮を本当は好まないーーこれは分かりそうだが。
牧畜民は農耕民に比べて人畜の殺戮を本当は好まないーーこれは分からん。

普段は大人しい農耕民のほうが切れたら、より残虐な振る舞いをする?ってこと?
546白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/23(木) 01:02:48
>>545
狩猟民ーツングースは殺戮を好まん傾向にあることはシロコゴルフ氏も
指摘されとる。 
『ツングースは概して残虐ではない。彼等は決して動物や子供を苛めない
で、動物を必要なく殺すことは悉くオルマ即ち「悪」と見做す。しかし
これはツングースが感傷的だといふことではない。ツングースはその
氏族員をその必要があり義務として要求されれば、何等躊躇なしに殺す
のである。しかしツングースは金や個人の利得のためには殺さない。
一人のツングースが嘗て支那人の強盗の死刑執行に立合い、強盗の死刑を
執行するなら多額の金を興へようと云われた。しかし金が要つたにも
拘らず彼は拒否した。その理由は「金のために人を殺すのはオルマ〔悪〕
である。」といふのである。病獣や傷ける獣、特に虎を見逃してやる
ことはツングースの物語中、もつとも好まれる話題である。』
牧畜民云うても、移動的牧畜ー遊牧民と、農耕の延長としての、農牧民
とは違う。一般的に旅行者を歓待する遊牧民と旅行者を殺害し、
人身供犠の伝承を持つ農耕民(華南〜東南アジアの農耕地帯に広く分布、
日本列島では東国に多い)の方が旅行者を殺害した傾向にあるんじゃ
ないか。もっとも、異文化人がもたらす疫病、特に牧畜民は家畜飼育から
例えばウシ型結核菌等を感染させ地元民の絶滅をも、もたらす存在
じゃけえ、殺害する側にも理由があるわけじゃ。渡来し新天地に移住する
側の論理と、異質な存在は我等を滅ぼすと危機にさらされる側の論理の
違いじゃ。大陸が北から南へ移住したよう、日本列島は有史以降概ね
西から東への移住じゃけえのう。 
農耕民の方が普段大人しい云う根拠は知らんよ。農耕民の漢人より
遊牧民のモンゴル人の方が普段大人しいんじゃないか。チベット人に
なると地域によって気質が違うじゃろう。
547日本@名無史さん:2008/10/23(木) 01:59:19
農耕・牧畜は人類史の革命!
この両者は同時に起こった。
548日本@名無史さん:2008/10/23(木) 02:02:28
でも、東西日本の差異を農耕VS牧畜では騙れない。
関東は富士山の火山灰で農耕不適地が多かったが。

東北も縄文文化残存が特に濃いと本当に言えるのか?
549日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:09:13
550白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/23(木) 23:45:54
>>547
乾燥地帯で牧畜が移動的、専業化したら遊牧になる。
>>548
東西日本とも生業としての牧畜要素は薄いよ。ただし犂耕の発達した
西日本の方が家畜飼育文化要素は強いとは云える。
http://www.seikei2.juntak.net/2007/1121/handout_1121-1.pdf
P14の、表2 東西民俗対照表 経済で西日本の方が犂耕が発達しとる
こと、東日本の馬を農耕に使うても馬に犂をつける習俗に乏しかった。
ちなみに、水田の西日本は硬質米じゃけえ、軟質米の東日本の方が
米食文化の発達した地域であろう。 
社会、東日本の長子相続制は、中国や朝鮮のように宗族制が発達し、
西日本は、モンゴルやアイヌのように末子相続の傾向にある。
東日本が隷属的小作の縦型社会に較べ、西日本は、契約小作、一揆と
横の合議制社会じゃ。 関東は概ね経済的にも社会組織的にも狩猟・
漁撈・牧畜よりも農耕民要素が強い。 
九州については、P26の、東シナ海文化圏で、朝鮮半島からの
影響も強い。P27の、アイヌ語の川をあらわす語に由来する地名
(東北地方)と、東北、特に東北北部は察文文化で縄文文化の要素も強い。
551日本@名無史さん:2008/10/24(金) 12:04:26
平将門様のお祭りに集え
552日本@名無史さん:2008/10/24(金) 21:20:09
白馬鹿青筋さん、あんたが東国武者の子孫だと言う証拠は?
553日本@名無史さん:2008/10/24(金) 23:34:44
軟質米って東日本というより、いわゆる寒冷地で取れる米でしょ。
近年の品種改良がなされるまで米作不適地だったところじゃない。
そんなところでは米文化が発達しないよ。
江戸時代でも無理に商品作物である米を作って何度も失敗してるじゃない。
飢饉の原因がこれだしね。
白馬さんが示している表だって西日本を米経済といってるよ。
米作は温暖で日照時間が長いわりに水が豊富であるという矛盾した条件を
もつ瀬戸内海地方の北側、つまり山陽地方あたりが一番向いていると思うよ。
台風被害も少ないしね。
554日本@名無史さん:2008/10/24(金) 23:48:20
わしの父方は武田じゃ
父方の祖母は児玉じゃ
母親は葛西じゃ
ほいでもって母方の祖母は三浦じゃ

みなみな坂東武者の歴々
555白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/25(土) 01:41:06
>>553
実際、東日本の軟質米が、西日本の硬質米を駆逐しとるよ。
東日本は、湿潤アジアの米作地帯の文化複合が残存しとる地域であろう。
納豆もそうじゃ。西日本は米を財産として貨幣の替わりとして珍重した
現象が米経済云うことじゃ。芋と魚の瀬戸内の沿岸部よりも棚田が多い、
瀬戸内北部の方の住民が米を喰う機会が多かったのう。ほいじゃが飢饉に
見舞われるのも米作地帯の可能性が強い。浄土真宗地帯の広島県じゃあ
沿岸部へ出れば喰える云うことで飢饉避難民の沿岸部移住があったよ。
瀬戸内沿岸部の方が食は質素であるが、主食の芋は飢饉に強かったのう。
>>554
安芸じゃったら、父方が武田氏なら造り酒屋の可能性は大で、祖母が
児玉氏なら福富町竹仁か、そこから分れた家か。母親が葛西氏なら生口島?
母親の祖母が三浦氏なら河内町におった大多和氏系か。兎も角、
みな板東武者の歴々じゃのう。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 08:38:21
白馬青牛は日本人じゃないだろう。
557坂東次郎:2008/10/25(土) 12:14:32
広島やら大阪はひき逃げやらひったくりやらニュースを毎回にぎわしとるようじゃのう白馬青豚どん

野蛮ちゅ〜のは広島ちゃいまんのかいなW

広島の小僧っ子と話すと、悪さ自慢しかしの〜よ ろくでもないよの〜

じゃけんど あんたの妄想はおもしれいどW
突っ込むより、基地外エタ公の脳内妄想を聞いとる方が なよりの馬の耳に念仏じゃW

どんなハゲ坊主の説法よりあんたの屁理屈は読み応えあるけーの〜W

わしゃあんたに興味あるでよ
わしゃ唯一つの歴史板のあんたの理解者じゃけん
今まで生きてきてつからっちゃろ〜の〜W

558日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:18:40
>>555 白馬青牛よ、先祖が武士だったというのは君の希望。
    人はそれを妄想と呼ぶ。
    君はそんなに先祖を美化したいのか。
    君は醜男で有名だが、ナルシストだからな。  
    
559日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:13:40
=゚ω゚) みんなのあこがれ坂東武者。
560日本@名無史さん:2008/10/26(日) 00:00:15
2chのコテって、その殆どが、基地外紛いだな。
561白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/26(日) 00:27:29
>>557
あんた何語を云うとるんか解らん。解る云うたら何じゃ、わりゃ
「基地外エタ公」云うとるが、被差別民とされた連中の目前で
われが同じ言を云えるかどうかじゃ。云えんのなら、関東人はその点
疎いが、やめといた方がええんじゃないか。被差別民と差別された人に、
「あなたの先祖と同様の関東出身です」云うて言い訳しても後の祭りじゃ。
あんたの言にゃあ、わしゃあ責任持たんど。わりゃ、つまらんこと云い
過ぎじゃ。
>>559
みんなのあこがれ板東武者?板東武者の血が濃いことと、あこがれ云う
関東人の願望は違う。
562日本@名無史さん:2008/10/26(日) 04:33:11
坂東武者=武装農場主(牧場主)+中央軍事貴族の混血民族
563日本@名無史さん:2008/10/26(日) 11:33:37
=゚ω゚) 東国では農耕も馬じゃのう。
てか瀬戸内の芋って何?江戸時代の薩摩芋?


>実際、東日本の軟質米が、西日本の硬質米を駆逐しとるよ。

=゚ω゚) ホンマかいな?品種名を言うてみい。
ササか?コシか?日本晴か?ヒノか?小町か?きららか?ミルキークイーンか?ひたちの夢か?
てか軟質米と硬質米なんて含水率の違いではないのか?
564日本@名無史さん:2008/10/26(日) 11:39:11
国王神社の将門祭りは来月の第二日曜でOK???
565日本@名無史さん :2008/10/26(日) 13:04:46
白馬青牛よ、まだ東国武者の子孫などという途方もない法螺を吹きつ
続けるのか。お前の557への反論を見たら、お前の出自は明白。
白馬よ、お前は自分の書き込みに責任持てるのかよ。嘘つき!
566日本@名無史さん:2008/10/26(日) 17:00:26
坂東武者とは源氏のことなんですか?
567日本@名無史さん:2008/10/27(月) 05:42:49
>>280またも負けたか八連隊。それでは勲章九連隊。 

司馬小説、翔ぶが如くか坂の上の雲に、そんな一節ありましたよ。  


大阪兵の弱さはイタリア兵の弱さに通じているとなんかのスレに書いてあったなぁ
568日本@名無史さん:2008/10/27(月) 05:59:29
立つる勲は高千穂の♪  燃ゆる思は大阿蘇か♪
  男心の桜島  ♪  

九州の部隊、特に第六師団と聞いただけで国府軍が遁走、撤退するという場面が少なからずあったとか…

六師団ではないが南京城一番乗りは、大分の連隊だった。
569日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:47:28
>>555
棚田?そういえば平地がない安芸も山陽地方だったか。眼中になかったよ、ごめん。
まあ、安芸をもって播州や吉備地方などに当てはめてたり、明治に大本営が置かれるまで歴史の表舞台に
出たことがない文化不毛地帯の郷土史でもって他地域を語られてもねぇ。
昔はそのあたりで取れる米を上級としてたんだよ。嘘だと思うなら東京や関西の老舗料亭や米屋にきいてごらん。
日本が豊かになるのと前後して農業の近代化(品種改良、灌漑整備、機械化、化学肥料、農薬散布)で、
不適地でも大量に取れるようになり、味の面でも向上していき、全層においしい米が行き渡るようになった。
ブランド化、高値で売買ということになり、最近は山陽地方でもこれらの品種も作るようになった。
白馬さんは俺よりもずっと年食ってそうだから知ってると思ったけど、ここまでいわないとわからないかねぇ、
ここ何十年かのことでしょ。
コシヒカリのおいしさの祖先は「東の亀の尾、西の朝日」とずっと思われていたけど、解析した結果、
意外にもそうではなかったという少し前のニュースがあったが、おいしい米といえばそんな信仰があったわけだ。
今でも朝日はそこそこ健在だけど亀の尾は幻の米っていわれてる。その亀の尾、朝日も明治時代の品種改良から
生まれた物だから、いずれにせよ、駆逐した云々で過去のことを語るのは間違い。気候変動や品種改良で、
これからも北へ北へと米どころが広がっていくだろうが、それをもって大昔の話をされてもね。
570続き:2008/10/27(月) 17:53:18
> 西日本は米を財産として貨幣の替わりとして珍重した現象が米経済云うことじゃ。
珍重したかどうかは知らないが、これは西日本だけじゃないよ。江戸期から日本全体でそうなっていたから
飢饉のリスクを無視して不適地でも無理に作るようになったんだよ。ただ、珍重って言うのはどうかなぁ。
江戸期は米生産が増大しことよって米の価値が下がってくるわけで、武士の困窮もここに原因があるからなぁ。
有名な経済史のおっさんが加工品を考慮に入れても一人何合食う計算になるんだ、食いきれないぐらいの量に
なっちまうっていってたし、違うんじゃねーの?あと一次産業従事者の生活は二次、三次産業の発達による影響も
考慮しないといけないし、明治初頭は地租改正の影響も大きいし、何もかもごったにして語られても困るよ。
俺の「米経済」といったのはいい間違いだね。正しくは水田の発達だ。「北部」といったのは広島北部と
いうことではなく、山陽という意味だよ。瀬戸内地方は四国も含まれるからね。単に生産に適しているかどうか
いっただけで、揚げ足取りはよくないことだと思うよ。それに単に貨幣の代わりということでいえば、
江戸、大坂、京等大都市しか米食文化は発達しなかったというほかないし、米食文化云々で東、西と分けることはおかしくなるでしょ。
軟質米の定義はおいといて、あなたのいうとおり東の米が西を席巻したとしてもそれは品種改良が進んだ近年のことだから、
ここでも古来より米食文化が東のほうで発達したのは間違いということになる。
生産に関しては白馬さんの引用元にあるように、大雑把に大昔は西は水田、東は畑ということね。
これも正しいかどうかは知らないが、引用者の資料に書いてあったんで指摘したというのもある。
都合よく解釈できる部分だけ抜き出しきたり、昔話しようとして現代を無理に当てはめたら駄目だよ。
571日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:53:59
>>556
かもしれないね。でも、白馬さんは自身の中で物語性を受け継いでいるから「坂東武者の子孫」だと思う。
たとえ、焼け野原になったのをいいことに成りすました民であったとしても。
嘘つきは泥棒のはじまりというからそっち方面かなあ。
まあ、俺は興味ないし、どうでもいいことだけど。
572日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:25:31
>>561
伊勢物語 12「武蔵野は」
昔、ある男が良家の娘を盗み武蔵野へ逃げようとした。
男は娘を草むらへ隠し置き、自分は草原へ逃げ込む。
国守は「この野は盗人あなり」と火をかけようとするが娘は嘆き
 「武蔵野は けふはな焼きそ若草の 夫もこもれり 我もこもれり」
と歌を詠んだ。

=゚ω゚) 盗っ人と言われちょるが、じっさいには駆け落ちじゃ。
東国の若者にぞっこんだったんじゃろうにょ。
573白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/27(月) 23:11:24
>>563
芋は甘藷に決まっとろう。硬質米、軟質米は品種たあ含水率の違いよ。
広島県でも一般に北部へ行くほど米が美味いけんのう。
じゃが県北の米作地帯は、飢饉にゃあもろかったけえ、瀬戸内沿岸部に
出りゃあ喰える云うことで芋主食地域に移住した人も多かったよ。
ほいで、食文化として東の江戸前寿司に合う軟質米が浸透しとる云うこと
じゃ。
>>567
司馬遼太郎氏は、奉天一番乗り大阪第四師団であるのに、熊本第六師団
じゃと間違いを云うとられる。武を野蛮とする畿内文化人は、大阪の
部隊の一番乗り程度ですら、気に入らんのじゃけえ困ったもんじゃ。
574日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:44:18
=゚ω゚) てっきりタロイモだと期待していたのだがサツマか。
昔はサツマは関東の冬を越せなかったから広まらなかっただけじゃろ。
今はサツマや落花生はちばらきの名産じゃ。

米の食味は同じ地域、同じ品種でも味に差が出るじゃろ。
美味いのは昼夜の寒暖に差がある水はけの良い小さい田んぼでつくっちょるからじゃろ。
寝る子は育つっちゅうやつだ。
575白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/28(火) 00:04:21
>>568
熊本第六師団は、第二次長沙作戦じゃあ、中国国府軍に敗退し、
遁走、撤退するという場面があったけど。じゃが、勇猛を以って為る
熊本第六師団は、風評や軍上層部の評価は高かったよ。大分聯隊は
日露戦争時、小倉第十二師団で昭和期は熊本第六師団でえ。四個聯隊から
三個聯隊編成になった時熊本師団から離れたが。
http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/6d.html
http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki9/sabae/sabae.html
上のブログの、追憶の<第六師団>に、「仙台第二師団、広島第五師団、
旭川第七師団とともに 最精鋭、最強師団の名前を ほしいままにした 
熊本第六師団の足跡を顧みる。」 の下に昭和十二年の師団編成よ。
大分第四十七聯隊を見んさい。ほいで、上記の最強師団常連師団に、
弘前第八師団や金沢第九師団が出とらん。ちいと評価が下がるが、
久留米第十八師団や善通寺第十一師団も精強師団の評判はあった。
まあ、名高い精強師団としては、旭川、弘前、仙台、金沢、広島、善通寺、
久留米、熊本がベスト8になるんじゃろう。関東の東京、宇都宮は
マイナー・リーグじゃけえ、同じ東日本の北海道・東北のメジャー・
リーグたあ違うよのう。 
ほいで、下のブログにあるよう、南京城一番乗りは、「全軍に先んじて
城門を占領せり」の感状を授与された金沢第九師団の鯖江第三十六聯隊
じゃ。中華門の一番乗りを熊本第六師団と宇都宮第百十四師団と争うて、
熊本第六師団の大分第四十七聯隊が一番乗りした云うことで、全軍に
おける南京城一番乗りたあ違う。九州人得意のラッパ吹き過ぎじゃろう。
576白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/28(火) 01:02:08
>>569-570
文化不毛地帯?食文化において大阪へ牡蠣を輸出してやったんは広島
じゃし、牡蠣を喰うたら亜鉛不足の味音痴にならんけえのう。
大阪に対して、広島人は食に関しては優越感があるわいのう。
現在でも「お好み焼き」も、大阪んは広島んに比べ不味い。
その大阪人に味音痴と云われる関東は可哀そうなわいや。
米が財産となったんは西の方が早かろう。中世じゃあ西の米に対し
東は絹・布と大雑把に云うたらそうなる。
米を生産したけえ日常喰うたあ、また別の問題じゃ。江戸期なら都市部に
白米に栄養を依存した「江戸患い」が発生したわけじゃけえ。
また、現在でも東日本の方が、アジア米作地帯の食文化の嗜好に近い
要素、例えば納豆の消費率にも受け継がれとる要素じゃのう。一般的に
東アジアでは、南が味が濃く、北へ行くほど薄味になるが、日本では、
南北逆転現象になる(九州は例外として)。
>>572
兼好さんから司馬氏に至るまで畿内文化人は、板東人の実直さを誉め、
板東に対してロマンを持っとるけえのう。関東の味方は畿内じゃに、
何でか関東人は畿内人を嫌う傾向にあるのう。
577白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/28(火) 01:25:32
忘れとった。>>575の上のブログで杭州湾上陸で熊本第六師団が先陣を切る
とあるが、実際に先陣を任されたんは、北支戦線から派遣された広島第五
師団の国崎支隊、福山第四十一聯隊じゃ。二番手に熊本第十三聯隊じゃ
ろう。福山第四十一聯隊は先陣の功から柳川第十軍司令官から感状を
授与されとる。第九旅団、国崎支隊として、広島第十一聯隊も参加予定
じゃったが、北支戦線、山西平型関等の第二十一旅団、浜田第二十一聯隊、
山口第四十二聯隊の苦戦から急きょ、北支戦線に復帰することになった。
578 ◆26IT/WpOkg :2008/10/28(火) 18:57:51
>>576
兼好は褒めてないだろ
荒夷の野獣扱いだし、
西の貴人はそんなもんだ
579日本@名無史さん:2008/10/28(火) 22:27:47
白馬の馬鹿はいつも旧軍の話に結びつける。
帝国陸軍と坂東武者はどんな関係があるんや!
きちんと説明しろ。東国窃盗団の子孫さん。
580日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:13:07
>>579 568ですが白馬さんは俺の板違いな横レスに応えてくれただけですよ… 
ラッパ吹きには降参ですが……

白馬さん、色々な板でお見かけしますが、実に博覧強記といいますか、色んなことをご存知ですね。 


B級雑誌から飛び出してきたような広島弁といい、なにがなんでも広島、中国地方が一番とゆう強引な郷土愛といい最高です。   

これからも活躍されてください!楽しみにしています
581 ◆26IT/WpOkg :2008/10/29(水) 00:58:00
関東と云う所は、気風が妙だからナ。
尊氏と新田でも御覧ナ。親類同士でアー云う喧嘩だらう。
高時でも悪いものかと云えばさうでない、八百人も自殺してるよ。
一ツ敵になると、何と云うことなしに、骨肉相殺す迄に至るのが風だ。
其の代り、一ツ解けてくると、また、ガラリとするのだ。
(勝安房)
582日本@名無史さん:2008/10/29(水) 13:26:45
白馬青牛は漢、叩いている奴が女々しく見えるw
実は俺もファン。
しかし、リアルでそんな広島弁しゃべってる奴がまだいるのか?
もしいるなら広島最高だなw
583日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:56:09
下層階級の馬鹿と大嘘つきはどこにでもいる。
馬鹿の多数派は恐ろしい。
584白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/29(水) 23:29:40
>>578
兼好さんは、第二百十五段なんか、質素さを誉めとられるし、
その観点から、第百四十一段も、都人の思考を弁護しとるだけで、
吾妻人を貶しとるわけじゃああるまい。
>>580
>B級雑誌から飛び出してきたような広島弁、なにがなんでも広島、
中国地方が一番とゆう強引な郷土愛?
A級雑誌から飛び出てきたような広島弁たあ、どがあなもんなら?
広島兵団は戦歴実績から一番じゃけえのう。一番ゆうたら強引なんか?
>>581
宮本常一氏は、西国でも東国武士が多く移住した所は戦さが多いとされ、
郷里の周防は「鎌倉から下ってきた地頭系の武士がいなかった。
そういうところではほとんど戦争がなかったのです。」と云われる。
芸備、特に安芸は、東国武士の地頭系が大多数じゃけえ、争いが多かった
のう。毛利氏よって、ようやく安芸が一つになったけえのう。
戦後も広島ヤクザの抗争は長期化した。広島人はこみあうんが好きじゃ
けえ仕方ない。わしなんか他者との争いを進んで好まん温厚な方じゃが。
585日本@名無史さん:2008/10/29(水) 23:31:43
熊谷次郎直実
586白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/29(水) 23:49:40
>>582
わしのファンたありがたいことじゃ。ほいじゃがわしゃあ、出来る限り
全国の人たちにわかり易い広島弁を使うとるつもりでおるよ。
普段リアルの広島弁じゃったらわかりずらかろう。
>>585
武蔵の熊谷氏は、可部(現広島市安佐北区)へ移住したのう。
587日本@名無史さん:2008/10/29(水) 23:52:44
熊谷次郎直実とナンムアーミン 

ほお、エルサレム批判してますのう。
588 ◆26IT/WpOkg :2008/10/30(木) 01:03:35
>>584
北条時頼や松下禅尼だからでしょ。
兼好はともかく、富裕な鎌倉武士に対する王朝人の嫉妬もあったろうね。
徒然草165段、じゃあどうすりゃいいの?って感じw
>>586
日本無双の勇者・熊谷親子で有名だが、SAITAMA時代の勢力は微々たるものよ。
589日本@名無史さん:2008/10/30(木) 06:40:45
あっちゃあ、怒られてしもうたわいや。ほいじゃがハァいわれてみりゃあ、確かにA級雑誌から出てきたような広島弁ゆうて想像つかんよのう…わしゃあ、青牛さんをくさするゆうてこっから先いっこもなかったんじゃが…。チィとごうたくが過ぎたかのう。
万糞わりぃけんファンタでも飲んで寝ようわい…   

ところで青牛さん旧軍の話は置くとして、では戦国最強はどこの国の兵だとおもわれますか?! 


ご教示願います。m(__)m
590日本@名無史さん:2008/10/30(木) 10:27:35
戦国最強は甲斐
591白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/30(木) 23:00:31
>>588
徒然草165段は、交じりおうて本来の特質を忘れな云うとるだけ
じゃろう。熊谷氏は「京畿の輩」じゃあのうてセミプロじゃったけえのう。
>>589
広島弁を知らん全国の人にゃあ解らんじゃろうのう。万(縁起)糞わりぃ
云うことで、付き合うた女性のことじゃないこたあ。他に「けたい糞が
悪りい」云う表現も。広島弁は糞を多用するけんのう。「糞にぎり」は、
ケチな人のことじゃし、牛の糞も段々があろう?云うたら品質の違いを
表現したもんじゃけんのう。>>588蛙君にも糞外道云うて、きつい表現に
取られたか知らんが、広島人にとって糞は常用句じゃけえのう。
ファンタで寝れるんは幸せじゃわい。昨日わしゃあ他人から貰うた、
せんじがら(豚の臓物を揚げたもの)をつまみに芋焼酎のお湯割りを
飲んどったよ。
戦国最強の国の兵云うたら、当然安芸よ。>>590氏の云われる甲斐のように
織田軍から蹂躙された地域たあ違う。他国から蹂躙されたら、負け癖が
付くけんのう。
592 ◆26IT/WpOkg :2008/10/30(木) 23:39:35
>>590
強いお=^ω^)
>>591
それ言っちゃ、沼田さんや厳島の神主様(京畿の輩)はセミプロよ。
熊谷のような連中は、紛争・自力救済の本場、馬の本場で錬磨されたプロ中のプロ。
例えば愚管抄で畠山を絶賛してるが、熊谷・金子・平山や三浦・小山等が畠山より劣るともいえないしな。
593日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:39:49
=゚ω゚) うむ。安芸は優秀じゃよ。
自分の領主がダメと見限ると、東国から武者修行に来ていた領主の親類を
替りに据えるなんて、なかなか見る眼が有る。
まあ、優秀な東国武将の前では自分のボスがダメに見えるのもいたしかたないが。

>=^ω^)

=゚ω゚) むむ!もしや貴方は・・・
594日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:45:09
最近某板で復活した人?
595 ◆26IT/WpOkg :2008/10/31(金) 00:51:24
何か知らないけど深い意味は無いぞw
596日本@名無史さん:2008/10/31(金) 01:09:43
>>593
必死だなw
597日本@名無史さん:2008/10/31(金) 06:26:23
成る程。そこを含めて戦国五強兵は三河、甲斐、越後、安芸、薩摩といったところですかね…  


しかし、かなりワイルドなつまみイキますね。
598日本@名無史さん:2008/10/31(金) 11:49:42
もう林彪が最強でいいよ
599日本@名無史さん:2008/10/31(金) 11:58:57
>>591
信長が死ななかったら織田軍にレイプされてた安芸w
関ヶ原でも戦わずに負けたへタレ兵w
600日本@名無史さん:2008/10/31(金) 18:24:33
>596
=゚ω゚) そりゃ必死ですよ、彼女は西国にさらわれていった生き別れのお姉さんかもしれません。
ほら目元なんかそっくりでしょう >=^ω^)

思い起こせば我が同胞は古代より俘囚として安芸のような僻地に送られていきましたニダ。
これが佐伯部の始まりです。その後平氏とか源氏とか俵藤太とかいろいろ出て行ったようです
また、御家人たちは悪党討伐として土民どもを管理するために関東から地方へと拡散して行きました。
でもテロリストの血は受け継がれたようで江戸期にも松の老化で三河武士に斬りつけた
プッツン主君のためにテロ行為で復讐を遂げたようです。


=゚ω゚) 600げっと。
601白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/10/31(金) 23:17:24
>>592
甲斐に蹂躙されて、奴隷となった関東人の甲斐事大よのう。
沼田氏や佐伯氏は、蝦夷系じゃけえのう。関東の私闘が、紛争・自力救済と
やらの、関東鎖国共産主義史観を唱えてものう。しかも馬の本場は、
北ユーラシアで、騎馬下手の関東武士は問題外じゃ。
>>593
領主なんか、神輿をかつぎゃあええわけじゃし、どうせ日本社会の
上層部は、無能じゃけえどうでもええことじゃ。
>>597
三河は、駿河や尾張に蹂躙されとるけんのう。東海地方の凡庸じゃろう。
甲斐や関東たぁ越後の方が強い。薩摩たぁ肥後の方が勇猛じゃ。
>>599
たら、云うて実例じゃなかろうに。空想力豊かじゃ。中国攻めに秀吉も、
信長に泣きを入れたのう。関ヶ原で「戦闘」で負けた訳でもあるまいし。
>>600
我が同胞云うて、板東武士は、満州、朝鮮の渡来系の子孫の側じゃ。
蝦夷と対立しとった側で。
602日本@名無史さん:2008/11/01(土) 00:35:03
勇猛な安芸武士は毛利と一緒に全員、山口に移住し、猪突猛進の長州藩が討幕ぢゃ。
603日本@名無史さん:2008/11/01(土) 00:37:14
勇猛な越後武士は上杉と一緒に全員、米沢に移住し、文武両道の米沢藩は官軍と奮戦
604白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/01(土) 02:44:13
>>602-603
勇猛な安芸武士の多数派は、安芸へ残ったよ。山口聯隊は、
シベリア出兵で多大な犠牲を払い、忻口鎮では、ほぼ全滅になり、
南寧戦でも、第二十一旅団として多大な犠牲を払うて、広島聯隊に、
「仇を取って下さい」と。広島第三十九師団の最大犠牲者数も、
白河渡河戦の山口第二三三聯隊じゃけえのう。 
山口聯隊は、潔い猪突猛進の性質は、隣接した九州兵団に近い特質
じゃろう。同じ第二十一旅団でも島根の浜田聯隊は、しぶとく、ねばり
強い。山口聯隊は、浜田聯隊と戦闘を共にして良かったのう。
幕末維新でも、長州人は桂小五郎さんを別として、潔く命を粗末にする、
玉砕したがる傾向にあるんじゃないか。 
米沢藩か。相馬方面で、安芸神機隊と闘うたのう。官軍で強かったんは、
最強が安芸芸州藩で、次に安芸の隣の周防岩国藩か因幡鳥取藩じゃろう。
長州藩や九州、四国諸藩は、あんましパッとせんかったのう。
605日本@名無史さん:2008/11/01(土) 09:47:29
毛利はたしかに国土を蹂躙はされなかったけども、関ケ原の後、家康に本国安芸も含めかなりの両国を取り上げられ、しかも城を置く場所まで不利な場所「萩」に指定されてますね   
関ケ原では大軍を率いていながら、(宿老吉川広家の政略)動かず間接的に家康の勝利に大きく貢献したのにもかかわらず…    
南宮山の毛利が動けば、その後の歴史の綾によっては毛利幕府もあり得たのに…
その点、国元の事情で寡兵ながら、激烈な退却戦で、(捨てがまりを多用)武勇を示し、西軍に属した諸将が、軒並み大きく領地を取り上げられ甚だしくは死罪流罪となるなかで    
唯一、寸土の領地も幕府に手を着けることを憚らせた薩摩こそ最強!     
「捨てがまり」に見られる覚悟、性根。「釣り野伏せ」に見られる練度と統制。 
薩摩>安芸でしょう
606日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:05:04
タタール人は、敵将を打ち取ると首を切り、頭の皮を剥いで
それを馬鞍にぶら下げていたとか。
その末裔が平将門などの坂東武士。残忍というより
風習です。
戦闘機で撃墜した敵機の数だけ星のマークを貼るのと同じ
だな。
607日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:47:37
=゚ω゚) ああ、板東武者に頭の皮剥がされたのが
河童伝説の始まりだろうね。
ザビエルとかアルシンドとか大至とかジダンとか、みんな犠牲者だよ。きっと。
608白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/01(土) 22:38:05
>>605
毛利幕府?権力欲の強い山口県や九州じゃあるまいし。大内氏が中央へ
介入したんと違うて安芸時代の毛利にそがあな欲はあるまい。
広島人は権力欲は薄い。 
関ヶ原の薩摩の退却戦は、内陸アジアの遊牧民の戦闘法に近いのう。
島津氏(惟宗氏=秦氏)の新羅=伽耶的要素かのう。新羅のユニークな古墳や
王冠等、内陸アジアの要素が濃厚じゃ。島津の火力主義も合理的じゃ。
薩摩は、遊牧民の騎馬戦闘を日本の風土に合わせて歩兵戦闘として
体現したけんのう。関東騎馬下手は、頑固じゃけえ駄目じゃわい。
安芸は、攻城、守城戦がえっとじゃけえ、薩摩のように騎馬民族的戦闘法
じゃないのう。誉めるんは、こんくらいにして、九州征伐で
毛利・黒田勢に勝てん薩摩が通用するんは、秀長勢や長宗我部勢ら
じゃろう。薩摩は、正面激突で長宗我部勢と互角かやや押されぎみで、
「釣り野伏り」で打開したぐらいじゃ。ほいで戦闘が上手いか云うたら、
岩屋城攻めで、攻城戦闘下手を暴露したのう。まあ、東日本を主体に
戦闘してきた家康の徳川勢や関東勢にゃあ通用するが、中国地方にゃあ
通用せんよ。戦闘能力は、安芸>>>薩摩じゃわい。
609 ◆26IT/WpOkg :2008/11/01(土) 22:58:00
>>606
ユニに輝く星印♪
>>607
ルーニーと小和田さんもか
>>608
在来広島武者のダメっぷりは認めたのにねえw
610白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/02(日) 00:52:17
>>609
在来広島武者のダメっぷりたぁ何なら?在来の蝦夷系佐伯部のどこが
他地域に劣っとったんなら?
http://www.cyclesforum.net/cyclepicnic/course_syoukai/shimanami/02/02.htm
「生口島周回」じゃが、最初の魏志倭人伝は、九州のことで広島と
関連が薄い。次の黒字の森浩一氏の引用で吉備臣尾代が500人の蝦夷を
率いて、その蝦夷たちが反乱したことが出とる。
谷川健一氏の引用で、摂津国の蝦夷が安芸沼田(現広島県三原市)に、
更に安芸西部(現広島市佐伯区、安佐北区、安佐南区〈旧安佐郡、
佐伯郡東部の佐東郡と安芸郡の混合〉)にして、安芸国造が、
佐伯氏で蝦夷の集団を管理する役目じゃった。佐伯のサエギル性格は、
広島師団の防御戦に受け継がれる伝統じゃのう。
ほいじゃが、このブログを読みゃあ、先進的な瀬戸内が、
耕地に乏しいサツマイモと魚を主食とする質素な生活を営んだかが
解ろう。在来広島県蝦夷をなめとるんか?
611日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:05:06
うちは相模佐伯氏の血筋なんだよな。まあ伝承だけど。
612日本@名無史さん:2008/11/02(日) 05:37:44
なるほど!お褒めいただき有り難き幸せ。
613日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:17:27
614白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/02(日) 23:40:34
>>611
相模の佐伯系云うたら、前九年の役で従軍戦死した佐伯経範系で後に
藤原氏を名乗った波多野氏。広島県の備後へ移住した山内氏も同族じゃ
のう。 
他に糟屋氏も佐伯元方を先祖として佐伯氏から藤原氏へ姓を変えとる。
佐伯氏が藤原氏と密着な関係があったかどうか判らんが。武蔵や他の
関東平家系豪族になると、高句麗・百済・新羅の渡来系要素が強うなる
傾向にあるんじゃろうけど。
615日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:32:20
>佐伯のサエギル性格は広島師団の防御戦に受け継がれる伝統じゃのう。

=゚ω゚) 皇軍の行く手をサエギルから佐伯。騒がしいからサエキじゃから
防御戦とは関係ねーじゃろ?
もっとも某広島人が騒がしいのには折紙付きじゃが。
616日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:13:23
佐伯
1.障(さへ)ぎ
2.騒ぎ
の転

隼人
1.早人
2.逸(る)人
3.吠え人
の転

以上、今まで聞いたことのある説ですた
617日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:18:03
たしか純友の副将も佐伯でしたね。各地の佐伯地名は一体なんなんだろう?
618日本@名無史さん:2008/11/03(月) 06:14:30
ちなみに大分にも佐伯市がありますよ(¨〇    わしの場合、同級生にこの姓のサセコがいたので淫らなイメージがある。
619日本@名無史さん:2008/11/03(月) 07:43:59
>>617
>たしか純友の副将も佐伯でしたね。

空海なんかもその一族なのかね?

>各地の佐伯地名は一体なんなんだろう?

朝廷に帰順した蝦夷(=俘囚)を土着させた土地なんだと思われ。


>>618
>ちなみに大分にも佐伯市がありますよ

大神姓佐伯氏が有名だよね。
620日本@名無史さん:2008/11/03(月) 08:18:41
蝦夷(えみし)は、いつもにこにこ笑ってる東北地方のジジイを思い浮かべればいい。
621 ◆26IT/WpOkg :2008/11/03(月) 20:40:41
>>610
佐伯直…伴造…地元豪族系(沼田氏)
佐伯部…部民…蝦夷系、地元農民層
>>614
作家の説かw
622白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/03(月) 22:53:04
>>615
佐伯部が設置された安芸、播磨、讃岐、阿波、伊予が吉備を包囲するように
置かれとる。まさに「塞ぎる」役割よのう。>>616の1の畿内政権に反目する
豪族に対してのサエギじゃろう。
>>618
淫らなイメージなら、古代から夫婦交換の風習が甚だしい地元の
>>615顔君が詳しいじゃろう。
>>621
沼田(渟田)は、アイヌ語で湿地の意味であろう。安芸沼田川流域の佐伯氏
の例よのう。>>614は、関東史観の石井進氏の『鎌倉武士の実像』
相武の武士団P89,90の引用じゃ。
623日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:03:00
うちの地元の県の神主さんやたら佐伯さんが多い
624日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:18:41
ウチの家系大昔に東北から連行されて来て武士になった長野人で、元は
エミシだったんだがそういうのが坂東武士なのか?親戚一同背が高いじょ
625日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:26:34
=゚ω゚) 夷敵を倒すから征夷大将軍じゃのう。
夷をもって夷を制する。渡来人に俘囚を付けて前線を開拓させる。それが佐伯じゃろうな。

>淫らなイメージ

=゚ω゚) 筑波山って男体山と女体山が結合しっぱなしでいやらしいなあ・・・って思ったんだろ、なあ牛。
でも歌垣っつ−と雅だね。
国の始めは大和の国、島の始めは淡路島、泥棒の始めは石川の五右衛門、
歌手の始めはスサノオの命。
出雲八重垣妻乞いに八重垣囲むこの八重垣を、だな。
626日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:08:47
芸州を手に入れた浅野家こそ、戦国最強であろう。猛者どもの間を上手く泳ぎきり、大邦を得たことも評価される。
確かに負け癖が付くと駄目である。負けて萩に移ることもなかった根性なしはワンワンと武士に尻尾を振ったであろう。
更なる根性なしが白馬青牛である。何かにつけ差別と叫び、かつての不満を爆発させている連中の一人である。
己の場末文化を広めようと日夜、活動しているようであるが、勘違いされては困る。広島にも敬語はあるのだ。
戊辰の折、有能な上層部が臆病な腰抜けどもの尻を叩き、武功を残させたことは芸州の誇りとしてよい。
薩摩は大したことはない。あのような僻地は誰も欲しがらない。薩摩の下層は隼人といわれる未開種族である。
白馬青牛の薩摩評価は同族嫌悪であり、この手の人間にはよくあることだ。
常識としてサツマイモはいつ渡来したのかを知らないのをみてもこの男のレベルは低すぎて話にならん。
「先進的」になったのは江戸治世の賜物である。
627日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:20:04
雑魚が嫉妬かよ・・・白馬青牛大人気だなw
実際、白馬青牛に対抗できる「男」はいないしw
628日本@名無史さん:2008/11/04(火) 02:15:50
頼山陽のほうが誇れる
629日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:18:09
>>626浅野家が最強?あんま笑かすなやこのボンクラが。  
上手く泳ぎきり、大邦を得る…その伝でいけば福岡の黒田や肥後の細川のほうが最強じゃ。       
加賀の前田に至っては神に近くなる。       

薩摩は僻地は僻地かも知らんがその僻地で、薩摩飛脚で知られる臨戦体制、初太刀に全存在を昇華させる示現流、 
「議ぃいうな」「泣こよかひっ翔べ」の郷中教育、奄美琉球経営、密貿易で 

力を蓄え、倒幕維新回天の中心勢力となったんだぞ。まぁ、そこらへんのボンクラとは次元が違う。(¨〃
630日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:27:34
>>626追加。白馬隠士と君もレベルが違うw
631日本@名無史さん:2008/11/04(火) 12:27:57
広島と言えば福島左衞門大夫正則様だろ
632日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:31:51
>薩摩飛脚で知られる臨戦体制、初太刀に全存在を昇華させる示現流

=゚ω゚) おお、すごいのう薩摩飛脚か。もっとも間宮林蔵は生きて帰ってきたけどね。

示現流もいいねぇ。なにせ示現流(自顕流)は関東発祥の武術じゃからな。
他の地域の武芸ではとても太刀打ちできんじゃろうな。お気の毒に。
初太刀に全霊をかけるのは塚原ト伝の「一の太刀」の教えじゃのう。
新陰流の燕飛もタイ捨流を経て示現流にも伝わっている。
タイ捨流といえば立花宗茂じゃ、かっこええのう。高橋には薩摩でも勝てんわい。
633日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:41:18
示現流か。津本某等の三文小説家の影響はアホに及びやすいものだと驚く。剣道部員に
虐めれたのか、武板で剣道に噛み付いていた。運動音痴で、喧嘩もまともにしたことが
ないようなのが多かったね。
日本語の読解能力もおかしかったが、今回でもそう。引きこもりなのか、独学で強くなると
いうような輩が多く、頭が腐っているというほかない。学問でもそう考えているふしがある。
妄想はいいから、学校に行なさい。
ウィットに富むレスを返せるようになったら、また遊んでやってもいい。
634日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:47:56
ところで、白馬が東国武士の子孫という証拠はどうなったんだ。
635日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:57:18
>633
=゚ω゚) 学校はいいから関東武器術オフで遊んでくれ!対戦者募集中!!
槍、薙刀、棒、銃剣、盾、体術。なんでもOKだよ。
636日本@名無史さん:2008/11/04(火) 22:04:16
鹿島示現流といえば、体操の金メダリスト鹿島丈博、
大阪出身となっているけれど、実際は豊臣秀吉に請わ
れて剣術の指南役として大阪に移り住んだのかもしれない。
あの身のこなし、只者ではない。
637白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/04(火) 23:31:42
>>625
いいえのう、築波山の歌垣からよ。「人妻に 吾も交くはらむ あが妻に 
他も言問へ」つまり夫婦交換よのう。
http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d271.htm
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/level4.htm
上の文中の「みんな目的はセックスだっぺ。人妻だってかまうことは
なかっへ゜」で「そんなの関係ねえ!オッパッピィ」云うことか。
じゃが下の文の古事記の出雲のように、男に不倫が許されても、女の
不倫に寛容でない習慣があるけぇのう。 
我はもよ 女にしあれば 汝を除いて 夫は無し(私は女ですから、
あなたの他に男はありません、あなたの他に夫はいないのです・・・。)
大国主命(八千矛神)の浮気、女性遍歴に対するスサノオの娘、須勢理毘売の
嫉妬ようのう。
638 ◆26IT/WpOkg :2008/11/05(水) 00:09:02
>>622
下の二行は違うだろ
>>635
=゚ω゚)のアンチって珍しいな
639白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/05(水) 00:53:58
>>626
そもそも毛利事態戦闘に負けんかったど。政治力に乏しかっただけじゃ。
しかも広島人は尾ばちを振って長州へ行く趣味に疎かったけんのう。
何かにつけて差別云うたこたぁないど。あんたが差別されとる思うもんに、
面前でかばち垂れる性根があるかどうかの問題じゃろうに。
場末文化を広める気は無いのう。ほう、どがいなんが広島人の敬語なんか、
こんな云うてつかい。 
戊辰の折、有能な上層部云うても、安芸神機隊の上層部の多数派は、
庄屋や庶民出身で武士階級は少数派じゃ。
わしゃあ薩摩を貶めとらんど。事実を云うたまでじゃ。サツマイモの
渡来は、江戸期じゃ云うことをこんな知らんのか?
>>628
頼山陽が如き俗物を誇ってどうすんなら。竹原を代表する文化人は、
安芸平賀氏の一族、安芸神機隊を作った木原秀三郎と同族の
平賀晋民であろう。
>>629
示現流は、日常の洋服普段着で修練しとるけんのう。他の武術系は稽古着で
やりよるけぇ、薩摩の合理主義の伝統じゃろう。薩摩最強は肥後に近い、
新羅花郎道習俗の強い出水郷士か? 
>>632
『甲子夜話』文政六年に、薩摩の武士三人が安芸の武士一人に
喧嘩を売って、薩摩武士三対安芸武士一人の決闘となったが、
結果薩摩人二名が死亡、一名負傷逃亡云う結果じゃ。薩摩如きが、喧嘩が
得意の安芸に勝てるわけもない。
640日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:05:00
自現流?タイ捨流?鹿島神道流?
なんなら?
広島の喧嘩ゆうたらよドスとチャカで殺し合うんじゃけぇ
ドスで突き狂うんどぉ!
641日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:09:58
青牛爺さんって復活してたんだ。

もうくたばったと思ったw
642白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/05(水) 01:17:06
>>633
剣道たぁ薙刀の方が道場の試合に有効じゃろうに。それに道場の試合じゃあ
竹刀曲芸の争いじゃけんのう。運動音痴で竹刀でなんぼなぐられても、
あんたが一撃で処置出来る武器を所有しとりゃあええことじゃ。
喧嘩をまともにしとったら、理解出来ることじゃ思うが。
643日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:24:49
ほうじゃほうじゃ!
喧嘩になったらよ、取るか取られるかじゃけぇの
644日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:29:32
引き金を引く力と人殺せるド根性がありゃそれでええんよ
645白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/05(水) 02:05:44
>>624
長野県は、後で源氏を名乗った村上氏のよう高句麗系が多いけど、
板東武士の高句麗系の金子氏は、平氏を名乗っとる。
同じ平氏を名乗る千葉氏は、分家「馬加」(夫餘の家畜氏族名)の姓から、
夫餘、百済系かのう。
646日本@名無史さん:2008/11/05(水) 05:50:46
>>632 なるほど関東発祥でしたか。薩摩が示現流を採用したのは、関ケ原後で各地の武芸者を集めて  
他流試合を行ったところ、やたらと強かったためだとか…示現流の強みは、打ち込みの際、足が止まらない、間があかない。そしてなにより一本の棒があれば何時でも何処でも鍛練できるところだとか… 

しかしこれを藩をあげて採用し、藩士の教育に役立てるあたりさすがは丸に十字。 (¨〃
   


>>633 ヤイノヤイノとじゃかましわ、おのれは。 保育園から出直してこい。

647日本@名無史さん:2008/11/05(水) 06:27:23
>>639しかしまぁ御大はなんでも良くご存知ですね。肥薩国境を守備する出水の兵児は最もヒョウカンを謳れたたと司馬小説に書いてありました     (¨…
648日本@名無史さん:2008/11/05(水) 06:37:48
ふと思ったのですが、広島では語間に、ほいじゃがハァという風に、「ハァ」を入れることがありますよね…(間投詞というのかな?)

長野でも、だもんでヘェとか、まぁヘェとかいう具合にヘェをいれますが、これは板東武士の移住と関係あるのでしょうか?             (¨〃
649日本@名無史さん:2008/11/05(水) 08:38:46
>>645
馬加は地名だアホ
650日本@名無史さん:2008/11/05(水) 08:57:29
氏族名が地名になったのだアホ
651日本@名無史さん:2008/11/05(水) 08:58:16
原爆で20万m広島市民は死に絶えた。
652日本@名無史さん:2008/11/05(水) 10:35:44
あの積乱雲からヤクザが産まれた
653日本@名無史さん:2008/11/05(水) 18:38:08
=゚ω゚) ピカごときでは我らが牛は死なん。
2ちゃん死すとも牛は死なずじゃ。

>>639、642
=゚ω゚) 普段着での稽古なんて、めんどい時ふつうにやってるって。
でも投げたり受身とると破けちまうから刺子着るだーよ。藍は毒消しでもあるしな。

フロックコートの剣士、東京市中取締役の剣道家得能関四郎は
鹿鳴館に乱入してきた暴徒の真剣をステッキで叩き落した。
その数11人と言われる。
稽古着じゃろうが普段着じゃろうが道場だろうが野戦だろうが喧嘩じゃろうが
強いやつは強い。弱いのは弱い。常在戦場じゃぞ。牛。

>>640
=゚ω゚) 世界の深作キンジ!
654日本@名無史さん:2008/11/05(水) 20:26:10
だが、真正坂東武士の後裔の漏れから見ても、白馬青牛は鬱陶しいのだ。
655白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/05(水) 23:38:47
>>646
示現流がタイ捨流や香取神道流の影響云うんは、源平藤橘を先祖と
する権威づけのたぐいで信憑性は乏しいと思いますよ。関ヶ原後、
各地の武芸者を集めて他流試合したことがあつたんですか?
それは、どの文書に出とったことですか?やたらに強かった云うて示現流は
どこの流派に勝ったんですか? 
ほいで打ち込みの際、足が止まらんとつぎは対処できん事態になりま
せんか?間は彼我の距離間の取り方の問題です。まあ、一本の棒があれば
示現流に限らず練習できるでしょう。藩をあげて云うても実戦より、
精神的鍛錬の意味合が強いんじゃないですか。
まあ、示現流は「とんぼ」の構えから左腕を胸から離さず、脇をしめる
訓練よのう。
656白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 00:28:05
>>647
出水兵児に、ついては、
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mif/mif-51.html
(三)新羅、秦氏、八幡神の信仰の広がり ▼島津氏が継承した新羅の民俗 
「名門の美少年を「稚児様」(ちごさま)と称し奉り」(中略)戦さには
稚児様を先頭に青年戦士団として戦場へ赴いた。(天草の乱などでの記録が
ある)。(中略)三品彰英氏の研究によると、この民俗が最も残っていたのが
国分と出水(鹿児島県北西端。ここにも八幡宮がある)であった。」 
文中にないが島原の乱で出水の山田昌巌は、出水境を守るため、子息の
美少年の松之助を大将にした。「若侍の面々は松之助殿に恋焦がれしに、
松之助殿に一言を掛けられ先陣に進んで潔く討死せれば誠に此世の思出
ならんと、各小躍りして勇み進む。」「松さまを 小船に乗せて 歌て
遣らふもの 本渡の瀬戸を」 薩摩の美少年崇拝、男色王国ならでは。
657白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 00:36:12
>>656は、
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html
じゃったか。慶尚極南道人とも云える、薩摩の花郎道。
658日本@名無史さん:2008/11/06(木) 00:46:16
>>644
>人を殺せるド根性

ド根性ってw
スゲー根性だなw芸備を見直したよw
659白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 01:42:58
>>643
仁義なき戦いの台詞じゃが、広島人なら本音でよう云うことよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=4GEETP3AKJw&feature=related
http://fr.youtube.com/watch?v=q1Vf2CWqOnk&NR=1
http://fr.youtube.com/watch?v=zAizkcX5rwg&NR=1
http://fr.youtube.com/watch?v=tOpEM1iAaL4&feature=related
その台詞は一番上でもでとるよ。
>>653
示現流は道場でも普通普段着じゃろうに。仁義なきシリーズは、茨城県人の
深作氏が監督じゃけぇ、なんか関東化しとる思うよ。
一番下の県警対組織暴力は、昔の警察とヤクザの関係をよう描いとる。
現在のことじゃないが。
660白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 02:07:03
661白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 02:11:25
662白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 02:17:44
663白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 02:24:36
>>659
http://fr.youtube.com/watch?v=t0pEM1iAaL4&feature=reated
眠いとようまちがえるのう。
664日本@名無史さん:2008/11/06(木) 02:50:59
こんならはかばちばっかりたれてなんなら
665日本@名無史さん:2008/11/06(木) 03:02:46
このかばちたれが!ええかげんせにゃあんきに!広島人としてなさけにゃーで!青牛の恥さらしにゃーどげんかせんとあかんぜよ!ほんまに広島人けぁ?そげな広島弁なかとよ。
広島弁つこ〜ならきっつぃりした広島弁せなあかんやん。そげんこつおかしかよ。広島の名をつこうかばちたれやないかい。きちんとした広島弁つかっちゃらんかい
666日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:07:40
>>646 たしかに信憑性には乏しいのかも知れませんが、昔は、権威づけは重要でしたからね。     
源平藤橘然り、長○由来の記然り。 
ソースに就いては失念してしまいました…昔読んだ本のうろ覚えです (◎-◎;)
打ち込み…ですが、薩摩示現流は外された場合の対応法はありません。故に、摺り上げや払いなどの、剣道の基本技は皆無です。 
一の太刀、初太刀に全てを賭ける非常にラジカルな剣法です。 
故に鍛練は、立ち木打ち一辺倒…他にはなにもありません。高杉晋作の写真に写っているような防具もいりません。
払い胴だの摺り上げ面だのの型がない以上相手もいりません。
新撰組などでは、薩摩とやる時はとにかく初太刀を外せ、といっていたようです。   

とにかく防御一切なし、攻撃あるのみ。      
受けにまわれば非常に脆いわけですが、そのときは死ねばいいわけです。   

ようするに防御を度外視した突撃精神が養われる… 
示現流の真髄はここにあります。 

それと幼少時から立ち木を打ち込むことによって強靭な足腰もつくられたことでしょう。

武士道とは死ぬことと 
       見つけたり 
に通じるのでは…  


安久武士なら枕はいらぬ♪互い違いのオハラ腕枕♪ 
私はその気はありませんが         (¨〃
667日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:13:42
右手に血刀♪右手に手綱♪   馬上豊かな美少年♪       (¨…
668日本@名無史さん:2008/11/06(木) 13:54:41
669日本@名無史さん:2008/11/06(木) 18:40:52

示現流には残念ですが強さを証明する合理性がありません。

薩摩示現流は精神性を重視した剣法で本当は強くありません。
伝統文化として残るべきものでしょう。
670日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:26:40
671日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:19:25
鹿島新當流の地を引く鹿島丈博。彼の武技は芸術の域に達します。
同じく、南都水鳥拳の伝承者、水鳥寿思、彼の演技は白鳥のようです。
そして、塚原朴伝の血を引く塚原直也。彼の父、塚原光男とともに体操界
で不滅の金字塔を打ち立てました。
もし、彼らが剣術指南だったとしたら、並の人間に対抗できたでしょうか?
血は争えないものでございます。
672白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/06(木) 22:51:39
>>665
「あんきに」「あかんぜよ」「なかとよ」「そげんこつ」じゃの
広島人が使わん言葉の羅列じゃのう。
>>666
戦場において槍衾で来られたら対処に難儀な。じゃけえ戦国期の島津は
火力主義じゃった。戦国期に示現流を賛美した史料は知らんのですよ。
>>659
http://fr.youtube.com/watch?v=t0pEM1iAaL4&feature=related
673日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:00:44
剣道技術を喧嘩に活かせる、活かそうなんて考えてる奴、他の格技はともかく、今の剣道関係者にそうはいないぞ。
おまわりに警防で殴られすぎて勘違いしてしまったの?竹刀?俺は木刀すらまともに使ったことないわ。
> あんたが一撃で処置出来る武器を所有しとりゃあええことじゃ。喧嘩をまともにしとったら、理解出来ることじゃ思うが。
理解できない。一撃で処置とはなんだ?命の取り合いか?君がやった実例を教えてくれよ。さすがに法治国家の日本で俺のような堅気にはできないわ。
周りが寛容なのはおこちゃま時代だね。おこちゃまの喧嘩ってのは相手がもうやめてくれっていってるようなうつろな目したらそこで終わりなの。
だから、失神しない限り、気を強く持っていけばどんな奴でも負けはしない。だが、運動音痴は気を強く持てず、粘り強さがないことによって訓練に
耐えらないからこそ、運動音痴になるのであって、大体の相関はある。歯を折る、鼓膜を破る、ちょっと骨を折るぐらいなら許されもしたが、重度の障害を負わせたら
菓子箱のひとつでは済まされない。許容されるってのも、事故に近いもんで、敢えてそうしようなんて思わないね。双方、ここまでやったらってのは持ってんだよ。
たとえ武器使っても相手のダメージ具合を考慮してやるもので、喧嘩するもの双方に暗黙のルールが成立している。
二度ほど相手が刃物でかかってきた事もあったが、本気のようではなかったぞ。本気なら取り上げられなかったし、俺の存在自体なくなってたかもよ。
ルールを外して俺の命をとっても周りには勝ったとは思われないだろうし、背後からいきなり襲えば俺を殺せるしな。そんなのは俗に言う外道だ。
俺はおれ自身のおこちゃま時代の喧嘩しか知らないし、堅気でもあるんでね、やっぱり白馬青牛のいう喧嘩がよくわからないね。
武器の優劣と優なるものを持った側の決断力で決するというのは戦争ならそらそうだ。薩摩が幕軍を倒したのは主に豊かな財政による豊富な銃や大砲、
それらの有効な運用であって示現流なんて関係ないわな。文脈からとれる範囲以上に言葉の定義を拡大し、論をすすめる行為自体、馬鹿げているとおもうが、どうかね。
674日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:01:24
しかしだなあ、
そもそも、>>633では示現流最強などといってる奴はおおよそ実践者でなく、引きこもりの妄想オタクだといってるのだ。
武板で示現流がやりたい、でも鹿児島に住んでないから駄目だといってる奴に、剣道ならどこでもできるし、剣道が嫌なら古流併設している
ところもあるから、そこで古流だけ参加すればいいよ、示現流とは違うかも知れないが、剣の理合いに共通する何かが見つかるかも知れない、
だから気軽にやってみたら?、やってみて駄目だと思ったらやめればいいよ、もっといえば、やらなくてもいいから見て楽しむだけでもいいんじゃない
といってみても、剣道への罵倒で終わったわ。古流の人が一刀流の技術解説をして同じように勧めていたけど、似た様なもんだったよ。
>>629で示現流がでてきたから思い出して言ったんだけど、どのあたりが琴線に触れたのだ?
おこちゃま時代にわしみたいなんにようぶちまわされよったけんゆうて仕返しちゃろうおもよんか。わしゃそん時は逃げるで。
わしみたいなんが進学やらで県外に出て行ったけんゆうて、地元で威張っとりゃあえかろう。くそよつが。
こがな言が吐けんじゃ?わしとよほど仲ええか、わしに危害を加えちゃろうとするもんにはそのままずばり当てはまる奴じゃろうと、ようよったで.
おどれの文章で差別用語じゃろうゆうのを適当な人を不快にする言葉に置き換えてみいや、成立しとろうが。その部分だけは認めちゃるけど、
前でいえまあゆうて、危害を加えんもんとわざわざ争うこともあるまあ。不快なおどれにここで言うのと見ず知らずの人にいうのとは違うんじゃで。
ようわからん東のもんに暴力ちらかせて同和を特別視させ、こわがらせよるのは、われ自身じゃゆうことにわりゃ、はよう気づけや。
方言についてもそうじゃ。人が嫌がとったら止めるんが筋じゃ。わしは無意識に大阪や東京で怖がられとるのがわかったから一切つかやあせんで。
時たま、つこうても優しいおなご風じゃ。回りの若いもんみてみい。粋がっとるものほど、ちと足りんようなじいさんらがつこうとった濃いの
つかいよるじゃろ。こがなんみたら、どがいなことかわかるじゃろう。まあ、そういうことじゃ。わかりましたか?白馬青牛様。
675日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:02:04
>>635
俺はあなたのアンチではないし、怪しげなオフ会で遊ぼうとも思わない。
剣道家とやりたければ、警察の特練あたりで遊んでくれやしないか。
遊んでくれなけりゃ、街中でテロリストの真似事をすれば機動隊も飛んでくるから会えるかもよ。でもやっちゃだめだよ。俺は全く責任もたないし。

余談だが、いろいろ不満はあっても現代剣道は進化している。速さ、反応、間合いの見極めは素晴らしく発達している。
一応、竹刀は真剣に見立てることになってるし、形を使うことにもなってるわけだし、俺のような大会至上主義者でなくとも
武道と捉えたい人にはそうとも捉えられ、臭いのは別として趣味としてはいいと思うがね。体力衰えた年寄りにもやさしいよ。
最初に数年教わったのはいつも酔っ払っていた近所のクソ爺で、これでは切れないだの、シナでこうやったから喧嘩になったら
つかえだのと平気でいうような屑に習ったおかげで、周りでは稽古が一番厳しかったのに皆ちっとも上達しなかった。
大の大人が子供相手に組討に持っていき、こかす、殴る、蹴る、乗っかってくる。その癖、試合で負けると人様が見ている前で
木刀で叩き、汚い言葉で罵りやがる。こいつの教え方が悪いから皆が勝てないのによ。
当時教わった仲間と集まればこのクソ爺の悪口三昧。早くおいきになってよかったと皆言ってる。
今思うとこやつの怪しげな剣道は何も役立たなかったね。強いて言えば体力だけは付いたことと指導者選択は大切だと学んだことだわ。
それを考えるとクソ爺が絶滅しかけてぬるい環境にいられる今の子供は幸せだ。
ぬるくなってんのに外野からあれこれいって飛び込んでこない妄想実戦野郎はあほすぎる。
ん〜、長くなると一気に書き込めないのか。
676日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:18:09
>675
=゚ω゚) それはそれはお気の毒に。
で、今の君は満足かね?子供たちはホンとに幸せかね?
まあ、満足しているならそれで良かろうしな。
しょせん武道なんてお遊びだし何の役にも立たんよ。

まあ、オイラは剣道なんてここ10年ほど同門のガキども相手にしかやってないなあ。
その刃筋では切れないだの、喧嘩になったらこう遣えの、長物とはこう戦えの、
組討でコカして、当てる、極めるなどを子供相手にやっておる。
楽しいぞ。
もちろん剣道試合では弱いだろうね。
オイラもたまに地元の大会に出ると負けてばかりだ。はっはっは。
677白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/07(金) 00:42:48
>>659の一番下がやれやっとでよったのう。まあ、暴対法以前のこと
じゃが。 
>>648
広島人の、「ハァ」云うが関東弁との関連は知らんですが、東北に残っとる
「ガンス」は、広島の古語です。それは兎も角、>>659でもそうじゃが
東北人の菅原文太の広島弁が一番上手じゃ。
>>673-674
一撃で処置できるんは示現流で使う、ゆすの木刀でもええわけじゃ。
日本がほんまの法治国家か別として、争いごとにゃあ誰しも必死じゃけん
のう。おこちゃまの喧嘩でも、許してくれえ云うても許さんよ。
相手が、いごかんようになっても攻撃の手をゆるめるような、やわな
攻撃は意味があるまい。喧嘩に暗黙のルールなんか普通あるかい。
背後から襲うんも年下のもんじゃったらゆるされることじゃ。
おこちゃま時代の方が、武器を選ばず必死に闘うもんじゃ。幼小時代、
喧嘩する時、石や釘を使うんが普通じゃ。最近の若いもんは、東京風に
なじんどるじゃろう。
ぶちまわされたんなら、やったんをしごすりゃあええだけじゃに、
何言い訳しとるんなら。じゃけぇ軟弱スポーツマンは、つまらんのう。
>>675
警察の特練?竹刀がことんならんほど、やりおうた旧軍の広島聯隊から
みたら、警察の特錬なんか色あせるどころか、お遊びにすぎまい。
現代剣道の進化?云うて、スポーツマンの記録が更新しとるけぇ、
現在の競技や武道も進化しとる云う妄想か?
ほいじゃあ、古代人、中世人に比べ進化した部分についての具体的根拠でも
見つかったんか?
以下あんたの師匠の批判文じゃのう。実際に戦争時どうじゃったかは、
師匠の戦友か、身内の戦争体験者の「つて」で調べりゃあ、ええことじゃ。
あんたんは、愚痴にしか聞こえんど。
678日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:58:50
=゚ω゚) せっかくだから示現流。
示現流は一応強かったと思う。ただ技法の根本は他の剣術とあまり変わらないだろう。
受け太刀、居付きを嫌うのはどの流儀も同じだしね。
基本は一刀両断でのカウンターだよ。

重位どんは放討ちの達者じゃったからやはり強かったのは確かじゃろう。
上意討には、よほどの達者か殺されても惜しくない家臣を選べという言葉があるくらい
危険な仕事じゃったが重位どんはそれをほとんど成功させたらしい。

幕末で薬丸流が強かったのは戦闘慣れしていた事と決死の突進力だろう。
強さは技の優越ではなく迷わぬ精神じゃろ。
二天一流の「巌の身」、ト伝の「一の太刀」、林崎の「袈裟の一刀」
全ては「死を嗜む道」に有るのではなかろうかのう。
「空の心に迷い無し」じゃのう牛。

もっとも恨み骨髄のゲリラ戦部隊、警視抜刀隊相手では示現流に特別な戦果はないんじゃん?
679日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:12:13
>>645
縄文人の末裔じゃー、東北から連れて来られたんじゃー
って皆が言ってる村落(長野南部)ですが、京の命で関東に派遣された
渡来人が東夷を治めていたと?

鎌倉から出土されまくってる人骨のdnaが縄文系ってのも説明して欲しいところ
渡来人うんぬんの話でも、現代の技術水準ですら移民がそのまま
都市や農地を切り開いて生活圏ごと移動するというのは考えずらい
(ましてや当時であれば入植出来る人数や開墾を行う技術や労力に限界がある)
京の倭人が東進する過程で投降した縄文人が人口上はマジョリティだったんじゃねーの
680日本@名無史さん:2008/11/07(金) 10:55:18
681日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:23:13

>>677 白馬青牛 さま

「警察の特錬なんか色あせるどころか、お遊びにすぎまい。」

上記の記述は、現代の特練部隊を連想させますので、言葉の
使いまわしは慎重にされた方が良いかと思います。
定員制の中での、かれらは恵まれた生活を維持するため、そして
武術エリートしての誇りを賭けて精神技術体力を日々磨いています。
その訓練と成果は常人の想像が及ぶところではありません。
枠から外れれば一警察官となり、その待遇は激変します。
ある意味で、現代での「命のやりとり」版といってもいいかも
しれません。
682日本@名無史さん:2008/11/07(金) 18:07:24
=゚ω゚) まあ、プロ剣道家だね。
武道修行者としては頭が下がるが神聖視する必要も無い。
また公務で有る以上、民間人に対しての扱いを強要させる必要は無いし
道場外でエリート視してはいけない。


もしあなたの身近に、まじめにコツコツ街の治安を守ってくれる巡査が居たとしたら
たとえ武芸が弱くても特別な訓練を受けていなくても
その人こそ武蔵の言う「巌の身」の人なのだ。

能々吟味有るべき候事。
683日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:28:23
684日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:48:56
要するに俘囚でしょう?
685日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:14:18
>要するに俘囚でしょう?

はあ???
686白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/08(土) 22:44:34
>>678
流派たぁ個人の強さじゃけぇのう。幕末は示現流たぁ、より重い木刀を
使う薬丸自顕流の連中が目立ったのう。ほいじゃが薩摩は、戦場においては
火力主義じゃった。薩摩の立ち射ちよ。近代熊本師団にも受け継げられる
伝統じゃ。警視抜刀隊云うたら、同族の薩摩人と共に東北人も多かった
けんのう。捕虜になって命だけはお助けを、と命乞いする薩摩人を戊辰での
薩摩の蛮行の復讐として斬首したんは酷いのう。
まあ、勝負は一発で決めにゃあのう。銃剣でもほうじゃが、西洋のような
スポーツ方式と違うけぇなんじゃ、現代剣道は西洋化しとる云うことよ。
>>679
長野県じゃあ、支配層は高句麗系であろう。鎌倉から出土した人骨の
DNAが縄文系云うて、いつの時代の人骨で誰が調べたんか?
わしゃあ、四世紀の世界的北方の民族南下現象から、倭人云う定義を
弥生期に渡来した集団として、倭人も土着縄文人も少数派じゃと考える。
多数派は古墳期に渡来した連中じゃろう。
687白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/08(土) 23:07:59
>>681
まあ、警察の特錬部隊は、軍隊と違うて捕える実戦があるけぇ、
戦場へ出て弾道の高低、近遠も実際に知らん軍隊たぁ違おうで。
「かれらは恵まれた生活を維持するために」じゃあ、あんた皮肉たらたらで
書いとるんか? 人間恵まれた生活をしたら、命を賭ける心境に
なれるんか?戦前赤紙一枚で戦場に送られた兵士は、恵まれた生活どころ
じゃあるまいに。「命のやりとり」板云うても、捕まえることを目的と
しとるんと、彼我がお互いに「命のやりとり」をする戦場は違う。
688日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:18:04
>ほいじゃが薩摩は、戦場においては火力主義じゃった。

=゚ω゚) じゃが近代火器を使う戦闘でも白兵戦が行われる場合が有るように
火器が有効とは言えない場合も多い。
とくに田原坂のような条件では難しいだろう。

銃と言う物は将棋の飛車角のようなもんで、強力な駒ではあるが
味方が多くても使えない。同士討ちになるからだ。
狭くて視界が悪く陣形のとれない場所での火器は危険ですらあるだろう。
夜襲、雨天、室内戦、乱戦などでは銃器は諸刃の剣だね。
689日本@名無史さん:2008/11/09(日) 05:35:17
>>673自分はなにも、示現流で薩摩が幕府をひっくり返したとはいってませんよ… 
薩摩が幕末、一大勢力たり得た諸要素の一つとして挙げたのです。      
>>678強さは技の優劣ではなく迷わぬ精神じやろ。 ありがとうございます。自分がいいたかったのはそこです。 

690日本@名無史さん:2008/11/09(日) 05:41:11
刀をとんぼ構えした薩摩人より拳銃や短刀持った広島ヤクザが強いような気がする
691日本@名無史さん:2008/11/09(日) 05:50:39
>>686 警視庁抜刀隊の東北人、西南戦争の時だと思いますが、旧賊軍の東北勢は、すわ汚名挽回とばかり決死の覚悟で来たでしょうから、薩摩の兄さま方も難儀したでしょうねぇ。 
しかしまぁなかには命乞いしたひともあったかも知れないが、スカッと殺さぬあたりいかにも東北的な泥臭さを感じます。  

また、立ち射ち…ですが、まさにそれが示現流なのです        
         (¨〃
692日本@名無史さん:2008/11/09(日) 05:53:40
>>690 あんたカブレ過ぎ。     (¨〃
693日本@名無史さん:2008/11/09(日) 05:58:12
幕末に薩摩ごときが勝てた理由は、徳川軍の武士的な正攻法での正面合戦を挑み続けてくれたから。

鳥羽伏見
長州征伐
合津戦争
これらに代表されるように戦国時代と変わらないものたちとだったから。
しかし、庄内戦争や長岡戦争に至っては、軍政改革に成功した藩にはことごとく初戦で負けてるのが糞長州。
長州ほどへたれで情けなくて雑魚で腑抜けでどうしようもない集団はいない。徳川家臣団のの武士道にとらわれた戦い方と時代錯誤が長州を成り上がらせたのみ。
仮に軍政改革を早い段階で成功した長岡、庄内、盛岡、などの諸藩と、会津、桑名、譲西などの譜代藩が二次長州征伐いっていたら、長州は根絶やしにできたよ。一人残らずね
694日本@名無史さん:2008/11/09(日) 09:22:37
薩摩人は倒幕の功績で大した能力もないのに役所や官制の学校の校長
になって威張り散らしたため、嫌われている。おごれる薩摩久しからず!
695日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:36:13
たくましい薩摩隼人は古い男色の風習を復活させてくれた!
ワシも感謝しとるんよ
696白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/10(月) 00:12:54
>>688
近代戦においても、塹壕戦は狭い場所じゃけぇ白兵戦の色合いは強う
なるよ。ほいで元熊本第五十八師団、鹿児島人の川崎春彦氏は、白兵戦は
ほとんど無かったと云われたが、防御戦、弾薬欠乏の白兵戦闘を強いられた
広島師団の戦闘たぁ温度差があるわい。ほいで塹壕戦はのう、中国人は
決まった場所で糞ひらんけぇ、戦闘時は必死じゃけぇなんじゃが、
戦闘が終わった後、軍服は糞まみれで臭うけんのう。
>>690
刀でも、一人の安芸武士は、三人の薩摩武士と決闘し、薩摩武士二名を
斬り殺しとる。
>>691
命乞いした薩摩兵が臆病じゃのうて、どこの兵士じゃろうと、
戦場心理として、逃げ道がないと思うと誰しも勇敢に闘うし、相手側が、
一たん命が助かると寛大なスローガンを提示したら、闘争心たぁ助かる方を
選びたいんが人間の心理よ。ましてや、捕虜になったら完全降伏で闘争心も
喪失しとる。その闘争力の喪失した薩摩人に、復讐心、報復で斬首した
東北人の所業は弱い者苛めで武士道じゃないよのう。
697日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:18:08
東北人は恨人、わかります。
698白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/10(月) 01:05:26
>>693
第二次長州征伐で宿場町の広島県安芸軍海田へ駐屯した幕府側の越後の
榊原藩の連中は、庶民を愚弄してひどいもんじったよ。
ほいで、海田庶民の連中も売られた喧嘩は買うけんのう。
喧嘩で越後榊原の進駐軍をぼこぼこに、しごしてしもうた。
瀬野川が海田若衆や女郎衆の水どころか、越後榊原勢が流した血と恥辱の
涙になって仕舞うたのう。 
軍紀が弛緩しとる幕府軍に、勝てる見込みはないわい。薩摩の立ち射ち、
土佐の斬り込みに比べ、長州の寝射ちは勇猛な印象を幕府軍へ与え
とらんが、長州も全国的にゃあ強い方じゃろう。
安芸広島は、寡兵にして、多数の奥羽同盟軍を新政府軍の他藩が無謀と
するなか、斬り込み攻撃で敵陣を落としとるわい。土佐に負ける要素は
ないのう。
>>695
日本における男色の風習は、西高東低じやが、特に薩摩は男色文化の
極致よのう。男色文化継続の面で、わしが薩摩好きの部分じゃけぇ
同意じゃ。陸軍の軍都広島や、特に海軍の呉は多かったのう。
海軍閥の多い薩摩閥、鹿児島の風習が海軍に影響を与えた要素も強かろう。
699日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:21:31
つまり呉では一つのハンモックで体を鍛え上げた男同士が裸で抱き合ったり口を吸い合うわけですね
わかります
阿川さんもそんなこと書いてましたし
700日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:29:18
梶山先生も「雲か山か」で芸州の男色は大したことないと
やはり薩摩隼人の念者の尻を内臓破裂させるほどの激さで突きまくるAFは最強
701日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:46:15
広島のもんはハンモックで宙吊りセックスするんか?
702日本@名無史さん:2008/11/10(月) 04:01:30
>>798
軍紀が乱れてたと言うが、薩長のような成り上がりが、小御所会議で土佐の忠告も聞かず倒爆倒爆とほざいてたんは、芋ッコロと長州ですよ!
最初からテロ三昧で京都を狂乱させ、すぐキレて攻め込む
長州に至っては関東でも抗戦派急先鋒小栗陸軍奉行一家の女子供まで皆殺しにし、オジヤ談判では中立藩長岡の村村を九割以上焼き払い、女を犯しまくった。また腐れ参謀世羅は風俗三昧。
どこまでも成り上がりの卒ごときが頭にのった悪行三昧諸行無常は 永遠に関東以北は長州の朝鮮人血脈どもを許すことなどない。卑劣卑怯非道卑屈卑猥非人道卑人卑下野郎とは長州野郎なのは間違いない。

薩摩にいたっては、のらりくらりと世上で信念を変え、長州のけつに寄り添って調子こいた程度の縄文遺伝野郎どものなにが薩摩隼人だ!片腹いたいわ
薩摩隼人ごときが、基地外じみた連打サッポウしかできない能なし縄文面が、どうかしましたか?W
会津や関東以北に謝らんかい!土下座ついてティンポでもしゃぶらんかいWなにが薩長じゃい
703日本@名無史さん:2008/11/10(月) 04:10:57
>>698
嘘はやめようよ。榊原高田藩兵が、芸州ごときの平民程度にぼこられ川が赤く染まったとか、芸州の人間は、幕末から時代に乗り遅れた腑抜け三昧だったが、挙げ句は嘘八百まで撒き散らす醜態さらすんかい?W
704日本@名無史さん:2008/11/10(月) 06:21:26
>>694威張るといっても、偉いもんが威張るのは、古今東西どこも同じでしょう。 
酒好きで女好きで、単純木強な薩摩兵児は、肥後や水戸にも似た理論的な一面と晦渋さを持つ長州人と較べれば 
下にまわる者からしたら御し易かったんでは… 

ちなみに「コラ待て」「おまえコラ」の「コラ」は元来、薩摩方言で維新後、薩摩士族が多数、警視庁に入ったため全国に広まった。 
「…のであります」「そうであります」の「あります」は元来長州方言で維新後、明治陸軍の拡充とともに全国に広まった。

後者は旧軍の終焉と、世相の左傾化とともに滅びつつあるが、最近、賊軍地域出身の、某大物政治家が、で多用しているため、漸く復権の兆しをみせつつある        (¨〃
705日本@名無史さん:2008/11/10(月) 06:39:38
>>698 薩摩の立ち射ち、長州の寝射ち。藩風を反映してるようで面白いですね。 
706 ◆26IT/WpOkg :2008/11/10(月) 22:01:04
最近盛り上がってますなあ
707日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:24:38
長州は将校級のみを狙う狙撃がすごいわけだが・・・
708白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/11(火) 01:09:52
>>699-700
「仁義なき戦い」の脚本を書かれたか笠原和夫氏は、広島県の大竹海兵団
出身じゃが、海軍では、尻を提供せんと出世出来んほど蔓延しとった
ようじゃのう。海軍の師匠の英国紳士の男の尻好きの影響もあろうが、
海軍薩摩閥の男の尻好きの影響も強いんじゃないか。
薩摩と比べたら芸州の男色は大したこたぁない。わしでも個人によるが、
基本的に女の方がええよ。
>>702
えらあ長州嫌いじゃが会津人か?同じ東北の津軽藩士の末、今東光氏は、
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/02/post_69f3.html
『続 極道辻説法』(今東光著 集英社)p.190の青の部分じゃが、
「兵隊と巡査を募集したら、やられた連中の所から物凄く応募者が集まった
んだ。「今度こそ鹿児島で仇討つ!」っていうんだから鹿児島は惨憺たる
もんだった。何しろ、自分たちの姉妹、妻やおふくろまでね女と名のつく
のは、鹿児島の連中に前と後ろと両方やられていたんだから、その怒り
たるや大変なもんだった。この仇討ちをしょうっていうんだから・・・」
薩摩の連中は、女を強姦する時も前の穴だけじゃ満足出来ず、どうしても
後ろの方の尻の穴じゃないと満足出来ん処も、男色王国ならではよのう。
709 ◆26IT/WpOkg :2008/11/11(火) 01:37:09
usiは経験者かよ、たまげたなあ
松陰当時のTさんもそげな風に見えなんだが、人はわからんもんよのう
710日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:10:11
広島いうたら海軍バカの阿川さんより梶山先生よ
梶山先生の遺作「積乱雲」は是非読まれたし
711日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:13:07
美能も中(刑務所)で肌を合わせて契りを結んだ子分が多数いたらしいからな
712白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/11(火) 02:15:56
>>702
続き、ほいじゃが今東光氏は、「大体九州人なんていうのはハッタリ
だけでな、それに助平でな。戦争中なんか、満州などで、「九州の
部隊がくる」っていうと村の人たちは娘を全部隠したもんだ。
女と見るとみんなやっちゃうんだ、九州の兵隊は。権力側につくと
九州人ほど強くなる人種もないんでね。虎の威を借る狐よ。」『続 
極道辻説法』P113と、九州人のハッタリ虚勢を張る処や強姦蛮行で
名高い九州兵団の部分もその通りであるが、『続 極道辻説法』
P156で「ついでに鹿児島県人の一番悪いことを言っといてやろう。
鹿児島県人は金に弱いんだ。きさまらの先輩の海軍軍人でござれ、
政治家でござれ、もう実に金に弱いんだ。だから律儀者の山口県人は
鹿児島県人を長く信用しなかった。」薩摩人と違い長州人を律儀者と
誉めておられる。
>>703
じゃが、越後の榊原高田藩士の糞ボンクラが安芸郡海田の庶民に
シゴされたんは事実じゃ。瀬野川の血の部分はわしの創作じゃが
恥辱に思うたんは、遠からずじゃろう。まあ、越後と安芸じゃあ
格が違う。越後の高田聯隊が中国軍に敗れた中島高地を、広島聯隊は
高田聯隊の半数以下の兵力で中国軍を撃退したけんのう。 
平民程度?職業武士たぁ庶民の方が強いよ。千葉徳爾氏は、
武士の心を「家禄に依存し泰平の世に武を放棄して金銭を欲しながら
生きる者が多くなった彼等りも、常に山野にあって、生きた
野性生物と闘って生計を立てて来た漁夫や猟人たちの間にこそ、
むしろ強く受け継がれて来た」と。
713日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:59:03
で長州とのいくさで先鋒からも外された芸州勢の働きはどうだったの?
714日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:52:41
>>708 さすがの薩摩も男色では芸(ゲイ)州にかなわんでしょう。    

>>たしか仁義の主役、○能氏も大竹海兵団でしたね。その縁もあって笠原氏と意気投合したとか… 


>>712 今東光は、ブリブリの東北人でしょう。常に歴史の蔭に追いやられてきた東北の劣等感と、薩摩、九州への嫉妬に駆られての言説で、正聴するに及びません       (¨〃
715日本@名無史さん:2008/11/11(火) 07:56:39
=゚ω゚) ゲイのためなら女房も泣かす〜♪
716日本@名無史さん:2008/11/11(火) 08:50:13
ゲイ衆
717日本@名無史さん:2008/11/11(火) 08:53:05
広島のゲイゆうたらよぉ掘るか掘られるかじゃけぇ
718日本@名無史さん:2008/11/11(火) 09:48:57
>>686
>警視抜刀隊云うたら、同族の薩摩人と共に東北人も多かった
けんのう。捕虜になって命だけはお助けを、と命乞いする薩摩人を戊辰での
薩摩の蛮行の復讐として斬首したんは酷いのう。


25:白馬青牛 2008/02/27 23:02:26 BqAskR2A>>>24
しばしば南九州を誉めよるわしが、何の恨みがあるんか?
南九州の薩摩に恨みがあるんは東北人じゃろう。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/02/post_69f3.html
4、戊辰戦争に見る東北人の恨み に、津軽藩士の末で神戸育ちの
今東光氏の『続 極道辻説法』の引用で、「途中、会津でひどいことをし、
山形でひどいことをし、新潟・長岡でひどいことをし、無茶苦茶しながら
行ったろう。(中略)何しろ、自分たちの姉妹、妻やおふくろまで、
女と名のつくのは、鹿児島の連中に前と後ろと両方やられていたんだから、
その怒りたるや大変なもんだった。この仇討ちをしようっていうんだから」
ここに出とらん次のP191には、「九州びいきはみんなオレを憎んで
いるよ。バカが多くて大言壮語してやがるんだ、九州の奴は。」
P113「大体九州人なんていうのはハッタリだけでな、それに助平でな。
女と見るとみんなやっちゃううんだ、九州の兵隊は。権力側につくと
九州人ほど強くなる人種もないんでね。虎の威を借る狐よ。」
P156「ついでに鹿児島県人の一番悪いことを言っといてやろう。
鹿児島県人は金に弱いんだ。だから律義者の山口県人は鹿児島県人を長く
信用しなかった。」と、九州人のホラ吹きハッタリ癖と薩摩人の
商人気質を的確に見抜いておられる。わしは、それを長所の面で云うとるん
じゃ。見栄っ張り、仲間に虚勢を張ることが命知らずの勇猛な特徴にも
なるし、商人気質は合理主義にもなる。じゃが、戦国、戊辰や近代軍隊に
おける九州兵の蛮行だけは、残念じゃが弁護出来んよ。


「酷い」のか「弁護出来ん」のかどっちなの?
719日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:59:27
ゲイ衆のたくましか若衆に頼みがこわす
賞典禄がほしかったらオイの太かペニスばくわえてたもんせっ
720日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:03:42
長州も薩摩も掘る掘る言うてちっとも掘りに来んじゃない?
来るなら来んかい!
掘っちゃるけぇ!
721日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:46:14
ケツの掘り合いしゃぶり合い
722長三郎江戸日記:2008/11/11(火) 17:53:13
長州野郎への嫉妬ではない。いいですかみなさん。長州野郎は維新の礎なんてほざかれてるのはあいつらが勝手に電波した歴史観だろ

いいでしか。長州野郎は太古から大内義昭や陶のような大名自体が、自分らは朝鮮人だと高らかに自慢してましたよね?
さらに長州門閥野郎は朝鮮を同根同素とほざき、薩摩をおい落としてまで朝鮮併合した。
さらにその長州野郎の半島大陸政策が関東軍を生み出し、太平洋戦争に至る布石をばらまき続けたのも長州野郎。
さらに新宿や横浜、赤羽などは五人に一人が在日朝鮮人であると統計がでるにまで在日天国政策を打ち出してきたのが長州野郎。
世界に類をみない、在に邦人名まで与えるほど朝鮮人同化政策をやってきたのも長州野郎。
さらにいまだに山口県は韓国と姉妹都市を約二十都市も結び、貿易を一番朝鮮と依存してるのも山口県。
さらに司馬大先生にまで、遺伝子レベルから脳の思考回路まで朝鮮人そのものと一括される始末が長州野郎。

騙されるな!朝鮮=長州 こいつらが日本を、近代史は話すことを許されないほどにまで泥を塗った張本人だ。
だってそうだろ?近代史語れば特亜がすぐさま内政干渉。靖国ひとつ内政干渉。しかし長州本国は馬鹿面さげて特亜朝鮮と姉妹都市だらけで朝鮮をいまだに同根同素万歳朝鮮してやがる。
挙げ句は高杉チョン作も、朝鮮逃亡構想、日本割拠朝鮮同化をきちんと唄ってました。

長州はただの朝鮮人だろ心身ともに!あいつらが日本に泥塗った真の売国奴

目を覚ませ
723長三郎武蔵日記:2008/11/11(火) 17:59:48
絶対長州だけは許さねえ

絶対長州だけは騙されねえ

長州の土井が浜遺跡も半島人遺跡とはっきりしてるし、長州は日本人じゃない ただの在日

長州は滅びちまえよ
724日本@名無史さん:2008/11/11(火) 18:12:47
山口県人は確かにチョン面だらけな件
725日本@名無史さん:2008/11/11(火) 18:59:53
ゲイの道は厳しいのう
726日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:06:20
適塾への入門者が一番多いのが長州出身者。
緒方洪庵と同じ今の岡山県出身者はその次に続く。
昔は三大教育県といわれたのが山口、長野、岡山。
山口はこの中でも頭一つ飛びぬけている頭脳県ですよ。
実務ができずに精神力だけでは物事は進まないのです。
727長三郎江戸日記:2008/11/11(火) 19:20:12
だったらその誰が決めたかわからない頭脳国家長州が明治以降布いた政治の結晶と延長上に東亜戦争があるのが紛れもない事実

で、なにがどこがそのご自慢の頭脳派プレーしてくれましたか?

その頭脳派電波も長州電波だろ

会津や水戸の藩校すら除外で長州最強とかアホくさい
昌平所も蕃訳所も横須賀鎮守府も誰が作ったと思ってんだ

長州野郎が日本の真の敵だということは歴史が証明してるだろ

関東軍軍閥みてみろよ またシナ方面軍司令みてみろよ。ほとんど長州野郎だろ

東亜戦争もアメリカにつけこまれたのも 大陸軍の戦線拡大に最後通告されたんだろが!

その大陸軍の大陸政策打ち出したのも明治以降の長州門閥だろ

長州を許すな タモガミ空幕が右翼発言一言しただけでも内外から内政干渉されるにまで日本の歴史に泥塗りたくったのが長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州長州
長州 長州 長州 長州長州 長州長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州長州 長州長州長州長州長州 長州 長州長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州
長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 長州 朝鮮 長州 朝鮮 長州 長州朝鮮朝鮮長州 長州 朝鮮 長州

長州=朝鮮人
728日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:17:38
>>727
典型的な頭の悪い厨房だなw
日本語にも不自由してるようだし可哀想だね
729日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:30:47
>>727
シーボルト事件以後、洋学が大っぴらにできた親藩とは違い、外様の藩
は不公平になるということで、有名な私塾を例に出しました。
学校制度、軍政を整えたことにより、東北地方出身者も出世の可能性が
大いに開かれたのですから、その点は評価に値するのではないでしょうか。
もちろん、制度自体に不備があり、欠陥のあるものを長にしてしまうことも
あったのかも知れません。しかし、それは欠陥ある長州以外の出身者が
選ばれる可能性もあったわけで、長州に拘るのは間違いですよ。
730日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:33:11
広島のゲイ事情詳しく!
731長三郎:2008/11/11(火) 21:59:05
軍政ととのえたって、そもそも薩摩の芋っころを追い落とすために会津らを募集したのが始まりなくせにですね!

さらに学校など当たり前のことしたとしかおもわないが。

長州野郎の横暴と自分勝手さと長州門閥どもの出自身分コンプの劣等感は異常ですよね

伊藤なんかは てめえは貧農の分際が朝鮮民族を虫けらのように扱う、日本最下層身分が東洋最下級民族を馬鹿にするような卑劣さは痛すぎる

そのくせ朝鮮なんかを同素同根だとほざく政策

本当に長州のやった罪は維新の功労どころか日本の歴史をを闇に追いやった張本人

いいでしゅか 日本の誇りを地に落とし 在日天国を幇助し 自虐的国家に貶め 近代史を公に語ることすら許されない、ここまで恥を日本に擦り付けたのが長州以外の何者でもないでしょ。
そんで阿部新太郎のようなカスが、B侍の先祖ごときがをひたすらオナニー先祖崇拝自伝書だす程度

長州を許しておけますか? 長州だけは絶対許さない 長州だけは絶対見逃しませんよ

732日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:00:25
エノラ・ゲイ、その名前なら知っています。
それは悪魔の兵器だったのか、一瞬のうちに蒸発して死ねたのは幸せだったのか?
誰にもわかりません。
733日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:38:42
>>731
ねえ、庄屋さん。
長州人の所業はわかりましたが、現在はそのような力はありませんし、
もう許してやったらいかがですか。
私は長州人ではありませんのでよくわかりませんが、その発言では長州人に
とって痛くも痒くもないのでは?
それにあなたが想定する「長州人」が今でも山口に住んでいるとお思いですか。
御子孫の方々も東京を中心とする大都市にお住まいになっていることでしょう。
江戸初期を思い出して愛知県人を許さないなどといわれると愛知にお住まいの
方はびっくりするでしょうし、それと同じことですよ。
734白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/12(水) 00:51:58
>>709
経験者云うたら、明治期の兵士は概ね男色経験者じゃろうに。
>>711-714
http://hori109.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/02/3_e424.html
ここへも出とるが、カッパとアンコの絆は強いよ。
薩摩じゃったら茶坊主よのう。茶坊主はしぐさが女性的になるけえのう。
テロリストには、掘られた茶坊主が最適じゃ。
戦前の旧制呉二中から大竹海兵団へ行った美能氏が、同じ大竹海兵団の
後輩と知った笠原和夫氏に語っられたことから映画化が実現したけぇ
のう。 
今東光氏は、血流は東北人じゃが、神戸育ちじゃ。今氏も旧制関西学院
中学時代ドスを懐に忍ばせて、下級生の美少年稚児争いを上級生とやった
そうじゃ。九州人、鹿児島人の特質をよう摑んでおられる。
ハッタリ、虚言癖、大言壮語、金銭や権力に弱うて強姦好きな部分も
間違いはないど。
735日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:58:35
ここはふうが悪りいのう

736白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/12(水) 01:42:49
>>713
安芸は、長州に反目する必要もない。芸州勢の働きは倒幕の相馬戦じゃ
のう。
>>718
鹿児島人の蛮行に関しては「酷い」し「弁護出来ん」に決まっとろう。
鹿児島人の主義より算盤をはじく合理主義精神にゃあ感心するが。
>>722-731
前にも云うたが、朝鮮人、特に慶尚道人と気質が近いんは薩摩人じゃ。
司馬氏の遺伝子レベル?司馬氏は、長州人が朝鮮の影響が中世、近世まで
及んどることを強調されておられたが、ドナルド・キーン氏が薩摩の
儒教性の強さに言及(論破)され、薩摩は朝鮮の影響が強い方に転向され
とるよ。 
あんた嫌長州及び嫌中韓厨ネット右翼か、珍しいのう。会津人の
田中清玄氏は、親中で、靖国神社は長州の遺物云う見解じゃが。
まあ、田中清玄氏は、米国の干渉は嫌うてじゃ思うが、わしは米国や
中韓、あるいは欧州も含め、内政干渉はどんどんしてくれた方が
ええ思うよ。日本の上層部は政治、外交も駄目じゃけんのう。
我が国の無能な上層部の横暴を防ぐためにものう。
737桐野少将:2008/11/12(水) 02:17:08
早ようおいどんの黒マラしゃぶってたもんせ!
738日本@名無史さん:2008/11/12(水) 05:53:43
>>734 その血流が味噌なんです。育ちは神戸かも知れませんが、やはり当時の人ですから、自らの血を意識すること、      
現代人の比ではないでしょう。それに当時は、港湾関係などで、川筋や若松あたりから、やりっ放しの九州人が 
大分いっていたでしょうからその影響もあったのでは… 
今氏と同時代の津軽人、太宰治も自伝的小説「津軽」で中央或いは中央史へのコンプレックスを吐露しています。 

とにかく今氏の九州評はヒドスギです。朝鮮人に日本を語らせるようなものです。       (¨〃
739日本@名無史さん:2008/11/12(水) 06:13:30
>>734 九州人はなにかにつけ言挙げするところがあります。         これが上手くいくと、有言実行、言行一致でかっこいいのですが、下手を打つとハッタリ、大言壮語に堕すのです。         
強姦…ですが戦と蛮行は表裏一体でしょう。兵士たちも石の地蔵ではありません。 
命を危険に晒す戦場では、種の保存の本能は、未経験の我々の想像以上き高まるのでは…

戦争=サバイバルは綺麗事では済まない深淵です。 
蛮行…ですが、なにも薩摩、九州が突出している訳でもないでしょう。戦国期をみても、中央の信長の方が断然残酷でしょう。   
また毛利も、政治上の都合から、周防玖珠の椙杜一族を老婆から赤子に至るまで根絶やしにしてますね。 
しかし、清水宗春から佐野道可、吉田松蔭、乃木将軍、白馬青牛に至る「中国者の律儀」は尊敬しておりますですよ
        (¨〃
740日本@名無史さん:2008/11/12(水) 08:45:36
ここにはキチガイがいるお(^-^)
741日本@名無史さん:2008/11/12(水) 08:49:43
会田雄次氏は会津藩士の末裔(本人は京都生まれの京都育ち)だけど、
薩摩、肥後人を高く評価していたな。
742日本@名無史さん:2008/11/12(水) 09:32:32
>>740自己紹介乙
743日本@名無史さん:2008/11/12(水) 18:45:32
=゚ω゚) 司馬遼は長州好きじゃなかったのかな?
世良修蔵も奥州団結の立役者としてもっと評価すべきだろう。
いや冗談だ。
744白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/13(木) 00:14:55
>>738-739
当時、神戸以外の近畿圏でも男色は盛んでした。商店の奉公人が、
先輩、手代連中に掘られるんは毎度でしょう。
今氏は九州、鹿児島人の東郷青児氏とは親友で、特別九州を嫌悪しとる
わけでもない。九州人の気質を云うたまでですよ。
戦場の蛮行では、岡村大将も認定の九州の兵隊の蛮行が目立ってますし、
薩摩は朝鮮の役のテルマ・カクセイ狩り、近代第六師団における蛮行と
事例はえっとあります。薩摩人の「種の保存の本能」には同意です。
敵軍に対する「勝利の証明」は、敵の兵士の鼻や耳を削ぐんも、
手柄の物証でもあり、民俗学的に「勝利の証明」になるでしょう。
敵軍の女を強姦するんも、「勝利の証明」の実証行為の一環ですし。
織田信長と武田、上杉、島津の人身売買王国らとどっちが残酷かのう。
蛮行の伝統じゃあ九州。椙杜氏を根絶やし?毛利氏が養子に
入ったら根絶やしになるんですか?老婆から赤子まで?勝手に創作
しんさんなや。
745白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/13(木) 00:43:30
>>741
会田雄次氏の英国人女性が日本兵を性的相手と見ず、平気で裸になった
話はほんまかのう?セレベス島のカンピリ抑留所しゃあ、白人婦女子が
性欲に悶えたようじゃが。白人女性の性欲の強さは、シベリア抑留者に
とっても、楽しい以上に閉口するほど激しいけんのう。
>>743
司馬氏は、視方によっては、薩摩好きか長州好きか見解は分かれるじゃ
ろう。鎌倉政権、関東好きとも云えるし。じゃが文化面じゃあ畿内文化人
らしゅう関東、東京はボロ糞よのう。
746 ◆26IT/WpOkg :2008/11/13(木) 01:16:03
例の地理人類学板の馬鹿近畿人が湧いてくるぞ
747日本@名無史さん:2008/11/13(木) 08:39:02
>>744テルマ、カクセイって朝鮮料理屋じゃないんですから…
あれは中央の秀吉が命じたことでしょう。別に薩摩の専売特許じゃありません。 
島津や加藤の、動員数、戦闘力、言い換えると任務遂行の力が優っていたので目立ったのです。 

大陸での蛮行も九州師団の専売特許ではありはしない。関東や関西の師団を始めどこもやっています。 

現場の暴走が多かったということで、なにも九州師団だけが特別に、残酷なことをしたわけではないのです。 
うちは、バイクを盗んだが、おまえとこはセダンを盗んだからおまえとこの方が悪いと、いわれても説得力はありません。 

徴発や行きすぎた掃討、あるいは女を全くイカなかった師団などありはしない。 
また岡村寧次は九州人ではないわけだし…

また権力側に付くと強いとか、虎の威を借る狐とかいっているが、一体今氏は何を指していっているのでしょうかね。 
九州くらい反骨精神に富むところに、よくも言ったものです。 

        (¨〃
748日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:35:21
>>736
=゚ω゚) 圧力目的の内政干渉は違法行為じゃまいか?
749日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:25:08
また似非 東国武士の子孫白馬青牛の登場ですか。
あんたの意見って何時も一緒じゃん。
見事な「馬鹿の一つ覚え」、少しは洒落たことでも言って見ろよ。
嘘つきって一生直らないんだね。似非 東国武士の子孫さん。
750白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/14(金) 00:38:31
>>679
あんたが云う鎌倉時代のDNA云うて、これじゃろう。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802210093.html
「縄文人と弥生人の融合は九州で始まり徐々に東に進んだはずで、
中世には現代と同じレベルの融合が関東地方まで進んでいたことを
示している」と篠田謙一氏の解説じゃが、弥生系云う言葉は誤解を
招く。弥生系には、渡来系と縄文土着系がおったわけじゃが、
弥生系を現在では渡来系をあらわす総称に使うけんのう。
渡来系と縄文系の融合として比率が出とらん。現在日本人と同じ
なら、渡来系が主と云うことになる。MtDNAのD型は東アジア云う
より、北東アジアであろう。G型はシベリアでBは南方に多いとして、
頻度が判らんのう。ただ云えることは、中世において、現代日本人と
同様云うことは、中世関東人も渡来系主流云うことであろう。
751白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/14(金) 01:59:56
>>746
馬鹿近畿人のネオナチ並みの生物決定論者が湧いとるのう。
地理人類学板は、そがあなんばっかしじゃ。
>>747
秀吉が命じんまでも、薩摩は九州で奴隷狩りの前例がある。
先鋒の加藤・小西の肥後勢の緒戦のイケイケから李如松に負けた
場面は、日華事変における熊本第六師団の敗北を暗示しとるようで
九州兵は負けっぷりも豪快じゃのう。大陸の蛮行はどこの地域の
兵団もやっとるが九州兵団が突出しとった云うことですよ。
蛮行にも郷土地域兵団によって段々があります。
岡村寧次氏は関東人ですが、九州人の身びいきじゃないといけん。
云うんも可笑しげな話になるでしょう。
薩摩系の警察が「おい、こら」と市民に接する態度と、戦地で
被支配民や女性に対する傲慢さもその一例じゃないですか。
九州人の反骨精神に富む云うて具体的にどがいな事例からですか?
>>748
圧力目的の内政干渉は違法行為云うて、中華主義の華の立場で、
隣国はゆすり、たかりをする蛮族と批判したところで糞にもならん。
相手国をゆすり、たかり云う泣き言を云うても意味あるまいに。 
国家間は、いかに相手に因縁をつけ、相手の懐から金をむしり
とるかじゃ。日本からカスリ取りよる米国を見習え。
権力に近い者が、そがあ道徳的に相手を批判しても泣き言を吐く
時点で、はあ喧嘩に負けとる。日本の上層部は駆け引きも知らん
懦弱で、歴史の事例で明らかなこと。期待しても駄目じゃ。
752日本@名無史さん:2008/11/14(金) 02:16:26
=゚ω゚) おばかじゃのう。
因縁なんかつけんでも日本から金をむしりとるのは簡単じゃろ。
それが日流国際貢献ちゅうもんじゃ。

♪醜い利口になるよりは〜きれいなおバカ〜で生きてやる♪ byマス大山
753日本@名無史さん:2008/11/14(金) 07:13:48
関西から見たら
普通に関東・東北は縄文系だと思うが?
754日本@名無史さん:2008/11/14(金) 09:51:03
縄文って流行ってるの?
755日本@名無史さん:2008/11/14(金) 10:28:19
イメージ的に長州あたりはチョン面というイメージがあるが、実際九州と東北奥地は濃い縄文
関東はチョン面
756日本@名無史さん:2008/11/14(金) 15:52:51
九州人って外部勢力の兵隊にされてきた立場でしょ?
757日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:24:35
>>神風連、佐賀、秋月の乱。私学校、西南戦争。  秀吉の籠に矢を射ちかけた島津歳久。 
大アジア主義の玄洋社。頭山満先生。 解放運動の父、松本先生。 
佐賀の異風者、肥後もっこす。或いは指定暴力団体の数… 
枚挙に遑がありません。 
少なくとも反骨、独立精神でいけば、九州は一流の土地柄ではないかと思います。      
        (¨〃
758日本@名無史さん:2008/11/14(金) 21:34:24
世の中に白馬青牛より馬鹿がいるの。
白馬青牛は嘘つきで、臆病でしかも最低の馬鹿じゃなかった。
早く、お前が東国武士の子孫だという証拠を出せよ。
また、嘘ついて逃亡かよ。嘘つき!
759日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:24:43
=゚ω゚) 頭山満は字はヘタクソなのがかえって大物っぽいぞ。
江戸の黒っ豹ぉ〜♪が杉良太郎なら玄洋社の豹は中村天風じゃのう。
760日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:02:42
>>759 時代劇の主題歌?
761白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/15(土) 00:09:54
>>752
他者からむしり取るんに再々因縁をつけたら、ボディブローが如く後々
効いてくるけんのう。簡単に取れる云う一回性のもんにしたら芸が
ないど。日流云うか東日本政府流は東日本ローカルか、東日本人の
理解者である西日本人ぐらいしか通用せんよ。
マス大山(崔永宣)氏がどう考えられたか知らんが。
>>753
関西人から見たら、関東・東北が縄文人に見えるじゃろうが、アイヌ人や
沖縄人からみたら、関東・東北は関西人や朝鮮人と同じ容貌に見えるん
じゃないか。
>>755
長州顔はドイツ人ベルツ氏の云われる、満州・朝鮮から渡来した、
日本の支配層に多い上品な長州型。庶民顔は薩摩型とされる。
九州でも北部は北方渡来系で南へ行くほど縄文系が増える傾向にある。
762白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/15(土) 01:14:49
>>757
九州の反乱は、いにしえの隼人、肥前諸群司の新羅通牒(内通)事件に
至るまで成功せんかったけぇ、失敗ばっかしじゃ負け癖が付いとり
ます。平安期の独立精神も宗主国の新羅を頼ってのことでしょう。
辺境地域が反抗するんは、土着ナショナリズムで精神以前に地理的
な要因です。 
九州が一流な処は、兵士の略奪の精神でしょう。
ビルマでの戦闘でも、武装解除のとき、米製、英製の兵器を最も多く
持っておったんは、久留米の菊兵団(第十八師団)で、同じ日本軍
からも略奪する「泥棒部隊」の名声?は、敵の武器を奪う成果として
いかんなく発揮された。短所としては、慰安婦を連れとるのに、
行軍中親日国であるビルマ人の女性を見つけると強姦した後は
拳銃でパーンと一発、女性を殺して、証拠湮滅をやってました。
「菊(久留米第十八師団)は、戦争も強いが、乱暴略奪も人一倍やる。
菊の通過した跡には猫一匹いない。」と云う勇名と共に悪名もとった
けど、九州の郷土兵団は、確かに個性が強いですね。
763日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:31:51
日本の危機です。マジでヤバイので日本史板の皆さん力を貸してください。http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1226675118/
764日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:33:24
反骨は如何ですか?(¨〃 
765日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:57:42
=゚ω゚) 反骨といえば宮武反骨じゃが、彼は四国の産じゃ。

>マス大山(崔永宣)氏がどう考えられたか知らんが
=゚ω゚) 作詞、梶原一騎。作曲、平尾昌晃じゃからのう。

>>760
=゚ω゚) 新五捕物帳
ttp://jp.youtube.com/watch?v=ehxll_kO3e0&NR=1
養神館だな。
766日本@名無史さん:2008/11/15(土) 08:36:00
虫も殺さず、飛んできた蠅を箸で挟んで窓の外に逃がしたという逸話の残る
塚原卜伝が開いた新當流の流れをくむわしらを残忍だという根拠がわからん。
767日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:08:44
その子孫塚原光男、直也親子はそろって体操の金メダリストだし、
陸上100mの日本代表塚原直貴など、その身体能力の高さは
世界をリードする。
鹿島新當瑠恐るべし!
768日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:25:11
今日は御大はじめだれもいませんね…       ちなみに町奴のスーパースター播髄院長兵衛は肥前唐津の人。ちとしつこいか…
ここで一句、  
早咲けば 早手折らるる  菊の花 清き心を 牛に知らせて   
        (¨〃
769日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:20:02
まだ嘘つきがヨタ話を書いてるな。
こいつの人間性は最低だ。ウシよ、少しは謙虚になれ。
おれも、お前が東国武士の子孫だという証拠が見たいよ。
嘘つきと言われるのがいやなら、きちんとした証拠を書けよ。
期待してるぜ。
770白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/17(月) 00:10:29
>>768
町奴は唐犬権兵衛ら唐犬組もあったのう。六法の時代よ。
畿内じゃあ灘波五人男よのう。
一句の前半は、肥前も含む久留米の菊兵団の強姦に対する皮肉かのう。
771日本@名無史さん:2008/11/17(月) 00:16:02
僕こうみえて中日でピッチャーやってましてん
772日本@名無史さん:2008/11/17(月) 06:13:06
坂東はここでもHNを長三郎と変えて根拠なき誹謗中傷に走ってたのか…。
本当に人としてカスだな。死ねばいいのに。
773日本@名無史さん:2008/11/17(月) 06:30:06
>>770 牛がため 菊破れぬと 世の人に かたりつぎてよ 峯の龍風   
            菊は兵団とは限りませんよ((笑))長兵衛や次郎長が渡辺けんで大河化されるようなアソビのある日本であって欲しいものです。 
石松は中井くんあたりで… 
>>759頭山翁や天風氏も、遠い未来、大河化されるかも…ですね。 
司馬遼太郎あたりが書いていたら、なにをさておき読みたいところです。本人も内心書きたくて仕様がなかったかも知れませんね。
774日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:45:23
吉川は幕府としては独立の大名として扱っても良いって意向だったけど、
宗家の毛利家が許さなかったとか読んだことが有るけど。
けど毛利家が生き延びられたのは吉川のおかげなんだから、
忘恩甚だしいよね。あげくには徳川を滅ぼすし、
どうも大江=毛利の系統は倫理観に欠けてる人が多いよね。
いくら生き延びることが正義って言ってもねえ。


775日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:16:42
吉川晃司が末裔ってほんとなの?
776白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/18(火) 00:48:56
>>773
思想がかった人物を嫌うた司馬遼太郎氏が、頭山氏を主人公に
採り上げる気はなかったんじゃないでしょうか。
>>774
宗家の毛利家がどう云ようと、広家氏の判断自体で独立大名を
望めば家康氏にそう返事すりゃあええことじゃ。
じゃが、広家氏は元春氏以来の毛利家から吉川の養子系じゃけぇ、
毛利家優先じゃけんのう。安芸国衆からみたら豊臣時代から秀吉の
威光でものを云う毛利家の神輿としておわっとるわい。
ほいで、あんた毛利の倫理観がどうたら云うとるが、
徳川が長州に滅ぼされたんが悔しいだけじゃろう。
生き延びる云うたら徳川慶喜氏よのう。部下を捨てて江戸へ逃げる
日本の上層部の伝統じゃけぇ、慶喜氏の家系や個人の問題じゃ
ないが、幕府を自ら滅ぼした無能な指揮官とも云えよう。
こがぁなんは長州に責任転嫁出来んど。

777日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:53:56
=゚ω゚) 御旗に弓引くやつらは偽者の尊皇攘夷じゃ。
778 ◆26IT/WpOkg :2008/11/18(火) 00:55:30
雅山
779日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:58:58
広家さんは、ひたすら毛利大事でしたからね。   そもそも元就の孫な訳だし… 
三本の矢の教えを良く守ったものです。 
両川は毛利を護る為のツールだったていうこと。           (¨〃
780日本@名無史さん:2008/11/18(火) 08:08:59
河上音次郎はドラマ化されたが頭山満は無理だろうね
781日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:00:31
=゚ω゚) 演歌の女王がひばりなら演歌の創めはおっぺけぺぇ〜

>770
=゚ω゚) まーたそうやってホモネタにもっていく気だな。その手にはのらんぞ。
もともと中間小者道具持ちの類は走り者(フリーター)の武家奉公人が多かったが
それらの斡旋をしちょったんが播髄院長兵衛など人宿(口入屋)じゃ。
それら走者と請け人(保証人)とは「若道知音」契約がなされている例が多かったと言う。

ほういった町奴どもが一声かければ藩を越えて数十の徒党が集まったと言われる。
衆道とは死ぬことと見つけたりじゃのう牛。


>頭山翁や天風氏も、遠い未来、大河化されるかも…ですね。

=゚ω゚) 無理でしょう。
782白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/19(水) 00:18:15
>>779
広家さんは、安国時恵瓊氏や石田光成氏と反目じゃった中の選択でも、
毛利本家の安泰を願うたんじゃろう。
>>781
衆道じゃホモネタにもって行くきよるんはあんたじゃないか。
衆道云うたら、大内義隆氏と小早川隆景氏の関係が事実なら、陶晴賢氏を
倒す大義もありしか。
783日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:53:59
オッペケペッーポーペッポッポ♪
784日本@名無史さん:2008/11/19(水) 05:51:37
大河はあんまりとしても、もうちょっと光があたってもいいような気もするけど… 
50年、100年後…中国、統一朝鮮…無理か 汗  
        (¨〃
785日本@名無史さん:2008/11/19(水) 05:55:00
>>775広島出身の吉川さんは、遠い親戚じゃないの。カープ往年の四番、小早川選手も然りでしょう。
        (¨…
786日本@名無史さん:2008/11/20(木) 12:25:59
カープはええのう。カープは来年は優勝するかな?
787日本@名無史さん:2008/11/20(木) 13:29:51
>>782
広家なんて日和見のカスだろ
なにが毛利家安泰だよ
輝元&広家の無能のせいで西軍が負けたんだぞ
毛利なんて斬首されて滅亡したら良かったのに
788日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:09:11
しかし、なんで広島が鯉なのさ?
広島ピューマスとかジャガーズにしとけばよかったのと違うか?
789日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:58:26
=゚ω゚) ヒバゴンが居るじゃろうが。「広島ヒバゴンズ!」

【広島ヒバゴンズ応援歌】
♪遠おぉい夜空にこだまする〜♪牛の叫びを 耳にして〜♪
広島球場つめかけた〜♪ ワシらをジーンと しびれさす〜♪
ええぞ!がんばれ!ヒバゴンズ〜!萌えよヒバゴンズ〜♪


まあ、やる気満々だったのは宇喜多じゃから
総大将にさせられた毛利も本音は迷惑だったんじゃろう。
へたに安泰策をとるから足元を見られるんじゃ。三河人は山本正之より怖いぞ。
もっとも小早川はみごと加増されちょるが。
790日本@名無史さん:2008/11/21(金) 01:51:18
広島ブルーカウ!             (¨♪
791日本@名無史さん:2008/11/21(金) 02:01:52
まぁ、南宮山の毛利や長曽我部が動いていれば小早川も寝返らず、西軍が勝ってたろうね。 
そして家康の首をとるのは薩摩隼人に間違いない。 桜田門で井伊大老の首級を挙げたのは薩摩人。   その兄は生麦で英夷を叩き切った。 

薩州の老公髪天を衝く  勇気凜々生麦の役
        (¨♪

でも少ししかいなかったからね…
792日本@名無史さん:2008/11/22(土) 02:00:50
=゚ω゚) 伊井さんを実際にしとめたのは水戸っぽが撃ったコルトM1847っす。

コルトM1847は44口径、全重2kgもある超大型軍用拳銃で
威力はグリズリーも撃ち殺すという現在の357マグナムに匹敵すると言われ
直撃したらほとんど即死だったと思いますよ。
その後駕籠から引きずり出され首を取られた感じでしょうか。

そしてテロの主役は薩摩へと変わります。
793日本@名無史さん:2008/11/22(土) 05:45:16
「私は、日本伝統精神を慕い、日本の民族性を愛している。日本は私にとって第二の故郷である」1970.1外人記者会見 
「日本人は[礼儀廉恥]という言葉をとくに使いはしないが、衣食住から交通まで一切の行動は礼儀廉恥にかなっていた。(略) 
我々が民族を復興し、仇に報い恥をそそぐためには、鉄砲について語る前に、冷水で洗顔することを語ろう。
もしこのような小さなことですら日本人に勝てないのなら、何をかいわんやである。(略)        
日本人の簡素な生活習慣、実はこれこそ、最も基礎的な軍事訓練であり、軍事行動なのである。
日本人は幼少の頃から、家庭において刻苦耐労の習慣を養われる。つまり一切の生活からしてすでに軍事化されているのだ。だから日本の兵士は強いのである。 
「新生活運動の要義」1934.2


794日本@名無史さん:2008/11/22(土) 05:58:30
蒋介石語録でやんす 
        (¨〃 
ちなみに日露戦の両軍神、陸の橘、海の広瀬は共に九州出身。 
日露戦の海陸の天王山、日本海大海戦、奉天大会戦の司令官は共に薩摩人。  
日本おつまみ界の至宝と名高いさつま揚げを、発明したのも薩摩人。 
        (¨♪
795日本@名無史さん:2008/11/22(土) 15:54:10
さつま揚げ=てんぷら
796日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:28:47
=゚ω゚) 1925年アラスカの港町ノームでは子供たちをジフテリアの感染が襲う!
その危機を救うべく犬ゾリ隊のリレーで血清が運ばれた。
極寒の北極圏、真冬である。
最長距離260マイルを走破した犬ゾリ隊のリーダーこそ東郷元帥である!
外人にも東郷ファンは多い・・・かな?

もっともマッカーサーも張学良も乃木ファンじゃったが。
797日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:25:38
あの反日の塊のような張氏が…
ところで東郷ファンは世界中に沢山いましたよ。ロスケに脅かされ続けていたフィンランドでは東郷ビールが今も飲まれています。 顔先生はご存知でしょうが…

またトルコも日本の勝ちにご満悦で、男の子にトーゴーとゆう名前をつけたり、通りにトーゴー通りと名付けたりしています。 

米海軍も大ファンで、アナポリスには、ネルソン、などと共にトーゴーの肖像画が飾られてます。   

ニミツツもファンで「アドミラルトーゴーの後輩達」と昭和海軍のことも尊敬していたようです。(¨〃
798日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:36:36
隼人(はやびと)の 薩摩のこらの つるぎ太刀 拔くと見るより 盾はくだくる   是枝貞志 (¨♪
799日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:08:47
=゚ω゚) 張学良は日本人大嫌いでしたね。「父の仇は天の仇より憎し」っす。
また、張学良がめざしたのは中国統一民族自決っす。志士っすね。
基本的に中国を脅かし搾取するのは日本であるというのが軍人である彼の根本思想でした。

張学良が尊敬する軍人が乃木さんだそうです。
敵の人格も尊重する武士道が乃木には有ったと張学良は爾霊山を諳んじたと言います。
ウチの師匠も「露助が乃木神社ぁ壊そうとしたがマッカーサーが止めたんじゃあ」言うちょりました。


>東郷ビール

=゚ω゚) 知らん。
800白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/23(日) 23:02:18
>>787
広家さんは、蔚山の戦闘等、武将としては有能であるが。
>>788
広島城が鯉城じゃけぇのう。ドラゴンズは名古屋たぁ、久留米師団の龍兵団
から福岡の方が似合う。
>>789
尾張から養子の秀秋さんが加増されようと安芸たぁ関連があるまい。
>>791-792
西軍は石田光成が実質大将じゃけぇ、勝利の目はないのう。
家康の頸が取れて云うことで、九州ハッタリ節飛ばすのう。
桜田門テロや英国人殺害はほんまに実行したが、茶坊主有村兄弟のアンコ
ならでは。衆道の道の愛の発露はテロを実行する事なりか。
>>793
中国人の兵士は冷や飯を喰わんけぇのう。じゃが中国人の頑強さは、
戦争体験者なら知っておられることじゃ。薩摩人が属する熊本第六師団も
第二次長沙作戦で見事に中国国府軍に敗北したのう。
801日本@名無史さん:2008/11/24(月) 06:45:59
>>799張氏はしかし貴公子みたいな感じでしたね。 親父の作リンなんかどう見
てもまともな人間にはみえませんからね。
 トーゴービールを知らんですか?ネイビーブルーの瓶でラベルは東郷さんの軍服
姿です。今でも盛んに飲まれていて、ここが変だよ日本人が行くとびっくりするそう
です。北欧美女の酌で飲んでみたいものです。

彼は称えつ 我が武勇
我は称えつ 彼の防備
               
乃木さんの示した武士道と、四十年後にロスケが示した畜生道は実に対照的です。


                                                                                                            
802日本@名無史さん:2008/11/24(月) 07:46:53
そりゃあ、いくら強くてもたまには負けることもあります。河童の川流れとゆう                      
ものです。 勝ちも負けも豪快にいかないかんのです。 
 朝鮮での島津の勝ちっぷりを見てください。 明側の記録では死者八万・・  
 話半分でも相当なもんです。
 差し引きすれば大幅に勝ち越しているのです。
                   
  岩の根も 砕けざらめと もののふが 国の為にと 思ひ切る太刀     
                                               有村治左衛門   (¨#
                                                                                                         
803日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:36:40
【博多か】小倉が親近感を抱くのは?【広島か】
804白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/24(月) 23:33:28
>>801
乃木氏が武士道を示したんと、四十年後のソ連軍を比較しても時代が
違うわい。日露戦争では、ロシア軍も負傷した日本兵を病室へ運び、
看護していただいた看護婦の人たちの温情を日本人として忘れては
ならんことじゃないか。それを他民族排撃に持って行くんは、
日本人が排外主義ファシズムを民主主義国の現在でも唱えとるんかと、
誤解を招くよ。 
>>802
明側の記録云うてどこの文書か?泗川の戦闘でハッタリラッパ吹きよるんは
鹿児島人じゃろうに。朝鮮の役の出鱈目数を笑えんのは、日華事変でも
日本軍が戦果を出鱈目な数字を挙げとることよ。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=449015&log=200708
熊本第六師団が敗北した、第二次長沙作戦を元善通寺第四十師団の佐々木
春隆氏が書いておられるが、敵の戦死者数は「遺体をいちいち勘定する
余裕はないから、わが戦死者を何倍かして報告するのが通例」まさに
帳尻あわせの作文で、文中以外でも、同一戦場を通過した部隊が仮に
三個中隊あったなら、それぞれの中隊が確認遺棄死体として報告される。
即ち一人の遺棄死体が三人になるけんのう。
805日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:01:14
=゚ω゚) 白系ロシア人を粛清虐殺したのはボルシェビキじゃろーが。
日本が白系ロシア人を保護たから巨人、大鵬、玉子焼きが有ったわけだ。
806日本@名無史さん:2008/11/25(火) 03:23:47
結論:日本で一番残忍なのは広島ぢゃ。
807日本@名無史さん:2008/11/25(火) 06:41:10
<<804看護婦達への恩義は恩義として忘れてはいけないし、排外主義く
らい危険で愚かなこともありません。
 しかし日本人として、不可侵条約の一方的な破棄と、なによりその後 
の在満邦人の受難と無念は、絶対に忘れてはいけないと思うのです。
 なにも朝鮮人のように何かにつけて言挙げしろというわけではなく、
日本のいやさかの為にも、北方の隣人の民族性、彼の仕打ちを心に留め
ておくべきなのです。何より同胞の無念をとむらう為に・・・
                            (¨〃
 テルマカクセイは置いて、鬼上官、鬼石曼子と特に呼称を以って恐れ
られたのは九州の兵なのです。
 御大、あんまり嫉妬せんでくれんですか。
                            (¨♪
808日本@名無史さん:2008/11/25(火) 06:50:25
 隼人(はやびと)の 薩摩の国の 名に愛でて はやくも事を 果たしませ きみ

                                  平野国臣

                                    (¨♪
            
809日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:17:08
 そういえば阿南さんは豊後は竹田の人でしたね。終戦直前もそうでし
たがリアリティに欠けた人だったんですね。      
                              (¨・          
810白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/25(火) 22:51:28
>>807
ソ連が不可侵条約を破ったとして、ソ連の防備が手薄になったら、日本軍は
条約を守る気があったんですかいのう?日華事変の実例から、侵攻する
確立が高いと思うが。ほいでソ連軍の満州での蛮行は酷いもんじゃが、
満州の同胞を見捨てて逃げた軍上層部にも責任があろう。ネット右翼らは、
ソ連の蛮行を強調し、軍上層部の同胞見殺しに触れず、左翼は、逃げた
軍上層部の批判はしても、ソ連の蛮行に触れたがらん。政治思想の強い
連中は左右思想の両者とも、現実事象よりも、自らの思想イデオロギーに
合せるリアリティに欠けたカルト信者になるけんのう。
同胞の無念と共に日本軍の蛮行にさらされた方々の無念も同時にとむらう
心を持つことが武士道でしょう。 
鬼云うんは、中国じゃあ不吉な亡霊云う意味があるけぇ、日本における
戦闘に勇敢じゃったと勘違いしちゃあいけん思いますよ。例えば、東京
第101師団の坂田甚蔵氏が「私らの部隊は戦闘は弱いけど、悪いことでは
天下一品だった。だから鬼部隊と呼ばれてね。・・・街に入ったら強い。
なにしろ略奪や強姦はお手のもので」と云われるよう戦闘の実力たぁ関係
ないことです。関東兵団以上に略奪、強姦に名高い九州兵団の熊本第六
師団は赤鬼部隊でしたね。
811白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/26(水) 00:10:50
>>809
阿南氏は九州人ですが、第二次長沙作戦の惨敗を阿南氏個人の責任
だけでのうて、名古屋第三師団と熊本第六師団が並列され、先陣
争いとなり、お互いにエースを自負する両師団の競争意識も
暴走し優勢な敵の反撃で惨敗した原因の一つでしょう。 
名将今村均将軍の南寧戦も、敵側の大軍が進出するんは補給上
不可能と判断され戦略的には失敗でした。 
元陸軍大尉越智春海氏は『華南戦記』で[読者は、この今村の
思考様式にこそ、日本的なーあまりに日本人的なー精神構造の典型が
あることに、お気づきでしょうか。 
大雑把にいえば御都合主義なのだ。私の知る限り、日本軍は終始一貫
「補給なき戦い」ばかり狂演していたのではないか。それなのに、
敵の軍事行動の可否を判定するときだけ、なぜ「補給」を第一条件に
したのか・・・。 
つまりは「夜郎自大症」及び、その裏面の「敵情軽視」の精神構造
から「日本軍には不可能ということはない」と思い込んでいる反面
「敵軍には、これは不可能だ」と、ろくに検討もせずして、いち早く
判断してしまうクセが、ある(現在形!)のだ。
蒋介石の反撃気配がヒシヒシと感得される状況だったのに、今村も、
二人の大佐も、全く敵を見くびっていたわけである。
「これは実に大きな過失だった」と、今村が反省せざる得なかった
大激戦の幕は、かくて切って落とされるのだ。]
越智氏が云われるよう、希望的観測で判断する日本人の特に上層部の
特性で、リアリティに欠けるんは、阿南氏だけの個人的な特性では
ないでしょう。現在も>>807氏やネット右翼諸氏が如く他民族を
軽視する反面、自民族美辞麗句で、外国人が日本人の自民族自慰を
どう思うかと考えると、同じ日本人として、わしなんか赤面します。
812日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:17:25
九州人は基地外
813日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:20:50
>>810
〉ソ連の防備が手薄になったら、日本軍は
条約を守る気があったんですかいのう?

ソ連の条約違反という事実に対してif(仮定)の話で返すのはフェアで無いのでは?


〉日華事変の実例から、侵攻する
確立が高いと思うが

「日華事変」のどんな「実例」ですか?
814白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/26(水) 00:59:47
>>811
越智春海氏のP152の文から今村均氏批判と誤解されちゃあいけん
ので、P156の文も書いときます。
[ぜんたい今村均という武将は、何度か一大ピンチの局面に
立たされているのだが、いずれも最悪の事態にまで陥らせず、
その何歩か手前で態勢を転換しており、その過程には、
幾多の奇蹟があり、多彩な人材の活躍が見られるのである。それは
今村が「武運に恵まれていた」か、あるいは「そういう何か」が、
今村の人柄のなかに、あったのだろう・・・(私は後者だと思って
いるのだが)。]と、人徳の士である今村氏を評価されました。
P184の[今村均ほどの知将でも、その一大潮流の中で生きていたので
先入観の固着現象から超脱することはできなかった。]ことです。
P14の[各種の日本人体質ーうぬぼれと敵状軽視。先入観と慣習の殻
のなかで主情的に言動し、怜利で理知的な思考に乏しい]
現在の日本人(特に上層部)もその潮流にの中に生きとります。
近隣民族軽視のネット右翼なんか、その典型でしょう。
815日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:34:42
コイツまだいたの?
816白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/26(水) 02:11:51
>>813
仮定や歴史的経験から、その民族の行動パターンを考察するんは、
当然でしょう。経験より主観的な論理(論理なら百人おれば百通りの
論理が出る抽象的観念論になるけぇのう。)は意味をなさん。
戦国期の文禄、慶長の役で補給に苦しみ、やがて撤退となった
実例が日華事変の日本軍がおかれた状況と同じ状況じゃないかと
考える思考力もなかったことから、歴史的事例を軽視したんは
我が日本軍ですよ。
日華事変そのものが、日本軍がどこのシマ(縄張り)で戦闘したか
ですよ。話を古うすると、早稲田の創始者の中国に対する恫喝まで
辿ることになります。他国から見たら、日本は隙を見せたら
侵攻してくると判断するんが当然でしょう。条約たぁ一つの方便で
やられる前にやれと対処するんが現実で、勝てば相手側の侵略意図
を世界にアピールすりゃあええだけのことですよ。条約じゃの
法による建前論理で、論理と云う奇麗事の観念論を振り回すもんは
負ける。戦場は作戦プラン云う机上の理論と違い、戦場のプランの
錯誤からどう判断出来るかの問題じゃ。駆け引きの場である
政治外交も同じじゃ。理論(論理)は、世間知らずの現実を知らん
若造が弄ぶもんで海千山千の連中に通用するわけないでしょう。
まあ、日本人、特に上層部は世間知らずですけんのう。
817日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:47:58
>仮定や歴史的経験から、その民族の行動パターンを考察するんは、
 当然でしょう。

ダメだこりゃ。
818日本@名無史さん:2008/11/26(水) 06:51:41
>>810自分も一般同胞を見捨てて逃げた、軍上層部を弁護する
つもりもないし、同胞の無念と共に日本軍の蛮行にさらされ
た方々の無念も同時にとむらう心を持つことが武士道という
ことにも同意しますよ。
 しかし、もし逆の立場の立場だったら日本は云々は>>813
氏の云う通りあくまでもif仮定の話であり、赤露の背信と同胞に
たいする蛮行は厳然たる事実ですよ。
 関東軍上層部の背信と共にこのことは決して忘れずに、今後、
日本が海千山千どころか魑魅魍魎、百鬼夜行の国際社会を生き抜
いていく為の教訓としていくことが、非命に斃れた当時の在満同
胞の方々へのなによりの供養と思っちょります。    (¨〃
819日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:05:57
>>811第二次長沙作戦の敗因は、無謀な作戦立案にあって、決し
て第六師団の兵が(功名心に駆られた無謀な突撃があったにせよ)弱
かった訳ではないとゆうことですね。うーんマンダム    
                                   
薩摩山 今日を限りと 越え来れば 雪のしらたま 袖にこぼるる

                          是枝貞志  (¨♪   
820日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:22:20
>>811リアリティに欠けるところは、左右を問わず戦後も
同じですね。歴史は繰り返すといいますが、またこれで国を破
ることにならないか心配ではないですか。
 歴史のなかで薩摩が見せた強靭なリアリズムをも一度見直す
べきときでは                   (¨♪
821日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:19:27
結論:日本で一番残忍なのは広島ぢゃ。
822日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:26:05
>816

=゚ω゚) なるほど。
そういや、わが国の領海内に潜水艦を入れたり宗教団体を送ったり
竹島を不法占拠しておる香具師が居るわけじゃが
これも侵略行為の前哨と観るべきだと言いたいのだな。さすが牛。
823白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/26(水) 23:01:12
>>817
実際に日本は、日華事変で侵攻しとる。行動パターンは歴史的経験から
明らかなことじゃし、歴史的経験をくつがえすんは困難じゃのう。
経験を無視する、「あまりに日本人的なー精神構造」の言動よ。
ダメじゃこりゃあ。
>>818
日華事変が日本の御都合主義で侵攻したんは、事実ですよ。大正期の
シベリア出兵で侵攻した実例も無視しちゃあいけんでしょう。
>>819
南九州壮丁の熊本第六師団は弱くはないでしょうが、敗北敗走したんは
事実です。
>>820
戦後も同様ですよ。他民族軽視の「夜郎自大症」は最近の空幕長氏の
論文でもそうでしょう。無能な上層部は毎年生産されるわけで、
官僚をテロしても無意味なことです。 
薩摩人は朱子学の影響で思想性が強く、テロもしたけど、思想と算盤勘定を
天秤に量ったら、後者を取るリアリストですからねえ。その点に関して
わしが薩摩人を好む理由の一つです。悪う云えば、今東光氏のように
薩摩人は金に弱い部分に結びつくでしょう。戦闘において薩摩人以上に
勇猛な肥後人も「肥後の議論倒れ」になりますが、薩摩人は理論軽視の
「議を云うな」のリアリストですからねえ。肥後や肥前の葉隠れの
精神理論、長州も理論派ですが、その点広島人は、現実重視の点では
薩摩人に近い部分もあります。海軍閥の多い鹿児島、広島。陸軍閥の
山口、佐賀と云う分類も出来ますが、海軍がとりわけリアリストで
あった訳でもないので、今の処明解な回答は出来ません。
824白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/27(木) 00:22:05
>>821
広島が残忍?
越智春海氏は、今村均氏の「南支攻略軍(久留米、大阪)の占領した
市街の多くは、市民がことごとく避難して、無人の境をなしている
のに、仏山とその一帯は、占領部隊(広島師団)の適切な処置により、
一人も離散せず、日本軍と相互し、生活起居を同じくしている
ことは、珍しい風景だった。皆このようにあらねばならぬのに、
正に反対の状況を呈しているものの方が多い。これは国軍の
仁義性に、もとるものであり、遺憾のきわみだった。この点からも、
第五師団の各部隊長に私は大きな敬意を感じた」とある。
越智氏は、「こういうことは、各部隊長よりも部隊の気風ー
つまり全将兵の生活態度ーに関わる問題だから、右の文章にも不備は
あるのだが、まァ大体のところ、そう云うことだったのだろう。」
と、される。
軍紀厳正は、広島のカラーじゃ。現地民に対する他師団と
対応方法も違う。
>>822
わが国の領海内に潜水艦は北朝鮮じゃが、某宗教団体まで云うたら
ネット右翼との会話も出来んようになるじゃないか。空気を
読んで書きんさいや。茨城の朱子学的攘夷思想による憤慨もあろうが
朱子学王国薩摩人を見習え。その宗教団体は、竹島をどっちの領土と
云う見解を持っとるんじゃろうか?竹島帰属は日韓両国言い分が
あるけぇ水掛け論じゃのう。まあ、竹島領土問題は米国の見解に
従がうしかないが、日本側が不利じゃのう。
外交下手のわが国の思い通りに都合よう進むもんか?
自国の上層部の無能を他国に責任転嫁しても笑い者になるんがオチ
じゃ。
825日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:33:40
戦前の陸軍は根拠にならない
826日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:59:36
>>824
>某宗教団体まで云うたら
ネット右翼との会話も出来んようになるじゃないか。空気を
読んで書きんさいや。


いろんな意味で意味深さが伝わってくる台詞ですねぇ( ^ω^)

827日本@名無史さん:2008/11/27(木) 10:04:18
「日本の兵隊は、平時でも一銭を二銭のように活用し、一時間を
二時間のように有効に使い、一着の衣服を三年も四年も着用して
いた。もし連隊長や中隊長が兵士の服装が少しでも破れているの
を見つけると、ただちに繕わせた。兵舎に雨が漏るとすぐ修理さ
せた。これによっても、彼等は軍隊を管理することを、まるで家
を治めるようにやっている。何と細かく気を配り、何と勤勉節約
なことだろう。(略)治軍でも治家でも、第一に心すべきは節約
倹約である。もし、この種の美徳を養成できれば、軍隊において
よき将兵となることができるだけでなく、やがてまたよき家長と
なることができるであろう。」            蒋介石
             興隆山軍事会報での訓詞1942・8
828日本@名無史さん:2008/11/27(木) 10:15:43
 朝鮮救国の英雄李舜臣を討ち取ったのも薩摩人

 白髪衰顔意ニスル所ニ非ズ
 壮心剣ヲ横タエ勲無キヲ愧ズ
 百千ノ窮鬼吾何ゾ畏レン
 脱出ス人間虎豹ノ群レ            西郷南洲   (¨〃
829日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:33:32
自称、東国強姦団の首魁を祖先に持つ在日超汚仁の白馬鹿ちゃ〜ん!
今度はこんな所で法螺話かまして居るのww

みんな!! 彼、白馬鹿ちゃん曰く倭人(原日本人)は北方騎馬民族に因って絶滅させられたや
単一標識であるY染色体など遺伝学は人種を種別するには意味がないと妄想発言を繰り返している
彼は自らの出自である北方民族を少しでも優位に見せたく妄想、妄言、捏造、オナニーを繰り返している

此処に居る皆様方ももう少し彼を虐めてあげて下さい、 そうすれば、おどれ〜ええ加減にさらせよ〜と
火病を起こすところを楽しく見られます

皆さんもう少しからかってあげてネwww
830白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/27(木) 23:51:54
>>826
半島系の某宗教団体は、ネット右翼にとって都合が悪すぎるよ。
>>827
日本軍の長所だけ羅列したら、戒めにならんよ。
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-508.html
■日本側の短所 ・国際情勢に疎い ・持久戦で経済破綻を生ずる 
・なぜ中国と戦わねばならぬかが理解できていない 
日本軍は下士官以下は自慢出来るが、文中の「士官以上の将校レベルに
なると、逆に視野の狭さや国際情勢の疎さといった短所が目立って稚拙な
作戦を立案しがちであることを喝破していた。こうした日本軍の性質は、
局面が単純な短期戦向きといえるだろう。」と、その通り。 
遡って文禄、慶長の役でも、戦闘が膠着すると、全土制圧は無理じゃし、
戦闘主導権は侵攻された側に取られるけんのう。 
日華事変でも、短期的に北支から南支に至る広範囲に戦争を拡張して、
歴史的に成功した事例の無い戦闘を平気でやるんじゃけぇのう。
中国を支配した元や清も北支を制圧した後、長期間を持って全土を
制圧しとるのに。 
日本軍は支那軍相手に戦闘で勝利した既成事実から提議される新作戦ごとに
今度勝てば支那軍は手をあげるだろうを何度も繰り返しよるだけじゃ。
元陸軍大尉、越智春海氏は、『しかも、作戦終了後も、支那軍の戦意は
一向に衰えないという現実に直面しても、誰一人として「支那人の決意は
固く、よく一致団結している」というふうに感じた者がいなかった
(らしい)のだから、すさまじいものだ。』と、皮肉を込めていわれる。 
つまり、自民族には長所だけを見て、自らの上層部の拙劣な作戦指導は
忘れ、期待と希望的観測で判断し、敵軍に対しては、短所だけを見て、
他民族蔑視の偏見を根拠に判断する。日本軍の御都合主義よのう。
敵も己も知らずして戦をするけぇ、まさに「すさまじい」わい。
831日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:17:29
>>824
=゚ω゚) 攘夷とか言って外国と戦争したり内戦しちよったのは長州ぜよ。
本物の尊皇攘夷っちゅうのは挙国一致、四海一天、天業回古じゃきに
by 元浪士組取締役 山岡鉄太郎
832白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/28(金) 00:31:43
>>828
李舜臣氏を英雄にしたんは、日本人でしょう。日本統治より前の
時代で李舜臣氏を救国の英雄とした根拠に乏しい。韓国人はどう
考えとるんか判りませんが。
薩摩は明国と内通疑惑もありましたね。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040326.htm
「鼻切り」の蛮行も近代九州兵団の蛮行の先輩ですから、
伝統でしょう。泗川の戦いの電波は兎も角、秀吉の日本軍と福建軍を
天秤に量って、日本軍に留まる処なんか、判断力も巧みです。
加藤、小西の肥後に色気を見せ、状況によってはと、
出兵を遅らせる手腕もなかなか見事なもんです。
薩摩人にゃあ、油断出来ませんよ。
833日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:21:29
>半島系の某宗教団体は、ネット右翼にとって都合が悪すぎるよ。

=゚ω゚) 統一○会の事かな?
もともと児玉や笹川良一が反共に利用しようとしたヤツじゃ。
日本人はお人好しじゃのう。
834日本@名無史さん:2008/11/28(金) 03:31:15
結論;最も残虐なのは京都でごわすど。
義家は朝廷の爪牙にすぎぬのでごわす。
自ら手を汚さずにのうのうと生きとる大宮人こそ外道でごわす。
835日本@名無史さん:2008/11/28(金) 06:34:20
蒋氏は日本を、日寇倭寇と罵倒する一方で、日本に対する尊敬や憧憬の念も
多く吐露しています。蒋氏にとっての日本は、愛憎こもごも、仇敵であり、
或いは師であり友であり弟でもある、複雑な存在だったようです。
 政治的思惑はあったにせよ終戦時の「恨みに報いるに徳を以ってす」が答
のような気もします。
「私は、二十四歳の年に日本の野砲兵連隊に配属となり、一年間入隊した。
この一年間に私が送った生活は、完全に一兵卒としてのそれだった。」
               青年遠征兵の除隊兵に対する訓詞1946・4
「私は、日本軍隊の下級幹部が、兵士を奴隷や牛馬のように扱うのをみて、こ
のような軍隊で戦争などできるものかと思ったものである。われわれ中国の軍
隊は、とくに上官が兵士を叱責め、殴打或いは虐待することを厳禁しなければ
ならない。なにかことがあっても、必ず忍耐強く教育、誘導して、感化させる
ようにすべきなのである。」         西安軍事会議講評1942・9
「日本には国中至るところに公園があってうらやましい」
「日本の建設は猛スピードで進んでいる。わが国はいつここまで到達できるだ                  
ろうか。」    
                        訪日時の日記1927・10
 
836日本@名無史さん:2008/11/28(金) 07:05:04
李氏は存命中は政争で、冷や飯喰ったりしてたようですが、今や押しも押され
もせぬウリナラ大韓民族の英雄ですよ。しかし国難の最中にも政争とは、彼等
の性格をよくあらわしてませんか。
  
薩摩人は国を売ったりはしません。面白い記事でしたが・・海千山千の大陸人
ならその種の謀略は十分あり得ますね。


幾度カ辛酸ヲヘテ志始メテ堅シ
丈夫玉砕瓶全ヲ愧ズ
一家ノ遺事人知ルヤ否ヤ
児孫ノ為ニ美田ヲ買ワズ
                       西郷南洲    (¨♪
837白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/11/28(金) 23:56:36
>>831-833
本物の攘夷は、朱子学的中華思想の他国排外主義じゃろう。
その点義和団も攘夷も変わらんよ。
統一○会と、○以外実名を云うたら、ネット右翼に都合が悪うなろうに。
ほいじゃが、反共派はその他の新興宗教諸派を自らの応援団にしたけん
のう。まあ米国のキリスト教原理主義福音派と共和党の関係と似とる
面はあろう。カルトにうるさい西欧たぁ違うところじや。
>>835
蒋介石氏は、越後の高田聯隊に体験入隊したとき、毎夜のように古参兵や
下士官に投打され負傷者まで出る暴力制度を見て、この軍隊は弱いと
語ったが、蒋介石氏の国府軍も、鎖で繋がられた兵士が督戦され、
督戦隊が逃げたあとは、陣地に置き去りよ。日本軍も奴隷制度の
軍隊じゃったが、国府軍は日本軍以上の奴隷制度の軍隊じゃろう。
>>836
肥後や薩摩は、朝鮮人の気質(特に慶尚道)に似てますが、朝鮮の政争や
党争は、肥後人の一人一党に受け継がれとるんじゃないですか。戦国期でも
結局まとまらん。薩摩人の場合は、花郎制度に近い組織、習俗は朝鮮半島の
影響、更に昨日は会津、今日は長州と節操がのうて、腰が軽い部分も
朝鮮が事大した明国を裏切り、野蛮視した女真の清国へ追従する処なんか
薩摩人と似てますね。九州は東シナ海文化圏で朝鮮半島の延長上にある島で
本州日本人と違いますね。 
国を売るとか、戦国期に近代的な国家ナショナリズムは飛躍でしょう。
薩摩人も大陸人にあらずとも、東シナ海人ゆえに海千山千の謀略は
お好きじゃないんですか。
838日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:34:45
ここは坂東武者を語るスレじゃなかった?
839日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:42:14
=゚ω゚) おお、そういえばそうだ。
こら牛!喪前が話を脱線させるから無駄に500レスも消費しちゃったぢゃぁないか。
はっはっは。
840日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:36:52
>>837本州と違う?本州も色々じゃないですか。国の肇めは、
「筑紫ノ日向ノ高天原」近代ナショナリズムを持ち出すまでもあ
りません。
 幕末の腰の軽さは、歴史を進展させる為の積極的なりアリズム
であって、隣国の事大主義とはちがいます。
 肥後についてはそうかも知れない。俺が俺がでありながら、権
威に弱いとこあたりは・・・
 国境を取っ払った東シナ海人・・後期倭寇はそんな感じも半分
あったかもわからんですね。もっとも、その伝でいけば黒潮人や
内海人も九州にはいるわけですが。
 いずれにしろ九州は防人の昔から国防の最前線に位置するわけ
です。この地に薩摩隼人や、勤皇菊池で鳴らした肥後人、菊、龍
の筑後人、葉隠れ武士道の佐賀人、アジア最強の海賊衆がいたこ
はあるいは天の配剤かも知れんですね。
 >>838たしかに・・失礼しました。

懲りずにもう一発。
シセンの大捷で、渡海軍の組織的徹退を可能にさせて日本の面目
を保たしめたのが薩摩人。
 敗れたりとはいえ、19世紀最強の帝国と一戦交えて日本武士
の意地を顕したのも薩摩人。




 


     


841日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:40:23
戦争には負けたかもしれんが
戦闘には勝っていたぞと・・。
842日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:41:04
 若シ運ヲ開ク無クトモ意ハ誠ヲ推サム    西郷南洲  (¨〃
843日本@名無史さん:2008/12/01(月) 00:05:56
ひろしま弁はなんでやめた?
844日本@名無史さん:2008/12/01(月) 15:05:38
掘れい!掘ったれい!
845日本@名無史さん:2008/12/01(月) 20:48:43
おう。こんなを掘る掘る云うとるもんがおるけぇ気いつけんさいや
846日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:12:35
掘る掘るいうてちーっとも堀に来やせんじゃないの?
847白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/01(月) 22:31:05
アク禁でどうかいのう。
>>839
脱線じゃのうて流れ次第じゃ。
848日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:53:45
ワシのケツ掘ってつかい!
849白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/01(月) 23:30:01
アク禁は解除か。
>>840
まあ、本州でも西日本と東日本は違うでしょう。国の肇めは畿内であって、
出雲や筑紫云々なら、高天原も朝鮮や満州に辿ればきりがあるまい。
九州は、筑紫の磐井の乱から平安期の貞観八年(866年)の肥前郡司の
新羅通牒事件(肥前国基肆郡司山春永らが新羅と内通し弩の製法を
教えに、四五人の射手を同行させる計画)に至るまで、親分の新羅に
九州は事大しとりましたのう。平安初期の九州は新羅海賊に蹂躙された
けえ、新羅の宗主国様、一緒に日本を倒しましょうと、九州人得意の
ハッタリかましたんですかのう。 
倭寇は、朝鮮半島においては済州島人や賤視された、禾尺、楊水尺らも
多かったでしょう。韓国人は倭人=日本人云う先入観、固定観念があって
認めんでしょうが、倭寇は朝鮮人、中国人、九州人、瀬戸内の西日本人と
様々な混合エスニック集団でしょう。倭寇がアジア最強とは云えません。
倭寇の小型船は略奪には有効でも、ガチで戦闘して中国の大型船には
勝てません。東シナ海の制海権自体、新羅、唐から明、ポルトガルに
至るまで日本は制海権を近代以前に手にしたことが一度もないんですよ。
新羅は海洋王国と云えますが、日本は海洋も駄目です。
朝鮮渡海軍云うても薩摩は遅れて参加し、19世紀の最強の帝国云うて英国?
英国として、薩摩に一方的に砲撃しただけでしょう。一方的に叩かれて
意地も糞もないでしょう。
850日本@名無史さん:2008/12/02(火) 00:55:41
阿南にしろ牟田口にしろ九州はダメ軍人が多いな
851日本@名無史さん:2008/12/02(火) 17:46:01
東北よりはマシだろ
852日本@名無史さん:2008/12/02(火) 18:10:50
板垣、石原、服部とかな
今村とか佐藤幸徳みたいなイイ軍人もいたけど
853日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:02:58
柴五郎、斎藤実、一戸兵衛、栃内曽次郎、及川古志郎、井上成美、米内光政、南雲忠一といったところか…

南雲はまああれだが
854日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:33:20
あと、日本海海戦で東郷のミスをフォローした佐藤鉄太郎、
第一次世界大戦での「地中海の守護神」佐藤皐蔵
も東北人
855日本@名無史さん:2008/12/03(水) 10:19:24
及川古志郎と南雲は駄目だろ
856日本@名無史さん:2008/12/03(水) 10:44:01
そんなのだあれもしらないよ
857白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/04(木) 01:40:42
>>850
阿南氏は終戦前夜に責任を取られてけぇ、旧軍の中ではまだしも良心的な
人物じゃろう。牟田口氏の弁護までは出来んけど。
858日本@名無史さん:2008/12/04(木) 01:53:36
阿南が責任を取った?
軍人が勝手に腹切って大罪ヲ謝シ奉ル?
859日本@名無史さん:2008/12/04(木) 05:47:37
>>849国の肇めは「筑紫の日向の高千穂」とは古事記にも書かれていますよ。そがあなもん科学的根拠ゆうていっこもあるまぁが、といわれるかも知れませんが…先祖の残した神話は尊重すべきです。 

磐井は逆ですよ。新羅が磐井に頼ったのです。大和の進攻を危惧した新羅にうまく利用された一面もありますが…

薩摩の遅陣は主に国許の経済的理由で悪意ではありません。その分、渡海後は遅刻の瑕厮を帳消しにする奮戦で戦後、参加大名中唯一!!の加増を受けています。

約三万石のうち一万石は「秀吉蔵入り地」身銭を切って褒美をだしたわけです。当時の評価が窺えるでしょう。はて、毛利、両川、或いは浅野は加増されましたかのう?     (¨♪もっとも小早川氏は大活躍しましたが…
860日本@名無史さん:2008/12/04(木) 06:11:37
>>849薩英戦。結果的には負けて賠償金を払い(幕府から拝借し、踏み倒し♪)物的には圧倒的な被害を被りましたが…

先制攻撃は薩摩です。死傷者はイギリスの方が多いです。英艦隊の旗艦長も討ち取っています!これでも一分の意地もみせていませんか? 

イギリスもこの一件で薩摩の根性と実力を評価し、仏とのからみもあったにせよ、それまでの親幕路線から親薩路線に移行したのです。 

薩摩また近代文明の武威を悟り、持ち前の積極的リアリズムを発揮して、維新回天達成の為、英に接近したのです。 

夷に上陸まで許し、逃亡して砲台も占領された写真で後世まで恥を晒した長州(中国者)とは一味ちがいます。御大、どっちがはったりですかのう。  (¨♪



861日本@名無史さん:2008/12/04(木) 06:20:45
>>858武士らしい責任のとりかたじゃないか。開戦時の首相であり、あの「戦陣訓」の創案者でありながら終戦後ものうのうと暮らしMPや新聞記者らに自宅までおしかけられてから 

アワくって拳銃自決に失敗した、本籍東北の誰かよりはるかにましだよ。   
もっとも、その後の態度は実に立派に責任を果たされて不条理な刑場の露と消えられたわけだが…やはり腹を切るのが一番の選択だったのではないかな。(¨
862日本@名無史さん:2008/12/04(木) 07:14:51
>>861
>アワくって拳銃自決に失敗した、本籍東北の誰かよりはるかにましだよ

「本籍東北の」
とは実に巧妙な言い回しですなぁ。

東條なら確かに盛岡藩士籍に属する家系の生まれなので
「本籍東北」
との表現もできてしまうことになりますよねw。

しかしその実態は狂言回しの家系で江戸採用なのを知っててあなたはこういう表現とっているんでしょ?

自らの郷里を誇るのは大いに結構だが、
暗に他を貶めてまでそれを行うような振る舞いはそれこそ士道に反しますよ。
本当に九州男児?
863日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:42:04
いやいやなんか阿南氏をかばうつもりで引き合いにだしたんだよ。攻撃?してたのは東北の人みたいだったからね。
なに東條さんの家系は南部藩士じゃなかったの?たしか東條一学だかいう学者の係累だったと思ったよ。
864日本@名無史さん:2008/12/04(木) 14:16:22
牛島満
865日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:37:50
>国の肇めは筑紫の日向の高千穂

=゚ω゚) ちがう!
「物の初めが一ならば、国の始めは大和の国、島の始めは淡路島
泥棒の始めが石川の五衛門、助平の始めは小平の義雄、
結構毛だらけ猫灰だらけ。おケツの周りはクソだらけ」だ!

と、柴又の寅さんが言ってた。
866日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:37:34
テレメンテイカメンテイカ  (¨
867日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:17:33
陸軍ならば真崎も九州じゃないか?
868日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:22:11
佐賀だったかな?あんた、一体なにを探ってるんだい?
869日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:59:45
杉山も九州だよ
870日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:15:59
小沢治三郎も
871日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:11:00
226事件の青年将校にも九州出身が多数
872日本@名無史さん:2008/12/06(土) 05:34:20
そうか杉山元帥も福岡だったみたいだね。この人も自決しているが、奥さんが、いかにも武家の女性を彷彿とさせる立派な人だったみたいだね。自決を夫に迫り、その報を聞くや 

間違いありませんかと、確認したあと、正装して夫君の後を追われた  (¨
873日本@名無史さん:2008/12/06(土) 05:45:52
牛島将軍、薩摩武人の系譜の最終章を飾る人物だね。いかにも、ボッケモンらしい逸話も多い。 

ただ多数の沖縄県民を巻き込んでしまったことに就いては批判も多いらしいが…
この人も自決されています。「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」  (¨
874日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:02:56
最後の連合艦隊司令長官として知られる小沢氏は宮崎出身。プリンスオブウェールズとレパルスを撃沈しチャーチルを悲嘆させた。 
戦後は一切黙して語らずを通したらしい。
875日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:42:39
チャーチルといえば秘密結社フリーメイソン。
フリーメイソンとは何か、皆さんご存知でしょうか?
876日本@名無史さん:2008/12/06(土) 08:17:48
スーーフリーメインの西日本統括責任者兼極東地区最高相談役は白馬牛!(¨♪
877日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:31:29
陸軍佐賀閥
宇都宮太郎→武藤信義、真崎甚三郎、村岡長太郎、香月清司、梅崎延太郎、柳川平助、持永浅治、
二葉会

大分閥
南次郎、金谷範三、梅津美治朗、池田純久、阿南惟義
福岡(小倉閥)
杉山元、秦真次、橋本欣五郎、末松太平
878日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:54:04
>857

先帝陛下に機関銃の銃口向けた宮城事件の黒幕ちゃうんかい。
阿南は。
879日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:21:25
肥後勢が少ないな

880日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:27:35
熊本なら武藤章がいますよ
不起訴だが徳富蘇峰もA級戦犯指名
それにしても九州人はA級戦犯多いね
橋本欣五郎(福岡)
南次郎や梅津美治朗(大分)
広田弘毅(福岡)
重光葵(大分)
東郷茂徳(鹿児島)

881日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:10:35
自演くさいな?!
882日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:47:56
2ちゃんは自演ばかり
883白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/07(日) 00:20:35
>>858
東条氏や牟田口氏たぁましじゃ。
>>859-860
神話は、文化人類学の史料になるが、神話を教典、史実と見なしゃあ
原理主義になります。先祖が残した?薩摩は異民族隼人族で大和民族じゃ
あるまいに。筑紫の磐井は地理的にも朝鮮半島との交易が優先されように。
畿内政権たぁ、新羅との関係の方が重要じゃけぇ。肥前群司新羅通牒事件の
弁解がないようですが。新羅人に蹂躙された九州が畿内政権たぁ、半島に
事大従属したかっただけでしょう。
薩摩の国許の経済理由云うて何ですか?加増は西の最辺境地ならではの
こと。朝鮮の役での活躍は初期のイケイケの肥後勢と、戦闘が膠着して
からの安芸勢や筑後勢で、薩摩は戦闘決勝戦に貢献しとらんでしょうに。
英国だけの薩摩と多国籍軍相手の長州を比較しても意味がありません。
薩摩も長州も敗北の事実が残るだけです。敗戦の言い訳をして、
ハッタリかますところも九州気質ですのう。
>>865
焼畑狩猟系の日向隼人、大隈隼人に漁撈系の阿多(薩摩)隼人。これら
大和人からしてら異民族で宮門で遠吠えするしかなかったが、
温厚な日向隼人と違い、大隈か薩摩の隼人は、ハッタリかまして
毎度吠えるようじゃ。あっ!そういやあ、関東も東夷じゃったか。

何じゃ上層軍人お国自慢になっとるが、無能な上層軍人を自慢しても
つまらん。まあ日本を代表する名将は東北人の今村均将軍じゃろう。
中国地方にも今村氏ほどの名将はおらん。
884 ◆26IT/WpOkg :2008/12/07(日) 00:38:56
(U^ω^)わんわんお
885日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:32:44
>>875
=゚ω゚) 石工組合。つまり穴太衆じゃろう。
硬さではつくば石。
加工では大谷石。
へげ石なら秩父じゃのう。

ロスチャイルド家の5本の矢をもとに造られたのが毛利元就の3本の矢じゃから
毛利=メソニック=牛じゃあ言うことじゃないがか。
そういや張学良もくりすちゃんだったな。


>(U^ω^)

=゚ω゚) ぽち!ぽちじゃないか?
886白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/07(日) 01:48:42
 中国地方の上層軍人云うたら、岡山県人の土肥原賢二氏、谷寿夫氏。
中国地方でのうて大陸の中国人から評判が悪りいのう。
谷氏は、第六師団長で南京の戦犯で処刑されたが、6Dの地元南九州では
自部隊の蛮行を告発せず、処刑された英雄扱いじゃけんのう。
谷氏は合理主義者で『日露戦争機密史』でも知られとるが、司馬遼太郎氏の
『坂の上の雲』にも影響を与えたのう。衆心一致の人徳を指揮官の資格と
した今村氏とは反目じゃった。将の資質は知謀ではなく、人格的識見に
よるけぇ、谷氏は今村氏に到底及ばん。じゃが鳥取県人の西尾寿三氏は、
今村均氏によると、糧量と武器も枯渇し竹槍と石で戦闘し五十日の
包囲に耐え攻勢に転じたとき、「整列する兵の痩せ衰えた顔を見てこの
冷静そのものといわれた人がハラハラと涙を流したものです。」と、
云われた。西尾氏は、郷里の鳥取が秀吉軍に包囲され、糧量の枯渇に
さらされ落城した出来事を思い、同じ中国地方の広島師団が飢えながら
苦闘を耐え抜いた健闘等、感極まったのであろうか。
中国地方の陸軍軍人では西尾寿三氏じゃ。広島県人の岡部直三郎氏は
地味かのう。
>>875-876
フリー・メイソンで中国地方云うたら、西周氏あたりが出てくるが、
云いだしたら、陰謀史観と紙一重になるけぇのう。西洋や中国の
秘密結社は国家を超えた相互扶助団体あたりで済ましとくことじゃ。
わしは、メイソン系団体に所属したことはない一般市民に属しとるよ。
887白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/07(日) 02:16:36
>>885
広瀬隆氏の『赤い盾』あたりにじゃったか。そがいな記述があったように
思うが。三本の矢の話は、北ユーラシアの遊牧民に顕著な説話じゃろう。
オグズ族のウチュ・オク族は、トルコ語でウチュは、三。オクは、矢と
部族の総称。セルジューク・トルコ族の主体オグズ族は、サンフレッチエ
じゃのう。
888日本@名無史さん:2008/12/07(日) 06:46:20
>>いやぁ毎度、辛辣なご教示ですなぁ。しかし、御大、神話は科学的根拠がないからこそ「神話」なのであってこれを信奉するのは、原理主義ではなくしてロマン主義なのです。ロマンを 
忘れてはいけません。嫉妬する気持ちはわかりますが。♪それと師匠がいうところの大和民族の定義や如何に?自分は御大や顔先生のように物知りではないのでご教示ください。

やはり稲作がキーワードなのでしょうか。 

肥前国司に就いては恐らくムタグチ氏の前世かなにかであったと推察しております。 

加増はこれが畿内であろうが鎮西であろうが、三万石は三万石。貴いお百姓の血と汗の結晶に甲乙はありません。殿軍は先鋒や、決戦にも勝る難儀な任務です。 
四か国連合といえば聞こえはいいがいいかえれば、烏合の衆、ですよ。負けかたにも「段々」があります。 
         (¨=
889日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:25:40
中国地方なら宇垣さんは?
890日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:12:58
橋本欣五郎も生まれは岡山?
891日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:01:07
俺はアメリカ人ば斬首した戦犯ったい!
892日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:46:58
宇垣宇垣宇垣宇垣宇垣宇垣宇垣
893日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:15:28
油山か?
894白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/08(月) 01:44:48
>>888
ロマンは、妄想論に過ぎんでしょう。嫉妬何ですかそりゃあ。
古代日本で蝦夷や隼人は異民族扱いでしょう。現在でも薩摩隼人と云う
限り日本から独立して隼人国か、九州全体を独立させ、九州国か、
韓国を事大し慶尚極南道にしてもらえばええでしょう。日本人よりも
朝鮮人の気質に近いことから。加増は為政者の御都合主義ですよ。
加増に喜ぶんは、隷属根性でしょうに。日本に隷属奴隷根性を
持っておる限り、日本からの独立は無理ですね。
>>889
悲劇の人宇垣一成氏も岡山よ。だいたい昭和期の広島陸幼でも、広島県人
よりも岡山県人の方が多かった。広島人は出世欲や試験理知能力じゃあ
岡山人に勝てんよ。
例の鳥取県人の西尾寿造氏は、沈黙、過言で冷静に判断する方で
あったが、第一線部隊の巡察を頻繁にされ、口やかましいことは有名で、
広島第39師団の状況報告を見て尋問されたが、師団の処罰者には破廉恥罪に
該当するものが皆無で「ヨシ、わかった!」で済んだ。広島第39師団は
「軍紀厳正であるといっても決して萎縮しているのでなく、のびのびとした
雰囲気に包まれていた。」仙台第13師団は、西尾将軍に叱られ、広島39Dと
「入れ換えるぞ」と云われ、後に仙台13Dが宜昌で陥落寸前になり、
広島39Dが救援撃退し、宜昌最前線は広島39Dに任されることになり、現実に
なって仕舞う。
西尾氏は、巡察に適した人であったが、指揮官の将としては、鷹揚な
親しみの持てる今村氏の人柄の方が適任であろう。
895日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:32:34
宇垣纏じゃ!宇垣纏!
896日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:44:30
宇垣纏宇垣纏宇垣纏宇垣纏
897日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:06:05
宇垣一成と宇垣纏は親戚じゃないんだろ?
898日本@名無史さん:2008/12/08(月) 06:01:59
隼人族は古えに、日本民族を成立させた様々な「族」の一派と理解しております。しかし奥羽エミシとかは、こそこそして名乗りも挙げぬのに比べ、なんと男らしく豪快にして爽快なことでしょう。   
しかし韓国人に気質が似ているとゆうのはそうかもわからんですね。今は東日本に居住してますが、韓国パブのアガシに、オッパ、韓国人みたいと、誉められる?ことがよくあります。

しかし、やはり九州は国の肇め、日本の元祖だとロマンチックに生きて参りたいと思います   (¨♪
899日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:47:15
>>897
同じ一族じゃないの
同じ宇垣氏の一族



900日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:50:21
広島ってたいした軍人いないよな
陸軍だと岡部しか大将いないし
901日本@名無史さん:2008/12/08(月) 19:38:15
>>888
>大和民族の定義や如何に?
>肥前国司に就いては恐らくムタグチ氏の前世

=゚ω゚) ほほー前世ときましたか。オカルト勝負ですな、よろしい、お相手しましょう。

オカルト的には大和民族とは大陸、台湾、西南諸島から来た
卑弥呼の部族名だったと言われています。
卑弥呼の実家は山口県でしたが奈良に政治的拠点を置いたと言われています。
当時の土器の分布が畿内では東海、山陰、北陸など全国的種類が使われているのに対し
九州はその形跡がございませんそうです。
それは当時の畿内が部族連合的中枢を担っていたからではないかと月刊ムーに書いて有りました。

つまり寅さんが言うように国の始めは大和の国と言う事です。
902白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/09(火) 00:14:21
>>898
>隼人が日本民族を成立させた?隼人は被征服民でしょうに。
本土日本人は渡来系が主流ですし、隼人や蝦夷は少数派です。
ほいで畿内政権は、兵として隼人たぁ蝦夷の忠誠心の方を重視しました。
韓国人は、九州人を韓国人と間違える処なんか性格が似とる要素が強いで
しょう。女性にしても、韓国アガシと九州アガシも似てますね。
九州は魏志の奴国の中国に対する朝貢の始めでしょう。
奴隷提供の歴史の始まりでもありますが、近代まで九州の女性は
唐ゆきさん、娘子軍として中国〜東南アジアへ売り飛ばされました。
ただし、どん底に堕ちても、馬賊の頭目の女房になったり、這い上がる
向上心は九州女の逞しさで、身売りされた東北女性の悲壮感と違いますね。
兎も角満州から東南アジアにかけて、九州女性は多かった。
広島39Dが守備した宜昌でも鹿児島産の女性が進出しとったそうです。
903日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:32:25
九州いうたら天皇に弓を引いた男、磐井だな
904日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:43:04
石人石馬石人石馬石人石馬石人石馬
905日本@名無史さん:2008/12/09(火) 10:37:54
>>888 前世云々は彼の有名な「民明書店」本に載っていましたから間違いないところです。

寅さんは九州での売(バイ)では「国の肇めは日向の高千穂」「鉄砲のはじめは種子島」といっていましたから、あまりアテにならないかと思います。 (¨=


906日本@名無史さん:2008/12/09(火) 10:47:55
>>902御大あまりロマンを壊さんでください(¨涙 
しかし南米まで渡った移民にしろ、からゆきのお姉さまたちにしろ、昔の日本人は活力ありましたね。 

ハリマオなんかも九州でしたね。もっとも師匠の地元広島も移民の本場ですが…ハワイの日系社会では広島弁が標準だとか…

しかし、あのころの活力は国家的気分と「貧」が相乗して生まれたのでしょうね。       (¨…
907日本@名無史さん:2008/12/09(火) 10:54:26
映画の中でははっきり明示されてはいないものの、山田洋次監督の想定では寅さんは朝鮮人ということらしいね。
908日本@名無史さん:2008/12/09(火) 10:58:12
返事はやいなぁ。たしかに寅さんの顔はアレだけど、叔父さんは、清く正しい日本の団子屋だよ。
909日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:19:38
>907
=゚ω゚) それは山田洋次さんではなく渥美さんの想定なのでは?
まあ下町で「車」の苗字といえば非人頭車善七。柴又ではなく浅草だけどね。
もとは佐竹の武将車丹波守の子孫だな。花の慶次にも出てくる。

もっとも渥美さんの出身が上野車坂だからか


>寅さんは九州での売では「国の肇めは日向の高千穂」「鉄砲のはじめは種子島」といっていました

=゚ω゚) おっと、これは一本取られましたな。はっはっは。
910白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/09(火) 23:16:49
>>906
広島は、浄土真宗じゃけぇ間引きをしませんから人口増加対策として、
江戸期から出稼ぎや移民も多かったんですよ。美作、筑前、対馬なんか
相当種をばらまいたことでしょう。 
明治期からは海外移民で、戦前のハワイ移民の40%は広島県出身者。
広島弁が日系の標準になった例として、米国の日系二世部隊が肉料理を
「ヘカ」云う。広島弁で牛肉などのすき焼きをヘカ(犂)で焼くので
「ヘカ」を喰うと、戦前は云うたもんです。
広島が男性、あるいは家族移民に対し、九州は女性の海外飛躍が
目立ちますね。まあ、海外移民は活力の一つの証しにはなりますから、
西日本人の活力の一つの例じゃと思います。
911日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:44:29
>>909
なるほど、ググったら渥美さんの「アリラン」の話も出てくるね。
ただ、俺が見たのはBSNHKで以前「寅さんシリーズ一挙放送」みたいなことをやってた時の実況板。

>永「寅さんって朝鮮人だろ?」
>山田「僕は意識していた」
>永「じゃあ、なんで(神戸の)長田を出る時に、寅さんに『アリラン』を歌わせなかったんだ。
   歌わせていれば、世界に誇れる映画になっただろう」
>山田「そう。そこまでは考えていなかった」

↑のコピペがやたら貼られていた。
912911付記:2008/12/10(水) 00:47:17
「永」ってのは
「永六輔」のこと
913日本@名無史さん:2008/12/10(水) 19:31:32
学生「山田監督は寅さんの中に何を追及しているのですか?」
山田「追求?僕は何も追及なんかしてませんよ」

=゚ω゚) これも1970年代頃の山田洋次さんのNHKでの対談っす。
寅さんは、もともとハナ肇の「馬鹿」シリーズのような落語スタイルの喜劇映画。
熊さん八さん寅さんでしょう。そのていどの発想から作られたTVドラマですしね。

もともと山田さんは大陸引き揚げ者で赤系ですから思想はあっち系です。
シリーズも続けば、お笑いも苦しくなり、森崎東あたりとしゃべってるうちに
たぶんその気になって後付設定しちゃったんじゃないしょか?
まあ、さしずめインテリのかかる病気みたいなもんです。

真実のほどはわからんですけどね。はっはは。

>>910
=゚ω゚) 民子三部作だヘカ?
914日本@名無史さん:2008/12/11(木) 12:13:30
なるほど、それで中岡の元も漫画のなかで、帰命無量寿如来、南無不可思議光…あなかしこ、あなかしことやってたわけですね。          (¨〃

915日本@名無史さん:2008/12/11(木) 12:16:21
まぁ、なんにしろ寅さんはおもしろいですよね。あのシリーズをたまにみると、物凄く戦後の昭和を感じます。

最近はあまりテレビでもやらなくなりましたね(¨…
916日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:36:37
=゚ω゚)  麦は踏まれて強くなるのですな。牛も踏まれて喜びますし。


そうですなぁ。昔の山田洋次映画の小粋で美しい日本語が
TVで聞けないのは残念ですなあ。

「やい!この気違い、てめぇ片輪になりてぇのか!」
「なんだと!このドカタ野郎キタネエ面しやがって乞食が!」

せっかくの格調高い昭和の香りがTVではカットされてしまっていました。
917白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/12(金) 00:23:55
>>913
大陸引き揚げ者が赤系たぁ誤解を招くよ。実際に引き揚げ者に公安が
取り付いとったんは事実じゃが。満州で同胞やソ連軍と戦闘した部隊を
見捨て、のうのうと本土へ逃げた軍上層部に、公安は取り付かんじゃろう。
上層部は、例え売国奴であっても問われることはないが、
一般庶民は愛国者であっても引き揚げ者、シベリア抑留者も疑う。
我が国は、内面ナチスと同様の密告警察国家で民主主義が根付いておらん
国家であることを暴露しとる事例と云えよう。
自国のファシズムに異論を唱える者がおらんけぇ、外国の内政干渉が
為政者の横暴を防ぐ手段しかないんが現状じゃ。
918日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:49:15
=゚ω゚) ちゃうちゃう。山田さんは「引き揚げ者」で、「赤系」だっち言ゅーとろーが。
あの当時の活動屋は「さしずめインテリ」が多かったからね。
東宝、松竹などでもレッドパージで外された人もいたし、わりと赤い。
キネマの天地で特高が「こいつマルクス(ブラザーズ)読んでやがる」とかいうギャグも
意外とマジだったのかもしれん。森崎さんは昔からの朝鮮シンパ。

宮崎、高畑も東映で労働団結やってた延長が今のジブリだべ。
そういった我々はあしたのジョー的プロレタリア青年が夢見た労働者の国家が
半島北部の将軍様の国だな。


>我が国は、内面ナチスと同様の密告警察国家で民主主義が根付いておらん
=゚ω゚) 「日本は世界で一番成功した社会主義国です」(ソヴィエト大統領ミヒャエル・ゴルバチョフ談)
919日本@名無史さん:2008/12/12(金) 10:26:15
あまり人権とかに配慮しすぎると、日本語は英語と音読みの熟語ばかりになって、味がなくなりそうですね。調度、九州のいない日本のように    (¨=
920白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/12(金) 23:42:24
>>918
活動写真屋はインテリが多い分だけ、赤い思想に染まった人達も多かった
けんのう。戦後でも実存主義かぶれは、ソ連賛美じゃったわい。
ソ連が理想郷じゃ無いんは、シベリア抑留された方々の体験談を聞きゃあ
判ることで、左翼系の自らが日本の残酷で横暴な部分を政治体制によって
肯定するんが共産主義国家云う現実認識に乏しい。まあ、現実たぁ理念、
思想で解釈するんじゃけぇ、左派文化人もネット右翼と大差ないのう。
1950年代の赤狩りは、戦後冷や飯食ろうたナチス、ファシスト親派の
復権云う側面もある。専制体制、全体主義賛美の密告警察国家共産主義圏の
連中と思考回路は違わん連中よ。実際ソ連のスパイもおったが、
容共云うだけで弾圧される状況を生んだけぇのう。
建前上民主主義国の日本は社会主義国のような言論弾圧まで到っとらんのに
成功した社会主義国たぁのう。共産主義は社会進化論から適者生存、
労働に頑張った人は、頑張った分量だけ報われる格差社会の極地じゃ。
ソ連は栄養失調の日本兵抑留者にも労働成果で黒パンの量でも格差を
付けたじゃないか。ソ連流の適者のみ生存する権利の行使で日本人が
どれだけ餓死したことか。
日本の成功は旧軍の星の数(階級、位)たぁ飯の数(年月)の伝統よ。現場の
年功序列制じゃろう。現在は崩壊してしもうたのう。日本の伝統破壊
ばっかしやっとるんじゃ、日本の上層部は。旧軍上層部が拙劣な作戦を
立てて、足を引っ張る伝統は現在も形を変えて進行形よのう。
921白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/13(土) 00:49:55
>>919
人権を外来思想とする儒教王国の九州と人間主義を唱える浄土真宗王国の
広島人のわしと温度差があるのう。日本社会の残酷さについて、
『日本残酷物語』を中心に、宮本常一氏と飯塚浩二氏の対談から、
飯塚「他人の不仕合せを踏み台にしないまでも、見殺しにするのが日本文化
の特色であっては困るという空気を作りあげていくのに役立ってくれたら、
一番有難いと思います。」
宮本「日本にたくさん来たキリシタンの神父たちの書いたものを見ると、
日本の社会のよさをいたるところで誉めてくれているが、誉めておる中に、
そういう社会が成立する為に不用なものは切り捨てたり何かした話が
沢山あるのですね。あるワクを作って、そのワクの中におるだけを
認めていこうとしている。それによって封建社会というのは成立して、
それ以外のものはみみんな切り捨てられて、それでその社会がよかったと
いうことになってきているのでしょう。」
飯塚「戦前の講談社的な線でうまくいった人達が、成功したとたん
お説教する方に回ってしまう。文部省がやらなくてたって、成功した人は
みんなやってる。これもまた残酷だな。みんながそういう条件を持って
いるか、持っていないかぬきにして、俺に見習え、俺はやれたということを
いってね、人間が他人に対してどんなに不人情になれるか見本みたいな
ところがある。それで下の方をまるごと見殺しにしている。」
日本の成功者が権威を持つと威張る内面は卑屈さ同居しとるんじゃろうが、
日本の成功者を含め上層部は不人情じゃ。ほいで内政干渉してくれる
近隣諸国が共産主義国じゃあ、民主主義の後進国じゃけぇ、どうしても
日本の上層部の暴走に因縁つける要素に乏しい。近隣諸国よ、
「しゃんとせえ!」云いとうなるよのう。
922白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/13(土) 22:49:41
>>734の九州人に評判が悪い、わしも他板などにも引用文を書いた
今東光氏の『十二階崩壊』引用文を挙げたブログを見つけたよ。
http://homepage2.nifty.com/papaskitchen/NewFiles/shomotu22.html
今東光の中学生時代 P203〜P205じゃが、今氏と今氏の稚児氏とお菊さんの
男二人、女一人の3Pの場面は省いてあるのう。「その彼を抑えて僕が臀部
から責めるとお菊は、「厭ア。厭ア。厭やア。わても。わても」と
裸の吾々に絡みついてむずかった強烈な遊びは、容易に消えなかった。」
谷崎・今東光の男色談義 P212〜P214じゃが、省いてあるP215の谷崎氏の
「だから俺は男色趣味はなかった。日比谷の一中時代もあんまり俺達の
間では話題にならなかったが、却って一高に入ってから意外な話を聞いた
な。それも当人からだ」東京人がほとんど日比谷一中じゃあ男色に
乏しい。一高のように地方、特に男色の盛んな西日本人が混じってくると
男同士の色恋沙汰も増えよう。西日本は年齢階梯制社会の影響ゆえ、
武家や富裕層だけじゃのうて民間層にも男色文化が根強い。
武家や富裕層を除いて東日本人の民間は男色文化に乏しいけぇ、
武人らしゅうないのう。

923日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:27:03
・ものもふの 稚児や女に戯れて 心溺れぬ事はあらじな。
・ものもふの 女に染まぬ心もて これが誉れの教へなりける。

=゚ω゚) by 塚原ト伝
924白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/13(土) 23:55:48
>>922の補足として、
http://mblog.excite.co.jp/user/jack4afric/entry/detail/?id=9082213
http://blog.goo.ne.jp/k-74/e/81f4665e1f561240c190fde5143d17f0
上の方は、●町人と男色「陰間茶屋で上方から下った物腰が
柔らかく、品があるということで特に人気があったそうです。」
●学生と男色 白州正子氏(樺山伯爵家生まれ)「薩摩武士の
集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされなかった。
武士として鍛えられ、教育されることは男同士の契りを結ぶこと
でもあった。」西日本の若衆宿のことも出とるが、「旧制高校の
寮では下級生をチゴ、上級生をニセと呼んでいたことから、
薩摩武士の影響」じゃのう。
下の方の岡山藩や鳥取藩の事例、「日本に限らず「武」の世界で
生きる男の間では洋の東西南北を問わず男色というものが
あった。」任侠の世界でも同じじゃ。
薩摩の客人に「お茶にするか、稚児にするか・・・」
「薩摩藩に限らず西日本には少なからず(というか普通に)残って
いたようで、庶民の間でも盛んだった。山口県あたりでは
男と男の関係を隠語で「チング」という。朝鮮の言葉である
ことは明白。韓国の軍隊内での男色の激しさは有名だが歴史ある
習慣なわけだが」と、西日本は男色文化が根強い。
925日本@名無史さん:2008/12/14(日) 01:09:31
広島ってなんで赤い瓦の家が多いんですかね?
備後はないけど安芸に入るといきなり赤い家だらけ!
926日本@名無史さん:2008/12/14(日) 06:02:46
>>924御大、もしかして今夜は欲情してるのですか。読んでいるうちこっちまでおかしくなるではないですか!特にお菊のくだりと、かげまの3P、女性客のとこ。あっ固く……冗句 

自分はソノケはまったくないのですが、昔は半公然だったみたいですね。もしかしたら薩摩の男色は、戦国の気風を教育で以て色濃く残してきたなかで必然的に?残ったのかも知れません 
戦国時代は東でも盛んだったのでは…信玄が相方に送った浮気の詫び証文が残ってるくらいですからね。しかし情欲で結ばれた絆は戦場ではとんでもない威力を発揮したかもですね。 

そうなると韓国軍は相当強そうですけど…師匠の持論である負け癖もありますか… 

安久武士なら枕はいらぬ 互い違いのオハラ腕 (¨=
927日本@名無史さん:2008/12/14(日) 06:08:36
>>925それは俺も前から思ってた。備後はわからんが山口県も周防あたりまでは見れたような気がする。 田園風景はまるきり日本なのに赤茶の屋根。すごい違和感あったね…

あと山陽路では赤いコンビニ(弁当できたて)、山賊っていう居酒屋だかレストランみたいなとこ。そこのおにぎり最高。やっぱ寄ったでしょ?    (¨…
928白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/15(月) 01:39:19
>>923
女でも男でもやり過ぎは毒じゃ。
>>926
欲情するほど、わしゃあ若うないですが、あなたが読んどるうち興奮される
んは元気がええ。さすが九州人よのう。戦国期は東日本でも多かったで
しょうが民間の習俗としての男色地域は西日本になるでしょう。
フリートリッヒ・S・クラウス氏も最近の戦争〔日清・日露の戦争〕で
「古いサムライ精神が1968年前の時代になかったほどすばらしく、満州の
戦場でよみがえったと。何人の士官が私に、他の兵士に対する一人の兵士の
恋愛から自分の命を賭して戦った光景や、一人の兵士が確実に死を見舞う
場所で自由意志から我が身を犠牲にした光景を物語ってくれた。(中略)
この軍隊(日本軍)は、祖国愛から自分を犠牲にするだけでもないし、兵士と
いう使命で倒れるだけでもなく、愛する友人の生命を守るために、愛に
殉じるこのような兵士をもっていることを実際幸福だと思っていいので
ある。」兵士の祖国愛は抽象的な問題で、具体的には郷土愛、戦友への
愛情が強いであろう。それこそ兵士をして精強ならしむ。
韓国もベトナム戦争参加国の中でも最も勇猛でしたから。まあ、蹂躙された
経験から、中国軍と同様ここ一番に弱い処はありますね。
ただし彼らは、義兵という遊撃戦を展開しますから長期的には強靭ですよ。
>>925-927
赤瓦の石州瓦は山陰の石見が本家じゃろう。新幹線が岡山の備北から、
安芸の呉線の沿岸部を通っておったら岡山県の赤瓦が備後まで
あるが、安芸へ入るとほとんど見られん逆転現象になるじゃないか。
備後まで沿岸部を通る新幹線が安芸へ入ると内陸部、特に赤瓦住居の多い、
東広島市を通過する印象からじゃろうに。
昔の山賊は山口県にあるんに広島県の暴走族の溜まり場じゃったのう。
広島人の侵略に謝罪を求めるクレームがないけぇ、済んだ話になったわい。

929日本@名無史さん:2008/12/15(月) 10:39:31
なるほど、ということは国防的観点から男色は奨励されるべきなのでしょうか。それは孃男ですが、戦前の兵隊さんは愛国心、郷土愛国、に加え名誉(家族も含めて)も担保されていましたね。 

それに較べると田母神さんは置いて、現代の防人の方々は実に気の毒な気もします。

韓国の義兵は、しかし国土が狭いためかそれほどの威力はないのでは…その点国土の懐が深い中国やロシアのそれは蟻地獄ですね。 
大分まえに山口県のニ号線から山のほうにそれた、峠沿いの閉店後の山賊に夜中車中泊したことがありましたか、悪名高い広島人に絡まれなくてよかった(¨〃
930日本@名無史さん:2008/12/15(月) 11:57:20
俺は毛むくじゃらのトラッカー達にレイプされたよ
二年前由宇付近で
931白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/16(火) 00:30:03
>>929
戦前の兵隊さんは、将校と違い、家族も含め名誉は担保されておりません。
当時「会社員でも五十円くらいの給料は取っており、三十歳以上の招集兵
ともなると七十円くらいの月平均給与は取っていたが、それが赤紙一枚で
兵になると途端に五、六円の子供の小遣い銭だけとなる。 
勝手に召集しておきながら後に残る家族の面倒は軍も政府も見なかった。
反対に将校は職業であるから、少尉でも兵の十数倍の高級を食み、税金は
課税されなかった。幹部候補生出身の召集将校は予備役に属するため、
前就労場所の会社官庁から国法で入隊当時の給料を全額支給される上に、
将校の階級に応じての給料が支給されていた。 
兵の家族は生活にも困窮する者があるのに将校の家族は収入が倍増になる
という仕組になっていた。」
「大尉ともなると兵の三十倍以上の高給を取っているから女を買う金に
不自由はない。そこで毎夜のように将校クラブ(慰安所)に通う痴呆けた
生活をしているわけであるが、兵は月に一度か二度、しかも午後の慌しい
外出で一ヶ月分の棒給は底を衝き、その後は酒保品の饅頭一つ買う金にも
不自由をしているのに。」>>921で云うたよう、日本は下の者に酷い。
上層部は、満州でも沖縄でも下の兵や同胞を見捨て、われ先に逃げる。
日本の上層部の残酷性です。
韓国は国土も狭いゆえ、制圧できますが、長期間の抵抗に悩ませられる
ことになります。中国やロシアは入ったら命取りです。
帝国陸軍は、世界史に成功事例のない、中国全土制圧を夢見てましたが、
矢張り夢に終わりましたね。
932日本@名無史さん:2008/12/16(火) 05:56:31
経済的にはともかく、今の自衛隊に比べれば少なくとも、名誉は保証されたのでは?「名誉の戦死」とゆうくらいですから… 

出征兵士は地域社会全体で送り出したわけですし、勿論嫌々いった人も多いでしょうが社会的認知、応援とゆうとこで見ると、今の自衛隊とは比較になりません。 
我が大君に召られたる♪命誉えある朝ぼらけ〜 ♪です(¨〃 

蒙古人や満州人と違い、「島育ち」で異民族興亡の歴史の薄い日本にはやはり無理があったのでしょうか。
933日本@名無史さん:2008/12/16(火) 19:08:28
このスレのキチガイがいるお

南京大虐殺は糞民族中国人の捏造
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1174295731/
934日本@名無史さん:2008/12/16(火) 20:51:58
>今こっちのスレにも<ここのスレと関連することは書いとるよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/


=゚ω゚) ・・・しかしお前、ここを荒らす気満々だな。 いや、人のことは言えんが。
935白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/17(水) 01:54:40
>>932
金鵄勲章でも貰えば名誉になりますが。支那事変では「支那事変ニ於ケル
功ニ依リ功七級金鵄勲章並ニ勲七等青色桐葉章」で功七級には千円、
勲七等には三百円の一時賜金が、合計千三百円の一時金を国債で不付
された。当時の千三百円といえば庭付きの一軒家が買える相当の大金で
あった。」「金鵄勲章は下級兵卒のものほど尊く価値が大きいというべきで
ある。下級兵卒はわが身を粉にして身を砕いて力の限りを尽くして奮励、
そのうえ敵に大損害を与えた功績抜群の者に下付されたもので最高功一級
から功七級まであり、その級の低いものほど粉骨砕身、危険を冒し身を
もって奮戦した。」
「皇居では将校でも二重橋を渡ることは許されていないが、金鵄勲章を
佩用していれば兵卒でも二重橋を渡り賢所まで自由に参内を許されると
いう優遇されたものであり、金鵄勲章を佩用している場合は将校でも
兵卒に敬礼しなければならなかった。これらの優遇以外に金鵄勲章受賞者が
喧嘩をして人を一人あやめる罪を犯しても処罰を免れる恩典があった。」
ほいじゃが下級兵士の金鵄勲章受勲者は、将校連中の嫉妬で煙たがられる
存在になりますけんのう。
>>931の世界史に成功事例のない、(短期間)の中国全土制圧です。
蒙古人でも、華北を制した上で南宋攻略ですし、満州人も華北を支配して
から華北人を主力として華南を制圧しました。日本は短期間に北支、南支と
広範囲に軍を派遣して馬鹿なことをしとります。その場限りの対応力で
済ませる日本人には無理ですねえ。
936白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/17(水) 02:09:59
>>933
ネット右翼のキチガイのことか?
南京事件の虐殺も知らぬ、存ぜぬとシラをきる。
シベリア抑留でロシアが日本人を強制連行した事実を隠蔽したら、
多くの日本人を餓死させても、働いた成績が良いものだけ生きる
権利があると開き直られたら、わしら日本人はどう思うんか。
ソ連軍の満州での蛮行も酷いもんじゃ。自国の罪を隠して他国の
蛮行を批判出来るもんじゃあるまいに。それを平気でするんが、
ネット右翼の腐れ外道らじゃ。
937日本@名無史さん:2008/12/17(水) 05:54:12
金シ勲章てそんなにすごかったんですか。やはり滅多にはいなかったんでしょうね。一躍地元の有名人て感じですね。 
なるほど満州人は華を以て華を制した…と。当時の漢人には民族主義は薄かったんでしょうね。(¨〃
938日本@名無史さん:2008/12/17(水) 11:48:19
>>936
キチガイ発見
939白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/18(木) 01:35:06
>>937
滅多におられませんし、金鵄勲章を授与されるかどうかも、観戦した
上層将校の胸三寸ですからね。 
満州人に限らず、蒙古人の元寇でも高麗人が多かったでしょう。つまり
遠征地の地元の連中を仲間にするんですよ。講和が成立すると一緒に酒を
飲み一味同心で案内役として先鋒を努める役割を持つ云うことです。
満州人が中国南部制圧に陝西省の軍閥を使うたんですが、華を以て華を
制したと云うり、被支配民の漢人の要求に従がった結果、今のチベット
問題に継続されますし。
「日華事変の頃、北京や南京には、日本の軍人や官僚の手によって傀儡政権
が作られた。中国の有力な人物や、一部の知識階級がこれに協力した。
中国では、敵に協力する裏切り者を漢奸と呼ぶが、この漢奸呼ばわりされた
人物ほど複雑怪奇な存在はまずあるまい。その柔和な態度は、いかにも
力に屈服した不甲斐ない人間のように見られる。しかしこれをあくまで
甘く見て、ロボットとして扱っているうち、ある限界に達すると、テコでも
動かぬ強靭さにつきあたる。これを動かす為に逆に譲歩させられ、後に脅迫
され、いつの間にか主客てんとうして、こちらがロボットであることに
気がつくという次第だ。 そこには利己主義と捨身の自己犠牲、社会への
無関心と愛国心といった矛盾した要素が不思議な調和を占めている。
これをよい意味にでも悪い意味にでも「老獪」と解すべきであろう。
中国人の持つ老獪とは、単純でもろい日本人の、到底太刀打ち出来ぬところ
であるし、理解も出来ぬものであろう」と、三田村泰助氏の云われるよう、
これは、外交が得意な中国人と外交下手な日本人の違いでもありますね。
弱い立場にあっても強い方の相手を脅迫する方向へ持って行く芸当なんか、
老獪です。相手が弱いと見たら居丈高に成り、強い相手には、ひたすら
諂うことしか知らん日本の上層部の人達には、出来んことでしょうね。
940日本@名無史さん:2008/12/18(木) 06:13:34
しかしチンピラのケンカじゃあるまいし、血を流しあった異民族同士が、一緒に酒を飲んだくらいで一味同心するとは思えんのですが… 

けども大陸諸民族が他民族を支配、利用する手練に長けていることは確かでしょうね。 

中国文明は、鍋みたいなもんで支配民族をも具やダシとして溶かしこんでしまうような凄みがありますね。 
満州民族は鍋の具になってしまったのではないでしょうか。 

        (¨〃 
941白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/19(金) 00:54:33
>>940
モンゴル系とモンゴル帝国の西方遠征の尖兵となったトルコ系遊牧民の
関係なんかそうでしょう。モンゴル軍の南下は時間がかかりますが、
西方遠征はオトラルの例外があっても概ね順調に進む。
高麗は抵抗が激しく、服属させるんに時間を要した。高麗としては
モンゴルの征服者が煙たいけぇ、日本への元寇を企画して元軍がその
プランに乗せられたんじゃなかろうか。元、高麗、旧南宋の団結心の無さが
日本を救うたとも云えるわけです。
中国文明は、確かに支配層をも同化しますね。鮮卑ら北朝を築いた連中も
同化されましたし、国府軍が日本が降伏した時の寛大な処置は、ソ連とは
雲泥の差で、米国のGHQ支配よりも寛大でした。ネット右翼に評判が悪い
中帰連の人達も中共で、それまで抑留されたソ連との待遇も違いましたし、
ソ連の強制的民主化運動とも違い、戦犯の本人の罪悪感を自身に答えを
出させ、(日本人の戦犯犯罪は事実であるので否定出来ん立場にあった)
日本軍の罪を一身に背負う方向に向かわせた手練手管は凄いもんです。
中華料理の素材の味を徹底的に自国的に変化させて仕舞う。
素材の味を徹底的に強調する(東日本の料理は醤油味、濃い味で素材の味を
壊す傾向があり、西日本人としては警戒せにゃあいけんが、既に西日本へも
進行形)日本、特に、西日本と違うところです。
942日本@名無史さん:2008/12/20(土) 06:09:09
しかしクビライの動機は実際なんだったんでしょうね。マルコポーロで有名な黄金の島伝説にそそられたのではないでしょうか? 

それに加えて単純に征服欲もあったような気がします。 

あと、恫喝すれば朝貢してくる位に思った日本が使者を切り捨てて上等をキッてきたため師を起こす他なかったとゆう側面もあるかも知れないのでは…

もし高麗がそそのかしたとしたら、軍船建造の賦役等で塗炭の苦しみを味わった上、多数の壮丁を失い、それかあらぬか西日本沿岸民の恨みをかって前期倭寇でさらに非道いめにあった訳ですから、なんともはや 
藪蛇も通りこして間抜けかとも思います。  (¨〃
943日本@名無史さん:2008/12/20(土) 06:20:28
しかし蒋介石の「以徳報恩」は敵ながら天晴れでしたね。様々な政治的思惑があったにせよ…

当時の日本人も一本取られたとゆうか人によっては金槌で頭を叩かれたような気がしたかも知れません。 
ある意味中華の神髄なのかも知れない… 

しかし、今の中共にはそうゆう余裕や展雅さなど微塵も感じられないのはわしだけでしょうか。まぁ日本及び日本人が、その種の敬意を払うに値しない位、卑屈臆病になっただけかもしれませんが…   (¨;
944日本@名無史さん:2008/12/20(土) 13:08:35
本題はどこへ?
945日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:29:34
自称東国武者の子孫、白馬青牛は話題を本当のルーツ大陸に誘導するな。
ところであんたが東国武者の子孫だという証拠はまだ見てないぞ。
妄想を書き殴る前に汚名をそそげよ。
946白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/21(日) 01:36:00
>>942-943
高麗における三別抄を無視出来んでしょう。フビライは江南の不平分子を
日本移住対策にした側面も強いでしょう。目的が違う烏合の衆のモンゴル軍
であったことは、日本にとって幸運でしたね。
韓国人の学者は否定したがるでしょうが、前期倭寇の朝鮮半島侵攻の
構成員の多くは済州島人や半島の賤視された禾尺、楊水尺です。
西日本沿岸人の恨みとかじゃないわけです。九州が新羅海賊に蹂躙された
恨みでもないでしょう。
蒋介石氏は日本人に寛大な処置をしてくれました。今の中共も同じ立場で
あれば日本人に寛大な処置を取ったでしょう。中共が日中友好に補償を
求めんかったんも、そうです。それで恩知らずの日本人が傲慢に付け
上がってごねても、歴史において演出する効果の方が重要ですからね。
中国人は政治思想が変わっても、本質は同じです。今も「老獪」ですから
日本人が太刀打ちしても勝てんと判断するんが現実的認識です。
卑屈卑怯は日本の上層部のことでしょう。自国の為政者の愚かさを他国に
転嫁したところで、何の効果にもなりません。
>>945
縄文土着民の形質が少数派じゃし、英国は土着のケルト系が多数派云う
電波は飛ばさんよ。こがいな日本の幼稚な言がネット右翼の間でまかり通る
自体、日本は幼稚な御伽の国で現実感覚に乏しい。韓国が英国で日本は
移民で成り立った米国とした薩摩人の海音寺潮五郎氏の現実認識を見習うた
ほうがええんじゃないか。
947名日本@名無史さん :2008/12/21(日) 09:25:36
また、大嘘つきが暴れているな。
白馬鹿青筋よ、お前ほどの嘘つきは見たこともない。
自分に都合の良いことしか認めず、他人を簡単に右翼呼ばわりし、
罵倒する。お前ほど人間として品性のない奴も珍しい。
それにしても、蒋介石の件は浅学すぎる、もっと勉強してから書き
込め。ところで、お前が東国武者の子孫だという証拠は俺もみたいぜ。
948日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:53:12
日本は更に寛大なことに、現地に残した資産を放棄しているけどね。
日韓国交樹立の際は韓国側が賠償要求したから日本の外務省が
昔の資産の請求を言い出したところ困って要求を引っ込めた。
まあ、中国も冷静に自国の利益、特に短期的な利益を考えてのことで
長期的視点からではない。
利害が一致しての結論だし、殊更、感謝する必要はない。
ただ、自国利益にかなう政策を取ってることは見習ってよい。
949白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/21(日) 23:43:35
>>947
蒋介石の件は浅学すぎる、云うて具体的な反論がなあじゃないか。
どこが浅学なんか具体的に書けぇや。
>>948
日本は、「軍票」を現地民に押し付け、「軍票」は当然無価値になって
支払いはせんかったけど。つまり現地略奪の取り逃げしたわけじゃ。
従軍慰安婦にも「軍票」が無価値じゃけぇ支払うとらんのう。
ほいで日本の外務省が昔の資産を要求した云うんはどがいな資料か
提示せにゃあ。中国の短期的利益たぁどがいなもんかも提示しとらん
じゃないか。中国に感謝するんは戦後の日本人に対する寛大な処置に
ついてじゃ。まあ、悪質な憲兵の連中まで寛大な処置はせんかったけど。
950日本@名無史さん:2008/12/22(月) 00:41:40
感謝するのは戦後の寛大な日本人に対して中国人がの間違いではないか。
軍票の押し付けをしようが物価統制まで踏み込まないと曲がりなりにも
貨幣であるのだから信用にたる裏づけがないと流通はしない。
インフレ等の物価変動が起こったということは結局は流通できなかったことを物語る。
つまり「押し付ける」ことができなかったといことだ。
短期的とは単に日本の対外資産との引き換えであったということだ。
演出とはどういったものかは知らないが、日本に好意を持ってもらおうなどという呆けたものではない。
帰属意識が念仏教にしかない呆けにいってもしょうがないか。
システムに寄生するだけでシステムを作っている意識もなければ作ろうともしない人間には。
江戸時代から変わってない。
なるほど、これでは民主主義は根付かないね。
951日本@名無史さん:2008/12/22(月) 05:37:32
>>950しかし国府軍は日本の軍民の帰国には最大限の便宜をはかってくれたんだよ。 

まぁ蒋氏もボランティアではないから、中華の大度を日本や世界に示し、あるいは将来、再び立ち上がってくるであろう、日本民族に対して道義的に貸しをつくって置こうとゆう思惑もあったんじゃないか?! 


第三国(韓国)はともかくあの時日本は国府を含んだ連合国に(無条件降伏)したわけだから資産云々はしょうがないだろう…

また同じく色々思惑があったにせよ、ソ英が我が皇室を廃止せんと目論んだのに反対してくれたのには、素直に感謝せないかんと思う。 (¨
952日本@名無史さん :2008/12/22(月) 23:28:39
白馬青牛よ、他人に具体的に書けと言っておきながら、お前は自分の
先祖のことすらきちんと書けない。お前の家系が東国武者の子孫だという
証拠を具体的に書けよ。書けないのなら、やっぱりお前は世間の評判通りの
大嘘つきの証明になるな。事実なら、早く汚名を晴らせよ。自分の言ったこ
とには責任を持てるだろう。期待してるぜ。
953白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/23(火) 23:53:42
>>950
降伏した側の日本人が寛大たぁどがいなことなら?
無価値に等しい軍票が信頼されとるわけあるまい。結局日本軍による
現地物資の略奪じや。最後の略奪に頼るシステムに寄生した日本人は
江戸時代から変わっとらんし民主主義も根付かんのは同意。
戦略も戦国時代の延長で、軍隊制度も近代軍隊じゃない。
兵卒は足軽、小者扱いじゃけぇのう。
>>951
日本人の軍人恩給を貰う連中に比べ、朝鮮人慰安婦(日本人慰安婦や
中国人慰安婦も含め)は前線で流れ弾に当って死んでも消耗品扱い
じゃけぇ、これも残酷よのう。
954日本@名無史さん:2008/12/24(水) 00:29:19
=゚ω゚) 民間人が流れ弾に当たって恩給貰えるわけねーじゃん。

>現地物資の略奪じや。

=゚ω゚) 智将は務めて敵に食む。
敵の一鍾を食むは吾が二十鍾に当たり、一石は吾が二十石に当たる。
(孫子の兵法)
と、隣の大国が言っておりますが。
955コスメティック727:2008/12/24(水) 08:12:25
マンションはサーパス
956日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:23:35
>>946三別抄と江南の蛮子の日本移住に就いてはなるほどですが、倭寇の肇めは、元寇でヒドイメに遭った対馬、壱岐、五島の「三島」の人々ですよ。 

倭寇のきっかけが、元寇への復讐であることは、李朝や清の学者も書いています。ただし後には朝鮮や明の沿岸民も参入してきて、真倭は十の三という感じになったようですが…

国の肇めは筑紫の日向の高千穂、鉄砲の肇めは種子島、倭寇の肇めは壱岐対馬、パンチパーマの肇めは北九州です。    (¨#
957白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/25(木) 23:48:10
>>954
官尊民卑の国じゃけぇのう、日本も。敵に食むんでも広島39Dの防御戦の
ように占領地の住民が進んで食量を提供して場合もあるが、隣の国の
八路軍は、国民党軍や日本軍と違い強奪せんかったけぇのう。
>>955
済州島人や朝鮮半島の賤民が倭寇になったんは、14世紀倭寇前期でしょう。
958穴吹工務店:2008/12/26(金) 01:06:31
コスメティック
 7 2 7
959日本@名無史さん:2008/12/27(土) 21:30:33
白馬の東国武者の子孫という話は、具体的な証拠が出ない以上、ただの
ヨタ話と言うことだね。
960日本@名無史さん:2008/12/29(月) 12:58:50
白馬青筋の大嘘つきは自分で東国武者の血を引くと言っておきながら、
都合が悪くなると、ただ逃げるのみ。
こいつほど嘘つきで、卑怯な奴はいないだろう。
最低!
961日本@名無史さん:2008/12/30(火) 07:12:25
さぁ明日は大晦日!(¨♪芋焼酎最高(¨〃
962白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/31(水) 00:10:05
>>959-960
何回も同じ言を繰り返すのう。答えはわしに直接会う以外にない。
まあ、そん時はわしに対する今までの無礼な言のお礼はさせてもらわにゃあ
いけまぁで。
>>961
芋焼酎最高ですのう。今日も飲んだが白波の6対4のお湯割りは美味しい。
じゃが値段の高いプレミア芋焼酎は、芋焼酎の個性を殺したようで、
大して美味うない。値段の安い方が余程美味いのう。
素材を生かす料理との相性もええ。
963日本@名無史さん:2008/12/31(水) 01:29:26
>パンチパーマの肇めは北九州です。    (¨#

=゚ω゚) いや、パンチ佐藤の始めは神奈川っす。
964日本@名無史さん:2008/12/31(水) 08:50:34
白馬鹿青筋がまた屁理屈をこねている。
こいつの嘘つきだけは一生直らないだろう。
お前の存在自体が無礼じゃないのか。
悔しかったら、お前さん得意の具体的証拠を早く出せよ。
965日本@名無史さん:2008/12/31(水) 10:35:12
>>962さすが師匠!「ロクヨン」最もベーシックにしてまた滋味香る飲み方です。このお湯割りに、機会があったらきびなごの刺身や地鶏の炭火焼き(ガスコンロでOK)をアテてみてください。西南の味がしますよ(¨〃 
<<963すごい返しですね。降参です  (¨*
966日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:03:26
7 2 7
コスメティック
967日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:31:19
またコスメティックの看板が!
もうすぐ広島に着くよ〜
968日本@名無史さん:2008/12/31(水) 21:44:18
>>964 白馬のような馬鹿に関わってもろくなことがないぜ。
今の世で、先祖自慢をする奴も馬鹿だが、自分で自慢しといて、
証拠も出せないなんて、白馬青牛とやらは単なる狂ったお馬鹿だろう。


   
969白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/12/31(水) 22:57:01
>>965
今日も白波6にお湯4で飲んどりますよ。肴は鶏の手羽で。
実に美味しい。最初は夏から残っとった伊佐美は今一つじゃが、
次に白波、焼き芋焼酎諸白を交互に飲み、手羽の魚焼きグリルで
焼いて塩味だけで、食べとります。黒胡椒なんか余計な味は
必要ないけぇ塩味だけで充分ですわ。あとは年越しソバで
晦日のソバは山の獣と広島の県北で云いますが、鶏肉でダシを
採ることにします。
芋臭さのある焼酎と小魚の相性もええし、年末年始は芋焼酎で
過ごすことになりそうです。冷凍しとる猪肉は日本酒と合うが
芋焼酎と合わせても美味い。新年の明日は赤ナマコを麦焼酎に
合わせ、地元の日本酒をコノワタを楽しみ、日本酒か芋焼酎で
猪肉で喰う予定です。
ほいで、皆さんの来年のご多幸をお祈りします。>>964-968の馬鹿
たれに対しても。
今年のフィナーレも芋焼酎になりそうなわい。
970日本@名無史さん:2009/01/01(木) 00:15:02
=゚ω゚)ノ 牛年おめ!

初スレを 見れば年越しの 酔っぱらい。
971日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:07:58
白馬青牛という「嘘つき」で「卑怯者」の害虫は今年も蔓延るのか。
害虫を駆除するのは難しい。
972日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:16:56
後三年の役に興味があります。特に鎌倉源五郎影政のことや、大庭、梶原
等の鎌倉党の情報をお知らせください。
坂東武者の本題に戻ってください。

973日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:05:35
こっちは刺身と赤霧です(>_<)
974日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:03:30
いやあ、師匠!甘口辛口色々飲んでるんですね。手羽もいいですね。塩味だけで素材の味をいかすところはさすが西日本的です。猪肉に赤海鼠このわたと、山の幸、海の幸。広島は瀬戸内もあり山もあり、食べ物がうまそうですね。

晦日の蕎麦は山の獸、各地各様の食文化は大切ですよね (¨♪ 


あけおめです 本年も師匠の名調子を期待しております (¨〃


975日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:17:04
温帯!今宵は夜の街に繰り出し今は四軒目、単独行動に移り韓国パブでマッコリを飲んでおります。やはりアガシ達のうわべとは裏腹な反日を感じつつも、日本は正義の国と説教してはおります(¨♪ 
しかしやはり韓国の女性はキムチ臭い…
976日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:25:41
熱いのです。日本女性とは明らかに風味が違う…  モンゴルの美形の娘とは一度未遂に終わりましたが、キスの味も体の匂いも強烈なチーズとゆうか、畜産の臭いがしたのです。そこに萌えるわしはやはり変態なのでしょうか(¨;
977日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:24:28
温帯!それともう一つ、黒霧も試してみてください。赤霧云々の小僧もおりましたが、やはり黒麹のキレのなかに芋ならではの甘味を含む黒霧は吉川小早川を軽く蹴散らす西南の釣り野伏せであります(¨〃
978白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/01/03(土) 21:45:05
>>975-976
日本は正義の国じゃあ、わしゃあアジアの人たちにのうのうと云えません。
最近の日本人の自惚れ史観は、他民族侮蔑と傲慢ですけんのう。
日本人は明治の始め〜日露戦争後の40年間あたりまでは謙虚でしたが、
大国となった途端、自国を美化する自惚れ史観から傲慢になり、
戦後も40年間は謙虚であったが、バブル期前後から自惚れが出て来て、
今やネット右翼を中心に広がっとることにゃあ危惧しますよ。
日本人は自分の国は三等国程度と思うくらいが調度ええ。事大主義の
日本の自信は、傲慢と他民族侮蔑で上下関係だけで威張るか諂うしか
ない奴隷根性があります。戦後の発展も年功、終身雇用制の現場団結主義で
旧軍の長の部分の遺産も他国の圧力があったにしても自らが壊し自滅と
云うべきものです。
まあ、韓国人もネット右翼並みに自国、自民族に自惚れ妄想史観が強い
ゆえ、似た気質同士の九州人と韓国人が、パブでウリナラ・マンセー合戦
しよる処を想像するとほほえましい。
体の匂い云うても、韓国人もモンゴル人も北東アジア系は体臭自体は
匂わん人種ですけんのう。匂いを嗅いで食を楽しむんなら、
パブのアガシらの股の間の陰部へ刺身を付けたらええですよ。
塩味が利いて美味しく食べられます。醤油なんか要りません。明治期の
道楽者も女性の陰部の塩気で食を楽しんでおったようですから。
979白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/01/03(土) 22:08:01
>>977
黒霧は、外食で飲む程度ですよ。黒麹の芋焼酎は、キレは良いが、
お湯割りにしたら深みがない。ロックか水割りの方がええでしょう。
わしゃあ芋焼酎のお湯割りは、白麹のレギュラーがほとんどです。
昨日から飲んどる「さつま木挽」もレギュラーですし、黒麹の
ものより余程ええ。「七夕」も黒よりもレギュラーですよ。
「白波」もそうです。黒白波は夏場に飲む程度です。
釣り野伏せり戦法に釣られるほどの芋焼酎初心者でもないですし、
「白波」は学生時代から愛飲しとります。
芋と魚を主食にして、芋密造焼酎から芋臭い焼酎を好む瀬戸内の
人間を侮ってはなりません。
980日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:06:16
いやぁ、お恥ずかしい(¨汗、一昨夜はしたたか酔っておりました。彼女達とのウリナラ合戦は、その後、フィギァスケートやサッカー、ハンサム談義等にも及び、多勢に無勢ながらイーブンに持ち込みました。

たしかに国も人も、傲慢はいかんですね。さりとて、卑屈になってもいかん。「中庸」が大切かと思います。これがまた難しいいんですよね(¨…

なるほどキレのある黒は、夏場、ロックか水割り、 お湯割りは白麹。昨日今日の芋じょう飲みではないわけですね。ものによってはお湯割りでも旨い黒もあるかと思いますが好みはそれぞれ。

これからもご愛飲ください(¨〃
981日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:23:16
>>小僧呼ばわりすまん!霧島は他に金霧、奥霧もあるよ(¨〃
982日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:23:36
>>973小僧呼ばわりすまん!霧島は他に金霧、奥霧もあるよ(¨〃
983日本@名無史さん:2009/01/04(日) 11:33:13
赤霧が好きだな
984日本@名無史さん:2009/01/04(日) 11:43:21
坂東武者は麦焼酎しか飲みません
985日本@名無史さん:2009/01/04(日) 11:45:36
坂東武士が西国へ地頭として赴き、たちまち周辺の豪族を滅ぼし勢力を拡大していったのは事実。
坂東武士にとって周辺の豪族を滅ぼすのに理由は要らない。
自分の土地を守れない弱いやつは殺されて当たり前が坂東武者の理論。
986日本@名無史さん:2009/01/04(日) 12:18:42
梵下や非御家人に領地を質に取られたり
地頭職を奪われたり
987 ◆26IT/WpOkg :2009/01/04(日) 12:21:40
『蒙古襲来』P43(海津一朗著、1998)

殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鶏・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
988埋 ◆26IT/WpOkg :2009/01/04(日) 12:41:57
『蒙古襲来』P43(海津一朗著、1998)

殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鵜・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
989白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/01/04(日) 23:05:59
>>980
スポーツの話題なら互角としハンサム談義なら日本側に分が悪りいです
けんのう。「中庸」は難しいけど、自民族に期待値から希望的観測を
持たんことが肝要でしょう。
>>985
板東武士は地頭として赴いても、現地豪族を滅ぼし勢力を拡大していった
事実なんかないよ。現地豪族らの婚姻などの協力関係がないと、
現地を統治出来ん。
>弱いやつは殺されて当たり前 たぁ、関東人らしい論理。
近代関東兵団も自部隊の教育で、弱兵の初年兵を意気地がないという
理由で、営庭へひきずり出して木銃で叩く等の陰湿な教育で殺したけん
のう。関東兵団出身の伊藤桂一氏は弁護して、「残酷であるーと思われる
かも知れない。しかし、一歩駐屯地を出ると、そこでの状況は更に残酷で
あった。どっちみち、初年兵をいたわって教育してみても、戦闘へ出せば、
みるまに死んでゆくことを、古参兵は知っていたのである。何度補充を
もらっても、死ぬのは初年兵ばかりで、生き残った者だけが精鋭としての
道をたどる。そのような初年兵は、少々の教育では絶対に音をあげない
のである。弱者必滅の深刻な真理だけがそこにあった。すさまじい自然淘汰
なのである。そうした自然淘汰から、常に巧みに身をかわしてきた古参兵は
強かった。それでなければ剽悍な中共兵とは戦えない。」と、云われるが
なんぼ全国中虚弱な弱兵地域で知られる関東地方の兵隊でも、出来んもんは
見切りをつけて殺すんなら、最初から激戦地に送ることはない。
生き残って精鋭の道をたどった兵士達ですら、戦闘では中共兵の方が
一枚も上手で、例えば姫路第百十師団のような敵軍から畏怖される精強な
部隊にもならんかったのに。関東は左翼の内ゲバや新撰組のように
内部粛清が好きじゃのう。弱兵の関東の残酷さを発揮した事例じゃ。
990白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/01/04(日) 23:28:00
>>987-988
近畿地方の西行に事大して、騎射技術の乏しい関東武士、播磨悪党に
負けるべくして負けた程度よ。高麗に出兵しても、蒙古軍が騎馬戦闘
を取ったら、蒙古式の騎馬釣り野伏せり戦法の迂回殲滅作戦に
大敗するんがオチじゃ。蒙古襲来の時でも、河野氏ら西国武士の
活躍じゃけんのう。
しかも降人を殺す関東武士は狩猟民の道徳にも乏しい。
「病獣や傷ける獣を見逃す」ことがツングース人等、狩猟民の道徳
じゃ。関東の旅行者殺害習俗は農耕民的じゃのう。
991梅 ◆26IT/WpOkg :2009/01/04(日) 23:57:22
>>989
武士発生論でも婚姻の重要さを認めりゃいいのに
素直じゃないなあ

明日双方勝てば皆実usiと=゚ω゚)の対決になるのか
鹿島の方は明日で終わりっぽいが
992アテルイ ◆26IT/WpOkg :2009/01/05(月) 00:16:20
お遊戯武芸
静止射の流鏑馬どころか、実際は歩射の射手までもが不足していた貴族武芸だからなあ

▽源為義(保元物語)
朝家の御守にて候へば、君の心憎い思い召さるるは理にて侍れども、
我と手を下したる合戦いまだ仕らず(笑)
合戦の道無調練なる上、齢七旬に及び候間、物の用にも立ち難く候(笑)

▽源頼光(今昔物語)
若ク候ヒシ時、自然ヲ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
993うめ ◆26IT/WpOkg :2009/01/05(月) 00:23:41
▽保元物語(半井本)
(為朝)「清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ」
(為義)「合戦ノ道ニ調練不仕シテ、不案内ニ候ナリ」
(為義)「嫡子ニテ候義朝ハ、坂東ソダチノモノニテ候間、弓矢ノ道奥義を極タル上、付随所ノ郎等、皆関東ノ兵者共也」

▽『続日本紀』 大宰府の上言
(天平宝字3年3月=759年)
東国の防人を罷(や)めしより、辺戍(へんじゅう)日に荒散せり。
如(も)し慮(おも)はぬ表(ほか)に、万一変有らば何を以(もち)てか卒に応へ、何を以てか威を示さむ。

(天平神護2年2月=766年)
賊を防ぎ辺を戍るは、本より東国の軍に資れり。衆を恃み威を宣ぶるは、是れ筑紫の兵のみに非ず。
人勇健に非ずは、防守済し難し。望み請わくは、東国の防人旧に依りて戍に配せむことを。

【吾妻鏡】
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
八男弓を引かんと欲す。
景能(大庭)潛かにおもへらく。
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
994日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:45:28
>降人を殺す関東武士は狩猟民の道徳にも乏しい。

=゚ω゚) 平忠常は源頼信に降伏したけえ、
ほんの「ちょいと」ばかり長生きできたけえのう。
まあ、ホントに病死かどうかは知らんが
995楳 ◆26IT/WpOkg :2009/01/05(月) 01:00:25
上の方で出てる話
この前尾道行った時、赤い屋根の家がチラホラと

大名ども皆狩衣にて出仕したる、直垂着たる帯刀とやらんなど、思ひ思ひの姿ども珍しきに、
赤橋といふ所より将軍車より下りさせおはします折、
公卿・殿上人少々御供したる有様ぞ、あまりにいやしげにも物わびしげにも侍りし。
(とはずがたり 巻四)
996篠山丹三 ◆26IT/WpOkg :2009/01/05(月) 01:26:00
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997日本@名無史さん:2009/01/05(月) 01:54:08
無足御家人ですが何か?
998日本@名無史さん:2009/01/05(月) 18:49:06
それで?
999日本@名無史さん:2009/01/05(月) 19:49:30
=゚ω゚) 仮設避難所。

出身国別 最強兵卒はドコだ?? パートC
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1221328751/
1000日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:26:19
太田康資、太田康景、太田重正、太田資正
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