1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:46:43
2
きっつい配色やな
4 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:09:08
清和源氏一族が清原一族に見えてしかたありません
清原氏は平安時代に栄えた貴族だよね
その子孫はどうよ
6 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 13:12:01
夏目漱石
板垣退助
大隈重信
芥川龍之介
武田信玄
は清和源氏の子孫
7 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 14:31:13
かんむ平家だけど・・・
8 :
武蔵:2006/01/03(火) 14:53:32
俺は、足利源氏の子孫で尊氏の流れだ・・・
9 :
武蔵:2006/01/03(火) 14:55:57
みんな親戚どうしじゃん
10 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 14:56:58
平家の主な苗字が書いてあるサイトねぇの?
11 :
武蔵:2006/01/03(火) 14:58:09
みんな親戚じゃん
親戚どうし バンザイ!!
12 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 14:59:29
>>9平家も源氏もさかのぼれば同じ天皇の一族だから平家の子孫の自分もここにいるあんたらと親戚じゃん
13 :
武蔵:2006/01/03(火) 14:59:34
俺たちって0,1くらいの血がつながってんじゃん
14 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:00:28
よ、親戚
15 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:01:01
16 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:03:07
源氏 清和天皇
平氏 桓武天皇
だぞ >>15
17 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:05:30
18 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:07:09
うちの姓がないぞ?
我が一族は村八分ですか?
19 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:07:51
まーだいじょうぶ
もう終わったことだから
俺足利だから
義家のながれだから
20 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:09:54
ちなみにみんなどこ住み?
21 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:11:21
実は、うちの姓もないの(泣)
太刀があんのに・・・
足利一族の・・長刀もあるのに
22 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:11:58
中部地方
23 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:12:02
会津です
24 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:12:31
福島と新潟あたり
25 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:14:00
三重の紀伊半島
奈良の吉野に近い
26 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:15:04
27 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:15:07
会津ちか!!
阿賀町にすんでるよ
となりが会津だよ
28 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:16:54
>>1のところにない・・・
そーか祖母の先祖が、足利だった
29 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:17:55
会津といえば新撰組の礎の松平かたもりのいたところだ
新撰組ファンです
そろそろNHKで総集編するね^^
30 :
武蔵:2006/01/03(火) 15:21:37
こっちだって長岡藩の河合継之助が会津藩と協力したよ
31 :
武蔵:2006/01/03(火) 16:04:12
おーーーーい
親戚ーーーいるのか
32 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:16:47
石川 とか 林 ってのもこの一族なのね・・
33 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:18:39
34 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 13:52:28
島本姓の俺が来ましたよ。
35 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 00:19:32
岩松姓ですよっと。
俺は安房の里見の子孫だぁ。
38 :
真性清和源氏:2006/01/22(日) 12:38:01
あなた方の大半は嘘つきご先祖をお持ちだ。血は争えませぬな。
39 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:26:38
俺の名前は土岐って言うんだけど
40 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 22:54:12
41 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:02:08
>>40 ワァオ!来た?もしかして、徳川さん?であればうそつきよん。
42 :
40:2006/02/04(土) 22:45:32
正真正銘の清和源氏の子孫
代々の家紋も天皇家ユカリの桐紋
1000年前からその土地の大地主
医者、教師、学者のみを輩出してきた家系
〜のお殿様と呼ばれていた人物を曽祖父にもつ
43 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 14:18:53
>40, 42
多田神社(兵庫県川西市)の「清和源氏同族会」か
多田神社(東京都中野区)の「多田満仲同族会」に
入会されているのですか?
44 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:30:24
>>42 ってことは1000年前の昔から田舎者だったということでつね?
最高の名門ってこーゆー家のこと言うのか〜 羨ましいよ〜
高貴な御方には都は肌に合わなかったのでおじゃるな。
45 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:44:50
てゆうか
>>42は釣りだろう。
短い文章なのにツッコミどころ満載で
マジにツッコミ入れてたら疲れるだけだよ。
46 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:46:11
なんだか、教師とか医者とか学者が偉いと思っているらしいのが
かなりな田舎者だね
47 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:52:37
近江源氏の出らしいです。吾妻鏡とかにも祖先とされる人が出てます。
ちなみに、家は商人やってました。
代々の地をずっと支配してて、源氏の家だと明確に分かり今も続く家なんて存在するの?
武田の甲斐源氏はじめ、各地の源氏も新興勢力に食われてるんですが・・・
48 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:55:32
事実、田舎だからこそ名家が存続できる訳で
つか田舎から出られないよ直系は
都会に出ていった奴らは放逐されたカスだらけさ
49 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:56:27
源氏は骨肉相食む有名な内ゲバ氏族で1000年も同じところに
住めるかどうか疑問だな
中でも清和源氏は本当は陽成天皇、妊婦の腹を割いたので有名な天皇が
始まりだ 激しい血筋で同じところで1000年も住めるというと
まさに奇跡だな
50 :
157:2006/02/05(日) 19:09:18
>>44 1000年前は岡山は都会だったんだよ、江戸が出来る前から名家だもの。
>>46 別の言い方をすれば、商人がチヤホヤされ始めた時代(主に江戸時代)
よりはるか昔からその地方の庄屋として教育、警察、学問の総代として
代表を務めていたのが当家だ。
商人や金持ちの方が優れているとは思うが、代々家としての役割というものがあって
そうそう商売なんか始める事すら許されないのが清和源氏家系の我が家。
51 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:11:51
岡山だと赤松とか織田とか領主が変ってきてるよね。
それでも居られるっていうとよほど下か、乗り換え上手か・・・・
地を転々としながらも武士としてその役割をやってたのとは違うの?
それと清和源氏の家系だけど、よほど本家に近いか、神社系の特殊な家で無い限りそういう役割は保持できないよ。
近江源氏や摂津源氏はほとんどが商人や文化関係に移ってるし
52 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:45:20
神は遊行する
貴族に定職無し
侍はさすらうから侍
長年土着できたり、長年公務員などが勤まるのは百姓根性だから出来る技
身分高き者は、流浪する定めを持っている 流浪するから磨かれる
53 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 16:18:42
源義親という人は清和源氏なのか?
うちの家にある書物ではこの人が先祖に当たるらしいのだが…
54 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:53:28
そうだね。清和源氏だよ。
河内源氏だよね。清和源氏でも主流に近い。
55 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:18:21
源義光の末らしいが・・・範囲はどこまで?
56 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:23:48
甲斐源氏とか白河源氏とか近江源氏とか
ちょっと源氏大杉 いくつあんだか
57 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:25:36
荒川区源氏はないの?
58 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:32:05
関東に入ってる源氏っている?家康とか新しいの抜かして。
太田道灌や上杉は源氏だったよね?
鎌倉以前だと平氏ばかりだったと思うけど
59 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:37:35
平将門の乱で平氏が一掃されてからみんな自称源氏になったのか
くだらね
60 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:39:59
まあ もっと昔は荘園の荘官クラスがみんな藤原を自称したらしいが
61 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 01:26:24
62 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 02:44:42
>>59 将門の反乱(939)後も関東地方は平氏全盛だよ。百年後の平忠常の反乱(1028〜1031)で関東が再び戦乱になって源頼信(四天王)が討伐軍として関東に入国してからだね。
63 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 03:19:41
色々な源氏(清和源氏や武田源氏等)が在るのはわかったけど、源の姓を継いでる人っている?
64 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 03:41:04
>>58 関東に入った源氏:足利、新田、里見、佐竹。あと武田支流の真里谷も。
それと、上杉は藤原系だ。
65 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 07:02:26
>58-59上杉は藤原だろ
鎌倉御家人の大半は桓武平氏だろ!少しは勉強してからカキコ汁
66 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 07:08:18
>>66 居るだろうよ
超有名人が、君も知ってる筈だ
みなもと しずか
68 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 08:59:57
2823 源 * 1192 ゲン ハジメ ハジム
2823 源 * 1192 ミナモト ミナト モト モトシ
4016 十文字 735 ジュウモンジ トモジ トウモンジ ジュモンジ
4512 源田 616 ゲンダ ゲンタ モトダ ミナダ ヨシダ ゲタ
6832 源川 * 335 ゲンカワ ゲンガワ モトカワ
6832 源川 * 335 ミナガワ ミトカワ ミナカワ ミナトガワ ミナモトガ゙ワ ミナモトカワ
源は1900件くらい居るみたいね。読み方が「げん」「はじめ」っていう
読み方する家もあるみたい。
69 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 16:44:31
俺の妹のダンナ(義弟)の家は、多田神社(川西市)の同族会の一員です。
多田神社に一族の石碑も沢山たってますよ。
70 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 18:23:54
家康は、源氏じゃないでしょう。
徳川将軍は、源氏長者にはなってますが。。。
聖の末裔だとか。
便宜上ってヤツでしょうね。
71 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:55:08
姓は源氏、と言われるほど源氏の末裔は多い。
有名なのは、清和源氏ですがほとんど中央(朝廷)での出世は無い。
大方、地方官止まり。官位も低い。
源頼朝は、鎌倉幕府を開いた事になっているが、あれは中央ではない。
その意味では、
嵯峨源氏・宇多源氏・村上源氏のほうが遥かに中央での
栄達を極めていますが。
72 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:58:56
高野山奥の院の「源満仲(多田満仲)の墓を写真に撮ったら、
心霊写真になった。その後、霊に憑依された。
73 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 20:59:53
やっぱり、京都の六孫王神社に参拝してから語って下さいよ。
74 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:16:28
75 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 22:08:59
76 :
日本@名無史さん:2006/03/10(金) 23:27:05
77 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 12:35:13
地方官って?
県庁勤務程度?
78 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 13:16:21
79 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 14:33:05
久我ですがなにが
80 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 14:44:25
いや、県知事ではないだろう。
県警本部の刑事部長あたりかな。
81 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 14:51:01
土岐ー明智ー林でいいですか?先祖 石川県なんですけど??
82 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 02:52:43
83 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 11:35:15
>72
>高野山奥の院の「源満仲(多田満仲)」の墓
これって満仲の遺骨とか納められているのかな?
満仲の墓って複数あるけど、一番信頼できそうなのは
多田神社(兵庫県川西市)の満仲・頼光の廟所のような気がする。
84 :
河内渡辺党:2006/03/14(火) 14:40:52
私、嵯峨源氏の者ですが…。お呼びでない?失礼しますた。
85 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 16:49:04
age
86 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 18:13:42
若槻千夏
87 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 18:14:36
暗記科目屋って他の子音買え
88 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 22:07:21
89 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 22:50:35
名乗るのは勝手だけど周囲の人からは哀れみの目で見られるぞ
90 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 04:12:15
呼ばれたので来ました
91 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 21:20:07
集まったら何かあるの?
92 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 02:27:17
集まりが悪いな
93 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 02:41:01
♪ようこそここへ遊ぼうよパラダイス
94 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 13:40:06
多田源氏、能勢則義、到当!!!
95 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 20:01:14
>>86 うん、まぁ陸奥六郎義隆の子孫である可能性はあるか。
96 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:17:21
若槻なんていう苗字の人には出会ったことが無いんで
若槻千夏が清和源氏子孫の可能性はあるな。
97 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:28:43
今夜も来ました
98 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 07:06:36
若槻礼次郎ならそれはありそうだけどあの馬鹿にはそれはないと思う
明治時代になって地主様にあやかったんじゃないのか?
義隆殿…。
僧兵の矢に喉を貫かれて死に、子孫はあの能無しタレント…。
浮かばれぬ。
100 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 03:42:19
まじで子孫なの?
101 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 09:44:01
102 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 12:06:45
俺も、家系図ありのれっきとした清和源氏の子孫だけど若槻千夏に負けず劣らずの
馬鹿キャラ(周囲にも馬鹿だと思われている)だぞw
戦国時代なら命知らず(なぜか死ぬのが怖くない)で、相手をドンドンぶった切る勢いかも。
(そしでそんな勢いだけで、深慮が足りないところが馬鹿キャラだと思われているwww)
実際は、戦国時代にも商人だったり、貴族だったりした人のほうが、現在では賢い人って思われてるんじゃない?
103 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 13:25:06
清和源氏でも武士以外になったのはどうなのかな?
うちの先祖と言われてる人は、源平の合戦以降商人として土着したらしいのだが。
それに隠しだか知らんが、苗字もずっと伝えられてきてたらしく他の商人とは毛色が違うらしい。
そういうのでも子孫というのかな?
104 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 14:09:57
清和源氏だけど、源平合戦で敗れて農家になったよ。
庄屋様
農家だけど血筋だけなら徳川より、秀吉より上
105 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:35:14
久々に、源朝臣を名乗れる俺が来たけど寂れてるなー
106 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:49:27
>>101 これって凄く詳しいよね。
義隆の子供なんて頼隆しか知らなかったんだけど、
他の三人についての出典は何なのかな?
107 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 17:16:00
108 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:50:53
>>107 そこのHPに
>現在の社殿は、徳川四代将軍家綱公の再建に依るもので
と書いてあるから認めてるんでは?
109 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 08:48:30
>>108 って事は金さえ出せば多少怪しくても清和源氏として認められるわけね
110 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:33:35
宇多源氏や村上源氏の主流は、堂上公家つまり貴族として続いた。
村上源氏の嫡流で、室町時代まで源氏長者だった久我家は、摂関家に次ぐ
清華の家格だから公家のなかでも高位の家(明治に侯爵)。
清和源氏は誕生当初から大臣に昇る者も出ず、地位が低かった。
その主流の家系が幕府を開くも三代で断絶。ってことで以後の清和源氏
は、朝廷の家柄意識からするとどうでもいいような連中。貴族を出して
いないので信用できる記録も僅か、どれが嫡流なのかもはっきりしない。
清和源氏ほどいい加減な源氏も珍しい。だから自称も容易。
唯一、清和源氏の公家に竹内家(明治に子爵)というのがあるが、
もとは久我家(村上源氏)に仕える諸大夫つまり家臣の家で、
清和源氏の末裔かどうかは怪しいらしい。清和源氏というのは、
実在する家系というより、伝説により脚色された「武家の名門」を示す
ただの記号と化してる観がある。
111 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 13:39:06
でも、一応源氏だから、その辺の輩とは別格でしょう。
しかも、武家・貴族うんぬんは別にして、天皇の子孫で一番栄えた(量的に)
のは清和源氏でいいのでは?
天皇の子孫の中で生き残っていて繁栄している奴らの中で、一番位の高い家はどこか?
っていう考え方でよろしいのでは?
また、別の生物学的な考え方をすれば「天皇」っていういわばボスの子供が清和源氏、武家として
新たな自分を中心とする新興勢力を形成して自分がボスになったという見方も出来る。
例えば、武田信玄や新田、足利などは「小天皇」であり、「小天皇に付いている小貴族、小公家」みたいな
のがいる。小笠原藩 藩主 小笠原氏(清和源氏)のもとで代々藩医を勤めた宇野氏(清和源氏)などなど。
こう考えると、馬鹿みたく天皇にくっ付いている公家や貴族よりも自分が小さいながらも天皇を目指した
といえ、ある意味で生物学的にいえば優秀かもしれない。
(どんな優秀な野生の動物もボスざるの子供は親猿の集団に属そうとは思わないはず)
112 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:17:03
>>111 天皇の子孫で、永く存続して、一番位の高い家って天皇家でわ?当然だが。
それに近世の260年ほどの間、実質国王として振舞った徳川の場合、
言うまでも無く源氏とは無関係でしょ。自称してるだけで。一時期は
藤原氏を称していたらしいね。貴族としての格は藤原氏のが上だから。
それと朝廷の場合、形式的には天皇がボスでも、実質的支配者は藤原氏
だよ。貴族が絶対君主に従属する、という寄生に近い状態は、
むしろルイ14世時代のフランスの宮廷とかに当てはまる話。日本の場合、
天皇の生母も、摂政も、侍従などの取巻きも、殆んどが藤原氏だから、
平安中期以降、天皇は傀儡にならざるをえなかった。
113 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 18:38:08
だからこそ、逆に行って藤原氏の支配を受けない方向性を模索したのが
清和源氏なのでは?
藤原氏に支配された朝廷を捨て、自身の力で天下を取れる武士になったと。
ただし、徳川には勝てなかったと。
114 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 18:57:20
>>113 清和源氏に限らず、藤原氏の一人勝ち状態に嫌気がさしていた人間
は多かっただろう。朝廷内でも。
それはともかく、ニセ源氏の徳川は別にして、鎌倉・室町幕府の
源氏の将軍家はどれも悲惨な末路を辿っているな。武家という割り
には、ひ弱で薄幸なイメージが強い。
115 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 19:08:01
所詮、藤原氏には勝てない(金融の世界でユダヤ人が一人勝ちなように)
だからこそ、夢を見る、奇跡を起こしたいと行動に移す、、、がやはり
現実には勝てない→所詮世渡りが上手い奴が世の中を動かしてる。
源氏に限らず正攻法しか知らないような奴は、一時期成功を収めてもいつか失敗する。
まあ、だからこそドラマになるっつーか、絵になるつーわけで、庶民に源氏は大人気な訳だな。
少女マンガやドラマでもそうでしょ?
貧乏だけど優秀で才能があって、真面目で爽やかな医学部目指してる主人公(源氏的)と
大病院の息子で、性格悪くて、我侭で、でも親父のコネでやりたい放題の私立大医学部にコネ入学
ドラマでは前者の正統的な方が、勝ったり幸せになったりっていうストーリーだけど
現実は、やっぱり親が大病院の院長の方が強いわけで、コネには絶対勝てないわけで。
116 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 20:46:05
経基も満仲も摂関家の犬となったから
清和源氏はその後繁栄した。
117 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 03:17:21
こんな俺も清和源氏の姓を持つ。
誇りをもって生きていくぞ!
118 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 04:55:35
滋賀県出身で佐々木。
明治になるまで名字なかったくせに図々しいにもほどがある我が先祖。
って宇田源氏はスレ違いだった。
無料の饅頭、喰いばっか
源氏の子孫て何十万もいそうだな
俺の一族だけでもかなりいるぞ
特に甲斐源氏系列はやたら多い気がする…
121 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:37:28
中央アジアにはジンギスカンのY染色体を持つものが人口の8%いる。
正直支配階級が一夫多妻を繰り返すような社会では500年もすればY染色体はほとんど支配階級のものしか残らない。
正直今の相当多数は苗字から推測すると大多数は工員か藤原氏だろう。
122 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:42:28
清和源氏は20万人だよ。
源氏系や平氏系の地主は逆に子供を多く作らなかった。
なぜなら土地や財産が分散してしまうから。
うちも清和源氏系の大地主だったけど、貧乏農家が8人も9人も子供を作っていた
のに大して当家は1600年代から子供は二人〜三人
しかもなぜか男子が多い。
このようにして当家の土地は何百年も護られていた。
そういう意味で実に子孫は少ないと考えられる。
海外みたくやたらめったら子供を作る訳ではないのだ。
123 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:48:30
古代無姓の奴婢や部民の子孫はどこへ?
124 :
日本@名無史さん:2006/04/19(水) 23:55:20
>>122 そうでもないんだな。
そもそも鎌倉時代までは分割相続が常識だし。
で、庶民の苗字って案外古くて室町時代には発生していたんだけど、
それ以前は、古代的な姓を名乗っていた。
鎌倉異聞なんか見てみると、明らかに農民層なのにすでに源平藤原やそのた皇別のものが相当多数を占めている。
部姓などはむしろ少ない。やはり支配階級のY染色体の勢いが相当強かったというべきだろう。
現代の苗字でも佐藤や斉藤は実際藤原由来だろうし、源氏も非常に多いと思われる。
125 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:04:35
いや、「佐藤さん」が地主を勤めていた農民が「佐藤」を名乗っただけでしょ?
うちの家系図や、祖父やオヤジの行動を見てても「やたら滅多ら子孫を残す」って感じじゃないぞ。
「我が家はこの地域では名門であり、どこのどいつだか解らない馬の骨ともわからぬ娘とは格が違うのだ!!」
ってノリで、自分の尊い血がそこらへんの雑種と混じりあうのを本当に嫌っている感じだ。
支配者階級の遺伝子のばら撒きが頻繁に行われるっていうのは大陸的な狩猟民族的な発想だと思う。
日本の封建社会では寧ろ、貴種と雑種の線引きが明確にされており、それ程遺伝子の攪拌は行われていないと考えられる。
126 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:08:43
>>125 庶民の苗字が全国的にそのようにして作られたという証拠はないよ。
庶民もまた本来的に姓を持つ人間であり、土地野先祖伝来のものにしたがって苗字を名乗ったのであろう。
佐藤や斉藤は地名圧勝ではなく、実際佐藤流藤原氏なるがゆえに佐藤と名乗ったのだろう。
127 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:09:45
>>125 そもそもお前自分のわずか2代目の行動でそんな結論を出すのはナンセンス。
128 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:13:09
>日本の封建社会では寧ろ、貴種と雑種の線引きが明確にされており、それ程遺伝子の攪拌は行われていないと考えられる。
だからさあ、鎌倉遺文にでてくる農民の名前見てみろや。
ほとんどが支配階級と同じような姓名だぜ。この辺でお前の議論がすでに論破されている。
129 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:14:30
>>126 佐藤氏が地主をしていた土地の農民が佐藤と名乗ったっていうのは通説で有名な説だよ。
そもそもの地主の佐藤氏が、藤原氏の補佐をする人、、という意味で藤原氏とは関係ない場合もあるけれどね。
130 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:15:41
>>128 地主様の名前を有難く拝借した農民の方々が多かったのであろう
131 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:21:02
>>129 >>130 >>佐藤氏が地主をしていた土地の農民が佐藤と名乗ったっていうのは通説で有名な説だよ。
それが全国的に成立することを証拠づける古文書を提示してみろよ。
あんまりいかげんなこというなよ。ちょっと昔まで庶民の苗字は明治につくられてたという珍説が根拠なく信じられたんだから。
132 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:21:53
133 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:22:50
>>130 それだと同じ地域の農民なら全員同じ姓にならないとおかしいじゃん。
鎌倉遺文はそうなっていない。いい加減なこというな。
134 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:24:23
>>132 いいかげんだね。
庶民の苗字が明治にできたようなことかいてる。
だからちゃんとした古文書で証拠立ててみろよ。
135 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:25:30
>>133 農民は当時識字率も限りなくゼロに近かった。
紙すら貴重な時代に、文字を読み書きできる人はわずかだった。
したがって、地主の名前を拝借したり、お寺の住職に相談して相応しい名前をつけてもらったりした。
136 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:27:30
明治になってから苗字は出来たんじゃないのか?
137 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:27:48
前に数名言ってるけど、江戸時代といっても長いから一概に言えないんだよねw
特に、識字率は後期になればなるほど、商人との折衝のためなどで普及してる。
もちろん、前期や極貧の農村では余裕が無かったり、メリットが無いから0に近いけどね
138 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:29:23
>>135 残念ながら、その説は間違い。
戦後まもなく否定された珍説をいまだ信じている人がいるんだなww
もともと農民は姓を持っていて、武士の前では公称できなかっただけのこと。
漁民中浜万次郎も、桜惣五郎も江戸時代の侠客も、力士もみんな苗字持ってるじゃん。
139 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:35:03
農民や猟師が文字を読んだり書いたり出来るわけ無い。
よって農民が苗字をもっていた説は嘘だな。
早くとも江戸時代後期に「自称」した農民や猟師がいたくらいだ。
したがって、やはり大多数の庶民は苗字を持っていなかったと考える方が普通だ。
鎌倉時代の農民が「佐藤」なんて文字を書いたり読んだり出きると考える方がおかしい。
140 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:38:06
大体、紙ですら貴重で農民や庶民は買う事すら出来なかった。
戦前ですら田舎の農民は、鼻をかむ紙すら貴重で何度も乾かしながら使っていた。
紙おむつなんてのも貴重で、布だった。
そんな農民や庶民が一体何に文字を書いたのか?そして苗字を持ったのか?
江戸時代以前の農民の墓なんて、自分の家の文字もないよ、ただ石を載せただけ。
141 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:45:00
>>139 中央大学教授坂田聡『苗字と名前の歴史』吉川弘文館
43ページ
「近世の庶民が苗字を使用したという見解に疑いを挟む余地はなくなった」
さらに室町時代にも苗字が見られることを実証している。
お前の見解は完全に論破されている。
142 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:46:25
文字もかけない、よめない農民や庶民が「佐藤」「加藤」「斉藤」なんて書けるはずがない。
したがって、識字率が高くなってきた治期に苗字が出来てその結果佐藤や加藤、斉藤なんていう
苗字が全国一位や5位になったわけ。
したがって、清和源氏の珍しい苗字「武田」「雨宮」「米倉」「世良田」
なんていう苗字は農民が適当につけた名前ではなく由緒正しい家系という事を
証明する手がかりの一つとなり得る。
143 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:46:56
寺子屋の普及で教育率は世界に誇れるほどのだったんだが・・・
地方の古い寺など未だに学問を教えていた部屋とか残ってるよ。
>>140紙で練習するわけじゃなく、砂や灰で行うのが一番簡単な方法
また、書かなくても読めるってのが重要
そうでないと商人の言い値で買い叩かれるため。書類が残ってると訴えても負けるしね。
それに紙は貴重とは言え、かなり増産されてるから戦国期のように珍重されるものでもない。
美濃紙など商品物でなければ農家の副業で作ってる場合もあるしね
144 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:47:49
>>141 だからさ、一体農民はどこで漢字を覚えたんだよ。
加藤、佐藤、斉藤・・・こんな文字ひらがなすらろくに使いこなせない
農民がどうやって書いたり、読んだりした訳?
145 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:49:03
鎌倉時代の農民の名の例
清原守重・菅原末友・紀 安清・藤原清信・源貞明
これらの例から、農民が佐藤などと名乗るはずがないという意見がいかにばかばかしいかがわかる。
146 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:50:20
>>143 百歩譲って、江戸期後期の農民や庶民が苗字を持っていたとしよう。
田舎の農民や田舎の漁師は苗字持ってたの?東北の山奥の農村の村で佐藤姓が10%
を越すのはなぜ?
なんかピンと来ないんだよなー。そもそも小作農って寺子屋通うのか?
寺子屋って町人や商人の息子ってイメージだけど。
147 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:53:43
>>145 一体どこで字を覚えたのか?
農民が砂や灰で字を練習している姿がイマイチ想像できないんだが。
現代の普通の小学生ですら、漢字を覚えるのは大変な作業だというのに
学校も無い時代に、菅原 なんて漢字を書けるのかな〜?
148 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:59:37
>>147 あんたさあ。ほとんど文盲だった中国の農民は漢字の名前がなかったんでちゅか。
149 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 01:06:24
名前はあったとしても、苗字はあったのかなー。
なんか変なんだよなー。
武士と農民が同じような苗字と名前を持っていたなんて。
なんか腑に落ちないな。
明治期や江戸期後期になってやっと農民も苗字を持てた・・・識字率の上昇とともに
って考える方が自然だと思うが。
150 :
市民派護憲教師:2006/04/20(木) 01:08:34
151 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 01:10:42
源五郎 とか 介三郎 なんていう名前はあっても
菅原源五郎 なんていう農民がいるのかな・・・なんか変だ。
しかも、貧乏農民の「佐藤源五郎」が藤原氏の子孫だなんていう話も支離滅裂だ。
やはり、農民はあくまで農民であると考える方が普通で、日本で佐藤姓が一位なのも
苗字の無い農民が、佐藤 と名乗ったからであると考えたい。
152 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 02:22:04
>>142 じゃあ清和源氏の非常に珍しい苗字の俺は清和源氏確定かな。
律令制の時代に戸籍を作ったことでわかるように
姓名は支配階級が必要としたもの
被支配階級が読み書きができるかどうかは関係ない
154 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 11:11:29
対馬姓。源義親(為義の父)の子、義信の子孫らしい。
太宰治(あちらは津島姓)も同じと父から聞いたことがあるが
これはあやすい
155 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 11:36:47
生物学的に見ても血統主義は幻想。
日本人である限り、誰の子孫でもありうる。
貴族と部落民の血統による違いなどないと結論付ける。
唯一違うものがあるとすれば、貴族とそれ以外を分ける家柄の違いだけ。
日本はもう一度氏姓制度からやり直した方がいい。
その時は絶対に朝廷など作ってはならない。
156 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 11:05:34
157 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 09:19:47
>>155 日本は、古代以降は、血統ではなく家系を基本とした。
家系よりも血統を第一としたのは天皇家だけで、
他はどんな名家名門でも、血統より家系を基盤にしてきた。
血統と家系の違いに注意すること。
158 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 09:54:16
系図つーとぉ
桓武平氏貞盛流と九州藤原秀郷流につながりますでつが何か?
160 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:47:50
161 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 14:56:56
>>151 それが根拠がないんだよww
それどころか最近の研究では、「佐藤」さんの500年前の先祖も「佐藤」と名乗っていた可能性が高い。
鎌倉時代には普通に「藤原」姓だったのだろう。
162 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 15:01:53
>>149 中国の門網の農民も姓はありましたが何か?
南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。
あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/index.htm
>>149 みんな苗字はあったよ。江戸幕府が身分支配政策上名乗らせなかっただけ。
もちろん二百数十年なのらなかったために、忘れちゃった家もあって、
いわゆる明治新姓をつけた家もあるけど、数的には江戸以前からの苗字を
再称した事例が圧倒的に多い。
(読みは同じで字を変えたりとか、逆に字は同じで読みを変えたりした例も含まれる)
165 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 20:57:38
つか、識字率と苗字の有無を結びつけること自体がナンセンス
実際、かつては武士でもほとんど紋網だったらしい。
承久の乱のとき、官軍の宣旨を、鎌倉方の武士に読めるものがほとんどいなかったという有名な話がある。
もちろん鎌倉武士は立派な名前を持っていたが。
結局この当時の下級武士や農民は、たとえば「みうら、よしとき」とか、名前の読みのみを各自は自覚していて、
漢字で書くときは「三浦義時」とか「三浦良時」とか、適当に書いていたんだろうと思われる。
実際、かなり上級武士でも、漢字の表記はかなり自由だからね。
将門の父は良正とも良将ともいうし、系図上は別人になっているが本当は同一人物だろうという。
まあ良正は将門と戦った全くの別人。
良将と混同されてるのは良持だろ。
167 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 10:39:36
凄い事に気が付いた。
源氏の家系図を見ていくと、鎌倉幕府成立つまりは源平合戦終結後に
急速に苗字が増えている!!!
それまでは源、もしくは源から別の一個の名前を名乗ってる。
でも、鎌倉幕府成立時以降に急に兄弟で別の苗字名乗ったり、いろいろな苗字を
一族が名乗ったりしている!
ひょっとして源平合戦で源氏が勝たなかったら苗字ってここまで色々無かったのか?
もしくは、源氏=苗字、苗字=源氏なのでは?
俺は物凄い大発見をしてしまったかもしれない・・・・
父の田舎に同じ名前がたくさんある日本で3数百番目に多い苗字の俺は
清和源氏の末裔らしい。
や、田舎侍だったらしいんで、たぶんどっかから家系図チョッパってきたんでしょうがw
3数百→3千数百
170 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:52:35
ヒント 軍事貴族
171 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 17:52:53
及川も清和源氏で桶?
172 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 18:23:54
源氏の末裔は=天皇家の末裔でもあるの?
173 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 04:39:04
来てみました
あまり集まってないね・・・
174 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:52:33
もう
175 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:32:14
田中
>>171の及川だけど。
これしか来てないのかよw
177 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:29:54
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179 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 23:04:09
明治新姓
たまたま苗字が同じというだけで○○の子孫になってしまうんだねw
家の実家周辺は農家ばっかりだが、江戸時代の墓には名字が刻まれてるよ。(子供・女性を除く)
我が家は下級武士だったらしいのだが、周りの農家の方がずっと裕福。
明治期以降は、小作農になって今に至る・・・。
我が家の名字は清和源氏の流れ、足利幕府の管領家と同じです。
181 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 14:30:25
土岐源氏参上
182 :
総悟:2006/09/13(水) 22:50:35
頼朝公の子孫らしい。
183 :
総悟:2006/09/13(水) 22:53:29
将軍家かな?大叔父がいってたからな〜
184 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:26:08
みんななんちゃってだろw
母の実家は清和なんです。
どうなんでしょうか?
母の父は大蔵省勤務でした。
186 :
総司:2006/09/14(木) 22:44:56
将軍家でしょ
187 :
総司:2006/09/14(木) 22:49:35
我の子孫は源氏であり徳川家に仕えていたらしい
188 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:11:33
非人としてつかえていたんだろ
189 :
総司:2006/09/16(土) 17:47:43
苗字将軍からもらったらしい
ほんとは陽成源氏なんでしょ
うちは落武者で帰農
一体が同じ名前で親戚多い
191 :
総司:2006/09/17(日) 15:56:08
まあ将軍家でも陽成源氏でも源氏ならいいけどね
親戚発見(・∀・)人(・∀・)
記念パピコ
193 :
総司:2006/10/03(火) 21:09:47
誰と?
194 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 02:42:24
うちは武田の支流だ
195 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 03:11:13
うちもそうだ
196 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 04:15:36
うちは武田信満の三男を祖とする家系らしいです
197 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 04:31:35
うちは信広の子孫
うちは源三位頼政の子孫。
そして本物の直系子孫はこのスレにはいなかったとさ
200 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 03:37:25
うちは武田の家臣の子孫らしいです。
201 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 04:31:20
>>200 俺は武田の子孫だから、お前は俺の家来な。
202 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 04:24:24
203 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 04:33:06
>>202 徳川幕府では譜代の家老だったからお前も使ってやるよ。
205 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 05:46:02
足利〜斯波〜大崎〜我家
206 :
日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:40:20
>>204 俺は織田の子孫だからお前はパシリ決定。
うちは俺で分家してから18代目、
初代は、嫁さんもらって独立したが、急逝、
このままでは家が無くなるので、よそから婿を迎えて家名存続。。。
この時点で、血脈は途絶えているわけだが、
昔は家名の方が大事だったんだろうな。
本家は都会へ出て行き、俺もまた。。。
>>207 歴史の長い家で血脈がきっちり続いてる家のほうが少ないかも
うちも思いっきり養子取りまくり
婿養子だったり一族からの養子だったり他家からの養子だったり。
けどまあ、家なんてそんなもんだ。
DNAで平安あたりの祖先と現代の子孫を解析したら
繋がってる家って数パーセント位しかないんじゃないかと思うよ。
都会へ出て行くって事は過疎化で食えなくなったってパターンかな
都会は厳しいが、がんがって嫁もらって子孫残せよw
うちは義光流甲斐源氏。いまのとここのスレではいないっぽいか
しかし200万の子孫がいるってのはすごいな
清和天皇一人から200万・・・G並み orz
211 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 04:18:49
はげ
200万人もいるならあんま値打ちないなw
213 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:33:36
>>190 :日本@名無史さん :2006/09/17(日) 03:50:52
>ほんとは陽成源氏なんでしょ
それは最近、否定されているよ。
源経基が元平親王の子供というのは年齢的に無理があるし、
源経基が六孫王と言われていたのは、彼が貞純親王(清和天皇の第6皇子)の子供だったから。
また、この当時は兄弟で名前に同じ漢字を使う傾向にあるが
貞純親王の子供たちには、経○を使っていたことが分かっている。
元平親王の子供には、兼○を使っていたとか。
どうも、家系(所領)を受け継いだというのは本当のところだろう。
あと源氏爵の問題がからんでいるらしい。
これで、清和天皇の孫(源経忠)と陽成源氏の息子(元平親王)が
行動を共にして、無実?で罰せられたとか。
で、詳しくは↓
赤坂恒明 「 世ノ所謂清和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考
── 源朝臣経基の出自をめぐつて ── 」 『聖学院大学総合研究所紀要』
http://www.geocities.jp/akasakatsuneaki/seiwa/seiwa.html
214 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 17:36:42
>>212 :日本@名無史さん :2006/11/03(金) 19:32:23
>200万人もいるならあんま値打ちないなw
その大半が偽証だろう?徳川家などの戦国期移行の大名だけじゃなくて
土岐氏のような鎌倉期移行の武家でも疑わしいらしい。
確実なのは、足利流で明確なところ(細川、今川、吉良)とか
武田流で明確なのくらい。
215 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:05:18
うんこ先祖、拝む、おがむ、拝み、
さらにまた、うんこに輪廻する呆庵
人のこととやかくいえない存在で妄想蚊
俺の先祖は丹波出身の源氏の郎党だから、最初っから源氏じゃない。
おまえ等の家臣です。 こんな俺で良ければどうぞ使ってやって下さい。
217 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:58:47
岩崎氏が清和源氏ってのは本当なんだろうか。
木曽流らしいが、なんか戦国時代の木曽氏の話「実は義高は生きていた」
ってのとゴッチャになっているような気がする。
おっと、上州の佐野氏の家臣の岩崎氏の事です。
218 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 11:23:35
>>217 木曾氏は、藤原氏を名乗っていたのが
偽証したというのが本当のところ。
清和源氏で確実なのは、成立当初から常に
朝廷と連絡・行き来していた
足利流と武田流くらい。
219 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 11:44:41
父方が足利で母方が武田の俺は勝ち組
220 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 11:46:31
おお、そうでしたか。ま、そんなとこだと思ってました。
そう言えば、その武田氏も、信縄(だったと思う。手元に資料が
ないので間違えてたならすみません。)以後はあやしい、次の当
主との間に直接の血縁関係がない、みたいな話を「歴史と旅」か
なんかで昔見た記憶がありますが、そこら辺の説は今、どうなっ
ているんでしょう。
221 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:19:08
222 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:20:26
摂津系の頼光の後胤を自称する家は
確かなことは分からないんだよね。
美濃源氏の土岐氏ですら確実とは言えないらしい。
土岐氏ってへたれっぷりが何か源氏っぽい
後に斉藤道三に乗っ取られるとこなんか。
224 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 03:29:56
土岐氏は一応、清和源氏じゃないか?
わりと初期の段階でも、同族の義家らと一緒に
源氏爵を受けていたり、
また、検非違使に任じられたり
保元・平治の乱にも清和源氏の一族として参戦したり
初期の行動も曖昧と言いながら、該当人物の任官も
記録に残っているし...
美濃の土着豪族と関係が深くて、何らか受け継ぐ形になったみたいだが
一応、河内源氏の連中と共に、朝廷での任官を受けている。
土岐は確かに大丈夫だ。室町時代に見える明智もオーケー。
ただ、光秀は怪しい。
226 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 11:30:37
金井 なんだけど、在日が通り名に採用する苗字で上位になっているんだよな。許せん!
228 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:19:21
岩手出身の斯波参上!
源氏も平氏も藤原氏も、現代ではみんな混血してますけど何か。
「私は源氏、平氏、藤原氏、どの血も混ざっていない」という人のほうが珍しい。
スレタイは清和源氏一族の姓の者集まれ!であって
清和源氏の血が混じってる者集まれ!ではありませんが何か。
俺は
>>1の図に自分の名前があるのだが、親戚や親から源氏の一族だとか、聞いたことが無い。
どういう家系なのかすら聞いたことが無いし、家系図も存在しているのかさえ分からない。家紋も源氏とは関係なそうだし。。。
やはり俺は源氏の一族ではないのだろうか・・・
自分が源氏の一族だったらイイのになぁ、と思っていたので
>>1の図で名前を見つけたときは嬉しかったのだがm(__)m
本家の蔵でも探して証拠探しておいで。
しっかりした裏づけがあったら自信もてるだろ。
233 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 17:25:59
清和源氏姓の苗字って多すぎるだろ!?
常識で考えて・・・有難みがない。
234 :
日本@名無史さん:2006/12/08(金) 17:31:09
きてみた。
集まっていったい何をするんでつか?
わたしホソカワですが、仲間に入れてもらえますか?
237 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:56:09
そういや佐竹って在チョンがいた
239 :
魔王:2006/12/11(月) 22:46:51
勝(すぐる)って源氏??
村主(すぐり)がもとで朝鮮系
241 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 01:43:59
佐竹の名でもかなり前から九州が地元の親戚がいる…
>>239 大和・摂津の勝・・・百済系(姓氏録)
美濃の勝、出雲の勝部
武蔵の勝呂・・・平姓村山党
幕臣の勝・・・本多氏族
243 :
魔王:2006/12/12(火) 18:33:20
俺んちのばあちゃんもとのみよじ勝(すぐる)だからさあ・・・。どこの氏族だー!?
244 :
日本@名無史さん:2006/12/12(火) 18:39:31
勝新太郎
245 :
魔王:2006/12/12(火) 20:24:02
だれそれ?マィ先祖??
246 :
魔王:2006/12/12(火) 21:21:12
演歌歌手やん!
中村玉緒の旦那だよ
ハワイでパンツの中に覚せい剤入れてつかまってた。
こいつの愛人が公家出身の芸者
248 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 21:44:42
1のせいでウイルスにかかった…。
ウイルス対策してるのに。
249 :
日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:29:04
源 義綱が祖先の人はいるかい?
家にある家計図見ると、兄弟五・六人の内生き残ったの
たった二人みたいなんだよね
家系図信じちゃいけません
買い取ったとか偽造がほとんど
家は長曽我部に攻められて滅んだ三好の庶流、三好と言えば小笠原の流れ、
清和源氏を名乗ってもええですか?
一族の姓の者スレだから姓が同じなら別にいいんじゃないか
250万もいるし、まったく無関係でも姓が同じなら仮冒してもわからんしな
253 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:02:45
>>239 毛利元就に討たれた渡辺勝がいる
つーか嵯峨源氏じゃんw
254 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:08:40
>>213 どうやら経基は貞純親王の実子ではあるが
後に従兄の元平親王の養子になったことになってるらしい。
255 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 06:34:25
ややこしいなあ。
母方が清和源氏で家紋は桐で田舎出身。
父方は関東の農民だったみたい、というか詳しくは教えてもらってない。
分家の分家。家紋は剣かたばみ。
257 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 10:27:57
>>256 それは詳しく教えてもらっていないのではなくて、
語るべき何ものをも持たないという意味。
258 :
256:2007/02/24(土) 15:37:35
そんなかんじだな。
親父も過去帳の補完というか調べようとして一時寺とか廻ってたけど、
すぐに興味がお寺自体にシフトして
なんだかアチコチのお寺の仏像だのお地蔵さんを見る旅行に変わった。
趣味と教養が広がっていいじゃないか
俺は山崎だが、果たして清和源氏一族の子孫なのだろうか・・・。
会津若松や米沢、松本、金沢などの武家街の多田とか武田にはホンモノがいるとか?
あとTDNも清和家系なのかアッー!
多田野数人って見るからに多田系だし。
263 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 18:45:44
明治になって有名氏族と同じ名字をつけただけって家は多いけどな
アッーは戦国時代でも現代でもアッーってことでネタとしては面白いが
265 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 01:02:41
「アーッ」じゃないんですか?
266 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 02:43:53
アッー!
だな
267 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 04:04:59
野が付くのは賤民ではないか。
268 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 07:10:02
269 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 08:47:50
明治新姓だろ ここの住人って
270 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 09:26:48
義光流波木井です。
271 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 03:16:19
東北某県の新羅三郎流の藩の家老家の生まれで、家は藩主一門だけどあまりいいことはないよ。屋敷維持するのに汲汲としたりで。北海道に移った分家の方が成功してたりするし…
272 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 15:15:28
清和源氏
じゃなくて、姓は源氏と言うのが正解じゃないの?
清和天皇はとても怪しい逸話の持ち主だよな。この人の孫に貞純親王という人がいて、
この貞純親王の子が源姓を賜った最初にされているんだろ。しかし、その源姓の王(親王の子は王になる)は、
親父より年上だったそうじゃないか?
怪しい話だね。
273 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 16:51:02
>>272 それは貞純親王・経基王父子のことではなくて、経基と満仲「父子」のことでは?俺もこれは怪しいと思ってる。記録によると息子の多田満仲の方が数十歳も年長なんじゃなかったかな。
274 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 11:26:27
>>272 >「姓は源氏」、 これ唱えたのって八切止夫だっけ?
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
277 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 10:07:34
今の自民党の町村派(総裁派閥)は清和政策研究会というがやはり清和天皇が由来?
牛乳とか大学もあるそうですが
名字は津島
もともと対馬で。義家の子で為義の父・源義親の長男義信の子孫と親から聞いた。
280 :
日本@名無史さん:2007/06/06(水) 00:19:58
清和なのに津島か
義親が対馬守。
279さんの先祖?の義信は為義の長兄。対馬太郎と号して
従四位下左兵衛佐になっているという(尊卑分脈)
左兵衛佐に就任していたかは疑問だが、その子の
延朗上人は吾妻鏡にも登場している高僧。
ほかの文書にも(義家四代の孫)といわれているので
義信が実在しているのは間違いなさそう。
青森の津島(太宰治も)氏は源氏と称していた記憶があるが
義親の流れかも
對馬姓の俺が来ましたよ
清和源氏だと何かいいことあるの?
ウチも家系図やご先祖様からの言伝えでは清和源氏なんだけど。
ご先祖様は摂津から紀伊に移って、海賊繋がりで土佐にまで流れたらしい。
長曽我部さんとこで四国統一を手伝っていたご先祖さんは
秀吉のおかげで郷士になってしまったんだとさ。
>何かいいことあるの?
2ちゃんねるに、うちは清和源氏だぞって書ける程度
286 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 16:09:53
これってほんとなの?
うちは元々は一城持ってた武士が曽曽曽祖父だが、その娘が嫁いだ
先が今の姓だ。
その時の経緯はよく分からないが、幕末なのか明治維新の頃だろう。
それが、庄屋に嫁いだらしい。
だから、今の姓(清和源氏だと言われてる)は、農民の出ということに。
そんなことありえないんじゃないの?
明治維新で苗字もらえるからってみんなが適当につけた結果でしょ。
>>1の定義だと清和源氏一族の姓と同じなら誰でも可ってことだ
>>284 うちの父が若いときに某財閥の家から養子縁組の話があったらしい。
そういう例もある。
それは清和源氏だからではなく、血が近いとかその家の息子だからとかって
理由から話が来たのでは・・・
290 :
288:2007/07/24(火) 11:45:17
近くないよ
父が茶道関係に勤めていた
→財閥家と知り合う
→養子縁組の話
→財閥家家族会議
→家柄的に釣り合いOK
つーことらしい。
まーでも、うちの家督を絶やしたくないために断ったらしいけど。
意外にそういう世界では未だ家柄を重視してたりするんじゃないかな。
日常生活にはまったく関係ないけどね・・・
ああ、なるほど
けど清和源氏だからって理由じゃなくて桓武平氏でもいいわけで
本人を気に入って家柄を調べたら相応だったってことでしょうね。
ああ、まあ源氏特有のもんではないか。
そういう意味だとしたら
平氏とかの他の血筋じゃなくて清和源氏であるメリットって、、
幕府を開く権利?
293 :
日本@名無史さん:2007/08/04(土) 15:11:20
新羅源氏の三郎義光。
294 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 17:32:16
藤原氏諸流は敵かなぁ?秀郷とか利仁は武家藤原だけど…
295 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 03:41:21
味方
296 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 03:50:54
志田 八田
297 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 13:55:13
清和源氏といえば、昔に宮本身分帳事件というのがあった 鬼頭という判事が
網走刑務所を尋ね、共産党の宮本元委員長の身分帳を職権を装って見ようとして
マスコミに漏れて、マスコミなどか袋叩きにあったという事件だ
鬼頭判事は日本を清和源氏の一族が支配していると推測して、宮本も
清和源氏ではないかと思って調べたらしい マスコミのヒステリックな
叩き方からすると、あるいは鬼頭判事の推測は正しいのかもしれない
現在の政治の中枢にいる面々のルーツを見れば支配してるのは
清和源氏じゃないと思うが
299 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 17:36:25
マスコミの幹部のルーツを探れば清和源氏が多いようだ
NHKは徳川の金城湯池のようだが・・・・・
現在の政治の中枢にいるのは、イレギュラーな連中が多いようだな
話豚義理失礼。
今でも鎌倉周辺在住の清和源氏の子孫、特に女の子は湘白でも横雙でもなく
清泉に行くと伺ったのですが本当ですか?
そういえば頼朝公のお墓は清泉小学校に隣接していますよね。
何か関係があるのですか??
ちなみに私は清和源氏とは一切関係のない血筋です。
301 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 16:03:55
源為成
何で急にスレ止まってるんだw
>>300の質問に答えられない似非源氏の集まり?
スレタイ嫁。清和源氏一族の 姓 の 者 だよ
たんに鎌倉在住で娘もちの清和源氏が
2ちゃん率低いだけじゃないの
305 :
300:2007/08/17(金) 13:10:21
私の質問がスレストになったみたいで・・・。
失礼いたしました。
お盆休みにちょっと調べた。
頼光-頼政流
摂津多田源氏です。
代々本願寺の坊官だったみたいね。
レアな姓だから本名は勘弁。
どう調べたのかkwsk
>>307 ん〜、ネットと、図書館で「日本姓氏大辞典」やら
「群書類従」なんかで。
まあ結構少ない姓で、多分全国で1000人以内なので同姓なら多分一族。
仮に○○○とすると
「群書類従」や「新編日本姓氏辞典」に「○○○系図」ってのが載ってて
頼政までさかのぼれる。
摂津源氏なんだけど京都・滋賀に分布し本願寺の有力門徒つうことで
親父に聞いてる一族の話と一致。まあ状況証拠。
どれも根拠にするにはちょっと弱い気もするけど
その聞いている一族の話がつっこんだ内容で、一族しか知らないことなら
結構信憑性があるかも
310 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 13:57:31
>>308 姓氏大辞典とかは、その苗字の代表的な家のことを書いてるだけだから
同じ苗字=同じ氏族だと思わない方がいい。それが希少姓でもね。
昔は地縁から被官や名子も支配者と同じ苗字を名乗ったりしたから
実際は同じ知行地に住んでただけとかが大半だったりする。
過去帳や古文書や伝承など、自分の家に伝わる物で立証しないとダメだよ。
ネットや図書館に転がってる情報とつじつま合わせるだけでいいなら、誰でも清和源氏に摂津源氏だよ
311 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 14:53:47
312 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 17:19:39
清和源氏と直接関係ない話で恐縮だが、家系図のことでちょっと思い出したが
モルモン教というキリスト教の一派は系図を非常に大事にしていて、本部がある
アメリカのソルトレイクには世界一の系図図書館がある 一度見たことがあるが
パソコン画面で自分のルーツ探しやってる外人が多くいた モルモン教の幹部は
キリストの血脈を引いているという主張をしているらしいが、アメリカ人なども
意外に血統にこだわる連中も多いようだ
アメリカのハイクラスは先祖や血脈にものすごい固執するよね
移民で国が成り立って、いろんな国の民族が混血してるから
根無し草のような気分なんだろうか。
たしかアメリカに血系や系図やらを網羅したネット図書館もあった気がする
314 :
日本@名無史さん:2007/08/19(日) 17:15:28
そもそもアメリカ人と言う人種が無いからね。
315 :
306:2007/08/20(月) 09:02:36
>>310 そうですね。ずっと気になっていたのに
今年親父が亡くなってしまったので
休みに少し調べてみただけで。
これからぼちぼちと楽しみながら
調べていきます。
>>311 下間ではないです。
316 :
日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:08:11
お初です。小生は清和源氏小笠原一族の〇澤です(父方)。在は備中、家紋は松皮菱に十文字。お仲間に入れていただき光栄です。
300 :日本@名無史さん:2007/08/06(月) 19:50:54
話豚義理失礼。
今でも鎌倉周辺在住の清和源氏の子孫、特に女の子は湘白でも横雙でもなく
清泉に行くと伺ったのですが本当ですか?
そういえば頼朝公のお墓は清泉小学校に隣接していますよね。
何か関係があるのですか??
ちなみに私は清和源氏とは一切関係のない血筋です。
↑自分もこれ気になる。
このスレに鎌倉在住で妙齢の女子がいる清和源氏の姓の人はいないから
気になるなら学校の鎌倉在住の女生徒に尋ねてみ
319 :
日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:14:00
歴代家系図があっての表示なのか?笑えた!
我が家は直系ですが名は 敢えて名乗りません!語ったところで何か得するのか?ブラジルにも直系が居る事を忘れんでくれ!
320 :
日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:12:01
直系3代目とかw
321 :
日本@名無史さん:2007/09/08(土) 21:58:27
三代目?(笑)
うちの代で何代目だったけ?兄が知ってるよ〜
家紋は 桐の葉 母方は 江戸幕府側室の護衛!!家康からの手紙あるよ〜
323 :
日本@名無史さん:2007/09/09(日) 04:31:05
家の古い墓に、菅沼治朗右衛門信冶って書いてあるだけど清和源氏なのですか?
わかる方いませんか?
324 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:24:47
わぁ〜^^
325 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:31:44
菅沼治朗右衛門信冶!?
菅沼治朗右衛門信冶といえば清和源氏の最後の生き残り、伝説となってる幻の存在だぞ
お、おまえまさか・・・ま、末裔!?サインくれよ!!
とでも言われたらホイホイサインしそうだな
326 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:40:30
>>325 いっぱい生きてるよ。
足利やいろいろと派生しているよ。
派生したら清和とは呼ばないのか?
327 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 21:51:49
>>323 何を根拠に清和源氏?
その人はなんですか?
328 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 22:04:57
清和源氏リストに菅原は見当たらないが
330 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 23:04:52
サイン書きます。一枚500円になります。プププ
源氏って中国に起源があると聞いたのだが
本当か?
他にもペルシャ説とかユダヤ説とかね
皇族や古代豪族は大陸から来てるし、証拠っぽいのもいろいろ検証されてる
とんでも説と一蹴するもよし、ロマンを感じて調べるのもよし。
333 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 21:10:53
今テレ東系でそれっぽいのやってるな
日本人のルーツは古代イスラエルの失われた十氏族だとかソロモンのアークだとか
334 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 15:19:18
私も源氏の子孫です。色々ホームページを拝見させていただいて今までの疑問がなんとなく晴れました。ありがとうございます。あと家紋は女子は、天皇陛下と一緒という点でも一致してよかったです。
335 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:27:31
源氏の子孫て苗字が多すぎて ・ ・ ・ ・
1300年たっても相変わらずまとまりが無いなw
まとまりが無いって…。ほとんどは明治新姓で本当の子孫でも何でもないだろ。
338 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 17:05:06
ドキュンからバックアップうけている反日本記事捏造のアサヒる新聞。
恥ずかしくて公共の場では読めない新聞。
親が清和源氏なので「姓は源氏」というのを教えてあげたらウケてた。
340 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 17:49:29
清和源氏足利氏から派生した苗字と藤原氏利仁流の苗字にも両方存在する。いったいどっちだ?
341 :
日本@名無史さん:2007/12/15(土) 18:10:10
足利将軍家嫡流足利氏宗家七尾藩三十万石七尾御所旧侯爵家足利義寧
死に絶えたか……
343 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 16:01:43
>>284 すごく亀レスだけど、うちの先祖も摂津から紀伊に移って
そのまま、明治辺りまで山奥で先祖代々住んでたみたいだ。
熊野三山のあたりは豪族とかすごい勢力だな
345 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 18:55:22
うちに家系図らしきものがあって、ちゃんと天皇まで繋がってたぞ@小学生の時のうろ覚え
元は福岡らしいが。
346 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 19:09:31
家系図ってのは始祖が地元の有名武将・天皇・神様となっております
どれに繋げときますか?って系図屋が聞くらしい
347 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 21:02:13
家系図が真贋はともかく存在していること自体に意味があるよ。
在日にはもちろん無いのだし、由緒正しい庶民にも無論ない。
過去の歴史でいかに血統が重視したかを現代において理解できるだけ
でも、何らかの意味がある。
うちは石川源氏紺戸氏に列するが、定かじゃない。
そう書かれているからそうじゃないのかなってだけだ。
系譜をバカにするのって大抵、庶民だよな。
子供の頃に寝物語に聞かされた一族の伝承とかを刷り込まれているから
なにかしらした人物が家から出たとは思うが、自分は偉いんだとは思わない。
自慢するほどのことでもないし、一族の長でもないし。
それぞれの家にそれぞれの歴史があってしかるべきだと思うから
バカにもしない。
348 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 21:18:40
一応、清和源氏だが……八幡太郎義家の子孫じゃ無ぇーんだわw
在日でも成金の水百姓でも系図持ってるとこあるよ
だから偽系図なんて信じちゃダメ
350 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:08:09
そうですね系図よりも史実に目を向けましょう。
うちは江戸期には正確にご先祖さんの役職と禄高がわかりますが
元禄以前の記録は散逸していて、把握しきれません。
江戸期の資料なら町村レベルでかなり収集できるのじゃないでしょうか
文献に出てくる人物と整合性がとれれば血統も少しはわかる気がします。
古文書とかにちゃんと載ってる方がよっぽど信憑性があるよね
352 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:18:46
旧華族や社家とか旧家の古文書の中にも系図があるのですが 信頼度低いとも言えないな
武家は源平藤橘に無理やり繋げて作ってあるからなあ
途中からはしっかりしてるだろうけど
354 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:40:46
武家で小野篁に繋がる系図はどうですか?
355 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 23:51:25
児玉横山の党々?
356 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:58:43
清和源氏はそもそも二代目・満仲からしてすでに怪しい
357 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 03:18:16
本当は清和天皇じゃなくて陽成天皇の子孫だって聞いたな
ただ陽成天皇って評判が悪い人だったので父の清和天皇の子孫と名乗ったとか
358 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 12:10:54
用税天皇が粗暴で
成和天皇が性格優しかったらしいな
359 :
日本@名無史さん:2007/12/29(土) 12:43:54
>>357 >>358 その話も確かに昔から言われてるが、
>>356で言っているのは、残された史料では源氏2代目の満仲の方が父親の初代経基より遥かに生年が早い(つまり年長な)事なのよ。
だから研究者の間では、実際の親子でなく養子なのだとの説や史料の記録者の書き間違えとの説とか色々言われている。
360 :
日本@名無史さん:2008/01/02(水) 16:13:22
361 :
日本@名無史さん:2008/01/22(火) 08:31:37
情けないぞ源氏の一族でありながらとおもいつつ 纏まりついていた守人 偉い 詳しく説明なんかしたら先祖代々の歴史を覆してしまう…マスコミはウザイぜ知ってはならぬ事柄もある訳だよ 那智ユダヤ族人永遠に広大に血脈を絶やすなかれ
362 :
小日本人:2008/01/23(水) 07:36:43
朝鮮源氏の新羅義光の子孫です。
家系図だったら菩提寺の過去帳みてみればいいんじゃない。
親戚筋にお寺さんがあるなら、そこで管理してる可能性も有る。
うちは親戚が過去帳で調べたら800年前の京都での職業と位がわかったよ。
清和源氏で一応堂上、分家のせいか都落ちしてるしwwww。
363だけど訂正
800年前ではなく
西暦811年からの京都での役職と位でした。
365 :
日本@名無史さん:2008/02/28(木) 18:52:11
>>364 清和天皇が生まれたのが850年だから、西暦811年には
まだ清和源氏など存在しないのでは?
367 :
365:2008/03/02(日) 03:15:04
>>364 西暦811年の源氏というと、もしかして左大臣源信のこと?
源信は810年に生まれた嵯峨天皇の皇子で日本史上初めて
源姓を下賜された人物だよね。
もしそうだとしたら、清和源氏ではなくて嵯峨源氏なのでは?
というか、一般の寺にそんな昔まで辿れる過去帳はないんだな
今川家の子孫ですけどニートやってますwご先祖様ゴメンナサイ
370 :
日本@名無史さん:2008/03/02(日) 09:00:34
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
>>369 氏真の後半生もニートみたいなもんだし、まあいいんじゃないか
372 :
傍観者:2008/03/11(火) 21:21:01
同じ人間が投稿して「独り言」を言っている感じですね。可愛そうに、誰も
話し相手がいないのですか?
独り言乙
374 :
363:2008/04/10(木) 18:41:09
>>367 ごめん、スレ違いだったね。。。
過去帳が駄目なら敷地内にお稲荷さんとかない?
お札から辿っていくことも出来るよ。
いつ頂いたのわからないくらい古いお札だったけど
伏見稲荷のものだったから伏見稲荷で調べてもらったら
280年前に誰それさんへって年数も名前もわかったよ。
アンカーまちがってないか
376 :
日本@名無史さん:2008/04/17(木) 23:54:23
お前ら一部を除いて、偽者だろう
377 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 00:20:25
ご名答!
378 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 01:25:21
先祖が摂津源氏だよ。
マイナーだから多分ホンモンだよ。
今は東京に住んでるけど本家は鎌倉時代から持ってる土地に住んでるよ。
でも関ヶ原で負けて帰農したので士族じゃなく平民でした。
村上源氏の方が家格が高い!
380 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 02:29:20
河内源氏を馬鹿にするのか?!
381 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 11:05:00
清和源氏だと金くれるの?
382 :
日本@名無史さん:2008/04/18(金) 11:18:40
伊勢平氏末裔の俺様が来ましたよ。
383 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 03:07:42
なあおまいら、チソ毛ってどれっくらいの周期でカットしてる?
俺伸びすぎマンボだから毎週カットしないとチソ毛がパンツに挟まって激痛
やっぱすきばさみ買うべきかなぁ…チソ毛をすくとはえてこなくてなかなかよいぞ
ハァハァハァハァ(;´д`)
384 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 03:16:10
>>382 同じく伊勢平氏の流れを組む関氏末裔の拙者が加勢するぞい!
徳川さんはここ入るのんかな?
平氏はスレ違い
帰れ
清和源氏の一族らしいです。
親戚の皆さんですね。
300万人いる親戚だけどな
389 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:31:42
藤原系はダメですか?
スレ違いだろ(笑)
391 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:37:35
橘だがダメか?
それも違うだろ(笑)
393 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:39:05
三平で〜す!
ダメ?
394 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:56:37
しずかチャンはいいよね?
395 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 03:38:20
清和源氏以外の者は早々に立ち去れェ!
396 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 03:49:14
しずかチャンは「源」姓でつよ!
三村、白洲(白須)、植村、福島、明智、大池...たくさん。 足利に近いほど格上みたいよ。足利より上も少しあるけど
398 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 12:52:24
丹後一色氏は?
399 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 14:42:56
多摩近氏は?
400 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:18:02
近氏
401 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:21:26
足利一色氏は清和源氏。
402 :
日本@名無史さん:2008/04/26(土) 19:50:42
今の政治家や特権を得ている人達も、中・韓に日本を乗っ取られたら
用済みになって何世代後の子孫は、惨めな生活をさせられるんだろ〜な。
403 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:01:15
源氏長者と呼べるのは今は誰??
細川元総理??
404 :
日本@名無史さん:2008/04/27(日) 01:38:38
かもね。
406 :
日本@名無史さん:2008/06/09(月) 21:49:20
私の祖先は加賀に住んでいました。後に美濃に移ったそうです。美濃国諸家譜に私の祖先源姓の人物が出てきます。
407 :
日本@名無史さん:2008/06/09(月) 21:56:45
408 :
日本@名無史さん:2008/06/10(火) 07:48:36
なぜに?
家紋が折敷三文字
墓には「通」の名前がいっぱい
...一応、清和源氏ではある
410 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 11:45:02
村上源氏のスレはないのかのぅ・・・
411 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:36:42
ちと、質問が
>>1で紹介されてるサイトに我が家の姓も追加してもらおうかどうか悩んでるんだけど
久我から海老名に改名し、さらに海老名一族の熊忠が改名した姓となると、さすがにもう離れすぎかなぁ・・・?
一応、先々代――自分の曾祖父にあたる人が帝国大学の教授に鑑定をしてもらっているから系譜自体は確実につながってるみたいなんですが
ちなみに家紋は十六結び紋
412 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 12:47:47
つーかさ
>>1 にあげられてんの もはや日本人の半数くらいこの名前じゃんよ(笑)
俺の家の近くの部落もそこに名前三つくらい含まれてんだけどWWWWWWWWWW
413 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 13:03:26
>>411 そんであなたの先祖は江戸期なにやってたわけ?
その1にのってる不確定な苗字連中の半数は 江戸期なにしてたわけよ(笑)
大半が本百姓だろまじで。 庄屋もいるだろうが 大半役職すらない農家だろ(笑)
勘弁してくれや
〉江戸期なにしてたわけよ(笑)
決まってるじゃん。
tenant farmerだよ、tenant farmer !
415 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 15:46:56
テナントファーマーなんて 支配人種の白人様の言葉ではぐらかさないでほしいね
ようは ただの本百姓でしょ
しかも庄屋様でもないのが大半
小作農に幾ばくかの土地耕してる 本百姓
テナントファーマーとか 現実逃避的横文字はやめてください
416 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 18:47:46
>>415 テナントファーマーが「本百姓」って大丈夫w?
お前さんが横文字を嫌う理由はどうやら別のところにありそうだなw
417 :
日本@名無史さん:2008/06/19(木) 19:00:35
いやいや、日本では近い存在が 本百章でしょ
じゃあなんだと思ってるの?
>>417 >いやいや、日本では近い存在が 本百章でしょ
全然、違うよ。
それて辞書引くのもしんどいと感じるゆとりちゃんなのかな?
↑
それて(×)
それとも(○)
420 :
日本@名無史さん:2008/06/20(金) 04:23:45
『佐藤』の家紋って『源氏車』ってゆーけど関係ないの?
牛車の紋様だから関係ない
422 :
日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:37:15
平氏車
423 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 19:08:48
藤原だろ?
424 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:51:00
源氏のもんは親兄弟でも
私利私欲が故に憎しみ殺しあう
源氏の歴史は殺し合いの歴史
源氏政権が戦国を生んだ
425 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:54:07
源氏と平家 【源平合戦】じゃない?
藤氏車
427 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 17:46:53
今、20万人くらいいるんでそ?ウチは三階菱です。
428 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 22:54:41
サインするときは、
●○×△ 源■▲
でおk?
頭に俗称とか入れた方がいい?
頭が沸いた人に見られるだけだよ
430 :
428:2008/08/18(月) 17:56:55
サインする機会は神社に昇殿参拝行った時くらいだから、
どうせ限られた人にしか見られないし
持ってるから名乗っても別にいいっしょ
神社内で笑いものになってるぜ
432 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 21:21:38
そしてこのスレは誰も
>>428に答えられない偽清和源氏の集まりであった
答えられる清和源氏がいるのかwktkで見守っとく
中田
田中
違いかな?
清和源氏じゃなくてよかった。
>>1 個人サイトだろ?
しかし、配色悪くて見づらい。
宮田・田宮との違いですね。
あれ?ここって清和源氏の集まりじゃなかったの(笑)
徳川家を筆頭に、エセ新田の会を作りたいんだが…
うちエセ新田だし。
先祖よ、たのむからエセ新田とエセ明智と二つも家系図作らないでくれw
441 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 00:01:55
>>439 高貴なほど多様化を防ぐはず。
清和源氏一族の真逆な苗字ならヤクザなんだろwww
ヤクザなんて下階層
444 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:25:30
>>428に答えられる清和源氏はまだかw?
ヤクザもなにもないよ、ここは偽者の集まりらしい
445 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:20:13
446 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:46:32
>>433-446 >>1 よくよく見て考えると俺の苗字も逆苗字になり無いやwww
はぁぁorz部落苗字だったのか・・・・鬱
多田。
家紋は三階菱(もちろん丸なし)。
小笠原流って聞いてるが、真偽は不明…
一度過去帳みたいのチラ見したら「自刃」の連発。
何やらかしてたんだべか。
449 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 12:27:05
450 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 14:27:43
451 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:43:53
源氏てW
ただのチョンの末裔じゃんW 恥ずかしくないのか?W 名字一文字の真正チョンの末裔を自称するなんてW帰化人乙
帰化人とチョンは違うし源は苗字じゃないし
wは普通小文字だ。慣れない煽り乙
453 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:35:20
454 :
日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:05:32
細川たかし
一色紗江
石橋貴明
桃井かおり
455 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:07:10
石堂淑郎
456 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:37:44
俺の名字金田だけど
源氏?
457 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:06:43
>>456 在日かもな (金)や(徳)や(光)や(富)(秋)頭文字
苗字後方漢字
(山)(田)(本)
比較的に苗字頭文字に裕福そうな苗字は在日多い。
上位ランキング入っている苗字も比較的に多くいる。
大正昭和にかけての創氏改名により在日は日本人ぽい二文字苗字を使い始めた。
458 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:30:24
携帯のurl貼ってるってどこのリア小だよ
460 :
日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:21:07
ウチは、丸に三階菱の小笠原だから分家筋なんだけど、
小笠原氏流の芥川とか中川とかいろいろあるけど、
それも、小笠原の分家筋?
現在小笠原を名乗る分家筋とどう違うのでしょうか??
461 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 21:00:16
462 :
日本@名無史さん:2008/09/06(土) 21:10:52
463 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:58:54
>>460 おんなじだよ。
基本は先祖の繋がりがないのに系図をでっち上げたの。
まんま同じ名字の場合は「子孫『らしい』」「〜が『言ってた』」「〜だと『思う』」っていうふうにしてこじつける事もあるね。
中には本物の子孫もいるだろうけど、有名氏族の同名字は基本的に数が多いから、奉公人の国人クラスよりかは偽者の率も高いよ。
本当の子孫になりたいなら、系図をでっちあげるのが手っ取り早いね。
小笠原氏なら藩士になった家もたくさんあるだろうし、下級のマイナーな所につなげたら良いんじゃないかな?
そこの中卒君、キミ国人を勘違いしてるよw
ヘタレ六孫王の系譜
466 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 16:09:05
>>464 国人が鎌倉御家人やら奉公衆になってるのはよくある例じゃね?
永享以来御番帳で見るとそんな感じだが。
467 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:39:19
>>428と同じ質問になるが、署名やサインするときはどうやって書くの?
468 :
日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:57:00
源氏の(仮称)今川上総さんなら「今川上総源朝臣〜」
平氏の(仮称)北条氏康さんなら「北条〜平朝臣氏康」か?
「通称(官位)→氏→姓」と「氏→姓→諱」も書き方としては一般的だから通称と諱の片方が欠けてる場合はこのどっちかの書き方がいいのかもな。
んでも、明治の始めに官職→氏→姓→諱→名字の順で書くように法律で決められたんだよな。
西園寺公望だったら、江戸までは
「西園寺権中納言藤原朝臣公望」
だったのが、明治からは
「権中納言藤原朝臣公望西園寺」
に。
だけど、同じ氏を区別するために使われだした名字を最後にもってくるのは本来の意図と反していて不便で、
国民皆姓の際に名字を以て新たに氏として中間の「の」を省くことになった上に、
実名をつけろとの指示もあったわけだから、戸籍に登録された名字が氏であって、
同様に登録された名前も「純一郎」であろうが実名(諱)なわけだよな。
だから明治天皇を天皇として認めない人以外はまんま戸籍名が正しい書き方なんだな。
で、昔の氏姓に習って、現在の戸籍名とは違う源〜や藤原〜と名乗ってる奴は熊沢天皇派ないし大室説の支持者と。
そう考えると国民全員が天皇陛下から氏を名乗る許可を得てるわけだな。
先祖が馬の骨でも諸蕃氏族として認められたわけだ。
469 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 01:15:29 BE:1940217697-2BP(0)
細川元総理は現在でもサインする時は姓まで書いてるらしいけど、
なんて書いたか知ってる人います?
470 :
467:2008/09/10(水) 10:16:49
471 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 12:16:44
469
長岡護煕じゃね?
472 :
468:2008/09/10(水) 15:13:09
>>470 その通り。
>>469 知らないけど、考えられるのは「細川前相国源朝臣護煕」か。
官職のとこは、年齢的に勲等貰ってそうだから、それを使ってるかな。
>>471 ん???
473 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 15:36:49
それと、
>>470 同族会でも系図を作る時しか以前の氏なんて使わないだろうし、それも賜氏姓された初代だけだろう。
会津にある松平容保の石碑なんか「正三位松平容保」ってバリバリの明治以後(平民と同じ)の書き方だし、
松平自体がアレだが、勅状に「源〜」って書かれてるあたりから皇室的には一応源氏として認めてるわけで、
普通に名字を使う方がスマートなんじゃないか?
474 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 15:46:09
書き忘れたorz
>>470 うちの系図だと
>>473で書いたように、氏が記載されてるのは源経基だけ。
相手に無説明で私称を記しても問題無い文書ってそうそうないから、名字と諱で書いてるよ。
香典でも「誰だろう?」ってなるだろうし、地元の神社は式内社でも小さいから記帳する帳簿なんて見たことない。
475 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 17:58:06
正式な場では源平藤橘+諱を名乗るのが普通ではなかったんですか?
いつから変わったんですか?現代では通用しないということ?
近藤勇の藤原昌宜や、宮本武蔵の藤原玄信、芹沢鴨の平光幹など、
このころは正式な場ではこうですよね。
現代で諱持ってる人ってどういう人?使う機会あるの?
というより、現代人は諱と字の区別がないといった方が正しい?
476 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 19:10:52
>>475 明治八年の二月の必称令から。
その時に(基本的には)従来の名字を以て氏とするようになった。
あとは
>>468の通り。
477 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 19:27:31
478 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:21:42
群馬の岡田姓なんですけど、村上氏族なんかな?
上野や下総に飛散したとかなんとかWikiに書いてあった
479 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 22:56:49
>>478 君がわからないならお手上げだよ。
過去帳辿って調べてみれば?
江戸初期の村の名士に関わってくるようなら推測でそこそこ迫れるんじゃないかな。
480 :
日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:21:32
>>479 サンクス
分家なのもあって家系はさっぱり知らないんだ、江戸時代に武士やってたってことくらいしか
今度過去帳調べてみます
481 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:58:27
江戸時代に武士だった家ならすぐわかるだろw
482 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:28:52
>>481 藩士の分家は難解だと思うよ。
郷士の分家に至ってはほとんどが一般の農民になってるし。
まぁ江戸時代の武士に繋がらないのが大半だけどさ。
483 :
日本@名無史さん:2008/09/11(木) 17:11:44
485 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 17:58:55
こんなとこあるんですね。
河内多田源氏の出身です。皆さんはじめましてよろしく。
多田源氏って地味ですよね。
486 :
日本@名無史さん:2008/10/13(月) 19:46:12
>>484 藩史は直接当たった?
それで無理なら確かに厳しいね。
仕官の時期と他の藩士の旧主家から出身地をある程度特定して、
そこと繋がりのある他の太田家を調べて同族性等を推察するか…
でも太田は大族だからな…
>>486 藩史ね。 ふむ、探してみる。
しかし大族なのか……
そういやうちも太田道灌が入ってるとか何とか言ってたな
とおおおおおおおおおい遠戚だね
って400年前ぐらいの話じゃ他人と同じだけどなw
私、金井って言う姓です。
藤原氏の血を引いてます
(はじめまして
スレタイ読めますか
源氏スレですよ
491 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 16:53:48
うちの祖父に伝わった由緒(曽祖父までの系譜)みたいなものがあって、それによると多田源氏の血をひいていることになっている。
大昔のことだが、亡父が生前にその書物を多田神社に持参して調べてもらった時に多田神社が私の名前までを含めた系図を作成して、笹竜胆の紋の入った首飾りとネクタイピンを父にくれた。
でも、よくよく考えたら多田源氏の系譜って河内源氏と違って尊卑文脈でも途中で終わってるから、証明できる確実なものって無いのかもしれない。
やはり、祖父に伝わったものも偽証なのかな。
492 :
日本@名無史さん:2008/11/22(土) 19:56:07
兵庫県川西市に「清和源氏の古里」て看板があるんだがそうなんですか?
493 :
日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:20:50
>>484>>487 逆に大族だけに直接の先祖じゃなくてもれっきとした同族の可能性は大いにあるけど、
医師な上に旧主が家老家だから調べるのは厳しいね…
家老から大名に召し出された人に特筆すべき事柄があれば召し出しの理由とある程度の出自も記録に残ってるかもしれないけど微妙だな…
494 :
478:2008/11/30(日) 20:20:33
亀レスってレベルじゃないがこの間菩提寺に行ってきた
わりと立派そうな寺でちょっと驚いたけど、過去帳は見れなかった
とあるサイトに、家紋で氏に迫れるようなことを匂わすことが書かれてたが眉唾かのぅ
連レスになってしまうけど、「都道府県別姓氏家紋大事典」というので調べてみたら、新田氏族の末裔らしい
ただ、
>>1の新田氏族の欄にうちの名字がない・・・
まぁ、我が家の家紋自体がわりとありふれてるものだし、本当に新田氏族かはわからない
出身、名字、家紋だけで氏族がわかればこのスレでこれほど議論されることもないんだろうけど
というわけで、信憑性はいかほどかわかりませんが
496 :
日本@名無史さん:2008/12/03(水) 09:50:49
>>492 川西市(かわにしし)は兵庫県にある市。
清和天皇の後裔の源満仲が多田神社のある地域に源氏武士団を形成し、
後に鎌倉幕府を開く源頼朝など清和源氏の本拠地となる。
同市は武門源氏発祥の地として、市の在住者、ゆかりのある者、
市長の認めた者などの中から「源氏ふるさと大使」を任命し、
地域振興に取り組んでいる。
うぃきぺでぃあに書いてあるじゃん
ゆかりはあるんじゃね?
498 :
日本@名無史さん:2008/12/22(月) 05:46:35
清和源氏同族会のホームページ(
ttp://www.tadajinjya.or.jp/genji.html)に
一御入会について一
清和源氏一門の流れを汲む確たる証(系譜等々)を御持参賜わり、当会理事長(多田神社宮司)と面談の上、入会の是非を問います。
て記載されてるんだけど家系図がないと「確たる証」にならないのかな
姓氏家系辞典で自分の名字と家紋が清和源氏出身ってなってるんだけど
>>498 そんなもんダメに決まってんだろ。
江戸時代の家格を表す確実な資料がいらない時点でもう緩すぎなんだよ。
だから自分で系図作っちゃえば?
どうせこんなの過去帳を元に自分で作成しましたーって言えばいけるんじゃね?
500 :
491:2008/12/22(月) 16:37:26
>498, 499
多田神社の「確たる証」って何を基準にしてるのかな。
現代で100%確実に証明できる家系ってかなり限られていると思う。
江戸末期まで大名や高家として存続したか、もしくは神社などの社家として続いた家系でないと証明できないのでは。
河内源氏系の子孫で足利、細川、今川、山名、岩松、武田、佐竹の直系ぐらいじゃないか。
摂津源氏系や大和源氏系の子孫では例えそれが事実だとしても証明のしようがないんじゃないかな。
501 :
499:2008/12/22(月) 22:51:24
>>500 おまいさんの
>>491を見る限りはおそらく系図一本でいけるんじゃないかな。
判断基準が上がってない限りは。
502 :
日本@名無史さん:2008/12/23(火) 00:09:44
新宮十郎行家の子孫はいないの?
503 :
498:2008/12/23(火) 01:18:11
>>499>>500 そうか〜やっぱり難しそうだね(´・ω・`)
系図の捏造も知識がないとつらいねw
>>500の方の場合は十分に「確たる証」になると思う。東京都と兵庫のどっち
の多田神社かわからないけど系図作ってもらったんならまず100%間違いないでしょうね。
ちなみに東京の多田神社の方は多田満仲同族会ていうのがあるね。
●入会資格
…ご祭神とご縁のある方
とあるからこっちの方も入れそうだね。
504 :
日本@名無史さん:2008/12/23(火) 02:26:02
多田野数人
505 :
499:2008/12/23(火) 03:41:10
>>503 偽系図なんて作るだけなら簡単だよ
今すぐ作りたいなら戦国時代までの系図をネットで拾って、
戦国時代の人物と、名前を知ってる最も古い先祖(曾祖父あたり?)の間を架空の諱で繋げるだけ
歴代の数は親子間の年齢差を25歳〜30歳くらいで重ねればいい
父や祖父、曾祖父の戸籍名が音読みで通称みたいならそこも架空の諱の後ろに括弧して戸籍名を書く
架空の人物は暫定的に通称を不伝として除籍や過去帳を元に後から埋める
途中でどうしても先祖がわからない場合は江戸時代あたりだと名付けの傾向があるから、
〜太郎が多いようなら〜太郎や〜次郎、〜助が多いなら〜助で埋めて、途中で繋げる先の人物と整合させればおk
例:権兵衛━半兵衛━半太郎━権太郎━龍太郎
みたいな感じで、親が二字訓読みの場合は諱にも有効
個人的には図書館で系図集を見て江戸時代の御家人の諱不明の三男以下に繋げるのが良いかと思う
その際には、君の本当の先祖が農民なら御家人の三男以下が地元の藩に仕官or藩士家に婿入り→子が同僚他家へ養子→子が新規召し抱えで徒士になる→子が農家へ養子→子が分家
みたいな筋書があった方が良い
あと、その御家人の家と仕官先の藩に縁をもたせて、
御家人
うわ切れた…けどめんどくさいからいいや
507 :
491, 500:2008/12/23(火) 03:43:25
498さんと499さん、レスありがとうございます。
系図を作ってくれたのは兵庫県川西市の多田神社です。
今は川西市に住んでいないのですが、実家は川西市です。
2年前くらいまで東京にいたので東京都中野区の多田神社にも行ったことがあります。
実をいうと清和源氏同族会には既に入会の申し込みをしたのですが、未だに多田神社からは連絡がない状態です。
申し込みをしてからすぐに多田神社から電話があってどういう経緯でそういったもの(多田神社が作ってくれた系図など)を持っているのかと訊かれたので、父が生前に話していたことなどを話しました。
その時は入会の可/不可にかかわらず連絡をくれると言われたんですけどね。
あれから既に1年近く経っているのに未だになんの連絡もないので、今ではあきらめています。もともとウチは社会的地位や財産があるというわけではないので。
多田神社も宮司さんが代替わりされていて、父に系図などをくれたのは先代の宮司さん(多分、今の宮司さんの父)なので今の宮司さんにしてみれば、
なんでこんな物があるんだという感じかも知れません(作ってもらった系図には先代の宮司さんの署名と多田神社の社判まで押されてるので)。
499さんが501で指摘されたように今の入会基準は以前よりも上がっていると思います。
半年前にどうなっているかを尋ねたときには既に会員になっている方と血縁関係者ならスムーズに話が進むが新規の場合、審査に時間がかかるみたいなことを言われたので。
長文になってしまい、どうもすみません。
>>507 なるほど
うちは某藩士で武田庶流だが試しに申請してみようかな
HP見ると島津が会員の可能性があるから、江戸時代に士分だったのと戦国時代くらいまでの繋がりを明確に証明出来ればザルかもしれんね
まさか徳川家を断るわけにもいかないだろうし
509 :
498:2008/12/23(火) 04:45:23
>>505 詳しい説明有難う。
でもさすがにそれを実行に移す勇気と行動力はないわw
>>507 なるほど〜でもその分だと再申請すれば入れそうなもんだよね。
うらやましす。
そんな胡散臭いのが混じってそうな有象無象がいる会に入って楽しいのかねえ
年会費やらお布施やら払わせるのが目的だと思うが
511 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 07:18:04
多田駿大将は多田氏の末裔なのか?
512 :
日本@名無史さん:2009/01/02(金) 16:15:37
>>510 話の流れよく読んだか?
審査が厳しいから胡散臭い有象無象は入会できない。
だからさ、昔は今ほど審査が厳しくなかったわけで
昔に入った胡散臭いやつの親戚ですってのもたくさん入ってるわけだよ
昔の家系図なんて本物買い取って途中から繋げたとか、最初から偽造したのとかまであるし
514 :
日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:27:48
でも、家系図を偽物だと知らずに使用していたとしたら仕様がないんじゃないか。
何とかして入会しようと家系図を捏造した奴がいるなら問題だけど。
しかし、そこまでして入会しようとする輩がいるのかは疑問だ。
清和源氏同族会というのはそんなに社会的ステイタスがあるものなのか?
515 :
日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:24:12
>513
多田満仲同族会や近江源氏の佐々木同族会、藤原氏の藤裔会にも同じことがいえるかも。
>514
清和源氏同族会が社会的なステータスがあるかどうかは不明だが、
会員や入会を希望する人にとって自己満足的な部分もあるんじゃないかな。
>昔に入った胡散臭いやつの親戚ですってのもたくさん入ってるわけだよ
それだと由緒正しい家の人は却って入らないだろうな。
清和源氏まで昔に行くとなw
由緒書きとかも適当に源平藤橘借りて名乗ってたみたいだし、家系図に至っては偽物ばっかで確かめようもないだろね
まあ子孫が300万人もいるし、大して意味ない気もするが
518 :
日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:57:17
↑子孫300万人のソースは?
519 :
日本@名無史さん:2009/01/05(月) 23:25:15
金子です。よろしく
520 :
日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:24:07
清和源氏の子孫20万人ていう書き込みもあったな
300万人とはえらいちがいなんだが
521 :
日本@名無史さん:2009/01/07(水) 00:41:51
村上水軍も確か清和源氏系のはず。
そうなるとかなりの大所帯だと思うんだがどうだろ
ソースってかテンプレサイトに子孫は250万と書いてなかったっけか
523 :
日本@名無史さん:2009/01/07(水) 18:26:13
源氏って全部で十数流派あるからそれ全部で250万とかいう話じゃないのかな。
ゴキブリ並みの繁殖力だなw
525 :
日本@名無史さん:2009/01/08(木) 06:39:55
源氏は全部で21流あったわ
二十一流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
源氏二十一流(げんじにじゅういちりゅう)
下記の21の源氏を指して「源氏二十一流」。または「二十一流」という。
嵯峨源氏
仁明源氏
文徳源氏
清和源氏
陽成源氏
光孝源氏
宇多源氏
醍醐源氏
村上源氏
冷泉源氏
花山源氏
三条源氏
後三条源氏
後白河源氏
順徳源氏
後嵯峨源氏
後深草源氏
亀山源氏
後二条源氏
後醍醐源氏
正親町源氏
526 :
日本@名無史さん:2009/01/17(土) 08:08:50
家はは桓武平氏と清和源氏だから、桓武天皇と清和天皇の子孫だわ。
先祖が天皇って何気にすごいよな。
527 :
源頼光:2009/01/17(土) 20:19:01
渋谷です。
528 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 19:42:35
足利系は何源氏??
529 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 20:35:56
佐賀です。
530 :
日本@名無史さん:2009/02/03(火) 20:40:25
532 :
日本@名無史さん:2009/02/26(木) 02:36:14
板垣征四郎は板垣信方の子孫?
533 :
日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:03:42
清和源氏の主だった家は江戸期の吉良家の断絶でほとんど没落。
岩松(新田)でさえはじめ50石、後で百石余(格は10万石)。
その中で岩松1族の田島に幕末大物が出た。
本名田島英五郎、大前田村に一家を構えて子分3千人、大前田英五郎と呼ばれた。
もとは大前田村の庄屋だが父の時代に一家を構えた。
長男は盲目だったが親分を継いだ、英五郎は二男で後に別に一家を構えた。
534 :
日本@名無史さん:2009/02/28(土) 10:56:37
536 :
日本@名無史さん:2009/03/02(月) 07:15:07
序列
文徳天皇(光孝天皇…現天皇家祖の兄)−清和天皇−貞純親王−みなもと経基−
1多田家2馬場家3山県家4土岐家5宇野家6石川家7村上家8新田家9足利家(室町将軍家)10頼朝家(鎌倉将軍家、断絶)11佐竹家12山本家13逸見家14武田家(甲斐国主)12一条家13板垣家15吉田家16加賀美家17秋山家18小笠原家
19南部家(陸奥国主)20平賀家21大内家22浦野家23高屋家24伊那家
分家分流は除く
>>537 ついでにライバルの平氏序列
光仁天皇−桓武天皇−葛原親王−高見王−たいら高望−
1熊谷家2北条家(鎌倉幕府執権)3伊勢家4安濃家5桑名家6清盛流(大政大臣家、断絶)7城家8大掾家9将門流(関東新皇、断絶)10土肥家11秩父家12河崎家13渋谷家14畠山家(断絶後源氏足利家男系、室町幕府三管令家)
12豊島家13千葉家15上総家16杉本家17和田家18三浦家19佐原家20鎌倉家21大庭家22梶原家
分家分流は除く
ww 永遠のらいばる げんぢVSへいし
540 :
日本@名無史さん:2009/03/13(金) 18:26:52
541 :
日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:11:51
542 :
日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:26:47
するーOK
545 :
日本@名無史さん:2009/06/19(金) 20:27:49
南無八幡大菩薩!
546 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 00:40:29
うちは土岐氏です
よろしくね
土岐にんざぶろー
548 :
日本@名無史さん:2009/06/24(水) 10:12:37
土岐氏といえば明智光秀
徳川家光
549 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 00:40:21
春日局
550 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 02:21:50
土岐と言ったら土岐頼遠
足利氏の庶流の細川氏のそのまた庶流の生まれですが、
ただの百姓の小倅です。500年早く生まれて来たかった。
・・・500年前細川氏は家督争いの渦中でした。
やはり現代の方が幸せかも知れません。
553 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 05:14:46
私の先祖に桑島という氏姓がありますが、 桑島という姓には藩士が多いと聞きます。会津藩士や仙台藩士にも桑島がおります。
マジレスで聞きますが、桑島氏のルーツについて聞かせて下さい。
554 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 05:38:43
源姓を見てみると、芸能界では萩原聖人や小栗旬がいます。萩原や小栗も源姓ですが、
これだけを追っていると、誰も彼もが源氏という事になってきます。
555 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 05:49:41
桑島氏のルーツは上総の氏族。
つまり関東の氏族と いう事ですな。
556 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 05:50:24
桑島氏のルーツは上総の氏族。
つまり関東の氏族という事ですな。
557 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 11:00:15
>>554 そりゃあ名前だけで決めるのはナンセンス
家系図や言い伝え、出目、家紋などを確認しないとわからない
558 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 14:14:02
>>551 よくそういう例えがあるけれど500年前でもそれだけ別れてるなら侍やれてるかどうかすら怪しい
559 :
日本@名無史さん:2009/06/26(金) 14:21:01
今と同じレベルだよ
きっとw
560 :
51:2009/06/27(土) 11:07:14
足利家→武士の棟梁
細川一族→武士の棟梁の補佐
なので、もし500年前なら、よほどへたれでなければ武士にはなれたとは思うのですが、
一族の抗争に巻き込まれて、あっというまに討ち死にしていた可能性は高いですね。
その抗争がもとで家の先祖も没落している訳ですから・・・。
561 :
日本@名無史さん:2009/06/27(土) 15:10:36
>>551 「七百年早く生まれていれば…」
例えば戦国時代の人がそう言ったとします
清和源氏の子孫なんて掃いて捨てるほどいます
親族関係はどうなるの?
足利義昭と武田勝頼と今川氏真と最上義光と南部信直と土岐頼次は兄弟?
親は誰?清和天皇?貞純親王?どちらにしてもそんなに何十人も兄弟がいたら賜姓されちゃうよね。
出家させられるかもしれないし子孫が残せるかどうかも危うくなる。
細川庶流が「戦国時代に…」も同じこと。
仮に何十人、何百人の兄弟がいたとして、あなたは親や周囲の人から抜群に気に入られる自信がありますか?
そんな人ならいつの時代に生まれていればなんて情けない事は言わないよね。
現代に生きる他の庶流や本流は別で自分だけがと言うなら、
「俺の妄想の世界に生まれていたら俺は世界を統一していたのに」
ってのと全く変わらないよね。現実世界の設定(数多いる百姓をしていたほど落ちぶれた庶流の一人に過ぎない)が生きてないんだから。
あと2500年はやく生まれてれば俺だって !(´・ω・`)
563 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 01:57:25
今が一番幸せなんだがw
564 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 02:41:52
親よりも早く生まれることは不可能です
565 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 03:39:08
そりゃそうだw
566 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 11:38:15
系図屋は清和(性は)源氏とみなつける
567 :
日本@名無史さん:2009/06/28(日) 17:26:47
性は男女
568 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 07:26:23
569 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 17:10:00
570 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 23:52:15
皮肉ではなく
事実です
571 :
日本@名無史さん:2009/06/30(火) 00:21:10
俺は村上源氏だから
572 :
日本@名無史さん:2009/07/01(水) 09:30:55
だから なに?
573 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:31:18
いえ、なにも
574 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 00:51:14
うちの先祖は佐藤氏で庄屋。
まあ15%は藤原系列だろう。
西川一族は顔見てもわかるとおり 皇とうふ擬装に目をつむたと思われる村上てんのう の子孫・村上源氏はん 室町の赤松氏族などもそう 村上源氏の一部はさる事件で朝敵化したはずです
>>574 「秀郷流藤原氏一族の姓の者集まれ!」スレ建ててそっちでやれ!
578 :
日本@名無史さん:2009/07/02(木) 08:44:23
雰囲気
板垣退助・板垣征四郎は清和源氏?
580 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 23:10:39
どなた?
581 :
日本@名無史さん:2009/07/06(月) 01:13:36
板垣ですか?
古文書おもちですか?
やっぱり外部の人には秘密ですか?
583 :
日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:19:17
ない
584 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 15:15:31
うちの家系は
近江源氏義光次男義定流山本氏族
昔は近江に住んでたけど江戸時代に上野国へ来て定着したんだそうだ
585 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 18:53:38
へー
それも清和源氏なの?
586 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 21:44:00
587 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:27:32
ナカーマ\(^o^)/
588 :
日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:54:55
>>587 清和源氏仲間ですねー
ちなみに貴方様は清和源氏のどこの氏族にあたるんでしょうか?
589 :
日本@名無史さん:2009/07/12(日) 00:43:43
新宮です
新宮行家の末裔です
590 :
日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:06:53
新宮行家…
かの有名な源頼朝の叔父にあたる系譜ですか!
591 :
日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:59:20
我こそは源氏の子孫と思う人は、genographic projectで自分のY染色体を調べてくれないかな。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/genographic/project.shtml 上記webサイトで1万数千円ほどです。
そうすれば、天皇家が縄文系か渡来系かわかるかも、
それから、自分のY染色体のSTRのデータを2chにアップしてほしい。
そしたら、足利家が実は、。。とか、驚愕の真実が分かるかもしれないし。分からないかもしれない。
既にチンギスハーンのY染色体のSTRはわかっている。自分がその男系子孫かどうかはDNAでわかる。
DNAが分かると、とにかく面白そうなので、
そこの名門の子孫の方!!。自分のY染色体データをアップしてくれ。
たくさん資料sampleが集積するなら、女系か男系(正系)かもわかる
日本が 古色蒼然たる非科学的、非現代的歴史文化の苦しみから解き放たれる まさに新生日本が 到来することになる
593 :
日本@名無史さん:2009/07/13(月) 07:48:41
>>588 土岐氏です
明智光秀、春日局、三代将軍家光など
594 :
日本@名無史さん:2009/07/13(月) 22:16:05
595 :
日本@名無史さん:2009/07/14(火) 01:01:20
>>593 家光って、春日局の子っていう説を採用した場合という意味かな?
596 :
日本@名無史さん:2009/07/15(水) 12:05:20
>>595 そうだね
というより、祖父からそう聞いてる
代々そう伝わってるみたいだ
>>591 名門の子孫ですが金はありません
出してくれるならいくらでも協力しますがw
598 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 08:38:34
あらら
599 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 13:33:24
元派遣村村民で今は生活保護の身ですが源氏(吉見)です
こんな僕でも秋篠宮様あたりを奉じて挙兵とかできますか?
↑
次の天皇にでもなれ。
601 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 16:43:14
まずは倫旨を賜ろう
602 :
日本@名無史さん:2009/07/20(月) 17:07:30
うちは山名。
京都に出張で行ったとき、タクシーの運転手が「山名はわるいやっちゃ」と
繰り返し言うのでおかしかった。私がその山名だけど、とは言わなかったけどね。
源氏は硬質につらなる阿相を応援しろ 波戸みたいな戦後の下賎一族の成り金もどきに 日本大権をゆだねるなや
>>537 > 序列
文徳天皇(光孝天皇…現天皇家祖の兄)−清和天皇−貞純親王−みなもと経基−
1多田家2馬場家3山県家4土岐家5宇野家6石川家7村上家8新田家9足利家(室町将軍家)10頼朝家(鎌倉将軍家、断絶)11佐竹家12山本家13逸見家14武田家(甲斐国主)12一条家13板垣家15吉田家16加賀美家17秋山家18小笠原家
19南部家(陸奥国主)20平賀家21大内家22浦野家23高屋家24伊那家
分家分流は除く
の序列って戦前はあったの、今もあるの?
605 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 02:11:30
麻生は藤原だから
アッ創価 じゃ破兎は清和源氏の名門なんだ 天皇から嫌われないヒト?
清和源氏って何? なんで平家をあんな超山奥に
追い込んでしまったの?
何で武田の支流と平家の落武者が剣山の周りにすんでんの?
なんのトリックがあんの?
平氏は超山奥になんていないよ
生き残りはみんな都や土地に帰って相応の地位に就いてる
伝説云々は大抵超山奥にしか住めないBの大嘘だ
>>538 > ついでにライバルの平氏序列
光仁天皇−桓武天皇−葛原親王−高見王−たいら高望−
1熊谷家2北条家(鎌倉幕府執権)3伊勢家4安濃家5桑名家6清盛流(大政大臣家、断絶)7城家8大掾家9将門流(関東新皇、断絶)10土肥家11秩父家12河崎家13渋谷家14畠山家(断絶後源氏足利家男系、室町幕府三管令家)
12豊島家13千葉家15上総家16杉本家17和田家18三浦家19佐原家20鎌倉家21大庭家22梶原家
分家分流は除く
オザワとかって平しの末の末しょ ゲンジがんがれ!!
610 :
日本@名無史さん:2009/07/28(火) 22:15:07
新田義貞の鎌倉幕府倒幕軍に岩松軍団の大将として、
新田遠江又五郎経政が居る (元弘3年8月熊谷直経軍忠状・熊谷家文書)。
彦五郎・又五郎は田島氏の諱名であろう。
この経政は、南北朝内乱初期に、陸奥南部で親類の相馬氏と共に活動する
新田左馬亮経政である(相馬文書)。また「新田左馬亮経政代田島小四郎」(相馬文書)という記述から、
経政の代官として田島小四郎なる人物が派遣されている。代官には普通一族の者がなる場合が多いから、
この史料は経政か田島氏であることを裏書するものである。
ところがこの経政は、史料上では建武2年(1336)に姿を消し、暦応元年から岩松頼有が伊予国守護、
その後備後国守護として活躍する。岩松氏惣領家は岩松経家が建武2年に中先代(北条時行)の乱で戦死してから、
岩松三郎直(正木文書22)国が跡を継いで活躍する。そのように考えると、
この岩松頼有は岩松経政(田島系)の出家した姿か、あるいはその後継者である可能性が強いが、それを確定する史料がない。
『新田町史』より
611 :
日本@名無史さん:2009/07/29(水) 14:13:18
今九州に住んでいます。
名前は宮内という名前ですが、清和源氏ですか??
>>603 >硬質につらなる阿相
無理す。阿相さんの父方のじい様の出自は?
613 :
日本@名無史さん:2009/08/01(土) 22:57:14
614 :
日本@名無史さん:2009/08/03(月) 14:25:08
はーい!
615 :
日本@名無史さん:2009/10/23(金) 01:04:34
わたしは清和源氏頼光流摂津源氏の末裔だったw
勢和げんぢ氏長者て 今もいる? 断絶? むかし足利→得河 今も
617 :
日本@名無史さん:2009/10/25(日) 00:50:26
【岡田外相 「民主党が"天皇は植木職人になるべき"と言うのならば、そうなる」】
植木職人発言オフレコ(岡田外相・金曜夜プレ懇) デスクオンリー/オフレコテープ起こしママ/公表不可 納品 2009年10月24日 02:11:40
1/5 Q.「まず、今回の外相の発言の真意をお伺いしたい。ご発言は、天皇の国事行為を前提とした、という理解でいいんですよね?つまり、あくまで内閣の助言と承認…(カブリ。聞き取れず)」
岡田氏「(さえぎり。カブリ)内閣とか国事行為とは無関係だ。あくまで陛下の……(聞き取れず) ご自身のお考え…お声を知りたいということだ」
2/5 Q.「では、宮内庁というのは?」
岡田氏「宮内庁というのは方便…というかレトリック(聞き取れず)とでも…。 陛下自身のお考えが聞きたいという趣旨。もちろん、宮内庁が陛下のお考えを聞いて起案し、文章化するとか措辞を整え とかあるだろうが、陛下自身のご意見が問題だ」
3/5 Q.「ズバリ、大臣は、陛下にどのようなお言葉が…(カブリ)」
岡田氏「(カブリ)そりゃ…政権交代ですよもちろん。
"勝てば官軍"といえば言い過ぎでしょうけど(数名笑い声)、民主党がこうして 勝った訳ですから、陛下もそれに恭順…(…間…)というかその支持をご自身のお言葉で表明してほしいですよね?
このままじゃ"自民党の皇室"のままだ」
4/5 Q.「大臣のそういうお考えは内閣としても憲法上問題である、という見解が…」
岡田氏「内閣といっても法制局でしょ。"官"ですよ。政権がかわれば、憲法解釈もかわります。我々は政治主導です。そういうくだらないことを言うんであれば、法制局長官
をクビにするだけです。それが政治主導です」
5/5 Q.「陛下の政治的中立を守らないと皇室の維持の将来にも問題が…」
岡田氏「政治的中立とか…(…間…)政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」(了)
桓武平氏の子孫だけど
ウチのスレ建てて!!!
頼朝 補佐したよしみでサ。
自分で立てろよ
立てても伸びないけどな
平氏の子孫の人は、火の祭りってやってますか?
母方が新羅三郎義光流なんだが、新羅三郎の子孫は呪われてるって本当か?
義家の子孫を暗殺したせいで、神仏の加護を受けられなくなったと聞いたが。
武田とか南部とか高名な子孫はいるんだが…
女系は子孫とはふつう言わんから
623 :
日本@名無史さん:2009/12/09(水) 19:45:23
【岩松頼有こそ、田島経政?】
暦応2年から伊予国守護、その後備後国守護として活躍する岩松頼有その人を岩松・田島経政の出家した姿か、後継者である可能性が高いという。
新田義貞の鎌倉攻めにおいて、岩松経家と並ぶ岩松軍団の大将として、新田遠江(田島)又五郎経政がその人であろうという。
『新田町史』
名字こそ中村姓ですが、
父方の先祖は今川氏真公の旧家臣団(?)として長篠の合戦に参戦
家紋は二つ引両、仲間に入れてもらえるでしょうか?
源さんの所に朝敵討伐の勅命来てますか?
届いてたら是非参加致します。
朝敵=○沢?
いつでも出て行けますよ
627 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 11:05:05
どこへ?
カマクラ平家形だけ倒してゴダイゴ聖帝(正帝=3種神器)見放し、偽帝立てて寝返たのも勢和ゲンヂたち(天皇将軍二元政治継続w)
629 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 13:56:47
源義家?はかの国の王族で高麗人を引き連れてやってきた?
とかって私本太平記にのってたけど
あれは何の説でしゅか?
630 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 06:34:59
>>621 新羅三郎って‥武田氏の先祖だよねぇ‥
モロに渡来系統だ。
武田姓=チョンなのかw
631 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 06:37:41
>>629 高麗つまり高句麗だから、風間や服部の忍一族の事だね。
結城市に式内式健田須賀神社という神社があり、
このうち健田神社のほうは、武渟川別命(タケヌナカワワケノミコト)を祭神とする。
武渟川別命は大彦の息子とされ、第10代崇神天皇の勅命により四道将軍の一人として東国を平定した。
大彦といえば、祟神皇后である御間城姫(みまきひめ)の父にあたり、
任那系の王族だったことがうかがえます。
一方、この任那には扶余系の騎馬民族が含まれ、東国平定の先兵として使われ、
のちの武田騎馬軍団の元になったのだとも考えられます。
633 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 14:23:33
ウチは岩倉山本氏からとの事
634 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 00:01:40
ほほー
で、ユダヤ人なの?
俺も土岐源氏系の苗字だ。
でも親父が入り婿だしたぶん関係ないな。
637 :
里帰り:2010/06/13(日) 08:41:24
下総に
たにがき様て清源?
639 :
日本@名無史さん:2010/08/04(水) 11:38:04
俺は母方の実家が浅原だ。家紋も松皮菱系で江戸時代は庄屋、戦国時代は小土豪だったらしい。
明治・昭和に分家して今は村一番の貧乏だがな。
清和源氏の末裔だと思ってたら村上源氏でした
先祖は養子だったようだ
真贋問わず、この平成の世まで「うちの先祖は」っていう話が
それぞれの家に伝わってること自体がすごいな
>>641 あー、たしかに。
少なくとも祖父母レベルで構築した話じゃないだろうしね。